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川崎市市民ミュージアム
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川崎市市民ミュージアム(かわさきししみんミュージアム)は、神奈川県川崎市中原区の等々力緑地にある公立博物館・美術館。ミュージアムショップ、図書閲覧室などの施設もある、総合的な文化施設である。
「TOP&カード提示割引」の加盟施設。
1988年の開館当初から写真・漫画・ポスター・映像などの複製芸術の収集・展示に力を入れている最初期の美術館でもある。また産業都市川崎の美術館としてバウハウスやベルント&ヒラ・ベッヒャー展など産業と関わりの深い作品の企画も多い。写真部門は日本の公立美術館で初めての設立となり、写真界の芥川賞と呼ばれる歴代の木村伊兵衛賞作品など貴重なコレクションを持つ。なお、漫画作品・資料収集と企画展示に対して、2005年には第9回手塚治虫文化賞特別賞が贈られている。また270席を有する映像ホールでは映画の定期上映を行っており、特徴あるミニシアターの役割も果たしている。
しかし、そうした部分的な質の高さに関わらず、ミュージアム全体としての一般利用は一時落ち込み、入館者数も減少傾向にあった。近年では入館者数は低迷期と比較して回復しているものの、その一方で単なるエントランスの通り抜けも入館者として勘定するなど、入館者数のデータ自体が疑問視されている。
行政OBなど行政出身者が代々館長を務めていたが、学識経験者の館長として加藤有次(1932-2003、國學院大學名誉教授、博物館学、考古学)が、亡くなる2003年11月まで就任していた。
2006年5月には、一般公募により、小田急美術館館長の志賀健二郎が着任し、2007年には新たなエントランスを増設し企画展示室を増やすなど大規模な改良工事が行なわれた。また、2011年より4ヶ年をかけて、現在大規模な空調改修工事の実施により、文化庁公開承認施設の要件を満たさなくなったため市から承認施設の取り下げをしたことから、重要文化財等の取扱を自粛している(公開承認期間2014年3月まで)。 2011年からは再び館長を行政職が務めた。
2017年4月から、指定管理者制度を導入したことにより、指定管理者となったアクティオ・東急コミュニティー共同事業体が運営者となった。その結果、集客性のある企画展「MJ's FES みうらじゅんフェス!」、「かこさとしのひみつ展」や、夏休みの「からくりトリックの世界」といった子どもの来館を誘因するような展覧会を開催することで入館者数を大幅に増加することに成功した、としている。
2018年から2022年まで学芸員経験者の大野正勝が館長を行い、2022年から行政出身者の小沢正勝が館長を行う。
なお、前庭にはトーマス転炉が産業遺産として展示されており、保存されているトーマス転炉としては世界で唯一のものである。
2019年10月12日の令和元年東日本台風(台風19号)による浸水被害で、地下収蔵庫にあった美術品が水没する被害に見舞われ、それ以降休館となった。市の付属機関である川崎市文化芸術振興会議が設置した川崎市文化芸術振興会議市民ミュージアムあり方検討部会は、現在地以外での施設整備が望ましいとする意見を2020年11月16日に表出し、翌2021年8月30日の川崎市議会文教委員会で正式に取り壊しが決まった。
浸水では約22万9000点の収蔵品が被害を受けた。2019年10月22日から2020年6月19日にかけて、収蔵庫外への搬出が行われたが、搬出の段階で既に修復困難なものが多数見られた。外部団体による支援も受けながら修復作業が行われたが、状態がひどく、劣化が激しいなどの理由から、2021年1月に藁人形4点、オフセット印刷のグラフィック資料1点、写真雑誌4802点、漫画雑誌・単行本36301点、学校教育用の教材フィルム1129点の計42237点の資料が廃棄処分されることが発表された。また、同年3月には藁人形26点、漫画雑誌1178点の計1204点が新たに廃棄処分されることが発表された。
全開催展については、国立新美術館の記録を参照。
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川崎市市民ミュージアム(かわさきししみんミュージアム)は、神奈川県川崎市中原区の等々力緑地にある公立博物館・美術館。ミュージアムショップ、図書閲覧室などの施設もある、総合的な文化施設である。 「TOP&カード提示割引」の加盟施設。
|
{{博物館
| 名称 = 川崎市市民ミュージアム
| native_name = KAWASAKI CITY MUSEUM
| native_name_lang = en
| 画像 = [[ファイル:Kawasaki City Museum.jpg|250px]]
| 画像説明 = 外観
{{maplink2|frame=yes|plain=yes|type=point|zoom=13|frame-align=center|frame-width=250|coord={{coord|35|35|18.9|N|139|38|50.1|E}}}}
| pushpin_map = Japan Kanagawa
| map_size = 250
| map_caption = 神奈川県内での位置
| map dot label = 川崎市<br>市民<br>ミュー<br>ジアム
| 正式名称 = 川崎市市民ミュージアム
| 愛称 =
| 前身 =
| 専門分野 = [[博物館]]・[[美術館]]
| 収蔵作品数 =
| 来館者数 =
| 館長 = 蛭川泰行(2023年 - )
| 学芸員 = 常勤14人(2023年〈令和5年〉度末現在)
| 研究職員 =
| 事業主体 = [[川崎市]]
| 管理運営 =
| 年運営費 =
| 建物設計 = [[菊竹清訓]]
| 延床面積 = 19,542m<sup>2</sup>
| 開館 = [[1988年]][[11月]]<ref>[https://www.kawasaki-museum.jp/gaiyou/ 施設概要] 公式ホームページ</ref>
| 所在地 = [[神奈川県]][[川崎市]][[中原区]]等々力1-2
| 所在地郵便番号 = 211-0052
| 位置 =
| 緯度度 = 35
| 緯度分 = 35
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| N(北緯)及びS(南緯) = N
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| 経度秒 = 50.1
| E(東経)及びW(西経) = E
| 地図国コード = JP
| 座標右上表示 = yes
| アクセス =
| 公式サイト = [https://www.kawasaki-museum.jp/ 川崎市市民ミュージアム]
}}
'''川崎市市民ミュージアム'''(かわさきししみんミュージアム)は、[[神奈川県]][[川崎市]][[中原区]]の[[等々力緑地]]にある公立[[博物館]]・[[美術館]]。ミュージアムショップ、図書閲覧室などの施設もある、総合的な文化施設である。
「[[東急カード|TOP&カード]]提示割引」の加盟施設。
== 概要 ==
1988年の開館当初から写真・漫画・ポスター・映像などの複製芸術の収集・展示に力を入れている最初期の美術館でもある。また産業都市川崎の美術館として[[バウハウス]]や[[ベルント&ヒラ・ベッヒャー]]展など産業と関わりの深い作品の企画も多い。写真部門は日本の公立美術館で初めての設立となり、写真界の芥川賞と呼ばれる歴代の[[木村伊兵衛賞]]作品など貴重なコレクションを持つ。なお、漫画作品・資料収集と企画展示に対して、2005年には第9回手塚治虫文化賞特別賞が贈られている。また270席を有する映像ホールでは映画の定期上映を行っており、特徴あるミニシアターの役割も果たしている<ref name="Minato">{{Cite web|和書|url=http://www.cinema-st.com/classic/c040.html|title=川崎市市民ミュージアム|publisher=港町キネマ通り|date=2016-09|accessdate=2016-10-03}}</ref>。
しかし、そうした部分的な質の高さに関わらず、ミュージアム全体としての一般利用は一時落ち込み、入館者数も減少傾向にあった。近年では入館者数は低迷期と比較して回復しているものの、その一方で単なるエントランスの通り抜けも入館者として勘定するなど、入館者数のデータ自体が疑問視されている。
行政OBなど行政出身者が代々館長を務めていたが、学識経験者の館長として[[加藤有次]](1932-2003、國學院大學名誉教授、博物館学、考古学)が、亡くなる2003年11月まで就任していた。
2006年5月には、一般公募により、[[小田急美術館]]館長の[[志賀健二郎]]が着任し、2007年には新たなエントランスを増設し企画展示室を増やすなど大規模な改良工事が行なわれた。また、{{疑問点範囲|2011年より4ヶ年をかけて、現在大規模な空調改修工事の実施により、文化庁公開承認施設の要件を満たさなくなったため市から承認施設の取り下げをしたことから、重要文化財等の取扱を自粛している(公開承認期間2014年3月まで)。
2011年からは再び館長を行政職が務めた。|date=2019年6月}}
2017年4月から、指定管理者制度を導入したことにより、指定管理者となったアクティオ・東急コミュニティー共同事業体が運営者となった。その結果、集客性のある企画展「MJ's FES [[みうらじゅん]]フェス!」、「[[かこさとし]]のひみつ展」や、夏休みの「からくりトリックの世界」といった子どもの来館を誘因するような展覧会を開催することで入館者数を大幅に増加することに成功した、としている。
2018年から2022年まで学芸員経験者の[[大野正勝]]が館長を行い、2022年から行政出身者の小沢正勝が館長を行う。
なお、前庭には[[転炉#トーマス転炉|トーマス転炉]]が[[産業遺産]]として展示されており、保存されているトーマス転炉としては世界で唯一のものである。
[[Image:Thomas converter.jpg|thumb|right|200px|<Small>前庭のトーマス転炉。日本鋼管(現[[JFEスチール]])京浜製鉄所で使用されていたもの。</Small>]]
=== 台風による浸水被害 ===
2019年10月12日の[[令和元年東日本台風]](台風19号)による浸水被害で、地下収蔵庫にあった美術品が水没する被害に見舞われ、それ以降休館となった<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.city.kawasaki.jp/templates/press/250/0000111426.html |title=台風第19号の影響による市民ミュージアムの休館について|publisher= 川崎市|date=2019-10-13|accessdate=2021-05-28}}</ref>。市の付属機関である川崎市文化芸術振興会議が設置した川崎市文化芸術振興会議市民ミュージアムあり方検討部会<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.city.kawasaki.jp/250/cmsfiles/contents/0000120/120567/01-03siryou1-1.pdf|title=市民ミュージアムあり方検討部会について|accessdate=2021-05-28|publisher=川崎市|format=PDF|date=2020-07-28}}</ref>は、現在地以外での施設整備が望ましいとする意見を2020年11月16日に表出し<ref>{{Cite web|和書|title=川崎・市民ミュージアム 新施設「等々力から移転整備を」 {{!}} カナロコ by 神奈川新聞|url=https://www.kanaloco.jp/news/social/article-304737.html|website=カナロコ|accessdate=2021-05-28|language=ja}}</ref><ref>{{Cite web|和書|title=昨秋の台風19号で浸水被害 川崎市市民ミュージアム 等々力緑地外への移転で一致:東京新聞 TOKYO Web|url=https://www.tokyo-np.co.jp/article/68851|website=東京新聞 TOKYO Web|accessdate=2021-05-28|language=ja}}</ref>、翌2021年8月30日の川崎市議会文教委員会で正式に取り壊しが決まった<ref>{{Cite web|和書|title=市民ミュージアム取り壊し 日程は未定 移転再建へ|url=https://www.townnews.co.jp/0204/2021/09/10/591013.html|website=タウンニュース|accessdate=2021-09-14|language=ja}}</ref>。
浸水では約22万9000点の収蔵品が被害を受けた。2019年10月22日から2020年6月19日にかけて、収蔵庫外への搬出が行われたが、搬出の段階で既に修復困難なものが多数見られた。外部団体による支援も受けながら修復作業が行われたが、状態がひどく、劣化が激しいなどの理由から、2021年1月に[[藁人形]]4点、オフセット印刷のグラフィック資料1点、写真雑誌4802点、漫画雑誌・単行本36301点、学校教育用の教材フィルム1129点の計42237点の資料が廃棄処分されることが発表された<ref>{{PDFlink|[https://www.city.kawasaki.jp/250/cmsfiles/contents/0000122/122172/210121Hodohappyoshiryo.pdf 川崎市市民ミュージアム収蔵品レスキューの状況及び被災収蔵品の処分について]}} 川崎市、2021年1月21日</ref>。また、同年3月には藁人形26点、漫画雑誌1178点の計1204点が新たに廃棄処分されることが発表された<ref>{{PDFlink|[https://www.city.kawasaki.jp/250/cmsfiles/contents/0000122/122172/Shiryo2.pdf 被災収蔵品処分リストの概要(令和3年3月)]}} 川崎市、2021年3月15日</ref>。
== 路線バス ==
=== 「市民ミュージアム」停留所から ===
*(東急バス)川33系統川崎駅西口北行き
*(川崎市バス)杉40系統小杉駅前・上平間行き
=== 「市民ミュージアム前」停留所から ===
*(川崎市バス)溝05系統溝の口行き
*(川崎市バス)杉40系統中原行き
*(川崎市バス)杉40・溝05系統小杉駅前・上平間行き
*(東急バス)川33系統川崎駅ラゾーナ広場行き
== 主な展覧会 ==
全開催展については、[[国立新美術館]]の記録を参照。<ref>{{Cite web|和書|title=国立新美術館:日本の美術展覧会記録1945-2005 |url=https://www.nact.jp/exhibitions1945-2005/exhibitions.php?museum=%E5%B7%9D%E5%B4%8E%E5%B8%82%E5%B8%82%E6%B0%91%E3%83%9F%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%82%A2%E3%83%A0&op=AND |website=www.nact.jp |access-date=2023-08-28}}</ref>
{{Col-begin}}
{{Col-2}}
* モンパルナスの大冒険 1910-1930:開館記念美術展(1988)
* グラフィック・パワー展:イラストレーションとアートの間で(1989)
* [[岡本かの子]]の世界展:生誕100年記念(1989)
* 閻魔登場(1989)
* アガム展:現代キネティック・アートの父/開館1周年記念(1989)
* 女性のまなざし:日本とドイツの女性写真家たち(1990)
* 円鍔勝三彫刻展:文化勲章受章記念(1990)
* [[岡本太郎]]展:川崎生まれの鬼才(1991)
* [[棟方志功]]展(1992)
* 版画にみるポップ・アートとその周辺:ミュージアム・コレクションより/The World of Pop Art(1992)
* ルイス・ボルツ:法則(1992)
* [[原田泰治]]アメリカを行く(1993)
* [[鳥山明]]の世界展(1993)
* フランス絵画-黄金の19世紀:ルーアン美術館展(1993)
* バウハウス/芸術教育の革命と実験(1994)
* 安野光雅の世界展:ふしぎ・あそび・たび(1995)
* 映画生誕100年博覧会:シネマの世紀展(1995)
* シャガールの傑作版画展:愛する人々への熱いメッセージ(1996)
* 日本の漫画300年展(1996)
* ドイツ現代写真展:遠・近/ベッヒャーの地平(1996)
* [[マリー・ローランサン]]展(1997)
* オーブリー・ビアズリー展:世紀末芸術の華(1998)
* 少女まんがの世界展(1998)
* 大ザビエル展:その生涯と南蛮文化の遺宝/来日450周年(1999)
* [[ホイッスラー]]からウォーホールまで-版画に見るアメリカ美術の100年/ジェーン・ヴーヒーズ・ジマーリ美術館所蔵による(1999)
{{Col-2}}
* 日本アニメの飛翔期を探る:アニメ黄金時代(2000)
* 偶然の振れ幅:世界の成り立ち、出来事の地平(2001)
* [[森村泰昌]]写真展:女優家Mの物語/M式ジオラマ(25m)付き(2002)
* ビゴーの世界:明治の面影・フランス人画家/来日120年記念(2002)
* [[森山大道]] 1965-2003:光の狩人/開館15周年記念(2003)
* 日本の幻獣:未確認生物出現録(2004)
*CLAMP四<注記>Su:MANGAアートは時空<注記>ときを超える(2005)
* 大 OH! [[水木しげる]]展(2005、2006)
* [[レイモン・サヴィニャック]]展(2006)
* [[安彦良和]] 『勇者ライディーン』から 『機動戦士ガンダム THE ORIGIN』(2007)
* [[ブルーノ・ムナーリ]]のアートとあそぼう! ~みて さわって たのしんで~(2008)
* [[ハービー・山口]] ポートレイツ・オブ・ホープ ~この一瞬を永遠に~(2009)
* まど・みちお え てん(2010)
* [[福田繁雄]]大回顧展 ユーモアのすすめ(2011)
* [[中村正義]]の《顔》(2012)
* 新世代アーティスト展 in Kawasaki セカイがハンテンし、テイク(2013)
* [[横尾忠則]] 肖像図鑑 HUMAN ICONS(2014)
* [[江口寿史]]展 KING OF POP(2015、2016)
* 生きるアート 折元立身(2016)
* 大矢 紀 展 ―大地(いのち)の輝きを描く―(2017)
* [[かこさとし]]のひみつ展-だるまちゃんとさがしにいこう-(2018)
* 妖怪/ヒト ファンタジーからリアルへ(2019)
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== 主な収蔵作品 ==
* [[アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック|ジャヌ・アヴリルトゥールーズ=ロートレック]] - ジャヌ・アヴリル<ref>{{Cite web|和書|title=コレクション展:収蔵品ピックアップ {{!}} 川崎市市民ミュージアム |url=https://www.kawasaki-museum.jp/exhibition/4287/ |access-date=2023-08-29 |language=ja}}</ref>
* [[アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック|ジャヌ・アヴリルトゥールーズ=ロートレック]] - アンバサドゥールのアリスティード・ブリュアン
* [[アルフォンス・ミュシャ]] - 百合
* [[アンディ・ウォーホル]] - キャンベルスープ缶
* [[安田康彦|安田靱彦]] - 草薙の剣
* 河童図
* [[宍戸左行]] - スピード太郎
* [[斎藤寿一]] - 宙’88 核への挑戦<ref>{{Cite web|和書|title=被災から今、ふたたび ―川崎市市民ミュージアム 修復収蔵品展― {{!}} 川崎市市民ミュージアム |url=https://www.kawasaki-museum.jp/exhibition/26136/ |access-date=2023-08-29 |language=ja}}</ref>
* [[まど・みちお]] - 100歳の画集<ref>{{Cite web|和書|title=新収蔵作品展 {{!}} 川崎市市民ミュージアム |url=https://www.kawasaki-museum.jp/exhibition/4025/ |access-date=2023-08-29 |language=ja}}</ref>
* [[横山裕一 (漫画家)|横山裕一]] - 『ニュー土木』『トラベル』『NIWA』原画<ref>{{Cite web|和書|title=横山裕一 ネオ漫画全記録:「わたしは時間を描いている」 {{!}} 展覧会 |url=https://www.museum.or.jp/event/65801 |website=アイエム[インターネットミュージアム] |access-date=2023-09-06}}</ref>
== 関連項目 ==
* [[平木収]] - 学芸員(1988年~1994年)
* [[濱崎好治]] - 学芸員(1988年~2017年)
* [[深川雅文]] - 学芸員(1988年~2018年)
* [[衛藤駿]] - 館長(1996年~1998年)
* [[加藤有次]] - 館長(1998年~2003年)
* [[志賀健二郎]] - 館長(2006年~2011年)
* [[金澤韻]] - 学芸員(2006年~2013年)
* [[大野正勝]] - 館長(2018年~2022年)
== 出典 ==
<references />
== 外部リンク ==
*[https://www.kawasaki-museum.jp/ 川崎市市民ミュージアム]
*[http://www.city.kawasaki.jp/88/88bunka/home/top/museumkaizen/kaizen.htm 川崎市市民ミュージアム改善委員会検討結果]
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{{日本の美術館 (公立)}}
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[[Category:川崎市の美術館]]
[[Category:川崎市の博物館]]
[[Category:中原区の教育]]
[[Category:中原区の建築物]]
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B7%9D%E5%B4%8E%E5%B8%82%E5%B8%82%E6%B0%91%E3%83%9F%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%82%A2%E3%83%A0
|
17,562 |
横浜美術館
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横浜美術館(よこはまびじゅつかん)は、神奈川県横浜市西区みなとみらいにある美術館。1989年(平成元年)3月に横浜博覧会のパビリオンとして開館、博覧会終了後の同年11月に正式開館した。みなとみらい地区の歩行者動線・都市軸の一部であるグランモール公園沿い(同地区の36街区)に位置する。
幕末以降の横浜ゆかりの作品群、セザンヌ、マグリットなどの作品も所蔵している。また、横浜が日本の写真発祥の地にあげられることから写真部門を設けており、写真の収集・展示に力を入れているほか、「みる、つくる、まなぶ」を三本の柱とする複合美術施設である。建物は延床面積26,829m、丹下健三都市建設設計事務所の設計である。また、ヨコハマトリエンナーレ2011よりメイン会場の一つとして利用されている。
施設は地上3階建て(一部8階建て)で美術情報センター、ミュージアム・ショップ、レストランなどの施設がある。
ヨーロッパ近代美術と日本近代美術の相互影響の足跡をたどれる作品を中心に収集している。
ほか
改修工事のため、2021年2月まで開催される企画展の終了後、2023年12月に開幕する予定のヨコハマトリエンナーレ2023(これに合わせてリニューアルオープン予定)まで約3年間、長期休館することが発表されている。今回の改修では、空調・電気関連の更新のほか収蔵庫の拡張やバリアフリー対応工事などが施される予定である。
なお、改修工事期間中の仮事務所(移転先)として、みなとみらい地区48街区の「プロット48」(PLOT 48)を使用している。
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横浜美術館(よこはまびじゅつかん)は、神奈川県横浜市西区みなとみらいにある美術館。1989年(平成元年)3月に横浜博覧会のパビリオンとして開館、博覧会終了後の同年11月に正式開館した。みなとみらい地区の歩行者動線・都市軸の一部であるグランモール公園沿い(同地区の36街区)に位置する。 幕末以降の横浜ゆかりの作品群、セザンヌ、マグリットなどの作品も所蔵している。また、横浜が日本の写真発祥の地にあげられることから写真部門を設けており、写真の収集・展示に力を入れているほか、「みる、つくる、まなぶ」を三本の柱とする複合美術施設である。建物は延床面積26,829m2、丹下健三都市建設設計事務所の設計である。また、ヨコハマトリエンナーレ2011よりメイン会場の一つとして利用されている。
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{{博物館
| 名称 = 横浜美術館<br />Yokohama Museum Of Art
| 画像 = [[画像:Yokohama Museum of Art 2009.jpg|300px]]
| 正式名称 =
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| 画像説明 = 正面広場から2階のメインフロアにアプローチする。
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| 愛称 =
| 前身 = [[横浜博覧会]]パビリオン
| 専門分野 = [[近代美術]]、[[現代美術]]、[[写真]]、[[工芸]]、横浜ゆかりの代表的作家の作品
| 収蔵作品数 = 美術作品約1万点(うち写真約4200点)、蔵書約10万冊
| 来館者数 = 770,310人(平成20年度業務報告及び収支決算)<ref>[http://yokohama.art.museum/static/file/about/houkoku_H20.pdf 平成20年度業務報告及び収支決算]</ref>
| 館長 = [[蔵屋美香]]
| 学芸員 = 12人
| 研究職員 = 指導員7人、司書3人
| 事業主体 = 横浜市
| 管理運営 = [[公益財団法人]][[横浜市芸術文化振興財団]]・相鉄エージェンシー(現:横浜メディアアド)・三菱地所ビルマネジメント共同事業体<ref>[http://www.city.yokohama.lg.jp/seisaku/kyoso/siteikanrisha/siteiitiran/23bunka.html 横浜市指定管理者一覧]</ref>
| 年運営費 = 823,119,888円(平成23年度決算書)<ref>[http://yokohama.art.museum/static/file/about/houkoku_H23.pdf 平成23年度業務報告及び収支決算]</ref>
| 建物設計 = 丹下健三都市建設設計事務所
| 建築費用 = 12,856,810,000円
| 工期 = [[1980年]]12月 - [[1983年]]3月
| 延床面積 = 26,829 m²
| 開館 = {{start date and age|1989|11|3}}
| 閉館 =
| 所在地郵便番号 = 220-0012
| 所在地 = [[神奈川県]][[横浜市]][[西区 (横浜市)|西区]][[みなとみらい]]3-4-1
| 緯度度 =35 |緯度分 = 27 |緯度秒 = 25.62 |N =35 <!-- N -->
| 経度度 =139 |経度分 = 37 |経度秒 = 50.42 |E =139 <!-- E -->
| 地図国コード = <!-- JP -->
| アクセス = [[#所在地・交通]]参照
| 公式サイト = {{URL|https://yokohama.art.museum/}}
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'''横浜美術館'''(よこはまびじゅつかん)は、[[神奈川県]][[横浜市]][[西区 (横浜市)|西区]][[みなとみらい]]にある[[美術館]]。[[1989年]]([[平成]]元年)3月に[[横浜博覧会]]のパビリオンとして開館、博覧会終了後の同年11月に正式開館した<ref>[http://yokohama.art.museum/about/ 沿革]</ref>。[[横浜みなとみらい21|みなとみらい地区]]の[[横浜みなとみらい21#ペデストリアン軸(歩行者動線)|歩行者動線・都市軸]]の一部である[[グランモール公園]]沿い(同地区の[[横浜みなとみらい21#32-38街区|36街区]])に位置する。
幕末以降の横浜ゆかりの作品群、[[ポール・セザンヌ|セザンヌ]]、[[マグリット]]などの作品も所蔵している。また、横浜が日本の写真発祥の地にあげられることから[[写真]]部門を設けており、写真の収集・展示に力を入れているほか、「みる、つくる、まなぶ」を三本の柱とする複合美術施設である<ref name="">[http://yokohama.art.museum/collection/ コレクションについて]</ref><ref name="guide">ミュージアムガイド(パンフレット)より</ref>。建物は延床面積26,829m<sup>2</sup>、[[丹下健三]]都市建設設計事務所の設計である<ref name="guide"/>。また、[[横浜トリエンナーレ|ヨコハマトリエンナーレ]]2011よりメイン会場の一つとして利用されている。
== 主な施設・設備 ==
施設は地上3階建て(一部8階建て)で美術情報センター、ミュージアム・ショップ、レストランなどの施設がある。
*駐車場 - 収容台数148台。屋内駐車場完備<ref name ="c"/>。
*子どものアトリエ - 光と音のスタジオ、プレイルーム、クラフトルームなどのスペースを備える。表現と創作体験を通じた教育を目的とした設備。「親子のフリーゾーン」など小学6年生(12歳)までを対象としたワークショップ等を年間を通じて行っている。広さは631m²<ref name ="a">週刊朝日百科「美術館を楽しむ No.7」2004年11月28日発行 朝日新聞社</ref><ref name="b">市民グラフ ヨコハマ No.66 1988年12月発行 横浜市市民局</ref><ref name ="c">横浜トリエンナーレと創造界隈 2010年3月31日発行 横浜美術館</ref>
*市民のアトリエ - 12歳以上を対象としたワークショップを通じて市民が創作体験する場として、絵画制作を行うオープンスタジオ平面室、陶芸・彫塑を行うオープンスタジオ立体室、各種版画の作成を行うオープンスタジオ版画室を備える。広さは586m²<ref name ="a"/><ref name ="b"/><ref name ="c"/>
*ミュージアムショップ - 美術館に併設されている
*カフェ・レストラン小倉山 - ミュージアムショップの隣にある。
[[画像:Yokohama Museum interior.jpg|240px|thumb|エントランスホールに設けられたグランドギャラリー。クラシックコンサートなどが開催されることもある。]]
== ギャラリー ==
<gallery>
横浜美術館子どものアトリエ立て看板.JPG|子どものアトリエ内に設置されている立て看板
横浜美術館子どものアトリエ工作室.JPG|オープンスタジオとして、ダンボールなどを使った工作ワークショップが開催される。
横浜美術館オープンスタジオ平面室.JPG|オープンスタジオ平面室。絵画制作のワークショップが開催される。
横浜美術館オープンスタジオ版画室.JPG|オープンスタジオ版画室。銅版画、リトグラフ、シルクスクリーン、木版画のワークショップが開催される。
横浜美術館オープンスタジオ立体室.JPG|オープンスタジオ立体室。テラコッタ、木工のワークショップが開催される。
横浜美術館ミュージアムショップ.JPG|ミュージアム・ショップ。美術館に併設されている。
カフェ小倉山.JPG|カフェ小倉山。ミュージアムショップの隣にある。
横浜美術館の正面入口両サイドに伸びる回廊 Pcs34560 IMG3110.jpg|正面両サイドの回廊部分。
</gallery>
== 主な収蔵作品 ==
ヨーロッパ近代美術と日本近代美術の相互影響の足跡をたどれる作品を中心に収集している。
*椿君之肖像 - [[岸田劉生]]
*小倉山 - [[下村観山]]
*草花とアカリョム - [[長谷川潔]]
*江上舟遊 - [[横山大観]]
*闍維 - [[下村観山]]
*夏汀 - [[菱田春草]]
*なにものかへのレクイエム(夜のウラジーミル) - [[森村泰昌]]
*ガルダンヌから見たサント=ヴィクトワール山 - [[ポール・セザンヌ]]
*王様の美術館 - [[ルネ・マグリット]]
*真夜中の太陽 - [[イサム・ノグチ]]
*岩の上の女神 - [[ギュスターヴ・モロー]]
*ひじかけ椅子で眠る女 - [[パブロ・ピカソ]]
*ジョルジュ・ブラック - [[画架]]
*花と蝶 - [[ジョアン・ミロ]]
*ガラの測地学的肖像 - [[サルバドール・ダリ]]
*少女が見た湖の夢 - [[マックス・エルンスト]]
*階段 - [[ポール・デルヴォー]]
*網の中の赤 - [[ヴァシリー・カンディンスキー]]
*遠藤又左右衛門と従者 - [[エリファレット・ブラウン・ジュニア]]
ほか<ref name="guide"/><ref name="a"/>
== 改修工事による長期休館 ==
改修工事のため、[[2021年]]2月まで開催される企画展の終了後、[[2023年]]12月に開幕する予定の[[横浜トリエンナーレ|ヨコハマトリエンナーレ]]2023(これに合わせてリニューアルオープン予定)まで約3年間、'''長期休館'''することが発表されている<ref>[https://www.hamakei.com/headline/11105/ 横浜美術館で長期休館前最後の企画展 横浜・愛知・富山美術館と共同で企画] - ヨコハマ経済新聞 (2020年11月13日)</ref><ref name="yokohama210218">[https://www.city.yokohama.lg.jp/kanko-bunka/bunka/bunkashisetsu/default202102151449.html 横浜美術館の大規模改修工事に伴う長期休館について](横浜市文化観光局 2021年2月18日、2022年6月30日更新、2022年8月13日閲覧)</ref>。今回の改修では、空調・電気関連の更新のほか収蔵庫の拡張や[[バリアフリー]]対応工事などが施される予定である<ref>[https://www.kanaloco.jp/member/node/65180 横浜美術館改修へ 20年度から2年半休館] - 神奈川新聞「カナロコ」 (2017年3月3日)</ref>。
なお、改修工事期間中の仮事務所(移転先)として、みなとみらい地区[[横浜みなとみらい21#39-49街区|48街区]]の「[[プロット48]]」(PLOT 48)を使用している<ref name="yokohama210218"/>。
== 所在地・交通 ==
; 所在地
* 神奈川県横浜市西区みなとみらい3-4-1
; 電車
* [[横浜高速鉄道みなとみらい線|みなとみらい線]]「[[みなとみらい駅]]」下車(徒歩5分)
* [[東日本旅客鉄道|JR]]・[[横浜市営地下鉄]]「[[桜木町駅]]」下車(徒歩10分)
; バス
* 桜木町駅から[[横浜市営バス]]156・292系統で「横浜美術館」下車
== 関連項目 ==
* [[美術]]
* [[横浜トリエンナーレ]] - ヨコハマトリエンナーレ2011から、会場の一つとして使われている。
* [[グランモール公園]] - 横浜美術は館前の「美術の広場」は同公園に含まれる。
* [[MARK IS みなとみらい]] - グランモール公園を挟んで、横浜美術館の向かい側に位置する大型商業施設。
* 映画『[[ゴジラvsモスラ]]』(1992年) - 劇中、 [[ゴジラ (平成VSシリーズ)|ゴジラ]]と[[モスラ (平成VSシリーズ)|モスラ]]の戦いで美術館が破壊されてしまう描写がある。
* [[逢坂恵理子]] - 館長(2009年 - 2020年)
* [[天野太郎 (キュレーター)|天野太郎]] - 学芸員(1987年 - 2013年)
* [[倉石信乃]] - 学芸員(1988年 - 2007年)
* [[木村絵理子 (キュレーター)|木村絵理子]] - 学芸員(2000年 - 2023年)
* [[南島興]] - 学芸員(2021年 - )
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
{{ウィキポータルリンク|横浜市|[[画像:Emblem of Yokohama, Kanagawa.svg|45px|Portal:横浜市]]}}
{{Reflist}}
== 外部リンク ==
{{commonscat|Yokohama Museum of Art}}
* [https://yokohama.art.museum/ 横浜美術館]
* [https://cgi.city.yokohama.lg.jp/somu/reiki/reiki_honbun/g202RG00001219.html 横浜美術館条例]
{{Yokohama Minatomirai21}}
{{日本の美術館 (公立)}}
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{{Geographic Location
|Centre = 横浜美術館
|North = みなとみらいミッドスクエア
|Northeast = [[MARK IS みなとみらい]]
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|Southeast = [[クイーンズスクエア横浜]]
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|Southwest = [[三菱重工横浜ビル]]
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|Northwest = [[みなとみらいグランドセントラルタワー]]
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}}
{{Art-museum-stub}}
{{デフォルトソート:よこはまひしゆつかん}}
[[Category:横浜市の美術館]]
[[Category:横浜市西区の博物館]]
[[Category:横浜みなとみらい21]]
[[Category:1989年竣工の日本の建築物]]
[[Category:1989年開設の博物館]]
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A8%AA%E6%B5%9C%E7%BE%8E%E8%A1%93%E9%A4%A8
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国立大学
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国立大学(こくりつだいがく、英: National university)とは、国家の政府によって設立または運営されている大学。国立学校である大学のことで、教育担当官庁の傘下にある国もあるほか、日本の国立大学の学校の設置者は国立大学法人となっている。
日本では、主に地方自治体が設置・運営する公立大学とともに「国公立大学」(こっこうりつだいがく)と総称されることもあり、私立大学や公設民営大学と区別される。
2003年(平成15年)、国立大学法人法等の施行に伴う関係法律の整備等に関する法律(平成15年法律第117号)の施行により国立学校設置法が廃止され、新たに制定された国立大学法人法(平成15年法律第112号)の規定により、2004年(平成16年)4月1日に国立大学は国立大学法人の設置する大学に移行した。
かつては日本国政府の中央省庁の一つである文部科学省(文科省)に置かれる施設等機関であった。1945年(昭和20年)に終結した第二次世界大戦における日本の降伏に伴い、大日本帝国時代の諸制度に対する戦後改革が行なわれた。1949年の国立学校設置法(昭和24年法律第150号)に基づき、旧帝国大学、旧制大学、高等師範学校、旧制高等学校、旧制専門学校、師範学校を統合して、原則として各都道府県に最低でも1校の、新制大学としての国立大学が設置された。この時、帝国大学は旧制高校以外との統合を避けたため、単科国立大学も生まれた。
2020年代前半時点で、日本には国立大学が86校(うち大学院大学4校)ある。このうち「世界最高水準の教育研究活動の展開が相当程度見込まれる国立大学法人」が文科省により「指定国立大学法人」に指定されている。2021年(令和3年)11月時点で10校指定されている(東北大学、東京大学、東京医科歯科大学、東京工業大学、一橋大学、筑波大学、名古屋大学、京都大学、大阪大学、九州大学)。
なお、国立短期大学は2010年(平成22年)度で全廃されている。
日本では国立大学の収入は、日本国政府の支出(すなわち税金)に拠る部分が大きい。財務省(日本国政府)は、平成25年度ベースの場合、大学附属病院の収入を除くと、約68%が運営費交付金や補助金などの国からの支出、自己収入は全体で33%(内訳は寄附金収入が4.3%、授業料等収入が14.7%、産学連携等研究収入が10.8%)と試算しており、「国からの補助金が概ね1割である私立大学と比べると、その違いは顕著なものとなっている」と指摘している。国立大学の運営に多額の税金が投入されている点について、文科省は『国立大学経営力戦略』において「運営費交付金依存体質からの脱却」を提唱した。また、国公立大学の競争力や生産性に見合っているかという批判や私立大学で実現可能な分野にもかかわらず、税金を投入して授業料を安く設定するのは民業圧迫という批判が存在する。
かつては、裕福な家庭の子が私立大学に進学し、貧しい家庭の子が国公立へ進学する構図が見られた。しかし、2010年代以降、私立大学に通う学生の親の年収よりも、国立大学へ進学した学生の親の年収の方が高いという逆転現象が生じている。2016年の学生生活調査によれば、大学生がいる家庭の平均世帯年収は、国立で841万円、公立730万円、私立834万円であり、世帯年収1000万円以上の家庭の割合は、国立29.2%、公立20.3%、私立25.7%であった。
ほとんどの国立大学が自治権を持って運営している。学生数は、全大学生のうち2割程。
放送大学と沖縄科学技術大学院大学は私立大学に分類されるが、設置法に基づき国からの補助金を得ているなど公的な側面を有する。産業医科大学も私立大学であるが厚生労働省から支援を受けている。
47都道府県全てに最低1つの国立大学が設置されている。所在地は都道府県庁所在地が多いが、青森県の弘前大学は、県庁所在地の青森市でなく弘前市にあるような例もあるほか、複数の国立大学を要する都道府県もある。
ほぼ全ての国立大学の大学名は所在地名を由来とする。都道府県名が多いが、令制国名など(信州大学や琉球大学)、県都名(宇都宮大学や金沢大学など)、地域ブロック名(東北大学や九州大学)といった例もある。横浜国立大学は校名に唯一「国立」の語を入れている。
宮城大学および長野大学は都道府県名の公立大学、青森大学、神奈川大学や奈良大学、福岡大学等は都道府県名を冠した私立大学である。
地名に由来しない国立大学は電気通信大学、そして大学院大学である総合研究大学院大学と政策研究大学院大学の3校のみである。かつては図書館情報大学(現:筑波大学情報学群知識情報図書館学類)もそうであった。一橋大学(東京都国立市)の名称は、前身の東京商科大学が東京都千代田区一ツ橋にあったことに由来する。お茶の水女子大学(東京都文京区)の名称は、前身の東京女子高等師範学校が、文京区湯島と千代田区にまたがる御茶ノ水地区にあったことに由来する。
大宅壮一は、旧帝国大学・官立大学以外の各校を「駅弁大学」と呼んだ。ただし一期校・二期校制度(後述)が廃止され大学全入時代となった近年では、死語と化している。
独立行政法人大学改革支援・学位授与機構の分類による。旧帝国大学は学生数や財政規模において突出している。また単科の旧官立大学は学生規模はさほど大きくないが外部資金や科研費の総額が旧帝大に匹敵する。医学部を持つ旧官立大6校と新制総合大学5校は多くの指標で旧帝大に次ぐ規模を持つ。新制大学とは(医学部を除き)戦前期に大学に昇格した高等教育機関を持たず師範学校と実業専門学校を主たる母体として設立されたものである。
北海道大学・東北大学・東京大学・名古屋大学・京都大学・大阪大学・九州大学
旧制大学を母体にする大学のうち総合大学化したもの
神戸大学・広島大学・筑波大学
千葉大学・新潟大学・金沢大学・岡山大学・長崎大学・熊本大学
1949年の国立学校設置法以降に新設された大学のうち総合大学(人文・社会・自然・医の4領域すべての領域を持つ大学)となったもの。ただし人文系学部として教員養成系学部のみを設置するものを除く。島根大学、大分大学、佐賀大学などは近年、芸術系学部、統合領域の学部を設置し上記の定義を満たし総合大学化したが5大学と比べ規模が小さい。
信州大学・山口大学・愛媛大学・鹿児島大学・琉球大学
1949年の国立学校設置法以降に新設された大学のうち人文・社会・自然・医の4領域のうち2ないし3領域を満たす大学。
弘前大学・秋田大学・岩手大学・福島大学・福井大学・香川大学・宮崎大学など多数
1949年の国立学校設置法以前に設置された旧制高等教育機関の流れを汲む大学のうち人文・社会・自然・医の4領域のうち1領域からなる大学。
東洋医科歯科大学・東京工業大学・一橋大学
お茶の水女子大学・奈良女子大学
小樽商科大学・東京外国語大学・帯広畜産大学・電気通信大学・東京海洋大学・東京学芸大学・奈良教育大学・福岡教育大学など
1949年の国立学校設置法以降に設置大学のうち人文・社会・自然・医の4領域のうち1領域からなる大学。
旭川医科大学・浜松医科大学・滋賀医科大学
北見工業大学・上越教育大学・長岡技術科学大学・鹿屋体育大学等
学部(学部以外の教育研究上の基本となる組織を含む)をおくことなく大学院をおく大学
総合研究大学院大学・北陸先端科学技術大学院大学・奈良先端科学技術大学院大学・政策研究大学院大学
国立大学の一般入学試験(入試)は、通例「大学入学共通テスト」(1979年から1989年は「大学共通第1次学力試験」通称「共通一次」、1990年から2020年までは「大学入学者選抜大学入試センター試験」)の受験が必須である。この「共通テスト」の5教科7科目は
という広範囲を選択することになっており、また、それに加えて大学別の個別試験(2次試験)も受験しなければならない。したがって、私立大学に比して試験科目数が非常に多く、オールラウンドな学力が要求されるが、試験科目数を軽減している国立大学も一部に存在している。(しかし、私立大学は試験科目数が少ない分、1科目ごとの失敗が許されない上、高得点が要求される。また、難関私大では高校の範囲を超える難問が出るなど、センターの比重が高い国公立大学とは趣を異にする傾向がある。)
また、記述形式が中心の2次試験では、解答のみを答える私立大学や共通テストのマークシート形式と異なり、解答のみならず、その解答に至るまでの正確な過程や考察も答える問題が非常に多く、より高度な学力が要求されている。なお、一部の大学では共通テストの配点を小さくする措置を取る場合もある。
国立大学の2次試験は、前期日程と後期日程の2つの日程に募集人員を振り分けて選抜する「分離・分割方式」で実施される。受験生は前期日程と後期日程にそれぞれ1校ずつ出願できる(中期日程を設定する大学もある)。つまり、国公立大学は最大3校の受験が可能である。この点、日程さえ異なればいくつでも併願可能な私立大学に比べ、受験可能回数が非常に限られる(稀に共通テストのみを課す大学がある)。
また、国立大学では、共通テストの成績を用いた2段階選抜が行われる場合がある。これは、共通テストの成績に基づいて2次試験を受験できる者を選抜し(第1段階選抜)、選抜合格者にのみ2次試験を実施する制度である。一般的に「志願者が募集人員の何倍を上回った場合、第1段階選抜を実施する」とされており、志願者数の状況によって2段階選抜の有無が決まる。2段階選抜が実施されるのは、難関国立大学や医学部が多い傾向がある。
共通一次試験の開始前、1978年まで実施されていた国立大学の試験実施日を二つに分けていた制度については「国立旧一期校・二期校」を参照。
国立大学の約9割が学校推薦型選抜を実施している。国公立大学の学校推薦型選抜は、私立大学に比べて募集人員が少なく、出願条件のうち「学習成績の状況4.0以上」など厳しい成績基準が設けられる。また、共通テストの受験を義務づけたり、面接や小論文といった独自試験を課したりする大学も多い。
特に、国立大学の医学部の多くは、出身地域や卒業後の勤務地等に制限を設けた地域枠学校推薦型選抜を実施している。地域枠で合格・入学すると、卒業後に特定の地域で医師として働くことを条件に奨学金が受給できるなどの特例が設けられる場合もある。
国立大学医学部の地域枠は、地方における医師不足への対策として設けられている。『読売新聞』の調査によると、大学院大学を除く82国立大学のうち、何らかの形で地域枠を設けている大学は48校と過半数に達しており、教員養成課程(教育学部)でも導入例が目立ち、他にも獣医師や農漁業者、観光、デジタル技術者を養成する学部・学科にも広がりつつある。
AO入試を実施する国立大学も増加傾向にある。出願条件は学校推薦型選抜より緩やかな場合が多いが、大学によっては特定資格の有資格者や全国コンテストの上位入賞者など、厳しい条件が定められている。選考方法は書類審査・面接(プレゼンテーション)・小論文を課す選抜型が一般的である。
各種の事情で多くの受験生が入学試験を受験できない場合には、特例入試や追試験が実施される場合がある。1995年(平成7年)の阪神・淡路大震災による特例入試と、2009年(平成21年)から2010年(平成22年)の新型インフルエンザ流行による追試験は、国立大学協会の主導のもと、全国的に行われている。
阪神・淡路大震災が発生したのは1995年(平成7年)の大学入試センター試験直後に当たる1月17日で、国立大学への入学願書の提出が迫っていたため、震災が提出に影響すると考えられた。国立大学協会は、2月3日に「阪神大震災で被災した受験生を対象とする特例入試の実施について」という文書を各国立大学へ送り、被災受験生の負担を軽減するために可能な手段を講じるように要請した。受験資格は、被災市町村に住居か在学校があり、3月27日の時点でいずれの国公立大学にも合格していない受験生で、1つの大学に限って受験が可能である。試験が行われたのは3月28日以降(D日程入試)で、最終的に国立大95校、公立大48校の全校が特例入試を行うことになった。選抜方法としては、面接や調査書など、学力検査以外の方法で行う例も少なくなかった。文部省の発表によると、阪神大震災特例入試を志願した受験生は全国の合計で1,479人で、うち1,440人が実際に試験を受け、347人が合格している。
国立大学の教員の多くが、国立大学出身者で占められている。文部科学省の調査によれば、国立大学教員における国公立大学出身者の割合は約95%にのぼる。他方、私立大学の教員における国公立大学出身者の割合は約5割である。
2004年の国立大学法人化までは国家公務員の身分であったが、現在はみなし公務員である。近年は、有期契約教員や非常勤教員も増えており、正規教員と賃金格差も生まれている。このような待遇面に不満を持つ教員の私立大学・海外大学への教員流出も起こっており、国立大学から中堅レベルの私立大学への流出に歯止めがかからないと言われる。
教員の再就職について、松野弘は「元東大教授という肩書の人物がいれば、私立大学は喜んで招聘してくれるという「東大神話」の時代は終焉を迎えつつある」と指摘している。
また国立大学の職員の公募に関しては、最初から採用する人物が決まっているにもかかわらず形だけ公募の体を取る「出来公募」が存在しているといい、水月昭道など大学教育関係者の中にも「出来公募」の存在を主張する者がいる。
日本人のノーベル賞受賞者の全てが'国立大学出身者(学士時点)で占められている。このうち、13人が旧帝国大学出身者であり、6人がその他国立大学出身である。学問領域ごとに設けられている国際的賞であるフィールズ賞やガウス賞、ウルフ賞に至っては、日本人受賞者全員が旧帝大出身者である。
フランスの大学は法令によって「学術的・文化的・職業専門的性格を有する公施設法人」とされており法人格を有する国立の機関とされている。フランス政府からの予算配分は各大学との機関契約で行われている。
人事に関しては学部長は学部内の教員から評議会の選挙で選出することが法令で規定されている。また、教員の任用は学内に設置される選考委員会が審査して、大学が推薦し、教授は大統領、准教授は大臣が任命する。
フランスの大学は国からの監督を受けているが、2007年の大学の自由と責任に関する法律(LRU法)で大学の裁量が大幅に拡大された。
大学とは別にテクノクラート養成校であるグランゼコールも存在する。
アメリカ合衆国は州の独立性が高く州立大学はあるが、アメリカ合衆国連邦政府が設立した国立大学はなく、奨学金や予備役将校訓練課程など学費を補助するプログラムがある。
アメリカ合衆国の連邦大学校(省庁大学校。職員研修所)として士官学校(陸軍士官学校 、海軍兵学校、空軍士官学校 、沿岸警備隊士官学校、商船大学校)がある。また大学院に相当の参謀学校が8校ある。
非軍事系の大学校は連邦捜査局の特別捜査官を養成するFBIアカデミーなど5校ある。
国立聾工科大学はロチェスター工科大学(私立)の学部であるが、運営資金は国費でまかなわれているため国立(National)と呼ばれている。
州立大学にはランドグラント大学と呼ばれる連邦政府から土地の供与を受けた大学がある。
中華民国が実効支配する台湾にある国立大学は32校で、国立台湾大学、国立政治大学、国立成功大学、国立陽明交通大学、国立清華大学などが挙げられる。
台湾にある国立高等教育機関の合計は49校で、国立大学以外の内訳は国立高等専門学校は13校、国立高等専門学校は2校、国立公開大学は2校である。
オーストラリアの国立大学はオーストラリア国立大学(The Australian National University:ANU)のみとなっている。オーストラリアの高等教育は公立大学が主体であり、大学は私立大学の2校と国立大学であるオーストラリア国立大学を除き公立大学である。
|
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"text": "国立大学(こくりつだいがく、英: National university)とは、国家の政府によって設立または運営されている大学。国立学校である大学のことで、教育担当官庁の傘下にある国もあるほか、日本の国立大学の学校の設置者は国立大学法人となっている。",
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"text": "日本では、主に地方自治体が設置・運営する公立大学とともに「国公立大学」(こっこうりつだいがく)と総称されることもあり、私立大学や公設民営大学と区別される。",
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"text": "2003年(平成15年)、国立大学法人法等の施行に伴う関係法律の整備等に関する法律(平成15年法律第117号)の施行により国立学校設置法が廃止され、新たに制定された国立大学法人法(平成15年法律第112号)の規定により、2004年(平成16年)4月1日に国立大学は国立大学法人の設置する大学に移行した。",
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"text": "かつては日本国政府の中央省庁の一つである文部科学省(文科省)に置かれる施設等機関であった。1945年(昭和20年)に終結した第二次世界大戦における日本の降伏に伴い、大日本帝国時代の諸制度に対する戦後改革が行なわれた。1949年の国立学校設置法(昭和24年法律第150号)に基づき、旧帝国大学、旧制大学、高等師範学校、旧制高等学校、旧制専門学校、師範学校を統合して、原則として各都道府県に最低でも1校の、新制大学としての国立大学が設置された。この時、帝国大学は旧制高校以外との統合を避けたため、単科国立大学も生まれた。",
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"text": "2020年代前半時点で、日本には国立大学が86校(うち大学院大学4校)ある。このうち「世界最高水準の教育研究活動の展開が相当程度見込まれる国立大学法人」が文科省により「指定国立大学法人」に指定されている。2021年(令和3年)11月時点で10校指定されている(東北大学、東京大学、東京医科歯科大学、東京工業大学、一橋大学、筑波大学、名古屋大学、京都大学、大阪大学、九州大学)。",
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"text": "なお、国立短期大学は2010年(平成22年)度で全廃されている。",
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"text": "日本では国立大学の収入は、日本国政府の支出(すなわち税金)に拠る部分が大きい。財務省(日本国政府)は、平成25年度ベースの場合、大学附属病院の収入を除くと、約68%が運営費交付金や補助金などの国からの支出、自己収入は全体で33%(内訳は寄附金収入が4.3%、授業料等収入が14.7%、産学連携等研究収入が10.8%)と試算しており、「国からの補助金が概ね1割である私立大学と比べると、その違いは顕著なものとなっている」と指摘している。国立大学の運営に多額の税金が投入されている点について、文科省は『国立大学経営力戦略』において「運営費交付金依存体質からの脱却」を提唱した。また、国公立大学の競争力や生産性に見合っているかという批判や私立大学で実現可能な分野にもかかわらず、税金を投入して授業料を安く設定するのは民業圧迫という批判が存在する。",
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"text": "かつては、裕福な家庭の子が私立大学に進学し、貧しい家庭の子が国公立へ進学する構図が見られた。しかし、2010年代以降、私立大学に通う学生の親の年収よりも、国立大学へ進学した学生の親の年収の方が高いという逆転現象が生じている。2016年の学生生活調査によれば、大学生がいる家庭の平均世帯年収は、国立で841万円、公立730万円、私立834万円であり、世帯年収1000万円以上の家庭の割合は、国立29.2%、公立20.3%、私立25.7%であった。",
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"text": "ほとんどの国立大学が自治権を持って運営している。学生数は、全大学生のうち2割程。",
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"text": "放送大学と沖縄科学技術大学院大学は私立大学に分類されるが、設置法に基づき国からの補助金を得ているなど公的な側面を有する。産業医科大学も私立大学であるが厚生労働省から支援を受けている。",
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"text": "47都道府県全てに最低1つの国立大学が設置されている。所在地は都道府県庁所在地が多いが、青森県の弘前大学は、県庁所在地の青森市でなく弘前市にあるような例もあるほか、複数の国立大学を要する都道府県もある。",
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"text": "ほぼ全ての国立大学の大学名は所在地名を由来とする。都道府県名が多いが、令制国名など(信州大学や琉球大学)、県都名(宇都宮大学や金沢大学など)、地域ブロック名(東北大学や九州大学)といった例もある。横浜国立大学は校名に唯一「国立」の語を入れている。",
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"text": "宮城大学および長野大学は都道府県名の公立大学、青森大学、神奈川大学や奈良大学、福岡大学等は都道府県名を冠した私立大学である。",
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"text": "地名に由来しない国立大学は電気通信大学、そして大学院大学である総合研究大学院大学と政策研究大学院大学の3校のみである。かつては図書館情報大学(現:筑波大学情報学群知識情報図書館学類)もそうであった。一橋大学(東京都国立市)の名称は、前身の東京商科大学が東京都千代田区一ツ橋にあったことに由来する。お茶の水女子大学(東京都文京区)の名称は、前身の東京女子高等師範学校が、文京区湯島と千代田区にまたがる御茶ノ水地区にあったことに由来する。",
"title": "日本の国立大学"
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"text": "大宅壮一は、旧帝国大学・官立大学以外の各校を「駅弁大学」と呼んだ。ただし一期校・二期校制度(後述)が廃止され大学全入時代となった近年では、死語と化している。",
"title": "日本の国立大学"
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"text": "独立行政法人大学改革支援・学位授与機構の分類による。旧帝国大学は学生数や財政規模において突出している。また単科の旧官立大学は学生規模はさほど大きくないが外部資金や科研費の総額が旧帝大に匹敵する。医学部を持つ旧官立大6校と新制総合大学5校は多くの指標で旧帝大に次ぐ規模を持つ。新制大学とは(医学部を除き)戦前期に大学に昇格した高等教育機関を持たず師範学校と実業専門学校を主たる母体として設立されたものである。",
"title": "日本の国立大学"
},
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"text": "北海道大学・東北大学・東京大学・名古屋大学・京都大学・大阪大学・九州大学",
"title": "日本の国立大学"
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"text": "旧制大学を母体にする大学のうち総合大学化したもの",
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"text": "神戸大学・広島大学・筑波大学",
"title": "日本の国立大学"
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"text": "千葉大学・新潟大学・金沢大学・岡山大学・長崎大学・熊本大学",
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"text": "1949年の国立学校設置法以降に新設された大学のうち総合大学(人文・社会・自然・医の4領域すべての領域を持つ大学)となったもの。ただし人文系学部として教員養成系学部のみを設置するものを除く。島根大学、大分大学、佐賀大学などは近年、芸術系学部、統合領域の学部を設置し上記の定義を満たし総合大学化したが5大学と比べ規模が小さい。",
"title": "日本の国立大学"
},
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"text": "信州大学・山口大学・愛媛大学・鹿児島大学・琉球大学",
"title": "日本の国立大学"
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"text": "1949年の国立学校設置法以降に新設された大学のうち人文・社会・自然・医の4領域のうち2ないし3領域を満たす大学。",
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"text": "弘前大学・秋田大学・岩手大学・福島大学・福井大学・香川大学・宮崎大学など多数",
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"text": "1949年の国立学校設置法以前に設置された旧制高等教育機関の流れを汲む大学のうち人文・社会・自然・医の4領域のうち1領域からなる大学。",
"title": "日本の国立大学"
},
{
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"text": "東洋医科歯科大学・東京工業大学・一橋大学",
"title": "日本の国立大学"
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"text": "お茶の水女子大学・奈良女子大学",
"title": "日本の国立大学"
},
{
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"text": "小樽商科大学・東京外国語大学・帯広畜産大学・電気通信大学・東京海洋大学・東京学芸大学・奈良教育大学・福岡教育大学など",
"title": "日本の国立大学"
},
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"text": "1949年の国立学校設置法以降に設置大学のうち人文・社会・自然・医の4領域のうち1領域からなる大学。",
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{
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"text": "旭川医科大学・浜松医科大学・滋賀医科大学",
"title": "日本の国立大学"
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"text": "北見工業大学・上越教育大学・長岡技術科学大学・鹿屋体育大学等",
"title": "日本の国立大学"
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"text": "学部(学部以外の教育研究上の基本となる組織を含む)をおくことなく大学院をおく大学",
"title": "日本の国立大学"
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"text": "総合研究大学院大学・北陸先端科学技術大学院大学・奈良先端科学技術大学院大学・政策研究大学院大学",
"title": "日本の国立大学"
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"title": "日本の国立大学"
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"text": "国立大学の一般入学試験(入試)は、通例「大学入学共通テスト」(1979年から1989年は「大学共通第1次学力試験」通称「共通一次」、1990年から2020年までは「大学入学者選抜大学入試センター試験」)の受験が必須である。この「共通テスト」の5教科7科目は",
"title": "日本の国立大学"
},
{
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"text": "という広範囲を選択することになっており、また、それに加えて大学別の個別試験(2次試験)も受験しなければならない。したがって、私立大学に比して試験科目数が非常に多く、オールラウンドな学力が要求されるが、試験科目数を軽減している国立大学も一部に存在している。(しかし、私立大学は試験科目数が少ない分、1科目ごとの失敗が許されない上、高得点が要求される。また、難関私大では高校の範囲を超える難問が出るなど、センターの比重が高い国公立大学とは趣を異にする傾向がある。)",
"title": "日本の国立大学"
},
{
"paragraph_id": 36,
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"text": "また、記述形式が中心の2次試験では、解答のみを答える私立大学や共通テストのマークシート形式と異なり、解答のみならず、その解答に至るまでの正確な過程や考察も答える問題が非常に多く、より高度な学力が要求されている。なお、一部の大学では共通テストの配点を小さくする措置を取る場合もある。",
"title": "日本の国立大学"
},
{
"paragraph_id": 37,
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"text": "国立大学の2次試験は、前期日程と後期日程の2つの日程に募集人員を振り分けて選抜する「分離・分割方式」で実施される。受験生は前期日程と後期日程にそれぞれ1校ずつ出願できる(中期日程を設定する大学もある)。つまり、国公立大学は最大3校の受験が可能である。この点、日程さえ異なればいくつでも併願可能な私立大学に比べ、受験可能回数が非常に限られる(稀に共通テストのみを課す大学がある)。",
"title": "日本の国立大学"
},
{
"paragraph_id": 38,
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"text": "また、国立大学では、共通テストの成績を用いた2段階選抜が行われる場合がある。これは、共通テストの成績に基づいて2次試験を受験できる者を選抜し(第1段階選抜)、選抜合格者にのみ2次試験を実施する制度である。一般的に「志願者が募集人員の何倍を上回った場合、第1段階選抜を実施する」とされており、志願者数の状況によって2段階選抜の有無が決まる。2段階選抜が実施されるのは、難関国立大学や医学部が多い傾向がある。",
"title": "日本の国立大学"
},
{
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"text": "共通一次試験の開始前、1978年まで実施されていた国立大学の試験実施日を二つに分けていた制度については「国立旧一期校・二期校」を参照。",
"title": "日本の国立大学"
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{
"paragraph_id": 40,
"tag": "p",
"text": "国立大学の約9割が学校推薦型選抜を実施している。国公立大学の学校推薦型選抜は、私立大学に比べて募集人員が少なく、出願条件のうち「学習成績の状況4.0以上」など厳しい成績基準が設けられる。また、共通テストの受験を義務づけたり、面接や小論文といった独自試験を課したりする大学も多い。",
"title": "日本の国立大学"
},
{
"paragraph_id": 41,
"tag": "p",
"text": "特に、国立大学の医学部の多くは、出身地域や卒業後の勤務地等に制限を設けた地域枠学校推薦型選抜を実施している。地域枠で合格・入学すると、卒業後に特定の地域で医師として働くことを条件に奨学金が受給できるなどの特例が設けられる場合もある。",
"title": "日本の国立大学"
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"paragraph_id": 42,
"tag": "p",
"text": "国立大学医学部の地域枠は、地方における医師不足への対策として設けられている。『読売新聞』の調査によると、大学院大学を除く82国立大学のうち、何らかの形で地域枠を設けている大学は48校と過半数に達しており、教員養成課程(教育学部)でも導入例が目立ち、他にも獣医師や農漁業者、観光、デジタル技術者を養成する学部・学科にも広がりつつある。",
"title": "日本の国立大学"
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"text": "AO入試を実施する国立大学も増加傾向にある。出願条件は学校推薦型選抜より緩やかな場合が多いが、大学によっては特定資格の有資格者や全国コンテストの上位入賞者など、厳しい条件が定められている。選考方法は書類審査・面接(プレゼンテーション)・小論文を課す選抜型が一般的である。",
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"text": "各種の事情で多くの受験生が入学試験を受験できない場合には、特例入試や追試験が実施される場合がある。1995年(平成7年)の阪神・淡路大震災による特例入試と、2009年(平成21年)から2010年(平成22年)の新型インフルエンザ流行による追試験は、国立大学協会の主導のもと、全国的に行われている。",
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"text": "国立大学の教員の多くが、国立大学出身者で占められている。文部科学省の調査によれば、国立大学教員における国公立大学出身者の割合は約95%にのぼる。他方、私立大学の教員における国公立大学出身者の割合は約5割である。",
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"text": "オーストラリアの国立大学はオーストラリア国立大学(The Australian National University:ANU)のみとなっている。オーストラリアの高等教育は公立大学が主体であり、大学は私立大学の2校と国立大学であるオーストラリア国立大学を除き公立大学である。",
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国立大学とは、国家の政府によって設立または運営されている大学。国立学校である大学のことで、教育担当官庁の傘下にある国もあるほか、日本の国立大学の学校の設置者は国立大学法人となっている。 日本では、主に地方自治体が設置・運営する公立大学とともに「国公立大学」(こっこうりつだいがく)と総称されることもあり、私立大学や公設民営大学と区別される。
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'''国立大学'''(こくりつだいがく、{{lang-en-short|National university}})とは、[[国家]]の[[政府]]によって設立または[[運営]]されている[[大学]]。[[国立学校]]である大学のことで、[[教育省|教育担当官庁]]の傘下にある国もあるほか、[[日本]]の国立大学の[[学校の設置者]]は[[国立大学法人]]となっている。
日本では、主に[[地方公共団体|地方自治体]]が設置・運営する[[公立大学]]とともに「国公立大学」(こっこうりつだいがく)と総称されることもあり、[[私立大学]]や[[公設民営大学]]と区別される。
== 日本の国立大学 ==
=== 概要 ===
[[2003年]]([[平成]]15年)、国立大学法人法等の施行に伴う関係法律の整備等に関する法律(平成15年法律第117号)の施行により国立学校設置法が廃止され、新たに制定された[[国立大学法人法]](平成15年法律第112号)の規定により、[[2004年]](平成16年)[[4月1日]]に国立大学は国立大学法人の設置する大学に移行した<ref>{{Cite web|和書|title=国立大学の法人化の経緯|url=https://www.mext.go.jp/a_menu/koutou/houjin/03052701.htm |website=文部科学省(www.mext.go.jp) |accessdate=2022-01-27}}</ref>。
かつては[[日本国政府]]の中央省庁の一つである[[文部科学省]](文科省)に置かれる[[施設等機関]]であった。[[1945年]]([[昭和]]20年)に終結した[[第二次世界大戦]]における[[日本の降伏]]に伴い、[[大日本帝国]]時代の諸制度に対する[[日本の戦後改革|戦後改革]]が行なわれた。[[1949年]]の国立学校設置法(昭和24年法律第150号)に基づき、[[旧帝国大学]]、[[旧制大学]]、[[高等師範学校]]、[[旧制高等学校]]、[[旧制専門学校]]、[[師範学校]]を統合して、原則として各[[都道府県]]に最低でも1校の、[[新制大学]]としての国立大学が設置された<ref name=":8">{{Cite web|和書|title=大学入試の戦後史 第1回|代ゼミジャーナル |url=https://www.yozemi.ac.jp/yozemi_journal/1806_01.html |website=www.yozemi.ac.jp |access-date=2022-10-18 |language=ja |publisher=[[代々木ゼミナール]]}}</ref>{{リンク切れ|date=2023年12月}}。この時、帝国大学は旧制高校以外との統合を避けたため、[[単科大学と総合大学|単科]]国立大学も生まれた<ref name=":8" />。
[[2020年代]]前半時点で、日本には国立大学が'''86校'''(うち[[大学院大学]]'''4校''')ある<ref name=読売20231126>『読売新聞』朝刊11月26日 [https://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/kyoiku/news/20231125-OYT1T50228/ 国立大学6割に「地域枠」 本社調査 医学・教育系人材確保](1面)/国立大「地域枠」 「地元貢献」へ拡大 医師不足解消 一定の成果:デジタル・農漁業でも導入(社会面)]</ref>。このうち「世界最高水準の教育研究活動の展開が相当程度見込まれる国立大学法人」が文科省により「[[指定国立大学法人]]」に指定されている<ref name=":7">{{Cite web|和書|title=第4期中期目標期間における指定国立大学法人の指定について|url=https://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/mext_00807.html |website=文部科学省ホームページ |accessdate=2022-01-27}}</ref>。2021年([[令和]]3年)11月時点で10校指定されている([[東北大学]]、[[東京大学]]、[[東京医科歯科大学]]、[[東京工業大学]]、[[一橋大学]]、[[筑波大学]]、[[名古屋大学]]、[[京都大学]]、[[大阪大学]]、[[九州大学]])<ref name=":7"/>。
なお、[[国立短期大学]]は[[2010年]](平成22年)度で全廃されている。
日本では国立大学の収入は、日本国政府の支出(すなわち税金)に拠る部分が大きい。[[財務省 (日本)|財務省]](日本国政府)は、平成25年度ベースの場合、[[大学病院|大学附属病院]]の収入を除くと、約68%が運営費交付金や補助金などの国からの支出、自己収入は全体で33%(内訳は寄附金収入が4.3%、[[学費|授業料]]等収入が14.7%、[[産学連携]]等研究収入が10.8%)と試算しており、「国からの補助金が概ね1割である私立大学と比べると、その違いは顕著なものとなっている」と指摘している<ref>{{Cite web|和書|title=国立大学の収入構造 |url=https://www.mof.go.jp/zaisei/matome/zaiseia271124/kengi/02/04/kokuritsu01.html |website=財務省 |accessdate=2020-02-08}}</ref>。国立大学の運営に多額の税金が投入されている点について、文科省は『国立大学経営力戦略』において「運営費交付金依存体質からの脱却」を提唱した<ref>{{Cite web|和書|title=国立大学経営力戦略:文部科学省 |url=https://www.mext.go.jp/a_menu/koutou/houjin/1418120.htm |website=文部科学省ホームページ |accessdate=2020-02-08}}</ref>。また、国公立大学の競争力や生産性に見合っているかという批判<ref>{{Cite web|和書|title=異見交論44(上)国立大学は納税者への責務を果たせ|author= [[神田眞人]](財務省[[主計局]]次長) |url=https://kyoiku.yomiuri.co.jp/rensai/contents/44.php |website=[[読売新聞]]教育ネットワーク |accessdate=2020-02-08}}</ref><ref>{{Cite web|和書|title=異見交論43 国立大への税金投下に「正当性なし」|author=[[冨山和彦]]([[経営共創基盤]] [[代表取締役]][[最高経営責任者|CEO]]) |url=https://kyoiku.yomiuri.co.jp/rensai/contents/43-ceo.php |website=読売新聞教育ネットワーク |accessdate=2020-02-08}}</ref>や私立大学で実現可能な分野にもかかわらず、税金を投入して授業料を安く設定するのは民業圧迫という批判<ref>{{Cite web|和書|title=連続シンポジウム「転機の教育」第3回「大学改革 ― 危機を抜け出せるか」【パネルディスカッション】1、国立大学と私立(3)|url=http://www.asahi.com/sympo/kyoiku3/14.html |website=[[朝日新聞]](www.asahi.com) |accessdate=2023-12-04}}</ref>が存在する。
かつては、裕福な家庭の子が私立大学に進学し、貧しい家庭の子が国公立へ進学する構図が見られた<ref name=":3">{{Cite web|和書|title=経済格差を教育格差に繋げないために-高等教育の機会均等に向けて- |url=https://www.doyukai.or.jp/policyproposals/articles/2009/pdf/100325b.pdf |publisher=社団法人[[経済同友会]] |accessdate=2021-10}}</ref>。しかし、2010年代以降、私立大学に通う学生の親の年収よりも、国立大学へ進学した学生の親の年収の方が高いという逆転現象が生じている<ref name=":3" />。2016年の学生生活調査によれば、大学生がいる家庭の平均世帯年収は、国立で841万円、公立730万円、私立834万円であり<ref name=":4">{{Cite web|和書|title=平成28年度学生生活調査結果集計表(3-1表 家庭の年間収入別学生数の割合(大学昼間部)) |url=https://www.jasso.go.jp/statistics/gakusei_chosa/__icsFiles/afieldfile/2021/03/17/data16_2.pdf |publisher=独立行政法人 日本学生支援機構 |accessdate=2021-10}}</ref>、世帯年収1000万円以上の家庭の割合は、国立29.2%、公立20.3%、私立25.7%であった<ref name=":4" />。
ほとんどの国立大学が[[学問の自由|自治権]]を持って運営している。学生数は、全大学生のうち2割程<ref>短大生含む。[https://www.mext.go.jp/a_menu/koutou/shiritsu/ 私立学校・学校法人の振興] 文部科学省(2016年7月6日閲覧)</ref>。
[[放送大学]]と[[沖縄科学技術大学院大学]]は私立大学に分類されるが、設置法に基づき国からの補助金を得ているなど公的な側面を有する。[[産業医科大学]]も私立大学であるが[[厚生労働省]]から支援を受けている。
=== 国立大学・大学院の配置と名称 ===
{{main|日本の国立大学一覧}}
47都道府県全てに最低1つの国立大学が設置されている。所在地は[[都道府県庁所在地]]が多いが、[[青森県]]の[[弘前大学]]は、県庁所在地の[[青森市]]でなく[[弘前市]]にあるような例もあるほか、複数の国立大学を要する都道府県もある。
ほぼ全ての国立大学の大学名は所在地名を由来とする。都道府県名が多いが、[[令制国]]名など([[信州大学]]や[[琉球大学]])、県都名([[宇都宮大学]]や[[金沢大学]]など)、[[日本の地域#主な地域ブロック|地域ブロック]]名(東北大学や[[九州大学]])といった例もある。[[横浜国立大学]]は校名に唯一「国立」の語を入れている。
[[宮城大学]]および[[長野大学]]は都道府県名の公立大学、[[青森大学]]、[[神奈川大学]]や[[奈良大学]]、[[福岡大学]]等は都道府県名を冠した私立大学である。
地名に由来しない国立大学は[[電気通信大学]]、そして[[大学院大学]]である[[総合研究大学院大学]]と[[政策研究大学院大学]]の3校のみである。かつては[[図書館情報大学]](現:[[筑波大学]][[情報学群]]知識情報図書館学類)もそうであった。[[一橋大学]]([[東京都]][[国立市]])の名称は、前身の[[東京商科大学]]が東京都[[千代田区]][[一ツ橋]]にあったことに由来する。[[お茶の水女子大学]](東京都[[文京区]])の名称は、前身の[[東京女子高等師範学校]]が、文京区[[湯島]]と千代田区にまたがる[[御茶ノ水]]地区にあったことに由来する。
[[大宅壮一]]は、旧帝国大学・[[官立大学]]以外の各校を「[[駅弁大学]]」と呼んだ<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.shidaikyo.or.jp/newspaper/rensai/k|title=こうやって変革した30 和歌山大学|accessdate=2021-12-08|publisher=日本私立大学協会}}</ref><ref>{{Cite web|和書|title=「駅弁大学」「恐妻」など数々の新語を生み出したマスコミの大家 大宅壮一ができ上がるまで(前編) {{!}} 文春アーカイブス|url=https://bunshun.jp/articles/-/7063|website=文春オンライン|accessdate=2021-12-08|author=大宅壮一}}</ref>。ただし一期校・二期校制度(後述)が廃止され大学全入時代となった近年では、死語と化している{{要出典|date=2021-12}}。
=== 国立大学の類型 ===
独立行政法人[[大学改革支援・学位授与機構]]の分類による。旧帝国大学は学生数や財政規模において突出している。また単科の旧官立大学は学生規模はさほど大きくないが外部資金や科研費の総額が旧帝大に匹敵する。医学部を持つ旧官立大6校と新制総合大学5校は多くの指標で旧帝大に次ぐ規模を持つ。新制大学とは(医学部を除き)戦前期に大学に昇格した高等教育機関を持たず師範学校と実業専門学校を主たる母体として設立されたものである。<ref>{{Cite journal|author=独立行政法人大学改革支援・学位授与機構|year=平成14年3月|title=第8章 国立大学の諸類型|journal=「国立大学の構造分化と地域交流」|volume=第6号}}</ref>
==== 旧[[帝国大学]](7校) ====
[[北海道大学]]・[[東北大学]]・[[東京大学]]・[[名古屋大学]]・[[京都大学]]・[[大阪大学]]・[[九州大学]]
==== 旧[[旧官立大学|官立大学]](9校) ====
旧制大学を母体にする大学のうち総合大学(人文・社会・自然・医の4領域すべての領域を持つ大学)となったもの。
* 旧制[[旧二文理大|文理科大学]]、[[神戸商業大学 (旧制)|商業大学]](3校)
[[神戸大学]]・[[広島大学]]・[[筑波大学]]
* [[旧制六医科大学|旧制医科大学]](6校)
[[千葉大学]]・[[新潟大学]]・[[金沢大学]]・[[岡山大学]]・[[長崎大学]]・[[熊本大学]]
==== 新制総合大学(5校) ====
戦後の[[国立学校設置法]]以降に新設された大学のうち文理学部の改組、[[一県一医大構想]]が完了する昭和50年代初めまでに総合大学となったもの。ただし人文系学部として教員養成系学部のみを設置するものを除く。島根大学、大分大学、佐賀大学などは2000年代に入り芸術系学部、統合領域の学部を設置し上記の定義を満たし総合大学化したが5大学と比べ規模が小さい。
[[信州大学]]・[[山口大学]]・[[愛媛大学]]・[[鹿児島大学]]・[[琉球大学]]
==== 新制複合大学 ====
国立学校設置法以降に新設された大学のうち人文・社会・自然・医の4領域のうち2ないし3領域を満たす大学。
[[弘前大学]]・[[秋田大学]]・[[岩手大学]]・[[福島大学]]・[[福井大学]]・[[香川大学]]・[[宮崎大学]]など多数
==== 旧制単科大学 ====
戦前に設置された旧制高等教育機関の流れを汲む大学のうち人文・社会・自然・医の4領域のうち1領域からなる大学。
* [[旧官立大学]]
[[東京医科歯科大学|東洋医科歯科大学]]・[[東京工業大学]]・[[一橋大学]]
* [[女子高等師範学校|旧女子高等師範学校]]
[[お茶の水女子大学]]・[[奈良女子大学]]
* [[旧制専門学校]]
[[小樽商科大学]]・[[東京外国語大学]]・[[帯広畜産大学]]・[[電気通信大学]]・[[東京海洋大学]]・[[東京学芸大学]]・[[奈良教育大学]]・[[福岡教育大学]]など
==== 新制単科大学 ====
国立学校設置法以降に設置された大学のうち人文・社会・自然・医の4領域のうち1領域からなる大学。
* [[新設医科大学]]
[[旭川医科大学]]・[[浜松医科大学]]・[[滋賀医科大学]]
* その他の新設大学
[[北見工業大学]]・[[上越教育大学]]・[[長岡技術科学大学]]・[[鹿屋体育大学|鹿屋体育大学等]]
==== 大学院大学 ====
学部(学部以外の教育研究上の基本となる組織を含む)をおくことなく大学院をおく大学
[[総合研究大学院大学]]・[[北陸先端科学技術大学院大学]]・[[奈良先端科学技術大学院大学]]・[[政策研究大学院大学]]
=== 入学試験 ===
国立大学の一般[[入学試験]](入試)は、通例「[[大学入学共通テスト]]」([[1979年]]から[[1989年]]は「[[大学共通第1次学力試験]]」通称「共通一次」、[[1990年]]から[[2020年]]までは「[[大学入学者選抜大学入試センター試験]]」)の受験が必須である。この「共通テスト」の5教科7科目は
*[[文系と理系|理系]]:[[英語 (教科)|英語]]、[[数学 (教科)|数学]]①②、[[国語 (教科)|国語]]、[[理科]]×2、[[地理歴史]][[公民 (教科)|公民]]×1、
*文系:英語、数学①②、国語、理科×1、地理歴史公民×2
という広範囲を選択することになっており、また、それに加えて大学別の個別試験(2次試験)も受験しなければならない<ref name=":5">{{Cite web|和書|title=共通テストと2次試験で決まる国公立大学入試 {{!}} 大学入試の基礎知識 {{!}} |url=https://www.keinet.ne.jp/exam/basic/structure/national.html|website=[[河合塾]] Kei-Net(www.keinet.ne.jp)|accessdate=2021-11-16}}</ref>。したがって、私立大学に比して試験科目数が非常に多く、オールラウンドな学力が要求されるが、試験科目数を軽減している国立大学も一部に存在している。(しかし、私立大学は試験科目数が少ない分、1科目ごとの失敗が許されない上、高得点が要求される。また、難関私大では高校の範囲を超える難問が出るなど、センターの比重が高い国公立大学とは趣を異にする傾向がある。)
また、記述形式が中心の2次試験では、解答のみを答える私立大学や共通テストの[[マークシート]]形式と異なり、解答のみならず、その解答に至るまでの正確な過程や考察も答える問題が非常に多く、より高度な学力が要求されている。なお、一部の大学では共通テストの配点を小さくする措置を取る場合もある。
国立大学の2次試験は、前期日程と後期日程の2つの日程に募集人員を振り分けて選抜する「分離・分割方式」で実施される<ref name=":5" />。受験生は前期日程と後期日程にそれぞれ1校ずつ出願できる(中期日程を設定する大学もある)<ref name=":5" />。つまり、国公立大学は最大3校の受験が可能である<ref name=":5" />。この点、日程さえ異なればいくつでも併願可能な私立大学に比べ、受験可能回数が非常に限られる(稀に共通テストのみを課す大学がある)。
また、国立大学では、共通テストの成績を用いた[[2段階選抜]]が行われる場合がある<ref name=":5" />。これは、共通テストの成績に基づいて2次試験を受験できる者を選抜し(第1段階選抜)、選抜合格者にのみ2次試験を実施する制度である<ref name=":5" />。一般的に「志願者が募集人員の何倍を上回った場合、第1段階選抜を実施する」とされており、志願者数の状況によって2段階選抜の有無が決まる<ref name=":5" />。2段階選抜が実施されるのは、難関国立大学や医学部が多い傾向がある<ref name=":5" />。
共通一次試験の開始前、1978年まで実施されていた国立大学の試験実施日を二つに分けていた制度については「[[国立旧一期校・二期校]]」を参照。
==== 推薦入学と地域枠 ====
国立大学の約9割が[[推薦入学|学校推薦型選抜]]を実施している<ref name=":6">{{Cite web|和書|title=拡大する学校推薦型選抜と総合型選抜 {{!}} 大学入試の基礎知識 {{!}} |url=https://www.keinet.ne.jp/exam/basic/structure/recommend.html|website=河合塾 Kei-Net(www.keinet.ne.jp)|accessdate=2021-11-16}}</ref>。国公立大学の学校推薦型選抜は、私立大学に比べて募集人員が少なく、出願条件のうち「学習成績の状況4.0以上」など厳しい成績基準が設けられる<ref name=":6" />。また、共通テストの受験を義務づけたり、面接や小論文といった独自試験を課したりする大学も多い<ref name=":6" />。
特に、国立大学の医学部の多くは、出身地域や卒業後の勤務地等に制限を設けた地域枠学校推薦型選抜を実施している<ref name=":6" />。地域枠で合格・入学すると、卒業後に特定の地域で医師として働くことを条件に奨学金が受給できるなどの特例が設けられる場合もある<ref name=":6" />。
国立大学医学部の地域枠は、地方における[[医師不足]]への対策として設けられている。『[[読売新聞]]』の調査によると、大学院大学を除く82国立大学のうち、何らかの形で地域枠を設けている大学は48校と過半数に達しており、[[教員養成課程]]([[教育学部]])でも導入例が目立ち、他にも[[獣医師]]や農漁業者、観光、デジタル技術者を養成する[[学部]]・[[学科]]にも広がりつつある<ref name=読売20231126/>。
==== AO入試 ====
[[AO入試]]を実施する国立大学も増加傾向にある。出願条件は学校推薦型選抜より緩やかな場合が多いが、大学によっては特定資格の有資格者や全国コンテストの上位入賞者など、厳しい条件が定められている<ref name=":6" />。選考方法は書類審査・面接(プレゼンテーション)・小論文を課す選抜型が一般的である<ref name=":6" />。
==== 特例入試等 ====
各種の事情で多くの受験生が入学試験を受験できない場合には、特例入試や追試験が実施される場合がある。1995年(平成7年)の[[阪神・淡路大震災]]による特例入試と、2009年(平成21年)から2010年(平成22年)の[[2009年新型インフルエンザの世界的流行|新型インフルエンザ流行]]による追試験は、[[国立大学協会]]の主導のもと、全国的に行われている。
[[阪神・淡路大震災]]が発生したのは[[1995年]](平成7年)の[[大学入試センター試験]]直後に当たる1月17日で、国立大学への入学願書の提出が迫っていたため、震災が提出に影響すると考えられた。国立大学協会は、2月3日に「阪神大震災で被災した受験生を対象とする特例入試の実施について」という文書を各国立大学へ送り、被災受験生の負担を軽減するために可能な手段を講じるように要請した。受験資格は、被災市町村に住居か在学校があり、3月27日の時点でいずれの国公立大学にも合格していない受験生で、1つの大学に限って受験が可能である。試験が行われたのは3月28日以降(D日程入試)で、最終的に国立大95校、公立大48校の全校が特例入試を行うことになった<ref>※記事名不明※『朝日新聞』1995年2月18日</ref>。選抜方法としては、面接や調査書など、学力検査以外の方法で行う例も少なくなかった。文部省の発表によると、阪神大震災特例入試を志願した受験生は全国の合計で1,479人で、うち1,440人が実際に試験を受け、347人が合格している<ref>※記事名不明※『朝日新聞』1995年4月18日</ref>。
=== 国立大学の教員 ===
国立大学の教員の多くが、国立大学出身者で占められている。文部科学省の調査によれば、国立大学教員における国公立大学出身者の割合は約95%にのぼる<ref name=":0" />。他方、私立大学の教員における国公立大学出身者の割合は約5割である<ref name=":0">{{Cite web|和書|title=中央教育審議会 大学分科会 制度部会(第22回(第3期第7回))議事録・配付資料 [資料2-1]設置者別 大学教員の出身大学(平成13年(2001年)調査)|url=https://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo4/003/gijiroku/07011713/001/008.htm|website=文部科学省(www.mext.go.jp)|accessdate=2019-11-03}}</ref>。
2004年の国立大学法人化までは[[国家公務員]]の身分であったが、現在は[[みなし公務員]]である<ref>{{Cite web|和書|title=教職員のみなさんへ|url=https://www.u-tokyo.ac.jp/ja/about/president/b_message_public05.html|website=東京大学|accessdate=2020-06-18|language=ja}}</ref>。近年は、[[契約社員|有期契約教員]]や非常勤[[教員]]も増えており、正規教員と[[賃金]]格差も生まれている<ref>{{Cite news|title=働き詰めでも年収3百万台…下層化する大学講師、過酷労働&インテリ貧乏の実態|newspaper=[[Business Journal]]|date=2017-6-27|author=小野貴史|url=https://biz-journal.jp/2017/06/post_19592.html|accessdate=2021-9-25}}</ref>。このような待遇面に不満を持つ教員の私立大学・海外大学への教員流出も起こっており<ref>{{Cite web|和書|title=「給料格差ツイート、狙ってやった」 日本捨てる若手学者の危機感|url=https://withnews.jp/article/f0170429000qq000000000000000W05x10301qq000015121A|website=withnews.jp|accessdate=2020-06-18|language=ja|first=長野|last=剛}}</ref><ref name=":1">{{Cite web|和書|title=【独占手記】私が京都大学の給与明細を公開したホントの理由|url=https://ironna.jp/article/3095|website=オピニオンサイト「iRONNA(いろんな)」|accessdate=2020-06-18|language=jp}}</ref><ref name=":2">{{Cite web|和書|title=私が一橋大学の教員を辞めた理由〜国立大に翻弄された苦しい日々(河野 真太郎) @gendai_biz|url=https://gendai.media/articles/-/65088|website=現代ビジネス|accessdate=2020-06-18}}</ref>、国立大学から中堅レベルの私立大学への流出に歯止めがかからないと言われる<ref name=":1" /><ref name=":2" />。
教員の再就職について、[[松野弘]]は「元東大教授という肩書の人物がいれば、私立大学は喜んで招聘してくれるという「東大神話」の時代は終焉を迎えつつある」と指摘している<ref>{{Cite web|和書|title=東大教授は要りません──東大ブランドの凋落はなぜ起きたか|url=https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2018/09/post-11026.php|website=[[Newsweek]]日本版|date=2018-09-29|accessdate=2020-06-18|language=ja}}</ref>。
また国立大学の職員の公募に関しては、最初から採用する人物が決まっているにもかかわらず形だけ公募の体を取る「出来公募」が存在しているといい、[[水月昭道]]など大学教育関係者の中にも「出来公募」の存在を主張する者がいる<ref>『お寺さん崩壊』([[新潮新書]]、2016年)</ref>。
=== 国立大学と賞 ===
[[日本人のノーベル賞受賞者]]の全てが'国立大学出身者([[学士]]時点)で占められている<ref group="注">[[埼玉大学]]、[[山梨大学]]、京都大学、名古屋大学、[[徳島大学]]、東京工業大学、神戸大学、東京大学、長崎大学、東北大学、北海道大学。</ref>。このうち、13人が旧帝国大学出身者であり、6人がその他国立大学出身である。学問領域ごとに設けられている国際的賞である[[フィールズ賞]]や[[ガウス賞]]、[[ウルフ賞]]に至っては、日本人受賞者全員が旧帝大出身者である。
== 日本国外の国立大学 ==
=== フランス ===
[[フランス]]の大学は法令によって「学術的・文化的・職業専門的性格を有する公施設法人」とされており法人格を有する国立の機関とされている<ref name="mext2018">{{Cite web|和書|url=https://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chousa/koutou/092/gijiroku/__icsFiles/afieldfile/2018/10/30/1410460_3.pdf |title=諸外国の大学のガバナンス例 |publisher=文部科学省 |accessdate=2021-10-03}}</ref>。[[フランス政府]]からの予算配分は各大学との機関契約で行われている<ref name="mext2018" />。
人事に関しては学部長は学部内の教員から評議会の選挙で選出することが法令で規定されている<ref name="mext2018" />。また、教員の任用は学内に設置される選考委員会が審査して、大学が推薦し、教授は大統領、准教授は大臣が任命する<ref name="mext2018" />。
フランスの大学は国からの監督を受けているが、2007年の大学の自由と責任に関する法律(LRU法)で大学の裁量が大幅に拡大された<ref name="mext2018" />。
大学とは別に[[テクノクラート]]養成校である[[グランゼコール]]も存在する。
=== アメリカ合衆国 ===
[[アメリカ合衆国]]は[[アメリカ合衆国の州#概説|州の独立性が高く]][[州立大学]]はあるが、[[アメリカ合衆国連邦政府]]が設立した国立大学はなく<ref name="Harvard">古村治彦『ハーヴァード大学の秘密』([[PHP研究所]]、2014年)154-158頁</ref>、奨学金や[[予備役将校訓練課程]]など学費を補助するプログラムがある。
[[アメリカ合衆国の連邦大学校]]([[省庁大学校]]。職員研修所)として[[士官学校]]([[陸軍士官学校 (アメリカ合衆国)|陸軍士官学校]] 、[[海軍兵学校 (アメリカ合衆国)|海軍兵学校]]、[[空軍士官学校 (アメリカ合衆国)|空軍士官学校]] 、[[:en:United States Coast Guard Academy|沿岸警備隊士官学校]]、[[:en:United States Merchant Marine Academy|商船大学校]])がある。また大学院に相当の[[参謀学校]]が8校ある。
非軍事系の大学校は[[連邦捜査局]]の[[特別捜査官]]を養成する[[FBIアカデミー]]など5校ある。
[[国立聾工科大学]]は[[ロチェスター工科大学]](私立)の学部であるが、運営資金は国費でまかなわれているため国立(National)と呼ばれている。
州立大学には[[ランドグラント大学]]と呼ばれる連邦政府から土地の供与を受けた大学がある。
=== 中華人民共和国民国 ===
{{see|中華人民共和国の教育|国家重点大学|台湾の大学一覧#国立/市立}}
=== 中華民国(台湾) ===
{{main|台湾の大学一覧#国立/市立}}
[[中華民国]]が[[実効支配]]する[[台湾]]にある国立大学は32校で、[[国立台湾大学]]、[[国立政治大学]]、[[国立成功大学]]、[[国立陽明交通大学]]、[[国立清華大学]]などが挙げられる。
台湾にある国立[[高等教育機関]]の合計は49校で、国立大学以外の内訳は国立高等専門学校は13校、国立高等専門学校は2校、国立公開大学は2校である。
=== オーストラリア ===
[[オーストラリア]]の国立大学は[[オーストラリア国立大学]](The Australian National University:ANU)のみとなっている<ref name="deloitte">{{Cite web|和書|url=https://www2.deloitte.com/content/dam/Deloitte/jp/Documents/public-sector/edu/jp-cps-anu-report-2.pdf |title=海外大学訪問レポート(3)オーストラリア国立大学 |publisher=有限責任監査法人[[トーマツ]] |accessdate=2021-10-07}}</ref>。オーストラリアの高等教育は公立大学が主体であり、大学は私立大学の2校と国立大学であるオーストラリア国立大学を除き公立大学である<ref name="deloitte" />。
== 脚注 ==
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=== 注釈 ===
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=== 出典 ===
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== 関連項目 ==
* [[大学校]]
* [[日本の大学一覧]]
* [[日本の公立大学一覧]]
* [[省庁大学校]]
* [[学閥]]
* [[大学改革]]
== 外部リンク ==
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* [https://www.janu.jp/ 一般社団法人 国立大学協会] {{ja icon}}
* [https://www.janu.jp/active/txt6-1/h14_5/index.html 一般社団法人 国立大学協会:小冊子「日本の将来と国立大学の役割」] {{ja icon}}
* [http://kitabatake.world.coocan.jp/rekishi41.html 高等教育機関一覧] {{ja icon}}
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[[Category:大学種別]]
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京王7000系電車
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京王7000系電車(けいおう7000けいでんしゃ)は、1984年(昭和59年)から1996年(平成8年)にかけて190両が製造された京王電鉄京王線用の通勤形電車である。
本稿では京王線上での東側を「新宿寄り」、西側を「京王八王子寄り」と表記する。編成単位で表記する必要がある場合は、新宿寄り先頭車の車両番号で代表し、7701編成の様に表現する。京王電鉄では京王八王子駅寄りを1号車として車両に号車番号を表示しているが、本稿では各種文献に倣って新宿駅寄りを左側として編成表を表記し、文中にたとえば「2両目」と記述されている場合は新宿寄りから2両目であることを示す。
京王線系統用としては初のオールステンレス車体を採用した車両で、各駅停車のサービス向上用として導入された。当時の京王線用車両は優等系列車に新製した車両を投入し、その時に捻出された車両を各駅停車に転用する施策が取られてきたが、7000系投入までに優等系列車の6000系への置き換えが完了していたことから、旧型車を直接置き換える方針となった。
車体寸法は6000系とほぼ同一とされ。6000系のマイナーチェンジとして位置付けられる。将来の長編成化、予備部品の削減を考慮し、主要機器は6000系とほぼ同一とされた。
京王では特定都市鉄道整備促進特別措置法(特々法)により朝ラッシュピーク1時間に新宿に到着する全列車を10両編成化する輸送力増強を行い、1987年(昭和62年)から工事に着手、1996年に完了した。7000系の製造期間はこの輸送力増強期間と重なり、製造の都度長編成化が行われている。1986年から8両編成の製造がはじまり、5両編成で製造された編成も中間車を追加製造してすべて6両または8両編成となった。8両編成の一部は後に中間車を追加して10両編成化されたほか、増結用の2両・4両編成も製造され、1996年の製造終了時には2両・4両・6両・10両編成が各5本、8両編成10本の合計190両となった。
20 m両開き4扉、窓間に戸袋窓2枚、1枚下降窓2枚を、車端部に戸袋窓と1枚下降窓各1枚を備える基本配置、基本寸法は6000系と同様だが、窓がサッシレスになるとともに隅に丸みを設け、やさしさを出している。ステンレス車で戸袋窓を備えるのは珍しく、7000系登場当時の紹介記事には「20 mの軽量ステンレス車では全国初」と記載されている。正側面窓下には当時の京王色である赤帯が巻かれた。幕板部中央には 車側灯を挟んで種別表示装置と行先表示装置が配置されている。
初期に製造された車両はコルゲートを側面窓上下に備えていたが、8両編成で製造された編成のうち最後の5本と、すべての2両・4両編成は設計変更によりビードプレスの車体となった。増結用中間車は車体構造を組み込まれる編成に合わせたため、コルゲート車体でもビードプレス車体よりも新しい車両がある。
先頭車正面形状は6000系に類似し、中央に貫通扉が設置され、前面窓上に行先表示装置、種別表示装置、車号板、標識灯がある。窓サイズが左右同一となり、6000系運転室窓より下方に100 mm拡大されている。角形になった前照灯と尾灯が1つの箱に納められて正面赤帯下に設けられた。正面角部には銀色に塗装されたFRP製カバーが取り付けられている。
1986年(昭和61年)までに製造された車両は側面窓の上下にコルゲートがあったが、1987年(昭和62年)以降編成単位で製造された車両からビードプレス車体となり、先頭部幌枠と桟板が廃止されるとともに前面窓下と角部FRPカバーがクリーム色に塗装され、外観の印象が変わった。1987年製造車のみ正側面窓の上に赤帯が巻かれたが、すぐに撤去されている。
室内の色調は当時の京王新造車の標準であるクリーム色の壁に白色の天井、レンガ色の座席モケットとされたが、キルティングにより1人ずつの占有区分が明確化されたほか、座席先端から250 mmのところで床の色を変え、着座客の足位置を暗示する工夫がなされている。クーラー吹き出し口を直線状とし、平天井を採用したことから天井高さが6000系に対して約35 mm高くなっている。座席はドア間7人掛け、車端部4人掛け、1人当たりの幅は430 mmとされた。
乗務員室は基本的に6000系と同一とされ、両手操作のワンハンドルマスコンが引き続き採用された。中央部に貫通路を備えるが、編成間を貫通して使用することが製造時に想定されていなかったことから、貫通路固定仕切り戸は設けられなかった。
ここでは製造時の機器構成について述べる。
電動車は2両1ユニット構成とされ、主制御装置はデハ7000形に日立製作所(以下、日立)-HTR-20B(直列14段、並列11段、弱め界磁付)を搭載した。5両・8両編成では7100番台の電動車はユニットを組む相手がいない1M構成、直列14段で使用される。2両編成は1両単独構成とされ、デハ7400形に日立製MMC-HTR-10C(直列14段、弱め界磁付)が搭載された。
主電動機は直流複巻電動機、出力150 kW(定格電圧375 V、電流440 A、定格回転1,500 rpm、日立製HS-835Jrbまたは東洋電機製造〈以下、東洋〉製TDK-8256A)のものが電動車1両につき4台搭載された。軽量化されたステンレス車としては当時のダイヤでは余裕があるものの、予備品の削減と寿命延長を考慮した出力とされた。
駆動装置は京王従来車と同様WN駆動方式が採用され、歯車比は85:16である。
制動装置は日本エヤーブレーキ製全電気指令式電磁直通ブレーキ (HRD-1R) が6000系に引き続いて採用された。電動車では回生ブレーキ力が不足した時に空気ブレーキで補っている。
台車も6000系用を基本とする、車体直結式空気ばね式の東急車輛製造(以下、東急)製TS-823動力台車、TS-824付随台車が採用された。台車枠がプレス構造とされ、TS-823の軸距は2,200 mm、TS-824は2,100 mmである。全台車両抱式の踏面ブレーキを装備する。サハ7550形はTS-823を装備している。
パンタグラフは東洋製PT-4201、ブロイメットすり板装備品がデハ7000形とデハ7400形の全車、6・8・10両編成では京王八王子寄り先頭車の隣に連結されるデハ7050形、2両編成ではクハ7750形のそれぞれ京王八王子寄りに搭載された。
補助電源装置は1985年以前の製造車はAC200 V、出力130 kVAのブラシレス電動発電機 (BL-MG)がデハ7050形とクハ7750形に搭載された。1986年以降の製造車では静止形インバータ(SIV、AC200 V、出力150 kVA)が採用され、4・8両編成ではデハ7050形に各1台、2両編成ではクハ7750形に1台となった。
空気圧縮機は毎分吐出容量2130リットルのHB-2000形および1986年以降の製造車では性能は同一で小型低騒音のHS-20Dが4・5両編成ではクハ7700形とデハ7050形に搭載された。6・8・10両編成ではクハには搭載されずデハ7050形全車とサハ7550形に各1台が、2両編成ではデハ7400形に1台が搭載された。
冷房装置は屋上集中式46.5 kW (40,000 kcal/h) を各車に1台搭載する。
7000系は以下の形式で構成される。各形式とも固定編成中で下2桁は同番号または同番号+50となっている。ここでは1996年の製造終了時の両数を述べ、後年の改造については各項にまとめた。「デ」は制御電動車及び電動車を、「ク」は制御車を、「サ」は付随車を、「ハ」は普通座席車を指す略号であり、形式名の前のカタカナ2文字はこれらを組み合わせたものである。
主制御装置、パンタグラフを搭載する中間電動車 である。パンタグラフは京王八王子寄りに1基が搭載されている。4両編成の2両目、5・6両編成の2・4両目、8両編成の2・4・6両目、10両編成の2・5・8両目に組み込まれ、編成位置により新宿寄りから順に百の位が0・1・2に、4両編成は百の位が2とされた。デハ7050形とユニットを組んで使用されることが基本だが、5両編成と8両編成の4両目に組み込まれた7100番台の車両はデハ7000形単独で使用された。初代デハ7106-デハ7112は8両編成化時にデハ7206-デハ7212に改番されている。1985年から1994年までにコルゲート車体の40両(デハ7001-デハ7015、デハ7101-デハ7115、デハ7206-デハ7215)、ビードプレス車体の20両(デハ7021-デハ7025、デハ7121-デハ7125、デハ7201-デハ7205、デハ7221-デハ7225)の合計60両が製造された。
デハ7000形とユニットを組む電動空気圧縮機を搭載する中間電動車である。百の位はユニットを組むデハ7000形と同一で、4・5両編成の3両目、6両編成の3・5両目、8両編成の3・7両目、10両編成の3・6・9両目に組み込まれ、6・10両編成では編成位置により新宿寄りから順に百の位が0・1・2、4両編成は百の位が2とされた。8両編成の7100番台車は7100番台のデハ7000形が単独で使用されたため製造されず、3両目が7000番台、7両目が7200番台とされた。初代デハ7156-デハ7162は8両編成化時にデハ7256-デハ7262に改番されている。6両編成の7100番台、8両編成と10両編成の7200番台の京王八王子寄りにはパンタグラフ1基が搭載された。1985年から1996年までにコルゲート車体の35両(デハ7051-デハ7065、デハ7151-デハ7155、デハ7256-デハ7265)、ビードプレス車体の15両(デハ7021-デハ7025、デハ7201-デハ7205、デハ7221-デハ7225)の合計50両が製造された。6両編成の7150番台以外には補助電源装置が搭載されていた。
2両編成で新宿寄りに連結される制御電動車で、ビードプレス車体のデハ7421-7425の5両が1994年に製造された。
電動空気圧縮機がない付随車 である。10両編成の5両目に組み込まれ、1996年にビードプレス車体のサハ7521-サハ7525の5両が製造された。電動車化が想定されていない完全な付随車で、TS-824台車を装備する。
電動空気圧縮機付きの付随車で、8両編成の5両目と、10両編成の7両目に組み込まれる。1987年から1992年にかけてサハ7556-サハ7565(コルゲート車体、10両)、サハ7571-サハ7575(ビードプレス車体、5両)の計15両が製造された 。電動車化が想定されていたため、屋根上にパンタグラフ取付用の台、客室床に主電動機点検蓋があり、TS-823台車を装備している。
新宿寄り制御車 である。4両編成用には電動空気圧縮機が搭載され、百の位が8。1984年から1994年にかけてクハ7701-クハ7715のコルゲート車体15両、クハ7721-クハ7725、クハ7801-クハ7805のビードプレス車体10両の合計25両が製造された。
京王八王子寄り制御車である。4両編成は7850番台、2両編成は7870番台。1984年から1994年にかけてクハ7751-クハ7765のコルゲート車体15両、クハ7771-クハ7775、クハ7851-クハ7855、クハ7871-クハ7875のビードプレス車体15両の合計30両が製造された。2両編成用は京王八王子寄りにパンタグラフ1基を搭載している。
ここでは製造時のバリエーションと中間車新造による機器構成変更、改番についてまとめ、後年の改造については別項にまとめた。
最初に製造されたグループである。1984年(昭和59年)3月から10月にかけて5両10編成が、1986年3月に2編成が入線した。電動車は日本車輌製造(以下、日車)製、制御車は東急製である。1986年製造車は補助電源装置がSIVに変更された。1984年3月9日から営業運転を開始し、同年4月1日に府中競馬正門前 - 新宿 - 桜上水で試乗見学会が行われた。
1986年10月・11月に8両編成3本が製造された。両先頭車とサハ7550形、デハ7050形(7200番台)が東急製、それ以外が日車製である。新形式サハ7550形がおこされ、7200番台のデハ7050形はパンタグラフ付とされた。デハ7050形は2両とも補助電源装置、電動空気圧縮機搭載、サハ7550形も電動空気圧縮機搭載となったため、両先頭車はこれらの機器が非搭載とされた。
1987年9月から11月にかけてパンタグラフ付のデハ7050形12両が製造され、5両編成に組み込まれた。5両編成は全編成が6両編成となった。7151 -7156が東急製、7157-7162は日車製である。今回の新造車を空気圧縮機付とし、クハ7700形の空気圧縮機は撤去された。
1987年11月から編成単位で製造された車両はビードプレス車体となり、車両番号下2桁が20番台に区分された。前面幌枠、渡り板廃止、前面角部FRPカバーと前面一部がクリーム塗装とされるなどの変更がある 。1987年製造の2編成は登場時正側面窓上にも赤帯があったが、すぐに撤去されている。 1991年(平成3年)12月までに8両編成5本が製造された。最初の4編成は両先頭車とデハ7050形2両が東急製、それ以外が日車製だが、最後の1編成は編成全車が日車製である。7725編成は同年に新製された6000系5扉車同様、車両番号の書体が京王特有の角ばったものから一般的な欧文書体に変更された。4両編成・2両編成も同様の書体となっており、従来車も順次新書体に交換されている。
5両編成で製造された12編成は全編成が6両編成化されていたが、1990年(平成2年)3月に7711編成・7712編成が、1992年(平成4年)1月から2月に7706編成 – 7710編成の5編成がいずれも東急車輛で新製された中間車2両を編成中に組み込んで8両編成となった。新造中間車は新宿寄りから4両目・5両目に組み込まれ、新編成で6両目・7両目となった車両は改番された。機器配置を既存の8両編成と合わせるため、クハ7750形の補助電源装置は撤去され、デハ7050形(7200番台)に移設されている。1987年11月以降編成単位で新造された車両についてはビードプレス車体となったが、6両編成の8両編成化中間車については既存の編成他車に合わせてコルゲート車体となった。客用ドアは窓横にも手掛けがあるタイプとされた。
6両編成と連結して10両編成で運用するため、1993年(平成5年)1月から1994年(平成6年)3月にかけて4両5編成が製造された。全車ビードプレス車体、最初の3編成が東急製、あとの2編成が日車製である。先頭車には7800番台、中間車には7200番台が附番された。1994年製の7805と7855正面にはスカートが設置され、以後在来車を含む全編成に取り付けられた。
8両編成と連結して10両編成で運用するため、1994年3月から1994年11月にかけて2両5編成が製造された。全車ビードプレス車体、東急製である。新宿寄りは制御電動車デハ7400形となり、6000系2両編成同様1M方式とされた。クハ7750形にはスカートが設置されなかった。
1996年2月から3月にかけてビードプレス車体の8両編成全編成にデハ7050形・サハ7500形各1両を新製して組み込み、10両編成化された。京王初の10両固定編成であり、これをもって7000系の製造は打ち切られた。新製されたデハ7050形は7100番台に附番され、1Mで使用されていた7100番台のデハ7000形の京王八王子寄りに組み込まれてユニットを組んだ。サハ7500形は電装を考慮しない付随車とされ、パンタグラフ台がなく、新宿寄りから4両目に組み込まれた。番号末尾21 (71)・22 (72) が東急製、それ以外が日車製である。
1986年以前製造の先頭車に対して、1987年以降の製造車と同様正面窓下とFRPカバーをクリーム色に塗装する変更が1988年ごろに施工されている。
その後、2002年10月に全編成の帯色が赤から8000系と同じ京王レッドと京王ブルーに変更されている。2001年10月にリニューアル工事を行った7701編成はリニューアル工事出場時から帯色が変更されている。
中間連結面間に転落防止の外幌を設ける工事が1997年から2001年にかけて施工されている。
動物園線の予備車として2000年に7801編成に、2008年に7802編成に、競馬場線の予備車として2009年に7421編成・7422編成にワンマン化対応改造が行われた。7421編成・7422編成はクハ7871・クハ7872にもスカートが取り付けられた。
2001年から2012年にかけてリニューアル工事が行われた。床敷物、化粧板がはりかえられ、床は茶系の濃淡、壁はピンクとパープルの濃淡の模様となった。バリアフリー化のため一部車両に車椅子スペースが設けられるとともに、2002年10月の施工車から客用ドア上にはLED式の案内装置が設置された。座席表地はローズを基調とし、柄で着席区分を示すものに変更された。2003年からはVVVF化改造が併せて行われ、2007年施工車からはバケットシート化、袖仕切りの大型化、座席部へのつかみ棒追加、UVカットガラスの採用による巻き上げカーテン廃止などの変更が行われている。リニューアル工事施工時10両編成だった編成については正側面行先・種別表示装置のLED化、車内案内装置のLCD化、自動放送装置の取り付けが行われている。
2003年から2012年にかけて主制御装置をIGBT素子のVVVFインバータ制御に更新する工事がリニューアルと同時に行われた。リニューアル工事のみ施工した編成についても順次遡ってVVVF化が行われている。電動車と付随車の比率を1:1とするため、6・8・10両編成では電動車1両が電装解除されて改番、8両編成では電動車の一部、10両編成では付随車2両が改番されている。8・10両編成で電装解除されたデハ7000形のパンタグラフはデハ7050形(7000番台)に移設されている。主制御装置、主電動機は9000系用を基本としたものとされ、2両ユニットを組む電動車はVFI-HR-2815C形主制御装置がデハ7000形に、単独で使用される電動車にはVFI-HR-1415B主制御器が搭載された。主電動機は出力150 kWのかご形三相誘導電動機HS-33535-01RBが採用された。駆動装置は改造前のものが流用され、歯車比も変更されていない。従来の界磁チョッパ車と連結して運用される際は力行特性を界磁チョッパ車に近似したものに切り換えるよう設定された。BL-MGを搭載していた編成は7707編成以外VVVF化改造時に補助電源装置をSIVに変更している。7803・7804編成にはLCDの車内情報システムが他車のLED式と同じ場所、大きさで搭載された。
2005年ごろに全車のパンタグラフが東洋製PT-7110シングルアーム形に換装されている。
ATC車上装置の設置工事がATC運用開始に先立つ2008年度前後に行われている。
一部編成に自動放送装置が設置され、2010年5月1日から使用されている。
10両編成での運用増加と共通化のため8両5編成を10両3編成、4両・6両各1編成に組み替える工事が2010年度に、6両・8両各1編成を4両・10両編成に組み替える工事が2011年度に行われている。4両・10両編成は機器配置を既存編成とあわせているが、6両編成は改造範囲を最小限とするため機器配置が既存編成と異なる。10両編成は既存の編成の続き番号とされた。旧7715編成はリニューアル工事、VVVF改造と同時施工、旧7702編成はVVVF改造と同時施工であり、旧7715編成の2両のデハ7050形、旧7702編成のデハ7152は電装解除され、サハ7550形となった。旧7711編成のサハ7511はVVVF改造時に電装解除されていたが、今回の工事で再電装されている。2010年度施工車は7726編成以外改造前編成に併せて編成組み替え時にはバケットシート化が行われなかったが、2010年度下期にバケットシート化が行われている。2011年度施工車は組み替え時にバケットシート化と袖仕切りの大型化が行われている。
7726編成 - 7728編成は8両編成だった旧7712編成 - 旧7714編成の4両目と5両目に旧7711編成と旧7715編成の中間車を組み込んで、7729編成は旧7710編成に旧7702編成の中間車を組み込んで組成されたものである。
7711編成はそれぞれ8両編成だった旧7715編成の新宿寄り3両と旧7711編成の京王八王子寄り3両を組み合わせて組成したものである。
7811編成は8両編成だった旧7711編成の新宿寄り3両に旧7765号車を組み合わせて、7806編成は旧7702編成の中間車2両を抜いて組成されたものである。
7701編成は2011年12月に、7703編成は2012年11月にクハ7750形からデハ7050形に補助電源装置を移設している。
7729編成は10両編成化時に、7804編成はVVVF化改造時に戸閉保安装置を間接制御方式に更新し、各客用ドアにLED式開閉予告表示灯を取り付けた。
2014年3月24日付で7711編成と7811編成がそれぞれ7702編成と7807編成に改番された。新デハ7102と新デハ7152は3度目の改番である。
注記:デハ7207・デハ7257は2代目。
7801編成の車内に動物をデザインした装飾を施すとともに、デハ7251の補助電源装置を出力210 kVAのものに更新し、2015年(平成27年)3月22日から運行を行っている。
2018年度に7422編成と7423編成の正側面行先・種別表示装置がフルカラーLED化された。また、2019年度にも7421編成・7424編成・7425編成・7801編成 - 7805編成がフルカラーLED化された。正面の表示装置は7721編成 - 7725編成と同様の物だが、側面は行き先と種別が別体になっている。
7000系では、80両に対し、のべ116回の改番が行われている。
当初は各駅停車用として製造されたが、2001年のダイヤ改定で列車種別を限定しない運用となったこともあり、京王線の各駅停車から特急まで全線で幅広く運用されている。6000系全廃以降、競馬場線と動物園線のワンマン運行は7000系のワンマン対応車で運転されている。7000系は6000系と併結運転が可能である。9000系は6000系・7000系と連結して運用できるよう読替装置を備えているため、9000系8両編成と7000系2両編成が併結して運転されることがある。
6000系の全廃により動物園線専用となった7801編成に2011年3月28日より動物のラッピングが施された。また2018年3月13日から、同日に多摩動物公園駅前に開業した子供向け全天候型遊戯施設「京王あそびの森 HUGHUG」及び、京王れーるランド・多摩動物公園との3施設合同企画により、ピンクを基調としたフルラッピング電車に改められた。
ワールドラグビー主催ラグビーワールドカップ2019の開催と、飛田給駅が最寄りの東京スタジアムが開催会場となったことから、7722編成に大会PRのためのラッピングが施され、2018年9月22日から2019年11月2日(大会閉幕日)まで運行された。
2017年(平成29年)11月に7708編成と7709編成の中間の付随車が編成から抜き取られ、6両編成化された。この際に余剰となった付随車は廃車となり、同形式初の廃車となった。その後、同年12月には7706編成が初の編成単位での廃車となった。そのうち、7706号車の前頭部は2018年10月11日にオープンした京王れーるランドアネックスにおいて8000系の8809(→8559)号車から切断された元先頭車の運転台部分と共に保存されている。
2019年1月には、7707編成が編成単位で廃車となり、8両編成が消滅した。その後、2020年1月には7729編成が編成単位で廃車となり、10両編成初の廃車となった。
さらに、2022年9月には7708編成の残りの6両も廃車となり、7000系全体では2年8ヶ月ぶりの廃車が発生した。
京王電鉄は、2021年10月に発生した京王線刺傷事件、2022年7月に発生した京王八王子駅危険物所持者侵入事件を受けて、2026年度までに「駅構内・車内における防犯・セキュリティ対策」として、車両新造により「非貫通車両」、もとい分割編成を解消する方針を示しており、本系列の6両編成と4両編成の廃車が予定されている 。
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"tag": "p",
"text": "京王7000系電車(けいおう7000けいでんしゃ)は、1984年(昭和59年)から1996年(平成8年)にかけて190両が製造された京王電鉄京王線用の通勤形電車である。",
"title": null
},
{
"paragraph_id": 2,
"tag": "p",
"text": "本稿では京王線上での東側を「新宿寄り」、西側を「京王八王子寄り」と表記する。編成単位で表記する必要がある場合は、新宿寄り先頭車の車両番号で代表し、7701編成の様に表現する。京王電鉄では京王八王子駅寄りを1号車として車両に号車番号を表示しているが、本稿では各種文献に倣って新宿駅寄りを左側として編成表を表記し、文中にたとえば「2両目」と記述されている場合は新宿寄りから2両目であることを示す。",
"title": null
},
{
"paragraph_id": 3,
"tag": "p",
"text": "京王線系統用としては初のオールステンレス車体を採用した車両で、各駅停車のサービス向上用として導入された。当時の京王線用車両は優等系列車に新製した車両を投入し、その時に捻出された車両を各駅停車に転用する施策が取られてきたが、7000系投入までに優等系列車の6000系への置き換えが完了していたことから、旧型車を直接置き換える方針となった。",
"title": "概要"
},
{
"paragraph_id": 4,
"tag": "p",
"text": "車体寸法は6000系とほぼ同一とされ。6000系のマイナーチェンジとして位置付けられる。将来の長編成化、予備部品の削減を考慮し、主要機器は6000系とほぼ同一とされた。",
"title": "概要"
},
{
"paragraph_id": 5,
"tag": "p",
"text": "京王では特定都市鉄道整備促進特別措置法(特々法)により朝ラッシュピーク1時間に新宿に到着する全列車を10両編成化する輸送力増強を行い、1987年(昭和62年)から工事に着手、1996年に完了した。7000系の製造期間はこの輸送力増強期間と重なり、製造の都度長編成化が行われている。1986年から8両編成の製造がはじまり、5両編成で製造された編成も中間車を追加製造してすべて6両または8両編成となった。8両編成の一部は後に中間車を追加して10両編成化されたほか、増結用の2両・4両編成も製造され、1996年の製造終了時には2両・4両・6両・10両編成が各5本、8両編成10本の合計190両となった。",
"title": "概要"
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{
"paragraph_id": 6,
"tag": "p",
"text": "20 m両開き4扉、窓間に戸袋窓2枚、1枚下降窓2枚を、車端部に戸袋窓と1枚下降窓各1枚を備える基本配置、基本寸法は6000系と同様だが、窓がサッシレスになるとともに隅に丸みを設け、やさしさを出している。ステンレス車で戸袋窓を備えるのは珍しく、7000系登場当時の紹介記事には「20 mの軽量ステンレス車では全国初」と記載されている。正側面窓下には当時の京王色である赤帯が巻かれた。幕板部中央には 車側灯を挟んで種別表示装置と行先表示装置が配置されている。",
"title": "車両概説"
},
{
"paragraph_id": 7,
"tag": "p",
"text": "初期に製造された車両はコルゲートを側面窓上下に備えていたが、8両編成で製造された編成のうち最後の5本と、すべての2両・4両編成は設計変更によりビードプレスの車体となった。増結用中間車は車体構造を組み込まれる編成に合わせたため、コルゲート車体でもビードプレス車体よりも新しい車両がある。",
"title": "車両概説"
},
{
"paragraph_id": 8,
"tag": "p",
"text": "先頭車正面形状は6000系に類似し、中央に貫通扉が設置され、前面窓上に行先表示装置、種別表示装置、車号板、標識灯がある。窓サイズが左右同一となり、6000系運転室窓より下方に100 mm拡大されている。角形になった前照灯と尾灯が1つの箱に納められて正面赤帯下に設けられた。正面角部には銀色に塗装されたFRP製カバーが取り付けられている。",
"title": "車両概説"
},
{
"paragraph_id": 9,
"tag": "p",
"text": "1986年(昭和61年)までに製造された車両は側面窓の上下にコルゲートがあったが、1987年(昭和62年)以降編成単位で製造された車両からビードプレス車体となり、先頭部幌枠と桟板が廃止されるとともに前面窓下と角部FRPカバーがクリーム色に塗装され、外観の印象が変わった。1987年製造車のみ正側面窓の上に赤帯が巻かれたが、すぐに撤去されている。",
"title": "車両概説"
},
{
"paragraph_id": 10,
"tag": "p",
"text": "室内の色調は当時の京王新造車の標準であるクリーム色の壁に白色の天井、レンガ色の座席モケットとされたが、キルティングにより1人ずつの占有区分が明確化されたほか、座席先端から250 mmのところで床の色を変え、着座客の足位置を暗示する工夫がなされている。クーラー吹き出し口を直線状とし、平天井を採用したことから天井高さが6000系に対して約35 mm高くなっている。座席はドア間7人掛け、車端部4人掛け、1人当たりの幅は430 mmとされた。",
"title": "車両概説"
},
{
"paragraph_id": 11,
"tag": "p",
"text": "乗務員室は基本的に6000系と同一とされ、両手操作のワンハンドルマスコンが引き続き採用された。中央部に貫通路を備えるが、編成間を貫通して使用することが製造時に想定されていなかったことから、貫通路固定仕切り戸は設けられなかった。",
"title": "車両概説"
},
{
"paragraph_id": 12,
"tag": "p",
"text": "ここでは製造時の機器構成について述べる。",
"title": "車両概説"
},
{
"paragraph_id": 13,
"tag": "p",
"text": "電動車は2両1ユニット構成とされ、主制御装置はデハ7000形に日立製作所(以下、日立)-HTR-20B(直列14段、並列11段、弱め界磁付)を搭載した。5両・8両編成では7100番台の電動車はユニットを組む相手がいない1M構成、直列14段で使用される。2両編成は1両単独構成とされ、デハ7400形に日立製MMC-HTR-10C(直列14段、弱め界磁付)が搭載された。",
"title": "車両概説"
},
{
"paragraph_id": 14,
"tag": "p",
"text": "主電動機は直流複巻電動機、出力150 kW(定格電圧375 V、電流440 A、定格回転1,500 rpm、日立製HS-835Jrbまたは東洋電機製造〈以下、東洋〉製TDK-8256A)のものが電動車1両につき4台搭載された。軽量化されたステンレス車としては当時のダイヤでは余裕があるものの、予備品の削減と寿命延長を考慮した出力とされた。",
"title": "車両概説"
},
{
"paragraph_id": 15,
"tag": "p",
"text": "駆動装置は京王従来車と同様WN駆動方式が採用され、歯車比は85:16である。",
"title": "車両概説"
},
{
"paragraph_id": 16,
"tag": "p",
"text": "制動装置は日本エヤーブレーキ製全電気指令式電磁直通ブレーキ (HRD-1R) が6000系に引き続いて採用された。電動車では回生ブレーキ力が不足した時に空気ブレーキで補っている。",
"title": "車両概説"
},
{
"paragraph_id": 17,
"tag": "p",
"text": "台車も6000系用を基本とする、車体直結式空気ばね式の東急車輛製造(以下、東急)製TS-823動力台車、TS-824付随台車が採用された。台車枠がプレス構造とされ、TS-823の軸距は2,200 mm、TS-824は2,100 mmである。全台車両抱式の踏面ブレーキを装備する。サハ7550形はTS-823を装備している。",
"title": "車両概説"
},
{
"paragraph_id": 18,
"tag": "p",
"text": "パンタグラフは東洋製PT-4201、ブロイメットすり板装備品がデハ7000形とデハ7400形の全車、6・8・10両編成では京王八王子寄り先頭車の隣に連結されるデハ7050形、2両編成ではクハ7750形のそれぞれ京王八王子寄りに搭載された。",
"title": "車両概説"
},
{
"paragraph_id": 19,
"tag": "p",
"text": "補助電源装置は1985年以前の製造車はAC200 V、出力130 kVAのブラシレス電動発電機 (BL-MG)がデハ7050形とクハ7750形に搭載された。1986年以降の製造車では静止形インバータ(SIV、AC200 V、出力150 kVA)が採用され、4・8両編成ではデハ7050形に各1台、2両編成ではクハ7750形に1台となった。",
"title": "車両概説"
},
{
"paragraph_id": 20,
"tag": "p",
"text": "空気圧縮機は毎分吐出容量2130リットルのHB-2000形および1986年以降の製造車では性能は同一で小型低騒音のHS-20Dが4・5両編成ではクハ7700形とデハ7050形に搭載された。6・8・10両編成ではクハには搭載されずデハ7050形全車とサハ7550形に各1台が、2両編成ではデハ7400形に1台が搭載された。",
"title": "車両概説"
},
{
"paragraph_id": 21,
"tag": "p",
"text": "冷房装置は屋上集中式46.5 kW (40,000 kcal/h) を各車に1台搭載する。",
"title": "車両概説"
},
{
"paragraph_id": 22,
"tag": "p",
"text": "7000系は以下の形式で構成される。各形式とも固定編成中で下2桁は同番号または同番号+50となっている。ここでは1996年の製造終了時の両数を述べ、後年の改造については各項にまとめた。「デ」は制御電動車及び電動車を、「ク」は制御車を、「サ」は付随車を、「ハ」は普通座席車を指す略号であり、形式名の前のカタカナ2文字はこれらを組み合わせたものである。",
"title": "形式構成"
},
{
"paragraph_id": 23,
"tag": "p",
"text": "主制御装置、パンタグラフを搭載する中間電動車 である。パンタグラフは京王八王子寄りに1基が搭載されている。4両編成の2両目、5・6両編成の2・4両目、8両編成の2・4・6両目、10両編成の2・5・8両目に組み込まれ、編成位置により新宿寄りから順に百の位が0・1・2に、4両編成は百の位が2とされた。デハ7050形とユニットを組んで使用されることが基本だが、5両編成と8両編成の4両目に組み込まれた7100番台の車両はデハ7000形単独で使用された。初代デハ7106-デハ7112は8両編成化時にデハ7206-デハ7212に改番されている。1985年から1994年までにコルゲート車体の40両(デハ7001-デハ7015、デハ7101-デハ7115、デハ7206-デハ7215)、ビードプレス車体の20両(デハ7021-デハ7025、デハ7121-デハ7125、デハ7201-デハ7205、デハ7221-デハ7225)の合計60両が製造された。",
"title": "形式構成"
},
{
"paragraph_id": 24,
"tag": "p",
"text": "デハ7000形とユニットを組む電動空気圧縮機を搭載する中間電動車である。百の位はユニットを組むデハ7000形と同一で、4・5両編成の3両目、6両編成の3・5両目、8両編成の3・7両目、10両編成の3・6・9両目に組み込まれ、6・10両編成では編成位置により新宿寄りから順に百の位が0・1・2、4両編成は百の位が2とされた。8両編成の7100番台車は7100番台のデハ7000形が単独で使用されたため製造されず、3両目が7000番台、7両目が7200番台とされた。初代デハ7156-デハ7162は8両編成化時にデハ7256-デハ7262に改番されている。6両編成の7100番台、8両編成と10両編成の7200番台の京王八王子寄りにはパンタグラフ1基が搭載された。1985年から1996年までにコルゲート車体の35両(デハ7051-デハ7065、デハ7151-デハ7155、デハ7256-デハ7265)、ビードプレス車体の15両(デハ7021-デハ7025、デハ7201-デハ7205、デハ7221-デハ7225)の合計50両が製造された。6両編成の7150番台以外には補助電源装置が搭載されていた。",
"title": "形式構成"
},
{
"paragraph_id": 25,
"tag": "p",
"text": "2両編成で新宿寄りに連結される制御電動車で、ビードプレス車体のデハ7421-7425の5両が1994年に製造された。",
"title": "形式構成"
},
{
"paragraph_id": 26,
"tag": "p",
"text": "電動空気圧縮機がない付随車 である。10両編成の5両目に組み込まれ、1996年にビードプレス車体のサハ7521-サハ7525の5両が製造された。電動車化が想定されていない完全な付随車で、TS-824台車を装備する。",
"title": "形式構成"
},
{
"paragraph_id": 27,
"tag": "p",
"text": "電動空気圧縮機付きの付随車で、8両編成の5両目と、10両編成の7両目に組み込まれる。1987年から1992年にかけてサハ7556-サハ7565(コルゲート車体、10両)、サハ7571-サハ7575(ビードプレス車体、5両)の計15両が製造された 。電動車化が想定されていたため、屋根上にパンタグラフ取付用の台、客室床に主電動機点検蓋があり、TS-823台車を装備している。",
"title": "形式構成"
},
{
"paragraph_id": 28,
"tag": "p",
"text": "新宿寄り制御車 である。4両編成用には電動空気圧縮機が搭載され、百の位が8。1984年から1994年にかけてクハ7701-クハ7715のコルゲート車体15両、クハ7721-クハ7725、クハ7801-クハ7805のビードプレス車体10両の合計25両が製造された。",
"title": "形式構成"
},
{
"paragraph_id": 29,
"tag": "p",
"text": "京王八王子寄り制御車である。4両編成は7850番台、2両編成は7870番台。1984年から1994年にかけてクハ7751-クハ7765のコルゲート車体15両、クハ7771-クハ7775、クハ7851-クハ7855、クハ7871-クハ7875のビードプレス車体15両の合計30両が製造された。2両編成用は京王八王子寄りにパンタグラフ1基を搭載している。",
"title": "形式構成"
},
{
"paragraph_id": 30,
"tag": "p",
"text": "ここでは製造時のバリエーションと中間車新造による機器構成変更、改番についてまとめ、後年の改造については別項にまとめた。",
"title": "新製による編成、機器の変遷"
},
{
"paragraph_id": 31,
"tag": "p",
"text": "最初に製造されたグループである。1984年(昭和59年)3月から10月にかけて5両10編成が、1986年3月に2編成が入線した。電動車は日本車輌製造(以下、日車)製、制御車は東急製である。1986年製造車は補助電源装置がSIVに変更された。1984年3月9日から営業運転を開始し、同年4月1日に府中競馬正門前 - 新宿 - 桜上水で試乗見学会が行われた。",
"title": "新製による編成、機器の変遷"
},
{
"paragraph_id": 32,
"tag": "p",
"text": "1986年10月・11月に8両編成3本が製造された。両先頭車とサハ7550形、デハ7050形(7200番台)が東急製、それ以外が日車製である。新形式サハ7550形がおこされ、7200番台のデハ7050形はパンタグラフ付とされた。デハ7050形は2両とも補助電源装置、電動空気圧縮機搭載、サハ7550形も電動空気圧縮機搭載となったため、両先頭車はこれらの機器が非搭載とされた。",
"title": "新製による編成、機器の変遷"
},
{
"paragraph_id": 33,
"tag": "p",
"text": "1987年9月から11月にかけてパンタグラフ付のデハ7050形12両が製造され、5両編成に組み込まれた。5両編成は全編成が6両編成となった。7151 -7156が東急製、7157-7162は日車製である。今回の新造車を空気圧縮機付とし、クハ7700形の空気圧縮機は撤去された。",
"title": "新製による編成、機器の変遷"
},
{
"paragraph_id": 34,
"tag": "p",
"text": "1987年11月から編成単位で製造された車両はビードプレス車体となり、車両番号下2桁が20番台に区分された。前面幌枠、渡り板廃止、前面角部FRPカバーと前面一部がクリーム塗装とされるなどの変更がある 。1987年製造の2編成は登場時正側面窓上にも赤帯があったが、すぐに撤去されている。 1991年(平成3年)12月までに8両編成5本が製造された。最初の4編成は両先頭車とデハ7050形2両が東急製、それ以外が日車製だが、最後の1編成は編成全車が日車製である。7725編成は同年に新製された6000系5扉車同様、車両番号の書体が京王特有の角ばったものから一般的な欧文書体に変更された。4両編成・2両編成も同様の書体となっており、従来車も順次新書体に交換されている。",
"title": "新製による編成、機器の変遷"
},
{
"paragraph_id": 35,
"tag": "p",
"text": "5両編成で製造された12編成は全編成が6両編成化されていたが、1990年(平成2年)3月に7711編成・7712編成が、1992年(平成4年)1月から2月に7706編成 – 7710編成の5編成がいずれも東急車輛で新製された中間車2両を編成中に組み込んで8両編成となった。新造中間車は新宿寄りから4両目・5両目に組み込まれ、新編成で6両目・7両目となった車両は改番された。機器配置を既存の8両編成と合わせるため、クハ7750形の補助電源装置は撤去され、デハ7050形(7200番台)に移設されている。1987年11月以降編成単位で新造された車両についてはビードプレス車体となったが、6両編成の8両編成化中間車については既存の編成他車に合わせてコルゲート車体となった。客用ドアは窓横にも手掛けがあるタイプとされた。",
"title": "新製による編成、機器の変遷"
},
{
"paragraph_id": 36,
"tag": "p",
"text": "6両編成と連結して10両編成で運用するため、1993年(平成5年)1月から1994年(平成6年)3月にかけて4両5編成が製造された。全車ビードプレス車体、最初の3編成が東急製、あとの2編成が日車製である。先頭車には7800番台、中間車には7200番台が附番された。1994年製の7805と7855正面にはスカートが設置され、以後在来車を含む全編成に取り付けられた。",
"title": "新製による編成、機器の変遷"
},
{
"paragraph_id": 37,
"tag": "p",
"text": "8両編成と連結して10両編成で運用するため、1994年3月から1994年11月にかけて2両5編成が製造された。全車ビードプレス車体、東急製である。新宿寄りは制御電動車デハ7400形となり、6000系2両編成同様1M方式とされた。クハ7750形にはスカートが設置されなかった。",
"title": "新製による編成、機器の変遷"
},
{
"paragraph_id": 38,
"tag": "p",
"text": "1996年2月から3月にかけてビードプレス車体の8両編成全編成にデハ7050形・サハ7500形各1両を新製して組み込み、10両編成化された。京王初の10両固定編成であり、これをもって7000系の製造は打ち切られた。新製されたデハ7050形は7100番台に附番され、1Mで使用されていた7100番台のデハ7000形の京王八王子寄りに組み込まれてユニットを組んだ。サハ7500形は電装を考慮しない付随車とされ、パンタグラフ台がなく、新宿寄りから4両目に組み込まれた。番号末尾21 (71)・22 (72) が東急製、それ以外が日車製である。",
"title": "新製による編成、機器の変遷"
},
{
"paragraph_id": 39,
"tag": "p",
"text": "1986年以前製造の先頭車に対して、1987年以降の製造車と同様正面窓下とFRPカバーをクリーム色に塗装する変更が1988年ごろに施工されている。",
"title": "改造工事"
},
{
"paragraph_id": 40,
"tag": "p",
"text": "その後、2002年10月に全編成の帯色が赤から8000系と同じ京王レッドと京王ブルーに変更されている。2001年10月にリニューアル工事を行った7701編成はリニューアル工事出場時から帯色が変更されている。",
"title": "改造工事"
},
{
"paragraph_id": 41,
"tag": "p",
"text": "中間連結面間に転落防止の外幌を設ける工事が1997年から2001年にかけて施工されている。",
"title": "改造工事"
},
{
"paragraph_id": 42,
"tag": "p",
"text": "動物園線の予備車として2000年に7801編成に、2008年に7802編成に、競馬場線の予備車として2009年に7421編成・7422編成にワンマン化対応改造が行われた。7421編成・7422編成はクハ7871・クハ7872にもスカートが取り付けられた。",
"title": "改造工事"
},
{
"paragraph_id": 43,
"tag": "p",
"text": "2001年から2012年にかけてリニューアル工事が行われた。床敷物、化粧板がはりかえられ、床は茶系の濃淡、壁はピンクとパープルの濃淡の模様となった。バリアフリー化のため一部車両に車椅子スペースが設けられるとともに、2002年10月の施工車から客用ドア上にはLED式の案内装置が設置された。座席表地はローズを基調とし、柄で着席区分を示すものに変更された。2003年からはVVVF化改造が併せて行われ、2007年施工車からはバケットシート化、袖仕切りの大型化、座席部へのつかみ棒追加、UVカットガラスの採用による巻き上げカーテン廃止などの変更が行われている。リニューアル工事施工時10両編成だった編成については正側面行先・種別表示装置のLED化、車内案内装置のLCD化、自動放送装置の取り付けが行われている。",
"title": "改造工事"
},
{
"paragraph_id": 44,
"tag": "p",
"text": "2003年から2012年にかけて主制御装置をIGBT素子のVVVFインバータ制御に更新する工事がリニューアルと同時に行われた。リニューアル工事のみ施工した編成についても順次遡ってVVVF化が行われている。電動車と付随車の比率を1:1とするため、6・8・10両編成では電動車1両が電装解除されて改番、8両編成では電動車の一部、10両編成では付随車2両が改番されている。8・10両編成で電装解除されたデハ7000形のパンタグラフはデハ7050形(7000番台)に移設されている。主制御装置、主電動機は9000系用を基本としたものとされ、2両ユニットを組む電動車はVFI-HR-2815C形主制御装置がデハ7000形に、単独で使用される電動車にはVFI-HR-1415B主制御器が搭載された。主電動機は出力150 kWのかご形三相誘導電動機HS-33535-01RBが採用された。駆動装置は改造前のものが流用され、歯車比も変更されていない。従来の界磁チョッパ車と連結して運用される際は力行特性を界磁チョッパ車に近似したものに切り換えるよう設定された。BL-MGを搭載していた編成は7707編成以外VVVF化改造時に補助電源装置をSIVに変更している。7803・7804編成にはLCDの車内情報システムが他車のLED式と同じ場所、大きさで搭載された。",
"title": "改造工事"
},
{
"paragraph_id": 45,
"tag": "p",
"text": "2005年ごろに全車のパンタグラフが東洋製PT-7110シングルアーム形に換装されている。",
"title": "改造工事"
},
{
"paragraph_id": 46,
"tag": "p",
"text": "ATC車上装置の設置工事がATC運用開始に先立つ2008年度前後に行われている。",
"title": "改造工事"
},
{
"paragraph_id": 47,
"tag": "p",
"text": "一部編成に自動放送装置が設置され、2010年5月1日から使用されている。",
"title": "改造工事"
},
{
"paragraph_id": 48,
"tag": "p",
"text": "10両編成での運用増加と共通化のため8両5編成を10両3編成、4両・6両各1編成に組み替える工事が2010年度に、6両・8両各1編成を4両・10両編成に組み替える工事が2011年度に行われている。4両・10両編成は機器配置を既存編成とあわせているが、6両編成は改造範囲を最小限とするため機器配置が既存編成と異なる。10両編成は既存の編成の続き番号とされた。旧7715編成はリニューアル工事、VVVF改造と同時施工、旧7702編成はVVVF改造と同時施工であり、旧7715編成の2両のデハ7050形、旧7702編成のデハ7152は電装解除され、サハ7550形となった。旧7711編成のサハ7511はVVVF改造時に電装解除されていたが、今回の工事で再電装されている。2010年度施工車は7726編成以外改造前編成に併せて編成組み替え時にはバケットシート化が行われなかったが、2010年度下期にバケットシート化が行われている。2011年度施工車は組み替え時にバケットシート化と袖仕切りの大型化が行われている。",
"title": "改造工事"
},
{
"paragraph_id": 49,
"tag": "p",
"text": "7726編成 - 7728編成は8両編成だった旧7712編成 - 旧7714編成の4両目と5両目に旧7711編成と旧7715編成の中間車を組み込んで、7729編成は旧7710編成に旧7702編成の中間車を組み込んで組成されたものである。",
"title": "改造工事"
},
{
"paragraph_id": 50,
"tag": "p",
"text": "7711編成はそれぞれ8両編成だった旧7715編成の新宿寄り3両と旧7711編成の京王八王子寄り3両を組み合わせて組成したものである。",
"title": "改造工事"
},
{
"paragraph_id": 51,
"tag": "p",
"text": "7811編成は8両編成だった旧7711編成の新宿寄り3両に旧7765号車を組み合わせて、7806編成は旧7702編成の中間車2両を抜いて組成されたものである。",
"title": "改造工事"
},
{
"paragraph_id": 52,
"tag": "p",
"text": "7701編成は2011年12月に、7703編成は2012年11月にクハ7750形からデハ7050形に補助電源装置を移設している。",
"title": "改造工事"
},
{
"paragraph_id": 53,
"tag": "p",
"text": "7729編成は10両編成化時に、7804編成はVVVF化改造時に戸閉保安装置を間接制御方式に更新し、各客用ドアにLED式開閉予告表示灯を取り付けた。",
"title": "改造工事"
},
{
"paragraph_id": 54,
"tag": "p",
"text": "2014年3月24日付で7711編成と7811編成がそれぞれ7702編成と7807編成に改番された。新デハ7102と新デハ7152は3度目の改番である。",
"title": "改造工事"
},
{
"paragraph_id": 55,
"tag": "p",
"text": "注記:デハ7207・デハ7257は2代目。",
"title": "改造工事"
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{
"paragraph_id": 56,
"tag": "p",
"text": "7801編成の車内に動物をデザインした装飾を施すとともに、デハ7251の補助電源装置を出力210 kVAのものに更新し、2015年(平成27年)3月22日から運行を行っている。",
"title": "改造工事"
},
{
"paragraph_id": 57,
"tag": "p",
"text": "2018年度に7422編成と7423編成の正側面行先・種別表示装置がフルカラーLED化された。また、2019年度にも7421編成・7424編成・7425編成・7801編成 - 7805編成がフルカラーLED化された。正面の表示装置は7721編成 - 7725編成と同様の物だが、側面は行き先と種別が別体になっている。",
"title": "改造工事"
},
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"text": "7000系では、80両に対し、のべ116回の改番が行われている。",
"title": "改造工事"
},
{
"paragraph_id": 59,
"tag": "p",
"text": "当初は各駅停車用として製造されたが、2001年のダイヤ改定で列車種別を限定しない運用となったこともあり、京王線の各駅停車から特急まで全線で幅広く運用されている。6000系全廃以降、競馬場線と動物園線のワンマン運行は7000系のワンマン対応車で運転されている。7000系は6000系と併結運転が可能である。9000系は6000系・7000系と連結して運用できるよう読替装置を備えているため、9000系8両編成と7000系2両編成が併結して運転されることがある。",
"title": "運用"
},
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"tag": "p",
"text": "6000系の全廃により動物園線専用となった7801編成に2011年3月28日より動物のラッピングが施された。また2018年3月13日から、同日に多摩動物公園駅前に開業した子供向け全天候型遊戯施設「京王あそびの森 HUGHUG」及び、京王れーるランド・多摩動物公園との3施設合同企画により、ピンクを基調としたフルラッピング電車に改められた。",
"title": "運用"
},
{
"paragraph_id": 61,
"tag": "p",
"text": "ワールドラグビー主催ラグビーワールドカップ2019の開催と、飛田給駅が最寄りの東京スタジアムが開催会場となったことから、7722編成に大会PRのためのラッピングが施され、2018年9月22日から2019年11月2日(大会閉幕日)まで運行された。",
"title": "運用"
},
{
"paragraph_id": 62,
"tag": "p",
"text": "2017年(平成29年)11月に7708編成と7709編成の中間の付随車が編成から抜き取られ、6両編成化された。この際に余剰となった付随車は廃車となり、同形式初の廃車となった。その後、同年12月には7706編成が初の編成単位での廃車となった。そのうち、7706号車の前頭部は2018年10月11日にオープンした京王れーるランドアネックスにおいて8000系の8809(→8559)号車から切断された元先頭車の運転台部分と共に保存されている。",
"title": "廃車"
},
{
"paragraph_id": 63,
"tag": "p",
"text": "2019年1月には、7707編成が編成単位で廃車となり、8両編成が消滅した。その後、2020年1月には7729編成が編成単位で廃車となり、10両編成初の廃車となった。",
"title": "廃車"
},
{
"paragraph_id": 64,
"tag": "p",
"text": "さらに、2022年9月には7708編成の残りの6両も廃車となり、7000系全体では2年8ヶ月ぶりの廃車が発生した。",
"title": "廃車"
},
{
"paragraph_id": 65,
"tag": "p",
"text": "京王電鉄は、2021年10月に発生した京王線刺傷事件、2022年7月に発生した京王八王子駅危険物所持者侵入事件を受けて、2026年度までに「駅構内・車内における防犯・セキュリティ対策」として、車両新造により「非貫通車両」、もとい分割編成を解消する方針を示しており、本系列の6両編成と4両編成の廃車が予定されている 。",
"title": "今後"
}
] |
京王7000系電車(けいおう7000けいでんしゃ)は、1984年(昭和59年)から1996年(平成8年)にかけて190両が製造された京王電鉄京王線用の通勤形電車である。 本稿では京王線上での東側を「新宿寄り」、西側を「京王八王子寄り」と表記する。編成単位で表記する必要がある場合は、新宿寄り先頭車の車両番号で代表し、7701編成の様に表現する。京王電鉄では京王八王子駅寄りを1号車として車両に号車番号を表示しているが、本稿では各種文献に倣って新宿駅寄りを左側として編成表を表記し、文中にたとえば「2両目」と記述されている場合は新宿寄りから2両目であることを示す。
|
{{半保護}}
{{鉄道車両
| 車両名 = 京王7000系電車
| 背景色 = #dd006d
| 文字色 = #FFFFFF
| 画像 = Keio-Series7000-7723.jpg
| 画像説明 = リニューアル後の7000系<br>(2021年11月 [[長沼駅 (東京都)|長沼駅]])
| 運用者 = [[京王電鉄]]
| 製造所 = [[日本車輌製造]]<br />[[東急車輛製造]]<ref name="RP734p249-251"/>
| 製造年 = 1984年 - 1996年
| 製造数 = 190両<ref name="RP734p46"/>
| 運用開始 =
| 投入先 = [[京王線]]
| 編成 = 2・4・6・8・10両編成<ref name="RF617-Ap"/>
| 軌間 = 1,372 mm<ref name="RP734p82"/>([[狭軌]])
| 電気方式 = [[直流電化|直流]]1,500 [[ボルト (単位)|V]]<br/>([[架空電車線方式]])<ref name="RP734p259"/>
| 最高運転速度 = 110 km/h<ref name="RP734p26"/>
| 設計最高速度 = 120 km/h<ref name="年鑑2004諸元"/>
| 起動加速度 = 2.5 km/h/s<ref name="RP734p260"/>
| 常用減速度 = 4.0 km/h/s<ref name="RP734p260"/>
| 非常減速度 = 4.5 km/h/s<ref name="RP734p260"/>
| 車両定員 = 150名(先頭車)・170名(中間車)<ref name="RF277p56"/>
| 自重 =
| 全長 = 20,000 mm<ref name="PF277付図"/>
| 全幅 = 2,800 mm<ref name="RF277p56"/>
| 全高 = 4,045 mm([[集電装置|パンタグラフ]]なし)<br/>4,100 mm(パンタグラフ付)<ref name="RF277p56"/>
| 車体長 = 19,500 mm<ref name="PF277付図"/>
| 車体幅 = 2,770 mm<ref name="PF277付図"/>
| 車体高 =
| 車体 = [[ステンレス鋼]]<ref name="RF277p56"/>
| 台車 =
| 主電動機 = [[複巻整流子電動機|直流複巻電動機]]<ref name="RF277p56"/>
| 主電動機出力 = 150 [[ワット|kW]]<ref name="RF277p56"/>×4<ref name="RF277p56"/>
| 駆動方式 = [[WN駆動方式|WN平行カルダン駆動]]<ref name="RF277p56"/>
| 歯車比 = 85:16=5.31<ref name="RF277p56"/>
| 制御方式 = リニューアル前: [[界磁チョッパ制御]]<ref name="RF277p56"/>
リニューアル後: [[VVVFインバーター制御]]
| 制御装置 =
| 制動装置 = [[回生ブレーキ]]併用<br />[[電気指令式ブレーキ|電気指令式空気ブレーキ]]<ref name="RF277p56"/>
| 保安装置 = [[自動列車制御装置|京王形ATC]]<ref name="RF277p56"/>
| 備考 = 登場時の仕様を示す
}}
'''京王7000系電車'''(けいおう7000けいでんしゃ)は、[[1984年]]([[昭和]]59年)から[[1996年]]([[平成]]8年)にかけて190両が製造された[[京王電鉄]][[京王線]]<ref group="注">新宿 - 京王八王子間の路線を指す場合もあるが、ここでは京王電鉄の1,372 mm軌間の路線の総称として用いる。</ref>用の[[通勤形車両 (鉄道)|通勤形電車]]である<ref name="RP734p249-251"/><ref name="RP734p46"/>。
本稿では京王線上での東側を「[[新宿駅|新宿]]寄り」、西側を「[[京王八王子駅|京王八王子]]寄り」と表記する。[[編成 (鉄道)|編成]]単位で表記する必要がある場合は、新宿寄り先頭車の[[鉄道の車両番号|車両番号]]で代表し、7701編成の様に表現する<ref group="注">鉄道ファン向けの雑誌記事などでは「編成」をFと略して7701Fなどと表現されることや、編成中一番番号が小さい車両で代表して7001Fなどと表記されることがあるが、京王電鉄が寄稿した記事([[#鉄道ファン604|「京王7000系 VVVF化工事10両編成化工事について」]]、[[#年鑑2003|「京王電鉄7000系 VVVFインバータ化改造」]]など)では新宿寄り先頭車で代表し、7726編成などと書かれているためこちらに併せた。</ref>。京王電鉄では京王八王子駅寄りを1号車として車両に号車番号を表示している<ref name="ダイヤ情報310p14" />が、本稿では各種文献に倣って新宿駅寄りを左側として編成表を表記し<ref name="RP734p44" /><ref name="ダイヤ情報310p90" /><ref name="RF605formation" />、文中にたとえば「2両目」と記述されている場合は新宿寄りから2両目であることを示す。
== 概要 ==
[[京王線|京王線系統]]用としては初の[[オールステンレス車両|オールステンレス車体]]を採用した車両で<ref name="RF277p52" />、[[各駅停車]]のサービス向上用として導入された。当時の京王線用車両は[[優等列車|優等系列車]]に新製した車両を投入し、その時に捻出された車両を[[各駅停車]]に転用する施策が取られてきたが、7000系投入までに優等系列車の[[京王6000系電車|6000系]]への置き換えが完了していたことから、旧型車を直接置き換える方針となった<ref name="RF277p52" /><ref name="RP734p42" />。
車体寸法は6000系とほぼ同一とされ<ref name="RF277p52" />。6000系のマイナーチェンジとして位置付けられる<ref name="RP578p43" />。将来の長編成化、予備部品の削減を考慮し、主要機器は6000系とほぼ同一とされた<ref name="RF277p54" />。
京王では[[特定都市鉄道整備促進特別措置法]](特々法)により朝[[ラッシュ時|ラッシュ]]ピーク1時間に新宿に到着する全列車を10両編成化する輸送力増強を行い、[[1987年]](昭和62年)から工事に着手、1996年に完了した<ref name="RP734p14" />。7000系の製造期間はこの輸送力増強期間と重なり、製造の都度長編成化が行われている<ref name="RP578p40" /><ref name="ダイヤ情報310p21" />。1986年から8両編成の製造がはじまり、5両編成で製造された編成も中間車を追加製造してすべて6両または8両編成となった<ref name="RP578p236" />。8両編成の一部は後に中間車を追加して10両編成化されたほか、増結用の2両・4両編成も製造され<ref name="RP734p218" />、1996年の製造終了時には2両・4両・6両・10両編成が各5本、8両編成10本の合計190両となった<ref name="RP734p46" />。
== 車両概説 ==
=== 車体 ===
[[ファイル:Keio-7000-Coupling.JPG|thumb|right|左側がビードプレス仕上げ、<br />右側がコルゲート仕上げ<br />(2007年7月 [[明大前駅]])]]
20 [[メートル|m]]両開き4扉、窓間に[[戸袋]]窓2枚、1枚下降窓2枚を、車端部に戸袋窓と1枚下降窓各1枚を備える基本配置、基本寸法は6000系と同様だが、窓がサッシレスになるとともに隅に丸みを設け、やさしさを出している<ref name="RF277p52"/><ref name="RF277p53"/>。ステンレス車で戸袋窓を備えるのは珍しく、[[# 鉄道ファン277|7000系登場当時の紹介記事]]には「20 mの軽量ステンレス車では全国初」と記載されている<ref name="RF277p52"/>。正側面窓下には当時の京王色である赤帯が巻かれた<ref name="RF277p52"/>。幕板部中央には [[車側表示灯|車側灯]]を挟んで種別表示装置と[[方向幕|行先表示装置]]が配置されている<ref name="PF277付図"/>。
初期に製造された車両はコルゲートを側面窓上下に備えていたが、8両編成で製造された編成のうち最後の5本と、すべての2両・4両編成は設計変更によりビードプレスの車体となった<ref name="RP734p220" />。増結用中間車は車体構造を組み込まれる編成に合わせたため、コルゲート車体でもビードプレス車体よりも新しい車両がある<ref name="RP734p218" />。
先頭車正面形状は6000系に類似し、中央に[[貫通扉]]が設置され、前面窓上に行先表示装置、種別表示装置、車号板、[[通過標識灯|標識灯]]がある<ref name="RF277p53"/>。窓サイズが左右同一となり、6000系運転室窓より下方に100 [[ミリメートル|mm]]拡大されている<ref name="RF277p53"/>。角形になった[[前照灯]]と[[尾灯]]が1つの箱に納められて正面赤帯下に設けられた<ref name="RF277p53"/>。正面角部には銀色に塗装された[[繊維強化プラスチック|FRP]]製カバーが取り付けられている<ref name="RF277p52"/>。
[[1986年]](昭和61年)までに製造された車両は側面窓の上下にコルゲートがあったが、[[1987年]](昭和62年)以降編成単位で製造された車両からビードプレス車体となり<ref name="RP578p236"/>、先頭部幌枠と桟板が廃止される<ref name="RP734p220"/>とともに前面窓下と角部FRPカバーがクリーム色に塗装され、外観の印象が変わった<ref name="年鑑1988p121"/>。1987年製造車のみ正側面窓の上に赤帯が巻かれた<ref name="年鑑1988p121"/>が、すぐに撤去されている<ref name="RP578p236"/>。{{-}}
=== 内装 ===
[[ファイル:Inside of Keio 7000.jpg|thumb|right|車内]]
室内の色調は当時の京王新造車の標準であるクリーム色の壁に白色の天井、レンガ色の座席モケットとされたが、[[キルト|キルティング]]により1人ずつの占有区分が明確化されたほか、座席先端から250 mmのところで床の色を変え、着座客の足位置を暗示する工夫がなされている<ref name="RF277p53"/>。[[冷房|クーラー]]吹き出し口を直線状とし、平天井を採用したことから天井高さが6000系に対して約35 mm高くなっている<ref name="RF277p53"/>。[[鉄道車両の座席#ロングシート(縦座席)|座席]]はドア間7人掛け、車端部4人掛け、1人当たりの幅は430 mmとされた<ref name="RF277p53"/>。
==== 乗務員室 ====
[[File:Keio7000 cockpit.JPG|right|thumb|200px|運転台(クハ7725)]]
[[操縦席|乗務員室]]は基本的に6000系と同一とされ、両手操作のワンハンドル[[マスター・コントローラー|マスコン]]が引き続き採用された<ref name="RF277p53"/>。中央部に貫通路を備えるが、編成間を貫通して使用することが製造時に想定されていなかったことから、貫通路固定仕切り戸は設けられなかった<ref name="RF277p53"/>。{{-}}
=== 主要機器 ===
ここでは製造時の機器構成について述べる。
電動車は2両1ユニット構成とされ<ref name="飯島1986p13"/>、主制御装置はデハ7000形<ref name="RF277p55"/>に[[日立製作所]](以下、日立)-HTR-20B(直列14段、並列11段、弱め界磁付)を搭載した<ref name="RF277p56"/><ref name="ダイヤ情報310p14"/>。5両・8両編成では7100番台の電動車はユニットを組む相手がいない1M構成<ref name="RF277p54"/><ref name="RP734p220"/>、直列14段で使用される<ref group="注">本稿の参考文献に挙げた書籍・記事でデハ7000形が単独で使用されるときの制御段数を記載したものはない。6000系と同じ主制御装置を使用していることから、単独で使用された場合の条件も[[#1993-6000|『鉄道ピクトリアル』通巻578号p214]]記載の6000系の条件と同一であるとここでは推定している。</ref>。2両編成は1両単独構成<ref name="RP734p219"/>とされ、デハ7400形に日立製MMC-HTR-10C(直列14段、弱め界磁付)が搭載された<ref group="注">本稿の参考文献に挙げた書籍・記事でデハ7400形のVVVF化前の主制御装置形式を記載したものはない。2M車が6000系と同じ主制御装置を使用していることから、1M車も同一であるとここでは推定している。[[#1993-6000|『鉄道ピクトリアル』通巻578号p214]]参照。</ref>。
主電動機は[[複巻整流子電動機|直流複巻電動機]]、出力150 k[[ワット|W]](定格電圧375 [[ボルト (単位)|V]]、電流440 [[アンペア|A]]、定格回転1,500 [[rpm (単位)|rpm]]、日立製HS-835Jrbまたは[[東洋電機製造]]〈以下、東洋〉製TDK-8256A)のものが電動車1両につき4台搭載された<ref name="RP578p37"/>。軽量化されたステンレス車としては当時のダイヤでは余裕があるものの、予備品の削減と寿命延長を考慮した出力とされた<ref name="RF277p54"/>。
駆動装置は京王従来車と同様[[WN駆動方式]]が採用され、[[歯車比]]は85:16である<ref name="RF277p56"/>。
制動装置は[[ナブテスコ|日本エヤーブレーキ]]製[[電気指令式ブレーキ|全電気指令式電磁直通ブレーキ]] (HRD-1R) が6000系に引き続いて採用された<ref name="RF277p54"/><ref name="RP578p36"/><ref group="注">本稿の参考文献に列挙した各記事では7000系用ブレーキ指令装置の製造者名が確認できないが、HRDは[[#ナブコ72|ナブコ技報]]から日本エヤーブレーキ(ナブコを経て2003年からナブテスコ)製であることが分かる。</ref>。電動車では回生ブレーキ力が不足した時に空気ブレーキで補っている<ref name="RF277p54"/>。[[File:TS-824 Keio 7000.jpg|right|thumb|200px|TS-824台車]]
台車も6000系用を基本とする、車体直結式空気ばね式の[[東急車輛製造]](以下、東急)製TS-823動力台車、TS-824付随台車が採用された<ref name="RF277p54"/><ref name="ダイヤ情報310p14"/>。台車枠がプレス構造とされ<ref name="RF277p54"/>、TS-823の軸距は2,200 mm、TS-824は2,100 mmである<ref name="RF277p56"/>。全台車両抱式の踏面ブレーキを装備する<ref name="RF277p54"/>。サハ7550形はTS-823を装備している<ref name="RP578p237"/><ref name="ダイヤ情報154p23"/>。
パンタグラフは東洋製<ref group="注">本稿の参考文献に列挙した各記事ではパンタグラフの製造者名が確認できないが、[[#東洋技報121|東洋電機技報]]には京王にパンタグラフを納入したとの記載がある。</ref>PT-4201、ブロイメットすり板装備品<ref name="RF277p56"/>がデハ7000形とデハ7400形の全車、6・8・10両編成では京王八王子寄り先頭車の隣に連結されるデハ7050形、2両編成ではクハ7750形のそれぞれ京王八王子寄りに搭載された<ref name="RP734p44"/>。
補助電源装置は1985年以前の製造車は[[交流|AC]]200 V、出力130 k[[ボルトアンペア|VA]]のブラシレス電動発電機 (BL-MG)<ref name="RF277p56"/>がデハ7050形とクハ7750形に搭載された<ref name="RP734p44"/>。1986年以降の製造車では[[静止形インバータ]](SIV、AC200 V、出力150 kVA)<ref name="RP578p37"/>が採用され、4・8両編成ではデハ7050形に各1台、2両編成ではクハ7750形に1台となった<ref name="RP734p44"/>。
空気圧縮機は毎分吐出容量2130[[リットル]]のHB-2000形<ref name="RF277p56"/>および1986年以降の製造車では性能は同一で小型低騒音のHS-20D<ref name="RP578p215"/>が4・5両編成ではクハ7700形とデハ7050形に搭載された<ref name="RF277p52"/>。6・8・10両編成ではクハには搭載されずデハ7050形全車とサハ7550形に各1台が、2両編成ではデハ7400形に1台が搭載された<ref name="RP734p44"/>。
[[エア・コンディショナー|冷房装置]]は屋上集中式46.5 kW (40,000 kcal/h) を各車に1台搭載する<ref name="RF277p52"/>。
== 形式構成 ==
7000系は以下の形式で構成される。各形式とも固定編成中で下2桁は同番号または同番号+50となっている<ref name="RP734p44"/>。ここでは1996年の製造終了時の両数を述べ、後年の改造については各項にまとめた。「デ」は制御電動車及び[[電動車]]を、「ク」は[[制御車]]を、「サ」は[[付随車]]を、「ハ」は[[普通車 (鉄道車両)|普通座席車]]を指す略号であり、形式名の前のカタカナ2文字はこれらを組み合わせたものである。
=== デハ7000形 ===
主制御装置、[[集電装置|パンタグラフ]]を搭載する中間[[動力車|電動車]] である<ref name="RF277p55"/>。パンタグラフは京王八王子寄りに1基が搭載されている<ref name="RP734p44"/>。4両編成の2両目、5・6両編成の2・4両目、8両編成の2・4・6両目、10両編成の2・5・8両目に組み込まれ、編成位置により新宿寄りから順に百の位が0・1・2に<ref name="RP578p236"/>、4両編成は百の位が2<ref name="年鑑1993p99"/>とされた。デハ7050形とユニットを組んで使用されることが基本だが、5両編成と8両編成の4両目に組み込まれた7100番台の車両はデハ7000形単独で使用された<ref name="RP578p236"/>。初代デハ7106-デハ7112は8両編成化時にデハ7206-デハ7212に改番されている<ref name="RP578p236"/>。1985年から1994年までにコルゲート車体の40両(デハ7001-デハ7015、デハ7101-デハ7115、デハ7206-デハ7215)、ビードプレス車体の20両(デハ7021-デハ7025、デハ7121-デハ7125、デハ7201-デハ7205、デハ7221-デハ7225)の合計60両が製造された<ref name="RP734p218"/><ref name="RP734p220"/><ref name="RP734p249"/><ref name="RP734p250"/>。
=== デハ7050形 ===
デハ7000形とユニットを組む[[圧縮機|電動空気圧縮機]]を搭載する中間電動車である<ref name="RP734p44"/><ref name="RF277p54"/>。百の位はユニットを組むデハ7000形と同一<ref name="RP734p44"/>で、4・5両編成の3両目、6両編成の3・5両目、8両編成の3・7両目、10両編成の3・6・9両目に組み込まれ、6・10両編成では編成位置により新宿寄りから順に百の位が0・1・2<ref name="RP734p44"/>、4両編成は百の位が2<ref name="年鑑1993p99"/>とされた。8両編成の7100番台車は7100番台のデハ7000形が単独で使用されたため製造されず、3両目が7000番台、7両目が7200番台とされた<ref name="RP578p236"/>。初代デハ7156-デハ7162は8両編成化時にデハ7256-デハ7262に改番されている<ref name="RP578p236"/>。6両編成の7100番台、8両編成と10両編成の7200番台の京王八王子寄りにはパンタグラフ1基が搭載された<ref name="RP734p44"/>。1985年から1996年までにコルゲート車体の35両(デハ7051-デハ7065、デハ7151-デハ7155、デハ7256-デハ7265)、ビードプレス車体の15両(デハ7021-デハ7025、デハ7201-デハ7205、デハ7221-デハ7225)の合計50両が製造された<ref name="RP734p218"/><ref name="RP734p220"/><ref name="RP734p249"/><ref name="RP734p250"/>。6両編成の7150番台以外には補助電源装置が搭載されていた<ref name="RP734p44"/>。
=== デハ7400形 ===
2両編成で新宿寄りに連結される制御電動車<ref name="RP734p220"/>で、ビードプレス車体のデハ7421-7425の5両が1994年に製造された<ref name="RP734p250"/><ref name="年鑑1994p84"/>。
=== サハ7500形 ===
電動空気圧縮機がない[[付随車]] <ref name="RP734p220"/>である。10両編成の5両目に組み込まれ<ref name="RP734p44"/>、1996年にビードプレス車体のサハ7521-サハ7525の5両が製造された<ref name="RP734p250"/>。電動車化が想定されていない完全な付随車で、TS-824台車を装備する<ref name="ダイヤ情報154p23"/>。
=== サハ7550形 ===
電動空気圧縮機付きの付随車<ref name="RP734p220"/>で、8両編成の5両目と、10両編成の7両目に組み込まれる<ref name="RP734p44"/>。1987年から1992年にかけて<ref name="RP734p250"/>サハ7556-サハ7565(コルゲート車体、10両)、サハ7571-サハ7575(ビードプレス車体、5両)の計15両が製造された <ref name="RP734p218"/>。電動車化が想定されていたため、屋根上にパンタグラフ取付用の台、客室床に主電動機点検蓋があり、TS-823台車を装備している<ref name="ダイヤ情報154p23"/>。
=== クハ7700形 ===
新宿寄り[[制御車]] <ref name="RF277p53"/>である。4両編成用には電動空気圧縮機が搭載され、百の位が8<ref name="年鑑1993p99"/>。1984年から1994年にかけてクハ7701-クハ7715のコルゲート車体15両、クハ7721-クハ7725、クハ7801-クハ7805のビードプレス車体10両の合計25両が製造された<ref name="RP734p218"/><ref name="RP734p220"/><ref name="RP734p250"/><ref name="RP734p251"/>。
=== クハ7750形 ===
京王八王子寄り制御車である<ref name="RP578p189"/>。4両編成は7850番台<ref name="年鑑1993p99"/>、2両編成は7870番台<ref name="年鑑1994p84"/>。1984年から1994年にかけてクハ7751-クハ7765のコルゲート車体15両、クハ7771-クハ7775、クハ7851-クハ7855、クハ7871-クハ7875のビードプレス車体15両の合計30両が製造された<ref name="RP734p218"/><ref name="RP734p220"/><ref name="RP734p250"/><ref name="RP734p251"/>。2両編成用は京王八王子寄りにパンタグラフ1基を搭載している<ref name="RP734p44"/>。
== 新製による編成、機器の変遷 ==
ここでは製造時のバリエーションと中間車新造による機器構成変更、改番についてまとめ、後年の改造については別項にまとめた。
===5両編成として製造された車両===
最初に製造されたグループである。[[1984年]](昭和59年)3月から10月にかけて5両10編成が、1986年3月に2編成が入線した<ref name="RP578p251"/>。電動車は[[日本車輌製造]](以下、日車)製、制御車は東急製である<ref name="RP578p251"/>。1986年製造車は補助電源装置がSIVに変更された<ref name="飯島1986p13"/>。1984年3月9日から営業運転を開始し<ref name="鉄おも歴史"/>、同年4月1日に府中競馬正門前 - 新宿 - 桜上水で試乗見学会が行われた<ref name="飯島1986p17"/>。
{| class="wikitable" style="text-align:center; font-size:80%; margin:1em 0em 2em 3em;"
|-
|style="border-bottom:solid 3px #7B766A; background-color:#ccc;"|
|style="border-bottom:solid 3px #7B766A;" colspan="5"|{{TrainDirection|[[新宿駅|新宿]]|[[京王八王子駅|京王八王子]]・[[多摩センター駅|京王多摩センター]]}} |style="border-bottom:solid 3px #B04740;" rowspan="3"|竣工時期<ref name="RP734p249"/><ref name="RP734p250"/><ref name="RP734p251"/>
|-
!形式
| '''クハ7700''' || '''デハ7000''' || '''デハ7050''' || '''デハ7000''' || '''クハ7750'''
|-
!style="border-bottom:solid 3px #B04740;"|区分
|style="border-bottom:solid 3px #B04740;"| Tc1 ||style="border-bottom:solid 3px #B04740;"| M1 ||style="border-bottom:solid 3px #B04740;"| M2 ||style="border-bottom:solid 3px #B04740;"| M1 ||style="border-bottom:solid 3px #B04740;"| Tc2
|-
!車両番号
| '''7701'''<br/>'''7702'''<br/>'''7703'''<br/>'''7704'''<br/>'''7705'''<br/>'''7706'''<br/>'''7707'''<br/>'''7708'''<br/>'''7709'''<br/>'''7710'''<br/>'''7711'''<br/>'''7712''' || '''7001'''<br/>'''7002'''<br/>'''7003'''<br/>'''7004'''<br/>'''7005'''<br/>'''7006'''<br/>'''7007'''<br/>'''7008'''<br/>'''7009'''<br/>'''7010'''<br/>'''7011'''<br/>'''7012''' || '''7051'''<br/>'''7052'''<br/>'''7053'''<br/>'''7054'''<br/>'''7055'''<br/>'''7056'''<br/>'''7057'''<br/>'''7058'''<br/>'''7059'''<br/>'''7060'''<br/>'''7061'''<br/>'''7062''' || '''7101'''<br/>'''7102'''<br/>'''7103'''<br/>'''7104'''<br/>'''7105'''<br/>'''7106'''<br/>'''7107'''<br/>'''7108'''<br/>'''7109'''<br/>'''7110'''<br/>'''7111'''<br/>'''7112'''|| '''7751'''<br/>'''7752'''<br/>'''7753'''<br/>'''7754'''<br/>'''7755'''<br/>'''7756'''<br/>'''7757'''<br/>'''7758'''<br/>'''7759'''<br/>'''7760'''<br/>'''7761'''<br/>'''7762'''||1984年3月<br/>1984年3月<br/>1984年3月<br/>1984年3月<br/>1984年8月<br/>1984年8月<br/>1984年10月<br/>1984年10月<br/>1984年11月<br/>1984年11月<br/>1986年3月<br/>1986年3月<br/>
|-
!搭載機器<ref name="RF277p52"/>
| CP|| CON・PT|| MG・CP || CON・PT || MG||
|}
; 凡例 : Mc …制御電動車、Tc …制御車、M …中間電動車、T…付随車、CON…[[主制御器|制御装置]]、MG…補助電源装置(電動発電機)、SIV…補助電源装置(静止形インバータ)、CP…電動空気圧縮機、PT…[[集電装置]](京王八王子寄り)以下同じ。
=== 8両編成として製造された車両(コルゲート車体) ===
[[ファイル:7713original.JPG|thumb|right|7713編成登場時のスタイル<br />(1988年 若葉台駅)]]
1986年10月・11月に8両編成3本が製造された<ref name="RP578p251"/>。両先頭車とサハ7550形、デハ7050形(7200番台)が東急製、それ以外が日車製である<ref name="RP578p251"/>。新形式サハ7550形がおこされ、7200番台のデハ7050形はパンタグラフ付とされた<ref name="RP578p39"/>。デハ7050形は2両とも補助電源装置、電動空気圧縮機搭載、サハ7550形も電動空気圧縮機搭載となったため、両先頭車はこれらの機器が非搭載とされた<ref name="RP578p39"/>。
{| class="wikitable" style="text-align:center; font-size:80%; margin:1em 0em 2em 3em;"
|-
|style="border-bottom:solid 3px #7B766A; background-color:#ccc;"|
|style="border-bottom:solid 3px #7B766A;" colspan="8"|{{TrainDirection|新宿|京王八王子・京王多摩センター}}|style="border-bottom:solid 3px #B04740;" rowspan="3"|竣工時期<ref name="RP734p249"/><ref name="RP734p250"/><ref name="RP734p251"/>
|-
!形式
| '''クハ7700''' || '''デハ7000''' || '''デハ7050''' || '''デハ7000''' || '''サハ7550''' || '''デハ7100''' || '''デハ7050''' || '''クハ7750'''
|-
!style="border-bottom:solid 3px #B04740;"|区分
|style="border-bottom:solid 3px #B04740;"| Tc1 ||style="border-bottom:solid 3px #B04740;"| M1 ||style="border-bottom:solid 3px #B04740;"| M2 ||style="border-bottom:solid 3px #B04740;"| M1 ||style="border-bottom:solid 3px #B04740;"| T||style="border-bottom:solid 3px #B04740;"| M1||style="border-bottom:solid 3px #B04740;"| M2||style="border-bottom:solid 3px #B04740;"| Tc2
|-
!車両番号
| '''7713'''<br/>'''7714'''<br/>'''7715''' || '''7013'''<br/>'''7014'''<br/>'''7015''' || '''7063'''<br/>'''7064'''<br/>'''7065''' || '''7113'''<br/>'''7114'''<br/>'''7115''' || '''7563'''<br/>'''7564'''<br/>'''7565''' || '''7213'''<br/>'''7214'''<br/>'''7215''' || '''7263'''<br/>'''7264'''<br/>'''7265''' || '''7763'''<br/>'''7764'''<br/>'''7765'''||1986年10月<br/>1986年11月<br/>1986年11月
|-
!搭載機器<ref name="年鑑2004p155"/>
| || CON・PT|| SIV・CP || CON・PT|| CP || CON・PT|| SIV・CP・PT || ||
|}
=== 5両編成の6両編成化 ===
1987年9月から11月にかけてパンタグラフ付のデハ7050形12両が製造され、5両編成に組み込まれた<ref name="RP578p236"/>。5両編成は全編成が6両編成となった<ref name="RP578p236"/>。7151 -7156が東急製、7157-7162は日車製である<ref name="RP578p251"/>。今回の新造車を空気圧縮機付とし、クハ7700形の空気圧縮機は撤去された<ref name="RP734p44"/>。
{| class="wikitable" style="text-align:center; font-size:80%; margin:1em 0em 2em 3em;"
|-
|style="border-bottom:solid 3px #7B766A; background-color:#ccc;"|
|style="border-bottom:solid 3px #7B766A;" colspan="6"|{{TrainDirection|新宿|京王八王子・京王多摩センター}}|style="border-bottom:solid 3px #B04740;" rowspan="3"|竣工時期<ref name="RP734p250"/>
|-
!形式
| '''(クハ7700)''' || '''(デハ7000)''' || '''(デハ7050)''' || '''(デハ7000)''' || '''デハ7050''' || '''(クハ7750)'''
|-
!style="border-bottom:solid 3px #B04740;"|区分
|style="border-bottom:solid 3px #B04740;"| Tc1 ||style="border-bottom:solid 3px #B04740;"| M1 ||style="border-bottom:solid 3px #B04740;"| M2 ||style="border-bottom:solid 3px #B04740;"| M1 ||style="border-bottom:solid 3px #B04740;"| M2 ||style="border-bottom:solid 3px #B04740;"| Tc2
|-
!車両番号
| '''7701'''<br/>'''7702'''<br/>'''7703'''<br/>'''7704'''<br/>'''7705'''<br/>'''7706'''<br/>'''7707'''<br/>'''7708'''<br/>'''7709'''<br/>'''7710'''<br/>'''7711'''<br/>'''7712''' || '''7001'''<br/>'''7002'''<br/>'''7003'''<br/>'''7004'''<br/>'''7005'''<br/>'''7006'''<br/>'''7007'''<br/>'''7008'''<br/>'''7009'''<br/>'''7010'''<br/>'''7011'''<br/>'''7012''' || '''7051'''<br/>'''7052'''<br/>'''7053'''<br/>'''7054'''<br/>'''7055'''<br/>'''7056'''<br/>'''7057'''<br/>'''7058'''<br/>'''7059'''<br/>'''7060'''<br/>'''7061'''<br/>'''7062''' || '''7101'''<br/>'''7102'''<br/>'''7103'''<br/>'''7104'''<br/>'''7105'''<br/>'''7106'''<br/>'''7107'''<br/>'''7108'''<br/>'''7109'''<br/>'''7110'''<br/>'''7111'''<br/>'''7112'''|| '''7151'''<br/>'''7152'''<br/>'''7153'''<br/>'''7154'''<br/>'''7155'''<br/>'''7156'''<br/>'''7157'''<br/>'''7158'''<br/>'''7159'''<br/>'''7160'''<br/>'''7161'''<br/>'''7162'''|| '''7751'''<br/>'''7752'''<br/>'''7753'''<br/>'''7754'''<br/>'''7755'''<br/>'''7756'''<br/>'''7757'''<br/>'''7758'''<br/>'''7759'''<br/>'''7760'''<br/>'''7761'''<br/>'''7762'''||1987年10月<br/>1987年10月<br/>1987年12月<br/>1987年12月<br/>1987年12月<br/>1987年12月<br/>1987年10月<br/>1987年10月<br/>1987年10月<br/>1987年10月<br/>1987年10月<br/>1987年11月
|-
!搭載機器<ref name="年鑑2004p155"/>
| || CON・PT|| MG・CP || CON・PT || MG・CP・PT|| MG||
|}
; 注記 : 形式に括弧がない車両が今回の製造車。以下同じ。
=== 8両編成として製造された車両(ビードプレス車体) ===
[[ファイル:Keio-Series7000-7724.jpg|thumb|right|前面幌枠・桟板が廃止されたクハ7724(10両編成化・帯色変更後)<br />(2021年11月 長沼駅)]]
1987年11月から編成単位で製造された車両はビードプレス車体となり、車両番号下2桁が20番台に区分された<ref name="RP578p236"/>。前面幌枠、渡り板廃止、前面角部FRPカバーと前面一部がクリーム塗装とされるなどの変更がある<ref name="RP734p220"/> <ref name="年鑑1988p121"/>。1987年製造の2編成は登場時正側面窓上にも赤帯があったが<ref name="年鑑1988p121"/>、すぐに撤去されている<ref name="RP578p236"/>。 [[1991年]](平成3年)12月までに8両編成5本が製造された<ref name="RP578p251"/>。最初の4編成は両先頭車とデハ7050形2両が東急製、それ以外が日車製だが、最後の1編成は編成全車が日車製である<ref name="RP578p251"/>。7725編成は同年に新製された6000系5扉車同様、車両番号の書体が京王特有の角ばったものから一般的な欧文[[フォント|書体]]に変更された<ref name="世界p74"/>。4両編成・2両編成も同様の書体となっており、従来車も順次新書体に交換されている<ref name="世界p74"/>。
{| class="wikitable" style="text-align:center; font-size:80%; margin:1em 0em 2em 3em;"
|-
|style="border-bottom:solid 3px #7B766A; background-color:#ccc;"|
|style="border-bottom:solid 3px #7B766A;" colspan="8"|{{TrainDirection|新宿|京王八王子・[[橋本駅 (神奈川県)|橋本]]}}|style="border-bottom:solid 3px #B04740;" rowspan="3"|竣工時期<ref name="RP734p249"/><ref name="RP734p250"/><ref name="RP734p251"/>
|-
!形式
| '''クハ7700''' || '''デハ7000''' || '''デハ7050''' || '''デハ7000''' || '''サハ7550''' || '''デハ7100''' || '''デハ7050''' || '''クハ7750'''
|-
!style="border-bottom:solid 3px #B04740;"|区分
|style="border-bottom:solid 3px #B04740;"| Tc1 ||style="border-bottom:solid 3px #B04740;"| M1 ||style="border-bottom:solid 3px #B04740;"| M2 ||style="border-bottom:solid 3px #B04740;"| M1 ||style="border-bottom:solid 3px #B04740;"| T||style="border-bottom:solid 3px #B04740;"| M1||style="border-bottom:solid 3px #B04740;"| M2||style="border-bottom:solid 3px #B04740;"| Tc2
|-
!車両番号
| '''7721'''<br/>'''7722'''<br/>'''7723'''<br/>'''7724'''<br/>'''7725''' || '''7021'''<br/>'''7022'''<br/>'''7023'''<br/>'''7024'''<br/>'''7025'''|| '''7071'''<br/>'''7072'''<br/>'''7073'''<br/>'''7074'''<br/>'''7075'''|| '''7121'''<br/>'''7122'''<br/>'''7123'''<br/>'''7124'''<br/>'''7125'''|| '''7571'''<br/>'''7572'''<br/>'''7573'''<br/>'''7574'''<br/>'''7575''' || '''7221'''<br/>'''7222'''<br/>'''7223'''<br/>'''7224'''<br/>'''7225'''|| '''7271'''<br/>'''7272'''<br/>'''7273'''<br/>'''7274'''<br/>'''7275'''|| '''7771'''<br/>'''7772'''<br/>'''7773'''<br/>'''7774'''<br/>'''7775'''||1987年11月<br/>1987年12月<br/>1988年3月<br/>1990年2月<br/>1991年12月
|-
!搭載機器<ref name="RF277p52"/>
| || CON・PT|| SIV・CP || CON・PT|| CP || CON・PT|| SIV・CP・PT || ||
|}
=== 6両編成の8両編成化 ===
[[ファイル:Keio-Series7000-7727.jpg|thumb|right|8両編成化後の7727編成(帯色変更後)<br />(2021年11月 長沼駅)]]
5両編成で製造された12編成は全編成が6両編成化されていたが、[[1990年]](平成2年)3月に7711編成・7712編成が、[[1992年]](平成4年)1月から2月に7706編成 – 7710編成の5編成がいずれも東急車輛で新製された中間車2両を編成中に組み込んで8両編成となった<ref name="RP578p236"/>。新造中間車は新宿寄りから4両目・5両目に組み込まれ、新編成で6両目・7両目となった車両は改番された<ref name="RP578p236"/>。機器配置を既存の8両編成と合わせるため、クハ7750形の補助電源装置は撤去され、デハ7050形(7200番台)に移設されている<ref name="RP578p39"/>。1987年11月以降編成単位で新造された車両についてはビードプレス車体となったが、6両編成の8両編成化中間車については既存の編成他車に合わせてコルゲート車体となった<ref name="RP734p219"/>。客用ドアは窓横にも手掛けがあるタイプとされた<ref name="RP734p219"/>。
{| class="wikitable" style="text-align:center; font-size:80%; margin:1em 0em 2em 3em;"
|-
|style="border-bottom:solid 3px #7B766A; background-color:#ccc;"|
|style="border-bottom:solid 3px #7B766A;" colspan="8"|{{TrainDirection|新宿|京王八王子・橋本}}|style="border-bottom:solid 3px #B04740;" rowspan="3"|竣工時期<ref name="RP734p250"/>
|-
!形式
| '''(クハ7700)''' || '''(デハ7000)''' || '''(デハ7050)''' || '''デハ7000''' || '''サハ7550''' || '''(デハ7100)''' || '''(デハ7050)''' || '''(クハ7750)'''
|-
!style="border-bottom:solid 3px #B04740;"|区分
|style="border-bottom:solid 3px #B04740;"| Tc1 ||style="border-bottom:solid 3px #B04740;"| M1 ||style="border-bottom:solid 3px #B04740;"| M2 ||style="border-bottom:solid 3px #B04740;"| M1 ||style="border-bottom:solid 3px #B04740;"| T||style="border-bottom:solid 3px #B04740;"| M1||style="border-bottom:solid 3px #B04740;"| M2||style="border-bottom:solid 3px #B04740;"| Tc2
|-
!車両番号
| '''7706'''<br/><br/>'''7707'''<br/><br/>'''7708'''<br/><br/>'''7709'''<br/><br/>'''7710'''<br/><br/>'''7711'''<br/><br/>'''7712'''<br/> || '''7006'''<br/><br/>'''7007'''<br/><br/>'''7008'''<br/><br/>'''7009'''<br/><br/>'''7010'''<br/><br/>'''7011'''<br/><br/>'''7012'''<br/> || '''7056'''<br/><br/>'''7757'''<br/><br/>'''7758'''<br/><br/>'''7759'''<br/><br/>'''7760'''<br/><br/>'''7761'''<br/><br/>'''7762'''<br/> || '''7106''' (II) <br/><br/>'''7107''' (II) <br/><br/>'''7108''' (II) <br/><br/>'''7109''' (II) <br/><br/>'''7110''' (II) <br/><br/>'''7111''' (II) <br/><br/>'''7112''' (II) <br/> || '''7556'''<br/><br/>'''7557'''<br/><br/>'''7558'''<br/><br/>'''7559'''<br/><br/>'''7560'''<br/><br/>'''7561'''<br/><br/>'''7562'''<br/> || '''7206'''<br/>'''<small>(7106)</small>'''<br/>'''7207'''<br/>'''<small>(7107)</small>'''<br/>'''7208'''<br/>'''<small>(7108)</small>'''<br/>'''7209'''<br/>'''<small>(7109)</small>'''<br/>'''7210'''<br/>'''<small>(7110)</small>'''<br/>'''7211'''<br/>'''<small>(7111)</small>'''<br/>'''7212''' <br/>'''<small>(7112)</small>'''|| '''7256''' <br/>'''<small>(7156)</small>'''<br/>'''7257'''<br/>'''<small>(7157)</small>'''<br/>'''7258'''<br/>'''<small>(7158)</small>'''<br/>'''7259'''<br/>'''<small>(7159)</small>'''<br/>'''7260'''<br/>'''<small>(7160)</small>'''<br/>'''7261'''<br/>'''<small>(7161)</small>'''<br/>'''7262''' <br/>'''<small>(7162)</small>'''|| '''7756'''<br/><br/>'''7757'''<br/><br/>'''7758'''<br/><br/>'''7759'''<br/><br/>'''7760'''<br/><br/>'''7761'''<br/><br/>'''7762'''<br/> ||1992年2月<br/><br/>1992年2月<br/><br/>1992年1月<br/><br/>1992年1月<br/><br/>1992年1月<br/><br/>1990年3月<br/><br/>1990年3月<br/><br/>
|-
!搭載機器<ref name="RP578p39"/>
| || CON・PT|| SIV・CP || CON・PT|| CP || CON・PT|| SIV・CP・PT || ||
|}
;注記 : 7706編成 – 7710編成の補助電源装置はBL-MG<ref name="RP578p39"/>。新編成のデハ7106 – 7112は2代目。(II) と付記されている車両は同じ番号を付けた2代目の車両であることを指す。以下同じ。括弧内は旧番号。
=== 4両編成 ===
6両編成と連結して10両編成で運用するため<ref name="RP578p236"/>、[[1993年]](平成5年)1月から[[1994年]](平成6年)3月にかけて4両5編成が製造された<ref name="RP734p249-251"/>。全車ビードプレス車体<ref name="RP734p219"/>、最初の3編成が東急製、あとの2編成が日車製である<ref name="RP734p249-251"/>。先頭車には7800番台、中間車には7200番台が附番された<ref name="年鑑1993p99"/>。1994年製の7805と7855正面には[[排障器|スカート]]が設置され、以後在来車を含む全編成に取り付けられた<ref name="年鑑1994p84"/>。
{| class="wikitable" style="text-align:center; font-size:80%; margin:1em 0em 2em 3em;"
|-
|style="border-bottom:solid 3px #7B766A; background-color:#ccc;"|
|style="border-bottom:solid 3px #7B766A;" colspan="4"|{{TrainDirection|新宿|京王八王子・橋本}}|style="border-bottom:solid 3px #B04740;" rowspan="3"|竣工時期<ref name="RP734p250"/><ref name="RP734p251"/>
|-
!形式
| '''クハ7700''' || '''デハ7000''' || '''デハ7050''' || '''クハ7750'''
|-
!style="border-bottom:solid 3px #B04740;"|区分
|style="border-bottom:solid 3px #B04740;"| Tc1 ||style="border-bottom:solid 3px #B04740;"| M1 ||style="border-bottom:solid 3px #B04740;"| M2 ||style="border-bottom:solid 3px #B04740;"| Tc2
|-
!車両番号
| '''7801'''<br/>'''7802'''<br/>'''7803'''<br/>'''7804'''<br/>'''7805''' || '''7201'''<br/>'''7202'''<br/>'''7203'''<br/>'''7204'''<br/>'''7205'''|| '''7251'''<br/>'''7252'''<br/>'''7253'''<br/>'''7254'''<br/>'''7255'''|| '''7851'''<br/>'''7852'''<br/>'''7853'''<br/>'''7854'''<br/>'''7855'''||1993年1月<br/>1993年1月<br/>1993年2月<br/>1993年2月<br/>1994年3月
|-
!搭載機器<ref name="RP734p44"/>
|CP|| CON・PT|| SIV・CP・PT || ||
|}
===2両編成===
[[File:Keio 7875.JPG |thumb|right|2両編成(VVVF化、帯色変更後)<br />(2012年11月 [[若葉台駅]] )]]
8両編成と連結して10両編成で運用するため<ref name="RP578p236"/>、1994年3月から1994年11月にかけて2両5編成が製造された<ref name="RP734p249-251"/>。全車ビードプレス車体<ref name="RP734p220"/>、東急製である<ref name="RP734p249-251"/>。新宿寄りは制御電動車デハ7400形となり、6000系2両編成同様1M方式とされた<ref name="RP734p219"/>。クハ7750形にはスカートが設置されなかった<ref name="年鑑1994p84"/>。
{| class="wikitable" style="text-align:center; font-size:80%; margin:1em 0em 2em 3em;"
|-
|style="border-bottom:solid 3px #7B766A; background-color:#ccc;"|
|style="border-bottom:solid 3px #7B766A;" colspan="2"|{{TrainDirection|<small>新宿</small>|<small>京王八王子・橋本</small>}}|style="border-bottom:solid 3px #B04740;" rowspan="3"|竣工時期<ref name="RP734p250"/><ref name="RP734p251"/>
|-
!形式
| '''デハ7400'''|| '''クハ7750'''
|-
!style="border-bottom:solid 3px #B04740;"|区分
|style="border-bottom:solid 3px #B04740;"| Mc ||style="border-bottom:solid 3px #B04740;"| Tc
|-
!車両番号
| '''7421'''<br/>'''7422'''<br/>'''7423'''<br/>'''7424'''<br/>'''7425''' ||'''7871'''<br/>'''7872'''<br/>'''7873'''<br/>'''7874'''<br/>'''7875'''||1994年3月<br/>1994年3月<br/>1994年11月<br/>1994年11月<br/>1994年11月
|-
!搭載機器
| CON・PT|| SIV・CP・PT||
|}
=== 8両編成の10両編成化 ===
1996年2月から3月にかけて<ref name="RP734p249-251"/>ビードプレス車体の8両編成全編成にデハ7050形・サハ7500形各1両を新製して組み込み、10両編成化された<ref name="RP734p220"/>。京王初の10両固定編成であり<ref name="RP734p220"/>、これをもって7000系の製造は打ち切られた<ref name="RP734p46"/>。新製されたデハ7050形は7100番台に附番され、1Mで使用されていた7100番台のデハ7000形の京王八王子寄りに組み込まれてユニットを組んだ<ref name="RP734p44"/>。サハ7500形は電装を考慮しない付随車とされ<ref name="ダイヤ情報310p23"/>、パンタグラフ台がなく<ref name="ダイヤ情報310p24"/>、新宿寄りから4両目に組み込まれた<ref name="RP734p46"/>。番号末尾21 (71)・22 (72) が東急製、それ以外が日車製である<ref name="RP734p249-251"/>。
{| class="wikitable" style="text-align:center; font-size:80%; margin:1em 0em 2em 3em;"
|-
|style="border-bottom:solid 3px #7B766A; background-color:#ccc;"|
|style="border-bottom:solid 3px #7B766A;" colspan="10"|{{TrainDirection|新宿|京王八王子・橋本}}|style="border-bottom:solid 3px #B04740;" rowspan="3"|竣工時期<ref name="RP734p249"/><ref name="RP734p250"/><ref name="RP734p251"/>
|-
!形式
| '''(クハ7700)''' || '''(デハ7000)''' || '''(デハ7050)''' || '''サハ7500''' || '''(デハ7000)''' || '''デハ7050''' || '''(サハ7550)''' || '''(デハ7100)''' || '''(デハ7050)''' || '''(クハ7750)'''
|-
!style="border-bottom:solid 3px #B04740;"|区分
|style="border-bottom:solid 3px #B04740;"| Tc1 ||style="border-bottom:solid 3px #B04740;"| M1 ||style="border-bottom:solid 3px #B04740;"| M2 ||style="border-bottom:solid 3px #B04740;"| T ||style="border-bottom:solid 3px #B04740;"| M1 ||style="border-bottom:solid 3px #B04740;"| M2 ||style="border-bottom:solid 3px #B04740;"| T||style="border-bottom:solid 3px #B04740;"| M1||style="border-bottom:solid 3px #B04740;"| M2||style="border-bottom:solid 3px #B04740;"| Tc2
|-
!車両番号
| '''7721'''<br/>'''7722'''<br/>'''7723'''<br/>'''7724'''<br/>'''7725''' || '''7021'''<br/>'''7022'''<br/>'''7023'''<br/>'''7024'''<br/>'''7025''' || '''7071'''<br/>'''7072'''<br/>'''7073'''<br/>'''7074'''<br/>'''7075''' || '''7521'''<br/>'''7522'''<br/>'''7523'''<br/>'''7524'''<br/>'''7525''' || '''7121'''<br/>'''7122'''<br/>'''7123'''<br/>'''7124'''<br/>'''7125''' || '''7171'''<br/>'''7172'''<br/>'''7173'''<br/>'''7174'''<br/>'''7175''' || '''7571'''<br/>'''7572'''<br/>'''7573'''<br/>'''7574'''<br/>'''7575''' || '''7221'''<br/>'''7222'''<br/>'''7223'''<br/>'''7224'''<br/>'''7225''' || '''7271'''<br/>'''7272'''<br/>'''7273'''<br/>'''7274'''<br/>'''7275''' || '''7771'''<br/>'''7772'''<br/>'''7773'''<br/>'''7774'''<br/>'''7775'''||1996年2月<br/>1996年2月<br/>1996年2月<br/>1996年3月<br/>1996年3月
|-
!搭載機器
| || CON・PT|| SIV・CP || || CON・PT|| CP || CP || CON・PT|| SIV・CP・PT || ||
|}
== 改造工事 ==
=== 塗装変更 ===
1986年以前製造の先頭車に対して、1987年以降の製造車と同様正面窓下とFRPカバーをクリーム色に塗装する変更が1988年ごろに施工されている<ref name="年鑑1989p135"/>。
その後、2002年10月に全編成の帯色が赤から[[京王8000系電車|8000系]]と同じ京王レッドと京王ブルー<ref name="RP578p46" />に変更されている<ref name="RP734p42" />。2001年10月にリニューアル工事を行った7701編成はリニューアル工事出場時から帯色が変更されている<ref name="年鑑2002p108" />。
<gallery widths="200px" heights="180px">
ファイル:Keio 6742 and 7704.jpg|初期に塗装が変更された7704<br />窓上に赤帯が入っている<br/>(1988年6月 若葉台検車区)
ファイル:7710Foldcolor.jpg|塗装変更後の7710編成<br />(2002年5月19日 明大前 - 下高井戸)
</gallery>
=== 転落防止幌取り付け ===
中間連結面間に転落防止の外幌を設ける工事が1997年から2001年にかけて施工されている<ref name="RP734p49"/>。
=== ワンマン化改造 ===
[[File:Keio 7852 operator cabin.JPG|thumb|right|ワンマン運転対応機器が搭載されたクハ7852の運転室]]
[[京王動物園線|動物園線]]の予備車として2000年に7801編成に<ref name="RP734p220"/>、2008年に7802編成に<ref name="年鑑2009一覧"/>、[[京王競馬場線|競馬場線]]の予備車として2009年に7421編成・7422編成に[[ワンマン運転|ワンマン]]化対応改造が行われた<ref name="年鑑2010一覧"/>。7421編成・7422編成はクハ7871・クハ7872にもスカートが取り付けられた<ref name="RP893p232"/>。
=== リニューアル工事 ===
2001年から2012年にかけてリニューアル工事が行われた<ref name="年鑑2002p108"/><ref name="RF628rs"/>。床敷物、化粧板がはりかえられ、床は茶系の濃淡、壁はピンクとパープルの濃淡の模様となった<ref name="年鑑2004p156"/>。バリアフリー化のため一部車両に[[車椅子スペース]]が設けられるとともに<ref name="年鑑2004p156"/>、2002年10月の施工車から客用ドア上には[[発光ダイオード|LED]]式の案内装置が設置された<ref name="RP734p42"/>。座席表地はローズを基調とし、柄で着席区分を示すものに変更された<ref name="年鑑2004p156"/>。2003年からはVVVF化改造が併せて行われ<ref name="年鑑2004p155"/>、2007年施工車からは[[バケットシート]]化<ref name="RF604p94"/>、袖仕切りの大型化、座席部へのつかみ棒追加<ref name="年鑑2008動向"/>、[[UVカット]]ガラスの採用による巻き上げカーテン廃止などの変更が行われている<ref name="ダイヤ情報310p24"/>。リニューアル工事施工時10両編成だった編成については正側面行先・種別表示装置のLED化、車内案内装置の[[液晶ディスプレイ|LCD]]化、自動放送装置の取り付けが行われている<ref name="年鑑2009動向"/>。
{{Double image aside|left|7710Froom.jpg|200|Inside Keio 7271.JPG|200|2006年度以前リニューアル工事施行車の車内|2007年度以降リニューアル工事施行車の車内}}
{{Double image aside|left| LED information board of Keio 7000.jpg |200|Keio7000train renewal LCD.jpg|200| LED車内案内表示器|LCD車内案内表示器}}
{{-}}
=== VVVF化工事 ===
[[ファイル:7204f lcd.jpg|220px|right|thumb|7804編成の車内情報システム]]
2003年から2012年にかけて主制御装置を[[絶縁ゲートバイポーラトランジスタ|IGBT]][[半導体素子|素子]]の[[可変電圧可変周波数制御|VVVFインバータ制御]]に更新する工事がリニューアルと同時に行われた<ref name="年鑑2004p155"/><ref name="RF628rs"/>。リニューアル工事のみ施工した編成についても順次遡ってVVVF化が行われている<ref name="年鑑2010一覧"/><ref name="RP864p105"/>。電動車と付随車の比率を1:1とするため、6・8・10両編成では電動車1両が電装解除されて改番<ref name="年鑑2004p155"/><ref name="年鑑2008動向"/>、8両編成では電動車の一部、<ref name="年鑑2004p155"/>10両編成では付随車2両が改番されている<ref name="年鑑2008動向"/>。8・10両編成で電装解除されたデハ7000形のパンタグラフはデハ7050形(7000番台)に移設されている<ref name="年鑑2004p155"/><ref name="RF605formation"/>。主制御装置、主電動機は[[京王9000系電車|9000系]]用を基本としたものとされ、2両ユニットを組む電動車はVFI-HR-2815C形主制御装置がデハ7000形に、単独で使用される電動車にはVFI-HR-1415B主制御器が搭載された<ref name="年鑑2004p156"/>。主電動機は出力150 kWの[[かご形三相誘導電動機]]HS-33535-01RBが採用された<ref name="年鑑2004p156"/>。駆動装置は改造前のものが流用され、[[歯車比]]も変更されていない<ref name="年鑑2004p156"/>。従来の界磁チョッパ車と連結して運用される際は力行特性を界磁チョッパ車に近似したものに切り換えるよう設定された<ref name="年鑑2004p156"/>。BL-MGを搭載していた編成は7707編成以外VVVF化改造時に補助電源装置をSIVに変更している<ref name="ダイヤ情報310p22"/>。7803・7804編成にはLCDの車内情報システムが他車のLED式と同じ場所、大きさで搭載された<ref name="年鑑2013動向"/><ref name="年鑑2013一覧"/><ref name="RP893p239"/>。
{| class="wikitable" style="text-align:center; font-size:80%; margin:1em 0em 2em 3em;"
|+6両編成
|-
|style="border-bottom:solid 3px #7B766A; background-color:#ccc;"|
|style="border-bottom:solid 3px #7B766A;" colspan="6"|{{TrainDirection|新宿|京王八王子・橋本}}|style="border-bottom:solid 3px #d07;" rowspan="3"|竣工時期
|-
!形式
| '''クハ7700''' || '''デハ7000''' || '''サハ7550''' || '''デハ7000''' || '''デハ7050''' || '''クハ7750'''
|-
!style="border-bottom:solid 3px #d07;"|区分
|style="border-bottom:solid 3px #d07;"| Tc1 ||style="border-bottom:solid 3px #d07;"| M1 ||style="border-bottom:solid 3px #d07;"| T ||style="border-bottom:solid 3px #d07;"| M1 ||style="border-bottom:solid 3px #d07;"| M2||style="border-bottom:solid 3px #d07;"| Tc2
|-
!車両番号
| '''7701'''<br/> <br/>'''7703'''<br/> <br/>'''7704'''<br/> <br/>'''7705'''<br/> || '''7001'''<br/> <br/>'''7003'''<br/> <br/>'''7004'''<br/> <br/>'''7005'''<br/> || '''7551'''<br/>'''<small>(7051)</small>'''<br/>'''7553'''<br/>'''<small>(7053)</small>'''<br/>'''7554'''<br/>'''<small>(7054)</small>'''<br/>'''7555'''<br/>'''<small>(7055)</small>''' || '''7101'''<br/> <br/>'''7103'''<br/> <br/>'''7104'''<br/> <br/>'''7105'''<br/> || '''7151'''<br/> <br/>'''7153'''<br/> <br/>'''7154'''<br/> <br/>'''7155'''<br/> || '''7751'''<br/> <br/>'''7753'''<br/> <br/>'''7754'''<br/> <br/>'''7755'''<br/> ||2009年6月<ref name="年鑑2010一覧"/><br/><br/>2012年7月<ref name="年鑑2013一覧"/><br/><br/>2004年3月<ref name="年鑑2004p218"/><br/><br/>2004年12月<ref name="年鑑2005p216"/><br/><br/>
|-
!搭載機器<ref name="年鑑2004p155"/>
| || CON・PT|| SIV・CP || CON・PT || CP・PT|| SIV ||
|}
{| class="wikitable" style="text-align:center; font-size:80%; margin:1em 0em 2em 3em;"
|+8両編成
|-
|style="border-bottom:solid 3px #7B766A; background-color:#ccc;"|
|style="border-bottom:solid 3px #7B766A;" colspan="8"|{{TrainDirection|新宿|京王八王子・橋本・高尾山口}}|style="border-bottom:solid 3px #d07;" rowspan="3"|竣工時期
|-
!形式
| '''クハ7700''' || '''デハ7000''' || '''デハ7050''' || '''サハ7500''' || '''サハ7550''' || '''デハ7100''' || '''デハ7050''' || '''クハ7750'''
|-
!style="border-bottom:solid 3px #d07;"|区分
|style="border-bottom:solid 3px #d07;"| Tc1 ||style="border-bottom:solid 3px #d07;"| M1 ||style="border-bottom:solid 3px #d07;"| M2 ||style="border-bottom:solid 3px #d07;"| T ||style="border-bottom:solid 3px #d07;"| T||style="border-bottom:solid 3px #d07;"| M1||style="border-bottom:solid 3px #d07;"| M2||style="border-bottom:solid 3px #d07;"| Tc2
|-
!車両番号
| '''7706'''<br/><br/>'''7707'''<br/><br/>'''7708'''<br/><br/>'''7709'''<br/><br/>'''7710'''<br/><br/>'''7711'''<br/><br/>'''7712'''<br/><br/>'''7713'''<br/><br/>'''7714'''<br/> || '''7006'''<br/><br/>'''7007'''<br/><br/>'''7008'''<br/><br/>'''7009'''<br/><br/>'''7010'''<br/><br/>'''7011'''<br/><br/>'''7012'''<br/><br/>'''7013'''<br/><br/>'''7014'''<br/> || '''7056'''<br/><br/>'''7057'''<br/><br/>'''7058'''<br/><br/>'''7059'''<br/><br/>'''7060'''<br/><br/>'''7061'''<br/><br/>'''7062'''<br/><br/>'''7063'''<br/><br/>'''7064'''<br/> || '''7506'''<br/>'''<small>(7106)</small>'''<br/>'''7507'''<br/>'''<small>(7107)</small>'''<br/>'''7508'''<br/>'''<small>(7108)</small>'''<br/>'''7509'''<br/>'''<small>(7109)</small>'''<br/>'''7510'''<br/>'''<small>(7110)</small>'''<br/>'''7511'''<br/>'''<small>(7111)</small>'''<br/>'''7512'''<br/>'''<small>(7112)</small>'''<br/>'''7513'''<br/>'''<small>(7113)</small>'''<br/>'''7514'''<br/>'''<small>(7114)</small>''' || '''7556'''<br/><br/>'''7557'''<br/><br/>'''7558'''<br/><br/>'''7559'''<br/><br/>'''7560'''<br/><br/>'''7561'''<br/><br/>'''7562'''<br/><br/>'''7563'''<br/><br/>'''7564'''<br/> || '''7106''' (III) <br/>'''<small>(7206)</small>'''<br/>'''7107''' (III) <br/>'''<small>(7207)</small>'''<br/>'''7108''' (III) <br/>'''<small>(7208)</small>'''<br/>'''7109''' (III) <br/>'''<small>(7209)</small>'''<br/>'''7110''' (III) <br/>'''<small>(7210)</small>'''<br/>'''7111''' (III) <br/>'''<small>(7211)</small>'''<br/>'''7112''' (III) <br/>'''<small>(7212)</small>'''<br/>'''7113''' (II) <br/>'''<small>(7213)</small>'''<br/>'''7114''' (II) <br/>'''<small>(7214)</small>''' || '''7156''' (II) <br/>'''<small>(7256)</small>'''<br/>'''7157''' (II) <br/>'''<small>(7257)</small>'''<br/>'''7158''' (II) <br/>'''<small>(7258)</small>'''<br/>'''7159''' (II) <br/>'''<small>(7259)</small>'''<br/>'''7160''' (II) <br/>'''<small>(7260)</small>'''<br/>'''7161''' (II) <br/>'''<small>(7261)</small>'''<br/>'''7162''' (II) <br/>'''<small>(7262)</small>'''<br/>'''7163''' (II) <br/>'''<small>(7263)</small>'''<br/>'''7164''' (II) <br/>'''<small>(7264)</small>'''|| '''7756'''<br/><br/>'''7757'''<br/><br/>'''7758'''<br/><br/>'''7759'''<br/><br/>'''7760'''<br/><br/>'''7761'''<br/><br/>'''7762'''<br/><br/>'''7763'''<br/><br/>'''7764'''<br/> ||2005年7月<ref name="年鑑2006p209"/><br/><br/>2004年6月<ref name="年鑑2005p216"/><br/><br/>2005年7月<ref name="年鑑2006p209"/><br/><br/>2006年10月<ref name="年鑑2007p225"/><br/><br/>2005年7月<ref name="年鑑2006p209"/><br/><br/>2006年2月<ref name="年鑑2006p209"/><br/><br/>2008年1月<ref name="年鑑2008p245"/><br/><br/>2006年7月<ref name="年鑑2007p225"/><br/><br/>2007年2月<ref name="年鑑2007p225"/><br/><br/>
|-
!搭載機器<ref name="年鑑2004p155"/>
| || CON・PT|| SIV・CP・PT|| || CP || CON・PT|| SIV・CP・PT || ||
|}
;注記 : デハ7106 – 7112(3代目)、デハ7156 – 7162(2代目)は製造時の番号に戻った。デハ7113・デハ7114・デハ7163・デハ7164は2代目。(III) と付記されている車両は同じ番号を付けた3代目の車両であることを指す。以下同じ。
{| class="wikitable" style="text-align:center; font-size:80%; margin:1em 0em 2em 3em;"
|+10両編成
|-
|style="border-bottom:solid 3px #7B766A; background-color:#ccc;"|
|style="border-bottom:solid 3px #7B766A;" colspan="10"|{{TrainDirection|新宿|京王八王子・橋本・高尾山口}}|style="border-bottom:solid 3px #d07;" rowspan="3"|竣工時期
|-
!形式
| '''クハ7700''' || '''デハ7000''' || '''デハ7050''' || '''サハ7500'''|| '''デハ7000''' || '''サハ7550''' || '''サハ7550''' || '''デハ7100''' || '''デハ7050''' || '''クハ7750'''
|-
!style="border-bottom:solid 3px #d07;"|区分
|style="border-bottom:solid 3px #d07;"| Tc1 ||style="border-bottom:solid 3px #d07;"| M1 ||style="border-bottom:solid 3px #d07;"| M2 ||style="border-bottom:solid 3px #d07;"| T ||style="border-bottom:solid 3px #d07;"| M ||style="border-bottom:solid 3px #d07;"| T ||style="border-bottom:solid 3px #d07;"| T||style="border-bottom:solid 3px #d07;"| M1||style="border-bottom:solid 3px #d07;"| M2||style="border-bottom:solid 3px #d07;"| Tc2
|-
!車両番号
| '''7721'''<br/><br/>'''7722'''<br/><br/> '''7723'''<br/><br/>'''7724'''<br/><br/>'''7725'''<br/>
|| '''7021'''<br/><br/>'''7022'''<br/><br/> '''7023'''<br/><br/>'''7024'''<br/><br/>'''7025'''<br/>
|| '''7071'''<br/><br/>'''7072'''<br/><br/> '''7073'''<br/><br/>'''7074'''<br/><br/>'''7075'''<br/>
|| '''7521'''<br/><br/>'''7522'''<br/><br/> '''7523'''<br/><br/>'''7524'''<br/><br/>'''7525'''<br/>
|| '''7121'''<br/><br/>'''7122'''<br/><br/> '''7123'''<br/><br/>'''7124'''<br/><br/>'''7125'''<br/>
|| '''7571''' (II) <br/>'''<small>(7171)</small>'''<br/> '''7572''' (II) <br/>'''<small>(7172)</small>'''<br/> '''7573''' (II) <br/>'''<small>(7173)</small>'''<br/> '''7574''' (II) <br/>'''<small>(7174)</small>'''<br/>'''7575''' (II) <br/>'''<small>(7175)</small>'''
|| '''7671'''<br/>'''<small>(7571)</small>'''<br/> '''7672'''<br/>'''<small>(7572)</small>'''<br/> '''7673'''<br/>'''<small>(7573)</small>'''<br/> '''7674'''<br/>'''<small>(7574)</small>'''<br/>'''7675'''<br/>'''<small>(7575)</small>'''
|| '''7221'''<br/><br/>'''7222'''<br/><br/> '''7223'''<br/><br/>'''7224'''<br/><br/>'''7225'''<br/>
|| '''7271'''<br/><br/>'''7272'''<br/><br/> '''7273'''<br/><br/>'''7274'''<br/><br/>'''7275'''<br/>
|| '''7771'''<br/><br/>'''7772'''<br/><br/> '''7773'''<br/><br/>'''7774'''<br/><br/>'''7775'''<br/>
||2007年6月<ref name="年鑑2008p245"/><br/><br/>2008年10月<ref name="年鑑2009一覧"/><br/><br/>2007年10月<ref name="年鑑2008p245"/><br/><br/>2009年2月<ref name="年鑑2009一覧"/><br/><br/>2010年3月<br/><br/>
|-
!搭載機器
| || CON・PT|| SIV・CP・PT|| || CON・PT|| CP || CP || CON・PT|| SIV・CP・PT || ||
|}
;注記 : サハ7571 – 7575は2代目。
{| class="wikitable" style="text-align:center; font-size:80%; margin:1em 0em 2em 3em;"
|+4両編成
|-
|style="border-bottom:solid 3px #7B766A; background-color:#ccc;"|
|style="border-bottom:solid 3px #7B766A;" colspan="4"|{{TrainDirection|新宿・多摩動物公園|京王八王子}}|style="border-bottom:solid 3px #d07;" rowspan="3"|竣工時期
|-
!形式
| '''クハ7700''' || '''デハ7000''' || '''デハ7050''' || '''クハ7750'''
|-
!style="border-bottom:solid 3px #d07;"|区分
|style="border-bottom:solid 3px #d07;"| Tc1 ||style="border-bottom:solid 3px #d07;"| M1 ||style="border-bottom:solid 3px #d07;"| M2 ||style="border-bottom:solid 3px #d07;"| Tc2
|-
!車両番号
| '''7801'''<br/>'''7802'''<br/>'''7803'''<br/>'''7804'''<br/>'''7805''' || '''7201'''<br/>'''7202'''<br/>'''7203'''<br/>'''7204'''<br/>'''7205'''|| '''7251'''<br/>'''7252'''<br/>'''7253'''<br/>'''7254'''<br/>'''7255'''|| '''7851'''<br/>'''7852'''<br/>'''7853'''<br/>'''7854'''<br/>'''7855'''||2008年5月<ref name="年鑑2009一覧"/><br/>2008年7月<ref name="年鑑2009一覧"/><br/>2012年10月<ref name="年鑑2013一覧"/><br/>2012年9月<ref name="年鑑2013一覧"/><br/>2009年3月
|-
!搭載機器<ref name="RP734p44"/>
|CP|| CON・PT|| SIV・CP・PT || ||
|}
{| class="wikitable" style="text-align:center; font-size:80%; margin:1em 0em 2em 3em;"
|+2両編成
|-
|style="border-bottom:solid 3px #7B766A; background-color:#ccc;"|
|style="border-bottom:solid 3px #7B766A;" colspan="2"|{{TrainDirection|<small>新宿</small>|<small>京王八王子<br/>府中競馬正門前</small>}}|style="border-bottom:solid 3px #d07;" rowspan="3"|竣工時期<ref name="年鑑2010一覧"/>
|-
!形式
| '''デハ7400'''|| '''クハ7750'''
|-
!style="border-bottom:solid 3px #d07;"|区分
|style="border-bottom:solid 3px #d07;;"| Mc ||style="border-bottom:solid 3px #d07;"| Tc
|-
!車両番号
| '''7421'''<br/>'''7422'''<br/>'''7423'''<br/>'''7424'''<br/>'''7425''' ||'''7871'''<br/>'''7872'''<br/>'''7873'''<br/>'''7874'''<br/>'''7875'''||2009年11月<br/>2009年12月<br/>2009年7月<br/>2009年9月<br/>2009年10月
|-
!搭載機器
| CON・PT|| SIV・CP・PT||
|}
=== パンタグラフ換装 ===
[[File:A single arm pantograph on Keio 7000.JPG|thumb|150px|right|PT-7110パンタグラフ]]
2005年ごろに全車のパンタグラフが東洋製PT-7110シングルアーム形に換装されている<ref name="年鑑2006動向"/><ref name="年鑑2012諸元"/>。
=== ATC設置工事 ===
[[自動列車制御装置#京王電鉄(京王ATC)|ATC]]車上装置の設置工事がATC運用開始に先立つ2008年度前後に行われている<ref name="年鑑2009動向"/>。
=== 自動放送装置設置 ===
一部編成に自動放送装置が設置され、2010年5月1日から使用されている。
=== 編成組み替え ===
10両編成での運用増加と共通化のため8両5編成を10両3編成、4両・6両各1編成に組み替える工事が2010年度に<ref name="RF604p92"/>、6両・8両各1編成を4両・10両編成に組み替える工事が2011年度に行われている<ref name="RP864p105"/>。4両・10両編成は機器配置を既存編成とあわせている<ref name="RF604p92"/>が、6両編成は改造範囲を最小限とするため機器配置が既存編成と異なる<ref name="RF604p92"/>。10両編成は既存の編成の続き番号とされた<ref name="RF604p92"/>。旧7715編成はリニューアル工事、VVVF改造と同時施工<ref name="RF604p93"/>、旧7702編成はVVVF改造と同時施工<ref name="RP864p105"/>であり、旧7715編成の2両のデハ7050形、旧7702編成のデハ7152は電装解除され、サハ7550形となった<ref name="RF604p94"/><ref name="RF604p93"/>。旧7711編成のサハ7511はVVVF改造時に電装解除されていたが、今回の工事で再電装されている<ref name="RF604p94"/>。2010年度施工車は7726編成以外改造前編成に併せて編成組み替え時にはバケットシート化が行われなかったが、2010年度下期にバケットシート化が行われている<ref name="年鑑2012p140"/>。2011年度施工車は組み替え時にバケットシート化と袖仕切りの大型化が行われている<ref name="年鑑2012p140"/>。
7726編成 - 7728編成は8両編成だった旧7712編成 - 旧7714編成の4両目と5両目に旧7711編成と旧7715編成の中間車を組み込んで<ref name="RF604p94"/><ref name="RF604p93"/>、7729編成は旧7710編成に旧7702編成の中間車を組み込んで組成されたものである<ref name="RP864p105"/>。
{| class="wikitable" style="text-align:center; font-size:80%; margin:1em 0em 2em 3em;"
|-
|style="border-bottom:solid 3px #7B766A; background-color:#ccc;"|
|style="border-bottom:solid 3px #7B766A;" colspan="10"|{{TrainDirection|新宿|京王八王子}}|style="border-bottom:solid 3px #d07;" rowspan="3"|竣工時期
|-
!形式
| '''クハ7700''' || '''デハ7000''' || '''デハ7050''' || '''サハ7500''' || '''デハ7000''' || '''サハ7550''' || '''サハ7550''' || '''デハ7100''' || '''デハ7050''' || '''クハ7750'''
|-
!style="border-bottom:solid 3px #d07;"|区分
|style="border-bottom:solid 3px #d07;"| Tc1 ||style="border-bottom:solid 3px #d07;"| M1 ||style="border-bottom:solid 3px #d07;"| M2 ||style="border-bottom:solid 3px #d07;"| T ||style="border-bottom:solid 3px #d07;"| M ||style="border-bottom:solid 3px #d07;"| T ||style="border-bottom:solid 3px #d07;"| T||style="border-bottom:solid 3px #d07;"| M1||style="border-bottom:solid 3px #d07;"| M2||style="border-bottom:solid 3px #d07;"| Tc2
|-
!車両番号<ref name="RF617-Ap"/>
| '''7726'''<br/>'''<small>(7712)</small>'''<br/>'''7727'''<br/>'''<small>(7713)</small>'''<br/>'''7728'''<br/>'''<small>(7714)</small>'''<br/>'''7729'''<br/>'''<small>(7710)</small>''' || '''7026'''<br/>'''<small>(7012)</small>'''<br/>'''7027'''<br/>'''<small>(7013)</small>'''<br/>'''7028'''<br/>'''<small>(7014)</small>'''<br/>'''7029'''<br/>'''<small>(7010)</small>''' || '''7076'''<br/>'''<small>(7062)</small>'''<br/>'''7077'''<br/>'''<small>(7063)</small>'''<br/>'''7078'''<br/>'''<small>(7064)</small>'''<br/>'''7079'''<br/>'''<small>(7060)</small> || '''7526'''<br/>'''<small>(7512)</small>'''<br/>'''7527'''<br/>'''<small>(7513)</small>'''<br/>'''7528''' <br/>'''<small>(7514)</small>'''<br/>'''7529'''<br/>'''<small>(7510)</small>''' || '''7126'''<br/>'''<small>(7115)</small>'''<br/>'''7127'''<br/>'''<small>(7511)</small>'''<br/>'''7128'''<br/>'''<small>(7215)</small>'''<br/>'''7129'''<br/>'''<small>(7102)</small> || '''7576'''<br/>'''<small>(7565)</small>'''<br/>'''7577'''<br/>'''<small>(7561)</small>'''<br/>'''7578'''<br/>'''<small>(7265)</small>'''<br/>'''7579'''<br/>'''<small>(7152)</small>'''|| '''7676'''<br/>'''<small>(7562)</small>'''<br/>'''7677'''<br/>'''<small>(7563)</small>'''<br/>'''7678'''<br/>'''<small>(7564)</small> '''<br/>'''7679'''<br/>'''<small>(7560)</small>''' || '''7226'''<br/>'''<small>(7212)</small>'''<br/>'''7227'''<br/>'''<small>(7213)</small>'''<br/>'''7228'''<br/>'''<small>(7214)</small>''' <br/>'''7229'''<br/>'''<small>(7210)</small>'''|| '''7276'''<br/>'''<small>(7262)</small>'''<br/>'''7277'''<br/>'''<small>(7263)</small>'''<br/>'''7278''' <br/>'''<small>(7264)</small>'''<br/>'''7279'''<br/>'''<small>(7260)</small>''' || '''7776'''<br/>'''<small>(7762)</small>'''<br/>'''7777'''<br/>'''<small>(7763)</small>'''<br/>'''7778'''<br/>'''<small>(7764)</small>'''<br/>'''7779'''<br/>'''<small>(7760)</small>'''
||2010年10月<ref name="年鑑2011一覧"/><br/><br/>2011年1月<ref name="年鑑2011一覧"/><br/><br/>2010年11月<ref name="年鑑2011一覧"/><br/><br/>2012年3月<ref name="年鑑2012一覧"/><br/><br/>
|-
!搭載機器
| || CON・PT|| SIV・CP・PT || || CON・PT|| CP || CP || CON・PT|| SIV・CP・PT || ||
|}
7711編成はそれぞれ8両編成だった旧7715編成の新宿寄り3両と旧7711編成の京王八王子寄り3両を組み合わせて組成したものである<ref name="RF604p92"/><ref name="RF604p93"/>。
{| class="wikitable" style="text-align:center; font-size:80%; margin:1em 0em 2em 3em;"
|-
|style="border-bottom:solid 3px #7B766A; background-color:#ccc;"|
|style="border-bottom:solid 3px #7B766A;" colspan="6"|{{TrainDirection|新宿|京王八王子}}|style="border-bottom:solid 3px #d07;" rowspan="3"|竣工時期
|-
!形式
| '''クハ7700''' || '''デハ7000''' || '''サハ7550''' || '''デハ7000''' || '''デハ7050''' || '''クハ7750'''
|-
!style="border-bottom:solid 3px #d07;"|区分
|style="border-bottom:solid 3px #d07;"| Tc1 ||style="border-bottom:solid 3px #d07;"| M1 ||style="border-bottom:solid 3px #d07;"| T ||style="border-bottom:solid 3px #d07;"| M1 ||style="border-bottom:solid 3px #d07;"| M2||style="border-bottom:solid 3px #d07;"| Tc2
|-
!車両番号<ref name="RF617-Ap"/>
| '''7711''' (II) <br/>'''<small>(7715)</small>'''|| '''7011''' (II) <br/>'''<small>(7015)</small>'''|| '''7561''' (II) <br/>'''<small>(7065)</small>''' || '''7111'''<br/> ||'''7161'''<br/> ||'''7761'''<br/> ||2010年8月<ref name="年鑑2011一覧"/><br/><br/>
|-
!搭載機器
| || CON・PT|| SIV・CP || CON・PT || SIV・CP・PT|| ||
|}
;注記 : クハ7711・デハ7011・サハ7561は2代目。
7811編成は8両編成だった旧7711編成の新宿寄り3両に旧7765号車を組み合わせて<ref name="RF604p92"/><ref name="RF604p93"/>、7806編成は旧7702編成の中間車2両を抜いて<ref name="RP864p105"/>組成されたものである。
{| class="wikitable" style="text-align:center; font-size:80%; margin:1em 0em 2em 3em;"
|-
|style="border-bottom:solid 3px #7B766A; background-color:#ccc;"|
|style="border-bottom:solid 3px #7B766A;" colspan="4"|{{TrainDirection|新宿|京王八王子}}|style="border-bottom:solid 3px #d07;" rowspan="3"|竣工時期
|-
!形式
| '''クハ7700''' || '''デハ7000''' || '''デハ7050''' || '''クハ7750'''
|-
!style="border-bottom:solid 3px #d07;"|区分
|style="border-bottom:solid 3px #d07;"| Tc1 ||style="border-bottom:solid 3px #d07;"| M1 ||style="border-bottom:solid 3px #d07;"| M2||style="border-bottom:solid 3px #d07;"| Tc2
|-
!車両番号<ref name="RF617-Ap"/>
| '''7806'''<br/>'''<small>(7702)</small>'''<br/> '''7811'''<br/>'''<small>(7711)</small>'''|| '''7206''' (II) <br/>'''<small>(7002)</small>'''<br/> '''7211''' (II) <br/>'''<small>(7011)</small>'''|| '''7256''' (II) <br/>'''<small>(7052)</small>'''<br/> '''7261''' (II) <br/>'''<small>(7061)</small>'''|| '''7856'''<br/>'''<small>(7752)</small>'''<br/> '''7861'''<br/>'''<small>(7765)</small>'''||2012年3月<ref name="年鑑2012一覧"/><br/><br/>2010年8月<ref name="年鑑2011一覧"/><br/><br/>
|-
!搭載機器
| CP|| CON・PT|| SIV・CP・PT || ||
|}
;注記 : デハ7206・デハ7211・デハ7256・デハ7261は2代目。
=== 補助電源装置移設 ===
7701編成は2011年12月に、7703編成は2012年11月にクハ7750形からデハ7050形に補助電源装置を移設している<ref name="年鑑2013動向"/><ref name="DJ339p125"/>。{{-}}
=== 戸閉保安装置更新 ===
[[File:7779 door indicator.JPG|thumb|150px|right|7729編成のドア開閉予告表示灯]]
7729編成は10両編成化時に、7804編成はVVVF化改造時に戸閉保安装置を間接制御方式に更新し、各客用ドアにLED式開閉予告表示灯を取り付けた<ref name="年鑑2013一覧"/><ref name="年鑑2012p141"/>。
=== 改番 ===
2014年3月24日付で7711編成と7811編成がそれぞれ7702編成と7807編成に改番された<ref name="RF640-Ap"/><ref name="年鑑2014動向1"/>。新デハ7102と新デハ7152は3度目の改番である<ref name="年鑑2014動向2"/>。
{| class="wikitable" style="text-align:center; font-size:80%; margin:1em 0em 2em 3em;"
|-
|style="border-bottom:solid 3px #7B766A; background-color:#ccc;"|
|style="border-bottom:solid 3px #7B766A;" colspan="6"|{{TrainDirection|新宿|京王八王子}}
|style="border-bottom:solid 3px #d07;" rowspan="3"|改番時期
|-
!形式
| '''クハ7700''' || '''デハ7000''' || '''サハ7550''' || '''デハ7000''' || '''デハ7050''' || '''クハ7750'''
|-
!style="border-bottom:solid 3px #d07;"|区分
|style="border-bottom:solid 3px #d07;"| Tc1 ||style="border-bottom:solid 3px #d07;"| M1 ||style="border-bottom:solid 3px #d07;"| T ||style="border-bottom:solid 3px #d07;"| M1 ||style="border-bottom:solid 3px #d07;"| M2||style="border-bottom:solid 3px #d07;"| Tc2
|-
!車両番号<ref name="RP893p260"/>
| '''7702''' (II) <br/>'''<small>(7711)</small>'''|| '''7002''' (II) <br/>'''<small>(7011)</small>'''|| '''7552'''<br/>'''<small>(7561)</small>''' || '''7102''' (II) <br/>'''<small>(7111)</small>'''||'''7152'''<br/>'''<small>(7161)</small>'''||'''7752''' (II) <br/>'''<small>(7761)</small>'''||2014年3月<ref name="RF640-Ap"/><ref name="年鑑2014一覧"/><br/><br/>
|-
!搭載機器<ref name="RP893p260"/>
| || CON・PT|| SIV・CP || CON・PT || SIV・CP・PT|| ||
|}
;注記 : クハ7702・デハ7002・デハ7102・クハ7752は2代目。
{| class="wikitable" style="text-align:center; font-size:80%; margin:1em 0em 2em 3em;"
|-
|style="border-bottom:solid 3px #7B766A; background-color:#ccc;"|
|style="border-bottom:solid 3px #7B766A;" colspan="4"|{{TrainDirection|新宿|京王八王子}}
|style="border-bottom:solid 3px #d07;" rowspan="3"|竣工時期
|-
!形式
| '''クハ7700''' || '''デハ7000''' || '''デハ7050''' || '''クハ7750'''
|-
!style="border-bottom:solid 3px #d07;"|区分
|style="border-bottom:solid 3px #d07;"| Tc1 ||style="border-bottom:solid 3px #d07;"| M1 ||style="border-bottom:solid 3px #d07;"| M2||style="border-bottom:solid 3px #d07;"| Tc2
|-
!車両番号<ref name="RP893p260"/>
| '''7807'''<br/>'''<small>(7811)</small>|| '''7207''' (II)<br/>'''<small>(7211)</small>'''|| '''7257''' (II)<br/>'''<small>(7261)</small>'''|| '''7857'''<br/>'''<small>(7861)</small>'''||2014年3月<ref name="RF640-Ap"/><ref name="年鑑2014一覧"/><br/>
|-
!搭載機器<ref name="RP893p260"/>
| CP|| CON・PT|| SIV・CP・PT || ||
|}
注記:デハ7207・デハ7257は2代目。
=== 車内ラッピング・補助電源装置更新 ===
[[File:Inside Keio 7251.JPG|thumb|150px|right|デハ7251の車内]]
7801編成の車内に動物をデザインした装飾を施すとともに、デハ7251の補助電源装置を出力210 kVAのものに更新し、[[2015年]](平成27年)3月22日から運行を行っている<ref name="年鑑2015p127"/><ref name="年鑑2015p240"/>。
=== 正側面行先・種別表示装置LED化 ===
{{要出典範囲|date=2019年2月|2018年度に7422編成と7423編成の正側面行先・種別表示装置がフルカラーLED化された。また、2019年度にも7421編成・7424編成・7425編成・7801編成 - 7805編成がフルカラーLED化された。正面の表示装置は7721編成 - 7725編成と同様の物だが、側面は行き先と種別が別体になっている。}}
=== 改番履歴 ===
7000系では、80両に対し、のべ116回の改番が行われている<ref name="年鑑2012一覧"/><ref name="RP893p272"/><ref name="RP893p273"/><ref name="RP893p274"/>。
{| class="sortable wikitable" style="text-align:center; font-size:80%"
|+7000系改番履歴
!style="border-bottom:solid 3px #B04740"|'''製造年月日'''
!style="border-bottom:solid 3px #B04740"|'''製造者'''
!style="border-bottom:solid 3px #B04740"|'''製造時<br/>形式'''
!style="border-bottom:solid 3px #B04740"|'''製造時<br/>車号'''
!style="border-bottom:solid 3px #B04740"|'''改番年月日'''
!style="border-bottom:solid 3px #B04740"|'''改番後<br/>形式'''
!style="border-bottom:solid 3px #B04740"|'''改番後<br/>番号'''
!style="border-bottom:solid 3px #B04740"|'''内容'''
!style="border-bottom:solid 3px #B04740"|'''改番年月日'''
!style="border-bottom:solid 3px #B04740"|'''改番後<br/>形式'''
!style="border-bottom:solid 3px #B04740"|'''改番後<br/>番号'''
!style="border-bottom:solid 3px #B04740"|'''内容'''
!style="border-bottom:solid 3px #B04740"|'''改番年月日'''
!style="border-bottom:solid 3px #B04740"|'''改番後<br/>形式'''
!style="border-bottom:solid 3px #B04740"|'''改番後<br/>番号'''
!style="border-bottom:solid 3px #B04740"|'''内容'''
|-
|1984年3月12日||東急||クハ7700||7702||style="background-color:#87cefa"|2012年3月22日||style="background-color:#87cefa"|クハ7700||style="background-color:#87cefa"|7806||style="background-color:#87cefa"|改番|| || || || || || || ||
|-
|1984年11月19日||東急||クハ7700||7710||style="background-color:#87cefa"|2012年3月28日||style="background-color:#87cefa"|クハ7700||style="background-color:#87cefa"|7729||style="background-color:#87cefa"|改番|| || || || || || || ||
|-
|1986年3月20日||東急||クハ7700||7711||style="background-color:#87cefa"|2010年8月25日||style="background-color:#87cefa"|クハ7700||style="background-color:#87cefa"|7811||style="background-color:#87cefa"|改番||style="background-color:#8fbc8f"|2014年3月24日||style="background-color:#8fbc8f"|クハ7700||style="background-color:#8fbc8f"|7807||style="background-color:#8fbc8f"|改番|| || || ||
|-
|1986年3月24日||東急||クハ7700||7712||style="background-color:#87cefa"|2010年10月14日||style="background-color:#87cefa"|クハ7700||style="background-color:#87cefa"|7726||style="background-color:#87cefa"|改番|| || || || || || || ||
|-
|1986年10月30日||東急||クハ7700||7713||style="background-color:#87cefa"|2011年1月20日||style="background-color:#87cefa"|クハ7700||style="background-color:#87cefa"|7727||style="background-color:#87cefa"|改番|| || || || || || || ||
|-
|1986年11月12日||東急||クハ7700||7714||style="background-color:#87cefa"|2011年11月29日||style="background-color:#87cefa"|クハ7700||style="background-color:#87cefa"|7728||style="background-color:#87cefa"|改番|| || || || || || || ||
|-
|1986年11月25日||東急||クハ7700||7715||style="background-color:#87cefa"|2010年8月25日||style="background-color:#87cefa"|クハ7700||style="background-color:#87cefa"|7711(II)||style="background-color:#87cefa"|改番||style="background-color:#8fbc8f"|2014年3月24日||style="background-color:#8fbc8f"|クハ7700||style="background-color:#8fbc8f"|7702(II)||style="background-color:#8fbc8f"|改番|| || || ||
|-
|1984年3月12日||東急||クハ7750||7752||style="background-color:#87cefa"|2012年3月22日||style="background-color:#87cefa"|クハ7750||style="background-color:#87cefa"|7856||style="background-color:#87cefa"|改番|| || || || || || || ||
|-
|1984年11月19日||東急||クハ7750||7760||style="background-color:#87cefa"|2012年3月28日||style="background-color:#87cefa"|クハ7750||style="background-color:#87cefa"|7779||style="background-color:#87cefa"|改番|| || || || || || || ||
|-
|1986年3月20日||東急||クハ7750||7761||style="background-color:#8fbc8f"|2014年3月24日||style="background-color:#8fbc8f"|クハ7750||style="background-color:#8fbc8f"|7752(II)||style="background-color:#8fbc8f"|改番|| || || || || || || ||
|-
|1986年3月24日||東急||クハ7750||7762||style="background-color:#87cefa"|2010年10月14日||style="background-color:#87cefa"|クハ7750||style="background-color:#87cefa"|7776||style="background-color:#87cefa"|改番|| || || || || || || ||
|-
|1986年10月30日||東急||クハ7750||7763||style="background-color:#87cefa"|2011年1月20日||style="background-color:#87cefa"|クハ7750||style="background-color:#87cefa"|7777||style="background-color:#87cefa"|改番|| || || || || || || ||
|-
|1986年11月12日||東急||クハ7750||7764||style="background-color:#87cefa"|2011年11月29日||style="background-color:#87cefa"|クハ7750||style="background-color:#87cefa"|7778||style="background-color:#87cefa"|改番|| || || || || || || ||
|-
|1986年11月25日||東急||クハ7750||7765||style="background-color:#87cefa"|2010年8月25日||style="background-color:#87cefa"|クハ7750||style="background-color:#87cefa"|7861||style="background-color:#87cefa"|改番||style="background-color:#8fbc8f"|2014年3月24日||style="background-color:#8fbc8f"|クハ7750||style="background-color:#8fbc8f"|7857||style="background-color:#8fbc8f"|改番|| || || ||
|-
|1992年1月26日||東急||サハ7550||7560||style="background-color:#87cefa"|2012年3月28日||style="background-color:#87cefa"|サハ7550||style="background-color:#87cefa"|7679||style="background-color:#87cefa"|改番|| || || || || || || ||
|-
|1990年3月5日||東急||サハ7550||7561||style="background-color:#87cefa"|2011年1月20日||style="background-color:#87cefa"|サハ7550||style="background-color:#87cefa"|7577||style="background-color:#87cefa"|改番|| || || || || || || ||
|-
|1990年3月12日||東急||サハ7550||7562||style="background-color:#87cefa"|2010年10月14日||style="background-color:#87cefa"|サハ7550||style="background-color:#87cefa"|7676||style="background-color:#87cefa"|改番|| || || || || || || ||
|-
|1986年10月30日||日車||サハ7550||7563||style="background-color:#87cefa"|2011年1月20日||style="background-color:#87cefa"|サハ7550||style="background-color:#87cefa"|7677||style="background-color:#87cefa"|改番|| || || || || || || ||
|-
|1986年11月12日||日車||サハ7550||7564||style="background-color:#87cefa"|2010年11月29日||style="background-color:#87cefa"|サハ7550||style="background-color:#87cefa"|7678||style="background-color:#87cefa"|改番|| || || || || || || ||
|-
|1986年11月25日||日車||サハ7550||7565||style="background-color:#87cefa"|2010年10月14日||style="background-color:#87cefa"|サハ7550||style="background-color:#87cefa"|7576||style="background-color:#87cefa"|改番|| || || || || || || ||
|-
|1996年2月14日||日車||サハ7550||7571||style="background-color:#ffc0cb"|2007年6月26日||style="background-color:#ffc0cb"|サハ7550||style="background-color:#ffc0cb"|7671||style="background-color:#ffc0cb"|改番|| || || || || || || ||
|-
|1996年2月21日||日車||サハ7550||7572||style="background-color:#ffc0cb"|2008年10月21日||style="background-color:#ffc0cb"|サハ7550||style="background-color:#ffc0cb"|7672||style="background-color:#ffc0cb"|改番|| || || || || || || ||
|-
|1996年2月8日||日車||サハ7550||7573||style="background-color:#ffc0cb"|2007年10月16日||style="background-color:#ffc0cb"|サハ7550||style="background-color:#ffc0cb"|7673||style="background-color:#ffc0cb"|改番|| || || || || || || ||
|-
|1996年3月6日||日車||サハ7550||7574||style="background-color:#ffc0cb"|2009年2月12日||style="background-color:#ffc0cb"|サハ7550||style="background-color:#ffc0cb"|7674||style="background-color:#ffc0cb"|改番|| || || || || || || ||
|-
|1996年3月13日||日車||サハ7550||7575||style="background-color:#ffc0cb"|2010年4月25日||style="background-color:#ffc0cb"|サハ7550||style="background-color:#ffc0cb"|7675||style="background-color:#ffc0cb"|改番|| || || || || || || ||
|-
|1984年3月12日||日車||デハ7000||7002||style="background-color:#87cefa"|2013年3月22日||style="background-color:#87cefa"|デハ7000||style="background-color:#87cefa"|7006(II)||style="background-color:#87cefa"|改番|| || || || || || || ||
|-
|1984年11月19日||日車||デハ7000||7010||style="background-color:#87cefa"|2012年3月28日||style="background-color:#87cefa"|デハ7000||style="background-color:#87cefa"|7029||style="background-color:#87cefa"|改番|| || || || || || || ||
|-
|1986年3月20日||日車||デハ7000||7011||style="background-color:#87cefa"|2010年8月25日||style="background-color:#87cefa"|デハ7000||style="background-color:#87cefa"|7211(II)||style="background-color:#87cefa"|改番||style="background-color:#8fbc8f"|2014年3月24日||style="background-color:#8fbc8f"|デハ7000||style="background-color:#8fbc8f"|7207(II)||style="background-color:#8fbc8f"|改番|| || || ||
|-
|1986年3月24日||日車||デハ7000||7012||style="background-color:#87cefa"|2010年10月24日||style="background-color:#87cefa"|デハ7000||style="background-color:#87cefa"|7026||style="background-color:#87cefa"|改番|| || || || || || || ||
|-
|1986年10月30日||日車||デハ7000||7013||style="background-color:#87cefa"|2011年1月20日||style="background-color:#87cefa"|デハ7000||style="background-color:#87cefa"|7027||style="background-color:#87cefa"|改番|| || || || || || || ||
|-
|1986年11月22日||日車||デハ7000||7014||style="background-color:#87cefa"|2010年11月29日||style="background-color:#87cefa"|デハ7000||style="background-color:#87cefa"|7028||style="background-color:#87cefa"|改番|| || || || || || || ||
|-
|1986年11月25日||日車||デハ7000||7015||style="background-color:#87cefa"|2010年8月25日||style="background-color:#87cefa"|デハ7000||style="background-color:#87cefa"|7011(II)||style="background-color:#87cefa"|改番||style="background-color:#8fbc8f"|2014年3月24日||style="background-color:#8fbc8f"|デハ7000||style="background-color:#8fbc8f"|7002(II)||style="background-color:#8fbc8f"|改番|| || || ||
|-
|1984年3月12日||日車||デハ7000||7102||style="background-color:#87cefa"|2012年3月28日||style="background-color:#87cefa"|デハ7000||style="background-color:#87cefa"|7129||style="background-color:#87cefa"|改番|| || || || || || || ||
|-
|1984年8月20日||日車||デハ7000||7106||style="background-color:#dcdcdc"|1992年2月20日||style="background-color:#dcdcdc"|デハ7000||style="background-color:#dcdcdc"|7206||style="background-color:#dcdcdc"|改番||style="background-color:#ffc0cb"|2005年7月6日||style="background-color:#ffc0cb"|デハ7000||style="background-color:#ffc0cb"|<u>7106(III)</u>||style="background-color:#ffc0cb"|改番|| || || ||
|-
|1984年10月24日||日車||デハ7000||7107||style="background-color:#dcdcdc"|1992年2月8日||style="background-color:#dcdcdc"|デハ7000||style="background-color:#dcdcdc"|7207||style="background-color:#dcdcdc"|改番||style="background-color:#ffc0cb"|2004年6月25日||style="background-color:#ffc0cb"|デハ7000||style="background-color:#ffc0cb"|<u>7107(III)</u>||style="background-color:#ffc0cb"|改番|| || || ||
|-
|1984年10月31日||日車||デハ7000||7108||style="background-color:#dcdcdc"|1992年1月31日||style="background-color:#dcdcdc"|デハ7000||style="background-color:#dcdcdc"|7208||style="background-color:#dcdcdc"|改番||style="background-color:#ffc0cb"|2005年10月11日||style="background-color:#ffc0cb"|デハ7000||style="background-color:#ffc0cb"|<u>7108(III)</u>||style="background-color:#ffc0cb"|改番|| || || ||
|-
|1984年11月9日||日車||デハ7000||7109||style="background-color:#dcdcdc"|1992年1月25日||style="background-color:#dcdcdc"|デハ7000||style="background-color:#dcdcdc"|7209||style="background-color:#dcdcdc"|改番||style="background-color:#ffc0cb"|2006年10月25日||style="background-color:#ffc0cb"|デハ7000||style="background-color:#ffc0cb"|<u>7109(III)</u>||style="background-color:#ffc0cb"|改番|| || || ||
|-
|1984年11月19日||日車||デハ7000||7110||style="background-color:#dcdcdc"|1992年1月16日||style="background-color:#dcdcdc"|デハ7000||style="background-color:#dcdcdc"|7210||style="background-color:#dcdcdc"|改番||style="background-color:#ffc0cb"|2005年3月15日||style="background-color:#ffc0cb"|デハ7000||style="background-color:#ffc0cb"|<u>7110(III)</u>||style="background-color:#ffc0cb"|改番||style="background-color:#87cefa"|2012年3月28日||style="background-color:#87cefa"|デハ7000||style="background-color:#87cefa"|7229||style="background-color:#87cefa"|改番
|-
|1986年3月20日||日車||デハ7000||7111||style="background-color:#dcdcdc"|1990年3月5日||style="background-color:#dcdcdc"|デハ7000||style="background-color:#dcdcdc"|7211||style="background-color:#dcdcdc"|改番||style="background-color:#ffc0cb"|2006年2月13日||style="background-color:#ffc0cb"|デハ7000||style="background-color:#ffc0cb"|<u>7111(III)</u>||style="background-color:#ffc0cb"|改番||style="background-color:#8fbc8f"|2014年3月24日||style="background-color:#8fbc8f"|デハ7000||style="background-color:#8fbc8f"|7102(II)||style="background-color:#8fbc8f"|改番
|-
|1986年3月24日||日車||デハ7000||7112||style="background-color:#dcdcdc"|1990年3月15日||style="background-color:#dcdcdc"|デハ7000||style="background-color:#dcdcdc"|7212||style="background-color:#dcdcdc"|改番||style="background-color:#ffc0cb"|2008年1月30日||style="background-color:#ffc0cb"|デハ7000||style="background-color:#ffc0cb"|<u>7112(III)</u>||style="background-color:#ffc0cb"|改番||style="background-color:#87cefa"|2010年10月14日||style="background-color:#87cefa"|デハ7000||style="background-color:#87cefa"|7226||style="background-color:#87cefa"|改番
|-
|1986年10月30日||日車||デハ7000||7113||style="background-color:#ffc0cb"|2006年7月10日||style="background-color:#ffc0cb"|サハ7500||style="background-color:#ffc0cb"|7513||style="background-color:#ffc0cb"|電装解除||style="background-color:#87cefa"|2011年1月20日||style="background-color:#87cefa"|サハ7500||style="background-color:#87cefa"|7527||style="background-color:#87cefa"|改番|| || || ||
|-
|1986年11月12日||日車||デハ7000||7114||style="background-color:#ffc0cb"|2007年2月2日||style="background-color:#ffc0cb"|サハ7500||style="background-color:#ffc0cb"|7514||style="background-color:#ffc0cb"|電装解除||style="background-color:#87cefa"|2010年11月29日||style="background-color:#87cefa"|サハ7500||style="background-color:#87cefa"|7528||style="background-color:#87cefa"|改番|| || || ||
|-
|1986年11月25日||日車||デハ7000||7115||style="background-color:#87cefa"|2010年10月14日||style="background-color:#87cefa"|デハ7000||style="background-color:#87cefa"|7126||style="background-color:#87cefa"|改番|| || || || || || || ||
|-
|1986年10月30日||日車||デハ7000||7213||style="background-color:#ffc0cb"|2006年7月10日||style="background-color:#ffc0cb"|デハ7000||style="background-color:#ffc0cb"|7113(II)||style="background-color:#ffc0cb"|改番||style="background-color:#87cefa"|2011年1月20日||style="background-color:#87cefa"|デハ7000||style="background-color:#87cefa"|7227||style="background-color:#87cefa"|改番|| || || ||
|-
|1986年11月12日||日車||デハ7000||7214||style="background-color:#ffc0cb"|2007年2月2日||style="background-color:#ffc0cb"|デハ7000||style="background-color:#ffc0cb"|7114(II)||style="background-color:#ffc0cb"|改番||style="background-color:#87cefa"|2010年11月29日||style="background-color:#87cefa"|デハ7000||style="background-color:#87cefa"|7228||style="background-color:#87cefa"|改番|| || || ||
|-
|1986年11月25日||日車||デハ7000||7215||style="background-color:#87cefa"|2010年11月29日||style="background-color:#87cefa"|デハ7000||style="background-color:#87cefa"|7228||style="background-color:#87cefa"|改番|| || || || || || || ||
|-
|1992年2月20日||東急||デハ7000||7106(II)||style="background-color:#ffc0cb"|2005年7月6日||style="background-color:#ffc0cb"|サハ7500||style="background-color:#ffc0cb"|7506||style="background-color:#ffc0cb"|電装解除|| || || || || || || ||
|-
|1992年2月8日||東急||デハ7000||7107(II)||style="background-color:#ffc0cb"|2004年6月25日||style="background-color:#ffc0cb"|サハ7500||style="background-color:#ffc0cb"|7507||style="background-color:#ffc0cb"|電装解除|| || || || || || || ||
|-
|1992年1月31日||東急||デハ7000||7108(II)||style="background-color:#ffc0cb"|2005年10月11日||style="background-color:#ffc0cb"|サハ7500||style="background-color:#ffc0cb"|7508||style="background-color:#ffc0cb"|電装解除|| || || || || || || ||
|-
|1992年1月25日||東急||デハ7000||7109(II)||style="background-color:#ffc0cb"|2006年10月25日||style="background-color:#ffc0cb"|サハ7500||style="background-color:#ffc0cb"|7509||style="background-color:#ffc0cb"|電装解除|| || || || || || || ||
|-
|1992年1月16日||東急||デハ7000||7110(II)||style="background-color:#ffc0cb"|2005年3月15日||style="background-color:#ffc0cb"|サハ7500||style="background-color:#ffc0cb"|7510||style="background-color:#ffc0cb"|電装解除||style="background-color:#87cefa"|2012年3月28日||style="background-color:#87cefa"|サハ7500||style="background-color:#87cefa"|7529||style="background-color:#87cefa"|改番|| || || ||
|-
|1990年3月5日||東急||デハ7000||7111(II)||style="background-color:#ffc0cb"|2006年2月13日||style="background-color:#ffc0cb"|サハ7500||style="background-color:#ffc0cb"|7511||style="background-color:#ffc0cb"|電装解除||style="background-color:#87cefa"|2011年1月20日||style="background-color:#87cefa"|デハ7000||style="background-color:#87cefa"|7127||style="background-color:#87cefa"|電装|| || || ||
|-
|1990年3月12日||東急||デハ7000||7112(II)||style="background-color:#ffc0cb"|2008年1月30日||style="background-color:#ffc0cb"|サハ7500||style="background-color:#ffc0cb"|7512||style="background-color:#ffc0cb"|電装解除||style="background-color:#87cefa"|2010年10月14日||style="background-color:#87cefa"|サハ7500||style="background-color:#87cefa"|7526||style="background-color:#87cefa"|改番|| || || ||
|-
|1984年3月5日||日車||デハ7050||7051||style="background-color:#ffc0cb"|2009年6月19日||style="background-color:#ffc0cb"|サハ7550||style="background-color:#ffc0cb"|7551||style="background-color:#ffc0cb"|電装解除|| || || || || || || ||
|-
|1984年3月12日||日車||デハ7050||7052||style="background-color:#87cefa"|2012年3月22日||style="background-color:#87cefa"|デハ7050||style="background-color:#87cefa"|7256(II)||style="background-color:#87cefa"|改番|| || || || || || || ||
|-
|1984年3月21日||日車||デハ7050||7053||style="background-color:#ffc0cb"|2012年11月25日||style="background-color:#ffc0cb"|サハ7550||style="background-color:#ffc0cb"|7553||style="background-color:#ffc0cb"|電装解除|| || || || || || || ||
|-
|1984年3月27日||日車||デハ7050||7054||style="background-color:#ffc0cb"|2004年3月31日||style="background-color:#ffc0cb"|サハ7550||style="background-color:#ffc0cb"|7554||style="background-color:#ffc0cb"|電装解除|| || || || || || || ||
|-
|1984年8月10日||日車||デハ7050||7055||style="background-color:#ffc0cb"|2004年12月27日||style="background-color:#ffc0cb"|サハ7550||style="background-color:#ffc0cb"|7555||style="background-color:#ffc0cb"|電装解除|| || || || || || || ||
|-
|1984年11月19日||日車||デハ7050||7060||style="background-color:#87cefa"|2012年3月28日||style="background-color:#87cefa"|デハ7050||style="background-color:#87cefa"|7079||style="background-color:#87cefa"|改番|| || || || || || || ||
|-
|1986年3月20日||日車||デハ7050||7061||style="background-color:#87cefa"|2010年8月25日||style="background-color:#87cefa"|デハ7050||style="background-color:#87cefa"|7261(II)||style="background-color:#87cefa"|改番||style="background-color:#8fbc8f"|2014年3月24日||style="background-color:#8fbc8f"|デハ7050||style="background-color:#8fbc8f"|7257(II)||style="background-color:#8fbc8f"|改番|| || || ||
|-
|1986年3月24日||日車||デハ7050||7062||style="background-color:#87cefa"|2010年10月14日||style="background-color:#87cefa"|デハ7050||style="background-color:#87cefa"|7076||style="background-color:#87cefa"|改番|| || || || || || || ||
|-
|1986年10月30日||日車||デハ7050||7063||style="background-color:#87cefa"|2011年1月20日||style="background-color:#87cefa"|デハ7050||style="background-color:#87cefa"|7077||style="background-color:#87cefa"|改番|| || || || || || || ||
|-
|1986年11月12日||日車||デハ7050||7064||style="background-color:#87cefa"|2010年11月29日||style="background-color:#87cefa"|デハ7050||style="background-color:#87cefa"|7078||style="background-color:#87cefa"|改番|| || || || || || || ||
|-
|1986年11月25日||日車||デハ7050||7065||style="background-color:#87cefa"|2010年8月25日||style="background-color:#87cefa"|サハ7550||style="background-color:#87cefa"|7561(II)||style="background-color:#87cefa"|電装解除||style="background-color:#8fbc8f"|2014年3月24日||style="background-color:#8fbc8f"|サハ7550||style="background-color:#8fbc8f"|7552||style="background-color:#8fbc8f"|改番|| || || ||
|-
|1987年10月5日||東急||デハ7050||7152||style="background-color:#87cefa"|2012年3月28日||style="background-color:#87cefa"|デハ7050||style="background-color:#87cefa"|7179||style="background-color:#87cefa"|改番|| || || || || || || ||
|-
|1987年12月24日||東急||デハ7050||7156||style="background-color:#dcdcdc"|1992年2月20日||style="background-color:#dcdcdc"|デハ7050||style="background-color:#dcdcdc"|7256||style="background-color:#dcdcdc"|改番||style="background-color:#ffc0cb"|2005年7月6日||style="background-color:#ffc0cb"|デハ7050||style="background-color:#ffc0cb"|<u>7156(II)</u>||style="background-color:#ffc0cb"|改番|| || || ||
|-
|1987年10月9日||日車||デハ7050||7157||style="background-color:#dcdcdc"|1992年2月8日||style="background-color:#dcdcdc"|デハ7050||style="background-color:#dcdcdc"|7257||style="background-color:#dcdcdc"|改番||style="background-color:#ffc0cb"|2004年6月25日||style="background-color:#ffc0cb"|デハ7050||style="background-color:#ffc0cb"|<u>7157(II)</u>||style="background-color:#ffc0cb"|改番|| || || ||
|-
|1987年10月15日||日車||デハ7050||7158||style="background-color:#dcdcdc"|1992年1月31日||style="background-color:#dcdcdc"|デハ7050||style="background-color:#dcdcdc"|7258||style="background-color:#dcdcdc"|改番||style="background-color:#ffc0cb"|2005年10月11日||style="background-color:#ffc0cb"|デハ7050||style="background-color:#ffc0cb"|<u>7158(II)</u>||style="background-color:#ffc0cb"|改番|| || || ||
|-
|1987年10月21日||日車||デハ7050||7159||style="background-color:#dcdcdc"|1992年1月25日||style="background-color:#dcdcdc"|デハ7050||style="background-color:#dcdcdc"|7259||style="background-color:#dcdcdc"|改番||style="background-color:#ffc0cb"|2006年10月25日||style="background-color:#ffc0cb"|デハ7050||style="background-color:#ffc0cb"|<u>7159(II)</u>||style="background-color:#ffc0cb"|改番|| || || ||
|-
|1987年10月26日||日車||デハ7050||7160||style="background-color:#dcdcdc"|1992年1月16日||style="background-color:#dcdcdc"|デハ7050||style="background-color:#dcdcdc"|7260||style="background-color:#dcdcdc"|改番||style="background-color:#ffc0cb"|2005年3月15日||style="background-color:#ffc0cb"|デハ7050||style="background-color:#ffc0cb"|<u>7160(II)</u>||style="background-color:#ffc0cb"|改番||style="background-color:#87cefa"|2012年3月28日||style="background-color:#87cefa"|デハ7050||style="background-color:#87cefa"|7279||style="background-color:#87cefa"|改番
|-
|1987年10月30日||日車||デハ7050||7161||style="background-color:#dcdcdc"|1990年3月5日||style="background-color:#dcdcdc"|デハ7050||style="background-color:#dcdcdc"|7261||style="background-color:#dcdcdc"|改番||style="background-color:#ffc0cb"|2006年2月13日||style="background-color:#ffc0cb"|デハ7050||style="background-color:#ffc0cb"|<u>7161(II)</u>||style="background-color:#ffc0cb"|改番||style="background-color:#8fbc8f"|2014年3月24日||style="background-color:#8fbc8f"|デハ7050||style="background-color:#8fbc8f"|7152(II)||style="background-color:#8fbc8f"|改番
|-
|1987年11月6日||日車||デハ7050||7162||style="background-color:#dcdcdc"|1990年3月15日||style="background-color:#dcdcdc"|デハ7050||style="background-color:#dcdcdc"|7262||style="background-color:#dcdcdc"|改番||style="background-color:#ffc0cb"|2008年1月31日||style="background-color:#ffc0cb"|デハ7050||style="background-color:#ffc0cb"|<u>7162(II)</u>||style="background-color:#ffc0cb"|改番||style="background-color:#87cefa"|2010年10月14日||style="background-color:#87cefa"|デハ7050||style="background-color:#87cefa"|7276||style="background-color:#87cefa"|改番
|-
|1996年2月14日||東急||デハ7050||7171||style="background-color:#ffc0cb"|2007年6月26日||style="background-color:#ffc0cb"|サハ7550||style="background-color:#ffc0cb"|7571(II)||style="background-color:#ffc0cb"|電装解除|| || || || || || || ||
|-
|1996年2月21日||東急||デハ7050||7172||style="background-color:#ffc0cb"|2008年10月21日||style="background-color:#ffc0cb"|サハ7550||style="background-color:#ffc0cb"|7572(II)||style="background-color:#ffc0cb"|電装解除|| || || || || || || ||
|-
|1996年2月8日||日車||デハ7050||7173||style="background-color:#ffc0cb"|2007年10月16日||style="background-color:#ffc0cb"|サハ7550||style="background-color:#ffc0cb"|7573(II)||style="background-color:#ffc0cb"|電装解除|| || || || || || || ||
|-
|1996年3月6日||日車||デハ7050||7174||style="background-color:#ffc0cb"|2009年2月12日||style="background-color:#ffc0cb"|サハ7550||style="background-color:#ffc0cb"|7574(II)||style="background-color:#ffc0cb"|電装解除|| || || || || || || ||
|-
|1996年3月13日||日車||デハ7050||7175||style="background-color:#ffc0cb"|2010年4月25日||style="background-color:#ffc0cb"|サハ7550||style="background-color:#ffc0cb"|7575(II)||style="background-color:#ffc0cb"|電装解除|| || || || || || || ||
|-
|1986年10月30日||東急||デハ7050||7263||style="background-color:#ffc0cb"|2006年7月10日||style="background-color:#ffc0cb"|デハ7050||style="background-color:#ffc0cb"|7163||style="background-color:#ffc0cb"|改番||style="background-color:#87cefa"|2011年1月20日||style="background-color:#87cefa"|デハ7050||style="background-color:#87cefa"|7277||style="background-color:#87cefa"|改番|| || || ||
|-
|1986年11月12日||東急||デハ7050||7264||style="background-color:#ffc0cb"|2007年2月2日||style="background-color:#ffc0cb"|デハ7050||style="background-color:#ffc0cb"|7164||style="background-color:#ffc0cb"|改番||style="background-color:#87cefa"|2010年11月29日||style="background-color:#87cefa"|デハ7050||style="background-color:#87cefa"|7278||style="background-color:#87cefa"|改番|| || || ||
|-
|1986年11月25日||東急||デハ7050||7265||style="background-color:#87cefa"|2010年11月29日||style="background-color:#87cefa"|サハ7550||style="background-color:#87cefa"|7578||style="background-color:#87cefa"|改番|| || || || || || || ||
|}
; 凡例 : 下線付は製造時の番号に復帰したもの、灰色地は6両編成の8両編成化によるもの、赤地はVVVF改造に関連するもの、青地は10両編成化組み替えによるもの、緑地はその後の改番を指す。
{{-}}
== 運用 ==
[[File:Keio 9000 series and 7000 series sagamihara line 20170605.jpg|thumb|right|7000系(写真右)と9000系(写真左)の併結運転<br />(2017年6月5日 / 稲城 - 京王よみうりランド)]]
当初は各駅停車用として製造されたが<ref name="RF277p52"/>、2001年のダイヤ改定で列車種別を限定しない運用となった<ref name="とれいん397p34"/>こともあり、京王線の各駅停車から特急まで全線で幅広く運用されている<ref name="年鑑2004p156"/><ref name="RP734p260"/><ref name="RP734p8"/>。6000系全廃以降、競馬場線と動物園線のワンマン運行は7000系のワンマン対応車で運転されている<ref name="railf20110401"/><ref name="railf20110202"/>。7000系は6000系と併結運転が可能である<ref name="RP734p46"/>。9000系は6000系・7000系と連結して運用できるよう読替装置を備えているため、9000系8両編成と7000系2両編成が併結して運転されることがある<ref name="RP734p47"/>。
=== ラッピング車両 ===
==== 動物園線 ====
[[File:Keio 7801 Tama Zoo.JPG|thumb|200px|left|ラッピングが施工された7801編成(2013年1月 [[高幡不動駅]])|代替文=]]6000系の全廃により動物園線専用となった7801編成に2011年3月28日より動物のラッピングが施された<ref name="railf20110401" />。また2018年3月13日から、同日に多摩動物公園駅前に開業した子供向け全天候型遊戯施設「京王あそびの森 HUGHUG」及び、[[京王れーるランド]]・[[多摩動物公園]]との3施設合同企画により、ピンクを基調としたフルラッピング電車に改められた<ref>[https://www.keio.co.jp/news/update/news_release/news_release2017/nr180214_hughug.pdf 「京王あそびの森 HUGHUG<ハグハグ>」開業記念イベントを実施します!] - 京王電鉄 2018年2月14日</ref>。{{-}}
[[File:7000系ラッピング2.png|thumb|left|200px|上右記ラッピング編成(左:7722編成、右:7801編成)<br>(2019年6月 高幡不動駅)]]
==== ラグビーワールドカップ ====
[[ワールドラグビー]]主催[[ラグビーワールドカップ2019]]の開催と、[[飛田給駅]]が最寄りの[[東京スタジアム (多目的スタジアム)|東京スタジアム]]<ref group="注">同会場は[[命名権|施設命名権]]が導入され、通常は「味の素スタジアム」の名称で使用されているが、ラグビーワールドカップではFIFA([[国際サッカー連盟]])主催サッカー国際試合と同様の[[ワールドラグビー#クリーンスタジアム|クリーンスタジアム規定(施設命名権行使禁止規定)]]が適用されるため、大会開催時は正式名称で使用される。</ref>が開催会場となったことから、7722編成に大会PRのためのラッピングが施され、[[2018年]][[9月22日]]から[[2019年]][[11月2日]](大会閉幕日)まで運行された<ref>[http://tokyorugby.metro.tokyo.jp/news/2018/0914_393.html 大会開催1年前に合わせ幅広くPR事業を展開します!] - 東京都ラグビー情報 2018年9月14日</ref>。
== 廃車 ==
[[2017年]](平成29年)11月に7708編成と7709編成の中間の付随車が編成から抜き取られ、6両編成化された<ref name="RP943p95" />。この際に余剰となった付随車は廃車となり、同形式初の廃車となった。その後、同年12月には7706編成が初の編成単位での廃車となった。そのうち、7706号車の前頭部は[[2018年]][[10月11日]]にオープンした[[京王れーるランド#アネックス|京王れーるランドアネックス]]において[[京王8000系電車|8000系]]の8809(→8559)号車から切断された元先頭車の運転台部分と共に保存されている。
[[2019年]]1月には、7707編成が編成単位で廃車となり、8両編成が消滅した。その後、[[2020年]]1月には7729編成が編成単位で廃車となり、10両編成初の廃車となった<ref name=":0">鉄道ファン2020年8月号・付録の「私鉄車両編成表」より</ref>。
さらに、2022年9月には7708編成の残りの6両も廃車となり、7000系全体では2年8ヶ月ぶりの廃車が発生した。
==今後==
京王電鉄は、2021年10月に発生した[[京王線刺傷事件]]、2022年7月に発生した京王八王子駅危険物所持者侵入事件を受けて、2026年度までに「駅構内・車内における防犯・セキュリティ対策」として、車両新造により「非貫通車両」、もとい分割編成を解消する方針を示しており、本系列の6両編成と4両編成の廃車が予定されている
<ref>{{Cite web|和書|url= https://trafficnews.jp/post/125100|title= 電車の「顔と顔の連結」無くします 京王線の「非貫通車両」廃止へ 車両移動できない不便解消|publisher= 乗りものニュース|accessdate=2023-04-04}}</ref>。
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Reflist|group="注"}}
=== 出典 ===
{{Reflist|refs=
<ref name="RF277p52">[[#鉄道ファン277|『鉄道ファン』通巻277号p52]]</ref>
<ref name="RF277p53">[[#鉄道ファン277|『鉄道ファン』通巻277号p53]]</ref>
<ref name="RF277p54">[[#鉄道ファン277|『鉄道ファン』通巻277号p54]]</ref>
<ref name="RF277p55">[[#鉄道ファン277|『鉄道ファン』通巻277号p55]]</ref>
<ref name="RF277p56">[[#鉄道ファン277|『鉄道ファン』通巻277号p56]]</ref>
<ref name="PF277付図">[[#RF22217|『鉄道ファン』通巻277号付図]]</ref>
<ref name="飯島1986p13">[[#飯島1986|飯島1986 p13]]</ref>
<ref name="飯島1986p17">[[#飯島1986|飯島1986 p17]]</ref>
<ref name="年鑑1988p121">[[#年鑑1988動向|『新車年鑑1988年版』p121]]</ref>
<ref name="年鑑1989p135">[[#年鑑1989動向|『新車年鑑1989年版』p135]]</ref>
<ref name="RP578p36">[[#1993総説|『鉄道ピクトリアル』通巻578号p37]]</ref>
<ref name="RP578p37">[[#1993総説|『鉄道ピクトリアル』通巻578号p37]]</ref>
<ref name="RP578p39">[[#1993総説|『鉄道ピクトリアル』通巻578号p39]]</ref>
<ref name="RP578p40">[[#1993総説|『鉄道ピクトリアル』通巻578号p40]]</ref>
<ref name="RP578p43">[[#1993-8000|『鉄道ピクトリアル』通巻578号p43]]</ref>
<ref name="RP578p46">[[#1993-8000|『鉄道ピクトリアル』通巻578号p46]]</ref>
<ref name="RP578p189">[[#1993全形式|『鉄道ピクトリアル』通巻578号p189]]</ref>
<ref name="RP578p215">[[#1993-6000|『鉄道ピクトリアル』通巻578号p215]]</ref>
<ref name="RP578p236">[[#1993めぐり|『鉄道ピクトリアル』通巻578号p236]]</ref>
<ref name="RP578p237">[[#1993めぐり|『鉄道ピクトリアル』通巻578号p237]]</ref>
<ref name="RP578p251">[[#1993車歴|『鉄道ピクトリアル』通巻578号pp251-252]]</ref>
<ref name="年鑑1993p99">[[#年鑑1993動向|『鉄道車両年鑑1993年版』p99]]</ref>
<ref name="年鑑1994p84">[[#年鑑1994動向|『鉄道車両年鑑1994年版』p84]]</ref>
<ref name="ダイヤ情報154p23">[[#DJ154カタログ|『鉄道ダイヤ情報』通巻154号p23]]</ref>
<ref name="年鑑2002p108">[[#年鑑2002動向|『鉄道車両年鑑2002年版』p108]]</ref>
<ref name="RP734p8">[[#2003-7000|『鉄道ピクトリアル』通巻734号p8]]</ref>
<ref name="RP734p14">[[#2003京王|『鉄道ピクトリアル』通巻734号p14]]</ref>
<ref name="RP734p26">[[#2003輸送|『鉄道ピクトリアル』通巻734号p26]]</ref>
<ref name="RP734p42">[[#2003総説|『鉄道ピクトリアル』通巻734号p42]]</ref>
<ref name="RP734p44">[[#2003総説|『鉄道ピクトリアル』通巻734号p44]]</ref>
<ref name="RP734p46">[[#2003総説|『鉄道ピクトリアル』通巻734号p46]]</ref>
<ref name="RP734p47">[[#2003総説|『鉄道ピクトリアル』通巻734号p47]]</ref>
<ref name="RP734p49">[[#2003総説|『鉄道ピクトリアル』通巻734号p49]]</ref>
<ref name="RP734p82">[[#2003歴史|『鉄道ピクトリアル』通巻734号p82]]</ref>
<ref name="RP734p218">[[#2003プロフィール|『鉄道ピクトリアル』通巻734号p218]]</ref>
<ref name="RP734p219">[[#2003プロフィール|『鉄道ピクトリアル』通巻734号p219]]</ref>
<ref name="RP734p220">[[#2003プロフィール|『鉄道ピクトリアル』通巻734号p220]]</ref>
<ref name="RP734p249">[[#2003車歴|『鉄道ピクトリアル』通巻734号p249]]</ref>
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* 『鉄道ピクトリアル』通巻896号「鉄道車両年鑑2014年版」(2014年10月・電気車研究会)
** {{Cite journal ja-jp|和書|author=岸上 明彦|year= |month= |title=2013年度民鉄車両動向 |journal= |issue= |pages= 114-145 |publisher= |ref = 年鑑2014動向}}
** {{Cite journal ja-jp|和書|author=|year= |month= |title=各社別新造・改造・廃車一覧 |journal= |issue= |pages= 224-235 |publisher= |ref = 年鑑2014一覧}}
* 『鉄道ピクトリアル』通巻909号「鉄道車両年鑑2015年版」(2015年10月・電気車研究会)
** {{Cite journal ja-jp|和書|author=岸上 明彦|year= |month= |title=2014年度民鉄車両動向|journal= |issue= |pages= 119-151|publisher= |ref = 年鑑2015動向}}
** {{Cite journal ja-jp|和書|author=|year= |month= |title=車両データ 2014年度民鉄車両|journal= |issue= |pages= 237-248|publisher= |ref = 年鑑2015一覧}}
* 『鉄道ピクトリアル』通巻943号(2018年3月・電気車研究会)
** {{Cite journal ja-jp|和書|author=小林 範夫|year= |month= |title=京王7000系6両編成を増強|journal= |issue= |pages= 95|publisher= |ref = RP943p95}}
== 関連項目 ==
== 外部リンク ==
[https://web.archive.org/web/20010502225516/http://www.keio.co.jp/museum/guide/70/index.htm 車両ガイド7000系](京王車両図巻・インターネットアーカイブ・2001年時点の版)
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[[Category:京王電鉄の電車|7000]]
[[Category:1984年製の鉄道車両]]
[[Category:東急車輛製造製の電車]]
[[Category:日本車輌製造製の電車]]
[[Category:鉄道車両関連]]
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ルーラッハ (スコットランド王)
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ルーラッハ(Lulach, 1032年 - 1058年3月17日)は、スコットランド王(在位:1057年終わり - 1058年3月17日)。マリ領主ギラコムガンとケネス3世の孫娘グロッホ(彼女は後にスコットランド王マクベスの后となる)との間に生まれた。
実父ギラコムガンはマリ領主フィンレック(マクベスの父)を殺害し、マリ領主の地位を奪った。ルーラッハが生まれてまもなく、実父ギラコムガンはマルカム・カンモーに殺害され、母グロッホはフィンレックの子マクベスと再婚した。1057年8月15日に、アバディーンシャイアのランファンナンで継父マクベスがマルカム・カンモーに討ち取られた後、ケネス3世の曾孫であることにより王座につけられた。
しかし、1058年3月17日にアバディーンシャイアのストラスボギーでマルカム・カンモーに殺害された。王座にあったのは、わずか数ヶ月であった。
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ルーラッハは、スコットランド王。マリ領主ギラコムガンとケネス3世の孫娘グロッホ(彼女は後にスコットランド王マクベスの后となる)との間に生まれた。
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| 人名 = ルーラッハ
| 各国語表記 = Lulach
| 君主号 = [[スコットランド君主一覧|スコットランド国王]]
| 継承者 =
| 継承形式 =
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| 画像サイズ =
| 画像説明 =
| 在位 = [[1057年]] - [[1058年]]
| 戴冠日 =
| 別号 =
| 全名 =
| 出生日 = [[1032年]]
| 生地 = {{SCO843}}、[[マレー (スコットランド)|マレー]]
| 死亡日 = [[1058年]][[3月17日]]
| 没地 = {{SCO843}}、ストラスボギー
| 埋葬日 =
| 埋葬地 = {{SCO843}}、[[アイオナ島|アイオナ]]
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| 子女 =
| 王家 = [[アルピン朝|アルピン家]]
| 王朝 = [[アルピン朝]]
| 王室歌 =
| 父親 = マリ領主ギラコムガン
| 母親 = グロッホ
}}
'''ルーラッハ'''('''Lulach''', [[1032年]] - [[1058年]][[3月17日]])は、[[スコットランド王国|スコットランド]]王(在位:[[1057年]]終わり - 1058年3月17日)。マリ領主ギラコムガンと[[ケネス3世 (スコットランド王)|ケネス3世]]の孫娘グロッホ(彼女は後にスコットランド王[[マクベス (スコットランド王)|マクベス]]の后となる)との間に生まれた。
== 生涯 ==
実父ギラコムガンはマリ領主フィンレック(マクベスの父)を殺害し、マリ領主の地位を奪った<ref name=T44>トランター、p. 44</ref>。ルーラッハが生まれてまもなく、実父ギラコムガンは[[マルカム3世 (スコットランド王)|マルカム・カンモー]]に殺害され、母グロッホはフィンレックの子マクベスと再婚した<ref name=T44 />。[[1057年]][[8月15日]]に、[[アバディーンシャイア]]のランファンナンで継父マクベスがマルカム・カンモーに討ち取られた後、ケネス3世の曾孫であることにより王座につけられた<ref name=M37>森、p. 37</ref>。
しかし、1058年3月17日にアバディーンシャイアのストラスボギーでマルカム・カンモーに殺害された<ref name=M37 />。王座にあったのは、わずか数ヶ月<ref>4か月(森、p. 38)、または6か月(トランター、p. 46)とも。</ref>であった。
== 脚注 ==
{{Reflist}}
== 参考文献 ==
* 森護 『スコットランド王室史話』 大修館書店、1988年
* ナイジェル・トランター 『スコットランド物語』 大修館書店、1997年
{{スコットランド王|1057年 - 1058年}}
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岡崎二郎
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岡崎 二郎(おかざき じろう、1957年3月9日 - )は、日本の漫画家。兵庫県西宮市出身。1980年に多摩美術大学デザイン学科卒業後、広告代理店を経て、1986年に「仏陀降臨す」がビッグコミック賞佳作に入選してデビューし、フリーの漫画家となる。2023年、自身のサイトを開設し新作漫画を発表。
科学や歴史等の幅広い知識を活かしたSF作品を主に、スローペースながら数多く描いている。特に代表作とも言える『アフター0』のような短編オムニバスを得意としている。
先端科学や超常現象、宗教等まで幅広い分野からアイデアを引き出すが、特に生命の生態系に関しては詳しく、人類による環境破壊に対する警鐘、絶滅生物や絶滅危惧生物を扱った話が多くみられる。
漫画版星新一と評されることが多い。また同様にフレドリック・ブラウンの名が挙がることもあるが、『アフター0』作中には氏の小説が似顔絵入りで描かれている。
しばしば藤子・F・不二雄の短編集と比較されるが、藤子の場合はブラック・ユーモア色が強いのに対して、岡崎の作品はハッピーエンドである場合が多い。
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岡崎 二郎は、日本の漫画家。兵庫県西宮市出身。1980年に多摩美術大学デザイン学科卒業後、広告代理店を経て、1986年に「仏陀降臨す」がビッグコミック賞佳作に入選してデビューし、フリーの漫画家となる。2023年、自身のサイトを開設し新作漫画を発表。
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'''岡崎 二郎'''(おかざき じろう、[[1957年]][[3月9日]] - )は、[[日本]]の[[漫画家]]。[[兵庫県]][[西宮市]]出身。1980年に[[多摩美術大学]]デザイン学科卒業後、広告代理店を経て、1986年に「仏陀降臨す」がビッグコミック賞佳作に入選してデビューし<ref>西宮豊楽名義で投稿された。</ref>、フリーの漫画家となる<ref>岡崎二郎 『トワイライトミュージアム』〈ビッグゴールドコミックス〉 小学館、1994年。</ref>。2023年、自身のサイトを開設し新作漫画を発表<ref>{{Twitter status2|nemonemu|1684866290551242752|4=@nemonemuの2023年7月23日のツイート|5=2023年9月24日}}</ref>。
== 作風 ==
科学や歴史等の幅広い知識を活かしたSF作品を主に、スローペースながら数多く描いている。特に代表作とも言える『[[アフター0]]』のような短編[[オムニバス]]を得意としている。
先端科学や超常現象、宗教等まで幅広い分野からアイデアを引き出すが、特に生命の生態系に関しては詳しく、人類による環境破壊に対する警鐘、絶滅生物や絶滅危惧生物を扱った話が多くみられる。
漫画版[[星新一]]と評されることが多い。また同様に[[フレドリック・ブラウン]]の名が挙がることもあるが、『アフター0』作中には氏の小説が似顔絵入りで描かれている<ref>岡崎二郎 『アフター0 3巻』〈ビッグコミックス〉「ショートショートに花束を」小学館、1992年。</ref>。
しばしば[[藤子・F・不二雄]]の短編集と比較されるが、藤子の場合はブラック・ユーモア色が強いのに対して、岡崎の作品はハッピーエンドである場合が多い。
== 作品リスト ==
* アフター0(1988年-1996年、[[ビッグコミックオリジナル]]・[[ビッグコミックオリジナル増刊]]・ビッグコミックオリジナル新人コミック大賞増刊、[[小学館]])
** 多岐に渡るジャンル・スタイルを扱った[[サイエンス・フィクション|SF]]短編集。基本的に各話独立した読み切りだが「大いなる眠り子」等、シリーズ化された物もある。当初単行本全6巻が刊行され、後に未収録作品を加えジャンル別にまとめ直した全10巻の著者再編集版、更に未収録作品を増やし完全版の形にした特別編集文庫版全7巻が刊行されている。
* [[大平面の小さな罪]](1994年-1996年、[[ビッグコミック増刊号]]、小学館)
**異世界の組織「平面管理委員会」から世界の平面を正常に保つために派遣された局員「セーナ」達が織り成す、奇想天外なドタバタストーリー。
* [[トワイライト・ミュージアム]]([[ビッグコミック]]・ビッグコミック増刊号・ビッグコミックオリジナル新人コミック大賞増刊、小学館)
**『アフター0』の流れを汲む短編集。単行本絶版後に『アフター0』の著者再編集版に収録された。
* [[国立博物館物語]](1996年-1999年、[[ビッグコミックスペリオール]]、小学館) - 1999年、第3回[[文化庁メディア芸術祭]]マンガ部門 優秀賞 受賞<ref>[http://plaza.bunka.go.jp/festival/1999/manga/000067/ 1999年 文化庁メディア芸術祭 マンガ部門 優秀賞 国立博物館物語]</ref>。
**主人公の女性が、超高性能[[人工知能|AI]]の作り出す架空の恐竜時代を体験する様子や、動植物の生態への知見を広めて行く姿を描く。
* [[時の添乗員]](2000年-2001年、ビッグコミック・ビッグコミック増刊号、小学館)
**過去への旅を実現させる、謎の旅行案内人の元を訪れた様々な人達のエピソード。
* NEKO2(1996年-1999年、ビッグコミック増刊号、小学館)
**ネコ語を話せる少女と町の猫達が繰り広げる、ほのぼのドタバタコメディ。
* [[緑の黙示録]](2001年-2003年、[[月刊アフタヌーン]]、[[講談社]])
**植物の意識が読み取れる特殊能力を持った少女と自然との触れ合い等。
* [[ファミリーペットSUNちゃん!]](2002年-、ビッグコミック・ビッグコミック増刊号、小学館)
**大幅にデフォルメされ、人語を話す[[オオサンショウウオ]]が主人公の、ギャグ漫画色の強い作品。
* アフター0 NEO(2003年-、ビッグコミック・ビッグコミック増刊号、小学館)
**『アフター0』の新シリーズ。単行本1巻には[[手塚治虫]]の[[鉄腕アトム]]の誕生日を祝って描いたという「鉄腕アトム2003」が特別収録されている。
* [[宇宙家族ノベヤマ]](2005年-2008年、ビッグコミック・ビッグコミック増刊号、小学館)
**ある日政府の命令で宇宙に旅立つことになった平凡なサラリーマン一家が、様々な異星文明と交流する長編SF。
* [[まるまる動物記]](2008年-2012年、[[good!アフタヌーン]]、講談社)
**動物の進化を扱った、[[エッセイコミック]]に近い作品。生物学者の[[池田清彦]]が解説文を担当。
* ビフォー60 (2016年、復刊ドットコム)
** デビュー30周年を記念し、それまで単行本未収録だった作品を収録したSF短編集。
*リンク (2023年-、公式サイトSUN&PIYO)
**[[テレパシー]]等の特殊能力によって治安活動を行う組織で働く人々を描くSFファンタジー。
== 映像化作品リスト ==
* [[世にも奇妙な物語の放映作品一覧|未来の思い出]](アフター0収録、[[フジテレビジョン|フジテレビ]]「[[世にも奇妙な物語]]」) - 映画化された藤子・F・不二雄の同題の作品「[[未来の想い出]]」とは、内容の関連はない。
* 800年のメッセージ(アフター0収録、[[中京テレビ放送|中京テレビ]]の特番ドラマ) - 『白い月-ぼくの彼女は平安美人』というタイトルで日本テレビ系で放送。
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
<div class="references-small"><references /></div>
== 外部リンク ==
* [http://members.jcom.home.ne.jp/matsuring/sakka/okazaki.htm 岡崎二郎 あるいは、えすえふへの挽歌]
* [http://kdai.nomaki.jp/%E5%B2%A1%E5%B4%8E%E4%BA%8C%E9%83%8E%E4%BD%9C%E5%93%81%E4%B8%8D%E5%AE%8C%E5%85%A8%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88.htm 岡崎二郎作品不完全リスト]
* [https://sunpiyo.com/ 公式サイトSUN&PIYO]
{{Normdaten}}
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[[Category:日本の漫画家]]
[[Category:SF漫画家]]
[[Category:多摩美術大学出身の人物]]
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|
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相模原駅
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相模原駅(さがみはらえき)は、神奈川県相模原市中央区相模原一丁目にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)横浜線の駅である。駅番号はJH 27。
東神奈川駅発着系統や、横浜駅経由で根岸線に直通する列車、快速列車が停車する。
相模原軍都計画による都市計画区域の中心駅として設置され、1941年4月5日に当駅が開設した後、間もなく(同年4月29日)合併によって発足した高座郡相模原町(現相模原市)の玄関口として「相模原駅」を称した。当時すでに小田原急行鉄道(現小田急電鉄)小田原線に「相模原駅」が開設されていたが、そちらは当駅の開設により「小田急相模原駅」と改称した。区別のため、地元ではJR相模原駅と呼ばれることがある。
当駅周辺に宅地開発されるのは1960年代後半以降のことである。人口増加に伴い駅前に商店や金融機関が進出した。当駅は市名を冠する駅であるが、市の中心的な駅ではない。相模原市にはそもそも「ヘソ」がなく、小田急・相模大野駅周辺が市内で最も商業集積している状況にある。
開業以来、駅出口は住宅街のある南側にのみ設置され、北側は上り線ホーム際からすぐに在日米軍相模総合補給廠(旧相模陸軍造兵廠)の敷地となっていた。1990年代にその一部の利用が可能となり、橋上化の際に北口が設置された。
相対式ホーム2面2線を有する地上駅で、南北自由通路と橋上駅舎を有している。
JR東日本ステーションサービスが駅管理を受託している橋本駅管理の業務委託駅。みどりの窓口・自動券売機・自動改札機・自動精算機・指定席券売機が設置されている。
橋上駅舎化以前は、開設当初以来の木造平屋建ての駅舎が長らく使用されていた。
(出典:JR東日本:駅構内図)
2022年度の1日平均乗車人員は25,883人である。
近年の1日平均乗車人員は下表の通りである。
北口および南口にバスターミナルがあり、神奈川中央交通・神奈川中央交通東(神奈中バス)、および京王バスの路線バスが発着している。
南口バスターミナルは、橋上駅舎に改築されたのと同じ時期に現在の施設となったが、それ以前は同一平面にロープや白線などで簡易的に9つののりばが区切られていただけであった。現在の南口バスターミナルはロータリー外周上に1・2・7・8番のりばと降車場、ロータリー内の島式のりばに3・4番と5・6番のりばが設置されている。島式のりばへ行き来する手段はペデストリアンデッキからの階段のみで、エレベーターやエスカレーターは設置されていない。
北口バスターミナルは橋上駅舎に改築されたのと同じ時期に供用開始されているが、北口ロータリー自体はそれ以前から存在した。
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相模原駅(さがみはらえき)は、神奈川県相模原市中央区相模原一丁目にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)横浜線の駅である。駅番号はJH 27。 東神奈川駅発着系統や、横浜駅経由で根岸線に直通する列車、快速列車が停車する。
|
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{{出典の明記|date=2012年2月|ソートキー=駅}}
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|pxl = 300
|画像説明 = 南口、[[セレオ相模原]]と[[ペデストリアンデッキ]]<br />(2021年5月)
|地図= {{Infobox mapframe|zoom=15|frame-width=300|type=point|marker=rail|coord=}{{coord|35|34|53.5|N|139|22|14.1|E}}}}
|ローマ字 = Sagamihara
|所在地 = [[相模原市]][[中央区 (相模原市)|中央区]][[相模原]]一丁目1-3
|座標 = {{coord|35|34|53.5|N|139|22|14.1|E|region:JP_type:railwaystation|display=inline,title}}
|所属事業者 = [[東日本旅客鉄道]](JR東日本)
|所属路線 = {{Color|#7fc342|■}}[[横浜線]]
|駅番号 = {{駅番号r|JH|27|#7fc342|1}}
|開業年月日 = {{Nowrap|[[1941年]]([[昭和]]16年)[[4月5日]]}}
|廃止年月日 =
|電報略号 = ラサ
|前の駅 = JH 26 [[矢部駅|矢部]]
|駅間A = 1.8
|駅間B = 2.8
|次の駅 = [[橋本駅 (神奈川県)|橋本]] JH 28
|キロ程 = 31.0
|起点駅 = [[東神奈川駅|東神奈川]]
|駅構造 = [[地上駅]]([[橋上駅]])
|ホーム = 2面2線
|乗車人員 = 25,883
|統計年度 = 2022年
|備考 = {{Plainlist|
* [[日本の鉄道駅#業務委託駅|業務委託駅]]<ref name="名前なし-1">[https://www.je-ss.co.jp/pdf/jess_service_area.pdf 事業エリアマップ] - JR東日本ステーションサービス.2021年9月14日閲覧</ref>
* [[みどりの窓口]] 有}}
}}
[[ファイル:JR Yokohama-Line Sagamihara Station North Exit.jpg|thumb|北口(2021年5月)]]
'''相模原駅'''(さがみはらえき)は、[[神奈川県]][[相模原市]][[中央区 (相模原市)|中央区]][[相模原]]一丁目にある、[[東日本旅客鉄道]](JR東日本)[[横浜線]]の[[鉄道駅|駅]]である。[[駅ナンバリング|駅番号]]は'''JH 27'''。
[[東神奈川駅]]発着系統や、[[横浜駅]]経由で[[根岸線]]に直通する列車、快速列車が停車する。
== 概要 ==
[[相模原市#軍都計画|相模原軍都計画]]による[[都市計画区域]]の中心駅として設置され、[[1941年]][[4月5日]]に当駅が開設した後、間もなく(同年4月29日)合併によって発足した'''高座郡相模原町'''(現相模原市)の玄関口として「相模原駅」を称した。当時すでに小田原急行鉄道(現[[小田急電鉄]])[[小田急小田原線|小田原線]]に「相模原駅」が開設されていたが、そちらは当駅の開設により「[[小田急相模原駅]]」と改称した。区別のため、地元では'''JR相模原駅'''と呼ばれることがある。
当駅周辺に宅地開発されるのは[[1960年代]]後半以降のことである。人口増加に伴い駅前に商店や金融機関が進出した。当駅は市名を冠する駅であるが、市の中心的な駅ではない。相模原市にはそもそも「ヘソ」がなく、小田急・[[相模大野駅]]周辺が市内で最も商業集積している状況にある。
開業以来、駅出口は住宅街のある南側にのみ設置され、北側は上り線ホーム際からすぐに[[在日米軍]][[相模総合補給廠]](旧[[相模陸軍造兵廠]])の敷地となっていた。[[1990年代]]にその一部の利用が可能となり、[[橋上駅|橋上]]化の際に北口が設置された。
== 歴史 ==
* [[1941年]]([[昭和]]16年)[[4月5日]]:[[鉄道省]]の駅として開業。
* [[1987年]](昭和62年)[[4月1日]]:[[国鉄分割民営化]]に伴い、東日本旅客鉄道(JR東日本)の駅となる。
* [[1994年]]([[平成]]6年)[[9月8日]]:自動改札機を設置し、供用開始<ref>{{Cite book|和書 |date=1995-07-01 |title=JR気動車客車編成表 '95年版 |chapter=JR年表 |page=186 |publisher=ジェー・アール・アール |ISBN=4-88283-116-3}}</ref>。
* [[1996年]](平成8年)[[10月20日]]:駅舎改築(2代目)により、橋上駅舎となる。北口も開設。
* [[1998年]](平成10年)[[3月14日]]:この日から快速停車駅に追加される<ref>{{Cite book|和書 |date=1998-07-01 |title=JR気動車客車編成表 '98年版 |chapter=JR年表 |page=183 |publisher=ジェー・アール・アール |ISBN=4-88283-119-8}}</ref>(横浜線快速停車駅追加は第2号である)。
* [[2001年]](平成13年)[[11月18日]]:[[ICカード]]「[[Suica]]」の利用が可能となる。
* [[2018年]](平成30年)[[7月1日]]:業務委託化<ref name="2018-07-01">{{Cite web|和書|url=http://jrtu-east.org/pdf/yokohama-j274.pdf|title=No.274号 東日本ユニオンよこはま 駅業務執行体制の再構築等について提案を受ける|format=PDF|publisher=JR東日本労働組合横浜地方本部|date=2018-03-23|accessdate=2018-07-01|archiveurl=https://web.archive.org/web/20180630213907/http://jrtu-east.org/pdf/yokohama-j274.pdf|archivedate=2018-06-30}}</ref>。
* [[2023年]]([[令和]]5年)度:[[ホームドア#多様なホームドアの開発|スマートホームドア]]の使用を開始(予定)<ref>{{Cite press release|和書|url=https://www.jreast.co.jp/press/2023/20230413_ho05.pdf|title=2023年度のホームドア整備計画について|format=PDF|publisher=東日本旅客鉄道|date=2023-04-13|accessdate=2023-04-13}}</ref>。
== 駅構造 ==
[[相対式ホーム]]2面2線を有する[[地上駅]]で、南北自由通路と[[橋上駅|橋上駅舎]]を有している。
[[JR東日本ステーションサービス]]が駅管理を受託している[[橋本駅 (神奈川県)|橋本駅]]管理の[[日本の鉄道駅#業務委託駅|業務委託駅]]<ref name="名前なし-1"/><ref name="2018-07-01"/>。[[みどりの窓口]]・[[自動券売機]]・[[自動改札機]]・[[自動精算機]]・[[指定席券売機]]が設置されている。
橋上駅舎化以前は、開設当初以来の木造平屋建ての駅舎が長らく使用されていた。
=== のりば ===
{|class="wikitable"
!番線<!-- 事業者側による呼称 -->!!路線!!方向!!行先
|-
!1
|rowspan="2"|[[File:JR JH line symbol.svg|15px|JH]] 横浜線
|style="text-align:center"|下り
|[[橋本駅 (神奈川県)|橋本]]・[[八王子駅|八王子]]方面
|-
!2
|style="text-align:center"|上り
|[[町田駅|町田]]・[[東神奈川駅|東神奈川]]・[[磯子駅|磯子]]・[[大船駅|大船]]方面
|}
(出典:[https://www.jreast.co.jp/estation/stations/731.html JR東日本:駅構内図])
<gallery>
Sagamiharaeki1994.jpg|旧駅舎(1994年10月)
JR Yokohama-Line Sagamihara Station Gates.jpg|改札口(2021年5月)
JR Yokohama-Line Sagamihara Station Platform.jpg|ホーム(2021年5月)
</gallery>
== 利用状況 ==
2022年度の1日平均[[乗降人員#乗車人員|'''乗車'''人員]]は'''25,883人'''である。
近年の1日平均'''乗車'''人員は下表の通りである。
{|class="wikitable" style="text-align:right; font-size:85%;"
|+年度別1日平均乗車人員<ref group="統計">[http://www.city.sagamihara.kanagawa.jp/toukei/toukeisho/index.html 相模原市統計書] - 相模原市</ref>
!年度
!1日平均<br />乗車人員
!出典
|-
|1975年(昭和50年)
|14,572
|
|-
|1980年(昭和55年)
|15,866
|
|-
|1985年(昭和60年)
|19,892
|
|-
|1989年(平成元年)
|24,086
|
|-
|1993年(平成{{0}}5年)
|26,215
|
|-
|1995年(平成{{0}}7年)
|26,398
|<ref group="統計">{{PDFlink|[http://www.pref.kanagawa.jp/uploaded/life/992578_3227111_misc.pdf 線区別駅別乗車人員(1日平均)の推移]}} - 18ページ</ref>
|-
|1998年(平成10年)
|26,406
|
|-
|1999年(平成11年)
|26,595
|<ref group="*" name="toukei2001">{{PDFlink|[http://www.pref.kanagawa.jp/uploaded/attachment/369557.pdf 神奈川県県勢要覧(平成13年度)]}} - 223ページ</ref>
|-
|2000年(平成12年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2000_01.html 各駅の乗車人員(2000年度)] - JR東日本</ref>26,897
|<ref group="*" name="toukei2001" />
|-
|2001年(平成13年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2001_01.html 各駅の乗車人員(2001年度)] - JR東日本</ref>26,691
|<ref group="*">{{PDFlink|[http://www.pref.kanagawa.jp/uploaded/attachment/369552.pdf 神奈川県県勢要覧(平成14年度)]}} - 221ページ</ref>
|-
|2002年(平成14年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2002_01.html 各駅の乗車人員(2002年度)] - JR東日本</ref>26,532
|<ref group="*">{{PDFlink|[http://www.pref.kanagawa.jp/uploaded/attachment/369547.pdf 神奈川県県勢要覧(平成15年度)]}} - 221ページ</ref>
|-
|2003年(平成15年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2003_01.html 各駅の乗車人員(2003年度)] - JR東日本</ref>26,724
|<ref group="*">{{PDFlink|[http://www.pref.kanagawa.jp/uploaded/attachment/369542.pdf 神奈川県県勢要覧(平成16年度)]}} - 221ページ</ref>
|-
|2004年(平成16年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2004_01.html 各駅の乗車人員(2004年度)] - JR東日本</ref>26,668
|<ref group="*">{{PDFlink|[http://www.pref.kanagawa.jp/uploaded/attachment/369533.pdf 神奈川県県勢要覧(平成17年度)]}} - 223ページ</ref>
|-
|2005年(平成17年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2005_01.html 各駅の乗車人員(2005年度)] - JR東日本</ref>26,943
|<ref group="*">{{PDFlink|[http://www.pref.kanagawa.jp/uploaded/attachment/369528.pdf 神奈川県県勢要覧(平成18年度)]}} - 223ページ</ref>
|-
|2006年(平成18年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2006_01.html 各駅の乗車人員(2006年度)] - JR東日本</ref>27,659
|<ref group="*">{{PDFlink|[http://www.pref.kanagawa.jp/uploaded/attachment/369523.pdf 神奈川県県勢要覧(平成19年度)]}} - 225ページ</ref>
|-
|2007年(平成19年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2007_01.html 各駅の乗車人員(2007年度)] - JR東日本</ref>28,079
|<ref group="*">{{PDFlink|[http://www.pref.kanagawa.jp/uploaded/attachment/35540.pdf 神奈川県県勢要覧(平成20年度)]}} - 229ページ</ref>
|-
|2008年(平成20年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2008_01.html 各駅の乗車人員(2008年度)] - JR東日本</ref>28,185
|<ref group="*">{{PDFlink|[http://www.pref.kanagawa.jp/uploaded/attachment/773803.pdf 神奈川県県勢要覧(平成21年度)]}} - 239ページ</ref>
|-
|2009年(平成21年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2009_01.html 各駅の乗車人員(2009年度)] - JR東日本</ref>27,887
|<ref group="*">{{PDFlink|[http://www.pref.kanagawa.jp/uploaded/attachment/161682.pdf 神奈川県県勢要覧(平成22年度)]}} - 237ページ</ref>
|-
|2010年(平成22年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2010_01.html 各駅の乗車人員(2010年度)] - JR東日本</ref>28,079
|<ref group="*">{{PDFlink|[http://www.pref.kanagawa.jp/uploaded/attachment/427362.pdf 神奈川県県勢要覧(平成23年度)]}} - 237ページ</ref>
|-
|2011年(平成23年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2011_01.html 各駅の乗車人員(2011年度)] - JR東日本</ref>27,858
|<ref group="*">{{PDFlink|[http://www.pref.kanagawa.jp/uploaded/attachment/706868.pdf 神奈川県県勢要覧(平成24年度)]}} - 233ページ</ref>
|-
|2012年(平成24年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2012_01.html 各駅の乗車人員(2012年度)] - JR東日本</ref>28,283
|<ref group="*">{{PDFlink|[http://www.pref.kanagawa.jp/uploaded/attachment/707631.pdf 神奈川県県勢要覧(平成25年度)]}} - 235ページ</ref>
|-
|2013年(平成25年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2013_01.html 各駅の乗車人員(2013年度)] - JR東日本</ref>28,776
|<ref group="*">{{PDFlink|[http://www.klnet.pref.kanagawa.jp/resource/org_0101/pol_20150926_003_17.pdf 神奈川県県勢要覧(平成26年度)]}} - 237ページ</ref>
|-
|2014年(平成26年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2014_01.html 各駅の乗車人員(2014年度)] - JR東日本</ref>28,740
|<ref group="*">{{PDFlink|[http://www.klnet.pref.kanagawa.jp/resource/org_0101/pol_20160609_001_15.pdf 神奈川県県勢要覧(平成27年度)]}} - 237ページ</ref>
|-
|2015年(平成27年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2015_01.html 各駅の乗車人員(2015年度)] - JR東日本</ref>28,959
|<ref group="*">{{PDFlink|[http://www.pref.kanagawa.jp/uploaded/attachment/877254.pdf 神奈川県県勢要覧(平成28年度)]}} - 245ページ</ref>
|-
|2016年(平成28年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2016_01.html 各駅の乗車人員(2016年度)] - JR東日本</ref>28,993
|<ref group="*">{{PDFlink|[https://web.archive.org/web/20180614094521if_/http://www.pref.kanagawa.jp/docs/x6z/tc10/documents/15.pdf 神奈川県県勢要覧(平成29年度)]}} - 237ページ</ref>
|-
|2017年(平成29年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2017_01.html 各駅の乗車人員(2017年度)] - JR東日本</ref>29,191
|<ref group="*">{{PDFlink|[https://web.archive.org/web/20190702120542if_/http://www.pref.kanagawa.jp/docs/x6z/tc10/documents/15.pdf 神奈川県県勢要覧(平成30年度)]}} - 221ページ</ref>
|-
|2018年(平成30年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2018_01.html 各駅の乗車人員(2018年度)] - JR東日本</ref>29,252
|
|-
|2019年(令和元年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2019_01.html 各駅の乗車人員(2019年度)] - JR東日本</ref>29,160
|
|-
|2020年(令和{{0}}2年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2020_01.html 各駅の乗車人員(2020年度)] - JR東日本</ref>22,797
|
|-
|2021年(令和{{0}}3年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2021_01.html 各駅の乗車人員(2021年度)] - JR東日本</ref>23,984
|
|-
|2022年(令和{{0}}4年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2022_01.html 各駅の乗車人員(2022年度)] - JR東日本</ref>25,883
|
|}
== 駅周辺 ==
<!--チェーン店を含む飲食店、コンビニ、個人商店、娯楽施設等は記載しない-->
{{See also|相模原}}
=== 南口 ===
[[ファイル:JR相模原駅南口駐車場.JPG|thumb|南口駐車場(2007年7月)]]
;駅ビル
*「[[セレオ相模原]]」(1997年11月1日開業<ref name="nissyoku-1997-11-12-6A">“新店ルポ ライフ相模原駅ビル店 “コンビニ的”な品揃え”. [[日本食糧新聞]] (日本食糧新聞社). (1997年11月12日)</ref><ref>{{Cite book|和書 |date=1998-07-01 |title=JR気動車客車編成表 '98年版 |chapter=JR年表 |page=183 |publisher=ジェー・アール・アール |ISBN=4-88283-119-8}}</ref>、2013年4月に「[[JR東京西駅ビル開発#セレオ相模原|NOW]]」より改称)
