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認識論 | 合理主義は概念による理性認識に従って普遍必然性を有する知識、最終的には神の存在証明に至ることができると信じたが、ひとたび数学や自然学の問題を離れ、形而上学上の問題を論じるや否や合理主義内部においてさえその対立はとどまるところを知らず、徒らに概念をもてあそび内容空虚な思弁を弄することになり、独断論化していった。
カントが師のクヌッツェンから学んだのは、当時のドイツの講壇哲学において支配的であったライプニッツ=ヴォルフ派の壮大な形而上学で、彼は、自身が批判哲学を確立する前に、自身がかつて所属していた当該学派における状態をその著書『プロレゴメナ』において「独断論のまどろみ」と比喩的に呼んだ。
ジョン・ロックは認識の起源は経験であるとした。
時代背景としては、ピューリタン革命や内乱のため1641年に高等宗務裁判所が廃止されたことがあり、当時、英国国教会とカトリック教徒やクエーカー教徒との対立が激化しただけではなく、民衆にはヘルメス主義などが流行し、自分の目も感覚も明らかな証拠も信用せず、自分の経験すら偽りとしてまで自らの教義に一致しないものを認めようとしない頑固な人びとが多くおり、独断主義との対立が迫られるというような社会情勢にあった。
ロックと彼を引き継ぐジョージ・バークリーやデイヴィッド・ヒュームなどのイギリス経験論者は、経験に先立って何らかの観念が存在することはなく、人間は「白紙状態」(タブラ・ラサ)として生まれてくるものと考えて生得説を批判した。
ロックは、観念は感覚(英: sensation) もしくは反省(英: reflection) から発生すると考えた。彼によれば、観念には単純観念と単純観念が合わさって形成した複合観念があるが、このような観念の結合・一致・不一致・背反の知覚が知識である。したがって、全ての観念と知識は人間が経験を通じて形成するものだということになる。 | 1,002 |
認識論 | ロックは、観念は感覚(英: sensation) もしくは反省(英: reflection) から発生すると考えた。彼によれば、観念には単純観念と単純観念が合わさって形成した複合観念があるが、このような観念の結合・一致・不一致・背反の知覚が知識である。したがって、全ての観念と知識は人間が経験を通じて形成するものだということになる。
ロックは、デカルトと同様、精神、物体、神の三つが実体であるとしており、数学に関しても論証的知識に属するとしてその確実性を否定したわけではなかった。ロックは、反省によって生成された観念を理性によって演繹することを認めるので、その限りで、ロックはデカルト主義者であるということもできる。ただし、自然学については、その知識は確実なものではなく、蓋然性を得るにとどまるとした。ロックによれば、物体の性質は、固性・延長性・形状等の外物に由来する客観的な「第一性質」(英: primary quality) と、色・味・香り等の主観的な「第二性質」(英: secondary quality) に分かれるが、我々が知ることのできるのは後者のみで、それすらも経験によって全てを知ることはできず、その蓋然性を得るにすぎない。
ジョージ・バークリーは、ロックの経験論を承継しつつ、ロックが物体を実体とした上で、物体の第一性質と第二性質を区別したことを批判した。彼は、両者の区別を否定し、実体とは同時的なる観念の束(英: bandle or collection of ideas)に他ならないと考えた。このような考え方から、彼は、物体が実体であることを否定し、知覚する精神と、神のみを実体と認めた。
このことを端的に表す有名な言葉として「存在とは知覚されてあることである」(羅: Esse est percipi、英: To be is to be perceived) がある。
バークリは、主観的観念論、独我論と批判されることになったが、彼は聖職者であり、神を実体としていたことから、その思想はむしろマルブランシュに近いものであったとされている。ロックの経験論は独我論と懐疑論の中道を目指す経験的実在論を基礎にしていたが、バークリはデカルト主義的なロックの観念論を承継していた。 | 1,002 |
認識論 | バークリは、主観的観念論、独我論と批判されることになったが、彼は聖職者であり、神を実体としていたことから、その思想はむしろマルブランシュに近いものであったとされている。ロックの経験論は独我論と懐疑論の中道を目指す経験的実在論を基礎にしていたが、バークリはデカルト主義的なロックの観念論を承継していた。
デビット・ヒュームは、主著『人間本性論』において、あらゆる観念の理性による基礎付けを否定し、当時の自然科学の知見に基づき、観念の形成過程を分析した。ヒュームによれば、人間の「知覚」は印象(impression)と、そこから創出される観念(idea)の二種類に分けられるが、全ての観念は印象から生まれる。印象は人の意識に強く迫ってくるいきいきとしたものであるが、なぜそれが生じるのか説明のつかないものであり、観念は印象の色あせた映像にすぎない。この観念が結合することによって知識が成立するが、知識には数学や論理学のように確実な知識と蓋然的な知識の二種がある。観念の結合について「自然的関係」と「哲学的関係」の2種があり、前者は「類似」(英: similarity)・「時空的近接」(英: contiguity)・「因果関係」(英: causality) があり、後者は量・質・類似・反対および時空・同一性・因果がある。その上で、ヒュームは、因果関係の特徴は必然性にあるとしたが、一般に因果関係といわれるpとqのつながりは、人間が繰り返し経験する中で「習慣」(英: habit) によって心の中に生じた蓋然性でしかないと論じ、理性による因果関係の認識の限界を示した。
この因果関係に関するヒュームの考えは後にカントに決定的な影響を与えた。カントは、その著書『プロレゴメナ』において、ヒュームが自分を独断論のまどろみから眼覚めさせたと後に明らかにした。認識のための道具は理性であり、もしこの道具に限界があるのであれば、なによりも先に、その可能性と根拠について問われなければならない。カントは後に認識の可能性と根拠を問う哲学を超越論哲学と呼び、これを展開していくことになる。 | 1,002 |
認識論 | イマヌエル・カントは、このように合理主義と経験主義が激しく対立する時代に、観念の発生が経験と共にあることは明らかであるとして合理主義を批判し、逆に、すべての観念が経験に由来するわけでないとして経験主義を批判し、二派の対立を統合したとする見方が今日広く受け入れられている。カントの立場は、このように経験的実在論から出発し、超越論的観念論に至るというパラドキシカルなものである。
デカルトは、外界にある対象を知覚することによって得る内的な対象を意味する語として 仏: idée の語を充てていたが、このような構造に関しては経験主義に立つロックも同様の見解をとっていた。
カントは、これらの受動的に与えられる内的対象と観念ないし概念を短絡させる見方を批判し、表象(独: Vorstellung)を自己の認識論体系の中心に置いた。カントは、表象それ自体は説明不能な概念であるとした上で、表象一般はその下位カテゴリーに意識を伴う表象があり、その下位には二種の知覚、主観的知覚=感覚と、客観的知覚=認識があるとした。人間の認識能力には感性と悟性の二種の認識形式がアプリオリにそなわっているが、これが主観的知覚と客観的知覚にそれぞれ対応する。感覚は直感によりいわば受動的に与えられるものであるが、認識は悟性の作用によって自発的に思考する。意識は感性と悟性の綜合により初めて「ある対象」を表象するが、これが現象を構成する。このような考え方を彼は自ら「コペルニクス的転回」と呼んだ。カントによれば、「時間」と「空間」、「因果関係」など限られた少数の概念は人間の思考にあらかじめ備わったものであり、そうした概念を用いつつ、経験を通じて与えられた認識内容を処理して更に概念や知識を獲得していくのが人間の思考のあり方だということになる。
20世紀初頭、エトムント・フッサールは、西欧諸科学が危機に直面しており、その解決が学問の基礎付けによってもたらされると考え、現象学の確立を試みた。
当時は、アインシュタインの相対性理論を始めに、量子力学を含め理論物理学が飛躍的に発展し、デカルトやカントが前提としていたニュートン力学に対する重大な疑義が出された時代であり、改めて学問の基礎付けが問題となった。 | 1,002 |
認識論 | 20世紀初頭、エトムント・フッサールは、西欧諸科学が危機に直面しており、その解決が学問の基礎付けによってもたらされると考え、現象学の確立を試みた。
当時は、アインシュタインの相対性理論を始めに、量子力学を含め理論物理学が飛躍的に発展し、デカルトやカントが前提としていたニュートン力学に対する重大な疑義が出された時代であり、改めて学問の基礎付けが問題となった。
フッサールは、数、自己、時間、世界などの諸事象についての、確実な知見を得るべく、通常採用している物事についての諸前提を一旦保留状態にし、物事が心に立ち現れる様態について慎重に省察することで、イデア的な意味を直観し、明証を得ることで諸学問の基礎付けを行うことができると考えた。
哲学的認識論の第二の問題は、人間にとって不可知の領域はあるか。あるとしたら、どのような形で存在するのかという問題である。これは認識主体たる意識と認識客体という対立するいずれの項に基本を置いて認識の本質を規定するのかという問題でもあり、観念論と実在論が対立した。
実在論は、素朴実在論を批判して、物体の第一性質と第二性質を分けるロックの主張があり、科学的実在論と呼ばれる。
観念論は、主観的観念論の立場に立つものとしてバークリが挙げられることが多いが、その主張は複雑である。
カントにおいては、現象は、物自体と対比され、物自体と主観との共同作業によって構成される。別の言い方をすると、現象というのは物自体に主観の構成が加わった結果であるとし、人は現象が構成される以前の物自体を認識することはできない、とした。1781年に出版した『純粋理性批判』の中で、カントは人間の持つ理性がどのようなものであるかを、分析した。そしてその分析を通じて、人間の理性は、どんな問題でも扱える万能の装置ではなく、扱える問題について一定の制約・限界を持ったものであることを論じた。そして人間の理性によって扱えないような問題の例として、カントは純粋理性のアンチノミーという四つの命題の組を例示し、ライプニッツが行ったような形而上学的、神学的な議論は、原理的に答えを出せない問題であり、哲学者が真剣に議論すべきものではない、と斥けた。
カントは純粋理性批判の中で、次の四つのアンチノミーを例示した。 | 1,002 |
認識論 | カントは純粋理性批判の中で、次の四つのアンチノミーを例示した。
アンチノミー(二律背反)とは、ある命題(テーゼ、定立)と、その否定命題(アンチテーゼ、反定立)が、同時に成立してしまうような場合を言う。つまり「Aである」と「Aでない」が、同時に成り立つような場合を言う。この四つの命題の組は、そのどちらを正しいとしても矛盾が生じるものであり、このどちらかが正しいという事を、理性によって結論付けることは不可能、つまり議論しても仕方のない問題だ、とカントは論じた。それぞれについて簡単に内容を説明しておくと、第一のものは時間に始まりはあるか、空間に果てはあるか、という問題、第二のものは原子や素粒子といったこれ以上分割できない最小の構成要素があるかどうかの問題、第三のものは自由意志と決定論の問題、そして第四のものは世界の第一原因と神の存在の問題である。
カントによる形而上学批判は、以降の西洋の哲学に大きい影響を与えることとなり、神の存在証明や宇宙の始まりなどの形而上学的な問題は、哲学の中心的なテーマとして議論される傾向は抑制されていった。
哲学的認識論の第三の問題は、ある考え方が正しいかどうかを確かめる方法があるか、という真理論の問題である。
古典的な哲学的認識論としての真理の問題に関する見解はおおまかに以下の四つに分類することができる。
古典的認識論は、既に述べたとおり認識主体がどのようにして認識客体を認識するのかという二項対立図式において認識をとらえようとしたが、この難問が認識論の危機を招くこととなった。
カントは、二項対立図式を前提としつつ、現象と物自体を厳密に区別したが、ショーペンハウアーは、理性によっては認識できない物自体という概念を維持しつつ、現象とは私の表象であり、物自体とはただ生きんとする盲目的な意思そのものにほかならないとして理性を批判した。このような図式を引き継いだニーチェの思想はやがて生の哲学と呼ばれる潮流を作り、ドイツ・フランスで多くの哲学者に影響を与えたが、やがて実存主義に吸収されていった。 | 1,002 |
認識論 | フィヒテに始まり、ヘーゲルによって完成を見たドイツ観念論は、理性によって現象と物自体の区別を乗り越えるような形で発展した。ヘーゲルによれば、カントの認識論は、認識の限界を認識するという循環論法的な議論であって、それはあたかも水に入る前に水泳を習うようなものであって、本来的に不可能である。ヘーゲルの批判は認識論にとって本質的な異議であったが、ヘーゲルの死後、ヘーゲル学派は分裂・対立を繰り返して崩壊し、かえって哲学の危機の時代を招いた。
その後、さまざまなバリエーションがあるものの、二項対立図式そのものが放棄されるべきではないかが議論されるようになった。
まず、当時の自然科学、とりわけ物理学の飛躍的な発展を背景にした二項対立図式の乗り越えがある。エルンスト・マッハは、ニュートン力学の絶対空間の概念に形而上学の残滓が残っていると考え、自然科学は形而上学概念を排した思考以前の純粋要素である感覚からすべて説明されるべきであり、概念や法則は思考を経済化するためのものにすぎないとした。このような感覚を「純粋経験」とよび、主観と客観の対立を原理的に同格とみなした。マッハの哲学は、アメリカのプラグマティズムやウィーン学団の論理実証主義に多大な影響を与えた。ウィーン学団は、マッハの他にも、ウィトゲンシュタインの論理哲学論考から多大な影響を受けているが、そのメンバーの多くがユダヤ人であったことから、ナチスの弾圧を受け、これから逃れるために参加者の多くはアメリカに亡命し、学団自体は立ち消えになったが、その考えが米英に広まり、英米系の現代的認識論に多大な影響を及ぼすことになった。 | 1,002 |
認識論 | 次いで、フッサールは、志向性という概念を用いてデカルト的な主観/客観図式を乗り越えようとしたが、生物学や心理学によって学問を基礎付けようとする考え方については逆に心理主義と呼んで厳しく批判した。フッサールは、ノエシス/ノエマ構造を本質とする志向性意識についての認識論的考察と、志向対象としての存在者への考察を現象学的還元を介して批判的に記述することにより、限定的ながらも存在論への道を開いたが、現象学は、ドイツでは、フッサールの意図を超えた展開を見せ、マルティン・ハイデッガー、ニコライ・ハルトマンらによって存在論の復権の方向へと発展していった。他方で、現象学は、その後フランスで受容され、フランスの現代的認識論に多大な影響を与えることになった。
英米では、論理実証主義運動を契機に、科学哲学や分析哲学が発展し、古典的経験論の失敗に学び、スコットランド常識学派の成果を吸収した上で、いわば現代的経験論ともいう立場を打ち立てて、フランスやドイツとも異なる独自の発展を見た。英米の現代的認識論では、知識とは何か、正当化とは何か、懐疑主義とどう向き合うかといった問題を軸に活発な議論が行われてきた。
英米の現代認識論で扱われるその他のテーマとしては、知覚の認識論、徳認識論、認識論の社会化、アプリオリな知識の可能性などがある。また、近年では、知識の価値とは何か、知識の実践的、社会的機能とは何か、合理的な不一致はありうるか、などの多様なテーマが論じられるようにもなっている。
知識の概念分析においては、「知識とは正当化された真なる信念である」というプラトン由来の知識の古典的定義をどう修正していくかということが一つの焦点となってきた。これはゲティア問題のために、古典的定義が文字どおりには正しくないと考えられるようになったためである(ただし、ゲティア問題のこのような含意を否定する論者も存在する)。この文脈では、以下のような立場がさまざまな哲学者によって展開されてきた。 | 1,002 |
認識論 | 知識の概念分析においては、「知識とは正当化された真なる信念である」というプラトン由来の知識の古典的定義をどう修正していくかということが一つの焦点となってきた。これはゲティア問題のために、古典的定義が文字どおりには正しくないと考えられるようになったためである(ただし、ゲティア問題のこのような含意を否定する論者も存在する)。この文脈では、以下のような立場がさまざまな哲学者によって展開されてきた。
基礎付け主義(英: foundationalism) とは、認識主体が何かを信じるための正当化を持つかどうかは、その認識主体のなんらかの基礎的な信念、またはそれに類似する心的状態に最終的に依拠するという立場。これらの信念ないし心的状態は、他の信念、心的状態を正当化するものでありながら、それら自体は(他の信念、心的状態によっては)正当化されないため、基礎的と呼ばれる。基礎付け主義は、伝統的にはセンス・データ論の形をとって展開された。
ウィルフリッド・セラーズは、センス・データ論を、所与の神話(英: myth of the given) の典型的な形態として批判する。センス・データ論では、非言語的な所与としてのセンス・データが、命題内容をもつ信念を最終的に正当化すると考える。しかし、もしセンスデータが非言語的なものであり、正当化がある種の推論関係と捉えられるならば、非言語的であり命題内容を持たないセンス・データが、どうやって命題内容をもつ信念と推論-正当化関係に立つのかが謎になる。
整合説(英: coherentism) とは、ある認識主体の持つ信念がお互いに調和しあっていることをもって、個々の信念が正当化されるとする考え方。調和、整合ということで、論理的な整合性(英: logical consistency) 以上のことが意味されるかどうかは、整合説論者でも意見が分かれる。
内在主義と外在主義を端的に区別するような基準を特徴づけることは非常に難しい(これは個々の論者が、これらの語で異なることを意味している場合が多いためである)。また、内在主義・外在主義という区分は、知識に対して適用される場合と正当化に対して適用される場合があり、両者を区別する必要がある。 | 1,002 |
認識論 | 内在主義と外在主義を端的に区別するような基準を特徴づけることは非常に難しい(これは個々の論者が、これらの語で異なることを意味している場合が多いためである)。また、内在主義・外在主義という区分は、知識に対して適用される場合と正当化に対して適用される場合があり、両者を区別する必要がある。
典型的なヴァージョンの内在主義(英: internalism) は、アクセス内在主義と呼ばれるものである。正当化に関するアクセス内在主義とは、認識主体が何かを信じるための正当化を持つかどうかを決定する要素は、全て(あるいは少なくとも、主要なものは)、その認知主体が反省のみによってアクセスすることができるものだけだという考え方。知識に関するアクセス内在主義とは、同様の条件を、認識主体が知識を持つかどうかを決定する要素に対して課す立場である。ゲティア問題を知識に関するアクセス内在主義で切り抜けるのは非常に困難である。
外在主義を内在主義の否定と解するならば、アクセス内在主義の否定としての外在主義(英: externalism) も、「正当化に関する外在主義」と「知識に関する外在主義」に区別される。前者は、認識主体が何かを信じるための正当化を持つ際に、当の認識主体の反省的アクセスの対象ではない要素が介在するという立場である。後者は、同様の条件を、認識主体が知識を持つための条件とする。
ウィラード・ヴァン・オーマン・クワインによって提案された「自然化された認識論」は外在主義と結びついた形をとることが多い。
信頼性主義(英: reliabilism) と呼ばれる立場で、最も有名なものは、プロセス信頼性主義であり、正当化に関する外在主義の中心的な立場である。プロセス信頼性主義によれば、ある信念が正当化されるためには、その信念が信頼のおける認知プロセスによって形成されることが必要である。類似する立場として、知識に関する信頼性主義があり、D.M.アームストロング(英語版))によって提唱された。
知識の因果説(英: causal theory of knowledge) とは、ある信念が知識かどうかは、その信念が、因果的に適切な仕方で生じたかどうかによって決まるという立場。アルヴィン・ゴールドマンによって提唱された。 | 1,002 |
認識論 | 知識の因果説(英: causal theory of knowledge) とは、ある信念が知識かどうかは、その信念が、因果的に適切な仕方で生じたかどうかによって決まるという立場。アルヴィン・ゴールドマンによって提唱された。
決定的理由(英: conclusive reasons) はフレッド・ドレツキの提案した概念で、その信念が間違いであるならば、その理由がえられることはないであろうような理由。ドレツキはある人の信念が知識であるのは、その信念が、その正しさを保証する決定的理由に基づいて信じられているときであるという考え方をとる。これは知識に関する外在主義の一種となる。
懐疑主義、特にデカルトの「欺く神」(仏: Dieu trompeur) にどう対処するかということも近現代を通じて認識論の大きな課題である。これについてもいろいろな立場が提案されてきた。
すでに見た外在主義は、知識ないし正当化の条件として、認識主体本人が反省的アクセスを持たない要素を認める。従って、われわれがデカルトの欺く神に騙されているのでないということを認識主体が証明できなくとも、現実世界のあり方や、認識主体の認知プロセスが実際に信頼可能であるという事実によって、知ることができるという可能性が開ける。
閉包原理(英: closure principle) とは、(ある仕方で解釈された)デカルトの懐疑論が依存しているとされる原理の一つで、認識主体がAを知っており、かつ、AからBが論理的に導けるということを知っているならば、その認識主体はBを知っている、という原理である。言い換えれば、知識は既知の論理的含意のもとで閉じている。閉包原理を否定するならば、欺く神に騙されているかどうかを知らないことは、様々なことを知っているということと両立可能である。閉包原理と呼ばれるものはこれ以外にも幾つかあり、どの原理が正しいかを巡る議論が行われている。
認識論における広義の文脈主義(英: contextualism) とは、極めて大まかに言えば、何が正当化されているか、何が知識かは文脈によって変化する、という立場。欺く神について考える文脈と、より日常的な問題について考える文脈を区別することで、デカルト的懐疑が日常の思考にも影響することを食い止めることができる。ジョン・L・オースティンが提唱者の一人である。 | 1,002 |
認識論 | 認識論における広義の文脈主義(英: contextualism) とは、極めて大まかに言えば、何が正当化されているか、何が知識かは文脈によって変化する、という立場。欺く神について考える文脈と、より日常的な問題について考える文脈を区別することで、デカルト的懐疑が日常の思考にも影響することを食い止めることができる。ジョン・L・オースティンが提唱者の一人である。
フランスには、デカルトに端を発し、実証主義の祖オーギュスト・コントらが引き継いだ大陸合理主義・啓蒙主義の哲学的伝統がある。これらは、知識、信念、科学とは何か、合理的に知識を得る事とは、という認識論を中心とした問題意識を有するが、イギリス経験論を拒否するとともに、抽象的な定義から始まり、これを演繹するというドイツ哲学のような態度をも拒否し、理性について歴史的に考察する。
