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野中英次 | 野中は自分の漫画に対し極端に無関心で、キャラクターにも愛着などないと言う態度を示している。これは自分自身もギャグの演出としていると見ることもでき、読者を逆に食ったような独特の魅力を放っている。以下に具体例を挙げる。
Mr.Childrenのメンバーは『クロマティ高校』を読んでおり『別冊カドカワ』にて彼らが特集されたときに読切作品『果てしない闇の向こうに』が掲載された(ただし、彼らを直接描いたのではなくミスチルと北島三郎を勘違いしていたという内容)。その後、メンバーは感謝の意味を込め、野中にサイン色紙を送っている。
同じ『マガジン』の連載漫画家である塀内夏子は、キャラクターのファン投票の葉書を送った事がある。
高橋留美子の『うる星やつら』完全版の企画で、主人公ラムのイラストを描いた。完全版の帯で野中は「本気度を見てもらうために、あえて資料を見ずに描いた」と述べている。
野中が自身の絵柄をパロディ化していると知人やスタッフから聞かされた池上遼一は、「自分の亜流が出てくるということは、それだけ自分の作品が認知されて有名になったということなので嬉しかった」と雑誌のインタビューで語るなど、池上からは公認されており、池上は『魁!!クロマティ高校』に登場するメカ沢新一と北斗武士を自ら描いたパネルを野中に贈っている。
『課長バカ一代』と『魁クロマティ高校』は連載終了後に小説化されている。 | 961 |
のなかみのる | のなか みのる(本名:野中実、1957年9月8日 - ) は、日本の漫画家、創造学園大学准教授。岩手県二戸郡一戸町小鳥谷出身。
テレビアニメや特撮番組のコミック化を多く手がけ、『電脳警察サイバーコップ』ではキャラクターデザイン初期検討案、コミカライズを担当している。 | 962 |
野部利雄 | 野部 利雄(のべ としお、1957年1月18日 - )は、日本の漫画家。栃木県宇都宮市出身。和光大学卒。
1979年、第18回手塚賞佳作受賞(『花と嵐がいく』)。同期受賞者に北条司、藤原カムイ。
ラブコメ、ファンタジー、美少女SF、ボクシング漫画等の長編を好んで執筆する。代表作に『わたしの沖田くん』など。 | 963 |
野間和子 | 野間 和子(のま かずこ、1941年 - 2018年)は、日本の精神科医。群馬県桐生市出身。
横浜市立大学医学部を卒業後、神奈川県立こども医療センターに勤める。1991年、野間メンタルヘルスクリニックを開業し、その院長となる。 | 964 |
野間美由紀 | 野間 美由紀(のま みゆき、1960年12月4日 - 2020年5月2日)は、日本の漫画家。千葉県千葉市出身。
千葉県立千葉南高等学校卒業。
1979年、18歳の時、『トライアングル・スクランブル』(『花とゆめ』19号)でデビュー。同年『ひっくりかえって恋をして』で、第4回アテナ大賞2席を受賞。当初は一般的な少女漫画を描いていたが、1983年から連作形式で描き始めた『パズルゲーム☆はいすくーる』ではミステリー漫画に移行し、少女漫画誌におけるミステリー作品のさきがけとなる。
日本推理作家協会、本格ミステリ作家クラブ会員。
2020年5月2日正午頃(JST)、虚血性心疾患のため長野県内の病院で死去。59歳没。 | 965 |
のむらしんぼ | のむら しんぼ(1955年(昭和30年)9月24日 - 、本名:野村 伸(のむら しん))は、日本の漫画家。
北海道茅部郡南茅部町(現・函館市)出身。函館ラ・サール高校卒業。立教大学文学部仏文科中退。血液型はAB型。
立教大学時代に初めて触れた青年漫画に衝撃を受けて漫画家を目指し、大学2年の時に漫画研究会に入る。大学3年生の時に似顔絵描きのアルバイトをしていた際に弘兼憲史に声をかけられ、アシスタントとなる。そして大学在学中の1979年(昭和54年)に『ケンカばんばん』(『コロコロコミック』)でデビュー。1980年(昭和55年)からは同誌で『とどろけ!一番』を連載する。なお、立教大学は本格的に漫画の世界に入ったため通わなくなり、5年間在籍した後中退している。コロコロコミックでの初仕事は『ウルトラ兄弟物語』の臨時アシスタントであった。
1985年(昭和60年)より『コロコロコミック』で『つるピカハゲ丸』の連載を開始する。元々同作は当時スランプに陥っていたのむらが、4コマ漫画を描かせたいという編集部の意向を汲み、漫画の基本である4コマからの再出発を試みた作品であった。1987年(昭和62年)には同作で小学館漫画賞児童部門を受賞、テレビアニメ化もされ、累計500万部のヒット作となった。これを機に1988年(昭和63年)に漫画制作会社「しんぼプロ」を設立。しかし同作終了後には、次作品が次々と短命に終わった事に加えて、立て続けに親戚の死が重なった等の不幸も重なり再びスランプに陥り、併せて2004年(平成16年)には離婚。数百万円もあった月収が数万円に転落し、豪遊生活が一転して借金漬けとなった。 | 966 |
のむらしんぼ | 家族から「他の漫画家を見習って素晴らしい作品を書く努力をしないのか」と叱咤され、児童漫画を描いていたが、安易に他作品からの演出やストーリー展開等の引用を繰り返した事に呆れられた上、仕事場に籠もる割合が増えて家族と接する時間が大幅に減少した事から、元妻は「マンガと心中したいんでしょう?」「その望み、叶えてあげます」との言葉を残して三人の子供を連れてのむらの下を去り、家族は崩壊したという。このエピソードは後に本人が後述の漫画『コロコロ創刊伝説』の中でも描いており、離婚以来長年家族とは絶縁状態となり音信不通だったが、第6話にて本作を読んだ娘から連絡があったことを明かしている。当時のエピソードが2016年8月29日に放送された『しくじり先生 俺みたいになるな!!3時間スペシャル』(テレビ朝日系)で紹介され、同番組HPにて、のむら本人の筆による描き下ろし4コマ漫画が期間限定で公開されている。
以降も『コロコロコミック』の系列誌を中心として作品を発表している。
2014年(平成26年)発売の『コロコロアニキ』に、『コロコロコミック』創刊の歴史に絡めて自身の漫画家人生を描いた漫画『コロコロ創刊伝説』が掲載されており、その中では近況や現在の凋落ぶりも自虐的に描写している。
かなりのゲーム好きで、『ゲームラボ』のインタビューでは『オランダ妻は電気ウナギの夢を見るか?』など過去のマイナー作品の話をして記者に驚かれた。しかし、ジャレコから発売された『ハゲ丸』のゲーム版に自分が登場している事は知らなかったという。
趣味としては、テニスを挙げている。 | 966 |
萩尾望都 | 萩尾 望都(はぎお もと、本名同じ、1949年5月12日 - )は、日本の漫画家。女性。女子美術大学客員教授、日本SF作家クラブ名誉会員、日本漫画家協会理事。
福岡県大牟田市生まれ。1969年に「ルルとミミ」でデビューする。1972年から『ポーの一族』を連載、1976年に同作および『11人いる!』により第21回小学館漫画賞を受賞した。同時期に連載された『トーマの心臓』も人気となり、少女漫画に革新をもたらし黄金時代を築いたとして、竹宮惠子や大島弓子、山岸凉子らと共にその生年から「花の24年組」と呼ばれた。
作品のジャンルはSF、ファンタジー、ミステリー、ラブコメディー、バレエもの、サスペンスものなど幅広い分野にわたる。1997年には『残酷な神が支配する』で第1回手塚治虫文化賞マンガ優秀賞、2006年には『バルバラ異界』で第27回日本SF大賞を受賞した。2011年には第40回日本漫画家協会賞・文部科学大臣賞を受賞。2012年春に少女漫画家では初となる紫綬褒章を受章した。2019年秋に女性漫画家では初となる文化功労者に選出された。2022年に日本人で7人目となるアイズナー賞「コミックの殿堂」を受賞、旭日中綬章を受章。
1949年、福岡県大牟田市白川町に生まれる。4人兄弟の次女(姉・妹・弟)。父は三井鉱山の関連会社の社員。「望都」は本名で、両親がそれぞれの思いを持って名付けられた。名前の由来には諸説ある。4歳の頃に熊本県荒尾市の父親の会社の社宅に引っ越して、小学校2年生の5月まではそちらで暮らしたのち、また大牟田市の社宅に戻る。
2歳頃から絵を描き、4歳で漫画や本を読み始めるが、教育熱心な両親により、漫画を読むことを禁止されていた。幼稚園では時間の許す限り絵を描き、小学校では3年生のころ、彼女の絵の才能を伸ばそうとした両親の勧めで絵の塾に通い油絵を学ぶ。小学校2年のときに学級文庫ができ、『ヘレンケラー物語』や『アルセーヌ・ルパン』、『青い鳥』、『不思議の国のアリス』などを夢中になって何度も読み、また図書館に入り浸りギリシャ神話や世界名作全集、児童向けのSFシリーズなどを読んでいた。さらに、親戚の本屋に遊びに行っては漫画を読み、模写していた。 | 967 |
萩尾望都 | 1962年、大牟田市立船津中学校に入学する。中学入学後、漫画を描く友人、原田千代子(後の漫画家・はらだ蘭)と知り合い、漫画を描くための知識や漫画家になるためには作品を投稿する必要があることを知り、2人で貸本雑誌などに投稿した。中学2年生のときに大阪府吹田市に引っ越すが、その後も原田との文通は続く。
高校は大阪府立吹田高等学校に入学する。高校2年生の終わり頃に手塚治虫の『新選組』に強く感銘を受け、本気で漫画家を志し、漫画雑誌への投稿を始める。
高校3年生のときに福岡県大牟田市小浜の社宅に引っ越す。校区があり福岡県立大牟田北高等学校に転校するが、競争が激しくなじめなかったと言う。原田千代子の紹介で漫画同人誌「キーロックス」に同人漫画家として参加する。「キーロックス」は福岡県立大牟田南高等学校の生徒3、4人および卒業生を合わせた8人くらいからなるグループで、肉筆回覧誌を作っていた。
高校卒業後、福岡市内の日本デザイナー学院ファッションデザイン科に入学し、服飾デザインを学ぶ。漫画の投稿は全部で10作ほど行い、そのうちの1作『ミニレディが恋をしたら』(ペンネームは「萩尾望東」)で『別冊マーガレット』(集英社)1968年5月号の「少女まんがスクール」にて金賞を受賞するが、入賞作は掲載されなかった。続く『青空と王子さま』は7月号で銀賞に落ちてしまい、萩尾は学校の冬休みに上京して出版社を訪問する計画をたてる。
休暇で上京した際に手塚プロのアシスタントをしていた原田千代子を訪問し、そこで初めて手塚治虫と出会う。また原田と岡田史子を訪ねた。同郷の漫画家、平田真貴子のつてで講談社の『なかよし』編集部に持ち込みをした。そこで「何か短い作品を」と言われ、忘れられないうちにと2週間で20数枚の作品を仕上げ提出。その作品『ルルとミミ』が『なかよし』夏休み増刊号に掲載されてデビューした。 | 967 |
萩尾望都 | 休暇で上京した際に手塚プロのアシスタントをしていた原田千代子を訪問し、そこで初めて手塚治虫と出会う。また原田と岡田史子を訪ねた。同郷の漫画家、平田真貴子のつてで講談社の『なかよし』編集部に持ち込みをした。そこで「何か短い作品を」と言われ、忘れられないうちにと2週間で20数枚の作品を仕上げ提出。その作品『ルルとミミ』が『なかよし』夏休み増刊号に掲載されてデビューした。
専門学校の卒業を控えた頃、講談社の編集者に頼まれ、東京にいた竹宮惠子のアシスタントに一晩だけ赴き、上京して一緒に住まないかと誘われる。その後『なかよし』編集部からの『ビアンカ』(掲載は別誌)以外のボツが続くが、次の『ケーキ ケーキ ケーキ』で自分のスタンスの描きたいものを描く方針を決める。竹宮惠子より小学館の編集者を紹介すると言われ、ボツになった5、6作の原稿を竹宮に送る。1970年10月頃上京し、練馬区大泉で2年間の共同生活に入る(大泉サロン)。竹宮惠子と共同アパートで生活し、後に24年組と呼ばれることとなる漫画家たちと切磋琢磨(せっさたくま)の日々を送るが、このときに増山法恵から様々な文化的な知識を吸収する。その後、描きたいSFをテーマにした作品が採用されない時期が2年ほど続くが、竹宮に伴われ小学館へネームを持ち込んだ際に『少女コミック』編集者の山本順也に可能性を認められ、「自由にわがままに思い切り描かせたい」という方針のもと、本領を発揮するようになる。
1972年2月、『ポーの一族』シリーズ第1作「すきとおった銀の髪」が『別冊少女コミック』3月号に掲載され、以後5年間断続的に連載される。代表作『ポーの一族』は、「永遠にこどもであるこどもをかきたい」との発想から、石ノ森章太郎の『きりとばらとほしと』の吸血鬼の設定の一部をヒントに構想を思いついたものだが、長編連載をやるには早すぎると編集から「待った」がかかったため、1972年、「すきとおった銀の髪」などの短編を小出しに描き、そんなにやりたいのならとようやく編集から了解が出て、同年8月から翌1973年6月にかけて当初の構想であった3部作(「ポーの一族」、「メリーベルと銀のばら」、「小鳥の巣」)を連載した。 | 967 |
萩尾望都 | この時期のもうひとつの代表作『トーマの心臓』は、『悲しみの天使』というフランス映画を見に行ったところ、それがバッドエンドであったために萩尾は主人公に同情し、「救いのある話を」と着手したもので、1974年4月から連載を開始したが、初回の読者アンケートが最下位だったため、当時の編集長である飯田から打ち切りを宣告された。しかし、直後に単行本化された『ポーの一族』の初版3万部が3日で完売、『トーマの心臓』の評判も徐々に上がり、「もう少しで終わりになるから」と萩尾がかわしているうちに連載は33回まで続くこととなった。
その後、単行本の人気により編集部の強い要請を受けて1974年12月『ポーの一族』を「エヴァンズの遺書」で再開、1976年5月に「エディス」で完結したが、その間に『トーマの心臓』の暗いイメージを一掃するため長編ラブコメディー『この娘うります!』を連載するとともに、念願であったSF作品『11人いる!』を連載し、その後はレイ・ブラッドベリ原作シリーズ(後に作品集『ウは宇宙船のウ』として単行本化)、『百億の昼と千億の夜』(光瀬龍原作)、『スター・レッド』と矢継ぎばやにSF作品を連載する。
1976年 『ポーの一族』、『11人いる!』で第21回小学館漫画賞を受賞、人気漫画家としての地位を確立する。
一方、1977年に定年になった父親を代表として会社「望都プロダクション」を設立した。しかし後に両親との不和が高じて大げんかとなり、2年後に会社をつぶす。
親との関係を見つめるため心理学を勉強し始め、内なる親から解き放たれるために、1980年に親殺しをテーマにした『メッシュ』の連載を開始。この時期のSF作品に『銀の三角』、『モザイク・ラセン』、『マージナル』などの長編作品のほか、「A-A'」、「X+Y」などの短編作品がある。
1982年の年末に、モスクワ郊外で乗っていた観光バスとトラックが正面衝突した事故で重傷を負う。
1985年ごろから舞台演劇やバレエへの関心が強まり、『半神』を野田秀樹と共作で脚本を手がけ舞台化した。一方、『フラワー・フェスティバル』、『青い鳥』、『海賊と姫君』などのバレエものを描き発表した。
『スター・レッド』(1980年)、『銀の三角』(1983年)、「X+Y」(1985年)で、それぞれ星雲賞コミック部門を受賞する。 | 967 |
萩尾望都 | 1985年ごろから舞台演劇やバレエへの関心が強まり、『半神』を野田秀樹と共作で脚本を手がけ舞台化した。一方、『フラワー・フェスティバル』、『青い鳥』、『海賊と姫君』などのバレエものを描き発表した。
『スター・レッド』(1980年)、『銀の三角』(1983年)、「X+Y」(1985年)で、それぞれ星雲賞コミック部門を受賞する。
80年代から引き続き『ローマへの道』や『感謝知らずの男』などのバレエものを描くとともに、1992年には厳格だった母親との対立を基にした『イグアナの娘』を発表し、さらに同年、サイコ・サスペンス長編作品『残酷な神が支配する』の連載を開始する。この時期のSF作品には『海のアリア』、『あぶない丘の家』がある。
1997年、『残酷な神が支配する』で第1回手塚治虫文化賞マンガ優秀賞を受賞する。
『残酷な神が支配する』終了後、1年間の休載後、2002年、SF作品『バルバラ異界』の連載を開始する。『バルバラ異界』終了後、『ここではない★どこか』シリーズや『あぶな坂HOTEL』、『レオくん』、田中アコ原作による『菱川さんと猫』(ゲバラシリーズ)などを連載する。
2006年、『バルバラ異界』で第27回日本SF大賞を受賞する。
2011年、引退を考え短編数編でフェイドアウトする予定だったが、東日本大震災で終末を表すものは止められ描けなくなり、原発事故から『なのはな』と放射性物質を擬人化した原発3部作、『福島ドライヴ』を発表するとともに、現代社会を厭い歴史漫画『王妃マルゴ』を開始、引退を延期する。また、小松左京の『お召し』を原案とする『AWAY-アウェイ』を連載する。2016年には「ハギオ モト」名義による『天使かもしれない』で漫画原作を初めて担当する(作画は波多野裕が担当)。また、連載終了から40年ぶりに『ポーの一族』の新作「春の夢」を発表する。
2011年から女子美術大学芸術学部アート・デザイン表現学科メディア表現領域客員教授に就任。
2012年春、少女漫画家としては初の紫綬褒章を受章する。
2013年、単行本『なのはな』および作者の全作品で第12回センス・オブ・ジェンダー賞生涯功労賞を受賞する。
2017年、漫画家としては、手塚治虫、水木しげるに続いて3人目、女性漫画家としては初の朝日賞を受賞する。 | 967 |
萩尾望都 | 2011年から女子美術大学芸術学部アート・デザイン表現学科メディア表現領域客員教授に就任。
2012年春、少女漫画家としては初の紫綬褒章を受章する。
2013年、単行本『なのはな』および作者の全作品で第12回センス・オブ・ジェンダー賞生涯功労賞を受賞する。
2017年、漫画家としては、手塚治虫、水木しげるに続いて3人目、女性漫画家としては初の朝日賞を受賞する。
2018年、『なのはな』と『なのはな -幻想『銀河鉄道の夜』』により、震災からの復興と岩手県の文化振興に貢献したことが評価され、第3回マンガ郷いわて特別賞を受賞する。
2019年、デビュー50周年を記念して「萩尾望都 ポーの一族展」が松屋銀座、名古屋パルコ、阪急うめだ本店で開催される(2020年には長島美術館、2021年には久留米市美術館でも開催)。
2019年秋、漫画家としては、横山隆一、水木しげる、ちばてつやに続いて4人目、女性漫画家では初となる文化功労者に選出される。
2021年、12万字書き下ろしの出会いと別れの“大泉時代”を、現在の心境もこめて綴った70年代回想録『一度きりの大泉の話』(#エッセイ集を参照)を出版。2019年から断続的に連載されてきた『ポーの一族』シリーズ最長作品「秘密の花園」が完結。
2022年にアイズナー賞で優れた功績を残している漫画家を選出する「コミックの殿堂」に、日本の漫画家では2018年の高橋留美子以来の殿堂入りを果たした。同年秋に旭日中綬章を受章。
2023年4月、筋力がいるペンの使用を止め、デジタル作業でiPadとCLIP STUDIO PAINT(クリップスタジオペイント)で人物などを描き、原稿用紙に印刷してアナログ作業でサインペン、修正液、スクリーントーンで仕上げて漫画原稿にしている。
埼玉県在住。血液型はO型。
映画監督押井守のファンで、1番好きな作品に『天使のたまご』を挙げている。
一度見た絵を1か月間は細部まで暗記する能力がある。
「漫画の神様」と呼ばれた手塚治虫にあやかり、「少女漫画の神様」とも称えられる。 | 967 |
萩原玲二 | 萩原 玲二(はぎわら れいじ)は、日本の漫画家。1986年、『少年サンデー別冊』に掲載された「KIDS ARE ALL RIGHT」(掲載時は麗憂魅名義)でデビュー。代表作に『ALIEN秘宝伝』など。オリジナル作品のほかに、SF・伝奇小説や実話怪談などのコミカライズを数多く手掛けている。 | 968 |
はざまもり | はざま もり(10月26日 - )は日本の漫画家。東京都出身。1980年、『ラブリーフレンド』(講談社)8月号に掲載された『そしてようよう初恋模様』でデビュー。代表作に『霊感占い殺人事件』など。
1980年、講談社新人漫画賞受賞。 | 969 |
橋本きんいち | 橋本 きんいち(はしもと きんいち)は、漫画家。代表作に『宗志郎100万$ハート』など。 | 970 |
はしもとみつお | はしもと みつお(本名:橋本 光男、1955年11月5日 - )は、日本の漫画家。埼玉県狭山市出身。男性。『ミーニャの願い』で1976年の第11回手塚賞佳作を受賞し、翌年の「少年ジャンプ」増刊号に掲載された『二人はライバル』でデビュー。その後活動の場を小学館の児童・少年誌、次いで小学館の青年誌に移す。
作品に『いつも放課後』『築地魚河岸三代目』などがある。 | 971 |
服部あゆみ | 服部 あゆみ(はっとり あゆみ、7月27日 - )は、日本の漫画家。
埼玉県立川越女子高等学校卒業。在学中は、マンガ研究部の部長(初代)を務めた。
徳間書店「ザ・モーションコミック」に「オレンジトリップ0926」でデビュー。大陸書房「ホラーハウス」等で活躍した後、角川書店、秋田書店などのホラー漫画雑誌で作品を発表している。元・アニメーターで、機動戦士ガンダム、魔法のプリンセスミンキーモモ(キャラクター・デザイン)などの作品に参加している。
また、イラストレーターとして集英社コバルト文庫にて山浦弘靖の星子ひとり旅シリーズ他数点の挿絵を手掛けている。 | 972 |
浜口乃理子 | 浜口 乃理子(はまぐち のりこ、2月11日 - )は、日本の漫画家。東京都出身。女性。
1994年、講談社『ミスターマガジン』にて「愛溢れる人々」で漫画家デビュー。1995年、同誌にて『酒とたたみいわしの日々』の連載を開始。この作品が本人にとって巻数が最長となる4巻まで連載された。