** [[ライフコーポレーション|ライフ]] 相模原駅ビル店(1997年11月1日開業<ref name="nissyoku-1997-11-12-6A" />)
** 相模原市役所駅連絡所
* 「相模原イッツ(its)」
** [[成城石井]] 相模原イッツ店
;さがみ夢大通り(南側)・国道16号線方面
* [[三菱UFJ銀行]] 相模原支店・相模原中央支店・橋本支店(橋本支店は相模原市緑区橋本に所在したが、[[2022年]][[3月22日]]に[[ブランチインブランチ]]方式により同店舗内に移転)
* [[みずほ銀行]] 相模原支店
* [[横浜銀行]] 相模原駅前支店
* [[ダイエー相模原店|イオンフードスタイル相模原店]]
* [[三和]]相模原中央店(グッディプレイス内)
* [[ヤマダデンキ]] テックランド相模原店
* [[JNファミリー]](ホテル・サウナ 2021年2月末営業終了)
;さんはぜ通り(東側)・市役所桜通り方面
{{columns-list|2|
* <!--[[東横イン]]相模原駅前-->[[東横INN]]JR横浜線相模原駅前
* 相模原四郵便局
* [[きらぼし銀行]] 相模原支店(仮店舗)
* [[群馬銀行]]相模原支店
* [[多摩信用金庫]]相模原支店
* [[相模原市役所]]
** 中央区役所
* 相模原市総合保健医療センター(ウェルネスさがみはら)
* [[相模原市消防局]] 本部・相模原消防署
* [[相模原市民会館]]
* [[相模原警察署]]
* 相模原合同庁舎
* [[相模原郵便局]]
* [[エフエムさがみ]](コミュニティラジオ局、83.9MHz)
* [[野村證券]]相模原支店
|}}
;氷川通り(西側)方面
* 氷川神社
* 相模原駅前郵便局
=== 北口 ===
* [[在日米軍]][[相模総合補給廠]]
* 相模原スポーツ・レクリエーションパーク
* 総合相模更生病院
* 相模原住宅公園
== バス路線 ==
北口および南口にバスターミナルがあり、[[神奈川中央交通|神奈川中央交通・神奈川中央交通東]](神奈中バス)、および[[京王電鉄バス|京王バス]]の路線バスが発着している。
南口バスターミナルは、橋上駅舎に改築されたのと同じ時期に現在の施設となったが、それ以前は同一平面にロープや白線などで簡易的に9つののりばが区切られていただけであった。現在の南口バスターミナルはロータリー外周上に1・2・7・8番のりばと降車場、ロータリー内の島式のりばに3・4番と5・6番のりばが設置されている。島式のりばへ行き来する手段は[[ペデストリアンデッキ]]からの階段のみで、[[エレベーター]]や[[エスカレーター]]は設置されていない。
北口バスターミナルは橋上駅舎に改築されたのと同じ時期に供用開始されているが、北口ロータリー自体はそれ以前から存在した。
<!--[[プロジェクト:鉄道#バス路線の記述法]]に基づき、経由地については省略して記載しています。-->
{| class="wikitable" style="font-size:80%;"
!のりば!!運行事業者!!系統・行先
|-
!colspan="3"|相模原駅北口
|-
!1
|style="text-align:center;"|神奈川中央交通東
|[[神奈川中央交通東・橋本営業所#橋本駅 - 相模原駅方面|'''橋52''']]:[[橋本駅 (神奈川県)|橋本駅]]北口
|-
!rowspan="2"|2
|style="text-align:center;"|京王バス
|[[京王バス南大沢営業所#相模原線|'''南84''']]:[[南大沢駅]]
|-
|style="text-align:center;"|{{Unbulleted list|神奈川中央交通|京王バス}}
|[[神奈川中央交通多摩営業所#聖蹟桜ヶ丘駅 - 南大沢駅 - 相模原駅方面|'''桜84''']]:[[聖蹟桜ヶ丘駅]]
|-
!colspan="3"|相模原駅南口
|-
!1
|rowspan="8" style="text-align:center;"|神奈川中央交通東
|[[神奈川中央交通東・橋本営業所#相模原駅 - 相模大野駅方面|'''相05''']]:[[相模大野駅]]北口
|-
!2
|{{Unbulleted list|[[神奈川中央交通東・相模原営業所#相模原駅 - 北里大学方面|'''相21''']]:[[小田急相模原駅]]|'''相25''':相模大野駅北口|'''相27''':[[相武台前駅]]|'''相28''':[[神奈川中央交通東・相模原営業所|麻溝車庫]]|'''相29''':北里大学病院・北里大学}}
|-
!3
|'''橋55''':橋本駅北口
|-
!4
|'''相02''':相模大野駅北口
|-
!5
|[[神奈川中央交通東・橋本営業所#相模原駅 - 田名バスターミナル方面|'''相17''']]:水郷田名
|-
!6
|[[神奈川中央交通東・橋本営業所#相模原駅 - 上溝方面|'''相12'''・'''相14''']]:[[上溝駅|上溝]]
|-
!7
|{{Unbulleted list|[[神奈川中央交通東・橋本営業所#相模原駅 - 峡の原車庫方面|'''相31''']]:[[神奈川中央交通東・橋本営業所|峡の原車庫]]|'''相32''':[[相模原協同病院]]}}
|-
!8
|[[神奈川中央交通東・橋本営業所#相模原駅 - 下九沢団地方面|'''相36''']]:下九沢団地
|}
<gallery>
JR相模原駅南口バスターミナル.JPG|南口バスターミナル(2007年7月)
Sagamihara-Sta-1986.jpg|1986年頃の南口バスターミナル。木造の旧駅舎が背後に見える。
</gallery>
== その他 ==
* 当駅の開設当時(1941年4月5日)の所在は'''[[高座郡]]相原村'''。同年4月29日に周辺町村と合併して'''高座郡相模原町'''(現・相模原市)となる。
* [[小田急電鉄|小田急]][[小田急多摩線|多摩線]]が[[唐木田駅]]から当駅を経て[[上溝駅]]まで延伸する計画がある(詳細は「[[小田急多摩線#相模原延伸計画]]」を参照)。
== 隣の駅 ==
; 東日本旅客鉄道(JR東日本)
: [[File:JR JH line symbol.svg|15px|JH]] 横浜線
:: {{Color|#ff0066|■}}快速 (当駅より橋本方は各駅に停車)
::: [[町田駅]] (JH 23) - '''相模原駅 (JH 27)''' - [[橋本駅 (神奈川県)|橋本駅]] (JH 28)
:: {{Color|#7fc342|■}}各駅停車
::: [[矢部駅]] (JH 26) - '''相模原駅 (JH 27)''' - 橋本駅 (JH 28)
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 記事本文 ===
<!--==== 注釈 ====
{{Reflist|group="注釈"}}
==== 出典 ====-->
{{Reflist}}
=== 利用状況 ===
{{Reflist|group="統計"}}
; JR東日本の2000年度以降の乗車人員
{{Reflist|group="JR"|22em}}
; 神奈川県県勢要覧
{{Reflist|group="*"|22em}}
== 関連項目 ==
{{commonscat}}
* [[日本の鉄道駅一覧]]
== 外部リンク ==
* {{外部リンク/JR東日本駅|filename=731|name=相模原}}
{{横浜線}}
{{DEFAULTSORT:さかみはら}}
[[Category:相模原駅|*]]
[[Category:相模原市の鉄道駅]]
[[Category:日本の鉄道駅 さ|かみはら]]
[[Category:東日本旅客鉄道の鉄道駅]]
[[Category:日本国有鉄道の鉄道駅]]
[[Category:横浜線]]
[[Category:1941年開業の鉄道駅]]
[[Category:相模原市中央区の建築物]]
|
2003-09-20T14:06:29Z
|
2023-12-04T18:55:37Z
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国道19号
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国道19号(こくどう19ごう)は、愛知県名古屋市から岐阜県東濃地方、長野県木曽地方、塩尻市、松本市を経由し、長野市に至る一般国道である。
岐阜県恵那市から長野県塩尻市にかけて、旧中山道に相当する。高速道路では愛知県 - 岐阜県中津川市にかけて中央自動車道と、長野県内では塩尻市 - 安曇野市で長野自動車道と、鉄道では名古屋市 - 長野県塩尻市にかけて中央本線と、塩尻市 - 安曇野市で篠ノ井線と並走する。
一般国道の路線を指定する政令に基づく起終点および重要な経過地は次のとおり。
国道19号に相当する街道は、塩尻市 - 恵那市は中山道、恵那市 - 名古屋市は下街道ということになるが、1952年(昭和27年)以前に国道だったのは中山道の区間のみである。北国西街道そのものは現在の国道403号に相当する街道であるが、この街道を踏襲した府県道長野飯田線が、その後、現在の犀川沿いに路線が変更され、国道19号へと受け継がれている。
街道
都市部
交通規制を参照
中部地方整備局管内
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国道19号(こくどう19ごう)は、愛知県名古屋市から岐阜県東濃地方、長野県木曽地方、塩尻市、松本市を経由し、長野市に至る一般国道である。
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{{Infobox road
|種別・系統 = [[一般国道]]
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|名前 = 国道19号
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|概略図を表示
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|総延長 = 272.6 [[キロメートル|km]]
|実延長 = 272.6 km
|現道 = 265.7 km
|制定年 = [[1952年]]([[昭和]]27年)指定<br />(原型は[[1920年]]([[大正]]9年))
|起点 = [[愛知県]][[名古屋市]][[熱田区]]<br />熱田神宮南交差点({{Coord|35|7|19.2|N|136|54|26.5|E|region:JP-23|name=熱田神宮南交差点}})
|主な経由都市 = <!--主な主要都市のみ記載-->愛知県[[春日井市]]<br />[[岐阜県]][[多治見市]]、[[恵那市]]、[[中津川市]]<br />[[長野県]][[塩尻市]]、[[松本市]]、[[安曇野市]]
|終点 = 長野県[[長野市]]<br />[[尾張部 (長野市)#西尾張部|西尾張部]]交差点({{Coord|36|38|50.6|N|138|13|11.3|E|region:JP-20|name=西尾張部交差点}})
|接続する主な道路 = {{Ja Route Sign|1|width=24}} [[国道1号]]<br />{{Ja Route Sign|22|width=24}} [[国道22号]]<br />{{Ja Route Sign|41|width=24}} [[国道41号]]<br />{{Ja Route Sign|21|width=24}} [[国道21号]]<br />{{Ja Route Sign|20|width=24}} [[国道20号]]<br />{{Ja Route Sign|18|width=24}} [[国道18号]]<!--旧一級国道を記載-->
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{{座標一覧}}
[[File:R022-000.jpg|thumb|国道19号 ([[国道22号]])起点<br />[[愛知県]][[名古屋市]][[熱田区]]<br />熱田神宮南交差点]]
[[File:R019-012.jpg|thumb|国道19号終点<br />[[長野県]][[長野市]]<br />[[尾張部 (長野市)#西尾張部|西尾張部]]交差点]]
'''国道19号'''(こくどう19ごう)は、[[愛知県]][[名古屋市]]から[[岐阜県]][[東濃|東濃地方]]、[[長野県]][[木曽地域|木曽地方]]、[[塩尻市]]、[[松本市]]を経由し、[[長野市]]に至る[[一般国道]]である。
== 概要 ==
[[岐阜県]][[恵那市]]から[[長野県]][[塩尻市]]にかけて、旧[[中山道]]に相当する。[[高速道路]]では愛知県 - 岐阜県[[中津川市]]にかけて[[中央自動車道]]と、長野県内では塩尻市 - [[安曇野市]]で[[長野自動車道]]と、鉄道では[[名古屋市]] - 長野県塩尻市にかけて[[中央本線]]と、塩尻市 - 安曇野市で[[篠ノ井線]]と並走する。
=== 路線データ ===
<!--政令に基づくので現在の市町村名に直さない-->
一般国道の路線を指定する政令<ref name=s40>{{Cite web|和書|url=https://elaws.e-gov.go.jp/document?lawid=340CO0000000058|title=一般国道の路線を指定する政令(昭和40年3月29日政令第58号)|work=e-Gov法令検索|publisher=[[総務省]][[行政管理局]]|accessdate=2019-10-30}}</ref><ref group="注釈">一般国道の路線を指定する政令の最終改正日である2004年3月19日の政令(平成16年3月19日政令第50号)に基づく表記。</ref>に基づく起終点および重要な経過地は次のとおり。
* 起点:[[名古屋市]]([[熱田区]]、熱田神宮南交差点 = [[国道1号]]交点、[[国道22号]]・[[国道247号]]起点)
* 終点:[[長野市]]([[尾張部 (長野市)#西尾張部|西尾張部]]交差点 = [[国道18号]]交点)
* 重要な経過地:[[春日井市]]、[[多治見市]]、[[土岐市]](泉寺田町)、[[瑞浪市]]、[[恵那市]]、[[中津川市]]、長野県木曽郡山口村<ref group="注釈" >2005年2月13日に、岐阜県[[中津川市]]と越県合併をした。</ref>、同郡[[南木曽町]]、同郡木曽福島町<ref group="注釈" name="kiso">2005年11月1日に、木曽福島町・日義村・開田村・三岳村と合併して[[木曽町]]となる。</ref>、同郡日義村<ref group="注釈" name="kiso"/>、[[塩尻市]]、[[松本市]]、同県東筑摩郡明科町<ref group="注釈" >2005年10月1日に、豊科町・穂高町・堀金村・三郷村と合併して、[[安曇野市]]が発足。</ref>、同県上水内郡信州新町<ref group="注釈" >2010年1月1日に[[長野市]]に編入。同市の信州新町地区となる。</ref>
* [[延長 (日本の道路)#総延長|総延長]] : 272.6 [[キロメートル|km]]<small>(長野県 176.5 km、岐阜県 64.2 km、愛知県 18.5 km、名古屋市 13.2 km)重用延長を含む</small><ref name="encho">{{Cite web|和書|format=XLS|url=https://www.mlit.go.jp/road/ir/ir-data/tokei-nen/2022/xlsx/d_genkyou26.xlsm|title=表26 一般国道の路線別、都道府県別道路現況|work=道路統計年報2022|publisher=[[国土交通省]][[道路局]]|accessdate=2023-06-07}}</ref><ref group="注釈" name="encho">[[2021年]][[3月31日]]現在</ref>
* [[延長 (日本の道路)#重用延長|重用延長]] : なし<ref name="encho" /><ref group="注釈" name="encho" />
* [[延長 (日本の道路)#実延長|実延長]] : 272.6 km<small>(長野県 176.5 km、岐阜県 64.2 km、愛知県 18.5 km、名古屋市 13.2 km)</small><ref name="encho" /><ref group="注釈" name="encho" />
** 現道 : 265.7 km<small>(長野県 169.7 km、岐阜県 64.2 km、愛知県 18.5 km、名古屋市 13.2 km)</small><ref name="encho" /><ref group="注釈" name="encho" />
** 旧道 : なし<ref name="encho" /><ref group="注釈" name="encho" />
** 新道 : 6.9 km<small>(長野県 6.9 km、岐阜県 - km、愛知県 - km、名古屋市 - km)</small><ref name="encho" /><ref group="注釈" name="encho" />
* [[指定区間]]:全線
== 歴史 ==
国道19号に相当する街道は、<!---長野市 - 塩尻市は[[北国西街道]](善光寺街道)--->塩尻市 - 恵那市は[[中山道]]、恵那市 - 名古屋市は[[下街道 (善光寺道)|下街道]]ということになるが、[[1952年]]([[昭和]]27年)以前に国道だったのは中山道の区間のみである。北国西街道そのものは現在の[[国道403号]]に相当する街道であるが、この街道を踏襲した府県道長野飯田線が、その後、現在の犀川沿いに路線が変更され、国道19号へと受け継がれている。
=== 年表 ===
* [[1885年]]([[明治]]18年)の[[内務省 (日本)|内務省]]告示第6号「[[s:國道表 (明治十八年二月二十四日)|國道表]]」では、中山道が国道7号「東京より神戸港に達する別路線」(現17号、18号、142号、20号、19号、21号、8号、1号経由)に指定された。このうち、現国道19号に相当するのは塩尻 - 土岐間である。また、名古屋側の一部が国道10号「東京より名古屋鎮台に達する路線」(現1号経由、名古屋市熱田区で分岐して名古屋まで)となっていた。
* [[1920年]]([[大正]]9年)施行の旧[[道路法]]に基づく路線認定では、旧7号がほぼそのまま国道14号「東京市より京都府庁所在地に達する路線」となった。
* [[1934年]]([[昭和]]9年) - [[甲府市|甲府]]までだった国道8号が延長されて「東京市より[[京都府]]庁所在地に達する路線(甲)」となり、国道14号だった下諏訪 - 京都は国道8号の方が上位路線となった。この間塩尻市から長野市間は府県道長野福島線(長野市から東筑摩郡[[広丘村]]は府県道長野飯田線と重複、東筑摩郡[[宗賀村]]から西筑摩郡[[福島町 (長野県)|福島町]]までは国道14号と重複)に指定されており、その後[[1923年]](大正11年)に長野飯田線の路線の変更にともない長野福島線も現在のルートに変更された。
* [[1952年]](昭和27年)[[12月4日]] - 新道路法に基づく路線指定で、名古屋 - 土岐、塩尻 - 長野を含めて[[一級国道]]19号(愛知県名古屋市 - 長野県長野市)として指定された。
* [[1965年]](昭和40年)[[4月1日]] - 道路法改正によって一級・二級の別がなくなり一般国道19号となった。
== 路線状況 ==
{{独自研究|secion=1|date=2020年9月21日 (月) 16:03 (UTC)}}
* 愛知県区間
[[File:R001-2019 NO2-260.jpg|thumb|国道19号・[[国道22号]]<br/>起点ポスト<br/>[[愛知県]][[名古屋市]][[熱田区]]<br/>熱田神宮南交差点]]
: 起点の[[熱田神宮]]南交差点には「長野まで270km、岐阜まで37km」を示す標識がある(画像参照)。[[春日井市]]まで、大型車の交通量が多い交通需要に応えるために<ref>[https://www.nagoya-dourokouji.jp/wp-content/uploads/digger_no5.pdf ディガー No5]</ref>コンクリート舗装となっている区間が多々ある。長野方面では、向かって右側に[[熱田神宮]]をのぞみながら[[堀川 (名古屋市)|堀川]]の左岸・[[熱田台地]]を北上する。この区間は'''[[伏見通]]'''と呼ばれ、[[丸の内 (名古屋市)|丸の内]]の日銀前交差点までは片側5車線が確保されている。伏見通では19号の距離標「多治見 ○○km, 春日井 ××km」と共に、22号の距離標「岐阜 ○○km, 一宮 ××km」が併置されている。なお名古屋市内の19号上りでは一貫して「豊橋 ○○km, 四日市 ××km」と案内されている。また、起点から[[金山 (名古屋市)|金山]]の新尾頭交差点まで地下を[[名古屋市営地下鉄名城線|名城線]]が走っている。[[金山駅 (愛知県)|金山総合駅]]から西に100 [[メートル|m]]ほどの金山新橋で、南から[[東海道本線]]・[[名鉄名古屋本線]]・[[中央本線]]をまたぐ。[[名古屋市道山王線|山王通]]と交差する古渡町交差点で[[名古屋高速都心環状線]]をアンダーパスする。[[大須通]]と交差する西大須交差点から日銀前交差点にかけて、地下を[[名古屋市営地下鉄鶴舞線|鶴舞線]]が走る。[[若宮大通]]と交差する若宮南 - 北交差点間で[[名古屋高速2号東山線|名古屋高速東山線]]をアンダーパスする。日銀前交差点を右折し[[国道22号]]を分けて、[[国道153号]]起点の小川交差点までの区間は'''[[桜通 (名古屋市)|桜通]]'''と呼ばれ、地下を走る[[名古屋市営地下鉄桜通線|桜通線]]と共に名古屋の都心部を東西に走る。なお、桜通は片側4車線は確保されている。[[久屋大通]]との交差点で久屋大通の地下を通る名城線、[[名鉄瀬戸線]]と交差する。[[国道41号]]の起点である高岳交差点で名古屋高速都心環状線をアンダーパスし、350 mほど東に進むと小川交差点である。小川交差点で東に桜通、南に国道153号を分ける。小川交差点から北では、進路を北東に変え、[[国道155号]]と交わる[[春日井インターチェンジ|春日井インター]]東交差点過ぎまで、信号が多いものの、片側3車線以上の道路である。大曽根で名鉄瀬戸線のガードを潜り、天神橋で[[矢田川 (愛知県)|矢田川]]を超え、勝川橋で[[庄内川]]を超えると春日井市に入り、勝川で[[東海交通事業城北線|城北線]]、[[名古屋環状2号線|環状2号線]]([[名古屋第二環状自動車道|名二環]][[勝川インターチェンジ|勝川IC]]、[[国道302号]])をアンダーパスする。[[愛知県立春日井高等学校|春日井高校]]前・瑞穂通1丁目交差点付近の地下を[[木曽川]]犬山取水場 - [[鍋屋上野浄水場]]を結ぶ[[名古屋市上下水道局|名古屋水道]]の導水管が交差している<ref>[https://www.water.city.nagoya.jp/category/suidousikumi/2360.html 水の旅 〜配水系統図〜]</ref>。国道155号を超え、[[内津川]]の流域に入ると沿道の建物が減り、多治見市街までは円滑に流れる。この区間で19号は内津川をはさんで[[高蔵寺ニュータウン]]のすぐ西を通っている。なお、中央本線は高蔵寺ニュータウンの東を通っており、内津峠を通らず、庄内川・土岐川の渓谷を通り多治見に至る。神屋町で「[[愛知用水]]幹線水路」を超える(愛知用水は、前後でサイホンとなっており、直接用水と交差はしていない。)<ref>[http://www.water.go.jp/chubu/aityosui/d(contents)/06(saagle)/01_jyoryushashin.pdf 17.上流管理所管理範囲図(大神トンネル〜神廻トンネル)]</ref>。県境の内津峠は標高250mに満たないが、北山トンネルの西に[[覆道|スノーシェッド]]が2つ設置されている。
* 岐阜県東濃区間
[[File:R19 By Pass Toki.JPG|thumb|土岐市泉町河合の<br />国道19号土岐バイパス]]
: 春日井インター東交差点過ぎから瑞浪バイパス東端・鶴城交差点まで片側2車線。丘陵地ではあるが、愛知県境の内津トンネルを除き、トンネルはない。武並までは[[庄内川|土岐川]]と並行している。
: [[太多線]]をオーバーパスするあたりから東が多治見の市街地であり、音羽町([[国道248号]]交点)、上野町の各交差点を原因として慢性的に渋滞が発生している<ref>[http://www.city.tajimi.gifu.jp/toshi/tdm/jikkenn.files/H17houkoku2.pdf IV 交通実態調査]</ref>。虎渓大橋で土岐川を超え、神明峠を超え、土岐大橋で再び土岐川を超えると土岐市街に入り、土岐川の右岸を走る。土岐バイパスは[[土岐プレミアム・アウトレット]]への道([[岐阜県道382号土岐南多治見インター線]])と立体交差しており、アウトレット絡みの渋滞はない。大富交差点で岐阜方面からの[[国道21号]]と合流する。土岐 - 瑞浪間で北から[[中央自動車道]]、19号、[[中央本線]]の3路線が100 mの範囲に収まるほど近接する。瑞浪バイパスは旧道より車線は多いものの、南に大回りする形で市街地を迂回している。瑞浪 - 恵那間の1車線区間のほとんどは中央道のすぐ隣を並行している。庄内川流域と木曽川流域の分水嶺である槙ヶ根を超え、恵那市街までくると[[御嶽山]]や[[木曽山脈|中央アルプス]]が眺望できる。恵那市以東の東濃区間は[[美濃三河高原]]の影響下にあり、いくつもの川の流域をまたぐ(土岐川 - [[阿木川]] - 岡瀬川 - 坂本川 - 千旦林川 - [[中津川 (岐阜県)|中津川]]・[[四ツ目川]] - 子野川 - 落合川)ためアップダウンが激しく、分水嶺付近は沿道の店も少ない。[[中津川インターチェンジ|中津川IC]]過ぎで、[[下呂市|下呂]]方面への[[国道257号]]を分ける。中津川バイパスは[[中津川駅]]から伸びるレジストロ通り([[岐阜県道71号中津川停車場線]])とは立体交差している。[[恵那山]]嶺から流れ出る落合川を超えて中津川バイパス2車線区間が終わると木曽路を抜けて塩尻市高出交差点まで片側1車線になる。[[落合宿|落合]]から先は[[木曾谷|木曽路]]であり、[[木曽川]]と並行している。2004年までの長野県境([[中津川市]]の落合 - 山口間)を超えるとキロポストの表示が「名古屋(熱田神宮)から○○km」から単に「名古屋から××km」に変わる。[[賤母大橋]]で木曽川を超えると長野県に入る。
* 長野県木曽区間
[[File:R019-630.jpg|thumb|長野県木曽郡南木曽町<br />[[飯田市|飯田]]方面への[[国道256号]]への分岐]]
: 中津川市から[[塩尻市]]の間は'''制限速度が50 [[キロメートル毎時|km/h]]'''であるが、'''平均速度が55 km/hを超えることもある'''<ref>[http://library.jsce.or.jp/jsce/open/00035/2008/63-04/63-04-0307.pdf 幹線道路における速度抑制効果の理論的解析]</ref>ため俗に'''「木曽高速」'''と呼ばれる<ref name="木曽発">{{Cite news |title=木曽発/山間を走る国道19号/トラック急増 事故続発 |newspaper=[[朝日新聞]](朝刊) |publisher=[[朝日新聞社]] |page=33 |date=2003-06-19 }}</ref>。[[中央自動車道|中央道]]利用時との所要時間が30 - 40分程度しか変わらないこと<ref name="木曽発" />、[[恵那山トンネル]]が割増料金(ただし、[[2014年]](平成26年)[[4月1日]]から当面10年間、ETC車に限り一般区間と同等の料金に値下げされている)で危険物積載車両通行禁止でもあること、[[中津川インターチェンジ|中津川IC]]から19号長野方面へ'''直接'''出られること、適当な休憩場所として、道の駅が7つ<!--中津川市の賤母含む-->整備されていることなどが理由である。特に夜間に多いトラック{{Refnest|1999年の交通量は1日16,900台で、夜間の交通量の75 [[パーセント|%]]が大型車であった<ref name="木曽発" />。}}による騒音や振動だけでなく、前車へのあおりや追突、対向車との正面衝突、違法競走型[[暴走族]]などの危険な運転(特に登坂車線区間)があり、その結果、高い死亡率・長時間の通行止めが起きている<ref name="木曽発" />。対策として、関係機関によって結成された「木曽かめクラブ」の運動、信号待ち等で停止する場合に後続車両の追突防止のためにハザードランプを点滅させることの徹底、また、中央自動車道の利用促進がある。また、ほぼ全区間で一定以上の雨量で通行止めとなるため、沿線住民は常に陸の孤島となる危険と隣り合わせである。南木曽町・吾妻橋交差点で[[妻籠宿]]・[[飯田市|飯田]]方面への[[国道256号]]を分け、木曽町・木祖村の境である山吹トンネルの南・神谷入口交差点で[[伊那市|伊那]]方面への[[国道361号]]を分ける。[[鳥居峠 (長野県)|鳥居峠]]を貫く[[新鳥居トンネル]]が国道19号で最も標高の高い場所(約995 m)であり、太平洋側([[木曽川]]流域)・日本海側([[信濃川]]流域)の分水嶺である。なお鳥居峠は平安時代までは[[美濃国|美濃]]と[[信濃国|信濃]]の国境だった。塩尻市に入った後、[[洗馬宿|洗馬]]までは[[奈良井川]]と並行している。[[松本盆地]]に入ると葡萄農園が目立つようになる。[[篠ノ井線]]をオーバーパスすると沿道の店が増えてくる。高出交差点で名古屋市東区の小川交差点で分かれた国道153号、[[日本橋 (東京都中央区の橋)|日本橋]]からのびる[[国道20号]]にぶつかる。
: 木曽地域では、災害防止・沿線環境の改善のため、桟(かけはし)改良(2014年3月29日開通<ref>[https://www.cbr.mlit.go.jp/iikoku/upload/20140205.pdf 桟改良が3月29日(土)に全線開通!]国土交通省 中部地方整備局 飯田国道事務所 2014年2月5日(2014年2月13日閲覧)</ref>)および桜沢改良(2007年度より)によるバイパス整備に着手している。
: 木曽区間におけるトンネル内AMラジオ再送信は[[NHK長野放送局|NHK長野]][[NHKラジオ第1放送|第1]](木曽福島局および大桑局)と一部で[[CBCラジオ]]1053kHzと[[NHKラジオ第2放送|NHK第2]]のみで、中継局のない[[信越放送|SBC]]は再送信されていない。
* 長野県塩尻以北
[[File:R143-2020-193.jpg|thumb|[[長野県]][[松本市]] 渚一丁目付近<br />[[国道158号]]と、[[国道143号]]との交差]]
: 長野県区間は塩尻北IC付近、長野南バイパス、長野市中心街を除くと片側1車線である。高出交差点以北は松本まで概ね[[田川 (長野県)|田川]]と、田川と[[奈良井川]]が合流した後、安曇野市境付近までは奈良井川と、奈良井川と[[梓川]]が合流した後、長野市街までは[[犀川 (長野県)|犀川]]と、それぞれ並行している。高出交差点から松本市内にかけては慢性的な渋滞が起きている。迂回路として[[長野自動車道]]の利用、または[[松塩広域農道]]から[[長野県道48号松本環状高家線]]の利用がある。松本市・渚3丁目交差点の南200 mほど ([[松本警察署]]付近)で[[アルピコ交通上高地線]]のガードを潜る。渚1丁目交差点で[[上高地]]方面への[[国道158号]]と、松本市街地への[[国道143号]]を分け、平瀬口交差点で[[上田市|上田]]方面への[[国道254号]]、安曇野市穂高・[[大町市|大町]]・[[白馬村|白馬]]・[[糸魚川市|糸魚川]]方面への[[国道147号]]を分ける。宮渕交差点から安曇野市明科にかけての区間は東は山地、西は平地となっている。明科の木戸交差点を曲がり、[[篠ノ井線]]・長野道に並行する[[国道403号]]を分けると、[[長野盆地]]まで続く犀川の渓谷へと入り車と人家が少なくなる。犀川沿いの区間は、事前通行規制区間に指定されている区間が長く、また基準雨量も低いため、たびたび通行規制が行われる。2021年3月21日からは地滑りの前兆と見られる路面沈下が起きており、長期間にわたって通行止めが実施されている<ref>{{Cite web|和書|title=国道19号長野市信州新町水内地先において、実施中の通行止めを継続いたします。【第2報】 {{!}} 記者発表 {{!}} 国土交通省 関東地方整備局|url=https://www.ktr.mlit.go.jp/kisha/kyoku_s_00000548.html|website=www.ktr.mlit.go.jp|accessdate=2021-04-06}}</ref>。長野市笹平で白馬方面からのオリンピック道路([[長野県道31号長野大町線]])と合流する。小松原トンネル西交差点でバイパスと長野市中心街への分岐になる。'''「非バイパス」'''は、犀川をわたり、犀川左岸を通る。[[安茂里]]から[[長野駅]]付近まで[[信越本線]]・[[北陸新幹線]]と並行している。長野駅から南西に500 mほどの[[中御所]]交差点から県庁前交差点にかけての南北に伸びる区間は'''[[県庁通り (長野県)|県庁通り]]'''と呼ばれ、片側2車線である。県庁前交差点から終点・[[尾張部 (長野市)#西尾張部|西尾張部]]交差点にかけての東西に伸びる区間は'''[[昭和通り (長野市)|昭和通り]]'''と呼ばれ、片側2車線である。[[善光寺]]表参道である[[長野中央通り|中央通り]]と交差する新田町交差点は[[スクランブル交差点|スクランブル化]]されている。[[市役所前駅 (長野県)|市役所前駅]]交差点で地下を走る[[長野電鉄長野線]]と交差する。市役所前 - 消防局前交差点間で[[しなの鉄道]][[しなの鉄道北しなの線|北しなの線]]・北陸新幹線をアンダーパスする。終点の西尾張部交差点で[[国道18号]]にぶつかる。'''[[長野南バイパス]]'''は、小松原トンネルを超えた後、犀川の右岸を東西に走る。川中島で西から信越本線・北陸新幹線をアンダーパスする。[[稲里町 (長野市)|稲里]]西交差点以東は片側2車線である。終点の[[青木島町#青木島町大塚|大塚]]南交差点で国道18号にぶつかる。
=== バイパス ===
{{独自研究|secion=1|date=2020年9月21日 (月) 16:03 (UTC)}}
[[File:R019-720.jpg|thumb|[[恵那バイパス]]<br />([[国道257号]]との重複)<br/> 岐阜県恵那市長島町正家]]
* [[春日井バイパス]]
* [[内津バイパス]]
* [[多治見バイパス]]
* [[土岐バイパス]]
* [[瑞浪バイパス]]
* [[瑞恵バイパス|瑞浪恵那道路]]
* [[恵那バイパス]]
* 恵中拡幅
* [[中津川バイパス]]
* [[上松バイパス]]
* [[桟改良]]
* [[薮原改良]]
* [[桜沢改良]]
* [[松本バイパス]]
* 長野19号防災(山清路地区)
* [[長野南バイパス]]
=== 別名 ===
[[ファイル:R19 Sakuradori.JPG|thumb|[[桜通 (名古屋市)|桜通]](愛知県名古屋市中区錦)]]
'''街道'''
* [[北国西街道]]
* 大町街道
* [[木曽地域|木曽街道]]
* [[中山道]]
* [[下街道 (善光寺道)|下街道]]
* [[善光寺街道]]
'''都市部'''
* [[伏見通]](愛知県名古屋市熱田区、中区)
* [[桜通 (名古屋市)|桜通]](愛知県名古屋市中区、東区)
* 葵町線(愛知県名古屋市東区、北区)
* [[県庁通り (長野県)|県庁通り]](長野県長野市)
* [[昭和通り (長野市)|昭和通り]](長野県長野市)
=== 重複区間 ===
[[File:R022-015.jpg|thumb|[[国道22号]]との重複区間<br />愛知県名古屋市熱田区白鳥]]
* [[国道22号]](愛知県名古屋市熱田区・熱田神宮南交差点 - 名古屋市中区・日銀前交差点)
* [[国道21号]](岐阜県土岐市・大富交差点 - 瑞浪市・山野内交差点)
* [[国道257号]](岐阜県恵那市・正家交差点 - 中津川市千旦林)
* [[国道256号]](岐阜県中津川市・[[弥栄橋]]交差点 - 長野県木曽郡南木曽町・吾妻橋交差点)
* [[国道361号]](長野県木曽郡木曽町福島・木曽大橋交差点 - 木曽郡木曽町日義小沢原・神谷入口交差点)
* [[国道403号]](長野県松本市・渚1丁目交差点 - 安曇野市・木戸交差点)
=== 道路施設 ===
==== 橋梁 ====
* 天神橋(名古屋市北区 - 守山区、[[矢田川 (愛知県)|矢田川]])
* 勝川橋(名古屋市守山区 - 春日井市、[[庄内川]])
* [[虎渓大橋]](多治見市、[[庄内川|土岐川]])
* 土岐大橋(土岐市、土岐川)
* 小田大橋(瑞浪市、土岐川)
* 神箆大橋(瑞浪市、土岐川)
* 恵那大橋(恵那市、[[阿木川]])
* 中津川大橋(中津川市、[[中津川 (岐阜県)|中津川]])
* 賤母大橋(中津川市 - 南木曽町、[[木曽川]])
* 南木曽大橋(南木曽町、木曽川)
* 伊奈川橋(大桑村、伊奈川)
* [[あげまつ大橋]](上松町、桟改良、木曽川)
* [[かけはし大橋]](上松町 - 木曽町、桟改良、木曽川)
* 尾沢橋(塩尻市)
* 落合橋(松本市、松本バイパス、[[田川 (長野県)|田川]])
* 木戸橋(安曇野市、[[犀川 (長野県)|犀川]])
* 睦橋(安曇野市 - 生坂村、犀川)
* 池沢隧道(生坂村)
* 新山清路橋(生坂村、犀川)
* 児玉橋(大町市 - 長野市、犀川)
* 川口橋(長野市、犀川)
* 置原橋(長野市、犀川)
* 日名橋(長野市、犀川)
* 大原橋(長野市、犀川)
* 穂刈橋(長野市、犀川)
* 水篠橋(長野市、犀川)
* 大安寺橋(長野市、犀川)
* 明治橋(長野市、犀川)
* 両郡橋(長野市、犀川)
* 裾花橋(長野市、[[裾花川]])
* 稲里高架橋(長野市、長野南バイパス)
==== トンネル ====
* 北山トンネル(春日井市)
* 内津トンネル(春日井市 - 多治見市)
* 新賤母トンネル(南木曽町)
* 野尻トンネル(大桑村)
* 上松第1トンネル(上松町、上松バイパス)
* 上松第2トンネル(上松町、上松バイパス)
* 上松第3トンネル(上松町、上松バイパス)
* かけはしトンネル(上松町、桟改良)
* 福島トンネル(木曽町)
* 鳥居トンネル(木曽町 - 塩尻市、鳥居バイパス)
* 生坂トンネル(生坂村、生坂バイパス)
* 新久米路トンネル(長野市)
* 笹平トンネル(長野市)
* 犬戻トンネル(長野市)
* 小松原トンネル(長野市、長野南バイパス)
==== 道の駅 ====
* 岐阜県
** [[道の駅賤母|賤母]](中津川市)
* 長野県
** [[道の駅大桑|大桑]](木曽郡大桑村)
** [[道の駅木曽福島|木曽福島]](木曽郡木曽町)
** [[道の駅日義木曽駒高原|日義木曽駒高原]](木曽郡木曽町)
** [[道の駅木曽川源流の里 きそむら|木曽川源流の里 きそむら]](木曽郡木祖村)
** [[道の駅奈良井木曽の大橋|奈良井木曽の大橋]](塩尻市)
** [[道の駅木曽ならかわ|木曽ならかわ]](塩尻市)
** [[道の駅長野市大岡特産センター|長野市大岡特産センター]](長野市)
** [[道の駅信州新町|信州新町]](長野市)
=== 事前通行規制区間 ===
* 岐阜県中津川市山口 - 長野県木曽郡南木曽町読書間 連続雨量150 [[ミリメートル|mm]]以上の場合通行止
* 長野県木曽郡木祖村藪原地内 連続雨量170 mm以上の場合通行止<ref>[http://www.pref.nagano.lg.jp/michiken/infra/doro/joho/shokai/documents/p25_nagano2013.pdf 長野県の道路2013 P25.交通不能区間等]</ref>
*野平(長野県東筑摩郡生坂村池沢 - 長野市大岡甲)・長野市信州新町日原・水内・秋古(篠ノ井秋古 - 小市)連続雨量130 mm以上の場合通行止<ref>{{Cite web|和書|title=事前通行規制 {{!}} 長野国道事務所 {{!}} 国土交通省 関東地方整備局|url=https://www.ktr.mlit.go.jp/nagano/nagano00057.html|website=www.ktr.mlit.go.jp|accessdate=2021-04-06}}</ref>
[[交通規制]]を参照
== 地理 ==
[[File:R019-116.jpg|thumb|長野県長野市信州新町水内<br />(2013年8月)]]
=== 通過する自治体 ===
* [[愛知県]]
** [[名古屋市]]([[熱田区]] - [[中区 (名古屋市)|中区]] - [[東区 (名古屋市)|東区]] - [[北区 (名古屋市)|北区]] - [[守山区]]) - [[春日井市]]
* [[岐阜県]]
** [[多治見市]] - [[土岐市]] - [[瑞浪市]] - [[恵那市]] - [[中津川市]]
* [[長野県]]
** [[木曽郡]][[南木曽町]] - 木曽郡[[大桑村]] - 木曽郡[[上松町]] - 木曽郡[[木曽町]] - 木曽郡[[木祖村]] - [[塩尻市]] - [[松本市]] - [[安曇野市]] - [[東筑摩郡]][[生坂村]] - [[大町市]] - [[長野市]]
=== 交差する道路 ===
; 一般国道・高速道路
'''中部地方整備局管内'''
* 愛知県
** [[国道1号]]・[[国道247号]](名古屋市熱田区・熱田神宮南交差点起点)
** [[国道22号]]([[伏見通]])(名古屋市熱田区起点・熱田神宮南交差点 -(重複)- 名古屋市中区・日銀前交差点)
** [[国道41号]](空港線)(名古屋市東区・高岳交差点)
** [[国道153号]](葵町線)(名古屋市東区・小川交差点)
** [[国道302号]]([[名古屋環状2号線]])・[[名古屋第二環状自動車道]][[勝川インターチェンジ|勝川IC]](春日井市・勝川町4丁目交差点)
** [[東名高速道路]][[春日井インターチェンジ|春日井IC]](春日井市)
** [[国道155号]](春日井市・春日井インター東交差点)
* 岐阜県
** [[国道248号]](多治見市・音羽町交差点)
** [[国道21号]](土岐市・大富交差点 -(重複)- 瑞浪市・山野内交差点)
** [[国道418号]](恵那市・向流交差点)
** [[国道257号]](恵那市・正家交差点 -(重複)- 中津川市千旦林)
** [[中央自動車道]][[中津川インターチェンジ|中津川IC]](中津川市)
** [[国道363号]](中津川市・中村交差点)
** [[国道256号]](中津川市・弥栄橋交差点 -(重複)- 木曽郡南木曽町・吾妻橋交差点)
* 長野県
** [[国道361号]](木曽郡木曽町・木曽大橋交差点 -(重複)- 神谷入口交差点)
'''関東地方整備局管内'''
* 長野県
** [[国道20号]]・[[国道153号]](塩尻市・高出交差点)
** [[国道143号]]・[[国道158号]](松本市・渚1丁目交差点)
** [[国道403号]](松本市・渚1丁目交差点 -(重複)- 安曇野市・木戸交差点)
** [[国道147号]][[高家バイパス]]・[[国道254号]](松本市・平瀬口交差点)
** [[国道117号]](長野市・中御所交差点)
** [[国道18号]](※国道18号重複=国道117号(豊野方面へ重複))(長野市・西尾張部交差点終点)
** [[国道18号]](長野市・大塚南交差点 新道終点)
; 県道、政令市道
* 愛知県
** [[愛知県道224号熱田停車場線]](名古屋市熱田区・旗屋町交差点)
** [[愛知県道29号弥富名古屋線]]([[八熊通]])(名古屋市熱田区・新尾頭交差点)
** [[愛知県道115号津島七宝名古屋線]]([[佐屋街道]])(名古屋市熱田区・金山新橋南交差点)
** [[名古屋市道山王線]](山王通)(名古屋市中区・古渡町交差点)
** [[愛知県道60号名古屋長久手線]]([[広小路通 (名古屋市)|広小路通]])(名古屋市中区・広小路伏見交差点)
** 名古屋市道[[錦通 (名古屋市)|錦通]](名古屋市中区・錦通伏見交差点)
** [[愛知県道68号名古屋津島線]]([[桜通 (名古屋市)|桜通]])(名古屋市中区・日銀前交差点)
** [[名古屋市道堀田高岳線]](空港線)(名古屋市東区・高岳交差点)
** [[桜通 (名古屋市)|名古屋市道都通布池線]](桜通)(名古屋市東区・小川交差点)
** [[愛知県道215号田籾名古屋線]]([[出来町通]])(名古屋市東区・赤塚交差点)
** [[愛知県道・岐阜県道15号名古屋多治見線|愛知県道15号名古屋多治見線]](名古屋市北区・大曽根4丁目交差点)
** [[名古屋市道名古屋環状線]](名古屋市北区・平安2丁目交差点)
** [[愛知県道202号守山西線]](名古屋市守山区・瀬古交差点)
** [[愛知県道59号名古屋中環状線]](名古屋市守山区・幸心交差点 - 春日井市・勝川町西2丁目交差点)
** [[愛知県道162号松河戸西枇杷島線]](春日井市・勝川橋北交差点 - 勝川町西2丁目交差点)
** [[愛知県道62号春日井稲沢線]](春日井市・大和通2丁目交差点)
** [[愛知県道201号南外山勝川停車場線]](春日井市・若草通1丁目交差点)
** [[愛知県道25号春日井一宮線]]・[[愛知県道75号春日井長久手線]](春日井市・瑞穂通5丁目交差点)
** [[愛知県道451号名古屋外環状線]](春日井市・春日井インター西交差点)
** [[愛知県道199号高蔵寺小牧線]](春日井市・坂下町6丁目南交差点)
** [[愛知県道196号神屋味美線]](春日井市・神屋公園前交差点)
** [[愛知県道49号春日井犬山線]](春日井市・明和町北交差点)
** [[愛知県道508号内津勝川線]]([[下街道 (善光寺道)|下街道]])(春日井市内津町)
** [[岐阜県道・愛知県道123号市之倉内津線|愛知県道123号市之倉内津線]](春日井市内津町)
* 岐阜県
** [[岐阜県道421号武並土岐多治見線]](多治見市池田町)
** [[岐阜県道・愛知県道16号多治見犬山線|岐阜県道16号多治見犬山線]](多治見市太平町)
** [[岐阜県道381号多治見八百津線]](多治見市・住吉町交差点)
** [[愛知県道・岐阜県道15号名古屋多治見線|岐阜県道15号名古屋多治見線]](多治見市・弁天町交差点)
** 岐阜県道421号武並土岐多治見線(多治見市・東町交差点 - 土岐市・神明交差点)
** [[岐阜県道382号土岐南多治見インター線]](土岐市・神明交差点)
** [[岐阜県道・愛知県道19号土岐足助線|岐阜県道19号土岐足助線]](土岐市・泉池ノ上町交差点)
** [[岐阜県道84号土岐可児線]](土岐市・岩畑交差点)
** [[岐阜県道47号瑞浪インター線]](瑞浪市・薬師交差点)
** [[岐阜県道・愛知県道20号瑞浪大野瀬線|岐阜県道20号瑞浪大野瀬線]](瑞浪市・市原交差点)
** [[岐阜県道65号恵那御嵩線]](瑞浪市・釜戸町交差点 - 中大島交差点)
** [[岐阜県道414号武並停車場線]](恵那市武並町竹折)
** [[岐阜県道66号多治見恵那線]](恵那市長島町永田)
** [[岐阜県道415号恵那停車場線]](恵那市・正家交差点)
** [[岐阜県道68号恵那白川線]](恵那市大井町)
** [[岐阜県道420号美乃坂本停車場線]](中津川市・深沢交差点)
** [[岐阜県道71号中津川停車場線]](中津川市中一色町)
** [[岐阜県道・長野県道6号中津川田立線|岐阜県道6号中津川田立線]](中津川市中津川)
** [[岐阜県道・長野県道7号中津川南木曽線|岐阜県道7号中津川南木曽線]](中津川市・沖田交差点)
* 長野県
** [[岐阜県道・長野県道6号中津川田立線|長野県道6号中津川田立線]](木曽郡南木曽町・田立入口交差点)
** [[長野県道264号南木曽停車場線]](木曽郡南木曽町読書)
** [[長野県道261号野尻停車場線]](木曽郡大桑村・野尻交差点)
** [[長野県道265号須原大桑停車場線]](木曽郡大桑村長野、木曽郡大桑村須原)
** [[長野県道266号荻原小川線]](木曽郡上松町・小野ノ滝交差点)
** [[長野県道260号上松停車場線]](木曽郡上松町小川、[[寝覚の床]]北側)
** [[長野県道20号開田三岳福島線]](木曽郡木曽町福島・元橋交差点)
** [[長野県道461号鳥居本町線]](木曽郡木曽町福島)
** [[長野県道269号木曽福島停車場駒ヶ岳線]](木曽郡木曽町福島・伊谷交差点)
** [[長野県道267号オコシ宮ノ越停車場線]](木曽郡木曽町日義)
** [[長野県道259号宮ノ越停車場線]](木曽郡木曽町日義)
** [[長野県道26号奈川木祖線]](木曽郡木祖村・薮原交差点)
** [[長野県道493号姥神奈良井線]](塩尻市楢川)
** [[長野県道258号奈良井停車場線]](塩尻市楢川)
** [[長野県道257号木曽平沢停車場線]](塩尻市楢川・平沢北交差点)
** [[長野県道254号楢川岡谷線]](塩尻市宗賀)
** [[長野県道304号本山床尾線]](塩尻市・牧野交差点、平出歴史公園交差点)
** [[長野県道305号床尾大門線]](塩尻市・中仙道一里塚交差点)
** [[長野県道292号御馬越塩尻停車場線]](塩尻市・[[桔梗ヶ原]]交差点)
** [[長野県道25号塩尻鍋割穂高線]](塩尻市・金塚交差点)
** [[長野県道290号南原広丘停車場線]](塩尻市・野村交差点)
** [[長野県道294号原洗馬停車場線]](塩尻市広丘吉田)
** [[長野県道27号松本空港塩尻北インター線]](塩尻市・吉田北交差点)
** [[長野県道287号町村白川村井停車場線]](松本市・村井交差点)
** [[長野県道48号松本環状高家線]](松本市・旧道は村井交差点、新道は村井下町北交差点)
** [[長野県道295号平田新橋線]](松本市・平田交差点)
** [[長野県道296号松本空港線]](松本市・南松本交差点)
** [[長野県道297号兎川寺鎌田線]](松本市・鎌田交差点)
** [[長野県道320号倭北松本停車場線]](松本市・白板交差点)
** [[長野県道295号平田新橋線]](松本市・新橋交差点)
** [[長野県道310号柏矢町田沢停車場線]]・[[長野県道316号梓橋田沢停車場線]](安曇野市・田沢交差点)
** [[長野県道57号安曇野インター堀金線]](安曇野市・田沢交差点 - 田沢北交差点)
** [[長野県道495号豊科大天井岳線]](安曇野市・光橋東交差点)
** [[長野県道51号大町明科線]](安曇野市・塔ノ原交差点)
** [[長野県道302号矢室明科線]](安曇野市・東栄町交差点)
** [[長野県道276号下生野明科線]](安曇野市・木戸交差点)
** [[長野県道85号穂高明科線]](安曇野市明科町七貴)
** [[長野県道276号下生野明科線]](東筑摩郡生坂村)
** [[長野県道275号上生坂信濃松川停車場線]](東筑摩郡生坂村・生坂トンネル南交差点)
** [[長野県道55号大町麻績インター千曲線]](東筑摩郡生坂村生坂 - 東広津)
** [[長野県道469号舟場矢下線]](大町市八坂)
** [[長野県道394号川口大町線]]・[[長野県道395号川口田野口篠ノ井線]](長野市大岡・川口交差点)
** [[長野県道391号岩本里穂刈線]](長野市信州新町里穂刈)
** [[長野県道12号丸子信州新線]](長野市信州新町・新町交差点)
** [[長野県道36号信濃信州新線]](長野市信州新町・奈津女橋交差点)
** [[長野県道70号長野信州新線]](長野市信州新町水内)
** [[長野県道384号安庭篠ノ井線]](長野市信更・信更町安庭交差点)
** [[白馬長野有料道路]]([[長野県道31号長野大町線]]新道、長野市・有料道路入口交差点)
** 長野県道31号長野大町線旧道(長野市七二会・笹平トンネル東交差点)
** [[長野県道86号戸隠篠ノ井線]](長野市七二会・笹平トンネル東交差点 - 長野市篠ノ井・村山交差点)
** [[長野県道381号小松原川中島停車場線]](長野市篠ノ井・両郡橋交差点)
** [[長野県道406号入山小市線]](長野市・小市西交差点)
** [[長野県道405号川中島停車場線]](長野市・小市交差点)
** [[長野県道32号長野停車場線]](長野市・中御所北交差点)
** [[長野県道34号長野菅平線]](長野市・岡田町交差点)
** [[長野県道399号長野豊野線]](長野市・県庁前交差点)
=== 主な峠 ===
* 愛知県
** [[内津峠]](標高230 m):春日井市 - 岐阜県多治見市
* 長野県
** [[鳥居峠 (長野県)|鳥居峠]](標高1,000 m):木曽郡木祖村 - 塩尻市
== ギャラリー ==
<gallery mode="nolines" widths="180" heights="120">
File:R155-182.jpg|[[国道155号]]との交差<br />愛知県春日井市大泉寺町
ファイル:R19 By Pass Mizunami.JPG|岐阜県瑞浪市土岐町平畑
File:R019-682.jpg|岐阜県中津川市落合
File:R019-467.jpg|[[国道361号]]との重複<br />長野県木曽郡木曽町新開
File:国道19号 150 [[距離標|kp]] 長野県木曽郡木祖村菅.jpg|[[鳥居峠 (長野県)|鳥居峠]]付近の壁画<br />長野県木曽郡木祖村菅
File:R019-410.jpg|長野県木曽郡木祖村薮原
File:長野県塩尻市贄川 贄川宿付近.jpg|[[贄川宿]]付近<br />長野県塩尻市贄川
File:R019-022.jpg|長野市役所付近<br />長野県長野市緑町
</gallery>
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Notelist}}
=== 出典 ===
{{Reflist}}
== 関連項目 ==
* [[日本の一般国道一覧]]
* [[中部地方の道路一覧]]
== 外部リンク ==
{{Commonscat}}
* '''[https://www.cbr.mlit.go.jp/ 中部地方整備局]'''
** [https://www.cbr.mlit.go.jp/meikoku/ 名古屋国道事務所]
** [https://www.cbr.mlit.go.jp/tajimi/ 多治見砂防国道事務所]
** [https://www.cbr.mlit.go.jp/iikoku/ 飯田国道事務所]
* '''[https://www.ktr.mlit.go.jp/ 関東地方整備局]'''
** [https://www.ktr.mlit.go.jp/nagano/ 長野国道事務所]
{{Road-stub}}
{{国道19号}}
{{日本の一般国道一覧}}
{{DEFAULTSORT:こくとう019}}
[[Category:国道19号|*]]
[[Category:愛知県の道路]]
[[Category:岐阜県の道路]]
[[Category:長野県の道路]]
|
2003-09-20T14:20:42Z
|
2023-11-17T00:22:05Z
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[
"Template:Infobox road",
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] |
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E9%81%9319%E5%8F%B7
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17,571 |
天野由梨
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天野 由梨(あまの ゆり、1966年1月5日 - )は、日本の女性声優。京都府京都市伏見区出身、愛知県育ち。本名は吉川 智子(よしかわ ともこ)であり、ごく初期の頃は芸名も本名をそのまま用いていた。アーツビジョン所属。
勝田声優学院、日本ナレーション演技研究所卒業。
1966年1月5日に京都府京都市伏見区で誕生、愛知県で育つ。幼い頃は内気で気弱な性格であったが、小学生の時に芝居に興味を持ち、自己主張できるのがお芝居と気が付き、中学生のころに演劇部に入り、少しずつ開放的な性格になる。母親と共に見ていた宝塚の影響もあり、舞台女優志望であったが、『アルプスの少女ハイジ』の再放送を見て感動して以来、声優の仕事にも興味を持ち、声優養成所の無料レッスンに受かったこともあり、声優の道を進むが、ミュージカルのオーディションも受け続けていた。
1985年に本名である吉川智子の名義で、テレビアニメ『昭和アホ草紙あかぬけ一番!』の女生徒A役で声優デビュー。1987年のテレビアニメ『マシンロボ ぶっちぎりバトルハッカーズ』で、パトリシア・ロングフェロー役でレギュラーを担当するも、声優としての仕事と並行してアルバイトも続けていたが、1990年に『私のあしながおじさん』のジュリア・ルートレッジ・ペンデルトンにてレギュラーを得て、ジュリアを演じていくうちに、「これは私にしか出来ない役、声の仕事が私の天職」と自信を持つようになる。1997年には、自ら企画を立てたドラマCD『マダム・リリーの事件簿』を世に送り出した(『マダム・リリーの事件簿』の企画自体は前年放送していたラジオから立ち上がっていた)。
2000年に声優業から一旦引退するも、2003年8月より復帰し、活動を再開した。ただし、『それいけ!アンパンマン』のあかちゃんまん、『名探偵コナン』の沖野ヨーコなど、以前担当していた一部の役柄には復帰せず、事実上後任に役を譲っているケースもある。
キャラクターへの熱い思い入れと情熱的な演技が魅力。
役柄としては、比較的気高く気の強い女性、主人公にとってお姉さん気質の女性、可憐な少女、強さを秘めた女性役を演じる。
趣味・特技はアイリッシュハープ、植物を育てること。アイリッシュハープに関しては、「弾いていると頭の中の雑念が引いていくから」とのこと。千葉耕市からは、「若手にして実力があるということの根源はそのへんにあるのかな」と評されていた。
1993年頃に「ゆりっぺ」という愛称が使われていたが、これは林原めぐみによって名付けられたものである。後輩のゆかなを尊敬し、大事にしている。
天野の一時引退に伴い、役を引き継いだ人物は以下の通り。
このうち、レイン・ミカムラ役については天野が自身の声優業を再開後に担当に復帰している。
太字はメインキャラクター。
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天野 由梨は、日本の女性声優。京都府京都市伏見区出身、愛知県育ち。本名は吉川 智子であり、ごく初期の頃は芸名も本名をそのまま用いていた。アーツビジョン所属。
|
{{声優
| 名前 = 天野 由梨
| ふりがな = あまの ゆり
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| 画像コメント =
| 本名 = 吉川 智子<ref name="Jinmeijitenn">{{Cite book|和書|title=テレビ・タレント人名事典|issue=第6版|page=51|date=2004年6月|ISBN=4-8169-1852-3}}</ref>(よしかわ ともこ)<ref name="jiten">{{Cite book|和書|year=1996|title=声優事典 第二版|page=337|publisher=[[キネマ旬報社]]||isbn = 4-87376-160-3 }}</ref>
| 愛称 =
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| 出身地 = {{JPN}}・[[京都府]][[京都市]][[伏見区]]<ref name="goo人名事典">{{Cite web|和書|url=https://dictionary.goo.ne.jp/word/person/天野由梨/|title=天野由梨(あまのゆり)の解説 - goo人名事典|accessdate=2019-09-27}}</ref>、[[愛知県]]{{R|talent}}
| 死没地 =
| 生年 = 1966
| 生月 = 1
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| 没年 =
| 没月 =
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| 血液型 = [[ABO式血液型|A型]]<ref name="oricon">{{Cite web|和書|url=https://www.oricon.co.jp/prof/238457/|title=天野由梨(出典:VIPタイムズ社) |work=ORICON NEWS |publisher=オリコン |accessdate=2019-09-27}}</ref>
| 身長 =
| 職業 = [[声優]]
| 事務所 = [[アーツビジョン]]<ref name="artsvision">{{Cite web|和書|url=https://www.artsvision.co.jp/talent/63/|title=天野 由梨|publisher=アーツビジョン|accessdate=2020-02-12}}</ref>
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| 公式サイト = [https://www.artsvision.co.jp/talent/63/ 天野 由梨|アーツビジョン]
| 公称サイズ出典 = {{Cite book|和書|author=|title=日本タレント名鑑(2000年版)|page=490|publisher=VIPタイムズ社 |isbn=|date=2000}}
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| 身長2 = 152{{R|oricon}}
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| 活動期間 = [[1985年]] - [[2000年]]<br>[[2003年]] -
| デビュー作 = 女生徒A(『[[昭和アホ草紙あかぬけ一番!]]』)<ref name="CHARA">[[月刊ニュータイプ]]・編「天野由梨」『キャラクターボイスコレクション 女性編1』 [[角川書店]]、1994年12月25日、{{ISBN2|4-04-852522-0}}、8-13頁。</ref>
}}
'''天野 由梨'''(あまの ゆり{{refnest|group=注|[[芸名]]は[[姓名判断]]で付けてもらった名前であり、「つくべくしてついた本来の魂の名前」とのこと<ref>[[渡辺由美子 (フリーライター)|渡辺由美子]]「Voice Gallery 天野由梨」『ロマンアルバム VOICE GALLERY』[[徳間書店]]、1995年4月30日、雑誌61578-19、47頁。</ref>。}}、[[1966年]][[1月5日]]{{R|goo人名事典}} - )は、[[日本]]の[[女性]][[声優]]。[[京都府]][[京都市]][[伏見区]]出身{{R|goo人名事典}}、[[愛知県]]育ち{{R|talent}}。本名は'''吉川 智子'''<ref name="Jinmeijitenn" />(よしかわ ともこ){{R|jiten}}であり、ごく初期の頃は[[芸名]]も本名をそのまま用いていた<ref>[[赤い光弾ジリオン]] 第8話</ref>。[[アーツビジョン]]所属{{R|artsvision}}。{{VOICE Notice Hidden|冒頭部分に記載する代表作は、編集合戦誘発の原因となりますので、多数の出典で確認できるものに限ってください。[[プロジェクト:芸能人#記事の書き方]]にてガイドラインが制定されていますので、そちらも参照して下さい。}}
== 来歴 ==
[[勝田声優学院]]、[[日本ナレーション演技研究所]]卒業{{R|artsvision}}。
[[1966年]][[1月5日]]に[[京都府]][[京都市]][[伏見区]]で誕生{{R|goo人名事典}}、[[愛知県]]{{R|talent}}で育つ。幼い頃は内気で気弱な性格であったが、小学生の時に芝居に興味を持ち、自己主張できるのがお芝居と気が付き、中学生のころに演劇部に入り、少しずつ開放的な性格になる。母親と共に見ていた[[宝塚歌劇団|宝塚]]の影響もあり、[[舞台女優]]志望であったが、『[[アルプスの少女ハイジ (アニメ)|アルプスの少女ハイジ]]』の[[再放送]]を見て感動して以来、声優の仕事にも興味を持ち、声優養成所の無料レッスンに受かったこともあり、声優の道を進むが、[[ミュージカル]]の[[オーディション]]も受け続けていた<ref name="seiyu">渡辺由美子・アニメージュ編集部編「今、この道をふりかえって―-声優五人の足跡------天野由梨」『アニメージュ・オリジナルレポート 声優になりたいあなたへ』徳間書店、1994年4月30日、{{ISBN2|4-19-860101-1}}、25-27頁。</ref>。
[[1985年]]に本名である'''吉川智子'''の名義で、[[テレビアニメ]]『[[昭和アホ草紙あかぬけ一番!]]』の女生徒A役で声優デビュー{{R|CHARA}}。[[1987年]]のテレビアニメ『[[マシンロボ ぶっちぎりバトルハッカーズ]]』で、パトリシア・ロングフェロー役でレギュラーを担当するも、声優としての仕事と並行して[[アルバイト]]も続けていたが、[[1990年]]に『[[私のあしながおじさん]]』のジュリア・ルートレッジ・ペンデルトンにてレギュラーを得て、ジュリアを演じていくうちに、「これは私にしか出来ない役、声の仕事が私の天職」と自信を持つようになる{{R|seiyu}}。[[1997年]]には、自ら企画を立てた[[ドラマCD]]『マダム・リリーの事件簿』を世に送り出した(『マダム・リリーの事件簿』の企画自体は前年放送していたラジオから立ち上がっていた)。
[[2000年]]に声優業から一旦引退するも、[[2003年]]8月より復帰し、活動を再開した。ただし、『[[それいけ!アンパンマン]]』のあかちゃんまん、『[[名探偵コナン (アニメ)|名探偵コナン]]』の沖野ヨーコなど、以前担当していた一部の役柄には復帰せず、事実上後任に役を譲っているケースもある。
== 人物 ==
キャラクターへの熱い思い入れと情熱的な演技が魅力<ref>{{Cite book |和書 |author=小川びい |title=こだわり声優事典'97 |publisher=[[徳間書店]] |series=ロマンアルバム |page= 9|date=1997-03-10 |isbn=4-19-720012-9}}</ref>。
役柄としては、比較的気高く気の強い女性、主人公にとってお姉さん気質の女性<ref>{{Cite web|和書|url=https://npn.co.jp/article/detail/31194498 |title=第46回 『機動武闘伝Gガンダム』レイン・ミカムラを演じた・天野由梨 |publisher=リアルライブ |date=2013-12-05 |accessdate=2023-05-18}}</ref>、可憐な少女、強さを秘めた女性役を演じる<ref>{{Cite web |url=http://www.artsvision.co.jp/actress/actress2.html|title=ACTRESS|publisher=[[アーツビジョン]] |archiveurl=https://web.archive.org/web/20001209095200/http://www.artsvision.co.jp:80/actress/actress2.html|archivedate=2000-12-09 |accessdate=2022-05-26}}</ref>。
趣味・特技は[[アイリッシュハープ]]、[[植物]]を育てること{{R|artsvision}}。アイリッシュハープに関しては、「弾いていると頭の中の雑念が引いていくから」とのこと<ref name="V">倉田幸雄編「今さら友だちのWA!!(天野由梨→?)」『アニメV 1993年5月号』[[学習研究社]]、1993年5月1日、雑誌01591-05、61頁。</ref>。[[千葉耕市]]からは、「若手にして実力があるということの根源はそのへんにあるのかな」と評されていた<ref name="CHARA"/>。
1993年頃に「ゆりっぺ」という愛称が使われていたが、これは[[林原めぐみ]]によって名付けられたものである。後輩の[[ゆかな]]を尊敬し、大事にしている{{R|CHARA}}。
== 代役・後任 ==
天野の一時引退に伴い、役を引き継いだ人物は以下の通り。
{| class="wikitable sortable" style="font-size:small" border="1"
|-
!後任!!役名!!概要作品!!後任の初担当作品
|-
|[[長沢美樹]]||[[名探偵コナンの登場人物#|沖野ヨーコ]]||『[[名探偵コナン (アニメ)|名探偵コナン]]』||第249話<ref group="注">声優業復帰後はヨーコ役は降板しているものの、2006年5月8日放送の第437話からはゲスト声優として何度か出演している。</ref>
|-
|[[千原江理子]]||[[アンパンマンの登場人物一覧#あかちゃんまん|あかちゃんまん]]||rowspan="3"|『[[それいけ!アンパンマン]]』||TBA<ref group="注">天野の前任の初代声優でもあり、同役に復帰した形となる。</ref>
|-
|[[笹井千恵子]]||[[アンパンマンの登場人物一覧#おことちゃん|おことちゃん]]||TBA
|-
|[[能登麻美子]]||[[アンパンマンの登場人物一覧 (サブキャラクター)#なでしこさん|なでしこさん]]||TBA
|-
|[[折笠愛]]||[[ちびまる子ちゃんの登場人物#その他の関係者|花輪くんのお母さん]]||『[[ちびまる子ちゃん]]』||TBA
|-
|[[今井由香]]||[[おじゃる丸の登場人物一覧#マリーの屋敷の住人|乙女先生]]||『[[おじゃる丸]]』||シーズン3
|-
|[[井上喜久子]]||ティーラ・ザイン・エルメス||『[[女神候補生]]』||OAD版
|-
|[[川村万梨阿]]||イヴ・ギャラガー||『[[悠久幻想曲]]』||『[[悠久組曲 All Star Project]]』
|-
|[[ならはしみき]]||[[レイン・ミカムラ]]||『[[機動武闘伝Gガンダム]]』||『[[GUNDAM EVOLVE#GUNDAM EVOLVE 3 GF13-017NJII GOD GUNDAM|GUNDAM EVOLVE 3 GF13-017NJII GOD GUNDAM]]』
|-
|[[荒木香衣]]||ジュジュ・クー・シュナムル||『[[魔法陣グルグル (1994年のアニメ)|魔法陣グルグル]]』||『[[ドキドキ伝説 魔法陣グルグル|ドキドキ♡伝説 魔法陣グルグル]]』
|-
|[[南央美]]||[[クレヨンしんちゃんの登場人物一覧#本田ひとし|本田ひとし]]||『[[クレヨンしんちゃん (アニメ)|クレヨンしんちゃん]]』||TBA
|-
|}
このうち、レイン・ミカムラ役については天野が自身の声優業を再開後に担当に復帰している。2023年には再びあかちゃんまん役を担当している。
== 出演 ==
'''太字'''はメインキャラクター。
=== テレビアニメ ===
{{dl2
| 1985年 |
* [[昭和アホ草紙あかぬけ一番!]](女生徒A、アナウンサー)
| 1986年 |
* [[生徒諸君!心に緑のネッカチーフを]](女子生徒)
* [[マシンロボ クロノスの大逆襲]](エルラ)
| 1987年 |
* [[赤い光弾ジリオン]](女)
* [[マシンロボ ぶっちぎりバトルハッカーズ]](パトリシア・ロングフェロー{{R|ぶっちぎりバトルハッカーズ}})
| 1988年 |
* [[超音戦士ボーグマン]](コンピューター)
* [[ハーイあっこです]](マミちゃんのママ、ヨシコ)
* [[燃える!お兄さん]](女子生徒)
| 1989年 |
* [[青いブリンク]](1989年 - 1990年、子供、カララ)
* [[それいけ!アンパンマン]](1989年 - 2023年、あかちゃんまん〈2代目〉、なでしこさん〈初代〉、おことちゃん〈初代〉)
* [[ミラクルジャイアンツ童夢くん]](綾小路由貴)
* [[レスラー軍団〈銀河編〉 聖戦士ロビンJr.]](Queen火美子、志信丸、麗凍士、スペード)
| 1990年 |
* [[アイドル天使ようこそようこ]](ジュリア、有村理沙)
* [[からくり剣豪伝ムサシロード]](オニヒメ)
* [[ちびまる子ちゃん]](1990年 - 2022年、プサディ、野村ゆう子、双子の姉妹、花輪くんのお母さん〈初代〉、佐々木洋子) - 2シリーズ
* [[魔神英雄伝ワタル2]](ズボシばあさん)
* [[まじかる☆タルるートくん]](閃光の女神)
* [[まじかるハット]](ドグヨ)
* [[三つ目がとおる]](モエギ)
* [[桃太郎伝説 (アニメ)#桃太郎伝説 PEACHBOY LEGEND|桃太郎伝説 PEACHBOY LEGEND]](サチ)
* [[RPG伝説ヘポイ]](フローネ姫)
* [[ルパン三世 ヘミングウェイ・ペーパーの謎]]
* [[私のあしながおじさん]]('''ジュリア・ルートレッジ・ペンデルトン'''<ref>{{Cite web|和書|url= https://www.nippon-animation.co.jp/work/1582/ |title= キャラクター/キャスト |work=私のあしながおじさん|publisher=NIPPON ANIMATION |accessdate=2023-01-24}}</ref>)
| 1991年 |
* [[おばけのホーリー]](毛糸のおばけ・ムクムク)
* [[機甲警察メタルジャック]](吉沢えり子{{R|メタルジャック}})
* [[太陽の勇者ファイバード]](ミリア、天野ユリ)
* [[楽しいムーミン一家 冒険日記]](クレオバニラ)
* [[トラップ一家物語]](ナスターシャ・イワノブナ)
* [[ハイスクールミステリー学園七不思議]](一条みずきの母、桐生あゆみ)
* [[新世紀GPXサイバーフォーミュラ]]('''葵今日子'''<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.cyber-formula.net/tv/staffcast.html|title =STAFF&CAST|新世紀GPXサイバーフォーミュラ|publisher=新世紀GPXサイバーフォーミュラ OFFICIAL WEB|accessdate=2023-01-24}}</ref>)
* [[わたしとわたし ふたりのロッテ]](ニーナ)
| 1992年 |
* [[あしたへフリーキック]]('''有高みづほ'''{{R|あしたへフリーキック}}、チコのお友だち)
* [[宇宙の騎士テッカマンブレード]](ソフィア)
* [[風の中の少女 金髪のジェニー]](サリー)
* [[クレヨンしんちゃん (アニメ)|クレヨンしんちゃん]](1992年 - 1995年、お母さん、由美子、OL、ホステス、本田ひとし〈初代〉)
* [[元気爆発ガンバルガー]](ナオミ)
* [[スペースオズの冒険]](シェーラ姫)
* [[ファンタジーアドベンチャー 長靴をはいた猫の冒険]](シンデレラ)
* [[幽☆遊☆白書 (テレビアニメ)|幽☆遊☆白書]]('''雪村螢子'''{{R|幽☆遊☆白書}})
| 1993年 |
* [[海がきこえる (アニメ)|海がきこえる]](清水明子)
* [[熱血最強ゴウザウラー]]('''朝岡しのぶ'''<ref name="gou">{{Cite web|和書| url = http://www.eldran.net/gosaurar/world/index.html#cast| title =熱血最強ゴウザウラー |website = エルドラン公式サイト| publisher = サンライズ| accessdate = 2022-03-03}}</ref>、長田秀三<ref name="gou"/>、弥生由里<ref name="gou"/>)
* [[美少女戦士セーラームーン (テレビアニメ)|美少女戦士セーラームーン シリーズ]](1993年 - 1995年、振り子〈ペンジュラム〉のベルチェ、女優、ブー子、セレセレ、桐子) - 3シリーズ
* [[姫ちゃんのリボン]](五利重美)
* [[無責任艦長タイラー (アニメ)|無責任艦長タイラー]]('''ユリコ・スター少佐''')
* [[勇者特急マイトガイン]](松原いずみ{{R|マイトガイン}}、吉永テツヤ{{R|マイトガイン}})
| 1994年 |
* [[機動武闘伝Gガンダム]](1994年 - 1995年、'''[[レイン・ミカムラ]]'''{{R|Gガンダム}})
* [[白雪姫の伝説]]('''[[白雪姫]]'''{{R|白雪姫の伝説}})
* [[覇王大系リューナイト]](アドリア)
* [[なんでもQ]](うらら、ホタルのひかるちゃん、蝶のアゲハちゃん)
* [[ハックルベリー・フィン物語]](シッド、ジュリー・ワトソン、フェルプス婦人)
* [[魔法騎士レイアース]](アルシオーネ{{R|魔法騎士レイアース}})
* [[勇者警察ジェイデッカー]](ルーア)
| 1995年 |
* [[愛天使伝説ウェディングピーチ]](ミミ、玲子)
* [[アニメ世界の童話]]('''白雪姫''')
* [[ご近所物語]](ユカリ)
* [[黄金勇者ゴルドラン]](メーテ)
* [[鬼神童子ZENKI]](カルマ、ルルパパ)
* [[恐竜冒険記ジュラトリッパー]](タイガー{{R|恐竜冒険記ジュラトリッパー}})
* [[十二戦支 爆烈エトレンジャー]](白雪姫)
* [[神秘の世界エルハザード]]('''イフリータ''')
* [[天地無用!]](1995年 - 1997年、'''真備清音''') - 2シリーズ
* [[ナースエンジェルりりかSOS]](森谷まどか、ヘレナ)
* [[魔法陣グルグル (1994年のアニメ)|魔法陣グルグル]]('''ジュジュ'''{{R|魔法陣グルグル}})
* [[モジャ公]](エリカ姫)
| 1996年 |
* [[ゲゲゲの鬼太郎 (テレビアニメ第4シリーズ)|ゲゲゲの鬼太郎(第4作)]](花子)
* [[きこちゃんすまいる]](吉永さおり、子天使ポ)
* [[機動新世紀ガンダムX]](オニミム・スー)
* [[シティーハンター ザ・シークレット・サービス]]('''新庄安奈'''{{R|ザ・シークレット・サービス}})
* [[セイバーマリオネットJ]](1996年 - 1998年、ミカエル、'''ミス・ローレライ''') - 2シリーズ
* [[天空のエスカフローネ]](エリーズ・アストン、ナリア<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.escaflowne.jp/character/19.html|title=キャラクター ナリア エリヤ|website=天空のエスカフローネ|publisher=サンライズ|accessdate=2023-08-10}}</ref>)
* [[魔法少女プリティサミー]](雨百合清音)
* [[名探偵コナン (アニメ)|名探偵コナン]](1996年 - 2020年、[[名探偵コナンの登場人物#沖野ヨーコ|沖野ヨーコ]]〈初代〉、倉橋恵子、門奈道子、楓優子 他)
| 1997年 |
* [[エルフを狩るモノたちII]](プラナ)
* [[こどものおもちゃ]] ニューヨーク編(ミズグチユウコ)
* [[中華一番!]](フェイの母親)
* [[深海伝説MEREMANOID]](メーギャン)
* [[手塚治虫の旧約聖書物語]](マリア<ref>{{Cite web|和書| url = https://tezukaosamu.net/jp/anime/49.html| title = 聖書物語| publisher = 手塚治虫公式サイト | accessdate = 2016-06-08}}</ref>)
* [[BURN-UP EXCESS]](ナンベル)
* [[はいぱーぽりす]](ポー・ド・ロックフォール警部補)
* [[吸血姫美夕 (テレビアニメ)|吸血姫美夕]](陽子)
* [[烈火の炎]](形代零蘭)
| 1998年 |
* [[異次元の世界エルハザード]](イフリータ)
* [[浦安鉄筋家族]](大沢木順子)
* [[おじゃる丸]](乙女先生〈初代〉)
* [[SHADOW SKILL -影技-]](リルベルト・ル・ビジュー)
* [[セクシーコマンドー外伝 すごいよ!!マサルさん]](マリコ先生、アバンの女)
* [[聖ルミナス女学院]](松島菜桜子)
* [[DTエイトロン]](シュウの母)
* [[TRIGUN]](エリザベス)
* [[万能文化猫娘]](石山桃子)
* [[遊☆戯☆王 (アニメ第1作)|遊☆戯☆王]](桜井美雪)
| 1999年 |
* [[おるちゅばんエビちゅ]](マァくんの彼女 他)
* [[コレクター・ユイ]](春日さくら)
* [[ポケットモンスター (1997-2002年のアニメ)|ポケットモンスター]](ヒイラギ)
| 2000年 |
* [[女神候補生]](ティーラ・ザイン・エルメス)
| 2003年 |
* [[R.O.D -THE TV-]](三島晴美)
* [[高橋留美子劇場 人魚の森]](苗)
* [[探偵学園Q]](白州真弓)
* [[ポケットモンスター アドバンスジェネレーション]](ヨーコ)
| 2004年 |
* [[犬夜叉 (アニメ)|犬夜叉]](月黄泉)
* [[うた∽かた]](美月)
* [[tactics (漫画)|tactics]](仁の母、千景)
* [[みさきクロニクル〜ダイバージェンス・イヴ〜]](紅葉アカリ)
* [[月詠 -MOON PHASE-]](清音〈葉月の母〉)
* [[天上天下]](凪真紀子、母)
* [[遙かなる時空の中で-八葉抄-]](鷹通の母)
* [[忘却の旋律]](浜崎けい子)
* [[マシュマロ通信]](2004年 - 2005年、サンディママ<ref>{{Cite web|和書|url= https://www.tv-osaka.co.jp/marshmallow/kyara.html |title=キャラクター サンディママ |work=マシュマロ通信 |accessdate=2023-04-02 |publisher= 山本ルンルン/ウィーヴ・テレビ大阪・KOKO・マシュマロ通信製作委員会}}</ref>、バジルママ、タンジェリン)
* [[レジェンズ 甦る竜王伝説]](BB、シュウの母)
| 2005年 |
* [[奥さまは魔法少女]](谷嶋由貴、ヴァレンタイン・ヴァレンティーノ)
* [[陰陽大戦記]](甘露のミユキ)
* [[ガン×ソード]](ハエッタ)
* [[トリニティ・ブラッド]](ミルカ・フォルトゥナ)
| 2006年 |
* [[おとぎ銃士 赤ずきん]](カインの母)
* [[コードギアス 反逆のルルーシュ]](カレンの母)
* [[地獄少女]](あいの母)
* [[スクールランブル 二学期]]([[沢近愛理]]の母)
* [[姫様ご用心]](椿えびね<ref>{{Cite web|和書| url = https://web.archive.org/web/20180820074520/https://mediaarts-db.bunka.go.jp/an/anime_series/12349| title = 姫様ご用心| publisher = メディア芸術データベース| accessdate = 2016-08-28}}</ref>)
* [[まじめにふまじめ かいけつゾロリ]](ユミ・エミの母)
* [[蟲師]](さよ)
| 2007年 |
* [[古代王者 恐竜キング Dキッズ・アドベンチャー]](詩乃)
* [[こどものじかん]](九重秋)
* [[素敵探偵ラビリンス]](和泉いなほ)
* [[蒼天の拳]](太炎の母)
* [[D.Gray-man]](クレア・ヘッセ)
| 2008年 |
* [[Yes!プリキュア5GoGo!]](森田よしみ)
* [[ストライクウィッチーズ]](2008年 - 2010年、宮藤母) - 2シリーズ
* [[隠の王]](一季)
* [[ねぎぼうずのあさたろう]](おつる)
* [[Mission-E]](倉持茜)
| 2009年 |
* [[キャシャーン Sins]](ホーティ)
* [[こんにちは アン 〜Before Green Gables]](シャーロット・ハモンド)
* [[真・恋姫†無双]](劉備の母)
* [[スレイヤーズEVOLUTION-R]](タフォーラシア国民E)
* [[鋼の錬金術師 FULLMETAL ALCHEMIST]](サラ・ロックベル)
* [[フレッシュプリキュア!]](千香)
| 2010年 |
* [[裏切りは僕の名前を知っている]](式部為吹)
* [[ハートキャッチプリキュア!]](まゆか)
* [[夢色パティシエール]](ミシェル)
| 2011年 |
* [[フリージング (漫画)|フリージング]](2011年 - 2013年、ノエル) - 2シリーズ
| 2012年 |
* [[黒魔女さんが通る!!]](藤原遊馬)
* [[中二病でも恋がしたい! (アニメ)|中二病でも恋がしたい!]](2012年 - 2014年、勇太の母<ref>{{Cite web|和書|publisher=TVアニメ「中二病でも恋がしたい!」公式サイト|url=http://www.anime-chu-2.com/staff-cast/|title=スタッフ・キャスト|accessdate=2012-09-07|archiveurl=https://web.archive.org/web/20120911034739/http://www.anime-chu-2.com/staff-cast/|archivedate=2012年9月11日|deadlinkdate=2017年10月}}</ref><ref>{{Cite web|和書|publisher=TVアニメ『中二病でも恋がしたい!戀』公式サイト|url=http://www.anime-chu-2.com/staff-cast/|title=スタッフ・キャスト|accessdate=2013-12-30|archiveurl=https://web.archive.org/web/20131219044055/http://www.anime-chu-2.com/staff-cast/|archivedate=2013年12月19日|deadlinkdate=2017年10月}}</ref>) - 2シリーズ
| 2013年 |
* [[新世界より (小説)|新世界より]](鳥飼宏美)
| 2014年 |
* [[サムライフラメンコ]](後藤の母)
* [[とある飛空士への恋歌]](マリア・ラ・イール)
| 2015年 |
* [[神様はじめました◎]](奈々生の母)
* [[Go!プリンセスプリキュア]](ホープキングダム王妃)
| 2016年 |
* [[坂本ですが?]](美人局)
* [[新あたしンち]](里奈ママ)
* [[名探偵コナン エピソード“ONE” 小さくなった名探偵]](ひとみ)
| 2017年 |
* [[タイムボカン24]](婦人4)<!-- 2017-02-25 -->
* [[キラキラ☆プリキュアアラモード]](琴爪しの)<!-- 2017-03-05 -->
* [[カブキブ!]](蛯原母)<!-- 2017-06-02 -->
* [[サクラダリセット]](美空の母)<!-- 2017-08-16 -->
* [[このはな綺譚]](礼の母)<!-- 2017-11-22 -->
| 2018年 |
* [[京都寺町三条のホームズ]](梶原綾子)<!-- 2018-07-24 -->
| 2019年 |
* [[ストライクウィッチーズ 501部隊発進しますっ!]](宮藤清佳)<!-- 2019-05-22 -->
* [[放課後さいころ倶楽部]](武笠巴)<!-- 2019-10-31 -->
| 2020年 |
* [[富豪刑事 Balance:UNLIMITED]](本山、母親)<!-- 2020-04-10 -->
| 2021年 |
* [[ワールドウィッチーズ発進しますっ!]](宮藤清佳)<!-- 2021-01-13 -->
* [[かげきしょうじょ!!]](野原ミレイ)<!-- 2021-08-29 -->
}}
=== 劇場アニメ ===
{{dl2
| 1986年 |
* [[プロジェクトA子]](生徒)
| 1990年 |
* [[それいけ!アンパンマン ばいきんまんの逆襲]](あかちゃんまん)
* [[ちびまる子ちゃん (映画)|ちびまる子ちゃん]](よう子ちゃん)
| 1991年 |
* [[うしろの正面だあれ]]
* [[機動戦士ガンダムF91]](ジェシカ・ングロ)
* [[それいけ!アンパンマン ドキンちゃんのドキドキカレンダー]](あかちゃんまん)
* [[とべ!くじらのピーク]]
| 1992年 |
* [[それいけ!アンパンマン アンパンマンとゆかいな仲間たち]](あかちゃんまん)
| 1993年 |
* [[うしおととら|うしおととら 風狂い]](中村麻子)
* [[河童の三平|カッパの三平]](千穂)
| 1994年 |
* [[それいけ!アンパンマン みんな集まれ! アンパンマンワールド]](あかちゃんまん)
* [[幽☆遊☆白書 冥界死闘篇 炎の絆]](雪村螢子)
| 1996年 |
* [[けろけろけろっぴ|けろけろけろっぴのびっくり! おばけやしき]]
* [[劇場版 天地無用! in LOVE]]('''清音真備''')
* [[ドラえもん のび太と銀河超特急]](ガイド)
* [[魔法陣グルグル (1994年のアニメ)#劇場アニメ|魔法陣グルグル 劇場版]]('''ジュジュ・クー・シュナムル'''<ref>{{Cite web|和書| url = https://www.nippon-animation.co.jp/work/1743/| title = 魔法陣グルグル [劇場版]| publisher = 日本アニメーション| accessdate = 2022-10-14}}</ref>)
| 1997年 |
* [[劇場版 天地無用! 真夏のイヴ]]('''清音真備''')
* [[LUNAR|魔法学園ルナ LUNAR! 青い竜の秘密すっぽこ魔法作戦]]('''バルア''')
| 1999年 |
* [[劇場版 天地無用! in LOVE2 遙かなる想い]]('''清音真備''')
| 2012年 |
* [[ストライクウィッチーズ 劇場版]](宮藤清佳)
| 2013年 |
* [[中二病でも恋がしたい! (アニメ)#劇場版アニメ|中二病でも恋がしたい!シリーズ]](2013年 - 2018年、勇太の母<ref>{{Cite web|和書|publisher=「小鳥遊六花・改 〜劇場版 中二病でも恋がしたい!〜」公式サイト|url=http://www.anime-chu-2.com/staff-cast/|title=スタッフ・キャスト|accessdate=2013-06-09|archiveurl=https://web.archive.org/web/20130610003512/http://www.anime-chu-2.com/staff-cast/|archivedate=2013年6月10日|deadlinkdate=2017年10月}}</ref>) - 2作品
}}
=== OVA ===
{{dl2
| 1986年 |
* [[バイオレンスジャック ハーレムボンバー]](通信員)
| 1988年 |
* [[プロジェクトA子3 シンデレラ・ラプソディ]]
| 1990年 |
* [[NINETEEN 19]](美子)
* [[冒険!イクサー3]](静可愛)
* [[ライトニングトラップ レイナ&ライカ]](小島ナミ)
| 1991年 |
* [[一本包丁満太郎|一本包丁満太郎2 大阪そうめん戦争]](女の子)
* [[インフェリウス惑星戦史外伝 CONDITION GREEN]](アンジー・ペイジ)
* [[おカマ白書]](キャサリン)
* [[おざなりダンジョン 風の塔]](神宮)
* [[おたくのビデオ]](佐藤由梨)
* [[カプリコン]](ノン)
* [[ガルフォース|ガルフォース 新世紀編]](ガーネット)
* [[銀河英雄伝説 (アニメ)|銀河英雄伝説]](シャルロット・フィリス・キャゼルヌ、キャゼルヌ家の次女)
| 1992年 |
* [[あばしり一家]](白嶺雪子)
* [[うしおととら]]('''中村麻子''')
* [[永遠のフィレーナ]](エルテナ)
* [[シークエンス (アニメ)|シークエンス]](めぐみ)
* [[新世紀GPXサイバーフォーミュラ|新世紀GPXサイバーフォーミュラ グラフィティ]]('''葵今日子''')
* 新世紀GPXサイバーフォーミュラ11('''葵今日子'''<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.cyber-formula.net/11/staffcast.html|title =STAFF&CAST|新世紀GPXサイバーフォーミュラ11|publisher=新世紀GPXサイバーフォーミュラ OFFICIAL WEB|accessdate=2022-09-30}}</ref>)
* [[電影少女 -VIDEO GIRL AI-]](早川もえみ)
* [[ねこひきのオルオラネ]](女性)
* [[のぞみウィッチィズ#OVA|のぞみ♡ウィッチィズ]](北川)
| 1993年 |
* [[悪右衛門]](くずのは<ref>{{Cite news | url = https://tezukaosamu.net/jp/anime/89.html| title = 悪右衛門| newspaper = | publisher = 手塚治虫公式サイト| date = | accessdate = 2016-05-08}}</ref>)
* [[アニメ・アート・ビデオ・コレクション]] 「[[ジャックと豆の木]]」(ハープ)
* [[アル・カラルの遺産]](レス)
* [[新造人間キャシャーン#1993年のOVA|キャシャーン]](サグリア{{R|キャシャーンOVA}})
* SINGLES(咲坂乃梨子<ref>{{Cite web | url = https://www.madhouse.co.jp/works/1993-1992/works_ova_singles.html| title = SINGLES| publisher = マッドハウス| accessdate = 2016-06-26}}</ref>)
* [[砂の薔薇 雪の黙示録]](コリーン)
* [[魔法のプリンセス ミンキーモモ|MINKY MOMO IN 夢にかける橋]](少女)
* [[モルダイバー]](ジェニファー)
| 1994年 |
* [[アイドル防衛隊ハミングバード]](取石弥生)
* [[新・キューティーハニー]](ゴールドディガー)
* 他人の関係('''長谷みやこ''')
* [[誕生 〜Debut〜]](楠忍)
* [[熱砂の惑星 女公安官ケイト]]('''ケイト・カーティス''')
* 新世紀GPXサイバーフォーミュラZERO('''葵今日子'''<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.cyber-formula.net/zero/staffcast.html|title =STAFF&CAST|新世紀GPXサイバーフォーミュラZERO|publisher=新世紀GPXサイバーフォーミュラ OFFICIAL WEB|accessdate=2022-09-30}}</ref>)
* [[爆炎CAMPUSガードレス]](紫)
* [[B.B.フィッシュ]](アユール)
* [[無責任艦長タイラー (アニメ)|無責任艦長タイラー 特別編]](ユリコ・スター少佐)
* [[幽幻怪社]](秘書)
| 1995年 |
* [[戦ー少女イクセリオン]](河合可愛)
* [[ウダウダやってるヒマはねェ!]](大日方あけみ)
* [[学校の幽霊]]
* [[銀河お嬢様伝説ユナ#銀河お嬢様伝説ユナ〜哀しみのセイレーン〜|銀河お嬢様伝説ユナ〜哀しみのセイレーン〜]](ライカ)
* [[神秘の世界エルハザード]]('''イフリータ''')
* [[聖羅ヴィクトリー]](マルガリータ)
* [[無責任艦長タイラー (アニメ)|無責任艦長タイラー]](ユリコ・スター少佐)
| 1996年 |
* 新世紀GPXサイバーフォーミュラ EARLYDAYS RENEWAL('''葵今日子''')
* 新世紀GPXサイバーフォーミュラSAGA('''葵今日子'''<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.cyber-formula.net/saga/staffcast.html|title =STAFF&CAST|新世紀GPXサイバーフォーミュラSAGA|publisher=新世紀GPXサイバーフォーミュラ OFFICIAL WEB|accessdate=2022-09-30}}</ref>)
* [[TWIN SIGNAL|ツインシグナル〜ファミリーゲーム〜]](クリス・サイン)
* [[BURN-UP W]](ナンベル)
* [[ふしぎ遊戯]](神代魅)
| 1997年 |
* [[ありす in Cyberland]](ゾーン)
* [[VS騎士ラムネ&40FRESH]](カカオの母、オペレーター)
* [[フォトン (OVA)|フォトン]](ラシャラ・ムーン)
* [[またまたセイバーマリオネットJ]](ミス・ローレライ)
* [[レイアース]](アルシオーネ{{R|レイアース}})
| 1998年 |
* 新世紀GPXサイバーフォーミュラSIN('''葵今日子'''<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.cyber-formula.net/sin/staffcast.html|title =STAFF&CAST|新世紀GPXサイバーフォーミュラSIN|publisher=新世紀GPXサイバーフォーミュラ OFFICIAL WEB|accessdate=2022-09-30}}</ref>)
* [[万能文化猫娘DASH!]](石山桃子)
| 1999年 |
* [[グラビテーション (漫画)|グラビテーション]](鵜飼典子)
| 2005年 |
* [[ストリートファイターZERO|ストリートファイターALPHAジェネレーション]]('''風花'''、さやか)
| 2018年 |
* [[幽☆遊☆白書|幽☆遊☆白書 のるかそるか]]('''雪村螢子''')
}}
=== ゲーム ===
{{dl2
| 1992年 |
* [[エメラルドドラゴン]](タムリン) - [[FM TOWNS]]版
| 1993年 |
* [[ヴァイ 〜流星の鎧〜]](エリン〈エリュンティア〉)
* [[ヴェインドリームII]]('''パーシャ''')
* [[3×3 EYES|聖魔伝説3×3EYES]](燐鬼)
* [[幽☆遊☆白書 闇勝負!!暗黒武術会]](雪村螢子)
| 1994年 |
* [[ヴァリアブル・ジオ|アドヴァンスト・V.G.]](結城綾子)
* [[機動武闘伝Gガンダム (スーパーファミコン)|機動武闘伝Gガンダム]]([[レイン・ミカムラ]])
* [[KO世紀ビースト三獣士|KO世紀ビースト三獣士 〜ガイア復活 完結編〜]](ゾット・スール)
* スタートリング・オデッセイII 魔竜戦争(パトリシア・ハイネルド)
* [[スターブレイカー]](ウーラ)
* [[誕生 〜Debut〜]](楠忍)
* [[電脳天使|電脳天使 〜デジタルアンジュ〜]](フォルシーニア・サダルスード・ルクバァ)- PC・PCE版
* [[初恋物語]](フォルシーニア・サダルスード・ルクバァ)
| 1995年 |
* [[戦国サイバー 藤丸地獄変]](韋駄天風子)
* [[ツインビーヤッホー! ふしぎの国で大あばれ!!]](メロディ女王)
* [[魔法騎士レイアース]](セガサターン版)(アルシオーネ)
* [[マッハブレイカーズ]](場内アナウンス)
* [[メタルファイター♥MIKU]](サスペリア凶子)
* 真怨霊戦記(桜木 香)
| 1996年 |
* [[ありす in Cyberland]](ゾーン)
* [[銀河お嬢様伝説ユナ|銀河お嬢様伝説ユナFX 哀しみのセイレーン]](ライカ)
* [[金田一少年の事件簿 悲報島 新たなる惨劇]](葉月マユラ)
* [[クイズなないろDREAMS 虹色町の奇跡]](東鳩真由美)
* [[新スーパーロボット大戦]](レイン・ミカムラ)
* [[ストリートファイターEX]]([[ほくと (ストリートファイター)|ほくと]])
* [[対戦とっかえだま]](白河りか)
* [[天地無用!|天地無用!魅御理温泉湯けむりの旅]](清音)
* 七つの秘館(鈴子)
* [[はるかぜ戦隊Vフォース]](葵華月)
* [[ファイアーウーマン纏組]](瀬田ひろみ)
* [[ライトニングレジェンド 大悟の大冒険]](愛宕美砂、愛宕理砂)
| 1997年 |
* [[アルナムの翼 焼塵の空の彼方へ]](マユコダ)
* [[QUIZなないろDREAMS 虹色町の奇跡]](小鳩真由美)
* [[スーパーロボット大戦F]](レイン・ミカムラ)
* ストリートファイターEX plus(ほくと、血の封印を解かれたほくと)
* ストリートファイターEX plus α(ほくと、血の封印を解かれたほくと)
* [[ストリートファイターIII|ストリートファイターIII -NEW GENERATION-]]([[いぶき (ストリートファイター)|いぶき]])
* ストリートファイターIII 2nd IMPACT -GIANT ATTACK-(いぶき)
* [[続 初恋物語 〜修学旅行〜]](岩館麻希)
* [[テイルズ オブ デスティニー]]('''マリー・エージェント'''、イレーヌ・レンブラント)
* 天地無用! 連鎖必要(清音)
* [[天空のエスカフローネ]](みづる)
* [[ネクストキング 恋の千年王国]](アニス・ダンデライオン)
* [[バルクスラッシュ]](リーゼン・ラヴィア)
* [[パワードール|パワードール2]](リサ・キム)
* [[ポケットファイター]](いぶき、イライザ、千歳ケイ)
* [[マリカ 〜真実の世界〜]](オルガ)
| 1998年 |
* [[AZITO|アジト2]](徳永美鈴)
* [[EVE The Lost One]](鈴田夏海)
* [[ヴァリアブル・ジオ|アドヴァンスト・V.G.2]](結城綾子)
* [[エーベルージュ|エーベルージュ スペシャル 〜恋と魔法の学園生活〜]](ミュラー・ヴィアンデン)
* ガイナロックR('''メグ・フェレイラ''')<!-- 1998-08-29 -->
* [[風の丘公園にて]](式町夕)
* [[サウザンドアームズ]](ジェラ)
* [[スーパーロボット大戦F|スーパーロボット大戦F完結編]](レイン・ミカムラ)
* ストリートファイターEX2(ほくと)
* [[双界儀]](朱童ひふみ)
* [[戦国美少女絵巻 空を斬る!!]](風魔 雪、露)
* [[にじいろトゥインクル 〜ぐるぐる大作戦〜]](クリアドネー)
* バックガイナー よみがえる勇者たち(宮下絵里、ジュリ)
** 覚醒編「ガイナー転生」
** 飛翔編「うらぎりの戦場」
* [[ファーランドサーガ 時の道標]](ラディッシュ)
* [[プリズムコート]](二階堂麗奈)
* [[プリンセスクエスト]](シフォン)
* [[マール王国の人形姫]]('''エトワール・ローゼンクイーン''')
* 魔法少女プリティサミー ハートのきもち(清音)
* [[悠久幻想曲|悠久幻想曲 ensemble]](イヴ・ギャラガー)
* 悠久幻想曲 2nd Album(イヴ・ギャラガー)
| 1999年 |
* [[キャプテン・ラヴ]](加賀谷忍)
* [[スーパーヒーロー作戦]](レイン・ミカムラ)
* ストリートファイターEX2 PLUS(ほくと)
* ストリートファイターIII 3rd STRIKE -Fight for the Future-(いぶき、[[ネクロ (ストリートファイター)#関連キャラクター|エフィー]])
* [[ソナタ (ゲーム)|Sonata]](BF1-CHIHAYA、チハヤ・マグナス、大曽根ちはや)
* [[デバイスレイン]]('''空木理子''')
* [[ハイスクール・オブ・ブリッツ]](ダイアン)
* 悠久幻想曲 ensemble2(イヴ・ギャラガー)
* [[リトルプリンセス マール王国の人形姫2]](エトワール・ローゼンクイーン、ランラン)
| 2000年 |
* [[SDガンダム GGENERATION]] シリーズ(2000年 - 2020年、[[機動戦士ガンダム シルエットフォーミュラ91#ドーフマン|ドーフマン]]、ジェシカ・ングロ、レイン・ミカムラ<ref group="注">『NEO』(2002年)、『SEED』(2004年)では[[ならはしみき]]が代役を担当。『PORTABLE』(2006年)からは同役に復帰。</ref>) - 8作品{{Ras|『F』<!-- 2000-08-03 -->(2000年)、『F.I.F』<!-- 2001-05-02 -->(2001年)、『PORTABLE』<!-- 2006-08-03 -->(2006年)、『SPIRITS』<!-- 2007-11-29 -->(2007年)、『WARS』<!-- 2009-08-06 -->(2009年)、『3D』<!-- 2011-12-22 -->(2011年)、『OVER WORLD』<!-- 2012-09-27 -->(2012年)、『CROSSRAYS』<!-- 2020-02-13 -->(2020年)}}
* [[エターナルアルカディア]](ベレーザ)
* [[高機動幻想ガンパレード・マーチ]](ウィチタ・更紗)
* [[サモンナイト]](ミモザ・ロランジュ)
* ストリートファイターEX3(ほくと)
| 2001年 |
* [[サクラ大戦3 〜巴里は燃えているか〜]](ナーデル)
* [[スタートリングアドベンチャーズ 空想3×大冒険]](マム グリソム)
| 2002年 |
* [[スーパーロボット大戦IMPACT]](レイン・ミカムラ)
* [[テイルズ オブ ザ ワールド なりきりダンジョン2]]
| 2004年 |
* [[スーパーロボット大戦MX]](レイン・ミカムラ)
| 2005年 |
* [[スーパーロボット大戦MX|スーパーロボット大戦MX ポータブル]](レイン・ミカムラ)
* [[テイルズ オブ ザ ワールド なりきりダンジョン3]]
* [[幽☆遊☆白書FOREVER]](雪村螢子)
| 2006年 |
* [[テイルズ オブ デスティニー]](PS2版)('''マリー・エージェント''')
| 2007年 |
* [[ガンダム無双]](レイン・ミカムラ)
| 2008年 |
* [[インフィニット アンディスカバリー]](サランダ、'''セラフィマ''')
* [[スーパーロボット大戦A PORTABLE]](レイン・ミカムラ、[[ゲッターロボ|早乙女ミユキ]])
| 2009年 |
* [[スーパーロボット大戦NEO]](朝岡しのぶ、長田秀三、アドリア)
* [[テイルズ オブ バーサス]](マリー・エージェント)
| 2010年 |
* [[機動戦士ガンダム エクストリームバーサス]](レイン・ミカムラ)
| 2011年 |
* [[文明開華 葵座異聞録]](乙姫)
| 2013年 |
* [[スーパーロボット大戦Operation Extend]]([[機動警察パトレイバーの登場人物#特車二課 第二小隊|香貫花・クランシー]]、朝岡しのぶ、長田秀三)
| 2015年 |
* [[機動戦士ガンダム エクストリームバーサス マキシブースト]](レイン・ミカムラ)
| 2019年 |
* [[幽☆遊☆白書|幽☆遊☆白書 100%本気バトル]](雪村螢子)<!-- 2019-06-14 -->
| 2020年 |
* [[テイルズ オブ ザ レイズ]](マリー・エージェント)<!-- 2020-04-14 -->
* [[共闘ことばRPG コトダマン]](雪村螢子)<!-- 2020-09-30 -->
| 2021年 |
* [[ファイアーエムブレム ヒーローズ]](マーニャ)<!-- 2021-02-16 -->
| 2022年 |
* 機動戦隊アイアンサーガ(香貫花・クランシー<ref>{{Twitter status2|ironsaga_staff|1507658624532889604|4=機動戦隊アイアンサーガ公式の2022年3月26日のツイート|5=2022-04-23}}</ref>)<!-- 2022-03-31 -->
* [[SDガンダム バトルアライアンス]](レイン・ミカムラ)<!-- 2022-08-25 -->
| 2023年 |
* [[機動戦士ガンダム アーセナルベース]](レイン・ミカムラ)<!-- 2023-01-09 -->
}}
=== ドラマCD ===
* [[ツインビーPARADISE]]シリーズ(メロディ王女、ソレイユ〈マドカの娘〉)
{{dl2
| 1991年 |
* [[魔界学園]]I 転校生編('''氷河めぐみ''')
* 魔界学園II 激闘編('''氷河めぐみ''')
| 1992年 |
* [[電影少女#関連CD(OVA)|電影少女 2nd イメージ・サウンドトラック -Memories-]](早川もえみ)
* [[ドリームハンター麗夢|NEWドリームハンター麗夢 総統のメルセデス]](夢見小僧)
* 魔界学園III 完結編('''氷河めぐみ''')
| 1993年 |
* [[熱血最強ゴウザウラー]] SAURERS NOTE 3(朝岡しのぶ、長田秀三)
* [[無責任艦長タイラー (アニメ)|無責任艦長タイラー]] MUSIC FILE 2 一蓮托生(ユリコ・スター少佐)
* 無責任艦長タイラー MUSIC FILE 4 我田引水(ユリコ・スター少佐)
* 無責任艦長タイラー 無責任CDシングル2(ドラマ「A COOL DAY'S NIGHT前編」)(ユリコ・スター少佐)
| 1994年 |
* [[機動武闘伝Gガンダム]] GUNDAM FIGHT-ROUND1&2(レイン・ミカムラ)
* 機動武闘伝Gガンダム GUNDAM FIGHT-ROUND3(レイン・ミカムラ)
* [[TWIN SIGNAL]](クリス)
* [[ファイアーエムブレム 旅立ちの章]]([[シーダ]]<ref>「ファイアーエムブレム 旅立ちの章」キャストより。</ref>)
* 無責任艦長タイラー MUSIC FILE 5 天真爛漫(ユリコ・スター少佐)
* 無責任艦長タイラー MUSIC FILE 6 運否天賦(ユリコ・スター少佐)
* 無責任艦長タイラー 無責任CDシングル3(ドラマ「A COOL DAY'S NIGHT後編」)(ユリコ・スター少佐)
| 1995年 |
* CDドラマ [[英雄伝説III 白き魔女|英雄伝説III 〜白き魔女〜]] 「わかたれた湖」(リズ)
* [[聖獣伝承ダークエンジェル]](清)
* [[人形草紙あやつり左近]] CDブック 屋根裏部屋の悪夢(橘薫子)
* [[ファルコムスペシャルBOX|FALCOM SPECIAL BOX]] '96 [DISC2] CDドラマ [[ブランディッシュ]]外伝(エレーヌ)
* 無責任艦長タイラー SOUND NOTE 1 YAH!YAH!YAH!(ユリコ・スター少佐)
| 1996年 |
* [[CDシアター ドラゴンクエスト]]VI(サリイ)
* ストリートファイターEX(ほくと)
* 人形草紙あやつり左近 CDブック あだしが原心中鴉地獄(橘薫子)
* ホラーCDコレクション [[パラサイト・イヴ]]('''長島聖美''')
* 無責任艦長タイラー SOUND NOTE 2 DELIGHTFUL(ドラマ)(ユリコ・スター少佐)
| 1997年 |
* [[太陽の勇者ファイバード]] ユリちゃんに愛の花束を…(天野ユリ)
* マダム・リリーの事件簿
* [[まもって守護月天!]] I LOVE YOUが言いたくて(ルーアン)
| 1998年 |
* ストリートファイターEX2(ほくと)
* まもって守護月天! 魔法のランプにおねがい(ルーアン)
| 2004年 |
* [[瀬戸の花嫁 (漫画)|瀬戸の花嫁]](永澄の母)
* ドラマCD [[八雲立つ]] 音盤物語 巻之参 鬼哭の辻・綺羅火(古代編)(小夜子)
| 2008年 |
* [[走れ!T高バスケット部]] ドラマCD(小山先生)
* [[隠の王]] ドラマCD 『夏休み、別荘地盗難事件編』(一季)
| 2009年 |
* [[鬼切様の箱入娘]](母)
* [[鏡花あやかし秘帖|〜鏡花あやかし秘帖〜]] 夜叉の恋路(神谷の姉)
* きりん幼稚園へようこそ(水端千歌子)
* [[楽園のうた]] ドラマCD 第1巻(真壁渚〈社長〉)
| 2018年 |
* [[ヤンキーショタとオタクおねえさん]](かづ子母<ref>{{Cite news|publisher=アニメイト|work=アニメイトタイムズ|url=https://www.animatetimes.com/news/details.php?id=1507278291|title=ドラマCD『ヤンキーショタとオタクおねえさん』に出演する声優を一挙公開! アニメイト各店での早期予約キャンペーンは10月22日まで開催|date=2017-10-09|accessdate=2017-10-09}}</ref>)
}}
=== 吹き替え ===
==== 映画 ====
* [[愛人/ラマン]](エレーヌ〈リサ・フォークナー〉)※ソフト版
* [[ゲット・ショーティ]](ニッキー〈レニー・プロップス〉)
* [[ザ・メイカー]](エミリー・ペック〈[[メアリー=ルイーズ・パーカー]]〉)
* [[シティ・スリッカーズ (映画)|シティ・スリッカーズ]] ※VHS版
* [[タイトロープ (映画)|タイトロープ]](ペニー・ブロック〈ジェニー・ベック〉)※フジテレビ版
* [[ダーククリスタル]](キーラ〈リサ・マックスウェル〉)※[[NHK-BS]]版
* [[ゆかいな天使トラブルモンキー]]
* [[リーサル・ウェポン2/炎の約束]](リアン・マータフ)※テレビ朝日版
* [[霊幻道士7 ラストアクションキョンシー]]('''ネンイン'''〈タム・ホイヤン〉)
* [[ロッキー5/最後のドラマ]](ジュエル)
==== ドラマ ====
* [[新 酔拳]]('''尹紅梅'''〈[[アニタ・ユン]]〉)
* [[V (2009年のテレビドラマ)|V]](人類とビジターの混血児)
==== アニメ ====
* [[タイニー・トゥーンズ]](カユーシ、ビリー)
* [[チップとデールの大作戦]](タミー)※新吹き替え版
* [[ヘラクレス (TVシリーズ)|ヘラクレス]](モマルス)
* [[わんぱくダック夢冒険]](ウェビー・ヴァンダークワック)
=== ラジオ ===
* 紅と蒼の伝説 ランドロック([[文化放送]])
* サンライズワールド([[HBCラジオ]]:[[サンライズラヂオ]]内コーナー番組)
* 天野由梨の宇宙色プリズム([[アール・エフ・ラジオ日本]])
* 天野由梨のレイト・ホラーファンタジー(文化放送)
* ハミングバード情報局(文化放送:[[ノン子とのび太のアニメスクランブル]]内コーナー番組)
* [[青春アドベンチャー]]
* [[魔神英雄伝ワタル3]](マズルカ)
=== 舞台 ===
* それは雨に始まった([[こまばアゴラ劇場]])
=== CM ===
* エリエールフレンド
* 機動武闘伝Gガンダム LD・ビデオCM(レイン・ミカムラ)
* [[トヨタ]]「[[トヨタ・ガイア|ガイア]]」
* 郵貯インフォマーシャル
=== その他コンテンツ ===
* プラネタリウム映画「[[忍たま乱太郎]] 〜天狗の秘密と消えた階段〜」(月乃)
* 機動武闘伝Gガンダム プロローグ・III 飛躍編(インタビュー出演)
* 熱血最強ゴウザウラー 特撮!! ザウラーズ アフレコ風景(インタビュー出演)
== ディスコグラフィ ==
* シングル
** 星屑のレクイエム(1994年10月5日)
* アルバム
** フェアリー(1994年2月1日)
** 無責任艦長タイラー MUSIC FILE 7 音吐朗朗(1994年9月21日)
** ウォーターリリー〜水蓮〜(1994年12月1日)
** 無責任艦長タイラー MUSIC FILE 8 百花繚乱(1994年12月21日)
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Reflist|group="注"}}
{{Ras}}
=== 出典 ===
{{Reflist
|refs=
<ref name="ぶっちぎりバトルハッカーズ">{{Cite web|和書| accessdate = 2022-10-19 | publisher = [[葦プロダクション]] | title = マシンロボ ぶっちぎりバトルハッカーズ | url = http://ashipro.jp/tv_series/w013.html |website = 株式会社 葦プロダクション 公式サイト}}</ref>
<ref name="メタルジャック">{{Cite web|和書| accessdate = 2022-12-23 | publisher = [[サンライズ (アニメ制作ブランド)|サンライズ]] | title = 機甲警察メタルジャック | url = http://sunrise-world.net/titles/pickup_049.php | website = サンライズワールド}}</ref>
<ref name="あしたへフリーキック">{{Cite web|和書| accessdate = 2023-02-05 | publisher = [[葦プロダクション]] | title = あしたへフリーキック | url = http://ashipro.jp/works/tv_series/w025.html |website = 株式会社 葦プロダクション 公式サイト}}</ref>
<ref name="幽☆遊☆白書">{{Cite web|和書| accessdate = 2022-10-01 | publisher = [[ぴえろ]] | title = 幽☆遊☆白書 | url = https://pierrot.jp/archive/1990/tv90_08.html | website = スタジオぴえろ 公式サイト}}</ref>
<ref name="マイトガイン">{{Cite web|和書| accessdate = 2022-10-19 | publisher = [[サンライズ (アニメ制作ブランド)|サンライズ]] | title = キャラクター |url=https://mightgaine.net/character/ |website = 勇者Web |work = 勇者特急マイトガイン}}</ref>
<ref name="Gガンダム">{{Cite web|和書|accessdate=2021-09-02 |publisher = サンライズ |title=CHARACTER キャラクター紹介 |url=http://www.g-gundam.net/chara/02.html |website =『機動武闘伝Gガンダム』 公式サイト}}</ref>
<ref name="白雪姫の伝説">{{Cite web|和書| accessdate=2022-12-04 | publisher=タツノコプロ | title=作品データベース | url=https://tatsunoko.co.jp/works_animation/archive/sirayukihime.html}}</ref>
<ref name="魔法騎士レイアース">{{Cite web|和書| accessdate = 2023-05-05 | publisher = [[トムス・エンタテインメント]] | title = 魔法騎士レイアース | url =https://www.tms-e.co.jp/alltitles/1990s/080101.html | website = トムス・エンタテインメント 公式サイト}}</ref>
<ref name="恐竜冒険記ジュラトリッパー">{{Cite web|和書| accessdate = 2022-12-04 | publisher = 葦プロダクション | title = 恐竜冒険記 ジュラトリッパー | url = http://ashipro.jp/works/tv_series/w028.html |website = 株式会社 葦プロダクション 公式サイト}}</ref>
<ref name="魔法陣グルグル">{{Cite web|和書|accessdate= 2022-10-14 |publisher=[[日本アニメーション]] |title= 魔法陣グルグル |url= https://www.nippon-animation.co.jp/work/1705/ |website=日本アニメーションOFFICIAL SITE}}</ref>
<ref name="ザ・シークレット・サービス">{{Cite web|和書| accessdate = 2023-01-07 | publisher = サンライズ | title = シティーハンタースペシャル ザ・シークレット・サービス | url = http://sunrise-world.net/titles/pickup_235.php | website = サンライズワールド}}</ref>
<ref name="キャシャーンOVA">{{Cite web|和書| accessdate=2022-11-12 | publisher=タツノコプロ | title=作品データベース キャシャーン| url=https://tatsunoko.co.jp/works_animation/archive/ova_casharn.html}}</ref>
<ref name="レイアース">{{Cite web|和書| accessdate = 2023-05-05 | publisher = トムス・エンタテインメント | title = レイアース | url =https://www.tms-e.co.jp/alltitles/1990s/080401.html | website = トムス・エンタテインメント 公式サイト}}</ref>
}}
== 外部リンク ==
* {{Official|1=https://www.artsvision.co.jp/talent/63/|name=天野 由梨|株式会社アーツビジョン}}
{{アーツビジョン}}
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{{DEFAULTSORT:あまの ゆり}}
[[Category:日本の女性声優]]
[[Category:アーツビジョングループ所属者]]
[[Category:日本ナレーション演技研究所出身の人物]]
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胡桃ちの
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胡桃 ちの(くるみ ちの、1966年2月4日 - )は、日本の漫画家。岡山県津山市出身。血液型はA型。主に4コマ漫画を執筆。掲載誌や作品の執筆内容によって複数のペンネームを使い分けている。
1985年大学在学中に4コマ漫画家デビュー。
岡山県立津山高等学校時代の1年先輩にB'zの稲葉浩志がいる。大学に進学して以降約20年間大阪府に居住していたが、2005年からは神戸市東灘区在住。
2004年から2007年にかけて芳文社の『まんがタイムラブリー』にて「つなみティーブレイク」で表紙を担当していた。また2009年末ごろより同社のまんがタイムスペシャルでも表紙を数回担当している。
2008年11月、『産経新聞』大阪版夕刊にて対談形式で掲載されている「新・関西笑談」のコーナーに2週間全12回分掲載。
2010年8月現在連載は雑誌掲載作品が11作品、新聞掲載作品が1作品の計12作品。発行済単行本総数は計79冊。
常に10誌前後の雑誌で連載を持ち、月に100ページ近い連載を抱えている。また、4コマ漫画誌では、人気のある作品の場合は複数の雑誌で同じ作品を並行連載することが多いが、胡桃はそれをせず、全ての雑誌において違うキャラクター、違う作品を連載している。
短期間ではあるが萌え系4コマ専門誌である『まんがタイムきららキャラット』において「吸血鬼と姫君」の連載を持ったことがある。
登場キャラクターにキラキラネームを命名する事が多い。あくまでも創作を創作(非現実な世界)と割り切った上での「お遊び」としての命名だが、特に『ミッドナイトレストラン7to7』では、それを全開にしている。
美少女(下ネタ)系の漫画を描く時はさおしか然(さおしか ぜん)を使用。また、初期にはみさき知乃(みさき ちの:岬ちの、岬知乃の表記もあり。同人作家時代のペンネームでもある)など複数のペンネームを使い分けていた。本人単行本などのプロフィールによると、知乃というペンネームを本人が考え、連載が決まった時に当時の担当編集が岬という姓をつけ、その後別雑誌で連載を始める際に胡桃と姓を変更したとのこと。
新人(みさき知乃)時代より「同じネタを使いまわす」事を公言しており、実際、同じ作内で同じネタを状況や視点を変えるなどの手法をもって焼き直して使用する。これは本人いわく「昔使ったネタをけろーっと忘れてもっぺん使ったり」また「一つのネタでも二通り(以上)のオチを考え付いてしまったら両方描かないと気が済まない」(同じネタでも見せ方によって全く別の話になる、という主義を持つ)タチであるためだという。
手がけている作品の舞台は、出身地である岡山県津山市(アキナイ☆ダマシイ、バール横丁奇譚他)、高校卒業後に移り住んだ大阪府大阪市(なにわOL奮戦記、天王寺のあべ乃ちゃん、ミッドナイトレストラン7to7他)、2005年より居住している兵庫県神戸市(つなみティーブレイク、セトギワ花ヨメ、カタコイ・カノン、坂の上の職人工房nest他)としている場合が多い。
「大阪愛のたたき売り」やその続編「大阪愛のたたき売り育児編」などでは登場キャラ名こそ変えてはいるものの、自身の結婚・出産・育児体験をリアルに綴った「ほぼノンフィクション作品」を描いている。
すべて胡桃ちの名義。
胡桃ちの 名義
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] |
胡桃 ちのは、日本の漫画家。岡山県津山市出身。血液型はA型。主に4コマ漫画を執筆。掲載誌や作品の執筆内容によって複数のペンネームを使い分けている。
|
{{Infobox 漫画家
| 名前 = 胡桃 ちの
| ふりがな = くるみ ちの
| 画像 =
| 画像サイズ =
| 脚注 =
| 本名 =
| 生年 = {{生年月日と年齢|1966|2|4}}
| 生地 = [[日本]]・[[岡山県]]
| 没年 =
| 没地 =
| 国籍 = <!-- [[日本]] 出生地から推定できない場合のみ指定 -->
| 職業 = [[漫画家]]
| 活動期間 = [[1985年]] -
| ジャンル = [[4コマ漫画]]
| 代表作 = <!-- 「代表作を挙げた出典」に基づき記載 -->
| 受賞 =
| サイン =
| 公式サイト =
}}
'''胡桃 ちの'''(くるみ ちの、[[1966年]][[2月4日]]<ref name="aa">胡桃ちの名義単行本『SUGAR in SALT』巻末折り返しに表記 ほか。</ref> - )は、[[日本]]の[[漫画家]]。[[岡山県]][[津山市]]出身<ref>胡桃ちの名義単行本『セトギワ花ヨメ』1巻巻末折り返しなど。</ref>。[[ABO式血液型|血液型]]は[[ABO式血液型|A型]]<ref name="aa" />。主に[[4コマ漫画]]を執筆。掲載誌や作品の執筆内容によって複数のペンネームを使い分けている<ref>日外アソシエーツ発行『漫画家人名事典』(2003年2月、{{ISBN2|978-4-8169-1760-8}})では胡桃ちの、さおしか然、みさき知乃の3つのペンネームが同一の著者として表記されている。ただし現在は胡桃ちののみを使用している</ref>。
== 来歴 ==
[[1985年]]大学在学中に4コマ漫画家デビュー<ref>胡桃ちの名義単行本『おいしい生活』3巻 巻末プロフィールなど。</ref>。
[[岡山県立津山中学校・高等学校|岡山県立津山高等学校]]時代の1年先輩に[[B'z]]の[[稲葉浩志]]がいる<ref>胡桃ちの名義単行本『湯宿若草物語OKAMI』1巻巻末プロフィールなど。</ref><ref>津山高校のHPには稲葉が卒業生であるという表記がある。</ref>。大学に進学して以降約20年間[[大阪府]]に居住していたが<ref name="bb">胡桃ちの名義単行本『PaPaPaパラダイス』2巻 巻末プロフィールなど。</ref>、[[2005年]]からは[[神戸市]][[東灘区]]在住<ref name="bb" /><ref>また、胡桃ちの名義単行本『ギフコン』巻末あとがきに胡桃自身が住んでいる地名として「岡本」という地名が明記されているほか、「大阪愛のたたき売り育児編」の作中でも何度か明記されている。</ref>。
[[2004年]]から[[2007年]]にかけて芳文社の『[[まんがタイムラブリー]]』にて「つなみティーブレイク」で表紙を担当していた<ref>2004年1月号から2007年3月号。また、それ以前にも1999年に2回と2001年5月号から7月号にかけて表紙を担当したことがある。</ref>。また2009年末ごろより同社の[[まんがタイムスペシャル]]でも表紙を数回担当している<ref>2009年12月号、2010年3月号、2010年7月号など</ref>。
[[2008年]]11月、『[[産経新聞]]』大阪版夕刊にて対談形式で掲載されている「新・関西笑談」のコーナーに2週間全12回分掲載。
[[2010年]]8月現在連載は雑誌掲載作品が11作品、新聞掲載作品が1作品の計12作品。発行済単行本総数は計79冊<ref>みさき知乃名義1冊、さおしか然名義7冊、胡桃ちの名義71冊。</ref><ref>胡桃ちの名義にはオール2色カラー版「ミッドナイトレストラン7to7」の1巻を含む。</ref>。
== 活動の特徴 ==
{{独自研究範囲|date=2023-12-05|常に10誌前後の雑誌で連載を持ち、月に100ページ近い連載を抱えている。また、4コマ漫画誌では、人気のある作品の場合は複数の雑誌で同じ作品を並行連載することが多いが、胡桃はそれをせず、全ての雑誌において違うキャラクター、違う作品を連載している。}}
{{独自研究範囲|date=2023-12-05|短期間ではあるが萌え系4コマ専門誌である『[[まんがタイムきららキャラット]]』において「吸血鬼と姫君」の連載を持ったことがある。}}
登場キャラクターに[[DQN|キラキラネーム]]を命名する事が多い。あくまでも創作を創作(非現実な世界)と割り切った上での「お遊び」としての命名だが、特に『[[ミッドナイトレストラン7to7]]』では、それを全開にしている<ref>『7to7』1巻単行本カバー折り返しのコメントより</ref>。
[[美少女]](下ネタ)系の漫画を描く時は'''さおしか然'''(さおしか ぜん)を使用。また、初期には'''みさき知乃'''(みさき ちの:'''岬ちの'''、'''岬知乃'''の表記もあり。同人作家時代のペンネームでもある)など複数の[[ペンネーム]]を使い分けていた。本人単行本などのプロフィールによると、知乃というペンネームを本人が考え、連載が決まった時に当時の担当編集が岬という姓をつけ、その後別雑誌で連載を始める際に胡桃と姓を変更したとのこと<ref>胡桃ちの単行本『なにわOL奮戦記』1巻など参考。</ref>。
新人(みさき知乃)時代より「同じネタを使いまわす」事を公言しており、実際、同じ作内で同じネタを状況や視点を変えるなどの手法をもって焼き直して使用する。これは本人いわく「昔使ったネタをけろーっと忘れてもっぺん使ったり」また「一つのネタでも二通り(以上)のオチを考え付いてしまったら両方描かないと気が済まない」(同じネタでも見せ方によって全く別の話になる、という主義を持つ)タチであるためだという<ref>みさき知乃『イケイケOL』(一水社。『COMIC Mate』1993年9月増刊号。雑誌扱いの書籍のためISBNはない)あとがきより。</ref>。
{{独自研究範囲|date=2023-12-05|手がけている作品の舞台は、出身地である岡山県津山市(アキナイ☆ダマシイ、バール横丁奇譚他)、高校卒業後に移り住んだ大阪府大阪市(なにわOL奮戦記、天王寺のあべ乃ちゃん、ミッドナイトレストラン7to7他)、2005年より居住している兵庫県神戸市(つなみティーブレイク、セトギワ花ヨメ、カタコイ・カノン、坂の上の職人工房nest他)としている場合が多い。}}
「大阪愛のたたき売り」やその続編「大阪愛のたたき売り育児編」などでは登場キャラ名こそ変えてはいるものの、自身の結婚・出産・育児体験をリアルに綴った「ほぼノンフィクション作品」を描いている<ref>胡桃ちの名義単行本『大阪愛のたたき売り 育児編』1巻あとがきによると作者の実体験に基づいて99%ノンフィクションということが明記されている。</ref>。
== 作品リスト ==
<!-- 以下の一覧はあいうえお順。作品の追加に際しても、同様に対処すること -->
=== 連載中 ===
すべて胡桃ちの名義。<!--作品五十音順-->
* ウエイトレス(まんがタウン→[[webアクション]]<ref>{{Cite news|url=https://natalie.mu/comic/news/551834|title=月刊まんがタウンが今号で休刊、「かりあげクン」「鎌倉ものがたり」は漫画アクションへ|newspaper=コミックナタリー|publisher=ナターシャ|date=2023-12-05|accessdate=2023-12-05}}</ref> 双葉社)
* 胡桃ちのの極上!お宿五ツ星<!--「ごくじょうおやどいつつぼし」で配列-->([[別冊本当にあった笑える話]] [[ぶんか社]])既刊3巻 - 旧タイトルは『お泊りミシュラン』だが、単行本1巻(巻数表記無し)発売時に改題。なお、単行本続巻の題名は『胡桃ちのの特選!お宿五ツ星』『胡桃ちののお宿五ツ星 極』(やはり巻数表記なし)だが連載の題名は『極上! - 』のまま。
* 旅するように暮らしたい([[まんがライフ]]→[[まんがライフWIN]]<ref>{{Cite news|url=https://natalie.mu/comic/news/487096|title=まんがライフ休刊号、連載作品の移籍先発表&いがらしみきおの特別読み切りも|newspaper=コミックナタリー|publisher=ナターシャ|date=2022-07-27|accessdate=2022-07-27}}</ref> 竹書房)
* 九十九日記<!--つくもにっき-->([[産経新聞]]毎週日曜日発行分朝刊のおやこ新聞欄にて4コマ漫画を1本掲載)既刊1巻
* [[ミッドナイトレストラン7to7]]([[まんがタイムスペシャル]] →まんがタイムオリジナル芳文社)既刊14巻 / オール2色カラー版1巻
* モノズキ散歩([[主任がゆく!#雑誌|主任がゆく!スペシャル]] ぶんか社)既刊3巻
=== 過去の主な作品 ===
==== 胡桃ちの名義 ====
* [[アキナイ☆ダマシイ]](まんがタウン 双葉社)全3巻 - 旧タイトルは『商☆魂』だが、単行本1巻発売時に改題。
* あつらえ王子きせかえ姫([[ケータイまんがタウン]]→[[WEBコミックアクション]] [[双葉社]])全4巻
* 異時間オーナー店主交代!(まんがタウン 双葉社)全1巻
* うちの子に日々大爆Show(まんがくらぶ 読者投稿の漫画化 竹書房)全3巻
* うちのばーちゃん超絶(めっちゃ)かわいいんですけど?([[まんがタウン]] 双葉社)全1巻
* おいしい生活(まんがくらぶ 竹書房)全3巻
* 大阪愛のたたき売り(漫画アクション 双葉社)全2巻 - 新装版が竹書房より全2巻
** 大阪愛のたたき売り出産編(特別企画)
** 大阪愛のたたき売り育児編(まんがくらぶ 竹書房)全6巻
** 愛のたたき売り物産展([[まんがくらぶ]] [[竹書房]])既刊4巻
* 大阪発OL通信([[コレット]] [[秋田書店]]) - 単行本は竹書房より全1巻
* お菓子な家族([[まんがライフ]] 竹書房)全2巻
* [[おがにくうーちゃん]]([[まんがライフMOMO]] 竹書房)全3巻
* 菓子男リノベーション([[まんがホーム]] 芳文社)
* [[カタコイ・カノン]]([[まんがライフ]] 竹書房) 全3巻 - ロゴ上は中黒(・)ではなく[[音部記号#ト音記号|ト音記号]]<!--(JIS X 0208の表外)-->
* カワイカフェのコフルさん([[主任がゆく! スペシャル]] [[ぶんか社]]) - Vol.82 - 86の5話掲載(2015年)
* [[ギフコン - Gift Concierge.]] -(まんがホーム 芳文社)全4巻
* 吸血鬼と姫君([[まんがタイムきららキャラット]] 芳文社) - 単行本『ギフコン1巻』に収録
* クマ男子([[まんがライフMOMO]] 竹書房)全3巻 - ロゴ上は「クマ」と「男子」の間に凶悪な表情の[[クマ]]のシルエットが入る
* 5989-90 コクハククラブ(まんがライフMOMO 竹書房) - 単行本は双葉社より全1巻
* ごんべさんのごはん([[まんがタウンオリジナル]]→[[ケータイまんがタウン]] 双葉社)全1巻
* S・A(サービスエリア)で会いましょう([[まんがくらぶオリジナル]] 竹書房)全4巻
* 坂の上の職人工房 nest([[まんがホーム]] 芳文社)全2巻
* 桜田ファミリア◆ツーリスト([[まんがタウン]])全2巻
* じゃりセン([[みこすり半劇場]]→みこすり半劇場別館 ぶんか社) - 単行本は双葉社より全1巻
* SUGAR in SALT([[mimi (雑誌)|FORTNIGHTLY mimi]]→[[mimi (雑誌)|Monthly mimi]] [[講談社]])全1巻 - 完全版が竹書房より上下巻
* [[セトギワ花ヨメ]]([[まんがライフオリジナル]] 竹書房)全12巻
* 痛快!極楽少女もけみちゃん(まんがアロハ→4コマ丼 ぶんか社)全1巻
* 通販おバカ日誌([[スコラ]]) - 胡桃ちのを含む数名の共著
* つなみティーブレイク(まんがタイムラブリー 芳文社)全7巻
* [[Dia duit]] ディア デュイット(まんがくらぶオリジナル 竹書房)全3巻
* 天王寺のあべ乃ちゃん(クレヨンしんちゃん特集号 双葉社)全4巻
* 泊まってみたい(まんがライフ 竹書房) - 単行本『大阪発OL通信』に収録
* ナイフ・エイジ(季刊劇画スペシャル増刊 [[ミリオン出版]])
* ナニハナ女子寮物語(まんがくらぶ 竹書房)全1巻
* なにわOL奮戦記(まんがライフオリジナル 竹書房) - 全5巻+なにわOL奮戦記Gの計6巻
* なにわOLマチコちゃん(まんがハイム [[徳間書店]])全1巻 - 胡桃ちの名義での初めての単行本。雑誌休刊により竹書房『まんがライフ』に移籍し「なにわOL奮戦記」と改題された。
* なにわ女子大生倶楽部(まんがランド 双葉社) - 単行本は竹書房より全3巻
* ナニワなくとも!([[まんがタイム]] 芳文社) - 単行本『つなみティーブレイク』1巻に収録
* バール横丁奇譚(まんがライフMOMO 竹書房)全2巻
* PaPaPaパラダイス(まんがライフ 竹書房)全5巻
* [[パパロバ]]([[まんがタイムラブリー]]→まんがタイム 芳文社)全5巻
* ホラーハウスは内(なか)より裏が怖い([[まんがライフ]] 竹書房)全2巻
* まかして☆大阪嬢(まんがライフ 竹書房)全2巻
* メリー3と疾風堂コロラチュラ<!--メリーさんとしっぷうどうコロラチュラ-->(まんがくらぶオリジナル [[竹書房]])
* 山のしずく田んぼの木(まんがライフオリジナル 竹書房) - 単行本『まかして☆大阪嬢』2巻に一部を収録。作者の小学生時代などを描いた作品。
* 湯宿若草物語OKAMI-おかみ-(クレヨンしんちゃん特集号→まんがタウン 双葉社)全4巻
* よろずや男子([[まんがホーム]] 芳文社)全1巻
* わやくちゃガールズ(まんがライフ 竹書房) - 単行本『まかして☆大阪嬢』1巻に収録。「まかして☆大阪嬢」の前身の作品で登場人物の小学生時代を描いた作品。
* 神シュフ☆エンタ(まんがタイム)全3巻
* んじゃま、ここらでお茶にしましょうか。(まんがタウン 双葉社)
==== さおしか然名義 ====
* 黄色いさくらんぼ(まんがシャワー([[一水社]]))
* シンデレラBOY([[アクションヤング]](双葉社)) - 単行本『ピーチクパーチク』に収録
* ピーチクパーチク(アクションヤング(双葉社)) 全1巻 - 連載時は胡桃ちの名義
* 平成町娘おなみちゃん(まんがシャワー(一水社)) - 単行本はぶんか社より全1巻
* ホームメイド・メイド 全1巻([[みこすり半劇場]] ぶんか社)
* まりちゃんの靴下(みこすり半劇場 ぶんか社) 全4巻
==== みさき知乃名義 ====
* イケイケOL(まんがシャワー(一水社))
* A-Dieu-Va 沙保子のこと(まんがシャワー(一水社))
* ほっぴんぐ・ぴんく(まんがシャワー(一水社))
* アイドル・ワンダー・ランド(まんがシャワー(一水社))
* サッポーの娘たち(まんがシャワー(一水社))
* い・け・な・い!瑠璃ちゃん([[松文館]])全1巻 - 1987年1月に発行、著者にとっては初めての単行本。
=== 作品集 ===
胡桃ちの 名義
* くるみっくす(芳文社 [[まんがタイムコミックス]])2010年9月22日初版発行 {{ISBN2|978-4-8322-6887-6}}
** 収録作
***『7to7』(『ミッドナイトレストラン7to7』の[[パイロット版#マンガにおけるパイロット版|パイロット版]])
***『つなMIX!』、『Tto7』(『つなみティーブレイク』と『7to7』のコラボレーションストーリー)
***『無敵的!!浪花娘』
***『アン☆パン』
***『スパイシーハニー』
***『恋愛商戦異常アリ』
***『くまちゃん悪魔につき』
***『かおりクレイジーカンパニー』
***『ぼくのもーもちゃん』
== 関連人物 ==
* [[くすみんと]] - デビューまでの約6年間[[アシスタント (漫画)|アシスタント]]を務めていたとのこと<ref>さおしか然名義単行本『まりちゃんの靴下』3巻 P60〜P61参考。</ref>。
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
{{Reflist}}
== 外部リンク ==
* {{Twitter|sochi_buyo|胡桃ちの×蓑田しょー吉}}
{{Normdaten}}
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{{デフォルトソート:くるみ ちの}}
[[Category:日本の漫画家]]
[[Category:岡山県立津山高等学校出身の人物]]
[[Category:岡山県出身の人物]]
[[Category:1966年生]]
[[Category:存命人物]]
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長野南バイパス
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長野南バイパス(ながのみなみバイパス)は、国道19号の長野市街区間(県庁通り・昭和通り)における混雑を解消するために整備されたバイパスである。長野オリンピック直前に、オリンピック会場を結ぶ白馬長野ルートの一部として急ピッチで建設された。地域高規格道路長野環状道路の南区間の一部もなす。
長野市小松原西(小松原トンネル西交差点)で分岐すると、小松原トンネルを抜けて長野市南部を通る。この先国道19号本線とは合流せず、国道18号篠ノ井バイパスと大塚南交差点で合流して終点となる。
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長野南バイパス(ながのみなみバイパス)は、国道19号の長野市街区間(県庁通り・昭和通り)における混雑を解消するために整備されたバイパスである。長野オリンピック直前に、オリンピック会場を結ぶ白馬長野ルートの一部として急ピッチで建設された。地域高規格道路長野環状道路の南区間の一部もなす。 長野市小松原西(小松原トンネル西交差点)で分岐すると、小松原トンネルを抜けて長野市南部を通る。この先国道19号本線とは合流せず、国道18号篠ノ井バイパスと大塚南交差点で合流して終点となる。
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[[File:Nagano-minami By-Pass, Otsuka-minami, Nagano, Japan.jpg|thumb|終点の大塚南交差点付近]]
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'''長野南バイパス'''(ながのみなみバイパス)は、[[国道19号]]の[[長野市]]街区間([[県庁通り (長野県)|県庁通り]]・[[昭和通り (長野市)|昭和通り]])における混雑を解消するために整備された[[バイパス道路|バイパス]]である。[[長野オリンピック]]直前に、オリンピック会場を結ぶ'''白馬長野ルート'''の一部として急ピッチで建設された。[[地域高規格道路]][[長野環状道路]]の南区間の一部もなす。
[[長野市]]小松原西(小松原トンネル西交差点)で分岐すると、[[小松原トンネル]]を抜けて[[長野市]]南部を通る。この先[[国道19号]]本線とは合流せず、[[国道18号]][[篠ノ井バイパス]]と大塚南交差点で合流して終点となる。
== 概要 ==
=== 路線データ ===
* 起点 - [[長野県]][[長野市]]篠ノ井小松原(小松原トンネル西交差点)
* 終点 - 長野県長野市[[青木島町#青木島町大塚|青木島町大塚]](大塚南交差点)
* 全長 - 6.9 km
* 幅員 - 16 m / 29 m / 30 m
* [[道路構造令|道路規格]] - 第3種第2級・第3種第1級
* 車線数 - 4車線(小松原トンネル本線と前後1.7 kmのみ2車線)
* 設計速度 - 60 km/h・80 km/h
== 歴史 ==
* [[1990年]]([[平成]]2年)[[3月8日]] - 都市計画決定。
* [[1994年]](平成6年)[[1月]] - [[小松原トンネル]]等建設開始。
* [[1996年]](平成8年)[[4月]] - 小松原トンネル貫通。
* [[1997年]](平成9年)[[3月18日]] - 小松原 - 川中島(L=3.9 km)暫定2車線開通。
* [[1997年]](平成9年)[[12月20日]] - 全線暫定2車線開通<ref name=Nagano-Fuhyo>{{Cite web|和書|url=https://www.city.nagano.nagano.jp/uploaded/attachment/340892.pdf |title=付表 |work=令和元年版長野市統計書 |publisher=[[長野市]] |date=2020-03-25 |accessdate=2021-02-16 }}</ref>。
* [[1999年]](平成11年) - 稲里西交差点立体工事開始。
* [[2000年]](平成12年) - 稲里 - 大塚南交差点(L=3.0 km)4車線化工事開始。
* [[2001年]](平成13年) - 稲里 - 大塚南交差点(L=3.0 km)4車線供用開始。
* [[2002年]](平成14年)[[7月30日]] - 稲里立体交差供用開始。
== 地理 ==
=== 通過する自治体 ===
* [[長野県]]
** [[長野市]]
=== 交差する道路 ===
* 小松原トンネル西交差点(長野市篠ノ井小松原=起点)
** [[国道19号]](本線)
* 小松原トンネル東交差点(長野市篠ノ井小松原)
** [[長野県道383号犀口下居返線]]
* 稲里西交差点(長野市[[稲里町 (長野市)#稲里町中央|稲里町中央]]三丁目)
** [[長野県道77号長野上田線]](旧[[国道18号]])
* 下氷鉋・塔之腰交差点(長野市[[稲里町 (長野市)#稲里町下氷鉋|稲里町下氷鉋]])
** [[長野県道35号長野真田線]](小島田バイパス)
* 大塚南交差点(長野市[[青木島町#青木島町大塚|青木島町大塚]]=終点)
** [[国道18号]]([[篠ノ井バイパス]])
: '''↓''' [[長野県道372号三才大豆島中御所線]]支線([[五輪大橋有料道路]]方面)
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 出典 ===
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== 関連項目 ==
* [[長野環状道路]]
* [[白馬長野有料道路]]
* [[五輪大橋有料道路]]
== 外部リンク ==
* [https://www.ktr.mlit.go.jp/nagano/ 国土交通省 長野国道事務所]
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[[Category:長野市の道路]]
[[Category:国道19号]]
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バウハウス
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バウハウス(ドイツ語: Bauhaus)は、1919年、ヴァイマル共和政期ドイツのヴァイマルに設立された、工芸・写真・デザインなどを含む美術と建築に関する総合的な教育を行った学校。また、その流れを汲む合理主義的・機能主義的な芸術を指すこともある。無駄な装飾を廃して合理性を追求するモダニズムの源流となった教育機関であり、活動の結果として現代社会の「モダン」な製品デザインの基礎を作り上げた。デザインの合理性から、幅広い分野にバウハウスの影響が波及しており、特に理由がない限り標準的なデザインとして採用されている。
バウハウスはドイツ語で「建築の家」を意味する。中世ヨーロッパの建築職人組合であるバウヒュッテ (Bauhütte, 建築の小屋) という語をヴァルター・グロピウスが現代風に表現したものである。
世界で初めて「モダン」なデザインの枠組みを確立した美術学校である。学校として存在し得たのは、ナチスにより1933年に閉校されるまでの14年間であるが、当時他に類を見ない先進的な活動は、現代美術に大きな影響を与えた(「モダニズム建築」「20世紀美術」の項を参照)。19世紀までの装飾性に富んだ歴史主義建築などとは異なり、バウハウスの芸術家が生み出したデザインは極めて合理的かつシンプルなデザインであるため、機械的な大量生産に適していた。そして、産業革命により20世紀初頭に巻き起こった、製品の合理性を追求するモダニズムの流れの中で、バウハウスのデザイン手法も派生を繰り返しながら爆発的な拡がりを見せて行った。現代までに、コンクリート製の建築物や、IKEAなどの普及品の家具のデザイン、ユーザーインタフェースのグリッドレイアウトやフラットデザインなど、多数の製品にバウハウスと同様の手法が使われて来ている。その他、ネット社会において、SNS等で多数投稿されている写真の自撮り・コラージュなども、バウハウスが起源となっている。テクノロジーの活用はメディアアートにも影響を与え、現代のデジタルコンテンツの制作手法の基礎にもなっている。レゴの元祖と言えるブロック玩具も存在する。従って、バウハウスが発明した合理性を追求したデザインは、現代人が意識する必要がない程に日常化したと言える。
バウハウスの歴史はわずかな期間であるが、この間に運営方法は大きく変わった。
ヴァイマル大公ヴィルヘルム・エルンストは、ベルギーの建築家でアール・ヌーヴォーに造詣の深いアンリ・ヴァン・デ・ヴェルデをヴァイマルに招聘した。1902年、ヴェルデは私設の「工芸ゼミナール」を設立し、1908年に「大公立美術工芸学校」へ発展した。1911年には、ヴェルデ設計による工芸学校の校舎が建てられた。
ヴァン・デ・ヴェルデはケルンでのドイツ工作連盟展(ドイツ語版、英語版)(1914年)で、イギリスのアーツ・アンド・クラフツ運動の影響を受け、規格化を重視したドイツ工作連盟のヘルマン・ムテジウスと衝突して(ドイツ語: Typenstreit、規格化論争)1915年にドイツを去らざるを得なくなり、工芸学校をヴァルター・グロピウスに託した。
第一次世界大戦後にドイツ革命(1918年11月3日 - 1919年8月11日)が勃発。ドイツ帝国が崩壊して大公の統治が終わり、ヴァイマル共和国が成立した。1919年、工芸学校と美術学校が合併して「国立バウハウス・ヴァイマル」設立(ヴェルデ設計の旧工芸学校の校舎を使用)。初代校長にグロピウスが就任し、同年にバウハウス創立宣言が出された(ちなみに宣言の表紙はリオネル・ファイニンガーの「社会主義の大聖堂」)。宣言でグロピウスは「芸術家と職人の間に本質の差はない。階級を分断する思い上がりをなくし、職人の新しい集団を作ろう!」と呼び掛けた。
予備課程を担当していたヨハネス・イッテン の方針から、初期の教育内容は、合理主義的(機能主義的)なものと表現主義的(神秘主義・精神主義的、芸術的、手工業的)なものとを混合していた。
1922年にソ連の高等芸術学校ヴフテマス(1920年 - 1930年)から招聘したワシリー・カンディンスキーがロシア・アヴァンギャルドの構成主義的な造形教育を開始した後、グロピウスはオランダのデ・ステイル(ピエト・モンドリアンによる新造形主義や、テオ・ファン・ドゥースブルフによる要素主義)の影響を受け、より合理主義的・機能主義的な考え方をとるようになった。やがて、グロピウスとヨハネス・イッテンとの間に対立が生じ、1923年にイッテンがバウハウスを去り、後継者にはハンガリーを亡命したモホリ=ナジ・ラースローが就任、予備課程を担当した。その結果、合理主義・機能主義が、バウハウスの中心的な教育傾向となっていった。これは工業デザインや大量生産に合致するものであった。
ヴァイマルのバウハウスは閉鎖され、1925年にデッサウに移転し、「市立バウハウス・デッサウ」となった。デッサウの校舎はグロピウスの設計によるもので、モダニズム建築の代表作として各国に紹介された。現代の感覚で見ると特筆すべき点は無いが、当時としては最先端の建築デザインであった。グロピウスは1928年に校長を退き、グロピウスの後継者にはハンネス・マイヤーが指名された。
ヴァイマルがドイツ古典主義の影響が濃い歴史ある文化都市であったのに対して、当時のデッサウは、ユンカース(航空機メーカー)の企業城下町の新興工業都市であったことから、移転先に選ばれた。
ムテジウスの系譜に連なるマイヤーは唯物論の立場から「バウエン」(Bauen, 建築、構築)を唱え、全てを規格化・数値化・計量化し、合目的性・経済性・科学性を徹底的に重視させた。これによりドイツ表現主義的な審美性は無くなり、造形の呼称は「美」に代わって「形成」 (Gestaltung) とされた。マイヤーの手腕でバウハウスは初めて黒字を生み、国際的な評価が高まり、同校のデザイン活動は最高潮に達していた。1929年6月にマイヤーの後援でバウハウス内に「ドイツ共産党細胞」という同好会が結成された。マイヤーが公然たる共産主義者であったこともあり、さらにバウハウスはナチスら右翼勢力に敵視されるようになる。
1930年にマイヤーは解任され、ルートヴィヒ・ミース・ファン・デル・ローエが校長に就任した。
1932年にデッサウ校は閉鎖し、首都ベルリンへ移転して私立学校になった。ミース・ファン・デル・ローエの方針はマイヤーの「バウエン」を継承しつつも、政治色を払拭するものだった。
1933年にはナチスにより閉校される前にミース・ファン・デル・ローエにより解散された。
(出典、Magdalena Droste"Bauhaus", Taschen)
ミース・ファン・デル・ローエは米国に亡命。モホリ=ナジ・ラースローも国外に移動しているなど、国外に活動の場は移動されることとなった。
バウハウス関係者とナチスの関係は一様ではなく、強制収容所の設計・建設に協力した者や、強制収容所で獄死した者もいた。
モホリ=ナジは米国のシカゴ芸術産業協会に招かれ、ニュー・バウハウスを設立した(1937年)。財政難のため1年ほどで閉鎖されたが、1939年に School of Design Chicago として再開、1944年には拡大し The Institute of Design となった。シカゴの活動では特に写真の分野が有名である。モホリ=ナジの教育方式は、1949年にイリノイ工科大学(IIT)に引き継がれた。
ヴァイマル校舎は、旧東ドイツの時代は建築・土木工科大学 (Hochschule für Architektur und Bauwesen Weimar) として機能していたが、東西併合後にバウハウスの流れを汲む国立の総合芸術大学としての再編が計画され、1996年に建築、土木工学、アート & デザイン、メディアの四領域を有するバウハウス大学ヴァイマルとして、改めてバウハウスの名を掲げることとなった。その中でも、大学院修士課程 (MFA) のみのコースとして設置された "Public Art and New Artistic Strategies" は、バウハウス大学の全領域を横断しながら新しい芸術を探求する実験的なコースとして注目されている。
1999年9月、「バウハウス・デッサウ財団(ドイツ語版、英語版)」が管理するデッサウ校舎において理事長を務めるオマー・アクバー(ドイツ語版)が、実験的教育機関「バウハウス・コレーグ」を立ち上げた。対象は大卒や専門課程既卒者でクラスは英語で行われる。往来のバウハウスが掲げていた「全ては建築に収束する」でなく、テーマは「都市」。メディア、建築、アート、デザインなどの専門知識を持った 20 人前後の学生たちで成り立つ。バウハウスブランドを利用しているという批判もあるが、21世紀のバウハウスを見据えた実験的試みが行われている。
財団は2019年9月、バウハウス美術館をデッサウに開館した。
バウハウスへの日本人留学者は、水谷武彦(東京美術学校助教授)と山脇巌・道子夫妻がいる。
水谷らは帰国後は美術学校でバウハウス流の造形教育を行った。
山脇巌はバウハウス閉鎖後に帰国し、バウハウスで学んだフォトコラージュによる作品「バウハウスへの打撃」(ナチスの突撃隊とバウハウスの写真などを組み合わせた)を制作した。戦後、山脇は日本大学芸術学部教授に就き、バウハウスの経験をもとにカリキュラムを作成する。これが日本で初の大学におけるデザイン教育となる(当時は美術学科の中にあるデザイン専攻。現在はデザイン学科として独立)。
「ヴァイマルとデッサウのバウハウスとその関連遺産群」は、1996年に世界遺産(文化遺産)に登録された。〈バウハウス叢書〉の刊行も含め、後世の美術芸術・美術思想・美術教育等に与えた影響は大きい。
1924年竣工の大阪市立工芸高等学校本館 (竣工時は旧制の大阪市立工芸学校) はアール・ヌーヴォー風の建物で、ヴァン・デ・ヴェルデのヴァイマル・バウハウス校舎に影響を受けたと言われている。本館校舎は2000年12月12日に、大阪市指定有形文化財に指定されている。また2008年には日本の産業近代化を支えた技術者教育の歩みを知る事が出来る施設として、近代化産業遺産に認定されている。
創立間もない頃、山口正城がドイツのバウハウスの教育を取り入れた。第二次世界大戦前、国内でバウハウス式教育を実践していたのは同校と東京の新建築工芸学院だけだった。
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"text": "1930年にマイヤーは解任され、ルートヴィヒ・ミース・ファン・デル・ローエが校長に就任した。",
"title": "沿革"
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"text": "1932年にデッサウ校は閉鎖し、首都ベルリンへ移転して私立学校になった。ミース・ファン・デル・ローエの方針はマイヤーの「バウエン」を継承しつつも、政治色を払拭するものだった。",
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"text": "1933年にはナチスにより閉校される前にミース・ファン・デル・ローエにより解散された。",
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"text": "(出典、Magdalena Droste\"Bauhaus\", Taschen)",
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"text": "ミース・ファン・デル・ローエは米国に亡命。モホリ=ナジ・ラースローも国外に移動しているなど、国外に活動の場は移動されることとなった。",
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"text": "バウハウス関係者とナチスの関係は一様ではなく、強制収容所の設計・建設に協力した者や、強制収容所で獄死した者もいた。",
"title": "沿革"
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"text": "モホリ=ナジは米国のシカゴ芸術産業協会に招かれ、ニュー・バウハウスを設立した(1937年)。財政難のため1年ほどで閉鎖されたが、1939年に School of Design Chicago として再開、1944年には拡大し The Institute of Design となった。シカゴの活動では特に写真の分野が有名である。モホリ=ナジの教育方式は、1949年にイリノイ工科大学(IIT)に引き継がれた。",
"title": "バウハウスの継承"
},
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"text": "ヴァイマル校舎は、旧東ドイツの時代は建築・土木工科大学 (Hochschule für Architektur und Bauwesen Weimar) として機能していたが、東西併合後にバウハウスの流れを汲む国立の総合芸術大学としての再編が計画され、1996年に建築、土木工学、アート & デザイン、メディアの四領域を有するバウハウス大学ヴァイマルとして、改めてバウハウスの名を掲げることとなった。その中でも、大学院修士課程 (MFA) のみのコースとして設置された \"Public Art and New Artistic Strategies\" は、バウハウス大学の全領域を横断しながら新しい芸術を探求する実験的なコースとして注目されている。",
"title": "バウハウスの継承"
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"text": "1999年9月、「バウハウス・デッサウ財団(ドイツ語版、英語版)」が管理するデッサウ校舎において理事長を務めるオマー・アクバー(ドイツ語版)が、実験的教育機関「バウハウス・コレーグ」を立ち上げた。対象は大卒や専門課程既卒者でクラスは英語で行われる。往来のバウハウスが掲げていた「全ては建築に収束する」でなく、テーマは「都市」。メディア、建築、アート、デザインなどの専門知識を持った 20 人前後の学生たちで成り立つ。バウハウスブランドを利用しているという批判もあるが、21世紀のバウハウスを見据えた実験的試みが行われている。",
"title": "バウハウスの継承"
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"text": "財団は2019年9月、バウハウス美術館をデッサウに開館した。",
"title": "バウハウスの継承"
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"text": "バウハウスへの日本人留学者は、水谷武彦(東京美術学校助教授)と山脇巌・道子夫妻がいる。",
"title": "日本からの留学者"
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"text": "水谷らは帰国後は美術学校でバウハウス流の造形教育を行った。",
"title": "日本からの留学者"
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"text": "山脇巌はバウハウス閉鎖後に帰国し、バウハウスで学んだフォトコラージュによる作品「バウハウスへの打撃」(ナチスの突撃隊とバウハウスの写真などを組み合わせた)を制作した。戦後、山脇は日本大学芸術学部教授に就き、バウハウスの経験をもとにカリキュラムを作成する。これが日本で初の大学におけるデザイン教育となる(当時は美術学科の中にあるデザイン専攻。現在はデザイン学科として独立)。",
"title": "日本からの留学者"
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"text": "「ヴァイマルとデッサウのバウハウスとその関連遺産群」は、1996年に世界遺産(文化遺産)に登録された。〈バウハウス叢書〉の刊行も含め、後世の美術芸術・美術思想・美術教育等に与えた影響は大きい。",
"title": "世界遺産"
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"text": "1924年竣工の大阪市立工芸高等学校本館 (竣工時は旧制の大阪市立工芸学校) はアール・ヌーヴォー風の建物で、ヴァン・デ・ヴェルデのヴァイマル・バウハウス校舎に影響を受けたと言われている。本館校舎は2000年12月12日に、大阪市指定有形文化財に指定されている。また2008年には日本の産業近代化を支えた技術者教育の歩みを知る事が出来る施設として、近代化産業遺産に認定されている。",
"title": "その他"
},
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"text": "創立間もない頃、山口正城がドイツのバウハウスの教育を取り入れた。第二次世界大戦前、国内でバウハウス式教育を実践していたのは同校と東京の新建築工芸学院だけだった。",
"title": "その他"
}
] |
バウハウスは、1919年、ヴァイマル共和政期ドイツのヴァイマルに設立された、工芸・写真・デザインなどを含む美術と建築に関する総合的な教育を行った学校。また、その流れを汲む合理主義的・機能主義的な芸術を指すこともある。無駄な装飾を廃して合理性を追求するモダニズムの源流となった教育機関であり、活動の結果として現代社会の「モダン」な製品デザインの基礎を作り上げた。デザインの合理性から、幅広い分野にバウハウスの影響が波及しており、特に理由がない限り標準的なデザインとして採用されている。 バウハウスはドイツ語で「建築の家」を意味する。中世ヨーロッパの建築職人組合であるバウヒュッテ という語をヴァルター・グロピウスが現代風に表現したものである。
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{{参照方法|date=2012年12月}}
{{独自研究|date=2014年2月}}
{{出典の明記|date=2014年2月}}
{{Otheruses|美術学校}}
'''バウハウス'''({{lang-de|Bauhaus}})は、[[1919年]]、[[ヴァイマル共和政]]期[[ドイツ]]の[[ヴァイマル]]に設立された、[[工芸]]・[[写真]]・[[デザイン]]などを含む[[美術]]と[[建築]]に関する総合的な[[教育]]を行った[[学校]]。また、その流れを汲む[[合理主義]]的・[[機能主義 (建築)|機能主義]]的な芸術を指すこともある。無駄な装飾を廃して合理性を追求する[[モダニズム]]の源流となった[[教育機関]]であり、活動の結果として[[現代社会]]の「モダン」な[[製品]][[デザイン]]の基礎を作り上げた。デザインの合理性から、幅広い分野にバウハウスの影響が波及しており、特に理由がない限り標準的なデザインとして採用されている。{{要出典|date=2020年7月}}
'''バウハウス'''は[[ドイツ語]]で「建築の家」を意味する。[[中世ヨーロッパ]]の建築[[ギルド|職人組合]]である'''バウヒュッテ''' (Bauhütte, <small>建築の小屋</small>) という語を[[ヴァルター・グロピウス]]が現代風に表現したものである。
== 概要 ==
[[世界]]で初めて「モダン」なデザインの枠組みを確立した[[美術学校]]である。学校として存在し得たのは、[[国家社会主義ドイツ労働者党|ナチス]]により[[1933年]]に閉校されるまでの14年間であるが、当時他に類を見ない先進的な活動は、現代美術に大きな影響を与えた(「[[モダニズム建築]]」「[[20世紀美術]]」の項を参照)。[[19世紀]]までの装飾性に富んだ[[歴史主義建築]]などとは異なり、バウハウスの芸術家が生み出したデザインは極めて合理的かつシンプルなデザインであるため、機械的な[[大量生産]]に適していた。そして、[[産業革命]]により[[20世紀]]初頭に巻き起こった、製品の合理性を追求する[[モダニズム]]の流れの中で、バウハウスのデザイン手法も派生を繰り返しながら爆発的な拡がりを見せて行った。現代までに、[[コンクリート]]製の建築物や、[[イケア|IKEA]]などの普及品の家具のデザイン、[[ユーザインタフェース|ユーザーインタフェース]]のグリッドレイアウトや[[フラットデザイン]]など、多数の[[製品]]にバウハウスと同様の手法が使われて来ている{{要出典|date=2020年7月}}。その他、ネット社会において、[[ソーシャル・ネットワーキング・サービス|SNS]]等で多数投稿されている[[写真]]の[[自分撮り|自撮り]]・[[コラージュ]]なども、バウハウスが起源となっている{{要出典|date=2020年7月}}。[[テクノロジー]]の活用は[[メディアアート]]にも影響を与え、現代の[[デジタルコンテンツ]]の制作手法の基礎にもなっている{{要出典|date=2020年7月}}。[[レゴ]]の元祖と言えるブロック玩具も存在する{{要出典|date=2020年7月}}。従って、バウハウスが発明した合理性を追求したデザインは、[[現代人]]が意識する必要がない程に日常化したと言える。
== 沿革 ==
[[ファイル:Van-de-Velde-Bau in Weimar (Draufsicht).jpg|thumb|250px|right|ヴァイマル校]]
[[ファイル:Van-de-Velde-Bau in Weimar (Südgiebel).jpg|thumb|250px|right|ヴァイマル校]]
[[ファイル:Bauhaus.JPG|thumb|250px|right|デッサウ校]]
[[ファイル:Bauhaus Archiv Berlin - Haupteingang.jpg|thumb|250px|right|ベルリンにあるバウハウス記念館(Bauhaus-Archiv)]]
バウハウスの歴史はわずかな期間であるが、この間に運営方法は大きく変わった。
=== 前史 ===
{{Seealso|{{仮リンク|Neues Weimar|de|Neues Weimar}}}}
[[ザクセン=ヴァイマル=アイゼナハ大公国|ヴァイマル大公]][[ヴィルヘルム・エルンスト (ザクセン=ヴァイマル=アイゼナハ大公)|ヴィルヘルム・エルンスト]]は、ベルギーの建築家で[[アール・ヌーヴォー]]に造詣の深い[[アンリ・ヴァン・デ・ヴェルデ]]をヴァイマルに招聘した。[[1902年]]、ヴェルデは私設の「工芸ゼミナール」を設立し、1908年に「大公立美術工芸学校」へ発展した。1911年には、ヴェルデ設計による工芸学校の校舎が建てられた。
ヴァン・デ・ヴェルデは[[ケルン]]での{{仮リンク|ケルン・工作連盟展 (1914年)|de|Kölner Werkbundausstellung|en|Werkbund Exhibition (1914)|label=ドイツ工作連盟展}}(1914年)で、[[イギリス]]の[[アーツ・アンド・クラフツ運動]]の影響を受け、規格化を重視した[[ドイツ工作連盟]]の[[ヘルマン・ムテジウス]]と衝突して({{lang-de|Typenstreit}}、'''規格化論争''')[[1915年]]にドイツを去らざるを得なくなり、工芸学校をヴァルター・グロピウスに託した。
=== ヴァイマルでの設立 ===
[[第一次世界大戦]]後に[[ドイツ革命]]([[1918年]][[11月3日]] - [[1919年]][[8月11日]])が勃発。[[ドイツ帝国]]が崩壊して大公の統治が終わり、[[ヴァイマル共和政|ヴァイマル共和国]]が成立した。1919年、工芸学校と美術学校が合併して「[[バウハウス大学ヴァイマル|国立バウハウス・ヴァイマル]]」設立(ヴェルデ設計の旧工芸学校の校舎を使用)。初代校長にグロピウスが就任し、同年にバウハウス創立宣言が出された(ちなみに宣言の表紙は[[リオネル・ファイニンガー]]の「[[社会主義]]の大聖堂」)。宣言でグロピウスは「芸術家と職人の間に本質の差はない。階級を分断する思い上がりをなくし、職人の新しい集団を作ろう!」と呼び掛けた<ref name="日経20191208"/>。
予備課程を担当していた[[ヨハネス・イッテン]] の方針から、初期の教育内容は、合理主義的(機能主義的)なものと[[表現主義]]的([[神秘主義]]・[[精神主義]]的、芸術的、[[手工業]]的)なものとを混合していた。
1922年に[[ソビエト連邦|ソ連]]の高等芸術学校[[ヴフテマス]]([[1920年]] - [[1930年]])から招聘した[[ワシリー・カンディンスキー]]が[[ロシア・アヴァンギャルド]]の[[ロシア構成主義|構成主義]]的な造形教育を開始した後、グロピウスはオランダの[[デ・ステイル]]([[ピエト・モンドリアン]]による[[新造形主義]]や、[[テオ・ファン・ドゥースブルフ]]による[[要素主義]])の影響を受け、より合理主義的・機能主義的な考え方をとるようになった。やがて、グロピウスとヨハネス・イッテンとの間に対立が生じ、[[1923年]]にイッテンがバウハウスを去り、後継者には[[ハンガリー]]を[[亡命]]した[[モホリ=ナジ・ラースロー]]が就任、予備課程を担当した。その結果、合理主義・機能主義が、バウハウスの中心的な教育傾向となっていった。これは[[工業デザイン]]や大量生産に合致するものであった。
=== デッサウ移転 ===
ヴァイマルのバウハウスは閉鎖され、[[1925年]]に[[デッサウ]]に移転し<ref>{{Cite book|和書 |author=エッカート・ノイマン |title=バウハウスの人々 |publisher=みすず書房 |date=2018-12-17 |page=346 |isbn=9784622087229}}</ref>、「市立バウハウス・デッサウ」となった。デッサウの校舎はグロピウスの設計によるもので、モダニズム建築の代表作として各国に紹介された。現代の感覚で見ると特筆すべき点は無いが、当時としては最先端の建築デザインであった。グロピウスは1928年に校長を退き、グロピウスの後継者には[[ハンネス・マイヤー]]が指名された。
ヴァイマルが[[ドイツ文学#ヴァイマール古典主義|ドイツ古典主義]]の影響が濃い歴史ある文化都市であったのに対して、当時のデッサウは、[[ユンカース]](航空機メーカー)の[[企業城下町]]の新興工業都市であったことから、移転先に選ばれた<ref name="日経20191208"/>。
ムテジウスの系譜に連なるマイヤーは[[唯物論]]の立場から「'''バウエン'''」(Bauen, <small>建築、構築</small>)を唱え、全てを規格化・数値化・計量化し、合目的性・経済性・科学性を徹底的に重視させた。これによりドイツ表現主義的な審美性は無くなり、造形の呼称は「美」に代わって「形成」 (Gestaltung) とされた。マイヤーの手腕でバウハウスは初めて[[黒字]]を生み、国際的な評価が高まり、同校のデザイン活動は最高潮に達していた。[[1929年]]6月にマイヤーの後援でバウハウス内に「[[ドイツ共産党]][[細胞 (政党)|細胞]]」という同好会が結成された。マイヤーが公然たる[[共産主義]]者であったこともあり、さらにバウハウスはナチスら右翼勢力に敵視されるようになる。
[[1930年]]にマイヤーは解任され、[[ミース・ファン・デル・ローエ|ルートヴィヒ・ミース・ファン・デル・ローエ]]が校長に就任した。
=== ベルリン移転・閉校 ===
[[1932年]]にデッサウ校は閉鎖し、首都[[ベルリン]]へ移転して私立学校になった。ミース・ファン・デル・ローエの方針はマイヤーの「バウエン」を継承しつつも、政治色を払拭するものだった。
[[1933年]]には[[国家社会主義ドイツ労働者党|ナチス]]により閉校される前にミース・ファン・デル・ローエにより解散された。
(出典、Magdalena Droste"Bauhaus", Taschen)
ミース・ファン・デル・ローエは[[アメリカ合衆国|米国]]に亡命。[[モホリ=ナジ・ラースロー]]も国外に移動しているなど、国外に活動の場は移動されることとなった。
バウハウス関係者とナチスの関係は一様ではなく、[[強制収容所 (ナチス)|強制収容所]]の設計・建設に協力した者や、強制収容所で獄死した者もいた<ref name="日経20191208"/>。
== バウハウスの継承 ==
[[ファイル:Crown Hall 060514.jpg|thumb|250px|right|イリノイ工科大学クラウンホール (設計:ミース・ファン・デル・ローエ)]]
[[ファイル:Bauhaus-Universität Weimar - Neubau der Fakultät Bauningenieurwesen.jpg|thumb|250px|right|[[バウハウス大学ヴァイマル]]]]
=== ニュー・バウハウス ===
モホリ=ナジは米国の[[シカゴ]]芸術産業協会に招かれ、[[ニュー・バウハウス]]を設立した([[1937年]])。財政難のため1年ほどで閉鎖されたが、[[1939年]]に School of Design Chicago として再開<!-- 再開? -->、[[1944年]]には拡大し [[:en:IIT Institute of Design|The Institute of Design]] となった。シカゴの活動では特に写真の分野が有名である。モホリ=ナジの教育方式は、[[1949年]]に[[イリノイ工科大学]](IIT)に引き継がれた。
=== バウハウス大学ヴァイマル ===
[[ヴァイマル]]校舎は、旧[[ドイツ民主共和国|東ドイツ]]の時代は建築・土木工科大学 (Hochschule für Architektur und Bauwesen Weimar) として機能していたが、[[ドイツ再統一|東西併合]]後にバウハウスの流れを汲む国立の総合芸術大学としての再編が計画され、1996年に建築、土木工学、アート & デザイン、メディアの四領域を有する[[バウハウス大学ヴァイマル]]として、改めてバウハウスの名を掲げることとなった。その中でも、[[大学院]][[修士]]課程 (MFA) のみのコースとして設置された "Public Art and New Artistic Strategies" は、バウハウス大学の全領域を横断しながら新しい芸術を探求する実験的なコースとして注目されている。
=== バウハウス・デッサウ財団 ===
[[1999年]]9月、「{{仮リンク|バウハウス・デッサウ財団|de|Stiftung Bauhaus Dessau|en|Bauhaus Dessau Foundation}}」が管理するデッサウ校舎において理事長を務める{{仮リンク|オマー・アクバー|de|Omar Akbar}}が、実験的教育機関「[[バウハウス・コレーグ]]」を立ち上げた。対象は大卒や専門課程既卒者でクラスは英語で行われる。往来のバウハウスが掲げていた「全ては建築に収束する」でなく、テーマは「都市」。メディア、建築、アート、デザインなどの専門知識を持った 20 人前後の学生たちで成り立つ。バウハウスブランドを利用しているという批判もあるが、21世紀のバウハウスを見据えた実験的試みが行われている。
財団は2019年9月、バウハウス美術館をデッサウに開館した<ref name="日経20191208">「バウハウス100年 世紀を超えるデザインの力」『[[日本経済新聞]]』朝刊2019年12月8日(NIKKEI The STYLE)9-11面</ref>。
== 日本からの留学者 ==
バウハウスへの日本人留学者は、[[水谷武彦]](東京美術学校助教授)と[[山脇巌]]・[[山脇道子|道子]]夫妻がいる<ref>{{Cite web|和書|url = https://jp.toto.com/tsushin/2017_autumn/modernhouse.htm |title = 大ガラスのある白い箱 三岸アトリエ |publisher = [[TOTO (企業)|TOTO]] |accessdate = 2018-06-24 }}</ref>。
*山脇巌『バウハウスの人々 近代建築家7』彰国社、1954年。各・回想記
*山脇道子『バウハウスと茶の湯』[[新潮社]]、1995年
水谷らは帰国後は美術学校でバウハウス流の造形教育を行った。
*[[新建築工芸学院]]([[1932年]] - [[1938年]])
:日本の高等芸術学校。水谷武彦、山脇巌・道子夫妻が講師として参加。
山脇巌はバウハウス閉鎖後に帰国し、バウハウスで学んだ[[フォトモンタージュ|フォトコラージュ]]による作品「バウハウスへの打撃」(ナチスの[[突撃隊]]とバウハウスの写真などを組み合わせた)を制作した。戦後、山脇は[[日本大学]]芸術学部教授に就き、バウハウスの経験をもとにカリキュラムを作成する。これが日本で初の大学におけるデザイン教育となる(当時は美術学科の中にあるデザイン専攻。現在はデザイン学科として独立)。
== 世界遺産 ==
「[[ヴァイマルとデッサウのバウハウスとその関連遺産群]]」は、[[1996年]]に[[世界遺産]](文化遺産)に登録された。〈バウハウス叢書〉の刊行も含め、後世の美術芸術・美術[[思想]]・美術[[教育]]等に与えた影響は大きい。
== 校名・校長の変遷 ==
{| class="wikitable" style="margin:0 auto"
|+校名・校長の変遷
!年
!校名
!校長
|-
|1919年〜1925年
|国立バウハウス・ヴァイマル
|グロピウス
|-
|1925年〜1928年
|市立バウハウス・デッサウ
|グロピウス
|-
|1928年〜1930年
|市立バウハウス・デッサウ
|マイヤー
|-
|1930年〜1932年
|市立バウハウス・デッサウ
|ミース・ファン・デル・ローエ
|-
|1932年〜1933年
|私立バウハウス・ベルリン
|ミース・ファン・デル・ローエ
|}
=== 運営に係わった人物 ===
*[[ミース・ファン・デル・ローエ]]
*[[ヴァルター・グロピウス]]
*[[パウル・クレー]]
*[[ヨゼフ・アルバース]]
*[[ヨハネス・イッテン]]
*[[テオ・ファン・ドゥースブルフ]]
*[[モホリ=ナジ・ラースロー]]
*[[ワシリー・カンディンスキー]]
*[[リオネル・ファイニンガー]]
*[[ヘルベルト・バイヤー]]
*[[オスカー・シュレンマー]]
*[[ピエト・モンドリアン]]
*[[マルセル・ブロイヤー]]
*[[マリアンネ・ブラント]]
*[[カジミール・マレーヴィチ]]
*[[アルベール・グレーズ]]
== 参考画像 ==
<gallery>
File:Bauhaus in Dessau.jpg|
File:Bauhaus-Dessau Festsaal.jpg|
File:Weimarbauhaus6.jpg|
File:Bauhaus-Dessau Fensterfront.JPG
</gallery>
== その他 ==
[[File:Osaka Municipal Kogei High School.jpg|サムネイル|大阪市立工芸高等学校本館]]
1924年竣工の[[大阪府立工芸高等学校|大阪市立工芸高等学校]]本館 (竣工時は旧制の大阪市立工芸学校) は[[アール・ヌーヴォー]]風の建物で、ヴァン・デ・ヴェルデのヴァイマル・バウハウス校舎に影響を受けたと言われている。本館校舎は[[2000年]]12月12日に、大阪市指定[[有形文化財]]に指定されている。また[[2008年]]には日本の産業近代化を支えた技術者教育の歩みを知る事が出来る施設として、[[近代化産業遺産]]に認定されている。
創立間もない頃、[[山口正城]]がドイツのバウハウスの教育を取り入れた。[[第二次世界大戦]]前、国内でバウハウス式教育を実践していたのは同校と東京の[[新建築工芸学院]]だけだった。
== 関連書籍 ==
;原典
*'''バウハウス叢書''' (日本語版 全14巻)。[[中央公論美術出版]]、1991-99年、新装版2019-20年
#国際建築、[[ヴァルター・グロピウス]]。貞包博幸訳
#教育スケッチブック、パウル・クレー。利光功訳
#バウハウスの実験住宅、[[アドルフ・マイヤー]]編。貞包博幸訳
#バウハウスの舞台、[[オスカー・シュレンマー]]、[[モホリ=ナジ・ラースロー]]、ファルカス・モルナール。利光功訳
#新しい造形 新造形主義、[[ピート・モンドリアン]]。[[宮島久雄]]訳
#新しい造形芸術の基礎概念、テオ・ファン・ドゥースブルフ。宮島久雄訳
#バウハウス工房の新製品、ヴァルター・グロピウス。宮島久雄訳
#絵画・写真・映画、モホリ=ナギ。利光功訳
#点と線から面へ、ヴァシリー・カンディンスキー。宮島久雄訳
#オランダの建築、[[J.J.P.アウト]]。貞包博幸訳
#無対象の世界、[[カジミール・マレーヴィチ]]。[[五十殿利治]]訳
#デッサウのバウハウス建築、ヴァルター・グロピウス。[[利光功]]訳
#キュービスム、[[アルベール・グレーズ]]。貞包博幸訳
#材料から建築へ、モホリ=ナギ。宮島久雄訳
*『ヴァイマルの国立バウハウス 1919-1923』利光功編訳、中央公論美術出版、2009年。創立90年記念出版
*『バウハウスの人々 回想と告白』エッカート・ノイマン編/向井周太郎・相沢千加子・山下仁訳、[[みすず書房]]、2018年
;図録・解説
* 『バウハウス・デッサウ展』 2008年(島津京、細谷誠、河野朋子、遠藤加奈子編)
*:2008年4月から2009年3月に、4ヶ所([[東京藝術大学]]美術館、[[静岡県]]・[[浜松市美術館]]、[[新潟県]]・[[新潟市新津美術館]]、[[栃木県]]・[[宇都宮美術館]])で催され、「図録」は[[産業経済新聞社|産経新聞社]]で刊行された。
*『「きたれ、バウハウス」』図録、2020年夏に[[東京駅|東京ステーションギャラリー]]で開催。論考16編を収録
*『バウハウスとその周辺』(叢書・別巻) 利光功、宮島久雄、貞包博幸編、中央公論美術出版、1996-99年
**「1 美術・デザイン・政治・教育」
**「2 理念・音楽・映画・資料・年表」
* 『Bauhaus 1919-1933 バウハウス』 [[セゾン美術館]]、1995年
*『[[ユリイカ (雑誌)|ユリイカ 詩と批評]] 特集バウハウス』1992年11月号、[[青土社]]
;古い概説書
*『バウハウス 歴史と理念』[[利光功]]、[[美術出版社]]・美術選書、1970年、新版1988年/改訂版 マイブック・サービス、2020年
*『バウハウス その建築造形理念』[[杉本俊多]]、[[鹿島出版会]]・[[SD選書]]、1979年
*『バウハウス 近代デザイン運動の軌跡』ギリアン・ネイラー、利光功訳、[[パルコ|PARCO 出版局]]、1976年
;新しい概説書
*『特集バウハウス 1919-1999』 大口晃央ほか <10+1 = Ten plus one No.17>[[INAX]]出版、1999年
*『誰にでもわかる20世紀建築の3大巨匠+バウハウス』 [[マガジンハウス]]ムック、2006年。入門書
*『バウハウスとはなにか』阿部祐太、阿部出版、2018年
*『バウハウスってなあに?』インゴルフ・ケルンほか、バウハウス・デッサウ財団編、[[白水社]]、2019年。年少向け入門書
*『もっと知りたい バウハウス』杣田佳穂、[[東京美術]]「アート・ビギナーズ・コレクション」、2020年。同上
;写真集 2000年代に刊行
*『バウハウス 1919-1933』 タッシェン・ジャパン、建築デザインシリーズ
:マグダレーナ・ドロステ、Mariko Nakano訳 タッシェン、新版2009年
*『ヴァルター・グロピウス バウハウス1925-26、ファグス工場1911-25』
:〈GAグローバル・アーキテクチュア70〉[[A.D.A.Edita Tokyo]]/[[二川幸夫]]企画・撮影/デニス・シャープ文
;学術書
*『バウハウスと戦後ドイツ芸術大学改革』 鈴木幹雄、長谷川哲哉編著 風間書房、2009年
*『ナチス時代のバウハウス・モデルネ』 ヴィンフリート・ネルディンガー編、清水光二訳 岡山:大学教育出版、2002年
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
{{reflist}}
== 関連項目 ==
{{Commons|Bauhaus}}
*[[モダニズム建築]]
*[[テルアビブの白い都市]]
*[[インターナショナル・スタイル]]
<!--*[[民芸運動]]--><!-- 関連性不明 -->
==外部リンク==
*[https://trenova.jp/bauhaus/ バウハウス100年映画祭]
*[http://www.bauhaus.ac/bauhaus100/ バウハウス100年記念企画]
{{西洋の芸術運動}}
{{建築史}}
{{Modernarch}}
{{Normdaten}}
{{DEFAULTSORT:はうはうす}}
[[Category:バウハウス|*]]
[[Category:デザイン学校]]
[[Category:建築系教育機関]]
[[Category:モダニズム建築]]
[[Category:20世紀の美術]]
[[Category:世界遺産 は行]]
[[Category:ドイツの芸術]]
[[Category:ドイツの建築]]
[[Category:テューリンゲンの文化]]
[[Category:ヴァイマル]]
[[Category:ヴァイマルの歴史]]
[[Category:ヴァイマル文化]]
[[Category:美術系教育機関]]
[[Category:教育機関 (廃止)]]
[[Category:ヴァルター・グロピウス]]
[[Category:ドイツ語の語句]]
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指定区間
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指定区間(していくかん)は、一般国道・河川・海上運送・港湾運送事業において、政令・省令・告示により指定された区間。一般国道においては国土交通大臣が管理する区間を、河川においては都道府県知事が管理する区間を、海上運送においては生活航路を維持する区間を、港湾運送事業においてはその定義の区間を指す。
一般国道の指定区間とは、道路法第13条第1項の規定に基いて、維持・修繕・災害復旧・その他の管理を国土交通大臣(地方整備局、北海道は北海道開発局、沖縄県は内閣府沖縄総合事務局)が行い、一般国道の指定区間を指定する政令(昭和33年6月2日政令第164号)で指定された区間である(直轄区間・直轄国道とも称する)。
それ以外の区間(指定区間外・補助国道)については該当する都府県または政令指定都市が管理を行う。
一般国道の指定区間を指定する政令では、北海道の区域内に存する区間、別表に掲げる区間を指定区間としている。また、上欄に掲げる路線名の一般国道と重複する道路の部分を有する一般国道の重複する区間も指定区間となる。
国土交通大臣は、北海道の区域内に存する一般国道の区間及び以下のいずれかの条件を満たす一般国道の区間が指定区間となるように政令の立案を行うべきものとされている(道路法施行規則第1条の2第1項)。
2021年(令和3年)3月31日現在、一般国道の合計実延長は、56,110.8 kmであり、そのうち指定区間は24,083.4 kmとなっている。
河川における指定区間は、一般国道の指定区間とは逆に国土交通大臣が管理しない区間を指す。したがって、国土交通大臣が管理する区間は「指定区間外」と称する。
河川における指定区間とは、河川法第9条第2項の規定により、「河川の形状及び流水の状況並びに流域の地形及び土地利用の状況等から、一体として管理する必要がある区間」「洪水等の激甚な災害が発生した水系に属する河川の区間又は渇水が頻繁に発生し、若しくは河川環境の整備若しくは保全を図る上で重要な問題等が生じている水系に属する河川の区間であつて、河川管理に高度の技術を要すること、地方公共団体の負担の軽減を図る必要があること等の理由により国土交通大臣が対策を講じる必要があると認められるもの」に該当しない区間について国土交通大臣が都道府県知事に、水系として一体として管理することが必要のないものの管理を委託した区間をいう。指定区間外の一級河川の管理は、国土交通大臣(地方整備局)が行なう(直轄区間・直轄河川)。指定区間は、その多くが一級河川の上流部である。
海上運送における指定区間とは、海上運送法第2条第11項の規定により、「船舶以外には交通機関がない区間又は船舶以外の交通機関によることが著しく不便である区間であつて、当該区間に係る離島その他の地域の住民が日常生活又は社会生活を営むために必要な船舶による輸送が確保されるべき区間として関係都道府県知事の意見を聴いて国土交通大臣が指定するもの」をいう。
港湾運送事業における指定区間とは、港湾運送事業法第2条第1項第3号の規定に基いて、国土交通省令で定める港湾と港湾又は場所との間をいう。
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指定区間(していくかん)は、一般国道・河川・海上運送・港湾運送事業において、政令・省令・告示により指定された区間。一般国道においては国土交通大臣が管理する区間を、河川においては都道府県知事が管理する区間を、海上運送においては生活航路を維持する区間を、港湾運送事業においてはその定義の区間を指す。
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{{出典の明記|date=2019年8月}}
'''指定区間'''(していくかん)は、[[一般国道]]・[[川|河川]]・[[海運|海上運送]]・[[港湾運送業|港湾運送事業]]において、[[政令]]・[[省令]]・[[告示]]により指定された区間。一般国道においては[[国土交通大臣]]が管理する区間を、河川においては[[都道府県知事]]が管理する区間を、海上運送においては生活航路を維持する区間を、港湾運送事業においてはその定義の区間を指す。
== 一般国道の指定区間 ==
{{wikisource|一般国道の指定区間を指定する政令}}
'''一般国道の指定区間'''とは、[[道路法]]第13条第1項の規定に基いて、維持・修繕・災害復旧・その他の管理を国土交通大臣([[地方整備局]]、北海道は[[北海道開発局]]、沖縄県は[[内閣府]][[沖縄総合事務局]])が行い、[[一般国道の指定区間を指定する政令]](昭和33年6月2日政令第164号)で指定された区間である('''直轄区間'''・'''直轄国道'''とも称する)。
それ以外の区間(指定区間外・'''補助国道''')については該当する[[都道府県|都府県]]または[[政令指定都市]]が管理を行う。
一般国道の指定区間を指定する政令では、[[北海道]]の区域内に存する区間、別表に掲げる区間を指定区間としている。また、上欄に掲げる路線名の一般国道と重複する道路の部分を有する一般国道の重複する区間も指定区間となる。
国土交通大臣は、[[北海道]]の区域内に存する一般国道の区間及び以下のいずれかの条件を満たす一般国道の区間が指定区間となるように政令の立案を行うべきものとされている(道路法施行規則第1条の2第1項)。
* [[高速自動車国道]]と一体となって全国的な自動車交通網を構成する[[自動車専用道路]]である一般国道の区間
* 国土を縦断し、横断し、又は循環して、都道府県庁所在地その他政治上、経済上又は文化上特に重要な都市を効率的かつ効果的に連絡する一般国道の区間
* [[港湾法]]上の[[国際戦略港湾]]・[[国際拠点港湾]]等の港湾や重要な[[飛行場]]と高速自動車国道又は上記のいずれかに規定する一般国道の区間とを効率的かつ効果的に連絡する一般国道の区間
[[2021年]]([[令和]]3年)[[3月31日]]現在、一般国道の合計実延長<ref group="注釈">実延長とは一般国道の指定を受けた区間の総延長から上位路線との重複区間と未供用区間の延長を除いた延長。</ref>は、56,110.8 [[キロメートル|km]]であり、そのうち指定区間は24,083.4 kmとなっている<ref>{{Cite web|和書|format=XLS|url=https://www.mlit.go.jp/road/ir/ir-data/tokei-nen/2022/xlsx/d_genkyou26.xlsm|title=表26 一般国道の路線別、都道府県別道路現況|work=道路統計年報2022|publisher=[[国土交通省]][[道路局]]|accessdate=2023-07-03}}</ref>。
== 河川における指定区間==
河川における指定区間は、一般国道の指定区間とは逆に国土交通大臣が管理'''しない'''区間を指す。したがって、国土交通大臣が管理する区間は「指定区間'''外'''」と称する。
河川における'''指定区間'''とは、[[河川法]]第9条第2項の規定により、「河川の形状及び流水の状況並びに流域の地形及び土地利用の状況等から、一体として管理する必要がある区間」「洪水等の激甚な災害が発生した水系に属する河川の区間又は渇水が頻繁に発生し、若しくは河川環境の整備若しくは保全を図る上で重要な問題等が生じている水系に属する河川の区間であつて、河川管理に高度の技術を要すること、地方公共団体の負担の軽減を図る必要があること等の理由により国土交通大臣が対策を講じる必要があると認められるもの」に'''該当しない'''区間について国土交通大臣が都道府県知事に、[[水系]]として一体として管理することが必要のないものの管理を委託した区間をいう。指定区間'''外'''の[[一級河川]]の管理は、国土交通大臣([[地方整備局]])が行なう('''直轄区間'''・'''直轄河川''')。指定区間は、その多くが一級河川の上流部である。
== 海上運送における指定区間 ==
海上運送における'''指定区間'''とは、[[海上運送法]]第2条第11項の規定により、「船舶以外には交通機関がない区間又は船舶以外の交通機関によることが著しく不便である区間であつて、当該区間に係る離島その他の地域の住民が日常生活又は社会生活を営むために必要な船舶による輸送が確保されるべき区間として関係都道府県知事の意見を聴いて国土交通大臣が指定するもの」をいう。
== 港湾運送事業における指定区間 ==
港湾運送事業における'''指定区間'''とは、[[港湾運送事業法]]第2条第1項第3号の規定に基いて、国土交通省令で定める港湾と港湾又は場所との間をいう。
== 脚注 ==
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=== 注釈 ===
{{Reflist|group="注釈"}}
=== 出典 ===
{{Reflist}}
== 外部リンク ==
* [https://www.mlit.go.jp/sogoseisaku/ 総合政策局] - [[国土交通省]]
* [https://www.mlit.go.jp/river/ 河川局] - 国土交通省
* [https://www.mlit.go.jp/road/ 道路局] - 国土交通省
* [https://www.mlit.go.jp/maritime/ 海事局] - 国土交通省
* [https://www.mlit.go.jp/kowan/ 港湾局] - 国土交通省
* {{Egov law|340M50004000007|河川法施行規則}}
* {{Egov law|333CO0000000164|一般国道の指定区間を指定する政令}}
* {{Egov law|324AC0000000187|海上運送法}}
* {{Egov law|334M50000800046|港湾運送事業法施行規則}}
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[[Category:日本の河川]]
[[Category:日本の道路]]
[[Category:日本の港湾]]
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17,578 |
単位円
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数学において単位円(たんいえん、unit circle)とは、半径が 1 の円のことである。
解析幾何学(いわゆる“座標幾何”)では、特に原点(すなわち x 軸と y 軸の交点) O(0, 0) を中心とするものをいう。これは、原点からの距離が 1 であるような点の全体が描く軌跡のことと言っても同じことである。
単位円は、しばしば S で表される(これは n 次元の球面 (sphere) という概念の n = 1 の場合という意味合いを含む)。
単位円上の任意の点の座標は、ある弧度 θ (0 ≤ θ < 2π) により正弦関数と余弦関数を用いて
と表される。これは三角関数の定義そのものである。
また、単位円上の関数は弧度を実数とみなすことにより、周期関数になる。周期関数のフーリエ展開は、単位円上の関数の既約指標による展開と見なされる。
複素数平面上の単位円は絶対値が 1 の複素数の描く軌跡
となる(exp は自然対数の底 e を底とする複素変数の指数関数)。これは、複素数の通常の積に関して閉じていて群を成し、円周群 (circle group) などと呼ばれることがある。これはまた 1 次元のユニタリー群と呼ばれるリー群であり、U(1) と記される。円周群は複素数平面において絶対値の定める通常の距離に関して、コンパクトな位相群である。
任意の自然数 n に対して円周群はただ一つの位数 n の部分群をもつ。それは 1 の n 乗根の全体であり、 1 の原始 n 乗根で生成される巡回群である。
中身の詰まった単位円として単位円板 (unit disk) D = D は
で定義される。
複素平面上の単位円板は、しばしば太字(あるいは白抜きの) D で表される。位相幾何学ではこれに同相なものをやはり同じ名前で呼ぶ。
単位円周 S は単位円板の境界 ∂D を成し、単位円周を含まない単位円板を単位開円板と呼ぶ。単位開円板に対して単位円周を含む単位円板を単位閉円板と呼ぶこともある。円板 D は2-球体であるから B とも書かれる(B, D を別々に閉円板と開円板を表す文字として宛てて、区別して用いる場合もある)。また、このことから逆に n 次元球体 B を n 次元円板と呼んで D などと記す場合もある。
開円板は閉円板 D の開核 D であり、閉円板は開円板の閉包に等しく、開円板を D と書く場合には閉円板は D で表される。
単位閉円板は、ユークリッド平面における通常の位相に関してコンパクトである。単位開円板は双曲幾何学のモデルの一つであるポアンカレの単位円板モデルの台として用いられる。
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数学において単位円とは、半径が 1 の円のことである。
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{{出典の明記|date=2020年7月}}
[[File:Unit circle.svg|thumb|200px|単位円の図。変数 ''t'' は角度である。]]
[[数学]]において'''単位円'''(たんいえん、unit circle)とは、[[半径]]が [[1]] の[[円 (数学)|円]]のことである。
==概要==
[[解析幾何学]](いわゆる“座標幾何”)では、特に[[原点 (数学)|原点]](すなわち ''x'' 軸と ''y'' 軸の交点) ''O''(0, 0) を中心とするものをいう。これは、原点からの[[距離]]が 1 であるような点の全体が描く軌跡のことと言っても同じことである。
単位円は、しばしば ''S''<sup>1</sup> で表される(これは ''n'' 次元の[[球面]] (sphere) という概念の ''n'' = 1 の場合という意味合いを含む)。
: ''S''<sup>1</sup> = {'''x''' ∈ '''R'''<sup>2</sup> | dist(''O'', '''x''') = 1} = {(''x'', ''y'') ∈ '''R'''<sup>2</sup> | ''x''<sup>2</sup> + ''y''<sup>2</sup> = 1}.
== 単位円上の関数 ==
[[File:Unit-circle sin cos tan cot exsec excsc versin vercos coversin covercos.svg|thumb|250px|単位円と三角関数との関係]]
単位円上の任意の点の座標は、ある[[ラジアン|弧度]] ''[[θ]]'' (0 ≤ ''θ'' < 2''π'') により[[正弦関数]]と[[余弦関数]]を用いて
: (cos ''θ'', sin ''θ'')
と表される。これは[[三角関数]]の定義そのものである。{{main2|詳しくは[[三角関数]]の項を}}
また、単位円上の関数は弧度を実数とみなすことにより、[[周期関数]]になる。周期関数の[[フーリエ展開]]は、単位円上の関数の既約指標による展開と見なされる。
== ガウス平面上の単位円 ==
[[複素数|複素数平面]]上の単位円は[[絶対値]]が 1 の複素数の描く軌跡
: {''z'' ∈ '''C''' | |''z''| = 1} = {exp(''iθ'') | 0 ≤ ''θ'' < 2''π''}
となる(exp は[[ネイピア数|自然対数の底]] ''e'' を底とする複素変数の[[指数関数]])。これは、複素数の通常の積に関して閉じていて群を成し、'''円周群''' (circle group) などと呼ばれることがある。これはまた 1 次元の[[ユニタリ群|ユニタリー群]]と呼ばれる[[リー群]]であり、''U''(1) と記される。円周群は複素数平面において[[絶対値]]の定める通常の[[距離]]に関して、[[コンパクト位相群|コンパクト]]な[[位相群]]である。
任意の[[自然数]] ''n'' に対して円周群はただ一つの位数 ''n'' の部分群をもつ。それは 1 の ''n'' 乗根の全体であり、[[1の原始累乗根| 1 の原始 ''n'' 乗根]]で生成される巡回群である。
== 単位円板 ==
{{main|単位円板}}
中身の詰まった単位円として'''[[単位円板]]''' (unit disk) ''D'' = ''D''<sup>2</sup> は
: ''D''<sup>2</sup>(''O''; 1) = {(''x'', ''y'') ∈ '''R'''<sup>2</sup> | ''x''<sup>2</sup> + ''y''<sup>2</sup> ≤ 1}
で定義される。
複素平面上の単位円板は、しばしば太字(あるいは白抜きの) '''D''' で表される。[[位相幾何学]]ではこれに同相なものをやはり同じ名前で呼ぶ。
単位円周 ''S''<sup>1</sup> は単位円板の境界 ∂''D'' を成し、単位円周を含まない単位円板を'''単位開円板'''と呼ぶ。単位開円板に対して単位円周を含む単位円板を'''単位閉円板'''と呼ぶこともある。円板 ''D''<sup>2</sup> は2-[[球体]]であるから ''B''<sup>2</sup> とも書かれる(B, D を別々に閉円板と開円板を表す文字として宛てて、区別して用いる場合もある)。また、このことから逆に ''n'' 次元球体 ''B''<sup>''n''</sup> を ''n'' 次元円板と呼んで ''D''<sup>''n''</sup> などと記す場合もある。
開円板は閉円板 ''D'' の[[開核]] ''D''<sup>o</sup> であり、閉円板は開円板の[[閉包 (位相空間論)|閉包]]に等しく、開円板を ''D'' と書く場合には閉円板は <span style="text-decoration: overline; font-style: italic">D</span> で表される。
単位閉円板は、[[ユークリッド空間|ユークリッド平面]]における通常の位相に関して[[コンパクト (数学)|コンパクト]]である。単位開円板は[[双曲幾何学]]のモデルの一つである[[ポワンカレの円板モデル|ポアンカレの単位円板モデル]]の台として用いられる。
== 関連項目 ==
* [[三角関数]]
* [[リー群]]
* [[コンパクト群]]
{{DEFAULTSORT:たんいえん}}
[[Category:解析幾何学]]
[[Category:位相群]]
[[Category:三角法]]
[[Category:フーリエ解析]]
[[Category:数学に関する記事]]
[[Category:1]]
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2003-09-20T15:11:31Z
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%98%E4%BD%8D%E5%86%86
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県庁通り (長野県)
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県庁通り(けんちょうどおり)は長野県長野市の丹波島橋北詰交差点から信大教育学部前交差点(国道406号交点)に至る道路の通称。沿道に長野県庁があることから県庁通りと呼ばれる。
丹波島橋北詰交差点〜中御所交差点が国道117号、中御所交差点〜県庁前交差点が国道19号、県庁前交差点〜信大教育学部前交差点が長野県道399号長野豊野線である。
丹波島橋〜県庁前交差点の区間は川中島・篠ノ井・松代方面と長野市街地とを結ぶメインルートであり、交通量は非常に多い。特に荒木交差点・中御所交差点では混雑が激しい。
県庁前交差点〜信大教育学部前交差点の区間は長野県の機関や国の機関が集中する官公庁街となっており、落ち着いた空気が漂う。しかし善光寺参拝客が増加する時期には、中央通りの迂回路として渋滞が激しくなる。
長野市の交通セル計画において、中御所北交差点〜信大教育学部前交差点の区間がセル環状道路の一つにあたる。
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県庁通り(けんちょうどおり)は長野県長野市の丹波島橋北詰交差点から信大教育学部前交差点(国道406号交点)に至る道路の通称。沿道に長野県庁があることから県庁通りと呼ばれる。 丹波島橋北詰交差点〜中御所交差点が国道117号、中御所交差点〜県庁前交差点が国道19号、県庁前交差点〜信大教育学部前交差点が長野県道399号長野豊野線である。
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[[ファイル:Nagano Kenchō Dōri 01.jpg|thumb|right|250px|岡田町南交差点(国道19号)より北(県庁・信州大学)方向を望む]]
[[ファイル:Nagano Kenchō Dōri 02.jpg|thumb|right|250px|岡田町南交差点より南(丹波島橋)方向を望む]]
[[ファイル:Naganoasahi Naganocoty Naganopref.JPG|thumb|right|250px|中央消防署付近より南(丹波島橋)方向を望む]]
'''県庁通り'''(けんちょうどおり)は[[長野県]][[長野市]]の[[丹波島橋]]北詰交差点から[[信州大学|信大]]教育学部前交差点([[国道406号]]交点)に至る道路の通称。沿道に[[長野県庁舎|長野県庁]]があることから県庁通りと呼ばれる。
[[丹波島橋]]北詰交差点〜中御所交差点が'''[[国道117号]]'''、中御所交差点〜県庁前交差点が'''[[国道19号]]'''、県庁前交差点〜信大教育学部前交差点が'''[[長野県道399号長野豊野線]]'''である。
== 概要 ==
[[丹波島橋]]〜県庁前交差点の区間は[[川中島町|川中島]]・[[篠ノ井市|篠ノ井]]・[[松代町 (長野県)|松代]]方面と長野市街地とを結ぶメインルートであり、交通量は非常に多い。特に荒木交差点・中御所交差点では混雑が激しい。
県庁前交差点〜信大教育学部前交差点の区間は長野県の機関や国の機関が集中する[[官公庁|官公庁街]]となっており、落ち着いた空気が漂う。しかし[[善光寺]]参拝客が増加する時期には、[[長野中央通り|中央通り]]の迂回路として渋滞が激しくなる。
長野市の[[交通セル]]計画において、中御所北交差点〜信大教育学部前交差点の区間がセル環状道路の一つにあたる。
=== 路線データ ===
* 起点: [[長野県]][[長野市]][[若里]]五丁目(丹波島橋北詰交差点)
* 終点: 長野県長野市[[西長野#西長野町|西長野町]](信大教育学部前交差点=[[国道406号]]交点)
* 幅員
** 起点〜九反交差点 - 車道4車線(交差点部除く)・両側歩道
** 九反交差点〜ホクト文化ホール入口交差点 - 車道5車線(北行3車線 / 南行2車線)・両側歩道
** ホクト文化ホール入口交差点〜終点 - 車道4車線(交差点部除く)・両側歩道
=== 主要構造物 ===
* '''みすず橋'''(中御所跨線橋=[[中御所]]三丁目〜中御所一丁目)
*: [[信越本線]]・[[北陸新幹線]]を越える跨線橋。[[1944年]]([[昭和]]19年)までは[[善光寺白馬電鉄]]も橋の下を通っており、現在でも遺構が見られる。橋の中間からは、[[北陸新幹線]]の線路敷に降りる管理道路が分岐している。
== 沿革 ==
* [[1878年]]([[明治]]11年) - 開通。ただし当時の[[長野県庁舎]]は本路線の北端、現在の[[信州大学]]西長野キャンパス(教育学部)の地にあった。
* [[1890年]](明治23年)[[9月]] - [[丹波島橋]](木橋初代)が完成。
* [[1913年]]([[大正]]2年)[[10月]] - 火災に伴い、長野県庁が現在の地([[南長野#妻科|妻科]])に移る。
* [[1920年]](大正9年) - 旧道路法に基づき、'''国道10号'''となる。
* [[1932年]]([[昭和]]7年) - [[丹波島橋]]が鉄橋となる。
* [[1935年]](昭和10年)[[6月22日]] - [[昭和恐慌]]に伴う失業対策事業として、国道10号の丹波島橋〜大正町通り(現在の[[昭和通り (長野市)|昭和通り]])〜新田町の区間で改修工事が行われ、現在の形となる。
* 1935年(昭和10年)[[7月9日]] - [[信越本線]]・[[善光寺白馬電鉄]]([[1944年]]廃止)との交点に[[#主要構造物|みすず橋]]が架けられる。
* [[1952年]](昭和27年)[[12月4日]] - 新[[道路法]]に基づき、丹波島橋〜県庁前交差点の区間が'''[[一級国道]]18号'''に指定される。
* [[1970年]](昭和45年) - 中御所交差点〜県庁前交差点の区間が'''[[国道19号]]'''に指定変更。
* [[1978年]](昭和53年) - [[#主要構造物|みすず橋]]が改修され、幅員が2倍となる。
* [[1987年]](昭和62年) - 丹波島橋 - 中御所交差点の区間が'''[[国道117号]]'''に指定変更。
* [[1997年]]([[平成]]9年) - [[北陸新幹線]]の先行開通区間の建設に伴い、[[#主要構造物|みすず橋]]が改修される。
* [[2003年]](平成15年)[[3月31日]] - 県庁前交差点〜信大前交差点(現 信大教育学部前交差点)の区間が、[[長野中央通り|中央通り]]に代わって'''[[長野県道399号長野豊野線]]'''に指定される。
== 交差・接続する道路 ==
: '''↑''' [[国道117号]]
* 荒木交差点([[若里]]五丁目)
** [[長野県道372号三才大豆島中御所線]]
* 中御所交差点([[中御所]]一丁目)
** [[国道19号]](西街道)
* 中御所北交差点([[中御所#岡田町|中御所岡田町]])
** [[長野県道32号長野停車場線]](ターミナル南通り)
* 岡田町南交差点([[中御所#岡田町|中御所岡田町]])
** 市道([[長野県道376号長野停車場岡田線|ターミナル通り]])
* 岡田町交差点([[中御所#岡田町|中御所岡田町]])
** [[長野県道34号長野菅平線]](山王通り)
* 県庁前交差点([[南長野#妻科|妻科]])
** [[国道19号]]([[昭和通り (長野市)|昭和通り]])
* 県庁東交差点([[南長野#南県町|南県町]])
** 市道(寿町通り)
* 合同庁舎前交差点([[長野 (長野市)#旭町|旭町]])
** 市道(官庁通り)
* 信大教育学部前交差点([[西長野#西長野町|西長野町]]=終点)
** [[国道406号]](鬼無里街道)
== 沿道 ==
{{Div col}}
* [[長野市立裾花小学校]]
* [[信州大学]]若里キャンパス(工学部)
* [[若里公園]]
** [[長野県県民文化会館|ホクト文化ホール]](長野県県民文化会館)
** [[県立長野図書館]]
* 長野[[公共職業安定所]](ハローワーク長野)
* 長野労働総合庁舎
** [[長野労働局]]
** 長野[[労働基準監督署]]
* 長野南年金事務所
* [[長野バスターミナル]]
* [[八十二銀行]]本店
* NBS[[長野放送]]
* [[長野市立山王小学校]]
* 長野県庁
** [[長野県警察本部]]
* 長野県長野合同庁舎
** 長野県[[長野地域振興局]]
** [[長野県北信労政事務所]]
** [[長野県長野農業改良普及センター]]
** [[長野県長野建設事務所]]
** [[長野県北信会計センター]]
** [[長野県北信教育事務所]]
* [[信濃毎日新聞]]長野本社
* [[ホテル国際21]]
* [[電算]]セキュアデータセンター
* 裁判合同庁舎
** [[長野地方裁判所]]
** [[長野家庭裁判所]]
** [[長野簡易裁判所]]
* 長野地方法務合同庁舎
** [[長野地方検察庁]]
** 関東[[公安調査局]]長野公安調査事務所
* 長野第1合同庁舎
** [[東京入国管理局]]長野出張所
** 長野[[行政評価事務所]]
** [[信越総合通信局]]
* 長野第2合同庁舎
** [[関東財務局]]長野財務事務所
** 長野[[地方法務局]]
** [[自衛隊長野地方協力本部]]
* [[長野市消防局]]中央消防署
* [[信州大学]]西長野キャンパス(教育学部)
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== 画像集 ==
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File:Naganoken Kenmin Bunka kaikan entrance.jpg|ホクト文化ホール([[若里]]一丁目)
ファイル:Nagano prefectural library entrance.jpg|長野県立長野図書館(若里一丁目)
ファイル:Nagano Bus Tarminal.jpg|長野バスターミナル([[中御所#岡田町|岡田町]])
ファイル:Hachijuni Bank.jpg|八十二銀行本店(岡田町)
ファイル:Nagano Broadcasting Systems.jpg|NBS長野放送(岡田町)
ファイル:Nagano Prefectural Government Japan.jpg|長野県庁([[南長野#妻科|妻科]])
ファイル:The Shinano Mainichi Shimbun Nagano Honsha.jpg|信濃毎日新聞社([[南長野#南県町|南県町]])
ファイル:Hotel Kokusai 21.jpg|ホテル国際21([[南長野#南県町|県町]])
File:Nagano District Court.JPG|長野地方裁判所([[長野 (長野市)#旭町|旭町]])
File:Nagano District Public Prosecutors Office.JPG|長野地方法務合同庁舎(旭町)
File:Nagano National Government Building No.1.JPG|長野第1合同庁舎(旭町)
File:Nagano City Chuo Fire Station.jpg|長野市消防局中央消防署(旭町)
File:Shinshu University Nishinagano Campus.jpg|信州大学教育学部([[西長野#西長野町|西長野町]])
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[[Category:国道19号]]
[[Category:国道117号]]
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17,580 |
ダイモス (衛星)
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ダイモス またはデイモス (Mars II Deimos) は、火星の第2衛星。火星のもう1つの衛星フォボスより小さく、外側を公転する。
1877年8月12日にアサフ・ホールによって発見された。ギリシア神話の神デイモスにちなんで命名された。
ダイモスは、フォボスと共に火星の重力に捕獲された小惑星だと考えられている。実際、ダイモスの可視-近赤外反射スペクトルはD型小惑星に似ている。また、密度が非常に小さいことから、氷や空隙も含んでいると考えられている。ただし捕獲説ではダイモスおよびフォボスの軌道の特徴を説明することが難しいとされ、火星への天体衝突によって2つの衛星が形成されたという説も存在する。
ダイモスに2つ存在するクレーターは、それぞれジョナサン・スウィフトとヴォルテールにちなんで「スウィフト」「ヴォルテール」と名付けられている。2人とも、火星の衛星が実際に発見される前に「火星の2つの月」について著作で言及している。なお、火星に2個の衛星がある事を最初に予想したのはヨハネス・ケプラーであり、両者ともケプラーの予想を引用したと考えられる。
ダイモスのクレーターの名は、実際に発見される前に衛星があることを予想した作家に由来する。
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ダイモス またはデイモス は、火星の第2衛星。火星のもう1つの衛星フォボスより小さく、外側を公転する。 1877年8月12日にアサフ・ホールによって発見された。ギリシア神話の神デイモスにちなんで命名された。
|
{{天体 基本
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| 色 = 衛星
| 和名 = ダイモス
| 英名 = Deimos
| 画像ファイル = Deimos-MRO.jpg
| 画像サイズ = 250px
| 画像説明 = [[マーズ・リコネッサンス・オービター]]による可視近赤外疑似カラー画像([[2009年]][[2月21日]])
| 画像背景色 = #000000
| 視等級 = 12.45 ± 0.05<ref name=jpl>{{cite web|url=https://ssd.jpl.nasa.gov/sats/phys_par/|title=Planetary Satellite Physical Parameters|work=JPL Propulsion Laboratory|accessdate=2015-11-20}}</ref>
| 仮符号・別名 = '''Mars II''', M 2
| 分類 = [[火星の衛星]]
| 軌道の種類 = 周回軌道
}}
{{天体 発見
| 色 = 衛星
| 発見日 = [[1877年]][[8月12日]]
| 発見者 = [[アサフ・ホール]]
| 発見方法 = [[反射望遠鏡]]による観測
}}
{{天体 軌道
| 色 = 衛星
| 元期 =
| 平均公転半径 = 23,458 [[キロメートル|km]]<ref name=jpl2>[https://ssd.jpl.nasa.gov/sats/elem/ Planetary Satellite Mean Orbital Parameters]</ref>
| 平均直径 =
| 軌道長半径 =
| 離心率 = 0.0002<ref name=jpl2/>
| 公転周期 = 1日 6時間 17.9分<br />(1.2624 日<ref name=jpl2/>)
| 平均軌道速度 =
| 軌道傾斜角 = 1.788 [[角度|°]]<ref name=jpl2/>
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| 主惑星 = [[火星]]
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{{天体 物理
| 色 = 衛星
| 三軸径 = 15.0 × 12.0<br /> × 11.0 km
| 半径 = 6.2 ± 0.18 [[キロメートル|km]]<ref name=jpl/>
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| 体積 =
| 質量 = 1.8 {{e|15}} [[キログラム|kg]]
| 相対対象1 = 火星
| 相対質量1 = 2.8 {{e|-9}}
| 平均密度 = 1.471 ± 0.166 [[グラム毎立方センチメートル|g/cm<sup>3</sup>]]<ref name=jpl/>
| 表面重力 = 0.0039 [[加速度|m/s<sup>2</sup>]]<br />(3.9mm/s<sup>2</sup>)
| 脱出速度 = 0.0069 km/s<br />(6.9m/s)
| 自転周期 = 1日 6時間 17.9分<br />(公転と同期)
| スペクトル分類 =
| 絶対等級 =
| 光度 =
| 光度係数 =
| アルベド = 0.068 ± 0.007<ref name=jpl/>
| 赤道傾斜角 = 0°
| 表面温度 = ≈233[[ケルビン|K]]
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| 全波長明度 =
| 色指数_BV =
| 色指数_UB =
| 色指数_VI =
| 金属量 =
| 年齢 =
| 大気圧 = 0[[パスカル (単位)|kPa]]
| 大気 =
| 外殻 =
}}
{{天体 終了
| 色 = 衛星
}}
'''ダイモス'''<ref>{{Cite web|和書|publisher=[[国立科学博物館]]|url=https://www.kahaku.go.jp/exhibitions/vm/resource/tenmon/space/data/01satellite.html |accessdate=2019-03-08|title=太陽系内の衛星表}}</ref> または'''デイモス'''<ref name="ox">{{Cite book|和書|title = オックスフォード天文学辞典|edition = 初版第1刷|publisher = 朝倉書店|page = 273|isbn = 4-254-15017-2}}</ref> (Mars II Deimos) は、[[火星]]の第2[[衛星]]。火星のもう1つの衛星[[フォボス (衛星)|フォボス]]より小さく、外側を[[公転]]する。
[[1877年]][[8月12日]]に[[アサフ・ホール]]によって発見された。[[ギリシア神話]]の神[[デイモス]]にちなんで命名された。
== 特徴 ==
ダイモスは、フォボスと共に火星の重力に捕獲された[[小惑星]]だと考えられている。実際、ダイモスの可視-近赤外反射スペクトルは[[D型小惑星]]に似ている<ref>Rivkin (2002) "Near-Infrared Spectrophotometry of Phobos and Deimos", Icarus 156; 64-75.</ref>。また、密度が非常に小さいことから、氷や空隙も含んでいると考えられている。ただし捕獲説ではダイモスおよびフォボスの軌道の特徴を説明することが難しいとされ、火星への天体衝突によって2つの衛星が形成されたという説も存在する<ref name=":0">Rosenblatt, P. (2011), "The origin of Martian moons revisited", Astron. Astrophys. Rev. (2011) 19:44.</ref>。
== 地形 ==
[[ファイル:SwiftCrater.gif|thumb|250px|left|ダイモスの命名された2つのクレーター]]
ダイモスに2つ存在する[[クレーター]]は、それぞれ[[ジョナサン・スウィフト]]と[[ヴォルテール]]にちなんで「スウィフト」「ヴォルテール」と名付けられている。2人とも、火星の衛星が実際に発見される前に「火星の2つの月」について著作で言及している。なお、火星に2個の衛星がある事を最初に予想したのは[[ヨハネス・ケプラー]]であり、両者ともケプラーの予想を引用したと考えられる。
{{Clearleft}}
==地形一覧==
=== クレーター ===
ダイモスのクレーターの名は、実際に発見される前に衛星があることを予想した作家に由来する。
{| class="wikitable"
|-
! 地名 !! 由来
|-
| スウィフト (Swift) || [[ジョナサン・スウィフト]]
|-
| ヴォルテール (Voltaire) || [[ヴォルテール]]
|}
== 脚注 ==
{{Reflist|2}}
== 関連項目 ==
{{commonscat|Deimos (moon)}}
* [[火星の衛星]]
* [[ダイモスの太陽面通過]]
== 外部リンク ==
* [https://www.cgh.ed.jp/TNPJP/nineplanets/deimos.html ザ・ナインプラネッツ 日本語版(デイモス)]
{{火星}}
{{Normdaten}}
{{Astro-stub}}
{{DEFAULTSORT:たいもす}}
[[Category:火星の衛星]]
[[Category:天文学に関する記事]]
[[Category:1877年発見の天体]]
|
2003-09-20T15:21:31Z
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%80%E3%82%A4%E3%83%A2%E3%82%B9_(%E8%A1%9B%E6%98%9F)
|
17,582 |
エリーゼのために
|
バガテル『エリーゼのために』(独:Für Elise)は、ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンが1810年4月27日に作曲したピアノ曲。「WoO 59」の番号が与えられているほか、通し番号をつけて『バガテル第25番』と称される場合もある。
日本の一般人にとって、名前と曲が一致するピアノ曲として名高い。
イ短調の属音であるe音と、半音下のdis音が揺れ動き、両手のアルペッジョへと続く主題が特徴的。ヘ長調に開始される愛らしいものと、主音の保続低音が鳴る激しいものと2つのエピソードを持ち、それらと主部との対比が明確で、形式的にも簡素で分かりやすい。
トリル・分散和音・オクターブ・トレモロ・連打音・三度の和音・六度の和音・三連符・半音階と様々な演奏テクニックが盛り込まれている。
さほど演奏の難易度も高くなく、ピアノを習い始めて3年目前後の「ピアノ中級者の練習曲」としても有名である。ただし、メロディーの一部にオクターブの広さがあるため、ある程度の手の大きさが必要であり、小学校高学年くらいにならないと綺麗に弾きこなすことが難しい曲である。
ポコ・モート、イ短調、8分の3拍子、ロンド形式。
本曲がベートーヴェンの生前に出版されることはなかった。現存する楽譜には3種類があり、失われた自筆譜を含めて4つの段階が確認できる。
この曲を1867年に出版したルートヴィヒ・ノールによると、楽譜はもとテレーゼ・フォン・ドロスディック(旧姓マルファッティ、1851年没)の物だったが、ミュンヘンのバベッテ・ブレードルに贈られた。グライヒェンシュタイン男爵夫人(テレーゼの妹)は「エリーゼ」が誰であるか記憶していなかったという。曲が有名になると、エリーゼが誰であるかについてさまざまな説が生まれた。
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"text": "バガテル『エリーゼのために』(独:Für Elise)は、ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンが1810年4月27日に作曲したピアノ曲。「WoO 59」の番号が与えられているほか、通し番号をつけて『バガテル第25番』と称される場合もある。",
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"text": "トリル・分散和音・オクターブ・トレモロ・連打音・三度の和音・六度の和音・三連符・半音階と様々な演奏テクニックが盛り込まれている。",
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"text": "さほど演奏の難易度も高くなく、ピアノを習い始めて3年目前後の「ピアノ中級者の練習曲」としても有名である。ただし、メロディーの一部にオクターブの広さがあるため、ある程度の手の大きさが必要であり、小学校高学年くらいにならないと綺麗に弾きこなすことが難しい曲である。",
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"text": "ポコ・モート、イ短調、8分の3拍子、ロンド形式。",
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"text": "本曲がベートーヴェンの生前に出版されることはなかった。現存する楽譜には3種類があり、失われた自筆譜を含めて4つの段階が確認できる。",
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"text": "この曲を1867年に出版したルートヴィヒ・ノールによると、楽譜はもとテレーゼ・フォン・ドロスディック(旧姓マルファッティ、1851年没)の物だったが、ミュンヘンのバベッテ・ブレードルに贈られた。グライヒェンシュタイン男爵夫人(テレーゼの妹)は「エリーゼ」が誰であるか記憶していなかったという。曲が有名になると、エリーゼが誰であるかについてさまざまな説が生まれた。",
"title": "エリーゼの正体"
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バガテル『エリーゼのために』は、ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンが1810年4月27日に作曲したピアノ曲。「WoO 59」の番号が与えられているほか、通し番号をつけて『バガテル第25番』と称される場合もある。 日本の一般人にとって、名前と曲が一致するピアノ曲として名高い。
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{{Otheruses}}
{{Portal クラシック音楽}}
{{listen|filename=FurElise.ogg|title=バガテル第25番 イ短調 WoO 59『エリーゼのために』|description=演奏:Gaodifan|format=[[Ogg]]}}
[[File:Beethoven WoO 59 Erstausgabe.png|thumb|upright=1.2|初版の楽譜([[1867年]])]]
[[バガテル]]『'''エリーゼのために'''』([[ドイツ語|独]]:''Für Elise'')は、[[ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン]]が[[1810年]][[4月27日]]に作曲した[[ピアノ曲]]。「[[WoO|WoO 59]]」の番号が与えられているほか、通し番号をつけて『'''バガテル第25番'''』と称される場合もある。
日本の一般人にとって、名前と曲が一致するピアノ曲として名高い。
== 楽曲の概要 ==
イ短調の[[属音]]である[[ホ (音名)|e音]]と、半音下のdis音が揺れ動き、両手の[[アルペッジョ]]へと続く主題が特徴的。[[ヘ長調]]に開始される愛らしいものと、主音の保続低音が鳴る激しいものと2つのエピソードを持ち、それらと主部との対比が明確で、形式的にも簡素で分かりやすい。
トリル・分散和音・オクターブ・トレモロ・連打音・三度の和音・六度の和音・三連符・半音階と様々な演奏テクニックが盛り込まれている。
さほど演奏の難易度も高くなく、ピアノを習い始めて3年目前後の「ピアノ初級者の練習曲」としても有名である。ただし、メロディーの一部にオクターブの広さがあるため、ある程度の手の大きさが必要であり、小学校高学年くらいにならないと綺麗に弾きこなすことが難しい曲である。
<score lang="lilypond">
\new PianoStaff <<
\time 3/8
\new Staff = "up" {
\tempo "Poco moto" 4=70
\set Score.tempoHideNote = ##t
\partial 8 e''16\pp dis''
e'' dis'' e'' b' d'' c''
a'8 r16 c' e' a'
b'8 r16 e' gis' b'
c''8 r16 e' e'' dis''
e'' dis'' e'' b' d'' c''
}
\new Staff = "down" {
\clef bass
\set Staff.pedalSustainStyle = #'bracket
\partial 8 r8
R8*3
a,16\sustainOn e a r8.
e,16\sustainOff\sustainOn e gis r8.
a,16\sustainOff\sustainOn e a r8.
R8*3\sustainOff
}
>>
</score>
[[wikt:poco|ポコ]]・[[wikt:moto|モート]]、[[イ短調]]、8分の3[[拍子]]、[[ロンド形式]]。
== 資料と作曲史 ==
[[File:Beethoven Landsberg 10 p 149 Zeilen 6 und 7.jpg|thumb|1808年の最初のスケッチ]]
[[File:Beethoven BH 116 Detail.jpg|thumb|BH 116。ペンは1810年、鉛筆書きは1822年]]
本曲がベートーヴェンの生前に出版されることはなかった。現存する楽譜には3種類があり、失われた自筆譜を含めて4つの段階が確認できる。
# 1808年、ベートーヴェンは[[交響曲第6番 (ベートーヴェン)|交響曲第6番]]のためのスケッチ帳の149ページ第6-7行にこの曲の主旋律を記した{{sfn|Tyson|1974|p=95}}。ページは後に切り取られ、現在は[[ベルリン州立図書館]]所蔵のベートーヴェン自筆スケッチ帳「ランツベルク10」に収録されている。旋律のみで16小節からなり、後のものとは少し旋律が異なっている。
# 1810年、全曲を記した原稿が2つの段階に分けて書かれた{{sfn|Brandenburg |2002 |p=14}}。この楽譜は[[ベートーヴェン・ハウス]]所蔵で「BH 116」という番号がつけられている<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.beethoven.de/de/media/view/5010945952710656/Ludwig+van+Beethoven%2C+Skizzenbl%C3%A4tter+zum+Klavierst%C3%BCck+%26quot%3BF%C3%BCr+Elise%26quot%3B+WoO+59%2C+zum+Marsch+WoO+19+und+zu+Egmont+op.+84%2C+Autograph |title=ベートーヴェン・ハウスのデジタルアーカイブ BH 116 |accessdate=2009-11-01}}</ref>。2枚の紙に書かれ、1810年6月15日に初演された『[[エグモント (劇音楽)|エグモント]]』作品84や1810年8月3日に完成した行進曲WoO 19のスケッチも同じ紙に記されていることから、1810年春のものと判断される{{sfn|Brandenburg|2002|p=12}}。
# この原稿がもとになって、現在は失われた自筆譜が書かれたと推測される。この失われた原稿は1867年に{{仮リンク|ルートヴィヒ・ノール|en|Ludwig Nohl}}によって出版された{{sfn|Nohl|1867|pp=28–33}}。今日なお、ほとんどがノール版に従って演奏される。ノールによると、楽譜には「{{de|Für Elise am 27 April zur Erinnerung von L. v. Bthvn}}」(エリーゼのために、4月27日、L.v.ベートーヴェンの思い出として)と記されていたとされ、『エリーゼのために』という通称はこの献辞にもとづくものである。
# 「BH 116」上には1822年になって手が加えられた。おそらく出版に適するように改訂したのであろう。「12番」という番号がつけられており、おそらく[[バガテル]]の最終曲にするつもりだったと思われる。しかしこの1822年版は完成されることがなかった{{sfn|Brandenburg |2002 |p=15}}{{sfn|Cooper|1984}}。
== エリーゼの正体 ==
[[File:Elisabeth Röckel.jpg|thumb|エリーザベト・レッケル]]
<div style="float:right;">[[File:Therese Malfatti Anonymus.jpg|thumb|upright|テレーゼ・マルファッティ]]</div>
この曲を1867年に出版したルートヴィヒ・ノールによると、楽譜はもと[[テレーゼ・マルファッティ|テレーゼ・フォン・ドロスディック(旧姓マルファッティ、1851年没)]]の物だったが、ミュンヘンのバベッテ・ブレードルに贈られた。グライヒェンシュタイン男爵夫人(テレーゼの妹)は「エリーゼ」が誰であるか記憶していなかったという{{sfn|Nohl|1867|p=28}}。曲が有名になると、エリーゼが誰であるかについてさまざまな説が生まれた。
*テレーゼ・マルファッティ説<br>音楽学者の[[マックス・ウンガー (音楽学者)|マックス・ウンガー]]が1923年に述べた説で、「エリーゼのために」は、本来「'''テレーゼ'''(Therese)のために」と書かれていたのを、悪筆のために「エリーゼ(Elise)」に読み違えられたと彼は推定した。本曲の原稿はかつて[[テレーゼ・マルファッティ]]の書庫にあったものであり、テレーゼはかつてベートーヴェンが愛し、1810年には結婚を考えていた女性であった。この説はかつて定説のように扱われたことがあったが、ノールがベートーヴェンの自筆を読み慣れていたこと、「テレーゼに献呈したものではない」とノールが明言していることから、現在は否定されている{{r|steblin}}。<br>[[バリー・クーパー]]はこれに対して「エリーゼ」とは当時のドイツ語の詩の中で恋人の女性を指す一般的な語であり、ベートーヴェンは「エリーゼ」という名前でテレーゼを指した、という説を述べている<ref>{{cite book|last=Cooper|first=Barry|authorlink=バリー・クーパー|year=1990|title=Beethoven|publisher=Oxford University Press|isbn=0-19-816163-8|page=208}}</ref>。
*エリーザベト・レッケル説<br>ドイツの音楽学者{{仮リンク|クラウス・マルティン・コーピッツ|de|Klaus Martin Kopitz}}は、ベートーヴェンが[[ソプラノ|ソプラノ歌手]]{{仮リンク|エリーザベト・レッケル|de|Elisabeth Röckel}}のために作曲したという新説を発表した。この説は最初2009年6月22日の『[[デア・シュピーゲル]]』第26号に載り<ref>{{citation|url=https://www.spiegel.de/kultur/die-enttarnte-elise-a-df50d003-0002-0001-0000-000065794401|title=Die enttarnte Elise|publisher=Der Spiegel|date=2009-06-21}}</ref>、翌年自著で発表された<ref>{{cite book|last=Kopitz|first=Klaus Martin|title=Beethoven, Elisabeth Rockel und das Albumblatt 'Für Elise'|year=2010|location=Köln|publisher=Verlag Dohr|isbn=9783936655872}}</ref>。友人ヨーゼフ・アウグスト・レッケルの妹であり、どこまでベートーヴェンと親密な関係であったかは定かでないが、彼の交友関係の中で唯一「エリーゼ」の愛称を持つ人物とされている。この女性はウィーンに滞在していた頃に1813年に作曲家[[ヨハン・ネポムク・フンメル]]と結婚した。
*エリーゼ・バーレンスフェルト説<br>2014年、カナダの音楽学者リタ・ステブリン{{enlink|Rita Steblin}}が述べた説。エリーゼ・バーレンスフェルト{{enlink|Elise Barensfeld}}はドイツの[[ソプラノ]]歌手で、ベートーヴェンの友人であった[[ヨハン・ネポムク・メルツェル]]とともに各地で興業を行い、1813年までウィーンに住んでいた。テレーゼ・マルファッティとは近所であり、ステブリンによるとおそらくテレーゼはエリーゼにピアノを教えていた<ref name="steblin">{{cite journal|first=Rita|last=Steblin|year=2014|title=Who was Beethoven's “Elise”? A new solution to the mystery|journal=The Musical Times|volume=155|issue=1927|pages=3-39|jstor=24615621}}</ref>。
*エリーゼ・シャハナー説<br>2013年、オーストリアの音楽学者ミヒャエル・ローレンツ{{enlink|Michael Lorenz (musicologist)}}が述べた説。彼はエリーザベト・レッケル説を根拠のないものとして否定し、献辞はテレーゼの没後その楽譜の所有者となったルドルフ・シャハナーによって後に書き加えられたとする。シャハナーは楽譜を所有していたバベッテ・ブレードルの婚外子であり、シャハナーの妻と娘はともにエリーゼという名前だった<ref>{{citation|url=http://michaelorenz.blogspot.com/2013/07/maria-eva-hummel-postscript.html|title=Maria Eva Hummel. A Postscript|author=Michael Lorenz|date=2013-07-08|publisher=michaelorenz.blogspot.com}}</ref>。
== 「エリーゼのために」を原曲とした楽曲 ==
* 「[[情熱の花]]」([[1959年]]、カテリーナ・ヴァレンテ。日本では[[ザ・ピーナッツ]]のカヴァーもヒット)
* 「[[キッスは目にして!]]」([[1981年]]、[[ザ・ヴィーナス]])
* 「メタルハート」([[1985年]]、[[アクセプト (バンド)|アクセプト]])
* 「イヴの誘惑」([[1991年]]、[[井上晴美]])
* 「アソコに毛がはえた」([[1995年]]、[[嘉門タツオ|嘉門達夫]]。アルバム『[[娯楽の殿堂]]』収録)
* 「Blues For Elise」 ([[1997年]]、[[アクセプト (バンド)|アクセプト]]のギタリスト、[[ウルフ・ホフマン]]のソロアルバム『クラシカル』に収録。
* 「[[Show me × Show me]]」([[1998年]]、[[MISSION (アイドルグループ)|MISSION]])
* 「幸せになろう」([[2002年]]、[[宇多田ヒカル]]。アルバム『[[DEEP RIVER]]』収録)
* 「I Can」(2002年、[[ナズ|Nas]]。アルバム『God's Son 』収録)
* 「SPEED OVER BEETHOVEN」(2002年、ROSE。アルバム『[[ダンスマニア|Dancemania SPEED9]]』他、[[音楽ゲーム]]『[[Dance Dance Revolution|Dance Dance Revolution EXTREME]]』収録)
* 「[[仮契約のシンデレラ]]」([[2012年]]、[[私立恵比寿中学]])
* 「エリンギのために」([[2017年]]、[[DJみそしるとMCごはん]]&[[Momona|ももなお姉さん]]、アルバム『天才おばかクラシック その1/VARIOUS』収録)
* 「人喰いオオカミとエリーゼ」([[2021年]]、[[カノエラナ]]。アルバム『昼想夜夢』収録)
*Cherry Bullet Hands Up
== その他 ==
{{出典の明記|section=1|date=2016年7月}}
===CM・応援歌===
* [[日本プロ野球|プロ野球]]の[[千葉ロッテマリーンズ]]が、試合で得点をいれた時や勝利したときは、そのたびにスタンドのサポーターが「エリーゼのために」のトランペット演奏に合わせて「千葉!!ロッテ!!マリーンズ!!」とリズミカルにコールをあげる(演奏の出だしは「キッスは目にして!」の歌い出しと同様)。
* [[ジェフユナイテッド市原・千葉]]などでプレーした元[[サッカー日本代表]]選手の[[巻誠一郎]]の応援歌としても知られた。
* [[日産・スカイライン]]([[日産・スカイライン#7代目 R31型(1985年-1990年、セダン・HT1985年-1989年、クーペ1986年-1989年、ワゴン1986年-1990年)|7代目]]、クーペ)のCMでも流れていた。テクノ調にアレンジされている。
===サービス===
* [[西日本旅客鉄道|JR西日本]][[北陸本線]]の一部の駅では、この曲を列車接近(到着・通過)メロディとして使用している。
* [[東武鉄道]][[太田駅 (群馬県)|太田駅]]で5番線([[桐生線]]・[[小泉線]])の信号開通メロディとして使用している。
* 他にも、[[沖縄|日本]]や[[台湾]]などの一部の地域や国の[[ごみ収集車|清掃車]]の、「ごみ回収に来た」という合図のために使われている。なお、台湾では過去にSEIKOEPSON社のSVM7910CFの内蔵されたアンプをゴミ収集車に搭載し、「エリーゼのために」や「乙女の祈り」を鳴動させゴミ回収を知らせていた。またSVM7910CFの音源をカセットテープなどに録音し鳴動させていた。現在はICの生産終了などにより、ノボル電機制作所のYR52や台湾現地の会社が製造したFar Sonic FS-889などが使用されている
===製品===
* [[チョロQ (ゲーム)|チョロQの一部作品]]では、清掃車のクラクションとして使用されており、プレイヤーが購入することも出来、使用することも出来るようになっている。
* [[セイコーエプソン]]のSVM7910CFや[[シャープ]]のLR34633などのメロディICにエリーゼのためにが収録されている。(現在は両社製造終了)
* [[パトライト]]の電子音報知器や電子音警報付き回転灯に内蔵されている。例としてKEJECー110Fなどがある。
* [[NEC]]の[[構内交換機|PBX]]などにも[https://www.epson.jp/ms/1978_7.htm SVM7910CF]が使用されている
* [[クラシカロイド]]ではベートーヴェンがムジークとして使用しており、アレンジも加えられている(豊穣の夢~エリーゼのためにより~)
===ドラマ===
* ドラマ「[[古畑任三郎]]」において、古畑が探している曲によく似た曲として、「エリーゼのために」が回答された<ref>第33回「絶対音感殺人事件」。古畑が探していたのは、ザ・ドリフターズの「真っ赤な封筒」で、サビの部分が微妙に似ている。</ref>。
* イギリスのドラマシリーズ『[[刑事フォイル]]』2015年放送の最終回"Elise"でモチーフとして使われ、作中数回旋律が聞かれる。
===アニメ===
* テレビアニメ『[[学校の怪談 (テレビアニメ)|学校の怪談]]』第4話「死者からの鎮魂歌(レクイエム)エリーゼ」で使用されている。
* 『[[地獄先生ぬ〜べ〜]]』アニメオリジナルエピソード第36話「真夜中の㊙レッスン!音楽室の危険な誘惑!!」で使用されている。
* 『[[オバケのQ太郎 (アニメ)|オバケのQ太郎]]』アニメ第3作「ハクション音楽会」の巻で、よっちゃんが[[リサイタル]]を行ったシーンで使用されている。
===その他===
* [[明石市立二見北小学校]]と[[千葉県立東葛飾中学校・高等学校]]では、この曲がチャイムとして使用されている。
== 著作 ==
* {{cite book|first=Ludwig |last=Nohl |title=Neue Briefe Beethovens |location=Stuttgart |year=1867 |pages=28-33 |url=https://books.google.co.jp/books?id=YSNDAAAAcAAJ&pg=PA28 |ref=harv}}(最初の出版譜)
* {{cite book|first=Sieghard |last=Brandenburg |title=Ludwig van Beethoven, Klavierstück a-Moll WoO 59 „Für Elise“ |location=Bonn |publisher=Verlag Beethoven-Haus |year=2002 |isbn=3-88188-074-7 |ref=harv}}(BH 116のファクシミリ)
* {{cite journal|first=Barry |last=Cooper |title=Beethoven’s Revisions to ‘Für Elise’|journal=The Musical Times |volume=125 |year=1984 |pages=561–563 |jstor=963688|ref=harv}}
* {{cite |first=Alan |last=Tyson |chapter=A Reconstruction of the Pastoral Symphony Sketchbook |title=Beethoven Studies |volume=1 |location=London |editor=Alan Tyson |year=1974 |pages=67–96}}
* [[:en:Klaus Martin Kopitz|Klaus Martin Kopitz]], ''Beethoven, Elisabeth Röckel und das Albumblatt „Für Elise“'', Köln 2010, ISBN 978-3-936655-87-2
* Klaus Martin Kopitz, ''Beethoven’s ‘Elise’ Elisabeth Röckel: a forgotten love story and a famous piano piece'', in: ''[[:en:The Musical Times|The Musical Times]]'', vol. 161, no. 1953 (Winter 2020), pp. 9–26
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
{{Reflist}}
== 関連項目 ==
* [[ピアノソナタ第24番 (ベートーヴェン)]]
* [[エリーゼ (曖昧さ回避)]]
* [[バガテル]]
== 外部リンク ==
* {{IMSLP2|work=Für Elise, WoO 59 (Beethoven, Ludwig van)|cname=バガテル第25番 イ短調 WoO 59『エリーゼのために』}}
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[[Category:ベートーヴェンのピアノ独奏曲]]
[[Category:イ短調]]
[[Category:作者の死後に発表された作品]]
[[Category:1810年の楽曲]]
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17,583 |
県庁通り
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県庁通り(けんちょうどおり)は、日本全国の県庁所在地にある通り。
本項目では類似する県庁前通り、県庁西通り、旧県庁通りも記載する。
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'''県庁通り'''(けんちょうどおり)は、[[日本]]全国の[[都道府県庁所在地|県庁所在地]]にある[[ストリート|通り]]。
本項目では類似する'''県庁前通り'''、'''県庁西通り'''、'''旧県庁通り'''も記載する。
== 県庁通り ==
* [[県庁通り (青森県)]] - [[青森県]][[青森市]]
* [[県庁通り (福島市)]] - [[福島県]][[福島市]]
* [[県庁通り (埼玉県)]] - [[埼玉県]][[さいたま市]]
* [[県庁通り (長野県)]] - [[長野県]][[長野市]]
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* [[県庁通り (笠岡市)]] - 岡山県[[笠岡市]]{{refnest|group=注釈|これは、かつて当地に[[小田県]]の県庁所在地が置かれていたことによる。}}
* [[県庁通り (徳島県)]] - [[徳島県]][[徳島市]]
* [[県庁通り (高知県)]] - [[高知県]][[高知市]]
* [[県庁通り (佐賀県)]] - [[佐賀県]][[佐賀市]]
* [[県庁通り (熊本県)]] - [[熊本県]][[熊本市]]
== 県庁前通り ==
* [[県庁前通り (栃木県)]] - [[栃木県]][[宇都宮市]]
* [[県庁前通り (群馬県)]] - [[群馬県]][[前橋市]]
* [[県庁前通り (香川県)]] - [[香川県]][[高松市]]
* [[県庁前通り (沖縄県)]] - [[沖縄県]][[那覇市]]
== 県庁西通り ==
* [[県庁西通り]] - 栃木県宇都宮市
== 旧県庁通り ==
* [[旧県庁通り]] - [[山形県]][[山形市]]
== 脚注 ==
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=== 注釈 ===
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== 関連項目 ==
* [[菊池寛通り]] - 香川県高松市にある通りで、かつては'''県庁通り'''と呼ばれていた。
* [[段原本通り]] - [[広島県]][[広島市]]にある通りで、かつては'''県庁通り'''と呼ばれていた。
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昭和通り (長野市)
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昭和通り(しょうわどおり)は国道19号のうち、長野県長野市の県庁前交差点から西尾張部交差点(国道18号交点)までの区間の通称。長野市街地の中央を東西に横切る。
なお、道路愛称名として実際に道路標識で「昭和通り」と案内されているのは県庁前交差点〜市役所前交差点の区間となっている。市役所前交差点〜西尾張部交差点の区間については、一部の地図や一部の店舗の名称で「昭和通り」とされることもあるが、単に「国道19号」「19号」と呼ばれることが多い。
昭和恐慌に伴う失業対策事業として、1935年(昭和10年)に開通した。長野市の交通セル計画におけるセル環状道路の一つであり、長野市街地の交通政策上重要な役割を果たしている。ほぼ全区間にわたって4車線(交差点部除く)あるが、しなの鉄道北しなの線との交差部などはやや狭くなっている。
市役所前交差点以西では、街路樹としてりんごの木が植えられている。
県庁前交差点〜市役所前交差点の区間が駐車監視員活動の重点路線である(長野中央警察署管内)。
沿道は、長野県庁・長野市役所などの重要な施設やオフィスビルが並ぶビジネス街。かつては新田町交差点に長野そごう・ながの丸善(現 ながの東急百貨店)・ダイエー長野店が立地し賑わいを見せたが、繁華街が長野駅方面へ南下したことで次第に衰退し、いずれも移転または撤退した。しかし、現在各店舗の跡地を利用してTOiGOやもんぜんぷら座といった再開発商業施設が開業し、賑わいを取り戻す取り組みが続いている。
一部の地図などを除いて「昭和通り」と呼ばれない区間。
一部の地図などを除いて「昭和通り」と呼ばれない区間。
全線で路線バスが運行されており、西から県庁前停留所・昭和通り停留所・千歳町停留所・市役所前停留所が置かれている。
現在では昭和通り全線を通して運行する系統はなく、東西どちらからの系統も新田町交差点(昭和通り停留所)で左(右)折し、中央通り長野駅方面へと向かう。
本項では、通りの名前を冠した昭和通り停留所について述べる。
新田町交差点を中心に6つののりばを持つ、アルピコ交通(川中島バス)・長電バスの停留所。長野駅から中央通りを進んできた20余の系統が、ここで3方向に分かれる。
新田町交差点東側の昭和通り東行(TOiGO SBC前)にある。
新田町交差点東側の昭和通り西行(TOiGOパーキング前)にある。
新田町交差点南側の中央通り北行(もんぜんぷら座南側)にある。
新田町交差点西側の昭和通り西行(もんぜんぷら座北側)にある。
新田町交差点西側の昭和通り東行(長野県信用組合本店前)にある。
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昭和通り(しょうわどおり)は国道19号のうち、長野県長野市の県庁前交差点から西尾張部交差点(国道18号交点)までの区間の通称。長野市街地の中央を東西に横切る。 なお、道路愛称名として実際に道路標識で「昭和通り」と案内されているのは県庁前交差点〜市役所前交差点の区間となっている。市役所前交差点〜西尾張部交差点の区間については、一部の地図や一部の店舗の名称で「昭和通り」とされることもあるが、単に「国道19号」「19号」と呼ばれることが多い。
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[[ファイル:Nagano Shōwa Dōri.jpg|thumb|250px|県庁前交差点から西尾張部方面を望む]]
[[ファイル:Showa-dori Street Nagano City.jpg|thumb|250px|緑町西歩道橋から長野県庁方面を望む]]
'''昭和通り'''(しょうわどおり)は[[国道19号]]のうち、[[長野県]][[長野市]]の県庁前交差点から西尾張部交差点([[国道18号]]交点)までの区間の通称。長野市街地の中央を東西に横切る。
なお、道路愛称名として実際に道路標識で「昭和通り」と案内されているのは県庁前交差点〜市役所前交差点の区間となっている。市役所前交差点〜西尾張部交差点の区間については、一部の地図や一部の店舗の名称で「昭和通り」とされることもあるが、単に「国道19号」「19号」と呼ばれることが多い。
== 概要 ==
[[昭和恐慌]]に伴う失業対策事業として、[[1935年]]([[昭和]]10年)に開通した。長野市の[[交通セル]]計画におけるセル環状道路の一つであり、長野市街地の交通政策上重要な役割を果たしている。ほぼ全区間にわたって4車線(交差点部除く)あるが、[[しなの鉄道北しなの線]]との交差部などはやや狭くなっている。
市役所前交差点以西では、街路樹として[[リンゴ|りんごの木]]が植えられている。
県庁前交差点〜市役所前交差点の区間が[[駐車監視員]]活動の重点路線である([[長野中央警察署]]管内)。
沿道は、[[長野県庁舎|長野県庁]]・[[長野市役所]]などの重要な施設やオフィスビルが並ぶビジネス街。かつては[[南長野#新田町|新田町]]交差点に[[長野そごう]]・ながの丸善(現 [[ながの東急百貨店]])・[[ダイエー]]長野店が立地し賑わいを見せたが、繁華街が[[長野駅]]方面へ南下したことで次第に衰退し、いずれも移転または撤退した。しかし、現在各店舗の跡地を利用して[[TOiGO]]や[[もんぜんぷら座]]といった再開発商業施設が開業し、賑わいを取り戻す取り組みが続いている。
== 沿革 ==
* [[1913年]]([[大正]]2年)[[10月9日]] - 前身である'''大正町通り'''([[南長野#妻科|妻科]]〜[[南長野#南県町|南県町]])が、寿町通り・相生町通り(現在の[[権堂町 (長野市)#権堂通り(権堂アーケード)|権堂アーケード通り]])とともに開通する。
* [[1920年]](大正9年) - 旧道路法に基づき、'''国道10号'''(現在の[[国道18号]])となる。
* [[1935年]]([[昭和]]10年) [[6月22日]]- [[昭和恐慌]]に伴う失業対策事業として、国道10号の[[丹波島橋]]〜大正町通り〜[[南長野#新田町|新田町]]の区間を改修。大正町通りと'''キクヤ新道'''(新田町交差点から[[鶴賀 (長野市)#緑町|緑町]]方面)を接続し、現在の形となる。
* [[1952年]](昭和27年)[[12月4日]] - 新道路法に基づき、[[一級国道]]19号となる。
* [[1954年]](昭和29年)[[3月]] - 長野県内初の[[交通信号機|信号機]]が、新田町交差点に設置される。
* [[1971年]](昭和46年)[[1月25日]] - 長野県内で初めて新田町交差点を[[スクランブル交差点]]化。2年前に[[熊本市]]で初めて導入されたばかりであった。
* [[2006年]]([[平成]]18年)[[9月]] - [[TOiGO]]の開業に伴い、新田町交差点の東側[[横断歩道]]を長野県内最広の幅20mに拡幅。
== 交差・接続する路線 ==
* 県庁前交差点([[南長野#妻科|妻科]]=起点)
** [[国道19号]]・[[長野県道399号長野豊野線]]([[県庁通り (長野県)|県庁通り]])
* 南県町交差点([[南長野#南県町|南県町]])
** 市道(県町通り)
* 新田町交差点([[鶴賀 (長野市)#問御所町|問御所町]])
** 市道([[長野中央通り|中央通り]])
* 上千歳町交差点([[鶴賀 (長野市)#上千歳町|上千歳町]])
** 市道(千歳町通り・[[権堂町 (長野市)#裏権堂通り・上千歳町通り|上千歳町通り]])
* 市役所前駅交差点([[鶴賀 (長野市)#上千歳町|上千歳町]])
** 市道([[長野大通り]])
* 緑町交差点([[鶴賀 (長野市)#緑町|緑町]])
** 市道(緑町通り)
* 市役所前交差点([[鶴賀 (長野市)#緑町|緑町]]=終点)
** 市道([[北長野通り|早苗町通り]])
=== 先線区間 ===
一部の地図などを除いて「昭和通り」と呼ばれない区間。
* 消防局前交差点([[鶴賀 (長野市)#居町|鶴賀居町]])
** 市道([[東通り (長野市)|東通り]])
* 古牧小学校西交差点([[高田 (長野市)#高田(大字)|高田五分一]])
** 市道([[高田若槻線]])
* 西尾張部交差点([[尾張部 (長野市)#西尾張部|西尾張部]])
** [[国道18号]]([[長野バイパス]])
== 沿道 ==
* [[長野県庁舎|長野県庁]]
* [[信濃毎日新聞]] 長野本社
* [[長野中央郵便局]]
* [[長野県信用組合]] 本店
* NTT新田町ビル
** [[東日本電信電話|NTT東日本]] 長野支店
* [[もんぜんぷら座]] - 旧・[[ダイエー]] 長野店
* [[TOiGO]] - 旧・[[長野そごう]]
** [[信越放送]](SBC)
* [[スマイルホテル]]長野 - 旧・[[ワシントンホテル|長野ワシントンホテルプラザ]]
* [[長野市立鍋屋田小学校]]
* [[長野電鉄]] [[市役所前駅 (長野県)|市役所前駅]]
* [[長野市役所]]・[[長野市芸術館]]
<gallery perrow="4">
ファイル:Nagano Prefectural Government Japan.jpg|[[長野県庁舎|長野県庁]]([[南長野#妻科|妻科]])
ファイル:Nagano-chuo post-office.jpg|[[長野中央郵便局]]([[南長野#南県町|南県町]])
ファイル:Naganoken shinyokumiai.jpg|[[長野県信用組合]]本店([[南長野#新田町|新田町]])
ファイル:Monzen Plaza.jpg|[[もんぜんぷら座]]([[南長野#新田町|新田町]])
ファイル:TOiGO 20071224.jpg|[[TOiGO]]([[鶴賀 (長野市)#問御所町|問御所町]])
ファイル:Shiyakushomae sta.jpg|[[市役所前駅 (長野県)|市役所前駅]]([[鶴賀 (長野市)#上千歳町|上千歳町]])
ファイル:Nagano City Office Bldg. 1.JPG|[[長野市役所]]・長野市芸術館([[鶴賀 (長野市)#緑町|緑町]])
ファイル:Nagano Shimin Kaikan.jpg|旧[[長野市民会館]]([[鶴賀 (長野市)#緑町|緑町]])
</gallery>
=== 先線区間 ===
一部の地図などを除いて「昭和通り」と呼ばれない区間。
* [[長野市消防局]] 本部
** 鶴賀消防署
* [[長野市立古牧小学校]]
== 路線バス ==
全線で路線バスが運行されており、西から'''県庁前停留所'''・'''昭和通り停留所'''・'''千歳町停留所'''・'''市役所前停留所'''が置かれている。
現在では昭和通り全線を通して運行する系統はなく<ref>以前は'''80''' 長野駅東口 - 県庁正面玄関前([[川中島バス]]長野市役所線)が全線通して運行していた(2005年(平成17年)廃止)。</ref>、東西どちらからの系統も新田町交差点(昭和通り停留所)で左(右)折し、[[長野中央通り|中央通り]][[長野駅]]方面へと向かう。
本項では、通りの名前を冠した'''昭和通り停留所'''について述べる。
=== 昭和通り停留所 ===
新田町交差点を中心に6つののりばを持つ、[[アルピコ交通]]([[川中島バス]])・[[長電バス]]の停留所。[[長野駅]]から[[長野中央通り|中央通り]]を進んできた20余の系統が、ここで3方向に分かれる。
; のりば1
新田町交差点東側の昭和通り東行([[TOiGO|TOiGO SBC]]前)にある。
* アルピコ交通・長電バス共同運行
** '''46''' [[長野市役所|市役所]]・[[大豆島]]東団地・[[若穂#若穂保科|保科温泉]]ゆき
* アルピコ交通
*: ※ すべて市役所前経由
** '''45''' [[朝陽#屋島|北屋島]]ゆき
** '''48''' [[金井山駅|金井山]]・[[松代町 (長野県)|松代]]ゆき
** '''102''' [[文化学園長野中学校・高等学校|文化学園前]]ゆき
* 長電バス
** '''高速バス''' [[長野 - 新潟線|新潟ゆき]]
** '''51''' [[平林 (長野市)|平林]]・[[長野市民病院|市民病院]]・[[柳原 (長野市)|柳原]]ゆき
** '''52''' [[長野中央警察署|中央警察署]]・[[長野運動公園|運動公園]]東ゆき
** '''61''' [[三輪 (長野市)#旧町名|宇木]]・[[若槻団地]]・[[浅川 (長野市)#浅川西条|浅川西条]]ゆき
** '''62''' 宇木・[[東長野病院]]ゆき
** '''63''' 宇木・[[三才駅]]・市民病院・柳原ゆき
** '''64''' [[檀田]]・三才駅・市民病院・柳原ゆき
** '''82''' [[朝陽#屋島|屋島]]・[[須坂駅]]ゆき
** '''82B''' 屋島・[[綿内駅]]ゆき
* [[長電タクシー]]
** '''[[長電タクシー#深夜乗合タクシー|ミッドナイトライナー]]''' 須坂駅ゆき
; のりば2
新田町交差点東側の昭和通り西行([[TOiGO|TOiGOパーキング]]前)にある。
* アルピコ交通(川中島バス)
*: ※ '''104'''を除き、すべて[[長野駅]]経由
** '''32''' [[北信運転免許センター|運転免許センター]]・[[篠ノ井駅]]ゆき
** '''33''' 北原・篠ノ井高田 / [[今井駅]]ゆき
** '''34''' 三本柳小学校前ゆき
** '''104''' 県庁前・[[長野バスターミナル]]ゆき
** 各系統の長野駅・長野バスターミナルゆき
* 長電バス
** '''高速バス''' (降車専用)
** 各系統の長野駅ゆき
; のりば3
新田町交差点南側の[[長野中央通り|中央通り]]北行([[もんぜんぷら座]]南側)にある。
* アルピコ交通(川中島バス)
*: ※ すべて[[善光寺|善光寺大門]]経由
** '''10''' 善光寺大門ゆき
** '''11''' [[三輪 (長野市)#旧町名|宇木]]ゆき
** '''16''' [[若槻団地]]・[[若槻#若槻東条|若槻東条]]ゆき
** '''17''' [[浅川 (長野市)#浅川西条|浅川西条]]・若槻東条ゆき
** '''70急''' [[浅川ループライン|ループ橋]]・[[戸隠スキー場|戸隠高原]]ゆき
** '''73''' [[長野県道76号長野戸隠線|県道]]・[[戸隠神社|戸隠中社宮前]]ゆき
** '''74''' [[鬼無里村|鬼無里]]ゆき
** '''75急''' 奥裾花自然園ゆき
** '''79''' 川後・滝屋ゆき
** 各系統の善光寺大門行き
; のりば4
新田町交差点西側の昭和通り西行([[もんぜんぷら座]]北側)にある。
* アルピコ交通(川中島バス)
*: ※ すべて県庁前経由
** '''高速バス''' (降車専用)
** '''30''' [[川中島古戦場]]・[[松代町 (長野県)|松代]]ゆき
** '''37''' [[稲里町 (長野市)#稲里町田牧|田牧]]・さいなみ団地ゆき
; のりば5
新田町交差点西側の昭和通り東行([[長野県信用組合]]本店前)にある。
* アルピコ交通(川中島バス)
** '''高速バス''' [[みすずハイウェイバス|松本ゆき]]
** '''高速バス''' [[みすずハイウェイバス|飯田ゆき]]
; のりば6
新田町交差点北側の[[長野中央通り|中央通り]]南行([[TOiGO|TOiGO WEST]]前)にある。
* アルピコ交通(川中島バス)
*: ※ すべて[[長野駅]]経由
** '''21''' [[長野赤十字病院|日赤]]・[[青木島町#青木島町大塚|大塚]]南 / [[大豆島#松岡|松岡]]ゆき
** '''26''' [[信州新町]]・大原橋ゆき
** '''27''' [[小川村|高府]]・初引ゆき
** 各系統の長野駅ゆき
== 脚注 ==
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17,586 |
ワシリー・カンディンスキー
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ワシリー・カンディンスキー(Wassily Kandinsky、Vassily Kandinsky、本名:Wassily Wassilyevich Kandinsky(ロシア語: Васи́лий Васи́льевич Канди́нский)、1866年12月4日(ユリウス暦)/12月16日(グレゴリオ暦) - 1944年12月13日)は、ロシア出身の画家であり、美術理論家であった。一般に、抽象絵画の創始者とされる。ドイツ及びフランスでも活躍し、のちに両国の国籍を取得した。
画家のガブリエレ・ミュンターのパートナーとしても知られている。
彼はモスクワに生まれ子供時代をオデッサで過ごした。1886年から1892年まで、モスクワ大学で法律と政治経済を学ぶ。
1896年、ミュンヘンで絵の勉強を始め、象徴主義の大家フランツ・フォン・シュトゥックに師事する。
1902年、ベルリンの分離派展に出品。
1904年、パリのサロン・ドートンヌにも出品している。
1909年、新ミュンヘン美術家協会会長となるが、1911年にはフランツ・マルクとともに脱退して「青騎士」(デア・ブラウエ・ライター)を結成した。
1910年、最初の抽象画を手掛け、絵画表現の歴史の新たな一歩を記している。代表作の『コンポジション』シリーズはこの最初のドイツ滞在期に制作された。
1918年、革命後、モスクワに戻った。当時のソ連では前衛芸術はウラジーミル・レーニンによって「革命的」として認められており、カンディンスキーは政治委員などを務めた。しかし、ヨシフ・スターリンが台頭するにつれ前衛芸術が軽視されるようになり、スターリンが共産党書記長に就く直前の1921年に再びモスクワを離れてドイツへと向かった。
1922年、バウハウスで教官を務め、1933年にナチス・ドイツによってバウハウス自体が閉鎖されるまで勤務した。
1941年、フランスがナチスによって占領されたのにもかかわらず、彼はアメリカへの移住を拒否し続け、パリ郊外に位置するヌイイ=シュル=セーヌでその生涯を閉じた。なお、1928年にはドイツ国籍、1939年にはフランス国籍を取得している。
ピエト・モンドリアンやカジミール・マレーヴィチとともに彼は抽象絵画の先駆者として位置づけられている。また、多くの著作を残しており、美術理論家としても著名である。
ナチス占領下のフランスでは、作品の展示を禁止されたり、彼について論じることを禁止されるなど、不遇のまま亡くなった。1967年に未亡人のニーナが、晩年の彼を支えた事でレジオンドヌール勲章を受け、完全に復権した。
詳細はカンディンスキーの絵画一覧(英語版)を参照。
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ワシリー・カンディンスキーは、ロシア出身の画家であり、美術理論家であった。一般に、抽象絵画の創始者とされる。ドイツ及びフランスでも活躍し、のちに両国の国籍を取得した。 画家のガブリエレ・ミュンターのパートナーとしても知られている。
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{{Infobox 芸術家
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'''ワシリー・カンディンスキー'''(Wassily Kandinsky、Vassily Kandinsky<ref>ヴァシリー・カンディンスキー、カディンスキー、「カンジンスキイ」と書くほうがロシア語の発音に近いが、この表記は日本では一般的ではない。</ref>、本名:Wassily Wassilyevich Kandinsky({{lang-ru|Васи́лий Васи́льевич Канди́нский}})、[[1866年]][[12月4日]]([[ユリウス暦]])/[[12月16日]]([[グレゴリオ暦]]) - [[1944年]][[12月13日]])は、[[ロシア]]出身の[[画家]]であり、[[美術]]理論家であった。一般に、[[抽象絵画]]の創始者とされる。[[ドイツ]]及び[[フランス]]でも活躍し、のちに両国の国籍を取得した。
画家の[[ガブリエレ・ミュンター]]のパートナーとしても知られている。
== 略歴 ==
彼は[[モスクワ]]に生まれ子供時代を[[オデッサ]]で過ごした。[[1886年]]から[[1892年]]まで、[[モスクワ大学]]で法律と政治経済を学ぶ。
[[1896年]]、[[ミュンヘン]]で絵の勉強を始め、[[象徴主義]]の大家[[フランツ・フォン・シュトゥック]]に師事する。
[[1902年]]、[[ベルリン]]の分離派展に出品。
[[1904年]]、[[パリ]]のサロン・ドートンヌにも出品している。
[[1909年]]、[[新ミュンヘン美術家協会]]会長となるが、[[1911年]]には[[フランツ・マルク]]とともに脱退して「[[青騎士]]」(デア・ブラウエ・ライター)を結成した<ref>{{Cite web|和書|url = https://kotobank.jp/word/カンディンスキー-49298 |title = ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説 |publisher = コトバンク |accessdate = 2018-05-02 }}</ref>。
[[1910年]]、最初の抽象画を手掛け、絵画表現の歴史の新たな一歩を記している。代表作の『コンポジション』シリーズはこの最初のドイツ滞在期に制作された。当時の制作姿勢について、カンディンスキーは「対象に縛られない、純絵画の本質としての、独立したインテンジイフな生命を齎すような画面を作ろうとするのが自分の願望である」<ref>{{Cite web |title=澤木四方吉|カンディンスキー|ARCHIVE |url=http://www.project-archive.org/0/018.html |website=ARCHIVE |access-date=2023-12-15 |language=ja-JP}}</ref>と説明する([[澤木四方吉]]「[https://www.project-archive.org/0/018.html カンディンスキイ]」『[[三田文学]]』、1914年)。
[[1918年]]、[[ロシア革命|革命]]後、モスクワに戻った。当時のソ連では[[前衛美術|前衛芸術]]は[[ウラジーミル・レーニン]]によって「革命的」として認められており、カンディンスキーは[[政治委員]]などを務めた。しかし、[[ヨシフ・スターリン]]が台頭するにつれ前衛芸術が軽視されるようになり、スターリンが共産党書記長に就く直前の[[1921年]]に再びモスクワを離れてドイツへと向かった。
[[1922年]]、[[バウハウス]]で教官を務め、[[1933年]]に[[ナチス・ドイツ]]によってバウハウス自体が閉鎖されるまで勤務した。
[[1941年]]、フランスがナチスによって占領されたのにもかかわらず、彼は[[アメリカ合衆国|アメリカ]]への移住を拒否し続け、パリ郊外に位置する[[ヌイイ=シュル=セーヌ]]でその生涯を閉じた。なお、[[1928年]]にはドイツ国籍、[[1939年]]にはフランス国籍を取得している。
== 活動・評価 ==
[[ピエト・モンドリアン]]や[[カジミール・マレーヴィチ]]とともに彼は[[抽象絵画]]の先駆者として位置づけられている。また、多くの著作を残しており、美術理論家としても著名である。
ナチス占領下のフランスでは、作品の展示を禁止されたり、彼について論じることを禁止されるなど、不遇のまま亡くなった。[[1967年]]に未亡人のニーナが、晩年の彼を支えた事で[[レジオンドヌール勲章]]を受け、完全に復権した。
== 主要作品 ==
詳細は{{仮リンク|カンディンスキーの絵画一覧|en|List of paintings by Wassily Kandinsky}}を参照。
*[[青騎士 (カンディンスキー)|青騎士]] (1903)
*馬上の二人 (1906-1907)
*Improvisation avec Formes froides (1914)
*Peinture non objective (1915)
*Moscou, La Place Rouge (1916)
*無題 Sans titre
*Impression III (1911)
*Romantic Landscape (1911)
*A Riding Amazon (1911)
*Gorge Improvisation (1914)
*塔のある風景(1909)
*コンポジション VII
*コンポジション VIII (1923)
<gallery>
File:Gorge Improvisation.JPG|『即興 渓谷』(1914年、[[ミュンヘン]]・[[レンバッハハウス美術館]]蔵)
File:Improvisation 27 (Garden of Love II) MET DP236124.jpg|『即興 27』(1912年、[[メトロポリタン美術館]]蔵)
</gallery>
== 主な著作 ==
*『抽象芸術論―芸術における精神的なもの』 [[西田秀穂]]訳、[[美術出版社]]。改訂新版は著作集 全4巻、2000年
*『点と線から面へ』 [[宮島久雄]]訳、<バウハウス叢書9>[[中央公論美術出版]]、1995年、新版2020年。[[ちくま学芸文庫]]、2017年
*:本書は1922年6月から、バウハウスで行われた講義の一部。
=== 共著・編書 ===
*カンディンスキー/フランツ・マルク編『青騎士』 岡田素之、相澤正己訳、[[白水社]]、2007年
*[[アルノルト・シェーンベルク|シェーンベルク]]、カンディンスキー『出会い 書簡・写真・絵画・記録』J.ハール=コッホ編、[[土肥美夫]]訳、[[みすず書房]]、1985年
*:収録されているカンディンスキーのテキストは 『舞台コンポジションについて』、『黄色い響き』舞台コンポジション、『画像』、『アルノルト・シェーンベルクの絵画作品 1908 - 1921』、『シェーンベルク『和声学』への注釈』
== 関連文献 ==
*『カンディンスキー 美の20世紀7』やってるかい ミハイル・ゲールマン解説/[[山梨俊夫]]監訳、籾山昌夫訳、二玄社、2007年
*『カンディンスキー全油彩総目録』(全2巻) 西田秀穂・[[有川治男]]訳、[[岩波書店]]、1987年、1989年
*:日本語に訳されたカタログ・レゾネと。生涯にわたって発表された作品を網羅し、主に学術的な研究に利用される文献である。
*西田秀穂 『カンディンスキー研究』 [[美術出版社]]、1993年
*ニーナ・カンディンスキー『カンディンスキーとわたし』 土肥美夫・田部淑子訳、[[みすず書房]]、1980年 - 妻ニーナによる回想録。
*シクステン・リングボム 『カンディンスキー 抽象絵画と神秘思想』 松本透訳 <ヴァールブルクコレクション>[[平凡社]]、1995年
*小林奈央子 『青騎士の誕生 カンディンスキーの舞台美術』 [[早稲田大学出版部]]、2011年
*澤木四方吉「[https://www.project-archive.org/0/018.html カンディンスキイ]」『美術の都』岩波書店、1998年
== 脚注 ==
{{Reflist}}
==関連項目==
{{Commonscat|Wassily Kandinsky}}
* [[パウル・クレー]]
* [[バウハウス]]
* [[ガブリエレ・ミュンター]]
* [[アビ・ヴァールブルク]]
* [[オットー・ネーベル]]
* [[ファランクス (芸術家集団)|ファランクス]]
{{青騎士}}
{{Normdaten}}
{{DEFAULTSORT:かんていんすきい わしりい}}
[[Category:19世紀ロシアの画家]]
[[Category:20世紀ロシアの画家]]
[[Category:抽象画家]]
[[Category:モダンアートの画家]]
[[Category:表現主義の画家]]
[[Category:レジオンドヌール勲章受章者]]
[[Category:モスクワ県出身の人物]]
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ずんだ
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ずんだは、枝豆(未成熟な大豆)またはそら豆をすりつぶして作る緑色のペーストのこと。「づんだ」「じんだ」「じんだん」「ヌタ」とも呼ばれる(以下、「ずんだ」を用いる)。北東北南部の秋田県・横手盆地や岩手県南部、南東北の宮城県・山形県・福島県、および、北関東の栃木県北西部において郷土料理に用いられる。
甘味のずんだ餅、あるいは、塩味の和え物として利用するのが伝統的である。近年、さまざまなずんだ料理や新製品の開発が進み、甘味のものはずんだスイーツと括られるようになってきた。さらに、塩味のスナック菓子や料理にも使われ、ひとつの料理のジャンルと化して来ている。
うぐいす餡と似ているが上述のようにずんだが原料に枝豆を使うのに対して、うぐいす餡は青エンドウ(グリーンピース)を使う点で異なる。
ずんだの元となる青ばた豆は夏に収穫されるため、ずんだは季節料理、特にずんだ餅はお盆のお供えとして認識されている面もある。その鮮やかな緑色は、ずんだを食する地域では風物詩でもある。例えば、仙台においてずんだ餅を販売する店は仙台七夕あたりからお盆までが繁忙期であり、年間のずんだ餅販売数の約半分をこの時期に売り上げる店もある。季節外れのずんだには大豆を使用し着色料を加えたものもあった。
1989年(平成元年)に(株)黄金食品が郵便局のふるさと小包による「冷凍ずんだ餅」の通販を開始以降、同業他社でも冷凍食品の枝豆を用いたずんだが年間を通して作ることが出来るようになっている。業務用にずんだ餡や枝豆ペーストがすでに開発されていたが、2008年(平成20年)になり、お湯を注ぐとずんだ餡に戻る粉末が山形県で開発され、さらに、真空条件下で枝豆のペーストやジャムを生産する技術が宮城県で開発されるなど、これら画期的な技術開発によりずんだ業界に変革がもたらされると期待されている。
近年、あずき餡や抹茶粉末と同様に、和菓子に限らず洋菓子にもずんだを用いる試みが行われており、ずんだスイーツと呼ばれるジャンルが形成されてきている。他方、塩味のずんだ料理の開発も進んでいる。さらに仙台市では、ずんだ餡に黒豆と竹炭を加え、もちにも黒米を加えて作られた黒色のずんだ餅が開発され、「ずんだは緑色」との既成概念を崩す試みがなされている。これは、ずんだ独特の青臭さを苦手とする人にも、ずんだを食してもらうための試みでもある。
一方、山形県・庄内地方の「だだちゃ豆」や宮城県の「仙台ちゃ豆」など、特産の枝豆をずんだに用いて、製品の差別化を狙う動きも見られる。
ずんだが食される地域にはずんだを看板メニューにした餅店や和菓子店などがあり、土産品としての商品開発も活発である。2015年(平成27年)12月4日には、JR仙台駅にずんだを販売する専門店を集めた「ずんだ小径」が開設された。ずんだのイベントとして、宮城県角田市・角田駅前広場で10月上旬頃に開催される「角田ずんだまつり」が2003年(平成15年)から開催されている。
地域によっては複数の呼称が存在するが、概ね以下のように名称が分布している。
最近では、旧仙台藩領域での呼称「ずんだ」が仙台経済圏での訴求力によりデファクトスタンダード化し、旧仙台藩領域以外でも枝豆ペーストを利用したものは「ずんだ」と呼ばれる傾向が見られる。
「ずんだ」「じんだ」の語源として、以下のような説がある。
1.の「豆ん打」説が著名であるが、正しいのは4.の「糂粏」の説であるとされている。方言学者の小林隆も同様に「ずんだ」の語源は「糂汰」であると述べており、他にも、4.が有力であるという記述が見られる。
また、伊達家の料理を記した『料理集』には「茄子」の項目の「ぢんた茄子」の説明に「青大豆ぢんたを右に汁にて とろ/\とのべ懸申候 ぢんたへさとうを少加ひ申候」や「ぢんたあへ」という記述がある。青大豆に少量の砂糖を加えた餡を「ぢんた」と呼んでいるようで、仙台古典料理研究家の佐藤敬三が「ずんだの原形」と見ている。
伊達政宗は米沢出身で会津も一時、政宗の支配下にあった時代があり、ずんだが広く伝わっている地域は、政宗と関係のある地域が多い。そのため、山形県、宮城県、福島県の境界付近から広まった可能性もありうる。
その他の呼称については語源は不明。
ずんだ(枝豆ペースト)の作り方
ずんだ餅に用いる場合は、このずんだ(枝豆ペースト)に適量の砂糖と塩少々を加え、よく混ぜ合わせる。少量の味噌を隠し味として加える場合もある。
ずんだの和え物に用いる場合は、このずんだ(枝豆ペースト)にだし汁などを加えて味を調える。
和菓子のみならず、洋菓子にも使用されるようになってきたため、「ずんだスイーツ」と総称されることもある。
枝豆をすりつぶしたものに砂糖を入れず、塩味にして用いる。
ずんだ・ずんだ餅・枝豆を擬人化したキャラクター商品がいくつか存在する。
やなせたかしが作画した「ずんだ&もちこ」という北上京だんご本舗(仙台市)のキャラクターがあり、やなせたかしが作詞・作曲し、大和田りつこ&岡崎裕美(+KAMATAROW)が歌う「ずんだもちのデュオ」(カップリング曲:「ずんだもちワルツ」)でCD制作もしている。
また、2008年(平成20年)に東日本放送(仙台市)のテレビ番組『裏影』のコーナー「裏影プレゼンツ 宮城ご当地キャラクターコンテスト」において、「ずんだっち」と「ずんだり〜な」が生まれ、グッズ展開された。
2011年(平成23年)3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)からの復興支援を目的に、同年10月27日より「東北ずん子」というずんだをモチーフにしたキャラクターも提供開始されている。後に東北ずん子の関連キャラクターとして、同じくずんだをモチーフにしたマスコットの「ずんだもん」が生まれた。
その他、ずんだ餅をモチーフにしたこけし、ご当地キティ「ハローキティ 宮城 仙台ずんだもちバージョン」、枝豆をモチーフにした「ずんだキューピー」やご当地限定まりもっこり「変身もっこり☆ずんだ豆」などもある。
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"text": "また、2008年(平成20年)に東日本放送(仙台市)のテレビ番組『裏影』のコーナー「裏影プレゼンツ 宮城ご当地キャラクターコンテスト」において、「ずんだっち」と「ずんだり〜な」が生まれ、グッズ展開された。",
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ずんだは、枝豆(未成熟な大豆)またはそら豆をすりつぶして作る緑色のペーストのこと。「づんだ」「じんだ」「じんだん」「ヌタ」とも呼ばれる(以下、「ずんだ」を用いる)。北東北南部の秋田県・横手盆地や岩手県南部、南東北の宮城県・山形県・福島県、および、北関東の栃木県北西部において郷土料理に用いられる。 甘味のずんだ餅、あるいは、塩味の和え物として利用するのが伝統的である。近年、さまざまなずんだ料理や新製品の開発が進み、甘味のものはずんだスイーツと括られるようになってきた。さらに、塩味のスナック菓子や料理にも使われ、ひとつの料理のジャンルと化して来ている。 うぐいす餡と似ているが上述のようにずんだが原料に枝豆を使うのに対して、うぐいす餡は青エンドウ(グリーンピース)を使う点で異なる。
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[[ファイル:Zunda-mochi.jpg|thumb|250px|[[ずんだ餅]]]]
'''ずんだ'''は、[[枝豆]](未成熟な[[大豆]])または[[そら豆]]をすりつぶして作る[[緑色]]の[[ペースト]]のこと。「'''づんだ'''」「'''じんだ'''」「'''じんだん'''」「'''ヌタ'''」とも呼ばれる(以下、「ずんだ」を用いる)。[[北東北]]南部の[[秋田県]]・[[横手盆地]]や[[岩手県]]南部、[[南東北]]の[[宮城県]]・[[山形県]]・[[福島県]]、および、[[北関東]]の[[栃木県]]北西部において[[郷土料理]]に用いられる。
甘味の[[ずんだ餅]]、あるいは、塩味の[[和え物]]として利用するのが伝統的である。近年、さまざまなずんだ料理や新製品の開発が進み、甘味のものは[[#甘味(ずんだスイーツ)|ずんだスイーツ]]と括られるようになってきた。さらに、[[#塩味|塩味のスナック菓子や料理]]にも使われ、ひとつの料理の[[ジャンル]]と化して来ている。
[[うぐいす餡]]と似ているが上述のようにずんだが原料に[[枝豆]]を使うのに対して、うぐいす餡は[[青エンドウ]](グリーンピース)を使う点で異なる。
== 概要 ==
ずんだの元となる青ばた豆は[[夏]]に収穫されるため、ずんだは[[季節料理]]、特にずんだ餅は[[お盆]]の[[供物|お供え]]として認識されている面もある。その鮮やかな[[緑色]]は、ずんだを食する地域では[[風物詩]]でもある。例えば、[[仙台市|仙台]]においてずんだ餅を販売する店は[[仙台七夕]]あたりからお盆までが繁忙期であり、年間の[[ずんだ餅]]販売数の約半分をこの時期に売り上げる店もある。季節外れのずんだには[[大豆]]を使用し着色料を加えたものもあった。
[[1989年]](平成元年)に(株)黄金食品が郵便局の[[ふるさと小包]]による「冷凍ずんだ餅」の通販を開始以降、同業他社でも[[冷凍食品]]の枝豆を用いたずんだが年間を通して作ることが出来るようになっている。業務用にずんだ餡や枝豆[[ペースト]]がすでに開発されていたが、[[2008年]](平成20年)になり、お湯を注ぐとずんだ餡に戻る[[粉末]]が山形県で開発され<ref>[http://www.yamagata-np.jp/news/200808/16/kj_2008081600281.php お湯注ぐと「ずんだあん」に 米沢の「おたまや」が新商品] {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20080925100134/http://www.yamagata-np.jp/news/200808/16/kj_2008081600281.php |date=2008年9月25日 }}([[山形新聞]] 2008年8月16日)</ref>、さらに、[[真空]]条件下で枝豆のペーストや[[ジャム]]を生産する技術が宮城県で開発される<ref>[http://www.kahoku.co.jp/news/2008/10/20081010t12045.htm 「ずんだ」真空加工でジャムなどに 色や風味長持ち] {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20081012054839/http://www.kahoku.co.jp/news/2008/10/20081010t12045.htm |date=2008年10月12日 }}([[河北新報]] 2008年10月10日)</ref>など、これら画期的な技術開発によりずんだ業界に変革がもたらされると期待されている。
近年、[[あずき]]餡や[[抹茶]][[粉末]]と同様に、[[和菓子]]に限らず[[洋菓子]]にもずんだを用いる試みが行われており、'''[[#甘味(ずんだスイーツ)|ずんだスイーツ]]'''と呼ばれる[[ジャンル]]が形成されてきている。他方、[[#塩味|塩味のずんだ料理]]の開発も進んでいる。さらに仙台市では、ずんだ餡に[[黒豆]]と[[竹炭]]を加え、もちにも[[黒米]]を加えて作られた[[黒色]]のずんだ餅が開発され、「ずんだは緑色」との既成概念を崩す試みがなされている<ref>[http://www.omochino.jp/kodawari.html 黒ずんだもち](餅処 おもちのきもち)</ref>。これは、ずんだ独特の青臭さを苦手とする人にも、ずんだを食してもらうための試みでもある<ref>[http://sendai.keizai.biz/headline/435/ 仙台の「黒ずんだもち」話題に-地元和菓子店が考案、仙台名物目指す](仙台経済新聞 2009年4月9日)</ref>。
一方、山形県・[[庄内地方]]の「[[だだちゃ豆]]」や宮城県の「仙台ちゃ豆」など、特産の枝豆をずんだに用いて、製品の差別化を狙う動きも見られる<ref>[http://www.kahoku.co.jp/news/2009/08/20090806t12027.htm 夏は「ちゃ豆」スイーツ カウ・ベル、県の依頼受け開発] {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20090811001538/http://www.kahoku.co.jp/news/2009/08/20090806t12027.htm |date=2009年8月11日 }}(河北新報 2009年8月6日)</ref>。
ずんだが食される地域にはずんだを看板メニューにした餅店や和菓子店などがあり、土産品としての商品開発も活発である。[[2015年]](平成27年)[[12月4日]]には、JR仙台駅にずんだを販売する専門店を集めた「ずんだ小径」が開設された<ref>{{PDFlink|[http://www.jr-sendai.com/wp-content/uploads/2015/11/sendai_shinnkitenpo.pdf 仙台駅に新規店舗が続々オープン!]}}(東日本旅客鉄道株式会社仙台支社)</ref>。ずんだのイベントとして、宮城県[[角田市]]・[[角田駅]]前広場で10月上旬頃に開催される「角田ずんだまつり」が[[2003年]](平成15年)から開催されている。
== 名称・語源 ==
=== 名称の分布 ===
地域によっては複数の呼称が存在するが、概ね以下のように名称が分布している。
* 「'''ずんだ'''」「'''づんだ'''」:旧[[仙台藩]]領域である[[岩手県]]南部・[[宮城県]]・[[福島県]][[新地町]]のほか、[[奥羽山脈]]を挟んで岩手県南部と隣接する[[秋田県]][[横手盆地]]や[[山形県]][[最上地方]]など。
* 「'''じんだ'''」:会津地方を除く福島県、秋田県南地方、[[青森県]][[津軽地方]]、[[長野県]][[伊那地方|上伊那地方]]、山形県[[庄内地方]]など。
* 「'''じんだん'''」:山形県[[置賜地方]]など。
* 「'''ヌタ'''」「'''豆ヌタ'''」:山形県[[村山地方]]・福島県[[会津地方]]など。
* 「'''のた'''」:[[長野県]][[諏訪地方]]・[[伊那地方]]など。
最近では、旧仙台藩領域での呼称「ずんだ」が[[デファクトスタンダード]]化し、旧仙台藩領域以外でも枝豆ペーストを利用したものは「ずんだ」と呼ばれる傾向が見られる。
=== 語源・発祥 ===
「ずんだ」「じんだ」の[[語源]]として、以下のような説がある。
#茹でた枝豆はそのまますれるほど柔らかくないため、まず初めに[[すりこぎ]]で叩いたり押たりして潰す作業が必要であり、それが「豆を打つ」と解釈されて『'''豆打'''』(ずだ≒[[打豆]]:平安時代までは闘草をくさあわせと読むように、原文の字順とは逆に下から上へ返って読む'''[[返読]]'''が一般的であった)となり、「豆ん打」に[[転訛]]したとする説。
#「[[伊達政宗]]が、出陣の際に『'''[[陣太刀]]'''』で枝豆を砕いて食した」との[[エピソード]]に由来するとする説。『陣太刀』(じんたち)は、[[東北方言]]では「じんだづ」「ずんだづ」などと発音されるが、これが「じんだ」または「ずんだ」に転訛した。
#甚太(じんた)という百姓が伊達政宗へ献上するために考えた餅が政宗に気に入られ「じんた餅」と言われたという説。
#古くは[[糠|ぬか]][[味噌]]または五斗味噌<ref group="†">[[14世紀]]頃のぬか味噌、五斗味噌は大豆二斗、糠二斗、塩一斗を搗き合わせた味噌のこと</ref>のことを「糂汰(じんだ)」と言った<ref group="†">[[徒然草]]に初出。この場合のじんだはぬか味噌を指し、現在のずんだを指していない。</ref>が、枝豆をすりつぶした当料理にも名称を拡大適用したとする説。
1.の「豆ん打」説が著名である<ref>[[仙台市歴史民俗資料館]]による。</ref>が、正しいのは4.の「糂粏」の説であるとされている<ref>乙坂ひで・畑明美「〈対談〉「東北の郷土料理」(1)」、林美奈子編『食生活研究』第15巻第6号、食生活研究会、1994年、35頁。元尚絅女学院短期大学教授、乙坂ひでが述べている。</ref>。方言学者の[[小林隆 (言語学者)|小林隆]]も同様に「ずんだ」の語源は「糂汰」であると述べており<ref>小林隆「漢語と方言」[https://www.kanken.or.jp/kanken/lifelong/data/lifelong_news_vol6.pdf 『漢検生涯学習ネットワーク会員通信』Vol.6]、2012年8月、1頁</ref>、他にも、4.が有力であるという記述が見られる<ref>「[https://www.nhk.or.jp/sendai-blog/update/485477.html ずんだの由来を教えて! | 知っトク東北|NHK]」、2023年7月07日(2023年12月26日閲覧)</ref>。
また、[[伊達氏|伊達家]]の料理を記した『料理集<ref>[[1733年]]([[享保]]18年)[[橘川房常]]著</ref>』には「茄子」の項目の「ぢんた茄子」の説明に「青大豆ぢんたを右に汁にて とろ/\とのべ懸申候 ぢんたへさとうを少加ひ申候」や「ぢんたあへ」という記述がある<ref>松下幸子・吉川誠次・川上行蔵[https://opac.ll.chiba-u.jp/da/curator/900025056/ 「古典料理の研究 (七) : 橘川房常著・料理集について」]『千葉大学教育学部研究紀要』第30巻第2部、千葉大学教育学部、1981年12月20日、432頁(底本「宮城県立図書館小西文庫蔵本」では50丁ウラ-51丁オモテ)</ref>。青大豆に少量の砂糖を加えた[[餡]]を「ぢんた」と呼んでいるようで、仙台古典料理研究家の[[佐藤敬三]]が「ずんだの原形」と見ている。
[[伊達政宗]]は[[米沢]]出身で[[会津]]も一時、政宗の支配下にあった時代があり、ずんだが広く伝わっている地域は、政宗と関係のある地域が多い。そのため、山形県、宮城県、福島県の境界付近から広まった可能性もありうる<ref>[http://www.share-the-love.net/01/003.html 郷土料理に舌鼓>山形ずんだ餅] {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20160304195138/http://www.share-the-love.net/01/003.html |date=2016年3月4日 }}</ref>。
その他の呼称については語源は不明。
== 作り方 ==
ずんだ(枝豆ペースト)の作り方
#[[枝豆]](青ばた豆)の大豆をゆでる。
#豆をさやから取り出す。
#薄皮を取り除く。
#*一般的には薄皮を取り除くが、商品化されているずんだでも取り除いていないものもまれに見られる。
#[[すり鉢]]を使い、[[ペースト]]状になるまで潰す。
#*宮城県では、多少粒が残る程度(細かいひき割りに近い状態)が好まれるが、山形県では、完全にすり潰した[[漉し餡|こし餡]]に近いものもしばしば見られる。
[[ずんだ餅]]に用いる場合は、このずんだ(枝豆ペースト)に適量の砂糖と塩少々を加え、よく混ぜ合わせる。少量の味噌を隠し味として加える場合もある。
ずんだの和え物に用いる場合は、このずんだ(枝豆ペースト)に[[だし汁]]などを加えて味を調える。
== ずんだを用いた料理 ==
=== 甘味(ずんだスイーツ) ===
[[和菓子]]のみならず、[[洋菓子]]にも使用されるようになってきたため、「ずんだ[[スイーツ]]」と総称されることもある。
==== 伝統的なもの ====
===== ずんだを用いた伝統的な郷土料理 =====
; 和菓子
* ずんだ[[団子]] - 外観上は[[うぐいす餡]]の団子に酷似している。
*:※仙台の団子屋では、「ずんだ」・「[[アズキ|あずき]]」・「[[ゴマ|ごま]]」・「[[クルミ|くるみ]]」・「しょうゆ([[みたらし団子|みたらし]])」の5種類の味の団子が揃えてあるのが一般的である。その他、もちに絡める場合には、[[大根おろし]]に[[干物|干し]][[エビ]]を混ぜたものや[[納豆]]もちなどもしばしば売られている。
* [[ずんだ餅]]
* ずんだの[[ぼたもち]]
** ※実際には、ずんだぼたもちやずんだおはぎとは呼ばれず、これも、ずんだ餅と呼ばれる。お盆などのお供えには、これが用いられることが多い。
* ずんだ[[はっと|ばっと]]
; 和え物
* [[ナス]]のずんだ和え
** 1943年8月7日の[[朝日新聞]]に仙台の郷土食と紹介されている<ref>{{Cite journal|和書|author=加藤澄江 |title=近代日本食物史(完)-新聞記事見出しに見る昭和初期(1941-45)の食物事情- |journal=学苑 |issn=13480103 |publisher=昭和女子大学近代文化研究所 |year=2009 |month=sep |issue=827 |pages=37-96 |naid=110007336832 |url=http://id.nii.ac.jp/1203/00004661/}}</ref>が、山形県でも「ナスのぬだ和え」と呼ぶ同様のものがある。
* [[アケビ]]のずんだ和え
** 山形県で見られる。[[アケビ]]の果皮と和える。
==== 新規に開発されたもの ====
===== 「ずんだ餡」を用いるもの =====
* ずんだ[[大福]]
** 1層型: ずんだのみ、あるいは、ずんだと[[生クリーム]]を和えたもの
** 2層型: ずんだと[[生クリーム]]、あるいは、ずんだと[[クリームチーズ]]
* ずんだ[[饅頭]]
* ずんだ[[羊羹]]
* ずんだ[[クレープ]]
* ずんだ[[たい焼き]]
** たい焼きの中身をずんだ餡にしたもの
** 「白いたい焼き」の皮にずんだを練りこんだ上に、中身もずんだ餡にしたもの
* ずんだ[[最中]]
* ずんだ[[かき氷]]
* ずんだ[[春巻き]](小学校の給食の一品)
* ずんだ[[寒天]]([[牛乳]]寒天の一種)
===== 「ずんだクリーム」あるいは「ずんだムース」を用いるもの =====
* ずんだ[[クリーム (食品)|クリーム]][[あんみつ]]
* ずんだミルク[[パフェ]](ずんだ[[ムース (食品)|ムース]]に[[黒蜜]]を和えて[[わらびもち]]にかけ、ミルクプリンをのせたもの)<ref>[http://sendai.keizai.biz/headline/438/ ファミマが地域限定「ずんだ」スイーツ-東北6県と新潟で販売](仙台経済新聞 2009年4月14日)</ref>
* ずんだクリーム[[ロールケーキ]]
* ずんだ[[モンブラン (ケーキ)|モンブラン]]
* ずんだ生クリーム大福
* ずんだ生[[どら焼き]]
===== ドリンク =====
* ずんだ[[ミルクセーキ|シェイク]]
** [[仙台市都心部]]における代表的な食べ歩きメニューの1つとされる<ref>{{PDFlink|[http://www.city.sendai.jp/keizai/kokusai/seminar/pdf/26.11.21_web_site_renewal.pdf 多言語の市内飲食・物販店紹介サイトをリニューアルします]}}(仙台市 2014年11月21日)</ref>。2015年6月1日深夜<!--6月1日23:59-6月2日00:54-->放送の[[日本テレビ系列]]『[[月曜から夜ふかし]]』において、[[マツコ・デラックス]]が「超うまい」「4杯飲んだ」などと熱弁したことにより、[[Twitter]]でトレンド入りするなど全国的に話題となった<ref>[https://news.livedoor.com/article/detail/10181630/ マツコ・デラックスが村上信五に激怒 ずんだシェイクに冷たい反応](ライブドアニュース 2015年6月2日)</ref><ref>[http://news.aol.jp/2015/06/02/matsukodelax/ 8億の経済効果! マツコ・デラックスが大絶賛した「ずんだシェイク」が早くも話題に](AOLニュース 2015年6月2日)</ref>。
* [[玄米]][[コーンフレーク|フレーク]]シェイク ずんだ小豆
** 2003年および2007年に季節限定発売。バニラシェイクにずんだ餡などをトッピングしたもの<ref>{{PDFlink|[http://www.mos.co.jp/company/pr_pdf/pr_070227_2.pdf 玄米フレークシェイク ずんだ小豆]}}([[モスバーガー]] 2007年2月27日)</ref>。
* ずんだ[[牛乳]]
** 東北限定商品。「ブレンディ スティック ハローキティ ずんだミルクオレ」<ref>[http://www.agf.co.jp/lineup/gift/04827.html AGF〈ブレンディ〉スティック ハローキティ ずんだミルクオレ 10本] {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20160224060225/http://www.agf.co.jp/lineup/gift/04827.html |date=2016年2月24日 }}([[味の素ゼネラルフーヅ]])</ref>。
** ずんだ[[ラテ]]
* ずんだ[[スムージー]]
* ずんだ[[サイダー]](枝豆パウダーを使用した炭酸飲料)
===== その他 =====
* ずんだ[[プディング|プリン]](商品名は「ずんだぷりん」)
* ずんだ[[ブラン・マンジェ]]
* ずんだ[[サブレー|サブレ]]
* ずんだ[[チーズケーキ]]
* ずんだ[[ショートケーキ]]
* ずんだ[[パン]]
* ずんだ[[トースト]]
* ずんだ生[[ジャム]](商品名は「生ジャムずんだ」)
* ずんだ[[キャラメル]]
* ずんだ[[チョコレート]]([[キットカット]]ずんだ風味、[[明治製菓#食品|アポロチョコレート]]ずんだ餅風味、[[ルックチョコレート]]ずんだ味など)
* ずんだ[[飴]]
* ずんだ[[アイスクリーム]]
* ずんだ[[ソフトクリーム]]
=== 塩味 ===
枝豆をすりつぶしたものに砂糖を入れず、塩味にして用いる。
==== 伝統的なもの ====
===== ずんだを用いた伝統的な郷土料理 =====
* ずんだ汁
** 「[[呉汁]]」(水にうるかした'''大豆'''をすり潰して[[味噌汁]]に入れたもの)のこと。[[北海道]]・[[道南]]地方や[[岩手県]]ではこれを「ずんだ汁」と言う。この場合の「ずんだ汁」は茶色をしている。
** 呉汁の製法において、大豆の代わりに'''枝豆'''をすり潰して入れたものは「枝豆呉汁」「青呉汁」あるいは「ずんだ汁」と言う。この場合の「ずんだ汁」は緑色をしている。
==== 新規に開発されたもの ====
===== スナック菓子 =====
* ずんだ[[煎餅]]([[ばかうけ]]ずんだ味など)
* ずんだ[[プリッツ]](東北地方の[[道の駅]]等の一部店舗のみ販売)
* ずんだ[[じゃがりこ]]
===== 飴菓子 =====
* [[森永ミルクキャラメル|ずんだキャラメル]](東北地方の道の駅等の一部店舗のみ販売)
===== 食事用 =====
* ずんだ[[笹かまぼこ]]
* ずんだ[[豆腐]]
* ずんだ[[ラーメン]](麺に枝豆ペーストが練りこまれている)
* ずんだ[[冷麺]](スープに枝豆ペーストが溶かしてある)
* ずんだ[[寿司]](すり潰した枝豆+[[わさび]]+[[マヨネーズ]])
===== 地元の料理研究家が提案しているもの =====
* ずんだ[[コロッケ]]
* ずんだと[[豆乳]]の[[スパゲティ]]
* ずんだ[[スープ]]([[イタリア]]・[[シチリア]]料理のマッコ・ディ・ファーベに類似)
* [[サトイモ|里芋]]のずんだマヨネーズ和え
=== 「緑色」以外 ===
{{節スタブ}}
<!--
==== 新規に開発されたもの ====
===== ずんだ餡に別の色の材料を加えて色を変えたもの =====
* 黒ずんだもち(ずんだ餡には[[黒豆]]と[[竹炭]]を加え、もちにも[[黒米]]を加えている)
*:※「黒ずんだ」色ではなく「真っ黒」である。
-->
== キャラクター商品 ==
ずんだ・ずんだ餅・枝豆を[[擬人化]]した[[キャラクター]]商品がいくつか存在する。
[[やなせたかし]]が作画した「ずんだ&もちこ」という北上京だんご本舗(仙台市)のキャラクターがあり<!--2002年より前に制作-->、やなせたかしが作詞・作曲し、[[大和田りつこ]]&[[岡崎裕美]](+KAMATAROW)が歌う「ずんだもちのデュオ」(カップリング曲:「ずんだもちワルツ」)で[[コンパクトディスク|CD]]制作もしている<ref>{{YouTube|V_7S6xexnZ8|北上京だんご本舗のずんだもちのうた「ずんだもちのデュオ」}}(北上京だんご本舗)</ref><ref>[http://www.kanshin.com/keyword/146913 ずんだ&もちこ] {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20111101024812/http://www.kanshin.com/keyword/146913 |date=2011年11月1日 }}([[関心空間]])</ref>。
また、2008年(平成20年)に[[東日本放送]](仙台市)のテレビ番組『[[裏影]]』のコーナー「裏影プレゼンツ 宮城ご当地キャラクターコンテスト」において、「ずんだっち」と「ずんだり〜な」が生まれ、グッズ展開された<ref>[http://www.urakage.tv/chara 宮城ご当地キャラクターグッズ発売開始!] {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20090227102703/http://www.urakage.tv/chara/ |date=2009年2月27日 }}(東日本放送)</ref><ref>[http://khb.jp/html/newpage.html?code=6 宮城県ご当地キャラクターグッズ 大好評発売中!](東日本放送)</ref>。
[[2011年]](平成23年)3月11日に発生した[[東北地方太平洋沖地震]]([[東日本大震災]])からの復興支援を目的に、同年10月27日より「[[東北ずん子]]」というずんだをモチーフにしたキャラクターも提供開始されている。後に東北ずん子の関連キャラクターとして、同じくずんだをモチーフにしたマスコットの「[[ずんだもん]]」が生まれた。
その他、ずんだ餅を[[話題|モチーフ]]にした[[こけし]]<ref>{{Cite news |title=「笹かま」「牛たん」「ずんだ」-仙台名物がこけしの3姉妹に |newspaper=仙台経済新聞 |date=2008-09-26 |url=http://sendai.keizai.biz/headline/311/|accessdate=2011-02-15}}</ref><ref>{{Cite news|title=三姉妹こけし、仙台名物に彩り 静かな人気|newspaper=河北新報|date=2008-09-20|url=http://www.kahoku.co.jp/news/2008/09/20080920t15046.htm|archiveurl=https://web.archive.org/web/20080924143551/http://www.kahoku.co.jp/news/2008/09/20080920t15046.htm|archivedate=2008年9月24日|deadlinkdate=2018年3月}}</ref>、[[ご当地キティ]]「[[ハローキティ]] 宮城 仙台ずんだもちバージョン」、枝豆をモチーフにした「ずんだ[[キューピー]]」やご当地限定[[まりもっこり]]「変身もっこり☆ずんだ豆」などもある。
== 評価 ==
* [[河北新報]]が[[インターネット]]上で行った好きな餅についての[[アンケート]]では、「ずんだ」が最高の支持率を集めた<ref>[http://www.kahoku.co.jp/enq/kekka/20040224_02.htm この中でいちばん好きなもちは?] {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20051118065647/http://www.kahoku.co.jp/enq/kekka/20040224_02.htm |date=2005年11月18日 }}(河北新報 2004年2月24日)</ref>。
* 宮城県民に聞いた「全国にアピールしたい宮城県の食べ物」では、「ずんだ餅」が1位となった<ref>[http://www.asahi-life.co.jp/pdf/p061020/061020.pdf 宮城県民に聞く「全国にアピールしたい宮城県の食べ物は?」]([[朝日生命]] 2006年10月20日)</ref>。
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Reflist|group="†"}}
=== 出典 ===
{{Reflist|30em}}
== 関連項目 ==
* [[マッシーピー]] - [[エンドウ]]([[グリンピース]])の一種である{{仮リンク|マローファットピース|en|Marrowfat peas}}をすりつぶした、[[イギリス]]で食される豆のペースト。[[フィッシュ・アンド・チップス]]に[[タルタルソース]]と共に添えられることが多い。
* [[仙台味噌]] - ずんだと同様に仙台味噌スイーツや塩味の新商品が開発されている。
* [[打豆]]
<!--
== 外部リンク ==
-->
{{大豆加工食品}}
{{DEFAULTSORT:すんた}}
[[Category:日本の大豆加工品]]
[[Category:和菓子材料]]
[[Category:東北地方の食文化]]
|
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2023-12-30T17:13:18Z
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国道18号
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国道18号(こくどう18ごう)は、群馬県高崎市から新潟県上越市に至る一般国道である。
関東地方、長野県北部、新潟県上越地方相互間を結ぶ重要な幹線道路である。全線でしなの鉄道や妙高はねうまライン等と並走している。また、概ね上信越自動車道と並走しており高速道路ナンバリングでも「E18」を継承している。上信越自動車道の開通後はその役割を譲りつつあるが、現在でも主要幹線道路として重要な役割を持っている。
群馬県内では碓氷川に沿って走り、碓氷峠を越えて長野県へ至る。長野県内では千曲川沿いに軽井沢や上田、長野、黒姫高原といった高原や盆地を通過し、妙高高原から新潟県に入る。新潟県内では関川沿いに緩やかに下り、妙高市を通って日本海に面した港町である上越市直江津に至る。
一般国道の路線を指定する政令に基づく起終点および重要な経過地は次のとおり。
国道18号は、高崎市から北佐久郡御代田町は中山道、北佐久郡御代田町から上越市は北国街道を継承する路線である。前者には、箱根峠とともに難所とされた碓氷峠を含んでいる。
碓氷峠は、1878年(明治11年)に行われた明治天皇巡幸にあわせてとりあえずの改良がされたが、雨が降ればすぐにぬかるみになってしまうような簡易なものであった。実際、明治天皇巡幸の前日にも雨が降り、輿を通すことができずに天皇は輿を降りて自らの足で峠を越えることとなった。1883年(明治16年)2月より本格的な改良が行われ、翌1884年(明治17年)5月20日にいったん落成した後、1886年(明治19年)に碓氷新道が完成した。工事に際しては長野県が国庫補助を受けて担当し、工費およそ8万円をかけ、人員は延べ30万3千人に上った。
現在の国道18号にあたるこの新道に沿って1893年に信越本線が開通した。当初は、主要地方道下仁田軽井沢線が通っている和美峠ルートでの敷設が有力視されていたが、新道の開通により資材運搬がしやすいという理由で新道に沿ったルートに変更されたものである。なお信越本線の開業前の1888年(明治21年) - 1893年(明治26年)には、新道上に馬車鉄道の碓氷馬車鉄道が敷設されていた。
1885年(明治18年)の内務省告示第6号國道表では、国道5号「東京より新潟港に達する路線」(現17号、18号、8号経由)に指定された。1920年(大正9年)施行の旧道路法に基づく路線認定では、高崎 - 長野は国道10号「東京市より秋田県庁所在地に達する路線」(現17号、18号、117号、8号経由)、長野以北は国道11号「東京市より石川県庁所在地に達する路線(甲)」(現17号、18号、8号経由)となった。
1932年(昭和7年)10月から翌年10月にかけて全面的な改良が行われ、工費37万8千円が費やされて延べ21万1千人が工事に従事した。これによって幅員が6.4 mに広がったほか、勾配は15分の1以下、曲線半径は12 m以上となり、一部の区間について1車線分をコンクリートで舗装している。この工事の記念碑が県境に建てられ、内務大臣・山本達雄が題字を書いている。1952年(昭和27年)12月4日には、新道路法に基づく路線指定で一級国道18号(群馬県高崎市-新潟県中頸城郡直江津町(現・上越市))として指定された。1965年(昭和40年)4月1日、道路法改正によって一級・二級の別がなくなり一般国道18号となった。
碓氷峠の区間は1956年(昭和31年)から拡幅や改良・舗装工事が進められていたが、屈曲部が184箇所もある事などから交通量に限界があり、南の入山峠を通る碓氷バイパスの建設が1966年(昭和41年)から始まり、1971年(昭和46年)11月に開通した。日本道路公団管理による有料道路となっていたが、2001年(平成13年)11月11日をもって無料開放された。
1974年(昭和49年)7月28日未明、国道の西方に位置する新潟焼山が噴火。中郷村、新井市付近の路面には火山灰が堆積。タイヤで巻き上げられた灰により極端な視界不良となり、それに起因する交通事故も発生した。
1976年(昭和51年)1月20日、豪雪のため上越市高田地区の上下線で約600台が立ち往生。22日から自衛隊が救援に当たり23日午前までに解消。
2011年(平成23年)4月1日に、指定区間の起点が高崎市並榎町457番の1から高崎市並榎町457番6に変更された。
関東地方整備局管内
北陸地方整備局管内
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"text": "北陸地方整備局管内",
"title": "地理"
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国道18号(こくどう18ごう)は、群馬県高崎市から新潟県上越市に至る一般国道である。
|
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{{Infobox road
|種別・系統 = [[一般国道]]
|アイコン = {{Ja Route Sign|18|width=100}}
|名前 = 国道18号
|地図画像 = {{Switcher
|[[File:Japan National Route 18 Map.png|230px]]
|概略図を表示
|{{Maplink2|frame=yes|plain=yes|frame-align=center|frame-width=300|frame-height=300|zoom=8|frame-latitude=36.75|frame-longitude=138.5
|type=line|stroke-color=#cc0000|stroke-width=2}}
|Wikimedia maps を表示
}}
|総延長 = 233.2 [[キロメートル|km]]
|実延長 = 233.2 km
|現道 = 193.3 km
|制定年 = [[1952年]]([[昭和]]27年)
|起点 = [[群馬県]][[高崎市]]<br />君が代橋東交差点({{Coord|36|20|0.15|N|138|59|29.28|E|region:JP-10|name=君が代橋東交差点}})
|主な経由都市 = <!--主な主要都市のみ記載-->群馬県[[安中市]]<br />[[長野県]][[小諸市]]、[[上田市]]、[[長野市]]<br />[[新潟県]][[妙高市]]
|終点 = 新潟県[[上越市]]<br />下源入交差点({{Coord|37|9|55.08|N|138|15|23.46|E|region:JP-15|name=下源入交差点}})
|接続する主な道路 = {{Ja Route Sign|17|width=24}} [[国道17号]]<br />{{Ja Route Sign|19|width=24}} [[国道19号]]<br />{{Ja Route Sign|8|width=24}} [[国道8号]]<!--旧一級国道以上を記載-->
}}
{{座標一覧}}
[[ファイル:R017-269.jpg|thumb|国道18号起点 <br />[[群馬県]][[高崎市]] 君が代橋東交差点付近]]
[[ファイル:R008 2-593.jpg|thumb|国道18号終点 <br />[[新潟県]][[上越市]] 下源入交差点]]
'''国道18号'''(こくどう18ごう)は、[[群馬県]][[高崎市]]から[[新潟県]][[上越市]]に至る[[一般国道]]である。
== 概要 ==
[[関東地方]]、[[長野県]]北部、[[新潟県]][[上越地方]]相互間を結ぶ重要な[[幹線|幹線道路]]である。全線で[[しなの鉄道]]や[[妙高はねうまライン]]等と並走している。また、概ね[[上信越自動車道]]と並走しており[[高速道路ナンバリング]]でも'''「E18」'''を継承している。上信越自動車道の開通後はその役割を譲りつつあるが、現在でも主要幹線道路として重要な役割を持っている。
群馬県内では[[碓氷川]]に沿って走り、[[碓氷峠]]を越えて長野県へ至る。長野県内では[[千曲川]]沿いに軽井沢や上田、長野、[[黒姫山 (長野県)|黒姫高原]]といった[[高原]]や[[盆地]]を通過し、[[妙高高原町|妙高高原]]から新潟県に入る。新潟県内では[[関川 (信越)|関川]]沿いに緩やかに下り、[[妙高市]]を通って[[日本海]]に面した[[港町]]である上越市[[直江津]]に至る。
=== 路線データ ===
<!--政令に基づくので現在の市町村名に直さない-->
一般国道の路線を指定する政令<ref name=s40>{{Cite web|和書|url=https://elaws.e-gov.go.jp/document?lawid=340CO0000000058|title=一般国道の路線を指定する政令(昭和40年3月29日政令第58号)|work=e-Gov法令検索|publisher=[[総務省]][[行政管理局]]|accessdate=2019-10-30}}</ref><ref group="注釈">一般国道の路線を指定する政令の最終改正日である2004年3月19日の政令(平成16年3月19日政令第50号)に基づく表記。</ref>に基づく起終点および重要な経過地は次のとおり。
* 起点:[[高崎市]](君が代橋東交差点([[並榎インターチェンジ|並榎IC]]) = [[国道17号]]交点・[[国道354号]]起点)
* 終点:[[上越市]](下源入交差点 = [[国道8号]]交点・[[国道350号]]終点)
* 重要な経過地:[[安中市]]、[[長野県]][[北佐久郡]][[軽井沢町]]、[[小諸市]]、[[上田市]]、更埴市<ref group="注釈" >2003年9月1日に、更級郡上山田町・埴科郡戸倉町と合併して[[千曲市]]が発足。</ref>、[[長野市]]、新井市<ref group="注釈" >2005年4月1日に、中頸城郡妙高高原町、妙高村を編入し、「新井市」から「[[妙高市]]」へと改称。</ref>
* [[延長 (日本の道路)#総延長|総延長]] : 233.2 [[キロメートル|キロメートル (km)]]<small>(群馬県 55.1 km、新潟県 37.3 km、長野県 140.8 km)</small><ref name="encho">{{Cite web|和書|format=XLS|url=https://www.mlit.go.jp/road/ir/ir-data/tokei-nen/2022/xlsx/d_genkyou26.xlsm|title=表26 一般国道の路線別、都道府県別道路現況|work=道路統計年報2022|publisher=[[国土交通省]][[道路局]]|accessdate=2023-06-07}}</ref><ref group="注釈" name="encho">[[2021年]][[3月31日]]現在</ref>
* [[延長 (日本の道路)#重用延長|重用延長]] : なし<ref name="encho" /><ref group="注釈" name="encho" />
* [[延長 (日本の道路)#実延長|実延長]] : 233.2 km<small>(群馬県 55.1 km、新潟県 37.3 km、長野県 140.8 km)</small><ref name="encho" /><ref group="注釈" name="encho" />
** 現道 : 193.3 km<small>(群馬県 40.5 km、新潟県 37.3 km、長野県 115.5 km)</small><ref name="encho" /><ref group="注釈" name="encho" />
** 旧道 : 21.7 km<small>(群馬県 14.6 km、新潟県 - km、長野県 7.1 km)</small><ref name="encho" /><ref group="注釈" name="encho" />
** 新道 : 18.2 km<small>(群馬県 - km、新潟県 - km、長野県 18.2 km)</small><ref name="encho" /><ref group="注釈" name="encho" />
* [[指定区間]]:高崎市並榎町457番6<ref name="平成23年3月30日政令第45号">平成23年3月30日政令第45号(官報平成23年3月30日号外第63号、p.8)</ref> - 上越市大字下源入字橋向212番1(安中市松井田町横川字柵の内529番甲の1の乙(横川IC) - 長野県北佐久郡軽井沢町軽井沢東8番3 - 長野県北佐久郡軽井沢町[[長倉 (軽井沢町)|長倉]]([[碓氷バイパス]]と並行する区間)を除く)
== 歴史 ==
{{出典の明記|date=2018年8月|section=1}}
国道18号は、[[高崎市]]から[[北佐久郡]][[御代田町]]は[[中山道]]、北佐久郡御代田町から[[上越市]]は[[北国街道 (信越)|北国街道]]を継承する路線である。前者には、[[箱根峠]]とともに難所とされた[[碓氷峠]]を含んでいる。
碓氷峠は、[[1878年]]([[明治]]11年)に行われた[[明治天皇]][[巡幸]]にあわせてとりあえずの改良がされたが、[[雨]]が降ればすぐにぬかるみになってしまうような簡易なものであった。実際、明治天皇巡幸の前日にも雨が降り、[[輿]]を通すことができずに天皇は輿を降りて自らの足で峠を越えることとなった。[[1883年]](明治16年)[[2月]]より本格的な改良が行われ、翌[[1884年]](明治17年)[[5月20日]]にいったん落成した後、[[1886年]](明治19年)に碓氷新道が完成した。工事に際しては長野県が国庫補助を受けて担当し、工費およそ8万[[円 (通貨)|円]]をかけ、人員は延べ30万3千人に上った{{sfn|倉田|1979|p=67}}。
現在の国道18号にあたるこの[[新道]]に沿って1893年に[[信越本線]]が開通した。当初は、[[群馬県道・長野県道43号下仁田軽井沢線|主要地方道下仁田軽井沢線]]が通っている[[和美峠]]ルートでの敷設が有力視されていたが、新道の開通により資材運搬がしやすいという理由で新道に沿ったルートに変更されたものである。なお信越本線の開業前の[[1888年]](明治21年) - [[1893年]](明治26年)には、新道上に[[馬車鉄道]]の[[碓氷馬車鉄道]]が敷設されていた。
[[1885年]](明治18年)の[[内務省 (日本)|内務省]][[告示]]第6号[[s:國道表 (明治十八年二月二十四日)|國道表]]では、国道5号「東京より[[新潟港]]に達する路線」(現[[国道17号|17号]]、18号、[[国道8号|8号]][[経由]])に指定された。[[1920年]]([[大正]]9年)施行の旧道路法に基づく路線認定では、高崎 - 長野は国道10号「東京市より秋田県庁所在地に達する路線」(現17号、18号、[[国道117号|117号]]、8号経由)、長野以北は国道11号「東京市より石川県庁所在地に達する路線(甲)」(現17号、18号、8号経由)となった。
[[1932年]]([[昭和]]7年)[[10月]]から翌年10月にかけて全面的な改良が行われ、工費37万8千円が費やされて延べ21万1千人が工事に従事した。これによって幅員が6.4 [[メートル|m]]に広がったほか、[[線形 (路線)#勾配|勾配]]は15分の1以下、[[線形 (路線)#直線と曲率半径・曲率|曲線半径]]は12 m以上となり、一部の区間について1[[車線]]分を[[コンクリート]]で[[舗装]]している。この工事の記念碑が<!-- 何県? -->県境に建てられ、[[内務大臣 (日本)|内務大臣]]・[[山本達雄 (政治家)|山本達雄]]が題字を書いている{{sfn|倉田|1979|p=67}}。[[1952年]](昭和27年)[[12月4日]]には、新道路法に基づく路線指定で[[一級国道]]18号(群馬県高崎市-新潟県中頸城郡直江津町(現・上越市))として指定された。[[1965年]](昭和40年)[[4月1日]]、[[道路法]]改正によって一級・二級の別がなくなり一般国道18号となった。
碓氷峠の区間は[[1956年]](昭和31年)から拡幅や改良・舗装工事が進められていたが、屈曲部が184箇所もある事などから交通量に限界があり、南の[[入山峠]]を通る[[碓氷バイパス]]の[[建設]]が[[1966年]](昭和41年)から始まり、[[1971年]](昭和46年)[[11月]]に開通した。[[日本道路公団]]管理による[[有料道路]]となっていたが、[[2001年]]([[平成]]13年)[[11月11日]]をもって無料開放された。
[[1974年]](昭和49年)[[7月28日]]未明、国道の西方に位置する[[新潟焼山]]が噴火。中郷村、新井市付近の路面には[[火山灰]]が堆積。タイヤで巻き上げられた灰により極端な視界不良となり、それに起因する交通事故も発生した<ref>「焼山、25年ぶり噴火 山ろく、灰に埋まる」『朝日新聞』昭和49年(1974年)7月29日朝刊、13版、19面</ref>。
[[1976年]](昭和51年)1月20日、豪雪のため上越市高田地区の上下線で約600台が立ち往生。22日から[[自衛隊]]が救援に当たり23日午前までに解消<ref>600台が脱出 国道18号『朝日新聞』1976年(昭和51年)1月23日夕刊、3版、11面</ref>。
[[2011年]](平成23年)[[4月1日]]に、指定区間の起点が高崎市並榎町457番の1から高崎市並榎町457番6に変更された<ref name="平成23年3月30日政令第45号" />。
== 路線状況 ==
<!--独自研究と思われる文章のため、一部コメントアウト-->
<!--ほとんどの区間が2車線で、4車線となっているのは篠ノ井バイパスなどごく一部である。そのため上信越自動車道の開通前に比べ幾分改善されたとはいえ、長野県内は全線に渡って流れが悪く、特に軽井沢町、上田市、千曲市、長野市近辺では[[渋滞]]が日常化している。
国道18号の混雑を回避する道としては次の道が挙げられる。
* 上信越自動車道
* [[浅間山麓広域農道|浅間山麓広域農道 浅間サンライン]](軽井沢 - 小諸 - 上田)
* [[信濃川|千曲川]]堤防道路(千曲市周辺)
* [[長野県道77号長野上田線]](上田 - 長野)
* [[五輪大橋有料道路]](長野市内)
-->
=== バイパス道路 ===
[[ファイル:R018-213.jpg|thumb|[[上田バイパス]]<br />([[国道144号]]との交差)<br />長野県上田市住吉]]
[[ファイル:R018-006.jpg|thumb|[[上新バイパス]]<br />([[北陸自動車道]] [[上越IC]]付近)<br /> 新潟県上越市三田新田]]
* 群馬県
** [[豊岡バイパス (群馬県)|豊岡バイパス]](高崎市下豊岡町 - 高崎市上豊岡町)
** [[高崎安中拡幅|高崎安中バイパス]](高崎市上豊岡町 - 安中市安中四丁目)
** [[安中バイパス]](安中市中宿 - 安中市安中)
** [[松井田バイパス]](安中市松井田町松井田 - 安中市松井田町新堀)
* 群馬県 - 長野県
** [[碓氷バイパス]](安中市松井田町横川 - 北佐久郡軽井沢町長倉字大小丸)
* 長野県
** [[軽井沢バイパス]](北佐久郡軽井沢町長倉字大小丸 - 北佐久郡軽井沢町長倉字屋敷裏)
** [[小諸バイパス]](小諸市四ッ谷 - 小諸市西原)
** [[上田バイパス]](一部開通)(東御市本海野 - 上田市上塩尻)
** [[上田篠ノ井バイパス]]
*** 上田坂城バイパス(上田市上塩尻 - 埴科郡坂城町小網)
*** 坂城更埴バイパス(一部開通)(埴科郡坂城町小網 - 千曲市)
** [[篠ノ井バイパス]](長野市篠ノ井塩崎 - 長野市[[青木島町#青木島町大塚|青木島町大塚]])
** [[長野バイパス]](長野市[[若里]] - 上水内郡飯綱町牟礼)
** [[長野東バイパス]](長野市北長池 - 長野市柳原)
** [[野尻バイパス]](一部開通)(上水内郡信濃町古間 - 上水内郡信濃町野尻)
* 長野県 - 新潟県
** [[妙高野尻バイパス]](上水内郡信濃町野尻 - 妙高市大字毛祝坂)
* 新潟県
** [[上新バイパス]](上越市中郷区市屋字窪畑 - 上越市大字下源入字橋向)
=== 別名 ===
* [[中山道]]
** 起点の高崎市から[[東京都|東京]]方面からの中山道を国道17号から引き継ぐ形となっており、起点に近づくにつれ、上り線において、高崎から国道17号東京方面へ進むことを意識した案内となっている(長野県上田市以東では主要都市までの距離を案内する[[道路標識]]に「東京」までの距離が表記されている。群馬県内では各種道路標識に安中市内では「[[熊谷市|熊谷]]」、高崎市内では熊谷に加え「[[本庄市|本庄]]」が登場する)。
* [[北国街道 (信越)|北国街道]]
* [[善光寺街道]]
* [[サルビヤ通り]]
* [[アップルライン]]{{sfn|浅井建爾|2001|p=62}}(長野市)
=== 重複区間 ===
[[ファイル:R141-345.jpg|thumb|[[国道141号]]との重複<br />長野県小諸市丙]]
* [[国道142号]](長野県北佐久郡軽井沢町・中軽井沢交差点 - 小諸市・平原交差点)
* [[国道141号]](長野県小諸市平原・平原交差点 - 小諸市柏木・四ッ谷東交差点)、
* 国道141号(長野県小諸市西原・西原交差点 - 上田市国分・国分1丁目交差点)
* [[国道143号]](長野県上田市下之条・下之条北交差点 - 上田市上塩尻・上塩尻東交差点(上田坂城バイパス))
* [[国道403号]](長野県千曲市杭瀬下・杭瀬下交差点 - 千曲市粟佐・粟佐交差点)
* [[国道117号]](長野県長野市青木島町・大塚交差点 - 長野市豊野町蟹沢・浅野交差点)
* [[国道406号]](長野県長野市東和田・東和田交差点 - 長野市柳原・柳原北交差点)
=== 道路施設 ===
==== 橋梁 ====
* 群馬県
** [[君が代橋]](高崎市)
* 長野県
** [[上田大橋]]([[上田坂城バイパス]]・上田市)
** [[篠ノ井橋]](千曲市 - 長野市)
** [[長野大橋]](長野市)
** [[信越大橋]](信濃町 - 妙高市)
* 新潟県
** [[妙高大橋]](妙高市大字二俣 - 妙高市大字坂口新田)
==== 道の駅 ====
* 長野県
** [[道の駅上田 道と川の駅|上田 道と川の駅]](上田市)
** [[道の駅しなの|しなの]](上水内郡信濃町)
* 新潟県
** [[道の駅あらい|あらい]](妙高市)
=== 道路情報ラジオ放送区間 ===
* 群馬県
** 安中市松井田町松井田
** 安中市松井田町横川
** 安中市松井田町入山(長野方面)
* 長野県
** 北佐久郡軽井沢町長倉(高崎方面)
* 新潟県
** 上越市寺町
== 地理 ==
=== 通過する自治体 ===
* [[群馬県]]
** [[高崎市]] - [[安中市]]
* [[長野県]]
** [[北佐久郡]][[軽井沢町]] - 北佐久郡[[御代田町]] - [[小諸市]] - [[東御市]] - [[上田市]] - [[埴科郡]][[坂城町]] - [[千曲市]] - [[長野市]] - [[上高井郡]][[小布施町]] - 長野市 - [[上水内郡]][[飯綱町]] - 上水内郡[[信濃町 (代表的なトピック)|信濃町]]
* [[新潟県]]
** [[妙高市]] - [[上越市]] - 妙高市 - 上越市
=== 交差する道路 ===
; 一般国道・高速道路
'''関東地方整備局管内'''
* 群馬県
** [[国道17号]]・[[国道354号]](高崎市・[[君が代橋東交差点]])
** [[国道406号]](高崎市・君が代橋西交差点)
**国道18号<[[碓氷バイパス]]>(安中市松井田町横川)
* 長野県
** [[国道146号]](北佐久郡軽井沢町・中軽井沢交差点)
** [[国道141号]](小諸市・平原交差点 -(重複)- 四ッ谷東交差点)
** 国道141号(小諸市・西原交差点 -(重複)- 上田市・国分1丁目交差点)
** [[国道152号]](上田市・大屋交差点)
** [[国道144号]](上田市・中央東交差点・住吉交差点<[[上田バイパス]]>)
** 国道141号(上田市・中央北交差点)
** [[国道143号]](上田市・下之条北交差点<[[上田坂城バイパス]]>)
** [[国道403号]](千曲市・杭瀬下交差点 -(重複)- 粟佐交差点)
** [[長野自動車道]][[更埴インターチェンジ|更埴IC]](千曲市)
** [[国道19号]]<[[長野南バイパス]]>(長野市・大塚南交差点)
** [[国道117号]](長野市・大塚交差点)
** 国道19号(長野市・西尾張部交差点)
** 国道117号(長野市・大塚交差点 -(重複)- 浅野交差点)
** 国道406号(長野市・東和田交差点 -(重複)- 柳原北交差点)
** [[上信越自動車道]][[信濃町インターチェンジ|信濃町IC]](上水内郡信濃町)
'''北陸地方整備局管内'''
* 新潟県
** 上信越自動車道[[妙高高原インターチェンジ|妙高高原IC]](妙高市)
** 上信越自動車道[[中郷インターチェンジ|中郷IC]](上越市)
** [[国道292号]](上越市・寺町立体交差{寺町IC})
** [[国道405号]](上越市・鴨島立体交差{鴨島IC})
** [[北陸自動車道]][[上越インターチェンジ|上越IC]](上越市)
** [[国道8号]]・[[国道350号]](終点:上越市・下源入交差点)
; 県道
* 群馬県
** [[群馬県道26号高崎安中渋川線]] (起点から高崎市下豊岡町、君が代橋西交差点まで重複)
** 群馬県道26号高崎安中渋川線 (高崎市上豊岡町、上豊岡町/上豊岡東交差点、ここから板鼻下町交差点まで重複)
** [[群馬県道141号群馬八幡停車場藤塚線]] (高崎市藤塚町、少林山入口交差点)
** 群馬県道26号高崎安中渋川線(安中市板鼻、板鼻下町交差点)
** [[群馬県道10号前橋安中富岡線]](安中市岩井、岩井交差点)
** [[群馬県道171号吉井安中線]]・[[群馬県道217号松井田中宿線]](安中市中宿、安中駅入口交差点(側道))
** [[群馬県道125号一本木平小井戸安中線]](安中市安中4、下野尻交差点)
** [[群馬県道211号安中榛名湖線]](安中市安中5、城下交差点)
** [[群馬県道132号下里見安中線]](安中市安中3、立体交差)
** [[群馬県道48号下仁田安中倉渕線]] (安中市高別当、高別当交差点)
** 群馬県道48号下仁田安中倉渕線、群馬県道125号一本木平小井戸安中線 (安中市安中1、安中総合学園高校交差点)
** 群馬県道48号下仁田安中倉渕線(安中市原市、原市交差点)
** [[群馬県道220号磯部停車場線]](安中市郷原、磯部入口交差点)
** [[群馬県道216号長久保郷原線]](安中市郷原)
** [[群馬県道33号渋川松井田線]](安中市松井田町松井田、松井田交差点)
** [[群馬県道122号八本松松井田線]](安中市松井田町松井田、立体交差)
** 群馬県道33号渋川松井田線(安中市松井田町松井田、立体交差)
** 群馬県道217号松井田中宿線(安中市松井田町新堀、新堀交差点)
** [[群馬県道51号松井田下仁田線]] (安中市松井田町五料、五料交差点)
** [[群馬県道222号横川停車場線]](安中市松井田町横川、下横川)
** [[群馬県道・長野県道92号松井田軽井沢線|群馬県道92号松井田軽井沢線]](安中市松井田町横川)
** [[群馬県道56号北軽井沢松井田線]](安中市松井田町坂本)
** 群馬県道92号松井田軽井沢線(安中市松井田町横川)
** 群馬県道92号松井田軽井沢線(安中市松井田町入山)
* 長野県
** [[長野県道481号峠町軽井沢線]](北佐久郡軽井沢町軽井沢)
** [[長野県道133号旧軽井沢軽井沢停車場線]](北佐久郡軽井沢町軽井沢駅入口交差点)
** [[群馬県道・長野県道43号下仁田軽井沢線|長野県道43号下仁田軽井沢線]](北佐久郡軽井沢町 現道は新軽井沢交差点、バイパスは南軽井沢交差点)
** [[長野県道157号豊昇茂沢中軽井沢停車場線]](北佐久郡軽井沢町 中軽井沢交差点-中部小学校入口交差点)
** [[長野県道137号借宿小諸線]](北佐久郡軽井沢町追分交差点)
** [[長野県道80号小諸軽井沢線]](北佐久郡軽井沢町[[浅間山麓広域農道|浅間サンライン]]入口交差点、小諸市[[小諸警察署]]前交差点)
** [[長野県道135号御代田停車場線]](北佐久郡御代田町御代田町[[御代田駅]]入口交差点)
** [[長野県道9号佐久軽井沢線]](北佐久郡御代田町馬瀬口交差点)
** [[長野県道134号馬瀬口小諸線]](同)(北佐久郡御代田町三ッ谷西交差点)
** [[長野県道79号小諸上田線]](小諸市諸交差点、上田市常田三丁目交差点)
** [[長野県道・群馬県道94号東御嬬恋線|長野県道94号東御嬬恋線]](東御市牧家交差点)
** [[長野県道4号真田東部線]](東御市菅平入口交差点)
** [[長野県道81号丸子東部インター線]](東御市常田交差点)
** [[長野県道79号小諸上田線]](上田市常田三丁目交差点)
** [[長野県道180号住吉上田線]](上田市中央五丁目交差点)
** [[長野県道65号上田丸子線]](上田市常磐城四丁目交差点)
** [[長野県道91号坂城インター線]](埴科郡坂城町[[坂城インターチェンジ|坂城インター]]入口交差点)
** [[長野県道55号大町麻績インター千曲線]](千曲市戸倉交差点)
** [[長野県道86号戸隠篠ノ井線]](長野市南長野運動公園交差点)
** [[長野県道35号長野真田線]](長野市[[川中島古戦場|古戦場]]入口交差点)
** [[長野県道34号長野菅平線]](長野市南俣交差点)
** [[長野県道58号長野須坂インター線]](長野市上高田北交差点)
** [[長野県道66号豊野南志賀公園線]](長野市豊野交差点)
** [[長野県道60号長野荒瀬原線]](上水内郡飯綱町[[牟礼駅]]入口交差点)
** [[長野県道36号信濃信州新線]](上水内郡信濃町柏原小学校入口交差点)
**[[新潟県道280号・長野県道119号杉野沢黒姫停車場線|長野県道119号杉野沢黒姫停車場線]](黒姫高原入口交差点)
* 新潟県
**[[新潟県道39号妙高高原公園線]](杉野沢入口、豊橋、関・燕入口交差点)
**[[新潟県道187号池の平妙高高原線]]([[妙高高原インターチェンジ|妙高高原IC]]交差点)
**[[新潟県道399号杉野沢二俣線]](二俣交差点)
**[[新潟県道175号関山停車場線]](関山交差点)
**[[新潟県道584号新井中郷線]]([[旧道|旧]]国道18号)(市屋立体交差{市屋IC})
**[[新潟県道217号二本木岡川新井線]](二本木、志交差点)
**[[新潟県道261号西野谷二本木停車場線]](福田交差点)
**[[新潟県道428号西野谷新田新井線]](道の駅あらい交差点)
**[[新潟県道63号上越新井線]](乙吉交差点)
**[[新潟県道579号上越脇野田新井線]](寺町立体交差{寺町IC})
**[[新潟県道254号上小沢上越妙高停車場線]](岡原交差点)
**[[新潟県道85号上越高田インター線]]、[[新潟県道・長野県道95号上越飯山線|新潟県道95号上越飯山線]](島田交差点)
**[[新潟県道198号青柳高田線]](今池交差点)
**[[新潟県道186号板倉直江津線]](子安交差点)
**[[新潟県道38号高田停車場線]](鴨島立体交差{鴨島IC})
**[[新潟県道13号上越安塚柏崎線]](南稲田立体交差{[[寺インターチェンジ|寺IC]]})
**[[新潟県道43号上越安塚浦川原線]](富岡東立体交差{富岡IC})
=== 主な峠 ===
* 群馬県
** [[碓氷峠]](標高958 [[メートル|m]]):安中市松井田町 - 長野県北佐久郡軽井沢町
** [[入山峠]](標高1,030 m):安中市松井田町 - 長野県北佐久郡軽井沢町<碓氷バイパス>
* 長野県
** [[野尻坂峠]](標高666 m):上水内郡信濃町 - 新潟県妙高市
=== 最高地点 ===
* 長野県
** [[高さ#地理|標高]]1,003 m(北佐久郡軽井沢町大字追分、標識あり)
== ギャラリー ==
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ファイル:R018-365.jpg|安全祈願の高崎だるま<br />(5 [[距離標|kp]]付近)<br /> 群馬県高崎市下豊岡町
ファイル:R018-354.jpg|群馬県高崎市中豊岡町
ファイル:R018-282.jpg|長野県北佐久郡軽井沢町
ファイル:R019-012.jpg|[[国道19号]]との分岐<br />長野県長野市西尾張部
ファイル:R018-062.jpg|長野県上水内郡信濃町
</gallery>
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Reflist|group="注釈"}}
=== 出典 ===
{{Reflist}}
== 参考文献 ==
* {{Cite book |和書 |author=浅井建爾 |edition= 初版|date=2001-11-10 |title=道と路がわかる辞典 |publisher=[[日本実業出版社]] |isbn=4-534-03315-X |ref=harv|page=62}}
* {{Cite book|和書|author=倉田正|chapter=峠物語 碓氷峠|title=道路|volume=464号|publisher=日本道路協会|pages=65-70|year=1979|ref={{sfnRef|倉田|1979}} }}
== 関連項目 ==
* [[日本の一般国道一覧]]
* [[関東地方の道路一覧]]
* [[中部地方の道路一覧]]
* [[上信越]]
* [[頭文字D]] - [[漫画]]・[[アニメ (日本のアニメーション作品)|アニメ]]。架空の設定で、公道レースを行う女性コンビ「[[頭文字Dの登場人物#インパクトブルー|インパクトブルー]]」のレース拠点として、国道18号が劇中に登場する
== 外部リンク ==
{{Commonscat}}
* [https://www.ktr.mlit.go.jp/ 国土交通省関東地方整備局]
** [https://www.ktr.mlit.go.jp/takasaki/ 高崎河川国道事務所]
** [https://www.ktr.mlit.go.jp/nagano/ 長野国道事務所]
* [http://www.pref.gunma.jp/ 群馬県]<!--暫定-->
* [https://www.pref.nagano.lg.jp/sakuken/ 長野県佐久建設事務所]
* [https://www.hrr.mlit.go.jp/ 国土交通省北陸地方整備局]
** [https://www.hrr.mlit.go.jp/takada/ 高田河川国道事務所]
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[[Category:長野県の道路]]
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日本の写真家一覧
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日本の写真家一覧(にほんのしゃしんかいちらん)は日本の著名なプロフェッショナル・アマチュア写真家の50音順一覧である。
なお日本以外については「写真家一覧」を参照。
あ行 か行 さ行 た行 な行 は行 ま行 や行 ら行 わ行
い
う
え
お
き
く
こ
し
す
せ
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日本の写真家一覧(にほんのしゃしんかいちらん)は日本の著名なプロフェッショナル・アマチュア写真家の50音順一覧である。 なお日本以外については「写真家一覧」を参照。
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'''日本の写真家一覧'''(にほんのしゃしんかいちらん)は[[日本]]の著名なプロフェッショナル・アマチュア[[写真家]]の50音順一覧である。
{{See also|Category:日本の写真家|Category:日本の写真家 (世紀別)}}
なお日本以外については「[[写真家一覧]]」を参照。
{{TOC3}}
== あ行 ==
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* [[会田我路]]
* [[会田定広]]
* [[青木健二]]
* [[青木勝 (写真家)|青木勝]]
* [[青木弘]]
* [[青山裕企]]
* [[浅岡省一]]
* [[秋野深]]
* [[秋元亮太]]
* [[秋山庄太郎]]
* [[秋山忠右]]
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* [[明田弘司]]
* [[浅井慎平]]
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* [[厚地健太郎]]
* [[阿部淳]]
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* [[新井卓]]
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* [[荒川久治]]
* [[荒木経惟]]
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* [[有元伸也]]
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* [[有高唯之]]
* [[安藤豊 (写真家)|安藤豊]]
'''い'''
* [[飯島幸永]]
* [[飯島隆]]
* [[飯田鉄]]
* [[五十嵐恭雄]]
* [[池尻清]]
* [[池本喜巳]]
* [[伊佐次和輝]]
* [[伊沢正名]]
* [[石井友規]]
* [[石内都]]
* [[石川賢治]]
* [[石川拓也]]
* [[石川光陽]]
* [[石川直樹_(探検家・写真家)|石川直樹]]
* [[石川文洋]]
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* [[石河利之]]
* [[石田晃久]]
* [[石田研二]]
* [[イシダヒデユキ]]
* [[石田昌隆]]
* [[石津良介]]
* [[石橋磨季]]
* [[石原剛]]
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* [[磯部雅裕]]
* [[市島敏男]]
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* [[イチロー・ナガタ]]
* [[井手三千男]]
* [[伊藤久巳]]
* [[稲越功一]]
* [[稲村不二雄]]
* [[井上佐由紀]]
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* [[井上青龍]]
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* [[今岡昌子]]
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* [[今井壽惠]]([[今井寿恵]])
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* [[いらはら しんご]]
* [[入江泰吉]]
* [[岩合徳光]]
* [[岩合光昭]]
* [[岩根愛]]
* [[岩宮武二]]
'''う'''
* [[植田正治]]
* [[上田備山]]
* [[上田義彦]]
* [[上野勇]]
* [[上野彦馬]]
* [[上原ゼンジ]]
* [[鵜川真由子]]
* [[鵜飼玉川]]
* [[牛尾喜道]]
* [[潮田登久子]]
* [[薄井一議]]
* [[臼井秀三郎]]
* [[内田九一]]
* [[内田宏 (写真家)|内田宏]]
* [[内田ユキオ]]
* [[内野志織]]
* [[内野雅文]]
* [[内原恭彦]]
* [[内村皓一]]
* [[内山英明]]
* [[内山りゅう]]
* [[生沢英二]]
* [[梅佳代]]
* [[梅本忠男]]
* [[浦川一憲]]
* [[海野和男]]
'''え'''
* [[瑛九]]
* [[枝川一巳]]
* [[江崎礼二]]
* [[江成常夫]]
* [[海老原美宜男]]
* [[江森一明]]
* [[エリック (写真家)|エリック]]
* [[遠藤湖舟]]
* [[遠藤修]]
* [[遠藤純 (写真家)|遠藤純]]
* [[遠藤正]]
* [[遠藤励]]
'''お'''
* [[大池直人]]
* [[大石一男]]
* [[大石成通]]
* [[大石芳野]]
* [[大木茂]]
* [[大久保好六]]
* [[大倉乾吾]]
* [[大倉舜二]]
* [[大島敬三]]
* [[大澤信陽]]
* [[大竹省二]]
* [[大竹英洋]]
* [[大塚めぐみ]]
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* [[大塚浩史]]
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* [[大原利雄]]
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* [[尾川武雄]]
* [[沖野豊]]
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* [[奥彩花]]
* [[小串周三]]
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* [[小倉寛太郎]]
* [[小倉倹司]]
* [[押田美保]]
* [[尾仲浩二]]
* [[小野庄一]]
* [[オノデラユキ]]
* [[織作峰子]]
* [[恩地孝四郎]]
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== か行 ==
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* [[甲斐啓二郎]]
* [[海田悠]]
* [[海沼武史]]
* [[掛川源一郎]]
* [[影山光洋]]
* [[風間健介]]
* [[鹿島清兵衛]]
* [[梶山正]]
* [[Kazunori Nagashima]]
* [[片平孝]]
* [[柏木龍馬]]
* [[片山摂三]]
* [[勝又邦彦]]
* [[勝山基弘]]-Motohiro Katsuyama-
* [[加藤恭平 (写真家)|加藤恭平]]
* [[加藤正憲]]
* [[門嶋淳矢]]
* [[金井杜道]]([[金井杜男]])
* [[金川晋吾]]
* [[金丸源三]]
* [[金丸重嶺]]
* [[金村修]]
* [[金本孔俊]]
* [[加納鉄也]]
* [[加納典明]]
* [[神蔵美子]]
* [[亀井茲明]]
* [[亀井武]]
* [[亀村文彦]]
* [[川合麻紀]]
* [[川内倫子]]
* [[川崎亀太郎]]
* [[川田喜久治]]
* [[川名マッキー]]
* [[川辺優紀子]]
* [[管野秀夫]]
* [[冠松次郎]]
'''き'''
* [[鬼海弘雄]]
* [[菊池茂夫]]
* [[菊池俊吉]]
* [[菊池哲男]]
* [[菊池雅之]]
* [[岸哲男]]
* [[岸田貢宜]]
* [[杵島隆]]
* [[北井一夫]]
* [[北奥耕一郎]]
* [[北沢勉]]
* [[北島敬三]]
* [[北園克衛]]
* [[北田祥喜]]
* [[北野謙]]
* [[木津幸吉]]
* [[木之下晃]]
* [[木原浩]]
* [[木村伊兵衛]]
* [[木村惠一]]
* [[木村専一]]
* [[木村智哉 (写真家)|木村智哉]]
* [[木村直人]]
* [[清岡純子]]
* [[清永安雄]]
* [[紀里谷和明]]
'''く'''
* [[久家靖秀]]
* [[日下部金兵衛]]
* [[鯨井康雄]]
* [[忽那光一郎]]
* [[久保敬親]]
* [[窪徳健作]]
* [[熊谷孝信]]
* [[熊谷 正]]
* [[熊谷元一]]
* [[熊切圭介]]
* [[熊副穣]]
* [[倉持承功]]
* [[倉品光隆]]
* [[操上和美]]
* [[栗林慧]]
* [[栗原達男]]
* [[栗原隆司]]
* [[栗原政史]]
* [[栗山秀作]]
* [[黒岩正和]]
* [[桑原甲子雄]]
* [[桑原史成]]
'''こ'''
* [[小池喜代美]]
* [[小池清通]]
* [[小池伸一郎]]
* [[小石清]]
* [[河野英喜]]
* [[古賀鈴鳴]]
* [[小島一郎]]
* [[牛腸茂雄]]
* [[後藤巧]]
* [[コトリッチ|cotorich]]
* [[小橋川共男]]
* [[こばやしかをる]]
* [[小林幹幸]]
* [[小林伸一郎]]
* [[小林達実]]
* [[小林のりお]]
* [[小林鳴村]]
* [[五味彬]]
* [[今道子]]
* [[昆田亨]]
* [[近藤伍壱]]
{{div col end}}
== さ行 ==
{{div col|colwidth=15em}}
* [[雜賀雄二]](雑賀雄二)
* [[斉木弘吉]]
* [[西條彰仁]]
* [[齋藤康一]]
* [[斎門富士男]]
* [[冴木一馬]]
* [[佐伯経源]]
* [[佐伯泰英]]
* [[佐伯義勝]]
* [[境貴雄]]
* [[酒井透]]
* [[酒井淑夫]]
* [[榊晃弘]]
* [[坂口綱男]]
* [[坂田栄一郎]]
* [[坂口欽一]]
* [[坂田稔]]
* [[坂本貴光]]
* [[坂本真典]]
* [[坂本万七]]
* [[さかもと未明]]
* [[桜井始]]
* [[迫幸一]]
* [[迫川尚子]]
* [[佐々木崑]]
* [[捧邦明]]
* [[笹本恒子]]
* [[佐内正史]]
* [[佐藤明]]
* [[Taisuke Sato]](佐藤 泰輔)
* [[佐藤正明]]
* [[佐藤康]]
* [[佐藤時啓]]
* [[佐藤佑一]]
* [[佐藤倫子 (写真家)|佐藤倫子]]
* [[アーネスト・サトウ (写真家)|アーネスト・サトウ]]
* [[里中李生]]
* [[SANE]]
* [[Sammy (写真家)|Sammy]]
* [[沢木よしひさ]]
* [[澤田賢志]]
* [[澤田知子]]
* [[沢田教一]]
* [[沢渡朔]]
* [[サンダー平山]](平山真人)
'''し'''
* [[ジェイ・オオタ]]
* [[Jay Hirano]]
* [[塩谷定好]]
* [[ZiGEN(ジゲン)]]
* [[シトウレイ]]
* [[四ノ原淳]]
* [[篠山紀信]]
* [[柴田秀一郎]]
* [[柴田敏雄]]
* [[芝田文乃]]
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* [[渋谷敦志]]
* [[渋谷龍吉]]
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* [[島霞谷]]
* [[島隆 (写真家)]]
* [[島内英佑]]
* [[島尾伸三]]
* [[嶋田忠]]
* [[清水隆行 (写真家)]]
* [[シムラユウスケ]]
* [[シーズン・ラオ]]
* [[下岡蓮杖]]
* [[下郷羊雄]]
* [[十文字美信]]
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* [[庄子利男]]
* [[徐美姫]]
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* [[白川義員]]
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* [[神宮智咲]]
* [[進藤祐光]]
'''す'''
* [[菅原一剛]]
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* [[杉本博司]]
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* [[須崎祐次]]
* [[鈴木一雄]]
* [[鈴木清 (写真家)|鈴木清]]
* [[鈴木真一 (写真家)|鈴木真一]]
* [[鈴木教雄]]
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* [[鈴木理策]]
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'''せ'''
* [[清家冨夫]]
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* [[関口裕乃]]
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* [[妹尾豊孝]]
{{div col end}}
== た行 ==
{{div col|colwidth=15em}}'''た'''
* [[田枝豪]]
* [[田枝幹宏]]
* [[田岡信樹]]
* [[田尾沙織]]
* [[田賀久冶]]
* [[高桑正義]]
* [[高江洲靖]]
* [[高木こずえ]]
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* [[高木松寿]]
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* [[田里弐裸衣]]
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* [[立木義浩]]
* [[田中欣一]]
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* [[田中達也 (写真家)|田中達也]]
* [[田中長徳]]
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* [[田中仁 (写真家)|田中仁]]
* [[田中亘 (写真家)|田中亘]]
* [[棚橋紫水]]
* [[谷口雅彦]]
* [[谷口雅]]
* [[谷口明寛・風景写真家]]
* [[田沼武能]]
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* [[玉田勇]]
* [[玉村康三郎]]
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* [[田村茂]]
* [[樽井眞邦]]
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'''ち'''
* [[千葉禎介]]
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'''つ'''
* [[塚田和徳]]
* [[津田洋甫]]
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* [[土田ヒロミ]]
* [[土屋朝美 (写真家)|土屋朝美]]
* [[都築響一]]
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'''て'''
* [[テラウチマサト]]
* [[照井四郎]]
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* [[照沼ファリーザ]](晶エリー、新井エリー、大沢佑香)
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'''と'''
* [[唐木貴央]]
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{{div col end}}
== な行 ==
{{div col|colwidth=15em}}
* [[中山忍]]
* [[内藤忠行]]
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* [[直島航]]
* [[中井精也]]
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* [[永野一晃]]
* [[永吉太一]]
* [[名取真吉]]
* [[名取洋之助]]
* [[七咲友梨]]
* [[生井秀樹]]
* [[並河萬里]]
* [[楢橋朝子]]
* [[奈良原一高]]
* [[難波由城雄]]
* [[南原四郎]]
'''に'''
* [[西尾樹]]
* [[西岡伸太]]
* [[西沢美衛]]
* [[西澤豊 (写真家)|西澤豊]]
* [[西田幸樹]]
* [[西村春彦]]
* [[仁田三夫]]
* [[蜷川実花]]
'''ぬ'''
* [[沼澤茂美]]
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'''ね'''
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'''の'''
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* [[野澤亘伸]]
* [[野島康三]]
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* [[野村佐紀子]]
* [[野村貞方]]
* [[野村誠一]]
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== は行 ==
{{div col|colwidth=15em}}'''は'''
* [[ハービー山口]]
* [[萩原史郎]]
* [[萩原俊哉]]
* [[Pugwash P]]
* [[橋口譲二]]
* [[橋田信介]]
* [[橋村奉臣]]
* [[橋本哲]]
* [[長谷部宏]]
* [[畠山直哉]]
* [[畑谷友幸]]
* [[花井健朗]]
* [[英伸三]]
* [[ハナブサ・リュウ]]
* [[ハナヤ勘兵衛]]
* [[花代 (写真家)|花代]]
* [[花和銀吾]]
* [[八二一]]
* [[秦淳司]]
* [[秦義之]]
* [[馬場憲治]]
* [[濱谷浩]]
* [[早崎治]]
* [[林昭宏]]
* [[林忠彦]]
* [[林義勝]]
* [[早船ケン]]
* [[原弘文]]
* [[原美樹子]]
* [[半沢克夫]]
* [[坂東正男]]
'''ひ'''
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* [[東野翠れん]]
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* [[菱川勢一]]
* [[菱田諭士]]
* [[平井輝七]]
* [[平川典俊]]
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* [[平野功二]]
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* [[広川泰士]]
* [[広河隆一]]
* [[ヴィクター・マインレンダー]]([[石原剛]])
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* [[広田尚敬]]
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'''ふ'''
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'''ほ'''
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* [[ホンマタカシ]]
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== ま行 ==
{{div col|colwidth=15em}}
* [[前島智穂子]]
* [[マーク・アルバート]]
* [[牧野弘 (DEXI)]]
* [[まいけるひとし]]
* [[前田玄造]]
* [[前田真三]]
* [[前島庄吾]]
* [[牧田清]]
* [[牧野智晃]]
* [[大西正昭|masa]]
* [[間下このみ]]
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* [[増田正造]]
* [[増田勝行]]
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'''み'''
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'''む'''
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* [[むらいさち]]
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'''も'''
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* [[師岡宏次]]
* [[諸河久]]
* [[諸永恒夫]]
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== {{Visible anchor|や~わ行|や行|ら行|わ行}} ==
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* [[八木仁志]]
* [[安井仲治]]
* [[安島太佳由]]
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* [[柳澤俊次]]
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'''り'''
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'''ろ'''
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* [[若松幸司 (写真家)|若松幸司]]
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* [[渡辺達生]]
* [[渡辺直之]]
* [[渡部雄吉]]
* [[渡部陽一]]
* [[渡辺義雄]]
* [[渡辺伸次]]
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== 参考文献 ==
{{参照方法|date=2021年10月|section=1}}
* {{要検証範囲|東京都写真美術館叢書『日本写真家事典』淡交社、200年3月 ISBN 4-473-01750-8|date=2015年1月}}
* {{要検証範囲|[[飯沢耕太郎]]編『日本の写真家101』新書館|date=2015年1月}}
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17,594 |
マクベス (スコットランド王)
|
マクベタッド・マク・フィンレック(Mac Bethad mac Findlaich, 現代ゲール語:MacBheatha mac Fhionnlaigh, 1005年 - 1057年8月15日)は、スコットランド王(在位 : 1040年 - 1057年)。ウィリアム・シェイクスピアの戯曲の題名にもなったマクベス(Macbeth)の通称で世界的に知られる。マルカム2世の次女ドウナダ(Donada)とマリ領主フィンレック(Findlaich)の間に生まれた。異父兄にオークニー伯トールフィン(ソーフィン)がいる。マクベスの名は、ゲール語で「生命の子(マク・ベーサ)」の意味である。
1040年8月14日、従兄のダンカン1世を殺害し、王位を奪った。マクベスは、反対勢力や王位継承の可能性のある者たちを次々と抹殺していった。1043年に共にアルピン王家の血を引くバンクォウを殺害、1045年にはダンカン1世の父でアサル領主(英語版)のクリナン(英語版)と戦って彼を殺害した。
マクベスは統治能力に優れた人物と言われ、17年と当時としては長期間在位した。また、1050年にはローマへの巡礼旅行に出ている。
1054年、マルカム・カンモーにスクーンの戦いで大敗し、1057年のランファナンの戦いで戦死した。
1032年頃にケネス3世の孫娘グロッホと結婚している。マクベスの死後、王位は継子ルーラッハ(グロッホと先夫マリ領主ギラコムガンとの間の息子)が継承したが、ルーラッハも即位から4か月後にマルカム・カンモーに殺害され、マルカム・カンモーがマルカム3世として即位した。
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マクベタッド・マク・フィンレックは、スコットランド王。ウィリアム・シェイクスピアの戯曲の題名にもなったマクベス(Macbeth)の通称で世界的に知られる。マルカム2世の次女ドウナダ(Donada)とマリ領主フィンレック(Findlaich)の間に生まれた。異父兄にオークニー伯トールフィン(ソーフィン)がいる。マクベスの名は、ゲール語で「生命の子(マク・ベーサ)」の意味である。
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{{基礎情報 君主
| 人名 = マクベス
| 各国語表記 = Macbeth / Mac Bethad mac Findlaich
| 君主号 = [[スコットランド君主一覧|スコットランド国王]]
| 継承者 =
| 継承形式 =
| 画像 = Macbeth of Scotland.jpg
| 画像サイズ =
| 画像説明 =
| 在位 = [[1040年]] - [[1057年]]
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| 出生日 = [[1005年]]
| 生地 = {{SCO843}}、ディングウォール{{Sfnp|森護|1988|p=34}}
| 死亡日 = [[1057年]][[8月15日]]
| 没地 = {{SCO843}}、ランファナン
| 埋葬日 =
| 埋葬地 = {{SCO843}}、[[アイオナ島|アイオナ]]
| 配偶者1 = グロッホ
| 子女 = (継子)[[ルーラッハ (スコットランド王)|ルーラッハ]]
| 王家 = [[アルピン朝|アルピン家]]
| 王朝 = [[アルピン朝]]
| 王室歌 =
| 父親 = [[マレー (スコットランド)|マリ]]領主[[フィンレック]]
| 母親 = [[ドウナダ]]
}}
'''マクベタッド・マク・フィンレック'''(Mac Bethad mac Findlaich, 現代[[スコットランド・ゲール語|ゲール語]]:MacBheatha mac Fhionnlaigh, [[1005年]] - [[1057年]][[8月15日]]<ref>{{Find a Grave}}</ref>)は、[[スコットランド王国|スコットランド]]王(在位 : [[1040年]] - 1057年)。[[ウィリアム・シェイクスピア]]の[[戯曲]]の題名にもなった'''マクベス'''('''Macbeth''')の通称で世界的に知られる。[[マルカム2世 (スコットランド王)|マルカム2世]]の次女[[ドウナダ]](Donada)と[[マレー (スコットランド)|マリ]]領主[[フィンレック]](Findlaich)の間に生まれた。異父兄にオークニー伯トールフィン(ソーフィン)がいる。マクベスの名は、ゲール語で「生命の子(マク・ベーサ)」の意味である{{Sfnp|ナイジェル・トランター|1997|p=40}}。
== 生涯 ==
[[1040年]][[8月14日]]、従兄の[[ダンカン1世 (スコットランド王)|ダンカン1世]]を殺害し、王位を奪った。マクベスは、反対勢力や王位継承の可能性のある者たちを次々と抹殺していった{{Sfnp|森護|1988|p=35}}。[[1043年]]に共にアルピン王家の血を引く[[バンクォウ]]を殺害、[[1045年]]にはダンカン1世の父で{{仮リンク|アソル伯|en|Earl of Atholl|label=アサル領主}}の{{仮リンク|クリナン (ダンケルド修道院長)|en|Crínán of Dunkeld|label=クリナン}}と戦って彼を殺害した{{Sfnp|森護|1988|p=35}}。
マクベスは統治能力に優れた人物と言われ、17年と当時としては長期間在位した{{Sfnp|森護|1988|p=35}}。また、[[1050年]]には[[ローマ]]への巡礼旅行に出ている{{Sfnp|森護|1988|p=35}}。
[[1054年]]、[[マルカム3世 (スコットランド王)|マルカム・カンモー]]に[[スクーン (スコットランド)|スクーン]]の戦いで大敗し、[[1057年]]の[[ランファナンの戦い]]で戦死した。
1032年頃に[[ケネス3世 (スコットランド王)|ケネス3世]]の孫娘グロッホと結婚している。マクベスの死後、王位は継子[[ルーラッハ (スコットランド王)|ルーラッハ]](グロッホと先夫マリ領主ギラコムガンとの間の息子)が継承したが、ルーラッハも即位から4か月後にマルカム・カンモーに殺害され、マルカム・カンモーがマルカム3世として即位した{{Sfnp|森護|1988|p=37}}。
<!--
== 備考 ==
{{正確性|date=2014年4月|section=1}}
[[ウィリアム・シェイクスピア|シェイクスピア]]の悲劇『[[マクベス (シェイクスピア)|マクベス]]』のモデルとなったことでもわかるように、直系は絶えているが、子孫は健在である(その一人のコーダー伯爵は[[ネスレ日本]]の高級[[インスタントコーヒー]]「[[ネスカフェ#現行商品|プレジデント]]」のCMに出演した)。-->
== 脚注 ==
{{Reflist}}
== 参考文献 ==
* {{Cite book|和書|author=森護 |title=スコットランド王室史話 |publisher=大修館書店 |year=1988 |ref=harv |isbn= 978-4469242560}}
* {{Cite book|和書|author=ナイジェル・トランター |title=スコットランド物語 |others=杉本優(訳)|publisher=大修館書店 |year=1997 |ref=harv |isbn=978-4469244014}}
== 関連項目 ==
* [[マクベス (シェイクスピア)]]
{{スコットランド王|1040年 - 1057年}}
{{イングランド王、スコットランド王及び連合王国国王}}
{{Normdaten}}
{{DEFAULTSORT:まくへす}}
[[Category:スコットランドの君主]]
[[Category:アルピン家]]
[[Category:マクベス]]
[[Category:戦死した君主]]
[[Category:11世紀ヨーロッパの君主]]
[[Category:11世紀スコットランドの人物]]
[[Category:1005年生]]
[[Category:1057年没]]
|
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17,596 |
Dr.椎名の教育的指導!!
