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他にも炭酸まんじゅうや酒まんじゅうも取り扱っていますので、焼きまんじゅうだけでは足りなかった場合には、そちらも試してみると良いかもしれません。
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ちなみに、毎月21日(日曜・祝日・火曜の場合には翌日に)は、お店の名前の由来にもなっている国定忠治の没日ということで、特売をしています(焼きまんじゅう5本以上で1本の値段が80円になります)。
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最寄駅からは徒歩だとかなり遠いので、タクシーの利用をおすすめします。
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伝統を守っている店主の方は、その日の気温に合わせてまんじゅうの原料に加えている塩の加減を調節しているほどのこだわりようです。老舗の技が込められている焼きまんじゅうが楽しめるお店ですね。
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田中屋本店さんは、東武鉄道伊勢崎線の新伊勢崎駅からかなり近い場所にありますので、駅から歩いていくことができます。駅から離れている店舗が多いので、電車で通う方にとってこれは嬉しいですね〜
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駅から徒歩だと20分近くかかるのでやや遠いですが、街並みを見ながらの散歩がてらには良いかもしれません。沼田市の焼きまんじゅうの店舗は基本的に駅からは遠くて、車やタクシーでの移動が必須になってきますので、このくらいの距離は割とありがたいですね。
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沼田の店舗は駅からかなり離れているので、基本的に沼田駅から徒歩で向かうのは厳しいですね。やはり、群馬は車がないと移動はかなり厳しいです。
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こちらも沼田駅から歩いて行こうとすると驚くほど時間がかかります。2時間近く……
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群馬県の県庁所在地である前橋市にある、1857年頃に創業した老舗であり有名店。店舗の佇まいからして、重厚さが感じられますね。
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天皇陛下もご来県の際にお召し上がりになることもあるほどの店舗なので、県内でも一番の有名店と言ってもいいでしょうね。
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malberry field ®さん(@taraachi_ig)がシェアした投稿 – 2015 8月 20 4:49午前 PDT
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ichiroh kondohさん(@oneandonlyoyazy)がシェアした投稿 – 2015 10月 3 8:40午後 PDT
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伊勢崎にある田中屋さんとはまた別の「田中屋本店」さん。群馬県内にある焼きまんじゅう屋には「田中屋」の看板を掲げている場所が多いので、混乱してしまうこともあります。
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田中屋本店さんの焼きまんじゅうは、少しだけ独特の形をしていて、ちょっと俵型に近い感じのものも混じっていたりします。形にばらつきがあるのがまた手作り感を感じさせてくれますね。そしてタレの艶がかなり出ているのも特徴的です。
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高崎駅からは徒歩15分と歩いていけない距離ではないですね。ちょろっと買い物がてらに立ち寄ったりするといいでしょう。
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小板橋さんでは、毎月第1・第3金曜日に焼きまんじゅうが1串100円になるサービスデーを開催しています。サービスデーにはかなり人出がありますので、場合によっては早い時間に売り切れてしまうこともありますので、注意してくださいね。
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最寄駅:JR高崎駅(徒歩22分)/上信電鉄上信線南高崎駅(徒歩22分)
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群馬の名物である焼きまんじゅうは、割と簡単にできる料理でありながら、県外で販売している店舗はほとんど見ることがないですね。特に東京まで行ってしまったら、その存在すら知られていないでしょう(笑)
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でも、この焼きまんじゅう。かつては東京にも専門の店舗があって、本格的な焼きまんじゅうを食べることができたんです。
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ただし、お気付きの方もいらっしゃるかもしれませんが、なぜぼくが過去形で話を進めているのかというと、この伊勢屋さん、実は2014年6月に閉店してしまっているんです。やはり東京では焼きまんじゅうは流行らなかったのでしょうか……?
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じゃあ、やっぱり東京では焼きまんじゅうを食べることができないのか?
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ということに関してですが、専門店ではないですが、実は東京でも焼きまんじゅう食べることができます。
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このぐんまちゃんちでは、群馬県のグルメやお土産などが購入することができるので、もちろん焼きまんじゅうも置いてあります。
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東京にて、「焼きまんじゅうが食べたい!」と思われた方は、銀座にあるぐんまちゃんちに急ぎましょう!