作風の特徴として、『酒とたたみいわしの日々』などに代表される自分漫画(作者自身を主人公にして、作者の日常を描いた漫画(作者自身が作品中で使用している用語))などエッセイ風のノンフィクション漫画を得意としている。作品よりも作者自身の方が面白いといわれている。西原理恵子の影響の濃い、ラフな画風で作者と作者をめぐる人々をコミカルに脱力気味に描く。友人も頻繁に出演し、お笑いライター「しのピー(別名S崎、これらから「シノ崎」という名前がばらされている)」、芳文社の編集者「ドマリン」等はレギュラーのように登場する。西原理恵子、倉田真由美などが同系統の作風。酒をこよなく愛し、長らく未婚であったが、現在は1女1男の母親。出産時にはさすがに禁酒し、以降も酒が弱くなりあまり量を飲まなくなったと自身の作品などで報告している。
『ミスターマガジン』で数年間同時期に執筆していた倉上淳士と交友がある。また、同じ種類の猫(アメリカンショートヘア)を飼っていたり、同じ年齢の娘を持つなどして共通点のあるおーはしるいなどとも交友が深いようである。
※独立記事のある作品につきましてはリンク先をご参照ください。 | 974 |
刃森尊 | 刃森 尊(はもり たかし)は、日本の漫画家。代表作に『伝説の頭 翔』『霊長類最強伝説 ゴリ夫』など。
主にヤンキー漫画や格闘漫画を手がけている作家であるが、デビュー作である読み切り作品『マジックBOY』だけはマジックを題材としており、全く作風が異なる。その次回作にして連載デビュー作である『破壊王ノリタカ!』以降は、現行とほぼ同じ作風が定着した。2006年に連載された『格闘料理人ムサシ』は一応料理漫画ではあるものの、その根幹にあるのは『伝説の頭 翔』などで培われたヤンキー描写、社会風刺調の作風である。ノリタカ以降の作品には必ず、セクシーなヒロインが不自然に物語に絡んできたり、ヤンキーではないエリート的な人物はほぼ必ず悪人だったり、と、共通の描写が頻発する。
作中にて「!?」「“”」「へ....!?」「ば....!?」「な....!?」などを多用するスタイルや、人物がカメラ目線で正面を向いている構図が多いのも特徴の1つ(たいてい見開きページの右上で大ゴマである)。 | 975 |
速水翼 | 速水 翼(はやみ よく、11月4日 - 2015年8月19日)は、日本の女性漫画家。代表作に『霊媒師多比野福助』など。
山梨県南巨摩郡生まれ。学生時代から同人作家として作画グループ、ティームコスモなど全国規模のマンガ同人誌活動に参加。作画グループの活動に熱心に参加する一方、ゆうきまさみなど江古田界隈に集結した同世代の漫画家やアニメーターたちと交流する。
「エースとシャンティ」(月刊OUT)でデビュー後、SF・ファンタジーを中心にマンガマニアに支持される。一方で、『ひとみ』などの少女漫画誌、少年漫画誌『少年KING』など、メジャーを意識した作品群を精力的に執筆する。かわいらしい少年・少女で人気を得たが、『霊媒師多比野福助』以降シャープな絵柄に変貌を遂げ、ファン層を広げた。
漫画家のしげの秀一と長年にわたり交際、一時結婚していた。しげのの代表作『バリバリ伝説』の主人公の名前は、速水翼の出身地から取られている。
2006年から東京工学院専門学校漫画科にて講師を務めるなどした。
2015年8月19日、脳幹出血のため死去。 | 976 |
原田久仁信 | 原田 久仁信(はらだ くにちか、1951年11月3日 - )は、日本の漫画家。福岡県出身。
高校卒業後に上京、就職するが、1年で退職して漫画家を目指す。『ビッグウェーブ』が第1回小学館新人コミック大賞佳作を受賞し、『増刊少年サンデー』1978年お正月増刊号にてデビューする。1980年、梶原一騎に指名されるかたちで『週刊少年サンデー』に『プロレススーパースター列伝』を連載。当時のプロレスブームに乗りヒットとなる。
『スーパースター列伝』は1983年、梶原一騎の暴力事件に端を発する一連のスキャンダルで連載打ち切りとなる。1985年、梶原の復帰作『男の星座』(漫画ゴラク)の作画を自ら申し出る。漫画原作者として窮地に追い込まれていた梶原は原田の男気に感動し、深い信任を得る。しかし、梶原が連載途中に急逝し、この作品も未完に終わった。
その後は、青年誌を中心に執筆。実録マンガを中心に執筆する。だが、かつてのようなヒットに恵まれず、2000年の中頃から、バス会社で清掃の仕事や冷凍倉庫でのアルバイト、ラーメン屋の仕事などを兼業しながら生計を立てる。
2007年、宝島社より『別冊宝島』プロレス関連ムック本が定期刊行される。連載漫画に原田が起用され、『プロレス地獄変』シリーズを発表。プロレスファンの話題を呼び、読み切り漫画やプロレスイラストの依頼も再び来るようになる。
2013年に増田俊也からのラブコールを受けて、増田の大宅賞受賞作『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』の漫画化作品『KIMURA』の連載を『週刊大衆』で開始、漫画家として本格復帰する。原田にとってほぼ30年ぶりとなる週刊誌連載であり、62歳という高齢でありながら「命がけで描いていく」と決意を語っている。 | 977 |
原哲夫 | 原 哲夫(はら てつお、1961年9月2日 - )は、日本の漫画家。東京都渋谷区生まれで埼玉県越谷市育ち。代表作に『北斗の拳』など。既婚。
子供のころは『天才バカボン』や『タイガーマスク』を見て育ち、絵は『タイガーマスク』の影響を受けたという。小学校4年から越谷市に住み、越谷市立大沢北小学校、越谷市立栄進中学校、私立本郷高校デザイン科卒。トランザクション創業者の石川諭は小学校から高校までの同級生で友人。現代美術家の村上隆も高校の同級生にいた。
日本大学第二高等学校を経て、本郷高校在籍時は漫画劇画部に所属。駒澤大学仏教学部中退。 漫画家を目指して『週刊少年ジャンプ』に持ち込みを始める。高校の先輩である秋本治の仕事場を訪問したこともあったという。卒業後は小池一夫主催の劇画村塾に通いながら、堀江信彦の紹介で高橋よしひろのアシスタントを務める。1982年、『スーパーチャレンジャー』で週刊少年ジャンプのフレッシュジャンプ賞を受賞。同年、堀江の勧めでモトクロスを題材にした漫画『鉄のドンキホーテ』(週刊少年ジャンプ)で連載デビュー。この作品は人気が出なかったこと、堀江の「原はもっと大きな話が書けるからドンキホーテにこだわらず仕切り直ししよう」という判断などから、わずか連載10回で打ち切りとなる。
1983年、代表作となるバイオレンスアクション漫画『北斗の拳』(『週刊少年ジャンプ』)を連載開始。「秘孔」や「世紀末」といった独特の設定で描かれた『北斗の拳』は驚異的な人気を誇り、1980年代の『週刊少年ジャンプ』を支えると同時に、『スーパードクターK』、『魁!!男塾』、『ろくでなしBLUES』など、後のジャンプ漫画の作風に多大な影響を与えた。
1990年から1993年まで、隆慶一郎の小説を原作にした時代劇漫画の『花の慶次 ―雲のかなたに―』(『週刊少年ジャンプ』)を連載。これ以来、時代劇漫画を執筆する機会が多くなる。
2000年には集英社から離れ『週刊コミックバンチ』に移籍、以降、後継誌である『月刊コミックゼノン』に執筆している。移籍に合わせ、雑誌の編集や版権事業を手がける株式会社コアミックスを堀江信彦らと共に設立し、役員に就いている。2005年には子供向けの絵本、森の戦士ボノロンのプロデュースを行っている。 | 978 |
原秀則 | 原 秀則(はら ひでのり、1961年6月14日 - )は、日本の漫画家。兵庫県明石市出身。男性。
1980年、『週刊少年サンデー』(小学館)掲載の「春よ恋」でデビュー。同誌で翌年から開始した『さよなら三角』が初連載作品である(デビューから連載までの原の状況は『さよなら三角』の概要を参照)。代表作に『ジャストミート』『冬物語』など。第33回(昭和62年度)小学館漫画賞を受賞(『ジャストミート』『冬物語』)。
富山県氷見市を舞台とした漫画『ほしのふるまち』の好評を受け、2007年に氷見市長の堂故茂から氷見市の観光大使「氷見市きときと魚大使」に任命された。
競馬が趣味であり、自身のブログでレースの予想をしたり、レース後の反省を書くこともある。
猫を3匹飼っており(名前はキー、ベン、ワカ)、ブログ内でも猫の写真が頻繁に登場する。 | 979 |
ハロルド作石 | ハロルド 作石(ハロルド さくいし、1969年3月16日 - )は、日本の漫画家。愛知県出身。血液型AB型。
本名:作石 貴浩(さくいし たかひろ)。愛知県立守山高等学校出身。『ゴリラーマン』の舞台となる白武高校は、この守山高校がモデルである。
作品の随所にプロ野球、プロレス、三国志、また『BECK』中期からは欧州サッカーに関する小ネタが用意されている。群衆シーンに他の漫画のキャラやプロレスラーを登場させていることも多い。
ペンネームの由来は、力道山をスカウトしたレスラー「ハロルド坂田」からきている。ゴリラーマン連載時に、このペンネームを使用したところ、当時編集長から「ハロルドは言いにくい、作石も言いにくい。」と言われる。またケンドーコバヤシとの対談では、芸名の由来が同じくレスラーであることから感銘を受けている。
初長編『ゴリラーマン』はオフビートなユーモアと、シリアスな展開の混在を特徴とした作品であったが、第2作『サバンナのハイエナ』でアメリカン・カートゥーン系の絵柄に変えて、作風を大幅に変更した。その実験精神はいしかわじゅんにも高評価されたが、『サバンナのハイエナ』は連載途中で中断した。
続く『バカイチ』『ストッパー毒島』では、元の作風に戻る。『BECK』は少年誌連載ということもあり、ユーモアは抑えられてストレートな青春ドラマになっている。
『7人のシェイクスピア』は『ビッグコミックスピリッツ』(小学館)2010年3・4合併号(2009年12月発売)より連載開始したが、2011年50号で「第一部:完」となった。のち、続編『7人のシェイクスピア NON SANZ DROICT』が『週刊ヤングマガジン』(講談社)2017年2・3合併号(2016年12月発売)より連載されている。
影響を受けた漫画は藤子不二雄Aの自伝的漫画『まんが道』。
お笑いコンビ「新作のハーモニカ」のメンバーの藤田隼人は、従甥に当たる。
『週刊ヤングマガジン』2019年8月12日号に、特集記事「ハロルド作石のまんが道!」が掲載された。自身が、漫画家を志したきっかけから連載に至るまでを語っている。 | 980 |
幡地英明 | 幡地 英明(はたじ ひであき、1961年 - )は、日本の漫画家。兵庫県出身。代表作に『あした天兵』など。漫画の他に『ジャンプ ジェイ ブックス』の挿絵などでも活躍している。 | 981 |
メモリ管理 | メモリ管理(メモリかんり)とは、コンピュータのメモリを管理するもの。単純化すれば、プログラム(プロセスなど)の要求に応じてメモリの一部を割り当てる方法と、そのメモリが不要となったときに再利用のために解放する方法を提供する。
今日では、CPU(メモリ管理ユニット)とオペレーティングシステムが協働して仮想記憶やメモリ保護を提供するのが一般的である。
また、各種データ構造を線形空間であるメモリに展開する場合の管理手法(アルゴリズム)についても「メモリ管理」と呼ばれる。
現在のオペレーティングシステム(OS)においては、メモリ管理の1つとして仮想記憶が代表的である。
仮想記憶システムはプロセスが使用するメモリ空間 (アドレス空間) を物理アドレスから分離し、プロセス単位の分離を実現すると共に、実質的に使用可能なメモリ量を増大させる。仮想記憶管理の品質はオペレーティングシステム全体の性能に大きな影響がある。また、プロセス間通信の一種である共有メモリは多重仮想空間でのプロセス間のメモリ共有を実現する機能である。
仮想記憶システムには、単純に言うと、メモリ管理ユニット(MMU)を付加または内蔵したCPUが必要である。一般的なCPUに専用のMMUが内蔵されるまでは、バンク切り換えなどによるメモリ管理(拡張)が行われていた。
MS-DOSではメモリマネージャと呼ばれるプログラムが開発された(バンクメモリ、EMS、XMS等)。これはOSの一部を通常の位置から移動させ、アプリケーションがより多くのメモリを使えるようにするものである。 | 984 |
仮想記憶 | 仮想記憶(かそうきおく、英語: Virtual Memory、バーチャルメモリ)とは、コンピュータ分野におけるメモリ管理の仮想化技法の一種であり、オペレーティングシステム (OS) などが物理的なメモリを、アプリケーション・ソフトウェア(プロセスなど)に対して、専用の連続した主記憶装置に見えるように提供する。
この技術により、物理的な主記憶装置に加えてハードディスク装置等の補助記憶装置を併用すれば、物理的な主記憶装置よりも大きな仮想メモリを提供する事ができる。またアプリケーション・プログラム側は、物理メモリ上のアドレスを意識しなくて良いため、マルチタスクの実現が容易である。このため現代のオペレーティングシステムの多くが仮想記憶をサポートしている。
仮想的に与えられたアドレスを仮想アドレス (virtual address) または論理アドレス (logical address)、実記憶上で有効なアドレスを物理アドレス (physical address) または実アドレス (real address) という。仮想アドレスの範囲を仮想アドレス空間、物理アドレスの範囲を物理アドレス空間という。
仮想記憶の実装(仮想記憶方式)には、大きく分けてセグメント方式とページング方式の二種類がある。ちなみに68000システムでは、68451(セグメント方式)と、68851(ページング方式)のメモリ管理ユニット (Memory Management Unit、MMU) が準備されていた。
一般にページング方式の方がよく使われている。これにより、メモリスワッピング(あるいは匿名メモリページング)と仮想記憶が結びつけられる。メモリスワッピングとは、一次記憶装置内のメモリページを二次記憶装置(のスワップファイルあるいはスワップパーティションと呼ばれる場所)に書き出して、より高速な一次記憶装置を他のプロセスが使えるように解放することである。 | 985 |
仮想記憶 | 一般にページング方式の方がよく使われている。これにより、メモリスワッピング(あるいは匿名メモリページング)と仮想記憶が結びつけられる。メモリスワッピングとは、一次記憶装置内のメモリページを二次記憶装置(のスワップファイルあるいはスワップパーティションと呼ばれる場所)に書き出して、より高速な一次記憶装置を他のプロセスが使えるように解放することである。
Windows系OSのうち、#Windows NT系ではページング方式の仮想記憶を採用しており、システムUI上では「仮想メモリ」という名前の設定項目が用意されているが、このシステム設定項目はページングファイル(ストレージへのメモリスワップ)に関するものである。アプリケーションおよび多くのシステムプロセスは常に仮想アドレスを使用してメモリを参照する。OSカーネルのコア部のみがアドレスの仮想化をバイパスすることができ、実アドレスを直接使用できる。たとえ稼働中の全プロセスによって要求されるメモリが、システムにインストールされているRAMの容量を超えていなくても、仮想記憶は常に使われている。
Unix系システムでもスワップファイルやスワップパーティションなしで仮想記憶を使用することが可能である。従って主記憶装置以上の大きな記憶領域を仮想的に使用できるようにすることは仮想記憶の主な目的ではあるが、本質ではないとも言える。本質は、不連続な物理メモリ領域を連続な仮想メモリ領域にマッピングすることであり、複数のプロセスがそれぞれ固有の連続な仮想メモリ領域を割り当てられる点である。これによって他のプロセスのことを気にせずに動作できる環境が提供されている。そういった意味で、仮想機械がゲストOSに対して提供していることと、仮想記憶がユーザープロセスに提供していることは等価である。仮想記憶は物理メモリのフラグメンテーションを隠蔽することでアプリケーションのプログラミングを容易にする。すなわちカーネルに記憶階層の管理を委任することで、プログラムが明示的なオーバーレイの制御を行う必要性を排除している。 | 985 |
仮想記憶 | 技術的には、仮想記憶を使うことにより、ソフトウェアが動作するメモリアドレス空間のサイズとアドレス範囲は当該コンピュータの物理メモリ領域には必ずしも縛られなくなる。仮想記憶を適切に実装するには、CPU(あるいはそれに付随するデバイス)がOSに対して仮想メモリを物理メモリにマップする(対応付ける)手段を提供し、主記憶(物理メモリ)に対応していない仮想アドレスにアクセスしたことを検出する手段を提供して必要なデータをスワップインできるようにしなければならない。CPUの支援なしで仮想記憶を提供することも可能だが、その場合は上述の機能を提供するCPUをエミュレートするだけであって、本質的には同じことである。アドビの一部のアプリケーションのように、アプリケーションプログラムが自前で仮想記憶機構を持つ例もある。
ソフトウェアによって仮想記憶を実現することは、本来ハードウェアで実現できる機能をあえてソフトウェアで行おうとしているので一見非効率に思える場合がある。しかし、この見方は場合によっては誤りである。なぜならページ方式やセグメント方式では仮想アドレス空間に対する広がりを持たせているので、例えば画像などを扱う場合には単にアドレス空間方向への広がり=すなわち水平方向への広がりしか持たない。だが画像に対する操作は、特定の2次元空間=面的な広がりを持っている。ここにソフトウェアで仮想記憶を実施するに当たって、面的な広がりをメモリ参照の局在性としてみなすと、単なる仮想記憶よりも性能の向上が期待できる。
まず、以下の議論の前提とする、簡略化した典型的な記憶装置の階層構造のモデルを述べる。
主記憶装置とキャッシュメモリのどちらを使用するかは、一般にハードウェアに任せられているため、プログラマからはどちらも同じ物理メモリとしてしか見えない(しかし性能への影響は大きいので、高性能計算など、キャッシュヒット率を考慮してコードを書くこともある)。ハードウェアの動作としては、まずキャッシュメモリをアクセスし、さらに必要ならキャッシュメモリと主記憶とのやり取りを行う。 | 985 |
仮想記憶 | 主記憶装置とキャッシュメモリのどちらを使用するかは、一般にハードウェアに任せられているため、プログラマからはどちらも同じ物理メモリとしてしか見えない(しかし性能への影響は大きいので、高性能計算など、キャッシュヒット率を考慮してコードを書くこともある)。ハードウェアの動作としては、まずキャッシュメモリをアクセスし、さらに必要ならキャッシュメモリと主記憶とのやり取りを行う。
多くのアプリケーションは、情報(実行ファイルの命令列やデータ)がなるべく物理メモリ上に格納された状態でアクセスできることを要求する。これは特に見かけ上並列に複数のプロセス/アプリケーションを同時実行するオペレーティングシステムでは重要となる。全実行中プログラムが必要とする物理メモリ量が実装されている物理メモリ量より大きい場合、当然の結果として情報の一部をディスクに退避し、必要に応じてその内容を物理メモリに戻して使用することになる。しかし、これを実現する手法は様々である。
ひとつの方法として、アプリケーション自身が物理メモリ上に置くべき情報の範囲を決定し、補助記憶装置との情報のやりとりも制御することが考えられる。プログラマはプログラム(およびデータ)のどの部分が現時点で必要か不必要かを判断し、それらの領域の物理メモリへのロード(あるいはアンロード)を必要に応じて行わなければならないだろう。この手法の欠点は、各アプリケーションのプログラマがそのような設計/実装/デバッグに時間を費やす必要がある点であり、アプリケーションそのものに集中できなくなってプログラミング効率が低下する。また、あるプログラマがある時点で物理メモリ上に置くべきデータなどを決定しても、それが例えば、どうしても全物理メモリが必要となった場合など、他のプログラマの決定と衝突してしまう危険がある。仮想記憶が普及する以前のオーバーレイ方式がほぼこれに相当する。 | 985 |
仮想記憶 | 別の方法として、データの参照をポインタではなく何らかのハンドルで行う方式である。OSはそのようなハンドルと対応するデータを物理メモリにロードしたり、逆に補助記憶装置に移したりする。この方式の欠点は、アプリケーションのコードが非常に複雑になる点、アプリケーションがうまく振舞わなければならない点(必要なデータを物理メモリにロックする機能が必要になるだろう)、標準ライブラリが大きなメモリを確保しておいてアプリケーションのメモリ確保要求に応えるという機能を使えなくなる点などが上げられる。この方式の既存の例としてはMicrosoft Windows 3.1が有名である。
現代の解決策は仮想記憶方式の使用である。特別なハードウェアとOSの組合せにより、主記憶容量が大きくなったように見せ、各プログラムが自由気ままに空間を広げて使用することを可能にする。動作中の他のソフトウェアからは、仮想記憶機構の内部の動きは見えない。一般に仮想的な主記憶容量はほとんどどんな大きさにもできる。ただし、アドレスそのもののサイズによる制限がある。32ビットシステムでは、仮想アドレス空間サイズは全体で 2バイト、つまり4ギガバイトである。64ビットの場合、アドレスは64ビットや48ビットといったさらに大きなものになっている。多くのオペレーティングシステムは仮想アドレス空間全体をアプリケーションに使わせることはなく、一部をカーネル空間にすることでカーネルからユーザ空間に容易にアクセスできるようにしている。ただし、これは絶対必要な機能ではなく、OSによっては仮想空間全体をユーザー空間としている。