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「Dr.椎名の教育的指導!!」(ドクターしいなのきょういくてきしどう!!)は、椎名高志の漫画作品。椎名高志のプロデビュー作である。
4コマ漫画であり、各回7 - 14題で構成されたオムニバス風の作品である。
『週刊少年サンデー』(小学館)において掲載された。
第1回は1989年の同誌第14号にて掲載。その後は不定期に掲載され続け、合計12回分掲載された。初の定期的連載作品となる『(有) 椎名百貨店』が始まるまで11回に渡って掲載され、ここで一旦シリーズは終了したが、後に1回分が新たに掲載されている。
小学館から刊行された単行本『(有) 椎名百貨店』に収録されている。
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「'''Dr.椎名の教育的指導!!'''」(ドクターしいなのきょういくてきしどう!!)は、[[椎名高志]]の[[漫画]]作品。椎名高志のプロデビュー作である。
[[4コマ漫画]]であり、各回7 - 14題で構成されたオムニバス風の作品である。
『[[週刊少年サンデー]]』([[小学館]])において掲載された。
第1回は[[1989年]]の同誌第14号にて掲載。その後は不定期に掲載され続け、合計12回分掲載された。初の定期的連載作品となる『[[(有) 椎名百貨店]]』が始まるまで11回に渡って掲載され、ここで一旦シリーズは終了したが、後に1回分が新たに掲載されている。
小学館から刊行された[[単行本]]『(有) 椎名百貨店』に収録されている。
== 作品リスト ==
# '''悲しいほどお天気…の巻'''
#* 週刊少年サンデー 1989年第14号掲載
#* 4ページ/表題作を含め計7題
# '''栄光なき凡才たち…の巻'''
#* 週刊少年サンデー 1989年第27号掲載
#* 6ページ/表題作を含め計11題
# '''教育実習的指導! …の巻'''
#* 週刊少年サンデー 1989年第30号掲載
#* 4ページ/表題作を含め計7題
# '''さよならは星の数…の巻'''
#* 週刊少年サンデー 1989年第37号掲載
#* 8ページ/表題作を含め計14題(1題のみ8コマ構成)
# '''赤ずきんちゃんご用心…の巻'''
#* 週刊少年サンデー 1989年第40号掲載
#* 6ページ/表題作を含め計11題
# '''ひとめあなたに…の巻'''
#* 週刊少年サンデー 1989年第41号掲載
#* 6ページ/表題作を含め計11題
# '''ショウほど素敵な商売はない…の巻'''
#* 週刊少年サンデー 1989年第48号掲載
#* 8ページ/表題作を含め計14題(1題のみ8コマ構成)
#* 全ページ2色カラー
# '''さよならサンタクロース…の巻'''
#* 週刊少年サンデー [[1990年]]第1号掲載
#* 6ページ/表題作を含め計11題
# '''男と女の名誉…の巻'''
#* 週刊少年サンデー 1990年第2+3合併号掲載
#* 6ページ/表題作を含め計11題
# '''まごころを君に…の巻'''
#* 週刊少年サンデー 1990年第4+5合併号掲載
#* 6ページ/表題作を含め計11題
# '''贈る言葉…の巻'''
#* 週刊少年サンデー 1990年第6号掲載
#* 6ページ/表題作を含め計11題
# '''この人を見よ…の巻'''
#* 週刊少年サンデー 1990年第34号掲載
#* 8ページ/表題作を含め計14題(1題のみ8コマ構成)
#* 全ページ2色カラー
== 関連項目 ==
* [[(有) 椎名百貨店]]
{{椎名高志}}
{{Manga-stub}}
{{DEFAULTSORT:とくたあしいなのきよういくてきしとう}}
[[Category:漫画作品 と|くたあしいなのきよういくてきしとう]]
[[Category:4コマ漫画]]
[[Category:週刊少年サンデーの漫画作品]]
[[Category:椎名高志の漫画作品]]
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"Template:椎名高志",
"Template:Manga-stub"
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https://ja.wikipedia.org/wiki/Dr.%E6%A4%8E%E5%90%8D%E3%81%AE%E6%95%99%E8%82%B2%E7%9A%84%E6%8C%87%E5%B0%8E!!
|
17,597 |
近鉄御所線
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御所線(ごせせん)は、奈良県葛城市の尺土駅から奈良県御所市の近鉄御所駅までを結ぶ近畿日本鉄道(近鉄)の鉄道路線。
大阪方面への通勤路線としての役割に加え、葛城山へ向かうルートも担っており、近鉄御所駅からは近鉄が運営する葛城山ロープウェイに連絡する奈良交通バスに接続している。
ICカードPiTaPa・ICOCA・Suicaなど全国相互利用乗車カードが使用できる。また、以前はスルッとKANSAI対応カードおよびJスルーカードにも対応していた。
全線、大阪統括部(旧天王寺営業局)の管轄である。
運転本数は1時間あたり朝ラッシュ時5往復、それ以外の時間帯は2往復運転される。南大阪線大阪阿部野橋駅・古市駅との直通列車が設定されており、線内折り返し列車は一部を除きワンマン運転を行っている。
直通列車については、朝ラッシュ時の上り列車の一部が大阪阿部野橋行き準急として運転されている。また朝の上下や夕方・深夜の下りの一部の普通は2 - 4両編成で古市駅まで直通運転している(一部を除きワンマン運転)。なお、1989年まで(最晩年は休日のみ)は日中時間帯にも大阪阿部野橋駅直通の準急が1時間に1本の割合で運転されていたほか尺土駅でスイッチバックして橿原神宮前駅まで直通する普通もあった。1994年までは休日の朝夕に、大阪阿部野橋駅直通の急行が定期列車で設定されていた。いずれも現在は設定されていない。
日中は2両編成の運転で、尺土駅での大阪阿部野橋方面との乗り換えを意識したダイヤが組まれている。
普段は普通と朝ラッシュ時に運転される準急のみの運転であるが、葛城山の山頂付近はツツジの名所で、ツツジ観賞客の利便のため、春の行楽シーズンには大阪阿部野橋駅 - 近鉄御所駅間で臨時急行「葛城高原号」を運転している。
大晦日から元旦にかけての終夜運転は御所線でも実施されており、近年では尺土駅 - 近鉄御所駅間に普通を概ね30分間隔で運転する形態となっている。時刻は近鉄の公式ホームページでも紹介されている。
過去には葛城山から初日の出を拝む乗客のために、大阪阿部野橋発近鉄御所行の普通「葛城初日の出号」が運転されていた。
特急車両を除く、南大阪線系統の通勤形車両が使用されているが、ワンマン列車についてはワンマン対応の6419系または6432系が使用されている。通常は、試運転を含めて特急車両は入線していない。 ただし不定期ではあるが、「さくらライナー」26000系が1997年3月26日と、『葛城山初日の出ツアー』で2014年1月1日に入線したことがある。
南大阪線の前身、大阪鉄道(大鉄)の傍系会社である南和電気鉄道が開業させた。さらに南進して五条・橋本(学文路)方面へ至る計画があったが果たせなかった。そのため、近鉄御所駅は終点の駅というよりは中間駅のような構造になっている。1944年に近鉄の路線となった後、五条 - 学文路間の計画は1958年に消滅した。近鉄御所 - 五条間の免許は維持され、五条から五新線への直通構想も表明されたが、1991年に近鉄御所 - 五条間の免許も失効した。
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御所線(ごせせん)は、奈良県葛城市の尺土駅から奈良県御所市の近鉄御所駅までを結ぶ近畿日本鉄道(近鉄)の鉄道路線。 大阪方面への通勤路線としての役割に加え、葛城山へ向かうルートも担っており、近鉄御所駅からは近鉄が運営する葛城山ロープウェイに連絡する奈良交通バスに接続している。 ICカードPiTaPa・ICOCA・Suicaなど全国相互利用乗車カードが使用できる。また、以前はスルッとKANSAI対応カードおよびJスルーカードにも対応していた。
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{{Infobox 鉄道路線
|路線名 = [[ファイル:KintetsuLogo.svg|19px|近畿日本鉄道|link=近畿日本鉄道]] 御所線
|路線色 = #028E46
|ロゴ = file:KT number-P.svg
|ロゴサイズ = 40px
|画像 = Kintetsu Series6432.jpg
|画像サイズ = 300px
|画像説明 = ワンマン対応の6432系([[近鉄新庄駅]])
|国 = {{JPN}}
|所在地 = [[奈良県]][[葛城市]]、[[御所市]]
|起点 = [[尺土駅]]
|終点 = [[近鉄御所駅]]
|路線記号 = {{rint|osaka|ktp|size=20}}
|駅数 = 4駅
|開業 = [[1930年]][[12月9日]]
|廃止 =
|所有者 = <!-- 南和電気鉄道→[[大阪電気軌道|関西急行鉄道]]→ -->[[近畿日本鉄道]]
|運営者 = 近畿日本鉄道
|車両基地 = [[古市検車区]]
|使用車両 = [[#車両|車両]]の節を参照
|路線距離 = 5.2 [[キロメートル|km]]
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|閉塞方式 = 自動閉塞式
|保安装置 = [[自動列車停止装置#多変周式信号ATS|近鉄型ATS]]<!-- 、[[自動列車停止装置#ATS-SP|ATS-SP]]-->
|最高速度 = 65 [[キロメートル毎時|km/h]]<ref name="terada">寺田裕一『改訂新版 データブック日本の私鉄』 - ネコ・パブリッシング</ref>
|路線図 =
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{{BS-map
|title=停車場・施設・接続路線
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{{BS3|BHFq|ABZq+r||0.0|P23 [[尺土駅]]|{{rint|osaka|ktfm|}} [[近鉄南大阪線|南大阪線]]|}}
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{{BS3|||STR2|||JR西:{{rint|ja|wkt}} 和歌山線|}}
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'''御所線'''(ごせせん)は、[[奈良県]][[葛城市]]の[[尺土駅]]から奈良県[[御所市]]の[[近鉄御所駅]]までを結ぶ[[近畿日本鉄道]](近鉄)の[[鉄道路線]]。
大阪方面への通勤路線としての役割に加え、[[大和葛城山|葛城山]]へ向かうルートも担っており、近鉄御所駅からは近鉄が運営する[[近鉄葛城索道線|葛城山ロープウェイ]]に連絡する[[奈良交通]]バスに接続している。
ICカード[[PiTaPa]]・[[ICOCA]]・[[Suica]]など全国相互利用乗車カードが使用できる。また、以前は[[スルッとKANSAI]]対応カードおよび[[Jスルーカード]]にも対応していた。
== 路線データ ==
* 路線距離([[営業キロ]]):5.2km
* [[軌間]]:1067mm
* 駅数:4駅(起終点駅含む)
* 複線区間:なし(全線[[単線]])
* 電化区間:全線電化(直流1500V)
* [[閉塞 (鉄道)|閉塞方式]]:自動閉塞式
** [[列車交換|交換駅]]:[[近鉄新庄駅]]
* 最高速度:65km/h<ref name="terada" />
全線、大阪統括部(旧天王寺営業局)の管轄である。
== 運行形態 ==
[[ファイル:Shakudo stn 3.jpg|thumb|200px|尺土駅東方の踏切から東望<br/ >右へ急カーブして分かれるのが御所線、左の複線は南大阪線]]
運転本数は1時間あたり朝ラッシュ時5往復、それ以外の時間帯は2往復運転される。[[近鉄南大阪線|南大阪線]][[大阪阿部野橋駅]]・[[古市駅 (大阪府)|古市駅]]との直通列車が設定されており、線内折り返し列車は一部を除き[[ワンマン運転]]を行っている。
直通列車については、朝ラッシュ時の上り列車の一部が大阪阿部野橋行き準急として運転されている。また朝の上下や夕方・深夜の下りの一部の普通は2 - 4両編成で古市駅まで直通運転している(一部を除きワンマン運転)。なお、[[1989年]]まで(最晩年は休日のみ)は日中時間帯にも大阪阿部野橋駅直通の準急が1時間に1本の割合で運転されていたほか尺土駅で[[スイッチバック]]して[[橿原神宮前駅]]まで直通する普通もあった。[[1994年]]までは休日の朝夕に、大阪阿部野橋駅直通の急行が定期列車で設定されていた。いずれも現在は設定されていない。
日中は2両編成の運転で、尺土駅での大阪阿部野橋方面との乗り換えを意識したダイヤが組まれている。
== 臨時列車 ==
=== 臨時急行の運転 ===
普段は普通と朝ラッシュ時に運転される準急のみの運転であるが、[[大和葛城山|葛城山]]の山頂付近は[[ツツジ]]の名所で、ツツジ観賞客の利便のため、春の行楽シーズンには大阪阿部野橋駅 - 近鉄御所駅間で臨時急行「葛城高原号」を運転している。
=== 大晦日終夜運転 ===
[[大晦日]]から[[元日|元旦]]にかけての[[終夜運転]]は御所線でも実施されており、近年では尺土駅 - 近鉄御所駅間に普通を概ね30分間隔で運転する形態となっている。時刻は近鉄の公式ホームページでも紹介されている。
過去には葛城山から[[初日の出]]を拝む乗客のために、大阪阿部野橋発近鉄御所行の普通「葛城初日の出号」が運転されていた。
== 車両 ==
{{Main|近鉄南大阪線#車両}}
特急車両を除く、南大阪線系統の通勤形車両が使用されているが、ワンマン列車についてはワンマン対応の[[近鉄6400系電車|6419系または6432系]]が使用されている。通常は、[[試運転]]を含めて特急車両は入線していない。<!-- 1999年の葛城ロープウェイのゴンドラを新装した際に、16400系の貸切列車があったと思うのですが、何方かフォローをお願いします -->
ただし不定期ではあるが、[[近鉄26000系電車|「さくらライナー」26000系]]が1997年3月26日と、『葛城山初日の出ツアー』で2014年1月1日に入線したことがある<ref>{{PDFlink|[https://www.kintetsu.co.jp/all_news/news_info/hatunohide.pdf ~正月特別企画~「さくらライナーで行く葛城山初日の出」ツアーを実施!]}} - 近畿日本鉄道2013年12月9日<!-- 1997年のさくらライナー入線にも言及あり。--></ref>。
== 歴史 ==
{{基礎情報 会社
|社名 = 南和電気鉄道
|ロゴ = Nanwa logo.png
|ロゴサイズ = 150px
|種類 = [[株式会社 (日本)|株式会社]]
|国籍 = {{JPN}}
|本社所在地 = [[奈良県]][[北葛城郡]][[大和高田市|高田町]]大字高田1539<ref name="NDLDC1184231"/>
|設立 = [[1929年]](昭和4年)1月18日<ref name="NDLDC1184231"/>
|業種 = [[:Category:かつて存在した日本の鉄道事業者|鉄軌道業]]
|事業内容 = 旅客鉄道事業<ref name="NDLDC1184231"/>
|代表者 = 社長 [[佐竹三吾]]<ref name="NDLDC1184231"/>
|資本金 = 200,000円(払込額)<ref name="NDLDC1184231"/>
|特記事項 = 上記データは[[1943年]](昭和18年)[[4月1日]]現在<ref name="NDLDC1184231">[{{NDLDC|1184231/59}} 『地方鉄道及軌道一覧. 昭和18年4月1日現在』](国立国会図書館デジタルコレクション)</ref>}}
南大阪線の前身、[[大阪鉄道 (2代目)|大阪鉄道]](大鉄)の傍系会社である'''南和電気鉄道'''が開業させた。さらに南進して[[五條市|五条]]・[[橋本市|橋本]]([[学文路村|学文路]])方面へ至る計画があったが果たせなかった<ref>近畿日本鉄道『近畿日本鉄道100年のあゆみ』2010年、pp.188-189</ref>。そのため、近鉄御所駅は終点の駅というよりは中間駅のような構造になっている。1944年に近鉄の路線となった後、五条 - 学文路間の計画は1958年に消滅した。近鉄御所 - 五条間の免許は維持され、五条から[[五新線]]への直通構想も表明されたが、1991年に近鉄御所 - 五条間の免許も失効した。
*[[1928年]](昭和3年)10月26日:鉄道免許状下付([[北葛城郡]][[磐城村]]-[[宇智郡]][[五條町]]間)<ref>[{{NDLDC|2957016/8}} 「鉄道免許状下付」『官報』1928年10月30日](国立国会図書館デジタルコレクション)</ref>。
*[[1929年]](昭和4年)6月29日:鉄道免許状下付(宇智郡五條町-[[伊都郡]][[学文路村]]間)<ref>[{{NDLDC|2957220/6}} 「鉄道免許状下付」『官報』1929年7月5日](国立国会図書館デジタルコレクション)</ref>。
*[[1930年]](昭和5年)[[12月9日]]:南和電気鉄道が尺土駅 - 南和御所町駅(現在の近鉄御所駅)間を開業<ref>[{{NDLDC|2957662/9}} 「地方鉄道運輸開始」『官報』1930年12月20日](国立国会図書館デジタルコレクション)</ref>。
*[[1944年]](昭和19年)
**[[4月1日]]:近鉄の前身である[[大阪電気軌道|関西急行鉄道]](関急)に合併。御所線となる。南和新庄町を関急新庄駅に、南和御所町駅を関急御所駅に改称<ref>近畿日本鉄道『近畿日本鉄道100年のあゆみ』2010年、p.685 によれば、「19. 4 関急新庄」「19. 4 関急御所」と明記。</ref>。
**[[6月1日]]:関西急行鉄道が近畿日本鉄道(近鉄)に再編される。関急新庄駅を近畿日本新庄駅に、関急御所駅を近畿日本御所駅に改称。
*[[1958年]](昭和33年)5月6日:五條市 - 橋本市学文路間免許失効<ref name="moriguchi">森口誠之『鉄道未成線を歩く 私鉄編』JTB、2001年、p.180</ref>。
*[[1968年]](昭和43年)[[9月26日]]:[[自動列車停止装置]] (ATS) 使用開始。
*[[1970年]](昭和45年)[[3月1日]]:近畿日本新庄駅を近鉄新庄駅に、近畿日本御所駅を近鉄御所駅に改称。
*[[1991年]](平成3年)2月15日:近鉄御所 - 五條市間免許失効<ref name="moriguchi" />。
*[[1999年]](平成11年)[[3月16日]]:一部の普通でワンマン運転開始。
*[[2000年]](平成12年)[[3月21日]]:ご乗降確認システム「フェアシステムK」稼働開始。
*[[2001年]](平成13年)
**[[2月1日]]:各駅で[[スルッとKANSAI]]対応カードの取り扱い開始。
**[[10月14日]]:各駅で[[Jスルーカード]]の取り扱い開始。
*[[2002年]](平成14年)
**シリーズ21(6820系)の営業運転開始。
**[[12月1日]]:列車運行管理システム「KOSMOS」稼働開始。
*[[2007年]](平成19年)4月1日:各駅で[[PiTaPa]]・[[ICOCA]]の取り扱い開始。
*[[2009年]](平成21年)[[3月1日]]:Jスルーカードの自動改札機・のりこし精算機での取り扱いを終了<ref>{{PDFlink|[http://www.kintetsu.jp/news/files/jcard20081202.pdf Jスルーカードの利用終了について]}} - 近畿日本鉄道 2008年12月2日</ref>。
== 駅一覧 ==
* 全駅[[奈良県]]内に所在。
* 準急・急行も含めて、全列車各駅に停車。
** 準急は南大阪線大阪阿部野橋行きのみ運転。急行は春の行楽期のみ、臨時列車として運転。
* 線路(全線単線) … ∨・◇・∧:[[列車交換]]可能、|:列車交換不可
{| class="wikitable" rules="all"
|-
!style="width:3.5em; border-bottom:solid 3px #028e46;"|駅番号
!style="width:6em; border-bottom:solid 3px #028e46;"|駅名
!style="width:2.5em; border-bottom:solid 3px #028e46;"|駅間キロ
!style="width:2.5em; border-bottom:solid 3px #028e46;"|営業キロ
!style="border-bottom:solid 3px #028e46;"|接続路線
!style="width:1em; border-bottom:solid 3px #028e46;"|{{縦書き|線路}}
!style="border-bottom:solid 3px #028e46; white-space:nowrap;"|所在地
|-
!colspan="4"|直通運転区間
|colspan="3" style="text-align:left;"|○南大阪線[[古市駅 (大阪府)|古市駅]]まで(普通)、[[大阪阿部野橋駅]]まで(準急・臨時急行)
|-
!P23
|[[尺土駅]]
|style="text-align:center;"|-
|style="text-align:right;"|0.0
|近畿日本鉄道:{{近鉄駅番号|F}} [[近鉄南大阪線|南大阪線]] (F23)(一部直通運転:上記参照)
|∨
|rowspan="3"|[[葛城市]]
|-
!P24
|[[近鉄新庄駅]]
|style="text-align:right;"|2.4
|style="text-align:right;"|2.4
|
|◇
|-
!P25
|[[忍海駅]]
|style="text-align:right;"|1.5
|style="text-align:right;"|3.9
|
||
|-
!P26
|[[近鉄御所駅]]
|style="text-align:right;"|1.3
|style="text-align:right;"|5.2
|
|∧
|[[御所市]]
|}
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
{{Reflist}}
== 参考文献 ==
*{{Cite book | 和書 | title = まるごと近鉄ぶらり沿線の旅 | author = 徳田耕一(編著) | publisher = 河出書房新社 | year = 2005 | id = ISBN 4309224393 }}
*{{Cite book | 和書 | series = カラーブックス | title = 日本の私鉄 近鉄2 | author = 諸河久・山辺誠(編著) | publisher = 保育社 | year = 1998 | id = ISBN 4586509058 }}
*{{Cite book | 和書 | title = 近鉄時刻表 | volume = 各号 | author = [[近畿日本鉄道]](編著) | publisher = 近畿日本鉄道 }}
*{{Cite journal | 和書 | journal = 鉄道ピクトリアル | volume = 2003年1月号臨時増刊 | title = 特集:近畿日本鉄道| author = 電気車研究会(編) | year = 2003 }}
== 関連項目 ==
*[[日本の鉄道路線一覧]]
== 外部リンク ==
* [https://tid.kintetsu.co.jp/LocationWeb/trainlocationinfoweb20.html 御所線] - 近鉄列車走行位置
{{近畿日本鉄道の路線}}
{{デフォルトソート:きんてつこせせん}}
[[Category:近畿地方の鉄道路線|こせせん]]
[[Category:近畿日本鉄道の鉄道路線|こせ]]
[[Category:南和電気鉄道|路]]
[[Category:奈良県の交通]]
|
2003-09-20T17:38:28Z
|
2023-12-31T00:00:06Z
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[
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BF%91%E9%89%84%E5%BE%A1%E6%89%80%E7%B7%9A
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17,598 |
アルペンスキー
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アルペンスキー (英語: Alpine skiing) は、ヨーロッパアルプス地方で20世紀になって発展したスキー技術である。アルペン(Alpen)とは、ドイツ語で「アルプス」という意味である。スキーの原型であるノルディックスキーから分化し、ビンディングの踵を固定することにより滑降に特化して発達したスタイルである。雪の斜面をターンを繰り返し、ときには直滑降を織り交ぜつつ滑る。斜面は斜度0度から40度以上までのさまざまな斜度で構成される。滑走速度はレジャー目的では40km/hから60km/h程度までだが、高速系競技では100km/hを越える。大半の愛好者はスキー場で滑走するが、自然の整備されていない山を登って滑り降りる山岳スキーの愛好者も多い。
アルペンスキーでは以下のような用具を用いて滑走する。
アルペンスキーのスキー板は、2本の細長い板からなる。
スキー板は、芯材、ソール(滑走面)、エッジ、トップシート、サイドウォールなどから構成される。
芯材はスキー板のもつべき剛性や弾性を実現する中心的な素材である。伝統的には木材が用いられてきたが、近年は発泡樹脂も用いられており、また、ケブラー、ガラス繊維、炭素繊維、ボロン繊維、ポリエチレン繊維などの化学繊維やチタン合金やマグネシウム合金のような金属により強化することで天然素材そのままでは実現できない力学的特性を実現している。
ソールは、スキー板が雪面と接する部分である。現在のスキー板では高密度ポリエチレンが用いられている。特に、上級モデルや競技モデルのスキー板のソールは焼結ポリエチレンを用いることで、滑走時に塗布するワックスがよりよく吸収されるようになっており、雪面に対する摩擦系数の低下による滑走性の向上を図っている。また、競技モデルを中心として、グラファイト粉末を混入して静電気の発生の低減を図ったものも用いられている。
エッジは、アルペンスキーにおけるターンの実現に欠かせない部品である。硬い金属、一般には鋼を素材とする細長い形状のもので、ソールに沿ってスキー板の左右に、板の先端(トップ)から後端(テール)まで配置される。現在はトップからテールまで、ひと続きとなったエッジがほとんどだが、板の柔軟性を優先するために、数cmごとに切れ目の入ったクラックドエッジも一部で用いられている。エッジは90度、ないしそれよりやや鋭角に研がれているのが一般的であり、ターン時に雪面、ときにはアイスバーンを削ってターン中の足場を確保する。
トップシートとサイドウォールは、スキー板の上面や側面を保護するための部材である。近年は、その形状や材質を工夫することで、スキー板の性能向上につなげている場合が多い。また、スキー板の構造は、もともとはソール、芯材、トップシートを重ねて貼りあわせて側面にサイドウォールを接着したサンドイッチ構造のものが多かったが、トップシートとサイドウォールを一体化したボックス構造、あるいはキャップ構造を採用する板も近年は多い。そのほか、トップシートの上に振動吸収を目的とした小さな部材を取り付けた板も存在する。
アルペンスキーのスキー板は、ターン技術を用いた滑走に適した形状をしている。スキー板のトップとテールが太く、ビンディングを介してブーツと繋がるセンターが細くくびれた形状となっている。滑走時にスキーヤーがスキー板を傾けて板の上から荷重を掛ける事でスキー板はたわみ、エッジが雪面に食い込んで足場をつくることでスキー板全体は雪面に対して弧を描いて接することとなり、その結果スキーヤーはターンする事が出来る。
従来からのスキー板は、単体でソールを下にして水平面に置くとトップとテールそれぞれの付近で水平面に接し、中央部分が浮いた弓なり状となっていて、この形状を「キャンバー」と呼んでいる。キャンバー形状のスキー板は履いてから平らな雪面に立つことでソール全体が雪面に接し、安定した直滑降を可能にしている。スキー板のトップは上に持ち上がっていて、滑走時に雪面に刺さりにくい形状になっている。テールはほとんど平らとなっている板が多い。
近年、最初から反り返った形状となったロッカーと呼ばれるスキー板も登場し、次の区分で呼称されている。
ロッカーの長所として、スキー板への荷重によらずに弧を描いている事からターンしやすく、特に山岳スキーやバックカントリースキーのエッジが効きにくい新雪・深雪斜面においてターンしやすい事が挙げられる。
フリースタイルスキーでは、テールもトップと同様に反り返った形状のチップ&テールロッカーを使う事で逆方向への滑走にも対応している。チップ&テールロッカーはツインチップと呼ぶ事もある。
アルペンスキーのスキー板の長さは、1980年代までは2m前後のものが一般的であった。レジャー目的の場合、その長さはスキーブーツではなく一般的な靴などの履き物を履き、または素足で直立し、腕を真上に上げ、手首を「へ」の字に曲げ、スキーの先端が曲げた手首の下に納まるのが一般的とされ、素足の場合は靴底の厚さに相当するものを加えた長さと考えて良く、長さの許容差は1-1.5cm以内程度が身長に合った適切なものとされた。1990年代のカービングスキーの登場とその一般化という技術革新のもと、扱いやすい 150cm から 180cm 程度が一般的となり、2mを越える長さの板は高速系競技と一部のファットスキーでのみ見掛けるという状況になった。また、100cm から 130cm 程度のショートスキーや、70cm 程度のファンスキーまたはスキーボードと呼ばれるものもあり、これらは滑走特性の違いから独自のジャンルとして位置付けられている。
主にスキー板の滑走性能に関する用語として、次の言葉がある。
コンベックス・コンケーブ コンベックス(convex)は「凸型の・凸状の・凸面の」、コンケーブ(concave)は「凹型の・凹状の・凹面の」という意味の言葉で、この場合、スキー板のソール(滑走面)の断面形状を意味する。
スキー板のソールは長期間の使用による経年変化や摩耗等でソール断面がコンベックスやコンケーブとなってしまう事があり、一般的に、コンベックスだとソールの膨らみがエッジを阻害してエッジの効きや引っ掛かりが悪くなり、ターンが外側に膨らむ傾向となって、必要な小回りターン半径を得るのに多大な力が必要となったり、あるいは思うようなターン弧が描けなくなったりする。一方でコンケーブだと極端にエッジが効いてしまう事があり、エッジの引っ掛かりが強すぎて、スキッディングターン(後述)が難しくなったり、時に転倒の危険性が高くなったりする。そのためソールはフラット(平面形状)である事が望ましい。
コンベックスやコンケーブとなってしまったソールは、エッジの研磨等を含めたチューンナップによってフラットにする。方法としては数種類のサンドペーパーを使ったベルトサンダーを用いた「サンディング」と、「サンディング」を行った後にさらに砥石で平滑に仕上げる「フィニッシュストーン仕上げ(ストーンフィニッシュとも)」とがある。それらのスキー板ソールチューンナップは、アルペン競技用・技術選手権用・一般用など、その目的に応じた種類を選んで行われている。
ブーツをスキー板に固定させるための器具。爪先を固定するトーピースと、踵を固定するヒールピースからなる。
ビンディングの語源は英語のBinding(バインディング)とドイツ語のBindung(ビンドゥング)との混同によるという説があり、スキーヤーの間でも「ビンディング」と英語読みの「バインディング」の両方の言葉が使われている。なお、全日本スキー連盟(以下、SAJ)の著書中では、「日本スキー教程」では「バインディング(binding)」の表記を、「日本スキー教程『安全編』」では「ビンディング」の表記をしていて、両語とも使われている。加えて、後述するS-B-Bシステムにおいては「ビンディング」の言葉が使われる。
ビンディングとスキー板は、直接あるいはプレートを介してトーピースとヒールピースがそれぞれ別に固定されるものが多いが、トーピースとヒールピースが別の部品を介して一体のものとなっていて、その部品がスキー板と固定される場合もある。これはスキー板に直接取り付けた場合にトーピースとヒールピースの間にあるスキー板部分のたわみが阻害されるため、取り付け位置をそれぞれ独立させてスキーのたわみ性能を十分に引き出すためにあり、後述するプレートにも同様の役割を持つ物がある。また直接スキーに取り付けない事でトーピースとヒールピースそれぞれの位置を動かす事が出来るビンディングも存在し、スキーブーツのサイズが変わった際の対応や、スキー板に載る位置を変えるなどが出来る。
1970年代以降のアルペンスキーでは、滑走中の転倒などによるけがを防ぐためブーツから一定以上の力が加わるとブーツを外すリリース機構がついているセイフティビンディングが一般に用いられるようになった。ただし、おおむね1m未満のショートスキー板の場合、板の重量が軽いことや転倒時の脚への負荷の違いを考慮して、セイフティビンディングでない、簡易なものが用いられている。また、山岳スキーでは登行時にかかとが上がることが求められるため、リリース機構がついていない、あるいはトーピースのみにリリース機構がついたものが長年用いられてきたが、2000年ごろから、ゲレンデスキーにおけるカービングスキーの流行やそれに伴う滑走速度の高速化を山岳スキーにおいても実現したい人々の要望に応じるよう、トーピースとヒールピースの両方にリリース機構を有する、ゲレンデスキー用のセイフティビンディングと安全性において匹敵するような山岳スキー用ビンディングも普及するようになった。
セイフティビンディングでは、解放時にスキー板が流れるのを防止するためのスキーブレーキがヒールピースに備えられているが、ショートスキー用の簡易ビンディングでは存在せず、山岳スキー用の場合はまちまちである。また国際スキー連盟(FIS)におけるアルペン競技用のビンディングのスキーブレーキは装着が義務となっている。スキーブレーキを備えていない場合は流れ止め(リーシュコードとも)と呼ばれる長いひもで身体とビンディングを結びつけて、外したスキー板が流れ続けないようにする。山岳スキーやバックカントリースキーの場合は、深雪での転倒時に外れたスキー板を紛失したり、深雪のために外れたスキー板の場所まで移動が困難や不可能となってスキー板の回収も困難や不可能になる事があり、スキー板の回収を容易にする目的と遭難防止の点から、以前よりスキーブレーキを備えたスキー板でも流れ止めを使う山岳スキーヤーは多く、かつ命を守るための必須アイテムとなっている。
セイフティビンディングは、現在の主流はステップイン式とターンテーブル式に二分される。
どちらもトーピースは同様の機構となっていて、ブーツの爪先のコバを前上左右から固定する。固定部材は上下軸によって左右に動くのだが、左右の力に対してはばねの弾性で一定の力までは耐えるが、それを越えると解放する。上方向や斜め方向の力については、とくに考慮していないものと、解放するものとがある。
ヒールピースは、ブーツのかかとのコバを上から抑えつけて固定する。ステップイン式は、ブーツを固定している部材が左右軸によって前方向に倒れることでブーツのかかとのコバを上から固定し、またヒールピースの位置によって後方からも固定する。固定された部材はばねの力で引っ張られており、指定された強度を越える力がかかることで解放する。ターンテーブル式は、ヒールピース全体が上下軸で動くターンテーブルの上に乗っていて、左右に少し動くことが特徴となっている。ブーツを固定する部材は左右軸によって動くが、ステップイン式とは異なり、部材を持ち上げた状態で上後方から圧縮されたばねの伸長力で固定する。
両方式について、ターンテーブル式のほうが正確に解放するとも言われるが、ステップイン式のほうが扱いやすさに優るため、市場のシェアはステップイン式のほうが大きい。しかし上級者を中心としてターンテーブル式にも根強い支持があり、両方式とも用いられている。なお、現在ターンテーブル式は準競技用モデルが残るのみとなっている。
セイフティビンディングについては安全性やブーツとの互換性のため、ブーツのコバ高や、個々のビンディングで設定する解放強度に対応する解放力や解放モーメント、スキーヤーにとって適切な解放強度の算出方法などが規格化されており、先行して規格化を行ったDINになぞらえてDIN規格と呼ぶことが多いが、現在はISOで規格化されているものを各メーカーとも用いている。 詳細はS-B-Bシステムを参照。
スキー板とビンディングの間に取り付けられる板。材質はステンレスやアルミニウム合金などの金属、プラスチック、あるいは木材であり、長さはビンディングの固定場所より前後に少し長い程度のものが多く、幅はスキー板と揃うものが一般的である。厚さは、目的によりさまざまである。
スキーにおけるプレートの利用は比較的新しく、1990年代からである。高速系競技での振動吸収を目的とした金属製プレートが最初となる。このプレートはスキー板とは前後の2ヵ所で固定され、その上にビンディングが取り付けられた。主な目的は、振動吸収にあった。高速系競技では雪面の細かい凸凹とスキー板がぶつかったときの細かい振動がスキーヤーに返ってくることがあり、それはスキーヤーの操作ミスを引き起こして事故や速度低下の要因となる。そのような滑走に有害な振動を低減させる工夫のひとつとしてプレートが考案され、利用された。この時点でのプレートはもっぱら本格的な競技スキーヤーのみのためのものであった。
しかし、ほどなくして、プレートの高さがカービングターン(後述)にとって有効であることが見出された。その有効性のひとつは雪面とスキーブーツの接触抑止である。カービングターンでは脚をターンの内側に大きく傾けることになるが、このときプレートをつけていないスキー板を利用していると、ブーツの側面が雪面とぶつかることになる。これはスキーヤーにとって減速要素となるとともに、スキー操作を誤らせる要因ともなるが、プレートを利用するとスキーブーツが雪面から遠くなるために、雪面との接触を防ぐことができ、より大きく脚をターン内側に傾けることができるようになる。もうひとつの有効性は、てこの原理により雪面に板を食い込ませやすくなることである。硬いアイスバーンを含む雪面にスキー板を食い込ませようとした場合、力点となるスキーヤーの足裏がエッジから遠くなるほど、大きい力をかけることができるようになる。こうした知見とカービングスキーの一般化に伴って、プレートの利用も一般スキーヤーにまで広がることになった。一方、プレートを高くし過ぎることは、転倒や操作ミスの際に本来とは異なる場所を支点としたてこでの応力がスキーヤーの脚にかかることにもつながり、実際に事故も起きている。そのため、現在ではアルペン競技ではプレートの高さについて、雪面からの高さで制限を設けて規制している。この規制は当初はスキーブーツの裏にプラスチック板を貼ることで高さを稼ぐ、という抜け穴の発明を促したが、現在ではスキー板にブーツを取り付けた状態でのインソールまでの高さも規制対象とすることで抜け穴は塞がれている。
技術系競技用のプレートや高速滑走用以外の一般スキーヤー向けのプレートは、振動吸収に求める内容が異なり、あるいは重視しないため、重い金属製のプレートではなく、軽いプラスチック製、あるいは複数の素材を複合したプレートが用いられる。また、1990年代後半に流行したエクストリーム・カービングのような、カービングターンのみを目的とした滑走では、高さを稼ぐことを主眼として木製のプレートが使われることもあった。これは、加工や成型が容易であり小規模な企業や個人でも製作が可能であったからである。
プレートとスキー板の固定方法は多様で、前後2ヶ所で固定する場合、中央あるいは前後のいずれか1ヶ所のみを固定する場合、前後のビンディング付近のみにプレートを付ける場合などがあり、さらに2ヶ所固定の場合でも、片方は完全な固定ではなくスキー板のたわみにあわせて可動するものもある。これらの取り付け方法は、スキー板のたわみを阻害しないためのさまざまな工夫において行われている。
プレートの利用が一般化するにつれて、スキー板の各メーカーも設計段階からプレートの利用を前提とした設計をし、プレートを取り付けた状態でスキー板を販売するようになった。これには、プレートが完全にスキー板と一体となっている場合も含む。こうした一体販売は、技術的な長所の追求とともに、スキー板メーカー以外のサードパーティのプレートを買わせない、という販売政策の面も伴う。実際、一体型プレートにあらかじめビンディング取付用のビス穴を備えておき、そのビス穴は自社、あるいは提携先のビンディングのみ対応する、というメーカーも多い。ときとして、自社製品であっても古いモデルとは互換でないビス穴を用いることでスキー板よりも製品寿命が長いビンディングの再利用を拒む場合すらある。
なお、次の場合ではあえてスキー板にプレートを付けないケースがある。
スキーの際に人が履く履物。スキー靴とも呼ぶ。スキーブーツはビンディングを介してスキー板と接続される。1930年代以前は登山靴などが用いられていたが、ビンディングでよりしっかりと固定可能な専用靴として開発されたものである。
アルペンスキーのスキーブーツは、ブーツとしては脛までを覆う長さ、膝下というにはやや短い程度となっている。足首から脛にかけての広範囲が柔軟性に乏しいスキーブーツに覆われることによって、スキーヤーは足首捻挫を起こすことなく、スキー板からの力を受け止め、あるいは積極的にスキー板へ圧力をかけるべく運動することができる。スキーブーツのソールの形状はISOで規格化されており、どのセイフティビンディングとも互換性が保証されている。
1970年代前半までは皮革製が一般的であったが、1960年代後半に登場したプラスチックブーツが1970年代後半には一般的となった。ほとんど全てのスキーブーツは、外側を覆うシェルと、足が直接触れるインナーブーツの二重構造になっている。シェルの素材としては、ポリウレタンが弾性などの力学的特性の良さから好んで用いられている。なかでも、ポリエーテルポリオールを原料とするポリエーテルポリウレタンが上級者モデルでは好まれるが、ポリエステルポリオールを原料とするポリエステルポリウレタンも広く用いられている。ポリウレタンは加水分解などにより徐々に分解するため、長期間の利用によりスキーブーツは割れたり崩壊することがある。実際にどれくらいの期間で破損に至るかは組成や利用頻度・保管条件などによりまちまちだが、全日本スキー連盟(SAJ)・日本プロスキー教師協会(以下、SIA)では、製造から5年程度を目安として、滑走中の破損による事故を防止するためにチェック項目を含めて広報している。なお、初級者モデルでは、より柔かいポリエチレンなどが用いられる場合もある。インナーは、シェルと足の間を埋め、適度なクッション性と保温の効果をもたらすために存在する。主な素材は合成樹脂による発泡フォームであり、足と接する内側には起毛やパイル地などの保温性の高い柔かい布が、シェルと接する外側にはすべりのよい合成繊維の布や薄いプラスチック板が用いられていることが多い。
現在のアルペンスキーのスキーブーツの構造は、フロントバックル型と呼ばれるものがほとんどとなっている。このほか、フロントバックル型の派生として3ピース型やミッドエントリー型と呼ばれるもの、あるいはソフトブーツといったものがあり、また、全く異なる構造のものとしてリアエントリー型が存在する。以下、フロントバックル型の構造について説明し、ついで他の型についても説明する。
フロントバックル型は、プラスチックブーツに移行する前の皮革製のころからのスキーブーツの基本型で、甲と脛にあるバックルでシェルを締めて足をブーツに固定するのが最大の特徴である。シェルは、多くのものはソール(靴底)と一体となってくるぶしまでを覆うロワシェル(Lower Shell)と、くるぶしからすねにかけてを覆うアッパーシェル(Upper Shell)の2つに区分され、両者がビスで接合されている。シェルは、ロワシェルとアッパーシェルの両方とも前になる部分が開き、かつ左右から重ね合わさる形状となっていて、そこにバックルとバックル受けが取り付けられている。このような形をとることで、バックルを締めることで足を固定できる。バックルはロワシェル部分、アッパーシェル部分それぞれに1〜3つ存在するが、多くの物は各2となっている。子ども用の物はブーツの大きさの関係で各1の物が多い。また近年は、アッパーシェルのバックルの上、ブーツの最上部にベルクロテープつきのベルトを備え、これでさらに足を固定するものが多い。ロワシェルの下部はソールが一体となっている。ソールはセイフティビンディングにハメ込むためのコバがトゥとヒールの前後両側に大きく張り出している。一部のメーカーのソールは、摩耗時の対策として、ビス留めのトップリフトをトゥとヒールの両方に備え、交換可能。ロワシェルの内部では、安価な初級モデルを除いて硬質プラスチックや金属製によるミッドソールが入っており、インナーブーツを載せる台の役割を兼ねている。硬いミッドソールは革靴におけるシャンクと同様に強い力がかかったときにソールがゆがむことを防ぐ。これは滑走時に大きな力がかかるスキーブーツではビンディングの誤解放を防ぐ意味でも重要である。なお、革靴のシャンクと異なり、アルペンスキーのスキーブーツでは足指にあわせてソールが、屈曲するようにはならない。山岳スキー用の兼用靴やテレマークスキー用のブーツでは足指にあわせてソールが曲がるように作られている。一方で、アルペンスキーでは歩行やテレマーク姿勢を考慮する必要がないためである。フロントバックル型のブーツのインナーブーツは、インナーブーツ本体とタンから構成される。インナーブーツ本体は通常は、甲から脛の部分が大きく開いていて、タンが下部で固定されている。タンにはインナーブーツ本体よりも、固い素材を用いることが多い。なお、インナーブーツ内には、通常、インソールが入っていて、足裏とフィットするようになっている。
フロントバックル型のバリエーションのひとつは、3ピース型と呼ばれるものである。これは、シェルをロワシェルとリアシェルとフレックスタンの3つから構成する。ロワシェルとリアシェルが通常のフロントバックルのシェルに対応するが、前部が大きく開いた形状となる。そこに、蛇腹状に成形されて柔軟性を高めたプラスチックのタンが覆いかぶさり、これをワイヤのみ、あるいはワイヤとバックルの両方で締めて固定する。インナーブーツは通常のフロントバックル型とほぼ同様である。特許や金型の問題から、製造は1社のみだが、根強いファンが存在している。
フロントバックル型のバリエーションのもうひとつは、ミッドエントリー型と呼ばれるものである。これは、快適性を重視したもので、フロントバックル型のシェルのアッパーシェルが前後に分かれて開くものである。フロントバックル型のブーツは、前述のようにオーバラップしたシェル素材で覆われているため、足を出し入れする際にはブーツを手などで押し開く必要があり、この手間はスキー初心者などには受け入れがたいものだとされることが多い。また、一般にフロントバックルブーツのアッパーシェルは、滑走時の姿勢を重視した角度でロワシェルに取り付けられているが、これは休憩時などに立ったままでいたり歩くのに不便である。ミッドエントリー型はこうしたフロントバックル型の欠点を取り除くために開発されたものだが、性能面の問題で熱心なスキーファンを引きつけるものとならなかったこともあり市場に定着できていない。
いまひとつのバリエーションは、ソフトブーツである。フロントバックル型のスキーブーツが快適でないのは、足入れのしにくさとともに、シェルが固いことそのものにもある。そこで、スキーを滑るのに必要な剛性を確保するフレームのなかに柔かいインナーブーツを固定するという形でスキーにおけるソフトブーツが2000年代初頭に実現され、市場に出た。性能面の問題から市場に定着せず、2007年現在は新モデルとしてみることはなくなっているが、レンタルスキー用具としては使われている場合がある。
最後に、フロントバックル型とは全く異なるリアエントリー型である。リアエントリー型は、シェルがフロントシェル(Front Shell)とリアシェル(Rear Shell)の2つに大きく前後に分かれる。リアシェルは脹脛から踵にかけてのブーツ後方の部分となっており、そこが下部をヒンジとして大きく開く。ソールは全てフロントシェルに属している。リアエントリーのブーツでは、リアシェルを開いた状態でインナーブーツも後方が大きく開口していて、そこに足を入れ、リアシェルを閉じて脹脛のバックルで締める(リアシェルの内側にはインナーブーツの蓋がついているため、足に直接接する部分はインナーブーツである)が、製品によってはフロントシェルとリアシェルをワイヤで繋ぎ、リアシェルに取り付けたダイヤルでワイヤを巻いて締め付け、解放はボタンを押してワイヤを緩めるタイプもあった。フロントバックルやそのバリエーションのブーツでは、足はシェル全体の締め付けで固定される。それに対して、リアエントリーのブーツのバックルで締め付けられるのは、脛と脹脛のみとなる。スキー滑走では足全体がブーツに固定される必要があるので、リアエントリーブーツでは、固定用のプレートをシェルに内蔵し、足首はプレートを介してワイヤで締めつけてブーツに固定し、足の甲に対してはプレートをねじを用いて押しつけるように固定するものが多い。過去にはシェルとインナーの間にエアバッグを内蔵し、シェルに取り付けたエアポンプで履いた後に空気を出し入れして調節する物もあった。リアエントリーは1980年代に席巻し、一時はトップスキーヤーまでもが用いるモデルが登場したが、1990年代になってその利用が衰退した。リアエントリーブーツは足首を曲げづらく、スキー技術において足首を使えないのは致命的であるためである。ただ、構造上、スキーヤーの足に細かくフィットした形状でないと不快感が出やすいフロントバックル型と異なり調整範囲が極めて広いことや、容易に脱着できること、爪先や甲が浸水してぬれることがないことから、初級スキーヤー向けのレンタル用品としては残り続けている。
一時的なリアエントリー型の爆発的普及の要因として以下のことが考えられる。当初のフロントバックル型ブーツはシェルに取り付けられたバックルとバックル受けの位置が完全に固定され、そのために締め付け調節が限られた範囲でしか出来ない。体格差により、特に脹脛が太い人はバックルが全く届かなくて締め付ける事が出来ない場合があり、何とかバックルを締めたとしても極端な締め付けとなるために強烈な痛み・うっ血・内出血などの外傷を起こし、とても履いていられなくなるという致命的欠点を抱えている。一方で、脹脛の太さに合わせるとくるぶしより下のか足全体が緩くなってしまい、フォーミング(発泡樹脂をインナーブーツに充填して足の形に合わせるチューンナップ)等を行わなければならない。その点、リアエントリー型は可動範囲が広い事で脹脛の太さの対応範囲にかなりの余裕があり脹脛が太い人を中心に好まれた。特にトップアスリートとなると必然的に脚全体の筋肉が発達してふくらはぎも太くなるため、その点でも好まれたという事である。その当時であっても、スキーショップによってはフロントバックル型ブーツのシェルに別穴を開けてバックルやバックル受けを付け直すケースも見られたが、シェルの強度の低下が懸念されるためにその後は勧められなくなった。なお、現在のフロントバックル型ブーツのシェルは、最初から、あらゆる脹脛の太さに対応出来るよう、あらかじめ専用の工具でバックルの取り外し・再取り付けをして位置調節が可能なビス穴がいくつか付けられた設計となっている物もあり、状況が改善している。
S-B-Bシステムとは、S(スキー)-B(ビンディング)-B(ブーツ)システムの事で、この3つの組み合わせと、それにともなう、最も安全に重要なビンディングの解放にともなう調整値算出に関連した規格である。
解放調整値の算出は身長・体重・年齢・ブーツソール長・スキーヤータイプ(技量)の情報により、「国際規格 ISO 10088:スキー・ビンディング・ブーツ(S-B-Bシステム)の組み立て・調整」に準拠して行わなければならない。なお、このISO規格は日本でも1997年にJIS化し、「JIS S 7028」としている。
ISOおよびJISにより制定される以前は、ビンディングの調整はスキーショップ以外でも「外れやすいから」という理由で自分で調節するケースもあったが、適切ではないビンディングの調整は必要時に解放されなくて事故となりやすい事と、現在はスキーショップにおいての取り付け・調整作業は「加工」という概念にあたるためにPL法の対象となる事もあり、規格を準拠して、上記の情報を基に適正な解放調整値にしてもらう事が、事故を防ぐという点でも必要である。
アルペンスキーにおけるストックの役割は山スキーやクロスカントリースキーの使用目的と若干異なる場合がある。
初中級スキーヤーがレジャースポーツとして楽しむ場合、リフト乗降場において身体を前進させるための手がかりや待機時にバランスをとる杖代わりという認識が多い。しかしストックは、スキースクールにおいて一般的に教わるターン始動のきっかけを作るストックワーク以外に、左右前後のバランスを取るために重要な役割を果たしている。簡単に言うとやじろべえの左右の腕の役割をストックが担っており、ストックを握っている手の位置によって前後のポジショニングがほぼ決まると言える。特にコブ斜面でのバランスはストックによる影響が大きいためストック自体のバランス、振りやすさ、および長さが重要なポイントとなるが、上級者は更なるバランス感覚を磨くためにあえてコブ斜面をノーストックで滑る事がある。
また山岳スキーやクロスカントリーでは新雪での歩行が伴うためバスケットも比較的大きいが、新雪や深雪斜面であっても滑り降りるだけのアルペンスキーでは大きさの大小は特に気にする必要はない。しかし新雪で転倒した場合、小さいバスケットでは潜ってしまう事もあり、自身のスキースタイルと技量によって選択する必要がある。なお、新雪で転倒して、ストックを突いても潜ってしまい、立ち上がれない場合には、ストックを手から外して×形にクロスさせて雪面に置き、雪面からの支持力を高めて、クロスしたストックの中心に手をついて立ち上がる手段がある。
競技用バーン(斜面)は水や硫安・塩カリ等の凝固剤の散布によってスケートリンクのように硬いアイスバーンとなるため、ストックの石突は鋭利で硬質となっている。
ストックのシャフトはアルペン競技の内容によって目的が違い、回転(スラローム/Slalom)では、ストック本来の使用方法以外に可倒ポールから自身の体を守りつつポールを倒すプロテクターの役割もはたす。また、その目的でストックのグリップ部分にナックルガードを取り付ける事が多い。一方で高速系競技の滑降(ダウンヒル/Downhill)・スーパー大回転(スーパージャイアントスラローム/Super Giant Slalom, Super G)に使われるストックのシャフトは、滑走者がクローチング姿勢を取りやすいように体型に合わせて屈曲している物が多い。
アルペン競技用に使われるストックのバスケットは主に空気抵抗減少を目的として非常に小さいものが装着され、特に高速系競技(滑降・スーパー大回転)に使われる物は空気抵抗がシビアになるために円錐形やピンポン玉形状として、バスケットと呼ぶのが難しい物が付いている事もある。
ワックスはスキーの滑走性の向上と滑走面の保護のために使用するもので、主に固形のもの(アイロンで溶かして塗りこむ)、液体のもの(スプレータイプとリキッドタイプ)、パウダータイプのものがある。
固形のハイドロカーボン(パラフィン)、フッ素などでできたワックスは、専用のアイロンで溶かしてスキーの滑走面に垂らしてからアイロンを動かしてまんべんなく塗りこむ。冷えて固まった後、スクレーパーと呼ばれる厚い定規のようなプラスチック板で余剰分を削り落とす。この一連の作業を「ホットワックス」という。滑走面に浸み込んだ汚れがワックスで浮き出るクリーニング効果もある。雪温に応じてフッ素の配合率が違う複数のタイプを使い分ける。春先など雪温が高くなるほど水分が多くなるので高雪温用はフッ素配合率が高い。
固形タイプのワックスは、種類によっては時に固形のまま直接スキーの滑走面に塗り込む事があり、これは主に「生塗り」と呼ばれている。ホットワックスに比べると持続性に欠けるが、携帯しやすい事から雪質の変化等で滑走性が悪くなった時にそのつど行える利点がある。また、生塗りを行った後でワックスコルクや専用のブラシで磨き込む事もある。
スプレータイプとリキッドタイプのワックスはホットワックスに比べて手軽だが、持続性に欠ける事が多い。滑走面にスプレーするかリキッドを塗った後、ワックスコルクや専用のブラシで滑走面を磨くようにして塗り込むと良い。なお、リキッドタイプは小型容器やペーパーに染み込ませた物など携帯しやすい物があり、そのつど塗る事も出来る。またリキッドタイプ等の携帯タイプの容器に小型のワックスコルクや、ワックスコルクの代用となるフェルトが取り付けられている事もある。
スプレータイプやリキッドタイプを主に使用している場合のスキーシーズン終了後は、保管中の滑走面やエッジの保護を目的にワックスを塗っておき、シーズン始めにワックスリムーバーと呼ばれるワックスの剥離剤を塗るなどして古いワックスを落とし、再度新しいワックスを塗り込んで滑走性を良くする事を行うケースもある。
パウダータイプのワックスは主にスタートワックスとも言われ、アルペン競技などのスタート直前に滑走面にふり、スプレータイプやリキッドタイプと同様にワックスコルクで磨いて塗り込む。持続性はなく、スタート直後、最初の1〜2ターンしか保たない。フッ素100%配合であるため通常のワックスよりも非常に高価である。スタートワックスは固形タイプ・リキッドタイプ等の物もある。
コンマ1秒を競うアルペン競技の場合はその日の雪の状況や雪温を調べ、それに最も適したワックスを塗る。
初心者などの間では「ワックスを塗るとスピードが出て危険だ」という誤解が生じがちだが、むしろワックスを塗らなければスキーの板に雪がくっついてしまい、滑らなくなるばかりか転倒する危険もある。そのために初心者でもスキー板の表面にワックスを塗ることはとても大切であり、特にインストラクターは初心者に「歩く」「滑る」「止まる」「回る」のスキーの要素から「滑っても止まれる」事を教え、ワックスの必要性と合わせて知ってもらう事が大事である。
スキーヤーは、以下のような服やアクセサリーを身につけるのが一般的である。
防寒具としてはもとより、一般のスキーヤーの間ではファッションとしての要素も併せ持つ。かつては蛍光色や原色などの、雪の白に対して映える色使いが主だったが、近頃はスノーボーダーの影響からか、ストリート系、ルーズファッションと呼ばれる街着に近い型が流行している。またユニフォームとしての側面から、アルペン競技のジュリー等関係者・基礎スキー大会の公認スキー検定員によるイグザミナー等関係者・公認スキー学校のスキー指導者・スキーパトロール・その他のチームや団体等では統一デザインとしたスキーウェアとなっている事もある。ウェアによっては硬い雪面等から身を守れるよう、堅牢な作りとなっている物や、プロテクターが組み込まれた物もある。
近年のスノーボーダー用ウェアの普及でデザインの共通化も見られる事から、スキーウェアとの区別が付きにくくなりつつあるが、通常のスキーウェアのパンツ部分については一般的に、裾の内側に皮革やプラスチック等で出来ているエッジガードと呼ばれる、その名の通りスキーのエッジでウェアの裾が切れない構造となっているものが取り付けられている。なお、特に気にならなければスノーボーダー用のウェアを着用するケースもある。
レース時に着用されるウェアである。空気抵抗を減らすため、ポリウレタン混紡等の薄い伸縮性生地を用い、身体に密着するように製作される。表面はカレンダー処理等の方法で高い平滑性を持たせたり、空気の流れを整えるためのパターンが着用時に浮き出るような特殊な加工が施されることもある。テレビジョン中継等、各種メディアへの露出度が高いことから、各チームの個性を演出すべく目立つデザインのプリントがされている場合が多く、選手のスポンサー企業のロゴなどがあしらわれることもある。通常上下一体のワンピース型であり、レーシングワンピースとも呼ばれる。その保温性はスキーが行われるような環境で着用するには全く不十分であり、スタートの直前までは防寒用のスキーウェアをレーシングスーツの外側に重ね着しておくことが普通である。スーパー大回転、大回転、回転競技用のスーツには、ポールへの衝突から身体を保護するプロテクターを組み込んだものもある。1970年代には表面をビニルコーティングしたスーツが用いられていたが、スピードが出すぎて危険なこと、また汗が内部から蒸散せず、皮膚障害の原因になりかねないことから、国際スキー連盟(以下、FIS)により通気性の素材を用いなければならないルールが制定された。重要な公式大会の滑降、スーパー大回転、大回転競技では、あらかじめFISによる通気性等のテストを受け、プロンプと呼ばれる合格証を取り付けたスーツでなければ着用できない。プロンプが不要の回転競技では、ツーピースタイプのレーシングスーツを着用する場合もある。
速度が出るごとに威力が増す降雪や気流、雪面から照り返す強い太陽光から目を守るために装着する。吹雪などで前方の視界が確保できないことは危険であるし、また強い太陽光は目を傷める可能性がある。
ゴーグルの中にはレンズが着色されていて、サングラスの機能を兼ねるものも多くある。ただ、安価なゴーグルやサングラスの中には、色つきでも紫外線を遮断しないものがあり、その場合、可視光が遮られて瞳孔が拡大するが紫外線量は変化しないために、かえって目を傷める事があるので注意を要する。
紫外線は水平方向から目に入る以外に、雪面(海ならば海面)からの照り返しと呼ばれる反射によって斜め方向から目に届く事があり、偏光サングラスおよび偏光グラスのゴーグルは斜め方向から入射される紫外線から目を保護する。
サングラスの場合、ゴーグル程の冷気や雪の吹き込みなどを防ぐ効果は無いが、逆に通気性の良さから、大汗をかきやすいためにゴーグル内部が汗による水蒸気で曇りやすい人には割と好まれている。この場合、ベンチレーター(換気装置)付きのゴーグルでも曇りが取れないとか、曇り止めを使うと防げるが、水蒸気がレンズ全面に貼り付いて水膜を生じ、視界が悪化するというケースもあって、後述する特別な事情がない限りは特に好まれる。さらに山岳スキー・バックカントリースキーにおいて、登攀時はその運動量の多さから特に汗をかきやすいため、登攀時にはサングラス、滑走時にはゴーグルという使い分けをする事が多い。また、その場合で雪まみれになったり破損するなどした時に備えて予備のレンズまたはゴーグルの用意をする事もあり、それらの方法が勧められている。
SAJでは、事故の際に割れたサングラスで顔面を負傷する事例がある事からゴーグルの着用が勧められていて、義務では無いものの、SAJの安全方針を認識しているスキーバッジテスト・SAJスキー指導員及び準指導員検定(実技)などの受検者やアルペン競技・全日本スキー技術選手権大会などの選手はほぼ全員ゴーグルを着用している。
低温下でも指先の感覚を失わないよう、分厚い作りになっている。手のひら側には革や樹脂などの滑り止めが施され、ストックを安定して掴むことができるよう工夫されている。
一般のスキーヤーでは無帽の者も珍しくないが、転倒したところへ他のスキーヤーが衝突し、エッジで頭を切ったり衝突時の衝撃を受ける等で頭部から出血する事もあるため、怪我の予防から帽子をかぶる事が望ましいが、なるべくならヘルメットを着用する事が、後述する点からも特に望まれている。
一般的に、海外からのスキーヤーに比べ、日本のスキーヤーのヘルメット着用率は低く、欧米における一般スキーヤー着用率が80%と言われているのに対し、日本におけるスキーヤーの事故発生受傷時のヘルメット着用率は37%となっており、前述のゴーグル同様にSAJでは一般のスキーヤーに対してヘルメットの着用を勧めている。アルペンスキー用のヘルメット規格は、SAJがFISに準じて「CE EN1077」または「ASTM F2040」が推奨されている。前述した安全面からのSAJ等によるヘルメット推奨の理由から、これまでもSAJスキー指導員・準指導員やその検定受検者等は安全方針を認識している事もあり、ヘルメット着用率は高い。ヘルメット使用者はいずれの場合でも、サイズがフィットする物でゴーグルと相性が良いものを選ぶのが良く、使用前の点検は欠かせない。
スキー用に限らず全てのヘルメットに言える事だが、一度でも衝撃を受けたヘルメットは衝撃吸収力が損なわれている事から使用しない方が良い。また、安全上分解・切削・加工等の改造を行ってはならない。
アルペン競技においては安全面から、FISでは【アルペン】競技規則(ICR)606.4の規定によって全ての競技においてヘルメットが義務化されている。またSAJではスキー用具に係る国内運用規定によって滑降・スーパー大回転・大回転においてはヘルメットが義務化されていて、回転においては推奨としている。
アルペン競技用のヘルメット規格はFISの規定により、全ての競技において2018年度までは「CE EN1077」のみ認められていたが、2019年度からは規則改定により「FISステッカーRH2013」のみ認められている。なお、SAJは滑降・スーパー大回転・大回転についてはFISに準じて同規格と定めているが、回転については推奨であるために「CE EN1077」及び「ASTM F2040」の規格品も使用出来る。そのため、この場合において他競技にはないヘルメット耳部分のソフトパッド使用が認められている。
高速系競技となる滑降・スーパー大回転では時に時速100kmにも達する速度で滑走するため、転倒時などに頭を守るためと、髪の空気抵抗を抑える役割があり、その点から義務化以前より着用が勧められていた。回転では可倒式ポールとのコンタクトが強く、時に腕やストックで払いきれなかった可倒式ポールが顔面に当たる事もあり、顔面保護の目的でチンガードが付くヘルメットもある。
前述した、安全面からのSAJなどによるヘルメット推奨の理由から、これまでも全日本スキー技術選手権大会(以下、技術選)等の基礎スキーの選手は安全方針を認識していてヘルメット着用率は高いが、技術選や全日本ジュニアスキー技術選手権(以下、ジュニア技術選)においては現在の規則にヘルメットの着用義務が明記されていて、ヘルメットは必ず着用する事になっている。なお、それ以外の基礎スキー大会でも、参加者の安全方針認知や、安全面から運営側で技術選やジュニア技術選に準じた規則とする場合などもあって、選手のヘルメット着用率は高い。
主に競技用。転倒時の硬い雪面や、ターンする際のポールから体を守るために装着する。すね当て、臀部、大腿部、下半身全体を防護するもの、全身を防護する鎧のようなものまで様々。ウェアの下に装着し、外見ではプロテクターが目立たないタイプも普及している。
一般向けには初心者や小児の怪我防止に簡易な膝当てなどが使用されることがある。
参考資料:日本スキー教程/全日本スキー連盟・著に掲載されている順に表記する。
スキーの滑走の際は、基本的に次の用語がよく使われている。
1)山・谷 スキーにおいては、ゲレンデなどの斜面上部や山頂に向かう側を「山」、逆に斜面を下る側を「谷」と呼ぶ。斜面の山から谷に向かう方向の最大斜度となる方向がフォールライン(最大傾斜線)と呼ばれる。 主に静止または斜滑降の状態にあるスキーの位置で「山脚」「谷脚」・「山スキー」「谷スキー」という言葉や、ターン時の方向で「山回り」「谷回り」という言葉で使われる。
2)内・外 一つ目は、プルークの体勢を取った時などに、自分の身体の中心側を「内」、逆に外側をそのまま「外」と呼ぶ。主にスキーのエッジで身体の中心側にあるのを「内エッジ」、反対側を「外エッジ」と呼んだり、股関節を中心に下肢(脚)を内側にひねる事を「内旋」、逆を「外旋」と呼んだりする。 もう一つは、ターン時にターン弧の中心に向かう側が「内」、逆にターンの外側がそのまま「外」と呼ばれる。主にターンにおいて「内脚」「内スキー」「外脚」「外スキー」という呼び方をする。
3)「ハ」の字・V字 スキーのトップを閉じてテールを開いたプルーク体勢を取った時のスキーの形が片仮名の「ハ」の形になっている状態から「『ハ』の字」と呼ばれる。また、開脚登行・山回りの方向転換・スケーティング(いずれも後述)を行う際に、プルークとは逆にスキーのトップが開いてテールが閉じている形がアルファベットの「V」の形になっている状態から、こちらは「V字」と呼ばれる。
「『ハ』の字」は片仮名ゆえに日本国内においてのみ通じる呼び名で、英語では「Wedge stance(ウェッジスタンス)」と呼ばれている。
4)「く」の字 ターン時、身体の上半身をターン外に屈曲させた体勢の事を指し、正面から見た身体が平仮名の「く」の形になっている事から「『く』の字」と呼ばれる。「く」の字体勢の姿勢は、プルークスタンスから上半身を固定したままで脚をパラレル(平行)に持ってきた体勢を基本としている。外脚荷重を積極的に行うために従来から取られてきた姿勢だが、SAJでは一時期、カービングスキーが普及し始めた頃に「く」の字姿勢ではなく身体をほぼ一直線にしてカーブの内側に倒す(「内倒」と呼ばれる)体勢として楽な滑り方を採用・指導していた事があった。その後、カービングスキーであっても外脚荷重を重視する目的で再び「く」の字姿勢を採用・指導する方針に戻し、現在に至っている。
「『く』の字」は平仮名ゆえに日本国内においてのみ通じる呼び名なので、海外においては「Like a bow(弓のような・弓なり)」と表現すると通じる事が多い。
スキー初心者に、主に初歩動作として教える技術だが、様々な状況で使える技術となっている。
スキーブーツは構造上足首が固定されていることから、初心者は歩行時に戸惑う事があるため、まずはブーツを履いた状態での歩行になれる必要があり、主に次の2つがある。いずれの場合でも、初心者はストックも使ってバランスを取りながら行うと良い。
1)踵・爪先をつけて歩く 雪面を踵 → ブーツ底面 → 爪先の順につけて歩く方法で、普通の歩き方に近い。なお、氷結面やタイル床等の滑りやすい場所ではかかとをつけた段階で滑って転びやすい事があり、注意が必要。
2)ベタ足で歩く 氷結面等の滑りやすい場所で歩きやすい歩き方である。ブーツの底を雪面や氷結面と平行に置きながら、爪先は前に向けた状態として、小さい歩幅で歩く。スキーブーツを履かない段階で意識して練習する方法もある。余談だが、この歩き方は普段の生活で積雪路面や凍結路面等の滑りやすい場所を歩く時にも有効で、一部の地域では「ペンギン歩き」と呼ばれる事もある。
スキーを履いた状態の歩行は、2)と同様にベタ足で歩いたり、スキーを前後に滑らせながら歩く方法となる。スキーを履いての歩行はリフト乗車時などでよく使われるため、基本技術となっている。
スキーを履いた状態で、両ストックを雪面に突いて前から後に押し込んで推進力を得て滑る技術。歩くよりも速く移動出来る。また、「歩く」から「滑る」へのスキーの本質に触れる技術でもある。
スキーをV字にして、左右交互に踏み出して滑る技術。平地で行う時はストックによって押し出す推進力も合わせて使う。初心者にはエッジの役割と荷重の移動を覚えるのに有効な技術であるほか、上級者、特にアルペン競技においては加速を得るための重要な技術である。
最も簡単に向きを変える方法である。また、エッジの引っかかりを利用して前方または後方に滑らないように出来る事から、同時にエッジの役割も習得出来る。
1)トップ開き スキーのテールを支点にして、ゲレンデの山側にV字に大きく開く → 反対側のスキーを平行に揃える(平地または緩斜面の場合)か少しだけV字に開いた状態(傾斜が強い場合)にスキーを移動させる事をくり返し、ゲレンデの山側を向く方向に回り込む。
2)テール開き スキーのトップを支点にして、ゲレンデの山側に「ハ」の字(プルーク)に開く → 反対側のスキーを平行に揃える(平地または緩斜面の場合)か少しだけ「ハ」の字に開いた状態(傾斜が強い場合)にスキーを移動させる事をくり返し、ゲレンデの谷側を向く方向に回り込む。
斜面で静止状態で方向転換するための技術。いくつかの方法があるが、日本スキー教程/全日本スキー連盟・著に記載されている主な方法を中心に記述する。
1) 両方の板をフォールラインに対して垂直方向に揃えてエッジを立てて静止している状態から、谷脚スキー板のトップを上にするように持ち上げ、板のテールを前方に出して立てる。その状態から板のトップを谷側を経由して倒しながら後方に持っていき、山側の板と逆方向で平行になるように着地させる。これによって、脚は極端な爪先開きの体勢となる一方、上体は谷を向く方向となる。続けて山脚を持ち上げて身体の捻れを解くように谷側に移動させて両方の板が平行になるように着地させる。これによって方向転換が完成する(動画「キックターン-1」参照)。キックターンの中では一番行いやすい方法とされる。
2) 谷脚のスキーを持ち上げてそのままトップを谷側かつ後方に回転させつつ山側にそろえ、脚が極端な爪先開きの体勢、かつ上体が谷を向く方向となったところで、入れ替わって谷側となったスキーのトップを谷側から逆方向に回して同方向に揃える、前述の方法とほぼ逆の動きをするキックターンもある(動画「キックターン-2」参照)。 上記の応用で、谷側のスキーを後方に回転させた後で、入れ替わって谷側となったスキーのテールを立てて雪面に突き、それを支点として板のトップを谷側を経由して倒しながらスキー先端を同じ方向に揃える方法もある(動画「キックターン-3」参照)。
急斜面や狭い場所、スキーレッスンなどにおいて安全な方向転換のためには欠かせない技術で、初心者の段階から習得を求められるものである。なお、子ども・筋力不足やバランスが上手く取れない初心者などでは、1)のキックターンをする際にスキー板を前に立てる事が出来ない人もいるため、板を立てる事が出来るかどうかを確認してから指導する方が良い。
転倒時は傷害の発生が多い事と、初心者においては不慣れや恐怖心から転ぶ事が多いという点から、安全な転び方を習得する事も必要である。
転倒する時は、安全面から「1)腕をつかない」「2)膝をつかない」「3)出来るだけ山側におしりをつく」事を心掛けると良い。通常は山側に横倒れに転ぶ方法が安全とされている。また上級者や競技者に多いが、高速時にジャンプしてスキーのテールから着地した際、身体が後ろに倒れているのをリカバリーしようとして、逆に「膝前十字靱帯(ACL)損傷」という傷害を起こすケースがあるため、この場合は無理に立とうとしないでそのまま後ろに倒れたまま転んだ方が安全とされる。
起き上がる際は、スキーをなるべくフォールラインと垂直に、かつ谷側に置き、身体は山側に置く体勢を取る。そして山側に持ってきた身体の方にストックを突いて、ストックを補助にして腕の力で立ち上がる。急斜面ならば手をつくだけで立ち上がれる場合もある。なお、新雪でストックが潜ってしまう場合は前述の方法もある。
転倒時、スキーが交差してどうしても立ち上がる体勢が取れない場合、ためらわずにスキーを外してから立ち上がる手段を取った方が良い。
斜面を歩いて登るための技術。いずれもエッジを利用する事から、初心者にエッジの有効性を知ってもらう事にも役立つ。
階段登行は、まず両方の板をフォールラインに対して垂直方向に揃え、山脚を山側(斜面の上)へ一歩踏み出して、山側のエッジを立てて食い込ませ、ついで谷脚を山脚に揃える事を繰り返して登っていく。子どもの初心者には「カニ歩き」や「横歩き」という呼称にするとイメージしやすい事もある。応用として、山脚を山側の斜め前に一歩踏み出して登る斜登行と呼ばれる斜め方向への階段登行もあり、ゲレンデの形状に合わせたり、目的地が斜め上側にある時などに使われる。
開脚登行は、斜面を上に見る方向で正面を向き、爪先を開いたV字の状態で両方の板の内エッジを雪面に食い込ませることで足場を確保し、双方の脚を交互に前方に出すことで登っていく。
両方の技術が可能な場所では開脚登行のほうが大きく踏み出すことができるために効率的に登ることができるが、主に子どもや脚の筋力が足りない初心者の場合、開脚登行は斜面が急になってくると登るための力が足りず安全に行うことが難しくなるため、階段登行のほうが有効な技術となる。
現実のゲレンデでは、初心者がリフト等の利用すら困難だったり、滑走中に転倒したり物を落としたりして止まって引き返す必要がある事から斜面の登り返しが必要となる場所もあり、こうした技術は滑走を続けるために初心者の段階から習得を求められる必要不可欠なものである。
なお、階段登行の技術を応用して斜面を下る事もあり、初心者が急斜面で滑走困難になった場合などで有効な事もある。
板を平行に保ち、斜面をフォールライン方向にまっすぐ降りていく技術。アルペンスキーに限定されない全てのスキー運動の基本となる。緩斜面において初心者が初めに学ぶ滑降技術でもある。斜度がきつくなりスピードが高速になるにつれ、直滑降を維持して滑走するのは高度な技術となる。高速系種目では両スキーの外エッジを足場として安定した直滑降を行っている。縦に降りるとも言う。板を平行にする事を二の字、またはパラレルと言う。
初心者の直滑降の練習時は、緩斜面の終端が平坦に近くなって自然に止まれる地形を利用する事が望ましいが、地形が利用出来ない場合はプルークによる制動(停止)を合わせて行う。また、直滑降とプルーク制動を連続して行う練習法もある。これは昔からある直滑降習得時に合わせて行う事が多い技術と練習法の一つで、現在のSAJにおいては「プルークでの制動と滑降の連続」と呼称しているが、スキー歴が長い人は古くからの呼称であるシュテムファーレンと言う事もある。シュテムとは本来制動を意味するドイツ語であるが、板を平行から「ハ」の字に動かす動作そのものもシュテムまたはシュテム動作と呼ぶ。それのファーレン(後述参照)であるので、直滑降に始まり、テールを開いたり閉じたりする運動となる。これにより迎え角(進行方向に対するスキーの角度)を調整でき、スピードコントロールに繋がる。
両開きが難しい場合に片開きを行う場合があり、その場合は片開き・片シュテム・片制動・レの字と呼ぶ。滑走時にプルークの応用として使う事もあり、両開きが難しい場合に片側に体重を掛けて雪を退かせる技術で、初心者レッスン・シュテムの導入・山岳スキー・スキーパトロールなどで使われる事もある。片開きなどは日本スキー教程には記述がないが、特にスキーパトロールにおいて、アキヤボート(傷病者搬送に使う、前後にスキーパトロールが掴まって方向等の操作をするハンドルを取り付けたそり)などでの傷病者搬送をする際に行う事が多いため、「日本スキー教程『安全編』」中に公認スキーパトロールの滑走技術として記述されている。
直滑降を習得する段階において、膝と上体を屈伸させる上下運動を習得させる方法があり、その補助として3本のストックを組み合わせてゲートを作るか、インストラクターがストックを1本水平に持ち、その下をくぐらせて練習する事がある。
主に高速滑走時にとる姿勢。アルペン競技の大回転以上の高速系で用いる事が多い技術だが、緩斜面でスピードを落とさない滑走技術としても使われるので、現在は初期段階から教えている。板は平行に肩幅かそれより若干広く開き、足首と膝を屈曲して腰を落とし、上半身は前に倒す。腕を曲げてたたんだ状態で拳を前方に向け(あるいは拳と腕を突き出すスキーヤーもいる)、手の平を上に向けてストックを握り、ストックは脇から身体に沿わせるように後方に出す。顔は前方を見る。直滑降か、脚を左右に傾けて行うクローチングターンと呼ばれる浅いターンが基本的な滑りとなる。
クローチングは基本的に、体勢を低くすればするほど空気抵抗が減少する事が科学的に証明されており、中腰姿勢に比べて最も低いクローチング姿勢は空気抵抗が60%程度低くなる。なおかつ、最も低い姿勢でも腕をたたんだ状態に比べて腕を真下に伸ばした状態だと空気抵抗が45%程度上昇する。
板を「ハ」の字にして直滑降する技術。ファーレンとは乗り物に乗って進むと言う意味のドイツ語。「ハ」の字とは、板のトップがくっついていて、テールが開いているスタンスの事で、これをプルークと呼称し、時に両開きや全制動、あるいは単に「ハ」の字とも言う事がある。
緩斜面から平らになる地形がない場合、初心者は直滑降に加えこれを習得する。股関節の捻り(内旋と呼ばれる)によるテールの押し出しのテクニックが必要なので、補助として、トップを合着させる「トライスキー」の器具使用や、トップを手で摘まみながら滑らせる方法を取ると良い。停止する時以外はあまり無駄な力を入れない方が上手く滑る事が出来るとされる。停止の際はスキーのテールを思いっきり開き出して踏み込み、時には膝を内側に入れてエッジを立てて止まる。
慣れてくるに従って、テールを開く幅を小さくしたり大きくしたりする事を繰り返してスピードに緩急をつける手法も取り入れる。
プルークファーレンが上手く出来ない場合、特に初心者で用具に関する知識不足や劣悪なスキー用具の使用(主に左右スキーのエッジの研ぎ方・立て方が違っている事があるなど)によるケースも多いため、問題がある場合は用具の変更やチューンナップ等での対応も視野に入れた方が良い。
単にボーゲンとも呼ばれる。プルークスタンス(前述参照)を取り、荷重と迎え角による制動を掛けながら、曲がるための外スキー(カーブの外側に位置するスキー)にかける荷重を交互に変えながらターンする技術である。プルークスタンスを作ることにより次のターンの迎え角ができているため、安全のための制動系技術のひとつとなっていて、状況に応じて全てのスキーヤーが用いる基本技術である。
板を平行に保ち、フォールラインに対して板を斜めに位置させ、そのまま斜め方向に滑走する技術。トラバースとも言う。
プルークボーゲンからの発展で、現在ではパラレルターンに移行する段階で習得する技術の一つとなっている。過去にはプルークターンとも呼ばれていた。
ターン開始時にプルークボーゲンから外脚をさらに外に踏み出して外スキーのカービングを強め、フォールラインから先は外スキーのエッジングを強めてカービング運動を行うターン技術である。プルークボーゲンでの脚と雪面が二等辺三角形を描いているのに対し、滑走プルークでは雪面・垂直となった内脚(カーブの内側にある脚)・斜めとなった外脚で直角三角形を描いている。その過程上、内脚をパラレル(平行)にする動作につながる。
板を平行に保ち、フォールラインに対して板を直角ないし斜めに位置させ、腰(骨盤)と上体の向きを揃えて進行方向に向けつつ姿勢を「く」の字にすることでエッジを緩めて、板の長手方向に対し横または斜め方向に滑走する技術。方向はフォールライン・斜め前・斜め後ろと3通りある。また、短距離の移動程度ならば膝を谷側に倒してスキーの角度を寝かせる(雪面の角度に近くする)事だけをして滑らせる事もある。
横滑りの技術のうち、フォールラインに近い浅い斜滑降から谷回り(フォールラインに向かって回る事)して行う横滑りは、結果的に自然と弧を描く軌道になるため、スキッディングターン(後述)の技術習得につながる。
一時期、SAJ1級の試験科目がゲレンデシュプルングから横滑りに変わった事がある。20mほど斜めに横滑りをしてキックターン後、今までとは逆方向へ20mほど斜めに横滑りをしてゴールするだけの単純なものであったが、センターポジションに乗れていない人や両脚の微妙なコントロールが出来ない人は苦戦していた。しかし1級を受検する技量のスキーヤーにとってはボーナス種目でもあった。
その横滑りは現在、改めて1級の種目において行われている。斜滑降でスタートし、外向傾姿勢を取りながら斜め前横滑りをし、ピボットにて向きを変える事を4回繰り返す。
現在のSAJ公認スキー指導員・準指導員検定(実技)の種目では、急斜面・ナチュラル(ある程度の滑走跡が残るが、不整地(コブ)ほどではない斜面)にて、横滑りを行うスペースが指示された上で行うこととなる。
アルペン競技・全日本スキー技術選手権大会等の基礎スキー大会のコースや、スキーバッジテスト・SAJ公認スキー指導員・準指導員検定(実技)の検定会場となる斜面において、コースの下見やゲレンデ表面を均して整える目的での横滑りを行う事があり、これは「インスペクション」または「デラ掛け」と呼ばれている。「デラ」は「デラパージュ(Dérapage:スキー横滑り)」というフランス語の略である。インスペクションとは本来はコースそのものの下見という意味で、アルペン競技においてのジュリーや検定等においての公認スキー検定員による許可と指示によってコース内を横滑りする行為を指すが、それから派生して、コース内での下見・整地を伴う横滑りそのものを指して呼ばれる事もある。インスペクションを行う際のルールは厳密に定められていて、コース上ではやむを得ない時以外は全て横滑りのみで行い、コース上で実際の滑りを再現する事を行ってはならず、行った場合は失格となる。
ターンの切り替え時に内スキー(次の外スキー)を山側に踏み出してスタンスを「『ハ』の字(プルーク)」とした後、外スキーに乗り込んでからスキーを平行(パラレル)にしてターンする技術。プルークボーゲンからパラレルターンに移行する段階で行う技術の一つである。シュテムとは「制動」の意味であり、通常はプルークスタンスでの制動に加え、ターン中はスキッディングターン(後述)とした制動も行う。
SAJでは、上記の滑走プルーク・横滑り・シュテムターン(シュテム動作)は、基礎パラレルターンに移行するための「3本の矢」という一体の物として扱った指導を行っている。
板を平行にしたままターンする技術。プルークボーゲンから、滑走プルーク・横滑り・シュテムターンを経て習得される技術である。ターン前半からの外脚荷重により、軽くなった内脚の膝を返してエッジを外し、両脚を同調させて平行のままターンする。後述する制動要素の多いスキッディング(横ずれ)と推進要素の多いカービングに分類される。実際の滑走では両者の中間的なものが多く見られる。
パラレルターンの一種であり、山スキーに踏みかえた後に、スキー板をずらして制動しながら回旋してから山まわりに移行することでターンする技術。ターンの外脚が滑走プルークやシュテムターンと近い動きをするため、パラレルターンの中では易しい技術であり、前述の「3本の矢(滑走プルーク・横滑り・シュテムターン〔シュテム動作〕)」から展開・移行して至る技術の「基礎パラレルターン」の一つにもなっている。スキッディングターンは制動性が高いことから、安全を重視して滑る技術でもある。
パラレルターンの一種であり、ターン開始時に脚をターン内側に傾けて、意図的な荷重や外力を利用した荷重によってスキー板をたわませて曲面を作り、これを雪面に食い込ませることで足場を作ってターンする技術。スキッディングターンと異なり板の制動要素が少ないため、高速滑走が可能となる。かつては難しい技術であったが、カービングスキーの登場により一般スキーヤーにも可能な技術となった。カービングとは「彫り込む(CARVE)」の意味であって「曲がる(CURVE)」の意味ではない。
ステップターンはステッピングターンとも呼び、踏み出しと踏み蹴りの二つがある。
前者の踏み蹴りはかつてアルペン競技でポールをクリアしていく時に多用されたが、サイドカーブのあるカービングスキーの普及により、踏み蹴らなくともエッジ角度を強めるだけでスキーが切れ上がるようになったため軌道を変える必要がなくなり、以前よりは使わなくなってきている。また、現在のSAJの指導項目ではシュテムターンのみ残っているが、ステップターンを使ってはいけないという訳では無い
後者の踏み出しにおけるシュテムターンの場合は初級者が外スキーの踏み換えを覚える際やレベルに関わらず斜面状況が悪い場合に安全に滑り降りるための技術として多用される。
極端に狭い斜面や極端な不整地(コブ斜面)等の状況でターンする際にジャンプして板を浮かしながら板の方向を変える技術。SAJの日本スキー教程には記述が無いが、山岳スキー等においてこの技術が使われる事がある。
SAJ(全日本スキー連盟)、SIA(日本プロスキー教師協会)はスキーヤーの技能レベルを客観的に判断する独自のスキーバッジテストや技術検定を設けている。
山岳スキー技術として誕生したアルペンスキーは、次第に如何に速く斜面を滑り降りるかという競技に発展した。現在ではヨーロッパを中心に非常に人気の高い競技スポーツとなっており、特にオーストリア、スイスなどアルプスの国々では国技であり、勝者は国民的英雄である。
第4回冬季オリンピックから正式競技として採用されている。
山を滑り降りる速さを競う競技であるが、コースには旗門と呼ばれる2本1組の旗またはポールが並べられ、その旗門を順番に通過しながら滑り降りる。旗門を通過できなかった場合は失格となる。種目によって、旗門数、旗門のインターバル、コース長、標高差が大きく変わってくる。
1回の滑走または2回の滑走の合計タイムで順位を競う。
世界第一線級の国際大会は次のようなものがある。
自然の山の地形を最大限に活かすアルペンスキーのコースは、それぞれに特徴がある。コース長、標高差、最大斜度はコースによって様々であり、旗門のセットは毎回違うため、陸上競技のような世界記録というものは存在しない。ただし、滑降競技のように毎回ほぼ同じコースレイアウトでレースが実施される場合、歴史あるコースではコースレコードというものが存在する。
世界的に有名なアルペンスキーのコースとしては、オーストリアのキッツビューエル、スイスのウェンゲン、アーデルボーデンなどがあり、日本にはオリンピックや世界選手権の舞台となった、八方尾根や雫石、志賀高原などがある。
下肢等に障害のある競技者においては、座席とスキー板をサスペンション等で連結したチェアスキーを使用して行う。
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"text": "アルペンスキー (英語: Alpine skiing) は、ヨーロッパアルプス地方で20世紀になって発展したスキー技術である。アルペン(Alpen)とは、ドイツ語で「アルプス」という意味である。スキーの原型であるノルディックスキーから分化し、ビンディングの踵を固定することにより滑降に特化して発達したスタイルである。雪の斜面をターンを繰り返し、ときには直滑降を織り交ぜつつ滑る。斜面は斜度0度から40度以上までのさまざまな斜度で構成される。滑走速度はレジャー目的では40km/hから60km/h程度までだが、高速系競技では100km/hを越える。大半の愛好者はスキー場で滑走するが、自然の整備されていない山を登って滑り降りる山岳スキーの愛好者も多い。",
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"text": "アルペンスキーでは以下のような用具を用いて滑走する。",
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"text": "スキー板は、芯材、ソール(滑走面)、エッジ、トップシート、サイドウォールなどから構成される。",
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"text": "ソールは、スキー板が雪面と接する部分である。現在のスキー板では高密度ポリエチレンが用いられている。特に、上級モデルや競技モデルのスキー板のソールは焼結ポリエチレンを用いることで、滑走時に塗布するワックスがよりよく吸収されるようになっており、雪面に対する摩擦系数の低下による滑走性の向上を図っている。また、競技モデルを中心として、グラファイト粉末を混入して静電気の発生の低減を図ったものも用いられている。",
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"text": "エッジは、アルペンスキーにおけるターンの実現に欠かせない部品である。硬い金属、一般には鋼を素材とする細長い形状のもので、ソールに沿ってスキー板の左右に、板の先端(トップ)から後端(テール)まで配置される。現在はトップからテールまで、ひと続きとなったエッジがほとんどだが、板の柔軟性を優先するために、数cmごとに切れ目の入ったクラックドエッジも一部で用いられている。エッジは90度、ないしそれよりやや鋭角に研がれているのが一般的であり、ターン時に雪面、ときにはアイスバーンを削ってターン中の足場を確保する。",
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"text": "トップシートとサイドウォールは、スキー板の上面や側面を保護するための部材である。近年は、その形状や材質を工夫することで、スキー板の性能向上につなげている場合が多い。また、スキー板の構造は、もともとはソール、芯材、トップシートを重ねて貼りあわせて側面にサイドウォールを接着したサンドイッチ構造のものが多かったが、トップシートとサイドウォールを一体化したボックス構造、あるいはキャップ構造を採用する板も近年は多い。そのほか、トップシートの上に振動吸収を目的とした小さな部材を取り付けた板も存在する。",
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"text": "アルペンスキーのスキー板は、ターン技術を用いた滑走に適した形状をしている。スキー板のトップとテールが太く、ビンディングを介してブーツと繋がるセンターが細くくびれた形状となっている。滑走時にスキーヤーがスキー板を傾けて板の上から荷重を掛ける事でスキー板はたわみ、エッジが雪面に食い込んで足場をつくることでスキー板全体は雪面に対して弧を描いて接することとなり、その結果スキーヤーはターンする事が出来る。",
"title": "用具"
},
{
"paragraph_id": 9,
"tag": "p",
"text": "従来からのスキー板は、単体でソールを下にして水平面に置くとトップとテールそれぞれの付近で水平面に接し、中央部分が浮いた弓なり状となっていて、この形状を「キャンバー」と呼んでいる。キャンバー形状のスキー板は履いてから平らな雪面に立つことでソール全体が雪面に接し、安定した直滑降を可能にしている。スキー板のトップは上に持ち上がっていて、滑走時に雪面に刺さりにくい形状になっている。テールはほとんど平らとなっている板が多い。",
"title": "用具"
},
{
"paragraph_id": 10,
"tag": "p",
"text": "近年、最初から反り返った形状となったロッカーと呼ばれるスキー板も登場し、次の区分で呼称されている。",
"title": "用具"
},
{
"paragraph_id": 11,
"tag": "p",
"text": "ロッカーの長所として、スキー板への荷重によらずに弧を描いている事からターンしやすく、特に山岳スキーやバックカントリースキーのエッジが効きにくい新雪・深雪斜面においてターンしやすい事が挙げられる。",
"title": "用具"
},
{
"paragraph_id": 12,
"tag": "p",
"text": "フリースタイルスキーでは、テールもトップと同様に反り返った形状のチップ&テールロッカーを使う事で逆方向への滑走にも対応している。チップ&テールロッカーはツインチップと呼ぶ事もある。",
"title": "用具"
},
{
"paragraph_id": 13,
"tag": "p",
"text": "アルペンスキーのスキー板の長さは、1980年代までは2m前後のものが一般的であった。レジャー目的の場合、その長さはスキーブーツではなく一般的な靴などの履き物を履き、または素足で直立し、腕を真上に上げ、手首を「へ」の字に曲げ、スキーの先端が曲げた手首の下に納まるのが一般的とされ、素足の場合は靴底の厚さに相当するものを加えた長さと考えて良く、長さの許容差は1-1.5cm以内程度が身長に合った適切なものとされた。1990年代のカービングスキーの登場とその一般化という技術革新のもと、扱いやすい 150cm から 180cm 程度が一般的となり、2mを越える長さの板は高速系競技と一部のファットスキーでのみ見掛けるという状況になった。また、100cm から 130cm 程度のショートスキーや、70cm 程度のファンスキーまたはスキーボードと呼ばれるものもあり、これらは滑走特性の違いから独自のジャンルとして位置付けられている。",
"title": "用具"
},
{
"paragraph_id": 14,
"tag": "p",
"text": "主にスキー板の滑走性能に関する用語として、次の言葉がある。",
"title": "用具"
},
{
"paragraph_id": 15,
"tag": "p",
"text": "コンベックス・コンケーブ コンベックス(convex)は「凸型の・凸状の・凸面の」、コンケーブ(concave)は「凹型の・凹状の・凹面の」という意味の言葉で、この場合、スキー板のソール(滑走面)の断面形状を意味する。",
"title": "用具"
},
{
"paragraph_id": 16,
"tag": "p",
"text": "スキー板のソールは長期間の使用による経年変化や摩耗等でソール断面がコンベックスやコンケーブとなってしまう事があり、一般的に、コンベックスだとソールの膨らみがエッジを阻害してエッジの効きや引っ掛かりが悪くなり、ターンが外側に膨らむ傾向となって、必要な小回りターン半径を得るのに多大な力が必要となったり、あるいは思うようなターン弧が描けなくなったりする。一方でコンケーブだと極端にエッジが効いてしまう事があり、エッジの引っ掛かりが強すぎて、スキッディングターン(後述)が難しくなったり、時に転倒の危険性が高くなったりする。そのためソールはフラット(平面形状)である事が望ましい。",
"title": "用具"
},
{
"paragraph_id": 17,
"tag": "p",
"text": "コンベックスやコンケーブとなってしまったソールは、エッジの研磨等を含めたチューンナップによってフラットにする。方法としては数種類のサンドペーパーを使ったベルトサンダーを用いた「サンディング」と、「サンディング」を行った後にさらに砥石で平滑に仕上げる「フィニッシュストーン仕上げ(ストーンフィニッシュとも)」とがある。それらのスキー板ソールチューンナップは、アルペン競技用・技術選手権用・一般用など、その目的に応じた種類を選んで行われている。",
"title": "用具"
},
{
"paragraph_id": 18,
"tag": "p",
"text": "ブーツをスキー板に固定させるための器具。爪先を固定するトーピースと、踵を固定するヒールピースからなる。",
"title": "用具"
},
{
"paragraph_id": 19,
"tag": "p",
"text": "ビンディングの語源は英語のBinding(バインディング)とドイツ語のBindung(ビンドゥング)との混同によるという説があり、スキーヤーの間でも「ビンディング」と英語読みの「バインディング」の両方の言葉が使われている。なお、全日本スキー連盟(以下、SAJ)の著書中では、「日本スキー教程」では「バインディング(binding)」の表記を、「日本スキー教程『安全編』」では「ビンディング」の表記をしていて、両語とも使われている。加えて、後述するS-B-Bシステムにおいては「ビンディング」の言葉が使われる。",
"title": "用具"
},
{
"paragraph_id": 20,
"tag": "p",
"text": "ビンディングとスキー板は、直接あるいはプレートを介してトーピースとヒールピースがそれぞれ別に固定されるものが多いが、トーピースとヒールピースが別の部品を介して一体のものとなっていて、その部品がスキー板と固定される場合もある。これはスキー板に直接取り付けた場合にトーピースとヒールピースの間にあるスキー板部分のたわみが阻害されるため、取り付け位置をそれぞれ独立させてスキーのたわみ性能を十分に引き出すためにあり、後述するプレートにも同様の役割を持つ物がある。また直接スキーに取り付けない事でトーピースとヒールピースそれぞれの位置を動かす事が出来るビンディングも存在し、スキーブーツのサイズが変わった際の対応や、スキー板に載る位置を変えるなどが出来る。",
"title": "用具"
},
{
"paragraph_id": 21,
"tag": "p",
"text": "1970年代以降のアルペンスキーでは、滑走中の転倒などによるけがを防ぐためブーツから一定以上の力が加わるとブーツを外すリリース機構がついているセイフティビンディングが一般に用いられるようになった。ただし、おおむね1m未満のショートスキー板の場合、板の重量が軽いことや転倒時の脚への負荷の違いを考慮して、セイフティビンディングでない、簡易なものが用いられている。また、山岳スキーでは登行時にかかとが上がることが求められるため、リリース機構がついていない、あるいはトーピースのみにリリース機構がついたものが長年用いられてきたが、2000年ごろから、ゲレンデスキーにおけるカービングスキーの流行やそれに伴う滑走速度の高速化を山岳スキーにおいても実現したい人々の要望に応じるよう、トーピースとヒールピースの両方にリリース機構を有する、ゲレンデスキー用のセイフティビンディングと安全性において匹敵するような山岳スキー用ビンディングも普及するようになった。",
"title": "用具"
},
{
"paragraph_id": 22,
"tag": "p",
"text": "セイフティビンディングでは、解放時にスキー板が流れるのを防止するためのスキーブレーキがヒールピースに備えられているが、ショートスキー用の簡易ビンディングでは存在せず、山岳スキー用の場合はまちまちである。また国際スキー連盟(FIS)におけるアルペン競技用のビンディングのスキーブレーキは装着が義務となっている。スキーブレーキを備えていない場合は流れ止め(リーシュコードとも)と呼ばれる長いひもで身体とビンディングを結びつけて、外したスキー板が流れ続けないようにする。山岳スキーやバックカントリースキーの場合は、深雪での転倒時に外れたスキー板を紛失したり、深雪のために外れたスキー板の場所まで移動が困難や不可能となってスキー板の回収も困難や不可能になる事があり、スキー板の回収を容易にする目的と遭難防止の点から、以前よりスキーブレーキを備えたスキー板でも流れ止めを使う山岳スキーヤーは多く、かつ命を守るための必須アイテムとなっている。",
"title": "用具"
},
{
"paragraph_id": 23,
"tag": "p",
"text": "セイフティビンディングは、現在の主流はステップイン式とターンテーブル式に二分される。",
"title": "用具"
},
{
"paragraph_id": 24,
"tag": "p",
"text": "どちらもトーピースは同様の機構となっていて、ブーツの爪先のコバを前上左右から固定する。固定部材は上下軸によって左右に動くのだが、左右の力に対してはばねの弾性で一定の力までは耐えるが、それを越えると解放する。上方向や斜め方向の力については、とくに考慮していないものと、解放するものとがある。",
"title": "用具"
},
{
"paragraph_id": 25,
"tag": "p",
"text": "ヒールピースは、ブーツのかかとのコバを上から抑えつけて固定する。ステップイン式は、ブーツを固定している部材が左右軸によって前方向に倒れることでブーツのかかとのコバを上から固定し、またヒールピースの位置によって後方からも固定する。固定された部材はばねの力で引っ張られており、指定された強度を越える力がかかることで解放する。ターンテーブル式は、ヒールピース全体が上下軸で動くターンテーブルの上に乗っていて、左右に少し動くことが特徴となっている。ブーツを固定する部材は左右軸によって動くが、ステップイン式とは異なり、部材を持ち上げた状態で上後方から圧縮されたばねの伸長力で固定する。",
"title": "用具"
},
{
"paragraph_id": 26,
"tag": "p",
"text": "両方式について、ターンテーブル式のほうが正確に解放するとも言われるが、ステップイン式のほうが扱いやすさに優るため、市場のシェアはステップイン式のほうが大きい。しかし上級者を中心としてターンテーブル式にも根強い支持があり、両方式とも用いられている。なお、現在ターンテーブル式は準競技用モデルが残るのみとなっている。",
"title": "用具"
},
{
"paragraph_id": 27,
"tag": "p",
"text": "セイフティビンディングについては安全性やブーツとの互換性のため、ブーツのコバ高や、個々のビンディングで設定する解放強度に対応する解放力や解放モーメント、スキーヤーにとって適切な解放強度の算出方法などが規格化されており、先行して規格化を行ったDINになぞらえてDIN規格と呼ぶことが多いが、現在はISOで規格化されているものを各メーカーとも用いている。 詳細はS-B-Bシステムを参照。",
"title": "用具"
},
{
"paragraph_id": 28,
"tag": "p",
"text": "スキー板とビンディングの間に取り付けられる板。材質はステンレスやアルミニウム合金などの金属、プラスチック、あるいは木材であり、長さはビンディングの固定場所より前後に少し長い程度のものが多く、幅はスキー板と揃うものが一般的である。厚さは、目的によりさまざまである。",
"title": "用具"
},
{
"paragraph_id": 29,
"tag": "p",
"text": "スキーにおけるプレートの利用は比較的新しく、1990年代からである。高速系競技での振動吸収を目的とした金属製プレートが最初となる。このプレートはスキー板とは前後の2ヵ所で固定され、その上にビンディングが取り付けられた。主な目的は、振動吸収にあった。高速系競技では雪面の細かい凸凹とスキー板がぶつかったときの細かい振動がスキーヤーに返ってくることがあり、それはスキーヤーの操作ミスを引き起こして事故や速度低下の要因となる。そのような滑走に有害な振動を低減させる工夫のひとつとしてプレートが考案され、利用された。この時点でのプレートはもっぱら本格的な競技スキーヤーのみのためのものであった。",
"title": "用具"
},
{
"paragraph_id": 30,
"tag": "p",
"text": "しかし、ほどなくして、プレートの高さがカービングターン(後述)にとって有効であることが見出された。その有効性のひとつは雪面とスキーブーツの接触抑止である。カービングターンでは脚をターンの内側に大きく傾けることになるが、このときプレートをつけていないスキー板を利用していると、ブーツの側面が雪面とぶつかることになる。これはスキーヤーにとって減速要素となるとともに、スキー操作を誤らせる要因ともなるが、プレートを利用するとスキーブーツが雪面から遠くなるために、雪面との接触を防ぐことができ、より大きく脚をターン内側に傾けることができるようになる。もうひとつの有効性は、てこの原理により雪面に板を食い込ませやすくなることである。硬いアイスバーンを含む雪面にスキー板を食い込ませようとした場合、力点となるスキーヤーの足裏がエッジから遠くなるほど、大きい力をかけることができるようになる。こうした知見とカービングスキーの一般化に伴って、プレートの利用も一般スキーヤーにまで広がることになった。一方、プレートを高くし過ぎることは、転倒や操作ミスの際に本来とは異なる場所を支点としたてこでの応力がスキーヤーの脚にかかることにもつながり、実際に事故も起きている。そのため、現在ではアルペン競技ではプレートの高さについて、雪面からの高さで制限を設けて規制している。この規制は当初はスキーブーツの裏にプラスチック板を貼ることで高さを稼ぐ、という抜け穴の発明を促したが、現在ではスキー板にブーツを取り付けた状態でのインソールまでの高さも規制対象とすることで抜け穴は塞がれている。",
"title": "用具"
},
{
"paragraph_id": 31,
"tag": "p",
"text": "技術系競技用のプレートや高速滑走用以外の一般スキーヤー向けのプレートは、振動吸収に求める内容が異なり、あるいは重視しないため、重い金属製のプレートではなく、軽いプラスチック製、あるいは複数の素材を複合したプレートが用いられる。また、1990年代後半に流行したエクストリーム・カービングのような、カービングターンのみを目的とした滑走では、高さを稼ぐことを主眼として木製のプレートが使われることもあった。これは、加工や成型が容易であり小規模な企業や個人でも製作が可能であったからである。",
"title": "用具"
},
{
"paragraph_id": 32,
"tag": "p",
"text": "プレートとスキー板の固定方法は多様で、前後2ヶ所で固定する場合、中央あるいは前後のいずれか1ヶ所のみを固定する場合、前後のビンディング付近のみにプレートを付ける場合などがあり、さらに2ヶ所固定の場合でも、片方は完全な固定ではなくスキー板のたわみにあわせて可動するものもある。これらの取り付け方法は、スキー板のたわみを阻害しないためのさまざまな工夫において行われている。",
"title": "用具"
},
{
"paragraph_id": 33,
"tag": "p",
"text": "プレートの利用が一般化するにつれて、スキー板の各メーカーも設計段階からプレートの利用を前提とした設計をし、プレートを取り付けた状態でスキー板を販売するようになった。これには、プレートが完全にスキー板と一体となっている場合も含む。こうした一体販売は、技術的な長所の追求とともに、スキー板メーカー以外のサードパーティのプレートを買わせない、という販売政策の面も伴う。実際、一体型プレートにあらかじめビンディング取付用のビス穴を備えておき、そのビス穴は自社、あるいは提携先のビンディングのみ対応する、というメーカーも多い。ときとして、自社製品であっても古いモデルとは互換でないビス穴を用いることでスキー板よりも製品寿命が長いビンディングの再利用を拒む場合すらある。",
"title": "用具"
},
{
"paragraph_id": 34,
"tag": "p",
"text": "なお、次の場合ではあえてスキー板にプレートを付けないケースがある。",
"title": "用具"
},
{
"paragraph_id": 35,
"tag": "p",
"text": "スキーの際に人が履く履物。スキー靴とも呼ぶ。スキーブーツはビンディングを介してスキー板と接続される。1930年代以前は登山靴などが用いられていたが、ビンディングでよりしっかりと固定可能な専用靴として開発されたものである。",
"title": "用具"
},
{
"paragraph_id": 36,
"tag": "p",
"text": "アルペンスキーのスキーブーツは、ブーツとしては脛までを覆う長さ、膝下というにはやや短い程度となっている。足首から脛にかけての広範囲が柔軟性に乏しいスキーブーツに覆われることによって、スキーヤーは足首捻挫を起こすことなく、スキー板からの力を受け止め、あるいは積極的にスキー板へ圧力をかけるべく運動することができる。スキーブーツのソールの形状はISOで規格化されており、どのセイフティビンディングとも互換性が保証されている。",
"title": "用具"
},
{
"paragraph_id": 37,
"tag": "p",
"text": "1970年代前半までは皮革製が一般的であったが、1960年代後半に登場したプラスチックブーツが1970年代後半には一般的となった。ほとんど全てのスキーブーツは、外側を覆うシェルと、足が直接触れるインナーブーツの二重構造になっている。シェルの素材としては、ポリウレタンが弾性などの力学的特性の良さから好んで用いられている。なかでも、ポリエーテルポリオールを原料とするポリエーテルポリウレタンが上級者モデルでは好まれるが、ポリエステルポリオールを原料とするポリエステルポリウレタンも広く用いられている。ポリウレタンは加水分解などにより徐々に分解するため、長期間の利用によりスキーブーツは割れたり崩壊することがある。実際にどれくらいの期間で破損に至るかは組成や利用頻度・保管条件などによりまちまちだが、全日本スキー連盟(SAJ)・日本プロスキー教師協会(以下、SIA)では、製造から5年程度を目安として、滑走中の破損による事故を防止するためにチェック項目を含めて広報している。なお、初級者モデルでは、より柔かいポリエチレンなどが用いられる場合もある。インナーは、シェルと足の間を埋め、適度なクッション性と保温の効果をもたらすために存在する。主な素材は合成樹脂による発泡フォームであり、足と接する内側には起毛やパイル地などの保温性の高い柔かい布が、シェルと接する外側にはすべりのよい合成繊維の布や薄いプラスチック板が用いられていることが多い。",
"title": "用具"
},
{
"paragraph_id": 38,
"tag": "p",
"text": "現在のアルペンスキーのスキーブーツの構造は、フロントバックル型と呼ばれるものがほとんどとなっている。このほか、フロントバックル型の派生として3ピース型やミッドエントリー型と呼ばれるもの、あるいはソフトブーツといったものがあり、また、全く異なる構造のものとしてリアエントリー型が存在する。以下、フロントバックル型の構造について説明し、ついで他の型についても説明する。",
"title": "用具"
},
{
"paragraph_id": 39,
"tag": "p",
"text": "フロントバックル型は、プラスチックブーツに移行する前の皮革製のころからのスキーブーツの基本型で、甲と脛にあるバックルでシェルを締めて足をブーツに固定するのが最大の特徴である。シェルは、多くのものはソール(靴底)と一体となってくるぶしまでを覆うロワシェル(Lower Shell)と、くるぶしからすねにかけてを覆うアッパーシェル(Upper Shell)の2つに区分され、両者がビスで接合されている。シェルは、ロワシェルとアッパーシェルの両方とも前になる部分が開き、かつ左右から重ね合わさる形状となっていて、そこにバックルとバックル受けが取り付けられている。このような形をとることで、バックルを締めることで足を固定できる。バックルはロワシェル部分、アッパーシェル部分それぞれに1〜3つ存在するが、多くの物は各2となっている。子ども用の物はブーツの大きさの関係で各1の物が多い。また近年は、アッパーシェルのバックルの上、ブーツの最上部にベルクロテープつきのベルトを備え、これでさらに足を固定するものが多い。ロワシェルの下部はソールが一体となっている。ソールはセイフティビンディングにハメ込むためのコバがトゥとヒールの前後両側に大きく張り出している。一部のメーカーのソールは、摩耗時の対策として、ビス留めのトップリフトをトゥとヒールの両方に備え、交換可能。ロワシェルの内部では、安価な初級モデルを除いて硬質プラスチックや金属製によるミッドソールが入っており、インナーブーツを載せる台の役割を兼ねている。硬いミッドソールは革靴におけるシャンクと同様に強い力がかかったときにソールがゆがむことを防ぐ。これは滑走時に大きな力がかかるスキーブーツではビンディングの誤解放を防ぐ意味でも重要である。なお、革靴のシャンクと異なり、アルペンスキーのスキーブーツでは足指にあわせてソールが、屈曲するようにはならない。山岳スキー用の兼用靴やテレマークスキー用のブーツでは足指にあわせてソールが曲がるように作られている。一方で、アルペンスキーでは歩行やテレマーク姿勢を考慮する必要がないためである。フロントバックル型のブーツのインナーブーツは、インナーブーツ本体とタンから構成される。インナーブーツ本体は通常は、甲から脛の部分が大きく開いていて、タンが下部で固定されている。タンにはインナーブーツ本体よりも、固い素材を用いることが多い。なお、インナーブーツ内には、通常、インソールが入っていて、足裏とフィットするようになっている。",
"title": "用具"
},
{
"paragraph_id": 40,
"tag": "p",
"text": "フロントバックル型のバリエーションのひとつは、3ピース型と呼ばれるものである。これは、シェルをロワシェルとリアシェルとフレックスタンの3つから構成する。ロワシェルとリアシェルが通常のフロントバックルのシェルに対応するが、前部が大きく開いた形状となる。そこに、蛇腹状に成形されて柔軟性を高めたプラスチックのタンが覆いかぶさり、これをワイヤのみ、あるいはワイヤとバックルの両方で締めて固定する。インナーブーツは通常のフロントバックル型とほぼ同様である。特許や金型の問題から、製造は1社のみだが、根強いファンが存在している。",
"title": "用具"
},
{
"paragraph_id": 41,
"tag": "p",
"text": "フロントバックル型のバリエーションのもうひとつは、ミッドエントリー型と呼ばれるものである。これは、快適性を重視したもので、フロントバックル型のシェルのアッパーシェルが前後に分かれて開くものである。フロントバックル型のブーツは、前述のようにオーバラップしたシェル素材で覆われているため、足を出し入れする際にはブーツを手などで押し開く必要があり、この手間はスキー初心者などには受け入れがたいものだとされることが多い。また、一般にフロントバックルブーツのアッパーシェルは、滑走時の姿勢を重視した角度でロワシェルに取り付けられているが、これは休憩時などに立ったままでいたり歩くのに不便である。ミッドエントリー型はこうしたフロントバックル型の欠点を取り除くために開発されたものだが、性能面の問題で熱心なスキーファンを引きつけるものとならなかったこともあり市場に定着できていない。",
"title": "用具"
},
{
"paragraph_id": 42,
"tag": "p",
"text": "いまひとつのバリエーションは、ソフトブーツである。フロントバックル型のスキーブーツが快適でないのは、足入れのしにくさとともに、シェルが固いことそのものにもある。そこで、スキーを滑るのに必要な剛性を確保するフレームのなかに柔かいインナーブーツを固定するという形でスキーにおけるソフトブーツが2000年代初頭に実現され、市場に出た。性能面の問題から市場に定着せず、2007年現在は新モデルとしてみることはなくなっているが、レンタルスキー用具としては使われている場合がある。",
"title": "用具"
},
{
"paragraph_id": 43,
"tag": "p",
"text": "最後に、フロントバックル型とは全く異なるリアエントリー型である。リアエントリー型は、シェルがフロントシェル(Front Shell)とリアシェル(Rear Shell)の2つに大きく前後に分かれる。リアシェルは脹脛から踵にかけてのブーツ後方の部分となっており、そこが下部をヒンジとして大きく開く。ソールは全てフロントシェルに属している。リアエントリーのブーツでは、リアシェルを開いた状態でインナーブーツも後方が大きく開口していて、そこに足を入れ、リアシェルを閉じて脹脛のバックルで締める(リアシェルの内側にはインナーブーツの蓋がついているため、足に直接接する部分はインナーブーツである)が、製品によってはフロントシェルとリアシェルをワイヤで繋ぎ、リアシェルに取り付けたダイヤルでワイヤを巻いて締め付け、解放はボタンを押してワイヤを緩めるタイプもあった。フロントバックルやそのバリエーションのブーツでは、足はシェル全体の締め付けで固定される。それに対して、リアエントリーのブーツのバックルで締め付けられるのは、脛と脹脛のみとなる。スキー滑走では足全体がブーツに固定される必要があるので、リアエントリーブーツでは、固定用のプレートをシェルに内蔵し、足首はプレートを介してワイヤで締めつけてブーツに固定し、足の甲に対してはプレートをねじを用いて押しつけるように固定するものが多い。過去にはシェルとインナーの間にエアバッグを内蔵し、シェルに取り付けたエアポンプで履いた後に空気を出し入れして調節する物もあった。リアエントリーは1980年代に席巻し、一時はトップスキーヤーまでもが用いるモデルが登場したが、1990年代になってその利用が衰退した。リアエントリーブーツは足首を曲げづらく、スキー技術において足首を使えないのは致命的であるためである。ただ、構造上、スキーヤーの足に細かくフィットした形状でないと不快感が出やすいフロントバックル型と異なり調整範囲が極めて広いことや、容易に脱着できること、爪先や甲が浸水してぬれることがないことから、初級スキーヤー向けのレンタル用品としては残り続けている。",
"title": "用具"
},
{
"paragraph_id": 44,
"tag": "p",
"text": "一時的なリアエントリー型の爆発的普及の要因として以下のことが考えられる。当初のフロントバックル型ブーツはシェルに取り付けられたバックルとバックル受けの位置が完全に固定され、そのために締め付け調節が限られた範囲でしか出来ない。体格差により、特に脹脛が太い人はバックルが全く届かなくて締め付ける事が出来ない場合があり、何とかバックルを締めたとしても極端な締め付けとなるために強烈な痛み・うっ血・内出血などの外傷を起こし、とても履いていられなくなるという致命的欠点を抱えている。一方で、脹脛の太さに合わせるとくるぶしより下のか足全体が緩くなってしまい、フォーミング(発泡樹脂をインナーブーツに充填して足の形に合わせるチューンナップ)等を行わなければならない。その点、リアエントリー型は可動範囲が広い事で脹脛の太さの対応範囲にかなりの余裕があり脹脛が太い人を中心に好まれた。特にトップアスリートとなると必然的に脚全体の筋肉が発達してふくらはぎも太くなるため、その点でも好まれたという事である。その当時であっても、スキーショップによってはフロントバックル型ブーツのシェルに別穴を開けてバックルやバックル受けを付け直すケースも見られたが、シェルの強度の低下が懸念されるためにその後は勧められなくなった。なお、現在のフロントバックル型ブーツのシェルは、最初から、あらゆる脹脛の太さに対応出来るよう、あらかじめ専用の工具でバックルの取り外し・再取り付けをして位置調節が可能なビス穴がいくつか付けられた設計となっている物もあり、状況が改善している。",
"title": "用具"
},
{
"paragraph_id": 45,
"tag": "p",
"text": "S-B-Bシステムとは、S(スキー)-B(ビンディング)-B(ブーツ)システムの事で、この3つの組み合わせと、それにともなう、最も安全に重要なビンディングの解放にともなう調整値算出に関連した規格である。",
"title": "用具"
},
{
"paragraph_id": 46,
"tag": "p",
"text": "解放調整値の算出は身長・体重・年齢・ブーツソール長・スキーヤータイプ(技量)の情報により、「国際規格 ISO 10088:スキー・ビンディング・ブーツ(S-B-Bシステム)の組み立て・調整」に準拠して行わなければならない。なお、このISO規格は日本でも1997年にJIS化し、「JIS S 7028」としている。",
"title": "用具"
},
{
"paragraph_id": 47,
"tag": "p",
"text": "ISOおよびJISにより制定される以前は、ビンディングの調整はスキーショップ以外でも「外れやすいから」という理由で自分で調節するケースもあったが、適切ではないビンディングの調整は必要時に解放されなくて事故となりやすい事と、現在はスキーショップにおいての取り付け・調整作業は「加工」という概念にあたるためにPL法の対象となる事もあり、規格を準拠して、上記の情報を基に適正な解放調整値にしてもらう事が、事故を防ぐという点でも必要である。",
"title": "用具"
},
{
"paragraph_id": 48,
"tag": "p",
"text": "アルペンスキーにおけるストックの役割は山スキーやクロスカントリースキーの使用目的と若干異なる場合がある。",
"title": "用具"
},
{
"paragraph_id": 49,
"tag": "p",
"text": "初中級スキーヤーがレジャースポーツとして楽しむ場合、リフト乗降場において身体を前進させるための手がかりや待機時にバランスをとる杖代わりという認識が多い。しかしストックは、スキースクールにおいて一般的に教わるターン始動のきっかけを作るストックワーク以外に、左右前後のバランスを取るために重要な役割を果たしている。簡単に言うとやじろべえの左右の腕の役割をストックが担っており、ストックを握っている手の位置によって前後のポジショニングがほぼ決まると言える。特にコブ斜面でのバランスはストックによる影響が大きいためストック自体のバランス、振りやすさ、および長さが重要なポイントとなるが、上級者は更なるバランス感覚を磨くためにあえてコブ斜面をノーストックで滑る事がある。",
"title": "用具"
},
{
"paragraph_id": 50,
"tag": "p",
"text": "また山岳スキーやクロスカントリーでは新雪での歩行が伴うためバスケットも比較的大きいが、新雪や深雪斜面であっても滑り降りるだけのアルペンスキーでは大きさの大小は特に気にする必要はない。しかし新雪で転倒した場合、小さいバスケットでは潜ってしまう事もあり、自身のスキースタイルと技量によって選択する必要がある。なお、新雪で転倒して、ストックを突いても潜ってしまい、立ち上がれない場合には、ストックを手から外して×形にクロスさせて雪面に置き、雪面からの支持力を高めて、クロスしたストックの中心に手をついて立ち上がる手段がある。",
"title": "用具"
},
{
"paragraph_id": 51,
"tag": "p",
"text": "競技用バーン(斜面)は水や硫安・塩カリ等の凝固剤の散布によってスケートリンクのように硬いアイスバーンとなるため、ストックの石突は鋭利で硬質となっている。",
"title": "用具"
},
{
"paragraph_id": 52,
"tag": "p",
"text": "ストックのシャフトはアルペン競技の内容によって目的が違い、回転(スラローム/Slalom)では、ストック本来の使用方法以外に可倒ポールから自身の体を守りつつポールを倒すプロテクターの役割もはたす。また、その目的でストックのグリップ部分にナックルガードを取り付ける事が多い。一方で高速系競技の滑降(ダウンヒル/Downhill)・スーパー大回転(スーパージャイアントスラローム/Super Giant Slalom, Super G)に使われるストックのシャフトは、滑走者がクローチング姿勢を取りやすいように体型に合わせて屈曲している物が多い。",
"title": "用具"
},
{
"paragraph_id": 53,
"tag": "p",
"text": "アルペン競技用に使われるストックのバスケットは主に空気抵抗減少を目的として非常に小さいものが装着され、特に高速系競技(滑降・スーパー大回転)に使われる物は空気抵抗がシビアになるために円錐形やピンポン玉形状として、バスケットと呼ぶのが難しい物が付いている事もある。",
"title": "用具"
},
{
"paragraph_id": 54,
"tag": "p",
"text": "ワックスはスキーの滑走性の向上と滑走面の保護のために使用するもので、主に固形のもの(アイロンで溶かして塗りこむ)、液体のもの(スプレータイプとリキッドタイプ)、パウダータイプのものがある。",
"title": "用具"
},
{
"paragraph_id": 55,
"tag": "p",
"text": "固形のハイドロカーボン(パラフィン)、フッ素などでできたワックスは、専用のアイロンで溶かしてスキーの滑走面に垂らしてからアイロンを動かしてまんべんなく塗りこむ。冷えて固まった後、スクレーパーと呼ばれる厚い定規のようなプラスチック板で余剰分を削り落とす。この一連の作業を「ホットワックス」という。滑走面に浸み込んだ汚れがワックスで浮き出るクリーニング効果もある。雪温に応じてフッ素の配合率が違う複数のタイプを使い分ける。春先など雪温が高くなるほど水分が多くなるので高雪温用はフッ素配合率が高い。",
"title": "用具"
},
{
"paragraph_id": 56,
"tag": "p",
"text": "固形タイプのワックスは、種類によっては時に固形のまま直接スキーの滑走面に塗り込む事があり、これは主に「生塗り」と呼ばれている。ホットワックスに比べると持続性に欠けるが、携帯しやすい事から雪質の変化等で滑走性が悪くなった時にそのつど行える利点がある。また、生塗りを行った後でワックスコルクや専用のブラシで磨き込む事もある。",
"title": "用具"
},
{
"paragraph_id": 57,
"tag": "p",
"text": "スプレータイプとリキッドタイプのワックスはホットワックスに比べて手軽だが、持続性に欠ける事が多い。滑走面にスプレーするかリキッドを塗った後、ワックスコルクや専用のブラシで滑走面を磨くようにして塗り込むと良い。なお、リキッドタイプは小型容器やペーパーに染み込ませた物など携帯しやすい物があり、そのつど塗る事も出来る。またリキッドタイプ等の携帯タイプの容器に小型のワックスコルクや、ワックスコルクの代用となるフェルトが取り付けられている事もある。",
"title": "用具"
},
{
"paragraph_id": 58,
"tag": "p",
"text": "スプレータイプやリキッドタイプを主に使用している場合のスキーシーズン終了後は、保管中の滑走面やエッジの保護を目的にワックスを塗っておき、シーズン始めにワックスリムーバーと呼ばれるワックスの剥離剤を塗るなどして古いワックスを落とし、再度新しいワックスを塗り込んで滑走性を良くする事を行うケースもある。",
"title": "用具"
},
{
"paragraph_id": 59,
"tag": "p",
"text": "パウダータイプのワックスは主にスタートワックスとも言われ、アルペン競技などのスタート直前に滑走面にふり、スプレータイプやリキッドタイプと同様にワックスコルクで磨いて塗り込む。持続性はなく、スタート直後、最初の1〜2ターンしか保たない。フッ素100%配合であるため通常のワックスよりも非常に高価である。スタートワックスは固形タイプ・リキッドタイプ等の物もある。",
"title": "用具"
},
{
"paragraph_id": 60,
"tag": "p",
"text": "コンマ1秒を競うアルペン競技の場合はその日の雪の状況や雪温を調べ、それに最も適したワックスを塗る。",
"title": "用具"
},
{
"paragraph_id": 61,
"tag": "p",
"text": "初心者などの間では「ワックスを塗るとスピードが出て危険だ」という誤解が生じがちだが、むしろワックスを塗らなければスキーの板に雪がくっついてしまい、滑らなくなるばかりか転倒する危険もある。そのために初心者でもスキー板の表面にワックスを塗ることはとても大切であり、特にインストラクターは初心者に「歩く」「滑る」「止まる」「回る」のスキーの要素から「滑っても止まれる」事を教え、ワックスの必要性と合わせて知ってもらう事が大事である。",
"title": "用具"
},
{
"paragraph_id": 62,
"tag": "p",
"text": "スキーヤーは、以下のような服やアクセサリーを身につけるのが一般的である。",
"title": "服装"
},
{
"paragraph_id": 63,
"tag": "p",
"text": "防寒具としてはもとより、一般のスキーヤーの間ではファッションとしての要素も併せ持つ。かつては蛍光色や原色などの、雪の白に対して映える色使いが主だったが、近頃はスノーボーダーの影響からか、ストリート系、ルーズファッションと呼ばれる街着に近い型が流行している。またユニフォームとしての側面から、アルペン競技のジュリー等関係者・基礎スキー大会の公認スキー検定員によるイグザミナー等関係者・公認スキー学校のスキー指導者・スキーパトロール・その他のチームや団体等では統一デザインとしたスキーウェアとなっている事もある。ウェアによっては硬い雪面等から身を守れるよう、堅牢な作りとなっている物や、プロテクターが組み込まれた物もある。",
"title": "服装"
},
{
"paragraph_id": 64,
"tag": "p",
"text": "近年のスノーボーダー用ウェアの普及でデザインの共通化も見られる事から、スキーウェアとの区別が付きにくくなりつつあるが、通常のスキーウェアのパンツ部分については一般的に、裾の内側に皮革やプラスチック等で出来ているエッジガードと呼ばれる、その名の通りスキーのエッジでウェアの裾が切れない構造となっているものが取り付けられている。なお、特に気にならなければスノーボーダー用のウェアを着用するケースもある。",
"title": "服装"
},
{
"paragraph_id": 65,
"tag": "p",
"text": "レース時に着用されるウェアである。空気抵抗を減らすため、ポリウレタン混紡等の薄い伸縮性生地を用い、身体に密着するように製作される。表面はカレンダー処理等の方法で高い平滑性を持たせたり、空気の流れを整えるためのパターンが着用時に浮き出るような特殊な加工が施されることもある。テレビジョン中継等、各種メディアへの露出度が高いことから、各チームの個性を演出すべく目立つデザインのプリントがされている場合が多く、選手のスポンサー企業のロゴなどがあしらわれることもある。通常上下一体のワンピース型であり、レーシングワンピースとも呼ばれる。その保温性はスキーが行われるような環境で着用するには全く不十分であり、スタートの直前までは防寒用のスキーウェアをレーシングスーツの外側に重ね着しておくことが普通である。スーパー大回転、大回転、回転競技用のスーツには、ポールへの衝突から身体を保護するプロテクターを組み込んだものもある。1970年代には表面をビニルコーティングしたスーツが用いられていたが、スピードが出すぎて危険なこと、また汗が内部から蒸散せず、皮膚障害の原因になりかねないことから、国際スキー連盟(以下、FIS)により通気性の素材を用いなければならないルールが制定された。重要な公式大会の滑降、スーパー大回転、大回転競技では、あらかじめFISによる通気性等のテストを受け、プロンプと呼ばれる合格証を取り付けたスーツでなければ着用できない。プロンプが不要の回転競技では、ツーピースタイプのレーシングスーツを着用する場合もある。",
"title": "服装"
},
{
"paragraph_id": 66,
"tag": "p",
"text": "速度が出るごとに威力が増す降雪や気流、雪面から照り返す強い太陽光から目を守るために装着する。吹雪などで前方の視界が確保できないことは危険であるし、また強い太陽光は目を傷める可能性がある。",
"title": "服装"
},
{
"paragraph_id": 67,
"tag": "p",
"text": "ゴーグルの中にはレンズが着色されていて、サングラスの機能を兼ねるものも多くある。ただ、安価なゴーグルやサングラスの中には、色つきでも紫外線を遮断しないものがあり、その場合、可視光が遮られて瞳孔が拡大するが紫外線量は変化しないために、かえって目を傷める事があるので注意を要する。",
"title": "服装"
},
{
"paragraph_id": 68,
"tag": "p",
"text": "紫外線は水平方向から目に入る以外に、雪面(海ならば海面)からの照り返しと呼ばれる反射によって斜め方向から目に届く事があり、偏光サングラスおよび偏光グラスのゴーグルは斜め方向から入射される紫外線から目を保護する。",
"title": "服装"
},
{
"paragraph_id": 69,
"tag": "p",
"text": "サングラスの場合、ゴーグル程の冷気や雪の吹き込みなどを防ぐ効果は無いが、逆に通気性の良さから、大汗をかきやすいためにゴーグル内部が汗による水蒸気で曇りやすい人には割と好まれている。この場合、ベンチレーター(換気装置)付きのゴーグルでも曇りが取れないとか、曇り止めを使うと防げるが、水蒸気がレンズ全面に貼り付いて水膜を生じ、視界が悪化するというケースもあって、後述する特別な事情がない限りは特に好まれる。さらに山岳スキー・バックカントリースキーにおいて、登攀時はその運動量の多さから特に汗をかきやすいため、登攀時にはサングラス、滑走時にはゴーグルという使い分けをする事が多い。また、その場合で雪まみれになったり破損するなどした時に備えて予備のレンズまたはゴーグルの用意をする事もあり、それらの方法が勧められている。",
"title": "服装"
},
{
"paragraph_id": 70,
"tag": "p",
"text": "SAJでは、事故の際に割れたサングラスで顔面を負傷する事例がある事からゴーグルの着用が勧められていて、義務では無いものの、SAJの安全方針を認識しているスキーバッジテスト・SAJスキー指導員及び準指導員検定(実技)などの受検者やアルペン競技・全日本スキー技術選手権大会などの選手はほぼ全員ゴーグルを着用している。",
"title": "服装"
},
{
"paragraph_id": 71,
"tag": "p",
"text": "低温下でも指先の感覚を失わないよう、分厚い作りになっている。手のひら側には革や樹脂などの滑り止めが施され、ストックを安定して掴むことができるよう工夫されている。",
"title": "服装"
},
{
"paragraph_id": 72,
"tag": "p",
"text": "一般のスキーヤーでは無帽の者も珍しくないが、転倒したところへ他のスキーヤーが衝突し、エッジで頭を切ったり衝突時の衝撃を受ける等で頭部から出血する事もあるため、怪我の予防から帽子をかぶる事が望ましいが、なるべくならヘルメットを着用する事が、後述する点からも特に望まれている。",
"title": "服装"
},
{
"paragraph_id": 73,
"tag": "p",
"text": "一般的に、海外からのスキーヤーに比べ、日本のスキーヤーのヘルメット着用率は低く、欧米における一般スキーヤー着用率が80%と言われているのに対し、日本におけるスキーヤーの事故発生受傷時のヘルメット着用率は37%となっており、前述のゴーグル同様にSAJでは一般のスキーヤーに対してヘルメットの着用を勧めている。アルペンスキー用のヘルメット規格は、SAJがFISに準じて「CE EN1077」または「ASTM F2040」が推奨されている。前述した安全面からのSAJ等によるヘルメット推奨の理由から、これまでもSAJスキー指導員・準指導員やその検定受検者等は安全方針を認識している事もあり、ヘルメット着用率は高い。ヘルメット使用者はいずれの場合でも、サイズがフィットする物でゴーグルと相性が良いものを選ぶのが良く、使用前の点検は欠かせない。",
"title": "服装"
},
{
"paragraph_id": 74,
"tag": "p",
"text": "スキー用に限らず全てのヘルメットに言える事だが、一度でも衝撃を受けたヘルメットは衝撃吸収力が損なわれている事から使用しない方が良い。また、安全上分解・切削・加工等の改造を行ってはならない。",
"title": "服装"
},
{
"paragraph_id": 75,
"tag": "p",
"text": "アルペン競技においては安全面から、FISでは【アルペン】競技規則(ICR)606.4の規定によって全ての競技においてヘルメットが義務化されている。またSAJではスキー用具に係る国内運用規定によって滑降・スーパー大回転・大回転においてはヘルメットが義務化されていて、回転においては推奨としている。",
"title": "服装"
},
{
"paragraph_id": 76,
"tag": "p",
"text": "アルペン競技用のヘルメット規格はFISの規定により、全ての競技において2018年度までは「CE EN1077」のみ認められていたが、2019年度からは規則改定により「FISステッカーRH2013」のみ認められている。なお、SAJは滑降・スーパー大回転・大回転についてはFISに準じて同規格と定めているが、回転については推奨であるために「CE EN1077」及び「ASTM F2040」の規格品も使用出来る。そのため、この場合において他競技にはないヘルメット耳部分のソフトパッド使用が認められている。",
"title": "服装"
},
{
"paragraph_id": 77,
"tag": "p",
"text": "高速系競技となる滑降・スーパー大回転では時に時速100kmにも達する速度で滑走するため、転倒時などに頭を守るためと、髪の空気抵抗を抑える役割があり、その点から義務化以前より着用が勧められていた。回転では可倒式ポールとのコンタクトが強く、時に腕やストックで払いきれなかった可倒式ポールが顔面に当たる事もあり、顔面保護の目的でチンガードが付くヘルメットもある。",
"title": "服装"
},
{
"paragraph_id": 78,
"tag": "p",
"text": "前述した、安全面からのSAJなどによるヘルメット推奨の理由から、これまでも全日本スキー技術選手権大会(以下、技術選)等の基礎スキーの選手は安全方針を認識していてヘルメット着用率は高いが、技術選や全日本ジュニアスキー技術選手権(以下、ジュニア技術選)においては現在の規則にヘルメットの着用義務が明記されていて、ヘルメットは必ず着用する事になっている。なお、それ以外の基礎スキー大会でも、参加者の安全方針認知や、安全面から運営側で技術選やジュニア技術選に準じた規則とする場合などもあって、選手のヘルメット着用率は高い。",
"title": "服装"
},
{
"paragraph_id": 79,
"tag": "p",
"text": "主に競技用。転倒時の硬い雪面や、ターンする際のポールから体を守るために装着する。すね当て、臀部、大腿部、下半身全体を防護するもの、全身を防護する鎧のようなものまで様々。ウェアの下に装着し、外見ではプロテクターが目立たないタイプも普及している。",
"title": "服装"
},
{
"paragraph_id": 80,
"tag": "p",
"text": "一般向けには初心者や小児の怪我防止に簡易な膝当てなどが使用されることがある。",
"title": "服装"
},
{
"paragraph_id": 81,
"tag": "p",
"text": "参考資料:日本スキー教程/全日本スキー連盟・著に掲載されている順に表記する。",
"title": "滑走技術"
},
{
"paragraph_id": 82,
"tag": "p",
"text": "スキーの滑走の際は、基本的に次の用語がよく使われている。",
"title": "滑走技術"
},
{
"paragraph_id": 83,
"tag": "p",
"text": "1)山・谷 スキーにおいては、ゲレンデなどの斜面上部や山頂に向かう側を「山」、逆に斜面を下る側を「谷」と呼ぶ。斜面の山から谷に向かう方向の最大斜度となる方向がフォールライン(最大傾斜線)と呼ばれる。 主に静止または斜滑降の状態にあるスキーの位置で「山脚」「谷脚」・「山スキー」「谷スキー」という言葉や、ターン時の方向で「山回り」「谷回り」という言葉で使われる。",
"title": "滑走技術"
},
{
"paragraph_id": 84,
"tag": "p",
"text": "2)内・外 一つ目は、プルークの体勢を取った時などに、自分の身体の中心側を「内」、逆に外側をそのまま「外」と呼ぶ。主にスキーのエッジで身体の中心側にあるのを「内エッジ」、反対側を「外エッジ」と呼んだり、股関節を中心に下肢(脚)を内側にひねる事を「内旋」、逆を「外旋」と呼んだりする。 もう一つは、ターン時にターン弧の中心に向かう側が「内」、逆にターンの外側がそのまま「外」と呼ばれる。主にターンにおいて「内脚」「内スキー」「外脚」「外スキー」という呼び方をする。",
"title": "滑走技術"
},
{
"paragraph_id": 85,
"tag": "p",
"text": "3)「ハ」の字・V字 スキーのトップを閉じてテールを開いたプルーク体勢を取った時のスキーの形が片仮名の「ハ」の形になっている状態から「『ハ』の字」と呼ばれる。また、開脚登行・山回りの方向転換・スケーティング(いずれも後述)を行う際に、プルークとは逆にスキーのトップが開いてテールが閉じている形がアルファベットの「V」の形になっている状態から、こちらは「V字」と呼ばれる。",
"title": "滑走技術"
},
{
"paragraph_id": 86,
"tag": "p",
"text": "「『ハ』の字」は片仮名ゆえに日本国内においてのみ通じる呼び名で、英語では「Wedge stance(ウェッジスタンス)」と呼ばれている。",
"title": "滑走技術"
},
{
"paragraph_id": 87,
"tag": "p",
"text": "4)「く」の字 ターン時、身体の上半身をターン外に屈曲させた体勢の事を指し、正面から見た身体が平仮名の「く」の形になっている事から「『く』の字」と呼ばれる。「く」の字体勢の姿勢は、プルークスタンスから上半身を固定したままで脚をパラレル(平行)に持ってきた体勢を基本としている。外脚荷重を積極的に行うために従来から取られてきた姿勢だが、SAJでは一時期、カービングスキーが普及し始めた頃に「く」の字姿勢ではなく身体をほぼ一直線にしてカーブの内側に倒す(「内倒」と呼ばれる)体勢として楽な滑り方を採用・指導していた事があった。その後、カービングスキーであっても外脚荷重を重視する目的で再び「く」の字姿勢を採用・指導する方針に戻し、現在に至っている。",
"title": "滑走技術"
},
{
"paragraph_id": 88,
"tag": "p",
"text": "「『く』の字」は平仮名ゆえに日本国内においてのみ通じる呼び名なので、海外においては「Like a bow(弓のような・弓なり)」と表現すると通じる事が多い。",
"title": "滑走技術"
},
{
"paragraph_id": 89,
"tag": "p",
"text": "スキー初心者に、主に初歩動作として教える技術だが、様々な状況で使える技術となっている。",
"title": "滑走技術"
},
{
"paragraph_id": 90,
"tag": "p",
"text": "スキーブーツは構造上足首が固定されていることから、初心者は歩行時に戸惑う事があるため、まずはブーツを履いた状態での歩行になれる必要があり、主に次の2つがある。いずれの場合でも、初心者はストックも使ってバランスを取りながら行うと良い。",
"title": "滑走技術"
},
{
"paragraph_id": 91,
"tag": "p",
"text": "1)踵・爪先をつけて歩く 雪面を踵 → ブーツ底面 → 爪先の順につけて歩く方法で、普通の歩き方に近い。なお、氷結面やタイル床等の滑りやすい場所ではかかとをつけた段階で滑って転びやすい事があり、注意が必要。",
"title": "滑走技術"
},
{
"paragraph_id": 92,
"tag": "p",
"text": "2)ベタ足で歩く 氷結面等の滑りやすい場所で歩きやすい歩き方である。ブーツの底を雪面や氷結面と平行に置きながら、爪先は前に向けた状態として、小さい歩幅で歩く。スキーブーツを履かない段階で意識して練習する方法もある。余談だが、この歩き方は普段の生活で積雪路面や凍結路面等の滑りやすい場所を歩く時にも有効で、一部の地域では「ペンギン歩き」と呼ばれる事もある。",
"title": "滑走技術"
},
{
"paragraph_id": 93,
"tag": "p",
"text": "スキーを履いた状態の歩行は、2)と同様にベタ足で歩いたり、スキーを前後に滑らせながら歩く方法となる。スキーを履いての歩行はリフト乗車時などでよく使われるため、基本技術となっている。",
"title": "滑走技術"
},
{
"paragraph_id": 94,
"tag": "p",
"text": "スキーを履いた状態で、両ストックを雪面に突いて前から後に押し込んで推進力を得て滑る技術。歩くよりも速く移動出来る。また、「歩く」から「滑る」へのスキーの本質に触れる技術でもある。",
"title": "滑走技術"
},
{
"paragraph_id": 95,
"tag": "p",
"text": "スキーをV字にして、左右交互に踏み出して滑る技術。平地で行う時はストックによって押し出す推進力も合わせて使う。初心者にはエッジの役割と荷重の移動を覚えるのに有効な技術であるほか、上級者、特にアルペン競技においては加速を得るための重要な技術である。",
"title": "滑走技術"
},
{
"paragraph_id": 96,
"tag": "p",
"text": "最も簡単に向きを変える方法である。また、エッジの引っかかりを利用して前方または後方に滑らないように出来る事から、同時にエッジの役割も習得出来る。",
"title": "滑走技術"
},
{
"paragraph_id": 97,
"tag": "p",
"text": "1)トップ開き スキーのテールを支点にして、ゲレンデの山側にV字に大きく開く → 反対側のスキーを平行に揃える(平地または緩斜面の場合)か少しだけV字に開いた状態(傾斜が強い場合)にスキーを移動させる事をくり返し、ゲレンデの山側を向く方向に回り込む。",
"title": "滑走技術"
},
{
"paragraph_id": 98,
"tag": "p",
"text": "2)テール開き スキーのトップを支点にして、ゲレンデの山側に「ハ」の字(プルーク)に開く → 反対側のスキーを平行に揃える(平地または緩斜面の場合)か少しだけ「ハ」の字に開いた状態(傾斜が強い場合)にスキーを移動させる事をくり返し、ゲレンデの谷側を向く方向に回り込む。",
"title": "滑走技術"
},
{
"paragraph_id": 99,
"tag": "p",
"text": "斜面で静止状態で方向転換するための技術。いくつかの方法があるが、日本スキー教程/全日本スキー連盟・著に記載されている主な方法を中心に記述する。",
"title": "滑走技術"
},
{
"paragraph_id": 100,
"tag": "p",
"text": "1) 両方の板をフォールラインに対して垂直方向に揃えてエッジを立てて静止している状態から、谷脚スキー板のトップを上にするように持ち上げ、板のテールを前方に出して立てる。その状態から板のトップを谷側を経由して倒しながら後方に持っていき、山側の板と逆方向で平行になるように着地させる。これによって、脚は極端な爪先開きの体勢となる一方、上体は谷を向く方向となる。続けて山脚を持ち上げて身体の捻れを解くように谷側に移動させて両方の板が平行になるように着地させる。これによって方向転換が完成する(動画「キックターン-1」参照)。キックターンの中では一番行いやすい方法とされる。",
"title": "滑走技術"
},
{
"paragraph_id": 101,
"tag": "p",
"text": "2) 谷脚のスキーを持ち上げてそのままトップを谷側かつ後方に回転させつつ山側にそろえ、脚が極端な爪先開きの体勢、かつ上体が谷を向く方向となったところで、入れ替わって谷側となったスキーのトップを谷側から逆方向に回して同方向に揃える、前述の方法とほぼ逆の動きをするキックターンもある(動画「キックターン-2」参照)。 上記の応用で、谷側のスキーを後方に回転させた後で、入れ替わって谷側となったスキーのテールを立てて雪面に突き、それを支点として板のトップを谷側を経由して倒しながらスキー先端を同じ方向に揃える方法もある(動画「キックターン-3」参照)。",
"title": "滑走技術"
},
{
"paragraph_id": 102,
"tag": "p",
"text": "急斜面や狭い場所、スキーレッスンなどにおいて安全な方向転換のためには欠かせない技術で、初心者の段階から習得を求められるものである。なお、子ども・筋力不足やバランスが上手く取れない初心者などでは、1)のキックターンをする際にスキー板を前に立てる事が出来ない人もいるため、板を立てる事が出来るかどうかを確認してから指導する方が良い。",
"title": "滑走技術"
},
{
"paragraph_id": 103,
"tag": "p",
"text": "転倒時は傷害の発生が多い事と、初心者においては不慣れや恐怖心から転ぶ事が多いという点から、安全な転び方を習得する事も必要である。",
"title": "滑走技術"
},
{
"paragraph_id": 104,
"tag": "p",
"text": "転倒する時は、安全面から「1)腕をつかない」「2)膝をつかない」「3)出来るだけ山側におしりをつく」事を心掛けると良い。通常は山側に横倒れに転ぶ方法が安全とされている。また上級者や競技者に多いが、高速時にジャンプしてスキーのテールから着地した際、身体が後ろに倒れているのをリカバリーしようとして、逆に「膝前十字靱帯(ACL)損傷」という傷害を起こすケースがあるため、この場合は無理に立とうとしないでそのまま後ろに倒れたまま転んだ方が安全とされる。",
"title": "滑走技術"
},
{
"paragraph_id": 105,
"tag": "p",
"text": "起き上がる際は、スキーをなるべくフォールラインと垂直に、かつ谷側に置き、身体は山側に置く体勢を取る。そして山側に持ってきた身体の方にストックを突いて、ストックを補助にして腕の力で立ち上がる。急斜面ならば手をつくだけで立ち上がれる場合もある。なお、新雪でストックが潜ってしまう場合は前述の方法もある。",
"title": "滑走技術"
},
{
"paragraph_id": 106,
"tag": "p",
"text": "転倒時、スキーが交差してどうしても立ち上がる体勢が取れない場合、ためらわずにスキーを外してから立ち上がる手段を取った方が良い。",
"title": "滑走技術"
},
{
"paragraph_id": 107,
"tag": "p",
"text": "斜面を歩いて登るための技術。いずれもエッジを利用する事から、初心者にエッジの有効性を知ってもらう事にも役立つ。",
"title": "滑走技術"
},
{
"paragraph_id": 108,
"tag": "p",
"text": "階段登行は、まず両方の板をフォールラインに対して垂直方向に揃え、山脚を山側(斜面の上)へ一歩踏み出して、山側のエッジを立てて食い込ませ、ついで谷脚を山脚に揃える事を繰り返して登っていく。子どもの初心者には「カニ歩き」や「横歩き」という呼称にするとイメージしやすい事もある。応用として、山脚を山側の斜め前に一歩踏み出して登る斜登行と呼ばれる斜め方向への階段登行もあり、ゲレンデの形状に合わせたり、目的地が斜め上側にある時などに使われる。",
"title": "滑走技術"
},
{
"paragraph_id": 109,
"tag": "p",
"text": "開脚登行は、斜面を上に見る方向で正面を向き、爪先を開いたV字の状態で両方の板の内エッジを雪面に食い込ませることで足場を確保し、双方の脚を交互に前方に出すことで登っていく。",
"title": "滑走技術"
},
{
"paragraph_id": 110,
"tag": "p",
"text": "両方の技術が可能な場所では開脚登行のほうが大きく踏み出すことができるために効率的に登ることができるが、主に子どもや脚の筋力が足りない初心者の場合、開脚登行は斜面が急になってくると登るための力が足りず安全に行うことが難しくなるため、階段登行のほうが有効な技術となる。",
"title": "滑走技術"
},
{
"paragraph_id": 111,
"tag": "p",
"text": "現実のゲレンデでは、初心者がリフト等の利用すら困難だったり、滑走中に転倒したり物を落としたりして止まって引き返す必要がある事から斜面の登り返しが必要となる場所もあり、こうした技術は滑走を続けるために初心者の段階から習得を求められる必要不可欠なものである。",
"title": "滑走技術"
},
{
"paragraph_id": 112,
"tag": "p",
"text": "なお、階段登行の技術を応用して斜面を下る事もあり、初心者が急斜面で滑走困難になった場合などで有効な事もある。",
"title": "滑走技術"
},
{
"paragraph_id": 113,
"tag": "p",
"text": "板を平行に保ち、斜面をフォールライン方向にまっすぐ降りていく技術。アルペンスキーに限定されない全てのスキー運動の基本となる。緩斜面において初心者が初めに学ぶ滑降技術でもある。斜度がきつくなりスピードが高速になるにつれ、直滑降を維持して滑走するのは高度な技術となる。高速系種目では両スキーの外エッジを足場として安定した直滑降を行っている。縦に降りるとも言う。板を平行にする事を二の字、またはパラレルと言う。",
"title": "滑走技術"
},
{
"paragraph_id": 114,
"tag": "p",
"text": "初心者の直滑降の練習時は、緩斜面の終端が平坦に近くなって自然に止まれる地形を利用する事が望ましいが、地形が利用出来ない場合はプルークによる制動(停止)を合わせて行う。また、直滑降とプルーク制動を連続して行う練習法もある。これは昔からある直滑降習得時に合わせて行う事が多い技術と練習法の一つで、現在のSAJにおいては「プルークでの制動と滑降の連続」と呼称しているが、スキー歴が長い人は古くからの呼称であるシュテムファーレンと言う事もある。シュテムとは本来制動を意味するドイツ語であるが、板を平行から「ハ」の字に動かす動作そのものもシュテムまたはシュテム動作と呼ぶ。それのファーレン(後述参照)であるので、直滑降に始まり、テールを開いたり閉じたりする運動となる。これにより迎え角(進行方向に対するスキーの角度)を調整でき、スピードコントロールに繋がる。",
"title": "滑走技術"
},
{
"paragraph_id": 115,
"tag": "p",
"text": "両開きが難しい場合に片開きを行う場合があり、その場合は片開き・片シュテム・片制動・レの字と呼ぶ。滑走時にプルークの応用として使う事もあり、両開きが難しい場合に片側に体重を掛けて雪を退かせる技術で、初心者レッスン・シュテムの導入・山岳スキー・スキーパトロールなどで使われる事もある。片開きなどは日本スキー教程には記述がないが、特にスキーパトロールにおいて、アキヤボート(傷病者搬送に使う、前後にスキーパトロールが掴まって方向等の操作をするハンドルを取り付けたそり)などでの傷病者搬送をする際に行う事が多いため、「日本スキー教程『安全編』」中に公認スキーパトロールの滑走技術として記述されている。",
"title": "滑走技術"
},
{
"paragraph_id": 116,
"tag": "p",
"text": "直滑降を習得する段階において、膝と上体を屈伸させる上下運動を習得させる方法があり、その補助として3本のストックを組み合わせてゲートを作るか、インストラクターがストックを1本水平に持ち、その下をくぐらせて練習する事がある。",
"title": "滑走技術"
},
{
"paragraph_id": 117,
"tag": "p",
"text": "主に高速滑走時にとる姿勢。アルペン競技の大回転以上の高速系で用いる事が多い技術だが、緩斜面でスピードを落とさない滑走技術としても使われるので、現在は初期段階から教えている。板は平行に肩幅かそれより若干広く開き、足首と膝を屈曲して腰を落とし、上半身は前に倒す。腕を曲げてたたんだ状態で拳を前方に向け(あるいは拳と腕を突き出すスキーヤーもいる)、手の平を上に向けてストックを握り、ストックは脇から身体に沿わせるように後方に出す。顔は前方を見る。直滑降か、脚を左右に傾けて行うクローチングターンと呼ばれる浅いターンが基本的な滑りとなる。",
"title": "滑走技術"
},
{
"paragraph_id": 118,
"tag": "p",
"text": "クローチングは基本的に、体勢を低くすればするほど空気抵抗が減少する事が科学的に証明されており、中腰姿勢に比べて最も低いクローチング姿勢は空気抵抗が60%程度低くなる。なおかつ、最も低い姿勢でも腕をたたんだ状態に比べて腕を真下に伸ばした状態だと空気抵抗が45%程度上昇する。",
"title": "滑走技術"
},
{
"paragraph_id": 119,
"tag": "p",
"text": "板を「ハ」の字にして直滑降する技術。ファーレンとは乗り物に乗って進むと言う意味のドイツ語。「ハ」の字とは、板のトップがくっついていて、テールが開いているスタンスの事で、これをプルークと呼称し、時に両開きや全制動、あるいは単に「ハ」の字とも言う事がある。",
"title": "滑走技術"
},
{
"paragraph_id": 120,
"tag": "p",
"text": "緩斜面から平らになる地形がない場合、初心者は直滑降に加えこれを習得する。股関節の捻り(内旋と呼ばれる)によるテールの押し出しのテクニックが必要なので、補助として、トップを合着させる「トライスキー」の器具使用や、トップを手で摘まみながら滑らせる方法を取ると良い。停止する時以外はあまり無駄な力を入れない方が上手く滑る事が出来るとされる。停止の際はスキーのテールを思いっきり開き出して踏み込み、時には膝を内側に入れてエッジを立てて止まる。",
"title": "滑走技術"
},
{
"paragraph_id": 121,
"tag": "p",
"text": "慣れてくるに従って、テールを開く幅を小さくしたり大きくしたりする事を繰り返してスピードに緩急をつける手法も取り入れる。",
"title": "滑走技術"
},
{
"paragraph_id": 122,
"tag": "p",
"text": "プルークファーレンが上手く出来ない場合、特に初心者で用具に関する知識不足や劣悪なスキー用具の使用(主に左右スキーのエッジの研ぎ方・立て方が違っている事があるなど)によるケースも多いため、問題がある場合は用具の変更やチューンナップ等での対応も視野に入れた方が良い。",
"title": "滑走技術"
},
{
"paragraph_id": 123,
"tag": "p",
"text": "単にボーゲンとも呼ばれる。プルークスタンス(前述参照)を取り、荷重と迎え角による制動を掛けながら、曲がるための外スキー(カーブの外側に位置するスキー)にかける荷重を交互に変えながらターンする技術である。プルークスタンスを作ることにより次のターンの迎え角ができているため、安全のための制動系技術のひとつとなっていて、状況に応じて全てのスキーヤーが用いる基本技術である。",
"title": "滑走技術"
},
{
"paragraph_id": 124,
"tag": "p",
"text": "板を平行に保ち、フォールラインに対して板を斜めに位置させ、そのまま斜め方向に滑走する技術。トラバースとも言う。",
"title": "滑走技術"
},
{
"paragraph_id": 125,
"tag": "p",
"text": "プルークボーゲンからの発展で、現在ではパラレルターンに移行する段階で習得する技術の一つとなっている。過去にはプルークターンとも呼ばれていた。",
"title": "滑走技術"
},
{
"paragraph_id": 126,
"tag": "p",
"text": "ターン開始時にプルークボーゲンから外脚をさらに外に踏み出して外スキーのカービングを強め、フォールラインから先は外スキーのエッジングを強めてカービング運動を行うターン技術である。プルークボーゲンでの脚と雪面が二等辺三角形を描いているのに対し、滑走プルークでは雪面・垂直となった内脚(カーブの内側にある脚)・斜めとなった外脚で直角三角形を描いている。その過程上、内脚をパラレル(平行)にする動作につながる。",
"title": "滑走技術"
},
{
"paragraph_id": 127,
"tag": "p",
"text": "板を平行に保ち、フォールラインに対して板を直角ないし斜めに位置させ、腰(骨盤)と上体の向きを揃えて進行方向に向けつつ姿勢を「く」の字にすることでエッジを緩めて、板の長手方向に対し横または斜め方向に滑走する技術。方向はフォールライン・斜め前・斜め後ろと3通りある。また、短距離の移動程度ならば膝を谷側に倒してスキーの角度を寝かせる(雪面の角度に近くする)事だけをして滑らせる事もある。",
"title": "滑走技術"
},
{
"paragraph_id": 128,
"tag": "p",
"text": "横滑りの技術のうち、フォールラインに近い浅い斜滑降から谷回り(フォールラインに向かって回る事)して行う横滑りは、結果的に自然と弧を描く軌道になるため、スキッディングターン(後述)の技術習得につながる。",
"title": "滑走技術"
},
{
"paragraph_id": 129,
"tag": "p",
"text": "一時期、SAJ1級の試験科目がゲレンデシュプルングから横滑りに変わった事がある。20mほど斜めに横滑りをしてキックターン後、今までとは逆方向へ20mほど斜めに横滑りをしてゴールするだけの単純なものであったが、センターポジションに乗れていない人や両脚の微妙なコントロールが出来ない人は苦戦していた。しかし1級を受検する技量のスキーヤーにとってはボーナス種目でもあった。",
"title": "滑走技術"
},
{
"paragraph_id": 130,
"tag": "p",
"text": "その横滑りは現在、改めて1級の種目において行われている。斜滑降でスタートし、外向傾姿勢を取りながら斜め前横滑りをし、ピボットにて向きを変える事を4回繰り返す。",
"title": "滑走技術"
},
{
"paragraph_id": 131,
"tag": "p",
"text": "現在のSAJ公認スキー指導員・準指導員検定(実技)の種目では、急斜面・ナチュラル(ある程度の滑走跡が残るが、不整地(コブ)ほどではない斜面)にて、横滑りを行うスペースが指示された上で行うこととなる。",
"title": "滑走技術"
},
{
"paragraph_id": 132,
"tag": "p",
"text": "アルペン競技・全日本スキー技術選手権大会等の基礎スキー大会のコースや、スキーバッジテスト・SAJ公認スキー指導員・準指導員検定(実技)の検定会場となる斜面において、コースの下見やゲレンデ表面を均して整える目的での横滑りを行う事があり、これは「インスペクション」または「デラ掛け」と呼ばれている。「デラ」は「デラパージュ(Dérapage:スキー横滑り)」というフランス語の略である。インスペクションとは本来はコースそのものの下見という意味で、アルペン競技においてのジュリーや検定等においての公認スキー検定員による許可と指示によってコース内を横滑りする行為を指すが、それから派生して、コース内での下見・整地を伴う横滑りそのものを指して呼ばれる事もある。インスペクションを行う際のルールは厳密に定められていて、コース上ではやむを得ない時以外は全て横滑りのみで行い、コース上で実際の滑りを再現する事を行ってはならず、行った場合は失格となる。",
"title": "滑走技術"
},
{
"paragraph_id": 133,
"tag": "p",
"text": "ターンの切り替え時に内スキー(次の外スキー)を山側に踏み出してスタンスを「『ハ』の字(プルーク)」とした後、外スキーに乗り込んでからスキーを平行(パラレル)にしてターンする技術。プルークボーゲンからパラレルターンに移行する段階で行う技術の一つである。シュテムとは「制動」の意味であり、通常はプルークスタンスでの制動に加え、ターン中はスキッディングターン(後述)とした制動も行う。",
"title": "滑走技術"
},
{
"paragraph_id": 134,
"tag": "p",
"text": "SAJでは、上記の滑走プルーク・横滑り・シュテムターン(シュテム動作)は、基礎パラレルターンに移行するための「3本の矢」という一体の物として扱った指導を行っている。",
"title": "滑走技術"
},
{
"paragraph_id": 135,
"tag": "p",
"text": "板を平行にしたままターンする技術。プルークボーゲンから、滑走プルーク・横滑り・シュテムターンを経て習得される技術である。ターン前半からの外脚荷重により、軽くなった内脚の膝を返してエッジを外し、両脚を同調させて平行のままターンする。後述する制動要素の多いスキッディング(横ずれ)と推進要素の多いカービングに分類される。実際の滑走では両者の中間的なものが多く見られる。",
"title": "滑走技術"
},
{
"paragraph_id": 136,
"tag": "p",
"text": "パラレルターンの一種であり、山スキーに踏みかえた後に、スキー板をずらして制動しながら回旋してから山まわりに移行することでターンする技術。ターンの外脚が滑走プルークやシュテムターンと近い動きをするため、パラレルターンの中では易しい技術であり、前述の「3本の矢(滑走プルーク・横滑り・シュテムターン〔シュテム動作〕)」から展開・移行して至る技術の「基礎パラレルターン」の一つにもなっている。スキッディングターンは制動性が高いことから、安全を重視して滑る技術でもある。",
"title": "滑走技術"
},
{
"paragraph_id": 137,
"tag": "p",
"text": "パラレルターンの一種であり、ターン開始時に脚をターン内側に傾けて、意図的な荷重や外力を利用した荷重によってスキー板をたわませて曲面を作り、これを雪面に食い込ませることで足場を作ってターンする技術。スキッディングターンと異なり板の制動要素が少ないため、高速滑走が可能となる。かつては難しい技術であったが、カービングスキーの登場により一般スキーヤーにも可能な技術となった。カービングとは「彫り込む(CARVE)」の意味であって「曲がる(CURVE)」の意味ではない。",
"title": "滑走技術"
},
{
"paragraph_id": 138,
"tag": "p",
"text": "ステップターンはステッピングターンとも呼び、踏み出しと踏み蹴りの二つがある。",
"title": "滑走技術"
},
{
"paragraph_id": 139,
"tag": "p",
"text": "前者の踏み蹴りはかつてアルペン競技でポールをクリアしていく時に多用されたが、サイドカーブのあるカービングスキーの普及により、踏み蹴らなくともエッジ角度を強めるだけでスキーが切れ上がるようになったため軌道を変える必要がなくなり、以前よりは使わなくなってきている。また、現在のSAJの指導項目ではシュテムターンのみ残っているが、ステップターンを使ってはいけないという訳では無い",
"title": "滑走技術"
},
{
"paragraph_id": 140,
"tag": "p",
"text": "後者の踏み出しにおけるシュテムターンの場合は初級者が外スキーの踏み換えを覚える際やレベルに関わらず斜面状況が悪い場合に安全に滑り降りるための技術として多用される。",
"title": "滑走技術"
},
{
"paragraph_id": 141,
"tag": "p",
"text": "極端に狭い斜面や極端な不整地(コブ斜面)等の状況でターンする際にジャンプして板を浮かしながら板の方向を変える技術。SAJの日本スキー教程には記述が無いが、山岳スキー等においてこの技術が使われる事がある。",
"title": "滑走技術"
},
{
"paragraph_id": 142,
"tag": "p",
"text": "SAJ(全日本スキー連盟)、SIA(日本プロスキー教師協会)はスキーヤーの技能レベルを客観的に判断する独自のスキーバッジテストや技術検定を設けている。",
"title": "SAJ バッジテスト・SIA 技術検定"
},
{
"paragraph_id": 143,
"tag": "p",
"text": "山岳スキー技術として誕生したアルペンスキーは、次第に如何に速く斜面を滑り降りるかという競技に発展した。現在ではヨーロッパを中心に非常に人気の高い競技スポーツとなっており、特にオーストリア、スイスなどアルプスの国々では国技であり、勝者は国民的英雄である。",
"title": "競技"
},
{
"paragraph_id": 144,
"tag": "p",
"text": "第4回冬季オリンピックから正式競技として採用されている。",
"title": "競技"
},
{
"paragraph_id": 145,
"tag": "p",
"text": "山を滑り降りる速さを競う競技であるが、コースには旗門と呼ばれる2本1組の旗またはポールが並べられ、その旗門を順番に通過しながら滑り降りる。旗門を通過できなかった場合は失格となる。種目によって、旗門数、旗門のインターバル、コース長、標高差が大きく変わってくる。",
"title": "競技"
},
{
"paragraph_id": 146,
"tag": "p",
"text": "1回の滑走または2回の滑走の合計タイムで順位を競う。",
"title": "競技"
},
{
"paragraph_id": 147,
"tag": "p",
"text": "世界第一線級の国際大会は次のようなものがある。",
"title": "競技"
},
{
"paragraph_id": 148,
"tag": "p",
"text": "自然の山の地形を最大限に活かすアルペンスキーのコースは、それぞれに特徴がある。コース長、標高差、最大斜度はコースによって様々であり、旗門のセットは毎回違うため、陸上競技のような世界記録というものは存在しない。ただし、滑降競技のように毎回ほぼ同じコースレイアウトでレースが実施される場合、歴史あるコースではコースレコードというものが存在する。",
"title": "競技"
},
{
"paragraph_id": 149,
"tag": "p",
"text": "世界的に有名なアルペンスキーのコースとしては、オーストリアのキッツビューエル、スイスのウェンゲン、アーデルボーデンなどがあり、日本にはオリンピックや世界選手権の舞台となった、八方尾根や雫石、志賀高原などがある。",
"title": "競技"
},
{
"paragraph_id": 150,
"tag": "p",
"text": "下肢等に障害のある競技者においては、座席とスキー板をサスペンション等で連結したチェアスキーを使用して行う。",
"title": "チェアスキー"
}
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アルペンスキー は、ヨーロッパアルプス地方で20世紀になって発展したスキー技術である。アルペン(Alpen)とは、ドイツ語で「アルプス」という意味である。スキーの原型であるノルディックスキーから分化し、ビンディングの踵を固定することにより滑降に特化して発達したスタイルである。雪の斜面をターンを繰り返し、ときには直滑降を織り交ぜつつ滑る。斜面は斜度0度から40度以上までのさまざまな斜度で構成される。滑走速度はレジャー目的では40km/hから60km/h程度までだが、高速系競技では100km/hを越える。大半の愛好者はスキー場で滑走するが、自然の整備されていない山を登って滑り降りる山岳スキーの愛好者も多い。
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{{出典の明記|date=2019年4月}}
{{Otheruses||コンピュータゲーム|アルペンスキー (ゲーム)}}
[[Image:Airforce_skiing_at_keystone_colorado.jpg|right|250px]]
[[Image:Base del Cerro Catedral en Bariloche. (Patagonia Argentina) 01.JPG|thumb|right|250px|アルペンスキー[[サン・カルロス・デ・バリローチェ]] ([[アルゼンチン]])]]
'''アルペンスキー''' ([[英語]]: Alpine skiing) は、[[ヨーロッパ]][[アルプス山脈|アルプス]]地方で[[20世紀]]になって発展した[[スキー]]技術である<ref>{{Cite web|和書|url=https://spaia.jp/column/skiing/1639|title=スキーの技術やスピードと勇気が試されるアルペンスキーとは?|publisher=【SPAIA】スパイア|date=2016-11-19|accessdate=2020-11-15}}</ref>。[[アルペン]](Alpen)とは、[[ドイツ語]]で「アルプス」という意味である。スキーの原型である[[ノルディックスキー]]から分化し、[[ビンディング]]の踵を固定することにより滑降に特化して発達したスタイルである。雪の斜面をターンを繰り返し、ときには直滑降を織り交ぜつつ滑る。斜面は斜度0度から40度以上までのさまざまな斜度で構成される。滑走速度はレジャー目的では40km/hから60km/h程度までだが、高速系競技では100km/hを越える。大半の愛好者は[[スキー場]]で滑走するが、自然の整備されていない山を登って滑り降りる[[山スキー|山岳スキー]]の愛好者も多い。
== 用具 ==
アルペンスキーでは以下のような用具を用いて滑走する。
=== スキー板 ===
アルペンスキーのスキー板は、2本の細長い板からなる。
==== 構造 ====
スキー板は、芯材、ソール(滑走面)、エッジ、トップシート、サイドウォールなどから構成される。
芯材はスキー板のもつべき剛性や弾性を実現する中心的な素材である。伝統的には[[木材]]が用いられてきたが、近年は発泡樹脂も用いられており、また、[[ケブラー]]、[[ガラス繊維]]、[[炭素繊維]]、[[ホウ素|ボロン繊維]]、[[ポリエチレン繊維]]などの[[化学繊維]]や[[チタン]]合金や[[マグネシウム]]合金のような金属により強化することで天然素材そのままでは実現できない力学的特性を実現している。
ソールは、スキー板が雪面と接する部分である。現在のスキー板では高密度[[ポリエチレン]]が用いられている。特に、上級モデルや競技モデルのスキー板のソールは[[焼結]]ポリエチレンを用いることで、滑走時に塗布する[[潤滑剤|ワックス]]がよりよく吸収されるようになっており、雪面に対する摩擦系数の低下による滑走性の向上を図っている。また、競技モデルを中心として、[[グラファイト]]粉末を混入して静電気の発生の低減を図ったものも用いられている。
エッジは、アルペンスキーにおけるターンの実現に欠かせない部品である。硬い金属、一般には[[鋼]]を素材とする細長い形状のもので、ソールに沿ってスキー板の左右に、板の先端(トップ)から後端(テール)まで配置される。現在はトップからテールまで、ひと続きとなったエッジがほとんどだが、板の柔軟性を優先するために、数cmごとに切れ目の入ったクラックドエッジも一部で用いられている。エッジは90度、ないしそれよりやや鋭角に研がれているのが一般的であり、ターン時に雪面、ときにはアイスバーンを削ってターン中の足場を確保する。
トップシートとサイドウォールは、スキー板の上面や側面を保護するための部材である。近年は、その形状や材質を工夫することで、スキー板の性能向上につなげている場合が多い。また、スキー板の構造は、もともとはソール、芯材、トップシートを重ねて貼りあわせて側面にサイドウォールを接着したサンドイッチ構造のものが多かったが、トップシートとサイドウォールを一体化したボックス構造、あるいはキャップ構造を採用する板も近年は多い。そのほか、トップシートの上に振動吸収を目的とした小さな部材を取り付けた板も存在する。
==== 形状 ====
アルペンスキーのスキー板は、ターン技術を用いた滑走に適した形状をしている。スキー板のトップとテールが太く、ビンディングを介してブーツと繋がるセンターが細くくびれた形状となっている。滑走時にスキーヤーがスキー板を傾けて板の上から荷重を掛ける事でスキー板はたわみ、エッジが雪面に食い込んで足場をつくることでスキー板全体は雪面に対して弧を描いて接することとなり、その結果スキーヤーはターンする事が出来る<ref name="Spur-01">この記述内容は「シュプールNo.47 2019年10月号」著者:北海道スキー指導者協会、印刷発行:株式会社正文社 p.94-115より参照した。<!--SAJ公認スキー指導員・準指導員及びSAH認定スキー指導員などの[[スキー指導者]]が同協会より配布される図書です。--></ref>。
従来からのスキー板は、単体でソールを下にして水平面に置くとトップとテールそれぞれの付近で水平面に接し、中央部分が浮いた弓なり状となっていて、この形状を'''「キャンバー」'''と呼んでいる。キャンバー形状のスキー板は履いてから平らな雪面に立つことでソール全体が雪面に接し、安定した直滑降を可能にしている。スキー板のトップは上に持ち上がっていて、滑走時に雪面に刺さりにくい形状になっている。テールはほとんど平らとなっている板が多い<ref name="Spur-01"/>。
近年、最初から反り返った形状となった'''ロッカー'''と呼ばれるスキー板も登場し、次の区分で呼称されている。
* '''フルロッカー'''
: スキー板センター(ビンディング付近)のキャンバー形状が最小で、トップからテールにかけてほぼ全て反り返っているもの。
* '''チップ&テールロッカー'''
: スキー板のトップとテールに大きな反り返りがあるが、センターにキャンバー形状も残されているもの。
* '''チップロッカー'''
: スキー板のトップのみが大きく反り返り、それ以外はキャンバー形状としているもの。
ロッカーの長所として、スキー板への荷重によらずに弧を描いている事からターンしやすく、特に[[山スキー|山岳スキー]]や[[バックカントリー|バックカントリースキー]]のエッジが効きにくい新雪・深雪斜面においてターンしやすい事が挙げられる<ref name="Spur-01"/>。
[[フリースタイルスキー]]では、テールもトップと同様に反り返った形状のチップ&テールロッカーを使う事で逆方向への滑走にも対応している。チップ&テールロッカーは'''ツインチップ'''と呼ぶ事もある。
アルペンスキーのスキー板の長さは、[[1980年代]]までは2m前後のものが一般的であった。レジャー目的の場合、その長さはスキーブーツではなく一般的な[[靴]]などの履き物を履き、または[[素足]]で直立し、腕を真上に上げ、[[手首]]を「へ」の字に曲げ、スキーの先端が曲げた手首の下に納まるのが一般的とされ、素足の場合は靴底の厚さに相当するものを加えた長さと考えて良く、長さの許容差は1-1.5cm以内程度が身長に合った適切なものとされた<!-- 2m前後と言っても基準が無かった訳ではない。-->。[[1990年代]]の[[カービングスキー]]の登場とその一般化という技術革新のもと、扱いやすい 150cm から 180cm 程度が一般的となり、2mを越える長さの板は高速系競技と一部の[[ファットスキー]]でのみ見掛けるという状況になった。また、100cm から 130cm 程度の[[ショートスキー]]や、70cm 程度の[[ファンスキー]]または[[スキーボード]]と呼ばれるものもあり、これらは滑走特性の違いから独自のジャンルとして位置付けられている。
==== スキー板に関する用語と関連事項 ====
主にスキー板の滑走性能に関する用語として、次の言葉がある。
'''コンベックス・コンケーブ'''<br>
'''コンベックス(convex)'''は'''「[[凸]]型の・凸状の・凸面の」'''、'''コンケーブ(concave)'''は'''「[[凹]]型の・凹状の・凹面の」'''という意味の言葉で、この場合、スキー板のソール(滑走面)の断面形状を意味する。
スキー板のソールは長期間の使用による経年変化や摩耗等でソール断面が'''コンベックス'''や'''コンケーブ'''となってしまう事があり、一般的に、'''コンベックス'''だとソールの膨らみがエッジを阻害してエッジの効きや引っ掛かりが悪くなり、ターンが外側に膨らむ傾向となって、必要な小回りターン半径を得るのに多大な力が必要となったり、あるいは思うようなターン弧が描けなくなったりする。一方で'''コンケーブ'''だと極端にエッジが効いてしまう事があり、エッジの引っ掛かりが強すぎて、[[#スキッディングターン|スキッディングターン(後述)]]が難しくなったり、時に転倒の危険性が高くなったりする。そのためソールはフラット(平面形状)である事が望ましい。
コンベックスやコンケーブとなってしまったソールは、エッジの研磨等を含めたチューンナップによってフラットにする。方法としては数種類の[[紙やすり|サンドペーパー]]を使ったベルトサンダーを用いた'''「サンディング」'''<ref name="SKI Tune-up-01">[http://www.loco-hakuba.com/ski_work.html スキーチューンナップの作業工程]より、2019年2月1日閲覧。</ref>と、'''「サンディング」'''を行った後にさらに[[砥石]]で平滑に仕上げる'''「フィニッシュストーン仕上げ(ストーンフィニッシュとも)」'''<ref name="SKI Tune-up-02">[https://www.ogasaka-ski.co.jp/tune-up/ 小賀坂スキーの仕上げ・チューンナップ]より、2019年2月1日閲覧。</ref>とがある。それらのスキー板ソールチューンナップは、アルペン競技用・技術選手権用・一般用など、その目的に応じた種類を選んで行われている。
=== ビンディング ===
[[Image:New and old Look bindings.jpeg|right|250px]]ブーツをスキー板に固定させるための器具。爪先を固定するトーピースと、踵を固定するヒールピースからなる。
ビンディングの語源は英語の''Binding''(バインディング)とドイツ語の''Bindung''(ビンドゥング<!-- 濁らない? -->)との混同によるという説があり、スキーヤーの間でも「ビンディング」と英語読みの「バインディング」の両方の言葉が使われている。なお、[[全日本スキー連盟|全日本スキー連盟(以下、SAJ)]]の著書中では、'''「日本スキー教程」'''<ref name="SKI ASSOCIATION OF JAPAN-National ski method of Japan-2018/2019-01">参考資料:日本スキー教程/[[山と渓谷社]]刊 ISBN 978-4-635-46021-7</ref>では「バインディング(binding)」の表記を、'''「日本スキー教程『安全編』」'''<ref name="SAJ Snow Safety Mnual-2018/2019-01">参考資料:日本スキー教程「安全編」/[[山と渓谷社]]刊 ISBN 978-4-635-46022-4</ref>では「ビンディング」の表記をしていて、両語とも使われている。加えて、後述する[[#S-B-Bシステム|S-B-Bシステム]]においては「ビンディング」の言葉が使われる。
[[File:トーピース・ヒールピース一体型ビンディングの一例.jpg|thumb|トーピース・ヒールピース一体型ビンディングの一例]]
ビンディングとスキー板は、直接あるいは[[#プレート|プレート]]を介してトーピースとヒールピースがそれぞれ別に固定されるものが多いが、トーピースとヒールピースが別の部品を介して一体のものとなっていて、その部品がスキー板と固定される場合もある。これはスキー板に直接取り付けた場合にトーピースとヒールピースの間にあるスキー板部分のたわみが阻害されるため、取り付け位置をそれぞれ独立させてスキーのたわみ性能を十分に引き出すためにあり、後述するプレートにも同様の役割を持つ物がある。また直接スキーに取り付けない事でトーピースとヒールピースそれぞれの位置を動かす事が出来るビンディングも存在し、スキーブーツのサイズが変わった際の対応や、スキー板に載る位置を変えるなどが出来る。
1970年代以降のアルペンスキーでは、滑走中の転倒などによるけがを防ぐためブーツから一定以上の力が加わるとブーツを外すリリース機構がついているセイフティビンディングが一般に用いられるようになった。ただし、おおむね1m未満のショートスキー板の場合、板の重量が軽いことや転倒時の脚への負荷の違いを考慮して、セイフティビンディングでない、簡易なものが用いられている。また、山岳スキーでは登行時にかかとが上がることが求められるため、リリース機構がついていない、あるいはトーピースのみにリリース機構がついたものが長年用いられてきたが、2000年ごろから、ゲレンデスキーにおけるカービングスキーの流行やそれに伴う滑走速度の高速化を山岳スキーにおいても実現したい人々の要望に応じるよう、トーピースとヒールピースの両方にリリース機構を有する、ゲレンデスキー用のセイフティビンディングと安全性において匹敵するような山岳スキー用ビンディングも普及するようになった。
セイフティビンディングでは、解放時にスキー板が流れるのを防止するためのスキーブレーキがヒールピースに備えられているが、ショートスキー用の簡易ビンディングでは存在せず、山岳スキー用の場合はまちまちである。また[[国際スキー連盟|国際スキー連盟(FIS)]]におけるアルペン競技用のビンディングのスキーブレーキは装着が義務となっている<ref name="FIS-Rule-01">{{PDFlink|[http://saj-wp.appmlj.com/wp-content/uploads/edb0022bb0d882c08a7107768221e869.pdf 【アルペン】競技規則(ICR) 2018年7月版]}}より。</ref>。スキーブレーキを備えていない場合は流れ止め([[リーシュ|リーシュコード]]とも)と呼ばれる長いひもで身体とビンディングを結びつけて、外したスキー板が流れ続けないようにする。山岳スキーや[[バックカントリー|バックカントリースキー]]の場合は、深雪での転倒時に外れたスキー板を紛失したり、深雪のために外れたスキー板の場所まで移動が困難や不可能となってスキー板の回収も困難や不可能になる事があり<ref name="Japan Avalanche Network-01">このケースは[https://www.nadare.jp/basic/safety-measure/ 日本雪崩ネットワーク「ロープの向こう側」]の2事例目に示されていて、同ネットワークによる{{PDFlink|[https://www.nadare.jp/assets/cms/jan_A4_web_151215.pdf このようなポスター]}}でも喚起されている。</ref>、スキー板の回収を容易にする目的と遭難防止の点から、以前よりスキーブレーキを備えたスキー板でも流れ止めを使う山岳スキーヤーは多く、かつ命を守るための必須アイテムとなっている。
セイフティビンディングは、現在の主流はステップイン式とターンテーブル式に二分される。
どちらもトーピースは同様の機構となっていて、ブーツの爪先のコバを前上左右から固定する。固定部材は上下軸によって左右に動くのだが、左右の力に対しては[[ばね]]の弾性で一定の力までは耐えるが、それを越えると解放する。上方向や斜め方向の力については、とくに考慮していないものと、解放するものとがある。
ヒールピースは、ブーツのかかとのコバを上から抑えつけて固定する。ステップイン式は、ブーツを固定している部材が左右軸によって前方向に倒れることでブーツのかかとのコバを上から固定し、またヒールピースの位置によって後方からも固定する。固定された部材はばねの力で引っ張られており、指定された強度を越える力がかかることで解放する。ターンテーブル式は、ヒールピース全体が上下軸で動くターンテーブルの上に乗っていて、左右に少し動くことが特徴となっている。ブーツを固定する部材は左右軸によって動くが、ステップイン式とは異なり、部材を持ち上げた状態で上後方から圧縮されたばねの伸長力で固定する。
両方式について、ターンテーブル式のほうが正確に解放するとも言われるが、ステップイン式のほうが扱いやすさに優るため、市場のシェアはステップイン式のほうが大きい。しかし上級者を中心としてターンテーブル式にも根強い支持があり、両方式とも用いられている。なお、現在ターンテーブル式は準競技用モデルが残るのみとなっている。
セイフティビンディングについては安全性やブーツとの互換性のため、ブーツのコバ高や、個々のビンディングで設定する解放強度に対応する解放力や解放モーメント、スキーヤーにとって適切な解放強度の算出方法などが規格化されており、先行して規格化を行った[[ドイツ工業規格|DIN]]になぞらえてDIN規格と呼ぶことが多いが、現在は[[国際標準化機構|ISO]]で規格化されているものを各メーカーとも用いている。<br>
詳細は[[#S-B-Bシステム|S-B-Bシステム]]を参照。
=== プレート ===
スキー板とビンディングの間に取り付けられる板。材質は[[ステンレス]]や[[アルミニウム]]合金などの金属、[[プラスチック]]、あるいは[[木材]]であり、長さはビンディングの固定場所より前後に少し長い程度のものが多く、幅はスキー板と揃うものが一般的である。厚さは、目的によりさまざまである。
スキーにおけるプレートの利用は比較的新しく、1990年代からである。高速系競技での振動吸収を目的とした金属製プレートが最初となる。このプレートはスキー板とは前後の2ヵ所で固定され、その上にビンディングが取り付けられた。主な目的は、振動吸収にあった。高速系競技では雪面の細かい凸凹とスキー板がぶつかったときの細かい振動がスキーヤーに返ってくることがあり、それはスキーヤーの操作ミスを引き起こして事故や速度低下の要因となる。そのような滑走に有害な振動を低減させる工夫のひとつとしてプレートが考案され、利用された。この時点でのプレートはもっぱら本格的な競技スキーヤーのみのためのものであった。
しかし、ほどなくして、プレートの高さがカービングターン(後述)にとって有効であることが見出された。その有効性のひとつは雪面とスキーブーツの接触抑止である。カービングターンでは脚をターンの内側に大きく傾けることになるが、このときプレートをつけていないスキー板を利用していると、ブーツの側面が雪面とぶつかることになる。これはスキーヤーにとって減速要素となるとともに、スキー操作を誤らせる要因ともなるが、プレートを利用するとスキーブーツが雪面から遠くなるために、雪面との接触を防ぐことができ、より大きく脚をターン内側に傾けることができるようになる。もうひとつの有効性は、[[てこ]]の原理により雪面に板を食い込ませやすくなることである。硬いアイスバーンを含む雪面にスキー板を食い込ませようとした場合、力点となるスキーヤーの足裏がエッジから遠くなるほど、大きい力をかけることができるようになる。こうした知見とカービングスキーの一般化に伴って、プレートの利用も一般スキーヤーにまで広がることになった。一方、プレートを高くし過ぎることは、転倒や操作ミスの際に本来とは異なる場所を支点としたてこでの応力がスキーヤーの脚にかかることにもつながり、実際に事故も起きている。そのため、現在ではアルペン競技ではプレートの高さについて、雪面からの高さで制限を設けて規制している。この規制は当初はスキーブーツの裏にプラスチック板を貼ることで高さを稼ぐ、という抜け穴の発明を促したが、現在ではスキー板にブーツを取り付けた状態でのインソールまでの高さも規制対象とすることで抜け穴は塞がれている。
技術系競技用のプレートや高速滑走用以外の一般スキーヤー向けのプレートは、振動吸収に求める内容が異なり、あるいは重視しないため、重い金属製のプレートではなく、軽いプラスチック製、あるいは複数の素材を複合したプレートが用いられる。また、1990年代後半に流行したエクストリーム・カービングのような、カービングターンのみを目的とした滑走では、高さを稼ぐことを主眼として木製のプレートが使われることもあった。これは、加工や成型が容易であり小規模な企業や個人でも製作が可能であったからである。
プレートとスキー板の固定方法は多様で、前後2ヶ所で固定する場合、中央あるいは前後のいずれか1ヶ所のみを固定する場合、前後のビンディング付近のみにプレートを付ける場合などがあり、さらに2ヶ所固定の場合でも、片方は完全な固定ではなくスキー板のたわみにあわせて可動するものもある。これらの取り付け方法は、スキー板のたわみを阻害しないためのさまざまな工夫において行われている。
プレートの利用が一般化するにつれて、スキー板の各メーカーも設計段階からプレートの利用を前提とした設計をし、プレートを取り付けた状態でスキー板を販売するようになった。これには、プレートが完全にスキー板と一体となっている場合も含む。こうした一体販売は、技術的な長所の追求とともに、スキー板メーカー以外のサードパーティのプレートを買わせない、という販売政策の面も伴う。実際、一体型プレートにあらかじめビンディング取付用のビス穴を備えておき、そのビス穴は自社、あるいは提携先のビンディングのみ対応する、というメーカーも多い。ときとして、自社製品であっても古いモデルとは互換でないビス穴を用いることでスキー板よりも製品寿命が長いビンディングの再利用を拒む場合すらある。
なお、次の場合ではあえてスキー板にプレートを付けないケースがある。
* '''[[モーグル]]競技'''
: 滑走中、[[てこ]]の原理の活用の裏返しとして、ターンに必要な脚の動作が大きくなる事から、早い切り返しを多用した細かいターンが要求されるモーグル競技に不向きであるため。
* '''[[山スキー|山岳スキー]]'''
*# [[クライミング|登攀]]時などでスキー板を脱いで、肩にかつぐ・ザックに括り付けて背負うか引きずるなどして持ち歩くことがあり、少しでも荷物を軽くしたい状況においてはプレートによって重量が増える事が不利となるのが最も重要な理由。
*# [[ファットスキー]]や[[ファットスキー#セミファット|セミファットスキー]]など幅広のスキー板で滑走する場合、すでにスキー板の幅がスキーブーツの幅よりも広くなっていれば、プレートが無くても雪面とスキーブーツが接触しない事が多く、プレートの意味を持たないために、ただ重量が増えるだけとなるプレート装着が敬遠される。
*# 上記2に通じるが、圧雪整地された[[スキー場|ゲレンデ(ピステ)]]よりも、深雪や新雪などの自然のままでほとんど圧雪されていない柔らかい雪が多いゲレンデ外(オフピステ)の斜面を滑る事が多いので、エッジよりもスキー自体のたわみ(特に[[ファットスキー#ロッカー形状|ロッカーやツインロッカー]]となっている板)自体でターンする事が有効<ref name="SAJ Snow Safety Mnual-2018/2019-02">参考資料:日本スキー教程「安全編」/[[山と渓谷社]]刊 ISBN 978-4-635-46022-4 P.142-147 第5章 山岳スキー(バックカントリースキー)第3節 装備 中に同様の記載がある。</ref>とされ、プレートによるエッジに対する[[てこ]]の原理の効果が得られにくく、さらに柔らかい雪の滑走下ではスキー板やスキーブーツも雪中に潜ってすでに雪と接触している事も多く、プレートによるスキーブーツと雪面との接触防止効果も得られにくいゆえに、このケースでもプレートの意味を持たない。
* '''アルペン競技'''
: アルペン競技についてはFISやSAJによる規定<ref name="FIS-Rule-01"/><ref name="SAJ-Rule-01"/>があり、2019/20シーズンのものでスキー板+プレート+ビンディングの厚さ合計が50mm以下と定められている。そのため、[[#ビンディング|前述]]したトーピースとヒールピースが別の部品を介して一体となっているビンディングである場合、すでにその部品によって高さが付いて、プレートを付けると厚さ制限を超えてしまう場合では取り付けない事がある。
* そのほか、一般のスキーでも、プレートが導入される以前からのスキー歴が長いスキーヤーの場合、プレートを付ける事による滑走感覚の変化を嫌って取り付けない事がある。
=== スキーブーツ ===
[[Image:Flexon Comp ski boots, late model.jpeg|right|250px]]スキーの際に人が履く[[履物]]。スキー[[靴]]とも呼ぶ。スキーブーツはビンディングを介してスキー板と接続される。1930年代以前は[[登山靴]]などが用いられていたが、ビンディングでよりしっかりと固定可能な専用靴として開発されたものである<ref>大修館書店編集部「最新スポーツルール百科2007」大修館書店、2007年、p.292.</ref>。
アルペンスキーのスキーブーツは、[[ブーツ]]としては脛までを覆う長さ、膝下というにはやや短い程度となっている。[[足|足首]]から脛にかけての広範囲が柔軟性に乏しいスキーブーツに覆われることによって、スキーヤーは足首[[捻挫]]を起こすことなく、スキー板からの力を受け止め、あるいは積極的にスキー板へ圧力をかけるべく運動することができる。スキーブーツのソールの形状はISOで規格化されており、どのセイフティビンディングとも互換性が保証されている。
1970年代前半までは[[皮革]]製が一般的であったが、1960年代後半に登場した[[プラスチック]]ブーツが1970年代後半には一般的となった。ほとんど全てのスキーブーツは、外側を覆うシェルと、足が直接触れるインナーブーツの二重構造になっている。シェルの素材としては、[[ポリウレタン]]が[[弾性]]などの力学的特性の良さから好んで用いられている。なかでも、ポリエーテルポリオールを原料とするポリエーテルポリウレタンが上級者モデルでは好まれるが、ポリエステルポリオールを原料とするポリエステルポリウレタンも広く用いられている。ポリウレタンは[[加水分解]]などにより徐々に分解するため、長期間の利用によりスキーブーツは割れたり崩壊することがある。実際にどれくらいの期間で破損に至るかは組成や利用頻度・保管条件などによりまちまちだが、[[全日本スキー連盟|全日本スキー連盟(SAJ)]]・[[日本職業スキー教師協会|日本プロスキー教師協会(以下、SIA)]]<!--スキー場などに掲示されているポスター等では「日本プロスキー教師協会」と表記して広報している例が多いので、こちらの表記で統一致します。--><ref name="SAJ Snow Safety Mnual-2018/2019-01"/>では、製造から5年程度を目安として、滑走中の破損による事故を防止するためにチェック項目を含めて広報している。なお、初級者モデルでは、より柔かい[[ポリエチレン]]などが用いられる場合もある。インナーは、シェルと足の間を埋め、適度なクッション性と保温の効果をもたらすために存在する。主な素材は[[合成樹脂]]による発泡フォームであり、足と接する内側には起毛や[[パイル織物|パイル地]]などの保温性の高い柔かい布が、シェルと接する外側にはすべりのよい合成繊維の布や薄いプラスチック板が用いられていることが多い。
==== 構造 ====
現在のアルペンスキーのスキーブーツの構造は、フロントバックル型と呼ばれるものがほとんどとなっている。このほか、フロントバックル型の派生として3ピース型やミッドエントリー型と呼ばれるもの、あるいはソフトブーツといったものがあり、また、全く異なる構造のものとしてリアエントリー型が存在する。以下、フロントバックル型の構造について説明し、ついで他の型についても説明する。
フロントバックル型は、プラスチックブーツに移行する前の皮革製のころからのスキーブーツの基本型で、甲と脛にあるバックルでシェルを締めて足をブーツに固定するのが最大の特徴である。シェルは、多くのものは[[靴底|ソール(靴底)]]と一体となってくるぶしまでを覆うロワシェル(Lower Shell)と、くるぶしからすねにかけてを覆うアッパーシェル(Upper Shell)の2つに区分され、両者が[[ねじ|ビス]]で接合されている。シェルは、ロワシェルとアッパーシェルの両方とも前になる部分が開き、かつ左右から重ね合わさる形状となっていて、そこにバックルとバックル受けが取り付けられている。このような形をとることで、バックルを締めることで足を固定できる。バックルはロワシェル部分、アッパーシェル部分それぞれに1〜3つ存在するが、多くの物は各2となっている。子ども用の物はブーツの大きさの関係で各1の物が多い。また近年は、アッパーシェルのバックルの上、ブーツの最上部に[[面ファスナー|ベルクロテープ]]つきのベルトを備え、これでさらに足を固定するものが多い。ロワシェルの下部はソールが一体となっている。ソールはセイフティビンディングにハメ込むためのコバがトゥとヒールの前後両側に大きく張り出している。一部のメーカーのソールは、摩耗時の対策として、ビス留めのトップリフトをトゥとヒールの両方に備え、交換可能。ロワシェルの内部では、安価な初級モデルを除いて硬質プラスチックや金属製によるミッドソールが入っており、インナーブーツを載せる台の役割を兼ねている。硬いミッドソールは[[革靴]]におけるシャンクと同様に強い力がかかったときにソールがゆがむことを防ぐ。これは滑走時に大きな力がかかるスキーブーツではビンディングの誤解放を防ぐ意味でも重要である。なお、革靴のシャンクと異なり、アルペンスキーのスキーブーツでは足指にあわせてソールが、屈曲するようにはならない。山岳スキー用の兼用靴や[[テレマークスキー]]用のブーツでは足指にあわせてソールが曲がるように作られている。一方で、アルペンスキーでは歩行やテレマーク姿勢を考慮する必要がないためである。フロントバックル型のブーツのインナーブーツは、インナーブーツ本体とタンから構成される。インナーブーツ本体は通常は、甲から脛の部分が大きく開いていて、タンが下部で固定されている。タンにはインナーブーツ本体よりも、固い素材を用いることが多い。なお、インナーブーツ内には、通常、インソールが入っていて、足裏とフィットするようになっている。
フロントバックル型のバリエーションのひとつは、3ピース型と呼ばれるものである。これは、シェルをロワシェルとリアシェルとフレックスタンの3つから構成する。ロワシェルとリアシェルが通常のフロントバックルのシェルに対応するが、前部が大きく開いた形状となる。そこに、[[蛇腹]]状に成形されて柔軟性を高めたプラスチックのタンが覆いかぶさり、これをワイヤのみ、あるいはワイヤとバックルの両方で締めて固定する。インナーブーツは通常のフロントバックル型とほぼ同様である。特許や金型の問題から、製造は1社のみだが、根強いファンが存在している。
フロントバックル型のバリエーションのもうひとつは、ミッドエントリー型と呼ばれるものである。これは、快適性を重視したもので、フロントバックル型のシェルのアッパーシェルが前後に分かれて開くものである。フロントバックル型のブーツは、前述のようにオーバラップしたシェル素材で覆われているため、足を出し入れする際にはブーツを手などで押し開く必要があり、この手間はスキー初心者などには受け入れがたいものだとされることが多い。また、一般にフロントバックルブーツのアッパーシェルは、滑走時の姿勢を重視した角度でロワシェルに取り付けられているが、これは休憩時などに立ったままでいたり歩くのに不便である。ミッドエントリー型はこうしたフロントバックル型の欠点を取り除くために開発されたものだが、性能面の問題で熱心なスキーファンを引きつけるものとならなかったこともあり市場に定着できていない。
いまひとつのバリエーションは、ソフトブーツである。フロントバックル型のスキーブーツが快適でないのは、足入れのしにくさとともに、シェルが固いことそのものにもある。そこで、スキーを滑るのに必要な剛性を確保するフレームのなかに柔かいインナーブーツを固定するという形でスキーにおけるソフトブーツが2000年代初頭に実現され、市場に出た。性能面の問題から市場に定着せず、2007年現在は新モデルとしてみることはなくなっているが、レンタルスキー用具としては使われている場合がある。
最後に、フロントバックル型とは全く異なるリアエントリー型である。リアエントリー型は、シェルがフロントシェル(Front Shell)とリアシェル(Rear Shell)の2つに大きく前後に分かれる。リアシェルは脹脛から[[踵]]にかけてのブーツ後方の部分となっており、そこが下部を[[蝶番|ヒンジ]]として大きく開く。ソールは全てフロントシェルに属している。リアエントリーのブーツでは、リアシェルを開いた状態でインナーブーツも後方が大きく開口していて、そこに足を入れ、リアシェルを閉じて脹脛のバックルで締める(リアシェルの内側にはインナーブーツの蓋がついているため、足に直接接する部分はインナーブーツである)が、製品によってはフロントシェルとリアシェルを[[ワイヤ]]で繋ぎ、リアシェルに取り付けたダイヤルでワイヤを巻いて締め付け、解放はボタンを押してワイヤを緩めるタイプもあった。フロントバックルやそのバリエーションのブーツでは、足はシェル全体の締め付けで固定される。それに対して、リアエントリーのブーツのバックルで締め付けられるのは、脛と脹脛のみとなる。スキー滑走では足全体がブーツに固定される必要があるので、リアエントリーブーツでは、固定用のプレートをシェルに内蔵し、足首はプレートを介してワイヤで締めつけてブーツに固定し、足の甲に対してはプレートを[[ねじ]]を用いて押しつけるように固定するものが多い。過去にはシェルとインナーの間にエアバッグを内蔵し、シェルに取り付けたエアポンプで履いた後に空気を出し入れして調節する物もあった。リアエントリーは1980年代に席巻し、一時はトップスキーヤーまでもが用いるモデルが登場したが、1990年代になってその利用が衰退した。リアエントリーブーツは足首を曲げづらく、スキー技術において足首を使えないのは致命的であるためである。ただ、構造上、スキーヤーの足に細かくフィットした形状でないと不快感が出やすいフロントバックル型と異なり調整範囲が極めて広いことや、容易に脱着できること、[[爪先]]や甲が浸水してぬれることがないことから、初級スキーヤー向けのレンタル用品としては残り続けている。
[[File:フロントバックル型スキーブーツ・アッパーシェル部分バックル構造の一例.jpg|thumb|フロントバックル型スキーブーツ・アッパーシェル部分バックル構造の一例、バックル受け部品の取り付け位置を変更出来るビス穴が、写真の例で3箇所空けられていて、位置調節可能となっている。]]
一時的なリアエントリー型の爆発的普及の要因として以下のことが考えられる。当初のフロントバックル型ブーツはシェルに取り付けられたバックルとバックル受けの位置が完全に固定され、そのために締め付け調節が限られた範囲でしか出来ない。体格差により、特に脹脛が太い人はバックルが全く届かなくて締め付ける事が出来ない場合があり、何とかバックルを締めたとしても極端な締め付けとなるために強烈な痛み・[[うっ血]]・[[内出血]]などの外傷を起こし、とても履いていられなくなるという致命的欠点を抱えている。一方で、脹脛の太さに合わせるとくるぶしより下のか足全体が緩くなってしまい、フォーミング(発泡樹脂をインナーブーツに充填して足の形に合わせるチューンナップ)等を行わなければならない。その点、リアエントリー型は可動範囲が広い事で脹脛の太さの対応範囲にかなりの余裕があり脹脛が太い人を中心に好まれた。特にトップアスリートとなると必然的に脚全体の筋肉が発達してふくらはぎも太くなるため、その点でも好まれたという事である。その当時であっても、スキーショップによってはフロントバックル型ブーツのシェルに別穴を開けてバックルやバックル受けを付け直すケースも見られたが、シェルの強度の低下が懸念されるためにその後は勧められなくなった。なお、現在のフロントバックル型ブーツのシェルは、最初から、あらゆる脹脛の太さに対応出来るよう、あらかじめ専用の工具でバックルの取り外し・再取り付けをして位置調節が可能なビス穴がいくつか付けられた設計となっている物もあり、状況が改善している。
=== S-B-Bシステム ===
S-B-Bシステムとは、S(スキー)-B(ビンディング)-B(ブーツ)システムの事で、この3つの組み合わせと、それにともなう、最も安全に重要なビンディングの解放にともなう調整値算出に関連した規格である。
解放調整値の算出は身長・体重・年齢・ブーツソール長・スキーヤータイプ(技量)の情報により、「国際規格 [[国際標準化機構|ISO]] 10088:スキー・ビンディング・ブーツ(S-B-Bシステム)の組み立て・調整」に準拠して行わなければならない。なお、このISO規格は日本でも[[1997年]]に[[日本工業規格|JIS]]化し、「JIS S 7028」<ref>{{Cite jis|S|7028}}</ref>としている。
ISOおよびJISにより制定される以前は、ビンディングの調整はスキーショップ以外でも「外れやすいから」という理由で自分で調節するケースもあったが、適切ではないビンディングの調整は必要時に解放されなくて事故となりやすい事と、現在はスキーショップにおいての取り付け・調整作業は「加工」という概念にあたるために[[製造物責任法|PL法]]の対象となる事もあり、規格を準拠して、上記の情報を基に適正な解放調整値にしてもらう事が、事故を防ぐという点でも必要である。
=== ストック(ポール) ===
{{main|ストック (スキー)}}
アルペンスキーにおけるストックの役割は山スキーやクロスカントリースキーの使用目的と若干異なる場合がある。
初中級スキーヤーがレジャースポーツとして楽しむ場合、リフト乗降場において身体を前進させるための手がかりや待機時にバランスをとる杖代わりという認識が多い。しかしストックは、スキースクールにおいて一般的に教わるターン始動のきっかけを作るストックワーク以外に、左右前後のバランスを取るために重要な役割を果たしている。簡単に言うとやじろべえの左右の腕の役割をストックが担っており、ストックを握っている手の位置によって前後のポジショニングがほぼ決まると言える。特にコブ斜面でのバランスはストックによる影響が大きいためストック自体のバランス、振りやすさ、および長さが重要なポイントとなるが、上級者は更なるバランス感覚を磨くためにあえてコブ斜面をノーストックで滑る事がある。
また山岳スキーやクロスカントリーでは新雪での歩行が伴うためバスケットも比較的大きいが、新雪や深雪斜面であっても滑り降りるだけのアルペンスキーでは大きさの大小は特に気にする必要はない。しかし新雪で転倒した場合、小さいバスケットでは潜ってしまう事もあり、自身のスキースタイルと技量によって選択する必要がある。なお、新雪で転倒して、ストックを突いても潜ってしまい、立ち上がれない場合には、ストックを手から外して×形にクロスさせて雪面に置き、雪面からの支持力を高めて、クロスしたストックの中心に手をついて立ち上がる手段がある<ref name="SAJ Snow Safety Mnual-2018/2019-03">参考資料:日本スキー教程「安全編」P.140/[[山と渓谷社]]刊 ISBN 978-4-635-46022-4 より</ref>。
==== アルペン競技におけるストック ====
競技用バーン(斜面)は水や硫安・塩カリ等の凝固剤の散布によってスケートリンクのように硬いアイスバーンとなるため、ストックの石突は鋭利で硬質となっている。
ストックのシャフトはアルペン競技の内容によって目的が違い、[[回転_(スキー)|回転]](スラローム/Slalom)では、ストック本来の使用方法以外に可倒ポールから自身の体を守りつつポールを倒すプロテクターの役割もはたす。また、その目的でストックのグリップ部分にナックルガードを取り付ける事が多い。一方で高速系競技の[[滑降]](ダウンヒル/Downhill)・[[スーパー大回転]](スーパージャイアントスラローム/Super Giant Slalom, Super G)に使われるストックのシャフトは、滑走者が[[#クローチング|クローチング]]姿勢を取りやすいように体型に合わせて屈曲している物が多い。
アルペン競技用に使われるストックのバスケットは主に空気抵抗減少を目的として非常に小さいものが装着され、特に高速系競技(滑降・スーパー大回転)に使われる物は空気抵抗がシビアになるために円錐形やピンポン玉形状として、バスケットと呼ぶのが難しい物が付いている事もある。
=== ワックス ===
ワックスはスキーの滑走性の向上と滑走面の保護のために使用するもので、主に固形のもの(アイロンで溶かして塗りこむ)、液体のもの(スプレータイプとリキッドタイプ)、パウダータイプのものがある。
固形のハイドロカーボン(パラフィン)、フッ素などでできたワックスは、専用のアイロンで溶かしてスキーの滑走面に垂らしてからアイロンを動かしてまんべんなく塗りこむ。冷えて固まった後、スクレーパーと呼ばれる厚い定規のようなプラスチック板で余剰分を削り落とす。この一連の作業を'''「ホットワックス」'''という。滑走面に浸み込んだ汚れがワックスで浮き出るクリーニング効果もある。雪温に応じてフッ素の配合率が違う複数のタイプを使い分ける。春先など雪温が高くなるほど水分が多くなるので高雪温用はフッ素配合率が高い。
固形タイプのワックスは、種類によっては時に固形のまま直接スキーの滑走面に塗り込む事があり、これは主に'''「生塗り」'''と呼ばれている。ホットワックスに比べると持続性に欠けるが、携帯しやすい事から雪質の変化等で滑走性が悪くなった時にそのつど行える利点がある。また、生塗りを行った後でワックスコルクや専用のブラシで磨き込む事もある。
スプレータイプとリキッドタイプのワックスはホットワックスに比べて手軽だが、持続性に欠ける事が多い。滑走面にスプレーするかリキッドを塗った後、ワックスコルクや専用のブラシで滑走面を磨くようにして塗り込むと良い。なお、リキッドタイプは小型容器やペーパーに染み込ませた物など携帯しやすい物があり、そのつど塗る事も出来る。またリキッドタイプ等の携帯タイプの容器に小型のワックスコルクや、ワックスコルクの代用となる[[フェルト]]が取り付けられている事もある。
スプレータイプやリキッドタイプを主に使用している場合のスキーシーズン終了後は、保管中の滑走面やエッジの保護を目的にワックスを塗っておき、シーズン始めにワックスリムーバーと呼ばれるワックスの剥離剤を塗るなどして古いワックスを落とし、再度新しいワックスを塗り込んで滑走性を良くする事を行うケースもある。
パウダータイプのワックスは主にスタートワックスとも言われ、アルペン競技などのスタート直前に滑走面にふり、スプレータイプやリキッドタイプと同様にワックスコルクで磨いて塗り込む。持続性はなく、スタート直後、最初の1〜2ターンしか保たない。フッ素100%配合であるため通常のワックスよりも非常に高価である。スタートワックスは固形タイプ・リキッドタイプ等の物もある。
コンマ1秒を競うアルペン競技の場合はその日の雪の状況や雪温を調べ、それに最も適したワックスを塗る。
初心者などの間では「ワックスを塗るとスピードが出て危険だ」という誤解が生じがちだが、むしろワックスを塗らなければスキーの板に雪がくっついてしまい、滑らなくなるばかりか転倒する危険もある。そのために初心者でもスキー板の表面にワックスを塗ることはとても大切であり、特にインストラクターは初心者に「歩く」「滑る」「止まる」「回る」のスキーの要素から<ref name="SKI ASSOCIATION OF JAPAN-National ski method of Japan-2018/2019-01"/><ref name="SKI ASSOCIATION OF JAPAN-National ski method of Japan-2018/2019-02">参考資料:日本スキー教程では「歩く」「滑る」「登る」「方向転換」の4要素としているが、ワックスに関する説明として前2項目を分かりやすく言い換えた物とした。また、後2項目はワックスに関わらないと思われるため割愛した。</ref>「滑っても止まれる」事を教え、ワックスの必要性と合わせて知ってもらう事が大事である。
== 服装 ==
スキーヤーは、以下のような服やアクセサリーを身につけるのが一般的である。
=== スキーウェア ===
防寒具としてはもとより、一般のスキーヤーの間では[[ファッション]]としての要素も併せ持つ。かつては蛍光色や原色などの、雪の白に対して映える色使いが主だったが、近頃は[[スノーボーダー]]の影響からか、ストリート系、ルーズファッションと呼ばれる街着に近い型が流行している。また[[ユニフォーム]]としての側面から、アルペン競技のジュリー等関係者・[[基礎スキー]]大会の[[公認スキー検定員]]によるイグザミナー等関係者・公認スキー学校の[[スキー指導者]]・スキーパトロール・その他のチームや団体等では統一デザインとしたスキーウェアとなっている事もある<ref name="SAJ Rule-01">そのうちアルペン競技については特に、SAJウェブサイト中の{{PDFlink|[http://saj-wp.appmlj.com/wp-content/uploads/6260e6ec0c06c082851828f060f1656a.pdf 競技者等行動規範]}}第2条(5)により、ジュリー等関係者がそれと分かるように同一デザインのウェアを着用するケースがある。</ref>。ウェアによっては硬い雪面等から身を守れるよう、堅牢な作りとなっている物や、プロテクターが組み込まれた物もある。
近年のスノーボーダー用ウェアの普及でデザインの共通化も見られる事から、スキーウェアとの区別が付きにくくなりつつあるが、通常のスキーウェアのパンツ部分については一般的に、裾の内側に皮革やプラスチック等で出来ている'''エッジガード'''と呼ばれる、その名の通りスキーのエッジでウェアの裾が切れない構造となっているものが取り付けられている。なお、特に気にならなければスノーボーダー用のウェアを着用するケースもある。
==== レーシングスーツ ====
[[Image:Rennanzug-OESV.jpg|right|250px]]
レース時に着用されるウェアである。[[空気抵抗]]を減らすため、[[ポリウレタン]]混紡等の薄い伸縮性生地を用い、身体に密着するように製作される。表面は[[カレンダー処理]]等の方法で高い平滑性を持たせたり、空気の流れを整えるためのパターンが着用時に浮き出るような特殊な加工が施されることもある。テレビジョン中継等、各種メディアへの露出度が高いことから、各チームの個性を演出すべく目立つデザインのプリントがされている場合が多く、選手の[[スポンサー]]企業のロゴなどがあしらわれることもある。通常上下一体のワンピース型であり、レーシングワンピースとも呼ばれる。その保温性はスキーが行われるような環境で着用するには全く不十分であり、スタートの直前までは防寒用のスキーウェアをレーシングスーツの外側に重ね着しておくことが普通である<ref>レーシングスーツと重ね着することを前提としたウェアは、ブーツを履いたままでも素早く脱ぐことが出来るよう、裾部まで開放できるファスナーを備えたものが多い</ref>。スーパー大回転、大回転、回転競技用のスーツには、ポールへの衝突から身体を保護するプロテクターを組み込んだものもある<ref name="FIS-Rule-02">滑降競技用スーツにプロテクターを組み込むことは禁止されている。{{PDFlink|[http://saj-wp.appmlj.com/wp-content/uploads/df8394ea0a6cddc1ed73f87d6303686f.pdf 【アルペン】2019/20シーズン スキー用具に係る国内運用ルールについて]}}参照。</ref>。1970年代には表面をビニルコーティングしたスーツが用いられていたが、スピードが出すぎて危険なこと、また汗が内部から蒸散せず、皮膚障害の原因になりかねないことから、[[国際スキー連盟|国際スキー連盟(以下、FIS)]]により通気性<ref name="FIS-Rule-03">何度かの改定を経ているが、2020シーズンのルール606.2.2では1平方メートルあたり毎分30リットル以上(毎分3リットルの誤差が許容される)の空気を通さなければならないとしている。</ref><ref name="FIS-Rule-01"/>の素材を用いなければならないルールが制定された。重要な公式大会の滑降、スーパー大回転、大回転競技では、あらかじめFISによる通気性等のテストを受け、プロンプと呼ばれる合格証を取り付けたスーツでなければ着用できない。プロンプが不要の回転競技では、ツーピースタイプのレーシングスーツを着用する場合もある。
=== ゴーグルまたはサングラス ===
速度が出るごとに威力が増す降雪や気流、雪面から照り返す強い太陽光から目を守るために装着する。吹雪などで前方の視界が確保できないことは危険であるし、また強い太陽光は目を傷める可能性がある。
ゴーグルの中にはレンズが着色されていて、サングラスの機能を兼ねるものも多くある。ただ、安価なゴーグルやサングラスの中には、色つきでも紫外線を遮断しないものがあり、その場合、可視光が遮られて[[瞳孔]]が拡大するが紫外線量は変化しないために、かえって目を傷める事があるので注意を要する。
紫外線は水平方向から目に入る以外に、雪面(海ならば海面)からの'''照り返し'''と呼ばれる反射によって斜め方向から目に届く事があり、偏光サングラスおよび偏光グラスのゴーグルは斜め方向から入射される紫外線から目を保護する。
サングラスの場合、ゴーグル程の冷気や雪の吹き込みなどを防ぐ効果は無いが、逆に通気性の良さから、大汗をかきやすいためにゴーグル内部が汗による水蒸気で曇りやすい人には割と好まれている。この場合、ベンチレーター(換気装置)付きのゴーグルでも曇りが取れないとか、曇り止めを使うと防げるが、水蒸気がレンズ全面に貼り付いて水膜を生じ、視界が悪化するというケースもあって、後述する特別な事情がない限りは特に好まれる。さらに[[山スキー|山岳スキー]]・[[バックカントリー|バックカントリースキー]]において、[[クライミング|登攀]]時はその運動量の多さから特に汗をかきやすいため、登攀時にはサングラス、滑走時にはゴーグルという使い分けをする事が多い。また、その場合で雪まみれになったり破損するなどした時に備えて予備のレンズまたはゴーグルの用意をする事もあり、それらの方法が勧められている<ref name="SAJ Snow Safety Mnual-2018/2019-04">参考資料:日本スキー教程「安全編」P.144/[[山と渓谷社]]刊 ISBN 978-4-635-46022-4</ref>。
SAJでは、事故の際に割れたサングラスで顔面を負傷する事例がある事からゴーグルの着用が勧められていて<ref name="SAJ Snow Safety Mnual-2018/2019-01"/>、義務では無いものの、SAJの安全方針を認識している[[スキーバッジテスト]]・[[スキー指導者#公認スキー指導者|SAJスキー指導員及び準指導員]]検定(実技)などの受検者やアルペン競技・[[全日本スキー技術選手権大会]]などの選手はほぼ全員ゴーグルを着用している。
=== スキーグローブ ===
低温下でも指先の感覚を失わないよう、分厚い作りになっている。手のひら側には革や樹脂などの滑り止めが施され、ストックを安定して掴むことができるよう工夫されている。
=== 帽子またはヘルメット ===
一般のスキーヤーでは無帽の者も珍しくないが、転倒したところへ他のスキーヤーが衝突し、エッジで頭を切ったり衝突時の衝撃を受ける等で頭部から出血する事もあるため、怪我の予防から帽子をかぶる事が望ましいが、なるべくならヘルメットを着用する事が、後述する点からも特に望まれている。
一般的に、海外からのスキーヤーに比べ、日本のスキーヤーのヘルメット着用率は低く、欧米における一般スキーヤー着用率が80%と言われているのに対し、日本におけるスキーヤーの事故発生受傷時のヘルメット着用率は37%<ref name="SAJ Snow Safety Mnual-2018/2019-01"/><ref name="SAJ Snow Safety Mnual-2018/2019-05">2015/2016シーズン全国スキー安全競技会調べ、参考資料:日本スキー教程「安全編」p.63/[[山と渓谷社]]刊 ISBN 978-4-635-46022-4</ref>となっており、前述のゴーグル同様にSAJでは一般のスキーヤーに対してヘルメットの着用を勧めている。アルペンスキー用のヘルメット規格は、SAJがFISに準じて「CE EN1077」または「ASTM F2040」が推奨されている<ref name="SAJ Snow Safety Mnual-2018/2019-01"/>。前述した安全面からのSAJ等によるヘルメット推奨の理由から、これまでも[[スキー指導者|SAJスキー指導員・準指導員]]やその検定受検者等は安全方針を認識している事もあり、ヘルメット着用率は高い。ヘルメット使用者はいずれの場合でも、サイズがフィットする物でゴーグルと相性が良いものを選ぶのが良く、使用前の点検は欠かせない。
スキー用に限らず全てのヘルメットに言える事だが、一度でも衝撃を受けたヘルメットは衝撃吸収力が損なわれている事から使用しない方が良い。また、安全上分解・切削・加工等の改造を行ってはならない<ref name="SAJ Snow Safety Mnual-2018/2019-01"/>。
==== アルペン競技・全日本スキー技術選手権大会におけるヘルメット ====
アルペン競技においては安全面から、FISでは'''【アルペン】競技規則(ICR)606.4'''の規定によって全ての競技においてヘルメットが義務化されている<ref name="FIS-Rule-01"/>。またSAJでは'''スキー用具に係る国内運用規定'''によって滑降・スーパー大回転・大回転においてはヘルメットが義務化されていて、回転においては推奨としている<ref name="SAJ-Rule-01">{{PDFlink|[http://saj-wp.appmlj.com/wp-content/uploads/df8394ea0a6cddc1ed73f87d6303686f.pdf 【アルペン】2019/20シーズン スキー用具に係る国内運用ルールについて]}}より。</ref><ref name="SAJ-Rule-02">{{PDFlink|[http://saj-wp.appmlj.com/wp-content/uploads/62cc0ffb932cacee0d9d8990070e2f1c.pdf 【アルペン】2019/20シーズン スキー用具に係る国内運用規定について]}}より。</ref>。
アルペン競技用のヘルメット規格はFISの規定により、全ての競技において2018年度<ref name="SAJ-01">{{PDFlink|[http://saj-wp.appmlj.com/wp-content/uploads/terms_agreements_file_001.pdf 公益財団法人 全日本スキー連盟 定款]}}第6条(事業年度)により、連盟における事業年度を毎年[[8月1日]]から翌年[[7月31日]]までの期間と定めている。これは日本においての通常のスキーシーズンが考慮されている。</ref>までは「CE EN1077」<ref name="SAJ Snow Safety Mnual-2018/2019-01"/>のみ認められていたが、2019年度<ref name="SAJ-01"/>からは規則改定により「FISステッカーRH2013」<ref name="SAJ-Rule-02"/>のみ認められている。なお、SAJは滑降・スーパー大回転・大回転についてはFISに準じて同規格と定めているが、回転については推奨であるために「CE EN1077」及び「ASTM F2040」の規格品も使用出来る。そのため、この場合において他競技にはないヘルメット耳部分のソフトパッド使用が認められている。
高速系競技となる滑降・スーパー大回転では時に時速100kmにも達する速度で滑走するため、転倒時などに頭を守るためと、髪の空気抵抗を抑える役割があり、その点から義務化以前より着用が勧められていた。回転では可倒式ポールとのコンタクトが強く、時に腕やストックで払いきれなかった可倒式ポールが顔面に当たる事もあり、顔面保護の目的でチンガードが付くヘルメットもある。
前述した、安全面からのSAJなどによるヘルメット推奨の理由から、これまでも[[全日本スキー技術選手権大会]](以下、技術選)等の[[基礎スキー]]の選手は安全方針を認識していてヘルメット着用率は高いが、技術選や全日本ジュニアスキー技術選手権(以下、ジュニア技術選)においては現在の規則にヘルメットの着用義務が明記されていて、ヘルメットは必ず着用する事になっている<ref name="SAJ-Education H.Q.-Rule-01">{{PDFlink|[http://saj-wp.appmlj.com/wp-content/uploads/terms_agreements_files_505.pdf 全日本スキー技術選手権大会運営細則(平成30年12月13日改正版)]}}の32による。</ref><ref name="SAJ-Education H.Q.-Rule-02">{{PDFlink|[http://saj-wp.appmlj.com/wp-content/uploads/terms_agreements_file_553.pdf 全日本ジュニアスキー技術選手権大会運営細則(平成29年7月15日改正版)]}}の31による。</ref>。なお、それ以外の基礎スキー大会でも、参加者の安全方針認知や、安全面から運営側で技術選やジュニア技術選に準じた規則とする場合などもあって、選手のヘルメット着用率は高い。
=== プロテクター ===
主に競技用。転倒時の硬い雪面や、ターンする際のポールから体を守るために装着する。すね当て、臀部、大腿部、下半身全体を防護するもの、全身を防護する鎧のようなものまで様々。ウェアの下に装着し、外見ではプロテクターが目立たないタイプも普及している。
一般向けには初心者や小児の怪我防止に簡易な膝当てなどが使用されることがある。
== 滑走技術 ==
参考資料:日本スキー教程/[[全日本スキー連盟]]・著<ref name="SKI ASSOCIATION OF JAPAN-National ski method of Japan-2018/2019-01"/>に掲載されている順に表記する。
=== よく使われる用語 ===
スキーの滑走の際は、基本的に次の用語がよく使われている。
'''1)山・谷'''<br>
スキーにおいては、ゲレンデなどの斜面上部や山頂に向かう側を'''「山」'''、逆に斜面を下る側を'''「谷」'''と呼ぶ。斜面の'''山'''から'''谷'''に向かう方向の最大斜度となる方向が'''フォールライン(最大傾斜線)'''と呼ばれる。<br>
主に静止または斜滑降の状態にあるスキーの位置で'''「山脚」「谷脚」'''・'''「山スキー」「谷スキー」'''という言葉や、ターン時の方向で'''「山回り<ref name="Skiing-Turn-01">フォールライン真下方向から左右にターンする状態、最終的にスキーの滑走方向が山側を向く事から呼ばれている。</ref>」「谷回り<ref name="Skiing-Turn-02">斜滑降からフォールライン真下に向かってターンする状態、最終的にスキーの滑走方向が谷側を向く事から呼ばれている。</ref>」'''という言葉で使われる。
'''2)内・外'''<br>
一つ目は、プルークの体勢を取った時などに、自分の身体の中心側を'''「内」'''、逆に外側をそのまま'''「外」'''と呼ぶ。主にスキーのエッジで身体の中心側にあるのを'''「内エッジ」'''、反対側を'''「外エッジ」'''と呼んだり、股関節を中心に下肢(脚)を内側にひねる事を'''「内旋」'''、逆を'''「外旋」'''と呼んだりする。<br>
もう一つは、ターン時にターン弧の中心に向かう側が'''「内」'''、逆にターンの外側がそのまま'''「外」'''と呼ばれる。主にターンにおいて'''「内脚」「内スキー」「外脚」「外スキー」'''という呼び方をする。
'''3)「ハ」の字・V字'''<br>
スキーのトップを閉じてテールを開いたプルーク体勢を取った時のスキーの形が[[片仮名]]の「ハ」の形になっている状態から'''「『ハ』の字」'''と呼ばれる。また、開脚登行・山回りの方向転換・スケーティング(いずれも後述)を行う際に、プルークとは逆にスキーのトップが開いてテールが閉じている形が[[アルファベット]]の「V」の形になっている状態から、こちらは'''「V字」'''と呼ばれる。
'''「『ハ』の字」'''は片仮名ゆえに日本国内においてのみ通じる呼び名で、英語では'''「Wedge stance(ウェッジスタンス)」'''と呼ばれている<ref name="SKI ASSOCIATION OF JAPAN-National ski method of Japan-2018/2019-01"/>。
'''4)「く」の字'''<br>
ターン時、身体の上半身をターン外に屈曲させた体勢の事を指し、正面から見た身体が[[平仮名]]の「く」の形になっている事から'''「『く』の字」'''と呼ばれる。「く」の字体勢の姿勢は、プルークスタンスから上半身を固定したままで脚をパラレル(平行)に持ってきた体勢を基本としている<ref name="SKI ASSOCIATION OF JAPAN-National ski method of Japan-2018/2019-01"/>。外脚荷重を積極的に行うために従来から取られてきた姿勢だが、SAJでは一時期、カービングスキーが普及し始めた頃に「く」の字姿勢ではなく身体をほぼ一直線にしてカーブの内側に倒す(「内倒」と呼ばれる)体勢として楽な滑り方を採用・指導していた事があった。その後、カービングスキーであっても外脚荷重を重視する目的で再び「く」の字姿勢を採用・指導する方針に戻し、現在に至っている<ref name="SKI ASSOCIATION OF JAPAN-National ski method of Japan-2018/2019-01"/>。
'''「『く』の字」'''は平仮名ゆえに日本国内においてのみ通じる呼び名なので、海外においては'''「Like a bow(弓のような・弓なり)」'''と表現すると通じる事が多い。
=== 滑降時以外の技術 ===
スキー初心者に、主に初歩動作として教える技術だが、様々な状況で使える技術となっている。
==== 歩行 ====
スキーブーツは構造上足首が固定されていることから、初心者は歩行時に戸惑う事があるため、まずはブーツを履いた状態での歩行になれる必要があり、主に次の2つがある。いずれの場合でも、初心者はストックも使ってバランスを取りながら行うと良い。
'''1)踵・爪先をつけて歩く'''<br>
雪面を踵 → ブーツ底面 → 爪先の順につけて歩く方法で、普通の歩き方に近い。なお、氷結面やタイル床等の滑りやすい場所ではかかとをつけた段階で滑って転びやすい事があり、注意が必要。
'''2)ベタ足で歩く'''<br>
氷結面等の滑りやすい場所で歩きやすい歩き方である。ブーツの底を雪面や氷結面と平行に置きながら、爪先は前に向けた状態として、小さい歩幅で歩く。スキーブーツを履かない段階で意識して練習する方法もある。余談だが、この歩き方は普段の生活で積雪路面や凍結路面等の滑りやすい場所を歩く時にも有効で、一部の地域では「ペンギン歩き」と呼ばれる事もある。
スキーを履いた状態の歩行は、2)と同様にベタ足で歩いたり、スキーを前後に滑らせながら歩く方法となる。スキーを履いての歩行はリフト乗車時などでよく使われるため、基本技術となっている。
==== 推進滑走 ====
スキーを履いた状態で、両ストックを雪面に突いて前から後に押し込んで推進力を得て滑る技術。歩くよりも速く移動出来る。また、「歩く」から「滑る」へのスキーの本質に触れる技術でもある。
==== スケーティング ====
スキーをV字にして、左右交互に踏み出して滑る技術。平地で行う時はストックによって押し出す推進力も合わせて使う。初心者にはエッジの役割と荷重の移動を覚えるのに有効な技術であるほか、上級者、特にアルペン競技においては加速を得るための重要な技術である。
==== 方向転換(トップ開き・テール開き) ====
最も簡単に向きを変える方法である。また、エッジの引っかかりを利用して前方または後方に滑らないように出来る事から、同時にエッジの役割も習得出来る。
'''1)トップ開き'''<br>
スキーのテールを支点にして、ゲレンデの山側にV字に大きく開く → 反対側のスキーを平行に揃える(平地または緩斜面の場合)か少しだけV字に開いた状態(傾斜が強い場合)にスキーを移動させる事をくり返し、ゲレンデの山側を向く方向に回り込む。
'''2)テール開き'''<br>
スキーのトップを支点にして、ゲレンデの山側に「ハ」の字(プルーク)に開く → 反対側のスキーを平行に揃える(平地または緩斜面の場合)か少しだけ「ハ」の字に開いた状態(傾斜が強い場合)にスキーを移動させる事をくり返し、ゲレンデの谷側を向く方向に回り込む。
==== キックターン ====
[[File:キックターン-1.webm|thumb|キックターン-1]]
[[File:キックターン-2.webm|thumb|キックターン-2]]
[[File:キックターン-3.webm|thumb|キックターン-3]]
斜面で静止状態で方向転換するための技術。いくつかの方法があるが、'''日本スキー教程/全日本スキー連盟・著'''に記載されている主な方法を中心に記述する。
'''1)'''<br>
両方の板をフォールラインに対して垂直方向に揃えてエッジを立てて静止している状態から、谷脚スキー板のトップを上にするように持ち上げ、板のテールを前方に出して立てる。その状態から板のトップを谷側を経由して倒しながら後方に持っていき、山側の板と逆方向で平行になるように着地させる。これによって、脚は極端な爪先開きの体勢となる一方、上体は谷を向く方向となる。続けて山脚を持ち上げて身体の捻れを解くように谷側に移動させて両方の板が平行になるように着地させる。これによって方向転換が完成する(動画「キックターン-1」参照)。キックターンの中では一番行いやすい方法とされる。
'''2)'''<br>
谷脚のスキーを持ち上げてそのままトップを谷側かつ後方に回転させつつ山側にそろえ、脚が極端な爪先開きの体勢、かつ上体が谷を向く方向となったところで、入れ替わって谷側となったスキーのトップを谷側から逆方向に回して同方向に揃える、前述の方法とほぼ逆の動きをするキックターンもある(動画「キックターン-2」参照)。<br>
上記の応用で、谷側のスキーを後方に回転させた後で、入れ替わって谷側となったスキーのテールを立てて雪面に突き、それを支点として板のトップを谷側を経由して倒しながらスキー先端を同じ方向に揃える方法もある(動画「キックターン-3」参照)。<br>
急斜面や狭い場所、スキーレッスンなどにおいて安全な方向転換のためには欠かせない技術で、初心者の段階から習得を求められるものである。なお、子ども・筋力不足やバランスが上手く取れない初心者などでは、1)のキックターンをする際にスキー板を前に立てる事が出来ない人もいるため、板を立てる事が出来るかどうかを確認してから指導する方が良い。
==== 転び方・起き方 ====
転倒時は傷害の発生が多い事と、初心者においては不慣れや恐怖心から転ぶ事が多いという点から、安全な転び方を習得する事も必要である。
転倒する時は、安全面から'''「1)腕をつかない」「2)膝をつかない」「3)出来るだけ山側におしりをつく」'''事を心掛けると良い。通常は山側に横倒れに転ぶ方法が安全とされている。また上級者や競技者に多いが、高速時にジャンプしてスキーのテールから着地した際、身体が後ろに倒れているのをリカバリーしようとして、逆に「[[前十字靭帯#前十字靭帯損傷|膝前十字靱帯(ACL)損傷]]」という傷害を起こすケースがあるため、この場合は無理に立とうとしないでそのまま後ろに倒れたまま転んだ方が安全とされる<ref name="SAJ Snow Safety Mnual-2018/2019-01"/>。
起き上がる際は、スキーをなるべくフォールラインと垂直に、かつ谷側に置き、身体は山側に置く体勢を取る。そして山側に持ってきた身体の方にストックを突いて、ストックを補助にして腕の力で立ち上がる。急斜面ならば手をつくだけで立ち上がれる場合もある。なお、新雪でストックが潜ってしまう場合は[[#ストック(ポール)|前述]]の方法もある。
転倒時、スキーが交差してどうしても立ち上がる体勢が取れない場合、ためらわずにスキーを外してから立ち上がる手段を取った方が良い。
==== 階段登行・開脚登行 ====
斜面を歩いて登るための技術。いずれもエッジを利用する事から、初心者にエッジの有効性を知ってもらう事にも役立つ。
'''階段登行'''は、まず両方の板をフォールラインに対して垂直方向に揃え、山脚を山側(斜面の上)へ一歩踏み出して、山側のエッジを立てて食い込ませ、ついで谷脚を山脚に揃える事を繰り返して登っていく。子どもの初心者には「カニ歩き」や「横歩き」という呼称にするとイメージしやすい事もある。応用として、山脚を山側の斜め前に一歩踏み出して登る'''斜登行'''と呼ばれる斜め方向への階段登行もあり、ゲレンデの形状に合わせたり、目的地が斜め上側にある時などに使われる<ref name="SKI ASSOCIATION OF JAPAN-National ski method of Japan-2018/2019-01"/>。
'''開脚登行'''は、斜面を上に見る方向で正面を向き、爪先を開いたV字の状態で両方の板の内エッジを雪面に食い込ませることで足場を確保し、双方の脚を交互に前方に出すことで登っていく。
両方の技術が可能な場所では開脚登行のほうが大きく踏み出すことができるために効率的に登ることができるが、主に子どもや脚の筋力が足りない初心者の場合、開脚登行は斜面が急になってくると<!--子どもの場合、大人では緩斜面に見えても少し急になってくるだけで登行困難になるケースがあるので表記を変更しました。-->登るための力が足りず安全に行うことが難しくなるため、階段登行のほうが有効な技術となる。
現実のゲレンデでは、初心者がリフト等の利用すら困難だったり、滑走中に転倒したり物を落としたりして止まって引き返す必要がある事から斜面の登り返しが必要となる場所もあり、こうした技術は滑走を続けるために初心者の段階から習得を求められる必要不可欠なものである。
なお、階段登行の技術を応用して斜面を下る事もあり、初心者が急斜面で滑走困難になった場合などで有効な事もある。
=== 直滑降 ===
板を平行に保ち、斜面をフォールライン方向にまっすぐ降りていく技術。アルペンスキーに限定されない全てのスキー運動の基本となる。緩斜面において初心者が初めに学ぶ滑降技術でもある。斜度がきつくなりスピードが高速になるにつれ、直滑降を維持して滑走するのは高度な技術となる。高速系種目では両スキーの外エッジを足場として安定した直滑降を行っている。縦に降りるとも言う。板を平行にする事を二の字、またはパラレルと言う。<!--
直滑降は[[俗語|俗]]に「ちょっかり」や「ちょっかる」とも言われるが「直滑降の下り」や「真っ直ぐ下る」が略され「直・下・り(る)」となり、「ちょく・か・り」や「ちょく・か・る」となったと言える<ref>[https://web.archive.org/web/20080102132827/http://www.geocities.jp/funsnowboarding/dic/dic_ta.html 直滑降]スノーボード用語辞典</ref><ref>[http://www.fatal.jp/02_mobil/05_you/ チョッカリ(cyokkari)、直滑降のこと]</ref>。 -->
初心者の直滑降の練習時は、緩斜面の終端が平坦に近くなって自然に止まれる地形を利用する事が望ましいが、地形が利用出来ない場合はプルークによる制動(停止)を合わせて行う。また、直滑降とプルーク制動を連続して行う練習法もある。これは昔からある直滑降習得時に合わせて行う事が多い技術と練習法の一つで、現在のSAJにおいては'''「プルークでの制動と滑降の連続」'''と呼称しているが、スキー歴が長い人は古くからの呼称である'''シュテムファーレン'''と言う事もある。シュテムとは本来制動を意味するドイツ語であるが、板を平行から「ハ」の字に動かす動作そのものもシュテムまたはシュテム動作と呼ぶ。それのファーレン([[#プルークファーレン|後述参照]])であるので、直滑降に始まり、テールを開いたり閉じたりする運動となる。これにより迎え角(進行方向に対するスキーの角度)を調整でき、スピードコントロールに繋がる。
両開きが難しい場合に片開きを行う場合があり、その場合は片開き・片シュテム・片制動・レの字と呼ぶ。滑走時にプルークの応用として使う事もあり、両開きが難しい場合に片側に体重を掛けて雪を退かせる技術で、初心者レッスン・シュテムの導入・山岳スキー・スキーパトロールなどで使われる事もある。片開きなどは日本スキー教程には記述がないが、特にスキーパトロールにおいて、アキヤボート(傷病者搬送に使う、前後にスキーパトロールが掴まって方向等の操作をするハンドルを取り付けた[[そり]])などでの傷病者搬送をする際に行う事が多いため、'''「日本スキー教程『安全編』」'''<ref name="SAJ Snow Safety Mnual-2018/2019-01"/>中に[[公認スキーパトロール]]の滑走技術として記述されている。
直滑降を習得する段階において、膝と上体を屈伸させる上下運動を習得させる方法があり、その補助として3本のストックを組み合わせてゲートを作るか、インストラクターがストックを1本水平に持ち、その下をくぐらせて練習する事がある。
=== クローチング ===
主に高速滑走時にとる姿勢。アルペン競技の大回転以上の高速系で用いる事が多い技術だが、緩斜面でスピードを落とさない滑走技術としても使われるので、現在は初期段階から教えている。板は平行に肩幅かそれより若干広く開き、足首と膝を屈曲して腰を落とし、上半身は前に倒す。腕を曲げてたたんだ状態で拳を前方に向け(あるいは拳と腕を突き出すスキーヤーもいる)、手の平を上に向けてストックを握り、ストックは脇から身体に沿わせるように後方に出す。顔は前方を見る。直滑降か、脚を左右に傾けて行うクローチングターンと呼ばれる浅いターンが基本的な滑りとなる。
クローチングは基本的に、体勢を低くすればするほど空気抵抗が減少する事が科学的に証明されており、中腰姿勢に比べて最も低いクローチング姿勢は空気抵抗が60%程度低くなる。なおかつ、最も低い姿勢でも腕をたたんだ状態に比べて腕を真下に伸ばした状態だと空気抵抗が45%程度上昇する<ref name="SKI ASSOCIATION OF JAPAN-National ski method of Japan-2018/2019-03">日本スキー教程p.47(書中における参考資料:渡部和彦、大築立志:体育の科学22(4):270 - 273、1972)より。</ref>。
=== プルークファーレン ===
板を「ハ」の字にして直滑降する技術。ファーレンとは乗り物に乗って進むと言う意味のドイツ語。「ハ」の字とは、板のトップがくっついていて、テールが開いているスタンスの事で、これをプルークと呼称し、時に両開きや全制動、あるいは単に「ハ」の字とも言う事がある。
緩斜面から平らになる地形がない場合、初心者は直滑降に加えこれを習得する。股関節<!--「足首」とありましたが、足首はスキーブーツで固定されて回せないため、実際には「股関節」です。「日本スキー教程」の記述から引用しています。-->の捻り(内旋と呼ばれる)によるテールの押し出しのテクニックが必要なので、補助として、トップを合着させる「トライスキー」の器具使用や、トップを手で摘まみながら滑らせる方法を取ると良い。停止する時以外はあまり無駄な力を入れない方が上手く滑る事が出来るとされる。停止の際はスキーのテールを思いっきり開き出して踏み込み、時には膝を内側に入れてエッジを立てて止まる。
慣れてくるに従って、テールを開く幅を小さくしたり大きくしたりする事を繰り返してスピードに緩急をつける手法も取り入れる。
プルークファーレンが上手く出来ない場合、特に初心者で用具に関する知識不足や劣悪なスキー用具の使用(主に左右スキーのエッジの研ぎ方・立て方が違っている事があるなど)によるケースも多いため、問題がある場合は用具の変更やチューンナップ等での対応も視野に入れた方が良い。
=== プルークボーゲン ===
{{Main|プフルークボーゲン}}
[[File:Skiplough-wedge-portrait.jpg|thumb|right|140px|プルークボーゲンをする子供]]
単にボーゲンとも呼ばれる。プルークスタンス([[#プルークファーレン|前述参照]])を取り、荷重と迎え角による制動を掛けながら、曲がるための外スキー(カーブの外側に位置するスキー)にかける荷重を交互に変えながらターンする技術である。プルークスタンスを作ることにより次のターンの迎え角ができているため、安全のための制動系技術のひとつとなっていて、状況に応じて全てのスキーヤーが用いる基本技術である。
=== 斜滑降 ===
板を平行に保ち、フォールラインに対して板を斜めに位置させ、そのまま斜め方向に滑走する技術。[[トラバース#traverse|トラバース]]とも言う。
=== 滑走プルーク ===
プルークボーゲンからの発展で、現在ではパラレルターンに移行する段階で習得する技術の一つとなっている。過去には'''プルークターン'''とも呼ばれていた。
ターン開始時にプルークボーゲンから外脚をさらに外に踏み出して外スキーのカービングを強め、フォールラインから先は外スキーのエッジングを強めてカービング運動を行うターン技術である。プルークボーゲンでの脚と雪面が二等辺三角形を描いているのに対し、滑走プルークでは雪面・垂直となった内脚(カーブの内側にある脚)・斜めとなった外脚で直角三角形を描いている。その過程上、内脚をパラレル(平行)にする動作につながる。
=== 横滑り ===
板を平行に保ち、フォールラインに対して板を直角ないし斜めに位置させ、腰(骨盤)と上体の向きを揃えて進行方向に向けつつ姿勢を「く」の字にすることでエッジを緩めて、板の長手方向に対し横または斜め方向に滑走する技術。方向はフォールライン・斜め前・斜め後ろと3通りある。また、短距離の移動程度ならば膝を谷側に倒してスキーの角度を寝かせる(雪面の角度に近くする)事だけをして滑らせる事もある。
横滑りの技術のうち、フォールラインに近い浅い斜滑降から谷回り(フォールラインに向かって回る事)して行う横滑りは、結果的に自然と弧を描く軌道になるため、[[#スキッディングターン|スキッディングターン(後述)]]の技術習得につながる。
一時期、SAJ1級の試験科目がゲレンデシュプルングから横滑りに変わった事がある。20mほど斜めに横滑りをしてキックターン後、今までとは逆方向へ20mほど斜めに横滑りをしてゴールするだけの単純なものであったが、センターポジションに乗れていない人や両脚の微妙なコントロールが出来ない人は苦戦していた。しかし1級を受検する技量のスキーヤーにとってはボーナス種目でもあった。
その横滑りは現在、改めて1級の種目において行われている。斜滑降でスタートし、外向傾姿勢を取りながら斜め前横滑りをし、ピボットにて向きを変える事を4回繰り返す。
現在のSAJ公認スキー指導員・準指導員検定(実技)の種目では、急斜面・ナチュラル(ある程度の滑走跡が残るが、不整地(コブ)ほどではない斜面)にて、横滑りを行うスペースが指示された上で行うこととなる<ref name="SKI ASSOCIATION OF JAPAN-SKI INSTRUCTION DEPT.2018-2019 SEASON-01">参考資料:資格検定受検者のために2019 p.46-49/[[山と渓谷社]]刊 ISBN 978-4-635-46020-0</ref><!--「上記に加え、真下横滑り4回が加わる。」とありましたが、参考資料中に回数及び滑り方の表記が無く、前述の通りとなっていました。-->。
<ref name="Side slip-01">以下の「インスペクション」「デラ掛け」の記述については[http://www.asahi-net.or.jp/~WX3T-SSKR/ski/grossary.htm#inspection 知って得するスキー用語集]を参照した、2019年3月7日閲覧。</ref>[[#競技|アルペン競技]]・[[全日本スキー技術選手権大会]]等の[[基礎スキー]]大会のコースや、[[スキーバッジテスト]]・[[スキー指導者|SAJ公認スキー指導員・準指導員検定(実技)]]の検定会場となる斜面において、コースの下見やゲレンデ表面を均して整える目的での横滑りを行う事があり、これは'''「インスペクション」'''または'''「デラ掛け」'''と呼ばれている。「デラ」は'''「デラパージュ(Dérapage''':スキー横滑り''')」'''というフランス語の略である<ref name="Side slip-02">[https://blog.goo.ne.jp/a-storm/e/555018b3f7fd5f4b4d1d281d5f96d79d 難しいスキー用語]より、2019年3月7日閲覧。</ref><ref name="Side slip-03">Google翻訳において2019年3月7日に確認。</ref>。インスペクションとは本来はコースそのものの下見という意味で、アルペン競技においてのジュリーや検定等においての[[公認スキー検定員]]による許可と指示によってコース内を横滑りする行為を指すが、それから派生して、コース内での下見・整地を伴う横滑りそのものを指して呼ばれる事もある。インスペクションを行う際のルールは厳密に定められていて、コース上ではやむを得ない時以外は全て横滑りのみで行い、コース上で実際の滑りを再現する事を行ってはならず、行った場合は失格となる<ref name="FIS-Rule-04">{{PDFlink|[http://saj-wp.appmlj.com/wp-content/uploads/edb0022bb0d882c08a7107768221e869.pdf 【アルペン】競技規則(ICR) 2018年7月版]}}の614.3による。</ref><ref name="SAJ-Education H.Q.-Rule-0">全日本スキー技術選手権の例として、{{PDFlink|[http://saj-wp.appmlj.com/wp-content/uploads/terms_agreements_files_505.pdf 全日本スキー技術選手権大会運営細則(平成30年12月13日改正版)]}}の30による。</ref>。
=== シュテムターン ===
{{Main|ステムターン}}
ターンの切り替え時に内スキー(次の外スキー)を山側に踏み出してスタンスを「『ハ』の字(プルーク)」とした後、外スキーに乗り込んでからスキーを平行(パラレル)にしてターンする技術。プルークボーゲンからパラレルターンに移行する段階で行う技術の一つである。シュテムとは「[[制動]]」の意味であり、通常はプルークスタンスでの制動に加え、ターン中は[[#スキッディングターン|スキッディングターン(後述)]]とした制動も行う。
SAJでは、上記の滑走プルーク・横滑り・シュテムターン(シュテム動作)は、基礎パラレルターンに移行するための「3本の矢」という一体の物として扱った指導を行っている。
=== パラレルターン ===
{{Main|パラレルターン}}
板を平行にしたままターンする技術。プルークボーゲンから、滑走プルーク・横滑り・シュテムターンを経て習得される技術である。ターン前半からの外脚荷重<!--日本スキー教程 p=213「スキー用語」などでは全て「荷重」の表記としているので、以降は「荷重」表記に統一としています。-->により、軽くなった内脚の膝を返してエッジを外し、両脚を同調させて平行のままターンする。後述する制動要素の多いスキッディング(横ずれ)と推進要素の多いカービングに分類される。実際の滑走では両者の中間的なものが多く見られる。
==== スキッディングターン ====
パラレルターンの一種であり、山スキーに踏みかえた後に、スキー板をずらして制動しながら回旋してから山まわりに移行することでターンする技術。ターンの外脚が滑走プルークやシュテムターンと近い動きをするため、パラレルターンの中では易しい技術であり、前述の「3本の矢(滑走プルーク・横滑り・シュテムターン〔シュテム動作〕)」から展開・移行して至る技術の「基礎パラレルターン」の一つにもなっている。スキッディングターンは制動性が高いことから、安全を重視して滑る技術でもある。
==== カービングターン ====
{{Main|カービングターン}}
[[File:Pitztal 0074 thomas.jpg|thumb|right|200px|カービングターン]]
パラレルターンの一種であり、ターン開始時に脚をターン内側に傾けて、意図的な荷重や外力を利用した荷重によってスキー板をたわませて曲面を作り、これを雪面に食い込ませることで足場を作ってターンする技術。スキッディングターンと異なり板の制動要素が少ないため、高速滑走が可能となる。かつては難しい技術であったが、[[カービングスキー]]の登場により一般スキーヤーにも可能な技術となった。カービングとは「彫り込む(CARVE)」の意味であって「曲がる(CURVE)」の意味ではない。
=== ステップターン ===
ステップターンはステッピングターンとも呼び、踏み出しと踏み蹴りの二つがある。
; 踏み蹴り
: ターンの切り替え時に外スキーを踏み蹴って内スキー(次の外スキー)に乗り込んで行き、減速せずにターンすることができる。
; 踏み出し
: 切り替え時に内スキー(次の外スキー)を山側に踏み出し(重心は外スキーと内スキーの間)、乗り込んでスキーを押しずらしていく。スタンスを「『ハ』の字」(プルーク)にして踏み出したシュテムターンもステップターンの一種である。
前者の踏み蹴りはかつてアルペン競技でポールをクリアしていく時に多用されたが、サイドカーブのあるカービングスキーの普及により、踏み蹴らなくともエッジ角度を強めるだけでスキーが切れ上がるようになったため軌道を変える必要がなくなり、以前よりは使わなくなってきている。また、現在のSAJの指導項目ではシュテムターンのみ残っているが、ステップターンを使ってはいけないという訳では無い
後者の踏み出しにおけるシュテムターンの場合は初級者が外スキーの踏み換えを覚える際やレベルに関わらず斜面状況が悪い場合に安全に滑り降りるための技術として多用される。
=== ジャンプターン ===
極端に狭い斜面や極端な不整地(コブ斜面)等の状況でターンする際にジャンプして板を浮かしながら板の方向を変える技術。SAJの日本スキー教程には記述が無いが、[[山スキー|山岳スキー]]等においてこの技術が使われる事がある。
== SAJ バッジテスト・SIA 技術検定 ==
{{main|スキーバッジテスト}}
SAJ([[全日本スキー連盟]])、SIA([[日本職業スキー教師協会|日本プロスキー教師協会]]<!--スキー場などに掲示されているポスター等では「日本プロスキー教師協会」と表記して広報している例が多いので、こちらの表記で統一致します。-->)はスキーヤーの技能レベルを客観的に判断する独自の[[スキーバッジテスト]]や技術検定を設けている。
== 競技 ==
山岳スキー技術として誕生したアルペンスキーは、次第に如何に速く斜面を滑り降りるかという競技に発展した。現在ではヨーロッパを中心に非常に人気の高い競技[[スポーツ]]となっており、特に[[オーストリア]]、[[スイス]]などアルプスの国々では[[国技]]であり、勝者は国民的英雄である。
第4回[[冬季オリンピック]]から正式競技として採用されている。
=== 概要 ===
山を滑り降りる速さを競う競技であるが、コースには'''旗門'''と呼ばれる2本1組の旗またはポールが並べられ、その旗門を順番に通過しながら滑り降りる。旗門を通過できなかった場合は失格となる。種目によって、旗門数、旗門のインターバル、コース長、標高差が大きく変わってくる。
1回の滑走または2回の滑走の合計タイムで順位を競う。
=== 種目 ===
* [[滑降]] (Downhill)
* [[スーパー大回転]] (Super Giant Slalom, Super G)
* [[大回転]](Giant Slalom)
* [[回転_(スキー)|回転]] (Slalom)
* [[アルペンスキー複合|複合]] (Combined, CB)
*: 滑降1本と回転2本の合計タイムを競う。基本的に2日間に分けて行う。
* [[スーパー複合]] (Super Combined, SC)
*: 2004-2005年シーズンのワールドカップからの新種目。1日で滑降1本と回転1本を行い、その合計タイムを競う。
*: [[アルペンスキー・ワールドカップ]]では、CBよりも主流になっており、オリンピックでも、[[2014年ソチオリンピック]]からCBに代わって採用されている。
=== 大会 ===
世界第一線級の国際大会は次のようなものがある。
* [[アルペンスキー世界選手権]]
*: 2年に1度、オリンピックの前後のシーズンに開催される。全種目一発勝負で行われ、各種目の勝者が世界チャンピオンである。
* [[アルペンスキー・ワールドカップ]]
*: 毎シーズン、[[ヨーロッパ]]を中心に世界各地を転戦し、複合を除く各種目を5〜10レース行い、各レースの順位はもとより、シーズン通しての総合成績を競う。各種目の順位の他、全種目総合の順位も決定し、ワールドカップの勝者こそ真の王者と言える。
* [[オリンピックアルペンスキー競技]]
=== コース ===
自然の山の地形を最大限に活かすアルペンスキーのコースは、それぞれに特徴がある。コース長、標高差、最大斜度はコースによって様々であり、旗門のセットは毎回違うため、[[陸上競技]]のような[[世界記録]]というものは存在しない。ただし、[[滑降]]競技のように毎回ほぼ同じコースレイアウトでレースが実施される場合、歴史あるコースでは'''コースレコード'''というものが存在する。
世界的に有名なアルペンスキーのコースとしては、[[オーストリア]]の[[キッツビューエル]]、[[スイス]]の[[ウェンゲン]]、[[アーデルボーデン]]などがあり、[[日本]]にはオリンピックや世界選手権の舞台となった、[[白馬八方尾根スキー場|八方尾根]]や[[雫石スキー場|雫石]]、[[志賀高原]]などがある。
== チェアスキー ==
[[File:Vail Veterans monoski.jpg|thumb|250px]]
下肢等に障害のある競技者においては、座席とスキー板をサスペンション等で連結したチェアスキーを使用して行う。
{{Main|パラリンピックのアルペンスキー|チェアスキー}}
== 著名なプレイヤー ==
{{see|スキー選手一覧#アルペン}}
== 脚注 ==
{{Reflist}}
{{Commonscat|Alpine skiing}}
{{スキー競技}}
{{Normdaten}}
{{DEFAULTSORT:あるへんすきい}}
[[Category:アルペンスキー|*]]
[[Category:スキー]]
[[Category:スキー用具]]
[[Category:オリンピック競技]]
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%9A%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%BC
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近鉄天理線
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天理線(てんりせん)は、奈良県大和郡山市の平端駅から奈良県天理市の天理駅までを結ぶ近畿日本鉄道(近鉄)の鉄道路線。
ICカードPiTaPa・ICOCA・Suicaなど全国相互利用乗車カードが使用できる。また、以前はスルッとKANSAI対応カードおよびJスルーカードにも対応していた。
当項目では、かつて奈良県生駒郡斑鳩町の近畿日本法隆寺駅から平端駅を結んでいた法隆寺線(ほうりゅうじせん)についても扱う。
全線が、大阪統括部(旧 上本町営業局)の管轄である。
線内折り返し列車のほか、橿原線・京都線直通の急行・普通も運転されている。急行・普通とも線内は各駅に停車する。
昼間時は1時間あたり橿原線直通普通列車が1本、線内折り返し列車が2本の合計3本が運転されている。普通列車は従来大和西大寺駅までの運行であったものが、2012年3月20日のダイヤ変更より時刻表上も一部列車が京都駅に直通するようになった(それまでも大和西大寺駅で列車番号を変更し、実質直通列車となっている例もあった)。
かつては奈良線直通の定期列車が朝夕を中心に運行されており、1970年までは上本町駅、1972年までは近鉄難波駅直通の準急が設定されていた(天理線内は各駅停車)。ただ、駅や時刻表では案内がなされていないだけで、実際には後述の『臨時列車』の節にもある通り、現在でも大和西大寺駅発着の中には種別変更はするものの奈良線と直通する定期列車も毎日僅かながら運行されている。
天理教祭典日(毎月26日)ないし本部行事開催日には、2021年7月3日ダイヤ変更時点では京都駅発着の臨時特急、大阪難波駅または京都駅、大和西大寺駅発着の臨時急行、平端駅発着の臨時普通が運行される。
またこれらとは別に、朝の五十鈴川発と、五十鈴川行き及び名張行きの臨時列車が運行されており、名古屋線各駅とは名阪乙特急と連絡するこの臨時列車の利用を推奨している。この3本は建前上は団体専用列車扱いのため一般客の乗車はできないことになっているが、帰参者であれば利用可能としている。停車駅は以下の通りである。
2020年3月14日ダイヤ変更前までは近鉄名古屋駅発着の臨時特急(近鉄のウェブサイトには掲載されず、建前上は団体専用列車扱い。大和八木駅 - 近鉄名古屋駅間は名阪乙特急に併結)もあった。また、阪神本線神戸三宮駅発着の臨時急行(天理行きは平日のみ、天理発は土曜・休日のみ)が運行されることがあったが、2021年7月3日ダイヤ変更後は定期列車となっている(天理行きは平日、天理発は土曜・休日のみ。いずれも運転形態は臨時列車時代を踏襲し、時刻表上は大和西大寺駅 - 天理駅間の定期急行列車として設定される)。
大晦日から元旦にかけて行われる終夜運転(2020年は実施せず)は、現在では線内折り返しの普通をおおむね30分間隔(橿原線の終夜運転列車との連絡が多い)で運行する形態となっている。時刻については近鉄の公式ホームページでも公表されている。
2022年4月1日には天理線電化100周年を記念して大阪上本町発天理行き臨時急行が1本運転された。
橿原線との直通列車が多いため、奈良線・京都線と同じく西大寺検車区の車両が運行されている。
京都市営地下鉄烏丸線対応の3200系、3220系などの6両単独編成も使用される。 急行列車は6両編成(一部列車は4両)。普通列車は大半が4両編成であるが、早朝深夜には奈良線系統唯一の存在である2両編成も1往復設定されているほか、線内折り返し列車には6両編成も存在する。特に天理教祭礼時の臨時ダイヤではその割合が増加するが、列車自体は大和西大寺発着で大和西大寺 - 平端間を回送列車として運行されるものもある。
天理軽便鉄道が軌間762 mmで新法隆寺駅(後の近畿日本法隆寺駅) - 天理駅間を1915年(大正4年)に開業させたのが始まり。新法隆寺駅は国有鉄道関西本線法隆寺駅の近くにあり、同線と連絡して大阪方面と天理を結んでいた。
1921年(大正10年)、天理軽便鉄道の買収が橿原へ向かう新線(畝傍線、後の近鉄橿原線)への免許条件となっていたため、大阪電気軌道(大軌)によって買収され、この際に天理線の名が付けられる。大阪方面から天理への乗客が、行きは天理軽便鉄道を利用しても帰りは桜井線・関西本線を使用して奈良に寄る者が多かったことから乗客数が余り伸びず、また1920年(大正9年)に政府からの補助金が打ち切りとなったことから、天理軽便鉄道としてもこの買収は望む話であり、自ら買収を要請している。そして、翌1922年(大正11年)に平端駅 - 天理駅間の電化と標準軌への改軌が行われ、大軌畝傍線が平端駅まで開通すると同時に、上本町駅 - 天理駅間に直通列車が走るようになった。
一方で、天理線の電化・改軌の際に新法隆寺駅 - 平端駅間は法隆寺線として分離され、最後まで軌間762 mmの非電化路線のまま、1945年(昭和20年)に休止後、廃止された。
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天理線(てんりせん)は、奈良県大和郡山市の平端駅から奈良県天理市の天理駅までを結ぶ近畿日本鉄道(近鉄)の鉄道路線。 ICカードPiTaPa・ICOCA・Suicaなど全国相互利用乗車カードが使用できる。また、以前はスルッとKANSAI対応カードおよびJスルーカードにも対応していた。 当項目では、かつて奈良県生駒郡斑鳩町の近畿日本法隆寺駅から平端駅を結んでいた法隆寺線(ほうりゅうじせん)についても扱う。
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{{Infobox 鉄道路線
|路線名 = [[ファイル:KintetsuLogo.svg|19px|近畿日本鉄道|link=近畿日本鉄道]] 天理線
|路線色 = #FAB202
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|画像サイズ = 300px
|画像説明 = 8400系による天理行き各駅停車([[二階堂駅]]付近)
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|路線記号 = {{近鉄駅番号|H}}
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{{BS4|eABZgl|exSTR+r||||||}}
{{BS4|KBHFe|O1=HUBa|exSTR|||4.5|H35 [[天理駅]]|1964- <ref>[https://www.library.pref.nara.jp/supporter/naraweb/photo/page_thumb757.html 天理仮駅への移転案内板] - 奈良県立図書情報館 奈良の今昔写真WEB</ref>|}}
{{BS4|BHFq|O1=HUBe|xKRZu|eABZq+l||||JR西:{{JR西路線記号|K|U}} [[桜井線]](万葉まほろば線)|}}
{{BS4|HUBc2|exKBHFe|O2=HUB3|exSTR||4.7|''旧 天理駅''|-1964|}}
{{BS4|exBHFq|O1=HUB1|exSTRq|O2=HUBc4|exSTRr||||''天理市駅'' -1965|}}
}}
'''天理線'''(てんりせん)は、[[奈良県]][[大和郡山市]]の[[平端駅]]から奈良県[[天理市]]の[[天理駅]]までを結ぶ[[近畿日本鉄道]](近鉄)の[[鉄道路線]]。
ICカード[[PiTaPa]]・[[ICOCA]]・[[Suica]]など全国相互利用乗車カードが使用できる。また、以前は[[スルッとKANSAI]]対応カードおよび[[Jスルーカード]]にも対応していた。
当項目では、かつて奈良県[[生駒郡]][[斑鳩町]]の[[近畿日本法隆寺駅]]から平端駅を結んでいた'''法隆寺線'''(ほうりゅうじせん)についても扱う。
== 路線データ ==
* 路線距離([[営業キロ]]):4.5 km
* [[軌間]]:1,435 [[ミリメートル|mm]] ([[標準軌]])
* [[鉄道駅|駅]]数:4駅(起終点駅含む)
* [[複線]]区間:全線
* [[鉄道の電化|電化]]区間:全線電化([[直流電化|直流]]1,500 V)
* [[閉塞 (鉄道)|閉塞方式]]:自動閉塞式
* [[鉄道の最高速度|最高速度]]:90 km/h<ref name="terada" />
全線が、大阪統括部(旧 上本町営業局)の管轄である。
== 運行形態 ==
線内折り返し列車のほか、[[近鉄橿原線|橿原線]]・[[近鉄京都線|京都線]]直通の急行・普通も運転されている。急行・普通とも線内は各駅に停車する。
昼間時は1時間あたり橿原線直通普通列車が1本、線内折り返し列車が2本の合計3本が運転されている。普通列車は従来[[大和西大寺駅]]までの運行であったものが、[[2012年]][[3月20日]]のダイヤ変更より時刻表上も一部列車が京都駅に直通するようになった(それまでも大和西大寺駅で列車番号を変更し、実質直通列車となっている例もあった)。
かつては[[近鉄奈良線|奈良線]]直通の定期列車が朝夕を中心に運行されており、[[1970年]]までは[[大阪上本町駅|上本町駅]]、[[1972年]]までは[[大阪難波駅|近鉄難波駅]]直通の準急が設定されていた(天理線内は各駅停車)。ただ、駅や時刻表では案内がなされていないだけで、実際には後述の『臨時列車』の節にもある通り、現在でも大和西大寺駅発着の中には種別変更はするものの奈良線と直通する定期列車も毎日僅かながら運行されている。
{| class="wikitable"
|+日中のおおよその運行パターン
|-
!colspan="2" |種別\駅名
!style="width:1em;"|西大寺
!…
!colspan="2" style="width:1em;"|平端
!…
!colspan="2" style="width:1em;"|天理
|- style="text-align:center;"
!rowspan="7" style="width:1em;"|運行範囲
|rowspan="3" style="background:#ddd;"|普通
|colspan="8" style="background:#ddd;"|1本
|- style="text-align:center;"
|colspan="3" style="text-align:right;"|
|colspan="5" style="background:#ddd;"|2-3本
|}
=== 臨時列車 ===
[[天理教]]祭典日(毎月26日)ないし本部行事開催日には、[[1988年からの近畿日本鉄道ダイヤ変更#2021年7月3日変更|2021年7月3日ダイヤ変更]]時点では[[京都駅]]発着の臨時特急、[[大阪難波駅]]または京都駅、大和西大寺駅発着の臨時急行、平端駅発着の臨時普通が運行される<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.kintetsu.co.jp/railway/Dia/dia_tenri.html|title=臨時列車の運転について(天理教月次祭等) |publisher=近畿日本鉄道 |date=2021-07-03 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20210723224733/https://www.kintetsu.co.jp/railway/Dia/dia_tenri.html|archivedate=2021-07-23|accessdate=2021-07-24 }}</ref>。
またこれらとは別に、朝の[[五十鈴川駅|五十鈴川]]発と、五十鈴川行き及び[[名張駅|名張]]行きの臨時列車が運行されており、[[近鉄名古屋線|名古屋線]]各駅とは[[近鉄特急#名阪特急(大阪 - 名古屋間)|名阪乙特急]]と連絡するこの臨時列車の利用を推奨している。この3本は建前上は[[団体専用列車]]扱いのため一般客の乗車はできないことになっているが、帰参者であれば利用可能としている<ref name="rinji210726">{{Cite web|和書|format=PDF |title=7月26日(月)臨時情報 |url=https://www.tenrikyo.or.jp/yoboku/wp-content/uploads/2021----7---26------HP---------------.pdf |website=[[天理教]]輸送部 |date=2021-07-13 |accessdate=2021-07-21 |language=ja |archiveurl=https://web.archive.org/web/20210718011622/https://www.tenrikyo.or.jp/yoboku/wp-content/uploads/2021----7---26------HP---------------.pdf |archivedate=2021-07-18 }}</ref>。停車駅は以下の通りである。
:五十鈴川駅発着:[[宇治山田駅]]、[[伊勢市駅]]、[[宮町駅]]、[[明星駅]]、[[松阪駅]]、[[伊勢中川駅]]、[[榊原温泉口駅]]、[[大和八木駅]](五十鈴川駅発のみ停車。名阪乙特急から連絡)
:名張行き:大和八木駅(名阪乙特急に連絡)、[[榛原駅]]
::いずれも天理線内は無停車だが、平端駅では方向転換のため運転停車は行う。また、五十鈴川駅発着列車は特急停車駅でない宮町駅、明星駅にも停車する。
[[1988年からの近畿日本鉄道ダイヤ変更#2020年3月14日変更|2020年3月14日ダイヤ変更]]前までは[[近鉄名古屋駅]]発着の臨時特急(近鉄のウェブサイトには掲載されず<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.kintetsu.co.jp/railway/Dia/dia_tenri.html|title=臨時列車の運転について(天理教月次祭等) |publisher=近畿日本鉄道 |date=2019-03 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20190702090105/https://www.kintetsu.co.jp/railway/Dia/dia_tenri.html|archivedate=2019-07-02|accessdate=2021-07-24 }}</ref>、建前上は団体専用列車扱い。大和八木駅 - 近鉄名古屋駅間は名阪乙特急に併結)もあった<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.tenrikyo.or.jp/yoboku/wp-content/uploads/63b642995b2e3ab1ca575702ad4995612.pdf |title=祭典日(お節会・婦人会総会)の便利な乗換案内|format=PDF |publisher=天理教輸送部 |date=2018-03-16 |accessdate=2021-07-18 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20210718011941/https://www.tenrikyo.or.jp/yoboku/wp-content/uploads/63b642995b2e3ab1ca575702ad4995612.pdf |archivedate=2021-07-18 }}</ref><ref name="tenrikyo-20200314">{{Cite web|和書|url=https://www.tenrikyo.or.jp/yoboku/wp-content/uploads/90f11db64d457ef5640e1d59add74a6b.pdf |title=令和2年3月以降 祭典時等の近鉄天理駅発着 便利な乗換案内|format=PDF |publisher=天理教輸送部 |date=2020-03-17 |accessdate=2020-03-17 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20210131110714/https://www.tenrikyo.or.jp/yoboku/wp-content/uploads/90f11db64d457ef5640e1d59add74a6b.pdf |archivedate=2021-01-31 }}</ref>。また、[[阪神本線]][[三宮駅#阪神電気鉄道(神戸三宮駅)|神戸三宮駅]]発着の臨時急行(天理行きは平日のみ{{Efn|定期列車の快速急行大和西大寺行きの一部車両を大和西大寺駅で切り離し、引き続き臨時急行天理行きとして延長運転。}}、天理発は土曜・休日のみ{{Efn|天理駅から大和西大寺駅までは臨時急行として運転、大和西大寺駅で近鉄奈良始発の快速急行神戸三宮行き定期列車と併結し神戸三宮駅まで運転していた。かつては天理発の編成は通常ダイヤにおける大和西大寺駅 - [[尼崎駅 (阪神)|尼崎駅]]間の増結編成を営業列車に割り当てていたため、「神戸三宮行き」と案内しながら天理発の編成は尼崎止まりであったが、阪神本線内の8両対応が完了した末期は通常ダイヤの8両編成を近鉄奈良始発4両・天理始発4両に分割(近鉄奈良駅 - 大和西大寺駅間は通常より減車)して運転するように変更され、これにより天理発の編成も神戸三宮駅まで乗り入れるようになった。}})が運行されることがあったが<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.tenrikyo.or.jp/yoboku/wp-content/uploads/d11b32b09802532033efde226f5641f2.pdf |title=神戸三宮-近鉄天理間の臨時直通列車の運転について |format=PDF |publisher=天理教公式サイト |date=2020-03-03 |accessdate=2020-03-10|archiveurl=https://web.archive.org/web/20210123142808/https://www.tenrikyo.or.jp/yoboku/wp-content/uploads/d11b32b09802532033efde226f5641f2.pdf|archivedate=2021-01-23 }}</ref>、2021年7月3日ダイヤ変更後は定期列車となっている(天理行きは平日、天理発は土曜・休日のみ。いずれも運転形態は臨時列車時代を踏襲し、時刻表上は大和西大寺駅 - 天理駅間の定期急行列車として設定される)<ref name="tenrikyo-20210703">{{Cite web|和書|url=https://www.tenrikyo.or.jp/yoboku/wp-content/uploads/2021-------------------------HP------.pdf |title=神戸三宮 - 近鉄天理間の直通列車運転について|format=PDF |publisher=天理教輸送部 |date=2021-07-17 |accessdate=2021-07-18 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20210718011607/https://www.tenrikyo.or.jp/yoboku/wp-content/uploads/2021-------------------------HP------.pdf |archivedate=2021-07-18 }}</ref>。
[[大晦日]]から[[元日|元旦]]にかけて行われる[[終夜運転]](2020年は実施せず)は、現在では線内折り返しの普通をおおむね30分間隔(橿原線の終夜運転列車との連絡が多い)で運行する形態となっている。時刻については近鉄の公式ホームページでも公表されている。
2022年4月1日には天理線電化100周年を記念して大阪上本町発天理行き臨時急行が1本運転された<ref>{{PDFlink|[https://www.kintetsu.co.jp/all_news/news_info/tenridenka100.pdf ~天理線電化100周年記念イベントを実施~ 天理線電化100周年記念ヘッドマーク列車を運行します]}} - 近畿日本鉄道 2022年03月25日</ref>。
<gallery>
File:Tenri station 20160313.jpg|天理駅に乗り入れる京都行きの急行電車
File:8920hirahata.jpg|天理線内折り返し電車(平端にて)
</gallery>
== 車両 ==
{{Main|近鉄奈良線#使用車両}}
[[近鉄橿原線|橿原線]]との直通列車が多いため、[[近鉄奈良線|奈良線]]・[[近鉄京都線|京都線]]と同じく西大寺検車区の車両が運行されている。
[[京都市営地下鉄烏丸線]]対応の[[近鉄3200系電車|3200系]]、[[近鉄3220系電車|3220系]]などの6両単独編成も使用される{{Efn|保安装置上は対応している烏丸線の車両の[[京都市交通局10系電車]]も走行可能であるが、当線に乗り入れたことはない。}}。
急行列車は6両編成(一部列車は4両)。普通列車は大半が4両編成であるが、早朝深夜には奈良線系統唯一の存在である2両編成も1往復設定されているほか、線内折り返し列車には6両編成も存在する。特に天理教祭礼時の臨時ダイヤではその割合が増加するが、列車自体は大和西大寺発着で大和西大寺 - 平端間を回送列車として運行されるものもある。
== 歴史 ==
{{Infobox 鉄道路線
|路線名 = [[ファイル:KintetsuLogo.svg|19px|近畿日本鉄道|link=近畿日本鉄道]] 法隆寺線
|画像 =
|画像サイズ = 300px
|画像説明 =
|起点 = [[近畿日本法隆寺駅]]
|終点 = 平端駅
|駅数 = 4駅
|開業 = [[1915年]][[2月7日]]
|項目1 = 休止
|日付1 = [[1945年]][[2月11日]]
|廃止 = [[1952年]][[4月1日]]
|所有者 = 近畿日本鉄道
|運営者 = 近畿日本鉄道
|路線距離 = 4.1 [[キロメートル|km]]
|軌間 = [[2フィート6インチ軌間|762 mm]] ([[狭軌]])
|電化方式 = 全線[[非電化]]
}}
[[天理軽便鉄道]]が[[軌間]]762 mmで新法隆寺駅(後の近畿日本法隆寺駅) - 天理駅間を[[1915年]]([[大正]]4年)に開業させたのが始まり。新法隆寺駅は[[鉄道省|国有鉄道]][[関西本線]][[法隆寺駅]]の近くにあり、同線と連絡して大阪方面と天理を結んでいた<ref name="nara_tosyo">{{Cite web|和書|url=https://www.library.pref.nara.jp/supporter/naraweb/2013kikakuten/tenri_small.pdf|title=天理軽便鉄道|publisher=奈良県立図書情報館|format=PDF|accessdate=2023-11-24}}</ref>。
[[1921年]](大正10年)、天理軽便鉄道の買収が橿原へ向かう新線(畝傍線、後の近鉄橿原線)への免許条件となっていたため、[[大阪電気軌道]](大軌)によって買収され、この際に'''天理線'''の名が付けられる。大阪方面から天理への乗客が、行きは天理軽便鉄道を利用しても帰りは[[桜井線]]・関西本線を使用して[[奈良市|奈良]]に寄る者が多かったことから乗客数が余り伸びず、また[[1920年]](大正9年)に政府からの[[補助金]]が打ち切りとなったことから、天理軽便鉄道としてもこの買収は望む話であり、自ら買収を要請している。そして、翌[[1922年]](大正11年)に平端駅 - 天理駅間の[[鉄道の電化|電化]]と[[標準軌]]への[[改軌]]が行われ、大軌畝傍線が平端駅まで開通すると同時に、上本町駅 - 天理駅間に直通列車が走るようになった。
一方で、天理線の電化・改軌の際に新法隆寺駅 - 平端駅間は'''法隆寺線'''として分離され、最後まで軌間762 mmの[[非電化]]路線のまま、[[1945年]]([[昭和]]20年)に休止後、廃止された<ref name="nara_tosyo" />。
* [[1915年]](大正4年)[[2月7日]]:天理軽便鉄道が新法隆寺駅(後の近畿日本法隆寺駅) - 天理駅間開業<ref name="ayumi-p121">『近畿日本鉄道 100年のあゆみ』近畿日本鉄道、2010年、p.121</ref>。[[蒸気機関車|蒸気動力]]<ref name="ayumi-p87" />。
* [[1916年]](大正5年)[[3月10日]]:安堵駅開業<ref name="chizuchou" />。
* [[1921年]](大正10年)[[1月1日]]:大阪電気軌道に買収。全線を天理線とする<ref name="ayumi-p87">『近畿日本鉄道 100年のあゆみ』近畿日本鉄道、2010年、p.87</ref>。
* [[1922年]](大正11年)[[4月1日]]:額田部駅 - 二階堂駅間に平端駅開業。新法隆寺駅 - 平端駅間を法隆寺線、平端駅 - 天理駅間を天理線とする<ref name="ayumi-p87" />。天理線を畝傍線(現在の橿原線)平端駅に接続。平端駅 - 天理駅間を標準軌に改軌、電化<ref name="ayumi-p87" />。
* [[1927年]] - [[1929年]]頃:安堵駅を大和安堵駅に改称<ref name="chizuchou" />。
* [[1928年]](昭和3年)
** [[5月30日]]:法隆寺線、ガソリン動力併用認可を受ける。
** [[7月1日]]:法隆寺線 新法隆寺駅を大軌法隆寺駅に改称<ref name="ayumi-p389" /><ref name="chizuchou" />。小型[[気動車|ガソリンカー]]を導入<ref name="ayumi-p87" />。
* [[1932年]](昭和7年)[[7月29日]]:法隆寺線 大軌法隆寺駅移転、0.2km短縮<ref name="ayumi-p389">『近畿日本鉄道 100年のあゆみ』近畿日本鉄道、2010年、p.389</ref><ref name="ayumi-p673">『近畿日本鉄道 100年のあゆみ』近畿日本鉄道、2010年、p.673</ref><ref name="chizuchou">今尾恵介『日本鉄道旅行地図帳 8号 関西1』新潮社、2008年、p.28</ref>。
* [[1941年]](昭和16年)[[3月15日]]:法隆寺線 大軌法隆寺駅を関急法隆寺駅に改称<ref name="chizuchou" />。
* [[1944年]](昭和19年)[[6月1日]]:法隆寺線 関急法隆寺駅を近畿日本法隆寺駅に改称<ref name="chizuchou" />。
* [[1945年]](昭和20年)[[2月11日]]:法隆寺線 近畿日本法隆寺駅 - 平端駅間が休止<ref name="ayumi-p673" />。
* [[1952年]](昭和27年)4月1日:休止中の法隆寺線が廃止<ref name="ayumi-p673" />。
* [[1964年]](昭和39年)[[10月30日]]:天理駅移転、0.2 km短縮<ref>『近畿日本鉄道 100年のあゆみ』近畿日本鉄道、2010年、p.674</ref>。
* [[1968年]](昭和43年)[[10月10日]]:[[自動列車停止装置|ATS]]使用開始<ref>『近畿日本鉄道 100年のあゆみ』近畿日本鉄道、2010年、p.866</ref>。
* [[1969年]](昭和44年)[[9月21日]]:架線電圧を600 Vから1,500 Vに昇圧<ref>『近畿日本鉄道 100年のあゆみ』近畿日本鉄道、2010年、pp.308-309, 868</ref>。
* [[1973年]](昭和48年)[[9月20日]]:[[建築限界]]拡大工事竣工。これに伴い平端駅の天理線・橿原線ホームを分離。
* [[1988年]](昭和63年)[[6月27日]]:全線[[複線]]化<ref>『近畿日本鉄道 100年のあゆみ』近畿日本鉄道、2010年、p.676</ref>。
* [[1992年]](平成4年)[[12月20日]]:列車運行管理システム([[KOSMOS (近畿日本鉄道)|KOSMOS]])稼働開始<ref>『近畿日本鉄道 100年のあゆみ』近畿日本鉄道、2010年、p.876</ref>。
* [[2000年]](平成12年)[[3月21日]]:ご乗降確認システム(フェアシステムK)<ref group="注釈">{{Cite web|和書|url=https://www.kintetsu.co.jp/gyoumu/systemk/W20026.html|title=ご乗降確認システム フェアシステムK|publisher=近畿日本鉄道|accessdate=2023-11-24}}</ref>稼働開始<ref>『近畿日本鉄道 100年のあゆみ』近畿日本鉄道、2010年、p.878</ref>。
* [[2001年]](平成13年)
** [[2月1日]]:各駅で[[スルッとKANSAI]]対応カードの取り扱い開始。
** [[10月14日]]:各駅で[[Jスルーカード]]の取り扱い開始。
* [[2007年]](平成19年)4月1日:各駅で[[PiTaPa]]・[[ICOCA]]の取り扱い開始。
* [[2009年]](平成21年)[[3月1日]]:Jスルーカードの[[自動改札機]]・[[自動精算機|のりこし精算機]]での取り扱いを終了<ref>{{PDFlink|[http://www.kintetsu.jp/news/files/jcard20081202.pdf Jスルーカードの利用終了について]}} - 近畿日本鉄道 2008年12月2日</ref>。
== 駅一覧 ==
* 全駅[[奈良県]]内に所在。
* 急行・普通列車ともに天理線内は各駅に停車。
* 天理教の祭事が行われる時の臨時特急に関しては、[[近鉄特急]]を参照。
{| class="wikitable" rules="all"
|-
!style="width:4em; border-bottom:solid 3px #fab202;"|駅番号
!style="width:7em; border-bottom:solid 3px #fab202;"|駅名
!style="width:2.5em; border-bottom:solid 3px #fab202;"|駅間キロ
!style="width:2.5em; border-bottom:solid 3px #fab202;"|営業キロ
!style="border-bottom:solid 3px #fab202;"|接続路線
!style="border-bottom:solid 3px #fab202;"|所在地
|-
!H32
|[[平端駅]]
|style="text-align:center;"| -
|style="text-align:right;"|0.0
|[[近畿日本鉄道]]:{{近鉄駅番号|B}} [[近鉄橿原線|橿原線]] (B32)([[近鉄京都線|京都線]][[京都駅]]まで直通運転<ref group="*" name="namba">天理教の祭事が行われるときの急行は、[[近鉄難波線|難波線]][[大阪難波駅]]へも直通する。さらに[[阪神本線]][[三宮駅|神戸三宮駅]]発が運行されることがある。</ref>)
|style="white-space:nowrap;"|[[大和郡山市]]
|-
!H33
|[[二階堂駅]]
|style="text-align:right;"|1.3
|style="text-align:right;"|1.3
|
|rowspan="3"|[[天理市]]
|-
!H34
|[[前栽駅]]
|style="text-align:right;"|1.9
|style="text-align:right;"|3.2
|
|-
!H35
|[[天理駅]]
|style="text-align:right;"|1.3
|style="text-align:right;"|4.5
|[[西日本旅客鉄道]]:{{JR西路線記号|K|U}} [[桜井線]](万葉まほろば線)
|}
{{Reflist|group="*"}}
=== 法隆寺線 ===
* 1952年(昭和27年)4月1日廃止。
* 駅名、接続路線、所在地は廃止時のもの。
** 日本国有鉄道は現在の西日本旅客鉄道。
** 安堵村は現在の[[安堵町]]。
{| class="wikitable" rules="all"
|-
!style="width:10em; border-bottom:solid 3px #ccc;"|駅名
!style="width:2.5em; border-bottom:solid 3px #ccc;"|駅間キロ
!style="width:2.5em; border-bottom:solid 3px #ccc;"|営業キロ
!style="border-bottom:solid 3px #ccc;"|接続路線
!style="border-bottom:solid 3px #ccc;" colspan="2"|所在地
|-
|[[近畿日本法隆寺駅]]
|style="text-align:right;"| -
|style="text-align:right;"|0.0
|[[日本国有鉄道]]:[[関西本線]]
|rowspan="2"|[[生駒郡]]
|[[斑鳩町]]
|-
|[[大和安堵駅]]
|style="text-align:right;"|1.6
|style="text-align:right;"|1.6
|
|安堵村
|-
|[[額田部駅]]
|style="text-align:right;"|2.2
|style="text-align:right;"|3.8
|
|rowspan="2" colspan="2"|大和郡山市
|-
|平端駅
|style="text-align:right;"|0.3
|style="text-align:right;"|4.1
|近畿日本鉄道:橿原線・天理線
|}
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Notelist}}
=== 出典 ===
{{Reflist|2}}
== 参考文献 ==
*『まるごと近鉄ぶらり沿線の旅』(著者・編者 徳田耕一、出版・発行 河出書房新社 2005年) ISBN 4309224393
* カラーブックス『日本の私鉄 近鉄1』(著者・編者 諸河久・杉谷広規、出版・発行 保育社 1998年) ISBN 458650904X
* カラーブックス『日本の私鉄 近鉄2』(著者・編者 諸河久・山辺誠、出版・発行 保育社 1998年) ISBN 4586509058
*『近鉄時刻表』各号(著者・編者 [[近畿日本鉄道]]、出版・発行 同左)
*『鉄道ピクトリアル'03年1月号増刊 特集:近畿日本鉄道』(著者・編者 電気車研究会 出版・発行 同左)
* 今尾恵介『日本鉄道旅行地図帳 8号 関西1』新潮社、2008年 ISBN 978-4-10-790026-5
== 関連項目 ==
* [[日本の鉄道路線一覧]]
* [[近鉄特急史]]
== 外部リンク ==
* [https://tid.kintetsu.co.jp/LocationWeb/trainlocationinfoweb05.html 天理線] - 近鉄列車走行位置
*[https://www.kintetsu.co.jp/railway/rosen/A50003.html#tenri 天理線 路線図] - 近鉄
{{近畿日本鉄道の路線}}
{{DEFAULTSORT:てんりせん}}
[[Category:近畿地方の鉄道路線]]
[[Category:近畿日本鉄道の鉄道路線|てんり]]
[[Category:関西急行鉄道|路]]
[[Category:大阪電気軌道|路]]
[[Category:天理軽便鉄道|路]]
[[Category:奈良県の交通|きんてつてんりせん]]
[[Category:部分廃止路線]]
|
2003-09-20T17:45:37Z
|
2023-12-30T23:54:16Z
| false | false | false |
[
"Template:近畿日本鉄道の路線",
"Template:Efn",
"Template:Main",
"Template:近鉄駅番号",
"Template:JR西路線記号",
"Template:Reflist",
"Template:脚注ヘルプ",
"Template:Notelist",
"Template:Cite web",
"Template:Infobox 鉄道路線",
"Template:BS-map",
"Template:PDFlink"
] |
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BF%91%E9%89%84%E5%A4%A9%E7%90%86%E7%B7%9A
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中核市
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中核市(ちゅうかくし)とは、日本の地方公共団体のうち、地方自治法第252条の22第1項に定める政令による指定を受けた市。中核市の指定と同時に保健所政令市としての指定も受ける。政令指定都市と並ぶ都道府県の事務権限の一部を移譲する日本の大都市制度の一つであり、現在の指定要件は、「法定人口が20万人以上」となっている。
所属する都道府県の議会とその市自身の市議会の議決を経て、総務大臣へ指定を申請する。
日本の大都市制度には、政令指定都市・中核市・特例市の別があり(後に特例市は廃止)、中核市は1996年(平成8年)から施行された。いずれも都市の規模に応じて、市に都道府県の事務権限の一部を移譲する制度であり、中核市には政令指定都市に準じた事務の範囲が移譲されている。ただし、関与の特例については行政分野の大半に認められている政令指定都市と異なり、中核市は福祉に関する事務に限られる。
その後、特例市との区別を無くそうという意見が中核市市長会および全国特例市市長会双方から出されると、これらの問題を取り扱う国の地方制度調査会も前向きな姿勢を見せ、2013年(平成25年)6月25日の第30次地方制度調査会答申では、「まちづくりや環境規制の分野において一般市への事務の移譲が進展した。これを踏まえて、特例市に対して更なる事務の移譲を進めることが必要である。」「人口20万以上であれば保健所を設置することにより中核市となるという形で、中核市・特例市の両制度を統合することにより、一層の事務の移譲を可能とすべきである。」とされた。それを受けて、2014年(平成26年)5月23日可決・成立の改正地方自治法(当該部分の施行は2015年(平成27年)4月1日)により、特例市制度が廃止されるとともに、中核市の人口要件が「法定人口30万人以上」であったものが「法定20万人以上」に緩和されることとなった。なお、改正法施行の時点で既に指定されている特例市(「施行時特例市」と呼ばれる)を対象とする経過措置として、従来の特例市の事務権限を引き続き保持するとともに、前述の改正法施行後5年間(2020年4月1日まで)に限り、人口が20万人未満になっていたとしても中核市に移行できるとされた。
2022年(令和4年)1月現在、三重県・徳島県・佐賀県には政令指定都市及び中核市が存在しない。
2021年4月1日現在、以下の62市が中核市に指定されている。
2022年4月現在、中核市への移行を検討している候補市は以下の12市である。
地方自治法第252条の22(第2編 普通地方公共団体 第12章大都市等に関する特例 第2節 中核市に関する特例)で、中核市は「指定都市が処理することができる事務のうち、都道府県がその区域にわたり一体的に処理することが中核市が処理することに比して効率的な事務その他の中核市において処理することが適当でない事務以外の事務で政令で定めるものを、政令で定めるところにより、処理することができる。」と定義され、具体的な定めは政令に委ねられている。
行政分野ごとに個別にみると、中核市は保健所を設置して保健衛生行政を担当するほか、民生行政・環境保全・都市計画・文化財の保護などの行政分野について、政令指定都市に準じた事務の範囲を都道府県から移譲されており、これらの事務処理を行使するために必要な財源として、地方交付税が増額される。もっとも、事務処理への都道府県の関与について政令指定都市においては都道府県知事や都道府県の委員会の
ことになっている(第252条の19第2項)が、中核市に関しては、処分についてa.に相当する特例規定は無く、命令についてはb.に類似する特例規定はあるが、委員会の命令は対象とならない(第252条の22第2項、地方自治法施行令第2編第8章)。
関与の特例が行政分野の大半に及ぶ政令指定都市と異なり、中核市における関与の特例は、福祉に関する事務のみに限定されている。
このようなことから中核市の権限は、都道府県並みあるいは都道府県と同等とされ行政区設置等の特例もある政令指定都市と比較すると小さい。
中核市に移譲される事務は、すべて列挙すれば1800件程度にのぼるため、ここでは主要な事務のみを抜粋して掲載する。なお、ここに掲げるのはあくまでも標準的な中核市の例であり、都道府県が独自の条例を制定して、更に多くの事務権限を移譲することも可能である。
中核市に現行で移譲されている権限は不十分で、さらなる権限委譲を実施すべきだとする主張もある。
こうした指摘のうち、最も議論が盛んなのは、県費負担教職員(公立小中学校の教職員など)の人事権に関する問題である。現行の制度では、中核市には教職員の研修実施権限があるのみで、人事権は都道府県に留保されている。これに対して中核市側は、「研修実施権限のみ認められても、人事権がなければ成果を得にくい」として、人事権も移譲するよう求めている。都道府県側は、教職員採用希望者の都市部への集中を懸念して慎重な姿勢を示しているものの、文部科学省は人事権移譲に比較的前向きで、実際に人事権を委譲した場合、どのような影響があるかを具体的に検討する方向で調整している。さらに、北海道を中心に盛り上がっている議論としては、「広域中核市制度」がある。これは30万人以上という人口要件を外し、政令市と同じ機能を持たせる制度。実現すれば県の業務は縮小し、市町村合併を加速させる効果がある。
※かつての指定要件については、[表示]タブで表示。
人口20万人以上であるが、中核市ではない市の一覧(※は施行時特例市)。現時点で人口20万人未満の施行時特例市と、検討に入っているものの指定時期が未定の市も含む。指定予定が決まっている市は、中核市#現在移行を検討している市を参照。
2015年(平成27年)国勢調査の結果をもとにした国立社会保障・人口問題研究所による30年後(2045年)の推計
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中核市(ちゅうかくし)とは、日本の地方公共団体のうち、地方自治法第252条の22第1項に定める政令による指定を受けた市。中核市の指定と同時に保健所政令市としての指定も受ける。政令指定都市と並ぶ都道府県の事務権限の一部を移譲する日本の大都市制度の一つであり、現在の指定要件は、「法定人口が20万人以上」となっている。 所属する都道府県の議会とその市自身の市議会の議決を経て、総務大臣へ指定を申請する。 地方自治法は、以下で条数のみ記載する。
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{{日本の統治機構}}
'''中核市'''(ちゅうかくし)とは、[[日本]]の[[地方公共団体]]のうち、'''[[地方自治法]][[s:地方自治法 第二編 普通地方公共団体 第十二章 大都市等に関する特例#252の22|第252条の22]]第1項に定める[[政令]]'''による指定を受けた[[市]]。中核市の指定と同時に[[保健所政令市]]としての指定も受ける。[[政令指定都市]]と並ぶ'''都道府県の事務権限の一部を移譲する'''日本の大都市制度の一つであり、現在の指定要件は、「'''[[法定人口]]が20万人以上'''」となっている。
所属する[[日本の地方議会|都道府県の議会]]とその市自身の[[日本の地方議会|市議会]]の議決を経て、[[総務大臣]]へ指定を申請する。
*地方自治法は、以下で条数のみ記載する。
== 概要 ==
日本の大都市制度には、[[政令指定都市]]・中核市・[[特例市]]の別があり(後に特例市は廃止)、中核市は[[1996年]](平成8年)から施行された。いずれも都市の規模に応じて、市に都道府県の事務権限の一部を移譲する制度であり、中核市には政令指定都市に準じた事務の範囲が移譲されている。ただし、関与の特例については行政分野の大半に認められている政令指定都市と異なり、中核市は福祉に関する事務に限られる。
その後、特例市との区別を無くそうという意見が[[中核市市長会]]および[[全国特例市市長会]]双方から出されると、これらの問題を取り扱う国の[[地方制度調査会]]も前向きな姿勢を見せ<ref>{{Cite news |title=「中核市」と「特例市」の統合を |newspaper=デイリースポーツ |date=2012年11月7日 |url=http://www.daily.co.jp/society/politics/2012/11/07/0005510387.shtml |archiveurl=https://web.archive.org/web/20121107144513/http://www.daily.co.jp/society/politics/2012/11/07/0005510387.shtml |archivedate=2012-11-07}}</ref>、2013年(平成25年)6月25日の第30次地方制度調査会答申では、「まちづくりや環境規制の分野において一般市への事務の移譲が進展した。これを踏まえて、特例市に対して更なる事務の移譲を進めることが必要である。」「人口20万以上であれば保健所を設置することにより中核市となるという形で、中核市・特例市の両制度を統合することにより、一層の事務の移譲を可能とすべきである。」とされた。それを受けて、[[2014年]](平成26年)[[5月23日]]可決・成立の改正[[地方自治法]](当該部分の施行は[[2015年]](平成27年)[[4月1日]])により、特例市制度が廃止されるとともに、中核市の人口要件が「法定人口30万人以上」であったものが「法定20万人以上」に緩和されることとなった。なお、改正法施行の時点で既に指定されている特例市(「'''施行時特例市'''」と呼ばれる)を対象とする[[経過措置]]として、従来の特例市の事務権限を引き続き保持するとともに、前述の改正法施行後5年間([[2020年]]4月1日まで)に限り、人口が20万人未満になっていたとしても中核市に移行できるとされた。
[[2022年]](令和4年)[[1月]]現在、[[三重県]]・[[徳島県]]・[[佐賀県]]には政令指定都市及び中核市が存在しない。
== 一覧 ==
2021年4月1日現在、以下の62市が中核市に指定されている。
* 概ね[[全国地方公共団体コード]]の番号順と施行順に掲載。
* [[北海道地方]]の[[都道府県]]の項目は[[北海道#総合振興局・振興局(支庁)|振興局]](旧[[支庁]])区分で示す。
{| class="wikitable sortable" style="text-align:left; font-size:95%;"
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!class="unsortable"|[[地方]]
!class="unsortable"|{{Nowrap|[[都道府県]]}} {{Nowrap|(振興局)}}
!style="width:7em;"|中核市
!指定日
!class="unsortable"|特記事項
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|rowspan="2" style="text-align:center;"|{{Nowrap|[[北海道|北海道地方]]}}
| style="white-space:nowrap;" |[[上川総合振興局]]
|{{Display none|01204}}[[ファイル:Flag of Asahikawa, Hokkaido.svg|30px|border]] '''[[旭川市]]'''
|[[2000年]](平成12年)[[4月1日]]
|総合振興局所在地
|-
|[[渡島総合振興局]]
|{{Display none|01202}}[[ファイル:Flag of Hakodate, Hokkaido.svg|30px|border]] '''[[函館市]]'''
| style="white-space:nowrap;" |[[2005年]](平成17年)[[10月1日]]
|総合振興局所在地。2005年9月30日まで[[特例市]]。中核市では唯一全域が[[過疎地域]]に指定されたことがある。
|-
| rowspan="8" style="text-align:center;" |{{Nowrap begin}}[[東北地方]]{{Nowrap end}}
|rowspan="2"|[[青森県]]
|{{Display none|02201}}[[ファイル:Flag of Aomori, Aomori.svg|30px|border]] '''[[青森市]]'''
|[[2006年]](平成18年)10月1日
|[[都道府県庁所在地|県庁所在地]]
|-
|{{Display none|02203}}[[ファイル:Flag of Hachinohe, Aomori.svg|30px|border]] '''[[八戸市]]'''
|[[2017年]](平成29年)1月1日
|2016年12月31日まで施行時特例市。
|-
|[[岩手県]]
|{{Display none|03201}}[[ファイル:Flag of Morioka, Iwate.svg|30px|border]] '''[[盛岡市]]'''
|[[2008年]](平成20年)4月1日
|県庁所在地。2008年3月31日まで特例市。
|-
|[[秋田県]]
|{{Display none|05201}}[[ファイル:Flag of Akita, Akita.svg|30px|border]] '''[[秋田市]]'''
|[[1997年]](平成{{0}}9年)4月1日
|県庁所在地
|-
|[[山形県]]
|{{Display none|06201}}[[ファイル:Flag_of_Yamagata,_Yamagata.svg|境界|30x30ピクセル]] '''[[山形市]]'''
|[[2019年]](平成31年)4月1日
|県庁所在地。2019年3月31日まで施行時特例市。
|-
|rowspan="3"|[[福島県]]
|{{Display none|07203}}[[ファイル:Flag of Koriyama, Fukushima.svg|30px|border]] '''[[郡山市]]'''
|1997年(平成{{0}}9年)4月1日
|
|-
|{{Display none|07204}}[[ファイル:Flag of Iwaki, Fukushima.svg|30px|border]] '''[[いわき市]]'''
|[[1999年]](平成11年)4月1日
|
|-
|{{Display none|07201}}[[ファイル:Flag of Fukushima, Fukushima.svg|30px|border]] '''[[福島市]]'''
|[[2018年]](平成30年)4月1日
|県庁所在地
|-
|rowspan="11" style="text-align:center;"|[[関東地方]]
|[[茨城県]]
|{{Display none|08201}}[[ファイル:Flag of Mito, Ibaraki.svg|30px|border]] '''[[水戸市]]'''
|[[2020年]](令和{{0}}2年)4月1日
|県庁所在地。2020年3月31日まで施行時特例市。
|-
|[[栃木県]]
|{{Display none|09201}}[[ファイル:Flag of Utsunomiya, Tochigi.svg|30px|border]] '''[[宇都宮市]]'''
|[[1996年]](平成{{0}}8年)4月1日
|県庁所在地
|-
|rowspan="2" |[[群馬県]]
|{{Display none|10201}}[[ファイル:Flag of Maebashi, Gunma.svg|30px|border]] '''[[前橋市]]'''
|[[2009年]](平成21年)4月1日
|県庁所在地。2009年3月31日まで特例市。
|-
|{{Display none|10202}}[[ファイル:Flag of Takasaki, Gunma.svg|30px|border]] '''[[高崎市]]'''
|[[2011年]](平成23年)4月1日
| style="white-space:nowrap;" |2011年3月31日まで特例市。
|-
|rowspan="3" |[[埼玉県]]
|{{Display none|11201}}[[ファイル:Flag of Kawagoe, Saitama.svg|30px|border]] '''[[川越市]]'''
|[[2003年]](平成15年)4月1日
|
|-
|{{Display none|11222}}[[ファイル:Flag of Koshigaya, Saitama.svg|30px|border]] '''[[越谷市]]'''
|[[2015年]](平成27年)4月1日
|2015年3月31日まで特例市。
|-
|{{Display none|11203}}[[ファイル:Flag of Kawaguchi, Saitama.svg|30px|border]] '''[[川口市]]'''
|2018年(平成30年)4月1日
|2018年3月31日まで施行時特例市。
|-
| rowspan="2" |[[千葉県]]
|{{Display none|12204}}[[ファイル:Flag of Funabashi, Chiba.svg|30px|border]] '''[[船橋市]]'''
|2003年(平成15年)4月1日
|中核市で最も人口が多い<ref group="注" name="jinko">2018年(平成30年)10月1日現在の[[推計人口]]。[[日本の市の人口順位]]も参照。</ref>。
|-
|{{Display none|12217}}[[ファイル:Flag of Kashiwa, Chiba.svg|30px|border]] '''[[柏市]]'''
|2008年(平成20年)4月1日
|
|-
|[[東京都]]
|{{Display none|13201}}[[ファイル:Flag_of_Hachioji, Tokyo.svg|30px|border]] '''[[八王子市]]'''
|2015年(平成27年)4月1日
|
|-
|[[神奈川県]]
|{{Display none|14201}}[[ファイル:Flag of Yokosuka, Kanagawa.svg|30px|border]] '''[[横須賀市]]'''
|[[2001年]](平成13年)4月1日
|
|-
| rowspan="11" style="text-align:center;" |[[中部地方]]
|[[富山県]]
|{{Display none|16201}}[[ファイル:Flag of Toyama, Toyama.svg|30px|border]] '''[[富山市]]'''
|2005年(平成17年)4月1日
|県庁所在地。新設合併前の旧富山市は1996年(平成8年)4月1日に指定された。旧富山市は旧静岡市に続いて中核市が廃止されたケース。
|-
|[[石川県]]
|{{Display none|17201}}[[ファイル:Flag of Kanazawa, Ishikawa.svg|30px|border]] '''[[金沢市]]'''
|1996年(平成{{0}}8年)4月1日
|県庁所在地
|-
|[[福井県]]
|{{Display none|18201}}[[ファイル:Flag_of_Fukui,_Fukui.svg|境界|30x30ピクセル]] '''[[福井市]]'''
|2019年(平成31年)4月1日
|県庁所在地。2019年3月31日まで施行時特例市。
|-
|[[山梨県]]
|{{Display none|19201}}[[ファイル:Flag_of_Kofu,_Yamanashi.svg|境界|30x30ピクセル]] '''[[甲府市]]'''
|2019年(平成31年)4月1日
|県庁所在地。2019年3月31日まで施行時特例市。人口20万未満で移行した唯一の例。
|-
| rowspan="2" |[[長野県]]
|{{Display none|20201}}[[ファイル:Flag of Nagano, Nagano.svg|30px|border]] '''[[長野市]]'''
|1999年(平成11年)4月1日
|県庁所在地
|-
|{{Display none|20202}}[[ファイル:Flag of Matsumoto, Nagano.svg|30px|border]] '''[[松本市]]'''
|[[2021年]](令和{{0}}3年)4月1日
|2021年3月31日まで施行時特例市。
|-
|[[岐阜県]]
|{{Display none|21201}}[[ファイル:Flag of Gifu, Gifu.svg|30px|border]] '''[[岐阜市]]'''
|1996年(平成{{0}}8年)4月1日
|県庁所在地
|-
| rowspan="4" |[[愛知県]]
|{{Display none|23211}}[[ファイル:Flag of Toyota, Aichi.svg|30px|border]] '''[[豊田市]]'''
|[[1998年]](平成10年)4月1日
|
|-
|{{Display none|23201}}[[ファイル:Flag of Toyohashi, Aichi.svg|30px|border]] '''[[豊橋市]]'''
|1999年(平成11年)4月1日
|
|-
|{{Display none|23202}}[[ファイル:Flag of Okazaki, Aichi.svg|30px|border]] '''[[岡崎市]]'''
|2003年(平成15年)4月1日
|
|-
|{{Display none|23203}}[[ファイル:Flag of Ichinomiya, Aichi.svg|30px|border]] '''[[一宮市]]'''
|2021年(令和{{0}}3年)4月1日
|2021年3月31日まで施行時特例市。
|-
| rowspan="14" style="text-align:center;" |[[近畿地方]]
|[[滋賀県]]
|{{Display none|25201}}[[ファイル:Flag of Otsu, Shiga.svg|30px|border]] '''[[大津市]]'''
|2009年(平成21年)4月1日
|県庁所在地。2009年3月31日まで特例市。
|-
| rowspan="7" |[[大阪府]]
|{{Display none|27207}}[[ファイル:Flag of Takatsuki, Osaka.svg|30px|border]] '''[[高槻市]]'''
|2003年(平成15年)4月1日
|
|-
|{{Display none|27227}}[[ファイル:Flag of Higashiosaka, Osaka.svg|30px|border]] '''[[東大阪市]]'''
|2005年(平成17年)4月1日
|
|-
|{{Display none|27203}}[[ファイル:Flag of Toyonaka, Osaka.svg|30px|border]] '''[[豊中市]]'''
|[[2012年]](平成24年)4月1日
|2012年3月31日まで特例市。
|-
|{{Display none|27210}}[[ファイル:Flag of Hirakata, Osaka.svg|30px|border]] '''[[枚方市]]'''
|[[2014年]](平成26年)4月1日
|2014年3月31日まで特例市<ref>{{Cite press release |和書 |title=新藤総務大臣閣議後記者会見の概要 |publisher=総務省 |date=2013年11月26日 |url=https://www.soumu.go.jp/menu_news/kaiken/01koho01_02000227.html |accessdate=2013年11月26日}}</ref><ref>{{Cite news |title=大阪府枚方市を中核市指定=佐賀は特例市-政府 |newspaper=時事通信 |date=2013年11月26日 |url=http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2013112600263 |accessdate=2013年11月26日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20131204034540/http://www.jiji.com/jc/zc?k=201311/2013112600263 |archivedate=2013-11-26}}</ref>。
|-
|{{Display none|27212}}[[ファイル:Flag of Yao, Osaka.svg|30px|border]] '''[[八尾市]]'''
|2018年(平成30年)4月1日
|2018年3月31日まで施行時特例市。
|-
|{{Display none|27215}}[[ファイル:Flag_of_Neyagawa,_Osaka.svg|30px|border]] '''[[寝屋川市]]'''
|2019年(平成31年)4月1日
|2019年3月31日まで施行時特例市。
|-
|{{Display none|27205}}[[ファイル:Flag of Suita, Osaka.svg|30px|border]] '''[[吹田市]]'''
|2020年(令和{{0}}2年)4月1日
|2020年3月31日まで施行時特例市。
|-
| rowspan="4" |[[兵庫県]]
|{{Display none|28201}}[[ファイル:Flag of Himeji, Hyogo.svg|30px|border]] '''[[姫路市]]'''
|1996年(平成{{0}}8年)4月1日
|
|-
|{{Display none|28204}}[[ファイル:Flag of Nishinomiya, Hyogo.svg|30px|border]] '''[[西宮市]]'''
|2008年(平成20年)4月1日
|
|-
|{{Display none|28202}}[[ファイル:Flag of Amagasaki, Hyogo.svg|30px|border]] '''[[尼崎市]]'''
|2009年(平成21年)4月1日
|2009年3月31日まで特例市。
|-
|{{Display none|28203}}[[ファイル:Flag of Akashi, Hyogo.svg|30px|border]] '''[[明石市]]'''
|2018年(平成30年)4月1日
|2018年3月31日まで施行時特例市。
|-
|[[奈良県]]
|{{Display none|29201}}[[ファイル:Flag of Nara, Nara.svg|30px|border]] '''[[奈良市]]'''
|[[2002年]](平成14年)4月1日
|県庁所在地
|-
|[[和歌山県]]
|{{Display none|30201}}[[ファイル:Flag of Wakayama, Wakayama.svg|30px|border]] '''[[和歌山市]]'''
|1997年(平成{{0}}9年)4月1日
|県庁所在地
|-
| rowspan="6" style="text-align:center;"|[[中国地方]]
|[[鳥取県]]
|{{Display none|31201}}[[ファイル:Flag of Tottori, Tottori.svg|30px|border]] '''[[鳥取市]]'''
|2018年(平成30年)4月1日
|県庁所在地。2018年3月31日まで施行時特例市。かつ、中核市で一番人口が少ない市<ref name="jinko" group="注" />。
|-
|[[島根県]]
|{{Display none|32201}}[[ファイル:Flag of Matsue, Shimane.svg|30px|border]]''' [[松江市]]'''
|2018年(平成30年)4月1日
|県庁所在地。2018年3月31日まで施行時特例市。
|-
|[[岡山県]]
|{{Display none|33202}}[[ファイル:Flag of Kurashiki, Okayama.svg|30px|border]] '''[[倉敷市]]'''
|2002年(平成14年)4月1日
|
|-
| rowspan="2" |[[広島県]]
|{{Display none|34207}}[[ファイル:Flag of Fukuyama, Hiroshima.svg|30px|border]] '''[[福山市]]'''
|1998年(平成10年)4月1日
|
|-
|{{Display none|34202}}[[ファイル:Flag of Kure, Hiroshima.svg|30px|border]] '''[[呉市]]'''
|[[2016年]](平成28年)4月1日
|2016年3月31日まで施行時特例市。
|-
|[[山口県]]
|{{Display none|35201}}[[ファイル:Flag of Shimonoseki, Yamaguchi.svg|30px|border]] '''[[下関市]]'''
|2005年(平成17年)10月1日
|2005年9月30日まで特例市。
|-
|rowspan="3" style="text-align:center;"|[[四国|四国地方]]
|[[香川県]]
|{{Display none|37201}}[[ファイル:Flag of Takamatsu, Kagawa.svg|30px|border]] '''[[高松市]]'''
|1999年(平成11年)4月1日
|県庁所在地
|-
|[[愛媛県]]
|{{Display none|38201}}[[ファイル:Flag of Matsuyama, Ehime.svg|30px|border]] '''[[松山市]]'''
|2000年(平成12年)4月1日
|県庁所在地
|-
|[[高知県]]
|{{Display none|39201}}[[ファイル:Flag of Kochi, Kochi.svg|30px|border]] '''[[高知市]]'''
|1998年(平成10年)4月1日
|県庁所在地
|-
|rowspan="7" style="text-align:center;"|[[九州|九州・沖縄地方]]
|[[福岡県]]
|{{Display none|40203}}[[ファイル:Flag of Kurume, Fukuoka.svg|30px|border]] '''[[久留米市]]'''
|2008年(平成20年)4月1日
|2008年3月31日まで特例市。
|-
|rowspan="2" |[[長崎県]]
|{{Display none|42201}}[[ファイル:Flag of Nagasaki, Nagasaki.svg|30px|border]] '''[[長崎市]]'''
|1997年(平成{{0}}9年)4月1日
|県庁所在地
|-
|{{Display none|42202}}[[ファイル:Flag of Sasebo, Nagasaki.svg|30px|border]] '''[[佐世保市]]'''
|2016年(平成28年)4月1日
|2016年3月31日まで施行時特例市。
|-
|[[大分県]]
|{{Display none|44201}}[[ファイル:Flag of Oita, Oita.svg|30px|border]] '''[[大分市]]'''
|1997年(平成{{0}}9年)4月1日
|県庁所在地
|-
|[[宮崎県]]
|{{Display none|45201}}[[ファイル:Flag of Miyazaki, Miyazaki.svg|30px|border]] '''[[宮崎市]]'''
|1998年(平成10年)4月1日
|県庁所在地
|-
|[[鹿児島県]]
|{{Display none|46201}}[[ファイル:Flag of Kagoshima, Kagoshima.svg|30px|border]] '''[[鹿児島市]]'''
|1996年(平成{{0}}8年)4月1日
|県庁所在地
|-
|[[沖縄県]]
|{{Display none|47201}}[[ファイル:Flag of Naha, Okinawa.svg|30px|border]] '''[[那覇市]]'''
|[[2013年]](平成25年)4月1日
|県庁所在地
|}
=== 現在移行を検討している市 ===
2022年4月現在、中核市への移行を検討している候補市は以下の12市である<ref>[https://www.chuukakushi.gr.jp/introduction/ 中核市市長会ウェブサイト]</ref>。
* [[File:Flag of Tsukuba, Ibaraki.svg|30px|border]] [[茨城県]][[つくば市]]
* [[File:Flag of Tokorozawa, Saitama.svg|30px|border]] [[埼玉県]][[所沢市]]
* [[File:Flag of Kasukabe, Saitama.svg|30px|border]] 埼玉県[[春日部市]]
* [[File:Flag of Soka, Saitama.svg|30px|border]] 埼玉県[[草加市]]
* [[File:Flag of Ichikawa, Chiba.svg|30px|border]] [[千葉県]][[市川市]]
* [[File:Flag of Machida, Tokyo.svg|30px|border]] [[東京都]][[町田市]]
* [[File:Flag of Fujisawa, Kanagawa.svg|30px|border]] [[神奈川県]][[藤沢市]]
* [[File:Flag of Fuji, Shizuoka.svg|30px|border]] [[静岡県]][[富士市]]
* [[File:Flag of Kasugai, Aichi.svg|30px|border]] [[愛知県]][[春日井市]]
* [[File:Flag of Tsu, Mie.svg|30px|border]] [[三重県]][[津市]]
* [[File:Flag of Yokkaichi, Mie.svg|30px|border]] 三重県[[四日市市]]
* [[File:Flag of Saga, Saga.svg|30px|border]] [[佐賀県]][[佐賀市]]
=== かつて指定されていた市 ===
{| class="wikitable sortable" style="text-align:left; font-size:95%;"
|-
!class="unsortable"|{{Nowrap|[[都道府県]]}}
!かつての中核市<br/>
!指定日<br/>
!指定解除日<br/>
!解除理由<br/>
|-
|rowspan="2"|[[静岡県]]
|[[File:Flag of Shizuoka, Shizuoka (1914–2003).svg|30px|border]] 旧[[静岡市#旧静岡市|静岡市]]
|1996年(平成8年)4月1日
|2003年(平成15年)4月1日
|[[清水市]]との新設合併により廃止{{Refnest|group="注"|旧静岡市は中核市が廃止された初めてのケース}}
|-
|[[ファイル:Flag of Shizuoka, Shizuoka.svg|30px|border]] [[静岡市]]
|2003年(平成15年)4月1日
|2005年(平成17年)4月1日
|政令指定都市へ移行
|-
|[[大阪府]]
|[[ファイル:Flag of Sakai, Osaka.svg|30px|border]] [[堺市]]
|1996年(平成8年)4月1日
|2006年(平成18年)4月1日
|政令指定都市へ移行
|-
|[[新潟県]]
|[[ファイル:Flag of Niigata, Niigata.svg|30px|border]] [[新潟市]]
|1996年(平成8年)4月1日
|2007年(平成19年)4月1日
|政令指定都市へ移行
|-
|静岡県
|[[ファイル:Flag of Hamamatsu, Shizuoka.svg|30px|border]] [[浜松市]]
|1996年(平成8年)4月1日
|2007年(平成19年)4月1日
|政令指定都市へ移行
|-
|[[岡山県]]
|[[ファイル:Flag of Okayama, Okayama.svg|30px|border]] [[岡山市]]
|1996年(平成8年)4月1日
|2009年(平成21年)4月1日
|政令指定都市へ移行
|-
|[[神奈川県]]
|[[ファイル:Flag of Sagamihara, Kanagawa.svg|30px|border]] [[相模原市]]
|2003年(平成15年)4月1日
|2010年(平成22年)4月1日
|政令指定都市へ移行
|-
|[[熊本県]]
|[[ファイル:Flag of Kumamoto, Kumamoto.svg|30px|border]] [[熊本市]]
|1996年(平成8年)4月1日
|2012年(平成24年)4月1日
|政令指定都市へ移行
|}
== 移譲される事務 ==
[[地方自治法]]<ref name="法令-地方自治法">{{Cite web|和書| url=https://elaws.e-gov.go.jp/document?lawid=322AC0000000067 | title=地方自治法 | accessdate=2009年2月28日 | work=e-Gov法令検索 | publisher=総務省行政管理局 }}</ref>第252条の22(第2編 普通地方公共団体 第12章大都市等に関する特例 第2節 中核市に関する特例)で、中核市は「指定都市が処理することができる事務のうち、[[都道府県]]がその区域にわたり一体的に処理することが中核市が処理することに比して効率的な事務その他の中核市において処理することが適当でない事務以外の事務で'''政令'''で定めるものを、政令で定めるところにより、処理することができる。」と定義され、具体的な定めは政令に委ねられている。
行政分野ごとに個別にみると、中核市は'''[[保健所]]を設置して保健衛生行政を担当するほか、民生行政・環境保全・都市計画・[[文化財]]の保護などの行政分野について、政令指定都市に準じた事務の範囲を都道府県から移譲されており'''、これらの事務処理を行使するために必要な財源として、'''[[地方交付税]]が増額される'''。もっとも、事務処理への都道府県の関与について政令指定都市においては'''都道府県知事'''や'''都道府県の委員会'''の
: a.'''処分'''(許可、認可、承認等)を要すると法令で定めている事項のうちから、政令により、その処分を不要とするか、代わりに各大臣の処分を要するものとする、
: b.'''命令'''を受けると法令で定めている事項のうちから、政令により、その命令に関する法令の規定を適用外とするか、代わりに各大臣の命令を受けるものとする、
ことになっている(第252条の19第2項)が、中核市に関しては、'''処分'''についてa.に相当する特例規定は無く、'''命令'''についてはb.に類似する特例規定はあるが、委員会の命令は対象とならない([[s:地方自治法 第二編 普通地方公共団体 第十二章 大都市等に関する特例#252の22|第252条の22]]第2項、地方自治法施行令<ref name="法令-施行令">{{Cite web|和書|url=https://elaws.e-gov.go.jp/document?lawid=322CO0000000016 |title=地方自治法施行令 |accessdate=2008年10月15日 |work=e-Gov法令検索 |publisher=総務省行政管理局}}</ref>第2編第8章)。
関与の特例が行政分野の大半に及ぶ政令指定都市と異なり、中核市における関与の特例は、福祉に関する事務のみに限定されている<ref name="総務省-制度配付資料">{{Cite web|和書|url=http://www.soumu.go.jp/singi/pdf/No28_senmon_14_1.pdf |title=大都市に関する制度について |accessdate=2009-02-06 |date=2005年1月17日 |format=PDF |work=総務省第28次地方制度調査会第14回専門小委員会 |publisher=総務省 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20050529115324/http://www.soumu.go.jp/singi/pdf/No28_senmon_14_1.pdf |archivedate=2005-05-29 |deadlinkdate=2018-11-15}}</ref>。
このようなことから中核市の権限は、都道府県並みあるいは都道府県と同等とされ[[行政区]]設置等の特例もある政令指定都市と比較すると小さい。
中核市に移譲される事務は、すべて列挙すれば1800件程度にのぼるため、ここでは'''主要な事務のみを抜粋'''して掲載する。なお、ここに掲げるのはあくまでも標準的な中核市の例であり、都道府県が独自の条例を制定して、更に多くの事務権限を移譲することも可能である。
{| class="wikitable"
!width="18%"|事務
!width="40%"|中核市が移譲される事務
!width="40%"|指定都市との違い<span style="font-size: smaller;">(指定都市に認められ、中核市に認められない事務)</span>
|- style="vertical-align:top"
|'''民生行政に関する事務'''
<span style="font-size: smaller;">社会福祉に関する事務。児童相談所の設置以外、政令市とほぼ同様の権限</span>
|
*<span style="font-size: smaller;">[[地方社会福祉審議会]]の設置・運営([[社会福祉法]]関係)</span>
*<span style="font-size: smaller;">[[社会福祉施設]]([[保育園]]・[[特別養護老人ホーム]]など)の設立認可・指導監査</span>
*<span style="font-size: smaller;">[[民生委員]]の定数決定、指導訓練等([[民生委員法]]関係)</span>
*<span style="font-size: smaller;">[[身体障害者手帳]]の交付([[身体障害者福祉法]]関係)</span>
*<span style="font-size: smaller;">母子・父子自立相談員の設置・[[寡婦]]福祉資金の貸付け([[母子及び父子並びに寡婦福祉法]]関係)</span>
|
<span style="font-size: smaller;">左記の中核市の権限に加えて、</span>
*<span style="font-size: smaller;">[[児童相談所]]の設置(2006年4月から、'''中核市'''にも設置できるようになった)</span>
:<span style="font-size: smaller;">ただし例外あり。従来は都道府県及び政令指定都市のみに設置義務があったが、[[児童福祉法]]の改正によって、[[2006年]]4月より中核市でも設置が可能になった。[[金沢市]]、[[横須賀市]]等で開設実績がある。</span>
|- style="vertical-align:top"
|'''保健衛生行政に関する事務'''
<span style="font-size: smaller;">保健所を自ら設置。指定都市とほぼ同様の権限</span>
|
*<span style="font-size: smaller;">[[保健所]]の設置を通じて、次の事務を行う</span>
**<span style="font-size: smaller;">[[伝染病]]・[[結核]]・[[後天性免疫不全症候群|エイズ]]等の予防のための措置([[感染症の予防及び感染症の患者に対する医療に関する法律]]関係)</span>
**<span style="font-size: smaller;">[[飲食店]]、[[興行場]]、[[旅館]]、[[公衆浴場]]の営業許可([[食品衛生法]]、[[旅館業法]]、[[興行場法]]、[[公衆浴場法]]関係)</span>
**<span style="font-size: smaller;">専門的な栄養指導、特定給食施設への指導・助言([[健康増進法]]関係)</span>
**<span style="font-size: smaller;">[[墓地]]、[[納骨堂]]又は[[火葬場]]の経営の許可([[墓地、埋葬等に関する法律]]関係)</span>
**<span style="font-size: smaller;">[[診療所]]、[[助産所]]の開設許可([[医療法]]関係)</span>
**<span style="font-size: smaller;">[[動物愛護]]や管理に関する事務([[動物の愛護及び管理に関する法律]]、[[狂犬病予防法]]関係)</span>
**<span style="font-size: smaller;">[[浄化槽]]の保守点検業の登録([[浄化槽法]]関係)</span>
|
<span style="font-size: smaller;">指定都市もほぼ同様</span>
|- style="vertical-align:top"
|'''都市計画に関する事務'''
<span style="font-size: smaller;">都市景観の保全などを除き、都道府県の一定の関与が残る。指定都市は、都市計画の決定の自由度がより高いほか、市内の国道・都道府県道を自ら管理する。</span>
|
*<span style="font-size: smaller;">[[屋外広告物]]の[[条例]]による設置の制限([[景観法]]関係)</span>
*<span style="font-size: smaller;">[[市街化区域]]又は[[市街化調整区域]]内の[[開発行為]]の許可([[都市計画法]]関係)</span>
*<span style="font-size: smaller;">[[都市計画施設]]又は[[市街地開発事業]]の区域内における建築の許可</span>
*<span style="font-size: smaller;">[[土地区画整理組合]]の設立認可</span>
*<span style="font-size: smaller;">[[高齢者]]、[[身体障害者]]等が円滑に利用できる特定建築物の建築及び維持保全計画の認定([[建築基準法]]関係)</span>
|
<span style="font-size: smaller;">左記の中核市の権限に加えて、</span>
*<span style="font-size: smaller;">[[国道]]・[[都道府県道]]の管理([[道路法]]関係)</span>
*<span style="font-size: smaller;">[[都道府県道]]、[[産廃施設]]、[[流通業務団地]]等に関する都市計画決定([[都市計画法]]関係)</span>
*<span style="font-size: smaller;">[[市街地開発事業]]に関する都市計画決定</span>
|- style="vertical-align:top"
|'''環境保全行政に関する事務'''
<span style="font-size: smaller;">環境の保全に関する事務。政令市とほぼ同様の権限</span>
|
*<span style="font-size: smaller;">[[騒音]]、[[悪臭]]、[[振動]]の規制地域・規制基準の設定([[悪臭防止法]]・[[振動規制法]]・[[騒音規制法]]関係)</span>
*<span style="font-size: smaller;">[[産業廃棄物処理施設]]の許可・監督([[産業廃棄物処理法]]関係)</span>
*<span style="font-size: smaller;">[[水質]]の保全(特定施設の設置の届出等の受理、監視等)([[水質汚濁防止法]]関係)</span>
*<span style="font-size: smaller;">[[ばい煙]]発生施設、[[粉じん]]発生施設の設置の届け出</span>
|
<span style="font-size: smaller;">指定都市もほぼ同様</span>
|- style="vertical-align:top"
|'''地方教育行政に関する事務'''
<span style="font-size: smaller;">中核市は、教職員の研修を行う権限を持つ。指定都市はこれに加え、教職員の人事権も持つ。</span>
|
*<span style="font-size: smaller;">[[県費負担教職員]]の研修([[地方教育行政法]]関係)</span>
:<span style="font-size: smaller;">中核市には、教職員の研修実施の権限のみがあり、人事権はない。ただし、[[中核市市長会]]から「研修権限のみでは成果を得にくい」との要望が出ており、[[文部科学省]]では、中核市にも人事権を移譲する検討を進めている。[[#権限のさらなる移譲]]も参照<ref>[[読売新聞]]2007年5月2日付</ref>。</span>
*<span style="font-size: smaller;">[[重要文化財]]に関する現状変更の許可([[文化財保護法]]関係)</span>
|
<span style="font-size: smaller;">左記の中核市の事務に加えて、</span>
*<span style="font-size: smaller;">県費負担教職員の人事権、給与の決定および支払、定数の決定</span>
*<span style="font-size: smaller;">学級編制基準の設定</span>
|- style="vertical-align:top"
|'''行政組織上の特例'''
|
<span style="font-size: smaller;">原則として特例なし。</span>
|
*<span style="font-size: smaller;">[[行政区]]の設置</span>
:<span style="font-size: smaller;">政令指定都市は行政単位としての[[政令指定都市#組織|区]]を設置することができる。[[平成の大合併]]で誕生した中核市の中には、[[合併特例区]]が設けられることがあるが、[[市町村の合併の特例等に関する法律|旧・合併特例法]]に基づく時限措置で、政令指定都市の区とは性格を異にする。{{Main|合併特例区|市町村の合併の特例等に関する法律#合併特例区の創設}}</span>
:<span style="font-size: smaller;">同様に、[[地域自治区]]を設ける中核市があるが、これには法人格がなく存続期間は定められておらず、やはり、政令指定都市の区とは性格を異にする。{{Main|地域自治区}}</span>
:<span style="font-size: smaller;">なお、中核都市であることが[[合併特例区]]を設ける要件ではなく、[[市町村の合併の特例等に関する法律|旧・合併特例法]]の要件を満たす市区町村であれば設けることができる。同様に[[地域自治区]]も[[地方自治法]]あるいは旧・合併特例法の要件を満たす市区町村であれば、設けることができる。</span>
:<span style="font-size: smaller;">また、[[兵庫県]][[姫路市]](中核市)のように、編入した市町村の町名を区別するために、地名として「区」を表記する場合がある<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.city.himeji.lg.jp/info/profile/various.html |title=姫路市の「区」 |accessdate=2011年7月4日 |date=2002年9月17日 |work=姫路の雑学 |publisher=姫路市}}</ref>。</span>
|- style="vertical-align:top"
|'''財政上の権限・その他'''
|
*<span style="font-size: smaller;">計量法に基づく勧告、定期検査等([[計量法]]関係)</span>
*<span style="font-size: smaller;">地方交付税の増額補正</span>
:<span style="font-size: smaller;">増加した行政需要に対応するため、地方交付税の計算が、一般の市とは異なった算定式で計算される(増額)。</span>
*<span style="font-size: smaller;">一部につき関与の特例</span>
:<span style="font-size: smaller;">関与の特例は原則としてない。ただし、中核市として移譲された[[民生行政]]関連事務については、通常[[都道府県知事]]の監督を受ける事務でも、直接[[主任の大臣]](国)の監督となる。</span>
|<span style="font-size: smaller;">
<span style="font-size: smaller;">左記の中核市の権限に加えて、</span>
*<span style="font-size: smaller;">都道府県と同じ財政上の権限</span>
:<span style="font-size: smaller;">[[宝くじ]]の発行が可能になるほか、[[道路特定財源]]、[[軽油引取税]]の交付を受けられる。また[[地方交付税]]ないし[[地方譲与税]]が、指定都市専用の算定式で計算されるため、増額される。[[地方債]]を発行する際の協議先が、都道府県知事ではなく[[総務大臣]]へ変わる。</span>
<span style="font-size: smaller;">政令指定都市として移譲された所管の事務については、都道府県知事の監督が外れ、都道府県を通さずに直接国と接触できるようになる。</span>
|}
=== 権限のさらなる移譲 ===
中核市に現行で移譲されている権限は不十分で、さらなる権限委譲を実施すべきだとする主張もある{{Refnest|group="注"|中核市市長会が自ら主張する事項の一例<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.chuukakushi.gr.jp/decentralization/request25/index.html |title=地方分権改革推進委員会の第1次勧告における県費負担教職員の人事権移譲の着実な実施を求める要望書 |accessdate=2008-07-08 |date=2008-06-13 |publisher=中核市市長会 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20121124122716/http://www.chuukakushi.gr.jp/decentralization/request25/index.html |archivedate=2012-11-24 |deadlinkdate=2018-11-15}}</ref>。}}。
こうした指摘のうち、最も議論が盛んなのは、[[県費負担教職員]](公立小中学校の教職員など)の人事権に関する問題である。現行の制度では、中核市には教職員の研修実施権限があるのみで、人事権は[[都道府県]]に留保されている。これに対して中核市側は、「研修実施権限のみ認められても、人事権がなければ成果を得にくい」として、人事権も移譲するよう求めている。都道府県側は、教職員採用希望者の都市部への集中を懸念して慎重な姿勢を示しているものの、[[文部科学省]]は人事権移譲に比較的前向きで{{Refnest|group="注"|「県費負担教職員の人事権等の在り方に関する協議会」において文部科学省事務当局が自ら発言したもの<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chousa/shotou/051/shiryo/attach/1365952.htm |title=資料3 県費負担教職員の人事権等に関する経緯 |accessdate=2008-07-08 |date=2008-05-12 |work=県費負担教職員の人事権等の在り方に関する協議会 |publisher=文部科学省}}</ref>。}}、実際に人事権を委譲した場合、どのような影響があるかを具体的に検討する方向で調整している。さらに、北海道を中心に盛り上がっている議論としては、「広域中核市制度」がある。これは30万人以上という人口要件を外し、政令市と同じ機能を持たせる制度。実現すれば県の業務は縮小し、市町村合併を加速させる効果がある。
== 中核市たる要件 ==
# [[法定人口|人口]]が20万以上であること。
:中核市は、関係市からの申出に基づき、[[日本の地方議会|市議会]]及び[[日本の地方議会|都道府県議会]]の議決を経て、政令で指定される。
※かつての指定要件については、[表示]タブで表示。
<div class="NavFrame" style="clear: both; border:0;">
<div class="NavHead" style="text-align: left;">かつての中核市指定要件</div>
<div class="NavContent" style="text-align: left;">
;[[1995年]](平成7年)[[4月1日]]時点(制度発足時)
# 人口が30万以上であること
# 面積が100 [[平方キロメートル|km<sup>2</sup>]]以上であること
# 人口が30万以上50万未満の場合、[[昼間人口]]が[[人口#その他の用法|夜間人口]](常住人口)より多いこと
* 人口要件について - 行政需要のまとまりと行財政能力を確保するため、[[保健所政令市|保健所設置市]]とされる中核市の規模を保健所設置市の基準と合致させるため、制度発足の契機となった[[全国市長会]]からの提言が「人口30万以上の都市に権限を委譲すること」だったため
* 面積要件について - 行政需要のまとまりを当時の政令指定都市に準ずる規模で確保するため
* 昼夜間人口比について - 周辺市町村の中核的な都市であることを確認するため
;[[2000年]](平成12年)4月1日以降 (昼夜間人口比に関する要件の廃止)
# 人口が30万以上であること
# 面積が100 km<sup>2</sup>以上であること
* 地方分権推進委員会の勧告があり、また人口と面積の要件のみで充分な諸機能・行政需要・規模能力があるものと見なせるとされたため、昼夜間人口比の要件は廃止された。
;[[2002年]](平成14年)4月1日以降 (人口50万以上の都市における面積に関する要件の廃止)
# 人口が30万以上であること
# 人口が30万以上50万未満である場合は、面積が100 km<sup>2</sup>以上であること
* 第26次地方制度調査会答申において、行政需要・行財政能力・都道府県の行政サービスの効率性勘案の上で、権限委譲推進の観点から人口50万人以上の都市の面積要件の撤廃が盛り込まれ、これが実行された。
* 人口30万以上50万未満で面積100 km<sup>2</sup>未満の都市が大都市圏に多数集中しており、これらを全て中核市とすると保健行政をはじめとする当該府県の行政効率性に重大な影響があるとの観点から、人口50万未満の都市について面積要件は残存した。
;[[2006年]](平成18年)[[6月7日]]以降 (面積に関する要件の廃止)
# 人口が30万人以上であること
* 第28次地方制度審議会の結果、2005年(平成17年)[[12月9日]]の答申で「市町村合併の進展の結果基礎自治体の規模・能力は拡充され、基礎自治体を中心とする行政の展開を図ることが求められていること、既に37都市が中核市に指定されているが都道府県行政との関係で特段の問題が起きていないことを踏まえ、面積要件については廃止することが適当」とされ、これが実行された。
</div></div>
=== 要件を満たすが現時点で指定予定のない市 ===
人口20万人以上であるが、中核市ではない市の一覧(※は施行時特例市)。現時点で人口20万人未満の施行時特例市と、検討に入っているものの指定時期が未定の市も含む。指定予定が決まっている市は、[[中核市#現在移行を検討している市]]を参照。
* [[File:Flag of Tsukuba, Ibaraki.svg|30px|border]] 茨城県[[つくば市]]※ - [[土浦市]]との合併により中核市移行を目指す意向。既に両市の市幹部や実務者レベルの勉強会が開催され、2014年11月にアンケートを実施した<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.chuukakushi.gr.jp/topics/2015112600015/ |title=つくば市が中核市候補市として中核市市長会へ加入しました |accessdate=2016-10-20 |date=2015-12-01 |publisher=中核市市長会}}</ref>。
* [[ファイル:Flag of Isesaki, Gunma.svg|30px|border]] [[群馬県]][[伊勢崎市]]※
* [[ファイル:Flag of Ota, Gunma.svg|30px|border]] 群馬県[[太田市]]※
* [[ファイル:Flag of Kumagaya, Saitama.svg|30px|border]] [[埼玉県]][[熊谷市]]※ - 施行時特例市の特例期限中における中核市移行は見送る方針<ref>平成28年5月1日発行 くまがや市議会だより第43号 9頁(平成30年4月1日閲覧)</ref>。
* [[ファイル:Flag of Tokorozawa, Saitama.svg|30px|border]] 埼玉県[[所沢市]]※ - 将来的な移行を検討。
* [[ファイル:Flag of Kasukabe, Saitama.svg|30px|border]] 埼玉県[[春日部市]]※
* [[ファイル:Flag of Ageo, Saitama.svg|30px|border]] 埼玉県[[上尾市]]
* [[ファイル:Flag of Soka, Saitama.svg|30px|border]] 埼玉県[[草加市]]※
* [[ファイル:Flag of Ichikawa, Chiba.svg|30px|border]] [[千葉県]][[市川市]] - 2020年頃より、移行を検討しはじめる。
* [[ファイル:Flag of Matsudo, Chiba.svg|30px|border]] 千葉県[[松戸市]]
* [[ファイル:Flag of Nagareyama, Chiba.svg|30px|border]] 千葉県[[流山市]] (2020年に人口20万人を突破している)
* [[ファイル:Flag of Yachiyo, Chiba.svg|30px|border]] 千葉県[[八千代市]] (2020年に人口20万人を突破している)
* [[ファイル:Flag of Ichihara, Chiba.svg|30px|border]] 千葉県[[市原市]]
* [[ファイル:Flag of Fuchu, Tokyo.svg|30px|border]] [[東京都]][[府中市 (東京都)|府中市]]
* [[ファイル:Flag of Chofu, Tokyo.svg|30px|border]] 東京都[[調布市]]
* [[ファイル:Flag of Machida, Tokyo.svg|30px|border]] 東京都[[町田市]]
* [[ファイル:Flag of Nishitokyo, Tokyo.svg|30px|border]] 東京都[[西東京市]]
* [[ファイル:Flag of Hiratsuka, Kanagawa.svg|30px|border]] [[神奈川県]][[平塚市]]※
* [[ファイル:Flag of Fujisawa, Kanagawa.svg|30px|border]] 神奈川県[[藤沢市]]<ref>{{cite news|url=http://news.kanaloco.jp/localnews/article/1206030002/|title=藤沢が中核市目指す、人口増背景に市民サービス向上狙う/神奈川|newspaper=カナロコ|date=2012-06-03|accessdate=2012-06-03|archiveurl=https://web.archive.org/web/20121030143822/http://news.kanaloco.jp/localnews/article/1206030002/|archivedate=2012-10-30}}</ref>
* [[ファイル:Flag of Atsugi, Kanagawa.svg|30px|border]] 神奈川県[[厚木市]]※
* [[ファイル:Flag of Yamato, Kanagawa.svg|30px|border]] 神奈川県[[大和市]]※
*[[ファイル:Flag of Odawara, Kanagawa.svg|30px|border]] 神奈川県[[小田原市]]※ - 2018年に財政面から断念<ref name="chigasaki">{{Cite news |title=中核市移行へ温度差 特例市廃止で県内5市 |date=2015年5月11日 |newspaper=神奈川新聞 |url=http://www.kanaloco.jp/sp/article/95439/2/}}</ref>。
* [[ファイル:Flag of Nagaoka, Niigata.svg|30px|border]] [[新潟県]][[長岡市]]※
* [[ファイル:Flag of Joetsu, Niigata.svg|30px|border]] 新潟県[[上越市]]※ - 2017年、財政的に困難であることから中核市移行を見送った。
* [[ファイル:Flag of Numazu, Shizuoka.svg|30px|border]] [[静岡県]][[沼津市]]※
* [[ファイル:Flag of Fuji, Shizuoka.svg|30px|border]] 静岡県[[富士市]]※ - 移行の検討を継続。
*[[ファイル:Flag of Kasugai, Aichi.svg|30px|border]] 愛知県[[春日井市]]※ -2022年度より中核市への移行を前提に具体的な検証を開始。
* [[ファイル:Flag of Tsu, Mie.svg|30px|border]] [[三重県]][[津市]]
* [[ファイル:Flag of Yokkaichi, Mie.svg|30px|border]] 三重県[[四日市市]]※ - 2020年度の中核市移行を検討。
*[[ファイル:Flag of Kishiwada, Osaka.svg|30px|border]] 大阪府[[岸和田市]]※ - 中核市関連条例案を否決し、移行が困難となった。
* [[ファイル:Flag of Ibaraki, Osaka.svg|30px|border]] 大阪府[[茨木市]]※
* [[ファイル:Flag of Kakogawa, Hyogo.svg|30px|border]] 兵庫県[[加古川市]]※
* [[ファイル:Flag of Takarazuka, Hyogo.svg|30px|border]] 兵庫県[[宝塚市]]※
* [[ファイル:Flag of Tokushima, Tokushima.svg|30px|border]] [[徳島県]][[徳島市]] - 地方自治法改正による人口要件緩和により、指定を目指すことを表明<ref>{{cite news|url=http://www.asahi.com/articles/ASH32574BH32PUTB005.html|title=徳島市、単独で中核市移行目指す 所信表明で市長|newspaper=朝日新聞|date=2015-03-03|accessdate=2015-03-21|archiveurl=https://web.archive.org/web/20150402113858/http://www.asahi.com/articles/ASH32574BH32PUTB005.html|archivedate=2015-04-02}}</ref>。
* [[ファイル:Flag of Saga, Saga.svg|30px|border]] [[佐賀県]][[佐賀市]]※
==人口順位==
* [[推計人口]]による順位などは、各項目名にあるボタンを[[クリック (マウス)|クリック]]することで得られる。
* 人口の単位は「人」。
{|
|-
|style="vertical-align:top;"|
{|class="wikitable sortable" style="font-size:90%;"
!順<br/>位<br/>!!都道<br/>府県<br/>!!市!!法定人口<br/>(人)!!推計人口<br/>(人)!!増減率<br/>(%)!!種別<br/>!!推計人口の<br/>統計年月日
{{citypop|1|千葉県|船橋市|642907|中核市}}
{{citypop|2|埼玉県|川口市|594274|中核市}}
{{citypop|3|鹿児島県|鹿児島市|593128|中核市}}
{{citypop|4|東京都|八王子市|579355|中核市}}
{{citypop|5|兵庫県|姫路市|530495|中核市}}
{{citypop|6|栃木県|宇都宮市|518757|中核市}}
{{citypop|7|愛媛県|松山市|511192|中核市}}
{{citypop|8|大阪府|東大阪市|493940|中核市}}
{{citypop|9|兵庫県|西宮市|485587|中核市}}
{{citypop|10|大分県|大分市|475614|中核市}}
{{citypop|11|岡山県|倉敷市|474592|中核市}}
{{citypop|12|石川県|金沢市|463254|中核市}}
{{citypop|13|広島県|福山市|460930|中核市}}
{{citypop|14|兵庫県|尼崎市|459593|中核市}}
{{citypop|15|千葉県|柏市|426468|中核市}}
{{citypop|16|愛知県|豊田市|422330|中核市}}
{{citypop|17|香川県|高松市|417496|中核市}}
{{citypop|18|富山県|富山市|413938|中核市}}
{{citypop|19|長崎県|長崎市|409118|中核市}}
{{citypop|20|岐阜県|岐阜市|402557|中核市}}
{{citypop|21|大阪府|豊中市|401558|中核市}}
{{citypop|22|宮崎県|宮崎市|401339|中核市}}
{{citypop|23|大阪府|枚方市|397289|中核市}}
{{citypop|24|神奈川県|横須賀市|388078|中核市}}
{{citypop|25|大阪府|吹田市|385567|中核市}}
{{citypop|26|愛知県|岡崎市|384654|中核市}}