ミシェル・フーコーによれば、フランスの哲学的伝統は、ドイツ発祥の現象学をフランスにおいて受容するに際して、ガストン・バシュラール、ジョルジュ・カンギレムらによって代表される「知識、理性、概念の哲学」と、サルトル、メルロ・ポンティらによって代表される「経験、感覚、主体の哲学」の二派に分かれた。フランスの現代思想において、サルトルらの実存主義の流行後、1960年代に入って構造主義が台頭し、更にこれに対する反動としてポスト構造主義が台頭してくる歴史もそのような大きな流れの中で理解されるべきであるとされる。
現代のフランスの科学的認識論は、「エピステモロジー」(仏: Épistémologie) とよばれ、科学哲学と分野が一部競合している様相を示している。
エピステモロジーの歴史的に重要な人物としては、上で挙げたバシュラール、カンギレムらがいる。
エピステモロジーは、科学史と哲学の密着な結びつきを重視するが、他方でイギリス経験論を拒否し、コント以来の実証主義的伝統を受け継ぐという特徴を有しているが、科学哲学とはその発展の歴史が異なるだけでなく、科学哲学が有する総括的な意図、論争的な調子とは一線を画しているという特徴も有している。
ポストモダニズム、ポスト構造主義と呼ばれる人文・社会科学上の潮流は構造主義にあり、構造主義的認識論を基礎にしている。 | 1,002 |
認識論 | ポストモダニズム、ポスト構造主義と呼ばれる人文・社会科学上の潮流は構造主義にあり、構造主義的認識論を基礎にしている。
非本質主義、相対主義などと形容されることが多いポストモダニズムの典型的な議論、認識論として、次のような特徴が挙げられる。
こうした認識論上の主張は、フリードリヒ・ニーチェ、ミシェル・フーコー、ジャン=フランソワ・リオタール、リチャード・ローティなどの哲学的な著作に基づいてなされることが多い。
ドイツには、フリードリヒ・シュライアマハーに始まる解釈学の哲学的伝統があり、英米系の言語哲学が歴史を軽視していることが、このような哲学的伝統に反するものと考えられてきた。
第二次世界大戦後しばらくの間はマルティン・ハイデッガーによる認識論批判・存在論の復権の影響が大きく、フランスのエピステモロジーの影響はあったものの哲学的には停滞していた時期が続いた。
1960年ころ、いわゆる「ドイツ社会学の実証主義論争」を経て、英米系の言語哲学、科学哲学の発展の成果を受容する流れが強くなった。このような流れにある人物として、カール=オットー・アーペルらがいる。
もっとも、このような流れの中にあっても、ハンス・ゲオルク・ガダマーのようにあくまでドイツの哲学的伝統に足場を置き研究を続けるものも多数いる。その意味で科学的認識論の重要性は増したものの、現代においても哲学的認識論の問題が古くなってしまったわけではないと考えられている。
ウィラード・ヴァン・オーマン・クワインによって提案された「自然化された認識論(英語版)」は、自然科学的な方法論によって認識論を行おうという立場であり、クワイン以降、様々な形で展開されている。 | 1,002 |
認識論 | ウィラード・ヴァン・オーマン・クワインによって提案された「自然化された認識論(英語版)」は、自然科学的な方法論によって認識論を行おうという立場であり、クワイン以降、様々な形で展開されている。
クワインは、まず、古典的な経験主義には二つのドグマがあり、ドクマなき新たな経験主義を確立する必要があると主張する。彼によれば、経験主義には、事実に基づく総合的真理と事実問題と独立な意味に基づく分析的真理の間には根本的な相違があるという信念と、有意味な言明は直接的経験を指示する諸名辞からの論理的構成物と同値であるという信念の二つのドグマがあり、この二つのドグマは同じ根を持つ。経験主義の伝統においては、真理とは、観念と実在の対応であり、その場合の観念とは、一つの名辞を単位に考えられていたが、カルナップらの論理実証主義は、この単位を一つの言明に置き換えた。つまり、ここでは、直接的経験によるセンス・データ(感覚所与)言語に翻訳可能であれば、この言明は有意味であると考えられた。しかしながら、クワインによれば、このように実在と観念の対応を一つの名辞、一つの言明に分解していく還元主義は不可能であり、われわれの認識は一つの言語体系であり、したがって、とある信念を検証するにあたっては、一つの理論の全体との関係で、経験の審判を仰がねばならず、そのコロラリーとして、分析的真理と総合的真理は区別することはできない。
クワインは、これを「全体論」と呼んだが、これによれば、経験による改訂の可能性を原理的に免責されている信念はなく、もし対立する二つの理論があるときは、どのような経験によっても、そのどちらかが完全に否定されることはなく、どのような信念でも保持しつづけることができることになる。 | 1,002 |
認識論 | クワインは、これを「全体論」と呼んだが、これによれば、経験による改訂の可能性を原理的に免責されている信念はなく、もし対立する二つの理論があるときは、どのような経験によっても、そのどちらかが完全に否定されることはなく、どのような信念でも保持しつづけることができることになる。
ジャン・ピアジェは、心理学者として、とりわけ発達心理学で著名であるが、もともとは古典的認識論の諸問題を解決する糸口を生物学・心理学に求め、「発生的認識論(ドイツ語版)」を提唱した。彼は、多数の実験により幼児の認識の発達段階を解明した上で、認識は対象から独立しており、決して対象に到達することはないが、同時に対象によって支えられているという点で構成的なものであるとする。また、発生的認識論は哲学ではなく、科学であり、極めて専門的・集団的なものであるとの考えから、1955年、発生的認識論国際センターをジュネーヴに設立し、世界中のさまざまな分野の研究者たちとの共同研究を晩年まで精力的に行ない、現在も多くの学者が共同で研究を続けている。
コンラート・ローレンツは、動物行動学で著名であるが、哲学者のカール・ポパーと共に、人間の認識の起源の問題を個々人ではなく、生物種としての人の認知構造に求め、知識の変化を進化とみて通時的なアプローチを試みる「進化論的認識論(英語版)」を主張した。
1970年代後半に人間の心の本質について新知見をもたらす学問分野が発展し、その後も進展が続いている。脳科学、心理学、認知科学、神経生物学、人工知能、コンピューターなどに関連する研究である。これらの発展は“見る”事がいかになされているか、いかに心が外界の表象を形作るか、いかに情報が蓄えられ再起されるかなどの理解につながっている。これらの分野の発展が認識論に影響を及ぼす事が示唆されている。
近時は社会科学に属する社会学を認識論に応用することはできないかが議論されている。 | 1,002 |
震度 | 地震における震度(しんど)とは、地震動の強さを表す尺度を言う。工学的震度という場合、主に地震動の加速度を言う。
地震動の強さを表す尺度として気象庁震度階級は便利なもので一般にも広く普及しているが、当初は個人の主観に頼って階級判断されていたこともあり、客観性のある尺度としては不十分なものであった。そのため、建築物の耐震設計などをするにあたっては科学的に正確な尺度として用いることができず、別途地震動の強さを表す工学的定義が必要となる。現在においては以下の加速度による定義(佐野震度)がよく用いられている。
1916年(大正5年)に、佐野利器は著書『家屋耐震構造論』の中で、耐震計算をするための尺度として、地震動の強さは地震波の最大加速度 α に比例するものと考えα の重力加速度 g(= 980 Gal)に対する比 K を震度(seismic coefficient)と名付けた(佐野震度)。現在においては工学的震度とも呼ばれる。
地震動による水平加速度 αh、鉛直加速度 αv が問題となるときは、
とし、それぞれ水平震度(horizontal seismic coefficient)および鉛直震度(vertical seismic coefficient)と呼ぶ。なお、耐震設計においては基本的に水平震度が問題となる。
この震度概念の導入は、物体が地震動を受けることによってかかる力(地震力)の算出を簡明にした。
いま、(質量ではなく)重量 W kg重 の物体が α Gal の地震動を受けたとする。このとき、物体の質量を m とすると、ニュートンの運動方程式から地震力 F は
となる。ここで、重力加速度は地球上ではほぼ一定の g であることから m = W/g となるので、
が導かれる。
すなわち、重量 W kg重の物体が震度 K の地震動を受けるとき、地震動の方向に
を受けることとなる。
一般には地震の強さは地震波の加速度に比例すると考えられ、主に工学的震度(佐野震度)K が用いられているが、震害の大きさは一概に工学的震度 K に比例するわけではないこともあり、他にも定義が存在する。 | 1,004 |
震度 | が導かれる。
すなわち、重量 W kg重の物体が震度 K の地震動を受けるとき、地震動の方向に
を受けることとなる。
一般には地震の強さは地震波の加速度に比例すると考えられ、主に工学的震度(佐野震度)K が用いられているが、震害の大きさは一概に工学的震度 K に比例するわけではないこともあり、他にも定義が存在する。
地震動の強弱を表す尺度としては震度階級(seismic intensity scale)または単に震度階と呼ばれるものもある。それぞれ揺れの違いがある10前後のレベルで表現され、世界では地域により定義の異なるいくつかの震度階級が用いられている。現在の日本では気象庁震度階級が使われており、日本では一般的にこれを「震度」と呼ぶ。なお、震度階級と工学的震度(佐野震度)の強さは一概には比例しない。
震度階級は、断層破壊で放出されるエネルギーの大きさを表すマグニチュード(地震のエネルギーの規模)とは異なり、観測する地点によって全く異なる。なお、マグニチュード(規模)が大きな地震ほど、最大震度階級も比例する形で大きくなる関係にある。震源が浅い直下の地震では、マグニチュードの値と気象庁震度階級の値がほぼ同じ数値になることが経験的に知られていて、例えばマグニチュード4程度の地震では最大震度はおおむね4以下(計測震度4.5未満)となることが多い。ただし、地盤の固さや震源の深さなどにより、最大震度は比例関係から外れ大きくなる場合がある。その地震によって各地で観測されたうち、最大の震度階級を最大震度階級(maximum seismic intensity scale)という。
原則として、震度階級は震源(震央)からの距離に逆比例し、震源から遠いほど震度階級は小さくなる。最大震度階級は震源の直上である震央付近となるのが普通で、震度階級の広がりを地図上に表すと同心円に近い分布をとる。 | 1,004 |
震度 | 原則として、震度階級は震源(震央)からの距離に逆比例し、震源から遠いほど震度階級は小さくなる。最大震度階級は震源の直上である震央付近となるのが普通で、震度階級の広がりを地図上に表すと同心円に近い分布をとる。
震度の階級表は国際的に統一された標準的な規格はなく、それぞれの国や地域が採用したいくつかの指標がある。主な海外で使用されている震度階級としては以下のようなものがある。なお、それぞれの震度階級の間で、数式などを用いて対応関係を示すことは難しい。また同じ震度階級でも機関によって運用や基準が異なり、単純に同じとはみなせない場合がある。各国の気象機関で公式に使用する震度を定めていないところも多いが、メルカリ震度階級を使用するところが多い。 | 1,004 |
マグニチュード | 地震のマグニチュード(英: Seismic magnitude scales)とは、地震が発するエネルギーの大きさを対数で表した指標値である。揺れの大きさを表す震度とは異なる。日本の地震学者和達清夫の最大震度と震央までの距離を書き込んだ地図に着想を得て、アメリカの地震学者チャールズ・リヒターが考案した。
この最初に考案されたマグニチュードはローカル・マグニチュード (ML) と呼ばれており、リヒターの名からリヒター・スケール (Richter scale, 英語発音: [ˈɹɪktɚ skeɪl]〈読:リクター・スケール〉) とも呼称される。マグニチュードは地震のエネルギーを1000の平方根を底とした対数で表した数値で、マグニチュードが 1 増えると地震のエネルギーは約31.6倍になり、マグニチュードが 2 増えると地震のエネルギーは1000倍になる。
地震学ではモーメント・マグニチュード (Mw) が広く使われている。日本では気象庁マグニチュード (Mj) が広く使われるが、長周期の波が観測できるような規模の地震(Mj 5.0以上)ではモーメント・マグニチュードも解析・公表されている。
一般的にマグニチュードは M = log 10 A + B ( Δ , h ) {\displaystyle M=\log _{10}{A}+B(\Delta ,h)} の形の式で表される。ここで、Aはある観測点の振幅、Bは震央距離Δや震源の深さhによる補正項である。
地震が発するエネルギーの大きさを E(単位:ジュール)、マグニチュードを M とすると、次の関係がある。
この式からマグニチュード M が 1 大きくなると左辺の log10 E が 1.5 増加するからエネルギーは約32倍大きくなる (10 = 10√10 ≒ 31.62)。同様にマグニチュードが 2 大きくなるとエネルギーは1000倍になる (10 = 10 = 1000)。また、マグニチュードで0.2の差はエネルギーでは約2倍の差になる (10 = 10 ≒ 1.995)。 | 1,005 |
マグニチュード | この式からマグニチュード M が 1 大きくなると左辺の log10 E が 1.5 増加するからエネルギーは約32倍大きくなる (10 = 10√10 ≒ 31.62)。同様にマグニチュードが 2 大きくなるとエネルギーは1000倍になる (10 = 10 = 1000)。また、マグニチュードで0.2の差はエネルギーでは約2倍の差になる (10 = 10 ≒ 1.995)。
一般に使われる他の各種のマグニチュードでは、概ね8(表面波マグニチュードで8.5、実体波マグニチュードでは7程度)を超えると数値が頭打ち傾向になる。これを「マグニチュードの飽和」と呼ぶ。例えばローカル・マグニチュード (ML) は約6.5あたりから飽和しはじめ、約7が最大値となる。
短周期の地震波ほど減衰しやすく、その影響を受ける地震波の周期はおよそ L/v(L: 断層の長さ、v: 断層破壊の伝播速度)程度以下、すなわち断層の破壊に要した時間程度以下の周期である。従って断層破壊に要する時間が長い巨大地震では地震の発生を瞬時の破壊と見なせなくなり、例えば周期20秒の地震波の振幅に着目する表面波マグニチュードは断層破壊に20秒程度かかる約100 kmより長い断層では、地震の規模が大きくなっても地震波の振幅が頭打ちとなる。
マグニチュードを決めるために用いる地震波の周波数とエネルギーのモデルから地震波によるマグニチュードは高周波、かつ規模の小さな地震ほど飽和が起こりにくいことが示される。このモデルでは実体波マグニチュード (Mb) は約5.5から飽和しはじめ6で飽和となり、表面波マグニチュード (Ms) では7.25から飽和しはじめ8で飽和となるが、飽和となる数値は観測される地震により異なり、Mb ≧ 6 の報告例も多数あるためモデルがあらゆる地震に当てはまるわけではない。
エネルギーが大きく、長周期(低周波)の地震動が卓越した巨大地震においても飽和がなく、より正確に地震の規模を表す指標として、無限大の長周期地震波に基づくと見做されるモーメント・マグニチュードが考案され、地震学では広く使われている。 | 1,005 |
マグニチュード | エネルギーが大きく、長周期(低周波)の地震動が卓越した巨大地震においても飽和がなく、より正確に地震の規模を表す指標として、無限大の長周期地震波に基づくと見做されるモーメント・マグニチュードが考案され、地震学では広く使われている。
地震学では各種のマグニチュードを区別するために「M」に続けて区別の記号を付ける。地震学ではモーメント・マグニチュード (Mw) を単に「M」と表記することが多い(アメリカ地質調査所 (USGS) など)。日本では気象庁マグニチュード (Mj) を単に「M」と表記することが多い。各種のマグニチュードの値の間では差異を持つので注意が必要である。
以下、振幅という場合は片振幅(中心値からの振幅)を意味する。
リヒター・スケールとも。リヒターは、ウッド・アンダーソン式地震計(2800倍)の最大振幅 A(単位:μm)を震央からの距離100 kmのところの値に換算したものの常用対数をマグニチュードとした。従って、地震波の振幅が10倍大きくなるごとに、マグニチュードが1ずつあがる。
ベノー・グーテンベルグは、表面波マグニチュードを
で定義した。ここで、Ah は表面波水平成分の最大振幅、Δ は震央距離(角度)、C は観測点ごとの補正値である。
これとほぼ同じであるが、国際地震学地球内部物理学協会の勧告(1967年)では、
としている。A は表面波水平成分の最大振幅 (μm)、T は周期(秒)である。周期約20秒の地震動に着目して求められている。
より長周期の例えば周期100秒の表面波に基づいてその振幅からマグニチュードを算出すれば、巨大な地震の規模もある程度適切に表される様になる。例えば周期20秒の表面波マグニチュードではほとんど差が見られない1933年三陸地震、1960年チリ地震、1964年アラスカ地震の周期100秒表面波マグニチュード M100 は、それぞれ、8.4、8.8、8.9となる。
グーテンベルクおよびリヒターは、実体波マグニチュードを
で定義した。A は実体波(P波、S波)の最大振幅、T はその周期、B は震源の深さ h と震央距離 Δ の関数である。
経験的に、
が成り立つ。周期約1秒の地震動に着目して求められている。 | 1,005 |
マグニチュード | グーテンベルクおよびリヒターは、実体波マグニチュードを
で定義した。A は実体波(P波、S波)の最大振幅、T はその周期、B は震源の深さ h と震央距離 Δ の関数である。
経験的に、
が成り立つ。周期約1秒の地震動に着目して求められている。
1979年、当時カリフォルニア工科大学の地震学の教授であった金森博雄と彼の学生であったトーマス・ハンクス(英語版)は、従来のマグニチュードは地震を起こす断層運動の地震モーメント (M0) と密接な関係があり、これを使えば大規模な地震でも値が飽和しにくいスケールを定義できるという金森のアイデアをモーメント・マグニチュード (Mw) と名付け、以下のように計算される量として発表した。
S は震源断層面積、D は平均変位量、μ は剛性率である。
これまでに観測された地震のモーメント・マグニチュードの最大値は、1960年に発生したチリ地震の9.5である。
気象庁マグニチュードは、日本で国としての地震情報として使用されており、2003年の約80年前まで遡って一貫した方法で決定され、モーメント・マグニチュードともよく一致している。略称としてMjma、或いはMjが使われる。
気象庁マグニチュードは周期5秒までの強い揺れを観測する強震計で記録された地震波形の最大振幅の値を用いて計算する方式で、地震発生から3分程で計算可能という点から速報性に優れている。一方、マグニチュードが8を超える巨大地震の場合はより長い周期の地震波は大きくなるが、周期5秒程度までの地震波の大きさはほとんど変わらないため、マグニチュードの飽和が起き正確な数値を推定できない欠点がある。東北地方太平洋沖地震では気象庁マグニチュードを発生当日に速報値で7.9、暫定値で8.4と発表したが、発生2日後に地震情報として発表されたモーメント・マグニチュードは9.0であった。
2003年9月24日までは、下記のように、変位マグニチュードと速度マグニチュードを組み合わせる方法により計算していた。
変位マグニチュードは、系統的にモーメント・マグニチュードとずれることがわかってきたため、差異が小さくなるよう、2003年9月25日からは計算方法を改訂し(一部は先行して2001年4月23日に改訂)、あわせて過去の地震についてもマグニチュードの見直しを行った。 | 1,005 |
マグニチュード | 2003年9月24日までは、下記のように、変位マグニチュードと速度マグニチュードを組み合わせる方法により計算していた。
変位マグニチュードは、系統的にモーメント・マグニチュードとずれることがわかってきたため、差異が小さくなるよう、2003年9月25日からは計算方法を改訂し(一部は先行して2001年4月23日に改訂)、あわせて過去の地震についてもマグニチュードの見直しを行った。
ここで、βd は震央距離と震源深度の関数(距離減衰項)であり、H が小さい場合には坪井の式に整合する。Cd は補正係数。
ここで、βv は Md と連続しながら、深さ 700 km、震央距離 2000 km までを定義した距離減衰項である。Cv は補正係数。
マグニチュードを厳密に区別すると、その種類は40種類以上に及ぶが、ここでは特徴的なものを記載する。
地震記象上で振動が継続する時間 Td はマグニチュードとともに長くなる傾向がある。そこで一般に、
の式が成り立つ。c0, c1, c2 は定数、Δ は震央距離である。c2Δ は小さいため、第3項を省略することもある。
過去には河角のWiechert式地震計に対しての式
などが提案されている。
地震波記録の回収や解析に多大な労力を要した1970年代頃までは、1つの地震計記録からマグニチュードを概算する方法として、気象台・観測所などで利用された。ただし各定数は地震計の特性に大きく依存するため、短時間で多くの地震波記録を扱うことができる現在ではこの式はほとんど用いられない。
グーテンベルクとリヒターは、南カリフォルニアの地震について、有感半径 R を用いて、
の式を得ている。
日本でも市川が日本の浅発地震に対して
を与えている。なお、R は飛び離れた有感地点を除く最大有感半径 (km) である。
気象庁の震度で、4以上、5以上、6以上の区域の面積 (km) をそれぞれ S4、S5、S6 とするとき、勝又護と徳永規一は
という実験式を、村松郁栄は
という実験式を得ている。
河角廣は震央からの距離 100 km における平均震度を MK と定義し、リヒタースケールとの間に M = 4.85 + 0.5 MK の関係があるとした。また震央距離と震度、マグニチュードの間には以下の関係があるとした。 | 1,005 |
マグニチュード | 気象庁の震度で、4以上、5以上、6以上の区域の面積 (km) をそれぞれ S4、S5、S6 とするとき、勝又護と徳永規一は
という実験式を、村松郁栄は
という実験式を得ている。
河角廣は震央からの距離 100 km における平均震度を MK と定義し、リヒタースケールとの間に M = 4.85 + 0.5 MK の関係があるとした。また震央距離と震度、マグニチュードの間には以下の関係があるとした。
これらは地震計による記録がなかった歴史地震のマグニチュードを推定する際に有効である。家屋被害に関する文献記録から各地域の震度を求め、それをもとにマグニチュードを推定する。
微小地震については上記の Ms、Mb、Mj などでは正確な規模の評価ができない。そこで、たとえば渡辺は上下方向の最大速度振幅 Av (cm/s) と震源距離 r (km) を用いて、
の式を示している。なおこの式は r が 200 km 未満のときに限られる。マグニチュードがマイナス値を示す場合にもある程度有効であるため、ごくごく微小な人工地震のマグニチュードを求める際にも利用される。
低周波地震では Ms、Mb、Mj を用いると地震の規模が実際よりも小さく評価される。そこで阿部勝征によって、津波を用いたマグニチュード Mt が考案された。
ここで H は津波の高さ (m)、Δ は伝播距離 (km) (Δ ≧ 100 km)、D は Mt がモーメントマグニチュード Mw と近い値を取るように定められた定数である。D は日本において観測されたデータを用いると 5.80 となる。
また、震央より1000 km以上離れた、遠隔地で発生した地震による津波における Mt は ΔC を Mt が Mw と近い値を取るように定められた定数とすれば、
と表される。ΔC は津波の発生地域及び観測地域によって変化する経験値で、太平洋で発生した津波地震については、−0.6 から +0.5 の値を取る。