仮想記憶によってアプリケーションプログラマの仕事はずっと単純になる。アプリケーションが必要とするメモリ容量を気にする必要はなく、必要なサイズの主記憶が使えるように見え、仮想アドレス空間全体の好きな場所にデータを配置することができる。プログラマは主記憶と補助記憶の間でデータをやりとりするのを気にしなくてもよい。もちろん、プログラマが大量のデータを扱う際の性能を考慮しなければならない場合、アクセスするデータがなるべく近いアドレスに配置されるよう注意して、ある時点で必要なメモリ量を減らし不要なスワッピングを回避しなければならない。 | 985 |
仮想記憶 | 仮想記憶はコンピュータ・アーキテクチャの重要な部分であり、その実装にはハードウェア的サポートがほぼ必須である。メモリ管理ユニット (MMU) と呼ばれる部分であり、性能の都合もありCPUに組込まれることも多い。1960年代までのメインフレームの大部分は、基本的には仮想記憶をサポートしていなかった。1960年代のメインフレームで例外といえるものを以下に挙げる。
1980年代のパーソナルコンピュータで仮想記憶をサポートした例として Apple Lisa がある。
仮想記憶技術が開発される以前、1940年代から1950年代のプログラマは2レベルの記憶装置(主記憶あるいはRAMと、磁気ディスク装置あるいは磁気ドラムメモリといった二次記憶)を直接管理する必要があり、大規模プログラムではオーバーレイなどの技法が使われていた。従って仮想記憶は、主記憶を拡張するためだけでなく、そのような拡張をプログラマが可能な限り容易に扱えるように導入された。マルチプログラミングやマルチタスクを実装した初期のシステムは、メモリを複数のプログラムに分割するのに仮想記憶を使っていない。例えば初期のPDP-10はレジスタを使ってマルチタスクを実現していた。
ページング方式はマンチェスター大学のAtlas上で開発された。1万6千ワードの磁気コアメモリの一次記憶と9万6千ワードの磁気ドラムメモリによる二次記憶を制御するものである。最初のAtlasは1962年に稼働開始したが、ページングのプロトタイプは1959年に開発されている。なお、ドイツの初期の情報工学者 Fritz-Rudolf Güntsch (後に Telefunken TR 440 というメインフレームを開発)は 1957年の博士論文 Logischer Entwurf eines digitalen Rechengerätes mit mehreren asynchron laufenden Trommeln und automatischem Schnellspeicherbetrieb(複数非同期ドラム装置と自動高速メモリモードを持つデジタル計算機の論理概念)で仮想記憶のコンセプトを発明していたと言われている。
1961年、バロースはセグメント方式で仮想記憶をサポートした世界初の商用コンピュータ B5000 をリリースした。 | 985 |
仮想記憶 | 1961年、バロースはセグメント方式で仮想記憶をサポートした世界初の商用コンピュータ B5000 をリリースした。
1965年にMITが開発したMultics以降、仮想記憶は本格的に採用され始めた。
コンピュータ史上の多くの技術と同様、仮想記憶にも様々な曲折があった。安定した技術と見なされるまで、仮想記憶の様々な問題点を解決しようとするモデルや理論が開発され実験がなされた。仮想アドレスを物理アドレスに変換するハードウェア機構の開発も必然的だったが、初期の実装ではそれによってメモリアクセスが若干遅くなった。システム全体を対象とするアルゴリズム(仮想記憶)は従来のアプリケーション単位のアルゴリズム(オーバーレイ)よりも非効率ではないかという懸念もあった。1969年、商用コンピュータでの仮想記憶に関する論争は事実上終結した。David Sayre 率いるIBMの研究チームが仮想記憶システムが手動制御システムよりも優位にあることを示したのである。
1970年、IBMはSystem/370シリーズのOSであるDOS/VS、OS/VS1、OS/VS2(後のMVS)で仮想記憶をサポートした。OS/VS1はシングルタスクの仮想記憶で、マルチタスクには従来通りユーザーによるマルチプログラミングが必要であったが、OS/VS2はマルチタスクの仮想記憶(複数の仮想アドレススペース)をオペレーティングシステムの機能としてサポートした。以後の各社メインフレームでは仮想記憶が一般的となる。
ミニコンピュータで初めて仮想記憶を導入したのは、ノルウェーのNORD-1である(1969年)。1976年、DECのミニコンピュータ VAXシリーズのOSであるVMSで仮想記憶をサポートした。 | 985 |
仮想記憶 | ミニコンピュータで初めて仮想記憶を導入したのは、ノルウェーのNORD-1である(1969年)。1976年、DECのミニコンピュータ VAXシリーズのOSであるVMSで仮想記憶をサポートした。
しかし、1980年代の初期のパーソナルコンピュータでは仮想記憶は採用されていない。これは当時のマイクロプロセッサの性能や機能の問題もあるし、個人用のコンピュータに仮想記憶が必要になると見なされていなかったという面もある。当時の主流はバンク切り換えによるメモリ増設だった。x86アーキテクチャで仮想記憶が導入されたのは、Intel 80286 によるプロテクトモードが最初だが、セグメント単位のスワッピングはセグメントが大きくなると性能が悪くなるという問題があった。Intel 80386 では既存のセグメント方式の下層にページング方式を実装し、ページフォールトによるページングが可能となった。しかしセグメントディスクリプタのロードは時間のかかる処理だったため、OS設計者はセグメントを使わずページングだけを使うようになっていった。仮想記憶が導入されたのは、OS/2(1987年)、Microsoft Windows 3.0 (1990年)、MacintoshのSystem 7(1991年)、Linuxカーネル 0.11+VM(1991年)などが最初である。
仮想記憶は、必須ではないものの通常ページング方式を使って実装される。ページングでは仮想アドレスを表すビット列の下位ビット列部分はそのまま物理アドレスの下位ビット列部分として使われる。上位ビット列部分はアドレス変換テーブル(群)のキーとして使用され、それによって実際の物理アドレスの上位ビット部分を得る。
このため、サイズが2の冪乗の仮想アドレス空間の連続したアドレス範囲が、対応する連続な物理アドレス範囲に変換される。そのような範囲で参照されるメモリをページと呼ぶ。ページサイズは512バイトから8192バイトが一般的であり、特に4096バイトが最もよく使われるが、特殊用途として4Mバイトやそれ以上のサイズのページも使われることがある。
オペレーティングシステムは、ページテーブルと呼ばれるデータ構造にアドレス変換テーブル、つまり仮想ページ番号と物理ページ番号のマッピング情報を格納する。 | 985 |
仮想記憶 | オペレーティングシステムは、ページテーブルと呼ばれるデータ構造にアドレス変換テーブル、つまり仮想ページ番号と物理ページ番号のマッピング情報を格納する。
あるページが使用不可とされている場合(物理メモリに対応しておらず、スワップ領域に内容がある場合など)、CPUがそのページ内のメモリ位置を参照しようとしたとき、ハードウェアの機構がオペレーティングシステムに、一般にページフォールトと呼ばれる例外を通知する。これにより実行コンテキストはオペレーティングシステム内の例外処理ルーチンにジャンプする。そのページがスワップ領域にあるなら、そのルーチンは「ページスワップ」と呼ばれる処理を実行して必要なページの内容を物理メモリに読み込む。
ページスワップ操作には一連の段階がある。まず、メモリ上のページを選択する。例えば、最近アクセスされておらず、なるべくならスワップ領域を含む何らかのディスクから読み込まれたままで変更されていないページを選択する(詳細はページ置換アルゴリズムを参照)。そのページが変更されている場合、その内容をスワップ領域に書き出す。次に必要とされている、例外発生時に参照しようとしていた仮想アドレスに対応するページの情報を読み込む。ページの読み込みが完了したら、その物理メモリの内容更新に応じて仮想アドレスから物理アドレスへの変換テーブルを更新する。ページスワップが完了すると、例外処理を完了し、元のプログラムの実行が例外発生箇所から再開されて何事もなかったかのように処理が続行される。
仮想ページに何も割り当てられていないために使用不可となっている可能性もある。そのような場合、未使用、あるいはスワップアウトして未使用にした物理ページを割り当て、OSによってはその内容をゼロクリアする。ページテーブルはそれに対応して更新され、上述の場合と同様にプログラムが再開される。 | 985 |
仮想記憶 | 仮想ページに何も割り当てられていないために使用不可となっている可能性もある。そのような場合、未使用、あるいはスワップアウトして未使用にした物理ページを割り当て、OSによってはその内容をゼロクリアする。ページテーブルはそれに対応して更新され、上述の場合と同様にプログラムが再開される。
バロース B5000などのシステムは、ページング方式ではなくセグメント方式を使い、仮想アドレス空間を可変長のセグメントに分割する。その場合、仮想アドレスはセグメント番号とセグメント内オフセットから成る。Intel 80286の保護モードにもそのようなセグメント方式があったが、ほとんど使われなかった。セグメントとページは、セグメントをページに分割するという形で同時に使用できる。そのようなメモリ構成のシステムとして、MulticsやSystem/38がある。その場合の基本はページングであり、セグメントはメモリ保護に使われる。
Intel 80386 とその後のIA-32プロセッサでは、セグメントをページ化された32ビットのリニアなアドレス空間に置く。セグメントによる管理と、ページ単位による管理の、2段階のシステムとなっている。しかし、複数のセグメントを活用しているOSは少なく(ただし、研究レベルまで含めればそんなに少なくない)、単純にベースアドレスを全てゼロとして、範囲のみ指定した最小限必要なだけのセグメントと、ページングのみを使っていることが多い。 | 985 |
仮想記憶 | これは、mmapやWin32のMapViewOfFileのような機構とは異なる。mmap等ではファイルは任意の位置にマッピングされる可能性があるため、ファイル間のポインタは使えないためである。Multicsでは、ファイル(複セグメントファイルの場合はセグメント)はセグメント機構を通してアドレス空間にマッピングされる。そのためファイルは常にセグメント境界にマッピングされる。ファイルのリンク部分にはポインタが並んでおり、そのポインタをレジスタにロードしたり間接参照したりするとトラップが発生する。未解決のポインタにはセグメント名を示す値とセグメント内オフセットがある。トラップハンドラは対応するセグメントをアドレス空間にマッピングし、ポインタのセグメント識別子部分をセグメント番号に書き換えるので、2度目以降はそのポインタにアクセスしてもトラップが発生しなくなる。この方式ではリンケージエディタが不要であり、同じファイルを複数のプロセスが異なる位置にマッピングしても問題なく機能する。
仮想アドレスから物理アドレスへの変換はメモリ管理ユニット (MMU) というハードウェア装置によって実装されている。これはCPUに内蔵されたモジュールの場合もあるし、外付けでCPUに密結合された別のチップの場合もある。これを動的アドレス変換機構 (DAT : Dynamic Address Translation) と呼ぶ。
OSは、プログラムの仮想アドレス空間のどの部分を物理メモリに保持するかを決定する。OSは、MMUが使用する仮想アドレスから物理アドレスへの変換テーブルも管理する。さらに仮想メモリ例外が発生したら、OSはそれを解決するために物理メモリ領域を確保し、必要なら元の内容をディスクに追い出した上で新たに必要とされている情報をディスクから持ってきて、変換テーブルを更新し、例外発生したソフトウェアの実行を再開する。 | 985 |
仮想記憶 | 多くのコンピュータでは、この変換テーブルは物理メモリに格納されている。従って仮想メモリを参照すると、本来の参照以外に変換テーブルの参照が(変換テーブルの構成によっては複数回)発生する。このアドレス変換による性能低下を低減するため、ほとんどのMMUはよく使われる仮想ページに高速にアクセスできるよう、最近使われた仮想アドレスとそれに対応する物理アドレスを保持しておくテーブルを持っている。これをトランスレーション・ルックアサイド・バッファ(TLB)と呼ぶ。参照アドレスがTLB内に格納された変換テーブルでカバーされていれば、余分な変換テーブルの参照をせずに、高速に変換を行うことができる。ただし、TLBは高価な装置のためテーブルの大きさが限られており、目標の仮想アドレスが見当たらない場合は物理メモリ上の変換テーブルを参照してアドレス変換が行われる。
プロセッサによっては、この一連の処理がハードウェア内で行われる。MMUは物理メモリ上の変換テーブルから必要な変換内容を持ってくるので、ソフトウェア側は余分な処理を必要としない。別の種類のプロセッサでは、オペレーティングシステムの介在が必須である。TLBに必要な変換内容がない場合、例外が発生し、オペレーティングシステムがTLB内の1つのエントリを必要な変換テーブルの内容と置き換え、当初のメモリ参照を行った命令から実行が再開され、再度TLBを参照して変換を行う。
仮想記憶をサポートするハードウェアの多くはメモリ保護もサポートしている。MMUはメモリ参照の種類(リード、ライト、実行)やメモリ参照時のCPUモードによって扱いを変える機能を持っていることもある。これによってオペレーティングシステムは自身のコードとデータ(例えばアドレス変換テーブルなど)を問題のあるアプリケーションプログラムの不正なメモリアクセスから保護したり、アプリケーションを相互に保護したり、アプリケーション自身の不正動作(例えば自身のコード部分に書き込もうとするなどの動作)から保護したりする。 | 985 |
仮想記憶 | 各プロセスの仮想アドレス空間には、そのプロセスが使用するコードやデータが配置される。ページング方式であれ、セグメント方式であれ、仮想アドレス空間内で使用している範囲の管理と制御が仮想記憶機構として必須である。例えば、実行ファイルの内容を仮想メモリ上に配置する領域、スタックを配置する領域などがある。このような領域をセグメントと呼ぶ。セグメント方式のセグメントと似ているが、純粋に仮想的なオブジェクトである。実行ファイルを配置する領域は必ずしも連続ではない。プログラムのコード部分とデータ部分を分離して配置するのが一般的で、前者をテキストセグメントもしくはコードセグメント、後者をデータセグメントと呼ぶ。Unix系システムや Windows では、一般的にデータセグメントの一部としてBSSセクションとヒープ領域を含む。BSSセクションにはプロセス起動時に0に初期化される静的変数を配置する。初期値が0の静的変数を別扱いしているのは、読み書きが発生するまで0で初期化するのを後回しに出来るようにするための高速化のテクニックである。Unix系システムではヒープ領域はデータセグメントの末尾に配置され、brk() 関数などでデータセグメントのサイズを変えることでヒープ領域のサイズを変えられるようにする。各セグメントはマッピングしているオブジェクトが何であるか、その領域へのアクセス権などを属性情報として保持する。
テキストセグメントはファイルシステム上の実行ファイルの一部と完全に対応しており、書き換えられることもない。従って、マッピングしているオブジェクトは実行ファイルであり、アクセス属性は「リードオンリー」となる。データセグメントやスタックは一時的な存在であるため何かをマッピングしているわけではない。そこでこれらは匿名ファイル(Anonymous File)をマッピングしているものとして管理される。匿名ファイルをマッピングしているセグメントに対応するページを匿名ページと呼び、これがスワッピングの際にスワップ領域に書き出される。データセグメントは当初は実行ファイルの一部と対応しているが、書き込み可能な属性が設定されている。ページング方式の場合、データセグメント内の内容が更新されたページはページ単位で匿名ページへと属性変更される。 | 985 |
仮想記憶 | exec() システムコールなどで新たにプロセスの仮想アドレス空間を設定した当初は、基本的にこのような仮想アドレス空間を管理するデータ構造がカーネル内に作成されるだけで、実際の実行ファイルの内容はロードされない。Unix系システムでは、exec() システムコールからユーザ空間に制御が戻された瞬間にページフォールトが発生し、そこで初めてページ単位に実行ファイルの内容がロードされる。ただし、性能向上目的で事前にマッピングを作成する場合もある。
各プロセスの仮想アドレス空間のアドレス範囲は同じでありオーバーラップしているのが一般的である。これを多重仮想記憶と呼ぶ。MMUは現に実行中のプロセスの仮想空間のみを認識する。コンテキストスイッチでプロセスを切り替える際、MMUに対して仮想アドレス空間の切り替えも指示する必要があるが、その方式はアーキテクチャによって様々である。
同じプログラムを実行するプロセスが複数存在する場合、多重仮想記憶ではそれぞれが同じ仮想アドレスに実行ファイルをマッピングしていながら、それぞれ独立した仮想空間を使用する。このため、実行ファイルを配置する仮想アドレスはどのプロセスでも同じにすることができ、実行ファイル自体に配置すべきアドレスを格納しておくようになっているのが一般的である。また、それぞれのプロセスが実行ファイルのテキストセグメントをマッピングするのに使う物理メモリは共有することができる。他にも mmap() でファイルをマッピングする場合や共有メモリ機能でプロセス間の通信を行う場合、マッピングされる物理メモリが共有される。
なお、アーキテクチャによっては、多重仮想記憶がオーバーラップしていると捉えず、全仮想空間がフラットに並んだ巨大な仮想空間を想定することもある。この場合、仮想空間識別番号が巨大な仮想空間のアドレスの一部と考えられる。もっとも、これは単にモデル化の手法が違うだけで実装に大きな違いがあるわけではない。実際、各ユーザープロセスが自分の仮想空間識別番号以外の仮想空間にアクセスすることはできない。 | 985 |
仮想記憶 | なお、アーキテクチャによっては、多重仮想記憶がオーバーラップしていると捉えず、全仮想空間がフラットに並んだ巨大な仮想空間を想定することもある。この場合、仮想空間識別番号が巨大な仮想空間のアドレスの一部と考えられる。もっとも、これは単にモデル化の手法が違うだけで実装に大きな違いがあるわけではない。実際、各ユーザープロセスが自分の仮想空間識別番号以外の仮想空間にアクセスすることはできない。
1962年に世界で初めてページングをサポートしたコンピュータAtlasは、フェランティ、マンチェスター大学、Plesseyが共同開発した。このマシンには連想メモリがあり、1エントリに512ワード長のページが対応している。スーパーバイザは非同値割り込みを処理し、磁気コアメモリと磁気ドラムメモリ間のページ転送を管理する。特筆すべきは、世界初の仮想記憶システムであるにもかかわらず、難しさなどから後のシステムでも実現例のあまり多くない、プログラムに単一レベル記憶を提供していることである。
Windows では、1990年のWindows 3.0から仮想記憶をサポートしている。マイクロソフトはWindows 1.0とWindows 2.0での失敗を受け、OSへのリソース要求を削減するために仮想記憶を導入した。
全てのプロセスは固定の変更不可能な仮想記憶空間を持っている(32ビットの場合、一般に2GB)。
Windows 3.xには隠しファイルとして386SPART.PARまたはWIN386.SWPがあり、それらがスワップファイルとして使われる。通常、ルートディレクトリにあるが、WINDOWSなど他のディレクトリに置くこともある。そのサイズはコントロールパネルで設定される「仮想メモリ」サイズで決定される。ユーザーがこのファイルを削除したり移動させたりすると、次回Windowsを起動したときにブルースクリーンが表示され、エラーメッセージが表示される(英語では "The permanent swap file is corrupt")。
Windows 95、Windows 98 / 98 SE、Windows Me でも同様の仕組みになっている。スワップファイルの大きさはデフォルトでは物理メモリ量の1.5倍であり、最大で物理メモリの3倍まで拡張できる。 | 985 |
仮想記憶 | Windows 95、Windows 98 / 98 SE、Windows Me でも同様の仕組みになっている。スワップファイルの大きさはデフォルトでは物理メモリ量の1.5倍であり、最大で物理メモリの3倍まで拡張できる。
NT系のWindows(Windows NT、Windows 2000、Windows XP、Windows Vista、Windows 7、Windows 8 / 8.1、Windows 10およびWindows Serverシリーズなど)は、pagefile.sysというファイルを使用する。このファイルのデフォルトの位置はWindowsをインストールしたパーティションのルートディレクトリである。Windowsは任意のドライブの空き領域をページファイルとして使用できる。XPまでのWindowsではシステムクラッシュ時にカーネルまたは全メモリをダンプする設定にしている場合、ブートパーティション(Windowsがインストールされたドライブ)にこのファイルを置く必要があった(ダンプ先として使用するため)。リブートすると、システムがダンプを通常のファイルに移す。