{{citypop|27|愛知県|一宮市|380073|中核市}}
{{citypop|28|群馬県|高崎市|372973|中核市}}
{{citypop|29|長野県|長野市|372760|中核市}}
{{citypop|30|愛知県|豊橋市|371920|中核市}}
{{citypop|31|和歌山県|和歌山市|356729|中核市}}
{{citypop|32|奈良県|奈良市|354630|中核市}}
{{citypop|33|埼玉県|川越市|354571|中核市}}
{{citypop|34|大阪府|高槻市|352698|中核市}}
{{citypop|35|滋賀県|大津市|345070|中核市}}
{{citypop|36|埼玉県|越谷市|341621|中核市}}
{{citypop|37|福島県|いわき市|332931|中核市}}
{{citypop|38|群馬県|前橋市|332149|中核市}}
{{citypop|39|北海道|旭川市|329306|中核市}}
{{citypop|40|福島県|郡山市|327692|中核市}}
{{citypop|41|高知県|高知市|326545|中核市}}
{{citypop|42|沖縄県|那覇市|317625|中核市}}
{{citypop|43|秋田県|秋田市|307672|中核市}}
{{citypop|44|兵庫県|明石市|303601|中核市}}
{{citypop|45|福岡県|久留米市|303316|中核市}}
{{citypop|46|岩手県|盛岡市|289731|中核市}}
{{citypop|47|福島県|福島市|282693|中核市}}
{{citypop|48|青森県|青森市|275192|中核市}}
{{citypop|49|茨城県|水戸市|270685|中核市}}
{{citypop|50|大阪府|八尾市|264642|中核市}}
{{citypop|51|福井県|福井市|262328|中核市}}
{{citypop|52|山口県|下関市|255051|中核市}}
{{citypop|53|北海道|函館市|251084|中核市}}
{{citypop|54|山形県|山形市|247590|中核市}}
{{citypop|55|長崎県|佐世保市|243223|中核市}}
{{citypop|56|長野県|松本市|241145|中核市}}
{{citypop|57|大阪府|寝屋川市|229733|中核市}}
{{citypop|58|青森県|八戸市|223415|中核市}}
{{citypop|59|広島県|呉市|214592|中核市}}
{{citypop|60|島根県|松江市|203616|中核市}}
{{citypop|61|山梨県|甲府市|189591|中核市}}
{{citypop|62|鳥取県|鳥取市|188465|中核市}}
|}
|}
==将来推計人口==
2015年(平成27年)国勢調査の結果をもとにした[[国立社会保障・人口問題研究所]]による30年後(2045年)の推計
* 人口の単位は「人」。
{| class="wikitable sortable"
!順
位
!都道
府県
!市
!2045年
推計人口
!2020年
法定人口
|-
|1
|[[千葉県]]
|[[船橋市]]
|603287
|642,907
|-
|2
|[[埼玉県]]
|[[川口市]]
|587179
|594,274
|-
|3
|[[鹿児島県]]
|[[鹿児島市]]
|504424
|593,128
|-
|4
|[[東京都]]
|[[八王子市]]
|484514
|579,355
|-
|5
|[[兵庫県]]
|[[姫路市]]
|461967
|530,495
|-
|6
|[[栃木県]]
|[[宇都宮市]]
|481029
|518,757
|-
|7
|[[愛媛県]]
|[[松山市]]
|439316
|511,192
|-
|8
|[[大阪府]]
|[[東大阪市]]
|394168
|493,940
|-
|9
|[[兵庫県]]
|[[西宮市]]
|441478
|485,587
|-
|10
|[[大分県]]
|[[大分市]]
|434166
|475,614
|-
|11
|[[岡山県]]
|[[倉敷市]]
|432431
|474,592
|-
|12
|[[石川県]]
|[[金沢市]]
|429826
|463,254
|-
|13
|[[広島県]]
|[[福山市]]
|429585
|460,930
|-
|14
|[[兵庫県]]
|[[尼崎市]]
|376112
|459,593
|-
|15
|[[千葉県]]
|[[柏市]]
|406714
|426,468
|-
|16
|[[愛知県]]
|[[豊田市]]
|399672
|422,330
|-
|17
|[[香川県]]
|[[高松市]]
|378118
|417,496
|-
|18
|[[富山県]]
|[[富山市]]
|356918
|413,938
|-
|19
|[[長崎県]]
|[[長崎市]]
|311082
|409,118
|-
|20
|[[岐阜県]]
|[[岐阜市]]
|323816
|402,557
|-
|21
|[[大阪府]]
|[[豊中市]]
|375341
|401,558
|-
|22
|[[宮崎県]]
|[[宮崎市]]
|353770
|401,339
|-
|23
|[[大阪府]]
|[[枚方市]]
|314755
|397,289
|-
|24
|[[神奈川県]]
|[[横須賀市]]
|290983
|388,078
|-
|25
|[[大阪府]]
|[[吹田市]]
|365925
|385,567
|-
|26
|[[愛知県]]
|[[岡崎市]]
|378254
|384,654
|-
|27
|[[愛知県]]
|[[一宮市]]
|337017
|380,073
|-
|28
|[[群馬県]]
|[[高崎市]]
|325277
|372,973
|-
|29
|[[長野県]]
|[[長野市]]
|315629
|372,760
|-
|30
|[[愛知県]]
|[[豊橋市]]
|324226
|371,920
|-
|31
|[[和歌山県]]
|[[和歌山市]]
|296577
|356,729
|-
|32
|[[奈良県]]
|[[奈良市]]
|280190
|354,630
|-
|33
|[[埼玉県]]
|[[川越市]]
|339197
|354,571
|-
|34
|[[大阪府]]
|[[高槻市]]
|285153
|352,698
|-
|35
|[[滋賀県]]
|[[大津市]]
|313466
|345,070
|-
|36
|[[埼玉県]]
|[[越谷市]]
|336241
|341,621
|-
|37
|[[福島県]]
|[[いわき市]]
|
|332,931
|-
|38
|[[群馬県]]
|[[前橋市]]
|275661
|332,149
|-
|39
|[[北海道]]
|[[旭川市]]
|248360
|329,306
|-
|40
|[[福島県]]
|[[郡山市]]
|
|327,692
|-
|41
|[[高知県]]
|[[高知市]]
|271505
|326,545
|-
|42
|[[沖縄県]]
|[[那覇市]]
|300368
|317,625
|-
|43
|[[秋田県]]
|[[秋田市]]
|225923
|307,672
|-
|44
|[[兵庫県]]
|[[明石市]]
|261401
|303,601
|-
|45
|[[福岡県]]
|[[久留米市]]
|279130
|303,316
|-
|46
|[[岩手県]]
|[[盛岡市]]
|243694
|289,731
|-
|47
|[[福島県]]
|[[福島市]]
|
|282,693
|-
|48
|[[青森県]]
|[[青森市]]
|183528
|275,192
|-
|49
|[[茨城県]]
|[[水戸市]]
|239072
|270,685
|-
|50
|[[大阪府]]
|[[八尾市]]
|219128
|264,642
|-
|51
|[[福井県]]
|[[福井市]]
|234380
|262,328
|-
|52
|[[山口県]]
|[[下関市]]
|181656
|255,051
|-
|53
|[[北海道]]
|[[函館市]]
|162712
|251,084
|-
|54
|[[山形県]]
|[[山形市]]
|212197
|247,590
|-
|55
|[[長崎県]]
|[[佐世保市]]
|202094
|243,223
|-
|56
|[[長野県]]
|[[松本市]]
|215113
|241,145
|-
|57
|[[大阪府]]
|[[寝屋川市]]
|168335
|229,733
|-
|58
|[[青森県]]
|[[八戸市]]
|162127
|223,415
|-
|59
|[[広島県]]
|[[呉市]]
|149865
|214,592
|-
|60
|[[島根県]]
|[[松江市]]
|175485
|203,616
|-
|61
|[[山梨県]]
|[[甲府市]]
|146591
|189,591
|-
|62
|[[鳥取県]]
|[[鳥取市]]
|157404
|188,465
|}
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Notelist2}}
=== 出典 ===
{{Reflist|2}}
== 関連項目 ==
*[[中枢中核都市]]
*[[中核市市長会]]
*[[市]]
*[[特別区]]
*[[政令指定都市]]
*[[特例市]]
*[[保健所政令市]]
*[[計量特定市]]
*[[彩の国中核都市]]
== 外部リンク ==
{{Wikisourcecat|中核市}}
*[https://www.soumu.go.jp/cyukaku/ 中核市・施行時特例市] - [[総務省]]
*[https://www.soumu.go.jp/main_sosiki/singi/chihou_seido/singi.html 地方制度調査会] - 総務省
*[https://www.chuukakushi.gr.jp/ 中核市市長会](2005年[[11月10日]]に中核市連絡会から名称変更)
*{{Egov law|407CO0000000408|地方自治法第二百五十二条の二十二第一項の中核市の指定に関する政令(平成7年12月8日政令第408号)}}
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京阪本線
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京阪本線(けいはんほんせん)は、大阪府大阪市中央区の淀屋橋駅から京都府京都市東山区の三条駅までを結ぶ京阪電気鉄道の鉄道路線。
単なる「本線」という路線名ではなく社名略称を冠した「京阪本線」が正式な路線名である。京阪本線に接続する各路線(鴨東線・宇治線・交野線・中之島線)と併せて京阪線と総称される。また大津線とともに京阪電車とも呼称される。
大阪市のビジネス街にある淀屋橋駅から、大阪環状線との乗り換え駅である京橋駅、郊外のベッドタウンにある枚方市駅、京都市随一の繁華街である四条通に位置する祇園四条駅を経て、三条駅までを結ぶ都市間鉄道(インターアーバン)である。三条駅から京阪本線の実質的な延長路線である鴨東線に直通して出町柳駅まで至り、鴨東線とは一体的なダイヤ体系で運行されている。また、天満橋駅から分岐して大阪市北区のビジネス街である中之島地区を通る中之島線にも一部の列車が直通する。宇治線・交野線との直通運転は、かつては行われていたものの廃止されている。
大阪または京都への通勤・通学路線であるが、沿線には石清水八幡宮、伏見稲荷大社、清水寺、六波羅蜜寺、八坂神社、先斗町、祇園などの多数の観光名所や、枚方公園駅前には京阪のグループ会社運営の現存する日本最古の遊園地である「ひらかたパーク」(通称:ひらパー)、淀駅前には中央競馬開催地の京都競馬場などの娯楽施設があり、これらへの来訪客輸送を担う観光路線でもある。
路線名及び会社名は京都と大阪を結ぶ鉄道路線であることに由来している。同じく大阪と京都を結んでいるJR京都線(東海道本線)や阪急京都本線は大部分で淀川の北側(右岸)を通るのに対し、京阪本線は大部分で淀川の南側(左岸)を通り、それぞれ大阪側・京都側のターミナル位置が異なるため棲み分けがなされており、JRや阪急との直接的な競合は存在しない。また、大阪 - 京都間を直線的に結ぶJRや阪急に対し、京阪本線は京街道に沿って伏見宿、淀宿、枚方宿、守口宿といった江戸時代からの宿場街を縫うように結んでいることから、比較的細かな曲線が多く、路線距離が長い。乗車時間も長くなるが、大阪と京都の歴史的な都心を直結する利便性に加え、「ダブルデッカー」(2階建て車両)や有料座席指定特別車両「プレミアムカー」を連結する、居住性に優れた専用車両による特急を運行しており、「京阪特急」の愛称で親しまれている。
このほか、大阪側の野江駅 - 守口市駅間ではOsaka Metro谷町線と、京都側の中書島駅 - 東福寺駅間ではJR奈良線、近鉄京都線と並行している。
京阪本線は『鉄道要覧』では大阪の淀屋橋駅を起点として記載されているが、運行上の起点駅は京都の三条駅であり、京都から大阪に向かう列車が「下り」、その逆が「上り」となる(片町線や阪急京都本線も同様)。
大阪市内の淀屋橋駅 - 天満橋駅間と京都市内の七条駅 - 三条駅間は地下線となっている。東福寺駅 - 三条駅間は軌道法に基づく軌道となっていたが2013年12月20日許可で鉄道事業法に基づく鉄道に変更されている。また、天満橋駅 - 寝屋川信号所間の12.5kmは関西大手私鉄最長の複々線となっており、列車種別によって走行する線路を使い分けることによって列車本数が多いダイヤ設定を可能としている。
立体交差工事やバリアフリー対応の工事は比較的進んでいる。主な大規模工事として、1970年の天満橋駅 - 蒲生信号所間の複々線立体交差化に始まり、土居駅 - 寝屋川信号所間の複々線高架化が1982年に竣工し、既存の複々線とあわせて天満橋駅から12.5kmの複々線と淀屋橋駅 - 寝屋川信号所間14.1kmが立体交差化された。1987年には京都市内の地下線(東福寺駅 - 三条駅間)が完成し、この地下新駅から車イス対応エレベーターや多目的トイレが設置されている(「駅のバリアフリー対策」の節も参照)。
1993年に枚方市駅が、1999年に寝屋川市駅が、2011年に淀駅が高架化された。淀屋橋駅から寝屋川市の寝屋川6号踏切までの約15kmが立体交差化されている。2022年現在、寝屋川市駅 - 枚方市駅間で連続立体交差事業(鉄道高架橋新設工事)を施行している。2028年度以降に完了する予定である。
本節では、京阪本線と一体的な運用を行っている鴨東線についても記述する。
起点である淀屋橋駅はOsaka Metro御堂筋線と接続する地下駅で、付近は大阪市役所や中之島公会堂、中之島図書館があるなど大阪屈指の官庁街である。Osaka Metro堺筋線との接続駅で大阪取引所(旧・大阪証券取引所)最寄駅の北浜駅を過ぎると中之島線と合流し、Osaka Metro谷町線と接続する天満橋駅に着く。1963年の淀屋橋地下延長線開通までは天満橋駅が起点で、北寄りの地上駅跡にはOMMビルが建っている。駅のメインテナントは松坂屋であったが、現在は「京阪シティモール」となり、メインテナントとしてエディオンやジュンク堂書店が入居している。天満橋駅から複々線となって、地上に出て寝屋川を渡り、高架に上がると京橋駅に着く。京橋駅は大阪環状線・JR東西線・学研都市線との接続駅であり、周辺は1990年の大阪花の万博を機に大阪ビジネスパーク (OBP) など急激に再開発が進んだ地域の一つである。
京橋駅を過ぎると方向別複々線となって、内側2線を主に優等列車が、外側2線を主に普通列車が使用するため複々線区間の多くの駅には内側線にホームが設けられていない。大阪環状線をまたぎ、北にカーブしておおさか東線をくぐると野江駅、Osaka Metro今里筋線の接続駅である関目駅、阪神高速道路12号森小路線をくぐり森小路駅を過ぎるとダイエー発祥の地(現在は閉店)がある千林商店街のある千林駅、守口市に入って滝井駅、土居駅と800mほどの距離で3駅が密集する区間を通り、京阪百貨店がある守口市駅に着く。内側線にもホームがあり、快速急行停車駅ではあるが、平日朝ラッシュ時の下りはほとんどの優等列車が通過するのも特徴である。守口市駅までは直線が続いていたが、この駅を過ぎると徐々にカーブが増えていく。大手家電メーカーパナソニックの本社工場の最寄り駅である西三荘駅で門真市に入って一旦地上に降り、近畿自動車道・大阪中央環状線をくぐって大阪モノレールの接続駅である門真市駅を過ぎると再び高架を上がる。大阪府門真運転免許試験場の最寄り駅の古川橋駅、大和田駅を過ぎると寝屋川市に入り、萱島駅に到着する。内側線にもホームがあり、下りホームと屋根を突き抜けて生えているクスノキで知られる。複々線は事実上この駅までで、普通や区間急行を中心に始終着列車が多い。
萱島駅を過ぎると複々線の外側2線は高架を降りて寝屋川信号所につながる回送線となり、営業線は複線となる。程なく右手に寝屋川車庫・寝屋川車両工場が見え、寝屋川市駅を過ぎると高架を降り、成田山不動尊の最寄り駅で待避設備のある香里園駅に着く。枚方市に入り光善寺駅を過ぎて国道1号(枚方バイパス)をくぐり、右手にひらかたパークが見えると枚方公園駅を過ぎ、大きくカーブして高架に上がると特急停車駅で交野線と接続する枚方市駅に着く。枚方市駅を出ると地上に降りて、御殿山駅、牧野駅を過ぎると、左にカーブして急勾配を上がり、右に曲がる。架線方式がコンパウンドカテナリー式からシンプルカテナリー式に変わり、しばらく走れば京阪本線で大阪府内の最も東側にあり、くずはモールの最寄り駅で特急停車駅の樟葉駅に到着する。樟葉駅では京都府の八幡市や久御山町方面に向かう京阪バスが発着することもあり、京都府民の利用客が多いことや始発着列車が多いこと、周辺部は京阪電気鉄道が積極的に不動産事業を展開したことが特徴である。
樟葉駅から先は車窓が一変し、前方には山上に石清水八幡宮がある男山も見えてくる。京都府に入り橋本駅を過ぎると、減速しながら右にカーブして、石清水八幡宮の最寄り駅の石清水八幡宮駅に着く。石清水八幡宮へは参道を歩いて登るほか、隣接するケーブル八幡宮口駅からケーブルカー(石清水八幡宮参道ケーブル)も発着している。石清水八幡宮駅を過ぎると木津川を京阪最長の鉄橋で渡り、洛南浄化センター(京都府下最大の下水処理場)を右に見ながら築堤上を左にカーブし京滋バイパスの高架橋をくぐる。そして宇治川を渡って京都市に入り右にカーブすると、左右には京阪本線のもう一つの車庫である淀車庫が見えてくる。そのまま進むと進行方向右手に改修中の京都競馬場を望む淀駅に着く。淀駅はかつて淀城跡の近くにあったが、2011年5月に現在地に移転高架化した。また車庫の最寄り駅でもあるために出町柳方面行きを中心に始終着列車が設定されている。さらに東に進んで国道1号(枚方バイパス)、第二京阪道路を潜り、減速して右にカーブすれば、宇治線との接続駅の中書島駅に到着する。駅南側には三十石船の置かれた伏見港公園が整備され、駅北側には幕末時代に重要な舞台となった寺田屋があるなど昔ながらの街並みが残っている。
中書島駅を出ると進行方向を北に変え、住宅密集地の狭い空間を走る。左にほぼ90度カーブすると伏見区の中心駅である伏見桃山駅。駅前方の伏見大手筋商店街を越え右に左にカーブを切りながら坂を上がっていくと、すぐに近鉄京都線との連絡駅である丹波橋駅に到着する。かつて近鉄京都線と直通運転を行っていた線路跡を、淀屋橋寄りと三条寄り双方に垣間見ることができる。丹波橋駅を出て、立体交差で近鉄京都線を乗り越え墨染駅、続いて名神高速道路を潜ったところにある藤森駅を過ぎると、龍谷大学(深草校舎)の最寄り駅で待避設備のある龍谷大前深草駅に着く。かつては深草車庫が併設されていたが1980年に閉鎖され、電留線が1線残っていたが、2代目橋上駅舎の新築工事で撤去されている。急カーブを過ぎると伏見稲荷大社の最寄り駅の伏見稲荷駅、鳥羽街道駅を出ると、急勾配の右急カーブを上がって、JR奈良線を乗り越え、急勾配の左急カーブを下りればJR奈良線と接続する東福寺駅に到着する。
左側に大手ゲーム機メーカー任天堂の京都リサーチセンター(1959年から2000年までの本社)が見え、東海道新幹線・東海道本線(琵琶湖線)を潜ると京都地下線に入り、三十三間堂、京都女子大学の最寄り駅七条駅に到着する。右にカーブしながら清水寺の最寄り駅である清水五条駅、八坂神社や京都随一の繁華街四条通の最寄り駅である祇園四条駅を経て、その先の勾配を上がると京都市営地下鉄東西線と接続する三条駅に到着する。かつては地上の京津三条駅から京津線が発着していたが、1997年の廃止後は地下鉄東西線との直通運転により接続している。地元では「三条京阪」の名称で親しまれており、バスターミナルなども併設されている。かつては京阪における京都側の一大拠点であったが、鉄道網の充実により拠点性が低下している。七条駅 - 三条駅間の地上線時代は琵琶湖疏水と併走し、京阪線の見所の一つでもあった。
京阪本線の正式な終点は三条駅であるが、ほとんどの列車は三条駅で折り返すことなく出町柳駅まで続く鴨東線に直通する。平安神宮や京都御所の最寄り駅の神宮丸太町駅を過ぎると京都大学(吉田キャンパス)、同志社大学(今出川キャンパス)や下鴨神社の最寄り駅で鴨東線の終点の出町柳駅に着く。地上からは洛北方面に向かう叡山電鉄が発着していて、行楽シーズンには混雑する。
三条駅に発着する大半の列車が鴨東線出町柳駅まで直通運転を行っており、一部の列車は天満橋駅から中之島線中之島駅まで直通運転を行っている。そのため、両線との運行形態も併せて記述する。
以下に種別ごとの詳細を示す。特記なければ通常期の運行形態について記す(ダイヤ乱れによる運用変更については、この限りではない)。年末年始に実施される正月ダイヤについては「年末年始」の節を、そのほかの臨時ダイヤについては「臨時列車」「臨時ダイヤ」の節も参照。また、快速特急・ライナー・特急・通勤快急・快速急行の詳細については「京阪特急」も参照。
京阪本線の列車種別は、快速特急「洛楽」、ライナー、特急、通勤快急、快速急行、急行、通勤準急、準急、区間急行、普通の計10種別がある。なお、これは日本国内大手私鉄最多の種別数となっている。現行ダイヤでの基本種別は特急、快速急行、準急、普通の4種別で、平日ダイヤは10種別全てが、土休日ダイヤはライナー、通勤快急、通勤準急を除く7種別が運行される。
各種別の現行の全停車駅は#駅一覧を参照。
2023年8月26日改定の現行ダイヤでは、平日は9時台に上り1本、17時台に下り1本が、土休日は9 - 10時台に上り4本、15 - 17時台に下り5本が淀屋橋駅 - 出町柳駅間で運転される。京橋駅 - 七条駅間をノンストップ・最速33分で結び、平日の下り・土休日の上りは特急車8000系、それ以外は3000系(2代)で運転される。ただし、やむを得ず一般車8両編成での運転となる場合がある。
祇園・東山エリアや、大原・貴船・鞍馬方面、京都(八瀬) - 比叡山 - びわ湖(坂本)をつなぐ周遊ルート「山と水と光の廻廊」への観光創造を目的に設定されており、平日は鴨東線・叡山電車沿線との通勤通学需要にも対応する。
2011年秋から2016年正月までは行楽期限定で運行されていたが(後述)、2016年3月19日のダイヤ改定より、土休日ダイヤ限定で定期運転(5往復)されることとなった。京橋駅 - 七条駅間ノンストップ列車の定期運転は2000年6月までの特急以来約16年ぶりであった。2017年2月25日ダイヤ改定からは平日にも運転を開始(2往復)し、毎日運転となった。使用車両は臨時運行時代から8000系限定であったが、同改定からは3000系(2代)が加わった(同ダイヤでは行楽期を除き全列車3000系で運転)。
2011年10月22日 - 12月4日の土休日に臨時快速特急「ノンストップ京阪特急」として淀屋橋発出町柳行きが運行された。翌年春(2012年3月24日 - 6月3日の土休日)の運行に向けて愛称を公募、「洛楽」の列車愛称が与えられ、以後春秋行楽期の土休日に運行されるようになった。臨時運行時代は前後の定期特急が一般車に差し替えられていた。
2014年以降正月ダイヤにも設定され(「洛楽初詣」、翌年以降「洛楽」に統一)、下り(出町柳発淀屋橋行き)も運転されるようになった。2017年6月からは種別名に愛称を加えた「快速特急 洛楽」と案内されるようになった。
有料座席指定特別車両「プレミアムカー」の連結は、2017年8月の運行開始当初、行楽期の土休日のみ(3000系→8000系に変更)であったが、2018年9月15日のダイヤ改定で行楽期を除く土休日にも拡大された。正月ダイヤでは2往復がプレミアムカー連結(8000系)となっていた。2021年1月31日ダイヤ改定(3000系プレミアムカー運行開始)より全列車連結となっている。
2008年10月 - 2011年5月の平日夕ラッシュ時から夜間に、上り淀屋橋発出町柳行きのみ運転されていた快速特急(中書島駅・丹波橋駅にも停車)については「旧・快速特急」を参照。
平日の通勤時間帯に特急車8000系で運転される全車両座席指定の列車である。乗車には運賃のほかにライナー券(300円または380円・一部区間を除く)またはプレミアムカー券(400円または500円)が必要である。
2023年8月26日改定ダイヤでは、朝に下り淀屋橋行きが出町柳・三条・枚方市発それぞれ1本ずつと、樟葉発3本の計6本(概ね20分間隔)、夜に上り出町柳行きが5本(淀屋橋駅17時 - 20時台)、下り出町柳発淀屋橋行き1本が運行されている。停車駅は朝の樟葉発・枚方市発の便は通勤快急と、その他は特急と同じであるが、一般列車優先のダイヤであることや誤乗防止のため駅停車時間が長く、所要時間は特急や通勤快急に比べて長い。
2017年8月21日より運行を開始。当初は平日朝の淀屋橋行き2本(枚方市発・樟葉発1本ずつ)の運行で、京橋駅までノンストップであった。2018年9月15日のダイヤ改定で特急と同じ停車駅となり、平日朝に樟葉発を1本増発し、従来樟葉発であった列車が出町柳発に延長され、夜間には出町柳行き2本が設定された。2021年1月31日改定で平日朝に三条発の列車が増発された。2021年9月25日改定で、朝に樟葉始発1本、夜に出町柳行き2本が増発された。2023年8月26日改定で朝の下り・夕方の上り共に増発されたほか、夕方に出町柳発淀屋橋行きが1本新設された。またこの改定で、朝の樟葉発3本、枚方市発1本の4本が香里園・寝屋川市に停車するようになった。
沿線の石清水八幡宮にちなむ特急シンボルマーク「鳩マーク」とともに、「京阪特急」として親しまれている。終日にわたって運転され、原則淀屋橋駅 - 出町柳駅間の運転であるが、平日朝には枚方市発淀屋橋行きが1本、深夜には淀屋橋発三条行き(三条駅で普通出町柳行きに変更して運転)と出町柳発枚方市行きがそれぞれ1本設定されている。中之島線への乗り入れは春秋行楽期や競馬開催時の臨時列車のみである。
2003年(平成15年)9月6日のダイヤ改正で日中10分間隔運転(枚方市・樟葉駅に追加停車)となって以降、ダイヤ改正・改定のたびにK特急・快速特急から置き換わる形で運転時間帯が拡大され、10分間隔での運転が定着していたが、行楽利用の多い路線であることから不要不急の外出自粛の影響が大きく、2021年9月25日のダイヤ改定で平日ラッシュ時下りや早朝・深夜を除いて概ね15分間隔(平日15時以降は概ね12分間隔)での運転となっている。各駅停車との連絡については「準急・通勤準急」の節を参照。
車両は、ダブルデッカー(2階建て車両・4号車)連結の特急車8000系を中心に、3000系(2代)も充当され、共に6号車には有料座席指定特別車両「プレミアムカー」が連結される。2021年現在、一般車の充当は朝ラッシュ下りや夕ラッシュ上り、深夜を中心に平日ダイヤ12本、土休日ダイヤ5本となっている。使用車両は駅掲出の時刻表(京阪電車ホームページでも公開)で判別可能である。なお、平日朝ラッシュ時の1号車(京都方先頭車)は女性専用車両となる。
淀屋橋駅 - 出町柳駅間の標準所要時間は53 - 54分(ラッシュ時は60分前後の列車も存在)で、前述の通り乗車時間は長くなるが、大阪のオフィス街・官公庁街・繁華街(御堂筋・船場・谷町・京橋・OBP)、京都の祇園・四条河原町・東山・洛北へのアクセスの良さから利便性は高く、行楽客を中心にリピーターも多い。
方向幕の色は赤地に白文字で、「K特急」が設定された2003年9月6日のダイヤ改正を機に使用開始された。1989年使用開始の英字入り幕は黒地に赤文字、それ以前(3000系(初代))は白地に赤文字であった。なお、当時2600系は「K特急」入りの幕に交換されず、K特急「おりひめ」では黒地に赤文字の特急幕を表示した。
2000年7月1日ダイヤ改正で中書島駅・丹波橋駅に終日停車となるまでは、京橋駅 - 七条駅間ノンストップで運転されていた(平日朝ラッシュ時の下りのみ1993年1月改正より中書島駅、1997年3月改正より枚方市駅にも停車)。ただし、『くらわんか花火大会』開催時(毎年8月の最終日曜日)には枚方市駅(1998年以前は樟葉駅)に上り下りとも臨時停車していた。
2008年10月19日ダイヤ改正(中之島線開業)以降の運行の変遷については「京阪特急」を参照。
特急に準ずる優等列車で、特急停車駅に加えて守口市駅・寝屋川市駅・香里園駅に停車する種別である。
ほぼ終日運転され、日中に淀屋橋駅 - 出町柳駅間で毎時2本運転される列車は原則「プレミアムカー」連結の3000系(本節では2代)が充当される。また、平日夕ラッシュ時から夜間にかけて多数の淀屋橋発樟葉行きが運転されている。そのほか、平日朝には淀屋橋発枚方市行き、寝屋川市発出町柳行き、枚方市発淀屋橋行きが、平日夕方には唯一の中之島発である樟葉行き、休日夜間には3000系で運転の淀屋橋発樟葉行きがそれぞれ1本ずつ設定されている。
平日ダイヤの淀屋橋9時台発の1本と、出町柳17時台発の1本が枚方市駅でそれぞれ快速特急「洛楽」を待避する。それ以外の列車は全区間で先着する。また、京都競馬開催時の土休日には夕方の下り列車の一部(2022年現在では2本)が淀駅に臨時停車する。
夕ラッシュ時の上り列車は樟葉駅折り返しの急行を補完し、出町柳駅発の列車は快速特急が通過する特急停車駅の乗車機会を確保する役割を担う。これらの快速急行は基本的に8両または7両編成の一般車が用いられる。
通勤快急は快速急行の停車駅から守口市駅を除外した種別で、平日朝に下りのみ運転される。樟葉発淀屋橋行きが2本、樟葉発中之島行きが1本、出町柳発中之島行きが1本設定されている。
種別幕の表示は両種別ともに紫色である。
通勤快急はこの名称が正式な列車種別名であり、「通勤快速急行」とは称さない。
2008年10月19日の中之島線開業にあわせて中之島駅発着の最速達種別として新設された。それまでの急行を置き換える形でほぼ終日運転され、平日ラッシュ時の一部列車を除き3000系が充当された。競馬開催日には、朝から夕方にかけて競馬場最寄りの淀駅にも臨時停車していた(出町柳発7時40分 - 17時40分と中之島発7時30分 - 17時00分)。
その後、2009年9月のダイヤ一部改定では、平日夕方ピーク時間帯の出町柳行きが淀屋橋発の急行樟葉行きに変更された。平日夕ラッシュ時以降の中之島発の列車は三条行き(20時以降は樟葉行き)となったほか、一部は普通に変更された。三条行きは樟葉駅で快速特急の通過待避を行っていた。
2011年5月のダイヤ改定で淀屋橋駅 - 枚方市駅間の特急と統合する形で日中の運転が廃止された。また、夕方の三条行きは樟葉行きに短縮された。
さらに、2013年3月のダイヤ改定により中之島駅 - 出町柳駅間の運転は平日朝ラッシュ時に限られ、この時間以外に運行される快速急行について、平日は、上りは中之島発樟葉行き・下りは出町柳発淀屋橋行きとなっている。土・休日ダイヤにおいては朝と夜間の出町柳発淀屋橋行きのみとなった。
2016年3月19日のダイヤ改定では、初めて7両編成の列車が設定された。また、通勤快急1本が淀屋橋行きに変更され、平日夕ラッシュ時に3000系運用が再設定されたほか、土休日朝に淀屋橋発出町柳行き・樟葉発淀屋橋行き、夕方に淀屋橋行きが設定された。中之島線開業から続いた中之島駅 - 出町柳駅間通しの快速急行は上り下り共に廃止され、中之島行きは平日枚方市駅始発の1本を残すのみとなったほか、深夜の出町柳発淀屋橋行きが廃止された。
2017年2月25日のダイヤ改定では、平日夕方から夜間の中之島発樟葉行きの列車がすべて淀屋橋発に変更(21時台は急行に変更)となり、中之島駅を始発とする快速急行は平日朝の樟葉行き2本にまで減少した。
2017年8月20日のダイヤ改定では、平日朝の樟葉行き1本も淀屋橋発に変更されたため、中之島駅を発着する快速急行は上下1本ずつのみとなった。
2018年9月15日のダイヤ改定では、平日朝に初めて寝屋川市発出町柳行きが3000系で設定された。一方、同系列充当の通勤快急と平日夕方の樟葉行きは一般車に変更されたほか、平日夜の樟葉行きにも7両編成の列車が設定された。
2021年1月31日のダイヤ改定では、三条始発の通勤快急が全て出町柳発となったほか、樟葉始発が1本新設された。平日朝の枚方市発の快速急行が淀屋橋行きとなり、中之島行き快速急行の設定がなくなった。深夜の交野線最終連絡・淀屋橋発樟葉行き特急が直後の準急と統合されて快速急行となり、再び土休日上りにも設定された。
2021年9月25日のダイヤ改定では、日中に「プレミアムカー」連結の3000系で運転される快速急行が毎時2本設定された。通勤快急の運転は、出町柳発4本・樟葉発1本の計5本から出町柳発1本・樟葉発3本の計4本に減少した。なお、通勤快急には3000系は充当されない。
急行は、特急が通過する主要駅に加え、行楽(初詣)利用の多い駅にも停車する種別である。淀駅には、同駅を始発・終着とする列車と、競馬開催時(臨時停車)のみ停車する。中之島線への乗り入れは競馬開催時の臨時列車のみである。
淀屋橋駅 - 出町柳駅間の列車のほか、朝夕ラッシュ時には淀屋橋駅 - 樟葉駅間の列車が、早朝には寝屋川市発出町柳行き、平日朝には淀屋橋発枚方市行き、早朝・平日夕方・夜には淀車庫への出入庫や土休日の京都競馬場への利便を兼ねた淀駅発着の区間列車(淀屋橋駅 - 淀駅・淀駅 - 出町柳駅間)がある(京都側の準急も参照)。
土休日の淀屋橋発9時 - 10時台には、上り快速特急「洛楽」を枚方市駅で待避する便が4本運行され、快速特急が通過する特急停車駅を補完しつつ、ひらかたパーク、石清水八幡宮、京都競馬場(競馬開催日に淀駅に臨時停車)、伏見稲荷大社、東山といった沿線の観光・行楽需要に対応している。快速特急・特急待避がない多くの列車が全区間で先着する。
方向幕の色は橙色に白文字で、1989年の7000系(英字入り幕)登場時から使用されている。6000系登場以前は白地に赤文字、以降は赤地に白文字であった。運行標識板は丸形で、淀屋橋駅 - 三条駅(出町柳駅)間の列車が赤地に白文字、淀屋橋駅 - 樟葉駅間の列車が白地に赤文字であった。
急行は長らく、終日運転される主力優等種別であった。淀屋橋開業後の1964年当時の途中停車駅は四条駅(現在の祇園四条駅)・七条駅・伏見稲荷駅・丹波橋駅・中書島駅・八幡町駅(現在の石清水八幡宮駅)・枚方市駅・香里園駅・京橋駅・天満橋駅・北浜駅(1961年12月以降は日中は枚方公園駅にも停車)であり、現在の快速急行並みの停車駅数であったが、徐々に停車駅が増え、現在では全運転区間の約半数の駅に停車している。
1971年8月の樟葉駅移転改良工事完成に伴うダイヤ改正で、日中20分間隔から15分間隔に増発されて以降は、樟葉駅または丹波橋駅で特急を待避するようになった。8両編成運転は枚方市駅高架化工事(下り線の仮線移設)に伴い1985年から開始され、当初は朝夕ラッシュ時の樟葉駅で折り返す列車のみであったが、1987年の京都地下線(東福寺駅 - 三条駅間)の開業で全線に拡大していった。1987年6月改正以降は樟葉駅で同駅発着の準急と連絡するようになった。出町柳駅23時25分発急行淀屋橋行きは0時29分に淀屋橋駅3番線到着後、そのまま夜間滞泊し、淀屋橋駅の始発列車5時04分発普通三条行き(平日は5扉扱い)となるため、長年に渡り5扉車5000系の限定運用であった。
2000年のダイヤ改定までは、普通との連絡は基本的に守口市駅(萱島発着の普通)・香里園駅・丹波橋駅の3駅(宇治線直通の普通)であった。その後、2003年9月のダイヤ改定で昼間時の運転が中止(準急に置き換え)された後、2006年4月のダイヤ改定から2008年10月19日のダイヤ改定前までは、昼間は淀屋橋駅 - 枚方市駅間の運転(一部は準急、香里園駅で特急待避あり)、それ以外の時間帯は淀屋橋駅 - 出町柳駅間を15分間隔(夜間は20分間隔)で運転される形でほぼ終日運転されていて、土休日は京阪間通しの列車は原則として終点まで特急に追い抜かれなかった(ただしまれに三条駅で特急に追い抜かれることもあった)。
1980年3月まで寝屋川市駅・枚方公園駅は昼間時間帯のみ停車、守口市駅は終日通過となっていた(ただし、1960年代後半には朝ラッシュ時に守口車庫から出庫する守口駅発三条行きの急行が3本設定されていたが、1971年のダイヤ改正頃に廃止された)が、1980年3月のダイヤ改定で寝屋川市駅は終日停車、守口市駅は昼間時間帯停車となり、その後守口市駅・枚方公園駅には夕ラッシュ時にも停車するようになるなど、ダイヤ改正(改定)毎に停車時間帯が拡大し、2003年からは22時台頃まで停車するようになった結果、早朝から朝ラッシュ時および深夜のみ通過となった。その後、2008年の中之島線開業で早朝と深夜の列車についても停車を開始し、全ての急行が両駅に停車するようになった(朝ラッシュ時の急行は同改正で廃止)。
京都競馬開催時(場外の時期も含む)は淀駅に臨時停車していた。2008年10月19日改正ダイヤからは、急行に代わって快速急行が臨時停車していたが、2011年5月のダイヤ改定で日中の快速急行が廃止となり、代わりに樟葉発着の急行を延長する形で土休日朝に淀行き、夕方に淀発の急行が設定されるようになった。快速特急「洛楽」が運転される春秋の特別ダイヤでは特急の送り込みの関係上、京都競馬開催の有無に関係なく午後の時間帯(15時 - 17時台) に淀発出町柳行きが運行された。
2009年9月のダイヤ改定で、平日夕ラッシュ上りピーク時の中之島発樟葉行き快速急行3本が淀屋橋発樟葉行きの急行4本に振り替えられた(中之島発の列車は普通に変更)。2011年5月のダイヤ改定では日中に淀屋橋駅 - 樟葉駅間運転の急行が毎時片道4本設定され、京橋駅(中之島駅発着の列車)・守口市駅・香里園駅で普通に、樟葉駅で特急に連絡するようになった(ただし香里園駅・枚方公園駅 - 樟葉駅以北の特急停車駅間は、枚方市駅で特急と準急または普通を乗り継ぐ方が早い)。また、夕方時間帯の下りにも設定された。
2013年3月16日のダイヤ改定で、日中は毎時3本とされ、準急と交互に20分間隔での運転になった。また土日に運転の急行淀行き2本を樟葉行きに短縮し、平日夕方ラッシュに運行されている樟葉行き4本を淀行きに変更した。また深夜にも淀行き(準急樟葉行きから変更)が設定された。2016年3月19日のダイヤ改定で日中の運転が取りやめとなった。
2017年2月25日のダイヤ改定より、上り快速特急「洛楽」運転時間帯には、八幡市駅(現在の石清水八幡宮駅)、伏見稲荷駅、清水五条駅、神宮丸太町駅などの京都観光最寄駅に配慮して、出町柳行き(快速急行より変更)が平日に2本、土・休日に5本設定された。この列車は、枚方市駅で快速特急「洛楽」を待避し、京都競馬開催時(場外の時期も含む)は淀駅に臨時停車する。
2018年9月15日のダイヤ改定では、平日1本、土休日に2本あった8000系運用(2017年8月20日以降「プレミアムカー」連結)は廃止され、平日夜には出町柳発淀行きが3本増発された。土休日朝に特急が増発された関係で、当該時間帯の出町柳行きは、6時台は準急に変更、7時台は樟葉行きに短縮された。また、2008年10月改正で廃止された枚方市行きが、平日夜と土休日昼に1本ずつ設定された。
2021年9月25日のダイヤ改定では、土休日の上り急行が全て出町柳行きに変更された。
主に複々線区間で通過運転を行い、そのほかの区間は各駅に停車する。平日朝ラッシュ時の下りは守口市駅を通過する「通勤準急」として運転し、それ以外は守口市駅に停車する「準急」としてほぼ終日運転され、守口市駅で普通と連絡する。原則淀屋橋駅発着であるが、平日朝夕には中之島駅発着の列車も運転される。また、枚方市駅・樟葉駅、淀駅(通勤準急を除く)発着の区間運転列車が設定されているほか、早朝には三条発淀屋橋行きが設定されている。中書島駅 - 七条駅間にはホーム有効長が7両分の駅があるため、京阪間通しの列車はほぼすべて7両編成での運転であり、8両編成での運転は淀駅以南に限られる。京橋駅で中之島駅発着の普通と連絡する列車がある。
各駅停車区間における特急との連絡は、基本的に枚方市駅・丹波橋駅・三条駅の3駅で行う。日中の快速急行とは樟葉駅での連絡または龍谷大前深草駅での通過待ちを行う。ラッシュ時には京橋駅での連絡、萱島駅・淀駅・龍谷大前深草駅での通過待ちや、香里園駅や枚方市駅で快速急行・急行との連絡を行う列車がある。
種別幕の地色は両種別ともに青である。6000系登場以前は白地に青字であった。また、運行標識板は丸板で、白地(天満橋駅発着列車は黄色地)に青文字で準急(行き先は黒字)と書かれたものを掲出していた。
1980年3月のダイヤ改定前は朝夕時間帯のみの運行であったが、日中の区間急行を準急に変更する形でほぼ終日運転となり、萱島駅発着列車との連絡のため同駅にも停車するようになった。この当時は日中を中心に基本的に枚方市駅折り返しで、樟葉駅で折り返すのは朝夕に限られていたが、1987年6月1日のダイヤ改定で日中も樟葉駅で折り返すようになった。
1989年9月には京都側にも通過運転を行う準急が設定された(出町柳駅 - 淀駅・樟葉駅間;後述)。また1990年までは夕方以降も守口市駅は通過だった。2003年9月のダイヤ改定で、全列車萱島駅 - 出町柳駅間は各駅停車(1987年以前の運転体系。ただし当時は鴨東線区間は未開業)に再度戻された。この改定で昼間に全線通しの運転と枚方市駅折り返し運転が1時間あたり6本ずつ設定された(計12本)。平日夕方ラッシュ時には交野線直通準急「ひこぼし」(天満橋駅始発)が設定された。
2006年4月のダイヤ改定では、枚方市駅折り返しの急行が1時間あたり6本設定された関係で、昼間の準急の運行がなくなったが、2007年9月のダイヤ改定で15時以降に急行が準急に置き換わるパターンとなった。この時間帯は急行と同様に、香里園駅で特急待避をしていたが、萱島駅で必ず区間急行(後述)との接続を取っていた。
中之島線開業日の2008年10月19日のダイヤ改定では、再び昼間に全線通しの運転が毎時4本復活した。また、守口市通過列車を「通勤準急」として分離した。「ひこぼし」は運転時間帯が変更され、深夜帯の快速急行に置き換えられた(「ひこぼし」の愛称は従来どおり使用)。
2009年9月のダイヤ改定により、夕方以降の列車は京都側での普通の区間列車(樟葉駅・淀駅 - 三条駅・出町柳駅間)と樟葉駅折り返しの準急列車が統合され、中書島駅 - 樟葉駅間の速達列車の通過駅(淀駅・橋本駅)でも利便性が向上している。
2011年5月28日のダイヤ改定では、急行の終日運行が復活した関係で、日中の準急が1時間あたり4本から2本に削減の上、中之島駅発着に変更され、京橋駅で淀屋橋発の特急や普通と接続を行うようになった。そのため、日中の中之島線直通列車は準急2本・普通4本とも淀屋橋駅発着列車を2本連続で接続待ちしてから、改めて京橋駅を発車するダイヤになり、京橋駅での停車時間が非常に長くなった(正月ダイヤの日中でもほぼ同様、ただし当該時間帯の中之島線直通列車は普通のみ)。
2013年3月16日のダイヤ改定で、日中の運転は1時間あたり中之島駅発着2本から淀屋橋駅発着3本に変更された。春秋の特別ダイヤでは4本(出町柳行き2本、枚方市(夕方以降は出町柳行き)行き2本に変更された。枚方市駅で折り返す列車は香里園駅で特急に追い抜かれる列車がある。
2016年3月19日のダイヤ改定では、日中の急行を準急に置き換え、淀屋橋駅 - 出町柳駅間の列車が10分間隔で1時間あたり6本となった。また、日中の特急との接続駅が樟葉駅・丹波橋駅・三条駅に変更され、香里園駅で特急を待避する運行形態に変更された。夕ラッシュ時間帯の上り区間運転の列車は枚方市駅折り返しとなった。平日枚方市駅7:03発中之島行き通勤準急が3000系(2代)での運用となった(2017年8月20日改定で一般車に変更)。
2017年2月のダイヤ改定以降、夕ラッシュ時の淀屋橋発の一部が中之島発(京橋で特急に連絡)に、樟葉発中之島行きが一部を除き淀屋橋行きに変更された。
2021年9月25日のダイヤ変更により、通勤準急の運転本数が15本から12本に、日中の準急が1時間に6本から4本に減少した。日中の特急との連絡は、枚方市駅・丹波橋駅・三条駅に変更された。日中に運転の快速急行と樟葉駅で連絡し、龍谷大前深草駅で待避するようになった。
2023年8月26日のダイヤ改定では、平日13 - 14時台の運転本数が1時間あたり4本から2本に半減した。
主に朝夕に運転される種別で、複々線区間の途中駅である守口市駅以北を各駅に停車することで、大阪モノレール線との乗り換え駅でありながら外側線(緩行線)にしかホームがない門真市駅やその周辺の駅の速達・利便性を確保する役割を担っているほか、平日朝ラッシュ時下りでは通勤快急と通勤準急が停車しない守口市駅を補完する役割も持つ。大半の列車が寝屋川車庫への出入庫も兼ねた萱島駅発着で、萱島以北も走るのは平日朝の下り樟葉発3本と枚方市発1本、上り枚方市行き1本、平日深夜の上り香里園行き1本のみである。内側線の容量の関係上、平日朝ラッシュ時下りには全線外側線を走行する列車が2本ある。前を走行する普通列車の速度に合わせて走るため、守口市駅 - 京橋駅間の所要時間は急行線を走る区間急行より2 - 3分遅い。
平日朝ラッシュ時の淀屋橋発樟葉行き上り列車の1本は、枚方市駅まで後部2両が「女学生・児童優先車両」となることがある。学校の授業がある期間に、香里園駅を最寄り駅とする香里ヌヴェール学院中学校・高等学校の生徒向けに設定されている。設定時は車両の前後に「後部2両 女学生・児童優先」の看板が掲出される。
区間急行は近畿日本鉄道・南海電気鉄道では急行と準急の中間の種別として使われるが、京阪では伝統的に区間急行を準急と普通の中間の種別としている。英文字表記は他社の「準急」に当たる"Semi-exp. (SEMI-EXPRESS)"と表記され、準急には他社の「区間急行」に当たる"Sub-exp. (SUB-EXPRESS)"と表記されていることから、区間急行と準急の位置付けが逆になっている(京阪の区間急行=他社の準急、京阪の準急=他社の区間急行)ことがわかる。
方向幕の地色は緑色である。長らく「区急」と略記されていたが、駅の発車標では2003年9月改正以降、車両の方向幕では2008年の中之島線対応の際に、「区間急行」表記に変更された。なお、前面の行先表示板を使用していた頃は、区間急行は普通の板の行先の下に赤字で「急」と書かれたものを使用していた時期があった。
1980年3月のダイヤ改定で、枚方市駅が最北であった区間急行の運転区間が樟葉駅まで延長された。また日中の列車は準急に変更され、それ以降は朝夕ラッシュ時の専従列車として運転されてきたが、2006年4月16日のダイヤ改定で、中之島線開業ダイヤへの移行準備のため、26年ぶりに日中にも設定された(原則天満橋 - 萱島間の運転)。
2008年10月19日のダイヤ改正では中之島発着に延長された(平日ラッシュ時には淀屋橋行きも運転)ほか、日中毎時2本が樟葉発着となり、香里園で快速急行に、枚方市で枚方市発着の特急に連絡した。
2009年9月12日のダイヤ改定では、平日夜間に萱島発中之島行きが10000系4両編成で設定された(折り返し快速急行「ひこぼし」)が、2011年5月28日改定で日中の列車とともに廃止された。
2016年3月19日のダイヤ改定では、朝の枚方市発の列車が樟葉発の準急に変更された。一方、平日朝に樟葉行きが1本復活したほか、平日に樟葉発淀屋橋行きが設定された。
2017年2月のダイヤ改定では、夕ラッシュ時上りの一部が準急に変更された。
2018年9月15日のダイヤ改定で、平日早朝の下り樟葉発の準急1本が格下げされ、萱島以北を走る区間急行は1本増えた。
2021年1月31日のダイヤ改定では、平日朝の樟葉行きが廃止され、枚方市駅 - 樟葉駅間は下りのみの運転となった。また、平日夜に香里園行きが設定された。同年9月25日改定で、香里園行きが淀屋橋23時18分発から中之島20時50分発に大幅に繰り上げられた。
各駅に停車し、全線で運転される。案内放送では「各駅停車」で統一されている。
日中含め中之島駅 - 萱島駅・枚方市駅間の運転が主である。時間帯により淀屋橋駅・樟葉駅・出町柳駅始発・終着の列車や、京都側のみ運転の淀駅 - 出町柳駅間の列車が設定されているほか、早朝には寝屋川市発出町柳行きや土休日夜には出町柳発樟葉行きが1本、出町柳発守口市行きが1本、出町柳発寝屋川市行きが設定されている。京阪の列車として所要時間が最長となる中之島駅 - 出町柳駅間を乗り通すと約90 - 110分かかる。
日中は守口市駅で準急と、枚方市駅で特急と連絡する。萱島駅折り返し列車は、原則萱島駅で準急(同駅以北各駅停車)と連絡する。快速急行・急行の運転時間帯は守口市駅・香里園駅で連絡する。準急と同様に京阪間通しの列車及び淀駅 - 出町柳駅間の列車はすべて7両編成であり、8両編成での運転は樟葉以南と深夜の三条発出町柳行きのみである。
2000年7月のダイヤ改正まで、京阪間通しの普通は香里園駅 - 三条駅または出町柳駅間を、枚方市駅・深草駅(現:龍谷大前深草駅)で特急を待避しつつ、後続の急行から逃げ切るダイヤとなっていた。同改正ダイヤでは、丹波橋駅で特急と急行が連絡するようになり、深草駅で2列車連続待避となった。伏見稲荷駅で急行・普通を乗り継ぐことで、丹波橋駅以南の特急・急行停車駅 - 鳥羽街道駅・東福寺駅間の所要時間が短縮された。また、三条方面 - 宇治線の直通列車(中書島駅で進行方向が変わっていた)は、中書島駅で系統分割のうえ、丹波橋駅での急行との連絡を取りやめ、三条駅・出町柳駅または中書島駅まで先着となった。中書島駅発着は特急の直後・直前となり、中書島駅以南の特急・急行停車駅 - 伏見桃山駅間の所要時間が短縮された。
日中の大阪方では、長らく全線直通と萱島駅折り返しの2系統での運転であったが、2003年9月のダイヤ改正で、10分ヘッドとなった日中は萱島折り返しに統一され、全線直通系統を準急とした。2006年4月改正で日中の普通は全線直通に統一(再設定)されたが、2008年10月改正で1時間あたり6本中2本を残して再び全線直通系統が準急となり、萱島駅折り返しが再設定されたほか、ラッシュ時間帯に運転されていた京都方の区間列車は、全線直通の準急・普通に統合され大幅に削減された。
2011年5月28日のダイヤ改定では、日中の区間急行廃止に伴い、普通が中之島駅発着に振り替えられ、日中の淀屋橋発着の列車は毎時2往復のみとなった。さらに、2013年3月16日のダイヤ変更で日中は全て中之島駅発着とされ、淀屋橋・北浜両駅から野江駅 - 土居駅間各駅への利用者は京橋駅での乗り換えが必要となるケースが増えた。
2016年3月19日のダイヤ改定では、日中の中之島駅 - 出町柳駅間の列車が中之島駅 - 枚方市駅間の運転に変更された。また、日中の香里園駅での連絡が取り止められた。平日朝ラッシュ時の香里園行き上り列車の1本は、後部2両を女学生・児童優先車両としていたが、この改定で消滅し、区間急行に設定が引き継がれた。
2017年2月25日のダイヤ改定では、日中の萱島発着のうち、毎時1本が枚方市発着に変更され、日中は中之島駅 - 枚方市駅間4本、中之島駅 - 萱島駅間2本の運行が基本となった。
2021年1月31日のダイヤ変更では、深夜の香里園行きが消滅した。
2021年9月25日のダイヤ変更から、日中の枚方市発着は香里園駅で、萱島発着は守口市駅で快速急行と連絡する。
2023年8月26日のダイヤ改定では、平日13 - 14時台において削減された準急をカバーするため、当該時間帯の枚方市発着列車が出町柳まで延長された。
通常期の昼間時の1時間毎の運転本数をまとめると以下のとおりになる(2021年9月25日ダイヤ改正時点)。なお、ダイヤ改正以前の日中の運転本数については「京阪電気鉄道のダイヤ改正」を参照。
京都競馬場での競馬開催時には、最寄りの淀駅発着の臨時列車が運転されている。メイン競走の格により本数は増減する。
1990年代までは、午前に淀屋橋発淀行きの急行、午後に淀発天満橋行き(一部淀屋橋行き)および三条行きの急行が運転されていた。この臨時急行は「馬急(うまきゅう)」とも呼ばれ、行先表示板を使用していた時代には蹄鉄が描かれたものを使用していた。1999年4月から2003年9月6日ダイヤ改定前までは、午前の急行に代わって「淀快速ターフィー号」が運転されていた(停車駅は淀屋橋・北浜・天満橋・京橋・守口市・淀。ただし守口市停車は2000年秋から)。この列車では競馬専門紙のトラックマンやスポーツ新聞の競馬担当記者による競馬予想が車内で放送されていた。それ以降は準急の枚方市駅(2003年9月改定以前は樟葉駅) - 淀駅間を延長する列車のうち枚方市駅 - 淀駅間で急行運転するものは「Gallop」(ギャロップ)として運転され、ヘッドマークも掲げられていた。2006年4月のダイヤ改定以降は高架化工事に伴い下り線が始発線のない仮設ホームに移設されたため、臨時列車の本数が大幅に減ったものの、メイン競走の格によって復路のみ淀発天満橋行や三条行の急行が運転されることがあった。2008年10月からは快速急行が淀駅に臨時停車するようになり、2011年5月に昼間の快速急行が廃止されて一旦は廃止されていたものの、2016年3月19日のダイヤ改定で臨時停車を再開した。現在はメイン競走の格によって増減するが、中之島駅 - 淀駅間の急行(往路は上り・復路は下り。場合によっては特急も運転されることもある)、淀駅 - 三条駅間の普通(上りのみで運転されない場合もある)が運転される。例外として2010年11月27日には京阪杯開催および京阪電車100周年を記念して臨時ターフィー号が1本運転され、また2011年度も11月26日に臨時ターフィー号が淀屋橋駅 → 淀駅間で片道1本運転された。
過去にはホームに観戦帰りの客が殺到し、安全性確保のために特急が急遽臨時停車したこともあった。また、2003年9月6日の大幅なダイヤ改定直後の同年10月 - 11月の日曜日のうち4日間と、2004年5月2日には「休日特別ダイヤ」を編成したことがあった。このダイヤでは朝夕に各種列車の増発が行われ、特に夕方(16 - 17時台)には10分当たり三条発天満橋行き臨時特急1本、淀発天満橋行き臨時急行1本、淀発淀屋橋行き「Gallop」1本が増発され、定期列車と合わせて複線区間(淀駅 - 萱島駅間の下り)で10分間に片道5本(平均2分間隔)という朝ラッシュ時間帯並みの本数となった。
毎年正月三が日には成田山不動尊、石清水八幡宮、伏見稲荷大社を始めとする沿線の寺社への初詣需要に対応するため、大晦日の夜間18時台から、翌年1月3日(曜日配列によっては4日または5日)までは、「土曜・休日ダイヤ」を適用せず、「大晦日ダイヤ」・「正月ダイヤ」を編成して運転している。これらは交野線、宇治線、石清水八幡宮参道ケーブルにおいても適用される。各駅や全列車の時刻などは、京阪電鉄の公式ホームページ上や、広報誌『K-PRESS』、またはリーフレットなどで公表される。
大晦日の始発電車から18時までは京阪線共通で「土曜・休日ダイヤ」で運転し、同日18時から翌年の元日10時までは「大晦日ダイヤ」として、通常とは異なるダイヤに切り替え、翌年の元日早朝にかけて終夜運転を実施する。
2011年以降(年表記は大晦日基準、この節において以下同じ)は急行を淀屋橋駅 - 出町柳駅間で20分間隔、普通を淀屋橋駅・中之島駅 - 出町柳駅間で20分間隔で運行している。ただし、3時台以降は運転間隔が広がり、それぞれ30分間隔となるほか、入庫のための萱島行き普通列車も運転される。終夜運転時における急行と普通の連絡は香里園駅のみで行う。
京阪線の終夜運転の開始は1957年に遡る。過去の運行概要は以下のとおりであった。
元日の10時から1月3日の終電にかけて「正月ダイヤ」を実施している。初詣需要に対応し、日中を中心に急行が出町柳駅発着で運転され、特急・急行・普通の3本立てとなる。2022年より各種別15分間隔での運転となり、従来出町柳駅の容量の都合で日中は三条駅折り返しとなっていた普通(中之島発着)が出町柳駅まで延長された。2013年までは各種別10分間隔、2014年 - 2021年は同12分間隔であった。
正月ダイヤにおける各種別の運行形態は以下のとおりである。
正月ダイヤの日中には、萱島駅発着列車の設定がないため、淀屋橋駅 - 萱島駅(寝屋川車庫)間に、乗務員輸送用の回送列車が設定される。
なお、京都競馬の京都金杯の開催時には、正月ダイヤまたは平日ダイヤにおいて競馬関連の臨時列車が運転される珍しい事例が見られることがある。
過去の運行概要は以下のとおりであった。
大文字五山送り火のある毎年8月16日は、土曜日・日曜日にならない限りは原則として平日ダイヤの運転となる。
2008年までの実績では、夕方以降の急行(樟葉発着も含む)は出町柳まで運転された。一方で出町柳発着の普通の一部は三条での折り返し運転とした(出町柳発着に8両編成の列車を集約させるため)。また20時以降はK特急や急行を中心に臨時列車が運転された。2009年以降は混雑する時間帯に出町柳駅発の樟葉行きの臨時急行を増発している。出町柳駅の今出川口については混雑緩和などのために営業時間を延長(21:30まで)する。
行楽シーズンを中心に土休日ダイヤが変更され、特別ダイヤで運行される。特別ダイヤ実施期間中、快速特急「洛楽」が午前中に出町柳行きが、午後に淀屋橋行きが運転される。午前の快速特急「洛楽」出町柳行きが運行される時間帯には淀屋橋発の快速急行出町柳行きが運行され、枚方市駅で待避する。特定の日を除き、淀駅にも臨時停車する。一部の急行が準急が変更されるほか、淀屋橋駅 - 枚方市駅間の準急(夕方は中之島駅 - 枚方市駅間の普通)が運行され、一部の列車の連絡や通過待避のパターンが変更される。ダイヤは公式サイト上や各駅で公表される。午前中の出町柳行きの快速特急洛楽・特急・快速急行は「貴船・鞍馬連絡」・「大原連絡」・「比叡山連絡」として運転される列車が設定されている。
この特別ダイヤは、2003年の10月から11月に掛けてと2004年5月2日に実施された「休日特別ダイヤ」が前身であるが、2014年に「春の(または秋の)特別ダイヤ」として再開され、原則として3月下旬から5月上旬と10月、11月の全休日に(2015年のみ9月中旬より実施)実施していた。
上記以外にも祇園祭、宇治川花火大会、天神祭など沿線祭事時には、夜間を中心に臨時列車が運転(または定期列車の運転区間が延長)される。また、行楽シーズンには淀屋橋駅・天満橋駅 - 三条駅・出町柳駅間に臨時特急が運転されることがあった。
比較的臨時列車の多い路線であるが、近年は減便傾向にある。臨時種別標識(「臨」円板)は、2003年9月6日改定以降、臨時特急のみの掲出となったほか、行先表示器のLED化に伴い「臨時特急」などの表示が可能となり、掲出の機会が少なくなっている。前述の祭事時などには特急車(2扉車)で運転の特急を3扉車に差し替えたり、特急車を準急や臨時急行などに充当のうえ入庫させたりする場合があった。
京阪本線のかつての最優等種別。2003年9月6日のダイヤ改定で新設(運転開始は8日から)された。
平日朝・夕方・夜間のみ運転される種別で、ダイヤ・停車駅ともに同改正前の特急を踏襲し、淀屋橋駅 - 出町柳駅間で運転され、朝の淀屋橋行きは枚方市駅にも停車した。朝ラッシュ時には1号車(出町柳方先頭車)に女性専用車両が設定されたほか、一部の列車は3扉車で運転され、特に最混雑時間帯の淀屋橋行きは特急車(2扉車)の充当が避けられていた。夕ラッシュ時には丹波橋駅で急行と連絡していた。
また、平日朝ラッシュ時には交野線私市駅発淀屋橋行きK特急「おりひめ」が2本運転されていた(後述)。
K特急の名称は中之島線開業に伴う2008年10月19日のダイヤ改定で廃止され、夕方の上りK特急が快速特急に改称された以外は特急に変更、「おりひめ」は通勤快急に変更された。
京阪本線上りのかつての最優等種別。2008年10月19日のダイヤ改定で、K特急から改称され新設された(運転開始は20日から)。停車駅はK特急と同じで、特急車(8000系)により平日夕ラッシュ時の淀屋橋発出町柳行きのみ運行された。京橋駅の発車メロディは「朝靄の京橋で乗り換え」が使用された。
臨時列車では、2011年に「さくらエクスプレス」「わかばエクスプレス」として淀屋橋発出町柳行きが2本運転されたほか、「光のルネサンス号」として出町柳発中之島行きが運行された実績がある(下りの快速特急が運転されたのはこの時のみ)。
2011年5月28日のダイヤ改定で廃止となり、全列車とも特急に変更された。
深夜急行は、大阪府内郊外主要駅の最終帰宅需要に特化した種別として、2008年10月19日のダイヤ改定で設定された。淀屋橋駅0時20分発樟葉行き1本(8両編成)のみ設定されていたが、2021年4月30日の終電繰り上げ以降運休となり、同年9月25日のダイヤ改定以降も運行されなくなったのち、2023年8月26日のダイヤ改定で正式に廃止された。京橋駅を出ると普通や準急との連絡はなく、樟葉着は0時49分であった。停車駅は急行から守口市駅・枚方公園駅を除いたもの(通勤快急と同じ)であった。大晦日ダイヤでは出町柳行き急行に差し替えられるため、樟葉駅以北の運行はなかった。日本の鉄道において「深夜急行」の種別を運行しているのは当路線のみであった。
1938年の設定当時は天満橋駅 - 枚方東口駅(現在の枚方市駅)間で運行され、停車駅は蒲生駅(現在の京橋駅)・門真駅(現在は廃止)・萱島駅・寝屋川駅(現在の寝屋川市駅)・香里園駅・枚方駅(現在の枚方公園駅)であった。種別としては準急よりも下位であるが、当時準急停車駅であった守口駅(現在の守口市駅)を通過していた点が特徴である。戦争中に一旦廃止となり、戦後1947年に運行を再開している。その後、現在の停車駅(片町駅にも停車)となり、1960年のダイヤ改定でそれまで運行されていた京橋駅 - 守口駅間通過の普通に統合され、昼間時にも運転されるようになった。
1952年、混雑時に天満橋駅 - 枚方市駅間で運行されていた急行を、枚方公園駅以北を各駅停車とする形で八幡町駅・深草駅まで延長した。この急行は列車番号の頭に「A」が付けられていたことから「A急行」とも呼ばれ(案内上は単に「急行」)、運行標識板は白地に赤で縁取りされた、赤字で「急」と書かれたもの(両サイドに行先を表記)で、後年設定される樟葉始発の急行(ただし停車駅は全線通しの急行と同様)と同様のものであった。
1964年当時は朝ラッシュ最ピーク時に主に枚方市駅 - 淀屋橋駅間で(この時の区間急行は一部を除き香里園駅・萱島駅・守口駅始発)、夕方以降に淀屋橋駅 - 八幡町駅(入庫列車は深草駅)系統を中心に運行していた。A急行と準急の停車駅の差は、豊野駅(1963年廃止)と光善寺駅のみで、1969年の京橋駅移転によるダイヤ改正で準急と統合して廃止された。
1989年9月27日から2003年9月5日まで運転されていた種別で、朝と夕方のラッシュ時や夜間を中心に運転されていた(運転区間:出町柳駅 - 淀駅・樟葉駅間、停車駅:出町柳駅 - 七条駅間の各駅・伏見稲荷駅・丹波橋駅・中書島駅 - 樟葉駅間の各駅)。
この列車の前身は三条から宇治線に直通していた急行であり、その名残りで当初は夕方ラッシュ時に樟葉行きのみを5両編成中心に運転していた。その後、1991年6月1日のダイヤ改定で朝ラッシュ時の淀発出町柳行きと夜間に淀行きが追加されたのち、2000年のダイヤ改定で夕方ラッシュ時の出町柳駅 - 樟葉駅間の列車は普通に格下げされ、同時に7両編成も登場した。2003年9月6日のダイヤ改定で、萱島駅以北各駅停車に改められた(1989年以前の形に戻った)ため、出町柳駅 - 淀駅間の準急は急行に変更された(この急行は淀駅に停車する)。
なお、大阪方面からの準急は1937年の種別設定当時は枚方東口駅(現在の枚方市駅)以北、戦後の運行再開後しばらくの間は中書島駅以北で通過駅があった(1950年から1952年は「直行」を名乗った)。1987年改定以後は、準急は淀屋橋駅 - 淀駅間のみ設定されていた。また、2003年9月の改定までは大阪方面の準急は淀駅以北には直通しなかったので、この期間は、淀屋橋駅 - 樟葉駅(一部淀駅、枚方市駅)間と、出町柳駅 - 樟葉駅・淀駅の2系統の準急がある状態であった。
1968年まで丹波橋駅 - 三条駅間に奈良電気鉄道(1963年以降は近鉄京都線)直通の急行・準急・普通が運転されていた(急行は1956年頃までおよび、1967年からの設定)。奈良電気鉄道・近鉄の車両が使用され、停車駅は1957年までの準急は各駅停車、それ以外は急行・準急とも京阪間直通の急行と同一であった。詳細は「奈良電気鉄道#京阪神急行電鉄・京阪電気鉄道との直通運転」を参照。
太平洋戦争中の1944年2月5日より、混雑時の京阪間直通の普通列車は蒲生駅(現在の京橋駅) - 守口駅(現在の守口市駅)間を通過とされた。この措置がいつ解除になったかは不詳である。その後、1956年、天満橋駅 - 三条駅間直通の普通列車(早朝および夕方 - 夜間の一部を除く)については当時の複々線区間である京橋駅 - 守口駅間が通過となった。この区間の各駅については枚方市駅(一部は豊野駅)折り返しの普通列車が停車する形になっていた。この2つの普通は案内の上では特に区別されず、どちらも「普通」であったが、角型運行標識板中の行き先の周りを赤枠で囲ったものが使用されていた。
1960年のダイヤ改定で直通列車を各駅停車に、枚方市駅折り返し列車を京橋駅 - 守口駅間通過に入れ替え、上記の「区間急行」に統合された。これにより、部内では「直行」とも称された、通過駅のある普通列車は廃止された。
2003年9月のダイヤ改正で、平日朝に交野線・私市駅発淀屋橋行きK特急「おりひめ」、夕方に天満橋発私市行き準急「ひこぼし」として新設され、交野線のホーム有効長の関係上、5両編成で運転された。2008年10月改正(中之島線開業)で中之島発着となり、「おりひめ」は通勤快急に、「ひこぼし」は深夜時間帯に運転の快速急行に変更された。末期は共に1列車のみとなり、2013年3月のダイヤ改定で廃止された(京阪特急の記事も参照)。
貨物運輸は1913年(大正2年)7月4日に開始され、1937年(昭和12年)6月時点のダイヤでは塩小路駅 - 天満橋駅間に定期貨物電車が3往復、不定期が3往復、塩小路駅始発で中書島駅から宇治線へ乗り入れ往復後に天満橋駅に向かう列車が1本設定されていた。戦後も1946年(昭和21年)2月時点で1日2往復、1953年(昭和28年)9月には1往復の定期貨物電車が運行されていた。この当時は、塩小路通りの踏切を超えたところで一旦停車、バックして駅構内に入り、大阪天満橋へは一度三条駅まで北上してから折り返して運用された。1955年(昭和30年)6月25日、貨物輸送は廃止され貨物専用駅の塩小路駅も廃駅となった。
計画時、大阪側は本来高麗橋を起点とする予定が、大阪市の圧力で天満橋駅に変更を余儀なくされ(「市営モンロー主義」を参照)、それ以来大阪中心部への乗り入れは京阪の悲願となる。
建設当初は阪神電気鉄道とともに大阪市電への乗り入れも計画していたが、車体規格の問題などで大阪市が難色を示しお流れとなった。その後、戦前には新京阪線(後述)との総合ターミナル駅建設による梅田への乗り入れ計画も立てられたが果たせず(「京阪梅田線」を参照)、開業から半世紀余りを経た1963年4月16日にようやく地下線で淀屋橋への乗り入れを果たした。
京都側も五条(現・清水五条) - 塩小路駅間が住宅密集地で用地確保に難航し、塩小路駅を起点にした営業開始も検討された。そこに京都市から鴨川と琵琶湖疏水の間の堤防上に軌道設置の提案があり、しかも市電用に取得した特許の譲渡を持ちかけられた。塩小路 - 五条間を報償金5万円、五条 - 三条間を報償金47万円で譲り受け、まず五条駅までが建設された(詳細は「京阪60型電車」を参照)。
伏見の深草地区では陸軍第十六師団の演習の支障を防ぐためとの理由で深草駅(現在の龍谷大前深草駅) - 藤森駅間にあった第一軍道 - 第三軍道は開業時から道路が京阪本線の線路を跨ぐ形で立体交差化された(現在、第十六師団駐屯地跡は聖母学院、龍谷大学、京都府警警察学校、京都教育大学などになっている)。
このほか、淀川水系の洪水対策で宇治川や木津川が付け替えられたために橋梁の位置の変更、軟弱な地盤などで軌道敷設許可から建設までには10数か所に及ぶ設計変更やルート変更が行われ、1908年9月全線の青写真が完成。同年10月から4工区に分けて随時着工され、翌1909年4月には網島工場・車庫も着工、6月には鉄道線に電気を供給する火力発電所を毛馬の閘門付近に建設、枚方と伏見に変電所を着工した。
そして開業した京阪線は、適用法規(軌道条例、後に軌道法)の関係から全区間の3分の1が併用軌道で大阪側に集中していた。また京街道の宿場を縫うように造られたためにカーブの多い路線であった。当時総務課長として線路の選定と用地買収に当たった太田光熈(のちに社長)の回想では、これでも当局や取締役の岡崎邦輔を介した政府筋への運動により、当初の特許から「併用道路を三分の一に減じて貰」った結果であったという。
1910年4月1日が開業日となるはずであったが、直前の守口変電所での変圧器の火災などで開業が15日延期された。ようやく開業にこぎつけた4月15日当日も車両故障が発生して始発電車から立ち往生する事態となり、当時の新聞にも酷評されるなど散々な目に遭った。このため、18日までの3日間は運賃を半額にするという今では考えられないサービスで汚名返上に努めた。
天満橋駅 - 五条駅間の所要時間は開業当初1時間40分で、7月から1時間30分に、大正時代に入った1912年には1時間20分まで短縮した。さらなる所要時間の短縮を狙い、1914年には日本初となる急行電車の運転を開始した。当初は深夜の運転で天満橋駅 - 五条駅間をノンストップで走り1時間で結ぶことに成功。翌1915年からは日本で初めて自動閉塞信号機を導入し、日中にも運転時間帯を拡大した。三条延伸開業後は途中、四条駅(現在の祇園四条駅)のみ停車となったが、天満橋駅 - 三条駅間の所要時間は1時間で変わらなかった。1916年からはこの急行を最急行に格上げし、主要駅停車の急行を新設した。ただし、最急行は改称後4か月で廃止されている(「京阪特急#前身」も参照)。
1917年(大正6年)、この年は京阪本線にとって最悪の1年となった。元日午後3時3分、枚方駅(現在の枚方公園駅)で停車中の普通電車に急行電車が追突、普通電車は200mも押し出され、急行電車は脱線した。事故原因は「急行電車の運転士が御屠蘇を飲んでの飲酒運転に因る前方不注意」であった。1月17日の早朝には深草車庫から出火し、客車15両・営業貨車1両・土木貨車3両と検車庫・工場・事務所を焼失した。南海鉄道より路面電車4両を借りたほか、名古屋電車製作所に車体を発注し、3月末から4月にかけて、焼け残った足回りと組み合わせた6両が到着した。さらに、同年9月25日からの「大正大水害」と呼ばれる豪雨による洪水で、10月1日に枚方東口駅 - 樟葉駅間・淀駅 - 中書島駅間で堤防が決壊し、軌道浸水・軌道流失・軌道閉塞。中書島駅西側の伏見変電所も浸水して機能停止し、枚方東口より京都側は運転不能となった。すぐに復旧工事に入るも、同月10日に再度水害に見舞われて修復が遅れ、同月11日に中書島駅 - 三条駅間、14日に淀駅 - 枚方東口駅間が運転再開、18日午前11時に淀駅 - 中書島駅間が仮復旧し、全線の運行が再開された。
昭和となった1927年には、小田急電鉄に先駆けて日本の鉄道車両で初めて「ロマンスカー」と称した初代600型を登場させ、急行に充当した。併せて、この時期には併用軌道の専用軌道化、守口駅 - 野江駅間の複々線化・立体交差化などの路線の改良、天満橋駅の改築、宇治川・木津川に架かる鉄橋の架け替えなど、後の京阪の発展につながる設備投資が重ねられた。
1922年には新京阪鉄道を設立、1928年に新京阪線(現在の阪急京都本線)天神橋筋六丁目駅 - 西院駅間を開通させた。戦中に京阪神急行電鉄(1973年に阪急電鉄と改称)に統合され、戦後の1949年に新京阪線を阪急に残した形(同時に京都本線と改称)で京阪電気鉄道として再発足した。大阪大空襲からの復興・疎開の影響による京阪間移動需要の急増を踏まえて、1950年7月には急行の所要時間を戦前と同水準とし、さらに9月には特急の運転を開始した。
終戦直後の1945年から1968年まで奈良電気鉄道線(現在の近鉄京都線)との相互直通運転も行っていた。直通運転の解消は京阪側の1966年の蒲生信号所での追突事故を受けてのATS設置・近鉄京都線の架線電圧1500V昇圧・近鉄と京阪双方の列車本数の増加に丹波橋駅の規模では対応できなくなった。などが原因と言われている(「奈良電気鉄道#京阪神急行電鉄・京阪電気鉄道との直通運転」も参照)。
また1952年に大和田駅から森ノ宮駅の間10.8kmの別線の特許を申請したり、1971年に表明した京都市伏見区三栖から分岐する「第2京阪線」の構想や、寝屋川信号所 - 交野駅(現・交野市駅)(約7km)の新線計画など、本線のバイパスとなる路線を立案したことがあったが、いずれも具体化せずに終わっている。
1960年代から70年代にかけ京阪電鉄の開業時からの悲願ともいえる天満橋駅 - 淀屋橋駅間の地下線での延長、天満橋駅 - 蒲生信号所間の高架化と複々線化、「くずはローズタウン」の開発に合わせた樟葉駅の移転、土居駅 - 寝屋川信号所間の高架複々線化事業着工などの大規模工事が次々と行われた。
架線電圧の1500Vへの昇圧について1959年に検討された際には、「1975年の輸送量が1959年の200パーセントになると仮定しても、600V電圧・7両連結で対応できる」と昇圧を見送ったが、1963年の淀屋橋地下延長線竣工後、予想をはるかに上回る利用客増加により、1965年には1959年の2倍の輸送量となった。1968年に昇圧の準備工事を開始し、1969年4月の重役会で正式に1500Vへの昇圧が決定した。当初は京都市内が地下化され路面電車との平面交差のなくなる1981年頃の実施が予定されていたが、1973年と1978年の2度のオイルショックの影響で工事費が暴騰したことと輸送量の伸びが鈍化したことで1982年頃へと先送りされ、さらに繰り下げられた。準備から15年の歳月と250億円もの費用をかけて1983年12月4日に1500Vへ昇圧を果たした。1500V化は当時の大手私鉄14社では最後である。
これは、前述の京都市電・大阪市電(いずれも架線電圧600V)との平面交差が4か所残っていたことに加えて、京津線80型の回生制動から発生する余剰電力を三条駅の変電所を通して京津線から京阪線へ両線の軌道分断後も再送電していたことなども影響している。
1978年に東福寺駅以南が軌道法に基づく軌道から当時の地方鉄道法に基づく地方鉄道に変更された。地下化工事が計画され翌1979年着工された東福寺駅 - 三条駅間は川端通の建設と京阪線地下化工事を一体化して進めるため、軌道のまま残されたが、地下化後の2013年12月20日許可で鉄道に変更されている。鴨川と琵琶湖疏水に挟まれた堤防上を走っていた同区間は1987年に地下化された。が同年7月15日集中豪雨のため四条駅北側で鴨川へ流れこむ白川の仮設堤防が決壊して川の水が地下線に流れ込み五条駅が浸水し地下区間が終日運休した。翌1988年5月に地下化に伴う付帯工事がすべて竣工。川端通が開通して、浸水事故の恐れはほぼ無くなった。
土居駅 - 寝屋川信号所間の高架複々線化工事が最終段階にかかっていた1980年2月20日の枚方市駅 - 御殿山駅間で置き石による電車脱線事故(京阪電気鉄道置石脱線事故)が発生し、以後地上区間では不法侵入防止の柵がほぼ全区間にわたって設けられた。この事故後、枚方市付近の高架化工事が本格化。枚方市駅は1993年に高架化工事は竣工した。つづいて寝屋川市駅の高架化計画が進められ、寝屋川市駅舎部分に仮線を引く用地が無く京阪で初めて直上高架方式が採用され、2002年に高架化工事が竣工した。これにより淀屋橋駅 - 寝屋川市駅間は寝屋川車庫への出入庫線を除き立体交差化された。
さらに淀駅が高架化され、現在も大阪府下で高架改良計画があるが、110km/h走行が可能となった区間は複々線の土居駅 - 野江駅間のA線(内側線)の速度制限なしの緩いカーブ1か所(土居駅 - 滝井駅間)を含む直線区間のみであり、100km/h以上で走行できる区間も、淀駅付近(105km/h制限)と、香里園駅 - 寝屋川市駅間の短い直線、門真市駅 - 大和田駅間のA線(半径600m級の100 - 105km/h制限カーブが連続する区間)、守口市駅構内付近大阪方(105km/h制限、ただし京都寄りにすぐ85km/h制限のカーブが存在する)などの比較的緩いカーブを含む区間のみでありきわめて少ない。大阪府内は開業時に併用軌道だったために軌道改良が行われ大半の区間で高速運転が可能となったが、北浜駅の京都側、枚方公園駅 - 枚方市駅間、橋本駅 - 木津川鉄橋間、龍谷大前深草駅 - 伏見稲荷駅間、東福寺駅 - 鳥羽街道駅間と、半径200 - 220mの60km/h制限のカーブ区間が至る所に存在し、淀川堤防上の京都府道・大阪府道13号京都守口線(旧京阪国道)と並んで走る樟葉駅 - 橋本駅間は堤防沿いに湾曲しカーブが随所に残っており、いまだ「京阪電気鉄道カーブ式会社」と揶揄されることもある。
2020年(令和2年)度の最混雑区間(下り線、野江駅 → 京橋駅間)の混雑率は97%(7:20 - 8:20の間に通過する列車の平均)である。
当路線は1933年(昭和8年)に蒲生信号所 - 守口駅(現・守口市駅)間が複々線化された。この区間は全国の大手私鉄で初めての方向別複々線となったが、蒲生信号所は野江駅 - 京橋駅間の最混雑区間に設けられており、京橋駅の手前で複線となっていたために本数の増加に限度があった。戦後、大阪市近郊でドーナツ化現象が生じると輸送人員が急増し、朝ラッシュ時の混雑率は1965年(昭和40年)度に240%を記録した。
1970年(昭和45年)に複々線が天満橋駅まで延伸されると蒲生信号所のボトルネックは解消し、運転本数の増加が可能となった。混雑率は依然として200%を超えていたが、1977年(昭和42年)に大阪市営地下鉄谷町線が守口駅まで延伸開業して並行路線となったことにより、1978年(昭和53年)度に混雑率が190%を下回った。
それ以降も混雑緩和のために運転本数の増加がダイヤ改正の度に繰り返され、1996年(平成8年)度から朝ラッシュ時に毎時46本が運転されるようになった。しかし、1991年(平成3年)度をピークに輸送人員は減少し、2000年代に混雑率が120%程度まで減少した。そのため運転本数も減少が続き、2021年(令和3年)に毎時32本まで減少した。
寝屋川信号所より上り方の複線区間にある寝屋川市駅、香里園駅、枚方市駅、樟葉駅の4駅は一日平均乗降人員が5万人を越えており、複々線区間は内側線を走行する優等列車の本数が多い。
平日ダイヤの朝ラッシュ下りピーク時間帯における通勤準急・通勤快急の運行は、守口市駅を通過し平行ダイヤとすることで急行線(A線)の運転間隔を詰めて運行本数を増やす目的がある。そのため同時間帯の区間急行には京橋駅まで緩行線(B線)を走行する列車がある。
近年の輸送実績を下表に記す。表中、最高値を赤色で、最高値を記録した年度以降の最低値を青色で、最高値を記録した年度以前の最低値を緑色で表記している。
前述のような歴史的経緯から、京阪本線では距離を示すキロポストが2つに分かれている。(矢印の方向にキロ数が増える)
京阪線のすべての駅(中之島線・交野線・宇治線・鴨東線も含む)にはPiTaPaやICOCAなどの交通系ICカードに対応した自動券売機・自動改札機が、拠点駅には自動定期券発行機が設置されている。
駅改札内の売店「セカンドポシェ(Second Poche)」のほとんどは閉店し、自動販売機のみとなっている。京橋駅・枚方市駅・丹波橋駅・三条駅などには、改札内に書店・ドラッグストア・駅中商店街、喫茶店などの専門店舗やコンビニ「アンスリー」や「ジュ―サーバー」を設けるなど集約と整理が行われている。
京阪線の駅では省力化が進み、2015年3月には駅員が遠隔操作で対応できる「他駅サポートシステム」を導入、併せて列車の遅延や運休などの情報を視覚的かつ速やかに提供可能な「旅客案内ディスプレイ」の設置を2016年3月から開始して2017年11月に完了し、2019年12月からは「NHK非常災害時緊急放送」の配信機能が追加された。
また乗降客の多い駅には金融機関と提携して駅構内にATMを設置、インバウンド観光客の利用の多い京都市内の三条駅・祇園四条駅・清水五条駅・伏見稲荷駅や、鴨東線出町柳駅・宇治線宇治駅には12か国の通貨に対応した外貨自動両替機を設置、伏見稲荷駅と東福寺以北の駅(鴨東線を含む)には観光総合案内板を設置した。また、祇園四条駅・北浜駅への観光案内所の設置や、駅構内の案内放送を一部4か国語(日英中韓)対応とするなど、利用客の国際化に対応している。
その他、2016年度より駅トイレのリニューアルを開始、清潔感の向上を基本に、高齢者子育て世代にも安心して利用できる機能を備えたトイレ空間づくりを目指し、併せてトイレ個室の洋式化については京阪線60駅(中之島線・交野線・宇治線・鴨東線も含む)のうち、2020年3月31日時点で43駅が完了している。
京阪本線の駅のバリアフリー対策は、1976年11月、香里園駅のホームへの視覚障害者用点字ブロックの整備から始まり、1981年2月8日までに京阪線全駅に整備されたほか、1979年1月、主要12駅に点字運賃表が整備され、現在では全駅に整備されている。
車いす対応エレベーターの設置は、京阪線鴨川沿いの地下化に伴い1987年5月に三条駅と四条駅(現・祇園四条駅)の地上からホーム階までと、五条駅(現・清水五条駅)のホーム階とコンコース階に設置されたのを皮切りに、2018年12月1日現在では鳥羽街道駅を除きエレベーターもしくはスロープの設置された車いす対応の駅となっている。なお、車いす利用者のホームと電車の段差を橋渡しする「折りたたみ式の渡し板」は1998年12月19日までに京阪線のすべての駅に配置された。
さらに『高齢者、障害者等の移動等の円滑化の促進に関する法律(通称バリアフリー新法)』の基本方針に沿って、スロープの改良やエレベーターの設置が進められたほか、2010年3月24日までに全駅・全ホーム縁端の点字ブロックに内方線の設置が行われた。また、地下駅出入り口の誘導鈴は2013年12月26日までに音声案内に更新された。京都地下線の駅では2014年秋から2015年春にかけてエレベーターの更新工事が行われた。
駅の改良工事に併せて、身障者対応に加えオムツ交換台などを備えた「多目的トイレ」も整備されており、古い規格で設置された多目的トイレでは一部にオストメイト対応設備の取り付け工事も行われている。
2010年12月八幡市駅(現・石清水八幡宮駅)の改修工事に伴い家電メーカーの協力で照明をすべてLED化するなど省エネ化を図っていたが、2011年の東日本大震災に伴う原子力発電の停止に伴い、一部の照明装置を消灯するなどの運用面やカーブになっているプラットホームの足下灯を更新時にLEDに変えることなどで節電を図っていた。
さらに一般社団法人「低炭素社会創出促進協会」から補助を受け2015年春までに三条駅・祇園四条駅・清水五条駅・七条駅の照明がすべてLED照明に取り換えられた。合わせて京都市内の地下線のトンネル内の照明もLED化したため年間100万kWhの電力量の削減が見込まれている。2015年度の深草駅(現在の龍谷大前深草駅)の建て替え時にはLED照明が全面的に採用された。
駅構内もカーブになっている箇所が多数あり、そのために1965年9月に七条駅京都行ホームに監視カメラと車掌用モニターの設置が始まり、現在多くの駅にホーム監視カメラとカラー液晶モニターが設置されている。2014年12月、ホーム上から線路への転落などを通報可能な異常通報装置の京阪線全駅への設置が完了した、また、プラットホームと電車の間が広く開く中書島駅・石清水八幡宮駅・光善寺駅には足下灯の設置・転落検知マットが設置されている。光善寺駅京都行ホームには「注意喚起シート(紅白縞模様)」が設置され、つづいて中書島駅・祇園四条駅・京橋駅などにも設置された。
また京都地下線の開通時に洪水時の浸水対策として地下駅構内への出入り口に可動式の止水板が設置された。その後、大阪側の地下線にも設置され、定期的に設置訓練が行われている。
駅のホームドアは、まず京橋駅への設置が決定し、対応困難な5扉車5000系の置き換えを前倒しすることとなった。5000系は2021年9月4日で営業運転を終了し、2022年2月までに京橋駅1・2番線でホームドアの供用を開始した。
2021年4月までに、鳥羽街道駅、藤森駅、墨染駅、橋本駅、土居駅、滝井駅、千林駅、森小路駅、関目駅、野江駅の10駅が終日無人駅となった。
正月など観光客の多い時期には多数の係員が配置される伏見稲荷駅についても基本的には終日無人駅となっている。
その他、一部時間帯において係員不在となる駅が多数ある。
大阪府内の駅は大阪府統計年鑑、京都府内の駅は京都市統計書による(いずれも2021年のデータ)。
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"text": "大阪市のビジネス街にある淀屋橋駅から、大阪環状線との乗り換え駅である京橋駅、郊外のベッドタウンにある枚方市駅、京都市随一の繁華街である四条通に位置する祇園四条駅を経て、三条駅までを結ぶ都市間鉄道(インターアーバン)である。三条駅から京阪本線の実質的な延長路線である鴨東線に直通して出町柳駅まで至り、鴨東線とは一体的なダイヤ体系で運行されている。また、天満橋駅から分岐して大阪市北区のビジネス街である中之島地区を通る中之島線にも一部の列車が直通する。宇治線・交野線との直通運転は、かつては行われていたものの廃止されている。",
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"text": "路線名及び会社名は京都と大阪を結ぶ鉄道路線であることに由来している。同じく大阪と京都を結んでいるJR京都線(東海道本線)や阪急京都本線は大部分で淀川の北側(右岸)を通るのに対し、京阪本線は大部分で淀川の南側(左岸)を通り、それぞれ大阪側・京都側のターミナル位置が異なるため棲み分けがなされており、JRや阪急との直接的な競合は存在しない。また、大阪 - 京都間を直線的に結ぶJRや阪急に対し、京阪本線は京街道に沿って伏見宿、淀宿、枚方宿、守口宿といった江戸時代からの宿場街を縫うように結んでいることから、比較的細かな曲線が多く、路線距離が長い。乗車時間も長くなるが、大阪と京都の歴史的な都心を直結する利便性に加え、「ダブルデッカー」(2階建て車両)や有料座席指定特別車両「プレミアムカー」を連結する、居住性に優れた専用車両による特急を運行しており、「京阪特急」の愛称で親しまれている。",
"title": "概要"
},
{
"paragraph_id": 6,
"tag": "p",
"text": "このほか、大阪側の野江駅 - 守口市駅間ではOsaka Metro谷町線と、京都側の中書島駅 - 東福寺駅間ではJR奈良線、近鉄京都線と並行している。",
"title": "概要"
},
{
"paragraph_id": 7,
"tag": "p",
"text": "京阪本線は『鉄道要覧』では大阪の淀屋橋駅を起点として記載されているが、運行上の起点駅は京都の三条駅であり、京都から大阪に向かう列車が「下り」、その逆が「上り」となる(片町線や阪急京都本線も同様)。",
"title": "概要"
},
{
"paragraph_id": 8,
"tag": "p",
"text": "大阪市内の淀屋橋駅 - 天満橋駅間と京都市内の七条駅 - 三条駅間は地下線となっている。東福寺駅 - 三条駅間は軌道法に基づく軌道となっていたが2013年12月20日許可で鉄道事業法に基づく鉄道に変更されている。また、天満橋駅 - 寝屋川信号所間の12.5kmは関西大手私鉄最長の複々線となっており、列車種別によって走行する線路を使い分けることによって列車本数が多いダイヤ設定を可能としている。",
"title": "概要"
},
{
"paragraph_id": 9,
"tag": "p",
"text": "立体交差工事やバリアフリー対応の工事は比較的進んでいる。主な大規模工事として、1970年の天満橋駅 - 蒲生信号所間の複々線立体交差化に始まり、土居駅 - 寝屋川信号所間の複々線高架化が1982年に竣工し、既存の複々線とあわせて天満橋駅から12.5kmの複々線と淀屋橋駅 - 寝屋川信号所間14.1kmが立体交差化された。1987年には京都市内の地下線(東福寺駅 - 三条駅間)が完成し、この地下新駅から車イス対応エレベーターや多目的トイレが設置されている(「駅のバリアフリー対策」の節も参照)。",
"title": "概要"
},
{
"paragraph_id": 10,
"tag": "p",
"text": "1993年に枚方市駅が、1999年に寝屋川市駅が、2011年に淀駅が高架化された。淀屋橋駅から寝屋川市の寝屋川6号踏切までの約15kmが立体交差化されている。2022年現在、寝屋川市駅 - 枚方市駅間で連続立体交差事業(鉄道高架橋新設工事)を施行している。2028年度以降に完了する予定である。",
"title": "概要"
},
{
"paragraph_id": 11,
"tag": "p",
"text": "本節では、京阪本線と一体的な運用を行っている鴨東線についても記述する。",
"title": "沿線風景"
},
{
"paragraph_id": 12,
"tag": "p",
"text": "起点である淀屋橋駅はOsaka Metro御堂筋線と接続する地下駅で、付近は大阪市役所や中之島公会堂、中之島図書館があるなど大阪屈指の官庁街である。Osaka Metro堺筋線との接続駅で大阪取引所(旧・大阪証券取引所)最寄駅の北浜駅を過ぎると中之島線と合流し、Osaka Metro谷町線と接続する天満橋駅に着く。1963年の淀屋橋地下延長線開通までは天満橋駅が起点で、北寄りの地上駅跡にはOMMビルが建っている。駅のメインテナントは松坂屋であったが、現在は「京阪シティモール」となり、メインテナントとしてエディオンやジュンク堂書店が入居している。天満橋駅から複々線となって、地上に出て寝屋川を渡り、高架に上がると京橋駅に着く。京橋駅は大阪環状線・JR東西線・学研都市線との接続駅であり、周辺は1990年の大阪花の万博を機に大阪ビジネスパーク (OBP) など急激に再開発が進んだ地域の一つである。",
"title": "沿線風景"
},
{
"paragraph_id": 13,
"tag": "p",
"text": "京橋駅を過ぎると方向別複々線となって、内側2線を主に優等列車が、外側2線を主に普通列車が使用するため複々線区間の多くの駅には内側線にホームが設けられていない。大阪環状線をまたぎ、北にカーブしておおさか東線をくぐると野江駅、Osaka Metro今里筋線の接続駅である関目駅、阪神高速道路12号森小路線をくぐり森小路駅を過ぎるとダイエー発祥の地(現在は閉店)がある千林商店街のある千林駅、守口市に入って滝井駅、土居駅と800mほどの距離で3駅が密集する区間を通り、京阪百貨店がある守口市駅に着く。内側線にもホームがあり、快速急行停車駅ではあるが、平日朝ラッシュ時の下りはほとんどの優等列車が通過するのも特徴である。守口市駅までは直線が続いていたが、この駅を過ぎると徐々にカーブが増えていく。大手家電メーカーパナソニックの本社工場の最寄り駅である西三荘駅で門真市に入って一旦地上に降り、近畿自動車道・大阪中央環状線をくぐって大阪モノレールの接続駅である門真市駅を過ぎると再び高架を上がる。大阪府門真運転免許試験場の最寄り駅の古川橋駅、大和田駅を過ぎると寝屋川市に入り、萱島駅に到着する。内側線にもホームがあり、下りホームと屋根を突き抜けて生えているクスノキで知られる。複々線は事実上この駅までで、普通や区間急行を中心に始終着列車が多い。",
"title": "沿線風景"
},
{
"paragraph_id": 14,
"tag": "p",
"text": "萱島駅を過ぎると複々線の外側2線は高架を降りて寝屋川信号所につながる回送線となり、営業線は複線となる。程なく右手に寝屋川車庫・寝屋川車両工場が見え、寝屋川市駅を過ぎると高架を降り、成田山不動尊の最寄り駅で待避設備のある香里園駅に着く。枚方市に入り光善寺駅を過ぎて国道1号(枚方バイパス)をくぐり、右手にひらかたパークが見えると枚方公園駅を過ぎ、大きくカーブして高架に上がると特急停車駅で交野線と接続する枚方市駅に着く。枚方市駅を出ると地上に降りて、御殿山駅、牧野駅を過ぎると、左にカーブして急勾配を上がり、右に曲がる。架線方式がコンパウンドカテナリー式からシンプルカテナリー式に変わり、しばらく走れば京阪本線で大阪府内の最も東側にあり、くずはモールの最寄り駅で特急停車駅の樟葉駅に到着する。樟葉駅では京都府の八幡市や久御山町方面に向かう京阪バスが発着することもあり、京都府民の利用客が多いことや始発着列車が多いこと、周辺部は京阪電気鉄道が積極的に不動産事業を展開したことが特徴である。",
"title": "沿線風景"
},
{
"paragraph_id": 15,
"tag": "p",
"text": "樟葉駅から先は車窓が一変し、前方には山上に石清水八幡宮がある男山も見えてくる。京都府に入り橋本駅を過ぎると、減速しながら右にカーブして、石清水八幡宮の最寄り駅の石清水八幡宮駅に着く。石清水八幡宮へは参道を歩いて登るほか、隣接するケーブル八幡宮口駅からケーブルカー(石清水八幡宮参道ケーブル)も発着している。石清水八幡宮駅を過ぎると木津川を京阪最長の鉄橋で渡り、洛南浄化センター(京都府下最大の下水処理場)を右に見ながら築堤上を左にカーブし京滋バイパスの高架橋をくぐる。そして宇治川を渡って京都市に入り右にカーブすると、左右には京阪本線のもう一つの車庫である淀車庫が見えてくる。そのまま進むと進行方向右手に改修中の京都競馬場を望む淀駅に着く。淀駅はかつて淀城跡の近くにあったが、2011年5月に現在地に移転高架化した。また車庫の最寄り駅でもあるために出町柳方面行きを中心に始終着列車が設定されている。さらに東に進んで国道1号(枚方バイパス)、第二京阪道路を潜り、減速して右にカーブすれば、宇治線との接続駅の中書島駅に到着する。駅南側には三十石船の置かれた伏見港公園が整備され、駅北側には幕末時代に重要な舞台となった寺田屋があるなど昔ながらの街並みが残っている。",
"title": "沿線風景"
},
{
"paragraph_id": 16,
"tag": "p",
"text": "中書島駅を出ると進行方向を北に変え、住宅密集地の狭い空間を走る。左にほぼ90度カーブすると伏見区の中心駅である伏見桃山駅。駅前方の伏見大手筋商店街を越え右に左にカーブを切りながら坂を上がっていくと、すぐに近鉄京都線との連絡駅である丹波橋駅に到着する。かつて近鉄京都線と直通運転を行っていた線路跡を、淀屋橋寄りと三条寄り双方に垣間見ることができる。丹波橋駅を出て、立体交差で近鉄京都線を乗り越え墨染駅、続いて名神高速道路を潜ったところにある藤森駅を過ぎると、龍谷大学(深草校舎)の最寄り駅で待避設備のある龍谷大前深草駅に着く。かつては深草車庫が併設されていたが1980年に閉鎖され、電留線が1線残っていたが、2代目橋上駅舎の新築工事で撤去されている。急カーブを過ぎると伏見稲荷大社の最寄り駅の伏見稲荷駅、鳥羽街道駅を出ると、急勾配の右急カーブを上がって、JR奈良線を乗り越え、急勾配の左急カーブを下りればJR奈良線と接続する東福寺駅に到着する。",
"title": "沿線風景"
},
{
"paragraph_id": 17,
"tag": "p",
"text": "左側に大手ゲーム機メーカー任天堂の京都リサーチセンター(1959年から2000年までの本社)が見え、東海道新幹線・東海道本線(琵琶湖線)を潜ると京都地下線に入り、三十三間堂、京都女子大学の最寄り駅七条駅に到着する。右にカーブしながら清水寺の最寄り駅である清水五条駅、八坂神社や京都随一の繁華街四条通の最寄り駅である祇園四条駅を経て、その先の勾配を上がると京都市営地下鉄東西線と接続する三条駅に到着する。かつては地上の京津三条駅から京津線が発着していたが、1997年の廃止後は地下鉄東西線との直通運転により接続している。地元では「三条京阪」の名称で親しまれており、バスターミナルなども併設されている。かつては京阪における京都側の一大拠点であったが、鉄道網の充実により拠点性が低下している。七条駅 - 三条駅間の地上線時代は琵琶湖疏水と併走し、京阪線の見所の一つでもあった。",
"title": "沿線風景"
},
{
"paragraph_id": 18,
"tag": "p",
"text": "京阪本線の正式な終点は三条駅であるが、ほとんどの列車は三条駅で折り返すことなく出町柳駅まで続く鴨東線に直通する。平安神宮や京都御所の最寄り駅の神宮丸太町駅を過ぎると京都大学(吉田キャンパス)、同志社大学(今出川キャンパス)や下鴨神社の最寄り駅で鴨東線の終点の出町柳駅に着く。地上からは洛北方面に向かう叡山電鉄が発着していて、行楽シーズンには混雑する。",
"title": "沿線風景"
},
{
"paragraph_id": 19,
"tag": "p",
"text": "三条駅に発着する大半の列車が鴨東線出町柳駅まで直通運転を行っており、一部の列車は天満橋駅から中之島線中之島駅まで直通運転を行っている。そのため、両線との運行形態も併せて記述する。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 20,
"tag": "p",
"text": "以下に種別ごとの詳細を示す。特記なければ通常期の運行形態について記す(ダイヤ乱れによる運用変更については、この限りではない)。年末年始に実施される正月ダイヤについては「年末年始」の節を、そのほかの臨時ダイヤについては「臨時列車」「臨時ダイヤ」の節も参照。また、快速特急・ライナー・特急・通勤快急・快速急行の詳細については「京阪特急」も参照。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 21,
"tag": "p",
"text": "京阪本線の列車種別は、快速特急「洛楽」、ライナー、特急、通勤快急、快速急行、急行、通勤準急、準急、区間急行、普通の計10種別がある。なお、これは日本国内大手私鉄最多の種別数となっている。現行ダイヤでの基本種別は特急、快速急行、準急、普通の4種別で、平日ダイヤは10種別全てが、土休日ダイヤはライナー、通勤快急、通勤準急を除く7種別が運行される。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 22,
"tag": "p",
"text": "各種別の現行の全停車駅は#駅一覧を参照。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 23,
"tag": "p",
"text": "2023年8月26日改定の現行ダイヤでは、平日は9時台に上り1本、17時台に下り1本が、土休日は9 - 10時台に上り4本、15 - 17時台に下り5本が淀屋橋駅 - 出町柳駅間で運転される。京橋駅 - 七条駅間をノンストップ・最速33分で結び、平日の下り・土休日の上りは特急車8000系、それ以外は3000系(2代)で運転される。ただし、やむを得ず一般車8両編成での運転となる場合がある。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 24,
"tag": "p",
"text": "祇園・東山エリアや、大原・貴船・鞍馬方面、京都(八瀬) - 比叡山 - びわ湖(坂本)をつなぐ周遊ルート「山と水と光の廻廊」への観光創造を目的に設定されており、平日は鴨東線・叡山電車沿線との通勤通学需要にも対応する。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 25,
"tag": "p",
"text": "2011年秋から2016年正月までは行楽期限定で運行されていたが(後述)、2016年3月19日のダイヤ改定より、土休日ダイヤ限定で定期運転(5往復)されることとなった。京橋駅 - 七条駅間ノンストップ列車の定期運転は2000年6月までの特急以来約16年ぶりであった。2017年2月25日ダイヤ改定からは平日にも運転を開始(2往復)し、毎日運転となった。使用車両は臨時運行時代から8000系限定であったが、同改定からは3000系(2代)が加わった(同ダイヤでは行楽期を除き全列車3000系で運転)。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 26,
"tag": "p",
"text": "2011年10月22日 - 12月4日の土休日に臨時快速特急「ノンストップ京阪特急」として淀屋橋発出町柳行きが運行された。翌年春(2012年3月24日 - 6月3日の土休日)の運行に向けて愛称を公募、「洛楽」の列車愛称が与えられ、以後春秋行楽期の土休日に運行されるようになった。臨時運行時代は前後の定期特急が一般車に差し替えられていた。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 27,
"tag": "p",
"text": "2014年以降正月ダイヤにも設定され(「洛楽初詣」、翌年以降「洛楽」に統一)、下り(出町柳発淀屋橋行き)も運転されるようになった。2017年6月からは種別名に愛称を加えた「快速特急 洛楽」と案内されるようになった。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 28,
"tag": "p",
"text": "有料座席指定特別車両「プレミアムカー」の連結は、2017年8月の運行開始当初、行楽期の土休日のみ(3000系→8000系に変更)であったが、2018年9月15日のダイヤ改定で行楽期を除く土休日にも拡大された。正月ダイヤでは2往復がプレミアムカー連結(8000系)となっていた。2021年1月31日ダイヤ改定(3000系プレミアムカー運行開始)より全列車連結となっている。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 29,
"tag": "p",
"text": "2008年10月 - 2011年5月の平日夕ラッシュ時から夜間に、上り淀屋橋発出町柳行きのみ運転されていた快速特急(中書島駅・丹波橋駅にも停車)については「旧・快速特急」を参照。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 30,
"tag": "p",
"text": "平日の通勤時間帯に特急車8000系で運転される全車両座席指定の列車である。乗車には運賃のほかにライナー券(300円または380円・一部区間を除く)またはプレミアムカー券(400円または500円)が必要である。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 31,
"tag": "p",
"text": "2023年8月26日改定ダイヤでは、朝に下り淀屋橋行きが出町柳・三条・枚方市発それぞれ1本ずつと、樟葉発3本の計6本(概ね20分間隔)、夜に上り出町柳行きが5本(淀屋橋駅17時 - 20時台)、下り出町柳発淀屋橋行き1本が運行されている。停車駅は朝の樟葉発・枚方市発の便は通勤快急と、その他は特急と同じであるが、一般列車優先のダイヤであることや誤乗防止のため駅停車時間が長く、所要時間は特急や通勤快急に比べて長い。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 32,
"tag": "p",
"text": "2017年8月21日より運行を開始。当初は平日朝の淀屋橋行き2本(枚方市発・樟葉発1本ずつ)の運行で、京橋駅までノンストップであった。2018年9月15日のダイヤ改定で特急と同じ停車駅となり、平日朝に樟葉発を1本増発し、従来樟葉発であった列車が出町柳発に延長され、夜間には出町柳行き2本が設定された。2021年1月31日改定で平日朝に三条発の列車が増発された。2021年9月25日改定で、朝に樟葉始発1本、夜に出町柳行き2本が増発された。2023年8月26日改定で朝の下り・夕方の上り共に増発されたほか、夕方に出町柳発淀屋橋行きが1本新設された。またこの改定で、朝の樟葉発3本、枚方市発1本の4本が香里園・寝屋川市に停車するようになった。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 33,
"tag": "p",
"text": "沿線の石清水八幡宮にちなむ特急シンボルマーク「鳩マーク」とともに、「京阪特急」として親しまれている。終日にわたって運転され、原則淀屋橋駅 - 出町柳駅間の運転であるが、平日朝には枚方市発淀屋橋行きが1本、深夜には淀屋橋発三条行き(三条駅で普通出町柳行きに変更して運転)と出町柳発枚方市行きがそれぞれ1本設定されている。中之島線への乗り入れは春秋行楽期や競馬開催時の臨時列車のみである。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 34,
"tag": "p",
"text": "2003年(平成15年)9月6日のダイヤ改正で日中10分間隔運転(枚方市・樟葉駅に追加停車)となって以降、ダイヤ改正・改定のたびにK特急・快速特急から置き換わる形で運転時間帯が拡大され、10分間隔での運転が定着していたが、行楽利用の多い路線であることから不要不急の外出自粛の影響が大きく、2021年9月25日のダイヤ改定で平日ラッシュ時下りや早朝・深夜を除いて概ね15分間隔(平日15時以降は概ね12分間隔)での運転となっている。各駅停車との連絡については「準急・通勤準急」の節を参照。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 35,
"tag": "p",
"text": "車両は、ダブルデッカー(2階建て車両・4号車)連結の特急車8000系を中心に、3000系(2代)も充当され、共に6号車には有料座席指定特別車両「プレミアムカー」が連結される。2021年現在、一般車の充当は朝ラッシュ下りや夕ラッシュ上り、深夜を中心に平日ダイヤ12本、土休日ダイヤ5本となっている。使用車両は駅掲出の時刻表(京阪電車ホームページでも公開)で判別可能である。なお、平日朝ラッシュ時の1号車(京都方先頭車)は女性専用車両となる。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 36,
"tag": "p",
"text": "淀屋橋駅 - 出町柳駅間の標準所要時間は53 - 54分(ラッシュ時は60分前後の列車も存在)で、前述の通り乗車時間は長くなるが、大阪のオフィス街・官公庁街・繁華街(御堂筋・船場・谷町・京橋・OBP)、京都の祇園・四条河原町・東山・洛北へのアクセスの良さから利便性は高く、行楽客を中心にリピーターも多い。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 37,
"tag": "p",
"text": "方向幕の色は赤地に白文字で、「K特急」が設定された2003年9月6日のダイヤ改正を機に使用開始された。1989年使用開始の英字入り幕は黒地に赤文字、それ以前(3000系(初代))は白地に赤文字であった。なお、当時2600系は「K特急」入りの幕に交換されず、K特急「おりひめ」では黒地に赤文字の特急幕を表示した。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 38,
"tag": "p",
"text": "2000年7月1日ダイヤ改正で中書島駅・丹波橋駅に終日停車となるまでは、京橋駅 - 七条駅間ノンストップで運転されていた(平日朝ラッシュ時の下りのみ1993年1月改正より中書島駅、1997年3月改正より枚方市駅にも停車)。ただし、『くらわんか花火大会』開催時(毎年8月の最終日曜日)には枚方市駅(1998年以前は樟葉駅)に上り下りとも臨時停車していた。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 39,
"tag": "p",
"text": "2008年10月19日ダイヤ改正(中之島線開業)以降の運行の変遷については「京阪特急」を参照。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 40,
"tag": "p",
"text": "特急に準ずる優等列車で、特急停車駅に加えて守口市駅・寝屋川市駅・香里園駅に停車する種別である。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 41,
"tag": "p",
"text": "ほぼ終日運転され、日中に淀屋橋駅 - 出町柳駅間で毎時2本運転される列車は原則「プレミアムカー」連結の3000系(本節では2代)が充当される。また、平日夕ラッシュ時から夜間にかけて多数の淀屋橋発樟葉行きが運転されている。そのほか、平日朝には淀屋橋発枚方市行き、寝屋川市発出町柳行き、枚方市発淀屋橋行きが、平日夕方には唯一の中之島発である樟葉行き、休日夜間には3000系で運転の淀屋橋発樟葉行きがそれぞれ1本ずつ設定されている。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 42,
"tag": "p",
"text": "平日ダイヤの淀屋橋9時台発の1本と、出町柳17時台発の1本が枚方市駅でそれぞれ快速特急「洛楽」を待避する。それ以外の列車は全区間で先着する。また、京都競馬開催時の土休日には夕方の下り列車の一部(2022年現在では2本)が淀駅に臨時停車する。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 43,
"tag": "p",
"text": "夕ラッシュ時の上り列車は樟葉駅折り返しの急行を補完し、出町柳駅発の列車は快速特急が通過する特急停車駅の乗車機会を確保する役割を担う。これらの快速急行は基本的に8両または7両編成の一般車が用いられる。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 44,
"tag": "p",
"text": "通勤快急は快速急行の停車駅から守口市駅を除外した種別で、平日朝に下りのみ運転される。樟葉発淀屋橋行きが2本、樟葉発中之島行きが1本、出町柳発中之島行きが1本設定されている。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 45,
"tag": "p",
"text": "種別幕の表示は両種別ともに紫色である。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 46,
"tag": "p",
"text": "通勤快急はこの名称が正式な列車種別名であり、「通勤快速急行」とは称さない。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 47,
"tag": "p",
"text": "2008年10月19日の中之島線開業にあわせて中之島駅発着の最速達種別として新設された。それまでの急行を置き換える形でほぼ終日運転され、平日ラッシュ時の一部列車を除き3000系が充当された。競馬開催日には、朝から夕方にかけて競馬場最寄りの淀駅にも臨時停車していた(出町柳発7時40分 - 17時40分と中之島発7時30分 - 17時00分)。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 48,
"tag": "p",
"text": "その後、2009年9月のダイヤ一部改定では、平日夕方ピーク時間帯の出町柳行きが淀屋橋発の急行樟葉行きに変更された。平日夕ラッシュ時以降の中之島発の列車は三条行き(20時以降は樟葉行き)となったほか、一部は普通に変更された。三条行きは樟葉駅で快速特急の通過待避を行っていた。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 49,
"tag": "p",
"text": "2011年5月のダイヤ改定で淀屋橋駅 - 枚方市駅間の特急と統合する形で日中の運転が廃止された。また、夕方の三条行きは樟葉行きに短縮された。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 50,
"tag": "p",
"text": "さらに、2013年3月のダイヤ改定により中之島駅 - 出町柳駅間の運転は平日朝ラッシュ時に限られ、この時間以外に運行される快速急行について、平日は、上りは中之島発樟葉行き・下りは出町柳発淀屋橋行きとなっている。土・休日ダイヤにおいては朝と夜間の出町柳発淀屋橋行きのみとなった。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 51,
"tag": "p",
"text": "2016年3月19日のダイヤ改定では、初めて7両編成の列車が設定された。また、通勤快急1本が淀屋橋行きに変更され、平日夕ラッシュ時に3000系運用が再設定されたほか、土休日朝に淀屋橋発出町柳行き・樟葉発淀屋橋行き、夕方に淀屋橋行きが設定された。中之島線開業から続いた中之島駅 - 出町柳駅間通しの快速急行は上り下り共に廃止され、中之島行きは平日枚方市駅始発の1本を残すのみとなったほか、深夜の出町柳発淀屋橋行きが廃止された。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 52,
"tag": "p",
"text": "2017年2月25日のダイヤ改定では、平日夕方から夜間の中之島発樟葉行きの列車がすべて淀屋橋発に変更(21時台は急行に変更)となり、中之島駅を始発とする快速急行は平日朝の樟葉行き2本にまで減少した。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 53,
"tag": "p",
"text": "2017年8月20日のダイヤ改定では、平日朝の樟葉行き1本も淀屋橋発に変更されたため、中之島駅を発着する快速急行は上下1本ずつのみとなった。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 54,
"tag": "p",
"text": "2018年9月15日のダイヤ改定では、平日朝に初めて寝屋川市発出町柳行きが3000系で設定された。一方、同系列充当の通勤快急と平日夕方の樟葉行きは一般車に変更されたほか、平日夜の樟葉行きにも7両編成の列車が設定された。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 55,
"tag": "p",
"text": "2021年1月31日のダイヤ改定では、三条始発の通勤快急が全て出町柳発となったほか、樟葉始発が1本新設された。平日朝の枚方市発の快速急行が淀屋橋行きとなり、中之島行き快速急行の設定がなくなった。深夜の交野線最終連絡・淀屋橋発樟葉行き特急が直後の準急と統合されて快速急行となり、再び土休日上りにも設定された。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 56,
"tag": "p",
"text": "2021年9月25日のダイヤ改定では、日中に「プレミアムカー」連結の3000系で運転される快速急行が毎時2本設定された。通勤快急の運転は、出町柳発4本・樟葉発1本の計5本から出町柳発1本・樟葉発3本の計4本に減少した。なお、通勤快急には3000系は充当されない。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 57,
"tag": "p",
"text": "急行は、特急が通過する主要駅に加え、行楽(初詣)利用の多い駅にも停車する種別である。淀駅には、同駅を始発・終着とする列車と、競馬開催時(臨時停車)のみ停車する。中之島線への乗り入れは競馬開催時の臨時列車のみである。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 58,
"tag": "p",
"text": "淀屋橋駅 - 出町柳駅間の列車のほか、朝夕ラッシュ時には淀屋橋駅 - 樟葉駅間の列車が、早朝には寝屋川市発出町柳行き、平日朝には淀屋橋発枚方市行き、早朝・平日夕方・夜には淀車庫への出入庫や土休日の京都競馬場への利便を兼ねた淀駅発着の区間列車(淀屋橋駅 - 淀駅・淀駅 - 出町柳駅間)がある(京都側の準急も参照)。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 59,
"tag": "p",
"text": "土休日の淀屋橋発9時 - 10時台には、上り快速特急「洛楽」を枚方市駅で待避する便が4本運行され、快速特急が通過する特急停車駅を補完しつつ、ひらかたパーク、石清水八幡宮、京都競馬場(競馬開催日に淀駅に臨時停車)、伏見稲荷大社、東山といった沿線の観光・行楽需要に対応している。快速特急・特急待避がない多くの列車が全区間で先着する。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 60,
"tag": "p",
"text": "方向幕の色は橙色に白文字で、1989年の7000系(英字入り幕)登場時から使用されている。6000系登場以前は白地に赤文字、以降は赤地に白文字であった。運行標識板は丸形で、淀屋橋駅 - 三条駅(出町柳駅)間の列車が赤地に白文字、淀屋橋駅 - 樟葉駅間の列車が白地に赤文字であった。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 61,
"tag": "p",
"text": "急行は長らく、終日運転される主力優等種別であった。淀屋橋開業後の1964年当時の途中停車駅は四条駅(現在の祇園四条駅)・七条駅・伏見稲荷駅・丹波橋駅・中書島駅・八幡町駅(現在の石清水八幡宮駅)・枚方市駅・香里園駅・京橋駅・天満橋駅・北浜駅(1961年12月以降は日中は枚方公園駅にも停車)であり、現在の快速急行並みの停車駅数であったが、徐々に停車駅が増え、現在では全運転区間の約半数の駅に停車している。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 62,
"tag": "p",
"text": "1971年8月の樟葉駅移転改良工事完成に伴うダイヤ改正で、日中20分間隔から15分間隔に増発されて以降は、樟葉駅または丹波橋駅で特急を待避するようになった。8両編成運転は枚方市駅高架化工事(下り線の仮線移設)に伴い1985年から開始され、当初は朝夕ラッシュ時の樟葉駅で折り返す列車のみであったが、1987年の京都地下線(東福寺駅 - 三条駅間)の開業で全線に拡大していった。1987年6月改正以降は樟葉駅で同駅発着の準急と連絡するようになった。出町柳駅23時25分発急行淀屋橋行きは0時29分に淀屋橋駅3番線到着後、そのまま夜間滞泊し、淀屋橋駅の始発列車5時04分発普通三条行き(平日は5扉扱い)となるため、長年に渡り5扉車5000系の限定運用であった。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 63,
"tag": "p",
"text": "2000年のダイヤ改定までは、普通との連絡は基本的に守口市駅(萱島発着の普通)・香里園駅・丹波橋駅の3駅(宇治線直通の普通)であった。その後、2003年9月のダイヤ改定で昼間時の運転が中止(準急に置き換え)された後、2006年4月のダイヤ改定から2008年10月19日のダイヤ改定前までは、昼間は淀屋橋駅 - 枚方市駅間の運転(一部は準急、香里園駅で特急待避あり)、それ以外の時間帯は淀屋橋駅 - 出町柳駅間を15分間隔(夜間は20分間隔)で運転される形でほぼ終日運転されていて、土休日は京阪間通しの列車は原則として終点まで特急に追い抜かれなかった(ただしまれに三条駅で特急に追い抜かれることもあった)。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 64,
"tag": "p",
"text": "1980年3月まで寝屋川市駅・枚方公園駅は昼間時間帯のみ停車、守口市駅は終日通過となっていた(ただし、1960年代後半には朝ラッシュ時に守口車庫から出庫する守口駅発三条行きの急行が3本設定されていたが、1971年のダイヤ改正頃に廃止された)が、1980年3月のダイヤ改定で寝屋川市駅は終日停車、守口市駅は昼間時間帯停車となり、その後守口市駅・枚方公園駅には夕ラッシュ時にも停車するようになるなど、ダイヤ改正(改定)毎に停車時間帯が拡大し、2003年からは22時台頃まで停車するようになった結果、早朝から朝ラッシュ時および深夜のみ通過となった。その後、2008年の中之島線開業で早朝と深夜の列車についても停車を開始し、全ての急行が両駅に停車するようになった(朝ラッシュ時の急行は同改正で廃止)。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 65,
"tag": "p",
"text": "京都競馬開催時(場外の時期も含む)は淀駅に臨時停車していた。2008年10月19日改正ダイヤからは、急行に代わって快速急行が臨時停車していたが、2011年5月のダイヤ改定で日中の快速急行が廃止となり、代わりに樟葉発着の急行を延長する形で土休日朝に淀行き、夕方に淀発の急行が設定されるようになった。快速特急「洛楽」が運転される春秋の特別ダイヤでは特急の送り込みの関係上、京都競馬開催の有無に関係なく午後の時間帯(15時 - 17時台) に淀発出町柳行きが運行された。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 66,
"tag": "p",
"text": "2009年9月のダイヤ改定で、平日夕ラッシュ上りピーク時の中之島発樟葉行き快速急行3本が淀屋橋発樟葉行きの急行4本に振り替えられた(中之島発の列車は普通に変更)。2011年5月のダイヤ改定では日中に淀屋橋駅 - 樟葉駅間運転の急行が毎時片道4本設定され、京橋駅(中之島駅発着の列車)・守口市駅・香里園駅で普通に、樟葉駅で特急に連絡するようになった(ただし香里園駅・枚方公園駅 - 樟葉駅以北の特急停車駅間は、枚方市駅で特急と準急または普通を乗り継ぐ方が早い)。また、夕方時間帯の下りにも設定された。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 67,
"tag": "p",
"text": "2013年3月16日のダイヤ改定で、日中は毎時3本とされ、準急と交互に20分間隔での運転になった。また土日に運転の急行淀行き2本を樟葉行きに短縮し、平日夕方ラッシュに運行されている樟葉行き4本を淀行きに変更した。また深夜にも淀行き(準急樟葉行きから変更)が設定された。2016年3月19日のダイヤ改定で日中の運転が取りやめとなった。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 68,
"tag": "p",
"text": "2017年2月25日のダイヤ改定より、上り快速特急「洛楽」運転時間帯には、八幡市駅(現在の石清水八幡宮駅)、伏見稲荷駅、清水五条駅、神宮丸太町駅などの京都観光最寄駅に配慮して、出町柳行き(快速急行より変更)が平日に2本、土・休日に5本設定された。この列車は、枚方市駅で快速特急「洛楽」を待避し、京都競馬開催時(場外の時期も含む)は淀駅に臨時停車する。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 69,
"tag": "p",
"text": "2018年9月15日のダイヤ改定では、平日1本、土休日に2本あった8000系運用(2017年8月20日以降「プレミアムカー」連結)は廃止され、平日夜には出町柳発淀行きが3本増発された。土休日朝に特急が増発された関係で、当該時間帯の出町柳行きは、6時台は準急に変更、7時台は樟葉行きに短縮された。また、2008年10月改正で廃止された枚方市行きが、平日夜と土休日昼に1本ずつ設定された。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 70,
"tag": "p",
"text": "2021年9月25日のダイヤ改定では、土休日の上り急行が全て出町柳行きに変更された。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 71,
"tag": "p",
"text": "主に複々線区間で通過運転を行い、そのほかの区間は各駅に停車する。平日朝ラッシュ時の下りは守口市駅を通過する「通勤準急」として運転し、それ以外は守口市駅に停車する「準急」としてほぼ終日運転され、守口市駅で普通と連絡する。原則淀屋橋駅発着であるが、平日朝夕には中之島駅発着の列車も運転される。また、枚方市駅・樟葉駅、淀駅(通勤準急を除く)発着の区間運転列車が設定されているほか、早朝には三条発淀屋橋行きが設定されている。中書島駅 - 七条駅間にはホーム有効長が7両分の駅があるため、京阪間通しの列車はほぼすべて7両編成での運転であり、8両編成での運転は淀駅以南に限られる。京橋駅で中之島駅発着の普通と連絡する列車がある。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 72,
"tag": "p",
"text": "各駅停車区間における特急との連絡は、基本的に枚方市駅・丹波橋駅・三条駅の3駅で行う。日中の快速急行とは樟葉駅での連絡または龍谷大前深草駅での通過待ちを行う。ラッシュ時には京橋駅での連絡、萱島駅・淀駅・龍谷大前深草駅での通過待ちや、香里園駅や枚方市駅で快速急行・急行との連絡を行う列車がある。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 73,
"tag": "p",
"text": "種別幕の地色は両種別ともに青である。6000系登場以前は白地に青字であった。また、運行標識板は丸板で、白地(天満橋駅発着列車は黄色地)に青文字で準急(行き先は黒字)と書かれたものを掲出していた。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 74,
"tag": "p",
"text": "1980年3月のダイヤ改定前は朝夕時間帯のみの運行であったが、日中の区間急行を準急に変更する形でほぼ終日運転となり、萱島駅発着列車との連絡のため同駅にも停車するようになった。この当時は日中を中心に基本的に枚方市駅折り返しで、樟葉駅で折り返すのは朝夕に限られていたが、1987年6月1日のダイヤ改定で日中も樟葉駅で折り返すようになった。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 75,
"tag": "p",
"text": "1989年9月には京都側にも通過運転を行う準急が設定された(出町柳駅 - 淀駅・樟葉駅間;後述)。また1990年までは夕方以降も守口市駅は通過だった。2003年9月のダイヤ改定で、全列車萱島駅 - 出町柳駅間は各駅停車(1987年以前の運転体系。ただし当時は鴨東線区間は未開業)に再度戻された。この改定で昼間に全線通しの運転と枚方市駅折り返し運転が1時間あたり6本ずつ設定された(計12本)。平日夕方ラッシュ時には交野線直通準急「ひこぼし」(天満橋駅始発)が設定された。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 76,
"tag": "p",
"text": "2006年4月のダイヤ改定では、枚方市駅折り返しの急行が1時間あたり6本設定された関係で、昼間の準急の運行がなくなったが、2007年9月のダイヤ改定で15時以降に急行が準急に置き換わるパターンとなった。この時間帯は急行と同様に、香里園駅で特急待避をしていたが、萱島駅で必ず区間急行(後述)との接続を取っていた。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 77,
"tag": "p",
"text": "中之島線開業日の2008年10月19日のダイヤ改定では、再び昼間に全線通しの運転が毎時4本復活した。また、守口市通過列車を「通勤準急」として分離した。「ひこぼし」は運転時間帯が変更され、深夜帯の快速急行に置き換えられた(「ひこぼし」の愛称は従来どおり使用)。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 78,
"tag": "p",
"text": "2009年9月のダイヤ改定により、夕方以降の列車は京都側での普通の区間列車(樟葉駅・淀駅 - 三条駅・出町柳駅間)と樟葉駅折り返しの準急列車が統合され、中書島駅 - 樟葉駅間の速達列車の通過駅(淀駅・橋本駅)でも利便性が向上している。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 79,
"tag": "p",
"text": "2011年5月28日のダイヤ改定では、急行の終日運行が復活した関係で、日中の準急が1時間あたり4本から2本に削減の上、中之島駅発着に変更され、京橋駅で淀屋橋発の特急や普通と接続を行うようになった。そのため、日中の中之島線直通列車は準急2本・普通4本とも淀屋橋駅発着列車を2本連続で接続待ちしてから、改めて京橋駅を発車するダイヤになり、京橋駅での停車時間が非常に長くなった(正月ダイヤの日中でもほぼ同様、ただし当該時間帯の中之島線直通列車は普通のみ)。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 80,
"tag": "p",
"text": "2013年3月16日のダイヤ改定で、日中の運転は1時間あたり中之島駅発着2本から淀屋橋駅発着3本に変更された。春秋の特別ダイヤでは4本(出町柳行き2本、枚方市(夕方以降は出町柳行き)行き2本に変更された。枚方市駅で折り返す列車は香里園駅で特急に追い抜かれる列車がある。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 81,
"tag": "p",
"text": "2016年3月19日のダイヤ改定では、日中の急行を準急に置き換え、淀屋橋駅 - 出町柳駅間の列車が10分間隔で1時間あたり6本となった。また、日中の特急との接続駅が樟葉駅・丹波橋駅・三条駅に変更され、香里園駅で特急を待避する運行形態に変更された。夕ラッシュ時間帯の上り区間運転の列車は枚方市駅折り返しとなった。平日枚方市駅7:03発中之島行き通勤準急が3000系(2代)での運用となった(2017年8月20日改定で一般車に変更)。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 82,
"tag": "p",
"text": "2017年2月のダイヤ改定以降、夕ラッシュ時の淀屋橋発の一部が中之島発(京橋で特急に連絡)に、樟葉発中之島行きが一部を除き淀屋橋行きに変更された。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 83,
"tag": "p",
"text": "2021年9月25日のダイヤ変更により、通勤準急の運転本数が15本から12本に、日中の準急が1時間に6本から4本に減少した。日中の特急との連絡は、枚方市駅・丹波橋駅・三条駅に変更された。日中に運転の快速急行と樟葉駅で連絡し、龍谷大前深草駅で待避するようになった。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 84,
"tag": "p",
"text": "2023年8月26日のダイヤ改定では、平日13 - 14時台の運転本数が1時間あたり4本から2本に半減した。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 85,
"tag": "p",
"text": "主に朝夕に運転される種別で、複々線区間の途中駅である守口市駅以北を各駅に停車することで、大阪モノレール線との乗り換え駅でありながら外側線(緩行線)にしかホームがない門真市駅やその周辺の駅の速達・利便性を確保する役割を担っているほか、平日朝ラッシュ時下りでは通勤快急と通勤準急が停車しない守口市駅を補完する役割も持つ。大半の列車が寝屋川車庫への出入庫も兼ねた萱島駅発着で、萱島以北も走るのは平日朝の下り樟葉発3本と枚方市発1本、上り枚方市行き1本、平日深夜の上り香里園行き1本のみである。内側線の容量の関係上、平日朝ラッシュ時下りには全線外側線を走行する列車が2本ある。前を走行する普通列車の速度に合わせて走るため、守口市駅 - 京橋駅間の所要時間は急行線を走る区間急行より2 - 3分遅い。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 86,
"tag": "p",
"text": "平日朝ラッシュ時の淀屋橋発樟葉行き上り列車の1本は、枚方市駅まで後部2両が「女学生・児童優先車両」となることがある。学校の授業がある期間に、香里園駅を最寄り駅とする香里ヌヴェール学院中学校・高等学校の生徒向けに設定されている。設定時は車両の前後に「後部2両 女学生・児童優先」の看板が掲出される。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 87,
"tag": "p",
"text": "区間急行は近畿日本鉄道・南海電気鉄道では急行と準急の中間の種別として使われるが、京阪では伝統的に区間急行を準急と普通の中間の種別としている。英文字表記は他社の「準急」に当たる\"Semi-exp. (SEMI-EXPRESS)\"と表記され、準急には他社の「区間急行」に当たる\"Sub-exp. (SUB-EXPRESS)\"と表記されていることから、区間急行と準急の位置付けが逆になっている(京阪の区間急行=他社の準急、京阪の準急=他社の区間急行)ことがわかる。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 88,
"tag": "p",
"text": "方向幕の地色は緑色である。長らく「区急」と略記されていたが、駅の発車標では2003年9月改正以降、車両の方向幕では2008年の中之島線対応の際に、「区間急行」表記に変更された。なお、前面の行先表示板を使用していた頃は、区間急行は普通の板の行先の下に赤字で「急」と書かれたものを使用していた時期があった。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 89,
"tag": "p",
"text": "1980年3月のダイヤ改定で、枚方市駅が最北であった区間急行の運転区間が樟葉駅まで延長された。また日中の列車は準急に変更され、それ以降は朝夕ラッシュ時の専従列車として運転されてきたが、2006年4月16日のダイヤ改定で、中之島線開業ダイヤへの移行準備のため、26年ぶりに日中にも設定された(原則天満橋 - 萱島間の運転)。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 90,
"tag": "p",
"text": "2008年10月19日のダイヤ改正では中之島発着に延長された(平日ラッシュ時には淀屋橋行きも運転)ほか、日中毎時2本が樟葉発着となり、香里園で快速急行に、枚方市で枚方市発着の特急に連絡した。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 91,
"tag": "p",
"text": "2009年9月12日のダイヤ改定では、平日夜間に萱島発中之島行きが10000系4両編成で設定された(折り返し快速急行「ひこぼし」)が、2011年5月28日改定で日中の列車とともに廃止された。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 92,
"tag": "p",
"text": "2016年3月19日のダイヤ改定では、朝の枚方市発の列車が樟葉発の準急に変更された。一方、平日朝に樟葉行きが1本復活したほか、平日に樟葉発淀屋橋行きが設定された。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 93,
"tag": "p",
"text": "2017年2月のダイヤ改定では、夕ラッシュ時上りの一部が準急に変更された。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 94,
"tag": "p",
"text": "2018年9月15日のダイヤ改定で、平日早朝の下り樟葉発の準急1本が格下げされ、萱島以北を走る区間急行は1本増えた。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 95,
"tag": "p",
"text": "2021年1月31日のダイヤ改定では、平日朝の樟葉行きが廃止され、枚方市駅 - 樟葉駅間は下りのみの運転となった。また、平日夜に香里園行きが設定された。同年9月25日改定で、香里園行きが淀屋橋23時18分発から中之島20時50分発に大幅に繰り上げられた。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 96,
"tag": "p",
"text": "各駅に停車し、全線で運転される。案内放送では「各駅停車」で統一されている。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 97,
"tag": "p",
"text": "日中含め中之島駅 - 萱島駅・枚方市駅間の運転が主である。時間帯により淀屋橋駅・樟葉駅・出町柳駅始発・終着の列車や、京都側のみ運転の淀駅 - 出町柳駅間の列車が設定されているほか、早朝には寝屋川市発出町柳行きや土休日夜には出町柳発樟葉行きが1本、出町柳発守口市行きが1本、出町柳発寝屋川市行きが設定されている。京阪の列車として所要時間が最長となる中之島駅 - 出町柳駅間を乗り通すと約90 - 110分かかる。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 98,
"tag": "p",
"text": "日中は守口市駅で準急と、枚方市駅で特急と連絡する。萱島駅折り返し列車は、原則萱島駅で準急(同駅以北各駅停車)と連絡する。快速急行・急行の運転時間帯は守口市駅・香里園駅で連絡する。準急と同様に京阪間通しの列車及び淀駅 - 出町柳駅間の列車はすべて7両編成であり、8両編成での運転は樟葉以南と深夜の三条発出町柳行きのみである。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 99,
"tag": "p",
"text": "2000年7月のダイヤ改正まで、京阪間通しの普通は香里園駅 - 三条駅または出町柳駅間を、枚方市駅・深草駅(現:龍谷大前深草駅)で特急を待避しつつ、後続の急行から逃げ切るダイヤとなっていた。同改正ダイヤでは、丹波橋駅で特急と急行が連絡するようになり、深草駅で2列車連続待避となった。伏見稲荷駅で急行・普通を乗り継ぐことで、丹波橋駅以南の特急・急行停車駅 - 鳥羽街道駅・東福寺駅間の所要時間が短縮された。また、三条方面 - 宇治線の直通列車(中書島駅で進行方向が変わっていた)は、中書島駅で系統分割のうえ、丹波橋駅での急行との連絡を取りやめ、三条駅・出町柳駅または中書島駅まで先着となった。中書島駅発着は特急の直後・直前となり、中書島駅以南の特急・急行停車駅 - 伏見桃山駅間の所要時間が短縮された。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 100,
"tag": "p",
"text": "日中の大阪方では、長らく全線直通と萱島駅折り返しの2系統での運転であったが、2003年9月のダイヤ改正で、10分ヘッドとなった日中は萱島折り返しに統一され、全線直通系統を準急とした。2006年4月改正で日中の普通は全線直通に統一(再設定)されたが、2008年10月改正で1時間あたり6本中2本を残して再び全線直通系統が準急となり、萱島駅折り返しが再設定されたほか、ラッシュ時間帯に運転されていた京都方の区間列車は、全線直通の準急・普通に統合され大幅に削減された。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 101,
"tag": "p",
"text": "2011年5月28日のダイヤ改定では、日中の区間急行廃止に伴い、普通が中之島駅発着に振り替えられ、日中の淀屋橋発着の列車は毎時2往復のみとなった。さらに、2013年3月16日のダイヤ変更で日中は全て中之島駅発着とされ、淀屋橋・北浜両駅から野江駅 - 土居駅間各駅への利用者は京橋駅での乗り換えが必要となるケースが増えた。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 102,
"tag": "p",
"text": "2016年3月19日のダイヤ改定では、日中の中之島駅 - 出町柳駅間の列車が中之島駅 - 枚方市駅間の運転に変更された。また、日中の香里園駅での連絡が取り止められた。平日朝ラッシュ時の香里園行き上り列車の1本は、後部2両を女学生・児童優先車両としていたが、この改定で消滅し、区間急行に設定が引き継がれた。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 103,
"tag": "p",
"text": "2017年2月25日のダイヤ改定では、日中の萱島発着のうち、毎時1本が枚方市発着に変更され、日中は中之島駅 - 枚方市駅間4本、中之島駅 - 萱島駅間2本の運行が基本となった。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 104,
"tag": "p",
"text": "2021年1月31日のダイヤ変更では、深夜の香里園行きが消滅した。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 105,
"tag": "p",
"text": "2021年9月25日のダイヤ変更から、日中の枚方市発着は香里園駅で、萱島発着は守口市駅で快速急行と連絡する。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 106,
"tag": "p",
"text": "2023年8月26日のダイヤ改定では、平日13 - 14時台において削減された準急をカバーするため、当該時間帯の枚方市発着列車が出町柳まで延長された。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 107,
"tag": "p",
"text": "通常期の昼間時の1時間毎の運転本数をまとめると以下のとおりになる(2021年9月25日ダイヤ改正時点)。なお、ダイヤ改正以前の日中の運転本数については「京阪電気鉄道のダイヤ改正」を参照。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 108,
"tag": "p",
"text": "京都競馬場での競馬開催時には、最寄りの淀駅発着の臨時列車が運転されている。メイン競走の格により本数は増減する。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 109,
"tag": "p",
"text": "1990年代までは、午前に淀屋橋発淀行きの急行、午後に淀発天満橋行き(一部淀屋橋行き)および三条行きの急行が運転されていた。この臨時急行は「馬急(うまきゅう)」とも呼ばれ、行先表示板を使用していた時代には蹄鉄が描かれたものを使用していた。1999年4月から2003年9月6日ダイヤ改定前までは、午前の急行に代わって「淀快速ターフィー号」が運転されていた(停車駅は淀屋橋・北浜・天満橋・京橋・守口市・淀。ただし守口市停車は2000年秋から)。この列車では競馬専門紙のトラックマンやスポーツ新聞の競馬担当記者による競馬予想が車内で放送されていた。それ以降は準急の枚方市駅(2003年9月改定以前は樟葉駅) - 淀駅間を延長する列車のうち枚方市駅 - 淀駅間で急行運転するものは「Gallop」(ギャロップ)として運転され、ヘッドマークも掲げられていた。2006年4月のダイヤ改定以降は高架化工事に伴い下り線が始発線のない仮設ホームに移設されたため、臨時列車の本数が大幅に減ったものの、メイン競走の格によって復路のみ淀発天満橋行や三条行の急行が運転されることがあった。2008年10月からは快速急行が淀駅に臨時停車するようになり、2011年5月に昼間の快速急行が廃止されて一旦は廃止されていたものの、2016年3月19日のダイヤ改定で臨時停車を再開した。現在はメイン競走の格によって増減するが、中之島駅 - 淀駅間の急行(往路は上り・復路は下り。場合によっては特急も運転されることもある)、淀駅 - 三条駅間の普通(上りのみで運転されない場合もある)が運転される。例外として2010年11月27日には京阪杯開催および京阪電車100周年を記念して臨時ターフィー号が1本運転され、また2011年度も11月26日に臨時ターフィー号が淀屋橋駅 → 淀駅間で片道1本運転された。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 110,
"tag": "p",
"text": "過去にはホームに観戦帰りの客が殺到し、安全性確保のために特急が急遽臨時停車したこともあった。また、2003年9月6日の大幅なダイヤ改定直後の同年10月 - 11月の日曜日のうち4日間と、2004年5月2日には「休日特別ダイヤ」を編成したことがあった。このダイヤでは朝夕に各種列車の増発が行われ、特に夕方(16 - 17時台)には10分当たり三条発天満橋行き臨時特急1本、淀発天満橋行き臨時急行1本、淀発淀屋橋行き「Gallop」1本が増発され、定期列車と合わせて複線区間(淀駅 - 萱島駅間の下り)で10分間に片道5本(平均2分間隔)という朝ラッシュ時間帯並みの本数となった。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 111,
"tag": "p",
"text": "毎年正月三が日には成田山不動尊、石清水八幡宮、伏見稲荷大社を始めとする沿線の寺社への初詣需要に対応するため、大晦日の夜間18時台から、翌年1月3日(曜日配列によっては4日または5日)までは、「土曜・休日ダイヤ」を適用せず、「大晦日ダイヤ」・「正月ダイヤ」を編成して運転している。これらは交野線、宇治線、石清水八幡宮参道ケーブルにおいても適用される。各駅や全列車の時刻などは、京阪電鉄の公式ホームページ上や、広報誌『K-PRESS』、またはリーフレットなどで公表される。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 112,
"tag": "p",
"text": "大晦日の始発電車から18時までは京阪線共通で「土曜・休日ダイヤ」で運転し、同日18時から翌年の元日10時までは「大晦日ダイヤ」として、通常とは異なるダイヤに切り替え、翌年の元日早朝にかけて終夜運転を実施する。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 113,
"tag": "p",
"text": "2011年以降(年表記は大晦日基準、この節において以下同じ)は急行を淀屋橋駅 - 出町柳駅間で20分間隔、普通を淀屋橋駅・中之島駅 - 出町柳駅間で20分間隔で運行している。ただし、3時台以降は運転間隔が広がり、それぞれ30分間隔となるほか、入庫のための萱島行き普通列車も運転される。終夜運転時における急行と普通の連絡は香里園駅のみで行う。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 114,
"tag": "p",
"text": "京阪線の終夜運転の開始は1957年に遡る。過去の運行概要は以下のとおりであった。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 115,
"tag": "p",
"text": "元日の10時から1月3日の終電にかけて「正月ダイヤ」を実施している。初詣需要に対応し、日中を中心に急行が出町柳駅発着で運転され、特急・急行・普通の3本立てとなる。2022年より各種別15分間隔での運転となり、従来出町柳駅の容量の都合で日中は三条駅折り返しとなっていた普通(中之島発着)が出町柳駅まで延長された。2013年までは各種別10分間隔、2014年 - 2021年は同12分間隔であった。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 116,
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"text": "正月ダイヤにおける各種別の運行形態は以下のとおりである。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 117,
"tag": "p",
"text": "正月ダイヤの日中には、萱島駅発着列車の設定がないため、淀屋橋駅 - 萱島駅(寝屋川車庫)間に、乗務員輸送用の回送列車が設定される。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 118,
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"text": "なお、京都競馬の京都金杯の開催時には、正月ダイヤまたは平日ダイヤにおいて競馬関連の臨時列車が運転される珍しい事例が見られることがある。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 119,
"tag": "p",
"text": "過去の運行概要は以下のとおりであった。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 120,
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"text": "大文字五山送り火のある毎年8月16日は、土曜日・日曜日にならない限りは原則として平日ダイヤの運転となる。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 121,
"tag": "p",
"text": "2008年までの実績では、夕方以降の急行(樟葉発着も含む)は出町柳まで運転された。一方で出町柳発着の普通の一部は三条での折り返し運転とした(出町柳発着に8両編成の列車を集約させるため)。また20時以降はK特急や急行を中心に臨時列車が運転された。2009年以降は混雑する時間帯に出町柳駅発の樟葉行きの臨時急行を増発している。出町柳駅の今出川口については混雑緩和などのために営業時間を延長(21:30まで)する。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 122,
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"text": "行楽シーズンを中心に土休日ダイヤが変更され、特別ダイヤで運行される。特別ダイヤ実施期間中、快速特急「洛楽」が午前中に出町柳行きが、午後に淀屋橋行きが運転される。午前の快速特急「洛楽」出町柳行きが運行される時間帯には淀屋橋発の快速急行出町柳行きが運行され、枚方市駅で待避する。特定の日を除き、淀駅にも臨時停車する。一部の急行が準急が変更されるほか、淀屋橋駅 - 枚方市駅間の準急(夕方は中之島駅 - 枚方市駅間の普通)が運行され、一部の列車の連絡や通過待避のパターンが変更される。ダイヤは公式サイト上や各駅で公表される。午前中の出町柳行きの快速特急洛楽・特急・快速急行は「貴船・鞍馬連絡」・「大原連絡」・「比叡山連絡」として運転される列車が設定されている。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 123,
"tag": "p",
"text": "この特別ダイヤは、2003年の10月から11月に掛けてと2004年5月2日に実施された「休日特別ダイヤ」が前身であるが、2014年に「春の(または秋の)特別ダイヤ」として再開され、原則として3月下旬から5月上旬と10月、11月の全休日に(2015年のみ9月中旬より実施)実施していた。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 124,
"tag": "p",
"text": "上記以外にも祇園祭、宇治川花火大会、天神祭など沿線祭事時には、夜間を中心に臨時列車が運転(または定期列車の運転区間が延長)される。また、行楽シーズンには淀屋橋駅・天満橋駅 - 三条駅・出町柳駅間に臨時特急が運転されることがあった。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 125,
"tag": "p",
"text": "比較的臨時列車の多い路線であるが、近年は減便傾向にある。臨時種別標識(「臨」円板)は、2003年9月6日改定以降、臨時特急のみの掲出となったほか、行先表示器のLED化に伴い「臨時特急」などの表示が可能となり、掲出の機会が少なくなっている。前述の祭事時などには特急車(2扉車)で運転の特急を3扉車に差し替えたり、特急車を準急や臨時急行などに充当のうえ入庫させたりする場合があった。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 126,
"tag": "p",
"text": "京阪本線のかつての最優等種別。2003年9月6日のダイヤ改定で新設(運転開始は8日から)された。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 127,
"tag": "p",
"text": "平日朝・夕方・夜間のみ運転される種別で、ダイヤ・停車駅ともに同改正前の特急を踏襲し、淀屋橋駅 - 出町柳駅間で運転され、朝の淀屋橋行きは枚方市駅にも停車した。朝ラッシュ時には1号車(出町柳方先頭車)に女性専用車両が設定されたほか、一部の列車は3扉車で運転され、特に最混雑時間帯の淀屋橋行きは特急車(2扉車)の充当が避けられていた。夕ラッシュ時には丹波橋駅で急行と連絡していた。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 128,
"tag": "p",
"text": "また、平日朝ラッシュ時には交野線私市駅発淀屋橋行きK特急「おりひめ」が2本運転されていた(後述)。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 129,
"tag": "p",
"text": "K特急の名称は中之島線開業に伴う2008年10月19日のダイヤ改定で廃止され、夕方の上りK特急が快速特急に改称された以外は特急に変更、「おりひめ」は通勤快急に変更された。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 130,
"tag": "p",
"text": "京阪本線上りのかつての最優等種別。2008年10月19日のダイヤ改定で、K特急から改称され新設された(運転開始は20日から)。停車駅はK特急と同じで、特急車(8000系)により平日夕ラッシュ時の淀屋橋発出町柳行きのみ運行された。京橋駅の発車メロディは「朝靄の京橋で乗り換え」が使用された。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 131,
"tag": "p",
"text": "臨時列車では、2011年に「さくらエクスプレス」「わかばエクスプレス」として淀屋橋発出町柳行きが2本運転されたほか、「光のルネサンス号」として出町柳発中之島行きが運行された実績がある(下りの快速特急が運転されたのはこの時のみ)。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 132,
"tag": "p",
"text": "2011年5月28日のダイヤ改定で廃止となり、全列車とも特急に変更された。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 133,
"tag": "p",
"text": "深夜急行は、大阪府内郊外主要駅の最終帰宅需要に特化した種別として、2008年10月19日のダイヤ改定で設定された。淀屋橋駅0時20分発樟葉行き1本(8両編成)のみ設定されていたが、2021年4月30日の終電繰り上げ以降運休となり、同年9月25日のダイヤ改定以降も運行されなくなったのち、2023年8月26日のダイヤ改定で正式に廃止された。京橋駅を出ると普通や準急との連絡はなく、樟葉着は0時49分であった。停車駅は急行から守口市駅・枚方公園駅を除いたもの(通勤快急と同じ)であった。大晦日ダイヤでは出町柳行き急行に差し替えられるため、樟葉駅以北の運行はなかった。日本の鉄道において「深夜急行」の種別を運行しているのは当路線のみであった。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 134,
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"text": "1938年の設定当時は天満橋駅 - 枚方東口駅(現在の枚方市駅)間で運行され、停車駅は蒲生駅(現在の京橋駅)・門真駅(現在は廃止)・萱島駅・寝屋川駅(現在の寝屋川市駅)・香里園駅・枚方駅(現在の枚方公園駅)であった。種別としては準急よりも下位であるが、当時準急停車駅であった守口駅(現在の守口市駅)を通過していた点が特徴である。戦争中に一旦廃止となり、戦後1947年に運行を再開している。その後、現在の停車駅(片町駅にも停車)となり、1960年のダイヤ改定でそれまで運行されていた京橋駅 - 守口駅間通過の普通に統合され、昼間時にも運転されるようになった。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 135,
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"text": "1952年、混雑時に天満橋駅 - 枚方市駅間で運行されていた急行を、枚方公園駅以北を各駅停車とする形で八幡町駅・深草駅まで延長した。この急行は列車番号の頭に「A」が付けられていたことから「A急行」とも呼ばれ(案内上は単に「急行」)、運行標識板は白地に赤で縁取りされた、赤字で「急」と書かれたもの(両サイドに行先を表記)で、後年設定される樟葉始発の急行(ただし停車駅は全線通しの急行と同様)と同様のものであった。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 136,
"tag": "p",
"text": "1964年当時は朝ラッシュ最ピーク時に主に枚方市駅 - 淀屋橋駅間で(この時の区間急行は一部を除き香里園駅・萱島駅・守口駅始発)、夕方以降に淀屋橋駅 - 八幡町駅(入庫列車は深草駅)系統を中心に運行していた。A急行と準急の停車駅の差は、豊野駅(1963年廃止)と光善寺駅のみで、1969年の京橋駅移転によるダイヤ改正で準急と統合して廃止された。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 137,
"tag": "p",
"text": "1989年9月27日から2003年9月5日まで運転されていた種別で、朝と夕方のラッシュ時や夜間を中心に運転されていた(運転区間:出町柳駅 - 淀駅・樟葉駅間、停車駅:出町柳駅 - 七条駅間の各駅・伏見稲荷駅・丹波橋駅・中書島駅 - 樟葉駅間の各駅)。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 138,
"tag": "p",
"text": "この列車の前身は三条から宇治線に直通していた急行であり、その名残りで当初は夕方ラッシュ時に樟葉行きのみを5両編成中心に運転していた。その後、1991年6月1日のダイヤ改定で朝ラッシュ時の淀発出町柳行きと夜間に淀行きが追加されたのち、2000年のダイヤ改定で夕方ラッシュ時の出町柳駅 - 樟葉駅間の列車は普通に格下げされ、同時に7両編成も登場した。2003年9月6日のダイヤ改定で、萱島駅以北各駅停車に改められた(1989年以前の形に戻った)ため、出町柳駅 - 淀駅間の準急は急行に変更された(この急行は淀駅に停車する)。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 139,
"tag": "p",
"text": "なお、大阪方面からの準急は1937年の種別設定当時は枚方東口駅(現在の枚方市駅)以北、戦後の運行再開後しばらくの間は中書島駅以北で通過駅があった(1950年から1952年は「直行」を名乗った)。1987年改定以後は、準急は淀屋橋駅 - 淀駅間のみ設定されていた。また、2003年9月の改定までは大阪方面の準急は淀駅以北には直通しなかったので、この期間は、淀屋橋駅 - 樟葉駅(一部淀駅、枚方市駅)間と、出町柳駅 - 樟葉駅・淀駅の2系統の準急がある状態であった。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 140,
"tag": "p",
"text": "1968年まで丹波橋駅 - 三条駅間に奈良電気鉄道(1963年以降は近鉄京都線)直通の急行・準急・普通が運転されていた(急行は1956年頃までおよび、1967年からの設定)。奈良電気鉄道・近鉄の車両が使用され、停車駅は1957年までの準急は各駅停車、それ以外は急行・準急とも京阪間直通の急行と同一であった。詳細は「奈良電気鉄道#京阪神急行電鉄・京阪電気鉄道との直通運転」を参照。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 141,
"tag": "p",
"text": "太平洋戦争中の1944年2月5日より、混雑時の京阪間直通の普通列車は蒲生駅(現在の京橋駅) - 守口駅(現在の守口市駅)間を通過とされた。この措置がいつ解除になったかは不詳である。その後、1956年、天満橋駅 - 三条駅間直通の普通列車(早朝および夕方 - 夜間の一部を除く)については当時の複々線区間である京橋駅 - 守口駅間が通過となった。この区間の各駅については枚方市駅(一部は豊野駅)折り返しの普通列車が停車する形になっていた。この2つの普通は案内の上では特に区別されず、どちらも「普通」であったが、角型運行標識板中の行き先の周りを赤枠で囲ったものが使用されていた。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 142,
"tag": "p",
"text": "1960年のダイヤ改定で直通列車を各駅停車に、枚方市駅折り返し列車を京橋駅 - 守口駅間通過に入れ替え、上記の「区間急行」に統合された。これにより、部内では「直行」とも称された、通過駅のある普通列車は廃止された。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 143,
"tag": "p",
"text": "2003年9月のダイヤ改正で、平日朝に交野線・私市駅発淀屋橋行きK特急「おりひめ」、夕方に天満橋発私市行き準急「ひこぼし」として新設され、交野線のホーム有効長の関係上、5両編成で運転された。2008年10月改正(中之島線開業)で中之島発着となり、「おりひめ」は通勤快急に、「ひこぼし」は深夜時間帯に運転の快速急行に変更された。末期は共に1列車のみとなり、2013年3月のダイヤ改定で廃止された(京阪特急の記事も参照)。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 144,
"tag": "p",
"text": "貨物運輸は1913年(大正2年)7月4日に開始され、1937年(昭和12年)6月時点のダイヤでは塩小路駅 - 天満橋駅間に定期貨物電車が3往復、不定期が3往復、塩小路駅始発で中書島駅から宇治線へ乗り入れ往復後に天満橋駅に向かう列車が1本設定されていた。戦後も1946年(昭和21年)2月時点で1日2往復、1953年(昭和28年)9月には1往復の定期貨物電車が運行されていた。この当時は、塩小路通りの踏切を超えたところで一旦停車、バックして駅構内に入り、大阪天満橋へは一度三条駅まで北上してから折り返して運用された。1955年(昭和30年)6月25日、貨物輸送は廃止され貨物専用駅の塩小路駅も廃駅となった。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 145,
"tag": "p",
"text": "計画時、大阪側は本来高麗橋を起点とする予定が、大阪市の圧力で天満橋駅に変更を余儀なくされ(「市営モンロー主義」を参照)、それ以来大阪中心部への乗り入れは京阪の悲願となる。",
"title": "歴史"
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{
"paragraph_id": 146,
"tag": "p",
"text": "建設当初は阪神電気鉄道とともに大阪市電への乗り入れも計画していたが、車体規格の問題などで大阪市が難色を示しお流れとなった。その後、戦前には新京阪線(後述)との総合ターミナル駅建設による梅田への乗り入れ計画も立てられたが果たせず(「京阪梅田線」を参照)、開業から半世紀余りを経た1963年4月16日にようやく地下線で淀屋橋への乗り入れを果たした。",
"title": "歴史"
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"paragraph_id": 147,
"tag": "p",
"text": "京都側も五条(現・清水五条) - 塩小路駅間が住宅密集地で用地確保に難航し、塩小路駅を起点にした営業開始も検討された。そこに京都市から鴨川と琵琶湖疏水の間の堤防上に軌道設置の提案があり、しかも市電用に取得した特許の譲渡を持ちかけられた。塩小路 - 五条間を報償金5万円、五条 - 三条間を報償金47万円で譲り受け、まず五条駅までが建設された(詳細は「京阪60型電車」を参照)。",
"title": "歴史"
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{
"paragraph_id": 148,
"tag": "p",
"text": "伏見の深草地区では陸軍第十六師団の演習の支障を防ぐためとの理由で深草駅(現在の龍谷大前深草駅) - 藤森駅間にあった第一軍道 - 第三軍道は開業時から道路が京阪本線の線路を跨ぐ形で立体交差化された(現在、第十六師団駐屯地跡は聖母学院、龍谷大学、京都府警警察学校、京都教育大学などになっている)。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 149,
"tag": "p",
"text": "このほか、淀川水系の洪水対策で宇治川や木津川が付け替えられたために橋梁の位置の変更、軟弱な地盤などで軌道敷設許可から建設までには10数か所に及ぶ設計変更やルート変更が行われ、1908年9月全線の青写真が完成。同年10月から4工区に分けて随時着工され、翌1909年4月には網島工場・車庫も着工、6月には鉄道線に電気を供給する火力発電所を毛馬の閘門付近に建設、枚方と伏見に変電所を着工した。",
"title": "歴史"
},
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"paragraph_id": 150,
"tag": "p",
"text": "そして開業した京阪線は、適用法規(軌道条例、後に軌道法)の関係から全区間の3分の1が併用軌道で大阪側に集中していた。また京街道の宿場を縫うように造られたためにカーブの多い路線であった。当時総務課長として線路の選定と用地買収に当たった太田光熈(のちに社長)の回想では、これでも当局や取締役の岡崎邦輔を介した政府筋への運動により、当初の特許から「併用道路を三分の一に減じて貰」った結果であったという。",
"title": "歴史"
},
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"paragraph_id": 151,
"tag": "p",
"text": "1910年4月1日が開業日となるはずであったが、直前の守口変電所での変圧器の火災などで開業が15日延期された。ようやく開業にこぎつけた4月15日当日も車両故障が発生して始発電車から立ち往生する事態となり、当時の新聞にも酷評されるなど散々な目に遭った。このため、18日までの3日間は運賃を半額にするという今では考えられないサービスで汚名返上に努めた。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 152,
"tag": "p",
"text": "天満橋駅 - 五条駅間の所要時間は開業当初1時間40分で、7月から1時間30分に、大正時代に入った1912年には1時間20分まで短縮した。さらなる所要時間の短縮を狙い、1914年には日本初となる急行電車の運転を開始した。当初は深夜の運転で天満橋駅 - 五条駅間をノンストップで走り1時間で結ぶことに成功。翌1915年からは日本で初めて自動閉塞信号機を導入し、日中にも運転時間帯を拡大した。三条延伸開業後は途中、四条駅(現在の祇園四条駅)のみ停車となったが、天満橋駅 - 三条駅間の所要時間は1時間で変わらなかった。1916年からはこの急行を最急行に格上げし、主要駅停車の急行を新設した。ただし、最急行は改称後4か月で廃止されている(「京阪特急#前身」も参照)。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 153,
"tag": "p",
"text": "1917年(大正6年)、この年は京阪本線にとって最悪の1年となった。元日午後3時3分、枚方駅(現在の枚方公園駅)で停車中の普通電車に急行電車が追突、普通電車は200mも押し出され、急行電車は脱線した。事故原因は「急行電車の運転士が御屠蘇を飲んでの飲酒運転に因る前方不注意」であった。1月17日の早朝には深草車庫から出火し、客車15両・営業貨車1両・土木貨車3両と検車庫・工場・事務所を焼失した。南海鉄道より路面電車4両を借りたほか、名古屋電車製作所に車体を発注し、3月末から4月にかけて、焼け残った足回りと組み合わせた6両が到着した。さらに、同年9月25日からの「大正大水害」と呼ばれる豪雨による洪水で、10月1日に枚方東口駅 - 樟葉駅間・淀駅 - 中書島駅間で堤防が決壊し、軌道浸水・軌道流失・軌道閉塞。中書島駅西側の伏見変電所も浸水して機能停止し、枚方東口より京都側は運転不能となった。すぐに復旧工事に入るも、同月10日に再度水害に見舞われて修復が遅れ、同月11日に中書島駅 - 三条駅間、14日に淀駅 - 枚方東口駅間が運転再開、18日午前11時に淀駅 - 中書島駅間が仮復旧し、全線の運行が再開された。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 154,
"tag": "p",
"text": "昭和となった1927年には、小田急電鉄に先駆けて日本の鉄道車両で初めて「ロマンスカー」と称した初代600型を登場させ、急行に充当した。併せて、この時期には併用軌道の専用軌道化、守口駅 - 野江駅間の複々線化・立体交差化などの路線の改良、天満橋駅の改築、宇治川・木津川に架かる鉄橋の架け替えなど、後の京阪の発展につながる設備投資が重ねられた。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 155,
"tag": "p",
"text": "1922年には新京阪鉄道を設立、1928年に新京阪線(現在の阪急京都本線)天神橋筋六丁目駅 - 西院駅間を開通させた。戦中に京阪神急行電鉄(1973年に阪急電鉄と改称)に統合され、戦後の1949年に新京阪線を阪急に残した形(同時に京都本線と改称)で京阪電気鉄道として再発足した。大阪大空襲からの復興・疎開の影響による京阪間移動需要の急増を踏まえて、1950年7月には急行の所要時間を戦前と同水準とし、さらに9月には特急の運転を開始した。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 156,
"tag": "p",
"text": "終戦直後の1945年から1968年まで奈良電気鉄道線(現在の近鉄京都線)との相互直通運転も行っていた。直通運転の解消は京阪側の1966年の蒲生信号所での追突事故を受けてのATS設置・近鉄京都線の架線電圧1500V昇圧・近鉄と京阪双方の列車本数の増加に丹波橋駅の規模では対応できなくなった。などが原因と言われている(「奈良電気鉄道#京阪神急行電鉄・京阪電気鉄道との直通運転」も参照)。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 157,
"tag": "p",
"text": "また1952年に大和田駅から森ノ宮駅の間10.8kmの別線の特許を申請したり、1971年に表明した京都市伏見区三栖から分岐する「第2京阪線」の構想や、寝屋川信号所 - 交野駅(現・交野市駅)(約7km)の新線計画など、本線のバイパスとなる路線を立案したことがあったが、いずれも具体化せずに終わっている。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 158,
"tag": "p",
"text": "1960年代から70年代にかけ京阪電鉄の開業時からの悲願ともいえる天満橋駅 - 淀屋橋駅間の地下線での延長、天満橋駅 - 蒲生信号所間の高架化と複々線化、「くずはローズタウン」の開発に合わせた樟葉駅の移転、土居駅 - 寝屋川信号所間の高架複々線化事業着工などの大規模工事が次々と行われた。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 159,
"tag": "p",
"text": "架線電圧の1500Vへの昇圧について1959年に検討された際には、「1975年の輸送量が1959年の200パーセントになると仮定しても、600V電圧・7両連結で対応できる」と昇圧を見送ったが、1963年の淀屋橋地下延長線竣工後、予想をはるかに上回る利用客増加により、1965年には1959年の2倍の輸送量となった。1968年に昇圧の準備工事を開始し、1969年4月の重役会で正式に1500Vへの昇圧が決定した。当初は京都市内が地下化され路面電車との平面交差のなくなる1981年頃の実施が予定されていたが、1973年と1978年の2度のオイルショックの影響で工事費が暴騰したことと輸送量の伸びが鈍化したことで1982年頃へと先送りされ、さらに繰り下げられた。準備から15年の歳月と250億円もの費用をかけて1983年12月4日に1500Vへ昇圧を果たした。1500V化は当時の大手私鉄14社では最後である。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 160,
"tag": "p",
"text": "これは、前述の京都市電・大阪市電(いずれも架線電圧600V)との平面交差が4か所残っていたことに加えて、京津線80型の回生制動から発生する余剰電力を三条駅の変電所を通して京津線から京阪線へ両線の軌道分断後も再送電していたことなども影響している。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 161,
"tag": "p",
"text": "1978年に東福寺駅以南が軌道法に基づく軌道から当時の地方鉄道法に基づく地方鉄道に変更された。地下化工事が計画され翌1979年着工された東福寺駅 - 三条駅間は川端通の建設と京阪線地下化工事を一体化して進めるため、軌道のまま残されたが、地下化後の2013年12月20日許可で鉄道に変更されている。鴨川と琵琶湖疏水に挟まれた堤防上を走っていた同区間は1987年に地下化された。が同年7月15日集中豪雨のため四条駅北側で鴨川へ流れこむ白川の仮設堤防が決壊して川の水が地下線に流れ込み五条駅が浸水し地下区間が終日運休した。翌1988年5月に地下化に伴う付帯工事がすべて竣工。川端通が開通して、浸水事故の恐れはほぼ無くなった。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 162,
"tag": "p",
"text": "土居駅 - 寝屋川信号所間の高架複々線化工事が最終段階にかかっていた1980年2月20日の枚方市駅 - 御殿山駅間で置き石による電車脱線事故(京阪電気鉄道置石脱線事故)が発生し、以後地上区間では不法侵入防止の柵がほぼ全区間にわたって設けられた。この事故後、枚方市付近の高架化工事が本格化。枚方市駅は1993年に高架化工事は竣工した。つづいて寝屋川市駅の高架化計画が進められ、寝屋川市駅舎部分に仮線を引く用地が無く京阪で初めて直上高架方式が採用され、2002年に高架化工事が竣工した。これにより淀屋橋駅 - 寝屋川市駅間は寝屋川車庫への出入庫線を除き立体交差化された。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 163,
"tag": "p",
"text": "さらに淀駅が高架化され、現在も大阪府下で高架改良計画があるが、110km/h走行が可能となった区間は複々線の土居駅 - 野江駅間のA線(内側線)の速度制限なしの緩いカーブ1か所(土居駅 - 滝井駅間)を含む直線区間のみであり、100km/h以上で走行できる区間も、淀駅付近(105km/h制限)と、香里園駅 - 寝屋川市駅間の短い直線、門真市駅 - 大和田駅間のA線(半径600m級の100 - 105km/h制限カーブが連続する区間)、守口市駅構内付近大阪方(105km/h制限、ただし京都寄りにすぐ85km/h制限のカーブが存在する)などの比較的緩いカーブを含む区間のみでありきわめて少ない。大阪府内は開業時に併用軌道だったために軌道改良が行われ大半の区間で高速運転が可能となったが、北浜駅の京都側、枚方公園駅 - 枚方市駅間、橋本駅 - 木津川鉄橋間、龍谷大前深草駅 - 伏見稲荷駅間、東福寺駅 - 鳥羽街道駅間と、半径200 - 220mの60km/h制限のカーブ区間が至る所に存在し、淀川堤防上の京都府道・大阪府道13号京都守口線(旧京阪国道)と並んで走る樟葉駅 - 橋本駅間は堤防沿いに湾曲しカーブが随所に残っており、いまだ「京阪電気鉄道カーブ式会社」と揶揄されることもある。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 164,
"tag": "p",
"text": "2020年(令和2年)度の最混雑区間(下り線、野江駅 → 京橋駅間)の混雑率は97%(7:20 - 8:20の間に通過する列車の平均)である。",
"title": "利用状況"
},
{
"paragraph_id": 165,
"tag": "p",
"text": "当路線は1933年(昭和8年)に蒲生信号所 - 守口駅(現・守口市駅)間が複々線化された。この区間は全国の大手私鉄で初めての方向別複々線となったが、蒲生信号所は野江駅 - 京橋駅間の最混雑区間に設けられており、京橋駅の手前で複線となっていたために本数の増加に限度があった。戦後、大阪市近郊でドーナツ化現象が生じると輸送人員が急増し、朝ラッシュ時の混雑率は1965年(昭和40年)度に240%を記録した。",
"title": "利用状況"
},
{
"paragraph_id": 166,
"tag": "p",
"text": "1970年(昭和45年)に複々線が天満橋駅まで延伸されると蒲生信号所のボトルネックは解消し、運転本数の増加が可能となった。混雑率は依然として200%を超えていたが、1977年(昭和42年)に大阪市営地下鉄谷町線が守口駅まで延伸開業して並行路線となったことにより、1978年(昭和53年)度に混雑率が190%を下回った。",
"title": "利用状況"
},
{
"paragraph_id": 167,
"tag": "p",
"text": "それ以降も混雑緩和のために運転本数の増加がダイヤ改正の度に繰り返され、1996年(平成8年)度から朝ラッシュ時に毎時46本が運転されるようになった。しかし、1991年(平成3年)度をピークに輸送人員は減少し、2000年代に混雑率が120%程度まで減少した。そのため運転本数も減少が続き、2021年(令和3年)に毎時32本まで減少した。",
"title": "利用状況"
},
{
"paragraph_id": 168,
"tag": "p",
"text": "寝屋川信号所より上り方の複線区間にある寝屋川市駅、香里園駅、枚方市駅、樟葉駅の4駅は一日平均乗降人員が5万人を越えており、複々線区間は内側線を走行する優等列車の本数が多い。",
"title": "利用状況"
},
{
"paragraph_id": 169,
"tag": "p",
"text": "平日ダイヤの朝ラッシュ下りピーク時間帯における通勤準急・通勤快急の運行は、守口市駅を通過し平行ダイヤとすることで急行線(A線)の運転間隔を詰めて運行本数を増やす目的がある。そのため同時間帯の区間急行には京橋駅まで緩行線(B線)を走行する列車がある。",
"title": "利用状況"
},
{
"paragraph_id": 170,
"tag": "p",
"text": "近年の輸送実績を下表に記す。表中、最高値を赤色で、最高値を記録した年度以降の最低値を青色で、最高値を記録した年度以前の最低値を緑色で表記している。",
"title": "利用状況"
},
{
"paragraph_id": 171,
"tag": "p",
"text": "前述のような歴史的経緯から、京阪本線では距離を示すキロポストが2つに分かれている。(矢印の方向にキロ数が増える)",
"title": "駅一覧"
},
{
"paragraph_id": 172,
"tag": "p",
"text": "京阪線のすべての駅(中之島線・交野線・宇治線・鴨東線も含む)にはPiTaPaやICOCAなどの交通系ICカードに対応した自動券売機・自動改札機が、拠点駅には自動定期券発行機が設置されている。",
"title": "駅一覧"
},
{
"paragraph_id": 173,
"tag": "p",
"text": "駅改札内の売店「セカンドポシェ(Second Poche)」のほとんどは閉店し、自動販売機のみとなっている。京橋駅・枚方市駅・丹波橋駅・三条駅などには、改札内に書店・ドラッグストア・駅中商店街、喫茶店などの専門店舗やコンビニ「アンスリー」や「ジュ―サーバー」を設けるなど集約と整理が行われている。",
"title": "駅一覧"
},
{
"paragraph_id": 174,
"tag": "p",
"text": "京阪線の駅では省力化が進み、2015年3月には駅員が遠隔操作で対応できる「他駅サポートシステム」を導入、併せて列車の遅延や運休などの情報を視覚的かつ速やかに提供可能な「旅客案内ディスプレイ」の設置を2016年3月から開始して2017年11月に完了し、2019年12月からは「NHK非常災害時緊急放送」の配信機能が追加された。",
"title": "駅一覧"
},
{
"paragraph_id": 175,
"tag": "p",
"text": "また乗降客の多い駅には金融機関と提携して駅構内にATMを設置、インバウンド観光客の利用の多い京都市内の三条駅・祇園四条駅・清水五条駅・伏見稲荷駅や、鴨東線出町柳駅・宇治線宇治駅には12か国の通貨に対応した外貨自動両替機を設置、伏見稲荷駅と東福寺以北の駅(鴨東線を含む)には観光総合案内板を設置した。また、祇園四条駅・北浜駅への観光案内所の設置や、駅構内の案内放送を一部4か国語(日英中韓)対応とするなど、利用客の国際化に対応している。",
"title": "駅一覧"
},
{
"paragraph_id": 176,
"tag": "p",
"text": "その他、2016年度より駅トイレのリニューアルを開始、清潔感の向上を基本に、高齢者子育て世代にも安心して利用できる機能を備えたトイレ空間づくりを目指し、併せてトイレ個室の洋式化については京阪線60駅(中之島線・交野線・宇治線・鴨東線も含む)のうち、2020年3月31日時点で43駅が完了している。",
"title": "駅一覧"
},
{
"paragraph_id": 177,
"tag": "p",
"text": "京阪本線の駅のバリアフリー対策は、1976年11月、香里園駅のホームへの視覚障害者用点字ブロックの整備から始まり、1981年2月8日までに京阪線全駅に整備されたほか、1979年1月、主要12駅に点字運賃表が整備され、現在では全駅に整備されている。",
"title": "駅一覧"
},
{
"paragraph_id": 178,
"tag": "p",
"text": "車いす対応エレベーターの設置は、京阪線鴨川沿いの地下化に伴い1987年5月に三条駅と四条駅(現・祇園四条駅)の地上からホーム階までと、五条駅(現・清水五条駅)のホーム階とコンコース階に設置されたのを皮切りに、2018年12月1日現在では鳥羽街道駅を除きエレベーターもしくはスロープの設置された車いす対応の駅となっている。なお、車いす利用者のホームと電車の段差を橋渡しする「折りたたみ式の渡し板」は1998年12月19日までに京阪線のすべての駅に配置された。",
"title": "駅一覧"
},
{
"paragraph_id": 179,
"tag": "p",
"text": "さらに『高齢者、障害者等の移動等の円滑化の促進に関する法律(通称バリアフリー新法)』の基本方針に沿って、スロープの改良やエレベーターの設置が進められたほか、2010年3月24日までに全駅・全ホーム縁端の点字ブロックに内方線の設置が行われた。また、地下駅出入り口の誘導鈴は2013年12月26日までに音声案内に更新された。京都地下線の駅では2014年秋から2015年春にかけてエレベーターの更新工事が行われた。",
"title": "駅一覧"
},
{
"paragraph_id": 180,
"tag": "p",
"text": "駅の改良工事に併せて、身障者対応に加えオムツ交換台などを備えた「多目的トイレ」も整備されており、古い規格で設置された多目的トイレでは一部にオストメイト対応設備の取り付け工事も行われている。",
"title": "駅一覧"
},
{
"paragraph_id": 181,
"tag": "p",
"text": "2010年12月八幡市駅(現・石清水八幡宮駅)の改修工事に伴い家電メーカーの協力で照明をすべてLED化するなど省エネ化を図っていたが、2011年の東日本大震災に伴う原子力発電の停止に伴い、一部の照明装置を消灯するなどの運用面やカーブになっているプラットホームの足下灯を更新時にLEDに変えることなどで節電を図っていた。",
"title": "駅一覧"
},
{
"paragraph_id": 182,
"tag": "p",
"text": "さらに一般社団法人「低炭素社会創出促進協会」から補助を受け2015年春までに三条駅・祇園四条駅・清水五条駅・七条駅の照明がすべてLED照明に取り換えられた。合わせて京都市内の地下線のトンネル内の照明もLED化したため年間100万kWhの電力量の削減が見込まれている。2015年度の深草駅(現在の龍谷大前深草駅)の建て替え時にはLED照明が全面的に採用された。",
"title": "駅一覧"
},
{
"paragraph_id": 183,
"tag": "p",
"text": "駅構内もカーブになっている箇所が多数あり、そのために1965年9月に七条駅京都行ホームに監視カメラと車掌用モニターの設置が始まり、現在多くの駅にホーム監視カメラとカラー液晶モニターが設置されている。2014年12月、ホーム上から線路への転落などを通報可能な異常通報装置の京阪線全駅への設置が完了した、また、プラットホームと電車の間が広く開く中書島駅・石清水八幡宮駅・光善寺駅には足下灯の設置・転落検知マットが設置されている。光善寺駅京都行ホームには「注意喚起シート(紅白縞模様)」が設置され、つづいて中書島駅・祇園四条駅・京橋駅などにも設置された。",
"title": "駅一覧"
},
{
"paragraph_id": 184,
"tag": "p",
"text": "また京都地下線の開通時に洪水時の浸水対策として地下駅構内への出入り口に可動式の止水板が設置された。その後、大阪側の地下線にも設置され、定期的に設置訓練が行われている。",
"title": "駅一覧"
},
{
"paragraph_id": 185,
"tag": "p",
"text": "駅のホームドアは、まず京橋駅への設置が決定し、対応困難な5扉車5000系の置き換えを前倒しすることとなった。5000系は2021年9月4日で営業運転を終了し、2022年2月までに京橋駅1・2番線でホームドアの供用を開始した。",
"title": "駅一覧"
},
{
"paragraph_id": 186,
"tag": "p",
"text": "2021年4月までに、鳥羽街道駅、藤森駅、墨染駅、橋本駅、土居駅、滝井駅、千林駅、森小路駅、関目駅、野江駅の10駅が終日無人駅となった。",
"title": "駅一覧"
},
{
"paragraph_id": 187,
"tag": "p",
"text": "正月など観光客の多い時期には多数の係員が配置される伏見稲荷駅についても基本的には終日無人駅となっている。",
"title": "駅一覧"
},
{
"paragraph_id": 188,
"tag": "p",
"text": "その他、一部時間帯において係員不在となる駅が多数ある。",
"title": "駅一覧"
},
{
"paragraph_id": 189,
"tag": "p",
"text": "大阪府内の駅は大阪府統計年鑑、京都府内の駅は京都市統計書による(いずれも2021年のデータ)。",
"title": "主要駅の1日平均乗降人員"
}
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京阪本線(けいはんほんせん)は、大阪府大阪市中央区の淀屋橋駅から京都府京都市東山区の三条駅までを結ぶ京阪電気鉄道の鉄道路線。 単なる「本線」という路線名ではなく社名略称を冠した「京阪本線」が正式な路線名である。京阪本線に接続する各路線(鴨東線・宇治線・交野線・中之島線)と併せて京阪線と総称される。また大津線とともに京阪電車とも呼称される。
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{{pp-vandalism|small=yes}}
{{Redirect|京阪線|京阪電気鉄道が運営する鉄道路線全線|京阪電気鉄道#路線}}
{{複数の問題
| 出典の明記 = 2023年12月7日 (木) 14:24 (UTC)
| 独自研究 = 2023年12月7日 (木) 14:24 (UTC)
| 内容過剰 = 2023年12月7日 (木) 14:24 (UTC)
}}
{{Infobox 鉄道路線
|路線名 = [[File:Keihan Symbol.svg|20px|京阪電気鉄道]] 京阪本線
|路線色 = #1d2088
|画像 = Keihan8000 Premium car connection.jpg
|画像サイズ =
|画像説明 = 牧野駅付近を走行する[[京阪8000系電車|8000系電車]]による特急列車
|国 = {{JPN}}
|所在地 = [[大阪府]]、[[京都府]]
|起点 = [[淀屋橋駅]]<ref name="h28youran" />
|終点 = [[三条駅 (京都府)|三条駅]]<ref name="h28youran" />
|駅数 = 40駅
|路線記号 = {{駅番号s|#1d2088|white|KH}}
|開業 = [[1910年]][[4月15日]]
|全通 = [[1913年]][[10月27日]]
|廃止 =
|所有者 = <!-- [[京阪電気鉄道]](旧)→[[阪急電鉄|京阪神急行電鉄]]→ -->[[京阪電気鉄道]]
|運営者 = 京阪電気鉄道
|使用車両 = [[京阪電気鉄道#現有車両]]を参照
|路線距離 = 49.3 [[キロメートル|km]]
|軌間 = 1,435 [[ミリメートル|mm]] ([[標準軌]])
|線路数 = [[複々線]](天満橋 - 寝屋川信号所間)<br />[[複線]](淀屋橋 - 天満橋間、寝屋川信号所 - 三条間)
|電化方式 = [[直流電化|直流]]1,500 [[ボルト (単位)|V]] [[架空電車線方式]]
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|車両基地 = [[寝屋川車庫]]、[[淀車庫]]
|最大勾配 = 33 [[パーミル|‰]]
|最小曲線半径 = 200 [[メートル|m]]
|最高速度 = 110 [[キロメートル毎時|km/h]]
|路線図 = Keihan Electric Railway Linemap.svg
}}
'''京阪本線'''(けいはんほんせん)は、[[大阪府]][[大阪市]][[中央区 (大阪市)|中央区]]の[[淀屋橋駅]]<ref name="h28youran" />から[[京都府]][[京都市]][[東山区]]の[[三条駅 (京都府)|三条駅]]<ref name="h28youran" />までを結ぶ[[京阪電気鉄道]]の[[鉄道路線]]。
単なる「本線」という路線名ではなく社名略称を冠した「京阪本線」が正式な路線名である。京阪本線に接続する各路線([[京阪鴨東線|鴨東線]]・[[京阪宇治線|宇治線]]・[[京阪交野線|交野線]]・[[京阪中之島線|中之島線]])と併せて'''京阪線'''と総称される。また[[京阪大津線|大津線]]<ref>{{Cite press release|和書|title=京阪電車 大津線開業110周年記念特別企画を8月15日(月)から実施します|publisher=京阪電気鉄道|date=2022-08-04|url=https://www.keihan.co.jp/corporate/release/upload/220804_keihan-railway2.pdf|format=PDF|access-date=2022-08-05}}</ref>とともに'''京阪電車'''とも呼称される<ref>{{Cite web|和書|title=私鉄の呼称 関西なぜ「○○電車」(とことんサーチ) |url=https://www.nikkei.com/article/DGXLASIH30H09_S5A021C1AA2P00/ |website=日本経済新聞 |date=2015-10-31 |access-date=2022-07-21 |language=ja}}</ref>。
== 概要 ==
[[ファイル:Keihan Quadruple track 2003.jpg|thumb|right|200px|複々線区間<br />各線に1列車、計4列車確認できる]]
[[大阪市]]の[[オフィス街|ビジネス街]]にある[[淀屋橋駅]]から、[[大阪環状線]]との乗り換え駅である[[京橋駅 (大阪府)|京橋駅]]、郊外の[[ベッドタウン]]にある[[枚方市駅]]、[[京都市]]随一の[[繁華街]]である[[四条通]]に位置する[[祇園四条駅]]を経て、[[三条駅 (京都府)|三条駅]]までを結ぶ都市間鉄道([[インターアーバン]])である。三条駅から京阪本線の実質的な延長路線である[[京阪鴨東線|鴨東線]]に[[直通運転|直通]]して[[出町柳駅]]まで至り、鴨東線とは一体的なダイヤ体系で運行されている。また、天満橋駅から分岐して大阪市[[北区 (大阪市)|北区]]のビジネス街である[[中之島 (大阪府)|中之島]]地区を通る[[京阪中之島線|中之島線]]にも一部の列車が直通する。[[京阪宇治線|宇治線]]・[[京阪交野線|交野線]]との直通運転は、かつては行われていたものの廃止されている。
大阪または京都への通勤・通学路線であるが、沿線には[[石清水八幡宮]]、[[伏見稲荷大社]]、[[清水寺]]、[[六波羅蜜寺]]、[[八坂神社]]、[[先斗町]]、[[祇園]]などの多数の観光名所や、[[枚方公園駅]]前には京阪のグループ会社運営の現存する日本最古の[[遊園地]]である「[[ひらかたパーク]]」(通称:ひらパー)、[[淀駅]]前には[[中央競馬]]開催地の[[京都競馬場]]などの娯楽施設があり、これらへの来訪客輸送を担う観光路線でもある。
路線名及び会社名は'''京'''都と大'''阪'''を結ぶ鉄道路線であることに由来している。同じく大阪と京都を結んでいる[[JR京都線]]([[東海道本線]])や[[阪急京都本線]]は大部分で[[淀川]]の北側(右岸)を通るのに対し、京阪本線は大部分で淀川の南側(左岸)を通り、それぞれ大阪側・京都側の[[ターミナル駅|ターミナル]]位置が異なるため棲み分けがなされており、JRや阪急との直接的な競合は存在しない。また、大阪 - 京都間を直線的に結ぶJRや阪急に対し、京阪本線は[[京街道 (大坂街道)|京街道]]に沿って[[伏見宿 (京街道)|伏見宿]]、[[淀#淀宿|淀宿]]、[[枚方宿]]、[[守口宿]]といった[[江戸時代]]からの[[宿場|宿場街]]を縫うように結んでいることから、比較的細かな曲線が多く、路線距離が長い<ref>『[[鉄道ダイヤ情報]]』 2020年10月号 No.437 - [[交通新聞社]] 通巻461号 p.14</ref>。乗車時間も長くなるが、大阪と京都の歴史的な[[都心]]を直結する利便性に加え、「[[2階建車両|ダブルデッカー]]」(2階建て車両)や有料座席指定特別車両「[[京阪特急#有料特別車両(プレミアムカー)|プレミアムカー]]」を連結する、居住性に優れた[[特急形車両|専用車両]]による特急を運行しており、「[[京阪特急]]」の愛称で親しまれている。
このほか、大阪側の野江駅 - 守口市駅間では[[Osaka Metro谷町線]]と、京都側の中書島駅 - 東福寺駅間ではJR[[奈良線]]、[[近鉄京都線]]と並行している。
京阪本線は『[[鉄道要覧]]』では大阪の淀屋橋駅を起点として記載されているが、運行上の起点駅は京都の三条駅であり、京都から大阪に向かう列車が「下り」、その逆が「上り」となる(片町線や阪急京都本線も同様)<ref group="注釈">東京に向かう方が上りになるため。大阪よりも京都の方が東京に近い。</ref>。
大阪市内の淀屋橋駅 - [[天満橋駅]]間と京都市内の[[七条駅]] - 三条駅間は地下線となっている。[[東福寺駅]] - 三条駅間は[[軌道法]]に基づく[[軌道 (鉄道)|軌道]]となっていたが2013年12月20日許可で[[鉄道事業法]]に基づく鉄道に変更されている<ref name="h28youran" />。また、天満橋駅 - [[寝屋川信号所]]間の12.5kmは[[関西私鉄|関西大手私鉄]]最長の[[複々線]]となっており、列車種別によって走行する線路を使い分けることによって列車本数が多い[[ダイヤグラム|ダイヤ]]設定を可能としている。
[[立体交差]]工事や[[バリアフリー]]対応の工事は比較的進んでいる。主な大規模工事として、[[1970年]]の天満橋駅 - 蒲生信号所間の複々線立体交差化に始まり、土居駅 - 寝屋川信号所間の複々線高架化が[[1982年]]に竣工し、既存の複々線とあわせて天満橋駅から12.5kmの複々線と淀屋橋駅 - 寝屋川信号所間14.1kmが立体交差化された。[[1987年]]には京都市内の地下線(東福寺駅 - 三条駅間)が完成し、この地下新駅から車イス対応エレベーターや多目的トイレが設置されている(「[[#駅のバリアフリー対策|駅のバリアフリー対策]]」の節も参照)。
[[1993年]]に枚方市駅が、[[1999年]]に[[寝屋川市駅]]が、[[2011年]]に淀駅が高架化された。淀屋橋駅から寝屋川市の寝屋川6号踏切までの約15kmが立体交差化されている<ref group="注釈" name="fumikiri">ただし回送列車のみが通過する萱島駅 - 寝屋川車庫間の出入庫線に踏切が1か所残っている。</ref>。[[2022年]]現在、寝屋川市駅 - 枚方市駅間で[[連続立体交差事業]](鉄道高架橋新設工事)を施行している<ref name="連立">{{PDFlink|1=[https://www.pref.osaka.lg.jp/attach/1756/00034469/keikakusho.pdf#page=5 京阪本線(寝屋川市・枚方市)連続立体交差事業に係る環境影響評価事後調査計画書(変更)]}} - 大阪府環境農林水産部 環境管理室環境保全課 p.3、2022年11月15日閲覧。</ref>。2028年度以降に完了する予定である<ref name="連立" />。
=== 路線データ ===
* 路線距離([[営業キロ]]):淀屋橋駅 - 三条駅間 49.3 km
* [[軌間]]:[[標準軌|1,435 mm]]
* 駅数:40駅(起終点駅含む)、1信号所
* 複線区間:
** [[複々線]]:天満橋駅 - 寝屋川信号所間 (12.5 km)
** [[複線]]:淀屋橋駅 - 天満橋駅間 (1.3 km)、寝屋川信号所 - 三条駅間 (35.4 km)
* [[鉄道の電化|電化]]区間:全線電化([[直流電化|直流]]1,500 V)
* [[閉塞 (鉄道)|閉塞方式]]:自動閉塞式
** 閉塞[[日本の鉄道信号|信号機]] 248基<ref group="注釈">ほかに場内信号機128基・出発信号機111基・入換信号機256基・誘導信号機58基・中継信号機64基・手信号代用器130基が設置されている。</ref>
* [[鉄道の最高速度|最高速度]]:110 km/h<ref>寺田裕一『データブック 日本の私鉄』(ネコ・パブリッシング、2002年)p.126 </ref>
* 保安装置:[[自動列車停止装置#K-ATS|K-ATS]](「[[#運転保安設備|運転保安設備]]」の節も参照)
* [[踏切]]数:77か所。すべて第1種甲、そのうち車が通行可能な64か所には[[踏切障害物検知装置]]を設置。
* 最急勾配:33 [[パーミル|‰]](天満橋駅・七条駅から地上に上がる勾配)
* 最急曲線:半径200 m(北浜駅京都側の曲線<ref group="注釈">枚方市駅 - 枚方公園駅間・東福寺駅 - 鳥羽街道駅間などに半径200 m台の曲線あり</ref>)
* [[変電所]]数:5か所の[[関西電力]]変電所より受電、沿線15か所の京阪の変電所で直流1,500 Vに変換して送電<ref group="注釈">宇治線六地蔵変電所・交野線交野変電所にも送電している。</ref>。
** [[停電]]時に備え[[ガスタービン]][[自家発電|発電機]]が三条変電所と蒲生変電所に設置されている。
== 沿線風景 ==
<!-- 煩雑となるため、地下鉄・市電・高架は記述していません。加筆の際にはご配慮下さい -->
<!-- 凡例に則りHUBを接続範囲とします -->
{{BS-map
|title=停車場・施設・接続路線<!-- ←信号場も含めているので「停車場」 -->
|title-bg=#1d2088
|title-color=white
|collapse=yes
|map=
{{BS5||||WASSER|tKHSTa|||KH54 [[中之島駅]]|}}
{{BS5||||WASSER|tHST|||KH53 [[渡辺橋駅]]|}}
{{BS5||||WASSER|tHST|||KH52 [[大江橋駅]]|}}
{{BS5||||WASSER|tSTR|||[[京阪中之島線|{{駅番号s|#1d2088|#fff|KH}} 中之島線]]|}}
{{BS5|||tKBHFa|WASSER|tSTR|0.0|KH01 [[淀屋橋駅]]|{{rint|osaka|m}} [[ファイル:BSicon exTRAM.svg|14px|link=大阪市電|大阪市電]]|}}
{{BS5|||tSTR|WASSER|tHST|||KH51 [[なにわ橋駅]]|}}
{{BS5|||tBHF|WASSER|tSTR|0.5|KH02 [[北浜駅 (大阪府)|北浜駅]]|{{rint|osaka|k}} [[ファイル:BSicon exTRAM.svg|14px|link=大阪市電|大阪市電]]|}}
{{BS5||WASSERq|tKRZW|WABZgr|tSTR|||[[東横堀川]]|}}
{{BS7|||d|O3=tSTR|d|O4=tSTR+l|d|O5=WASSER|tdSTRq|tSTRr|||||}}
{{BS3||tvBHF|dWASSER|1.3|KH03 [[天満橋駅]]|(2) 1963- {{rint|osaka|t}} |}}
{{BS5|exKBHFa|c|tvSTRe|dWASSER|c|1.5|''天満橋駅''|(1) -1963 [[ファイル:BSicon exTRAM.svg|14px|link=大阪市電|大阪市電]]|}}
{{BS3|exvSTR-|vSHI2g+l-|dWASSER|||}}
{{BS3|exKRWg+l|eKRWgr|WASSER|||[[土佐堀川]]|}}
{{BS3|exhKRZWae|hKRZWae|WABZgr|||[[寝屋川]]|}}
{{BS3|exBHF|STR||1.8|''京橋駅''|(1) -1910|}}
{{BS3|exSTRl|eKRZo|exSTR+r||||}}
{{BS5|tSTR+l|tSTRq|KRZt|xKRZt||||[[西日本旅客鉄道|JR西]]:{{JR西路線記号|K|H}} [[JR東西線]]|}}
{{BS5|tSTRe|exKBHFa|O2=HUBaq|STR|O3=HUBq|exBHF|O4=HUBeq||2.3|''[[片町駅]]''|-1969 [[ファイル:BSicon exTRAM.svg|14px|link=大阪市電|大阪市電]]|}}
{{BS5|eSTR+c2|exSTR3|STR|exSTR|||||}}
{{BS5|eABZg+1|exSTRc4|O2=HUBrg|BHF|O3=HUBeq|exSTR||3.0|KH04 [[京橋駅 (大阪府)|京橋駅]]|(3) 1969- {{rint|osaka|n}}|}}
{{BS5|KRZu|BHFq|O2=HUB|KRZo|xKRZu||||JR西:{{JR西路線記号|K|O}} [[大阪環状線]]|}}
{{BS5|BHF|O1=HUBaq|HUBtg|STR|O3=HUBq|exBHF|O4=HUBeq||3.2|''京橋駅''|(2) -1969[[ファイル:BSicon exTRAM.svg|14px|link=大阪市電|大阪市電]]|}}
{{BS5|ABZr+r||eKRWg+l|exKRWr||||JR西:{{JR西路線記号|K|H}} [[片町線]](学研都市線)|}}
{{BS5|STR||eBHF|||{{BSkm|3.5|0.0*}}|''蒲生駅''|-1932|}}
{{BS5|eABZg2|exSTRc3|eDST|||3.8|''[[蒲生信号所]]''|-1970|}}
{{BS5|eBST2|O1=exSTRc1|exABZl+4f|O2=STRc3|eKRZo|||||''[[日本国有鉄道|国鉄]]:[[淀川貨物線]]''|}}
{{BS5|STRc1|O1=POINTERg@g|ABZ2+4xg|eABZg2|O3=STRc3|exSTRc3||||''巽信号場''|}}
{{BS5||STRc1|O2=POINTER1|KRZ2+4u|O3=exSTRc1|exSTR2+4|O4=STRc3|exSTRc3|||JR西:{{JR西路線記号|K|F}} [[おおさか東線]]|}}
{{BS5|||STRc1|O3=BHF|exSTRc1|O4=BHF+4|exSTR+4|4.6|KH05 [[野江駅]]|(2) 1931- 右:[[JR野江駅]]|}}
{{BS5|||STR|STR2|STRc3|O5=exBHF|1.4*|''野江駅''|(1) -1931|}}
{{BS5|||STR|STRc1|xKRZ2+4u||||}}
{{BS5|||BHF||exSTR|5.3|KH06 [[関目駅]]|({{rint|osaka|i}} [[関目成育駅]])|}}
{{BS5|||SKRZ-Au||exSTR|||[[阪神高速道路|阪神高速]][[阪神高速12号守口線|12号守口線]]|}}
{{BS5|||BHF||exSTR|6.2|KH07 [[森小路駅]]|(2) 1931-|}}
{{BS5|||STR||exBHF|3.4*|''森小路駅''|(1) -1931|}}
{{BS5|||BHF||exSTR|6.8|KH08 [[千林駅]]||}}
{{BS5|||BHF|exSTRc2|exSTR3|7.2|KH09 [[滝井駅]]||}}
{{BS5|||BHF|O3=exSTRc2|exSTR3+1|exSTRc4|7.6|KH10 [[土居駅]]||}}
{{BS5|||eABZg+1|exSTRc4|O4=POINTER4|||''旧線''|-1931|}}
{{BS|BHF|{{BSkm|8.3|4.1*}}|KH11 [[守口市駅]]||}}
{{BS3|exKRW+l|eKRWgr|||||}}
{{BS3|exKDSTe|STR|||''守口車庫・車両工場''|-1972|}}
{{BS|BHF|9.4|KH12 [[西三荘駅]]||}}
{{BS|eBHF|9.6|''門真駅''|-1975|}}
{{BS|SKRZ-Au|||[[近畿自動車道]]|}}
{{BS3|KBHFaq|O1=HUBa|KRZu|STRq|||[[大阪モノレール本線|大阪モノレール線]]|}}
{{BS3|HUBlf|BHF|O2=HUBeq||10.1|KH13 [[門真市駅]]||}}
{{BS|BHF|10.8|KH14 [[古川橋駅]]||}}
{{BS|BHF|12.0|KH15 [[大和田駅 (大阪府)|大和田駅]]||}}
{{BS3||WASSERq|O2=hBHFae||12.8|KH16 [[萱島駅]]|寝屋川|}}
{{BS3|KDSTa|STR|||[[寝屋川車庫|寝屋川車庫・車両工場]]||}}
{{BS3|KRWg+l|KRWgr|||||}}
{{BS3|KRWgl|KRWg+r|||||}}
{{BS3|ENDEe|DST||13.9|[[寝屋川信号所]]||}}
{{BS|BHF|15.0|KH17 [[寝屋川市駅]]||}}
{{BS|eBHF|15.4|''[[豊野駅 (大阪府)|豊野駅]]''|-1963|}}
{{BS|BHF|17.6|KH18 [[香里園駅]]||}}
{{BS|BHF|19.1|KH19 [[光善寺駅]]||}}
{{BS|BHF|20.8|KH20 [[枚方公園駅]]||}}
{{BS|BHF|21.8|KH21 [[枚方市駅]]||}}
{{BS3|KRW+l|KRWgr|||||}}
{{BS3|hKRZWae|hKRZWae||||[[天野川 (大阪府)|天野川]]|}}
{{BS3|STRr|STR||||[[京阪交野線|{{駅番号s|#1d2088|#fff|KH}} 交野線]]|}}
{{BS|BHF|23.5|KH22 [[御殿山駅]]||}}
{{BS|BHF|25.5|KH23 [[牧野駅]]||}}
{{BS|PSLa||[[引き上げ線]]||}}
{{BS|BHF|27.7|KH24 [[樟葉駅]]||}}
{{BS|PSLe||引き上げ線||}}
{{BS|STR+GRZq|||↑[[大阪府]]/[[京都府]]↓|}}
{{BS|BHF|30.1|KH25 [[橋本駅 (京都府)|橋本駅]]||}}
{{BS5|FUNI|KBHFeq|O2=HUBaq|BHF|O3=HUBeq|||31.8|KH26 [[石清水八幡宮駅]]||}}
{{BS|STR|||[[石清水八幡宮駅#ケーブル八幡宮口駅|ケーブル八幡宮口駅]] [[京阪鋼索線|{{駅番号s|#1d2088|#fff|KH}} 鋼索線]]|}}
{{BS|hKRZWae|||[[木津川 (京都府)|木津川]]|}}
{{BS|SKRZ-Au|||[[京滋バイパス]]|}}
{{BS|hKRZWae|||[[淀川|宇治川]]|}}
{{BS3|KDSTa|STR|KDSTa||[[淀車庫]]||}}
{{BS3|ABZg+l|KRZo|ABZgr||||}}
{{BS3|KRWl|KRWg+lr|KRWr||||}}
{{BS|BHF|35.3|KH27 [[淀駅]]||}}
{{BS|SKRZ-Au|||[[第二京阪道路]]|}}
{{BS|hKRZWae|||[[高瀬川 (京都府)|東高瀬川]]|}}
{{BS|hKRZWae|||[[琵琶湖疏水|濠川]]|}}
{{BS|BHF|39.7|KH28 [[中書島駅]]|[[ファイル:BSicon exTRAM.svg|14px|link=京都市電伏見線|京都市電伏見線]]|}}
{{BS3|STR+r|STR||||[[近畿日本鉄道|近鉄]]:[[近鉄京都線|{{近鉄駅番号|B}} 京都線]]|}}
{{BS3|KRZo|ABZgr||||[[京阪宇治線|{{駅番号s|#1d2088|#fff|KH}} 宇治線]]|}}
{{BS3|hKRZWae|hKRZWae||||宇治川派流|}}
{{BS3|STR|BHF||40.6|KH29 [[伏見桃山駅]]||}}
{{BS3|HST|STR||||[[桃山御陵前駅]]|}}
{{BS3|eKRWgl|eKRWg+r|||||}}
{{BS3|BHF|O1=HUBaq|BHF|O2=HUBeq||41.3|KH30 [[丹波橋駅]]||}}
{{BS3|STR|ekABZg2||||[[近鉄丹波橋駅]]|}}
{{BS3|STRl|KRZo+xk1|ekABZq+4||||}}
{{BS|BHF|42.3|KH31 [[墨染駅]]||}}
{{BS3|WASSER+l|hKRZWae|WASSERq|||[[琵琶湖疏水]]|}}
{{BS3|WASSER|hKRZWae||||[[七瀬川 (京都府)|七瀬川]]|}}
{{BS3|WASSER|BHF||43.3|KH32 [[藤森駅]]||}}
{{BS3|WASSER|SKRZ-Au||||[[名神高速道路]]|}}
{{BS3|WASSER|BHF|exKDSTa|44.1|KH33 [[龍谷大前深草駅]] ''[[深草車庫]]''||}}
{{BS5|STR+4|WASSER|eKRWg+l|exKRWr||||JR西:{{JR西路線記号|K|D}} [[奈良線]]|}}
{{BS5|HST|WASSER|STR|||||[[稲荷駅]]|}}
{{BS5|STR|WASSER|BHF|||44.6|KH34 [[伏見稲荷駅]]|[[ファイル:BSicon exTRAM.svg|14px|link=京都市電稲荷線|京都市電稲荷線]]|}}
{{BS5|STR2|WASSERl|O2=STRc3|hKRZWae|WASSER+r|||||}}
{{BS5|STRc1|STR+4|STR|WASSER|||||}}
{{BS3|STR|BHF|WASSER|45.2|KH35 [[鳥羽街道駅]]||}}
{{BS3|STR2u|STR3|WASSER||||}}
{{BS5||STR+1|STR+4u|WASSER|WASSER+l|||[[鴨川 (淀川水系)|鴨川]]|}}
{{BS5||BHF|O2=HUBaq|BHF|O3=HUBeq|WASSER|WASSER|46.1|KH36 [[東福寺駅]]|[[ファイル:BSicon exTRAM.svg|14px|link=京都市電九条線|京都市電九条線]]|}}
{{BS5||STR2|STRl|O3=STRc3|hKRZWaeq|hKRZWaeq|||JR西:{{JR西路線記号|K|D}} 奈良線|}}
{{BS5||STRc1|STR+4|WASSER|WASSER||||}}
{{BS5|||KRZu|hKRZWaeq|hKRZWaeq|||[[東海旅客鉄道|JR東海]]:[[File:Shinkansen jrc.svg|12px|link=東海道新幹線]] [[東海道新幹線]]|}}
{{BS5|||KRZu|hKRZWaeq|hKRZWaeq|||JR西:[[東海道本線]]|}}
{{BS5||exSTRc2|eABZg3|WASSER|WASSER|||({{JR西路線記号|K|A}} [[琵琶湖線]])|}}
{{BS5||exSTR+1|O2=POINTERf@gq|exSTRc4|O3=tSTRa|WASSER|WASSER||''旧線''|-1987|}}
{{BS5|v-WASSER+l|exhKRZWae|tKRZW|WASSERr|WASSER||||}}
{{BS5|v-WASSER|exBHF|tSTR|WASSER+l|WASSERr|46.7|''[[塩小路駅]]''|-1955|}}
{{BS5|v-WASSER|exBHF|tBHF|WASSER||47.0|KH37 [[七条駅]]|[[ファイル:BSicon exTRAM.svg|14px|link=京都市電七条線|京都市電七条線]]|}}<!-- 地下水路のアイコンがないので琵琶湖疏水に通常の川 (WASSER) を使用 -->
{{BS5|v-WASSER|exBHF|tSTR|WASSER||47.4|''[[大仏前駅]]''|-1913|}}
{{BS5|v-WASSER|exBHF|tBHF|WASSER||47.7|KH38 [[清水五条駅]]||}}
{{BS5|v-WASSER|exSTR|tSTR|WASSER||||[[阪急電鉄|阪急]]:{{rint|osaka|hkg}} [[阪急京都本線|京都本線]]|}}
{{BS5|v-WASSER|exSTR|O2=HUBrg|tSTR|O3=HUBtf|WASSER|O4=HUBq|tKBHFaq|O5=HUBeq|||[[京都河原町駅]]|}}
{{BS5|v-WASSER|exBHF|O2=HUBe|tBHF|O3=HUBe|WASSER||48.6|KH39 [[祇園四条駅]]|[[ファイル:BSicon exTRAM.svg|14px|link=京都市電四条線|京都市電四条線]]|}}
{{BS6|uexdSTR+l|dWASSER|O2=ldMKRZu|P2=uexdSTRq|exABZgr|tSTR|WASSER||||←''[[京阪京津線|京津線]]''|}}
{{BS6|uexdBHF|O1=HUBrg|dWASSER|exKBHFe|O3=HUBeq|tSTR|WASSER||49.2|''三条駅'' |(1) 左:''[[三条駅 (京都府)|京津三条駅]]''|}}
{{BS6|uexdSTRr|O1=HUBlf|dWASSER|HUBq|tBHF+GRZq|O4=HUBeq|WASSER||49.3|KH40 [[三条駅 (京都府)|三条駅]]|(2) ([[ファイル:Subway KyotoTozai.svg|12px|link=京都市営地下鉄東西線|東西線]] [[三条京阪駅]])|}}
{{BS5|v-WASSER||tPSLe|WASSER|||引き上げ線||}}
{{BS|tLSTR|||↓[[京阪鴨東線|{{駅番号s|#1d2088|#fff|KH}} 鴨東線]]|}}
{{BS|tHST|||KH41 [[神宮丸太町駅]]|}}
{{BS|tKHSTe|||KH42 [[出町柳駅]]|}}
}}
本節では、京阪本線と一体的な運用を行っている鴨東線についても記述する。
=== 淀屋橋駅 - 樟葉駅間 ===
起点である[[淀屋橋駅]]は[[Osaka Metro御堂筋線]]と接続する地下駅で、付近は[[大阪市役所]]や[[大阪市中央公会堂|中之島公会堂]]、[[大阪府立中之島図書館|中之島図書館]]があるなど大阪屈指の官庁街である。[[Osaka Metro堺筋線]]との接続駅で[[大阪取引所]](旧・[[大阪証券取引所]])最寄駅の[[北浜駅 (大阪府)|北浜駅]]を過ぎると[[京阪中之島線|中之島線]]と合流し、[[Osaka Metro谷町線]]と接続する[[天満橋駅]]に着く。1963年の淀屋橋地下延長線開通までは天満橋駅が起点で、北寄りの地上駅跡には[[大阪マーチャンダイズ・マートビル|OMMビル]]が建っている。駅のメインテナントは[[松坂屋]]であったが、現在は「[[京阪シティモール]]」となり、メインテナントとして[[エディオン]]や[[ジュンク堂書店]]が入居している。天満橋駅から複々線となって、地上に出て寝屋川を渡り、高架に上がると[[京橋駅 (大阪府)|京橋駅]]に着く。京橋駅は[[大阪環状線]]・[[JR東西線]]・[[片町線|学研都市線]]との接続駅であり、周辺は1990年の[[国際花と緑の博覧会|大阪花の万博]]を機に[[大阪ビジネスパーク]] (OBP) など急激に再開発が進んだ地域の一つである。
京橋駅を過ぎると方向別複々線となって、内側2線を主に優等列車が、外側2線を主に普通列車が使用するため複々線区間の多くの駅には内側線にホームが設けられていない。大阪環状線をまたぎ、北にカーブして[[おおさか東線]]をくぐると[[野江駅]]、[[Osaka Metro今里筋線]]の接続駅である[[関目駅]]、[[阪神高速12号守口線|阪神高速道路12号森小路線]]をくぐり[[森小路駅]]を過ぎると[[ダイエー]]発祥の地(現在は閉店)がある[[千林商店街]]のある[[千林駅]]、[[守口市]]に入って[[滝井駅]]、[[土居駅]]と800mほどの距離で3駅が密集する区間を通り、[[京阪百貨店]]がある[[守口市駅]]に着く。内側線にもホームがあり、快速急行停車駅ではあるが、平日朝[[ラッシュ時]]の下りはほとんどの優等列車が通過するのも特徴である。守口市駅までは直線が続いていたが、この駅を過ぎると徐々にカーブが増えていく。大手家電メーカー[[パナソニック]]の本社工場の最寄り駅である[[西三荘駅]]で[[門真市]]に入って一旦地上に降り、[[近畿自動車道]]・[[大阪府道2号大阪中央環状線|大阪中央環状線]]をくぐって[[大阪モノレール本線|大阪モノレール]]の接続駅である[[門真市駅]]を過ぎると再び高架を上がる。大阪府[[門真運転免許試験場]]の最寄り駅の[[古川橋駅]]、[[大和田駅 (大阪府)|大和田駅]]を過ぎると[[寝屋川市]]に入り、[[萱島駅]]に到着する。内側線にもホームがあり、下りホームと屋根を突き抜けて生えている[[クスノキ]]で知られる。複々線は事実上この駅までで、普通や区間急行を中心に始終着列車が多い。
萱島駅を過ぎると複々線の外側2線は高架を降りて[[寝屋川信号所]]につながる回送線となり、営業線は複線となる。程なく右手に[[寝屋川車庫]]・寝屋川車両工場が見え、[[寝屋川市駅]]を過ぎると高架を降り、[[成田山不動尊]]の最寄り駅で待避設備のある香里園駅に着く。[[枚方市]]に入り[[光善寺駅]]を過ぎて[[枚方バイパス|国道1号(枚方バイパス)]]をくぐり、右手に[[ひらかたパーク]]が見えると[[枚方公園駅]]を過ぎ、大きくカーブして高架に上がると特急停車駅で[[京阪交野線|交野線]]と接続する[[枚方市駅]]に着く。枚方市駅を出ると地上に降りて、[[御殿山駅]]、[[牧野駅]]を過ぎると、左にカーブして急勾配を上がり、右に曲がる。[[架空電車線方式|架線方式]]がコンパウンドカテナリー式からシンプルカテナリー式に変わり、しばらく走れば京阪本線で大阪府内の最も東側にあり、[[くずはモール]]の最寄り駅で特急停車駅の[[樟葉駅]]に到着する。樟葉駅では京都府の[[八幡市]]や[[久御山町]]方面に向かう京阪バスが発着することもあり、京都府民の利用客が多いことや始発着列車が多いこと、周辺部は京阪電気鉄道が積極的に不動産事業を展開したことが特徴である。
=== 樟葉駅 - 三条駅(出町柳駅)間 ===
樟葉駅から先は車窓が一変し、前方には山上に[[石清水八幡宮]]がある[[鳩ヶ峰|男山]]も見えてくる。京都府に入り[[橋本駅 (京都府)|橋本駅]]を過ぎると、減速しながら右にカーブして、石清水八幡宮の最寄り駅の[[石清水八幡宮駅]]に着く。石清水八幡宮へは参道を歩いて登るほか、隣接する[[石清水八幡宮駅#ケーブル八幡宮口駅|ケーブル八幡宮口駅]]から[[ケーブルカー]]([[京阪鋼索線|石清水八幡宮参道ケーブル]])も発着している。石清水八幡宮駅を過ぎると[[木津川 (京都府)|木津川]]を京阪最長の鉄橋で渡り、洛南浄化センター(京都府下最大の[[下水処理場]])を右に見ながら築堤上を左にカーブし[[京滋バイパス]]の高架橋をくぐる。そして[[淀川|宇治川]]を渡って京都市に入り右にカーブすると、左右には京阪本線のもう一つの車庫である[[淀車庫]]が見えてくる。そのまま進むと進行方向右手に改修中の[[京都競馬場]]を望む[[淀駅]]に着く。淀駅はかつて[[淀城|淀城跡]]の近くにあったが、2011年5月に現在地に移転高架化した。また車庫の最寄り駅でもあるために出町柳方面行きを中心に始終着列車が設定されている。さらに東に進んで[[国道1号]]([[枚方バイパス]])、[[第二京阪道路]]を潜り、減速して右にカーブすれば、[[京阪宇治線|宇治線]]との接続駅の[[中書島駅]]に到着する。駅南側には三十石船の置かれた[[伏見港|伏見港公園]]が整備され、駅北側には[[幕末]]時代に重要な舞台となった[[寺田屋]]があるなど昔ながらの街並みが残っている。
中書島駅を出ると進行方向を北に変え、住宅密集地の狭い空間を走る。左にほぼ90度カーブすると伏見区の中心駅である[[伏見桃山駅]]。駅前方の[[伏見大手筋商店街]]を越え右に左にカーブを切りながら坂を上がっていくと、すぐに[[近鉄京都線]]との連絡駅である[[丹波橋駅]]に到着する。かつて近鉄京都線と直通運転を行っていた線路跡を、淀屋橋寄りと三条寄り双方に垣間見ることができる。丹波橋駅を出て、立体交差で近鉄京都線を乗り越え[[墨染駅]]、続いて[[名神高速道路]]を潜ったところにある[[藤森駅]]を過ぎると、[[龍谷大学|龍谷大学(深草校舎)]]の最寄り駅で待避設備のある[[龍谷大前深草駅]]に着く。かつては[[深草車庫]]が併設されていたが1980年に閉鎖され、電留線が1線残っていたが、2代目橋上駅舎の新築工事で撤去されている。急カーブを過ぎると[[伏見稲荷大社]]の最寄り駅の[[伏見稲荷駅]]、[[鳥羽街道駅]]を出ると、急勾配の右急カーブを上がって、JR[[奈良線]]を乗り越え、急勾配の左急カーブを下りればJR奈良線と接続する[[東福寺駅]]に到着する。
左側に大手ゲーム機メーカー[[任天堂]]の京都リサーチセンター(1959年から2000年までの本社)が見え、[[東海道新幹線]]・[[東海道本線]]([[琵琶湖線]])を潜ると京都地下線に入り、[[三十三間堂]]、[[京都女子大学]]の最寄り駅[[七条駅]]に到着する。右にカーブしながら清水寺の最寄り駅である[[清水五条駅]]、[[八坂神社]]や京都随一の繁華街[[四条通]]の最寄り駅である[[祇園四条駅]]を経て、その先の勾配を上がると[[京都市営地下鉄東西線]]と接続する[[三条駅 (京都府)|三条駅]]に到着する。かつては地上の京津三条駅から[[京阪京津線|京津線]]が発着していたが、1997年の廃止後は地下鉄東西線との直通運転により接続している。地元では「[[三条京阪]]」の名称で親しまれており、バスターミナルなども併設されている。かつては京阪における京都側の一大拠点であったが、鉄道網の充実により拠点性が低下している。七条駅 - 三条駅間の地上線時代は[[琵琶湖疏水]]と併走し、京阪線の見所の一つでもあった。
京阪本線の正式な終点は三条駅であるが、ほとんどの列車は三条駅で折り返すことなく[[出町柳駅]]まで続く[[京阪鴨東線|鴨東線]]に直通する。[[平安神宮]]や[[京都御所]]の最寄り駅の[[神宮丸太町駅]]を過ぎると[[京都大学]]([[京都大学吉田キャンパス|吉田キャンパス]])、[[同志社大学]]([[同志社大学今出川キャンパス|今出川キャンパス]])や[[下鴨神社]]の最寄り駅で鴨東線の終点の出町柳駅に着く。地上からは洛北方面に向かう[[叡山電鉄]]が発着していて、行楽シーズンには混雑する。
== 運行形態 ==
{{See also|京阪電気鉄道のダイヤ改正}}
三条駅に発着する大半の列車が[[京阪鴨東線|鴨東線]]出町柳駅まで直通運転を行っており、一部の列車は天満橋駅から[[京阪中之島線|中之島線]]中之島駅まで直通運転を行っている。そのため、両線との運行形態も併せて記述する。
以下に種別ごとの詳細を示す。特記なければ通常期の運行形態について記す(ダイヤ乱れによる運用変更については、この限りではない)。年末年始に実施される正月ダイヤについては「[[#年末年始|年末年始]]」の節を、そのほかの臨時ダイヤについては「[[#臨時列車|臨時列車]]」「[[#臨時ダイヤ|臨時ダイヤ]]」の節も参照。また、快速特急・ライナー・特急・通勤快急・快速急行の詳細については「[[京阪特急]]」も参照。
=== 列車種別 ===
京阪本線の[[列車種別]]は、'''快速特急「洛楽」'''、'''ライナー'''、'''特急'''、'''通勤快急'''、'''快速急行'''、'''急行'''、'''通勤準急'''、'''準急'''、'''区間急行'''、'''普通'''の計10種別がある<ref group="注釈">京阪公式サイト等の京阪線の停車駅路線図では準急と通勤準急、快速急行と通勤快急を同一種別にまとめて記載している。また、「ライナー」については路線図上では省略され、特急と同じ停車駅の旨のみ記載されている。</ref>。なお、これは日本国内大手私鉄最多の種別数となっている。現行ダイヤでの基本種別は特急、快速急行、準急、普通の4種別で、平日ダイヤは10種別全てが、土休日ダイヤはライナー、通勤快急、通勤準急を除く7種別が運行される。
各種別の現行の全停車駅は[[#駅一覧]]を参照。
==== 快速特急「洛楽」 ====
{{Main|京阪特急|快速特急#京阪電気鉄道}}
[[ファイル:8005F 快速特急洛楽.jpg|サムネイル|8000系による快速特急「洛楽」]]
2023年8月26日改定の現行ダイヤでは、平日は9時台に上り1本、17時台に下り1本が、土休日は9 - 10時台に上り4本、15 - 17時台に下り5本が淀屋橋駅 - 出町柳駅間で運転される。京橋駅 - 七条駅間をノンストップ・最速33分で結び、平日の下り・土休日の上りは特急車[[京阪8000系電車|8000系]]、それ以外は[[京阪3000系電車 (2代)|3000系(2代)]]で運転される。ただし、やむを得ず一般車8両編成での運転となる場合がある。
[[祇園]]・[[東山区|東山]]エリアや、[[大原 (京都市)|大原]]・[[叡山電鉄|貴船・鞍馬方面]]、京都([[八瀬 (京都市)|八瀬]]) - 比叡山 - びわ湖(坂本)をつなぐ周遊ルート「山と水と光の廻廊」への観光創造を目的に設定されており、平日は鴨東線・叡山電車沿線との通勤通学需要にも対応する。
2011年秋から2016年正月までは行楽期限定で運行されていたが(後述)、[[2016年]][[3月19日]]のダイヤ改定より、土休日ダイヤ限定で定期運転(5往復)されることとなった<ref name="keihan20160118">{{PDFlink|[http://www.keihan.co.jp/info/upload/2016-01-18_train-diagram.pdf 3月19日(土)初発から京阪線のダイヤを変更します]}} - 京阪電気鉄道 報道発表資料、2016年1月18日</ref>。京橋駅 - 七条駅間ノンストップ列車の定期運転は2000年6月までの特急以来約16年ぶりであった。[[2017年]][[2月25日]]ダイヤ改定からは平日にも運転を開始(2往復)し、毎日運転となった<ref name="keihan20170113" />。使用車両は臨時運行時代から8000系限定であったが、同改定からは3000系(2代)が加わった<ref name="keihan20170113" />(同ダイヤでは行楽期を除き全列車3000系で運転)。
[[2011年]][[10月22日]] - [[12月4日]]の土休日に臨時快速特急「ノンストップ京阪特急」として淀屋橋発出町柳行きが運行された<ref>{{PDFlink|[http://www.keihan.co.jp/info/upload/2011-10-03.pdf 秋の観光シーズンに淀屋橋発出町柳行き「ノンストップ京阪特急」を運転します!]}} - 京阪電気鉄道 報道発表資料、2011年10月3日。</ref><ref>[http://railf.jp/news/2011/10/23/172800.html 「ノンストップ京阪特急」運転] - 鉄道ファンrailf.jp</ref>。翌年春([[2012年]][[3月24日]] - [[6月3日]]の土休日)の運行に向けて愛称を公募、「洛楽」の列車愛称が与えられ<ref>[http://www.keihan.co.jp/traffic/railfan/exp_nonstop/ ノンストップ京阪特急“洛楽”運転開始] - 京阪電気鉄道公式サイト</ref>、以後春秋行楽期の土休日に運行されるようになった。臨時運行時代は前後の定期特急が一般車に差し替えられていた。
2014年以降[[正月]]ダイヤにも設定され(「洛楽初詣」、翌年以降「洛楽」に統一)、下り(出町柳発淀屋橋行き)も運転されるようになった<ref name="syougatsu2014">{{PDFlink|[http://www.keihan.co.jp/info/upload/2013-12-13_timetable.pdf 年末年始の列車運転について]}}- 京阪電気鉄道 報道発表資料、2013年12月13日(2014年1月4日閲覧)</ref><ref name="syougatsu2015">{{PDFlink|[http://www.keihan.co.jp/info/upload/2014-12-12_timetable.pdf 年末年始の列車運転について]}}- 京阪電気鉄道 報道発表資料、2014年12月12日(2015年1月4日閲覧)</ref>。2017年6月からは種別名に愛称を加えた「快速特急 洛楽」と案内されるようになった。
有料座席指定特別車両「[[京阪特急#有料特別車両(プレミアムカー)|プレミアムカー]]」の連結は、2017年8月の運行開始当初、行楽期の土休日のみ(3000系→8000系に変更)であったが、2018年9月15日のダイヤ改定で行楽期を除く土休日にも拡大された。正月ダイヤでは2往復がプレミアムカー連結(8000系)となっていた。2021年1月31日ダイヤ改定(3000系プレミアムカー運行開始)より全列車連結となっている。
2008年10月 - 2011年5月の平日夕ラッシュ時から夜間に、上り淀屋橋発出町柳行きのみ運転されていた快速特急(中書島駅・丹波橋駅にも停車)については「[[#旧・快速特急|旧・快速特急]]」を参照。
{{-}}
==== ライナー ====
{{Main|京阪特急#快速特急・K特急(現在は廃止)・ライナー・特急|京阪特急#有料特別車両(プレミアムカー)|京阪特急#有料座席指定サービス}}
平日の通勤時間帯に特急車8000系で運転される'''全車両座席指定'''の列車である。乗車には運賃のほかにライナー券(300円または380円・一部区間を除く)または[[京阪特急#有料特別車両(プレミアムカー)|プレミアムカー]]券(400円または500円)が必要である。
2023年8月26日改定ダイヤでは、朝に下り淀屋橋行きが出町柳・三条・枚方市発それぞれ1本ずつと、樟葉発3本の計6本(概ね20分間隔)、夜に上り出町柳行きが5本(淀屋橋駅17時 - 20時台)、下り出町柳発淀屋橋行き1本が運行されている<ref name="keihan20230626" />。停車駅は朝の樟葉発・枚方市発の便は通勤快急と、その他は特急と同じであるが、一般列車優先のダイヤであることや誤乗防止のため駅停車時間が長く、所要時間は特急や通勤快急に比べて長い。
2017年8月21日より運行を開始<ref name="keihan20170629">{{PDFlink|[https://www.keihan.co.jp/corporate/release/upload/2017-06-29%20daiya.pdf 8月20日(日)初発から京阪線のダイヤを一部変更します]}} -京阪電気鉄道、2017年6月29日</ref>。当初は平日朝の淀屋橋行き2本(枚方市発・樟葉発1本ずつ)の運行で、京橋駅までノンストップであった。2018年9月15日のダイヤ改定で特急と同じ停車駅となり、平日朝に樟葉発を1本増発し、従来樟葉発であった列車が出町柳発に延長され、夜間には出町柳行き2本が設定された<ref name="keihan20180717" />。2021年1月31日改定で平日朝に三条発の列車が増発された。2021年9月25日改定で、朝に樟葉始発1本、夜に出町柳行き2本が増発された<ref name="keihan2020708">{{Cite press release|title=2021年9月25日(土)に京阪線・大津線においてダイヤを変更します|publisher=京阪電気鉄道広報部|date=2021-07-08|url=https://www.keihan.co.jp/corporate/release/upload/2021-07-08_diagram.pdf|format=PDF|language=日本語|和書|archiveurl=|accessdate=2021-12-29|archivedate=}}</ref><ref name="keihan2020820">{{Cite press release|title=京阪線・大津線ダイヤ変更の詳細についてのお知らせ|publisher=京阪電気鉄道広報部|date=2021-08-20|url=https://www.keihan.co.jp/corporate/release/upload/2021-08-20_keihan-diagram.pdf|format=PDF|language=日本語|和書|archiveurl=|accessdate=2021-12-29|archivedate=}}</ref>。2023年8月26日改定で朝の下り・夕方の上り共に増発されたほか、夕方に出町柳発淀屋橋行きが1本新設された。またこの改定で、朝の樟葉発3本、枚方市発1本の4本が香里園・寝屋川市に停車するようになった<ref name="keihan20230626" />。
==== 特急 ====
{{Main|京阪特急}}
[[ファイル:Keihan 8000 series 2017-01-01.jpg|220px|thumb|8000系による特急(種別幕は赤色)]]
沿線の石清水八幡宮にちなむ特急シンボルマーク「鳩マーク」とともに、「[[京阪特急]]」として親しまれている。終日にわたって運転され、原則淀屋橋駅 - 出町柳駅間の運転であるが、平日朝には枚方市発淀屋橋行きが1本、深夜には淀屋橋発三条行き(三条駅で普通出町柳行きに変更して運転)と出町柳発枚方市行きがそれぞれ1本設定されている。中之島線への乗り入れは春秋行楽期や競馬開催時の臨時列車のみである。
2003年(平成15年)9月6日のダイヤ改正で日中10分間隔運転(枚方市・樟葉駅に追加停車)となって以降、ダイヤ改正・改定のたびにK特急・快速特急から置き換わる形で運転時間帯が拡大され、10分間隔での運転が定着していたが、行楽利用の多い路線であることから不要不急の外出自粛の影響が大きく、2021年9月25日のダイヤ改定で平日[[ラッシュ時]]下りや早朝・深夜を除いて概ね15分間隔(平日15時以降は概ね12分間隔)での運転となっている。各駅停車との[[緩急接続|連絡]]については「[[#準急・通勤準急|準急・通勤準急]]」の節を参照。
車両は、[[2階建車両|ダブルデッカー]](2階建て車両・4号車)連結の特急車[[京阪8000系電車|8000系]]を中心に、[[京阪3000系電車 (2代)|3000系(2代)]]も充当され、共に6号車には有料座席指定特別車両「[[京阪特急#有料特別車両(プレミアムカー)|プレミアムカー]]」が連結される。2021年現在、一般車の充当は朝ラッシュ下りや夕ラッシュ上り、深夜を中心に平日ダイヤ12本、土休日ダイヤ5本となっている。使用車両は駅掲出の[[時刻表]](京阪電車ホームページでも公開)で判別可能である。なお、平日朝ラッシュ時の1号車(京都方先頭車)は[[女性専用車両]]となる<ref>[https://www.keihan.co.jp/traffic/safety/womenonly.html 女性専用車両] - 京阪電気鉄道</ref>。
淀屋橋駅 - 出町柳駅間の標準所要時間は53 - 54分(ラッシュ時は60分前後の列車も存在)で、前述の通り乗車時間は長くなる<ref group="注釈">京橋駅 - 七条駅間で見れば同区間を38 - 40分で結んでいる。</ref>が、大阪のオフィス街・官公庁街・繁華街([[御堂筋]]・[[船場 (大阪市)|船場]]・[[谷町]]・[[京橋 (大阪市)|京橋]]・[[大阪ビジネスパーク|OBP]])、京都の[[祇園]]・[[四条河原町]]・[[東山区|東山]]・洛北へのアクセスの良さから利便性は高く、行楽客を中心にリピーターも多い。
方向幕の色は赤地に白文字で、「K特急」が設定された[[2003年]][[9月6日]]のダイヤ改正を機に使用開始された。1989年使用開始の英字入り幕は黒地に赤文字、それ以前([[京阪3000系電車 (初代)|3000系(初代)]])は白地に赤文字であった。なお、当時[[京阪2600系電車|2600系]]は「K特急」入りの幕に交換されず、K特急「おりひめ」では黒地に赤文字の特急幕を表示した。
[[2000年]]7月1日ダイヤ改正で中書島駅・丹波橋駅に終日停車となるまでは、京橋駅 - 七条駅間ノンストップで運転されていた(平日朝ラッシュ時の下りのみ1993年1月改正より中書島駅、1997年3月改正より枚方市駅にも停車)<ref name="RJ415_65">[[#RJ415|『鉄道ジャーナル』通巻415号、p.65]]</ref>。ただし、『[[くらわんか花火大会]]』開催時(毎年8月の最終[[日曜日]])には枚方市駅(1998年以前は樟葉駅)に上り下りとも臨時停車していた。
2008年10月19日ダイヤ改正(中之島線開業)以降の運行の変遷については「[[京阪特急#中之島線開業から京橋 - 七条間ノンストップ列車の復活|京阪特急]]」を参照。
==== 快速急行・通勤快急 ====
[[ファイル:Keihan-3000.JPG|thumb|right|240px|2代目3000系による快速急行(種別幕は紫色)]]
特急に準ずる優等列車で、特急停車駅に加えて守口市駅・寝屋川市駅・香里園駅に停車する種別である。
ほぼ終日運転され、日中に淀屋橋駅 - 出町柳駅間で毎時2本運転される列車は原則「プレミアムカー」連結の3000系(本節では2代)が充当される。また、平日夕ラッシュ時から夜間にかけて多数の淀屋橋発樟葉行きが運転されている。そのほか、平日朝には淀屋橋発枚方市行き、寝屋川市発出町柳行き、枚方市発淀屋橋行きが、平日夕方には唯一の中之島発である樟葉行き、休日夜間には3000系で運転の淀屋橋発樟葉行きがそれぞれ1本ずつ設定されている。
平日ダイヤの淀屋橋9時台発の1本と、出町柳17時台発の1本が枚方市駅でそれぞれ快速特急「洛楽」を待避する。それ以外の列車は全区間で先着する。また、京都競馬開催時の土休日には夕方の下り列車の一部(2022年現在では2本)が淀駅に臨時停車する。
夕ラッシュ時の上り列車は樟葉駅折り返しの急行を補完し、出町柳駅発の列車は快速特急が通過する特急停車駅の乗車機会を確保する役割を担う。これらの快速急行は基本的に8両または7両編成の一般車が用いられる。
通勤快急は快速急行の停車駅から守口市駅を除外した種別で、平日朝に下りのみ運転される。樟葉発淀屋橋行きが2本、樟葉発中之島行きが1本、出町柳発中之島行きが1本設定されている。
種別幕の表示は両種別ともに紫色である。
通勤快急はこの名称が正式な列車種別名であり、「通勤快速急行」とは称さない。
===== 運行の変遷 =====
2008年10月19日の中之島線開業にあわせて中之島駅発着の最速達種別として新設された。それまでの急行を置き換える形でほぼ終日運転され、平日ラッシュ時の一部列車を除き3000系が充当された。競馬開催日には、朝から夕方にかけて競馬場最寄りの淀駅にも臨時停車していた(出町柳発7時40分 - 17時40分と中之島発7時30分 - 17時00分)<ref group="注釈">2009年第5回京都競馬開催までは「京都競馬開催日のみ」の臨時停車であった。</ref>。
その後、2009年9月のダイヤ一部改定では、平日夕方ピーク時間帯の出町柳行きが淀屋橋発の急行樟葉行きに変更された。平日夕ラッシュ時以降の中之島発の列車は三条行き(20時以降は樟葉行き)となったほか、一部は普通に変更された。三条行きは樟葉駅で快速特急の通過待避を行っていた。
2011年5月のダイヤ改定で淀屋橋駅 - 枚方市駅間の特急と統合する形で日中の運転が廃止された。また、夕方の三条行きは樟葉行きに短縮された。
さらに、2013年3月のダイヤ改定により中之島駅 - 出町柳駅間の運転は平日朝ラッシュ時に限られ、この時間以外に運行される快速急行について、平日は、上りは中之島発樟葉行き・下りは出町柳発淀屋橋行きとなっている。土・休日ダイヤにおいては朝と夜間の出町柳発淀屋橋行きのみとなった。
2016年3月19日のダイヤ改定では、初めて7両編成の列車が設定された。また、通勤快急1本が淀屋橋行きに変更され、平日夕ラッシュ時に3000系運用が再設定された<ref group="注釈">2016年9月24日の運用変更で一般車に変更、2017年2月25日改定で淀屋橋17:54発樟葉行きが3000系に変更。</ref>ほか、土休日朝に淀屋橋発出町柳行き・樟葉発淀屋橋行き、夕方に淀屋橋行きが設定された。中之島線開業から続いた中之島駅 - 出町柳駅間通しの快速急行は上り下り共に廃止され、中之島行きは平日枚方市駅始発の1本を残すのみとなったほか、深夜の出町柳発淀屋橋行きが廃止された。
2017年2月25日のダイヤ改定では、平日夕方から夜間の中之島発樟葉行きの列車がすべて淀屋橋発に変更(21時台は急行に変更)となり、中之島駅を始発とする快速急行は平日朝の樟葉行き2本にまで減少した。
2017年8月20日のダイヤ改定では、平日朝の樟葉行き1本も淀屋橋発に変更されたため、中之島駅を発着する快速急行は上下1本ずつのみとなった。
2018年9月15日のダイヤ改定では、平日朝に初めて寝屋川市発出町柳行きが3000系<ref group="注釈">検査時等一般車代走あり。</ref>で設定された。一方、同系列充当の通勤快急と平日夕方の樟葉行きは一般車に変更されたほか、平日夜の樟葉行きにも7両編成の列車が設定された。
2021年1月31日のダイヤ改定では、三条始発の通勤快急が全て出町柳発となったほか、樟葉始発が1本新設された。平日朝の枚方市発の快速急行が淀屋橋行きとなり、中之島行き快速急行の設定がなくなった。深夜の交野線最終連絡・淀屋橋発樟葉行き特急が直後の準急と統合されて快速急行となり、再び土休日上りにも設定された。
2021年9月25日のダイヤ改定では、日中に「プレミアムカー」連結の3000系で運転される快速急行が毎時2本設定された。通勤快急の運転は、出町柳発4本・樟葉発1本の計5本から出町柳発1本・樟葉発3本の計4本に減少した。なお、通勤快急には3000系は充当されない。
==== 急行 ====
[[ファイル:Keihan 7000 series at dusk 2017-01-01.jpg|220px|thumb|7000系による急行(種別幕は橙色)]]
急行は、特急が通過する主要駅に加え、行楽(初詣)利用の多い駅にも停車する種別である。淀駅には、同駅を始発・終着とする列車と、競馬開催時(臨時停車)のみ停車する。中之島線への乗り入れは競馬開催時の臨時列車のみである。
淀屋橋駅 - 出町柳駅間の列車のほか、朝夕ラッシュ時には淀屋橋駅 - 樟葉駅間の列車が、早朝には寝屋川市発出町柳行き、平日朝には淀屋橋発枚方市行き、早朝・平日夕方・夜には[[淀車庫]]への出入庫や土休日の[[京都競馬場]]への利便を兼ねた淀駅発着の区間列車(淀屋橋駅 - 淀駅・淀駅 - 出町柳駅間)がある([[京阪本線#京都側の準急|京都側の準急]]も参照)。
土休日の淀屋橋発9時 - 10時台には、上り快速特急「洛楽」を枚方市駅で待避する便が4本運行され、快速特急が通過する特急停車駅を補完しつつ、[[ひらかたパーク]]、[[石清水八幡宮]]、京都競馬場(競馬開催日に淀駅に臨時停車)、[[伏見稲荷大社]]、東山といった沿線の観光・行楽需要に対応している。快速特急・特急待避がない多くの列車が全区間で先着する。
方向幕の色は橙色に白文字で、[[1989年]]の[[京阪7000系電車|7000系]](英字入り幕)登場時から使用されている。6000系登場以前は白地に赤文字、以降は赤地に白文字であった。運行標識板は丸形で、淀屋橋駅 - 三条駅(出町柳駅)間の列車が赤地に白文字、淀屋橋駅 - 樟葉駅間の列車が白地に赤文字であった。
===== 運行の変遷 =====
急行は長らく、終日運転される主力優等種別であった。淀屋橋開業後の[[1964年]]当時の途中停車駅は四条駅(現在の[[祇園四条駅]])・七条駅・[[伏見稲荷駅]]・丹波橋駅・[[中書島駅]]・八幡町駅(現在の[[石清水八幡宮駅]])・枚方市駅・[[香里園駅]]・京橋駅・[[天満橋駅]]・[[北浜駅 (大阪府)|北浜駅]](1961年12月以降は日中は枚方公園駅にも停車)であり、現在の快速急行並みの停車駅数であったが、徐々に停車駅が増え、現在では全運転区間の約半数の駅に停車している。
1971年8月の樟葉駅移転改良工事完成に伴うダイヤ改正で、日中20分間隔から15分間隔に増発されて以降は、樟葉駅または丹波橋駅で特急を待避するようになった。8両編成運転は枚方市駅高架化工事(下り線の仮線移設)に伴い1985年から開始され、当初は朝夕ラッシュ時の樟葉駅で折り返す列車のみであったが、1987年の京都地下線(東福寺駅 - 三条駅間)の開業で全線に拡大していった。1987年6月改正以降は樟葉駅で同駅発着の準急と連絡するようになった。出町柳駅23時25分発急行淀屋橋行きは0時29分に淀屋橋駅3番線到着後、そのまま[[夜間滞泊]]し、淀屋橋駅の始発列車5時04分発普通三条行き(平日は5扉扱い)となるため、長年に渡り5扉車[[京阪5000系電車|5000系]]の限定運用であった{{Refnest|『鉄道ファン』2009年8月号(交友社刊) 121頁より<ref group="注釈">淀屋橋発普通の行き先は2009年当時は出町柳行き。2019年7月現在は三条行き。</ref>。}}。
2000年のダイヤ改定までは、普通との連絡は基本的に守口市駅(萱島発着の普通)・香里園駅・丹波橋駅の3駅(宇治線直通の普通)であった。その後、2003年9月のダイヤ改定で昼間時の運転が中止(準急に置き換え)された後、2006年4月のダイヤ改定から2008年10月19日のダイヤ改定前までは、昼間は淀屋橋駅 - 枚方市駅間の運転(一部は準急、香里園駅で特急待避あり)、それ以外の時間帯は淀屋橋駅 - 出町柳駅間を15分間隔(夜間は20分間隔)で運転される形でほぼ終日運転されていて、土休日は京阪間通しの列車は原則として終点まで特急に追い抜かれなかった(ただしまれに三条駅で特急に追い抜かれることもあった)。
1980年3月まで寝屋川市駅・枚方公園駅は昼間時間帯のみ停車、守口市駅は終日通過となっていた(ただし、1960年代後半には朝ラッシュ時に守口車庫から出庫する守口駅発三条行きの急行が3本設定されていたが、1971年のダイヤ改正頃に廃止された)が、1980年3月のダイヤ改定で寝屋川市駅は終日停車、守口市駅は昼間時間帯停車となり、その後守口市駅・枚方公園駅には夕ラッシュ時にも停車するようになるなど、ダイヤ改正(改定)毎に停車時間帯が拡大し、2003年からは22時台頃まで停車するようになった結果、早朝から朝ラッシュ時および深夜のみ通過となった。その後、2008年の中之島線開業で早朝と深夜の列車についても停車を開始し、全ての急行が両駅に停車するようになった(朝ラッシュ時の急行は同改正で廃止)。
京都競馬開催時(場外の時期も含む)は淀駅に臨時停車していた。2008年10月19日改正ダイヤからは、急行に代わって快速急行が臨時停車していたが、2011年5月のダイヤ改定で日中の快速急行が廃止となり、代わりに樟葉発着の急行を延長する形で土休日朝に淀行き、夕方に淀発の急行が設定されるようになった。快速特急「洛楽」が運転される春秋の[[#特別ダイヤ|特別ダイヤ]]では特急の送り込みの関係上、京都競馬開催の有無に関係なく午後の時間帯(15時 - 17時台) に淀発出町柳行きが運行された。
2009年9月のダイヤ改定で、平日夕ラッシュ上りピーク時の中之島発樟葉行き快速急行3本が淀屋橋発樟葉行きの急行4本に振り替えられた(中之島発の列車は普通に変更)。2011年5月のダイヤ改定では日中に淀屋橋駅 - 樟葉駅間運転の急行が毎時片道4本設定され、京橋駅(中之島駅発着の列車)・守口市駅・香里園駅で普通に、樟葉駅で特急に連絡するようになった(ただし香里園駅・枚方公園駅 - 樟葉駅以北の特急停車駅間は、枚方市駅で特急と準急または普通を乗り継ぐ方が早い)。また、夕方時間帯の下りにも設定された。
2013年3月16日のダイヤ改定で、日中は毎時3本とされ、準急と交互に20分間隔での運転になった<ref name="keihan20130117" />。また土日に運転の急行淀行き2本を樟葉行きに短縮し、平日夕方ラッシュに運行されている樟葉行き4本を淀行きに変更した。また深夜にも淀行き(準急樟葉行きから変更)が設定された。2016年3月19日のダイヤ改定で日中の運転が取りやめとなった<ref name="keihan20160118" />。
2017年2月25日のダイヤ改定より、上り快速特急「洛楽」運転時間帯には、八幡市駅(現在の石清水八幡宮駅)、伏見稲荷駅、清水五条駅、神宮丸太町駅などの京都観光最寄駅に配慮して、出町柳行き(快速急行より変更)が平日に2本、土・休日に5本設定された<ref name="keihan20170113" />。この列車は、枚方市駅で快速特急「洛楽」を待避し、京都競馬開催時(場外の時期も含む)は淀駅に臨時停車する。
2018年9月15日のダイヤ改定では、平日1本、土休日に2本あった8000系運用(2017年8月20日以降「プレミアムカー」連結)は廃止され、平日夜には出町柳発淀行きが3本増発された。土休日朝に特急が増発された関係で、当該時間帯の出町柳行きは、6時台は準急に変更、7時台は樟葉行きに短縮された。また、2008年10月改正で廃止された枚方市行きが、平日夜と土休日昼に1本ずつ設定された。
2021年9月25日のダイヤ改定では、土休日の上り急行が全て出町柳行きに変更された。
==== 準急・通勤準急 ====
[[ファイル:Keihan Electric Railway - Series 2630 - 01.JPG|220px|thumb|2600系30番台による準急(種別幕は青色)]]
主に複々線区間で通過運転を行い、そのほかの区間は各駅に停車する。平日朝ラッシュ時の下りは守口市駅を通過する「通勤準急」として運転し、それ以外は守口市駅に停車する「準急」としてほぼ終日運転され、守口市駅で普通と連絡する。原則淀屋橋駅発着であるが、平日朝夕には中之島駅発着の列車も運転される。また、枚方市駅・樟葉駅、淀駅(通勤準急を除く)発着の区間運転列車が設定されているほか、早朝には三条発淀屋橋行きが設定されている。中書島駅 - 七条駅間にはホーム[[有効長]]が7両分の駅があるため、京阪間通しの列車はほぼすべて7両編成での運転<ref group="注釈">ごく一部に6両編成で運行される便もある。</ref>であり、8両編成での運転は淀駅以南に限られる。京橋駅で中之島駅発着の普通と連絡する列車がある。
各駅停車区間における特急との連絡は、基本的に枚方市駅・丹波橋駅・三条駅の3駅で行う。日中の快速急行とは樟葉駅での連絡または龍谷大前深草駅での通過待ちを行う。ラッシュ時には京橋駅での連絡、萱島駅・淀駅・龍谷大前深草駅での通過待ちや、香里園駅や枚方市駅で快速急行・急行との連絡を行う列車がある。
種別幕の地色は両種別ともに青である。6000系登場以前は白地に青字であった。また、運行標識板は丸板で、白地(天満橋駅発着列車は黄色地)に青文字で準急(行き先は黒字)と書かれたものを掲出していた。
===== 運行の変遷 =====
1980年3月のダイヤ改定前は朝夕時間帯のみの運行であったが、日中の区間急行を準急に変更する形でほぼ終日運転となり、萱島駅発着列車との連絡のため同駅にも停車するようになった。この当時は日中を中心に基本的に枚方市駅折り返しで、樟葉駅で折り返すのは朝夕に限られていたが、1987年6月1日のダイヤ改定で日中も樟葉駅で折り返すようになった。
1989年9月には京都側にも通過運転を行う準急が設定された(出町柳駅 - 淀駅・樟葉駅間;[[#京都側の準急|後述]])。また1990年までは夕方以降も守口市駅は通過だった。2003年9月のダイヤ改定で、全列車萱島駅 - 出町柳駅間は各駅停車(1987年以前の運転体系。ただし当時は鴨東線区間は未開業)に再度戻された。この改定で昼間に全線通しの運転と枚方市駅折り返し運転が1時間あたり6本ずつ設定された(計12本)。平日夕方ラッシュ時には交野線直通準急「ひこぼし」(天満橋駅始発)が設定された。
2006年4月のダイヤ改定では、枚方市駅折り返しの急行が1時間あたり6本設定された関係で、昼間の準急の運行がなくなったが、2007年9月のダイヤ改定で15時以降に急行が準急に置き換わるパターンとなった。この時間帯は急行と同様に、香里園駅で特急待避をしていたが、萱島駅で必ず区間急行(後述)との接続を取っていた。
中之島線開業日の2008年10月19日のダイヤ改定では、再び昼間に全線通しの運転が毎時4本復活した。また、守口市通過列車を「通勤準急」として分離した。「ひこぼし」は運転時間帯が変更され、深夜帯の快速急行に置き換えられた(「ひこぼし」の愛称は従来どおり使用)<ref name="keihan20080825" />。
2009年9月のダイヤ改定により、夕方以降の列車は京都側での普通の区間列車(樟葉駅・淀駅 - 三条駅・出町柳駅間)と樟葉駅折り返しの準急列車が統合され、中書島駅 - 樟葉駅間の速達列車の通過駅(淀駅・橋本駅)でも利便性が向上している。
2011年5月28日のダイヤ改定では、急行の終日運行が復活した関係で、日中の準急が1時間あたり4本から2本に削減の上、中之島駅発着に変更され、京橋駅で淀屋橋発の特急や普通と接続を行うようになった。そのため、日中の中之島線直通列車は準急2本・普通4本とも淀屋橋駅発着列車を2本連続で接続待ちしてから、改めて京橋駅を発車するダイヤになり、京橋駅での停車時間が非常に長くなった(正月ダイヤの日中でもほぼ同様、ただし当該時間帯の中之島線直通列車は普通のみ)。
2013年3月16日のダイヤ改定で、日中の運転は1時間あたり中之島駅発着2本から淀屋橋駅発着3本に変更された<ref name="keihan20130117" />。春秋の特別ダイヤでは4本(出町柳行き2本、枚方市(夕方以降は出町柳行き)行き2本に変更された。枚方市駅で折り返す列車は香里園駅で特急に追い抜かれる列車がある。
2016年3月19日のダイヤ改定では、日中の急行を準急に置き換え、淀屋橋駅 - 出町柳駅間の列車が10分間隔で1時間あたり6本となった<ref name="keihan20160118" />。また、日中の特急との接続駅が樟葉駅・丹波橋駅・三条駅に変更され、香里園駅で特急を待避する運行形態に変更された。夕ラッシュ時間帯の上り区間運転の列車は枚方市駅折り返しとなった。平日枚方市駅7:03発中之島行き通勤準急が3000系(2代)での運用となった(2017年8月20日改定で一般車に変更)。
2017年2月のダイヤ改定以降、夕ラッシュ時の淀屋橋発の一部が中之島発(京橋で特急に連絡)に、樟葉発中之島行きが一部を除き淀屋橋行きに変更された。
2021年9月25日のダイヤ変更により、通勤準急の運転本数が15本から12本に、日中の準急が1時間に6本から4本に減少した。日中の特急との連絡は、枚方市駅・丹波橋駅・三条駅に変更された。日中に運転の快速急行と樟葉駅で連絡し、龍谷大前深草駅で待避するようになった。
2023年8月26日のダイヤ改定では、平日13 - 14時台の運転本数が1時間あたり4本から2本に半減した<ref name="keihan20230626" />。
==== 区間急行 ====
[[File:Keihan Electric Railway - Series 2200 - 03.JPG|thumb|240px|2200系による区間急行(種別幕は緑色)]]
主に朝夕に運転される種別で、複々線区間の途中駅である守口市駅以北を各駅に停車することで、[[大阪モノレール本線|大阪モノレール線]]との乗り換え駅でありながら外側線(緩行線)にしかホームがない[[門真市駅]]やその周辺の駅の速達・利便性を確保する役割を担っている<ref group="注釈">西三荘駅 - 大和田駅間の各駅の乗降人員は、野江駅 - 土居駅間の各駅と比べていずれも2倍 - 3倍程度多く、区間急行以下が停車する駅と普通のみ停車する駅との間では同じ各駅停車区間ではあるものの、駅の規模自体にも違いがあると言える。</ref>ほか、平日朝ラッシュ時下りでは通勤快急と通勤準急が停車しない守口市駅を補完する役割も持つ。大半の列車が[[寝屋川車庫]]への出入庫も兼ねた[[萱島駅]]発着で、萱島以北も走るのは平日朝の下り樟葉発3本と枚方市発1本、上り枚方市行き1本、平日深夜の上り香里園行き1本のみである。内側線の容量の関係上、平日朝ラッシュ時下りには全線外側線を走行する列車が2本ある。前を走行する普通列車の速度に合わせて走るため、守口市駅 - 京橋駅間の所要時間は急行線を走る区間急行より2 - 3分遅い。
平日朝ラッシュ時の淀屋橋発樟葉行き上り列車の1本は、枚方市駅まで後部2両が「女学生・児童優先車両」となることがある。学校の授業がある期間に、香里園駅を最寄り駅とする[[香里ヌヴェール学院中学校・高等学校]]の生徒向けに設定されている。設定時は車両の前後に「後部2両 女学生・児童優先」の看板が掲出される<ref>[https://trafficnews.jp/post/99284 珍しい! 女性専用ならぬ「女学生・児童優先」車両とは 京阪電車が1日1本だけ運行] - 乗りものニュース (2020年8月19日)2020年8月19日閲覧。</ref>。
区間急行は[[近畿日本鉄道]]・[[南海電気鉄道]]では急行と準急の中間の種別として使われるが、京阪では伝統的に区間急行を準急と普通の中間の種別としている。英文字表記は他社の「準急」に当たる"Semi-exp. (SEMI-EXPRESS)"と表記され、準急には他社の「区間急行」に当たる"Sub-exp. (SUB-EXPRESS)"と表記されていることから、区間急行と準急の位置付けが逆になっている(京阪の区間急行=他社の準急、京阪の準急=他社の区間急行)ことがわかる<ref group="注釈">[[東武鉄道]]では準急と区間急行は千鳥停車の関係にあり上下関係が一致していない。また、[[京王電鉄]]も区間急行の英語表記が「Semi Express」であるが、同社には準急は存在しない。</ref>。
方向幕の地色は緑色である。長らく「区急」と略記されていたが、駅の発車標では2003年9月改正以降、車両の方向幕では2008年の中之島線対応の際に、「区間急行」表記に変更された。なお、前面の行先表示板を使用していた頃は、区間急行は普通の板の行先の下に赤字で「急」と書かれたものを使用していた時期があった<ref group="注釈">1980年3月のダイヤ改定まで。普通・区急が四角の板に対して、急行・準急は丸板であったので区別が可能であった。同改定以降は区急の行先表示板の様式を変更し、四角の板のままではあるが、緑字で行先の上に「区急」と表示するようになった。</ref>。
===== 運行の変遷 =====
1980年3月のダイヤ改定で、枚方市駅が最北であった区間急行の運転区間が樟葉駅まで延長された。また日中の列車は準急に変更され<ref group="注釈">区間急行の準急への格上げにより、西三荘駅 - 大和田駅間の各駅への救済対策として、萱島駅折り返しの普通が新設され、同時に昼間時間帯の急行・準急は守口市駅にも停車するようになった。</ref>、それ以降は朝夕ラッシュ時の専従列車として運転されてきたが、2006年4月16日のダイヤ改定で、中之島線開業ダイヤへの移行準備のため、26年ぶりに日中にも設定された(原則天満橋 - 萱島間の運転)。
2008年10月19日のダイヤ改正では中之島発着に延長された(平日ラッシュ時には淀屋橋行きも運転)ほか、日中毎時2本が樟葉発着となり、香里園で快速急行に、枚方市で枚方市発着の特急に連絡した。
2009年9月12日のダイヤ改定では、平日夜間に萱島発中之島行きが10000系4両編成で設定された(折り返し快速急行「ひこぼし」)が、2011年5月28日改定で日中の列車とともに廃止された。
2016年3月19日のダイヤ改定では、朝の枚方市発の列車が樟葉発の準急に変更された<ref name="keihan20160118" />。一方、平日朝に樟葉行きが1本復活したほか、平日に樟葉発淀屋橋行きが設定された。
2017年2月のダイヤ改定では、夕ラッシュ時上りの一部が準急に変更された。
2018年9月15日のダイヤ改定で、平日早朝の下り樟葉発の準急1本が格下げされ、萱島以北を走る区間急行は1本増えた。
2021年1月31日のダイヤ改定では、平日朝の樟葉行きが廃止され、枚方市駅 - 樟葉駅間は下りのみの運転となった。また、平日夜に香里園行きが設定された。同年9月25日改定で、香里園行きが淀屋橋23時18分発から中之島20時50分発に大幅に繰り上げられた。
==== 普通 ====
[[File:京阪9000系9002F.jpg|thumb|9000系による普通(種別幕は黒色)]]
各駅に停車し、全線で運転される。案内放送では「[[各駅停車]]」で統一されている。
日中含め中之島駅 - 萱島駅・枚方市駅間の運転が主である。時間帯により淀屋橋駅・樟葉駅・出町柳駅始発・終着の列車や、京都側のみ運転の淀駅 - 出町柳駅間の列車が設定されているほか、早朝には寝屋川市発出町柳行きや土休日夜には出町柳発樟葉行きが1本、出町柳発守口市行きが1本、出町柳発寝屋川市行きが設定されている。京阪の列車として所要時間が最長となる中之島駅 - 出町柳駅間を乗り通すと約90 - 110分かかる。
日中は守口市駅で準急と、枚方市駅で特急と連絡する。萱島駅折り返し列車は、原則萱島駅で準急(同駅以北各駅停車)と連絡する。快速急行・急行の運転時間帯は守口市駅・香里園駅で連絡する。準急と同様に京阪間通しの列車及び淀駅 - 出町柳駅間の列車はすべて7両編成であり、8両編成での運転は樟葉以南と深夜の三条発出町柳行き<ref group="注釈">特急三条行きが三条駅で種別変更したもの。</ref>のみである。
===== 運行の変遷 =====
2000年7月のダイヤ改正まで、京阪間通しの普通は香里園駅 - 三条駅または出町柳駅間を、枚方市駅・深草駅(現:龍谷大前深草駅)で特急を待避しつつ、後続の急行から逃げ切るダイヤとなっていた。同改正ダイヤでは、丹波橋駅で特急と急行が連絡するようになり、深草駅で2列車連続待避となった。伏見稲荷駅で急行・普通を乗り継ぐことで、丹波橋駅以南の特急・急行停車駅 - 鳥羽街道駅・東福寺駅間の所要時間が短縮された。また、三条方面 - 宇治線の直通列車<ref name="RJ415_66">[[#RJ415|『鉄道ジャーナル』通巻415号、p.66]]</ref>(中書島駅で進行方向が変わっていた)は、中書島駅で系統分割のうえ、丹波橋駅での急行との連絡を取りやめ、三条駅・出町柳駅または中書島駅まで先着となった。中書島駅発着は特急の直後・直前となり、中書島駅以南の特急・急行停車駅 - 伏見桃山駅間の所要時間が短縮された。
日中の大阪方では、長らく全線直通と萱島駅折り返しの2系統での運転であったが、2003年9月のダイヤ改正で、10分ヘッドとなった日中は萱島折り返しに統一され、全線直通系統を準急とした。2006年4月改正で日中の普通は全線直通に統一(再設定)されたが、2008年10月改正で1時間あたり6本中2本を残して再び全線直通系統が準急となり、萱島駅折り返しが再設定されたほか、ラッシュ時間帯に運転されていた京都方の区間列車は、全線直通の準急・普通に統合され大幅に削減された。
2011年5月28日のダイヤ改定では、日中の区間急行廃止に伴い、普通が中之島駅発着に振り替えられ、日中の淀屋橋発着の列車は毎時2往復のみとなった。さらに、2013年3月16日のダイヤ変更で日中は全て中之島駅発着とされ、淀屋橋・北浜両駅から野江駅 - 土居駅間各駅への利用者は京橋駅での乗り換えが必要となるケースが増えた<ref name="keihan20130117" />。
2016年3月19日のダイヤ改定では、日中の中之島駅 - 出町柳駅間の列車が中之島駅 - 枚方市駅間の運転に変更された<ref name="keihan20160118" />。また、日中の香里園駅での連絡が取り止められた。平日朝ラッシュ時の香里園行き上り列車の1本は、後部2両を女学生・児童優先車両としていたが、この改定で消滅し、区間急行に設定が引き継がれた。
2017年2月25日のダイヤ改定では、日中の萱島発着のうち、毎時1本が枚方市発着に変更され、日中は中之島駅 - 枚方市駅間4本、中之島駅 - 萱島駅間2本の運行が基本となった。
2021年1月31日のダイヤ変更では、深夜の香里園行きが消滅した。
2021年9月25日のダイヤ変更から、日中の枚方市発着は香里園駅で、萱島発着は守口市駅で快速急行と連絡する。
2023年8月26日のダイヤ改定では、平日13 - 14時台において削減された準急をカバーするため、当該時間帯の枚方市発着列車が出町柳まで延長された<ref name="keihan20230626" />。
=== 運転本数 ===
通常期の昼間時の1時間毎の運転本数をまとめると以下のとおりになる([[2021年]]9月25日ダイヤ改正時点)。なお、ダイヤ改正以前の日中の運転本数については「[[京阪電気鉄道のダイヤ改正]]」を参照。
{| class="wikitable" style="text-align:center; font-size:85%"
|+ 日中の運行パターン(平日・土休日)
|-
! colspan="2" | 駅名
!style="width:1em;"|{{縦書き|淀屋橋|height=6em}}
! …
!style="width:1em;"|{{縦書き|天満橋|height=6em}}
! …
!style="width:1em;"|{{縦書き|萱島|height=6em}}
! …
!style="width:1em;"|{{縦書き|枚方市|height=6em}}
! …
!style="width:1em;"|{{縦書き|出町柳|height=6em}}
|-
! rowspan="5" style="width:1em;"|{{縦書き|種別・本数|height=6em}}
| style="background:#ff8080;" | 特急
| colspan="9" style="background:#ff8080;" | 4本
|-
| style="background:#ddaaff;" | 快速急行
| colspan="9" style="background:#ddaaff;" | 2本
|-
| style="background:#99ddff;" | 準急
| colspan="9" style="background:#99ddff;" | 4本
|-
| rowspan="2" style="background:#cccccc;" | 普通
| colspan="2" | ←[[京阪中之島線|中之島]]
| colspan="5" style="background:#cccccc;" | 2本
| colspan="2" |
|-
| colspan="2" | ←中之島
| colspan="3" style="background:#cccccc;" | 2本
| colspan="4" |
|}
=== 臨時列車 ===
==== 京都競馬開催時の臨時列車 ====
[[京都競馬場]]での競馬開催時には、最寄りの淀駅発着の臨時列車が運転されている。メイン競走の格により本数は増減する。
[[1990年代]]までは、午前に淀屋橋発淀行きの急行、午後に淀発天満橋行き(一部淀屋橋行き)および三条行きの急行が運転されていた。この臨時急行は「馬急(うまきゅう)」とも呼ばれ、行先表示板を使用していた時代には[[蹄鉄]]が描かれたものを使用していた<ref name="keihan 100th">{{Cite|和書|author=京阪電気鉄道株式会社経営統括室経営政策担当/編|title=京阪百年のあゆみ|year=2011|pages=754}}</ref>。[[1999年]]4月から[[2003年]][[9月6日]]ダイヤ改定前までは、午前の急行に代わって「淀快速ターフィー号」が運転されていた(停車駅は淀屋橋・北浜・天満橋・京橋・守口市・淀。ただし守口市停車は2000年秋から)。この列車では競馬専門紙の[[トラックマン]]やスポーツ新聞の競馬担当記者による競馬予想が車内で放送されていた<ref name="keihan 100th" />。それ以降は準急の枚方市駅(2003年9月改定以前は樟葉駅) - 淀駅間を延長する列車のうち枚方市駅 - 淀駅間で急行運転するものは「Gallop」(ギャロップ)として運転され、[[方向幕#ヘッドマーク|ヘッドマーク]]も掲げられていた。[[2006年]]4月のダイヤ改定以降は高架化工事に伴い下り線が始発線のない仮設ホームに移設されたため、臨時列車の本数が大幅に減ったものの、メイン競走の格によって復路のみ淀発天満橋行や三条行の急行が運転されることがあった。2008年10月からは快速急行が淀駅に臨時停車するようになり、2011年5月に昼間の快速急行が廃止されて一旦は廃止されていたものの、2016年3月19日のダイヤ改定で臨時停車を再開した。現在はメイン競走の格によって増減するが、中之島駅 - 淀駅間の急行(往路は上り・復路は下り。場合によっては特急も運転されることもある)、淀駅 - 三条駅間の普通(上りのみで運転されない場合もある)が運転される。例外として2010年11月27日には[[京阪杯]]開催および京阪電車100周年を記念して臨時ターフィー号が1本運転され、また2011年度も11月26日に臨時ターフィー号が淀屋橋駅 → 淀駅間で片道1本運転された<ref>{{PDFlink|[http://www.keihan.co.jp/info/upload/2011-11-11_JRAkorabo.pdf 「京阪電車とJRAは共同で重賞競走「京阪杯」を盛り上げます」]}} - 京阪電気鉄道 報道発表資料、2011年11月11日。</ref>。
過去にはホームに観戦帰りの客が殺到し、安全性確保のために特急が急遽臨時停車したこともあった。また、2003年9月6日の大幅なダイヤ改定直後の同年10月 - 11月の[[日曜日]]のうち4日間<!--10月19日、26日、11月16日、23日(当時のHPでの告知より)-->と、2004年5月2日には「休日特別ダイヤ」を編成したことがあった。このダイヤでは朝夕に各種列車の増発が行われ、特に夕方(16 - 17時台)には10分当たり三条発天満橋行き臨時特急1本、淀発天満橋行き臨時急行1本、淀発淀屋橋行き「Gallop」1本が増発され、定期列車と合わせて複線区間(淀駅 - 萱島駅間の下り)で10分間に片道5本(平均2分間隔)という朝ラッシュ時間帯並みの本数となった。
==== 宇治快速 ====
{{See|京阪宇治線#宇治快速}}
==== きさいち快速 ====
{{See|京阪交野線#きさいち快速・臨時急行}}
=== 臨時ダイヤ ===
==== 年末年始 ====
毎年[[正月三が日]]には[[成田山大阪別院明王院|成田山不動尊]]、[[石清水八幡宮]]、[[伏見稲荷大社]]を始めとする沿線の[[寺社]]への[[初詣]]需要に対応するため、[[大晦日]]の夜間18時台から、翌年[[1月3日]](曜日配列によっては[[1月4日|4日]]または[[1月5日|5日]])までは、「土曜・休日ダイヤ」を適用せず、「'''大晦日ダイヤ'''」・「'''正月ダイヤ'''」を編成して運転している。これらは交野線、宇治線、石清水八幡宮参道ケーブルにおいても適用される。各駅や全列車の時刻などは、京阪電鉄の公式ホームページ上や、広報誌『K-PRESS』、またはリーフレットなどで公表される。
===== 大晦日ダイヤ =====
大晦日の[[始発列車|始発電車]]から18時までは京阪線共通で「土曜・休日ダイヤ」で運転<ref>{{PDFlink|[http://www.keihan.co.jp/info/upload/2012-12-13_timetable.pdf 年末年始の列車運転について]}} - 京阪電気鉄道 報道発表資料、2012年12月13日。具体的な内容は「正月ダイヤ」とともにそちらで取りまとめている。</ref>し、同日18時から翌年の元日10時までは「大晦日ダイヤ」として、通常とは異なるダイヤに切り替え、翌年の元日早朝にかけて[[終夜運転]]を実施する。
[[2011年]]以降(年表記は大晦日基準、この節において以下同じ)は急行を淀屋橋駅 - 出町柳駅間で20分間隔、普通を淀屋橋駅・中之島駅 - 出町柳駅間で20分間隔で運行している。ただし、3時台以降は運転間隔が広がり、それぞれ30分間隔となるほか、入庫のための萱島行き普通列車も運転される。終夜運転時における急行と普通の連絡は香里園駅のみで行う。
京阪線の終夜運転の開始は[[1957年]]に遡る<ref>出典・京阪開業100周年誌『京阪百年のあゆみ』229頁「戦後の旅客誘致」より</ref>。過去の運行概要は以下のとおりであった。
* 1957年の開始時は、天満橋駅 - 三条駅間に普通列車を20 - 30分間隔で運転した<ref>『[[鉄道ピクトリアル]]』アーカイブスセレクション25「京阪電気鉄道1960 - 1970」、2013年4月(電気車研究会刊) 166頁</ref>。
* [[1960年代]]から[[1970年代]]前半は、全線通しの急行・普通をそれぞれ20 - 30分間隔で運転した<ref>『鉄道ピクトリアル』アーカイブスセレクション25「京阪電気鉄道1960 - 1970」、2013年4月(電気車研究会刊) 40頁および159頁</ref>。
* その後[[1979年]]までは、淀屋橋駅 - 三条駅間の急行を枚方市駅 - 中書島駅間の各駅に停車させて運転し、淀屋橋駅 - 枚方市駅間および中書島駅 - 三条駅間に普通を別途運転した<ref>『[[鉄道ファン (雑誌)|鉄道ファン]]』1978年4月号(交友社刊) 121頁</ref>。
* [[1980年]]から[[1988年]]までは、淀屋橋駅 - 三条駅間の準急(守口市駅は通過)と淀屋橋駅 - 萱島駅間の普通が運転された。1980年以降、三条発淀屋橋行の準急は、終夜運転時間帯のみ見られるものであった(淀屋橋発三条行準急は最終電車で毎日運転)。
* 鴨東線開業後の[[1989年]]以降は、淀屋橋駅 - 出町柳駅間の急行(守口市駅・枚方公園駅にも停車)と淀屋橋駅 - 三条駅間の普通が運転されるようになった。3時台頃までは急行は10分間隔、普通は20分間隔が基本であった。
* [[2007年]]は一部変更され、淀屋橋駅 - 出町柳駅間の急行・普通が15 - 20分間隔での運転となり、急行が減便されたものの、普通が出町柳駅まで延長運転された。
* 中之島線開業後の[[2008年]] - [[2010年]]は、淀屋橋駅 - 出町柳駅間の急行を20分間隔、普通を中之島駅 - 出町柳駅間で20分間隔、1 - 3時台には樟葉駅 - 三条駅間の区間運転の普通を20分間隔で運行した。
* 淀屋橋発の特急は[[2002年]]までは0:40 - 0:50発が最終となる延長運転を行っていたが、枚方市駅・樟葉駅に停車開始後の[[2003年]]以降は0:00発、[[2006年]]以降は23時台発に短縮されている。
* 2020年と2021年の大晦日については、終夜運転を行わない<ref>{{Cite press release|和書|url=https://www.keihan.co.jp/corporate/release/upload/2020-11-27_nenmatunenshi.pdf|archiveurl=https://web.archive.org/web/20201127080432/https://www.keihan.co.jp/corporate/release/upload/2020-11-27_nenmatunenshi.pdf|format=PDF|language=日本語|title=年末年始の列車運転について|publisher=京阪電気鉄道広報部|date=2020-11-27|accessdate=2020-11-29|archivedate=2020-11-27}}</ref><ref>{{Cite press release|和書|url=https://www.keihan.co.jp/corporate/release/upload/211206_nenmatsu-nenshi.pdf|format=PDF|language=日本語|title=年末年始の列車運転について|publisher=京阪電気鉄道広報部|date=2021-12-6|accessdate=2021-12-6}}</ref>。
===== 正月ダイヤ =====
元日の10時から1月3日の[[終電]]にかけて「正月ダイヤ」を実施している。初詣需要に対応し、日中を中心に急行が出町柳駅発着で運転され、特急・急行・普通の3本立てとなる。2022年より各種別15分間隔での運転となり、従来出町柳駅の容量の都合で日中は三条駅折り返しとなっていた普通(中之島発着)が出町柳駅まで延長された。2013年までは各種別10分間隔、2014年 - 2021年は同12分間隔であった。
正月ダイヤにおける各種別の運行形態は以下のとおりである。
; 快速特急「洛楽」
: 午前から12時台にかけて淀屋橋発出町柳行き5本、夕方に出町柳発淀屋橋行き4本をそれぞれ30分間隔で運転する。原則8000系または3000系(2代)での運転で、正月ダイヤ期間限定で[[干支]]が描かれた「初詣 洛楽」ヘッドマークを掲出する。
; 特急
: 原則8000系または3000系(2代)での運転である。一般車による特急は、15分間隔化に伴い大幅に減少している。
; 快速急行
: 新設以来正月ダイヤでの設定はなかったが、2022年より早朝・深夜の急行の一部と、夕方以降の淀屋橋発樟葉行き急行を置き換える形で設定されるようになった。一部列車で「プレミアムカー」を営業する。
; 急行
:[[香里園駅]]([[成田山大阪別院明王院|成田山不動尊]])、[[石清水八幡宮駅]]([[石清水八幡宮]])、[[伏見稲荷駅]]([[伏見稲荷大社]])、[[神宮丸太町駅]]([[平安神宮]])など、急行停車駅に有名寺社の最寄り駅が多く、日中は特急と共に出町柳駅発着で運転される。<!--日中は特急の待避があり、上りは三条駅で、下りは枚方市駅で行われる。また、快速特急「洛楽」の待避は香里園駅・樟葉駅・三条駅で行われる。-->2022年より、15分間隔化と3000系へのプレミアムカー連結に伴い、一部列車で「プレミアムカー」を営業するが、急行停車駅発着のプレミアムカー券は事前にインターネットで購入する必要がある。
; 準急
: 朝と夜のみの運転で、日中は運転されない。
; 区間急行
: 午前中を中心に設定されるが、運転本数は少ない。
; 普通
: 日中は全て中之島駅発着で運転され、淀屋橋駅発着は少ない。<!--優等列車との待避・連絡は、上りが守口市駅・香里園駅・丹波橋駅で急行と、枚方市駅・丹波橋駅で特急と行い、下りが三条駅・丹波橋駅・守口市駅で急行と、龍谷大前深草駅・淀駅・京橋駅で特急と行う。-->
正月ダイヤの日中には、萱島駅発着列車の設定がないため、淀屋橋駅 - 萱島駅(寝屋川車庫)間に、乗務員輸送用の回送列車が設定される。
なお、京都競馬の[[京都金杯]]の開催時には、正月ダイヤまたは平日ダイヤにおいて競馬関連の臨時列車が運転される珍しい事例が見られることがある。
過去の運行概要は以下のとおりであった。
* [[1960年代]]前半頃までは、日中は特急を運休とした上で、天満橋駅 - 三条駅間の20分間隔の定期急行の間に臨時急行を2本運行し、平均6分40秒間隔で運転した。臨時急行のうち1本は守口駅・寝屋川市駅にも停車したほか、全便伏見桃山駅にも臨時停車した<ref>『鉄道ピクトリアル』アーカイブスセレクション25「京阪電気鉄道1960 - 1970」、2013年4月(電気車研究会刊) 166頁</ref>。
* 1960年代後半頃では、特急が運行されるようになった上で、20分間隔の定期急行の間に臨時急行を2本運行し、平均6分40秒間隔で運転した。さらに必要に応じ臨時特急を増発した<ref>『鉄道ピクトリアル』アーカイブスセレクション25「京阪電気鉄道1960 - 1970」、2013年4月(電気車研究会刊) 159頁</ref>。
* 特急用の車両は2003年以前は予備車を含めてフル運用に入り、賄いきれなくなった運用に9000系が入る程度だった。さらに9000系登場以前は一般車が特急の運用に入ることもあった。一般車(6000系以降の車両を除く)の運用の中には[[1983年]](6000系7連車登場前)までは真正面に特急のシンボルマーク(鳩マーク)を掲げて運転していたこともあり、特に1900系の使用頻度が多かった。
* [[1980年]]以前は、急行は当時、日中のみの停車であった寝屋川市駅・枚方公園駅に加え、通常ダイヤでは通過していた守口市駅にも停車していた<ref>『鉄道ファン』1976年4月号(交友社刊) 94頁</ref><ref group="注釈">1981年以降は通常ダイヤで日中のみ正式な停車駅に格上げ。</ref>。
* 鴨東線開業後の[[1990年]]から数年間と[[2004年]]は、午後時間帯に出町柳駅発着の特急と三条駅発着の特急を交互に運行していたことがあった。夕刻に20分間隔で三条発の臨時特急がさらに増発されることもあった。
* 中之島線開業までは長らく、昼間は特急と急行が淀屋橋駅 - 出町柳駅(1989年までは淀屋橋駅 - 三条駅)間、普通は淀屋橋駅 - 三条駅間で運転されていた。[[2003年]]まで存在した三条駅発着の宇治線直通普通列車は宇治線内での折り返し運転となった。
* 中之島線開業後の2009年 - 2011年は、特急が淀屋橋駅 - 出町柳駅間、急行が淀屋橋駅(3本に1本の割合で中之島駅) - 出町柳駅間、普通が中之島駅(3本に1本の割合で淀屋橋駅) - 三条駅間で運転された。
* 2012年は以前と比べて早朝・夜間に特急が増発された。
* 2014年からの正月ダイヤでは、午前に淀屋橋発出町柳行き、夕方に出町柳発淀屋橋行きのノンストップ特急(列車種別は快速特急)「洛楽初詣」(2015年以後は「洛楽」)が運行された一方、日中の特急・急行・普通は12分間隔の運転となった<ref name="syougatsu2014" /><ref name="syougatsu2015" />。
==== 大文字五山送り火 ====
[[五山送り火|大文字五山送り火]]のある毎年[[8月16日]]は、[[土曜日]]・日曜日にならない限りは原則として平日ダイヤの運転となる。
2008年までの実績では、夕方以降の急行(樟葉発着も含む)は出町柳まで運転された。一方で出町柳発着の普通の一部は三条での折り返し運転とした(出町柳発着に8両編成の列車を集約させるため)。また20時以降はK特急や急行を中心に臨時列車が運転された。2009年以降は混雑する時間帯に出町柳駅発の樟葉行きの臨時急行を増発している。出町柳駅の今出川口については混雑緩和などのために営業時間を延長(21:30まで)する。
==== 特別ダイヤ ====
{{節スタブ}}
行楽シーズンを中心に土休日ダイヤが変更され、特別ダイヤで運行される。特別ダイヤ実施期間中、[[#快速特急「洛楽」|快速特急「洛楽」]]が午前中に出町柳行きが、午後に淀屋橋行きが運転される。午前の快速特急「洛楽」出町柳行きが運行される時間帯には淀屋橋発の快速急行出町柳行きが運行され、枚方市駅で待避する。特定の日を除き、淀駅にも臨時停車する。一部の急行が準急が変更されるほか、淀屋橋駅 - 枚方市駅間の準急(夕方は中之島駅 - 枚方市駅間の普通)が運行され、一部の列車の連絡や通過待避のパターンが変更される。ダイヤは公式サイト上や各駅で公表される。午前中の出町柳行きの快速特急洛楽・特急・快速急行は「貴船・鞍馬連絡」・「大原連絡」・「比叡山連絡」として運転される列車が設定されている<ref>{{PDFlink|[http://www.keihan.co.jp/info/upload/2015-08-24_rakuraku.pdf 京阪線で秋の特別ダイヤを実施]}} - 京阪電気鉄道、2015年8月24日</ref>。
この特別ダイヤは、2003年の10月から11月に掛けてと2004年5月2日に実施された「休日特別ダイヤ」が前身であるが、2014年に「春の(または秋の)特別ダイヤ」として再開され、原則として3月下旬から5月上旬と10月、11月の全休日に(2015年のみ9月中旬より実施)実施していた。
==== その他 ====
上記以外にも[[祇園祭]]、[[宇治川花火大会]]、[[天神祭]]など沿線祭事時には、夜間を中心に臨時列車が運転(または定期列車の運転区間が延長)される。また、行楽シーズンには淀屋橋駅・天満橋駅 - 三条駅・出町柳駅間に臨時特急が運転されることがあった。
比較的臨時列車の多い路線であるが、近年は減便傾向にある。臨時種別標識(「臨」円板)は、2003年9月6日改定以降、臨時特急のみの掲出となったほか、行先表示器のLED化に伴い「臨時特急」などの表示が可能となり、掲出の機会が少なくなっている。前述の祭事時などには特急車(2扉車)で運転の特急を3扉車に差し替えたり、特急車を準急や臨時急行などに充当のうえ入庫させたりする場合があった。
=== 過去の列車種別 ===
==== K特急 ====
京阪本線のかつての最優等種別。2003年9月6日のダイヤ改定で新設(運転開始は8日から)された。
平日朝・夕方・夜間のみ運転される種別で、ダイヤ・停車駅ともに同改正前の特急を踏襲し、淀屋橋駅 - 出町柳駅間で運転され、朝の淀屋橋行きは枚方市駅にも停車した。朝ラッシュ時には1号車(出町柳方先頭車)に女性専用車両が設定されたほか、一部の列車は3扉車で運転され、特に最混雑時間帯の淀屋橋行きは特急車(2扉車)の充当が避けられていた。夕ラッシュ時には丹波橋駅で急行と連絡していた。
また、平日朝ラッシュ時には交野線私市駅発淀屋橋行きK特急「おりひめ」が2本運転されていた(後述)。
K特急の名称は中之島線開業に伴う2008年10月19日のダイヤ改定で廃止され、夕方の上りK特急が[[#旧・快速特急|快速特急]]に改称された以外は特急に変更、「おりひめ」は通勤快急に変更された<ref name="keihan20080825">{{PDFlink|[http://www.keihan.co.jp/corporate/release/orig_pdf/data_h20/2008-08-25.pdf 中之島線開業にあわせ10月19日(日)初発から、京阪線で新ダイヤを実施します]}} - 京阪電気鉄道 報道発表資料、2008年8月25日。</ref>。
==== 旧・快速特急 ====
京阪本線上りのかつての最優等種別。2008年10月19日のダイヤ改定で、[[#K特急|K特急]]から改称され新設された(運転開始は20日から)。停車駅はK特急と同じで、特急車(8000系)により平日夕ラッシュ時の淀屋橋発出町柳行きのみ運行された。京橋駅の発車メロディは「朝靄の京橋で乗り換え」が使用された。
臨時列車では、2011年に「さくらエクスプレス」「わかばエクスプレス」として淀屋橋発出町柳行きが2本運転されたほか、「光のルネサンス号」として出町柳発中之島行きが運行された実績がある(下りの快速特急が運転されたのはこの時のみ)。
2011年5月28日のダイヤ改定で廃止となり、全列車とも特急に変更された。
==== 深夜急行 ====
深夜急行は、大阪府内郊外主要駅の最終帰宅需要に特化した種別として、2008年10月19日のダイヤ改定で設定された。淀屋橋駅0時20分発樟葉行き1本(8両編成)のみ設定されていたが、2021年4月30日の終電繰り上げ以降運休となり、同年9月25日のダイヤ改定以降も運行されなくなったのち{{Refnest|group="注釈"|公式サイトの路線図からは2022年時点で削除されているが<ref>[https://www.keihan.co.jp/traffic/station/pdf/rosenzu.pdf 電車の種別と停車駅のご案内] - 京阪電気鉄道、2023年5月16日閲覧</ref>、2021年9月25日ダイヤ改定時の駅掲出の時刻表では種別欄に(当該駅では)停車列車なしあるいは設定なしを意味するグレー表示ながら深夜急行が掲載されている<ref>[https://www.keihan.co.jp/traffic/station/timetables/pdf/dia20210925/01011.pdf 淀屋橋駅平日上り時刻表] - 京阪電気鉄道、2023年5月16日閲覧</ref>。}}、2023年8月26日のダイヤ改定で正式に廃止された{{Refnest|group="注釈"|公式サイトの路線図からは2022年時点で削除されていたが、2023年8月26日ダイヤ改定で公式サイトの時刻表からも深夜急行が削除された。}}。京橋駅を出ると普通や準急との連絡はなく、樟葉着は0時49分であった。停車駅は急行から守口市駅・枚方公園駅を除いたもの(通勤快急と同じ)であった。大晦日ダイヤでは出町柳行き急行に差し替えられるため、樟葉駅以北の運行はなかった。日本の鉄道において「深夜急行」の[[列車種別|種別]]を運行しているのは当路線のみであった。
==== 旧・区間急行 ====
1938年の設定当時は天満橋駅 - 枚方東口駅(現在の枚方市駅)間で運行され、停車駅は蒲生駅(現在の京橋駅)・門真駅(現在は廃止)・萱島駅・寝屋川駅(現在の寝屋川市駅)・香里園駅・枚方駅(現在の枚方公園駅)であった。種別としては準急よりも下位であるが、当時準急停車駅であった守口駅(現在の守口市駅)を通過していた点が特徴である。戦争中に一旦廃止となり、戦後[[1947年]]に運行を再開している。その後、現在の停車駅([[片町駅]]にも停車)となり<!--1957年時点で現在の停車駅になっていることを当時の時刻表で確認。正確な時期を特定願います-->、[[1960年]]のダイヤ改定でそれまで運行されていた京橋駅 - 守口駅間通過の普通に統合され、昼間時にも運転されるようになった。<!--同じ停車駅なのに区間急行・普通と使い分けた理由は良く分かりません-->
==== A急行(途中駅折返急行) ====
[[1952年]]、混雑時に天満橋駅 - 枚方市駅間で運行されていた急行を、枚方公園駅以北を各駅停車とする形で八幡町駅・深草駅まで延長した。この急行は[[列車番号]]の頭に「A」が付けられていたことから「A急行」とも呼ばれ(案内上は単に「急行」)、運行標識板は白地に赤で縁取りされた、赤字で「急」と書かれたもの(両サイドに行先を表記)で、後年設定される樟葉始発の急行(ただし停車駅は全線通しの急行と同様)と同様のものであった。
[[1964年]]当時は朝ラッシュ最ピーク時に主に枚方市駅 - 淀屋橋駅間で(この時の区間急行は一部を除き香里園駅・萱島駅・守口駅始発)、夕方以降に淀屋橋駅 - 八幡町駅(入庫列車は深草駅)系統を中心に運行していた。A急行と準急の停車駅の差は、豊野駅(1963年廃止)と光善寺駅のみで、1969年の京橋駅移転によるダイヤ改正で準急と統合して廃止された。
==== 京都側の準急 ====
[[1989年]][[9月27日]]から2003年[[9月5日]]まで運転されていた種別で、朝と夕方のラッシュ時や夜間を中心に運転されていた(運転区間:出町柳駅 - 淀駅・樟葉駅間、停車駅:出町柳駅 - 七条駅間の各駅・伏見稲荷駅・丹波橋駅・中書島駅 - 樟葉駅間の各駅)。
この列車の前身は三条から[[京阪宇治線|宇治線]]に直通していた急行であり、その名残りで当初は夕方ラッシュ時に樟葉行きのみを5両編成中心に運転していた。その後、1991年6月1日のダイヤ改定で朝ラッシュ時の淀発出町柳行きと夜間に淀行きが追加されたのち、2000年のダイヤ改定で夕方ラッシュ時の出町柳駅 - 樟葉駅間の列車は普通に格下げされ、同時に7両編成も登場した。2003年9月6日のダイヤ改定で、萱島駅以北各駅停車に改められた(1989年以前の形に戻った)ため、出町柳駅 - 淀駅間の準急は急行に変更された(この急行は淀駅に停車する)。
なお、大阪方面からの準急は[[1937年]]の種別設定当時は枚方東口駅(現在の枚方市駅)以北、戦後の運行再開後しばらくの間は中書島駅以北で通過駅があった(1950年から1952年は「[[直行 (列車)|直行]]」を名乗った)。1987年改定以後は、準急は淀屋橋駅 - 淀駅間のみ設定されていた。また、2003年9月の改定までは大阪方面の準急は淀駅以北には直通しなかったので、この期間は、淀屋橋駅 - 樟葉駅(一部淀駅、枚方市駅)間と、出町柳駅 - 樟葉駅・淀駅の2系統の準急がある状態であった。
==== 奈良電気鉄道・近鉄京都線直通の急行・準急 ====
[[1968年]]まで丹波橋駅 - 三条駅間に[[奈良電気鉄道]](1963年以降は[[近鉄京都線]])直通の急行・準急・普通が運転されていた(急行は1956年頃までおよび、1967年からの設定)。奈良電気鉄道・近鉄の車両が使用され、停車駅は1957年までの準急は各駅停車、それ以外は急行・準急とも京阪間直通の急行と同一であった。詳細は「[[奈良電気鉄道#京阪神急行電鉄・京阪電気鉄道との直通運転]]」を参照。
==== 普通(通過駅あり) ====
[[太平洋戦争]]中の1944年2月5日より、混雑時の京阪間直通の普通列車は蒲生駅(現在の京橋駅) - 守口駅(現在の守口市駅)間を通過とされた。この措置がいつ解除になったかは不詳である。その後、[[1956年]]、天満橋駅 - 三条駅間直通の普通列車(早朝および夕方 - 夜間の一部を除く<!--当時の時刻表より-->)については当時の複々線区間である京橋駅 - 守口駅間が通過となった。この区間の各駅については枚方市駅(一部は豊野駅)折り返しの普通列車が停車する形になっていた。この2つの普通は案内の上では特に区別されず、どちらも「普通」であったが、角型運行標識板中の行き先の周りを赤枠で囲ったものが使用されていた。
1960年のダイヤ改定で直通列車を各駅停車に、枚方市駅折り返し列車を京橋駅 - 守口駅間通過に入れ替え、上記の「区間急行」に統合された。これにより、部内では「直行」とも称された、通過駅のある普通列車は廃止された。
==== 交野線直通列車 「おりひめ」・「ひこぼし」 ====
2003年9月のダイヤ改正で、平日朝に[[京阪交野線|交野線]]・[[私市駅|私市]]駅発淀屋橋行きK特急「おりひめ」、夕方に天満橋発私市行き準急「ひこぼし」として新設され、交野線のホーム[[有効長]]の関係上、5両編成で運転された。2008年10月改正(中之島線開業)で中之島発着となり、「おりひめ」は通勤快急に、「ひこぼし」は深夜時間帯に運転の快速急行に変更された。末期は共に1列車のみとなり、2013年3月のダイヤ改定で廃止された([[京阪特急#京阪特急増発、K特急・支線直通の設定|京阪特急]]の記事も参照)。
==== 貨物列車 ====
貨物運輸は1913年(大正2年)7月4日に開始され、1937年(昭和12年)6月時点のダイヤでは塩小路駅 - 天満橋駅間に定期貨物電車が3往復、不定期が3往復、塩小路駅始発で中書島駅から宇治線へ乗り入れ往復後に天満橋駅に向かう列車が1本設定されていた<ref>出典・『鉄道ピクトリアル』2009年8月増刊「特集 京阪電気鉄道」144‐151頁「京阪電車の戦後史」の中の145頁掲載のダイヤグラムより</ref>。戦後も1946年(昭和21年)2月時点で1日2往復、1953年(昭和28年)9月には1往復の定期貨物電車が運行されていた。この当時は、塩小路通りの踏切を超えたところで一旦停車、バックして駅構内に入り、大阪天満橋へは一度三条駅まで北上してから折り返して運用された<ref>出典・『鉄道ピクトリアル』2009年8月増刊「特集 京阪電気鉄道」144‐151頁「京阪電車の戦後史」の中の145.146頁の『役割を終えた貨物電車』より</ref>。1955年(昭和30年)6月25日、貨物輸送は廃止され貨物専用駅の塩小路駅も廃駅となった。
== 歴史 ==
=== 概要 ===
==== 創業時の展開 ====
計画時、大阪側は本来[[高麗橋]]を起点とする予定が、[[大阪市]]の圧力で[[天満橋駅]]に変更を余儀なくされ(「[[市営モンロー主義]]」を参照)、それ以来大阪中心部への乗り入れは京阪の悲願となる。
建設当初は[[阪神電気鉄道]]とともに[[大阪市電]]への乗り入れも計画していたが、車体規格の問題などで大阪市が難色を示しお流れとなった。その後、[[戦前]]には新京阪線(後述)との総合[[ターミナル駅]]建設による[[梅田]]への乗り入れ計画も立てられたが果たせず(「[[京阪梅田線]]」を参照)、開業から半世紀余りを経た[[1963年]][[4月16日]]にようやく地下線で淀屋橋への乗り入れを果たした。
京都側も五条(現・[[清水五条駅|清水五条]]) - 塩小路駅間が住宅密集地で用地確保に難航し、塩小路駅を起点にした営業開始も検討された。そこに[[京都市]]から[[鴨川 (淀川水系)|鴨川]]と[[琵琶湖疏水]]の間の堤防上に軌道設置の提案があり、しかも[[京都市電|市電]]用に取得した特許の譲渡を持ちかけられた。塩小路 - 五条間を報償金5万円、五条 - [[三条駅 (京都府)|三条]]間を報償金47万円で譲り受け、まず五条駅までが建設された(詳細は「[[京阪60型電車]]」を参照)。
伏見の[[深草]]地区では[[大日本帝国陸軍|陸軍]][[第16師団 (日本軍)|第十六師団]]の演習の支障を防ぐためとの理由で深草駅(現在の[[龍谷大前深草駅]]) - [[藤森駅]]間にあった[[師団街道#第一軍道、第二軍道、第三軍道|第一軍道 - 第三軍道]]は開業時から道路が京阪本線の線路を跨ぐ形で立体交差化された(現在、第十六師団駐屯地跡は[[京都聖母学院小学校|聖母学院]]、[[龍谷大学]]、[[京都府警察|京都府警]][[警察学校]]、[[京都教育大学]]などになっている)。
このほか、淀川水系の洪水対策で[[淀川|宇治川]]や[[木津川 (京都府)|木津川]]が付け替えられたため<ref group="注釈">当時は宇治川は淀城の北側を流れていた、明治大水害を受けて1896-1910年にかけて宇治川木津川が付け替えられた。出典『京都の治水と昭和大水害』27頁</ref>に橋梁の位置の変更、軟弱な地盤などで軌道敷設許可から建設までには10数か所に及ぶ設計変更やルート変更が行われ、[[1908年]]9月全線の青写真が完成。同年10月から4工区に分けて随時着工され、翌[[1909年]]4月には網島工場・車庫も着工、6月には鉄道線に電気を供給する[[火力発電所]]を毛馬の閘門付近に建設、枚方と伏見に[[変電所]]を着工した。
そして開業した京阪線は、適用法規([[軌道条例]]、後に[[軌道法]])の関係から全区間の3分の1が併用軌道で大阪側に集中していた。また[[京街道 (大坂街道)|京街道]]の宿場を縫うように造られたためにカーブの多い路線であった。当時総務課長として線路の選定と用地買収に当たった[[太田光熈]](のちに社長)の回想では、これでも当局や取締役の[[岡崎邦輔]]を介した政府筋への運動により、当初の特許から「併用道路を三分の一に減じて貰」った結果であったという<ref>{{Cite book| 和書 |author=太田光熈|title=電鉄生活三十年|edition=私家版|year=1938|pages=pp. 16 -17}}太田は「今から見れば香里(現在の[[香里園駅]])から枚方方面などは、一直線に東口(現在の[[枚方市駅]])に抜けるとか、あるいは守口(現在の[[守口市駅]])- 枚方(現在の[[枚方公園駅]])を一直線につなぐとかの方法もあったと思うが、何分併用道路を本則とするものであるから、中々容易に官庁の諒解を得難かった」とも記している。</ref>。
[[1910年]][[4月1日]]が開業日となるはずであったが、直前の守口変電所での変圧器の火災などで開業が15日延期された。ようやく開業にこぎつけた[[4月15日]]当日も車両故障が発生して始発電車から立ち往生する事態となり、当時の新聞にも酷評されるなど散々な目に遭った。このため、[[4月18日|18日]]までの3日間は運賃を半額にするという今では考えられないサービスで汚名返上に努めた。
==== 急行電車の運転 ====
天満橋駅 - 五条駅間の所要時間は開業当初1時間40分で、7月から1時間30分に、[[大正]]時代に入った[[1912年]]には1時間20分まで短縮した。さらなる所要時間の短縮を狙い、[[1914年]]には日本初となる急行電車の運転を開始した。当初は深夜の運転で天満橋駅 - 五条駅間をノンストップで走り1時間で結ぶことに成功。翌[[1915年]]からは日本で初めて[[日本の鉄道信号|自動閉塞信号機]]を導入し、日中にも運転時間帯を拡大した。三条延伸開業後は途中、四条駅(現在の[[祇園四条駅]])のみ停車となったが、天満橋駅 - 三条駅間の所要時間は1時間で変わらなかった。[[1916年]]からはこの急行を[[最急行]]に格上げし、主要駅停車の急行を新設した。ただし、最急行は改称後4か月で廃止されている(「[[京阪特急#前身]]」も参照)。
1917年(大正6年)、この年は京阪本線にとって最悪の1年となった。元日午後3時3分、枚方駅(現在の枚方公園駅)で停車中の普通電車に急行電車が追突、普通電車は200mも押し出され、急行電車は脱線した。事故原因は「急行電車の運転士が[[屠蘇|御屠蘇]]を飲んでの飲酒運転に因る前方不注意」であった。1月17日の早朝には[[深草車庫]]から出火し、客車15両・営業貨車1両・土木貨車3両と検車庫・工場・事務所を焼失した。[[南海電気鉄道|南海鉄道]]より路面電車4両を借りたほか、名古屋電車製作所に車体を発注し、3月末から4月にかけて、焼け残った足回りと組み合わせた6両が到着した。さらに、同年9月25日からの「大正大水害」と呼ばれる豪雨による洪水で、10月1日に枚方東口駅 - 樟葉駅間・淀駅 - 中書島駅間で堤防が決壊し、軌道浸水・軌道流失・軌道閉塞。中書島駅西側の伏見変電所も浸水して機能停止し、枚方東口より京都側は運転不能となった。すぐに復旧工事に入るも、同月10日に再度水害に見舞われて修復が遅れ、同月11日に中書島駅 - 三条駅間、14日に淀駅 - 枚方東口駅間が運転再開、18日午前11時に淀駅 - 中書島駅間が仮復旧し、全線の運行が再開された<ref>出典・京阪開業100周年誌『京阪百年のあゆみ』83-84ページ「深草車庫の火災と淀川の決壊」より</ref>。
[[昭和]]となった[[1927年]]には、[[小田急電鉄]]に先駆けて日本の鉄道車両で初めて「[[ロマンスカー#京阪電気鉄道|ロマンスカー]]」と称した[[京阪1550型電車|初代600型]]を登場させ、急行に充当した。併せて、この時期には併用軌道の専用軌道化、守口駅 - [[野江駅]]間の[[複々線]]化・立体交差化などの路線の改良、天満橋駅の改築、宇治川・木津川に架かる鉄橋の架け替えなど、後の京阪の発展につながる設備投資が重ねられた。
[[1922年]]には[[新京阪鉄道]]を設立、[[1928年]]に新京阪線(現在の[[阪急京都本線]])[[天神橋筋六丁目駅]] - [[西院駅]]間を開通させた。[[戦中]]に京阪神急行電鉄(1973年に[[阪急電鉄]]と改称)に統合され、[[戦後]]の[[1949年]]に新京阪線を阪急に残した形(同時に京都本線と改称)で京阪電気鉄道として再発足した。大阪大空襲からの復興・疎開の影響による京阪間移動需要の急増を踏まえて、1950年7月には急行の所要時間を戦前と同水準とし、さらに9月には特急の運転を開始した。
==== 戦後における都心部への延伸と輸送力強化 ====
終戦直後の[[1945年]]から[[1968年]]まで[[奈良電気鉄道]]線(現在の[[近鉄京都線]])との相互[[直通運転]]も行っていた。直通運転の解消は京阪側の1966年の蒲生信号所での追突事故を受けてのATS設置・近鉄京都線の架線電圧1500V昇圧・近鉄と京阪双方の列車本数の増加に丹波橋駅の規模では対応できなくなった。などが原因と言われている(「[[奈良電気鉄道#京阪神急行電鉄・京阪電気鉄道との直通運転]]」も参照)。
また1952年に[[大和田駅 (大阪府)|大和田駅]]から[[森ノ宮駅]]の間10.8kmの別線の特許を申請したり<ref>『[[京阪本線#tetsuro50|鉄路五十年]]』pp. 374-375。</ref><ref group="注釈">森ノ宮では大阪市営地下鉄4号線(現[[Osaka Metro中央線]])との需要を見込んでいた。「[[近鉄けいはんな線#歴史]]」も参照。</ref>、1971年に表明した京都市伏見区三栖から分岐する「第2京阪線」の構想<ref group="注釈">三栖は[[中書島駅]]と[[淀駅]]の間で、同年の京都府交通網整備対策協議会ではここから[[京都市営地下鉄烏丸線]]と相互乗り入れする構想が示されていた。『[[鉄道ジャーナル]]』1972年2月号、p. 113</ref>や、[[寝屋川信号所]] - 交野駅(現・[[交野市駅]])(約7km)の新線計画<ref>出典・『鉄道ピクトリアル』1973年7月増刊号6頁の「京阪電鉄の計画と展望」・同103 - 107頁の「京阪電鉄の主要工事」の中の『今後の主要工事』より</ref>など、本線のバイパスとなる路線を立案したことがあったが、いずれも具体化せずに終わっている。
1960年代から70年代にかけ京阪電鉄の開業時からの悲願ともいえる天満橋駅 - 淀屋橋駅間の地下線での延長、天満橋駅 - 蒲生信号所間の高架化と複々線化、「くずはローズタウン」の開発に合わせた樟葉駅の移転、土居駅 - 寝屋川信号所間の高架複々線化事業着工などの大規模工事が次々と行われた。
架線電圧の1500Vへの昇圧について[[1959年]]に検討された際には、「1975年の輸送量が1959年の200パーセントになると仮定しても、600V電圧・7両連結で対応できる」と昇圧を見送ったが、1963年の淀屋橋地下延長線竣工後、予想をはるかに上回る利用客増加により、[[1965年]]には1959年の2倍の輸送量となった。1968年に昇圧の準備工事を開始し、[[1969年]]4月の重役会で正式に1500Vへの昇圧が決定した。当初は京都市内が地下化され[[路面電車]]との[[平面交差]]のなくなる[[1981年]]頃の実施が予定されていたが、[[1973年]]と[[1978年]]の2度の[[オイルショック]]の影響で工事費が暴騰したことと輸送量の伸びが鈍化したことで[[1982年]]頃へと先送りされ、さらに繰り下げられた。準備から15年の歳月と250億円もの費用をかけて1983年[[12月4日]]に1500Vへ昇圧を果たした<ref>京阪電鉄広報誌『グラフ京阪』1984年新春号」</ref>。1500V化は当時の大手私鉄14社では最後である。
これは、前述の京都市電・大阪市電(いずれも架線電圧600V)との平面交差が4か所残っていたこと{{Refnest|group="注釈"|京都の四条駅・七条駅・伏見稲荷駅と大阪の[[片町駅]]に残っていたが、大阪市電とは1968年[[12月18日]]、京都市電とは1978年[[10月1日]]にそれぞれ市電路線が廃止されたことによって解消した<ref name="railf200802-p131" />}}に加えて、[[京阪京津線|京津線]][[京阪80型電車|80型]]の[[回生ブレーキ|回生制動]]から発生する余剰電力を三条駅の変電所を通して京津線から京阪線へ両線の軌道分断後も再送電していたことなども影響している<ref group="注釈">吸電インバーターが設置されるまでは列車本数の少ない早朝・深夜では80型の回生ブレーキが失効して空気ブレーキだけで蹴上の勾配を下っていたが、設置後は安定して回生ブレーキが使用できた。京阪線1500V昇圧後は吸電インバーターで回収した余剰電力を静止型インバーターで交流に変換し、変圧器を通して三条駅の照明電源に京津線廃止時まで利用された。</ref>。
1978年に[[東福寺駅]]以南が軌道法に基づく軌道から当時の[[地方鉄道法]]に基づく地方鉄道に変更された<ref name="h28youran" />。地下化工事が計画され翌1979年着工された東福寺駅 - 三条駅間は<ref name="railf200802-p135">『鉄道ファン』2008年2月号、交友社、p.135</ref>[[川端通]]の建設と京阪線地下化工事を一体化して進めるため<ref group="注釈">同様の例として、[[Osaka Metro御堂筋線|大阪市営地下鉄御堂筋線]](当時)が[[都市計画道路]]「[[御堂筋]]」の建設に併せて地下に敷設する(軌道法上の)軌道とされた例がある。</ref>、軌道のまま残されたが、地下化後の2013年12月20日許可で鉄道に変更されている<ref name="h28youran" />。鴨川と琵琶湖疏水に挟まれた堤防上を走っていた同区間は1987年に地下化された<ref name="railf200802-p135" />。が同年7月15日集中豪雨のため四条駅北側で鴨川へ流れこむ[[白川 (淀川水系)|白川]]の仮設堤防が決壊して川の水が地下線に流れ込み五条駅が浸水し地下区間が終日運休した。翌1988年5月に地下化に伴う付帯工事がすべて竣工。川端通が開通して、浸水事故の恐れはほぼ無くなった。
[[土居駅]] - 寝屋川信号所間の高架複々線化工事が最終段階にかかっていた[[1980年]][[2月20日]]の枚方市駅 - [[御殿山駅]]間で置き石による電車脱線事故([[日本の鉄道事故 (1950年から1999年)#京阪電気鉄道置石脱線事故|京阪電気鉄道置石脱線事故]])が発生し、以後地上区間では不法侵入防止の柵がほぼ全区間にわたって設けられた。この事故後、枚方市付近の高架化工事が本格化。枚方市駅は[[1993年]]に高架化工事は竣工した。つづいて[[寝屋川市駅]]の高架化計画が進められ、寝屋川市駅舎部分に仮線を引く用地が無く京阪で初めて直上高架方式が採用<ref>『[[京阪本線#pictorial|鉄道ピクトリアル]]』2000年12月増刊号p. 63「近年の主な改良工事」</ref>され、[[2002年]]に高架化工事が竣工した。これにより淀屋橋駅 - 寝屋川市駅間は寝屋川車庫への出入庫線を除き立体交差化された。
さらに淀駅が高架化され、現在も大阪府下で高架改良計画<ref group="注釈">寝屋川市駅と香里園駅の間の「田井踏切」から枚方市駅までの連続高架化計画が、国の2007年度予算で5000万円の調査費が計上されている。実現すると淀屋橋駅から御殿山駅の大阪側の踏切までの間(約22km)が立体交差化される</ref>があるが、110km/h走行が可能となった区間は複々線の土居駅 - 野江駅間のA線(内側線)の速度制限なしの緩いカーブ1か所(土居駅 - 滝井駅間)を含む直線区間のみであり、100km/h以上で走行できる区間も、淀駅付近(105km/h制限)と、香里園駅 - 寝屋川市駅間の短い直線、門真市駅 - 大和田駅間のA線(半径600m級の100 - 105km/h制限カーブが連続する区間)、守口市駅構内付近大阪方(105km/h制限、ただし京都寄りにすぐ85km/h制限のカーブが存在する)などの比較的緩いカーブを含む区間のみでありきわめて少ない。大阪府内は開業時に併用軌道だったために軌道改良が行われ大半の区間で高速運転が可能となったが、北浜駅の京都側、枚方公園駅 - 枚方市駅間、橋本駅 - 木津川鉄橋間、龍谷大前深草駅 - 伏見稲荷駅間、東福寺駅 - 鳥羽街道駅間と、半径200 - 220mの60km/h制限のカーブ区間が至る所に存在し、淀川堤防上の[[京都府道・大阪府道13号京都守口線]](旧[[京阪国道]])と並んで走る樟葉駅 - 橋本駅間は堤防沿いに湾曲しカーブが随所に残っており<ref group="注釈">駅間で直線で繋がっているのは滝井駅 - 野江駅間と龍谷大前深草駅 - 藤森駅間の2か所のみ</ref>、いまだ「京阪電気鉄道カーブ式会社」と揶揄されることもある。
=== 年表 ===
==== 明治 ====
* [[1906年]]([[明治]]39年)[[8月25日]]:京都 - 大阪間の軌道敷設の特許を取得。
* [[1908年]](明治41年)[[9月30日]]:建設工事発注、10月より4工区に分けて随時着工。
* [[1910年]](明治43年)
** 3月:天満橋駅 - 五条駅(現在の清水五条駅)間の軌道敷設完了。
** [[4月15日]]:天満橋駅 - 五条駅(現在の清水五条駅)間が開業。
** [[6月20日]]:桃山駅(現在の丹波橋駅)が開業。
** [[9月26日]]:[[御召列車]]用の臨時駅として淀駅 - 中書島駅間に宇治川駅が開業。淀川沿岸での陸軍工兵特別大演習台臨のため、皇太子が五条駅 - 宇治川駅間を乗車<ref name="名前なし-1">京阪電鉄『鉄路五十年』</ref>。[[9月28日|28日]]廃止。
** [[9月27日]]:皇太子が五条駅 - 宇治川駅間を往復乗車<ref name="名前なし-2">『京阪100年のあゆみ』</ref>。
** [[9月30日]]:御召列車用の臨時駅として枚方東口駅 - 牧野駅間に牧野村坂駅が開業。皇太子が五条駅 - 牧野村坂駅間を往復乗車<ref name="名前なし-2"/>。翌[[10月1日]]廃止。
** [[10月4日]]:皇太子が五条駅 - 守口(臨時)駅間を往復乗車<ref name="名前なし-1"/>。
** [[12月15日]]:光善寺駅が開業。京橋駅(初代、実際の京橋付近にあった)廃止。
** [[12月16日]]:稲荷駅を深草駅(現在の龍谷大前深草駅)に、稲荷新道駅を稲荷駅に改称。
* [[1911年]](明治44年)[[9月1日]]:橋本駅 - 八幡駅(現在の石清水八幡宮駅)間の土砂崩れ復旧工事区間で単線運転中に正面衝突事故発生。共に運転士は即死、ほか死傷者多数<ref>『[[京阪本線#hattatsushi|京阪電気鉄道]]』〈車両発達史シリーズ1〉p. 73</ref>。
==== 大正 ====
* [[1913年]]([[大正]]2年)
** [[4月26日]]:大仏前駅が廃止。
** [[4月27日]]:七条駅が開業。
** [[5月10日]]:野江駅 - 森小路駅間に臨時駅の大宮駅が開設。
** [[7月29日]]:桃山駅を丹波橋駅に改称。
* [[1914年]](大正3年)[[5月15日]]:最終列車としてノンストップの急行を運行開始。
* [[1915年]](大正4年)
** [[4月1日]]:日本で初めて色灯三位式自動閉塞信号機を導入。朝夕の通勤時間に急行が2往復ずつ運行開始。
** [[10月27日]]:五条駅 - 三条駅間延伸開業。急行は四条駅(現在の祇園四条駅)に停車とする。
** [[11月11日]]:伏見駅を伏見桃山駅に改称。
* [[1916年]](大正5年)
** 4月1日:従来の急行を最急行に改称、主要駅停車の急行を24分間隔で運行開始。
** [[8月1日]]:最急行を廃止。
* [[1917年]](大正6年)
** [[1月1日]]:枚方駅(現在の枚方公園駅)15時・運転士の飲酒運転による追突事故発生。重軽傷者43名。
** [[1月17日]]:午前4時50分[[深草車庫]]で火災発生・1形車両15両、電動貨車など4両の19両焼失。
** [[9月26日]] - [[10月10日]]:「大正大洪水」中書島駅 - 淀駅間の三栖堤防決壊(中書島駅西の伏見変電所が浸水で使用不能)・牧野駅 - 枚方東口駅(現・枚方市駅)にかけての区間で堤防決壊で浸水などで枚方東口駅以北不通に。同月18日仮復旧・全線で運転再開<ref>出典・京阪100周年記念誌「京阪百年のあゆみ」(2011年3月24日刊)84頁「淀川の決壊」より</ref>、11月24日復旧工事竣工<ref>出典・「京阪百年のあゆみ」資料編186頁の巻末年表より</ref>。
* [[1918年]](大正7年)
** [[3月1日]]:守口車庫開設。網島車庫から移転。
** [[12月1日]]:塩小路駅の旅客営業が廃止され、貨物専用駅になる。
* [[1920年]](大正9年)
** [[6月15日]]:大宮臨時駅が廃止。
* [[1922年]](大正11年)
** [[3月23日]]:寝屋川駅 - 香里駅間に運動場前駅開業。当初は[[京阪グラウンド]]の催事のみ開設の臨時駅だった。
** [[11月12日]]:運動場前駅を常時開設の普通駅とする。
* [[1924年]](大正13年):10月1日 2両連結運転を開始。
==== 昭和 ====
* [[1926年]]([[昭和]]元年):一部車両の[[集電装置]]にパンタグラフを採用<ref>出典・『甦る京阪電車の昭和時代』[[テイチクエンタテインメント]]</ref>。トロリーポール式と混在するようになった。
* [[1927年]](昭和2年)[[5月3日]]:宇治川・木津川両橋梁の架け替えを完了(旧橋梁は[[枚方大橋]]へ転用)。
* [[1928年]](昭和3年)[[7月12日]]:樟葉駅 - 橋本駅間の併用軌道1.856kmを国道1号線改良工事に伴い専用軌道化。
* [[1929年]](昭和4年)[[5月25日]]:御殿山駅が開業。
* [[1930年]](昭和5年)10月1日:香里駅が急行の停車駅になる。
* [[1931年]](昭和6年)
** [[7月19日]]:伏見稲荷駅南側の[[京都市電稲荷線]]との平面交差で衝突事故。
** [[7月21日]]:門真駅 - 萱島駅間の併用軌道3区間2.5kmと、香里駅 - 枚方駅間の併用軌道1.5kmなど7区間を専用軌道化
** [[10月14日]]:蒲生駅(現在の京橋駅)- 守口駅(現在の守口市駅)間(通称『野江の七曲がり』)を直線化し専用軌道化。現在の野江駅 - 土居駅付近が高架化。野江駅・関目駅・新森小路駅・森小路駅・滝井駅開業。旧線の野江駅・森小路駅廃止。
** [[12月28日]]:森小路駅を森小路千林駅に改称。
* [[1932年]](昭和7年)
** [[2月10日]]:蒲生駅を城東線京橋駅近く<ref group="注釈">現在の[[京橋グランシャトービル]]の位置</ref>に移転。
** [[3月30日]]:天満橋駅の改築工事が竣工。
** [[6月14日]]:土居駅が開業。
** 9月:集電装置をトロリーポールからパンタグラフへ変更<ref>清水祥史『京阪電車』[[JTBパブリッシング]] 〈JTBキャンブックス〉、2017年、p.188</ref>。
** [[10月4日]]:大和田駅が開業。
** [[10月15日]]:京阪線全車両のパンタグラフ化を完了<ref>井上廣和・藤原進『[[#colorbooks|日本の私鉄 京阪]]』p.148</ref>。
** 12月:守口変電所・伏見変電所に各1000kWの蓄電池が設置、使用開始<ref>出典・京阪100周年記念誌『京阪百年のあゆみ』183頁「ピークカット用蓄電池の設置」</ref>
* [[1933年]](昭和8年)[[12月29日]]:蒲生信号所 - 守口駅間複々線化。当時私鉄最長。
* [[1934年]](昭和9年)
** [[3月15日]]:天満橋駅 - 枚方東口駅間に区間急行を新設。
** [[4月2日]]:京津線との直通列車「[[京阪60形電車|びわこ号]]」運転開始(戦時中消滅)。
** [[6月1日]]:蒲生駅が急行の停車駅になる。
** [[7月2日]]:伏見稲荷駅南側の京都市電稲荷線との平面交差で衝突事故、市電側に死傷者20名以上<ref group="注釈">この事故の翌年、代物弁済として大津線の80形89号が京都市に引き渡され、事故現場の平面交差に脱線転轍器が設置された</ref>。
** [[9月21日]]:[[室戸台風]]が関西を来襲、守口車庫の検車庫など50棟以上が全半壊するなど大きな被害を受ける。同月24日運転再開<ref>出典・京阪100周年記念誌『京阪百年のあゆみ』165頁「台風禍と洪水禍」</ref>。
* [[1935年]](昭和10年)
** [[6月29日]]:[[鴨川水害]]で、三条駅 - 七条駅間で路盤流失・プラットホームの倒壊などの大きな被害を受ける<ref group="注釈">これを契機に京阪本線を地下化する鴨川拡幅計画が策定される。出典・鉄道ピクトリアル1984年1月増刊号「特集 京阪電気鉄道」78 - 81頁『京都市内の地下化工事の経緯と今後の予定』</ref>。三条駅-深草駅間が運休、7月1日七条駅以南運転再開<ref name="百年">出典・京阪100周年記念誌「京阪百年のあゆみ」166頁</ref>・7月3日全線運転再開<ref>出典・「京都の治水と昭和大水害」(文理閣)155頁</ref>
** [[8月11日]]:宇治川氾濫、堤防決壊などで中書島 - 枚方東口間が不通、同月13日運行再開<ref name="百年" />。
* [[1936年]](昭和11年)4月1日:準急の運行を開始。当時の停車駅は急行停車駅と守口駅・枚方駅・橋本駅・淀駅。
* [[1938年]](昭和13年)
** [[1月11日]]:夕方ラッシュ時に区間急行(現在とは停車駅が異なる)の運行を開始。
** 4月1日:香里駅を香里園駅に改称。3両連結運転開始(朝夕のラッシュ時)。
* [[1939年]](昭和14年)
** 3月1日:枚方の陸軍弾薬庫の爆発事故で香里園 - 樟葉間で運転不能、同月4日20時より枚方・枚方東口・御殿山・牧野を通過で運転再開、3月6日午前11時より平常ダイヤで運転再開<ref>出典・京阪開業100周年誌『京阪百年のあゆみ』171頁「枚方陸軍火薬庫の爆発」</ref>。
** [[12月25日]]:八幡駅を石清水八幡宮前駅に、稲荷駅を稲荷神社前駅に改称。
* [[1941年]](昭和16年)[[9月1日]]:師団前駅を藤森駅に改称。
* [[1942年]](昭和17年)4月1日:新森小路駅を森小路駅に、森小路千林駅を千林駅に改称。
* [[1943年]](昭和18年)
** [[1月20日]]:運動場前駅を豊野駅に改称。
** 10月1日:会社合併により京阪神急行電鉄([[阪急電鉄]])の路線となる。
* [[1944年]](昭和19年)
** [[2月5日]]:五条駅の急行・準急停車および橋本駅・枚方駅(現在の枚方公園駅)の準急停車を廃止。森小路駅が区間急行の停車駅になる。京阪間直通の普通列車については混雑時に守口駅 - 蒲生駅間の旅客取扱を停止<ref>『鉄路五十年』の年表による。森小路駅がいつの時点で区間急行通過に戻されたのかは不詳。</ref>。
** [[7月16日]]:深草駅・墨染駅・丹波橋駅・寝屋川駅・門真駅が急行・準急の、守口駅が急行の停車駅になる。三条駅 - 宇治駅間の直通列車の運転を中止<ref>『鉄路五十年』の年表による。</ref>。
* [[1945年]](昭和20年)
** [[6月7日]]:空襲で天満橋駅、天満橋運輸事務所、同保線事務所が全焼<ref>出典・京阪100周年記念誌『京阪百年のあゆみ』資料編204頁</ref>。
** [[6月26日]]:空襲で滝井駅付近の線路が被災<ref name="百年・資料">出典・京阪100周年記念誌『京阪百年のあゆみ』資料編206頁</ref>。
** [[8月14日]]:空襲で野田橋駅が全焼<ref name="百年・資料"/>。
** [[9月15日]]:土居駅・古川橋駅・豊野駅・鳥羽街道駅・五条駅が休止<ref name="百年・資料"/>。
** [[11月7日]]:古川橋駅の営業再開<ref name="百年・資料"/>。
** [[12月21日]]:奈良電気鉄道(現在の近鉄京都線)の電車が丹波橋駅から三条駅まで乗り入れ開始<ref name="百年・資料"/>。
* [[1946年]](昭和21年)
** [[2月15日]]:戦争末期に運行を中止した急行の運行を再開。20分間隔で運行、枚方東口駅 - 丹波橋間は各駅停車で三条駅 - 天満橋駅間82分。このとき深草駅・墨染駅・門真駅・守口駅は通過駅に戻る<ref>出典・『鉄道ピクトリアル』1984年1月増刊号(特集 京阪電気鉄道)、P103</ref>。
** 5月2日:五条駅の営業再開<ref name="百年・資料"/>。
** [[5月11日]]:鳥羽街道駅の営業再開<ref name="百年・資料"/>。
** 7月21日:天満橋駅の戦災復旧工事が終了<ref name="百年・資料"/>。
* [[1947年]](昭和22年)
** 2月5日:豊野駅の営業再開<ref name="百年・資料"/>。
** 3月11日:土居駅の営業再開<ref name="百年・資料"/>。
** 4月1日:京阪線の電車も丹波橋駅から奈良電気鉄道京都駅まで乗り入れ開始<ref name="百年・資料"/>。宇治駅 - 奈良電京都駅間1両編成で30分毎。急行停車駅が整理され御殿山駅・牧野駅・樟葉駅・橋本駅・淀駅を通過、三条駅 - 天満橋駅間79分に短縮、15分間隔に増発。
* [[1948年]](昭和23年)[[1月1日]]:石清水八幡宮前駅を八幡町駅に、稲荷神社前駅を伏見稲荷駅に改称<ref name="百年・資料"/>。
* [[1949年]](昭和24年)
** 8月1日:伏見桃山駅・寝屋川駅を急行通過に変更<ref>出典・『鉄道ピクトリアル』1984年1月増刊号(特集 京阪電気鉄道)104頁</ref>。
** 10月1日:蒲生駅を京橋駅に、枚方駅を枚方公園駅に、枚方東口駅を枚方市駅に改称<ref>出典・『京阪百年のあゆみ』資料編208頁</ref>。
** 12月1日:会社分離により京阪電気鉄道京阪本線となる。
* [[1950年]](昭和25年)
** 7月1日:ダイヤ改正。急行の三条駅 - 天満橋駅間が59分と戦争前の所要時間に回復。
** 9月1日:天満橋駅 - 三条駅間で特急の運転を開始、所要時間53分、朝の下り2本と夕方の上り2本のみ(日曜・祝日は運休)。京橋駅・七条駅・四条駅に停車。この停車駅は約50年間変わらず。
* [[1951年]](昭和26年)
** 4月1日:戦後、通過となっていた伏見稲荷駅の急行停車を再開。
** 4月2日:特急の終日運転開始。
** 4月26日:4両連結運転開始。
** [[8月20日]]:寝屋川駅を寝屋川市駅に改称。
* [[1952年]](昭和27年)
** 5月1日:大和田駅待避線新設、線路改良の完成や、[[京阪1700系電車|1700系]]の投入などにより、ダイヤ改正。特急の所要時間を48分に短縮。併せて増発も実施し、特急は昼間は30分間隔での運転となる。
** [[6月23日]]:天満橋駅 - 枚方市駅間の急行を八幡町までの各駅に停車する形で延長したA急行の運行を開始。
** [[7月17日]]:特急に「鳩マーク」取り付け開始。
* [[1953年]](昭和28年)
** 5月10日:特急が終日20分間隔での運転となる。
** [[9月25日]]:[[昭和28年台風第13号|台風13号]]が関西を襲い、宇治川堤防決壊、淀駅 - 八幡町駅間の築堤流失して不通(10月1日単線で仮復旧)<ref>出典・京阪100周年記念誌『京阪百年のあゆみ』231頁「台風13号の被害」</ref>。
* [[1954年]](昭和29年)
** 2月1日:前年の台風13号での被災修復区間複線化(完全復旧は同年5月1日)<ref>出典・京阪100周年記念誌『京阪百年のあゆみ』資料編216頁の巻末年表</ref>。
** 4月12日:朝の天満橋から香里園の聖母女学院生徒用専用車両を連結した列車の運転開始<ref group="注釈">現在は定期列車の後部2両が女子学生生徒優先車両となっている。</ref>。
** [[11月30日]]:天満橋駅 - 野田橋駅間0.762kmの併用軌道を専用軌道に移設。京阪本線が全線専用軌道となる。
* [[1955年]](昭和30年)
** 1月1日:野田橋駅を片町駅に改称。
** [[6月25日]]:天満橋駅 - 塩小路駅間の貨物営業が廃止。(貨)塩小路駅が廃止。
** [[12月3日]]:戦後、通過となっていた八幡町駅の急行停車を再開。
* [[1956年]](昭和31年)
** [[3月21日]]:特急の所要時間を42分に短縮。天満橋駅 - 三条駅間直通の普通の京橋駅 - 守口駅間を通過とする。特急車の5両連結運転開始。
* [[1957年]](昭和32年)[[3月6日]]:電車としては日本初の空気バネ台車つき車両・営業運転開始(1759号車)。
* [[1958年]](昭和33年)
** [[8月6日]]:東福寺変電所の改修に伴い[[移動変電所]]を深草車庫に配置、送電開始<ref>出典・京阪100周年記念誌『京阪百年のあゆみ』資料編220頁の巻末年表</ref>。
** [[11月17日]]:6両連結運転開始(天満橋駅 - 枚方市駅間の急行)。
** 12月1日:萱島駅 - 寝屋川市駅間に寝屋川信号所開設。萱島車庫(現在の寝屋川車庫)開設に伴う入出庫線が分岐。
* [[1960年]](昭和35年)
** [[3月28日]]:ダイヤ改正。日中に新設された区間急行はスーパーカー[[京阪2000系電車|2000系]]の限定運用とする(天満橋駅 - 枚方市駅間、昼間20分間隔)。同時に京橋駅 - 守口駅間通過の普通を区間急行に統合。
** [[11月28日]]:淀屋橋駅 - 天満橋駅間の地下線の起工式・着工。
* [[1961年]](昭和36年)
** [[3月17日]]:守口変電所が建て替えられ仮運転開始(京阪初のシリコン整流器で直流化)<ref name="100年のあゆみ">出典:『京阪百年のあゆみ』292頁「変電所の増強」</ref>。
** [[9月16日]]: [[第2室戸台風]]により16時30分より全線運転停止、翌17日午後3時より運転再開<ref name="100年のあゆみ・資料編">出典:「京阪電車開業100周年記念誌『京阪百年のあゆみ』(2011年3月24日京阪電鉄発行)」資料編の222頁の巻末年表</ref>。
** 10月1日:大和田変電所、運転開始<ref name="100年のあゆみ" />。
** 12月1日:枚方公園駅に日中の急行停車を開始。
* [[1962年]](昭和37年)[[12月22日]]:京阪で初めて自動券売機が京橋駅・天満橋駅に設置される。
* [[1963年]](昭和38年)
** [[4月16日]]:淀屋橋駅 - 天満橋駅間が地下線で延伸開業。特急は淀屋橋 - 三条間を45分で運転。
** 5月15日:寝屋川市駅を現在地に移設。香里園駅の橋上駅舎と待避線完成。寝屋川市 - 香里園間の豊野駅が廃止。
* [[1964年]](昭和39年)6月1日:萱島車庫を[[寝屋川車庫]]に改称。
* [[1965年]](昭和40年)11月28日:伏見稲荷駅南側の京都市電との平面交差で衝突事故、原因は信号機故障。
* [[1966年]](昭和41年)
** 4月:三条変電所新設、京阪初の無人遠隔操作変電所<ref name="100年のあゆみ" />。
** [[8月3日]]:蒲生信号所で淀屋橋行普通に淀屋橋行急行が追突する事故が発生([[日本の鉄道事故 (1950年から1999年)#京阪電鉄蒲生信号所列車衝突事故|京阪電車蒲生信号所衝突事故]])。51名負傷。急行列車運転士の赤信号見落としが原因。これをきっかけに[[自動列車停止装置|ATS]]導入が図られた。
* [[1967年]](昭和42年)
** 8月1日:淀屋橋駅 - 大和田駅間(複々線区間の緩行線を除く)にATS地上設備設置完了、特急列車がATS使用開始。関西私鉄初ATS設置。
** [[9月28日]]:大和田駅 - 三条駅間・複々線区間の緩行線にATS地上設備設置完了。
** [[12月11日]]:朝夕のラッシュ時に7両編成運転を開始。
* [[1968年]](昭和43年)
** [[2月21日]]:天満橋駅 - 野江駅間、高架複々線建設事業起工式が行われる。
** [[9月12日]]:京阪本線全列車にATS完備。
** [[12月18日]]:片町駅の大阪市電との平面交差、市電の廃止により消滅<ref name="railf200802-p131">『鉄道ファン』2008年2月号、交友社、p.131</ref>。
** [[12月20日]]:丹波橋駅での近鉄京都線との相互乗り入れを廃止。近鉄・京阪の列車本数の増加・近鉄京都線の1500V昇圧化(1969年実施)・ATSのシステムの違いなどのため。
* [[1969年]](昭和44年)
** 5月:蒲生変電所の[[回転変流器]]がシリコン整流器に更新、回転変流器全廃<ref name="100年のあゆみ" />。
** [[8月13日]]:京阪線全変電所の集中制御化工事竣工<ref name="100年のあゆみ・資料編" />。
** [[10月18日]]:京阪初の[[マルチプルタイタンパー]]を土木部に配備<ref name="100年のあゆみ・資料編" />。
** [[11月26日]]:牧野駅南側の線路を高架化、移設。
** 11月30日:天満橋駅 - 野江駅間が経路変更。京橋駅が移転・高架化。天満橋駅 - 京橋駅間の片町駅が廃止(区間急行・普通の停車駅)。A急行を準急に統合のうえ廃止。
* [[1970年]](昭和45年)
** 8月7日:淀変電所新設<ref name="100年のあゆみ" />。
** 10月1日:蒲生信号所が廃止<ref name="100年のあゆみ・資料編" />。
** 10月6日:香里変電所・寝屋川変電所の増設工事完成<ref name="100年のあゆみ" />。
** 10月21日:牧野変電所新設<ref name="100年のあゆみ" />。
** 11月1日:天満橋駅 - (旧)蒲生信号所間 (3.4km) が複々線化。寝屋川市駅に昼間時のみ急行が停車<ref name="100年のあゆみ・資料編" />。
* [[1971年]](昭和46年)
** 6月20日:守口駅を守口市駅に改称。新門真駅が開業。樟葉駅付近の線路を移設し、樟葉駅に待避線・留置線が完成。樟葉駅に急行を終日停車。京阪初の自動改札機を設置。
** [[7月1日]]:特急に[[京阪3000系電車 (初代)|3000系]](初代)を逐次導入し、運転開始。
** [[8月15日]]:白紙ダイヤ改正。新門真駅の開業(待避線あり)や樟葉駅(移設および待避線の新設)などの改良工事完成により、昼間の特急・急行・区間急行・普通の運転間隔を20分から15分に短縮(昼間15分間隔ダイヤは[[2003年]]まで32年間続いた)。
** 9月10日:墨染変電所新設<ref name="100年のあゆみ" />。
* [[1972年]](昭和47年)
** [[2月2日]]:守口工場の設備を寝屋川車庫構内に移転、寝屋川工場とする。守口工場は廃止。
** [[9月17日]]:[[昭和47年台風第20号|台風20号]]により五条駅 - 四条駅間の鴨川堤防が崩れ、三条行き線路が不通に。七条駅 - 三条駅間は単線で運行、特急・急行は七条駅で折り返し運用<ref>参考文献・朝日新聞1972年9月17日・18日・18日夕刊・19日夕刊</ref>。
** 11月28日:土居駅 - 寝屋川信号所間 (5.8km) 高架複々線工事起工式。
* [[1974年]](昭和49年)9月1日:寝屋川市駅 - 香里園駅間で都市計画道路「池田 - 秦線」との立体交差化竣工 (800m)<ref>{{Cite news |和書|title=あすから使用開始 |newspaper=[[交通新聞]] |publisher=交通協力会 |date=1974-08-31 |page=1 }}</ref> <ref group="注釈">着工は1971年12月18日。総工費7億6千万円、うち道路側が6億7千万円を負担。出典『鉄道ピクトリアル1973年7月増刊号』103-107頁の「京阪電鉄の主要工事」</ref>。
* [[1975年]](昭和50年)
** 3月23日:新門真駅を門真市駅に改称<ref>{{Cite news |和書|title=23日から上り高架線使用 |newspaper=[[交通新聞]] |publisher=交通協力会 |date=1975-03-15 |page=2 }}</ref>。守口市駅 - 門真市駅間の門真駅を廃止し西三荘駅が開業。西三荘駅に区間急行を停車(門真駅廃止による代替)。
** 12月13日:旅客運賃改定。同時に淀屋橋駅 - 天満橋駅間の加算運賃廃止<ref>出典:京阪電気鉄道開業100周年記念誌『京阪百年のあゆみ』資料編112頁</ref>。
* [[1976年]](昭和51年)
** 9月12日:守口市駅 - 門真市駅間 (1.8km) が高架・複々線化。
** 11月20日:京阪の駅で初めて、香里園駅に[[視覚障害者誘導用ブロック|点字ブロック]]が設置<ref>出典:京阪電気鉄道開業100周年記念誌『京阪百年のあゆみ』370頁</ref>。
* [[1977年]](昭和52年)
** [[7月24日]]:門真市駅 - 寝屋川信号所間の下り線を高架化<ref>{{Cite news |和書|title=門真市-寝屋川信号所が完成 |newspaper=[[交通新聞]] |publisher=交通協力会 |date=1977-07-17 |page=1 }}</ref>。
** 11月1日:八幡町駅を八幡市駅に改称。
* [[1978年]](昭和53年)
** [[3月10日]]:淀屋橋駅 - 東福寺駅間を[[軌道法]]に基づく軌道から[[地方鉄道法]]に基づく鉄道に変更<ref name="h28youran" />。
** [[7月30日]]:門真市駅 - 寝屋川信号所間が複線高架化(上り線高架化)<ref>{{Cite news |和書|title=30日から高架使用 京阪電鉄門真市-寝屋川信号所間 |newspaper=[[交通新聞]] |publisher=交通協力会 |date=1978-07-14 |page=1 }}</ref>。
** 10月1日:七条駅前での京都市電の全廃により平面交差が廃止<ref name="railf200802-p131" />。
* [[1979年]](昭和54年)[[3月20日]]:東福寺駅 - 三条駅間 (2.8km) 地下化工事起工式が行われる<ref name="railf200802-p135" />。
* [[1980年]](昭和55年)
** [[2月3日]]:門真市駅 - 寝屋川信号所間の京都行き2線化。
** [[2月20日]]:枚方市駅 - 御殿山駅間で三条行急行 (5554F) が置き石により脱線転覆([[日本の鉄道事故 (1950年から1999年)#京阪電気鉄道置石脱線事故|京阪電車置石脱線事故]])。以後、沿線にフェンスが張られるようになる。
** 3月10日:淀車庫第1期工事完成使用開始(留置両数62両)。検車業務は17日より。
** [[3月16日]]:門真市駅 - 寝屋川信号所間が複々線化<ref name="交通800316">{{Cite news |和書|title=京阪電鉄 大幅にダイヤ改正 土居-寝屋川信号所間五.八キロ 高架複々線化、きょう使用開始 |newspaper=[[交通新聞]] |publisher=交通協力会 |date=1980-03-16 |page=3 }}</ref>。再び複々線区間が日本の私鉄最長に(12km・1997年まで)。
** 3月17日:深草車庫廃止。以後は留置線として使用されたが東側の留置線1本を残し撤去された。
** 3月23日:複々線化に伴うダイヤ改正{{R|交通800316}}。準急が萱島駅に停車。急行が寝屋川市駅に終日停車。昼間時の急行・準急が守口市駅に停車。
** [[6月8日]]:守口駅下り線(大阪行き)が高架化、これにより淀屋橋駅 - 寝屋川信号所間 (14.1km) の立体交差化<ref group="注釈" name="fumikiri" />。
* [[1981年]](昭和56年)
**[[2月8日]]:京阪線全駅で黄色の点字ブロック設置が完了。
** 12月13日:ダイヤ改正、平日・土曜・休日ダイヤ完全分離。
* [[1982年]](昭和57年)[[3月29日]]:土居 - 寝屋川信号所間の複々線高架化工事竣工。
* [[1983年]](昭和58年)
** [[11月3日]]:淀車庫第2期工事完成し、留置両数138両に増加。
** [[12月4日]]:架線電圧を600Vから1500Vに昇圧。[[鉄道の最高速度|最高速度]]を105km/hから110km/hに向上。
* [[1984年]](昭和59年)
** 3月29日:ダイヤ改正。
** [[6月27日]]:[[弱冷房車]]を運用開始。特急車と6000系を除く6両編成以上の冷房車に1両が設定された(2005年に6両編成以上の全形式に拡大)。
* [[1985年]](昭和60年)
** [[4月22日]]:ダイヤ改正、朝夕のラッシュ時に淀屋橋駅 - 樟葉駅間で8両編成の急行が運転開始。
** 5月:木津川橋梁の補強工事竣工。
* [[1987年]](昭和62年)[[File:1987-4-keihan-shijyou.jpg|thumb|地上時代の四条駅付近]]
** [[5月24日]]:七条駅<ref group="注釈">地下区間始点は東福寺駅 - 七条駅間・京都市東山区一橋野本町付近</ref> - 三条駅間が地下化<ref name="railf200802-p135" />。
** 6月1日:ダイヤ改正により、急行から8両編成での運転区間が全線に拡大。16年ぶりに京阪線・大津線同時改正。
** [[7月15日]]:未明に発生した集中豪雨により京都地下線で浸水事故発生、流れ込んだ水が最深部の五条駅のホームの高さまで浸水。七条駅 - 三条駅間終日運休、翌日始発より運転再開。
** [[12月10日]]:自律分散式列車運行管理システム (ADEC) 全面使用開始。
* [[1988年]](昭和63年)9月1日:地下駅の三条駅・四条駅・五条駅・七条駅・天満橋駅・北浜駅・淀屋橋駅が終日禁煙になる<ref>駅置きの広報誌「くらしの中の京阪」1998年9月号/開業80年記念誌『過去が咲いてる今』巻末年表177頁 </ref>。
==== 平成 ====
* [[1989年]]([[平成]]元年)
** 4月1日:[[国際花と緑の博覧会|花と緑の博覧会]]への広報協力として「花号」「緑号」「水号」を運行(翌年9月まで)。
** [[9月27日]]:ダイヤ改正。約45年ぶりに五条駅に急行が終日停車。宇治線直通急行が三条駅(鴨東線開業後は出町柳駅) - 淀駅・樟葉駅間の準急に置き換えられる。
*** 鴨東線開業([[10月5日]]正午)までは、三条駅 - 出町柳駅間が試運転扱いだった。同時にすべての特急が7両編成となる。
** 10月1日:プリペイドカード「Kカード」を導入、各駅で利用可能になる。
** 10月5日:鴨東線が開業し同線と直通運転開始。特急に[[京阪8000系電車|8000系]]1編成投入。
* [[1990年]](平成2年)[[3月24日]]:枚方市駅付近高架化<ref>{{Cite news |和書|title=下り線も連続立交化 京阪電鉄枚方市駅付近 24日から使用開始 |newspaper=[[交通新聞]] |publisher=交通新聞社 |date=1990-03-14 |page=1 }}</ref>(交野線含めた全面完成は1993年3月25日)。京阪線ダイヤ改正。準急の守口市駅停車時間帯が大幅に拡大(昼間以降の全列車)。
* [[1991年]](平成3年)[[6月1日]]:ダイヤ改正<ref>{{Cite news |和書|title=京阪電鉄がダイヤ改正 来月1日 交野線高架切替えで |newspaper=[[交通新聞]] |publisher=交通新聞社 |date=1991-05-24 |page=1 }}</ref>。
* [[1993年]](平成5年)
** [[1月27日]]:野江駅 - 土居駅間6駅のホームを8両編成対応に延長する工事が完成。
** [[1月30日]]:京阪線ダイヤ改正<ref name="kotsu19930120">{{Cite news |和書|title=京阪、30日ダイヤ改正 交野線全線複線化で |newspaper=[[交通新聞]] |publisher=交通新聞社 |date=1993-01-20 |page=1 }}</ref>。平日朝ラッシュ時の淀屋橋行き特急6本が中書島駅に停車<ref name="kotsu19930120"/>。
* [[1994年]](平成6年)[[5月1日]]:全駅で終日禁煙を実施。
* [[1995年]](平成7年)
** [[1月17日]]:[[阪神・淡路大震災]]が発生。全線で一時運転見合わせ。午前8時ごろから運転を再開<ref>{{Cite news |和書|title=近畿圏中心に強い地震 JR、私鉄に大きな被害 復旧に相当な時間 |newspaper=[[交通新聞]] |publisher=交通新聞社 |date=1995-01-18 |page=1 }}</ref>。特急は終日運休。
** [[6月19日]]:ダイヤ改正。
** [[10月21日]]:京阪線全駅(鴨東線・宇治線・交野線も含む)の自動改札化が完了。
* [[1996年]](平成8年)
** 2月1日:京阪線全駅(鴨東線・宇治線・交野線も含む)で定期券入出場確認システム導入。同時に入場券に入場時間制限が設けられた。
** 9月:京橋第1第2高架橋(天満橋駅3番線から中之島線を跨ぐ高架橋)の橋脚16本の耐震補強工事が竣工。
** [[11月16日]]:八幡市駅 - 淀駅間の淀車庫付近が高架化(車庫は地上のまま)。
* [[1997年]](平成9年)
** [[3月22日]]:ダイヤ改正。平日朝ラッシュ時の淀屋橋行き特急6本が中書島駅に加えて枚方市駅に停車。
** 3月31日:JR東西線との交差部にある京橋第8高架橋(42本)・守口市駅の京都方の守口第3、第5高架橋(17本)・天野川との交差部にある枚方上手高架橋(38本)の耐震補強工事竣工<ref>『くらしの中の京阪』1997年5月号</ref>。
** 4月25日:京都市内の地下線が、京都府「福祉のまちづくり百選」に選ばれる。
** 11月28日:淀車庫第3期工事(京阪本線の南側への拡張工事)が竣工。
** [[12月19日]]:京阪線全駅に「車いす用渡し板」を配備<ref>出典・『くらしの中の京阪』1998年2月号</ref>。
* [[1998年]](平成10年)
** 9月30日:プリペイドカード「Kカード」の発売を、同日をもって終了。翌日以降も利用は可能。
* [[1999年]](平成11年)
** 4月1日:京阪線で「[[スルッとKANSAI]]」対応カードが利用可能になる。
** [[11月20日]]:寝屋川市駅付近の高架化により、淀屋橋駅 - 寝屋川市の田井踏切までの15.3kmが完全立体交差化<ref group="注釈" name="fumikiri" />。
* [[2000年]](平成12年)7月1日:ダイヤ改正<ref name="RJ415_65"/>。宇治線[[宇治駅 (京阪)|宇治駅]] - 京阪本線三条駅間直通列車を平日朝の三条行き2本を残して廃止<ref name="RJ415_66"/>。丹波橋駅・中書島駅に終日特急が停車<ref name="RJ415_65"/>。
* [[2002年]](平成14年)
** [[3月31日]]:寝屋川信号所 - 寝屋川市駅京都側までの高架工事が竣工。
** [[6月22日]]:[[長居陸上競技場]]で開催された[[2002 FIFAワールドカップ]]の試合にあわせて、23日にかけての深夜に臨時列車を運行<ref name="200206kurashi6">{{Cite web|和書|url=http://www.keihan.co.jp/kurashi/6kurashi6.html|title=くらしのなかの京阪 2002年6月号|publisher=京阪電気鉄道|date=2021-07-08|format=|archiveurl=https://web.archive.org/web/20020602200331/http://www.keihan.co.jp/kurashi/6kurashi6.html|archivedate=2022-06-02|accessdate=2022-12-18|deadlinkdate=2022-12-18}}</ref>。
** [[12月2日]]:朝ラッシュ時の淀屋橋行き特急8本に女性専用車を導入(同年10月1日から試行・京都方先頭車の出町柳駅 - 天満橋駅間)。
* [[2003年]](平成15年)[[9月6日]]:白紙ダイヤ改正を以下の内容で実施。改正を前に駅案内サインや放送(車内含む)の更新、時刻表レイアウトの変更など、大がかりなものとなった。
** 平日の通勤時間帯にK特急が設定される(停車駅はダイヤ改正以前の特急を踏襲)<ref>{{Cite journal|和書 |date=2003-12-01|title=鉄道記録帳2003年9月|journal=RAIL FAN|volume=50|issue=12|page=22|publisher=鉄道友の会}}</ref>。
** 枚方市駅・樟葉駅が特急停車駅となる。
** 日中10分間隔運転に変更。大阪方では昼間に特急6本・準急12本・普通6本の運転体系とする。
** 宇治線宇治駅 - 京阪本線三条駅間直通列車を全廃。
** 平日に交野線直通のK特急「おりひめ」(朝に下り2本)、準急「ひこぼし」(夕方に上り7本)が運転開始。
** 女性専用車の設定を朝のK特急全列車に拡大(淀屋橋駅 - 出町柳駅間、ただし「おりひめ」を除く)。
** 日中の急行・京阪間直通普通の運転を取りやめ。
** 京都側の準急を廃止。
* [[2004年]](平成16年)8月1日:[[PiTaPa]]導入。
* [[2006年]](平成18年)4月16日:ダイヤ改定。中之島線建設工事に伴い天満橋駅の線路を切り替え。淀駅下りホームを仮設ホームに移転。日中は急行(淀屋橋 - 枚方市)・区間急行(天満橋 - 萱島)を運転、準急を休止し、普通を京阪間直通に統一。女性専用車の設定時間帯を拡大(平日朝のK特急に加え一部の特急にも設定)。交野線直通の準急「ひこぼし」を5本に減便。
* [[2007年]](平成19年)
** 1月27日:ダイヤ改定。
** [[6月16日]]:京阪線・大津線・鋼索線に早期地震警報システムを導入。
** [[6月17日]]:京阪線の列車運行管理システムを更新。駅の案内放送内容の更新・充実、[[向谷実]]作曲の発車メロディ導入など。
* [[2008年]](平成20年)[[10月19日]]:五条駅を清水五条駅に、四条駅を祇園四条駅に改称<ref name="keihan20071106">{{PDFlink|[http://www.keihan.co.jp/corporate/release/orig_pdf/data_h19/2007-11-06-01.pdf 京都市内の京阪線3駅の駅名を変更します]}} - 京阪電気鉄道 報道発表資料、2007年11月6日。</ref>。高架工事中の淀駅を除き、京阪線・交野線・宇治線の発車標(駅列車案内表示器)をLED化。以下の内容で中之島線開業に伴うダイヤ改定<ref name="keihan20080825" />。同線と直通運転開始。
** 快速急行など新種別を設定。種別数を増やし、時間帯により異なる停車駅を明確化。K特急を快速特急に改称し、運転時間帯を縮小。
** 平日も特急を終日運転(枚方市・樟葉駅に特急が終日停車)。
** 昼間時の特急は毎時6本中4本(京阪間直通)を特急車使用、2本を淀屋橋駅 - 枚方市駅間の運転とし、枚方市駅で中之島駅発着の快速急行と連絡する体系とした。
** 日中に京阪間直通準急を毎時4本設定。これに伴い京阪間直通普通を毎時6本から2本に削減、4本は淀屋橋駅 - 萱島駅間の運転に変更。
** 平日の交野線直通列車が通勤快急「おりひめ」(朝の下り2本)、快速急行「ひこぼし」(深夜の上り3本)となる。
** 急行は早朝と深夜のみの運転となる。
* [[2009年]](平成21年)9月12日:淀駅下りホーム高架化などにより、京阪線ダイヤを一部改定。1987年6月以来22年3か月ぶりに大津線と同時改定。これにより京阪線の発車標のLED化を完了。
* [[2010年]](平成22年)10月1日:列車防護無線装置の使用開始<ref group="注釈">運転台付き車両201両のうち84両で使用可能、2012年度中に全編成に設置が完了予定</ref><ref>出典・京阪第89期 中間期株主通信のP7「京阪トピックス」より</ref>。
* [[2011年]](平成23年)[[5月28日]]:淀駅上りホーム高架化。これに伴い一部区間で営業キロ程を見直し、御殿山駅を0.1km出町柳方に、淀駅を0.3km出町柳方に改キロ<ref>{{PDFlink|[http://www.keihan.co.jp/corporate/release/orig_pdf/data_h23/2011-03-01-2.pdf 淀駅付近高架化等に伴う営業キロ程変更により5月28日(土)から旅客運賃を一部変更します]}} - 京阪電気鉄道 報道発表資料、2011年3月1日。</ref>。以下の内容でダイヤ改定を実施<ref>{{PDFlink|[http://www.keihan.co.jp/corporate/release/orig_pdf/data_h23/2011-03-01-3.pdf 淀駅付近立体交差化事業における上り線(京都方面行き)の高架化に伴い5月28日(土)始発から京阪線のダイヤを一部変更します]}} - 京阪電気鉄道 報道発表資料、2011年3月1日。</ref>。
** 日中の特急をすべて京阪間直通に統一。日中の快速急行廃止の代替として、特急と中之島線直通列車を京橋駅で接続することにより、中之島線 - 京都方面への所要時間を快速急行利用時と比較して3分短縮。快速特急の特急への変更とあわせて、特急10分間隔運転の時間帯を大幅に拡大。
** 淀屋橋駅 - 樟葉駅間を中心に、日中にも毎時4本急行が復活。
** 日中の準急は淀屋橋駅発着から中之島駅発着へ変更すると同時に、毎時4本から毎時2本に減便。
** 日中の中之島駅発着の区間急行の運転を取りやめ、中之島駅 - 萱島駅間・出町柳駅間運転の普通に鞍替え(両者とも毎時2本ずつ)。従来からの淀屋橋駅 - 出町柳駅間運転の普通(毎時2本)も引き続き運転。
** 通勤快急「おりひめ」を1本、快速急行「ひこぼし」を2本減便し両列車とも1本の運転に。
* [[2012年]](平成24年)[[8月14日]]:集中豪雨で規定以上の降雨量・全線で始発より運休。橋本駅 - 八幡市駅間の大谷山曲線で土砂崩れ。寝屋川車庫構内が一時冠水。644本が運休した<ref name="keihan20201101">出典 : 『京阪グループ 開業110周年記念誌』京阪ホールディングス株式会社2020年11月1日発行 67-68頁「未来への教訓 京阪電車における重大事故・自然災害の振り返り」</ref>。
* [[2013年]](平成25年)
** 3月16日:淀駅1番線使用開始・淀車庫入出庫線整備。これに伴いダイヤ変更を実施。内容は以下のとおり<ref name="keihan20130117">{{PDFlink|[http://www.keihan.co.jp/info/upload/2013-01-17_train-diagram.pdf 淀駅付近立体交差化事業の進捗に伴い3月16日(土)初発から京阪線のダイヤを一部変更します]}} - 京阪電気鉄道 報道発表資料、2013年1月17日。</ref>。
*** 日中の運転パターン(急行・準急・普通)を以下のとおりに変更。
**** 急行を毎時4本→3本に削減(運転区間は従来どおり)。
**** 準急を中之島発着から淀屋橋発着に変更のうえ、本数を毎時2本→3本に増発。
**** 普通をすべて中之島発着に変更のうえ萱島行きと出町柳行きをそれぞれ毎時3本ずつ運転。一部の駅で日中の停車本数が変更(萱島駅毎時8本→9本、寝屋川市駅、香里園駅、枚方公園駅毎時10本→9本、枚方市駅、樟葉駅毎時16本→15本)。
*** 平日夕ラッシュ時の樟葉行き急行と深夜の樟葉行き準急を淀行きに延長(一部は急行に変更)。
*** 土曜・休日ダイヤの淀屋橋発淀行き急行の一部を樟葉行きに短縮。
*** 通勤快急「おりひめ」、快速急行「ひこぼし」を廃止し交野線直通列車を全廃。
*** 平日8時台に運転されている通勤準急2本を守口市停車の準急に変更。
** [[9月16日]]:[[平成25年台風第18号|台風18号]]により京都府下全域に[[特別警報]]が発表され、始発より運休。特別警報解除後に運転再開するも、木津川の増水で樟葉駅 - 淀駅間で運転見合わせで運休117本、遅延385本が発生<ref name="keihan20201101" />。
** [[12月20日]]:東福寺駅 - 三条駅間を軌道法に基づく軌道から鉄道事業法に基づく鉄道に変更<ref name="h28youran">国土交通省鉄道局監修『鉄道要覧』平成28年度版、電気車研究会・鉄道図書刊行会、p.154</ref>。
* [[2015年]](平成27年)
** 日時不明:京都地下線(七条以北)の地下線路内の照明を[[LED照明]]に更新<ref name="K_PRESS201506">出典・『K PRESS』2015年6月号16面の「くらしのなかの京阪」の記事「鉄道電力量削減に取り組んでいます」より</ref>。
** 2月9日:日本製の新型「軌道検測車」を導入、スイス製の軌道検測車から更新。
** 12月5日:三条駅 - 深草駅間でK-ATSを使用開始<ref name="K_PRESS201512">出典・駅置き沿線情報誌『K PRESS』2015年12月号16面「くらしのなかの京阪」</ref>。
* [[2016年]](平成28年)
** 3月15日:特急停車駅など17駅に「旅客案内ディスプレイ」を設置、2017年度まで京阪線全駅に設置予定<ref>駅置き沿線情報誌『K PRESS』2016年3月号16面「くらしのなかの京阪」</ref>。
** 3月19日:以下の内容でダイヤ改定を実施<ref name="keihan20160118" />。
*** 快速特急「洛楽」の定期運行を土曜・休日ダイヤで開始。
*** 昼間時間帯の急行を準急に置き換え。
*** 一部普通列車の運行区間短縮。
*** 一部特急列車の所要時間短縮。
*** 昼間時間帯の特急との連絡駅を変更(準急:樟葉駅・丹波橋駅・三条駅、普通:京橋駅・枚方市駅)。
** 3月31日:深草駅の新橋上駅舎が使用開始。
* [[2017年]](平成29年)
** [[2月4日]]:深草駅 - 淀駅間でK-ATSを使用開始<ref name="K_PRESS201702">出典・駅置き沿線情報誌『K PRESS』2017年2月号16面「くらしのなかの京阪」</ref>。
** [[2月25日]]:以下の内容でダイヤ改定を実施<ref name="keihan20170113">{{Cite web|和書|url=https://www.keihan.co.jp/corporate/release/upload/2017-01-13_daiya.pdf|title=2月25日(土)初発から京阪線のダイヤを変更します|accessdate=2017-02-04|date=2017-01-13|format=PDF|publisher=京阪電気鉄道}}</ref>。
*** 快速特急「洛楽」の定期運行を平日ダイヤでも開始。
*** 土・休日朝の快速急行(淀屋橋発出町柳行き)を急行に変更の上で、平日朝にも運転開始。
*** 平日夕ラッシュ時の快速急行の始発駅を中之島駅から淀屋橋駅へ変更。
*** 萱島駅 - 枚方市駅間で普通を増発。
** [[3月30日]]:小金川踏切道(樟葉駅 - 橋本駅間)を廃止<ref>出典・駅置き沿線情報誌『K PRESS』2017年5月号16面「くらしのなかの京阪」</ref>。
** 5月1日:京阪本線(鴨東線・中之島線・宇治線・交野線含む)で使用する、電気の購入先を[[関西電力]]から新電力の[[エネット]]に変更<ref>{{cite news |和書|url=http://www.sankei.com/smp/west/news/170510/wst1705100072-s1.html|title=京阪電鉄、関電から新電力に切り替え 関西の大手私鉄で初|newspaper=産経新聞|date=2017-05-10|accessdate=2017-05-11}}</ref>。
** 8月20日:ダイヤ改定<ref name="keihan20170629" />。8000系特急車に有料座席指定特別車両「プレミアムカー」を導入、平日朝に全車両座席指定「ライナー」を運行開始。
** 10月:宇治川橋梁の補強工事を開始、2018年6月上旬完了予定<ref>出典・駅置き沿線情報誌『K PRESS』2018年6月号16面「くらしのなかの京阪」</ref>。
** 11月30日:京阪線全駅に「旅客案内ディスプレイ」の設置を完了<ref>出典・駅置き沿線情報誌『K PRESS』2018年1月号16面「くらしのなかの京阪」</ref>。
* [[2018年]](平成30年)
** 6月18日:[[大阪府北部地震]]が発生。京阪線で624本が運休<ref name="keihan20201101" />。
** 7月30日:午前7時57分、萱島駅付近で走行中の電車のパンタグラフ破損事故発生。停電で電車内のエアコン停止により乗客21名が体調不良で救急搬送されたほか、運休116本遅延126本。原因は高温で架線が伸び垂れ下がった事とパンタグラフが通常より高く上がった複合要因<ref name="keihan20201101" />。
** 8月25日:淀駅 - 枚方市駅間でK-ATSを使用開始<ref name="K_PRESS201809">出典・駅置き沿線情報誌『K PRESS』2018年9月号16面「くらしのなかの京阪」</ref>。
** 9月4日:[[平成30年台風第21号|台風21号]]の接近に伴い「[[計画運休]]」を初めて実施<ref name="keihan20201101" />。
** 9月15日:以下の内容でダイヤ改定を実施<ref name="keihan20180717">{{Cite web|和書|url=http://www.keihan.co.jp/corporate/release/upload/2018-07-17_daiya.pdf|title=9月15 日(土)初発から京阪線のダイヤを変更します |accessdate=2018-08-16|date=2018-07-17|format=PDF|publisher=京阪電気鉄道}}</ref>。
*** 「ライナー」の停車駅を特急と統一のうえ増発、平日夜の上り列車にも設定。
*** 「プレミアムカー」の運転本数と運転時間帯を拡大。急行運用を廃止。
*** 平日朝に特急・快速急行を増発。土休日朝に特急を増発。
** 9月30日:[[平成30年台風第24号|台風24号]]の接近に伴い2回目の計画運休を実施<ref name="keihan20201101" />。
==== 令和 ====
* [[2019年]]([[令和]]元年)
** 10月1日:深草駅を龍谷大前深草駅に<ref>{{Cite web|和書|title=2019年10月1日(火)から京阪電車「深草」駅が 「龍谷大前深草」に駅名変更 {{!}} ニュース|url=http://www.ryukoku.ac.jp/nc/news/entry-3520.html|website=龍谷大学 You, Unlimited|accessdate=2019-05-14|language=ja|publisher=龍谷大学}}</ref>、八幡市駅を石清水八幡宮駅に改称<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.keihan.co.jp/corporate/release/upload/2019-05-14_③ekimei.pdf|format=PDF|title=2019年10月1日(火)より京阪線2駅の駅名を変更します|accessdate=2019-05-14|publisher=京阪電気鉄道株式会社・京阪ホールディングス株式会社|date=2019-05-14}}</ref>。
** [[10月26日]]:枚方市駅 - 守口市駅間でK-ATS使用開始<ref>出典・京阪沿線情報誌『K PRESS』2019年11月号16面「くらしのなかの京阪」/「『京阪グループ 開業110周年記念誌 - 最近10年のあゆみ 2010-2020 -』2020年11月1日京阪ホールディングス株式会社発行」の巻末年表170頁 </ref>。
* [[2020年]](令和2年)3月:萱島駅 - 寝屋川市駅間の高架橋の耐震補強工事が完了。また京町踏切(伏見桃山駅 - 丹波橋駅間)で「2次元レーザーを用いた[[踏切障害物検知装置]]」が本格稼働<ref name="k-press202005">出典・駅置き沿線情報誌[https://www.okeihan.net/k-press/202005/book.html 『K PRESS』2020年5月号]の16面「くらしのなかの京阪」 2020年5月6日閲覧。</ref>。
* [[2021年]](令和3年)
** 1月9日:守口市駅 - 淀屋橋駅間でK-ATS使用開始、全営業線で導入が完了<ref name="pr20210127">{{Cite press release|和書|url=https://www.keihan.co.jp/corporate/release/upload/2021-01-27_anzen-anshin.pdf|archiveurl=https://web.archive.org/web/20210127141826/https://www.keihan.co.jp/corporate/release/upload/2021-01-27_anzen-anshin.pdf|format=PDF|language=日本語|title=「安全安心」のさらなる向上を目指した施策・サービスを展開します|publisher=京阪電気鉄道|date=2021-01-27|accessdate=2021-01-27|archivedate=2021-01-27}}</ref><ref name="K_PRESS202101" />。
** 1月31日:ダイヤ改定<ref name="keihan20201204">{{Cite press release|和書|url=https://www.keihan-holdings.co.jp/news/upload/2020-12-04_diagram.pdf|archiveurl=https://web.archive.org/web/20201204050442/https://www.keihan-holdings.co.jp/news/upload/2020-12-04_diagram.pdf|format=PDF|pages=2-3|language=日本語|title=2021年1月31日(日)初発から京阪線のダイヤを変更します|publisher=京阪電気鉄道広報部|date=2020-12-04|accessdate=2021-01-28|archivedate=2020-12-04}}</ref>。3000系(2代)に「プレミアムカー」を新造のうえ導入し、有料座席指定サービスを拡大。
** 4月30日 - 9月24日:[[緊急事態宣言及びまん延防止等重点措置|緊急事態宣言]]発出および行政・自治体からの要請を受け、終電を繰り上げ。以降深夜急行を運休。
** 5月1日 - 6月20日、8月28日 - 9月23日:緊急事態宣言発令期間中の土休日に、臨時減便ダイヤを実施。
** 9月25日:白紙ダイヤ改定<ref name="keihan2020708" /><ref name="keihan2020820" />。時差出勤やテレワークの普及などによる利用状況の変化に応じた運転本数の見直しを実施。深夜時間帯の大幅な利用減少を受けて、支線含む最終列車を最大20分程度繰り上げ。
*** 日中(土休日は夕方まで)は概ね15分間隔での運転(特急・準急を毎時4本ずつ、大阪方で普通毎時4本が加わる)とする。
*** 同時間帯に毎時2本(概ね30分間隔)運転の快速急行(淀屋橋発着)において、「プレミアムカー」サービスを実施。
*** 平日の15時以降から夜間にかけて、概ね12分間隔での運転に変更。
*** 全車両座席指定「ライナー」を朝下り1本、夜上り2本増発。
* [[2023年]](令和5年)
** 8月26日:ダイヤ改定<ref name="keihan20230626">{{Cite press release|title=2023年8月26日(土)初発から京阪線のダイヤを変更します|publisher=京阪電気鉄道|date=2023-06-26|url=https://www.keihan-holdings.co.jp/news/upload/230626_keihan-railway.pdf|format=PDF|language=ja|access-date=2023-09-04}}</ref>。
*** 全車座席指定「ライナー」を朝に下り1本、夕方以降に上り2本を増発(21時台の淀屋橋駅発1本は廃止)。夕ラッシュ時に出町柳駅始発で下り1本新設。朝の樟葉駅発3本・枚方市駅発1本が香里園駅・寝屋川市駅にも停車。
*** 平日13 - 14時台の中之島駅 - 枚方市駅間の普通を出町柳駅まで延長し、出町柳駅発着の準急は1時間あたり4本から2本に減便。
<!-- 基本的に京阪本線自体やその施設・走行列車に影響したことを記述のこと。-->
== 利用状況 ==
2020年(令和2年)度の最混雑区間(下り線、[[野江駅]] → [[京橋駅 (大阪府)|京橋駅]]間)の[[乗車率|混雑率]]は'''97%'''(7:20 - 8:20の間に通過する列車の平均)である<ref name="milt001413544">{{Cite web|和書|url=https://www.mlit.go.jp/report/press/content/001413544.pdf|archiveurl=|title=最混雑区間における混雑率(令和2年度)|date=2021-07-09|archivedate=|accessdate=2021-08-20|publisher=国土交通省|page=4|format=PDF|language=日本語}}</ref>。
当路線は1933年(昭和8年)に蒲生信号所 - 守口駅(現・[[守口市駅]])間が複々線化された。この区間は全国の大手私鉄で初めての方向別複々線となったが、蒲生信号所は野江駅 - 京橋駅間の最混雑区間に設けられており、京橋駅の手前で複線となっていたために本数の増加に限度があった。戦後、大阪市近郊で[[ドーナツ化現象]]が生じると輸送人員が急増し、朝ラッシュ時の混雑率は1965年(昭和40年)度に240%を記録した。
1970年(昭和45年)に複々線が[[天満橋駅]]まで延伸されると蒲生信号所のボトルネックは解消し、運転本数の増加が可能となった。混雑率は依然として200%を超えていたが、1977年(昭和42年)に大阪市営地下鉄谷町線が守口駅まで延伸開業して並行路線となったことにより、1978年(昭和53年)度に混雑率が190%を下回った。
それ以降も混雑緩和のために運転本数の増加がダイヤ改正の度に繰り返され、1996年(平成8年)度から朝ラッシュ時に毎時46本が運転されるようになった。しかし、1991年(平成3年)度をピークに輸送人員は減少し、2000年代に混雑率が120%程度まで減少した。そのため運転本数も減少が続き、2021年(令和3年)に毎時32本まで減少した。
寝屋川信号所より上り方の複線区間にある[[寝屋川市駅]]、[[香里園駅]]、[[枚方市駅]]、[[樟葉駅]]の4駅は一日平均乗降人員が5万人を越えており、複々線区間は内側線を走行する優等列車の本数が多い。
平日ダイヤの朝ラッシュ下りピーク時間帯における通勤準急・通勤快急の運行は、守口市駅を通過し平行ダイヤとすることで急行線(A線)の運転間隔を詰めて運行本数を増やす目的がある。そのため同時間帯の区間急行には京橋駅まで緩行線(B線)を走行する列車がある。