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もちろん、お店の味を再現するのは職人の技がありますので、なかなかムズカいいですが。焼きまんじゅうはご家庭でも簡単に作ることができます。
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こちらの項では、ご家庭でできる焼きまんじゅうの作り方についてご紹介していきますので、ご参考にしてみてください。
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ある程度混ざったら、ドライイースト、砂糖、塩を入れてよく混ぜ合わせてください。
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ガス抜きが終わったら、生地を片手の拳で軽く包み込めるくらいの大きさに分けていきます。このときにはある程度の形に形成しておいてください。
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発酵が終わったら、今度はオーブンを170度に設定をして、15分ほど生地を焼き上げます。
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オーブンで焼き上げている間に焼きまんじゅうに塗るための味噌ダレを作ります。鍋の中に用意した材料(砂糖、みりん、味噌、醤油)を全て入れて、弱火〜中火程度で加熱していきます。鍋の中でよく混ぜ合わせながらある程度とろみが出てきたら味噌ダレは完成です。
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群馬県のB級グルメの焼きまんじゅうですが、遠方の方でも、「一度食べてみたい!」と思われる方もいらっしゃいます。
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欲しいお店の商品が楽天やAmazonにない場合には、直接お店のホームページにアクセスするとネット予約・販売をしていることもあります。楽天やAmazonになかった場合でも、お店のホームページにアクセスして確認してみましょう!
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群馬県内には、こちらに紹介した焼きまんじゅう店以外にもたくさんの店舗があって、その数は200店舗以上にもなります。お出かけやご旅行の際には、あまり知られてはいないような場所にある、穴場的な名店やお気に入りの焼きまんじゅう屋さんを探すのも良いかもしれませんね。
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群馬に住んでいる方でも知らない名店がたくさんあるかもしれません。
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みなさまこんにちは(^o^)本日22日(木)から28日(水)まで西沢井尻駅前店ニコニコデーを開催いたします(*^^)v
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その他、月に一度のニコニコデーだからできる大幅割引、沢山のお買い得商品を揃えみなさまのご来店をスタッフ一同心よりお待ちしておりますヽ(^o^)丿
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はずかしながら、私は題名はよく聞くものの内容は全く知りませんでした。
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時代的には、1320年~1370年までの話で北条氏の鎌倉時代末期から建武の新政、足利尊氏による室町幕府成立頃の話で、南北朝の争乱を描いた作品です。
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私は歴史は好きで、歴史関連の本をよく読みますが、振り返ってみるとこの時代に関してはほとんど知識が無いことが分かりました。後醍醐天皇、楠木正成、足利尊氏、新田義貞などの人物に関しても日本史の教科書で名前を習っただけの知識しかありません。
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ですので、それぞれの人物についてまったくイメージも湧かない状態でした。
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その理由を考えてみると、司馬遼太郎の小説にこの時代に関して書いたものが無かったからのようです。(笑)
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源頼朝、義経の鎌倉幕府成立や斎藤道三から始まり織田信長、豊臣秀吉、徳川家康による天下統一、新選組、坂本龍馬、高杉晋作などの幕末、明治維新などは、私も繰り返し読んでいましたので、とても馴染みがありますが、太平記の時代がすっぽりと抜け落ちています。見事に「司馬史観」に洗脳されていますね。(笑)
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ちなみに、司馬遼太郎が「太平記」の時代を書かなかったのは、単に「自分の美学に合わない」ことが理由のようです。
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作者の横山まさみち氏は、歴史ものの漫画が多い方のようですが、「鉄人28号」や「バビル2世」の作者である横山光輝氏とは関連はありません。
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さて、この横山まさみち氏の「太平記」ですが、全6巻で、それぞれ2巻ずつ楠木正成、足利尊氏、新田義貞に焦点を当てて描かれています。それぞれの人物を通して、違う視点から歴史の流れが描かれていて面白いです。