津波地震では、津波マグニチュードは表面波マグニチュード・実体波マグニチュードよりも大きくなる。
簡易な計算式として、マグニチュードが ΔM 増えたときのエネルギーは 10倍となる。たとえば、マグニチュードが1増えるとエネルギーは約31.62倍、2増えると1000倍となる(#マグニチュードと地震のエネルギーの節参照)。 | 1,005 |
マグニチュード | 津波地震では、津波マグニチュードは表面波マグニチュード・実体波マグニチュードよりも大きくなる。
簡易な計算式として、マグニチュードが ΔM 増えたときのエネルギーは 10倍となる。たとえば、マグニチュードが1増えるとエネルギーは約31.62倍、2増えると1000倍となる(#マグニチュードと地震のエネルギーの節参照)。
また、マグニチュードが1増えると地震の発生頻度はおよそ10分の1になる(#頻度の目安の節参照)。
地域や構造物の強度等にもよるが、一般にM6を超える程度の直下型地震が、地下20キロメートル前後の深さで起こると、ほぼ確実に、人数の差こそあれ死傷者を出す“災害”となる。M7クラスの直下型地震では、条件にもよるが大災害になる。兵庫県南部地震は Mj7.3 (Mw6.9) だった。また、東海地震や南海地震といったプレート型地震はM8前後である。またMが7を大きく超えると、被害を生じさせる津波が発生する場合がある。一般的にマグニチュードが大きくなると、地震断層面も大きくなるため、被害の程度だけでなく被害が生じる範囲も拡大する。
M5未満では被害が生じることは稀で、M2程度の地震では、陸上でも人に感じられないことが多い。M0クラスになると、日本の地震計観測網でも捉えられない場合がある。なお、理論上マグニチュードにはマイナスの値が存在するが、この規模の地震になると精密地震計でも捉えられない場合が多く、また常時微動やノイズとの区別も難しくなってくる。
大きな地震のマグニチュードを求めることは、地震の規模や被害の推定に有用である。一方マグニチュードが小さく被害をもたらさないような地震も、地震や火山・プレートテクトニクスのメカニズムを解明するのに役立つため観測が行われている。
大地震の内、特にM8以上の地震を巨大地震、巨大地震の内、Mw9以上の地震を超巨大地震と区分けすることがある。
マグニチュード(以下M)のエネルギーの規模の比較と代表的な地震。
地震の発生頻度は以下のグーテンベルグ・リヒターの関係式により表される。 | 1,005 |
マグニチュード | 大地震の内、特にM8以上の地震を巨大地震、巨大地震の内、Mw9以上の地震を超巨大地震と区分けすることがある。
マグニチュード(以下M)のエネルギーの規模の比較と代表的な地震。
地震の発生頻度は以下のグーテンベルグ・リヒターの関係式により表される。
この式はマグニチュードが M のときの地震の頻度を n(回/年)で表す。傾きを表す b を「b 値」と言い、統計期間や地域により若干異なるものの、0.9 - 1.0 前後となる。この式から、マグニチュードが1大きくなるごとに地震の回数は約10分の1となる。ただ、実際に観測される地震の回数をグラフに表すと、日本付近ではM3 - 8付近では式に沿ったものとなるが、M3以下とM8以上では、正しく表されなくなる。これは、M3以下の地震は、規模が小さすぎるために観測できていないものが多いからであり、この規模の地震の観測数を調べることで地震の観測網の能力を計ることもできるとされている。一方、M8以上の地震は、発生回数自体が少ないために正確に表せていないもので、より長期間調査することで精度が高まるとされている。
日本での頻度の目安は以下の通り。規模の小さなものは、1小さくなる毎に10倍になると考えればよい。
また、M5程度の地震は世界のどこかでほとんど毎日発生しており、M3 - 4程度の地震は日本でもほとんど毎日発生している。
以下は理論値ではなく、ある期間の観測結果からの年間の回数である。 | 1,005 |
2月21日 | 2月21日(にがつにじゅういちにち)は、グレゴリオ暦で年始から52日目にあたり、年末まであと313日(閏年では314日)ある。 | 1,008 |
排他制御 | 排他制御(はいたせいぎょ)とは、コンピュータ・プログラムの実行において、複数のプロセスが利用出来る共有資源に対し、複数のプロセスからの同時アクセスにより競合が発生する場合に、あるプロセスに資源を独占的に利用させている間は、他のプロセスが利用できないようにする事で整合性を保つ処理の事をいう。相互排除または相互排他(mutual exclusion)ともいう。最大k個のプロセスが共有資源にアクセスして良い場合を k-相互排除という。
換言すれば1つのクリティカルセクションに複数のプロセス(またはスレッド)が同時に入ることを防ぐことである。クリティカルセクションとは、プロセスが共有メモリなどの共有資源にアクセスしている期間を指す。排他制御の問題は1965年、エドガー・ダイクストラが並行プログラミング制御における問題の解法に付いて扱った論文で扱ったのが最初である。
排他制御の重要性を示す例として、片方向連結リストがある(右図)。このような連結リストからノードを削除するには、1つ前のノードにある、次のノードを指すポインタを、削除したいノードの、次のノードを指すように書き換える(例えば、ノード i を削除するには、ノード i-1 のnextポインタをノード i+1 を指すよう書き換える)。このとき、その連結リストを複数プロセスが共有しているなら、2つのプロセスがそれぞれ別のノードを削除しようとして次のような問題を生じる可能性がある。
この問題は排他制御を施して複数の状態更新処理が同時に行われないようにすれば解決する。
排他制御を実施する手段はハードウェアによるものとソフトウェアによるものがある。 | 1,009 |
排他制御 | この問題は排他制御を施して複数の状態更新処理が同時に行われないようにすれば解決する。
排他制御を実施する手段はハードウェアによるものとソフトウェアによるものがある。
シングルプロセッサシステムでは、あるプロセスがクリティカルセクションにあるとき割り込みを禁止するというのが最も単純な排他制御である。その間、いかなる割り込みハンドラも動作できない(それによって実質的にプリエンプションを防ぐ)。この方式は効果的だが、同時に様々な問題もはらんでいる。クリティカルセクションが長い場合、クロック割り込みが処理されないためにシステム時刻が徐々に遅れていくという事態が発生しうる。また、クリティカルセクション内でプロセスが停止すると、他のプロセスに制御を渡せなくなり、結果としてシステム全体が停止することになる。μITRONなどでは、タスク切り替え(プリエンプションとディスパッチ)を禁止するという操作もある。より上品な方式としてビジーウェイトで相互排他する方式もある。
ビジーウェイトはシングルプロセッサでもマルチプロセッサでも有効である。共有メモリと不可分なテスト・アンド・セット命令を使うことで、排他制御を実現する。プロセスは共有メモリ上の特定位置について値を調べて新たな値をセットするという操作を不可分に実施でき、それによって一度に1つのプロセスだけがフラグをセットできることを保証する。フラグをセットできなかったプロセスは別の処理を行って後で再試行するか、プロセッサを他のプロセスに明け渡して後で再試行するか、フラグをセットできるまでループして再試行を繰り返すといった動作が可能である。プリエンプションは可能なので、この方式ではプロセスがフラグ(ロック)を保持したまま停止してもシステム全体は機能し続ける。 | 1,009 |
排他制御 | 不可分操作命令は他にもいくつかの実装があり、どれもデータ構造の排他制御に使える。よく見られるのはコンペア・アンド・スワップ (CAS) である。CAS命令を使えば wait free と呼ばれる排他制御を任意の共有データに実施できる。そのためには連結リストを作り、各ノードが実行したい操作を表すようにする。CAS命令はその連結リストに新しいノードを挿入する際に使用する。ノードの挿入はCAS命令を使えば一度に1つのプロセスしか成功しない。失敗したプロセスはノード追加処理が成功するまで試行し続ける。各プロセスはこのデータ構造のローカルなコピーを保持でき、連結リストを走査でき、リストのローカルコピー上の各操作を実行できる。
ハードウェアサポートを必要とする方式とは別に、ビジーウェイトを使ってソフトウェアのみで排他制御を実現する方式も存在する。例えば、次のようなものがある。
これらのアルゴリズムはアウト・オブ・オーダー実行が働くプラットフォーム上では動作できない(但し、メモリバリアを実現する機械語命令を持っているCPUプラットフォームの場合は除く)。アルゴリズム実施中、メモリ操作はプログラミングした通りに行われなければならない。
OSのマルチスレッドライブラリが同期機構を提供しているなら、それを使う方が望ましい。ハードウェアによる方式が利用可能ならばそれを使って実装されているだろうし、そうでないならばソフトウェアによる方式を利用しているだろう。たとえばOSのライブラリを使い、スレッドが他者が既に獲得しているロックを獲得しようとしたとき、OSはそのスレッドを中断させてコンテキストスイッチし動作可能な他のスレッドを動作させたり、動作可能な他のスレッドがなければプロセッサを省電力状態にしたりといったことをする可能性がある。したがって、ほとんどの現代の排他制御技法はキューイングとコンテキストスイッチを使いレイテンシとビジーウェイト時間を削減しようとする。しかし、スレッドを中断させて再開させるのにかかる時間がスレッドがロックを獲得できるまでの待ち時間より長い場合に限り、スピンロックの方が適しているといえる。
これまでに説明した方式を使い、次のような同期プリミティブが構築できる。 | 1,009 |
排他制御 | これまでに説明した方式を使い、次のような同期プリミティブが構築できる。
排他制御の多くの形式には副作用がある。例えば、古典的セマフォはデッドロックを引き起こしうる。あるプロセスがあるセマフォを獲得し、別のプロセスが別のセマフォを獲得した状態で、互いに相手の獲得したセマフォが解放されるのを待ち続けることが考えられる。よくある副作用としてリソーススタベーションがあり、その場合プロセスは処理を完遂するのに十分な資源を決して得られない。また、優先順位の逆転は低優先度のスレッドのせいで高優先度のスレッドが待たされる現象であり、レイテンシが長くなり、割り込みへの反応が悪くなる。
排他制御に関する研究の多くはそういった副作用を排除することを目的としており、例えばLock-freeとWait-freeアルゴリズムはブロッキングされずに処理が進行することを保証する。完璧な方法はまだ見つかっていない。
排他制御によりロックされた資源に他のユーザからアクセス要求が出された時、両者は互いに使用中の資源が解放されるのをブロック状態で待つという状況が発生することがある。2つ以上のユーザ間で生じるが、この状態ではどのユーザも資源の解放を待ったまま処理が進まずに停止状態となる。 このような状態をデッドロックという。
デッドロックと同様、排他制御によりロックされた資源に、複数のユーザからアクセス要求が出されたときに、お互いに資源が解放されるのをビジー状態で待つという状況が発生する。デッドロックでは個々のユーザにおける資源獲得のための処理が進行しないのに対し、ライブロックでは資源獲得の処理が進行しているにも拘らず、どのユーザも資源が獲得できない状況である。
例えば、狭い道を歩いていて対面した歩行者2名が、お互いに相手が避けようとした方向に動いてしまい、避けられないという事が有る。次に、逆の方向に避けようして避けられない。このような状況が続いて、何時まで経ってもすれ違うことができないという状況にあたる。(リソーススタベーション参照) | 1,009 |
排他制御 | 例えば、狭い道を歩いていて対面した歩行者2名が、お互いに相手が避けようとした方向に動いてしまい、避けられないという事が有る。次に、逆の方向に避けようして避けられない。このような状況が続いて、何時まで経ってもすれ違うことができないという状況にあたる。(リソーススタベーション参照)
「共有資源を利用したいユーザが、いつかは共有資源を利用できる」という、排他制御アルゴリズムが満たすべき性質。 フェアネスが満たされない場合の例であるが、駅の切符売り場に3台の券売機があって、各券売機に行列が出来ているとき、並んだ行列の進みが遅い場合に他の行列の後尾に並びなおす戦略を採用すると、運が悪ければ何時まで経っても券を購入できないということが起こりうる。
共有資源へのアクセス要求を出したユーザが、後から要求を出した最大k個のユーザによって、先に資源を使われてしまう可能性があるということを表す、フェアネスの度合いを計る指標である。
あるプロセスがロックを獲得したにもかかわらず、そのプロセスが現にCPU上で実行されていないため、実質的にどのプロセスやCPUもクリティカルセクション内の処理を実行していない状態。ロックの目的に照らし合わせると無駄な状態である。ロックの獲得からクリティカルセクション内の処理を開始するまでに遅延が発生したりコンテキストスイッチの回数が増加するため、システムの応答遅延増加や全体性能の劣化を招く。
ロックを解放したプロセスが、そのロックを待ってスリープしているプロセスのいずれかへロックの所有権を直接渡してしまう実装になっていると発生しやすくなる。対策として、ロックを獲得したいプロセスは必ず自分自身でロック獲得を試みる実装にすることにより問題が軽減される。典型例はスピンロックで、ロックを獲得したいプロセスは仕様上決してスリープしない。逆にロック待ちのプロセスがスリープする場合は、スリープ終了からロック獲得までの手順によってはコンボイに陥りやすくなる。 | 1,009 |
排他制御 | 優先度上限プロトコルは優先度がサポートされている環境下にて、優先度継承はロック所有中のプロセスよりも優先度が高いプロセスがロックを獲得しようとした場合に、それぞれこの問題を優先度に依存した別々のアプローチで解決しようとする。ただし、コンボイの本質は「プロセスが現にCPU上で実行中ではないにもかかわらずロックを獲得してしまう」ことにあり、優先度の有無には関係ないため、両者とも問題を直接解決するものではない。スピンロックがコンボイの問題を逃れていることから明らかなように、「プロセスが自力でロックを獲得する」実装に制限することが本質的な解決となる。 | 1,009 |
内戦 | 内戦(ないせん、英: Civil war)は、国家の領域内で対立した勢力によって起こる、政府と非政府による組織間の武力紛争を指す。1816年以降に発生した内戦を収集したデータベースであるCorrelates of War(英語版)では、内戦を「一国内で発生し、当該国政府が介入し、政府・反政府両勢力が拮抗した、年間死者が1000人に達する武力紛争」と定義しているが、この定義には異論もある。
「内戦 (civil war)」と「内乱 (rebellion)」は同義に用いられることも多く、用語の使い分けは慣習的なもので、厳密な区別はない。例えば、スペイン内戦は「スペイン内乱」とも呼ばれる。しかし、一般的には暴動の範囲内である事象を「内乱」と呼び、武力を用いる形態にまで発展した事象を「内戦」と呼んで区別する場合もある。欧米言語では「civil war」(英語)や「bellum civile」(ラテン語)や「Bürgerkrieg」(独語)というように「市民戦争」「市民同士の戦争」という言い方をする。
ただし、近代的な国際関係・国際秩序が形成された1648年のヴェストファーレン条約前の時代では、内戦と対外戦争との区別は明確ではない。また、政府が倒されて政治体制が転換された場合にはフランス革命・共産主義革命・ルーマニア革命 (1989年)のように、内戦や内乱ではなく「革命」という表記を用いる場合も多い。
国際法上の位置づけとしては、従来は中央政府が反乱側を交戦団体として承認しない限り戦時国際法は適用されず、交戦団体承認自体がアメリカ南北戦争を例外としてはほぼ行われなかったため、ほとんどの内戦は戦時国際法の範囲から外れていた。しかし、 1949年のジュネーブ諸条約共通三条において、内戦時の戦闘外人員に対する人道的対応が義務づけられ、1977年のジュネーヴ諸条約第二追加議定書によってさらに保護は強化された。また、同年のジュネーヴ諸条約第一追加議定書により、民族解放戦争に関しては戦時国際法の全面的な適用が可能となった。国家の転覆を意図した者には内乱罪が適用される例が見られるが、内戦の規模が大きくなると、アメリカ南北戦争やレバノン内戦のように政治的理由から内乱罪の適用が避けられることもある。 | 1,010 |
内戦 | 植民地の独立戦争などにおいて支配側は「内戦」や「反乱」と呼び、植民地側は「独立戦争」と呼ぶことが多く、アルジェリア戦争のようにアルジェリア側は「独立戦争」と呼び、フランス側は「内戦」と呼んだように、戦争の性質によって内戦かどうか意見が分かれることも多い。このような場合には、支配者側が交戦相手を国家とは見なさず、相手を戦時捕虜ではなく犯罪者として扱い、捕虜の権利を認めない、犯罪者として処刑したりする事態が発生することも多い。1989年のルーマニア革命では、国軍と秘密警察という国家機関同士の戦いになり、秘密警察の構成員は全員が非合法組織の犯罪者とされ、死刑、懲役、公職追放などの処罰を受けている。
まず内戦は、全国政府の座を争うためのものと、分離独立や自治権確立といった地方の分離主義によるものの2種類に大きく分けられる。1960年から2006年までのデータでは、発生した内戦のうちおおよそ7割が全国統治を、3割が分離独立を争う内戦だった。前者の例としては、戊辰戦争、国共内戦、シリア内戦、アンゴラ内戦などが挙げられる。
従来、内戦の原因としては国家内の各集団間の不平等や格差による不満が主因であると考えられてきた。これに対し、1998年にポール・コリアーとアンケ・ヘフラー(ドイツ語版)が経済的利益のために内戦が起こるという説を提唱し、以後この「強欲対不満(英語版)」論争は内戦研究の大きな潮流となったが、この枠組みでの分類を不適切であるとする研究者もいる。
1998年のコリアーとヘフラーの研究においては、まず貧困国の方が富裕国よりも内戦の可能性が高いこと、さらにそのなかでも経済成長がマイナスあるいは停滞している国家はさらに内戦の可能性が高まることが示された。これは、貧困国では治安維持予算が不十分なため警察能力や国軍の能力が低く反乱を起こしやすいことや、住民の収入が低い場合反乱に訴えた方がよりよい収入を確保できる可能性が高いことが理由と考えられている。例として、労働力が不足していて失業率が低い場合や、識字率が高くより仕事を求めやすい地域においては反乱の発生率が下がることが判明している。 | 1,010 |
内戦 | さらにエドワード・ミゲルらによる2004年の研究では、アフリカにおいて旱魃が起きた年は平年に比べ内戦リスクが非常に高くなることが証明された。これは、旱魃によって収穫が大幅に減少したため地域住民の収入が減少し、反乱へとつながることを示しており、内戦が起きたから貧困になったのではなく、重大な経済的ショックによって貧しくなった人々がその改善を求めて内戦を起こすことを証明する結果である。
コリアーとヘフラーの研究ではまた、当該国が天然資源や一次産品に経済を頼っている場合、内戦の可能性が高まることも示された。経済の一次産品への依存度が26%になる場合が最も内戦の危険が大きく、およそ2割前後の発生危険性があるとされる。これは天然資源は現金化しやすく、反乱軍の資金源になりやすいことや、資源収入は不平等を作り出しやすいこと、資源収入があれば市民からの税収に頼る必要が減少するためガバナンスが劣悪化し市民の不満がたまりやすいこと、資源は地理的に偏在しやすく産出地の不満と野望を生みやすいこと、そして一次産品は価格が変動しやすく不況時に受ける経済的ショックが大きくなりがちであることなどが理由であると考えられている。
ただしその後研究が進み、たとえば石油収入が経済の大部分を占めるようになると、逆に内戦の危険は大幅に低下することが判明している。これは豊富な資金によって治安関係や国民福祉を大幅に増強することができるため、国民の不満が減り統治能力が増強されるためであると考えられている。また内戦リスクは資源の存在場所にも左右され、例えば陸上に油井がある国では内戦リスクが非常に高まるのに対し、海上油田のみの国では非資源国と同程度にまで内戦リスクは低下する。これは反乱する地元住民が存在せず、反乱者からの攻撃も防ぎやすいためであるとされる。同様にダイヤモンドでも、硬い岩盤のなかに埋蔵されている鉱床では内戦リスクの増加は見られないが、河川敷などで容易に採掘できる漂砂鉱床のある国では内戦リスクが増加するとの研究結果が発表されている。 | 1,010 |
内戦 | 一般的なイメージとは違い、民族や宗教などの多様性は必ずしも内戦の可能性を高めるわけではないとの研究結果はフィアロン&レイティン、コリアー&へフラーの研究など複数存在する。一方で、2013年のラース・エリック・シダーマンの研究では、国家体制から政治的・経済的に疎外される民族集団が存在し、民族集団間で不平等が存在する場合は疎外された集団の反乱可能性は非常に高くなるとの結果が得られている。
中央政府の統治能力の低さは内戦につながりやすいと考えられている。ジェームズ・フィアロン(英語版)とデビッド・レイティン(英語版)は2003年の研究で、統治能力の低い国家では治安維持能力の強化や交通網の整備が不十分で、反乱が起こりやすいと指摘した。経済的な不満や地域的な対立などの不安要素が存在する場合においても、政府の統治能力が高い場合は内戦勃発リスクは大幅に減少する。
政府の統治能力の極端に低い、いわゆる失敗国家において、特に失敗の度合いがひどい場合は暴力の独占が崩れ、各地に軍閥が割拠し内戦が勃発する場合がある。内戦が激化した場合、1991年以降のソマリアのように中央政府そのものが事実上崩壊し、無政府状態となる例も存在する。
政体に関しては、閉鎖的な独裁政治と成熟した民主主義体制ではともに内戦リスクが非常に低くなる一方、独裁というほどではないが民主的でもない混合体制の国家において内戦リスクが高くなると考えられている。つまり、独裁度または民主度が高い体制ほど内戦は起きにくく、両方の中間に近くなるほど内戦は起きやすくなる。また、クーデターや革命などの非制度的な理由によって権力を握った指導者の統治下では、国民が政権に政治的正統性を認めないため内戦が勃発しやすくなり、内戦リスクが通常の指導者と同レベルにまで低下するのは約15年が必要となる。
地形に関しては、平地が多く見通しのよい地形の国家よりも、山地が多く地形の複雑な国家の方が反乱軍が発見されにくいために内戦リスクが高まるとの研究結果が存在する。
2019年現在、国際連合の加盟国193カ国中50カ国以上が内戦状態にある。冷戦終結以降、国家間の武力衝突は非常に数が少なくなっており、武力紛争のほとんどは内戦となっている。 | 1,010 |
内戦 | 地形に関しては、平地が多く見通しのよい地形の国家よりも、山地が多く地形の複雑な国家の方が反乱軍が発見されにくいために内戦リスクが高まるとの研究結果が存在する。
2019年現在、国際連合の加盟国193カ国中50カ国以上が内戦状態にある。冷戦終結以降、国家間の武力衝突は非常に数が少なくなっており、武力紛争のほとんどは内戦となっている。
ウプサラ紛争データプログラムによれば、1940年代には20件/年以下だった内戦は1980年代には40件/年以上になり、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争が始まった1992年には50件/年を超えた。その後、2000年代には30件台/年まで減少したが、アラブの春が始まった2010年代に急増し、2015年以降は毎年50件/年を超えた。またシリア内戦のように周辺国やグローバル大国が内戦に介入する国際化した内戦も2013年以降急増しており、2015年には第二次世界大戦後初めて20件/年を超え、その後も超過が続いている。