近年の輸送実績を下表に記す。表中、最高値を赤色で、最高値を記録した年度以降の最低値を青色で、最高値を記録した年度以前の最低値を緑色で表記している。
{| class="wikitable" border="1" cellspacing="0" cellpadding="2" style="font-size:90%; text-align:center;"
|-
!rowspan="2"|年度
!colspan="4"|最混雑区間(野江 → 京橋間)輸送実績<ref>「都市交通年報」各年度版</ref><ref>{{PDFlink|[http://www.mintetsu.or.jp/activity/databook/pdf/13databook_p08-09.pdf ひとと環境にやさしい鉄道を目指して]}} - 日本民営鉄道協会</ref>
!rowspan="2"|特記事項
|-
! 運転本数:本 !! 輸送力:人 !! 輸送量:人 !! 混雑率:%
|-
|1955年(昭和30年)
| 29 || 10,560 || 21,010 || '''199'''
|
|-
|1959年(昭和34年)
| 34 || 17,280 || 25,240 || '''146'''
|
|-
|1960年(昭和35年)
| 34 || 17,260 || 28,295 || '''164'''
|
|-
|1961年(昭和36年)
| 36 || 20,500 || 33,612 || '''164'''
|
|-
|1962年(昭和37年)
| 36 || 22,140 || 38,136 || '''172'''
|
|-
|1963年(昭和38年)
| 33 || 19,544 || 42,874 || '''219'''
|style="text-align:left;"|1963年4月15日、淀屋橋駅 - 天満橋駅間開業
|-
|1964年(昭和39年)
| 33 || 20,320 || 48,120 || '''237'''
|
|-
|1965年(昭和40年)
| 33 || 21,658 || 52,051 || style="background-color: #ffcccc;"|'''240'''
|
|-
|1966年(昭和41年)
| 33 || 21,723 || 51,241 || '''236'''
|
|-
|1967年(昭和42年)
| 33 || 23,636 || 56,147 || '''238'''
|style="text-align:left;"|1967年12月11日、7両編成運転開始
|-
|1968年(昭和43年)
| 33 || 24,635 || 58,654 || '''238'''
|
|-
|1969年(昭和44年)
| 33 || 25,913 || 61,202 || '''236'''
|
|-
|1970年(昭和45年)
| 36 || 29,835 || 66,960 || '''224'''
|style="text-align:left;"|1970年11月1日、天満橋駅 - (旧)蒲生信号所間複々線化
|-
|1971年(昭和46年)
| 37 || 30,217 || 60,440 || '''200'''
|
|-
|1972年(昭和47年)
| 37 || 30,368 || 60,083 || '''198'''
|
|-
|1973年(昭和48年)
| 37 || 30,548 || 61,670 || '''202'''
|
|-
|1974年(昭和49年)
| 37 || 30,497 || 64,231 || '''211'''
|
|-
|1975年(昭和50年)
| 38 || 31,319 || 63,652 || '''203'''
|
|-
|1976年(昭和51年)
| 38 || 31,238 || style="background-color: #ffcccc;"|68,322 || '''219'''
|style="text-align:left;"|1976年9月12日、守口市駅 - 門真市駅間複々線化
|-
|1977年(昭和52年)
| 39 || 32,184 || 61,879 || '''192'''
|style="text-align:left;"|1977年4月6日、大阪市営地下鉄谷町線守口駅 - 都島駅間開業
|-
|1978年(昭和53年)
| 39 || 32,184 || 60,204 || '''187'''
|
|-
|1979年(昭和54年)
| 42 || 34,009 || 63,161 || '''186'''
|style="text-align:left;"|1980年3月16日、門真市駅 - 寝屋川信号所間複々線化
|-
|1980年(昭和55年)
| 42 || 34,009 || 63,358 || '''186'''
|
|-
|1981年(昭和56年)
| 44 || 36,033 || 63,595 || '''176'''
|
|-
|1982年(昭和57年)
| 44 || 36,033 || 63,374 || '''176'''
|style="text-align:left;"|1983年2月8日、大阪市営地下鉄谷町線大日駅 - 守口駅間開業
|-
|1983年(昭和58年)
| 44 || 36,374 || 63,328 || '''174'''
|
|-
|1984年(昭和59年)
| 44 || 36,374 || 63,434 || '''174'''
|
|-
|1985年(昭和60年)
| 44 || 36,999 || 63,561 || '''172'''
|style="text-align:left;"|1985年4月22日、8両編成運転開始
|-
|1986年(昭和61年)
| 44 || 36,999 || 63,994 || '''173'''
|
|-
|1987年(昭和62年)
| 44 || 37,400 || 64,308 || '''172'''
|
|-
|1988年(昭和63年)
| 44 || 37,400 || 64,377 || '''172'''
|
|-
|1989年(平成元年)
| 44 || 37,784 || 64,698 || '''171'''
|style="text-align:left;"|1989年10月5日、鴨東線開業
|-
|1990年(平成{{0}}2年)
| 44 || 37,784 || 65,516 || '''173'''
|
|-
|1991年(平成{{0}}3年)
| 45 || 38,560 || 65,582 || '''170'''
|
|-
|1992年(平成{{0}}4年)
| 45 || 39,080 || 64,952 || '''166'''
|
|-
|1993年(平成{{0}}5年)
| 45 || 39,080 || 64,638 || '''165'''
|
|-
|1994年(平成{{0}}6年)
| 45 || 39,080 || 64,247 || '''164'''
|
|-
|1995年(平成{{0}}7年)
| 45 || 39,608 || 64,181 || '''162'''
|
|-
|1996年(平成{{0}}8年)
| 46 || 42,368 || 63,769 || '''151'''
|style="text-align:left;"|1997年3月8日、JR東西線京橋駅 - 尼崎駅間開業
|-
|1997年(平成{{0}}9年)
| 46 || 42,368 || 63,175 || '''149'''
|
|-
|1998年(平成10年)
| 46 || 42,368 || 62,608 || '''148'''
|
|-
|1999年(平成11年)
| 46 || 42,368 || 61,646 || '''146'''
|
|-
|2000年(平成12年)
| 46 || 42,124 || 60,873 || '''145'''
|style="text-align:left;"|2000年7月1日、中書島駅、丹波橋駅に特急を終日停車
|-
|2001年(平成13年)
| || || || '''144'''
|
|-
|2002年(平成14年)
| || || || '''140'''
|
|-
|2003年(平成15年)
| 44 || 40,248 || 55,380 || '''138'''
|style="text-align:left;"|2003年9月6日、枚方市駅、樟葉駅に特急を終日停車
|-
|2004年(平成16年)
| || || || '''130'''
|
|-
|2005年(平成17年)
| || || || '''125'''
|
|-
|2006年(平成18年)
| || || || '''132'''
|style="text-align:left;"|2006年12月24日、大阪市営地下鉄今里筋線井高野駅 - 今里駅間開業
|-
|2007年(平成19年)
| 40 || 35,696 || 45,016 || '''126'''
|
|-
|2008年(平成20年)
| 40 || 35,696 || 43,544 || '''122'''
|style="text-align:left;"|2008年10月19日、中之島線開業
|-
|2009年(平成21年)
| 40 || 36,080 || 41,802 || '''116'''
|
|-
|2010年(平成22年)
| 40 || 36,080 || 40,915 || '''113'''
|
|-
|2011年(平成23年)
| 39 || 34,816 || 40,301 || '''116'''
|
|-
|2012年(平成24年)
| 39 || 34,816 || 39,817 || '''114'''
|
|-
|2013年(平成25年)
| 36 || 32,676 || 38,025 || '''116'''
|
|-
|2014年(平成26年)
| 36 || 32,676 || 38,666 || '''118'''
|
|-
|2015年(平成27年)
| 36 || 32,676 || 38,612 || '''118'''
|
|-
|2016年(平成28年)
| 34 || 30,818 || 38,187 || '''124'''
|
|-
|2017年(平成29年)
| 35 || 31,463 || 38,116 || '''121'''
|style="text-align:left;"|2017年8月20日、ライナー運転開始
|-
|2018年(平成30年)
| 35 || 31,681 || 38,341 || '''121'''
|
|-
|2019年(令和元年)
| 35 || 31,553 || 38,641 || '''122'''
|
|-
|2020年(令和{{0}}2年)
| 32 || 28,529 || style="background-color: #ccffff;"|27,600 || style="background-color: #ccffff;"|'''97'''
|
|}
== 運転保安設備 ==
; [[自動列車停止装置]] (ATS)
: {{See also|自動列車停止装置#京阪型速度照査ATS}}
: 京阪電鉄のATSは1966年の[[日本の鉄道事故 (1950年から1999年)#京阪電鉄蒲生信号所列車衝突事故|蒲生信号所での列車衝突事故]]を教訓に導入された。国鉄のATS-Sをベースに車両側の車上子が2か所の地上子の通過時のタイムラグから速度超過を検知して停止させる「点制御方式」だが、この方式では出発信号機の誤認による誤出発に対応できないのでループコイルを設置して対応させている。しかし設置から40年以上たち、2014年度より(鴨東線・宇治線・交野線・中之島線を含めて)3年計画で多情報連続制御式ATSシステム「[[自動列車停止装置#K-ATS|K-ATS]]」に更新されている。この「K-ATS」は地上子から情報を車上子のデータベース(勾配・曲線・信号・ポイント・駅の位置情報)とをリアルタイムに照合して速度超過を検知して停止させる、また踏切や駅のホームでの異常時にも対応している。「K-ATS」は2015年12月5日より鴨東線出町柳駅 - 深草駅(現在の龍谷大前深草駅)間に導入され<ref name="K_PRESS201512"/>、2017年2月4日には深草駅 - 淀駅間と宇治線全線<ref name="K_PRESS201702" /><ref>{{PDFlink|[https://www.keihan.co.jp/info/upload/2016-06-24_h28_setsubi.pdf 平成28年度鉄道設備投資計画について]}} - 京阪電気鉄道、2016年6月24日</ref>、2018年8月には淀駅 - 枚方市駅間と交野線全線に導入<ref name="K_PRESS201809" /><ref>{{PDFlink|[http://www.keihan.co.jp/corporate/release/upload/2018-06-15_setsubi.pdf 平成30年度鉄道設備投資計画について]}} - 京阪電気鉄道、2018年6月15日</ref>され、2019年10月26日に枚方市駅 - 守口市駅間<ref>出典・駅置きの沿線情報誌『K PRESS』2019年11月号16面「くらしのなかの京阪」</ref>、2021年1月9日に守口市駅 - 淀屋橋駅間と中之島線で使用を開始し、京阪線の全営業線で導入が完了した<ref name="K_PRESS202101">出典・駅置きの沿線情報誌『K PRESS』2021年1月号16面「くらしのなかの京阪」</ref><ref name="pr20210127" />。
; 踏切集中監視制御システム
: 京阪線(宇治線・交野線を含む)の[[踏切]]はすべて第1種甲で無人化され、[[踏切支障報知装置]](非常ボタン)が設置<ref>駅置き沿線情報誌『K PRESS』2020年2月号16面「くらしのなかの京阪」</ref>されている。自動車が通行可能な踏切には[[踏切障害物検知装置]]が設置され、2020年3月からはそれまでの発光器受光器の赤外線方式から、より死角を少なくして障害物を検知できる「2次元レーザー式踏切障害物検知装置」への更新が開始され<ref name="k-press202005" />、交差点横の踏切は360度閃光灯の光を確認できる「全方向型踏切閃光灯」に更新されている。それらの監視・故障検知や、夜間作業や計画停電時に踏切遮断機が下がったままになるのを制御するシステムで、枚方市と中書島に中央装置があり3系統の伝送ケーブルで114か所の現場踏切の装置と繋がっている。踏切異常時の早期復旧、踏切事故でのデータ提出が可能となっている。
; 自律分散型式列車運行管理システム (ADEC)
: 1987年より導入された京阪[[列車運行管理システム]]で、最大の特徴は運転指令の中央処理装置と19か所に設置された駅制御装置を2重の[[光ファイバーケーブル]]でループ上にネットワークして、列車追跡・進路制御・運転整理・ダイヤ管理から機器故障管理、防災表示までおこなっている。2004年から3年かけて更新され、中央指令所の表示板が70インチ液晶プロジェクター7面表示となり、システム全体の応答性が改善され、駅案内放送・行き先表示機の表示情報が充実された。また司令員訓練装置・情報配信システムが新設された。
; 自動車転落検知装置・土砂崩れ検知装置
: 樟葉駅 - 橋本駅間の[[京都府道・大阪府道13号京都守口線|府道13号線]](旧京阪国道)との並走区間に1970年代初頭に設置されたのが始まり。線路と道路の間に4本の微弱電流の流された電線が張られ、1本でも切断されると周辺信号機が赤になり、枚方電気部事務所にも伝わる<ref>「鉄道ピクトリアル」1973年7月増刊号102頁</ref>。現在は京都地下線への入り口、中書島駅 - 淀駅間の宇治川堤防と並走区間などにも設置されている。これと同じ方式で落石や土砂崩れを検知する土砂崩れ検知装置が枚方市駅 - 枚方公園駅間の急曲線内側と石清水八幡宮駅 - 橋本駅間の山側に設置されていて、八幡市の区間では2012年の豪雨での防災揚壁の設置工事に併せて設置区間が延長された<ref>駅置き沿線情報誌『K PRESS』2014年3月号16面「くらしのなかの京阪」</ref>。現在は、これらの事故情報はADECを通じて運転指令と近隣の信号扱い所に警報を発する。
; 橋梁衝撃検知装置
: 架道橋の防護桁に衝撃センサーが設置され、自動車が衝突時に運転指令と近隣の信号扱い所に警報を発する。高さ制限のある2か所の架道橋に設置されている。
; [[列車防護無線装置]]
: 事故発生時、運転士がスイッチを押すと近隣を運行中の列車を停止させ二次事故を防止させる。
; [[地震計]]
: [[早期地震警報システム]]を導入すると共に直下型地震対策のために中之島変電所(中之島線)・蒲生変電所・枚方変電所・淀変電所・旧東福寺変電所・三条受電変電所に[[地震計]]を設置している。
== 駅一覧 ==
* [[駅ナンバリング|駅番号]]は2014年4月1日に導入<ref>[http://www.kyoto-np.co.jp/top/article/20140405000025 関西鉄道各社、外国人受け入れ体制強化] - 京都新聞、2014年4月5日</ref>。
* 接続路線の ( ) 内の英数字は駅番号を表す。
* 普通列車は各駅に停車(表中省略)、中之島線直通あり。
* 通勤快急・通勤準急・枚方市駅 - 樟葉駅間の区間急行は下り淀屋橋・中之島方面のみ運転。
; 凡例
: ●:停車、▲:一部列車が停車(備考参照)、|↑:通過、↑:矢印の方向に運転
{| class="wikitable" rules="all" style="font-size:80%;"
|-
!style="width:1em; border-bottom:solid 3px #1d2088;"|{{縦書き|正式路線名|height=6em}}
!style="width:3.5em; border-bottom:solid 3px #1d2088;"|駅番号
!style="width:7em; border-bottom:solid 3px #1d2088;"|駅名
!style="width:2.5em; border-bottom:solid 3px #1d2088;"|駅間<br />キロ
!style="width:2.5em; border-bottom:solid 3px #1d2088;"|営業<br />キロ
!style="width:1em; background:#cf9; border-bottom:solid 3px #1d2088; line-height:1;"|{{縦書き|区間急行|height=8em}}
!style="width:1em; background:#9df; border-bottom:solid 3px #1d2088; line-height:1;"|{{縦書き|準急|height=8em}}
!style="width:1em; background:#9cf; border-bottom:solid 3px #1d2088; line-height:1;"|{{縦書き|通勤準急|height=8em}}
!style="width:1em; background:#fb2; border-bottom:solid 3px #1d2088; line-height:1;"|{{縦書き|急行|height=8em}}
!style="width:1em; background:#daf; border-bottom:solid 3px #1d2088; line-height:1;"|{{縦書き|快速急行|height=8em}}
!style="width:1em; background:#c6f; border-bottom:solid 3px #1d2088; line-height:1;"|{{縦書き|通勤快急|height=8em}}
!style="width:1em; background:#f88; border-bottom:solid 3px #1d2088; line-height:1;" |{{縦書き|特急|height=8em}}
!style="width:1em; background:#fff; border-bottom:solid 3px #1d2088;" |{{縦書き|ライナー|height=8em}}
!style="width:1em; background:#f9f; border-bottom:solid 3px #1d2088; line-height:1;"|{{縦書き|快速特急 洛楽|height=8em}}
!style="border-bottom:solid 3px #1d2088;"|接続路線・備考
!style="width:1em; border-bottom:solid 3px #1d2088;"|{{縦書き|地上/地下|height=8em}}
!colspan="3" style="border-bottom:solid 3px #1d2088;"|所在地
|-
!colspan="5"|直通運転区間
| colspan="14" |'''天満橋駅から'''<br />○普通・区間急行・準急・通勤準急・快速急行・通勤快急の一部…[[京阪中之島線|中之島線]][[中之島駅]]まで
|-
|rowspan="41" style="width:1em; text-align:center; letter-spacing:0.5em;"|{{縦書き|'''京阪本線'''|height=8em}}
!KH01
|[[淀屋橋駅]]
|style="text-align:center;"|-
|style="text-align:right;"|0.0
|style="text-align:center; background:#cf9;"|●
|style="text-align:center; background:#9df;"|●
|style="text-align:center; background:#9cf;"|●
|style="text-align:center; background:#fb2;"|●
|style="text-align:center; background:#daf;"|●
|style="text-align:center; background:#c6f;"|●
| style="text-align:center; background:#f88;" |●
| style="text-align:center; background:#fff;" |●
|style="text-align:center; background:#f9f;"|●
|[[大阪市高速電気軌道]]:[[File:Osaka_Metro_Midosuji_line_symbol.svg|15px|M]] [[Osaka Metro御堂筋線|御堂筋線]] (M17)
|rowspan="3" style="text-align:center; background-color:#ccc; width:1em;"|{{縦書き|地下区間|height=5em}}
|rowspan="25" style="width:1em; text-align:center; letter-spacing:0.5em;"|{{縦書き|[[大阪府]]|height=6em}}
|rowspan="8" style="width:1em; text-align:center;"|{{縦書き|[[大阪市]]}}
|rowspan="3" style="white-space:nowrap;"|[[中央区 (大阪市)|中央区]]
|-
!KH02
|[[北浜駅 (大阪府)|北浜駅]]
|style="text-align:right;"|0.5
|style="text-align:right;"|0.5
|style="text-align:center; background:#cf9;"|●
|style="text-align:center; background:#9df;"|●
|style="text-align:center; background:#9cf;"|●
|style="text-align:center; background:#fb2;"|●
|style="text-align:center; background:#daf;"|●
|style="text-align:center; background:#c6f;"|●
| style="text-align:center; background:#f88;" |●
| style="text-align:center; background:#fff;" |●
|style="text-align:center; background:#f9f;"|●
|大阪市高速電気軌道:[[File:Osaka_Metro_Sakaisuji_line_symbol.svg|15px|K]] [[Osaka Metro堺筋線|堺筋線]] (K14)
|-
!KH03
|[[天満橋駅]]
|style="text-align:right;"|0.8
|style="text-align:right;"|1.3
|style="text-align:center; background:#cf9;"|●
|style="text-align:center; background:#9df;"|●
|style="text-align:center; background:#9cf;"|●
|style="text-align:center; background:#fb2;"|●
|style="text-align:center; background:#daf;"|●
|style="text-align:center; background:#c6f;"|●
| style="text-align:center; background:#f88;" |●
| style="text-align:center; background:#fff;" |●
|style="text-align:center; background:#f9f;"|●
|京阪電気鉄道:[[File:Number prefix Keihan lines.png|20px|KH]] [[京阪中之島線|中之島線]](一部直通運転:上記参照)<br />大阪市高速電気軌道:[[File:Osaka_Metro_Tanimachi_line_symbol.svg|15px|T]] [[Osaka Metro谷町線|谷町線]] (T22)
|-
!KH04
|[[京橋駅 (大阪府)|京橋駅]]
|style="text-align:right;"|1.7
|style="text-align:right;"|3.0
|style="text-align:center; background:#cf9;"|●
|style="text-align:center; background:#9df;"|●
|style="text-align:center; background:#9cf;"|●
|style="text-align:center; background:#fb2;"|●
|style="text-align:center; background:#daf;"|●
|style="text-align:center; background:#c6f;"|●
| style="text-align:center; background:#f88;" |●
| style="text-align:center; background:#fff;" |●
|style="text-align:center; background:#f9f;"|●
|[[西日本旅客鉄道]]:{{JR西路線記号|K|O}} [[大阪環状線]] (JR-O08)・{{JR西路線記号|K|H}} [[片町線]](学研都市線)・{{JR西路線記号|K|H}} [[JR東西線]] (JR-H41)<br />大阪市高速電気軌道:[[File:Osaka_Metro_Nagahori_Tsurumi-ryokuchi_line_symbol.svg|15px|N]] [[Osaka Metro長堀鶴見緑地線|長堀鶴見緑地線]] (N22)
|rowspan="34" style="text-align:center; background:#fff; color:#000; width:1em; letter-spacing:0.5em;" |{{縦書き|地上区間|height=8em}}
|[[都島区]]
|-
!KH05
|[[野江駅]]
|style="text-align:right;"|1.6
|style="text-align:right;"|4.6
|style="text-align:center; background:#cf9;"||
|style="text-align:center; background:#9df;"||
|style="text-align:center; background:#9cf;"|↑
|style="text-align:center; background:#fb2;"||
|style="text-align:center; background:#daf;"||
|style="text-align:center; background:#c6f;"|↑
| style="text-align:center; background:#f88;" ||
| style="text-align:center; background:#fff;" ||
|style="text-align:center; background:#f9f;"||
|西日本旅客鉄道:{{JR西路線記号|K|F}} [[おおさか東線]]([[JR野江駅]]:JR-F06){{Refnest|group="注釈"|name="transfer"|連絡運輸は行っていない<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.jr-odekake.net/railroad/ticket/guide/assets/pdf/stipulation/2021/covenant_unyu.pdf |title=旅客連絡運輸規則 |format=PDF |pages=14-16 |publisher=西日本旅客鉄道 |date=2021 |accessdate=2021-11-02}}</ref>。}}
|rowspan="2"|[[城東区]]
|-
!KH06
|[[関目駅]]
|style="text-align:right;"|0.7
|style="text-align:right;"|5.3
|style="text-align:center; background:#cf9;"||
|style="text-align:center; background:#9df;"||
|style="text-align:center; background:#9cf;"|↑
|style="text-align:center; background:#fb2;"||
|style="text-align:center; background:#daf;"||
|style="text-align:center; background:#c6f;"|↑
| style="text-align:center; background:#f88;" ||
| style="text-align:center; background:#fff;" ||
|style="text-align:center; background:#f9f;"||
|大阪市高速電気軌道:[[File:Osaka_Metro_Imazatosuji_line_symbol.svg|15px|I]] [[Osaka Metro今里筋線|今里筋線]]([[関目成育駅]]:I17)
|-
!KH07
|[[森小路駅]]
|style="text-align:right;"|0.9
|style="text-align:right;"|6.2
|style="text-align:center; background:#cf9;"||
|style="text-align:center; background:#9df;"||
|style="text-align:center; background:#9cf;"|↑
|style="text-align:center; background:#fb2;"||
|style="text-align:center; background:#daf;"||
|style="text-align:center; background:#c6f;"|↑
| style="text-align:center; background:#f88;" ||
| style="text-align:center; background:#fff;" ||
|style="text-align:center; background:#f9f;"||
|
|rowspan="2"|[[旭区 (大阪市)|旭区]]
|-
!KH08
|[[千林駅]]
|style="text-align:right;"|0.6
|style="text-align:right;"|6.8
|style="text-align:center; background:#cf9;"||
|style="text-align:center; background:#9df;"||
|style="text-align:center; background:#9cf;"|↑
|style="text-align:center; background:#fb2;"||
|style="text-align:center; background:#daf;"||
|style="text-align:center; background:#c6f;"|↑
| style="text-align:center; background:#f88;" ||
| style="text-align:center; background:#fff;" ||
|style="text-align:center; background:#f9f;"||
|
|-
!KH09
|[[滝井駅]]
|style="text-align:right;"|0.4
|style="text-align:right;"|7.2
|style="text-align:center; background:#cf9;"||
|style="text-align:center; background:#9df;"||
|style="text-align:center; background:#9cf;"|↑
|style="text-align:center; background:#fb2;"||
|style="text-align:center; background:#daf;"||
|style="text-align:center; background:#c6f;"|↑
| style="text-align:center; background:#f88;" ||
| style="text-align:center; background:#fff;" ||
|style="text-align:center; background:#f9f;"||
|
|colspan="2" rowspan="3"|[[守口市]]
|-
!KH10
|[[土居駅]]
|style="text-align:right;"|0.4
|style="text-align:right;"|7.6
|style="text-align:center; background:#cf9;"||
|style="text-align:center; background:#9df;"||
|style="text-align:center; background:#9cf;"|↑
|style="text-align:center; background:#fb2;"||
|style="text-align:center; background:#daf;"||
|style="text-align:center; background:#c6f;"|↑
| style="text-align:center; background:#f88;" ||
| style="text-align:center; background:#fff;" ||
|style="text-align:center; background:#f9f;"||
|
|-
!KH11
|[[守口市駅]]
|style="text-align:right;"|0.7
|style="text-align:right;"|8.3
|style="text-align:center; background:#cf9;"|●
|style="text-align:center; background:#9df;"|●
|style="text-align:center; background:#9cf;"|↑
|style="text-align:center; background:#fb2;"|●
|style="text-align:center; background:#daf;"|●
|style="text-align:center; background:#c6f;"|↑
| style="text-align:center; background:#f88;" ||
| style="text-align:center; background:#fff;" ||
|style="text-align:center; background:#f9f;"||
|
|-
!KH12
|[[西三荘駅]]
|style="text-align:right;"|1.1
|style="text-align:right;"|9.4
|style="text-align:center; background:#cf9;"|●
|style="text-align:center; background:#9df;"||
|style="text-align:center; background:#9cf;"|↑
|style="text-align:center; background:#fb2;"||
|style="text-align:center; background:#daf;"||
|style="text-align:center; background:#c6f;"|↑
| style="text-align:center; background:#f88;" ||
| style="text-align:center; background:#fff;" ||
|style="text-align:center; background:#f9f;"||
|
|colspan="2" rowspan="4"|[[門真市]]
|-
!KH13
|[[門真市駅]]
|style="text-align:right;"|0.7
|style="text-align:right;"|10.1
|style="text-align:center; background:#cf9;"|●
|style="text-align:center; background:#9df;"||
|style="text-align:center; background:#9cf;"|↑
|style="text-align:center; background:#fb2;"||
|style="text-align:center; background:#daf;"||
|style="text-align:center; background:#c6f;"|↑
| style="text-align:center; background:#f88;" ||
| style="text-align:center; background:#fff;" ||
|style="text-align:center; background:#f9f;"||
|[[大阪モノレール]]:[[大阪モノレール本線|大阪モノレール線(本線)]] (24)
|-
!KH14
|[[古川橋駅]]
|style="text-align:right;"|0.7
|style="text-align:right;"|10.8
|style="text-align:center; background:#cf9;"|●
|style="text-align:center; background:#9df;"||
|style="text-align:center; background:#9cf;"|↑
|style="text-align:center; background:#fb2;"||
|style="text-align:center; background:#daf;"||
|style="text-align:center; background:#c6f;"|↑
| style="text-align:center; background:#f88;" ||
| style="text-align:center; background:#fff;" ||
|style="text-align:center; background:#f9f;"||
|
|-
!KH15
|[[大和田駅 (大阪府)|大和田駅]]
|style="text-align:right;"|1.2
|style="text-align:right;"|12.0
|style="text-align:center; background:#cf9;"|●
|style="text-align:center; background:#9df;"||
|style="text-align:center; background:#9cf;"|↑
|style="text-align:center; background:#fb2;"||
|style="text-align:center; background:#daf;"||
|style="text-align:center; background:#c6f;"|↑
| style="text-align:center; background:#f88;" ||
| style="text-align:center; background:#fff;" ||
|style="text-align:center; background:#f9f;"||
|
|-
!KH16
|[[萱島駅]]
|style="text-align:right;"|0.8
|style="text-align:right;"|12.8
|style="text-align:center; background:#cf9;"|●
|style="text-align:center; background:#9df;"|●
|style="text-align:center; background:#9cf;"|●
|style="text-align:center; background:#fb2;"||
|style="text-align:center; background:#daf;"||
|style="text-align:center; background:#c6f;"|↑
| style="text-align:center; background:#f88;" ||
| style="text-align:center; background:#fff;" ||
|style="text-align:center; background:#f9f;"||
|
|colspan="2" rowspan="4" style="white-space:nowrap;"|[[寝屋川市]]
|-
!-
|([[寝屋川信号所]])
|style="text-align:right;"|1.1
|style="text-align:right;"|13.9
|style="text-align:center; background:#cf9;"||
|style="text-align:center; background:#9df;"||
|style="text-align:center; background:#9cf;"|↑
|style="text-align:center; background:#fb2;"||
|style="text-align:center; background:#daf;"||
|style="text-align:center; background:#c6f;"|↑
| style="text-align:center; background:#f88;" ||
| style="text-align:center; background:#fff;" ||
|style="text-align:center; background:#f9f;"||
|
|-
!KH17
|[[寝屋川市駅]]
|style="text-align:right;"|1.1
|style="text-align:right;"|15.0
|style="text-align:center; background:#cf9;"|●
|style="text-align:center; background:#9df;"|●
|style="text-align:center; background:#9cf;"|●
|style="text-align:center; background:#fb2;"|●
|style="text-align:center; background:#daf;"|●
|style="text-align:center; background:#c6f;"|●
| style="text-align:center; background:#f88;" ||
| style="text-align:center; background:#fff;" |▲
|style="text-align:center; background:#f9f;"||
|ライナーは樟葉・枚方市始発淀屋橋行き下り列車のみ停車
|-
!KH18
|[[香里園駅]]
|style="text-align:right;"|2.6
|style="text-align:right;"|17.6
|style="text-align:center; background:#cf9;"|●
|style="text-align:center; background:#9df;"|●
|style="text-align:center; background:#9cf;"|●
|style="text-align:center; background:#fb2;"|●
|style="text-align:center; background:#daf;"|●
|style="text-align:center; background:#c6f;"|●
| style="text-align:center; background:#f88;" ||
| style="text-align:center; background:#fff;" |▲
|style="text-align:center; background:#f9f;"||
|ライナーは樟葉・枚方市始発淀屋橋行き下り列車のみ停車
|-
!KH19
|[[光善寺駅]]
|style="text-align:right;"|1.5
|style="text-align:right;"|19.1
|style="text-align:center; background:#cf9;"|●
|style="text-align:center; background:#9df;"|●
|style="text-align:center; background:#9cf;"|●
|style="text-align:center; background:#fb2;"||
|style="text-align:center; background:#daf;"||
|style="text-align:center; background:#c6f;"|↑
| style="text-align:center; background:#f88;" ||
| style="text-align:center; background:#fff;" ||
|style="text-align:center; background:#f9f;"||
|
|colspan="2" rowspan="6"|[[枚方市]]
|-
!KH20
|[[枚方公園駅]]
|style="text-align:right;"|1.7
|style="text-align:right;"|20.8
|style="text-align:center; background:#cf9;"|●
|style="text-align:center; background:#9df;"|●
|style="text-align:center; background:#9cf;"|●
|style="text-align:center; background:#fb2;"|●
|style="text-align:center; background:#daf;"||
|style="text-align:center; background:#c6f;"|↑
| style="text-align:center; background:#f88;" ||
| style="text-align:center; background:#fff;" ||
|style="text-align:center; background:#f9f;"||
|
|-
!KH21
|style="width:8.5em;"|[[枚方市駅]]
|style="text-align:right;"|1.0
|style="text-align:right;"|21.8
|style="text-align:center; background:#cf9;"|●
|style="text-align:center; background:#9df;"|●
|style="text-align:center; background:#9cf;"|●
|style="text-align:center; background:#fb2;"|●
|style="text-align:center; background:#daf;"|●
|style="text-align:center; background:#c6f;"|●
| style="text-align:center; background:#f88;" |●
| style="text-align:center; background:#fff;" |●
|style="text-align:center; background:#f9f;"||
|京阪電気鉄道:[[File:Number prefix Keihan lines.png|20px|KH]] [[京阪交野線|交野線]]
|-
!KH22
|[[御殿山駅]]
|style="text-align:right;"|1.7
|style="text-align:right;"|23.5
|style="text-align:center; background:#cf9;"|●
|style="text-align:center; background:#9df;"|●
|style="text-align:center; background:#9cf;"|●
|style="text-align:center; background:#fb2;"||
|style="text-align:center; background:#daf;"||
|style="text-align:center; background:#c6f;"|↑
| style="text-align:center; background:#f88;" ||
| style="text-align:center; background:#fff;" ||
|style="text-align:center; background:#f9f;"||
|
|-
!KH23
|[[牧野駅]]
|style="text-align:right;"|2.0
|style="text-align:right;"|25.5
|style="text-align:center; background:#cf9;"|●
|style="text-align:center; background:#9df;"|●
|style="text-align:center; background:#9cf;"|●
|style="text-align:center; background:#fb2;"||
|style="text-align:center; background:#daf;"||
|style="text-align:center; background:#c6f;"|↑
| style="text-align:center; background:#f88;" ||
| style="text-align:center; background:#fff;" ||
|style="text-align:center; background:#f9f;"||
|
|-
!KH24
|[[樟葉駅]]
|style="text-align:right;"|2.2
|style="text-align:right;"|27.7
|style="text-align:center; background:#cf9;"|●
|style="text-align:center; background:#9df;"|●
|style="text-align:center; background:#9cf;"|●
|style="text-align:center; background:#fb2;"|●
|style="text-align:center; background:#daf;"|●
|style="text-align:center; background:#c6f;"|●
| style="text-align:center; background:#f88;" |●
| style="text-align:center; background:#fff;" |●
|style="text-align:center; background:#f9f;"||
|
|-
!KH25
|[[橋本駅 (京都府)|橋本駅]]
|style="text-align:right;"|2.4
|style="text-align:right;"|30.1
|
|style="text-align:center; background:#9df;"|●
|style="text-align:center; background:#9cf;"|●
|style="text-align:center; background:#fb2;"||
|style="text-align:center; background:#daf;"||
|style="text-align:center; background:#c6f;"|↑
| style="text-align:center; background:#f88;" ||
| style="text-align:center; background:#fff;" ||
|style="text-align:center; background:#f9f;"||
|
|rowspan="19" style="width:1em; text-align:center; letter-spacing:0.5em;"|{{縦書き|[[京都府]]|height=6em}}
|colspan="2" rowspan="2"|[[八幡市]]
|-
!KH26
|[[石清水八幡宮駅]]
|style="text-align:right;"|1.7
|style="text-align:right;"|31.8
|
|style="text-align:center; background:#9df;"|●
|style="text-align:center; background:#9cf;"|●
|style="text-align:center; background:#fb2;"|●
|style="text-align:center; background:#daf;"||
|style="text-align:center; background:#c6f;"|↑
| style="text-align:center; background:#f88;" ||
| style="text-align:center; background:#fff;" ||
|style="text-align:center; background:#f9f;"||
|京阪電気鉄道:[[File:Number prefix Keihan lines.png|20px|KH]] [[京阪鋼索線|鋼索線(石清水八幡宮参道ケーブル)]]([[石清水八幡宮駅#ケーブル八幡宮口駅|ケーブル八幡宮口駅]]:KH80)
|-
!KH27
|[[淀駅]]<br /><small>([[京都競馬場]])</small>
|style="text-align:right;"|3.5
|style="text-align:right;"|35.3
|
|style="text-align:center; background:#9df;"|●
|style="text-align:center; background:#9cf;"|●
|style="text-align:center; background:#fb2;"|▲
|style="text-align:center; background:#daf;"||
|style="text-align:center; background:#c6f;"|↑
| style="text-align:center; background:#f88;" ||
| style="text-align:center; background:#fff;" ||
|style="text-align:center; background:#f9f;"||
|急行は淀駅始発・終着列車のみ停車
|rowspan="17" style="width:1em; text-align:center;"|{{縦書き|[[京都市]]}}
|rowspan="8"|[[伏見区]]
|-
!KH28
|[[中書島駅]]
|style="text-align:right;"|4.4
|style="text-align:right;"|39.7
|
|style="text-align:center; background:#9df;"|●
|style="text-align:center; background:#9cf;"|●
|style="text-align:center; background:#fb2;"|●
|style="text-align:center; background:#daf;"|●
|style="text-align:center; background:#c6f;"|●
| style="text-align:center; background:#f88;" |●
| style="text-align:center; background:#fff;" |●
|style="text-align:center; background:#f9f;"||
|京阪電気鉄道:[[File:Number prefix Keihan lines.png|20px|KH]] [[京阪宇治線|宇治線]]
|-
!KH29
|[[伏見桃山駅]]
|style="text-align:right;"|0.9
|style="text-align:right;"|40.6
|
|style="text-align:center; background:#9df;"|●
|style="text-align:center; background:#9cf;"|●
|style="text-align:center; background:#fb2;"||
|style="text-align:center; background:#daf;"||
|style="text-align:center; background:#c6f;"|↑
| style="text-align:center; background:#f88;" ||
| style="text-align:center; background:#fff;" ||
|style="text-align:center; background:#f9f;"||
|
|-
!KH30
|[[丹波橋駅]]
|style="text-align:right;"|0.7
|style="text-align:right;"|41.3
|
|style="text-align:center; background:#9df;"|●
|style="text-align:center; background:#9cf;"|●
|style="text-align:center; background:#fb2;"|●
|style="text-align:center; background:#daf;"|●
|style="text-align:center; background:#c6f;"|●
| style="text-align:center; background:#f88;" |●
| style="text-align:center; background:#fff;" |●
|style="text-align:center; background:#f9f;"||
|[[近畿日本鉄道]]:{{近鉄駅番号|B}} [[近鉄京都線|京都線]]([[近鉄丹波橋駅]]:B07)
|-
!KH31
|[[墨染駅]]
|style="text-align:right;"|1.0
|style="text-align:right;"|42.3
|
|style="text-align:center; background:#9df;"|●
|style="text-align:center; background:#9cf;"|●
|style="text-align:center; background:#fb2;"||
|style="text-align:center; background:#daf;"||
|style="text-align:center; background:#c6f;"|↑
| style="text-align:center; background:#f88;" ||
| style="text-align:center; background:#fff;" ||
|style="text-align:center; background:#f9f;"||
|
|-
!KH32
|[[藤森駅]]
|style="text-align:right;"|1.0
|style="text-align:right;"|43.3
|
|style="text-align:center; background:#9df;"|●
|style="text-align:center; background:#9cf;"|●
|style="text-align:center; background:#fb2;"||
|style="text-align:center; background:#daf;"||
|style="text-align:center; background:#c6f;"|↑
| style="text-align:center; background:#f88;" ||
| style="text-align:center; background:#fff;" ||
|style="text-align:center; background:#f9f;"||
|
|-
!KH33
|[[龍谷大前深草駅]]
|style="text-align:right;"|0.8
|style="text-align:right;"|44.1
|
|style="text-align:center; background:#9df;"|●
|style="text-align:center; background:#9cf;"|●
|style="text-align:center; background:#fb2;"||
|style="text-align:center; background:#daf;"||
|style="text-align:center; background:#c6f;"|↑
| style="text-align:center; background:#f88;" ||
| style="text-align:center; background:#fff;" ||
|style="text-align:center; background:#f9f;"||
|
|-
!KH34
|[[伏見稲荷駅]]
|style="text-align:right;"|0.5
|style="text-align:right;"|44.6
|
|style="text-align:center; background:#9df;"|●
|style="text-align:center; background:#9cf;"|●
|style="text-align:center; background:#fb2;"|●
|style="text-align:center; background:#daf;"||
|style="text-align:center; background:#c6f;"|↑
| style="text-align:center; background:#f88;" ||
| style="text-align:center; background:#fff;" ||
|style="text-align:center; background:#f9f;"||
|
|-
!KH35
|[[鳥羽街道駅]]
|style="text-align:right;"|0.6
|style="text-align:right;"|45.2
|
|style="text-align:center; background:#9df;"|●
|style="text-align:center; background:#9cf;"|●
|style="text-align:center; background:#fb2;"||
|style="text-align:center; background:#daf;"||
|style="text-align:center; background:#c6f;"|↑
| style="text-align:center; background:#f88;" ||
| style="text-align:center; background:#fff;" ||
|style="text-align:center; background:#f9f;"||
|
|rowspan="7"|[[東山区]]
|-
!KH36
|[[東福寺駅]]
|style="text-align:right;"|0.9
|style="text-align:right;"|46.1
|
|style="text-align:center; background:#9df;"|●
|style="text-align:center; background:#9cf;"|●
|style="text-align:center; background:#fb2;"||
|style="text-align:center; background:#daf;"||
|style="text-align:center; background:#c6f;"|↑
| style="text-align:center; background:#f88;" ||
| style="text-align:center; background:#fff;" ||
|style="text-align:center; background:#f9f;"||
|西日本旅客鉄道:{{JR西路線記号|K|D}} [[奈良線]] (JR-D02)
|-
!KH37
|[[七条駅]]
|style="text-align:right;"|0.9
|style="text-align:right;"|47.0
|
|style="text-align:center; background:#9df;"|●
|style="text-align:center; background:#9cf;"|●
|style="text-align:center; background:#fb2;"|●
|style="text-align:center; background:#daf;"|●
|style="text-align:center; background:#c6f;"|●
| style="text-align:center; background:#f88;" |●
| style="text-align:center; background:#fff;" |●
|style="text-align:center; background:#f9f;"|●
|
|rowspan="7" style="text-align:center; background-color:#ccc; width:1em; letter-spacing:0.5em;"|{{縦書き|地下区間|height=8em}}
|-
!KH38
|[[清水五条駅]]
|style="text-align:right;"|0.7
|style="text-align:right;"|47.7
|
|style="text-align:center; background:#9df;"|●
|style="text-align:center; background:#9cf;"|●
|style="text-align:center; background:#fb2;"|●
|style="text-align:center; background:#daf;"||
|style="text-align:center; background:#c6f;"|↑
| style="text-align:center; background:#f88;" ||
| style="text-align:center; background:#fff;" ||
|style="text-align:center; background:#f9f;"||
|
|-
!KH39
|[[祇園四条駅]]
|style="text-align:right;"|0.9
|style="text-align:right;"|48.6
|
|style="text-align:center; background:#9df;"|●
|style="text-align:center; background:#9cf;"|●
|style="text-align:center; background:#fb2;"|●
|style="text-align:center; background:#daf;"|●
|style="text-align:center; background:#c6f;"|●
| style="text-align:center; background:#f88;" |●
| style="text-align:center; background:#fff;" |●
|style="text-align:center; background:#f9f;"|●
|[[阪急電鉄]]:[[File:Number_prefix_Hankyu_Kyōto_line.svg|15px|HK]] [[阪急京都本線|京都本線]]([[京都河原町駅]]:HK-86)<ref group="注釈">車内での乗り換えの放送はなく、公式の乗り換え駅ではないが、京都河原町駅・祇園四条駅ともに連絡通路に相手側の時刻表が掲示され、便宜を図っている。</ref>
|-style="height:1em;"
!rowspan="2"|KH40
|rowspan="2"|[[三条駅 (京都府)|三条駅]]
|rowspan="2" style="text-align:right;"|0.7
|rowspan="2" style="text-align:right;"|49.3
|rowspan="2"|
|rowspan="2" style="text-align:center; background:#9df;"|●
|rowspan="2" style="text-align:center; background:#9cf;"|●
|rowspan="2" style="text-align:center; background:#fb2;"|●
|rowspan="2" style="text-align:center; background:#daf;"|●
|rowspan="2" style="text-align:center; background:#c6f;"|●
| rowspan="2" style="text-align:center; background:#f88;" |●
| rowspan="2" style="text-align:center; background:#fff;" |●
|rowspan="2" style="text-align:center; background:#f9f;"|●
|rowspan="2"|[[京都市営地下鉄]]:[[ファイル:Subway KyotoTozai.svg|15px|■]] [[京都市営地下鉄東西線|東西線]]([[三条京阪駅]]:T11)
|-
|rowspan="3" style="width:1em; text-align:center;"|{{縦書き|[[京阪鴨東線|鴨東線]]|height=4em}}
|-
!KH41
|[[神宮丸太町駅]]
|style="text-align:right;"|1.0
|style="text-align:right;"|50.3
|
|style="text-align:center; background:#9df;"|●
|style="text-align:center; background:#9cf;"|●
|style="text-align:center; background:#fb2;"|●
|style="text-align:center; background:#daf;"||
|style="text-align:center; background:#c6f;"|↑
| style="text-align:center; background:#f88;" ||
| style="text-align:center; background:#fff;" ||
|style="text-align:center; background:#f9f;"||
|
|rowspan="2"|[[左京区]]
|-
!KH42
|[[出町柳駅]]
|style="text-align:right;"|1.3
|style="text-align:right;"|51.6
|
|style="text-align:center; background:#9df;"|●
|style="text-align:center; background:#9cf;"|●
|style="text-align:center; background:#fb2;"|●
|style="text-align:center; background:#daf;"|●
|style="text-align:center; background:#c6f;"|●
| style="text-align:center; background:#f88;" |●
| style="text-align:center; background:#fff;" |●
|style="text-align:center; background:#f9f;"|●
|[[叡山電鉄]]:{{駅番号s|green|white|E}} [[叡山電鉄叡山本線|叡山本線]] (E01)
|}
* 駅はないが、石清水八幡宮駅 - 淀駅間で[[久世郡]][[久御山町]]を数十メートル通過する。
=== 廃駅・廃止信号所 ===
* 京橋駅(初代)(天満橋駅 - 片町駅間) - 1910年12月15日廃止。
* [[片町駅]](天満橋駅 - 京橋駅間) - 1969年12月1日廃止。
* [[蒲生信号所]](京橋駅 - 野江駅間) - 1970年10月1日廃止。
* 門真駅(西三荘駅 - 門真市駅間) - 1975年3月23日廃止。
* [[豊野駅 (大阪府)|豊野駅]](寝屋川市駅 - 香里園駅間) - 1963年5月15日廃止。
* [[塩小路駅]](東福寺駅 - 七条駅間) - 1918年12月1日旅客営業廃止、1955年6月25日廃止。
* [[大仏前駅]](塩小路駅 - 五条駅間) - 1913年4月26日廃止。翌日に七条駅開業。
=== キロポストについて ===
前述のような歴史的経緯から、京阪本線では距離を示す[[距離標|キロポスト]]が2つに分かれている。(矢印の方向にキロ数が増える)<ref group="注釈">京阪電気鉄道のキロポストは基本的には上り線の進行方向左側に設置されているが、例外として[[京阪石山坂本線|石山坂本線]]と[[京阪鋼索線|鋼索線(石清水八幡宮参道ケーブル)]]では下り線の進行方向左側に設置されている。</ref>
#淀屋橋駅→天満橋駅
#:淀屋橋から天満橋へ向けて、淀屋橋地下延長線としてのキロポストを打っているため。
#天満橋駅→三条駅
#:京阪本線として開通した区間を天満橋起点でキロポストを打っているため。
=== 駅設備 ===
京阪線のすべての駅(中之島線・交野線・宇治線・鴨東線も含む)にはPiTaPaやICOCAなどの交通系ICカードに対応した自動券売機・自動改札機が、拠点駅には自動定期券発行機が設置されている。
駅改札内の売店「セカンドポシェ(Second Poche)」のほとんどは閉店し、自動販売機のみとなっている。京橋駅・枚方市駅・丹波橋駅・三条駅などには、改札内に書店・ドラッグストア・駅中商店街、喫茶店などの専門店舗やコンビニ「アンスリー」や「ジュ―サーバー」を設けるなど集約と整理が行われている。
京阪線の駅では省力化が進み、2015年3月には駅員が遠隔操作で対応できる「他駅サポートシステム」を導入、併せて列車の遅延や運休などの情報を視覚的かつ速やかに提供可能な「旅客案内ディスプレイ」の設置を2016年3月から開始して2017年11月に完了し、2019年12月からは「NHK非常災害時緊急放送」の配信機能が追加された<ref>出典・『京阪グループ開業110周年記念誌』69頁「異常時の案内強化に向けて」</ref>。
また乗降客の多い駅には金融機関と提携して駅構内にATMを設置、インバウンド観光客の利用の多い京都市内の三条駅・祇園四条駅・清水五条駅・伏見稲荷駅や、鴨東線出町柳駅・宇治線宇治駅には12か国の通貨に対応した外貨自動両替機を設置、伏見稲荷駅と東福寺以北の駅(鴨東線を含む)には観光総合案内板を設置<ref>出典・駅置き月刊広報誌『K PRESS』2018年2月号16面「くらしのなかの京阪」</ref>した。また、祇園四条駅・北浜駅への観光案内所の設置や、駅構内の案内放送を一部4か国語(日英中韓)対応とするなど、利用客の国際化に対応している<ref>出典・『京阪グループ開業110周年記念誌』63頁「観光案内所の開設」「訪日外国人受け入れ態勢の整備」</ref>。
その他、2016年度より駅トイレのリニューアルを開始、清潔感の向上を基本に、高齢者子育て世代にも安心して利用できる機能を備えたトイレ空間づくりを目指し、併せてトイレ個室の洋式化については京阪線60駅(中之島線・交野線・宇治線・鴨東線も含む)のうち、2020年3月31日時点で43駅が完了している<ref>出典・『京阪グループ開業110周年記念誌』66頁「トイレのリニューアル」</ref>。
=== 駅のバリアフリー対策 ===
京阪本線の駅の[[バリアフリー]]対策は、1976年11月、香里園駅のホームへの視覚障害者用[[視覚障害者誘導用ブロック|点字ブロック]]の整備から始まり、1981年2月8日までに京阪線全駅に整備されたほか、1979年1月、主要12駅に[[点字]]運賃表が整備され、現在では全駅に整備されている。
[[車椅子|車いす]]対応[[エレベーター]]の設置は、京阪線鴨川沿いの地下化に伴い1987年5月に三条駅と四条駅(現・祇園四条駅)の地上からホーム階までと、五条駅(現・清水五条駅)のホーム階とコンコース階に設置されたのを皮切りに、2018年12月1日現在では鳥羽街道駅を除きエレベーターもしくはスロープの設置された車いす対応の駅となっている。なお、車いす利用者のホームと電車の段差を橋渡しする「折りたたみ式の渡し板」は1998年12月19日までに京阪線のすべての駅に配置された。
さらに『[[高齢者、障害者等の移動等の円滑化の促進に関する法律]](通称バリアフリー新法)』の基本方針に沿って、[[斜路|スロープ]]の改良やエレベーターの設置が進められたほか、2010年3月24日までに全駅・全ホーム縁端の点字ブロックに内方線の設置が行われた<ref>{{PDFlink|[http://www.keihan.co.jp/corporate/release/orig_pdf/data_h22/2010-03-26.pdf 全駅・全ホームへの「ホーム点字ブロック内方線」の整備が完了しました。]}} - 京阪電気鉄道 報道発表資料、2010年3月26日。</ref>。また、地下駅出入り口の誘導鈴は2013年12月26日までに音声案内に更新された<ref>駅置き広報誌「くらしのなかの京阪」2014年2月号より。</ref>。京都地下線の駅では2014年秋から2015年春にかけてエレベーターの更新工事が行われた<ref>出典・駅置き沿線情報誌『K PRESS』2014年9月号16面「くらしのなかの京阪」より</ref>。
駅の改良工事に併せて、身障者対応に加えオムツ交換台などを備えた「多目的トイレ」も整備されており、古い規格で設置された多目的トイレでは一部に[[オストメイト]]対応設備の取り付け工事<ref group="注釈">清水五条駅・七条駅ほかに設置された。</ref>も行われている。
=== 駅の省エネ対策 ===
2010年12月八幡市駅(現・石清水八幡宮駅)の改修工事に伴い家電メーカーの協力で照明をすべて[[発光ダイオード|LED]]化するなど[[省エネルギー|省エネ]]化を図っていたが、2011年の[[東日本大震災]]に伴う[[東日本大震災による電力危機|原子力発電の停止]]に伴い、一部の照明装置を消灯するなどの運用面やカーブになっているプラットホームの足下灯を更新時にLEDに変えることなどで節電を図っていた。
さらに一般社団法人「低炭素社会創出促進協会」から補助を受け2015年春までに三条駅・祇園四条駅・清水五条駅・七条駅の照明がすべて[[LED照明]]に取り換えられた。合わせて京都市内の地下線のトンネル内の照明もLED化したため年間100万[[キロワット時|kWh]]の[[電力量]]の削減が見込まれている<ref name="K_PRESS201506"/>。2015年度の深草駅(現在の龍谷大前深草駅)の建て替え時にはLED照明が全面的に採用された。
=== 駅の安全設備 ===
駅構内もカーブになっている箇所が多数あり<ref>参考・DVD「出町柳から淀屋橋へ 京阪特急 運転室展望と沿線紹介」[[京阪エージェンシー]]2003年10月制作発売。の映像より</ref>、そのために1965年9月に七条駅京都行ホームに監視カメラと車掌用モニターの設置<ref> 参考文献・「鉄道ピクトリアル2009年8月増刊号特集京阪電気鉄道」98頁・「鉄道ピクトリアル アーカイブセレクション25『京阪電気鉄道』1960 - 1970」145頁</ref>が始まり、現在多くの駅にホーム監視カメラとカラー液晶モニターが設置されている。2014年12月、ホーム上から線路への転落などを通報可能な異常通報装置の京阪線全駅への設置が完了した<ref>出典・京阪駅置きの月刊広報誌『K PRESS』2014年12月号16面「くらしのなかの京阪」</ref>、また、プラットホームと電車の間が広く開く中書島駅・石清水八幡宮駅・光善寺駅には足下灯の設置・転落検知マットが設置されている。光善寺駅京都行ホームには「注意喚起シート(紅白縞模様)」が設置<ref>出典・駅置き広報誌『K PRESS』2017年10月号16頁「くらしのなかの京阪」500号</ref>され、つづいて中書島駅・祇園四条駅・京橋駅などにも設置された。
また京都地下線の開通時に洪水時の浸水対策として地下駅構内への出入り口に可動式の[[止水板]]が設置された。その後、大阪側の地下線にも設置され、定期的に設置訓練が行われている。
駅の[[ホームドア]]は、まず京橋駅への設置が決定し、対応困難な5扉車[[京阪5000系電車|5000系]]の置き換えを前倒しすることとなった<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.keihan.co.jp/corporate/release/upload/2017-03-30_%E2%91%A3anzensei.pdf|title=駅ホームの安全性の向上に、ハード、ソフト両面から努めます|publisher=京阪電気鉄道|date=2017-03-30|accessdate=2017-10-29|format=pdf}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1704/19/news054.html|title=座席が天井から下りてくる 「多扉電車」京阪5000系引退へ 50年の歴史に幕 (1/3)|publisher=ITmediaNEWS|date=2017-04-19|accessdate=2017-06-27|daedlinkdate=2017-10-29|archiveurl=https://web.archive.org/web/20170419044144/http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1704/19/news054.html|archivedate=2017-04-19}}</ref>。5000系は2021年9月4日で営業運転を終了し<ref name="tetsudo.com20210906">{{Cite web|和書|url=https://www.tetsudo.com/column/143/|title=ラッシュ時に活躍した「多扉車」、ついに全滅に|date=2021-09-06|accessdate=2021-09-18|website=鉄道コム|publisher=朝日インタラクティブ}}</ref>、2022年2月までに京橋駅1・2番線でホームドアの供用を開始した<ref>{{Cite press release|和書|title=京橋駅1・2番線ホームの可動式ホーム柵の使用を開始します 1番線は2022年1月30日(日)、2番線は2月20日(日)から|publisher=京阪電気鉄道|date=2021-11-24|url=https://www.keihan.co.jp/corporate/release/upload/211124_keihan-railway.pdf|format=PDF|accessdate=2022-03-21}}</ref>。
=== 駅の無人化の実施===
2021年4月までに、鳥羽街道駅、藤森駅、墨染駅、橋本駅、土居駅、滝井駅、千林駅、森小路駅、関目駅、野江駅の10駅が終日[[無人駅]]となった<ref>[https://newswitch.jp/p/26736 京阪、20駅を無人化 今期黒字目指し構造改革]日刊工業新聞 2021年4月7日</ref><ref>[https://www.keihan.co.jp/traffic/station/stationinfo/031.html 野江駅]など</ref>。
正月など観光客の多い時期には多数の係員が配置される伏見稲荷駅についても基本的には終日無人駅となっている<ref>[https://www.keihan.co.jp/traffic/station/stationinfo/151.html 伏見稲荷駅]</ref>。
その他、一部時間帯において係員不在となる駅が多数ある。
== 主要駅の1日平均乗降人員 ==
大阪府内の駅は大阪府統計年鑑、京都府内の駅は京都市統計書による(いずれも2021年のデータ)。
* 淀屋橋:80,935人
* 北浜:30,775人
* 天満橋:47,413人
* 京橋:134,530人
* 守口市:28,798人
* 寝屋川市:54,032人
* 香里園:49,065人
* 枚方市:75,026人
* 樟葉:49,851人
* 中書島:9,178人
* 丹波橋:31,060人
* 七条:9,156人
* 祇園四条:28,674人
* 三条:22,054人
== 京阪本線沿線が舞台の映画・コミックなど ==
* 映画『[[偽れる盛装]]』([[吉村公三郎]]監督、1951年):地上時代の四条駅(現・祇園四条駅)付近にあった団栗踏切で撮影された場面が存在する<ref>浅香勝輔「随想・京阪讃歌」『鉄道ピクトリアル』1973年7月増刊号(No.281)、電気車研究会</ref>。
* [[角川映画]]『[[オカンの嫁入り]]』(2010年9月公開):後半の電車や駅のシーンは牧野駅で撮影された<ref>出典:「KPRESS 2010年8月号」12面の記事より</ref><ref>{{Cite news|和書|url=http://www.hira2.jp/archives/50107736.html|title=「オカンの嫁入り」呉美保監督にインタビューしました(5)牧野駅を選んだ理由|newspaper=[[枚方つーしん]]|date=2010-09-13|accessdate=2017-09-12}}</ref>。
* 漫画『[[いなり、こんこん、恋いろは。]]』:[[伏見稲荷大社]](作中では伊奈里神社)および周辺地域が主な舞台で、登場人物の名前が京阪本線の駅名にちなむ。アニメ化に際してはタイアップ企画として丹波橋駅などに等身大パネルを置いたり、特製乗車券「『京阪電車×いなり、こんこん、恋いろは。』京阪線フリーチケット」が発売された<ref>{{PDFlink|[http://www.keihan.co.jp/info/upload/2014-01-24_inari.pdf 京都伏見が舞台のアニメ「いなり、こんこん、恋いろは。」とコラボレーションした特製乗車券を発売!]}} - 京阪電気鉄道、2014年1月24日<!--キャラクターの名前のもとになった5駅に等身大パネルを展示の旨記述あり。--></ref>。
<!---第三者言及による出典が示されるまでコメントアウト
* 漫画『[[名探偵コナン]]』:登場人物である[[服部平次]]は寝屋川市在住という設定であり、同シリーズのOVA『[[名探偵コナン MAGIC FILE4 大阪お好み焼きオデッセイ]]』で寝屋川市駅が登場している。
* 小説・アニメ『[[響け! ユーフォニアム]]』:登場人物の川島緑輝が通学時に伏見稲荷駅を利用する描写がある。--->
* 映画『[[HELLO WORLD (アニメ映画)|HELLO WORLD]]』:登場人物の堅書直実が伏見稲荷駅から出町柳方面の列車に乗るシーンがある。これに関して、伏見稲荷駅、七条駅、出町柳駅ではデジタル[[スタンプラリー]]や登場人物のキャラスタンディの展示が行われている<ref>[https://www.okeihan.net/recommend/hello-world/ 映画「HELLO WORLD」デジタルスタンプラリー] - 京阪電気鉄道 沿線おでかけ情報、2019年9月26日</ref>。
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Reflist|2|group=注釈}}
=== 出典 ===
{{Reflist|2}}
== 参考文献 ==
* [http://www.keihan.co.jp/ 京阪電気鉄道 公式サイト]
** [http://www.keihan.co.jp/corporate/corporateinfo/history/ 会社案内 沿革/略年史]
* {{Cite book | 和書 | author = 京阪電気鉄道 | title = 鉄路五十年 | year = 1960 | publisher = 京阪電気鉄道 | ref = tetsuro50 }}
* 『過去が咲いている今』京阪電気鉄道、1990年7月1日発行。
* 『街をつなぐ 心をむすぶ』企画[[京阪エージェンシー]]、京阪電気鉄道、2000年10月1日発行。
* 『京阪百年のあゆみ』京阪電気鉄道、2011年3月24日発行。
* {{Cite journal | 和書 | author = [[運輸省]]鉄道局(監修) | journal = 鉄道要覧 | volume = 平成九年度版 | publisher = [[電気車研究会]] | ref = yoran }}
* {{Cite book | 和書 | author = 田中真人・宇田正・西藤次郎 | title = 京都滋賀 鉄道の歴史 | publisher = [[京都新聞|京都新聞社]] | year = 1998 | ref = kyotoshiga }}
* {{Cite book | 和書 | author = 井上廣和・藤原進 | series = カラーブックス909 | title = 日本の私鉄 京阪 | publisher = [[保育社]] | year = 1999 | ref = colorbooks }}
* {{Cite book | 和書 | author = 原口隆之 | series = JTBキャンブックス | title = 日本の路面電車 | volume = 3 | year = 2000 | publisher = [[JTB]] | ref = jtb_can }}
* {{Cite book | 和書 | author = 宮脇俊三・原田勝正(編集) | title = 全線全駅鉄道の旅 別巻2 | volume = 大阪・神戸・京都・福岡の私鉄 | publisher = [[小学館]] | year = 1991 | ref = zensen }}
* {{Cite book | 和書 | author = 藤井信夫ほか | publisher = 関西鉄道研究会 | series = 車両発達史シリーズ1 | title = 京阪電気鉄道 | year = 1991 <!--平成3年2月1日--> | ref = hattatsushi }}
* {{Cite journal | 和書 | publisher = 関西鉄道研究会 | journal = 関西の鉄道 | volume = 8, 17, 38, 53, 58 | title = 京阪電気鉄道特集号 | ref = kansai_no_tetsudo }}
* {{Cite journal | 和書 | journal = [[鉄道ピクトリアル]] | title = 京阪電気鉄道特集号 | ref = pictorial }}
** 1973年7月増刊・1984年1月増刊・1991年12月増刊・2000年12月増刊・2009年8月増刊
* {{Cite book | 和書 | author = 今尾恵介(監修) | title = [[日本鉄道旅行地図帳]] - 全線・全駅・全廃線 | publisher = [[新潮社]] | volume = 10 大阪 | year = 2009 | id = ISBN 978-4-10-790028-9 | ref = imao }}
* {{Cite journal ja-jp |author=鶴通孝 |year=2001 |month=5 |title=関西私鉄 王国復権の道(2.中間駅の時間短縮に賭けた京阪)|journal=[[鉄道ジャーナル]] |serial= 通巻415号 |pages= 65-66 |publisher=[[鉄道ジャーナル社]] |ref = RJ415 }}
== 関連項目 ==
{{Commonscat}}
* [[日本の鉄道路線一覧]]
* [[京阪梅田線]]([[未成線]]となった、京阪本線と新京阪線の[[梅田]]乗り入れ計画)
{{京阪電気鉄道の路線}}
{{DEFAULTSORT:けいはんほんせん}}
[[Category:近畿地方の鉄道路線]]
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[[Category:大阪府の交通]]
[[Category:京都府の交通]]
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熊本大学
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熊本大学(くまもとだいがく、英語: Kumamoto University)は、 熊本県熊本市中央区黒髪二丁目39番1号に本部を置く日本の国立大学。1925年創立、1949年大学設置。略称は熊大(くまだい)。
熊本大学は、江戸時代の宝暦年間にまで遡る熊本藩校「再春館」を前身とする旧制熊本医科大学と、熊本藩御薬園「蕃滋園」(1756年)を前身とする旧制熊本薬学専門学校、前身が明治に創立の旧制熊本師範学校、旧制第五高等学校、旧制熊本高等工業学校、旧制熊本青年師範学校(いずれも熊本市内)を包括して発足してできた国立大学である。現在、7学部8研究科(研究部は除く)を有している。
キャンパスは、旧制五高から引き継いだ黒髪キャンパス北地区、旧制熊本高工から引き継いだ、豊後街道を挟んで黒髪キャンパス南地区、旧制熊本医大から引き継いだ九品寺キャンパス、旧制熊本薬専から引き継いだ大江キャンパスに分かれている。
建造物も多くが引き継がれている。五高本館(赤煉瓦造)、化学実験場(赤煉瓦造)、正門(赤門)は1969年に国の重要文化財に指定され、旧本館は1993年に「五高記念館」として公開されている(現存する旧制高校の学舎で最古の一つである)。工学部研究資料館(旧高工機械実験工場(1908年竣工)、煉瓦造)は1994年、重要文化財に指定されている。高工本館(1925年竣工)は、現在は熊本大学事務局本館として使用されており、1998年に登録有形文化財に登録されている。
また、学内には、五高を詠んだ夏目漱石の銅像や句碑、嘉納治五郎揮毫の転刻、小泉八雲演説のレリーフなどがある。
熊本大学は、1949年(昭和24年)の学制改革の際に熊本市所在の旧制諸学校を包括して、新制大学として誕生した。包括された教育機関の一つである旧制熊本医科大学は、1925年(大正14年)に大学令に準じ熊本県立の公立大学として設置され、その4年後の1929年(昭和4年)に官立(国立)移管されたものである。本稿ではこの経緯から、大学の創立年を旧制大学が誕生した1925年(大正14年)、設置年を新制大学が誕生した1949年(昭和24年)としている。
2006年(平成18年)4月に熊本大学の新しいロゴマークが制定されている。くまもとの「く」を象っていると同時に、Kumamotoの「K」を変化させ、さらに前進していく矢印をイメージし、校旗を彩る紫紺とうこんで彩色したデザインとなっている。
※生命科学研究部は総合医薬科学、先端生命医療科学、環境社会医学の3部門13講座79分野からなる、日本最大級の研究特化型の教員(所属)組織である。
※医学、薬学、保健学教育部は学生が所属する大学院組織である。
※法曹養成研究科は2016年4月より募集停止、2019年3月31日廃止。
21世紀COEプログラムとして、2件採択された。
グローバルCOEプログラムとして、3件採択されている。
熊本大学の場合、課外活動を行う団体・組織は、体育系の全学公認サークルを統括する学生組織の熊本大学体育会が存在する。
体育会所属44サークルが各々行う競技スポーツの他に、全学生が参加できるレクリエーション色の強い各種スポーツ大会を行っている。体育会の本部が主催したり、体育会の幹事会が主催で開催しているスポーツ大会である。体育会会員に入会するとスポーツ大会が基本的に無料で参加できる(一部を除く)。
熊本大学には紫熊祭と本九祭の2つの学園祭がある。紫熊祭が全学的な学園祭であるのに対して、本九祭は医学部の学生を中心として行われている。ここでは紫熊祭について解説する。
紫熊祭(しぐまさい、SIGMA Festival)は熊本大学黒髪北地区キャンパス(黒髪南地区キャンパスも含む)で開催される。紫熊祭実行委員会により開催されている。かつては熊粋祭(ゆうすいさい)と呼ばれていたが、2012年度に熊粋祭実行委員が消滅し、新たに立ち上げられた。紫熊祭の開催は、開学記念日の11月1日前後の3日間となっている。紫熊祭で行われる企画、運営および全ての準備は学生の手で行われている。
130機関(36か国1地域)と締結している(2018年9月1日時点)。
包括連携協定等の締結先は、大学含む研究機関が8件、自治体11件、企業13件(2019年2月20日時点)。このほか、九州産業交通ホールディングスが熊本市中心部に建設する再開発ビルに熊本大学が拠点を設け、人材の誘致・育成・定着を目指す協定を2019年4月に結んだ。
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熊本大学は、 熊本県熊本市中央区黒髪二丁目39番1号に本部を置く日本の国立大学。1925年創立、1949年大学設置。略称は熊大(くまだい)。
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<!--この記事は[[プロジェクト:大学/大学テンプレート (日本国内)]]にしたがって作成されています。-->
{{日本の大学
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|大学名 = 熊本大学
|ふりがな = くまもとだいがく
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|英称 = Kumamoto University
|画像 = [[File:Kumamoto University Headquarters building 2021.JPG|270px]]
|画像説明 = 熊本大学本部(旧高工本館、[[1925年]]竣工)
|大学設置年 = 1949年
|創立年 = 1925年
|学校種別 = 国立
|設置者 = [[国立大学法人]]熊本大学
|本部所在地 = [[熊本県]][[熊本市]][[中央区 (熊本市)|中央区]][[黒髪 (熊本市)|黒髪]]2-39-1
|キャンパス = 黒髪北(熊本市黒髪)<br>黒髪南(熊本市黒髪)<br>本荘北(熊本市本荘)<br>本荘中地区(熊本市本荘)<br>本荘南地区(熊本市九品寺)<br>大江(熊本市大江本町)
|学部 = [[文学部]]<br>[[教育学部]]<br>[[法学部]]<br>[[理学部]]<br>[[医学部]]<br>[[薬学部]]<br>[[工学部]]
|研究科 = 教育学研究科<br>社会文化科学教育部<br>人文社会科学研究部<br>先端科学研究部<br>自然科学教育部<br>生命科学研究部<br>医学教育部<br>保健学教育部<br>薬学教育部
|大学の略称 = '''熊大'''(くまだい)
|ウェブサイト = https://www.kumamoto-u.ac.jp/
}}
'''熊本大学'''(くまもとだいがく、{{Lang-en|Kumamoto University}})は、 [[熊本県]][[熊本市]][[中央区 (熊本市)|中央区]][[黒髪 (熊本市)|黒髪]]二丁目39番1号に本部を置く、[[日本]]の[[国立大学]]。略称は'''熊大'''(くまだい)。
[[1949年]]([[昭和]]24年)の[[学制改革]]により、[[第五高等学校 (旧制)|旧制第五高等学校]]など熊本市にあった文理の官立教育機関を統合して発足した<ref name=熊本大学の歴史>[https://museum.kumamoto-u.ac.jp/plan/history/ 熊本大学の歴史] 熊本大学キャンパスミュージアム(2023年12月29日閲覧)</ref>[[総合大学]]である<ref>[https://www.kumamoto-u.ac.jp/daigakujouhou/gaiyo/mokuteki 学部 教育研究上の目的(学士課程)]熊本大学公式サイト(2023年12月29日閲覧)</ref>。
== 概観 ==
=== 大学全体 ===<!--
※長さの目安は400字程度。また、本プロジェクトで討議された文章表現の基準に準拠する必要がある。特にその大学にとって特段の大きな意味を有さないこと、時限的な事象を大きくとりあげることにならないよう留意する必要が認められる。
記載内容は、大学の全体について平均的に記述し、特定の学部・研究科などを大きく取り上げる形にならないように留意する。また、できるだけ曖昧な表現の使用は避け、より具体的でかつ確定的なことを中心に記載する。なお、その際、文章が増えることがあるが、節全体の文章量も十分に考慮する。さらに歴史的・社会的にどのような価値を持つのかが関係者以外でも理解できるように記述する。-->
熊本大学は、[[江戸時代]]の[[宝暦]]年間にまで遡る[[熊本藩]]の[[藩校]]「[[再春館 (学校)|再春館]]」を前身とする[[熊本医科大学 (旧制)|旧制熊本医科大学]]と、熊本藩御薬園「[[蕃滋園]]」(1756年)を前身とする[[熊本薬学専門学校 (旧制)|旧制熊本薬学専門学校]]、前身が[[明治]]に創立の[[熊本師範学校|旧制熊本師範学校]]、旧制第五高等学校、[[熊本高等工業学校|旧制熊本高等工業学校]]、[[熊本青年師範学校|旧制熊本青年師範学校]](いずれも熊本市内)などを引き継いで発足した。現在、7[[学部]]と[[大学院]]8[[研究科]](研究部は除く)を擁している。
[[キャンパス]]は、旧制五高から引き継いだ黒髪キャンパス北地区、旧制熊本高工から引き継いだ、[[豊後街道]]を挟んで黒髪キャンパス南地区、旧制熊本医大から引き継いだ九品寺キャンパス、旧制熊本薬専から引き継いだ大江キャンパスに分かれている。
建造物も多くが引き継がれている。五高本館([[煉瓦|赤煉瓦]]造)、化学実験場(赤煉瓦造)、正門(赤門)は1969年に国の[[重要文化財]]に指定され、旧本館は1993年に「五高記念館」として公開されている(現存する[[旧制高等学校|旧制高校]]の学舎で最古の一つである)。工学部研究資料館(旧高工機械実験工場(1908年竣工)、煉瓦造)は1994年、重要文化財に指定されている。高工本館(1925年竣工)は、現在は熊本大学事務局本館として使用されており、1998年に[[登録有形文化財]]に登録されている。
また、学内には、五高を詠んだ[[夏目漱石]]の銅像や句碑、[[嘉納治五郎]][[揮毫]]の転刻、[[小泉八雲]]演説の[[レリーフ]]などがある。<!--
=== 建学の精神(校訓・理念・学是) ===
○○大学の学是は「○○○○○」となっている。これは…
※この項目はそれぞれの大学に応じて「校訓」「学是」「憲章」などの適切な節名を用いる。なお、校訓などが長文となる場合は、[[著作権]]に注意すること。最後に改訂されてから50年が経過していれば全文の紹介が可能であるが、そうではない場合には概略に止め、全文は公式サイトへのリンクで代用するという手段がある。
=== 教育および研究 ===
○○大学は日本全国でただ一つの○○学部を持ち…
日本ではめずらしい○○といった授業科目が必修科目となっているがこれは…
○○の専門家である○○による特別講義が行われ…
※大学の学問的な特徴の概略をこちらでまとめる。各学部ごとに詳細な内容をまとめる必要がある場合は後述の学部をまとめた項目で記すこと。さらに歴史的・社会的にどのような価値を持つのかが関係者以外でも理解できるように記述する。
=== 学風および特色 ===
○○大学は学生自治が重視されており…
サークル活動が盛んなのは以下のような理由から…
伝統的に新入生は××を行う習慣があるが…
略称は「△△」…
※ここで大学全体の学風や特色を端的にまとめる。具体的な数字データや学生生活の詳細は別項でまとめる。あくまでここは概略である。さらに歴史的・社会的にどのような価値を持つのかが関係者以外でも理解できるように記述する。-->
=== 理念 ===
:[[教育基本法]]および[[学校教育法]]に則り、総合大学として、知の創造、継承、発展に努め、知的、道徳的および応用的能力を備えた人材を育成することにより、地域と国際社会に貢献することを目的とする。
== 沿革 ==
=== 略歴 ===
熊本大学の前身の一つである旧制熊本医科大学は、1925年([[大正]]14年)に[[大学令]]に準じ熊本県立の公立大学として設置され、その4年後の1929年([[昭和]]4年)に官立(国立)移管されたものである。本稿ではこの経緯から、大学の創立年を[[旧制大学]]が誕生した1925年(大正14年)、設置年を新制大学が誕生した1949年(昭和24年)としている。
=== 年表 ===
*1949年(昭和24年)5月31日:熊本市内の以下の学校を包括し、'''熊本大学'''が発足。
**包括校<ref group="注">在学生が卒業するまで存続した。</ref>は6校:[[熊本医科大学 (旧制)|熊本医科大学]]、[[第五高等学校 (旧制)|第五高等学校]]、[[熊本高等工業学校]]、[[熊本薬学専門学校 (旧制)|熊本薬学専門学校]]、[[熊本師範学校]]、[[熊本青年師範学校]]
**設置学部(6学部):'''法文学部'''、'''教育学部'''、'''理学部'''、'''医学部'''、'''薬学部'''、'''工学部'''
*1951年(昭和26年)4月:附属看護学校を設置。
*1954年(昭和29年)4月:薬学専攻科、工学専攻科、医学部附属[[助産師|助産婦]]学校を設置。
*1955年(昭和30年)4月:医学進学課程、理学専攻科、医学研究科[[博士課程]]を設置。
*1958年(昭和33年)4月:法文学専攻科を設置。
*1960年(昭和35年)3月:教育学部の2年課程を廃止。
*1963年(昭和38年)4月:教育専攻科を設置。
*1964年(昭和39年)4月:'''教養部'''を設置。薬学専攻科を廃止し、薬学研究科修士課程、医学部附属[[衛生検査技師]]学校(1972年に[[臨床検査技師]]学校に改称)を設置。
*1965年(昭和40年)4月:工学専攻科を廃止し、工学研究科修士課程を設置。医学部附属診療[[X線|エックス線]]技師学校(1969年(昭和49年)に[[診療放射線技師]]学校に改称)を設置。
*1966年(昭和41年)4月:理学専攻科を廃止し、理学研究科修士課程を設置。教育学部特別教科(看護)教員養成課程を設置。
*1972年(昭和47年)4月:法文専攻科を廃止し、文学研究科修士課程と法学研究科修士課程を設置。
*1977年(昭和52年)4月:[[熊本大学医療技術短期大学部]]を設置。
*1979年(昭和54年)
**3月:医学部附属看護学校・臨床検査技師学校を廃止。
**4月:法文学部を改組し、'''法学部'''と'''文学部'''に分離(7学部体制となる)。
*1980年(昭和55年)3月:医学部附属助産婦学校と診療放射線技師学校を廃止。
*1985年(昭和60年)4月:薬学研究科博士課程を設置。
*1986年(昭和61年)
**3月:法文学部を廃止。
**4月:教育専攻科を廃止し、教育研究科修士課程を設置。工学研究科博士課程を設置。
*1987年(昭和62年)4月:理学研究科博士課程を設置。
*1988年(昭和63年)4月:自然科学研究科博士課程を設置。
*1994年([[平成]]6年)3月:医学進学課程を廃止。
*1997年(平成9年)
**3月:教養部を廃止。
**4月:教育学部に教員養成を主な目的としない生涯スポーツ福祉課程を設置(2000年には地域共生社会課程を設置)。
*1998年(平成10年)3月:理学研究科・工学研究科(修士課程)を廃止。
*2002年(平成14年)4月:社会文化科学研究科(博士課程)を設置。
*2003年(平成15年)
**4月:医学研究科(修士・博士)と薬学研究科(博士)を廃止し、医学教育部と薬学教育部を設置。医学薬学研究部を設置。
**10月:教育学部特別教科(看護)教員養成課程と医療技術短期大学部を改組し、医学部保健学科を設置。
*2004年(平成16年)4月1日:[[国立大学法人法]]の規定により[[国立大学法人]]となる。[[法曹]]養成研究科を設置。
*2007年(平成19年)3月:医療技術短期大学部を廃止。
*2006年(平成18年)4月1日:薬学教育6年制移行により薬学部薬学科を6年制に移行、4年制学科の[[創薬]]学科・生命薬科学科を設置。
*2008年(平成20年)4月1日:保健学教育部(修士)を設置。
*2010年(平成22年)4月1日:保健学教育部(博士)を設置。
*2016年(平成28年)4月1日:法曹養成研究科の募集を停止。
== 基礎データ ==
=== 所在地 ===<!--
※ここではキャンパスの名称と所在地のみ記す。所在地表記は簡略して記す。-->
*黒髪北地区/黒髪南地区(熊本県熊本市[[中央区 (熊本市)|中央区]]黒髪)
*本荘北地区/本荘中地区/本荘南(熊本県熊本市中央区本荘)
*大江地区(熊本県熊本市中央区大江本町)
*合津マリンステーション(熊本県[[上天草市]][[松島町 (熊本県)|松島町]])
*地域共同ラボラトリー(熊本県[[上益城郡]][[益城町]])
=== 象徴 ===<!--
*校章は○○をイメージしており…
*大学歌は○○が作詞しているが…
*シンボルマークは…
*スクールカラーは○色で…
※校歌・校章・校旗・シンボルマーク・スクールカラーなどの大学を示す象徴はこの項目にまとめる。-->
2006年(平成18年)4月に熊本大学の新しい[[ロゴマーク]]が制定されている。くまもとの「く」を象っていると同時に、Kumamotoの「K」を変化させ、さらに前進していく矢印をイメージし、[[校旗]]を彩る紫紺とうこんで彩色したデザインとなっている。
== 教育および研究 ==
=== 組織 ===
==== 学部 ====<!--
※学部ごとに詳細な説明を加えたい場合には以下のようにする方法もある。ただし、独立した節を入れて解説する場合、独立した節にできるほど歴史的・社会的にどのような価値を持つのかが関係者以外でも理解できるように記述する。
===== ○○学部 =====
*××学科
*△△学科
この学部は…
===== □□学部 =====
*×△学科
*△×学科
この学部は…-->
*[[文学部]]
**総合人間学科
***人間科学コース
***社会人間学コース
***地域科学コース
**歴史学科
***歴史資料学コース
***世界システム史学コース
**文学科
***東アジア言語文学コース
***欧米言語文学コース
***超域言語文学コース
**コミュニケーション情報学科
***コミュニケーション情報学コース
***現代文化資源学コース
*[[教育学部]]
**小学校[[教員養成課程]]
**中学校教員養成課程
**特別支援教育教員養成課程
**養護教諭養成課程
**地域共生社会課程
**生涯スポーツ福祉課程
*[[法学部]]
**法学科
*[[理学部]]
**[[理学科]]
***数学コース
***物理学コース
***化学コース
***地球環境科学コース
***生物学コース
*[[医学部]]
**医学科(6年制)
**保健学科
***看護学専攻
***放射線技術科学専攻
***検査技術科学専攻
*[[薬学部]]<ref group="注">2003年3月までは南九州・沖縄地域で唯一の薬学教育の拠点であった。</ref>
**薬学科(6年制)
**創薬・生命薬科学科
*[[工学部]]
**平成30年度以降
***土木建築学科
****土木工学教育プログラム
****地域デザイン教育プログラム
****建築学教育プログラム
***機械数理工学科
****機械工学教育プログラム
****機械システム教育プログラム
****数理工学教育プログラム
***情報電気工学科
****電気工学教育プログラム
****電子工学教育プログラム
****情報工学教育プログラム
***材料・応用化学科
****応用生命化学教育プログラム
****応用物質化学教育プログラム
****物質材料工学教育プログラム
**平成29年度まで
***物質生命化学科
***マテリアル工学科
***機械システム工学科
***社会環境工学科
***建築学科
***情報電気電子工学科
***数理工学科
==== 研究科 ====
*[[教育学研究科]]
**学校教育実践専攻(修士課程)
**教科教育実践専攻(修士課程)
*社会文化科学研究科
**公共政策学専攻(博士前期課程)
**法学専攻(博士前期課程)
**現代社会人間学専攻(博士前期課程)
**文化学専攻(博士前期課程・博士後期課程)
**教授システム学専攻(博士前期課程・博士後期課程)
**人間・社会科学専攻(博士後期課程)
*[[自然科学研究科]]
**理学専攻(博士前期課程・博士後期課程)
**数学専攻(博士前期課程)
**複合新領域科学専攻(博士前期課程・博士後期課程)
**物質生命化学専攻(博士前期課程)
**マテリアル工学専攻(博士前期課程)
**機械システム工学専攻(博士前期課程)
**情報電気電子工学専攻(博士前期課程・博士後期課程)
**社会環境工学専攻(博士前期課程)
**建築学専攻(博士前期課程)
**産業創造工学専攻(博士後期課程)
**環境共生工学専攻(博士後期課程)
*生命科学研究部
**総合医療科学部門
**先端生命医療科学部門
**環境社会医学部門
*[[医学研究科|医学教育部]]
**医科学専攻(修士課程)
**医学専攻(博士課程)
*[[保健学研究科|保健学教育部]](博士前期課程・博士後期課程)
**保健学専攻(博士前期課程・博士後期課程)
*[[薬学研究科|薬学教育部]]
**創薬・生命薬科学専攻(博士前期課程・博士後期課程)
**医療薬学専攻(博士課程)
※生命科学研究部は総合医薬科学、先端生命医療科学、環境社会医学の3部門13講座79分野からなる、日本最大級の研究特化型の教員(所属)組織である。
※医学、薬学、保健学教育部は学生が所属する大学院組織である。
※法曹養成研究科は2016年4月より募集停止、2019年3月31日廃止<ref>{{Cite web|和書|title=熊本大学大学院法曹養成研究科の廃止について|url=http://www.ls.kumamoto-u.ac.jp/cgi-bin/infomation.cgi?mode=logfile&tgnum=185|website=熊本大学|accessdate=2022-09-03|date=2019-04-01}}</ref>。
==== 専攻科 ====
*特別支援教育特別専攻科
==== 別科 ====
*養護教諭特別別科<!--
==== 短期大学部 ====
※学校教育法上、短期大学と大学は、それぞれが別々の1つの学校である。よって必要な場合は、独立した記事を立ててここでは簡便な記述に留める。-->
==== 附属機関 ====
;大学附属
*[[熊本大学病院]]
;学部附属
*文学部附属[[永青文庫]]研究センター
*教育学部附属教育実践総合センター
*薬学部附属創薬研究センター
*薬学部附属育薬フロンティアセンター
*[[熊本大学薬学部附属薬用資源エコフロンティアセンター|薬学部附属薬用資源エコフロンティアセンター]]
*工学部附属工学研究機器センター
*工学部附属グローバルものづくり教育センター
;研究科附属
*自然科学研究科附属総合科学技術共同教育センター
*自然科学研究科附属くまもと水循環・[[減災]]研究教育センター(沿岸域環境科学教育研究センターと減災型社会システム実践研究教育センターを統合)<ref>[http://engan.kumamoto-u.ac.jp/index.html くまもと水循環・減災研究教育センター 沿岸環境部門](2018年9月8日閲覧)。</ref>
;研究部附属
*生命科学研究部附属[[エコチル調査]][[南九州]]・[[沖縄]]ユニットセンター
*生命科学研究部附属[[臨床医学]]教育研究センター
*生命科学研究部附属[[健康]][[長寿]][[代謝]]制御研究センター<ref>[http://www.medphas.kumamoto-u.ac.jp/cmha/ 健康長寿代謝制御研究センター](2018年9月8日閲覧)</ref>
*法曹養成研究科附属臨床法学教育研究センター
;附置研究所
*発生医学研究所
**附属臓器再建研究センター
*産業[[ナノマテリアル]]研究所
;機構
*大学院先導機構
*[[イノベーション]]推進機構
**地域共同ラボラトリー
**[[インキュベーター (起業)|インキュベーションラボラトリー]]
**[[ベンチャー企業|ベンチャービジネス]]ラボラトリー
*グローバル推進機構
*大学教育統括管理運営機構
*地域創生推進機構
*国際先端医学研究機構
*国際先端科学技術研究機構
;学内共同教育研究施設
*総合情報統括センター
*グローバル教育カレッジ
*政策創造研究教育センター
*[[eラーニング]]推進機構
*くまもと水循環・減災研究教育センター
**合津マリンステーション(熊本県[[上天草市]]の[[上島 (天草諸島)|天草上島]])<ref>[http://engan.kumamoto-u.ac.jp/center/marine_station.html 合津マリンステーション](2018年9月8日閲覧)</ref>
*先進[[マグネシウム]]国際研究センター
*生命資源研究・支援センター
*[[後天性免疫不全症候群|エイズ]]学研究センター
*環境安全センター
*[[埋蔵文化財]]調査センター
;施設
*五高記念館
*附属図書館
**医学系分館
**薬学部分館
==== 附属学校 ====
*[[熊本大学教育学部附属幼稚園|教育学部附属幼稚園]]
*[[熊本大学教育学部附属小学校|教育学部附属小学校]]
*[[熊本大学教育学部附属中学校|教育学部附属中学校]]
*[[熊本大学教育学部附属特別支援学校|教育学部附属特別支援学校]]
=== 研究 ===
==== 21世紀COEプログラム ====
[[21世紀COEプログラム]]として、2件採択された。
*2002年
*;生命科学
*:細胞系譜制御研究教育ユニットの構築
*2003年
*;機械、土木、建築、その他工学
*:衝撃エネルギー科学の深化と応用
==== グローバルCOEプログラム ====
[[グローバルCOEプログラム]]として、3件採択されている。
*2007年
:;生命科学
:*細胞系譜制御研究の国際的人材育成ユニット
*2008年
:;医学系
:*[[後天性免疫不全症候群|エイズ]]制圧を目指した国際教育研究拠点
:;機械、土木、建築、その他工学
:*衝撃エネルギー工学グローバル先導拠点
=== 教育 ===
== 学生生活 ==
<!--学生自治会に関係する内容は、適宜下位の節に織り込む。-->
=== 課外活動 ===<!--
※各大学によって、団体名の呼称や範囲が異なっているので、学生組織の規約または大学事務局発行の資料などに基づいて適切な節名とする。全公認学生団体・部・サークルのリストを掲載しなければ大学に関して説明できないという特段の事情がある場合には、歴史的社会的にどのような価値を持つのかをふまえながらどのような事情であるのかを関係者以外でも理解できるようにこの節にまとめる。-->
==== 体育会・サークル ====
熊本大学の場合、課外活動を行う団体・組織は、体育系の全学公認サークルを統括する学生組織の熊本大学体育会が存在する。
;体育会関連行事
体育会所属44サークルが各々行う競技スポーツの他に、全学生が参加できるレクリエーション色の強い各種スポーツ大会を行っている。体育会の本部が主催したり、体育会の幹事会が主催で開催しているスポーツ大会である。体育会会員に入会するとスポーツ大会が基本的に無料で参加できる(一部を除く)。
*5月:新入生歓迎ソフトボール・ドッジボール・ボウリング大会、アーチェリー大会
*6月:[[カバディ|カバディー]]大会、ソフトテニス大会、ソフトボール大会、[[梅雨]]ボウリング大会、レガッタ大会
*7月:3ON3大会、ミニサッカー大会
*11月:[[阿蘇山|阿蘇]]耐久遠歩大会、秋季ソフトボール大会、卓球大会、バドミントン大会
*12月:[[立田山 (熊本県)|立田山]]駅伝大会、クリスマスボウリング大会、バレーボール大会
*1月:サッカー大会、バスケットボール大会
==== 学園祭 ====<!--
※学園祭の規模が大きい場合はこの項目の名称を学園祭名で立ててもよい。またキャンパスによって学園祭が別途開催されている場合にはそれぞれ節を作り説明してもよい。-->
熊本大学には紫熊祭と本九祭の2つの[[大学祭|学園祭]]がある。紫熊祭が全学的な学園祭であるのに対して、本九祭は医学部の学生を中心として行われている。ここでは紫熊祭について解説する。
==== 紫熊祭 ====
紫熊祭(しぐまさい、SIGMA Festival)は熊本大学黒髪北地区キャンパス(黒髪南地区キャンパスも含む)で開催される。紫熊祭実行委員会により開催されている。かつては熊粋祭(ゆうすいさい)と呼ばれていたが、2012年度に熊粋祭実行委員が消滅し、新たに立ち上げられた。紫熊祭の開催は、開学記念日の11月1日前後の3日間となっている。紫熊祭で行われる企画、運営および全ての準備は学生の手で行われている。
==== スポーツ ====<!--
※部活動の一環として行われているものが多い場合は、その中に織り込むことも可能である。所属連盟に関してはここで記す。-->
*体育会硬式野球部は中九州大学野球連盟に所属している。
*熊本県下の大学が持ち回りで開催している熊本地区大学総合体育大会に参加している。
*工学部と教育学部がそれぞれ運動会を開催している。
== 施設 ==
=== キャンパス ===
{{座標一覧}}
[[画像:KumamotoUniv IMG.jpg|200px|thumb|黒髪北キャンパス・五高記念館]]
[[画像:KumamotoUniv IMC.jpg|200px|thumb|黒髪南キャンパス・百周年記念館]]
;黒髪北キャンパス({{Coord|32|48|57.9|N|130|43|43.9|E|type:edu_region:JP|name=熊本大学黒髪北キャンパス}})
*使用学部:文学部、教育学部、法学部
*使用研究科:大学院文学研究科、大学院教育学研究科、大学院法学研究科、大学院社会文化科学研究科、大学院法曹養成研究科、養護教諭特別別科
*使用附属施設:上記部局等に関連する附属機関・施設、大学教育統括管理運営機構、附属図書館、五高記念館
*最寄駅・停留所:[[九州旅客鉄道|JR]][[竜田口駅]]より徒歩25分。同駅より[[九州産交バス]]、または[[熊本電気鉄道|熊本電鉄バス]](E系統)に乗車して「熊本大学前」下車。[[熊本桜町バスターミナル|桜町BT]]より九州産交バス、熊本電鉄バスに乗車して「熊本大学前」下車。
;黒髪南キャンパス({{Coord|32|48|48.2|N|130|43|41|E|type:edu_region:JP|name=熊本大学黒髪南キャンパス}})
*使用学部:理学部、工学部
*使用研究科:大学院自然科学研究科
*使用附属施設:上記部局等に関連する附属機関・施設
*最寄駅・停留所:JR竜田口駅より徒歩25分。同駅より九州産交バス(E系統)または熊本電鉄バス(E系統)に乗車して「熊本大学前」下車。桜町BTより九州産交バス、熊本電鉄バスに乗車して「熊本大学前」下車。
;本荘・九品寺キャンパス({{Coord|32|47|40.2|N|130|42|45.5|E|type:edu_region:JP|name=熊本大学本荘・九品寺キャンパス}})
*使用学部:医学部
*使用研究科:大学院医学薬学研究部、大学院医学教育部
*使用附属施設:上記部局等に関連する附属機関・施設(熊本大学病院など)
*最寄駅・停留所:[[熊本駅]]・[[南熊本駅]]が最寄り。熊本駅からは[[熊本都市バス]](O2-0、O3-0,1、H4-1、G1-6、K6-0系統)に乗車して「大学病院前」で下車。桜町BTより[[熊本バス]](P2系統)、熊本都市バス(P0、P2、L0系統)に乗車して「大学病院前」で下車。あるいは南熊本駅から徒歩25分。
;大江キャンパス({{Coord|32|47|41.7|N|130|43|14.8|E|type:edu_region:JP|name=熊本大学大江キャンパス}})
*使用学部:薬学部
*使用研究科:大学院医学薬学研究部、大学院薬学教育部
*使用附属施設:上記部局等に関連する附属機関・施設
*最寄駅・停留所:JR[[新水前寺駅]]が最寄駅。[[熊本市電]]・九州産交バス・熊本バス・熊本都市バスに乗車して「[[味噌天神前停留場|味噌天神前]]」で下車。
== 対外関係 ==
=== 他大学との協定(単位認定・留学等) ===
;国内・学術交流等協定校
*[[放送大学学園]]<ref>{{PDFlink|[https://www.ouj.ac.jp/hp/nyugaku/tanigokan/pdf/tanigokan_annai.pdf 放送大学 平成28年度 単位互換案内]}}</ref>
;大学間交流協定校
:○…学術締結、△…学生締結、()内は締結年。
*{{USA}}
**モンタナ州立大学 ○ (1987), △ (1987)
**[[モンタナ大学]] ○ (1987), △ (1987)
**[[バージニア・コモンウェルス大学]] ○ (1989)
**ノースカロライナ大学シャーロット校 ○ (1990)
**テキサス工科大学 ○ (1994)
**[[テキサス大学サンアントニオ校]] ○ (2010)
**[[カリフォルニア大学ロサンゼルス校]] ○ (2014)
**[[マサチューセッツ大学]]ボストン校 ○ (2016)
**[[ジョージア大学]] ○ (2017)
**[[ライト州立大学]] ○ (2017)
**アラスカ大学 ○ (2018)
*{{CAN}}
**[[アルバータ大学]] ○ (2001)
**[[マギル大学]] ○ (2016)
*{{MEX}}
**ヌエボレオン州立自治大学機械電気工学部 ○ (2017), △ (2017)
*{{AUS}}
**[[ニューカッスル大学 (オーストラリア)|ニューカッスル大学]] ○ (2008), △ (1986)
**[[クイーンズランド工科大学]] ○ (2014), △ (2014)
**[[シドニー工科大学]] ○ (2017), △ (2017)
*{{NZL}}
**[[マッセー大学]] ○ (2008)
*{{CHN}}
**[[広西師範大学]] ○ (2005), △ (2005)
**[[同済大学]] ○ (2007), △ (2005)
**南昌大学 ○ (2006)
**[[大連理工大学]] ○ (2006), △ (2006)
**[[上海師範大学]] ○ (2008), △ (2008)
**[[南開大学]] ○ (2009)
**[[山東大学]] ○ (2009), △ (2009)
**[[吉林大学]] ○ (2009), △ (2009)
**[[四川大学]] ○ (2009), △ (2009)
**[[ハルビン工業大学]] ○ (2009), △ (2009)
**[[東北大学 (中国)|東北大学]] ○ (2010), △ (2010)
**北京工業大学 ○ (2011), △ (2011)
**[[澳門大学]] ○ (2011), △ (2011)
**[[深圳大学]] ○ (2011), △ (2011)
**[[華東政法大学]] ○ (2011), △ (2011)
**吉林化工学院 ○ (2013), △ (2013)
**[[東北師範大学]] ○ (2014), △ (2014)
**[[重慶大学]] ○ (2014), △ (2014)
**南京師範大学 ○ (2015), △ (2015)
**桂林理工大学 ○ (2015), △ (2015)
**安徽大学 ○ (2015), △ (2015)
**[[武漢理工大学]] ○ (2016), △ (2016)
**[[広西医科大学]] ○ (2018), △ (2018)
*{{TWN}}
**[[南台科技大学]] ○ (2008), △ (2008)
**[[国立清華大学]] ○ (2015), △ (2015)
**[[国立高雄大学]] ○ (2016), △ (2016)
**長榮大学 ○ (2016), △ (2016)
*{{KOR}}
**[[培材大学校]] ○ (1999), △ (2000)
**[[東亜大学校]] △ (2005)
**[[KAIST]] ○ (2006), △ (2006)
**[[朝鮮大学校 (韓国)|朝鮮大学校]] ○ (2009), △ (2009)
**[[釜慶大学校]] ○ (2011), △ (2011)
**[[ソウル市立大学校]] ○ (2011), △ (2011)
**[[亜洲大学校]] ○ (2011), △ (2011)
**[[忠北大学校]] ○ (2012), △ (2012)
**[[釜山大学校]] ○ (2012), △ (2012)
**[[全北大学校]] ○ (2012), △ (2012)
**韓南大学校 ○ (2016), △ (2016)
*{{PHI}}
**[[フィリピン大学]]ディリマン校 ○ (2002), △ (2011)
**フィリピン大学ロスバニョス校 ○ (2015)
**アテネオ・デ・マニラ大学 ○ (2016), △ (2016)
*{{IDN}}
**スラバヤ工科大学連合 ○ (2008), △ (2008)
**[[バンドン工科大学]] ○ (2011), △ (2011)
**[[ガジャ・マダ大学]] ○ (2013), △ (2013)
**[[アイルランガ大学]] ○ (2013), △ (2014)
**[[ウダヤナ大学]] ○ (2015)
**[[インドネシア大学]] ○ (2016), △ (2016)
**ブラウィジャヤ大学 ○ (2016), △ (2016)
*{{VIE}}
**[[ベトナム国家大学ハノイ校]]ハノイ科学大学 ○ (2007), △ (2008)
**[[ベトナム国家大学ホーチミン市校工科大学]] ○ (2010), △ (2010)
**[[フエ大学]] ○ (2010), △ (2010)
**[[ハノイ土木大学]] ○ (2010), △ (2010)
**ベトナム国家大学ハノイ人文社会科学大学 ○ (2016), △ (2016)
**ハノイ国家大学外国語大学 ○ (2016), △ (2016)
**貿易大学 ○ (2016), △ (2016)
*{{LAO}}
**[[ラオス国立大学]] ○ (2011), △ (2011)
*{{KHM}}
**[[王立プノンペン大学]] ○ (2016), △ (2016)
*{{THA}}
**[[カセサート大学]] ○ (1994), △ (2012)
**[[コンケン大学]] ○ (2004), △ (2005)
**[[マヒドン大学]] ○ (2013), △ (2013)
**ブラパー大学 ○ (2017), △ (2017)
**[[チエンマイ大学]] ○ (2018), △ (2018)
*{{MYS}}
**マレーシア理科大学 ○ (2012), △ (2012)
*{{MMR}}
**ヤンゴン工科大学 ○ (2015), △ (2015)
**パテイン大学 ○ (2016), △ (2016)
*{{BGD}}
**[[ダッカ大学]] (2000)
*{{IND}}
**[[インド工科大学]]ボンベイ校 ○ (2018)
*{{NPL}}
**ポカラ大学 ○ (2010)
*{{TUR}}
**エーゲ大学 ○ (2000), △ (2005)
**チャナッカレ・オンセキズ・マルト大学 ○ (2015), △ (2015)
*{{GBR}}
**[[ダラム大学]] ○ (2015), △ (1993)
**[[バーミンガム大学]] ○ (1993)
**[[リーズ大学]] △ (2006)
*{{IRL}}
**ウォーターフォード工科大学 ○ (2018), △ (2018)
*{{FRA}}
**ボルドー工科大学 △ (2006)
**[[ボルドー大学]] ○ (2007), △ (2007)
**[[エクス=マルセイユ大学]] ○ (2016), △ (2016)
**ボルドー・モンテーニュ大学 ○ (2017), △ (2017)
*{{ESP}}
**[[バレンシア大学]] ○ (2014), △ (2016)
**[[バリャドリッド大学]] ○ (2018), △ (2018)
*{{DEU}}
**[[ザールラント大学]] ○ (2001), △ (2002)
**デュッセルドルフ・ハインリッヒ・ハイネ大学 ○ (2017), △ (2017)
**ベルリン技術経済大学 ○ (2018), △ (2018)
*{{ITA}}
**[[パドヴァ大学]] ○ (2018)
*{{SVN}}
**[[マリボル大学]] ○ (2016), △ (2016)
*{{HUN}}
**パーズマーニ・ペーテル・カトリック大学 ○ (2015)
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**[[ブカレスト大学]] ○ (2015), △ (2015)
*{{POL}}
**[[ワルシャワ大学]] ○ (2009), △ (2009)
**ルブリン工科大学 ○ (2015), △ (2018)
*{{EGY}}
**スエズ運河大学 ○ (2006)
**ファユム大学 ○ (2008), △ (2013)
*{{DJI}}
**[[ジブチ大学]] ○ (2013)
*{{TZA}}
**ムヒンビリ医科学大学 ○ (2015), △ (2015)
*{{RWA}}
**[[ルワンダ国立大学]] ○ (2014), △ (2014)
*{{COG}}
**ムブジマイ大学 ○ (2015), △ (2015)
*{{BFA}}
**ワガ第一ジョゼフ・キ・ゼルボ教授大学 ○ (2016)
;部局間学術交流等協定
130機関(36か国1地域)と締結している(2018年9月1日時点)。
=== 研究機関、自治体、企業との協定 ===
包括連携協定等の締結先は、大学含む研究機関が8件、自治体11件、企業13件(2019年2月20日時点)<ref>[https://www.kumamoto-u.ac.jp/kenkyuu_sangakurenkei/sangakurenkei/houkaturenkei/kyoteiitiran.pdf 包括連携協定等] 熊本大学(2019年6月22日閲覧)</ref>。このほか、[[九州産業交通ホールディングス]]が熊本市中心部に建設する再開発ビルに熊本大学が拠点を設け、人材の誘致・育成・定着を目指す協定を2019年4月に結んだ<ref>[https://r.nikkei.com/article/DGXMZO43854880X10C19A4LX0000 「熊本大、熊本市に人材開発拠点 開発ビルに入居」][[日本経済新聞]]ニュースサイト(2019年4月17日)2019年6月22日閲覧</ref>。
==== 九州・沖縄オープンユニバーシティ(KOOU)====
熊本大学を含む[[九州]]・[[沖縄県|沖縄]]地区の11国立大学法人が2023年3月21日に覚書を締結した大学間連携<ref>[https://www.kyushu-u.ac.jp/ja/topics/view/1923/ 九州・沖縄地区の11国立大学法人が研究力向上を中心とする連携協力に関し、覚書を締結しました] 九州大学公式サイト(2023年3月22日)2023年12月29日閲覧</ref>。
=== 半導体産業の研究・人材育成 ===
熊本県に[[台湾積体電路製造]](TSMC)が工場新設を決めたことから、熊本大学は[[半導体]]の研究や人材育成での[[産学官連携]]に力を入れている。2022年度に「半導体研究教育センター」を、2023年度には「半導体デジタル研究教育機構」を設立し、2024年度には半導体に重点を置く情報融合学環と工学部半導体デバイス工学課程の創設を予定している<ref name=熊大の活動>[https://nanohub.t.u-tokyo.ac.jp/kumadai_connect/?p=activity_kumadai 熊大の活動:熊本大学半導体研究教育センター設立(2022年4月~2023年3月)/半導体デジタル研究教育機構の発足/「半導体学部」情報融合学環の創設] 東京大学ナノシステム集積センター分室(2023年12月29日閲覧)</ref>。
[[東京大学]]ナノシステム集積センターが熊本大学内に分室を設けている(東大熊大連携)<ref name=熊大の活動/>ほか、2023年12月には[[九州大学]]や[[熊本県庁]]と包括連携協定を結んだ<ref>「[https://www.nikkei.com/article/DGXZQOJC260OR0W3A221C2000000/ 熊本大学と九州大学、半導体で包括連携 人材育成や研究]」日本経済新聞ニュースサイト(2023年12月26日)2023年12月29日閲覧</ref>。
== 著名な関係者・出身者 ==
{{See|熊本大学の人物一覧}}
== 同窓会 ==
*熊本大学同窓会連合会(従来の各学部の同窓会をまとめた形で、2004年に発足)
**文学部・法学部:武夫原会(ぶふげんかい)
**教育学部:教育学部同窓会
**理学部:理学部同窓会
**医学部:熊杏会(ゆうきょうかい)
**工学部:工学会
**薬学部:薬学部同窓会
**医学部保健学科:医学部保健学科同窓会
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Reflist|group="注"}}
=== 出典 ===
{{Reflist|2}}
== 関連項目 ==
{{ウィキプロジェクトリンク|大学|[[File:P Education.png|39px]]}}
*[[国立大学一覧]]
*[[夏目漱石]]
*[[小泉八雲]]
== 外部リンク ==
* [https://www.kumamoto-u.ac.jp/ 熊本大学公式サイト]
* [[b:熊本大対策|熊本大対策]]([[ウィキブックス]])
* [https://www.google.co.jp/maps/@32.8155022,130.7268877,3a,75y,341.8h,92.46t/data=!3m6!1e1!3m4!1sa4KtRwrVtboroMBnqxw2fg!2e0!7i13312!8i6656?hl=ja 熊本大学ストリートビュー]
* {{Kotobank}}
* {{Commonscat-inline}}
<!--全学連携-->
{{熊本大学}}
{{熊本大学の源流・前身諸機関}}
{{Navboxes|list=
{{スーパーグローバル大学}}
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[[Category:熊本大学|*]]
[[Category:日本の国立大学]]
[[Category:熊本県の大学|くまもと]]
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[[Category:大正時代の建築]]
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エンドヌクレアーゼ
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エンドヌクレアーゼ(英: endonuclease)は、ポリヌクレオチド鎖内部のホスホジエステル結合を切断する酵素である。デオキシリボヌクレアーゼI(英語版)(DNase I)など一部の酵素はDNAを非特異的に(配列に関係なく)切断するが、一般的に制限酵素と呼ばれる多くの種類は特定のヌクレオチド配列のみを非常に高い特異性で切断する。エンドヌクレアーゼは、認識配列の末端ではなく内部(endo-)を切断する点で、エキソヌクレアーゼとは異なる。一方、一部の酵素は"exo-endonuclease"として知られ、エンドヌクレアーゼ様の活性とエキソヌクレアーゼ様の活性の双方を示す。エンドヌクレアーゼの活性には、エキソヌクレアーゼの活性と比較して遅れがみられることが示唆されている。
制限酵素は、特定のDNA配列を認識する、真正細菌や古細菌由来のエンドヌクレアーゼである。一般的に、制限酵素認識部位は4から6ヌクレオチドの長さの回文配列となっている。大部分の制限酵素は、相補的な一本鎖末端を残すような形で切断する。こうした末端はハイブリダイゼーションによって再連結することができ、「粘着末端」と呼ばれる。末端どうしが対合すると、断片はDNAリガーゼによって連結される。これまで数百種類の制限酵素が知られており、それぞれ異なる部位を攻撃する。同じ酵素によって切断されたDNA断片は、異なる起源のDNAどうしであっても連結することができる。こうして作られたDNAは組換えDNAと呼ばれる。制限酵素はその作用機序によってタイプI、II、IIIの3つのカテゴリに分類される。こうした酵素は、細菌、植物、動物細胞へ導入するための組換えDNAを作製するための遺伝子操作によく利用され、また合成生物学においても利用される。Cas9もよく知られたエンドヌクレアーゼの1つである。
制限酵素は、特異的配列の切断に関して3つのカテゴリに分類される。タイプIとIIIはエンドヌクレアーゼ活性とメチラーゼ活性を持つ多サブユニット複合体である。タイプIは認識配列から約1000塩基対もしくはそれ以上離れたランダムな部位を切断し、エネルギー源としてATPを必要とする。タイプIIは1970年にHamilton Smithによって初めて単離された、より単純なエンドヌクレアーゼであり、分解過程にATPを必要としない。タイプII制限酵素の例としては、BamHI、EcoRI、EcoRV、HindIII、HaeIIIなどがある。タイプIIIは認識配列から約25塩基対離れたDNAを切断し、ATPを必要とする。
エンドヌクレアーゼはDNA修復にも関与している。APエンドヌクレアーゼ(英語版)はAP部位(英語版)でのみDNAへの切り込み(incision)を触媒し、その後のDNAの切除(excision)、修復合成、ライゲーションに備える。例えば脱プリン化が生じた際には、塩基を持たないデオキシリボースが残される。APエンドヌクレアーゼはこうした糖を認識してこの部位のDNAに切り込みを入れ、DNA修復の継続を可能にする。
原核生物、真核生物の一般的なエンドヌクレアーゼの表を下に示す。
色素性乾皮症は、エンドヌクレアーゼの欠陥によって引きこされる稀な常染色体劣性遺伝疾患である。変異を抱える患者は、日光によって引き起こされたDNA損傷を修復することができない。
鎌状赤血球症はヘモグロビンβ鎖の点変異によって引き起こされる疾患である。変異による配列の変化によって制限酵素MstIIの認識部位が消失するため、この酵素を診断に利用することができる。
tRNAのスプライシングに関与するエンドヌクレアーゼの変異によって、橋小脳低形成(英語版)(PCH)が引き起こされる。PCHはtRNAスプライシングエンドヌクレアーゼ複合体の4つのサブユニットのうちの3つの変異によって引き起こされる、常染色体劣性神経変性疾患群である。
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エンドヌクレアーゼは、ポリヌクレオチド鎖内部のホスホジエステル結合を切断する酵素である。デオキシリボヌクレアーゼIなど一部の酵素はDNAを非特異的に(配列に関係なく)切断するが、一般的に制限酵素と呼ばれる多くの種類は特定のヌクレオチド配列のみを非常に高い特異性で切断する。エンドヌクレアーゼは、認識配列の末端ではなく内部(endo-)を切断する点で、エキソヌクレアーゼとは異なる。一方、一部の酵素は"exo-endonuclease"として知られ、エンドヌクレアーゼ様の活性とエキソヌクレアーゼ様の活性の双方を示す。エンドヌクレアーゼの活性には、エキソヌクレアーゼの活性と比較して遅れがみられることが示唆されている。 制限酵素は、特定のDNA配列を認識する、真正細菌や古細菌由来のエンドヌクレアーゼである。一般的に、制限酵素認識部位は4から6ヌクレオチドの長さの回文配列となっている。大部分の制限酵素は、相補的な一本鎖末端を残すような形で切断する。こうした末端はハイブリダイゼーションによって再連結することができ、「粘着末端」と呼ばれる。末端どうしが対合すると、断片はDNAリガーゼによって連結される。これまで数百種類の制限酵素が知られており、それぞれ異なる部位を攻撃する。同じ酵素によって切断されたDNA断片は、異なる起源のDNAどうしであっても連結することができる。こうして作られたDNAは組換えDNAと呼ばれる。制限酵素はその作用機序によってタイプI、II、IIIの3つのカテゴリに分類される。こうした酵素は、細菌、植物、動物細胞へ導入するための組換えDNAを作製するための遺伝子操作によく利用され、また合成生物学においても利用される。Cas9もよく知られたエンドヌクレアーゼの1つである。
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'''エンドヌクレアーゼ'''({{Lang-en-short|endonuclease}})は、[[ポリヌクレオチド]]鎖内部の[[ホスホジエステル結合]]を切断する[[酵素]]である。{{仮リンク|デオキシリボヌクレアーゼI|en|Deoxyribonuclease I}}(DNase I)など一部の酵素はDNAを非特異的に(配列に関係なく)切断するが、一般的に[[制限酵素]]と呼ばれる多くの種類は特定のヌクレオチド配列のみを非常に高い特異性で切断する。エンドヌクレアーゼは、認識配列の末端ではなく内部(endo-)を切断する点で、[[エキソヌクレアーゼ]]とは異なる。一方、一部の酵素は"'''exo-endonuclease'''"として知られ、エンドヌクレアーゼ様の活性とエキソヌクレアーゼ様の活性の双方を示す<ref name=":0">{{Cite web |url=https://www.neb.com/tools-and-resources/selection-charts/properties-of-exonucleases-and-endonucleases |title=Properties of Exonucleases and Endonucleases |date=2017 |website=New England BioLabs |access-date=May 21, 2017}}</ref>。エンドヌクレアーゼの活性には、エキソヌクレアーゼの活性と比較して遅れがみられることが示唆されている<ref name=":1">{{Cite journal|last=Slor|first=Hanoch|date=April 14, 1975|title=Differenttation between exonucleases and endonucleases and between haplotomic and diplotomic endonucleases using 3H-DNA-coated wells of plastic depression plates as substrate|journal=Nucleic Acids Research|volume=2|issue=6|pages=897–903|doi=10.1093/nar/2.6.897|pmid=167356|pmc=343476}}</ref>。
制限酵素は、特定のDNA配列を認識する、[[真正細菌]]や[[古細菌]]由来のエンドヌクレアーゼである<ref name=":2">{{cite book|author1=Stephen T. Kilpatrick|author2=Jocelyn E. Krebs|author3=Lewin, Benjamin|author4=Goldstein, Elliott|title=Lewin's genes X|publisher=Jones and Bartlett|location=Boston|year=2011|isbn=978-0-7637-6632-0|url-access=registration|url=https://archive.org/details/lewinsgenesx0000unse}}</ref>。一般的に、制限酵素認識部位は4から6ヌクレオチドの長さの[[回文配列]]となっている。大部分の制限酵素は、相補的な一本鎖末端を残すような形で切断する。こうした末端はハイブリダイゼーションによって再連結することができ、「粘着末端」と呼ばれる。末端どうしが対合すると、断片は[[DNAリガーゼ]]によって連結される。これまで数百種類の制限酵素が知られており、それぞれ異なる部位を攻撃する。同じ酵素によって切断されたDNA断片は、異なる起源のDNAどうしであっても連結することができる。こうして作られたDNAは[[組換えDNA]]と呼ばれる<ref name="Cox_Nelson_Lehninger_2005">{{cite book|vauthors=Cox M, Nelson DR, Lehninger AL|title=Lehninger principles of biochemistry|publisher=W.H. Freeman|location=San Francisco|year=2005|pages=[https://archive.org/details/lehningerprincip00lehn_0/page/952 952]|isbn=978-0-7167-4339-2|url-access=registration|url=https://archive.org/details/lehningerprincip00lehn_0/page/952}}</ref>。制限酵素はその作用機序によってタイプI、II、IIIの3つのカテゴリに分類される。こうした酵素は、細菌、植物、動物細胞へ導入するための組換えDNAを作製するための[[遺伝子操作]]によく利用され、また[[合成生物学]]においても利用される<ref name="Simon_2010">{{cite book|author=Simon M|title=Emergent computation: Emphasizing Bioinformatics|year=2010|publisher=Springer|location=New York|isbn=978-1441919632|pages=437}}</ref>。[[Cas9]]もよく知られたエンドヌクレアーゼの1つである。
== 制限酵素 ==
{{Main|制限酵素}}
制限酵素は、特異的配列の切断に関して3つのカテゴリに分類される。タイプIとIIIはエンドヌクレアーゼ活性と[[メチルトランスフェラーゼ|メチラーゼ]]活性を持つ多サブユニット複合体である。タイプIは認識配列から約1000塩基対もしくはそれ以上離れたランダムな部位を切断し、エネルギー源として[[アデノシン三リン酸|ATP]]を必要とする。タイプIIは1970年にHamilton Smithによって初めて単離された、より単純なエンドヌクレアーゼであり、分解過程にATPを必要としない。タイプII制限酵素の例としては、''Bam''HI、[[EcoRI|''Eco''RI]]、[[EcoRV|''Eco''RV]]、[[HindIII|''Hin''dIII]]、''Hae''IIIなどがある。タイプIIIは認識配列から約25塩基対離れたDNAを切断し、ATPを必要とする<ref name="Cox_Nelson_Lehninger_2005" />。
== DNA修復 ==
エンドヌクレアーゼは[[DNA修復]]にも関与している。{{仮リンク|APエンドヌクレアーゼ|en|AP endonuclease}}は{{仮リンク|AP部位|en|AP site}}でのみDNAへの切り込み(incision)を触媒し、その後のDNAの切除(excision)、修復合成、ライゲーションに備える。例えば脱[[プリン (化学)|プリン]]化が生じた際には、[[核酸塩基|塩基]]を持たない[[デオキシリボース]]が残される<ref name="isbn1-55581-319-4">{{cite book|vauthors=Ellenberger T, Friedberg EC, Walker GS, Wolfram S, Wood RJ, Schultz R|title=DNA repair and mutagenesis|publisher=ASM Press|location=Washington, D.C|year=2006|isbn=978-1-55581-319-2}}</ref>。APエンドヌクレアーゼはこうした糖を認識してこの部位のDNAに切り込みを入れ、DNA修復の継続を可能にする<ref name="isbn0-8153-3218-1">{{cite book|author=Alberts B|title=Molecular biology of the cell|publisher=Garland Science|location=New York|year=2002|isbn=978-0-8153-3218-3}}</ref>。
[[File:APEndonucleasecartoon.gif|APEndonucleasecartoon]]
== 一般的なエンドヌクレアーゼ ==
原核生物、真核生物の一般的なエンドヌクレアーゼの表を下に示す<ref name=":3">{{cite book|author1=Tania A. Baker|author2=Kornberg, Arthur|title=DNA replication|publisher=University Science|year=2005|isbn=978-1-891389-44-3}}</ref>。
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! 原核生物酵素 !! 由来 !! コメント
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| [[RecBCD]]エンドヌクレアーゼ || [[大腸菌]] || 一部はATP依存的、エキソヌクレアーゼ活性も持つ。組換えや修復に機能する。
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| T7エンドヌクレアーゼ ({{Uniprot|P00641}}) || [[T7ファージ]] (gene 3) || 複製に必要不可欠。二本鎖DNAよりも一本鎖DNAに対する選択性。
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| T4エンドヌクレアーゼII ({{Uniprot|P07059}}) || [[T4ファージ]] (denA) || -TpC-配列を切断し、5'-dCMP末端を持つオリゴヌクレオチドを形成する。反応産物の長さは条件によって変化する。
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| Bal 31エンドヌクレアーゼ || ''Pseudoalteromonas espejiana'' || エキソヌクレアーゼとしても作用する。二本鎖DNAの3'、5'末端を削りとる。反応が速い酵素と遅い酵素の少なくとも2種類のヌクレアーゼの混合物である<ref name=":4">{{cite journal|last1=Wei|first1=CF|last2=Alianell|first2=GA|last3=Bencen|first3=GH|last4=Gray HB|first4=Jr|date=25 November 1983|title=Isolation and comparison of two molecular species of the BAL 31 nuclease from Alteromonas espejiana with distinct kinetic properties.|url=http://www.jbc.org/content/258/22/13506.long|journal=The Journal of Biological Chemistry|volume=258|issue=22|pages=13506–12|pmid=6643438}}</ref>。
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| エンドヌクレアーゼI (endoI; {{Uniprot|P25736}}) || 大腸菌 (endA) || [[ペリプラズム]]に局在。反応産物の平均的長さは7塩基。[[転移RNA|tRNA]]によって阻害される。二本鎖切断を形成する。tRNAとの複合体形成時には[[ニック (DNA)|ニック]]が形成される。この酵素の変異体は正常に生育する。
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| {{仮リンク|ミクロコッカスヌクレアーゼ|en|Micrococcal nuclease}} ({{Uniprot|P00644}}) || [[ブドウ球菌]] || 3'-P末端を形成する。[[カルシウム|Ca<sup>2+</sup>]]要求性。RNAにも作用する。一本鎖DNAとATリッチ領域に対する選択性。
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| エキソヌクレアーゼIII (exoIII; {{Uniprot|P09030}}) || 大腸菌 (xthA) || AP部位の隣で切断する。3'<nowiki>-></nowiki>5'エキソヌクレアーゼ活性も持つ。3'-P末端に対するホスホモノエステラーゼ活性。
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! 真核生物酵素 !! 由来 !! コメント
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| Neurospora endonuclease<ref>{{cite journal |last1=Linn |first1=S |last2=Lehman |first2=IR |title=An endonuclease from mitochondria of Neurospora crassa. |journal=The Journal of Biological Chemistry |date=10 June 1966 |volume=241 |issue=11 |pages=2694–9 |pmid=4287861}}</ref> || [[アカパンカビ]], [[ミトコンドリア]] || RNAにも作用
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| {{仮リンク|S1ヌクレアーゼ|en|Nuclease S1}} ({{Uniprot|P24021}}) || [[ニホンコウジカビ]] || RNAにも作用
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| P1 nuclease ({{Uniprot|P24289}}) || ''Penicillium citrinum'' || RNAにも作用
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| Mung bean nuclease I || [[リョクトウ|緑豆]]スプラウト || RNAにも作用
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| Ustilago nuclease (DNase I)<ref>{{cite journal |last1=Holloman |first1=WK |last2=Holliday |first2=R |title=Studies on a nuclease from Ustilago maydis. I. Purification, properties, and implication in recombination of the enzyme. |journal=The Journal of Biological Chemistry |date=10 December 1973 |volume=248 |issue=23 |pages=8107–13 |pmid=4201782}}</ref> || ''Ustilago maydis'' || RNAにも作用
|-
| DNase I ({{uniprot|P00639}}) || ウシ膵臓 || 反応産物の平均的長さは4塩基。[[マンガン|Mn<sup>2+</sup>]]の存在下で二本鎖切断を形成する。
|-
| {{仮リンク|APエンドヌクレアーゼ|en|AP endonuclease}} || 核, ミトコンドリア || DNA[[塩基除去修復]]経路に関与
|-
| Endo R<ref>{{cite journal |last1=Gottlieb |first1=J |last2=Muzyczka |first2=N |title=Purification and characterization of HeLa endonuclease R. A G-specific mammalian endonuclease. |journal=The Journal of Biological Chemistry |date=5 July 1990 |volume=265 |issue=19 |pages=10836–41 |pmid=2358441}}</ref> || [[HeLa細胞]] || GC部位特異的
|}
== 疾患との関係 ==
[[色素性乾皮症]]は、エンドヌクレアーゼの欠陥によって引きこされる稀な[[常染色体劣性]]遺伝疾患である。変異を抱える患者は、日光によって引き起こされたDNA損傷を修復することができない<ref name="isbn0-470-65451-1">{{cite book|title=Medical Biochemistry at a Glance|publisher=Wiley|location=New York|year=2012|isbn=978-0-470-65451-4}}</ref>。
[[鎌状赤血球症]]は[[ヘモグロビン]]β鎖の[[点突然変異|点変異]]によって引き起こされる疾患である。変異による配列の変化によって制限酵素MstIIの認識部位が消失するため、この酵素を診断に利用することができる<ref name="isbn0-7817-6960-4">{{cite book|vauthors=Ferrier DR, Champe PC, Harvey RP|title=Biochemistry|publisher=Wolters Kluwer/Lippincott Williams & Wilkins|location=Philadelphia|year=2008|isbn=978-0-7817-6960-0}}</ref>。
[[Pre-tRNA スプライシング|tRNAのスプライシング]]に関与するエンドヌクレアーゼの変異によって、{{仮リンク|橋小脳低形成|en|Pontocerebellar hypoplasia}}(PCH)が引き起こされる。PCHはtRNAスプライシングエンドヌクレアーゼ複合体の4つのサブユニットのうちの3つの変異によって引き起こされる、常染色体劣性[[神経変性疾患]]群である<ref name="pmid18711368">{{cite journal|date=September 2008|title=tRNA splicing endonuclease mutations cause pontocerebellar hypoplasia|journal=[[Nat. Genet.]]|volume=40|issue=9|pages=1113–8|doi=10.1038/ng.204|pmid=18711368|vauthors=Budde BS, Namavar Y, Barth PG, Poll-The BT, Nürnberg G, Becker C, van Ruissen F, Weterman MA, Fluiter K, te Beek ET, Aronica E, van der Knaap MS, Höhne W, Toliat MR, Crow YJ, Steinling M, Voit T, Roelenso F, Brussel W, Brockmann K, Kyllerman M, Boltshauser E, Hammersen G, Willemsen M, Basel-Vanagaite L, Krägeloh-Mann I, de Vries LS, Sztriha L, Muntoni F, Ferrie CD, Battini R, Hennekam RC, Grillo E, Beemer FA, Stoets LM, Wollnik B, Nürnberg P, Baas F}}</ref>。
== 出典 ==
{{Reflist|35em}}
== 関連項目 ==
* [[エキソヌクレアーゼ]]
* [[制限酵素]]
* [[ヌクレアーゼ]]
* [[リボヌクレアーゼ]]
* {{仮リンク|APエンドヌクレアーゼ|en|AP endonuclease}}
* {{仮リンク|HUHエンドヌクレアーゼ|en|HUH-tag}}
{{DEFAULTSORT:えんとぬくれああせ}}
[[Category:EC 3.1]]
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ヌクレアーゼ
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ヌクレアーゼ(英: nuclease)は、核酸のヌクレオチド間のホスホジエステル結合を切断することができる酵素である。古くはヌクレオデポリメラーゼ(英: nucleodepolymerase)またはポリヌクレオチダーゼ(英: polynucleotidase)とも呼ばれた。ヌクレアーゼは、標的分子の一本鎖および二本鎖をさまざまな様式で切断する。ヌクレアーゼは、生体内におけるDNA修復に関わる多くの側面で不可欠な機構である。ある種のヌクレアーゼの欠陥は、遺伝的不安定性や免疫不全を引き起こす可能性がある。また、ヌクレアーゼは、分子クローニング(英語版)にも広く用いられている。
ヌクレアーゼは、その活性座位によって2種類に大別される。エキソヌクレアーゼ (en:英語版) は、核酸を末端から消化する。エンドヌクレアーゼ (en:英語版) は、標的分子の途中にある領域に作用する。これらはさらに、デオキシリボヌクレアーゼとリボヌクレアーゼに分類できる。前者はDNAに作用し、後者はRNAに作用する。
1960年代後半、科学者のスチュアート・リンとヴェルナー・アーバーは、大腸菌(E. coli)でのファージ増殖制限に関与する2種類の酵素の標本を単離した。これらの酵素の一方はDNAにメチル基を付加してメチル化DNAを生成し、他方は非メチル化DNAを分子の長さ方向に沿ったさまざまな場所で切断した。最初の種類の酵素は「メチラーゼ」、もう一方は「制限ヌクレアーゼ」と呼ばれた。DNA分子を「切り貼り」するための必要な道具を集めていた科学者にとって、これらの酵素学的な道具は重要であった。そこで必要とされたのが、分子の長さに沿ったランダムな位置ではなく、特定の部位でDNAを切断し、科学者が予測可能かつ再現性のある方法でDNA分子を切断できる道具であった。
1968年、ジョンズ・ホプキンス大学で研究していたハミルトン・スミス、K・W・ウィルコックス、トーマス・J・ケリー(英語版)が、特定のDNAヌクレオチド配列に依存して機能する最初の制限酵素を単離し、その特徴を明らかにしたとき、重要な進展がもたらされた。このグループは、インフルエンザ菌を使った研究で、6つの塩基対からなる特定の配列内の特定の位置で常にDNA分子を切断するHindIIと呼ばれる酵素を単離した。彼らは、HindII酵素が常にその配列の中心(3番目と4番目の塩基対の間)を直接切断することを発見した。
ほとんどのヌクレアーゼは、「国際生化学・分子生物学連合命名法委員会」のEC番号によって、加水分解酵素(ヒドロラーゼ)(EC番号3)として分類されている。ヌクレアーゼは、ホスホジエステラーゼ、リパーゼ、およびホスファターゼと同様に、加水分解酵素のサブグループであるエステラーゼ(EC番号3.1)に属する。ヌクレアーゼが属するエステラーゼは、EC番号3.1.11 - EC番号3.1.31に分類される。
ヌクレアーゼの一次構造は、最小限の活性部位が保存される他は大部分が保存されておらず、その表面は主に、酸性および塩基性のアミノ酸残基から構成されている。ヌクレアーゼはフォールディングファミリーに分類される。
ヌクレアーゼは、核酸分子を切断する前に、核酸と結合しなければならない。それには、ある程度の認識が必要となる。ヌクレアーゼは、その認識と結合の様式において、特異的および非特異的な結合の両方をさまざまに用いる。どちらの様式も、生存生物内、特にDNA修復において重要な役割を果たしている。
DNA修復に関与する非特異的エンドヌクレアーゼは、DNAを走査して標的配列(英語版)や損傷(英語版)を探し出すことができる。このようなヌクレアーゼは、DNAに沿って拡散し、標的に遭遇すると、その活性部位の残基はDNAの化学基と相互作用する。EcoRV、BamHI(英語版)、PvuIIなどのエンドヌクレアーゼの場合、この非特異的結合には、タンパク質の最小表面積(英語版)とDNAとの間の静電的相互作用が含まれる。この弱い結合により、DNAの全体的な形状は変形せず、B型構造(英語版)のままとなる。
これに対し、部位特異的ヌクレアーゼは、はるかに強い結合を形成し、DNAをそのDNA結合ドメインの深い溝に引き込む。これによりDNAの三次構造が大きく変形し、塩基性(正電荷を持つ)の残基を多く含む表面が実現される。それはDNAとの広範な静電的相互作用に関与する。
DNA修復に関与するヌクレアーゼの中には、部分的な配列特異性を示すものがある。ただし、ほとんどは非特異的で、塩基対の不一致によってDNA骨格に生じた構造異常を認識する。
詳細については、フラップエンドヌクレアーゼ(英語版)を参照。
HindIIの発見以来、230以上の菌株から900種類以上の制限酵素が単離され、中には配列特異的なものも、そうではないものもある。これらの制限酵素には、一般にその起源を反映した名前がつけられる。名前の最初の文字は属名に由来し、次の2文字は、それらが単離された原核細胞の種名に由来する。たとえば、EcoRIはEscherichia coli RY13(大腸菌 RY13株)に由来し、HindIIはHaemophilus influenzae strain Rd(インフルエンザ菌 Rd株)に由来する。ヌクレアーゼ名に続く数字は、その酵素が単一菌株から単離された順序を示す(例:EcoRI、EcoRII)。
制限エンドヌクレアーゼは、DNA分子を長さ方向に沿って「走査」することで機能を果たす。それは、特定の認識配列に遭遇するとDNA分子に結合し、2つの糖-リン酸主鎖をそれぞれ1つずつ切断する。この2つの切断の位置は互いに関連し、また認識配列自体にも関連しており、制限エンドヌクレアーゼの独自性によって決定される。エンドヌクレアーゼが異なれば切断の仕方も異なるが、特定のエンドヌクレアーゼは、作用するDNA分子に関わらず、特定の塩基配列を常に同じように切断する。切断が行われると、DNA分子は断片に分割される。
すべての制限エンドヌクレアーゼが、上記のHindIIのように対称的に切断し、平滑末端を残すわけではない。多くのエンドヌクレアーゼは、互いに正対しない位置でDNA主鎖を切断し、オーバーハングを形成する。たとえば、ヌクレアーゼEcoRIの認識配列は5'—GAATTC—3'である。
酵素はこの配列に遭遇すると、Gと最も近いA塩基残基の間の各骨格を切断する。切断されて生成した断片は、互いに相補的な塩基を接続する比較的弱い水素結合によってのみ保持される。この結合の弱さは、DNA断片が互いに分離することを可能にする。得られた各断片には、不対塩基からなる突出した5'末端がある。別の酵素は、DNA骨格に切れ目を作り、3' 末端が突出する。突出した末端(3' と 5' ともに)は、塩基の相補的な配列と結合する傾向があり、そのために「粘着末端(英語版)」と呼ばれることもある。言い換えると、不対配列5'—AATT—3'が別の不対配列3'—TTAA—5'に遭遇すると、互いに結合する。これらは互いに粘着性を持つ。次にリガーゼと呼ばれる酵素が用いられて、2つの分子のリン酸骨格を結合する。粘着末端の細胞由来、あるいは種由来でさえ、その粘着性に影響を与えない。たとえ配列の一方がヒトDNAに由来し、もう一方が細菌DNAに由来する場合でも、相補的配列の任意の組は結合する傾向がある。実際、この粘着性の性質によって、異なる起源のDNAから構成される組換えDNA分子の作成が可能となり、遺伝子工学技術が誕生した。
すべての細胞は遺伝情報の媒体としてDNAに依存しているため、遺伝子の品質管理はすべての生物にとって不可欠な機能である。DNAの複製は誤りが起こりやすい過程であり、DNA分子自体も、多くの代謝的あるいは環境的要因のストレスを受けやすい。身近な例として、活性酸素種、近紫外線、あるいは電離放射線があげられる。多くのヌクレアーゼは、損傷部位を認識し、それを周囲のDNAから切断することでDNA修復に関与する。これらの酵素は単独で、あるいは複合体として機能する。DNA修復に関与するほとんどのヌクレアーゼは配列特異的ではない。これらは二本鎖DNA(dsDNA)の二次構造の変形を通じて損傷部位を認識する。
DNAの複製中に、DNAポリメラーゼは、相補的な鋳型鎖に対して新しいDNA鎖を伸長させる。ほとんどのDNAポリメラーゼは、ポリメラーゼと校正エキソヌクレアーゼという2つの異なる酵素的なドメインから構成されている。ポリメラーゼは、新しい鎖を 5'→3' 方向に伸長させる。エキソヌクレアーゼは、同じ鎖から誤ったヌクレオチドを 3'→5' 方向に除去する。このエキソヌクレアーゼ活性は、DNAポリメラーゼが校正を行うために不可欠である。これらのヌクレアーゼを不活性化したり失ったりする欠失は、影響を受けた微生物の突然変異率や死亡率を増加させ、マウスでは発癌率を増加させる。
DNA損傷の多くの形態は複製フォークの進行を停止させ、DNAポリメラーゼや関連する仕組みがそのフォークを放棄する原因となる。その時、これはフォーク固有のタンパク質によって処理する必要がある。最も有名な酵素はMUS81(英語版)である。酵母において、その欠失は減数分裂の欠陥に加え、紫外線またはメチル化損傷感受性を引き起こす。
細胞内では、岡崎フラグメントRNAプライマーを複製から除去する仕事が広範に行われている。このようなプライマーの多くは、RNase Hファミリーのエンドヌクレアーゼによって、新たに合成されたラギング鎖DNAから切り出される。また、真核生物や古細菌では、フラップエンドヌクレアーゼ(英語版)FEN1(英語版)も岡崎フラグメントの処理に関与している。
既知の生物におけるDNAミスマッチ修復は、一連のミスマッチ特異的エンドヌクレアーゼによって行われる。原核生物では、この役割は主にMutSLHと超短鎖パッチ修復(英語版)関連タンパク質によって担われている。
MutSLHシステム(MutS(英語版)、MutL、MutHから構成される)は、点変異と小ターン変異を修正する。MutSはミスマッチを認識して結合し、ここでMutLとMutHを動員する。MutLは、MutSとMutHの相互作用を仲介し、MutHのエンドヌクレアーゼ活性を高める。MutHは、ヘミメチル化された5'—GATC—3'部位を認識し、非メチル化鎖(最近合成された鎖)のGの隣で切断する。
VSP修復はエンドヌクレアーゼVsrによって開始される。Vsrは、メチル化シトシンのチミンへの自発的な脱アミノ化によって起こる特定のT/Gミスマッチを修正する。Vsrは配列5'—CTWGG—3'を認識し、ミスマッチしたチミンの 5' 側のDNA鎖にニック(切れ目)を入れる(前出の配列で下線が引かれている)。次に、エキソヌクレアーゼRecJ、ExoVII、またはExoIのいずれかが、DNAポリメラーゼが鎖のギャップを再合成する前に、この部位を分解する。
AP部位(英語版)の形成は、dsDNAでよく見られる。これは、塩基除去修復の中間段階として、自然加水分解とDNAグリコシラーゼの活性によって生じる。これらのAP部位は、APエンドヌクレアーゼ(英語版)によって除去され、その部位周辺の一本鎖切断を引き起こす。
ヌクレオチド除去修復は、損傷したヌクレオチドを除去し置き換えることである。これを前述の塩基除去修復と混同してはならない。架橋、付加体(英語版)、および損傷(紫外線や活性酸素によって生じる)の例は、その修復経路の引き金となりうる。そのような損傷を受けたヌクレオチドを含む一本鎖DNAの短い区間は、損傷個所の上流と下流にニックを入れる別々のエンドヌクレアーゼによって二重鎖DNAから除去される。これらのヌクレアーゼに影響を与える欠失や突然変異は、紫外線による損傷あるいは発癌に対する感受性を高める。このような異常は、神経の発達にさえ影響を与えることもある。
細菌では、UvrB-UvrC(英語版)複合体によって両方の切断が行なわる。出芽酵母では、Rad2とRad1-Rad10複合体がそれぞれ 5' 切断と 3' 切断が行われる。哺乳類では、同族体のXPG(英語版)とXPF-ERCC1が同じようにそれぞれのニックに作用する。
細胞内では、二重鎖切断が、意図的または非意図的にかかわらず定期的に行われる。意図的でない切断は、通常、電離放射線、さまざまな外因性や内因性の化学物質、および複製フォークの停止によって発生する。意図的な切断は、減数分裂やV(D)J組換えの中間体として生成され、主に相同組換えや非相同末端結合によって修復される。どちらの場合も、修復が行われる前に、二本鎖切断の末端がヌクレアーゼによって処理される必要がある。そのようなヌクレアーゼの一つに、Rad50と複合体化したMre11がある。Mre11の変異は、毛細血管拡張性運動失調症様疾患を引き起こすことがある。
V(D)J組換えでは、二本鎖切断に関連するステムループ構造を開き、その後に両端を結合させることが含まれる。アルテミス-DNAPKcs複合体(英語版)がこの反応に関与している。アルテミスは単独でも 5' → 3' ssDNAエキソヌクレアーゼ活性を示すが、DNA-PKcsとの複合体形成により、ステムループをエンドヌクレアーゼ的に処理することが可能となる。いずれかのタンパク質の欠陥は、重度の免疫不全を引き起こす。
一方、相同組換えには、Dループ(英語版)またはホリデイジャンクションで接続された2つの相同DNA二重鎖 (en:英語版) が含まれる。細菌では、RuvC(英語版)のようなエンドヌクレアーゼが、ジャンクション中心近くの2つの対称的な部位でジャンクションを切断することにより、ホリデイジャンクションを2つの別々のdsDNAに分解する。真核生物では、FEN1、XPF-ERCC1、およびMUS81がDループを切断し、Cce1(英語版)/Ydc2(英語版)がミトコンドリア内でホリデイジャンクションを処理する。
特定のヌクレアーゼが特定のDNA分子を切断する頻度は、DNAの複雑さとヌクレアーゼの認識配列の長さに依存する。偶然に特定の順序で塩基が見つかる統計的可能性のため、認識配列が長くなると切断の頻度は低くなる。たとえば、特定の4塩基配列(仮想的なヌクレアーゼの認識部位に相当)は、平均して256塩基対ごとに出現すると予測されるが(4^4=256)、任意の6塩基配列は平均して4096塩基対ごとに1回出現すると予測される(4^6=4096)。
ヌクレアーゼの独特なファミリーの1つにメガヌクレアーゼ(英語版)がある。メガヌクレアーゼは、12-40塩基対からなる、より大きな認識配列(したがってあまり一般的ではない)を持つことが特徴である。これらのヌクレアーゼは、植物や哺乳類などの複雑な生物における遺伝子工学やゲノム工学への応用に特に有用である。一般に、数十億塩基対に及ぶ大きなゲノムは、従来のヌクレアーゼでは頻繁で有害な部位特異的切断を引き起こす。
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"text": "ヌクレアーゼ(英: nuclease)は、核酸のヌクレオチド間のホスホジエステル結合を切断することができる酵素である。古くはヌクレオデポリメラーゼ(英: nucleodepolymerase)またはポリヌクレオチダーゼ(英: polynucleotidase)とも呼ばれた。ヌクレアーゼは、標的分子の一本鎖および二本鎖をさまざまな様式で切断する。ヌクレアーゼは、生体内におけるDNA修復に関わる多くの側面で不可欠な機構である。ある種のヌクレアーゼの欠陥は、遺伝的不安定性や免疫不全を引き起こす可能性がある。また、ヌクレアーゼは、分子クローニング(英語版)にも広く用いられている。",
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"text": "ヌクレアーゼは、その活性座位によって2種類に大別される。エキソヌクレアーゼ (en:英語版) は、核酸を末端から消化する。エンドヌクレアーゼ (en:英語版) は、標的分子の途中にある領域に作用する。これらはさらに、デオキシリボヌクレアーゼとリボヌクレアーゼに分類できる。前者はDNAに作用し、後者はRNAに作用する。",
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"text": "1960年代後半、科学者のスチュアート・リンとヴェルナー・アーバーは、大腸菌(E. coli)でのファージ増殖制限に関与する2種類の酵素の標本を単離した。これらの酵素の一方はDNAにメチル基を付加してメチル化DNAを生成し、他方は非メチル化DNAを分子の長さ方向に沿ったさまざまな場所で切断した。最初の種類の酵素は「メチラーゼ」、もう一方は「制限ヌクレアーゼ」と呼ばれた。DNA分子を「切り貼り」するための必要な道具を集めていた科学者にとって、これらの酵素学的な道具は重要であった。そこで必要とされたのが、分子の長さに沿ったランダムな位置ではなく、特定の部位でDNAを切断し、科学者が予測可能かつ再現性のある方法でDNA分子を切断できる道具であった。",
"title": "歴史"
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"text": "1968年、ジョンズ・ホプキンス大学で研究していたハミルトン・スミス、K・W・ウィルコックス、トーマス・J・ケリー(英語版)が、特定のDNAヌクレオチド配列に依存して機能する最初の制限酵素を単離し、その特徴を明らかにしたとき、重要な進展がもたらされた。このグループは、インフルエンザ菌を使った研究で、6つの塩基対からなる特定の配列内の特定の位置で常にDNA分子を切断するHindIIと呼ばれる酵素を単離した。彼らは、HindII酵素が常にその配列の中心(3番目と4番目の塩基対の間)を直接切断することを発見した。",
"title": "歴史"
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"text": "ほとんどのヌクレアーゼは、「国際生化学・分子生物学連合命名法委員会」のEC番号によって、加水分解酵素(ヒドロラーゼ)(EC番号3)として分類されている。ヌクレアーゼは、ホスホジエステラーゼ、リパーゼ、およびホスファターゼと同様に、加水分解酵素のサブグループであるエステラーゼ(EC番号3.1)に属する。ヌクレアーゼが属するエステラーゼは、EC番号3.1.11 - EC番号3.1.31に分類される。",
"title": "数値分類体系"
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"text": "ヌクレアーゼの一次構造は、最小限の活性部位が保存される他は大部分が保存されておらず、その表面は主に、酸性および塩基性のアミノ酸残基から構成されている。ヌクレアーゼはフォールディングファミリーに分類される。",
"title": "構造"
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"text": "ヌクレアーゼは、核酸分子を切断する前に、核酸と結合しなければならない。それには、ある程度の認識が必要となる。ヌクレアーゼは、その認識と結合の様式において、特異的および非特異的な結合の両方をさまざまに用いる。どちらの様式も、生存生物内、特にDNA修復において重要な役割を果たしている。",
"title": "部位認識"
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{
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"text": "DNA修復に関与する非特異的エンドヌクレアーゼは、DNAを走査して標的配列(英語版)や損傷(英語版)を探し出すことができる。このようなヌクレアーゼは、DNAに沿って拡散し、標的に遭遇すると、その活性部位の残基はDNAの化学基と相互作用する。EcoRV、BamHI(英語版)、PvuIIなどのエンドヌクレアーゼの場合、この非特異的結合には、タンパク質の最小表面積(英語版)とDNAとの間の静電的相互作用が含まれる。この弱い結合により、DNAの全体的な形状は変形せず、B型構造(英語版)のままとなる。",
"title": "部位認識"
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"text": "これに対し、部位特異的ヌクレアーゼは、はるかに強い結合を形成し、DNAをそのDNA結合ドメインの深い溝に引き込む。これによりDNAの三次構造が大きく変形し、塩基性(正電荷を持つ)の残基を多く含む表面が実現される。それはDNAとの広範な静電的相互作用に関与する。",
"title": "部位認識"
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"text": "DNA修復に関与するヌクレアーゼの中には、部分的な配列特異性を示すものがある。ただし、ほとんどは非特異的で、塩基対の不一致によってDNA骨格に生じた構造異常を認識する。",
"title": "部位認識"
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"text": "詳細については、フラップエンドヌクレアーゼ(英語版)を参照。",
"title": "部位認識"
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"text": "HindIIの発見以来、230以上の菌株から900種類以上の制限酵素が単離され、中には配列特異的なものも、そうではないものもある。これらの制限酵素には、一般にその起源を反映した名前がつけられる。名前の最初の文字は属名に由来し、次の2文字は、それらが単離された原核細胞の種名に由来する。たとえば、EcoRIはEscherichia coli RY13(大腸菌 RY13株)に由来し、HindIIはHaemophilus influenzae strain Rd(インフルエンザ菌 Rd株)に由来する。ヌクレアーゼ名に続く数字は、その酵素が単一菌株から単離された順序を示す(例:EcoRI、EcoRII)。",
"title": "部位認識"
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"text": "制限エンドヌクレアーゼは、DNA分子を長さ方向に沿って「走査」することで機能を果たす。それは、特定の認識配列に遭遇するとDNA分子に結合し、2つの糖-リン酸主鎖をそれぞれ1つずつ切断する。この2つの切断の位置は互いに関連し、また認識配列自体にも関連しており、制限エンドヌクレアーゼの独自性によって決定される。エンドヌクレアーゼが異なれば切断の仕方も異なるが、特定のエンドヌクレアーゼは、作用するDNA分子に関わらず、特定の塩基配列を常に同じように切断する。切断が行われると、DNA分子は断片に分割される。",
"title": "エンドヌクレアーゼ"
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"text": "すべての制限エンドヌクレアーゼが、上記のHindIIのように対称的に切断し、平滑末端を残すわけではない。多くのエンドヌクレアーゼは、互いに正対しない位置でDNA主鎖を切断し、オーバーハングを形成する。たとえば、ヌクレアーゼEcoRIの認識配列は5'—GAATTC—3'である。",
"title": "エンドヌクレアーゼ"
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"text": "酵素はこの配列に遭遇すると、Gと最も近いA塩基残基の間の各骨格を切断する。切断されて生成した断片は、互いに相補的な塩基を接続する比較的弱い水素結合によってのみ保持される。この結合の弱さは、DNA断片が互いに分離することを可能にする。得られた各断片には、不対塩基からなる突出した5'末端がある。別の酵素は、DNA骨格に切れ目を作り、3' 末端が突出する。突出した末端(3' と 5' ともに)は、塩基の相補的な配列と結合する傾向があり、そのために「粘着末端(英語版)」と呼ばれることもある。言い換えると、不対配列5'—AATT—3'が別の不対配列3'—TTAA—5'に遭遇すると、互いに結合する。これらは互いに粘着性を持つ。次にリガーゼと呼ばれる酵素が用いられて、2つの分子のリン酸骨格を結合する。粘着末端の細胞由来、あるいは種由来でさえ、その粘着性に影響を与えない。たとえ配列の一方がヒトDNAに由来し、もう一方が細菌DNAに由来する場合でも、相補的配列の任意の組は結合する傾向がある。実際、この粘着性の性質によって、異なる起源のDNAから構成される組換えDNA分子の作成が可能となり、遺伝子工学技術が誕生した。",
"title": "エンドヌクレアーゼ"
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"text": "すべての細胞は遺伝情報の媒体としてDNAに依存しているため、遺伝子の品質管理はすべての生物にとって不可欠な機能である。DNAの複製は誤りが起こりやすい過程であり、DNA分子自体も、多くの代謝的あるいは環境的要因のストレスを受けやすい。身近な例として、活性酸素種、近紫外線、あるいは電離放射線があげられる。多くのヌクレアーゼは、損傷部位を認識し、それを周囲のDNAから切断することでDNA修復に関与する。これらの酵素は単独で、あるいは複合体として機能する。DNA修復に関与するほとんどのヌクレアーゼは配列特異的ではない。これらは二本鎖DNA(dsDNA)の二次構造の変形を通じて損傷部位を認識する。",
"title": "自然界での役割"
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{
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"text": "DNAの複製中に、DNAポリメラーゼは、相補的な鋳型鎖に対して新しいDNA鎖を伸長させる。ほとんどのDNAポリメラーゼは、ポリメラーゼと校正エキソヌクレアーゼという2つの異なる酵素的なドメインから構成されている。ポリメラーゼは、新しい鎖を 5'→3' 方向に伸長させる。エキソヌクレアーゼは、同じ鎖から誤ったヌクレオチドを 3'→5' 方向に除去する。このエキソヌクレアーゼ活性は、DNAポリメラーゼが校正を行うために不可欠である。これらのヌクレアーゼを不活性化したり失ったりする欠失は、影響を受けた微生物の突然変異率や死亡率を増加させ、マウスでは発癌率を増加させる。",
"title": "自然界での役割"
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"text": "DNA損傷の多くの形態は複製フォークの進行を停止させ、DNAポリメラーゼや関連する仕組みがそのフォークを放棄する原因となる。その時、これはフォーク固有のタンパク質によって処理する必要がある。最も有名な酵素はMUS81(英語版)である。酵母において、その欠失は減数分裂の欠陥に加え、紫外線またはメチル化損傷感受性を引き起こす。",
"title": "自然界での役割"
},
{
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"text": "細胞内では、岡崎フラグメントRNAプライマーを複製から除去する仕事が広範に行われている。このようなプライマーの多くは、RNase Hファミリーのエンドヌクレアーゼによって、新たに合成されたラギング鎖DNAから切り出される。また、真核生物や古細菌では、フラップエンドヌクレアーゼ(英語版)FEN1(英語版)も岡崎フラグメントの処理に関与している。",
"title": "自然界での役割"
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"text": "既知の生物におけるDNAミスマッチ修復は、一連のミスマッチ特異的エンドヌクレアーゼによって行われる。原核生物では、この役割は主にMutSLHと超短鎖パッチ修復(英語版)関連タンパク質によって担われている。",
"title": "自然界での役割"
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{
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"text": "MutSLHシステム(MutS(英語版)、MutL、MutHから構成される)は、点変異と小ターン変異を修正する。MutSはミスマッチを認識して結合し、ここでMutLとMutHを動員する。MutLは、MutSとMutHの相互作用を仲介し、MutHのエンドヌクレアーゼ活性を高める。MutHは、ヘミメチル化された5'—GATC—3'部位を認識し、非メチル化鎖(最近合成された鎖)のGの隣で切断する。",
"title": "自然界での役割"
},
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"text": "VSP修復はエンドヌクレアーゼVsrによって開始される。Vsrは、メチル化シトシンのチミンへの自発的な脱アミノ化によって起こる特定のT/Gミスマッチを修正する。Vsrは配列5'—CTWGG—3'を認識し、ミスマッチしたチミンの 5' 側のDNA鎖にニック(切れ目)を入れる(前出の配列で下線が引かれている)。次に、エキソヌクレアーゼRecJ、ExoVII、またはExoIのいずれかが、DNAポリメラーゼが鎖のギャップを再合成する前に、この部位を分解する。",
"title": "自然界での役割"
},
{
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"text": "AP部位(英語版)の形成は、dsDNAでよく見られる。これは、塩基除去修復の中間段階として、自然加水分解とDNAグリコシラーゼの活性によって生じる。これらのAP部位は、APエンドヌクレアーゼ(英語版)によって除去され、その部位周辺の一本鎖切断を引き起こす。",
"title": "自然界での役割"
},
{
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"text": "ヌクレオチド除去修復は、損傷したヌクレオチドを除去し置き換えることである。これを前述の塩基除去修復と混同してはならない。架橋、付加体(英語版)、および損傷(紫外線や活性酸素によって生じる)の例は、その修復経路の引き金となりうる。そのような損傷を受けたヌクレオチドを含む一本鎖DNAの短い区間は、損傷個所の上流と下流にニックを入れる別々のエンドヌクレアーゼによって二重鎖DNAから除去される。これらのヌクレアーゼに影響を与える欠失や突然変異は、紫外線による損傷あるいは発癌に対する感受性を高める。このような異常は、神経の発達にさえ影響を与えることもある。",
"title": "自然界での役割"
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"text": "細菌では、UvrB-UvrC(英語版)複合体によって両方の切断が行なわる。出芽酵母では、Rad2とRad1-Rad10複合体がそれぞれ 5' 切断と 3' 切断が行われる。哺乳類では、同族体のXPG(英語版)とXPF-ERCC1が同じようにそれぞれのニックに作用する。",
"title": "自然界での役割"
},
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"text": "細胞内では、二重鎖切断が、意図的または非意図的にかかわらず定期的に行われる。意図的でない切断は、通常、電離放射線、さまざまな外因性や内因性の化学物質、および複製フォークの停止によって発生する。意図的な切断は、減数分裂やV(D)J組換えの中間体として生成され、主に相同組換えや非相同末端結合によって修復される。どちらの場合も、修復が行われる前に、二本鎖切断の末端がヌクレアーゼによって処理される必要がある。そのようなヌクレアーゼの一つに、Rad50と複合体化したMre11がある。Mre11の変異は、毛細血管拡張性運動失調症様疾患を引き起こすことがある。",
"title": "自然界での役割"
},
{
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"text": "V(D)J組換えでは、二本鎖切断に関連するステムループ構造を開き、その後に両端を結合させることが含まれる。アルテミス-DNAPKcs複合体(英語版)がこの反応に関与している。アルテミスは単独でも 5' → 3' ssDNAエキソヌクレアーゼ活性を示すが、DNA-PKcsとの複合体形成により、ステムループをエンドヌクレアーゼ的に処理することが可能となる。いずれかのタンパク質の欠陥は、重度の免疫不全を引き起こす。",
"title": "自然界での役割"
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{
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"text": "一方、相同組換えには、Dループ(英語版)またはホリデイジャンクションで接続された2つの相同DNA二重鎖 (en:英語版) が含まれる。細菌では、RuvC(英語版)のようなエンドヌクレアーゼが、ジャンクション中心近くの2つの対称的な部位でジャンクションを切断することにより、ホリデイジャンクションを2つの別々のdsDNAに分解する。真核生物では、FEN1、XPF-ERCC1、およびMUS81がDループを切断し、Cce1(英語版)/Ydc2(英語版)がミトコンドリア内でホリデイジャンクションを処理する。",
"title": "自然界での役割"
},
{
"paragraph_id": 28,
"tag": "p",
"text": "特定のヌクレアーゼが特定のDNA分子を切断する頻度は、DNAの複雑さとヌクレアーゼの認識配列の長さに依存する。偶然に特定の順序で塩基が見つかる統計的可能性のため、認識配列が長くなると切断の頻度は低くなる。たとえば、特定の4塩基配列(仮想的なヌクレアーゼの認識部位に相当)は、平均して256塩基対ごとに出現すると予測されるが(4^4=256)、任意の6塩基配列は平均して4096塩基対ごとに1回出現すると予測される(4^6=4096)。",
"title": "メガヌクレアーゼ"
},
{
"paragraph_id": 29,
"tag": "p",
"text": "ヌクレアーゼの独特なファミリーの1つにメガヌクレアーゼ(英語版)がある。メガヌクレアーゼは、12-40塩基対からなる、より大きな認識配列(したがってあまり一般的ではない)を持つことが特徴である。これらのヌクレアーゼは、植物や哺乳類などの複雑な生物における遺伝子工学やゲノム工学への応用に特に有用である。一般に、数十億塩基対に及ぶ大きなゲノムは、従来のヌクレアーゼでは頻繁で有害な部位特異的切断を引き起こす。",
"title": "メガヌクレアーゼ"
}
] |
ヌクレアーゼは、核酸のヌクレオチド間のホスホジエステル結合を切断することができる酵素である。古くはヌクレオデポリメラーゼまたはポリヌクレオチダーゼとも呼ばれた。ヌクレアーゼは、標的分子の一本鎖および二本鎖をさまざまな様式で切断する。ヌクレアーゼは、生体内におけるDNA修復に関わる多くの側面で不可欠な機構である。ある種のヌクレアーゼの欠陥は、遺伝的不安定性や免疫不全を引き起こす可能性がある。また、ヌクレアーゼは、分子クローニングにも広く用いられている。 ヌクレアーゼは、その活性座位によって2種類に大別される。エキソヌクレアーゼ (en:英語版) は、核酸を末端から消化する。エンドヌクレアーゼ (en:英語版) は、標的分子の途中にある領域に作用する。これらはさらに、デオキシリボヌクレアーゼとリボヌクレアーゼに分類できる。前者はDNAに作用し、後者はRNAに作用する。
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[[File:HindIII Restriction site and sticky ends vector.svg|thumb|二本鎖DNA分子を妥当な{{Ill2|制限部位|en|Restriction site}}<nowiki>(5'-A|AGCTT-3')で切断する</nowiki>[[制限酵素]](エンドヌクレアーゼ)[[HindIII|''Hind''III]]を図示した。]]
'''ヌクレアーゼ'''({{Lang-en-short|nuclease}})は、[[核酸]]の[[ヌクレオチド]]間の[[ホスホジエステル結合]]を切断することができる[[酵素]]である。古くは'''ヌクレオデポリメラーゼ'''({{Lang-en-short|nucleodepolymerase}})または'''ポリヌクレオチダーゼ'''({{Lang-en-short|polynucleotidase}})とも呼ばれた。ヌクレアーゼは、[[生物学的標的|標的分子]]の[[ニック (DNA)|一本鎖]]および[[二重鎖切断|二本鎖]]をさまざまな様式で切断する。ヌクレアーゼは、生体内における[[DNA修復]]に関わる多くの側面で不可欠な機構である。ある種のヌクレアーゼの欠陥は、[[ゲノム不安定性|遺伝的不安定性]]や[[免疫不全]]を引き起こす可能性がある<ref name="NishinoMorikawa2002">{{cite journal | vauthors = Nishino T, Morikawa K | title = Structure and function of nucleases in DNA repair: shape, grip and blade of the DNA scissors | journal = Oncogene | volume = 21 | issue = 58 | pages = 9022–32 | date = December 2002 | pmid = 12483517 | doi = 10.1038/sj.onc.1206135 | doi-access = free }}</ref>。また、ヌクレアーゼは、{{Ill2|分子クローニング|en|Molecular cloning}}にも広く用いられている<ref name="RittiéPerbal2008">{{cite journal | vauthors = Rittié L, Perbal B | title = Enzymes used in molecular biology: a useful guide | journal = Journal of Cell Communication and Signaling | volume = 2 | issue = 1–2 | pages = 25–45 | date = June 2008 | pmid = 18766469 | pmc = 2570007 | doi = 10.1007/s12079-008-0026-2 }}</ref>。
ヌクレアーゼは、その[[活性部位|活性座位]]によって2種類に大別される。[[エキソヌクレアーゼ]]{{Enlink|Exonuclease|英語版|en}}は、核酸を末端から消化する。[[エンドヌクレアーゼ]]{{Enlink|Endonuclease|英語版|en}}は、標的分子の''途中''にある領域に作用する。これらはさらに、[[デオキシリボヌクレアーゼ]]と[[リボヌクレアーゼ]]に分類できる。前者は[[デオキシリボ核酸|DNA]]に作用し、後者は[[リボ核酸|RNA]]に作用する<ref name="RittiéPerbal2008" />。{{toclimit|3}}
== 歴史 ==
1960年代後半、科学者のスチュアート・リン<!-- Stuart Linn -->と[[ヴェルナー・アーバー]]は、[[大腸菌]](''E. coli'')での[[バクテリオファージ|ファージ]]増殖制限に関与する2種類の酵素の標本を単離した<ref name="pmid4870862">{{cite journal | vauthors = Linn S, Arber W | title = Host specificity of DNA produced by Escherichia coli, X. In vitro restriction of phage fd replicative form | journal = Proceedings of the National Academy of Sciences of the United States of America | volume = 59 | issue = 4 | pages = 1300–6 | date = April 1968 | pmid = 4870862 | pmc = 224867 | doi = 10.1073/pnas.59.4.1300 | bibcode = 1968PNAS...59.1300L | doi-access = free }}</ref><ref name="pmid4897066">{{cite journal | vauthors = Arber W, Linn S | title = DNA modification and restriction | journal = Annual Review of Biochemistry | volume = 38 | issue = | pages = 467–500 | date = 1969 | pmid = 4897066 | doi = 10.1146/annurev.bi.38.070169.002343 }}</ref>。これらの酵素の一方はDNAに[[メチル基]]を付加して[[DNAメチル化|メチル化DNA]]を生成し、他方は非メチル化DNAを分子の長さ方向に沿ったさまざまな場所で切断した。最初の種類の酵素は「[[メチルトランスフェラーゼ|メチラーゼ]]」、もう一方は「[[制限酵素|制限ヌクレアーゼ]]」と呼ばれた。DNA分子を「[[カット・アンド・ペースト|切り貼り]]」するための必要な道具を集めていた科学者にとって、これらの酵素学的な道具は重要であった。そこで必要とされたのが、分子の長さに沿った[[ランダム]]な位置ではなく、特定の部位でDNAを切断し、科学者が予測可能かつ再現性のある方法でDNA分子を切断できる道具であった。
1968年、[[ジョンズ・ホプキンズ大学|ジョンズ・ホプキンス大学]]で研究していた[[ハミルトン・スミス]]、K・W・ウィルコックス<!-- K.W. Wilcox -->、{{Ill2|トーマス・J・ケリー (科学者)|en|Thomas J. Kelly (scientist)|label=トーマス・J・ケリー}}が、特定のDNA[[ヌクレオチド]]配列に依存して機能する最初の[[制限酵素]]を単離し、その特徴を明らかにしたとき、重要な進展がもたらされた。このグループは、[[インフルエンザ菌]]を使った研究で、6つの塩基対からなる特定の配列内の特定の位置で常にDNA分子を切断する''Hind''IIと呼ばれる酵素を単離した。彼らは、''Hind''II酵素が常にその配列の中心(3番目と4番目の塩基対の間)を直接切断することを発見した。
== 数値分類体系 ==
ほとんどのヌクレアーゼは、「[[国際生化学・分子生物学連合]]命名法委員会」の[[EC番号 (酵素番号)|EC番号]]によって、[[加水分解酵素|加水分解酵素(ヒドロラーゼ)]](EC番号3)として分類されている。ヌクレアーゼは、[[ホスホジエステラーゼ]]、[[リパーゼ]]、および[[ホスファターゼ]]と同様に、加水分解酵素のサブグループであるエステラーゼ(EC番号3.1)に属する。ヌクレアーゼが属するエステラーゼは、EC番号3.1.11 - EC番号3.1.31に分類される。
== 構造 ==
ヌクレアーゼの[[一次構造]]は、最小限の[[活性部位]]が[[保存配列|保存]]される他は大部分が保存されておらず、その表面は主に、酸性および塩基性の[[アミノ酸残基]]から構成されている。ヌクレアーゼはフォールディングファミリーに分類される<ref name="nm200224" />。
[[File:EcoRV structure.png|thumb|DNAと複合体を形成したEcoRVの結晶構造<ref>{{cite journal | vauthors = Winkler FK, Banner DW, Oefner C, Tsernoglou D, Brown RS, Heathman SP, Bryan RK, Martin PD, Petratos K, Wilson KS | display-authors = 6 | title = The crystal structure of EcoRV endonuclease and of its complexes with cognate and non-cognate DNA fragments | journal = The EMBO Journal | volume = 12 | issue = 5 | pages = 1781–95 | date = May 1993 | pmid = 8491171 | pmc = 413397 | doi = 10.2210/pdb4rve/pdb }}</ref>。]]
== 部位認識 ==
ヌクレアーゼは、核酸分子を切断する前に、核酸と結合しなければならない。それには、ある程度の認識が必要となる。ヌクレアーゼは、その認識と結合の様式において、[[基質特異性|特異的]]および非特異的な結合の両方をさまざまに用いる。どちらの様式も、生存生物内、特にDNA修復において重要な役割を果たしている<ref name="nm2002pp2728">{{cite journal | vauthors = Nishino T, Morikawa K | title = Structure and function of nucleases in DNA repair: shape, grip and blade of the DNA scissors | journal = Oncogene | volume = 21 | issue = 58 | pages = 9022–32 | date = December 2002 | pmid = 12483517 | doi = 10.1038/sj.onc.1206135 | doi-access = free }}</ref>。
[[DNA修復]]に関与する非特異的エンドヌクレアーゼは、DNAを走査して{{Ill2|認識配列|en|Recognition sequence|label=標的配列}}や{{Ill2|DNA損傷 (自然起源)|en|DNA damage (naturally occurring)|label=損傷}}を探し出すことができる。このようなヌクレアーゼは、DNAに沿って拡散し、標的に遭遇すると、その[[活性部位]]の[[アミノ酸残基|残基]]はDNAの化学基と相互作用する。[[EcoRV|''Eco''RV]]、{{Ill2|BamHI|en|BamHI|label=''Bam''HI}}、PvuIIなどのエンドヌクレアーゼの場合、この非特異的結合には、タンパク質の{{Ill2|溶媒接触可能表面積|en|Accessible surface area|label=最小表面積}}とDNAとの間の静電的相互作用が含まれる。この弱い結合により、DNAの全体的な形状は変形せず、{{Ill2|B-DNA|en|B-DNA|label=B型構造}}のままとなる<ref name="nm2002pp2728" />。
これに対し、部位特異的ヌクレアーゼは、はるかに強い結合を形成し、DNAをその[[DNA結合ドメイン]]の深い溝に引き込む。これによりDNAの[[三次構造]]が大きく変形し、[[塩基性]](正電荷を持つ)の残基を多く含む表面が実現される。それはDNAとの広範な静電的相互作用に関与する<ref name="nm2002pp2728" />。
DNA修復に関与するヌクレアーゼの中には、部分的な配列特異性を示すものがある。ただし、ほとんどは非特異的で、[[塩基対]]の不一致によってDNA[[主鎖|骨格]]に生じた構造異常を認識する<ref name="nm2002pp2728" />。
=== 構造特異的ヌクレアーゼ ===
詳細については、{{Ill2|フラップエンドヌクレアーゼ|en|Flap endonuclease}}を参照。
=== 配列特異的ヌクレアーゼ ===
{| class="wikitable floatright"
!酵素
!起源
!認識する配列
!切断位置
|-
|''Hind''II||[[インフルエンザ菌]]<br />(''Haemophilus influenzae'')
|
5'–GTYRAC–3'<br >
3'–CARYTG–5'
|
5'–{{Bgcolor|#9DF|GTY}} {{Bgcolor|#DDD|RAC}}–3'<br />
3'–{{Bgcolor|#DDD|CAR}} {{Bgcolor|#9DF|YTG}}–5'
|-
|colspan=4|R = [[アデニン|A]] or [[グアニン|G]]; Y = [[シトシン|C]] or [[チミン|T]]
|}
''Hind''IIの発見以来、230以上の菌株から900種類以上の制限酵素<!-- restriction enzymes -->が単離され、中には配列特異的なものも、そうではないものもある。これらの制限酵素には、一般にその起源を反映した名前がつけられる。名前の最初の文字は属名に由来し、次の2文字は、それらが単離された[[原核生物|原核細胞]]の種名に由来する。たとえば、[[EcoRI|''Eco''RI]]は''Escherichia coli'' RY13([[大腸菌]] RY13株)に由来し、''Hind''IIは''Haemophilus influenzae'' strain Rd([[インフルエンザ菌]] Rd株)に由来する。ヌクレアーゼ名に続く数字は、その酵素が単一菌株から単離された順序を示す(例:''Eco''RI、[[EcoRII|''Eco''RII]])。
== エンドヌクレアーゼ ==
制限エンドヌクレアーゼ<!-- restriction endonuclease -->は、DNA分子を長さ方向に沿って「走査」することで機能を果たす。それは、特定の認識配列に遭遇するとDNA分子に結合し、2つの糖-リン酸[[主鎖]]をそれぞれ1つずつ切断する。この2つの切断の位置は互いに関連し、また認識配列自体にも関連しており、制限エンドヌクレアーゼの独自性によって決定される。エンドヌクレアーゼが異なれば切断の仕方も異なるが、特定のエンドヌクレアーゼは、作用するDNA分子に関わらず、特定の塩基配列を常に同じように切断する。切断が行われると、DNA分子は断片に分割される。
=== スタガード・カット<!-- Staggered cutting -->===
すべての制限エンドヌクレアーゼが、上記の''Hind''IIのように対称的に切断し、平滑末端を残すわけではない。多くのエンドヌクレアーゼは、互いに正対しない位置でDNA主鎖を切断し、オーバーハングを形成する。たとえば、ヌクレアーゼEcoRIの認識配列は<code>5'—GAATTC—3'</code>である。
{| class="wikitable floatright"
!酵素
!起源
!認識する配列
!切断位置
|-
|[[HindIII|''Hind''III]]
|[[インフルエンザ菌]]<br />(''Haemophilus influenzae'')
|
<center>5'–AAGCTT–3'<br />
3'–TTCGAA–5'</center>
|
<center>5'–{{Bgcolor|#9DF|A}} {{Bgcolor|#DDD|AGCTT}}–3'<br />
3'–{{Bgcolor|#DDD|TTCGA}} {{Bgcolor|#9DF|A}}–5'</center>
|-
|[[EcoRI|''Eco''RI]]
|[[大腸菌]]<br />(''Escherichia coli'')
| <center>5'–GAATTC-3'<br />
3'–CTTAAG–5'</center>
| <center>5'–{{Bgcolor|#9DF|G}} {{Bgcolor|#DDD|AATTC}}–3'<br />
3'–{{Bgcolor|#DDD|CTTAA}} {{Bgcolor|#9DF|G}}–5'</center>
|-
|{{Ill2|BamHI|en|BamHI|label=''Bam''HI}}
|{{Ill2|バチルス・アミロリケファシエンス|en|Bacillus amyloliquefaciens}}<br />(''Bacillus amyloliquefaciens'')
| <center>5'–GGATCC–3'<br />
3'–CCTAGG–5'</center>
| <center>5'–{{Bgcolor|#9DF|G}} {{Bgcolor|#DDD|GATCC}}–3'<br />
3'–{{Bgcolor|#DDD|CCTAG}} {{Bgcolor|#9DF|G}}–5'</center>
|}
酵素はこの配列に遭遇すると、<code>[[グアニン|G]]</code>と最も近い<code>[[アデニン|A]]</code>塩基残基の間の各骨格を切断する。切断されて生成した断片は、互いに相補的な塩基を接続する比較的弱い[[水素結合]]によってのみ保持される。この結合の弱さは、DNA断片が互いに分離することを可能にする。得られた各断片には、不対塩基からなる突出した5'末端がある。別の酵素は、DNA骨格に切れ目を作り、3' 末端が突出する。突出した末端(3' と 5' ともに)は、塩基の相補的な配列と結合する傾向があり、そのために「{{Ill2|粘着末端と平滑末端|en|Sticky and blunt ends|label=粘着末端}}」と呼ばれることもある。言い換えると、不対配列<code>5'—AATT—3'</code>が別の不対配列<code>3'—TTAA—5'</code>に遭遇すると、互いに結合する。これらは互いに粘着性を持つ。次に[[リガーゼ]]と呼ばれる酵素が用いられて、2つの分子のリン酸骨格を結合する。粘着末端の細胞由来、あるいは種由来でさえ、その粘着性に影響を与えない。たとえ配列の一方が[[ヒトゲノム|ヒトDNA]]に由来し、もう一方が[[細菌]]DNAに由来する場合でも、相補的配列の任意の組は結合する傾向がある。実際、この粘着性の性質によって、異なる起源のDNAから構成される[[組換えDNA]]分子の作成が可能となり、[[遺伝子工学]]技術が誕生した。
== 自然界での役割 ==
=== DNA修復 ===
すべての細胞は[[遺伝情報]]の媒体としてDNAに依存しているため、遺伝子の品質管理はすべての生物にとって不可欠な機能である。[[DNA複製|DNAの複製]]は誤りが起こりやすい過程であり、DNA分子自体も、多くの代謝的あるいは環境的要因のストレスを受けやすい。身近な例として、[[活性酸素種]]、[[近紫外線]]、あるいは[[電離放射線]]があげられる。多くのヌクレアーゼは、損傷部位を認識し、それを周囲のDNAから切断することでDNA修復に関与する。これらの酵素は単独で、あるいは[[多タンパク質複合体|複合体]]として機能する。DNA修復に関与するほとんどのヌクレアーゼは配列特異的ではない。これらは二本鎖DNA(dsDNA)の二次構造の変形を通じて損傷部位を認識する<ref name="nm200224" />。
==== 複製校正 ====
[[DNA複製|DNAの複製]]中に、[[DNAポリメラーゼ]]は、相補的な鋳型鎖に対して新しいDNA鎖を[[重合反応|伸長]]させる。ほとんどのDNAポリメラーゼは、[[ポリメラーゼ]]と[[校正 (生物学)|校正]][[エキソヌクレアーゼ]]という2つの異なる[[酵素]]的な[[タンパク質ドメイン|ドメイン]]から構成されている。ポリメラーゼは、新しい鎖を 5'→3' 方向に伸長させる。エキソヌクレアーゼは、同じ鎖から誤ったヌクレオチドを 3'→5' 方向に除去する。このエキソヌクレアーゼ活性は、DNAポリメラーゼが校正を行うために不可欠である。これらのヌクレアーゼを不活性化したり失ったりする[[欠失]]は、影響を受けた[[微生物]]の突然変異率や死亡率を増加させ、[[ハツカネズミ|マウス]]では[[発癌性|発癌]]率を増加させる<ref>{{cite journal | vauthors = Nishino T, Morikawa K | title = Structure and function of nucleases in DNA repair: shape, grip and blade of the DNA scissors | journal = Oncogene | volume = 21 | issue = 58 | pages = 9022–32 | date = December 2002 | pmid = 12483517 | doi = 10.1038/sj.onc.1206135 | doi-access = free }}</ref>。
==== 複製フォークの停止 ====
[[DNA損傷]]の多くの形態は[[複製フォーク]]の進行を停止させ、DNAポリメラーゼや関連する仕組みがそのフォークを放棄する原因となる。その時、これはフォーク固有のタンパク質によって処理する必要がある。最も有名な酵素は{{Ill2|MUS81|en|MUS81}}である。[[酵母]]において、その欠失は[[減数分裂]]の欠陥に加え、紫外線またはメチル化損傷感受性を引き起こす<ref name="nm200224" />。
==== 岡崎フラグメント処理 ====
細胞内では、[[岡崎フラグメント]][[プライマー (生物)|RNAプライマー]]<!-- Okazaki fragment RNA primers -->を複製から除去する仕事が広範に行われている。このようなプライマーの多くは、[[リボヌクレアーゼH|RNase H]]ファミリーのエンドヌクレアーゼによって、新たに合成された[[ラギング鎖]]DNAから切り出される。また、[[真核生物]]や[[古細菌]]では、{{Ill2|フラップエンドヌクレアーゼ|en|Flap endonuclease}}{{Ill2|フラップ構造特異エンドヌクレアーゼ1|en|Flap structure-specific endonuclease 1|label=FEN1}}も岡崎フラグメントの処理に関与している<ref name="nm200224">{{cite journal | vauthors = Nishino T, Morikawa K | title = Structure and function of nucleases in DNA repair: shape, grip and blade of the DNA scissors | journal = Oncogene | volume = 21 | issue = 58 | pages = 9022–32 | date = December 2002 | pmid = 12483517 | doi = 10.1038/sj.onc.1206135 | doi-access = free }}</ref>。
==== ミスマッチ修復 ====
既知の生物における[[DNAミスマッチ修復]]は、一連のミスマッチ特異的エンドヌクレアーゼによって行われる。原核生物では、この役割は主にMutSLHと{{Ill2|超短鎖パッチ修復|en|Very short patch repair}}<!-- very short patch repair, VSP repair -->関連タンパク質によって担われている。
MutSLHシステム({{Ill2|MutS-1|en|MutS-1|label=MutS}}、MutL、MutHから構成される)は、[[点変異]]と小[[ターン (生化学)|ターン]]変異を修正する。MutSはミスマッチを認識して結合し、ここでMutLとMutHを動員する。MutLは、MutSとMutHの相互作用を仲介し、MutHのエンドヌクレアーゼ活性を高める。MutHは、ヘミメチル化された<code>5'—GATC—3'</code>部位を認識し、非メチル化鎖(最近合成された鎖)の<code>G</code>の隣で切断する。
VSP修復はエンドヌクレアーゼVsrによって開始される。Vsrは、[[メチル化]]シトシンのチミンへの自発的な[[脱アミノ化]]によって起こる特定の<code>T/G</code>ミスマッチを修正する。Vsrは配列<code>5'—C<u>T</u>[[:en:nucleic acid notation|W]]GG—3'</code>を認識し、ミスマッチしたチミンの 5' 側のDNA鎖に[[ニック (DNA)|ニック]](切れ目)を入れる(前出の配列で下線が引かれている)。次に、エキソヌクレアーゼRecJ、[[エキソヌクレアーゼVII|ExoVII]]、または[[エキソデオキシリボヌクレアーゼI|ExoI]]のいずれかが、DNAポリメラーゼが鎖のギャップを再合成する前に、この部位を分解する<ref name="nm200224" />。
==== 塩基除去修復 ====
{{Ill2|AP部位|en|AP site}}の形成は、dsDNAでよく見られる。これは、[[塩基除去修復]]の中間段階として、自然加水分解と[[DNAグリコシラーゼ]]の活性によって生じる。これらのAP部位は、{{Ill2|APエンドヌクレアーゼ|en|AP endonuclease}}によって除去され、その部位周辺の一本鎖切断を引き起こす<ref name="nm200224" />。
==== ヌクレオチド除去修復 ====
[[ヌクレオチド除去修復]]は、損傷したヌクレオチドを除去し置き換えることである。これを前述の塩基除去修復と混同してはならない。[[架橋]]、{{Ill2|DNA付加体|en|DNA adduct|label=付加体}}、および[[DNA損傷|損傷]](紫外線や[[活性酸素]]によって生じる)の例は、その修復経路の引き金となりうる。そのような損傷を受けたヌクレオチドを含む一本鎖DNAの短い区間は、損傷個所の上流と下流にニックを入れる別々のエンドヌクレアーゼによって二重鎖DNAから除去される。これらのヌクレアーゼに影響を与える欠失や突然変異は、紫外線による損傷あるいは発癌に対する感受性を高める。このような異常は、神経の発達にさえ影響を与えることもある。
細菌では、{{Ill2|UvrABCエンドヌクレアーゼ|en|UvrABC endonuclease|label=UvrB-UvrC}}複合体によって両方の切断が行なわる。出芽酵母では、Rad2とRad1-Rad10複合体がそれぞれ 5' 切断と 3' 切断が行われる。哺乳類では、同族体の{{Ill2|ERCC5|en|ERCC5|label=XPG}}と[[ERCC4|XPF]]-[[ERCC1]]が同じようにそれぞれのニックに作用する<ref name="nm200225" />。
==== 二本鎖切断修復 ====
細胞内では、[[二重鎖切断]]が、意図的または非意図的にかかわらず定期的に行われる。意図的でない切断は、通常、[[電離放射線]]、さまざまな外因性や内因性の化学物質、および複製フォークの停止によって発生する。意図的な切断は、減数分裂や[[V(D)J遺伝子再構成|V(D)J組換え]]の中間体として生成され、主に[[相同組換え]]や[[非相同末端結合]]によって修復される。どちらの場合も、修復が行われる前に、二本鎖切断の末端がヌクレアーゼによって処理される必要がある。そのようなヌクレアーゼの一つに、[[RAD50|Rad50]]と複合体化した[[Mre11]]がある。Mre11の変異は、[[毛細血管拡張性運動失調症]]様疾患を引き起こすことがある<ref name="nm200225">{{cite journal | vauthors = Nishino T, Morikawa K | title = Structure and function of nucleases in DNA repair: shape, grip and blade of the DNA scissors | journal = Oncogene | volume = 21 | issue = 58 | pages = 9022–32 | date = December 2002 | pmid = 12483517 | doi = 10.1038/sj.onc.1206135 | doi-access = free }}</ref>。
V(D)J組換えでは、二本鎖切断に関連する[[ステムループ]]構造を開き、その後に両端を結合させることが含まれる。{{Ill2|アルテミス複合体|en|Artemis complex|label=アルテミス-DNAPK<sub>cs</sub>複合体}}がこの反応に関与している。アルテミス<!-- Artemis -->は単独でも 5' → 3' ssDNAエキソヌクレアーゼ活性を示すが、[[DNA-PKcs]]との複合体形成により、ステムループをエンドヌクレアーゼ的に処理することが可能となる。いずれかのタンパク質の欠陥は、重度の免疫不全を引き起こす<ref name="nm200225" />。
一方、相同組換えには、{{Ill2|Dループ|en|D-loop}}または[[ホリデイジャンクション]]で接続された2つの[[相同染色体|相同DNA二重鎖]]{{Enlink|Homologous chromosome|英語版|en}}が含まれる。細菌では、{{Ill2|RuvABC|en|RuvABC|label=RuvC}}のようなエンドヌクレアーゼが、ジャンクション中心近くの2つの対称的な部位でジャンクションを切断することにより、ホリデイジャンクションを2つの別々のdsDNAに分解する。真核生物では、FEN1、XPF-ERCC1、およびMUS81がDループを切断し、{{Ill2|交差分岐エンドデオキシリボヌクレアーゼ|en|Crossover junction endodeoxyribonuclease|label=Cce1}}/{{Ill2|Ydc2タンパク質ドメイン|en|Ydc2 protein domain|label=Ydc2}}が[[ミトコンドリア]]内でホリデイジャンクションを処理する<ref name="nm200225" />。
== メガヌクレアーゼ ==
{{main|{{ill2|メガヌクレアーゼ|en|meganuclease}}}}特定のヌクレアーゼが特定のDNA分子を切断する頻度は、DNAの複雑さとヌクレアーゼの認識配列の長さに依存する。偶然に特定の順序で塩基が見つかる統計的可能性のため、認識配列が長くなると切断<!-- digestion -->の頻度は低くなる。たとえば、特定の4塩基配列(仮想的なヌクレアーゼの認識部位に相当)は、平均して256塩基対ごとに出現すると予測されるが(4^4=256)、任意の6塩基配列は平均して4096塩基対ごとに1回出現すると予測される(4^6=4096)。
ヌクレアーゼの独特なファミリーの1つに{{Ill2|メガヌクレアーゼ|en|Meganuclease}}がある。メガヌクレアーゼは、12-40塩基対からなる、より大きな認識配列(したがってあまり一般的ではない)を持つことが特徴である。これらのヌクレアーゼは、植物や哺乳類などの複雑な生物における遺伝子工学や[[ゲノム工学]]への応用に特に有用である。一般に、数十億塩基対に及ぶ大きなゲノムは、従来のヌクレアーゼでは頻繁で有害な部位特異的切断を引き起こす。
== 参照項目 ==
* [[制限酵素]] - DNA分子内の特定の認識部位またはその近くでDNAを特異的に切断する酵素(制限[[エンドヌクレアーゼ]]の一種)
* [[HindIII|''Hind''III]] - ヘモフィルス-インフルエンザ菌から単離されたデオキシヌクレアーゼ制限酵素
* [[リガーゼ]] - 新しい化学結合を形成して2つの大きな分子を結合できる酵素
* {{Ill2|小球菌ヌクレアーゼ|en|Micrococcal nuclease}} - 一本鎖の核酸を優先的に消化するエンド-エキソヌクレアーゼ
* {{Ill2|ヌクレアーゼプロテクションアッセイ|en|Nuclease protection assay}} - 細胞から抽出した不均一なRNA試料中の個々のRNA分子を同定するための実験方法
* {{Ill2|ヌクレアーゼS1|en|Nuclease S1}} - 一本鎖 DNA (ssDNA) および RNA をオリゴモノヌクレオチドまたはモノヌクレオチドに分割するエンドヌクレアーゼ酵素
* {{Ill2|PINドメイン|en|PIN domain}} - 一本鎖RNAを切断するヌクレアーゼ酵素として機能するタンパク質ドメイン
* [[ポリメラーゼ]] - 高分子や核酸の長鎖を合成する酵素
== 脚注 ==
{{reflist|30em}}
== 外部リンク ==
* [http://www.accessexcellence.org/AE/AEC/CC/re_chart.html Examples of Restriction Enzymes Chart]{{En icon}}
* [http://www.accessexcellence.org/AE/AEC/CC/action.html Restriction Enzyme Action of EcoRI]{{En icon}}
* [http://www.accessexcellence.org/AE/AEC/CC/enzyme_glossary.html Enzyme glossary]{{En icon}}
* [https://web.archive.org/web/20040805185739/http://arbl.cvmbs.colostate.edu/hbooks/genetics/biotech/enzymes/nucleases.html Nucleases (Main source of the page...)]{{En icon}}
{{Esterases}}
{{Enzymes}}
{{Portal bar|生物学|border=no}}
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[[Category:EC 3.1]]
[[Category:酵素|ぬくれあせ]]
[[Category:ヌクレアーゼ|*]]
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篆書体
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篆書体(てんしょたい、モンゴル語:ᠭᠣᠷᠦᠰᠦᠭ᠌、満州語: ᡶᡠᡴᠵᡳᠩᡤᠠᡥᡝᡵᡤᡝᠨ 転写:fukjingga hergen)は、漢字やモンゴル文字、満洲文字の書体の一種。「篆書」「篆文」ともいう。
広義には秦代より前に使用されていた書体全てを指すが、一般的には周末の金文を起源として、戦国時代に発達して整理され、公式書体とされた小篆とそれに関係する書体を指す。
公式書体としての歴史は極めて短かったが、現在でも印章などに用いられることが多く、書体の中では最も息が長い。
金文から更に字形の整理が進み、一文字の大きさが均等になった。文字の形は天地が長い長方形の辞界に収まるように作られる。点画は水平・垂直の線を基本に、円弧をなす字画はすみやかに水平線・垂直線と交差するように曲げられる。画の両端は丸められ、線はすべて同じ太さで引かれる。
上記の特徴から、金文と違って上下左右の大きさのバランスが整っており、謹厳な印象を与える文字に進化している。一方曲線を主体とするため有機的な趣きを併せ持ち、独特の雰囲気を持つ書体となっている。
また、後世の漢字のようにへんとつくり、かんむりとあしのように部首分けが容易なのも特徴である。
小篆の起源は、一般的には中国最古の石刻である戦国期の「石鼓文」に用いられた書体・大篆が直接の起源と言われている。「大篆」は西周の宣王の時代、太史・籀(ちゅう)が公式文字・籀文を定めた際に編纂した書物の名であると伝えられ、籀文そのものの別名であるとされている。このようなことから、石鼓文の大篆は籀文が戦国時代の秦で受け継がれたものと考えられているが、その詳細には諸説ある。
紀元前221年、秦は中国統一を成し遂げた。この際、法治の確立や度量衡の統一の他、文字の統一が行われ、小篆が正式に統一書体として採用された。小篆は始皇帝が李斯に命じて籀文(もしくは大篆)を簡略化したもの、あるいは李斯の進言により当時の秦で行われていた籀文由来の文字を採用したものともいわれる。
始皇帝はこの小篆を権力誇示の手段として用いた。元々甲骨文の時代から文字は権力の象徴であり、それを引き継いでのものである。現に自分を讃える銘文を刻んだ「始皇七刻石」を国内6カ所に立て、大いにその権力を示した。
また小篆は秦が「統一された法治国家」であることを示すため、国の公式証明手段としても用いられた。度量衡の統一の際、決まった大きさの分銅や枡が標準器として全国に配布されたが、これに「権量銘」と呼ばれる小篆を用いた証明文が、金属製の場合直接刻み込まれ、木製の場合銅板に刻まれて貼りつけられた。また、官吏が公式証明に用いる官印にも用いられた。
こうして小篆は秦の国内政策の第一線を担う存在として扱われたのである。
そのような国の意図とは裏腹に、小篆はすぐにその形を崩し始める。法治国家である秦では、下層の役人が現場で事務処理を行うことが多くなった。彼らにとって複雑な形をした小篆はきわめて書きづらいものであり、自然走り書きが多く発生する結果となった。このことが小篆の書体の単純化・簡素化を生み、やがて隷書を生むことになるのである(隷変)。
紀元前206年に秦が滅亡すると、楚漢戦争を経て前漢が立った。前漢とそれに続く後漢では公式書体として小篆ではなく隷書が採用されることになったが、このことには小篆の煩雑さを避けるためという意図があった。またこのような「筆記手段」としての役割を優先した文字政策は、「権力の象徴」として存在し続けていたそれまでの文字の概念を完全に覆すものであり、甲骨文以来続いた「古代文字」の時代の終焉を示すものでもあった。
一時新代に公式書体に返り咲いたが、新の滅亡とともに再び公式書体から外され、以後しばらくの間小篆は「公的証明」の名残から官印・公印に用いられる他は、ほとんどの場合装飾的に瓦や鏡などの文様、碑や帛書の表題などに用いられるにすぎなくなる。
また後漢代の「祀三公山碑」や「嵩山三闕銘」、三国時代の呉における「天発神讖碑」「封禅国山碑」のように碑も少数ながら存在したが、いずれも天や神への願文や天のお告げを示した内容で、小篆の権力性がいつの間にか天や神に通じる性質のものへ拡大され、「神へ祈るための文字」として認識されるようになっていたことが分かる。漢代以降、小篆は、その字形や権力性から性質が変化することで、ごく一部を除いて装飾や祭祀のための特殊な文字として認識されるようになった。
そのような認識の変化がやがて文字そのものにも及ぶ。当初、漢代では秦から時代が遠くないこともあり、せいぜい隷書の書き方が入ったり線を角ばらせたりする程度の変化や崩れで済んでいた(漢篆)。しかし漢末や六朝時代以降になると完全に混沌状態になり、小篆から大量の装飾書体が生まれるなど、どんどん本来の姿から遠ざかっていくことになる。
その中でわずかに後漢代、訓詁学の第一人者の許慎が、儒学研究の一環として小篆を「古代文字」として真正面から扱い、小篆を中心とした字書『説文解字』をものして字義などの解釈をなしたが、あくまで学問的追究であり、書における展開は見られなかった。
このように姿まで変化させられ、日陰者として細々と命を永らえていた小篆であったが、唐代以降再び脚光を浴びることになる。
唐の中ごろ、詩人の韓愈らが六朝の四六駢儷文を否定し古文復興運動を行った影響で、書道にも王羲之以前、すなわち隷書以前を志向する復古主義的な気運が生まれた。
そのような風潮の中、小篆は李陽冰などによって大きく注目されることになり、それまでの崩れた書法を排した、本来の姿に近い小篆による書道作品や石刻が多く使われるに至った。これにより、小篆は書道界に一書体として再興することになる。
五代十国時代の南唐および宋代には、徐鉉・徐鍇兄弟により『説文解字』の校訂・注釈が行われ、現在見られる『説文解字』のテキスト(大徐本)が作られるとともに、小篆による書道も引き継がれた。
またこの宋代以降、古印を収蔵し鑑賞する趣味が発達したことも、小篆含む篆書への関心を深める要因となった。官印、または作品の製作者や収蔵家が所有権を誇示するために押した印章には、篆書で官職名、もしくは本人の名や座右の銘を彫っているものが多かったからである。元・明代以降はこの篆書を用いた印章を彫る作業も、「篆刻」という書道の一ジャンルとして確立された。
清代においては、考証学の発達により模刻や模写を重ねている紙の法帖よりも当時の姿を留める碑の方が書蹟として信頼性が高いとの考えから、碑の研究が主流となったため、それに伴って碑しかない時代の文字であった篆書も研究・書作が再び盛んとなり、書・篆刻ともに優れた作品が残されている。また、満洲文字などの篆書もつくられた。
現代においても書作品・篆刻作品の他、「公的証明」の役割の名残として印章に用いられることが多い。
許慎が著したそのままの形を伝えるテキストは存在しないが、『説文解字』序文によれば、秦では公式書体として大篆・小篆・刻符・虫書(ちゅうしょ)・摹印(ぼいん、「摹」は「募」の「力」を「手」に変えた字)・署書・殳書(しゅしょ)・隷書の8つを定めていたという(秦の八体)。許慎から700年近くが経過した残巻は、懸針体という細長い書体が使われており、これが篆書体の初期形ともされている。
また前漢を簒奪し新を建てた王莽は、公式書体制定の際にこの八体を整理、古文・奇字・篆書・隷書・繆篆(びゅうてん)・鳥虫書(ちょうちゅうしょ)の6つにしたといわれている(新の六体)。
これら秦の八体・新の六体は、いずれも何らかの形で小篆と類縁関係にある書体であった。このうち代表的なものを以下に挙げる。
秦の八体の第一に挙げられる。小篆の元となった書体で、小篆と対をなす名称。石鼓文に用いられた書体である。上述の通り、元が西周の公式文字・籀文であるという説があることから、籀文と同一視されるが詳らかではない。
字形は小篆と比べると装飾性が高く、文字全体のバランスも完全な方形ではないことが多い。金文の特徴を強く残す文字であるが、一方で画に平行部が多く見られるなど小篆の萌芽も見られる。
秦の八体に第五・摹印、新の六体に第五・繆篆として挙げる字体。その名の通り、印章用に特化した小篆のことである。現在見るような形の印篆が成立したのは漢代以降とみられる。なお、漢代に完成したため「漢篆」の一書体に数えられることもある。
縦に長い小篆を印の正方形に収めるため、小篆の曲線部分や長くはみ出す部分を直線・折線で表現したもので、有機的な形の小篆よりも角ばり、さらに整然とした印象を受ける。
秦の八体に第七・殳書、新の六体に第六・鳥蟲書として挙げる字体。春秋時代から秦代にかけて矛など武具の装飾用に用いられた、極めて装飾性の高い書体である。
字形はうねうねと蛇のようにくねった細い線で構成される単純なもの、鳥の頭や姿を模した飾りが画の端々についているもの、さらに文字の原形を留めないほど無理矢理に鳥の形に変形させたものなどさまざまで、そのほとんどが文様化して解読不能である。
宋代以降の各王朝、また異民族王朝の金において官印に用いられた小篆。単に「畳篆」ともいう。小篆ないしは印篆の画を長く伸ばし、幾重にもぐねぐねと曲げて装飾性を高めた書体である。
装飾部の折れ線が印面を埋め尽くすように布字されるため、細かい線がずらずらと並んでいるようにしか見えないことが多く、判読性は限りなく低い。実用よりも官印の権威を示す役割を重視したものである。
なおこの九畳篆の登場により官印の意匠が完全に硬直化してしまい、以後の官印は書道・美術の方面からは顧みられなくなった。
前漢を簒奪して建てられた新では、皇帝王莽の盲目的な復古主義の影響で公式書体に小篆が採用された。秦の文字政策を模倣したもので、事実度量衡を改正の上、標準器に公式証明文「嘉量銘」を小篆で刻んで全国に配布するという秦代そのままの政策が行われている。
字形は通常の小篆の縦に細長い辞界を守りながら、一方で曲線部分を極端なまでに角張らせているのが特徴で、小篆と印篆の間を取ったような独特の雰囲気の字形になっている。線も極めて細い。
三国時代の呉では、最後の皇帝孫晧の時期に「天発神讖碑(てんぱつしんしんひ)」「封禅国山碑(ほうぜんこくざんひ)」と呼ばれる小篆の碑が立てられた。
両碑の小篆は極めて特殊で、「天発神讖碑」は角ばって尖った字形でごつごつとしており、「封禅国山碑」は逆に線が非常に太くもっちりとした字体である。いずれも極めておどろおどろしい雰囲気で、後世の評価は極端に分かれている。
このような異様な字体になった理由としては、両碑が神秘思想にかぶれた孫晧の現実逃避の産物であったことが大きく関わっている。両者とも「天のお告げ」を記すための碑であり、そのために小篆の持っていた権力性が要求されたのである。
技巧上は隷書用の筆で隷書の意を含ませて書いたためこうなった、と言われているが定かではない。いずれにせよこの両者にだけしか見られない特異な小篆というべきであろう。
この他にも漢代末から六朝時代にかけ、小篆の装飾性を利用して大量生産された装飾書体が存在する。
六朝時代、南朝斉の蕭子良がまとめた『古今篆隷文体』には40種類余りの装飾書体が伝えられており、小篆からの派生であると思われるものがいくつか見られる。その中の「懸針篆」と呼ばれる画の先を鋭く尖らせた書体は、『説文解字』の初期の写本「説文解字木部残巻」や空海による日本最古の字書『篆隷万象名義』にも使用されている。
同じく六朝時代の南朝梁には「百二十体書」と称して120種類もの装飾書体があったと伝えられており(書蹟が現存しないため詳細不明)、唐代には篆書を得意とした僧・夢英により「十八体書」と呼ばれる18種類の装飾書体が伝えられている。
また正倉院にも、「鳥毛篆書屏風」なる小篆の派生と思われる装飾書体で書かれた屏風が所蔵されている。
小篆の史料は公式書体であった秦の時代が短かったこともあり、極端に少ない。現在残るものとしては「始皇七刻石」の一部である「泰山刻石」・「瑯琊台刻石」(ろうやたいこくせき)、そして度量衡の標準器の証明文である「権量銘」、その他木簡・竹簡がある程度である。
しかも「泰山刻石」はわずか10字が現存するのみ(拓本として十字本・二十九字本・五十三字本・百六十五字本の四種類があるが、五十三字本・百六十五字本を模刻した石から採ったものとして疑うむきもある)、「瑯琊台刻石」は86字が残っているが風雨による侵蝕で文字が涙を流したようになっており、極めて保存状態が悪い。また「権量銘」や木簡・竹簡も字形の崩れが見られ、小篆の字体を厳密には伝えていない。
このため、直接同時代の史料に当たることは極めて難しく、後世のものに頼る必要がある。幸い先述した許慎の『説文解字』には字書として基本的な文字が網羅されているので、本書に掲出する字は小篆の字形の標準として用いられている。
小篆はじめ篆書は書道の書蹟として研究されるほか、漢字史の研究材料としても広く用いられている。
これは「隷変」や楷書への展開により字形が現在の形へ変化するうちに失われた、さまざまな情報を篆書、なかんずく小篆が持っているからである。これと「隷変」の過程を見たりすることでさまざまな研究が成り立つ。
たとえば「右」「左」は似ている漢字なのに、書き順は異なりそれぞれはらいと横棒を第1画目とする。楷書のままではその理由は分からないが、小篆に戻ると「右」のはらいと「左」の横棒が実は左右対称ながら同じ形をしており、第1画目であったことが分かる。それらが「隷変」の過程でそれぞれはらいと横棒という別の形に変化してしまったために、現在のような書き順になってしまったと説明出来るのである。
ただし正確な研究には、篆書以前の甲骨文や金文の情報も必要になる。既に篆書以前の段階で失われた情報も多いからである。事実許慎の『説文解字』は、甲骨文や金文の知識がなかったためにさまざまな間違いを起こしている。
前述の通り、小篆は現代でも書道や印章の世界では現役の書体である。
日常の書体としては旅券の表紙や、郵便切手の「日本郵便」の文字や自治体の印章などのほか一部の店の看板に使用されている程度であったが、最近では字形の面白さから装飾文字やデザインとしても用いられることも多くなっている。
このことから昨今の時流に乗って小篆を取り入れた「篆書体フォント」がいくつも作られるなど、デジタルの世界にも進出を果たしており、比較的気軽に小篆を使用出来るようになった。
従来は手彫りによっていた小篆の印章作成も、これらのフォントを用いることで比較的安価に素早く出来るようになっている。
身近な例でいえば、日本銀行券の表の「総裁之印」、裏の「発券局長」の印章の文字がある。曲線が多く判読も容易ではない印章の朱い文字の書体である。これは明治時代に篆刻家の益田香遠に作らせたものである。
このようにデジタル時代になり、コンピュータの恩恵にあずかる形で日常生活の中に進出してきた小篆であるが、進出の主な媒体が「篆書体フォント」という「フォント」であるゆえの問題点もある。
書道用・篆刻用書体としての小篆は『説文解字』などしかるべき文献が基準にあり、字形が大きく現状と異なっても手を加えることはしない。また当時存在しなかった字は、相当する別字で代用するのが普通である。
造字行為はよほどの理由がない限り避けるべきとされ、現在も「絶対にやるべきではない」「やむを得なければやってもよい」「こだわらず自由にやってもよい」と人によって許容範囲が大きく異なるデリケートな問題となっている。
一方、篆書体フォントは字形に対してはかなり自由であり、『説文解字』の字形を基準とすると「間違い」とされるような字形が通用していることが少なくない。
また他の小篆の字や隷書・楷書の形を参考にしたり、仮名を小篆風に仕立てるなどして大量の造字を行い、「楷書風の小篆」「新字体の小篆」「仮名の小篆」「アルファベット・アラビア数字などの小篆」などといった歴史的に有り得ないはずの文字を生み出している。
一見すると篆書体フォントの制作態度はいい加減であるように思えるが、そう解釈すべきではない。篆書体フォントはあくまでパソコン用のフォントであるため、その制作は「デザイン」としての側面を持ち、『説文解字』のような一つの基準に縛られる必然性が必ずしもあるわけではない。
また実用書体として作られているため、字形が全く現在の書体と似ても似つかなかったり、また字そのものがないなどの現象が多発する篆書体そのままを使用することは出来ない。また姓名・会社名を記す以上、日本独自の字形・文字である新字体や仮名に対する対応も必要になる。伝統と歴史を重視する書道用・篆刻用書体の小篆とは、立場も存在目的も異なるのである。
このようなことから「篆書体フォント」はあくまで小篆のデザインを実用本位で模倣した一種の装飾フォントであり、伝統的な「小篆」とは違う。
篆書体フォントは先述のように小篆による印章作成を容易にしたが、逆に誰でも同じフォントを買って導入することが出来るようになったため、全く違う店で彫ったにもかかわらず印影が同じ、という事態が発生している。
このことは小篆を用いた印章の証明性を下げる事態にもなりかねず、将来的に問題となる可能性がある。
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"text": "篆書体(てんしょたい、モンゴル語:ᠭᠣᠷᠦᠰᠦᠭ᠌、満州語: ᡶᡠᡴᠵᡳᠩᡤᠠᡥᡝᡵᡤᡝᠨ 転写:fukjingga hergen)は、漢字やモンゴル文字、満洲文字の書体の一種。「篆書」「篆文」ともいう。",
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"text": "広義には秦代より前に使用されていた書体全てを指すが、一般的には周末の金文を起源として、戦国時代に発達して整理され、公式書体とされた小篆とそれに関係する書体を指す。",
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"text": "公式書体としての歴史は極めて短かったが、現在でも印章などに用いられることが多く、書体の中では最も息が長い。",
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"text": "金文から更に字形の整理が進み、一文字の大きさが均等になった。文字の形は天地が長い長方形の辞界に収まるように作られる。点画は水平・垂直の線を基本に、円弧をなす字画はすみやかに水平線・垂直線と交差するように曲げられる。画の両端は丸められ、線はすべて同じ太さで引かれる。",
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"text": "上記の特徴から、金文と違って上下左右の大きさのバランスが整っており、謹厳な印象を与える文字に進化している。一方曲線を主体とするため有機的な趣きを併せ持ち、独特の雰囲気を持つ書体となっている。",
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"text": "また、後世の漢字のようにへんとつくり、かんむりとあしのように部首分けが容易なのも特徴である。",
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"text": "小篆の起源は、一般的には中国最古の石刻である戦国期の「石鼓文」に用いられた書体・大篆が直接の起源と言われている。「大篆」は西周の宣王の時代、太史・籀(ちゅう)が公式文字・籀文を定めた際に編纂した書物の名であると伝えられ、籀文そのものの別名であるとされている。このようなことから、石鼓文の大篆は籀文が戦国時代の秦で受け継がれたものと考えられているが、その詳細には諸説ある。",
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"text": "紀元前221年、秦は中国統一を成し遂げた。この際、法治の確立や度量衡の統一の他、文字の統一が行われ、小篆が正式に統一書体として採用された。小篆は始皇帝が李斯に命じて籀文(もしくは大篆)を簡略化したもの、あるいは李斯の進言により当時の秦で行われていた籀文由来の文字を採用したものともいわれる。",
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"text": "始皇帝はこの小篆を権力誇示の手段として用いた。元々甲骨文の時代から文字は権力の象徴であり、それを引き継いでのものである。現に自分を讃える銘文を刻んだ「始皇七刻石」を国内6カ所に立て、大いにその権力を示した。",
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"text": "また小篆は秦が「統一された法治国家」であることを示すため、国の公式証明手段としても用いられた。度量衡の統一の際、決まった大きさの分銅や枡が標準器として全国に配布されたが、これに「権量銘」と呼ばれる小篆を用いた証明文が、金属製の場合直接刻み込まれ、木製の場合銅板に刻まれて貼りつけられた。また、官吏が公式証明に用いる官印にも用いられた。",
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"text": "こうして小篆は秦の国内政策の第一線を担う存在として扱われたのである。",
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"text": "そのような国の意図とは裏腹に、小篆はすぐにその形を崩し始める。法治国家である秦では、下層の役人が現場で事務処理を行うことが多くなった。彼らにとって複雑な形をした小篆はきわめて書きづらいものであり、自然走り書きが多く発生する結果となった。このことが小篆の書体の単純化・簡素化を生み、やがて隷書を生むことになるのである(隷変)。",
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"text": "紀元前206年に秦が滅亡すると、楚漢戦争を経て前漢が立った。前漢とそれに続く後漢では公式書体として小篆ではなく隷書が採用されることになったが、このことには小篆の煩雑さを避けるためという意図があった。またこのような「筆記手段」としての役割を優先した文字政策は、「権力の象徴」として存在し続けていたそれまでの文字の概念を完全に覆すものであり、甲骨文以来続いた「古代文字」の時代の終焉を示すものでもあった。",
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"text": "一時新代に公式書体に返り咲いたが、新の滅亡とともに再び公式書体から外され、以後しばらくの間小篆は「公的証明」の名残から官印・公印に用いられる他は、ほとんどの場合装飾的に瓦や鏡などの文様、碑や帛書の表題などに用いられるにすぎなくなる。",
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"text": "また後漢代の「祀三公山碑」や「嵩山三闕銘」、三国時代の呉における「天発神讖碑」「封禅国山碑」のように碑も少数ながら存在したが、いずれも天や神への願文や天のお告げを示した内容で、小篆の権力性がいつの間にか天や神に通じる性質のものへ拡大され、「神へ祈るための文字」として認識されるようになっていたことが分かる。漢代以降、小篆は、その字形や権力性から性質が変化することで、ごく一部を除いて装飾や祭祀のための特殊な文字として認識されるようになった。",
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"text": "そのような認識の変化がやがて文字そのものにも及ぶ。当初、漢代では秦から時代が遠くないこともあり、せいぜい隷書の書き方が入ったり線を角ばらせたりする程度の変化や崩れで済んでいた(漢篆)。しかし漢末や六朝時代以降になると完全に混沌状態になり、小篆から大量の装飾書体が生まれるなど、どんどん本来の姿から遠ざかっていくことになる。",
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"text": "その中でわずかに後漢代、訓詁学の第一人者の許慎が、儒学研究の一環として小篆を「古代文字」として真正面から扱い、小篆を中心とした字書『説文解字』をものして字義などの解釈をなしたが、あくまで学問的追究であり、書における展開は見られなかった。",
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"text": "このように姿まで変化させられ、日陰者として細々と命を永らえていた小篆であったが、唐代以降再び脚光を浴びることになる。",
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"text": "唐の中ごろ、詩人の韓愈らが六朝の四六駢儷文を否定し古文復興運動を行った影響で、書道にも王羲之以前、すなわち隷書以前を志向する復古主義的な気運が生まれた。",
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"text": "そのような風潮の中、小篆は李陽冰などによって大きく注目されることになり、それまでの崩れた書法を排した、本来の姿に近い小篆による書道作品や石刻が多く使われるに至った。これにより、小篆は書道界に一書体として再興することになる。",
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"text": "五代十国時代の南唐および宋代には、徐鉉・徐鍇兄弟により『説文解字』の校訂・注釈が行われ、現在見られる『説文解字』のテキスト(大徐本)が作られるとともに、小篆による書道も引き継がれた。",
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"text": "またこの宋代以降、古印を収蔵し鑑賞する趣味が発達したことも、小篆含む篆書への関心を深める要因となった。官印、または作品の製作者や収蔵家が所有権を誇示するために押した印章には、篆書で官職名、もしくは本人の名や座右の銘を彫っているものが多かったからである。元・明代以降はこの篆書を用いた印章を彫る作業も、「篆刻」という書道の一ジャンルとして確立された。",
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"text": "清代においては、考証学の発達により模刻や模写を重ねている紙の法帖よりも当時の姿を留める碑の方が書蹟として信頼性が高いとの考えから、碑の研究が主流となったため、それに伴って碑しかない時代の文字であった篆書も研究・書作が再び盛んとなり、書・篆刻ともに優れた作品が残されている。また、満洲文字などの篆書もつくられた。",
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"text": "現代においても書作品・篆刻作品の他、「公的証明」の役割の名残として印章に用いられることが多い。",
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"text": "許慎が著したそのままの形を伝えるテキストは存在しないが、『説文解字』序文によれば、秦では公式書体として大篆・小篆・刻符・虫書(ちゅうしょ)・摹印(ぼいん、「摹」は「募」の「力」を「手」に変えた字)・署書・殳書(しゅしょ)・隷書の8つを定めていたという(秦の八体)。許慎から700年近くが経過した残巻は、懸針体という細長い書体が使われており、これが篆書体の初期形ともされている。",
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"text": "また前漢を簒奪し新を建てた王莽は、公式書体制定の際にこの八体を整理、古文・奇字・篆書・隷書・繆篆(びゅうてん)・鳥虫書(ちょうちゅうしょ)の6つにしたといわれている(新の六体)。",
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"text": "これら秦の八体・新の六体は、いずれも何らかの形で小篆と類縁関係にある書体であった。このうち代表的なものを以下に挙げる。",
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"text": "秦の八体の第一に挙げられる。小篆の元となった書体で、小篆と対をなす名称。石鼓文に用いられた書体である。上述の通り、元が西周の公式文字・籀文であるという説があることから、籀文と同一視されるが詳らかではない。",
"title": "関連する書体"
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"text": "字形は小篆と比べると装飾性が高く、文字全体のバランスも完全な方形ではないことが多い。金文の特徴を強く残す文字であるが、一方で画に平行部が多く見られるなど小篆の萌芽も見られる。",
"title": "関連する書体"
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{
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"text": "秦の八体に第五・摹印、新の六体に第五・繆篆として挙げる字体。その名の通り、印章用に特化した小篆のことである。現在見るような形の印篆が成立したのは漢代以降とみられる。なお、漢代に完成したため「漢篆」の一書体に数えられることもある。",
"title": "関連する書体"
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"text": "縦に長い小篆を印の正方形に収めるため、小篆の曲線部分や長くはみ出す部分を直線・折線で表現したもので、有機的な形の小篆よりも角ばり、さらに整然とした印象を受ける。",
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"text": "秦の八体に第七・殳書、新の六体に第六・鳥蟲書として挙げる字体。春秋時代から秦代にかけて矛など武具の装飾用に用いられた、極めて装飾性の高い書体である。",
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"text": "字形はうねうねと蛇のようにくねった細い線で構成される単純なもの、鳥の頭や姿を模した飾りが画の端々についているもの、さらに文字の原形を留めないほど無理矢理に鳥の形に変形させたものなどさまざまで、そのほとんどが文様化して解読不能である。",
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"text": "宋代以降の各王朝、また異民族王朝の金において官印に用いられた小篆。単に「畳篆」ともいう。小篆ないしは印篆の画を長く伸ばし、幾重にもぐねぐねと曲げて装飾性を高めた書体である。",
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"text": "装飾部の折れ線が印面を埋め尽くすように布字されるため、細かい線がずらずらと並んでいるようにしか見えないことが多く、判読性は限りなく低い。実用よりも官印の権威を示す役割を重視したものである。",
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"text": "なおこの九畳篆の登場により官印の意匠が完全に硬直化してしまい、以後の官印は書道・美術の方面からは顧みられなくなった。",
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"text": "前漢を簒奪して建てられた新では、皇帝王莽の盲目的な復古主義の影響で公式書体に小篆が採用された。秦の文字政策を模倣したもので、事実度量衡を改正の上、標準器に公式証明文「嘉量銘」を小篆で刻んで全国に配布するという秦代そのままの政策が行われている。",
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"text": "字形は通常の小篆の縦に細長い辞界を守りながら、一方で曲線部分を極端なまでに角張らせているのが特徴で、小篆と印篆の間を取ったような独特の雰囲気の字形になっている。線も極めて細い。",
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"text": "三国時代の呉では、最後の皇帝孫晧の時期に「天発神讖碑(てんぱつしんしんひ)」「封禅国山碑(ほうぜんこくざんひ)」と呼ばれる小篆の碑が立てられた。",
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"text": "両碑の小篆は極めて特殊で、「天発神讖碑」は角ばって尖った字形でごつごつとしており、「封禅国山碑」は逆に線が非常に太くもっちりとした字体である。いずれも極めておどろおどろしい雰囲気で、後世の評価は極端に分かれている。",
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篆書体は、漢字やモンゴル文字、満洲文字の書体の一種。「篆書」「篆文」ともいう。 広義には秦代より前に使用されていた書体全てを指すが、一般的には周末の金文を起源として、戦国時代に発達して整理され、公式書体とされた小篆とそれに関係する書体を指す。 公式書体としての歴史は極めて短かったが、現在でも印章などに用いられることが多く、書体の中では最も息が長い。
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{{出典の明記|date=2020年9月}}
'''篆書体'''(てんしょたい、[[モンゴル語]]:{{mongol|ᠭᠣᠷ<br>ᠦᠰᠦᠭ᠌}}<ref>『蒙漢詞典』</ref>、{{lang-mnc|ᡶᡠᡴᠵᡳᠩᡤᠠ<br>ᡥᡝᡵᡤᡝᠨ}}<ref>『満漢大辞典』</ref> 転写:fukjingga hergen)は、[[漢字]]や[[モンゴル文字]]、[[満洲文字]]の[[書体]]の一種。「篆書」「篆文」ともいう。
{{漢字|[[file:XiaozhuanQinquan.jpg|170 px]]<br>
[[File:Song ding inscription.jpg|170px]]}}
広義には[[秦]]代より前に使用されていた書体全てを指すが、一般的には[[周]]末の[[金文]]を起源として、[[戦国時代 (中国)|戦国時代]]に発達して整理され、公式書体とされた'''小篆'''とそれに関係する書体を指す。
公式書体としての歴史は極めて短かったが、現在でも[[印章]]などに用いられることが多く、書体の中では[[世界最古の一覧|最も息が長い]]。
== 字形の変化 ==
[[ファイル:始皇帝 (篆文).svg|thumb|150px|篆書体による「始皇帝」]]
[[金文]]から更に字形の整理が進み、一文字の大きさが均等になった。文字の形は天地が長い長方形の辞界に収まるように作られる。点画は水平・垂直の線を基本に、円弧をなす字画はすみやかに水平線・垂直線と交差するように曲げられる。画の両端は丸められ、線はすべて同じ太さで引かれる。
== 評価 ==
上記の特徴から、金文と違って上下左右の大きさのバランスが整っており、謹厳な印象を与える文字に進化している。一方曲線を主体とするため有機的な趣きを併せ持ち、独特の雰囲気を持つ書体となっている。
また、後世の漢字のようにへんとつくり、かんむりとあしのように部首分けが容易なのも特徴である。
== 歴史と展開 ==
=== 起源 ===
小篆の起源は、一般的には中国最古の石刻である戦国期の「[[石鼓文]]」に用いられた書体・'''大篆'''が直接の起源と言われている。「大篆」は[[周|西周]]の[[宣王 (周)|宣王]]の時代、[[太史令|太史]]・籀(ちゅう)が公式文字・'''籀文'''を定めた際に編纂した書物の名であると伝えられ、籀文そのものの別名であるとされている。このようなことから、石鼓文の大篆は籀文が戦国時代の[[秦]]で受け継がれたものと考えられているが、その詳細には諸説ある。
=== 秦による公式書体化 ===
[[紀元前221年]]、[[秦]]は中国統一を成し遂げた。この際、法治の確立や[[度量衡]]の統一の他、文字の統一が行われ、小篆が正式に統一書体として採用された。小篆は[[始皇帝]]が[[李斯]]に命じて籀文(もしくは大篆)を簡略化したもの、あるいは李斯の進言により当時の秦で行われていた籀文由来の文字を採用したものともいわれる。
始皇帝はこの小篆を権力誇示の手段として用いた。元々[[甲骨文]]の時代から文字は権力の象徴であり、それを引き継いでのものである。現に自分を讃える銘文を刻んだ'''「[[始皇七刻石]]」'''を国内6カ所に立て、大いにその権力を示した。
また小篆は秦が「統一された法治国家」であることを示すため、国の公式証明手段としても用いられた。度量衡の統一の際、決まった大きさの分銅や枡が標準器として全国に配布されたが、これに'''「[[権量銘]]」'''と呼ばれる小篆を用いた証明文が、金属製の場合直接刻み込まれ、木製の場合銅板に刻まれて貼りつけられた。また、官吏が公式証明に用いる[[官印]]にも用いられた。
こうして小篆は秦の国内政策の第一線を担う存在として扱われたのである。
=== 隷書への展開と衰微・変質 ===
そのような国の意図とは裏腹に、小篆はすぐにその形を崩し始める。法治国家である[[秦]]では、下層の役人が現場で事務処理を行うことが多くなった。彼らにとって複雑な形をした小篆はきわめて書きづらいものであり、自然走り書きが多く発生する結果となった。このことが小篆の書体の単純化・簡素化を生み、やがて[[隷書]]を生むことになるのである(隷変)。
[[紀元前206年]]に秦が滅亡すると、[[楚漢戦争]]を経て[[前漢]]が立った。前漢とそれに続く[[後漢]]では公式書体として小篆ではなく隷書が採用されることになったが、このことには小篆の煩雑さを避けるためという意図があった。またこのような「筆記手段」としての役割を優先した文字政策は、「権力の象徴」として存在し続けていたそれまでの文字の概念を完全に覆すものであり、[[甲骨文]]以来続いた「古代文字」の時代の終焉を示すものでもあった。
一時[[新]]代に公式書体に返り咲いたが、新の滅亡とともに再び公式書体から外され、以後しばらくの間小篆は「公的証明」の名残から官印・公印に用いられる他は、ほとんどの場合装飾的に瓦や鏡などの文様、碑や帛書の表題などに用いられるにすぎなくなる。
また後漢代の「[[祀三公山碑]]」や「[[嵩山三闕銘]]」、[[三国時代 (中国)|三国時代]]の[[呉 (三国)|呉]]における「[[天発神讖碑]]」「[[封禅国山碑]]」のように碑も少数ながら存在したが、いずれも天や神への願文や天のお告げを示した内容で、小篆の権力性がいつの間にか天や神に通じる性質のものへ拡大され、「神へ祈るための文字」として認識されるようになっていたことが分かる。漢代以降、小篆は、その字形や権力性から性質が変化することで、ごく一部を除いて装飾や祭祀のための特殊な文字として認識されるようになった。
そのような認識の変化がやがて文字そのものにも及ぶ。当初、漢代では[[秦]]から時代が遠くないこともあり、せいぜい隷書の書き方が入ったり線を角ばらせたりする程度の変化や崩れで済んでいた(漢篆)。しかし漢末や[[六朝時代]]以降になると完全に混沌状態になり、小篆から大量の装飾書体が生まれるなど、どんどん本来の姿から遠ざかっていくことになる。
その中でわずかに後漢代、[[訓詁学]]の第一人者の[[許慎]]が、[[儒学]]研究の一環として小篆を「古代文字」として真正面から扱い、小篆を中心とした字書『[[説文解字]]』をものして字義などの解釈をなしたが、あくまで学問的追究であり、書における展開は見られなかった。
=== 書・印用字体としての再興 ===
このように姿まで変化させられ、日陰者として細々と命を永らえていた小篆であったが、[[唐]]代以降再び脚光を浴びることになる。
唐の中ごろ、詩人の[[韓愈]]らが[[六朝]]の四六駢儷文を否定し[[古文復興運動]]を行った影響で、書道にも[[王羲之]]以前、すなわち[[隷書]]以前を志向する復古主義的な気運が生まれた。
そのような風潮の中、小篆は[[李陽冰]]などによって大きく注目されることになり、それまでの崩れた書法を排した、本来の姿に近い小篆による書道作品や石刻が多く使われるに至った。これにより、小篆は[[書道界]]に一書体として再興することになる。
[[五代十国時代]]の[[南唐]]および[[北宋|宋]]代には、[[徐鉉]]・[[徐鍇]]兄弟により『[[説文解字]]』の校訂・注釈が行われ、現在見られる『説文解字』のテキスト(大徐本)が作られるとともに、小篆による書道も引き継がれた。
[[ファイル:Treaty of Shimonoseki Qing.jpg|thumb|300px|right|[[下関条約]]の漢文版。「皇帝之寶」の印璽。漢字と[[満洲文字]] ({{ManchuSibeUnicode|ᡥᠠᠨ ᡳ<br>ᠪᠣᠣᠪᠠᡳ}} han i boobai)の篆書が刻まれている]]
またこの宋代以降、古印を収蔵し鑑賞する趣味が発達したことも、小篆含む篆書への関心を深める要因となった。官印、または作品の製作者や収蔵家が所有権を誇示するために押した印章には、篆書で官職名、もしくは本人の名や座右の銘を彫っているものが多かったからである。[[元 (王朝)|元]]・[[明]]代以降はこの篆書を用いた印章を彫る作業も、「[[篆刻]]」という書道の一ジャンルとして確立された。
[[清]]代においては、[[考証学]]の発達により[[模刻]]や模写を重ねている紙の[[法帖]]よりも当時の姿を留める碑の方が書蹟として信頼性が高いとの考えから、碑の研究が主流となったため、それに伴って碑しかない時代の文字であった篆書も研究・書作が再び盛んとなり、書・篆刻ともに優れた作品が残されている。また、満洲文字などの篆書もつくられた。
現代においても書作品・篆刻作品の他、「公的証明」の役割の名残として印章に用いられることが多い。
== 関連する書体 ==
=== 秦の八体・新の六体関連 ===
許慎が著したそのままの形を伝えるテキストは存在しないが、『[[説文解字]]』序文によれば、[[秦]]では公式書体として大篆・小篆・刻符・虫書(ちゅうしょ)・{{lang|zh|摹}}印(ぼいん、「{{lang|zh|摹}}」は「募」の「力」を「手」に変えた字)・署書・殳書(しゅしょ)・隷書の8つを定めていたという(秦の八体)。許慎から700年近くが経過した残巻は、懸針体という細長い書体が使われており、これが篆書体の初期形ともされている。
また[[前漢]]を[[簒奪]]し[[新]]を建てた[[王莽]]は、公式書体制定の際にこの八体を整理、古文・奇字・篆書・隷書・繆篆(びゅうてん)・鳥虫書(ちょうちゅうしょ)の6つにしたといわれている(新の六体)。
これら秦の八体・新の六体は、いずれも何らかの形で小篆と類縁関係にある書体であった。このうち代表的なものを以下に挙げる。
==== 大篆 ====
[[File:Song ding inscription.jpg|300px]]<br>
秦の八体の第一に挙げられる。小篆の元となった書体で、小篆と対をなす名称。[[石鼓文]]に用いられた書体である。上述の通り、元が[[周|西周]]の公式文字・籀文であるという説があることから、籀文と同一視されるが詳らかではない。
字形は小篆と比べると装飾性が高く、文字全体のバランスも完全な方形ではないことが多い。金文の特徴を強く残す文字であるが、一方で画に平行部が多く見られるなど小篆の萌芽も見られる。
==== 印篆 ====
秦の八体に第五・{{lang|zh|摹}}印、新の六体に第五・繆篆として挙げる字体。その名の通り、印章用に特化した小篆のことである。現在見るような形の印篆が成立したのは[[前漢|漢]]代以降とみられる。なお、漢代に完成したため「漢篆」の一書体に数えられることもある。
縦に長い小篆を印の正方形に収めるため、小篆の曲線部分や長くはみ出す部分を直線・折線で表現したもので、有機的な形の小篆よりも角ばり、さらに整然とした印象を受ける。
==== 鳥蟲篆 ====
{{main|鳥蟲書}}
秦の八体に第七・殳書、新の六体に第六・鳥蟲書として挙げる字体。[[春秋時代]]から[[秦]]代にかけて矛など武具の装飾用に用いられた、極めて装飾性の高い書体である。
字形はうねうねと蛇のようにくねった細い線で構成される単純なもの、鳥の頭や姿を模した飾りが画の端々についているもの、さらに文字の原形を留めないほど無理矢理に鳥の形に変形させたものなどさまざまで、そのほとんどが文様化して解読不能である。
=== 後世の派生書体 ===
==== 九畳篆 ====
[[ファイル:Kujoten.png|thumb|九畳篆([[和漢三才図会]]より)]]
[[北宋|宋]]代以降の各王朝、また異民族王朝の[[金 (王朝)|金]]において官印に用いられた小篆。単に「畳篆」ともいう。小篆ないしは印篆の画を長く伸ばし、幾重にもぐねぐねと曲げて装飾性を高めた書体である。
装飾部の折れ線が印面を埋め尽くすように布字されるため、細かい線がずらずらと並んでいるようにしか見えないことが多く、判読性は限りなく低い。実用よりも官印の権威を示す役割を重視したものである。
なおこの九畳篆の登場により官印の意匠が完全に硬直化してしまい、以後の官印は書道・美術の方面からは顧みられなくなった。
==== 新の小篆 ====
[[前漢]]を[[簒奪]]して建てられた[[新]]では、皇帝[[王莽]]の盲目的な復古主義の影響で公式書体に小篆が採用された。[[秦]]の文字政策を模倣したもので、事実度量衡を改正の上、標準器に公式証明文「[[嘉量銘]]」を小篆で刻んで全国に配布するという秦代そのままの政策が行われている。
字形は通常の小篆の縦に細長い辞界を守りながら、一方で曲線部分を極端なまでに角張らせているのが特徴で、小篆と印篆の間を取ったような独特の雰囲気の字形になっている。線も極めて細い。
==== 呉の小篆 ====
[[三国時代 (中国)|三国時代]]の[[呉 (三国)|呉]]では、最後の皇帝[[孫晧]]の時期に「[[天発神讖碑]](てんぱつしんしんひ)」「[[封禅国山碑]](ほうぜんこくざんひ)」と呼ばれる小篆の碑が立てられた。
両碑の小篆は極めて特殊で、「天発神讖碑」は角ばって尖った字形でごつごつとしており、「封禅国山碑」は逆に線が非常に太くもっちりとした字体である。いずれも極めておどろおどろしい雰囲気で、後世の評価は極端に分かれている。
このような異様な字体になった理由としては、両碑が[[神秘思想]]にかぶれた孫晧の現実逃避の産物であったことが大きく関わっている。両者とも「天のお告げ」を記すための碑であり、そのために小篆の持っていた権力性が要求されたのである。
技巧上は[[隷書]]用の筆で隷書の意を含ませて書いたためこうなった、と言われているが定かではない。いずれにせよこの両者にだけしか見られない特異な小篆というべきであろう。
==== その他 ====
この他にも[[後漢|漢]]代末から[[六朝時代]]にかけ、小篆の装飾性を利用して大量生産された装飾書体が存在する。
六朝時代、[[斉 (南朝)|南朝斉]]の[[蕭子良]]がまとめた『[[中国の書論#篆隷文体|古今篆隷文体]]』には40種類余りの装飾書体が伝えられており、小篆からの派生であると思われるものがいくつか見られる。その中の「懸針篆」と呼ばれる画の先を鋭く尖らせた書体は、『[[説文解字]]』の初期の写本「説文解字木部残巻」や[[空海]]による日本最古の字書『[[篆隷万象名義]]』にも使用されている。
同じく六朝時代の[[梁 (南朝)|南朝梁]]には「百二十体書」と称して120種類もの装飾書体があったと伝えられており(書蹟が現存しないため詳細不明)、唐代には篆書を得意とした僧・夢英により「十八体書」と呼ばれる18種類の装飾書体が伝えられている。
また[[正倉院]]にも、「鳥毛篆書屏風」なる小篆の派生と思われる装飾書体で書かれた屏風が所蔵されている。
== 史料 ==
小篆の史料は公式書体であった[[秦]]の時代が短かったこともあり、極端に少ない。現在残るものとしては「[[始皇七刻石]]」の一部である'''「泰山刻石」'''・'''「瑯琊台刻石」'''(ろうやたいこくせき)、そして[[度量衡]]の標準器の証明文である'''「[[権量銘]]」'''、その他木簡・竹簡がある程度である。
しかも「泰山刻石」はわずか10字が現存するのみ(拓本として十字本・二十九字本・五十三字本・百六十五字本の四種類があるが、五十三字本・百六十五字本を模刻した石から採ったものとして疑うむきもある)、「瑯琊台刻石」は86字が残っているが風雨による侵蝕で文字が涙を流したようになっており、極めて保存状態が悪い。また「権量銘」や木簡・竹簡も字形の崩れが見られ、小篆の字体を厳密には伝えていない。
このため、直接同時代の史料に当たることは極めて難しく、後世のものに頼る必要がある。幸い先述した[[許慎]]の『[[説文解字]]』には字書として基本的な文字が網羅されているので、本書に掲出する字は小篆の字形の標準として用いられている。
== 研究 ==
小篆はじめ篆書は書道の書蹟として研究されるほか、漢字史の研究材料としても広く用いられている。
これは「隷変」や[[楷書]]への展開により字形が現在の形へ変化するうちに失われた、さまざまな情報を篆書、なかんずく小篆が持っているからである。これと「隷変」の過程を見たりすることでさまざまな研究が成り立つ。
たとえば「右」「左」は似ている漢字なのに、書き順は異なりそれぞれはらいと横棒を第1画目とする。楷書のままではその理由は分からないが、小篆に戻ると「右」のはらいと「左」の横棒が実は左右対称ながら同じ形をしており、第1画目であったことが分かる。それらが「隷変」の過程でそれぞれはらいと横棒という別の形に変化してしまったために、現在のような書き順になってしまったと説明出来るのである。
ただし正確な研究には、篆書以前の[[甲骨文]]や[[金文]]の情報も必要になる。既に篆書以前の段階で失われた情報も多いからである。事実[[許慎]]の『[[説文解字]]』は、甲骨文や金文の知識がなかったためにさまざまな間違いを起こしている。
== 現代における篆書体 ==
[[ファイル:JapanpassportNew10y.PNG|thumb|right|180px|日本国旅券の表紙。上部に「日本国旅券」と記す]]
=== 利用実態 ===
前述の通り、小篆は現代でも書道や印章の世界では現役の書体である。
日常の書体としては[[旅券]]の表紙や、郵便切手の「日本郵便」の文字や自治体の印章などのほか一部の店の看板に使用されている程度であったが、最近では字形の面白さから装飾文字やデザインとしても用いられることも多くなっている。
このことから昨今の時流に乗って小篆を取り入れた「篆書体フォント」がいくつも作られるなど、デジタルの世界にも進出を果たしており、比較的気軽に小篆を使用出来るようになった。
従来は手彫りによっていた小篆の印章作成も、これらの[[フォント]]を用いることで比較的安価に素早く出来るようになっている。
身近な例でいえば、[[日本銀行券]]の表の「総裁之印」、裏の「発券局長」の印章の文字がある。曲線が多く判読も容易ではない印章の朱い文字の書体である<ref>{{cite|和書|author=石川九楊|title=説き語り中国書史|date=2012|edition|=初版|publisher=新潮社|page=21|ISBN=9784106037085}}</ref>。これは明治時代に篆刻家の[[益田香遠]]に作らせたものである。
=== 問題点 ===
このようにデジタル時代になり、コンピュータの恩恵にあずかる形で日常生活の中に進出してきた小篆であるが、進出の主な媒体が「篆書体フォント」という「[[フォント]]」であるゆえの問題点もある。
==== 伝統的小篆との衝突 ====
{{独自研究|date=2013年1月}}
[[書道]]用・[[篆刻]]用書体としての小篆は『[[説文解字]]』などしかるべき文献が基準にあり、字形が大きく現状と異なっても手を加えることはしない。また当時存在しなかった字は、相当する別字で代用するのが普通である。
造字行為はよほどの理由がない限り避けるべきとされ、現在も「絶対にやるべきではない」「やむを得なければやってもよい」「こだわらず自由にやってもよい」と人によって許容範囲が大きく異なるデリケートな問題となっている。
一方、篆書体フォントは字形に対してはかなり自由であり、『説文解字』の字形を基準とすると「間違い」とされるような字形が通用していることが少なくない。
また他の小篆の字や[[隷書]]・[[楷書]]の形を参考にしたり、[[仮名 (文字)|仮名]]を小篆風に仕立てるなどして大量の造字を行い、「楷書風の小篆」「[[新字体]]の小篆」「仮名の小篆」「アルファベット・アラビア数字などの小篆」などといった歴史的に有り得ないはずの文字を生み出している。
一見すると篆書体フォントの制作態度はいい加減であるように思えるが、そう解釈すべきではない。篆書体フォントはあくまでパソコン用の[[フォント]]であるため、その制作は「デザイン」としての側面を持ち、『説文解字』のような一つの基準に縛られる必然性が必ずしもあるわけではない。
また実用書体として作られているため、字形が全く現在の書体と似ても似つかなかったり、また字そのものがないなどの現象が多発する篆書体そのままを使用することは出来ない。また姓名・会社名を記す以上、日本独自の字形・文字である新字体や仮名に対する対応も必要になる。伝統と歴史を重視する書道用・篆刻用書体の小篆とは、立場も存在目的も異なるのである。
このようなことから「篆書体フォント」はあくまで小篆のデザインを実用本位で模倣した一種の装飾フォントであり、伝統的な「小篆」とは違う。
==== 印影の画一化 ====
篆書体フォントは先述のように小篆による印章作成を容易にしたが、逆に誰でも同じフォントを買って導入することが出来るようになったため、全く違う店で彫ったにもかかわらず印影が同じ、という事態が発生している。
このことは小篆を用いた印章の証明性を下げる事態にもなりかねず、将来的に問題となる可能性がある。
== 様々な篆書の文字 ==
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== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
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== 参考文献 ==
{{No footnotes|date=2018年11月|section=1}}
{{commons|Category:Seal script}}
*尾上八郎・神田喜一郎・田中親美・吉澤義則編『書道全集』第1巻(平凡社刊)
*神田喜一郎・田中親美編『書道全集』別巻1(平凡社刊)
*西川寧編『書道講座』第5巻(二玄社)
== 関連項目 ==
*[[秦]]
*[[始皇帝]]
*[[李斯]]
*[[説文解字]]
*[[許慎]]
*[[李陽冰]]
*[[徐鉉]]
*[[徐鍇]]
*[[書体]]
*[[篆刻]]
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制限酵素
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制限酵素(せいげんこうそ、英:Restriction enzyme; REase)は、制限部位として知られるDNAの特定の配列部位の内部、あるいはその近くでDNAを特異的に切断する酵素の一種である。制限酵素はDNA切断活性を持つエンドヌクレアーゼと呼ばれる酵素群のうちの1つであり、特に制限エンドヌクレアーゼとも呼ばれる。タンパク質の複合体構造やDNA基質の認識部位、切断位置などの点から、一般的には5種類に分類される。すべての制限酵素は、DNA二重らせんの各糖リン酸骨格(つまり主鎖)を切断する活性を持つ。
制限酵素はバクテリアや古細菌などの原核生物において広く見られる酵素であり、ウイルス感染に対する防御メカニズム(制限修飾系)に関わっている。このシステムでは、制限消化と呼ばれるプロセスにより、原核生物の細胞内で制限酵素が外来DNAを選択的に切断する。一方で宿主のDNAは、ゲノムDNAを修飾酵素(メチルトランスフェラーゼ)などで事前に化学修飾を施すことで、制限酵素によるDNA切断をブロックして自身のDNAを保護している。これらの2つのプロセスが一緒になることで、制限修飾システムが形成される。
2005年までに、250以上の異なる配列特異性を表す3,600以上の制限酵素が知られている。これらのうち3,000以上が詳細に研究されており、800以上が試薬として今までに市販されてきた。これらの酵素は、実験室でのDNA切断に日常的に使用されており、制限酵素は今日の分子生物学において必要不可欠なツールとなっている。具体的には、分子クローニングや遺伝子組み換え、制限地図の作成、RFLPの解析などに用いられている。
制限酵素は、おそらく共通の祖先から進化し、遺伝子の水平伝播を介して広まったと考えられている。また、制限酵素は利己的な遺伝子要素として進化してきたという説もある。
制限酵素という用語は、制限修飾系によってλファージなどのバクテリオファージが原核生物への感染を防御される(ファージの感染が宿主によって「制限」される)現象を調べた研究に由来している。この現象は、1950年代初頭にサルバドール・ルリア、ジャン・ヴァイグレ、ジュゼッペ・ベルターニらによって行われ、最初に確認された。この研究において、大腸菌のある任意の菌株(例えば大腸菌C株系統)でよく増殖するバクテリオファージを別の大腸菌株(例えば大腸菌K株系統)で培養させると、その収量が大幅に(3〜5桁程度)低下することが示された。この例では、λファージにとって大腸菌Kは制限宿主であり、λファージの生物学的活性を低下させる能力を持っていることが示唆される。同様に、ある細菌株でファージが定着すると、他の細菌株ではそのファージの増殖能力が制限されることも分かった。その後、1968年に、スイスのヴェルナー・アーバー (Werner Arber) やアメリカのハミルトン・スミス (Hamilton Othanel Smith) によって、この感染の制限はファージDNAの酵素的な切断によって引き起こされることが示され、関与する酵素は制限酵素と呼ばれるようになった。
この時にアーバーとメセルソンによって研究された制限酵素は、認識部位からランダムにDNAを切断する、いわゆるI型制限酵素であった。1970年、ハミルトン・O.・スミス、トーマス・ケリー、ケント・ウィルコックスは、インフルエンザ菌から最初のII制限酵素であるHind IIを分離し、酵素学的な特性を明らかにした。このタイプの制限酵素は、認識配列の部位で厳密にDNAを切断する機能を持っているため、分子生物学のツールとして有用であった。その後、ダニエル・ネイサンズ(Daniel Nathans)とKathleen Dannaは、ポリアクリルアミドゲル電気泳動を使用して、制限酵素によって切断されたシミアンウイルス40 (SV40)DNAは、特定の長さの断片に離できるが生成されることを示した。このことはすなわち、制限酵素はDNAのマッピングにも利用することができることを示している。制限酵素の発見と特性評価におけるこれらの功績により、1978年のノーベル生理学・医学賞がヴェルナー・アーバー、ダニエル・ネイサンズ、ハミルトン・O・スミスに授与された。制限酵素の発見によりDNAの操作が可能になり、組換えDNA技術の開発が進んだことで、例えば糖尿病患者が使用するヒトインスリンタンパク質の大規模生産など、多くの用途に繋がった。
一般的な制限酵素は、特定のDNA配列を認識し 、その付近あるいはその配列内部でDNA二本鎖を切断する。認識部位の塩基数が一般的に4〜8塩基程度のものが多い。この認識配列の塩基数は、ゲノム上に出現する制限酵素サイトの頻度にも影響を与える。例えば4塩基認識部位の場合、理論的には4^4=256bpに1回の頻度でゲノム上に制限酵素サイトが出現することになり、6塩基認識部位の場合は4^6=4,096bpごとに1回、8塩基認識部位では4^8=65,536bpに1回出現することになる。
認識部位にはパリンドローム(回文配列)のものが多く見られる。この場合、認識サイトは主鎖と逆鎖の両方で制限酵素に認識されることになる。理論的に可能なパリンドローム配列としては、2つのタイプがある。1つ目は、鏡のような回文であり、例えばGTAATGといった配列のように、同じDNA鎖で前方から読んでも後方から読んでも同じ配列となる場合である。他方で、逆方向反復パリンドロームと呼ばれる配列では、例えばGTATACの配列のように、相補的な関係にあるDNA鎖において、同じDNA方向(5' -> 3')から読むと主鎖も逆鎖も同じ配列になる。後者の逆方向反復パリンドロームは、鏡パリンドロームよりも一般的にゲノム中に見られ、生物学的にも重要である。
同じ配列を認識するさまざまな制限酵素は、ネオシゾマーと呼ばれ、これらは異なる切断サイトを持つ場合がある。ネオシゾマーのうち、同じ配列を認識し同じ箇所で切断する酵素はイソシゾマーと呼ばれる。
SmaIなどが知られる。
EcoRIなどが知られる。
すべてのタイプの制限酵素は、特定の短いDNA配列を認識し、DNAエンドヌクレアーゼによる切断活性により、末端に5'-リン酸を持つようなDNAフラグメントを生成する。天然に存在する制限酵素は、そのタンパク質構造や酵素補因子の要件、認識配列、およびDNA切断部位の位置に基づいて、大きく4つのグループ(タイプI、II III、およびIV)に分類されている。また、制限酵素の研究が進むにつれて、このグループに入らないような酵素の存在も報告されている。以下、各グループの一般的な特徴を概説する。
I型制限酵素は、大腸菌の2つの異なる株(K-12およびB)で最初に同定された。これらの酵素は、認識部位からランダムな距離(400~7000bp程度)離れた、異なる部位でDNAを切断する。これらのランダムな部位での切断は、DNA転座のプロセスに従っており、このことはこれらのタイプの酵素が分子モーターでもあることを示している。認識部位は非対称であることも多く、2つのDNA認識部位を持っている。それぞれ3〜5塩基程度を認識し、6〜8塩基程度の非特異的スペーサー配列によって区切られている。例えば、EcoKIという酵素は、AACNNNNNNGTGCという配列を認識する(ただし、NはATCGのどの塩基でもよいことを示す)。
これらの酵素は多機能であり、標的DNAのメチル化状態に応じて、制限消化と修飾の両方の活性が可能である。補因子としてmS-アデノシルメチオニン(AdoMet)、加水分解されたアデノシン三リン酸( ATP )、およびマグネシウム(Mg )イオンが、完全な活性に必要である。タイプI制限酵素は、HsdR・HsdM・HsdS(または単純にR・M・S)と呼ばれる3つのサブユニットから構成される。Rが切断活性、Mがメチル化活性、Sが配列特異性を担っており、制限消化にはHsdRが特に必要である。 HsdMは宿主DNAにメチル基を付加するために必要であり(メチルトランスフェラーゼ活性)、HsdSは制限消化(DNA切断)と修飾(DNAメチルトランスフェラーゼ)活性の両方に加えて認識(DNA結合)部位の特異性にとって重要である。メチル化されていないDNAに対してはATP要求性のヌクレアーゼとして、片鎖がメチル化されているDNAに対してはS-アデノシル-L-メチオニンを要求するメチラーゼとして働く。
認識部位が特異的であるのに対し、二本鎖DNAの切断部位は認識部位から様々な距離で起こるため、切断部位に再現性が乏しく、またDNAのメチル化も引き起こすため、遺伝子工学には利用が難しい。
典型的なII型制限酵素は、ホモ二量体を形成するものが多い。多くの場合で認識部位は1つであり、パリンドロームの場合が多く、長さは4〜8塩基程度である。通常はメチラーゼとは独立している。DNA認識部位の内部でDNAを切断し、その活性にATPやAdoMetを使用しない。通常、補因子として必要なのはMgのみである。これらの酵素は、二重らせんDNAのホスホジエステル結合を切断する。両方のストランドの中央で切断して平滑末端を生成するか、あるいはスタッガード位置で粘着末端と呼ばれるオーバーハングを残して切断をする。切断点は認識部位内かそのごく近傍に限定されている。遺伝子工学の実験に広く利用できることから、試薬会社から市販されているもののほとんどの種類をこの型の酵素が占める。
II型制限酵素は研究分野で最も一般的に利用されている制限酵素である。1990年代と2000年代初頭にかけで様々な特徴をもつII型制限酵素が発見され、II型酵素の典型的な特性からの逸脱に基づいて、様々なII型酵素のサブファミリーが定義された。これらのサブグループは、文字の接尾辞を使用して定義されている。これは排他的な分類ではなく、たとえばIIA型でかつIIS型の酵素や、IIB型でかつIIH型の酵素などが存在する。
IIP型:認識配列がパリンドローム(palindrome)になっている酵素。DNA配列をホモ2量体で認識する。
IIA型:認識配列が非対称(asymmetric)な酵素。
IIB型:切断部位が認識部位の両側2箇所(both)となる酵素。多量体であり、複数のサブユニットを含む。AdoMetとMg2 補因子の両方を必要とする。例えば、BcgIやBplIが知られている。
IIC型:ヌクレアーゼ活性とメチラーゼ活性が1つのポリペプチドに融合している酵素。
IIE型:活性に認識部位が2箇所必要で、そのうち1箇所が切断され、もう1箇所はエフェクターとして作用する酵素。一方の認識部位は切断の標的として機能し、もう一方の認識部位は酵素切断の効率を加速または改善するアロステリックエフェクターとして機能する。例えば、NaeIが知られる。
IIF型:活性に認識部位が2箇所必要で、その両方が切断される酵素。例えばNgoMIVが知られる。IIG型:S-アデノシルメチオニンの影響を受ける酵素。古典的なタイプII制限酵素のように単一のサブユニットから構成されるが、活性には補因子としてAdoMetが必要である。例えばEco57Iが知られる。
IIH型:遺伝子としてはI型に似ているが、活性はII型のように振る舞う酵素。
IIM型:メチル化された特定の配列を認識し切断する酵素。例えばDpnIが知られる。
IIS型:2本鎖のうち少なくとも片方が認識部位より外側で切断される酵素。非パリンドロームな認識部位から、特定の長さ分離れた箇所でDNAを切断する。この特性は、ゴールデンゲートクローニングなどのin vitroクローニング技術で応用されている。これらの酵素は二量体として機能する可能性がある。例えばFok Iが知られる。
IIT型:DNA配列をヘテロ2量体で認識する酵素。2つの異なるサブユニットで構成されている。パリンドローム配列を認識するものもあれば、非対称の認識部位を持つものもある。例えばBpu10IやBslIなどが知られる。
III型制限酵素(EcoP15など)は、逆向きの2つの別々の非パリンドローム配列を認識し、認識部位の約20〜30塩基後方の部位を切断する。III型制限酵素はRes(P08764)とMod(P08763)の2つのサブユニットから構成され、DNAメチル化と制限消化の2つの機能を持つ多機能タンパク質である。それぞれの活性にはAdoMetとATP補因子を必要とする。外来DNAの侵入から生物を保護する原核生物のDNA制限修飾系として機能する。Modサブユニットは、特定のDNA配列を認識する、修飾メチルトランスフェラーゼである。すなわち、I型制限エンドヌクレアーゼのMおよびSサブユニットと機能的に同等である。一方で、Resはそれ自体には酵素活性を持たないが、制限消化には必要となる。タイプIII酵素は、5〜6 bpの短い非対称DNA配列を認識し、25〜27 bp下流で切断して、短い一本鎖5 '突起を残す。制限消化の活性には、2つの逆に配向された非メチル化認識部位の存在が必要となる。そのため、細胞分裂時に新たに複製されたDNA(二本鎖のうち、複製の鋳型となる一方の鎖のみが修飾されており、新規合成された鎖には修飾が入っていない状態のDNA)であっても、制限消化から保護するのに十分である。タイプIII酵素は、N6アデニンメチルトランスフェラーゼのベータサブファミリーに属し、モチーフI、 AdoMet結合ポケット(FXGXG)、モチーフIV、触媒領域(S/D/N(PP)Y/F)など、このファミリーを特徴付ける9つのモチーフを含んでいる。
ModとResと呼ばれる2つのサブユニットから構成されており、Modが配列の認識とS-アデノシルメチオニンを用いたメチル化を行う。ResはDNA切断に必要なサブユニットだが、単独ではヌクレアーゼ活性を持っていない。認識配列は逆位反復になっている必要があり、その両方がメチル化されていない場合のみ片方から約25bp離れた位置をATP要求的に切断する。
IV型制限酵素は、通常はメチル化修飾されたDNAを認識し切断を施す。大腸菌におけるMcrBCやMrrが知られている。
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"text": "III型制限酵素(EcoP15など)は、逆向きの2つの別々の非パリンドローム配列を認識し、認識部位の約20〜30塩基後方の部位を切断する。III型制限酵素はRes(P08764)とMod(P08763)の2つのサブユニットから構成され、DNAメチル化と制限消化の2つの機能を持つ多機能タンパク質である。それぞれの活性にはAdoMetとATP補因子を必要とする。外来DNAの侵入から生物を保護する原核生物のDNA制限修飾系として機能する。Modサブユニットは、特定のDNA配列を認識する、修飾メチルトランスフェラーゼである。すなわち、I型制限エンドヌクレアーゼのMおよびSサブユニットと機能的に同等である。一方で、Resはそれ自体には酵素活性を持たないが、制限消化には必要となる。タイプIII酵素は、5〜6 bpの短い非対称DNA配列を認識し、25〜27 bp下流で切断して、短い一本鎖5 '突起を残す。制限消化の活性には、2つの逆に配向された非メチル化認識部位の存在が必要となる。そのため、細胞分裂時に新たに複製されたDNA(二本鎖のうち、複製の鋳型となる一方の鎖のみが修飾されており、新規合成された鎖には修飾が入っていない状態のDNA)であっても、制限消化から保護するのに十分である。タイプIII酵素は、N6アデニンメチルトランスフェラーゼのベータサブファミリーに属し、モチーフI、 AdoMet結合ポケット(FXGXG)、モチーフIV、触媒領域(S/D/N(PP)Y/F)など、このファミリーを特徴付ける9つのモチーフを含んでいる。",
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"text": "ModとResと呼ばれる2つのサブユニットから構成されており、Modが配列の認識とS-アデノシルメチオニンを用いたメチル化を行う。ResはDNA切断に必要なサブユニットだが、単独ではヌクレアーゼ活性を持っていない。認識配列は逆位反復になっている必要があり、その両方がメチル化されていない場合のみ片方から約25bp離れた位置をATP要求的に切断する。",
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"text": "IV型制限酵素は、通常はメチル化修飾されたDNAを認識し切断を施す。大腸菌におけるMcrBCやMrrが知られている。",
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制限酵素は、制限部位として知られるDNAの特定の配列部位の内部、あるいはその近くでDNAを特異的に切断する酵素の一種である。制限酵素はDNA切断活性を持つエンドヌクレアーゼと呼ばれる酵素群のうちの1つであり、特に制限エンドヌクレアーゼとも呼ばれる。タンパク質の複合体構造やDNA基質の認識部位、切断位置などの点から、一般的には5種類に分類される。すべての制限酵素は、DNA二重らせんの各糖リン酸骨格(つまり主鎖)を切断する活性を持つ。 制限酵素はバクテリアや古細菌などの原核生物において広く見られる酵素であり、ウイルス感染に対する防御メカニズム(制限修飾系)に関わっている。このシステムでは、制限消化と呼ばれるプロセスにより、原核生物の細胞内で制限酵素が外来DNAを選択的に切断する。一方で宿主のDNAは、ゲノムDNAを修飾酵素(メチルトランスフェラーゼ)などで事前に化学修飾を施すことで、制限酵素によるDNA切断をブロックして自身のDNAを保護している。これらの2つのプロセスが一緒になることで、制限修飾システムが形成される。 2005年までに、250以上の異なる配列特異性を表す3,600以上の制限酵素が知られている。これらのうち3,000以上が詳細に研究されており、800以上が試薬として今までに市販されてきた。これらの酵素は、実験室でのDNA切断に日常的に使用されており、制限酵素は今日の分子生物学において必要不可欠なツールとなっている。具体的には、分子クローニングや遺伝子組み換え、制限地図の作成、RFLPの解析などに用いられている。 制限酵素は、おそらく共通の祖先から進化し、遺伝子の水平伝播を介して広まったと考えられている。また、制限酵素は利己的な遺伝子要素として進化してきたという説もある。
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'''制限酵素'''(せいげんこうそ、英:Restriction enzyme; REase)は、[[制限部位]]として知られるDNAの特定の配列部位の内部、あるいはその近くで[[デオキシリボ核酸|DNA]]を特異的に切断する[[酵素]]の一種である<ref name="pmid795607">{{Cite journal|date=November 1976|title=Restriction endonucleases|journal=CRC Critical Reviews in Biochemistry|volume=4|issue=2|pages=123–64|DOI=10.3109/10409237609105456|PMID=795607}}</ref><ref name="pmid2172084">{{Cite journal|date=August 1990|title=Specificity of restriction endonucleases and DNA modification methyltransferases a review (Edition 3)|journal=Gene|volume=92|issue=1–2|pages=1–248|DOI=10.1016/0378-1119(90)90486-B|PMID=2172084}}</ref><ref name="isbn0-89603-234-5">{{Cite book|editor=Burrell M|title=Enzymes of Molecular Biology|publisher=Humana Press|location=Totowa, NJ|series=Methods of Molecular Biology|volume=16|year=1993|pages=107–200|chapter=Chapter 8: Restriction Enzymes|isbn=0-89603-234-5}}</ref>。制限酵素はDNA切断活性を持つ[[エンドヌクレアーゼ]]と呼ばれる酵素群のうちの1つであり、特に'''制限エンドヌクレアーゼ'''とも呼ばれる。[[タンパク質]]の複合体構造やDNA基質の[[基質 (化学)|認識部位]]、切断位置などの点から、一般的には5種類に分類される。すべての制限酵素は、DNA二重らせんの各[[主鎖|糖リン酸骨格]](つまり主鎖)を切断する活性を持つ。
制限酵素は[[細菌|バクテリア]]や[[古細菌]]などの[[原核生物]]において広く見られる酵素であり、[[ウイルス]]感染に対する防御メカニズム([[制限修飾系]])に関わっている<ref name="pmid4897066">{{Cite journal|year=1969|title=DNA modification and restriction|journal=Annual Review of Biochemistry|volume=38|pages=467–500|DOI=10.1146/annurev.bi.38.070169.002343|PMID=4897066}}</ref><ref name="pmid6314109">{{Cite journal|date=September 1983|title=Bacteriophage survival: multiple mechanisms for avoiding the deoxyribonucleic acid restriction systems of their hosts|journal=Microbiological Reviews|volume=47|issue=3|pages=345–60|DOI=10.1128/MMBR.47.3.345-360.1983|PMID=6314109|PMC=281580}}</ref>。このシステムでは、''制限消化''と呼ばれるプロセスにより、[[原核生物]]の細胞内で制限酵素が''外来''DNAを選択的に切断する。一方で宿主のDNAは、ゲノムDNAを修飾酵素([[メチルトランスフェラーゼ]])などで事前に[[DNAメチル化|化学修飾]]を施すことで、制限酵素によるDNA切断をブロックして自身のDNAを保護している。これらの2つのプロセスが一緒になることで、[[制限修飾系|制限修飾システム]]が形成される<ref name="pmid11557807">{{Cite journal|date=September 2001|title=Behavior of restriction-modification systems as selfish mobile elements and their impact on genome evolution|journal=Nucleic Acids Research|volume=29|issue=18|pages=3742–56|DOI=10.1093/nar/29.18.3742|PMID=11557807|PMC=55917}}</ref>。
2005年までに、250以上の異なる配列特異性を表す3,600以上の制限酵素が知られている<ref>{{Cite journal|date=April 2005|title=How restriction enzymes became the workhorses of molecular biology|journal=Proceedings of the National Academy of Sciences of the United States of America|volume=102|issue=17|pages=5905–8|DOI=10.1073/pnas.0500923102|PMID=15840723|PMC=1087929}}</ref>。これらのうち3,000以上が詳細に研究されており、800以上が試薬として今までに市販されてきた<ref name="pmid17202163">{{Cite journal|date=January 2007|title=REBASE--enzymes and genes for DNA restriction and modification|journal=Nucleic Acids Research|volume=35|issue=Database issue|pages=D269-70|DOI=10.1093/nar/gkl891|PMID=17202163|PMC=1899104}}</ref>。これらの酵素は、実験室でのDNA切断に日常的に使用されており、制限酵素は今日の[[分子生物学]]において必要不可欠なツールとなっている<ref name="isbn0-632-03712-1">{{Cite book|title=Principles of gene manipulation: an introduction to genetic engineering|publisher=Blackwell Scientific|location=Oxford|year=1994|isbn=0-632-03712-1|url=https://archive.org/details/principlesofgene00oldr}}</ref><ref name="isbn0-8053-3040-2">{{Cite book|title=Laboratory DNA science: an introduction to recombinant DNA techniques and methods of genome analysis|publisher=Benjamin/Cummings Pub. Co|location=Menlo Park, Calif|year=1996|isbn=0-8053-3040-2}}</ref><ref name="isbn1-55581-176-0">{{Cite book|title=Recombinant DNA and Biotechnology: A Guide for Students|publisher=ASM Press|location=Washington, D.C|year=2001|isbn=1-55581-176-0}}</ref>。具体的には、[[クローニング|分子クローニング]]や遺伝子組み換え、[[制限地図]]の作成、[[RFLP]]の解析などに用いられている。
制限酵素は、おそらく共通の祖先から進化し、[[遺伝子の水平伝播|遺伝子の水平]]伝播を介して広まったと考えられている<ref name="Jeltsch_1995">{{Cite journal|date=July 1995|title=Evidence for an evolutionary relationship among type-II restriction endonucleases|journal=Gene|volume=160|issue=1|pages=7–16|DOI=10.1016/0378-1119(95)00181-5|PMID=7628720}}</ref><ref name="Jeltsch_1996">{{Cite journal|date=February 1996|title=Horizontal gene transfer contributes to the wide distribution and evolution of type II restriction-modification systems|journal=Journal of Molecular Evolution|volume=42|issue=2|pages=91–6|bibcode=1996JMolE..42...91J|DOI=10.1007/BF02198833|PMID=8919860}}</ref>。また、制限酵素は利己的な遺伝子要素として進化してきたという説もある<ref name="Naito_1995">{{Cite journal|date=February 1995|title=Selfish behavior of restriction-modification systems|journal=Science|volume=267|issue=5199|pages=897–9|bibcode=1995Sci...267..897N|DOI=10.1126/science.7846533|PMID=7846533}}</ref>。
== 歴史 ==
制限酵素という用語は、[[制限修飾系]]によって[[λファージ]]などの[[バクテリオファージ]]が[[原核生物]]への感染を防御される(ファージの感染が宿主によって「制限」される)現象を調べた研究に由来している<ref>{{Cite book|title=From Genes to Clones|last=Winnacker E-L|publisher=VCH|year=1987|chapter=Chapter 2: Isolation, Identification, and Characterisation of DNA fragments|isbn=0-89573-614-4|chapter-url=https://archive.org/details/fromgenestoclone0000winn}}</ref>。この現象は、1950年代初頭[[サルバドール・エドワード・ルリア|にサルバドール・ルリア]]、[[ジャン・ヴァイグレ]]、[[ジュゼッペ・ベルターニ]]らによって行われ、最初に確認された<ref name="Luria_Human_1952">{{Cite journal|date=October 1952|title=A nonhereditary, host-induced variation of bacterial viruses|journal=Journal of Bacteriology|volume=64|issue=4|pages=557–69|DOI=10.1128/JB.64.4.557-569.1952|PMID=12999684|PMC=169391}}</ref><ref name="pmid13034700">{{Cite journal|date=February 1953|title=Host controlled variation in bacterial viruses|journal=Journal of Bacteriology|volume=65|issue=2|pages=113–21|DOI=10.1128/JB.65.2.113-121.1953|PMID=13034700|PMC=169650}}</ref>。この研究において、大腸菌のある任意の菌株(例えば大腸菌C株系統)でよく増殖するバクテリオファージを別の大腸菌株(例えば大腸菌K株系統)で培養させると、その収量が大幅に(3〜5桁程度)低下することが示された。この例''では、''λファージ''にとって''大腸菌Kは制限宿主であり、λファージの生物学的活性を低下させる能力を持っていることが示唆される。同様に、ある細菌株でファージが定着すると、他の細菌株ではそのファージの増殖能力が制限されることも分かった。その後、[[1968年]]に、[[スイス]]の[[ヴェルナー・アーバー]] (Werner Arber) や[[アメリカ合衆国|アメリカ]]の[[ハミルトン・スミス]] (Hamilton Othanel Smith) によって、この感染の制限はファージDNAの酵素的な切断によって引き起こされることが示され、関与する酵素は制限酵素と呼ばれるようになった<ref name="pmid48970662">{{Cite journal|year=1969|title=DNA modification and restriction|journal=Annual Review of Biochemistry|volume=38|pages=467–500|DOI=10.1146/annurev.bi.38.070169.002343|PMID=4897066}}</ref><ref name="pmid4868368">{{Cite journal|date=March 1968|title=DNA restriction enzyme from E. coli|journal=Nature|volume=217|issue=5134|pages=1110–4|bibcode=1968Natur.217.1110M|DOI=10.1038/2171110a0|PMID=4868368}}</ref><ref name="pmid13888713">{{Cite journal|date=July 1962|title=Host specificity of DNA produced by Escherichia coli. II. Control over acceptance of DNA from infecting phage lambda|journal=Journal of Molecular Biology|volume=5|issue=1|pages=37–49|DOI=10.1016/S0022-2836(62)80059-X|PMID=13888713}}</ref><ref name="pmid14187389">{{Cite journal|date=May 1964|title=Degradation of non-replicating bacteriophage dna in non-accepting cells|journal=Journal of Molecular Biology|volume=8|issue=5|pages=623–8|DOI=10.1016/S0022-2836(64)80112-1|PMID=14187389}}</ref>。
この時にアーバーとメセルソンによって研究された制限酵素は、認識部位からランダムにDNAを切断する、いわゆるI型制限酵素であった<ref name="pmid15840723">{{Cite journal|date=April 2005|title=How restriction enzymes became the workhorses of molecular biology|journal=Proceedings of the National Academy of Sciences of the United States of America|volume=102|issue=17|pages=5905–8|bibcode=2005PNAS..102.5905R|DOI=10.1073/pnas.0500923102|PMID=15840723|PMC=1087929}}</ref>。1970年、[[ハミルトン・スミス|ハミルトン・O.・スミス]]、[[トーマス・J・ケリー(科学者)|トーマス・ケリー]]、[[ケント・ウィルコックス]]は、[[インフルエンザ菌]]から最初のII制限酵素である[[HindII|Hind II]]を''分離し、酵素学的な特性を明らかにした''<ref name="pmid5312500">{{Cite journal|date=July 1970|title=A restriction enzyme from Hemophilus influenzae. I. Purification and general properties|journal=Journal of Molecular Biology|volume=51|issue=2|pages=379–91|DOI=10.1016/0022-2836(70)90149-X|PMID=5312500}}</ref><ref name="pmid5312501">{{Cite journal|date=July 1970|title=A restriction enzyme from Hemophilus influenzae. II|journal=Journal of Molecular Biology|volume=51|issue=2|pages=393–409|DOI=10.1016/0022-2836(70)90150-6|PMID=5312501}}</ref>。このタイプの制限酵素は、認識配列の部位で厳密にDNAを切断する機能を持っているため、分子生物学のツールとして有用であった<ref>{{Cite journal|date=January 2014|title=Highlights of the DNA cutters: a short history of the restriction enzymes|journal=Nucleic Acids Research|volume=42|issue=1|pages=3–19|DOI=10.1093/nar/gkt990|PMID=24141096|PMC=3874209}}</ref>。その後、[[ダニエル・ネイサンズ]](Daniel Nathans)とKathleen Dannaは、[[ポリアクリルアミドゲル電気泳動]]を使用して、制限酵素によって切断された[[シミアンウイルス40]] (SV40)DNAは、特定の長さの断片に離できるが生成されることを示した。このことはすなわち、制限酵素はDNAのマッピングにも利用することができることを示している<ref name="pmid4332003">{{Cite journal|date=December 1971|title=Specific cleavage of simian virus 40 DNA by restriction endonuclease of Hemophilus influenzae|journal=Proceedings of the National Academy of Sciences of the United States of America|volume=68|issue=12|pages=2913–7|bibcode=1971PNAS...68.2913D|DOI=10.1073/pnas.68.12.2913|PMID=4332003|PMC=389558}}</ref>。制限酵素の発見と特性評価におけるこれらの功績により、1978年の[[ノーベル生理学・医学賞]]が[[ヴェルナー・アーバー]]、[[ダニエル・ネイサンズ]]、[[ハミルトン・スミス|ハミルトン・O・スミス]]に授与された<ref name="urlMedicine 1978">{{Cite web|url=https://www.nobelprize.org/prizes/medicine/1978/summary/|title=The Nobel Prize in Physiology or Medicine|year=1978|publisher=The Nobel Foundation|quote=for the discovery of restriction enzymes and their application to problems of molecular genetics|accessdate=2008-06-07}}</ref>。制限酵素の発見によりDNAの操作が可能になり、組換えDNA技術の開発が進んだことで、例えば[[糖尿病]]患者が使用するヒト[[インスリン]]タンパク質の大規模生産など、多くの用途に繋がった<ref name="Luria_Human_19522">{{Cite journal|date=October 1952|title=A nonhereditary, host-induced variation of bacterial viruses|journal=Journal of Bacteriology|volume=64|issue=4|pages=557–69|DOI=10.1128/JB.64.4.557-569.1952|PMID=12999684|PMC=169391}}</ref><ref name="pmid358198">{{Cite journal|date=August 1978|title=A bacterial clone synthesizing proinsulin|journal=Proceedings of the National Academy of Sciences of the United States of America|volume=75|issue=8|pages=3727–31|bibcode=1978PNAS...75.3727V|DOI=10.1073/pnas.75.8.3727|PMID=358198|PMC=392859|postscript=6}}</ref>。
== 認識部位 ==
[[ファイル:EcoRV_Restriction_Site.rsh.svg|右|サムネイル|パリンドローム(回分構造)の認識サイトでは、両方の鎖が同じ方向(5' -> 3')で制限酵素に認識されるため、主鎖と逆鎖でそれぞれ同じように酵素に認識される。]]
一般的な制限酵素は、特定のDNA配列を認識し<ref name="pmid21720842">{{Cite journal|date=August 1990|title=Specificity of restriction endonucleases and DNA modification methyltransferases a review (Edition 3)|journal=Gene|volume=92|issue=1–2|pages=1–248|DOI=10.1016/0378-1119(90)90486-B|PMID=2172084}}</ref> 、その付近あるいはその配列内部でDNA二本鎖を切断する。認識部位の塩基数が一般的に4〜8塩基程度のものが多い。この認識配列の塩基数は、ゲノム上に出現する制限酵素サイトの頻度にも影響を与える。例えば4塩基認識部位の場合、理論的には4^4=256bpに1回の頻度でゲノム上に制限酵素サイトが出現することになり、6塩基認識部位の場合は4^6=4,096bpごとに1回、8塩基認識部位では4^8=65,536bpに1回出現することになる<ref>{{Cite web|title=Restriction Map|url=http://bioweb.uwlax.edu/genweb/molecular/seq_anal/restriction_map/restriction_map.htm|website=bioweb.uwlax.edu|publisher=University of Wisconsin|accessdate=10 May 2021|date=2003}}</ref>。
認識部位には[[回文配列|パリンドローム]](回文配列)のものが多く見られる。この場合、認識サイトは主鎖と逆鎖の両方で制限酵素に認識されることになる<ref name="pmid11557805">{{Cite journal|date=September 2001|title=Structure and function of type II restriction endonucleases|journal=Nucleic Acids Research|volume=29|issue=18|pages=3705–27|DOI=10.1093/nar/29.18.3705|PMID=11557805|PMC=55916}}</ref>。理論的に可能なパリンドローム配列としては、2つのタイプがある。1つ目は、''鏡のような''回文であり、例えばGTAATGといった配列のように、同じDNA鎖で前方から読んでも後方から読んでも同じ配列となる場合である。他方で、''逆方向反復''パリンドロームと呼ばれる配列では、例えばGTATACの配列のように、相補的な関係にあるDNA鎖において、同じDNA方向(5' -> 3')から読むと主鎖も逆鎖も同じ配列になる<ref name="isbn0-12-175551-7">{{Cite book|last=Clark DP|title=Molecular biology|publisher=Elsevier Academic Press|location=Amsterdam|year=2005|isbn=0-12-175551-7}}</ref>。後者の逆方向反復パリンドロームは、鏡パリンドロームよりも一般的にゲノム中に見られ、生物学的にも重要である。
同じ配列を認識するさまざまな制限酵素は、[[ネオシゾマー]]と呼ばれ、これらは異なる切断サイトを持つ場合がある。[[ネオシゾマー]]のうち、同じ配列を認識し同じ箇所で切断する酵素は[[イソシゾマー]]と呼ばれる。
;<span style="text-decoration:underline;">平滑末端(ブラント・エンド)</span>
SmaIなどが知られる。<br>[[File:SmaI_restriction_enzyme_recognition_site.svg|90x90ピクセル]]
;<span style="text-decoration:underline;">粘着末端(スティッキー・エンド)</span>
EcoRIなどが知られる。<br>[[File:EcoRI_restriction_enzyme_recognition_site.svg|90x90ピクセル]]
== 種類 ==
すべてのタイプの制限酵素は、特定の短いDNA配列を認識し、DNAエンドヌクレアーゼによる切断活性により、末端に5'-リン酸を持つようなDNAフラグメントを生成する。天然に存在する制限酵素は、そのタンパク質構造や酵素補因子の要件、認識配列、およびDNA切断部位の位置に基づいて、大きく4つのグループ(タイプI、II III、およびIV)に分類されている<ref name="pmid8336674">{{Cite journal|date=June 1993|title=Biology of DNA restriction|journal=Microbiological Reviews|volume=57|issue=2|pages=434–50|DOI=10.1128/MMBR.57.2.434-450.1993|PMID=8336674|PMC=372918}}</ref><ref name="pmid4949033">{{Cite journal|year=1971|title=DNA restriction and modification mechanisms in bacteria|journal=Annual Review of Microbiology|volume=25|pages=153–76|DOI=10.1146/annurev.mi.25.100171.001101|PMID=4949033}}</ref><ref name="pmid6267988">{{Cite journal|year=1981|title=Structure and mechanism of multifunctional restriction endonucleases|journal=Annual Review of Biochemistry|volume=50|pages=285–319|DOI=10.1146/annurev.bi.50.070181.001441|PMID=6267988}}</ref><ref name="pmid15121719">{{Cite journal|year=2004|title=S-Adenosyl-L-methionine-dependent restriction enzymes|journal=Critical Reviews in Biochemistry and Molecular Biology|volume=39|issue=1|pages=1–19|DOI=10.1080/10409230490440532|PMID=15121719}}</ref><ref name="PUB00035707">{{Cite journal|date=March 2003|title=Restriction endonucleases: classification, properties, and applications|journal=Molecular Biotechnology|volume=23|issue=3|pages=225–43|DOI=10.1385/MB:23:3:225|PMID=12665693}}</ref>。また、制限酵素の研究が進むにつれて、このグループに入らないような酵素の存在も報告されている<ref name="neb">[https://www.neb.com/products/restriction-endonucleases/restriction-endonucleases/types-of-restriction-endonucleases Types of Restriction Endonucleases | NEB]</ref>。以下、各グループの一般的な特徴を概説する。
* タイプI酵素( {{EC number|3.1.21.3}} )認識サイトから離れたサイトで劈開する。機能するには[[アデノシン三リン酸|ATP]]と[[S-アデノシル-L-メチオニン]]の両方が必要である。制限消化とメチラーゼの両方を備えた多機能タンパク質( {{EC number|2.1.1.72}} )活性を持つ。
* タイプII酵素( {{EC number|3.1.21.4}} )認識部位内または認識部位から特定の短い距離で切断する。ほとんどが[[マグネシウム]]を補因子として必要とする。メチラーゼに依存しない単一機能(制限消化)酵素である。
* タイプIII酵素( {{EC number|3.1.21.5}} )認識サイトから少し離れたサイトで劈開する。 活性にはATPが必要である。 S-アデノシル-L-メチオニンは反応を促進するが、必須ではない。{{EC number|2.1.1.72}}との複合体の一部として存在する。
* タイプIV酵素は、未修飾DNAを認識する上記のタイプとは異なり、メチル化、ヒドロキシメチル化、およびグルコシルヒドロキシメチル化された修飾DNAを標的とする。
* タイプV酵素はガイドRNA(gRNA)を利用する。
=== I型 ===
''I型制限酵素は、大腸菌の''2つの異なる株(K-12およびB)で最初に同定された<ref name="pmid10839821">{{Cite journal|date=June 2000|title=Type I restriction systems: sophisticated molecular machines (a legacy of Bertani and Weigle)|journal=Microbiology and Molecular Biology Reviews|volume=64|issue=2|pages=412–34|DOI=10.1128/MMBR.64.2.412-434.2000|PMID=10839821|PMC=98998}}</ref>。これらの酵素は、認識部位からランダムな距離(400~7000bp程度)離れた、異なる部位でDNAを切断する。これらのランダムな部位での切断は、DNA転座のプロセスに従っており、このことはこれらのタイプの酵素が分子モーターでもあることを示している。認識部位は非対称であることも多く、2つのDNA認識部位を持っている。それぞれ3〜5塩基程度を認識し、6〜8塩基程度の非特異的スペーサー配列によって区切られている。例えば、EcoKIという酵素は、AACNNNNNNGTGCという配列を認識する(ただし、NはATCGのどの塩基でもよいことを示す)。
これらの酵素は多機能であり、標的DNAのメチル化状態に応じて、制限消化と修飾の両方の活性が可能である。補因子としてm[[S-アデノシルメチオニン]](AdoMet)、加水分解されたアデノシン三リン酸( [[アデノシン三リン酸|ATP]] )、および[[マグネシウム]](Mg <sup>2+</sup> )[[イオン]]が、完全な活性に必要である。タイプI制限酵素は、HsdR・HsdM・HsdS(または単純にR・M・S)と呼ばれる3つのサブユニットから構成される。Rが切断活性、Mがメチル化活性、Sが配列特異性を担っており、制限消化にはHsdRが特に必要である。 HsdMは宿主DNAにメチル基を付加するために必要であり(メチルトランスフェラーゼ活性)、HsdSは制限消化(DNA切断)と修飾(DNAメチルトランスフェラーゼ)活性の両方に加えて認識(DNA結合)部位の特異性にとって重要である<ref name="pmid83366742">{{Cite journal|date=June 1993|title=Biology of DNA restriction|journal=Microbiological Reviews|volume=57|issue=2|pages=434–50|DOI=10.1128/MMBR.57.2.434-450.1993|PMID=8336674|PMC=372918}}</ref><ref name="pmid10839821" />。メチル化されていないDNAに対してはATP要求性のヌクレアーゼとして、片鎖がメチル化されているDNAに対しては[[S-アデノシル-L-メチオニン]]を要求するメチラーゼとして働く。
認識部位が特異的であるのに対し、二本鎖DNAの切断部位は認識部位から様々な距離で起こるため、切断部位に再現性が乏しく、また[[DNAメチル化|DNAのメチル化]]も引き起こすため、遺伝子工学には利用が難しい。
=== II型 ===
典型的なII型制限酵素は、ホモ二量体を形成するものが多い。多くの場合で認識部位は1つであり、パリンドロームの場合が多く、長さは4〜8塩基程度である。通常はメチラーゼとは独立している。DNA認識部位の内部でDNAを切断し、その活性にATPやAdoMetを使用しない。通常、補因子として必要なのはMg<sup>2+</sup>のみである<ref name="pmid115578052">{{Cite journal|date=September 2001|title=Structure and function of type II restriction endonucleases|journal=Nucleic Acids Research|volume=29|issue=18|pages=3705–27|DOI=10.1093/nar/29.18.3705|PMID=11557805|PMC=55916}}</ref>。これらの酵素は、二重らせんDNAのホスホジエステル結合を切断する。両方のストランドの中央で切断して平滑末端を生成するか、あるいはスタッガード位置で粘着末端と呼ばれるオーバーハングを残して切断をする<ref>{{Cite book|title=Fundamental Laboratory Approaches for Biochemistry and Biotechnology|publisher=John Wiley & Sons|year=2010|isbn=978-0-470-08766-4|location=Hoboken, NJ|pages=341}}</ref>。切断点は認識部位内かそのごく近傍に限定されている。遺伝子工学の実験に広く利用できることから、試薬会社から市販されているもののほとんどの種類をこの型の酵素が占める。
II型制限酵素は研究分野で最も一般的に利用されている制限酵素である。1990年代と2000年代初頭にかけで様々な特徴をもつII型制限酵素が発見され、II型酵素の典型的な特性からの逸脱に基づいて、様々なII型酵素のサブファミリーが定義された<ref name="pmid115578052" />。これらのサブグループは、文字の接尾辞を使用して定義されている。これは排他的な分類ではなく、たとえばIIA型でかつIIS型の酵素や、IIB型でかつIIH型の酵素などが存在する。
IIP型:認識配列がパリンドローム('''<u>p</u>'''alindrome)になっている酵素。DNA配列をホモ2量体で認識する。
IIA型:認識配列が非対称('''<u>a</u>'''symmetric)な酵素。
IIB型:切断部位が認識部位の両側2箇所('''<u>b</u>'''oth)となる酵素。[[オリゴマー|多量体]]であり、複数のサブユニットを含む<ref name="pmid115578054" />。AdoMetとMg2 <sup>+</sup>補因子の両方を必要とする。例えば、BcgIやBplIが知られている。
IIC型:ヌクレアーゼ活性とメチラーゼ活性が1つのポリペプチドに融合している酵素。
IIE型:活性に認識部位が2箇所必要で、そのうち1箇所が切断され、もう1箇所はエフェクターとして作用する酵素。一方の認識部位は切断の標的として機能し、もう一方の認識部位は酵素切断の効率を加速または改善[[アロステリック効果|するアロステリックエフェクター]]として機能する<ref name="pmid115578054">{{Cite journal|date=September 2001|title=Structure and function of type II restriction endonucleases|journal=Nucleic Acids Research|volume=29|issue=18|pages=3705–27|DOI=10.1093/nar/29.18.3705|PMID=11557805|PMC=55916}}</ref>。例えば、NaeIが知られる。
IIF型:活性に認識部位が2箇所必要で、その両方が切断される酵素<ref name="pmid115578054" />。例えばNgoMIVが知られる。IIG型:S-アデノシルメチオニンの影響を受ける酵素。古典的なタイプII制限酵素のように単一のサブユニットから構成されるが、活性には補因子としてAdoMetが必要である<ref name="pmid115578054" />。例えばEco57Iが知られる。
IIH型:遺伝子としてはI型に似ているが、活性はII型のように振る舞う酵素。
IIM型:メチル化された特定の配列を認識し切断する酵素<ref name="pmid115578054" /><ref>{{Cite journal|date=August 2012|title=Crystal structure and mechanism of action of the N6-methyladenine-dependent type IIM restriction endonuclease R.DpnI|journal=Nucleic Acids Research|volume=40|issue=15|pages=7563–72|DOI=10.1093/nar/gks428|PMID=22610857|PMC=3424567}}</ref><ref>{{Cite journal|date=July 2014|title=Structural basis of the methylation specificity of R.DpnI|journal=Nucleic Acids Research|volume=42|issue=13|pages=8745–54|DOI=10.1093/nar/gku546|PMID=24966351|PMC=4117772|postscript=6}}</ref>。例えばDpnIが知られる。
IIS型:2本鎖のうち少なくとも片方が認識部位より外側で切断される酵素。非パリンドロームな認識部位から、特定の長さ分離れた箇所でDNAを切断する<ref name="pmid115578059">{{Cite journal|date=September 2001|title=Structure and function of type II restriction endonucleases|journal=Nucleic Acids Research|volume=29|issue=18|pages=3705–27|DOI=10.1093/nar/29.18.3705|PMID=11557805|PMC=55916}}</ref>。この特性は、[[ゴールデンゲートクローニング]]などのin vitroクローニング技術で応用されている。これらの酵素は二量体として機能する可能性がある。例えばFok Iが知られる。
IIT型:DNA配列をヘテロ2量体で認識する酵素。2つの異なるサブユニットで構成されている。パリンドローム配列を認識するものもあれば、非対称の認識部位を持つものもある<ref name="pmid1155780510">{{Cite journal|date=September 2001|title=Structure and function of type II restriction endonucleases|journal=Nucleic Acids Research|volume=29|issue=18|pages=3705–27|DOI=10.1093/nar/29.18.3705|PMID=11557805|PMC=55916}}</ref>。例えばBpu10IやBslIなどが知られる。
=== III型 ===
III型制限酵素(EcoP15など)は、逆向きの2つの別々の非パリンドローム配列を認識し、認識部位の約20〜30塩基後方の部位を切断する<ref name="pmid11557806">{{Cite journal|date=September 2001|title=Nucleoside triphosphate-dependent restriction enzymes|journal=Nucleic Acids Research|volume=29|issue=18|pages=3728–41|DOI=10.1093/nar/29.18.3728|PMID=11557806|PMC=55918}}</ref>。III型制限酵素はRes({{Uniprot|P08764}})とMod({{Uniprot|P08763}})の2つのサブユニットから構成され、DNAメチル化と制限消化の2つの機能を持つ多機能[[タンパク質]]である。それぞれの活性にはAdoMetとATP補因子を必要とする<ref name="pmid1734285">{{Cite journal|date=January 1992|title=Type III restriction enzymes need two inversely oriented recognition sites for DNA cleavage|journal=Nature|volume=355|issue=6359|pages=467–9|bibcode=1992Natur.355..467M|DOI=10.1038/355467a0|PMID=1734285}}</ref>。外来DNAの侵入から生物を保護する原核生物のDNA制限修飾系として機能する。Modサブユニットは、特定のDNA配列を認識する、修飾[[メチルトランスフェラーゼ]]である。すなわち、I型制限エンドヌクレアーゼのMおよびSサブユニットと機能的に同等である。一方で、Resはそれ自体に[[酵素|は酵素]]活性を持たないが、制限消化には必要となる。タイプIII酵素は、5〜6 bpの短い非対称DNA配列を認識し、25〜27 bp[[上流と下流 (DNA)|下流で]]切断して、短い一本鎖5 '突起を残す。制限消化の活性には、2つの逆に配向された非メチル化認識部位の存在が必要となる。そのため、細胞分裂時に新たに複製されたDNA(二本鎖のうち、複製の鋳型となる一方の鎖のみが修飾されており、新規合成された鎖には修飾が入っていない状態のDNA)であっても、制限消化から保護するのに十分である。[[DNAメチルトランスフェラーゼ|タイプIII酵素は、N6アデニンメチルトランスフェラーゼ]]のベータサブファミリーに属し[[配列モチーフ|、モチーフ]]I、 [[S-アデノシルメチオニン|AdoMet]]結合ポケット(FXGXG)、モチーフIV、[[触媒作用|触媒]]領域(S/D/N(PP)Y/F)など、このファミリーを特徴付ける9つのモチーフを含んでいる<ref name="pmid151217192">{{Cite journal|year=2004|title=S-Adenosyl-L-methionine-dependent restriction enzymes|journal=Critical Reviews in Biochemistry and Molecular Biology|volume=39|issue=1|pages=1–19|DOI=10.1080/10409230490440532|PMID=15121719}}</ref><ref name="pmid12595133">{{Cite journal|date=November 2002|title=Complex restriction enzymes: NTP-driven molecular motors|journal=Biochimie|volume=84|issue=11|pages=1047–59|DOI=10.1016/S0300-9084(02)00020-2|PMID=12595133}}</ref>。
ModとResと呼ばれる2つのサブユニットから構成されており、Modが配列の認識とS-アデノシルメチオニンを用いたメチル化を行う。ResはDNA切断に必要なサブユニットだが、単独ではヌクレアーゼ活性を持っていない。認識配列は逆位反復になっている必要があり、その両方がメチル化されていない場合のみ片方から約25bp離れた位置をATP要求的に切断する。
=== IV型 ===
IV型制限酵素は、通常はメチル化修飾されたDNAを認識し切断を施す。''大腸菌における''McrBC''や''Mrr''が知られている''<ref name="neb2">[https://www.neb.com/products/restriction-endonucleases/restriction-endonucleases/types-of-restriction-endonucleases Types of Restriction Endonucleases | NEB]</ref>。
== 制限酵素の例 ==
{| class="wikitable"
!制限酵素!!由来!!認識部位!!切断様式
|-
|[[AluI|''Alu''I]] *||''Arthrobacter luteus''
|
5'AGCT
3'TCGA
|
5'---AG CT---3'
3'---TC GA---5'
|-
|[[BamHI|''Bam''HI]]||''Bacillus amyloliquefaciens''
|
5'GGATCC
3'CCTAGG
|
5'---G GATCC---3'
3'---CCTAG G---5'
|-
|[[ClaI|''Cla''I]]||''Caryophanon latum''
|
5'ATCGAT
3'TAGCTA
|
5'---AT CGAT---3'
3'---TAGC TA---5'
|-
|[[EcoRI|''Eco''RI]]||[[大腸菌]] (''Escherichia coli'')
|
5'GAATTC
3'CTTAAG
|
5'---G AATTC---3'
3'---CTTAA G---5'
|-
|[[EcoRV|''Eco''RV]] *||大腸菌 (''Escherichia coli'')
|
5'GATATC
3'CTATAG
|
5'---GAT ATC---3'
3'---CTA TAG---5'
|-
|[[HaeIII|''Hae''III]] *||''Haemophilus egytius''
|
5'GGCC
3'CCGG
|
5'---GG CC---3'
3'---CC GG---5'
|-
|[[HindIII|''Hin''dIII]]||インフルエンザ菌 (''Haemophilus influenzae'')
|
5'AAGCTT
3'TTCGAA
|
5'---A AGCTT---3'
3'---TTCGA A---5'
|-
|[[HinfI|''Hin''fI]]||インフルエンザ菌 (''Haemophilus influenzae'')
|
5'GANTC
3'CTNAG
|
5'---G ANTC---3'
3'---CTNA G---5'
|-
|[[HpaI|''Hpa''I]] *||[[インフルエンザ菌]] (''Haemophilus influenzae'')
|
5'GTTAAC
3'CAATTG
|
5'---GTT AAC---3'
3'---CAA TTG---5'
|-
|[[HpaII|''Hpa''II]]||インフルエンザ菌 (''Haemophilus influenzae'')
|
5'CCGG
3'GGCC
|
5'---C CGG---3'
3'---GGC C---5'
|-
|[[KpnI|''Kpn''I]]||''Klebsiella pneumoniae''
|
5'GGTACC
3'CCATGG
|
5'---GGTAC C---3'
3'---C CATGG---5'
|-
|[[NotI|''Not''I]]||''Nocardia otitidis''
|
5'GCGGCCGC
3'CGCCGGCG
|
5'---GC GGCCGC---3'
3'---CGCCGG CG---5'
|-
|[[PovII|''Pov''II]] *||''Proteus vulgaris''
|
5'CAGCTG
3'GTCGAC
|
5'---CAG CTG---3'
3'---GTC GAC---5'
|-
|[[PstI|''Pst''I]]||''Providencia stuartii''
|
5'CTGCAG
3'GACGTC
|
5'---CTGCA G---3'
3'---G ACGTC---5'
|-
|[[SacI|''Sac''I]]||''Streptomyces achromogenes''
|
5'GAGCTC
3'CTCGAG
|
5'---GAGCT C---3'
3'---C TCGAG---5'
|-
|[[SalI|''Sal''I]] *||''Streptomyces albus''
|
5'GTCGAC
3'CAGCTG
|
5'---G TCGAC---3'
3'---CAGCT G---5'
|-
|[[Sau3A|''Sau''3A]]||[[黄色ブドウ球菌]] (''Staphylococcus aureus'')
|
5'GATC
3'CTAG
|
5'--- GATC---3'
3'---CTAG ---3'
|-
|[[SmaI|''Sma''I]] *||''Serrana mauceceus''
|
5'CCCGGG
3'GGGCCC
|
5'---CCC GGG---3'
3'---GGG CCC---5'
|-
|[[TaqI|''Taq''I]]||''Thermus aquaticus''
|
5'TCGA
3'AGCT
|
5'---T CGA---3'
3'---AGC T---5'
|-
|colspan=4|* = 平滑末端 (blunt end)
|}
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
{{Reflist|2}}
== 関連項目 ==
* [[RFLP]]
* [[スター活性]]
* [[制限酵素地図]]
== 外部リンク ==
*[http://www.nobel.se/medicine/laureates/1978/arber-autobio.html Werner Arber – Autobiography]
*[http://rebase.neb.com/rebase/rebase.html Restriction enzyme database REBASE]
* {{Kotobank}}
{{enzymes}}
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{{Normdaten}}
{{DEFAULTSORT:せいけんこうそ}}
[[Category:ヌクレアーゼ]]
[[Category:バイオテクノロジー]]
[[Category:生物学の研究技術]]
[[Category:制限酵素]]
[[Category:分子生物学]]
[[Category:EC 3.1]]
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%88%B6%E9%99%90%E9%85%B5%E7%B4%A0
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桜島線
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桜島線(さくらじません)は、大阪府大阪市此花区の西九条駅から桜島駅までを結ぶ西日本旅客鉄道(JR西日本)の鉄道路線(幹線)である。「JRゆめ咲線」(ジェイアールゆめさきせん)の愛称が付けられており、旅客案内においては「桜島線」と案内されることはほとんどない。
なお、本項では桜島線の前身である西成線(にしなりせん)についても記述する。
起点の西九条駅で大阪環状線に接続しており、大阪駅(梅田)方面からの直通列車も設定されている。日本製鉄関西製作所(製鋼所地区)などの臨海部の工場への通勤路線であると同時に、2001年3月31日のユニバーサル・スタジオ・ジャパン (USJ) 開業後は、そのアクセス路線として機能している。また、東海道本線の吹田貨物ターミナル駅方面から梅田貨物線を経由して安治川口駅の貨物駅を結ぶ貨物路線でもあり、旅客列車のほか、西九条駅 - 安治川口駅間には日本貨物鉄道(JR貨物)によって梅田貨物線からの貨物列車が運行されている。
USJ 開業に先立つ2001年3月1日に同園の最寄り駅となるユニバーサルシティ駅が開業し、「JRゆめ咲線」の愛称が制定された。これと同時にラインカラーが定められ、大阪環状線と同じ赤(■)とされていたが、2015年3月14日から路線記号Pが設定されるのに合わせて、ラインカラーは紺(■)に変更された。「JRゆめ咲線」の愛称は公募で決定された。この名前は公募1位ではなかったが、柔らかな語感と、桜島線の沿線のベイエリアはUSJを中心として大阪の夢が生まれつつある地域で、その夢が咲くことを期待して選ばれた。
全区間をJR西日本近畿統括本部が管轄しており、旅客営業規則の定める大都市近郊区間の「大阪近郊区間」と「電車特定区間」の「大阪環状線内」、およびIC乗車カード「ICOCA」エリアに含まれている。
全線で安治川の右岸を走行している。高架駅の西九条駅を発車するとすぐにJR西日本の中で最も急な35‰を進み、右にカーブをしながら大阪環状線の外回りをくぐる。六軒家川を渡って国道43号をくぐって住宅街を進み、住友化学の大阪工場を抜けると、貨物ヤードが広がる安治川口駅に到着する。この先は、USJ の建設を中核とする此花西部臨海地区土地区画整理事業に伴い線路が移設された区間で、高架橋を進んで USJ の最寄り駅であるユニバーサルシティ駅に到着する。当初の計画では安治川口駅 - 桜島駅間を地下化して USJ の正門前に新駅が設置される予定であったが、工事費と工期を削減するために地平式に変更され、USJ の南側に沿う区間は大阪市の負担によってシェルターで覆われて公園となり、終点の桜島駅は USJ の南西端に移設されている。
なお、万一片方の線路が使用できなくなったときにも、USJ からの乗客を円滑に運ぶため、西九条駅 - ユニバーサルシティ駅間は双単線としてそれぞれの線路で単線運転が可能となっている。すなわち、下り線が使用できないときは、上り線のみで折り返し運転ができるようになっている。そのため、各駅には通常の進行方向と反対側にも信号機が取り付けられており、踏切にも「どちらか一本の線路で上下の列車を運転する場合があります。」という注意書き看板を設置している。
1999年4月1日に線路移設されるまでの安治川口駅 - 桜島駅間には、北港運河に架かる北港運河第一橋梁と呼ばれる可動橋があった。1927年に架橋された最初の跳開式可動橋であったが、建設当初から2.6m近く沈下して浸水によって運転に支障が出ることから、1976年7月7日に同じ可動橋に架け替えられた。
旅客列車は、線内折り返しのシャトル列車(西九条駅 - 桜島駅間)と、大阪環状線との直通列車(天王寺方面 - 京橋駅 - 大阪駅 - 桜島駅間)がある。日中の12時台から16時台の初めまでは、シャトル列車のみが1時間に4本運転されている。2011年3月11日までは、日中にも大阪環状線直通列車とシャトル列車があり、1時間に計6本運行されていた。以前は大阪環状線の混雑のため、朝夕ラッシュ時はシャトル列車のみ運転されていた。2015年3月14日現在は午前中と夕方前から夜間に大阪環状線直通列車が運行されている。
USJ の開業以来、日中のシャトル列車は1編成のみを使用して線内を往復する形態で、運転時間の関係から西九条駅・桜島駅における折り返し時間が2 - 3分程度しか確保できないなど余裕の少ないダイヤ設定となっていた。しかし、2005年4月25日の福知山線脱線事故を契機にダイヤの抜本的な見直しが行われた2006年3月18日のダイヤ改正以降は2編成使用の運用に変更され、大阪環状線との直通列車を含めて桜島駅での折り返し時間およびユニバーサルシティ駅での停車時間を長めに設定するなどダイヤに余裕を持たせている。
2012年3月17日から日中はシャトル列車のみとなったため、大阪駅 - 京橋駅 - 天王寺駅間では、関空快速・紀州路快速が大阪環状線天王寺駅発着に変更されているとともに、大和路快速と関空快速・紀州路快速の停車駅に福島駅が追加された。
西九条駅では、大阪環状線との直通列車は大阪・京橋方面行き・桜島行きは、中央の2・3番のりば(両側にある2つのホームで1つの線路を共用、シャトル列車の折り返しにも使用)から発着するのが基本となっている。なお、一部の大阪・京橋方面行きの列車は1番(外回り)のりばから、桜島行きの列車は4番(内回り)のりばから発車している。その西九条駅2・3番のりばは京都・新大阪方面から関西空港・白浜方面へ向かう特急「はるか」「くろしお」なども通るためピーク時間帯はこれ以上の増発が困難であったが、構内改良により特急列車を4番のりばを通過させることにより、2020年3月14日のダイヤ改正から朝通勤ラッシュ時に2往復増発し、概ね6分間隔で運転されている。
列車番号は、シャトル列車は600・700番台(末尾のアルファベットなし)、大阪環状線へ直通する列車は、天王寺駅から引き続き環状運転を行う場合は1500番台、京橋駅もしくは天王寺駅までの運行の場合は2300 - 2500番台であり、末尾に「E」がつく。
323系では路線記号とともにラインカラーの紺色を表示しており、大阪環状線列車との区別を図っている。
2011年4月18日から、平日・休日にかかわらず毎日、始発から終電まで、8両編成の4号車に女性専用車が設定されている。対象車両および乗車位置には、女性専用車の案内表示が設置されている。
USJ の多客が見込まれる日には定期列車だけでは輸送力が不足することから、臨時列車が運転されることがある。
かつては多客期に東海道本線・山陽本線で臨時快速列車(快速「ハリウッドエクスプレス」、快速「びわこハリウッド号」)や、大和路線から奈良発桜島行きの「やまとじハリウッド号」、北陸方面からの臨時特急「ユニバーサルエクスプレス」が運転されたこともあるが、2000年代後半に USJ の観客動員数が減少傾向にあったこともあり、2010年春以降は運転されていない。なお、「ユニバーサルエクスプレス」はユニバーサルシティ駅を始発・終着駅としているが、同駅では直接折り返さず、回送として桜島駅まで運転した後に折り返していた。この列車は午前中運転の往路から夕刻運転の復路まで時間があったが、桜島線内では留置できず一度車両基地へ回送されたため、桜島線を2往復していた。
2004年7月31日に USJ で開催されたロックグループ「GLAY」の大型コンサート「GLAY EXPO 2004」では、10万人規模の観客を動員したことから、当日は午前10時頃から特別ダイヤが組まれた。特に公演終了後の20時以降は大阪環状線直通の定期列車と臨時列車が最大3 - 4分間隔で運行され、20時過ぎから23時までは最大1時間12本すべてが直通列車となり、この時間帯の大阪環状線西九条駅 - 京橋駅間では、直通列車と大阪環状線の列車により超過密状態となり、定期列車と臨時直通列車との運転間隔が1分を切る時間帯があった。
2014年7月26日からは、原則毎週土曜日に新大阪発桜島行きの臨時快速列車が運転されていた(途中停車駅はユニバーサルシティ駅のみ)。この列車は USJ への利便性向上のために運転されている山陽新幹線の臨時列車「ひかり」580号から接続しており、車両は「ウィザーディング・ワールド・オブ・ハリー・ポッター」をイメージしたラッピング列車が使用されていた。2016年2月27日まで運転されたが、2016年3月以降は設定がなくなっている。