ページングファイルのサイズには初期サイズと最大サイズがあり、ページングファイルが不足するとページングファイルは最大サイズまで拡張される。拡張されたページングファイルは再起動するまで小さくならない。サイズ設定値が小さい場合、動作が不安定になるアプリケーションもある。
ページングファイルがあると、積極的なクリーニングにより物理メモリで足りる場合であってもページファイルへの書き出しが行われる。積極的なクリーニングは仮想記憶を実装するページ置換アルゴリズムの一つで、CPUの余剰時間を使ってページ内容をディスクに書き出しクリーンな状態にしておき、ページが必要になった時に短時間でページを再利用する手法である。勿論クリーンな状態のページ内容そのものが必要になった時には、ページファイル上のページ内容を無視するだけで良いので、オーバーヘッドは発生しない。 | 985 |
仮想記憶 | Windows XP以降ではページファイルを使用しないオプションが選択できる。もちろんこれは物理メモリの容量が十分に足りている場合(かつ、ページファイル必須アプリケーション運用を必要としない場合)にのみ選択すべきオプションである。ページファイルを使用しない場合、ほとんど使用されない常駐ソフトなどのデータをスワップアウトすることができなくなるので、キャッシュとして使える物理メモリの空き領域が減ってパフォーマンスが低下することがある。いくつかのアプリケーションが動作しなくなったり、システム機能が効率的に動作しなくなったり、といったことも発生しうる。しかし、ファイルを読み書きするI/Oアクセスが起こらないため、パフォーマンスを落とさないというメリットがある。
32ビット版Windowsでは、バージョンおよびエディションにも左右されるが、ページングファイルのサイズは最大36ビットのアドレス空間すなわち64GiBまでサポートされる。
ページングファイルのサイズには初期サイズと最大サイズがあり、ページングファイルが不足するとページングファイルは最大サイズまで拡張される。徐々に拡張された場合、フラグメンテーションが起き、性能に悪影響を与えることがある。これに対する助言としては、ページファイルのサイズを固定することでOSがそのサイズを変更できないようにするという対策がある。ただし、ページファイルが拡張されるのは全部を使い切ったときで、デフォルト設定では物理メモリの150%の量になっている。したがって、ページファイルに対応した仮想記憶の要求が物理メモリの250%を越えないと、ページファイルは拡張されない。
ページファイルの拡張によるフラグメンテーションは一時的なものである。拡張された領域が使われなくなれば(遅くとも次回の再起動時には)、追加で確保されたディスク領域は解放され、ページファイルは本来の状態に戻る。 | 985 |
仮想記憶 | ページファイルの拡張によるフラグメンテーションは一時的なものである。拡張された領域が使われなくなれば(遅くとも次回の再起動時には)、追加で確保されたディスク領域は解放され、ページファイルは本来の状態に戻る。
ページファイルの大きさを固定にすると、物理メモリとページファイルを合わせた以上のメモリを要求するアプリケーションがある場合に問題となる。その場合、メモリ確保要求が失敗し、アプリケーションやシステムプロセスが異常終了する可能性がある。ページファイルを拡張可能にすべきだという根拠として、ページファイルが先頭から順にシーケンシャルにアクセスされることはなく、ページファイルが連続領域になっていること性能上の利点はほとんどないという見方もある。いずれにしても、メモリを大量に使うアプリケーションを使用するならページファイルは大きい方がよく、ページファイルを大きくしてもディスク容量がそれに割かれる以外のペナルティはない。
現代的な仕様のシステムでは余分にディスク領域を使用しても問題はない。例えば、メモリが3GBのシステムで6GBの固定スワップファイルを使用するとしても、HDDが750GBなら問題はないし、メモリが6GB、スワップファイルが16GB、HDDが2TBなら、これも問題はない。どちらの場合もスワップファイルとして使用する領域はHDDの1%に満たない。
ページファイルは任意のドライブに作成する事ができる。これはUNIX同様スワップ専用のパーティション割り当てが行えるのに等しい。またページファイルはストライピングが行われるので複数のハードディスクドライブに小分けにしてページファイルを作成すると、ページング速度が向上する。
物理メモリ以上のメモリを常に使うような使い方をする場合、ページファイルのデフラグメンテーションをすることで性能が改善する可能性もある。しかし、根本的には物理メモリを追加する方が性能改善に役立つ。 | 985 |
仮想記憶 | 物理メモリ以上のメモリを常に使うような使い方をする場合、ページファイルのデフラグメンテーションをすることで性能が改善する可能性もある。しかし、根本的には物理メモリを追加する方が性能改善に役立つ。
Mac OSはSystem 7から「仮想メモリ」として実装される。当時はコントロールパネルでメモリサイズ(メインメモリのサイズを加算した値)を指定し機能を入にすることで使用できるようになる。すると起動ディスクに隠しファイルとしてスワップファイルが作成される。スワップファイルは指定したメモリサイズの大きさとなり、これ以上は増えない。この頃の仮想メモリは使用しているかどうかでプログラムの動作が不安定になることがあった。そのため、プログラムのパッケージや説明書には仮想メモリの設定を確認させる記述が見られる。
UNIXおよびUnix系OSでは、ハードディスクのパーティションを丸ごとスワップに使用することが多く、そのようなパーティションをスワップパーティションと呼ぶ。ドライブを1個丸ごとスワップパーティションとすることもある。そのようなドライブをスワップドライブなどと呼ぶ。スワップパーティションしかサポートしないシステムもあるが、ファイルへのスワッピングもサポートするシステムもある。フラグメンテーション問題を回避して性能を維持するためにもパーティションの使用が推奨されている。また、スワップパーティションを使うと、スワップ領域をディスク内の最も高速アクセス可能な場所に配置できる。最近のハードディスクでは、先頭の方がよいとされている。 | 985 |
仮想記憶 | Linuxのユーザプロセスから見れば、大局的にはメモリはCPUキャッシュ (L1, L2, ...)、メインメモリ、ファイルの順に階層化されており、上位(CPUにより近い)メモリは下位メモリのキャッシュに過ぎない。実行可能なファイルや共有ライブラリのテキストセグメントやmmapで明示的にマップされる名前付きファイルに対して、スワップエリアはスタックやヒープを保持する名無しファイルである(データセグメントやBSSセグメントは読み出し専用の実行可能ファイルや共有ライブラリファイルからプロセス固有の読み書き可能な無名ファイルに展開・コピーされると考えられる)。もちろん、実際にはカーネルは性能維持のためにスワップエリアの使用とアクセスを最小限にするような最適化の努力を払う(メインメモリに余裕があればスワップエリアには書き出さず「キャッシュ(メインメモリ)」だけにしか情報が保持されない)。
2.6のLinuxカーネルではスワップファイルはスワップパーティションと同程度の性能である。カーネルはスワップファイルの存在するディスク上の位置を把握しており、バッファキャッシュやファイルシステムのオーバヘッドを回避して直接ディスクにアクセスする。レッドハットはスワップパーティションの使用を推奨している。スワップパーティションの場合、ディスク上の位置を決めることができるので、スループットが最も高い場所に置くことができる。一方スワップファイルは管理の柔軟性という点でスワップパーティションに優っている。例えば、スワップファイルは任意のドライブ上に置くことができ、どんな大きさにもでき、必要に応じた追加や変更が容易であるだけでなく、ネットワークを介して外部ホスト上のリモートファイルを使うことも可能である。一方、スワップパーティションは一度位置と大きさを決めたら、ドライブ全体のパーティショニングをやり直さないと変更できない。 | 985 |
仮想記憶 | Linuxは事実上無制限な個数のスワップデバイスをサポートし、それぞれに優先度を設定できる。オペレーティングシステムが物理メモリをスワップアウトする場合、最高優先度のデバイスの空き領域から使っていく。同じ優先度に複数のデバイスがある場合、それらは RAID 0と同様の使い方をされる。これによって並列的に複数のデバイスにアクセスするので性能が向上する。従って優先度の設定には注意が必要である。例えば、同じドライブ上の複数のスワップ領域を同じ優先度にするのは得策ではない。また、高速なデバイスを高優先度に設定するのが性能的に有利である。
Linuxシステムでスワップを追加するには、その前にスワップ領域を作成しなければならない。パーティションならば一般のパーティション作成ツールが使用できる。通常ファイルの場合、ddコマンドと /dev/zeroを使って内容がゼロのファイルを作ることができる。作成したスワップ領域はmkswap filename/deviceでフォーマットし、swaponおよびswapoffコマンドでON/OFFを制御する。
Windowsとは違い、物理メモリに入りきらない場合のみ、スワップが利用される。これは積極的なクリーニングが実装されていないためで、ページングが開始された時システムは著しい速度低下を起こす(スラッシング)。しかし、これは物理メモリが飽和状態を続けている場合さほど深刻では無い。メモリが飽和すればあまり利用されないページは自ずとハードディスクに追い出され、物理メモリには有用なページが残される様になる。
macOSではUnix系をベースとしたことで仮想メモリは常に使用するようになっており、複数のスワップファイルを使用できる。デフォルト(かつアップルの推奨)ではルートパーティションに配置されるが、他のパーティションやデバイスに置くこともできる。 | 985 |
仮想記憶 | macOSではUnix系をベースとしたことで仮想メモリは常に使用するようになっており、複数のスワップファイルを使用できる。デフォルト(かつアップルの推奨)ではルートパーティションに配置されるが、他のパーティションやデバイスに置くこともできる。
コンピュータの起動時から64MBのスワップファイルが1つ作成されている。場所は/private/var/vm/以下で、swapfilenという名前がつけられている(nは0からの数字)。容量が不足するとスワップファイルは自動的に追加される。swapfile1までは64MB、以降のスワップファイルのサイズは128MB、256MB...と8の倍数で増えるのが基本だが、メモリの最大容量・ハードディスクの空き容量の1/4・1GBのいずれか小さい方を選択し容量が決定する。ひとつのスワップファイルが大きくなるのではなく複数のファイルが作成される。すなわちスワップファイルが4つなら64+64+128+256で合計512MBとなる。スワップファイルの場所はコマンドライン操作などで他のデバイスに変更できる。
スワップファイルを削除するアプリケーションも存在し、これを用いなくとも削除できる(ただし、削除後は再起動するのが望ましい)。また、一旦ログアウトしてからログインしなおすと再起動することなく削除できる。
macOSでは多重仮想記憶がサポートされ、仮想空間はプロセス毎に資源が分離されている。この違いが、Classic Mac OSとmacOSでの仮想記憶に対する信頼性の違いとなって現れている。 | 985 |
共有メモリ | 情報処理において共有メモリ(きょうゆうメモリ)とは、複数のプログラムが同時並行的にアクセスするメモリである。
複数のプログラム間の通信手段として使う場合と、単に複製を用意する冗長さを防ぐ目的の場合などがある。共有メモリはプログラム間でデータをやりとりする効率的手段である。文脈によって、それらプログラムが単一のプロセッサ上で動作する場合と複数の異なるプロセッサ群上で動作する場合がある。単一のプログラムの内部でメモリを使って通信する場合もあり、例えばマルチスレッドが典型的だが、仮想空間をもともと共有している場合は「共有メモリ」とは呼ばない。
コンピュータのハードウェアによる共有メモリは、マルチプロセッサシステムにおける複数のCPUがアクセスできるRAMの(通常)大きなブロックを意味する。
共有メモリシステムでは、全プロセッサがデータを共有しているためプログラミングが比較的容易で、同じメモリ位置へのアクセスによって高速なプロセッサ間通信が可能である。問題は、CPUはなるべく高速なメモリアクセスを必要とするため、それぞれにキャッシュメモリを持っていることが多い点である。そのため、以下の2つの問題が生じる。
ボトルネック問題を和らげる技術として、クロスバースイッチ、オメガネットワーク(英語版)、HyperTransport、CPUバスの分離(フロントサイドバスとバックサイドバス、等)などがある。
共有メモリ以外の方式として分散メモリ(英語版)や分散共有メモリがあるが、どちらにも似たような問題がある。また、NUMAも参照。
GPGPUに対応したモダンなGPUは、GPUのスレッドブロック(ワークグループ、スレッドグループ)内でのみアクセス可能な共有メモリ(ローカルメモリ、グループ共有メモリ)を有している。この共有メモリは、VRAM上に確保されるグローバルメモリと比べると小容量だが高速であり、アプリケーションコードから操作可能なキャッシュメモリの役割を果たす。CUDA、OpenCL、DirectComputeのようなAPIは、それぞれ名称は異なるものの、このGPU共有メモリを利用する機能を持ち、グローバルメモリから読み出したデータをGPUのスレッドブロック内で共有したり、計算結果を交換したりする用途に活用することで、高速化を図ることができる。 | 986 |
共有メモリ | ソフトウェアにおける共有メモリは、以下のいずれかを意味する。
プロセス群は共有メモリ領域に通常のメモリ領域と同じようにアクセスできるので、他のプロセス間通信(名前付きパイプ、ソケット、CORBAなど)と比較して通信手段としては非常に高速である。しかし、プロセス群が同じマシン上で動作しなければならないという制約があり(他のIPC手段はネットワーク上でも機能する)、プロセスが別々のCPU上で動作する場合はハードウェアによる共有メモリを使っていることになり、キャッシュコヒーレンシなどに注意が必要となる。プロセス間の通信がFIFOなストリーム型の場合は、名前付きパイプも通信手段として検討すべきである。一般に共有メモリ自体は保護機能をもたないので動作は高速である。しかし共有されるメモリは不定のタイミングで複数のプロセスからアクセスされる可能性がある。競合を避ける為にはセマフォやロックなどで競合を回避しなければならない。
共有メモリによるIPCは、例えばUNIX上のXサーバとアプリケーションの間で画像を転送する場合や、WindowsのCOMライブラリで CoMarshalInterThreadInterfaceInStream() 関数が返す IStream オブジェクトの内部で使われている。一般的に共有メモリが使われるアプリケーションとしてOracleなどのデータベースがある。Unix版OracleではSGAと呼ばれる共有メモリ空間にデータベースバッファキャッシュがおかれて複数のプロセスからアクセスさせて性能の向上を図っている。
動的ライブラリは一度メモリ上に置かれると、それが複数のプロセスにマッピングされ、プロセスごとにカスタマイズされるページ群(シンボル解決に違いが生じる部分)だけが複製され、通常コピーオンライトという機構で、そのページに書き込もうとしたときにコピーが行われる。
POSIX には共有メモリの標準化APIとして POSIX Shared Memory がある。これは、sys/mman.h にある shm_open という関数を使う。POSIXのプロセス間通信(POSIX:XSI拡張の一部)には共有メモリ関数として shmat、shmctl、shmdt が含まれている。 | 986 |
共有メモリ | POSIX には共有メモリの標準化APIとして POSIX Shared Memory がある。これは、sys/mman.h にある shm_open という関数を使う。POSIXのプロセス間通信(POSIX:XSI拡張の一部)には共有メモリ関数として shmat、shmctl、shmdt が含まれている。
shm_open で生成された共有メモリは永続的であり、プロセスが明示的に削除しない限りシステム内に存在し続ける。ただしこれには欠点もあり、共有メモリを削除すべきプロセスがその前に異常終了したとき、その共有メモリがシステムのシャットダウンまで残存し続けることになる。そのような問題を避けるには、mmapを使って共有メモリを作成すればよい。2つの通信しあうプロセスが同じ名前の一時ファイルをオープンし、それに対してmmapすることでファイルをメモリにマッピングする。結果として、メモリマップされたファイル(メモリマップトファイル)への変更はもう一方のプロセスからも同時に観測できる。この技法の利点は、両方のプロセスが終了したとき、OSが自動的にファイルをクローズし、共有メモリを削除する点である。
Linuxカーネル 2.6 では、RAMディスク形式の共有メモリとして /dev/shm が導入された。より正確に言えば、誰でも書き込めるメモリ内のディレクトリであり、その容量の上限は /etc/default/tmpfs で指定できる。/dev/shm 機能サポートはカーネルの設定ファイルで指定でき、デフォルトでは無効となっている。なお、RedHat や Debian ベースのディストリビューションではデフォルトで有効になっている。
Android では Linux カーネルを使用しているが、IPC 関係が一部無効になっており、独自に開発した(現在はLinuxカーネルに入っている)ashmem (anonymous shared memory) を使用している。メモリが不足したときにカーネルが解放する仕組みがあり、解放されないようにするには、ashmem_pin_region() を使い指定する。 | 986 |
共有メモリ | Android では Linux カーネルを使用しているが、IPC 関係が一部無効になっており、独自に開発した(現在はLinuxカーネルに入っている)ashmem (anonymous shared memory) を使用している。メモリが不足したときにカーネルが解放する仕組みがあり、解放されないようにするには、ashmem_pin_region() を使い指定する。
Microsoft Windowsでは、Win32 APIのCreateFileMapping()関数を使って共有メモリ(メモリマップトファイル)を作成することができる。クライアント側プロセスはOpenFileMapping()関数を使って、ホスト側プロセスにて作成済みの共有メモリのハンドルを取得することができる。共有メモリを各プロセスのアドレス空間にマッピングするにはMapViewOfFile()関数を使う。
なおWindows APIには、CreateSharedMemory() など “-SharedMemory” の名前を持つ関数があるが、これはセキュリティ関連のAPIであり、メモリ共有のためのAPIではない。これをメモリ共有のために使用すれば、リソースを大量に消費しシステムリソースを使い果たす可能性がある。
一部のC++ライブラリは、共有メモリ機能への移植性の高いオブジェクト指向的なアクセスを提供している。例えば、Boost C++ライブラリには Boost.Interprocess があり、POCO C++ Libraries には Poco::SharedMemory、Qt には QSharedMemory クラスがある。
PHP では POSIX で定義している関数群とよく似た共有メモリ用APIが存在する。
.NET Frameworkはバージョン4でSystem.IO.MemoryMappedFiles.MemoryMappedFileクラスを標準化した。.NET CoreあるいはXamarin (Mono) を通じて、Windows以外の他のプラットフォームでも利用できる。 | 986 |
統計図表 | 統計図表(とうけいずひょう)は、複数の統計データの整理・視覚化・分析・解析などに用いられるグラフおよび表の総称である。ここで、グラフとは「図形を用いて視覚的に、複数の数量・標本資料の関係などを特徴付けたもの」を指す。この意味においてのグラフはしばしば「統計グラフ」と呼ばれる。
統計図表は、統計データの整理・分析・検定などの過程で用いられる。統計図表を駆使することで
を視覚的に理解できる。
統計図表を適切に活用すれば
など、現状把握や客観的判断を行ううえで大きな手助けとなる。統計図表を用いて、統計データの傾向などを把握することを「統計データの解釈」あるいは「資料解釈」という。
どんなときにどんなグラフを用いるのがよいのだろうか?研究やそれに準じる調査活動において統計グラフを作成する必要がある局面は