内戦の特徴としては、冷戦期には高い軍事力を持つ政府軍に対し反政府軍側がゲリラ戦を行うものが半数以上を占めていたのに対し、冷戦後には政府軍側の軍備も劣悪化し、双方が明確な戦線を形成できずにゲリラ戦を行うタイプの内戦が増加している。双方が十分な軍備を保持し戦線を形成して正面から激突するタイプの内戦は、冷戦の前後を通じてそれほど発生数に変化は見られない。
内戦継続期間に関しては、全国支配権を巡る内戦は短く、分離独立を目指す内戦は長期化する傾向が明確に現れている。2004年のフィアロンの研究では、全国支配型の内戦は平均3年間継続するのに対し、資源の産地で利権を巡って起きた内戦は平均25年、少数派集団が土地の支配を求めて起こした内戦は平均30年と、非常に長く継続する。このため、資源型や分離型の反乱の多いサブサハラアフリカやアジアにおいて、内戦は長期化する傾向にある。
また、反政府勢力が複数存在することは珍しくなく、政府対反政府勢力だけでなく、反政府勢力間での武力衝突も頻繁に起こっている。コンゴ民主共和国内戦やソマリア内戦、ダルフール紛争などではこうした反政府勢力の群雄割拠が起き、和平交渉は困難を極めることとなった。 | 1,010 |
内戦 | また、反政府勢力が複数存在することは珍しくなく、政府対反政府勢力だけでなく、反政府勢力間での武力衝突も頻繁に起こっている。コンゴ民主共和国内戦やソマリア内戦、ダルフール紛争などではこうした反政府勢力の群雄割拠が起き、和平交渉は困難を極めることとなった。
内戦は、発生国の経済に大きな打撃を与える。内戦発生国の経済成長率は平均で1年あたり-2.3%になると推定されており、長期化すればこの打撃が累積してさらに経済は縮小する。そのうえ内戦は深刻な難民や国内避難民の問題を生み出す。2015年末時点で世界の難民は1548万人、内戦および暴力による国内避難民は4080万人と推定されている。2015年時点で難民が最も多く発生しているのはシリアで485万人が国外難民となっており、以下アフガニスタン、ソマリア、南スーダン、スーダンと、深刻な内戦に苦しむ国が難民発生数の上位を占めている。また、内戦中の公衆衛生システムの崩壊と難民の大量移動は感染症の流行リスクを増大させる。
内戦は近隣諸国の貿易や投資も減少させる上、当該国家は軍事支出を増大して内戦の波及に備えるため、紛争国隣接地域の経済をも悪化させる。内戦国における権力の空白と治安の崩壊は麻薬など違法物品の生産・流通の拠点を生み出すため、隣接国以外にも悪影響を及ぼす。
さらに、隣接国の内戦が直接波及して内戦が新たに勃発することすら珍しくない。例として、第一次リベリア内戦中の1991年、リベリアの反乱軍のリベリア国民愛国戦線 (NPFL)はシエラレオネの革命統一戦線(RUF)を支援して同国に侵攻させ、シエラレオネ内戦の発端となった。また1994年のルワンダ内戦でコンゴ民主共和国東部に大量に流れ込んだ難民はローラン・カビラのコンゴ・ザイール解放民主勢力連合 (AFDL) の蜂起を促し、第一次コンゴ戦争へとつながった。 | 1,010 |
内戦 | 内戦には、しばしば他国からの介入が行われる。冷戦期には主にソビエト連邦から社会主義を掲げるゲリラに軍事援助が行われ、また欧米諸国からは自国民の保護を表向きの理由として自国利益のために内戦への介入を行うことが珍しくなかったが、冷戦終結後そういった露骨な介入は慎まれる傾向にある。一方、第一次コンゴ戦争・第二次コンゴ戦争においてルワンダやアンゴラといった周辺諸国がコンゴ民主共和国の内戦に介入したように、安全保障や政治的・経済的利益を求めて周辺諸国に直接軍事介入する事態は冷戦後にも存在している。
冷戦後、人道目的や地域安定目的といった、直接自国の利益につながらない目的での内戦介入も目立つようになってきている。各国が直接派兵を行うほか、西アフリカ諸国経済共同体(ECOWAS)やアフリカ連合、ヨーロッパ連合といった地域協力機構を通じた派兵も行われているが、紛争調停時に最も盛んに派兵されているのは国際連合平和維持活動である。
冷戦時代のPKOは停戦監視と兵力の引きはなしが主要任務であったが、冷戦の終結後、1992年に当時のブトロス・ブトロス=ガーリ国連事務総長は増加する地域紛争を抑制するための予防外交という概念を提唱しPKOを大規模化・強化した。しかしこの試みはマケドニア共和国では成功したものの、ソマリア内戦(UNOSOM II)やボスニア・ヘルツェゴビナ紛争(UNPROFOR)では紛争の抑止に失敗し、国際連合ルワンダ支援団(UNAMIR)でもルワンダ虐殺を阻止することはできなかった。しかしその後もPKOの拡大強化は進み、内戦後も含めた平和構築にPKOが果たす役割は大きくなってきている。
こうした直接国益に関わらない介入が冷戦後増加したのにはいくつかの理由がある。まず、ルワンダやソマリアなどの内戦による人道危機が大きな波紋を呼び起こしたため、自国の世論への対策としてさらなる悪化を防ぐために大国はある程度の介入を迫られる場合がある。また、こうした内戦は隣接諸国に波及しやすいため、地域の動揺を最低限に抑えるために介入が迫られることもある。そして、国家の破綻はテロリストなどに拠点を与え国家安全保障上の問題を引き起こすため、ある程度の秩序の構築は国際秩序維持上不可欠と考えられるようになったことも理由となっている。 | 1,010 |
内戦 | このほか、内戦の資金源を絶つため諸外国が経済制裁や貿易制限を行う場合もある。例えばダイヤモンドでは、1990年代にいくつかの国の反政府勢力が勢力範囲でダイヤモンドの採掘を行い主要な資金源としたため人道危機が発生し、紛争ダイヤモンドと呼ばれる大問題となったため、2003年にはキンバリー・プロセスが発効し、全てのダイヤモンド原石の輸出入に対してキンバリー・プロセス加盟国による適切な扱いの証明書を添付し、非参加国からの輸出入を禁じることで、紛争ダイヤモンドの排除と適切なダイヤモンド流通を行っている。
内戦は、武力によって片方の勢力が打ち倒されるか、あるいは交渉によって参加勢力間に和平協定や停戦合意が成立した場合に終結する。こうした和平交渉のほとんどでは外国や国際機関といった第三者が仲介し、和平のため調停を行う。こうした仲介者の意思は和平後の道筋に大きな影響を与える。また上記のように、内戦終結後もある程度情勢が安定するまでPKOは残留し、新国家の制度整備や選挙支援などの平和構築を行う。内戦中の人権侵害や戦争犯罪については、特に重大な犯罪を犯した個人に対し国際刑事裁判所への起訴と裁判が行われるものの、加盟国の偏りが指摘され、またアフリカを中心に国際刑事裁判そのものへの反発と不満も起きている。
内戦が終結後に再発する可能性は非常に高く、5年以内に約20%が、10年以内には約40%が再発すると推定されている。内戦終結後の政治体制では、閉鎖的な独裁体制の国では内戦再発率が25%にとどまるのに対し、民主的な体制では70%にものぼり、非民主的強権体制の方が内戦再発リスクが低くなるとされる。また内戦終結後に実施される選挙においては、選挙実施前年の内戦リスクが非常に減少するのに対し、選挙実施後から翌年にかけては内戦リスクは大幅に高まった。これは、選挙の敗者が勝者の横暴を予測して敗北を受け入れず、再び内戦へと訴えるためであると考えられている。
近代的な国際関係・国際秩序が形成されたおもに17世紀後半以降の内戦のみをあげる。戦争一覧および独立戦争一覧も参照。 | 1,010 |
青山剛昌 | 青山 剛昌(あおやま ごうしょう、1963年〈昭和38年〉6月21日 - )は、日本の漫画家。血液型はB型。鳥取県東伯郡大栄町(現・北栄町)出身。鳥取県立由良育英高等学校、日本大学藝術学部美術学科絵画コース卒。
代表作の『名探偵コナン』と『YAIBA』は、それぞれ小学館漫画賞を受賞し、テレビアニメ化やコンピュータゲーム化がされている。特に『名探偵コナン』は、連載が25年以上続いており、劇場アニメ化、テレビドラマ化もされている(2021年に発行部数が2億5千万冊を突破)。ほかに、『まじっく快斗』『4番サード』などの作品がある。
1963年、鳥取県大栄町(現・北栄町)に4人兄弟の次男として生まれる。子供のころから漫画が好きで描いてはいたが親に叱られるためこっそり描いていた。北栄町立大栄小学校を卒業。小学生の時の卒業文集に「私立探偵専門の漫画家になりたい」と書いており、青山剛昌ふるさと館に展示されているが、本人はそのことを覚えていなかったと発言している。北栄町立大栄中学校時代、民藝運動に関わる染織家で美術教師の吉田たすくから絵を褒められ、「やりたいことがあったらそれをやったらいいよ」と薦められ、美術関係の道を考えるようになった。鳥取県立由良育英高等学校を卒業した後、漠然と美術教師を目指して日本大学芸術学部へ進学する。剣道少年であり、部活動は小中高とずっと剣道部に在籍していたが、アニメーターに憧れて高2から美術部に入った。
大学時代は漫画研究部「熱血漫画根性会」に所属。元々はアニメーターを志望していたが、漫研の先輩である矢野博之にアニメーターよりも、漫画家のほうが儲かると言われ、漫画家を目指すことになる。
ちばてつやの大ファンであり、『おれは鉄兵』が好きだったことから『週刊少年マガジン』に持ち込み、佳作をもらい、担当編集者とも上手く行っていたが、ある時、編集長から「青山くんの絵が気に食わない」「このまま『マガジン』でやるなら絵柄を変えたほうがいい」と担当経由で伝えられ、『マガジン』でやっていくことを断念。 | 1,011 |
青山剛昌 | ちばてつやの大ファンであり、『おれは鉄兵』が好きだったことから『週刊少年マガジン』に持ち込み、佳作をもらい、担当編集者とも上手く行っていたが、ある時、編集長から「青山くんの絵が気に食わない」「このまま『マガジン』でやるなら絵柄を変えたほうがいい」と担当経由で伝えられ、『マガジン』でやっていくことを断念。
その後、講談社を出て、持ち込み先を選ぶために近くの本屋へ雑誌を探しに行き、その場にあった『週刊少年サンデー』を見たことやあだち充のファンで絵が可愛いこともあり、編集部へ連絡し、その足で原稿を持ち込んだ。この時に原稿を見てくれた編集者の世話になり、1986年、『ちょっとまってて』で小学館新人コミック大賞に入選し、同作でデビューした。
それを機に就職活動はせず、生活費は『ひらけ!ポンキッキ』の背景を描くアルバイトをしたり新人賞の賞金を使ったりして、半年間は頻繁にネームを編集者へ持って行った。
1987年に、『週刊少年サンデー』増刊号で『まじっく快斗』の連載を開始。
1988年には、『週刊少年サンデー』でチャンバラアクション漫画『YAIBA』の連載を開始する。これが人気作となり初の長期連載となって、1993年に『YAIBA』で第38回小学館漫画賞・児童部門を受賞。その後、『剣勇伝説YAIBA』としてテレビアニメ化される。
1994年(平成6年)、『週刊少年サンデー』で『名探偵コナン』の連載を開始する。「『マガジン』で『金田一』がヒットしているので、『サンデー』でも推理マンガをやってくれないか」と編集部に打診されて『名探偵コナン』を描き始めた。当初はあまり乗り気ではなく、ネタ的に続かないため3か月程度で終わるだろうと思っていた。
2005年、高山みなみと結婚、2007年に離婚。
2007年3月18日には出身地である鳥取県北栄町の道の駅大栄に青山剛昌ふるさと館が開館した。
2017年12月13日、療養と充電のため、『名探偵コナン』の再開時期未定の長期休載が、『少年サンデー』第3・4合併号で発表された。2018年4月にVTR出演した際には4か月の休養については編集部の意図であり、青山本人は「病床に伏せっていたわけではない」と述べている。
2022年には小学館、集英社という出版社の垣根を越えて週刊少年ジャンプの代表作家である尾田栄一郎とのコラボレーションと対談が実現している。 | 1,011 |
青山剛昌 | 2022年には小学館、集英社という出版社の垣根を越えて週刊少年ジャンプの代表作家である尾田栄一郎とのコラボレーションと対談が実現している。
2005年5月5日に声優の高山みなみと結婚。青山自身の作品『YAIBA』の主人公・鉄刃(くろがねやいば)役や、『名探偵コナン』の主人公・江戸川コナン役として出演しており、それがきっかけとなった。愛猫は結婚祝いにアシスタント達から贈られたロシアンブルーのカイト。その後、2007年12月10日に離婚したことが報じられた。
2002年に『名探偵コナン』の制作は1つのエピソードが描き終わると仮眠、起きるとその日のうちに編集者と次の話作りに取りかかり結末まで一気に3、4話を打ち合わせ、3日間でネームを仕上げ、再び打ち合わせ、そして4日間でペン入れと仕上げという1週間の流れで原稿を完成させており、睡眠するときくらいしか休みはなく休載時に旅行へ出かけてもコナンのことを考えて完全な休みはないと話している。「結婚するとこの生活が続けられない」と質問されたのに対して結婚するとペースを維持できないと肯定しており、上の人から何を言われても勝手にさせてもらわないとやらないと言ったこともあり、生活も作品も好き勝手にやっているから続けていけるんだろうと語っていた。
4人兄弟の次男で、兄は科学者、1つ下の弟は実家を継いでエンジニア、1番下の弟が米子市の病院に勤務する医師。科学的なことは兄に聞き、アニメにも詳しいことから登場人物の声優は誰がいいか助言を受けたり、死亡推定時刻などは医師である弟に聞き、もう1人の弟から車関係のことを聞いている。また、従兄弟の一人に小学校教員がおり、県警の警視であるアシスタントの義父も合わせて、コナンを描くときのアドバイスを貰っているとのこと。従兄弟の一人にはお笑いコンビ・オキシジェンの田中知史がいる。 | 1,011 |
青山剛昌 | 「(主人公やヒロインの精神年齢に対する)肉体の年齢が、ある日突然大きく狂わされる」または「肉体の年齢を飛び越える」というモチーフを多く使用している。例えば、年上の恋人と同い年になるためにタイムスリップを試みる少年を描いたデビュー作『ちょっとまってて』、桜が起こした奇跡で青年の姿に若返った老剣士が、つかの間蘇った青春を楽しむ活劇『プレイ イット アゲイン』、永遠の命をもたらす伝説の宝石を追う組織に父親を殺害された高校生が、組織の野望を砕くために二代目怪盗として活躍する『まじっく快斗』、若い娘の生気を吸い老婆に変える宇宙人の女王によってヒロインが老婆の姿にされる『YAIBA』かぐや編、名探偵として名を馳せた高校生が未完成の毒薬の作用で小学1年生相当の姿に若返り、探偵としての地位や証言能力を失った状態で正体を隠したまま組織を追うため、奇想天外な秘密道具の行使や幼馴染の父を影武者に仕立て上げる事で子供姿のまま探偵稼業を続ける『名探偵コナン』など。
以前は作品が完結しないで連載・執筆を終えることもあった。しかし『名探偵コナン』の最終回のプロットは、作者自身の頭の中ですでに出来上がっていると話している。その後2019年4月24日に放送された『1周回って知らない話』にゲスト出演した際には最終回のオチが本格的に決まったことを明かしている。
アニメーター志望であったこともあり、『剣勇伝説YAIBA』の最終回や『名探偵コナン』の劇場版、2019年1月12日放送の新春・連載1000回記念2週連続1時間スペシャル『紅の修学旅行(恋紅編)』では、原画や絵コンテをはじめ、ゲストキャラクターのデザインや脚本の監修など(いずれも一部)、積極的に関わっている。原画は、主にクライマックスなど、キャラクターの見せ場となるシーンを担当している。
絵の特徴の一つである目のハイライトの入れ方のルーツは、大学1年の時にハマっていた『戦闘メカ ザブングル』のキャラの瞳であり、通称「ネジ目」と呼ばれる虹彩のない瞳に1本のハイライトが入ったデザインを変化させ、もっとキラキラさせたのが最初とのこと。また、光の入れ方には「目線の逆方向に入れる」という法則がある。この特徴的な目の描き方について「これは発明した!」と答えている。 | 1,011 |
ケン・イシイ | ケン・イシイ(Ken Ishii、石井健、1970年5月12日 - )は、日本のテクノミュージシャン、DJ。別称は「東洋のテクノ・ゴッド」など。ニックネームはけんちゃん、ケニー。活動初期から、東京の雰囲気を題材としたオリエンタルかつインテリジェントな作風で知られている。
北海道札幌市生まれ、東京都育ち。筑波大学附属駒場中学校・高等学校から一橋大学社会学部卒業後、大手広告代理店電通に勤務する。内部メモリ上のデータが壊れ、プリセットが全く使えない状態になってしまったコルグM1(オールインワンシンセ)を、音色をゼロから作り直す等して駆使し、デトロイトテクノの影響下にありつつも、東京をモチーフとした東洋的なセンスの楽曲を製作した。1993年には、学生時代に制作したデモテープがベルギーのテクノレーベル・R&Sレコーズに採用される。
その後リリースされた 1st『Garden On The Palm』 は、イギリスの音楽誌『NME』のテクノチャートでNo.1を獲得。当時、日本では全く無名の存在だった為、当初は英国在住の日系人ではないか等、様々な噂や憶測が飛び交った。その後『電気グルーヴのオールナイトニッポン』(ニッポン放送)等、いくつかの日本のメディアでも逆輸入のかたちで紹介されることとなる。
1990年代以降、日本人のテクノミュージシャンで海外で本格的に評価された最初の人物であり、その道を切り開いた功績は大きい。続く2nd『Jelly Tones』は、その音の美しさ、繊細さと独特なビートで世界を席巻、瞬く間に頂点に駆け上った。このアルバムでは従来のリスニング路線に加え、ダンスビートをより意識した作風へと徐々に変化を遂げた。
ケン・イシイ名義および別名義「FLR」での活動は日本のサブライムレコーズからのリリースが中心となっている。また、楽曲制作と並行してDJとしての活動も精力的に行っており、2004年の「Ibiza DJ Award」では、Best Techno DJを受賞した。毎年恒例のREEL UPというイベントをサブライムレコーズのDJ YAMAと主催している。
2011年英国アカデミー賞音響賞ノミネート。
R&Sレコーズでデビューする以前に、当時アルファレコードのA&Rで後にソニーテクノを立ち上げる弘石雅和へデモテープを渡している。しかしリリースには至らなかった。 | 1,012 |
ケン・イシイ | 2011年英国アカデミー賞音響賞ノミネート。
R&Sレコーズでデビューする以前に、当時アルファレコードのA&Rで後にソニーテクノを立ち上げる弘石雅和へデモテープを渡している。しかしリリースには至らなかった。
プロレス通であり、インディーズ団体などにも詳しい。 | 1,012 |
データベース | コンピューティングにおいて、データベース(英: database)は、電子的に保存され、アクセスできる組織化されたデータの集合である。実メモリに保存されるもの、CSVなどのファイルに保管される物、OSのファイルシステムなどから、後述のデータベース管理システムを使った大規模なものまである。
小規模なデータベースはOSのファイルシステム上にファイルとして保存されるが、大規模なデータベースはOSに依存しない低レベルなフォーマットで外部記憶装置に保存される。またコンピュータ・クラスターまたはクラウド・ストレージ(英語版)で保存される。データベース設計に関わる分野は多岐にわたり、データモデリング、効率的なデータ表現と保存、クエリ言語、機密データのセキュリティ(英語版)やプライバシー、同時アクセスとフォールトトレランスのサポートを含む分散コンピューティングの課題など、形式技術と実用的な考慮事項に及ぶ。
データベース管理システム(DBMS)は、エンドユーザー、アプリケーション、およびデータベース自体と対話し、データを取得し分析するためのソフトウェアである。さらに、DBMSソフトウェアには、データベースを管理するために提供される関連機能も含まれている。データベース、DBMS、関連アプリケーションの全体を含めてデータベースシステムと呼ぶ。しばしば「データベース」という用語が、DBMS、データベースシステム、またはデータベースに関連するアプリケーションのいずれかを指す場合に漠然と使われている。
コンピュータ科学者は、データベース管理システムを、サポートするデータベースモデルに基づいて分類している。リレーショナルデータベースは、1980年代の主流であった。これらは、データを一連の表の行と列としてモデル化し、大多数はデータの書き込みとクエリ(問い合わせ)にSQLを使用する。2000年代には、異なるクエリ言語を使用する NoSQL と総称される非リレーショナルデータベースが普及した。 | 1,017 |
データベース | コンピュータ科学者は、データベース管理システムを、サポートするデータベースモデルに基づいて分類している。リレーショナルデータベースは、1980年代の主流であった。これらは、データを一連の表の行と列としてモデル化し、大多数はデータの書き込みとクエリ(問い合わせ)にSQLを使用する。2000年代には、異なるクエリ言語を使用する NoSQL と総称される非リレーショナルデータベースが普及した。
形式的な「データベース」は、関連するデータの集合とその編成方法を指す。通常、このデータへのアクセスは、「データベース管理システム」(DBMS)によって提供される。DBMSは、ユーザーが1つまたは複数のデータベースと対話し、データベースに含まれるすべてのデータへのアクセスを提供するコンピュータソフトウェアの統合セットで構成されている(ただし、特定のデータへのアクセスを制限する制約が存在することもある)。DBMSは、大量の情報の入力、保存、および検索を可能にするさまざまな機能を提供し、その情報がどのように編成されているかを管理する方法を提供する。
このように、両者は密接な関係にあるため、「データベース」という用語は、データの集まりとしてのデータベースと、それを操作するために用いるDBMSの両方を指す言葉として気軽に使われることが多い。
情報技術の専門家以外の世界では、「データベース」という用語は、関連するデータの集合体(例: スプレッドシートやカードインデックスなど)を指すことが多く、サイズや使用要件の点からデータベース管理システムを用いることが一般的である。
既存のDBMSは、データベースとそのデータを管理するためのさまざまなな機能を提供しており、それらは次の4つの主要な機能群に分類される。
データベースとそのDBMSは共に、特定のデータベースモデルの原則に準拠している。 「データベースシステム」とは、データベースモデル、データベース管理システム、データベースを総称したものである。 | 1,017 |
データベース | 既存のDBMSは、データベースとそのデータを管理するためのさまざまなな機能を提供しており、それらは次の4つの主要な機能群に分類される。
データベースとそのDBMSは共に、特定のデータベースモデルの原則に準拠している。 「データベースシステム」とは、データベースモデル、データベース管理システム、データベースを総称したものである。
物理的には、データベース・サーバーは、実際のデータベースを格納し、DBMSと関連ソフトウェアのみを実行する専用コンピュータである。データベース・サーバーは通常、大容量のメモリと、安定したストレージ(例: RAIDディスクアレイ)を備えたマルチプロセッサ・コンピュータである。大容量のトランザクション処理環境では、複数台のサーバーと高速チャネルを介して接続されたハードウェア・データベース・アクセラレータも使用される。ほとんどのデータベース・アプリケーション(英語版)の中心にDBMSがある。DBMSは、ネットワークのサポートを組み込んだカスタムのマルチタスク・カーネルを中心に構築されることもあるが、最近のDBMSは通常、これらの機能を提供するために、標準的なオペレーティングシステムに依存している。
DBMSは重要な市場(英語版)を形成しているため、コンピューターやストレージのベンダーは、自社の開発計画にDBMSの要件を考慮に入れていることが多い。
データベースとDBMSは、サポートするデータベースモデル(リレーショナルやXMLなど)、実行するコンピュータの種類(サーバークラスタから携帯電話まで)、データベースへのアクセスに使用するクエリ言語(SQLやXQueryなど)、内部エンジニアリング(性能、スケーラビリティ、障害許容力、およびセキュリティに影響する)によって分類することができる。 | 1,017 |