桜島線では、USJが2001年3月の開業以来毎年、大晦日から元旦にかけて新年カウントダウン特別営業を行っている関係で、2001年度の大晦日から毎年、終夜運転を実施している。シャトル列車(西九条駅折り返し)および大阪環状線との直通列車のいずれかを、約15 - 20分間隔で運転している。
全列車が吹田総合車両所森ノ宮支所に所属する323系電車で運転されている。2016年12月25日から当路線での運行を開始した。
323系が導入されるまで、アーバンネットワーク内の路線では最後まで、全ての定期列車に国鉄形車両(「過去の使用車両」節を参照)が使用されていた。ただし、2014年2月17日 - 21日に大阪環状線で朝時間帯の電車を実験的に3ドアに統一した関係で、大阪環状線に直通する一部列車に、JR西日本発足後に登場した車両である223系と225系が使用されたことがある。
ユニバーサルシティ駅の開業と同時に、大阪環状線車両の方向幕が白地からJR西日本標準の黒地幕に変更されたが、桜島線へ直通する桜島行きの列車は容易に区別できるように青地を基本としており、また大阪環状線と桜島線と直通する列車が区別できるように赤いラインが追加されていた。この行先方向幕は103系と201系で使用されていたが、201系は方向幕の3色LED化改造が行われ、103系も323系の導入に伴い2017年10月3日の運用を最後に撤退し、この幕は姿を消している。
USJ開業以降は、USJのラッピング車両が運行されている。USJ開業当初は103系6両編成4本が使用されており、編成毎にテーマが異なるラッピングが施された。ラッピング列車はUSJ開業に先駆け、2001年1月より運行を開始し、当初は「ユニバーサルグローブ号」「パワーオブハリウッド号」「アメリカの街並み風景号」「ウッディ・ウッドペッカー号」の4種類だったが、「ユニバーサルグローブ号」は2003年4月に「セサミストリート 4-Dムービーマジック号」に、「アメリカの街並み風景号」は2004年1月に「アメージング・アドベンチャー・オブ・スパイダーマン・ザ・ライド号」にそれぞれ変更された。夏休みなどのUSJ繁忙期には、一時的にラッピング車両の編成を組み換えて異なるデザインの車両が混じった8両編成として運転されることがあった(6M2Tの8両編成2本と、4+4両編成1本を組成)。2012年3月17日以降はラッピング列車を含めた全列車が8両編成での運行となり、「ウッドペッカー号」と「セサミストリート号」の8両編成2本(いずれも「スパイダーマン号」の中間車を編入)に再編された。また、組み換えが行われなかった「パワーオブハリウッド号」と余剰となった「スパイダーマン号」の先頭車は日根野電車区へ転属した。ラッピング車2本も2012年末までにオレンジ色に再塗装された。
その後、ラッピング車両は201系8両編成に変更され、2012年10月17日よりLB6編成が「ユニバーサル・ワンダーランド号」、2013年2月1日よりLB15編成が「ウィザーディング・ワールド・オブ・ハリー・ポッター号」となって運転されていた。201系のラッピング車両も2019年5月31日限りで運転を終了した。
2021年1月27日からは323系LS15編成で「スーパー・ニンテンドー・ワールド」のラッピング列車が運行を開始した。323系のUSJラッピング車両はこれが初めてで、ラッピング車は前述の201系以来1年8ヶ月ぶりとなる。他編成と完全共通運用であり、大阪環状線内のみの運用にも充当されている。
1980年代後半にユニバーサルスタジオが日本進出を検討し、大阪市が大正区への誘致を持ちかけたが破談になり、のちに此花区への誘致を持ちかけ、1994年1月に此花区への進出が正式に決定した。桜島線は、ユニバーサルスタジオ計画地の中央を横断していたため、計画地の南側に約250メートル移設することになった。1999年4月1日に単線区間が残っていた安治川口駅 - 桜島駅間を複線の新線に切り替え、同時に桜島駅を移設している。1999年から2001年にかけてUSJへのアクセス路線として改良するため、大阪環状線への直通運転を休止して、安治川口駅の橋上駅化や信号設備の改良などの工事が行われた。
この輸送改善に関連して、1965年から地元住民や商店街が要望していた西九条駅 - 安治川口駅間への新駅(春日出駅を提唱していた)設置運動が行われていたが、この輸送改善に合わせては新駅は設置されておらず、需要が見込めないとして設置は見送られている。
2001年3月31日のUSJ開業に先立って、最寄り駅となるユニバーサルシティ駅が3月1日に開業し、同日よりJRゆめ咲線の愛称も使われるようになった。その後、3日のダイヤ改正により大阪環状線との直通運転が再開されている。
USJ開業後、ユニバーサルシティ駅を中心に乗車人員は増加し続け、2018年の乗車人員は1987年のJR発足時に比べ約3.7倍となった。特に朝は通勤時間帯とUSJの開園前時間が重なり西九条駅やユニバーサルシティ駅では混雑が激しくなっていた。また、2020年にはUSJの新エリア「スーパー・ニンテンドー・ワールド」が開業予定でさらなる利用客増加が見込まれることから、JR西日本は2019年9月18日に以下の2つの取り組みによる輸送力強化と混雑緩和を進めることを発表した。
2009年9月10日に当時の大阪府知事であった橋下徹が、大阪ワールドトレードセンタービルディング(現大阪府咲洲庁舎)への府庁移転問題に絡み、桜島駅から南港ポートタウン線(ニュートラム)のトレードセンター前駅までの約4kmの延伸を検討していることが、報道で明らかになった。府庁の全面移転は断念したが、大阪府と大阪市が夢洲に誘致を進めているカジノを含む統合型リゾートの鉄道アクセスとしても桜島線の延伸が計画されている。なお、夢洲は2018年11月23日深夜に決定した2025年の大阪万博の会場でもあるが、JR西日本の来島達夫社長は万博開催のみでの延伸は実施しないとしている。
この計画では、港湾護岸の下を通るためユニバーサルシティ駅の西付近から地下化し、桜島駅も地下化される。工事延長は約6kmで、整備費は約1,700億円である。同じく地下鉄中央線の夢洲への延伸よりも事業費が約3倍になり、工期も長くなることが懸念されているものの、大阪駅周辺へのアクセスも約22分と最短で、関西主要拠点へのアクセスが改善されるとされている。
なお、橋下は都市戦略上はJR桜島線の延伸を目指すべきだと発言している。
それより前は、1994年1月に当時の大阪市長であった西尾正也が2008年大阪オリンピック招致を表明した際に、そのアクセスとして舞洲まで延伸が検討されたことがあった。
また大阪府は2012年に桜島駅より咲洲、南港を経て長居駅に至る路線構想の実現を目指すと発表している。
2025年に夢洲を中心に開催される2025年日本国際博覧会(大阪・関西万博)に向けては前述の延伸計画とは別に、従来からの大阪環状線・天王寺・京橋方面から大阪駅(既存の環状線高架ホーム)経由で乗り入れる列車に加え、2023年3月に開業した大阪駅地下ホーム(うめきたエリア)を介して、新大阪駅からの臨時直通列車の運行も検討されている。これに際しての新線建設(桜島線の延伸)はせず、西九条駅にホーム柵(ホームドア)を設置するほか、当線の区間運転列車についても1時間最大12本程度の列車を増発する予定である。
元々西九条駅 - 桜島駅間は独立した路線ではなく、西成鉄道を鉄道国有法により買収した西成線(にしなりせん)の一部を1961年の大阪環状線全通時に分離したものである。沿線工場への貨物輸送や通勤路線という目的から昼間は閑散とした状態が続いていたが、USJ開業後はそのアクセス路線として終日賑わっている。
( ) 内は起点からの営業キロ
|
[
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"text": "桜島線(さくらじません)は、大阪府大阪市此花区の西九条駅から桜島駅までを結ぶ西日本旅客鉄道(JR西日本)の鉄道路線(幹線)である。「JRゆめ咲線」(ジェイアールゆめさきせん)の愛称が付けられており、旅客案内においては「桜島線」と案内されることはほとんどない。",
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"text": "なお、本項では桜島線の前身である西成線(にしなりせん)についても記述する。",
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"text": "起点の西九条駅で大阪環状線に接続しており、大阪駅(梅田)方面からの直通列車も設定されている。日本製鉄関西製作所(製鋼所地区)などの臨海部の工場への通勤路線であると同時に、2001年3月31日のユニバーサル・スタジオ・ジャパン (USJ) 開業後は、そのアクセス路線として機能している。また、東海道本線の吹田貨物ターミナル駅方面から梅田貨物線を経由して安治川口駅の貨物駅を結ぶ貨物路線でもあり、旅客列車のほか、西九条駅 - 安治川口駅間には日本貨物鉄道(JR貨物)によって梅田貨物線からの貨物列車が運行されている。",
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"text": "USJ 開業に先立つ2001年3月1日に同園の最寄り駅となるユニバーサルシティ駅が開業し、「JRゆめ咲線」の愛称が制定された。これと同時にラインカラーが定められ、大阪環状線と同じ赤(■)とされていたが、2015年3月14日から路線記号Pが設定されるのに合わせて、ラインカラーは紺(■)に変更された。「JRゆめ咲線」の愛称は公募で決定された。この名前は公募1位ではなかったが、柔らかな語感と、桜島線の沿線のベイエリアはUSJを中心として大阪の夢が生まれつつある地域で、その夢が咲くことを期待して選ばれた。",
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"text": "全区間をJR西日本近畿統括本部が管轄しており、旅客営業規則の定める大都市近郊区間の「大阪近郊区間」と「電車特定区間」の「大阪環状線内」、およびIC乗車カード「ICOCA」エリアに含まれている。",
"title": "概要"
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"text": "全線で安治川の右岸を走行している。高架駅の西九条駅を発車するとすぐにJR西日本の中で最も急な35‰を進み、右にカーブをしながら大阪環状線の外回りをくぐる。六軒家川を渡って国道43号をくぐって住宅街を進み、住友化学の大阪工場を抜けると、貨物ヤードが広がる安治川口駅に到着する。この先は、USJ の建設を中核とする此花西部臨海地区土地区画整理事業に伴い線路が移設された区間で、高架橋を進んで USJ の最寄り駅であるユニバーサルシティ駅に到着する。当初の計画では安治川口駅 - 桜島駅間を地下化して USJ の正門前に新駅が設置される予定であったが、工事費と工期を削減するために地平式に変更され、USJ の南側に沿う区間は大阪市の負担によってシェルターで覆われて公園となり、終点の桜島駅は USJ の南西端に移設されている。",
"title": "沿線概況"
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"text": "なお、万一片方の線路が使用できなくなったときにも、USJ からの乗客を円滑に運ぶため、西九条駅 - ユニバーサルシティ駅間は双単線としてそれぞれの線路で単線運転が可能となっている。すなわち、下り線が使用できないときは、上り線のみで折り返し運転ができるようになっている。そのため、各駅には通常の進行方向と反対側にも信号機が取り付けられており、踏切にも「どちらか一本の線路で上下の列車を運転する場合があります。」という注意書き看板を設置している。",
"title": "沿線概況"
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"text": "1999年4月1日に線路移設されるまでの安治川口駅 - 桜島駅間には、北港運河に架かる北港運河第一橋梁と呼ばれる可動橋があった。1927年に架橋された最初の跳開式可動橋であったが、建設当初から2.6m近く沈下して浸水によって運転に支障が出ることから、1976年7月7日に同じ可動橋に架け替えられた。",
"title": "沿線概況"
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"text": "旅客列車は、線内折り返しのシャトル列車(西九条駅 - 桜島駅間)と、大阪環状線との直通列車(天王寺方面 - 京橋駅 - 大阪駅 - 桜島駅間)がある。日中の12時台から16時台の初めまでは、シャトル列車のみが1時間に4本運転されている。2011年3月11日までは、日中にも大阪環状線直通列車とシャトル列車があり、1時間に計6本運行されていた。以前は大阪環状線の混雑のため、朝夕ラッシュ時はシャトル列車のみ運転されていた。2015年3月14日現在は午前中と夕方前から夜間に大阪環状線直通列車が運行されている。",
"title": "運行形態"
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"text": "USJ の開業以来、日中のシャトル列車は1編成のみを使用して線内を往復する形態で、運転時間の関係から西九条駅・桜島駅における折り返し時間が2 - 3分程度しか確保できないなど余裕の少ないダイヤ設定となっていた。しかし、2005年4月25日の福知山線脱線事故を契機にダイヤの抜本的な見直しが行われた2006年3月18日のダイヤ改正以降は2編成使用の運用に変更され、大阪環状線との直通列車を含めて桜島駅での折り返し時間およびユニバーサルシティ駅での停車時間を長めに設定するなどダイヤに余裕を持たせている。",
"title": "運行形態"
},
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"text": "2012年3月17日から日中はシャトル列車のみとなったため、大阪駅 - 京橋駅 - 天王寺駅間では、関空快速・紀州路快速が大阪環状線天王寺駅発着に変更されているとともに、大和路快速と関空快速・紀州路快速の停車駅に福島駅が追加された。",
"title": "運行形態"
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"text": "西九条駅では、大阪環状線との直通列車は大阪・京橋方面行き・桜島行きは、中央の2・3番のりば(両側にある2つのホームで1つの線路を共用、シャトル列車の折り返しにも使用)から発着するのが基本となっている。なお、一部の大阪・京橋方面行きの列車は1番(外回り)のりばから、桜島行きの列車は4番(内回り)のりばから発車している。その西九条駅2・3番のりばは京都・新大阪方面から関西空港・白浜方面へ向かう特急「はるか」「くろしお」なども通るためピーク時間帯はこれ以上の増発が困難であったが、構内改良により特急列車を4番のりばを通過させることにより、2020年3月14日のダイヤ改正から朝通勤ラッシュ時に2往復増発し、概ね6分間隔で運転されている。",
"title": "運行形態"
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"text": "列車番号は、シャトル列車は600・700番台(末尾のアルファベットなし)、大阪環状線へ直通する列車は、天王寺駅から引き続き環状運転を行う場合は1500番台、京橋駅もしくは天王寺駅までの運行の場合は2300 - 2500番台であり、末尾に「E」がつく。",
"title": "運行形態"
},
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"text": "323系では路線記号とともにラインカラーの紺色を表示しており、大阪環状線列車との区別を図っている。",
"title": "運行形態"
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"text": "2011年4月18日から、平日・休日にかかわらず毎日、始発から終電まで、8両編成の4号車に女性専用車が設定されている。対象車両および乗車位置には、女性専用車の案内表示が設置されている。",
"title": "運行形態"
},
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"text": "USJ の多客が見込まれる日には定期列車だけでは輸送力が不足することから、臨時列車が運転されることがある。",
"title": "運行形態"
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"text": "かつては多客期に東海道本線・山陽本線で臨時快速列車(快速「ハリウッドエクスプレス」、快速「びわこハリウッド号」)や、大和路線から奈良発桜島行きの「やまとじハリウッド号」、北陸方面からの臨時特急「ユニバーサルエクスプレス」が運転されたこともあるが、2000年代後半に USJ の観客動員数が減少傾向にあったこともあり、2010年春以降は運転されていない。なお、「ユニバーサルエクスプレス」はユニバーサルシティ駅を始発・終着駅としているが、同駅では直接折り返さず、回送として桜島駅まで運転した後に折り返していた。この列車は午前中運転の往路から夕刻運転の復路まで時間があったが、桜島線内では留置できず一度車両基地へ回送されたため、桜島線を2往復していた。",
"title": "運行形態"
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"text": "2004年7月31日に USJ で開催されたロックグループ「GLAY」の大型コンサート「GLAY EXPO 2004」では、10万人規模の観客を動員したことから、当日は午前10時頃から特別ダイヤが組まれた。特に公演終了後の20時以降は大阪環状線直通の定期列車と臨時列車が最大3 - 4分間隔で運行され、20時過ぎから23時までは最大1時間12本すべてが直通列車となり、この時間帯の大阪環状線西九条駅 - 京橋駅間では、直通列車と大阪環状線の列車により超過密状態となり、定期列車と臨時直通列車との運転間隔が1分を切る時間帯があった。",
"title": "運行形態"
},
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"text": "2014年7月26日からは、原則毎週土曜日に新大阪発桜島行きの臨時快速列車が運転されていた(途中停車駅はユニバーサルシティ駅のみ)。この列車は USJ への利便性向上のために運転されている山陽新幹線の臨時列車「ひかり」580号から接続しており、車両は「ウィザーディング・ワールド・オブ・ハリー・ポッター」をイメージしたラッピング列車が使用されていた。2016年2月27日まで運転されたが、2016年3月以降は設定がなくなっている。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 19,
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"text": "桜島線では、USJが2001年3月の開業以来毎年、大晦日から元旦にかけて新年カウントダウン特別営業を行っている関係で、2001年度の大晦日から毎年、終夜運転を実施している。シャトル列車(西九条駅折り返し)および大阪環状線との直通列車のいずれかを、約15 - 20分間隔で運転している。",
"title": "運行形態"
},
{
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"text": "全列車が吹田総合車両所森ノ宮支所に所属する323系電車で運転されている。2016年12月25日から当路線での運行を開始した。",
"title": "使用車両"
},
{
"paragraph_id": 21,
"tag": "p",
"text": "323系が導入されるまで、アーバンネットワーク内の路線では最後まで、全ての定期列車に国鉄形車両(「過去の使用車両」節を参照)が使用されていた。ただし、2014年2月17日 - 21日に大阪環状線で朝時間帯の電車を実験的に3ドアに統一した関係で、大阪環状線に直通する一部列車に、JR西日本発足後に登場した車両である223系と225系が使用されたことがある。",
"title": "使用車両"
},
{
"paragraph_id": 22,
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"text": "ユニバーサルシティ駅の開業と同時に、大阪環状線車両の方向幕が白地からJR西日本標準の黒地幕に変更されたが、桜島線へ直通する桜島行きの列車は容易に区別できるように青地を基本としており、また大阪環状線と桜島線と直通する列車が区別できるように赤いラインが追加されていた。この行先方向幕は103系と201系で使用されていたが、201系は方向幕の3色LED化改造が行われ、103系も323系の導入に伴い2017年10月3日の運用を最後に撤退し、この幕は姿を消している。",
"title": "使用車両"
},
{
"paragraph_id": 23,
"tag": "p",
"text": "USJ開業以降は、USJのラッピング車両が運行されている。USJ開業当初は103系6両編成4本が使用されており、編成毎にテーマが異なるラッピングが施された。ラッピング列車はUSJ開業に先駆け、2001年1月より運行を開始し、当初は「ユニバーサルグローブ号」「パワーオブハリウッド号」「アメリカの街並み風景号」「ウッディ・ウッドペッカー号」の4種類だったが、「ユニバーサルグローブ号」は2003年4月に「セサミストリート 4-Dムービーマジック号」に、「アメリカの街並み風景号」は2004年1月に「アメージング・アドベンチャー・オブ・スパイダーマン・ザ・ライド号」にそれぞれ変更された。夏休みなどのUSJ繁忙期には、一時的にラッピング車両の編成を組み換えて異なるデザインの車両が混じった8両編成として運転されることがあった(6M2Tの8両編成2本と、4+4両編成1本を組成)。2012年3月17日以降はラッピング列車を含めた全列車が8両編成での運行となり、「ウッドペッカー号」と「セサミストリート号」の8両編成2本(いずれも「スパイダーマン号」の中間車を編入)に再編された。また、組み換えが行われなかった「パワーオブハリウッド号」と余剰となった「スパイダーマン号」の先頭車は日根野電車区へ転属した。ラッピング車2本も2012年末までにオレンジ色に再塗装された。",
"title": "使用車両"
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{
"paragraph_id": 24,
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"text": "その後、ラッピング車両は201系8両編成に変更され、2012年10月17日よりLB6編成が「ユニバーサル・ワンダーランド号」、2013年2月1日よりLB15編成が「ウィザーディング・ワールド・オブ・ハリー・ポッター号」となって運転されていた。201系のラッピング車両も2019年5月31日限りで運転を終了した。",
"title": "使用車両"
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"tag": "p",
"text": "2021年1月27日からは323系LS15編成で「スーパー・ニンテンドー・ワールド」のラッピング列車が運行を開始した。323系のUSJラッピング車両はこれが初めてで、ラッピング車は前述の201系以来1年8ヶ月ぶりとなる。他編成と完全共通運用であり、大阪環状線内のみの運用にも充当されている。",
"title": "使用車両"
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{
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"text": "1980年代後半にユニバーサルスタジオが日本進出を検討し、大阪市が大正区への誘致を持ちかけたが破談になり、のちに此花区への誘致を持ちかけ、1994年1月に此花区への進出が正式に決定した。桜島線は、ユニバーサルスタジオ計画地の中央を横断していたため、計画地の南側に約250メートル移設することになった。1999年4月1日に単線区間が残っていた安治川口駅 - 桜島駅間を複線の新線に切り替え、同時に桜島駅を移設している。1999年から2001年にかけてUSJへのアクセス路線として改良するため、大阪環状線への直通運転を休止して、安治川口駅の橋上駅化や信号設備の改良などの工事が行われた。",
"title": "輸送改善"
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"text": "この輸送改善に関連して、1965年から地元住民や商店街が要望していた西九条駅 - 安治川口駅間への新駅(春日出駅を提唱していた)設置運動が行われていたが、この輸送改善に合わせては新駅は設置されておらず、需要が見込めないとして設置は見送られている。",
"title": "輸送改善"
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"text": "2001年3月31日のUSJ開業に先立って、最寄り駅となるユニバーサルシティ駅が3月1日に開業し、同日よりJRゆめ咲線の愛称も使われるようになった。その後、3日のダイヤ改正により大阪環状線との直通運転が再開されている。",
"title": "輸送改善"
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"text": "USJ開業後、ユニバーサルシティ駅を中心に乗車人員は増加し続け、2018年の乗車人員は1987年のJR発足時に比べ約3.7倍となった。特に朝は通勤時間帯とUSJの開園前時間が重なり西九条駅やユニバーサルシティ駅では混雑が激しくなっていた。また、2020年にはUSJの新エリア「スーパー・ニンテンドー・ワールド」が開業予定でさらなる利用客増加が見込まれることから、JR西日本は2019年9月18日に以下の2つの取り組みによる輸送力強化と混雑緩和を進めることを発表した。",
"title": "輸送改善"
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"text": "2009年9月10日に当時の大阪府知事であった橋下徹が、大阪ワールドトレードセンタービルディング(現大阪府咲洲庁舎)への府庁移転問題に絡み、桜島駅から南港ポートタウン線(ニュートラム)のトレードセンター前駅までの約4kmの延伸を検討していることが、報道で明らかになった。府庁の全面移転は断念したが、大阪府と大阪市が夢洲に誘致を進めているカジノを含む統合型リゾートの鉄道アクセスとしても桜島線の延伸が計画されている。なお、夢洲は2018年11月23日深夜に決定した2025年の大阪万博の会場でもあるが、JR西日本の来島達夫社長は万博開催のみでの延伸は実施しないとしている。",
"title": "延伸計画"
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"text": "この計画では、港湾護岸の下を通るためユニバーサルシティ駅の西付近から地下化し、桜島駅も地下化される。工事延長は約6kmで、整備費は約1,700億円である。同じく地下鉄中央線の夢洲への延伸よりも事業費が約3倍になり、工期も長くなることが懸念されているものの、大阪駅周辺へのアクセスも約22分と最短で、関西主要拠点へのアクセスが改善されるとされている。",
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"text": "なお、橋下は都市戦略上はJR桜島線の延伸を目指すべきだと発言している。",
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"text": "それより前は、1994年1月に当時の大阪市長であった西尾正也が2008年大阪オリンピック招致を表明した際に、そのアクセスとして舞洲まで延伸が検討されたことがあった。",
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"text": "また大阪府は2012年に桜島駅より咲洲、南港を経て長居駅に至る路線構想の実現を目指すと発表している。",
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"text": "2025年に夢洲を中心に開催される2025年日本国際博覧会(大阪・関西万博)に向けては前述の延伸計画とは別に、従来からの大阪環状線・天王寺・京橋方面から大阪駅(既存の環状線高架ホーム)経由で乗り入れる列車に加え、2023年3月に開業した大阪駅地下ホーム(うめきたエリア)を介して、新大阪駅からの臨時直通列車の運行も検討されている。これに際しての新線建設(桜島線の延伸)はせず、西九条駅にホーム柵(ホームドア)を設置するほか、当線の区間運転列車についても1時間最大12本程度の列車を増発する予定である。",
"title": "延伸計画"
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"tag": "p",
"text": "元々西九条駅 - 桜島駅間は独立した路線ではなく、西成鉄道を鉄道国有法により買収した西成線(にしなりせん)の一部を1961年の大阪環状線全通時に分離したものである。沿線工場への貨物輸送や通勤路線という目的から昼間は閑散とした状態が続いていたが、USJ開業後はそのアクセス路線として終日賑わっている。",
"title": "歴史"
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"paragraph_id": 37,
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"text": "( ) 内は起点からの営業キロ",
"title": "駅一覧"
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] |
桜島線(さくらじません)は、大阪府大阪市此花区の西九条駅から桜島駅までを結ぶ西日本旅客鉄道(JR西日本)の鉄道路線(幹線)である。「JRゆめ咲線」(ジェイアールゆめさきせん)の愛称が付けられており、旅客案内においては「桜島線」と案内されることはほとんどない。 なお、本項では桜島線の前身である西成線(にしなりせん)についても記述する。
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{{告知|注意|[[WP:FOP]]条件5:屋外美術写真を3枚以下にすること}}
{{Infobox 鉄道路線
|路線名 = [[File:JR logo (west).svg|35px|link=西日本旅客鉄道]] 桜島線
|路線色 = #0a318e
|ロゴ = File:JRW kinki-P.svg
|ロゴサイズ = 40px
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|画像説明 = 323系電車([[安治川口駅]]付近)
|通称 = JRゆめ咲線
|国 = {{JPN}}
|所在地 = [[大阪府]]
|種類 = [[日本の鉄道|普通鉄道]]([[在来線]]・[[幹線]])
|起点 = [[西九条駅]]
|終点 = [[桜島駅]]
|駅数 = 4駅
|電報略号 = ニナセ(西成線時代)<ref name="tetsudoudenpouryakugou-p21">{{Cite book |和書 |author=日本国有鉄道電気局 |date=1959-09-17 |title=鉄道電報略号 |url= |format= |publisher= |volume= |page=21}}</ref>
|路線記号 = {{JR西路線記号|K|P}}
|開業 = [[1898年]][[4月5日]]<ref name="youran">国土交通省鉄道局監修『鉄道要覧』平成28年度版、電気車研究会・鉄道図書刊行会、p.40</ref>
|廃止 =
|所有者 = [[西日本旅客鉄道]]
|運営者 = 西日本旅客鉄道<br />[[日本貨物鉄道]]
|車両基地 = [[吹田総合車両所]][[森ノ宮電車区|森ノ宮支所]]
|使用車両 = [[#使用車両|使用車両]]の節を参照
|路線距離 = 4.1 [[キロメートル|km]]
|軌間 = 1,067 [[ミリメートル|mm]]([[狭軌]])
|線路数 = [[単線並列|双単線]](西九条駅 - ユニバーサルシティ駅間)<br />[[複線]](ユニバーサルシティ駅 - 桜島駅間)
|電化方式 = [[直流電化|直流]]1,500 [[ボルト (単位)|V]] [[架空電車線方式]]
|閉塞方式 = 自動閉塞式
|保安装置 = [[自動列車停止装置#ATS-P形(デジタル伝送パターン形)|ATS-P]](全線P<ref name="zensen">{{PDFlink|[https://www.mlit.go.jp/jtsb/railway/fukuchiyama/RA07-3-1-1.pdf 鉄道事故調査報告書]}} - 航空・鉄道事故調査委員会</ref>)
|最高速度 = 95 [[キロメートル毎時|km/h]]<ref name="speed">[https://www.westjr.co.jp/company/info/issue/data/pdf/data2018_05.pdf データで見るJR西日本2018] - JR西日本</ref>
|路線図 =
}}
'''桜島線'''(さくらじません)は、[[大阪府]][[大阪市]][[此花区]]の[[西九条駅]]から[[桜島駅]]までを結ぶ[[西日本旅客鉄道]](JR西日本)の[[鉄道路線]]([[幹線]])である。「'''JRゆめ咲線'''」(ジェイアールゆめさきせん)の[[鉄道路線の名称#路線の系統名称・愛称|愛称]]が付けられており、旅客案内においては「桜島線」と案内されることはほとんどない。
なお、本項では桜島線の前身である'''西成線'''(にしなりせん)についても記述する。
== 概要 ==
起点の西九条駅で[[大阪環状線]]に接続しており、[[大阪駅]]([[梅田]])方面からの直通列車も設定されている<ref>{{Cite web|和書|title=駅時刻表|url=https://timetable.jr-odekake.net/station-timetable/2956020001?date=20230214 |website=JRおでかけネット |access-date=2023-02-14}}</ref>。[[日本製鉄関西製鉄所|日本製鉄関西製作所]](製鋼所地区)などの臨海部の工場への通勤路線であると同時に、[[2001年]][[3月31日]]の[[ユニバーサル・スタジオ・ジャパン]] (USJ) 開業後は、そのアクセス路線として機能している。また、[[東海道本線]]の[[吹田貨物ターミナル駅]]方面から[[梅田貨物線]]を経由して[[安治川口駅]]の[[貨物駅]]を結ぶ[[貨物線|貨物路線]]でもあり、旅客列車のほか、西九条駅 - 安治川口駅間には[[日本貨物鉄道]](JR貨物)によって梅田貨物線からの[[貨物列車]]が運行されている。
USJ 開業に先立つ[[2001年]][[3月1日]]に同園の最寄り駅となる[[ユニバーサルシティ駅]]が開業し、「JRゆめ咲線」の愛称が制定された。これと同時に[[日本の鉄道ラインカラー一覧|ラインカラー]]が定められ、大阪環状線と同じ'''赤'''({{Color|#e80000|■}})とされていたが、2015年3月14日から路線記号'''P'''が設定されるのに合わせて、ラインカラーは'''紺'''({{Color|#0A318E|■}})に変更された<ref>{{PDFlink|[http://www.jr-odekake.net/eki/pdf/ubn.pdf JR線 近畿エリア路線図]}} - 西日本旅客鉄道</ref><ref>[http://www.sankei.com/west/news/140806/wst1408060014-n1.html 外人サン、ワカリマスカ? 関空行きはS、神戸や京都に行くのはAでっせ] - [[産経新聞]] 2014年8月6日</ref><ref>[http://railf.jp/news/2015/03/16/153000.html JR西日本で路線記号の本格使用が始まる] - 『鉄道ファン』交友社 railf.jp鉄道ニュース、2014年3月15日。</ref>。「JRゆめ咲線」の愛称は公募で決定された。この名前は公募1位ではなかったが、柔らかな語感と、桜島線の沿線のベイエリアはUSJを中心として大阪の夢が生まれつつある地域で、その夢が咲くことを期待して選ばれた<ref name="jrw_20001215">[https://web.archive.org/web/20010124051700/www.westjr.co.jp/kou/press/4press/n001215a.html 「桜島線」愛称名 「JRゆめ咲線」に決定 !]([[インターネットアーカイブ]])- 西日本旅客鉄道プレスリリース 2000年12月15日</ref>。
全区間をJR西日本[[西日本旅客鉄道近畿統括本部|近畿統括本部]]が管轄しており、[[旅客営業規則]]の定める[[大都市近郊区間 (JR)|大都市近郊区間]]の「[[大都市近郊区間 (JR)#大阪近郊区間|大阪近郊区間]]」と「[[電車特定区間]]」の「大阪環状線内」、および[[ICカード|IC]][[乗車カード]]「[[ICOCA]]」エリアに含まれている<ref>[http://www.jr-odekake.net/icoca/area/map/all.html ご利用可能エリア|ICOCA:JRおでかけネット] - 西日本旅客鉄道</ref>。
=== 路線データ ===
* 管轄・路線距離([[営業キロ]]):
** 西日本旅客鉄道([[鉄道事業者#第一種鉄道事業者|第一種鉄道事業者]]):
*** 西九条駅 - 桜島駅間 4.1km
** [[日本貨物鉄道]]([[鉄道事業者#第二種鉄道事業者|第二種鉄道事業者]]):
*** 西九条駅 - 安治川口駅間 (2.4km)
* [[軌間]]:1067mm
* 駅数:4(起終点駅含む)
** 桜島線所属駅に限定した場合、大阪環状線所属の西九条駅<ref>『停車場変遷大事典 国鉄・JR編』[[JTB]]、1998年。{{ISBN2|978-4-533-02980-6}}。</ref>が除外され、3駅となる。
* 複線区間:全線(ただし、西九条駅 - ユニバーサルシティ駅間は[[単線並列#双単線|双単線]])
* 電化区間:全線電化(直流1500V)
* [[閉塞 (鉄道)|閉塞方式]]:自動閉塞式
* 保安装置:[[自動列車停止装置#ATS-P形(デジタル伝送パターン形)|ATS-P]](全線P<ref name="zensen" />)
* [[運転指令所]]:[[大阪総合指令所]]
* [[列車運行管理システム]]:[[運行管理システム (JR西日本)|大阪環状・大和路線運行管理システム]]
* 最高速度:95km/h<ref name="speed" />
== 沿線概況 ==
{{BS-map
|title = 停車場・施設・接続路線
|title-bg = #0a318e
|title-color = white
|map =
{{BS3||STR|STR|O3=POINTERg@fq|||{{rint|ja|wko}} [[大阪環状線]]|}}
{{BS3||STRl|O2=POINTERg@f|ABZg+r|||[[梅田貨物線]]|}}
{{BS3|||O2=HUBrg|BHF|O3=HUBeq|0.0|JR-P14 [[西九条駅]]|[[File:BSicon exTRAM.svg|14px|link=大阪市電|大阪市電]]|}}
{{BS3||BHFq|O2=HUBe|KRZu|||[[阪神電気鉄道|阪神]]:{{rint|osaka|hsn}} [[阪神なんば線]]|}}
{{BS3|||ABZgl|||大阪環状線|}}
{{BS3|||hKRZWae|||[[六軒家川]]|}}
{{BS3|exSTR+l|exSTRq|eABZgr||''[[大阪北港駅|北港貨物線]]''||}}
{{BS3|exSTR||BHF|{{BSkm|2.4|0.0*}}|JR-P15 [[安治川口駅]]||}}
{{BS3|exSTR|exSTR+l|eABZgr||||}}
{{BS3|exSTR|exSTR|BHF|3.2|JR-P16 [[ユニバーサルシティ駅]]||}}
{{BS3|exhKRZWae|exhKRZWae|STR||''左:[[北港運河第二橋梁]]''||}}
{{BS3|exSTR|exSTR|STR||''右:[[北港運河第一橋梁]]''||}}
{{BS3|exSTR|exBHF|STR|4.0|''桜島駅''|(2) 1966-1999|}}
{{BS3|exSTR|exSTR|KBHFe|4.1|JR-P17 [[桜島駅]]|(3) 1999-|}}
{{BS3|exKDSTe|exSTR||3.4*|''[[大阪北港駅]]''|-1982|}}
{{BS|exKBHFe|4.5|''桜島駅''|(1)[[File:BSicon exTRAM.svg|14px|link=大阪市電|大阪市電]] -1966|}}
}}
全線で[[旧淀川|安治川]]の右岸を走行している。高架駅の西九条駅を発車するとすぐにJR西日本の中で最も急な35[[パーミル|‰]]を進み<ref>[http://www.westjr.co.jp/company/issue/data/ データで見るJR西日本] - 西日本旅客鉄道</ref>、右にカーブをしながら大阪環状線の外回りをくぐる。六軒家川を渡って[[国道43号]]をくぐって住宅街を進み、[[住友化学]]の大阪工場を抜けると、貨物ヤードが広がる[[安治川口駅]]に到着する。この先は、USJ の建設を中核とする此花西部臨海地区[[土地区画整理事業]]に伴い線路が移設された区間<ref name="create1">{{Cite web|和書|url=http://www.kk.jcca.or.jp/create/pdf/create1.pdf |title=クリエイトきんき2001創刊号 ユニバーサル・スタジオ・ジャパンと地域開発 |accessdate=2013-11-11 |date=2001-08-01 |format=PDF |publisher=社団法人建設コンサルタンツ協会近畿支部 |pages=8-9 }}</ref>で、高架橋を進んで USJ の最寄り駅である[[ユニバーサルシティ駅]]に到着する。当初の計画では安治川口駅 - 桜島駅間を地下化して USJ の正門前に新駅が設置される予定であったが、工事費と工期を削減するために地平式に変更され、USJ の南側に沿う区間は大阪市の負担によってシェルターで覆われて公園となり、終点の桜島駅は USJ の南西端に移設されている<ref>高山禮蔵『関西 電車のある風景 今昔I』[[JTBパブリッシング|JTBキャンブックス]]、2002年、p.128。{{ISBN2|978-4-533-04210-2}}。</ref><ref name="create1" />。
なお、万一片方の線路が使用できなくなったときにも、USJ からの乗客を円滑に運ぶため、西九条駅 - ユニバーサルシティ駅間は[[単線並列|双単線]]としてそれぞれの線路で単線運転が可能となっている。すなわち、下り線が使用できないときは、上り線のみで折り返し運転ができるようになっている。そのため、各駅には通常の進行方向と反対側にも[[鉄道信号機|信号機]]が取り付けられており、踏切にも「どちらか一本の線路で上下の列車を運転する場合があります。」という注意書き看板を設置している。
[[1999年]]4月1日に線路移設されるまでの安治川口駅 - 桜島駅間には、[[北港運河]]に架かる北港運河第一橋梁と呼ばれる[[可動橋]]があった。1927年に架橋された最初の跳開式可動橋であったが<ref>『日本国有鉄道百年史 7』日本国有鉄道、1971年、p.147。</ref>、建設当初から2.6m近く沈下して浸水によって運転に支障が出ることから、1976年7月7日に同じ可動橋に架け替えられた<ref name="hokko1">『鉄道土木』日本鉄道施設協会、1976年 第8号、p.60。</ref>。
{{-}}
== 運行形態 ==
=== 旅客列車 ===
旅客列車は、線内折り返しのシャトル列車(西九条駅 - 桜島駅間)と、[[大阪環状線]]との直通列車(天王寺方面 - 京橋駅 - 大阪駅 - 桜島駅間)がある。日中の12時台から16時台の初めまでは、シャトル列車のみが1時間に4本運転されている。2011年3月11日までは、日中にも大阪環状線直通列車とシャトル列車があり、1時間に計6本運行されていた。以前は大阪環状線の混雑のため、朝夕ラッシュ時はシャトル列車のみ運転されていた。2015年3月14日現在は午前中と夕方前から夜間に大阪環状線直通列車が運行されている。
USJ の開業以来、日中のシャトル列車は1編成のみを使用して線内を往復する形態で、運転時間の関係から西九条駅・桜島駅における折り返し時間が2 - 3分程度しか確保できないなど余裕の少ないダイヤ設定となっていた。しかし、2005年4月25日の[[JR福知山線脱線事故|福知山線脱線事故]]を契機にダイヤの抜本的な見直しが行われた2006年3月18日のダイヤ改正以降は2編成使用の運用に変更され、大阪環状線との直通列車を含めて桜島駅での折り返し時間およびユニバーサルシティ駅での停車時間を長めに設定するなどダイヤに余裕を持たせている。
2012年3月17日から日中はシャトル列車のみとなったため、大阪駅 - 京橋駅 - 天王寺駅間では、[[関空快速・紀州路快速]]が大阪環状線天王寺駅発着に変更されているとともに、[[大和路快速]]と関空快速・紀州路快速の停車駅に福島駅が追加された<ref name="jrw_20111216k">{{PDFlink|[http://www.westjr.co.jp/press/article/items/20111216_kinki.pdf 平成24年春ダイヤ改正について]}} - 西日本旅客鉄道近畿統括本部プレスリリース 2011年12月16日</ref>。
西九条駅では、大阪環状線との直通列車は大阪・京橋方面行き・桜島行きは、中央の2・3番のりば(両側にある2つのホームで1つの線路を共用、シャトル列車の折り返しにも使用)から発着するのが基本となっている。なお、一部の大阪・京橋方面行きの列車は1番(外回り)のりばから、桜島行きの列車は4番(内回り)のりばから発車している。その西九条駅2・3番のりばは京都・新大阪方面から関西空港・白浜方面へ向かう[[特別急行列車|特急]]「[[はるか (列車)|はるか]]」「[[くろしお (列車)|くろしお]]」なども通るためピーク時間帯はこれ以上の増発が困難であったが、構内改良により特急列車を4番のりばを通過させることにより<ref>[https://www.westjr.co.jp/press/article/2019/09/page_14937.html%7CJRゆめ咲線(桜島線)の輸送力強化・混雑緩和] - 西日本旅客鉄道プレスリリース 2019年9月18日</ref>、2020年3月14日のダイヤ改正から朝通勤ラッシュ時に2往復増発し、概ね6分間隔で運転されている<ref>{{PDFlink|[https://www.westjr.co.jp/press/article/items/191213_00_keihanshin-kaku%20%28NXPowerLite%20Copy%29.pdf 2020年3月14日にダイヤ改正を実施します]}} - 西日本旅客鉄道近畿統括本部プレスリリース 2019年12月13日</ref>。
[[列車番号]]は、シャトル列車は600・700番台(末尾のアルファベットなし)、大阪環状線へ直通する列車は、天王寺駅から引き続き環状運転を行う場合は1500番台、京橋駅もしくは天王寺駅までの運行の場合は2300 - 2500番台であり、末尾に「E」がつく。
323系では路線記号とともにラインカラーの紺色を表示しており<ref>[https://tetsudo-ch.com/9768810.html|西九条駅の線路設備改良、ユニバーサルシティ駅改札口改良――JRゆめ咲線(桜島線)の輸送力強化・混雑緩和の取り組みを発表 JR西日本] - 鉄道チャンネル</ref>、大阪環状線列車との区別を図っている。
==== 女性専用車 ====
{{節スタブ|date=2020年1月}}
{|style="width:15em; float:right;margin:0em 0em 0em 1em; border:1px solid #999; font-size:85%"
|style="background-color:#eee; text-align:center; border-bottom:solid 4px #0A318E"|女性専用車
|-
|{{TrainDirection|西九条|桜島}}
|-
|
{|class="wikitable" style="border:1px; font-size:85%; text-align:center; margin:0em 0em 0em 0.5em"
|style="width:2em"|8
|style="width:2em"|7
|style="width:2em"|6
|style="width:2em"|5
|style="width:2em; background-color:#fcf"|4
|style="width:2em"|3
|style="width:2em"|2
|style="width:2em"|1
|}
|}
2011年4月18日から、平日・休日にかかわらず毎日、始発から終電まで、8両編成の4号車に[[女性専用車両|女性専用車]]が設定されている。対象車両および乗車位置には、女性専用車の案内表示が設置されている<ref name="jrw_20110304">[http://www.westjr.co.jp/news/newslist/article/1175252_799.html 女性専用車の全日化・終日化について] ・ [http://www.westjr.co.jp/news/newslist/article/1175270_799.html 車両保守部品の不足に伴う列車運転計画の見直しについて] - 西日本旅客鉄道プレスリリース 2011年3月4日・2011年4月6日</ref>。
{{-}}
=== 臨時列車 ===
USJ の多客が見込まれる日には定期列車だけでは輸送力が不足することから、臨時列車が運転されることがある<ref name="jrw_20140523">[http://www.westjr.co.jp/press/article/2014/05/page_5679.html 「ウィザーディング・ワールド・オブ・ハリー・ポッター(TM)」誕生へ向け、ユニバーサル・スタジオ・ジャパン(R)とJR西日本が連携し、新たなサービスを提供します!] - 西日本旅客鉄道プレスリリース 2014年5月23日</ref>。
かつては多客期に[[東海道本線]]・[[山陽本線]]で臨時快速列車(快速「ハリウッドエクスプレス」、快速「[[琵琶湖線#過去の列車|びわこハリウッド号]]」)や<ref>[https://web.archive.org/web/20020802225200/http://www.westjr.co.jp/news/020117e.html 平成14年度【 春 】の臨時列車の運転について(別紙詳細)](インターネット・アーカイブ)- 西日本旅客鉄道プレスリリース 2002年1月17日</ref>、[[大和路線]]から奈良発桜島行きの「やまとじハリウッド号」<ref>[https://web.archive.org/web/20021010172930/http://www.westjr.co.jp/news/020823a.html 平成14年度【 秋 】の臨時列車の運転について(詳細別紙)](インターネット・アーカイブ) - 西日本旅客鉄道プレスリリース 2002年8月23日</ref>、北陸方面からの臨時特急「[[サンダーバード (列車)#ユニバーサルエクスプレス|ユニバーサルエクスプレス]]」が運転されたこともあるが、2000年代後半に USJ の観客動員数が減少傾向にあったこともあり、[[2010年]]春以降は運転されていない。なお、「ユニバーサルエクスプレス」はユニバーサルシティ駅を始発・終着駅としているが、同駅では直接折り返さず、[[回送]]として桜島駅まで運転した後に折り返していた。この列車は午前中運転の往路から夕刻運転の復路まで時間があったが、桜島線内では留置できず一度[[車両基地]]へ回送されたため、桜島線を2往復していた。
[[2004年]][[7月31日]]に USJ で開催されたロックグループ「[[GLAY]]」の大型コンサート「[[GLAY EXPO|GLAY EXPO 2004]]」では、10万人規模の観客を動員したことから、当日は午前10時頃から特別ダイヤが組まれた。特に公演終了後の20時以降は大阪環状線直通の定期列車と臨時列車が最大3 - 4分間隔で運行され、20時過ぎから23時までは最大1時間12本すべてが直通列車となり、この時間帯の大阪環状線西九条駅 - 京橋駅間では、直通列車と大阪環状線の列車により超過密状態となり、定期列車と臨時直通列車との運転間隔が1分を切る時間帯があった。
<gallery widths="200px">
File:Universalexpress.jpg|ユニバーサルシティ駅に到着した特急ユニバーサルエクスプレス
File:GLAY.JPG|GLAY EXPO開催に伴う臨時列車が運行された時の発車標(大阪駅 2004年7月31日)<br>運転間隔が1分を切っていることが確認できる。
</gallery>
2014年7月26日からは、原則毎週土曜日に新大阪発桜島行きの臨時快速列車が運転されていた(途中停車駅はユニバーサルシティ駅のみ)。この列車は USJ への利便性向上のために運転されている山陽新幹線の臨時列車「ひかり」580号から接続しており、車両は「ウィザーディング・ワールド・オブ・ハリー・ポッター」をイメージしたラッピング列車が使用されていた<ref name="jrw_20140523" />。2016年2月27日まで運転されたが<ref>{{PDFlink|1=[https://www.westjr.co.jp/press/article/items/151023_00_wintertrain.pdf#page=7 平成27年度【冬】の臨時列車の運転について]}} - 西日本旅客鉄道プレスリリース 2015年10月23日</ref>、2016年3月以降は設定がなくなっている<ref>{{PDFlink|[https://www.westjr.co.jp/press/article/items/151023_00_wintertrain.pdf 平成28年【春】の臨時列車の運転について]}} - 西日本旅客鉄道プレスリリース 2016年1月22日</ref>。
桜島線では、USJが[[2001年]]3月の開業以来毎年、[[大晦日]]から[[元日|元旦]]にかけて新年カウントダウン特別営業を行っている関係で、2001年度の大晦日から毎年、[[終夜運転]]を実施している。シャトル列車(西九条駅折り返し)および大阪環状線との直通列車のいずれかを、約15 - 20分間隔で運転している<ref>{{Cite press release |和書 |url=https://www.westjr.co.jp/press/article/2019/12/page_15240.html |title=大みそかの臨時列車運転のお知らせ |publisher=[[西日本旅客鉄道]] |date=2019-12-12 |accessdate=2019-12-16 }}</ref>。
=== 貨物列車 ===
{{See|梅田貨物線#貨物列車}}
== 使用車両 ==
=== 現在の使用車両 ===
==== 旅客列車 ====
全列車が[[吹田総合車両所]]森ノ宮支所に所属する[[JR西日本323系電車|323系電車]]で運転されている。2016年12月25日から当路線での運行を開始した<ref name="mynavi20161225" />。
323系が導入されるまで、アーバンネットワーク内の路線では最後まで、全ての定期列車に国鉄形車両(「[[#過去の使用車両|過去の使用車両]]」節を参照)が使用されていた。ただし、2014年2月17日 - 21日に[[大阪環状線]]で朝時間帯の電車を実験的に3ドアに統一した関係で<ref>[http://www.asahi.com/articles/ASG27521VG27PTIL00Z.html 大阪)17~21日の朝、JR大阪環状線が3枚ドアに] - 朝日新聞、2014年2月8日</ref>、大阪環状線に直通する一部列車に、JR西日本発足後に登場した車両である[[JR西日本223系電車|223系]]と[[JR西日本225系電車|225系]]が使用されたことがある<ref>[http://railf.jp/news/2014/02/22/121000.html 223系・225系が桜島線に入線] - 鉄道ファン・railf.jp、2014年2月21日</ref>。
==== 貨物列車 ====
{{See|梅田貨物線#貨物列車_2}}
=== 過去の使用車両 ===
{{Main2|当路線前身の西成鉄道の車両|西成鉄道}}
{{節スタブ|1=大阪環状線開通前の西成線時代}}
* [[国鉄101系電車|101系]]
** 大阪環状線が開通した1961年4月25日から1985年3月、1989年6月から1991年3月16日まで使用されていた<ref>「"お疲れさま"通勤の足30年 オレンジ色の旧国鉄草分け電車が引退」[[読売新聞]] 1991年4月23日</ref>。JR西日本では最後の使用路線であり、最後の[[朱色1号]]({{Color sample|#c16543|border=none|size=0.9em}}オレンジバーミリオン)の101系でもあった。末期は桜島線用の6両編成2本のみ在籍しており、出入区便の京橋駅 - 桜島駅間の列車にも使用されていた。
* [[国鉄103系電車|103系]]
** 1969年から2017年10月3日まで運用された<ref>[http://trafficnews.jp/post/78697 さよなら103系 JR大阪環状線で営業運転を終了 最終日ならではの車内放送も] - 乗りものニュース、2017年10月4日</ref>。車体塗装はオレンジバーミリオン色で、1999年5月9日までは6両編成のみ、2001年3月までは4両編成も存在していたが、ユニバーサルシティ駅開業後は先述したラッピング車両の6両編成と大阪環状線直通の8両編成が使用されるようになった。桜島線用が6両編成であった時代は、森ノ宮電車区への出入区列車は現在と同様に京橋駅 - 桜島駅間の営業列車として運転、4両編成の時代は京橋駅 - 西九条駅間は回送列車であった。2012年3月17日以降は線内のラッピング編成も8両編成に統一されたが、同年ラッピング編成は201系に変更された。
* [[国鉄201系電車|201系]]
** 2005年12月<!--15日-->から2019年6月7日まで運用された<ref name="jrwest20190510">[http://www.westjr.co.jp/press/article/2019/05/page_14241.html 新型車両323系の全編成の投入がついに完了!] - 西日本旅客鉄道ニュースリリース 2019年5月10日</ref><ref name="mynavi20190607">[https://news.mynavi.jp/article/20190607-osakaloopline201/ JR西日本、大阪環状線201系ラストラン - 京橋行で無事に運行終える] - マイナビニュース、2019年6月7日</ref><ref name="railfjp20190608">[https://railf.jp/news/2019/06/08/200000.html 大阪環状線・桜島線からオレンジ色の201系が引退] - 『鉄道ファン』交友社 railf.jp鉄道ニュース 2019年6月8日</ref>。[[JR京都線]]・[[JR神戸線|神戸線]]で[[JR西日本321系電車|321系]]の投入が開始された際に転入したもので、車体塗装は当初水色のままで運用されたが、のちにオレンジバーミリオンに変更された。
ユニバーサルシティ駅の開業と同時に、大阪環状線車両の[[方向幕]]が白地からJR西日本標準の黒地幕に変更されたが、桜島線へ直通する桜島行きの列車は容易に区別できるように青地を基本としており、また大阪環状線と桜島線と直通する列車が区別できるように赤いラインが追加されていた<ref>[https://web.archive.org/web/20010410004320/http://www.westjr.co.jp/kou/press/4press/n001220a.html 「ユニバーサル・スタジオ・ジャパン」シャトル列車のデザインについて](インターネット・アーカイブ)- 西日本旅客鉄道プレスリリース 2000年12月20日</ref><ref>『運転協会誌』2001年5月号 日本鉄道運転協会 p.46</ref>。この行先方向幕は103系と201系で使用されていたが、201系は方向幕の3色LED化改造が行われ、103系も323系の導入に伴い2017年10月3日の運用を最後に撤退し、この幕は姿を消している。
<gallery>
File:JRW Universalcity,Sakurajima.jpg|桜島線直通列車の方向幕
File:JRW Osaka,Kyobashi.jpg|大阪環状線直通を示す赤色が追加された方向幕
</gallery>
=== ラッピング車両 ===
[[ユニバーサル・スタジオ・ジャパン|USJ]]開業以降は、USJの[[ラッピング車両]]が運行されている。USJ開業当初は[[国鉄103系電車|103系]]6両編成4本が使用されており、編成毎にテーマが異なるラッピングが施された。ラッピング列車はUSJ開業に先駆け、2001年1月より運行を開始し、当初は「ユニバーサルグローブ号」「パワーオブハリウッド号」「アメリカの街並み風景号」「[[ウッディー・ウッドペッカー|ウッディ・ウッドペッカー]]号」の4種類だったが、「ユニバーサルグローブ号」は2003年4月に「[[セサミストリート]] 4-Dムービーマジック号」に、「アメリカの街並み風景号」は2004年1月に「アメージング・アドベンチャー・オブ・[[スパイダーマン]]・ザ・ライド号」にそれぞれ変更された。夏休みなどのUSJ繁忙期には、一時的にラッピング車両の編成を組み換えて異なるデザインの車両が混じった8両編成として運転されることがあった(6M2Tの8両編成2本と、4+4両編成1本を組成)。2012年3月17日以降はラッピング列車を含めた全列車が8両編成での運行となり、「ウッドペッカー号」と「セサミストリート号」の8両編成2本(いずれも「スパイダーマン号」の中間車を編入)に再編<ref name="kotsu_2012s">ジェー・アール・アール『JR電車編成表 2012夏』[[交通新聞社]]、2012年。{{ISBN2|978-4-330-28612-9}}。</ref>された。また、組み換えが行われなかった「パワーオブハリウッド号」と余剰となった「スパイダーマン号」の先頭車は日根野電車区へ転属した。ラッピング車2本も2012年末までにオレンジ色に再塗装された。
その後、ラッピング車両は201系8両編成に変更され、2012年10月17日よりLB6編成が「ユニバーサル・ワンダーランド号」<ref>[http://railf.jp/news/2012/10/18/150000.html 201系LB6編成が「ユニバーサル・ワンダーランド号」に] - 『鉄道ファン』交友社 railf.jp鉄道ニュース 2012年10月18日</ref>、2013年2月1日よりLB15編成が「ウィザーディング・ワールド・オブ・[[ハリー・ポッター]]号」<ref>[http://www.westjr.co.jp/press/article/2013/01/page_3192.html ユニバーサル・スタジオ・ジャパンに2014年後半オープン予定「ハリー・ポッター」のテーマパークをモチーフにデザインされた新ラッピング列車2013年2月1日(金曜日)よりJRゆめ咲線で運行スタート]- 西日本旅客鉄道プレスリリース 2013年1月31日</ref><ref>[https://railf.jp/news/2013/02/02/165500.html 201系LB15編成に「ハリーポッター」のラッピング] - 『鉄道ファン』交友社 railf.jp鉄道ニュース 2013年2月2日</ref><ref name="railfjp20190606">[https://railf.jp/news/2019/06/06/170000.html 201系LB15編成が吹田へ] - 『鉄道ファン』交友社 railf.jp鉄道ニュース 2019年6月6日</ref>となって運転されていた。201系のラッピング車両も2019年5月31日限りで運転を終了した<!--6月1日終了とする場合はその出典を示してください(個人運営のサイト・ブログ等は不可)。--><ref>{{Cite web|和書|url=https://trafficnews.jp/post/86629/2 |title=さようなら、JR大阪環状線の201系電車! 引退を目前に控え「新旧」車両が並ぶ |website=乗りものニュース |publisher=メディア・ヴァーグ |date=2019-05-31 |accessdate=2019-06-13 |quote=5月31日(金)現在、森ノ宮支所には3本の201系が残っていますが、このうちラッピングが施された2本は同日に引退し、}}</ref>。
2021年1月27日からは[[JR西日本323系電車|323系]]LS15編成で「[[スーパー・ニンテンドー・ワールド]]」のラッピング列車が運行を開始した<ref>{{Cite press release|和書|url=https://www.westjr.co.jp/press/article/items/210127_00_wrapping_train.pdf|format=PDF|title=『スーパーニンテンドーワールド』人気キャラクターが描かれた新ラッピング列車が2021年1月27日(水)JRゆめ咲線、大阪環状線で運行開始|date=2021-01-27|accessdate=2021-01-27|publisher=西日本旅客鉄道}}</ref>。323系のUSJラッピング車両はこれが初めてで、ラッピング車は前述の201系以来1年8ヶ月ぶりとなる。他編成と完全共通運用であり、大阪環状線内のみの運用にも充当されている。
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ファイル:323 Series LS15 USJ-SNW.jpg|323系<br>スーパー・ニンテンドー・ワールド号
201系ハリー・ポッターラッピング.jpg|201系<br>ウィザーディング・ワールド・オブ・ハリー・ポッター号(運用終了)
JRW series201 Yumesaki-Universal Wonderland.JPG|201系<br>ユニバーサル・ワンダーランド号(運用終了)
JNR EC Tc103-256.jpg|103系<br>パワーオブハリウッド号(運用終了)<ref name="kotsu_2012s" />
JNR EC Tc103-240-2.jpg|103系<br>アメージング・アドベンチャー・オブ・スパイダーマン・ザ・ライド号(運用終了)
JNR EC Tc103-830-2.jpg|103系<br>セサミストリート 4-D ムービーマジック号(運用終了)
JNR EC Tc103-840.jpg|103系<br>ウッディー・ウッドペッカー号(運用終了)
JRW series103 Yumesaki-02.jpg|103系<br>多客期に一時的に8両編成化された時のラッピング車両(運用終了)
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== 輸送改善 ==
=== USJ開業前 ===
1980年代後半に[[ユニバーサル・ピクチャーズ|ユニバーサルスタジオ]]が日本進出を検討し、大阪市が[[大正区]]への誘致を持ちかけたが破談になり、のちに此花区への誘致を持ちかけ、1994年1月に此花区への進出が正式に決定した。桜島線は、ユニバーサルスタジオ計画地の中央を横断していたため、計画地の南側に約250メートル移設することになった。[[1999年]]4月1日に単線区間が残っていた安治川口駅 - 桜島駅間を複線の新線に切り替え、同時に桜島駅を移設している<ref>[https://web.archive.org/web/19991007034151/www.westjr.co.jp/kou/press/1press/n990218a.html 桜島線移設に伴い桜島駅の新駅舎を使用開始します](インターネット・アーカイブ) - 西日本旅客鉄道プレスリリース 1999年2月18日</ref>。1999年から2001年にかけてUSJへのアクセス路線として改良するため、大阪環状線への直通運転を休止して、安治川口駅の橋上駅化や信号設備の改良などの工事が行われた。
この輸送改善に関連して、1965年から地元住民や商店街が要望していた西九条駅 - 安治川口駅間への新駅(春日出駅を提唱していた)設置運動が行われていたが、この輸送改善に合わせては新駅は設置されておらず、需要が見込めないとして設置は見送られている<ref>「平成11年 2・3月定例会常任委員会(交通水道・通常予算)会議録」- 大阪市議会 1999年3月5日</ref><ref>「平成20年度 決算特別委員会記録(第6回)会議録」- 大阪市議会 2009年10月2日</ref>。
[[2001年]]3月31日のUSJ開業に先立って、最寄り駅となるユニバーサルシティ駅が3月1日に開業し、同日より'''JRゆめ咲線'''の愛称も使われるようになった。その後、3日のダイヤ改正により大阪環状線との直通運転が再開されている<ref>[https://web.archive.org/web/20010417125918/www.westjr.co.jp/kou/press/4press/n001208c2.html -平成13年3月 ダイヤ改正について-(ユニバーサル・スタジオ・ジャパンへのアクセス輸送)](インターネット・アーカイブ)- 西日本旅客鉄道 2000年12月18日</ref>。
=== USJ開業後 ===
USJ開業後、ユニバーサルシティ駅を中心に乗車人員は増加し続け、[[2018年]]の乗車人員は[[1987年]]の[[国鉄分割民営化|JR発足時]]に比べ約3.7倍となった。特に朝は通勤時間帯とUSJの開園前時間が重なり西九条駅やユニバーサルシティ駅では混雑が激しくなっていた。また、[[2020年]]にはUSJの新エリア「[[スーパー・ニンテンドー・ワールド]]」が開業予定でさらなる利用客増加が見込まれることから、JR西日本は[[2019年]]9月18日に以下の2つの取り組みによる輸送力強化と混雑緩和を進めることを発表した<ref>{{Cite press release |和書 |title=2019年9月 定例社長会見 |publisher=西日本旅客鉄道 |date=2019-09-18 |url=https://www.westjr.co.jp/press/article/2019/09/page_14939.html |accessdate=2019-11-26}}</ref><ref name="press20190918">{{Cite press release |和書 |title=JRゆめ咲線(桜島線)の輸送力強化・混雑緩和 |publisher=西日本旅客鉄道 |date=2019-09-18 |url=https://www.westjr.co.jp/press/article/2019/09/page_14937.html |accessdate=2019-11-26}}</ref>。
; 西九条駅の線路設備改良
: 前述のように、西九条駅ではJRゆめ咲線の主な発着ホームである4番線(2・3番のりば)を関西空港・南紀方面の特急と共用していたため増発が困難であり、ダイヤ上のネックとなっていた。そこで、西九条駅の渡り線の新設と信号設備の改良を行い、特急の運行を大阪環状線の内回り発着ホームである5番線(4番のりば)に移す{{R|press20190918}}。これにより4番線をJRゆめ咲線専用とし、1時間あたり最大9本の運行本数が12本に増強される{{R|press20190918}}。2020年に使用を開始した<ref>{{Cite web|和書|url=https://toyokeizai.net/articles/-/647458?page=3 |title=始動迫る、大阪駅の新玄関「うめきた」工事最終盤 |access-date=2023-05-14 |author=鉄道ジャーナル編集部 |date=2023-01-24 |website=東洋経済オンライン |page=3 |quote=野田方からダイレクトに内回り線に入れるよう分岐器や信号機を増設、2020年1月に新設を完了、3月ダイヤ改正より朝7本の列車で使用を開始した。}}</ref>。
; ユニバーサルシティ駅改札口改良
: ユニバーサルシティ駅ではUSJの開園時間前である7 - 9時にかけて列車の到着時に混雑が発生していた{{R|press20190918}}。そこで、[[自動改札機]]の増設やUSJ側へ直接抜けられる改札口の整備など駅構内の改良工事を行い混雑緩和を図ることとなった{{R|press20190918}}。2020年5月ごろ竣工予定{{R|press20190918}}。
== 延伸計画 ==
[[2009年]][[9月10日]]に当時の大阪府知事であった[[橋下徹]]が、大阪ワールドトレードセンタービルディング(現[[大阪府咲洲庁舎]])への[[大阪府庁舎#新庁舎建設計画|府庁移転問題]]に絡み、桜島駅から[[Osaka Metro南港ポートタウン線|南港ポートタウン線]](ニュートラム)の[[トレードセンター前駅]]までの約4kmの延伸を検討していることが、報道で明らかになった<ref>[http://sankei.jp.msn.com/region/kinki/osaka/090910/osk0909101530008-n1.htm JR桜島線延伸、WTCと直結提案 橋下知事、府庁移転へ執念]{{リンク切れ|date=2011年1月}} - [[産経新聞]] 2009年9月10日</ref>。府庁の全面移転は断念したが<ref>[http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110818/lcl11081822060003-n1.htm 橋下知事、咲洲への府庁舎全面移転を断念] - 産経新聞 2011年8月18日</ref>、大阪府と大阪市が[[夢洲]]に誘致を進めている[[カジノ]]を含む[[統合型リゾート]]の鉄道アクセスとしても桜島線の延伸が計画されている<ref>[https://www.sankei.com/article/20140918-2BF25TYBA5J3FKQV6O4F7HEZDY/ 海底トンネル抜けると、そこは「カジノ」…大阪・夢洲への誘致で鉄道アクセス延伸3案判明] - 産経新聞 2014年9月18日</ref>。なお、夢洲は[[2018年]][[11月23日]]深夜に決定した[[2025年]]の[[2025年国際博覧会|大阪万博]]の会場でもあるが、JR西日本の来島達夫社長は万博開催のみでの延伸は実施しないとしている<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.sankei.com/west/news/181124/wst1811240027-n1.html |title=大阪万博、会場建設費は「議論まだ」 アクセスも課題 |accessdate=2018-11-24 |publisher=産経新聞 |date=2018-11-24 |format= |archiveurl=https://web.archive.org/web/20181124112031/https://www.sankei.com/west/news/181124/wst1811240027-n1.html |archivedate=2018-11-24 |deadlinkdate=}}</ref>。
この計画では、港湾護岸の下を通るためユニバーサルシティ駅の西付近から地下化し、桜島駅も地下化される。工事延長は約6kmで、整備費は約1,700億円である。同じく[[Osaka Metro中央線|地下鉄中央線]]の夢洲への延伸よりも事業費が約3倍になり、工期も長くなることが懸念されているものの、大阪駅周辺へのアクセスも約22分と最短で、関西主要拠点へのアクセスが改善されるとされている<ref>{{PDFlink|[http://www.city.osaka.lg.jp/keizaisenryaku/cmsfiles/contents/0000283/283237/tetsudouhoukoku140926.pdf 夢洲への鉄道アクセスの技術的検討について]}} - 大阪市経済戦略局</ref>。
なお、橋下は都市戦略上はJR桜島線の延伸を目指すべきだと発言している<ref>[https://www.sankei.com/article/20140918-6RUVVVEGFZJI5OFAOVJBZP53JE/ 夢洲カジノ誘致 大阪府市が鉄道整備計画案を協議 橋下市長「JR延伸目指すべき」] - 産経新聞 2014年9月18日</ref>。
それより前は、1994年1月に当時の大阪市長であった[[西尾正也]]が2008年[[大阪オリンピック構想|大阪オリンピック招致]]を表明した際に、そのアクセスとして[[舞洲]]まで延伸が検討されたことがあった<ref>「平成8年 第3回定例会 会議録」- 大阪市議会 1996年10月16日</ref><ref>「平成7年度 大阪市会決算特別委員会記録(第3回)会議録」- 大阪市議会 1996年10月1日</ref>。
また大阪府は2012年に桜島駅より咲洲、南港を経て長居駅に至る路線構想の実現を目指すと発表している<ref>[https://megalodon.jp/2012-0317-0029-56/mainichi.jp/kansai/news/20120315ddf001010004000c.html 大阪府:鉄道「第2環状線」モノレールを堺へ延伸、JR桜島線は長居まで--見直し案](ウェブ魚拓)- 毎日新聞 2012年3月15日</ref>。
[[2025年]]に[[夢洲]]を中心に開催される[[2025年日本国際博覧会]](大阪・関西万博)に向けては前述の延伸計画とは別に、従来からの大阪環状線・天王寺・京橋方面から大阪駅(既存の環状線高架ホーム)経由で乗り入れる列車に加え、[[2023年]]3月に開業した大阪駅地下ホーム(うめきたエリア)を介して、[[新大阪駅]]からの臨時直通列車の運行も検討されている。これに際しての新線建設(桜島線の延伸)はせず、西九条駅にホーム柵([[ホームドア]])を設置するほか、当線の区間運転列車についても1時間最大12本程度の列車を増発する予定である<ref>{{PDFlink|[https://www.westjr.co.jp/press/article/items/221118_01_press_banpaku.pdf 「2025年大阪・関西万博」に向けた取り組み~万博アクセス輸送~]}} - 西日本旅客鉄道、2022年11月18日</ref><ref>[https://www.sankei.com/article/20210111-4HX6VJHPKFJO7IHX2MDJK6TFYM/ JR西 万博に向け新大阪から直通列車 最寄り駅改良しバス連携強化へ] - 産経新聞、2021年1月11日</ref><ref>[https://maidonanews.jp/article/14777901 大阪万博でJR「新大阪発→うめきた新駅経由」会場近くまで直通列車運行へ 大阪メトロに乗り換えるルートとどちらが便利?] - まいどなニュース、2022年11月28日</ref>。
== 歴史 ==
元々西九条駅 - 桜島駅間は独立した路線ではなく、[[西成鉄道]]を[[鉄道国有法]]により買収した'''西成線'''(にしなりせん)の一部を1961年の大阪環状線全通時に分離したものである。沿線工場への貨物輸送や通勤路線という目的から昼間は閑散とした状態が続いていたが、USJ開業後はそのアクセス路線として終日賑わっている。
=== 西成線 ===
[[File:Nishinari Railway Linemap 1906.svg|thumb|right|250px|西成鉄道(1906年)]]
<!--[[西成線]]の転送先が桜島線なので、西成線の事柄をすべて記述-->
* [[1898年]]([[明治]]31年)
**[[4月5日]]:'''西成鉄道''' 大阪駅 - 安治川口駅間(3[[マイル|M]]52[[チェーン (単位)|C]]≒5.87km)が開業。大阪駅 - [[福島駅 (JR西日本)|福島駅]]間は貨物営業のみ。福島駅・[[野田駅 (JR西日本)|野田駅]]・安治川口駅が開業<ref>[{{NDLDC|2947715/7}} 「運輸開業免許状下付」『官報』1898年4月6日](国立国会図書館デジタルコレクション)</ref>。
** [[10月1日]]:西九条駅が開業。
* [[1899年]](明治32年)[[5月1日]]:大阪駅 - 福島駅間で旅客営業開始<ref>[{{NDLDC|2948038/5}} 「運輸開業免許状下付」『官報』1899年5月2日](国立国会図書館デジタルコレクション)</ref>。
* [[1902年]](明治35年)[[11月12日]]:MC表記からマイル表記に簡略化(3M52C→3.7M)。
* [[1904年]](明治37年)[[12月1日]]:鉄道作業局が借上げ。
* [[1905年]](明治38年)[[4月1日]]:安治川口駅 - 天保山駅間 (1.0M≒1.61km) 延伸開業。同時に借上げ。天保山駅が開業。
* [[1906年]](明治39年)12月1日:西成鉄道が国有化。西九条駅 - 安治川口駅間改マイル (-0.1M)。
* [[1909年]](明治42年)[[10月12日]]:[[国鉄・JR線路名称一覧|国有鉄道線路名称]]制定、大阪駅 - 天保山駅間が'''西成線'''になる。
* [[1910年]](明治43年)[[4月15日]]:安治川口駅 - 天保山駅間 (1.0M) 廃止、安治川口駅 - 桜島駅間(1.3M≒2.09km)が開業。天保山駅が廃止。桜島駅が開業。実態は路線の延伸と天保山駅の改称移転。
* [[1912年]](明治45年)[[7月17日]]:福島駅 - 西九条駅 - 安治川口駅間が複線化。
* 1930年([[昭和]]5年)4月1日:マイル表記からメートル表記に変更 (4.9M→8.1km)。
* [[1931年]](昭和6年)[[11月8日]]:貨物支線 野田駅 - [[大阪市場駅]]間 (1.3km) が開業。
* [[1934年]](昭和9年)[[3月25日]]:ガソリンカーが運行開始<ref>『日本国有鉄道百年史 8』日本国有鉄道 1971年 p.614</ref><ref>[{{NDLDC|1114638/98}} 『鉄道省年報. 昭和9年度』](国立国会図書館デジタルコレクション)</ref>。
* [[1940年]](昭和15年)[[1月29日]]:安治川口駅構内でガソリンカーの[[列車脱線事故|列車脱線]]・[[列車火災事故|火災事故]]([[西成線列車脱線火災事故]])が発生。
* [[1941年]](昭和16年)5月1日:大阪駅 - 桜島駅間が電化(直流1500V)。
* [[1943年]](昭和18年)[[11月21日]]:貨物支線 安治川口駅 - 大阪北港駅間 (3.4km) 開業。大阪北港駅が開業。
=== 桜島線 ===
* [[1961年]](昭和36年)[[4月25日]]:大阪環状線全通により、西九条駅 - 桜島駅間 (4.5km)、貨物支線 安治川口駅 - 大阪北港駅間 (3.4km) を分離し'''桜島線'''になる。
* [[1966年]](昭和41年)
** [[3月1日]]:桜島駅移転 (-0.5km)。かつての天保山駅付近に戻る。
** [[3月31日]]:安治川口駅 - 北港運河第一橋梁間が複線化。
* [[1968年]](昭和43年)[[3月25日]]:大阪環状線との直通運転廃止<ref>『近畿地方の日本国有鉄道-大阪・天王寺・福知山鉄道局史』大阪・天王寺・福知山鉄道局史編集委員会、2004年、p.100, p.370。</ref>。
* [[1976年]](昭和51年)7月7日:北港運河第一橋梁が架け替え<ref name="hokko1" />。
* [[1982年]](昭和57年)[[11月15日]]:貨物支線 安治川口駅 - 大阪北港駅間 (3.4km) が廃止<ref>{{Cite news |title=日本国有鉄道公示第166号 |newspaper=[[官報]] |date=1982-11-13 }}</ref>。大阪北港駅が廃止<ref>{{Cite news |title=日本国有鉄道公示第167号 |newspaper=[[官報]] |date=1982-11-13 }}</ref>。
* [[1986年]](昭和61年)[[11月1日]]:安治川口駅 - 桜島駅間の貨物営業が廃止。
* [[1987年]](昭和62年)4月1日:[[国鉄分割民営化]]により西日本旅客鉄道が承継。日本貨物鉄道が西九条駅 - 安治川口駅間の第二種鉄道事業者となる。
* [[1993年]]([[平成]]5年)4月1日:大阪環状線の駅で分煙化実施。西九条駅が喫煙コーナーをのぞいて終日禁煙になる。
* [[1994年]](平成6年)3月1日:全駅で分煙化実施。安治川口駅・桜島駅が喫煙コーナーをのぞいて終日禁煙になる。
* [[1996年]](平成8年)[[10月5日]]:平日ダイヤで運転されていた土曜日が、休日ダイヤで運転されるようになる<ref>{{Cite book|和書 |date=1997-07-01 |title=JR気動車客車編成表 '97年版 |chapter=JR年表 |page=186 |publisher=ジェー・アール・アール |ISBN=4-88283-118-X}}</ref>。
* [[1999年]](平成11年)
** 3月:ATS-P使用開始<ref name="zensen" />。
** 4月1日:USJ建設予定地を避けるため、安治川口駅 - 桜島駅間を複線の新線に切り替えて経路が変更され、桜島駅が移転 (+0.1km)。
* [[2001年]](平成13年)
** 3月1日:ユニバーサルシティ駅開業。'''JRゆめ咲線'''の愛称使用開始<ref name="jrw_20001215" /><ref>{{Cite news |title=「JRゆめ咲線」に決る |newspaper=[[交通新聞]] |publisher=交通新聞社 |date=2000-12-19 |page=3 }}</ref>。
** [[3月3日]]:大阪環状線との直通運転再開<ref name="jrw_20001215" />。
* [[2003年]](平成15年)
** 10月1日:コンコースの喫煙コーナーが廃止<ref>[https://web.archive.org/web/20031001173208/http://www.westjr.co.jp/news/newslist/article/030829a.html 駅コンコースを終日全面禁煙にします](インターネット・アーカイブ) - 西日本旅客鉄道プレスリリース 2003年8月29日</ref>。
** 11月1日:全線で「ICOCA」の利用サービスが開始<ref>[https://web.archive.org/web/20040803184954/www.westjr.co.jp/news/newslist/article/030820a.html 「ICOCA」いよいよデビュー! 〜 平成15年11月1日(土)よりサービス開始いたします 〜](インターネット・アーカイブ)- 西日本旅客鉄道プレスリリース 2003年8月30日</ref>。
* [[2005年]](平成17年)[[12月15日]]:201系が運用開始。
* [[2008年]](平成20年)10月1日:全駅のホーム上の喫煙コーナーが廃止され、駅構内が全面禁煙化される<ref>[https://web.archive.org/web/20080916183021/http://www.westjr.co.jp/news/newslist/article/1173814_799.html 大阪環状線・JRゆめ咲線ホームの全面禁煙化について](インターネット・アーカイブ)- 西日本旅客鉄道プレスリリース 2008年9月16日</ref>。
* [[2009年]](平成21年)[[10月4日]]:大阪環状・大和路線運行管理システムが導入される<ref>[http://www.westjr.co.jp/news/newslist/article/1174388_799.html 大阪環状・大和路線運行管理システムの使用開始について] - 西日本旅客鉄道プレスリリース 2009年9月28日</ref>。
* [[2010年]](平成22年)[[12月1日]]:組織改正により、[[西日本旅客鉄道大阪支社|大阪支社]]の管轄から近畿統括本部の管轄に変更<ref>[http://www.westjr.co.jp/news/newslist/article/1175068_799.html 組織改正などについて] - 西日本旅客鉄道プレスリリース 2010年11月16日</ref>。
* [[2011年]](平成23年)4月18日:女性専用車が毎日、終日設定される<ref name="jrw_20110304" />。
* [[2012年]](平成24年)3月17日:桜島線の全列車が8両編成で運転されるようになる<ref name="jrw_20111216k" />。
* [[2016年]](平成28年)12月25日:323系が運用開始<ref name="mynavi20161225">[https://news.mynavi.jp/article/20161225-a146/ 大阪環状線新型車両323系、日中3編成で活躍 - JRゆめ咲線(桜島線)も初運行] - マイナビニュース、2016年12月25日</ref>。
* [[2017年]](平成29年)103系の営業運転を終了。
* [[2018年]](平成30年)[[3月17日]]:各駅に[[駅ナンバリング|駅ナンバー]]が導入される。
* [[2019年]](令和元年)[[6月7日]]:201系の営業運転を終了<ref name="jrwest20190510" /><ref name="mynavi20190607" />。
== 駅一覧 ==
* ◆印:貨物取扱駅
* 全駅[[大阪府]][[大阪市]][[此花区]]に所在し、[[特定都区市内]]制度における「大阪市内」エリア({{JR特定都区市内|阪}})に属している。また、旅客業務上では西九条駅のみがJR西日本[[日本の鉄道駅#直営駅|直営駅]]であり、その他の駅は[[JR西日本交通サービス]]による[[日本の鉄道駅#業務委託駅|業務委託駅]]である。
* 定期旅客列車は全列車普通列車(全駅に停車)
* [[駅ナンバリング|駅ナンバー]]は2018年3月より導入<ref>[http://www.westjr.co.jp/press/article/2016/07/page_8973.html 近畿エリアの12路線 のべ300駅に「駅ナンバー」を導入します!] - 西日本旅客鉄道ニュースリリース 2016年7月20日</ref>、大阪環状線からの通し番号となっている。
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|-style="border-bottom:solid 3px #0a318e"
!style="width:6em;"|駅ナンバー<br /><ref>{{PDFlink|[http://www.westjr.co.jp/press/article/items/160720_01_ekinumber.pdf 「駅ナンバー」一覧表]}} - 西日本旅客鉄道、2016年7月20日</ref>
!style="width:11em;"|駅名
!style="width:2.5em;"|駅間<br />営業キロ
!style="width:2.5em;"|累計<br />営業キロ
!接続路線
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!JR-P14
|[[西九条駅]]
|style="text-align:center"| -
|style="text-align:right"|0.0
|[[西日本旅客鉄道]]:{{rint|ja|wko|size=17}} [[大阪環状線]] (JR-O14)([[大阪駅]]経由[[天王寺駅]]まで直通運転)<br />[[阪神電気鉄道]]:{{rint|osaka|hsn|size=17}} [[阪神なんば線]] (HS 45)
|-
!JR-P15
|[[安治川口駅]]◆
|style="text-align:right"|2.4
|style="text-align:right"|2.4
|
|-
!JR-P16
|[[ユニバーサルシティ駅]]
|style="text-align:right"|0.8
|style="text-align:right"|3.2
|
|-
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|[[桜島駅]]
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|style="text-align:right"|4.1
|
|}
=== 廃止区間 ===
( ) 内は起点からの営業キロ
; 貨物支線
: 安治川口駅 (0.0) - [[大阪北港駅]] (3.4)
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{notelist2}}
=== 出典 ===
{{Reflist}}
== 参考文献 ==
* 『JR時刻表』各号、交通新聞社。
* {{Cite book|和書 |author=今尾恵介(監修) |title=[[日本鉄道旅行地図帳]] - 全線・全駅・全廃線 |publisher=[[新潮社]] |volume=10 大阪 |year=2009 |isbn=978-4-10-790028-9 |ref=imao}}
* 『[[鉄道ピクトリアル]]』2009年6月号、[[電気車研究会]]。
* 『歴史でめぐる鉄道全路線 国鉄・JR』30号、[[朝日新聞出版]]、2010年、pp. 26-27。
* 宮脇俊三・原田勝正『全線全駅鉄道の旅』8 近畿JR私鉄1300キロ、[[小学館]]、1991年。{{ISBN2|4-09-395308-2}}。
== 関連項目 ==
{{Commons|Category:Sakurajima Line}}
* [[日本の鉄道路線一覧]]
* [[西成線列車脱線火災事故]]
== 外部リンク ==
* [https://www.train-guide.westjr.co.jp/yumesaki.html JRゆめ咲線:JR西日本 列車走行位置]
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[[Category:此花区の交通]]
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17,612 |
京阪鴨東線
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鴨東線(おうとうせん)は、京都府京都市東山区の三条駅から同市左京区の出町柳駅までを結ぶ京阪電気鉄道の鉄道路線である。
なお、正式な起点は三条駅だが、列車運行および旅客案内では出町柳駅から三条駅へ向かう列車が下り、逆方向が上りとなっている。
路線名は鴨川の東岸を走行することに由来している。京阪本線の実質的な延伸線として鴨川沿いの川端通の地下に建設され、全線が地下線となっている。全ての列車が三条駅から先の京阪本線に直通して大阪方面に至り、両線は三条駅を介して一体的なダイヤが組まれている。わずか2.3kmと短いながらも京阪線京都側における分散型ターミナル、京都市営地下鉄と並ぶ市内基幹交通としての機能のほか、大阪方面と比叡山方面(叡山電鉄叡山本線)の連絡という3つの重要な機能を持ち、通勤・観光に多く利用されている。
出町柳駅 - 三条駅の間では約12mの標高差(高低差)があり、駅構内の勾配は2‰だが駅間は12‰の勾配区間である。
設備投資(約460億円)と施設使用料・支払利子(累計約250億円)の回収のため、開業時から加算運賃が設定され、普通運賃は60円、定期運賃は1か月あたり通勤用で2,240円、通学用で860円が加算される。2019年10月現在、鴨東線内各駅(三条駅から出町柳駅方面も含む)からの初乗り運賃は220円である。開業直後の定期運賃は、当時京阪電鉄の最長区間であった淀屋橋駅 - 坂本駅間より淀屋橋駅 - 出町柳駅間の方が高額であった。加算運賃は基本的に資本費コストの回収完了時に終了し、2019年度末の回収率は34.6%、過去5年間で約40億円が回収された。
京阪本線・中之島線との直通運転が主体であり、京阪本線と一体的なダイヤが組まれている。線内で完結する列車は早朝と深夜に1本ずつ設定されている三条発普通出町柳行きのみで、それ以外の全列車が大阪の淀屋橋・中之島方面と直通する。特急・準急がほぼ終日運行されているほか、快速特急「洛楽」・ライナー・通勤快急・快速急行・急行・通勤準急・普通が運行されている。唯一の途中駅である神宮丸太町駅には急行以下の種別の列車が停車する。三条駅ではほとんどの時間帯において、上下線とも優等列車(特急・快速急行など)と準急・普通との緩急接続が行われている。
鴨東線の計画は京阪本線が開業した1910年以前から存在しており、京都市は川端通の拡張とともに五条大橋までに至る区間の特許を申請し、京都電鉄は京津電軌と連絡する形で、出町柳から三条大橋へ至る計画を立てた。その後も、鴨川電鉄が京都市、京都電鉄と競合する区間を特許申請し、大正時代に入ると、鴨川軌道も特許申請したので、4社が競合する始末となり、京都府は東山地区における景観問題により、これらの動きに慎重な態度を取っていた。
結果的に、当線の免許は1924年(大正13年)に京福電鉄の前身である京都電燈が取得した。京都電燈は1925年(大正14年)に叡山平坦線(現在の叡山電鉄叡山本線)を開業させたが、鴨東線については京都市電と平面交差になることや景観の問題から着工できず、ようやくまとまり鴨東線建設のために資材を用意するも、1934年(昭和9年)の室戸台風や、翌1935年(昭和10年)の鴨川大洪水で資材が流失したり、これらの被害復旧のための資材として流用されたりして、その後は戦時体制と戦後の混乱で着工できなかった。
戦後、1948年(昭和23年)に当時の京都市長神戸正雄が京阪神急行電鉄・京福電鉄に早期開業を要請したのを受けて1950年(昭和25年)に鴨東線建設準備委員会が立ち上げられ免許出願に向けて準備を進めたが、「古都の美観を損なう」などと反対する動きがあり京都市会でも問題とされた。市会で公述人として呼ばれた桑原武夫京都大学教授は「堤防上を電車が走るのは古都の風致を損なう」などの反対意見に対し「すでに長い間七条から三条まで堤防上に走っている。三条四条周辺では鴨川べりを桜や柳の木の間を電車が走っているのは趣があって良いのではないか。それを眺めていて腹が立ったことは一度もない。」と賛成意見を述べた。しかし、市会は路線の地下化や報奨金支払などの費用負担を要求する、という厳しい条件を突きつけたため計画は頓挫し、長らく「幻の路線」と呼ばれた。
前述の鴨川大洪水を受けて計画された鴨川改修工事にあわせて京阪本線を地下化する基本計画が策定され、京阪本線が京都市の東西交通のネックになっていることから地下化が具体化するのに併せ、1972年(昭和47年)に京阪電鉄が中心となって鴨川電気鉄道が設立され、日本鉄道建設公団(当時)による「P線方式」でようやく着工された。
1989年(平成元年)に京阪電鉄が鴨川電気鉄道を合併し、同年京阪鴨東線として開業した。当初は出町柳駅から叡山電鉄叡山本線(1986年(昭和61年)、京福電鉄から分離譲渡)と直通運転する構想であったが、双方の車両規格・編成長や輸送需要の差が大きすぎることもあって実現しなかった。またこの際特急はすべて7両編成(その後1997年から1998年にかけて8両編成化)に統一され、輸送力が強化された。
開業後は、沿線の通勤客のみならず出町柳駅近くに立地する京都大学・同志社大学・同志社女子大学・京都精華学園中学校・高等学校などへの通学が大幅に便利になったほか、直通運転は実現しなかったものの乗客の減少で経営が悪化していた叡山電鉄が一気に乗客を取り戻すなど鴨東線開業の効果は大きく表れている。
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"text": "京阪本線・中之島線との直通運転が主体であり、京阪本線と一体的なダイヤが組まれている。線内で完結する列車は早朝と深夜に1本ずつ設定されている三条発普通出町柳行きのみで、それ以外の全列車が大阪の淀屋橋・中之島方面と直通する。特急・準急がほぼ終日運行されているほか、快速特急「洛楽」・ライナー・通勤快急・快速急行・急行・通勤準急・普通が運行されている。唯一の途中駅である神宮丸太町駅には急行以下の種別の列車が停車する。三条駅ではほとんどの時間帯において、上下線とも優等列車(特急・快速急行など)と準急・普通との緩急接続が行われている。",
"title": "運行形態"
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"text": "鴨東線の計画は京阪本線が開業した1910年以前から存在しており、京都市は川端通の拡張とともに五条大橋までに至る区間の特許を申請し、京都電鉄は京津電軌と連絡する形で、出町柳から三条大橋へ至る計画を立てた。その後も、鴨川電鉄が京都市、京都電鉄と競合する区間を特許申請し、大正時代に入ると、鴨川軌道も特許申請したので、4社が競合する始末となり、京都府は東山地区における景観問題により、これらの動きに慎重な態度を取っていた。",
"title": "歴史"
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"text": "結果的に、当線の免許は1924年(大正13年)に京福電鉄の前身である京都電燈が取得した。京都電燈は1925年(大正14年)に叡山平坦線(現在の叡山電鉄叡山本線)を開業させたが、鴨東線については京都市電と平面交差になることや景観の問題から着工できず、ようやくまとまり鴨東線建設のために資材を用意するも、1934年(昭和9年)の室戸台風や、翌1935年(昭和10年)の鴨川大洪水で資材が流失したり、これらの被害復旧のための資材として流用されたりして、その後は戦時体制と戦後の混乱で着工できなかった。",
"title": "歴史"
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"text": "戦後、1948年(昭和23年)に当時の京都市長神戸正雄が京阪神急行電鉄・京福電鉄に早期開業を要請したのを受けて1950年(昭和25年)に鴨東線建設準備委員会が立ち上げられ免許出願に向けて準備を進めたが、「古都の美観を損なう」などと反対する動きがあり京都市会でも問題とされた。市会で公述人として呼ばれた桑原武夫京都大学教授は「堤防上を電車が走るのは古都の風致を損なう」などの反対意見に対し「すでに長い間七条から三条まで堤防上に走っている。三条四条周辺では鴨川べりを桜や柳の木の間を電車が走っているのは趣があって良いのではないか。それを眺めていて腹が立ったことは一度もない。」と賛成意見を述べた。しかし、市会は路線の地下化や報奨金支払などの費用負担を要求する、という厳しい条件を突きつけたため計画は頓挫し、長らく「幻の路線」と呼ばれた。",
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"text": "前述の鴨川大洪水を受けて計画された鴨川改修工事にあわせて京阪本線を地下化する基本計画が策定され、京阪本線が京都市の東西交通のネックになっていることから地下化が具体化するのに併せ、1972年(昭和47年)に京阪電鉄が中心となって鴨川電気鉄道が設立され、日本鉄道建設公団(当時)による「P線方式」でようやく着工された。",
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鴨東線(おうとうせん)は、京都府京都市東山区の三条駅から同市左京区の出町柳駅までを結ぶ京阪電気鉄道の鉄道路線である。 なお、正式な起点は三条駅だが、列車運行および旅客案内では出町柳駅から三条駅へ向かう列車が下り、逆方向が上りとなっている。
|
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{{Infobox 鉄道路線
|路線名 = [[File:Keihan Symbol.svg|20px|京阪電気鉄道]] 鴨東線
|路線色 = #1d2088
|画像 = File:Keihan_2600_Series_at_Jingu-marutamachi_Station.JPG
|画像サイズ = 300px
|画像説明 = [[神宮丸太町駅]]に停車中の[[京阪2600系電車|2600系電車]]
|国 = {{JPN}}
|所在地 = [[京都府]]
|起点 = [[三条駅 (京都府)|三条駅]]
|終点 = [[出町柳駅]]
|路線記号 = {{駅番号s|#1d2088|white|KH}}
|駅数 = 3駅
|開業 = 1989年10月5日
|廃止 =
|所有者 = [[京阪電気鉄道]]
|運営者 = 京阪電気鉄道
|使用車両 = [[京阪電気鉄道#現有車両]]を参照
|路線距離 = 2.3 [[キロメートル|km]]
|軌間 = 1,435 [[ミリメートル|mm]]
|線路数 = [[複線]]
|電化方式 = [[直流電化|直流]]1,500 [[ボルト (単位)|V]] [[架空電車線方式]]
|閉塞方式 = 自動閉塞式
|保安装置 = [[自動列車停止装置#K-ATS|K-ATS]]
|最高速度 = 90 [[キロメートル毎時|km/h]]
|路線図 = [[file:KeihanMap(150dpi).png|280px]]
}}
{{BS-map
|title=停車場・施設・接続路線
|title-bg=#1d2088
|title-color=white
|map=
{{BS2||tKHSTa|||KH54 [[中之島駅]]|}}
{{BS2||tLSTR|||[[京阪中之島線|{{駅番号s|#1d2088|#fff|KH}} 中之島線]]|}}
{{BS2|tKHSTa|tSTR|||KH01 [[淀屋橋駅]]|}}
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{{BS2|tSTRe|tSTRe||||}}
{{BS2|BS2l|BS2r||||}}
{{BS|LSTR|||↑ [[京阪本線|{{駅番号s|#1d2088|#fff|KH}} 京阪本線]]|}}
{{BS3||tSTR|WASSER|||[[鴨川 (淀川水系)|鴨川]]|}}
{{BS3|exKBHFa|O1=HUBaq|tBHF+GRZq|O2=HUBlg|WASSER|0.0|KH40 [[三条駅 (京都府)|三条駅]]|左:''[[三条駅 (京都府)#地上時代|京津三条駅]]''|}}<!-- 京津三条駅構内は新設軌道のためuexKBHFaは使用しない事-->
{{BS3|uexSTRr|tPSLe|O2=HUB|WASSER|||京阪本線用[[引き上げ線]] 左:''[[京阪京津線|京津線]]''|}}
{{BS3|tBHFq|O1=HUBaq|tKRZt|O2=HUBrf|WKRZt|||[[三条京阪駅]]|}}
{{BS3||tSTR|WASSER|||[[京都市営地下鉄|京都市営]]:{{rint|kyoto|t}} [[京都市営地下鉄東西線|東西線]]|}}
{{BS3||tKRZW|WABZgr|||[[琵琶湖疏水]]|}}
{{BS3||tBHF|WASSER|1.0|KH41 [[神宮丸太町駅]]||}}
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{{BS3||KBHFa|O2=HUBe|WASSER|||[[叡山電鉄|叡電]]:[[叡山電鉄叡山本線|{{駅番号s|green|#fff|E}} 叡山本線]]|}}
}}
'''鴨東線'''(おうとうせん)は、[[京都府]][[京都市]][[東山区]]の[[三条駅 (京都府)|三条駅]]から同市[[左京区]]の[[出町柳駅]]までを結ぶ[[京阪電気鉄道]]の[[鉄道路線]]である。
なお、正式な起点は三条駅<ref>『鉄道要覧』[[#yoran18|平成18年度版]]</ref>だが、列車運行および旅客案内では出町柳駅から三条駅へ向かう列車が下り、逆方向が上りとなっている。
== 概要 ==
路線名は[[鴨川 (淀川水系)|鴨川]]の東岸を走行することに由来している。[[京阪本線]]の実質的な延伸線として鴨川沿いの[[川端通]]の地下に建設され、全線が地下線となっている。全ての列車が三条駅から先の京阪本線に直通して[[大阪市|大阪]]方面に至り、両線は三条駅を介して一体的なダイヤが組まれている。わずか2.3kmと短いながらも京阪線京都側における分散型ターミナル、[[京都市営地下鉄]]と並ぶ市内基幹交通としての機能のほか、大阪方面と[[比叡山]]方面([[叡山電鉄叡山本線]])の連絡という3つの重要な機能を持ち、通勤・観光に多く利用されている。
出町柳駅 - 三条駅の間では約12mの[[標高]]差(高低差)があり、駅構内の[[線形 (路線)#勾配|勾配]]は2[[パーミル|‰]]だが駅間は12‰の勾配区間である<ref>『関西の鉄道』別冊第1巻「京阪電気鉄道 戦後分離独立後の歩み Part I」85頁</ref>。
[[ファイル:Keihan Jinguu marutamachi sta 001.jpg|thumb|none|320px|川端通の地下を通る(神宮丸太町駅出口)]]
=== 加算運賃 ===
設備投資(約460億円)と施設使用料・支払利子(累計約250億円)の回収のため、開業時から[[加算運賃]]が設定され、普通運賃は60円、定期運賃は1か月あたり通勤用で2,240円、通学用で860円が加算される。2019年10月現在、鴨東線内各駅(三条駅から出町柳駅方面も含む)からの初乗り運賃は220円である<ref group="注釈">同様に60円の加算運賃が設定されている[[京阪中之島線|中之島線]]と同額である。</ref>。開業直後の定期運賃は、当時京阪電鉄の最長区間であった淀屋橋駅 - 坂本駅間より淀屋橋駅 - 出町柳駅間の方が高額であった。加算運賃は基本的に資本費コストの回収完了時に終了し<ref>[https://www.mlit.go.jp/tetudo/tetudo_fr6_000017.html 加算運賃通達(H25.10.17)] - 国土交通省</ref>、2019年度末の回収率は34.6%、過去5年間で約40億円が回収された<ref name="kaishuu">[http://www.keihan.co.jp/traffic/ticket/adding.html 加算運賃について] - 京阪電気鉄道</ref>。
=== 路線データ ===
* 路線距離([[営業キロ]]):2.3km
* [[軌間]]:1435mm
* 駅数:3駅(起終点駅含む)
* 複線区間:全線
* 電化区間:全線電化(直流1500V)
* [[閉塞 (鉄道)|閉塞方式]]:自動閉塞式
* 保安装置:[[自動列車停止装置#K-ATS|K-ATS]]
* 最高速度:90km/h<ref>{{Cite book | 和書 | author= 寺田裕一|authorlink=寺田裕一 | title = データブック日本の私鉄 | page = 126 | publisher = [[ネコ・パブリッシング]] | year = 2002 }}</ref>
* 建設主体:[[日本鉄道建設公団]](現 [[独立行政法人]] [[鉄道建設・運輸施設整備支援機構]])
== 運行形態 ==
<!-- Wikipediaの他の記事をそのままコピペしないでください。ノートで記述の転記をしたいと提案した上で[[Wikipedia:ページの分割と統合]]の手順で行うべきです。-->
{{Main|京阪本線#運行形態}}
京阪本線・[[京阪中之島線|中之島線]]との直通運転が主体であり、京阪本線と一体的なダイヤが組まれている。線内で完結する列車は早朝と深夜に1本ずつ設定されている三条発普通出町柳行き<ref group="注釈">このうち、深夜の1本は淀屋橋発特急三条行きが三条駅で種別を変更したもの。</ref>のみで、それ以外の全列車が大阪の[[淀屋橋駅|淀屋橋]]・[[中之島駅|中之島]]方面と直通する。[[京阪特急|特急]]・準急がほぼ終日運行されているほか、快速特急「洛楽」・ライナー・通勤快急・快速急行・急行・通勤準急・普通が運行されている。唯一の途中駅である神宮丸太町駅には急行以下の種別の列車が停車する。三条駅ではほとんどの時間帯において、上下線とも優等列車(特急・快速急行など)と準急・普通との緩急接続が行われている。
== 歴史 ==
鴨東線の計画は京阪本線が開業した[[1910年]]以前から存在しており、京都市は川端通の拡張とともに五条大橋までに至る区間の特許を申請し<ref name="ISBN123">沖中忠順『京阪特急』(JTBパブリッシング、2007年)pp.123</ref>、京都電鉄は京津電軌と連絡する形で、出町柳から三条大橋へ至る計画を立てた<ref name="ISBN123"/>。その後も、鴨川電鉄が京都市、京都電鉄と競合する区間を特許申請し、大正時代に入ると、鴨川軌道も特許申請したので、4社が競合する始末となり<ref name="ISBN123"/>、京都府は東山地区における景観問題により、これらの動きに慎重な態度を取っていた<ref name="ISBN123"/>。
結果的に、当線の免許は[[1924年]]([[大正]]13年)に[[京福電気鉄道|京福電鉄]]の前身である[[京都電燈]]が取得した。京都電燈は[[1925年]](大正14年)に叡山平坦線(現在の[[叡山電鉄]][[叡山電鉄叡山本線|叡山本線]])を開業させたが、鴨東線については[[京都市電]]と[[平面交差]]になることや景観の問題から着工できず、ようやくまとまり鴨東線建設のために資材を用意するも、[[1934年]]([[昭和]]9年)の[[室戸台風]]や、翌[[1935年]](昭和10年)の[[鴨川大洪水]]で資材が流失したり、これらの被害復旧のための資材として流用されたりして、その後は戦時体制と戦後の混乱で着工できなかった。
戦後、[[1948年]](昭和23年)に当時の[[京都市長]][[神戸正雄]]が[[阪急電鉄|京阪神急行電鉄]]<ref group="注釈">1943年10月から1949年11月まで、京阪は[[陸上交通事業調整法|戦時統合]]で京阪神急行となっていた。</ref>・京福電鉄に早期開業を要請したのを受けて[[1950年]](昭和25年)に鴨東線建設準備委員会が立ち上げられ免許出願に向けて準備を進めたが、「古都の美観を損なう」などと反対する動きがあり[[京都市会]]でも問題とされた。市会で公述人として呼ばれた[[桑原武夫]][[京都大学]]教授は「堤防上を電車が走るのは古都の風致を損なう」などの反対意見に対し「すでに長い間七条から三条まで堤防上に走っている。三条四条周辺では鴨川べりを桜や柳の木の間を電車が走っているのは趣があって良いのではないか。それを眺めていて腹が立ったことは一度もない。」と賛成意見を述べた<ref>『[[#kyotoshiga|京都滋賀 鉄道の歴史]]』p. 229</ref>。しかし、市会は路線の地下化や報奨金支払などの費用負担を要求する、という厳しい条件を突きつけたため計画は頓挫し、長らく「幻の路線」と呼ばれた。
前述の鴨川大洪水を受けて計画された鴨川改修工事にあわせて京阪本線を地下化する基本計画が策定され、京阪本線が京都市の東西交通のネックになっていることから地下化が具体化するのに併せ、[[1972年]](昭和47年)に京阪電鉄が中心となって鴨川電気鉄道が設立され<ref group="注釈">京阪と京福の合同出資の形をとっているが、当時すでに京福の株式の40%以上は京阪電気鉄道が持つ関連会社であった。</ref>、[[日本鉄道建設公団]](当時)による「P線方式」<ref group="注釈">「P線方式」とは、東京・大阪・名古屋および周辺の大都市圏の[[私鉄]](民鉄、[[第三セクター]]の会社を含む)において、輸送力の増強などのために行われる鉄道施設の新設や改良工事のための助成の枠組み。鉄道事業者に代わって同公団が鉄道施設の建設を行い、完成して引き渡された後に25年の分割払いで建設費を同公団に支払うもの。のちに建設された[[京都市営地下鉄東西線]]の三条京阪 - 御陵間(同区間の事業主体は[[京都高速鉄道]])などが、同様の手法で建設されている。</ref>でようやく着工された。
[[1989年]]([[平成]]元年)に京阪電鉄が鴨川電気鉄道を合併し<ref name="交通890308">{{Cite news |title=京阪、鴨電を吸収合併 |newspaper=[[交通新聞]] |publisher=交通新聞社 |date=1989-03-08 |page=1 }}</ref>、同年京阪鴨東線として開業した。当初は出町柳駅から叡山電鉄叡山本線([[1986年]](昭和61年)、京福電鉄から分離譲渡)と直通運転する構想<ref group="注釈">1972年当時、京福は[[叡山電鉄デオ300形電車|300形]]車両を使用して[[中書島駅]]まで、京阪は[[岩倉駅 (京都府)|岩倉駅]]および八瀬遊園駅(現在の[[八瀬比叡山口駅]])までの相互乗り入れを計画していた。</ref>であったが、<!--計画が頓挫している間に京阪線は架線昇圧が行われ、さらに--><!--電圧の違いは直通しない理由として考慮されたか否か?-->双方の車両規格・編成長や輸送需要の差が大きすぎることもあって実現しなかった。またこの際[[京阪特急|特急]]はすべて7両編成(その後[[1997年]]から[[1998年]]にかけて8両編成化)に統一され、輸送力が強化された。
開業後は、沿線の通勤客のみならず出町柳駅近くに立地する[[京都大学]]・[[同志社大学]]・[[同志社女子大学]]・[[京都精華学園中学校・高等学校]]などへの通学が大幅に便利になったほか、直通運転は実現しなかったものの乗客の減少で経営が悪化していた叡山電鉄が一気に乗客を取り戻すなど鴨東線開業の効果は大きく表れている。
=== 沿革 ===
* [[1924年]](大正13年)[[8月29日]]:京都電燈(京福電気鉄道の前身)が出町柳 - 三条間の地方鉄道敷設免許を取得。
* [[1950年]](昭和25年)[[4月10日]]:京阪電気鉄道が「鴨東線建設準備委員会」を発足。
* [[1972年]](昭和47年)[[7月1日]]:鴨川電気鉄道を設立。
* [[1974年]](昭和49年)
** [[2月20日]]:京福電気鉄道の出町柳 - 三条間の地方鉄道敷設免許が失効。
** [[2月25日]]:鴨川電気鉄道が出町柳 - 三条間の地方鉄道敷設免許を取得。
* [[1984年]](昭和59年)[[11月30日]]:鴨東線建設工事起工式を挙行。
* [[1989年]](平成元年)
** [[4月1日]]:京阪電気鉄道が鴨川電気鉄道を合併{{R|交通890308}}。
** [[10月5日]]:鴨東線として開業。これに伴うダイヤ改正は[[9月27日]]に先行して行われており、10月5日正午<ref group="注釈">1990年代前半までは、関西圏の鉄道会社で新線が開業する際は正午から営業する習慣があった。</ref>までは鴨東線内を回送列車として運行していた。
* [[2008年]](平成20年)[[10月19日]]:[[京都市営地下鉄烏丸線]]に同名の[[丸太町駅]]があるため、当線の丸太町駅を神宮丸太町駅に改称。
* [[2015年]](平成27年)
** 日時不明:鉄道線トンネル内の照明設備がLED照明に更新される<ref>出典『K PRESS』2015年5月号16面「くらしのなかの京阪」より</ref>。
** [[12月5日]]:鴨東線でK-ATS使用開始<ref>『K PRESS』2015年12月号16面「くらしのなかの京阪」より</ref>。
== 駅一覧 ==
* [[駅ナンバリング|駅番号]]は2014年4月1日に導入<ref>[http://www.kyoto-np.co.jp/top/article/20140405000025 関西鉄道各社、外国人受け入れ体制強化] - 京都新聞、2014年4月5日</ref>。
* 全駅[[京都府]][[京都市]]に所在。
* 普通・準急・通勤準急・急行は各駅に停車。
* ●:停車、|↑:通過、↑:矢印の方向に運転
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|[[京阪電気鉄道]]:[[File:Number prefix Keihan lines.png|20px|KH]] [[京阪本線]](直通)<br>[[京都市営地下鉄]]:[[File:Subway KyotoTozai.svg|15px|■]] [[京都市営地下鉄東西線|東西線]]([[三条京阪駅]]:T11)
|[[東山区]]
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|[[叡山電鉄]]:{{駅番号s|green|white|E}} [[叡山電鉄叡山本線|叡山本線]] (E01)
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== 脚注 ==
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=== 注釈 ===
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=== 出典 ===
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== 参考文献 ==
* {{PDFlink|[http://www.keihan.co.jp/companyprofile/pdf/03-04.pdf 会社案内 略年史/沿革]}} - 京阪電気鉄道
* {{Cite journal | 和書 | author = [[運輸省]]鉄道局(監修) | journal = [[鉄道要覧]] | volume = 平成9年度版 | publisher = [[電気車研究会]] }}
* {{Cite journal | 和書 | author = [[国土交通省]]鉄道局(監修)| journal = 鉄道要覧 | volume = 平成18年度版 | publisher = 電気車研究会 | ref = yoran18 }}
* {{Cite book | 和書 | author = 田中真人・宇田正・西藤二郎 | title = 京都滋賀 鉄道の歴史 | publisher = [[京都新聞|京都新聞社]] | year = 1998 | month = 11 | id = ISBN 4-7638-0445-6 | ref = kyotoshiga }}
* {{Cite book | 和書 | author = 井上廣和・藤原進 | series = カラーブックス909 | title = 日本の私鉄 京阪 | publisher = [[保育社]] | year = 1999 | ref = colorbooks}}
* {{Cite book | 和書 | author = 原口隆之 | series = JTBキャンブックス | title = 日本の路面電車 | volume = 3 | publisher = [[JTB]] | year = 2000 | ref = canbooks }}
* {{Cite book | 和書 | author1=宮脇俊三|authorlink1=宮脇俊三|author2=原田勝正(編集)|authorlink2=原田勝正 | title = 全線全駅鉄道の旅 | volume = 別巻2 大阪・神戸・京都・福岡の私鉄 | publisher = [[小学館]] | year = 1991 | ref = zensen}}
== 関連項目 ==
* [[日本の鉄道路線一覧]]
* [[村岡四郎]]: 1949 - 75年の京阪電鉄社長。「鴨東線開業」を公約の一つとしていた。
{{京阪電気鉄道の路線}}
{{デフォルトソート:けいはんおうとうせん}}
[[Category:近畿地方の鉄道路線|おうとうせん]]
[[Category:京阪電気鉄道|路おうとうせん]]
[[Category:京都府の交通]]
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光ケーブル
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光ケーブル(ひかりケーブル、英: Optical fiber Cable)、または光ファイバーケーブルは光ファイバー(光ファイバー心線、光ファイバーコード)にシースと呼ばれる保護被覆を施したケーブルの事である。
これまで情報通信用に使われてきたメタル線(銅線)と比べ、以下の特徴がある。
一般に電気通信事業者が使用する光ケーブルは、複数本の光ファイバを1本の光ケーブルに束ねているものが多い。一方で光ファイバの接続を行う場合は、1本ずつ接続するよりは、あらかじめ複数本の光ファイバをパッケージとしてまとめて接続する方が作業効率が向上する。このパッケージとして、現在は複数の光ファイバを平たく並べてテープ状に整形したものが使用されることが多く、これを通称「テープ芯」と呼ぶ。
実際にはテープ芯にもいろいろ種類があるが、一般には2本の光ファイバを1つのテープにまとめた「2芯テープ芯」と、4本の光ファイバを同じくまとめた「4芯テープ芯」が多く使われている。
長手方向について、パッケージを構成する複数本の光ファイバを間欠的に接着するようにしたテープ芯。曲げやねじりなどの外力に対し、従来のテープ芯に比べて柔軟に変形することが可能である。 スロットレスケーブルと間欠接着型光ファイバテープを組み合わせた光ケーブルは、スロットケーブルと従来のテープ芯を組み合わせた光ケーブルに比べ、同一断面積で2倍前後の本数の光ファイバを収容することが可能である。
光ケーブルの接続方法は、大きく分けて「融着」と「コネクタ接続」の2種類に分けられる。
ガラス製の光ファイバは、原料の性質上ファイバの先端部を一定の温度以上に熱することで融解するため、接続させたい光ファイバの先端部同士を熱して融解状態になったところを接着することで接続することが可能である。このような接続方法を「融着(ゆうちゃく)」と呼ぶ。1975年に電電公社(現NTT)基礎研の土屋治彦と畠山巌らが放電加熱を熱源とした基礎技術を開拓し、光ファイバーの実用化部門である同茨城研究所と線路メーカーに技術移転を行い実用化されたものである。高速伝送が可能となるシングルモード光ファイバーは光を導波するコア径が10ミクロン以下で、この光ファイバーシステムは接続がネックで実用化が難しいと考えられていた。ところが土屋たちは1977年に光ファイバーを過熱することにより表面張力が発生し光ファイバー同士が自動的に微細な軸合わせが行われるセルフアライメント現象を発見し、シングルモード光ファイバーの低損失接続技術を実現した。これによりシングルモードファイバーシステムの実用化が可能となった。現在の融着接続装置はより安定に放電する高周波放電技術を用いており、これら技術は全世界で使われている。
融着はコネクタ接続と比べて「接続部の信号減衰が少ない」「接続に必要なスペースが少ない」「経年変化がない」というメリットがあるが、一方で「一度接続してしまうと簡単に切り離すことができない」「接続部のケーブルの被覆を取り除くためその部分が衝撃に弱くなる」といった問題点がある。そのため基本的には、一度接続したらほとんど接続先を変更することのないような場所(電柱上、共同溝内など)での接続(ケーブルの延長・分岐等)に使われる。また外部からの衝撃による影響を防ぐため、接続部分は通常端子函(メカニカルクロージャ)や成端箱(せいたんばこ)等に収められる。
一方で光ケーブル同士をコネクタで接続する場合もある。こちらは構内ケーブルなど、比較的ネットワーク構成を変更する頻度が高い場所で使われることが多い。光コネクタ形状や先端の研磨方法にもいくつか種類があり、接続時にはそれらの種類が一致している必要がある。
主に通信会社の幹線や企業への高速通信回線(ATMなど)の引込み線として使われてきたが、FTTHの進展により、個人宅へも光ファイバーが引かれる事が普通となった。電気通信と比較して信号の減衰が少なく、速度も稼ぎやすいため、ブロードバンド通信の本命とされている。
照明やインテリアとしても使われることがあるが、医療用のファイバースコープや、光を信号として扱う情報通信分野で利用される。
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光ケーブル、または光ファイバーケーブルは光ファイバー(光ファイバー心線、光ファイバーコード)にシースと呼ばれる保護被覆を施したケーブルの事である。
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'''光ケーブル'''(ひかりケーブル、{{lang-en-short|Optical fiber Cable}})、または'''光ファイバーケーブル'''は[[光ファイバー]](光ファイバー心線、光ファイバーコード)にシースと呼ばれる保護被覆を施した[[ケーブル]]の事である。
== 特徴 ==
これまで情報通信用に使われてきたメタル線(銅線)と比べ、以下の特徴がある。
=== 利点 ===
*[[電磁誘導]][[ノイズ]]の影響を受けない。
*[[伝送損失]]が非常に小さい。
*高速かつ長距離の伝送が可能である。
*回線数に対しケーブルが細いため、同一の太さの管路により多くの回線を収容可能。
=== 弱点 ===
*折り曲げに弱い(特にガラス製光ファイバの場合)。
**近年は宅内用などで折り曲げに比較的強いケーブルも現れているが、メタル線には依然劣る。
*接続の際にゴミが入ると信号が大きく乱れるため、接続時には基本的に接点部の清掃が必要。
*電力を送ることはできない。
== 種類 ==
*ルースバッファ・ケーブル
*タイトバッファ・ケーブル
{{節スタブ}}
== テープ芯 ==
一般に[[電気通信事業者]]が使用する光ケーブルは、複数本の光ファイバを1本の光ケーブルに束ねているものが多い。一方で光ファイバの接続を行う場合は、1本ずつ接続するよりは、あらかじめ複数本の光ファイバをパッケージとしてまとめて接続する方が作業効率が向上する。このパッケージとして、現在は複数の光ファイバを平たく並べてテープ状に整形したものが使用されることが多く、これを通称「テープ芯」と呼ぶ。
実際にはテープ芯にもいろいろ種類があるが、一般には2本の光ファイバを1つのテープにまとめた「2芯テープ芯」と、4本の光ファイバを同じくまとめた「4芯テープ芯」が多く使われている。
=== 間欠接着型光ファイバテープ ===
長手方向について、パッケージを構成する複数本の光ファイバを間欠的に接着するようにしたテープ芯。曲げやねじりなどの外力に対し、従来のテープ芯に比べて柔軟に変形することが可能である。
スロットレスケーブルと間欠接着型光ファイバテープを組み合わせた光ケーブルは、スロットケーブルと従来のテープ芯を組み合わせた光ケーブルに比べ、同一断面積で2倍前後の本数の光ファイバを収容することが可能である。
== 接続 ==
光ケーブルの接続方法は、大きく分けて「融着」と「コネクタ接続」の2種類に分けられる。
=== 融着 ===
{{seealso|en:Fusion splicing}}
ガラス製の光ファイバは、原料の性質上ファイバの先端部を一定の温度以上に熱することで融解するため、接続させたい光ファイバの先端部同士を熱して融解状態になったところを接着することで接続することが可能である。このような接続方法を「融着(ゆうちゃく)」と呼ぶ。1975年に電電公社(現NTT)基礎研の土屋治彦と畠山巌らが放電加熱を熱源とした基礎技術を開拓し、光ファイバーの実用化部門である同茨城研究所と線路メーカーに技術移転を行い実用化されたものである。高速伝送が可能となるシングルモード光ファイバーは光を導波するコア径が10ミクロン以下で、この光ファイバーシステムは接続がネックで実用化が難しいと考えられていた。ところが土屋たちは1977年に光ファイバーを過熱することにより表面張力が発生し光ファイバー同士が自動的に微細な軸合わせが行われるセルフアライメント現象を発見し、シングルモード光ファイバーの低損失接続技術を実現した。これによりシングルモードファイバーシステムの実用化が可能となった。現在の融着接続装置はより安定に放電する高周波放電技術を用いており、これら技術は全世界で使われている。
融着はコネクタ接続と比べて「接続部の信号減衰が少ない」「接続に必要なスペースが少ない」「経年変化がない」というメリットがあるが、一方で「一度接続してしまうと簡単に切り離すことができない」「接続部のケーブルの被覆を取り除くためその部分が衝撃に弱くなる」といった問題点がある。そのため基本的には、一度接続したらほとんど接続先を変更することのないような場所([[電柱]]上、[[共同溝]]内など)での接続(ケーブルの延長・分岐等)に使われる。また外部からの衝撃による影響を防ぐため、接続部分は通常[[端子函]](メカニカルクロージャ)や[[成端箱]](せいたんばこ)等に収められる。
=== コネクタ接続 ===
一方で光ケーブル同士をコネクタで接続する場合もある。こちらは構内ケーブルなど、比較的ネットワーク構成を変更する頻度が高い場所で使われることが多い。光コネクタ形状や先端の[[研磨]]方法にもいくつか種類があり、接続時にはそれらの種類が一致している必要がある。
*コネクタ形状による分類
**FC型 - 単芯コネクタ。コネクタ形状は丸。
**ST型 - 単芯コネクタ。コネクタ形状は丸。
**SC型 - 単芯コネクタ。コネクタ形状は四角。
**MU型 - 単芯・2芯コネクタ。コネクタ形状は四角。複数のコネクタをパッケージ化するのが容易なのが特徴。
**LC型 - 単芯・2芯コネクタ。コネクタ形状は四角。[[SFPトランシーバ]]で採用されている。
**MT-RJ型
**MT型 - 2本のガイドピンで位置合わせを行い、4芯や8芯のテープ芯をそのまま接続できるようにしたもの。多芯化が進んでいる。
*光ファイバの先端(研磨)形状による分類
**PC研磨 - 光ファイバのクラッド部同士を接触させやすいように、先端部を凸形の球状に研磨した形。PCは「Physical Contact」の略。
**SPC/UPC/AdPC研磨 - いずれも形状はPC研磨と同じだが、研磨精度を上げたり、研磨時に発生する「加工変質層」を除去したりすることで、接続面での反射減衰を抑えた方式。
**APC研磨 - 研磨面をわざと斜めにすることで反射減衰を抑えた方式。APCは「Angled PC」の略。
==用途==
主に通信会社の幹線や企業への高速通信回線([[Asynchronous Transfer Mode|ATM]]など)の引込み線として使われてきたが、[[FTTH]]の進展により、個人宅へも光ファイバーが引かれる事が普通となった。電気通信と比較して信号の減衰が少なく、速度も稼ぎやすいため、ブロードバンド通信の本命とされている。
照明やインテリアとしても使われることがあるが、医療用の[[ファイバースコープ]]や、光を[[信号 (電気工学)|信号]]として扱う情報通信分野で利用される。
*テレビの放送回線=[[NTT中継回線]]
**[[日本放送協会|NHK]]はアナログ放送・デジタル放送ともにすべて光ファイバーによりデジタル回線化されている。
**[[民放]]局のデジタル放送はすでにデジタル回線化されており、アナログ放送も全国回線は2006年6月5日にデジタル回線に移行した。[[北海道]]内民放各局の基幹局向けの回線(道内回線)は2007年にすべてデジタル回線に移行された([[北海道総合通信網]]が敷設する回線を使用)。
*通信回線
*オルゴールなどの小物インテリアのイルミネーション
*住宅などの太陽光を利用した屋内調光
*オーディオケーブル([[S/PDIF]]など)
*医療用ファイバースコープ
*要救助者探査用ファイバースコープ
*機械内部調査・配管内探査用ファイバースコープ
*その他各種ファイバースコープ
*光センサーの光源用(1つの光源を複数のセンサーの光源に分配する)
==関連項目==
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*[[光ファイバー]] : 光ファイバーの種類・製造法はこちらを参照
*[[光通信]] : [[有線通信]]での利用はこちらを参照。
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マウリッツ・エッシャー
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マウリッツ・エッシャー(オランダ語: Maurits Escher、またはM.C.Escher、本名:マウリッツ・コルネリス・エッシャー(オランダ語: Maurits Cornelis Escher)、 IPA(国際音声記号):[ˈmʌurɪt͡s kɔrˈneːlɪs ˈɛʃər]、1898年6月17日 - 1972年3月27日)は、木版画、リトグラフ、メゾティントなどの版画制作でよく知られる、オランダ人画家(版画家)である。
建築不可能な構造物や、無限を有限のなかに閉じ込めたもの、平面を次々と変化するパターンで埋め尽くしたものなど、非常に独創的な作品を作り上げた。その作品のバリエーションは、トロンプ・ルイユ(だまし絵)のような錯視を利用したものから、数学的・工学的なアプローチを使ったものまで幅広い。
1898年6月17日、Maurits(オランダ語音写:マウリッツ、英語音写:モーリッツ)少年は、オランダ北部にあるフリースラント州の州都レーワルデンにて、お雇い外国人として来日したこともある土木工学者(水利技術者)の父 George Arnold Escher(オランダ語音写:ジョージ・アルノルト・エシャ/エシャル/エスヘル/エッセル、英語音写:ジョージ・アーノルド・エッシャー)と、その2番目の妻 Sara Adriana Gleichman(オランダ語音写:サラ・アドリアナ・ライヒマン、英語音写:サラ・アドリアナ・グレイフマン)の間に、5人兄弟の末っ子として生まれる。父親が55歳の時の子であった。
1903年、マウリッツが4~5歳の時、一家はオランダ南部の都市アルンヘムへ転居する。マウリッツは、物心が付いてから13歳ごろまでの間、土木技術について学び、ピアノのレッスンも受けていた。
1912年から1918年まで中等学校に通う。このころから絵は非常に巧かったが、学業成績は芳しくなく、留年して2年生を2回やることになった。数学の素養に溢れる家系に生まれながらも、マウリッツは例外的に、苦手、あるいは、少なくとも数学嫌いであった。両親はマウリッツが建築家になることを望んでおり、父のコネでデルフト工科大学に裏口入学するも、最初の学年を修了することができなかった。1919年9月、ハールレムにある新古典主義建築物ヴィラ・ウェルゲレゲン(英語版)内に当時あった建築装飾美術学校 (Haarlem School of Architecture and Decorative Arts) の建築学科に入学し直して学み始めるが、入学から1週間も経たない頃、グラフィックアートの教師であるサミュエル・メスキータに自身の作品を見せたところ、美術の才能を見出され、グラフィックアート学科への転籍を勧められる。父親は息子が美術だけでは食べていけないのではないかとの懸念を抱いたが、最後には、マウリッツが美術の世界へ進路を変えることを承諾した。
グラフィックアート学科へ転籍したマウリッツは、絵画と木版画の経験を積み、1922年に卒業した。画家の道を拓いてくれた恩師サミュエル・メスキータとの付き合いはそれ以来長く続き、サミュエルの親子3人(本人、妻エリーザベト、一人息子ヤープ)がナチス・ドイツによって逮捕・連行されると、マウリッツはサミュエル親子の家へ行き、ナチスに接収されないよう数枚の作品を掻き集めて隠した。1944年、サミュエル夫婦はアウシュヴィッツ強制収容所へ、息子ヤープはテレージエンシュタットの強制収容所へ送致され、3人とも殺害されたが、マウリッツは命懸けで守り抜いた作品たちを生涯大切にした。
1924年には、旅行先のイタリアで出逢った女性 Jetta Umiker(イタリア語音写例:イェッタ・ウミカー、英語音写例:ジェッタ・ユーマイカー|1897年12月26日 - 1969年) と結婚し、1926年には長男ジョージが生まれ、ローマに移り住んだ。1930年には風景画の最高傑作といわれる『カストロバルバ』を制作している。しかし、1935年に長男がイタリア少年国粋党の制服着用を義務づけられたことと、次男アーサーに結核の兆候が見つかったことから、一家はスイスに移り住んだ。
エッシャーはスイスの雪景色を好まず、雪景色に関する版画を一枚しか作成していないが、新しい環境は自分の内面を見つめなおす良い機会になった。単調な風景の中でエッシャーは次第に南の海に憬れるようになり、自分でスペイン南部にいたる船旅を計画、乗船代金のかわりに旅の途中に作製する版画を受け取ってくれないか、と船会社に提案した。当時はまだ全くの無名で、船会社がこの申し入れを聞き入れたのは幸運であった。このとき船賃として制作された48枚の版画には、『幻窓』『マルセイユ』『貨物船』などが含まれていた。旅行中スペインのグラナダのアルハンブラ宮殿で、ムーア人のモザイク模様を見て深い感銘を受ける。
この旅行のあと、後年の作品に多く見られることになる繰り返し模様の作品に挑戦しはじめた。ライオンに似た動物やこうもりで埋め尽くされた織物を作製して展覧会を開いたが、不成功に終わり、繰り返し模様の作品製作を断念する。精巧な版画家で知られるエッシャーも、始めは不恰好な動物しか作成が出来なかった。
1937年にはベルギーに移り、1934年5月13日に2回目のアルハンブラ宮殿訪問を果たした。妻と共に宮殿の洗練された模様の膨大なスケッチをとり、ホテルで彩色している。旅行後は結晶学者であった兄のB.G.エッシャー(英語版)から『結晶学時報』を読んでみるように勧められた。『結晶学時報』には繰り返し模様に関する論文が掲載されており、平面を同じ図形で埋める方法(平面充填)を研究した。特にジョージ・ポリアの論文には17種類にも及ぶ繰り返し模様の具体例が掲載されており、大きな刺激となった。1937年から平面の正則分割に関する「素人理論」に関するノートをまとめ始めた。1958年には愛好家に向けて『平面の正則分割』を発表、自分自身で纏め上げた理論を分かりやすく説明している。
アルハンブラ宮殿の再訪以来、作風は一変する。再度繰り返し模様の作品に挑戦しはじめたのである。数学的な趣向の強い、同じ時代のどんな種類の作家にも見られない特有な世界をつくりだす。ジグソーパズルのように平面を黒と白の模様で埋め尽くす手法を使い、『メタモルフォーシスI(英語版)』『昼と夜』『循環』などを制作した。しかし、父親は彼の新しい作品を理解することなく1939年に亡くなる。1950年代に入るとアメリカの2つの雑誌に紹介され、急速にアメリカの若者の支持を得ていった。やがて多くの地質学者と交流を持つようになり、1955年にはヒルフェルスム文化賞を受賞している。現在良く知られている作品『凸面と凹面(英語版)』(1955年)『物見の塔』(1958年)『円の極限IV』(1960年)『上昇と下降』(1960年)『滝』(1961年)などがこの時期次々と生み出された。
このように幾何学的趣向の強い作品を数多く作成するようになったエッシャーであったが、風景画も作品の中心を占めており、『水たまり』(1952年)『三つの世界(英語版)』(1955年)などが制作された。だが、これらの風景画にも光の反射や水面の波紋など、物理的要素や幾何学的要素が多く含まれている。
ただ、エッシャー自身は受け入れられた事から距離を置いて見ていた。エッシャーの作品を麻薬を吸いながら絵を眺めるような若者もいた。また、作中の植物が大麻ではないかと疑われたことすらあるが、何の関係もなかった。1950年にオランダ紙幣のデザインに取り組んだが、その紙幣は発行されていない。
1960年代後半からは次第に健康を損なっていく。1960年、アメリカ講演後、1962年に再び講義の依頼が来たが、急病で実現しなかった。1964年にもう一度講演を行うためアメリカに向かったが、カナダに到着して直ぐにトロントで入院し、手術を受けた。講演は地質学者になった次男が全て断ってまわった。以降は病院で手術を繰り返し、10回も癌の手術を受ける。1968年には妻が別れを告げてスイスに戻ってしまう。
創作意欲は衰えていなかったが、新しい作品を生み出すことはできず、1969年、遺作となる『蛇(英語版)』を制作。エッシャーは最後の作品には蛇を描こうと予め決めていたという。この作品は平面の正則分割による無限の追求が盛り込まれている。1970年にはオランダのユトレヒト州バールンにある芸術家のための養老院に入り、生涯最後の2年間を送った。1972年3月27日、73歳で亡くなるが、死後数枚の草稿が発見された。
エッシャーの遺体は、死没地となったバールンにある「バールン新墓地 (nl:Nieuwe algemene begraafplaats Baarn;ニーウ・アルヘメーネ・ベフラーフプラーツ・バールン) 」に埋葬された。
エッシャーの主な作品は二つの手がお互いの手を書いている 『描く手』、波うつ水面を境に魚と鳥のパターンが交錯する 『空と水I(英語版)』、新しい遠近法のあり方を示した『階段の家(英語版)』、実際には作ることができないループ状階段をのぼり続ける人と下に走り続ける人を描いた 『上昇と下降』などが有名である。
前期の作品はカストロバルバ風景画が中心である。
後期の作品は非常に数学、結晶学的な側面を持っている。大きく分類すると、
に分類される。このうち 1.平面の正則分割 は数学的な構図として最も早い時期から現れ、後年にも無限の追求などの形で何度も現れてくるものである。2.鏡面 は数学的な作品の中で比較的に早い時期に作られたもので、『鏡と静物』(1934年)、『三つの世界』(1955年)、『反射する球を持つ手(英語版)』(1935年)などが代表的である。これらは反射する鏡面や水面を通して異なる世界が一つの世界に表されている。
不可能な構造のなかにはペンローズの三角形やネッカーの立方体なども含まれている。作品の多くはタイリング(平面の正則分割、繰り返し模様)と呼ばれる平面を一定のパターンで覆うものである。
絵画の数学的な面は、在学中にも平面の正則分割や球面鏡に関する作品を製作している。また、エッシャー自身は自分の絵に何か寓意がこめられていると思われることを嫌っている。「自分は芸術は進歩するものではない、前の時代の画家が残してくれたものからスタートするものではない、作家が原点から出発して作品を作っていくのだと思っていた。」と語っている。
日本では長崎県佐世保市のテーマパークハウステンボスが、約180点にも及ぶ世界有数のコレクションを所有しているほか、彼の作品をモチーフにした3Dアトラクション「ミステリアスエッシャー」が存在したが、現在なくなっている。同テーマパーク内には「エッシャー通り」という通路も存在する。三重県立美術館にも3点の作品が所蔵されている。
「日本のエッシャー」の異名を持つグラフィックデザイナー福田繁雄は、『滝』などの不可能図形作品の立体化を行っている。数理工学者の杉原厚吉もエッシャー作品の立体化を行っている。
2002年、ベアトリックス女王の祖母で元オランダ王妃エンマ女王の宮殿であったライヘ・フォールハウト宮殿の中にエッシャー美術館が開館した。ここでは、エッシャーの著名な木版画などのアート作品の他に、彼のプライベート写真やビデオ作品の上映などが行われている。
2018年、その生涯と作品を追ったドキュメンタリー映画がロビン・ルッツ監督によりオランダで制作され、日本では『エッシャー 視覚の魔術師』の邦題で、2019年12月にアップリンク渋谷、アップリンク吉祥寺にて公開された。映画はエッシャー自身の日記や書簡、二人の息子へのインタビューを使い、時系列でエッシャーの人生を紐解く構成となっており、ハールレム・スクール・オブ・アーキテクチャー・アンド・デコラティブアーツ(Haarlem School of Architecture and Decorative Arts)での転機などが描かれている。
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マウリッツ・エッシャーは、木版画、リトグラフ、メゾティントなどの版画制作でよく知られる、オランダ人画家(版画家)である。 建築不可能な構造物や、無限を有限のなかに閉じ込めたもの、平面を次々と変化するパターンで埋め尽くしたものなど、非常に独創的な作品を作り上げた。その作品のバリエーションは、トロンプ・ルイユ(だまし絵)のような錯視を利用したものから、数学的・工学的なアプローチを使ったものまで幅広い。
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| website = {{URL|https://mcescher.com/}}
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'''マウリッツ・エッシャー'''({{lang-nl|'''Maurits Escher'''}}、または'''M.C.Escher'''、本名:'''マウリッツ・コルネリス・エッシャー'''({{lang-nl|'''Maurits Cornelis Escher'''}})、 IPA(国際音声記号):{{IPA-nl|ˈmʌurɪt͡s kɔrˈneːlɪs ˈɛʃər|}}、[[1898年]][[6月17日]] - [[1972年]][[3月27日]])は、[[木版画]]、[[リトグラフ]]、[[メゾチント|メゾティント]]などの[[版画]]制作でよく知られる、[[オランダ人]][[画家]]([[版画家]])である。
建築不可能な構造物や、[[無限]]を有限のなかに閉じ込めたもの、[[平面]]を次々と変化するパターンで埋め尽くしたものなど、非常に独創的な作品を作り上げた。その作品のバリエーションは、[[トロンプ・ルイユ]](だまし絵)のような[[錯視]]を利用したものから、[[数学]]的・[[工学]]的なアプローチを使ったものまで幅広い。
== 生い立ち ==
=== 少年期 ===
[[1898年]][[6月17日]]、Maurits({{Small|[[オランダ語]][[Wikt;音写|音写]]}}:[[マウリッツ]]、{{Small|英語音写}}:モーリッツ)少年は、オランダ北部にある[[フリースラント州]]の[[州都]][[レーワルデン]]にて、[[お雇い外国人]]として来日したこともある[[土木工学|土木工学者]](水利技術者)の父{{Anchors|George Arnold Escher}} [[ジョージ・アルノルド・エッセル|George Arnold Escher]]({{Small|オランダ語音写}}:ジョージ・アルノルト・エシャ{{R|"発音インフォ"}}/エシャ{{Small|ル}}{{R|"発音インフォ"}}/エスヘル{{Sfn|kb エスヘル}}/エッセル、{{Small|英語音写}}:ジョージ・アーノルド・エッシャー)と、その2番目の妻 Sara Adriana Gleichman({{Small|オランダ語音写}}:サラ・アドリアナ・ライヒマン、{{Small|英語音写}}:サラ・アドリアナ・グレイフマン)の間に、5人兄弟の末っ子として生まれる。父親が{{年数|1843|05|10|1898|06|17}}歳の時の子であった。
[[1903年]]、マウリッツが{{年数|1898|06|17|1903|01|01}}~{{年数|1898|06|17|1903|12|31}}歳の時、一家はオランダ南部の都市[[アーネム|アルンヘム]]へ転居する。マウリッツは、物心が付いてから13歳ごろまでの間、土木技術について学び、[[ピアノ]]のレッスンも受けていた。
[[1912年]]から[[1918年]]まで中等学校に通う。このころから絵は非常に巧かったが、学業成績は芳しくなく、[[留年]]して2年生を2回やることになった。[[数学]]の素養に溢れる[[家系]]に生まれながらも、マウリッツは例外的に、苦手、あるいは、少なくとも数学嫌いであった。両親はマウリッツが[[建築家]]になることを望んでおり、父の[[コネ]]で[[デルフト工科大学]]に[[入学#裏口入学|裏口入学]]するも、最初の学年を修了することができなかった。[[1919年]]9月、[[ハールレム]]にある[[新古典主義]]建築物{{仮リンク|ヴィラ・ウェルゲレゲン|en|Villa Welgelegen}}内に当時あった建築装飾美術学校 ({{Lang|en|Haarlem School of Architecture and Decorative Arts}}) の[[建築学科]]に入学し直して学み始めるが、入学から1週間も経たない頃、[[グラフィック]]アートの教師である[[サミュエル・メスキータ]]に自身の作品を見せたところ、美術の才能を見出され、グラフィックアート学科への転籍を勧められる。父親は息子が美術だけでは食べていけないのではないかとの懸念を抱いたが、最後には、マウリッツが美術の世界へ進路を変えることを承諾した。
グラフィックアート学科へ転籍したマウリッツは、[[絵画]]と[[木版画]]の経験を積み、[[1922年]]に卒業した。画家の道を拓いてくれた恩師サミュエル・メスキータとの付き合いはそれ以来長く続き、サミュエルの親子3人(本人、妻エリーザベト、一人息子ヤープ)が[[ナチス・ドイツ]]によって[[逮捕]]・連行されると、マウリッツはサミュエル親子の家へ行き、ナチスに接収されないよう数枚の作品を掻き集めて隠した。[[1944年]]、サミュエル夫婦は[[アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所|アウシュヴィッツ強制収容所]]へ、息子ヤープは[[テレージエンシュタット]]の[[強制収容所]]へ送致され、3人とも殺害されたが、マウリッツは命懸けで守り抜いた作品たちを生涯大切にした。
=== 船旅とアルハンブラ宮殿 ===
[[1924年]]には、旅行先のイタリアで出逢った女性 {{Anchors|Jetta Umiker}}Jetta Umiker({{Small|[[イタリア語]]音写例}}:イェッタ・ウミカー、{{Small|英語音写例}}:ジェッタ・ユーマイカー|1897年12月26日 - 1969年) と結婚し、[[1926年]]には長男ジョージが生まれ、[[ローマ]]に移り住んだ。[[1930年]]には風景画の最高傑作といわれる『カストロバルバ』を制作している。しかし、[[1935年]]に長男が[[イタリア少年国粋党]]の制服着用を義務づけられたことと、次男アーサーに[[結核]]の兆候が見つかったことから、一家は[[スイス]]に移り住んだ。
エッシャーはスイスの雪景色を好まず、雪景色に関する版画を一枚しか作成していないが、新しい環境は自分の内面を見つめなおす良い機会になった。単調な風景の中でエッシャーは次第に南の海に憬れるようになり、自分でスペイン南部にいたる船旅を計画、乗船代金のかわりに旅の途中に作製する版画を受け取ってくれないか、と船会社に提案した。当時はまだ全くの無名で、船会社がこの申し入れを聞き入れたのは幸運であった。このとき船賃として制作された48枚の版画には、『幻窓』『マルセイユ』『貨物船』などが含まれていた。旅行中スペインの[[グラナダ]]の[[アルハンブラ宮殿]]で、[[ムーア人]]の[[モザイク]]模様を見て深い感銘を受ける<ref>{{Cite web|和書|url = https://www.sankei.com/article/20180610-S5Y6Y3NITJO33MKZJFASQTK264/2/ |title = 「ミラクル エッシャー展」 奇想生んだ「源泉」探る |publisher = 産経新聞社 |date = 2018-06-10 |accessdate = 2018-09-17 }}</ref>。
この旅行のあと、後年の作品に多く見られることになる繰り返し模様の作品に挑戦しはじめた。ライオンに似た動物やこうもりで埋め尽くされた織物を作製して展覧会を開いたが、不成功に終わり、繰り返し模様の作品製作を断念する。精巧な版画家で知られるエッシャーも、始めは不恰好な動物しか作成が出来なかった。
=== モザイク模様の研究 ===
[[1937年]]には[[ベルギー]]に移り、1934年5月13日に2回目のアルハンブラ宮殿訪問を果たした。妻と共に宮殿の洗練された模様の膨大なスケッチをとり、ホテルで彩色している。旅行後は[[結晶学|結晶学者]]であった兄の{{仮リンク|ベレンド・ジョージ・エッシャー|label=B.G.エッシャー|en|Berend George Escher}}から『結晶学時報』を読んでみるように勧められた。『結晶学時報』には繰り返し模様に関する論文が掲載されており、平面を同じ図形で埋める方法([[平面充填]])を研究した。特に[[ジョージ・ポリア]]の論文には17種類にも及ぶ繰り返し模様の具体例が掲載されており、大きな刺激となった。[[1937年]]から平面の正則分割に関する「素人理論」に関するノートをまとめ始めた。1958年には愛好家に向けて『平面の正則分割』を発表、自分自身で纏め上げた理論を分かりやすく説明している。
=== エッシャー的世界の展開 ===
[[ファイル:Onm kubus2.png|thumb|200px|エッシャー的透視法で描かれた立方体。「[[ネッカーの立方体]]」を応用している。]]
[[ファイル:Waterfall.svg|thumb|200px|エッシャー的透視法で描かれた滝。[[ペンローズの三角形]]を応用している。]]
[[ファイル:Impossible staircase.svg|thumb|200px|上昇と下降の手法を用いた階段(→[[ペンローズの階段]])]]
アルハンブラ宮殿の再訪以来、作風は一変する。再度繰り返し模様の作品に挑戦しはじめたのである。数学的な趣向の強い、同じ時代のどんな種類の作家にも見られない特有な世界をつくりだす。[[ジグソーパズル]]のように平面を黒と白の模様で埋め尽くす手法を使い、『{{仮リンク|メタモルフォーシスI|en|Metamorphosis I}}』『昼と夜』<ref>{{Cite web
|title=Day and Night
|url=https://www.wikiart.org/en/m-c-escher/day-and-night
|page=
|website=wikiart.org
|accessdate=2021-1-10|language=en}}</ref>『循環』<ref>{{Cite web
|title=Escher In Het Paleis
|url=https://www.escherinhetpaleis.nl/escher-today/cycle/?lang=en
|page=
|website=escherinhetpaleis.nl
|accessdate=2021-1-10|language=en}}</ref>などを制作した。しかし、父親は彼の新しい作品を理解することなく[[1939年]]に亡くなる。[[1950年代]]に入るとアメリカの2つの雑誌に紹介され、急速にアメリカの若者の支持を得ていった。やがて多くの[[地質学|地質学者]]と交流を持つようになり、[[1955年]]には[[ヒルフェルスム文化賞]]を受賞している。現在良く知られている作品『{{仮リンク|凸面と凹面|en|Convex and Concave}}』(1955年)『[[物見の塔]]』(1958年)『円の極限IV』(1960年)『[[上昇と下降 (エッシャー)|上昇と下降]]』(1960年)『[[滝 (エッシャー)|滝]]』(1961年)などがこの時期次々と生み出された。
このように幾何学的趣向の強い作品を数多く作成するようになったエッシャーであったが、風景画も作品の中心を占めており、『水たまり』(1952年)『{{仮リンク|三つの世界 (エッシャー)|label=三つの世界|en|Three Worlds (Escher)}}』(1955年)などが制作された。だが、これらの風景画にも光の反射や水面の波紋など、物理的要素や幾何学的要素が多く含まれている。
ただ、エッシャー自身は受け入れられた事から距離を置いて見ていた。エッシャーの作品を[[麻薬]]を吸いながら絵を眺めるような若者もいた。また、作中の植物が[[大麻]]ではないかと疑われたことすらあるが、何の関係もなかった。1950年にオランダ紙幣のデザインに取り組んだが、その紙幣は発行されていない。
=== 晩年 ===
1960年代後半からは次第に健康を損なっていく。[[1960年]]、アメリカ講演後、[[1962年]]に再び講義の依頼が来たが、急病で実現しなかった。[[1964年]]にもう一度講演を行うためアメリカに向かったが、カナダに到着して直ぐに[[トロント]]で入院し、手術を受けた。講演は地質学者になった次男が全て断ってまわった。以降は病院で手術を繰り返し、10回も[[癌]]の手術を受ける。[[1968年]]には妻が別れを告げてスイスに戻ってしまう。
創作意欲は衰えていなかったが、新しい作品を生み出すことはできず、[[1969年]]、[[遺作]]となる『{{仮リンク|蛇 (エッシャー)|en|Snakes (M. C. Escher)|label=蛇}}』を制作。エッシャーは最後の作品には蛇を描こうと予め決めていたという。この作品は平面の正則分割による無限の追求が盛り込まれている。[[1970年]]にはオランダの[[ユトレヒト州]][[バールン]]にある芸術家のための[[養老院]]に入り、生涯最後の2年間を送った。[[1972年]][[3月27日]]、73歳で亡くなるが、死後数枚の草稿が発見された。
=== 墓所 ===
エッシャーの遺体は、死没地となったバールンにある「バールン新墓地 ([[:nl:Nieuwe algemene begraafplaats Baarn]];{{Small|ニーウ・アルヘメーネ・ベフラーフプラーツ・バールン}}) 」に埋葬された{{R|Find-a-Grave}}。
== 主な業績と作品 ==
エッシャーの主な作品は二つの手がお互いの手を書いている 『[[描く手]]』、波うつ水面を境に魚と鳥のパターンが交錯する 『{{仮リンク|空と水I|en|Sky and Water I}}』、新しい遠近法のあり方を示した『{{仮リンク|階段の家|en|House of Stairs}}』、実際には作ることができないループ状階段をのぼり続ける人と下に走り続ける人を描いた 『[[上昇と下降 (エッシャー)|上昇と下降]]』などが有名である。
前期の作品はカストロバルバ風景画が中心である。
後期の作品は非常に[[数学]]、[[結晶学]]的な側面を持っている。大きく分類すると、
# 平面の正則分割
# 鏡面
# 新しい遠近法
# [[不可能図形|不可能な図形]]
# 多面体
に分類される。このうち 1.平面の正則分割 は数学的な構図として最も早い時期から現れ、後年にも無限の追求などの形で何度も現れてくるものである。2.鏡面 は数学的な作品の中で比較的に早い時期に作られたもので、『鏡と静物』(1934年)、『三つの世界』(1955年)、『{{仮リンク|反射する球を持つ手|en|Hand with Reflecting Sphere}}』(1935年)などが代表的である。これらは反射する鏡面や水面を通して異なる世界が一つの世界に表されている。
不可能な構造のなかには[[ペンローズの三角形]]や[[ネッカーの立方体]]なども含まれている。作品の多くは[[タイリング]](平面の正則分割、繰り返し模様)と呼ばれる平面を一定のパターンで覆うものである。
絵画の数学的な面は、在学中にも平面の正則分割や球面鏡に関する作品を製作している。また、エッシャー自身は自分の絵に何か寓意がこめられていると思われることを嫌っている。「自分は芸術は進歩するものではない、前の時代の画家が残してくれたものからスタートするものではない、作家が原点から出発して作品を作っていくのだと思っていた。」と語っている。
日本では[[長崎県]][[佐世保市]]の[[テーマパーク]][[ハウステンボス]]が、約180点にも及ぶ世界有数のコレクションを所有しているほか、彼の作品をモチーフにした[[3次元映像|3D]]アトラクション「ミステリアスエッシャー」が存在したが、現在なくなっている。同テーマパーク内には「エッシャー通り」という通路も存在する。[[三重県立美術館]]にも3点の作品が所蔵されている。
「日本のエッシャー」の異名を持つグラフィックデザイナー[[福田繁雄]]は、『滝』などの不可能図形作品の立体化を行っている。数理工学者の[[杉原厚吉]]もエッシャー作品の立体化を行っている。
2002年、ベアトリックス女王の祖母で元オランダ王妃[[エンマ・フォン・ヴァルデック=ピルモント|エンマ女王]]の宮殿であった[[ライヘ・フォールハウト宮殿]]の中に[[エッシャー美術館]]が開館した。ここでは、エッシャーの著名な木版画などのアート作品の他に、彼のプライベート写真やビデオ作品の上映などが行われている。
2018年、その生涯と作品を追ったドキュメンタリー映画が[[ロビン・ルッツ]]監督によりオランダで制作され、日本では[http://pan-dora.co.jp/escher/ 『エッシャー 視覚の魔術師』]の邦題で、2019年12月に[https://shibuya.uplink.co.jp/ アップリンク渋谷]、[https://joji.uplink.co.jp/ アップリンク吉祥寺]にて公開された。映画はエッシャー自身の日記や書簡、二人の息子へのインタビューを使い、時系列でエッシャーの人生を紐解く構成となっており、ハールレム・スクール・オブ・アーキテクチャー・アンド・デコラティブアーツ(Haarlem School of Architecture and Decorative Arts)での転機などが描かれている<ref>{{Cite web |url=https://www.artnews.com/art-news/reviews/mc-escher-documentary-review-1234582697/ |title=ARTnews |accessdate=2021-2-3 }}</ref>。
=== 主な作品集 ===
* {{Cite book|和書|author=M・C・エッシャー|others=[[坂根厳夫]]訳|year=1994|month=6|title=無限を求めて エッシャー、自作を語る|series=朝日選書 502|publisher=朝日新聞社|isbn=4-02-259602-3}}
** エッシャー自身が自作について語った資料で、内容は遠近法や繰り返し模様の説明にも及ぶ。
* {{Cite book|和書|editor=[[J・L・ロッヘル]]ほか編|others=[[坂根厳夫]]訳|year=1995|month=12|title=M.C.エッシャー その生涯と全作品集|publisher=メルヘン社|isbn=4-943988-16-4}}
** エッシャーの図版が全てまとめてあり、エッシャーの詳細な生涯が分かる。
* {{Cite book|和書|author=ブルーノ・エルンスト|authorlink=ブルーノ・エルンスト|others=[[坂根厳夫]]訳|year=1983|month=7|title=エッシャーの宇宙|publisher=朝日新聞社|isbn=4-02-255088-0}}
** エッシャーの作品をまとめた一冊。エッシャーの友人の一人が書いている。
[[ファイル:Escher Museum.jpg|thumb|エッシャー美術館]]
== エッシャー美術館 ==
{{節スタブ|date=2022年9月15日}}
{{Main|[[エッシャー美術館]]}}
== 派生作品 ==
* [[イメージビデオ]]:『Infinite Escher』…エッシャーの主要作品群をモチーフに映像化した短編ビデオクリップ。1990年発表。主演は[[ショーン・レノン]]、音楽は[[坂本龍一]]。
* [[映画]]:『エッシャー 視覚の魔術師』{{Small|([[オランダ語|蘭]]題)}}{{Lang|nl|''Escher: Het Oneindige Zoeken''}}、{{Small|(英題)}}{{Lang|en|''M.C. Escher: Journey to Infinity''}})』
:: 2018年製作・2019年公開の[[ドキュメンタリー]]映画。ロビン・ルッツ (Robin Lutz) 監督作品。
:* {{Cite video |和書|people=ロビン・ルッツ(監督)|date=2020-09-25 |title=エッシャー 視覚の魔術師 |medium=[[DVD]] |language=en |accessdate=2022-09-15 }}
* [[書籍]]:{{Cite book |和書 |author=荒木義明 |date=2022-02-15 |title=M.C.エッシャーと楽しむ算数・数学パズル |publisher=[[明治図書出版]] |ref={{SfnRef|荒木|2022}} }}{{Small|{{ISBN2|4183608325}}、{{ISBN2|978-4183608321}}、{{OCLC|1309512050}} }}。
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Reflist|group="注"}}
=== 出典 ===
{{Reflist|2|refs=
<ref name="発音インフォ">{{Cite web|和書|title=Escherの発音記号と読み方 |url=https://en.hatsuon.info/word/Escher |website=発音インフォ |accessdate=2022-09-15 }}</ref>
}}
== 参考文献 ==
; 事辞典
* {{Cite web|和書|title=エッシャー |url=https://kotobank.jp/word/エッシャー-1058915 |author=『[[ブリタニカ百科事典|ブリタニカ国際大百科事典]] 小項目事典』|publisher=[[コトバンク]] |accessdate=2022-09-15 |ref={{SfnRef|kb-Brit}} }}
* {{Cite web|和書|title=エッシャー |url=https://kotobank.jp/word/エッシャー-1058915#E6.97.A5.E6.9C.AC.E5.A4.A7.E7.99.BE.E7.A7.91.E5.85.A8.E6.9B.B8.28.E3.83.8B.E3.83.83.E3.83.9D.E3.83.8B.E3.82.AB.29 |author=[[小学館]]『[[日本大百科全書]](ニッポニカ)』|publisher=コトバンク |accessdate=2022-09-15 |ref={{SfnRef|kb-Nipp}} }}
* {{Cite web|和書|title=エスヘル |url=https://kotobank.jp/word/エスヘル-1058844 |author=[[講談社]]『デジタル版 日本人名大辞典+Plus』|publisher=コトバンク |accessdate=2022-09-15 |ref={{SfnRef|kb エスヘル}} }}
; 書籍、ムック
* {{cite book
|author1=Ernst, Bruno
|year=1985
|title=The Magic Mirror of M. C. Escher
|publisher=TARQUIN
|isbn=0-906212-45-6}}
* {{cite book
|author1=Schattschneider, Doris
|author2=Walker, Wallace
|year=1978
|title=M. C. ESCHER KALEIDOCYCLES
|publisher=TARQUIN
|isbn=0-906212-28-6}}
* {{cite book
|author=Escher, M. C.
|year=1989
|title=The Graphic Work of M. C. Escher
|publisher=Benedikt Taschen
|isbn=3-8228-9634-9 }}
* {{cite book
|author=Escher, M. C.
|year=1989,2000
|title=M. C. Escher The Graphic Work
|publisher=Benedikt Taschen
|isbn=3-8228-5864-1 }}
* {{cite book
|author=Andreas Landshoff, et al
|year=
|title=THE MAGIC OF M.C.ESCHER
|publisher=Thomas & Hudson
|isbn=0-500-97591-4 }}
<!--
; 雑誌
; 論文
-->
== 関連項目 ==
{{Commonscat|Maurits Cornelis Escher}}
* [[エッシャー美術館]]({{Small|[[オランダ語|蘭語]]音写}}:エッセル・イン・ヘット・パレイス、{{Small|英語音写}}:エッシャー・イン・ザ・パレス)
* 映画『[[エッシャー 視覚の魔術師]]』
*『[[ゲーデル、エッシャー、バッハ]]』:[[ダグラス・ホフスタッター]]著
* [[不思議の環]]
* [[トロンプ・ルイユ]]
* [[平面充填]]
* [[エッシャー弦楽四重奏団]]
* [[でんぐりでんぐり]]
== 外部リンク ==
* [https://mcescher.com/ M.C. エッシャーの公式サイト]
* [https://www.escherinhetpaleis.nl/?lang=ja エッシャー美術館]{{Enlink|Escher in Het Paleis}}{{Ja icon}}
* [http://www.pan-dora.co.jp/escher/ ドキュメンタリー映画『エッシャー 視覚の魔術師』公式サイト]
{{Normdaten}}
{{DEFAULTSORT:えつしやあ まうりつつ}}
[[Category:マウリッツ・エッシャー|*]]
[[Category:19世紀オランダの画家]]
[[Category:20世紀オランダの画家]]
[[Category:オランダの版画家]]
[[Category:オランダのドローイング作家]]
[[Category:オランダのイラストレーター]]
[[Category:レーワルデン出身の人物]]<!--生まれ-->
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2003-09-20T21:24:44Z
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測定
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測定(そくてい、独: Messung、仏: mesure physique、英: measurement)は、様々な対象の量を、決められた一定の基準と比較し、数値と符号で表すことを指す。人間の五感では環境や体調また錯視など不正確さから免れられず、また限界があるが、測定は機器を使うことでこれらの問題を克服し、測定対象物の数値化を可能とする。ただし、得られた値には常に測定誤差がつきまとい、これを斟酌した対応が必要となる。
ルドルフ・カルナップは1966年の著書『物理学の哲学的基礎』にて科学における主要な概念として、分類概念・比較概念・量的概念の3つを提示した。このうち、量的概念 (quantitative concept) を「対象が数値を持つ概念」と規定し、その把握には規則と客観的な手続きに則った判断が求められるとした。そしてこの物理学的測定は、測定する対象の性質や状態のメカニズム理論に基づいた尺度構成が重要になる。測定に関する理論および実践についての科学は、計量学(英: metrology)と呼ばれる。
測定の対象は自然科学だけにとどまらない。会計学においても貨幣的尺度を用いた評価や、企業の財務会計と適切なモデルを対応づけることなどを「測定」とする例がある。より広範な社会構造や地位などを統計学ではなく測定による理解を行う学問は「計量社会学」と呼ばれる。心理学においても量的概念とその測定・解析に関する理論があり、これはグスタフ・フェヒナーが創設した精神物理学 (psychophysics) に始まったと言われる。
測定は、必ず何かしらの基準となる機器を用い、その結果として数と測定単位の組み合わせで表示される。したがって、例えば並んで立つ2人の身長がどちらが高いかを見る事は測定とは言い難い。試験も何らかの評価を下す行為だが、これも「合否」という結果を導き出すものである限り、測定とは言えない。ただし、一連の試験を下すプロセスの中には、何かしらの測定が行われる場合もある。
同様な意味で用いられ、日本語において明瞭に区別されていない用語には、計測(けいそく、英: instrumentation)と計量(けいりょう、英: metrology)がある。JIS Z8103の「計測用語」では、計測とはより広い定義がなされ、ある目的のために対象を量的に把握する技術・方法や手段の立案・計画から実行、そして目的の達成、結果を情報として利用できるようにする段階までを含む。同用語定義では、計量とは測定標準における公的な取り決めに基づいた、計る行為そのものとみなすこと出来る。
上記のJIS定義は、ISOが定める国際計量基本用語集(VIM, 1993年)との差異がある。VIMでは計量・計測に違いを設けずいずれも英: metrology、仏: métrologieとし、測定に関する理論および実践のすべてを包括すると定める。測定には仏: mesurageが当たり、測定行為を指し示す用語としている。しかし、計量学におけるそれぞれの名詞は、奥義において重なり合っている部分が多いため厳密に区分できるものではなく、VIMは逆に区分することで表現が枯渇するような事態にならないよう推奨している。
近い意味を持つ単語に測量(そくりょう、英: surveying)がある。測量法第3条の規定によると、測量とは地球表面(地表、地中、水中、空中)に存在する自然物や人工物の空間的位置を対象とする測定およびその技術を指す。
測定には「直接測定」 (direct measurement) と「間接測定」 (indirect measurement) がある。直接測定とは対象と基準量となるもの (reference) を直接比較させて測定量を得ることである。間接測定は対象の知ろうとする量と一定の関係を持つ複数の測定量を得て、関係式から計算を通じて目当ての物理量を得る方法である。例えば、コインの直径はものさしを当てて直接測定が出来るが、遠くの星までの距離を直接測ることは不可能であり、例えば年周視差で求めた角度と天文単位からパーセクを単位に距離を求める方法は間接測定となる。間接測定の身近な例では、直接測定で体積と質量を測り、これらから密度を計算する手段も当たる。
直接測定は複数の手段に分類される。基本量で作られた単位のみを使う測定を絶対測定 (absolute measurement) と言い、これに対し既知の量で校正され振られた目盛を読み取る測定や何かしらの基準値との差を測定する方法を比較測定 (relative measurement)という。
測定系構成での分類では、対象物をものさしの目盛などゼロから連続して開いた基準と並べ、これを順に辿る方法を「偏位法」(deflection method) と言い、取り扱いが易しい利点があるが、電圧計のように測定対象のエネルギーを奪ったり、ばねばかりのように大きな荷重ではばねが伸び切ってしまうなど誤差が生じやすい。ある測定機器で基準となる量を測り、これと対象を置き換えて測り、基準量に差分を加えて数値を得る方法は「置換法」 (substitution method) と呼ばれ、測定器の狂いによる誤差を避けることができる。「差動法」 (differential method) とは、測定する量と反作用するある量を合わせて相殺し、残った差分を計測して数値を得る。「補償法」 (compensation method) では、測定する量を超えないある程度の計測を置換法で測り、残り部分は偏位法を用いて測定する。「零位法」 (null method) は、対象の量と基準の量が等しくなるように基準の量を加減して測定する上皿天秤やブリッジ回路などが該当する方法で、精度は高いが扱いにくい。
測定対象への働きかけ方による分類では、レーザー照射など測定器側から何かしらの働きかけを行うアクティブ法 (active method) と、対象が自然に発する信号など情報を読み取るパッシブ法 (passive method) がある。また、対象との接触の有無でも区分され、接触センシングと非接触センシングがある。後者には写真やカメラ撮影を介して画像を得て測定する方法もあり、対象に影響を与えない。
測定には、様々な誤りがつきまとう。古代ギリシアの哲学者アナクサゴラスは、同時刻に測定した約800km離れた2地点から太陽を測定した視差から、その大きさと距離を求めた。間接測定の結果彼は、太陽は直径56km、距離6400kmという値を得たが、これは地球が平面という考えの基で計算されたもので、前提条件の誤りが測定結果に直結した例に挙げるられる。
測定において、その対象は必ずしも不変ではない。経時的に変化するもの、動物のように測定者の意図に逆らう行動を取る場合など、様々な変化をする。また、個別の測定方法にもそれぞれの弱点や限界(測定限界)が存在し、これらの要因が影響し誤った結果を導き出す場合がある。測定者には、測定法の原理を理解し、目的や対象に沿った方法を選択する事が必要となる。
他にも、測定しようとする対象のサンプル抽出が適切なものか、また温度や湿度など測定を実施する環境によっても結果が左右されるため、これらの条件の設定も重要となる。
ヒューマンエラーが測定結果を誤らせる場合がある。これには、作業者の単純ミスから、知識・判断力の不足、視力など個人の能力差や癖などが介在する。これらは管理を通じて対策する類のものであり、品質マネジメントシステムの国際規格であるISO 9001:2008 6.2では、測定を行う手順を定める事と同時に、測定を実施する人間に対する教育研修を行い、その力量(りきりょう)を評価することを要求事項に定めている。
測定にはそれぞれの方法に応じた機器が用いられるが、この機器そのものが狂いを内包している可能性が存在する。偏りや経時的な変化、磨耗、また電気機器ではノイズなども影響する。ISO 9001:2008 7.6では、監視機器及び測定機器についてその正当性を保証するために校正もしくは検証またはその両方の実施と記録保存を義務づけている。
プロセスまたは工業製品は、複数の施行または量産される中でぶれが発生し、それに応じて測定結果も一定しない。ただしこれには期待される機能である仕様が設定され、それの応じた測定値の許容範囲が決められる。ISO 9001:2008 7.1では、製品実現の計画段階にて品質目標と製品またはプロセスに対する要求事項を定め、妥当性確認と製品合否判定基準を設けるよう定めている。
測定された値は、不確定なあいまいさが含まれる桁を最小桁として表示し、これは有効数字と呼ばれる。有効数字がどの桁に相当するかは測定器の表示方法に左右され、デジタル表示の場合は最小の桁を、アナログ表示の場合は最小目盛りの1/10までを読み取りこれをあいまいさが含まれる最小桁とする。
この有効数字は、解析において加算・積算する際に、あいまいさを拡大させてしまう可能性があるため、桁数の揃えなど取り扱いに注意する必要がある。
例えば特定の天体についてなどの単一対象を、同じ測定器を使い定められた正しい手順で複数回測定を行って得られた数値でも、往々にして一致せずある程度の分散状態が生じる。これは、得られた量には系統誤差(かたより、正確度)や偶然誤差(ばらつき、精度)が存在し、それはどんな精巧な測定方法や測定器でも発生し(方法や機器に付随しない)、いわば測定値に付随する性質のものである。
以前、これらはまとめて測定誤差と呼ばれていたが、国際度量衡委員会1993年のガイドラインにおいて再定義が施され、真の値を含むデータの「ばらつきのパラメータ」、すなわちデータの範囲を示す指標を「不確かさ」 (uncertainty) と定めた。そして標準偏差と同じく統計学的な「標準不確かさ」が定められ、この2倍に当たる「拡張不確かさ」を測定の信頼率95%の指標と定めた。
標準偏差や信頼限界の間隔で示されるこの不確かさは、試験方法を総合的に判断する重要な尺度となり、ひいては品質のバロメーターとなる。そのため、測定を行う際にはその不確かさの概念理解と把握を行う必要があり、ISO/IEC 17025では、測定者(試験所や校正機関)がこの不確かさを報告することを定めている。
ただし、実施時点では要求を充分に満たす技術が開発されていない測定や、費用面で実効的ではない点などは考慮されなければならない。これらは測定者では対応できず、その専門分野である計測工学が取り組む事項である。試験所・検査機関の認定指針を定める国際試験所認定会議 (International Laboratory Accreditation Conference, ILAC)は、このような測定方法開発の支援や促進を行う母体でもある。
測定値が含むさまざまな誤差を修正する最も単純かつ典型的な方法は、複数の測定値の平均を取る事である。これによって真の値を得ることができるわけではないが、その近似値または極限値を知る事は可能である。
測定値の集団は初歩の確率論で解析される。分散や確率分布関数および確率密度関数、標本を用いた解析などがその手法に該当する。さらに、最小二乗法も解析の手段に用いられる。
測定がいつどこで始められたかははっきりしないが、数が発明され、その「1」を単位に数えるという行為が測定の始まりとも言える。その後、生活や産業にかかわる単位が定められたが、これらは小国家・地域など限定された範囲でのみ通用するものだった。
古代中国の戦国時代でも、度量衡はおろか三進法や十進法など位取り記数法もばらばらだった。これを最初に統一したのが秦の始皇帝(即位:紀元前246年)だった。西欧での統一は、五賢帝時代のローマ帝国(1世紀 - 2世紀)などで行われた。11世紀イギリスのヘンリー1世時代に現在でも用いられる長さの単位ヤードが制定された。
1790年にフランスのシャルル=モーリス・ド・タレーラン=ペリゴールが提唱した普遍的な物理量基準の必要性に応じ、メートルとキログラムの白金製基準器が製作され、1799年にパリの国立公文書館に収蔵された。この仕事は何度も見直しや変更が加えられ、1954年に採択された国際単位系へ繋がった。
17世紀に、自然科学は測定を基礎に発展した。ガリレオ・ガリレイは『偽金鑑識官』の中で、宇宙を書物に喩え、その言語は数学で書かれており、手段をもってしか知ることができないと述べた。この知の手段こそ「測定」を指した。ガリレオ自身は敬虔なキリスト教徒であり、この言は神の存在否定を意図してはいなかった。しかし、18世紀には神を介さずに人間が自然と直接向き合うことが意識され、その手段として測定が知の技法として認識されるようになった。オーギュスト・コントはこれら厳密な測定や実験などを重視する「科学」を実証主義の段階に達したものとみなし、それ以前の学問は「非科学」として区分した。物理学者ウィリアム・トムソン(ケルビン卿)は「測定をする事ができない人物の知識は貧弱である」と述べ、測定は知に到達する上で必須な方法論となった。
さらに誤差の問題についても、カール・フリードリヒ・ガウスやピエール=シモン・ラプラスらが天文観測において確率論を用いた対策に取り組み、アドルフ・ケトレーが近代統計学を開闢することで対応と測定結果の説明法を立ち上げた。これらを含む測定方法の向上は近代科学を進歩させる原動力のひとつとなった。
ケトレーは、天文学における測定結果から誤差を確率論的に処理し客観的な法則を導く手法は、人間集団の行動など社会科学にも適用できると考えた。この思考の結実は1835年に刊行された『人間に就いて』であり、人間に関する法則を測定で導き出す試みとなり、「社会物理学」へ数値化の手法を持ち込んだ。チャールズ・ブースの貧困層の研究もまた同様の手法を社会へ向けた測定の成果と言える。
19世紀に興ったこのような自然科学に続く社会科学の動きは、12世紀以来のヨーロッパにおける従来のキリスト教的枠組みの中で思索を重ね、哲学を基本に神学・医学・法学などを修める「科学」とは大きく異なるものであった。また、従来の「科学者」とは神の召命によって選ばれた特別な人間という認識にも変革を与えた。
20世紀に入ってから構築された量子力学は、それまでの測定の考え方に変更を要請した。古典物理学では不可能な素粒子など微細な世界を高い精度で説明する量子力学は、物理量には状態による確率振幅があり、一様ではなく常に変動すると定めている。つまり、物理量の実在値(固有状態の物理量)はどのような観測をもってしても確認は不可能なものとしている。この解釈は「量子力学の観測問題」として、現代でも論争が起こる課題である。
産業のあらゆる分野に導入されている機械が問題なく稼動したり、工事が図面通り正確に行われたりするためには制御が欠かせず、この制御を正確に実行するためには測定が必要になる。生産における原料の計量を例にすると、先ず量の「目標値」が設定される。取り分けるような場合では、機械(制御器)が一度操作して取り出した「操作量」が目標値と合致しているかどうかを測定し、一致していない場合は再度操作する量(2度目の「操作量」)を決定して加え、合計の「制御量」を再度測定する。この制御によって目標値の量を得る。これはフィードバック制御と言う。タンクに目標値の水を自動で溜めるような場合には、必要な操作量(例えば時間あたり水量)を計算し、測定を行いながら制御量が目標値となるまで制御器を稼動させる。これはフィードフォワード制御という。
このような制御を行う際の測定には、正確性・迅速性・耐久性の3つが求められ、同時に的確な制御器への指示が必要となる。このため、それぞれの測定内容に適した測定法や機器(センサー)の選択や設定が検討される。
|
[
{
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"text": "測定(そくてい、独: Messung、仏: mesure physique、英: measurement)は、様々な対象の量を、決められた一定の基準と比較し、数値と符号で表すことを指す。人間の五感では環境や体調また錯視など不正確さから免れられず、また限界があるが、測定は機器を使うことでこれらの問題を克服し、測定対象物の数値化を可能とする。ただし、得られた値には常に測定誤差がつきまとい、これを斟酌した対応が必要となる。",
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"text": "ルドルフ・カルナップは1966年の著書『物理学の哲学的基礎』にて科学における主要な概念として、分類概念・比較概念・量的概念の3つを提示した。このうち、量的概念 (quantitative concept) を「対象が数値を持つ概念」と規定し、その把握には規則と客観的な手続きに則った判断が求められるとした。そしてこの物理学的測定は、測定する対象の性質や状態のメカニズム理論に基づいた尺度構成が重要になる。測定に関する理論および実践についての科学は、計量学(英: metrology)と呼ばれる。",
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},
{
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"text": "測定の対象は自然科学だけにとどまらない。会計学においても貨幣的尺度を用いた評価や、企業の財務会計と適切なモデルを対応づけることなどを「測定」とする例がある。より広範な社会構造や地位などを統計学ではなく測定による理解を行う学問は「計量社会学」と呼ばれる。心理学においても量的概念とその測定・解析に関する理論があり、これはグスタフ・フェヒナーが創設した精神物理学 (psychophysics) に始まったと言われる。",
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},
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"text": "測定は、必ず何かしらの基準となる機器を用い、その結果として数と測定単位の組み合わせで表示される。したがって、例えば並んで立つ2人の身長がどちらが高いかを見る事は測定とは言い難い。試験も何らかの評価を下す行為だが、これも「合否」という結果を導き出すものである限り、測定とは言えない。ただし、一連の試験を下すプロセスの中には、何かしらの測定が行われる場合もある。",
"title": "定義"
},
{
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"text": "同様な意味で用いられ、日本語において明瞭に区別されていない用語には、計測(けいそく、英: instrumentation)と計量(けいりょう、英: metrology)がある。JIS Z8103の「計測用語」では、計測とはより広い定義がなされ、ある目的のために対象を量的に把握する技術・方法や手段の立案・計画から実行、そして目的の達成、結果を情報として利用できるようにする段階までを含む。同用語定義では、計量とは測定標準における公的な取り決めに基づいた、計る行為そのものとみなすこと出来る。",
"title": "定義"
},
{
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"text": "上記のJIS定義は、ISOが定める国際計量基本用語集(VIM, 1993年)との差異がある。VIMでは計量・計測に違いを設けずいずれも英: metrology、仏: métrologieとし、測定に関する理論および実践のすべてを包括すると定める。測定には仏: mesurageが当たり、測定行為を指し示す用語としている。しかし、計量学におけるそれぞれの名詞は、奥義において重なり合っている部分が多いため厳密に区分できるものではなく、VIMは逆に区分することで表現が枯渇するような事態にならないよう推奨している。",
"title": "定義"
},
{
"paragraph_id": 6,
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"text": "近い意味を持つ単語に測量(そくりょう、英: surveying)がある。測量法第3条の規定によると、測量とは地球表面(地表、地中、水中、空中)に存在する自然物や人工物の空間的位置を対象とする測定およびその技術を指す。",
"title": "定義"
},
{
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"text": "測定には「直接測定」 (direct measurement) と「間接測定」 (indirect measurement) がある。直接測定とは対象と基準量となるもの (reference) を直接比較させて測定量を得ることである。間接測定は対象の知ろうとする量と一定の関係を持つ複数の測定量を得て、関係式から計算を通じて目当ての物理量を得る方法である。例えば、コインの直径はものさしを当てて直接測定が出来るが、遠くの星までの距離を直接測ることは不可能であり、例えば年周視差で求めた角度と天文単位からパーセクを単位に距離を求める方法は間接測定となる。間接測定の身近な例では、直接測定で体積と質量を測り、これらから密度を計算する手段も当たる。",
"title": "測定の種類"
},
{
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"text": "直接測定は複数の手段に分類される。基本量で作られた単位のみを使う測定を絶対測定 (absolute measurement) と言い、これに対し既知の量で校正され振られた目盛を読み取る測定や何かしらの基準値との差を測定する方法を比較測定 (relative measurement)という。",
"title": "測定の種類"
},
{
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"text": "測定系構成での分類では、対象物をものさしの目盛などゼロから連続して開いた基準と並べ、これを順に辿る方法を「偏位法」(deflection method) と言い、取り扱いが易しい利点があるが、電圧計のように測定対象のエネルギーを奪ったり、ばねばかりのように大きな荷重ではばねが伸び切ってしまうなど誤差が生じやすい。ある測定機器で基準となる量を測り、これと対象を置き換えて測り、基準量に差分を加えて数値を得る方法は「置換法」 (substitution method) と呼ばれ、測定器の狂いによる誤差を避けることができる。「差動法」 (differential method) とは、測定する量と反作用するある量を合わせて相殺し、残った差分を計測して数値を得る。「補償法」 (compensation method) では、測定する量を超えないある程度の計測を置換法で測り、残り部分は偏位法を用いて測定する。「零位法」 (null method) は、対象の量と基準の量が等しくなるように基準の量を加減して測定する上皿天秤やブリッジ回路などが該当する方法で、精度は高いが扱いにくい。",
"title": "測定の種類"
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"text": "測定対象への働きかけ方による分類では、レーザー照射など測定器側から何かしらの働きかけを行うアクティブ法 (active method) と、対象が自然に発する信号など情報を読み取るパッシブ法 (passive method) がある。また、対象との接触の有無でも区分され、接触センシングと非接触センシングがある。後者には写真やカメラ撮影を介して画像を得て測定する方法もあり、対象に影響を与えない。",
"title": "測定の種類"
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{
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"text": "測定には、様々な誤りがつきまとう。古代ギリシアの哲学者アナクサゴラスは、同時刻に測定した約800km離れた2地点から太陽を測定した視差から、その大きさと距離を求めた。間接測定の結果彼は、太陽は直径56km、距離6400kmという値を得たが、これは地球が平面という考えの基で計算されたもので、前提条件の誤りが測定結果に直結した例に挙げるられる。",
"title": "測定にまつわる問題"
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"text": "測定において、その対象は必ずしも不変ではない。経時的に変化するもの、動物のように測定者の意図に逆らう行動を取る場合など、様々な変化をする。また、個別の測定方法にもそれぞれの弱点や限界(測定限界)が存在し、これらの要因が影響し誤った結果を導き出す場合がある。測定者には、測定法の原理を理解し、目的や対象に沿った方法を選択する事が必要となる。",
"title": "測定にまつわる問題"
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"text": "他にも、測定しようとする対象のサンプル抽出が適切なものか、また温度や湿度など測定を実施する環境によっても結果が左右されるため、これらの条件の設定も重要となる。",
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"text": "ヒューマンエラーが測定結果を誤らせる場合がある。これには、作業者の単純ミスから、知識・判断力の不足、視力など個人の能力差や癖などが介在する。これらは管理を通じて対策する類のものであり、品質マネジメントシステムの国際規格であるISO 9001:2008 6.2では、測定を行う手順を定める事と同時に、測定を実施する人間に対する教育研修を行い、その力量(りきりょう)を評価することを要求事項に定めている。",
"title": "測定にまつわる問題"
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"text": "測定にはそれぞれの方法に応じた機器が用いられるが、この機器そのものが狂いを内包している可能性が存在する。偏りや経時的な変化、磨耗、また電気機器ではノイズなども影響する。ISO 9001:2008 7.6では、監視機器及び測定機器についてその正当性を保証するために校正もしくは検証またはその両方の実施と記録保存を義務づけている。",
"title": "測定にまつわる問題"
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"text": "プロセスまたは工業製品は、複数の施行または量産される中でぶれが発生し、それに応じて測定結果も一定しない。ただしこれには期待される機能である仕様が設定され、それの応じた測定値の許容範囲が決められる。ISO 9001:2008 7.1では、製品実現の計画段階にて品質目標と製品またはプロセスに対する要求事項を定め、妥当性確認と製品合否判定基準を設けるよう定めている。",
"title": "測定にまつわる問題"
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{
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"text": "測定された値は、不確定なあいまいさが含まれる桁を最小桁として表示し、これは有効数字と呼ばれる。有効数字がどの桁に相当するかは測定器の表示方法に左右され、デジタル表示の場合は最小の桁を、アナログ表示の場合は最小目盛りの1/10までを読み取りこれをあいまいさが含まれる最小桁とする。",
"title": "解析"
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"text": "この有効数字は、解析において加算・積算する際に、あいまいさを拡大させてしまう可能性があるため、桁数の揃えなど取り扱いに注意する必要がある。",
"title": "解析"
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"text": "例えば特定の天体についてなどの単一対象を、同じ測定器を使い定められた正しい手順で複数回測定を行って得られた数値でも、往々にして一致せずある程度の分散状態が生じる。これは、得られた量には系統誤差(かたより、正確度)や偶然誤差(ばらつき、精度)が存在し、それはどんな精巧な測定方法や測定器でも発生し(方法や機器に付随しない)、いわば測定値に付随する性質のものである。",
"title": "解析"
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"text": "以前、これらはまとめて測定誤差と呼ばれていたが、国際度量衡委員会1993年のガイドラインにおいて再定義が施され、真の値を含むデータの「ばらつきのパラメータ」、すなわちデータの範囲を示す指標を「不確かさ」 (uncertainty) と定めた。そして標準偏差と同じく統計学的な「標準不確かさ」が定められ、この2倍に当たる「拡張不確かさ」を測定の信頼率95%の指標と定めた。",
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"text": "標準偏差や信頼限界の間隔で示されるこの不確かさは、試験方法を総合的に判断する重要な尺度となり、ひいては品質のバロメーターとなる。そのため、測定を行う際にはその不確かさの概念理解と把握を行う必要があり、ISO/IEC 17025では、測定者(試験所や校正機関)がこの不確かさを報告することを定めている。",
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"text": "ただし、実施時点では要求を充分に満たす技術が開発されていない測定や、費用面で実効的ではない点などは考慮されなければならない。これらは測定者では対応できず、その専門分野である計測工学が取り組む事項である。試験所・検査機関の認定指針を定める国際試験所認定会議 (International Laboratory Accreditation Conference, ILAC)は、このような測定方法開発の支援や促進を行う母体でもある。",
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"text": "測定値が含むさまざまな誤差を修正する最も単純かつ典型的な方法は、複数の測定値の平均を取る事である。これによって真の値を得ることができるわけではないが、その近似値または極限値を知る事は可能である。",
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"text": "測定値の集団は初歩の確率論で解析される。分散や確率分布関数および確率密度関数、標本を用いた解析などがその手法に該当する。さらに、最小二乗法も解析の手段に用いられる。",
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"text": "産業のあらゆる分野に導入されている機械が問題なく稼動したり、工事が図面通り正確に行われたりするためには制御が欠かせず、この制御を正確に実行するためには測定が必要になる。生産における原料の計量を例にすると、先ず量の「目標値」が設定される。取り分けるような場合では、機械(制御器)が一度操作して取り出した「操作量」が目標値と合致しているかどうかを測定し、一致していない場合は再度操作する量(2度目の「操作量」)を決定して加え、合計の「制御量」を再度測定する。この制御によって目標値の量を得る。これはフィードバック制御と言う。タンクに目標値の水を自動で溜めるような場合には、必要な操作量(例えば時間あたり水量)を計算し、測定を行いながら制御量が目標値となるまで制御器を稼動させる。これはフィードフォワード制御という。",
"title": "測定機器"
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"text": "このような制御を行う際の測定には、正確性・迅速性・耐久性の3つが求められ、同時に的確な制御器への指示が必要となる。このため、それぞれの測定内容に適した測定法や機器(センサー)の選択や設定が検討される。",
"title": "測定機器"
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測定は、様々な対象の量を、決められた一定の基準と比較し、数値と符号で表すことを指す。人間の五感では環境や体調また錯視など不正確さから免れられず、また限界があるが、測定は機器を使うことでこれらの問題を克服し、測定対象物の数値化を可能とする。ただし、得られた値には常に測定誤差がつきまとい、これを斟酌した対応が必要となる。 ルドルフ・カルナップは1966年の著書『物理学の哲学的基礎』にて科学における主要な概念として、分類概念・比較概念・量的概念の3つを提示した。このうち、量的概念 を「対象が数値を持つ概念」と規定し、その把握には規則と客観的な手続きに則った判断が求められるとした。そしてこの物理学的測定は、測定する対象の性質や状態のメカニズム理論に基づいた尺度構成が重要になる。測定に関する理論および実践についての科学は、計量学と呼ばれる。 測定の対象は自然科学だけにとどまらない。会計学においても貨幣的尺度を用いた評価や、企業の財務会計と適切なモデルを対応づけることなどを「測定」とする例がある。より広範な社会構造や地位などを統計学ではなく測定による理解を行う学問は「計量社会学」と呼ばれる。心理学においても量的概念とその測定・解析に関する理論があり、これはグスタフ・フェヒナーが創設した精神物理学 (psychophysics) に始まったと言われる。
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[[File:Measuring Tape Inch+CM.jpg|250px|thumb|right|一般的な[[巻尺]]。これで[[硬貨]]の[[直径]]を測定することは可能だが、[[円 (数学)|円]]の[[中心]]割り出しなど測定方法の課題は残る。]]
'''測定'''(そくてい、{{lang-de-short|Messung}}、{{lang-fr-short|mesure physique}}、{{lang-en-short|measurement}})は、様々な対象の[[量]]を、決められた一定の[[基準]]と比較し、[[数値]]と[[符号]]で表すことを指す<ref group="2-">{{Cite jis|Z|8103|name=計測用語}}</ref><ref name=Imai1>[[#今井2007|今井(2007)、p1-3 はじめに]]</ref>。人間の[[五感]]では環境や体調また[[錯視]]など不正確さから免れられず、また限界があるが、測定は機器を使うことでこれらの問題を克服し、測定対象物の数値化を可能とする<ref name=NagoyaMatsubara>{{Cite web|和書|url= http://www.a.phys.nagoya-u.ac.jp/~taka/lectures/basic/lec_note/Basic2009-02.pdf |format=PDF|title=物理学基礎Ⅰ【総合】2009年度第2回|author=松原隆彦|publisher=[[名古屋大学]]医学部保険学科|language=日本語|accessdate=2010-10-31}}{{リンク切れ|date=2022年1月}}</ref>。ただし、得られた値には常に[[測定誤差]]がつきまとい、これを斟酌した対応が必要となる<ref name=NagoyaMatsubara /><ref name=TohokuNakahara>{{Cite web|和書|url=http://zisin.geophys.tohoku.ac.jp/~naka/error.pdf |format=PDF|title=地球物理学学生実験 誤差について|author=中原恒|publisher=[[東北大学]]大学院理学研究科地球物理学専攻固体地球物理学講座|language=日本語|accessdate=2022-01-11}}</ref><ref name=SetsunanHaga>{{Cite web|和書|url= http://www.setsunan.ac.jp/lw/lecture/EeMesure/2009/lect-01-handout.pdf|format=PDF|title=電気電子計測 第1講 計測の基礎|author=芳賀宏|publisher=[[摂南大学]]工学部電気電子工学科光波工学研究室|language=日本語|accessdate=2010-10-31}}{{リンク切れ|date=2022年1月}}</ref>。
[[ルドルフ・カルナップ]]は1966年の著書『物理学の哲学的基礎』にて[[科学]]における主要な概念として、分類概念・比較概念・量的概念の3つを提示した。このうち、量的概念 (quantitative concept) を「対象が数値を持つ概念」と規定し、その把握には規則と客観的な手続きに則った判断が求められるとした<ref name=AichiGChino>{{Cite web|和書|url= http://www.aichi-gakuin.ac.jp/~chino/part-time/kan-gaku-mds-05.pdf |format=PDF|title=データ解析演習C |author=千野直仁|publisher=[[愛知学院大学]]心身科学部 |language=日本語|accessdate=2010-10-31}}{{リンク切れ|date=2022年1月}}</ref>。そしてこの物理学的測定は、測定する対象の性質や状態のメカニズム理論に基づいた尺度構成が重要になる<ref name=AichiGChino />。測定に関する理論および実践についての科学は、[[計量学]]({{lang-en-short|metrology}})と呼ばれる。
測定の対象は自然科学だけにとどまらない。[[会計学]]においても[[貨幣]]的尺度を用いた評価や<ref>{{Cite journal|和書|author=清水哲雄 |title=会計における測定について |journal=彦根論叢 |ISSN=03875989 |publisher=滋賀大学経済学会 |year=1978 |month=mar |issue=189 |pages=19-37 |naid=110004521042 |url=https://hdl.handle.net/10441/2348}}</ref>、企業の財務会計と適切なモデルを対応づけることなどを「測定」とする<ref>{{Cite journal|和書|author=中善宏 |title=管理会計情報による組織の可視化について:個人から活動へ(1) |journal=商学討究 |ISSN=04748638 |publisher=小樽商科大学 |year=2003 |month=jul |volume=54 |issue=1 |pages=13-42 |naid=110000232077 |url=https://hdl.handle.net/10252/421}}</ref><ref group="2-">Amey,L.R.,A.ConceptualApproachtoManagement.NewYork:Prager,1986,
p.130.</ref>例がある。より広範な社会構造や地位などを[[統計学]]ではなく測定による理解を行う学問は「計量社会学」と呼ばれる<ref>{{Cite web|和書|url=https://www1.doshisha.ac.jp/~yzheng/about.htm |title=計量社会学研究室|author=|publisher=[[同志社大学]]|language=日本語|accessdate=2022-01-11}}</ref>。[[心理学]]においても量的概念とその測定・解析<ref>{{Cite web|和書|url= http://psy.isc.chubu.ac.jp/~oshiolab/teaching_folder/datakaiseki_folder/top_kaiseki.html |title=心理データ解析A |author=小塩真司|publisher=[[中部大学]]人文学部心理学科|language=日本語|accessdate=2010-10-31}}{{リンク切れ|date=2022年1月}}</ref>に関する理論があり、これは[[グスタフ・フェヒナー]]が創設した[[精神物理学]] (psychophysics) に始まったと言われる<ref name=AichiGChino />。
== 定義 ==
測定は、必ず何かしらの基準となる[[機器]]を用い、その結果として数と測定[[単位]]の組み合わせで表示される。したがって、例えば並んで立つ2人の身長がどちらが高いかを見る事は測定とは言い難い。[[試験]]も何らかの評価を下す行為だが、これも「合否」という結果を導き出すものである限り、測定とは言えない。ただし、一連の試験を下すプロセスの中には、何かしらの測定が行われる場合もある<ref name=SeihinHyouka>{{Cite web|和書|url=https://www.nite.go.jp/data/000050641.pdf |format=PDF|title=不確かさの入門ガイド|author=ステファニー・ベル |publisher=独立行政法人 製品評価技術基盤機構|language=日本語 |accessdate=2022-01-11}}</ref>。
同様な意味で用いられ、[[日本語]]において明瞭に区別されていない[[用語]]には、'''[[計測]]'''(けいそく、{{lang-en-short|instrumentation}})と'''[[計量]]'''(けいりょう、{{lang-en-short|metrology}})がある<ref name=Imai1 />。[[JIS]] Z8103の「計測用語」では、計測とはより広い定義がなされ、ある目的のために対象を量的に把握する[[技術]]・方法や手段の立案・計画から実行、そして目的の達成<ref name=Imai1 />、結果を[[情報]]として利用できるようにする段階までを含む<ref>{{Cite web|和書|url= http://www.ee.t-kougei.ac.jp/~nisimiya/elec_measure_out/node13.html |title=電気計測 13 演習問題|author=西宮信夫|publisher=[[東京工芸大学]]電気工学科|language=日本語|accessdate=2010-10-31}}{{リンク切れ|date=2022年1月}}</ref>。同用語定義では、計量とは測定標準における公的な取り決めに基づいた、計る行為そのものとみなすこと出来る<ref name=Imai1 />。
上記のJIS定義は、[[ISO]]が定める国際計量基本用語集(VIM, 1993年)との差異がある。VIMでは計量・計測に違いを設けずいずれも{{lang-en-short|metrology}}、{{lang-fr-short|métrologie}}とし、測定に関する理論および実践のすべてを包括すると定める。測定には{{lang-fr-short|mesurage}}が当たり、測定行為を指し示す用語としている。しかし、計量学におけるそれぞれの名詞は、奥義において重なり合っている部分が多いため厳密に区分できるものではなく、VIMは逆に区分することで表現が枯渇するような事態にならないよう推奨している<ref name=VIMJ>{{Cite web|和書|url=http://www.rminfo.nite.go.jp/common/pdfdata/4-007.pdf|format=PDF|title=付録Ⅱ国際計量基本用語集(日本語版)|author=|publisher=独立行政法人 製品評価技術基盤機構|language=日本語 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20121211003037/http://www.rminfo.nite.go.jp/common/pdfdata/4-007.pdf |archivedate=2012-12-11|accessdate=2010-10-31}}</ref>。
近い意味を持つ単語に'''[[測量]]'''(そくりょう、{{lang-en-short|surveying}})がある。測量法第3条の規定によると、測量とは[[地球]]表面(地表、地中、水中、空中)に存在する自然物や人工物の空間的位置を対象とする測定およびその技術を指す<ref>{{Cite web|和書|url=https://syllabus.cc.it-hiroshima.ac.jp/syllabus/syllabus/search/SyllabusInfo.do;jsessionid=5302F53F366B9813FEC62930770CE877?nendo=2010&kogikey=1X08 |title=授業科目名:測量情報処理論 目的と他の科目との関連 |author=菅雄三|publisher=[[広島工業大学]]環境学部自然環境系地球環境学科シラバス|language=日本語|accessdate=2010-10-31}}</ref>。
== 測定の種類 ==
[[File:Parsec-fr.svg|thumb|left|間接測定による単位[[パーセク]]を用いた[[天体]]までの距離測定。このような長大な距離を直接測定することは事実上不可能である。]]
測定には「[[直接測定]]」 (direct measurement) と「[[間接測定]]」 (indirect measurement) がある<ref name=TohokuNakahara /><ref name=SetsunanHaga /><ref name=HokkaidoIshii>{{Cite web|和書|url= http://applied.bpe.agr.hokudai.ac.jp/education/measurement/01.pdf |format=PDF|title=計測制御工学入門|author=石井一暢|publisher=[[北海道大学]]生物生産応用光学研究室|language=日本語|accessdate=2010-10-31}}</ref>。直接測定とは対象と基準量となるもの (reference) を直接比較させて測定量を得ることである。間接測定は対象の知ろうとする量と一定の関係を持つ複数の<ref name=SetsunanHaga />測定量を得て、関係式から[[計算]]を通じて目当ての物理量を得る方法である<ref name=TohokuNakahara /><ref name=SetsunanHaga /><ref name=NagoyaMori>{{Cite web|和書|url=http://www.is.nagoya-u.ac.jp/dep-cs/morilabo/pdf_file_measure/1-2.pdf|format=PDF|title=計測工学1章の2|author=森敏彦|publisher=[[名古屋大学]]大学院情報科学研究室 |language=日本語|accessdate=2010-10-31}}</ref>。例えば、コインの直径はものさしを当てて直接測定が出来るが、遠くの星までの[[距離]]を直接測ることは不可能であり、例えば[[年周視差]]で求めた[[角度]]と[[天文単位]]から[[パーセク]]を単位に距離を求める方法は間接測定となる<ref>{{Cite web|和書|url=http://pauli.isc.chubu.ac.jp/~kudo/es09aFAQ1.pdf |format=PDF|title=工藤の地球の科学A FAQ-1 パーセク|author=工藤健|publisher=[[中部大学]]工学部理学教室|language=日本語|accessdate=2010-10-31}}</ref>。間接測定の身近な例では、直接測定で体積と質量を測り、これらから[[密度]]を計算する手段も当たる<ref name=Imai14>[[#今井2007|今井(2007)、第1章 計るって何だろう、p14-15]]</ref>。
直接測定は複数の手段に分類される。基本量で作られた単位のみを使う測定を絶対測定 (absolute measurement) と言い、これに対し既知の量で[[校正]]され振られた目盛を読み取る測定や何かしらの基準値との差を測定する方法<ref name=HokkaidoIshii />を比較測定 (relative measurement)という<ref name=NagoyaMori />。
測定系構成での分類では<ref name=NagoyaMori />、対象物を[[ものさし]]の[[目盛]]など[[0|ゼロ]]から<ref name=DentsuMitsu>{{Cite web|和書|url=http://www.mlab.ice.uec.ac.jp/mit/text/Keisoku/2009/02Slide-print-2x2.pdf|format=PDF|title=計測工学02 |author=根岸利一郎、三橋渉|publisher=[[電気通信大学]]情報通信工学科|language=日本語|accessdate=2010-10-31}}</ref>連続して開いた<ref name=NagoyaMori />基準と並べ、これを順に辿る方法を「[[偏位法]]」(deflection method) と言い<ref name=Imai14 />、取り扱いが易しい利点があるが<ref name=NagasakiYazawa>{{Cite web|和書|url=http://manuf.mech.nagasaki-u.ac.jp/yazawa/answer01.doc |title=精密計測法演習 演習プリント1解答|author=矢澤孝哲|publisher=[[長崎大学]]工学部加工システム学研究室|language=日本語|accessdate=2010-10-31}}</ref>、[[電圧計]]のように測定対象の[[エネルギー]]を奪ったり、[[ばねばかり]]のように大きな荷重では[[ばね]]が伸び切ってしまうなど誤差が生じやすい<ref name=DentsuMitsu2>{{Cite web|和書|url=http://www.mlab.ice.uec.ac.jp/mit/text/Keisoku/2009/20091007BHWKai.pdf|format=PDF |title=情報通信工学科・計測工学・夜間主コース宿題02の解答|author=三橋渉|publisher=電気通信大学情報通信工学科|language=日本語|accessdate=2010-10-31}}</ref>。ある測定機器で基準となる量を測り、これと対象を置き換えて測り、基準量に差分を加えて数値を得る方法は「置換法」 (substitution method) と呼ばれ、測定器の狂いによる誤差を避けることができる<ref name=Imai14 /><ref name=DentsuMitsu />。「差動法」 (differential method) とは、測定する量と反作用するある量を合わせて相殺し、残った差分を計測して数値を得る<ref name=NagoyaMori />。「補償法」 (compensation method) では、測定する量を超えないある程度の計測を置換法で測り、残り部分は偏位法を用いて測定する<ref name=DentsuMitsu />。「[[零位法]]」 (null method) は、対象の量と基準の量が等しくなるように基準の量を加減して測定する<ref name=DentsuMitsu />[[上皿天秤]]や[[ブリッジ回路]]などが該当する<ref name=DentsuMitsu2 />方法で、精度は高いが扱いにくい<ref name=NagasakiYazawa />。
測定対象への働きかけ方による分類では、[[レーザー]]照射など測定器側から何かしらの働きかけを行うアクティブ法 (active method) と、対象が自然に発する[[信号 (電気工学)|信号]]など情報を読み取るパッシブ法 (passive method) がある。また、対象との接触の有無でも区分され、接触センシングと非接触センシングがある。後者には[[写真]]や[[カメラ]]撮影を介して[[画像]]を得て測定する方法もあり、対象に影響を与えない<ref name=HokkaidoIshii />。
== 測定にまつわる問題 ==
=== 前提条件の誤り ===
測定には、様々な誤りがつきまとう。[[古代ギリシア]]の[[哲学者]][[アナクサゴラス]]は、同時刻に測定した約800km離れた2地点から[[太陽]]を測定した視差から、その大きさと距離を求めた。間接測定の結果彼は、太陽は[[直径]]56[[キロメートル|km]]、距離6400kmという値を得たが、これは[[地球平面説|地球が平面]]という考えの基で計算されたもので、[[前提条件]]の誤りが測定結果に直結した例に挙げるられる<ref>{{Cite book|和書|author=山崎耕造|authorlink=山崎耕造|title=トコトンやさしい太陽の本|publisher=[[日刊工業新聞社]]|year=2007|edition=第1刷|pages=14-15|isbn=978-4-526-05935-3}}</ref>。
=== 対象やプロセス等の妥当性 ===
測定において、その対象は必ずしも不変ではない。経時的に変化するもの、[[動物]]のように測定者の意図に逆らう行動を取る場合など、様々な変化をする<ref name=SeihinHyouka />。また、個別の測定方法にもそれぞれの弱点や限界(測定限界)が存在し、これらの要因が影響し誤った結果を導き出す場合がある<ref name=Saito>{{Cite web|和書|url=http://wwwsoc.nii.ac.jp/mbsj/admins/ethics_and_edu/PNE/3_article.pdf|format=PDF |title=正しい知識が捏造を防ぐ データを正確に解釈するための6つのポイント No.3|author=齋藤成昭|publisher=国立情報学研究所/特定非営利活動法人 日本分子生物学会 |language=日本語|accessdate=2010-10-31}}</ref>。測定者には、測定法の原理を理解し、目的や対象に沿った方法を選択する事が必要となる<ref name=Saito />。
他にも、測定しようとする対象の[[サンプル]]抽出が適切なものか、また[[温度]]や[[湿度]]など測定を実施する環境によっても結果が左右されるため、これらの条件の設定も重要となる<ref name=SeihinHyouka />。
[[File:Messzylinder ablesen.png|thumb|right|[[メスシリンダー]]を用いた測定では、湾曲(メニスカス)が生じる。ここで標線 (Richtig abgelesen) を目標に、眼の高さを合わせる正しい使い方を知らなければ、読み取った測定値には誤りが生じる場合がある<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.hino.meisei-u.ac.jp/es/miyawaki/envexp/exp2.pdf|format=PDF |title=環境基礎実験(第2回講義)|author=岩見徳雄、宮脇健太郎、伊藤、大島|publisher=[[明星大学]]環境・生態学系|language=日本語|accessdate=2010-10-31}}</ref>。 ]]
=== 力量不足 ===
[[ヒューマンエラー]]が測定結果を誤らせる場合がある。これには、作業者の単純ミスから、知識・判断力の不足、[[視力]]など個人の能力差や[[癖]]などが介在する<ref name=SeihinHyouka /><ref name=Numazu>{{Cite web|和書|url=http://physics.numazu-ct.ac.jp/lab/exp/2003_4g/sokuteichi.doc |title=測定値の取扱い|author=齋藤成昭|publisher=国立[[沼津工業高等専門学校]]物理学教室|language=日本語|accessdate=2010-10-31}}</ref>。これらは管理を通じて対策する類のものであり<ref name=SeihinHyouka />、[[品質マネジメントシステム]]の[[国際規格]]である[[ISO 9000|ISO 9001:2008]] 6.2では、測定を行う手順を定める事と同時に、測定を実施する人間に対する[[教育]][[研修]]を行い、その力量(りきりょう)を評価することを要求事項に定めている<ref name=ISO9001>{{Cite web|和書|url= https://www.jma.or.jp/JMAQA/contents/data/qa403_04.pdf |format=PDF|title=JMAQA JISQ9001:2008 (ISO9001:2008) 規格解釈|author= |publisher=社団法人[[日本能率協会]]審査登録センター |language=日本語|accessdate=2010-10-31}}</ref>。
=== 測定器の問題 ===
測定にはそれぞれの方法に応じた機器が用いられるが、この機器そのものが狂いを内包している可能性が存在する。偏りや経時的な変化、[[磨耗]]、また電気機器では[[ノイズ]]なども影響する<ref name=SeihinHyouka />。ISO 9001:2008 7.6では、監視機器及び測定機器についてその正当性を保証するために[[校正]]もしくは検証またはその両方の実施と記録保存を義務づけている<ref name=ISO9001 />。
=== 許容範囲と仕様の問題 ===
プロセスまたは工業製品は、複数の施行または量産される中でぶれが発生し、それに応じて測定結果も一定しない。ただしこれには期待される機能である仕様が設定され、それの応じた測定値の許容範囲が決められる<ref name=SeihinHyouka />。ISO 9001:2008 7.1では、製品実現の計画段階にて品質目標と製品またはプロセスに対する要求事項を定め、妥当性確認と製品合否判定基準を設けるよう定めている<ref name=ISO9001 />。
== 解析 ==
=== 有効数字 ===
{{Main|有効数字}}
測定された値は、不確定なあいまいさが含まれる桁を最小桁として表示し、これは[[有効数字]]と呼ばれる。有効数字がどの桁に相当するかは測定器の表示方法に左右され、[[デジタル表示]]の場合は最小の桁を、[[アナログ]]表示の場合は最小目盛りの1/10までを読み取りこれをあいまいさが含まれる最小桁とする<ref name=GakugeiMatsuura>{{Cite web|和書|url=http://topicmaps.u-gakugei.ac.jp/phys/exp/titles/sigfig.asp |title=有効数字の表現|author=松浦執|publisher=[[東京学芸大学]]基礎自然科学講座理科教育分野|language=日本語|accessdate=2010-10-31}}</ref>。
この有効数字は、解析において[[加算]]・[[積算]]する際に、あいまいさを拡大させてしまう可能性があるため、桁数の揃えなど取り扱いに注意する必要がある<ref name=GakugeiMatsuura />。
=== 測定誤差と不確かさ ===
{{Main|誤差|正確度と精度|不確かさ (測定)}}
例えば特定の天体についてなどの単一対象を、同じ測定器を使い定められた正しい手順で複数回測定を行って得られた数値でも、往々にして一致せずある程度の分散状態が生じる<ref name=JIStayori4 />。これは、得られた量には系統誤差(かたより、正確度)や偶然誤差([[統計的ばらつき|ばらつき]]、精度)が存在し<ref name=Numazu /><ref name=JIStayori4>{{Cite web|和書|url= http://www.jtccm.or.jp/library/jtccm/public/mokuji07/0704_jistayori.pdf|format=PDF|title=新JISたより 不確かさの考え方(4) |author=|publisher=財団法人建材試験センター|language=日本語|accessdate=2010-10-31}}</ref>、それはどんな精巧な測定方法や測定器でも発生し(方法や機器に付随しない)、いわば測定値に付随する性質のものである<ref name=JIStayori4 />。
以前、これらはまとめて[[測定誤差]]と呼ばれていたが<ref name=NMIJA9>{{Cite web|和書|url=http://www.nmij.jp/~mprop-stats/stats-partcl/uncertainty/dlcount.php?fname=UncertaintyPhysicsEncyclopedia.pdf&dir=docs2 |format=PDF|title= A.9不確かさ|author=日本物理学会編物理データ事典、PP.547-549 |publisher=独立行政法人産業技術総合研究所|language=日本語|accessdate=2010-10-31}}</ref>、[[国際度量衡委員会]]1993年のガイドラインにおいて再定義が施され、真の値を含むデータの「ばらつきのパラメータ」、すなわちデータの範囲を示す指標<ref name=Kenchiku>{{Cite web|和書|url= http://www.gbrc.or.jp/contents/test_research/test_series/document/un_01.pdf|format=PDF|title=わかりやすい試験シリーズ 不確かさ|author=|publisher=財団法人日本建築総合試験所|language=日本語|accessdate=2010-10-31}}</ref>を「[[不確かさ (測定)|不確かさ]]」 (uncertainty) と定めた<ref name=NMIJA9 />。そして[[標準偏差]]と同じく統計学的な「標準不確かさ」が定められ、この2倍に当たる「拡張不確かさ」を測定の信頼率95%の指標と定めた<ref name=Imai134>[[#今井2007|今井(2007)、第5章 計量トレーサビリティが世界をつなぐ、p134-135]]</ref>。
標準偏差や信頼限界の間隔で示されるこの不確かさは、試験方法を総合的に判断する重要な[[尺度]]となり、ひいては品質のバロメーターとなる<ref name=Imai134 />。そのため、測定を行う際にはその不確かさの概念理解と把握を行う必要があり、[[ISO/IEC 17025]]では、測定者(試験所や校正機関)がこの不確かさを報告することを定めている<ref name=Seihin17025>{{Cite web|和書|url= http://www.iajapan.nite.go.jp/jnla/pdf/koukaib_f/dounyu.pdf |format=PDF|title= ISO/IEC17025規格の適用に伴う試験における測定の不確かさ概念の導入|author=|publisher=独立行政法人製品評価技術基盤機構|language=日本語 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20110925195015/http://www.iajapan.nite.go.jp/jnla/pdf/koukaib_f/dounyu.pdf |archivedate=2011-09-25|accessdate=2010-10-31}}</ref>。
ただし、実施時点では要求を充分に満たす技術が開発されていない測定や、費用面で実効的ではない点などは考慮されなければならない。これらは測定者では対応できず、その専門分野である[[計測工学]]が取り組む事項である。試験所・検査機関の認定指針を定める国際試験所認定会議 (International Laboratory Accreditation Conference, ILAC)は、このような測定方法開発の支援や促進を行う母体でもある<ref name=Seihin17025 />。
=== 確率論などの解析 ===
測定値が含むさまざまな誤差を修正する最も単純かつ典型的な方法は、複数の測定値の[[平均]]を取る事である。これによって真の値を得ることができるわけではないが、その近似値または極限値を知る事は可能である<ref>{{Cite journal|和書|author=柴田銀次郎 |title=平均概念について |journal=国民経済雑誌 |ISSN=03873129 |publisher=神戸大学経済経営学会 |year=1960 |month=jul |volume=102 |issue=2 |pages=1-16 |naid=110000441515 |doi=10.24546/00167650 |url=http://www.lib.kobe-u.ac.jp/handle_kernel/00167650}}</ref>。
測定値の集団は初歩の[[確率論]]で解析される。[[分散 (確率論)|分散]]や確率分布関数および確率密度関数、標本を用いた解析などがその手法に該当する<ref name=RyukyuHanba0>{{Cite web|和書|url=http://dsl4.eee.u-ryukyu.ac.jp/DOCS/error/ |title=測定値の取扱いと実験データ解析|author=半場滋|publisher=[[琉球大学]]工学部電気電子工学科電子システム工学講座|language=日本語|accessdate=2022-01-11}}</ref>。さらに、[[最小二乗法]]も解析の手段に用いられる<ref name=RyukyuHanba0 />。
== 歴史 ==
=== 単位の歴史 ===
測定がいつどこで始められたかははっきりしないが、[[数]]が発明され、その「1」を単位に数えるという行為が測定の始まりとも言える<ref>[[#伊藤2005|伊藤(2005)、1.単位とは、12-15]]</ref>。その後、生活や産業にかかわる単位が定められたが、これらは小国家・地域など限定された範囲でのみ通用するものだった<ref>[[#伊藤2005|伊藤(2005)、1.単位とは、20-21]]</ref>。
[[戦国時代 (中国)|古代中国の戦国時代]]でも、[[度量衡]]はおろか三進法や十進法など[[位取り記数法]]もばらばらだった。これを最初に統一したのが[[秦]]の[[始皇帝]](即位:紀元前246年)だった<ref>[[#今井2007|今井(2007)、第1章 計るって何だろう、p22-23]]</ref>。西欧での統一は、[[五賢帝]]時代の[[ローマ帝国]](1世紀 - 2世紀)などで行われた。11世紀[[イギリス]]の[[ヘンリー1世 (イングランド王)|ヘンリー1世]]時代に現在でも用いられる長さの単位[[ヤード]]が制定された<ref name=Imai24>[[#今井2007|今井(2007)、第1章 計るって何だろう、p24-25]]</ref>。
[[File:Platinum-Iridium meter bar.jpg |thumb|right|1960年まで使用されていた[[白金]]・[[イリジウム]][[合金]]の[[メートル原器]]]]
{{Main|メートル法}}
1790年に[[フランス]]の[[シャルル=モーリス・ド・タレーラン=ペリゴール]]が提唱した普遍的な物理量基準の必要性に応じ、[[メートル]]と[[キログラム]]の[[白金]]製基準器が製作され、1799年に[[パリ]]の国立公文書館に収蔵された。この仕事は何度も見直しや変更が加えられ、1954年に採択された[[国際単位系]]へ繋がった<ref name=Imai24 />。
=== 測定と自然科学の発展 ===
17世紀に、自然科学は測定を基礎に発展した。[[ガリレオ・ガリレイ]]は『偽金鑑識官』の中で、[[宇宙]]を[[書物]]に喩え、その言語は[[数学]]で書かれており、手段をもってしか知ることができないと述べた。この知の手段こそ「測定」を指した。ガリレオ自身は敬虔な[[キリスト教|キリスト教徒]]であり、この言は[[神]]の存在否定を意図してはいなかった。しかし、18世紀には神を介さずに人間が[[自然]]と直接向き合うことが意識され、その手段として測定が知の技法として認識されるようになった<ref name=KobeKoike>{{Cite journal|和書|author=小池利彦, 平野亮 |title=<測定>の社会学 : ケトレーとブース(1) |journal=鶴山論叢 |ISSN=13463888 |publisher=鶴山論叢刊行会 |year=2010 |month=mar |issue=10 |pages=91-115 |naid=110007558326 |doi=10.24546/81002084 |url=http://www.lib.kobe-u.ac.jp/handle_kernel/81002084}}</ref>。[[オーギュスト・コント]]はこれら厳密な測定や実験などを重視する「科学」を[[実証主義]]の段階に達したものとみなし、それ以前の学問は「非科学」として区分した<ref>{{Cite web|和書|url= http://www.valdes.titech.ac.jp/~shingo/gakusi.htm |title=社会学史|author=池田心豪|publisher=[[東京工業大学]]社会理工学学研究科価値システム専攻|language=日本語|accessdate=2010-10-31}}</ref>。[[物理学者]][[ウィリアム・トムソン]](ケルビン卿)は「測定をする事ができない人物の知識は貧弱である」と述べ<ref group="2-" >[[トマス・クーン]]、安孫子誠也・佐野正博訳『科学革命における本質的緊張』「近代物理学における測定の機能」、[[みすず書房]]、1998年、p223</ref>、測定は知に到達する上で必須な方法論となった<ref name=KobeKoike />。
さらに誤差の問題についても、[[カール・フリードリヒ・ガウス]]や[[ピエール=シモン・ラプラス]]らが天文観測において[[確率論]]を用いた対策に取り組み、[[アドルフ・ケトレー]]が近代[[統計学]]を開闢することで対応と測定結果の説明法を立ち上げた。これらを含む測定方法の向上は近代科学を進歩させる原動力のひとつとなった<ref name=KobeKoike />。
=== 社会科学における測定と「科学」の変革 ===
ケトレーは、天文学における測定結果から誤差を確率論的に処理し客観的な法則を導く手法は、人間集団の行動など社会科学にも適用できると考えた。この思考の結実は1835年に刊行された『人間に就いて』であり、人間に関する法則を測定で導き出す試みとなり、「社会物理学」へ数値化の手法を持ち込んだ。[[チャールズ・ブース]]の貧困層の研究もまた同様の手法を社会へ向けた測定の成果と言える<ref name=KobeKoike />。
19世紀に興ったこのような自然科学に続く社会科学の動きは、12世紀以来のヨーロッパにおける従来のキリスト教的枠組みの中で思索を重ね、[[哲学]]を基本に[[神学]]・[[医学]]・[[法学]]などを修める「科学」とは大きく異なるものであった<ref name=KobeKoike />。また、従来の「科学者」とは神の召命によって選ばれた特別な人間という認識にも変革を与えた<ref name=KobeKoike /><ref group="2-" >[[村上陽一郎]]、『文明のなかの科学』[[青土社]]、1994年、p27</ref>。
=== 量子力学における測定 ===
{{Main|量子力学#量子力学の解釈問題}}
20世紀に入ってから構築された[[量子力学]]は、それまでの測定の考え方に変更を要請した。[[古典物理学]]では不可能な[[素粒子]]など微細な世界を高い精度で説明する量子力学は、物理量には状態による[[確率]]振幅があり、一様ではなく常に変動すると定めている。つまり、物理量の実在値(固有状態の物理量)はどのような観測をもってしても確認は不可能なものとしている<ref>{{Cite web|和書|url= http://www.quest.is.uec.ac.jp/q-school/archive/%E9%87%8F%E5%AD%90%E5%8A%9B%E5%AD%A6%E3%81%AE%E5%9F%BA%E7%A4%8E.pdf |format=PDF|title=量子情報科学ウィンタースクール2010スライド|author=木村元|publisher=[[電気通信大学]]大学院情報システム学研究科|language=日本語|accessdate=2010-10-31}}</ref>。この解釈は「量子力学の観測問題」として、現代でも論争が起こる課題である<ref>{{Cite web|和書|url= http://www.a.phys.nagoya-u.ac.jp/~taka/think/kansoku.html |title=量子力学の観測問題について|author=松原隆彦|publisher=[[名古屋大学]]理学部物理学科|language=日本語|accessdate=2010-10-31}}</ref>。
== 測定機器 ==
=== 測定と制御 ===
{{Main|制御理論|制御工学|制御システム}}
[[産業]]のあらゆる分野に導入されている[[機械]]が問題なく稼動したり、[[工事]]が図面通り正確に行われたりするためには[[制御]]が欠かせず、この制御を正確に実行するためには測定が必要になる。生産における原料の計量を例にすると、先ず量の「目標値」が設定される。取り分けるような場合では、機械(制御器)が一度操作して取り出した「操作量」が目標値と合致しているかどうかを測定し、一致していない場合は再度操作する量(2度目の「操作量」)を決定して加え、合計の「制御量」を再度測定する。この制御によって目標値の量を得る。これはフィードバック制御と言う。タンクに目標値の水を自動で溜めるような場合には、必要な操作量(例えば時間あたり水量)を計算し、測定を行いながら制御量が目標値となるまで制御器を稼動させる。これはフィードフォワード制御という<ref name=Imai34>[[#今井2007|今井(2007)、第2章 進化する計量、p34-35]]</ref>。
このような制御を行う際の測定には、正確性・迅速性・耐久性の3つが求められ、同時に的確な制御器への指示が必要となる。このため、それぞれの測定内容に適した測定法や機器([[センサー]])の選択や設定が検討される<ref name=Imai34 />。
[[File:Messschieber.jpg|thumb|200px|right|[[ノギス]]]]
[[File:Goniometro.jpg|thumb|200px|right|[[分度器]]]]
[[File:Balance a fleau.jpg |thumb|200px|right|[[天秤ばかり]]]]
[[File:Masu,One-sho measure,katori-city,Japan.JPG|thumb|200px|right|[[枡]]]]
=== 測定機器の例 ===
{{Main|計測機器の一覧}}
;長さを測定する機器
:[[ノギス]]、[[マイクロメータ]]、[[メジャー (測定機器)]]、[[指矩]](曲尺)
;角度を測定する機器
:[[分度器]]([[角度計]])、[[水平器]]、[[六分儀]]、[[トランシット]]
;重さ(質量)を測定する機器
:[[秤]]([[天秤ばかり]]、[[ばねばかり]])、[[体重計]]
;体積を測定する機器
:[[枡]]
;時間を測定する機器
:[[時計]]、[[ストップウオッチ]]
;圧力を測定する機器
:[[圧力計]]、[[気圧計]]、[[血圧計]]
;電圧を測定する機器
:[[電圧計]]、[[電位差計]]、[[オシロスコープ]]
;電流を測定する機器
:[[電流計]]、[[クランプメーター]]、[[漏電電流計]]
;電力・力率等を測定する機器
:[[電力計]]、[[電力量計]]、[[力率計]]
;抵抗を測定する機器
:[[ダブルブリッジ]]、[[接地抵抗計]]、[[ホイートストンブリッジ]]、[[絶縁抵抗計]]、[[インピーダンスメータ]]、[[体脂肪計]]
;周波数等を測定する機器
:[[周波数計]]、[[サイクルカウンタ]]
;複合した電力量を測定する機器
:テスター([[回路計]])
;照度を測定する機器
:[[光度計]]
== 様々な測定 ==
* [[年代測定]]とは、過去の時間的定点を計量的に測定することを指す。これは[[考古学]]や[[地質学]]、[[地球]]など惑星科学等で用いられる、最も強力な指標のひとつとなる。その方法は様々あるが、[[放射能]]の発見(ベックレル、1896年)を契機とした[[放射性元素]]の[[放射性崩壊|壊変]]から編み出された[[放射年代測定]]は高い有用性を示した。1969年に[[アポロ11号]]が持ち帰った[[月]]の[[石]]を分析するに当たり、これらの分析精度は飛躍的に向上し、1970年代以降は別の[[元素]]を用いた分析法も様々に開発されている<ref>{{Cite web|和書|url= http://home.hiroshima-u.ac.jp/er/ES_N_N1.html |title=兼岡 (1998) による〔『年代測定概論』 (1-11p) による〕、財団法人東京大学出版会 ISBN 4-13-060722-7|author=[[兼岡一郎]] |publisher=[[広島大学]]地球資源研究室|language=日本語|accessdate=2010-10-31}}{{リンク切れ|date=2022年1月}}</ref>。
* [[会計学]]における測定は、主に[[価値]](公正価値)を測定し「比較」を行うところに重点を置いている。そのために、[[企業]]の[[金融資産]]や[[負債]]など[[会計]]が測定され用いられるが、そのためには会計方法そのものの統一や測定されるべき属性、その評価について課題を残す<ref>{{Cite journal|和書|author=徳賀芳弘 |title=会計測定値の比較可能性 (<特集>ビジネスの国際化と財務会計) |journal=国民経済雑誌 |ISSN=0387-3129 |publisher=神戸大学経済経営学会 |year=1998 |month=jul |volume=178 |issue=1 |pages=49-61 |naid=120000943651 |doi=10.24546/00176259 |url=http://www.lib.kobe-u.ac.jp/handle_kernel/00176259}}</ref><ref>{{Cite journal|和書|author=小西範幸, 藤原華絵 |title=国際会計基準審議会の公正価値測定に関する予備的見解の分析:米国財務会計基準ステートメントとの比較を通して |journal=岡山大学経済学会雑誌 |ISSN=03863069 |publisher=岡山大学経済学会 |year=2008 |month=jun |volume=40 |issue=1 |pages=31-61 |naid=120002310679 |doi=10.18926/OER/13154 |url=https://doi.org/10.18926/OER/13154}}</ref>。
* 人体や動物の健康状態を測る[[健康診断]]ではいくつかの測定が行われる項目がある<ref>{{Cite web|和書|url=https://rnavi.ndl.go.jp/mokuji_html/000009360170.html |title=事例で学ぶ一般検診・特殊検診マニュアル|author= |publisher=[[国立国会図書館]]リサーチナビ|language=日本語|accessdate=2010-10-31}}</ref>。身長や体重などの他にも、例えば[[血液]]や[[尿]]などの[[成分]]や[[血糖値]]等を測定する診断では内臓など様々な健康状態を確認することができる。
== 関連項目 ==
{{wiktionary}}
* [[物性]]、[[物性値]]
* [[電気計測工学]] - [[電気抵抗の測定]]、[[電圧の測定]]、[[電流の測定]]、[[電力の測定]]
* [[作業環境測定法]]
* [[心理検査]] - [[知能検査]]、[[発達検査]]、[[性格検査]]
* [[臨床検査]]
* [[尺度水準]]:測定で得られる値は「間隔尺度」および「比尺度」に相当する<ref>{{Cite web|和書|url=http://hosho.ees.hokudai.ac.jp/~kazuki/base.html#4 |title=基礎知識‐知っておきたい統計用語|author=宮本和樹 |publisher=[[北海道大学]]大学院地球環境科学院植物生態学|language=日本語|accessdate=2010-10-31}}{{リンク切れ|date=2022年1月}}</ref>。
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 脚注 ===
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=== 脚注2 ===
本脚注は、出典・脚注内で提示されている「出典」を示しています。
{{Reflist|group="2-"}}
== 参考文献 ==
* {{Cite book|和書|author=監修:今井秀孝|title=トコトンやさしい計量の本|publisher=[[日刊工業新聞社]]|year=2007|edition=第1刷|isbn=978-4-526-05964-3|ref=今井2007}}
* {{Cite book|和書|author=伊藤英一郎|title=雑学3分間ビジュアル図解シリーズ 単位|publisher=[[PHP研究所]]|year=2005|edition=第1刷|isbn=4-569-64120-2|ref=伊藤2005}}
== 外部リンク ==
* {{ja icon}}[http://www.tech.sci.nagoya-u.ac.jp/machine/howto/meger.html 測定器の使い方] [[名古屋大学]] 全学技術センター
* {{en icon}}[http://www.bipm.org/utils/common/documents/jcgm/JCGM_200_2008.pdf BIPM International Vocabulary of Measurement (VIM) 国際計量基本用語集](PDF)
* {{en icon}}[http://www.unc.edu/~rowlett/units/index.html A Dictionary of Units of Measurement、測定単位辞典]
* {{ja icon}}[http://www.niigata-u.ac.jp/top/pickup/h22/220129.html 自分の笑顔を測定してみよう「スマイルスキャン」設置] [[新潟大学]]、「笑顔度」を%(パーセンテージ)で数値化する。
* {{Kotobank}}
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{{テクノロジー史}}
{{Normdaten}}
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[[Category:測定|*]]
[[Category:統計学]]
[[Category:会計]]
[[Category:心理学]]
[[Category:仮定 (論理学)]]
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17,619 |
日光江戸村
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日光江戸村(にっこうえどむら)は、栃木県日光市に存在し、江戸時代や戦国時代が主題のテーマパーク。
1986年4月23日に株式会社時代村(大新東子会社)により栃木県塩谷郡藤原町(現在の同県日光市鬼怒川)にて開園した。総敷地面積は49万5000m(約15万坪)。園内は江戸時代の町並みを再現しており、大忍者劇場などのアトラクション施設が置かれる。1990年代に髷を結った猫のキャラクター「ニャンまげ」を起用したテレビCMにより広く世間に知られた。時代劇撮影可能なオープンセットも備えており、テレビ番組や映画作品のロケ地に使用されることがある。1995年4月から1996年3月には日光江戸村制作時代劇『姫将軍大あばれ』がテレビ東京にて放送された。
営業時間は夏期(3月20日から11月30日)は午前9時から午後5時、冬期(12月1日から3月19日)は午前9時から午後4時。入園券名称は「手形」であり、1日手形は大人4800円、小人2500円。午後手形は大人4100円、小人2100円で、夏期は午後2時以降、冬期は午後1時以降に入園可能となる。障害者割引、シルバー割引もある。
「江戸」という名称ではあるが、実際には戦国時代文化なども取り入れており、大忍者劇場や野外劇場では真田幸村や猿飛佐助といった戦国時代から江戸時代初期の武将や忍者の役柄が登場することもある。
園内は「街道」「商家町」「宿場所」「武家屋敷」「忍者の里」といった5つのエリアに分かれており、各エリアにそれぞれの特徴を生かした体験プログラムやアトラクションが用意されている。
鬼怒川温泉駅より路線バスで約15分・タクシーで約10分。最寄りICは今市IC。
最寄駅は鬼怒川温泉駅より2駅浅草寄りの小佐越駅で、同駅より1.5km程度。特急が停車しないため公式サイトでの案内はない。
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日光江戸村(にっこうえどむら)は、栃木県日光市に存在し、江戸時代や戦国時代が主題のテーマパーク。
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'''日光江戸村'''(にっこうえどむら)は、[[栃木県]][[日光市]]にある[[江戸時代]]や[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]が主題の[[テーマパーク]]。
== 概要 ==
1986年4月23日に[[大新東]]子会社の[[時代村|新東地域開発株式会社(現株式会社時代村)]]により栃木県[[塩谷郡]][[藤原町 (栃木県)|藤原町]](現在の同県日光市鬼怒川)にて開園<ref>{{Cite web |title=中小レジャー施設のサービス・マーケティング戦略-成功・失敗事例に見る場の構築ポイント-|url=https://researchmap.jp/read0078043/published_papers/6403376/attachment_file.pdf |website=https://researchmap.jp/ |date=2002-12-15 |access-date=2023-12-31}}</ref>。総敷地面積は49万5000m<sup>2</sup>(約15万坪)。園内は江戸時代の町並みを再現しており、[[大忍者劇場]]などのアトラクション施設が置かれる。1990年代に[[髷]]を結った猫の[[キャラクター]]「[[ニャンまげ]]」を起用した[[テレビコマーシャル|テレビCM]]により広く世間に知られた。時代劇撮影可能なオープンセットも備えており、テレビ番組や映画作品のロケ地に使用されることがある。1995年4月から1996年3月には日光江戸村制作時代劇『[[姫将軍大あばれ]]』がテレビ東京にて放送された。
営業時間は夏期(3月20日から11月30日)は午前9時から午後5時、冬期(12月1日から3月19日)は午前9時から午後4時。入園券名称は「[[通行手形|手形]]」であり、1日手形は大人4800円、小人2500円。午後手形は大人4100円、小人2100円で、夏期は午後2時以降、冬期は午後1時以降に入園可能となる。障害者割引、シルバー割引もある。
「江戸」という名称ではあるが、実際には戦国時代文化なども取り入れており、大忍者劇場や野外劇場では[[真田信繁|真田幸村]]や[[猿飛佐助]]といった[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]から[[江戸時代末期|江戸時代初期]]の武将や忍者の役柄が登場することもある。
園内は「街道」「商家町」「宿場所」「武家屋敷」「忍者の里」といった5つのエリアに分かれており、各エリアにそれぞれの特徴を生かした体験プログラムやアトラクションが用意されている。
== アクセス ==
[[鬼怒川温泉駅]]より路線バスで約15分・タクシーで約10分。最寄りICは[[今市インターチェンジ|今市IC]]。
最寄駅は鬼怒川温泉駅より2駅[[浅草駅|浅草]]寄りの[[小佐越駅]]で、同駅より1.5km程度。特急が停車しないため公式サイトでの案内はない。
== 脚注 ==
{{Reflist}}
== 外部リンク ==
* {{Official website|1=http://edowonderland.net/|2=EDO WONDERLAND 日光江戸村}}
* {{Instagram|edowonderland_official}}
* {{Twitter|edo_wonderland|EDO WONDERLAND 日光江戸村}}
* {{Facebook|edowonderland}}
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{{Normdaten}}
{{DEFAULTSORT:につこうえとむら}}
[[Category:鬼怒川温泉郷]]
[[Category:栃木県の観光地]]
[[Category:栃木県の遊園地]]
[[Category:日光市の建築物]]
[[Category:日本の劇場]]
[[Category:日本のテーマパーク]]
[[Category:忍者に関する施設]]
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[[Category:大新東|撤につこうえとむら]]
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17,620 |
ぜんまいばね
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ぜんまいばね(薇発条)は、弾性の高い素材を渦巻状に巻いた機械要素で、巻かれた渦巻きが、元に戻ろうとする力を機械装置の動力源として利用するばねの一種。山菜のゼンマイの新芽に形が似ていることからこの名がついた。渦巻き状であり渦巻ばねとも言われる。ばねを省略し、単にぜんまいと呼ぶこともある。
渦巻状の一方向巻き板ばねのみを指してスルメと言う場合があるが、これは他の方式・形状のぜんまいばねが存在したことと、スルメを焼いたときに反る様からの連想である。
ぜんまいばねは板状の金属などその面方向に巻き込んだもので、その中心軸を巻き込むことで面に対する横方向の変化を与える。力を出すときはこれが伸びる方向に変形するから、軸を回転させることができる。
ぜんまいばねを巻くことでエネルギーを貯蔵することができ、解放することで徐々にエネルギーに変換することができる。時計やおもちゃなどの動力として使われている。時計などの本体に内蔵されているぜんまいばねを巻くための差し込み式の器具を巻き鍵という。江戸時代には、くじらのひげを使ったぜんまいが、からくり人形で使われていた。また、自動機器や電気が普及する中でエコロジーやサバイバルの面からも見直されており、省電力で長時間動く機器の発電用や、使用時に補助的な動力が必要な機器、電力を用いないスライド式の自動ドアへの転用、農業用水路を使った水力発電の発動機に転用した実験も行われている。電力も電池も確保が難しい貧困国向けや、災害時の非常用として、ぜんまい式ラジオ、ぜんまい式ライトなども作られている。
時計などに用いられるS字に巻かれたぜんまいばねは、ばね全体にかかる応力を均等にして、弾性破断を防ぐために用いられている。
ぜんまいばねは、15世紀のヨーロッパでぜんまい式時計で使われ始めたのが最初である。1400年ごろ、錠前にばねが使われるようになった。そして、当時は時計職人が錠前職人も兼ねているのが普通だった。そのため、時計にばねを使うようになったと考えられる。ぜんまいばねを使うことでそれまでの錘で駆動する時計に比べると小さく携帯可能な時計が製作可能になり、1600年までに世界初の懐中時計が作られるに至った。一般に1511年ごろニュルンベルクの時計職人ピーター・ヘンラインがぜんまいばねを発明したとされている。しかし、1400年代に錘を使っていない携帯可能な時計の記述が文献に多数あり、少なくともヘンライン以前のぜんまい駆動の時計の実物が2つ現存している。現存する最古のぜんまい駆動の時計は、ニュルンベルクの Germanisches Nationalmuseum にある Burgunderuhr (Burgundy Clock) で、金メッキで装飾されている。図像学的研究によると、その時計は1430年ごろフィリップ3世(ブルゴーニュ公)のために作られたとされている。
初期のぜんまいばねは、焼き戻しや焼入れを施さない鋼で作られていた。ぜんまいを完全に巻いてもそれほどもたず、1日に2回巻く必要があったという。ヘンラインは1回巻くと40時間動作する時計を作ったとされている。 日本で有名なゼンマイ式時計として発明家、田中久重によって製作された万年自鳴鐘がある。このゼンマイは真鍮によって製作されており、その稼動時間はほぼ一年と非常に長いものであった。
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"text": "ぜんまいばねを巻くことでエネルギーを貯蔵することができ、解放することで徐々にエネルギーに変換することができる。時計やおもちゃなどの動力として使われている。時計などの本体に内蔵されているぜんまいばねを巻くための差し込み式の器具を巻き鍵という。江戸時代には、くじらのひげを使ったぜんまいが、からくり人形で使われていた。また、自動機器や電気が普及する中でエコロジーやサバイバルの面からも見直されており、省電力で長時間動く機器の発電用や、使用時に補助的な動力が必要な機器、電力を用いないスライド式の自動ドアへの転用、農業用水路を使った水力発電の発動機に転用した実験も行われている。電力も電池も確保が難しい貧困国向けや、災害時の非常用として、ぜんまい式ラジオ、ぜんまい式ライトなども作られている。",
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"text": "時計などに用いられるS字に巻かれたぜんまいばねは、ばね全体にかかる応力を均等にして、弾性破断を防ぐために用いられている。",
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"text": "ぜんまいばねは、15世紀のヨーロッパでぜんまい式時計で使われ始めたのが最初である。1400年ごろ、錠前にばねが使われるようになった。そして、当時は時計職人が錠前職人も兼ねているのが普通だった。そのため、時計にばねを使うようになったと考えられる。ぜんまいばねを使うことでそれまでの錘で駆動する時計に比べると小さく携帯可能な時計が製作可能になり、1600年までに世界初の懐中時計が作られるに至った。一般に1511年ごろニュルンベルクの時計職人ピーター・ヘンラインがぜんまいばねを発明したとされている。しかし、1400年代に錘を使っていない携帯可能な時計の記述が文献に多数あり、少なくともヘンライン以前のぜんまい駆動の時計の実物が2つ現存している。現存する最古のぜんまい駆動の時計は、ニュルンベルクの Germanisches Nationalmuseum にある Burgunderuhr (Burgundy Clock) で、金メッキで装飾されている。図像学的研究によると、その時計は1430年ごろフィリップ3世(ブルゴーニュ公)のために作られたとされている。",
"title": "歴史"
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"text": "初期のぜんまいばねは、焼き戻しや焼入れを施さない鋼で作られていた。ぜんまいを完全に巻いてもそれほどもたず、1日に2回巻く必要があったという。ヘンラインは1回巻くと40時間動作する時計を作ったとされている。 日本で有名なゼンマイ式時計として発明家、田中久重によって製作された万年自鳴鐘がある。このゼンマイは真鍮によって製作されており、その稼動時間はほぼ一年と非常に長いものであった。",
"title": "歴史"
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ぜんまいばね(薇発条)は、弾性の高い素材を渦巻状に巻いた機械要素で、巻かれた渦巻きが、元に戻ろうとする力を機械装置の動力源として利用するばねの一種。山菜のゼンマイの新芽に形が似ていることからこの名がついた。渦巻き状であり渦巻ばねとも言われる。ばねを省略し、単にぜんまいと呼ぶこともある。 渦巻状の一方向巻き板ばねのみを指してスルメと言う場合があるが、これは他の方式・形状のぜんまいばねが存在したことと、スルメを焼いたときに反る様からの連想である。
|
[[ファイル:Clock Mainspring.png|thumb|時計用ぜんまいばね]]
[[ファイル:Going barrel.png|thumb|時計のぜんまいばねを格納している香箱の断面図]]
[[ファイル:Watch automatic mainspring.jpg|thumb|自動巻き時計のぜんまいばね。左端はしっかり固定されているわけではなく、先端が折り曲げられ香箱の内側の突起に引っかかっており、ぜんまいばねが巻かれると香箱を回す。目的の方向と逆に回すと突起から外れるため、現代では[[コハゼ]]という装置で防がれている。]]
'''ぜんまいばね'''(薇発条)は、[[弾性]]の高い素材を渦巻状に巻いた[[機械要素]]で、巻かれた渦巻きが、元に戻ろうとする力を機械装置の動力源として利用する[[ばね]]の一種。[[山菜]]の[[ゼンマイ]]の新芽に形が似ていることからこの名がついた。[[渦巻き]]状であり'''渦巻ばね'''とも言われる。'''ばね'''を省略し、単に'''ぜんまい'''と呼ぶこともある。
渦巻状の一方向巻き板ばねのみを指して[[スルメ]]と言う場合があるが、これは他の方式・形状のぜんまいばねが存在したことと、スルメを焼いたときに反る様からの連想である。
== 利用 ==
ぜんまいばねは板状の金属などその面方向に巻き込んだもので、その中心軸を巻き込むことで面に対する横方向の変化を与える。力を出すときはこれが伸びる方向に変形するから、軸を回転させることができる。
ぜんまいばねを巻くことで[[エネルギー]]を貯蔵することができ、解放することで徐々にエネルギーに変換することができる。[[時計]]や[[おもちゃ]]などの動力として使われている。時計などの本体に内蔵されているぜんまいばねを巻くための差し込み式の器具を巻き鍵という。江戸時代には、[[鯨ひげ|くじらのひげ]]を使ったぜんまいが、[[からくり人形]]で使われていた。また、自動機器や[[電気]]が普及する中で[[エコロジー]]や[[サバイバル]]の面からも見直されており、省電力で長時間動く機器の[[発電]]用や、使用時に補助的な動力が必要な機器、電力を用いないスライド式の自動ドアへの転用、農業用水路を使った[[水力発電]]の発動機に転用した実験も行われている。電力も電池も確保が難しい貧困国向けや、災害時の非常用として、ぜんまい式ラジオ、ぜんまい式ライトなども作られている。
時計などに用いられるS字に巻かれたぜんまいばねは、ばね全体にかかる応力を均等にして、弾性破断を防ぐために用いられている。
== 歴史 ==
ぜんまいばねは、15世紀のヨーロッパでぜんまい式[[時計]]で使われ始めたのが最初である。1400年ごろ、錠前にばねが使われるようになった<ref name="White1966" >{{cite book | last=White| first=Lynn Jr. | title=Medieval Technology and Social Change | publisher=Oxford Univ. Press | year=1966 | location=New York | isbn=0195002660 }}, p.126-127</ref>。そして、当時は時計職人が錠前職人も兼ねているのが普通だった。そのため、時計にばねを使うようになったと考えられる。ぜんまいばねを使うことでそれまでの錘で駆動する時計に比べると小さく携帯可能な時計が製作可能になり、1600年までに世界初の[[懐中時計]]が作られるに至った。一般に1511年ごろ[[ニュルンベルク]]の時計職人[[ピーター・ヘンライン]]がぜんまいばねを発明したとされている<ref>{{cite book | last=Milham | first=Willis I. | title=Time and Timekeepers | year=1945 | publisher=MacMillan | location=New York | isbn=0780800087}}, p.121</ref><ref>{{ cite encyclopedia| title=Clock| encyclopedia=The New Encyclopaedia Britannica| volume=4| page=747| publisher=Univ. of Chicago| year=1974| url= https://books.google.co.jp/books?as_brr=0&id=Eb0qAAAAMAAJ&dq=Peter+Henlein+mainspring&q=peter+Henlein&pgis=1&redir_esc=y&hl=ja#search| isbn=0852292902}}</ref><ref>{{cite book| last=Anzovin| first=Steve| coauthors=Podell, Janet| title=Famous First Facts: A record of first happenings, discoveries, and inventions in world history| year=2000| publisher=H.W. Wilson| url=| isbn=0824209583}}, p.440</ref>。しかし、1400年代に錘を使っていない携帯可能な時計の記述が文献に多数あり、少なくともヘンライン以前のぜんまい駆動の時計の実物が2つ現存している<ref name="White1966" /><ref>{{cite book | last=Usher | first=Abbot Payson | title=A History of Mechanical Inventions | year=1988 | publisher=Courier Dover | isbn=048625593X | url= https://books.google.co.jp/books?id=xuDDqqa8FlwC&pg=PA305&sig=_SRpwfz0YBAjt2aGxXhmRkZ16GQ&redir_esc=y&hl=ja}}, p.305</ref><ref name="Rossum1997">{{cite book | last=Dohrn-van Rossum| first=Gerhard | title=History of the Hour: Clocks and Modern Temporal Orders | publisher=Univ. of Chicago Press | year=1997 | url= https://books.google.co.jp/books?id=53K32RiEigMC&pg=PA121&sig=5huN81ukYRbSlxq4MsToTDIXYDY&redir_esc=y&hl=ja | isbn=0-226-15510-2 }}, p.121</ref>。現存する最古のぜんまい駆動の時計は、ニュルンベルクの [[:en:Germanisches Nationalmuseum|Germanisches Nationalmuseum]] にある ''Burgunderuhr'' (Burgundy Clock) で、金メッキで装飾されている。[[図像学]]的研究によると、その時計は1430年ごろ[[フィリップ3世 (ブルゴーニュ公)|フィリップ3世(ブルゴーニュ公)]]のために作られたとされている<ref name="White1966" />。
初期のぜんまいばねは、[[焼き戻し]]や[[焼入れ]]を施さない鋼で作られていた。ぜんまいを完全に巻いてもそれほどもたず、1日に2回巻く必要があったという。ヘンラインは1回巻くと40時間動作する時計を作ったとされている。
日本で有名なゼンマイ式時計として発明家、[[田中久重]]によって製作された[[万年自鳴鐘]]がある。このゼンマイは[[真鍮]]によって製作されており、その稼動時間はほぼ一年と非常に長いものであった。
== 脚注・出典 ==
{{reflist|2}}
== 関連項目 ==
{{commonscat}}
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*[[ばね]]
*[[動力]]
*[[ぜんまい仕掛け]]
*[[ぜんまい式玩具]]
*{{仮リンク|ひげぜんまい|en|Balance spring}}
{{Div col end}}
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{{デフォルトソート:せんまいはね}}
[[Category:ばね]]
[[Category:時計]]
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17,621 |
96
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96(九十六、きゅうじゅうろく、ここのそじあまりむつ)は自然数、また整数において、95の次で97の前の数である。
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96(九十六、きゅうじゅうろく、ここのそじあまりむつ)は自然数、また整数において、95の次で97の前の数である。
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{{整数|Decomposition=2{{sup|5}} × 3}}
'''96'''('''九十六'''、きゅうじゅうろく、ここのそじあまりむつ)は[[自然数]]、また[[整数]]において、[[95]]の次で[[97]]の前の数である。
== 性質 ==
*96 は[[合成数]]であり、正の[[約数]]は [[1]], [[2]], [[3]], [[4]], [[6]], [[8]], [[12]], [[16]], [[24]], [[32]], [[48]], 96 である。
**[[約数の和]]は[[252]]。
***21番目の[[過剰数]]である。1つ前は[[90]]、次は[[100]]。
*** 約数の和が[[回文数]]になる9番目の数である。1つ前は[[81]]、次は[[98]]。({{OEIS|A028980}})
**12個の約数をもつ5番目の数である。1つ前は[[90]]、次は[[108]]。
**約数の和の[[平均]]が整数になる4番目の数である。1つ前は[[60]]、次は[[132]]。
**[[約数]]の積は782757789696。
***約数の積の値がそれ以前の数を上回る19番目の数である。1つ前は[[90]]、次は[[108]]。({{OEIS|A034287}})
*6番目の[[八角数]]であり、6(6 × 3 − 2) = 96。1つ前は[[65]]、次は[[133]]。
*[[ハーシャッド数]]でない12の倍数のうち最小の数である。
*{{sfrac|1|96}} = 0.01041{{underline|6}}… (下線部は循環節で長さは1)
**[[逆数]]が[[循環小数]]になる数で[[循環節]]が1になる16番目の数である。1つ前は[[90]]、次は[[120]]。({{OEIS|A070021}})
**{{sfrac|1|96}} = {{sfrac|1|240}}{{sub|(6)}} = 0.00213{{sub|(6)}} 、{{sfrac|1|96}} = {{sfrac|1|80}}{{sub|(12)}} = 0.016{{sub|(12)}}
* 異なる[[平方数]]の和で表せない31個の数の中で28番目の数である。1つ前は[[92]]、次は[[108]]。
*[[約数]]の和が96になる数は4個ある。([[42]], [[62]], [[69]], [[77]]) 4個の[[約数]]の和で表せる最小の数である。次は[[120]]。
* [[各位の和]]が15になる4番目の数である。1つ前は[[87]]、次は[[159]]。
*96 = 2{{sup|5}} × 3
**2つの異なる[[素因数]]の積で ''p''{{sup|5}} × ''q'' の形で表せる最小の数である。次は[[160]]。({{OEIS|A178740}})
** ''n'' = 5 のときの 3 × 2{{sup|''n''}} の値とみたとき1つ前は[[48]]、次は[[192]]。({{OEIS|A007283}})
** 96 = 2{{sup|5}} × 3{{sup|1}}
***2{{sup|''i''}} × 3{{sup|''j''}} (''i'' ≧ 1, ''j'' ≧ 1) で表せる9番目の数である。1つ前は[[72]]、次は[[108]]。({{OEIS|A033845}})
** 96 = 6 × 4{{sup|2}}
*** ''n'' = 4 のときの 6''n''{{sup|2}} の値とみたとき1つ前は[[54]]、次は[[150]]。({{OEIS|A033581}})
*** ''n'' = 2 のときの 6 × 4{{sup|''n''}} の値とみたとき1つ前は[[24]]、次は[[384]]。({{OEIS|A002023}})
** 96 = 2 × 3 × 4{{sup|2}} = 3{{sup|4}} + 3{{sup|3}} − 3{{sup|2}} − 3
*** ''n'' = 3 のときの ''n''{{sup|4}} + ''n''{{sup|3}} − ''n''{{sup|2}} − ''n'' の値とみたとき1つ前は[[18]]、次は[[300]]。({{OEIS|A047929}})
** 96 = 4 × 4! = 5! − 4!
*** ''n'' = 4 のときの ''n'' × ''n''! の値とみたとき1つ前は[[18]]、次は[[600]]。({{OEIS|A001563}})
*** ''n'' = 4 のときの 4''n''! の値とみたとき1つ前は[[24]]、次は[[480]]。({{OEIS|A052578}})
*96 = 4{{sup|2}} + 4{{sup|2}} + 8{{sup|2}}
** 3つの[[平方数]]の和1通りで表せる43番目の数である。1つ前は[[93]]、次は[[97]]。({{OEIS|A025321}})
* ''n'' = 96 のとき ''n'' と ''n'' + 1 を並べた数を作ると[[素数]]になる。''n'' と ''n'' + 1 を並べた数が素数になる15番目の数である。1つ前は[[92]]、次は[[102]]。({{OEIS|A030457}})
* 96 = 5{{sup|3}} − 5{{sup|2}} − 5 + 1
** ''n'' = 5 のときの ''n''{{sup|3}} − ''n''{{sup|2}} − ''n'' + 1 の値とみたとき1つ前は[[45]]、次は[[175]]。({{OEIS|A152618}})
* 96 = 10{{sup|2}} − 4
** ''n'' = 10 のときの ''n''{{sup|2}} − 4 の値とみたとき1つ前は[[77]]、次は[[117]]。({{OEIS|A028347}})
* 96 = 11{{sup|2}} − 25
** ''n'' = 11 のときの ''n''{{sup|2}} − 25 の値とみたとき1つ前は[[75]]、次は[[119]]。({{OEIS|A098603}})
* 96 = 14{{sup|2}} − 100
** ''n'' = 14 のときの ''n''{{sup|2}} − 100 の値とみたとき1つ前は[[69]]、次は[[125]]。({{OEIS|A120071}})
== その他 96 に関連すること ==
* [[原子番号]] 96 の[[元素]]は[[キュリウム]] (Cm)。
* 第96代[[天皇]]は[[後醍醐天皇]]である。
* [[96FM]]
* [[黒沢ダイスケ]]は「96」をアーティスト名義として使用する。
* [[日本]]の第96代[[内閣総理大臣]]は[[安倍晋三]]である。
* [[日本国憲法]]で改正の要件を定めているのは[[日本国憲法第96条|96条]]である。
* 第96代[[教皇|ローマ教皇]]は[[レオ3世 (ローマ教皇)|レオ3世]](在位:[[795年]]~[[816年]][[6月12日]])である。
* [[クルアーン]]における第96番目の[[スーラ (クルアーン)|スーラ]]は[[凝血 (クルアーン)|凝血]]である。
* [[1月1日]]を1日目としたとき、96日目には[[4月6日]]が当てはまる。
* キューロク - [[国鉄9600形蒸気機関車]]の通称。クンロクとも。
== 関連項目 ==
{{数字2桁|9|}}
* [[9月6日]]
* [[96式|九六式/96式]]
{{自然数}}
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https://ja.wikipedia.org/wiki/96
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17,622 |
95
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95(九十五、きゅうじゅうご、ここのそじあまりいつつ)は自然数、また整数において、94の次で96の前の数である。
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95(九十五、きゅうじゅうご、ここのそじあまりいつつ)は自然数、また整数において、94の次で96の前の数である。
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{{整数|Decomposition=5 × 19}}
'''95'''('''九十五'''、きゅうじゅうご、ここのそじあまりいつつ)は[[自然数]]、また[[整数]]において、[[94]]の次で[[96]]の前の数である。
== 性質 ==
*95 は[[合成数]]であり、正の[[約数]]は [[1]], [[5]], [[19]], 95 である。
**[[約数の和]]は[[120]]。
***[[約数]]の和が[[倍積完全数]][[120]]になる4番目の数(最大)である。1つ前は[[87]]。
***[[約数]]の和が[[倍積完全数]]になる7番目の数である。1つ前は[[87]]、次は[[276]]。
** [[素数]]を除いて σ(''n'') − ''n'' が[[平方数]]になる11番目の数である。1つ前は[[90]]、次は[[119]]。ただしσは[[約数関数]]。({{OEIS|A048699}})
**[[約数]]の個数が3連続([[93]],[[94]],95)で同じになる3番目の3連続の中で最大の数である。1つ前は[[87]]、次は[[143]]。
*34番目の[[半素数]]である。1つ前は[[94]]、次は[[106]]。
** 2桁では最大の半素数である。
*{{sfrac|1|95}} = 0.0{{underline|105263157894736842}}… (下線部は循環節で長さは18)
**[[逆数]]が[[循環小数]]になる数で[[循環節]]が18になる5番目の数である。1つ前は[[76]]、次は[[114]]。
* ''π''(500) = 95 (ただし''π''(''x'')は[[素数計数関数]])
**[[500]]までの素数は95個ある。1つ前の400までは[[78]]、次の600までは[[109]]。({{OEIS|A028505}})
*√{{overline|9000}} に最も近い整数である。√{{overline|9000}} = 94.86832…。94{{sup|2}} = 8836, 95{{sup|2}} = 9025。
*[[各位の和]]が14になる5番目の数である。1つ前は[[86]]、次は[[149]]。
* 95 = 5{{sup|3}} − 5{{sup|2}} − 5
** ''n'' = 5 のときの ''n''{{sup|3}} − ''n''{{sup|2}} − ''n'' の値とみたとき1つ前は[[44]]、次は[[174]]。({{OEIS|A152015}})
* 95 = 5! − 5{{sup|2}}
** ''n'' = 5 のときの ''n''! − ''n''{{sup|2}} の値とみたとき1つ前は[[8]]、次は[[684]]。({{OEIS|A005008}})
* 95 = 12{{sup|2}} − 49
** ''n'' = 12 のときの ''n''{{sup|2}} − 49 の値とみたとき1つ前は[[72]]、次は[[120]]。({{OEIS|A098848}})
== その他 95 に関連すること ==
*[[1月1日]]から数えて95日目は[[4月5日]]、閏年の場合は[[4月4日]]。
*[[オペレーティングシステム]]「[[Microsoft Windows 95|Windows 95]]」は[[マイクロソフト]]が[[1995年]]に発売した。
*[[原子番号]] 95 の[[元素]]は[[アメリシウム]] (Am)。
*[[土星]]は[[地球]]の約95倍の[[質量]]を持つ。
*第95代[[天皇]]は[[花園天皇]]である。
*[[95ヶ条の論題]]は[[マルティン・ルター]]が発表した。
*[[ドグマ95]]は[[デンマーク]]の[[映画]]運動。
*[[統計学]]では[[信頼区間|信頼係数]]として95[[%]]が使われる場合が多い。
*[[九五式折畳舟]]は[[大日本帝国陸軍]]の舟艇。
*[[日本]]の第95代[[内閣総理大臣]]は[[野田佳彦]]である。
*第95代[[教皇|ローマ教皇]]は[[ハドリアヌス1世 (ローマ教皇)|ハドリアヌス1世]](在位:[[772年]]~[[795年]])である。
*[[クルアーン]]における第95番目の[[スーラ (クルアーン)|スーラ]]は[[無花果 (クルアーン)|無花果]]である。
*[[JR東海キヤ95系気動車|キヤ95系]]は[[東海旅客鉄道|JR東海]]が保有する、「ドクター東海」と言われている[[軌道]][[検測車]]である。
== 関連項目 ==
{{数字2桁|9|}}
*[[9月5日]]
{{自然数}}
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https://ja.wikipedia.org/wiki/95
|
17,623 |
94
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94(九十四、きゅうじゅうし、くじゅうし、ここのそじあまりよつ)は自然数、また整数において、93の次で95の前の数である。
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"text": "94(九十四、きゅうじゅうし、くじゅうし、ここのそじあまりよつ)は自然数、また整数において、93の次で95の前の数である。",
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}
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94(九十四、きゅうじゅうし、くじゅうし、ここのそじあまりよつ)は自然数、また整数において、93の次で95の前の数である。
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{{整数|Decomposition=2 × 47}}
'''94'''('''九十四'''、きゅうじゅうし、きゅうじゅうよん、ここのそじあまりよつ)は[[自然数]]、また[[整数]]において、[[93]]の次で[[95]]の前の数である。
== 性質 ==
* 94 は[[合成数]]であり、正の[[約数]]は [[1]], [[2]], [[47]], 94 である。
**[[約数]]の和は[[144]]。
***[[約数]]の和が[[平方数]]になる7番目の数である。1つ前は[[81]]、次は[[115]]。
**[[約数]]の個数が3連続([[93]],94,[[95]])で同じになる3番目の中央の数である。1つ前は[[86]]、次は[[142]]。
* 94 = 2 × 47
** 33番目の[[半素数]]である。1つ前は[[93]]、次は[[95]]。
** 9 + 4 = 2 + 4 + 7 より6番目の[[スミス数]]である。1つ前は[[85]]、次は[[121]]。
* 94 は[[偶数]]で12番目の[[ノントーティエント]]である。1つ前は[[90]]、次は[[98]]。
*{{sfrac|1|94}} = 0.0{{underline|1063829787234042553191489361702127659574468085}}… (下線部は循環節で長さは46)
**[[逆数]]が[[循環小数]]になる数で[[循環節]]が46になる2番目の数である。1つ前は[[47]]、次は[[139]]。
* ''n'' = 94 のときの ''n''! − 1 で表せる 94[[階乗|!]] − 1 は11番目の[[階乗素数]]である。1つ前は[[38]]、次は[[166]]。({{OEIS|A002982}})
*94{{sup|2}} + 1 = 8837 であり、''n''{{sup|2}} + 1 の形で[[素数]]を生む19番目の数である。1つ前は[[90]]、次は[[110]]。
*[[各位の和]]が13になる6番目の数である。1つ前は[[85]]、次は[[139]]。
* 10進数3桁において[[完全数]] [[6]] の[[補数]]である。(例. 94 + 6 = 100)
*94 = 2<sup>2</sup> + 3<sup>2</sup> + 9<sup>2</sup> = 3<sup>2</sup> + 6<sup>2</sup> + 7<sup>2</sup>
** 3つの[[平方数]]の和2通りで表せる15番目の数である。1つ前は[[90]]、次は[[98]]。({{OEIS|A025322}})
** 異なる3つの[[平方数]]の和2通りで表せる8番目の数である。1つ前は[[90]]、次は[[98]]。({{OEIS|A025340}})
**94 = 2<sup>2</sup> + 3<sup>2</sup> + 9<sup>2</sup>
***''n'' = 2 のときの 2<sup>''n''</sup> + 3<sup>''n''</sup> + 9<sup>''n''</sup> の値とみたとき1つ前は[[14]]、次は764。({{OEIS|A074531}})
**94 = 3<sup>2</sup> + 6<sup>2</sup> + 7<sup>2</sup>
***''n'' = 2 のときの 3<sup>''n''</sup> + 6<sup>''n''</sup> + 7<sup>''n''</sup> の値とみたとき1つ前は[[16]]、次は586。({{OEIS|A074555}})
* 94 = 5{{sup|3}} − 5{{sup|2}} − 5 − 1
** ''n'' = 5 のときの ''n''{{sup|3}} − ''n''{{sup|2}} − ''n'' − 1 の値とみたとき1つ前は[[43]]、次は[[173]]。({{OEIS|A083074}})
== その他 94 に関連すること ==
*[[原子番号]] 94 の[[元素]]は[[プルトニウム]] (Pu)。<!--で、天然に存在する元素では原子番号が最大。-->
*第94代[[天皇]]は[[後二条天皇]]である。
*[[交響曲第94番 (ハイドン)]]
*[[日本]]の第94代[[内閣総理大臣]]は[[菅直人]]である。
*第94代[[教皇|ローマ教皇]]は[[ステファヌス3世 (ローマ教皇)|ステファヌス3世]](在位:[[768年]][[8月7日]]~[[772年]][[1月24日]])である。
*[[クルアーン]]における第94番目の[[スーラ (クルアーン)|スーラ]]は[[胸を広げる (クルアーン)|胸を広げる]]である。
== 関連項目 ==
{{数字2桁|9|}}
*[[9月4日]]
{{自然数}}
|
2003-09-21T00:49:17Z
|
2023-12-07T13:51:42Z
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https://ja.wikipedia.org/wiki/94
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17,624 |
93
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93(九十三、きゅうじゅうさん、ここのそじあまりみつ)は自然数、また整数において、92の次で94の前の数である。
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93(九十三、きゅうじゅうさん、ここのそじあまりみつ)は自然数、また整数において、92の次で94の前の数である。
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{{整数|Decomposition=3 × 31}}
'''93'''('''九十三'''、きゅうじゅうさん、ここのそじあまりみつ)は[[自然数]]、また[[整数]]において、[[92]]の次で[[94]]の前の数である。
== 性質 ==
* 93 は[[合成数]]であり、正の[[約数]]は [[1]], [[3]], [[31]], 93 である。
**[[約数の和]]は[[128]]。
***約数の和が[[2の累乗数]]になる6番目の数である。1つ前は[[31]]、次は[[127]]。
*32番目の[[半素数]]である。1つ前は[[91]]、次は[[94]]。
**93, [[94]], [[95]]と半素数が3連続する3番目の数である。1つ前は[[85]]、次は[[121]]。
** 約数の個数が3連続で同じになる3番目の数である。1つ前は[[85]]、次は[[141]]。
*93 × [[15]] = [[9]] × [[31]] × [[5]] = 1395
*{{sfrac|1|93}} = 0.{{underline|010752688172043}}… (下線部は循環節で長さは15)
**[[逆数]]が[[循環小数]]になる数で[[循環節]]が15になる3番目の数である。1つ前は[[62]]、次は[[124]]。
*約数の和が93になる数は1個ある。([[50]]) 約数の和1個で表せる25番目の数である。1つ前は[[91]]、次は[[102]]。
**約数の和が奇数になる11番目の数である。1つ前は[[91]]、次は[[121]]。
* [[各位の和]]が12になる7番目の数である。1つ前は[[84]]、次は[[129]]。
*93 = 2{{sup|2}} + 5{{sup|2}} + 8{{sup|2}}
** 3つの[[平方数]]の和1通りで表せる42番目の数である。1つ前は[[91]]、次は[[96]]。({{OEIS|A025321}})
** 異なる3つの[[平方数]]の和1通りで表せる28番目の数である。1つ前は[[91]]、次は[[104]]。({{OEIS|A025339}})
** ''n'' = 2 のときの 2{{sup|''n''}} + 5{{sup|''n''}} + 8{{sup|''n''}} の値とみたとき1つ前は[[15]]、次は[[645]]。({{OEIS|A074539}})
* ''n'' = 3 のときの ''n''{{sup|2}} と ''n'' を並べてできる数である。1つ前は[[42]]、次は[[164]]。({{OEIS|A055436}})
* 93 = 17{{sup|2}} − 196
** ''n'' = 17 のときの ''n''{{sup|2}} − 14{{sup|2}} の値とみたとき1つ前は[[60]]、次は[[128]]。({{OEIS|A132770}})
== その他 93 に関連すること ==
*[[原子番号]] 93 の[[元素]]は[[ネプツニウム]] (Np)。
*[[アメリカ同時多発テロ事件]]の飛行機ジャック([[ユナイテッド航空93便テロ事件]])をテーマにした映画「[[ユナイテッド93]]」。
*第93代[[天皇]]は[[後伏見天皇]]である。
*大麻を示す隠語。大麻 = 草 = 93。
*[[クルアーン]]における第93番目の[[スーラ (クルアーン)|スーラ]]は[[朝 (クルアーン)|朝]]である。
*[[93 (セレマ)]]
*[[日本]]の第93代[[内閣総理大臣]]は[[鳩山由紀夫]]である。
*第93代[[教皇|ローマ教皇]]は[[パウルス1世 (ローマ教皇)|パウルス1世]](在位:[[757年]][[5月29日]]~[[767年]][[6月28日]])である。
*[[九三]]は[[9月3日]]のことで、[[中国]]ではこの日を[[対日戦勝記念日#中国|対日戦勝記念日]]としていて、いまだたくさんの「九三街」や「九三小学」がある。
*[[年始]]から数えて93日目は[[4月3日]]、[[閏年]]では[[4月2日]]。
*世界で初めての酸素魚雷は、93式酸素魚雷。
*「グミ」の語呂合わせと掛けているのもの→[[グミ (曖昧さ回避)]]
*'''93''' は[[アフガニスタン]] (AFG) の国際電話 国番号
== 関連項目 ==
{{数字2桁|9|}}
*[[9月3日]]
{{自然数}}
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2023-03-22T23:36:23Z
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https://ja.wikipedia.org/wiki/93
|
17,625 |
92
|
92(九十二、きゅうじゅうに、ここのそじあまりふたつ)は自然数、また整数において、91の次で93の前の数である。
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"text": "92(九十二、きゅうじゅうに、ここのそじあまりふたつ)は自然数、また整数において、91の次で93の前の数である。",
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92(九十二、きゅうじゅうに、ここのそじあまりふたつ)は自然数、また整数において、91の次で93の前の数である。
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{{整数|Decomposition=2{{sup|2}} × 23}}
'''92'''('''九十二'''、きゅうじゅうに、ここのそじあまりふたつ)は[[自然数]]、また[[整数]]において、[[91]]の次で[[93]]の前の数である。
== 性質 ==
*92は[[合成数]]であり、正の[[約数]]は [[1]], [[2]], [[4]], [[23]], [[46]], 92 である。
**[[約数の和]]は[[168]]。
*8番目の[[五角数]]である。1つ前は[[70]]、次は[[117]]。
** 92 = 8 + 9 + 10 + 11 + 12 + 13 + 14 + 15
*[[ジョンソンの立体]]は全部で92種類ある。
*[[変形十二面体]]の面の数は92面である。
*{{sfrac|1|92}} = 0.01{{underline|0869565217391304347826}}… (下線部は循環節で長さは22)
**[[逆数]]が[[循環小数]]になる数で[[循環節]]が22になる4番目の数である。1つ前は[[69]]、次は[[115]]。
* 異なる[[平方数]]の和で表せない31個の数の中で27番目の数である。1つ前は[[76]]、次は[[96]]。
*[[各位の和]]が11になる8番目の数である。1つ前は[[83]]、次は[[119]]。
*[[完全数]]を作る数式 2<sup>''n''−1</sup>(2<sup>''n''</sup> − 1) からできる3番目の[[倍積完全数]][[28]]と4番目の[[倍積完全数]][[120]]の差が92である。1つ前は[[22]]、次は[[376]]。({{OEIS|A010036}})
* 92 = 1{{sup|3}} + 3{{sup|3}} + 4{{sup|3}}
** 3つの[[正の数]]の[[立方数]]の和1通りで表せる14番目の数である。1つ前は[[81]]、次は[[99]]。({{OEIS|A025395}})
**異なる3つの[[正の数]]の[[立方数]]の和1通りで表せる3番目の数である。1つ前は[[73]]、次は[[99]]。({{OEIS|A025399}})
** ''n'' = 3 のときの 1{{sup|''n''}} + 3{{sup|''n''}} + 4{{sup|''n''}} の値とみたとき1つ前は[[26]]、次は[[338]]。({{OEIS|A074506}})
* 92 = 2{{sup|2}} × 23
**2つの異なる[[素因数]]の積で ''p''{{sup|2}} × ''q'' の形で表せる13番目の数である。1つ前は[[76]]、次は[[98]]。({{OEIS|A054753}})
* ''n'' = 90 のとき ''n'' と ''n'' + 1 を並べた数を作ると[[素数]]になる。''n'' と ''n'' + 1 を並べた数が素数になる14番目の数である。1つ前は[[90]]、次は[[96]]。({{OEIS|A030457}})
== その他 92 に関連すること ==
*[[世界一の一覧|世界一]]長い[[地名]]、<em lang="mi">[[タウマタファカタンギハンガコアウアウオタマテアポカイフェヌアキタナタフ|Tetaumatawhakatangihangakoauaotamateaurehaeaturipukapihimaungahoronukupokaiwhenuaakitanarahu]]</em> の字数は92文字。
*[[原子番号]] 92 の[[元素]]は[[ウラン]] (U)。
*第92代[[天皇]]は[[伏見天皇]]である。
*[[チェス]]の盤と、駒[[クイーン (チェス)|クイーン]]を扱ったパズル『[[エイト・クイーン]]』の解の数。回転、鏡像解を数えない(排除する)場合は [[12]]。
*[[92式地雷原処理車]]は[[地雷原]]を[[地雷処理戦車]]を啓開することを目的としている。
*[[UDトラックス|日産ディーゼル]]の[[エンジン]]の型式名「[[日産ディーゼル・MD92エンジン]]」
*富山県[[射水市]]の[[太閤山ランド]]内の展望塔は[[1992年]]に建設され、高さ92メートル。
*第92代内閣総理大臣は[[麻生太郎]]である。
*第92代[[教皇|ローマ教皇]]は[[ステファヌス (教皇選出者)|ステファヌス2世]](在位:[[752年]][[3月23日]]~[[3月26日]])である。教皇に選出されて3日後に[[脳卒中]]で急死。歴代教皇の中で在任期間が最短であるが、教皇冠を戴冠することなく亡くなったため、正式な歴代ローマ教皇リストから除かれている。(正式なローマ教皇リストに載った教皇で、最短の在任期間は[[ウルバヌス7世 (ローマ教皇)|ウルバヌス7世]]。)
*第92代[[教皇|ローマ教皇]]は[[ステファヌス2世 (ローマ教皇)|ステファヌス2世]](在位:[[752年]][[3月26日]]~[[757年]][[4月26日]])である。ステファヌス2世が急死したため、彼を正規の第92代教皇とする文献もある。
*[[年始]]から数えて92日目は[[4月2日]]、閏年では[[4月1日]]。
*[[クルアーン]]における第92番目の[[スーラ (クルアーン)|スーラ]]は[[夜 (クルアーン)|夜]]である。
*92(クニ)は、音楽グループ・[[GReeeeN]]のメンバーの一人。
== 関連項目 ==
{{数字2桁|9|}}
*[[9月2日]]
{{自然数}}
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2022-06-19T02:52:00Z
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https://ja.wikipedia.org/wiki/92
|
17,626 |
91
|
91(九十一、きゅうじゅういち、ここのそじあまりひとつ)は自然数、また整数において、90の次で92の前の数である。
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91(九十一、きゅうじゅういち、ここのそじあまりひとつ)は自然数、また整数において、90の次で92の前の数である。
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{{整数|Decomposition=7 × 13}}
'''91'''('''九十一'''、きゅうじゅういち、ここのそじあまりひとつ)は[[自然数]]、また[[整数]]において、[[90]]の次で[[92]]の前の数である。
== 性質 ==
*91は[[合成数]]であり、正の[[約数]]は [[1]], [[7]], [[13]], 91 である。
**[[約数]]の和は[[112]]。
*31番目の[[半素数]]である。1つ前は[[87]]、次は[[93]]。
*91 = 1 + 2 + 3 + 4 + 5 + 6 + 7 + 8 + 9 + 10 + 11 + 12 + 13
**13番目の[[三角数]]である。1つ前は[[78]]、次は[[105]]。
***[[三角数]]が[[四角錐数]]となる3番目の数である。1つ前は[[55]]、次は[[208335]]。
*** 三角数において[[各位の和]]も三角数になる10番目の数である。1つ前は[[78]]、次は[[105]]。({{OEIS|A062099}})
***91 = 36 + 55
****2つの異なる三角数の和で表せる5番目の三角数である。1つ前は[[66]]、次は[[120]]。({{OEIS|A112352}})
*** 91 = 3 + 10 + 78 = 10 + 15 + 66 = 10 + 36 + 45 = 15 + 21 + 55
****3つの異なる[[三角数]]の和で表せる5番目の三角数である。1つ前は[[66]]、次は[[105]]。({{OEIS|A112353}})
***6番目の[[素数]]番目の三角数である。1つ前は[[66]]、次は[[153]]。({{OEIS|A034953}})
** 7番目の[[六角数]]である。1つ前は[[66]]、次は[[120]]。
**: 91 = 7 × (2 × 7 − 1)
*91 = 1{{sup|2}} + 2{{sup|2}} + 3{{sup|2}} + 4{{sup|2}} + 5{{sup|2}} + 6{{sup|2}}
**6番目の[[四角錐数]]である。1つ前は[[55]]、次は[[140]]。
**6連続整数の平方和とみたとき1つ前は[[55]]、次は[[139]]。ただし自然数の範囲では最小の数である。
* 91 = 3{{sup|3}} + 4{{sup|3}}
** 2つの正の数の[[立方数]]の和で表せる9番目の数である。1つ前は[[72]]、次は[[126]]。({{OEIS|A003325}})
** 2つの正の数の[[立方数]]の和で表せる2番目の三角数である。1つ前は[[28]]、次は[[351]]。({{OEIS|A113958}})
** 異なる2つの正の数の[[立方数]]の和で表せる6番目の数である。1つ前は[[72]]、次は[[126]]。({{OEIS|A024670}})
** ''n'' = 3 のときの ''n''{{sup|3}} + (''n'' + 1){{sup|3}} の値とみたとき1つ前は[[35]]、次は[[189]]。({{OEIS|A005898}})
** ''n'' = 3 のときの 3{{sup|''n''}} + 4{{sup|''n''}} の値とみたとき1つ前は[[25]]、次は[[337]]。({{OEIS|A074605}})
** 91 = 6{{sup|3}} + (−5){{sup|3}} = 3{{sup|3}} + 4{{sup|3}}
***2つの[[立方数]]の和2通りで表せる最小の数である。次は[[152]]。({{OEIS|A051347}})
****2つの正の数の立方数の和2通りで表せる数のうち最小なのは [[1729]] = 1{{sup|3}} + 12{{sup|3}} = 9{{sup|3}} + 10{{sup|3}} ([[キャブタクシー数]]、[[タクシー数]]参照)
*91 = 9{{sup|0}} + 9{{sup|1}} + 9{{sup|2}}
**''a'' = 9 のときの ''a''{{sup|0}} + ''a''{{sup|1}} + ''a''{{sup|2}} の値とみたとき1つ前は[[73]]、次は[[111]]。
***''a''{{sup|0}} + ''a''{{sup|1}} + ''a''{{sup|2}} で表せる3番目の三角数である。1つ前は[[21]]、次は[[703]]。
**9の累乗和とみたとき1つ前は[[10]]、次は[[820]]。({{OEIS|A002452}})
*** 91 = {{sfrac|9{{sup|3}} − 1|9 − 1}} = {{sfrac|10{{sup|3}} + 1|10 + 1}}
**91 = 3{{sup|0}} + 3{{sup|2}} + 3{{sup|4}}
***''a'' = 3 のときの ''a''{{sup|0}} + ''a''{{sup|2}} + ''a''{{sup|4}} の値とみたとき1つ前は[[21]]、次は[[273]]。({{OEIS|A059826}})
*** 91 = (3{{sup|2}} + 3 + 1) × (3{{sup|2}} − 3 + 1)
**91 = 1{{sup|2}} + 3{{sup|2}} + 9{{sup|2}}
*** 3つの[[平方数]]の和1通りで表せる41番目の数である。1つ前は[[88]]、次は[[93]]。({{OEIS|A025321}})
*** 異なる3つの[[平方数]]の和1通りで表せる27番目の数である。1つ前は[[84]]、次は[[93]]。({{OEIS|A025339}})
*** ''n'' = 2 のときの 1{{sup|''n''}} + 3{{sup|''n''}} + 9{{sup|''n''}} の値とみたとき1つ前は[[13]]、次は[[757]]。({{OEIS|A034513}})
*{{sfrac|1|91}} = 0.{{underline|010989}}… (下線部は循環節で長さは6)
**[[逆数]]が[[循環小数]]になる数で[[循環節]]が6になる18番目の数である。1つ前は[[84]]、次は[[104]]。
*[[約数]]の和が91になる数は1個ある。([[36]]) 約数の和1個で表せる24番目の数である。1つ前は[[78]]、次は[[93]]。
**[[約数]]の和が奇数になる10番目の奇数である。1つ前は[[63]]、次は[[93]]。
*[[各位の和]]が10になる9番目の数である。1つ前は[[82]]、次は[[109]]。
* 各位の積が9になる4番目の数である。1つ前は[[33]]、次は[[119]]。({{OEIS|A034056}})
* 91 = 6{{sup|3}} − 5{{sup|3}}
** ''n'' = 6 のときの ''n''{{sup|3}} − (''n'' − 1){{sup|3}} の値とみたとき1つ前は[[61]]、次は[[127]]。({{OEIS|A003215}})
** 91 = 6{{sup|2}} + 6 × 5 + 5{{sup|2}}
***1辺6の[[立方体]]を1辺1の[[立方体]]216個を使って作ったとき、同時に見ることができる1辺1の[[立方体]]は最大91個である。
**6番目の[[中心つき六角数]]である。
* 91 = 10{{sup|2}} − 9
** ''n'' = 10 のときの ''n''{{sup|2}} − 9 の値とみたとき1つ前は[[72]]、次は[[112]]。({{OEIS|A028560}})
== その他 91 に関連すること ==
*[[原子番号]] 91 の[[元素]]は[[アクチノイド]]の[[プロトアクチニウム]] (Pa) である。
*'''91''' は[[インド]] (IND) の国際電話 国番号
*第91代[[天皇]]は[[後宇多天皇]]である。
*日本の第91代[[内閣総理大臣]]は[[福田康夫]]である。
*第91代[[教皇|ローマ教皇]]は[[ザカリアス (ローマ教皇)|ザカリアス]](在位:[[741年]][[12月3日]]~[[752年]][[3月15日]])である。
*[[年始]]から数えて91日目は[[4月1日]](閏年は[[3月31日]]。)学校、企業の新年度の開始日。
*[[タイ王国|タイ]]で[[無鉛ガソリン|レギュラーガソリン]]のこと。
*[[クルアーン]]における第91番目の[[スーラ (クルアーン)|スーラ]]は[[太陽 (クルアーン)|太陽]]である。
*平面上において最も密に円を並べたときの[[充填率]]は約91%である。(正確には<math>\frac{\sqrt{3}\pi}{6}</math>である。)({{OEIS|A093766}})
== 関連項目 ==
{{数字2桁|9|}}
*[[9月1日]]
*[[マッカーシーの91関数]]
{{自然数}}
| null |
2023-03-22T23:35:05Z
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"Template:自然数",
"Template:整数",
"Template:OEIS",
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"Template:Sfrac",
"Template:Underline",
"Template:数字2桁"
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https://ja.wikipedia.org/wiki/91
|
17,627 |
90
|
90(九十、きゅうじゅう、ここのそ、ここそじ) は自然数、また整数において、89の次で91の前の数である。
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90(九十、きゅうじゅう、ここのそ、ここそじ) は自然数、また整数において、89の次で91の前の数である。
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{{整数|Decomposition=2 × 3{{sup|2}} × 5}}
'''90'''('''九十'''、きゅうじゅう、ここのそ、ここそじ) は[[自然数]]、また[[整数]]において、[[89]]の次で[[91]]の前の数である。
== 性質 ==
* 90 は[[合成数]]であり、[[約数]]は [[1]], [[2]], [[3]], [[5]], [[6]], [[9]], [[10]], [[15]], [[18]], [[30]], [[45]], 90 である。
** [[約数の和]]は[[234]]。
***20番目の[[過剰数]]である。1つ前は[[88]]、次は[[96]]。
****90を除く約数の和は 234 − 90 = [[144]] である。
***** [[素数]]を除いて σ(''n'') − ''n'' が[[平方数]]になる10番目の数である。1つ前は[[76]]、次は[[95]]。ただしσは[[約数関数]]。({{OEIS|A048699}})
** 12個の約数をもつ4番目の数である。1つ前は[[84]]、次は[[96]]。
** 1から10までのうち、[[4]]の倍数(4, [[8]])と[[7]]を除いた数で割り切れる数である。
**[[約数]]の積は531441000000。
***約数の積の値がそれ以前の数を上回る18番目の数である。1つ前は[[84]]、次は[[96]]。({{OEIS|A034287}})
** 自身を除く約数の中で[[不足数]]の約数を加えたとき自身になる3番目の数である。1つ前は[[28]]、次は[[496]]。({{OEIS|A125310}})
**:例.1 + 2 + 3 + 5 + 9 + 10 + 15 + 45 = 90 (6は[[完全数]]、18と30は[[過剰数]])
* 90から[[96]]まではすべて合成数で、7個連続で合成数が続く。
**[[合成数]]の連続数がこれ以前の数を上回る数である。1つ前の5連続は[[24]]、次の13連続は[[114]]。({{OEIS|A008950}})
* 90 = 9 × 10
**9番目の[[矩形数]]である。1つ前は[[72]]、次は[[110]]。
**90 = 9{{sup|1}} + 9{{sup|2}} = 10{{sup|2}} − 10{{sup|1}}
***9の自然数乗の和とみたとき1つ前は[[9]]、次は[[819]]。
**90 = 2 + 4 + 6 + 8 + 10 + 12 + 14 + 16 + 18
** 90 = 10 × 3{{sup|2}}
*** ''n'' = 3 のときの 10''n''{{sup|2}} の値とみたとき1つ前は[[40]]、次は[[160]]。({{OEIS|A033583}})
*** ''n'' = 2 のときの 10 × 3{{sup|''n''}} の値とみたとき1つ前は[[30]]、次は[[270]]。({{OEIS|A005052}})
* 90 = 2 × 3{{sup|2}} × 5
** 3つの異なる[[素因数]]の積で ''p''{{sup|2}} × ''q'' × ''r'' の形で表せる3番目の数である。1つ前は[[84]]、次は[[126]]。({{OEIS|A085987}})
*{{sfrac|1|90}} = 0.0{{underline|1}}… (下線部は[[循環節]]で長さは1)
**[[逆数]]が[[循環小数]]になる数で[[循環節]]が1になる15番目の数である。1つ前は[[75]]、次は[[96]]。({{OEIS|A070021}})
*90{{sup|2}} + 1 = 8101 であり、''n''{{sup|2}} + 1 の形で素数を生む18番目の自然数である。1つ前は[[84]]、次は[[94]]。
*90{{sup|4}} + 1 = 65610001 であり、''n''{{sup|4}} + 1 の形で素数を生む18番目の自然数である。1つ前は[[88]]、次は[[106]]。
*32番目の[[ハーシャッド数]]である。1つ前は[[84]]、次は[[100]]。
**9を基とする10番目のハーシャッド数である。1つ前は[[81]]、次は[[108]]。
**2桁では最大のハーシャッド数である。
**[[各位の和]]が[[平方数]]になる19番目の数である。1つ前は[[88]]、次は[[97]]。({{OEIS|A028839}})
*各位の平方和が[[平方数]]になる22番目の数である。1つ前は[[86]]、次は[[100]]。({{OEIS|A175396}})
**各位の和と各位の平方和が両方とも平方数になる6番目の数である。1つ前は[[40]]、次は[[100]]。({{OEIS|A197125}})
*各位の[[立方和]]が[[平方数]]になる12番目の数である。1つ前は[[88]]、次は[[100]]。({{OEIS|A197039}})
**各位の和と各位の平方和と各位の立方和がすべて平方数になる6番目の数である。1つ前は[[40]]、次は[[100]]。({{OEIS|A197129}})
*約数の和が90になる数は3個ある。([[40]], [[58]], [[89]]) 約数の和3個で表せる6番目の数である。1つ前は84、次は[[224]]。
*[[ノントーティエント]]である11番目の[[偶数]]。1つ前は[[86]]、ただし6の倍数では最小、次は[[94]]。
* 90 = 9{{sup|2}} + 3{{sup|2}}
** 異なる2つの[[平方数]]の和で表せる27番目の数である。1つ前は[[89]]、次は[[97]]。({{OEIS|A004431}})
**''n'' = 2 のときの 9{{sup|''n''}} + 3{{sup|''n''}} = 3{{sup|2''n''}} + 3{{sup|''n''}} = 3{{sup|''n''}}(3{{sup|''n''}} + 1) の値とみたとき1つ前は[[12]]、次は[[756]]。({{OEIS|A074610}})
** 90 = 3{{sup|4}} + 3{{sup|2}}
*** ''n'' = 3 のときの ''n''{{sup|4}} + ''n''{{sup|2}} の値とみたとき1つ前は[[20]]、次は[[272]]。({{OEIS|A071253}})
*90 = 2{{sup|2}} + 3{{sup|2}} + 4{{sup|2}} + 5{{sup|2}} + 6{{sup|2}}
**5連続[[自然数]]の[[平方和]]で表せる2番目の数である。1つ前は[[55]]、次は[[135]]。
*90 = 1<sup>2</sup> + 5<sup>2</sup> + 8<sup>2</sup> = 4<sup>2</sup> + 5<sup>2</sup> + 7<sup>2</sup>
** 3つの[[平方数]]の和2通りで表せる14番目の数である。1つ前は[[83]]、次は[[94]]。({{OEIS|A025322}})
** 異なる3つの[[平方数]]の和2通りに表せる7番目の数である。1つ前は[[89]]、次は[[94]]。({{OEIS|A025340}})
**90 = 1<sup>2</sup> + 5<sup>2</sup> + 8<sup>2</sup>
***''n'' = 2 のときの 1<sup>''n''</sup> + 5<sup>''n''</sup> + 8<sup>''n''</sup> の値とみたとき1つ前は[[14]]、次は[[638]]。({{OEIS|A074518}})
**90 = 4<sup>2</sup> + 5<sup>2</sup> + 7<sup>2</sup>
***''n'' = 2 のときの 4<sup>''n''</sup> + 5<sup>''n''</sup> + 7<sup>''n''</sup> の値とみたとき1つ前は[[16]]、次は[[532]]。({{OEIS|A074562}})
*90 = 1{{sup|2}} + 2{{sup|2}} + 6{{sup|2}} + 7{{sup|2}} = 1{{sup|2}} + 3{{sup|2}} + 4{{sup|2}} + 8{{sup|2}}
**異なる4つの[[平方数]]の和2通りで表せる最小の数である。次は[[94]]。({{OEIS|A025377}})
***異なる4つの[[平方数]]の和 ''n'' 通りで表せる最小の数である。1つ前の1通りは[[30]]、次の3通りは[[78]]。({{OEIS|A025417}})
**90 = 1{{sup|2}} + 2{{sup|2}} + 2{{sup|2}} + 9{{sup|2}} = 1{{sup|2}} + 2{{sup|2}} + 6{{sup|2}} + 7{{sup|2}} = 1{{sup|2}} + 3{{sup|2}} + 4{{sup|2}} + 8{{sup|2}} = 2{{sup|2}} + 5{{sup|2}} + 5{{sup|2}} + 6{{sup|2}} = 3{{sup|2}} + 3{{sup|2}} + 6{{sup|2}} + 6{{sup|2}} = 3{{sup|2}} + 4{{sup|2}} + 4{{sup|2}} + 7{{sup|2}}
***4つの[[平方数]]の和6通りで表せる最小の数である。次は[[124]]。({{OEIS|A025362}})
****4つの[[平方数]]の和 ''n'' 通りで表せる最小の数である。1つ前の5通りは[[82]]、次の7通りは[[135]]。({{OEIS|A025416}})
* 90 = 5{{sup|3}} − 3{{sup|3}} − 2{{sup|3}}
** ''n'' = 3 のときの 5{{sup|''n''}} − 3{{sup|''n''}} − 2{{sup|''n''}} の値とみたとき1つ前は[[12]]、次は[[528]]。({{OEIS|A135158}})
** [[素数]] ''p'' = 3 のときの 5{{sup|''p''}} − 3{{sup|''p''}} − 2{{sup|''p''}} の値とみたとき1つ前は[[12]]、次は2850。({{OEIS|A135173}})
* 90 = 3 + 3 + 3 + 3{{sup|3}} + 3{{sup|3}} + 3{{sup|3}}
** ''n'' = 3 のときの 3''n''{{sup|3}} + 3''n'' の値とみたとき1つ前は[[30]]、次は[[204]]。({{OEIS|A119536}})
* ''n'' = 90 のとき ''n'' と ''n'' + 1 を並べた数を作ると[[素数]]になる。''n'' と ''n'' + 1 を並べた数が素数になる13番目の数である。1つ前は[[80]]、次は[[92]]。({{OEIS|A030457}})
* 90 = [[360]] ÷ 4
** [[正方形]]の内角は90°である。
*** [[正多角形|正 ''n'' 角形]]において[[内角]]が[[度 (角度)|度数法]]で整数になる2番目の角度である。1つ前は[[60]]°、次は[[108]]°。({{OEIS|A110546}})
** [[1/4|{{sfrac|1|4}}]] 周は90[[度 (角度)|°]]で[[直角]]という。
* 90 = 1{{sup|2}} + 2{{sup|3}} + 3{{sup|4}}
** ''n'' = 3 のときの <math>\sum^n_{k=1}k^{k+1} </math> の値とみたとき1つ前は[[9]]、次は[[1114]]。({{OEIS|A062815}})
** ''n'' = 0 のときの ''n''{{sup|1}} + (''n'' + 1){{sup|2}} + (''n'' + 2){{sup|3}} + (''n'' + 3){{sup|4}} の値とみたとき、[[負の数]]を含まないとき最小、含むとき1つ前は[[16]]、次は[[288]]。({{OEIS|A027621}})
* 90 = {{sfrac|1{{sup|3}} + 2{{sup|3}} + 3{{sup|3}}|7{{sup|0}} + 7{{sup|1}} + 7{{sup|2}} + 7{{sup|3}}}} × 10{{sup|3}}
== その他 90 に関連すること ==
*'''90 × 単位'''
**90[[度 (角度)|°]] = {{sfrac|[[円周率|{{π}}]]|2}}([[ラジアン]])= R([[直角]])<!--直角の性質についてはここでは不要です-->
**[[サッカー]]の1試合は90[[分]](=1時間半)である。ただし途中に[[ハーフタイム]]が入る。
** 90 = [[144]] × ([[5/8]]) = [[12]]<sup>2</sup> × (5/8)
*** [[十二進法]]で 76 であり、7[[ダース]]6個、5/8[[グロス]]に当たる。
*'''言葉'''
**90 の[[接頭辞]]:nonagint([[ラテン語|拉]])、enneaconta([[ギリシャ語|希]])
**[[ラテン語]]では nonaginta(ノーナーギンター)。
**卒寿: 満90歳(昔は満89歳 = 90年目)の祝い。卒の別[[字体]]「卆」が「九十」に見えることから。
*'''90番目のもの'''
**[[原子番号]] 90 の[[元素]]は[[トリウム]] (Th)
**第90代[[天皇]]は[[亀山天皇]]である。
**日本の第90代[[内閣総理大臣]]は[[安倍晋三]]である。
**第90代[[教皇|ローマ教皇]]は[[グレゴリウス3世 (ローマ教皇)|グレゴリウス3世]](在位:[[731年]][[3月18日]]~[[741年]][[11月28日]])である。
**[[クルアーン]]における第90番目の[[スーラ (クルアーン)|スーラ]]は[[町 (クルアーン)|町]]である。
**[[年始]]から数えて90日目は[[3月31日]]、[[閏年]]は[[3月30日]]。
**'''90''' は[[トルコ]] (TR) の国際電話 国番号
*'''xx90年'''
**EXPO'90 は[[1990年]]に開催された[[国際花と緑の博覧会]]である。
**[[90式戦車]]は、日本の[[自衛隊]]の主力[[戦車]]である。
*'''その他'''
*[[福岡ソフトバンクホークス]]の背番号90は、[[水島新司]]の漫画「[[あぶさん]]」に登場する[[景浦安武]]の背番号のために、現在欠番となっている。
*[[エア・フロリダ90便墜落事故]]
== 関連項目 ==
{{Wiktionarypar|九十}}
{{数字2桁|9|}}
* [[度 (角度)]]
**'''90''' [[180]] [[270]] [[360]]
**[[45]] '''90''' [[135]] [[180]] [[225]] [[270]] [[315]] [[360]]
**[[30]] [[60]] '''90''' [[120]] [[150]] [[180]] [[210]] [[240]] [[270]] [[300]] [[330]] [[360]]
**[[18]] [[36]] [[54]] [[72]] '''90''' [[108]] [[126]] [[144]] [[162]] [[180]] [[198]] [[216]] [[234]] [[252]] [[270]] [[288]] [[306]] [[324]] [[342]] [[360]]
{{自然数}}
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2023-03-22T23:33:59Z
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https://ja.wikipedia.org/wiki/90
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燃えろ!!プロ野球
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『燃えろ!!プロ野球』(もえろ プロやきゅう、英題:Bases Loaded)は、トーセが開発し、ジャレコ(現:シティコネクション)より1987年6月26日に発売されたファミリーコンピュータ用野球ゲーム。通称燃えプロ。開発時の仮称は『リアルベースボール ペナントレース'87』。
最大の特徴はTV中継さながらの、投手後方からのアングルによるリアルなプレイ画面であり、ファミコン野球ゲームとしては初めての試みであった。これによって、従来の野球ゲームにあった上方からのアングルと異なり、投手はボールを左右のみでなく上下に投げ分けることが可能となり、打者もそれに対応してバットを上下左右にコントロールすることで、臨場感あるプレーを楽しめるというのが売りだった。また、当時の他社の野球ゲームに比べると、「チーム数」と「各チームの選手数」が格段に多く(ファミコン用の野球ソフトで初めてセ・リーグ・パ・リーグ全球団が収録されたソフトである)、さらに「選手名と背番号がほぼ一致していた」ため、プレイヤーはプロ野球チームの監督になったつもりで選手交代などの采配を奮うことができた。ほかにも、特徴のある選手の投球フォームや打撃フォームを表現している点、投手交代時やホームランの際の演出、合成音声の使用など、野球ファンの心をくすぐる仕様がふんだんに盛り込まれていた。
一方でゲームバランスの悪さも見受けられた。各チームに1人設定されている強打者であれば、バントの構え(外国人選手の場合、バントの構えが用意されていないのでハーフスイングで止める)をしているところにボールが当たるだけでホームラン性の打球が打てるという現象があり、「バントホームラン」の通称で広く知られている珍現象が起きた。
こうして、日本では158万本を出荷する大ヒットを記録し、ジャレコの家庭用ゲーム事業における最大のヒット作となった。
本作以降シリーズ化され、1988年にはMSX2用に『燃えろ!!熱闘野球'88』、1989年には業務用に『実力!!プロ野球』のタイトルで移植された。2004年には携帯電話ゲームやゲームボーイアドバンス(『燃えろ!!ジャレココレクション』に内包)で復刻版をそれぞれ配信開始・発売している。2007年9月11日からはWiiのバーチャルコンソールで、2013年5月15日からはニンテンドー3DSのバーチャルコンソールで、2014年10月22日からはWii Uのバーチャルコンソールで、それぞれ配信されている。なお、選手名は架空のものに変更されている(後述参照)。2017年2月8日からは発売元がシティコネクションに変更された。
当時の野球ゲームでは珍しく、1人プレイの場合プレイヤーが後攻固定だった(2人対戦プレイ時は1Pが後攻で2Pが先攻)。
ファミリーコンピュータ版はゲーム誌『ファミコン通信』の「クロスレビュー」にてゴールド殿堂入りを獲得した。
審判員のコールや打撃音、観客の歓声などといった効果音の再生にはDPCMではなく外部音声機能を使用している。このため、一部のエミュレータやファミコン互換機では音声が再現されない。
イベント発生時には球場のバックスクリーンに画面が切り替わる。たとえば投手交代の際にはリリーフカーに乗ってマウンドに移動する選手の姿、ホームランの際にはホームランを打たれた投手がマウンド上で崩れる姿(ソロと満塁で異なる)、デッドボールの際には乱闘、といったアニメーションがオーロラビジョンに映し出される。これらの演出はスキップできない。
タイトル画面には当時の人気選手であった江川卓を模したと思われる耳の大きなキャラクターが登場し、セレクトボタンを押してモードを切り替えるたびに首を振る。無死満塁のチャンスで三振に倒れると「アホ」という効果音が出る。
音声機能を使うなど、先進的・野心的なゲームではあったが、『ファミスタ』と比較するとゲームとしての見劣りはどうしてもぬぐいきれなかった。バントホームランなどの笑える一面もあったが、それらゲームの粗さが真剣にプレイする気持ちを萎えさせていたことは否定できない。
発売時、大量に出回った初期版では「ファウルの後どこに投げてもストライクと判定される」という現象があった。さらに、表示される打率・ホームラン数も選手の能力に反映されていない場合が多く、「HT CLUB」のヤキ ゙の走力がなぜか全選手中最高の10(他の選手の最高値は9)になっているという設定はその顕著な例であった。これらの問題から、ジャレコ本社には発売初日からクレームの電話が殺到したため、出回った製品を回収してデータを更新せざるを得なくなり、社員総出で徹夜で過酷なソフト改修作業を行ったという。今のようなデータのみの改修ではなく「パッケージを破壊して中のROMを差し替える」という荒っぽい作業だったためケガ人も多かったという。
リアルなグラフィックを売り物にしたが、その反面、操作性が劣悪なものになっている。ピッチングとバッティングは操作が困難だったが、特に守備では、ボールがバットのどこに当たってもフライになり(バントホームランが発生するのもこのためである)どの野手が操作可能かもわかりづらく、球場が広いうえに移動速度が遅いためフライが捕球できず、ゴロ処理の送球が悪送球になりやすい、という野球ゲームにとって致命的な欠陥がさらけだされた。
1試合あたりの所要時間は、『ファミスタ』が通常20分程度で終わるのに対し、50分ほどかかる。対コンピュータモードはペナントレースモードしかなく、11チーム相手(OBで構成されたStは除く)に1カード3連戦を戦い、132試合中80勝すると優勝=エンディングとなる長丁場である。そのため、あと1勝で優勝できるパスワードがゲーム雑誌の裏技面に載ったほどだった。今日のスポーツゲームにも見られる、ゲームとしてのテンポと表現のリアルさの対立がこのころから存在していたことになる。
「YS CLUB」チームの3番打者「ホーナー」は、当時ヤクルトスワローズに現役メジャーリーガーとして鳴り物入りで入団し、入団当初に桁外れの活躍をしたボブ・ホーナーをモデルとしている。ゲーム内でのホーナーの成績は打率4割6分7厘、本塁打60本に設定されている。またオープニングデモではホーナーがホームランを打つ場面が再現される。当時のプロデューサーでジャレコの社員だった関雅行は、雑誌『CONTINUE』(太田出版刊)Vol.14にて「ホーナーを柱にしなきゃいけないと思った...」と述懐していた。
バントホームランが打てる強打者として設定されているのは、クロマテ(G)、アキヤマ(L)、ハ ゙ース(T)、ランス(C)、ホ ゚ンセ(W)、オチアイ(D)、ホーナー(S)、オク ゙リ(Bu)、フ ゙ーマ(Br)、リー(O)、Pトナム(F)、カト ゙タ(H)、ミスタG(St)である。
2Pでは、セ・パ12チームのほかにStというOB選手によるチームが使用できる。登場する野手はタカキ ゙、コウシ ゙、ハリモト、ミスタG、タフ ゙チ、オオスキ、ヒロオカ、ノムラ、カワトウ、ナカニシ、トヨタ ゙、ヤマウチ、イセ、ヒロセ、オウ、タカイ、オオヤ、ヤサ ゙ワ。投手はムラヤマ、イナオ、ヒラマツ、カネタ ゙、スス ゙キ、エモト、アキヤマ、ホリウチ、オオトモ、エナツ、エイシ ゙、コヤマ。登録選手の約9割は打率3割以上である。
選手名は通常カタカナで4文字(濁点・半濁点は1文字として扱う、5文字以上の選手は短縮)までであるが、外国人選手の名前を表すためアルファベットも使用され、また変形表記もあった(湯上谷宏は「ユノカミ」、パットナムは「Pトナム」、ジョージ・ブコビッチは「Vコビ」など)。
本作のプロデュースを担当している関雅行は、同社の『エクセリオン』(1983年)や『フォーメーションZ』(1984年)などのファミリーコンピュータへの移植版を手がけたほか、『忍者じゃじゃ丸くん』(1985年)の開発などに携わっていた。それまでの同社のファミリーコンピュータ用ソフトは全てアーケードからの移植版しか存在しなかったことや、その当時のファミリーコンピュータの野球ゲームは任天堂より発売された『ベースボール』(1983年)しかない状態であったことから、野球を愛好していた関は家庭用ゲーム機オリジナルとなる野球ゲームの製作に着手することになった。
当初は『ベースボール』を基準とし、キャラクターサイズを大きくしたうえで音声合成チップを採用して野球場の雰囲気をリアルに再現したゲームを製作しており、同機種では初となるバンク切り換え方式が使用されることになった。しかし、開発中にナムコより『プロ野球ファミリースタジアム』(1986年)が発売されたことで開発が中止される事態となる。その後、関は野球ゲームの製作を諦めきれず、『ファミスタ』と異なる路線の野球ゲームの製作に着手、野球観戦をイメージしたゲームへと方向転換することになった。
ゲームタイトルは『ファミスタ』に対抗して語呂のよい略称を検討した結果、『燃えプロ』が選択された。またリアル志向の結果1球団に30名もの選手が登録されることになった。開発期間はおよそ半年程度となり、完成間近の状態でまだデバッグが完全ではない状態であったが、ジャレコの経営的な判断により6月中の発売が望まれたため、デバッグが不完全なまま発売されることになった。その後ユーザーからのクレームによりバッティングの際に素振りをすることでその後の判定が全てストライクになるというバグが発覚、しかし製品版はマスクROMのためバグ対応が間に合わず、苦肉の作として当時3倍程度割高となるEPROMで製作しそのまま出荷するという措置が取られた。そのためユーザーからクレームが来るたびに新データを入れ込み販売を行った結果、本作にはいくつものバージョンが存在するという。
本作では選手名が実名だったことから発売後には3球団からクレームが寄せられたため、後の作品ではとりあえず選手名を偽名にすることで対処することになった。また、のちにバップより発売された『スーパーリアルベースボール』(1988年)が日本野球機構の許諾を得て、初めて球団名および選手名が実名使用可能である作品となった経緯から、のちの交渉で許諾を得やすくなったと関は語っている。しかし、バグが残されたまま発売されたことやプレイ時間が長すぎることなど不完全燃焼となっていた関は、この後ジャレコを退社しヘクトを設立することになった。
この節では、タイトルに「燃えろ」ないしは「燃え」が入る作品も扱う。
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"text": "『燃えろ!!プロ野球』(もえろ プロやきゅう、英題:Bases Loaded)は、トーセが開発し、ジャレコ(現:シティコネクション)より1987年6月26日に発売されたファミリーコンピュータ用野球ゲーム。通称燃えプロ。開発時の仮称は『リアルベースボール ペナントレース'87』。",
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"text": "最大の特徴はTV中継さながらの、投手後方からのアングルによるリアルなプレイ画面であり、ファミコン野球ゲームとしては初めての試みであった。これによって、従来の野球ゲームにあった上方からのアングルと異なり、投手はボールを左右のみでなく上下に投げ分けることが可能となり、打者もそれに対応してバットを上下左右にコントロールすることで、臨場感あるプレーを楽しめるというのが売りだった。また、当時の他社の野球ゲームに比べると、「チーム数」と「各チームの選手数」が格段に多く(ファミコン用の野球ソフトで初めてセ・リーグ・パ・リーグ全球団が収録されたソフトである)、さらに「選手名と背番号がほぼ一致していた」ため、プレイヤーはプロ野球チームの監督になったつもりで選手交代などの采配を奮うことができた。ほかにも、特徴のある選手の投球フォームや打撃フォームを表現している点、投手交代時やホームランの際の演出、合成音声の使用など、野球ファンの心をくすぐる仕様がふんだんに盛り込まれていた。",
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"text": "一方でゲームバランスの悪さも見受けられた。各チームに1人設定されている強打者であれば、バントの構え(外国人選手の場合、バントの構えが用意されていないのでハーフスイングで止める)をしているところにボールが当たるだけでホームラン性の打球が打てるという現象があり、「バントホームラン」の通称で広く知られている珍現象が起きた。",
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"text": "本作以降シリーズ化され、1988年にはMSX2用に『燃えろ!!熱闘野球'88』、1989年には業務用に『実力!!プロ野球』のタイトルで移植された。2004年には携帯電話ゲームやゲームボーイアドバンス(『燃えろ!!ジャレココレクション』に内包)で復刻版をそれぞれ配信開始・発売している。2007年9月11日からはWiiのバーチャルコンソールで、2013年5月15日からはニンテンドー3DSのバーチャルコンソールで、2014年10月22日からはWii Uのバーチャルコンソールで、それぞれ配信されている。なお、選手名は架空のものに変更されている(後述参照)。2017年2月8日からは発売元がシティコネクションに変更された。",
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"text": "「YS CLUB」チームの3番打者「ホーナー」は、当時ヤクルトスワローズに現役メジャーリーガーとして鳴り物入りで入団し、入団当初に桁外れの活躍をしたボブ・ホーナーをモデルとしている。ゲーム内でのホーナーの成績は打率4割6分7厘、本塁打60本に設定されている。またオープニングデモではホーナーがホームランを打つ場面が再現される。当時のプロデューサーでジャレコの社員だった関雅行は、雑誌『CONTINUE』(太田出版刊)Vol.14にて「ホーナーを柱にしなきゃいけないと思った...」と述懐していた。",
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"text": "バントホームランが打てる強打者として設定されているのは、クロマテ(G)、アキヤマ(L)、ハ ゙ース(T)、ランス(C)、ホ ゚ンセ(W)、オチアイ(D)、ホーナー(S)、オク ゙リ(Bu)、フ ゙ーマ(Br)、リー(O)、Pトナム(F)、カト ゙タ(H)、ミスタG(St)である。",
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"text": "2Pでは、セ・パ12チームのほかにStというOB選手によるチームが使用できる。登場する野手はタカキ ゙、コウシ ゙、ハリモト、ミスタG、タフ ゙チ、オオスキ、ヒロオカ、ノムラ、カワトウ、ナカニシ、トヨタ ゙、ヤマウチ、イセ、ヒロセ、オウ、タカイ、オオヤ、ヤサ ゙ワ。投手はムラヤマ、イナオ、ヒラマツ、カネタ ゙、スス ゙キ、エモト、アキヤマ、ホリウチ、オオトモ、エナツ、エイシ ゙、コヤマ。登録選手の約9割は打率3割以上である。",
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"text": "選手名は通常カタカナで4文字(濁点・半濁点は1文字として扱う、5文字以上の選手は短縮)までであるが、外国人選手の名前を表すためアルファベットも使用され、また変形表記もあった(湯上谷宏は「ユノカミ」、パットナムは「Pトナム」、ジョージ・ブコビッチは「Vコビ」など)。",
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"text": "本作のプロデュースを担当している関雅行は、同社の『エクセリオン』(1983年)や『フォーメーションZ』(1984年)などのファミリーコンピュータへの移植版を手がけたほか、『忍者じゃじゃ丸くん』(1985年)の開発などに携わっていた。それまでの同社のファミリーコンピュータ用ソフトは全てアーケードからの移植版しか存在しなかったことや、その当時のファミリーコンピュータの野球ゲームは任天堂より発売された『ベースボール』(1983年)しかない状態であったことから、野球を愛好していた関は家庭用ゲーム機オリジナルとなる野球ゲームの製作に着手することになった。",
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"text": "当初は『ベースボール』を基準とし、キャラクターサイズを大きくしたうえで音声合成チップを採用して野球場の雰囲気をリアルに再現したゲームを製作しており、同機種では初となるバンク切り換え方式が使用されることになった。しかし、開発中にナムコより『プロ野球ファミリースタジアム』(1986年)が発売されたことで開発が中止される事態となる。その後、関は野球ゲームの製作を諦めきれず、『ファミスタ』と異なる路線の野球ゲームの製作に着手、野球観戦をイメージしたゲームへと方向転換することになった。",
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"text": "ゲームタイトルは『ファミスタ』に対抗して語呂のよい略称を検討した結果、『燃えプロ』が選択された。またリアル志向の結果1球団に30名もの選手が登録されることになった。開発期間はおよそ半年程度となり、完成間近の状態でまだデバッグが完全ではない状態であったが、ジャレコの経営的な判断により6月中の発売が望まれたため、デバッグが不完全なまま発売されることになった。その後ユーザーからのクレームによりバッティングの際に素振りをすることでその後の判定が全てストライクになるというバグが発覚、しかし製品版はマスクROMのためバグ対応が間に合わず、苦肉の作として当時3倍程度割高となるEPROMで製作しそのまま出荷するという措置が取られた。そのためユーザーからクレームが来るたびに新データを入れ込み販売を行った結果、本作にはいくつものバージョンが存在するという。",
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"text": "本作では選手名が実名だったことから発売後には3球団からクレームが寄せられたため、後の作品ではとりあえず選手名を偽名にすることで対処することになった。また、のちにバップより発売された『スーパーリアルベースボール』(1988年)が日本野球機構の許諾を得て、初めて球団名および選手名が実名使用可能である作品となった経緯から、のちの交渉で許諾を得やすくなったと関は語っている。しかし、バグが残されたまま発売されたことやプレイ時間が長すぎることなど不完全燃焼となっていた関は、この後ジャレコを退社しヘクトを設立することになった。",
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"text": "この節では、タイトルに「燃えろ」ないしは「燃え」が入る作品も扱う。",
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] |
『燃えろ!!プロ野球』は、トーセが開発し、ジャレコより1987年6月26日に発売されたファミリーコンピュータ用野球ゲーム。通称燃えプロ。開発時の仮称は『リアルベースボール ペナントレース'87』。
|
{{コンピュータゲーム
| Title = 燃えろ!!プロ野球
| image =
| Genre = [[スポーツゲーム#野球ゲーム|野球ゲーム]]
| Plat = [[ファミリーコンピュータ]] (FC)<br />[[アーケードゲーム|アーケード]] (AC)<br />[[S!アプリ|Vアプリ]]<br />[[EZアプリ]]<br />[[Wii]]<br />[[ニンテンドー3DS]] (3DS)<br />[[Wii U]]
| Dev = [[トーセ]]
| Pub = [[ジャレコ]]
| distributor =
| producer = 関雅行
| director =
| designer =
| writer =
| programmer = おおたのぶかず
| composer = 村田幸史<br />林音人
| artist = 田中哲次
| license =
| series = 燃えろ!!シリーズ
| Ver =
| Play = 1 - 2人(対戦プレイ)
| Media = 1.5[[メガビット]][[ロムカセット]]<ref name="famimaga257">{{Cite journal|和書|title=5月10日号特別付録 ファミコンロムカセット オールカタログ|date=1991-05-10|publisher=[[徳間書店]]|journal=[[ファミリーコンピュータMagazine]]|volume=7|number=9|pages=257|ref=harv}}</ref>
| Date = '''FC'''<br />{{Flagicon|JPN}}1987年6月26日<br />{{Flagicon|USA}} 1988年7月<br />'''AC(ホームラン競争)'''<br />{{Flagicon|JPN}} 1988年4月<br />'''AC(実力!!プロ野球)'''<br />{{Flagicon|JPN}} 1989年7月<br />'''Vアプリ(燃えプロ)'''<br />{{Flagicon|JPN}} 2004年9月1日<br />'''EZアプリ(燃えプロ)'''<br />{{Flagicon|JPN}} 2004年<br />{{Flagicon|USA}} 2005年8月16日<br />'''Wii'''<br />{{Flagicon|JPN}} 2007年9月11日<br />{{Flagicon|USA}} 2008年4月7日<br />'''3DS'''<br />{{Flagicon|JPN}} 2013年5月15日<br />{{Flagicon|USA}} 2014年7月10日<br />'''Wii U'''<br />{{Flagicon|USA}} 2014年7月10日<br />{{Flagicon|JPN}} 2014年10月22日
| Rating = {{CERO-A}}<br />{{ESRB-E}}
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| Download content =
| Device =
| Sale = 158万本<ref name="continue92"/><ref name="geimin"/>
| etc = 型式<br />{{vgrelease new|JP|JF-13|NA|NES-LD-USA}}
}}
『'''燃えろ!!プロ野球'''』(もえろ プロやきゅう、英題:Bases Loaded)は、[[トーセ]]が開発し、[[ジャレコ]](現:[[シティコネクション (企業)|シティコネクション]])より[[1987年]][[6月26日]]に発売された[[ファミリーコンピュータ]]用[[スポーツゲーム#野球ゲーム|野球ゲーム]]。通称'''燃えプロ'''。開発時の仮称は『'''リアルベースボール ペナントレース'87'''』<ref>『[[妖怪倶楽部]]』パンフレットより</ref>。
== 概要 ==
最大の特徴はTV中継さながらの、投手後方からのアングルによるリアルなプレイ画面であり、ファミコン野球ゲームとしては初めての試みであった。これによって、従来の野球ゲームにあった上方からのアングルと異なり、投手はボールを左右のみでなく上下に投げ分けることが可能となり、打者もそれに対応してバットを上下左右にコントロールすることで、臨場感あるプレーを楽しめるというのが売りだった。また、当時の他社の野球ゲームに比べると、「チーム数」と「各チームの選手数」が格段に多く(ファミコン用の野球ソフトで初めて[[セントラル・リーグ|セ・リーグ]]・[[パシフィック・リーグ|パ・リーグ]]全球団が収録されたソフトである)、さらに「選手名と背番号がほぼ一致していた」ため、プレイヤーはプロ野球チームの監督になったつもりで選手交代などの采配を奮うことができた。ほかにも、特徴のある選手の投球フォームや打撃フォームを表現している点、投手交代時やホームランの際の演出、[[音声合成|合成音声]]の使用など、野球ファンの心をくすぐる仕様がふんだんに盛り込まれていた。
一方でゲームバランスの悪さも見受けられた。各チームに1人設定されている強打者であれば、[[バント]]の構え(外国人選手の場合、バントの構えが用意されていないのでハーフスイングで止める)をしているところにボールが当たるだけで[[本塁打|ホームラン]]性の打球が打てるという現象があり、「バントホームラン」の通称で広く知られている珍現象が起きた<ref>{{Cite web|url=https://withnews.jp/article/f0230803000qq000000000000000W00j10701qq000026003A|title=バントホームランの真相は「燃えプロ」開発者、人生最後のゲーム作り|publisher=withnews|date=2023-8-3|accessdate=2023-12-12}}</ref>。
こうして、日本では158万本を出荷する大ヒットを記録し<ref name="continue92">{{Cite journal|和書|author=多根清史|authorlink=多根清史|title=『燃えプロ』を創った男|date=2004-02-19|publisher=[[太田出版]]|journal = [[CONTINUE (雑誌)|CONTINUE]]|volume=Vol.14|pages=92 - 112|isbn=9784872338379|ref= harv}}</ref><ref name="geimin">{{Cite web|和書|url=http://geimin.net/da/db/m_domestic/index.php |title=国内歴代ミリオン出荷タイトル一覧 |accessdate=2013-02-28 |date= |website=GEIMIN.NET|archiveurl=https://web.archive.org/web/20130930171012/http://geimin.net/da/db/m_domestic/index.php |archivedate=2013-09-30}}</ref>、ジャレコの家庭用ゲーム事業における最大のヒット作となった。
本作以降シリーズ化され、1988年にはMSX2用に『燃えろ!!熱闘野球'88』、1989年には業務用に『実力!!プロ野球』のタイトルで移植された。2004年には[[携帯電話ゲーム]]や[[ゲームボーイアドバンス]](『燃えろ!!ジャレココレクション』に内包)で復刻版をそれぞれ配信開始・発売している。2007年9月11日からは[[Wii]]の[[バーチャルコンソール]]で、2013年5月15日からは[[ニンテンドー3DS]]のバーチャルコンソールで、2014年10月22日からは[[Wii U]]のバーチャルコンソールで、それぞれ配信されている。なお、選手名は架空のものに変更されている([[燃えろ!!プロ野球#シリーズ一覧|後述参照]])。[[2017年]][[2月8日]]からは発売元がシティコネクションに変更された<ref>{{Cite web|和書|author=緑里孝行|date=2017-02-08|url=https://game.watch.impress.co.jp/docs/news/1043240.html|title=シティコネクション、ジャレコの権利を獲得|website=[[Impress Watch|GAME Watch]]|publisher=[[インプレス]]|accessdate=2019-10-19}}</ref>。
当時の野球ゲームでは珍しく、1人プレイの場合プレイヤーが後攻固定だった(2人対戦プレイ時は1Pが後攻で2Pが先攻)。
ファミリーコンピュータ版はゲーム誌『[[ファミ通|ファミコン通信]]』の「[[クロスレビュー]]」にてゴールド殿堂入りを獲得した。
== ゲーム内容 ==
=== 演出 ===
審判員のコールや打撃音、観客の歓声などといった効果音の再生には[[差分パルス符号変調|DPCM]]ではなく外部音声機能を使用している。このため、一部の[[エミュレータ]]や[[ファミコン互換機]]では音声が再現されない。
イベント発生時には球場のバックスクリーンに画面が切り替わる。たとえば投手交代の際には[[リリーフカー]]に乗ってマウンドに移動する選手の姿、ホームランの際にはホームランを打たれた投手がマウンド上で崩れる姿(ソロと満塁で異なる)、デッドボールの際には乱闘、といったアニメーションが[[オーロラビジョン]]に映し出される。これらの演出はスキップできない。
タイトル画面には当時の人気選手であった[[江川卓 (野球)|江川卓]]を模したと思われる耳の大きなキャラクターが登場し、セレクトボタンを押してモードを切り替えるたびに首を振る。無死満塁のチャンスで三振に倒れると「アホ」という効果音が出る。
=== 野球ゲームとしての問題点 ===
{{出典の明記|section=1|date=2019年11月}}
音声機能を使うなど、先進的・野心的なゲームではあったが、『[[プロ野球ファミリースタジアム|ファミスタ]]』と比較するとゲームとしての見劣りはどうしてもぬぐいきれなかった。バントホームランなどの笑える一面もあったが、それらゲームの粗さが真剣にプレイする気持ちを萎えさせていたことは否定できない<ref>マイウェイ出版『ファミコンクソゲー番付』2017年1月25日、p17</ref>。
発売時、大量に出回った初期版では'''「[[ファウルボール|ファウル]]の後どこに投げても[[ストライク (野球)|ストライク]]と判定される」'''という現象があった。さらに、表示される[[打率]]・[[本塁打|ホームラン]]数も選手の能力に反映されていない場合が多く、「[[阪神タイガース|HT CLUB]]」の[[八木裕|ヤキ゛]]の走力がなぜか全選手中最高の10(他の選手の最高値は9)になっているという設定はその顕著な例であった。これらの問題から、ジャレコ本社には発売初日からクレームの電話が殺到したため、出回った製品を回収してデータを更新せざるを得なくなり、社員総出で徹夜で過酷なソフト改修作業を行ったという。今のようなデータのみの改修ではなく「パッケージを破壊して中のROMを差し替える」という荒っぽい作業だったためケガ人も多かったという。
リアルなグラフィックを売り物にしたが、その反面、操作性が劣悪なものになっている。ピッチングとバッティングは操作が困難だったが、特に守備では、ボールがバットのどこに当たってもフライになり(バントホームランが発生するのもこのためである)どの野手が操作可能かもわかりづらく、球場が広いうえに移動速度が遅いためフライが捕球できず、ゴロ処理の送球が悪送球になりやすい、という野球ゲームにとって致命的な欠陥がさらけだされた。
1試合あたりの所要時間は、『ファミスタ』が通常20分程度で終わるのに対し、50分ほどかかる。対コンピュータモードはペナントレースモードしかなく、11チーム相手(OBで構成されたStは除く)に1カード3連戦を戦い、132試合中80勝すると優勝=エンディングとなる長丁場である。そのため、あと1勝で優勝できる[[パスワード (コンピュータゲーム)|パスワード]]がゲーム雑誌の裏技面に載ったほどだった。今日のスポーツゲームにも見られる、ゲームとしてのテンポと表現のリアルさの対立がこのころから存在していたことになる。
== 登場選手データ ==
「YS CLUB」チームの3番打者「ホーナー」は、当時[[東京ヤクルトスワローズ|ヤクルトスワローズ]]に現役[[メジャーリーグベースボール|メジャーリーガー]]として鳴り物入りで入団し、入団当初に桁外れの活躍をした[[ボブ・ホーナー]]をモデルとしている。ゲーム内でのホーナーの成績は打率4割6分7厘、本塁打60本に設定されている。また[[オープニングデモ]]ではホーナーがホームランを打つ場面が再現される。当時のプロデューサーで[[ジャレコ]]の社員だった関雅行は、雑誌『[[CONTINUE (雑誌)|CONTINUE]]』([[太田出版]]刊)Vol.14にて「ホーナーを柱にしなきゃいけないと思った…」と述懐していた。<!--このゲームを買って失望感を持ったものでも、とりあえず『YS CLUB』でゲームを開始し、このホーナーでホームランを打ったらそこで満足し、それ以降はプレイせず[[リセット]]を押してゲーム終了するという者もいた。-->
バントホームランが打てる強打者として設定されているのは、[[ウォーレン・クロマティ|クロマテ]]([[読売ジャイアンツ|G]])、[[秋山幸二|アキヤマ]]([[埼玉西武ライオンズ|L]])、[[ランディ・バース|ハ゛ース]]([[阪神タイガース|T]])、[[リック・ランセロッティ|ランス]]([[広島東洋カープ|C]])、[[カルロス・ポンセ|ホ゜ンセ]]([[横浜DeNAベイスターズ|W]])、[[落合博満|オチアイ]]([[中日ドラゴンズ|D]])、ホーナー([[東京ヤクルトスワローズ|S]])、[[ベン・オグリビー|オク゛リ]]([[大阪近鉄バファローズ|Bu]])、[[ブーマー・ウェルズ|フ゛ーマ]]([[オリックス・バファローズ|Br]])、[[レロン・リー|リー]]([[千葉ロッテマリーンズ|O]])、[[パトリック・パットナム|Pトナム]]([[北海道日本ハムファイターズ|F]])、[[門田博光|カト゛タ]]([[福岡ソフトバンクホークス|H]])、[[長嶋茂雄|ミスタG]](St)である。
2Pでは、セ・パ12チームのほかにStというOB選手によるチームが使用できる。登場する野手は[[高木守道|タカキ゛]]、[[山本浩二|コウシ゛]]、[[張本勲|ハリモト]]、[[長嶋茂雄|ミスタG]]、[[田淵幸一|タフ゛チ]]、[[大杉勝男|オオスキ]]、[[広岡達朗|ヒロオカ]]、[[野村克也|ノムラ]]、[[川藤幸三|カワトウ]]、[[中西太|ナカニシ]]、[[豊田泰光|トヨタ゛]]、[[山内一弘|ヤマウチ]]、[[伊勢孝夫|イセ]]、[[広瀬叔功|ヒロセ]]、[[王貞治|オウ]]<ref>代打としての登場</ref>、[[高井保弘|タカイ]]、[[大矢明彦|オオヤ]]、[[谷沢健一|ヤサ゛ワ]]。投手は[[村山実|ムラヤマ]]、[[稲尾和久|イナオ]]、[[平松政次|ヒラマツ]]、[[金田正一|カネタ゛]]、[[鈴木啓示|スス゛キ]]、[[江本孟紀|エモト]]、[[秋山登|アキヤマ]]、[[堀内恒夫|ホリウチ]]、[[大友工|オオトモ]]、[[江夏豊|エナツ]]、[[板東英二|エイシ゛]]、[[小山正明|コヤマ]]。登録選手の約9割は打率3割以上である。
選手名は通常カタカナで4文字(濁点・半濁点は1文字として扱う、5文字以上の選手は短縮)までであるが、外国人選手の名前を表すためアルファベットも使用され、また変形表記もあった([[湯上谷宏]]は「ユノカミ」、[[パット・パットナム|パットナム]]は「Pトナム」、[[ジョージ・ブコビッチ]]は「Vコビ」など)。
== 他機種版 ==
{| class="wikitable" style="white-space:nowrap; font-size:85%"
! No.