など様々な状況がありえるが、どのような場合においても、
がなければ統計グラフの作成が不可能である。これについては「統計図表を作る前に」で述べる。
統計グラフの作成は方眼紙などを用いるのが基本だが、小中学校の教育の現場を除けば、最近ではExcelなどの表計算ソフト、場合によってはOriginやカレイダグラフなどの統計ソフトを用いるほうが多いと思われる。
統計図表の作成は、実験・社会調査・マーケティングなどの調査活動におけるデータの整理・分析の一環として行われる。統計グラフの作成を、調査活動自体から切り離して考えるのは難しい。何を分析するのか、何を訴えるのかによって「適切なグラフは何か」が変わってくる。一般的な見地から「正しい統計グラフを作成するための目安」(一般的な精神のほか、「棒グラフを用いるのが適切な側面」のような事例分析)を示すこと自体は可能だが、馬鹿の一つ覚えは通用しない(データマイニング参照)。それぞれの場合に応じて、工夫をこらすだけの力をもつのが必要で、そのためにはよいといわれる論文などに掲載されている統計図表を、その論旨と照らし合わせながら吟味して、目を肥やす必要がある。 | 988 |
統計図表 | また、統計データそのものがない状態で、あたかもそれがあるように偽ってグラフを作成して発表しまっては、少数の例外を除き捏造である。あくまで統計グラフの作成は、データの加工手段の一つである。「目的や着眼点に沿って散在する情報を収集する」という過程なしには成立し得ない。さらに言えば、グラフ作成の前に、データ自体に何らかの統計処理を加える場合がある。データの取得・処理の妥当性については、グラフの選択やスケールなどの設定以前の問題だが、この段階で問題がある場合には、グラフ自体の価値はなくなる。ただし、データの取得・処理の妥当性についても、統計学特に実験計画法などの体系的な学問が存在するが、安易に可否を決められる問題ではない。
先にも述べたように、グラフを作成する上では、
を明確にしておく必要がある。 たとえば「ここに全国の小学生それぞれの身長・体重・学年・学校を記したデータがあります。さぁ統計グラフを作ってください」といわれたとして、データとしては膨大であるにしても、これだけの“情報”では「どのようなグラフをどのように作成するのが適切か」を決めることはできない。つまり、
などが定まらない(「統計グラフの種類と、グラフ選択の目安」参照)。たとえば
のように、同じデータを用いたとしても何を議論するのかによって適切なグラフは異なる。同じ「身長のバラつき」が見たいと言った場合でも
のように、スケールの選択や場合によってはグラフの選択さえ変わってくる。無論、複数の種類のグラフを選択し得る場合もある。なお、目的が明確になったとしても、どのような問題を論じるのにはどのようなグラフがよいのかについて知らねば、どうにもならないが、これについては後述する。
グラフ作成の下準備の過程は、概ね下記のとおりである。 | 988 |
統計図表 | のように、スケールの選択や場合によってはグラフの選択さえ変わってくる。無論、複数の種類のグラフを選択し得る場合もある。なお、目的が明確になったとしても、どのような問題を論じるのにはどのようなグラフがよいのかについて知らねば、どうにもならないが、これについては後述する。
グラフ作成の下準備の過程は、概ね下記のとおりである。
より一般に、グラフを作成するという問題は「『主張すべき事柄』を論証するための素材をどのような素材を集め、それをどのように配置するか」という問題の一部である。統計グラフの作成までの具体的な手順は、人それぞれで状況次第ではあるが、どのような場合においても「どのようなデータからどのような知見を得ようとするのか」がある程度定まらなければ作成できない。そのため統計グラフ作成の手順は、研究の手順とほぼ同じで、概ね 「目的や着眼点に沿って散在する情報を集約した後、それを整理・分析し、特徴・傾向を見出す」という過程を経る。当然の話だが、これらの各段階が適切に行われていることが、グラフ自体の適切・不適切を決める。
統計グラフの分類は、人によって様々だが、よく使われるものから順に
などがある。これらそれぞれの説明は、それぞれの項目に委ねる。
統計グラフ選択の目安を以下に示す。
自然科学、社会科学、人文科学を問わず、統計を根拠とした実証性が求められる研究分野では、データの整理・分析の一環として、統計図表を作成する局面が多数ある。具体的には、
など様々な状況がありえる。 そして、いずれの分野においても、
といった場面が挙げられる。
変量同士の相関を議論することが主となる場合には、実際に用いられるグラフのほとんどが散布図である。そのほか等高線図や2次元分布図等の広い意味でのカラーグラフ(2D・3D)、棒グラフである。棒グラフはヒストグラムの提示に用いられるのがほとんどである。3Dグラフは、正しく使えば値の3次元的な分布を正確かつ直感的に伝えることができるため、特に最近では、権威ある査読つき論文においてもよく使われている。箇条書きにすると、以下がよく使われる。 | 988 |
統計図表 | 統計処理に際し、本来的に「データは連続的な量として取得されているはず」という暗黙の前提があり、物理学・化学・工学・経済学・心理学問わず「変量同士の相関」を見るのが主な目的であるため、理想的には関数グラフのようなものを得たいという考えが暗にある。そのため圧倒的大多数において散布図を用いて
という処理が行われる。作成される散布図は、少数のデータから全体像を推測する場合には、「実際のデータの測定値」をそのまま散布図上に書き込むことが多い。データのラベルが離散的で、かつデータの量が充分多数で、そのデータの分布が正規分布に従っている場合には、ラベルごとの平均値のみをプロットし、それに適切なエラーバーをつける方法で作成されることが多い。
コンピュータ技術の進展により、統計グラフと画像(写真)の区別が曖昧になってきているという傾向がある。デジタル化された画像は空間座標・色の2種類の系列からなる情報の相関関係を2次元的あるいは3次元的に示したある種のカラーグラフの一種でしかなく、実際カラーグラフとして作成された等高線図などと解像度や、数字の羅列としてのデータ自体のみからでは区別がつかない。
初等教育の過程で重視される折れ線グラフは、ロードマップなどの未来技術予測などには多用されるものの、
などの理由から、ほとんどの場合は散布図にとってかわられている。
データのないグラフが描かれる場合もある。例えばある考えを主張する場合、それを説明するために、言葉で行うのが普通であるが、おそらくデータがあればこうなる、という形でグラフが活用されることがある。
例えば島嶼生態学における種数平衡説は、海洋島における生物の種数を島へ新たに入植する種数と島で絶滅する種数の間の平衡によって決定されると論ずるが、前者については大陸からの距離が遠くなるほど低くなる、また後者は島が小さいほど高くなるということは容易に想像できる。これをグラフ化すれば、両者の曲線が中程の特定の点で交差し、そこがその島の種数の平衡点にあたることになるだろうことが容易に理解できる。この場合、実際にその曲線がどのような形であるかは実際の調査が必要であろうが、いずれにせよ右上がり、右下がりであれば議論が成立するので、グラフを作成することは虚偽にならない範囲でそれにわかりやすさをもたらす効果がある。 | 988 |
統計図表 | 最近では統計グラフの作成・解釈はノート作成、プレゼンテーション技術、文章技術などと並び、調査活動を行ううえで必要なアカデミックスキルの一つだと考えられるようになってきた。しかし、統計グラフの作成・解釈に関する系統だった指導は、あまりおこなわれていない。
小学校における算数の時間では棒グラフや折れ線グラフ、ドットプロットの扱いを習い、中学校の数学では、単元「資料の整理」の中でヒストグラムや箱ひげ図について学習する。また、高等学校の数学の教科書には「統計」の項目があり、そこでも簡単に触れられる。また、小中高を通じて、地理の時間には、社会統計や等高線の扱いを白地図などを用いて学ぶ。小中高の理科の時間にも「実験データの整理」などという意味合いで教えられることがある。大学では、学生実験などにおいて実験ノート指導などと平行して指導される。
公務員試験などでは「資料解釈」という科目として出題される。システムアドミニストレータ試験においても「状況に応じた適切なグラフ選択」の問題が出題される。また、品質管理などの現場で教育されることがあり、品質管理関係の教材には、グラフの選択などに対して詳しい検討を行っているものがある。 | 988 |
木 (数学) | 数学、特にグラフ理論の分野における木(き、英: tree)とは、連結で閉路を持たない(無向)グラフである。有向グラフについての木(有向木)についても論じられるが、当記事では専ら無向木を扱う(有向木については節にまとめた)。
閉路を持たない(連結であるとは限らない)グラフを森(もり、英: forest)という。木は明らかに森である。あるいは、森を一般的な場合とし、連結な森を木という、とすることもある。
n 個の点からなるグラフ T について次は同値である。
木 T には、以下のような性質がある。
上の定理から、木には必ず端末点があり、その端末点を除去すると位数の一つ小さい木が得られる。逆に言えば、位数 n の木は、位数 n − 1 の木に一つの新しい点と、これに接続する一本の新しい辺を加えて得られる。
あるノードを選んで、それを一番「上」にあると考えると、そのノードを基準として2つのノードに上下の関係を考えることが出来る(すべてのノードの組み合わせについて定義されるとは限らない)。このとき、その一番上のノードを根(ね、英: root)という。根を持つ木を単なる木と区別して根付き木という。
根つき木に関する用語は、それを家系図に見たてたものが多く使われる。
また、根つき木に関する用語として、他に以下のようなものがある。
n を自然数とする。葉ではない各点に対しその点の子の数が常に n であるような木をn分木(nぶんぎ; n-ary tree)という。特に二分木はいくつかのアルゴリズムと密接に関わるデータ構造である(ただし大抵は次で述べる有向木による二分木)。
一般に、無向木は任意の点を根とみなすことができる。それに対し有向木は、根である点をただ1つだけ持つ。辺の向きとして、根から葉に向かっている場合と、葉から根に向かっている場合とがある。混在はできない(混在してしまうと閉路ができてしまう)。
閉路を持たない任意の有向グラフは有向非巡回グラフ(Directed Acyclic Graph、DAG)である。有向木は連結な有向非巡回グラフでもあるが、連結な有向非巡回グラフが必ずしも有向木とは限らない(DAGでは子孫あるいは親の共有がある場合がある。そうするとそれは木ではない)。 | 990 |
グラフ理論 | グラフ理論(グラフりろん、英: Graph theory)は、ノード(節点・頂点、点)の集合とエッジ(枝・辺、線)の集合で構成されるグラフに関する数学の理論である。
グラフ(データ構造)などの応用がある。
グラフによって、様々なものの関連を表すことができる。
例えば、鉄道や路線バス等の路線図を考える際には、駅(節点)がどのように路線(辺)で結ばれているかが問題となる一方、線路が具体的にどのような曲線を描いているかは本質的な問題とならないことが多い。
したがって、路線図では駅間の距離や微妙な配置、路線の形状などがしばしば地理上の実際とは異なって描かれている。つまり、路線図の利用者にとっては、駅と駅の「つながり方」が主に重要な情報なのである。
このように、「つながり方」に着目して抽象化された「点とそれらをむすぶ線」の概念がグラフであり、グラフがもつ様々な性質を探求するのがグラフ理論である。
つながり方だけではなく「どちらからどちらにつながっているか」をも問題にする場合、エッジに矢印をつける。このようなグラフを有向グラフ、または、ダイグラフという。矢印のないグラフは、無向グラフという。
グラフを表現するのに、図ではなく、隣接行列を用いることがある。無向グラフの隣接行列は、対称行列になる。例えば、上のグラフは、次の隣接行列で表現できる。
日常的な問題や工学的問題の多くをグラフとして考えることができる。
グラフ理論は、1736年に「ケーニヒスベルクの問題」と呼ばれるパズルに対してオイラーが解法を示したのが起源のひとつとされる。この問題は、一筆書きと深く関連している。
集合 V , E と、E の元(げん、要素)に、二つの V を元の対で対応させる写像
の三つ組
を有向グラフという。V の元を G の頂点またはノード、E の元を G の辺または弧と呼ぶ。f(e)=(v, v)となるe∈Eはループに対応し、f(a)=f(b)となるa,b∈Eは多重辺に対応する。
P(V) を V の冪集合とする。E の元に V の 部分集合を対応させる写像
があって、E の任意の元 e について、e の像 g(e) の濃度が1または2であるとき、三つ組 | 991 |
グラフ理論 | の三つ組
を有向グラフという。V の元を G の頂点またはノード、E の元を G の辺または弧と呼ぶ。f(e)=(v, v)となるe∈Eはループに対応し、f(a)=f(b)となるa,b∈Eは多重辺に対応する。
P(V) を V の冪集合とする。E の元に V の 部分集合を対応させる写像
があって、E の任意の元 e について、e の像 g(e) の濃度が1または2であるとき、三つ組
を無向グラフという。V の元を G の頂点、E の元を G の辺と呼ぶ。 g(e)の濃度が1となるe∈Eはループに対応し、g(a)=g(b)となるa,b∈Eは多重辺に対応する。
単純グラフに限って言えば、E を最初からある集合の部分集合と考え、写像を用いずにグラフを定義することもできる:有向グラフでは、E を V×V の部分集合、無向グラフでは、E を P(V) の部分集合で、2つの元の集合だけからなるものとすればよい。
以下では単にグラフといった時には無向グラフを指す。
頂点の集合は V {\displaystyle V} 、辺の集合は E {\displaystyle E} で表す。グラフ G {\displaystyle G} が先に与えられている場合には、頂点集合を V ( G ) {\displaystyle V(G)} 、辺集合を E ( G ) {\displaystyle E(G)} と表すこともある。
数学以外の分野では、頂点を節点、辺を枝と呼ぶことが多い。辺を弧やリンクと呼ぶこともある。
グラフの辺に重み(コスト)が付いているグラフを、重み付きグラフと呼ぶ。乗換案内図の場合、駅間の所要時間が「重み」にあたる。重み付きグラフはネットワークとも呼ばれる(フローネットワーク, ベイジアンネットワーク, ニューラルネットワークなど)。
辺 e {\displaystyle e} の両端の点を端点といい、端点は辺 e {\displaystyle e} に接合(または接続)しているという。また、辺と辺がある頂点を共有しているとき、その辺どうしは隣接しているという。
2頂点間(隣接している必要はない)を経由する辺数を長さと呼び、特に最短経路における辺数を距離と呼ぶ。グラフ G の最大頂点間距離を直径と呼び、diam(G) と表す。 | 991 |
グラフ理論 | 辺 e {\displaystyle e} の両端の点を端点といい、端点は辺 e {\displaystyle e} に接合(または接続)しているという。また、辺と辺がある頂点を共有しているとき、その辺どうしは隣接しているという。
2頂点間(隣接している必要はない)を経由する辺数を長さと呼び、特に最短経路における辺数を距離と呼ぶ。グラフ G の最大頂点間距離を直径と呼び、diam(G) と表す。
ある辺の両端点が等しいとき、ループ(自己ループ)という。また、2頂点間に複数の辺があるとき、多重辺という。ループも多重辺も含まないグラフのことを単純グラフといい、ループや多重辺を含むグラフのことを多重グラフという。 | 991 |
グラフ理論 | 2頂点間(隣接している必要はない)を経由する辺数を長さと呼び、特に最短経路における辺数を距離と呼ぶ。グラフ G の最大頂点間距離を直径と呼び、diam(G) と表す。
ある辺の両端点が等しいとき、ループ(自己ループ)という。また、2頂点間に複数の辺があるとき、多重辺という。ループも多重辺も含まないグラフのことを単純グラフといい、ループや多重辺を含むグラフのことを多重グラフという。
2つのグラフ G {\displaystyle G} と G ′ {\displaystyle G'} について、 G ′ {\displaystyle G'} の頂点集合と辺集合が共に G {\displaystyle G} の頂点集合と辺集合の部分集合になっているとき、 G ′ {\displaystyle G'} は G {\displaystyle G} の部分グラフである、または G {\displaystyle G} は G ′ {\displaystyle G'} の拡大グラフであるといい、 G ′ ⊆ G {\displaystyle G'\subseteq G} と表す。特に、 G {\displaystyle G} と G ′ {\displaystyle G'} の頂点集合が等しいとき、 G ′ {\displaystyle G'} は G {\displaystyle G} の全域部分グラフであるという。また、 G {\displaystyle G} の頂点集合 V {\displaystyle V} の部分集合 U {\displaystyle U} を取り出して、両端点が U {\displaystyle U} に属する全ての辺を辺集合とする G の部分グラフ G [ U ] {\displaystyle G[U]} を、誘導部分グラフという。グラフ G {\displaystyle G} からある辺 e {\displaystyle e} を取り除き、その辺の両端点を一つの頂点にまとめることを(辺の)縮約といい、縮約の結果得られるグラフを G / e {\displaystyle G/e} と表す。 | 991 |
グラフ理論 | なお、誘導部分グラフの「誘導」はinducedの訳語である。induceの訳としてはこの「誘導する」の他に「生成する」がある。このため、誘導部分グラフのことを生成部分グラフということもある。一方、生成部分グラフは全域部分グラフのことを指すこともある。このため、生成部分グラフという語を使う際は、混乱がないか気を付ける必要がある。
頂点 v {\displaystyle v} に接続する枝の数を次数といい、 d ( v ) {\displaystyle d(v)} で表す。有向グラフにおいては、 v {\displaystyle v} に入ってくる辺数のことを入次数、 v {\displaystyle v} から出て行く辺数のことを出次数という。すべての頂点が同数の隣接点、つまり次数をもつグラフを正則グラフと呼ぶ。任意の頂点 v {\displaystyle v} について、 d ( v ) = k {\displaystyle d(v)=k} が成り立つとき、k -正則という。k -正則なグラフのことをk -正則グラフという。グラフ G {\displaystyle G} が持つ頂点の次数の最小値を δ ( G ) {\displaystyle \delta (G)} 、最大値を Δ ( G ) {\displaystyle \Delta (G)} で表す。また、次数 0 の頂点のことを孤立点という。 | 991 |
グラフ理論 | 隣接している頂点同士をたどった v 0 , e 0 , v 1 , e 1 , . . . , e n − 1 , v n {\displaystyle v_{0},~e_{0},~v_{1},~e_{1},...,~e_{n-1},~v_{n}} の系列を長さ n (≥ 0) の歩道(鎖・ウォーク)という。辺の重複を許さない歩道を路(小径・トレイル)という。頂点の重複を許さない場合、つまり、両端の2頂点の次数が1、それ以外のすべての頂点の次数が2であるグラフを、道(パス)、開いた歩道をパスという場合は単純パスという。また、始点と終点が同じ路のことを閉路(回路・循環 ・サーキット、サイクル)、始点と終点が同じ道(つまり e 1 , e 2 , . . . , e n , e 1 {\displaystyle e_{1},~e_{2},~...,~e_{n},~e_{1}} という路で e i {\displaystyle e_{i}~} が相異なるもの)のことを閉道(サイクル)という。
任意の 2 頂点間に枝があるグラフのことを完全グラフ(完備グラフ)という。 n {\displaystyle n} 頂点の完全グラフは、 K n {\displaystyle K_{n}} で表す。 K 3 {\displaystyle K_{3}} は三角形と呼ばれる。また、完全グラフになる誘導部分グラフのことをクリークという。大きさ(サイズ) n {\displaystyle n} のクリークを含むグラフは「n-クリークである」という。辺をもつグラフは必ず2頂点の完全グラフを含むので 2-クリークである。また n-クリークであって、直径が n 未満となるグラフを n-クランという。
グラフは物理学的、生物学的、社会的、および情報システムにおける多くの種類の関係と過程をモデル化するために使うことができる。多くの現実的問題はグラフによって表すことができる。現実世界のシステムへの応用を強調する時には、「ネットワーク」という用語がグラフを意味するために定義されることがある。このグラフでは、属性(例えば名前)が頂点および辺と関連付けられる。現実世界のシステムをネットワークとして表現し理解する主題はネットワーク科学(英語版)と呼ばれる。 | 991 |