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実は、最近の落合先生の一連の著書に書かれている、南北朝に関する記載、特に後醍醐天皇の息子で重要人物の大塔宮護良親王(おおとうのみやもりながしんのう)に関してもほとんど知識がありませんでした。戦前に教育を受けた方などは、この辺りの歴史は当たり前のように刷り込まれているのでしょうが、私たちの世代は、ほとんど知識がないと思います。
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この横山氏の「太平記」を読むことで、南北朝時代の動乱、大塔宮の位置づけが理解でき、楠木正成の活躍、足利尊氏と新田義貞の確執など、いくつものドラマが楽しめます。
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源頼朝、徳川家康などが就いた「征夷大将軍」という役職ですが、あくまでも天皇から任命されるものであり、その頂点には天皇が存在することが、この本を読むと実感します。足利尊氏は、後醍醐天皇(南朝)と戦う時には
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北朝の天皇を担いで戦うことで、自分が「朝敵」になることを回避しつつ、自分の実権を拡大させていきました。
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そして、国民の事を考えない人が頂点に立って政治をしてはいけないな~ということを再認識しました。
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足利尊氏が下野国(しもつけのくに:栃木県)、新田義貞が上野国(こうずけのくに:群馬県)出身の武士であることも、埼玉県人としては親しみを覚えます。(^^) 特に、私がよく通っている栃木県佐野市の隣にある足利市が足利尊氏とゆかりがあるとは知りませんでした。次回は、足利の街を探索してみようと思います。
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横山氏の描き方もあると思いますが、個人的には足利尊氏よりは新田義貞の方が好きですね。
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最近の方は、あまり知らないと思います。私も落合先生の本で初めて知りました。
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この本は、この薩摩治郎八に関して残されている資料を調査し、コナン・ドイルやアラビアのロレンスとの会見などの伝説を含めて、これまで知られている治郎八の一生を再検証した労作です。著者の村上紀史郎氏は、1947年生まれ、「TBS調査情報」の編集を経て、現在はフリーランスの編集者です。文学、美術、建築、映画、ワイン、料理などの編集を手掛けているとのことです。
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治郎八がパリで活躍したのは、1920年代から1930年代にかけてです。この時代の日本は、好景気で多くの富豪(成金)たちが生れて、そしてその多くが大恐慌後によって没落していきました。その当時の状況に関する記載をみてみましょう。
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以前、ブログで紹介した国立西洋美術館にある松方コレクションを収集した松方幸次郎の川崎造船も、この好景気で大儲けし、多くの美術品を収集することができたのです。
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この時期が、彼の絶頂期であったと言えるでしょう。その5カ月後にNYの株式市場で株の大暴落による世界恐慌が起こり、薩摩家もその波に飲み込まれてしまいました。
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昭和の初期に、このような人物がパリを闊歩していたというのはとても興味深いです。
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これまで公開されている資料では、治郎八と佐伯祐三は関わりが無かったということが定説となっていたはずですので、村上氏は落合先生の「天才画家「佐伯祐三」真贋事件の真実」を読んで治郎八と佐伯の関係に興味を持ったのだと思います。(治郎八が亡くなったのは、1976年で、落合先生の本の出版が1997年ですので、時期的にも整合します。)
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この本は、英国人記者であるストークス氏の視点で戦後の日本を見たものです。英国人の視点がとても新鮮です。
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イギリスで生れ育った私は、幼少のころから日本人は野蛮で残酷な民族であると、さんざん聞かされていた。ちょうど当時の日本人が「鬼畜米英」と聞かされていたのと同じことだ。戦後になっても、日本のおかげでアジアの植民地をすべて失ったイギリスの、日本に対する憎悪の感情は消えるばかりか、強まるばかりだった。そんな環境の中で、私の中にも、日本を憎む気持ちが、ごく自然に醸成されていた。
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ストークス氏は、現在、国際社会で「南京大虐殺はなかった」と言えば、もうその人は相手にされない状況となるという事実も指摘しています。氏の指摘するように、朝日新聞のように中国や韓国にお伺いを立てるような反日本的なマスコミや個人の活動に対して、世界的に失なった信用をどうやって回復するかが重要な課題ですね。