データベース | データベースとDBMSは、サポートするデータベースモデル(リレーショナルやXMLなど)、実行するコンピュータの種類(サーバークラスタから携帯電話まで)、データベースへのアクセスに使用するクエリ言語(SQLやXQueryなど)、内部エンジニアリング(性能、スケーラビリティ、障害許容力、およびセキュリティに影響する)によって分類することができる。
データベースとそれぞれのDBMSの規模、機能、性能は桁違いに大きくなっている。これらの性能向上は、プロセッサ、コンピュータメモリ、コンピュータストレージ、およびコンピュータネットワークの技術進歩により可能となった。データベースの概念は、1960年代半ばに広く普及した磁気ディスクなどの直接アクセス記憶媒体の出現によって可能となった。それ以前のシステムは、磁気テープへのデータの順次保存に依っていた。その後のデータベース技術の発展は、データモデルまたはデータ構造に基づいて、ナビゲーショナル、SQL/リレーショナル、ポストリレーショナルの3つの時代に分けることができる。
初期のナビゲーショナル・データモデルは、階層型モデルとネットワーク型モデル(CODASYLモデル)の2つが主であった。これらは、あるレコードから別のレコードへの関係を追跡するために、ポインタ(多くの場合、物理的なディスクアドレス)を使用することが特徴であった。 | 1,017 |
データベース | 初期のナビゲーショナル・データモデルは、階層型モデルとネットワーク型モデル(CODASYLモデル)の2つが主であった。これらは、あるレコードから別のレコードへの関係を追跡するために、ポインタ(多くの場合、物理的なディスクアドレス)を使用することが特徴であった。
1970年にエドガー・F・コッドが提唱したリレーショナルモデルは、この伝統から脱却するもので、アプリケーションがリンクをたどるのではなく、内容からデータを検索すべきであると主張するものであった。リレーショナルモデルは、元帳型の表の集まりを組み合わせたもので、それぞれの表は異なる種類のエンティティ(実体)を格納する。1980年代半ばになって、コンピューティング・ハードウェアは、リレーショナルシステム(DBMSとアプリケーション)を幅広く普及するのに十分な性能を持つようになった。けれども、1990年代初頭には、すべての大規模なデータ処理アプリケーションにおいてリレーショナルシステムが主流となり、2018年現在も主流であり続けている。IBM Db2、Oracle、MySQL、Microsoft SQL Server、PostgreSQLは、最も検索されているDBMSである。リレーショナルモデル用の主要なデータベース言語である標準SQLは、他のデータモデル用のデータベース言語にも影響を与えた。
オブジェクトデータベースは、オブジェクト指向とリレーショナル型とのインピーダンスミスマッチ(相性の欠如)による不便さを解消するために1980年代に開発され、これにより「ポストリレーショナル(post-relational)」という言葉が生まれ、また、ハイブリッド型のオブジェクト・リレーショナルデータベースも開発された。
2000年代後半に登場した、次世代のポスト・リレーショナルデータベースは、高速なキーバリュー型ストアやドキュメント指向データベースを導入し、NoSQLデータベースと呼ばれるようになった。これと競合するNewSQLと呼ばれる次世代データベースは、リレーショナル/SQLモデルを維持しつつ、市販のリレーショナルDBMSと比較してNoSQLの高い性能に見合うような新しい実装を試みている。 | 1,017 |
データベース | 2000年代後半に登場した、次世代のポスト・リレーショナルデータベースは、高速なキーバリュー型ストアやドキュメント指向データベースを導入し、NoSQLデータベースと呼ばれるようになった。これと競合するNewSQLと呼ばれる次世代データベースは、リレーショナル/SQLモデルを維持しつつ、市販のリレーショナルDBMSと比較してNoSQLの高い性能に見合うような新しい実装を試みている。
データベースという言葉が登場したのは、1960年代半ば以降に、直接アクセスストレージ(ディスクやドラム)が利用できるようになった時期と重なる。この用語は、過去のテープベースのシステムとは対照的に、日常のバッチ処理ではなく、対話的な共有での利用を可能にすることを意味した。オックスフォード英語辞典では、カリフォルニアのSystem Development Corporation(英語版)が1962年に発表した報告書を、特定の技術的な意味で「データベース」という用語を初めて使用したものとして引用している。
コンピュータの速度と機能が向上するに伴い、多くの汎用データベースシステムが登場し、1960年代半ばには多くのこうしたシステムが商用化されるようになった。標準化への関心が高まり、そうした製品の一つであるIntegrated Data Store(IDS)の制作者であるチャールズ・バックマンが、COBOLの作成と標準化を担当したグループCODASYL内にデータベース・タスクグループを設立した。1971年、データベース・タスクグループは、一般に「CODASYLアプローチ」として知られるようになった彼らの標準を提供し、まもなくこのアプローチに基づいた多くの商用製品が市場に参入した。
CODASYLアプローチ方式は、アプリケーションに対し、大規模ネットワーク内に形成された連結データセットを移動する機能を提供した。アプリケーションは、3つの方法のうちのいずれかによってレコードを見つけることができる。 | 1,017 |
データベース | CODASYLアプローチ方式は、アプリケーションに対し、大規模ネットワーク内に形成された連結データセットを移動する機能を提供した。アプリケーションは、3つの方法のうちのいずれかによってレコードを見つけることができる。
その後のシステムで、B木(B-tree)が追加され、代替アクセス経路を提供するようになった。また、多くのCODASYLデータベースでは、エンドユーザー向けに(ナビゲーション型APIとは異なる)宣言型クエリ言語も追加された。しかし、CODASYLデータベースは複雑で、有用なアプリケーションを作るには多大な訓練と労力を要した。
また、IBMは、1966年に、Information Management System(IMS)として知られる独自のDBMSを持っていた。IMSは、アポロ計画のために作成されたソフトウェアのSystem/360への発展型であった。IMSは一般にCODASYLと概念が似ているが、そのデータナビゲーションのモデルは厳密な階層を使用し、CODASYLのネットワーク型モデルではなかった。どちらの概念も、データへのアクセス方法の観点から、後にナビゲーショナル・データベースと呼ばれるようになった。この用語は、1973年のバックマンのチューリング賞の講演「The Programmer as Navigator」によって広まった。IBMによって、IMSは階層型データベースとして分類されている。IDMSやCincom Systems(英語版)のTOTALデータベースは、ネットワーク型データベースに分類される。2014年現在、IMSは使用されている。
エドガー・F・コッドは、カリフォルニア州サンノゼにあるIBMの研究室の1つで、主にハードディスクシステムの開発に携わっていた。彼は、CODASYLアプローチのナビゲーションモデルにおいて、特に「検索(search)」機能の欠如に不満を抱いていた。1970年、彼はデータベース構築の新しいアプローチを概説する多くの論文を書き、最終的に画期的な論文「大規模共有データバンクのためのデータのリレーショナルモデル(A Relational Model of Data for Large Shared Data Banks)」に結実させた。 | 1,017 |
データベース | この論文で、彼は大規模なデータベースを保存し、操作するための新しいシステムについて説明した。コッドの考えは、CODASYLのように自由形式のレコードをある種の連結リストに格納するのではなく、データをいくつかの「テーブル」(table、表)として編成し、それぞれのテーブルを異なる種類のエンティティ(entity、実体)に使用することであった。各テーブルは、エンティティの属性を含む固定数の列を含むことになる。各テーブルの1つ以上の列は、テーブルの行を一意に識別するための主キーとして指定され、テーブル間の相互参照には、ディスクアドレスではなく、常にこの主キーが使用された。クエリにおいては、関係論理の数学的体系に基づく一連の操作を用いて、これらのキー関係に基づいてテーブルを結合する(モデルの名前の由来)。データを正規化された一連のテーブル(または関係(relation)、リレーション)に分割することで、各々の「ファクト(fact、事実)」を一度だけ保存するようにし、更新操作を簡略化する。ビュー(view)と呼ばれる仮想的なテーブルは、ユーザーごとに異なる方法でデータを表示することができるが、ビューを直接更新することはできなかった。
コッドは、テーブル、行、列ではなく、関係(relation)、組(tuple)、定義域(domain)という数学用語を使ってモデルを定義した。現在よく知られているこれらの用語は、初期の実装に由来するものである。コッドは後に、実際の実装が、モデルの基礎となった数学的な基礎から逸脱する傾向にあることを批判した。 | 1,017 |
データベース | コッドは、テーブル、行、列ではなく、関係(relation)、組(tuple)、定義域(domain)という数学用語を使ってモデルを定義した。現在よく知られているこれらの用語は、初期の実装に由来するものである。コッドは後に、実際の実装が、モデルの基礎となった数学的な基礎から逸脱する傾向にあることを批判した。
テーブル間の関係を表すために、ディスクアドレスではなく主キー(ユーザー指向の識別子)を使用したのは、主に2つの動機があった。エンジニアリングの観点からは、費用がかかるデータベースの再編成をすることなく、テーブルの再配置やサイズ変更を可能とした。しかし、コッドは、セマンティクス(意味)の違いにより強い興味を持っていた。明示的な識別子を使用することで、純粋な数学的定義で更新操作を定義することが容易になり、一階述語論理という確立した学問分野の観点でクエリ操作を定義できるようになった。これらの操作は純粋な数学的性質があるため、クエリ最適化の基礎をなす証明可能な正しい方法でクエリを書き換えることが可能となる。テーブル間の接続は明示的ではなくなったが、階層型モデルやネットワーク型モデルと比較して表現力が損なわれることはない。
階層型モデルやネットワーク型モデルでは、レコードが複雑な内部構造を持つことが許容された。たとえば、ある従業員の給与履歴は、従業員レコードの中の「繰り返しグループ」として表わされることがある。リレーショナルモデルでは、正規化の過程によって、そのような内部構造は、論理キーのみで結合された複数のテーブルに保持されたデータで置き換えられた。
たとえば、データベースシステムの一般的な使い方として、ユーザーに関する情報、名前、ログイン情報、さまざまな住所や電話番号を突き止めることがあげられる。ナビゲーショナル方式では、これらのデータはすべて1つの可変長レコード内に格納される。リレーショナル方式では、そのデータは(たとえば)ユーザーテーブル、アドレステーブル、電話番号テーブルに「正規化(normalize)」される。これらの任意のテーブル内には、実際に住所や電話番号が提供された場合のみ、レコードが作成される。 | 1,017 |
データベース | コッドは、(ディスクアドレスではなく)論理的な識別子を使用して行/レコードを識別するだけでなく、アプリケーションが複数のレコードからデータを組み立てる方法も変更した。アプリケーションがリンクを移動して1レコードずつデータを収集することを要求するのではなく、アプリケーションは、宣言型のクエリ言語を使用して(どのようにデータを見つけるかというアクセス経路ではなく)どのようなデータが必要なのかを表現する。データへの効率的なアクセス経路を見つけるのは、アプリケーションのプログラマーではなく、データベース管理システムの責任となった。クエリ最適化(query optimization)と呼ばれるこの過程は、クエリが数学的論理の観点で表現されているという事実に基づいている。
コッドの論文は、バークレー校のユージン・ウォン(英語版)とマイケル・ストーンブレーカーの二人によって着目された。彼らは、地理データベースプロジェクトにすでに割り当てられていた資金と、コードを作成する学生プログラマーを使って、INGRESと呼ばれるプロジェクトを開始した。INGRESは、1973年の初頭に最初のテスト製品を提供し、1979年には一般に広く使用されるようになった。INGRESは、データアクセス(英語版)のためのQUELと呼ばれる「言語(language)」の使用を含め、多くの点でIBM System Rと類似していた。時の経過とともに、INGRESは新しい標準SQLに移行していった。
IBM自身は、リレーショナルモデルのテスト実装であるPRTV(英語版)と、製品版であるBusiness System 12(英語版)の開発を一度行ったが、いずれも現在は廃止されている。Honeywellは、Multics用のMRDS(英語版)を開発したが、現在ではAlphora Dataphor(英語版)とRel(英語版)の2つの新しい実装が存在する。「リレーショナル」と呼ばれる他のDBMSの実装のほとんどは、実際にはSQL DBMSである。 | 1,017 |
データベース | 1970年、ミシガン大学は、デイヴィッド・L・チャイルズ(英語版)の集合論的データモデルに基づくMICRO情報管理システム(英語版)の開発を開始した。MICROは、非常に大きなデータセットを管理するために、米国労働省、米国環境保護庁、アルバータ大学、ミシガン大学、ウェイン州立大学の研究者によって使用された。これは、ミシガン・ターミナル・システム(英語版)を使用するIBMメインフレームコンピューター上で稼働した。このシステムは1998年まで稼動し続けた。
1970年代から1980年代にかけ、ハードウェアとソフトウェアを統合したデータベースシステムの構築が試みられた。その根底にある理念は、このような統合が、より高い性能をより低い費用で提供できるというものである。その例として、IBM System/38、Teradataの初期の製品、およびBritton Lee, Inc.(英語版)のデータベースマシンがあげられる。
また、データベース管理をハードウェアでサポートするアプローチには、ICL(英語版)のCAFS(英語版)アクセラレータという、プログラム可能な検索機能を持つハードウェアディスクコントローラーがあった。しかし、汎用コンピュータの急速な発展と進歩に、データベース専用機が追いつくことができなかったため、長期的にはこれらの取り組みは概して失敗に終わった。こうしたことから、現今のほとんどのデータベースシステムは、汎用ハードウェア上で動作するソフトウェアシステムであり、汎用のコンピュータとデータストレージを使用している。しかし、この着想は今もなお、Netezza(英語版)やOracle (Exadata(英語版))など一部の企業によって特定の用途で追求されている。 | 1,017 |
データベース | 1970年代前半、IBMは、System Rとして、コッドの概念に大まかに基づいたプロトタイプシステムの開発を始めた。最初のバージョンは1974年5月に完成し、その後、レコードを構成するすべての要素(一部はオプション)を単一の大きな「チャンク(chunk、塊)」に格納する必要がないように、データを分割できるマルチテーブルシステムに対応する作業が開始された。その後、1978年と1979年にマルチユーザーバージョンが顧客によってテストされ、その時点では標準化されていたクエリ言語SQLが追加されていた。コッドのアイデアは、実行可能でCODASYLよりも優れたものとして確立され、IBMがSQL/DSとして知られるSystem Rの真の製品版、そして後にDatabase 2(IBM Db2)を開発することを後押しした。
ラリー・エリソンのOracle Database(以下、Oracle)は、IBMのSystem Rに関する論文を基に、別の系統から出発した。Oracle V1の実装は1978年に完了したが、エリソンが1979年にIBMを打ち負かしたのはOracle Version 2を市場に投入してからであった。
ストーンブレーカーはその後、INGRESからの教訓を応用して、現在はPostgreSQLとして知られている新しいデータベースPostgresを開発した。PostgreSQLは、大域的で基幹的な業務アプリケーションによく使用されている。(.orgや.infoのドメイン名レジストリでは、多くの大企業や金融機関と同様に、これを主要データストア(英語版)として使用している)。
スウェーデンでもコッドの論文は読まれ、1970年代半ばにウプサラ大学でMimer SQL(英語版)が開発された。1984年、このプロジェクトは独立した企業に統合された。
1976年に登場した実体関係モデルは、それまでのリレーショナルモデルよりも馴染みのある記述法を重視したもう一つのデータモデルであり、データベース設計で人気を博した。その後、実体-関係構造は、リレーショナルモデルのデータモデリング構造として追加され、両者の違いは無意味なものとなった。 | 1,017 |
データベース | 1976年に登場した実体関係モデルは、それまでのリレーショナルモデルよりも馴染みのある記述法を重視したもう一つのデータモデルであり、データベース設計で人気を博した。その後、実体-関係構造は、リレーショナルモデルのデータモデリング構造として追加され、両者の違いは無意味なものとなった。
1980年代は、デスクトップコンピューティングの時代の到来を告げた。新しいコンピュータは、Lotus 1-2-3のような表計算ソフトやdBASEのようなデータベースソフトで、ユーザーに力をもたらした。dBASE製品は軽量で、コンピューターユーザーは誰でも容易に理解できた。dBASEの作者、ウェイン・ラトリフ(英語版)は次のように述べている。「dBASEは、BASIC、C、FORTRAN、COBOLのようなプログラムとは異なり、多くの汚い仕事はすでに行われている。データ操作はユーザーではなくdBASEが行うので、ユーザーはファイルを開き、読み込み、閉じ、スペース割り当ての管理などの汚い詳細に煩わされることなく、自分のしていることに集中することができる」。dBASEは、1980年代から1990年代初頭にかけて、最も売れたソフトウェアの一つであった。 | 1,017 |
データベース | 1990年代は、オブジェクト指向プログラミングの台頭とともに、さまざまなデータベース内のデータの扱い方で発展が見られた。プログラマーと設計者は、データベース内のデータをオブジェクトとして扱うようになった。つまり、ある個人のデータがデータベース内にある場合、その人の住所、電話番号、年齢などの特性は外来のデータではなく、その人に属するものと考えられるようになった。これにより、データ間の関係は、個々のフィールドではなく、オブジェクトとその属性に関連付けられる。プログラムされたオブジェクトとデータベースのテーブルとの間の変換の不都合は、「オブジェクト-リレーショナル・インピーダンスミスマッチ」という言葉で表わされる。オブジェクト・データベースやオブジェクト・リレーショナルデータベースは、この問題を解決するために、プログラマーが純粋なリレーショナルSQLの代わりに使用できるオブジェクト指向言語(SQLの拡張機能という場合もある)を提供しようとするものである。プログラミング側の立場では、オブジェクト・リレーショナル・マッピング(ORM)と呼ばれるライブラリで、同じ問題を解決しようとしている
XMLデータベースは、構造化されたドキュメント指向データベースの一種で、XML文書の属性に基づいたクエリが可能である。XMLデータベースは、たとえば科学論文、特許、税務申告、人事記録など、非常に柔軟なものから非常に厳格なものまで、データをさまざまな構造を持つ文書の集合として見るのに便利なアプリケーションで主に使用される。
NoSQLデータベースは、多くの場合、非常に高速で、固定化したテーブルスキーマを必要とせず、非正規化(英語版)したデータを格納することで結合操作を回避し、水平スケーリングするように設計されている。
近年、高い分断耐性を備えた大規模分散データベースが強く求められているが、CAP定理によれば、分散システムで一貫性、可用性、分断耐性を同時に備えることは不可能とされている。分散システムは、これら3つの保証のうち、いずれか2つを同時に満たすことはできても、3つすべてを満たすことはできない。そのため、多くのNoSQLデータベースでは、データ整合性のレベルを下げて可用性と分断耐性の両方を保証する、結果整合性という考え方を採用している。 | 1,017 |
データベース | 最新のリレーショナルデータベースの一種であるNewSQLは、SQLを使用し、また従来のデータベースシステムのACID保証を維持しながらも、オンライントランザクション処理のワークロード(読み込みと書き込みの両方を伴う)に対して、NoSQLシステムと同じスケーラブルな性能を提供することを目的としている。
データベースは、組織の内部業務を支援し、顧客や発注先とのオンラインでのやり取りを支えるために使用される(エンタープライズ・ソフトウェアを参照)。
データベースは、業務における管理情報、エンジニアリングデータや経済モデルなどのより専門的なデータを保持するためにも使用される。たとえば、コンピュータによる図書館システム、航空座席予約システム、コンピュータ化された部品在庫管理システム、およびウェブサイトをウェブページの集合としてデータベースに保存する多くのコンテンツ管理システムなどがあげられる。
データベースを分類する方法として、たとえば、書誌(英語版)、文書、テキスト、統計、マルチメディアなど、その内容の種類によるものがある。第二の方法は、会計、作曲、映画、銀行、製造、保険など、応用面による分類がある。第三の方法は、データベースの構造やインタフェースの種類など、技術的な側面によるものである。この節では、さまざまな種類のデータベースを特徴付けるために使用される用語をいくつか列挙する。
ConnollyとBeggは、データベース管理システム(DBMS)を「ユーザーがデータベースを定義、作成、保守、およびアクセスを制御できるようにするソフトウェアシステム」と定義している。DBMSの例として、MySQL、PostgreSQL、Microsoft SQL Server、Oracle Database、Microsoft Accessがあげられる。
DBMSの頭文字は、基盤となるデータベースモデルを示して拡張されることがあり、リレーショナル型はRDBMS、オブジェクト(指向)型(英語版)はOODBMS、オブジェクトリレーショナル型はORDBMSと呼ばれる。また、分散型データベース管理システムを表すDDBMSなど、他の特性を表すように拡張することができる。 | 1,017 |
データベース | DBMSの頭文字は、基盤となるデータベースモデルを示して拡張されることがあり、リレーショナル型はRDBMS、オブジェクト(指向)型(英語版)はOODBMS、オブジェクトリレーショナル型はORDBMSと呼ばれる。また、分散型データベース管理システムを表すDDBMSなど、他の特性を表すように拡張することができる。
DBMSが提供する機能は非常に多様である。中心的な機能は、データの保存、検索、更新である。コッドは、本格的な汎用DBMSが提供すべき機能およびサービスとして、次のようなものを提案した。
また、DBMS は、インポート、エクスポート、監視、デフラグメント、分析ユーティリティなど、データベースを効果的に管理するために必要な一連のユーティリティを提供することも、一般に期待されている。データベースとアプリケーション・インタフェースの間で相互作用するDBMSの中心部分は、データベース・エンジンと呼ばれることもある。