グラフ理論 | 計算機科学において、グラフはコミュニケーション、データ編成、計算装置、計算の流れ等のネットワークを表すために使われる。例えば、ウェブサイトのリンク構造は有向グラフとして表すことができる。ここでは、頂点がウェブページを表し、有向辺があるページから別のページへのリンクを表す。同様のアプローチを、ソーシャルメディア、旅行、生物学、コンピュータチップ設計、神経変性疾患の進行のマッピング、そしてその他多くの分野における課題について取ることができる。したがって、グラフを取り扱うためのアルゴリズムの開発が計算機科学における主要な興味である。グラフの変換(英語版)はグラフ書換え系によってしばしば定式化され、表現される。グラフ変換系と相補的なグラフの規則に基づくメモリー内操作に注目したシステムが、グラフ構造を持つデータのトランザクションセーフで永続的な格納と問い合わせに対応したグラフデータベース(英語版)である。
様々な形式のグラフ理論的手法は言語学において特に有用であることが証明されている。これは、自然言語がしばしば離散構造へとよく適しているためである。伝統的に、統語論と合成意味論は木構造に従い、それらの表現力は、階層的グラフによってモデル化される構成性の原理(英語版)に密接に関係する。主辞駆動句構造文法といったより現代的な手法は型付き素性構造(これは有向非巡回グラフである)を用いて自然言語の構文をモデル化する。語彙意味論内、特に計算機へ応用としては、単語の意味のモデル化は、与えられた単語が関連する単語の観点から理解される時により容易である。したがって意味ネットワークは計算言語学において重要である。今で、哲学(例えば、格子グラフ(英語版)を用いる最適性理論)や形態論(例えば有限状態トランスデューサ(英語版)を用いる有限状態形態論)におけるその他の手法は、グラフとしての言語の解析において一般的である。実際、この数学の分野の言語学への有用性は、TextGraphs、WordNetやVerbNet(英語版)といった様々な "Net" プロジェクトのような組織を生んできた。 | 991 |
グラフ理論 | グラフ理論は化学および物理学において分子を研究するためにも使われる。凝縮系物理学では、シミュレーションした複雑な原子構造の3次元構造は、原子のトポロジーに関連したグラフ理論的性質に関する統計量を集めることによって定量的に研究することができる。また、ファインマンの計算のグラフと規則は、理解したい実験的数字と密接に関係した形式で量子場理論を要約する。化学では、グラフは分子についての自然な模型を作り、ここでは頂点が原子、辺が結合を表わす。このアプローチは分子構造の計算処理(分子エディタからデータベース探索まで)において特に使われる。統計物理学では、グラフは系の相互作用している部位間の局所的つながりや、こういった系における物理的過程のダイナミクスを表わすことができる。同様に、計算論的神経科学では、グラフは様々な認知過程を生じさせるために相互作用する脳領域間の機能的結合を表わすために使うことができる。ここでは、頂点が脳の異なる領域を表わし、辺がそれらの領域間の結合を表わす。グラフ理論は電気回路網の電気的モデリングにおいて重要な役割を果たす。ここで、重みはネットワーク構造の電気的性質を得るために有線部分の抵抗と関連付けられる。グラフは多孔質材料のミクロスケールチャネルを表わすらために使うこともできる。ここでは、頂点が孔を表わし、辺が孔間をつなぐより小さなチャネルを表わす。化学グラフ理論は分子をモデル化する手段として分子グラフを使用する。
グラフ理論は社会学においても、例えば、特に社会ネットワーク分析ソフトウェアを使って俳優の名声を見積ったり(英語版)、うわさの広がりを調査したりする手段として広く使われている。社会ネットワークの傘の下に、多くの異なる種類のグラフがある。知り合い関係グラフと友情関係グラフは人々が知り合いかどうかを記述する。影響グラフは特定の人々が他者の振る舞いに影響するかどうかをモデル化する。最後に、協調グラフは2人の人物が、映画で一緒に演技するといったある特定のやり方で協力するかどうかをモデル化する。 | 991 |
グラフ理論 | 同じく、グラフ理論は生物学および保全の取り組みにおいて有用である。ここでは、頂点が特定の種が存在(または生息)する地域を表わすことができ、辺は地域間の移動経路または移動を表わす。この情報は、繁殖パターンを見る時や、病気や寄生虫の広がり、移動が他の種にどのように影響しうるかを追跡するために重要である。
グラフ理論はコネクトミクスでも使われる。神経系はグラフとして見ることができる。ここで、節点はニューロンであり、辺はニューロン間のつながりである。
数学では、グラフは幾何学ならびに結び目理論といったトポロジーの特定の分野において有用である。代数的グラフ理論は群論と密接なつながりを持つ。代数的グラフ理論は動的系や複雑性を含む多くの分野に応用されている。
グラフ構造は、グラフのそれぞれの辺に重みを割り当てることによって拡張することができる。重み付きグラフは、対ごとのつながりが何らかの数値を持つ構造を表わすために使われる。例えば、グラフが道路網を表わすとすると、重みは各道路の長さを表わすことができるだろう。それぞれの辺に関連した複数の重み(距離、旅行時間、金銭的コストなど)が存在するかもしれない。このような重み付きグラフはGPSおよび飛行時間と費用を比較する旅行計画探索エンジンをプログラムするために一般的に使われる。
2022年から日本で導入される高等学校新学習指導要領の数学C(公式配布されるのは2024年4月)には「図、表、統計グラフ、離散グラフ及び行列などを用いて、日常の事象や社会の事象などを数学的に表現し、考察すること」とあり、日本では初めてグラフ理論にかかわる分野が高等学校の数学教科書に掲載される予定である。ただし、その分野を入試に出題する大学は殆どない。 | 991 |
データ構造 | データ構造(データこうぞう、英: data structure)とは、コンピュータプログラミングでの、データの集まりの形式化された構成である。格納された各データの参照や修正といった管理を容易にするための構成である。一定の関係性を持たせたデータ型のコレクションであり、データ値に適用するための関数や手続きも格納されることがある。データの代数的構造とも言われる。
ソフトウェア開発において、データ構造についてどのような設計を行うかは、プログラム(アルゴリズム)の効率に大きく影響する。そのため、さまざまなデータ構造が考え出されている。多くのプログラムの設計において、データ構造の選択は主要な問題である。これは大規模システムの構築において、実装の困難さや質、最終的なパフォーマンスはベストのデータ構造を選択したかどうかに大きく依存してきたという経験の結果である。
多くの場合、データ構造が決まれば、利用するアルゴリズムは比較的自明に決まる。しかし場合によっては、順番が逆になる。つまり、与えられた仕事をこなす最適なアルゴリズムを使うために、そのアルゴリズムが前提としている特定のデータ構造が選択される。いずれにしても適切なデータ構造の選択は極めて重要である。この洞察は、多くの定式化された設計手法やプログラミング言語において、データ構造がアルゴリズムよりもキーとなる構成要素となっていることに現れている。大半の言語は異なるアプリケーションにおいてデータ構造を安全に再利用できるよう、実装の詳細をインターフェースの背後に隠蔽するような、モジュール化のしくみを備えている。C++やJavaといったオブジェクト指向プログラミング言語はクラスをこの目的に用いている。 | 992 |
データ構造 | データ構造は専門的な、あるいは非専門的な(すなわち、あらゆる)プログラミングにとって非常に重要なので、C++におけるSTLや、Java API、および.NET Frameworkのようなプログラミング言語の標準ライブラリや環境において多くのデータ構造がサポートされている。データ構造が実装を表すのかインターフェースを表すのかについてはいくらか議論がある。どのように見えるかは相対的な問題なのかもしれない。データ構造は2つの関数の間にあるインターフェイスとして見ることもできるし、データ型に基づいて構成されたストレージにアクセスする方法を実装したものとして見ることもできる。 | 992 |
Python | Python(パイソン)はインタープリタ型の高水準汎用プログラミング言語である。
Pythonは1991年にグイド・ヴァン・ロッサムにより開発されたプログラミング言語である。
最初にリリースされたPythonの設計哲学は、ホワイトスペース(オフサイドルール)の顕著な使用によってコードの可読性を重視している。その言語構成とオブジェクト指向のアプローチは、プログラマが小規模なプロジェクトから大規模なプロジェクトまで、明確で論理的なコードを書くのを支援することを目的としている。
Pythonは動的に型付けされていて、ガベージコレクションされている。構造化(特に手続き型)、オブジェクト指向、関数型プログラミングを含む複数のプログラミングパラダイムをサポートしている。Pythonは、その包括的な標準ライブラリのため、しばしば「バッテリーを含む」言語と表現されている。
Pythonのインタプリタは多くのOSに対応している。プログラマーのグローバルコミュニティは、無料のオープンソース リファレンス実装であるCPythonを開発および保守している 。非営利団体であるPythonソフトウェア財団は、PythonとCPythonの開発のためのリソースを管理・指導している。
Pythonはインタプリタ上で実行することを前提に設計している。以下の特徴をもっている:
Pythonには、読みやすく、それでいて効率もよいコードをなるべく簡単に書けるようにするという思想が浸透しており、Pythonコミュニティでも単純で簡潔なコードをよしとする傾向が強い。
Pythonの本体は、ユーザがいつも必要とする最小限の機能のみを提供する。基本機能以外の専門機能や拡張プログラムはインターネット上にライブラリとして提供されており、別途ダウンロードして保存し、必要なツールはこのツールキットからその都度呼び出して使用する。
Pythonでは「あることをなすのに唯一の良いやり方があるはず」という哲学がある(参考: Perl「やり方は一つじゃない」)。
Pythonではプログラムの文書化(ソフトウェアドキュメンテーション)が重視されており、言語の基本機能の一部となっている。
インデントが意味を持つ「オフサイドルール」が特徴的である。
以下に、階乗 (関数名: factorial)を題材にC言語と比較した例を示す。 | 993 |
Python | Pythonでは「あることをなすのに唯一の良いやり方があるはず」という哲学がある(参考: Perl「やり方は一つじゃない」)。
Pythonではプログラムの文書化(ソフトウェアドキュメンテーション)が重視されており、言語の基本機能の一部となっている。
インデントが意味を持つ「オフサイドルール」が特徴的である。
以下に、階乗 (関数名: factorial)を題材にC言語と比較した例を示す。
Pythonのコード:
わかりやすく整形されたC言語のコード:
この例では、Pythonと整形されたC言語とでは、プログラムコードの間に違いがほとんど見られない。しかし、C言語のインデントは構文規則上のルールではなく、単なる読みやすさを向上させるコーディングスタイルでしかない。そのためC言語では全く同じプログラムを以下のように書くこともできる。
わかりにくいC:
Pythonではインデントは構文規則として決められているため、こうした書き方は不可能である。Pythonではこのように強制することによって、ソースコードのスタイルがその書き手にかかわらずほぼ統一したものになり、その結果読みやすくなるという考え方が取り入れられている。これについては賛否両論があり、批判的立場の人々からは、これはプログラマがスタイルを選ぶ自由を制限するものだ、という意見も出されている。
インデントによる整形は、単に「見かけ」だけではなく品質そのものにも関係する。例として次のコードを示す。
間違えたC:
このコードはC言語の構文規則上は問題無いが、インデントによる見かけのifの範囲と、言語仕様によるifの実際の範囲とが異なっているため、プログラマの意図が曖昧になる。(前者は"y = 0;"がif文に包含され、後者は"{}"がないため"y = 0;"がif文に包含されない)この曖昧さは、検知しにくいバグを生む原因になる。例としてはApple goto failが挙げられる。
ソースコードを読む際、多くの人はインデントのような空白を元に整列されたコードを読み、コンパイラのように構文解析しながらソースを読むものではない。その結果、一見しただけでは原因を見つけられないバグを作成する危険がある。 | 993 |
Python | ソースコードを読む際、多くの人はインデントのような空白を元に整列されたコードを読み、コンパイラのように構文解析しながらソースを読むものではない。その結果、一見しただけでは原因を見つけられないバグを作成する危険がある。
Pythonではインデントをルールとすることにより、人間が目視するソースコードの理解とコンパイラの構文解析の間の差を少なくすることで、より正確に意図した通りにコーディングすることができると主張されている。
Pythonは動的型付けシステムをもつ。同時に任意の型ヒントを持っており外部ツールによる静的型チェックを可能にしている。
値自身が型を持っており、変数はすべて値への参照である。
基本的なデータ型として、論理型・整数型・浮動小数点数型・複素数型・文字列型・バイト列型・関数型がある。整数型は(メモリの許す限り)無制限の桁数で整数計算が可能である。浮動小数点数型を整数型にキャストすると、小数点以下が切り捨てられる。
組み込みのコンテナ型として、リスト型、タプル型、辞書型、集合型がある。リスト型および辞書型はミュータブル、タプル型はイミュータブルである。集合型には変更可能なものと変更不能なものの2種類がある。タプル型とリスト型は、多くのプログラミング言語では配列と呼ばれるものに類似している。しかし、Pythonではタプル型は辞書のキーとして使うことができるが、リスト型は内容が変わるため辞書のキーとして使うことはできないという理由から、これら2つの型を区別している。
多くのオブジェクト指向プログラミング言語と同様、Pythonではユーザが新しく自分の型を定義することも可能である。この場合、組み込み型を含む既存の型を継承して新たな型(クラス)を定義する事も、ゼロから全く新しい型を作り出す事も出来る。
Pythonは基本的にメソッドや関数の引数に型を指定する必要がない。そのため、ダック・タイピングという、内部で必要とする演算子やメソッドに対応していれば、関数やオブジェクトの設計時点で意図していなかったオブジェクトを引き渡すことも可能である。
Pythonは型ヒントの構文を用意している。これはプログラマ向けの注釈および外部ツールによる静的型チェックに用いられる。
例として、文字列型の値を受け取って文字列型の値を返す関数は次のようにアノテーションできる。 | 993 |
Python | Pythonは型ヒントの構文を用意している。これはプログラマ向けの注釈および外部ツールによる静的型チェックに用いられる。
例として、文字列型の値を受け取って文字列型の値を返す関数は次のようにアノテーションできる。
Pythonはガベージコレクションを内蔵しており、参照されなくなったオブジェクトは自動的にメモリから破棄される。CPythonでは、ガベージコレクションの方式として参照カウント方式とマーク・アンド・スイープ方式を併用している。マーク・アンド・スイープ方式のみに頼っている言語では、オブジェクトがいつ回収されるか保証されないので、ファイルのクローズなどをデストラクタに任せることができない。CPythonは参照カウント方式を併用することで、循環参照が発生しない限り、オブジェクトはスコープアウトした時点で必ずデストラクトされることを保証している。なおJythonおよびIronPythonではマーク・アンド・スイープ方式を採用しているため、スコープアウトした時点で必ずデストラクトされることが前提のコードだとJythonやIronPythonでは正しく動かない。
イテレータを実装するためのジェネレータが言語仕様に組み込まれており、Pythonでは多くの場面でイテレータを使うように設計されている。イテレータの使用はPython全体に普及していて、プログラミングスタイルの統一性をもたらしている。
Pythonでは扱えるデータの全てがオブジェクトである。単純な数値といった基本的なデータ型をはじめ、組み込みのコンテナ型、組み込み関数など、これらは全て統一的な継承関係をもつオブジェクトであり「型」をもっている。これらの組み込み型とユーザ定義型は区別されず、組み込み型を継承したクラスを定義できる。上の「データ型」の項で述べたように Pythonは静的な型チェックを持たないため、Javaのようなインターフェイスという言語上の仕組みは必要とされない。
クラスの継承 (inheritance) メカニズムでは、複数の基底クラスを持つことができ(多重継承)、導出されたクラスでは基底クラスの任意のメソッドをオーバライド(override; 上書き)することが可能である。 | 993 |
Python | クラスの継承 (inheritance) メカニズムでは、複数の基底クラスを持つことができ(多重継承)、導出されたクラスでは基底クラスの任意のメソッドをオーバライド(override; 上書き)することが可能である。
また、オブジェクトには任意のデータを入れることができる。これらのメソッドやデータは、基本的に、すべてpublicであり、virtual(仮想)である。ただし、先頭にアンダースコアをもつメンバをprivateとすることができる。これは単なるマナーであるが、アンダースコアを2つもつ場合は、クラスの外部からメンバの名前を隠された状態(mangle; 難号化)とすることでカプセル化を実現できる。また、利用者定義演算子が機能として用意されておりほとんどの組み込み演算子(算術演算子(arithmetic operator)や添字表記)はクラスインスタンスで使うために再定義することが可能となっている。
Pythonには「電池付属 ("Battery Included")」という思想があり、プログラマがすぐに使えるようなライブラリや統合環境をあらかじめディストリビューションに含めるようにしている。このため標準ライブラリは非常に充実している。
サードパーティによるライブラリも豊富に存在する(参考: Python#エコシステム)。
Pythonは様々な組み込み型(built-in types)をサポートする。
Mapping型はハッシュ可能な値を任意のオブジェクトへ対応付ける型である。対応する具象クラスは dict である。抽象基底クラスに collections.abc.Mapping があり、抽象メソッドとして __getitem__, __iter__, __len__ が定義されている。__getitem__ をもったcollectionとも言える。
最初のPythonでは1バイト単位での文字列型のみ扱い、ひらがな・(全角) カタカナおよび漢字のようなマルチバイト文字はサポートしていなかったが、その後のPython 2.0からはUnicode文字型が新たに導入された。 | 993 |
Python | 最初のPythonでは1バイト単位での文字列型のみ扱い、ひらがな・(全角) カタカナおよび漢字のようなマルチバイト文字はサポートしていなかったが、その後のPython 2.0からはUnicode文字型が新たに導入された。
Python 3.0では、Python 2.xにおける文字列型がバイト列型に、またUnicode文字列型が文字列型に変更された。これにより、文字列をPython 3.0で扱う際には後述の変換処理を必ず行う必要がある。ファイル入出力などでエンコードを明示しなければ、標準エンコードを用いて暗黙に行われる場合も多い。これにより多言語の扱いを一貫したものにしている。
Pythonでは文字のエンコードとUnicodeの内部表現を明確に区別している。Unicode文字はメモリ中に保持される抽象的なオブジェクトであり、画面表示やファイルへの入出力の際には変換ルーチン(コーデック)を介して特定のエンコーディングのバイト列表現との間で相互に変換する。また、ソースコード中の文字コードを認識する機能があり、これによって異なる文字コードで書かれたプログラムの動きが異なるリスクを解消している。
Pythonでは変換ルーチンをモジュールとして追加することで、さまざまなエンコーディングに対応できるようになっている。日本語の文字コード (EUC-JP, Shift_JIS, MS932, ISO-2022-JP) に対応したコーデックも作成されている。Python 2.4からは、日中韓国語用のコーデックが標準でディストリビューションに含まれるようになったため、現在では日本語の処理に関する問題はほとんどなくなった。ただしGUIライブラリであるTkinterや統合開発環境のIDLEは、プラットフォームにもよるが、まだきちんと日本語に対応していないものもある。 | 993 |