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日本人についてさまざまなエピソードを書いているが、許容範囲を逸脱した差別的表現で、日本人を侮蔑している。イギリス人からそのような醜い言葉が発せられたのを、耳にしたことはない。罵詈雑言というか、これでもかと貶める表現を使っていた。(中略) 数百年にわたって栄華を極めた大英帝国 - 日が沈むことがなと形容された - その版図があろうことか東洋の黄色い小人によって、一瞬にして崩壊させられてしまったという悔しさと、怒りがあったのだ。
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ストークス氏の本で面白いのは、英国人である彼はアメリカ人に対して非常に許しがたい感情を持っていると感じる部分です。
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ストークス氏が幼稚園の頃に、彼の故郷であるのどかな田舎町に米軍の戦車が10台くらいやってきて子供達にチューインガムを放り投げた光景が、彼の心の底にあるそうです。それにしても、戦後の日本の「ギブ・ミー・チョコレート」のようなことが、戦時中の英国でもあったとは驚きですね。その時、ストークス氏は「アメリカの戦車を見て、本能的にアメリカ軍がわれわれの国を支配するようになるのだ」と感じたそうです。
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「俺はボランティアではない」というのが口癖で、金儲けに眼がなく、英国企業の日本進出を手助けし、成約金の五パーセントをロンドンの口座に振り込ませていた。生涯、豪奢な生活をした背景に、こうした手数料収入があった。
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私は白州が傲慢で威張ってばかりいたから、好きにはなれなかった。自己顕示欲が強くて、いつも自慢話を言いふらしていた。(中略)
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次郎は映画俳優のように男前で、流暢なイギリス英語を、反り返って、まるで人を見下すように話した。自分が関心を持たない人物がそばに来ると、無視するようにそっぽを向いて、無礼な態度をとった。それでも、イギリス人の友人たちが、次郎の博覧強記ぶりは驚嘆に値すると、語っていた。
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このブログですが、2013年の11月に100万アクセスと突破しました。本当にありがたいことです。
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その後も、一日600~800人の人に訪問して頂いていましたが、下のグラフのように6月30日からアクセス数が急降下しました。
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当初は、「まあ、そんな日もあるよ!」と気楽に考えていたのですが、次の日も、そしてその次の日も一向にアクセス数が伸びる気配が見えず、ランキングも落ち続けました。そして、総合ランキングが800位程度だったものが、3,000~4,000位くらいまで落ち込み、「本」のテーマランキングでも5位から20位以下まで転落しました。(-_-;)
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そこまでランキングが下がって、何とかしようと考えて原因を調査しました。原因は、どうやら検索エンジン(Google、Yahoo! など)からの訪問客が減ったことでした。それまでは、一日200~300人が検索エンジンからこのブログに来て頂いていたのですが、6月末以降は、一日10人~20人にまで落ち込んでいました。
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検索エンジンのランキングの急落というのは、検索エンジンのアルゴリズム更新の時によく起こる話のようで、Googleで検索しても、いろいろな方の経験談が出てきます。私もそれを読んで、いろいろと思い当たるようなものは対策を打ちました。
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そして、9月に入ってから何とかランキングも上昇してきて、「本」のテーマランキングでも5位に戻ることができました。調べてみると、検索エンジンからの訪問者もほぼ元の通りに戻っていました。
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しかし、正直言って、何が原因で検索エンジンのランキングが下がり、そして元に戻ったのか分かりません。私の打った施策が効果があったのか無かったのかも分かりません。(おそらく効果は無かったように感じます)
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私は、もともとブログでほとんど稼いでいないので、今回のようにアクセス数が激減しても自分のモチベーションにしか影響しませんが、検索エンジンからのアクセスでビジネスをやっている人にとっては死活問題だと感じました。もし、自分でお店を開いて、ある時期からお客さんが1/10に激減したことを想像すると恐ろしくなります。
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今回の件でネットを利用したビジネスは、GoogleやYahoo! などの検索エンジンの会社に首根っこを押さえられているということ実感しました。 みなさんも、ご注意を!