多くのDBMSは、データベースが使用できるサーバ上のメインメモリの最大量など、静的または動的に調整可能な構成パラメータを持っている。手動構成する量を最小限に抑える傾向があり、組み込みデータベース(英語版)のような場合は、ゼロ管理を目標とする要求が最も重要である。
大規模なエンタープライズDBMSでは、サイズや機能が増大する傾向があり、その生涯を通じて数千人年の開発努力が費やされることがある。
初期のマルチユーザーDBMSでは、一般的に、アプリケーションを同じコンピュータ上で動作させ、コンピュータ端末または端末エミュレーションソフトウェアを通じてアクセスすることしかできなかった。クライアント・サーバー・アーキテクチャは、アプリケーションはクライアントのデスクトップ上にあり、サーバー上に存在するデータベースが処理を分散できるように開発された。これが進化して、アプリケーションサーバーやウェブサーバーを組み込んだ多層アーキテクチャとなり、エンドユーザーインターフェイスはウェブブラウザーを介してアクセスし、データベースは隣接する層に直接接続されるのみとなった。 | 1,017 |
データベース | 汎用DBMSは、公開のアプリケーション・プログラミング・インタフェース(API)と、オプションでSQLなどのデータベース言語用のプロセッサを提供して、データベースと対話し操作するアプリケーションを作成できるようにする。特殊用途のDBMSは、プライベートなAPIを使用し、特別にカスタマイズして単一のアプリケーションにリンクされることがある。たとえば、電子メールシステムは、メッセージの挿入、削除、添付ファイルの処理、ブロックリストの検索、メッセージと電子メールアドレスの関連付けなど、汎用DBMSの機能の多くを実行するが、これらの機能は電子メールの処理に必要なものに限定されている。
データベースとの外部相互作用は、DBMSと接続するアプリケーション・プログラムを介して行われる。アプリケーションは、ユーザーが文字的または視覚的にSQLクエリを実行できるデータベースツールから、情報を格納し検索するためにデータベースを使用するWebサイトまで、多岐にわたる。
プログラマーは、アプリケーション・プログラミング・インタフェース(API)またはデータベース言語を介して、データベース(データソース(英語版)と呼ばれることもある)との相互対話をコーディングする。選択された特定のAPIや言語は、DBMSによって直接的にサポートされるか、またはプリプロセッサまたはブリッジングAPIを介して間接的にサポートされる必要がある。APIの中にはデータベースに依存しないことを目的とするものもあり、ODBCはそのよく知られた例である。その他の一般的なAPIには、JDBCやADO.NETがある。
データベース言語は、次のような作業を可能とする特殊用途の言語であり、部分言語(英語版)として区別されることもある。
データベース言語は、特定のデータモデルに特化した言語である。著名な例として次のものがある。
データベース言語には、次のような機能を組み込んでいるものもある。 | 1,017 |
データベース | データベース言語は、次のような作業を可能とする特殊用途の言語であり、部分言語(英語版)として区別されることもある。
データベース言語は、特定のデータモデルに特化した言語である。著名な例として次のものがある。
データベース言語には、次のような機能を組み込んでいるものもある。
データベースストレージは、データベースの物理的な実体の格納庫である。これは、データベースアーキテクチャの「内部(物理)レベル」を構成する。また、必要に応じて「内部レベル」から「概念レベル」や「外部レベル」を再構築するために必要なすべての情報(たとえばメタデータ、「データに関するデータ」、内部データ構造など)も含んでいる。デジタル・オブジェクトとしてのデータベースには、データ、構造、セマンティクス(意味)の3つの層からなる情報が含まれ、保存する必要がある。長期間に渡ってデータベースを保存(英語版)し、長持ちさせるために、3つの層すべてを適切に保存する必要がある。データを永続的ストレージに保存するのは、一般に、データベースエンジン(別名「ストレージエンジン」)の責任である。DBMSは通常、基盤となるオペレーティングシステムを通じてアクセスするが(多くの場合、オペレーティングシステムのファイルシステムを、ストレージ配置の仲介役として使用する)、ストレージの特性と構成設定はDBMSの効率的な運用に極めて重要であるため、データベース管理者によって密接に管理される。DBMSは、その運用中に、常に数種類のストレージ(メモリや外部ストレージ)にデータベースを常駐させている。データベースのデータと、追加の必要な情報(おそらく非常に大量にある)は、ビット列に符号化される。データは通常、概念レベルや外部レベルでの見え方とは全く異なる構造でストレージ内に存在するが、ユーザーやプログラムが必要とするとき、または必要な情報の追加形式をデータから計算するとき(例: データベースに問い合わせる時)、これらのレベルの再構築を(可能な限り)最適化するような方法で格納される。
DBMSの中には、データの格納に用いる文字エンコーディングを指定できるものがあり、同じデータベースで複数のエンコーディングを使用することができる。 | 1,017 |
データベース | DBMSの中には、データの格納に用いる文字エンコーディングを指定できるものがあり、同じデータベースで複数のエンコーディングを使用することができる。
データモデルをシリアル化し、選ばれた媒体に書き込めるようにするために、ストレージエンジンは、さまざまな低レベルのデータベースストレージ構造(英語版)を使用する。性能を向上させるために、インデックス作成などの手法を使用することもある。従来のストレージは行指向であるが、列指向データベースや相関データベース (en:英語版) もある。
性能を向上させるためにストレージを冗長化することがよくある。一般的な例は、頻繁に必要とされる外部ビュー(external view)や、クエリ結果から構成されるマテリアライズド・ビュー(materialized view)の保存である。このようなビューを保存することで、必要になるたびに計算する費用を節約することができる。マテリアライズド・ビューの欠点は、元の更新されたデータベースデータと同期を維持するためにビューを更新する際に発生するオーバーヘッドと、ストレージの冗長化にかかる費用である。
データベースは、データの可用性を向上させるために、データベース・オブジェクトの複製(1つ以上のレプリケーション)によるストレージ冗長性を採用することがある。これによって、同じデータベース・オブジェクトに複数のエンドユーザーが同時アクセスした場合の性能を向上させ、また、分散データベースに部分的な障害が発生した場合の回復力を提供する。複製されたオブジェクトの更新には、オブジェクトのコピー間で同期される必要がある。多くの場合、データベース全体が複製される。
データベース・セキュリティ(英語版)は、データベースの内容、その所有者、およびそのユーザーを保護するためのあらゆる側面を扱う。その範囲は、意図的な不正なデータベースの使用から、権限のないエンティティ(たとえば、人やコンピュータプログラムなど)による意図しないデータベースへのアクセスまで、さまざまな保護に及ぶ。 | 1,017 |
データベース | データベース・セキュリティ(英語版)は、データベースの内容、その所有者、およびそのユーザーを保護するためのあらゆる側面を扱う。その範囲は、意図的な不正なデータベースの使用から、権限のないエンティティ(たとえば、人やコンピュータプログラムなど)による意図しないデータベースへのアクセスまで、さまざまな保護に及ぶ。
データベースアクセス制御は、データベース内のどの情報に誰が(人間または特定のコンピュータプログラム)アクセスを許可されるかを制御することを扱う。その情報には、特定のデータベースオブジェクト(例: レコード種類、特定レコード、データ構造)、特定のオブジェクトに対する特定の計算(例: クエリ種類、特定のクエリ)、または前者に対する特定のアクセス経路の使用(例: 情報にアクセスするために特定のインデックスまたは他のデータ構造の使用)が含まれる。データベースのアクセス制御は、データベース所有者から特別に許可された人員によって、保護された専用のセキュリティDBMSインタフェースを用いて設定される。
アクセス制御の管理は、個人別に直接行うことも、個人と特権(英語版)をグループに割り当てることも、(最も精巧なモデルでは)個人やグループにロール(役割)を割り当ててからロールに権限を付与することもできる。データセキュリティは、権限のないユーザーによるデータベースの閲覧や更新を阻止する。パスワードを使用すると、ユーザーはデータベース全体、または「サブスキーマ」と呼ばれる一部分へのアクセスを許可される。たとえば、従業員データベースには個々の従業員に関するすべてのデータを含めていても、あるグループのユーザーには給与データのみの閲覧を許可し、別のグループには職歴と医療データのみアクセスを許可することが可能である。DBMSがデータベースの入力、更新、問い合わせを対話的に行う方法を提供している場合、この機能によって個人データベースを管理することができる。 | 1,017 |
データベース | 一般にデータセキュリティ(英語版)は、特定のデータチャンク(data chunk、塊)を物理的に保護すること(すなわち破損、破壊、削除から。物理的セキュリティ(英語版)を参照)、または、データチャンクやその一部を意味のある情報に変換すること(例: それらが構成するビット列を見て、特定の有効なクレジットカード番号を決定する。データ暗号化を参照)の両方を扱う。
変更およびアクセスのロギングは、誰がどの属性にアクセスしたか、何が変更されたか、そしていつ変更されたかを記録する。ロギングサービスは、アクセスの発生や変更の記録を保持することで、後でフォレンジックデータベース監査(英語版)を行うことを可能にする。場合によっては、データベースレベルで記録するのではなく、アプリケーションレベルのコードで変更を記録することもある。セキュリティ違反の検出を試みるために監視を設定することもできる。データベース・セキュリティには多くの利点があるため、組織はこれに真剣に取り組む必要がある。組織は、ファイアウォール内への侵入、ウィルスの蔓延、ランサムウェアなどのセキュリティ違反やハッキング行為から守られる。これは、企業において、いかなる理由があっても部外者と共有することが許されない、重要な情報を保護するために役に立つ。
データベース・トランザクションは、クラッシュ(障害)からの復旧後に、ある程度の耐障害性とデータ完全性を導入するために使用することができる。データベーストランザクションは通常、データベースに対する一連の操作(データベースオブジェクトの読み込み、書き込み、ロック(英語版)の取得や解放など)をカプセル化した作業の単位であり、データベースやその他のシステムでサポートされている抽象概念である。各トランザクションには、どのプログラム/コードの実行がそのトランザクションに含まれるかという点で、明確に定義された境界がある(トランザクションの設計者が、特別なトランザクションコマンドで決定する)。
ACIDという頭字語は、データベーストランザクションの理想的な特性である、原子性(atomicity)、一貫性(consistency)、分離性(isolation)、永続性(英語版)(durability)を表している。 | 1,017 |
データベース | ACIDという頭字語は、データベーストランザクションの理想的な特性である、原子性(atomicity)、一貫性(consistency)、分離性(isolation)、永続性(英語版)(durability)を表している。
あるDBMSで構築されたデータベースは、別のDBMSに移植できない(つまり、別のDBMSでは実行できない)。しかし、状況によっては、あるDBMSから別のDBMSにデータベースを移行(database migration)するのが望ましい場合がある。その理由は、主に経済的(DBMS によって総所有コスト(TCO)が異なる)、機能的、および運用的(DBMSによって機能が異なることがある)である。移行には、あるDBMSの種類から別の種類へデータベースを変換することも含まれる。この変換では、(可能であれば)データベース関連のアプリケーション(つまり、関連するすべてのアプリケーションプログラム)をそのまま維持する必要がある。したがって、データベースの概念レベルおよび外部レベルのアーキテクチャ(英語版)は、変換時に維持する必要がある。また、アーキテクチャの内部レベルのいくつかの側面も維持されることが望まれる場合もある。複雑または大規模なデータベースの移行は、それ自体が複雑で費用のかかる(1度きりの)プロジェクトになる可能性があるので、移行を決定するときはその点を考慮する必要がある。これは、特定のDBMS間の移行を支援するツールが存在する可能性があるのにも関わらない。一般に、DBMSベンダーは、他の普及しているDBMSからデータベースをインポートするツールを提供している。
アプリケーションのデータベースを設計したら、次の段階はデータベースの構築である。通常、この用途で用いるために、適切な汎用DBMSを選択することができる。DBMSは、データベース管理者が必要なアプリケーションのデータ構造をDBMSの各データモデルに準じて定義するために必要なユーザーインタフェースを提供する。その他のユーザーインタフェースは、必要なDBMSパラメータ(セキュリティ関連、ストレージ割り当てパラメータなど)を選択するために用いられる。 | 1,017 |
データベース | データベースの準備が整うと(データ構造およびその他の必要なコンポーネントがすべて定義される)、通常は、運用を開始する前にアプリケーションの初期データを入力する(データベースの初期化は、通常は別プロジェクトとされ、多くの場合、一括挿入をサポートする専用のDBMSインタフェースを用いる)。場合によっては、アプリケーションのデータを持たない状態でデータベースが稼働し、その運用を経てデータが蓄積されることもある。
データベースを作成し、初期化し、データを入力した後は、データベースを維持する必要がある。たとえば、より良い性能を得るために、さまざまなデータベース・パラメータを変更し、データベースをチューニング(英語版)する必要があるかもしれない。あるいは、アプリケーションの機能を追加するために、アプリケーションのデータ構造を変更または追加し、新しい関連アプリケーションプログラムを作成するかもしれない。
場合によっては、データベースを以前の状態に戻すことが必要となる(たとえばソフトウェアの誤りが原因でデータベースが破損していることが判明した場合や、誤ったデータで更新された場合など、さまざまな理由が考えられる)。そのために、バックアップ操作が時々または継続的に実施され、それぞれの望ましいデータベースの状態(すなわち、データ値とデータベースのデータ構造への埋め込み)が専用のバックアップファイルに保持される(これを効果的に行うための多くの技術が存在する)。データベース管理者がデータベースをこの状態に戻すと決めたとき(たとえば、データベースがこの状態にあった時、所望の時点を指定する)、これらのファイルをその状態を復元するために使用する。
ソフトウェア検証のための静的解析技術は、クエリ言語の領域にも適用することができる。特に、抽象解釈フレームワークは、適切な近似技術をサポートする方法として、リレーショナルデータベースのクエリ言語の分野に拡張されている。クエリ言語のセマンティクスは、データの具体的な領域(ドメイン)を適切に抽象化することによって調整することができる。リレーショナルデータベースシステムの抽象化は、特に、細粒度アクセス制御や、電子透かしなどのセキュリティ分野で、多くの興味深い応用がある。
DBMSのその他の機能として、次のようなものもあげられる。 | 1,017 |
データベース | DBMSのその他の機能として、次のようなものもあげられる。
データベース管理とソース管理のために、ビルド、テスト、デプロイメントフレームワークに、これらの中心機能をすべて組み込んだ単一システムを求める声はますます高まっている。ソフトウェア業界における別の進化を借りて、そうした製品を「データベース用DevOps」として提供する企業もある。
データベース設計者の最初の作業は概念データモデル (en:英語版) の作成で、データベースに保持する情報の構造を反映する。そのための一般的な方法は、描画ツールを用いて実体関連モデルを作成することが多い。統一モデリング言語(UML)の使用は、もう一つのよく知られた方法である。出来のよいデータモデルは、モデル化される外界の可能な状態を正確に反映する。たとえば、人々が複数の電話番号を持つことができる場合、その情報を取得することが可能となる。優れた概念データモデルを設計するには、アプリケーションの領域を十分に理解する必要がある。それには、一般的に、組織が関心を持っていることについて深い問いを立てる必要がある。たとえば「顧客は発注先にもなり得るのか?」、あるいは「ある製品が2種類の包装形態で販売されている場合、それらは同じ製品か、それとも異なる製品なのか?」、あるいは「飛行機がニューヨークからフランクフルト経由でドバイまで飛ぶ場合、それは1便か2便か(または3便か)?」のような質問をする。これらの質問に対する回答によって、エンティティ(顧客、製品、フライト、フライト区間)に使用される用語の定義、およびそれらの関係や属性を確立する。
概念データモデルを作成する過程で、ビジネスプロセスからの入力や、組織内のワークフロー分析からの入力が必要な場合がある。これによって、データベースにどのような情報が必要で、何を省略できるかを特定することができる。たとえば、データベースに現在のデータだけでなく、過去の履歴データも保持する必要があるかどうかを決定するのに役立つ。 | 1,017 |
データベース | 概念データモデルを作成する過程で、ビジネスプロセスからの入力や、組織内のワークフロー分析からの入力が必要な場合がある。これによって、データベースにどのような情報が必要で、何を省略できるかを特定することができる。たとえば、データベースに現在のデータだけでなく、過去の履歴データも保持する必要があるかどうかを決定するのに役立つ。
ユーザーが満足できる概念データモデルを作成したら、次の段階では、これをデータベース内の関連データ構造を実装するスキーマに変換する必要がある。この過程は、しばしば論理データベース設計と呼ばれ、スキーマの形で表現された論理データモデルを作成する。概念データモデルがデータベース技術の選択と関係しないのに対し(少なくとも理論的には)、論理データモデルは、選択したDBMSがサポートする特定のデータベースモデルの観点で表現される。(データモデルとデータベースモデルという用語はしばしば同じ意味で用いられるが、この記事では特定のデータベースの設計を「データモデル」、その設計を表現するために用いられるモデリング表記を「データベースモデル」とそれぞれ呼ぶ。)
汎用データベースで最も普及しているデータベースモデルはリレーショナルモデル、より正確には、SQL言語で表現されるリレーショナルモデルである。このモデルを用いて論理データベースを設計する過程では、正規化と呼ばれる系統的アプローチが用いられる。正規化の目的は、挿入、更新、削除の一貫性を自然に維持することで、おのおのの基本的「事実」を一箇所にのみ記録することでなされる。
データベース設計の最終段階では、特定のDBMSに依存する性能、スケーラビリティ、回復、セキュリティなどに影響する決定をする。これはしばしば「物理データベース設計」と呼ばれ、物理データモデルを作成する。この段階での重要な目標はデータの独立性(英語版)である。これは、性能を最適化するために行われた決定を、エンドユーザーやアプリケーションから見えないようにすることを意味する。データの独立性には2つのタイプがあり、物理的なデータ独立性と論理的なデータ独立性である。物理設計は主に性能要件によって推進され、予想される作業負荷とアクセスパターンに関する十分な知識と、選択したDBMSが持つ機能についての深い理解を必要とする。 | 1,017 |
データベース | 物理データベース設計のもうひとつの側面はセキュリティである。これには、データベースオブジェクトへのアクセス制御を定義することと、データ自体のセキュリティレベルとメソッド(手順)の定義の両方を含んでいる。
データベースモデルとは、データベースの論理構造を決定するデータモデルの一種で、データをどのように格納、整理、操作するかの根本を規定するものである。データベースモデルの最も一般的な例は、テーブルベースの形式を使用するリレーショナルモデル(またはリレーションを近似したSQL)である。
データベースの一般的な論理データモデルを次にあげる。
オブジェクトリレーショナルデータベースは、この2つの関連する構造を組み合わせたものである。
物理データモデルを次にあげる。
その他、次のようなモデルがある。
特定の種類のデータ用に最適化された特殊モデルがある。
データベース管理システムは、データベースのデータに対して三層のビューを提供する。
データの概念ビュー(または論理ビュー)および物理ビュー(または内部ビュー)は、通常、1つしかないが、さまざまな外部ビューはいくつでも存在することができる。これにより、ユーザーは、技術的あるいは処理的な視点からではなく、よりビジネスに関連した視点からデータベース情報を見ることができるようになる。たとえば、企業の財務部門は会社の経費の一部として全従業員の支払明細を必要とするが、人事部門の関心事である従業員に関する明細は必要ない。このように、部門によって、企業データベースには異なるビューが必要となる。
三層データベース・アーキテクチャは、リレーショナルモデルの主要な初期推進力の1つであったデータの独立性(英語版)の概念に関連している。この考え方は、あるレベルで行われた変更は、より高いレベルのビューに影響を与えないというものである。たとえば、内部レベルの変更は、概念レベルのインタフェースを使用して記述されたアプリケーションプログラムには影響しないので、性能を向上させるために物理的変更を加えてもその影響を軽減することができる。 | 1,017 |
データベース | 概念ビューは、内部ビューと外部ビューの間に間接的なレベルを提供する。一方では、異なる外部ビュー構造に依存しないデータベースの共通ビューを提供し、また他方では、データがどのように格納され管理されるかという詳細(内部レベル)を抽象化する。原則として、すべてのレベルの、さらにはすべての外部ビューは、異なるデータモデルで表現することができる。実際には通常、特定のDBMSは外部レベルと概念レベルの両方で同じデータモデルを使用する(例: リレーショナルモデル)。内部レベルは特定のDBMSの内側に隠されており、(その実装にも依存するが)異なるレベルの詳細が要求され、独自の種類のデータ構造型が用いられる。
外部、概念、および内部レベルを分離することは、21世紀のデータベースを支配するリレーショナルデータベースモデルの実装における大きな特徴であった。
データベース技術は、1960年代から、学界や企業の研究開発グループ(例: IBM基礎研究所)の両方で活発な研究課題となっている。研究活動には、理論(英語版)やプロトタイプの開発が含まれる。注目すべき研究課題には、モデル、アトミックトランザクションの概念、関連する並行性制御技術、クエリ言語とクエリ最適化手法、RAIDがある。
データベース研究分野には、いくつかの専門学術誌や(例: ACM Transactions on Database Systems-TODS、Data and Knowledge Engineering-DKE)、年次会議(例: ACM SIGMOD、ACM PODS、VLDB、IEEE ICDE)がある。