Python | ソースコードの文字コードには、ASCIIと互換性があり、Pythonが対応しているものを使用する。ソースコードのデフォルトエンコーディングは、Python 3.xではUTF-8(ソースコード以外のPython 3のデフォルトエンコーディングは複雑になっている)、Python 2.xではASCIIであるが、デフォルトエンコーディング以外の文字コードを使う場合は、ソースファイルの1行目か2行目に一定の書式でコメントとして記述することになっており、しばしば以下のようにEmacsやVimなどのテキストエディタにも認識可能な書式で記述される(次の例は Emacs が認識できる書式)。
Pythonはインタプリタ型言語であり(ほとんどの場合)プログラムの実行に際して実行環境(ランタイム)を必要とする。以下はランタイム(実装)およびそれらが実装されているプラットフォームの一覧である。
Pythonの最初のバージョンはAmoeba上で開発された。のちに多くの計算機環境上で動作するようになった。
Pythonには複数の実装(ランタイム又はコンパイラ)が存在する。
Pythonはパッケージ管理ソフト・ライブラリ・レポジトリなどからなるエコシステムを形成している。
Pythonのパッケージ管理はpip・pipenv・poetry・EasyInstallなどのパッケージ管理システムによっておこなわれる。バイナリパッケージのフォーマットにはwheelがあり、これをインタフェースとしてビルドシステムとパッケージ管理システムの分離が可能になっている。
Python Package Index (PyPI) と呼ぶ公式のパッケージリポジトリが存在する。
パッケージ管理および実行環境管理を含めた統合開発環境としてはAnaconda (Pythonディストリビューション)が存在する。
Pythonは多様なコミュニティライブラリによって支えられている。 | 993 |
Python | Python Package Index (PyPI) と呼ぶ公式のパッケージリポジトリが存在する。
パッケージ管理および実行環境管理を含めた統合開発環境としてはAnaconda (Pythonディストリビューション)が存在する。
Pythonは多様なコミュニティライブラリによって支えられている。
Pythonは全世界で使われているが、欧米の企業でもよく使われている。大企業ではマイクロソフトやAppleなどのパッケージソフトウェア企業をはじめ、Google, Yahoo!, YouTube などの企業も利用している。また携帯電話メーカーのノキアでは、S60シリーズでPythonアプリケーションが動く。研究機関では、NASAや日本の高エネルギー加速器研究機構でPythonが使われている。
適応範囲はデータサイエンス、Webプログラミング、GUIベースのアプリケーション、CAD、3Dモデリング、数式処理など幅広い分野に及ぶ。
NumPy, SciPyなどの高速な数値計算ライブラリの存在により、データサイエンスや科学技術コンピューティングにもよく用いられる。NumPy, SciPyの内部はC言語で書かれているので、動的スクリプト言語の欠点の一つである動作速度の遅さを補っている。Numba を使うと、Python のコードが LLVM に JITコンパイルして利用可能であり、非常に高速な計算ができる。TensorFlow などのライブラリにより GPU 上で高速に計算するライブラリも充実している。
JetBrains とPythonソフトウェア財団による共同調査によると、2017年10月現在、最も主要な用途は何かというアンケートで、用途の27%がデータサイエンス(そのうち18%がデータ解析、9%が機械学習)である。
Django や Flask といったWebアプリケーションフレームワークが充実しているため、Webアプリケーション開発用途にも多く使われている。JetBrains とPythonソフトウェア財団による共同調査によると、2017年10月現在、26%の人が最も主要な用途としてWeb開発を選んだ。 | 993 |
Python | Django や Flask といったWebアプリケーションフレームワークが充実しているため、Webアプリケーション開発用途にも多く使われている。JetBrains とPythonソフトウェア財団による共同調査によると、2017年10月現在、26%の人が最も主要な用途としてWeb開発を選んだ。
スクリプト言語としての特性から、従来Perlやシェルスクリプトが用いられることの多かったシステム管理用のスクリプトとして複数のOSで採用されている。また、異なる言語で書かれた多数のモジュールの機能を貼り合わせるグルー言語(糊の言語)として利用する例も多い。実際、多くの商用アプリケーションで Python は組み込みのスクリプト言語として採用されている。
JetBrains とPythonソフトウェア財団による共同調査によると、2017年10月現在、9%の人が最も主要な用途としてDevOps, システム管理, 自動化スクリプトを上げた。
Pythonは教育用の目的で設計されたわけではないが、その単純さから子供が最初に学ぶプログラミングにおける教育用の言語としても利用が増えている。グイド・ヴァンロッサムはPython設計以前に教育用言語であるABCの開発にかかわり、教育用としての利用について期待感を示したこともあり、方針として非技術者向けといった利用を視野に入れているとされることもある。
私の大好きなPython利用法は、騒ぎ立てずに、言語教育でプログラミングの原理を教えること。それを考えてくれ――次の世代の話だね。-- スラッシュドット・ジャパン『 Guido van Rossum へのインタビュー』
情報処理推進機構 (IPA) は国家試験の基本情報技術者試験で2020年の春期試験より COBOL を廃止して Python を追加した。
日本の高等学校情報科「情報I」の教員向け研修教材の中で、プログラミング用言語としてPythonが使われている。 | 993 |
Python | 情報処理推進機構 (IPA) は国家試験の基本情報技術者試験で2020年の春期試験より COBOL を廃止して Python を追加した。
日本の高等学校情報科「情報I」の教員向け研修教材の中で、プログラミング用言語としてPythonが使われている。
ただし、Pythonの言語は,言語自身に組み込まれている型とそれに付随するメソッドの多いことなどから,C言語などと較べて遙かに多くの憶えねばならない事柄があることになる。持つ機能の一部に限定して教育に使えば,憶える事柄を減らせるが,言語の機能をすべて知らなければ他人によって書かれたプログラムを正しく理解することが出来ない可能性がある。変数自身には型が無いことからプログラム上で扱われているデータ・オブジェクトの型が何であるかは実行時に決まるので、それを読み解きながらでないとプログラムの動作をうまく理解しにくい場合もある。
また、Pythonは処理の記述が最低一行で済む位文法がシンプルなため、まだプログラミングについてあまり深く知らない子どもにとっても取り組みやすい言語と言える。
Pythonはその文法のシンプルさのおかげで、 誰が書いても似たようなコードになるという性質があるので、学習していけば大人の作成したコードを理解できるようになる。
また、シンプルな文法なのでコードを記述している途中で混乱することがあまりなく、子どもが途中で投げ出しにくいという点も教育用として利用される理由でもある。 | 993 |
Python | Pythonはその文法のシンプルさのおかげで、 誰が書いても似たようなコードになるという性質があるので、学習していけば大人の作成したコードを理解できるようになる。
また、シンプルな文法なのでコードを記述している途中で混乱することがあまりなく、子どもが途中で投げ出しにくいという点も教育用として利用される理由でもある。
Pythonはプロスポーツの分析によく使われている。メジャーリーグベースボール(野球)、イングリッシュプレミアリーグ(サッカー)、ナショナルバスケットボールアソシエーション(バスケットボール)、ナショナルホッケーリーグ(アイスホッケー)、インディアンプレミアリーグ(クリケット)の実際のデータセットからのスポーツ分析は、ベストセラーの本と映画であるマネーボールによって示される現実世界の成功によって部分的に推進され、人気が高まっている研究分野として浮上している(セイバーメトリクス)。チームとプレーヤーのパフォーマンスデータの分析は、フィールド、コート、氷上だけでなく、ファンタジースポーツプレーヤーやオンラインスポーツギャンブルのリビングルームでもスポーツ業界に革命をもたらし続けている。実際のスポーツデータを使用した予測スポーツ分析の原則を使用して、プレーヤーとチームのパフォーマンスを予測する。
Pythonを使ってデータをプログラミングする方法を示したり、マネーボールのストーリーの背景にある主張を検証したり、マネーボールの統計の進化を調べたりすることが可能である。公開されているデータセットから野球のパフォーマンス統計を計算するプロセスを案内される。実行期待値マトリックスを使用して導出された、より高度な測定値(Wins Over Replace(WAR)など)に進む。これらの統計を使用して、独自のチームおよびプレーヤーの分析を行うことができるようになる。 | 993 |
Python | Pythonを使用してプロスポーツの試合結果の予測を生成する方法の主な重点は、チームの支出に関するデータを使用して、ゲームの結果をモデル化する方法としてロジスティック回帰の方法を教えることである。過去の結果をモデル化し、そのモデルを使用して、まだプレイされていない結果のゲームを予測するプロセスを実行する。ベッティングオッズのデータを使用してモデルの信頼性を評価する方法をオーナーに示す。分析は最初に英国プレミアリーグに適用され、次にNBAとNHLに適用される。データ分析とギャンブルの関係、その歴史、および個人的なリスクを含むスポーツベッティングに関連して発生する社会的問題の概要も説明する。マネーボールは、データ分析を使用してチームの勝率を高めることができることを示すことにより、プロスポーツのパフォーマンス統計の分析に革命を引き起こした。
Pythonを使用してデータをプログラムし、マネーボールのストーリーの背後にある主張をテストし、マネーボール統計の進化を調べる方法を示し、公開されているデータセットから野球のパフォーマンス統計を計算するプロセスができる。スポーツ分析には、トレーニングと競技の両方の取り組みを定量化するアスリートとチームからの大量のPythonデータセットが含まれるようになった。ウェアラブルテクノロジーデバイスは、アスリートが毎日着用しており、シーズン全体にわたるアスリートのストレスと回復を詳細に調べるためのかなりの機会を提供する。これらの大規模なデータセットのキャプチャは、怪我の予防に関する新しい仮説と戦略、およびトレーニングと回復を最適化するためのアスリートへの詳細なフィードバックにつながった。Pythonでのプログラミングを使用して、トレーニング、回復、パフォーマンスに関連する概念を調査することもできる。 | 993 |
Python | Python Scikit-learn(sklearn)ツールキットと実際の運動データを使用して教師あり機械学習手法を探索し、機械学習アルゴリズムと運動結果の予測方法の両方を理解する。サポートベクターマシン(SVM)、決定木、ランダムフォレスト、線形回帰およびロジスティック回帰、アンサンブルなどの方法を適用して、NHLやMLBなどのプロスポーツリーグからのデータを調べる。また、Apple Watchや慣性測定ユニット(IMU)などのウェアラブルデバイスも含まれる。分類と回帰の手法を使用して、運動活動やイベント全体であるスポーツ分析を可能にする方法を幅広く理解できるようになる。スポーツコンテストのカテゴリ別結果変数(つまり、勝ち、引き分け、負け)を処理する際の回帰モデル、線形確率モデル(LPM)を、その理論的基礎、計算アプリケーション、および経験的制限の観点からモジュールは、カテゴリ従属変数のLPMのより良い代替として、ロジスティック回帰をし、デモンストレーションする。順序付けられたロジットモデルと公開されている情報を使用してEPLサッカーゲームの結果を予測する方法を示す。ベッティングオッズに対してこれらの予測の正確さを評価し、それらが非常に正確であることを示す。北米の3つのチームスポーツリーグ(NHL、NBA、MLB)のコンテキストでモデルを複製することにより、前週に取り上げたEPL予測モデルの有効性を評価する。具体的には、順序付けられたロジットモデルと公開されている情報を使用して、NHL、NBA、MLBのレギュラーシーズンゲームの結果を予測する。
元々はAmoebaの使用言語であるABC言語に例外処理やオブジェクト指向を対応させるために作られた言語である。
1991年にヴァンロッサムがPython 0.90のソースコードを公開した。この時点ですでにオブジェクト指向言語の特徴である継承、クラス、例外処理、メソッドやさらに抽象データ型である文字列、リストの概念を利用している。これはModula-3のモジュールを参考にしていた。
1994年1月、Python 1.0を公開した。主な特徴として関数型言語の基本であるラムダ計算を実装、map関数・reduce関数などを組み込んだ。 | 993 |
Python | 1994年1月、Python 1.0を公開した。主な特徴として関数型言語の基本であるラムダ計算を実装、map関数・reduce関数などを組み込んだ。
バージョン1.4からはCommon Lispにある機能とよく似たキーワード引数を導入した。また簡易ながら名前修飾を用いたカプセル化も実装した。
2000年に公開。ガベージコレクションやUnicode、リストを導入した。一躍メジャーな言語となった。多くの機能はHaskellを参考にして導入している。
バージョン2.4には、子プロセスの起動やコマンドを実行できるsubprocessモジュールが実装された。
2.6以降のバージョンには、2.xから3.xへの移植を助ける「2to3 ツール」と「lib2to3 モジュール」を含んでいる。2.7が2.xの最後のバージョンで、2.7のサポートは2020年1月1日までである。ただし、サポート終了後に 2.7.18 を2020年4月にリリースし、これが最後の 2.7.x になる。これ以上のセキュリティパッチやその他の改善はリリースされない。
2008年、長い試験期間を経てPython 3.0が公開された。 開発初期には、西暦3000年に公開予定の理想のPythonとして、Python 3000と呼んでいた。Py3Kと略すこともある。
しかし2.xとの後方互換性が損なわれている。当初は2.xに比べて3.xが利用できるライブラリ等が著しく少ないという問題点があったが、Djangoなど徐々に3.xに対応したフレームワークやライブラリなどが増えていったこともあり、2016年時点においては新規のプロジェクトについて3.xで開発することが多くなっている。JetBrains とPythonソフトウェア財団による共同調査では、Python の 2 と 3 がどっちがメインであるかというアンケートで、Python 3 がメインであると答えた人が、2016年1月は40%だったが、2017年10月は75%になった。 | 993 |
Python | 2015年11月にリリースされたFedora 23や2016年4月にリリースされたUbuntu 16.04 LTSでは、デフォルトでインストールされるPythonのバージョンが2.xから3.xに変更されている。Red Hat Enterprise Linuxでは7.5をもってPython 2が廃止予定(deprecated)となった。
3.0
3.1
3.2
Pythonは PSF (Python Software Foundationライセンス) の下、オープンソースで配布されている。このライセンスの内容はGPLに類似したものであるが、変更したバージョンを配布する際に変更をオープンソースにしなくてもよい、という点がGPLとは異なっている。 | 993 |
カトリシズム | カトリシズム(羅: Catholicismus、英: Catholicism)は、本来はカトリック教会における普遍的(コモンセンス[共通-普遍通念-概念])・同教会の理念・信仰・礼拝・実践であるカトリック(公同(こうどう)、羅: catholicus、英: Catholic、蘭: katholiek)を奉じる主義・思想のことである。
後に「カトリック」という言葉が、ローマ教皇を長とするローマ教会の首位権を認めてこれを正統視する集団が自称するようになると、同教会が掲げる理念・信仰・礼拝・実践に基づいた宗教観・世界観およびそこから派生した思想・芸術その他を指すようになった(カトリック教会)。
その一方で、正教会やプロテスタントはローマ教会が唱える唯一のカトリックの語源としての性格を認めていない。例えば、東方正教会は自らをもって「聖なる正統教会」であると主張し、プロテスタントは正しい福音と聖礼典が行われる全ての教派を包括すると唱える。
聖公会は自己のカトリック性の正統については論じるものの他派のカトリック性には触れない姿勢を採っている。また、ローマ教会(カトリック教会)も他の教派のカトリック性こそは認めないものの、その信徒に関しては洗礼を受けた全てのキリスト教徒を自己の信徒であるとするのが通説である(宗教改革期には、ローマ教皇を奉じない異端および異教徒には神の恩寵の一滴すら落ちることは無いとする神学者の説もあったが、あくまでも過激な主張の1つでしかない)。
このため、今日のキリスト教社会においては「カトリック」という言葉が次の5つの意味で用いられることが多い。
カトリック(公同)という言葉は、元はギリシア語の「普遍的」・「世界的」を意味する“katholikos”に由来するとされ、アンティオキアのイグナティオスが晩年にスミルナの教会宛に書いた書簡の中に登場するのが初出であるとされている。ここでは、イエス・キリストの教えを全ての教会が忠実に守ってその正統な神学を擁護し、異端的な分派を生み出さないことを希求していた。 | 996 |
カトリシズム | カトリック(公同)という言葉は、元はギリシア語の「普遍的」・「世界的」を意味する“katholikos”に由来するとされ、アンティオキアのイグナティオスが晩年にスミルナの教会宛に書いた書簡の中に登場するのが初出であるとされている。ここでは、イエス・キリストの教えを全ての教会が忠実に守ってその正統な神学を擁護し、異端的な分派を生み出さないことを希求していた。
また、3世紀のカルタゴの司教キプリアヌスは著書『カトリック教会統一論』(251年)において、教会におけるカトリック性の要件として唯一の正典・教理・組織・洗礼の存在を掲げている。これらはあらゆる時代に生きる全人類が人間生活を送る上で必要かつ適切な規範であり、その実践を通じて初めて神からの救済が得られ、あるいは聖化が行われるものと考えられた。
その後、ペトロの教えを継承するローマ教会の権威が高まり、更にローマ帝国がこれまでの迫害政策をやめてキリスト教の公認・国教化へと路線を転換した4世紀にはさまざまな分派的な動きに対抗するためにローマ教会への結集を働きかける動きが強まった。
380年にローマ皇帝テオドシウス1世によって出された『クンクトス・ポプロス』(Cunctos populos)はペテロがローマ人に伝えた信仰がカトリック性を有する信仰であると定義(結果的にペトロが創設したとされるローマ教会がその教えの継承者となる)。続いて、381年のコンスタンティノポリス公会議におけるニカイア・コンスタンティノポリス信条において、ローマを頂点とする教会が聖的・使徒的・普遍的(すなわち「カトリック」)であることが確認されたのである。以後、ローマ教会は自己を「唯一の真なる教会」と位置づけて自らを「カトリック教会」と名乗るようになった。
ローマ帝国崩壊以後、フランク王国・神聖ローマ帝国などの諸国家の庇護を受けて発展していったローマ教会とローマとの交通が途絶しがちとなり、未だ健在であったビザンツ帝国(東ローマ帝国)の庇護を受けて発展したコンスタンディヌーポリスのコンスタンディヌーポリ総主教庁を中心とする東方の教会との教理的・儀礼的な齟齬が深刻化していった。 | 996 |
カトリシズム | ローマ帝国崩壊以後、フランク王国・神聖ローマ帝国などの諸国家の庇護を受けて発展していったローマ教会とローマとの交通が途絶しがちとなり、未だ健在であったビザンツ帝国(東ローマ帝国)の庇護を受けて発展したコンスタンディヌーポリスのコンスタンディヌーポリ総主教庁を中心とする東方の教会との教理的・儀礼的な齟齬が深刻化していった。
やがて1054年にはいわゆる「東西教会の分裂」が発生したとされ、キリスト教教会はローマ教会と東方正教会に分裂した。ただし、この1054年に実際に発生したのは、教皇使節とコンスタンディヌーポリ総主教の相互破門というセンセーショナルではあるが、教会全体から見れば小さな事件であり、実際の分裂はローマ帝国分裂時から醸成され、1204年の第4回十字軍によるコンスタンディヌーポリス占領によって決定的になったとする見方もある。
ともあれ、中世後期には東西教会の分裂は紛れも無い事実として顕れ、東西それぞれの教会が「真にして唯一の教会」であると主張して譲ることがない状況が今日まで継続されることとなる。もっとも、東方正教会ではローマ教会を連想させる「カトリック」という言葉を避けて、替わりに「聖なる正統教会」(Holy Orthodox Church)という語を用いてその普遍性を強調している。