! タイトル
! 発売日
! 対応機種
! 開発元
! 発売元
! メディア
! 型式
! 備考
|-
| style="text-align:right" |1
! 燃えろ<nowiki>!!</nowiki>プロ野球 ホームラン競争
| {{vgrelease new|JP|April 1988}}
| [[アーケードゲーム|アーケード]]
| ジャレコ
| ジャレコ
| [[アーケードゲーム基板|業務用基板]]
| -
|
|-
| style="text-align:right" |2
! 実力<nowiki>!!</nowiki>プロ野球
| {{vgrelease new|JP|July 1989}}
| アーケード
| ジャレコ
| ジャレコ
| 業務用基板
| -
|
|-
| style="text-align:right" |3
! 燃えろ<nowiki>!!</nowiki>ジャレココレクション
| {{vgrelease new|JP|2004-10-28}}
| [[ゲームボーイアドバンス]]
| ジャレコ
| ジャレコ
| ロムカセット
| AGB-P-BJCJ
|
|-
| style="text-align:right" |4
! 燃えプロ
| {{vgrelease new|JP|2004年9月1日<ref>{{Cite web|和書|author= |date=2004-09-01 |url=https://nlab.itmedia.co.jp/games/gsnews/0409/01/news04.html |title=プレイボール!「燃えプロ」Vodafoneで配信スタート |website=SOFTBANK GAMES NEWS INDEX |publisher=[[ITmedia]] |language= [[日本語]] |accessdate=2019-10-19}}</ref><ref>{{Cite web|和書|author=関口聖 |date=2004-09-01 |url=https://k-tai.watch.impress.co.jp/cda/article/news_toppage/20380.html |title=“バントホームラン”も再現したボーダフォン向け「燃えプロ」 |website=[[ケータイ Watch]] |publisher=[[インプレス]] |language= [[日本語]] |accessdate=2019-10-19}}</ref>}}
| 256K対応機種<br />([[S!アプリ|Vアプリ]])
| ジャレコ
| ジャレコ
| [[ダウンロード販売|ダウンロード]]<br />(ジャレコVギャレッソ)
| -
|
|-
| style="text-align:right" |5
! {{vgrelease new|JP|燃えプロ|NA|Bases Loaded}}
| {{vgrelease new|JP|2004年|NA|2005-08-16}}
| [[BREW]]対応端末<br />([[EZアプリ]])
| ジャレコ
| ジャレコ
| ダウンロード
| -
|
|-
| style="text-align:right" |6
! {{vgrelease new|JP|燃えろ<nowiki>!!</nowiki>プロ野球|NA|Bases Loaded}}
| {{vgrelease new|JP|2007-09-11|NA|2008-04-07}}
| [[Wii]]
| トーセ
| ジャレコ
| ダウンロード<br />([[バーチャルコンソール]])
| -
| ファミリーコンピュータ版の移植
|-
| style="text-align:right" |7
! {{vgrelease new|JP|燃えろ<nowiki>!!</nowiki>プロ野球|NA|Bases Loaded}}
| {{vgrelease new|JP|2013年5月15日<ref>{{Cite web|和書|author= |date=2013-05-09 |url=https://www.inside-games.jp/article/2013/05/09/66339.html |title=伝説の「バントホームラン」を体験せよ『燃えろ!!プロ野球』3DSVCで開幕 |website=[[インサイド (ニュースサイト)|iNSIDE]] |publisher=[[イード (企業)|イード]] |language= [[日本語]] |accessdate=2019-10-19}}</ref>|NA|2014-07-10}}
| [[ニンテンドー3DS]]
| トーセ
| [[ハムスター (ゲーム会社)|ハムスター]]
| ダウンロード<br />(バーチャルコンソール)
| -
| ファミリーコンピュータ版の移植
|-
| style="text-align:right" |8
! {{vgrelease new|NA|Bases Loaded|JP|燃えろ<nowiki>!!</nowiki>プロ野球}}
| {{vgrelease new|NA|2014-07-10|JP|2014年10月22日<ref>{{Cite web|和書|author=津久井箇人 a.k.a. そそそ |authorlink=津久井箇人 |date=2014-10-15 |url=https://www.inside-games.jp/article/2014/10/15/81542.html |title=Wii Uバーチャルコンソール10月22日配信タイトル ― 『バベルの塔』『燃えプロ』『沙羅曼蛇(PCE版)』『パワーゴルフ』『ロックマンゼロ』の5本 |website=[[インサイド (ニュースサイト)|iNSIDE]] |publisher=[[イード (企業)|イード]] |language= [[日本語]] |accessdate=2019-10-19}}</ref><ref>{{Cite web|和書|author=そみん |date=2014-10-22 |url=https://dengekionline.com/elem/000/000/946/946666/ |title=バントでホームランでもおなじみ『燃えろ!!プロ野球』がWii Uバーチャルコンソールで配信開始 |website=[[アスキー・メディアワークス|電撃オンライン]] |publisher=[[KADOKAWA]] |language= [[日本語]] |accessdate=2019-10-19}}</ref>}}
| [[Wii U]]
| トーセ
| ハムスター
| ダウンロード<br />(バーチャルコンソール)
| -
| ファミリーコンピュータ版の移植
|-
| style="text-align:right" |9
! [[G-MODEアーカイブス|G-MODEアーカイブス+]]<br />燃えプロ
| {{vgrelease new|JP|2023年8月3日<ref>{{Cite web|和書|author=ばしょう |date=2023-08-03 |url=https://www.4gamer.net/games/723/G072373/20230803005/ |title=バントホームランも再現できる。グラフィックスを強化したSwitch「G-MODEアーカイブス+ 燃えプロ」,本日配信開始 |website=[[4Gamer.net]] |publisher=[[デジタルハーツホールディングス|Aetas]] |accessdate=2023-08-04}}</ref><ref>{{Cite web|和書|author=Gamer編集部 |date=2023-08-03 |url=https://www.gamer.ne.jp/news/202308030023/ |title=伝説のバントホームランを再現しよう!「G-MODEアーカイブス+ 燃えプロ」が配信開始 |website=Gamer |publisher=ixll |accessdate=2023-08-04}}</ref>}}
| [[Nintendo Switch]]
| [[ジー・モード]]
| ジー・モード
| ダウンロード
| -
| フューチャーフォン版の移植
|}
== 開発 ==
本作のプロデュースを担当している関雅行は、同社の『[[エクセリオン]]』([[1983年]])や『[[フォーメーションZ]]』([[1984年]])などのファミリーコンピュータへの移植版を手がけたほか、『[[忍者じゃじゃ丸くん]]』([[1985年]])の開発などに携わっていた<ref name="continue92"/>。それまでの同社のファミリーコンピュータ用ソフトは全てアーケードからの移植版しか存在しなかったことや、その当時のファミリーコンピュータの野球ゲームは[[任天堂]]より発売された『[[ベースボール (ファミコン)|ベースボール]]』(1983年)しかない状態であったことから、野球を愛好していた関は家庭用ゲーム機オリジナルとなる野球ゲームの製作に着手することになった<ref name="continue92"/>。
当初は『ベースボール』を基準とし、キャラクターサイズを大きくしたうえで音声合成チップを採用して野球場の雰囲気をリアルに再現したゲームを製作しており、同機種では初となる[[バンク切り換え]]方式が使用されることになった<ref name="continue92"/>。しかし、開発中に[[バンダイナムコエンターテインメント|ナムコ]]より『[[プロ野球ファミリースタジアム]]』([[1986年]])が発売されたことで開発が中止される事態となる<ref name="continue92"/>。その後、関は野球ゲームの製作を諦めきれず、『ファミスタ』と異なる路線の野球ゲームの製作に着手、野球観戦をイメージしたゲームへと方向転換することになった<ref name="continue92"/>。
ゲームタイトルは『ファミスタ』に対抗して語呂のよい略称を検討した結果、『燃えプロ』が選択された<ref name="continue92"/>。またリアル志向の結果1球団に30名もの選手が登録されることになった<ref name="continue92"/>。開発期間はおよそ半年程度となり、完成間近の状態でまだデバッグが完全ではない状態であったが、ジャレコの経営的な判断により6月中の発売が望まれたため、デバッグが不完全なまま発売されることになった<ref name="continue92"/>。その後ユーザーからのクレームによりバッティングの際に素振りをすることでその後の判定が全てストライクになるというバグが発覚、しかし製品版は[[マスクROM]]のためバグ対応が間に合わず、苦肉の作として当時3倍程度割高となる[[EPROM]]で製作しそのまま出荷するという措置が取られた<ref name="continue92"/>。そのためユーザーからクレームが来るたびに新データを入れ込み販売を行った結果、本作にはいくつものバージョンが存在するという<ref name="continue92"/>。
本作では選手名が実名だったことから発売後には3球団からクレームが寄せられたため、後の作品ではとりあえず選手名を偽名にすることで対処することになった<ref name="continue92"/>。また、のちに[[バップ]]より発売された『[[スーパーリアルベースボール]]』([[1988年]])が[[日本野球機構]]の許諾を得て、初めて球団名および選手名が実名使用可能である作品となった経緯から、のちの交渉で許諾を得やすくなったと関は語っている<ref name="continue92"/>。しかし、バグが残されたまま発売されたことやプレイ時間が長すぎることなど不完全燃焼となっていた関は、この後ジャレコを退社し[[ヘクト (ゲーム会社)|ヘクト]]を設立することになった<ref name="continue92"/>。
== 評価 ==
{{コンピュータゲームレビュー
|title =
|Fam = 32/40点 (FC)<ref name="famitsu"/><br />(ゴールド殿堂)
|IGN = 4.5/10点 (Wii)<ref name="mobygames_Wii">{{Cite web |author= |date= |url=https://www.mobygames.com/game/7374/bases-loaded/ |title=Bases Loaded for Wii (2007) |website=[[:en:Moby Games|Moby Games]] |publisher=Blue Flame Labs |language=[[英語]] |accessdate=2018-03-10}}</ref>
|NLife = {{Rating|6|10}} (Wii)<ref name="mobygames_Wii"/>
|rev1 = [[ファミリーコンピュータMagazine]]
|rev1Score = 20.37/30点 (FC)<ref name="famimaga257"/>
}}
*ゲーム誌『[[ファミ通|ファミコン通信]]』の「[[クロスレビュー]]」では、8・8・8・8の合計32点(満40点)でゴールド殿堂入りを獲得<ref name="famitsu">{{Cite web|和書|url=https://www.famitsu.com/cominy/?m=pc&a=page_h_title&title_id=9074
|title= 燃えろ!!プロ野球 まとめ [ファミコン]|website=[[ファミ通|ファミ通.com]]|publisher=[[KADOKAWA|KADOKAWA CORPORATION]]|accessdate=2018-03-10}}</ref>、レビュアーからは同時期に発売された『[[プロ野球ファミリースタジアム]]』と比較する意見が多かったうえで、グラフィック面に関して「初めてアメリカの野球中継を見たときのよーな気分」、「TVの野球中継の感じを、うまーく再現している」、「まるでテレビの野球中継を観ているよーな、サービス満点、超リアルな野球ゲーム」など現実の野球中継の再現度に関して絶賛する意見が多数挙げられ、さらに音声合成に関しても再現度に関して肯定的な意見が挙げられた。一方で、プレイ時間に関しては「ちょっと長い」、「スピーディーさに欠けている」などの意見や「外野が広すぎる」という否定的な意見も散見された<ref name="crossreview7">{{Cite journal|和書|title=6月16日増刊号特別付録 クロスレビュー優良ソフトパーフェクトカタログ 上巻|date=2005-06-16|publisher=[[エンターブレイン]]|journal=[[ファミ通]]|pages=7|ref=harv}}</ref>。
*ゲーム誌『[[ファミリーコンピュータMagazine]]』の読者投票による「ゲーム通信簿」での評価は以下のとおり20.37点(満30点)となっている<ref name="famimaga257"/>。また、同雑誌1991年5月10日号特別付録の「ファミコンロムカセット オールカタログ」では、音声合成チップが内蔵されているため審判の声や歓声などがリアルに再現されていることを指摘したほか、グラフィックが選手の特徴をとらえており当時人気があったことを指摘した<ref name="famimaga257"/>。しかし、バグが多かったことが難点であるとも指摘している<ref name="famimaga257"/>。
{|class="wikitable" style="font-size:85%; text-align:center; width:50%;"
|-
! 項目
| キャラクタ || 音楽 || 操作性 || 熱中度 || お買得度 || オリジナリティ
! 総合
|-
! 得点
| 3.67 || 3.35 || 3.02 || 3.69 || 3.22 || 3.42
! 20.37
|}
{{Clear}}
== 備考 ==
*このゲームでは赤い[[ロムカセット|カートリッジ]]のほかに黒いカートリッジのものも存在する。これは前述の改修作業で赤いカートリッジの大半を消費したあとにゲームが大ヒットして赤いカートリッジの在庫が尽きたため、急遽『[[妖怪倶楽部]]』に使用する予定のカートリッジを代用して生まれたものである。言い換えれば、黒いカートリッジは後期発売型という見方ができる。黒いカートリッジ以降は、ファウル後のストライクや異常な選手のデータ設定は修正が施されている。
*バントホームランについて、プロデューサーの関雅行は「ヤクルトのホーナーが来日直後から本塁打を連発したのを見て、(ホーナーをモチーフにした選手の)ミート指数とパワー指数を上げる指示をしたのがバグにつながりました」と述べている<ref>https://withnews.jp/article/f0230803000qq000000000000000W00j10701qq000026003A</ref>。
== シリーズ一覧 ==
=== 燃えろ!!プロ野球シリーズ ===
この節では、タイトルに「'''燃えろ'''」ないしは「'''燃え'''」が入る作品も扱う。
;燃えろ!!プロ野球(ファミコン) - 1987年
;燃えろ!!プロ野球 ホームラン競争(アーケード) - 1987年
;燃えろ!!熱闘野球'88([[MSX2]]) - 1988年
;燃えろ!!プロ野球'88 決定版(ファミコン) - 1988年
:毎日変動する選手のバイオリズム制度が導入された(レギュラー打者と先発投手のバイオリズムは試合終了後でないと見ることができないが、控えの打者・投手は選手交代のところで見ることができるので、レギュラー打者のバイオリズムを見たいときはオーダー変更で控えにすると選手交代のところで見ることができる)。これにより、選手に好不調の概念ができた。1Pでは、大西洋リーグ(セ・リーグ)と太平洋リーグ(パ・リーグ)の2リーグ制で130試合を戦い75勝するとリーグ優勝。日本シリーズで4勝すると日本一となる(『新・燃えろ!!プロ野球』も同じ)。前作ではなかった[[コールドゲーム]]が採用されている。5回以降で9点以上開くと成立する。2Pでは、バイオリズム制度があるため日付設定(S63〜S67と01月01日〜12月31日)から始まり、全チーム選択できる。操作方法によってはスローカーブやホップする球といった特殊な変化球が投げられる。打者はダウンスイングやアッパースイングを使い分けられる。今作から守備、走塁画面が右打者は一塁内野席、左打者は三塁内野席側から見下ろした画面となった。
;新・燃えろ!!プロ野球(ファミコン) - 1989年
:前作の守備、走塁画面の仕様を引き継ぎ、プレイ画面が斜めという珍しい内容。球場が3種類に増え、イニングの合間にはセ・パ双方のフランチャイズ球場(11球場)のバックスクリーンが表示される。クロスプレー時には画面いっぱいにズームアップ画面が表示される。半面、本塁打が出たときのビジュアルシーンは大幅に簡素化された(選手交代時のビジュアルシーンはなし)。前作に引き続き選手の好不調を表すバイオリズムが採用されている。
;燃えプロ!'90 感動編(ファミコン) - 1990年
:前作の斜め画面が不評で従来の燃えプロの形に戻し、COMと対戦する1Pではペナントモードを廃止し、試合終了後にプレーを評価される得点制度を導入。レベル1から始まり、レベル5で100点を取るとエンディング(最短2試合でエンディングが見られる)。そのほか2P、自分で選手名・データを作成できるエディットモード(シリーズ初、データ入力の上限がない)COM同士の対戦が見られるWATCHモードを導入。試合をする球場は3球場([[東京ドーム|TKドーム]]・[[甲子園球場|KOSIEN]]・[[西武ドーム|SaveST]])の中から選択できる。パスワードがなくなったため、続きからのプレーはできない。チームの選手は、当時の現役選手のほかに引退した選手も含まれている(巨人:[[王貞治|わん]]、[[長嶋茂雄|みすたあ]]、[[江川卓 (野球)|えかわ]]など)。また、守備走塁は今作からセンターバックスクリーン視点(従来の野球ゲームと正反対の向き)の仕様となった。
;燃えプロ!最強編(ファミコン) - 1991年
:試合中は星マークで評価が付き(テクニカルポイント→試合中にマズいプレー<エラーや三振、失点>をするとポイントが下がり、打者ならばヒットを打てる確率が下がる。投手ならば球威が落ちる。逆にファインプレーをしたり三振を奪うとポイントアップ)、エラー、ファインプレー、失点時にはアニメーションで紹介される(失点時には[[ポケモンショック|画面の色が点滅する]]ので注意が必要)。シリーズで初めてチーム名、選手名が実名で登場。球場選択はできなくなったが、後攻チームの球場でプレーできる(巨人:ドーム、阪神:甲子園など)。また、ペナントモードが復活(ただし、パスワードコンティニューすると毎試合同じ先発投手と対戦することになる)。70勝するとリーグ優勝となり、日本シリーズとなる。2P、WATCHモードのほか、1試合のみのオープン戦モードも加わった。
;スーパー燃えろ!!プロ野球([[スーパーファミコン]]、本作以前に別タイトルで出していたこともある。後述参照) - 1994年
:[[スーパーファミコン]]の4つのボタン(A、B、X、Yボタン)にそれぞれ変化球を割り当て、投げる前にはキャッチャーの構える位置を十字キーで指定できるなど、投手重視の設定。半面、打撃に関してはライナー性の打球が多くなかなかヒットが出づらく、いわば投高打低の設定。試合終了後には試合結果が新聞形式で表示される。
;燃えろ!!プロ野球'95 ダブルヘッダー([[PlayStation (ゲーム機)|PlayStation]]、[[セガサターン]]) - 1995年
:シリーズ初のCD-ROMメディアによる作品。CD-ROMの容量を活かして実写のOPムービーが使用されている。元[[ニッポン放送]]のアナウンサー(クレジット上は「ニッポン放送専属アナウンサー」)[[深澤弘]]が実況を担当。選手の特徴はモーションピクチャーによって再現されている。エディット機能もある。ゲームバランスが厳しく、なかなかヒットが出にくい。2機種の違いは、PS版のみシナリオモードが存在することと、[[横浜DeNAベイスターズ|横浜ベイスターズ]]の控え野手が一人分違う<ref>セガサターン版は[[永池恭男]]、PlayStation版は[[原伸樹]]が登場する。</ref>こと。
;燃えろ!!プロ野球 ルーキーズ([[ワンダースワン]]) - 2000年
:シリーズ初の携帯ゲーム機による発売となった。ペナントモード以外に、新人選手に新人王を獲らせる活躍をさせるストーリーモード「新人王で燃えろ!」モードが新たに追加された。
;燃えろ!!バントホームラン([[i-mode]] バントホームランをネタにしたオリジナルミニゲーム) - 2002年
;燃えろ!!完全試合(i-mode ファウルの後はストライクをネタにしたオリジナルミニゲーム) - 2002年
;燃えプロ(燃えろ!!プロ野球)([[Yahoo!ケータイ]]、i-mode、[[EZweb]]) - 2004年
: バントホームランが再現されている<ref>{{Cite web|和書|url=https://k-tai.watch.impress.co.jp/cda/article/news_toppage/20380.html|title=“バントホームラン”も再現したボーダフォン向け「燃えプロ」|publisher=ケータイWatch|date=2004-9-1|accessdate=2023-7-18}}</ref>(オプションでON/OFF可能)。『'88決定版』の選手データを使用している。グラフィック的には[[スーパーファミコン]]のスーパープロフェッショナルベースボールに近い。コンピューターと対戦する通常のゲームモードに加え、ホームラン数と飛距離を競う「HOMERUN DERBY」モードや、さまざまな試合の条件下で指示されたお題をクリアしていく「DRAMATIC」モードがある。
:[[ジー・モード]]が展開する[[フィーチャーフォン]]ゲーム復刻プロジェクト「G-MODEアーカイブス+」にて[[Nintendo Switch]]用ソフトとして2023年8月3日に発売された<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.4gamer.net/games/723/G072373/20230714026/|title=あのバントホームランも再現できる。Switch向けタイトル「G-MODEアーカイブス+ 燃えプロ」,配信決定|publisher=4Gamer.net|date=2023-7-18|accessdate=2023-7-18}}</ref>。
;燃えろ!!ジャレココレクション ([[ゲームボーイアドバンス]]) - 2004年
: 初代や'88に加え、野球以外の4つの燃えろシリーズ作品が収録されている。ただし選手名はすべて変更されている。ゲームボーイアドバンス用のファミリーコンピュータエミュレータである"PocketNES"を用いたもので、その制限上、音声合成がカットされている。
;燃えろ!!プロ野球(Android・au スマートパス) - 2015年5月21日
:ジャレコゲームの[[知的財産権]]を保有する[[シティコネクション (企業)|株式会社シティコネクション]]からの発売。開発は[[メビウス (ゲーム会社)|メビウス]]。画面構成やドットのグラフィックはファミコン時代のものを「完全再現」している。
;燃えろ!!プロ野球 ホームラン競争SP(Android・iOSアプリ) - 2015年7月11日
:2014年、[[ミカド (ゲームセンター)|都内のゲームセンター]]にて行われた「燃えろ!!プロ野球 ホームラン競争」が端緒となるブームを受けて、Androidアプリゲーム化(無料配信)。2015年8月28日にiOS版も配信が開始された。配信・開発は有限会社マインドウェア。
;燃えろ!!プロ野球2016([[PlayStation 4]]・[[ニンテンドー3DS]]) - 2016年4月8日
:au スマートパス版に続きメビウスが開発し、販売も手がける。ジャレコ作品のキャラクターで結成されたチームの追加などの新規要素が加えられている<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.inside-games.jp/article/2015/08/21/90480.html|title=PS4『燃えプロ』にジャレコチーム参戦決定!ローカル対戦/シェア機能への対応も|publisher=インサイド|accessdate=2016-04-08|date=2015-08-21}}</ref>。画面比率は16:9で制作。
:「バントでホームラン」、「ファウルなのにランナーはホームイン」などの燃えプロ独自のルールはオプションでON/OFFを切り替えできる。プロモーションムービーには「ゲーム中のルールは実際の野球ルールと異なる箇所がありますので予めご了承ください。」と注意書が添えられている。
:同年11月には[[ニンテンドー3DS]]ダウンロードソフトとして移植された<ref>[https://www.nintendo.co.jp/titles/50010000041116 燃えろ!!プロ野球2016]</ref>。
;燃えろ!!プロ野球 ホームラン競争GB([[ゲームボーイカラー]]) - 2022年8月13日
:もしも当時「燃えろ!!プロ野球 ホームラン競争」がゲームボーイカラーに移植されていたら、をコンセプトにハビットソフトが企画・開発。カートリッジには赤色と黒色がある。一部例外を除いてゲームインパクトによる通販限定販売。
=== 別タイトルで出されている作品 ===
;実力!!プロ野球(アーケード) - 1989年
* 試合時間は1試合あたり通常25〜30分ほどに短縮されている。
;スーパープロフェッショナルベースボール(スーパーファミコン) - 1991年
*同ハード最初の野球ゲーム。内容、ゲームモードは基本的にファミコン版『燃えプロ'90感動編』と一緒。ただし球場は[[東京ドーム]]風の球場1種類のみである。
;スーパープロフェッショナルベースボールII(スーパーファミコン) - 1992年
* チーム名、選手名が実名で登場。前作で評判の悪かった操作性を改良。グラフィックの質もアップ。前作の採点システムをやめ、ペナントモードが新たに加わった。そのほか、1試合のみのオープン戦、ウォッチモードを搭載。野手を投手として使用することができる。
;スーパー3Dベースボール(スーパーファミコン) - 1993年
* [[ハドソン]]の[[パワーリーグ]]シリーズ同様、バッター側から見たアングルになり、打球を放つと画面の切り替えなしに画面がスクロール。高速DSPチップを搭載して疑似3Dで表示されているが、基本的な容量が前作スーパープロフェッショナルベースボールIIの8Mに対して4Mに減った。
;夏目理緒の萌えプロ(Yahoo!ケータイ、i-mode、EZweb) - 2004年
* [[夏目理緒]]をはじめ、[[フォース・エージェント・エンターテイメント]]所属のアイドルを登場させた『燃えプロ』のパロディ作品。
=== 北米版 ===
;[[:en:Bases Loaded (video game)|Bases Loaded]] ([[Nintendo Entertainment System|NES]]) - 1988年
;[[:en:Bases Loaded II: Second Season|Bases Loaded II: Second Season]] (NES) - 1990年
;[[:en:Bases Loaded 3|Bases Loaded 3]] (NES) - 1991年
;[[:en:Bases Loaded 4|Bases Loaded 4]] (NES) - 1993年
;Bases Loaded (ゲームボーイ) - 1990年。日本では[[ベースボールキッズ]](プロ野球とは関係の無い作品)のタイトルで発売。
;[[:en:Super Bases Loaded|Super Bases Loaded]] ([[Super Nintendo Entertainment System|SNES]]) - 1991年
;[[:en:Super Bases Loaded 2|Super Bases Loaded 2]] (SNES) - 1993年
;[[:en:Super Bases Loaded 3|Super Bases Loaded 3]] (SNES) - 1995年
;[[:en:Bases Loaded '96: Double Header|Bases Loaded '96: Double Header]](PlayStation、セガサターン) - 1995年
=== 野球以外の燃えろシリーズ ===
*燃えろ!!プロテニス (ファミコン) - 1988年
*燃えろ!!プロサッカー (ファミコン) - 1988年
*燃えろ!!ジュニアバスケット ツーオンツー (ファミコン) - 1988年
*燃えろ!!柔道WARRIORS (ファミコン) - 1990年
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
{{Reflist}}
== 関連項目 ==
*[[ヘクト (ゲーム会社)]] - 初代燃えプロの開発者(関雅行)が立ち上げたゲームソフト開発会社。
*[[アメリカ大統領選挙 (ゲーム)|アメリカ大統領選挙]] - 本作の後に関が開発した政治ゲーム。
*[[エモやんの10倍プロ野球 セリーグ編]] - そのヘクトから発売された野球ゲーム。
*シミュレーションプロ野球シリーズ - 同じくヘクト(後に[[NECインターチャネル]])から発売された[[古田敦也]]監修の野球ゲームシリーズ。
*ミニスポ魂 - [[甲南電機製作所]]発売の[[ニンテンドー3DS]]ダウンロードソフト。野球ゲームのグラフィックに「燃えろ!!プロ野球」、サッカーゲームのグラフィックに「燃えろ!!プロサッカー」のものが使われている。
*[[激レアさんを連れてきた。]] - 「ある余計な一言を言ったせいでテレビゲーム史に残る重大なバグを生み出し日本中を大混乱に陥れた張本人」で関本人が出演した。
== 外部リンク ==
* {{Wiiバーチャルコンソール|mp}}
* {{3DSバーチャルコンソール|tcxj}}
* {{Wii Uバーチャルコンソール|fc2j}}
* [https://web.archive.org/web/*/http://www.ne.jp/asahi/moe/pro/ 悶えろ!!モエプロゲッターズ(ウェブアーカイブの保存キャッシュ一覧)]
** [[1998年]][[7月17日]]に開設し[[2001年]][[2月26日]]まで更新されていた[[ウェブサイト]]。先述のように、第1作目のカセットを買い集めてオブジェを作るなど、おもに燃えプロ第1作をネタにするサイトであった(最終更新時点で2997本まで集まった)。[[1999年]]には雑誌([[宝島 (雑誌)|宝島]])の取材を受けたこともある([https://web.archive.org/web/19991012030619/www.ne.jp/asahi/moe/pro/tokubetu.htm 該当ページのウェブアーカイブ1999年10月12日付保存分])。なお、タイトルの「'''悶えろ'''」の読みは、「'''もだ'''えろ」ではなく「'''も'''えろ」である。
* [http://www.pinball.co.jp/games/MPHRSP/index.htm 燃えろ!!プロ野球 ホームラン競争SP 公式サイト] - Android、iOS版
* [http://d-mebius.com/moepro/ 燃えろ!!プロ野球2016] (メビウス)
* [https://gmodecorp.com/gmodearchives/city-connection/moepro/ 燃えプロ(燃えろ!!プロ野球) - G-MODEアーカイブス]
* {{MobyGames|id=/7374/bases-loaded/|name=Bases Loaded}}
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ばね
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ばねとは、力が加わると変形して力を取り除くと元に戻るという、物体の弾性という性質を利用する機械要素である。広義には、弾性の利用を主な目的とするものの総称ともいえる。英語名は spring で、日本語でもスプリングという名でよく呼ばれる。発条(はつじょう)ともいう。ばねの形状や材質は様々で、日用品から車両、電気電子機器、構造物に至るまで、非常に多岐にわたって使用される。
ばねの種類の中ではコイルばねがよく知られ、特に圧縮コイルばねが広く用いられている。他には、板ばね、渦巻ばね、トーションバー、皿ばねなどがある。ばねの材料には金属、特に鉄鋼が広く用いられているが、用途に応じてゴム、プラスチック、セラミックスといった非金属材料も用いられている。空気を復元力を生み出す材料とする空気ばねなどもある。ばねの荷重とたわみの関係も、荷重とたわみが比例する線形のものから、比例しない非線形のものまで存在する。ばねばかりのように荷重を変形量で示させたり、自動車の懸架装置のように振動や衝撃を緩和したり、ぜんまい仕掛けのおもちゃのように弾性エネルギーの貯蔵と放出を行わせたりなど、色々な用途のためにばねが用いられる。
人類におけるばねの使用の歴史は太古に遡り、原始時代から利用されてきた弓はばねそのものである。カタパルト、クロスボウ、機械式時計、馬車の懸架装置といった様々な機械や器具で利用され、ばねは発展を遂げていった。1678年にはイギリスのロバート・フックが、ばねにおいて非常に重要な物理法則となるフックの法則を発表した。産業革命後には、他の工業と同じくばねも大きな発展を遂げ、理論的な設計手法も確立していった。今日では、ばねの製造は機械化された大量生産が主だが、一方で特殊なばねに対しては手作業による製造も行われる。現在のばねへの要求は多様化し、その実現に高度な技術も求められるようになっている。
物体には弾性と呼ばれる、力が加わって変形しても元に戻ろうとする性質がある。ばねの広い意味での定義は、この弾性という性質の利用を主な目的とするものの総称といえる。ばねが持っている、あるいはばねに求められる特性としては、大きく分けて
という3つの特性が挙げられ、これらは「ばねの3大特性」とも呼ばれる。ばねと呼ばれる部品や物以外にもこれら3つの特性は備わっているが、これらの特性を特に上手く利用しているのがばねともいえる。他にもばねの基本的な性質や働きの分け方はあるが、ここではこの3つの大別に沿って、ばねの基本的特性について説明する。
ばねは、力を加えられると変形し、力を取り除くと元の形に戻るという性質を持っている。このように力が加わって変形しても元に戻ろうとする性質を持つことが、ばねの基本的性質であり、必要条件である。元の形に戻ろうとする力は「復元力」と呼ばれ、復元力の存在がばねの主要な特性の1つ目に挙げられる。
復元力は物質の「弾性」という性質に起因し、力を取り除くと元の形に戻る変形は「弾性変形」と呼ばれる。しかし、力(正確には応力)が材料の限界を超えて加わると、力を除いても変形(正確にはひずみ)が残るようになる。この性質は「塑性」と呼ばれ、塑性という性質によって元に戻らない変形のことを「塑性変形」と呼ぶ。変形が弾性変形に留まる最大の応力は「弾性限度」と呼ばれる。ばねは元に戻ることを前提として使われるものであるため、塑性変形が起こることは好ましくなく、一般にばねに加わる力が弾性限度を超えない範囲で使用される。
ばねの変形のことや変形量のことを「たわみ」と呼ぶ。たわみの物理単位には、変位(長さの変化)と回転角(ねじり角や曲げ角の変化)の2種類がある。長さが変化することを利用する圧縮コイルばねでは、たわみの単位は変位で表される。棒のねじり角度が変化することを利用するトーションバーでは、たわみの単位は回転角(ねじり角)である。たわみの物理量に対応して、たわみを起こす負荷にもいくつかの種類が考えられる。変位であれば荷重(純粋な力)であり、ねじり角であればねじりモーメントが考えられる。実際のばねでは、変位や回転変形が組み合わさった複雑なたわみを起こすものもある。
このような荷重とたわみがある一定関係を持っていることが、ばねが持つ基本的性質や機能の一つともいえる。ばねが示す荷重とたわみの関係のことを「ばね特性」「荷重-たわみ特性」「荷重特性」などと呼ぶ。最もよく利用されるばねのばね特性は、線形であることが多い。線形とはたわみが荷重に比例して増減するということで、ばねに 10 kg の重りを吊るすとばねが 1 cm 伸び、20 kg の重りを吊るすと 2 cm 伸びるという具合である。この関係は「フックの法則」としても知られる。線形特性であるばねでは荷重とたわみの関係は以下のような式で表される。
ここで、P が荷重(力)で、δ がたわみ(変位)である。k は P と δ の比例定数で「ばね定数」と呼ばれ、単位は[力]/[長さ]である。例えば 10 kgf/cm というばね定数は、たわみ 1 cm を起こすのに 10 kg の重りを吊るす必要があるという意味である。実際の製品でいえば、大型自動車や鉄道車両の懸架装置用ばねでは大きなばね定数が必要となり、それと比較してベッドやソファーのばねでは小さなばね定数が必要となる。
負荷がねじりモーメント T で、たわみがねじり角 θ のときは、
という式になる。この場合の k の単位は[モーメント]/[角度]であり、k を「回転ばね定数」などと呼んで通常のばね定数と区別する場合もある。
荷重とたわみが比例しないばねも存在し、そのような関係を非線形と呼ぶ。非線形特性のばねでは、例えば、ばねに 10 kg の重りを吊るすと 1 cm 伸びるが、20 kg の重りを吊るしても 1.2 cm しか伸びないという具合である。さらに、荷重を加えるときと取り除くときで荷重とたわみの関係が異なり、荷重-たわみ曲線がヒステリシスループを描くばねもある。皿ばねや圧縮コイルばねの内の特殊なものが、非線形特性のばねの例として挙げられる。
ばねが変形するとき、弾性エネルギーという形でエネルギーがばねに蓄えられる。蓄えられたエネルギーを放出させれば、ばねに機械的な仕事をさせることができる。この「エネルギーの蓄積と放出」という働きが、ばねの主要な特性の2つ目として挙げられる。例えば、弓によって矢を放つのは、このエネルギーの蓄積と放出を利用している。手で弦を引くことで弾性エネルギーを蓄え、手を放すことで弾性エネルギーを矢を飛ばす力に変える。ぜんまい時計では、ぜんまいに蓄えられたエネルギーを放出させながら時計が動いている。弓と比較すると、ぜんまい時計の場合は弾性エネルギーを徐々に放出させながら利用している。自動車の懸架装置用ばねの場合は、路面から伝わる衝撃をばねが受け、衝撃力をばねの弾性エネルギーに変化させて緩衝している。
ばねに蓄えられる弾性エネルギーは、その弾性変形を起こす荷重によってなされた仕事に等しい。荷重-たわみ線図では、曲線と横軸で囲まれた面積が弾性エネルギーに相当する。線形特性に限定せずに、荷重 P がたわみ δ の一般的な関数であるときは、 P(δ) を積分して、弾性エネルギー U は以下のようになる。
線形特性のばねであれば、囲まれる面積は三角形となるので
が弾性エネルギーである。ばねが受ける荷重 P が同じなら、ばね定数 k が小さいほど吸収エネルギー U が大きくできる。鉄道車両の連結器や緩衝装置のようにばねを衝突を緩和するために使用するときは、この吸収エネルギーが大きいほど有利となる。
荷重-たわみ曲線がヒステリシスループを描く非線形特性ばねの場合では、ループで囲まれる部分の面積分のエネルギーが摩擦などで消費される。このヒステリシスによる弾性エネルギーの消費は減衰として働き、衝撃緩和の視点からは、ループで囲まれる面積が大きいほど有利となる。
先端に重りを付けたばねを天井に吊るし、重りを下に引っ張り、力を放す。すると重りは一定の振動数で上下に振動する。この一定の振動数は「固有振動数」と呼ばれる。この例のような、線形特性のばねと質点(重り)と基礎(天井)から成る1自由度の系では、固有振動数は
となる。m は重りの質量、k はばね定数、π は円周率、fn が固有振動数である。このような固有振動数を持つことが、ばねの主要な特性の3つ目である。上の式では、k が大きくなるほど fn が大きくなり、k が小さくなるほど fn が小さくなる。一般的にも、ばねが硬いほど固有振動数が大きくなり、ばねが柔らかいほど固有振動数が小さくなる。
固有振動数は実際上のあらゆる振動の問題に関係し、固有振動数は振動の問題を考えるときの最重要の物理量ともいわれる。特に、大きさや向きが周期的に変動するような力が質点に加わったり、ばねを支える基礎自体が周期的に揺れ動くとき、このような外からの振動数が固有振動数に一致すると「共振」と呼ばれる質点が激しく振動する現象が発生する。共振を積極的に利用する機械・道具もあるが、通常は共振を避ける必要がある。共振が起こると、機械の動作が不安定になったり、故障の原因となったり、最悪は破壊事故を引き起こすこともある。このため、固有振動数と外からの振動数をずらすように機械や構造物を設計することが求められる。
一方で、ばねの固有振動を持つ性質を利用することで、振動の伝達を緩和することもできる。固有振動数が外からの振動数よりも十分小さいとき、振動がばねが支える質点に伝わりにくくなる。これを利用することによって、ばねが支える物体の振動を和らげることができる。振動を伝わりにくくする一般的な目安としては、固有振動数が外からの振動数の1/3以下となるようにするのが望ましいとされる。例えば鉄道車両では、金属ばねに比べてばね定数を小さくすることができる空気ばねを採用し、乗り心地を良くしている。
ばねの種類は多岐にわたる。様々な分類の仕方があり、決定的なものはない。以下では、形状別の種類と材料別の種類を主に説明し、その他の分類についても触れる。
ばねの形状で分類した代表的種類を以下に示す。これらは主に金属を材料にするばねである。金属の内、特に鋼が材料として使われるが、鋼自体は硬いため力を加えられても目でわかるように大きな変形はしない。そのため、力が加わる板や棒を長くすることによって微小な変形を集めて、ばね全体としての大きな変形を生み出している。
ばねの復元力を生み出す材料には様々なものがある。原理的には、弾性を持つ材料全てがばねの材料となりえる。材料で分類すると金属ばねと非金属ばねに大きく分けられ、一例として以下のように分類される。
金属と非金属にばね材料を分けると、金属ばねが特殊な場合を除いて一般的に用いられている。コストが安いながらも、大きな力を受けることができたり、大きなたわみ量を確保できたりするのが金属ばね全般における利点である。金属材料の中でも、強度と汎用性の高さから特に鉄鋼材料が広範囲で用いられている。ばね用の鋼材は「ばね鋼」という名称でも呼ばれ、弾性限度を上げるために一般的な鋼材よりも材料中の炭素濃度が高められている。ばね鋼は大きく分けて冷間成形用と熱間成形用がある。冷間成形とは材料が常温の状態でばねの形へ加工することで、比較的小型のばねの成形に適している。熱間成形とは材料を高温に熱した状態でばねの形へ加工することで、比較的大型のばねの成形に適している。ばね鋼の種類としては、炭素を主な添加元素とする炭素鋼、あるいは炭素以外の元素を特別に加える合金鋼が使われる。他の鉄鋼材料としては、耐食性と耐熱性に優れたステンレス鋼が用いられている。
ばねに使われる非鉄金属の材料としては、黄銅、リン青銅、洋白、ベリリウム銅といった銅合金材料が一般的である。銅合金の電気伝導性の良さを利用して、コネクタなどで抵抗や発熱を減らすために使われる。他には耐食性や非磁性も長所として持っているが、鋼材料と比べるコストが高い欠点もある。
他の非鉄金属材料としては、耐食性、耐熱性ならびに耐寒性が優れたニッケル合金もばね材料として用いられている。特にインコネルがニッケル合金の中でも一般的である。400°C以上の高温領域で使用されるようなばねで、ニッケル合金材料が用いられている。鋼と比較して大きな軽量化が可能な材料として、チタン合金もばねに使用されている。チタン合金は鋼と比較して弾性率と比重が小さいため、ばねの軽量化が可能となる。一方でコストが高いという欠点もある。
金属材料では実現できない機能や特性を得たいとき、非金属材料がばね材料として使われる。プラスチックやゴムといった高分子材料も、ばね材料として利用される。ゴムの弾性を利用するばねは、特に「ゴムばね」と呼ばれる。ゴムの弾性は非線形であり、ひずみが小さい範囲でのみ線形とみなせる。具体的な材料としては、汎用に使われる天然ゴム、耐候性の高いクロロプレンゴム、振動減衰特性が良いブチルゴムなどが使われている。金属ばねと比較すると、ばね定数を方向に応じて自由に調整できる、ゴムの内部摩擦によって変形時に減衰力が生まれる、といった長所を持っている。車両用や産業機械用の防振ゴムとして広く利用されている。一方で、高温・低温で性能が劣化しやすい、長期間の大荷重負担でクリープが生じやすい、といった短所もある。さらに、ゴムばねの挙動は明確には計算できないので、おおよその範囲で計算する必要がある。
プラスチック材料もばねに用いられる。金属ばねと比較すると、プラスチック製ばねには軽量、錆びない、成形が容易といった長所がある。一方で、ゴムのようにクリープが起こりやすい、鋼材と比較すると強度や弾性率が小さいといった短所がある。プラスチック材料の中では、エンジニアリングプラスチックがばね用として一般的である。例としてはポリエーテルエーテルケトン(PEEK)製のコイルばねなどが、耐薬品性が必要な個所で活用されている。
プラスチックの強度の低さを克服するために、強化繊維を含有させた繊維強化プラスチック(FRP)もばね用材料として使われている。ばね材料として用いられるFRPには、ガラス繊維強化プラスチック(GFRP)と炭素繊維強化プラスチック(CFRP)の2つがある。強化繊維の配向によって、FRPは力を受ける向きによって強度や弾性率が異なるという特徴がある。そのため、ばね定数を最適化したり、FRPが持つ高い強度を生かすためには、適切な配向でばねを設計する必要がある。軽量化のためにGFRP製の板ばねが自動車懸架装置用として実用化されたことがあるが、コストが高い・リサイクルしづらいといった欠点により定着はしていない。CFRPも、板ばねとしての利用が代表例である。他の材料と比較すると、CFRPは比強度や比弾性率が特に優れており、加えて疲労強度も高いという長所を持つ。これらの長所を生かして、他の材料では不可能な用途にCFRP製ばねを適用することが試みられている。
無機材料のセラミックスもばねとして利用されている。既存の金属ばねでは対応不可能な700°Cから1000°Cの高温下でも実用できる耐熱性を持つ。セラミックスは脆性材料であり、小さな欠陥でも破壊に至り、強度のばらつきが大きいため、ばね用材料としては不適当と以前は考えられていた。その後の製造技術の進歩によって、高強度のセラミックスが誕生し、ばねとして実用可能となった。実際の使用例としては、高温下使われる治具用ばねに窒化ケイ素が使われている。
気体や液体の流体を利用するばねも存在し、特に空気の弾性を利用したばねは「空気ばね」と呼ばれる。一定温度下では気体の体積は圧力に逆比例するというボイルの法則が、空気ばねの弾性を生み出す基本原理となる。ばねの高さ・受けることができる荷重・ばね定数が独立に設定できる、絞りを設けることで減衰力を発生させることができる、調整弁を設けることでばね高さを一定に保つことができる、といった長所を持っている。特に、一つ目の長所により、同じ条件下の金属ばねと比較してばね定数を小さくでき、車両の懸架装置として用いた場合は乗り心地を良くすることができる。形状によって、ベローズ形とダイヤフラム形の2種類に大きく分けられる。欠点としては、金属ばねと比較して構造が複雑で、空気ばね以外の付属装置も必要となり、コストが高い。
空気ではなく、アルゴンやヘリウムなどの不活性ガスを利用するばねもあり、このようなばねは「ガスばね」と呼ばれる。ばね特性設定の自由度が高く、省スペースで大きな荷重を働かすことができるといった長所がある。一方で使用温度に制約があり、ガス漏れのおそれがあるといった短所がある。
弾性を利用するものではないが、磁石の磁気力を復元力として利用する「磁気ばね」と呼ばれるばねもある。磁石の同極を近づけると反発力が発生するので、圧縮方向に復元力を持つばねとして利用できる。磁石の異極を対向させる場合は、磁石が横方向にずれたときに吸引力が発生するので、横方向に復元力を持つばねとして利用できる。物体同士の接触を避けることができる、質量を持たないばねなので後述のサージングが発生しない、といった長所がある。
以上の基本形状別・材料別の他には、ばねは次のような観点からも分類される。
ばねの設計上でまず重要となるのは、何の用途に使うかを明確にする点である。他の機械要素と同様に、使用目的に適した性能を設計するばねに与える必要がある。ばねによって実現したい機能に、具体的には次のようなものが挙げられる。
機能を満たすという要求の他には、次のようなことがばねの設計上要求される
ばねの調達方法としては、販売されている標準品の中から選ぶ場合と、規格品にないものを個別に製作する場合がある。ばねの用途は多様であるため、ファスナーばねを除くと、一つ一つ個別に設計することが多い。そのため、ばねの設計において標準品から選ぶ方式は、同じ機械要素であるボルトやベアリングほどは多くない。
一つのばねで必要なばね特性を得ることができないときは、複数のばねを組み合わせることもある。荷重を分担するようなばねの組み合わせを「並列」や「並列接続」、たわみが加算されるようなばねの組み合わせを「直列」や「直列接続」という。並列では、組み合わさるばねの数が多いほど、組み合わせ全体としてのばね定数は大きくなる。直列では、組み合わさるばねの数が多いほど、組み合わせ全体としてのばね定数は小さくなる。組み合わせの仕方によっては、全体としてのばね特性を非線形特性にすることもできる。
ばねを設計するとき、荷重と変形の関係や発生する応力を計算する方法には、材料力学の古典的な理論式を使う方法と数値解析の有限要素法 (FEM) を使う方法がある。古典的理論では代数式の形で計算式が与えられていることが多く、電卓などでも容易に計算できる。また、形状をどれだけ変えたら特性にどれだけ影響するかなど、要因と結果の関係が明白に理解できる。
一方で、古典的理論では計算式を導出するためにいくつかの仮定を置いており、それらの仮定に近い範囲の使用のみで式の精度が期待できる。例えば、一般的な圧縮コイルばねのばね定数 k は、形状と材料特性の数値を決めれば次の基本式で計算できる。
ここで、G が材料特性の値、 d, Na, D が各寸法の値である。しかしこの式は、荷重はコイル中心一直線上にかかる、ピッチ角(螺旋の傾き)の影響は小さく無視できる、ねじりモーメントのみを考慮する、という3つの仮定を前提にしており、適用範囲に限界がある。実際の設計では、これらの仮定を超える範囲で使用することも必要となる。
一方のFEMでは、ばねの形状を要素と呼ばれる小領域で分割したモデルをコンピュータ上に作り、解を出す。適用可能なばね形状の制約が少なく、代数式形での計算式が確立していないような特殊な形状のばねに対しても計算可能である。実際の製品により近い計算が可能となる。ただし、形状を変えたらその度にモデルを変更する必要があり、最適な設計に収束させるのに作業の繰り返しが必要となる。古典的理論式と比較すると時間やコストがかかることが多い。設計においては、古典的理論式とFEMの長所と短所を勘定し、それぞれを使い分けるのが一般的である。
ばねの使用目的が振動の緩和であれば、ばねとは別に振動を減衰をさせる機械要素が必要となることがある。減衰とは物体の振動エネルギを熱エネルギなどに変換して消散させることで、減衰用の機械要素としてはオイルダンパなどが代表的である。ゴムばねのようにばね自体に減衰を備えているものあるが、一般的な金属コイルばねは減衰を少ししか起こさないため、別にダンパが必要となる。減衰によって、ばねで支えられた物体が自由振動で揺れ続けることを避けることができる。より強力に振動を抑えるために、ばね・ダンパに加えてアクチュエータを備えることもある。車両のアクティブサスペンションなどがその例である。
振動の問題を扱うときなどには、対象の機構をモデル化し、個々の要素から構成されるシステム(系)として考える。基本的な振動モデルは慣性要素、復元要素、減衰要素の3つから成る。復元要素の典型がばねである。ばねの荷重-たわみ特性を求めることができれば、振動モデル上の一要素としてその特性を与えることができる。ただし、振動モデル上でモデル化されたばねは、実際のばねをあくまでも理想化したものであることに注意が必要である。振動モデル上のばねは質量を持たないものとして扱われるが、実際に組み込まれるばねは質量を持っている。実際のばねは、それ自体も一つの振動系である。そのためばね自体も振動し、その振動にも固有振動数が存在する。ばね自体の固有振動数と外からの振動数が一致すると共振が起こる。この共振は「サージング」と呼ばれ、特に高振動数で伸縮される圧縮コイルばねで問題となる。サージングが起こると、機構の動きにばねが追従できずシステムが不安定になったり、ばねの破損を引き起こしたりする。サージングが問題となるときは、ばね自体の固有振動数を上げるなどして対策をする。
一般的な機械設計では壊れないように十分な強度を持たせることが大事であり、ばねもそれは同様である。設計においてばねが他の機械要素と比較して特殊な点は、変形によるたわみ量を必要とする点にある。他の機械要素では強度の評価は行うが、変形量の評価までは通常は必要としない。もう一つの設計上の特徴は、前述のとおり、ばねの使用範囲が弾性変形の範囲内となるようにすることである。これは、ばね設計の「絶対条件」ともいえる。材料の弾性限度を超えるようだと、ばねとしての機能が通常は果たせなくなる。ばねの強度面で特に重要となるのが「疲労」と「へたり」である。
疲労は、物体に荷重が変動しながら繰り返し加わり続けることで、物体にき裂が発生して破壊に至る現象である。このような繰り返し荷重のことを「動的荷重」や「動荷重」と呼ぶ。振動を受け続ける車両の懸架装置用ばねなどがそのような荷重を受ける例である。疲労強度には材質、形状、荷重形式、使用温度、雰囲気などの多くの要素が影響する。ばねは繰り返し荷重を受ける形で使用されることが多いことから、設計上も疲労強度の検討が重要となる。一般的には、荷重が繰り返し加わる回数が1000万回までであれば、ばねが疲労破壊しないように設計する。ばねの用途によっては、それよりも少ない回数に耐えれればよい場合やそれ以上の回数に耐えるようにする場合がある。
へたりは、降伏応力以下しか与えない荷重でも長期間かけ続けると、徐々に材料中で塑性変形が発生して、ばねに永久たわみが発生する現象である。へたりは荷重がほぼ一定でかかり続けるような場合にも発生する。このような荷重のことを「静的荷重」や「静荷重」とも呼ぶ。へたりは材料のクリープと呼ばれる現象が主原因である。例えば、自動車の懸架装置用ばねではへたりによる車高変化が問題となる。特に高温領域ではへたりが起きやすいため、高温領域で使用されるばねは発生応力を低く抑えたり、へたりに対する耐性が高い材料を採用するなどの配慮がされる。450°C以上の高温領域におけるへたり現象については解明が進んでいるが、400°C以下の領域におけるへたり現象の発生機構については2014年現在では未だに不明確である。
ばねの製造工程は種類によって様々である。以下では金属ばねに関する製造について大まかに説明する。
金属ばねの場合、棒状や板状の材料から所定のばね形状への成形は主に塑性加工によって行われる。材料に曲げや圧延を行い、望みの形状に加工する。金属ばねの塑性加工は大きく分けて、冷間成形と熱間成形に分かれる。前述のとおり、冷間成形とは材料が常温の状態でばねの形へ加工することで、比較的小型のばねに対して行う。熱間成形とは材料を高温に熱した状態でばねの形へ加工することで、比較的大型のばねに対して行う。
金属ばねの場合、成形後には熱処理が施される。鋼材の熱間成形ばね(重ね板ばね、竹の子ばね、コイルばねなど)であれば成形後直ちに急冷して焼入れ、そして焼戻しを行う。焼入れ焼戻しによって、硬く粘り強い材質にすることができる。鋼材冷間成形ばね(薄板ばね、コイルばね、皿ばねなど)の成形後に熱処理する場合は、焼入れ焼戻しあるいは残留応力を除去するために低温焼なましを行う。非鉄金属材料の場合は時効処理が施され、同じく強度を高める。
熱処理後には多くの場合、ショットピーニングを行う。ショットピーニングは無数の硬質粒子をばね表面に高速でぶつける処理で、ばね表面に圧縮の残留応力を与えて疲労強度を向上させる。ショットピーニングあるいは熱処理後には、設計上の最大荷重よりも大きな荷重を加える、「プレセッチング」あるいは「セッチング」と呼ばれる工程を多くの場合で行う。セッチングを行うことでへたりに対する耐性を向上させることができる。熱間成形コイルばねなどでは、焼戻しと同時に高温状態でセッチングを行う「ホットセッチング」を行う場合もある。ホットセッチングによって耐へたり性を大きくすることができる。最終工程では、必要に応じてメッキや塗装などで表面処理を行う。
プラスチックばねの場合、ばねに使用されるプラスチックはほとんど熱可塑性樹脂なので、射出成形で成形される。溶融された材料が金型に圧入されて、冷却・固化されて造られる。ゴムばねの一つである防振ゴムの場合は、原料の配合と練りを行い、ゴムを金具へ加硫接着させて製造する。
国際規格であるISOの他、各国の工業規格(ASTM、BS、DIN、JIS、JASO、NF、SAEなど)で、ばねの設計や製造に関する規格が制定されている。内容は、ばねに関する用語、各種のばね製品、試験方法、ばね用材料、製図方法などに関するものである。例えば日本産業規格における皿ばねの規格「JIS B 2706:2013」では、材料、分類、設計計算式、寸法許容差、試験方法などが規定されている。ISOでは、2017年現在12カ国が参加する技術委員会「ISO/TC 227」が設置され、金属ばねを所掌範囲として規格開発が行われている。
ばねの特性や機能を活かして、ばねは幅広い分野にわたって使われている。身近な器具から大型機械・構造物まで、昔ながらの機器から現代的な機器まで、ばねの利用は広範囲に及んでいる。
身の回りの日用品の中にも様々なばねが存在する。文房具では、紙や書類を挟むためのクリップもばねの一種といえる。線を折り曲げて成形されたゼムクリップは、線細工ばねの一種である。紙や書類を綴じるためのステープラーには、板ばねとコイルばねが使われている。針を前に押し出す機構にはコイルばねが使われ、針を押し出す薄板は板ばねになっている。ノック機構を持つボールペンでは、ペン先の出し入れにコイルばねを利用している。ボールペンの中には、ペン先のボールを 1 mm 程度の小さなばねで支える機構を持つものもある。
衣服を干すための洗濯ばさみでもばねが使われている。洗濯ばさみには、ねじりコイルばねを利用するものと、輪っかの形のばねを利用するものがある。重さを量る秤にもばねを利用する種類がある。ばねばかりは引張コイルばねを利用するもので、計量の仕組みはフックの法則の見本といえる。
機械式時計では2種類の渦巻ばねが用いられている。1つは接触形渦巻ばねのぜんまいで、時計の針を進める動力を生み出している。もう1つは非接触形渦巻ばねのひげぜんまいと呼ばれる部品で、時計の調速脱進機で使われる。てんぷという部品に取り付けられたひげぜんまいに往復運動をさせることで、正しい時刻を刻むように針を動かしている。
おもちゃもばねの様々な性質を利用している。びっくり箱はフタを開けると人形などがばねの復元力で飛び出る古典的なおもちゃである。オルゴールは、渦巻ばねを動力として音を出している。エネルギーを弾性エネルギーとして蓄積して徐々に放出させる、ばねの使い方の例である。ミニカーのチョロQも渦巻ばねが走りの動力原である。スリンキーという変わった動きをするばね状のおもちゃもある。
1台の自動車で使用されているばねは2,000から3,000個あるといわれ、自動車とばねの関連は強い。自動車エンジンの中で使用されている代表的なものは、カムシャフトのカム形状通りに吸排気バルブを動かすばねで、「弁ばね」や「バルブスプリング」と呼ばれる。約120°Cの油中で1億回以上の伸縮をしても疲労破壊しないことが必要とされ、さらには小型化と軽量化が常に要求される。ばね全体の中でも、弁ばねは最も過酷な環境で使われるばねといえる。使用条件に応えるために、ピッチ形状や線断面形状には特別な工夫が施されている。材料については、引張強さが 2000 MPa を超える鋼線が弁ばね用材料に規格化されて使われており、「現在量産されているばねのなかでも最も高品質なばね」といわれる。
車輪を保持しつつ車体を支え、路面からの衝撃を和らげる自動車の懸架装置(サスペンション)にも様々なばねが使用されている。最も多く用いられている懸架用ばねは圧縮コイルばねで、軽量で小型なため乗用車の多くで使われている。重ね板ばねは、重量が重く乗り心地もあまりよくないが耐荷重が大きいため、貨物自動車、バス、オフロード車などで使用される。空気ばねは車高調整ができて乗り心地向上などの長所があるが、高価なため、バスや高級車で使われている。トーションバーはフォーミュラ1カーで主流な懸架用ばねとなっている。また車体のロール揺動を抑えるために、腕と一体となったスタビライザーとしてもトーションバーが軽自動車から大型トラックまでの広い範囲で利用されている。
鉄道車両の懸架装置は、枕ばねと軸ばねという2種類のばねから構成されている。枕ばねは車体と台車の間に存在するばねで、空気ばねが主に使われている。空気ばねを使用することで、柔らかいばね定数を得ながらも車体の高さを維持することができている。軸ばねは台車と輪軸の間に存在するばねで、コイルばねが主に使われている。
懸架装置の他には、電車のパンタグラフは、空気圧によるものもあるが、ばねによって舟体を架線に押し付けて電気を得ている。古い鉄道車両では、連結器の緩衝用に輪ばねが使われている。レールを枕木に固定するためにも、板ばねや線ばねが使われている。
その他車両用としては、建設車両のブルドーザの足回りには、キャタピラに張りを与えながらも異常な力が加わったときはそれを逃がすことができるように、ばねが組み込まれている。このばねは「リコイルスプリング」と呼ばれており、主にはコイルばねが使われている。リコイルスプリングの中には、人の背を超えるような巨大な圧縮コイルばねもある。
電気機器類や電子機器類においても、ばねが活用されている。ばね自体が電気回路の一部となる場合もあり、そのような用途では導電性のよい銅合金ばねが使われる。電気を得るためのコンセントには銅製の薄板ばねが組み込まれており、この薄板ばねがプラグとの電気的接続およびプラグの保持を行っている。これによってプラグが容易には取れないようになっており、なおかつ適度な力でプラグを抜くこともできるようになっている。電気回路・電子回路中のリレーやスイッチでも、電気的な接点をばねが担っている。ノートパソコンや携帯電話といった電子機器類は高度な軽量化や小型化を求められるため、それらの中にあるリレー・スイッチ・コネクタなどで使われる薄板ばねにも同様に軽量化や小型化が求められ、結果として懸架装置用ばね並みの高強度を持つばねが使われることもある。
照明やリモコンなどのスイッチも、その動作にばねを利用している。ばねが無いとすると、スイッチをゆっくり押されると電気接点もゆっくり近づき接触するので、接点間でアークが長く発生しやすく、損傷に繋がる。ばねを利用することで、スイッチがゆっくり押されたとしても瞬間的に端子を接触させている。圧縮コイルばねやゴムを使う機構、接続する端子自体が板ばねとなっている機構などがある。
コンピュータの例では、操作を行うキーボードの中にばねが組み込まれている。古い型のキーボードでは金属製のコイルばねがそれぞのキーの下に組み込まれ、キーを押し戻すようになっている。ゴムの復元力でキーを押し戻す方式もあり、2008年現在ではこの方式のキーボードが主流となっている。記憶装置のハードディスクドライブでは、磁気ヘッドという部品が磁気ディスク上を移動して、ディスクに情報を読み書きする。このとき、サスペンションとよばれる薄板ばねが磁気ヘッドに一定荷重を与え、磁気ヘッドがディスク上数十nmの位置で維持されるのに寄与している。
建築・土木分野における構造物自体にもばねが使われている。建物を地震から守るために建物と基礎を切り離し、その間にばねやダンパーを取り付ける構造を免震構造と呼ぶ。免震構造では、コイルばねも使用されているが、代表的には金属板とゴムが層状に重なった積層ゴムが使われる。体操競技のゆかの床も、敷き詰められたばねで支えられている。これによって、ゆか競技における高難度な宙返り技が可能となっている。橋の支承でも積層ゴムなどが組み込まれており、これにより橋の上部構造の動きを逃している。
免震構造以外で建物を揺れから守る方法に制振構造がある。制振構造では、TMDと呼ばれる、重量物をばねとダンパーを介して建物上部に取り付ける機構を設ける。免震構造と異なり強風による揺れを低減できるため、特に超高層建築物で制振構造が必要とされる。一例としては、日本の東京スカイツリー頂部のゲイン塔には、ばね1本当たり1トンの巨大なコイルばねを使ったTMDが設置されている。
ISOの技術委員会「ISO/TC 227」は、ばねの産業別市場割合を2012年に発表した。それによると、1994年、2004年の実績、および2014年の推定は以下のとおりとなっている。
さらに主要国におけるばね産業の規模は、同じく ISO/TC 227 によると、2004年で次のようになっている。
「ばね」という言葉は和語であり、その語源は次のように諸説ある。いずれの説にしても確実とされるものはなく、確かな語源は判明していない。1932年から1937年にかけて刊行された国語辞典『大言海』では「跳ねること」が訛って濁って「ばね」となったと記されている。この説は『日本国語大辞典』でも採用された。日本機械学会編『機械工学辞典』や日本ばね学会編『ばね 第4版』でも「跳ね」「跳ねる」から転じたといわれる説が紹介されている。各種の語源事典でも「跳ね(はね、ハネ)」を語源として紹介している。
1796年(寛政)に細川半蔵が著したとされる『機巧図彙』では、現在のばねに相当する部品を「はじきがね」「はじき金」と呼んでいた。16世紀に日本でも盛んに作られるようになった火縄銃でも「はじきがね」は使用されていた。1819年(文政)の鉄砲鍛冶師の国友一貫斎による『気砲記』では、ばねを「ハシキ金」と記している。また、砲術の井上流による伝書では「弾金」と記されていた。この「はじき金」「弾金」を「跳ねる」「とび跳ねる」に引っかけ、なおかつ訛り、「ばね」となったという説がある。この「はじきがね」と「跳ねる」から訛ったという説が有力といわれる。
他には、戦国時代に使用されていた鎖帷子や鎖襦袢が刀や槍を"はね"返した様子から、「はね」が「ばね」となったという説もある。
「ばね」の漢字表記には、発条、鎖鬚、撥条、弾機、発弾、発軌といったものがある。いずれの漢字表記もいつ誰が当てはめたのか明らかではない。これら漢字表記の中でも「発条」が現在でも使用される。実際の使用としては、ばねの製造会社などが「○○発条」といった名称をつけることが多い。「発条」の読みは、「ばね」の他に「はつじょう」や「ぜんまい」がある。
英語ではばねを "spring" と記し、これを片仮名表記したスプリングという名称でもよく呼ぶ。"spring" には「ばね」の他に「春」や「泉」といった語義もある。これらの語義は、"spring" の中心義「(人・物が)ぴょんと跳ぶ」から
という風に展開されたと分析される。"spring" という語の原義には「素早い動作」が挙げられ、日本語の「ばね」の原義にも「もとある場所から(急に)移動する」が挙げられる。その他言語では、ドイツ語の "feder" は「ばね」の他に「羽毛」という語義を持ち、ポルトガル語の "mola" は「ばね」の他に「刺激」という語義を持つ。これらの語義も、日本語の「ばね」と共通な意味を感じさせると評される。
冒頭でも述べたとおり、ばねは弾性を利用する機械要素や部品の総称である。人類が使う道具には「弾性を利用してばねとして利用する道具」と「弾性を利用せず剛体として利用する道具」という大まかな2種類の道具が考えられるが、18世紀の産業革命まで、これら2種類の道具によってのみで人類の歴史が積み重ねられてきたとも評される。人類によるばねの利用の歴史は太古に遡る。
まず、人類が弾性を利用した最初期の道具として挙げられるのは、原始的な罠である。約10万年前から約5万年前にかけて、しならせた木の枝を利用した動物捕獲のための罠が使われ始めたといわれる。さらに、弓もまた人類が弾性を利用して自己以外のエネルギーを利用した最初期の道具の一つとして挙げられる。弾力のある木の枝に弦を張った弓が発明され、弓矢が狩猟に用いられたと考えられている。弓の使用の始まりがいつどこなのかは判明していないが、旧石器時代後期のソリュートレ文化で石鏃が存在していた。弓矢が広く普及したのは中石器時代以降と考えられており、世界各地に残る岩壁画(英語版)からも、弓矢の使用の跡が確認できる。最古のもので紀元前約1万年の岩壁画が残ると推定されているタッシリ・ナジェールには、弓を持つ人たちを描いた岩壁画が残されている。弓矢はやがて戦争の武器としても使われるようになり、簡単な構造であった弓以上にばねの張力を利用する、より強力な兵器へと発展していった。
紀元前4世紀頃、古代中国では機械式弓の弩が出現した。古代ギリシャでも、発射物として矢も石も含めた広い意味でのカタパルト兵器が弓から発展していった。アレクサンドリアのヘロンが、弩と同じような機械式弓のガストラフェテスの構造について説明を書き残している。ヘロンの説明によると、弓の材料は「角と木の一種」が用いられていた。弓型ではなく、ねじりばねを利用した形式の射撃装置も、紀元前4世紀頃の古代ギリシャで考案されていた。このねじりばねは糸状の材料をより合わせて束ねたもので、これにレバーを差し込み、ねじることで復元力が発揮される機構であった。ねじりばねのための糸状の材料には、動物の腱や人間の髪の毛が利用された。
古代ギリシャで考案されたカタパルト機構にはねじりばね以外を利用する種類もあり、クテシビオスは青銅製の板ばねを利用するカタパルトを考案した。このクテシビオスの板ばねは、最古の板ばねともいわれる。さらにビザンチウムのフィロンが、クテシビオスのカタパルト機構の説明を書き残している。このフィロンによるカタパルトの説明中で、弾性を利用することを意識した一つの独立した部品としての「ばね」という概念は初めて語られたと考えられている。またさらにフィロンは、剣を曲げて試験するときは瞬時に元の形に戻る点に注意するよう呼び掛ける記述も残しており、金属が持つ弾性の重要性について明確に言及した最古の記録を残している。
機械式弓はその後も発展し、鋼製ばねを使用することで強力な威力を持つようになったクロスボウは、1139年の第2ラテラン公会議でキリスト教徒に対する使用禁止が定められるに至った。一方で、西暦400年頃から1400年頃にかけての中世ヨーロッパでは、ばねや機械に関する進歩はあまり知られていない。11世紀頃になると、鍛冶屋などの多くのギルドが誕生したが、ばね屋のギルドの記録は残っていない。しかしこれらの間もばねの利用は続いており、鍛冶、金細工、銀細工、鎧、錠前や時計などの製造者たちによって個別にばねが作られていたと推測される。
中世ギルドの中でも、時計産業は、ばねの利用と製作の発展に古くから重要な寄与してきた存在であった。本格的な機械式の時計は、1300年頃、ヨーロッパで最初に作られたといわれる。この時計は錘の落下を動力したもので、錘を落とすための高さが必要で、大型なものであった。しかし、渦巻ばねのぜんまいが発明され、これを時計の動力として用いることによって、携帯可能な大きさの時計が初めて実現した。ぜんまいの発明者は不明だが、14世紀中には存在していた。フィリッポ・ブルネレスキの伝記や肖像画に、ぜんまいを使った時計の記述が残っている。当時の携帯可能な時計の中でも、ドイツのニュルンベルクで作られたぜんまい式携帯時計は「ニュルンベルクの卵(英語版)」という名称でヨーロッパで人気を博した。ニュルンベルクの時計技師であったピーター・ヘンラインがぜんまいあるいはニュルンベルクの卵を発明したという説もあるが、現在では否定されている。
ルネサンス期には、イタリアのレオナルド・ダ・ヴィンチも、ばねを利用した機械や機械要素としてのばねのスケッチや説明を多くの手稿の中に書き残した。これらの内で実際に当時実現されたのものは少ないと考えられているが、これらの時代に先立つアイデアはダ・ヴィンチの才能の現れの一つとも評される。一例として、自動車の祖先ともいえる、弓形のばねを動力として自走する三輪車のスケッチをアトランティコ手稿の中に残している。この自走する三輪車は現代的な視点から推測すると実用に耐えないと考えられているが、一方でダ・ヴィンチの独創性としても評価される。
16世紀あるいは17世紀以降のヨーロッパでは、交通手段として本格的に馬車が活用されるようになる。この背景となった技術の一つとして、馬車の懸架装置用に鋼製のばねが使用されるようになった点がある。それまでの馬車の懸架装置は、座席を革製のひもで吊り下げるものであった。しかし、鋼製ばねによる懸架装置が利用されるようになったことで馬車の乗り心地は改善され、馬車は荷物運搬のみならず人の移動にも利用されるようになった。記録としては1669年、イギリスの海軍史家サミュエル・ピープスが、自分の馬車に鋼製のばねを実験的に使ったことを書き残している。この記述は、懸架装置に用いられた板ばねの記録の中で最古のものでもある。
1678年には、ばねにおいて非常に重要な物理法則である「フックの法則」がイギリスのロバート・フックから発表された。当時、ジョン・カトラーという人物が資金を提供して創設された「カトラー講義」の授業をフックは行っていた。この講義の内容のいくつかは出版されて、『復元力についての講義』(Lectures de Potentia Restitutiva, Or of Spring) という著作をフックは1678年に出版し、この中でフックの法則が論じられた。『復元力についての講義』出版の2年前に、フックは別の事柄に関する著書を出しており、この著書の終わり近くでフックの法則を意味するアナグラムを公表していた。そして、『復元力についての講義』の中で、フックはそのアナグラムの解答を発表した。フックは『復元力についての講義』の最初のページで以下のように述べている。
アナグラムの解答である Vt tensio sic vis はラテン語の文となっており、科学技術史学者の中島秀人はこれを「伸びは力のごとく」と訳している。今日では、フックの法則はばねの最も基本的な動きを表し、さらには、ばねに限らずに弾性を持つ物体全てが関連する重要な法則となっている。
18世紀になるとイギリスを最初として産業革命が起き、ここから20世紀後半までにかけて工業化が世界に広がっていった。他の工業と同じく、産業革命の中でばねも大きな発展を遂げた。コイルばねを巻くための生産機械であるコイリングマシンも産業革命の中で生まれた。イギリスの発明家ジョセフ・ブラマーの錠前工場の中で、様々なピッチのコイルばねを造れる製作機が使われていた。このばね製作機は、ブラマーの工場で当時働いており、後にねじ切り旋盤の発明で知られるヘンリー・モーズリーの発明にも影響を与えたと考えられている。
コイルばねの製造は第一次世界大戦前まではコイルの芯となる棒に巻き付ける手法で行われていたが、大量生産の時代が来るとより早く作れるコイリングマシンが求められるようになった。アメリカでは様々なばね製作方法の特許が生まれた。1918年にはスリーパー&ハートレー社の創業者フランク・スリーパーがユニバーサルコイリングマシンの特許を出し、これが旋盤式コイリングマシンに取って代わっていった。工作機械全般が数値制御化(NC化)される中で、ばね製造機もNC化が進んだ。1969年にはアメリカのトーリン社がNC式のばね製造機を世界で初めて開発した。2012年現在、ばねの製造は機械化による大量生産品が主を占めている。一方で、大量生産品では対応できない特殊なばねに対しては、手作業による製造もまた行われている。
最初は蒸気機関を動力として生まれた自動車は、内燃機関のガソリンエンジンが開発されて動力として実用化されると、様々な国で自動車が実用に供されていった。自動車では非常に多くの種類と数のばねが使用されているため、「自動車の発達の歴史は、そのままばねの発達の歴史」ともいわれるほど自動車とばねの関係は深い。ドイツのゴットリープ・ダイムラーが開発した1883年の4サイクルガソリンエンジンでは、弁ばねが既に使用されていた。懸架装置には、板ばねを使用した方式が馬車の時代から引き続き用いられ、1900年初期頃まで板ばねが主として用いられていた。その後1930年頃から、コイルばねやトーションバーといった板ばね以外の種類のばねも鋼材料の進歩にともなって自動車懸架装置用に使われるようになっていった。2016年現在では、一般的な乗用車用にはコイルばねの使用が主流となり、板ばねはトラックやバスなどの大きな荷重を受ける車種で利用されている。
産業革命以前は経験的に試行錯誤で作られていたばねも、1830年頃以降から徐々に理論的な設計がなされるようになっていった。18世紀から20世紀にかけて、ばねの解析の下地となる弾性力学の基礎概念や基礎理論、代表的な金属ばねについての個々の理論が確立されていった。1949年にはアメリカのウェスティングハウス・エレクトリック社の技師 A. M. ワールが著書 Mechanical Springs(機械ばね)を、1960年にはドイツのジークフリート・グロスが著書 Berechnung und Gestaltung von Metallfedern(金属ばねの設計と計算)を出版し、各種ばねの設計の基礎がまとめられた。ワールは、コイルばねの応力解析における「ワールの応力修正係数」として今日でも名をとどめている。
20世紀後半にはコンピュータが誕生し、数値解析手法の一つである有限要素法 (FEM) が実用化されるに至った。FEMはばねの解析にも利用され、限られた範囲でしか使用できない理論式に縛られずに、様々な形状や荷重状況のばねを解析できるようになった。例えば、軽量化が要求される自動車懸架装置用ばねなどにおいて、古典的な理論式では解明できなかった点をFEMは明らかにしている。一方で、古典的な理論式は未だに有用であり、FEMを補完するものとして価値を持ち続けている。
ばねの材料は金属がほとんどだったが、金属材料では実現できない特性を得るために近年では非金属材料についても材料として利用されるようになってきた。プラスチック製のばねや空気ばねは、それぞれの長所を生かして実用に至っている。セラミックス製のばねは、1000°C以上の高温下でも使用可能なばねとして期待されている。鋼製ばねも、自動車の軽量化要求によって更なる高強度のばね用鋼材開発が進められている。今日のばねは、省エネルギー、軽量化、安全性、精密化、リサイクルなど要求が多様化し、高度な技術が求められるようになっている。
生体の動きについて、「ばね」という言葉を使って比喩的に表すことがある。実際に筋肉と腱は弾性を持ち、特に、腱は骨格筋においてばねとして機能することで走りや跳躍といった動作の効率を高めている。例えば垂直跳びでは、跳躍前に勢い良く一旦しゃがみ込むことによって、そうしない場合よりも高く跳び上がることができる。これは反復動作(伸張-短縮サイクル運動)と呼ばれる大きな力を出すための動作で、腱のばね効果が反復動作時に大きな力を生み出す一役を担っている。動物の中で最も高い跳躍力を持つカンガルーは長いアキレス腱をばねとして使い、連続した大きな跳躍を可能にしている。バイオメカニクスにおける骨格筋の最も基本的なモデルである「ヒルの筋収縮モデル」では、筋繊維をモデル化した「収縮要素」、腱組織をモデル化した「直列弾性要素」、その他結合組織をモデル化した「並列弾性要素」の3つで骨格筋をモデル化し、骨格筋が生み出す力を説明している。
鳥類や昆虫では、翼や翅の羽ばたき機構の中にばねの要素を取り入れて共振させることで、羽ばたきを補助しているという説がある。他には、鳥類のホシムクドリの叉骨は飛翔中にばねとして機能していることが確認されており、呼吸動作の補助を行っているのではないかと推測される。
「ばね」や「ばね仕掛け」といった言葉は日本語の比喩表現としても使われる。比喩表現としては、「スプリング」という語は通常は用いられない。「ばね」の原義として、もとの場所から急に移動する、あるいは変わる、といった意があるといわれる。前述の身体における動きを表す場合の他に、「飛躍や発展のきっかけ」「行動を起こすきっかけ」を「ばね」という語で例えることがある。
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"text": "ばねとは、力が加わると変形して力を取り除くと元に戻るという、物体の弾性という性質を利用する機械要素である。広義には、弾性の利用を主な目的とするものの総称ともいえる。英語名は spring で、日本語でもスプリングという名でよく呼ばれる。発条(はつじょう)ともいう。ばねの形状や材質は様々で、日用品から車両、電気電子機器、構造物に至るまで、非常に多岐にわたって使用される。",
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"text": "ばねの種類の中ではコイルばねがよく知られ、特に圧縮コイルばねが広く用いられている。他には、板ばね、渦巻ばね、トーションバー、皿ばねなどがある。ばねの材料には金属、特に鉄鋼が広く用いられているが、用途に応じてゴム、プラスチック、セラミックスといった非金属材料も用いられている。空気を復元力を生み出す材料とする空気ばねなどもある。ばねの荷重とたわみの関係も、荷重とたわみが比例する線形のものから、比例しない非線形のものまで存在する。ばねばかりのように荷重を変形量で示させたり、自動車の懸架装置のように振動や衝撃を緩和したり、ぜんまい仕掛けのおもちゃのように弾性エネルギーの貯蔵と放出を行わせたりなど、色々な用途のためにばねが用いられる。",
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"text": "人類におけるばねの使用の歴史は太古に遡り、原始時代から利用されてきた弓はばねそのものである。カタパルト、クロスボウ、機械式時計、馬車の懸架装置といった様々な機械や器具で利用され、ばねは発展を遂げていった。1678年にはイギリスのロバート・フックが、ばねにおいて非常に重要な物理法則となるフックの法則を発表した。産業革命後には、他の工業と同じくばねも大きな発展を遂げ、理論的な設計手法も確立していった。今日では、ばねの製造は機械化された大量生産が主だが、一方で特殊なばねに対しては手作業による製造も行われる。現在のばねへの要求は多様化し、その実現に高度な技術も求められるようになっている。",
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"text": "物体には弾性と呼ばれる、力が加わって変形しても元に戻ろうとする性質がある。ばねの広い意味での定義は、この弾性という性質の利用を主な目的とするものの総称といえる。ばねが持っている、あるいはばねに求められる特性としては、大きく分けて",
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"text": "という3つの特性が挙げられ、これらは「ばねの3大特性」とも呼ばれる。ばねと呼ばれる部品や物以外にもこれら3つの特性は備わっているが、これらの特性を特に上手く利用しているのがばねともいえる。他にもばねの基本的な性質や働きの分け方はあるが、ここではこの3つの大別に沿って、ばねの基本的特性について説明する。",
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"text": "ばねは、力を加えられると変形し、力を取り除くと元の形に戻るという性質を持っている。このように力が加わって変形しても元に戻ろうとする性質を持つことが、ばねの基本的性質であり、必要条件である。元の形に戻ろうとする力は「復元力」と呼ばれ、復元力の存在がばねの主要な特性の1つ目に挙げられる。",
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"text": "復元力は物質の「弾性」という性質に起因し、力を取り除くと元の形に戻る変形は「弾性変形」と呼ばれる。しかし、力(正確には応力)が材料の限界を超えて加わると、力を除いても変形(正確にはひずみ)が残るようになる。この性質は「塑性」と呼ばれ、塑性という性質によって元に戻らない変形のことを「塑性変形」と呼ぶ。変形が弾性変形に留まる最大の応力は「弾性限度」と呼ばれる。ばねは元に戻ることを前提として使われるものであるため、塑性変形が起こることは好ましくなく、一般にばねに加わる力が弾性限度を超えない範囲で使用される。",
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"text": "ばねの変形のことや変形量のことを「たわみ」と呼ぶ。たわみの物理単位には、変位(長さの変化)と回転角(ねじり角や曲げ角の変化)の2種類がある。長さが変化することを利用する圧縮コイルばねでは、たわみの単位は変位で表される。棒のねじり角度が変化することを利用するトーションバーでは、たわみの単位は回転角(ねじり角)である。たわみの物理量に対応して、たわみを起こす負荷にもいくつかの種類が考えられる。変位であれば荷重(純粋な力)であり、ねじり角であればねじりモーメントが考えられる。実際のばねでは、変位や回転変形が組み合わさった複雑なたわみを起こすものもある。",
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"text": "このような荷重とたわみがある一定関係を持っていることが、ばねが持つ基本的性質や機能の一つともいえる。ばねが示す荷重とたわみの関係のことを「ばね特性」「荷重-たわみ特性」「荷重特性」などと呼ぶ。最もよく利用されるばねのばね特性は、線形であることが多い。線形とはたわみが荷重に比例して増減するということで、ばねに 10 kg の重りを吊るすとばねが 1 cm 伸び、20 kg の重りを吊るすと 2 cm 伸びるという具合である。この関係は「フックの法則」としても知られる。線形特性であるばねでは荷重とたわみの関係は以下のような式で表される。",
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"text": "ここで、P が荷重(力)で、δ がたわみ(変位)である。k は P と δ の比例定数で「ばね定数」と呼ばれ、単位は[力]/[長さ]である。例えば 10 kgf/cm というばね定数は、たわみ 1 cm を起こすのに 10 kg の重りを吊るす必要があるという意味である。実際の製品でいえば、大型自動車や鉄道車両の懸架装置用ばねでは大きなばね定数が必要となり、それと比較してベッドやソファーのばねでは小さなばね定数が必要となる。",
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"text": "という式になる。この場合の k の単位は[モーメント]/[角度]であり、k を「回転ばね定数」などと呼んで通常のばね定数と区別する場合もある。",
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"text": "荷重とたわみが比例しないばねも存在し、そのような関係を非線形と呼ぶ。非線形特性のばねでは、例えば、ばねに 10 kg の重りを吊るすと 1 cm 伸びるが、20 kg の重りを吊るしても 1.2 cm しか伸びないという具合である。さらに、荷重を加えるときと取り除くときで荷重とたわみの関係が異なり、荷重-たわみ曲線がヒステリシスループを描くばねもある。皿ばねや圧縮コイルばねの内の特殊なものが、非線形特性のばねの例として挙げられる。",
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"text": "ばねが変形するとき、弾性エネルギーという形でエネルギーがばねに蓄えられる。蓄えられたエネルギーを放出させれば、ばねに機械的な仕事をさせることができる。この「エネルギーの蓄積と放出」という働きが、ばねの主要な特性の2つ目として挙げられる。例えば、弓によって矢を放つのは、このエネルギーの蓄積と放出を利用している。手で弦を引くことで弾性エネルギーを蓄え、手を放すことで弾性エネルギーを矢を飛ばす力に変える。ぜんまい時計では、ぜんまいに蓄えられたエネルギーを放出させながら時計が動いている。弓と比較すると、ぜんまい時計の場合は弾性エネルギーを徐々に放出させながら利用している。自動車の懸架装置用ばねの場合は、路面から伝わる衝撃をばねが受け、衝撃力をばねの弾性エネルギーに変化させて緩衝している。",
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"text": "ばねに蓄えられる弾性エネルギーは、その弾性変形を起こす荷重によってなされた仕事に等しい。荷重-たわみ線図では、曲線と横軸で囲まれた面積が弾性エネルギーに相当する。線形特性に限定せずに、荷重 P がたわみ δ の一般的な関数であるときは、 P(δ) を積分して、弾性エネルギー U は以下のようになる。",
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"text": "線形特性のばねであれば、囲まれる面積は三角形となるので",
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"text": "が弾性エネルギーである。ばねが受ける荷重 P が同じなら、ばね定数 k が小さいほど吸収エネルギー U が大きくできる。鉄道車両の連結器や緩衝装置のようにばねを衝突を緩和するために使用するときは、この吸収エネルギーが大きいほど有利となる。",
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"text": "荷重-たわみ曲線がヒステリシスループを描く非線形特性ばねの場合では、ループで囲まれる部分の面積分のエネルギーが摩擦などで消費される。このヒステリシスによる弾性エネルギーの消費は減衰として働き、衝撃緩和の視点からは、ループで囲まれる面積が大きいほど有利となる。",
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"text": "先端に重りを付けたばねを天井に吊るし、重りを下に引っ張り、力を放す。すると重りは一定の振動数で上下に振動する。この一定の振動数は「固有振動数」と呼ばれる。この例のような、線形特性のばねと質点(重り)と基礎(天井)から成る1自由度の系では、固有振動数は",
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"text": "となる。m は重りの質量、k はばね定数、π は円周率、fn が固有振動数である。このような固有振動数を持つことが、ばねの主要な特性の3つ目である。上の式では、k が大きくなるほど fn が大きくなり、k が小さくなるほど fn が小さくなる。一般的にも、ばねが硬いほど固有振動数が大きくなり、ばねが柔らかいほど固有振動数が小さくなる。",
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"text": "固有振動数は実際上のあらゆる振動の問題に関係し、固有振動数は振動の問題を考えるときの最重要の物理量ともいわれる。特に、大きさや向きが周期的に変動するような力が質点に加わったり、ばねを支える基礎自体が周期的に揺れ動くとき、このような外からの振動数が固有振動数に一致すると「共振」と呼ばれる質点が激しく振動する現象が発生する。共振を積極的に利用する機械・道具もあるが、通常は共振を避ける必要がある。共振が起こると、機械の動作が不安定になったり、故障の原因となったり、最悪は破壊事故を引き起こすこともある。このため、固有振動数と外からの振動数をずらすように機械や構造物を設計することが求められる。",
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"text": "一方で、ばねの固有振動を持つ性質を利用することで、振動の伝達を緩和することもできる。固有振動数が外からの振動数よりも十分小さいとき、振動がばねが支える質点に伝わりにくくなる。これを利用することによって、ばねが支える物体の振動を和らげることができる。振動を伝わりにくくする一般的な目安としては、固有振動数が外からの振動数の1/3以下となるようにするのが望ましいとされる。例えば鉄道車両では、金属ばねに比べてばね定数を小さくすることができる空気ばねを採用し、乗り心地を良くしている。",
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"text": "ばねの種類は多岐にわたる。様々な分類の仕方があり、決定的なものはない。以下では、形状別の種類と材料別の種類を主に説明し、その他の分類についても触れる。",
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"text": "ばねの形状で分類した代表的種類を以下に示す。これらは主に金属を材料にするばねである。金属の内、特に鋼が材料として使われるが、鋼自体は硬いため力を加えられても目でわかるように大きな変形はしない。そのため、力が加わる板や棒を長くすることによって微小な変形を集めて、ばね全体としての大きな変形を生み出している。",
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"text": "ばねの復元力を生み出す材料には様々なものがある。原理的には、弾性を持つ材料全てがばねの材料となりえる。材料で分類すると金属ばねと非金属ばねに大きく分けられ、一例として以下のように分類される。",
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"text": "金属と非金属にばね材料を分けると、金属ばねが特殊な場合を除いて一般的に用いられている。コストが安いながらも、大きな力を受けることができたり、大きなたわみ量を確保できたりするのが金属ばね全般における利点である。金属材料の中でも、強度と汎用性の高さから特に鉄鋼材料が広範囲で用いられている。ばね用の鋼材は「ばね鋼」という名称でも呼ばれ、弾性限度を上げるために一般的な鋼材よりも材料中の炭素濃度が高められている。ばね鋼は大きく分けて冷間成形用と熱間成形用がある。冷間成形とは材料が常温の状態でばねの形へ加工することで、比較的小型のばねの成形に適している。熱間成形とは材料を高温に熱した状態でばねの形へ加工することで、比較的大型のばねの成形に適している。ばね鋼の種類としては、炭素を主な添加元素とする炭素鋼、あるいは炭素以外の元素を特別に加える合金鋼が使われる。他の鉄鋼材料としては、耐食性と耐熱性に優れたステンレス鋼が用いられている。",
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"text": "ばねに使われる非鉄金属の材料としては、黄銅、リン青銅、洋白、ベリリウム銅といった銅合金材料が一般的である。銅合金の電気伝導性の良さを利用して、コネクタなどで抵抗や発熱を減らすために使われる。他には耐食性や非磁性も長所として持っているが、鋼材料と比べるコストが高い欠点もある。",
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"text": "他の非鉄金属材料としては、耐食性、耐熱性ならびに耐寒性が優れたニッケル合金もばね材料として用いられている。特にインコネルがニッケル合金の中でも一般的である。400°C以上の高温領域で使用されるようなばねで、ニッケル合金材料が用いられている。鋼と比較して大きな軽量化が可能な材料として、チタン合金もばねに使用されている。チタン合金は鋼と比較して弾性率と比重が小さいため、ばねの軽量化が可能となる。一方でコストが高いという欠点もある。",
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"text": "金属材料では実現できない機能や特性を得たいとき、非金属材料がばね材料として使われる。プラスチックやゴムといった高分子材料も、ばね材料として利用される。ゴムの弾性を利用するばねは、特に「ゴムばね」と呼ばれる。ゴムの弾性は非線形であり、ひずみが小さい範囲でのみ線形とみなせる。具体的な材料としては、汎用に使われる天然ゴム、耐候性の高いクロロプレンゴム、振動減衰特性が良いブチルゴムなどが使われている。金属ばねと比較すると、ばね定数を方向に応じて自由に調整できる、ゴムの内部摩擦によって変形時に減衰力が生まれる、といった長所を持っている。車両用や産業機械用の防振ゴムとして広く利用されている。一方で、高温・低温で性能が劣化しやすい、長期間の大荷重負担でクリープが生じやすい、といった短所もある。さらに、ゴムばねの挙動は明確には計算できないので、おおよその範囲で計算する必要がある。",
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"text": "プラスチック材料もばねに用いられる。金属ばねと比較すると、プラスチック製ばねには軽量、錆びない、成形が容易といった長所がある。一方で、ゴムのようにクリープが起こりやすい、鋼材と比較すると強度や弾性率が小さいといった短所がある。プラスチック材料の中では、エンジニアリングプラスチックがばね用として一般的である。例としてはポリエーテルエーテルケトン(PEEK)製のコイルばねなどが、耐薬品性が必要な個所で活用されている。",
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"text": "プラスチックの強度の低さを克服するために、強化繊維を含有させた繊維強化プラスチック(FRP)もばね用材料として使われている。ばね材料として用いられるFRPには、ガラス繊維強化プラスチック(GFRP)と炭素繊維強化プラスチック(CFRP)の2つがある。強化繊維の配向によって、FRPは力を受ける向きによって強度や弾性率が異なるという特徴がある。そのため、ばね定数を最適化したり、FRPが持つ高い強度を生かすためには、適切な配向でばねを設計する必要がある。軽量化のためにGFRP製の板ばねが自動車懸架装置用として実用化されたことがあるが、コストが高い・リサイクルしづらいといった欠点により定着はしていない。CFRPも、板ばねとしての利用が代表例である。他の材料と比較すると、CFRPは比強度や比弾性率が特に優れており、加えて疲労強度も高いという長所を持つ。これらの長所を生かして、他の材料では不可能な用途にCFRP製ばねを適用することが試みられている。",
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"text": "無機材料のセラミックスもばねとして利用されている。既存の金属ばねでは対応不可能な700°Cから1000°Cの高温下でも実用できる耐熱性を持つ。セラミックスは脆性材料であり、小さな欠陥でも破壊に至り、強度のばらつきが大きいため、ばね用材料としては不適当と以前は考えられていた。その後の製造技術の進歩によって、高強度のセラミックスが誕生し、ばねとして実用可能となった。実際の使用例としては、高温下使われる治具用ばねに窒化ケイ素が使われている。",
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"paragraph_id": 32,
"tag": "p",
"text": "気体や液体の流体を利用するばねも存在し、特に空気の弾性を利用したばねは「空気ばね」と呼ばれる。一定温度下では気体の体積は圧力に逆比例するというボイルの法則が、空気ばねの弾性を生み出す基本原理となる。ばねの高さ・受けることができる荷重・ばね定数が独立に設定できる、絞りを設けることで減衰力を発生させることができる、調整弁を設けることでばね高さを一定に保つことができる、といった長所を持っている。特に、一つ目の長所により、同じ条件下の金属ばねと比較してばね定数を小さくでき、車両の懸架装置として用いた場合は乗り心地を良くすることができる。形状によって、ベローズ形とダイヤフラム形の2種類に大きく分けられる。欠点としては、金属ばねと比較して構造が複雑で、空気ばね以外の付属装置も必要となり、コストが高い。",
"title": "種類"
},
{
"paragraph_id": 33,
"tag": "p",
"text": "空気ではなく、アルゴンやヘリウムなどの不活性ガスを利用するばねもあり、このようなばねは「ガスばね」と呼ばれる。ばね特性設定の自由度が高く、省スペースで大きな荷重を働かすことができるといった長所がある。一方で使用温度に制約があり、ガス漏れのおそれがあるといった短所がある。",
"title": "種類"
},
{
"paragraph_id": 34,
"tag": "p",
"text": "弾性を利用するものではないが、磁石の磁気力を復元力として利用する「磁気ばね」と呼ばれるばねもある。磁石の同極を近づけると反発力が発生するので、圧縮方向に復元力を持つばねとして利用できる。磁石の異極を対向させる場合は、磁石が横方向にずれたときに吸引力が発生するので、横方向に復元力を持つばねとして利用できる。物体同士の接触を避けることができる、質量を持たないばねなので後述のサージングが発生しない、といった長所がある。",
"title": "種類"
},
{
"paragraph_id": 35,
"tag": "p",
"text": "以上の基本形状別・材料別の他には、ばねは次のような観点からも分類される。",
"title": "種類"
},
{
"paragraph_id": 36,
"tag": "p",
"text": "ばねの設計上でまず重要となるのは、何の用途に使うかを明確にする点である。他の機械要素と同様に、使用目的に適した性能を設計するばねに与える必要がある。ばねによって実現したい機能に、具体的には次のようなものが挙げられる。",
"title": "設計と製造"
},
{
"paragraph_id": 37,
"tag": "p",
"text": "機能を満たすという要求の他には、次のようなことがばねの設計上要求される",
"title": "設計と製造"
},
{
"paragraph_id": 38,
"tag": "p",
"text": "ばねの調達方法としては、販売されている標準品の中から選ぶ場合と、規格品にないものを個別に製作する場合がある。ばねの用途は多様であるため、ファスナーばねを除くと、一つ一つ個別に設計することが多い。そのため、ばねの設計において標準品から選ぶ方式は、同じ機械要素であるボルトやベアリングほどは多くない。",
"title": "設計と製造"
},
{
"paragraph_id": 39,
"tag": "p",
"text": "一つのばねで必要なばね特性を得ることができないときは、複数のばねを組み合わせることもある。荷重を分担するようなばねの組み合わせを「並列」や「並列接続」、たわみが加算されるようなばねの組み合わせを「直列」や「直列接続」という。並列では、組み合わさるばねの数が多いほど、組み合わせ全体としてのばね定数は大きくなる。直列では、組み合わさるばねの数が多いほど、組み合わせ全体としてのばね定数は小さくなる。組み合わせの仕方によっては、全体としてのばね特性を非線形特性にすることもできる。",
"title": "設計と製造"
},
{
"paragraph_id": 40,
"tag": "p",
"text": "ばねを設計するとき、荷重と変形の関係や発生する応力を計算する方法には、材料力学の古典的な理論式を使う方法と数値解析の有限要素法 (FEM) を使う方法がある。古典的理論では代数式の形で計算式が与えられていることが多く、電卓などでも容易に計算できる。また、形状をどれだけ変えたら特性にどれだけ影響するかなど、要因と結果の関係が明白に理解できる。",
"title": "設計と製造"
},
{
"paragraph_id": 41,
"tag": "p",
"text": "一方で、古典的理論では計算式を導出するためにいくつかの仮定を置いており、それらの仮定に近い範囲の使用のみで式の精度が期待できる。例えば、一般的な圧縮コイルばねのばね定数 k は、形状と材料特性の数値を決めれば次の基本式で計算できる。",
"title": "設計と製造"
},
{
"paragraph_id": 42,
"tag": "p",
"text": "ここで、G が材料特性の値、 d, Na, D が各寸法の値である。しかしこの式は、荷重はコイル中心一直線上にかかる、ピッチ角(螺旋の傾き)の影響は小さく無視できる、ねじりモーメントのみを考慮する、という3つの仮定を前提にしており、適用範囲に限界がある。実際の設計では、これらの仮定を超える範囲で使用することも必要となる。",
"title": "設計と製造"
},
{
"paragraph_id": 43,
"tag": "p",
"text": "一方のFEMでは、ばねの形状を要素と呼ばれる小領域で分割したモデルをコンピュータ上に作り、解を出す。適用可能なばね形状の制約が少なく、代数式形での計算式が確立していないような特殊な形状のばねに対しても計算可能である。実際の製品により近い計算が可能となる。ただし、形状を変えたらその度にモデルを変更する必要があり、最適な設計に収束させるのに作業の繰り返しが必要となる。古典的理論式と比較すると時間やコストがかかることが多い。設計においては、古典的理論式とFEMの長所と短所を勘定し、それぞれを使い分けるのが一般的である。",
"title": "設計と製造"
},
{
"paragraph_id": 44,
"tag": "p",
"text": "ばねの使用目的が振動の緩和であれば、ばねとは別に振動を減衰をさせる機械要素が必要となることがある。減衰とは物体の振動エネルギを熱エネルギなどに変換して消散させることで、減衰用の機械要素としてはオイルダンパなどが代表的である。ゴムばねのようにばね自体に減衰を備えているものあるが、一般的な金属コイルばねは減衰を少ししか起こさないため、別にダンパが必要となる。減衰によって、ばねで支えられた物体が自由振動で揺れ続けることを避けることができる。より強力に振動を抑えるために、ばね・ダンパに加えてアクチュエータを備えることもある。車両のアクティブサスペンションなどがその例である。",
"title": "設計と製造"
},
{
"paragraph_id": 45,
"tag": "p",
"text": "振動の問題を扱うときなどには、対象の機構をモデル化し、個々の要素から構成されるシステム(系)として考える。基本的な振動モデルは慣性要素、復元要素、減衰要素の3つから成る。復元要素の典型がばねである。ばねの荷重-たわみ特性を求めることができれば、振動モデル上の一要素としてその特性を与えることができる。ただし、振動モデル上でモデル化されたばねは、実際のばねをあくまでも理想化したものであることに注意が必要である。振動モデル上のばねは質量を持たないものとして扱われるが、実際に組み込まれるばねは質量を持っている。実際のばねは、それ自体も一つの振動系である。そのためばね自体も振動し、その振動にも固有振動数が存在する。ばね自体の固有振動数と外からの振動数が一致すると共振が起こる。この共振は「サージング」と呼ばれ、特に高振動数で伸縮される圧縮コイルばねで問題となる。サージングが起こると、機構の動きにばねが追従できずシステムが不安定になったり、ばねの破損を引き起こしたりする。サージングが問題となるときは、ばね自体の固有振動数を上げるなどして対策をする。",
"title": "設計と製造"
},
{
"paragraph_id": 46,
"tag": "p",
"text": "一般的な機械設計では壊れないように十分な強度を持たせることが大事であり、ばねもそれは同様である。設計においてばねが他の機械要素と比較して特殊な点は、変形によるたわみ量を必要とする点にある。他の機械要素では強度の評価は行うが、変形量の評価までは通常は必要としない。もう一つの設計上の特徴は、前述のとおり、ばねの使用範囲が弾性変形の範囲内となるようにすることである。これは、ばね設計の「絶対条件」ともいえる。材料の弾性限度を超えるようだと、ばねとしての機能が通常は果たせなくなる。ばねの強度面で特に重要となるのが「疲労」と「へたり」である。",
"title": "設計と製造"
},
{
"paragraph_id": 47,
"tag": "p",
"text": "疲労は、物体に荷重が変動しながら繰り返し加わり続けることで、物体にき裂が発生して破壊に至る現象である。このような繰り返し荷重のことを「動的荷重」や「動荷重」と呼ぶ。振動を受け続ける車両の懸架装置用ばねなどがそのような荷重を受ける例である。疲労強度には材質、形状、荷重形式、使用温度、雰囲気などの多くの要素が影響する。ばねは繰り返し荷重を受ける形で使用されることが多いことから、設計上も疲労強度の検討が重要となる。一般的には、荷重が繰り返し加わる回数が1000万回までであれば、ばねが疲労破壊しないように設計する。ばねの用途によっては、それよりも少ない回数に耐えれればよい場合やそれ以上の回数に耐えるようにする場合がある。",
"title": "設計と製造"
},
{
"paragraph_id": 48,
"tag": "p",
"text": "へたりは、降伏応力以下しか与えない荷重でも長期間かけ続けると、徐々に材料中で塑性変形が発生して、ばねに永久たわみが発生する現象である。へたりは荷重がほぼ一定でかかり続けるような場合にも発生する。このような荷重のことを「静的荷重」や「静荷重」とも呼ぶ。へたりは材料のクリープと呼ばれる現象が主原因である。例えば、自動車の懸架装置用ばねではへたりによる車高変化が問題となる。特に高温領域ではへたりが起きやすいため、高温領域で使用されるばねは発生応力を低く抑えたり、へたりに対する耐性が高い材料を採用するなどの配慮がされる。450°C以上の高温領域におけるへたり現象については解明が進んでいるが、400°C以下の領域におけるへたり現象の発生機構については2014年現在では未だに不明確である。",
"title": "設計と製造"
},
{
"paragraph_id": 49,
"tag": "p",
"text": "ばねの製造工程は種類によって様々である。以下では金属ばねに関する製造について大まかに説明する。",
"title": "設計と製造"
},
{
"paragraph_id": 50,
"tag": "p",
"text": "金属ばねの場合、棒状や板状の材料から所定のばね形状への成形は主に塑性加工によって行われる。材料に曲げや圧延を行い、望みの形状に加工する。金属ばねの塑性加工は大きく分けて、冷間成形と熱間成形に分かれる。前述のとおり、冷間成形とは材料が常温の状態でばねの形へ加工することで、比較的小型のばねに対して行う。熱間成形とは材料を高温に熱した状態でばねの形へ加工することで、比較的大型のばねに対して行う。",
"title": "設計と製造"
},
{
"paragraph_id": 51,
"tag": "p",
"text": "金属ばねの場合、成形後には熱処理が施される。鋼材の熱間成形ばね(重ね板ばね、竹の子ばね、コイルばねなど)であれば成形後直ちに急冷して焼入れ、そして焼戻しを行う。焼入れ焼戻しによって、硬く粘り強い材質にすることができる。鋼材冷間成形ばね(薄板ばね、コイルばね、皿ばねなど)の成形後に熱処理する場合は、焼入れ焼戻しあるいは残留応力を除去するために低温焼なましを行う。非鉄金属材料の場合は時効処理が施され、同じく強度を高める。",
"title": "設計と製造"
},
{
"paragraph_id": 52,
"tag": "p",
"text": "熱処理後には多くの場合、ショットピーニングを行う。ショットピーニングは無数の硬質粒子をばね表面に高速でぶつける処理で、ばね表面に圧縮の残留応力を与えて疲労強度を向上させる。ショットピーニングあるいは熱処理後には、設計上の最大荷重よりも大きな荷重を加える、「プレセッチング」あるいは「セッチング」と呼ばれる工程を多くの場合で行う。セッチングを行うことでへたりに対する耐性を向上させることができる。熱間成形コイルばねなどでは、焼戻しと同時に高温状態でセッチングを行う「ホットセッチング」を行う場合もある。ホットセッチングによって耐へたり性を大きくすることができる。最終工程では、必要に応じてメッキや塗装などで表面処理を行う。",
"title": "設計と製造"
},
{
"paragraph_id": 53,
"tag": "p",
"text": "プラスチックばねの場合、ばねに使用されるプラスチックはほとんど熱可塑性樹脂なので、射出成形で成形される。溶融された材料が金型に圧入されて、冷却・固化されて造られる。ゴムばねの一つである防振ゴムの場合は、原料の配合と練りを行い、ゴムを金具へ加硫接着させて製造する。",
"title": "設計と製造"
},
{
"paragraph_id": 54,
"tag": "p",
"text": "国際規格であるISOの他、各国の工業規格(ASTM、BS、DIN、JIS、JASO、NF、SAEなど)で、ばねの設計や製造に関する規格が制定されている。内容は、ばねに関する用語、各種のばね製品、試験方法、ばね用材料、製図方法などに関するものである。例えば日本産業規格における皿ばねの規格「JIS B 2706:2013」では、材料、分類、設計計算式、寸法許容差、試験方法などが規定されている。ISOでは、2017年現在12カ国が参加する技術委員会「ISO/TC 227」が設置され、金属ばねを所掌範囲として規格開発が行われている。",
"title": "設計と製造"
},
{
"paragraph_id": 55,
"tag": "p",
"text": "ばねの特性や機能を活かして、ばねは幅広い分野にわたって使われている。身近な器具から大型機械・構造物まで、昔ながらの機器から現代的な機器まで、ばねの利用は広範囲に及んでいる。",
"title": "用途例"
},
{
"paragraph_id": 56,
"tag": "p",
"text": "身の回りの日用品の中にも様々なばねが存在する。文房具では、紙や書類を挟むためのクリップもばねの一種といえる。線を折り曲げて成形されたゼムクリップは、線細工ばねの一種である。紙や書類を綴じるためのステープラーには、板ばねとコイルばねが使われている。針を前に押し出す機構にはコイルばねが使われ、針を押し出す薄板は板ばねになっている。ノック機構を持つボールペンでは、ペン先の出し入れにコイルばねを利用している。ボールペンの中には、ペン先のボールを 1 mm 程度の小さなばねで支える機構を持つものもある。",
"title": "用途例"
},
{
"paragraph_id": 57,
"tag": "p",
"text": "衣服を干すための洗濯ばさみでもばねが使われている。洗濯ばさみには、ねじりコイルばねを利用するものと、輪っかの形のばねを利用するものがある。重さを量る秤にもばねを利用する種類がある。ばねばかりは引張コイルばねを利用するもので、計量の仕組みはフックの法則の見本といえる。",
"title": "用途例"
},
{
"paragraph_id": 58,
"tag": "p",
"text": "機械式時計では2種類の渦巻ばねが用いられている。1つは接触形渦巻ばねのぜんまいで、時計の針を進める動力を生み出している。もう1つは非接触形渦巻ばねのひげぜんまいと呼ばれる部品で、時計の調速脱進機で使われる。てんぷという部品に取り付けられたひげぜんまいに往復運動をさせることで、正しい時刻を刻むように針を動かしている。",
"title": "用途例"
},
{
"paragraph_id": 59,
"tag": "p",
"text": "おもちゃもばねの様々な性質を利用している。びっくり箱はフタを開けると人形などがばねの復元力で飛び出る古典的なおもちゃである。オルゴールは、渦巻ばねを動力として音を出している。エネルギーを弾性エネルギーとして蓄積して徐々に放出させる、ばねの使い方の例である。ミニカーのチョロQも渦巻ばねが走りの動力原である。スリンキーという変わった動きをするばね状のおもちゃもある。",
"title": "用途例"
},
{
"paragraph_id": 60,
"tag": "p",
"text": "1台の自動車で使用されているばねは2,000から3,000個あるといわれ、自動車とばねの関連は強い。自動車エンジンの中で使用されている代表的なものは、カムシャフトのカム形状通りに吸排気バルブを動かすばねで、「弁ばね」や「バルブスプリング」と呼ばれる。約120°Cの油中で1億回以上の伸縮をしても疲労破壊しないことが必要とされ、さらには小型化と軽量化が常に要求される。ばね全体の中でも、弁ばねは最も過酷な環境で使われるばねといえる。使用条件に応えるために、ピッチ形状や線断面形状には特別な工夫が施されている。材料については、引張強さが 2000 MPa を超える鋼線が弁ばね用材料に規格化されて使われており、「現在量産されているばねのなかでも最も高品質なばね」といわれる。",
"title": "用途例"
},
{
"paragraph_id": 61,
"tag": "p",
"text": "車輪を保持しつつ車体を支え、路面からの衝撃を和らげる自動車の懸架装置(サスペンション)にも様々なばねが使用されている。最も多く用いられている懸架用ばねは圧縮コイルばねで、軽量で小型なため乗用車の多くで使われている。重ね板ばねは、重量が重く乗り心地もあまりよくないが耐荷重が大きいため、貨物自動車、バス、オフロード車などで使用される。空気ばねは車高調整ができて乗り心地向上などの長所があるが、高価なため、バスや高級車で使われている。トーションバーはフォーミュラ1カーで主流な懸架用ばねとなっている。また車体のロール揺動を抑えるために、腕と一体となったスタビライザーとしてもトーションバーが軽自動車から大型トラックまでの広い範囲で利用されている。",
"title": "用途例"
},
{
"paragraph_id": 62,
"tag": "p",
"text": "鉄道車両の懸架装置は、枕ばねと軸ばねという2種類のばねから構成されている。枕ばねは車体と台車の間に存在するばねで、空気ばねが主に使われている。空気ばねを使用することで、柔らかいばね定数を得ながらも車体の高さを維持することができている。軸ばねは台車と輪軸の間に存在するばねで、コイルばねが主に使われている。",
"title": "用途例"
},
{
"paragraph_id": 63,
"tag": "p",
"text": "懸架装置の他には、電車のパンタグラフは、空気圧によるものもあるが、ばねによって舟体を架線に押し付けて電気を得ている。古い鉄道車両では、連結器の緩衝用に輪ばねが使われている。レールを枕木に固定するためにも、板ばねや線ばねが使われている。",
"title": "用途例"
},
{
"paragraph_id": 64,
"tag": "p",
"text": "その他車両用としては、建設車両のブルドーザの足回りには、キャタピラに張りを与えながらも異常な力が加わったときはそれを逃がすことができるように、ばねが組み込まれている。このばねは「リコイルスプリング」と呼ばれており、主にはコイルばねが使われている。リコイルスプリングの中には、人の背を超えるような巨大な圧縮コイルばねもある。",
"title": "用途例"
},
{
"paragraph_id": 65,
"tag": "p",
"text": "電気機器類や電子機器類においても、ばねが活用されている。ばね自体が電気回路の一部となる場合もあり、そのような用途では導電性のよい銅合金ばねが使われる。電気を得るためのコンセントには銅製の薄板ばねが組み込まれており、この薄板ばねがプラグとの電気的接続およびプラグの保持を行っている。これによってプラグが容易には取れないようになっており、なおかつ適度な力でプラグを抜くこともできるようになっている。電気回路・電子回路中のリレーやスイッチでも、電気的な接点をばねが担っている。ノートパソコンや携帯電話といった電子機器類は高度な軽量化や小型化を求められるため、それらの中にあるリレー・スイッチ・コネクタなどで使われる薄板ばねにも同様に軽量化や小型化が求められ、結果として懸架装置用ばね並みの高強度を持つばねが使われることもある。",
"title": "用途例"
},
{
"paragraph_id": 66,
"tag": "p",
"text": "照明やリモコンなどのスイッチも、その動作にばねを利用している。ばねが無いとすると、スイッチをゆっくり押されると電気接点もゆっくり近づき接触するので、接点間でアークが長く発生しやすく、損傷に繋がる。ばねを利用することで、スイッチがゆっくり押されたとしても瞬間的に端子を接触させている。圧縮コイルばねやゴムを使う機構、接続する端子自体が板ばねとなっている機構などがある。",
"title": "用途例"
},
{
"paragraph_id": 67,
"tag": "p",
"text": "コンピュータの例では、操作を行うキーボードの中にばねが組み込まれている。古い型のキーボードでは金属製のコイルばねがそれぞのキーの下に組み込まれ、キーを押し戻すようになっている。ゴムの復元力でキーを押し戻す方式もあり、2008年現在ではこの方式のキーボードが主流となっている。記憶装置のハードディスクドライブでは、磁気ヘッドという部品が磁気ディスク上を移動して、ディスクに情報を読み書きする。このとき、サスペンションとよばれる薄板ばねが磁気ヘッドに一定荷重を与え、磁気ヘッドがディスク上数十nmの位置で維持されるのに寄与している。",
"title": "用途例"
},
{
"paragraph_id": 68,
"tag": "p",
"text": "建築・土木分野における構造物自体にもばねが使われている。建物を地震から守るために建物と基礎を切り離し、その間にばねやダンパーを取り付ける構造を免震構造と呼ぶ。免震構造では、コイルばねも使用されているが、代表的には金属板とゴムが層状に重なった積層ゴムが使われる。体操競技のゆかの床も、敷き詰められたばねで支えられている。これによって、ゆか競技における高難度な宙返り技が可能となっている。橋の支承でも積層ゴムなどが組み込まれており、これにより橋の上部構造の動きを逃している。",
"title": "用途例"
},
{
"paragraph_id": 69,
"tag": "p",
"text": "免震構造以外で建物を揺れから守る方法に制振構造がある。制振構造では、TMDと呼ばれる、重量物をばねとダンパーを介して建物上部に取り付ける機構を設ける。免震構造と異なり強風による揺れを低減できるため、特に超高層建築物で制振構造が必要とされる。一例としては、日本の東京スカイツリー頂部のゲイン塔には、ばね1本当たり1トンの巨大なコイルばねを使ったTMDが設置されている。",
"title": "用途例"
},
{
"paragraph_id": 70,
"tag": "p",
"text": "ISOの技術委員会「ISO/TC 227」は、ばねの産業別市場割合を2012年に発表した。それによると、1994年、2004年の実績、および2014年の推定は以下のとおりとなっている。",
"title": "用途例"
},
{
"paragraph_id": 71,
"tag": "p",
"text": "さらに主要国におけるばね産業の規模は、同じく ISO/TC 227 によると、2004年で次のようになっている。",
"title": "用途例"
},
{
"paragraph_id": 72,
"tag": "p",
"text": "「ばね」という言葉は和語であり、その語源は次のように諸説ある。いずれの説にしても確実とされるものはなく、確かな語源は判明していない。1932年から1937年にかけて刊行された国語辞典『大言海』では「跳ねること」が訛って濁って「ばね」となったと記されている。この説は『日本国語大辞典』でも採用された。日本機械学会編『機械工学辞典』や日本ばね学会編『ばね 第4版』でも「跳ね」「跳ねる」から転じたといわれる説が紹介されている。各種の語源事典でも「跳ね(はね、ハネ)」を語源として紹介している。",
"title": "名称と語源"
},
{
"paragraph_id": 73,
"tag": "p",
"text": "1796年(寛政)に細川半蔵が著したとされる『機巧図彙』では、現在のばねに相当する部品を「はじきがね」「はじき金」と呼んでいた。16世紀に日本でも盛んに作られるようになった火縄銃でも「はじきがね」は使用されていた。1819年(文政)の鉄砲鍛冶師の国友一貫斎による『気砲記』では、ばねを「ハシキ金」と記している。また、砲術の井上流による伝書では「弾金」と記されていた。この「はじき金」「弾金」を「跳ねる」「とび跳ねる」に引っかけ、なおかつ訛り、「ばね」となったという説がある。この「はじきがね」と「跳ねる」から訛ったという説が有力といわれる。",
"title": "名称と語源"
},
{
"paragraph_id": 74,
"tag": "p",
"text": "他には、戦国時代に使用されていた鎖帷子や鎖襦袢が刀や槍を\"はね\"返した様子から、「はね」が「ばね」となったという説もある。",
"title": "名称と語源"
},
{
"paragraph_id": 75,
"tag": "p",
"text": "「ばね」の漢字表記には、発条、鎖鬚、撥条、弾機、発弾、発軌といったものがある。いずれの漢字表記もいつ誰が当てはめたのか明らかではない。これら漢字表記の中でも「発条」が現在でも使用される。実際の使用としては、ばねの製造会社などが「○○発条」といった名称をつけることが多い。「発条」の読みは、「ばね」の他に「はつじょう」や「ぜんまい」がある。",
"title": "名称と語源"
},
{
"paragraph_id": 76,
"tag": "p",
"text": "英語ではばねを \"spring\" と記し、これを片仮名表記したスプリングという名称でもよく呼ぶ。\"spring\" には「ばね」の他に「春」や「泉」といった語義もある。これらの語義は、\"spring\" の中心義「(人・物が)ぴょんと跳ぶ」から",
"title": "名称と語源"
},
{
"paragraph_id": 77,
"tag": "p",
"text": "という風に展開されたと分析される。\"spring\" という語の原義には「素早い動作」が挙げられ、日本語の「ばね」の原義にも「もとある場所から(急に)移動する」が挙げられる。その他言語では、ドイツ語の \"feder\" は「ばね」の他に「羽毛」という語義を持ち、ポルトガル語の \"mola\" は「ばね」の他に「刺激」という語義を持つ。これらの語義も、日本語の「ばね」と共通な意味を感じさせると評される。",
"title": "名称と語源"
},
{
"paragraph_id": 78,
"tag": "p",
"text": "冒頭でも述べたとおり、ばねは弾性を利用する機械要素や部品の総称である。人類が使う道具には「弾性を利用してばねとして利用する道具」と「弾性を利用せず剛体として利用する道具」という大まかな2種類の道具が考えられるが、18世紀の産業革命まで、これら2種類の道具によってのみで人類の歴史が積み重ねられてきたとも評される。人類によるばねの利用の歴史は太古に遡る。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 79,
"tag": "p",
"text": "まず、人類が弾性を利用した最初期の道具として挙げられるのは、原始的な罠である。約10万年前から約5万年前にかけて、しならせた木の枝を利用した動物捕獲のための罠が使われ始めたといわれる。さらに、弓もまた人類が弾性を利用して自己以外のエネルギーを利用した最初期の道具の一つとして挙げられる。弾力のある木の枝に弦を張った弓が発明され、弓矢が狩猟に用いられたと考えられている。弓の使用の始まりがいつどこなのかは判明していないが、旧石器時代後期のソリュートレ文化で石鏃が存在していた。弓矢が広く普及したのは中石器時代以降と考えられており、世界各地に残る岩壁画(英語版)からも、弓矢の使用の跡が確認できる。最古のもので紀元前約1万年の岩壁画が残ると推定されているタッシリ・ナジェールには、弓を持つ人たちを描いた岩壁画が残されている。弓矢はやがて戦争の武器としても使われるようになり、簡単な構造であった弓以上にばねの張力を利用する、より強力な兵器へと発展していった。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 80,
"tag": "p",
"text": "紀元前4世紀頃、古代中国では機械式弓の弩が出現した。古代ギリシャでも、発射物として矢も石も含めた広い意味でのカタパルト兵器が弓から発展していった。アレクサンドリアのヘロンが、弩と同じような機械式弓のガストラフェテスの構造について説明を書き残している。ヘロンの説明によると、弓の材料は「角と木の一種」が用いられていた。弓型ではなく、ねじりばねを利用した形式の射撃装置も、紀元前4世紀頃の古代ギリシャで考案されていた。このねじりばねは糸状の材料をより合わせて束ねたもので、これにレバーを差し込み、ねじることで復元力が発揮される機構であった。ねじりばねのための糸状の材料には、動物の腱や人間の髪の毛が利用された。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 81,
"tag": "p",
"text": "古代ギリシャで考案されたカタパルト機構にはねじりばね以外を利用する種類もあり、クテシビオスは青銅製の板ばねを利用するカタパルトを考案した。このクテシビオスの板ばねは、最古の板ばねともいわれる。さらにビザンチウムのフィロンが、クテシビオスのカタパルト機構の説明を書き残している。このフィロンによるカタパルトの説明中で、弾性を利用することを意識した一つの独立した部品としての「ばね」という概念は初めて語られたと考えられている。またさらにフィロンは、剣を曲げて試験するときは瞬時に元の形に戻る点に注意するよう呼び掛ける記述も残しており、金属が持つ弾性の重要性について明確に言及した最古の記録を残している。",
"title": "歴史"
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"paragraph_id": 82,
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"text": "機械式弓はその後も発展し、鋼製ばねを使用することで強力な威力を持つようになったクロスボウは、1139年の第2ラテラン公会議でキリスト教徒に対する使用禁止が定められるに至った。一方で、西暦400年頃から1400年頃にかけての中世ヨーロッパでは、ばねや機械に関する進歩はあまり知られていない。11世紀頃になると、鍛冶屋などの多くのギルドが誕生したが、ばね屋のギルドの記録は残っていない。しかしこれらの間もばねの利用は続いており、鍛冶、金細工、銀細工、鎧、錠前や時計などの製造者たちによって個別にばねが作られていたと推測される。",
"title": "歴史"
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"text": "中世ギルドの中でも、時計産業は、ばねの利用と製作の発展に古くから重要な寄与してきた存在であった。本格的な機械式の時計は、1300年頃、ヨーロッパで最初に作られたといわれる。この時計は錘の落下を動力したもので、錘を落とすための高さが必要で、大型なものであった。しかし、渦巻ばねのぜんまいが発明され、これを時計の動力として用いることによって、携帯可能な大きさの時計が初めて実現した。ぜんまいの発明者は不明だが、14世紀中には存在していた。フィリッポ・ブルネレスキの伝記や肖像画に、ぜんまいを使った時計の記述が残っている。当時の携帯可能な時計の中でも、ドイツのニュルンベルクで作られたぜんまい式携帯時計は「ニュルンベルクの卵(英語版)」という名称でヨーロッパで人気を博した。ニュルンベルクの時計技師であったピーター・ヘンラインがぜんまいあるいはニュルンベルクの卵を発明したという説もあるが、現在では否定されている。",
"title": "歴史"
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"text": "ルネサンス期には、イタリアのレオナルド・ダ・ヴィンチも、ばねを利用した機械や機械要素としてのばねのスケッチや説明を多くの手稿の中に書き残した。これらの内で実際に当時実現されたのものは少ないと考えられているが、これらの時代に先立つアイデアはダ・ヴィンチの才能の現れの一つとも評される。一例として、自動車の祖先ともいえる、弓形のばねを動力として自走する三輪車のスケッチをアトランティコ手稿の中に残している。この自走する三輪車は現代的な視点から推測すると実用に耐えないと考えられているが、一方でダ・ヴィンチの独創性としても評価される。",
"title": "歴史"
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"text": "16世紀あるいは17世紀以降のヨーロッパでは、交通手段として本格的に馬車が活用されるようになる。この背景となった技術の一つとして、馬車の懸架装置用に鋼製のばねが使用されるようになった点がある。それまでの馬車の懸架装置は、座席を革製のひもで吊り下げるものであった。しかし、鋼製ばねによる懸架装置が利用されるようになったことで馬車の乗り心地は改善され、馬車は荷物運搬のみならず人の移動にも利用されるようになった。記録としては1669年、イギリスの海軍史家サミュエル・ピープスが、自分の馬車に鋼製のばねを実験的に使ったことを書き残している。この記述は、懸架装置に用いられた板ばねの記録の中で最古のものでもある。",
"title": "歴史"
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"text": "1678年には、ばねにおいて非常に重要な物理法則である「フックの法則」がイギリスのロバート・フックから発表された。当時、ジョン・カトラーという人物が資金を提供して創設された「カトラー講義」の授業をフックは行っていた。この講義の内容のいくつかは出版されて、『復元力についての講義』(Lectures de Potentia Restitutiva, Or of Spring) という著作をフックは1678年に出版し、この中でフックの法則が論じられた。『復元力についての講義』出版の2年前に、フックは別の事柄に関する著書を出しており、この著書の終わり近くでフックの法則を意味するアナグラムを公表していた。そして、『復元力についての講義』の中で、フックはそのアナグラムの解答を発表した。フックは『復元力についての講義』の最初のページで以下のように述べている。",
"title": "歴史"
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"text": "アナグラムの解答である Vt tensio sic vis はラテン語の文となっており、科学技術史学者の中島秀人はこれを「伸びは力のごとく」と訳している。今日では、フックの法則はばねの最も基本的な動きを表し、さらには、ばねに限らずに弾性を持つ物体全てが関連する重要な法則となっている。",
"title": "歴史"
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"text": "18世紀になるとイギリスを最初として産業革命が起き、ここから20世紀後半までにかけて工業化が世界に広がっていった。他の工業と同じく、産業革命の中でばねも大きな発展を遂げた。コイルばねを巻くための生産機械であるコイリングマシンも産業革命の中で生まれた。イギリスの発明家ジョセフ・ブラマーの錠前工場の中で、様々なピッチのコイルばねを造れる製作機が使われていた。このばね製作機は、ブラマーの工場で当時働いており、後にねじ切り旋盤の発明で知られるヘンリー・モーズリーの発明にも影響を与えたと考えられている。",
"title": "歴史"
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"text": "コイルばねの製造は第一次世界大戦前まではコイルの芯となる棒に巻き付ける手法で行われていたが、大量生産の時代が来るとより早く作れるコイリングマシンが求められるようになった。アメリカでは様々なばね製作方法の特許が生まれた。1918年にはスリーパー&ハートレー社の創業者フランク・スリーパーがユニバーサルコイリングマシンの特許を出し、これが旋盤式コイリングマシンに取って代わっていった。工作機械全般が数値制御化(NC化)される中で、ばね製造機もNC化が進んだ。1969年にはアメリカのトーリン社がNC式のばね製造機を世界で初めて開発した。2012年現在、ばねの製造は機械化による大量生産品が主を占めている。一方で、大量生産品では対応できない特殊なばねに対しては、手作業による製造もまた行われている。",
"title": "歴史"
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"text": "最初は蒸気機関を動力として生まれた自動車は、内燃機関のガソリンエンジンが開発されて動力として実用化されると、様々な国で自動車が実用に供されていった。自動車では非常に多くの種類と数のばねが使用されているため、「自動車の発達の歴史は、そのままばねの発達の歴史」ともいわれるほど自動車とばねの関係は深い。ドイツのゴットリープ・ダイムラーが開発した1883年の4サイクルガソリンエンジンでは、弁ばねが既に使用されていた。懸架装置には、板ばねを使用した方式が馬車の時代から引き続き用いられ、1900年初期頃まで板ばねが主として用いられていた。その後1930年頃から、コイルばねやトーションバーといった板ばね以外の種類のばねも鋼材料の進歩にともなって自動車懸架装置用に使われるようになっていった。2016年現在では、一般的な乗用車用にはコイルばねの使用が主流となり、板ばねはトラックやバスなどの大きな荷重を受ける車種で利用されている。",
"title": "歴史"
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"text": "産業革命以前は経験的に試行錯誤で作られていたばねも、1830年頃以降から徐々に理論的な設計がなされるようになっていった。18世紀から20世紀にかけて、ばねの解析の下地となる弾性力学の基礎概念や基礎理論、代表的な金属ばねについての個々の理論が確立されていった。1949年にはアメリカのウェスティングハウス・エレクトリック社の技師 A. M. ワールが著書 Mechanical Springs(機械ばね)を、1960年にはドイツのジークフリート・グロスが著書 Berechnung und Gestaltung von Metallfedern(金属ばねの設計と計算)を出版し、各種ばねの設計の基礎がまとめられた。ワールは、コイルばねの応力解析における「ワールの応力修正係数」として今日でも名をとどめている。",
"title": "歴史"
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"text": "20世紀後半にはコンピュータが誕生し、数値解析手法の一つである有限要素法 (FEM) が実用化されるに至った。FEMはばねの解析にも利用され、限られた範囲でしか使用できない理論式に縛られずに、様々な形状や荷重状況のばねを解析できるようになった。例えば、軽量化が要求される自動車懸架装置用ばねなどにおいて、古典的な理論式では解明できなかった点をFEMは明らかにしている。一方で、古典的な理論式は未だに有用であり、FEMを補完するものとして価値を持ち続けている。",
"title": "歴史"
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"text": "ばねの材料は金属がほとんどだったが、金属材料では実現できない特性を得るために近年では非金属材料についても材料として利用されるようになってきた。プラスチック製のばねや空気ばねは、それぞれの長所を生かして実用に至っている。セラミックス製のばねは、1000°C以上の高温下でも使用可能なばねとして期待されている。鋼製ばねも、自動車の軽量化要求によって更なる高強度のばね用鋼材開発が進められている。今日のばねは、省エネルギー、軽量化、安全性、精密化、リサイクルなど要求が多様化し、高度な技術が求められるようになっている。",
"title": "歴史"
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"text": "生体の動きについて、「ばね」という言葉を使って比喩的に表すことがある。実際に筋肉と腱は弾性を持ち、特に、腱は骨格筋においてばねとして機能することで走りや跳躍といった動作の効率を高めている。例えば垂直跳びでは、跳躍前に勢い良く一旦しゃがみ込むことによって、そうしない場合よりも高く跳び上がることができる。これは反復動作(伸張-短縮サイクル運動)と呼ばれる大きな力を出すための動作で、腱のばね効果が反復動作時に大きな力を生み出す一役を担っている。動物の中で最も高い跳躍力を持つカンガルーは長いアキレス腱をばねとして使い、連続した大きな跳躍を可能にしている。バイオメカニクスにおける骨格筋の最も基本的なモデルである「ヒルの筋収縮モデル」では、筋繊維をモデル化した「収縮要素」、腱組織をモデル化した「直列弾性要素」、その他結合組織をモデル化した「並列弾性要素」の3つで骨格筋をモデル化し、骨格筋が生み出す力を説明している。",
"title": "工業以外におけるばね"
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"text": "鳥類や昆虫では、翼や翅の羽ばたき機構の中にばねの要素を取り入れて共振させることで、羽ばたきを補助しているという説がある。他には、鳥類のホシムクドリの叉骨は飛翔中にばねとして機能していることが確認されており、呼吸動作の補助を行っているのではないかと推測される。",
"title": "工業以外におけるばね"
},
{
"paragraph_id": 96,
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"text": "「ばね」や「ばね仕掛け」といった言葉は日本語の比喩表現としても使われる。比喩表現としては、「スプリング」という語は通常は用いられない。「ばね」の原義として、もとの場所から急に移動する、あるいは変わる、といった意があるといわれる。前述の身体における動きを表す場合の他に、「飛躍や発展のきっかけ」「行動を起こすきっかけ」を「ばね」という語で例えることがある。",
"title": "工業以外におけるばね"
}
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ばねとは、力が加わると変形して力を取り除くと元に戻るという、物体の弾性という性質を利用する機械要素である。広義には、弾性の利用を主な目的とするものの総称ともいえる。英語名は spring で、日本語でもスプリングという名でよく呼ばれる。発条(はつじょう)ともいう。ばねの形状や材質は様々で、日用品から車両、電気電子機器、構造物に至るまで、非常に多岐にわたって使用される。 ばねの種類の中ではコイルばねがよく知られ、特に圧縮コイルばねが広く用いられている。他には、板ばね、渦巻ばね、トーションバー、皿ばねなどがある。ばねの材料には金属、特に鉄鋼が広く用いられているが、用途に応じてゴム、プラスチック、セラミックスといった非金属材料も用いられている。空気を復元力を生み出す材料とする空気ばねなどもある。ばねの荷重とたわみの関係も、荷重とたわみが比例する線形のものから、比例しない非線形のものまで存在する。ばねばかりのように荷重を変形量で示させたり、自動車の懸架装置のように振動や衝撃を緩和したり、ぜんまい仕掛けのおもちゃのように弾性エネルギーの貯蔵と放出を行わせたりなど、色々な用途のためにばねが用いられる。 人類におけるばねの使用の歴史は太古に遡り、原始時代から利用されてきた弓はばねそのものである。カタパルト、クロスボウ、機械式時計、馬車の懸架装置といった様々な機械や器具で利用され、ばねは発展を遂げていった。1678年にはイギリスのロバート・フックが、ばねにおいて非常に重要な物理法則となるフックの法則を発表した。産業革命後には、他の工業と同じくばねも大きな発展を遂げ、理論的な設計手法も確立していった。今日では、ばねの製造は機械化された大量生産が主だが、一方で特殊なばねに対しては手作業による製造も行われる。現在のばねへの要求は多様化し、その実現に高度な技術も求められるようになっている。
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[[File:20150223 1936 WMAT Spring 0965 (rotated and cropped).jpg|thumb|280px|最も広く使用されている種類のばねである[[圧縮コイルばね]]]]
'''ばね'''とは、[[力 (物理学)|力]]が加わると[[変形]]して力を取り除くと元に戻るという、物体の[[弾性]]という性質を利用する[[機械要素]]である{{Sfn|日本機械学会(編)|2007|pp=815, 1042}}。広義には、弾性の利用を主な目的とするものの総称ともいえる{{Sfn|渡辺・武田|1989|p=3}}。英語名は ''spring'' で、日本語でも'''スプリング'''という名でよく呼ばれる{{Sfn|小玉|1985|p=9}}。'''発条'''(はつじょう)ともいう<ref name="nipponica">『日本大百科全書』(ニッポニカ)「バネ」https://kotobank.jp/word/%E3%81%B0%E3%81%AD-115808 2020年2月4日閲覧</ref>。ばねの形状や材質は様々で、日用品から車両、電気電子機器、構造物に至るまで、非常に多岐にわたって使用される。
ばねの種類の中では[[巻きばね|コイルばね]]がよく知られ、特に[[圧縮コイルばね]]が広く用いられている。他には、[[板ばね]]、[[渦巻ばね]]、[[トーションバー]]、[[皿ばね]]などがある。ばねの材料には金属、特に[[鉄鋼]]が広く用いられているが、用途に応じて[[ゴム]]、[[プラスチック]]、[[セラミックス]]といった非金属材料も用いられている。[[空気]]を復元力を生み出す材料とする[[空気ばね]]などもある。ばねの荷重とたわみの関係も、荷重とたわみが[[比例]]する[[線型性|線形]]のものから、比例しない[[非線形]]のものまで存在する。[[ばねばかり]]のように[[荷重]]を変形量で示させたり、自動車の[[懸架装置]]のように[[振動]]や[[衝撃]]を緩和したり、[[ぜんまい仕掛け]]のおもちゃのように[[弾性エネルギー]]の貯蔵と放出を行わせたりなど、色々な用途のためにばねが用いられる。
人類におけるばねの使用の歴史は太古に遡り、[[原始時代]]から利用されてきた[[弓 (武器)|弓]]はばねそのものである。[[カタパルト (投石機)|カタパルト]]、[[クロスボウ]]、[[機械式時計]]、[[馬車]]の[[懸架装置]]といった様々な機械や器具で利用され、ばねは発展を遂げていった。1678年にはイギリスの[[ロバート・フック]]が、ばねにおいて非常に重要な物理法則となる[[フックの法則]]を発表した。[[産業革命]]後には、他の工業と同じくばねも大きな発展を遂げ、理論的な設計手法も確立していった。今日では、ばねの製造は機械化された大量生産が主だが、一方で特殊なばねに対しては手作業による製造も行われる。現在のばねへの要求は多様化し、その実現に高度な技術も求められるようになっている。
==定義と特性==
物体には[[弾性]]と呼ばれる、[[力 (物理学)|力]]が加わって変形しても元に戻ろうとする性質がある{{Sfn|日本ばね学会(編)|2008|p=1}}。ばねの広い意味での定義は、この弾性という性質の利用を主な目的とするものの総称といえる{{Sfn|渡辺・武田|1989|p=3}}。ばねが持っている、あるいはばねに求められる特性としては、大きく分けて
*復元力を持つ
*エネルギーの蓄積と放出ができる
*固有の振動数を持つ
という3つの特性が挙げられ、これらは「ばねの3大特性」とも呼ばれる<ref>{{Harvnb|蒲|2008|p=46}} / {{Harvnb|「ばねの歴史」編纂ワーキンググループ(編)|2012|pp=2–4}} / {{Cite web|和書|url=http://www.nhkspg.co.jp/museum/02.html |title=ばねの基礎知識 |work=ばねの話 |publisher=日本発条株式会社 |accessdate=2016-12-29}}</ref>。ばねと呼ばれる部品や物以外にもこれら3つの特性は備わっているが、これらの特性を特に上手く利用しているのがばねともいえる{{Sfn|蒲|2008|p=46}}。他にもばねの基本的な性質や働きの分け方はあるが{{efn|例えば、{{Harvnb|日本ばね学会(編)|2008|pp=1–5}}、{{Harvnb|ニッパツ・日本発条株式会社(編)|1998|p=3}}、{{Harvnb|渡辺・武田|1989|pp=8–10}}。}}、ここではこの3つの大別に沿って、ばねの基本的特性について説明する。
===復元力===
[[File:Modes deformation cropped.svg|thumb|right|100px|弾性変形(上)と塑性変形(下)の例]]
ばねは、力を加えられると変形し、力を取り除くと元の形に戻るという性質を持っている{{Sfn|蒲|2008|p=46}}。このように力が加わって変形しても元に戻ろうとする性質を持つことが、ばねの基本的性質であり、必要条件である{{Sfnm|小玉|1985|1p=16|蒲|2008|2p=46}}。元の形に戻ろうとする力は「復元力」と呼ばれ、復元力の存在がばねの主要な特性の1つ目に挙げられる<ref>{{Harvnb|「ばねの歴史」編纂ワーキンググループ(編)|2012|p=3}} / {{Harvnb|蒲|2008|p=46}} / {{Cite web|和書|url=http://www.nhkspg.co.jp/museum/02.html |title=ばねの基礎知識 |work=ばねの話 |publisher=日本発条株式会社 |accessdate=2016-12-29}}</ref>。
復元力は物質の「[[弾性]]」という性質に起因し、力を取り除くと元の形に戻る変形は「弾性変形」と呼ばれる{{Sfnm|「ばねの歴史」編纂ワーキンググループ(編)|2012|1p=3|村上|1994|2p=11}}。しかし、力(正確には[[応力]])が材料の限界を超えて加わると、力を除いても変形(正確には[[ひずみ]])が残るようになる{{Sfn|村上|1994|p=11}}。この性質は「[[塑性]]」と呼ばれ、塑性という性質によって元に戻らない変形のことを「塑性変形」と呼ぶ{{Sfnm|蒲|2008|1p=42|村上|1994|2p=11}}。変形が弾性変形に留まる最大の応力は「弾性限度」と呼ばれる<ref>{{cite book |和書 |author=大路清嗣・中井善一 |title=材料強度 |publisher=コロナ社 |year=2010 |edition=第1版 |isbn=978-4-339-04039-5 |pages=40-41}}</ref>。ばねは元に戻ることを前提として使われるものであるため、塑性変形が起こることは好ましくなく、一般にばねに加わる力が弾性限度を超えない範囲で使用される{{Sfn|「ばねの歴史」編纂ワーキンググループ(編)|2012|p=2}}。
ばねの変形のことや変形量のことを「たわみ」と呼ぶ{{Sfnm|小玉|1985|1p=14|「ばねの歴史」編纂ワーキンググループ(編)|2012|2p=3}}。たわみの[[物理単位]]には、[[変位]](長さの変化)と[[回転角]](ねじり角や曲げ角の変化)の2種類がある{{Sfn|「JIS B 0103」|2015|p=15}}。長さが変化することを利用する[[圧縮コイルばね]]では、たわみの単位は変位で表される{{Sfn|ばね技術研究会(編)|2001|p=1}}。棒のねじり角度が変化することを利用する[[トーションバー]]では、たわみの単位は回転角(ねじり角)である{{Sfn|「JIS B 0103」|2015|p=15}}。たわみの物理量に対応して、たわみを起こす負荷にもいくつかの種類が考えられる。変位であれば[[荷重]](純粋な[[力 (物理学)|力]])であり、ねじり角であれば[[ねじりモーメント]]が考えられる{{Sfn|日本ばね学会(編)|2008|pp=1–2}}。実際のばねでは、変位や回転変形が組み合わさった複雑なたわみを起こすものもある{{Sfn|蒲|2008|p=50}}。
[[File:Hookes-law-springs 2.png|thumb|right|180px|線形特性ばねでは、たわみは荷重に比例する。]]
[[File:Three kinds of load-deflection curve.svg|thumb|180px|荷重-たわみ線図の例。青の左の線が線形特性、緑の右の曲線が非線形特性、黄色の真ん中の曲線がヒステリシス有りの非線形特性を示している。]]
このような荷重とたわみがある一定関係を持っていることが、ばねが持つ基本的性質や機能の一つともいえる{{Sfn|日本ばね学会(編)|2008|p=1}}。ばねが示す荷重とたわみの関係のことを「ばね特性」「荷重-たわみ特性」「荷重特性」などと呼ぶ{{Sfnm|「JIS B 0103」|2015|1p=13|ニッパツ・日本発条株式会社(編)|1998|2pp=5–6}}。最もよく利用されるばねのばね特性は、[[線型性|線形]]であることが多い。線形とはたわみが荷重に[[比例]]して増減するということで、ばねに 10 [[キログラム|kg]] の[[重し|重り]]を吊るすとばねが 1 [[センチメートル|cm]] 伸び、20 kg の重りを吊るすと 2 cm 伸びるという具合である{{Sfn|蒲|2008|p=51}}。この関係は「[[フックの法則]]」としても知られる{{Sfn|山田|2010|p=9}}。線形特性であるばねでは荷重とたわみの関係は以下のような式で表される。
:<math>P = k \delta</math>
ここで、''P'' が荷重(力)で、''δ'' がたわみ(変位)である。''k'' は ''P'' と ''δ'' の比例定数で「[[ばね定数]]」と呼ばれ、単位は[力]/[長さ]である{{Sfn|小玉|1985|p=14}}。例えば 10 kgf/cm というばね定数は、たわみ 1 cm を起こすのに 10 kg の重りを吊るす必要があるという意味である{{Sfn|蒲|2008|p=51}}。実際の製品でいえば、大型自動車や鉄道車両の[[懸架装置]]用ばねでは大きなばね定数が必要となり、それと比較して[[ベッド]]や[[ソファー]]のばねでは小さなばね定数が必要となる{{Sfnm|小玉|1985|1pp=14–15|蒲|2008|2p=51}}。
負荷がねじりモーメント ''T'' で、たわみがねじり角 ''θ'' のときは、
:<math>T = k \theta</math>
という式になる。この場合の ''k'' の単位は[モーメント]/[角度]であり、''k'' を「回転ばね定数」などと呼んで通常のばね定数と区別する場合もある{{Sfn|渡辺・武田|1989|p=8}}。
荷重とたわみが比例しないばねも存在し、そのような関係を[[非線形]]と呼ぶ{{Sfn|山田|2010|p=45}}。非線形特性のばねでは、例えば、ばねに 10 [[キログラム|kg]] の重りを吊るすと 1 cm 伸びるが、20 kg の重りを吊るしても 1.2 cm しか伸びないという具合である{{Sfn|「ばねの歴史」編纂ワーキンググループ(編)|2012|p=3}}。さらに、荷重を加えるときと取り除くときで荷重とたわみの関係が異なり、荷重-たわみ曲線が[[ヒステリシス|ヒステリシスループ]]を描くばねもある{{Sfn|日本ばね学会(編)|2008|p=2}}。[[皿ばね]]や[[圧縮コイルばね]]の内の特殊なものが、非線形特性のばねの例として挙げられる{{Sfn|山田|2010|p=45}}。
===エネルギーの蓄積と放出===
[[File:Carina Christiansen, 2012.jpg|thumb|180px|right|[[弓 (武器)|弓]]はばねの一種であり、[[弾性エネルギー]]を利用して[[矢]]を放つ]]
ばねが変形するとき、[[弾性エネルギー]]という形でエネルギーがばねに蓄えられる{{Sfn|門田|2006|p=164}}。蓄えられたエネルギーを放出させれば、ばねに機械的な[[仕事 (物理学)|仕事]]をさせることができる{{Sfn|小玉|1985|p=19}}。この「エネルギーの蓄積と放出」という働きが、ばねの主要な特性の2つ目として挙げられる<ref>{{Harvnb|「ばねの歴史」編纂ワーキンググループ(編)|2012|p=3}} / {{Harvnb|蒲|2008|p=46}} / {{Cite web|和書|url=http://www.nhkspg.co.jp/museum/02.html |title=ばねの基礎知識 |work=ばねの話 |publisher=日本発条株式会社 |accessdate=2016-12-29}}</ref>。例えば、[[弓 (武器)|弓]]によって[[矢]]を放つのは、このエネルギーの蓄積と放出を利用している{{Sfn|蒲|2008|p=47}}。手で弦を引くことで弾性エネルギーを蓄え、手を放すことで弾性エネルギーを矢を飛ばす力に変える{{Sfn|蒲|2008|p=47}}。ぜんまい時計では、[[ぜんまいばね|ぜんまい]]に蓄えられたエネルギーを放出させながら時計が動いている{{Sfn|マコーレイ|2011|p=79}}。弓と比較すると、ぜんまい時計の場合は弾性エネルギーを徐々に放出させながら利用している{{Sfn|蒲|2008|p=47}}。自動車の[[懸架装置]]用ばねの場合は、路面から伝わる衝撃をばねが受け、衝撃力をばねの弾性エネルギーに変化させて緩衝している{{Sfn|蒲|2008|p=48}}。
[[File:復元力と弾性エネルギー.svg|thumb|180px|線形特性ばねの弾性エネルギー。下図が荷重-たわみ線図で、水色塗り部分の三角形面積 ''U'' が弾性エネルギーに相当する。]]
ばねに蓄えられる弾性エネルギーは、その弾性変形を起こす荷重によってなされた[[仕事 (物理学)|仕事]]に等しい{{Sfn|日本機械学会(編)|2007|p=1084}}。荷重-たわみ線図では、曲線と横軸で囲まれた面積が弾性エネルギーに相当する{{Sfn|日本ばね学会(編)|2008|p=2}}。線形特性に限定せずに、荷重 ''P'' がたわみ ''δ'' の一般的な[[関数 (数学)|関数]]であるときは、 ''P''(''δ'') を[[積分]]して、弾性エネルギー ''U'' は以下のようになる{{Sfn|日本ばね学会(編)|2008|p=2}}。
:<math>U = \int P(\delta) d\delta</math>
線形特性のばねであれば、囲まれる面積は三角形となるので
:<math>U = \frac{P\delta}{2} =\frac{k \delta^2}{2}=\frac{P^2}{2k}</math>
が弾性エネルギーである{{Sfn|村上|1994|pp=24–25}}。ばねが受ける荷重 ''P'' が同じなら、ばね定数 ''k'' が小さいほど吸収エネルギー ''U'' が大きくできる{{Sfn|ニッパツ・日本発条株式会社(編)|1998|p=2}}。鉄道車両の[[連結器]]や[[緩衝装置]]のようにばねを衝突を緩和するために使用するときは、この吸収エネルギーが大きいほど有利となる{{Sfn|小玉|1985|p=19}}。
荷重-たわみ曲線がヒステリシスループを描く非線形特性ばねの場合では、ループで囲まれる部分の面積分のエネルギーが摩擦などで消費される{{Sfn|小玉|1985|pp=19–20}}。このヒステリシスによる弾性エネルギーの消費は[[減衰振動|減衰]]として働き、衝撃緩和の視点からは、ループで囲まれる面積が大きいほど有利となる{{Sfnm|日本ばね学会(編)|2008|1p=165|小玉|1985|2p=20}}。
===固有の振動数===
[[File:Federpendel-mod.gif|thumb|right|220px|ばねに吊られた重りが一定の振動数で揺れ続ける。この図中では、ばね定数が ''k''、たわみが {{nowrap|''δ (t)''}}(時刻 ''t'' の関数)、荷重(復元力)が ''P''、重り質量が ''m''、重力加速度が ''g'' で表されている。]]
先端に重りを付けたばねを天井に吊るし、重りを下に引っ張り、力を放す。すると重りは一定の[[振動数]]で上下に振動する{{Sfn|「ばねの歴史」編纂ワーキンググループ(編)|2012|p=4}}。この一定の振動数は「[[固有振動数]]」と呼ばれる{{Sfn|蒲|2008|p=48}}。この例のような、線形特性のばねと[[質点]](重り)と基礎(天井)から成る1自由度の[[系 (自然科学)|系]]では、固有振動数は
:<math>f_n = \frac{1}{2\pi} \sqrt{\frac{k}{m}}</math>
となる{{Sfn|末岡ら|2002|p=18}}。''m'' は重りの[[質量]]、''k'' はばね定数、''π'' は[[円周率]]、''f<sub>n</sub>'' が固有振動数である{{Sfn|末岡ら|2002|p=18}}。このような固有振動数を持つことが、ばねの主要な特性の3つ目である<ref>{{Harvnb|「ばねの歴史」編纂ワーキンググループ(編)|2012|p=4}} / {{Harvnb|蒲|2008|p=46}} / {{Cite web|和書|url=http://www.nhkspg.co.jp/museum/02.html |title=ばねの基礎知識 |work=ばねの話 |publisher=日本発条株式会社 |accessdate=2016-12-29}}</ref>。上の式では、''k'' が大きくなるほど ''f<sub>n</sub>'' が大きくなり、''k'' が小さくなるほど ''f<sub>n</sub>'' が小さくなる。一般的にも、ばねが硬いほど固有振動数が大きくなり、ばねが柔らかいほど固有振動数が小さくなる{{Sfn|蒲|2008|p=49}}。
[[File:Harmonic oscillator gain.svg|thumb|220px|right|理想的な非減衰1自由度系における振幅伝達率と振動数比の関係。横軸が1のとき外からの振動数と質点の固有振動数が一致しており、振幅伝達率は無限大へ発散する{{Sfn|末岡ら|2002|pp=25–26}}。]]
固有振動数は実際上のあらゆる[[振動]]の問題に関係し、固有振動数は振動の問題を考えるときの最重要の物理量ともいわれる{{Sfn|末岡ら|2002|p=18}}。特に、大きさや向きが周期的に変動するような力が質点に加わったり、ばねを支える基礎自体が周期的に揺れ動くとき、このような外からの振動数が固有振動数に一致すると「[[共振]]」と呼ばれる質点が激しく振動する現象が発生する{{Sfn|下郷・田島|2002|pp=46–47, 57–58}}。共振を積極的に利用する機械・道具もあるが、通常は共振を避ける必要がある{{Sfn|蒲|2008|p=49}}。共振が起こると、機械の動作が不安定になったり、故障の原因となったり、最悪は破壊事故を引き起こすこともある{{Sfn|末岡ら|2002|pp=26–27}}。このため、固有振動数と外からの振動数をずらすように機械や構造物を設計することが求められる{{Sfn|蒲|2008|p=49}}。
一方で、ばねの固有振動を持つ性質を利用することで、振動の伝達を緩和することもできる{{Sfnm|門田|2006|1p=162|ばね技術研究会(編)|1998|2p=79}}。固有振動数が外からの振動数よりも十分小さいとき、振動がばねが支える質点に伝わりにくくなる{{Sfn|ニッパツ・日本発条株式会社(編)|1998|p=4}}。これを利用することによって、ばねが支える物体の振動を和らげることができる{{Sfn|KYB株式会社(編)|2013|p=80}}。振動を伝わりにくくする一般的な目安としては、固有振動数が外からの振動数の1/3以下となるようにするのが望ましいとされる{{Sfn|日本ばね学会(編)|2008|p=5}}。例えば鉄道車両では、金属ばねに比べてばね定数を小さくすることができる[[空気ばね]]を採用し、乗り心地を良くしている<ref name="宮本">{{Cite book |和書 |author=宮本昌幸 |title=図解・鉄道の科学 |edition=初版 |year=2006 |publisher=講談社 |series=ブルーバックス |isbn=4-06-257520-5 |pages=28-30}}</ref>。
==種類==
ばねの種類は多岐にわたる。様々な分類の仕方があり、決定的なものはない{{Sfn|日本ばね学会(編)|2008|pp=5–8}}。以下では、形状別の種類と材料別の種類を主に説明し、その他の分類についても触れる。
===基本形状別===
ばねの形状で分類した代表的種類を以下に示す{{efn|掲載した種類とツリー構造は{{Harvnb|「ばねの歴史」編纂ワーキンググループ(編)|2012|p=6}} を基にして、そこに {{Harvnb|日本ばね学会(編)|2008|pp=5–7}} の「形状による分類」に含まれるメッシュばねを加えた。}}。これらは主に[[金属]]を材料にするばねである<ref>{{Harvnb|蒲|2008|p=20}} / {{Harvnb|「ばねの歴史」編纂ワーキンググループ(編)|2012|p=6}} / {{Harvnb|日本ばね学会(編)|2008|p=5}}</ref>。金属の内、特に[[鋼]]が材料として使われるが、鋼自体は硬いため力を加えられても目でわかるように大きな変形はしない{{Sfn|小玉|1985|p=179}}。そのため、力が加わる板や棒を長くすることによって微小な変形を集めて、ばね全体としての大きな変形を生み出している{{Sfn|小玉|1985|p=179}}。
; [[コイルばね]]
: 細長い線状の材料を[[螺旋]](らせん)状に巻いたばね{{Sfn|門田|2006|p=166}}。様々な種類のばねの中で最も一般的な形状のものである{{Sfn|門田|2006|p=166}}。受ける荷重の種類によって、さらに「圧縮コイルばね」「引張コイルばね」「ねじりコイルばね」といった種類に分けられる{{Sfn|ばね技術研究会(編)|1998|p=6}}。
:; [[圧縮コイルばね]]
:: [[File:0 ressort de compression.svg|thumb|x80px|圧縮コイルばね]]
:: コイルばねの内、圧縮の[[荷重]]を受けて用いられるばね{{Sfn|「JIS B 0103」|2015|p=7}}。ばねの中でも最も広く使用されている種類である{{Sfnm|渡辺・武田|1989|1p=11|日本機械学会(編)|2005|2p=133}}。円筒状のコイルばねが最も一般的だが、[[円錐]]状や[[樽]]形に巻いたものなど様々な種類がある{{Sfn|ばね技術研究会(編)|1998|pp=8–9}}。コイル状にする素線自体には、主に[[ねじりモーメント]]が加わり、素線がねじり変形を起こすことで、ばねが全体として伸び縮みする{{Sfn|村上|1994|pp=73–74}}。ばねが変形するときの単位[[体積]]当たりの弾性エネルギー(エネルギー吸収効率)は他のばね部品と比較して大きく、取り付けに必要な空間は比較的小さくて済む{{Sfnm|渡辺・武田|1989|1p=11|日本ばね学会(編)|2008|2pp=2, 171}}。
:; [[引張コイルばね]]
:: [[File:Ressort de traction.svg|thumb|x90px|引張コイルばね]]
:: コイルばねの内、コイルの端にフックが存在し、引張(引っ張り)の荷重を受けるばね{{Sfn|小玉|1985|p=110}}。圧縮コイルばねと同じく、素線自体は主にねじり変形を起こし、全体が伸びる{{Sfn|ばね技術研究会(編)|2001|pp=36–37}}。圧縮コイルばねに次いで広く用いられているばねである{{Sfn|渡辺・武田|1989|p=31}}。一般的な引張りコイルばねは、外部から荷重がかかっていない状態でもコイル同士が密着しており、この状態でもコイル同士が密着しようとする力が働いている{{Sfn|ニッパツ・日本発条株式会社(編)|1998|p=121}}。端のフック形状には用途に合わせて様々な形状がある{{Sfn|門田|2016|p=64}}。
:; [[ねじりコイルばね]]
:: [[File:Ressort hélicoïdal de torsion.png|thumb|140px|ねじりコイルばね]]
:: コイルばねの内、コイル中心軸まわりに[[ねじりモーメント]]を受けるばね{{Sfnm|「JIS B 0103」|2015|1p=7|門田|2016|2p=66}}。コイルの端に荷重を受ける腕を持ち、コイルを巻き込んだり巻き戻したりする方向に変形させる{{Sfn|日本ばね学会(編)|2008|pp=228–229}}。ばねの素線自体には曲げ[[応力]]が加わり、荷重による[[弾性エネルギー]]は曲げ弾性エネルギーとして蓄えられる{{Sfnm|渡辺・武田|1989|1p=40|日本ばね学会(編)|2008|2p=228}}。部品を回転運動をさせる箇所などで用いられる{{Sfn|山田|2010|p=164}}。
; 板ばね{{Anchors|板ばね|板バネ}}
: 板材を用いたばねの総称{{Sfn|「JIS B 0103」|2015|p=6}}。板の曲げ変形を利用してばねとして作用する{{Sfn|渡辺・武田|1989|p=57}}。たわみが小さい範囲であれば、[[はり部材|はり]]の曲げ理論をそのまま使って変形などが計算ができる{{Sfn|Spotts et al.|2004|p=294}}。「重ね板ばね」「薄板ばね」といった種類に分けられる{{Sfn|渡辺・武田|1989|p=58}}。
:; [[重ね板ばね]]
:: [[File:Spring 3 (PSF).png|thumb|130px|重ね板ばね]]
:: 複数の板材を重ねた板ばね{{Sfn|門田|2006|p=168}}。中央を分厚くするように板を重ねることで、ばね内に発生する曲げ応力の均一化を図っている{{Sfn|小玉|1985|pp=64–65}}。自動車や鉄道車両の[[懸架装置]]用に使われるのがほとんどである{{Sfn|渡辺・武田|1989|p=61}}。板材同士が接触して摩擦することで振動の減衰に寄与する{{Sfn|日本機械学会(編)|2005|}}。一方で、板間の摩擦が固有振動数を高くし、実際の車両においては乗り心地に悪影響することもある{{Sfn|KYB株式会社(編)|2013|p=80}}。
:; 薄板ばね
:: [[File:Ressort.svg|thumb|100px|薄板ばね]]
:: 板ばねの内、薄い板材を用いたばねの総称{{Sfn|日本ばね学会(編)|2008|p=280}}。形状は多種多様で、定まった形はない{{Sfn|ニッパツ・日本発条株式会社(編)|1998|p=147}}。厳密な定義は特にないが、2 [[ミリメートル|mm]] 程度までの厚みのものを薄板ばねと呼ぶことが多い{{Sfn|日本ばね学会(編)|2008|p=540}}。 主に小型機器で用いられる{{Sfn|渡辺・武田|1989|p=58}}。
; [[トーションバー]]
: [[File:Barre de torsion.png|thumb|130px|トーションバー]]
: [[棒]]状のばね。棒の一端を固定して他端をねじりを加え、棒をねじり変形させることでばね作用させる{{Sfn|小玉|1985|p=95}}。棒の断面形状は、ねじりに対して効率のよい円形が一般的である{{Sfn|ばね技術研究会(編)|1998|p=23}}。吸収エネルギー効率が高く、形状が簡単なため、実際のばね特性が計算と一致しやすい{{Sfn|渡辺・武田|1989|p=66}}。
; [[渦巻ばね]]
: 板を[[渦巻]]状に巻いたばね{{Sfn|ニッパツ・日本発条株式会社(編)|1998|p=171}}。特に、薄板を用いた渦巻きばねは「[[ぜんまいばね|ぜんまい]]」とも呼ばれる{{Sfn|「JIS B 0103」|2015|p=8}}。一端にトルクや力を加えることで、板が曲げ変形してばねとして作用する{{Sfn|ばね技術研究会(編)|1998|p=33}}。狭い空間内で比較的多くのエネルギーを蓄えることができ、製作が容易などの利点を持つ{{Sfn|渡辺・武田|1989|p=51}}。大きく「接触形」と「非接触形」に分けられる{{Sfn|蒲|2008|p=37}}。
:; 接触形渦巻ばね
:: [[File:Clock Mainspring.png|thumb|130px|接触形渦巻ばね(解けた状態)]]
:: 渦巻きばねの内、隣接する板同士が接触するもの{{Sfn|門田|2016|p=70}}。この接触形渦巻きばねのことを「[[ぜんまいばね|ぜんまい]]」と呼ぶこともある{{Sfnm|ばね技術研究会(編)|1998|1p=34|日本ばね学会(編)|2008|2p=264}}。ばねを巻き上げていくとき、密着していた板が解けていくため、ばね定数が変化していく特性を持つ{{Sfn|日本ばね学会(編)|2008|p=265}}。板同士が密着しているため、そこで摩擦が発生してヒステリシスを持つばね特性となる{{Sfn|日本ばね学会(編)|2008|p=268}}。
:; 非接触形渦巻ばね
:: 渦巻きばねの内、隣接する板同士が離れたもの{{Sfn|門田|2016|p=70}}。板間摩擦がないため、ばね特性を比較的正確に計算できる長所がある{{Sfn|渡辺・武田|1989|p=57}}。一方で渦巻ばねを巻ける回数は少ないという点がある{{Sfn|門田|2016|p=70}}。
; [[竹の子ばね]]
: [[File:Progresivní spirálová pružina tlačná.jpg|thumb|x80px|竹の子ばね]]
: 長方形断面の板状の素材を[[円錐]]状に巻いたばね{{Sfn|「JIS B 0103」|2015|p=8}}。分類としては、[[圧縮コイルばね]]の一種である円すいコイルばねに相当し、円すいコイルばねの素線が板に変わったものといえる{{Sfn|小玉|1985|p=162}}。たわみが一定以上増すとばね定数が次第に増す非線形特性があり、なおかつ比較的小さな形状で大きな荷重を受けることができる{{Sfn|日本ばね学会(編)|2008|p=242}}。
; [[皿ばね]]
: [[File:Disc spring figure.png|thumb|140px|皿ばね]]
: 底のない[[皿]]のような形状にしたばね{{Sfn|「JIS B 0103」|2015|p=9}}。皿ばねの円錐上側部分と下側部分に荷重を加え、高さを低くする方向にたわませることでばね作用が得られる{{Sfn|ニッパツ・日本発条株式会社(編)|1998|p=159}}。非線形特性のばねであり、形状の寸法比を変えることで様々なばね特性が得られる<ref>{{Cite web |url= http://www.industrialbearings.com.au/uploads/catalogs/schnorrhandbook_1343111178.pdf |title= Handbook for Disc Springs |format=PDF |publisher= SCHNORR |accessdate=2016-08-10 |year=2003 |page=6}}</ref>。皿ばね同士を組み合せることにより、さらに様々なばね特性が得られ、全体としてのばね高さも変えることができる<ref>{{Harvnb|日本ばね学会(編)|2008|p=271}}; {{Cite web |url= http://www.industrialbearings.com.au/uploads/catalogs/schnorrhandbook_1343111178.pdf |title= Handbook for Disc Springs |format=PDF |publisher= SCHNORR |accessdate=2016-08-10 |year=2003 |page=6}}</ref>。
; [[輪ばね]]
: [[File:Ressort a anneaux d'acier Les Appareils Ferroviaires 1.SVG|thumb|130px|輪ばね]]
: 内輪と外輪という2種類の輪を交互に重ね合わせたばね{{Sfn|蒲|2008|p=40}}。内輪は外側に斜面を持ち、外輪は内側に斜面を持ち、重ね合わされた内輪と外輪に荷重が加わると、内輪は縮まり、外輪は広がるように変形して、全体として縮む{{Sfn|日本ばね学会(編)|2008|pp=298–300}}。合わさった面間で摩擦が働き、大きなエネルギーを吸収することができる{{Sfn|小玉|1985|p=161}}。
; 線細工ばね
: 線状の材料をばね作用を得ることができるようにした部品の総称{{Sfn|ばね技術研究会(編)|2001|p=70}}。用途に応じて様々な形のものが作られ、特に定まった形状はない{{Sfn|ばね技術研究会(編)|1998|p=27}}。静的な荷重がかかるような使われ方が多い{{Sfn|蒲|2008|p=39}}。荷重が小さい範囲で使うことが多いため、ばね特性を厳密に出すことを求めないことも多い{{Sfn|日本ばね学会(編)|2008|p=293}}。
; ファスナーばね
: [[File:Spring pin heavy duty.svg|thumb|150px|スプリングピン]]
: ばね作用を利用した締結部品の総称{{Sfn|「ばねの歴史」編纂ワーキンググループ(編)|2012|p=7}}。[[ばね座金]]、[[止め輪]]、[[スプリングピン]]などが含まれる{{Sfn|日本ばね学会(編)|2008|pp=303–304, 308}}。様々な種類が存在する{{Sfn|「ばねの歴史」編纂ワーキンググループ(編)|2012|p=7}}。
; メッシュばね
: 細い線材を布生地のように編んだばね{{Sfn|日本ばね学会(編)|2008|p=7}}。「メッシュスプリング」とも呼ぶ{{Sfn|ニッパツ・日本発条株式会社(編)|1998|p=141}}。編み方は[[メリヤス編み]]となっており、編み込んで帯状とした材料を円筒状やドーナツ形にして使われる{{Sfn|ニッパツ・日本発条株式会社(編)|1998|pp=145–146}}。クッション材として使われ、ばね特性が大きなヒステリシスを持っていることから振動吸収の性能が高い{{Sfn|日本ばね学会(編)|2008|p=7}}。
===材料別===
ばねの復元力を生み出す材料には様々なものがある{{Sfn|日本ばね学会(編)|2008|pp=5–6}}。原理的には、弾性を持つ材料全てがばねの材料となりえる{{Sfn|日本機械学会(編)|2007|p=1042}}。材料で分類すると金属ばねと非金属ばねに大きく分けられ、一例として以下のように分類される{{Sfn|日本ばね学会(編)|2008|pp=5–6}}。
* [[金属]]ばね
** [[鉄鋼]]ばね([[炭素鋼]]、[[合金鋼]]、[[ステンレス鋼]]など)
** [[非鉄金属]]ばね([[銅合金]]、[[ニッケル合金]]、[[チタン合金]]など)
*[[非金属]]ばね
**[[高分子|高分子材]]ばね([[天然ゴム]]、[[プラスチック]]、[[繊維強化プラスチック|繊維強化材]]など)
**[[無機化合物|無機材]]ばね([[セラミックス]])
** [[流体]]ばね([[空気]]、[[不活性ガス]]など)
====金属ばね====
[[File:Trampoliinin jousia.jpg|thumb|130px|金属ばね([[トランポリン]]用の引張コイルばね)]]
金属と非金属にばね材料を分けると、金属ばねが特殊な場合を除いて一般的に用いられている{{Sfn|山田|2010|p=21}}。コストが安いながらも、大きな力を受けることができたり、大きなたわみ量を確保できたりするのが金属ばね全般における利点である{{Sfn|山田|2010|p=21}}。金属材料の中でも、強度と汎用性の高さから特に[[鉄鋼]]材料が広範囲で用いられている{{Sfn|日本ばね学会(編)|2008|p=20}}。ばね用の鋼材は「[[ばね鋼]]」という名称でも呼ばれ、[[弾性限度]]を上げるために一般的な鋼材よりも材料中の炭素濃度が高められている<ref>{{Cite web|和書|url=https://kotobank.jp/word/%E3%81%B0%E3%81%AD%E9%8B%BC-115819#E6.97.A5.E6.9C.AC.E5.A4.A7.E7.99.BE.E7.A7.91.E5.85.A8.E6.9B.B8.28.E3.83.8B.E3.83.83.E3.83.9D.E3.83.8B.E3.82.AB.29 |title= ばね鋼 日本大百科全書(ニッポニカ)の解説 |author=小学館 |work=コトバンク |publisher=朝日新聞社/VOYAGE GROUP |accessdate=2017-01-02}} / {{cite book |和書 |editor=日本熱処理技術協会 |title=熱処理ガイドブック |publisher=大河出版 |year=2013 |edition=4版 |isbn=978-4-88661-811-5 |page=10}}</ref>{{efn|ばね鋼とは、後述の熱間成形用のばね用鋼材のみを指す場合もある<ref>{{Harvnb|ニッパツ・日本発条株式会社(編)|1998|p=8}} / {{cite book |和書 |author=山方三郎 |title=図解入門 よくわかる最新熱処理技術の基本と仕組み |publisher=秀和システム |year=2010 |edition=第2版 |isbn=978-4-7980-2573-5 |page=42}}</ref>。}}。ばね鋼は大きく分けて[[冷間成形]]用と[[熱間成形]]用がある<ref>{{Cite web|和書|url=https://kotobank.jp/word/%E3%81%B0%E3%81%AD%E9%8B%BC-115819#E6.97.A5.E6.9C.AC.E5.A4.A7.E7.99.BE.E7.A7.91.E5.85.A8.E6.9B.B8.28.E3.83.8B.E3.83.83.E3.83.9D.E3.83.8B.E3.82.AB.29 |title= ばね鋼 日本大百科全書(ニッポニカ)の解説 |author=小学館 |work=コトバンク |publisher=朝日新聞社/VOYAGE GROUP |accessdate=2017-01-02}}</ref>。冷間成形とは材料が常温の状態でばねの形へ加工することで、比較的小型のばねの成形に適している{{Sfnm|小玉|1985|1pp=37–38|ばね技術研究会(編)|2000|2p=90}}。熱間成形とは材料を高温に熱した状態でばねの形へ加工することで、比較的大型のばねの成形に適している{{Sfnm|蒲|2008|1p=84|ばね技術研究会(編)|2000|2p=90}}。ばね鋼の種類としては、炭素を主な添加元素とする[[炭素鋼]]、あるいは炭素以外の元素を特別に加える[[合金鋼]]が使われる{{Sfn|ばね技術研究会(編)|2000|pp=34, 110}}。他の鉄鋼材料としては、[[耐食性]]と[[耐熱性]]に優れた[[ステンレス鋼]]が用いられている{{Sfn|Oberg et al.|2012|p=306}}。
ばねに使われる非鉄金属の材料としては、[[黄銅]]、[[リン青銅]]、[[洋白]]、[[ベリリウム銅]]といった[[銅合金]]材料が一般的である{{Sfn|ニッパツ・日本発条株式会社(編)|1998|pp=14–16}}。銅合金の[[電気伝導性]]の良さを利用して、[[コネクタ]]などで抵抗や発熱を減らすために使われる{{Sfn|ばね技術研究会(編)|2000|p=188}}。他には耐食性や非磁性も長所として持っているが、鋼材料と比べるコストが高い欠点もある{{Sfnm|小玉|1985|1p=48|Oberg et al.|2012|2p=307}}。
他の非鉄金属材料としては、耐食性、耐熱性ならびに[[耐寒性]]が優れた[[ニッケル合金]]もばね材料として用いられている{{Sfn|Oberg et al.|2012|p=308}}。特に[[インコネル]]がニッケル合金の中でも一般的である{{Sfn|Oberg et al.|2012|p=308}}。400℃以上の高温領域で使用されるようなばねで、ニッケル合金材料が用いられている{{Sfn|蒲|2008|p=92}}。鋼と比較して大きな軽量化が可能な材料として、[[チタン合金]]もばねに使用されている{{Sfn|「ばねの歴史」編纂ワーキンググループ(編)|2012|pp=235–236}}。チタン合金は鋼と比較して[[弾性率]]と[[比重]]が小さいため、ばねの軽量化が可能となる{{Sfn|日本ばね学会(編)|2008|p=112}}。一方でコストが高いという欠点もある{{Sfn|「ばねの歴史」編纂ワーキンググループ(編)|2012|p=236}}。
====非金属ばね====
[[File:Pryžová pružina tlačná.jpg|thumb|left|110px|ゴムばねの模式図(圧縮荷重を受ける場合)]]
金属材料では実現できない機能や特性を得たいとき、非金属材料がばね材料として使われる{{Sfn|山田|2010|p=21}}。[[プラスチック]]や[[ゴム]]といった[[重合体|高分子材料]]も、ばね材料として利用される。ゴムの弾性を利用するばねは、特に「[[ゴムばね]]」と呼ばれる{{Sfn|「JIS B 0103」|2015|p=3}}。ゴムの弾性は非線形であり、[[ひずみ]]が小さい範囲でのみ線形とみなせる{{Sfn|日本ばね学会(編)|2008|p=594}}。具体的な材料としては、汎用に使われる[[天然ゴム]]、耐候性の高い[[クロロプレンゴム]]、振動減衰特性が良い[[ブチルゴム]]などが使われている{{Sfn|ばね技術研究会(編)|2000|pp=243–245}}。金属ばねと比較すると、ばね定数を方向に応じて自由に調整できる、ゴムの内部摩擦によって変形時に減衰力が生まれる、といった長所を持っている{{Sfn|KYB株式会社(編)|2013|p=89}}。車両用や産業機械用の[[防振ゴム]]として広く利用されている{{Sfn|日本ばね学会(編)|2008|p=593}}。一方で、高温・低温で性能が劣化しやすい、長期間の大荷重負担で[[クリープ]]が生じやすい、といった短所もある{{Sfn|門田|2016|p=80}}。さらに、ゴムばねの挙動は明確には計算できないので、おおよその範囲で計算する必要がある{{Sfn|Spotts et al.|2004|pp=301–302}}。
プラスチック材料もばねに用いられる。金属ばねと比較すると、プラスチック製ばねには軽量、錆びない、成形が容易といった長所がある{{Sfn|ばね技術研究会(編)|2000|p=237}}。一方で、ゴムのようにクリープが起こりやすい、鋼材と比較すると強度や弾性率が小さいといった短所がある{{Sfnm|ばね技術研究会(編)|2000|1p=237|ばね技術研究会(編)|1998|2p=49}}。プラスチック材料の中では、[[エンジニアリングプラスチック]]がばね用として一般的である{{Sfn|日本ばね学会(編)|2008|p=119}}。例としては[[ポリエーテルエーテルケトン]](PEEK)製のコイルばねなどが、耐薬品性が必要な個所で活用されている<ref>{{Harvnb|門田|2016|p=102}} / {{Cite web2 |url=http://www.plabane.co.jp/page/case_study |title=プラばねの活用事例 |publisher=株式会社プラばね |accessdate=2017-02-18}}</ref>。
プラスチックの強度の低さを克服するために、強化繊維を含有させた[[繊維強化プラスチック]](FRP)もばね用材料として使われている{{Sfn|小玉|1985|p=51}}。ばね材料として用いられるFRPには、[[ガラス繊維強化プラスチック]](GFRP)と[[炭素繊維強化プラスチック]](CFRP)の2つがある{{Sfn|小玉|1985|pp=51–52}}。強化繊維の配向によって、FRPは力を受ける向きによって強度や弾性率が異なるという特徴がある<ref>{{Cite web2 |url=http://www.me.sophia.ac.jp/~suemasu/files/composite.pdf |title=複合材料の力学と破壊について |author=末益博志 |accessdate=2017-02-18}} / {{Harvnb|ばね技術研究会(編)|2000|p=252}}</ref>。そのため、ばね定数を最適化したり、FRPが持つ高い強度を生かすためには、適切な配向でばねを設計する必要がある{{Sfn|ばね技術研究会(編)|2000|p=252}}。軽量化のためにGFRP製の板ばねが自動車懸架装置用として実用化されたことがあるが、コストが高い・リサイクルしづらいといった欠点により定着はしていない{{Sfn|「ばねの歴史」編纂ワーキンググループ(編)|2012|pp=236–237}}。CFRPも、板ばねとしての利用が代表例である{{Sfn|ばね技術研究会(編)|2000|p=250}}。他の材料と比較すると、CFRPは[[比強度]]や[[比弾性率]]が特に優れており、加えて[[疲労強度]]も高いという長所を持つ{{Sfn|ばね技術研究会(編)|2000|p=250}}。これらの長所を生かして、他の材料では不可能な用途にCFRP製ばねを適用することが試みられている{{Sfn|ばね技術研究会(編)|1998|p=57}}。
無機材料の[[セラミックス]]もばねとして利用されている。既存の金属ばねでは対応不可能な700℃から1000℃の高温下でも実用できる耐熱性を持つ{{Sfn|ニッパツ・日本発条株式会社(編)|1998|p=187}}。セラミックスは[[脆性|脆性材料]]であり、小さな欠陥でも破壊に至り、強度のばらつきが大きいため、ばね用材料としては不適当と以前は考えられていた{{Sfn|ニッパツ・日本発条株式会社(編)|1998|p=185}}。その後の製造技術の進歩によって、高強度のセラミックスが誕生し、ばねとして実用可能となった{{Sfn|ばね技術研究会(編)|2000|p=255}}。実際の使用例としては、高温下使われる[[治具]]用ばねに[[窒化ケイ素]]が使われている{{Sfn|「ばねの歴史」編纂ワーキンググループ(編)|2012|pp=253–254}}。
[[File:Lufe schnitt.png|thumb|100px|ダイヤフラム形空気ばねの3Dモデル]]
気体や液体の[[流体]]を利用するばねも存在し、特に空気の弾性を利用したばねは「[[空気ばね]]」と呼ばれる{{Sfn|「JIS B 0103」|2015|p=3}}。一定温度下では気体の体積は圧力に逆比例するという[[ボイルの法則]]が、空気ばねの弾性を生み出す基本原理となる{{Sfn|蒲|2008|p=98}}。ばねの高さ・受けることができる荷重・ばね定数が独立に設定できる、[[絞り]]を設けることで減衰力を発生させることができる、調整弁を設けることでばね高さを一定に保つことができる、といった長所を持っている{{Sfn|日本機械学会(編)|2005|p=135}}。特に、一つ目の長所により、同じ条件下の金属ばねと比較してばね定数を小さくでき、車両の懸架装置として用いた場合は乗り心地を良くすることができる{{Sfnm|渡辺・武田|1989|1p=69|KYB株式会社(編)|2013|2p=95}}。形状によって、ベローズ形とダイヤフラム形の2種類に大きく分けられる{{Sfn|日本ばね学会(編)|2008|p=592}}。欠点としては、金属ばねと比較して構造が複雑で、空気ばね以外の付属装置も必要となり、コストが高い{{Sfn|門田|2016|p=78}}。
空気ではなく、[[アルゴン]]や[[ヘリウム]]などの[[不活性ガス]]を利用するばねもあり、このようなばねは「[[ガスばね]]」と呼ばれる{{Sfn|「JIS B 0103」|2015|p=3}}。ばね特性設定の自由度が高く、省スペースで大きな荷重を働かすことができるといった長所がある{{Sfn|日本ばね学会(編)|2008|p=596}}。一方で使用温度に制約があり、ガス漏れのおそれがあるといった短所がある{{Sfn|日本ばね学会(編)|2008|p=596}}。
====磁気ばね====
弾性を利用するものではないが、磁石の[[磁気力]]を復元力として利用する「磁気ばね」と呼ばれるばねもある{{Sfn|ばね技術研究会(編)|1998|p=77}}。磁石の同極を近づけると反発力が発生するので、圧縮方向に復元力を持つばねとして利用できる{{Sfn|日本ばね学会(編)|2008|p=607}}。磁石の異極を対向させる場合は、磁石が横方向にずれたときに吸引力が発生するので、横方向に復元力を持つばねとして利用できる{{Sfn|日本ばね学会(編)|2008|p=607}}。物体同士の接触を避けることができる、質量を持たないばねなので後述のサージングが発生しない、といった長所がある{{Sfn|ばね技術研究会(編)|1998|p=77}}。
===その他の分類===
以上の基本形状別・材料別の他には、ばねは次のような観点からも分類される。
;荷重形式
:ばねが受ける[[荷重]]の種類(形式)による分類。軸方向圧縮荷重を受ける「圧縮ばね」、軸方向引張荷重を受ける「引張ばね」、軸回りねじりモーメントを受ける「ねじりばね」がある{{Sfn|「JIS B 0103」|2015|p=2}}。
;応力状態
:荷重を受けた時に、ばねに発生する[[応力]]状態による分類。実際の応力状態は種々の応力の複雑な組み合わせとなるので、主として何を受けるかで分類する。例えば、主に曲げ応力を受けるばねには板ばねが、主にねじり応力を受けるばねには圧縮コイルばねが、主に引張・圧縮応力を受けるばねには輪ばねが該当する{{Sfn|日本ばね学会(編)|2008|p=7}}。
;ばね特性
:ばねが持つ荷重とたわみの関係(ばね特性)による分類。[[線型性|線形]]特性、[[ヒステリシス]]無しの[[非線形]]特性、ヒステリシス有りの非線形特性に大別できる。例えば、線形特性ばねにはトーションバーが、ヒステリシス無し非線形特性にはテーパコイルばね(圧縮コイルばねの一種)が、ヒステリシス有り非線形特性には重ね板ばねが該当する{{Sfn|日本ばね学会(編)|2008|p=8}}。
;素材形状
:ばねの材料となる素材形状による分類。板状の材料(板材)を用いるばね、棒状の材料(棒材)または線状の材料(線材)を用いるばねに大別できる。例えば、板材を用いるばねには渦巻ばねが、棒材または線材を用いるばねにはコイルばねが該当する{{Sfn|ニッパツ・日本発条株式会社(編)|1998|p=5}}。
==設計と製造==
===設計の基礎事項===
ばねの設計上でまず重要となるのは、何の用途に使うかを明確にする点である{{Sfn|蒲|2008|p=58}}。他の[[機械要素]]と同様に、使用目的に適した性能を設計するばねに与える必要がある{{Sfn|日本ばね学会(編)|2008|p=14}}。ばねによって実現したい機能に、具体的には次のようなものが挙げられる{{Sfnm|ばね技術研究会(編)|2000|1p=2|蒲|2008|2p=59|ニッパツ・日本発条株式会社(編)|1998|3p=3}}。
*除荷すると元の位置や形状に戻る復元性の利用
*物体を弾性的に保持
*振動の絶縁・緩和
*振動を生み出して利用
*衝撃の緩和
*エネルギーの貯蔵と放出
*荷重の計測や規定
機能を満たすという要求の他には、次のようなことがばねの設計上要求される{{Sfn|日本ばね学会(編)|2008|p=315}}
*空間的制限に収まる
*永久変形や破壊が起きない
*使用期間内で十分な強度を持つ
*使用環境中で十分な強度を持つ
*軽量である
*小型である
*製造が容易である
*価格が安い
ばねの調達方法としては、販売されている標準品の中から選ぶ場合と、規格品にないものを個別に製作する場合がある{{Sfn|門田|2016|p=110}}。ばねの用途は多様であるため、ファスナーばねを除くと、一つ一つ個別に設計することが多い{{Sfnm|ニッパツ・日本発条株式会社(編)|1998|1p=5|日本ばね学会(編)|2008|2p=437}}。そのため、ばねの設計において標準品から選ぶ方式は、同じ機械要素である[[ボルト (部品)|ボルト]]や[[ベアリング]]ほどは多くない{{Sfn|ニッパツ・日本発条株式会社(編)|1998|p=5}}。
{{multiple image
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| image1 = SpringsInParallel.svg
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| caption1 =ばねの並列接続
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| caption2 =ばねの直列接続
}}
一つのばねで必要なばね特性を得ることができないときは、複数のばねを組み合わせることもある{{Sfn|日本ばね学会(編)|2008|p=211}}。荷重を分担するようなばねの組み合わせを「並列」や「並列接続」、たわみが加算されるようなばねの組み合わせを「直列」や「直列接続」という{{Sfn|門田|2016|pp=42–43}}。並列では、組み合わさるばねの数が多いほど、組み合わせ全体としての[[ばね定数]]は大きくなる{{Sfn|日本ばね学会(編)|2008|p=212}}。直列では、組み合わさるばねの数が多いほど、組み合わせ全体としてのばね定数は小さくなる{{Sfn|日本ばね学会(編)|2008|p=212}}。組み合わせの仕方によっては、全体としてのばね特性を非線形特性にすることもできる{{Sfn|山田|2010|pp=45–46}}。
====古典理論式と有限要素法====
ばねを設計するとき、荷重と変形の関係や発生する[[応力]]を計算する方法には、[[材料力学]]の古典的な理論式を使う方法と数値解析の[[有限要素法]] (FEM) を使う方法がある{{Sfnm|ニッパツ・日本発条株式会社(編)|1998|1pp=16–17|日本ばね学会(編)|2008|2pp=133–136|「ばねの歴史」編纂ワーキンググループ(編)|2012|3pp=157–160}}。古典的理論では[[代数式]]の形で計算式が与えられていることが多く、電卓などでも容易に計算できる{{Sfn|日本ばね学会(編)|2008|p=133}}。また、形状をどれだけ変えたら特性にどれだけ影響するかなど、要因と結果の関係が明白に理解できる{{Sfn|「ばねの歴史」編纂ワーキンググループ(編)|2012|p=160}}。
[[File:Load and deflection of helical compression spring.svg|thumb|170px|[[圧縮コイルばね]]の荷重とたわみ。簡略式はコイル中心一直線上に荷重がかかる場合のみを仮定している。]]
一方で、古典的理論では計算式を導出するためにいくつかの仮定を置いており、それらの仮定に近い範囲の使用のみで式の精度が期待できる{{Sfn|ニッパツ・日本発条株式会社(編)|1998|pp=16–17}}。例えば、一般的な[[圧縮コイルばね]]のばね定数 ''k'' は、形状と材料特性の数値を決めれば次の基本式で計算できる<ref>{{cite book|和書 |author=日本工業標準調査会 |title=JIS B 2704-1 コイルばね-第1部:圧縮及び引張コイルばね基本計算方法 |year=2009 |page=3}}</ref>。
:<math>k=\frac{Gd^4}{8N_a D^3}</math>
ここで、''G'' が材料特性の値、 ''d'', ''N<sub>a</sub>'', ''D'' が各寸法の値である。しかしこの式は、荷重はコイル中心一直線上にかかる、ピッチ角(螺旋の傾き)の影響は小さく無視できる、ねじりモーメントのみを考慮する、という3つの仮定を前提にしており、適用範囲に限界がある{{Sfn|日本ばね学会(編)|2008|p=178}}。実際の設計では、これらの仮定を超える範囲で使用することも必要となる{{Sfn|「ばねの歴史」編纂ワーキンググループ(編)|2012|pp=155–156}}。
一方のFEMでは、ばねの形状を要素と呼ばれる小領域で分割したモデルをコンピュータ上に作り、解を出す{{Sfn|ニッパツ・日本発条株式会社(編)|1998|p=17}}。適用可能なばね形状の制約が少なく、代数式形での計算式が確立していないような特殊な形状のばねに対しても計算可能である{{Sfn|日本ばね学会(編)|2008|p=133}}。実際の製品により近い計算が可能となる{{Sfn|蒲|2008|p=73}}。ただし、形状を変えたらその度にモデルを変更する必要があり、最適な設計に収束させるのに作業の繰り返しが必要となる{{Sfn|「ばねの歴史」編纂ワーキンググループ(編)|2012|p=160}}。古典的理論式と比較すると時間やコストがかかることが多い{{Sfn|蒲|2008|p=73}}。設計においては、古典的理論式とFEMの長所と短所を勘定し、それぞれを使い分けるのが一般的である{{Sfn|日本ばね学会(編)|2008|p=136}}。
====振動問題====
ばねの使用目的が振動の緩和であれば、ばねとは別に振動を[[減衰]]をさせる機械要素が必要となることがある。減衰とは物体の振動エネルギを[[熱エネルギ]]などに変換して消散させることで、減衰用の機械要素としては[[オイルダンパ]]などが代表的である<ref>{{cite book |和書 |editor=日本機械学会 |title=振動のダンピング技術 |series=新技術融合シリーズ:第4巻 |publisher=養賢堂 |year=1998 |edition=第1版 |isbn=4-8425-9816-6 |pages=pp. 8, 140}}</ref>。ゴムばねのようにばね自体に減衰を備えているものあるが、一般的な金属コイルばねは減衰を少ししか起こさないため、別にダンパが必要となる<ref>{{cite book |和書 |editor=日本機械学会 |title=機械工学便覧 基礎編 ''α''2 機械力学 |publisher=丸善 |year=2004 |edition=初版 |isbn=4-88898-116-7 |page=187}}</ref>。減衰によって、ばねで支えられた物体が[[自由振動]]で揺れ続けることを避けることができる{{Sfn|日本機械学会(編)|2007|p=380}}。より強力に振動を抑えるために、ばね・ダンパに加えて[[アクチュエータ]]を備えることもある{{Sfn|末岡ら|2002|pp=96–97}}。車両の[[アクティブサスペンション]]などがその例である<ref>{{cite book |和書 |editor=日本機械学会 |title=車両システムのダイナミックスと制御 |series=新技術融合シリーズ:第5巻 |publisher=養賢堂 |year=2008 |edition=OD版第1版 |isbn=978-4-8425-9901-4 |pages=pp. 152–154}}</ref>。
[[File:Half car dynamic model.svg|thumb|left|260px|自動車の簡略的な4自由度振動モデルの例。車体の上下・ピッチング振動を計算するためのもの。]]
振動の問題を扱うときなどには、対象の機構を[[数理モデル|モデル化]]し、個々の要素から構成される[[システム]]([[系 (自然科学)|系]])として考える{{Sfn|下郷・田島|2002|p=4}}。基本的な振動モデルは慣性要素、復元要素、減衰要素の3つから成る<ref name="基礎振動工学">{{cite book |和書 |author=横山隆・日野順市・芳村敏夫 |title=基礎振動工学 |publisher=共立出版 |year=2015 |edition=第2版 |isbn=978-4-320-08211-3 |pages=16-18}}</ref>。復元要素の典型がばねである<ref name="基礎振動工学"/>。ばねの荷重-たわみ特性を求めることができれば、振動モデル上の一要素としてその特性を与えることができる{{Sfn|日本ばね学会(編)|2008|p=134}}。ただし、振動モデル上でモデル化されたばねは、実際のばねをあくまでも理想化したものであることに注意が必要である{{Sfn|日本ばね学会(編)|2008|p=134}}。振動モデル上のばねは質量を持たないものとして扱われるが、実際に組み込まれるばねは質量を持っている{{Sfn|日本ばね学会(編)|2008|p=134}}。実際のばねは、それ自体も一つの振動系である{{Sfn|日本ばね学会(編)|2008|p=202}}。そのためばね自体も振動し、その振動にも固有振動数が存在する{{Sfn|日本ばね学会(編)|2008|p=202}}。ばね自体の固有振動数と外からの振動数が一致すると共振が起こる{{Sfn|山田|2010|p=60}}。この共振は「サージング」と呼ばれ、特に高振動数で伸縮される圧縮コイルばねで問題となる{{Sfn|山田|2010|p=60}}。サージングが起こると、機構の動きにばねが追従できずシステムが不安定になったり、ばねの破損を引き起こしたりする{{Sfnm|山田|2010|1p=60|ニッパツ・日本発条株式会社(編)|1998|2p=115}}。サージングが問題となるときは、ばね自体の固有振動数を上げるなどして対策をする{{Sfn|ばね技術研究会(編)|2001|p=34}}。
====強度====
一般的な機械設計では壊れないように十分な強度を持たせることが大事であり、ばねもそれは同様である{{Sfn|門田|2016|p=111}}。設計においてばねが他の[[機械要素]]と比較して特殊な点は、変形によるたわみ量を必要とする点にある{{Sfn|門田|2016|p=110}}。他の機械要素では強度の評価は行うが、変形量の評価までは通常は必要としない{{Sfn|日本ばね学会(編)|2008|p=133}}。もう一つの設計上の特徴は、前述のとおり、ばねの使用範囲が[[弾性変形]]の範囲内となるようにすることである{{Sfn|ニッパツ・日本発条株式会社(編)|1998|p=16}}。これは、ばね設計の「絶対条件」ともいえる{{Sfn|ニッパツ・日本発条株式会社(編)|1998|p=16}}。材料の弾性限度を超えるようだと、ばねとしての機能が通常は果たせなくなる{{Sfn|小玉|1985|p=28}}。ばねの強度面で特に重要となるのが「疲労」と「へたり」である{{Sfn|ニッパツ・日本発条株式会社(編)|1998|p=17}}。
[[File:0 ressort rompu par fatigue.jpg|thumb|200px|[[疲労 (材料)|疲労]]で破壊したコイルばねの断片]]
[[疲労 (材料)|疲労]]は、物体に荷重が変動しながら繰り返し加わり続けることで、物体に[[き裂]]が発生して破壊に至る現象である{{Sfn|日本機械学会(編)|2007|p=1109}}。このような繰り返し荷重のことを「動的荷重」や「動荷重」と呼ぶ{{Sfn|日本ばね学会(編)|2008|p=328}}。振動を受け続ける車両の懸架装置用ばねなどがそのような荷重を受ける例である{{Sfn|蒲|2008|p=54}}。疲労強度には材質、形状、荷重形式、使用温度、雰囲気などの多くの要素が影響する{{Sfn|日本機械学会(編)|2007|p=1109}}。ばねは繰り返し荷重を受ける形で使用されることが多いことから、設計上も疲労強度の検討が重要となる{{Sfn|ニッパツ・日本発条株式会社(編)|1998|p=18}}。一般的には、荷重が繰り返し加わる回数が1000万回までであれば、ばねが疲労破壊しないように設計する{{Sfn|蒲|2008|p=55}}。ばねの用途によっては、それよりも少ない回数に耐えれればよい場合やそれ以上の回数に耐えるようにする場合がある{{Sfnm|蒲|2008|1p=55|「ばねの歴史」編纂ワーキンググループ(編)|2012|2pp=230–231}}。
へたりは、降伏応力以下しか与えない荷重でも長期間かけ続けると、徐々に材料中で塑性変形が発生して、ばねに永久たわみが発生する現象である{{Sfn|ニッパツ・日本発条株式会社(編)|1998|p=21}}。へたりは荷重がほぼ一定でかかり続けるような場合にも発生する{{Sfn|ニッパツ・日本発条株式会社(編)|1998|p=21}}。このような荷重のことを「静的荷重」や「静荷重」とも呼ぶ{{Sfn|日本ばね学会(編)|2008|p=328}}。へたりは材料の[[クリープ]]と呼ばれる現象が主原因である{{Sfn|日本ばね学会(編)|2008|p=329}}。例えば、自動車の懸架装置用ばねではへたりによる車高変化が問題となる。特に高温領域ではへたりが起きやすいため、高温領域で使用されるばねは発生応力を低く抑えたり、へたりに対する耐性が高い材料を採用するなどの配慮がされる{{Sfnm|小玉|1985|1p=33|ばね技術研究会(編)|2000|2pp=4–6}}。450℃以上の高温領域におけるへたり現象については解明が進んでいるが、400℃以下の領域におけるへたり現象の発生機構については2014年現在では未だに不明確である<ref name="へたり">{{Cite journal|和書 |author =圧縮コイルばねのへたりに関する研究委員会 |year =2014 |title =圧縮コイルばねのへたりに関する研究委員会報告 |journal =ばね論文集 |volume =2014 |issue =59 |page =48 |publisher =日本ばね学会 |doi =10.5346/trbane.2014.47}}</ref>。
===製造の基礎事項===
ばねの製造工程は種類によって様々である。以下では金属ばねに関する製造について大まかに説明する。
[[File:Coil spring hot forming.jpg|thumb|205px|コイルばねの熱間成形の様子]]
金属ばねの場合、棒状や板状の材料から所定のばね形状への成形は主に[[塑性加工]]によって行われる{{Sfn|門田|2016|p=136}}。材料に曲げや圧延を行い、望みの形状に加工する{{Sfn|門田|2016|p=136}}。金属ばねの塑性加工は大きく分けて、[[冷間成形]]と[[熱間成形]]に分かれる{{Sfn|日本ばね学会(編)|2008|p=437}}。前述のとおり、冷間成形とは材料が常温の状態でばねの形へ加工することで、比較的小型のばねに対して行う{{Sfn|ニッパツ・日本発条株式会社(編)|1998|p=28}}。熱間成形とは材料を高温に熱した状態でばねの形へ加工することで、比較的大型のばねに対して行う{{Sfn|ニッパツ・日本発条株式会社(編)|1998|p=28}}。
金属ばねの場合、成形後には[[熱処理]]が施される。鋼材の熱間成形ばね(重ね板ばね、竹の子ばね、コイルばねなど)であれば成形後直ちに急冷して[[焼入れ]]、そして[[焼戻し]]を行う{{Sfnm|日本ばね学会(編)|2008|1pp=503–504, 514–515|蒲|2008|2p=104}}。焼入れ焼戻しによって、硬く粘り強い材質にすることができる{{Sfn|門田|2016|p=106}}。鋼材冷間成形ばね(薄板ばね、コイルばね、皿ばねなど)の成形後に熱処理する場合は、焼入れ焼戻しあるいは[[残留応力]]を除去するために[[焼なまし|低温焼なまし]]を行う{{Sfn|日本ばね学会(編)|2008|pp=522, 546, 548}}。非鉄金属材料の場合は[[時効 (金属)|時効処理]]が施され、同じく強度を高める{{Sfn|日本ばね学会(編)|2008|p=458}}。
[[File:Shot peening.png|thumb|180px|left|[[ショットピーニング]]の模式図。硬質粒子を高速でぶつけ、強度を向上させる。]]
熱処理後には多くの場合、[[ショットピーニング]]を行う{{Sfn|門田|2016|p=136}}。ショットピーニングは無数の硬質粒子をばね表面に高速でぶつける処理で、ばね表面に圧縮の[[残留応力]]を与えて疲労強度を向上させる{{Sfn|日本ばね学会(編)|2008|p=468}}。ショットピーニングあるいは熱処理後には、設計上の最大荷重よりも大きな荷重を加える、「プレセッチング」あるいは「セッチング」と呼ばれる工程を多くの場合で行う{{Sfn|門田|2016|p=136}}。セッチングを行うことでへたりに対する耐性を向上させることができる{{Sfn|門田|2016|p=136}}。熱間成形コイルばねなどでは、焼戻しと同時に高温状態でセッチングを行う「ホットセッチング」を行う場合もある{{Sfn|ばね技術研究会(編)|2001|p=162}}。ホットセッチングによって耐へたり性を大きくすることができる{{Sfn|日本ばね学会(編)|2008|p=479}}。最終工程では、必要に応じて[[メッキ]]や[[塗装]]などで表面処理を行う{{Sfn|門田|2016|p=150}}。
プラスチックばねの場合、ばねに使用されるプラスチックはほとんど[[熱可塑性樹脂]]なので、[[射出成形]]で成形される{{Sfn|ばね技術研究会(編)|1998|p=50}}。溶融された材料が金型に圧入されて、冷却・固化されて造られる{{Sfn|ばね技術研究会(編)|1998|p=50}}。ゴムばねの一つである防振ゴムの場合は、原料の配合と練りを行い、ゴムを金具へ[[加硫|加硫接着]]させて製造する{{Sfn|ばね技術研究会(編)|2000|p=246}}。
===工業規格===
国際規格である[[国際標準化機構|ISO]]の他、各国の工業規格([[ASTMインターナショナル|ASTM]]、[[英国規格|BS]]、[[ドイツ工業規格|DIN]]、[[日本産業規格|JIS]]、[[日本自動車技術会規格|JASO]]、[[フランス規格|NF]]、[[SAE International|SAE]]など)で、ばねの設計や製造に関する規格が制定されている{{Sfn|日本ばね学会(編)|2008|pp=615–626}}。内容は、ばねに関する用語、各種のばね製品、試験方法、ばね用材料、製図方法などに関するものである{{Sfn|日本ばね学会(編)|2008|pp=615–626}}。例えば日本産業規格における[[皿ばね]]の規格「JIS B 2706:2013」では、材料、分類、設計計算式、寸法[[公差|許容差]]、試験方法などが規定されている<ref>{{cite book|和書 |author=日本工業標準調査会 |title=JIS B 2706 皿ばね |year=2013 |pages=1-15}}</ref>。ISOでは、2017年現在12カ国が参加する技術委員会「ISO/TC 227」が設置され、金属ばねを所掌範囲として規格開発が行われている<ref>{{Cite web |url=http://www.iso.org/iso/standards_development/technical_committees/other_bodies/iso_technical_committee.htm?commid=369318 |title=ISO/TC 227 Springs |accessdate=2017-01-14}}</ref>。
==用途例==
ばねの特性や機能を活かして、ばねは幅広い分野にわたって使われている{{Sfn|日本ばね学会(編)|2008|p=9}}。身近な器具から大型機械・構造物まで、昔ながらの機器から現代的な機器まで、ばねの利用は広範囲に及んでいる{{Sfn|ばね技術研究会(編)|2000|p=i}}。
===日用品===
[[File:Paperclip holding tickets.jpg|thumb|130px|線細工ばねの一種である[[ゼムクリップ]]]]
身の回りの日用品の中にも様々なばねが存在する{{Sfn|渡辺・武田|1989|pp=1–2}}。文房具では、紙や書類を挟むための[[クリップ]]もばねの一種といえる{{Sfn|ばね技術研究会(編)|1998|pp=168–169}}。線を折り曲げて成形されたゼムクリップは、線細工ばねの一種である{{Sfn|ばね技術研究会(編)|1998|pp=28, 168–169}}。紙や書類を綴じるための[[ステープラー]]には、板ばねとコイルばねが使われている{{Sfn|マコーレイ|2011|pp=80–81}}。針を前に押し出す機構にはコイルばねが使われ、針を押し出す薄板は板ばねになっている{{Sfn|マコーレイ|2011|pp=80–81}}。ノック機構を持つ[[ボールペン]]では、ペン先の出し入れにコイルばねを利用している{{Sfn|門田|2016|p=10}}。ボールペンの中には、ペン先のボールを 1 [[ミリメートル|mm]] 程度の小さなばねで支える機構を持つものもある{{Sfn|蒲|2008|p=134}}。
[[File:Wäscheklammern.JPG|thumb|left|180px|[[洗濯ばさみ]](ねじりコイルばねを利用するもの{{Sfn|小玉|1985|p=129}})]]
衣服を干すための[[洗濯ばさみ]]でもばねが使われている。洗濯ばさみには、ねじりコイルばねを利用するものと、輪っかの形のばねを利用するものがある{{Sfnm|小玉|1985|1p=129|門田|2006|2pp=160–161}}。重さを量る[[秤]]にもばねを利用する種類がある{{Sfn|蒲|2008|p=135}}。[[ばねばかり]]は引張コイルばねを利用するもので、計量の仕組みはフックの法則の見本といえる{{Sfn|蒲|2008|p=135}}。
[[機械式時計]]では2種類の渦巻ばねが用いられている。1つは接触形渦巻ばねのぜんまいで、時計の針を進める動力を生み出している<ref name="セイコーウオッチ">{{Cite web|和書|url=https://www.seiko-watch.co.jp/support/function/mechanical02.php |title=機械式時計のしくみ |publisher=セイコーウオッチ株式会社 |accessdate=2016-12-31}}</ref>。もう1つは非接触形渦巻ばねのひげぜんまいと呼ばれる部品で、時計の調速脱進機で使われる<ref>{{Harvnb|門田|2016|p=70}} / {{Cite web|和書|url=https://www.seiko-watch.co.jp/support/function/mechanical02.php |title=機械式時計のしくみ |publisher=セイコーウオッチ株式会社 |accessdate=2016-12-31}}</ref>。てんぷという部品に取り付けられたひげぜんまいに往復運動をさせることで、正しい時刻を刻むように針を動かしている<ref name="セイコーウオッチ"/>。
[[おもちゃ]]もばねの様々な性質を利用している{{Sfn|門田|2016|p=12}}。[[びっくり箱]]はフタを開けると人形などがばねの復元力で飛び出る古典的なおもちゃである{{Sfn|門田|2016|p=12}}。[[オルゴール]]は、渦巻ばねを動力として音を出している{{Sfn|ばね技術研究会(編)|1998|pp=166}}。エネルギーを弾性エネルギーとして蓄積して徐々に放出させる、ばねの使い方の例である{{Sfn|日本ばね学会(編)|2008|p=9}}。ミニカーの[[チョロQ]]も渦巻ばねが走りの動力原である{{Sfn|蒲|2008|p=136}}。[[スリンキー]]という変わった動きをするばね状のおもちゃもある{{Sfn|門田|2016|p=12}}。
===車両===
[[File:Nockenwelle2, closeup.jpg|thumb|140px|エンジンのカットモデル。上からカム、バルブ、弁ばね]]
1台の[[自動車]]で使用されているばねは2,000から3,000個あるといわれ、自動車とばねの関連は強い{{Sfn|「ばねの歴史」編纂ワーキンググループ(編)|2012|p=9}}。自動車[[内燃機関|エンジン]]の中で使用されている代表的なものは、[[カムシャフト]]のカム形状通りに吸排気バルブを動かすばねで、「弁ばね」や「バルブスプリング」と呼ばれる{{Sfnm|蒲|2008|1p=122|ばね技術研究会(編)|1998|2p=80}}。約120℃の油中で1億回以上の伸縮をしても[[疲労 (材料)|疲労破壊]]しないことが必要とされ、さらには小型化と軽量化が常に要求される{{Sfn|日本ばね学会(編)|2008|p=9}}。ばね全体の中でも、弁ばねは最も過酷な環境で使われるばねといえる{{Sfn|蒲|2008|p=122}}。使用条件に応えるために、ピッチ形状や線断面形状には特別な工夫が施されている{{Sfn|「ばねの歴史」編纂ワーキンググループ(編)|2012|p=231}}。材料については、[[引張強さ]]が 2000 [[パスカル (単位)|MPa]] を超える鋼線が弁ばね用材料に規格化されて使われており、「現在量産されているばねのなかでも最も高品質なばね」といわれる{{Sfnm|ばね技術研究会(編)|2000|1pp=116, 118|「ばねの歴史」編纂ワーキンググループ(編)|2012|2p=232}}。
[[File:Leafs1.jpg|thumb|left|200px|オフロード車の懸架装置用に使われている重ね板ばね]]
車輪を保持しつつ車体を支え、路面からの衝撃を和らげる自動車の[[懸架装置]](サスペンション)にも様々なばねが使用されている{{Sfn|KYB株式会社(編)|2013|pp=11–12}}。最も多く用いられている懸架用ばねは圧縮コイルばねで、軽量で小型なため[[乗用車]]の多くで使われている{{Sfnm|KYB株式会社(編)|2013|1p=83|新星出版社編集部(編)|2009|2p=134}}。重ね板ばねは、重量が重く乗り心地もあまりよくないが耐荷重が大きいため、[[貨物自動車]]、[[バス (交通機関)|バス]]、[[オフロード車]]などで使用される{{Sfnm|KYB株式会社(編)|2013|1p=80|新星出版社編集部(編)|2009|2p=134}}。空気ばねは車高調整ができて乗り心地向上などの長所があるが、高価なため、バスや高級車で使われている{{Sfnm|KYB株式会社(編)|2013|1pp=95–96|新星出版社編集部(編)|2009|2p=134}}。トーションバーは[[フォーミュラ1カー]]で主流な懸架用ばねとなっている{{Sfn|蒲|2008|p=124}}。また車体のロール揺動を抑えるために、腕と一体となった[[スタビライザー (自動車部品)|スタビライザー]]としてもトーションバーが軽自動車から大型トラックまでの広い範囲で利用されている{{Sfn|日本ばね学会(編)|2008|p=245}}。
[[File:ČD 842 bogie 1.jpg|thumb|right|250px|車体を外した状態の[[鉄道車両の台車|台車]]。車輪の横にあるのが[[軸ばね]](コイルばね)。台車真ん中の2つの黒いゴムまりが[[枕ばね]](空気ばね)。]]
[[鉄道車両]]の懸架装置は、[[枕ばね]]と[[軸ばね]]という2種類のばねから構成されている{{Sfn|「ばねの歴史」編纂ワーキンググループ(編)|2012|p=249}}。枕ばねは車体と[[鉄道車両の台車|台車]]の間に存在するばねで、空気ばねが主に使われている{{Sfn|門田|2016|p=24}}。空気ばねを使用することで、柔らかいばね定数を得ながらも車体の高さを維持することができている<ref name="宮本"/>。軸ばねは台車と[[輪軸 (鉄道車両)|輪軸]]の間に存在するばねで、[[コイルばね]]が主に使われている{{Sfn|門田|2016|p=24}}。
懸架装置の他には、電車の[[集電装置#パンタグラフ|パンタグラフ]]は、空気圧によるものもあるが、ばねによって舟体を[[架線]]に押し付けて電気を得ている<ref>{{Cite book|和書 |author=近藤圭一郎 |title=鉄道車両技術入門 |edition=初版 |date=2013-07-20 |publisher=オーム社 |isbn=978-4-274-21383-0 |page=78}}</ref>。古い鉄道車両では、[[連結器]]の緩衝用に輪ばねが使われている{{Sfn|小玉|1985|p=161}}。[[レール]]を[[枕木]]に固定するためにも、板ばねや線ばねが使われている<ref>{{Cite book|和書 |author= 上浦正樹・小野田滋・須長誠 |year= 2000 |title= 鉄道工学 |publisher= 森北出版 |edition=初版 |pages= 68-70 |isbn= 978-4627484719}}</ref>。
その他車両用としては、建設車両の[[ブルドーザ]]の足回りには、[[キャタピラ]]に張りを与えながらも異常な力が加わったときはそれを逃がすことができるように、ばねが組み込まれている{{Sfn|ばね技術研究会(編)|1998|p=110}}。このばねは「リコイルスプリング」と呼ばれており、主にはコイルばねが使われている{{Sfn|ばね技術研究会(編)|1998|p=110}}。リコイルスプリングの中には、人の背を超えるような巨大な圧縮コイルばねもある{{Sfn|「ばねの歴史」編纂ワーキンググループ(編)|2012|p=248}}。
===電気電子機器===
[[File:Power strip inside with plug.jpg|thumb|left|230px|[[配線用差込接続器|コンセント]]([[テーブルタップ]])の内側の様子。プラグの刃を銅製薄板ばねが保持している。]]
電気機器類や電子機器類においても、ばねが活用されている。ばね自体が電気回路の一部となる場合もあり、そのような用途では導電性のよい[[銅合金]]ばねが使われる{{Sfn|門田|2016|p=100}}。電気を得るための[[配線用差込接続器|コンセント]]には銅製の薄板ばねが組み込まれており、この薄板ばねがプラグとの電気的接続およびプラグの保持を行っている{{Sfn|蒲|2008|p=130}}。これによってプラグが容易には取れないようになっており、なおかつ適度な力でプラグを抜くこともできるようになっている{{Sfn|門田|2016|p=26}}。電気回路・電子回路中の[[継電器|リレー]]や[[開閉器|スイッチ]]でも、電気的な接点をばねが担っている{{Sfn|ばね技術研究会(編)|1998|pp=69–70}}。[[ノートパソコン]]や[[携帯電話]]といった電子機器類は高度な軽量化や小型化を求められるため、それらの中にあるリレー・スイッチ・コネクタなどで使われる薄板ばねにも同様に軽量化や小型化が求められ、結果として懸架装置用ばね並みの高強度を持つばねが使われることもある{{Sfn|「ばねの歴史」編纂ワーキンググループ(編)|2012|p=244}}。
照明やリモコンなどのスイッチも、その動作にばねを利用している{{Sfn|蒲|2008|p=129}}。ばねが無いとすると、スイッチをゆっくり押されると電気接点もゆっくり近づき接触するので、接点間でアークが長く発生しやすく、損傷に繋がる<ref name="配線器具"/>。ばねを利用することで、スイッチがゆっくり押されたとしても瞬間的に端子を接触させている<ref name="配線器具">{{Cite book|和書 |author=高橋秀憲 |year= 2008 |title= 配線器具入門―安全な設計・施工・取扱いのポイント |publisher=オーム社 |edition=初版 |pages=141-146 |isbn= 978-4-274-50180-7}}</ref>。圧縮コイルばねやゴムを使う機構、接続する端子自体が板ばねとなっている機構などがある<ref>{{Harvnb|蒲|2008|p=129}} / {{Cite book|和書 |author=高橋秀憲 |year= 2008 |title= 配線器具入門―安全な設計・施工・取扱いのポイント |publisher=オーム社 |edition=初版 |pages=141-146 |isbn= 978-4-274-50180-7}}</ref>。
[[File:Hard disk head on platter.jpg|thumb|200px|[[ハードディスクドライブ]]の磁気ヘッド(左のアーム先端部)]]
コンピュータの例では、操作を行う[[キーボード (コンピュータ)|キーボード]]の中にばねが組み込まれている。古い型のキーボードでは金属製のコイルばねがそれぞのキーの下に組み込まれ、キーを押し戻すようになっている{{Sfnm|門田|2016|1p=26|蒲|2008|2p=132}}。ゴムの復元力でキーを押し戻す方式もあり、2008年現在ではこの方式のキーボードが主流となっている{{Sfnm|門田|2016|1p=26|蒲|2008|2p=132}}。記憶装置の[[ハードディスクドライブ]]では、磁気ヘッドという部品が磁気ディスク上を移動して、ディスクに情報を読み書きする<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.nhkspg.co.jp/special/odoroki_archives/20061028.html |title=会話も弾む?オドロキの数字(1) |publisher=日本発条株式会社 |accessdate=2017-01-21}}</ref>。このとき、サスペンションとよばれる薄板ばねが磁気ヘッドに一定荷重を与え、磁気ヘッドがディスク上数十[[ナノメートル|nm]]の位置で維持されるのに寄与している{{Sfn|「ばねの歴史」編纂ワーキンググループ(編)|2012|p=247}}。
===構造物===
[[File:Base isolators under the Utah State Capitol.jpg|thumb|left|180px|[[免震構造]]用ゴムの例]]
[[建築]]・[[土木]]分野における構造物自体にもばねが使われている。建物を地震から守るために建物と[[基礎]]を切り離し、その間にばねや[[ダンパー]]を取り付ける構造を[[免震構造]]と呼ぶ{{Sfn|斉藤|2008|pp=39,56–64}}。免震構造では、コイルばねも使用されているが、代表的には金属板とゴムが層状に重なった[[積層ゴム]]が使われる{{Sfn|門田|2016|p=28}}。体操競技の[[ゆか]]の床も、敷き詰められたばねで支えられている{{Sfn|蒲|2008|p=139}}。これによって、ゆか競技における高難度な宙返り技が可能となっている<ref>{{Cite web|和書|url=https://kotobank.jp/word/%E3%82%86%E3%81%8B(%E4%BD%93%E6%93%8D%E7%AB%B6%E6%8A%80)-1603447 |title=ゆか 日本大百科全書(ニッポニカ)の解説 |author=小学館 |work=コトバンク |publisher=朝日新聞社/VOYAGE GROUP |accessdate=2017-01-05}}</ref>。橋の[[支承]]でも積層ゴムなどが組み込まれており、これにより橋の上部構造の動きを逃している{{Sfn|ばね技術研究会(編)|1998|p=124}}。
免震構造以外で建物を揺れから守る方法に[[制振構造]]がある{{Sfn|斉藤|2008|p=39}}。制振構造では、[[動吸振器|TMD]]と呼ばれる、重量物をばねとダンパーを介して建物上部に取り付ける機構を設ける{{Sfn|斉藤|2008|pp=53–54}}。免震構造と異なり強風による揺れを低減できるため、特に[[超高層建築物]]で制振構造が必要とされる<ref>{{Cite book |和書 |author= 大成建設「超高層ビル」研究プロジェクトチーム |year= 2009 |title= 超高層ビルの"なぜ"を科学する |edition= 初版 |publisher= アーク出版 |isbn= 978-4-86059-076-5 |pages= 46–47}}</ref>。一例としては、日本の[[東京スカイツリー]]頂部のゲイン塔には、ばね1本当たり1トンの巨大なコイルばねを使ったTMDが設置されている{{Sfn|こどもくらぶ|2012|p=15}}。
===市場割合===
ISOの技術委員会「ISO/TC 227」は、ばねの産業別市場割合を2012年に発表した。それによると、1994年、2004年の実績、および2014年の推定は以下のとおりとなっている<ref name="TC 227">{{Cite web |url=http://isotc.iso.org/livelink/livelink/fetch/2000/2122/687806/ISO_TC_227__Springs_.pdf?nodeid=4895125&vernum=-2 |title=ISO/TC 227 Business Plan |publisher=ISO |accessdate=2017-01-15 |date=2012-12-05}}</ref>。
{| class="wikitable" style="text-align:center"
|+ ばねの産業別市場割合(売買高ベース、2012年付)
! 産業分野 !! 1994年 !! 2004年 !! 2014年(推定)
|-
! 自動車
| 70 % || 60 % || 45 %
|-
! 電気機器
| 4 % || 7 % || 10 %
|-
! 情報技術
| 3 % || 9 % || 15 %
|-
! 鉄道
| 4 % || 3 % || 2 %
|-
! 船舶
| 4 % || 3 % || 2 %
|-
! 航空宇宙
| 1 % || 2 % || 4 %
|-
! 医療・福祉
| 1 % || 3 % || 7 %
|-
! 機械・住宅・その他
| 13 % || 13 % || 15 %
|}
さらに主要国におけるばね産業の規模は、同じく ISO/TC 227 によると、2004年で次のようになっている<ref name="TC 227"/>。
{| class="wikitable" style="text-align:center"
|+ 主要国におけるばね産業の規模(2004年)
!
! アメリカ !! フランス !! ドイツ !! 日本 !! 中国
|-
! 製造業者数
| 496 || 80 || 220 || 251 || 1,000
|-
! 売買高(百万ドル)
| 3,120 || 244 || 2,040 || 1,960 || 10
|}
==名称と語源==
「ばね」という言葉は[[和語]]であり、その語源は次のように諸説ある。いずれの説にしても確実とされるものはなく、確かな語源は判明していない{{Sfn|蒲|2008|p=11}}。1932年から1937年にかけて刊行された国語辞典『[[言海|大言海]]』では「跳ねること」が訛って濁って「ばね」となったと記されている{{Sfn|「ばねの歴史」編纂ワーキンググループ(編)|2012|p=23}}。この説は『[[日本国語大辞典]]』でも採用された<ref name="NHK">{{Cite web|和書|url=http://www.nhkspg.co.jp/museum/01.html |title=ばねの歴史 |work=ばねの話 |publisher=日本発条株式会社 |accessdate=2016-09-30}}</ref>。[[日本機械学会]]編『機械工学辞典』や[[日本ばね学会]]編『ばね 第4版』でも「跳ね」「跳ねる」から転じたといわれる説が紹介されている{{Sfnm|日本機械学会(編)|2007|1p=1042|日本ばね学会(編)|2008|2p=1}}。各種の語源事典でも「跳ね(はね、ハネ)」を語源として紹介している<ref>{{cite book |和書 |author=草川昇 |title=語源事典 名詞編 |publisher=東京堂出版 |year=2003 |isbn=4-490-10628-9 |page=226}} / {{cite book |和書 |author=西垣幸夫 |title=日本語の語源事典 |publisher=文芸社 |year=2005 |isbn=4-8355-8920-3 |page=498}} / {{cite book |和書 |editor=山口佳紀 |title=暮らしのことば 新語源事典 |publisher=講談社 |year=2008 |isbn=978-4-06-265340-4 |page=709}} / {{cite book |和書 |editor=増井金典 |title=日本語源広事典 |publisher=ミネルヴァ書房 |year=2010 |isbn=978-4-623-05494-7 |page=724}}</ref>。
[[File:Luntsnapplåsbössa teppo Japan - Firearms III - Livrustkammaren - 87482.tif|thumb|290px|火縄銃で使われた弾金(はじきがね)の例。写真中心にある細長いコの字形の金色の部品が弾金である<ref>{{cite book ja-jp |editor= 佐々木 稔 |title=火縄銃の伝来と技術 | url = http://www.yoshikawa-k.co.jp/book/b32958.html |publisher=吉川弘文館 |year=2003 |isbn=4-642-03383-1 |pages= 2, 102}}</ref>。]]
1796年([[寛政]])に[[細川半蔵]]が著したとされる『[[機巧図彙]]』では、現在のばねに相当する部品を「はじきがね」「はじき金」と呼んでいた{{Sfnm|「ばねの歴史」編纂ワーキンググループ(編)|2012|1p=23|蒲|2008|2p=11}}。16世紀に日本でも盛んに作られるようになった[[火縄銃]]でも「はじきがね」は使用されていた{{Sfn|小玉|1985|pp=5–6}}。1819年([[文政]])の鉄砲鍛冶師の[[国友一貫斎]]による『気砲記』では、ばねを「ハシキ金」と記している<ref name="NHK"/>。また、[[砲術]]の井上流による伝書では「弾金」と記されていた{{Sfn|蒲|2008|p=11}}。この「はじき金」「弾金」を「跳ねる」「とび跳ねる」に引っかけ、なおかつ訛り、「ばね」となったという説がある{{Sfnm|小玉|1985|1pp=6, 8|「ばねの歴史」編纂ワーキンググループ(編)|2012|2p=23}}。この「はじきがね」と「跳ねる」から訛ったという説が有力といわれる{{Sfn|門田|2006|p=163}}。
他には、[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]に使用されていた[[鎖帷子]]や鎖襦袢が刀や槍を"はね"返した様子から、「はね」が「ばね」となったという説もある<ref>{{Harvnb|蒲|2008|p=11}} / {{Harvnb|「ばねの歴史」編纂ワーキンググループ(編)|2012|p=23}} / {{Cite web|和書|url=http://www.nhkspg.co.jp/museum/01.html |title=ばねの歴史 |work=ばねの話 |publisher=日本発条株式会社 |accessdate=2016-09-30}}</ref>。
「ばね」の漢字表記には、'''発条'''、'''鎖鬚'''、'''撥条'''、'''弾機'''、'''発弾'''、'''発軌'''といったものがある{{Sfn|「ばねの歴史」編纂ワーキンググループ(編)|2012|p=23}}。いずれの漢字表記もいつ誰が当てはめたのか明らかではない{{Sfn|蒲|2008|p=11}}。これら漢字表記の中でも「発条」が現在でも使用される{{Sfn|小玉|1985|p=8}}。実際の使用としては、ばねの製造会社などが「○○発条」といった名称をつけることが多い{{Sfn|小玉|1985|p=8}}。「発条」の読みは、「ばね」の他に「はつじょう」や「ぜんまい」がある<ref >{{Cite web|和書|url=https://kotobank.jp/word/%E7%99%BA%E6%9D%A1-551295#E3.83.87.E3.82.B8.E3.82.BF.E3.83.AB.E5.A4.A7.E8.BE.9E.E6.B3.89 |title= 発条/撥条とは デジタル大辞泉の解説 |author=小学館 |work=コトバンク |publisher=朝日新聞社/VOYAGE GROUP |accessdate=2016-10-01}}</ref>。
英語ではばねを "spring" と記し、これを片仮名表記した'''スプリング'''という名称でもよく呼ぶ{{Sfn|小玉|1985|p=9}}。"spring" には「ばね」の他に「[[春]]」や「[[泉]]」といった語義もある<ref name="瀬戸">{{cite book |和書 |editor=瀬戸賢一 |title=英語多義ネットワーク辞典 |edition=初版 |publisher=小学館 |year=2007 |isbn=978-4-09-510051-7 |pages=898-899}}</ref>。これらの語義は、"spring" の中心義「(人・物が)ぴょんと跳ぶ」から
*「若芽がぴょんと現れる時期」が「春」
*「水がぴょんと現れる場所」が「泉」
*「ぴょんと跳ぶことを可能にする物」が「ばね」
という風に展開されたと分析される<ref name="瀬戸"/>。"spring" という語の原義には「素早い動作」が挙げられ、日本語の「ばね」の原義にも「もとある場所から(急に)移動する」が挙げられる<ref>{{cite book |和書 |editor=瀬戸賢一 |title=英語多義ネットワーク辞典 |edition=初版 |publisher=小学館 |year=2007 |isbn=978-4-09-510051-7 |pages=898-899}} / {{cite book |和書 |editor=山口佳紀 |title=暮らしのことば 新語源辞典 |publisher=講談社 |year=2008 |isbn=978-4-06-265340-4 |page=706}}</ref>。その他言語では、ドイツ語の "feder" は「ばね」の他に「[[羽毛]]」という語義を持ち、ポルトガル語の "mola" は「ばね」の他に「刺激」という語義を持つ<ref>{{cite book |和書 |editor=国松孝二 |title=小学館 独和大辞典 |edition=第2版 |publisher=小学館 |year=1998 |isbn=4-09-515012-2 }} / {{Harvnb|蒲|2008|p=11}}</ref>。これらの語義も、日本語の「ばね」と共通な意味を感じさせると評される{{Sfn|蒲|2008|p=11}}。
==歴史==
===原始から古代まで===
冒頭でも述べたとおり、ばねは[[弾性]]を利用する機械要素や部品の総称である。人類が使う[[道具]]には「弾性を利用してばねとして利用する道具」と「弾性を利用せず[[剛体]]として利用する道具」という大まかな2種類の道具が考えられるが、18世紀の[[産業革命]]まで、これら2種類の道具によってのみで人類の歴史が積み重ねられてきたとも評される{{Sfn|ニッパツ・日本発条株式会社(編)|1998|p=1}}。人類によるばねの利用の歴史は太古に遡る。
[[File:Fondazione Passaré V1 113.jpg|thumb|250px|弓矢を持つ人物が描かれた[[タッシリ・ナジェール]]の岩壁画の一つ<ref>{{cite book |和書 |author=木村重信・門田修 |title=サハラの岩面画―タッシリ・ナジェールの彩画と刻画 |publisher=日本テレビ放送網株式会社 |year=1983 |id=0071-932060-6262 |pages=153}}</ref>。この画は、紀元前約5200年から約1000年の間に書かれたと推定される<ref name="Tassili n Ajjer"/>。]]
まず、人類が弾性を利用した最初期の道具として挙げられるのは、原始的な[[罠]]である。約10万年前から約5万年前にかけて、しならせた木の枝を利用した動物捕獲のための罠が使われ始めたといわれる{{Sfnm|蒲|2008|1p=8|「ばねの歴史」編纂ワーキンググループ(編)|2012|2p=13}}。さらに、[[弓 (武器)|弓]]もまた人類が弾性を利用して自己以外のエネルギーを利用した最初期の道具の一つとして挙げられる<ref name="世界考古学事典">{{cite encyclopedia |author=田村晃一 |encyclopedia=世界考古学事典 |title=ゆみ 弓 |edition=初版 |date=1979-02-25 |publisher=平凡社 |page=1125 }}</ref>。弾力のある木の枝に弦を張った弓が発明され、[[弓矢]]が狩猟に用いられたと考えられている{{Sfn|小玉|1985|p=3}}。弓の使用の始まりがいつどこなのかは判明していないが、[[旧石器時代]]後期の[[ソリュートレ文化]]で[[石鏃]]が存在していた<ref name="世界考古学事典"/>。弓矢が広く普及したのは[[中石器時代]]以降と考えられており、世界各地に残る{{仮リンク|岩壁画|en|Rock art}}からも、弓矢の使用の跡が確認できる<ref>{{cite encyclopedia |author=田村晃一 |encyclopedia=世界考古学事典 |title=ゆみ 弓 |edition=初版 |date=1979-02-25 |publisher=平凡社 |page=1125 }} / {{Harvnb|「ばねの歴史」編纂ワーキンググループ(編)|2012|p=13}}</ref>。最古のもので紀元前約1万年の岩壁画が残ると推定されている[[タッシリ・ナジェール]]には、弓を持つ人たちを描いた岩壁画が残されている<ref name="Tassili n Ajjer">{{Cite web |url=http://www.rockartscandinavia.com/images/articles/coulsona10.pdf |title=Rock Art of the Tassili n Ajjer, Algeria |pages=30–34 |author=David Coulson; Alec Campbell |publisher=Tanums Hällristningsmuseum |accessdate=2016-12-04}}</ref>。弓矢はやがて戦争の武器としても使われるようになり、簡単な構造であった弓以上にばねの張力を利用する、より強力な兵器へと発展していった{{Sfn|Chonajcki|2008|p=26}}。
[[File:RomanCatapult444.JPG|thumb|left|200px|ロープをより合わせたねじりばねを利用するカタパルトの再現例]]
[[紀元前4世紀]]頃、古代中国では機械式弓の[[弩]]が出現した<ref>{{Cite web|和書|url=https://kotobank.jp/word/%E5%BC%A9-102902#E4.B8.96.E7.95.8C.E5.A4.A7.E7.99.BE.E7.A7.91.E4.BA.8B.E5.85.B8.20.E7.AC.AC.EF.BC.92.E7.89.88 |title=世界大百科事典 第2版の解説 ど【弩 nǔ】 |work=コトバンク |publisher=日立ソリューションズ・クリエイト |accessdate=2016-12-03}}</ref>。古代ギリシャでも、発射物として矢も石も含めた広い意味での[[カタパルト (投石機)|カタパルト]]兵器が弓から発展していった{{Sfn|ランデルズ|1995|pp=147–148}}。[[アレクサンドリアのヘロン]]が、弩と同じような機械式弓の[[ガストラフェテス]]の構造について説明を書き残している{{Sfn|ランデルズ|1995|p=148}}。ヘロンの説明によると、弓の材料は「角と木の一種」が用いられていた{{Sfn|ランデルズ|1995|p=149}}。弓型ではなく、ねじりばねを利用した形式の射撃装置も、紀元前4世紀頃の古代ギリシャで考案されていた{{Sfn|ランデルズ|1995|p=158}}。このねじりばねは糸状の材料をより合わせて束ねたもので、これにレバーを差し込み、ねじることで復元力が発揮される機構であった{{Sfn|ランデルズ|1995|pp=158–160}}。ねじりばねのための糸状の材料には、動物の[[腱]]や人間の[[髪の毛]]が利用された{{Sfn|ランデルズ|1995|pp=160–161}}。
古代ギリシャで考案されたカタパルト機構にはねじりばね以外を利用する種類もあり、[[クテシビオス]]は[[青銅]]製の板ばねを利用するカタパルトを考案した{{Sfn|ランデルズ|1995|pp=187–188}}。このクテシビオスの板ばねは、最古の板ばねともいわれる{{Sfn|蒲|2008|p=12}}。さらに[[ビザンチウムのフィロン (発明家)|ビザンチウムのフィロン]]が、クテシビオスのカタパルト機構の説明を書き残している{{Sfn|ランデルズ|1995|pp=187–189}}。このフィロンによるカタパルトの説明中で、弾性を利用することを意識した一つの独立した部品としての「ばね」という概念は初めて語られたと考えられている{{Sfn|「ばねの歴史」編纂ワーキンググループ(編)|2012|p=15}}。またさらにフィロンは、剣を曲げて試験するときは瞬時に元の形に戻る点に注意するよう呼び掛ける記述も残しており、金属が持つ弾性の重要性について明確に言及した最古の記録を残している<ref>{{Harvnb|Chonajcki|2008|p=27}} / {{cite book |author=Usher, Abbott Payson |title=A history of mechanical inventions |publisher=McGraw-Hill |year=1929 |url=https://archive.org/details/historyofmechani00ushe |pages=84–85}}</ref>。
===中世から近世まで===
機械式弓はその後も発展し、鋼製ばねを使用することで強力な威力を持つようになった[[クロスボウ]]は、1139年の[[第2ラテラン公会議]]でキリスト教徒に対する使用禁止が定められるに至った<ref >{{Cite web|和書|url=https://kotobank.jp/word/%E3%83%A9%E3%83%86%E3%83%A9%E3%83%8E%E5%85%AC%E4%BC%9A%E8%AD%B0-147425#E4.B8.96.E7.95.8C.E5.A4.A7.E7.99.BE.E7.A7.91.E4.BA.8B.E5.85.B8.20.E7.AC.AC.EF.BC.92.E7.89.88 |title=世界大百科事典内のラテラノ公会議の言及【戦争】より |author=小学館 |work=コトバンク |publisher=朝日新聞社/VOYAGE GROUP |accessdate=2016-12-12}} / {{Harvnb|日本機械学会(編)|2010|p=190}}</ref>。一方で、西暦400年頃から1400年頃にかけての中世ヨーロッパでは、ばねや機械に関する進歩はあまり知られていない{{Sfn|Chonajcki|2008|p=27}}。11世紀頃になると、鍛冶屋などの多くの[[ギルド]]が誕生したが、ばね屋のギルドの記録は残っていない{{Sfn|Chonajcki|2008|p=27}}。しかしこれらの間もばねの利用は続いており、鍛冶、金細工、銀細工、鎧、錠前や時計などの製造者たちによって個別にばねが作られていたと推測される{{Sfn|Chonajcki|2008|p=27}}。
[[File:Nuernberger Ei offen.jpg|thumb|right|120px|ニュルンベルクの卵]]
中世ギルドの中でも、時計産業は、ばねの利用と製作の発展に古くから重要な寄与してきた存在であった{{Sfn|Chonajcki|2008|p=27}}。本格的な機械式の時計は、1300年頃、ヨーロッパで最初に作られたといわれる<ref>{{Harvnb|織田|2008|p=205}} / {{Cite web|和書|url=http://museum.seiko.co.jp/knowledge/type/mechanical/index.html |title=機械式時計 |work=THE SEIKO MUSEUM セイコーミュージアム |publisher=セイコーホールディングス |accessdate=2016-12-08}}</ref>。この時計は錘の落下を動力したもので、錘を落とすための高さが必要で、大型なものであった<ref name="SEIKO">{{Cite web|和書|url=http://museum.seiko.co.jp/knowledge/type/mechanical/index.html |title=機械式時計 |work=THE SEIKO MUSEUM セイコーミュージアム |publisher=セイコーホールディングス |accessdate=2016-12-08}}</ref>。しかし、渦巻ばねの[[ぜんまいばね|ぜんまい]]が発明され、これを時計の動力として用いることによって、携帯可能な大きさの時計が初めて実現した{{Sfn|「ばねの歴史」編纂ワーキンググループ(編)|2012|pp=16–17}}。ぜんまいの発明者は不明だが、14世紀中には存在していた{{Sfn|織田|2008|p=95}}。[[フィリッポ・ブルネレスキ]]の伝記や肖像画に、ぜんまいを使った時計の記述が残っている{{Sfn|「ばねの歴史」編纂ワーキンググループ(編)|2012|p=16}}。当時の携帯可能な時計の中でも、ドイツの[[ニュルンベルク]]で作られたぜんまい式携帯時計は「{{仮リンク|ニュルンベルクの卵|en|Nuremberg eggs}}」という名称でヨーロッパで人気を博した<ref>{{Cite web|和書|url=http://museum.seiko.co.jp/knowledge/type/portable/index.html |title=携帯できる時計 |work=THE SEIKO MUSEUM セイコーミュージアム |publisher=セイコーホールディングス |accessdate=2016-12-08}}</ref>。ニュルンベルクの時計技師であった[[ピーター・ヘンライン]]がぜんまいあるいはニュルンベルクの卵を発明したという説もあるが、現在では否定されている{{Sfn|織田|2008|pp=95, 145}}。
[[File:LeonardoCardDrawing.jpg|thumb|left|140px|ダ・ヴィンチが残した、ばねを動力とする三輪車のスケッチ]]
[[ルネサンス期]]には、イタリアの[[レオナルド・ダ・ヴィンチ]]も、ばねを利用した機械や機械要素としてのばねのスケッチや説明を多くの手稿の中に書き残した{{Sfn|日本機械学会(編)|2010|p=221}}。これらの内で実際に当時実現されたのものは少ないと考えられているが、これらの時代に先立つアイデアはダ・ヴィンチの才能の現れの一つとも評される{{Sfn|蒲|2008|p=14}}。一例として、自動車の祖先ともいえる、弓形のばねを動力として自走する三輪車のスケッチを[[レオナルド・ダ・ヴィンチ手稿|アトランティコ手稿]]の中に残している{{Sfn|「ばねの歴史」編纂ワーキンググループ(編)|2012|p=147}}。この自走する三輪車は現代的な視点から推測すると実用に耐えないと考えられているが、一方でダ・ヴィンチの独創性としても評価される<ref>{{cite book |和書 |author=片桐頼継 |title=レオナルド・ダ・ヴィンチという神話 |series=角川選書 |publisher=角川学芸出版 |year=2003 |isbn=978-4047033597 |pages=106-108}} / {{Harvnb|「ばねの歴史」編纂ワーキンググループ(編)|2012|p=147}}</ref>。
16世紀あるいは17世紀以降のヨーロッパでは、交通手段として本格的に[[馬車]]が活用されるようになる<ref name="堺">{{cite book |和書 |author=堺憲一 |title=だんぜんおもしろいクルマの歴史 |publisher=NTT出版 |year=2013 |isbn=978-4-7571-4308-1 |pages=14-15}}</ref>。この背景となった技術の一つとして、馬車の[[懸架装置]]用に鋼製のばねが使用されるようになった点がある<ref name="堺"/>。それまでの馬車の懸架装置は、座席を革製のひもで吊り下げるものであった{{Sfn|Chonajcki|2008|p=28}}。しかし、鋼製ばねによる懸架装置が利用されるようになったことで馬車の乗り心地は改善され、馬車は荷物運搬のみならず人の移動にも利用されるようになった{{Sfn|小玉|1985|p=4}}。記録としては1669年、イギリスの海軍史家[[サミュエル・ピープス]]が、自分の馬車に鋼製のばねを実験的に使ったことを書き残している{{Sfn|「ばねの歴史」編纂ワーキンググループ(編)|2012|p=18}}。この記述は、懸架装置に用いられた[[板ばね]]の記録の中で最古のものでもある{{Sfn|蒲|2008|p=16}}。
[[File:Hooke De potentia restitutiva frontispiece detail.png|thumb|right|120px|フックが「[[フックの法則]]」を示すために使った実験器材<ref>{{Cite book |和書 |author=S. P. ティモシェンコ |translator=最上武雄・川口昌宏 |title=材料力学史 |year=2007 |edition=初版 |publisher=鹿島出版会 |isbn =978-4-306-02390-1 |page=18}}</ref>]]
1678年には、ばねにおいて非常に重要な物理法則である「[[フックの法則]]」がイギリスの[[ロバート・フック]]から発表された{{Sfn|「ばねの歴史」編纂ワーキンググループ(編)|2012|p=17}}。当時、ジョン・カトラーという人物が資金を提供して創設された「カトラー講義」の授業をフックは行っていた{{Sfn|中島|1996|pp=119–121}}。この講義の内容のいくつかは出版されて、『復元力についての講義』(''Lectures de Potentia Restitutiva, Or of Spring'') という著作をフックは1678年に出版し、この中でフックの法則が論じられた<ref>{{Harvnb|中島|1996|p=121}} / Robert Hooke, {{Google books|LAtPAAAAcAAJ|Lectures de Potentia Restitutiva, Or of Spring}}</ref>。『復元力についての講義』出版の2年前に、フックは別の事柄に関する著書を出しており、この著書の終わり近くでフックの法則を意味する[[アナグラム]]を公表していた{{Sfn|中島|1996|pp=121–122}}。そして、『復元力についての講義』の中で、フックはそのアナグラムの解答を発表した{{Sfn|中島|1996|pp=121–122}}。フックは『復元力についての講義』の最初のページで以下のように述べている。
{{Quotation|およそ2年前、ヘリオスコープに関する自著の最後に示した ''Vt tensio sic vis'' を意味する ''ceiiinosssttuu'' というアナグラムによって、私はこの理論を出版した。''Vt tensio sic vis'' すなわち、あらゆるばねの力は、それによる伸びと同じ比例関係にある。つまり、1つの力がばねを1つの空間分だけ伸ばしたり、曲げたりするなら、2つの力は2つの空間分だけ曲げ、3つの力は3つの空間分だけ曲げ……、以下は同様に続いていく。 さて、この理論はとても簡潔であるから、試すのはとても簡単である。{{efn|原文: "About two years since I printed this Theory in an Anagram at the end of my Book of the Descriptions of Helioscopes, ''viz. ceiiinosssttuu, id est, Vt tensio sic vis''; That is, The Power of any Spring is in the same proportion with the Tension thereof: That is, if one power stretch or bend it one space, two will bend it two, and three will bend it three, and so forward. Now as the Theory is very short, so the way of trying it is very easie."<ref name="Hooke">Robert Hooke, {{Google books|LAtPAAAAcAAJ|Lectures de Potentia Restitutiva, Or of Spring}}</ref>}}
|Robert Hooke|Lectures de Potentia Restitutiva, Or of Spring (1678)}}
アナグラムの解答である ''Vt tensio sic vis'' はラテン語の文となっており、科学技術史学者の[[中島秀人]]はこれを「伸びは力のごとく」と訳している{{Sfn|中島|1996|p=122}}。今日では、フックの法則はばねの最も基本的な動きを表し、さらには、ばねに限らずに弾性を持つ物体全てが関連する重要な法則となっている{{Sfn|蒲|2008|pp=14–15}}。
===近代から現代まで===
18世紀になるとイギリスを最初として[[産業革命]]が起き、ここから20世紀後半までにかけて[[工業化]]が世界に広がっていった<ref >{{Cite web|和書|url=https://kotobank.jp/word/%E7%94%A3%E6%A5%AD%E9%9D%A9%E5%91%BD-70520 |title= 産業革命とは 日本大百科全書(ニッポニカ)の解説 |author=小学館 |work=コトバンク |publisher=朝日新聞社/VOYAGE GROUP |accessdate=2016-12-29}}</ref>。他の工業と同じく、産業革命の中でばねも大きな発展を遂げた{{Sfn|蒲|2008|p=16}}。コイルばねを巻くための生産機械であるコイリングマシンも産業革命の中で生まれた{{Sfn|「ばねの歴史」編纂ワーキンググループ(編)|2012|p=19}}。イギリスの発明家[[ジョセフ・ブラマー]]の錠前工場の中で、様々なピッチの[[コイルばね]]を造れる製作機が使われていた<ref>{{cite book |和書 |author=チャールズ・シンガー |translator=田辺振太郎 |title=増補 技術の歴史 第8巻 産業革命 下 |publisher=筑摩書房 |year=1979 |id=3350-50308-4604 |page=363}}</ref>。このばね製作機は、ブラマーの工場で当時働いており、後にねじ切り旋盤の発明で知られる[[ヘンリー・モーズリー (技術者)|ヘンリー・モーズリー]]の発明にも影響を与えたと考えられている{{Sfnm|蒲|2008|1p=108|「ばねの歴史」編纂ワーキンググループ(編)|2012|2p=19}}。
[[File:Bordesholm Polsterei Sprungfederwindemaschine.jpg|thumb|220px|古い手巻きコイリングマシン]]
コイルばねの製造は第一次世界大戦前まではコイルの芯となる棒に巻き付ける手法で行われていたが、大量生産の時代が来るとより早く作れるコイリングマシンが求められるようになった{{Sfn|Chonajcki|2008|p=29}}。アメリカでは様々なばね製作方法の特許が生まれた{{Sfn|Chonajcki|2008|pp=29–30}}。1918年にはスリーパー&ハートレー社の創業者フランク・スリーパーがユニバーサルコイリングマシンの特許を出し、これが旋盤式コイリングマシンに取って代わっていった{{Sfn|Chonajcki|2008|p=30}}。工作機械全般が[[数値制御]]化(NC化)される中で、ばね製造機もNC化が進んだ{{Sfn|「ばねの歴史」編纂ワーキンググループ(編)|2012|p=83}}。1969年にはアメリカのトーリン社がNC式のばね製造機を世界で初めて開発した{{Sfn|「ばねの歴史」編纂ワーキンググループ(編)|2012|p=83}}。2012年現在、ばねの製造は機械化による大量生産品が主を占めている{{Sfn|こどもくらぶ|2012|p=14}}。一方で、大量生産品では対応できない特殊なばねに対しては、手作業による製造もまた行われている{{Sfn|こどもくらぶ|2012|p=14}}。
[[File:Back axle suspension springs.jpg|thumb|300px|left|後輪車軸で使われている重ね板ばね。1912年出版の Rankin Kennedy. ''The Book of the Motor Car'' の解説図より。]]
最初は[[蒸気機関]]を動力として生まれた自動車は、[[内燃機関]]のガソリンエンジンが開発されて動力として実用化されると、様々な国で自動車が実用に供されていった{{Sfn|新星出版社編集部(編)|2009|pp=210–212}}。自動車では非常に多くの種類と数のばねが使用されているため、「自動車の発達の歴史は、そのままばねの発達の歴史」ともいわれるほど自動車とばねの関係は深い{{Sfn|「ばねの歴史」編纂ワーキンググループ(編)|2012|p=64}}。ドイツの[[ゴットリープ・ダイムラー]]が開発した1883年の4サイクルガソリンエンジンでは、弁ばねが既に使用されていた{{Sfn|蒲|2008|p=16}}。懸架装置には、板ばねを使用した方式が馬車の時代から引き続き用いられ、1900年初期頃まで板ばねが主として用いられていた{{Sfn|KYB株式会社(編)|2013|p=17}}。その後1930年頃から、コイルばねや[[トーションバー]]といった板ばね以外の種類のばねも鋼材料の進歩にともなって自動車懸架装置用に使われるようになっていった{{Sfn|KYB株式会社(編)|2013|p=17}}。2016年現在では、一般的な乗用車用にはコイルばねの使用が主流となり、板ばねはトラックやバスなどの大きな荷重を受ける車種で利用されている{{Sfn|門田|2016|p=68}}。
産業革命以前は経験的に試行錯誤で作られていたばねも、1830年頃以降から徐々に理論的な設計がなされるようになっていった{{Sfn|「ばねの歴史」編纂ワーキンググループ(編)|2012|pp=144, 148}}。18世紀から20世紀にかけて、ばねの解析の下地となる弾性力学の基礎概念や基礎理論、代表的な金属ばねについての個々の理論が確立されていった{{Sfn|「ばねの歴史」編纂ワーキンググループ(編)|2012|pp=137–143}}。1949年にはアメリカの[[ウェスティングハウス・エレクトリック|ウェスティングハウス・エレクトリック社]]の技師 A. M. ワールが著書 ''Mechanical Springs''(機械ばね)を、1960年にはドイツのジークフリート・グロスが著書 ''Berechnung und Gestaltung von Metallfedern''(金属ばねの設計と計算)を出版し、各種ばねの設計の基礎がまとめられた<ref >{{Cite web|和書|url=http://www.jsse-web.jp/heritage.php |title=日本ばね学会 『ばね技術遺産』のご紹介 |publisher=日本ばね学会 |accessdate=2016-12-29}}</ref>。ワールは、コイルばねの応力解析における「ワールの応力修正係数」として今日でも名をとどめている{{Sfn|渡辺・武田|1989|pp=13–14}}。
[[File:Deformed spring model iso and plane.JPG|thumb|200px|簡単な[[有限要素法|FEM]]による板ばねの変形解析の例]]
20世紀後半にはコンピュータが誕生し、数値解析手法の一つである[[有限要素法]] (FEM) が実用化されるに至った{{Sfn|「ばねの歴史」編纂ワーキンググループ(編)|2012|p=155}}。FEMはばねの解析にも利用され、限られた範囲でしか使用できない理論式に縛られずに、様々な形状や荷重状況のばねを解析できるようになった{{Sfn|「ばねの歴史」編纂ワーキンググループ(編)|2012|p=156}}。例えば、軽量化が要求される自動車懸架装置用ばねなどにおいて、古典的な理論式では解明できなかった点をFEMは明らかにしている{{Sfn|「ばねの歴史」編纂ワーキンググループ(編)|2012|p=158}}。一方で、古典的な理論式は未だに有用であり、FEMを補完するものとして価値を持ち続けている{{Sfn|日本ばね学会(編)|2008|p=133}}。
ばねの材料は金属がほとんどだったが、金属材料では実現できない特性を得るために近年では非金属材料についても材料として利用されるようになってきた{{Sfn|日本ばね学会(編)|2008|p=5}}。[[プラスチック]]製のばねや[[空気ばね]]は、それぞれの長所を生かして実用に至っている{{Sfn|門田|2016|pp=78, 102}}。[[セラミックス]]製のばねは、1000℃以上の高温下でも使用可能なばねとして期待されている{{Sfn|門田|2016|p=104}}。鋼製ばねも、自動車の軽量化要求によって更なる高強度のばね用鋼材開発が進められている{{Sfn|「ばねの歴史」編纂ワーキンググループ(編)|2012|pp=224–233}}。今日のばねは、省エネルギー、軽量化、安全性、精密化、リサイクルなど要求が多様化し、高度な技術が求められるようになっている{{Sfn|ニッパツ・日本発条株式会社(編)|1998|p=i}}。
==工業以外におけるばね==
===生体===
[[File:Constitución de un músculo esquelético.jpg|thumb|左の白い部分(Tendon)が[[腱]]、そこに繋がる赤い部分が筋肉]]
[[生体]]の動きについて、「ばね」という言葉を使って比喩的に表すことがある<ref>{{cite book |和書 |author=中村明 |title=日本語 語感の事典 |publisher=岩波書店 |year=2010 |isbn=978-4-00-080313-7 |page=852}} / {{cite book |和書 |author=小内一 |title=日本語表現大辞典―比喩と類語三万三八〇〇 |publisher=講談社 |year=2005 |isbn=4-06-212830-6 |page=585}}</ref>。実際に[[筋肉]]と[[腱]]は弾性を持ち、特に、腱は[[骨格筋]]においてばねとして機能することで走りや跳躍といった動作の効率を高めている<ref>{{cite book |和書 |author=ブラディミール・ザチオルスキー、ウイリアム・クレーマー |title=筋力トレーニングの理論と実践 |others=高松薫(監訳)、 図子浩二(訳)|publisher=大修館書店 |edition=初版 |year=2009 |isbn=978-4-469-26688-7 |pages=37-38}} / {{Harvnb|深代|2014|p=44}}</ref>。例えば[[垂直跳び]]では、跳躍前に勢い良く一旦しゃがみ込むことによって、そうしない場合よりも高く跳び上がることができる<ref name="谷本道哉">{{cite book |和書 |author=谷本道哉 |title=使える筋肉・使えない筋肉 理論編 |others=石井直方(監修)|publisher=ベースボール・マガジン社 |year=2008 |edition=第1版 |isbn=978-4-583-10097-5 |pages=24-31}}</ref>。これは反復動作(伸張-短縮サイクル運動)と呼ばれる大きな力を出すための動作で、腱のばね効果が反復動作時に大きな力を生み出す一役を担っている<ref>{{cite book |和書 |author=谷本道哉 |title=使える筋肉・使えない筋肉 理論編 |others=石井直方(監修)|publisher=ベースボール・マガジン社 |year=2008 |edition=第1版 |isbn=978-4-583-10097-5 |pages=24-31}} / {{Harvnb|深代|2014|pp=46–47}}</ref>。動物の中で最も高い跳躍力を持つ[[カンガルー]]は長い[[アキレス腱]]をばねとして使い、連続した大きな跳躍を可能にしている{{Sfn|深代|2014|p=202}}。[[バイオメカニクス]]における骨格筋の最も基本的なモデルである「[[アーチボルド・ヒル|ヒル]]の筋収縮モデル」では、筋繊維をモデル化した「収縮要素」、腱組織をモデル化した「直列弾性要素」、その他結合組織をモデル化した「並列弾性要素」の3つで骨格筋をモデル化し、骨格筋が生み出す力を説明している<ref>{{cite book |和書 |author=岡田英孝・宮西智久・藤井範久 |title=スポーツバイオメカニクス |series=はじめて学ぶ健康・スポーツ科学シリーズ4 |edition=第1版 |publisher=化学同人 |year=2016 |isbn=978-4-7598-1706-5 |page=197}}</ref>。
鳥類や昆虫では、[[翼]]や[[昆虫の翅|翅]]の羽ばたき機構の中にばねの要素を取り入れて共振させることで、羽ばたきを補助しているという説がある<ref>{{cite book |和書 |author=東昭 |title=生物の動きの事典 |edition=初版 |publisher=朝倉書店 |year=1997 |isbn=4-254-10143-0 |page=96}}</ref>。他には、鳥類の[[ホシムクドリ]]の[[叉骨]]は飛翔中にばねとして機能していることが確認されており、呼吸動作の補助を行っているのではないかと推測される<ref>{{cite book |和書 |author=フランク・B. ギル |translator=山階鳥類研究所 |title=鳥類学 |edition=初版 |publisher=新樹社 |year=2009 |isbn=978-4-7875-8596-7 |page=149}}</ref>。
===比喩===
「ばね」や「ばね仕掛け」といった言葉は日本語の比喩表現としても使われる<ref name="小内一">{{cite book |和書 |author=小内一 |title=日本語表現大辞典―比喩と類語三万三八〇〇 |publisher=講談社 |year=2005 |isbn=4-06-212830-6 |page=585}}</ref>。比喩表現としては、「スプリング」という語は通常は用いられない<ref>{{cite book |和書 |editor=小学館辞典編集部 |title=使い方の分かる 類語例解辞典 |publisher=小学館 |year=1994 |isbn=4-09-505521-9 |page=423}}</ref>。「ばね」の原義として、もとの場所から急に移動する、あるいは変わる、といった意があるといわれる<ref>{{cite book |和書 |editor=山口佳紀 |title=暮らしのことば 新語源辞典 |publisher=講談社 |year=2008 |isbn=978-4-06-265340-4 |page=706}} /
{{cite book |和書 |author=草川昇 |title=語源辞典 名詞編 |edition=初版 |publisher=東京堂出版 |year=2003 |isbn=4-490-10628-9 |page=226}}</ref>。前述の身体における動きを表す場合の他に、「飛躍や発展のきっかけ」「行動を起こすきっかけ」を「ばね」という語で例えることがある<ref>{{cite book |和書 |author=草川昇 |title=語源辞典 名詞編 |edition=初版 |publisher=東京堂出版 |year=2003 |isbn=4-490-10628-9 |page=226}} /
{{Cite web|和書|url=http://dictionary.goo.ne.jp/jn/178750/meaning/m0u/%E3%81%B0%E3%81%AD/ |title=ばね【発条/撥条/弾機】の意味 デジタル大辞泉 |publisher=NTT Resonant |work=goo国語辞書 |accessdate=2017-02-11}}</ref>。
{{Quotation|勇気とか堅忍とかいうことがしばしば云われるが、勇気や堅忍を可能にする力は何によって湧くのだろう。生活の意味に対する明るい知と愛とを抜いて、人は真に勇気に満ちることも堅忍であることも不可能である。勇気とか堅忍とかいうものは、結果ではなくて一つの行動の内面的な弾機(ばね)である。|[[宮本百合子]]|「世代の価値―世界と日本の文化史の知識」<ref>{{青空文庫|000311|3125|新字新仮名|世代の価値}}</ref> <small>※括弧書き振り仮名は引用者による</small>}}
== 脚注 ==
=== 注釈 ===
{{Notelist}}
=== 出典 ===
{{Reflist|2}}
== 参考文献 ==
※文献内の複数個所に亘って参照したものを示す。
* {{Cite book ja-jp
|editor=[[日本ばね学会]]
|title=ばね
|url = https://www.maruzen-publishing.co.jp/item/b302337.html
|year=2008
|edition=第4版
|publisher=[[丸善出版]]
|isbn =978-4-621-07965-2
|ref={{Sfnref|日本ばね学会(編)|2008}}
}}
* {{Cite book ja-jp
|editor=「ばねの歴史」編纂ワーキンググループ
|title=ばねの歴史
|year=2012
|publisher=日本ばね工業会
|ref={{Sfnref|「ばねの歴史」編纂ワーキンググループ(編)|2012}}
}}
*{{cite book ja-jp
|editor=ばね技術研究会
|title=ばねの種類と用途例
|series=ばね技術シリーズ
|publisher=[[日刊工業新聞社]]
|year=1998
|edition=初版
|isbn=4-526-04232-3
|ref={{Sfnref|ばね技術研究会(編)|1998}}
}}
*{{cite book ja-jp
|editor=ばね技術研究会
|title=ばね用材料とその特性
|series=ばね技術シリーズ
|publisher=日刊工業新聞社
|year=2000
|edition=初版
|isbn=4-526-04483-0
|ref={{Sfnref|ばね技術研究会(編)|2000}}
}}
*{{cite book ja-jp
|editor=ばね技術研究会
|title=ばねの設計と製造・信頼性
|series=ばね技術シリーズ
|publisher=日刊工業新聞社
|year=2001
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|isbn=4-526-04705-8
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}}
*{{cite book ja-jp
|editor=ニッパツ・日本発条株式会社
|title= 機械要素活用マニュアル・ばね
|publisher=[[工業調査会]]
|year=1998
|edition=初版
|isbn=4-7693-2116-3
|ref={{Sfnref|ニッパツ・日本発条株式会社(編)|1998}}
}}
*{{cite book ja-jp
|editor=KYB株式会社
|title= 自動車のサスペンション―構造・理論・評価
|url = https://grandprix-book.jp/2013/10/24/post_117/
|publisher=[[グランプリ出版]]
|year=2013
|edition=初版
|isbn=978-4-87687-330-2
|ref={{Sfnref|KYB株式会社(編)|2013}}
}}
*{{cite book ja-jp
|editor=[[日本機械学会]]
|title=機械工学便覧 デザイン編 ''β''4 機械要素・トライボロジー
|url = https://www.maruzen-publishing.co.jp/item/b297732.html
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}}
* {{cite book ja-jp
|editor=日本機械学会
|title=機械工学辞典
|url = https://www.maruzen-publishing.co.jp/item/b295750.html
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|ref={{Sfnref|日本機械学会(編)|2007}}
}}
*{{cite book ja-jp
|editor=日本機械学会
|title=新・機械技術史
|url = https://www.maruzen-publishing.co.jp/item/b298799.html
|publisher= 丸善出版
|year=2010
|edition=初版
|isbn=978-4-88898-196-5
|ref={{Sfnref|日本機械学会(編)|2010}}
}}
*{{cite book ja-jp
|editor= 新星出版社編集部
|title= 徹底図解 自動車のしくみ
|url = https://www.shin-sei.co.jp/np/isbn/978-4-405-10649-9/
|publisher= [[新星出版社]]
|year=2009
|isbn= 978-4-405-10649-9
|ref={{Sfnref|新星出版社編集部(編)|2009}}
}}
* {{cite book ja-jp
|editor=こどもくらぶ
|title=工場の底力(2)―縁の下の力持ち
|publisher=[[かもがわ出版]]
|year=2012
|isbn=978-4-7803-0556-2
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}}
*{{cite book ja-jp
|author= [[深代千之|深代 千之]](監修)
|title=オールカラー 骨・関節・筋肉の構造と動作のしくみ
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|publisher=[[ナツメ社]]
|year=2014
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}}
*{{cite jis|B|0103|2015
|name= ばね用語
|ref={{Sfnref|「JIS B 0103」|2015}}
}}
*{{cite book ja-jp
|author= 渡辺 彬・武田 定彦
|title=ばねの基礎(訂正版)
|url = http://www.powersha.co.jp/book/b94152.html
|series=基礎シリーズ(5)
|publisher=[[パワー社]]
|year=1989
|edition=訂正1版
|isbn=4-8277-1245-X
|ref={{Sfnref|渡辺・武田|1989}}
}}
*{{cite book ja-jp
|author = 蒲 久男
|title=絵とき「ばね」基礎のきそ
|url = https://pub.nikkan.co.jp/books/detail/00001717
|publisher=日刊工業新聞社
|year=2008
|edition=初版
|isbn=978-4-526-06112-7
|ref={{Sfnref|蒲|2008}}
}}
*{{cite book ja-jp
|author=[[門田和雄|門田 和雄]]
|title=絵とき「機械要素」基礎のきそ
|publisher=日刊工業新聞社
|year=2006
|edition=初版
|isbn=978-4-526-05655-0
|ref={{Sfnref|門田|2006}}
}}
*{{cite book ja-jp
|author=門田 和雄
|title=トコトンやさしいばねの本
|series= 今日からモノ知りシリーズ
|publisher=日刊工業新聞社
|year=2016
|edition=初版
|isbn=978-4-526-07632-9
|ref={{Sfnref|門田|2016}}
}}
*{{cite book ja-jp
|author= 小玉 正雄
|title=ばねのおはなし
|series=おはなし科学・技術シリーズ
|publisher=[[日本規格協会]]
|year=1985
|edition=第1版
|isbn=4-542-90109-2
|ref={{Sfnref|小玉|1985}}
}}
*{{cite book ja-jp
|author=[[山田学|山田 学]]
|title=めっちゃ、メカメカ! 2 ばねの設計と計算の作法―はじめてのコイルばね設計
|publisher=日刊工業新聞社
|year=2010
|edition=初版
|isbn=978-4-526-06578-1
|ref={{Sfnref|山田|2010}}
}}
*{{cite book ja-jp
|title = 材料力学
|series=機械工学入門講座1
|author = [[村上敬宜|村上 敬宜]]
|publisher = [[森北出版]]
|year = 1994
|edition=第1版
|isbn=4-627-60510-2
|ref={{Sfnref|村上|1994}}
}}
*{{cite book ja-jp
|author = [[末岡淳男|末岡 淳男]]・金光 陽一・[[近藤孝広|近藤 孝広]]
|title=機械振動学
|series = 基礎機械工学シリーズ 6
|url = https://www.asakura.co.jp/detail.php?book_code=23706
|publisher=[[朝倉書店]]
|edition=初版
|year=2002
|isbn=4-254-23706-5
|ref={{Sfnref|末岡ら|2002}}
}}
*{{cite book ja-jp
|author= [[下郷太郎|下郷 太郎]]・田島 清灝
|title= 振動学
|url = https://www.coronasha.co.jp/np/isbn/9784339040456/
|publisher=[[コロナ社 (出版社)|コロナ社]]
|edition=初版
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|isbn=4-339-04045-2
|series=機械系 大学講義シリーズ11
|ref={{Sfnref|下郷・田島|2002}}
}}
*{{cite book ja-jp
|author= 織田 一郎
|title=時と時計の雑学事典
|publisher=[[ワールドフォトプレス]]
|edition=初版
|year=2008
|isbn=978-4-8465-2708-2
|ref={{Sfnref|織田|2008}}
}}
*{{cite book ja-jp
|author= [[中島秀人|中島 秀人]]
|title=ロバート・フック―ニュートンに消された男
|url = https://publications.asahi.com/ecs/detail/?item_id=2471
|series=朝日選書565
|publisher=[[朝日新聞社]]
|year=1996
|isbn=4-02-259665-1
|ref={{Sfnref|中島|1996}}
}}
*{{cite book ja-jp
|author= 斉藤 大樹
|year= 2008
|title=耐震・免震・制震の話―改正建築基準法対応
|series=SCIENCE AND TECHNOLOGY
|publisher=日刊工業社
|edition=第2版
|isbn= 978-4-526-06051-9
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}}
*{{cite book ja-jp
|author= [[デビッド・マコーレイ]]
|translator= 歌崎 秀史
|title= 道具と機械の本―てこからコンピューターまで
|url = https://www.iwanami.co.jp/book/b264738.html
|publisher=[[岩波書店]]
|year=2011
|edition=新装版
|isbn=978-4-00-009889-2
|ref={{Sfnref|マコーレイ|2011}}
}}
*{{cite book ja-jp
|author= J. G. ランデルズ
|translator= 宮城 孝仁
|title= 古代のエンジニアリング―ギリシャ・ローマ時代の技術と文化
|publisher= [[地人書館]]
|year=1995
|edition=初版
|isbn=4-8052-0500-8
|ref={{Sfnref|ランデルズ|1995}}
}}
*{{cite book
|title = Machinery's Handbook
|author=Erik Oberg, Franklin Jones, Holbrook Horton, Henry Ryffel, Christopher McCauley
|publisher = Industrial Press
|year = 2012
|edition=29
|isbn=978-0-8311-2900-2
|ref={{Sfnref|Oberg et al.|2012}}
}}
*{{cite book
|title = Design of Machine Elements
|url = https://www.pearson.com/en-us/subject-catalog/p/Spotts-Design-of-Machine-Elements-8th-Edition/P200000006702/9780130489890
|author= Merhyle F. Spotts, Terry E. Shoup, Lee E. Hornberger
|publisher = Pearson
|location = New Jersey
|year = 2004
|edition=8
|isbn=0-13-048989-1
|ref={{Sfnref|Spotts et al.|2004}}
}}
*{{cite journal
|journal = SPRINGS
|title = A History of Springs
|author = Cheryl Chonajcki
|publisher = Spring Manufacturers Institute
|volume = 47
|issue = 3
|url = http://www.smihq.org/public/publications/springsmag_archive/Springs_2008_Vol_47_No3/index.html
|year = 2008
|month = July
|pages = 26–30
|ref = {{Sfnref|Chonajcki|2008}}
|archiveurl = https://web.archive.org/web/20140830111704/http://www.smihq.org/public/publications/springsmag_archive/Springs_2008_Vol_47_No3/index.html
|archivedate = 2014年8月30日
|deadlinkdate = 2018年3月
}}
== 外部リンク ==
{{Commons&cat}}
{{Wikibooks|高等学校工業 機械設計/機械要素と装置/ばね|ばね}}
{{Wiktionary|ばね|発条|スプリング}}
*[http://www.jsse-web.jp/shuppan/tech1.html ばね技術情報] - [[日本ばね学会]]
*[http://www.spring.or.jp/stat/ 統計データ] - 日本ばね工業会
*{{Kotobank|2=}}
*{{機械工学事典|id=13:1010281}}
*サイエンス チャンネル(科学技術振興機構)
**{{YouTube|yszBPX8ym4c|THE MAKING(58)ばね(自動車用)ができるまで }}
**{{YouTube|y3Uehu5uoFI|ScienceNews(26)シリーズ中小企業の技術力 小さなばねの大きな魅力 }}
* {{JGLOBAL ID|200906046602149958}}
{{Normdaten}}
{{Featured article}}
{{デフォルトソート:はね}}
[[Category:ばね|*]]
[[Category:機械要素]]
[[Category:エネルギー貯蔵]]
[[Category:振動工学]]
|
2003-09-21T01:23:16Z
|
2023-11-04T15:25:24Z
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17,631 |
HIDランプ
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HIDランプ(エイチ・アイ・ディ・ランプ、英語:high-Intensity discharge lamp、HID lamp)は、金属原子高圧蒸気中のアーク放電による光源である。高圧水銀ランプ、メタルハライドランプ、高圧ナトリウムランプの総称であり、高輝度放電ランプ (こうきどほうでんランプ)ともいう。
電極間の放電を利用しているためフィラメントがなく、白熱電球と比べて長寿命・高効率である。メタルハライドランプはテレビや映画などの演出照明分野でも、その高輝度、高効率、太陽光と色温度が近い、などの特徴をいかし、ロケーション照明の主力となっている。1990年代よりシールドビームやハロゲンランプに代わって自動車や鉄道車両などの前照灯に用いられるようになってきていたが、製品に水銀を含むことなどから2010年代以降はLEDに取って代わられつつある。
水銀ランプは硬質ガラス製の「外管」の中に石英ガラス製の「発光管」があり、その発光管を物理的に支えながら電気を供給する「金属部材」が収容されている。発光管の両端に「電極」が装着され、その両極間で発生する放電作用により内部に封入された水銀とアルゴンガスの水銀原子が発光する。外管内には窒素ガスが封入されており、高温による金属部材の酸化を防ぐ。
水銀のほかにナトリウムやスカンジウムなどの金属ハロゲン化物 (メタルハライド)を発光物質として封入したものをメタルハライドランプといい、発光管に高温ナトリウム蒸気に耐える透光性アルミナセラミックスを使用し、ナトリウムを封入したものを高圧ナトリウムランプという。
発光原理は電極から放出される電子が対極へ引かれる途中、水銀原子が光を放出する。基本原理は蛍光ランプと同じである (蛍光ランプの点灯の仕組みを参照)。低圧放電の蛍光ランプは紫外線が多いのに比べて、HIDランプは点灯中の水銀原子の密度と温度が圧倒的に高く、可視スペクトルを多く放射する。ただし発光管が高温になる必要があるため、スイッチを入れてから安定して発光するまで4 - 8分かかる。
HIDランプを点灯させるためにはフィラメントを内蔵した水銀ランプ(チョークレス水銀ランプ、バラストレス水銀ランプ)以外は蛍光ランプと同様「安定器」が必要である。
ランプ電流の制限、安定した点灯のためにランプの種類や電源電圧、使用目的などに応じて種々の安定器がある。
自動車やオートバイの高性能な前照灯として用いられ、ディスチャージヘッドランプと呼ばれることもある。ハロゲンランプのフィラメントに比べHIDランプのアークは点光源に近いため配光制御が容易で、指向性の高い照明が可能で遠くまで照らすこともできる。ただし、ハロゲンランプよりも配光が不安定で、配光範囲に明るいところと暗いところのいわゆるムラが生じるときがある。(特に後付けのHIDランプは、純正のライトリフレクターがハロゲンランプに適合した反射となるよう設計されているため、発生しやすい。)
点灯後明るくなるまでに時間がかかるためハロゲンランプのようにハイビーム ロービームを切り替えて使うことは出来ない。 そのため、ロービームのみをHIDとし、ハイビームはハロゲンとするか、あるいは常時点灯とし反射板の方向を機械的に切り替えてハイ、ロー切り替えとする場合が多い。
趣味性の高いオーナーの車両ではファッションの一環として色温度の高い青みを帯びた光とすることがあるが、色温度が4000ケルビン (K)以上の光になると雨、雪、霧などの悪天候時の視認性が低下する。また、体感できる光量も減じたように感じる。車検での色温度の上限は検査官の認識によるところもあるが、一般的に6000ケルビン (K)であるとされている。
いずれのHIDランプも内部に水銀等の有害物質を含んでいる為、点灯中に破損した場合、水銀等の有害物質が拡散する可能性がある。廃棄時にはそれらの有害物質により環境汚染の原因ともなり、また使用されている希少金属類の再資源化のため、適切に回収される必要がある。
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"text": "いずれのHIDランプも内部に水銀等の有害物質を含んでいる為、点灯中に破損した場合、水銀等の有害物質が拡散する可能性がある。廃棄時にはそれらの有害物質により環境汚染の原因ともなり、また使用されている希少金属類の再資源化のため、適切に回収される必要がある。",
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}
] |
HIDランプは、金属原子高圧蒸気中のアーク放電による光源である。高圧水銀ランプ、メタルハライドランプ、高圧ナトリウムランプの総称であり、高輝度放電ランプ (こうきどほうでんランプ)ともいう。 電極間の放電を利用しているためフィラメントがなく、白熱電球と比べて長寿命・高効率である。メタルハライドランプはテレビや映画などの演出照明分野でも、その高輝度、高効率、太陽光と色温度が近い、などの特徴をいかし、ロケーション照明の主力となっている。1990年代よりシールドビームやハロゲンランプに代わって自動車や鉄道車両などの前照灯に用いられるようになってきていたが、製品に水銀を含むことなどから2010年代以降はLEDに取って代わられつつある。
|
{{Otheruses|HIDランプ全般|特に車両の前照灯|ディスチャージヘッドランプ}}
{{出典の明記|date=2016年11月}}
'''HIDランプ'''(エイチ・アイ・ディ・ランプ、[[英語]]:high-Intensity discharge lamp、HID lamp)は、[[金属]][[原子]]高圧[[蒸気]]中の[[アーク放電]]による[[光源]]である。[[水銀灯#高圧水銀灯|高圧水銀ランプ]]、[[メタルハライドランプ]]、[[ナトリウムランプ#高圧ナトリウムランプ|高圧ナトリウムランプ]]の総称であり、'''高輝度放電ランプ''' (こうきどほうでんランプ)ともいう。
電極間の放電を利用しているためフィラメントがなく、白熱電球と比べて長寿命・高効率である。[[メタルハライドランプ]]は[[テレビ]]や[[映画]]などの[[演出照明]]分野でも、その高輝度、高効率、[[太陽光]]と[[色温度]]が近い、などの特徴をいかし、ロケーション照明の主力となっている。1990年代より[[シールドビーム]]や[[ハロゲンランプ]]に代わって[[自動車]]や[[鉄道車両]]などの[[前照灯]]に用いられるようになってきていたが、製品に水銀を含むことなどから2010年代以降は[[発光ダイオード#各種照明用|LED]]に取って代わられつつある。
== 特徴 ==
* [[光束]]が大きく、大規模空間の照明に適している。
* [[電球]]や[[ハロゲンランプ]]に比べエネルギー効率が良いため消費電力が少なく寿命も長い。
* 低圧放電灯に比べ、一般に[[演色性]]が高い。
== 構造 ==
[[水銀灯|'''水銀ランプ''']]は[[硬質ガラス]]製の「外管」の中に[[石英ガラス]]製の「発光管」があり、その発光管を物理的に支えながら[[電気]]を供給する「金属部材」が収容されている。発光管の両端に「電極」が装着され、その両極間で発生する放電作用により内部に封入された[[水銀]]と[[アルゴン|アルゴンガス]]の[[水銀]][[原子]]が発光する。外管内には[[窒素]][[気体|ガス]]が封入されており、高温による金属部材の[[酸化]]を防ぐ。
水銀のほかに[[ナトリウム]]や[[スカンジウム]]などの金属[[ハロゲン]]化物 (メタルハライド)を発光物質として封入したものを'''[[メタルハライドランプ]]'''といい、発光管に高温ナトリウム蒸気に耐える透光性アルミナセラミックスを使用し、ナトリウムを封入したものを'''[[ナトリウムランプ#高圧ナトリウムランプ|高圧ナトリウムランプ]]'''という。
== 原理 ==
発光原理は電極から放出される[[電子]]が対極へ引かれる途中、[[水銀]][[原子]]が[[光]]を放出する。基本原理は[[蛍光灯|蛍光ランプ]]と同じである ([[蛍光灯#点灯の仕組み|''蛍光ランプの点灯の仕組みを参照'']])。低圧放電の蛍光ランプは[[紫外線]]が多いのに比べて、HIDランプは点灯中の水銀原子の[[密度]]と[[温度]]が圧倒的に高く、可視[[スペクトル]]を多く放射する。ただし発光管が高温になる必要があるため、[[開閉器|スイッチ]]を入れてから安定して発光するまで4 - 8分かかる。
== 点灯 ==
HIDランプを点灯させるためには[[フィラメント]]を内蔵した水銀ランプ(チョークレス水銀ランプ、バラストレス水銀ランプ)以外は蛍光ランプと同様「安定器」が必要である。
=== 安定器の種類 ===
ランプ[[電流]]の制限、安定した点灯のためにランプの種類や[[電源]][[電圧]]、使用目的などに応じて種々の安定器がある。
* 一般形
** 低[[力率]]:小型、軽量でイニシャルコストも安い。
** 高力率:低力率形安定器に力率改善用[[コンデンサ]]を内蔵したもの。
* 低始動電流形:始動時入力電流が一般型安定器と比べて少ない。
* 定電力形:始動時、無負荷時入力電流が安定時入力電流より少ない。
== 応用 ==
[[File:Lincoln xenon headlamp.jpg|thumb|right|220px|自動車のディスチャージヘッドランプ<br />2009年式 [[リンカーン・MKS]]]]
自動車やオートバイの高性能な前照灯として用いられ、[[ディスチャージヘッドランプ]]と呼ばれることもある。ハロゲンランプの[[フィラメント]]に比べHIDランプの[[アーク放電|アーク]]は点光源に近いため配光制御が容易で、指向性の高い照明が可能で遠くまで照らすこともできる。ただし、ハロゲンランプよりも配光が不安定で、配光範囲に明るいところと暗いところのいわゆるムラが生じるときがある。(特に後付けのHIDランプは、純正のライトリフレクターがハロゲンランプに適合した反射となるよう設計されているため、発生しやすい。)
点灯後明るくなるまでに時間がかかるためハロゲンランプのようにハイビーム ロービームを切り替えて使うことは出来ない。
そのため、ロービームのみをHIDとし、ハイビームはハロゲンとするか、あるいは常時点灯とし反射板の方向を機械的に切り替えてハイ、ロー切り替えとする場合が多い。
趣味性の高いオーナーの車両ではファッションの一環として[[色温度]]の高い青みを帯びた光とすることがあるが、色温度が4000[[ケルビン]] (K)以上の光になると雨、雪、霧などの悪天候時の視認性が低下する。また、体感できる光量も減じたように感じる。車検での色温度の上限は検査官の認識によるところもあるが、一般的に6000ケルビン (K)であるとされている。
== 廃棄 ==
いずれのHIDランプも内部に水銀等の有害物質を含んでいる為、点灯中に破損した場合、水銀等の有害物質が拡散する可能性がある。廃棄時にはそれらの有害物質により環境汚染の原因ともなり、また使用されている希少金属類の再資源化のため、適切に回収される必要がある。
== 関連項目 ==
* [[蛍光灯]]
* [[水銀灯]]
* [[メタルハライドランプ]]
* [[ナトリウムランプ]]
* [[ハロゲンランプ]]
* [[キセノンランプ]]
* [[ディスチャージヘッドランプ]]
* [[発光ダイオード|LED]]、[[LED照明]]
== 外部リンク ==
* [http://www.jlma.or.jp/tisiki/pdf/guide_hid.pdf 日本照明工業会-HIDランプについて]
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低圧放電灯
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低圧放電灯(ていあつほうでんとう)は、金属や希ガスの原子の低圧蒸気中のアーク放電による光源。高効率であるという特長がある。
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低圧放電灯(ていあつほうでんとう)は、金属や希ガスの原子の低圧蒸気中のアーク放電による光源。高効率であるという特長がある。
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{{出典の明記|date=2014年10月14日 (火) 05:50 (UTC)}}
'''低圧放電灯'''(ていあつほうでんとう)は、[[金属]]や[[第18族元素|希ガス]]の[[原子]]の低圧[[蒸気]]中の[[電弧|アーク放電]]による[[光源]]。高効率であるという特長がある。
== 解説 ==
{{節スタブ|date=2021年10月8日 (金) 08:26 (UTC)}}
== 低圧放電灯の例 ==
*[[水銀灯|低圧水銀灯]]
*[[ナトリウムランプ|低圧ナトリウム灯]]
*[[ネオン管]]
*[[冷陰極管]]
== 関連項目 ==
* [[放電灯]]
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71
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71(七十一、ななじゅういち、しちじゅういち、ひちじゅういち、ななそじあまりひとつ)は自然数、また整数において、70の次で72の前の数である。
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71(七十一、ななじゅういち、しちじゅういち、ひちじゅういち、ななそじあまりひとつ)は自然数、また整数において、70の次で72の前の数である。
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'''71'''('''七十一'''、ななじゅういち、しちじゅういち、ひちじゅういち、ななそじあまりひとつ)は[[自然数]]、また[[整数]]において、[[70]]の次で[[72]]の前の数である。
== 性質 ==
* 71は20番目の[[素数]]である。1つ前は[[67]]、次は[[73]]。
**[[約数の和]]は[[72]] 。
*{{sfrac|1|71}} = 0.{{underline|01408450704225352112676056338028169}}… (下線部は[[循環節]]で長さは35)
**[[逆数]]が[[循環小数]]になる数で[[循環節]]が35になる最小の数である。次は[[142]]。
**循環節が ''n'' になる最小の数である。1つ前の34は[[103]]、次の36は1919。({{OEIS|A003060}})
*(71, [[73]]) は8番目の[[双子素数]]である。1つ前は([[59]], [[61]])、次は([[101]], [[103]])。
* 71 = 71 + 0 × ''ω'' (''ω''は1の虚立方根)
** a + 0 × ''ω'' (a > 0) で表される11番目の[[アイゼンシュタイン整数#アイゼンシュタイン素数|アイゼンシュタイン素数]]である。1つ前は59、次は[[83]]。
* 71 = 71 + 0 × ''i'' (''i''は[[虚数単位]])
** a + 0 × ''i'' (a > 0) で表される11番目の[[ガウス整数#ガウス素数|ガウス素数]]である。1つ前は67、次は[[79]]。
** ガウス素数かつアイゼンシュタイン素数である5番目の素数。1つ前は59、次は83。
*71 未満の素数(2 から 67 まで)を加えると 568 となる。568 = 71 × 8 であり、71で割り切れる数となる。次の素数は369119。({{OEIS|A007506}})
*71 は10進数表記において数字を入れ替えても素数となる5番目の[[エマープ]]である。(71 ←→ [[17]]) 1つ前は[[37]]、次は[[73]]。
* 1 と 7 を使った2番目の素数である。1つ前は[[17]]、次は1117。({{OEIS|A020455}})
** 71…1 の形の最小の素数である。次は71111111。({{OEIS|A093632}})
** 7…71 の形の最小の素数である。次は7777777777771。({{OEIS|A093176}})
*71{{sup|2}} = 7! + 1
* 6番目の[[素数|オイラー素数]]である。1つ前は[[61]]、次は[[83]]。
*{{sfrac|193|71}} = 2.7183098591… は[[ネイピア数]] ''[[e]]'' = 2.7182818284… の[[近似値]]。
*:{{sfrac|193|71}} − ''e'' = 0.000028030…
*√{{overline|5000}} に最も近い整数である。√{{overline|5000}} = 70.71067…。70{{sup|2}} = 4900, 71{{sup|2}} = 5041。
*[[素数#連続素数和|3つの連続した素数の和]]で表される8番目の数である。1つ前は[[59]]、次は[[83]]。<br>71 = [[19]] + [[23]] + [[29]]
**3つの連続した素数の和が素数になる5番目の数である。1つ前は[[59]]、次は[[83]]。
*5番目の 8''n'' − 1 型の素数である。この類の素数は ''x''{{sup|2}} − 2''y''{{sup|2}} と表せるが、71 = 11{{sup|2}} − 2 × 5{{sup|2}} である。1つ前は[[47]]、次は[[103]]。
* 71 = 2{{sup|6}} + 7
** ''n'' = 6 のときの 2{{sup|''n''}} + 7 の値とみたとき1つ前は[[39]]、次は[[135]]。({{OEIS|A168415}})
*** 2{{sup|''n''}} + 7 の形の3番目の素数である。1つ前は[[23]]、次は[[263]]。({{OEIS|A104066}})
** ''n'' = 6 のときの 2{{sup|''n''}} + ''n'' + 1 の値とみたとき1つ前は[[38]]、次は[[136]]。({{OEIS|A005126}})
*各位の和([[数字和]])が8になる8番目の数である。1つ前は[[62]]、次は[[80]]。
**各位の和が8になる数で[[素数]]になる3番目の数である。1つ前は[[53]]、次は[[107]]。({{OEIS|A062343}})
**各位の和([[数字和]])が ''n'' になる ''n'' 番目の数である。1つ前は[[61]]、次は[[81]]。
*各位の積が7になる3番目の数である。1つ前は[[17]]、次は[[117]]。({{OEIS|A034054}})
**各位の積が7になる数で3番目の[[素数]]である。1つ前は[[17]]、次は1117。({{OEIS|A107693}})
* 71 = 8{{sup|2}} + 8 − 1 = 9{{sup|2}} − 9 − 1
** ''n'' = 8 のときの ''n''{{sup|2}} + ''n'' − 1 の値とみたとき1つ前は[[55]]、次は[[89]]。({{OEIS|A028387}})
*** この形の6番目の素数である。1つ前は[[41]]、次は[[89]]。({{OEIS|A002327}})
** 71 = 3{{sup|4}} − 3{{sup|2}} − 1
*** ''n'' = 3 のときの ''n''{{sup|4}} − ''n''{{sup|2}} − 1 の値とみたとき1つ前は[[11]]、次は[[239]]。
**** ''n''{{sup|4}} − ''n''{{sup|2}} − 1 の形の2番目の素数である。1つ前は[[11]]、次は[[239]]。({{OEIS|A174822}})
== その他 71 に関すること ==
*[[原子番号]] 71 の[[元素]]は[[ルテチウム]] (Lu)。
*第71代[[天皇]]は[[後三条天皇]]である。
*[[日本]]の第71代[[内閣総理大臣]]は[[中曽根康弘]]である。
*[[大相撲]]の第71代[[横綱]]は[[鶴竜力三郎]]である。
*第71代[[教皇|ローマ教皇]]は[[セウェリヌス (ローマ教皇)|セウェリヌス]](在位:[[640年]][[5月28日]]~[[8月2日]])である。
*[[年始]]から数えて71日目は[[平年]][[3月12日]]、[[閏年]][[3月11日]]。
*[[地球]]表面の約71%は[[海洋]]が占める。
*楽器バンドネオンのボタンの数
*[[クルアーン]]における第71番目の[[スーラ (クルアーン)|スーラ]]は[[ヌーフ (クルアーン)|ヌーフ]]である。
== 関連項目 ==
{{数字2桁|7|}} [[ファイル:1-7-7-1.gif|right]]
*[[7月1日]]
{{自然数}}
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https://ja.wikipedia.org/wiki/71
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藤原町 (栃木県)
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藤原町(ふじはらまち)は、かつて栃木県北部に存在した町。塩谷郡所属。鬼怒川温泉や川治温泉などの温泉を抱える町であった。
2006年(平成18年)3月20日に周辺自治体と合併し、新設された日光市の一部となった。新たな日光市における旧藤原町域は鬼怒川地区とも呼ばれる。
急傾斜地が多く、起伏に富んだ狭い地形であり、面積の96%が山岳地帯である。町の中央を鬼怒川、北部の三依地区には鬼怒川の支流の一つ男鹿川が流れる。
鬼怒川温泉や川治温泉など有名な温泉を抱えており、観光が主な産業である。
中学校
小学校
小中併設校
東武鉄道
野岩鉄道
旧有料道路
一般国道
県道(主要地方道)
※ 川治温泉付近の国道121号には、野猿が出没する事がある。
温泉
テーマパーク
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藤原町(ふじはらまち)は、かつて栃木県北部に存在した町。塩谷郡所属。鬼怒川温泉や川治温泉などの温泉を抱える町であった。 2006年(平成18年)3月20日に周辺自治体と合併し、新設された日光市の一部となった。新たな日光市における旧藤原町域は鬼怒川地区とも呼ばれる。
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{{日本の町村 (廃止)
| 画像 = Kinugawa Onsen Hotel 2020.jpg
| 画像の説明 = [[鬼怒川温泉]]
| 旗 = [[ファイル:Flag_of_Fujiwara_Tochigi.JPG|100px|藤原町旗]]
| 旗の説明 = 藤原[[市町村旗|町旗]]
| 紋章 = [[ファイル:Fujihara_Tochigi_chapter.png|80px|藤原町章]]
| 紋章の説明 = 藤原[[市町村章|町章]]
| 廃止日 = 2006年3月20日
| 廃止理由 = 新設合併
| 廃止詳細 = [[日光市]]、[[今市市]]、'''藤原町'''、[[栗山村]]、[[足尾町]] → [[日光市]]
| 現在の自治体 = [[日光市]]
| よみがな = ふじはらまち
| 自治体名 = 藤原町
| 区分 = 町
| 都道府県 = 栃木県
| 郡 = [[塩谷郡]]
| コード = 09383-1
| 面積 = 272.27
| 境界未定= なし
| 人口 = 10545
| 人口の時点 = 2006年3月1日
| 人口の出典 =[[推計人口]]
| 隣接自治体 = [[那須塩原市]]、[[今市市]]、[[塩谷町]]、[[栗山村]]<br />[[福島県]][[舘岩村]]、[[田島町 (福島県)|田島町]]
| 木 = [[カエデ|モミジ]]
| 花 = [[フジ (植物)|フジ]]
| シンボル名 = 町の鳥
| 鳥など = [[ウグイス]]
| 郵便番号 = 321-2595
| 所在地 = 塩谷郡藤原町藤原1<br />[[ファイル:Nikkocity hall hahujiwara branch.JPG|200px|center]]
| 外部リンク = [https://web.archive.org/web/*/http://www.town.fujihara.tochigi.jp/ 藤原町] ([[Internet Archive]])
| 座標 = {{Coord|format=dms|type:city(10545)_region:JP-09|display=inline,title|name=藤原町}}
| 位置画像 = [[ファイル:Map.Fujihara-Town.Tochigi.PNG|藤原町の県内位置図]]
| 特記事項 =
}}
'''藤原町'''(ふじはらまち)は、かつて[[栃木県]]北部に存在した[[町]]。[[塩谷郡]]所属。[[鬼怒川温泉]]や[[川治温泉]]などの[[温泉]]を抱える町であった。
[[2006年]]([[平成]]18年)[[3月20日]]に周辺自治体と[[日本の市町村の廃置分合|合併]]し、新設された[[日光市]]の一部となった。新たな日光市における旧藤原町域は'''[[鬼怒川]]地区'''とも呼ばれる。
== 地理 ==
急傾斜地が多く、起伏に富んだ狭い地形であり、面積の96%が山岳地帯である。町の中央を[[鬼怒川]]、北部の[[三依村|三依]]地区には鬼怒川の支流の一つ男鹿川が流れる。
* [[川]]:[[鬼怒川]]、[[男鹿川]]
* [[湖]]:[[五十里湖]]
* [[谷]]:[[龍王峡]]
* [[高原]]:[[鶏頂高原]]
== 歴史 ==
* 1866年(慶應2):戸田忠至を藩主にして高徳藩(一万石)が成立する<ref name=":0" />。
* 1868年(慶應4):小原沢など本町の各地で戊辰戦争の一局面が展開された。<ref name=":0">{{Cite book|author=|title=藤原町の歴史と文化|date=昭和57年3月15日|year=|accessdate=|publisher=藤原町教育委員会|page=142|author2=|author3=|author4=|author5=|author6=|author7=|author8=|author9=}}</ref>
* [[1889年]][[4月1日]]:'''藤原村'''が発足。
* [[1893年]][[6月1日]]:藤原村から上三依や[[五十里]]などの地区が分離され、'''[[三依村]]'''(みよりむら)が発足。
* [[1935年]][[5月5日]]:藤原村が町制を施行し、(初代)'''藤原町'''となる。
* [[1955年]]5月5日:三依村と合併し、(2代目)'''藤原町'''となる。
* 2006年3月20日:[[今市市]]、(旧)日光市、[[足尾町]]、[[栗山村]]と[[日本の市町村の廃置分合#合体(新設合併)と編入(編入合併)|新設合併]]し、現在の'''日光市'''となる。
== 行政 ==
* 町長:八木澤昭雄(1988年から)
== 産業 ==
[[鬼怒川温泉]]や[[川治温泉]]など有名な[[温泉]]を抱えており、[[観光]]が主な産業である。
== 教育 ==
=== 学校 ===
'''中学校'''
* 藤原町立藤原中学校
* 藤原町立三依中学校
'''小学校'''
* 藤原町立鬼怒川小学校
* 藤原町立下原小学校
* 藤原町立三依小学校
'''小中併設校'''
* 藤原町立川治小学校・中学校(併設)
=== 図書館 ===
* [[日光市立図書館#藤原図書館|藤原町立図書館]]
== 交通 ==
=== 鉄道路線 ===
* 中心駅:'''[[鬼怒川温泉駅]]'''
'''[[東武鉄道]]'''
* [[東武鬼怒川線|鬼怒川線]]:[[新高徳駅]] - [[小佐越駅]] - [[鬼怒川温泉駅]] - [[鬼怒川公園駅]] - [[新藤原駅]]
'''[[野岩鉄道]]'''
* [[野岩鉄道会津鬼怒川線|会津鬼怒川線]]:新藤原駅 - [[龍王峡駅]] - [[川治温泉駅]] - [[川治湯元駅]] - (栗山村) - [[中三依温泉駅]] - [[上三依塩原温泉口駅]] - [[男鹿高原駅]]
=== 道路 ===
'''旧有料道路'''
* [[鬼怒川有料道路]](国道121号バイパス)
* 日塩道路・[[栃木県道19号藤原塩原線|龍王峡ライン]](国道121号バイパス) ※ 2020年無料化
* 日塩道路・[[栃木県道19号藤原塩原線|日塩もみじライン]] ※ 2020年無料化
'''一般国道'''
* [[国道121号]]
* [[国道352号]](国道121号と重複)
* [[国道400号]]
'''県道(主要地方道)'''
* [[栃木県道19号藤原塩原線]](日塩もみじライン)
* [[栃木県道23号川治温泉川治線]]
* [[栃木県道63号藤原宇都宮線]]
* [[栃木県道77号宇都宮船生藤原線]]
※ 川治温泉付近の国道121号には、[[サル|野猿]]が出没する事がある。
=== バス ===
* [[東武ダイヤルバス]]
* 栗山村営バス(鬼怒川温泉駅 - 女夫渕温泉)
* 塩原町営バス(上三依塩原温泉口駅 - 上塩原温泉・塩原温泉)<!--かつてJRバスと東武の路線だったか、と。出典探してます-->
* [[藤田合同タクシー|藤田合同バス]](新高徳駅 - 船生 - [[塩谷町|玉生]] - [[矢板駅]])
== 観光地 ==
{{Col|
'''[[温泉]]'''
* [[鬼怒川温泉]]
* [[川治温泉]]
|
'''[[テーマパーク]]'''
* [[東武ワールドスクウェア]]
* [[日光江戸村]]
* [[日光猿軍団]]
}}{{clear|left}}
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
{{Reflist}}
== 関連項目 ==
* [[栃木県の廃止市町村一覧]]
* [[三依村]]
* [[鬼怒川]]
== 外部リンク・出典 ==
* [https://maps.gsi.go.jp/?ll=36.83179653,139.7197136&z=15#15/36.830636/139.719336/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1 国土地理院 地図閲覧サービス 2万5千分1地形図名:鬼怒川温泉[北東]]
* [https://www.city.nikko.lg.jp/profile/gappei/top.htm 日光地区合併協議会]
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[[Category:日光市域の廃止市町村]]
[[Category:塩谷郡]]
[[Category:1889年設置の日本の市町村]]
[[Category:1955年設置の日本の市町村]]
[[Category:2006年廃止の日本の市町村]]
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17,635 |
野岩鉄道会津鬼怒川線
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会津鬼怒川線(あいづきぬがわせん)は、栃木県日光市にある新藤原駅から福島県南会津郡南会津町にある会津高原尾瀬口駅までを結ぶ、野岩鉄道の鉄道路線である。愛称は「ほっとスパ・ライン」。
この路線は東武鉄道鬼怒川線と会津鉄道会津線のそれぞれ終点を結び、東武鉄道浅草駅から伊勢崎線・日光線・鬼怒川線および本路線と会津鉄道会津線・東日本旅客鉄道(JR東日本)只見線を経由して会津若松駅へと続く、東京と福島県会津地方を短絡するルートの一部となっており、浅草駅と会津田島駅を結ぶ特急列車「リバティ会津」や、鬼怒川温泉駅と会津若松駅を結ぶ快速列車「AIZUマウントエクスプレス」が本路線を通り抜ける。
栃木県と福島県の県境にある急峻な山間部を通っており、起点新藤原駅の標高は425.3 m、終点会津高原尾瀬口駅の標高は722.5 m、駅ではもっとも高い位置にある男鹿高原駅の標高は759.7 mとなっている。日本鉄道建設公団により高規格な路線として建設されたため、ほとんどの区間がトンネル、高架・橋梁による直線区間で構成されており、全駅停車の列車でも全線の所要時間は約35分・表定速度は約50 km/hであり、平地の鉄道と変わらない高速運行が可能となっている。トンネルの数は18、橋梁は64か所あり、踏切は新藤原駅付近の1か所と両端の駅の構内踏切を除いて存在しない。
路線のほとんどが山岳地帯にあり、川治湯元駅以北の本路線沿線には民家はおろか田畑もほとんど見られない。利用客の大多数が東京都やその近郊から東武線を乗り継いで観光・保養に訪れる定期外利用で占められており、通勤・通学定期利用者は極めて少ない。
路線のほとんどが日光国立公園内にある。また、沿線の駅のうち最北端の会津高原尾瀬口駅のみが福島県南会津町内にあり、栃木県側にある残りの駅は2006年の(新)日光市発足により全て日光市内に所在する。沿線・周辺地域に鬼怒川、川治、湯西川、塩原、奥鬼怒、湯ノ花など多くの温泉地があることを広くPRするため、2006年3月のダイヤ改正にあわせて路線愛称「ほっとスパ・ライン」の使用を開始した。
以下の列車種別が設定されている(あるいは設定されていた)。前後の東武鬼怒川線・会津鉄道会津線と異なり、ワンマン運転は実施していない。
なお、会津鉄道には電車列車の運転に必要な甲種電気車運転免許の所持者が在籍していない一方、野岩鉄道には気動車列車の運転に必要な甲種内燃車運転免許所持者が在籍していない。そのため、電車列車については野岩鉄道の運転士・車掌が新藤原駅から会津田島駅まで通し乗務し、気動車列車については会津鉄道の運転士が当路線内でも運転業務を行う(東武鉄道線内も同様)。
下記のほか、かつては季節列車として「スカイツリートレイン南会津号」や「お座トロ展望列車湯めぐり号」が運転されていた。
2017年4月21日に運行を開始。当路線を介して東武伊勢崎線(東武スカイツリーライン)浅草駅 - 会津鉄道会津線会津田島駅間を結ぶ列車で、1日4往復設定されている。当路線内では男鹿高原駅を除く各駅に停車する。
当路線内での特急料金は380円(2019年10月1日改定)であるが、会津鬼怒川線内を含む鬼怒川温泉駅 - 会津田島駅間のみを、座席の指定を行わず乗車する場合は、特急料金は不要となる。
使用車両は、東武鉄道の500系電車「リバティ」である。
2005年3月1日に当路線への直通運行を開始した。当路線を介して東武鬼怒川線鬼怒川温泉駅 - JR東日本只見線会津若松駅間を結ぶ列車で、午前中に1日1往復設定されている。当路線内では男鹿高原駅を除く各駅に停車する。
2021年3月12日までは2往復が運転されており、1往復は鬼怒川温泉駅まで、もう1往復は東武日光駅まで乗り入れていた。翌13日のダイヤ改正で鬼怒川温泉発着の1往復が廃止され、さらに2022年3月12日の改正では残りの1往復が鬼怒川温泉駅発着に短縮された。
使用車両は、会津鉄道のAT-600形・AT-650形気動車およびAT-700形・AT-750形気動車である。2006年3月18日から2013年3月15日まで、AT-600形・AT-650形を使用する列車は「AIZU尾瀬エクスプレス」の列車名で運転されていた。
「リバティ会津」の運行のない時間帯を中心に、1日5往復運行される。線内のみの運行を基本とするが、日中の1往復は東武鬼怒川線の鬼怒川温泉駅発着となる。現行ダイヤでは男鹿高原駅に停車する唯一の種別である。
かつては長らく、前述の特急・快速列車同様に東武鬼怒川線から当路線を介して会津線会津田島駅までを直通する運行形態がとられていた。しかし2022年3月12日のダイヤ改正で会津線と鬼怒川温泉以南への乗り入れが廃止され、ほぼ全列車が線内完結運転となり、「リバティ会津」の運行時間帯には原則運転されなくなった。ただし、臨時で会津田島駅まで乗り入れる事がある。
早朝の1往復を除き、線内区間ではサイクルトレインを実施しており(年末年始・ゴールデンウィーク・お盆期間など繁忙期は除外)、事前に申し込むことで自転車の車内持ち込みが可能。乗降可能駅は新藤原駅・川治湯元駅・湯西川温泉駅・会津高原尾瀬口駅のみ。
使用車両は、野岩鉄道所有の6050系電車である。ただし車両が2編成しかない都合上、うち1編成がリニューアル中、もう1編成が検査に入るために2023年4月24日-28日には東武634型スカイツリートレイン(特別料金不要)が代走した。
東武鉄道から直通運転される夜行列車で、シーズンの週末・土曜を中心に下り列車のみ設定される。
かつては浅草駅 - 会津高原駅(現・会津高原尾瀬口駅。会津線一部電化後は会津田島駅)間で快速急行「おじか」、後に浅草駅 - 会津田島駅間で急行「南会津」などの座席指定制列車が運転されていた。使用車両は、快速急行は6050系電車、急行は350系電車であった。AIZUマウントエクスプレスの運転開始により、当路線への直通運転は廃止となった。
2006年3月18日のダイヤ改正で設定された種別で、当路線内は各駅に停車。当路線内では上り最終の区間快速の後に会津田島駅発が1本運転されていた。2009年6月6日改正により新栃木駅で系統が分離され、当路線内での運転は廃止された。
早朝・夜間を除いて東武鬼怒川線からの列車が直通(または新藤原駅で接続)し、さらに会津高原尾瀬口駅から会津線会津田島駅まで直通していた。両種別とも、当路線内はすべて各駅に停車していた。かつては臨時快速を中心に東武鉄道の3扉・4扉通勤電車(8000系・5050系・3070系等)も使用されていたが、後にすべて6050系で運転されるようになった。2017年4月20日限りで快速・区間快速は廃止され、乗車券のみ・乗り換えなしで東京都内へ直結する列車は廃止となった。
2021年3月13日のダイヤ改正で新設された種別。同改正における「AIZUマウントエクスプレス」削減を受けた代替として、会津田島駅発新藤原駅行き1本のみ設定された。当路線内では各駅に停車するが、会津鉄道線内の途中駅は無停車で運行されていた。2022年3月12日のダイヤ改正での会津鉄道との直通運転縮小に伴い、わずか1年で廃止された。
定期列車での使用車両のみ記載。
会津鬼怒川線の輸送実績を下表に記す。 表中、輸送人員の単位は万人。輸送人員は年度での値。表中、最高値を赤色で、最高値を記録した年度以降の最低値を青色で、最高値を記録した年度以前の最低値を緑色で表記している。
会津鬼怒川線の収入実績を下表に記す。 表中、収入の単位は千円。数値は年度での値。表中、最高値を赤色で、最高値を記録した年度以降の最低値を青色で、最高値を記録した年度以前の最低値を緑色で表記している。
改正鉄道敷設法別表に掲げる予定線のうち第33号の「栃木縣今市ヨリ高德ヲ經テ福島縣田島ニ至ル鐵道...(以下略)」の一部である。北側では会津線・只見線・磐越西線を経て同表第26号の「山形縣米澤ヨリ福島縣喜多方ニ至ル鐵道」である日中線、南側では日光線を経て同表第35号の「栃木縣鹿沼ヨリ栃木ヲ經テ茨城縣古河ニ至ル鐵道」と結び、山形県米沢市と茨城県古河市を結んで奥羽本線と東北本線とを短絡する野岩羽線構想の一部を形成していた。
その後、予定線のうち今市 - 藤原については東武鬼怒川線と競合するため除外され、北側より日本鉄道建設公団建設線(野岩線)として建設が進められ、橋梁、トンネルを含むほとんどの鉄道施設が完成していたが、国鉄再建法により工事が凍結された。
しかし、鉄道の開通を目指す地元自治体などにより第三セクター方式での運営が決まり、設立された野岩鉄道が引き継いで開業した。この際、東武鬼怒川線新藤原駅に接続し直通運転を行うことが決まり、非電化で建設された路線を電化する工事を追加で実施している。
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会津鬼怒川線(あいづきぬがわせん)は、栃木県日光市にある新藤原駅から福島県南会津郡南会津町にある会津高原尾瀬口駅までを結ぶ、野岩鉄道の鉄道路線である。愛称は「ほっとスパ・ライン」。
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'''会津鬼怒川線'''(あいづきぬがわせん)は、[[栃木県]][[日光市]]にある[[新藤原駅]]から[[福島県]][[南会津郡]][[南会津町]]にある[[会津高原尾瀬口駅]]までを結ぶ、[[野岩鉄道]]の[[鉄道路線]]である。愛称は「'''ほっとスパ・ライン'''」<ref name="Tobu2006hot">[https://web.archive.org/web/20060111104903fw_/http://www.tobu.co.jp/yagan/pdf/yagan-1216.pdf 野岩鉄道・会津鬼怒川線内の一部駅名の変更と会津鬼怒川線の愛称「ほっとスパ・ライン」について](野岩鉄道ニュースリリース・インターネットアーカイブ・2006年時点の版)。</ref>。
== 概要 ==
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{{BS|tBHFe@f|10.3|[[湯西川温泉駅]]|}}
{{BS|hKRZWae||[[湯西川橋梁]]|[[湯西川]]}}
{{BS|TUNNEL1||第二岬トンネル||1157m}}
{{BS|TUNNEL1||第一岬トンネル|}}
{{BS|TUNNEL1||第四高瀬山トンネル|}}
{{BS|TUNNEL2||第三高瀬山トンネル|}}
{{BS|TUNNEL1||第二高瀬山トンネル|}}
{{BS|TUNNEL1||第一高瀬山トンネル|}}
{{BS|hKRZWae||第四男鹿川橋梁|男鹿川|}}
{{BS|TUNNEL1||アテラ沢トンネル|}}
{{BS|TUNNEL1||独鈷沢トンネル|}}
{{BS|BHF|16.8|[[中三依温泉駅]]|}}
{{BS|WBRÜCKE1||第三男鹿川橋梁|男鹿川|}}
{{BS|WBRÜCKE1||第二男鹿川橋梁|男鹿川|}}
{{BS|TUNNEL1||三依山トンネル||1015m}}
{{BS|WBRÜCKE1||第一男鹿川橋梁|男鹿川|}}
{{BS|BHF|21.0|[[上三依塩原温泉口駅]]|}}
{{BS|TUNNEL2|||}}
{{BS|BHF|25.0|[[男鹿高原駅]]|}}
{{BS|tSTRa|||↑[[栃木県]]|}}
{{BS|tSTR+GRZq||[[山王トンネル (野岩鉄道会津鬼怒川線)|山王トンネル]]||3441m}}
{{BS|tSTRe|||↓[[福島県]]|}}
{{BS|BHF|30.7|[[会津高原尾瀬口駅]]|}}
{{BS|STR|||[[会津鉄道]][[会津鉄道会津線|会津線]]|}}
|bottom =
}}
この路線は[[東武鉄道]][[東武鬼怒川線|鬼怒川線]]と[[会津鉄道]][[会津鉄道会津線|会津線]]のそれぞれ終点を結び、東武鉄道[[浅草駅]]から[[東武伊勢崎線|伊勢崎線]]・[[東武日光線|日光線]]・鬼怒川線および本路線と会津鉄道会津線・[[東日本旅客鉄道]](JR東日本)[[只見線]]を経由して[[会津若松駅]]へと続く、[[東京]]と福島県[[会津地方]]を短絡するルートの一部となっており<ref name="RJ241"/>、浅草駅と[[会津田島駅]]を結ぶ特急列車「[[けごん|リバティ会津]]」や、[[鬼怒川温泉駅]]と会津若松駅を結ぶ快速列車「[[AIZUマウントエクスプレス]]」が本路線を通り抜ける。
栃木県と福島県の県境にある急峻な山間部を通っており、起点[[新藤原駅]]の[[標高]]は425.3 m、終点[[会津高原尾瀬口駅]]の標高は722.5 m、駅ではもっとも高い位置にある[[男鹿高原駅]]の標高は759.7 mとなっている。[[日本鉄道建設公団]]により高規格な路線として建設されたため、ほとんどの区間がトンネル、[[高架橋|高架]]・橋梁による直線区間で構成されており、全駅停車の列車でも全線の所要時間は約35分・[[表定速度]]は約50 km/hであり、平地の鉄道と変わらない高速運行が可能となっている。トンネルの数は18、橋梁は64か所あり、[[踏切]]は新藤原駅付近の1か所と両端の駅の構内踏切を除いて存在しない。
路線のほとんどが山岳地帯にあり、[[川治湯元駅]]以北の本路線沿線には民家はおろか田畑もほとんど見られない。利用客の大多数が東京都やその近郊から東武線を乗り継いで観光・保養に訪れる定期外利用で占められており、通勤・通学定期利用者は極めて少ない。
路線のほとんどが[[日光国立公園]]内にある。また、沿線の駅のうち最北端の会津高原尾瀬口駅のみが福島県南会津町内にあり、栃木県側にある残りの駅は2006年の(新)日光市発足により全て日光市内に所在する。沿線・周辺地域に[[鬼怒川温泉|鬼怒川]]、[[川治温泉|川治]]、[[湯西川温泉|湯西川]]、[[塩原温泉郷|塩原]]、[[奥鬼怒温泉郷|奥鬼怒]]、[[湯ノ花温泉|湯ノ花]]など多くの[[温泉|温泉地]]があることを広くPRするため、2006年3月のダイヤ改正にあわせて路線愛称「'''ほっとスパ・ライン'''」の使用を開始した<ref name="Tobu2006hot"/>。
=== 路線データ ===
* 路線距離([[営業キロ]]):30.7 km
* [[軌間]]:1067 mm
* 建設主体:[[日本鉄道建設公団]](現 [[独立行政法人]] [[鉄道建設・運輸施設整備支援機構]])
* 駅数:9駅(起終点駅含む)
* 複線区間:なし(全線[[単線]])
* 電化区間:全線(直流 1500 V)
* [[閉塞 (鉄道)|閉塞方式]]:特殊自動閉塞式
* 最高速度:80 km/h <ref name="company" />
* [[ICカード|IC]][[乗車カード]]対応区間:なし
<gallery>
ファイル:Yagan Railway Line Ojika-Kōgen.JPG|会津鬼怒川線の男鹿高原駅付近を走る電車。<br/>(2011年12月21日)
ファイル:Tobu 6050 series EMU 012.JPG|川治湯元駅 - 川治温泉駅間の橋梁を渡る電車。<br/>(2010年5月5日)
ファイル:Yunishigawa-onsen Station 025.JPG|トンネル内にある湯西川温泉駅。<br/>(2010年5月7日)
</gallery>
== 運行形態 ==
以下の[[列車種別]]が設定されている(あるいは設定されていた)。前後の東武鬼怒川線・会津鉄道会津線と異なり、[[ワンマン運転]]は実施していない。
なお、会津鉄道には電車列車の運転に必要な[[動力車操縦者|甲種電気車運転免許]]の所持者が在籍していない一方、野岩鉄道には気動車列車の運転に必要な[[動力車操縦者|甲種内燃車運転免許]]所持者が在籍していない。そのため、電車列車については野岩鉄道の運転士・車掌が新藤原駅から会津田島駅まで通し乗務し、気動車列車については会津鉄道の運転士が当路線内でも運転業務を行う(東武鉄道線内も同様)。
下記のほか、かつては季節列車として「[[スカイツリートレイン|スカイツリートレイン南会津号]]」や「[[お座トロ展望列車#湯めぐり号|お座トロ展望列車湯めぐり号]]」が運転されていた。
=== 現在の列車種別 ===
==== 特急「リバティ会津」 ====
{{Main|けごん}}
[[2017年]][[4月21日]]に運行を開始。当路線を介して東武伊勢崎線(東武スカイツリーライン)[[浅草駅]] - 会津鉄道会津線[[会津田島駅]]間を結ぶ列車で、1日4往復設定されている<ref name = "yagan20170118">{{Cite web|和書|url=http://www.yagan.co.jp/uppdffiles/%E3%80%90290118%E3%80%91%E3%83%80%E3%82%A4%E3%83%A4%E6%94%B9%E6%AD%A3%E3%83%97%E3%83%AC%E3%82%B9%EF%BC%88117%E4%BF%AE%E6%AD%A3%EF%BC%89.pdf|title=2017年4月21日(金)ダイヤ改正を実施します!「 特急リバティ会津」運転概要|accessdate=2017-03-16|date=2017-01-18|year=|publisher=野岩鉄道株式会社}}</ref>。当路線内では[[男鹿高原駅]]を除く各駅に停車する。
当路線内での特急料金は380円(2019年10月1日改定)であるが、会津鬼怒川線内を含む鬼怒川温泉駅 - 会津田島駅間のみを、座席の指定を行わず乗車する場合は、特急料金は不要となる<ref name = "tobu20170228">{{Cite web|和書|format=PDF|url=http://www.tobu.co.jp/file/pdf/2647e3941996778a3a8afbb919eccd2f/170228_4.pdf|title=4月21日(金) ダイヤ改正を実施!東武スカイツリーライン・伊勢崎線・日光線・鬼怒川線など【特急列車以外の一般列車】|publisher=東武鉄道|date=2017-02-28|accessdate=2017-03-16}}</ref><ref name="tobu20211210" />。
使用車両は、東武鉄道の[[東武500系電車|500系電車]]「リバティ」である。
==== 快速「AIZUマウントエクスプレス」====
{{Main|AIZUマウントエクスプレス}}
[[2005年]][[3月1日]]に当路線への直通運行を開始した<ref name="Tobu2005aidu">[https://web.archive.org/web/20050207094632fw_/http://www.tobu.co.jp/yagan/aizumount.htm AIZUマウントエクスプレス 平成17年3月1日鬼怒川温泉駅へ直通運転開始!](野岩鉄道ニュースリリース・インターネットアーカイブ・2005年時点の版)。</ref>。当路線を介して東武鬼怒川線[[鬼怒川温泉駅]] - JR東日本[[只見線]][[会津若松駅]]間を結ぶ列車で、午前中に1日1往復設定されている。当路線内では男鹿高原駅を除く各駅に停車する。
2021年3月12日までは2往復が運転されており、1往復は鬼怒川温泉駅まで、もう1往復は[[東武日光駅]]まで乗り入れていた。翌13日のダイヤ改正で鬼怒川温泉発着の1往復が廃止され<ref name="tobu20211210">{{Cite press release|和書|title=東武スカイツリーライン・伊勢崎線・日光線等にて 2022年3月12日(土)ダイヤ改正を実施します|publisher=東武鉄道|date=2021-12-10|url=https://www.tobu.co.jp/cms-pdf/releases/20211210120436z2ZpUL2macF_-vcgP5S43w.pdf|format=PDF|accessdate=2021-12-17}}</ref>、さらに2022年3月12日の改正では残りの1往復が鬼怒川温泉駅発着に短縮された。
使用車両は、会津鉄道の[[会津鉄道AT-600形気動車|AT-600形・AT-650形気動車]]および[[会津鉄道AT-700形気動車|AT-700形・AT-750形気動車]]である。[[2006年]][[3月18日]]から[[2013年]][[3月15日]]まで、AT-600形・AT-650形を使用する列車は「AIZU尾瀬エクスプレス」の列車名で運転されていた。
==== 普通 ====
「リバティ会津」の運行のない時間帯を中心に、1日5往復運行される。線内のみの運行を基本とするが、日中の1往復は東武鬼怒川線の鬼怒川温泉駅発着となる。現行ダイヤでは男鹿高原駅に停車する唯一の種別である。
かつては長らく、前述の特急・快速列車同様に東武鬼怒川線から当路線を介して会津線会津田島駅までを直通する運行形態がとられていた。しかし2022年3月12日のダイヤ改正で会津線と鬼怒川温泉以南への乗り入れが廃止され、ほぼ全列車が線内完結運転となり、「リバティ会津」の運行時間帯には原則運転されなくなった<ref name="tobu20211210" />。ただし、臨時で会津田島駅まで乗り入れる事がある。
早朝の1往復を除き、線内区間では[[サイクルトレイン]]を実施しており(年末年始・[[ゴールデンウィーク]]・お盆期間など繁忙期は除外)、事前に申し込むことで[[自転車]]の車内持ち込みが可能<ref name="cycletrain">{{Cite web|和書|title=3月12日よりサイクルトレインの対象列車が変わります。|publisher=野岩鉄道|date=2022-03-04|url=http://www.yagan.co.jp/information/0000000843/detail.html|accessdate=2023-03-17}}</ref>。乗降可能駅は新藤原駅・川治湯元駅・湯西川温泉駅・会津高原尾瀬口駅のみ<ref name="cycletrain"/>。
使用車両は、野岩鉄道所有の[[東武6050系電車|6050系電車]]である。ただし車両が2編成しかない都合上、うち1編成がリニューアル中、もう1編成が検査に入るために2023年4月24日-28日には[[東武6050系電車#634型「スカイツリートレイン」|東武634型スカイツリートレイン]](特別料金不要)が代走した<ref>{{Cite news |title=東武鉄道・スカイツリートレインが野岩鉄道に「応援」 |newspaper=日本経済新聞 |date=2023-04-13 |url=https://www.nikkei.com/article/DGXZQOCC137BR0T10C23A4000000/ |access-date=2023-05-02 |quote=野岩鉄道は2編成4両の電車を保有するが、このうち、1編成2両は昨年実施したクラウドファンディングで集めた資金を元手に現在、改修中。残る1編成2両が定期点検に入るため、……}}</ref>。
==== 臨時夜行「尾瀬夜行」「スノーパル」====
{{Main|東武鉄道夜行列車}}
東武鉄道から直通運転される夜行列車で、シーズンの週末・土曜を中心に下り列車のみ設定される。
=== 過去の列車種別 ===
==== 快速急行・急行 ====
かつては浅草駅 - 会津高原駅(現・会津高原尾瀬口駅。会津線一部電化後は会津田島駅)間で[[快速急行]]「おじか」、後に浅草駅 - 会津田島駅間で[[急行列車|急行]]「[[南会津_(列車)|南会津]]」などの座席指定制列車が運転されていた。使用車両は、快速急行は6050系電車、急行は[[東武300系電車|350系電車]]であった。AIZUマウントエクスプレスの運転開始により、当路線への直通運転は廃止となった。
==== 区間急行 ====
2006年3月18日のダイヤ改正で設定された種別で、当路線内は各駅に停車。当路線内では上り最終の区間快速の後に会津田島駅発が1本運転されていた。2009年6月6日改正により[[新栃木駅]]で系統が分離され、当路線内での運転は廃止された。
==== 快速・区間快速(東武鉄道・会津鉄道直通) ====
早朝・夜間を除いて東武鬼怒川線からの列車が直通(または新藤原駅で接続)し、さらに会津高原尾瀬口駅から会津線会津田島駅まで直通していた。両種別とも、当路線内はすべて各駅に停車していた。かつては臨時快速を中心に東武鉄道の3扉・4扉通勤電車([[東武8000系電車|8000系]]・[[東武5000系電車|5050系]]・[[東武3000系電車|3070系]]等)も使用されていたが、後にすべて6050系で運転されるようになった。2017年4月20日限りで快速・区間快速は廃止され、乗車券のみ・乗り換えなしで東京都内へ直結する列車は廃止となった。
==== 区間快速(会津鉄道直通) ====
[[2021年]][[3月13日]]のダイヤ改正で新設された種別<ref>[https://news.mynavi.jp/article/diagram2021-45/ 野岩鉄道、会津鉄道ダイヤ改正で一部列車見直し - 区間快速を新設] - マイナビニュース、2021年1月27日。2021年1月28日閲覧。</ref>。同改正における「AIZUマウントエクスプレス」削減を受けた代替として、会津田島駅発新藤原駅行き1本のみ設定された。当路線内では各駅に停車するが、会津鉄道線内の途中駅は無停車で運行されていた。2022年3月12日のダイヤ改正での会津鉄道との直通運転縮小に伴い、わずか1年で廃止された。
== 使用車両 ==
定期列車での使用車両のみ記載。
=== 現在の使用車両 ===
* [[東武6050系電車|6050系電車]](自社車両)
** 線内運行の普通列車で運用。かつては東武鉄道や会津鉄道に所属する車両も使用されていたが、2022年3月12日のダイヤ改正で運用を終了し、以後は野岩鉄道所属車のみとなっている。
* [[東武500系電車|500系電車]](東武鉄道所属)
** 特急「リバティ会津」で運用。
* [[会津鉄道AT-600形気動車|AT-600形・AT-650形気動車]](会津鉄道所属)
* [[会津鉄道AT-700形気動車|AT-700形・AT-750形気動車]](会津鉄道所属)
** 快速「AIZUマウントエクスプレス」で運用。
=== 過去の使用車両 ===
* [[東武300系電車|300系・350系電車]](東武鉄道所属)
** 急行「[[きりふり|南会津]]」で乗り入れていたほか、同列車廃止後も臨時夜行列車[[東武鉄道夜行列車|「スノーパル」・「尾瀬夜行」]]で運用されていた。
* [[東武3000系電車|3070系電車]](東武鉄道所属)
** 一部の普通列車や、霜取りのための回送列車として運転された。
* [[東武5000系電車|5050系電車]](東武鉄道所属)
** 一部の普通列車や、霜取りのための回送列車として運転された。
* [[東武8000系電車|8000系電車]](東武鉄道所属)
** いずれもかつて東武鉄道から直通する快速・区間快速で使用されていたが、乗り入れ車両の6050系への統一で当線では運行を終了した。
* [[名鉄キハ8500系気動車|キハ8500系気動車]](会津鉄道所属)
** 快速「AIZUマウントエクスプレス」で運用された。
== 利用状況 ==
=== 輸送実績 ===
会津鬼怒川線の輸送実績を下表に記す。
表中、輸送人員の単位は万人。輸送人員は年度での値。表中、最高値を赤色で、最高値を記録した年度以降の最低値を青色で、最高値を記録した年度以前の最低値を緑色で表記している。
{| class="wikitable mw-collapsible" border="1" cellspacing="0" cellpadding="2" style="font-size:90%; text-align:center;"
! colspan="7"|年度別輸送実績
|-
! rowspan="2"|年 度
! colspan="4"|輸送実績(乗車人員):万人/年度
! rowspan="2"|輸送密度<br />人/1日
! rowspan="2"|特 記 事 項
|-
|通勤定期
|通学定期
|定 期 外
|合 計
|-
! style="font-weight: normal;"|1986年(昭和61年)
| style="background-color: #ccffcc;"|0.6
| style="background-color: #ccffcc;"|2.0
| style="background-color: #ccffcc;"|58.5
| style="background-color: #ccffcc;"|'''61.1'''
| style="background-color: #ffcccc;"|2,268
| style="text-align: left;"|開業
|-
! style="font-weight: normal;"|1987年(昭和62年)
|1.4
| style="background-color: #ffcccc;"|4.9
|106.0
|'''112.3'''
|1,930
|
|-
! style="font-weight: normal;"|1988年(昭和63年)
|1.9
|3.9
|91.0
|'''96.8'''
|1,654
|
|-
! style="font-weight: normal;"|1989年(平成元年)
|1.8
|3.9
|99.1
|'''104.8'''
|1,752
|
|-
! style="font-weight: normal;"|1990年(平成2年)
|2.4
|2.8
|107.0
|'''112.2'''
|1,887
| style="text-align: left;"|会津鉄道会津線と直通運転開始
|-
! style="font-weight: normal;"|1991年(平成3年)
|2.4
|2.9
| style="background-color: #ffcccc;"|112.2
| style="background-color: #ffcccc;"|'''117.5'''
|1,977
|
|-
! style="font-weight: normal;"|1992年(平成4年)
|2.4
|2.3
|105.3
|'''110.0'''
|1,843
|
|-
! style="font-weight: normal;"|1993年(平成5年)
|2.7
|2.8
|96.6
|'''102.1'''
|1,684
|
|-
! style="font-weight: normal;"|1994年(平成6年)
| style="background-color: #ffcccc;"|3.3
|2.9
|93.8
|'''100.0'''
|1,657
|
|-
! style="font-weight: normal;"|1995年(平成7年)
|2.7
|2.7
|90.2
|'''95.6'''
|1,552
|
|-
! style="font-weight: normal;"|1996年(平成8年)
|2.1
|2.7
|82.6
|'''87.4'''
|1,425
|
|-
! style="font-weight: normal;"|1997年(平成9年)
|2.1
|2.7
|76.9
|'''81.7'''
|1,304
|
|-
! style="font-weight: normal;"|1998年(平成10年)
|1.8
|2.8
|70.6
|'''75.2'''
|1,192
|
|-
! style="font-weight: normal;"|1999年(平成11年)
|1.4
|2.6;
|69.7
|'''73.7'''
|1,169
|
|-
! style="font-weight: normal;"|2000年(平成12年)
|1.2
|2.9
|63.6
|'''67.7'''
|1,068
|
|-
! style="font-weight: normal;"|2001年(平成13年)
|1.2
|2.6
|64.3
|'''68.1'''
|1,052
|
|-
! style="font-weight: normal;"|2002年(平成14年)
|1.5
|2.3
|62.2
|'''66.0'''
|1,032
|
|-
! style="font-weight: normal;"|2003年(平成15年)
|0.6
|1.6
|59.6
|'''61.8'''
|959
|
|-
! style="font-weight: normal;"|2004年(平成16年)
|0.9
|1.6
|53.3
|'''55.8'''
|875
|
|-
! style="font-weight: normal;"|2005年(平成17年)
|
|
|52.8
|'''54.8'''
|
|
|-
! style="font-weight: normal;"|2006年(平成18年)
|0.7
|1.5
|52.2
|'''54.4'''
|843
|
|-
! style="font-weight: normal;"|2007年(平成19年)
|
|
|51.0
|'''53.5'''
|
|
|-
! style="font-weight: normal;"|2008年(平成20年)
|
|
|49.6
|'''53.1'''
|
|
|-
! style="font-weight: normal;"|2009年(平成21年)
|1.5
|2.5
|44.9
|'''48.9'''
|756
|
|-
! style="font-weight: normal;"|2010年(平成22年)
|
|
|42.5
|'''46.1'''
|
|
|-
! style="font-weight: normal;"|2011年(平成23年)
|
|
|
|
|
|
|-
! style="font-weight: normal;"|2012年(平成24年)
|0.6
|1.6
|38.0
|'''40.2'''
|687
|
|-
! style="font-weight: normal;"|2013年(平成25年)
|0.9
|1.5
|36.3
|'''38.7'''
|674
|
|-
! style="font-weight: normal;"|2014年(平成26年)
|0.8
|1.1
|37.8
|'''39.7'''
|653
|
|-
! style="font-weight: normal;"|2015年(平成27年)
|0.7
|0.8
|33.8
|'''35.3'''
|602
|
|-
! style="font-weight: normal;"|2016年(平成28年)
|0.7
|0.4
|36.2
|'''37.3'''
|610
|
|-
! style="font-weight: normal;"|2017年(平成29年)
| style="background-color: #ccffff;"|0.5
|0.5
|37.5
|'''38.5'''
|657
|
|-
! style="font-weight: normal;"|2018年(平成30年)
|0.7
|0.2
|35.8
|'''36.7'''
|613
|
|-
! style="font-weight: normal;"|2019年(令和元年)
|0.8
|0.1
|31.6
|'''32.5'''
|540
|
|-
! style="font-weight: normal;"|2020年(令和2年)
|0.6
| style="background-color: #ccffff;"|0.0
| style="background-color: #ccffff;"|13.9
| style="background-color: #ccffff;"|'''14.5'''
| style="background-color: #ccffff;"|205
|
|}
=== 収入実績 ===
会津鬼怒川線の収入実績を下表に記す。
表中、収入の単位は千円。数値は年度での値。表中、最高値を赤色で、最高値を記録した年度以降の最低値を青色で、最高値を記録した年度以前の最低値を緑色で表記している。
{| class="wikitable mw-collapsible" border="1" cellspacing="0" cellpadding="2" style="font-size:90%; text-align:center;"
! colspan="8"|年度別収入実績
|-
! rowspan="2"|年 度
! colspan="5"|旅客運賃収入:千円/年度
! rowspan="2"|運輸雑収<br />千円/年度
! rowspan="2"|総合計<br />千円/年度
|-
| style="text-align: center; font-weight: normal;"|通勤定期
| style="text-align: center; font-weight: normal;"|通学定期
| style="text-align: center; font-weight: normal;"|定 期 外
| style="text-align: center; font-weight: normal;"|手小荷物
| style="text-align: center; font-weight: normal;"|合 計
|-
! style="font-weight: normal;"|1986年(昭和61年)
| style="background-color: #ccffcc;"|3,957
|←←←←
| style="background-color: #ccffcc;"|343,104
|''0''
| style="background-color: #ccffcc;"|'''347,061'''
| style="background-color: #ccffcc;"|692</span>
| style="background-color: #ccffcc;"|'''347,753'''
|-
! style="font-weight: normal;"|1987年(昭和62年)
|3,763
| style="background-color: #ffcccc;"|6,122
|572,684
|''0''
|'''582,569'''
|24,868
|'''607,437'''
|-
! style="font-weight: normal;"|1988年(昭和63年)
|4,797
|5,464
|487,986
|''0''
|'''498,247'''
|32,652
|'''530,899'''
|-
! style="font-weight: normal;"|1989年(平成元年)
|5,855
|3,726
|534,049
|''0''
|'''543,630'''
|32,590
|'''576,220'''
|-
! style="font-weight: normal;"|1990年(平成2年)
|4,012
|5,400
|571,506
|''0''
|'''580,918'''
|33,601
|'''614,519'''
|-
! style="font-weight: normal;"|1991年(平成3年)
|5,924
|4,297
| style="background-color: #ffcccc;"|612,157
|''0''
| style="background-color: #ffcccc;"|'''622,378'''
|32,984
| style="background-color: #ffcccc;"|'''655,342'''
|-
! style="font-weight: normal;"|1992年(平成4年)
|6,321
|3,527
|599,457
|''0''
|'''599,457'''
|33,506
|'''642,811'''
|-
! style="font-weight: normal;"|1993年(平成5年)
|7,008
|4,769
|590,493
|''0''
|'''602,270'''
|33,141
|'''635,411'''
|-
! style="font-weight: normal;"|1994年(平成6年)
| style="background-color: #ffcccc;"|8,699
|4,365
|580,292
|''0''
|'''593,356'''
|30,130
|'''623,486'''
|-
! style="font-weight: normal;"|1995年(平成7年)
|7,531
|4,309
|575,754
|''0''
|'''587,594'''
|28,752
|'''616,346'''
|-
! style="font-weight: normal;"|1996年(平成8年)
|6,625
|4,959
|544,105
|''0''
|'''555,689'''
|35,189
|'''590,878'''
|-
! style="font-weight: normal;"|1997年(平成9年)
|6,574
|5,539
|502,846
|''0''
|'''514,959'''
|36,559
|'''551,818'''
|-
! style="font-weight: normal;"|1998年(平成10年)
|5,237
|5,350
|460,970
|''0''
|'''471,557'''
|37,883
|'''509,440'''
|-
! style="font-weight: normal;"|1999年(平成11年)
|4,511
|5,218
|446,732
|''0''
|'''456,461'''
|36,102
|'''492,563'''
|-
! style="font-weight: normal;"|2000年(平成12年)
|4,102
|5,760
|407,383
|''0''
|'''417,245'''
|28,644
|'''445,889'''
|-
! style="font-weight: normal;"|2001年(平成13年)
|3,705
|5,420
|398,962
|''0''
|'''408,087'''
|29,178
|'''437,265'''
|-
! style="font-weight: normal;"|2002年(平成14年)
|4,141
|5,021
|387,771
|''0''
|'''396,933'''
|31,678
|'''428,611'''
|-
! style="font-weight: normal;"|2003年(平成15年)
| style="background-color: #ccffff;"|1,934
|3,107
|364,949
|''0''
|'''369,990'''
|39,801
|'''409,791'''
|-
! style="font-weight: normal;"|2004年(平成16年)
|2,503
|2,597
|330,270
|''0''
|'''335,370'''
|43,928
|'''379,298'''
|-
! style="font-weight: normal;"|2005年(平成17年)
|
|
|
|
|
|
|
|-
! style="font-weight: normal;"|2006年(平成18年)
|1,949
|2,720
|298,954
|''0''
|'''303,623'''
|47,854
|'''351,477'''
|-
! style="font-weight: normal;"|2007年(平成19年)
|
|
|
|
|
|
|
|-
! style="font-weight: normal;"|2008年(平成20年)
|
|
|
|
|
|
|
|-
! style="font-weight: normal;"|2009年(平成21年)
|4,218
| style="background-color: #ccffff;"|2,459
| style="background-color: #ccffff;"|259,393
|''0''
| style="background-color: #ccffff;"|'''266,070'''
| style="background-color: #ffcccc;"|48,763
| style="background-color: #ccffff;"|'''314,833'''
|}
== 歴史 ==
[[ファイル:IkariKoNorthPart.jpg|250px|thumb|[[五十里ダム|五十里湖]](海尻付近)空撮画像<br />中央部は[[湯西川]]に架かる野岩鉄道会津鬼怒川線の[[湯西川橋梁]]と[[国道121号]]の赤夕大橋。]]
[[鉄道敷設法|改正鉄道敷設法]]別表に掲げる予定線のうち[[鉄道敷設法別表一覧#第33号|第33号]]の「栃木縣今市ヨリ高德ヲ經テ福島縣田島ニ至ル鐵道…(以下略)」の一部である<ref>[{{NDLDC|1352115/1}} 「第十七輯 交通電気(五) 第二章 運輸 第三款 鉄道 鉄道敷設法〔大正一一、法律三七〕 別表」『現行法令輯覧』41巻 交通電気5、帝国地方行政学会、1930年12月 1362ページ]</ref>。北側では会津線・[[只見線]]・[[磐越西線]]を経て同表[[鉄道敷設法別表一覧#第26号|第26号]]の「山形縣米澤ヨリ福島縣喜多方ニ至ル鐵道」である[[日中線]]、南側では[[日光線]]を経て同表[[鉄道敷設法別表一覧#第35号|第35号]]の「栃木縣鹿沼ヨリ栃木ヲ經テ茨城縣古河ニ至ル鐵道」と結び、[[山形県]][[米沢市]]と[[茨城県]][[古河市]]<ref>『山形県議会八十年史 2 大正篇』 山形県議会 [[1964年]]</ref>を結んで[[奥羽本線]]と[[東北本線]]とを短絡する[[野岩羽線]]構想の一部を形成していた<ref>[http://www3.omn.ne.jp/~nishiki/yaganu.htm 野岩羽線]</ref>。
その後、予定線のうち今市 - 藤原については東武鬼怒川線と競合するため除外され、北側より[[日本鉄道建設公団]]建設線(野岩線)として建設が進められ<ref name="kaihatsuourai197908">[{{NDLDC|2642588/1}} 「着々進む新線建設北越北線・野岩線」『開発往来』第23巻第9号、開発行政懇話会、1979年8月 17-19ページ]</ref>、[[橋|橋梁]]、[[トンネル]]を含むほとんどの鉄道施設が完成していた<ref name="tajima9" /><ref>[http://www3.yomogi.or.jp/skta1812/syoko/kyuukan5/u.html 野岩羽鉄道]</ref>が、[[日本国有鉄道経営再建促進特別措置法|国鉄再建法]]により工事が凍結された。
しかし、鉄道の開通を目指す地元自治体などにより[[第三セクター]]方式での運営が決まり、設立された野岩鉄道が引き継いで開業した。この際、東武鬼怒川線新藤原駅に接続し直通運転を行うことが決まり、非電化で建設された路線を電化する工事を追加で実施している<ref name="sharyou199211" />。
=== 年表 ===
*[[1922年]](大正11年)4月 - 改正鉄道敷設法別表に掲げる予定線として野岩線が登録される<ref name="tajima9" />
*[[1957年]](昭和32年)4月 - 野岩線を調査線に編入<ref name="tajima9" />
*[[1962年]](昭和37年)3月 - 工事線に格上げ<ref name="tajima9" />
*[[1964年]](昭和39年)4月 - 日本鉄道建設公団の工事線に指定<ref name="tajima9" />
*[[1966年]](昭和41年)5月7日 - 滝ノ原 - 上三依(現・上三依塩原温泉口)間9.9kmの工事が認可<ref name="tajima9" /><ref>[{{NDLDC|9645873/1}} 「新線建設工事実施計画の認可」『運輸公報』 第863号 1966年5月17日、運輸省大臣官房、1966年5月17日 176ページ]</ref>(路盤工事は1970年7月までに完了<ref>[{{NDLDC|2637120/1}} 「今年も大々的に進められる新線建設」『運輸』第51巻第7号、運輸社、1970年7月 16ページ]</ref>)。
*[[1969年]](昭和44年)6月 - 上三依 - 中三依(現・中三依温泉)間5.1kmの工事が認可<ref name="tajima9" />(路盤工事は1972年2月までにほぼ完了<ref>[{{NDLDC|2637120/1}} 「今年も新線工事が進められる」『運輸』第53巻第2号、運輸社、1972年2月 12ページ]</ref>)。
*[[1972年]](昭和47年)8月 - 中三依 - 下野川治間11.3kmの工事が認可<ref name="tajima9" />。
*[[1979年]](昭和54年)年末 - 運輸省の予算編成で「国鉄地方線は原則として予算化しない」方針が打ち出される<ref name="mayumi">{{Cite web|和書|url=https://web.archive.org/web/20071008122641/http://www.mayumi.gr.jp/book/pdf/23.pdf |title=森山欽司 ─反骨のヒューマニスト─ 第二十三章 |format=PDF |accessdate=2013-08-17 }} </ref>。
*[[1980年]](昭和55年)9月 - 福島・栃木両県知事が運輸大臣に第三セクター方式による運営を要望<ref name="tajima9">[{{NDLDC|9642706/1}} 「野岩羽線運動と地方鉄道建設」『田島町史』第9巻(近代史料3戦後編)、田島町史編纂委員会、1982年9月 718-724ページ]</ref>。
*[[1980年]](昭和55年)12月 - 下野川治 - 新藤原間の工事が認可<ref name="tajima9" />。
*[[1981年]](昭和56年)[[11月20日]] - 野岩鉄道株式会社設立<ref name="sharyou199211">[{{NDLDC|2322683/1}} 福島昇「私鉄紹介 第三セクター 野岩鉄道」『車両と電気』第43巻第11号、車両電気協会、1992年11月 26-29ページ]</ref>。
*[[1984年]](昭和59年)5月 - 運輸省・大蔵省より電化が認められる<ref name="sharyou199211" />。
*[[1985年]](昭和60年)春 - 一般公募により路線名称を会津鬼怒川線に変更<ref name="sharyou199211" />。
*[[1985年]](昭和60年)8月 - 駅名が決定する。なおこの時点で国道400号開通後に上三依塩原駅に改称することが決まっていた<ref >[{{NDLDC|2786154/1}} 「都道府県だより 栃木県 会津鬼怒川線の駅名決まる」『都道府県展望』1985年8月号、全国知事会、1985年8月 42ページ]</ref><ref >[{{NDLDC|4412623/1}} 「噴泉塔(温泉地情報) 全駅名決まる~川治温泉駅・湯西川温泉駅など~野岩鉄道株式会社」『温泉』53巻8月号、日本温泉協会、1985年9月 21ページ]</ref>。
*[[1986年]](昭和61年)[[10月9日]] - 新藤原 - 会津高原(現・会津高原尾瀬口)間 (30.7km) 開業<ref name="RJ241"/>。東武鉄道との直通運転開始<ref name="RJ241"/><ref name="sharyou199211" />。
*[[1988年]](昭和63年)[[10月19日]] - [[国道400号]][[尾頭トンネル]]が開通し塩原温泉までバスにより20分で連絡可能となったため、下野上三依駅を上三依塩原駅に改称。同駅に行違い設備新設。座席指定制快速急行列車新設。
*[[1990年]](平成2年)[[10月12日]] - 会津鉄道会津線会津高原 - 会津田島間電化にともない、同線との直通運転開始。
*[[1991年]](平成3年)[[7月21日]] - 急行列車「[[南会津 (列車)|南会津]]」新設。独自の[[急行券|急行料金]]を設定したため、従前運行されていた座席指定制快速急行列車の種別呼称を変更。
*[[2005年]](平成17年)[[3月1日]] - 急行列車廃止、快速「AIZUマウントエクスプレス」が当線に直通運転開始<ref name="Tobu2005aidu"/>。
*[[2006年]](平成18年)[[3月18日]] - 路線愛称「ほっとスパ・ライン」使用開始<ref name="Tobu2006hot"/>。中三依駅を中三依温泉駅、上三依塩原駅を上三依塩原温泉口駅、会津高原駅を会津高原尾瀬口駅に改称<ref name="Tobu200603">[https://web.archive.org/web/20060620083408fw_/http://www.tobu.co.jp/yagan/pdf/yagan0209.pdf 平成18年3月18日、会津鬼怒川線(ほっとスパ・ライン)ダイヤ改正を実施いたします](野岩鉄道ニュースリリース・インターネットアーカイブ・2006年時点の版)。</ref>。「AIZU尾瀬エクスプレス」が当線に直通運転開始。
*[[2008年]](平成20年)[[3月15日]] - 「AIZUマウントエクスプレス」・「AIZU尾瀬エクスプレス」の停車駅に龍王峡駅・川治湯元駅・中三依温泉駅が追加される。
*[[2011年]](平成23年)[[3月14日]] - [[東北地方太平洋沖地震]]の発生に伴う[[輪番停電|計画停電]]の影響により、東武鉄道各線・会津鉄道会津線との相互直通運転が休止される(3月20日再開)。<!-- 「○日まで休止」だと○日が休止最終日のようにもとれ紛らわしい。-->
*[[2013年]](平成25年)[[3月16日]] - 「AIZU尾瀬エクスプレス」廃止。
*[[2015年]](平成27年)
**[[9月10日]] - [[平成27年9月関東・東北豪雨|関東・東北豪雨]]の影響により発生した[[東京電力]]の[[電線路|送電鉄塔]]傾斜による停電、および一部区間の線路への土砂流入等の影響により全線不通となる<ref>[https://web.archive.org/web/20150914023318/http://www.yagan.co.jp/information/0000000301/detail.html 2015年9月11日会津鬼怒川線 運転見合わせについて](野岩鉄道・インターネットアーカイブ・2015年時点の版)。</ref><ref>[http://response.jp/article/2015/09/11/259831.html 関東・東北で鉄道各線の運休続く…東武は橋りょう流出] - レスポンス、2015年9月11日</ref><ref name="milt20150911">{{Cite web|和書|format=PDF|url=https://www.mlit.go.jp/common/001103735.pdf#page=26|title=台風第18号及び第17号による大雨等に係る被害状況等について(第8報) (2015/09/11 12:00現在)|publisher=国土交通省|date=2015-09-11|accessdate=2015-09-13}}</ref>。
**[[9月18日]] - 新藤原 - 上三依塩原温泉口間で運転を再開<ref>[https://web.archive.org/web/20150928072900/http://www.yagan.co.jp/information/0000000310/detail.html 2015年9月23日会津鬼怒川線9月24日(木)以降の運行計画について](野岩鉄道・インターネットアーカイブ・2015年時点の版)。</ref><ref name="response20150918">[http://response.jp/article/2015/09/18/260316.html 野岩鉄道の会津鬼怒川線、9月19日以降は一部気動車で全線再開] - レスポンス、2015年9月18日</ref>。
**[[9月19日]] - 全線で運転を再開(ただし、上三依塩原温泉口 - 会津高原尾瀬口間は気動車のみ運行)<ref name="response20150918" /><ref name="yagan20150917">{{Cite web|和書|format=PDF|url=http://www.yagan.co.jp/uppdffiles/9月9日以降 暫定時刻表(修正版).pdf|title=会津鬼怒川線 9月19日(土)以降の運行計画について|publisher=野岩鉄道|date=2015-09-17|accessdate=2015-09-18}}</ref>。
**[[12月11日]] - 上三依塩原温泉口 - 会津高原尾瀬口間の電車による運行を再開<ref>[https://web.archive.org/web/20151123143457/http://www.yagan.co.jp/uppdffiles/%E3%80%90%E9%87%8E%E5%B2%A9%E9%89%84%E9%81%93%E3%80%91%E5%85%A8%E9%9D%A2%E9%81%8B%E8%BB%A2%E5%86%8D%E9%96%8B%E3%83%97%E3%83%AC%E3%82%B9%E3%83%AA%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%B9%EF%BC%88%E6%B1%BA%E5%AE%9A%EF%BC%89.pdf 会津鬼怒川線全面運転再開見込みについて](野岩鉄道・インターネットアーカイブ・2015年時点の版)。</ref><ref>{{Cite web|和書|format=|url=http://www.tobu.co.jp/news/2015/923/|title=野岩鉄道会津鬼怒川線直通列車の全面運転再開について|publisher=東武鉄道株式会社|date=2015-12-11|accessdate=2015-12-12}}</ref><ref>[http://railf.jp/news/2015/12/12/204500.html 野岩鉄道会津鬼怒川線・会津鉄道会津線が全面復旧] - 鉄道ファン・railf.jp 鉄道ニュース、2015年12月12日</ref>。
*[[2017年]](平成29年)[[4月21日]] - 特急「リバティ会津」が運転開始<ref name= "yagan20170118"/><ref name ="tobu20170228"/>
*[[2022年]](令和4年)[[3月12日]] - ダイヤ改正実施。「リバティ会津」「AIZUマウントエクスプレス」を含めた運行本数を上下各17本から10本に減便<ref>{{cite news|url=https://www.asahi.com/articles/ASPDL73B5PDJUUHB00W.html|title=会津鬼怒川線が4割減便 1日675人利用、観光需要の減小追い打ち|newspaper=朝日新聞|date=2021-12-19|accessdate=2022-03-15}}</ref>。
== 駅一覧 ==
* 普通列車は全列車各駅に停車
* 快速「[[AIZUマウントエクスプレス]]」は、▽印の駅(男鹿高原駅)を除くすべての駅に停車
* 特急「リバティ会津」および臨時列車については各列車記事を参照
* 線路 … ◇・∨・∧:交換可、|:交換不可
{| class="wikitable" rules="all"
|-
!rowspan="2" style="width:10em;"|駅名
!colspan="2"|営業キロ
!rowspan="2"|接続路線
!rowspan="2" style="width:1em;"|{{縦書き|線路}}
!rowspan="2"|所在地
|-
!style="width:2.5em;"|駅間
!style="width:2.5em;"|累計
|-
|[[新藤原駅]]
| style="text-align:center;"|-
| style="text-align:right;"|0.0
|[[東武鉄道]]:[[File:Tobu Nikko Line (TN) symbol.svg|18px|TN]] [[東武鬼怒川線|鬼怒川線]](直通あり)
| style="text-align:center;"|∨
| rowspan="8"|[[栃木県]]<br />[[日光市]]
|-
|[[龍王峡駅]]
| style="text-align:right;"|1.7
| style="text-align:right;"|1.7
|
| style="text-align:center;"||
|-
|[[川治温泉駅]]
| style="text-align:right;"|3.1
| style="text-align:right;"|4.8
|
| style="text-align:center;"|◇
|-
|[[川治湯元駅]]
| style="text-align:right;"|1.2
| style="text-align:right;"|6.0
|
| style="text-align:center;"||
|-
|[[湯西川温泉駅]]
| style="text-align:right;"|4.3
| style="text-align:right;"|10.3
|
| style="text-align:center;"||
|-
|[[中三依温泉駅]]
| style="text-align:right;"|6.5
| style="text-align:right;"|16.8
|
| style="text-align:center;"|◇
|-
|[[上三依塩原温泉口駅]]
| style="text-align:right;"|4.2
| style="text-align:right;"|21.0
|
| style="text-align:center;"|◇
|-
|[[男鹿高原駅]]▽
| style="text-align:right;"|4.0
| style="text-align:right;"|25.0
|
| style="text-align:center;"||
|-
|[[会津高原尾瀬口駅]]
| style="text-align:right;"|5.7
| style="text-align:right;"|30.7
|[[会津鉄道]]:[[会津鉄道会津線|会津線]](特急・快速のみ直通)
| style="text-align:center;"|∧
|[[福島県]]<br />[[南会津郡]]<br />[[南会津町]]
|-
|}
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Reflist|group="注釈"}}
=== 出典 ===
{{Reflist}}
== 関連項目 ==
*[[日本の鉄道路線一覧]]
*[[会津高原]]
== 外部リンク ==
* [http://www.yagan.co.jp/eki/ 路線図・駅情報|首都圏と栃木・会津を結ぶ「ほっとスパ・ライン 会津鬼怒川線」野岩(やがん)鉄道株式会社]
{{DEFAULTSORT:やかんてつとうあいつきぬかわせん}}
[[Category:東北地方の鉄道路線|あいつきぬかわせん]]
[[Category:関東地方の鉄道路線|あいつきぬかわせん]]
[[Category:第三セクター路線]]
[[Category:野岩鉄道|路あいつきぬかわせん]]
[[Category:栃木県の交通]]
[[Category:福島県の交通]]
[[en:Yagan Railway#Aizu Kinugawa Line]]
|
2003-09-21T02:25:22Z
|
2023-12-03T13:19:00Z
| false | false | false |
[
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"Template:Main",
"Template:脚注ヘルプ",
"Template:Reflist",
"Template:Infobox 鉄道路線",
"Template:縦書き",
"Template:Cite press release",
"Template:Cite news"
] |
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%8E%E5%B2%A9%E9%89%84%E9%81%93%E4%BC%9A%E6%B4%A5%E9%AC%BC%E6%80%92%E5%B7%9D%E7%B7%9A
|
17,636 |
野岩鉄道
|
野岩鉄道株式会社(やがんてつどう)は、栃木県と福島県を結ぶ鉄道路線「会津鬼怒川線」を保有・運営する第三セクター方式の鉄道会社である。社名の「野岩」は、保有路線の両端、すなわち栃木県の令制国名である「下野国」の「野」と、福島県の中通りと会津地方の明治初期に制定された旧国名である「岩代国」の「岩」に由来する。
日本鉄道建設公団の建設線で、国鉄日光線今市駅と会津線会津滝ノ原駅(現・会津高原尾瀬口駅)とを結ぶ路線である野岩線のうち、建設工事が進んでいた藤原 - 会津滝ノ原間が国鉄再建法の施行により工事が凍結されたことに伴い、同線を引き受けて運営するために設立された(名称は全て当時)。建設されなかった今市 - 藤原間は代わりに並走する東武鬼怒川線(下今市駅 - 新藤原駅)と接続された。本社は、起点である新藤原駅(栃木県日光市)に隣接して置かれている。
特記ない限り、野岩鉄道公式サイト会社情報内の「沿革」による。
会津鬼怒川線は、9駅のうち新藤原駅 - 男鹿高原駅の8駅が栃木県内、終点の会津高原尾瀬口駅が福島県にあり、関東を走るJR以外の鉄道路線では唯一、関東以外の地方とを直接結んでいる。
開業以来、東武鉄道6050系新造車および会津鉄道6050系200番台と同型の6050系電車(100番台)を保有する。2両編成2本の4両が在籍し、東武鉄道南栗橋車両管区新栃木出張所に常駐している。かつては3編成保有していたが、2022年3月12日のダイヤ改正後に61101Fが廃車され解体された。東武車と会津鉄道車も同ダイヤ改正で撤退し、会津鉄道は61201Fが解体されたことで電車を保有しなくなった。
残った車両の改修費調達のため2022年8月から10月までREADYFORでクラウドファンディングを行っている。
大人普通旅客運賃(小児半額・10円未満切り上げ)。2019年10月1日改定。PASMOやSuicaなどの交通系ICカードは利用できない。
大人特急料金(小児半額)
|
[
{
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"text": "野岩鉄道株式会社(やがんてつどう)は、栃木県と福島県を結ぶ鉄道路線「会津鬼怒川線」を保有・運営する第三セクター方式の鉄道会社である。社名の「野岩」は、保有路線の両端、すなわち栃木県の令制国名である「下野国」の「野」と、福島県の中通りと会津地方の明治初期に制定された旧国名である「岩代国」の「岩」に由来する。",
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"text": "特記ない限り、野岩鉄道公式サイト会社情報内の「沿革」による。",
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"text": "開業以来、東武鉄道6050系新造車および会津鉄道6050系200番台と同型の6050系電車(100番台)を保有する。2両編成2本の4両が在籍し、東武鉄道南栗橋車両管区新栃木出張所に常駐している。かつては3編成保有していたが、2022年3月12日のダイヤ改正後に61101Fが廃車され解体された。東武車と会津鉄道車も同ダイヤ改正で撤退し、会津鉄道は61201Fが解体されたことで電車を保有しなくなった。",
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"text": "残った車両の改修費調達のため2022年8月から10月までREADYFORでクラウドファンディングを行っている。",
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"text": "大人普通旅客運賃(小児半額・10円未満切り上げ)。2019年10月1日改定。PASMOやSuicaなどの交通系ICカードは利用できない。",
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"title": "運賃・料金"
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野岩鉄道株式会社(やがんてつどう)は、栃木県と福島県を結ぶ鉄道路線「会津鬼怒川線」を保有・運営する第三セクター方式の鉄道会社である。社名の「野岩」は、保有路線の両端、すなわち栃木県の令制国名である「下野国」の「野」と、福島県の中通りと会津地方の明治初期に制定された旧国名である「岩代国」の「岩」に由来する。 日本鉄道建設公団の建設線で、国鉄日光線今市駅と会津線会津滝ノ原駅(現・会津高原尾瀬口駅)とを結ぶ路線である野岩線のうち、建設工事が進んでいた藤原 - 会津滝ノ原間が国鉄再建法の施行により工事が凍結されたことに伴い、同線を引き受けて運営するために設立された(名称は全て当時)。建設されなかった今市 - 藤原間は代わりに並走する東武鬼怒川線と接続された。本社は、起点である新藤原駅(栃木県日光市)に隣接して置かれている。
|
{{基礎情報 会社
| 社名 = 野岩鉄道株式会社
| 英文社名 = YAGANTETSUDO RAILWAY CO.LTD.,
| ロゴ =
| 画像 = [[ファイル:Yagan Railway Shin-Fujiwara Station premises.JPG|250px|野岩鉄道本社と新藤原駅構内の留置線]]
| 画像説明 = 野岩鉄道本社と[[新藤原駅]]構内の[[留置線]]
| 種類 = [[株式会社 (日本)|株式会社]]
| 市場情報 = 非上場
| 略称 =
| 国籍 = {{JPN}}
| 郵便番号 = 321-2521
| 本社所在地 = [[栃木県]][[日光市]]藤原326番地の3<ref name="会社情報">[http://www.yagan.co.jp/company/index.html 会社情報] 野岩鉄道(2022年9月11日閲覧)</ref>
| 設立 = [[1981年]][[11月20日]]<ref name="会社情報"/>
| 業種 = 陸運業
| 事業内容 = 鉄道事業、不動産業、旅行業、広告業他<ref name="会社情報"/>
| 代表者 = [[代表取締役]][[社長]] 二瓶 正浩<ref name="会社情報"/>
| 資本金 = 10億円<br />(2019年3月31日時点<ref name="kessan38">{{Cite web|和書|date= |url=http://www.yagan.co.jp/pdf/public_notice_38.pdf |title=第38期計算書類 |format=PDF |publisher=野岩鉄道株式会社 |accessdate=2019-07-17}}</ref>)
| 発行済株式総数 = 10万株<br />(2019年3月31日時点<ref name="kessan38" />)
| 売上高 = 3億375万4000円<br />(2019年3月期<ref name="kessan38" />)
| 営業利益 = △1億9944万9000円<br />(2019年3月期<ref name="kessan38" />)
| 純利益 = △1907万3000円<br />(2019年3月期<ref name="kessan38" />)
| 純資産 = 1億4475万8000円<br />(2019年3月31日時点<ref name="kessan38" />)
| 総資産 = 5億9095万9000円<br />(2019年3月31日時点<ref name="kessan38" />)
| 従業員数 = 45人(2018年3月31日時点<ref>『鉄道統計年報』平成29年度版</ref>)
| 決算期 = 3月31日
| 主要株主 = [[福島県]] 26.30%<br />栃木県 21.52%<br />[[東武鉄道]] 20.50%<br />[[日光市]] 7.65%<br />[[東邦銀行]] 5.00%<br />[[足利銀行]] 5.00%<br />(2019年3月31日時点<ref>[[国土交通省]]鉄道局監修『[[鉄道要覧]]』令和元年度版([[電気車研究会]]・鉄道図書刊行会)</ref>)
| 主要子会社 =
| 関係する人物 =
| 外部リンク = {{Official URL}}
| 特記事項 =
}}
'''野岩鉄道株式会社'''(やがんてつどう)は、[[栃木県]]と[[福島県]]を結ぶ[[鉄道路線]]「[[野岩鉄道会津鬼怒川線|会津鬼怒川線]]」を保有・運営する[[第三セクター]]方式の鉄道会社である<ref name="会社情報"/>。社名の「野岩」は、保有路線の両端、すなわち栃木県の[[令制国]]名である「[[下野国]]」の「'''野'''」と、福島県の[[中通り]]と[[会津地方]]の[[明治]]初期に制定された[[旧国名]]である「[[岩代国]]」の「'''岩'''」に由来する<ref>[http://www.yagan.co.jp/uppdffiles/%E9%87%8E%E5%B2%A9%E9%89%84%E9%81%93%E3%81%AE%E6%97%85.pdf 「野岩鉄道の由来」『野岩鉄道の旅』時刻表付2021.3.13改正]</ref>。
[[日本鉄道建設公団]]の建設線で、[[日本国有鉄道|国鉄]][[日光線]][[今市駅]]と[[会津鉄道会津線|会津線]]会津滝ノ原駅(現・[[会津高原尾瀬口駅]])とを結ぶ路線である[[野岩鉄道会津鬼怒川線|野岩線]]のうち、建設工事が進んでいた藤原 - 会津滝ノ原間が[[日本国有鉄道経営再建促進特別措置法|国鉄再建法]]の施行により工事が凍結されたことに伴い、同線を引き受けて運営するために設立された(名称は全て当時)。建設されなかった今市 - 藤原間は代わりに並走する[[東武鬼怒川線]]([[下今市駅]] - [[新藤原駅]])と接続された。本社は、起点である新藤原駅(栃木県[[日光市]])に隣接して置かれている<ref name="会社情報"/>。<!--国鉄の建設凍結路線の建設を再開させるために第三セクター方式で鉄道会社を設立して経営を行った最初の事例で、[[三陸鉄道]]・[[樽見鉄道]]などがこれに続いた。→早い時期から三セク化に向け動いていたという意味だろうが、会社設立は三陸鉄道の方が早い。三陸鉄道と樽見鉄道は1984年開業で、野岩鉄道は1986年開業で2社よりも遅い。-->
== 沿革 ==
特記ない限り、野岩鉄道公式サイト会社情報内の「沿革」による<ref name="会社情報"/>。
*[[1922年]]([[大正]]11年) 今市 - 田島間が[[鉄道敷設法]]による敷設予定鉄道路線となる。
*[[1966年]]([[昭和]]41年)[[5月25日]] 日本鉄道建設公団工事として着工。
*[[1979年]](昭和54年)5月11日 福島・栃木両県知事に対して[[運輸大臣]]が[[第三セクター鉄道]]での運営を打診(翌年9月22日に両県が同意する旨を回答)。
*[[1981年]](昭和56年)
**[[4月1日]] 野岩線建設準備室を設置。
**7月28日 野岩鉄道株式会社の設立発起人を開催。
**[[11月19日]] 野岩鉄道株式会社の創立総会を開催(設立[[登記]]は翌日)。
**[[12月23日]] 地方鉄道事業免許取得。
*[[1982年]](昭和57年)[[1月16日]] 運輸大臣が日本鉄道建設公団に工事実施計画を指示。野岩鉄道による運行に向け工事再開。
*[[1985年]](昭和60年)[[4月26日]] 路線名を「会津鬼怒川線」と決定。各駅名も6月12日に決定。
*[[1986年]](昭和61年)[[10月9日]] 会津鬼怒川線が開業。[[東武鉄道]][[東武鬼怒川線|鬼怒川線]]・[[東武日光線|日光線]]・[[東武伊勢崎線|伊勢崎線]]と[[直通運転]]開始。
*[[1990年]]([[平成]]2年)[[10月12日]] [[会津鉄道]]会津線会津高原駅(現・会津高原尾瀬口駅) - [[会津田島駅]]間が[[鉄道の電化|電化]]<ref name="交通901013">{{Cite news |和書 |title=会津田島へ直通運転 東武鉄道浅草駅で出発式 |newspaper=[[交通新聞]] |publisher=交通新聞社 |date=1990-10-13 |page=1 }}</ref>され、会津鬼怒川線との直通運転開始<ref name="会社情報"/>{{R|交通901013}}。
*[[2000年]](平成12年)[[1月4日]] [[日本国有鉄道清算事業団]]から鉄道施設の無償譲渡を受ける。
*[[2003年]](平成15年)[[3月19日]] 会津鉄道会津線電化区間で電車受託運転を開始。
*[[2006年]](平成18年)[[3月18日]] 会津鬼怒川線の路線愛称「ほっとスパ・ライン」使用開始。
*[[2022年]]([[令和]]4年)[[8月10日]] 電車改修費を調達するための[[クラウドファンディング]]を[[READYFOR]]で開始<ref name="nikkei20220831">[https://www.nikkei.com/article/DGXZQOCC281AS0Y2A820C2000000/ 「名車改修で寄付募る 福島・栃木の三セク、野岩鉄道」][[日本経済新聞]]ニュースサイト(2022年8月31日)2022年9月11日閲覧</ref>。
== 路線 ==
*[[野岩鉄道会津鬼怒川線|会津鬼怒川線]]:[[新藤原駅]] - [[会津高原尾瀬口駅]] 30.7 km 9駅<ref name="会社情報"/><ref>[http://www.yagan.co.jp/eki/index.html 路線図・駅情報] 野岩鉄道(2022年9月11日閲覧)</ref>
会津鬼怒川線は、9駅のうち新藤原駅 - [[男鹿高原駅]]の8駅が栃木県内、終点の会津高原尾瀬口駅が福島県にあり、[[関東地方|関東]]を走る[[JR]]以外の鉄道路線では唯一、関東以外の地方とを直接結んでいる<ref>[[伊豆箱根鉄道]]も[[神奈川県]]内を走る[[伊豆箱根鉄道大雄山線|大雄山線]]と、[[静岡県]]内を走る[[伊豆箱根鉄道駿豆線|駿豆線]]があるが、神奈川県と静岡県を直接結ぶ鉄道路線はない。</ref>。
[[ファイル:Yagan Railway Line Ojika-Kōgen.JPG|none|thumb|250px|会津鬼怒川線の男鹿高原駅付近を走る電車(2011年12月21日)]]
== 車両 ==
開業以来、[[東武6050系電車|東武鉄道6050系]]新造車および[[東武6050系電車|会津鉄道6050系]]200番台と同型の[[東武6050系電車|6050系電車]](100番台)を保有する。2両[[編成 (鉄道)|編成]]2本の4両が在籍し、[[東武鉄道]][[南栗橋車両管区|南栗橋車両管区新栃木出張所]]に常駐している。かつては3編成保有していたが、2022年3月12日のダイヤ改正後に61101Fが[[廃車 (鉄道)|廃車]]され解体された。東武車と会津鉄道車も同ダイヤ改正で撤退し、会津鉄道は61201Fが解体されたことで電車を保有しなくなった。
残った車両の改修費調達のため2022年8月から10月まで[[READYFOR]]で[[クラウドファンディング]]を行っている<ref name="nikkei20220831" />。
[[ファイル:YAGANRAILWAY SERIES6050 61103F LTDEXPCONNECT.JPG|none|thumb|250px|野岩鉄道6050系100番台<br/>(2008年10月28日)]]
== 運賃・料金 ==
'''大人普通旅客[[運賃]]'''(小児半額・10円未満切り上げ)。2019年10月1日改定<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.yagan.co.jp/ticket/index.html |title=乗車券・定期券 |publisher=野岩鉄道 |accessdate=2019-10-08}}</ref><ref>{{Cite web|和書|date=2019-09-10 |url=http://www.yagan.co.jp/information/0000000595/detail.html |title=鉄道運賃の認可および改定について |publisher=野岩鉄道 |accessdate=2019-10-08}}</ref>。[[PASMO]]や[[Suica]]などの交通系ICカードは利用できない。
{| class="wikitable" rules="all" style="text-align: center;"
!キロ程!!運賃(円)
|-
|初乗り3km||style="text-align:right;"|200
|-
|4 - 6||style="text-align:right;"|300
|-
|7 - 9||style="text-align:right;"|420
|-
|10 - 12||style="text-align:right;"|520
|-
|13 - 15||style="text-align:right;"|640
|-
|16 - 18||style="text-align:right;"|740
|-
|19 - 21||style="text-align:right;"|840
|-
|22 - 24||style="text-align:right;"|920
|-
|25 - 27||style="text-align:right;"|1000
|-
|28 - 31||style="text-align:right;"|1090
|}
'''大人特急料金'''(小児半額)
*会津鬼怒川線内 380円
*:東武鉄道から乗り入れる[[特別急行列車|特急列車]]に適用。東武鉄道・会津鉄道の区間に跨って利用する場合はそれぞれの区間の料金を合算。
*:なお、「[[けごん|リバティ会津]]」で会津鬼怒川線内を含む[[鬼怒川温泉駅]] - [[会津田島駅]]相互間のみ乗車する場合、特急券なしで利用可能(座席は指定されない)。
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
{{Reflist}}
== 関連項目 ==
<!-- 東武鉄道や東武グループ各社のリンクは記事末尾の{{東武グループ}}テンプレート内にあります。-->
*[[日本の秘境100選]]
*[[会津高原]]
*[[日光国立公園]]
== 外部リンク ==
{{commonscat}}
*{{Official website}}
*{{twitter}}
*{{instagram}}
*{{facebook}}
{{東武グループ}}
{{Normdaten}}
{{DEFAULTSORT:やかんてつとう}}
[[Category:日本の鉄道事業者]]
[[Category:野岩鉄道|*]]
[[Category:栃木県の交通]]
[[Category:福島県の交通]]
[[Category:日光市の企業]]
[[Category:東武鉄道グループ]]
[[Category:第三セクター鉄道]]
|
2003-09-21T02:37:55Z
|
2023-12-03T13:18:50Z
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[
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"Template:基礎情報 会社",
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"Template:Cite news",
"Template:Normdaten",
"Template:脚注ヘルプ",
"Template:Cite web",
"Template:Official website",
"Template:Facebook"
] |
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%8E%E5%B2%A9%E9%89%84%E9%81%93
|
17,637 |
縁日
|
縁日(えんにち)とは、神仏の降誕、降臨、示現、誓願などの縁(ゆかり)のある日、すなわち有縁(うえん)の日のことである。
縁日には祭祀や供養が行われ、この日に参詣すると普段以上の御利益があると信じられた。特に、年の最初(または月の最初)の縁日を初(はつ)○○(初天神、初観音、初不動など。干支を縁日とする場合は初午、初巳など)と称し、年の最後の縁日を納め(おさめ)の○○または終い(しまい)○○と称される。
近代以降では祭りが催され、露店などが多く出る。明治期には縁日欄が新聞に掲載された。
盆踊りと同様に、縁日には伝統的に屋台が出店される場合が多いが、冬季(4月-10月頃を除く時期)の縁日には出店しない場合もある。
縁日の屋台で扱われる商品やサービスを列挙すると次のようなものがある。
|
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縁日(えんにち)とは、神仏の降誕、降臨、示現、誓願などの縁(ゆかり)のある日、すなわち有縁(うえん)の日のことである。
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[[ファイル:Arai Yakushi 001 Ennichi 2006-06-28.JPG|サムネイル|[[梅照院|新井薬師]]の縁日(東京都[[中野区]])]]
'''縁日'''(えんにち)とは、[[神 (神道)|神]][[仏]]の降誕、降臨、示現、誓願などの[[縁]](ゆかり)のある日、すなわち有縁(うえん)の日のことである<ref> 「年中行事事典」p105 1958年(昭和33年)5月23日初版発行 [[西角井正慶]]編 東京堂出版</ref>。
== 概要 ==
縁日には祭祀や供養が行われ、この日に参詣すると普段以上の御利益があると信じられた。特に、年の最初(または月の最初)の縁日を'''初(はつ)○○'''([[初天神]]、初観音、初不動など。[[干支]]を縁日とする場合は[[初午]]、初巳など)と称し、年の最後の縁日を'''納め(おさめ)の○○'''または'''終い(しまい)○○'''と称される。
近代以降では祭りが催され、露店などが多く出る。明治期には縁日欄が新聞に掲載された<ref>[[東京朝日新聞]]、[[都新聞]]など確認済</ref>。
{{quotation|「'''縁日'''」
縁日は、神社仏閣で祭神や本尊に縁のある特定の日に、祭典や供養が行われるもの。境内の外に露天が並び、お参りの人々で賑わう。明治後期には、日本橋の水天宮や、麹町の二七不動などの縁日が有名であった。日暮れの遅い夏期には、夜遅くまで縁日が開かれ、各種の露店が庶民を楽しませた。植木売りなどの露天商の絵あり。|清水晴風著『東京名物百人一首』明治40年8月「縁日」より抜粋<ref name="tokyomeibutsu-hyakunin">清水晴風著『東京名物百人一首』明治40年8月「縁日」国立国会図書館蔵書、2018年2月9日閲覧</ref>}}
== 主な縁日 ==
* [[良源|元三大師]] - [[1月3日]]
* [[宝生如来]] - 毎月3日
*[[阿閦如来]] - 毎月4日
*[[弥勒菩薩]] - 毎月5日
* [[水天宮]] - 毎月5日(25日以外の5の付く日とする所もある)
* [[薬師如来]] - 毎月8日(12日とする所もある<ref>[お薬師様の十二大願 - 奈良薬師寺 公式サイト|Yakushiji Temple Official Web Site https://yakushiji.or.jp/column/20220530/]</ref>)
* [[金毘羅]] - 毎月10日
* [[虚空蔵菩薩]] - 毎月13日
* [[日蓮|日蓮聖人]] - 毎月13日
*[[普賢菩薩]] - 毎月14日
* [[阿弥陀如来]] - 毎月15日
* [[閻魔]] - 毎月16日
* [[歓喜天]](聖天) - 毎月16日
* [[千手観音菩薩]] - 毎月17日
* [[観世音菩薩]] - 毎月18日
* [[七面天女]] - 毎月18日<ref>[http://www.kuonji.jp/shichimenzan/shichi-event.htm 身延山久遠寺のホームページ]</ref>,19日<ref>[http://www.7okunoin.net/oryouri.html 七面山奥之院のホームページ]</ref>
*[[馬頭観音|馬頭観音菩薩]] - 毎月19日
*[[十一面観音|十一面観音菩薩]] - 毎月20日
*[[准胝観音|准提観音菩薩]] - 毎月21日
* [[空海|弘法大師]] - 毎月21日
*[[如意輪観音|如意輪観音菩薩]] - 毎月22日
*[[不空羂索観音|不空羂索観音菩薩]] - 毎月23日
*[[勢至菩薩]] - 毎月23日
* [[八幡神]] - 毎月23日
* [[地蔵菩薩]] - 毎月24日
* [[愛宕権現]] - 毎月24日
*[[文殊菩薩]] - 毎月25日
* [[菅原道真|天神]] - 毎月25日([[天神祭]])
* [[法然|法然上人]] - 毎月25日
* [[愛染明王]] - 毎月26日
* [[不動明王]] - 毎月28日
* [[大日如来]] - 毎月28日
*[[釈迦如来]] - 30日
* [[妙見菩薩]] - 毎月1日,15日
* [[鬼子母神]] - 毎月8の付く日
* [[稲荷神]] - 午の日
* [[摩利支天]] - 亥の日
* [[毘沙門天]] - 1月,5月,9月の最初の寅の日
* [[大黒天]] - [[甲子]]の日
* [[弁才天]](弁財天) - [[己巳]]の日
* [[帝釈天]]・[[青面金剛]] - [[庚申]]の日
* [[延命子育地蔵尊]] (荒川区)- 毎月2の付く日(毎月2日,12日,22日)
== 縁日の屋台 ==
{{see also|屋台}}
[[盆踊り]]と同様に、縁日には伝統的に屋台が出店される場合が多いが、冬季(4月-10月頃を除く時期)の縁日には出店しない場合もある。
[[画像:Uchino town02.JPG|220px|thumb|神社に出店する屋台(画面右)]]<!-- 屋台を主にした縁日画像があれば、差し替えを願います。 -->
縁日の屋台で扱われる商品やサービスを列挙すると次のようなものがある。
* 飲食物
** [[焼き鳥]]・[[やきとん]]・[[焼き物 (料理)|串焼き]]
** 焼き[[トウモロコシ|とうもろこし]]
** [[お好み焼き]]
** [[焼きそば]]
** [[今川焼]]
** [[たい焼き]]
** [[たこ焼き]]・[[玉子焼 (明石市)|明石焼き]]
** [[大阪焼き]](○○焼き・リング焼き)
** [[イカ焼き]]・[[ポンポン焼き]]
** [[おでん]]
** [[豚汁]]
** [[もつ煮]]
** [[キャベツ焼き]]
** [[ソーセージ|フランクフルト]]
** [[アメリカンドッグ]](フレンチドッグ)
** [[フライドポテト]]
** [[唐揚げ]]
** [[ドネルケバブ|ケバブ]]
** [[ポップコーン]]
** [[綿菓子]] - [[中双糖]]を高温で熱し、[[綿]]状にした菓子。
** [[りんご飴]]・いちご飴 - [[リンゴ]]や[[イチゴ]]に[[飴]]を[[コーティング]]した菓子。
** [[あんず飴]] - [[果物]]に[[水飴]]をからめた[[菓子]]。
** [[飴細工]] - 製作の実演販売を含み、それ自体が[[見世物]]となっていた。
** [[鼈甲飴|べっこう飴]] - 2000年代にはあまり見られなくなっている。
** [[ハッカパイプ]] - [[ソフトビニール]]製の容器に[[ニホンハッカ|薄荷]][[砂糖|糖]]を入れて吸う菓子([[煙草]]ではない)。
** [[ベビーカステラ]] - おもに小麦粉からなる生地を球状に焼いた菓子。東京ケーキ、チンチン焼、ピンス焼の名で売られることもある。
** [[クレープ]]
** [[ワッフル]]
** [[ソースせんべい]] - 薄い[[煎餅]]と[[ソース (調味料)|ソース]]や[[梅ジャム]]などの[[タレ]]のセット。[[くじ]]で当選した枚数の煎餅がもらえる場合もある。
** [[チョコバナナ]] - 皮を剥いた丸ごとの[[バナナ]]を[[チョコレート]]でコーティングした菓子。
** [[団子]]
** [[餡餅]]
** [[冷菓]] - [[かき氷]](フラッペ)や[[ソフトクリーム]]、[[アイスクリーム]]、[[アイスキャンディー]]。
** [[飲料]] - [[ラムネ (清涼飲料)|ラムネ]]をはじめとする[[清涼飲料水]]のほか、[[日本酒]]や[[ビール]]、[[甘酒]]などが販売される。
* 遊戯
** 縁日すくい
*** [[金魚すくい]] - 破れ易い[[金魚すくい#ポイ|ポイ]]で[[金魚]]を掬う遊び。すくった金魚は通常持ち帰ることができる。
*** [[スーパーボール#スーパーボールすくい|スーパーボールすくい]]
*** [[風船#水風船|ヨーヨー釣り]] - カラフルな模様の水風船をかぎ針で吊り上げる遊び。
** [[射的]] - [[遊戯銃]]でコルク弾を打ち出し、倒した景品をもらえる遊び。
** [[スマートボール]] - 横になったパチンコ台でボールを穴に入れる遊び。
** [[カタヌキ]] - 小麦粉、澱粉、砂糖などで作って色づけされた板の絵柄を[[爪楊枝]]や[[針]]などで削る遊び。
** [[水中コイン落とし]]
* その他
** [[お面]] - プラスチック製の[[アニメ (日本のアニメーション作品)|アニメ]]や[[ゲーム]]、[[特撮]]などの人気[[キャラクター]]のものなどを販売する。
** [[ひよこ]] - [[養鶏]]場で商品価値の低い[[雄]]のひよこの処分手段として売られているケースがほとんどである。スプレーで着色したものを「[[カラーひよこ]]」と称して売ったり、稀に[[ウズラ]]の子(シマドリとも)などを売るものもあった。2000年代はあまり見られなくなっている<ref>ゴーシュ著『懐かしの縁日大図鑑』108 - 109頁、河出書房新社、2003年7月30日発行。ISBN 978-4309727301 </ref>。
** [[くじ]] - 景品と同じ番号を引くと景品がもらえる箱くじ(スピードクジ)や景品を括った紐の束から紐を一本引く千本引などがある。
== 脚注 ==
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<references />
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73
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73(七十三、ななじゅうさん、しちじゅうさん、ななそじあまりみつ)は自然数、また整数において、72の次で74の前の数である。
(証明)式をnについて解けば、n=3m(n+1)/2 となり、これをn − mに代入して得られる式が素数であることより、m=2が得られ、(m,n)=(2,9)が唯一の解となる。
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73(七十三、ななじゅうさん、しちじゅうさん、ななそじあまりみつ)は自然数、また整数において、72の次で74の前の数である。
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'''73'''('''七十三'''、ななじゅうさん、しちじゅうさん、ななそじあまりみつ)は[[自然数]]、また[[整数]]において、[[72]]の次で[[74]]の前の数である。
== 性質 ==
* 73 は21番目の[[素数]]である。1つ前は[[71]]、次は[[79]]。
**[[約数]]の和は[[74]] 。
*{{sfrac|1|73}} = 0.{{underline|01369863}}… (下線部は[[循環節]]で長さは8)
**[[逆数]]が[[循環小数]]になる数で[[循環節]]が8になる最小の数である。次は[[137]]。
**循環節が ''n'' になる最小の数である。1つ前の7は[[239]]、次の9は[[81]]。({{OEIS|A003060}})
*[[71]] との組(71, 73) は、8番目の[[双子素数]]である。1つ前は([[59]], [[61]])、次は([[101]], [[103]])。
*10進数表記において桁を入れ替えても素数になる6番目の[[エマープ]]である。(73 ←→ [[37]]) 1つ前は[[71]]、次は[[79]]。
* 73 は[[陳素数]]でない3番目の素数である。1つ前は[[61]]、次は[[79]]。({{OEIS|A102540}})
*すべての桁が素数である18番目の数である。1つ前は[[72]]、次は[[75]]。({{OEIS|A046034}})
**すべての桁が素数で素数になる8番目の数である。1つ前は[[53]]、次は[[223]]。({{OEIS|A019546}})
** すべての桁が異なる[[素数]]である15番目の数である。1つ前は[[72]]、次は[[75]]。({{OEIS|A124673}})
***すべての桁が異なる素数で素数になる8番目の素数である。1つ前は[[53]]、次は[[257]]。({{OEIS|A124674}})
** 3 と 7 を使った2番目の素数である。1つ前は[[37]]、次は[[337]]。({{OEIS|A020463}})
*** 73…3 の形の最小の素数である。次は[[733]]。({{OEIS|A093675}})
*** 7…73 の形の最小の素数である。次は[[773]]。({{OEIS|A093165}})
* 73 = 3{{sup|2}} + 4{{sup|3}}
** ''n'' = 3 のときの ''n''{{sup|2}} + (''n'' + 1){{sup|3}} の値とみたとき1つ前は[[31]]、次は[[141]]。({{OEIS|A168297}})
** 73 = 2{{sup|6}} + 9
*** ''n'' = 6 のときの 2{{sup|''n''}} + 9 の値とみたとき1つ前は[[41]]、次は[[137]]。({{OEIS|A188165}})
**** 2{{sup|''n''}} + 9 の形の5番目の素数である。1つ前は[[41]]、次は[[137]]。({{OEIS|A104070}})
** 73 = 4{{sup|3}} + 9
*** ''n'' = 3 のときの 4{{sup|''n''}} + 9 の値とみたとき1つ前は[[25]]、次は[[265]]。
**** 4{{sup|''n''}} + 9 の形の2番目の素数である。1つ前は[[13]]、次は1033。({{OEIS|A228027}})
*全ての自然数は、高々73個の6乗数の和で表せる。([[ウェアリングの問題]])
* 73 = 2{{sup|0}} + 2{{sup|3}} + 2{{sup|6}}
** ''a'' = 2 のときの ''a''{{sup|0}} + ''a''{{sup|3}} + ''a''{{sup|6}} の値とみたとき1つ前は[[3]]、次は[[757]]。({{OEIS|A060883}})
*** ''n''{{sup|6}} + ''n''{{sup|3}} + ''n''{{sup|0}} の形の2番目の素数である。1つ前は[[3]]、次は[[757]]。({{OEIS|A162601}})
** 73 = 8<sup>0</sup> + 8<sup>1</sup> + 8<sup>2</sup>
*** ''a'' = 8 のときの ''a''<sup>0</sup> + ''a''<sup>1</sup> + ''a''<sup>2</sup> の値とみたとき1つ前は[[57]]、次は[[91]]。
**** ''a''<sup>0</sup> + ''a''<sup>1</sup> + ''a''<sup>2</sup> で表せる6番目の[[素数]]である。1つ前は[[43]]、次は[[157]]。
*** 8の累乗和とみたとき1つ前は[[9]]、次は585。({{OEIS|A023001}})
**** 73 = {{sfrac|8{{sup|3}} − 1|8 − 1}} = {{sfrac|9{{sup|3}} + 1|9 + 1}}
* 73 = 3{{sup|4}} − 3{{sup|2}} + 3{{sup|0}}
** ''n'' = 3 のときの ''n''{{sup|4}} − ''n''{{sup|2}} + 1 の値とみたとき1つ前は[[13]]、次は[[241]]。({{OEIS|A060886}})
** 73 = {{sfrac|3{{sup|6}} + 1|3{{sup|2}} +1}}
* 4番目の[[六芒星数]]である。1つ前は[[37]]、次は[[121]]。
*[[各位の和]]が10になる7番目の数である。1つ前は[[64]]、次は[[82]]。
**各位の和が10になる数で[[素数]]になる3番目の数である。1つ前は[[37]]、次は[[109]]。({{OEIS|A107579}})
* 73 = 2{{sup|3}} × 3{{sup|2}} + 1
** 9番目の[[ピアポント素数]]である。1つ前は[[37]]、次は[[97]]。({{OEIS|A005109}})
** ''n'' = 3 のときの 2{{sup|''n''}} × ''n''{{sup|2}} + 1 の値とみたとき1つ前は[[17]]、次は[[257]]。({{OEIS|A248917}})
** ''n'' = 2 のときの ''n''{{sup|3}} × 3{{sup|''n''}} + 1 の値とみたとき1つ前は[[4]]、次は[[730]]。({{OEIS|A168299}})
*73 = 9{{sup|2}} − 2{{sup|3}} = 10{{sup|2}} − 3{{sup|3}}
**''n''{{sup|2}} − ''m''{{sup|3}} = (''n'' + 1){{sup|2}} − (''m'' + 1){{sup|3}} の形をした自然数の中で唯一の素数である。
(証明)式を''n''について解けば、''n''=3''m''(''n''+1)/2 となり、これを''n''{{sup|2}} − ''m''{{sup|3}}に代入して得られる式が素数であることより、''m''=2が得られ、(''m'',''n'')=(2,9)が唯一の解となる。
* 73 = 3{{sup|2}} + 8{{sup|2}}
** 異なる2つの[[平方数]]の和で表せる21番目の数である。1つ前は[[68]]、次は[[74]]。({{OEIS|A004431}})
** ''n'' = 2 のときの 3{{sup|''n''}} + 8{{sup|''n''}} の値とみたとき1つ前は[[11]]、次は[[539]]。({{OEIS|A074609}})
** 73 = 4{{sup|3}} + 3{{sup|2}}
*** 4{{sup|''n''}} + ''n''{{sup|2}} で表せる2番目の素数である。1つ前は[[5]]、次は1049。({{OEIS|A182328}})
*73 = 1{{sup|2}} + 6{{sup|2}} + 6{{sup|2}}
** 3つの[[平方数]]の和1通りで表せる35番目の数である。1つ前は[[72]]、次は[[76]]。({{OEIS|A025321}})
* 73 = 1{{sup|3}} + 2{{sup|3}} + 4{{sup|3}}
** 3つの[[正の数]]の[[立方数]]の和1通りで表せる11番目の数である。1つ前は[[66]]、次は[[80]]。({{OEIS|A025395}})
** 3つの[[正の数]]の[[立方数]]の和で表せる5番目の[[素数]]である。1つ前は[[43]]、次は[[127]]。({{OEIS|A007490}})
**異なる3つの[[正の数]]の[[立方数]]の和1通りで表せる2番目の数である。1つ前は[[36]]、次は[[92]]。({{OEIS|A025399}})
**異なる3つの[[正の数]]の[[立方数]]の和で表せる最小の素数である。次は[[197]]。({{OEIS|A122723}})
** ''n'' = 3 のときの 1{{sup|''n''}} + 2{{sup|''n''}} + 4{{sup|''n''}} の値とみたとき1つ前は[[21]]、次は[[273]]。({{OEIS|A001576}})
* ''n'' = 73 のときの ''n''! + 1 で表せる 73! + 1 は8番目の[[階乗素数]]である。1つ前は[[41]]、次は[[77]]。({{OEIS|A002981}})
== その他 73 に関すること ==
*[[原子番号]] 73 の[[元素]]は[[タンタル]] (Ta)。
<!--* [[カトリック]]([[聖書]])では、哀しみの回数は73回あると言われる。-->
*[[アマチュア無線]]では、男性に対する別れの挨拶が 73 (Seventy-three) である。元々は "Best regards" の略号で、非英語話者の間での意思疎通が容易になるように用いられた。[[モールス信号]]で 73 は回文になる(--... ...--)。なお、女性に対しては [[88]] と言う。
**『[[73 (雑誌)|73]]』は、アメリカ合衆国でかつて発刊されていたアマチュア無線に関する雑誌。
*第73代[[天皇]]は[[堀河天皇]]である。
*[[日本]]の第73代[[内閣総理大臣]]は[[中曽根康弘]]である。
*第73代[[教皇|ローマ教皇]]は[[テオドルス1世 (ローマ教皇)|テオドルス1世]](在位:[[642年]][[11月24日]]~[[649年]][[5月14日]])である。
*[[年始]]から数えて([[平年]]の)73日目は[[3月14日]]。
*[[メジャーリーグベースボール|大リーグ]]の年間最多[[本塁打]]記録は[[バリー・ボンズ]]の73本である。
*[[クルアーン]]における第73番目の[[スーラ (クルアーン)|スーラ]]は[[衣を纏う者 (クルアーン)|衣を纏う者]]である。
*[[1986年]][[1月28日]]に打ち上げられた米国の[[スペースシャトル]][[スペースシャトル・チャレンジャー|チャレンジャー号]]は打ち上げ 73 秒後に爆発した。
*[[総合格闘技]]団体の『[[PRIDE (格闘技イベント)|PRIDE]]』では、[[ライト級]]が73kg契約と規定されていた。(世界的に普及している[[ネバダ州アスレチック・コミッション]]および[[ボクシング・コミッション協会]]のユニファイドルールにおいては、ライト級は70.3 kg以下となっている。)
* [[こおろぎ'73]]は日本のコーラスユニット。
== 関連項目 ==
{{数字2桁|7|}}
*[[7月3日]]
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薬師如来
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薬師如来(やくしにょらい、サンスクリット語: भैषज्यगुरु、Bhaiṣajyaguru、バイシャジヤグル)、あるいは薬師瑠璃光如来(やくしるりこうにょらい)は、大乗仏教における信仰対象である如来の一尊。大医王、医王善逝(いおうぜんぜい)とも称する。
三昧耶形は薬壺、または丸薬の入った鉢。種字は尊名のイニシャルのバイ(भै、bhai)。
薬師如来が説かれている代表的な経典は、永徽元年(650年)の玄奘訳『薬師瑠璃光如来本願功徳経』(薬師経)と、景竜元年(707年)の義浄訳『薬師瑠璃光七佛本願功徳経』(七仏薬師経)であるが、そのほかに建武〜永昌年間(317〜322年)の帛尸梨蜜多羅訳、大明元年(457年)の慧簡訳、大業11年(615年)の達磨笈多訳が知られている。
薬師本願功徳経では、薬師如来は東方浄瑠璃世界(瑠璃光浄土とも称される)の教主で、菩薩の時に12の大願を発し、この世門における衆生の疾病を治癒して寿命を延べ、災禍を消去し、衣食などを満足せしめ、かつ仏行を行じては無上菩提の妙果を証らしめんと誓い仏と成ったと説かれる。瑠璃光を以て衆生の病苦を救うとされている。無明の病を直す法薬を与える医薬の仏として、如来には珍しく現世利益信仰を集める。
密教経典としては「薬師瑠璃光如来消災除難念誦儀軌」「薬師七仏供養儀軌如意王経」等がある。
真言宗では両部曼荼羅に記されていないが、東寺の金堂本尊(重要文化財)であり、醍醐寺の上醍醐や薬師堂の本尊(国宝)であり、国家鎮護の如来として多くの真言宗寺院の本尊として重視されている。「覚禅抄(東密)」において胎蔵大日如来と同体と説かれている。雑密系の別尊曼荼羅では中尊となる事も多い。
一方で伝統的に朝廷と結びつきが強かった天台宗(台密)では、薬師如来が東方浄瑠璃世界の教主であることから、東の国(日本)の帝である天皇と結び付けられもした。「阿裟縛抄(台密)」で釈迦如来・大日如来と一体とされているが、顕教での妙法蓮華経に説かれる久遠実成の釈迦如来=密教の大日如来との解釈と、釈迦如来の衆生救済の姿という二つの見方による。
東方の如来という事から五智如来の阿閦如来とも同一視される(例:高野山壇上伽藍金堂)。
チベット仏教(蔵密)でもよく信仰されており、しばしばチベット僧により日本でも灌頂(かんじょう)が執り行われる。
十二の大願は以下の通り。
義浄訳「薬師瑠璃光七仏本願功徳経(七仏薬師経)」や達磨笈多訳「薬師如来本願経」では、薬師如来を主体とした七尊の仏の本願と仏国土が説かれる。天台密教では、円仁から始まったとされる七仏薬師法が息災・安産をもたらすとして重要視され、8-9世紀には藤原摂関家で同法による安産祈願が行われた。
江戸時代に初代将軍徳川家康が神格化されて神君と呼ばれるようになった。当時徳川将軍家のブレーンであった天海大僧正などの働きもあり、朝廷より徳川家康に「東照大権現」の神号が下され、天台宗系の山王一実神道によって日光東照宮に祭祀された。この東照権現信仰では薬師如来を本地とした。
また、徳川家康は生母於大の方が鳳来寺(愛知県新城市)の本尊の薬師如来に祈願して誕生したと言われ、家康は薬師如来が人間界に現れたものとも言われる。
薬師如来の真言は、以下の通り。
オン コロコロ センダリ マトウギ ソワカ(oṃ huru huru caṇḍāli mātaṅgi svāhā)
※「センダリ」「マトウギ」とは、病気の原因たる病原体や災厄の意味であり、同語で表される被差別階級の意味はここでは有しない。
オン ビセイゼイ ビセイゼイ ビセイジャサンボリギャテイ ソワカ(Oṃ bhaiṣajye bhaiṣajye bhaiṣajyasamudgate svāhā)
ノウマク バギャバテイ バイセイジャ クロ ベイルリヤ ハラバ アラジャヤ タタギャタヤ アラカテイ サンミャクサンボダヤ タニヤタ オン バイセイゼイ バイセイゼイ マカバイセイジャサンボリギャテイ ソワカ(Namo bhagavate bhaiṣajyaguru vaiḍūryaprabharājāya tathāgatāya arhate samyaksambuddhāya tadyathā oṃ bhaiṣajye bhaiṣajye mahābhaiṣajya-samudgate svāhā)
像容は、立像・坐像ともにあり、印相は右手を施無畏(せむい)印、左手を与願印とし、左手に薬壺(やっこ)を持つのが通例である。ただし、日本での造像例を見ると、奈良・薬師寺金堂像、奈良・唐招提寺金堂像のように、古代の像では薬壺を持たないものも多い。これは、不空訳「薬師如来念誦儀軌」の伝来以降に薬壺を持つ像が造られるようになったと考えられている。単独像として祀られる場合と、日光菩薩・月光菩薩を脇侍とした薬師三尊像として安置される場合がある。また、眷属として十二神将像をともに安置することが多い。薬師如来の光背には、七体または六体、もしくは七体の同じ大きさの像容がある。これは七仏薬師といって薬師如来とその化身仏とされる。
薬師如来の縁日は毎月8日である。これは、薬師如来の徳を講讃する「薬師講」に由来すると考えられている。なお、毎月12日とする所もあり、これは薬師如来の十二大願に由来すると考えられている。
国分寺のほとんどは現在は薬師如来を本尊としている。
現世利益的信仰が有力な日本においては、薬師如来は病気平癒などを祈願しての造像例が多い。極楽往生を約束する仏である阿弥陀如来とともに、日本においてはもっとも信仰されてきた如来である。奈良・法隆寺金堂の薬師如来坐像は光背に推古天皇15年(607年)の銘があるが、銘文中の用語や像自体の鋳造技法等から、実際の制作は7世紀後半と言われている。また、現世利益を司る数少ない如来であることから、延暦寺、神護寺、東寺、寛永寺のような典型的な(国家護持の祈りを担う)密教寺院においても薬師如来を本尊とするところが多い。
日本において造像は極めて多数であり、ここでは国宝を列挙するにとどめる。
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"text": "像容は、立像・坐像ともにあり、印相は右手を施無畏(せむい)印、左手を与願印とし、左手に薬壺(やっこ)を持つのが通例である。ただし、日本での造像例を見ると、奈良・薬師寺金堂像、奈良・唐招提寺金堂像のように、古代の像では薬壺を持たないものも多い。これは、不空訳「薬師如来念誦儀軌」の伝来以降に薬壺を持つ像が造られるようになったと考えられている。単独像として祀られる場合と、日光菩薩・月光菩薩を脇侍とした薬師三尊像として安置される場合がある。また、眷属として十二神将像をともに安置することが多い。薬師如来の光背には、七体または六体、もしくは七体の同じ大きさの像容がある。これは七仏薬師といって薬師如来とその化身仏とされる。",
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薬師如来、あるいは薬師瑠璃光如来(やくしるりこうにょらい)は、大乗仏教における信仰対象である如来の一尊。大医王、医王善逝(いおうぜんぜい)とも称する。 三昧耶形は薬壺、または丸薬の入った鉢。種字は尊名のイニシャルのバイ(भै、bhai)。
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{{出典の明記|date=2018年3月31日 (土) 21:30 (UTC)|title=導入部以外の大半は出典がない。}}
{{Infobox Buddha
|名=薬師如来
|梵名=「バイシャジヤグル」<br/>भैषज्यगुरु<br/>भैषज्यगुरुवैडूर्यप्रभराज
|蔵名=སངས་རྒྱས་སྨན་བླ
|別名=薬師瑠璃光如来<br/>薬師仏<br/>大医王<br/>医王善逝
|種字=[[File:BonjiBhai.png|25px]] バイ
|真言・陀羅尼=オン・コロコロ・センダリ・マトウギ・ソワカ 他<br/>([[#真言]]参照)
|画像= [[File:慧日寺 薬師如来坐像.jpg|260px]]
|説明文= 慧日寺跡 薬師如来坐像
|経典=『[[薬師瑠璃光如来本願功徳経]]』<br/>『薬師瑠璃光如来消災除難念誦儀軌』<br/>『薬師七仏供養儀軌如意王経』
|主要経典注釈書=
|信仰= [[密教]]<br/>[[真言宗]]<br/>[[天台宗]]<br/>[[十三仏|十三仏信仰]]<br/>[[チベット仏教]]
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|関連項目= [[大日如来]]<br/>[[釈迦如来]]<br/>[[阿閦如来]]<br/>[[日光菩薩]]<br/>[[月光菩薩]]
}}
[[File:Yakushi Nyorai Gankoji.jpg|thumb|right|140px|木造薬師如来立像<br />([[国宝]]・[[元興寺]]蔵{{efn|[[奈良国立博物館]]に寄託。}})]]
'''薬師如来'''(やくしにょらい、{{翻字併記|sa|भैषज्यगुरु|Bhaiṣajyaguru|n|区=、}}{{refnest|name="ブリタニカ国際大百科事典"}}、'''バイシャジヤグル''')、あるいは'''薬師瑠璃光如来'''(やくしるりこうにょらい)は、[[大乗仏教]]における信仰対象である[[如来]]の一尊。'''大医王'''、'''医王善逝'''(いおうぜんぜい)とも称する{{refnest|name="ブリタニカ国際大百科事典"|[https://kotobank.jp/word/%E8%96%AC%E5%B8%AB%E5%A6%82%E6%9D%A5-143514 「薬師如来」 - ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典]}}。
[[三昧耶形]]は[[薬壺]]、または[[丸薬]]の入った[[鉢]]。[[種子 (密教)|種字]]は尊名のイニシャルのバイ(भै、{{IAST|bhai}}){{Sfn|藤巻・羽田・大宮|2004|page=96}}。
== 概要 ==
薬師如来が説かれている代表的な経典は、[[永徽]]元年([[650年]])の玄奘訳『'''[[薬師瑠璃光如来本願功徳経]]'''』([[薬師経]])と、[[景龍 (唐)|景竜]]元年([[707年]])の[[義浄]]訳『[[薬師瑠璃光七佛本願功徳経]]』([[七仏薬師経]])であるが、そのほかに[[建武 (東晋)|建武]]〜[[永昌 (東晋)|永昌]]年間(317〜322年)の[[帛尸梨蜜多羅]]訳、[[大明 (南朝宋)|大明]]元年([[457年]])の[[慧簡]]訳、[[大業]]11年([[615年]])の[[達磨笈多]]訳が知られている。
薬師本願功徳経では、薬師如来は[[東方浄瑠璃世界]](瑠璃光[[浄土]]とも称される)の教主で、[[菩薩]]の時に[[#十二大願|12の大願]]を発し、この世門における衆生の疾病を治癒して寿命を延べ、災禍を消去し、衣食などを満足せしめ、かつ仏行を行じては無上菩提の妙果を証らしめんと誓い仏と成ったと説かれる。[[瑠璃]]光を以て[[衆生]]の病苦を救うとされている。[[無明]]の病を直す法薬を与える医薬の仏として、如来には珍しく現世利益信仰を集める。
== 密教との関係 ==
密教経典としては「薬師瑠璃光如来消災除難念誦儀軌」「薬師七仏供養儀軌如意王経」等がある。
[[真言宗]]では両部曼荼羅に記されていないが、東寺の金堂本尊(重要文化財)であり、醍醐寺の上醍醐や薬師堂の本尊(国宝)であり、国家鎮護の如来として多くの真言宗寺院の本尊として重視されている。「覚禅抄(東密)」において[[大日如来|胎蔵大日如来]]と同体と説かれている。雑密系の別尊曼荼羅では中尊となる事も多い。
一方で伝統的に[[朝廷 (日本)|朝廷]]と結びつきが強かった[[天台宗]]([[台密]])では、薬師如来が東方浄瑠璃世界の教主であることから、東の国(日本)の帝である[[天皇]]と結び付けられもした。「阿裟縛抄(台密)」で釈迦如来・大日如来と一体とされているが、顕教での[[妙法蓮華経]]に説かれる久遠実成の[[釈迦如来]]=密教の大日如来との解釈と、釈迦如来の衆生救済の姿という二つの見方による。
東方の如来という事から[[五智如来]]の[[阿閦如来]]とも同一視される(例:高野山壇上伽藍金堂)。
チベット仏教(蔵密)でもよく信仰されており、しばしばチベット僧により日本でも灌頂(かんじょう)が執り行われる。
== 十二大願 ==
十二の大願は以下の通り{{Sfn|荒井|1917|pages=63-66}}。
# 自身の{{読み仮名|光明照耀|こうみょうしょうよう}}に依って、一切衆生をして[[三十二相]]八十{{読み仮名|随形|ずいぎょう}}を具せしむるの願。
# 衆生の意に随うて光明を以て諸種の事業を成弁せしむること。
# 衆生をして欠乏を感ぜしめず、無尽の受用を得せしむること。
# 邪道を行ずる者を誘引して皆菩提道に入らしめ、大乗の悟りを開かしむること。
# 衆生をして[[梵行]]を修して清浄なることを得、決して[[悪趣]]に堕せしめざること。
# 六根具足して{{読み仮名|醜陋|しゅうろう}}ならず、{{読み仮名|身相端正|しんそうたんせい}}にして諸の病苦なからしむること。
# 前述の如く諸病悉除。
# {{読み仮名|女|にょ}}を転じて{{読み仮名|男|なん}}と成し、丈夫の相を具して成仏せしむること。
# [[外道]]の[[邪見]]に捕らえられて居る者を[[正見]]に{{読み仮名|復|ふく}}せしめ、無上菩提を得せしむること。
# もろもろの{{読み仮名|災難|さいなん}}{{読み仮名|刑罰|けいばつ}}を免れしめ、一切の憂苦を解脱せしむること。
# {{読み仮名|飢渇|きかつ}}に悩まされ食を求むる者には、{{読み仮名|飯食|ばんじき}}を飽満せしめ、又{{読み仮名|法味|ほうみ}}を授けて安楽を得せしむること。
# 所求満足の誓いで、衆生の欲するに任せて衣服珍宝等一切の{{読み仮名|宝荘厳|ほうしょうごん}}を得せしめんとすること。
== 七仏薬師 ==
義浄訳「薬師瑠璃光七仏本願功徳経(七仏薬師経)」や達磨笈多訳「薬師如来本願経」では、薬師如来を主体とした七尊の仏の本願と仏国土が説かれる。天台密教では、[[円仁]]から始まったとされる七仏薬師法が息災・安産をもたらすとして重要視され、8-9世紀には藤原[[摂関家]]で同法による安産祈願が行われた。
*善名称吉祥王如来(ぜんみょうしょうきちじょうおうにょらい)
*宝月智厳光音自在王如来(ほうがつちごんこうおんじざいおうにょらい)
*金色宝光妙行成就王如来(こんじきほうこうみょうぎょうじょうじゅおうにょらい)
*無憂最勝吉祥王如来(むうさいしょうきちじょうおうにょらい)
*法海雲雷音如来(ほうかいうんらいおんにょらい)
*法海勝慧遊戯神通如来(ほうかいしょうえゆげじんつうにょらい)
*薬師瑠璃光如来(やくしるりこうにょらい)
== 東照権現信仰 ==
[[江戸時代]]に初代将軍[[徳川家康]]が神格化されて'''神君'''と呼ばれるようになった。当時[[徳川将軍家]]の[[ブレーントラスト|ブレーン]]であった[[天海]]大僧正などの働きもあり、[[朝廷 (日本)|朝廷]]より徳川家康に「[[徳川家康#墓所・霊廟|東照大権現]]」の[[神号]]が下され、天台宗系の[[山王一実神道]]によって[[日光東照宮]]に祭祀された。この東照権現信仰では薬師如来を[[本地]]とした。
また、徳川家康は生母[[於大の方]]が[[鳳来寺]]([[愛知県]][[新城市]])の[[本尊]]の薬師如来に祈願して誕生したと言われ、家康は薬師如来が人間界に現れたものとも言われる。
== 真言 ==
薬師如来の[[真言]]は、以下の通り。
=== 小咒 ===
オン コロコロ センダリ マトウギ ソワカ({{IAST|oṃ huru huru caṇḍāli mātaṅgi svāhā}}){{efn|これは無能勝明王(アパラージタ)の真言と混同される。無能勝明王の真言はナウマクサマンダボダナン・ジリンジリン・リンリン・シリンシリン・ソワカである。}}{{efn|「密教の神々—その文化史的考察」(佐藤任 著、平河出版社、1979年7月, ISBN 978-4582766738)では「[[オーム (聖音)|オーン]]、取り払え、チャンダーリーよ、マータンギーよ、[[スヴァーハー]]」と訳して、チャンダーリーはインドの賎民の女、またマータンギーは摩登伽族の女と解釈している。インドのマータンギー女神(Matangi devi)については、英語版のwikipediaの[[:en:Matangi]]を参照。パールヴァティー女神が賎民に変身してシヴァ神に対して、「私はマータンギー。チャンダーラ族の娘です。」と名乗ったとされる}}{{Sfn|正木|2019|page=100}}
※「センダリ」「マトウギ」とは、病気の原因たる病原体や災厄の意味であり、同語で表される被差別階級の意味はここでは有しない。
=== 中咒(台密) ===
オン ビセイゼイ ビセイゼイ ビセイジャサンボリギャテイ ソワカ({{IAST|Oṃ bhaiṣajye bhaiṣajye bhaiṣajyasamudgate svāhā}}){{efn|[[比叡山]][[延暦寺根本中堂]]での勤行。}}
=== 大咒(東密) ===
ノウマク バギャバテイ バイセイジャ クロ ベイルリヤ ハラバ アラジャヤ タタギャタヤ アラカテイ サンミャクサンボダヤ タニヤタ オン バイセイゼイ バイセイゼイ マカバイセイジャサンボリギャテイ ソワカ({{IAST|Namo bhagavate bhaiṣajyaguru vaiḍūryaprabharājāya tathāgatāya arhate samyaksambuddhāya tadyathā oṃ bhaiṣajye bhaiṣajye mahābhaiṣajya-samudgate svāhā}}){{efn|薬師本願功徳経に説かれている。「薬師世尊、瑠璃光の王、如来、応供、正等正覚、に帰依いたします。すなわち:オーン、薬よ、薬よ、大いなる薬、医薬よ、スヴァーハー。」}}
== 仏像 ==
=== 像容 ===
像容は、立像・坐像ともにあり、[[印相]]は右手を施無畏(せむい)印、左手を与願印とし、左手に薬壺(やっこ)を持つのが通例である。ただし、日本での造像例を見ると、奈良・[[薬師寺]]金堂像、奈良・[[唐招提寺]]金堂像のように、古代の像では薬壺を持たないものも多い。これは、[[不空]]訳「薬師如来念誦儀軌」の伝来以降に薬壺を持つ像が造られるようになったと考えられている。単独像として祀られる場合と、[[日光菩薩]]・[[月光菩薩]]を脇侍とした[[薬師三尊]]像として安置される場合がある。また、眷属として[[十二神将]]像をともに安置することが多い。薬師如来の光背には、七体または六体、もしくは七体の同じ大きさの像容がある。これは[[#七仏薬師|七仏薬師]]といって薬師如来とその化身仏とされる。
薬師如来の[[縁日]]は毎月8日である。これは、薬師如来の徳を講讃する「薬師講」に由来すると考えられている。なお、毎月12日とする所もあり、これは薬師如来の十二大願に由来すると考えられている<ref>[https://yakushiji.or.jp/column/20220530/ お薬師様の十二大願] - 奈良薬師寺 公式サイト</ref>。
[[国分寺]]のほとんどは現在は薬師如来を本尊としている。
<gallery>
ファイル:Triad of Yakushi Nyorai.JPG|薬師三尊像(薬師寺)
ファイル:Bhaisajyaguru_of_Shin-Yakushi-ji.jpg|薬師座像 [[行基]]・作(新薬師寺)
ファイル:YakushiNyorai.jpg|薬師如来(『図像抄』)
ファイル:Yaukushi-nyorai-Kumano-jinja-Fukuoka-Japan.jpg|薬師如来(今山、福岡市西区今宿)
</gallery>
=== 日本における造像例 ===
現世利益的信仰が有力な日本においては、薬師如来は病気平癒などを祈願しての造像例が多い。極楽往生を約束する仏である[[阿弥陀如来]]とともに、日本においてはもっとも信仰されてきた如来である。奈良・[[法隆寺]]金堂の薬師如来坐像は光背に[[推古天皇]]15年(607年)の銘があるが、銘文中の用語や像自体の鋳造技法等から、実際の制作は7世紀後半と言われている。また、現世利益を司る数少ない如来であることから、[[延暦寺]]、[[神護寺]]、[[東寺]]、[[寛永寺]]のような典型的な(国家護持の祈りを担う)密教寺院においても薬師如来を本尊とするところが多い。
=== 国宝指定の薬師如来像 ===
日本において造像は極めて多数であり、ここでは国宝を列挙するにとどめる。
* 福島・[[勝常寺]]像(薬師三尊の中尊、坐像、平安時代前期)
* 京都・[[仁和寺]](旧北院)像(坐像、平安時代)
* 京都・[[神護寺]]像(立像、平安時代初期)
* 京都・[[醍醐寺]](上醍醐)薬師堂像(薬師三尊の中尊、坐像、平安時代前期)
* 大阪・[[獅子窟寺]]像(坐像、平安時代前期)
* 奈良・[[法隆寺]]金堂像(坐像、飛鳥~奈良時代)
* 奈良・[[法隆寺]]大講堂像(薬師三尊の中尊、坐像、平安時代中期)
* 奈良・[[唐招提寺]]金堂像(立像、奈良時代~平安時代初期)
* 奈良・[[薬師寺]]像(薬師三尊の中尊、坐像、奈良時代)
* 奈良・[[新薬師寺]]像(坐像、平安時代初期)
* [[奈良国立博物館]]像(坐像、平安時代前期)
* 奈良・[[元興寺]](奈良市芝新屋町)像(立像、平安時代前期)
== 関連霊場 ==
* [[関東九十一薬師霊場]]
* [[中部四十九薬師霊場]]
* [[東海四十九薬師霊場]]
* [[西国薬師四十九霊場|西国四十九薬師霊場]]
* [[京都十二薬師霊場]]
* [[播州薬師霊場]]
* [[播磨八薬師霊場]]
* [[中国四十九薬師霊場]]
* [[阿波北嶺薬師霊場]]
* [[九州四十九院薬師霊場]]
* [[安房国四十八ヶ所薬師如来霊場]]
* [[武相寅年薬師霊場]]
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{notelist}}
=== 出典 ===
{{reflist}}
== 参考文献 ==
*{{Cite book|和書|author = 荒井涙光|year = 1917|title = 十三仏講話 : 布教資料||series= |url= https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/944199|publisher = 森江本店|ref = {{SfnRef|荒井|1917}} }}
*{{Cite book|和書|author= 正木晃|authorlink=正木晃|year = 2019|title = 密教の聖なる呪文||series= |publisher = ビイング・ネット・プレス|ref = {{SfnRef|正木|2019}} }}
*{{Cite book|和書|author1 = 藤巻一保|author2 = 羽田守快|author3 = 大宮司朗|year = 2004|title = 印と真言の本―神仏と融合する密教秘法大全||series= |publisher = 学研プラス|ref = {{SfnRef|藤巻・羽田・大宮|2004}} }}
== 関連項目 ==
{{Commonscat|Bhaisajyaguru|薬師如来}}
* [[仏の一覧]]
* [[薬王菩薩]]
* [[薬上菩薩]]
* [[東光寺 (曖昧さ回避)]]
* [[東光院 (曖昧さ回避)]]
* [[薬師寺 (曖昧さ回避)]]
* [[薬師堂]]
* [[薬師三尊]]
* [[医王山 (曖昧さ回避)]]、[[医王寺 (曖昧さ回避)]]、[[医王院 (曖昧さ回避)]]
* [[薬王寺 (曖昧さ回避)]]、[[薬王院 (曖昧さ回避)]]
* [[瑠璃 (曖昧さ回避)]]、[[浄瑠璃]]
* [[国分寺]]
== 外部リンク ==
* [https://ichibata.jp/?page_id=927 薬師如来] - [[一畑寺|一畑薬師]]の公式サイト
* {{Kotobank}}
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[[Category:薬師如来|*]]
[[Category:如来]]
[[category:日本の密教]]
[[Category:密教]]
[[Category:祇園信仰]]
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鬼子母神
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鬼子母神(きしもじん/きしぼじん)、サンスクリット語: हारीती、Hārītī、 ハーリーティー)は、仏教を守護する天部の一尊。梵名ハーリーティーを音写した訶利帝、迦梨底、柯梨帝(いずれも読みは“かりてい“)、訶利帝母、訶梨帝母(かりていも)とも言う。
三昧耶形は吉祥果。種字はウーン(हूं hūṃ)。
「きしぼじん」という読み方は「ぼ」が漢音表記であり、呉音を通例とする仏教用語としては一貫したものではない。東京都豊島区にある法明寺鬼子母神堂(この鬼は一画目の点が無い字が正)は「きしもじん」である。ただ同堂の近くに位置する都電荒川線の鬼子母神前停留場は「きしぼじんまえ」が正式名になっている。
夜叉毘沙門天(クベーラ)の部下の武将八大夜叉大将(パーンチカ、散支夜叉、半支迦薬叉王)の妻で、500人(一説には千人または1万人)の子の母であったが、これらの子を育てるだけの栄養をつけるために人間の子を捕えて食べていた。そのため多くの人間から恐れられていた。
それを見かねた釈迦は、彼女が最も愛していた末子のピンガラ(Piṅgala,氷竭羅天、嬪伽羅、氷迦羅、畢哩孕迦)を乞食(こつじき)に用いる鉢に隠した。彼女は半狂乱となって世界中を7日間駆け抜け探し回ったが発見するには至らず、助けを求めて釈迦に縋ることとなる。
そこで釈迦は、「多くの子を持ちながら一人を失っただけでお前はそれだけ嘆き悲しんでいる。それなら、ただ一人の子を失う親の苦しみはいかほどであろうか。」と諭し、鬼子母神が教えを請うと、「戒を受け、人々をおびやかすのをやめなさい、そうすればすぐにピンガラに会えるだろう」と言った。彼女が承諾し、三宝に帰依すると、釈迦は隠していた子を戻した。
そして五戒を守り、施食によって飢えを満たすこと等を教えた。かくして彼女は仏法の守護神となり、また、子供と安産の守り神となった。盗難除けの守護ともされる。
インド(ヒンドゥー教)では、とりわけ子授け、安産、子育ての神として祀られ、日本でも密教の盛行に伴い、小児の息災や福徳を求めて、鬼子母神を本尊とする訶梨帝母法が修せられたり、上層貴族の間では、安産を願って訶梨帝母像を祀り、訶梨帝母法を修している。
また、法華経において鬼子母神は、十羅刹女と共に法華信仰者の擁護と法華経の弘通を妨げる者を処罰することを誓っていることから、日蓮はこれに基づき文字で表現した法華曼荼羅に鬼子母神の号を連ね、2者に母子の関係を設定している。このことが、法華曼荼羅の諸尊の彫刻化や絵像化が進むなかで、法華信仰者の守護神としての鬼子母神の単独表現の元となった。
その像は天女のような姿をし、子供を1人抱き、右手には吉祥果を持つ。なおこれをザクロで表現するのは中国文化での影響であり、これは仏典が漢訳された時は吉祥果の正体が分からなかったために代用表現したものである。よって仏典中の吉祥果とザクロは同一ではない。また鬼子母神が人間の子を食べるのを止めさせるために、人肉の味がするザクロを食するように釈迦が勧めたからと言われるのは、日本で作られた俗説にすぎない。
日蓮宗では、子安鬼子母神が祀られるほか、近世に入って以降、法華経陀羅尼品に依拠する祈祷が盛んとなり鬼子母神を祈祷本尊に位置付けるに至ったこともあり、鬼形の鬼子母神像も多く造られるようになった。これは、法華経の教えを広めることを妨げる者(仏敵)を威圧する破邪調伏の姿を表現したものである。この鬼形鬼子母神の造像については、明確な区分ではないものの、関東と関西では異なる傾向がみられる。関東では総髪で合掌した姿であり、子供を伴ってはいない。他方、関西では総髪ではあるものの角を生やし、口が裂け、子供を抱く(あるいは、左手で子供と手を繋ぐ)姿である。また、子どもを抱き宝冠を付けた姿は一見すると天女形であるが、形相が天女形から鬼形に変容する過程にあると思われる珍しい像が存在することも確認されている。
鬼子母神は、法華経の守護神として日蓮宗・法華宗の寺院で祀られることが多く、「恐れ入谷の鬼子母神」の地口で知られる東京都台東区入谷の真源寺、東京都豊島区雑司が谷の法明寺鬼子母神堂(鬼の字には「角」が無い)、千葉県市川市の遠寿院(法華経寺塔頭)の鬼子母神が有名である(江戸三大鬼子母神)。
縁日は毎月8の付く日(8日,18日,28日)である。また、お会式に併せて大祭を行う寺もある。なお、「鬼子母神」の「鬼」の表記について、寺院によっては、第一画目の点がない字を用いる場合がある。これは、鬼子母神が釈尊に諭されて改心した結果、角が外れたためである。
西遊記の雑劇である元曲の『雜劇·楊景賢·西遊記·第三本』第十二折鬼母皈依、『鬼子母掲鉢記』、『西天取経』(呉昌齢)第12齣の鬼母帰依などでは愛奴児が三蔵法師を捕まえており、そこに登場した釈迦如来に帰依する。雜劇·楊景賢·西遊記·第三本では愛奴児の別称が紅孩児となっている。明以降の西遊記では紅孩児の回で観音菩薩のところで一箇所取次ぎに顔をだすのみになった。
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"text": "それを見かねた釈迦は、彼女が最も愛していた末子のピンガラ(Piṅgala,氷竭羅天、嬪伽羅、氷迦羅、畢哩孕迦)を乞食(こつじき)に用いる鉢に隠した。彼女は半狂乱となって世界中を7日間駆け抜け探し回ったが発見するには至らず、助けを求めて釈迦に縋ることとなる。",
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"text": "日蓮宗では、子安鬼子母神が祀られるほか、近世に入って以降、法華経陀羅尼品に依拠する祈祷が盛んとなり鬼子母神を祈祷本尊に位置付けるに至ったこともあり、鬼形の鬼子母神像も多く造られるようになった。これは、法華経の教えを広めることを妨げる者(仏敵)を威圧する破邪調伏の姿を表現したものである。この鬼形鬼子母神の造像については、明確な区分ではないものの、関東と関西では異なる傾向がみられる。関東では総髪で合掌した姿であり、子供を伴ってはいない。他方、関西では総髪ではあるものの角を生やし、口が裂け、子供を抱く(あるいは、左手で子供と手を繋ぐ)姿である。また、子どもを抱き宝冠を付けた姿は一見すると天女形であるが、形相が天女形から鬼形に変容する過程にあると思われる珍しい像が存在することも確認されている。",
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"text": "鬼子母神は、法華経の守護神として日蓮宗・法華宗の寺院で祀られることが多く、「恐れ入谷の鬼子母神」の地口で知られる東京都台東区入谷の真源寺、東京都豊島区雑司が谷の法明寺鬼子母神堂(鬼の字には「角」が無い)、千葉県市川市の遠寿院(法華経寺塔頭)の鬼子母神が有名である(江戸三大鬼子母神)。",
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"text": "縁日は毎月8の付く日(8日,18日,28日)である。また、お会式に併せて大祭を行う寺もある。なお、「鬼子母神」の「鬼」の表記について、寺院によっては、第一画目の点がない字を用いる場合がある。これは、鬼子母神が釈尊に諭されて改心した結果、角が外れたためである。",
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"text": "西遊記の雑劇である元曲の『雜劇·楊景賢·西遊記·第三本』第十二折鬼母皈依、『鬼子母掲鉢記』、『西天取経』(呉昌齢)第12齣の鬼母帰依などでは愛奴児が三蔵法師を捕まえており、そこに登場した釈迦如来に帰依する。雜劇·楊景賢·西遊記·第三本では愛奴児の別称が紅孩児となっている。明以降の西遊記では紅孩児の回で観音菩薩のところで一箇所取次ぎに顔をだすのみになった。",
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鬼子母神(きしもじん/きしぼじん)、サンスクリット語: हारीती、Hārītī、 ハーリーティー)は、仏教を守護する天部の一尊。梵名ハーリーティーを音写した訶利帝、迦梨底、柯梨帝(いずれも読みは“かりてい“)、訶利帝母、訶梨帝母(かりていも)とも言う。 三昧耶形は吉祥果。種字はウーン。
|
{{Otheruseslist|仏教を守護するとされる夜叉、女神|[[陰陽座]]のアルバム|鬼子母神 (アルバム)|[[山岸凉子]]の漫画|鬼子母神 (漫画)}}
[[Image:GoddessHaririWithBaby.jpg|thumb|190px|鬼子母神と赤ん坊の像(2-3世紀頃、[[ガンダーラ]]、[[大英博物館]]蔵)]]
'''鬼子母神'''(きしもじん{{refnest|name="nipponica_kishimojin1"|金岡秀友、[https://kotobank.jp/word/鬼子母神(きしもじん)-1522857 「鬼子母神(きしもじん)」 - 日本大百科全書(ニッポニカ)]、小学館。}}/きしぼじん{{refnest|name="nipponica_kishibojin2"|[https://kotobank.jp/word/鬼子母神(きしぼじん)-1522851 「鬼子母神(きしぼじん)」 - 日本大百科全書(ニッポニカ)]、小学館。}})、{{翻字併記|sa|हारीती|Hārītī|n|区=、}}{{refnest|name="精選版_鬼子母神"|[https://kotobank.jp/word/%E9%AC%BC%E5%AD%90%E6%AF%8D%E7%A5%9E-50407#E7.B2.BE.E9.81.B8.E7.89.88.20.E6.97.A5.E6.9C.AC.E5.9B.BD.E8.AA.9E.E5.A4.A7.E8.BE.9E.E5.85.B8 「鬼子母神」 - 精選版 日本国語大辞典]、小学館。}}、 ハーリーティー)は、[[仏教]]を守護する[[天部]]の一尊。梵名ハーリーティーを音写した'''訶利帝'''、'''迦梨底'''、'''柯梨帝'''(いずれも読みは“かりてい“)、'''訶利帝母'''、'''訶梨帝母'''(かりていも)とも言う<ref name="mizuta">{{Cite journal|和書|author=水田正能|date=2000-10|title=エストロゲンと鬼子母神|journal=日本醫事新報|volume=|issue=3991|pages=p.p.43-44|issn=03859215}}</ref>。
[[三昧耶形]]は吉祥果。[[種子 (密教)|種字]]はウーン({{lang|sa|हूं}} {{Unicode|hūṃ}})。
== 名前の読みについて ==
「きし'''ぼ'''じん」という読み方は「ぼ」が[[漢音]]表記であり、[[呉音]]を通例とする仏教用語<ref>[http://www.shiga-miidera.or.jp/doctrine/be/126.htm 「呉音と漢音」(仏教豆百科) - 三井寺(天台寺門宗総本山園城寺)]</ref>としては一貫したものではない。[[東京都]][[豊島区]]にある[[法明寺 (豊島区)|法明寺]]鬼子母神堂(この鬼は一画目の点が無い字が正)は「きし'''も'''じん」である<ref>[http://www.kishimojin.jp/ 法明寺 雑司ヶ谷 鬼子母神堂]</ref>。ただ同堂の近くに位置する[[都電荒川線]]の[[鬼子母神前停留場]]は「きし'''ぼ'''じんまえ」が正式名になっている<ref>[https://www.kotsu.metro.tokyo.jp/toden/stations/kishibojimmae/ 東京都交通局 都電荒川線 停留場情報「鬼子母神前」]</ref>。
== 概説 ==
夜叉[[毘沙門天]]([[クベーラ]])の部下の武将八大夜叉大将([[パーンチカ]]、散支夜叉、半支迦薬叉王<ref name="mizuta"/>)の妻で、500人(一説には千人<ref>{{Cite web
|url=http://www.chohoji.or.jp/TAIWAN-T1-T32/Cbeta%91%E4%98pjis/%96%A7%8B%B3%95%94/T21n1262.txt
|title=佛説鬼子母經
|language=中国語([[繁体字]])
|accessdate=2010年5月17日}}
</ref>または1万人<ref name="zouhouzou">『雑宝蔵経』鬼子母失子縁</ref>)の子の母であったが、これらの子を育てるだけの栄養をつけるために人間の子を捕えて食べていた。そのため多くの人間から恐れられていた。
それを見かねた[[釈迦]]は、彼女が最も愛していた末子のピンガラ<ref>『雑宝蔵経』による。『根本有部律』では「愛児」という名とされる。(「如是次第更生五百。其最小者名曰愛児」)</ref>(Piṅgala,氷竭羅天<ref>密教図像学会『密教図像』第38号、[[法藏館]]2020年、46頁。</ref>、嬪伽羅、氷迦羅、畢哩孕迦<ref name="mizuta"/>)を乞食(こつじき)に用いる鉢に隠した。彼女は半狂乱となって世界中を7日間駆け抜け探し回ったが発見するには至らず、助けを求めて釈迦に縋ることとなる。
そこで釈迦は、「多くの子を持ちながら一人を失っただけでお前はそれだけ嘆き悲しんでいる。それなら、ただ一人の子を失う親の苦しみはいかほどであろうか。」と諭し、鬼子母神が教えを請うと、「戒を受け、人々をおびやかすのをやめなさい、そうすればすぐにピンガラに会えるだろう」と言った。彼女が承諾し、[[三宝]]に帰依すると、釈迦は隠していた子を戻した。
そして五戒を守り、施食によって飢えを満たすこと等を教えた。<ref>『根本説一切有部毘奈耶雜事』巻三十一</ref>かくして彼女は仏法の守護神となり、また、子供と安産の守り神となった<ref name="zouhouzou" />。盗難除けの守護ともされる。
[[インド]]([[ヒンドゥー教]])では、とりわけ子授け、安産、子育ての神として祀られ、日本でも[[密教]]の盛行に伴い、小児の息災や福徳を求めて、鬼子母神を本尊とする訶梨帝母法が修せられたり、上層貴族の間では、安産を願って訶梨帝母像を祀り、訶梨帝母法を修している。
また、[[法華経]]において鬼子母神は、[[十羅刹女]]と共に法華信仰者の擁護と法華経の弘通を妨げる者を処罰することを誓っていることから、[[日蓮]]はこれに基づき文字で表現した[[法華曼荼羅]]に鬼子母神の号を連ね、2者に母子の関係を設定している。このことが、法華曼荼羅の諸尊の彫刻化や絵像化が進むなかで、法華信仰者の守護神としての鬼子母神の単独表現の元となった。
その像は天女のような姿をし、子供を1人抱き、右手には[[ベルノキ|吉祥果]]を持つ。なおこれを[[ザクロ]]で表現するのは中国文化での影響であり、これは仏典が漢訳された時は吉祥果の正体が分からなかったために代用表現したものである。よって仏典中の吉祥果とザクロは同一ではない。また鬼子母神が人間の子を食べるのを止めさせるために、人肉の味がするザクロを食するように釈迦が勧めたからと言われるのは、日本で作られた俗説にすぎない。
日蓮宗では、子安鬼子母神が祀られるほか、近世に入って以降、法華経陀羅尼品に依拠する祈祷が盛んとなり鬼子母神を祈祷本尊に位置付けるに至ったこともあり、鬼形の鬼子母神像も多く造られるようになった。これは、法華経の教えを広めることを妨げる者(仏敵)を威圧する破邪調伏の姿を表現したものである。この鬼形鬼子母神の造像については、明確な区分ではないものの、関東と関西では異なる傾向がみられる。関東では総髪で合掌した姿であり、子供を伴ってはいない。他方、関西では総髪ではあるものの角を生やし、口が裂け、子供を抱く(あるいは、左手で子供と手を繋ぐ)姿である。また、子どもを抱き宝冠を付けた姿は一見すると天女形であるが、形相が天女形から鬼形に変容する過程にあると思われる珍しい像が存在することも確認されている。
== 鬼子母神を祀る寺院 ==
鬼子母神は、法華経の守護神として[[日蓮宗]]・[[法華宗]]の寺院で祀られることが多く、「恐れ入谷の鬼子母神」の[[地口]]で知られる[[東京都]][[台東区]][[入谷 (台東区)|入谷]]の[[真源寺]]、東京都[[豊島区]][[雑司が谷]]の[[法明寺 (豊島区)|法明寺鬼子母神堂]]([http://www.kishimojin.jp/history/index.html 鬼の字には「角」が無い])、[[千葉県]][[市川市]]の遠寿院([[法華経寺]][[塔頭]])の鬼子母神が有名である([[江戸三大鬼子母神]])。
[[縁日]]は毎月8の付く日(8日,18日,28日)である。また、[[お会式]]に併せて大祭を行う寺もある。なお、「鬼子母神」の「鬼」の表記について、寺院によっては、第一画目の点がない字を用いる場合がある。これは、鬼子母神が釈尊に諭されて改心した結果、角が外れたためである<ref>[http://www.kishimojin.or.jp/nani.html 鬼子母神様って?] さどわら鬼子母神</ref>。
<gallery>
PharroAndArdoxsho.jpg|[[コルヌコピア]]を携える[[パーンチカ]]とハーリーティー(3世紀、[[タフテ・バヒー]])
Kamakura Kishimojin.jpg|訶梨帝母(鬼子母神)像([[醍醐寺]]、[[鎌倉時代]])
法明寺 鬼子母神.jpg|[[法明寺 (豊島区)|法明寺]]鬼子母神堂([[東京都]][[豊島区]])
法明寺 鬼子母神_拝殿.jpg|法明寺鬼子母神堂(東京都豊島区)
本光寺 鬼子母神堂.jpg|[[本光寺 (市川市)|本光寺]]鬼子母神堂([[千葉県]][[市川市]]大野町)
三澤寺 鬼子母神.jpg|[[三澤寺 (伊那市)|三澤寺]]子安鬼子母神([[長野県]][[伊那市]]福島)
</gallery>
== 西遊記 ==
[[西遊記]]の[[雑劇]]である[[元曲]]の『雜劇·楊景賢·西遊記·第三本<ref>{{Cite web
|url=http://www.xysa.com/xysafz/book/quanyuanqu/t-113.htm
|title=雜劇·楊景賢·西遊記·第三本
|language=中国語([[繁体字]])
|accessdate=2010年5月17日
}}</ref>』第十二折鬼母皈依、『鬼子母掲鉢記』、『西天取経』(呉昌齢)第12齣の鬼母帰依などでは愛奴児が[[三蔵法師]]を捕まえており、そこに登場した[[釈迦如来]]に帰依する。雜劇·楊景賢·西遊記·第三本では愛奴児の別称が紅孩児となっている。[[明]]以降の西遊記では[[紅孩児]]の回で[[観音菩薩]]のところで一箇所取次ぎに顔をだすのみになった。
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
{{Reflist}}
== 関連項目 ==
{{Commons category|Hariti}}
* [[仏の一覧]]
* [[パーンチカ]] - 夫
<!-- * [[吉祥天]] - 子 -->
* [[ヤクシニー (夜叉)]]
* [[トキワサンザシ属|ピラカンサ]] - 吉祥果の正体の解釈のひとつ
* [[ラミアー]]
{{Buddhism2}}
{{Normdaten}}
{{DEFAULTSORT:きしもしん}}
[[Category:天部]]
[[Category:法華系仏教]]
[[Category:護法神]]
[[Category:女神]]
[[Category:夜叉]]
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2023-06-22T16:26:31Z
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AC%BC%E5%AD%90%E6%AF%8D%E7%A5%9E
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17,641 |
79
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79(七十九、ななじゅうきゅう、ななじゅうく、しちじゅうく、ひちじゅうく、ななそじあまりここのつ)は自然数、また整数において、78の次で80の前の数である。
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79(七十九、ななじゅうきゅう、ななじゅうく、しちじゅうく、ひちじゅうく、ななそじあまりここのつ)は自然数、また整数において、78の次で80の前の数である。
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{{整数|Decomposition=([[素数]])}}
'''79'''('''七十九'''、ななじゅうきゅう、ななじゅうく、しちじゅうく、ひちじゅうく、ななそじあまりここのつ)は自然数、また整数において、[[78]]の次で[[80]]の前の数である。
== 性質 ==
*79は22番目の[[素数]]である。1つ前は[[73]]、次は[[83]]。
**[[約数の和]]は[[80]]。
*{{sfrac|1|79}} = 0.{{underline|0126582278481}}… (下線部は[[循環節]]で長さは13)
**[[逆数]]が[[循環小数]]になる数で[[循環節]]が13になる2番目の数である。1つ前は[[53]]、次は[[106]]。
* 79 = 79 + 0 × ''i'' (''i''は[[虚数単位]])
** a + 0 × ''i'' (a > 0) で表される12番目の[[ガウス整数#ガウス素数|ガウス素数]]である。1つ前は[[71]]、次は83。
*10進数表記において桁を入れ替えても素数となる7番目の[[エマープ]]である。(79 ←→ [[97]]) 1つ前は[[73]]、次は[[97]]。
* 7 と 9 を使った最小の素数である。次は[[97]]。ただし単独使用を可とするなら1つ前は[[7]]。({{OEIS|A020471}})
** 79…9 の形の最小の素数である。次は79999。({{OEIS|A093947}})
** 7…79 の形の最小の素数である。次は7…(69個の7)…79。({{OEIS|A093404}})
** 7,9 からできるどの2桁の整数もすべて素数となる9番目の数である。ただし2桁では最大、1つ前は[[37]]、次は[[113]]。({{OEIS|A258706}})
* 3''m'' − 1 (6''m'' − 1)型の素数と 3''m'' + 1 (6''m'' + 1)型の素数の個数が同じになる6番目の数である。1つ前は[[43]]、次は[[163]]。({{OEIS|A098044}})
*19個の4乗数の和で表すことができるが、それ以下の和では表せない。([[ウェアリングの問題]])
**79 = 4 × 2{{sup|4}} + 15 × 1{{sup|4}}
*6番目の 8''n'' − 1 型の素数である。この類の素数は ''x''{{sup|2}} − 2''y''{{sup|2}} と表せるが、79 = 9{{sup|2}} − 2 × 1{{sup|2}} である。1つ前は[[71]]、次は[[103]]。
*79 = (7 + 9) + (7 × 9)
**[[各位の和]]と各位の積を加えてできる7番目の数である。1つ前は[[69]]、次は[[89]]。({{OEIS|A038364}})
*[[各位の和]]が16になる最小の数である。次は[[88]]。
**各位の和が ''n'' になる最小の数である。1つ前の15は[[69]]、次の17は[[89]]。({{OEIS|A051885}})
**各位の和が16になる数で[[素数]]になる最小の数である。次は[[97]]。({{OEIS|A106757}})
*各位の[[平方和]]が130になる最小の数である。次は[[97]]。({{OEIS|A003132}})
** 各位の平方和が ''n'' になる最小の数である。1つ前の129は[[188]]、次の131は[[179]]。({{OEIS|A055016}})
*[[オイラー]]の発見した素数生成式 <math>f(n)=n^2+n+p</math> <math> ( p =</math> [[2]], [[3]], [[5]], [[11]], [[17]], [[41]])<math>( 0\leqq n \leqq p-2 )</math> で表すことができない最小の素数である。次は[[103]]。
* 79 = 2{{sup|7}} − 7{{sup|2}}
** ''n'' = 7 ときの 2{{sup|''n''}} − ''n''{{sup|2}} の値とみたとき1つ前は[[28]]、次は[[192]]。({{OEIS|A024012}})
*** 2{{sup|''n''}} − ''n''{{sup|2}} で表せる2番目の[[素数]]である。1つ前は[[7]]、次は[[431]]。({{OEIS|A075896}})
* 79 = 7{{sup|2}} + 5{{sup|2}} + 3{{sup|2}} − 2{{sup|2}}
** ''n'' = 2 のときの 7{{sup|''n''}} + 5{{sup|''n''}} + 3{{sup|''n''}} − 2{{sup|''n''}} の値とみたとき1つ前は[[13]]、次は[[487]]。({{OEIS|A135167}})
* 79 = 9{{sup|2}} − 2
** ''n'' = 2 のときの 9{{sup|''n''}} − ''n'' の値とみたとき1つ前は[[8]]、次は[[726]]。({{OEIS|A024102}})
* 79 = 4{{sup|3}} + 4{{sup|2}} − 1
** ''n'' = 4 のときの ''n''{{sup|3}} + ''n''{{sup|2}} − 1 の値とみたとき1つ前は[[35]]、次は[[149]]。({{OEIS|A003777}})
* ''n'' = 7 のときの ''n'' と ''n'' + 2 を並べた数である。1つ前は[[68]]、次は[[810]]。({{OEIS|A032607}})
== その他 79 に関すること ==
*[[原子番号]] 79 の[[元素]]は[[金]] (Au)。
*第79代[[天皇]]は[[六条天皇]]。
*[[年始]]から数えて79日目は[[3月20日]]、[[閏年]]は[[3月19日]]。
*[[日本]]の第79代[[内閣総理大臣]]は[[細川護熙]]。
*第79代[[教皇|ローマ教皇]]は[[アガト (ローマ教皇)|アガト]](在位:[[678年]][[6月27日]]~[[681年]][[1月10日]])である。
*日本の[[アニメ (日本のアニメーション作品)|アニメ]]作品「[[機動戦士ガンダム]]」の舞台になったのは[[宇宙世紀]]0079。
*[[クルアーン]]における第79番目の[[スーラ (クルアーン)|スーラ]]は[[引き離すもの (クルアーン)|引き離すもの]]である。
*『[[なな→きゅう]]』は、日本の[[文化放送]]で放送されている朝のワイドラジオ番組。午前7時から9時まで(79)放送されているのが番組名の由来。
== 関連項目 ==
{{数字2桁|7|}}
*[[7月9日]]
{{自然数}}
|
2003-09-21T03:28:34Z
|
2023-11-16T23:34:48Z
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[
"Template:数字2桁",
"Template:自然数",
"Template:整数",
"Template:Sfrac",
"Template:Underline",
"Template:OEIS",
"Template:Sup"
] |
https://ja.wikipedia.org/wiki/79
|
17,642 |
83
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83(八十三、はちじゅうさん、やそじあまりみつ)は自然数、また整数において、82の次で84の前の数である。
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] |
83(八十三、はちじゅうさん、やそじあまりみつ)は自然数、また整数において、82の次で84の前の数である。
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{{整数|Decomposition=([[素数]])}}
'''83'''('''八十三'''、はちじゅうさん、やそじあまりみつ)は[[自然数]]、また[[整数]]において、[[82]]の次で[[84]]の前の数である。
== 性質 ==
*83は23番目の[[素数]]である。1つ前は[[79]]、次は[[89]]。
**[[約数の和]]は[[84]]。
* 83 = 83 + 0 × ''ω'' (''ω''は1の虚立方根)
** a + 0 × ''ω'' (a > 0) で表される12番目の[[アイゼンシュタイン整数#アイゼンシュタイン素数|アイゼンシュタイン素数]]である。1つ前は[[71]]、次は89。
* 83 = 83 + 0 × ''i'' (''i''は[[虚数単位]])
** a + 0 × ''i'' (a > 0) で表される13番目の[[ガウス整数#ガウス素数|ガウス素数]]である。1つ前は79、次は[[103]]。
** ガウス素数かつアイゼンシュタイン素数である6番目の素数。1つ前は71、次は[[107]]。
*9番目の[[ソフィー・ジェルマン素数]]である。1つ前は[[53]]、次は[[89]]。
*7番目の[[安全素数]]である。1つ前は[[59]]、次は[[107]]。
**ソフィー・ジェルマン素数かつ安全素数である4番目の素数である。1つ前は[[23]]、次は[[179]]。({{OEIS|A59455}})
*9番目の[[スーパー素数]]である。1つ前は[[67]]、次は[[109]]。
*7番目の 8''n'' + 3 型の素数であり、この類の素数は ''x''{{sup|2}} + 2''y''{{sup|2}} と表せるが、83 = 9{{sup|2}} + 2 × 1{{sup|2}} である。1つ前は[[67]]、次は[[107]]。
* 3 と 8 を使った最小の素数である。次は[[383]]。ただし単独使用を可とするなら1つ前は[[3]]。({{OEIS|A020464}})
** 83…3 の形の最小の素数である。次は83333333。({{OEIS|A093676}})
** 8…83 の形の最小の素数である。次は883。({{OEIS|A093166}})
* 83 = 3{{sup|4}} + 2
** ''n'' = 4 のときの 3{{sup|''n''}} + 2 の値とみたとき1つ前は[[29]]、次は[[245]]。({{OEIS|A168607}})
*** 83 = 1{{sup|4}} + 1{{sup|4}} + 3{{sup|4}}
*** 3{{sup|''n''}} + 2 の形の5番目の素数である。1つ前は[[29]]、次は6563。({{OEIS|A057735}})
** 83 = 9{{sup|2}} + 2
*** ''n'' = 2 のときの 9{{sup|''n''}} + ''n'' の値とみたとき1つ前は[[10]]、次は[[732]]。({{OEIS|A226202}})
*{{sfrac|1|83}} = 0.{{underline|01204819277108433734939759036144578313253}}… (下線部は[[循環節]]で長さは41)
**[[逆数]]が[[循環小数]]になる数で[[循環節]]が41になる最小の数である。循環節が1つ前の40になる最小の数は2993、次の42になる最小の数は[[49]]。({{OEIS|A003060}})<ref>[https://oeis.org/A003060/b003060.txt Smallest number with reciprocal of period n. Table of n, a(n) for n=0..500]</ref>。また、循環節が41になる次の数は[[166]]である。
**素数''p''の逆数の循環節の長さが(p-1)/2になる7番目の数である。1つ前は71、次は[[89]]。({{OEIS|A097443}})
*[[素数#連続素数和|3つの連続した素数の和]]で表せる9番目の数である。1つ前は[[71]]、次は[[97]]。<br>83 = [[23]] + [[29]] + [[31]]
**3つの連続した素数の和で表せる6番目の素数である。1つ前は[[71]]、次は[[97]]。
* 7番目の[[素数|オイラー素数]]である。1つ前は[[71]]、次は[[97]]。
*[[素数#連続素数和|5つの連続した素数の和]]で表せる5番目の数である。1つ前は[[67]]、次は[[101]]。<br>83 = [[11]] + [[13]] + [[17]] + [[19]] + [[23]]
**5つの連続した素数の和で表せる3番目の素数である。1つ前は[[67]]、次は[[101]]。
* 83 = 3{{sup|2}} + 5{{sup|2}} + 7{{sup|2}}
**3連続素数の平方和で表せる2番目の数である。1つ前は[[38]]、次は[[195]]。
***3連続素数の平方和で表せる唯一の素数である。この数以降の3連続素数の平方和はすべて3の倍数になる。
**3連続奇数の平方和で表せる数である。1つ前は[[35]]、次は[[155]]。
** 異なる3つの素数の[[自乗|平方]]の和1通りで表せる最小の素数である。次は[[179]](= 3{{sup|2}} + 7{{sup|2}} + 11{{sup|2}})。
** 異なる3つの[[平方数]]の和1通りで表せる25番目の数である。1つ前は[[81]]、次は[[84]]。({{OEIS|A025339}})
** ''n'' = 2 のときの 3{{sup|''n''}} + 5{{sup|''n''}} + 7{{sup|''n''}} の値とみたとき1つ前は[[15]]、次は[[495]]。({{OEIS|A074552}})
**83 = 1{{sup|2}} + 1{{sup|2}} + 9{{sup|2}} = 3{{sup|2}} + 5{{sup|2}} + 7{{sup|2}}
*** 3つの[[平方数]]の和2通りで表せる13番目の数である。1つ前は[[77]]、次は[[90]]。({{OEIS|A025322}})
*[[各位の和]]が11になる7番目の数である。1つ前は[[74]]、次は[[92]]。
**各位の和が11になる数で[[素数]]になる3番目の数である。1つ前は[[47]]、次は[[137]]。({{OEIS|A106754}})
== その他 83 に関すること ==
*[[原子番号]] 83 の[[元素]]は、[[ビスマス]] (Bi)。
*第83代[[天皇]]は、[[土御門天皇]]。
*第83代[[内閣総理大臣]]は、[[橋本龍太郎]]。
*第83代[[教皇|ローマ教皇]]は[[コノン (ローマ教皇)|コノン]](在位:[[686年]][[10月21日]]~[[687年]][[9月21日]])である。
*[[1月1日]]から数えて83日目は、[[3月24日]]([[平年]])。
*[[バーコード]]規格、[[EANコード|EAN]] の国コード83は、[[イタリア]]。
*[[第83航空隊]]は、[[航空自衛隊]][[南西航空混成団]]の航空隊。
*[[83会]]は、[[第44回衆議院議員総選挙|2005年衆院選挙]]で初当選した自民党議員の会。
*83+ は、[[筑波大学]]出身の映像作家グループ<ref>{{citation
|title = 83+
|url = http://83plus.net/
|accessdate = 2008-03-24
}}</ref>。
*[[赤字83線]]は、国鉄諮問委員会が廃止を促した[[日本国有鉄道]]のローカル線。
*[[キ83 (航空機)|キ83]]は、[[大日本帝国陸軍]]の試作[[戦闘機]]。
*[[XP-83 (航空機)|XP-83]]は、[[アメリカ陸軍航空軍]]の試作戦闘機。
*[[クルアーン]]における第83番目の[[スーラ (クルアーン)|スーラ]]は[[量を減らす者 (クルアーン)|量を減らす者]]である。
*83がHCで”Heil Christ”を表し、[[白人至上主義]]に結びつけられる<ref>{{cite web|title= 83|url= https://www.adl.org/education/references/hate-symbols/83|website=[[名誉毀損防止同盟|ADL]]|accessdate=2021-06-06}}</ref>。[[88]]が”Heil Hitler”である。
== 参考文献 ==
{{reflist}}
== 関連項目 ==
{{数字2桁|8|}}
*[[8月3日]]
{{自然数}}
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2003-09-21T03:33:05Z
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17,644 |
89
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89(八十九、はちじゅうく、はちじゅうきゅう、やそじあまりここのつ)は自然数、また整数において、88の次で90の前の数である。
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89(八十九、はちじゅうく、はちじゅうきゅう、やそじあまりここのつ)は自然数、また整数において、88の次で90の前の数である。
|
{{整数|Decomposition=([[素数]])}}
'''89'''('''八十九'''、はちじゅうく、はちじゅうきゅう、やそじあまりここのつ)は[[自然数]]、また[[整数]]において、[[88]]の次で[[90]]の前の数である。
== 性質 ==
*89 は24番目の[[素数]]である。1つ前は[[83]]、次は[[97]]。
**[[約数の和]]は[[90]]。
*{{sfrac|1|89}} = 0.{{underline|01123595505617977528089887640449438202247191}}… (下線部は[[循環節]]で長さは44)
**[[逆数]]が[[循環小数]]になる数で[[循環節]]が44になる最小の数である。次は[[178]]。
**循環節が ''n'' になる最小の数である。1つ前の43は[[173]]、次の45は2511。({{OEIS|A003060}})
* 89 = 89 + 0 × ''ω'' (''ω''は1の虚立方根)
** a + 0 × ''ω'' (a > 0) で表される13番目の[[アイゼンシュタイン整数#アイゼンシュタイン素数|アイゼンシュタイン素数]]である。1つ前は[[71]]、次は89。
*''n'' 番目の[[フィボナッチ数]]を ''F{{sub|n}}'' とすると、<math>\frac{1}{89} =\sum_{n=1}^\infty {F_n \times 10^{-(n+1)}}</math> という関係になる。
<blockquote>
<pre>
0. 0
1
1
2
3
5
8
13
21
34
55
89
144
233
+ .......