日本の学会としては、日本データベース学会があげられる。 | 1,017 |
飲料水 | 飲料水(いんりょうすい、仏: eau potable、英: drinking water、独: Trinkwasser)とは、飲用に適した水を表す。「のみみず」とも。
飲料水は病原微生物や有毒物質を含まず、無味・無臭・透明が求められ、一般に水道水、湧水、流水、井戸水などを用いる。
飲むことができる水を確保しておくことは大切である。人は水を飲まずにいられるのは、一般的にはせいぜい4~5日程度だと言われている。安全な飲み水を確保することは、古の時代から重要な課題であった。病原体で汚染された飲み水を飲むと、それに感染することによってさまざまな病気にかかる。赤痢やコレラの大流行は、しばしば、不適切な水を飲用に用いたことで起きている。有毒物質を含んだ水を飲むことで、さまざまな障害が生じる。
世界の様々な地域の生水は概して飲料水としては使えない。熱帯地方では河川の水が病原微生物を含んでいることは多い。水道で運ばれてきて蛇口から出てくる水でさえそうである。地元の住民ならばかろうじて耐えられる場合でも、旅行者には危険な場合もあり得る。病原微生物を死滅させるためには少なくとも一旦煮沸する必要がある。
海水は塩分などが多過ぎるため、飲料水としては使えない。無寄港で海上を旅する時や、海で遭難した場合には、飲料水の確保が問題となるため、周囲にありあまるほどの海水が見えているにもかかわらず飲める水が無い、という皮肉な状況に追い込まれてしまう。同様に、内陸の塩水湖の湖水も飲料水としては使えない。火山地帯の湧水も特殊な成分を含み、飲用には適さない場合がある。 | 1,019 |
飲料水 | 海水は塩分などが多過ぎるため、飲料水としては使えない。無寄港で海上を旅する時や、海で遭難した場合には、飲料水の確保が問題となるため、周囲にありあまるほどの海水が見えているにもかかわらず飲める水が無い、という皮肉な状況に追い込まれてしまう。同様に、内陸の塩水湖の湖水も飲料水としては使えない。火山地帯の湧水も特殊な成分を含み、飲用には適さない場合がある。
飲料水を得るひとつの方法として、植物体内の水を用いるという方法がある。植物体内の水であれば、あらかじめ植物の繊維構造でフィルターがかけられていることが多く、植物自体が生きのびるために菌類の繁殖を防ぐようなシステム(抗菌作用)を持っており、ほぼ無菌に近いからである。例えばココヤシの実の中の水を飲む方法がある。アマゾンには水を大量に含んだ樹木がいくつもあり、ジャングル内を旅する時などには、それを見つけて枝をナタで切り落として傾ければ、飲用に適した水が出てくる。水筒を持ち歩かなくても、そこかしこに飲料水があるため、現地人は俗称で「水筒の木」などと呼んでいる。ウツボカズラの捕食袋の水も飲用にされる(ただし、これの場合は袋が開く前に限る)。昔から、瓜(ウリ)、スイカ、メロン類、リンゴなど水分量が多い果物の果汁を飲料水の代用とする地域もある。
世界的に、乾燥した地域も多く、そういった地域では、まず水そのものを得る方法を考案しなければならない。井戸はその代表的な技術である。サウジアラビアでは、電力を使って海水の塩分を分離し、飲用水を作り出している。サウジアラビアやイラク等々では、飲用水はガソリンよりも高価である。
日本の上水道は、水道局の関係者が日々水の質を高く保つために努力を積み重ねており、そのため蛇口をひねって出てきた水がそのまま飲める状態に保たれている。これは世界的に見て例外的なことといわれることもあるが、ヨーロッパや米国の、大抵の先進国では水道水はそのまま飲める。ただし硬度が高い場合もあり、そのため上質の水源の水を使い、ボトル詰めされたミネラルウォーターを買い飲用とすることも多い。 | 1,019 |
飲料水 | 日本の上水道は、水道局の関係者が日々水の質を高く保つために努力を積み重ねており、そのため蛇口をひねって出てきた水がそのまま飲める状態に保たれている。これは世界的に見て例外的なことといわれることもあるが、ヨーロッパや米国の、大抵の先進国では水道水はそのまま飲める。ただし硬度が高い場合もあり、そのため上質の水源の水を使い、ボトル詰めされたミネラルウォーターを買い飲用とすることも多い。
海外の飲食店(カウンター式の喫茶や「バー」や「スタンド」など)では、客が席についてもコップやグラスに入った水が出てこない地域もある。アメリカでも日本のように客席に座ればコップに入った飲料水を無料で出してくれるが、ヨーロッパでは基本的に有料である。ミネラルウォーターとビールを比較すると、ミネラルウォーターのほうが値段が高いこともある。
米国の開拓時代、カウボーイは自分が得た水の水質を信用しきれない場合、それに殺菌防腐効果があるアルコール度の高い酒を加えて飲む、などということも行ったが、殺菌効果が最も高いのはアルコール濃度(重量%)が70から80パーセントの時 で、数パーセントまで希釈されている場合、殺菌効果はあまり期待できない。
供給者は、地域住民の共同体から公的機関、公共企業体、民間事業者まで多種多様。戦争や大規模災害時は、地方自治体、国家や国際的なNGOや国連難民高等弁務官事務所などが直接供給、供給手段を提供することがある。 | 1,019 |
田村由美 | 田村 由美(たむら ゆみ、9月5日 - )は、日本の女性漫画家。和歌山県出身、東京都在住。O型。1983年(昭和58年)、『別冊少女コミック』(小学館)9月号増刊に掲載の「オレたちの絶対時間」でデビュー。以後、小学館が発行する漫画雑誌で執筆活動を展開する。2013年、和歌山県文化表彰・文化功労賞を受賞。
マーガレットコミックス
前田珠子によるライトノベル「魅魎暗躍譚シリーズ」
前田珠子によるライトノベル「魅魎暗躍譚シリーズ」の再刊版
氏家仮名子によるライト文芸 | 1,021 |
C言語 | ■カテゴリ / ■テンプレート
C言語(シーげんご、英: C programming language)は、1972年にAT&Tベル研究所のデニス・リッチーが主体となって開発した汎用プログラミング言語である。英語圏では「C language」または単に「C」と呼ばれることが多い。日本でも文書や文脈によっては同様に「C」と呼ぶことがある。制御構文などに高水準言語の特徴を持ちながら、ハードウェア寄りの記述も可能な低水準言語の特徴も併せ持つ。基幹系システムや、動作環境の資源制約が厳しい、あるいは実行速度性能が要求されるソフトウェアの開発に用いられることが多い。後発のC++やJava、C#など、「C系」と呼ばれる派生言語の始祖でもある。
ANSI、ISO、またJISにより言語仕様が標準規格化されている。
Cには他のプログラミング言語と比較して、特筆すべきいくつかの特徴がある。
上記のように、利点でもあり、同時に欠点にもなる特徴を備えている。
もともとUNIXおよびCコンパイラの移植性を高めるために開発されてきた経緯から、オペレーティングシステム(OS)のカーネルおよびコンパイラ向けの低水準な記述ができるなど、ハードウェアをある程度抽象化しつつも、必要に応じて低水準言語と同じことを実現できるようなコンピュータ寄りの言語仕様になっている。そのため、低水準な記述ができる高水準言語と言われたり、高水準言語の顔をした低水準言語(高級アセンブラ、汎用アセンブラ)と言われたりすることがある。
Cはアマチュアからプロ技術者まで、プログラマ人口が多く、プログラマのコミュニティが充実している。使用者の多さから、正負の両面含め、Cはプログラミング文化に大きな影響を及ぼしている。また、多目的性と、対応機器の多彩さのため、「コンピュータを使ってやること」は大抵、Cで対応可能である。ただし、Cで効率的かつ安全に記述できるかどうかはまた別の話である。スクリプト言語やコマンドラインシェルを使えば手軽に実現にできるような処理まで、わざわざCで記述する必要はない。また、GUIアプリケーションフレームワークは、Cからは利用できず、統合開発環境と連携する新しいプログラミングツールやプログラミングパラダイムに対応した後発言語でなければ利用できないものもある。 | 1,022 |
C言語 | MISRA CやCERT Cというコーディング標準(コーディング規約)を定義して、危険な機能の使用や記述を禁止するという制限を設けることでCを安全に利用するためのガイドラインが運用されている分野もある。特にプログラミングミスが人命に直結する自動車分野などでCを利用するには、このような制約が重要である。
処理系の簡素化のため、以下のように安全性を犠牲にした仕様が多い。なお、ホスト環境やプログラムの内容によっては、以下に対して脆弱性対策を施したとしても実行速度の低下が無視できる程度であることも多く、言語仕様側の欠点とみなされることも少なくない。
C言語のHello worldプログラムは、ホスト環境を前提とするか、フリースタンディング環境を前提とするかで、方向性が異なる。ホスト環境を前提とする場合には、標準入出力の利用により、動作をすぐに確かめることができる。以下では、標準Cライブラリのヘッダstdio.hにて宣言されている、puts関数あるいはprintf関数を利用したものを例示する。
上記サンプルソース中の「\n」は、エスケープ文字\によるエスケープシーケンスのひとつであり、改行(ラインフィード)を表す。
main関数は標準的なプログラムエントリーポイントであり、プログラムを開始すると、ランタイムライブラリによるスタートアップ処理が実行された後にこのmain関数が呼ばれる。引数のないバージョンと、コマンドライン引数をポインタ配列として受け取るバージョンどちらを使ってもよい。
なお、printf関数は書式文字列とそれに対応する可変個引数を受け取り、書式化された文字列として表示できる高機能な標準出力関数であるが、序盤から例示に使用している入門書もある。
main関数とprintf関数は、いずれも入門者や初学者にとっては最初の関門となる難解な関数であり、C言語によるプログラミングのハードルを高くしている一因でもある。JavaやC#のような後発言語では、文字列の扱いや、可変個引数の扱いがより簡潔で安全になっている。Pythonのようなインタプリタや対話環境上で動作することを前提とした言語では、main関数を定義する必要はない。 | 1,022 |
C言語 | main関数とprintf関数は、いずれも入門者や初学者にとっては最初の関門となる難解な関数であり、C言語によるプログラミングのハードルを高くしている一因でもある。JavaやC#のような後発言語では、文字列の扱いや、可変個引数の扱いがより簡潔で安全になっている。Pythonのようなインタプリタや対話環境上で動作することを前提とした言語では、main関数を定義する必要はない。
C言語は、AT&Tベル研究所のケン・トンプソンが開発したB言語の改良として誕生した(#外部リンクの「The Development of the C Language」参照)。
1972年、トンプソンとUNIXの開発を行っていたデニス・リッチーはB言語を改良し、実行可能な機械語を直接生成するC言語のコンパイラを開発した。後に、UNIXは大部分をC言語によって書き換えられ、C言語のコンパイラ自体も移植性の高い実装のPortable C Compilerに置き換わったこともあり、UNIX上のプログラムはその後にC言語を広く利用するようになった。
ちなみに、「UNIXを開発するためにC言語が作り出された」と言われることがあるが、「The Development of the C Language」によると、これは正しくなく、経緯は以下の通りである。C言語は、当初はあくまでもOS上で動くユーティリティを作成する目的で作り出されたものであり、OSのカーネルを記述するために使われるようになるのは後の展開である。
アセンブラとの親和性が高いために、ハードウェアに密着したコーディングがやりやすかったこと、言語仕様が小さいためコンパイラの開発が楽だったこと、小さな資源で動く実行プログラムを作りやすかったこと、UNIX環境での実績があり、後述のK&Rといった解説文書が存在していたことなど、さまざまな要因からC言語は業務開発や情報処理研究での利用者を増やしていった。特にメーカー間でオペレーティングシステムやCPUなどのアーキテクチャが違うUNIX環境では再移植の必要性がしばしば生じて、プログラムをC言語で書いてソースレベル互換を確保することが標準となった。 | 1,022 |
C言語 | C言語の開発当初に使われた入力端末はASR-37(英語版)であったことが知られている。 ASR-37は1967年制定の旧ASCII ISO R646-7bitにもとづいており、「{」および「}」の入力を行うことができたが、当時は一般的に使われていた入力端末ではなかった。 当時PDP-11の入力端末として広く使われていたのはASR-33であるが、これは1963年制定の旧ASCIIであるASA X3.4に準拠しており、「{」や「}」の入力を行うことはできなかった。
このことは、ブロック構造に「{」や「}」を用いるC言語(さらに元をたどればB言語)は、当時の一般的な環境では使用不可能であったことを示している。 これは、C言語はその誕生当初にあっては一般に広く使われることを想定しておらず、ベル研究所内部で使われることを一義的に考えた言語であったという側面の表れである。
これに対し、PascalやBASIC等の当初から広く使われることを想定した言語では、ブロック構造に記号を用いずにbeginとendをトークンとして用いることや、コメント行を表す際に開始トークンとしてREMという文字列を用いることなど、記号入力に制約がある多くの入力端末に対応できるように配慮されていた。この頃の他の言語やOSで大文字と小文字の区別をしないものが多いのも、当時は大文字しか入力できない環境も少なくなかったことの表れである。
このような事情のため、C言語が普及するのは、ASCII対応端末が一般化した1980年代に入ってからである。
現在、ブロック構造の書式等で、{...}形式のC言語と、begin...end等を使用する他の言語との比較において優劣を論じられることがあるが、開発時の環境等をふまえずに現時点での利便性のみで論じるのは適切ではない場合があることに留意が必要である。 | 1,022 |
C言語 | このような事情のため、C言語が普及するのは、ASCII対応端末が一般化した1980年代に入ってからである。
現在、ブロック構造の書式等で、{...}形式のC言語と、begin...end等を使用する他の言語との比較において優劣を論じられることがあるが、開発時の環境等をふまえずに現時点での利便性のみで論じるのは適切ではない場合があることに留意が必要である。
1980年代に普及し始めたパーソナルコンピュータ (PC) は当初、8ビットCPUでROM-BASICを搭載していたものも多く、BASICが普及していたが、1980年代後半以降、16ビットCPUを採用しメモリも増えた(ROM-BASIC非搭載の)PCが主流になりだすと、Turbo CやQuick Cといった2万円程度の比較的安価なコンパイラが存在したこともあり、ユーザーが急増した。8ビットや8086系のPCへの移植は、ポインタなどに制限や拡張を加えることで解決していた。
1990年代中盤には、最初に学ぶプログラミング言語としても主流となった。また、同時期にはゲーム専用機(ゲームコンソール)の性能向上とプログラムの大規模化、マルチプラットフォーム展開を受け、メインの開発言語がアセンブラからC言語に移行した。 | 1,022 |
C言語 | 1990年代中盤には、最初に学ぶプログラミング言語としても主流となった。また、同時期にはゲーム専用機(ゲームコンソール)の性能向上とプログラムの大規模化、マルチプラットフォーム展開を受け、メインの開発言語がアセンブラからC言語に移行した。
1990年代後半から2000年代以降は、PCのさらなる性能向上と普及、GUI環境やオブジェクト指向の普及、インターネットおよびウェブブラウザの普及、スマートフォンの普及に伴い、より高水準で開発効率の高い言語やフレームワークを求める開発者が増えたことにより、C++、Visual Basic、Java、C#、Objective-C、PHP、JavaScriptなどが台頭してきた。広く利用されるプログラミング言語の数は増加傾向にあり、相対的にC言語が使われる場面は減りつつある。特にアプリケーションソフトウェアなどの上位層の開発には、C言語よりも記述性に優れるC++、Java、C#などC言語派生の後発言語が利用されることが多くなっている。資源制約の厳しかったゲーム開発においても、ハードウェアの性能向上やミドルウェアの普及により、C++やC#などが使われる場面が増えている。速度性能や省メモリが特に重視されるシステムプログラミングに関しても、伝統的にC/C++の独壇場だったが、新規コードではより安全性の高いRustを導入する事例が現れている。
しかし、C言語は比較的移植性に優れた言語であり、個人開発/業務用開発/学術研究開発やプロプライエタリ/オープンソースを問わず、オペレーティングシステムやデバイスドライバーなどの下位層、クロスプラットフォームAPIの外部仕様、C++やJavaなどの高水準言語の処理系および実行環境の実装が困難な小規模の組み込みシステムなどを中心に、2021年現在でも幅広く利用されている。
プログラミング入門者にとっては、Python、JavaScript、Swift、Kotlinなどのように、インタラクティブな対話環境(REPL、インタプリタ)が利用でき、抽象化が進んでおり、煩雑なメモリ管理が不要で、危険な機能を制限した高水準言語のほうが学習・習得しやすいが、コンピュータの動作原理やハードウェア仕様を理解するには、Cのような原始的な言語を用いたほうがかえって分かりやすいケースもある。 | 1,022 |
C言語 | 米国国家規格協会(ANSI)による標準化が行われるまで、1978年出版のデニス・リッチーとブライアン・カーニハンの共著『The C Programming Language』が実質的なC言語の標準として参照されてきた。この書籍は、著者らのイニシャルを取って「K&R」とも呼ばれている。C言語は発展可能な言語で、K&Rの記述も発展の可能性のある部分は厳密な記述をしておらず、曖昧な部分が存在していた。そのためC言語が普及するとともに、互換性のない処理系が数多く誕生した。
そこで、ISO/IEC JTC1とANSIは協同でC言語の規格の標準化を進め、1989年12月にANSIがANSI X3.159-1989, American National Standard for Information Systems -Programming Language-Cを、1990年12月にISOがINTERNATIONAL STANDARD ISO/IEC 9899 : 1990(E) Programming Languages-Cを発行した。ISO/IEC規格のほうが章立てを追加しており、その後ANSIもISO/IEC規格にならって章立てを追加した。それぞれC89 (ANSI C89) およびISO/IEC C90という通称で呼ぶことがある。
日本では、これを翻訳したものを『JIS X 3010-1993 プログラム言語C』として、1993年10月に制定した。
最大の特徴は、C++と同様の関数プロトタイプを導入して引数の型チェックを強化したことと、voidやenumなどの新しい型を導入したことである。一方、「処理系に依存するものとする」に留めた部分も幾つかある(int型のビット幅、char型の符号、ビットフィールドのエンディアン、シフト演算の挙動、構造体などへのパディング等)。
規格では以下の3種類の自由を認めている部分がいくつかある。
これにより、プラットフォームやプロセッサアーキテクチャとの相性による有利不利が生じないような仕様になっている。 | 1,022 |
C言語 | 規格では以下の3種類の自由を認めている部分がいくつかある。
これにより、プラットフォームやプロセッサアーキテクチャとの相性による有利不利が生じないような仕様になっている。
8ビット/16ビット/32ビットなど、レジスタ幅(ワードサイズ)の異なるプロセッサ (CPU) に対応・最適化できるようにするため、組み込み型の情報量(大きさ)や内部表現にも処理系の自由を認めている。型のバイト数はsizeof演算子で取得し、各型の最小値・最大値はlimits.hで定義されているマクロ定数で参照することとしている。ただし、1バイトあたりのビット数は規定されていない。sizeof(char) == 1すなわちchar型が1バイトであることは常に保証されるが、8ビット(オクテット)とは限らない。実際のビット数はCHAR_BITマクロ定数で取得できる。とはいえ、現実の多くの処理系ではchar型は8ビットである。また、その他の整数型については、sizeof(int) >= 2、sizeof(int) >= sizeof(short)、sizeof(long) >= sizeof(int)、という大小関係が定められているだけである(符号無し型も同様)。多くの処理系ではshort型のサイズは2バイト(16ビット)であるが、intやlongのサイズはCPUのレジスタ幅などによって決められることが多い。int型、short型、long型で符号を明示しない場合はsignedを付けた符号付き型として扱われる。しかしchar型に関しては、signed(符号付き)にするか、それともunsigned(符号無し)にするかは処理系依存である。char型、signed char型、unsigned char型はそれぞれ異なる型として扱われる。
規格上には、BCPLやC++形式の1行コメント(//...)は無いが、オプションで対応した処理系も多く、gccやClangはGNU拡張-std=gnu89でサポートしている。 | 1,022 |
C言語 | 規格上には、BCPLやC++形式の1行コメント(//...)は無いが、オプションで対応した処理系も多く、gccやClangはGNU拡張-std=gnu89でサポートしている。
GNU Cコンパイラ や Clang では、-std=c89(または-ansiもしくは-std=c90)をつけることにより、GNU拡張を使わないC89規格に準拠したコンパイルを行うことができる。加えて、-pedanticをつければ診断結果が出る。商用のコンパイラではWatcom Cコンパイラが規格適合の比率が高いと言われていた。現在Open Watcomとして公開している。
C89には、下記の追加の訂正と追加を行った。
1999年12月1日に、ISO/IEC JTC1 SC22 WG14 で規格の改訂を行い、C++の機能のいくつかを取り込むことを含め機能を拡張し、ISO/IEC 9899:1999(E) Programming Language--C (Second Edition) を制定した。この版のC言語の規格を、通称としてC99と呼ぶ。
日本では、日本産業規格 JIS X 3010:2003「プログラム言語C」がある。
主な追加機能:
C99は下記の訂正がある。
2011年12月8日にISO/IEC 9899:2011(通称 C11)として改訂された。改訂による変更・追加・削除機能の一部を以下に記述する。
C11はUnicode文字列(UTF-32、UTF-16、UTF-8の各符号化方式)に標準で対応している。そのほか、type-generic式、C++と同様の無名構造体・無名共用体、排他的アクセスによるファイルオープン方法、quick_exitなどのいくつかの標準関数などを追加した。 | 1,022 |
C言語 | C11はUnicode文字列(UTF-32、UTF-16、UTF-8の各符号化方式)に標準で対応している。そのほか、type-generic式、C++と同様の無名構造体・無名共用体、排他的アクセスによるファイルオープン方法、quick_exitなどのいくつかの標準関数などを追加した。