更に、宗教改革によるプロテスタント教会の成立によって教会の分裂は深刻化することになる。プロテスタントは聖書のみを唯一の権威として個々の信仰者の自由と主体性を重んじ、また義認の問題においては信仰義認を唱えた。
こうした状況に対してローマ教会側には自らのアイデンティティに対する真摯な反省と強い危機感が生み出され、同教会が唯一の教会であり、キリストへの信仰を媒介できる唯一の存在であるとする理論付けが行われるようになった。これが「カトリシズム」の形成である。「カトリシズム」という言葉が具体的に定義づけられたのは、ヘーゲルの『美学講義』によるものとされているが、カトリシズム自体は宗教改革期に生み出されて発展してきたものである。
カトリシズムを代表する言葉に「教会外に救い無し」という命題がある。これは、カトリック以外のキリスト教徒および異教徒には救いがないというのではなく、 | 996 |
カトリシズム | カトリシズムを代表する言葉に「教会外に救い無し」という命題がある。これは、カトリック以外のキリスト教徒および異教徒には救いがないというのではなく、
と、いう論理展開を行い、人間の本性はその堕落を経てもなおも神による普遍的な救済意志の恩恵を受ける資格を有しているとする。その救済を受けるためにはイエス・キリストの体に替わる存在であるローマ教皇を頂点とする教会組織に加入することによって「新しい神の民」となり、その信仰が福音の真理から逸脱しない保証を獲得する必要があるとした。また、カトリシズムは自然と恩恵の相互作用を重視して、奇蹟などの恩恵して、自然現象・科学理論のみを万能とする考えにも、逆に自然的な作用・努力を無視して、人間の本性=堕落として全否定してひたすら神の恩恵・救済のみを待ち続ける考えにも強く反対している。
これに対して反対派からは、
などの反論が行われて、長く論争が行われることとなる(もっとも、最後の2点については中傷あるいは誤解に基づく要素が含まれており、今日のカトリシズム批判者でもこの主張をする者はほとんどいないとされている)。
また、人間に対する楽観主義からカトリシズムは厳格な倫理観の一方で、芸術や音楽に対しては人間の信仰の表出のために行われる営みの一環として捉えられている。これは人間の自由と主体性を重視しながらも聖画像をはじめとする芸術・音楽の類が福音の純粋性を曇らせる危険性を唱えるプロテスタンティズムとは対照的である。
当初、カトリック教会はプロテスタントに対する強硬な敵意からカトリック教会以外の救いを否定するような過激な主張も存在し、教皇を頂点とするヒエラルキア的組織であるローマ教会の組織防衛に重点が置かれるとともに、秘蹟による恩寵手段に主張の重点が置かれた。
20世紀に入ると、カトリシズムを唱える人々の間にも組織防衛に力を注ぎすぎて、カトリック理念の根幹であるキリスト教の普遍的理念の確立からは却って遠ざかっていることに対する反省が生まれ、フランスのイヴ・コンガールらを中心とした「新神学」運動が発生した。 | 996 |
カトリシズム | 20世紀に入ると、カトリシズムを唱える人々の間にも組織防衛に力を注ぎすぎて、カトリック理念の根幹であるキリスト教の普遍的理念の確立からは却って遠ざかっていることに対する反省が生まれ、フランスのイヴ・コンガールらを中心とした「新神学」運動が発生した。
1962年の第2バチカン公会議においては「カトリシズムとは何か?」という根本的な議論が行われた。その結果、「教会憲章」および「現代世界憲章」が採択され、聖職者は信徒の支配者ではなく公僕であること、それぞれの地域に存在する伝統文化に対する配慮の必要性を認めることなど、より一般の信徒全体を重視する方針を打ち立て、従来のヒエラルキア的組織こそは維持するものの、内外のカトリシズムに対する批判に答える形でカトリック教会内部の改革が推し進められた。
ただし、ローマ教会(教皇庁)が2007年になって、ローマ教皇ベネディクト16世の承認の元に「ローマ・カトリック教会は唯一の正統な教会である」との記述内容を含む文書を公表したために、東方正教会およびプロテスタント教会からの強い反感を買うなど、依然としてローマ教会=カトリックの姿勢の堅持の姿勢を示している点には注目される。 | 996 |
80年代 | 80年代(はちじゅうねんだい)は、西暦(ユリウス暦)80年から89年までの10年間を指す十年紀。 | 1,001 |
認識論 | 認識論(にんしきろん、英: Epistemology)は、認識、知識や真理の性質・起源・範囲(人が理解できる限界など)について考察する、哲学の一部門である。存在論ないし形而上学と並ぶ哲学の主要な一部門とされ、知識論とも呼ばれる。
日本語の「認識論」はドイツ語からの訳語であり、カント『純粋理性批判』以後のドイツ哲学に由来する。フランス現代思想では「エピステモロジー」という分野があるが、20世紀にフランスで生まれた科学哲学の一つの方法論ないし理論であり、日本語では「科学認識論」と訳される。
哲学はアリストテレス以来大きく認識論と存在論に大別され、現在もこの分類が生きている。認識論ではヒトの外の世界を諸々の感覚や理性等を通じていかに認識していくかが問題とされる。
認識という行為は、人間のあらゆる日常的、あるいは知的活動の根源にあり、認識の成立根拠と普遍妥当性を論ずることが認識論である。しかし、仮説を立て実験によって検証するという科学的方法論は長年取り入れられることはなかった。内観法が哲学者の主たる武器であった。19世紀末ごろ、認識論の一部が哲学の外に出て心理学という学問を成立させるが、初期にはもっぱら内観や内省を方法論とし、思弁哲学と大差はなかった。やがて、思弁を排し客観的、科学的方法論を意図する実験心理学が登場し、認識論の一部は、心理学に分かれていった。錯覚現象などがその研究対象になった。実験心理学では、データの統計的処理では科学的であったが、なぜ錯覚が生まれるかというメカニズムの解明では、仮説を立て実験データとの照合を論じてはいたものの、その仮説自体はやはり思弁に過ぎなかった。それを嫌い人間の主観を離れて、実験動物を用いた観察可能な行動のみを研究対象とする一派も存在したが、人間の認識は研究対象から外された。このため、認識論の問題は比較的最近まで自然科学化されずに哲学の領域にとどまり続けた。
多義的な語なので注意が必要である。日本語の「認識論」は 独: Erkenntnistheorie の訳語である。ドイツで初めてこの語を用いたのはドイツの哲学者K・ラインホールトであると言われているが、もちろん認識論的な問題そのものは古代ギリシアから存在した。 | 1,002 |
認識論 | 多義的な語なので注意が必要である。日本語の「認識論」は 独: Erkenntnistheorie の訳語である。ドイツで初めてこの語を用いたのはドイツの哲学者K・ラインホールトであると言われているが、もちろん認識論的な問題そのものは古代ギリシアから存在した。
英語の Epistemology と仏語の Épistémologie の語源は、ギリシア語の「知」(希: epistēmē、エピステーメー)と、合理的な言説(希: logos、ロゴス)を合成したものであり、スコットランドの哲学者J・フェリエが1854年に出版した「形而上学概論」で初めて使用したとされる。
英語の Epistemology は theory of knowledge と互換的な意味あいがあるが、仏語の Épistémologie はそのような意味合いはなく、あくまで科学哲学の一つの方法論ないし理論であり、日本語では「科学認識論」と訳される。フランス語の 仏: Théorie de la connaissance はグノセオロジー(フランス語版) とも呼ばれる。
認識論で扱われる問いには次のようなものがある。
認識論は、今日、「哲学的認識論」と、20世紀にフランスで生まれた「科学的認識論」の二つに大別され、哲学的認識論についても古典的認識論と現代的認識論の区別が必要であるとされる。そこで、以下に、まずは歴史の流れに沿って哲学的認識論について解説する。 | 1,002 |
認識論 | 認識論で扱われる問いには次のようなものがある。
認識論は、今日、「哲学的認識論」と、20世紀にフランスで生まれた「科学的認識論」の二つに大別され、哲学的認識論についても古典的認識論と現代的認識論の区別が必要であるとされる。そこで、以下に、まずは歴史の流れに沿って哲学的認識論について解説する。
今日でいうところの認識論的な問題の原典は、プラトンの『テアイテトス』にまで遡ることができる。本対話篇では「知識とは何か?」という問いに対し、知識とは常に存在し、疑いなきものであるとの対話者間の共通の前提から、テアイテトスはまず知識とは知覚であると主張する。これに対して、ソクラテスは、知覚は人それぞれによって異なるものであるとした上で、「人間は万物の尺度である」と主張して相対主義を唱えたプロタゴラスを引き合いに出し、彼が自らの思いが真であると固執すれば、自らの思いが偽であると認めざるを得なくなるとしてその主張を論難する。テアイテトスは引き続き知識とは真なる意見であると主張し、更に真なる意見に説明を加えたものであるとも主張するが、いずれもソクラテスによって論難され、結局のところ、本対話篇では、知識とは何かに対する回答は示されず、アポリアに終わる。しかしながら、そこでは、知識とは、正当化された真なる確信であるという定式を既に見出すことができる。
プラトンにとって知識とは常に存在する普遍的なものでなければならないが、それは実体であるイデアの世界にあり、この現実の世界は仮象の生成流転する世界であって永遠に存在するものはなにもない。したがって、知識も決して師や賢者が一方的に教授できるものではなく、弁論術による対話を通じてようやく到達できるものである。プラトンの著作が対話篇という形をとり、その結末がアポリアを呈示する形で終わっているのは、このようなプラトンの思想を反映したものである。プラトンによれば、物の本質は、感覚によって把握することはできず、物のイデアを「心の眼」で直視し、「想起」することによって認識することができる。 | 1,002 |
認識論 | プラトンは、知識とは正当化された真なる確信であるという定式を否定したのだが、その理由は「ある事」を確信しているということは、その正当化の理由となる「ある事」を既に知っているからであるという循環論法を疑ったからである。これに対して、アリストテレスは、知には常に何らかの前提が存在していることを否定せず、ある事を確信している場合、その前提となっている理由はその都度問われても良いと考えた。
また、プラトンは感覚を五感に制限せず、「精神の目」と呼ばれる内的感覚を認めていたが、アリストテレスはこれを否定し、広い意味での経験によって得られるもののみを知と見て、知の諸形式を知覚、記憶、経験、学問に分類した。
さらに、アリストテレスは、その学問体系を、「論理学」をあらゆる学問成果を手に入れるための「道具」(希: organon)であるとした上で、「理論」(テオリア)、「実践」(プラクシス)、「制作」(ポイエーシス)に三分し、理論学を「自然学」と「形而上学」、実践学を「政治学」と「倫理学」、制作学を「詩学」に分類した。アリストテレスによれば、形而上学は存在するものについての「第一哲学」であり、始まりの原理についての知である。また、彼は、その著書『形而上学』において、有を無、無を有と論証するのが虚偽であり、有を有、無を無と論証するのが真であるとした。そこでは、「有・無」という「存在論」が基礎にあり、これを「論証する」という「判断」が支えている。そこでは、存在論が真理論と認識論とに分かちがたく結び付けられている。アリストテレスの学問体系は、その後、トマス・アクィナスらを介して古代・中世の学問体系を規定することとなったが、そこでは、認識論的・真理論的な問題は常に存在論と分かちがたく結び付いていた。そのため、形而上学の中心的な問題は存在論であった。
アウグスティヌスの認識論は、プラトンのイデア思想の流れをくむものであり、存在論と幸福論とが一体となっている。 | 1,002 |
認識論 | アウグスティヌスの認識論は、プラトンのイデア思想の流れをくむものであり、存在論と幸福論とが一体となっている。
彼によれば、人間は魂と身体の複合体であり、両者は共に独立した実体であり、魂は「わたし」という意思である。魂は自律するゆえに、探求するが、彼を探求に導くものは愛であり、愛は最後の憩いの場として万有の根源である神を求める。「神は存在である」(羅: Deus est esse)、神が自己自身を認識することによって、われわれの認識が始まる。したがって、神は認識の原理であるとともに真理である。人は真理を認識するためには、感覚(外的人間)に頼るのではなく、理性(内的人間)によらなければならない。創世記には、神は人間を神の似姿として創ったとあり、神に似るのは動物にはない人間のみが有する理性部分だからである。理性は外に向かうのではなく、内部に向かい、それを超えた果てに真理を見る。内的人間と真理との一致に霊的な最高の喜びがある。 | 1,002 |
認識論 | トマス・アクィナスの認識論は、アリストテレスの思想の流れをくむ。トマス・アクィナスは、アリストテレスの存在論を承継しつつも、その上でキリスト教神学と調和し難い部分については、新たな考えを付け加えて彼を乗り越えようとした。トマスにとって、神は、万物の根源であるが、アリステレスの説くように純粋形相ではあり得なかった。旧約聖書の『出エジプト記』第3章第14節で、神は「私は在りて在るものである」との啓示をモーセに与えているからである。そこで、彼は、アリストテレスの存在に修正を加え、「存在-本質」(羅: esse-essentia) を加えた。彼によれば、「存在」は「本質」を存在者とするため「現実態」であり、「本質」はそれだけで現実に存在できないため「可能態」である。「存在」はいかなるときにおいても「現実態」である。神は、自存する「存在そのもの」であり、純粋現実態である。人間は、理性によって神の存在を認識できる(いわゆる宇宙論的証明)。しかし、有限である人間は無限である神の本質を認識することはできず、理性には限界がある。もっとも、人間は神から「恩寵の光」と「栄光の光」を与えられることによって知性は成長し神を認識できるようになるが、生きている間は「恩寵の光」のみ与えられるので、人には教会による信仰・愛・希望の導きが必要になる。人は死して初めて「栄光の光」を得て神の本質を完全に認識するものであり、真の幸福が得られる。トマスは、存在論に基づく神中心主義と、理性と信仰に基づく人間中心主義の統合を図り、後世の存在論に多大な影響を与えることになった。スコラ学は彼によって体系化されたのだが、その世界観はやがて独断的で権威主義的なものへと変質していった。
プラトン・アリストテレス伝統においては観念と対象と一致することが真であると考えられていたが、当時そのような考え方に対する権威が失墜し、人は果たして物事を正しく知ることができるのかという知に対する根本的な疑いが生じるようになっていた。 | 1,002 |
認識論 | プラトン・アリストテレス伝統においては観念と対象と一致することが真であると考えられていたが、当時そのような考え方に対する権威が失墜し、人は果たして物事を正しく知ることができるのかという知に対する根本的な疑いが生じるようになっていた。
時代背景としては、コロンブスによる新大陸発見、エラスムスの痴愚礼賛に象徴されるスコラ哲学の権威失墜・人文主義者の台頭、そして何より宗教改革があった。カトリックとプロテスタントはお互いに、いかにして(教義についての宗教的な)正しい認識は可能なのか、信頼に足る真理の基準は何かということを問答し、やがてお互いに向けられた懐疑主義は自らの信頼の基盤をも突き崩していった。そのような中で、モンテーニュの主著エセーにみられるように、およそ人間たるもの物事を正しく知ることはできず、ただ神の啓示を待つほかなく、それまでは判断を留保し、自然と慣習に従って慎ましく生活するという全面的な懐疑主義(新ピュロン主義)が通俗化していった。
近代的な意味での認識論を成立させたのは、ルネ・デカルトである。デカルトは、数学・幾何学の研究によって得られた概念は疑い得ない明証的なものと考え、これを基礎付けるための哲学体系を確立しようと欲した。デカルトは、合理的な学問的知識さえを疑う全面的な懐疑主義に対して方法的懐疑論を唱え、肉体を含む全ての外的事物が懐疑にかけられた後に、どれだけ疑っても疑いえないものとして純化された精神だけが残ると主張した。
そこでは、存在について語る前にどのようにして存在を認識するのかを論じなければならないとされ、形而上学はもはや存在についての第一哲学ではなく、存在の認識についての第一哲学となった。このようなデカルトの革命的な主張は、形而上学の中心的な課題を存在論から認識論へ転回させただけでなく、認識に関する様々な物議を醸すきっかけとなった。既に述べたとおりアリストテレス的学問伝統の下においては、認識論と真理論は存在論と分かちがたく結び付いていたが、認識論を存在論に優位させることにより、問題は大きく三つに分かれることとなった。以下に分説する。
哲学的認識論の第一の問題は、人はどのようにして物事を正しく知ることができるのか、人はどのようにして物事について誤った考え方を抱くのか、という認識の起源の問題である。おおむね四つの立場がある。 | 1,002 |
認識論 | 哲学的認識論の第一の問題は、人はどのようにして物事を正しく知ることができるのか、人はどのようにして物事について誤った考え方を抱くのか、という認識の起源の問題である。おおむね四つの立場がある。
ルネ・デカルトは認識の起源は理性であるとした。デカルトは、アリストテレスがその著書『霊魂論』において述べた経験主義的原則、すなわち、知覚によって対象から受け取った表象なしに人は思考することはできないという立場に反対し、精神を独立した実体と見て、精神自身の内に生得的な観念があり、理性の力によって精神自身が、観念を演繹して展開していくことが可能であるとした。
このような考え方の背景には、当時の飛躍的な数学、幾何学、自然学の発展があり、当時の人々は、誰がどのように考えても同一の結論に到達するというイデア的な観念の源泉を理性、つまり動物とは区別された人間の本性のうちに見た。このような人間の思考には経験内容から独立した概念が用いられているという考え方を生得説という。
デカルトは、結論としては、精神、物体を有限の実体であるとした上で、無限の実体である神の三つが実体であるとした。精神と物体の二元論において、主観と客観の一致を保証するため、神の存在を必要とした。
デカルトを引き継ぐニコラ・ド・マルブランシュ、バールーフ・デ・スピノザ、ゴットフリート・ライプニッツなどの大陸合理主義者は、生得説を擁護しつつも、様々な点でデカルトと対立し、これを乗り越えようとした。
デカルトの革命的な主張は、その直後から様々な立場から厳しい批判を浴びることとなった。特に、デカルトの提出した神の概念は、自然法則を証明するための条件にすぎず、キリスト教的伝統に基づく人格神ではなく、実質は無神論ではないかとの疑惑も根強いものがあった。
このような状況下において、デカルト哲学とアウグスティヌス神学との総合を企図したのがニコラ・ド・マルブランシュである。彼は、認識論的にはアウグスティヌスのイデア説を継承し、神は万象の原因であり、われわれは万物を神のうちに観るとの思想を基本に、デカルト的な心身問題の解決を図ろうとし、精神や身体の変化のみならず、物体相互の接触や運動は神の作用の機会にすぎないという「機会原因論」を主唱し、その上に壮大な形而上学体系を構築した。 | 1,002 |
認識論 | スピノザは、デカルトを批判し、神のみが実体であるとし、そこからすべてを理性によって演繹するという方法をとった。スピノザによれば、神が唯一の実体である以上、精神も身体も、その二つの異なる属性に他ならないことになる。
スピノザは、その著書『エチカ』において、表象を「第一種の認識」、理性を「第二種の認識」、直観を「第三種の認識」と三分類した。彼によれば、人間は自然の一部であるから、外部から様々な影響を受けるが、人間の精神はまず自分の身体の変状についての観念を持たざるを得ないが、これが第一種の認識である。この観念は人間の身体と外部の本性を共に部分的に持つものであるがゆえに「認識の欠如」の観念を含む。したがって、第一種の認識に基づくデカルト流の方法的懐疑は認識の欠如を含むゆえ決して明証性・確実性を有するに至ることはない。しかし、人間の身体と外部の本性を共に部分的に持つということは、本性を共通にする部分についての普遍的な認識をすることはでき、これを第二種の認識と呼ぶ。さらに、個物の本性に関する認識を第三種の認識と呼び、真と偽の区別は第二種ないし第三の認識に基づきなされる。
ライプニッツの認識論は、多元的で最小の実体であるモナドを基礎にする。モナドは万物の数に応じて多数ある分割不能な実体であるが、モナドは鏡であり、表象能力を有し、自発的に世界全体を自己の内部に映し出し、世界全体を認識する。また、彼は、モナドは窓がなく、独立した別個の実体であるから、相互に影響を与えることはできないので、神の創造による予定調和によって他のモナドと協調して表象を展開することができるとした。このような立場から、決定論、汎神論に陥ったスピノザと異なり、自由意思、人格神を認めることができ、また、いちいち神が機械人形を操るように世界に介在しなければならないとしたマルブランシュの機械原因論を否定した上で、デカルト的な心身問題を解決することができるようになる。いわば対立するすべての合理論を調停した上で、伝統的なキリスト教的神学を擁護しようとしたのがライプニッツ哲学といえる。 | 1,002 |
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