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この本は、「日本は現存する唯一の古代国家」であるという事を、当時者である日本人がほとんど知らないことに問題意識を持ち、そのことを多くの人に知ってもらうために書きました。
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学校教育で建国の歴史を教えない国は、世界中で、日本だけではなかろうか。我が国は現存する世界最古の国家である。日本人なら素直に喜び、誇りに思えるこの重大な事実を、なぜ日本人は知らないのか。
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日本が最古の国であることを知ったとき、私は心から感動し、「日本はすごい国なんだ」と思った。これほど日本人に誇りを持たせる重要な歴史を教えないとは、不自然極まりない。
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そしてその結果、現在の日本は、建国記念の日に建国を祝う国民がほとんどいないという、世界的に見て、極めて異常な状況にある。日本国が存在することのありがたさを、日本人は実感していない。これは国家・民族の危機であろう。戦後教育の誤りは、国を滅亡させる力をも発揮しうるのである。
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日本の建国は、「日本書記」によれば、初代神武天皇が即位した紀元前660年(約2700年前)となります。ところが、これは、考古学会から反対があり、学界としては認められていないようです。
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ちなみに、大東亜戦争開戦の前年の1940年(昭和15年)に神武天皇即位から2600年を記念した「紀元二千六百年記念行事」が日本政府が中心となって祝われました。
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竹田氏は、三世紀前期に奈良県の三輪山の麓にある纒向遺跡(前方後円墳)が作られたことがヤマト王権の成立であるとみなしています。纒向遺跡のような巨大な墳墓を作るためには、膨大な費用と人工が必要であり、それを調達できる強大な国家が成立していたとの判断で、至極まっとうな意見だと思います。(個人的には、日本建国は神武天皇まで遡ると思っていますが...)
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ちなみにこの本に書かれている日本以外の国の建国は、以下の通りです。日本がダントツの一位ですね。
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このように世界に誇るべき日本の歴史を、当の日本人はほとんど知りません。その理由は、私たちが学んだ日本の歴史の教科書にそのような誇るべきことは書かれていないからです。
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これは、米国の日本的なものを徹底的に貶めた占領政策と、何と言っても日教組の力が大きいと思います。戦前は、普通に教えていた古事記や日本書紀など建国に関わる古代の神話に関して、戦後は何も教えていないのです。
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日本の天皇は、初代の神武天皇から今上天皇まで途切れることなく続いています。異論のある方もあるかと思いますが、少なくとも人民から攻め滅ぼされることなく、日本の統治者として君臨し続けてきたことは事実です。鎌倉時代から武家政権になりますが、天皇家を滅ぼして自分が日本の頂点に登ったものはいません。
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私たちは、歴史でお隣の中国が、随、唐、宋、元、明など王朝がどんどん移り変わるのを学んできましたが、日本自体は、その国体がずっと変わっていないという世界的に見ても特殊な国であることを全く認識していないと思います。このような事こそ、学校できちんと教えるべきですね。
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ところが、私たちの頃もそうでしょうが、現在の日本の教科書には初代天皇である神武天皇の記載がなく、天皇とは日本人にとってどのような存在であるかも教えていません。
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「国内では地方の豪族が反乱をおこし、政権のなかでも、豪族どうしの争いが続きました」の一文の後に、なんと、ここで突如、天皇が登場する。次の文である。
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「女帝の推古天皇が即位すると、おいの聖徳太子が摂政となり、蘇我馬子と協力しながら、中国や朝鮮に学んで、天皇を中心とする政治制度を整えようとしました」
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日本の歴史の教科書に登場する最初の天皇は、第三十三代推古天皇だった。しかも、三十三代であることは本文から読みとることはできない。「豪族どうしの争い」の結果、推古天皇が勝利を収めて初代天皇に即位したかのような書きぶりである。実際、推古天皇が初代天皇と勘違いしている中学生は多い。
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私も、神武天皇に関しては、学校ではなく手塚治虫の「火の鳥」で知ったと記憶しています。
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「何でも○国が起源」、「○国が世界一」などと捏造することが必要な国とは違い、日本には世界に誇れるものがあるのですから、事実を正確に子供たちに教えて欲しいと思います。
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竹田氏は、世界的な歴史学者であるアーノルド・トインビーの言葉を紹介しています。
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「十二、三歳くらいまでに民族の神話を学ばなかった民族は、例外なく滅んでいる」
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みなさんは、今回の小保方さんの騒動をどのように感じているでしょうか? 新聞やTV、雑誌の報道を見て、「STAP細胞は怪しい」、「論文を捏造したとんでもない女」というように感じているのではないでしょうか?