また、_Noreturn関数指示子を追加した。_Noreturnは従来処理系ごとに独自に付加していた属性情報(たとえばgccでは__attribute__((__noreturn__)))を標準化したもので、「呼び出し元に戻ることがない」という特殊な関数についてその特性を示すためにある。return文を持たない関数という意味ではなく(規格ではreturn文を持たなくとも、関数の最後の文の実行が終われば制御は呼び出し元に戻る)、この指示が意味するものは、当該の関数、ないしその内部から呼び出している関数の実行中に、必ず_exitやexecveを実行したり、例外などで終了する、あるいは、longjmpによる大域ジャンプで抜け出す、継続渡しスタイル変換されたコードである、などのために、絶対に制御が呼び出し元に戻らない、という関数を指示するためにある。そのような関数は、スタックに戻りアドレスを積む通常の呼び出しではなく、スタックを消費しないジャンプによって実行できる。
アラインメント機能、_Atomic型やC言語ネイティブの原始的なスレッド機能などを省略可能な機能として規格に組み込んだ。また、C99では規格上必須要件とされていた機能のうち、複素数型と可変長配列を省略可能なものに変更した。これらの省略可能な機能はC11規格合致の必須要件ではないので、仮に完全に規格合致の処理系であっても、対応していないかもしれない。C11規格では、省略可能な機能のうちコンパイラがどれを提供しているかを判別するために利用できる、テスト用のマクロを用意している。
これにより、gets関数は廃止されている。
2018年にISO/IEC 9899:2018(通称C17またはC18)として改訂された。仕様の欠陥修正がメインのマイナーアップデートである。
大抵の処理系はC言語とC++両方をサポートしている。C言語とC++の共通部分を明確にし、二つの言語の違いに矛盾が生じないようにすることが課題になっている。 | 1,022 |
C言語 | これにより、gets関数は廃止されている。
2018年にISO/IEC 9899:2018(通称C17またはC18)として改訂された。仕様の欠陥修正がメインのマイナーアップデートである。
大抵の処理系はC言語とC++両方をサポートしている。C言語とC++の共通部分を明確にし、二つの言語の違いに矛盾が生じないようにすることが課題になっている。
その他にも、OpenGLシェーダー言語であるGLSL、DirectX(Direct3D)シェーダー言語であるHLSL、OpenCLカーネル記述言語であるOpenCL-Cなど、C言語の文法的特徴を取り入れた派生言語やDSLが多数存在する。 | 1,022 |
ドナルド・クヌース | ドナルド・アーヴィン・クヌース(Donald Ervin Knuth [kəˈnuːθ], 1938年1月10日 -)は、数学者・計算機科学者。スタンフォード大学名誉教授。
クヌースによるアルゴリズムに関する著作 The Art of Computer Programming のシリーズはプログラミングに携わるものの間では有名である。アルゴリズム解析と呼ばれる分野を開拓し、計算理論の発展に多大な貢献をしている。その過程で漸近記法で計算量を表すことを一般化させた。
計算機科学への貢献とは別に、コンピュータによる組版システム TeX とフォント設計システム METAFONT の開発者でもあり、Computer Modern という書体ファミリも開発した。
作家であり学者であるクヌースは、文芸的プログラミングのコンセプトを生み出し、そのためのプログラミングシステム WEB / CWEB を開発。また、MIX / MMIX 命令セットアーキテクチャを設計。
ウィスコンシン州ミルウォーキー生まれ。父は小さな印刷会社を経営し、近くの高校で簿記の講師をしており、父親が教えているその高校にクヌースは進学した。高校2年生のとき、"Ziegler's Giant Bar" という文字列から文字を取り出して組み合わせ、どれだけ意味のある単語を作れるかというコンテストが行われた。審査員が事前に用意した回答例は2500語だったが、クヌースは4500語も見つけ出すという才能を発揮し優勝した。賞品として学校にテレビ受像機(当時は高価であった)が贈られ、クラス全員にキャンディバーが配られた。 | 1,023 |
ドナルド・クヌース | 大学進学にあたって、音楽と物理学のどちらを選ぶかで悩んだ末、ケース工科大学(現在はケース・ウェスタン・リザーブ大学)で物理学を学ぶことにした。ケース工科大学で物理学を学んでいた頃、初期のコンピュータの一つである IBM 650 と出会う。そのマニュアルを読んだクヌースは、自分ならもっとうまくできると信じ、アセンブラとコンパイラのコードを書き換えることを決心した。1958年、大学のバスケットボールのチームがリーグ優勝するのを助けるため、クヌースは各選手の能力に基づいたプログラムを構築した。これは当時あまりにも画期的だったため、ニューズウィーク誌に記事が掲載され、CBSイブニングニュースでウォルター・クロンカイトも取り上げた。Engineering and Science Review という技術専門誌の立ち上げに編集者として参加しており、同誌は1959年に技術誌の国家的な賞を受賞している。その頃物理学から数学に転向し、1960年には、ずば抜けた成果により学士号と修士号を同時に与えられた。
1963年、カリフォルニア工科大学で数学の博士号を取得し、同大学で准教授として働き始め、そこで The Art of Computer Programming の執筆を開始した。実は元々はコンパイラに関する本の執筆を依頼され、当初1冊で内容を完結させる予定だったのだが The Art of Computer Programming という大作になってしまった。6部作となってしまい、さらに7部作へと構想が膨らんでいった。第1巻を出版する直前の1968年、プリンストン大学キャンパスにあった Institute for Defense Analyses (IDA) の通信研究部門を通してアメリカ国家安全保障局 (NSA) の仕事を請け負う職に就いた。しかし、その仕事はクヌースの政治信条には合わなかったようで、間もなくスタンフォード大学に移った。
TAoCP あるいは ACP と略されることがある。コンピュータプログラミングの「Art」について集積した大著である。クヌース自身がここで意図している「Art」がどのようなものであるかは、本書の公刊という業績によって第3巻を刊行後の1974年にチューリング賞を受賞した際に、受賞講演の冒頭で詳細に述べている。 | 1,023 |
ドナルド・クヌース | TAoCP あるいは ACP と略されることがある。コンピュータプログラミングの「Art」について集積した大著である。クヌース自身がここで意図している「Art」がどのようなものであるかは、本書の公刊という業績によって第3巻を刊行後の1974年にチューリング賞を受賞した際に、受賞講演の冒頭で詳細に述べている。
本書を企図した当時、計算機科学は第一歩を恐る恐る踏み出したばかりで、クヌースは「それは正体不明の全く新しい領域だった」と述べている。さらに「入手可能な出版物の水準はあまり高いとは言えなかった。次々と書かれる論文の内容がはっきり言えば間違っている、というような状況だった。(中略)だから、ひどい形で語られてしまっていたストーリーを直したいと私は思ったんだ。」と述べている。
その後1976年に、2巻の第2版の準備中にその版面の仕上がりに不満を持ち、TeX と METAFONT を自ら開発し始めてしまい、4巻への着手は多少後ろ倒しとなった。結果として、コンパイラの技法についても続刊の内容として2020年の時点でも予告には含まれているが、それらの分野については既に多くの書籍がある。一方で既刊部分に含まれる、徹底したサーベイと実践に基づき書かれた内容は、しばしば参照される、貴重な記録と言えるものも多い。
2012年現在、最初の3巻と第4巻の第1部が出版済みである。
他に『超現実数』(Surreal Numbers) という本も執筆している。ジョン・ホートン・コンウェイの集合論に基づいて代替の数体系を構築するという数学的小説である。この本は単に主題をそのまま説明するのではなく、数学の発展過程を示すことに努めている。クヌースはこの本を読んだ学生がオリジナルの創造的研究を行うことを望んでいる。
クヌースの他の著作として 3:16 Bible Texts Illuminated がある。これは聖書に層化抽出法を適用するという試みをしたもので、それぞれの書の3章16節を抜き出して解析している(3章16節を選んだのは「ヨハネによる福音書3章16節」の存在からであるが、他の書の3章16節には基本的に特別な意味は無い)。それぞれの節を美しく効果的に見せるため、ヘルマン・ツァップの指揮でカリグラファー達が協力した。クヌースはルター派である。 | 1,023 |
ドナルド・クヌース | 名誉教授となった今も、年に数回スタンフォード大学で非公式の講義を行っている。彼はこれを Computer Musings と呼ぶ。また、オックスフォード大学コンピュータ研究所の客員教授であり、同大学モードリン・カレッジの名誉フェローでもある。
クヌースはプログラマとしても有名で、専門的ユーモアでも知られている。
クヌースの計算機科学への貢献に敬意を表し、1990年、彼は「プログラミング技法の教授; Professor of the Art of Computer Programming」という唯一の称号を与えられた(現在では「名誉教授」に変更されている)。
1992年、クヌースはフランスの科学アカデミーの準会員となった。同年教授職を引退し、The Art of Computer Programming の完成に専念するようになった。2003年、イギリスの王立協会の外国人会員に選ばれた。
2009年、アメリカ応用数理学会 (SIAM) の特別フェローに選ばれた。Norwegian Academy of Science and Letters の会員でもある。
1961年6月24日にナンシー・ジル・カーター(Nancy Jill Carter)と結婚。子をふたり授かる(John Martin KnuthおよびJennifer Sierra Knuth)。
2006年、前立腺癌を患っている。同年12月に手術を受け、放射線療法を受けているが予後はかなり良好だと動画にて報告している。
主な著作を以下に示す。 | 1,023 |
Ruby | ■カテゴリ / ■テンプレート
Ruby(ルビー)は、まつもとゆきひろ(通称: Matz)により開発された、簡潔な文法が特徴的なオブジェクト指向スクリプト言語。
日本で開発されたプログラミング言語としては初めて国際電気標準会議(IEC)で国際規格に認証された事例となった。
Ruby は1993年2月24日に生まれ、1995年12月にfj上で発表された。名称の Ruby は、プログラミング言語 Perl が6月の誕生石である Pearl(真珠)と同じ発音をし、「Perlに続く」という意味で、6月の次の誕生石(7月)のルビーから名付けられた。競合言語として Perl の他に Python があり、「Matz(まつもと) が Python に満足していれば Ruby は生まれなかったであろう」と公式のリファレンスの用語集で言及されている。
機能として、クラス定義、ガベージコレクション、強力な正規表現処理、マルチスレッド、例外処理、イテレータ、クロージャ、Mixin、利用者定義演算子などがある。Perl を代替可能であることが初期の段階から重視されている。Perlと同様にグルー言語としての使い方が可能で、C言語プログラムやライブラリを呼び出す拡張モジュールを組み込むことができる。
Ruby 処理系は、インタプリタとコンパイラが存在する(詳しくは#実装を参照)。
可読性を重視した構文となっている。Ruby においては整数や文字列なども含めデータ型はすべてがオブジェクトであり、純粋なオブジェクト指向言語といえる。
長らく言語仕様が明文化されず、まつもとによる実装が言語仕様に準ずるものとして扱われて来たが、2010年6月現在、JRuby や Rubinius といった互換実装の作者を中心に機械実行可能な形で明文化する RubySpec という試みが行われている。公的規格としては2011年3月22日にJIS規格(JIS X 3017)が制定され、その後2012年4月1日に日本発のプログラム言語では初めてISO/IEC規格(ISO/IEC 30170)として承認された 。 | 1,024 |
Ruby | フリーソフトウェアとしてバージョン1.9.2までは Rubyライセンス(Ruby License や Ruby'sと表記されることもある。GPLかArtisticに似た独自ライセンスを選択するデュアルライセンス)で配布されていたが、バージョン1.9.3以降は2-clause BSDLとのデュアルライセンスで配布されている。
Rubyは日本の国産言語として知られており、特にRubyとゆかりのある地域はRubyの聖地と呼ばれている。
開発者のまつもとゆきひろは、「Rubyの言語仕様策定において最も重視しているのはストレスなくプログラミングを楽しむことである (enjoy programming)」と述べている。
ただし、まつもとによる明文化された言語仕様は存在しない。Perlのモットー「やり方はいろいろある (There's More Than One Way To Do It; TMTOWTDI)」は「多様性は善 (Diversity is Good)」というスローガンで Ruby に引き継がれてはいるものの最重要なものではないとも述べており、非推奨な手法も可能にするとともに、そのような手法を言語仕様により使いにくくすることによって自粛を促している。
また、まつもとは『まつもとゆきひろ コードの世界 スーパー・プログラマになる14の思考法』でもRubyの開発理由を次のように述べている。
また、英語圏の開発者の間ではMINASWAN (Matz is nice and so we are nice. 和訳: まつもとがナイスだから我々もナイスであろう) の標語が用いられている。
「Python、PHP、Perlでは静的型を導入しているため、Rubyも型を導入するべきでは」と長年言われているが、まつもとは「Rubyに型を取り入れたくない。DRY (Don't repeat yourself)ではないから」「型宣言することはコンピュータに使われているような気になる」と否定的であり、2019年5月現在Rubyに静的型が導入される予定はない。
クラス名はアルファベットの大文字から始めるという制約があり、日本語などの非ASCII文字のみでクラス名を定義する方法がない。この件についてまつもとは以下のように語っており、英語を共通言語として使うべきであるという立場を表明している。 | 1,024 |
Ruby | クラス名はアルファベットの大文字から始めるという制約があり、日本語などの非ASCII文字のみでクラス名を定義する方法がない。この件についてまつもとは以下のように語っており、英語を共通言語として使うべきであるという立場を表明している。
Rubyの公式な実装には、以下の二種類が存在する。
基本的なコード
配列の作成と使用法
ハッシュの作成と使用法
ほかの言語でもよくみられるような制御構造を用いることができる。
上記、
は、
のような記述もできる。
一部の制御構造は後述するイテレータで代替することができる。
Ruby ではブロック付きメソッド呼び出しを用いるコードが好まれることが多い。これを用いると、ユーザー定義の制御構造やコールバックなど様々な処理を簡潔に記述できるからである。
ブロックとは波括弧 {、} または do、end によって囲まれたコード列のことである。メソッド呼び出しの末尾に記述することが出来る。この2つは基本的に同一だが、結合の優先度が異なる。慣習的に一行で書くときは波括弧が、複数行に渡る場合はdo、endが使用される場合が多い。
ブロック付きメソッド呼び出しが繰り返し処理を主な役割としていたことから、イテレータと呼ばれていた時期がある。しかし、実際には繰り返し処理にとどまらず、様々な使われ方をしているので、最近はブロック付きメソッド呼び出し全体の総称としてイテレータという名称を用いるのは適切でないと考えられている。
配列の各要素への繰り返し処理
以下はブロックを使わずに同じことを行う場合
指定した回数の繰り返し処理
gsub()による文字列置換の繰り返し処理
ブロックの内容を実行してから、決められた後処理を行うメソッドもある。
これは次の例と同様の処理を行う(ensure については例外処理の項を参照)
実際に行いたい処理をブロックで記述する。前項の後処理の省力化もこれの一例といえる。
この例は、ツリーから要素と分枝をつぎつぎと取り出して取り出したものになんらかの処理を行うものである。メソッドの利用者は、なんらかの処理のみを記述すればよく、取り出しのアルゴリズムなど、本質的でない内容に意識を向ける必要がなくなる。
クロージャとなるようなブロックの引数渡し
メソッドからクロージャを返す例 | 1,024 |
Ruby | 実際に行いたい処理をブロックで記述する。前項の後処理の省力化もこれの一例といえる。
この例は、ツリーから要素と分枝をつぎつぎと取り出して取り出したものになんらかの処理を行うものである。メソッドの利用者は、なんらかの処理のみを記述すればよく、取り出しのアルゴリズムなど、本質的でない内容に意識を向ける必要がなくなる。
クロージャとなるようなブロックの引数渡し
メソッドからクロージャを返す例
次のコードはPersonという名前のクラスである。その中、まずinitializeはオブジェクトを初期化するコンストラクタである。ほかに2つのメソッドがあり、1つは比較演算子である<=>をオーバーライドしておりArray#sortによりプロパティageでソートすることができる。もう1つのオーバーライド箇所のto_sメソッドは Kernel#puts での表示の形式を整える。attr_readerは Ruby におけるメタプログラミングの例であり、attr はインスタンス変数の入出力を司る、いわゆる値を取得する getter メソッドや値を設定する setter メソッド(アクセサ)を定義する。attr_readerは getter メソッドのみの定義である。なおメソッド中では最後に評価された式が返り値となり、明示的なreturnは省略できる。
結果は3つの名前が年の大きい順に表示される
例外は不具合が起こったときraiseの呼び出しで発生させることができる。Ruby での例外は Exception クラスか、そのサブクラスのインスタンスである。
例外にはメッセージを追加することもできる
さらに例外のタイプも指定できる
例外はrescue節で処理することができ、次のようにコードにrescueを付加するだけである
ベンチマークテストで使用される以下のようなコードを実行したとき、処理速度が著しく低下することがある。 | 1,024 |
Ruby | 例外にはメッセージを追加することもできる
さらに例外のタイプも指定できる
例外はrescue節で処理することができ、次のようにコードにrescueを付加するだけである
ベンチマークテストで使用される以下のようなコードを実行したとき、処理速度が著しく低下することがある。
Ruby ではブロック構造を end で終える構文が採用されているが、開発者のまつもとゆきひろは他の構文が採用される可能性があったことを述べている。当時、Emacs 上で end で終える構文をオートインデントさせた例はあまりなく、Ruby 言語用の編集モードにオートインデント機能を持たせられるかどうかが問題になっていたためである。実際には数日の試行でオートインデント可能であることがわかり、現在の構文になった。C言語のような{〜}を使った構文も検討されていたが、結局これは採用されなかった。
「Rubyはよく『死んだ』って言われる言語である」とまつもとは認識しておりTwitterがRuby on RailsからJava仮想マシン用言語のScalaに移行した話などを例に出し「Rubyは死んだ」みたいに言われることが増えたとしているほか、オランダのTIOBEという会社が発表しているプログラミング言語の人気ランキングでRubyが上位に入らないことをもってして「Rubyは死んだ」「Rubyは凋落している」と見られることがあるが、「RubyとかRuby on Railsだと、さまざまなジャンルで実際の適用例があるので、なにか困ったとき同じ問題に直面した人を探せたり、あるいはその問題を解決するRubyGemsを見つけられる。そういう点でいうと、トータルの生産性はかなり高いことがある」「実際に仕事として、あるいは自分のプロダクトを作るときに、どんな言語を選択してどういうふうに開発したらいいのかを考えると、Rubyの持っているビジネス上の価値はそんなに下がっていないと思います。たとえ順位が下がって、表面上Rubyの人気が凋落したように見えても、ある意味『まだまだ大丈夫』が1つの見識だと思います」とまつもとは述べている。 | 1,024 |
Ruby | デイヴィッド・ハイネマイヤー・ハンソンがRuby on Railsを構築するのにPythonを選ばなかった理由として「私の場合は、恋に落ちたのがRubyなのです。私はRubyに恋をしていますし、もう14年間もそうなのです。(中略)『最適なツール』などというものは存在しないのです。あなたの脳をちょうどいい具合に刺激するパズルがあるだけなのです。今日では、ほぼなんでも作ることができます。そして、それを使って、さらに何でも作れてしまうのです。これは素晴らしいことです。表現や言語、そして思考の多様性に乾杯しましょう!」と質問サイトのQuoraで本人が回答している。
2020年9月8日現在、RubyのCコード509,802行のうち、まつもとがコミットしたのは36,437行で1割以下になっている。 | 1,024 |
TeX | TeX (TeX) は,ドナルド・クヌース (Donald E. Knuth) が開発し,広く有志による拡張などが続けられている組版処理システムである。
TeXは以下のようなメリットがある。
スタンフォード大学のドナルド・クヌース教授(現在は退職)が、1976年に自身の著書 The Art of Computer Programming の改訂版の準備中に、鉛版により組版された (en:Hot metal typesetting) 旧版の職人仕事による美しさが、改訂版の当時の写植では再現できていないことに憤慨し、自分自身が心ゆくまで組版を制御するために開発を決意した。
クヌースはまず、伝統的な組版およびその関連技術に対する広範囲にわたる調査を行い、その調査結果を取り入れることで、商業品質の組版ができる、柔軟で強力な組版システムを開発した。それは技術と同時に芸術をも意味するギリシア語の言葉である、τέχνη(テクネ)から採られ“TeX”と名付けられた。
当初の開発は本業である研究や教育の合間仕事であったが、クヌースには1978年に1年間のサバティカルがあったことから、その1年間の全てをこれに集中して完成させるという見込みであった。しかし実際には、同年に初版をリリースしたものの、その後も改訂を続けることとなった。最終的に、後述する「完成版」の系列であるバージョン3の最初のリリースは、実に1989年のことであった。
TeXを他人が改造したり拡張したりした場合について、それを直接配布することをクヌースは許しておらず、change file というメカニズムを利用して差分を添付する、という形で行わなければならない(これは当時まだ diff と patch が一般的に広く使われていなかったことから、これもクヌースが開発したものである)。この制限はいわゆる「バザールモデル」であるとは多少言い難い所があるが、「オープンソースの定義」では(そのような制限との妥協の産物である)第4項により、差分等を添付した再配布を許しているならば、派生物の配布にそのような制限があってもよい、ということになっているため「オープンソースの定義」には合致している。 | 1,025 |
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