---------------------------------------------------
0. 011235955056179775280...
</pre>
* ''n'' = 1 のときの 100{{sup|''n''}} − 10{{sup|''n''}} − 1 の値とみたとき最小、次は9899。({{OEIS|A086695}})
</blockquote>
*''p'' = 89 のときの 2{{sup|''p''}} − 1 で表される 2{{sup|89}} − 1 は10番目の[[メルセンヌ数|メルセンヌ素数]]である。1つ前は[[61]]、次は[[107]]。<br>2{{sup|89}} − 1 = 618970019642690137449562111
*11番目のフィボナッチ数である。1つ前は[[55]]、次は[[144]]。
**5番目の[[フィボナッチ素数]]である。1つ前は[[13]]、次は[[233]]。
*10番目の[[ソフィー・ジェルマン素数]]である。89 × 2 + 1 = [[179]] もまた素数となる。1つ前は[[83]]、次は[[113]]。また、179 もソフィー・ジェルマン素数である。
* 8 と 9 を使った最小の素数である。次は8999。({{OEIS|A020472}})
** 89…9 の形の最小の素数である。次は8999。({{OEIS|A093948}})
** 8…89 の形の最小の素数である。次は88888888888889。({{OEIS|A093405}})
* 素数と次の素数[[97]]の間隔(8)が以前の数よりも大きくなる5番目の素数である。1つ前は[[23]]-[[29]](間隔は6)、次は[[113]]-[[127]](間隔は14)({{OEIS2C|A002386}}-{{OEIS2C|A000101}})
*√{{overline|8000}} に最も近い整数である。√{{overline|8000}} = 89.44721…。89{{sup|2}} = 7921, 90{{sup|2}} = 8100。
*89 = (8 + 9) + (8 × 9)
**[[各位の和]]と各位の積を加えてできる8番目の数である。1つ前は[[79]]、次は[[99]]。({{OEIS|A038364}})
*[[各位の和]]が[[17]]になる最小の数である。次は[[98]]。
**各位の和が ''n'' になる最小の数である。1つ前の16は[[79]]、次の18は[[99]]。({{OEIS|A051885}})
**各位の和が17になる数で[[素数]]になる最小の数である。次は[[179]]。({{OEIS|A106758}})
*各位の[[平方和]]が145になる最小の数である。次は[[98]]。({{OEIS|A003132}})
** 各位の平方和が ''n'' になる最小の数である。1つ前の144は[[488]]、次の146は[[189]]。({{OEIS|A055016}})
*89 = 8{{sup|1}} + 9{{sup|2}} 。この形の1つ前は[[9]]、次は[[135]]。(参照{{OEIS|A032799}})
**2桁の数でこのような性質をもつ数は89だけである。
** 89 = 3{{sup|4}} + 8
*** ''n'' = 4 のときの 3{{sup|''n''}} + 8 の値とみたとき1つ前は[[35]]、次は[[251]]。
**** 3{{sup|''n''}} + 8 の形の3番目の素数である。1つ前は[[17]]、次は[[251]]。({{OEIS|A102903}})
* 連続[[自然数]]を昇順に並べてできる8番目の数である。1つ前は[[78]]、次は[[123]]。({{OEIS|A035333}})
** 2つの連続自然数を昇順に並べた数とみたとき、次は[[910]]。({{OEIS|A001704}})
**2つの連続自然数を昇順に並べてできる3番目の[[素数]]である。1つ前は[[67]]、次は1213。({{OEIS|A030458}})
**1桁の連続整数を昇順に並べてできる7番目の[[素数]]である。ただし1桁の素数を除くと3番目である。1つ前は[[67]]、次は4567。({{OEIS|A006055}})
*** 8からの連続整数を昇順に並べてできる最小の素数とみたとき、次は891011…148149。
***''n'' からの連続整数を昇順に並べてできる最小の素数とみたとき1つ前の7からは78910111213、次の9からは91011…185186187。({{OEIS|A140793}})
*89 = 5<sup>2</sup> + 8<sup>2</sup>
** 異なる2つの[[平方数]]の和で表せる26番目の数である。1つ前は[[85]]、次は[[90]]。({{OEIS|A004431}})
** ''n'' = 2 のときの 5{{sup|''n''}} + 8{{sup|''n''}} の値とみたとき1つ前は[[13]]、次は[[637]]。({{OEIS|A074617}})
*89 = 2{{sup|2}} + 2{{sup|2}} + 9{{sup|2}} = 2{{sup|2}} + 6{{sup|2}} + 7{{sup|2}} = 3{{sup|2}} + 4{{sup|2}} + 8{{sup|2}}
** 3つの[[平方数]]の和3通りで表せる5番目の数である。1つ前は[[86]]、次は[[99]]。({{OEIS|A025323}})
**89 = 2<sup>2</sup> + 6<sup>2</sup> + 7<sup>2</sup> = 3<sup>2</sup> + 4<sup>2</sup> + 8<sup>2</sup>
*** 異なる3つの[[平方数]]の和2通りで表せる6番目の数である。1つ前は[[86]]、次は[[90]]。({{OEIS|A025340}})
**89 = 2<sup>2</sup> + 6<sup>2</sup> + 7<sup>2</sup>
*** ''n'' = 2 のときの 2{{sup|''n''}} + 6{{sup|''n''}} + 7{{sup|''n''}} の値とみたとき1つ前は[[15]]、次は[[567]]。({{OEIS|A074541}})
**89 = 3<sup>2</sup> + 4<sup>2</sup> + 8<sup>2</sup>
*** ''n'' = 2 のときの 3{{sup|''n''}} + 4{{sup|''n''}} + 8{{sup|''n''}} の値とみたとき1つ前は[[15]]、次は[[603]]。({{OEIS|A074550}})
* 7番目の[[マルコフ数]]である。1つ前は[[34]]、次は[[169]]。
** 1{{sup|2}} + 34{{sup|2}} + 89{{sup|2}} = 3 × 1 × 34 × 89
* 89 = 91{{sup|1}} − 2{{sup|1}} = 91{{sup|2}} − 2{{sup|13}}
** ''a'' > 1 , ''b'' > 1 のとき ''a''{{sup|''x''}} − ''b''{{sup|''y''}} = c を成り立たせる自然数 ''x'' , ''y'' の解を2つもつ8番目の数である。1つ前は[[13]]、次は[[275]]。({{OEIS|A236211}})
* 89 = 9{{sup|2}} + 9 − 1 = 10{{sup|2}} − 10 − 1
** ''n'' = 9 のときの ''n''{{sup|2}} + ''n'' − 1 の値とみたとき1つ前は[[71]]、次は[[109]]。({{OEIS|A028387}})
*** この形の7番目の素数である。1つ前は[[71]]、次は[[109]]。({{OEIS|A002327}})
** 89 = 3{{sup|4}} + 3{{sup|2}} − 1
*** ''n'' = 3 のときの ''n''{{sup|4}} + ''n''{{sup|2}} − 1 の値とみたとき1つ前は[[19]]、次は[[271]]。
**** ''n''{{sup|4}} + ''n''{{sup|2}} − 1 の形の2番目の素数である。1つ前は[[19]]、次は[[271]]。({{OEIS|A174819}})
== その他 89 に関すること ==
*[[原子番号]] 89 の[[元素]]は[[アクチニウム]] (Ac) である。
*第89代[[天皇]]は[[後深草天皇]]。
*日本の89代目の[[内閣総理大臣]]は、[[小泉純一郎]]。
*第89代[[教皇|ローマ教皇]]は[[グレゴリウス2世 (ローマ教皇)|グレゴリウス2世]](在位:[[715年]][[5月19日]]~[[731年]][[2月11日]])である。
*[[クルアーン]]における第89番目の[[スーラ (クルアーン)|スーラ]]は[[暁 (クルアーン)|暁]]である。
*[[自衛隊]]、[[海上保安庁]]、[[警察]]で使用されている[[89式5.56mm小銃]]。
*陸上自衛隊で使用されている[[89式装甲戦闘車]]。
*[[北海道]]産の[[イネ]]の品種の一つ。[[八十九 (米のブランド)]]。
*[[3月30日]]は、[[平年]]の場合[[1月1日]]から数えて89日目に当たる。
=== 歴史上の「89」 ===
*[[1189年]] - ([[日本]])[[源義経]]が[[平泉]]で自害。義経をかくまった[[奥州藤原氏]]も滅ぶ。
*[[1389年]] - ([[バルカン半島]])[[コソボの戦い]]。[[セルビア王国 (中世)|セルビア]]、[[オスマン帝国]]の[[保護国]]となる。
*[[1689年]] - ([[イギリス]])[[名誉革命]]の結果、[[ウィリアム3世 (イングランド王)|ウィリアム3世]]と[[メアリー2世 (イングランド女王)|メアリ2世]]が即位。
*[[1789年]] - ([[フランス]])[[バスティーユ牢獄]][[バスティーユ襲撃|襲撃]]。[[フランス革命]]始まる。
*[[1889年]] - (日本)[[大日本帝国憲法]]発布。
*[[1989年]] - (日本)[[昭和天皇]]崩御。新元号『[[平成]]』公布。
*[[1989年]] - ([[ドイツ]])[[ベルリンの壁崩壊]]。
*[[1989年]] - ([[ルーマニア]])[[ニコラエ・チャウシェスク]]処刑。
*[[1989年]] - ([[中華人民共和国|中国]])[[北京市]]で[[六四天安門事件|天安門事件]]が起きる。
== 関連項目 ==
{{数字2桁|8|}}
*[[8月9日]]
{{自然数}}
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2003-09-21T03:41:33Z
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https://ja.wikipedia.org/wiki/89
|
17,646 |
80
|
80(八十、はちじゅう、やそ、やそじ)は自然数、また整数において、79の次で81の前の数である。
80 の接頭辞 :octogint(拉)、octaconta(希)
|
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"text": "80 の接頭辞 :octogint(拉)、octaconta(希)",
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80(八十、はちじゅう、やそ、やそじ)は自然数、また整数において、79の次で81の前の数である。
|
{{整数|Decomposition=2{{sup|4}} × 5}}
'''80'''('''八十'''、はちじゅう、やそ、やそじ)は自然数、また整数において、[[79]]の次で[[81]]の前の数である。
== 性質 ==
*80は[[合成数]]であり、正の[[約数]]は [[1]], [[2]], [[4]], [[5]], [[8]], [[10]], [[16]], [[20]], [[40]], 80 である。
**[[約数の和]]は[[186]]。
***17番目の[[過剰数]]である。1つ前は[[78]]、次は[[84]]。
*{{sfrac|1|80}} = 0.0125
**[[逆数]]が[[有限小数]]になる13番目の数である。1つ前は[[64]]、次は[[100]]。({{OEIS|A003592}})
**2桁の整数のうち、[[逆数]]が[[有限小数]]になる最大の数である。
*29番目の[[ハーシャッド数]]である。1つ前は[[72]]、次は[[81]]。
**8を基としたときの2番目の[[ハーシャッド数]]である。1つ前は [[8]]、次は [[152]] 。
*[[約数]]の和が80になる数は2個ある。([[57]], [[79]]) [[約数]]の和2個で表せる7番目の数である。1つ前は[[56]]、次は[[98]]。
*[[各位の和]]が8になる9番目の数である。1つ前は[[71]]、次は[[107]]。
*各位の[[平方和]]が[[平方数]]になる20番目の数である。1つ前は[[70]]、次は[[86]]。({{OEIS|A175396}})
* 80 = 4{{sup|2}} × 5
**''n'' = 4 のときの ''n''{{sup|2}}(''n'' + 1) の値とみたとき1つ前は[[36]]、次は[[150]]。({{OEIS|A011379}})
** 80 = 5 × 4{{sup|2}}
*** ''n'' = 4 のときの 5''n''{{sup|2}} の値とみたとき1つ前は[[45]]、次は[[125]]。({{OEIS|A033429}})
** 80 = 5 × 2{{sup|4}}
*** ''n'' = 4 のときの 5 × 2{{sup|''n''}} の値とみたとき1つ前は[[40]]、次は[[160]]。({{OEIS|A020714}})
* 80 = 9{{sup|2}} − 1
** ''n'' = 2 のときの 9{{sup|''n''}} − 1 の値とみたとき1つ前は[[8]]、次は[[728]]。({{OEIS|A024101}})
** ''n'' = 9 のときの ''n''{{sup|2}} − 1 の値とみたとき1つ前は[[63]]、次は[[99]]。({{OEIS|A005563}})
* 80 = 9 × 3{{sup|2}} − 1
** ''n'' = 3 のときの 9''n''{{sup|''2''}} − 1 の値とみたとき1つ前は[[35]]、次は[[143]]。({{OEIS|A136016}})
* 80 = 4{{sup|2}} + 8{{sup|2}}
** 異なる2つの[[平方数]]の和で表せる23番目の数である。1つ前は[[74]]、次は[[82]]。({{OEIS|A004431}})
** ''n'' = 2 のときの 4{{sup|''n''}} + 8{{sup|''n''}} の値とみたとき1つ前は[[12]]、次は[[576]]。({{OEIS|A063481}})
* 80 = 2{{sup|3}} + 2{{sup|3}} + 4{{sup|3}}
** 3つの[[正の数]]の[[立方数]]の和1通りで表せる12番目の数である。1つ前は[[73]]、次は[[81]]。({{OEIS|A025395}})
* ''n'' = 80 のとき ''n'' と ''n'' + 1 を並べた数を作ると[[素数]]になる。''n'' と ''n'' + 1 を並べた数が素数になる12番目の数である。1つ前は[[78]]、次は[[90]]。({{OEIS|A030457}})
* 80 = 12{{sup|2}} − 64
** ''n'' = 12 のときの ''n''{{sup|2}} − 64 の値とみたとき1つ前は[[57]]、次は[[105]]。({{OEIS|A098849}})
== その他 80 に関連すること ==
80 の[[接頭辞]] :octogint([[ラテン語|拉]])、octaconta([[ギリシャ語|希]])
*[[ラテン語]]では octoginta(オクトーギンター)。
*[[傘寿]]: 80歳のお祝い。「傘」の略字(仐)が「八十」に見えることから。
*中寿: 中くらいの長さの寿命。下寿は[[60]]歳、上寿は[[100]]歳。
**下寿を80歳、中寿を100歳、上寿を[[120]]歳とすることもある。
*「人生八十年」の時代が来る前から、殊に[[中国]]では、[[ライフサイクル]]は80年とされてきた。また、80 ÷ 3 ≒ [[27]] であり、[[曾孫|四世]]が生まれる時期は、平均して80歳、[[81]]歳頃である。
*日本では、八十(やそ)は数が多いことを表す数の1つである。八十島(やそしま)、八十神(やそがみ)、八十日(やそかび)など。
*古い用法では「やそ」は後ろに「年(とせ)」「島」「神」「日」など[[大和言葉]]の[[助数詞]]が続く場合に現れる。助数詞を伴わず、80という数、または「80個」などを単独で表す場合には「やそじ(やそぢ)」と言った。この接尾辞「ぢ」は、[[1|ひとつ]]~[[9|ここのつ]]の「つ」や、[[20|はたち]]の「ち」と同である。
*[[インターネット・プロトコル・スイート|TCP/IP]] では[[Hypertext Transfer Protocol|HTTP]]接続の[[ポート番号]]。
*[[エフエム東京|TOKYO FM]] の[[周波数]]は 80.0 MHz。同局発行の[[フリーペーパー]]のタイトルにもなっている。
*[[岐阜FM]]の周波数は 80.0 MHz。愛称は Radio80。
*1年365日のうち、80日目は[[3月21日]](閏年では3月20日)。
*[[ウルトラマン80]]:[[円谷プロダクション|円谷プロ]]の[[特撮]][[テレビドラマ|ドラマ]]
*[[原子番号]]80番の元素は[[水銀]] (Hg)。
*第80代[[天皇]]は[[高倉天皇]]。
*日本の第80代[[内閣総理大臣]]は[[羽田孜]]。
*第80代[[教皇|ローマ教皇]]は[[レオ2世 (ローマ教皇)|レオ2世]](在位:[[682年]][[8月17日]]~[[683年]][[7月3日]])である。
*[[国鉄80系電車]]:[[湘南電車]]の代名詞と言われた車両
*[[国鉄キハ80系気動車]]:[[日本国有鉄道]]が開発した日本初の[[特急形車両|特急形]][[気動車]]。
*[[アウディ・80]]:[[ドイツ]](旧[[西ドイツ]])の[[アウディ]]社が生産した乗用車。
*[[クイズ80]]:[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]で[[2012年]]に放送された日本の[[クイズ番組]]。
*[[クルアーン]]における第80番目の[[スーラ (クルアーン)|スーラ]]は[[眉をひそめて (クルアーン)|眉をひそめて]]である。
*[[西條八十]]は日本の詩人。
== 関連項目 ==
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88
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88(八十八、はちじゅうはち、やそや、やそじあまりやつ)は、自然数、また整数において、87の次で89の前の数である。
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88(八十八、はちじゅうはち、やそや、やそじあまりやつ)は、自然数、また整数において、87の次で89の前の数である。
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'''88'''('''八十八'''、はちじゅうはち、やそや、やそじあまりやつ)は、[[自然数]]、また[[整数]]において、[[87]]の次で[[89]]の前の数である。
== 性質 ==
* 88は[[合成数]]であり、正の[[約数]]は [[1]], [[2]], [[4]], [[8]], [[11]], [[22]], [[44]], 88 である。
**[[約数の和]]は[[180]]。
***19番目の[[過剰数]]である。1つ前は[[84]]、次は[[90]]。
*4番目の[[原始擬似完全数]]である。1つ前は[[28]]、次は[[104]]。
*18番目の回文数である。1つ前は[[77]]、次は[[99]]。
**1桁の数を除くと8番目の[[回文数]]であり、8が2つ並ぶ[[ゾロ目]]でもある。
** 3つの回文数の積で表せる4番目の回文数である。1つ前は[[66]]、次は[[99]]。({{OEIS|A078895}})
*88{{sup|4}} + 1 = 59969537 であり、''n''{{sup|4}} + 1 の形で素数を生む17番目の数である。1つ前は[[82]]、次は[[90]]。
*{{sfrac|1|88}} = 0.011{{underline|36}}… (下線部は[[循環節]]で長さは2)
**[[逆数]]が[[循環小数]]になる数で[[循環節]]が2になる7番目の数である。1つ前は[[66]]、次は[[99]]。({{OEIS|A070022}})
*[[各位の和]]が16になる2番目の数である。1つ前は[[79]]、次は[[97]]。
** [[偶数]]という条件をつけると各位の和が16になる最小の数である。
*各位の[[平方和]]が128になる最小の数である。次は[[808]]。({{OEIS|A003132}})
** 各位の平方和が ''n'' になる最小の数である。1つ前の127は[[1369]]、次の129は[[188]]。({{OEIS|A055016}})
* 各位の[[立方和]]が[[平方数]]になる11番目の数である。1つ前は[[84]]、次は[[90]]。({{OEIS|A197039}})
*:8{{sup|3}} + 8{{sup|3}} = 1024 = 32{{sup|2}}
* 各位の積が[[各位の和]]の4倍になる最小の数である。次は[[189]]。({{OEIS|A062036}})
**''k'' 倍になる最小の数とみたとき1つ前は[[66]] (3倍)、次は[[257]] (5倍)。({{OEIS|A126789}})
* 各桁の ''n'' 乗の和が元の数になる[[ナルシシスト数]]は1桁の数を含めて88個あることが証明されている。({{OEIS|A005188}})
*88 = 4{{sup|2}} + 6{{sup|2}} + 6{{sup|2}}
** 3つの[[平方数]]の和1通りで表せる40番目の数である。1つ前は[[84]]、次は[[91]]。({{OEIS|A025321}})
*88 = 11 × 2{{sup|3}}
** ''n'' = 3 のときの 11 × 2{{sup|''n''}} の値とみたとき1つ前は[[44]]、次は[[176]]。({{OEIS|A005015}})
* ''n'' = 88 のとき ''n'' と ''n'' − 1 を並べた数を作ると[[素数]]になる。''n'' と ''n'' − 1 を並べた数が素数になる10番目の数である。1つ前は[[78]]、次は[[100]]。({{OEIS|A054211}})
* 88 = 4! + 4{{sup|3}}
** ''n'' = 4 のときの ''n''! + ''n''{{sup|3}} の値とみたとき1つ前は[[33]]、次は[[245]]。({{OEIS|A080668}})
* 88 = 13{{sup|2}} − 81
** ''n'' = 13 のときの ''n''{{sup|2}} − 81 の値とみたとき1つ前は[[63]]、次は[[115]]。({{OEIS|A098850}})
== その他 88 に関連すること ==
*[[米寿]]:88歳のお祝い。漢字の八十八を縦に組み合わせると「米」に見えることから。
*[[八八]]は、[[花札]]を使ったゲームの一つ。
*[[大韓民国]]で[[1988年ソウルオリンピック]]を 88({{lang|ko|팔팔}}、パルパル)オリンピックということがある。
**[[88オリンピック高速道路]]
**[[オリンピック大路]](ソウル特別市道88号線)
*自動車の[[日本のナンバープレート|ナンバープレート]]の希望番号制で、[[2004年]][[5月6日]]より一連指定番号「・・88」は抽選対象番号となった。また軽自動車のナンバープレートでも、車両番号「・・88」は抽選対象番号である。なお地名の後に続く[[特種用途自動車]]の分類番号が3桁(800番台)になるまでは 88 が主に用いられていた。
===88番目のもの===
*[[原子番号]] 88 の元素は[[ラジウム]] (Ra)。
*第88代[[天皇]]は[[後嵯峨天皇]]である。
*日本の88代目の[[内閣総理大臣]]は、[[小泉純一郎]]。
*第88代[[教皇|ローマ教皇]]は[[コンスタンティヌス (ローマ教皇)|コンスタンティヌス]](在位:[[708年]][[3月25日]]~[[715年]][[4月9日]])である。
*[[クルアーン]]における第88番目の[[スーラ (クルアーン)|スーラ]]は[[圧倒的事態 (クルアーン)|圧倒的事態]]である。
===ある日から数えて88日後===
*'''[[八十八夜]]''':[[立春]]から88日後の夜。
*[[年始]]から数えて88日目は[[3月29日]]、[[閏年]]は[[3月28日]]。
===88個あるもの===
*全天の[[星座]]の数は88個である。
*[[グランドピアノ]]の鍵盤の数は88個である。1[[オクターブ]]が[[12]]音であることから、[[7]]オクターブをカバーできることがわかる。
**[[鍵盤 (楽器)|黒鍵と白鍵]]の数がそれぞれ [[36]] と [[52]] である。
*'''[[四国八十八箇所]]''':[[四国]]にある88箇所の[[霊場]]。
*[[香港]]のIFCタワーは88階建。
*[[廷臣八十八卿列参事件]]は[[幕末]]の[[公家]]88人によるによる幕府への抗議行動。
===符号===
*[[アマチュア無線]]では、[[女性]] (YL) に対する別れの挨拶が 88 (Eighty-eight) である。元々は "Love and kisses" の略号だった。
*[[中華]]圏の[[パーソナルコンピュータ|パソコン]]や[[携帯電話]]等の文面において、[[8]]は縁起の良い数でもあり音も似ていることから、88({{ピン音|bābā}}、{{注音|ㄅㄚ ㄅㄚ}})はバイバイの代わりとして多用される。
*88:[[ナチス式敬礼|ハイル・ヒトラー]] ('''H'''eil [[アドルフ・ヒトラー|'''H'''itler]]) の[[イニシャル]]を意味する隠語で、Hが[[アルファベット]]の8番目であることから。ネオナチや人種差別主義者が[[14 Words]]などと共に用いる<ref>{{Cite web|url=https://www.adl.org/education/references/hate-symbols/88 |title=88 |website=Hate Symbols Database |publisher=[[名誉毀損防止同盟|ADL.org]] |accessdate=2021-10-10}}</ref>。
===製品及びその通称===
*[[パーソナルコンピュータ|パソコン]]において 88(ハチハチ)といえば、[[PC-8800シリーズ]]を指す。
*[[ローランド・SCシリーズ|SC-88]]:[[ローランド]]の代表的な [[MIDI]] [[音源]]。上同様、ハチハチと略される。
===軍事関連===
*88:ドイツ軍が使用した88mm砲。対空砲や対戦車砲として用いられた。[[8.8 cm FlaK 18/36/37]]
*[[八八艦隊]]:[[大日本帝国海軍]]の艦隊編成計画。
*[[AGM-88 (ミサイル)|AGM-88 HARM]]:[[アメリカ合衆国]]が開発した[[対レーダーミサイル]]。
===芸能・著作物===
*[[88 (漫画)|88]]:[[並木洋美]]著、[[月刊少年マガジン]]([[講談社]])で連載された[[アイスホッケー]]が題材の漫画作品。(2009 - 2010)
*[[エリア88]]:[[新谷かおる]]著、[[小学館]]刊の漫画。
*[[LM.C]] の8th[[シングル]]「[[88 (曲)|88(ハチハチ)]]」。
*[[stella88]]は、日本の歌手・[[安室奈美恵]]の個人事務所。
*[[八十八ヵ所巡礼]]は、日本のロックバンド。
*[[バック・トゥ・ザ・フューチャー]]でタイムトラベルする際、[[デロリアン (タイムマシン)|デロリアン]]で時速88マイル(時速約140km/h)まで加速する必要がある。
== 脚注 ==
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== 関連項目 ==
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*[[8月8日]]
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宮沢賢治
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宮沢 賢治(みやざわ けんじ、正字: 宮澤 賢治、1896年〈明治29年〉8月27日 - 1933年〈昭和8年〉9月21日)は、日本の詩人、童話作家。
仏教(法華経)信仰と農民生活に根ざした創作を行った。作品中に登場する架空の理想郷に、郷里の岩手県をモチーフとしてイーハトーヴ(Ihatov、イーハトヴやイーハトーヴォ (Ihatovo) 等とも)と名付けたことで知られる。彼の作品は生前ほとんど一般には知られず無名に近く、没後、草野心平らの尽力により作品群が広く知られ、世評が急速に高まり国民的作家となっていき、今でも日本には広く愛好者が存在する。主な作品は後節を参照。
1896年(明治29年)8月27日、父宮澤政次郎と母イチの長男として岩手県花巻川口町(現:花巻市)に生まれる。戸籍上の誕生日は8月1日で生前の賢治も履歴書に1日と書いているが、27日と推定されている。母イチの実家、鍛冶町の宮澤善治家で出生したが、5日後の8月31日、秋田県東部を震源とする陸羽地震が発生。イチは賢治を収容したエジコ (乳幼児を入れ守る籠) を両手で抱えながら上体を覆って念仏を唱えていたという。政次郎は仕事で旅行中だったため、政次郎の弟の治三郎が「賢治」と名付けた。
3歳の頃、婚家から出戻っていた父の姉であるヤギが「正信偈」「白骨の御文章」を唱えるのを聞き覚え、一緒に仏前で暗唱していたという。1902年(明治35年)、赤痢で2週間入院。賢治を看病した政次郎も感染し、大腸カタルを起こして胃腸が生涯弱くなった。1903年(明治36年)、花巻川口尋常小学校(2年後に花城尋常小学校へ改名)に入学。成績は優秀で6年間全科目甲だった。3年と4年を担任した八木英三は生徒たちに『未だ見ぬ親』(五来素川の翻案によるマロ作『家なき子』)や『海に塩のあるわけ』(民話『海の水はなぜ辛い』)などの童話を話して聞かせ、賢治に大いに影響を与えた。後に賢治は八木と再会した折に「私の童話や童謡の思想の根幹は、尋常科の三年と四年ごろにできたものです」と語っている。鉱物採集、昆虫の標本づくりに熱中するようになり、11歳の頃に家族から「石コ賢さん」とあだ名をつけられる。父の主催する花巻仏教会の夏季講習会にも参加、招いた講師の暁烏敏の世話係もした。
1909年(明治42年)4月、岩手県立盛岡中学校(現・盛岡第一高等学校)に入学。寄宿舎「自彊寮」に入寮。祖父の喜助は商人の息子で跡継ぎの賢治に学問は不要という考えで、父の政次郎が説得して進学させた。家業の古着屋を嫌っていた賢治は将来を悲観し、成績は落ち込んでゆく。鉱物採集や星座に熱中、岩手山、南昌山、鞍掛山など盛岡近在の山を歩き、大量の岩石標本を集めた。3年生の頃から石川啄木の影響を受けた短歌を制作。1913年(大正2年)、4年生の時、二学期から交代した新しい舎監に生徒たちが夜中足を踏み鳴らすなどの嫌がらせを行ったため、4、5年生全員が退寮させられるという事件が発生。賢治は盛岡市北山の清養院に下宿する。
1914年(大正3年)3月、盛岡中学卒業。4月、盛岡市岩手病院に入院、肥厚性鼻炎の手術を受ける。術後も熱が下がらず、発疹チフスの疑いで5月末まで入院。この時看病に当たった政次郎も感染して入院。自分の看病で2度も倒れた父に賢治は後までも負い目を感じていたという。入院中に出会った岩手病院の看護婦に思いを寄せ、退院後、両親に結婚したいと申し出たが「若すぎる」という理由で反対される。政次郎は「あれはひどく早成なところがあって、困ったんじゃ......」と困惑した。実家で店番や養蚕の手伝いで鬱々とした日々を過ごす賢治を見かねた政次郎は盛岡高等農林学校への進学を認める。賢治は今までと打って変わって、受験のため猛勉強に励んだ。同時期に、島地大等訳『漢和対照 妙法蓮華経』を読み、その中の「如来寿量品」に体が震えるほどの感銘を受ける。
1915年(大正4年)4月、盛岡高等農林学校(現・岩手大学農学部)に首席で入学し、寄宿舎「自啓寮」に入寮。16日の入学宣誓式では総代として誓文を朗読した。翌年、特待生に選ばれ授業料を免除される。高等農林では農学科第二部(のちに農芸化学科)に所属し、土壌学を専門とする部長の関豊太郎の指導を受ける。関は狷介な人物として知られていたが、賢治とは良好な関係を築いたとされる。この頃、毎朝法華経の読経をしていた。寮で同室になった1年後輩の保阪嘉内と親しくなる。保阪は農村改良を志向して進学しており、後の賢治の羅須地人協会の構想にも影響を与えたと言われる。1917年(大正6年)7月、保阪、小菅健吉、河本義行(河本緑石)らと同人誌『アザリア』を発行し、賢治は短歌や短編を寄稿。1918年(大正7年)、卒業を控えた賢治に父の政次郎は研究生として農学校に残り、徴兵検査を延期することを勧めるが、賢治は得業論文『腐植質中ノ無機成分ノ植物ニ対スル価値』を提出し、検査延期を拒否。化学工業方面に進みたかった賢治は研究生の土性調査に意欲がなく、検査延期は自分の倫理観が許さなかった。3月13日、保阪嘉内が『アザリア』に発表した作品が原因で除籍処分となる。賢治は教授会に抗議したが通らなかった。15日に農学校を卒業、研究生として残り、稗貫郡の土性調査にあたる。これは関からの推薦によるものであった。賢治は誠心誠意この仕事に打ち込み、休ませてもらった家には法華経の印刷物を置いていった。またこの頃から5年間、菜食生活をする。4月28日、徴兵検査を受けて第二乙種合格となり、兵役免除。6月30日、岩手病院で肋膜炎の診断を受けて山歩きを止められた。このため退学を申し出たが、土性調査は9月まで続け報告書を提出した。7月4日、花巻に帰省する際、見送りにきた河本義行に「私の命もあと十五年はありません」と語ったという。8月『蜘蛛となめくじと狸』『双子の星』を執筆、家族に朗読している。
12月26日、東京に進学した妹のトシが東京帝国大学医学部附属病院小石川分院に入院したとの知らせが入り、母のイチと上京。病院の近くの旅館「雲台館」に泊まり、翌1919年(大正8年)3月3日まで(イチは1月15日まで)看病する。トシは当初チフスの疑いだったが発熱が続き、肺炎と診断される。翌年1月になると病状も落ち着き、賢治は図書館に通うなどして将来の仕事について考え始める。また国柱会館で田中智学の講演を聞き、盛中同級生の阿部孝(当時は東京帝国大学文学部在学、後に高知大学学長)から萩原朔太郎の『月に吠える』を借りる。父の政次郎に、東京に移住し、宝石の研磨や人造宝石の製造などの事業を始めて家業の転換をはかる計画を手紙で書き送るが、政次郎は実現性の乏しい仕事に反対。3月3日、退院したトシと花巻へ帰り、嫌いな家業を手伝う生活が始まる。賢治が東京で仕入れた「便利瓦(布にアスファルトのようなものを塗ったトタン板の代用品)」が良く売れ、賢治はその儲けでレコードや浮世絵を購入した。1920年(大正9年)5月、農林学校研究生を卒業。助教授に推薦されたが、父子ともに実業に進む考えであったため辞退する。田中智学著『本化妙宗式目講義録』全5巻を読破、国柱会に入信。法華信仰を強め、寒修行として花巻町内を太鼓を叩き題目を唱えながら歩く。また浄土真宗の門徒である父を折伏しようと激しい口論を繰り返した。
1921年(大正10年)1月23日夕方、東京行きの汽車に乗り家出。翌朝、上野駅に到着して鶯谷の国柱会館を訪ね「下足番でもビラ張りでもする」と頼みこむが、応対した高知尾智耀になだめられ、父の知人の小林六太郎家に身を寄せる。本郷菊坂町に下宿し、東大赤門前の謄写版印刷所「文信社」に勤める。高知尾の勧めで「法華文学」の創作に取り組む。1か月に三千枚もの原稿を書いたという。食事はじゃがいもと豆腐と油揚げで、夜は国柱会館の講話を聞き、昼間の街頭布教にも参加した。保阪嘉内には入信を勧める手紙を度々送った。心配した父の政次郎が小切手を送ったが送り返した。4月、政次郎と伊勢、比叡山、奈良を旅する。政次郎は法華経と国柱会への固執を見直させようとしたが、賢治の心は変わらなかった。7月、保阪と決裂、以後は疎遠になる。8月中旬、「トシビョウキスグカエレ」の電報を受け取り、原稿をトランクに詰めて花巻に戻る。家族には原稿を「童子こさえるかわりに書いたのだもや」と語ったという。
12月3日、稗貫郡立稗貫農学校(翌年に岩手県立花巻農学校へ改称)の教諭となる。地元では「桑っこ大学」と呼ばれた小さな学校だった。雑誌『愛国婦人』12月号と翌年1922年(大正11年)1月号に「雪渡り」掲載。この時受け取った原稿料5円が生前唯一の原稿料という。農学校の給料80円はレコード、書籍の購入、飲食などにあてた。下宿代として家に20円入れていたが、それも何かと理屈をつけてまきあげる。それでも3日ももてばいいほうで、本屋でツケで買った上、現金を借りることもあった。同僚の奥寺五郎(1924年死去)が結核になると毎月30円送っている。また花巻高等女学校の音楽教師・藤原嘉藤治と親交を結び、レコード鑑賞や飲食を楽しんだ。
1922年(大正11年)11月27日、結核で病臥中のトシの容態が急変、午後8時30分死去。賢治は押入れに顔を入れて「とし子、とし子」と号哭し、亡骸の乱れた髪を火箸で梳いた。『永訣の朝』『松の針』『無声慟哭』を書く。29日の葬儀は真宗大谷派の寺で行われたため賢治は出席せず、出棺の時に現れて棺を担ぎ、持参した丸い缶にトシの遺骨半分を入れた。この遺骨は後に国柱会本部に納めた。それから半年間、詩作をしなかった。1923年(大正12年)7月、農学校生徒の就職依頼で樺太を旅行。『青森挽歌』『樺太挽歌』などトシを思う詩を書く。
1924年(大正13年)4月20日『心象スケツチ 春と修羅』刊行。花巻の吉田印刷所に持ち込み1000部を自費出版した(定価2円40銭)。発行所の名義は東京の関根書店になっている。東京での配本を関根喜太郎という人物に頼み500部委託したが、関根はゾッキ本として流してしまい、古本屋で50銭で売られたという。本は売れず、賢治もほとんど寄贈してしまったが、7月にダダイストの辻潤が『読売新聞』に連載していたエッセイで紹介。詩人の佐藤惣之助も雑誌『日本詩人』12号で若い詩人に「宮沢君のようなオリジナリティーを持つよう」と例に挙げた。中原中也は夜店で5銭で売っていた『春と修羅』のゾッキ本を買い集め、知人に配っている。同年12月1日『イーハトヴ童話 注文の多い料理店』刊行(定価1円60銭)。盛岡高農の後輩で農薬のパンフレットを作っていた近森善一と及川四郎が賢治の原稿を見て刊行を計画、出版費用の工面に苦労しながら東京で印刷、製本した。出版社「光原社」の名義で1000部作ったが全く売れず、賢治は父親から300円借りて200部買い取った。本の挿絵を担当した菊池武雄は『赤い鳥』主宰の鈴木三重吉に『タネリはたしかにいちにち噛んでいたようだった』を送ったが「あんな原稿はロシアにでも持っていくんだな」と返された。しかし翌年1月、『赤い鳥』に『注文の多い料理店』の一頁広告が掲載される。三重吉の厚意で無料だった。7月、詩人の草野心平の同人誌『銅鑼』に参加する。11月23日、花巻の北上川小船渡に東北帝国大学地質古生物教室の早坂一郎教授を案内、賢治が採集したバタグルミ(クルミの古種)化石の学術調査に協力。この場所を賢治は「イギリス海岸」と名付けていた。
1926年(大正15年)3月31日、花巻農学校を依願退職。弟宛ての手紙では校長の転任に伴って義理でやめると書いているが、前年4月13日杉山芳松宛ての手紙では「来春はやめてもう本統の百姓になります」と辞職の決意をしている。4月、実家を出て、かつてトシが療養生活をしていた下根子桜の別宅に移り、改装。周囲を開墾して畑と花壇を作った。ここで白菜、とうもろこし、トマト、セロリ、アスパラガスなど野菜を栽培するとともに、チューリップやヒヤシンスの花を咲かせた。賢治は野菜をリヤカーで売り歩いたが、当時の農民にはリヤカーは高級品で、賢治の農業は金持ちの道楽とみられてしまう。野菜を勝手に持っていかれても笑って許していた。農村の水路修理などの共同作業も参加せず金を包んで済ませている。また畑の白菜を全て盗まれるという嫌がらせにあった話を詩に残している。「羅須地人協会」として農学校の卒業生や近在の篤農家を集め、農業や肥料の講習、レコードコンサートや音楽楽団の練習を始めた。6月『農民芸術概論綱要』起稿。「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」として農民芸術の実践を試みた。 また肥料設計事務所を開設、無料で肥料計算の相談に応じた。この様子は「それでは計算いたしませう」という詩に書かれている。
12月2日、上京。タイプライター、セロ、オルガン、エスペラント語を習い、観劇をする。資金は父親頼みだった。18日、高村光太郎を訪ねている。年末帰花。 1927年(昭和2年)2月1日『岩手日報』夕刊二面で「農村文化の創造に努む/花巻の青年有志が/地人協会を組織し/自然生活に立ち返る」の見出しで賢治の活動が紹介される。これが社会主義教育と疑われ、花巻警察の聴取を受ける。以後、羅須地人協会の集会は不定期になり、オーケストラも一時解散した。
この頃、小学校教員の高瀬露という女性が協会にしばしば通ってくるようになる。高瀬は賢治の身の回りの世話をしようとしたが、賢治は居留守を使ったり、顔に灰を塗って出てきたりするなどして彼女の厚意を避けようとした。協会に人が集まった時、高瀬はカレーライスを作ってもてなしたが、賢治は「私には食べる資格がありません」と拒否。怒った高瀬はオルガンを激しく引き鳴らした。その後、彼女は賢治の悪口を言って回るようになったが、父の政次郎は「はじめて女のひとにあったとき、おまえは甘い言葉をかけ白い歯を出して笑ったろう」と賢治の態度を叱った。
1928年(昭和3年)6月、胆沢郡水沢町(現在の水沢市)の豪家出身で、伊豆大島に住む伊藤七雄を訪問。伊藤は結核療養のため大島に移り、ここに園芸学校を建設するにあたって賢治の助言を得るため相談していた(1931年伊藤の死去に伴い学校は消滅した)。この訪問は伊藤の妹チヱとの見合いの意味もあったが、チヱの回想によれば賢治は結婚について全く眼中にない様子だったという。しかし1931年、森荘已池を訪ねた賢治は「伊藤さんと結婚するかもしれません」と話している。
肥料相談や稲作指導に奔走していたが、8月10日、高熱で倒れ、花巻病院で両側肺浸潤との診断を受ける。以後、実家で病臥生活となる。
1930年(昭和5年)、体調が回復に向かい、文語詩の制作をはじめる。5月、東磐井郡の陸中松川駅前にあった東北砕石工場主の鈴木東蔵が来訪。鈴木は石灰岩とカリ肥料を加えた安価な合成肥料の販売を計画しており、賢治も賛同する。 1931年(昭和6年)2月21日、東北砕石工場花巻出張所が開設。父の政次郎は病弱な賢治を外に出すのを心配し、工場に融資を行って花巻に出張所を作り、仕事をさせようとの考えだった。しかし技師となった賢治は製品の改造、広告文の起草、製品の注文取り、販売などで東奔西走する。農閑期、石灰は売れなくなる。そこで賢治は石灰を壁材料に転用することを考え、9月19日、40キログラムもの製品見本を鞄に詰めて上京する。翌20日、神田駿河台の旅館「八幡館」に泊まるが高熱で倒れ、死を覚悟して、家族に遺書を書く。27日、最期の別れのつもりで父親に電話をかける。政次郎は東京の小林六太郎に頼み、翌日賢治は花巻に戻ってすぐ病臥生活となる。11月、手帳に『雨ニモマケズ』を書く。
1932年(昭和7年)3月『児童文学』第二冊に「グスコーブドリの伝記」発表。挿絵は棟方志功。病床では文語詩の制作や過去の作品の推敲に取り組む。前年冬から医者にもかからず、薬はビール酵母と竹の皮を煎じたものを飲むだけだった。
1933年(昭和8年)9月17日から19日まで鳥谷ヶ崎神社のお祭りが行われ、賢治は門口に椅子を出して座り、神輿や山車を見物した。翌日の朝、昨夜賢治が門口にいるのを見た農民が相談に来た。話をした後、賢治は呼吸が苦しくなり、往診した医者から急性肺炎の兆しと診断される。その夜、別の農民が稲作や肥料の相談にやって来る。賢治は着物を着換え1時間ほど丁寧に相談に乗った後、すぐ二階の病室に運ばれた。心配した清六が付き添って一緒に寝たが、賢治は「この原稿はみなおまえにやるから、もし小さな本屋からでも出したいところがあったら出してもいい」と話した。 9月21日、午前11時半、突然「南無妙法蓮華経」と唱題する声が聞こえたので家族が急いで二階の病室に行ってみると、賢治は喀血して真っ青な顔になっていた。政次郎が「何か言っておくことはないか」と尋ねると、賢治は「国訳の妙法蓮華経を一千部つくってください」「私の一生の仕事はこのお経をあなたの御手許に届け、そしてあなたが仏さまの心に触れてあなたが一番よい正しい道に入られますようにということを書いておいてください」と語った。政次郎が「おまえもなかなかえらい」と答えて階下に降りると、賢治は清六に「おれもとうとうおとうさんにほめられたものな」と言った。病室に残ったイチが賢治に水を飲ませ、体を拭くと「ああいい気持ちだ」と繰り返し、午後1時半、呼吸が変わり潮が引くように息を引き取った。没時年齢は満37歳。葬儀は宮沢家の菩提寺だった安浄寺で営まれた。18年後の1951年(昭和26年)、宮沢家は日蓮宗に改宗し、墓所は花巻市の身照寺に移された。また国柱会から法名「真金院三不日賢善男子」が贈られた。東京都江戸川区の国柱会には賢治の遺骨の一部が納められている。
生前に刊行された唯一の詩集として『春と修羅』、同じく童話集として『注文の多い料理店』がある。また、生前に雑誌や新聞に投稿・寄稿した作品も少ないながら存在する(『やまなし』『グスコーブドリの伝記』など)。ただし、賢治が受け取った原稿料は、雑誌『愛国婦人』に投稿した童話『雪渡り』で得た5円だけであったといわれる。
しかし生前から注目されていた経緯もあり、死の直後から、主に草野心平の尽力により多数の作品が刊行された。最初の全集は(作品全体からは一部の収録ではあるものの)早くも死去の翌年に野々上慶一が営んでいた文圃堂より刊行され、続いて文圃堂から紙型を買い取った十字屋書店が、それに増補する形で1939年から1944年にかけて出版した。戦時下『雨ニモマケズ』は滅私奉公的に受け取られ、求道者としての賢治像ができあがった。戦後は筑摩書房から文庫判も含め数次にわたり刊行されている(#作品一覧参照)。戦後は賢治の生き方や作品にみられるヒューマニズムを聖化する一方、反動としての批判『雨ニモマケズ』論争が行われるなど再評価の動きもあらわれた。
賢治の作品は、一旦完成した後も次から次へ書き換えられて全く別の作品になってしまうことがある。これは雑誌に発表された作品でも同様で、変化そのものが一つの作品と言える。『農民芸術概論綱要』においても「永久の未完成これ完成である」という記述がある。多くの作品が死後に未定稿のまま残されたこともあり、作品によっては何度も修正した跡が残されていて、全集の編集者が判読に苦労するケースも少なくなかった。そうした背景から原稿の徹底した調査に基づき、逐次形態を全て明らかにする『校本 宮澤賢治全集』(筑摩書房、1973~77年)が刊行され、作品内容の整理が図られた。これ以後、文学研究の対象として、賢治とその作品を論評する動きが増え、精神医学や地学、物理学など他の領域や時代背景を踏まえた論考も多くなった。
死去から49年後の1982年、花巻市矢沢の胡四王山に花巻市立宮沢賢治記念館が開館している。
草稿調査によって、賢治の遺稿はほぼ調べ尽くされたと見られていたが、生家の土蔵から未発表の詩の草稿1枚(地形図の裏に書かれたもの)が発見されたことが2009年4月に公表され『新校本 宮澤賢治全集』別巻(筑摩書房)に収録された。
広く作品世界を覆っているのは、作者自らの裕福な出自と、郷土の農民の悲惨な境遇との対比が生んだ贖罪感や自己犠牲精神である。また幼い頃から親しんだ仏教も強い影響を与えている。その主な契機としては浄土真宗の暁烏敏らの講話・説教が挙げられる。特に18歳の時に同宗の学僧である島地大等編訳の法華経を読んで深い感銘を受けたと言われる。この法華経信仰の高まりにより、賢治は後に国粋主義的な法華宗教団「国柱会」に入信するが、法華宗は当時の宮沢家とは宗派違いであったので、父親との対立を深めることとなった。弱者に対する献身的精神、強者への嫌悪などの要素は、これらの経緯と深い関わりがあると思われる。また、良き理解者としての妹トシの死が与えた喪失感は、以後の作品に特有の陰影を加えた。
また、童話作品においては擬声語を多用し、作品によっては韻文にも近いリズム感を持った文体を使用したことも大きな特徴である。賢治の童話は同時代に主流とされた『赤い鳥』に掲載されるなどしていた児童文学作品とはかなり異質なものであった。
賢治の作品には世界主義的な雰囲気があり、岩手県という郷土への愛着こそあれ、軍国主義や民族主義的な要素を直接反映した作品はほとんど見られない。ただ、24歳の時に国柱会に入信してから、時期によって活動、傾倒の度合いに差はあるものの、生涯その一員であり続けたため、その社会的活動や自己犠牲的な思想について当時のファシズム的風潮との関連も議論されている。晩年には遺作『銀河鉄道の夜』に見られるようにキリスト教的な救済信仰をも取り上げ、全人類への宗教的寛容に達していたことが垣間見られる。宗教学者からは、賢治のこうした考え方の根本は、法華経に基づくものであると指摘されている。この宗教的思想と自然科学の融合した独自の世界観は第二次世界大戦後に日本国外の研究者からも評価され、1996年9月、宮沢賢治生誕100周年を記念して花巻市にて開催された宮沢賢治国際学会では20ヶ国程の研究者、翻訳者が集ったことを歴史家の色川大吉は著書で言及している。
賢治は自ら学んだエスペラントでも詩作を試みたが、公表されたのは1953年である。これらの作品のほとんどは自らの作品のエスペラントへの翻訳、改作である。
1998年頃に、山折哲雄がある小学校で授業をした際に、賢治の3つの作品『風の又三郎』『注文の多い料理店』『銀河鉄道の夜』を示し、これらに共通する問題があり、それは何だと子供たちに問い、自らは風がすごく大きな役割を果たしている、この3つの童話の中心的大問題は「風」だと力説した。この時、子供の一人が「猫」だと言おうとしたが、山折が「風」と言ったのであれっと思ったが、山折の話を聞く内にやっぱり「風」だと思った。ところがこのエピソードを聞いた河合隼雄は、賢治作品における猫の役割の重要性をずっと考えていたため、「猫と風」というヒントから、風のつかまえどころの無さと優しさと荒々しさの同居、少しの隙間でも入り込んでくる点など猫との共通点を感じ、賢治作品に登場する猫は、正にそのような性格を持って登場すると論じている。賢治の『猫』という短編には「私は猫は大嫌いです。猫のからだの中を考えると吐きそうになります」という一節が見られる。しかし、この「猫」は高瀬露が転嫁された表現であり、実際に賢治が猫嫌いだったわけではないという指摘もある(ますむらひろし著『イーハトーブ乱入記―僕の宮沢賢治体験』)。
愛知県出身の児童文学作家である新美南吉は、賢治の作品を読んで評価し、没後の1934年に開かれた「宮沢賢治友の会」に出席した 。
賢治には多くの「伝説」が語り継がれているが、特に本人が資料を残していない幼少期の神格化が甚だしいと指摘されている。こうした神格化を後押ししていたのが、父・政次郎や弟・清六であった。伝説が嘘ではないにしても誇張や曲解が行われたのは関係者の思い入れと宮沢家への気遣いであろうと、山下聖美は推測している。現代では吉田司の『宮沢賢治殺人事件』のように聖人イメージを破壊するという著作も現れている。
幼少期に石を好んで収集する鉱物愛好家だったことから、11歳頃より家族に「石コ賢さん」という愛称で呼ばれた。盛岡中学校時代は、休日に盛岡周辺で鉱物採集をしたり、道中で「矢ノ根石」(石鏃)を収集するためあえて徒歩で帰省したりした。盛岡高等農林学校研究生時代に、人工宝石製造業を東京で起業するプランを手紙で父に送ったこともあった(実現せず)。
作中には動植物、鉱物、地質学など科学用語や鉱物の名称が多く登場する。
大学で学んだ土壌学を農民へ還元する農業技術の指導員としての評価もある。
賢治は音楽に深い関心を持っており、暇を見つけてはレコードを買っていた。賢治が頻繁にレコードを買っていくため、地方の店の割に新譜レコードが多く売れるとして、行きつけの楽器店がイギリスに本社を置くポリドール・レコードから感謝状を贈られたという。
ベートーヴェンやドヴォルザークの曲をよく聴いていた。農学校教員時代(1921-1923年)には自ら楽曲づくりも手掛けた。二十数曲を作詞し、うち八つは作曲もしている。
蓄音機でレコード針として使う竹針を傷め、音質を高める針を発明したこともある。米国ビクター社にサンプルを送り、製品化には至らなかったものの、その発想は高く評価された。
日蓮系教団では末法無戒を説くため菜食の必要は無いのだが、賢治は法華経信仰に入った後、盛岡高農研究生になった1918年(大正7年)から5年間菜食生活をした。5月19日付の保阪嘉内に宛てた手紙では、刺身や茶碗蒸しを少量食べた後、食べられる生き物に同情する気持ちを綴っている。東京でトシの看病をするため宿泊していた旅館「雲台館」では、賢治のため精進料理を出してくれたという。家出上京中は、芋と豆腐と油揚げばかり食べ、脚気になった時は、蕎麦がきや麦飯、冬瓜の汁を飲んだ。1921年(大正10年)8月11日付の関徳弥宛の手紙では脚気の原因を肉食のせいにしている。
農学校教員時代は菜食にこだわらず、同僚や知人と外食を楽しんだ。花巻の蕎麦屋「やぶ屋」を「ブッシュ」と呼び、よく通っていた。天ぷら蕎麦とサイダーを一緒に注文するのが定番だった。また鰻丼や天丼も好物だったという。自分から進んで酒を飲むことはなかったが、付き合いで酒をすすめられると水でも飲むように飲み干して返盃した。時にたばこを吸うこともあった。また教員仲間が集まった時、藤原嘉藤治から「人間は物の命を食って生きている。他を犯さずに生きうる世界というものはないのだろうか。」と問いかけられた答えとして『ビジテリアン大祭』を書いている。
羅須地人協会時代の自炊は極端な粗食だった。ご飯はまとめて炊いてザルに移して井戸の中に吊り下げて置き、冬は凍ったまま食べた。おかずは油揚げや漬物、トマトなどだった。賢治の体を心配した母のイチが小豆を入れたひっつみを届けたことがあるが、受け取らなかった。急性肺炎で倒れ病臥生活になっても菜食はやめず、鶏卵も牛乳も拒否した。イチが鯉の生き肝が肺炎に効くと聞いて、オブラートに包み薬と偽って飲ませたことがあった。弟の清六から中身を聞き出した賢治は涙を流し、「生き物の命をとるくらいならおれは死んだほうがいい」「これからは決してそんなことをしてくれるな」と真っ青な顔で言い、最期まで菜食主義をつらぬいた。
賢治は生涯独身だった。友人の藤原嘉藤治に「性欲の乱費は、君自殺だよ、いい仕事はできないよ。」と語り、性欲の発露を戒めた。関登久也はある朝、賢治に会うと、岩手郡の外山牧場に行って一晩中歩き、夜を徹して性欲と闘ったことを明かされた。農学校教員時代は見合いの話がいくつも持ち込まれ、両親も結婚させたがったが、賢治は頑として受け付けなかった。藤原にはこう語っている。
童貞だったとも言われるが、「一関の花川戸という遊郭へ登楼してきたといって明るくニコニコ笑って話しました」(『宮沢賢治の肖像』)という証言もあり、真偽は不明である。晩年、森荘已池を訪ねた時は禁欲主義については「何にもなりませんでしたよ」「まるっきりムダでした」と話し、さらに「草や木や自然を書くようにエロのことを書きたい」と語って、変節したことを認めた。
賢治は浮世絵コレクターで、特に「和印(春画)」を積めば高さ30センチメートルになるほど集めていた。それら農学校に持ってきて、同僚と批評して楽しんだ。ハバロック・エリスの『性の心理』を持っていて、翻訳本で伏字になった部分を仙台の本屋まで行って原書で読んで確かめた。この本のことを聞かれると「いなかの子ども(農学校の教え子)が性でまちがいをおこさないように教えたいと思って」と答え、実際生徒に「猥談は大人の童話みたいなもので頭を休めるもの」「誰を憎むというわけでも、人を傷つけるというものでもなく、悪いものではない。性は自然の花だ。」と話したという。
盛岡高等農林学校在籍時に出会った一年後輩の保阪嘉内との間で、互いに「恋人」と呼び合うような親しい間柄になり、嘉内に宛てた書簡類では、親密な感情の表出、率直な心情の吐露が認められ、手紙に記された文面は、時にあたかも恋人に宛てたような表現になった。嘉内からは情緒的にも思想的にも強い影響を受け、とりわけ『銀河鉄道の夜』の成立には、20代の頃に嘉内と二人で登山し共に語り合って夜を明かした体験が濃厚に反映され、登場人物の「ジョバンニ」を賢治自身とするなら、「カムパネルラ」は保阪嘉内を表していると考える研究者もいる。
宮澤家の始祖は京都から花巻に移り住んだ藤井将監という人物とされる。子孫は明治の初めに姓を宮澤に改める。子孫の一人初代宮澤右八長昌は花巻に呉服屋「宮右」を繁盛させた。その子の二代目右八の代ではますます盛んになり、京都大阪からも仕入れをしていたという。右八の三男が賢治の祖父の喜助である。喜助は真面目で仕事熱心だったが、分家する時ほとんど財産を分けてもらえず、店頭に古着を並べ質屋を始めた。喜助の長男政次郎は15歳の頃から家業を手伝いはじめ、17歳の時から鉄道で関西・四国に出向き、古着や流行遅れになった新古品を大量に仕入れ、店で売るだけでなく卸売もしていた。また株式投資でも成功し、近隣に多くの小作地を有するようになる。花巻出身のジャーナリストで徳富蘇峰の秘書も務めた八重樫祈美子は1935年の文章で、「宮沢先生の一族は、精神的にも物質的にも花巻を壟断する一大勢力」と記し、以後の賢治の研究書や解説書にもこれを踏襲した表現が見られる。これについて研究者の上田哲(うえだ あきら、政治家の上田哲とは別人)は、当時の花巻には梅津家や瀬川家(瀬川弥右衛門が当主)、伊藤家(伊藤儀兵衛が当主)といったずっと規模の大きな「マキ」(岩手方言で「一族」の意味)があったことを指摘し、「『宮沢マキ』は、この地方での有力な一族ではあったが、このような情勢の中では花巻を壟断することはできえないことがわかると思う」と記している。
※は生前発表作品
賢治が自作の童話の題名を列記したメモが多数残っている(自選の作品集を構想していたとも言われている)が、そのうちの数点で、上記の4作品が「少年小説」あるいは「長篇」として一括りにされている。
題名が〔〕で括られているものは、原稿の最終形が無題のため、冒頭の1行を題名の代わりにしているものである。また、題名の前の漢数字は、賢治が原稿に記載していた作品番号である。
※題名はいずれも仮題である。
※作品を映像化したものについては、該当作品の項目を参照。
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"text": "宮沢 賢治(みやざわ けんじ、正字: 宮澤 賢治、1896年〈明治29年〉8月27日 - 1933年〈昭和8年〉9月21日)は、日本の詩人、童話作家。",
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"text": "仏教(法華経)信仰と農民生活に根ざした創作を行った。作品中に登場する架空の理想郷に、郷里の岩手県をモチーフとしてイーハトーヴ(Ihatov、イーハトヴやイーハトーヴォ (Ihatovo) 等とも)と名付けたことで知られる。彼の作品は生前ほとんど一般には知られず無名に近く、没後、草野心平らの尽力により作品群が広く知られ、世評が急速に高まり国民的作家となっていき、今でも日本には広く愛好者が存在する。主な作品は後節を参照。",
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"text": "1896年(明治29年)8月27日、父宮澤政次郎と母イチの長男として岩手県花巻川口町(現:花巻市)に生まれる。戸籍上の誕生日は8月1日で生前の賢治も履歴書に1日と書いているが、27日と推定されている。母イチの実家、鍛冶町の宮澤善治家で出生したが、5日後の8月31日、秋田県東部を震源とする陸羽地震が発生。イチは賢治を収容したエジコ (乳幼児を入れ守る籠) を両手で抱えながら上体を覆って念仏を唱えていたという。政次郎は仕事で旅行中だったため、政次郎の弟の治三郎が「賢治」と名付けた。",
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"text": "3歳の頃、婚家から出戻っていた父の姉であるヤギが「正信偈」「白骨の御文章」を唱えるのを聞き覚え、一緒に仏前で暗唱していたという。1902年(明治35年)、赤痢で2週間入院。賢治を看病した政次郎も感染し、大腸カタルを起こして胃腸が生涯弱くなった。1903年(明治36年)、花巻川口尋常小学校(2年後に花城尋常小学校へ改名)に入学。成績は優秀で6年間全科目甲だった。3年と4年を担任した八木英三は生徒たちに『未だ見ぬ親』(五来素川の翻案によるマロ作『家なき子』)や『海に塩のあるわけ』(民話『海の水はなぜ辛い』)などの童話を話して聞かせ、賢治に大いに影響を与えた。後に賢治は八木と再会した折に「私の童話や童謡の思想の根幹は、尋常科の三年と四年ごろにできたものです」と語っている。鉱物採集、昆虫の標本づくりに熱中するようになり、11歳の頃に家族から「石コ賢さん」とあだ名をつけられる。父の主催する花巻仏教会の夏季講習会にも参加、招いた講師の暁烏敏の世話係もした。",
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"text": "1909年(明治42年)4月、岩手県立盛岡中学校(現・盛岡第一高等学校)に入学。寄宿舎「自彊寮」に入寮。祖父の喜助は商人の息子で跡継ぎの賢治に学問は不要という考えで、父の政次郎が説得して進学させた。家業の古着屋を嫌っていた賢治は将来を悲観し、成績は落ち込んでゆく。鉱物採集や星座に熱中、岩手山、南昌山、鞍掛山など盛岡近在の山を歩き、大量の岩石標本を集めた。3年生の頃から石川啄木の影響を受けた短歌を制作。1913年(大正2年)、4年生の時、二学期から交代した新しい舎監に生徒たちが夜中足を踏み鳴らすなどの嫌がらせを行ったため、4、5年生全員が退寮させられるという事件が発生。賢治は盛岡市北山の清養院に下宿する。",
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"text": "1914年(大正3年)3月、盛岡中学卒業。4月、盛岡市岩手病院に入院、肥厚性鼻炎の手術を受ける。術後も熱が下がらず、発疹チフスの疑いで5月末まで入院。この時看病に当たった政次郎も感染して入院。自分の看病で2度も倒れた父に賢治は後までも負い目を感じていたという。入院中に出会った岩手病院の看護婦に思いを寄せ、退院後、両親に結婚したいと申し出たが「若すぎる」という理由で反対される。政次郎は「あれはひどく早成なところがあって、困ったんじゃ......」と困惑した。実家で店番や養蚕の手伝いで鬱々とした日々を過ごす賢治を見かねた政次郎は盛岡高等農林学校への進学を認める。賢治は今までと打って変わって、受験のため猛勉強に励んだ。同時期に、島地大等訳『漢和対照 妙法蓮華経』を読み、その中の「如来寿量品」に体が震えるほどの感銘を受ける。",
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"text": "1915年(大正4年)4月、盛岡高等農林学校(現・岩手大学農学部)に首席で入学し、寄宿舎「自啓寮」に入寮。16日の入学宣誓式では総代として誓文を朗読した。翌年、特待生に選ばれ授業料を免除される。高等農林では農学科第二部(のちに農芸化学科)に所属し、土壌学を専門とする部長の関豊太郎の指導を受ける。関は狷介な人物として知られていたが、賢治とは良好な関係を築いたとされる。この頃、毎朝法華経の読経をしていた。寮で同室になった1年後輩の保阪嘉内と親しくなる。保阪は農村改良を志向して進学しており、後の賢治の羅須地人協会の構想にも影響を与えたと言われる。1917年(大正6年)7月、保阪、小菅健吉、河本義行(河本緑石)らと同人誌『アザリア』を発行し、賢治は短歌や短編を寄稿。1918年(大正7年)、卒業を控えた賢治に父の政次郎は研究生として農学校に残り、徴兵検査を延期することを勧めるが、賢治は得業論文『腐植質中ノ無機成分ノ植物ニ対スル価値』を提出し、検査延期を拒否。化学工業方面に進みたかった賢治は研究生の土性調査に意欲がなく、検査延期は自分の倫理観が許さなかった。3月13日、保阪嘉内が『アザリア』に発表した作品が原因で除籍処分となる。賢治は教授会に抗議したが通らなかった。15日に農学校を卒業、研究生として残り、稗貫郡の土性調査にあたる。これは関からの推薦によるものであった。賢治は誠心誠意この仕事に打ち込み、休ませてもらった家には法華経の印刷物を置いていった。またこの頃から5年間、菜食生活をする。4月28日、徴兵検査を受けて第二乙種合格となり、兵役免除。6月30日、岩手病院で肋膜炎の診断を受けて山歩きを止められた。このため退学を申し出たが、土性調査は9月まで続け報告書を提出した。7月4日、花巻に帰省する際、見送りにきた河本義行に「私の命もあと十五年はありません」と語ったという。8月『蜘蛛となめくじと狸』『双子の星』を執筆、家族に朗読している。",
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"text": "12月26日、東京に進学した妹のトシが東京帝国大学医学部附属病院小石川分院に入院したとの知らせが入り、母のイチと上京。病院の近くの旅館「雲台館」に泊まり、翌1919年(大正8年)3月3日まで(イチは1月15日まで)看病する。トシは当初チフスの疑いだったが発熱が続き、肺炎と診断される。翌年1月になると病状も落ち着き、賢治は図書館に通うなどして将来の仕事について考え始める。また国柱会館で田中智学の講演を聞き、盛中同級生の阿部孝(当時は東京帝国大学文学部在学、後に高知大学学長)から萩原朔太郎の『月に吠える』を借りる。父の政次郎に、東京に移住し、宝石の研磨や人造宝石の製造などの事業を始めて家業の転換をはかる計画を手紙で書き送るが、政次郎は実現性の乏しい仕事に反対。3月3日、退院したトシと花巻へ帰り、嫌いな家業を手伝う生活が始まる。賢治が東京で仕入れた「便利瓦(布にアスファルトのようなものを塗ったトタン板の代用品)」が良く売れ、賢治はその儲けでレコードや浮世絵を購入した。1920年(大正9年)5月、農林学校研究生を卒業。助教授に推薦されたが、父子ともに実業に進む考えであったため辞退する。田中智学著『本化妙宗式目講義録』全5巻を読破、国柱会に入信。法華信仰を強め、寒修行として花巻町内を太鼓を叩き題目を唱えながら歩く。また浄土真宗の門徒である父を折伏しようと激しい口論を繰り返した。",
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"text": "1921年(大正10年)1月23日夕方、東京行きの汽車に乗り家出。翌朝、上野駅に到着して鶯谷の国柱会館を訪ね「下足番でもビラ張りでもする」と頼みこむが、応対した高知尾智耀になだめられ、父の知人の小林六太郎家に身を寄せる。本郷菊坂町に下宿し、東大赤門前の謄写版印刷所「文信社」に勤める。高知尾の勧めで「法華文学」の創作に取り組む。1か月に三千枚もの原稿を書いたという。食事はじゃがいもと豆腐と油揚げで、夜は国柱会館の講話を聞き、昼間の街頭布教にも参加した。保阪嘉内には入信を勧める手紙を度々送った。心配した父の政次郎が小切手を送ったが送り返した。4月、政次郎と伊勢、比叡山、奈良を旅する。政次郎は法華経と国柱会への固執を見直させようとしたが、賢治の心は変わらなかった。7月、保阪と決裂、以後は疎遠になる。8月中旬、「トシビョウキスグカエレ」の電報を受け取り、原稿をトランクに詰めて花巻に戻る。家族には原稿を「童子こさえるかわりに書いたのだもや」と語ったという。",
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"text": "12月3日、稗貫郡立稗貫農学校(翌年に岩手県立花巻農学校へ改称)の教諭となる。地元では「桑っこ大学」と呼ばれた小さな学校だった。雑誌『愛国婦人』12月号と翌年1922年(大正11年)1月号に「雪渡り」掲載。この時受け取った原稿料5円が生前唯一の原稿料という。農学校の給料80円はレコード、書籍の購入、飲食などにあてた。下宿代として家に20円入れていたが、それも何かと理屈をつけてまきあげる。それでも3日ももてばいいほうで、本屋でツケで買った上、現金を借りることもあった。同僚の奥寺五郎(1924年死去)が結核になると毎月30円送っている。また花巻高等女学校の音楽教師・藤原嘉藤治と親交を結び、レコード鑑賞や飲食を楽しんだ。",
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"text": "1922年(大正11年)11月27日、結核で病臥中のトシの容態が急変、午後8時30分死去。賢治は押入れに顔を入れて「とし子、とし子」と号哭し、亡骸の乱れた髪を火箸で梳いた。『永訣の朝』『松の針』『無声慟哭』を書く。29日の葬儀は真宗大谷派の寺で行われたため賢治は出席せず、出棺の時に現れて棺を担ぎ、持参した丸い缶にトシの遺骨半分を入れた。この遺骨は後に国柱会本部に納めた。それから半年間、詩作をしなかった。1923年(大正12年)7月、農学校生徒の就職依頼で樺太を旅行。『青森挽歌』『樺太挽歌』などトシを思う詩を書く。",
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"paragraph_id": 12,
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"text": "1924年(大正13年)4月20日『心象スケツチ 春と修羅』刊行。花巻の吉田印刷所に持ち込み1000部を自費出版した(定価2円40銭)。発行所の名義は東京の関根書店になっている。東京での配本を関根喜太郎という人物に頼み500部委託したが、関根はゾッキ本として流してしまい、古本屋で50銭で売られたという。本は売れず、賢治もほとんど寄贈してしまったが、7月にダダイストの辻潤が『読売新聞』に連載していたエッセイで紹介。詩人の佐藤惣之助も雑誌『日本詩人』12号で若い詩人に「宮沢君のようなオリジナリティーを持つよう」と例に挙げた。中原中也は夜店で5銭で売っていた『春と修羅』のゾッキ本を買い集め、知人に配っている。同年12月1日『イーハトヴ童話 注文の多い料理店』刊行(定価1円60銭)。盛岡高農の後輩で農薬のパンフレットを作っていた近森善一と及川四郎が賢治の原稿を見て刊行を計画、出版費用の工面に苦労しながら東京で印刷、製本した。出版社「光原社」の名義で1000部作ったが全く売れず、賢治は父親から300円借りて200部買い取った。本の挿絵を担当した菊池武雄は『赤い鳥』主宰の鈴木三重吉に『タネリはたしかにいちにち噛んでいたようだった』を送ったが「あんな原稿はロシアにでも持っていくんだな」と返された。しかし翌年1月、『赤い鳥』に『注文の多い料理店』の一頁広告が掲載される。三重吉の厚意で無料だった。7月、詩人の草野心平の同人誌『銅鑼』に参加する。11月23日、花巻の北上川小船渡に東北帝国大学地質古生物教室の早坂一郎教授を案内、賢治が採集したバタグルミ(クルミの古種)化石の学術調査に協力。この場所を賢治は「イギリス海岸」と名付けていた。",
"title": "生涯"
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"text": "1926年(大正15年)3月31日、花巻農学校を依願退職。弟宛ての手紙では校長の転任に伴って義理でやめると書いているが、前年4月13日杉山芳松宛ての手紙では「来春はやめてもう本統の百姓になります」と辞職の決意をしている。4月、実家を出て、かつてトシが療養生活をしていた下根子桜の別宅に移り、改装。周囲を開墾して畑と花壇を作った。ここで白菜、とうもろこし、トマト、セロリ、アスパラガスなど野菜を栽培するとともに、チューリップやヒヤシンスの花を咲かせた。賢治は野菜をリヤカーで売り歩いたが、当時の農民にはリヤカーは高級品で、賢治の農業は金持ちの道楽とみられてしまう。野菜を勝手に持っていかれても笑って許していた。農村の水路修理などの共同作業も参加せず金を包んで済ませている。また畑の白菜を全て盗まれるという嫌がらせにあった話を詩に残している。「羅須地人協会」として農学校の卒業生や近在の篤農家を集め、農業や肥料の講習、レコードコンサートや音楽楽団の練習を始めた。6月『農民芸術概論綱要』起稿。「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」として農民芸術の実践を試みた。 また肥料設計事務所を開設、無料で肥料計算の相談に応じた。この様子は「それでは計算いたしませう」という詩に書かれている。",
"title": "生涯"
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"text": "12月2日、上京。タイプライター、セロ、オルガン、エスペラント語を習い、観劇をする。資金は父親頼みだった。18日、高村光太郎を訪ねている。年末帰花。 1927年(昭和2年)2月1日『岩手日報』夕刊二面で「農村文化の創造に努む/花巻の青年有志が/地人協会を組織し/自然生活に立ち返る」の見出しで賢治の活動が紹介される。これが社会主義教育と疑われ、花巻警察の聴取を受ける。以後、羅須地人協会の集会は不定期になり、オーケストラも一時解散した。",
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"text": "この頃、小学校教員の高瀬露という女性が協会にしばしば通ってくるようになる。高瀬は賢治の身の回りの世話をしようとしたが、賢治は居留守を使ったり、顔に灰を塗って出てきたりするなどして彼女の厚意を避けようとした。協会に人が集まった時、高瀬はカレーライスを作ってもてなしたが、賢治は「私には食べる資格がありません」と拒否。怒った高瀬はオルガンを激しく引き鳴らした。その後、彼女は賢治の悪口を言って回るようになったが、父の政次郎は「はじめて女のひとにあったとき、おまえは甘い言葉をかけ白い歯を出して笑ったろう」と賢治の態度を叱った。",
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"text": "1928年(昭和3年)6月、胆沢郡水沢町(現在の水沢市)の豪家出身で、伊豆大島に住む伊藤七雄を訪問。伊藤は結核療養のため大島に移り、ここに園芸学校を建設するにあたって賢治の助言を得るため相談していた(1931年伊藤の死去に伴い学校は消滅した)。この訪問は伊藤の妹チヱとの見合いの意味もあったが、チヱの回想によれば賢治は結婚について全く眼中にない様子だったという。しかし1931年、森荘已池を訪ねた賢治は「伊藤さんと結婚するかもしれません」と話している。",
"title": "生涯"
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"text": "肥料相談や稲作指導に奔走していたが、8月10日、高熱で倒れ、花巻病院で両側肺浸潤との診断を受ける。以後、実家で病臥生活となる。",
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"text": "1930年(昭和5年)、体調が回復に向かい、文語詩の制作をはじめる。5月、東磐井郡の陸中松川駅前にあった東北砕石工場主の鈴木東蔵が来訪。鈴木は石灰岩とカリ肥料を加えた安価な合成肥料の販売を計画しており、賢治も賛同する。 1931年(昭和6年)2月21日、東北砕石工場花巻出張所が開設。父の政次郎は病弱な賢治を外に出すのを心配し、工場に融資を行って花巻に出張所を作り、仕事をさせようとの考えだった。しかし技師となった賢治は製品の改造、広告文の起草、製品の注文取り、販売などで東奔西走する。農閑期、石灰は売れなくなる。そこで賢治は石灰を壁材料に転用することを考え、9月19日、40キログラムもの製品見本を鞄に詰めて上京する。翌20日、神田駿河台の旅館「八幡館」に泊まるが高熱で倒れ、死を覚悟して、家族に遺書を書く。27日、最期の別れのつもりで父親に電話をかける。政次郎は東京の小林六太郎に頼み、翌日賢治は花巻に戻ってすぐ病臥生活となる。11月、手帳に『雨ニモマケズ』を書く。",
"title": "生涯"
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"text": "1932年(昭和7年)3月『児童文学』第二冊に「グスコーブドリの伝記」発表。挿絵は棟方志功。病床では文語詩の制作や過去の作品の推敲に取り組む。前年冬から医者にもかからず、薬はビール酵母と竹の皮を煎じたものを飲むだけだった。",
"title": "生涯"
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"paragraph_id": 20,
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"text": "1933年(昭和8年)9月17日から19日まで鳥谷ヶ崎神社のお祭りが行われ、賢治は門口に椅子を出して座り、神輿や山車を見物した。翌日の朝、昨夜賢治が門口にいるのを見た農民が相談に来た。話をした後、賢治は呼吸が苦しくなり、往診した医者から急性肺炎の兆しと診断される。その夜、別の農民が稲作や肥料の相談にやって来る。賢治は着物を着換え1時間ほど丁寧に相談に乗った後、すぐ二階の病室に運ばれた。心配した清六が付き添って一緒に寝たが、賢治は「この原稿はみなおまえにやるから、もし小さな本屋からでも出したいところがあったら出してもいい」と話した。 9月21日、午前11時半、突然「南無妙法蓮華経」と唱題する声が聞こえたので家族が急いで二階の病室に行ってみると、賢治は喀血して真っ青な顔になっていた。政次郎が「何か言っておくことはないか」と尋ねると、賢治は「国訳の妙法蓮華経を一千部つくってください」「私の一生の仕事はこのお経をあなたの御手許に届け、そしてあなたが仏さまの心に触れてあなたが一番よい正しい道に入られますようにということを書いておいてください」と語った。政次郎が「おまえもなかなかえらい」と答えて階下に降りると、賢治は清六に「おれもとうとうおとうさんにほめられたものな」と言った。病室に残ったイチが賢治に水を飲ませ、体を拭くと「ああいい気持ちだ」と繰り返し、午後1時半、呼吸が変わり潮が引くように息を引き取った。没時年齢は満37歳。葬儀は宮沢家の菩提寺だった安浄寺で営まれた。18年後の1951年(昭和26年)、宮沢家は日蓮宗に改宗し、墓所は花巻市の身照寺に移された。また国柱会から法名「真金院三不日賢善男子」が贈られた。東京都江戸川区の国柱会には賢治の遺骨の一部が納められている。",
"title": "生涯"
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"paragraph_id": 21,
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"text": "生前に刊行された唯一の詩集として『春と修羅』、同じく童話集として『注文の多い料理店』がある。また、生前に雑誌や新聞に投稿・寄稿した作品も少ないながら存在する(『やまなし』『グスコーブドリの伝記』など)。ただし、賢治が受け取った原稿料は、雑誌『愛国婦人』に投稿した童話『雪渡り』で得た5円だけであったといわれる。",
"title": "作品と評価"
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"paragraph_id": 22,
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"text": "しかし生前から注目されていた経緯もあり、死の直後から、主に草野心平の尽力により多数の作品が刊行された。最初の全集は(作品全体からは一部の収録ではあるものの)早くも死去の翌年に野々上慶一が営んでいた文圃堂より刊行され、続いて文圃堂から紙型を買い取った十字屋書店が、それに増補する形で1939年から1944年にかけて出版した。戦時下『雨ニモマケズ』は滅私奉公的に受け取られ、求道者としての賢治像ができあがった。戦後は筑摩書房から文庫判も含め数次にわたり刊行されている(#作品一覧参照)。戦後は賢治の生き方や作品にみられるヒューマニズムを聖化する一方、反動としての批判『雨ニモマケズ』論争が行われるなど再評価の動きもあらわれた。",
"title": "作品と評価"
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"text": "賢治の作品は、一旦完成した後も次から次へ書き換えられて全く別の作品になってしまうことがある。これは雑誌に発表された作品でも同様で、変化そのものが一つの作品と言える。『農民芸術概論綱要』においても「永久の未完成これ完成である」という記述がある。多くの作品が死後に未定稿のまま残されたこともあり、作品によっては何度も修正した跡が残されていて、全集の編集者が判読に苦労するケースも少なくなかった。そうした背景から原稿の徹底した調査に基づき、逐次形態を全て明らかにする『校本 宮澤賢治全集』(筑摩書房、1973~77年)が刊行され、作品内容の整理が図られた。これ以後、文学研究の対象として、賢治とその作品を論評する動きが増え、精神医学や地学、物理学など他の領域や時代背景を踏まえた論考も多くなった。",
"title": "作品と評価"
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"text": "死去から49年後の1982年、花巻市矢沢の胡四王山に花巻市立宮沢賢治記念館が開館している。",
"title": "作品と評価"
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"text": "草稿調査によって、賢治の遺稿はほぼ調べ尽くされたと見られていたが、生家の土蔵から未発表の詩の草稿1枚(地形図の裏に書かれたもの)が発見されたことが2009年4月に公表され『新校本 宮澤賢治全集』別巻(筑摩書房)に収録された。",
"title": "作品と評価"
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"text": "広く作品世界を覆っているのは、作者自らの裕福な出自と、郷土の農民の悲惨な境遇との対比が生んだ贖罪感や自己犠牲精神である。また幼い頃から親しんだ仏教も強い影響を与えている。その主な契機としては浄土真宗の暁烏敏らの講話・説教が挙げられる。特に18歳の時に同宗の学僧である島地大等編訳の法華経を読んで深い感銘を受けたと言われる。この法華経信仰の高まりにより、賢治は後に国粋主義的な法華宗教団「国柱会」に入信するが、法華宗は当時の宮沢家とは宗派違いであったので、父親との対立を深めることとなった。弱者に対する献身的精神、強者への嫌悪などの要素は、これらの経緯と深い関わりがあると思われる。また、良き理解者としての妹トシの死が与えた喪失感は、以後の作品に特有の陰影を加えた。",
"title": "作品と評価"
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"text": "また、童話作品においては擬声語を多用し、作品によっては韻文にも近いリズム感を持った文体を使用したことも大きな特徴である。賢治の童話は同時代に主流とされた『赤い鳥』に掲載されるなどしていた児童文学作品とはかなり異質なものであった。",
"title": "作品と評価"
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"paragraph_id": 28,
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"text": "賢治の作品には世界主義的な雰囲気があり、岩手県という郷土への愛着こそあれ、軍国主義や民族主義的な要素を直接反映した作品はほとんど見られない。ただ、24歳の時に国柱会に入信してから、時期によって活動、傾倒の度合いに差はあるものの、生涯その一員であり続けたため、その社会的活動や自己犠牲的な思想について当時のファシズム的風潮との関連も議論されている。晩年には遺作『銀河鉄道の夜』に見られるようにキリスト教的な救済信仰をも取り上げ、全人類への宗教的寛容に達していたことが垣間見られる。宗教学者からは、賢治のこうした考え方の根本は、法華経に基づくものであると指摘されている。この宗教的思想と自然科学の融合した独自の世界観は第二次世界大戦後に日本国外の研究者からも評価され、1996年9月、宮沢賢治生誕100周年を記念して花巻市にて開催された宮沢賢治国際学会では20ヶ国程の研究者、翻訳者が集ったことを歴史家の色川大吉は著書で言及している。",
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"text": "賢治は自ら学んだエスペラントでも詩作を試みたが、公表されたのは1953年である。これらの作品のほとんどは自らの作品のエスペラントへの翻訳、改作である。",
"title": "作品と評価"
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"paragraph_id": 30,
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"text": "1998年頃に、山折哲雄がある小学校で授業をした際に、賢治の3つの作品『風の又三郎』『注文の多い料理店』『銀河鉄道の夜』を示し、これらに共通する問題があり、それは何だと子供たちに問い、自らは風がすごく大きな役割を果たしている、この3つの童話の中心的大問題は「風」だと力説した。この時、子供の一人が「猫」だと言おうとしたが、山折が「風」と言ったのであれっと思ったが、山折の話を聞く内にやっぱり「風」だと思った。ところがこのエピソードを聞いた河合隼雄は、賢治作品における猫の役割の重要性をずっと考えていたため、「猫と風」というヒントから、風のつかまえどころの無さと優しさと荒々しさの同居、少しの隙間でも入り込んでくる点など猫との共通点を感じ、賢治作品に登場する猫は、正にそのような性格を持って登場すると論じている。賢治の『猫』という短編には「私は猫は大嫌いです。猫のからだの中を考えると吐きそうになります」という一節が見られる。しかし、この「猫」は高瀬露が転嫁された表現であり、実際に賢治が猫嫌いだったわけではないという指摘もある(ますむらひろし著『イーハトーブ乱入記―僕の宮沢賢治体験』)。",
"title": "作品と評価"
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"paragraph_id": 31,
"tag": "p",
"text": "愛知県出身の児童文学作家である新美南吉は、賢治の作品を読んで評価し、没後の1934年に開かれた「宮沢賢治友の会」に出席した 。",
"title": "作品と評価"
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"paragraph_id": 32,
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"text": "賢治には多くの「伝説」が語り継がれているが、特に本人が資料を残していない幼少期の神格化が甚だしいと指摘されている。こうした神格化を後押ししていたのが、父・政次郎や弟・清六であった。伝説が嘘ではないにしても誇張や曲解が行われたのは関係者の思い入れと宮沢家への気遣いであろうと、山下聖美は推測している。現代では吉田司の『宮沢賢治殺人事件』のように聖人イメージを破壊するという著作も現れている。",
"title": "人物像"
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{
"paragraph_id": 33,
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"text": "幼少期に石を好んで収集する鉱物愛好家だったことから、11歳頃より家族に「石コ賢さん」という愛称で呼ばれた。盛岡中学校時代は、休日に盛岡周辺で鉱物採集をしたり、道中で「矢ノ根石」(石鏃)を収集するためあえて徒歩で帰省したりした。盛岡高等農林学校研究生時代に、人工宝石製造業を東京で起業するプランを手紙で父に送ったこともあった(実現せず)。",
"title": "人物像"
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{
"paragraph_id": 34,
"tag": "p",
"text": "作中には動植物、鉱物、地質学など科学用語や鉱物の名称が多く登場する。",
"title": "人物像"
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{
"paragraph_id": 35,
"tag": "p",
"text": "大学で学んだ土壌学を農民へ還元する農業技術の指導員としての評価もある。",
"title": "人物像"
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{
"paragraph_id": 36,
"tag": "p",
"text": "賢治は音楽に深い関心を持っており、暇を見つけてはレコードを買っていた。賢治が頻繁にレコードを買っていくため、地方の店の割に新譜レコードが多く売れるとして、行きつけの楽器店がイギリスに本社を置くポリドール・レコードから感謝状を贈られたという。",
"title": "人物像"
},
{
"paragraph_id": 37,
"tag": "p",
"text": "ベートーヴェンやドヴォルザークの曲をよく聴いていた。農学校教員時代(1921-1923年)には自ら楽曲づくりも手掛けた。二十数曲を作詞し、うち八つは作曲もしている。",
"title": "人物像"
},
{
"paragraph_id": 38,
"tag": "p",
"text": "蓄音機でレコード針として使う竹針を傷め、音質を高める針を発明したこともある。米国ビクター社にサンプルを送り、製品化には至らなかったものの、その発想は高く評価された。",
"title": "人物像"
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"paragraph_id": 39,
"tag": "p",
"text": "日蓮系教団では末法無戒を説くため菜食の必要は無いのだが、賢治は法華経信仰に入った後、盛岡高農研究生になった1918年(大正7年)から5年間菜食生活をした。5月19日付の保阪嘉内に宛てた手紙では、刺身や茶碗蒸しを少量食べた後、食べられる生き物に同情する気持ちを綴っている。東京でトシの看病をするため宿泊していた旅館「雲台館」では、賢治のため精進料理を出してくれたという。家出上京中は、芋と豆腐と油揚げばかり食べ、脚気になった時は、蕎麦がきや麦飯、冬瓜の汁を飲んだ。1921年(大正10年)8月11日付の関徳弥宛の手紙では脚気の原因を肉食のせいにしている。",
"title": "人物像"
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{
"paragraph_id": 40,
"tag": "p",
"text": "農学校教員時代は菜食にこだわらず、同僚や知人と外食を楽しんだ。花巻の蕎麦屋「やぶ屋」を「ブッシュ」と呼び、よく通っていた。天ぷら蕎麦とサイダーを一緒に注文するのが定番だった。また鰻丼や天丼も好物だったという。自分から進んで酒を飲むことはなかったが、付き合いで酒をすすめられると水でも飲むように飲み干して返盃した。時にたばこを吸うこともあった。また教員仲間が集まった時、藤原嘉藤治から「人間は物の命を食って生きている。他を犯さずに生きうる世界というものはないのだろうか。」と問いかけられた答えとして『ビジテリアン大祭』を書いている。",
"title": "人物像"
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"paragraph_id": 41,
"tag": "p",
"text": "羅須地人協会時代の自炊は極端な粗食だった。ご飯はまとめて炊いてザルに移して井戸の中に吊り下げて置き、冬は凍ったまま食べた。おかずは油揚げや漬物、トマトなどだった。賢治の体を心配した母のイチが小豆を入れたひっつみを届けたことがあるが、受け取らなかった。急性肺炎で倒れ病臥生活になっても菜食はやめず、鶏卵も牛乳も拒否した。イチが鯉の生き肝が肺炎に効くと聞いて、オブラートに包み薬と偽って飲ませたことがあった。弟の清六から中身を聞き出した賢治は涙を流し、「生き物の命をとるくらいならおれは死んだほうがいい」「これからは決してそんなことをしてくれるな」と真っ青な顔で言い、最期まで菜食主義をつらぬいた。",
"title": "人物像"
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"paragraph_id": 42,
"tag": "p",
"text": "賢治は生涯独身だった。友人の藤原嘉藤治に「性欲の乱費は、君自殺だよ、いい仕事はできないよ。」と語り、性欲の発露を戒めた。関登久也はある朝、賢治に会うと、岩手郡の外山牧場に行って一晩中歩き、夜を徹して性欲と闘ったことを明かされた。農学校教員時代は見合いの話がいくつも持ち込まれ、両親も結婚させたがったが、賢治は頑として受け付けなかった。藤原にはこう語っている。",
"title": "人物像"
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"text": "童貞だったとも言われるが、「一関の花川戸という遊郭へ登楼してきたといって明るくニコニコ笑って話しました」(『宮沢賢治の肖像』)という証言もあり、真偽は不明である。晩年、森荘已池を訪ねた時は禁欲主義については「何にもなりませんでしたよ」「まるっきりムダでした」と話し、さらに「草や木や自然を書くようにエロのことを書きたい」と語って、変節したことを認めた。",
"title": "人物像"
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"text": "賢治は浮世絵コレクターで、特に「和印(春画)」を積めば高さ30センチメートルになるほど集めていた。それら農学校に持ってきて、同僚と批評して楽しんだ。ハバロック・エリスの『性の心理』を持っていて、翻訳本で伏字になった部分を仙台の本屋まで行って原書で読んで確かめた。この本のことを聞かれると「いなかの子ども(農学校の教え子)が性でまちがいをおこさないように教えたいと思って」と答え、実際生徒に「猥談は大人の童話みたいなもので頭を休めるもの」「誰を憎むというわけでも、人を傷つけるというものでもなく、悪いものではない。性は自然の花だ。」と話したという。",
"title": "人物像"
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"paragraph_id": 45,
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"text": "盛岡高等農林学校在籍時に出会った一年後輩の保阪嘉内との間で、互いに「恋人」と呼び合うような親しい間柄になり、嘉内に宛てた書簡類では、親密な感情の表出、率直な心情の吐露が認められ、手紙に記された文面は、時にあたかも恋人に宛てたような表現になった。嘉内からは情緒的にも思想的にも強い影響を受け、とりわけ『銀河鉄道の夜』の成立には、20代の頃に嘉内と二人で登山し共に語り合って夜を明かした体験が濃厚に反映され、登場人物の「ジョバンニ」を賢治自身とするなら、「カムパネルラ」は保阪嘉内を表していると考える研究者もいる。",
"title": "人物像"
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"paragraph_id": 46,
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"text": "宮澤家の始祖は京都から花巻に移り住んだ藤井将監という人物とされる。子孫は明治の初めに姓を宮澤に改める。子孫の一人初代宮澤右八長昌は花巻に呉服屋「宮右」を繁盛させた。その子の二代目右八の代ではますます盛んになり、京都大阪からも仕入れをしていたという。右八の三男が賢治の祖父の喜助である。喜助は真面目で仕事熱心だったが、分家する時ほとんど財産を分けてもらえず、店頭に古着を並べ質屋を始めた。喜助の長男政次郎は15歳の頃から家業を手伝いはじめ、17歳の時から鉄道で関西・四国に出向き、古着や流行遅れになった新古品を大量に仕入れ、店で売るだけでなく卸売もしていた。また株式投資でも成功し、近隣に多くの小作地を有するようになる。花巻出身のジャーナリストで徳富蘇峰の秘書も務めた八重樫祈美子は1935年の文章で、「宮沢先生の一族は、精神的にも物質的にも花巻を壟断する一大勢力」と記し、以後の賢治の研究書や解説書にもこれを踏襲した表現が見られる。これについて研究者の上田哲(うえだ あきら、政治家の上田哲とは別人)は、当時の花巻には梅津家や瀬川家(瀬川弥右衛門が当主)、伊藤家(伊藤儀兵衛が当主)といったずっと規模の大きな「マキ」(岩手方言で「一族」の意味)があったことを指摘し、「『宮沢マキ』は、この地方での有力な一族ではあったが、このような情勢の中では花巻を壟断することはできえないことがわかると思う」と記している。",
"title": "家族"
},
{
"paragraph_id": 47,
"tag": "p",
"text": "※は生前発表作品",
"title": "作品一覧"
},
{
"paragraph_id": 48,
"tag": "p",
"text": "賢治が自作の童話の題名を列記したメモが多数残っている(自選の作品集を構想していたとも言われている)が、そのうちの数点で、上記の4作品が「少年小説」あるいは「長篇」として一括りにされている。",
"title": "作品一覧"
},
{
"paragraph_id": 49,
"tag": "p",
"text": "題名が〔〕で括られているものは、原稿の最終形が無題のため、冒頭の1行を題名の代わりにしているものである。また、題名の前の漢数字は、賢治が原稿に記載していた作品番号である。",
"title": "作品一覧"
},
{
"paragraph_id": 50,
"tag": "p",
"text": "※題名はいずれも仮題である。",
"title": "作品一覧"
},
{
"paragraph_id": 51,
"tag": "p",
"text": "※作品を映像化したものについては、該当作品の項目を参照。",
"title": "宮沢賢治を題材にした作品"
}
] |
宮沢 賢治は、日本の詩人、童話作家。 仏教(法華経)信仰と農民生活に根ざした創作を行った。作品中に登場する架空の理想郷に、郷里の岩手県をモチーフとしてイーハトーヴと名付けたことで知られる。彼の作品は生前ほとんど一般には知られず無名に近く、没後、草野心平らの尽力により作品群が広く知られ、世評が急速に高まり国民的作家となっていき、今でも日本には広く愛好者が存在する。主な作品は後節を参照。
|
{{pp|small=yes}}
{{別人|宮澤健二}}
{{Infobox 作家
|name = 宮沢 賢治<br />(みやざわ けんじ)
|image = Miyazawa Kenji.jpg
|imagesize = 210px
|caption = 1924年1月12日{{refnest|group="注釈"|献呈写真の自筆記入日付による<ref>『新校本宮澤賢治全集 第16巻(下)補遺・資料 補遺・伝記資料篇』筑摩書房、2001年、p.303</ref>。}}撮影
|pseudonym =
|birth_name = 宮沢 賢治
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|birth_place = {{JPN}}・[[岩手県]][[稗貫郡]][[花巻川口町]]<br />(現・[[花巻市]])
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|alma_mater = [[盛岡高等農林学校]]<br />(農学[[得業士]])<ref name="Diplom of Kenji"/><br />(現・[[岩手大学]][[農学部]])
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|genre = [[詩]]<br />[[童話]]<br />[[サイエンス・フィクション]]<br />[[仏教哲学]]
|subject = 詩・童話・[[短編小説]]
|movement = [[理想主義]]<ref>{{Cite|和書|author=加藤道理|title=常用国語便覧|publisher=浜島書店|edition=改訂|date=2010-02-03|pages=343、354|isbn=978-4-8343-1000-9|ncid=}}</ref>
|notable_works = 『[[注文の多い料理店]]』(1924年)<br />『[[銀河鉄道の夜]]』<br />『[[風の又三郎]]』<br />『[[ポラーノの広場]]』<br />『[[グスコーブドリの伝記]]』<br />『[[よだかの星]]』<br />『[[セロ弾きのゴーシュ]]』<br />『[[雨ニモマケズ]]』
|awards =
|debut_works = 『[[春と修羅]]』(1924年)
|spouse =
|partner =
|children =
|relations = [[宮澤政次郎]](父)<br />[[宮澤清六]](弟)<br />[[宮沢トシ|トシ]]、シゲ、クニ(妹)
|influences = [[萩原朔太郎]]<br />[[山村暮鳥]]<br />[[田中智學]]<br />[[ハンス・クリスチャン・アンデルセン|アンデルセン]]
|influenced = 多くの日本の作家
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<!--| footnotes = -->
}}
'''宮沢 賢治'''(みやざわ けんじ、[[正字]]: '''宮澤 賢治'''、[[1896年]]〈[[明治]]29年〉[[8月27日]] - [[1933年]]〈[[昭和]]8年〉[[9月21日]])は、[[日本]]の[[詩人]]、[[童話作家]]。
[[仏教]]([[法華経]])信仰と[[農家|農民]]生活に根ざした創作を行った。作品中に登場する架空の[[理想郷]]に、郷里の[[岩手県]]を[[話題|モチーフ]]として[[イーハトーブ|イーハトーヴ]](Ihatov、イーハトヴやイーハトーヴォ (Ihatovo) 等とも)と名付けたことで知られる。彼の作品は生前ほとんど一般には知られず無名に近く、没後、[[草野心平]]らの尽力により作品群が広く知られ、世評が急速に高まり国民的作家となっていき、今でも日本には広く愛好者が存在する。主な作品は[[宮沢賢治#作品一覧|後節]]を参照。
== 生涯 ==
=== 幼少期・少年期 ===
[[ファイル:Miyazawa Kenji01s3200.jpg|thumb|250px|生家<br/>(賢治在世当時の建物は現存しない)]]
[[ファイル:Miyazawa Kenji and Toshi.jpg|thumb|200px|1902年の小正月、 5歳の賢治(右)と3歳のトシ(左)]]
[[1896年]]([[明治]]29年)8月27日、父[[宮澤政次郎]]と母イチの長男として岩手県[[花巻川口町]](現:[[花巻市]])に生まれる。戸籍上の誕生日は8月1日で生前の賢治も[[履歴書]]に1日と書いているが、27日と推定されている{{refnest|group="注釈"|佐藤隆房は[[旧暦]]7月19日出生、旧暦8月1日に旧暦で届けを出したための間違いと推測している{{sfn|作家読本|1989|p=12}}。}}。母イチの実家、鍛冶町の宮澤善治家で出生したが、5日後の8月31日、[[秋田県|秋田県東部]]を震源とする[[陸羽地震]]が発生。イチは賢治を収容した[[エジコ]] (乳幼児を入れ守る籠) を両手で抱えながら上体を覆って[[念仏]]を唱えていたという{{sfn|堀尾|1991|pp=25}}。政次郎は仕事で旅行中だったため、政次郎の弟の治三郎が「賢治」と名付けた{{sfn|作家読本|1989|p=12}}。
3歳の頃、婚家から出戻っていた父の姉であるヤギが「[[正信偈]]」「[[白骨の御文章]]」を唱えるのを聞き覚え、一緒に仏前で暗唱していたという{{sfn|作家読本|1989|p=14}}。[[1902年]](明治35年)、[[赤痢]]で2週間入院。賢治を看病した政次郎も感染し、[[大腸カタル]]を起こして胃腸が生涯弱くなった{{sfn|作家読本|1989|p=13}}{{sfn|千葉|2014|p=38}}。[[1903年]](明治36年)、花巻川口[[尋常小学校]](2年後に花城尋常小学校へ改名)に入学。成績は優秀で6年間全科目甲だった。3年と4年を[[学級担任|担任]]した八木英三は生徒たちに『未だ見ぬ親』([[五来素川]]の[[翻案]]による[[エクトール・アンリ・マロ|マロ]]作『[[家なき子]]』)や『海に塩のあるわけ』([[民話]]『[[海の底の臼|海の水はなぜ辛い]]』)などの童話を話して聞かせ、賢治に大いに影響を与えた{{sfn|作家読本|1989|p=17}}。後に賢治は八木と再会した折に「私の童話や童謡の思想の根幹は、尋常科の三年と四年ごろにできたものです」と語っている{{sfn|堀尾|1991|p=29}}。[[鉱物]]採集、[[昆虫]]の[[標本]]づくりに熱中するようになり、11歳の頃に家族から「石コ賢さん」とあだ名をつけられる{{sfn|堀尾|1991|p=31}}。父の主催する花巻[[仏教]]会の夏季講習会にも参加、招いた講師の[[暁烏敏]]の世話係もした{{sfn|作家読本|1989|p=19}}。
[[ファイル:Miyazawa Kenji as a student of Morioka Middle School.jpg|thumb|200px|left|盛岡中学在学時の賢治]]
[[1909年]](明治42年)4月、岩手県立盛岡中学校(現・[[岩手県立盛岡第一高等学校|盛岡第一高等学校]])に入学。[[学生寮|寄宿舎]]「{{Ruby|自彊|じきょう}}寮」に入寮。祖父の喜助は商人の息子で跡継ぎの賢治に学問は不要という考えで、父の政次郎が説得して進学させた。家業の古着屋を嫌っていた賢治は将来を悲観し、成績は落ち込んでゆく{{sfn|作家読本|1989|p=25}}。鉱物採集や星座に熱中、[[岩手山]]、[[南昌山]]、[[鞍掛山 (岩手県)|鞍掛山]]など盛岡近在の山を歩き、大量の岩石標本を集めた{{sfn|作家読本|1989|pp=26-27}}。3年生の頃から[[石川啄木]]の影響を受けた[[短歌]]を制作{{sfn|堀尾|1991|p=54}}。[[1913年]]([[大正]]2年)、4年生の時、二学期から交代した新しい舎監に生徒たちが夜中足を踏み鳴らすなどの嫌がらせを行ったため、4、5年生全員が退寮させられるという事件が発生。賢治は盛岡市北山の[[清養院]]に[[下宿]]する{{sfn|作家読本|1989|pp=34-35}}。
[[1914年]](大正3年)3月、盛岡中学卒業。4月、盛岡市岩手病院に入院、肥厚性[[鼻炎]]の手術を受ける。術後も熱が下がらず、[[発疹チフス]]の疑いで5月末まで入院。この時看病に当たった政次郎も感染して入院。自分の看病で2度も倒れた父に賢治は後までも負い目を感じていたという。入院中に出会った岩手病院の看護婦に思いを寄せ、退院後、両親に結婚したいと申し出たが「若すぎる」という理由で反対される{{sfn|作家読本|1989|p=36}}{{sfn|山下|2008|pp=52-53}}。政次郎は「あれはひどく早成なところがあって、困ったんじゃ……」と困惑した{{sfn|作家読本|1989|p=36}}。実家で店番や[[養蚕]]の手伝いで鬱々とした日々を過ごす賢治を見かねた政次郎は[[盛岡高等農林学校]]への進学を認める。賢治は今までと打って変わって、受験のため猛勉強に励んだ{{sfn|作家読本|1989|pp=37-38}}。同時期に、[[島地大等]]訳『漢和対照 [[妙法蓮華経]]』を読み、その中の「如来寿量品」に体が震えるほどの感銘を受ける{{sfn|堀尾|1991|p=69}}{{sfn|千葉|2014|p=86}}{{refnest|group="注釈"|千葉一幹は、賢治が「如来寿量品」の中の「[[法華七喩|良医病子]]」(毒を飲んだ子供が父の作った[[解毒剤]]を飲めず、「父が死んだ」と嘘を聞かされ、正気に戻って薬を飲んだという[[寓話]])に自身を重ね、不幸は自分が飛躍する契機になると読み取ったのではないかと推測している{{sfn|千葉|2014|p=88-91}}。}}。
=== 盛岡高等農林学校、国柱会 ===
[[ファイル:Miyazawa Kenji as a student of Morioka Agricultural and Forestry College.jpg|thumb|200px|left|盛岡高等農林在学時の賢治]]
[[ファイル:Miyazawa Kenji and group.jpg|thumb|200px|盛岡高等農林在学時、同人誌『アザリア』のメンバーと(後列右)。賢治の左が[[保阪嘉内]]、前列左が[[小菅健吉]]、右が[[河本緑石]]。]]
1915年(大正4年)4月、[[盛岡高等農林学校]](現・[[岩手大学大学院連合農学研究科・獣医学研究科・農学部|岩手大学農学部]])に首席で入学し、寄宿舎「自啓寮」に入寮。16日の入学宣誓式では[[総代]]として誓文を朗読した{{sfn|作家読本|1989|pp=42-43}}。翌年、[[特待生]]に選ばれ授業料を免除される{{sfn|作家読本|1989|p=45}}<ref>{{Cite journal|和書|title=特待生選定 盛岡高等農林学校|journal=官報|date=1916-03-22|url={{NDLDC|2953199/12}}|accessdate=2016-09-21}}(左ページ下欄)。</ref>。[[高等農林学校|高等農林]]では農学科第二部(のちに農芸化学科)に所属し、[[土壌学]]を専門とする部長の[[関豊太郎]]の指導を受ける{{sfn|堀尾|1991|p=124-126}}。関は狷介な人物として知られていたが、賢治とは良好な関係を築いたとされる{{sfn|堀尾|1991|p=124-126}}。この頃、毎朝法華経の読経をしていた。寮で同室になった1年後輩の[[保阪嘉内]]と親しくなる。保阪は農村改良を志向して進学しており、後の賢治の[[羅須地人協会]]の構想にも影響を与えたと言われる{{sfn|作家読本|1989|p=54}}。[[1917年]](大正6年)7月、保阪、[[小菅健吉]]、河本義行([[河本緑石]])らと同人誌『アザリア』を発行し、賢治は短歌や短編を寄稿。[[1918年]](大正7年)、卒業を控えた賢治に父の政次郎は研究生として農学校に残り、[[徴兵検査]]を延期することを勧めるが、賢治は得業論文『腐植質中ノ無機成分ノ植物ニ対スル価値』<ref name="Diplom of Kenji">{{Cite journal|和書|title=盛岡高等農林学校 第13回得業証書授与式|journal=官報|date=1918-03-19|url={{NDLDC|2953799/3}}|accessdate=2016-09-21}}(左ページ左下隅)</ref>を提出し、検査延期を拒否。化学工業方面に進みたかった賢治は研究生の土性調査に意欲がなく、検査延期は自分の倫理観が許さなかった{{sfn|作家読本|1989|p=52}}。3月13日、保阪嘉内が『アザリア』に発表した作品が原因で除籍処分となる。賢治は教授会に抗議したが通らなかった{{sfn|作家読本|1989|p=54}}。15日に農学校を卒業、研究生として残り、[[稗貫郡]]の土性調査にあたる{{sfn|堀尾|1991|p=95}}。これは関からの推薦によるものであった{{sfn|堀尾|1991|p=124-126}}。賢治は誠心誠意この仕事に打ち込み、休ませてもらった家には法華経の印刷物を置いていった{{sfn|堀尾|1991|p=130-135}}。またこの頃から5年間、[[菜食]]生活をする{{sfn|堀尾|1991|p=96}}。4月28日、[[徴兵検査]]を受けて第二乙種合格となり、兵役免除{{sfn|作家読本|1989|p=54}}。6月30日、岩手病院で[[肋膜炎]]の診断を受けて山歩きを止められた。このため[[退学]]を申し出たが、土性調査は9月まで続け報告書を提出した{{sfn|堀尾|1991|p=100-102}}。7月4日、花巻に帰省する際、見送りにきた河本義行に「私の命もあと十五年はありません」と語ったという{{sfn|堀尾|1991|p=146}}。8月『蜘蛛となめくじと狸』『双子の星』を執筆、家族に朗読している{{sfn|作家読本|1989|p=56}}。
12月26日、[[東京]]に進学した妹の[[宮沢トシ|トシ]]が[[東京大学医学部附属病院#分院|東京帝国大学医学部附属病院小石川分院]]に入院したとの知らせが入り、母のイチと上京。病院の近くの旅館「雲台館」に泊まり、翌[[1919年]](大正8年)3月3日まで(イチは1月15日まで)看病する{{sfn|作家読本|1989|p=56}}。トシは当初チフスの疑いだったが発熱が続き、[[肺炎]]と診断される{{sfn|堀尾|1991|p=103}}。翌年1月になると病状も落ち着き、賢治は図書館に通うなどして将来の仕事について考え始める。また[[国柱会|国柱会館]]で[[田中智学]]の講演を聞き、盛中同級生の[[阿部孝]](当時は[[東京大学大学院人文社会系研究科・文学部|東京帝国大学文学部]]在学、後に[[高知大学]]学長)から[[萩原朔太郎]]の『[[月に吠える (萩原朔太郎の詩集)|月に吠える]]』を借りる{{sfn|作家読本|1989|p=58}}。父の政次郎に、東京に移住し、宝石の研磨や人造宝石の製造などの事業を始めて家業の転換をはかる計画を手紙で書き送るが、政次郎は実現性の乏しい仕事に反対{{sfn|堀尾|1991|p=106-109}}。3月3日、退院したトシと花巻へ帰り、嫌いな家業を手伝う生活が始まる。賢治が東京で仕入れた「便利瓦(布に[[アスファルト]]のようなものを塗った[[トタン]]板の代用品)」が良く売れ、賢治はその儲けで[[レコード]]や[[浮世絵]]を購入した{{sfn|作家読本|1989|p=59}}。[[1920年]](大正9年)5月、農林学校研究生を卒業。助教授に推薦されたが、父子ともに実業に進む考えであったため辞退する{{sfn|作家読本|1989|p=62}}。田中智学著『本化妙宗式目講義録』全5巻を読破、[[国柱会]]に入信。法華信仰を強め、寒修行として花巻町内を太鼓を叩き題目を唱えながら歩く{{sfn|堀尾|1991|p=113-114}}{{sfn|作家読本|1989|p=64}}。また[[浄土真宗]]の門徒である父を[[折伏]]しようと激しい口論を繰り返した{{sfn|山下|2008|p=81}}{{sfn|千葉|2014|p=140}}。
=== 家出上京、農学校教員へ ===
[[File:Miyazawa Kenji as a teacher of Hanamaki Agricultural School.jpg|thumb|left|花巻農学校教諭時代の賢治]]
[[File:Miyazawa Kenji in a paddy field.jpg|thumb|田の中に立つ花巻農学校教諭時代の賢治]]
[[1921年]](大正10年)1月23日夕方、東京行きの[[汽車]]に乗り[[家出]]。翌朝、[[上野駅]]に到着して[[鶯谷]]の国柱会館を訪ね「下足番でも[[チラシ|ビラ]]張りでもする」と頼みこむが、応対した高知尾智耀になだめられ、父の知人の小林六太郎家に身を寄せる{{sfn|作家読本|1989|pp=70-71}}。[[本郷 (文京区)|本郷]]菊坂町に下宿し、東大赤門前の[[謄写版]]印刷所「文信社」に勤める{{refnest|group="注釈"|文信社には、[[太平洋戦争]]後に[[釜石市]]長となった[[鈴木東民]]がおり、当時の模様を「筆耕のころの賢治」(筑摩書房版宮澤賢治全集別巻『宮澤賢治研究』、1958年)として書き残している。}}。高知尾の勧めで「法華文学」の創作に取り組む{{refnest|group="注釈"|「雨ニモマケズ手帳」に高知尾から「法華文学」の制作を勧められたというメモが残っているが、高知尾によればそのような記憶はなく、ただ法華経修行は[[出家]]することではなく、農家は[[鋤]][[鍬]]、商人は[[そろばん|ソロバン]]、文学者はペンを持ってそれぞれの道で法華経を広めるのが正しい修行と説いたという{{sfn|作家読本|1989|p=74}}。}}。1か月に三千枚もの原稿を書いたという。食事は[[ジャガイモ|じゃがいも]]と豆腐と油揚げで、夜は国柱会館の講話を聞き、昼間の街頭布教にも参加した{{sfn|山下|2008|pp=84-87}}。保阪嘉内には入信を勧める手紙を度々送った。心配した父の政次郎が[[小切手]]を送ったが送り返した{{sfn|作家読本|1989|p=74}}。4月、政次郎と[[伊勢]]、[[比叡山]]、[[奈良]]を旅する。政次郎は法華経と国柱会への固執を見直させようとしたが、賢治の心は変わらなかった{{sfn|堀尾|1991|p=117-118}}。7月、保阪と決裂、以後は疎遠になる。8月中旬、「トシビョウキスグカエレ」の[[電報]]を受け取り、原稿を[[トランク]]に詰めて花巻に戻る{{sfn|作家読本|1989|p=77}}。家族には原稿を「{{Ruby|童子|わらし}}こさえるかわりに書いたのだもや」と語ったという{{sfn|山下|2008|p=87}}。
12月3日、稗貫郡立稗貫農学校(翌年に岩手県立花巻農学校へ改称)の[[教諭]]となる。地元では「桑っこ大学」と呼ばれた小さな学校だった{{sfn|作家読本|1989|p=80}}。雑誌『愛国婦人』12月号と翌年[[1922年]](大正11年)1月号に「雪渡り」掲載。この時受け取った原稿料5円が生前唯一の原稿料という{{sfn|堀尾|1991|p=161}}。農学校の給料80円はレコード、書籍の購入、飲食などにあてた。下宿代として家に20円入れていたが、それも何かと理屈をつけてまきあげる。それでも3日ももてばいいほうで、本屋でツケで買った上、現金を借りることもあった。同僚の奥寺五郎(1924年死去)が[[結核]]になると毎月30円送っている{{sfn|堀尾|1991|pp=243-246}}。また花巻高等女学校の音楽教師・[[藤原嘉藤治]]と親交を結び、レコード鑑賞や飲食を楽しんだ{{sfn|堀尾|1991|p=210}}。
[[1922年]](大正11年)11月27日、結核で病臥中のトシの容態が急変、午後8時30分死去。賢治は[[押入れ]]に顔を入れて「とし子、とし子」と号哭し{{sfn|堀尾|1991|p=166}}、亡骸の乱れた髪を[[火箸]]で梳いた{{sfn|堀尾|1991|p=208}}。『永訣の朝』『松の針』『無声慟哭』を書く。29日の葬儀は[[真宗大谷派]]の寺で行われたため賢治は出席せず、出棺の時に現れて棺を担ぎ、持参した丸い缶にトシの遺骨半分を入れた。この遺骨は後に国柱会本部に納めた{{sfn|作家読本|1989|p=88}}。それから半年間、[[詩]]作をしなかった{{sfn|作家読本|1989|p=89}}。[[1923年]](大正12年)7月、農学校生徒の就職依頼で[[樺太]]を旅行。『青森挽歌』『樺太挽歌』などトシを思う詩を書く{{sfn|作家読本|1989|p=93}}。
=== 詩集と童話出版 ===
[[1924年]](大正13年)4月20日『[[春と修羅#詩集『春と修羅』(第一集)|心象スケツチ 春と修羅]]』刊行。花巻の吉田印刷所に持ち込み1000部を自費出版した(定価2円40銭)。発行所の名義は東京の関根書店になっている。東京での配本を関根喜太郎という人物に頼み500部委託したが、関根は[[ゾッキ本]]として流してしまい、[[古書店|古本屋]]で50銭で売られたという{{sfn|堀尾|1991|pp=219-222}}{{sfn|山下|2008|p=121}}。本は売れず、賢治もほとんど寄贈してしまったが、7月に[[ダダイスム|ダダイスト]]の[[辻潤]]が『[[読売新聞]]』に連載していたエッセイで紹介。詩人の[[佐藤惣之助]]も雑誌『日本詩人』12号で若い詩人に「宮沢君のようなオリジナリティーを持つよう」と例に挙げた{{sfn|堀尾|1991|p=222}}。[[中原中也]]は夜店で5銭で売っていた『春と修羅』のゾッキ本を買い集め、知人に配っている{{sfn|作家読本|1989|p=108}}。同年12月1日『イーハトヴ童話 [[注文の多い料理店]]』刊行(定価1円60銭)。盛岡高農の後輩で農薬のパンフレットを作っていた近森善一と及川四郎が賢治の原稿を見て刊行を計画、出版費用の工面に苦労しながら東京で印刷、製本した。出版社「光原社」の名義で1000部作ったが全く売れず、賢治は父親から300円借りて200部買い取った{{sfn|作家読本|1989|p=105}}{{sfn|堀尾|1991|p=235}}。本の[[挿絵]]を担当した菊池武雄は『[[赤い鳥]]』主宰の[[鈴木三重吉]]に『タネリはたしかにいちにち噛んでいたようだった』を送ったが「あんな原稿は[[ロシア]]にでも持っていくんだな」と返された{{sfn|堀尾|1991|pp=240-241}}。しかし翌年1月、『赤い鳥』に『注文の多い料理店』の一頁広告が掲載される。三重吉の厚意で無料だった{{sfn|作家読本|1989|p=108}}。7月、詩人の[[草野心平]]の同人誌『銅鑼』に参加する。11月23日、花巻の[[北上川]]小船渡に[[東北帝国大学]]地質古生物教室の[[早坂一郎]]教授を案内、賢治が採集したバタグルミ([[クルミ]]の古種)[[化石]]の学術調査に協力。この場所を賢治は「イギリス海岸」と名付けていた{{sfn|作家読本|1989|p=112}}。
=== 羅須地人協会 ===
[[ファイル:Rasuchijin.jpg|thumb|250px|羅須地人協会に使われた建物([[岩手県立花巻農業高等学校|花巻農業高校]]内)]]
[[1926年]](大正15年)3月31日、花巻農学校を依願退職。弟宛ての手紙では校長の転任に伴って義理でやめると書いている{{sfn|作家読本|1989|p=119}}が、前年4月13日杉山芳松宛ての手紙では「来春はやめてもう本統の百姓になります」と辞職の決意をしている{{sfn|作家読本|1989|p=112}}。4月、実家を出て、かつてトシが療養生活をしていた下根子桜の別宅に移り、改装。周囲を開墾して畑と花壇を作った。ここで白菜、とうもろこし、トマト、セロリ、アスパラガスなど野菜を栽培するとともに、チューリップや[[ヒヤシンス]]の花を咲かせた。賢治は野菜を[[リヤカー]]で売り歩いたが、当時の農民にはリヤカーは高級品で、賢治の農業は金持ちの道楽とみられてしまう{{sfn|千葉|2014|pp=246-248}}。野菜を勝手に持っていかれても笑って許していた。農村の水路修理などの共同作業も参加せず金を包んで済ませている{{sfn|山下|2008|pp=138-139}}。また畑の白菜を全て盗まれるという嫌がらせにあった話を詩に残している<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.aozora.gr.jp/cards/000081/files/47028_46742.html |author=宮沢賢治|title=七四三〔盗まれた白菜の根へ〕春と修羅 第三集 |publisher=青空文庫|accessdate=2016-10-21}}</ref>。「[[羅須地人協会]]」として農学校の卒業生や近在の篤農家を集め、農業や[[肥料]]の講習、レコードコンサートや音楽楽団の練習を始めた。6月『農民芸術概論綱要』起稿<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.aozora.gr.jp/cards/000081/files/2386_13825.html|author=宮沢賢治|title=農民芸術概論綱要 |publisher=青空文庫|accessdate=2016-10-21}}</ref>。「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」として農民芸術の実践を試みた。
また肥料設計事務所を開設、無料で肥料計算の相談に応じた。この様子は「それでは計算いたしませう」という詩に書かれている<ref>{{Cite web|和書|url=http://why.kenji.ne.jp/sonota1/soredeha.html|author=宮沢賢治|title=〔それでは計算いたしませう〕春と修羅補遺|publisher=森羅情報サービス|accessdate=2016-10-21|archiveurl=https://web.archive.org/web/20161028000158/http://why.kenji.ne.jp:80/sonota1/soredeha.html |archivedate=2016-10-28}}</ref>。
12月2日、上京。[[タイプライター]]、[[チェロ|セロ]]、[[オルガン]]、[[エスペラント|エスペラント語]]を習い、観劇をする。資金は父親頼みだった。18日、[[高村光太郎]]を訪ねている。年末帰花{{sfn|作家読本|1989|pp=134-136}}。
[[1927年]]([[昭和]]2年)2月1日『[[岩手日報]]』夕刊二面で「農村文化の創造に努む/花巻の青年有志が/地人協会を組織し/自然生活に立ち返る」の見出しで賢治の活動が紹介される。これが[[社会主義]]教育と疑われ、花巻警察の聴取を受ける。以後、羅須地人協会の集会は不定期になり、オーケストラも一時解散した{{sfn|作家読本|1989|p=139}}。
この頃、小学校教員の[[高瀬露]]という女性が協会にしばしば通ってくるようになる。高瀬は賢治の身の回りの世話をしようとしたが、賢治は居留守を使ったり、顔に灰を塗って出てきたりするなどして彼女の厚意を避けようとした。協会に人が集まった時、高瀬はカレーライスを作ってもてなしたが、賢治は「私には食べる資格がありません」と拒否。怒った高瀬はオルガンを激しく引き鳴らした{{sfn|山下|2008|pp=143-144}}。その後、彼女は賢治の悪口を言って回るようになったが、父の政次郎は「はじめて女のひとにあったとき、おまえは甘い言葉をかけ白い歯を出して笑ったろう」と賢治の態度を叱った{{sfn|堀尾|1991|p=360}}。
[[1928年]](昭和3年)6月、[[胆沢郡]]水沢町(現在の[[水沢市]])の豪家出身で、[[伊豆大島]]に住む伊藤七雄を訪問。伊藤は結核療養のため大島に移り、ここに園芸学校を建設するにあたって賢治の助言を得るため相談していた(1931年伊藤の死去に伴い学校は消滅した){{sfn|作家読本|1989|p=153}}。この訪問は伊藤の妹チヱとの[[見合い]]の意味もあったが、チヱの回想によれば賢治は結婚について全く眼中にない様子だったという{{sfn|山下|2008|p=111}}。しかし1931年、[[森荘已池]]を訪ねた賢治は「伊藤さんと結婚するかもしれません」と話している{{sfn|作家読本|1989|p=154}}。
肥料相談や稲作指導に奔走していたが、8月10日、高熱で倒れ、花巻病院で両側'''[[肺浸潤]]'''との診断を受ける。以後、実家で病臥生活となる{{sfn|堀尾|1991|p=278}}{{sfn|作家読本|1989|pp=158-159}}。
=== 東北砕石工場技師、死 ===
[[1930年]](昭和5年)、体調が回復に向かい、文語詩の制作をはじめる{{sfn|堀尾|1991|p=287}}。5月、[[東磐井郡]]の[[陸中松川駅]]前にあった東北砕石工場主の鈴木東蔵が来訪。鈴木は[[石灰岩]]とカリ肥料を加えた安価な合成肥料の販売を計画しており、賢治も賛同する{{sfn|堀尾|1991|p=371}}。
[[1931年]](昭和6年)2月21日、東北砕石工場花巻出張所が開設。父の政次郎は病弱な賢治を外に出すのを心配し、工場に融資を行って花巻に出張所を作り、仕事をさせようとの考えだった{{sfn|堀尾|1991|p=379}}。しかし技師となった賢治は製品の改造、広告文の起草、製品の注文取り、販売などで東奔西走する{{sfn|作家読本|1989|p=182}}。[[農閑期]]、石灰は売れなくなる。そこで賢治は石灰を壁材料に転用することを考え、9月19日、40キログラムもの製品見本を鞄に詰めて上京する。翌20日、[[神田駿河台]]の旅館「八幡館」{{refnest|group="注釈"|跡地は[[日本大学カザルスホール|カザルスホール]]となり、その位置はホールの舞台中央付近と推測されている<ref>[http://www.kandagakkai.org/gallery/page.php?no=16 御茶ノ水スクエアA館] - NPO神田神田学会</ref>。}}に泊まるが高熱で倒れ、死を覚悟して、家族に[[遺書]]を書く{{sfn|千葉|2014|p=256-257}}。27日、最期の別れのつもりで父親に電話をかける。政次郎は東京の小林六太郎に頼み、翌日賢治は花巻に戻ってすぐ病臥生活となる。11月、手帳に『[[雨ニモマケズ]]』を書く{{sfn|作家読本|1989|p=191}}。
[[1932年]](昭和7年)3月『児童文学』第二冊に「[[グスコーブドリの伝記]]」発表。挿絵は[[棟方志功]]{{refnest|group="注釈"|のちに棟方はこの仕事の記憶がほとんどないと回想している{{sfn|作家読本|1989|p=195}}。}}。病床では文語詩の制作や過去の作品の推敲に取り組む{{sfn|作家読本|1989|p=199}}。前年冬から医者にもかからず、薬は[[ビール]][[酵母]]と竹の皮を煎じたものを飲むだけだった{{sfn|作家読本|1989|p=198}}{{sfn|堀尾|1991|p=462}}。
[[File:Last tanka poems by Miyazawa Kenji.jpg|thumb|200px|left|賢治が1933年9月19日に詠んだ「絶筆」の短歌2首。<br />「方十里稗貫のみかも稲熟れて み祭三日そらはれわたる」<br />「病(いたつき)のゆゑにもくちんいのちなり みのりに棄てばうれしからまし」]]
[[1933年]](昭和8年)9月17日から19日まで[[鳥谷ヶ崎神社]]のお祭りが行われ、賢治は門口に椅子を出して座り、[[神輿]]や[[山車]]を見物した。翌日の朝、昨夜賢治が門口にいるのを見た農民が相談に来た。話をした後、賢治は呼吸が苦しくなり、往診した医者から急性肺炎の兆しと診断される。その夜、別の農民が稲作や肥料の相談にやって来る。賢治は着物を着換え1時間ほど丁寧に相談に乗った後、すぐ二階の病室に運ばれた。心配した清六が付き添って一緒に寝たが、賢治は「この原稿はみなおまえにやるから、もし小さな本屋からでも出したいところがあったら出してもいい」と話した{{sfn|作家読本|1989|pp=207-209}}。
9月21日、午前11時半、突然「南無妙法蓮華経」と唱題する声が聞こえたので家族が急いで二階の病室に行ってみると、賢治は[[喀血]]して真っ青な顔になっていた。政次郎が「何か言っておくことはないか」と尋ねると、賢治は「国訳の妙法蓮華経を一千部つくってください」「私の一生の仕事はこのお経をあなたの御手許に届け、そしてあなたが仏さまの心に触れてあなたが一番よい正しい道に入られますようにということを書いておいてください」と語った。政次郎が「おまえもなかなかえらい」と答えて階下に降りると、賢治は清六に「おれもとうとうおとうさんにほめられたものな」と言った。病室に残ったイチが賢治に水を飲ませ、体を拭くと「ああいい気持ちだ」と繰り返し、午後1時半、呼吸が変わり潮が引くように息を引き取った。没時年齢は満37歳{{sfn|作家読本|1989|pp=207-209}}{{sfn|千葉|2014|p=259-261}}。葬儀は宮沢家の[[菩提寺]]だった[[安浄寺 (花巻市)|安浄寺]]で営まれた<ref>[https://www.city.hanamaki.iwate.jp/miyazawakenji/about_kenji/1003946.html 宮沢賢治の年譜] - 花巻市</ref>。18年後の[[1951年]](昭和26年)、宮沢家は日蓮宗に改宗し、墓所は花巻市の身照寺に移された。また国柱会から法名「真金院三不日賢善男子」が贈られた。東京都[[江戸川区]]の国柱会には賢治の遺骨の一部が納められている{{sfn|山下|2008|p=178}}。
== 作品と評価 ==
[[File:Ame ni mo makezu poem in Miyazawa Kenji's pocket notebook.jpg|thumb|300px|手帳に記された『雨ニモマケズ』]]
生前に刊行された唯一の[[詩集]]として『[[春と修羅]]』、同じく童話集として『[[注文の多い料理店]]』がある。また、生前に雑誌や新聞に投稿・寄稿した作品も少ないながら存在する(『[[やまなし]]』『[[グスコーブドリの伝記]]』など)。ただし、賢治が受け取った原稿料は、雑誌『愛国婦人』に投稿した童話『[[雪渡り]]』で得た5円だけであったといわれる。
しかし生前から注目されていた経緯もあり、死の直後から、主に[[草野心平]]の尽力により多数の作品が刊行された。最初の[[全集]]は(作品全体からは一部の収録ではあるものの)早くも死去の翌年に[[野々上慶一]]が営んでいた文圃堂より刊行され、続いて文圃堂から紙型を買い取った十字屋書店が、それに増補する形で1939年から1944年にかけて出版した。[[第二次世界大戦|戦時]]下『雨ニモマケズ』は[[滅私奉公]]的に受け取られ、求道者としての賢治像ができあがった{{sfn|作家読本|1989|p=214}}。戦後は[[筑摩書房]]から文庫判も含め数次にわたり刊行されている([[#作品一覧]]参照)。戦後は賢治の生き方や作品にみられる[[ヒューマニズム]]を聖化する一方、反動としての批判『雨ニモマケズ』論争が行われるなど再評価の動きもあらわれた{{要出典|date=2021-09}}。
賢治の作品は、一旦完成した後も次から次へ書き換えられて全く別の作品になってしまうことがある。これは雑誌に発表された作品でも同様で、変化そのものが一つの作品と言える。『農民芸術概論綱要』においても「永久の未完成これ完成である」という記述がある{{sfn|作家読本|1989|p=180}}。多くの作品が死後に未定稿のまま残されたこともあり、作品によっては何度も[[推敲|修正]]した跡が残されていて、全集の編集者が判読に苦労するケースも少なくなかった。そうした背景から原稿の徹底した調査に基づき、逐次形態を全て明らかにする『校本 宮澤賢治全集』(筑摩書房、1973~77年)が刊行され、作品内容の整理が図られた。これ以後、文学研究の対象として、賢治とその作品を論評する動きが増え、[[精神医学]]や[[地学]]、[[物理学]]など他の領域や時代背景を踏まえた論考も多くなった{{sfn|作家読本|1989|p=181}}。
死去から49年後の1982年、花巻市矢沢の胡四王山に花巻市立宮沢賢治記念館が開館している<ref>[http://www.city.hanamaki.iwate.jp/bunkasports/501/miyazawakenji/p004116.html 宮沢賢治記念館] - 花巻市</ref>。
草稿調査によって、賢治の遺稿はほぼ調べ尽くされたと見られていたが、生家の[[土蔵]]から未発表の詩の草稿1枚(地形図の裏に書かれたもの)が発見されたことが2009年4月に公表され『新校本 宮澤賢治全集』別巻(筑摩書房)に収録された<ref>{{Cite web|和書|url=http://book.asahi.com/news/TKY200904080264.html|title=宮沢賢治、地図の裏に未発表詩 三十数年ぶりの新作|publisher=asahi.com|date=2009-4-8|accessdate=2016-10-13|archivedate=2016-10-13|archiveurl=https://web.archive.org/web/20161013104434/http://book.asahi.com/news/TKY200904080264.html}}</ref>。
広く作品世界を覆っているのは、作者自らの裕福な出自と、郷土の農民の悲惨な境遇との対比が生んだ[[贖罪]]感や[[自己犠牲]]精神である。また幼い頃から親しんだ仏教も強い影響を与えている。その主な契機としては[[浄土真宗]]の[[暁烏敏]]らの講話・説教が挙げられる。特に18歳の時に同宗の学僧である[[島地大等]]編訳の[[法華経]]を読んで深い感銘を受けたと言われる。この法華経信仰の高まりにより、賢治は後に[[国粋主義]]的な法華宗教団「国柱会」に入信するが、法華宗は当時の宮沢家とは宗派違いであったので、父親との対立を深めることとなった。弱者に対する献身的精神、強者への嫌悪などの要素は、これらの経緯と深い関わりがあると思われる。また、良き理解者としての妹トシの死が与えた喪失感は、以後の作品に特有の陰影を加えた。
また、童話作品においては[[擬声語]]を多用し、作品によっては[[韻文]]にも近いリズム感を持った文体を使用したことも大きな特徴である。賢治の童話は同時代に主流とされた『赤い鳥』に掲載されるなどしていた児童文学作品とはかなり異質なものであった。
賢治の作品には[[コスモポリタニズム|世界主義]]的な雰囲気があり、岩手県という[[郷土愛|郷土への愛着]]こそあれ、[[軍国主義]]や[[ナショナリズム|民族主義]]的な要素を直接反映した作品はほとんど見られない。ただ、24歳の時に国柱会に入信してから、時期によって活動、傾倒の度合いに差はあるものの、生涯その一員であり続けたため、その社会的活動や自己犠牲的な思想について当時の[[ファシズム]]的風潮との関連も議論されている。晩年には遺作『[[銀河鉄道の夜]]』に見られるように[[キリスト教]]的な[[救済]]信仰をも取り上げ、全人類への宗教的寛容に達していたことが垣間見られる。宗教学者からは、賢治のこうした考え方の根本は、法華経に基づくものであると指摘されている<ref>{{cite video |url=http://www.youtube.com/watch?v=OQnEDI-QYhA&list=PL29809B3CE9F5C44B |title=宮澤賢治はなぜ浄土真宗から法華経信仰へ改宗したのか |people=[[正木晃]](話者)|publisher=日蓮宗 |date=2012-08-26}}</ref><ref>{{Cite journal|和書|author=[[定方晟]] |title=『銀河鉄道の夜』と法華経 |journal=東海大学紀要. 文学部 |volume=64 |pages=110-88 |publisher=東海大学文学部 |location=東京|date=1995|url=https://opac.time.u-tokai.ac.jp/webopac/TC20001999 |issn=05636760 |naid=110001048402 |accessdate=2016-09-21}}110頁。</ref>。この宗教的思想と自然科学の融合した独自の世界観は[[第二次世界大戦]]後に日本国外の研究者からも評価され、[[1996年]]9月、宮沢賢治生誕100周年を記念して花巻市にて開催された宮沢賢治国際学会では20ヶ国程の研究者、翻訳者が集ったことを[[歴史家]]の[[色川大吉]]は著書で言及している<ref>{{Citation|和書|last=色川|first=大吉|title=歴史家の見た宮沢賢治の光と闇|journal=色川大吉歴史論集:近代の光と闇|publisher=日本経済評論社|date=2013-01-18|page=2|isbn=978-4-8188-2254-2|ncid=BB11426978}}</ref>。
賢治は自ら学んだエスペラントでも詩作を試みたが、公表されたのは1953年である。これらの作品のほとんどは自らの作品のエスペラントへの翻訳、改作である<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.hh.e-mansion.com/~sibazyun/ali-trad/poe-miyazawa0.htm|title=宮沢賢治・自訳エスペラント詩集 |accessdate=2016-09-03}}(このサイトには公表状態でなく、校訂された作品が掲載されている)</ref>。
[[1998年]]頃に、[[山折哲雄]]がある[[小学校]]で授業をした際に、賢治の3つの作品『[[風の又三郎]]』『[[注文の多い料理店]]』『[[銀河鉄道の夜]]』を示し、これらに共通する問題があり、それは何だと子供たちに問い、自らは[[風]]がすごく大きな役割を果たしている、この3つの童話の中心的大問題は「風」だと力説した。この時、子供の一人が「[[猫]]」だと言おうとしたが、山折が「風」と言ったのであれっと思ったが、山折の話を聞く内にやっぱり「風」だと思った。ところがこの[[エピソード]]を聞いた[[河合隼雄]]は、賢治作品における猫の役割の重要性をずっと考えていたため、「猫と風」というヒントから、風のつかまえどころの無さと優しさと荒々しさの同居、少しの隙間でも入り込んでくる点など猫との共通点を感じ、賢治作品に登場する猫は、正にそのような性格を持って登場すると論じている。賢治の『猫』という短編には「私は猫は大嫌いです。猫のからだの中を考えると吐きそうになります」という一節が見られる<ref name="neko">[[河合隼雄]] 『猫だましい』 新潮社、2000年5月20日。{{要ページ番号|date=2016年9月}}</ref>。しかし、この「猫」は[[高瀬露]]が転嫁された表現であり、実際に賢治が猫嫌いだったわけではないという指摘もある([[ますむらひろし]]著『イーハトーブ乱入記―僕の宮沢賢治体験』{{要ページ番号|date=2019年5月}})。
[[愛知県]]出身の児童文学作家である[[新美南吉]]は、賢治の作品を読んで評価し、没後の[[1934年]]に開かれた「宮沢賢治友の会」に出席した<ref>[http://www.nankichi.gr.jp/Nankichi/QA.html 南吉Q & A] - 新美南吉記念館(「南吉は宮沢賢治を知ってたの?」を参照、20215月16日閲覧)</ref> 。
== 人物像 ==
=== 幼少期の伝説 ===
{{要出典範囲|賢治には多くの「伝説」が語り継がれているが、特に本人が資料を残していない幼少期の[[神格化]]が甚だしいと指摘されている。こうした神格化を後押ししていたのが、父・政次郎や弟・清六であった。|date=2021-07}}伝説が嘘ではないにしても誇張や曲解が行われたのは関係者の思い入れと宮沢家への気遣いであろうと、[[山下聖美]]は推測している{{sfn|山下|2008|p=30-34}}。現代では[[吉田司]]の『宮沢賢治殺人事件』のように[[聖人]]イメージを破壊するという著作も現れている{{sfn|千葉|2014|pp=2-3}}。
* 生誕の約2ヶ月前である1896年6月15日に[[明治三陸地震|三陸地震津波]]が、誕生直後にも[[陸羽地震]]が発生した。清六は、賢治の生まれた年は東北地方に災害が多く、「それは雨や風や天候を心配し、あらゆる生物の幸福を祈って、善意を燃やし続けた賢治の生涯が、容易ならぬ苦難に満ちた道であるのをも暗示しているような年であった(兄賢治の生涯)」と述懐している{{sfn|作家読本|1989|p=11}}。また、1933年(没年)の3月3日に「[[昭和三陸地震|三陸沖地震]]」(理科年表No.325)が発生し、大きな災害をもたらした。地震直後に詩人の大木実([[1913年]]-[[1996年]])へ宛てた見舞いの礼状<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.kenji.gr.jp/kaiho/kaiho31/index.html#L |title=詩人大木実あて書簡 宮沢賢治学会・会報31号 |publisher=宮沢賢治学会 |accessdate=2010-11-10 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20060207002502/http://kenji.gr.jp/kaiho/kaiho31/index.html |archivedate=2006-2-7 |deadlinkdate=2014-12-18}}</ref>には、「海岸は実に悲惨です」と津波の被害について書いている<ref>{{Cite book |和書 |author=勉誠出版株式会社 |authorlink= |date=2010-07 |title=月光 |volume=2 |publisher=勉誠出版 |page= |isbn=978-4-585-05226-5}}{{要ページ番号|date=2016年9月}}</ref>。
* 尋常小学校時代、赤いシャツを着てきた同級生が皆に囲まれ「メッカシ(めかしこんでいる)」とからかわれていた。賢治は間に入り「おれも赤シャツ着てくるからいじめるならおれをいじめてくれ」とかばった{{sfn|堀尾|1991|p=36}}。
* [[めんこ|メンコ]]で遊んでいた時、仲間の一人がメンコを追って指を馬車にひかれ出血した。賢治は「いたかべ、いたかべ」と言いながらその指を吸ってやった{{sfn|堀尾|1991|p=36}}。
* いたずらをした罰として水を満杯にした茶碗を持って廊下に立たされていた生徒がいた。先生の用で廊下に出た賢治は「ひどいだろう、大変だろう」と茶碗の水を飲み干してやった{{sfn|堀尾|1991|p=36}}。
* 尋常小学校2年の時、4人の小学生が豊沢川に流され2人が亡くなった。子供を捜索する船の明かりを大勢の人が集まり豊沢橋の上から見守っていた。賢治も同級生が流されたと聞いてこれを見ており、のちに創作のモチーフとなった{{sfn|堀尾|1991|p=29}}。
===科学===
幼少期に石を好んで収集する鉱物愛好家だったことから、11歳頃より家族に「石コ賢さん」という愛称で呼ばれた{{sfn|堀尾|1991|p=31}}。盛岡中学校時代は、休日に盛岡周辺で鉱物採集をしたり、道中で「矢ノ根石」([[石鏃]])を収集するためあえて徒歩で帰省したりした{{sfn|堀尾|1991|p=63}}。盛岡高等農林学校研究生時代に、[[人工宝石]]製造業を東京で起業するプランを手紙で父に送ったこともあった(実現せず){{sfn|堀尾|1991|p=136}}。
作中には動植物、鉱物、地質学など科学用語や鉱物の名称が多く登場する<ref>桜井弘『宮沢賢治の元素図鑑ー作品を彩る元素と鉱物』[[化学同人]]、2018年、p.3、ISBN 978-4759819663</ref>。
大学で学んだ土壌学を農民へ還元する農業技術の指導員としての評価もある<ref>[http://news7a1.atm.iwate-u.ac.jp/edu/p3.html 宮澤賢治関係資料] - [[岩手大学]]農学部農業教育資料館</ref>。
=== 音楽 ===
賢治は音楽に深い関心を持っており、暇を見つけては[[レコード]]を買っていた。賢治が頻繁にレコードを買っていくため、地方の店の割に新譜レコードが多く売れるとして、行きつけの楽器店が[[イギリス]]に本社を置く[[ポリドール・レコード]]から感謝状を贈られたという{{sfn|作家読本|1989|p=95}}{{refnest|group="注釈"|原子朗編の『新 宮澤賢治語彙辞典』(東京書籍、1999年)の「レコード」の項では「ポリドールの社長からレコードがよく売れるので、花巻の高喜商店に問い合わせがあり、町一番のコレクター賢治の名を挙げたところ、社長から賢治あてに感謝状がきた」とある。}}。
[[ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン|ベートーヴェン]]や[[アントニン・ドヴォルザーク|ドヴォルザーク]]の曲をよく聴いていた。農学校教員時代(1921-1923年)には自ら楽曲づくりも手掛けた。二十数曲を[[作詞]]し、うち八つは[[作曲]]もしている<ref>[https://www.nikkei.com/article/DGXKZO32967910T10C18A7BC8000/ 中村節也「作曲家・賢治の宇宙音感◇独特なリズムの8曲残す 童話生んだ音楽センス解明」]『[[日本経済新聞]]』朝刊、2018年7月17日(文化面)2018年7月27日閲覧。</ref>。
[[蓄音機]]でレコード針として使う竹針を傷め、[[音質]]を高める針を発明したこともある。[[アメリカ合衆国|米国]][[日本ビクター|ビクター]]社にサンプルを送り、製品化には至らなかったものの、その発想は高く評価された<ref>{{Citation|和書|last=宮沢賢治を愛する会|title=宮沢賢治エピソード313|publisher=扶桑社|date=1996-10|isbn=4594021085|ncid=BN15493836|page=112}}</ref>。
=== 食生活と菜食主義 ===
[[日蓮]]系教団では[[末法無戒]]を説くため菜食の必要は無いのだが<ref>鎌田としき「[http://ihatov.la.coocan.jp/bizi.htm 宮沢賢治「ビヂテリアン大祭」考]」</ref>、賢治は法華経信仰に入った後、盛岡高農研究生になった1918年(大正7年)から5年間[[菜食主義|菜食生活]]をした{{sfn|堀尾|1991|p=96}}。5月19日付の保阪嘉内に宛てた手紙では、[[刺身]]や[[茶碗蒸し]]を少量食べた後、食べられる生き物に同情する気持ちを綴っている<ref>{{Cite web|和書|url=http://why.kenji.ne.jp/shiryo/shokan/63.html |title=1918年5月19日 保阪嘉内あて 封書(封筒ナシ)|publisher=宮沢賢治の童話と詩森羅情報サービス |accessdate=2016-09-03|archiveurl=https://web.archive.org/web/20160916120804/http://why.kenji.ne.jp:80/shiryo/shokan/63.html |archivedate=2016-09-16}}</ref>。[[東京]]でトシの看病をするため宿泊していた旅館「雲台館」では、賢治のため[[精進料理]]を出してくれたという{{sfn|堀尾|1991|p=103}}。家出上京中は、[[芋]]と[[豆腐]]と[[油揚げ]]ばかり食べ{{sfn|作家読本|1989|p=68}}、[[脚気]]になった時は、[[蕎麦がき]]や[[麦飯]]、[[冬瓜]]の汁を飲んだ{{sfn|堀尾|1991|p=456}}。1921年(大正10年)8月11日付の関徳弥宛の手紙では脚気の原因を肉食のせいにしている<ref>{{Cite web|和書|url=http://why.kenji.ne.jp/shiryo/shokan/197.html |title=(1921年8月11日)関徳彌あて 封書|publisher=宮沢賢治の童話と詩森羅情報サービス |accessdate=2016-09-03|archiveurl=https://web.archive.org/web/20141223092757/http://why.kenji.ne.jp/shiryo/shokan/197.html |archivedate=2014-12-23}}</ref>。
農学校教員時代は菜食にこだわらず、同僚や知人と[[外食]]を楽しんだ。花巻の蕎麦屋「やぶ屋」を「ブッシュ」と呼び、よく通っていた。[[天ぷら]][[蕎麦]]と[[サイダー]]を一緒に注文するのが定番だった<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.yabuya.jp/ybyhpg3.htm |title=宮澤賢治とやぶ屋 |publisher=岩手花巻名物わんこそば やぶ屋 |accessdate=2016-09-03 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20170702013605/http://www.yabuya.jp:80/ybyhpg3.htm |archivedate=2017-01-02}}</ref>。また[[鰻丼]]や[[天丼]]も好物だったという{{sfn|山下|2008|pp=156-157}}。自分から進んで[[酒]]を飲むことはなかったが、付き合いで酒をすすめられると[[水]]でも飲むように飲み干して返盃した。時に[[たばこ]]を吸うこともあった{{sfn|作家読本|1989|p=97}}。また教員仲間が集まった時、[[藤原嘉藤治]]から「人間は物の命を食って生きている。他を犯さずに生きうる世界というものはないのだろうか。」と問いかけられた答えとして『[[ビジテリアン大祭]]』を書いている{{sfn|堀尾|1991|p=214}}。
羅須地人協会時代の自炊は極端な粗食だった。[[ご飯]]はまとめて炊いてザルに移して[[井戸]]の中に吊り下げて置き、冬は凍ったまま食べた。[[おかず]]は油揚げや[[漬物]]、[[トマト]]などだった{{sfn|作家読本|1989|p=142}}{{sfn|山下|2008|pp=152-153}}。賢治の体を心配した母のイチが[[小豆]]を入れた[[ひっつみ]]を届けたことがあるが、受け取らなかった{{sfn|千葉|2014|pp=36-30}}。急性肺炎で倒れ病臥生活になっても菜食はやめず、[[鶏卵]]も[[牛乳]]も拒否した<ref>{{Cite web|和書|url=http://why.kenji.ne.jp/shiryo/shokan/419.html|title=1932年6月1日(森佐一あて) 下書|publisher=宮沢賢治の童話と詩森羅情報サービス |accessdate=2016-10-13|archiveurl=https://web.archive.org/web/20161014060119/http://why.kenji.ne.jp/shiryo/shokan/419.html |archivedate=2016-10-14}}</ref>。イチが[[鯉]]の生き肝が肺炎に効くと聞いて、[[オブラート]]に包み薬と偽って飲ませたことがあった。弟の清六から中身を聞き出した賢治は涙を流し、「生き物の命をとるくらいならおれは死んだほうがいい」「これからは決してそんなことをしてくれるな」と真っ青な顔で言い、最期まで菜食主義をつらぬいた{{sfn|堀尾|1991|p=459-462}}。
=== 恋愛・性愛観 ===
賢治は生涯[[独身]]だった。友人の藤原嘉藤治に「[[性欲]]の乱費は、君自殺だよ、いい仕事はできないよ。」と語り、性欲の発露を戒めた。関登久也はある朝、賢治に会うと、[[岩手郡]]の外山牧場に行って一晩中歩き、夜を徹して性欲と闘ったことを明かされた。農学校教員時代は見合いの話がいくつも持ち込まれ、両親も結婚させたがったが、賢治は頑として受け付けなかった{{sfn|堀尾|1991|pp=356-357}}。藤原にはこう語っている。
{{quotation|新鮮な野の食卓にだな、露のようにおりてきて、あいさつをとりかわし、一椀の給仕をしてくれ、すっと消え去り、またあくる朝やってくるといったような女性なら、ぼくは結婚してもいいな。時にはおれのセロの調子はずれをなおしてくれたり、童話や詩をきいてくれたり、レコードの全楽章を辛抱強くかけてくれたりするんなら申し分がない。|(『宮沢賢治の肖像』){{sfn|山下|2008|pp=145-146}}}}
[[童貞]]だったとも言われるが、「[[一関市|一関]]の花川戸という[[遊廓|遊郭]]へ登楼してきたといって明るくニコニコ笑って話しました」(『宮沢賢治の肖像』)という証言もあり、真偽は不明である{{sfn|山下|2008|p=105}}。晩年、森荘已池を訪ねた時は[[禁欲主義]]については「何にもなりませんでしたよ」「まるっきりムダでした」と話し、さらに「草や木や自然を書くように[[エロティシズム|エロ]]のことを書きたい」と語って、変節したことを認めた{{sfn|作家読本|1989|p=186}}。
賢治は浮世絵コレクターで、特に「和印([[春画]])」を積めば高さ30センチメートルになるほど集めていた{{sfn|堀尾|1991|p=355}}。それら農学校に持ってきて、同僚と批評して楽しんだ{{sfn|作家読本|1989|p=69}}。[[ハヴロック・エリス|ハバロック・エリス]]の『性の心理』を持っていて、翻訳本で[[伏字]]になった部分を[[仙台市|仙台]]の本屋まで行って原書で読んで確かめた{{sfn|山下|2008|p=106}}。この本のことを聞かれると「いなかの子ども(農学校の教え子)が性でまちがいをおこさないように教えたいと思って」と答え{{sfn|堀尾|1991|p=355}}、実際生徒に「[[猥談]]は大人の童話みたいなもので頭を休めるもの」「誰を憎むというわけでも、人を傷つけるというものでもなく、悪いものではない。性は自然の花だ。」と話したという{{sfn|山下|2008|p=107}}。
盛岡高等農林学校在籍時に出会った一年後輩の保阪嘉内との間で、互いに「恋人」と呼び合うような親しい間柄になり、嘉内に宛てた書簡類では、親密な感情の表出、率直な心情の吐露が認められ、手紙に記された文面は、時にあたかも恋人に宛てたような表現になった。嘉内からは情緒的にも思想的にも強い影響を受け、とりわけ『銀河鉄道の夜』の成立には、20代の頃に嘉内と二人で登山し共に語り合って夜を明かした体験が濃厚に反映され、登場人物の「ジョバンニ」を賢治自身とするなら、「カムパネルラ」は保阪嘉内を表していると考える研究者もいる<ref>{{Citation|和書|last=菅原|first=千恵子|title=宮沢賢治の青春: “ただ一人の友”保阪嘉内をめぐって|publisher=宝島社|edition=初|date=1994-08-05|page=265|isbn=4-7966-0839-7}}</ref>。
=== その他 ===
*[[1916年]]春、盛岡高等農林学校の寮の親睦会で寸劇が企画され、当時1年生だった保阪嘉内が脚本を書いた[[戯曲]]『人間のもだえ』が上演された。2年生で室長でもあった賢治は「全知の神ダークネス」役を演じ、嘉内自身も「全能の神アグニ」を演じた。この嘉内の脚本に現れる「修羅」というキーワードは、『[[春と修羅]]』に代表される後の賢治の作品のキーワードでもある「修羅」という言葉に影響を与えたとされる<ref>{{Cite|和書|author=宮沢賢治|title=<新>校本宮沢賢治全集|publisher=筑摩書房|date=1997-04|pages=472}}</ref><ref>{{Cite book|和書|title=宮沢賢治の青春“ただ一人の友”保阪嘉内をめぐって|author=菅原千恵子|pages=第一章 2-3頁|year=1997|publisher=角川書店}}</ref>。
== 家族 ==
宮澤家の始祖は京都から花巻に移り住んだ藤井将監という人物とされる。子孫は明治の初めに姓を宮澤に改める。子孫の一人初代宮澤右八長昌は花巻に呉服屋「宮右」を繁盛させた。その子の二代目右八の代ではますます盛んになり、京都大阪からも仕入れをしていたという。右八の三男が賢治の祖父の喜助である。喜助は真面目で仕事熱心だったが、分家する時ほとんど財産を分けてもらえず、店頭に古着を並べ[[質屋]]を始めた{{sfn|堀尾|1991|pp=13-15}}。喜助の長男政次郎は15歳の頃から家業を手伝いはじめ、17歳の時から鉄道で関西・四国に出向き、古着や流行遅れになった新古品を大量に仕入れ、店で売るだけでなく[[卸売]]もしていた。また株式投資でも成功し、近隣に多くの[[小作制度|小作地]]を有するようになる{{sfn|千葉|2014|pp=23-30}}。花巻出身のジャーナリストで[[徳富蘇峰]]の秘書も務めた八重樫祈美子<ref>[http://www.manabi-guide.jp/senjin/?Se=40 郷土の先人を探す] - 花巻市(はなまきまなびガイド)2022年2月11日閲覧)</ref>は1935年の文章で、「宮沢先生の一族は、精神的にも物質的にも花巻を壟断する一大勢力」と記し、以後の賢治の研究書や解説書にもこれを踏襲した表現が見られる<ref name="ueda"/>{{Efn|一例として山内修(編)『作家読本 宮沢賢治』(河出書房新社、1989年)には「『宮澤まき(一族)』と言えば花巻を壟断する一大勢力であった」という記載がある{{sfn|作家読本|1989|p=10}}。}}。これについて研究者の上田哲(うえだ あきら、政治家の[[上田哲]]とは別人)は、当時の花巻には梅津家や瀬川家([[瀬川弥右衛門]]が当主)、伊藤家([[伊藤儀兵衛]]が当主)といったずっと規模の大きな「マキ」(岩手方言で「一族」の意味)があったことを指摘し、「『宮沢マキ』は、この地方での有力な一族ではあったが、このような情勢の中では花巻を壟断することはできえないことがわかると思う」と記している<ref name="ueda">{{Cite book|和書|title=図説 宮沢賢治|editor=上田哲・関山房兵・大矢邦宣・池野正樹|publisher=[[河出書房新社]]|date=2009-08-12|isbn=978-4-309-76129-9|chapter=花巻と宮沢マキ|pages=99-103}} この箇所の執筆は上田哲。</ref>。
; 祖父・喜助
: [[1840年]]9月5日生 - [[1917年]]9月16日没(享年77)
: 「石に金具を着せたような堅物」で家業を熱心に手伝っていたが、分家してからは古着屋兼質屋を細々と営んでいた。この店は「宮右」から分家(かまどわけ)したので「宮右かまど」と呼ばれた。
; 祖母・キン
: [[1851年]]4月9日生 - [[1913年]]3月12日没(享年61)
: [[紫波郡]][[日詰町]](現・[[紫波町]])の関家から嫁ぐ。関家は富裕で、[[囲碁]]・[[将棋]]や[[琴]]、[[三味線]]など芸事が好きだったが、キンは質実剛健な性格だった。賢治の弟の清六は、賢治の童話や詩に現れた一面はキンの持っていた芸術的素質から来たものが多いようだと述べている{{sfn|山下|2008|pp=16-17}}。
; 父・[[宮澤政次郎|政次郎]](まさじろう)
: [[1874年]]2月23日生 - [[1957年]]12月1日没(享年83)
: 喜助から受け継いだ家業を盛り立て、「宮澤商店」を栄えさせる。仏教に関心が深く、自費で「花巻仏教会」を作って地元の人たちに毎年仏教講習会を催した。また[[民生委員]]、[[調停委員]]を長く務め、800件もの紛争をまとめた功績で[[褒章#藍綬褒章|藍綬褒章]]を受章している{{sfn|堀尾|1991|p=18}}。「自分は仏教を知らなかったら[[三井財閥|三井]]・[[三菱財閥|三菱]]くらいの財産を作れただろう」と語っていたという{{sfn|千葉|2014|p=25}}。
; 母・イチ(旧姓・宮澤)
: [[1877年]]1月15日生 - [[1963年]]6月30日没(享年86)
: イチの実家の宮澤家も藤井将監の子孫で、イチの父(賢治の祖父)・善治の店は「宮善」と呼ばれた。雑貨商などで巨万の富を築き、花巻銀行、[[花巻温泉]]、[[岩手軽便鉄道]]などの設立に尽力した{{sfn|作家読本|1989|p=13}}{{refnest|group="注釈"|実際は「尽力」というより「協力」と言った方が正確である<ref name="ueda"/>。花巻銀行は善治が役員に招かれただけ、岩手軽便鉄道も株主として協力した程度という<ref name="ueda"/>{{sfn|山下|2008|p=33-34}}。ただし、経営状態が悪化した花巻銀行が1915年に再建された際には善治の息子・恒治(イチの弟)が中心となった<ref name="ueda"/>。}}。慈愛に満ちた人柄で幼い賢治に添い寝しながら「ひとというものは、ひとのために、何かしてあげるために生まれてきたのス」と言い聞かせていたという{{sfn|千葉|2014|pp=36-37}}。
; 妹・[[宮沢トシ|トシ]]
: [[1898年]]11月5日生 - [[1922年]]11月27日没(享年24)
: 子供の頃から成績優秀で、岩手県立花巻高等女学校でも4年間首席、卒業式では総代として答辞を務める。卒業後、東京の[[日本女子大学|日本女子大学校]][[家政学部]][[予科]]に入学する。女学校卒業前に音楽教師との恋の噂の記事が地元の新聞に掲載されたことに傷つき、実家を離れる進学が許可されたのではないかと言われる{{sfn|山下|2008|pp=68-69}}。女子大卒業前に入院するが、卒業を認められる。体調が回復してから母校の花巻女学校教諭心得として英語と家事を担当するが、翌年[[喀血]]、以後は療養生活を送る{{sfn|作家読本|1989|p=85}}。1922年11月27日午後8時30分死去{{sfn|作家読本|1989|p=88}}。24歳だった。
; 妹・シゲ
: [[1901年]]6月18日生 - [[1987年]]9月20日没(享年86)
; 弟・[[宮澤清六|清六]]
: [[1904年]]4月1日生 - [[2001年]]6月12日没(享年97)
: 賢治に代わって家業を継ぎ、建築材料の卸売・小売りや[[モーター]]・[[ラジオ]]を扱う「宮沢商会」を開業、賢治が嫌っていた古着商からの転換を果たす{{sfn|作家読本|1989|p=136}}。賢治亡き後は、託された原稿の出版に奔走、全集や研究書の編纂に関わった{{sfn|山下|2008|pp=34-35}}。
; 妹・クニ
: [[1907年]]3月4日生 - [[1981年]]1月12日没(享年73)
== 略年譜 ==
[[ファイル:miyazawa5733.jpg|thumb|150px|宮沢賢治歌碑([[比叡山延暦寺]])]]
* [[1896年]](明治29年)
** 8月27日 - 岩手県稗貫郡里川口村川口町303番地(後の花巻町大字里川口第一二地割字川口町295番地、現・花巻市豊沢町4丁目11番地)にて、父政次郎、母イチの長男として生まれる。
*[[1898年]] (明治31年)
**11月5日 - 妹トシが生まれる。
*[[1901年]] (明治34年)
**6月18日 - 妹シゲが生まれる。
* [[1903年]](明治36年)
** 4月 - 花巻川口尋常高等小学校に入学。
*[[1904年]] (明治37年)
**4月1日 - 弟清六が生まれる。
*[[1907年]] (明治40年)
**3月4日 - 妹クニが生まれる。
* [[1909年]](明治42年)
** 4月 - 岩手県立盛岡中学校(現・[[盛岡第一高等学校]])に入学、寄宿舎「自彊(じきょう)寮」に入寮。
* [[1914年]](大正3年)
** 3月 - 盛岡中学校卒業。
** 4月 - 肥厚性鼻炎で岩手病院で入院・手術。手術後も発熱が続き、5月末まで入院。
**退院後、家の手伝いをしていたが、進学を許され、受験勉強に励む。
* [[1915年]](大正4年)
** 4月 - 盛岡高等農林学校(現・[[岩手大学]]農学部)に首席で進学、寄宿舎「自啓寮」に入寮。
* [[1916年]](大正5年)
** 3月 - 農学第2部(農芸化学専攻)でただ一人の特待生に選ばれ、授業料免除。
* [[1917年]](大正6年)
** 7月 - 同じ学校の保阪嘉内らと[[同人誌]]『アザリア』創刊。短歌などを発表。
* [[1918年]](大正7年)
** 3月13日 - 保阪嘉内が除籍処分。
** 3月15日 - 盛岡高等農林学校を卒業。研究生として引き続き在籍、稗貫郡の土性調査を行う。
** 4月28日 - 徴兵検査で第二乙種合格、兵役免除。
** 6月30日 - 肋膜炎と診断され、土性調査終了次第、退学を希望。
** 12月26日 - 妹のトシが肺炎で東京の病院に入院、母と上京して看病する。
* [[1919年]](大正8年)
** 萩原朔太郎の詩集『月に吠える』に出会う。
** 東京で人造宝石の製造販売事業を計画するが、父の反対にあう。
** 3月3日 - トシ退院、岩手に戻る。家業を手伝う。
* [[1920年]](大正9年)
** 5月20日 - 研究生を卒業。
** 10月 - 国柱会に入信。父に改宗をせまる。
* [[1921年]](大正10年)
** 1月23日 - 上京、国柱会本部を訪問。本郷菊坂町に下宿、働きながら多くの童話を執筆。
** 8月 - トシ病気のため帰郷。
** 12月3日 - 稗貫農学校(後の[[岩手県立花巻農業高等学校|花巻農学校]])教師となる。
* [[1922年]](大正11年)
** 1月 - 雑誌『愛国婦人』12月号、1月号に『雪渡り』発表。
** 11月27日 - トシ、病死。
* [[1924年]](大正13年)
** 4月20日 - 詩集『春と修羅』を自費出版。
** 12月1日 - 童話集『注文の多い料理店』を刊行。
* [[1925年]](大正14年)
** 7月 - 詩人の草野心平の同人誌『銅鑼』に参加。作品を発表。
* [[1926年]](大正15年)
** 3月31日 - 花巻農学校を依願退職。
** 4月 - 花巻町下根子桜の別宅にて独居自炊。[[私塾]]「羅須地人協会」を設立。
** 12月2日 - 上京。セロ、タイプライター、オルガン、エスペラント語を習う。高村光太郎宅を訪問。年末に帰郷。
* [[1927年]](昭和2年)
** 2月1日 - 『岩手日報』夕刊で賢治の活動が紹介されるが、社会主義教育と疑われ警察の聴取を受ける。以後、羅須地人協会の集会は不定期になった。
* [[1928年]](昭和3年)
** 6月 - 農業指導のため伊豆大島の伊藤七雄を訪問。
** 8月10日 - 過労で倒れ、両側肺湿潤と診断される。実家に戻り療養。
* [[1930年]](昭和5年)
** 5月 - 東北砕石工場主の鈴木東蔵の訪問を受ける。
* [[1931年]](昭和6年)
** 2月21日 - 体調回復し、東北砕石工場技師となる。石灰肥料の宣伝販売を担当。
** 9月20日 - 商品売り込みのため上京中に発熱で倒れ、旅館で家族に遺書を書く。
** 9月28日 - 花巻に帰り、再び療養生活を送る。
** 11月 - 手帳に『雨ニモマケズ』を書く。
* [[1932年]](昭和7年)
** 3月 - 「児童文学」第二冊に『グスコーブドリの伝記』発表。
* [[1933年]](昭和8年)
** 9月21日 - 急性肺炎のため死去(享年37)。[[戒名]]「真金院三不日賢善男子」。
== 作品一覧 ==
{{Wikisource|作者:宮沢賢治|宮沢賢治|3=作品一覧}}
=== 童話 ===
※は生前発表作品
* 『[[銀河鉄道の夜]]』
* 『[[風の又三郎]]』
* 『[[ポラーノの広場]]』
* 『[[グスコーブドリの伝記]]』※
賢治が自作の童話の題名を列記したメモが多数残っている(自選の作品集を構想していたとも言われている)が、そのうちの数点で、上記の4作品が「少年小説」あるいは「長篇」として一括りにされている。
*童話集『[[注文の多い料理店]]』※所収
** 『[[どんぐりと山猫]]』※
** 『[[狼森と笊森、盗森]]』※
** 『[[注文の多い料理店]]』※
** 『[[烏の北斗七星]]』※
** 『[[水仙月の四日]]』※
** 『[[山男の四月]]』※
** 『[[かしわばやしの夜]]』※
** 『[[月夜のでんしんばしら]]』※
** 『[[鹿踊りのはじまり]]』※
* 『蛙のゴム靴』
* 『蜘蛛となめくぢと狸』{{refnest|group="注釈"|のちに推敲後『洞熊学校を卒業した三人』と改題<ref>宮沢賢治『校本宮沢賢治全集 第7巻』筑摩書房、1973年。</ref>。}}
* 『[[貝の火]]』
* 『[[よだかの星]]』
* 『[[カイロ団長]]』
* 『[[フランドン農学校の豚]]』
* 『[[ツェねずみ]]』
* 『[[クンねずみ]]』
* 『鳥箱先生とフウねずみ』
* 『雁の童子』
* 『[[雪渡り]]』※
* 『[[やまなし]]』※
* 『氷河鼠の毛皮』※
* 『[[シグナルとシグナレス]]』※
* 『[[オツベルと象]]』※
* 『[[ざしき童子のはなし]]』※
* 『[[猫の事務所]]』※
* 『[[ビジテリアン大祭]]』
* 『[[土神と狐]]』
* 『[[楢ノ木大学士の野宿]]』
* 『マリヴロンと少女』
* 『タネリはたしかにいちにち噛んでいたようだった』
* 『[[虔十公園林]]』
* 『[[なめとこ山の熊]]』
* 『[[北守将軍と三人兄弟の医者]]』※
* 『[[セロ弾きのゴーシュ]]』
* 『[[さるのこしかけ (小説)|さるのこしかけ]]』
* 『[[祭の晩]]』
* 『税務署長の冒険』{{refnest|group="注釈"|[[1923年]](大正12年)6月に、岩手県[[和賀郡]]湯田村(現・[[西和賀町]])で[[密造酒]]摘発中の花巻税務署職員が村人から暴行を受けた事件があり、当該作品はこの事件をモデルにしたとされる<ref>{{Cite journal |和書 |author=米地文夫 |author-link=米地文夫 |year=1997-02 |title=宮沢賢治の「税務署長の冒険」における創作地名 : イメージのなかの景観と関わって |periodical=[[岩手大学]]教育学部研究年報 |volume=56 |issue=2 |pages=21-39 |id={{NCID|AN00017940}} }}</ref><ref>{{Cite|和書|author=[[久世番子]]|title=よちよち文藝部|publisher=[[文芸春秋]]|date=2012-10|pages=98|isbn=978-4-16-375750-6|ncid=BB10774414}}</ref>。}}
=== 詩 ===
題名が〔〕で括られているものは、原稿の最終形が無題のため、冒頭の1行を題名の代わりにしているものである。また、題名の前の漢数字は、賢治が原稿に記載していた作品番号である。
* '''『<small>心象スケッチ </small>[[春と修羅]]』所収'''
** 『序』
** 『屈折率』
** 『春と修羅』
** 『真空溶媒』
** 『小岩井農場』
** 『岩手山』
** 『高原』
** 『[[原体剣舞連]]』
** 『永訣の朝』
** 『無声慟哭』
** 『青森挽歌』
* '''「春と修羅 第二集」所収'''
** 『<small>一六 </small>五輪峠』
** 『<small>一九 </small>晴天恣意』
** 『<small>一六六 </small>薤露青』
** 『<small>三一三 </small>産業組合青年会』
** 『<small>三一四 </small>〔夜の湿気と風がさびしくいりまじり〕』(逐次形態での題は『業の花びら』)
** 『<small>三八四 </small>告別』
* '''「春と修羅 第二集補遺」所収'''
** 『葱嶺(パミール)先生の散歩』
* '''「春と修羅 第三集」所収'''
** 『<small>七〇九 </small>春』
** 『<small>一〇〇八 </small>〔土も掘るだろう〕』
** 『<small>一〇八二 </small>〔あすこの田はねえ〕』
** 『<small>一〇二〇 </small>野の師父』
** 『<small>一〇二一 </small>和風は河谷いっぱいに吹く』
** 『<small>一〇八八 </small>〔もうはたらくな〕』
* '''「口語詩稿」所収'''
** 『第三芸術』
** 『火祭』
** 『牧歌』
** 『地主』
** 『夜』
* '''「疾中」所収'''
** 『病床』
** 『眼にて云う』
** 『〔丁 丁 丁 丁 丁 〕』
** 『〔風がおもてで呼んでいる〕』
** 『〔疾いま革まり来て〕』
** 『〔手は熱く足はなゆれど〕』
** 『夜』
* '''「補遺詩篇I」所収'''
** 『〔[[雨ニモマケズ]]〕』
* '''「文語詩稿 五十篇」所収'''
** 『〔いたつきてゆめみなやみし〕』
** 『〔水と濃きなだれの風や〕』
* '''「文語詩稿 一百篇」所収'''
* '''「文語詩未定稿」所収'''
* 『[[星めぐりの歌]]』
* 『精神歌』
* 『ポラーノの広場のうた』
* 『双子の星』
=== 水彩画 ===
[[ファイル:Kaiho36-18.jpg|thumb|『日輪と山』(仮題)]]
[[ファイル:Kaiho36-20.jpg|thumb|『ケミカル・ガーデン』(仮題)]]
※題名はいずれも仮題である。
* 『日輪と山』
* 『月夜のでんしんばしら』
* 『手の幽霊』または『ケミカル・ガーデン』
* 『ミミズク』
* 『ネコ』
* 『赤玉』
=== その他 ===
* 『手紙 四』
* 『[[羅須地人協会#農民芸術概論綱要|農民芸術概論綱要]]』
* 『竜と詩人』
=== 全集 ===
* 『宮澤賢治全集』文圃堂(1934年 - 1935年)全3巻
* 『宮澤賢治全集』十字屋書店(1939年 - 1944年)全6巻別巻1
** 1・2・3巻目は、文圃堂版全集の紙型を引き継ぎ作成。
* 『宮澤賢治全集』筑摩書房(1956年 - 1958年)全11巻別巻1
* 『宮澤賢治全集』筑摩書房(1967年 - 1969年)全12巻別巻1
* 『校本 宮澤賢治全集』筑摩書房(1973年 - 1977年)全14巻(全15冊)
* 『新修 宮沢賢治全集』筑摩書房(1979年 - 1980年)全16巻別巻1
** 『校本』版を基に、新たに編纂した普及版全集。
* 『宮沢賢治全集』筑摩書房〈[[ちくま文庫]]〉(1985年 ‐ 1986年、1995年)全10巻。9・10巻目は1995年刊
* 『【新】校本宮澤賢治全集』筑摩書房(1995年 - 2009年)全16巻別巻1(全19冊)
* 『宮沢賢治コレクション』(2016年 - 2018年)全10巻、生誕120年記念出版
== 宮沢賢治を題材にした作品 ==
※作品を映像化したものについては、該当作品の項目を参照。
*『雨ニモマケズ』
:[[1958年]]の映画。監督:蛭川伊勢夫、脚本:[[猪俣勝人]]・[[柴英三郎]]、出演:重森孝・[[北山年夫]]・[[納谷悟郎]]、音楽:[[眞鍋理一郎]]
*『[http://www.city.higashimatsuyama.lg.jp/kanko/shiru_miru_taiken/artroad/1544785435555.html 宮沢賢治]』
:[[1971年]]に[[高田博厚]]が制作した彫刻作品。
*『[[イーハトーボの劇列車]]』
:[[井上ひさし]]の[[戯曲]]。賢治の生涯を描く。[[1980年]]に初演。
*『[[イーハトーヴォ物語]]』
:[[1993年]]に[[ヘクト (ゲーム会社)|ヘクト]]から、[[スーパーファミコン]]向けで発売された[[アドベンチャーゲーム]]{{refnest|group="注釈"|メーカーの公称ジャンルは[[コンピュータRPG|RPG]]となっている。}}。イーハトーヴォを舞台に賢治童話の主人公と交流しながら賢治の手帳を探す。
*『夜叉鴉』
:[[荻野真]]の漫画作品。[[1994年]]から[[1997年]]まで『[[週刊ヤングジャンプ]]』([[集英社]])に連載。主に「銀河鉄道の夜」に由来するキーワードが多数引用され、また賢治自身も死と不死を司る物語の鍵を担う。
*『「銀河鉄道の夜」の旅〜1923宮沢賢治サハリン紀行の謎』
:1995年の[[ドキュメンタリー]]。制作:[[テレコムスタッフ]]/[[TBSテレビ|TBS]]。1995年度[[ギャラクシー賞|ギャラクシー奨励賞]]、第13回(1996年) [[全日本テレビ番組製作社連盟|ATP賞テレビグランプリ]] ベスト20番組をそれぞれ受賞。
* 『ACT 宮沢賢治』
:[[1996年]]に上演された舞台。演出は[[加藤直]]。宮沢役で主演は[[沢田研二]]。
*『[[賢治のほほえみ]]』
:[[1996年]]の[[テレビドラマ]]。[[NHK総合テレビジョン|NHK総合テレビ]]が『[[ドラマ新銀河]]』で[[7月8日]]から[[7月11日]]まで放送。
<!--どなたか、[[日本放送協会|NHK]]のETV特集で放送した、「[[畑山博]]、賢治・銀河鉄道なんとか、…」という、宮沢賢治の[[樺太]]旅行(妹トシの鎮魂旅行)のデータ(正確な題名など、)を書き込んでいただけたら嬉しいです。ノートでは誰も気がつかないと思い此処に書き込みます。-->*『銀河鉄道への旅 [[畑山博]]・我が心の賢治<ref>[https://www2.nhk.or.jp/archives/tv60bin/detail/?das_id=D0009043769_00000 銀河鉄道への旅 畑山博・我が心の賢治 | NHK放送史(動画・記事)] 2022年7月24日閲覧。</ref><ref>[https://www.nhk.or.jp/archives/chronicle/detail/?crnid=A199608062130001300100 銀河鉄道への旅 | NHKクロニクル | NHKアーカイブス] 2022年7月24日閲覧。</ref>』
:1996年の[[ドキュメンタリー]]。NHK総合テレビが[[8月6日]]に放送。
*『宮沢賢治 銀河の旅びと<ref>[http://www.tvdrama-db.com/drama_info/p/id-31554 宮沢賢治 銀河の旅びと - ドラマ詳細データ - ◇テレビドラマデータベース◇] 2022年7月24日閲覧。</ref>』
:1996年のドキュメンタリードラマ。NHK総合テレビが[[8月24日]]に放送。
*『[[宮澤賢治 その愛]]』
:1996年の映画。生誕100年を記念して制作され、[[9月14日]]に公開。監督:[[神山征二郎]]、脚本:[[新藤兼人]]、出演:宮澤賢治=[[三上博史]]
*『賢治が笑った〜ぼくらのイーハトーブ冒険記〜<ref>[http://www.tvdrama-db.com/drama_info/p/id-31645 賢治が笑った~ぼくらのイーハトーブ冒険記~ - ドラマ詳細データ - ◇テレビドラマデータベース◇] 2022年7月24日閲覧。</ref>』
:1996年のテレビドラマ。この年に開局した[[岩手朝日テレビ]]が記念番組として[[10月10日]]に放送。出演:宮澤賢治=[[布川敏和]]
*『[[わが心の銀河鉄道 宮沢賢治物語]]』
:1996年の映画。生誕100年を記念して制作され、[[10月19日]]に公開。監督:[[大森一樹]]、脚本:[[那須真知子]]、出演:宮澤賢治=[[緒形直人]]
*『[[イーハトーブ幻想〜KENjIの春]]』
:1996年の[[テレビアニメ]]。開局25周年を迎えた[[テレビ岩手]]が記念番組として[[12月14日]]に放送。監督・脚本:[[河森正治]]
*『[[イーハトーヴ交響曲]]』
:[[冨田勲]]が作曲した[[交響曲]]。初演は[[2012年]]。宮沢賢治の複数の著作物が題材となっている。
*『[[宮沢賢治の食卓]]』
:『[[思い出食堂]]』([[2014年]]15号~[[2017年]]32号、[[少年画報社]])に不定期で連載された[[グルメ漫画]]。宮沢賢治の昔当時の食事事情を描く。作者は[[漫画家]]の[[魚乃目三太]]。漫画原作のもとに[[WOWOW]]の[[ドラマW]]で連続ドラマ化された。主演は[[鈴木亮平 (俳優)|鈴木亮平]]。
*『[[銀河鉄道の父]]』
:2017年に[[講談社]]から刊行された[[小説]]。[[門井慶喜]]著。賢治の父政次郎の視点から息子を描く。第158回[[直木三十五賞]]受賞。映画版での宮沢賢治役の俳優は[[菅田将暉]]。
*『愁いの王 -宮澤賢治-』
:吉田重滿による日本の長編映画。
== 顕彰施設 ==
* [[宮沢賢治記念館]]<ref>[https://www.city.hanamaki.iwate.jp/miyazawakenji/kinenkan/index.html 宮沢賢治記念館] - 花巻市</ref>
* [[もりおか啄木・賢治青春館]]
* [[桜地人館]]
* [[石と賢治のミュージアム]]
*:[[太陽と風の家]]
* 斉藤征義記念 宮沢賢治ライブラリ「虔十庵(けんじゅうあん)」
*: 斉藤征義の宮沢賢治と詩の世界館(苫小牧市王子町)の閉館後にその蔵書約1700冊を引き継ぎ、苫小牧市音羽町の妙見寺が2023年5月21日に寺内に開設<ref name="hokkaido-np20230522">{{Cite web|和書|title=宮沢文学伝承の拠点再び 苫小牧・妙見寺に開設 作品や解説書1700冊 |url=https://www.hokkaido-np.co.jp/article/849527/ |website=北海道新聞 |access-date=2023-05-22 |language=ja}}</ref>。原則毎月一回第一土曜日に開館<ref name="hokkaido-np20230522" />。旧所蔵館の斉藤征義の宮沢賢治と詩の世界館は、詩人で宮沢賢治研究者の斉藤征義が遺した資料の整理を目的として、賢治研究に関連する資料などを集めて2020年4月1日に開設された私設図書館だった(2022年12月25日閉館)<ref>{{Cite web|和書|title=苫小牧市立中央図書館報 No.131 |url=http://www.tomakomai-lib.jp/wp-content/uploads/2020/05/papyrus131.pdf |website=苫小牧市立中央図書館 |access-date=2022-12-28 |language=ja}}</ref><ref>{{Cite web|和書|title=宮沢賢治関連の蔵書多数 苫小牧の「詩の世界館」閉館 |url=https://www.hokkaido-np.co.jp/article/780541/ |website=北海道新聞 |access-date=2022-12-28 |language=ja}}</ref>。
== 関連項目 ==
=== 地理関係 ===
* [[種山ヶ原]]
* [[ナメトコ山]]
* [[南昌山]]
* [[イーハトーブ]]
** [[イーハトーブの風景地]]
* [[経埋ムベキ山]]
* [[水沢VLBI観測所|水沢緯度観測所]]
* [[宮沢賢治 (小惑星)]]
* [[伊勢神宮]] - 大正10年4月に父親と共に参拝。参拝時に詠んだ歌がある。
=== 人物 ===
* [[森荘已池]]
* [[草野心平]] - 賢治再評価に最も尽力した人物。ただし交際は文通が主で、生前に面識を得ることはなかった。
* [[高村光太郎]] - 草野を通じて生前の賢治と交際があり、死後の著作刊行に協力。戦時中には賢治の弟[[宮沢清六|清六]]のつてで花巻に疎開している。
* [[斎藤宗次郎]] - 賢治と親交のあったクリスチャン。『雨ニモマケズ』のモデル説がある。
* [[関豊太郎]] - 盛岡高等農林学校での指導教官。
* [[藤原嘉藤治]] - 花巻高等女学校の音楽教員で、音楽を通じて親交を結ぶ。
* [[松田甚次郎]] - 賢治の感化を受け、郷里の山形県で農村振興を実践した人物。賢治没後に『宮沢賢治名作選』を出版した。
* [[佐々木喜善]] - [[民俗学]]の研究家。賢治とは晩年に交流があった。
* [[田中智學]] - [[国柱会]]の指導者。
* [[金子七郎兵衛]] - [[盛岡藩]][[勘定奉行]]で、賢治から見て曾々祖父(父方の祖母の祖父)に当たる。
* [[ヘンリー・タッピング]] - 賢治は盛岡での学生時代に英語や聖書の講義を受ける。
=== その他 ===
* [[法華経]]
* [[国柱会]]
* [[エスペラント]]
* [[宮沢賢治賞・イーハトーブ賞]] - 花巻市が実施している表彰事業。
* [[安浄寺 (花巻市)]] - 宮沢賢治が子どもの頃に訪れている[[真宗大谷派]]の寺院で、死没後に一度埋葬されて、遺体を[[日蓮宗]][[身照寺]]に改葬した。代々、宮沢家の[[檀家]]先だった。
* [[教浄寺 (盛岡市)|教浄寺]] - [[盛岡市]]にある[[時宗]]の寺で、政次郎の許しを得た賢治は下宿先として、3ヶ月間、盛岡高等農林学校の入学の勉学に励んで合格したエピソードがある。
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Reflist|group="注釈"|2}}
=== 出典 ===
{{Reflist|3}}
== 参考文献 ==
*{{Citation|和書|last1=堀尾|first1=青史|authorlink1=堀尾青史|date=1991|title=年譜宮沢賢治伝|publisher=中央公論社|series=[[中公文庫]]|isbn=4122017823}}
*{{Citation|和書|editor=山内修|date=1989|title=年表作家読本 宮沢賢治|publisher=[[河出書房新社]]|isbn=4309700519|ref={{SfnRef|作家読本|1989}}}}
*{{Citation|和書|last=千葉|first=一幹|date=2014|title=宮沢賢治:すべてのさいはひをかけてねがふ|publisher=[[ミネルヴァ書房]]|isbn= 9784623072453}}
*{{Citation|和書|last=山下|first=聖美|date=2008|title=宮沢賢治のちから|publisher=新潮社|series=[[新潮新書]]280|isbn= 9784106102806}}
=== 関連文献 ===
==== 伝記を概括的に扱った書籍もしくは辞典形式の書籍 ====
* 佐藤泰正(編)『別冊国文学No.6 宮沢賢治必携』学燈社、1980年
*『宮沢賢治』[[新潮社]]〈新潮日本文学アルバム12〉、1984年。{{ISBN|9784106206122}}
*『【新】校本宮澤賢治全集』第16巻(下)筑摩書房、2001年([[伝記]]資料、年譜を収載)
* [[渡部芳紀]](編)『宮沢賢治大事典』[[勉誠出版]]、2007年。{{ISBN|9784585060505}}
* [[天沢退二郎]]・[[金子務]]・鈴木貞美(編)『宮澤賢治イーハトヴ学事典』[[弘文堂]]、2010年。{{ISBN|9784335950377}}
* [[原子朗]]『定本 宮澤賢治語彙辞典』筑摩書房、2013年。{{ISBN|9784480823670}}
* 中村節也(編曲):「イーハトーヴ歌曲集:宮澤賢治の歌」、[[マザーアース (楽譜出版社)|マザーアース]]、2006年2月15日
* 中村節也(編曲):「イーハトーヴ歌曲集 宮沢賢治の歌」、マザーアース、2006年11月
* 中村節也(編曲):「イーハトーヴ歌曲集2:宮沢賢治の歌」、マザーアース、2010年9月1日
* 中村節也(編曲):「イーハトーヴ歌曲集 宮澤賢治歌曲全集 2 (宮澤賢治の歌)」、マザーアース、2014年3月
* 中村節也(編曲):「宮澤賢治歌曲全集 イーハトーヴ歌曲集 1」、マザーアース、2015年7月27日
==== 作品論・作家論 ====
* [[宮沢清六]]『兄のトランク』筑摩書房、1987年。{{ISBN|4480812466}}/ちくま文庫、1991年。{{ISBN|9784480025746}}
* 畑山博『教師宮沢賢治のしごと』小学館、1988年。{{ISBN|409837191X}}/小学館ライブラリー29、1992年。{{ISBN|4094600299}}/小学館文庫、2017年。{{ISBN|9784094063974}}
* [[吉本隆明]]『宮沢賢治』筑摩書房「近代日本詩人選」、1989年。{{ISBN|4480139133}}/[[ちくま学芸文庫]]、1996年。{{ISBN|4480082794}}
** 吉本隆明『宮沢賢治の世界』筑摩選書、2012年。講演集
* [[鈴木健司 (国文学者)|鈴木健司]]『宮沢賢治:幻想空間の構造』蒼丘書林、1994年。{{ISBN|4915442578}}
* 菅原千恵子『宮沢賢治の青春 “ただ一人の友”保阪嘉内をめぐって』角川書店〈[[角川文庫]]〉、1997年。{{ISBN|4043433018}}
* [[見田宗介]]『宮沢賢治:存在の祭りの中へ』岩波書店〈[[岩波現代文庫]]〉、2001年。{{ISBN|400602035X}}
* 岡澤敏男『賢治歩行詩考:長篇詩「小岩井農場」の原風景』[[未知谷]]、2005年。{{ISBN|4896421450}}
* [[宮下隆二]]『イーハトーブと[[満洲国]]:宮沢賢治と[[石原莞爾]]が描いた理想郷』[[PHP研究所]]、2007年。{{ISBN|9784569692463}}
* 高山秀三『宮澤賢治 童話のオイディプス』未知谷、2008年。{{ISBN|9784896422092}}
* [[斎藤文一]]『科学者としての宮沢賢治』平凡社〈[[平凡社新書]]533〉、2010年。{{ISBN|9784582855333}}
* 鈴木健司『宮沢賢治文学における地学的想像力:〈心象〉と〈現実〉の谷をわたる』蒼丘書林、2011年。{{ISBN|9784915442865}}
* グレゴリー・ガリー『宮澤賢治とディープエコロジー:見えないもののリアリズム』平凡社〈[[平凡社ライブラリー]]818〉、2014年。{{ISBN|9784582768183}}
* [[鈴木貞美]]『宮沢賢治:氾濫する生命』[[左右社]]、2015年。{{ISBN|9784865281224}}
* 人見千佐子『リアルなイーハトーヴ:宮沢賢治が求めた空間』[[新典社]]〈新典社選書72〉、2015年。{{ISBN|9784787968227}}
* 信時哲郎[http://www.konan-wu.ac.jp/~nobutoki/papers/kenjiellis.html 「宮沢賢治とハヴロック・エリス」]、『[[神戸山手大学]]環境文化研究所紀要』、2002年
* [[今野勉]]『宮沢賢治の真実:修羅を生きた詩人』新潮社、2017年。{{ISBN|9784103506812}}/[[新潮文庫]]、2020年。{{ISBN|9784101019710}}
* 中村節也『宮沢賢治の宇宙音感:音楽と星と法華経』コールサック社、2017年。{{ISBN|9784864353045}}
** 中村節也「作曲家・賢治の宇宙音感」『日本経済新聞』朝刊、2018年7月17日付(文化面)。
* [[谷口義明]]『天文学者が解説する宮沢賢治:「銀河鉄道の夜」と宇宙の旅』光文社〈[[光文社新書]]1076〉、2020年。{{ISBN|9784334044831}}
* 『[[わたしの宮沢賢治]]シリーズ』[[ソレイユ出版]]刊行。第1巻〜現在既刊第8巻まで。
==== 享受論・受容論 ====
* 鈴木健司『宮沢賢治という現象:読みと受容への試論』蒼丘書林、2002年。{{ISBN|4915442659}}
* [[米村みゆき]]『宮沢賢治を創った男たち』[[青弓社]]、2003年。{{ISBN|4787291696}}
* 宮沢賢治没後七十年「修羅はよみがえった」刊行編集委員会(編)『修羅はよみがえった:宮沢賢治没後七十年の展開(あゆみ)』宮沢賢治記念会、2007年。{{ISBN|9784835480671}}
* 村山龍『〈宮澤賢治〉という現象:戦時へ向かう一九三〇年代の文学運動』[[花鳥社]]、2019年。{{ISBN|9784909832047}}
* 構大樹『宮沢賢治はなぜ教科書に掲載され続けるのか』[[大修館書店]]、2019年。{{ISBN|9784469222692}}
== 外部リンク ==
{{wikiquote}}
{{Commons|Category:Kenji Miyazawa}}
{{ウィキポータルリンク|文学|[[画像:Open book 01.svg|none|34px|Portal:文学]]}}
* [https://www.city.hanamaki.iwate.jp/miyazawakenji/kinenkan/index.html 宮沢賢治記念館] - 花巻市ホームページ
* [https://www.kodomo.go.jp/jcl/person/miyazawa.html 日本と子どもの文学(宮沢賢治)]
* [https://www.kenji.gr.jp/ 宮沢賢治学会イーハトーブセンター]
* [http://why.kenji.ne.jp 森羅情報サービス] - 賢治の大半の作品のテキストを掲載している。
* {{青空文庫著作者|81|宮沢 賢治}}
* {{Wayback|url=http://www.geocities.jp/scaffale00410/kenjitop.htm |title=宮沢賢治(日本詩人愛唱歌集) |date=20190331150736}} - 「どの詩に誰が作曲したか」や宮沢原作の「オペラ、音楽劇、ミュージカル」など。
* [https://web.archive.org/web/20140221080135/https://www.mrr.jp/~accent/seijin.htm 聖人・宮沢賢治]
* [https://web.archive.org/web/20000815075402/http://www.g-search.or.jp/kenji/ 宮沢賢治の宇宙]
* [https://www.city.ichinoseki.iwate.jp/index.cfm/6,0,149,html 石と賢治のミュージアム - 一関市] - 一関市東山町
* [http://joshua007.web.fc2.com/kenji.htm それからの宮沢賢治館] - ジョヴァンニ安東サイト内の宮沢賢治特集
* {{NHK放送史|D0009043775_00000|宮沢賢治生誕100年特集}}
* [https://www.yomiuri.co.jp/culture/20210415-OYT1T50207/ 火の鳥・アイーダ…宮沢賢治が愛した音楽、CDで復刻へ(読売新聞2021年4月15日記事)]
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カモ
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カモ(鴨、鳧、英: Duck)とは、カモ目カモ科の鳥類のうち、雁(カリ)に比べて体が小さく首があまり長くないものの総称。分類学上のまとまった群ではない。冬羽(繁殖羽)では雄と雌で色彩が異なるが、カルガモのようにほとんど差がない種もある。
日本では主にカルガモ、オシドリなどが通年生息し、日本全国の河川や湖などで見られる。日本では多くが冬鳥であるため、冬季にはマガモ、コガモ、オナガガモ、スズガモなど多種が見られる。
野生種では生息数・生息地の減少から、ワシントン条約や日露渡り鳥保護条約、日中渡り鳥保護協定、日米渡り鳥保護条約、ボン条約 (日本は未加盟) などの適用を受けている種も多く、生息地がラムサール条約に登録されることもある。日本では鳥獣保護法において狩猟可能な種と時期、地域、猟具などが定められている。
日本語と異なり英語の duck などヨーロッパの言語では、基礎語彙のレベルでは野生の鴨(英: wild duck)と家禽のアヒル(英: domestic duck)を区別しないので、翻訳に際して注意が必要である。バリケンも鴨の範疇に入る。雄は drake ともいう。中国語(鸭/鴨、yā)においても、日常会話では認知的に両者を区別していないため注意が必要である。
鴨肉は食用とされ、日本料理では鴨鍋やじぶ煮、すき焼き、鴨南蛮、焼き料理などに使われる。生食は避けるべきという意見もあるが、新鮮な鴨肉をたたきで提供する店もある。現代ではアイガモを養殖して食用にすることが多く、国内消費の9割は輸入で賄われている。鴨には臭みが強く食用に適さない種もある。鴨鍋はネギのほか、セリと煮ることもある。
鴨は日本では古代から好んで食べられており、各地の貝塚から発見される鳥の骨の中で最も多いのがマガモの骨である。奈良時代の『播磨国風土記』には「鴨の羹」が登場する。しかし時代が下るに連れ、貴族や支配階層の間では雉や鶴などが好まれるようになり、鴨は庶民が食べる下等なものとされていった。
肉食が一般的でない明治維新前の日本で、鴨を含め庶民向けとされる野鳥類は生類憐れみの令など一時の例外を除き肉食禁断令の対象外で、一部の地域で食用とされた数少ない鳥獣類であった(「日本の獣肉食の歴史#江戸時代」参照)。江戸時代の井原西鶴は、町民にとって鴨膾などの鴨料理は「いたり料理」、最も贅沢な料理の典型と書き残している。
今日、鴨肉の名称で流通しているものの多くはアヒル(家禽化したマガモ)の肉であるが、アイガモ(アヒルとマガモの交配種またはカルガモとアヒルの交配種)や野生のマガモなどもしばしば食用とされる。脂が載る冬が最も美味しく、旬の季節である。
海外でも牛肉、豚肉、鶏肉、羊肉と並びよく食される。市場では高値で取引されるため、北京ダックなど高級食材として扱われている。鴨肉を用いた料理としては鴨飯などが挙げられる。鴨の卵も鶏卵と同じように使われる。
カモは渡りを行う場合、あらかじめ肝臓に脂肪を蓄えて、脂肪肝になる。それを人工的に強制して得られる食材がフォアグラである。
食用や採卵のほかには、合鴨や家鴨が愛玩、羽毛採集、アイガモ農法などの用途で家禽化されている。羽毛は軽量で保温が高くジャケットや掛け布団に利用される。
アイガモやアヒルと野生の本種の間で遺伝子汚染がかなり進んでいるため、野鶏などと同じように、家禽と交雑が進み遺伝的に純粋なものはいなくなるのではないかといった懸念をする研究者もいる。
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カモとは、カモ目カモ科の鳥類のうち、雁(カリ)に比べて体が小さく首があまり長くないものの総称。分類学上のまとまった群ではない。冬羽(繁殖羽)では雄と雌で色彩が異なるが、カルガモのようにほとんど差がない種もある。
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{{Otheruseslist|鳥|迷彩やステルス等の概念|カモフラージュ|その他の用法|カモ (曖昧さ回避)}}
{{Redirectlist|鴨|同じ漢字で表記することもある鳥|アヒル|その他の用法|鴨 (曖昧さ回避)}}
{{生物分類表
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|タイプ属 = '''[[マガモ]]''' ''[[w:Anas platyrhynchos|Anas platyrhynchos]]''<br><small>[[w:Carolus Linnaeus|Linnaeus]], 1758</small>
|和名 = '''カモ'''('''鴨''')
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|英名 = [[w:duck|Duck]]
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'''カモ'''('''鴨'''、鳧、{{lang-en-short|[[w:duck|Duck]]}})とは、[[カモ目]][[カモ科]]の[[鳥類]]のうち、[[雁]](カリ)に比べて体が小さく[[首]]があまり長くないものの総称。[[分類学]]上のまとまった群ではない。冬羽([[繁殖羽]])では[[雄]]と[[雌]]で色彩が異なるが、[[カルガモ]]のようにほとんど差がない[[種 (分類学)|種]]もある。
== 概要 ==
[[日本]]では主にカルガモ、[[オシドリ]]などが通年生息し、日本全国の[[河川]]や[[湖]]などで見られる。日本では多くが[[冬鳥]]であるため、冬季には[[マガモ]]、[[コガモ]]、[[オナガガモ]]、[[スズガモ]]など多種が見られる。
[[野生]]種では生息数・[[生息地]]の減少から、[[絶滅のおそれのある野生動植物の種の国際取引に関する条約|ワシントン条約]]や[[日露渡り鳥保護条約]]<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.eic.or.jp/ecoterm/?act=view&serial=2055|title=環境用語集:「日ソ渡り鳥保護条約」|accessdate=2011-04-05}}</ref>、[[日中渡り鳥保護協定]]<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.eic.or.jp/ecoterm/?act=view&serial=2056|title=環境用語集:「日中渡り鳥保護協定」|accessdate=2011-04-05}}</ref>、[[日米渡り鳥保護条約]]<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.eic.or.jp/ecoterm/?act=view&serial=2052|title=環境用語集:「日米渡り鳥保護条約」|accessdate=2011-04-05}}</ref>、[[ボン条約]] (日本は未加盟) などの適用を受けている種も多く、生息地が[[ラムサール条約]]に登録されることもある。日本では[[鳥獣保護法]]において狩猟可能な種と時期、地域、猟具などが定められている。
[[日本語]]と異なり[[英語]]の {{lang|en|duck}} など[[ヨーロッパ]]の言語では、基礎語彙のレベルでは野生の鴨({{lang-en-short|wild duck}})と家禽の[[アヒル]]({{lang-en-short|domestic duck}})を区別しないので、翻訳に際して注意が必要である。[[バリケン]]も鴨の範疇に入る。雄は {{lang|en|drake}} ともいう。[[中国語]](鸭/鴨、yā)においても、日常会話では認知的に両者を区別していないため注意が必要である。
== 利用 ==
===食材===
[[ファイル:Duck meat dish Italian food.jpg|サムネイル|鴨肉料理]]
[[File:Roast duck rice in Singapore.jpg|230px|thumb|[[シンガポール]]の[[鴨飯]]]]
鴨肉は食用とされ、[[日本料理]]では[[鴨鍋]]や[[じぶ煮]]、[[すき焼き]]、[[鴨南蛮]]、焼き料理などに使われる。生食は避けるべきという意見もあるが、新鮮な鴨肉を[[たたき]]で提供する店もある<ref name="日経20211009">【ご当地 食の旅】[[河内国|河内]]の鴨([[大阪市]]、[[松原市]])特産 不死鳥のごとく復活『[[日本経済新聞]]』土曜朝刊別刷り「NIKKEIプラス1」2021年10月9日9面</ref>。現代では[[アイガモ]]を養殖して食用にすることが多く、国内消費の9割は輸入で賄われている<ref name="日経20211009"/>。鴨には臭みが強く食用に適さない種もある。鴨鍋は[[ネギ]]のほか、[[セリ]]と煮ることもある<ref name="日経20211009"/>。
鴨は日本では[[古代]]から好んで食べられており、各地の[[貝塚]]から発見される鳥の骨の中で最も多いのがマガモの骨である。[[奈良時代]]の『[[播磨国風土記]]』には「鴨の[[羹]]」が登場する。しかし時代が下るに連れ、貴族や支配階層の間では[[キジ|雉]]や[[ツル|鶴]]などが好まれるようになり、鴨は庶民が食べる下等なものとされていった。
[[肉食]]が一般的でない[[明治維新]]前の日本で、鴨を含め庶民向けとされる野鳥類は[[生類憐れみの令]]など一時の例外を除き肉食禁断令の対象外で、一部の地域で食用とされた数少ない鳥獣類であった(「[[日本の獣肉食の歴史#江戸時代]]」参照)。[[江戸時代]]の[[井原西鶴]]は、町民にとって鴨膾などの鴨料理は「いたり料理」、最も贅沢な料理の典型と書き残している<ref>鈴木晋一『たべもの噺』([[平凡社]]、1986年)pp.191-197</ref>。
今日、鴨肉の名称で流通しているものの多くは[[アヒル]]([[家禽]]化したマガモ)の肉であるが、[[アイガモ]](アヒルとマガモの交配種またはカルガモとアヒルの交配種)や野生のマガモなどもしばしば食用とされる。脂が載る冬が最も美味しく、[[旬]]の季節である<ref>東京下町編集部(編)『東京下町うまいもん』([[枻出版社]], 2003年)p.106</ref>。
海外でも[[牛肉]]、[[豚肉]]、[[鶏肉]]、[[羊肉]]と並びよく食される。市場では高値で取引されるため、[[北京ダック]]など高級食材として扱われている。鴨肉を用いた料理としては[[鴨飯]]などが挙げられる。鴨の[[卵]]も[[鶏卵]]と同じように使われる。血は、固めて鴨血という血豆腐で提供される<ref>{{Cite web|和書|url=https://japan.thenewslens.com/article/2050 |title=「プルっと好吃!血を使った台湾グルメとは? 」 |access-date=2023-12-07 |last=keiko在台灣 |date=2022-06-02 |website=The News Lens Japan|ザ・ニュースレンズ・ ジャパン |language=ja-JP}}</ref>。
カモは[[渡り鳥|渡り]]を行う場合、あらかじめ[[肝臓]]に[[脂肪]]を蓄えて、[[脂肪肝]]になる。それを人工的に強制して得られる食材が[[フォアグラ]]である。
=== 家禽 ===
食用や採卵のほかには、合鴨や家鴨が[[愛玩]]、[[羽毛]]採集、[[合鴨農法|アイガモ農法]]などの用途で家禽化されている。羽毛は軽量で保温が高く[[ジャケット]]や[[掛け布団]]に利用される。
===放流と生態系の破壊問題===
アイガモやアヒルと野生の本種の間で[[遺伝子汚染]]がかなり進んでいるため、[[野鶏]]などと同じように、家禽と交雑が進み遺伝的に純粋なものはいなくなるのではないかといった懸念をする研究者もいる{{誰|date=2020年3月}}。
== 鴨が使われる語句 ==
=== ことわざ・慣用句 ===
* '''鴨が葱を背負ってくる'''(かもがねぎをせおってくる)
:鴨鍋に[[ネギ]]を入れると臭みがとれて美味しくなる事から、いいことが重なってやってくること。また「鴨」は利用しやすい人を指すことから、食い物にしやすい人がこちらの利益になる材料を持ってやって来ることもいう。転じて、[[詐欺]]や[[悪徳商法|悪質商法]]を行う者がターゲットを「カモ」と揶揄することがあり「カモる」「カモが来た」などと用い、ターゲット側は「カモにされた」「カモられた」などと用いる。略して鴨葱「カモネギ」とも言う。
* '''従兄弟同士は鴨の味'''(いとこどうしはかものあじ)
:いとこ同士の夫婦の仲はとても睦まじいということ。[[いとこ]]、[[いとこ婚]]の項を参照。
* '''隣の貧乏鴨の味'''(となりのびんぼうかものあじ)
:人間の、他者の不幸を見て喜ぶ心情のさまを表す<ref>{{Cite web|和書|url=https://kotowaza.jitenon.jp/sp/kotowaza/3878.php
|title=「隣の貧乏鴨の味」|accessdate=2020-04-03}}</ref>。「他家の不幸は鴨の味」「隣の貧乏雁の味」とも言う。
* '''鴨の水掻き'''(かものみずかき)
:楽そうに見えても、実は人それぞれ苦労があるということ。浮かんでいる鴨は暢気にみえるが、水の中では必死で水を掻いていることから<ref>{{Cite web|和書|url=https://dictionary.goo.ne.jp/word/鴨の水掻き/
|title=鴨の水掻き(かものみずかき)の意味|accessdate=2020-04-03|}}</ref>。
=== 表現 ===
* '''カモる'''(かもる)は、相手を食い物にすること。
* '''カモ'''(かも)は、騙しやすい人のこと。
=== 事物 ===
* '''[[鴨居]]'''は、襖や障子などをはめる開口部の上にかける横木。
* '''[[カモガヤ|鴨茅]]'''は、イネ科の[[多年草]]。
* '''[[鴨沓]]'''は、[[蹴鞠]]用の[[長靴]]。
* '''鴨脚樹・鴨足樹'''([[イチョウ]])は、[[イチョウ科]]の落葉高木。
* '''鴨跖草・鴨跖'''([[ツユクサ]])は、[[ツユクサ科]]の[[一年草]]。
* '''鴨足草・鴨脚草'''([[ユキノシタ]])は、[[ユキノシタ科]]の植物。
=== 地名 ===
* '''[[鴨川 (淀川水系)|鴨川]]'''は、[[京都府]]を流れる河川。
* '''[[鴨川市]]'''は、[[千葉県]]南部の都市。
* '''[[鴨方]]'''は、[[岡山県]]南西部に存在する地区。
* '''[[鴨島]]'''は、[[徳島県]]北東部にある地区。
== その他 ==
* かつてはネギではなく[[セリ]]が「カモに合うもの」とされていたため『[[誹風柳多留]]』において「芹の上鴨昼寝してうなされる」と詠まれている。
* 鴨とりごんべえ - 日本の昔話の1つ。
* [[カモネギ]] - [[ポケットモンスター]]に登場する架空の生物。鴨が葱を背負ってくると言う諺をそのまま具現化したかのように、[[カルガモ]]が手元にネギのような植物の茎を持った外見をしている。
== ギャラリー ==
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ファイル:Kamo picture.JPG|[[カルガモ]]([[東京ディズニーランド]])
ファイル:Gifu-u kamo.jpg|[[アヒル]]([[岐阜大学]]キャンパス)
ファイル:Crowd of duck.JPG|[[マガモ]]([[稚内市]]ウエンナイ川)
ファイル:Anas crecca landing on the water.JPG|[[コガモ]]
ファイル:Two ducks in the galapagos islands - santa cruz, ecuador.JPG|[[ホオジロオナガガモ]]<br/>[[ガラパゴス諸島]]([[サンタ・クルス島 (ガラパゴス)|サンタ・クルス島]])
ファイル:Black duck decoy by Cigar Daisey 01.jpg|カモの[[デコイ]]
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== 脚注・出典 ==
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== 関連項目 ==
{{Wikiquote|鴨}}
{{Wikispecies|Anatidae|カモ科}}
{{commonscat|Anatidae|カモ科}}
* [[カモ目]]
* [[カモ科]]
* [[渡り鳥]]
* [[鴨場]]
*[[カモノハシ]]
*[[アヒル]]
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[[Category:カモ科|*かも]]
[[Category:冬の季語]]
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セアカゴケグモ
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セアカゴケグモ(背赤後家蜘蛛、Latrodectus hasseltii)は、ヒメグモ科に分類される有毒の小型のクモの一種。和名は、「背中の赤いゴケグモ」の意味。本来日本国内には生息していなかったが、1995年に大阪府で発見されて以降、その他いくつかの地域でも見つかった外来種である。
オーストラリアを原産地とし、ニュージーランド、ヨーロッパ諸国、東南アジア、アメリカでも生息が確認されている。
1995年11月に日本で最初に大阪府高石市で発見された。以降日本各地へ分布域を広げた。こうした分布の拡大は、自動車や飛行機、船舶の経済活動が関係していると考えられている。2015年9月時点で42都道府県で確認されており、一部では定着も確認されている。
なお、生息が確認された経緯は以下のとおりである。
体長10mm前後。体型は丸く、体表は鈍い光沢を帯びた黒色。胸腹部背面にはひし形が2つ縦に並んだような赤い模様、腹面には砂時計状の赤い模様があるので、見間違えることは少ない。この赤斑の形は雌雄で多少異なり、地色の黒が淡い個体もいる。
孵化から成体までに要する期間は約100日。寿命は2-3年と言われている。また、成熟メスは多数の卵を糸で包んだ卵嚢を巣網内に保持しており、1匹の生涯産卵数は最大5000個になることもある。詳細は解明されていないが、成熟メスは巣を張った後、フェロモンを用いてオスを誘引しているとみられる。
体長3-5mm。メスより小型で体型が細く、褐色がかった地色に淡色の目立たない斑紋を持つ。メスと異なり、胸腹部の背面に赤い模様は見られないが、腹面にはメス同様に赤い模様を持つ。ただし、幼体のうちはメスもオスも淡褐色の地に不明瞭な縞模様をもつのみで、成体のような明確な違い(性的二型)は見られない。
孵化から成体までに要する期間は約45-90日。寿命は6-7か月である。オスは孵化後1週間ほど親グモの巣に留まった後、分散していく。成熟までの間は徘徊しながら捕食を行い、成熟後はメスのフェロモンに誘引されて交尾後に捕食されることが多い。
セアカゴケグモの造る網は不規則網で、複雑に張られた三次元構造を持つ。その上方は糸に粘液がついていない「巣域」と呼ばれる住居で、卵嚢などもこの部分にぶら下げられる。一方、網の下方は「捕獲域」と呼ばれ、糸には捕獲用の粘液がついている。これに虫が触れて粘着すると、セアカゴケグモは粘糸を投げて獲物を絡め捕り、巣域まで引き上げて食べる。餌は主にアリ、ゴミムシ、ワラジムシ、ハサミムシ等の地上徘徊性の昆虫類であり、まれに小型のトカゲ類を捕らえることもある。網はベンチの下や側溝の蓋の裏側、ガードレールの支柱付近などといった、地面に近く直射日光が当たらない場所に造られることが多い。
毒は獲物を咬んだときに獲物の体内へ注入される、神経毒の「α-ラトロトキシン」である。この毒を有するのはメスのみで、オスは人体に影響する毒を持たないと言われているが、オスについては知見が少ない。オスの牙は小さく、人の皮膚を貫通できないと考えられているが、過去に咬傷事例が報告されている。オーストラリアでは死亡例があるが、日本では報告されていない。大阪府では毎年本種による被害が発生しているが、重篤者は出ていない。2012年9月には、福岡県でも同様の被害が発生した。
なお、本種はこのように有毒であるが、性格は基本的にはおとなしく、素手で触るなどしなければ、噛まれることはない。
捕食者としては、同じく外来種であるクロガケジグモをはじめとし、イエユウレイグモやカゲロウの仲間が存在する。また、捕食寄生者としてはカタビロコバチやヒメバチ科の仲間が存在する。また大阪市立自然史博物館の調査により、日本在来のベッコウバチ(クモバチとも、クモを狩るカリバチ)の1種であるマエアカクモバチが本種を捕食していることが確認された。
オーストラリアでは古くから代表的な毒グモとして知られており、抗血清も存在する。日本でも、発生地域の医療機関で抗血清を準備しているところがある。メスに咬まれた部位は激しい痛みを感じた後に腫れ、全身症状(痛み、発汗、発熱など)が現れることがある。重症化することは少ないが、全身症状が現れた場合には119番に通報し救急車を要請し、医療機関で診察を受けることが望ましい。
アレルギーのもつ人には、アナフィラキシーショックがおきる場合もある。
日本では、外来生物法によりゴケグモ属のうち本種及びクロゴケグモ・ハイイロゴケグモ・ジュウサンボシゴケグモの4種が2005年に特定外来生物の第一次指定をされている。また、日本生態学会により日本の侵略的外来種ワースト100に選定されている。-0.5度から46度までの低温・高温でも生息・繁殖ができ、日本でも越冬して発生を繰り返している。なお、最近までクモ類では外来種は珍しく、これ以前にはクロガケジグモがあるのみであった。ただ、近年外来種は増加傾向にあり、ハイイロゴケグモ・ジュウサンボシゴケグモ・マダラヒメグモなどが確認されている。
幼体・成体ともに、市販のピレスロイド系の殺虫剤によって駆除が可能である。卵については、殺虫剤が効きづらいため、潰すか焼却する必要がある。
ジョロウグモは、背面に赤い模様があり、本種と見間違われることが多いが、大きさ、体の模様、巣の張り方が異なる。日本で5月頃から庭や家壁などに見られるようになる真っ赤なタカラダニ類は、一見微小なクモにも見えるため、時に本種の子供ではないかと勘違いされることもあるが、前述のとおりセアカゴケグモの幼体は淡褐色で全く異なり、真っ赤なタカラダニ類は人体に無害な生き物である。その他にも、オオヒメグモやマダラヒメグモは、本種のオスと似ているが、腹面に赤い模様があるかどうかで判別できる。
糸が測量機器、測距儀、顕微鏡、爆撃照準器、望遠照準器などの光学機器の十字線(レティクル)に用いられる。未成熟期にある米国産クロゴケグモのそれが最適とされているが、採取に際し命を失う恐れがあるうえに、十分な量を確保するのが困難なため、遺伝子工学を駆使して、バクテリアにゴケグモの糸を生成させる研究が、アメリカ陸軍の資金により進行中である。
ゴケグモ類は、ゴケグモ属 (Latrodectus) というグループに分類され、約31種が知られている。熱帯地方を中心に世界中に分布する仲間である。ゴケグモの名前の由来に関して、「毒性が強いため噛まれた時の死亡率が高く、奥さんが後家になる」という俗説が知られている。実際には、ゴケグモ類の英名 "widow spider" そのままの和訳で、ゴケグモ類はオスの体がメスに比べて非常に小さく、交尾後にオスがメスに共食いされることに由来する。ただし、共食いの頻度などは種類や条件により異なる。
最も有名なゴケグモ類は、クロゴケグモ (Latrodectus mactans、black widow spider) で、北アメリカをはじめ、世界中に広く生息する毒グモ。こちらの方が死亡例なども多い。日本では2000年以降になって米軍岩国基地内での発生が確認されている。セアカゴケグモとはほぼ同じ大きさ。セアカゴケグモをクロゴケグモの亜種に分類する場合もあり、その場合には、セアカゴケグモによる死亡例が、世界中のクロゴケグモによる死亡例と統計上合計されている場合があり注意が必要である。アメリカでは『black widow(ブラック・ウィドウ)』という名で知られており、戦闘機P-61とYF-23の愛称に採用された。
またヨーロッパ南部に分布するジュウサンボシゴケグモ(英語版) (Latrodectus tredecimguttatus、P. Rossi, 1790) も古来から有名で、その毒による症状はゴケグモ刺咬症 (Latrodectism) としてよく知られてきた。大利・池田(1996b)によれば、このクモに咬まれると、その時点での痛みはさほどではないが、10分ほどで全身症状が現れ、各部リンパ節が痛み、腹筋の硬直、さらに耐えられない痛みとともに多量の汗、涙、唾液が出、血圧上昇、呼吸困難、言語症などが起き、回復しない場合は2-3日後に死亡するという。しかし抗血清が作られるようになってからは、アナフィラキシー・ショック以外での死亡例はほとんどなくなったとされる。
沖縄県には、在来種のアカオビゴケグモ(ヤエヤマゴケグモ)が生息する。
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"text": "最も有名なゴケグモ類は、クロゴケグモ (Latrodectus mactans、black widow spider) で、北アメリカをはじめ、世界中に広く生息する毒グモ。こちらの方が死亡例なども多い。日本では2000年以降になって米軍岩国基地内での発生が確認されている。セアカゴケグモとはほぼ同じ大きさ。セアカゴケグモをクロゴケグモの亜種に分類する場合もあり、その場合には、セアカゴケグモによる死亡例が、世界中のクロゴケグモによる死亡例と統計上合計されている場合があり注意が必要である。アメリカでは『black widow(ブラック・ウィドウ)』という名で知られており、戦闘機P-61とYF-23の愛称に採用された。",
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"text": "またヨーロッパ南部に分布するジュウサンボシゴケグモ(英語版) (Latrodectus tredecimguttatus、P. Rossi, 1790) も古来から有名で、その毒による症状はゴケグモ刺咬症 (Latrodectism) としてよく知られてきた。大利・池田(1996b)によれば、このクモに咬まれると、その時点での痛みはさほどではないが、10分ほどで全身症状が現れ、各部リンパ節が痛み、腹筋の硬直、さらに耐えられない痛みとともに多量の汗、涙、唾液が出、血圧上昇、呼吸困難、言語症などが起き、回復しない場合は2-3日後に死亡するという。しかし抗血清が作られるようになってからは、アナフィラキシー・ショック以外での死亡例はほとんどなくなったとされる。",
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セアカゴケグモは、ヒメグモ科に分類される有毒の小型のクモの一種。和名は、「背中の赤いゴケグモ」の意味。本来日本国内には生息していなかったが、1995年に大阪府で発見されて以降、その他いくつかの地域でも見つかった外来種である。
|
{{出典の明記|date=2020-02-05}}
{{生物分類表
|色 = 動物界
|名称='''セアカゴケグモ'''
|画像=[[ファイル:Redback frontal view.jpg|250px]]
|画像キャプション=前から見たセアカゴケグモ
|界=[[動物界]] [[w:Animalia|Animalia]]
|門=[[節足動物門]] [[w:Arthropoda|Arthropoda]]
|綱=[[クモ綱]] [[w:Arachnida|Arachnida]]
|目=[[クモ目]] [[w:Araneae|Araneae]]
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|属=[[ゴケグモ属]] ''[[:w:Latrodectus|Latrodectus]]''
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|学名=''Latrodectus hasseltii''<br />Thorell, 1870
|和名=セアカゴケグモ
|英名=[[w:Red-back spider|Red-back spider]]<BR>Red-back widow spider
}} <!-- このテンプレートは、PJ:BIOでの議論に基づき、Bot(User:Point136)により移行されました。 -->
'''セアカゴケグモ'''(背赤後家蜘蛛、''Latrodectus hasseltii'')は、[[ヒメグモ科]]に分類される[[毒|有毒]]の小型の[[クモ]]の一種。和名は、「背中の赤いゴケグモ」の意味。本来日本国内には生息していなかったが、[[1995年]]に大阪府で発見されて以降、その他いくつかの地域でも見つかった[[外来種]]である。
== 分布 ==
=== 世界での分布 ===
[[オーストラリア]]を原産地とし、ニュージーランド、ヨーロッパ諸国、東南アジア、アメリカでも生息が確認されている<ref name="B1">{{cite book | 和書 | author = 多紀保彦(監修) 財団法人[[自然環境研究センター]](編著) | title = 決定版 日本の外来生物 | publisher = [[平凡社]] | date = 2008-04-21 | isbn = 978-4-582-54241-7 }}</ref><ref name="B2">{{cite book | 和書 | author = 村上興正・鷲谷いづみ(監修) [[日本生態学会]](編著) | title = 外来種ハンドブック | publisher = [[地人書館]] | date = 2002-09-30 | isbn = 4-8052-0706-X }}</ref>。
=== 日本での分布 ===
1995年11月に日本で最初に大阪府[[高石市]]で発見された。以降日本各地へ分布域を広げた。こうした分布の拡大は、自動車や飛行機、船舶の経済活動が関係していると考えられている<ref name="B2" />。2015年9月時点で42都道府県で確認されており、一部では定着も確認されている。
* [[北海道]]
* 本州(29都府県:[[宮城県]]、[[岩手県]]、[[福島県]]、[[群馬県]]、[[茨城県]]、[[栃木県]]、[[埼玉県]]、[[東京都]]、[[神奈川県]]、[[千葉県]]、[[愛知県]]、[[静岡県]]、[[山梨県]]、[[岐阜県]]、[[三重県]]、[[京都府]]、[[大阪府]]、[[滋賀県]]、[[石川県]]、[[福井県]]、[[新潟県]]、[[奈良県]]、[[和歌山県]]、[[兵庫県]]、[[広島県]]、[[島根県]]、[[岡山県]]、[[鳥取県]]、[[山口県]])
* 四国(4県:[[香川県]]、[[徳島県]]、[[高知県]]、[[愛媛県]])
* 九州(7県:[[福岡県]]、[[長崎県]]、[[佐賀県]]、[[大分県]]、[[宮崎県]]、[[熊本県]]、[[鹿児島県]])
* 沖縄([[沖縄県]])
なお、生息が確認された経緯は以下のとおりである。
* [[1995年]]11月:大阪府[[高石市]]で発見され、その後、兵庫県[[神戸市]][[西区 (神戸市)|西区]]などの港湾都市で相次いで発見された。
* 2005年8月:群馬県[[高崎市]]の民家で5匹見つかった。[[関東地方|関東]]の[[内陸県]]で確認されたのは初めてである。
* [[2008年]][[4月]]:岡山県[[倉敷市]]で7匹発見
* 2008年5月:愛知県[[愛西市]]の[[国営木曽三川公園]]で約600匹と卵が発見される。
* 2008年6月:[[大阪市]][[福島区]]の[[淀川河川公園]]で約30匹が発見された。
* 2008年8月:[[鹿児島市]]の[[新日本石油基地]]で、[[ハイイロゴケグモ]]と合わせて100匹以上が発見された。
* 2009年9月:四国では初めて[[香川県]][[坂出市]]の[[コスモ石油]]坂出[[製油所]]内で6匹が発見された。
* [[2012年]]:[[福岡市役所]]が[[福岡市]][[東区 (福岡市)|東区]]の「[[アイランドシティ中央公園]]」で、2009年から同年9月末までの4年間に8201匹を駆除していたことを公表した。福岡市は、市民が発見したものについては[[ウェブサイト]]に掲載していたが、同中央公園や「みなと100年公園」で市が駆除した分については「住民の不安をあおる可能性がある」として公表していなかった<ref>[http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20121018-OYT1T01590.htm?from=blist 毒グモ、「公園に8千匹…「不安あおる」と非公表」読売オンライン]</ref>。
*2021年6月:[[熊本県]][[熊本市]]の[[熊本市立熊本市民病院|熊本市民病院]]の敷地内で成虫9匹と約100個の卵が入った卵嚢が5個発見された<ref>{{Cite web|和書|title=セアカゴケグモ、熊本市民病院の敷地内に 成虫9匹と卵のう駆除 {{!}} 熊本日日新聞社|url=https://kumanichi.com/articles/271471|website=kumanichi.com|date=2021-06-14|accessdate=2021-06-15|language=ja}}</ref>。
*2023年10月:大分県大分市立三佐小学校の校庭でセアカゴケグモ約100匹と複数の卵のうを発見、大分県内では、それまで13例の確認例があったが100匹単位で見つかったのは初のケースとなった<ref>[https://www3.nhk.or.jp/news/html/20231021/k10014232921000.html 毒グモのセアカゴケグモ 約100匹小学校で発見 運動会延期 大分 ] NHK 2023年10月21日 </ref>。
== 生態 ==
=== メス ===
体長10mm前後。体型は丸く、体表は鈍い光沢を帯びた黒色。胸腹部背面にはひし形が2つ縦に並んだような赤い模様、腹面には砂時計状の赤い模様があるので、見間違えることは少ない。この赤斑の形は雌雄で多少異なり、地色の黒が淡い個体もいる。
孵化から成体までに要する期間は約100日。寿命は2-3年と言われている。また、成熟メスは多数の卵を糸で包んだ卵嚢を巣網内に保持しており、1匹の生涯産卵数は最大5000個になることもある。詳細は解明されていないが、成熟メスは巣を張った後、[[フェロモン]]を用いてオスを誘引しているとみられる。
=== オス ===
体長3-5mm。メスより小型で体型が細く、褐色がかった地色に淡色の目立たない斑紋を持つ。メスと異なり、胸腹部の背面に赤い模様は見られないが、腹面にはメス同様に赤い模様を持つ。ただし、幼体のうちはメスもオスも淡褐色の地に不明瞭な縞模様をもつのみで、成体のような明確な違い([[性的二型]])は見られない。
孵化から成体までに要する期間は約45-90日。寿命は6-7か月である。オスは孵化後1週間ほど親グモの巣に留まった後、分散していく。成熟までの間は徘徊しながら捕食を行い、成熟後はメスのフェロモンに誘引されて交尾後に捕食されることが多い。
=== 巣 ===
セアカゴケグモの造る[[クモの網|網]]は不規則網で、複雑に張られた三[[次元]]構造を持つ。その上方は糸に粘液がついていない「巣域」と呼ばれる住居で、卵嚢などもこの部分にぶら下げられる。一方、網の下方は「捕獲域」と呼ばれ、糸には捕獲用の粘液がついている。これに虫が触れて粘着すると、セアカゴケグモは粘糸を投げて獲物を絡め捕り、巣域まで引き上げて食べる。餌は主に[[アリ]]、[[ゴミムシ]]、[[ワラジムシ]]、[[ハサミムシ]]等の地上徘徊性の昆虫類であり、まれに小型の[[トカゲ]]類を捕らえることもある。網はベンチの下や側溝の蓋の裏側、ガードレールの支柱付近などといった、地面に近く直射[[太陽光|日光]]が当たらない場所に造られることが多い。
=== 毒 ===
毒は獲物を咬んだときに獲物の体内へ注入される、神経毒の「[[アルファ・ラトロトキシン|α-ラトロトキシン]]」である<ref name="B1"/>。この毒を有するのはメスのみで、オスは人体に影響する毒を持たないと言われているが、オスについては知見が少ない<ref name="B1"/>。オスの牙は小さく、人の皮膚を貫通できないと考えられているが、過去に咬傷事例が報告されている。オーストラリアでは死亡例があるが、日本では報告されていない<ref name="B1"/>。大阪府では毎年本種による被害が発生しているが、重篤者は出ていない<ref>[https://www.pref.osaka.lg.jp/kankyoeisei/seaka/jiko.html 大阪府/セアカゴケグモによる咬傷にご注意ください!]</ref>。2012年9月には、福岡県でも同様の被害が発生した。
なお、本種はこのように有毒であるが、性格は基本的にはおとなしく、素手で触るなどしなければ、噛まれることはない。
=== 天敵 ===
捕食者としては、同じく外来種である[[クロガケジグモ]]をはじめとし、[[イエユウレイグモ]]や[[カゲロウ]]の仲間が存在する。また、捕食寄生者としては[[カタビロコバチ]]や[[ヒメバチ科]]の仲間が存在する。また[[大阪市立自然史博物館]]の調査により、日本在来の[[ベッコウバチ]](クモバチとも、クモを狩る[[カリバチ]])の1種である[[マエアカクモバチ]]が本種を捕食していることが確認された<ref>{{Cite news|和書 |title=セアカゴケグモの“天敵”ハチ発見 針で一刺し、麻痺させて捕食 (1/2ページ) |newspaper=[[MSN]][[産経新聞ニュース|産経ニュース]] |date=2009-05-07 |url=https://sankei.jp.msn.com/science/science/090507/scn0905071358001-n1.htm |publisher=[[産経デジタル]] |page=1 |language=ja |archive-url=https://web.archive.org/web/20090510152438/https://sankei.jp.msn.com/science/science/090507/scn0905071358001-n1.htm |archive-date=2009年5月10日}}</ref>。
== 人間との関わり ==
=== 有毒害虫 ===
オーストラリアでは古くから代表的な毒グモとして知られており、[[抗血清]]も存在する。日本でも、発生地域の医療機関で抗血清を準備しているところがある。メスに咬まれた部位は激しい痛みを感じた後に腫れ、全身症状(痛み、発汗、発熱など)が現れることがある。重症化することは少ないが、全身症状が現れた場合には[[119番]]に通報し[[救急車]]を要請し、医療機関で診察を受けることが望ましい。
アレルギーのもつ人には、アナフィラキシーショックがおきる場合もある。
=== 特定外来生物 ===
日本では、[[特定外来生物による生態系等に係る被害の防止に関する法律|外来生物法]]によりゴケグモ属のうち本種及びクロゴケグモ・ハイイロゴケグモ・ジュウサンボシゴケグモの4種が2005年に特定外来生物の第一次指定をされている<ref name="B1" />。また、[[日本生態学会]]により[[日本の侵略的外来種ワースト100]]に選定されている<ref name="B2" />。-0.5度から46度までの低温・高温でも生息・繁殖ができ、日本でも[[越冬]]して発生を繰り返している<ref name="Rhigai">{{Cite journal|和書|author=吉田永祥・吉田政弘・岩上泰雄・瀧 幾子・薗 輝久・内野清子・田中智之|year=2003|title=セアカゴケグモLatrodectus hasseltii (Araneae : Theridiidae)除去後の個体群動態|journal=衞生動物|volume=54|issue=4|pages=361-366}}</ref>。なお、最近までクモ類では外来種は珍しく、これ以前には[[クロガケジグモ]]があるのみであった。ただ、近年外来種は増加傾向にあり、[[ハイイロゴケグモ]]・[[ジュウサンボシゴケグモ]]・[[マダラヒメグモ]]などが確認されている。
=== 駆除方法 ===
幼体・成体ともに、市販の[[ピレスロイド]]系の[[殺虫剤]]によって駆除が可能である<ref name="B2"/>。卵については、殺虫剤が効きづらいため、潰すか焼却する必要がある。
=== 間違われやすい他の生き物 ===
[[ジョロウグモ]]は、背面に赤い模様があり、本種と見間違われることが多いが、大きさ、体の模様、巣の張り方が異なる。日本で5月頃から庭や家壁などに見られるようになる真っ赤な[[ダニ|タカラダニ]]類は、一見微小なクモにも見えるため、時に本種の子供ではないかと勘違いされることもあるが、前述のとおりセアカゴケグモの幼体は淡褐色で全く異なり、真っ赤なタカラダニ類は人体に無害な生き物である。その他にも、[[オオヒメグモ]]や[[マダラヒメグモ]]は、本種のオスと似ているが、腹面に赤い模様があるかどうかで判別できる。
=== 工業利用 ===
糸が測量機器、[[測距儀]]、顕微鏡、爆撃[[照準器]]、望遠照準器などの光学機器の十字線(レティクル)に用いられる。未成熟期にある米国産クロゴケグモのそれが最適とされているが、採取に際し命を失う恐れがあるうえに、十分な量を確保するのが困難なため、[[遺伝子工学]]を駆使して、[[バクテリア]]にゴケグモの糸を生成させる研究が、[[アメリカ陸軍]]の資金により進行中である<ref>May R. Berenbaum, "BUGS IN THE SYSTEM: Insects and Their Impact on Human Affairs, 1995"</ref>。
== ゴケグモ類 ==
[[ファイル:Black widow spider 9854 lores.jpg|thumb|220px|クロゴケグモ(メス)]]
ゴケグモ類は、'''ゴケグモ属''' (''Latrodectus'') というグループに分類され、約31種が知られている<ref name="B1"/>。熱帯地方を中心に世界中に分布する仲間である。ゴケグモの名前の由来に関して、「毒性が強いため噛まれた時の死亡率が高く、奥さんが[[寡婦|後家]]になる」という俗説が知られている。実際には、ゴケグモ類の英名 "widow spider" そのままの和訳で、ゴケグモ類はオスの体がメスに比べて非常に小さく、[[交尾]]後にオスがメスに共食いされることに由来する<ref name="B1"/>。ただし、共食いの頻度などは種類や条件により異なる<ref name="B1"/>。
最も有名なゴケグモ類は、'''[[クロゴケグモ]]''' (''Latrodectus mactans''、black widow spider) で、北アメリカをはじめ、世界中に広く生息する毒グモ。こちらの方が死亡例なども多い。日本では2000年以降になって米軍岩国基地内での発生が確認されている。セアカゴケグモとはほぼ同じ大きさ。セアカゴケグモをクロゴケグモの亜種に分類する場合もあり、その場合には、セアカゴケグモによる死亡例が、世界中のクロゴケグモによる死亡例と統計上合計されている場合があり注意が必要である。[[アメリカ合衆国|アメリカ]]では『black widow(ブラック・ウィドウ)』という名で知られており、戦闘機[[P-61]]と[[YF-23]]の愛称に採用された。
[[ファイル:Latrodectus tredecimguttatus female.jpg|thumb|220px|ジュウサンボシゴケグモ(メス)]]
またヨーロッパ南部に分布する'''{{仮リンク|ジュウサンボシゴケグモ|en|Mediterranean black widow}}''' (''Latrodectus tredecimguttatus''、P. Rossi, 1790) も古来から有名で、その毒による症状はゴケグモ刺咬症 (Latrodectism) としてよく知られてきた。大利・池田(1996b)によれば、このクモに咬まれると、その時点での痛みはさほどではないが、10分ほどで全身症状が現れ、各部リンパ節が痛み、腹筋の硬直、さらに耐えられない痛みとともに多量の汗、涙、唾液が出、血圧上昇、呼吸困難、言語症などが起き、回復しない場合は2-3日後に死亡するという。しかし抗血清が作られるようになってからは、[[アナフィラキシー・ショック]]以外での死亡例はほとんどなくなったとされる。
沖縄県には、在来種の[[アカオビゴケグモ]](ヤエヤマゴケグモ)が生息する。
== 出典 ==
{{reflist}}
== 参考文献 ==
* {{Wayback|url=http://homepage3.nifty.com/~hispider/venom/dokugumo1.htm |title=大利昌久・池田博明, 1996a. 毒グモとその毒(1)日本に生息する毒グモ. 現代化学 (301):54-60. |date=20040906160932}}
* {{Wayback|url=http://homepage3.nifty.com/~hispider/venom/dokugumo2.htm |title=大利昌久・池田博明, 1996b. 毒グモとその毒(2)代表的なクモ毒とその作用機構. 現代化学 (302):30-36. |date=20040906160937}}
== 関連項目 ==
{{Wikispecies|Latrodectus hasselti}}
{{Commons|Latrodectus hasselti}}
* {{仮リンク|ゴケグモ属|label=ゴケグモ類|en|Widow spider}}
* [[クロゴケグモ]](セアカゴケグモの近縁種)
* [[特定外来生物による生態系等に係る被害の防止に関する法律]]
== 外部リンク ==
* [https://www.insbase.ac/xoops2/modules/xpwiki/ ゴケグモ情報センター] - 日本国内における、最新の分布情報や対処方法など、ゴケグモ類の全て
* [https://www.nies.go.jp/biodiversity/invasive/DB/detail/70020.html 侵入生物データベース セアカゴケグモ] - 国立環境研究所
* [https://www.env.go.jp/nature/intro/4document/files/r_seakagokegumo_shikoku.pdf 特定外来生物セアカゴケグモ] - 環境省
* [https://www.env.go.jp/nature/intro/4document/files/r_gokegumo.pdf セアカゴケグモにご注意ください!] - 環境省
{{DEFAULTSORT:せあかこけくも}}
[[Category:ヒメグモ科]]
[[Category:日本の外来種]]
[[Category:特定外来生物]]
[[Category:有毒動物]]
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2003-09-21T05:36:39Z
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17,658 |
ちちぶ (列車)
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ちちぶは、西武鉄道が池袋駅・所沢駅 - 西武秩父駅間を池袋線・西武秩父線経由で運転する特急列車である。
本項では池袋駅 - 飯能駅間を運転する「むさし」および臨時特急列車のほか、かつて運行された池袋線系統の各種特急列車についても併せて記述する。
列車号数は下りが奇数、上りが偶数となり、「ちちぶ」・「むさし」通しで発車順に付番される。定期列車は0 - 50番台、臨時・不定期列車は70 - 90番台が充てられる。基本的には平日ダイヤと土休日ダイヤで概ね同時刻となるが、大幅に異なる列車も存在し、その場合は土休日の列車が60番台となっている。
池袋駅 - 西武秩父駅間で運転。ただし土休日の下り1本のみ所沢駅始発である。列車愛称は埼玉県秩父地方の「秩父」から。
埼玉県秩父市羊山公園内に植えられた芝桜の開花時期ならびに秩父夜祭開催時には、平日や土休日関係なく増発される。
1973年から、池袋駅 - 飯能駅間で運転。列車愛称はかつての日本の令制国で現在の東京都や埼玉県などに相当する武蔵国の「武蔵」から。主に埼玉県西部の通勤客輸送をターゲットとした「ホームライナー」的役目を担う。
登場当時は平日2往復・休日4往復で運転開始。その後ダイヤ改正によって増発をくり返し、現在に至る。2001年 - 2010年に7回実施されたダイヤ改正のうち、6回で増発および「むさし」の運転区間延長に伴う「ちちぶ」化が行われた。2018年3月10日改正より以下の形態で運転されている。
平日
土休日
2019年より001系「Laview」が使用されている。全列車とも座席指定制で、利用には特急券を別途購入する必要がある。
1994年から2020年までは10000系「ニューレッドアロー」、1969年から1995年までは5000系「レッドアロー」も使用されていた。
(池袋駅 -)所沢駅 - 入間市駅 - 飯能駅〈- 横瀬駅 - 西武秩父駅〉
ドームは、西武ドームでのプロ野球開催日に池袋駅 - 西武球場前駅間で運転される臨時特急列車である。運行初年の2006年のみ「スタジアムエクスプレス」の愛称が使用されていたが、2007年からは後述の「ローズエクスプレス」とともに「ドーム」へ統一された。
2006年度はセ・パ交流戦の期間中に西武ドームでの西武主催試合の開催時に運転。翌2007年度からは交流戦の他にもリーグ戦の試合日となる土曜・休日・大型連休・夏休み期間(7月24日 - 8月31日)にも運行されている。
試合開始時刻に合わせて平日1パターン・土休日3パターンの全4パターンのダイヤがあり、試合時刻に合った列車のみ1日1往復する。不測の事態で試合が中止となった場合は、運休となる。
なお2009年以降は、当列車の特急券を購入するとライオンズファンクラブ会員にはファンクラブのポイントシステム「Lポイント」が付与される。
2020年・2021年については、西武ドームの観客数制限の影響により、運休が相次いでいた。
池袋駅 - 所沢駅 - 西武球場前駅
1969年 - 1973年の休前日に池袋駅 - 西武秩父駅間で休前日に運転。
「おくちちぶ」の愛称は運行形態が異なる2つの列車に使用された。このほか、後述の臨時列車にも使用されている。
2014年と2015年に、横瀬車両基地の公開イベントにあわせて臨時特急が運転された。
2015年より西武トラベルによる秩父絶景ツアーの一環として、西武秩父駅へ向かう夜行列車を運行している。ツアーは三峰神社での雲海・星空観賞などを目的とするもの。
なお、上記のほかに類似する形態をもちながら定期の特急を利用するツアーも開催されている。
小さな旅
『水樹奈々 スマイルギャング』(文化放送制作)リスナー向け団体専用列車
メイドトレイン
ラブライブ!サンシャイン!!×西武鉄道 プレミアムトレインツアー
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"text": "ドームは、西武ドームでのプロ野球開催日に池袋駅 - 西武球場前駅間で運転される臨時特急列車である。運行初年の2006年のみ「スタジアムエクスプレス」の愛称が使用されていたが、2007年からは後述の「ローズエクスプレス」とともに「ドーム」へ統一された。",
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"text": "2006年度はセ・パ交流戦の期間中に西武ドームでの西武主催試合の開催時に運転。翌2007年度からは交流戦の他にもリーグ戦の試合日となる土曜・休日・大型連休・夏休み期間(7月24日 - 8月31日)にも運行されている。",
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ちちぶは、西武鉄道が池袋駅・所沢駅 - 西武秩父駅間を池袋線・西武秩父線経由で運転する特急列車である。 本項では池袋駅 - 飯能駅間を運転する「むさし」および臨時特急列車のほか、かつて運行された池袋線系統の各種特急列車についても併せて記述する。
|
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{{Infobox 列車名
|列車名=ちちぶ<br/>むさし
|画像=Seibu-Ikebukuro-Line Series001-Ltd.Express-Chichibu.jpg
|画像サイズ=300px
|画像説明=001系「ちちぶ」<br>(2021年10月 [[小手指駅]] - [[西所沢駅]]間)
|国={{JPN}}
|種類=[[特別急行列車]]
|現況=運行中
|地域=[[東京都]]・[[埼玉県]]
|前身=
|運行開始=[[1969年]](ちちぶ)<br />[[1973年]](むさし)
|運行終了=
|後継=
|運営者=[[西武鉄道]]
|旧運営者=
|平均乗客数=
|起点=[[池袋駅]]・[[所沢駅]](ちちぶ)<br />池袋駅(むさし)
|停車地点数=6駅(ちちぶ)<br/>4駅(むさし)<br/>(いずれも起終点含む)
|終点=[[西武秩父駅]](ちちぶ)<br />[[飯能駅]](むさし)
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|平均所要時間=
|運行間隔=1 - 2本/1時間
|列車番号=号数をそのまま使用
|使用路線=[[西武池袋線|池袋線]]・[[西武秩父線]]
|クラス=普通車
|身障者対応=1号車
|座席=全車指定席
|就寝=
|車運車=
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|展望=超大型窓(窓側席)
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|その他=
|車両=[[西武001系電車|001系]]([[小手指車両基地]])
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|電化=[[直流電化|直流]]1,500 [[ボルト (単位)|V]]
|最高速度=
|線路所有者=
|ルート番号=SI
|備考=
|路線図=
|路線図表示=<!--collapsed-->
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'''ちちぶ'''は、[[西武鉄道]]が[[池袋駅]]・[[所沢駅]] - [[西武秩父駅]]間を[[西武池袋線|池袋線]]・[[西武秩父線]]経由で運転する[[特別急行列車|特急列車]]である。
本項では池袋駅 - [[飯能駅]]間を運転する「'''むさし'''」および臨時特急列車のほか、かつて運行された池袋線系統の各種特急列車についても併せて記述する。
== 運行概況 ==
列車号数は下りが奇数、上りが偶数となり、「ちちぶ」・「むさし」通しで発車順に付番される。定期列車は0 - 50番台、臨時・不定期列車は70 - 90番台が充てられる。基本的には平日ダイヤと土休日ダイヤで概ね同時刻となるが、大幅に異なる列車も存在し、その場合は土休日の列車が60番台となっている。
{{-}}
=== ちちぶ ===
池袋駅 - 西武秩父駅間で運転。ただし土休日の下り1本のみ所沢駅始発である。列車愛称は[[埼玉県]][[秩父地方]]の「秩父」から。埼玉県[[飯能市]]にある飯能駅で[[スイッチバック]]を行う。
埼玉県[[秩父市]][[羊山公園]]内に植えられた[[シバザクラ|芝桜]]の開花時期ならびに[[秩父夜祭]]開催時には、平日や土休日関係なく増発される。
{{-}}
=== むさし ===
1973年から、池袋駅 - 飯能駅間で運転。列車愛称はかつての日本の[[令制国]]で現在の[[東京都]]や埼玉県などに相当する[[武蔵国]]の「武蔵」から。主に埼玉県西部の通勤客輸送をターゲットとした「[[ホームライナー]]」的役目を担う。
*平日は早朝と夕方以降に運行され、最終は池袋駅午前0時発である。
*土休日は10時台までと14時台以降に運行され、最終は池袋駅23時発である。
*延長運転や臨時列車は「むさし」が主体となる。
*高麗[[巾着田]]の曼珠沙華開花時期や[[秩父夜祭]]などの際は、「むさし」の名称のまま西武秩父駅まで延長運転される場合がある。2016年4月1日から、祝日を除く毎週金曜日の池袋駅22時30分発も「むさし」の名称のまま西武秩父駅まで運行する。
*かつては所沢駅始発池袋駅行きの設定が存在した。
*小江戸運転開始前は、新宿線の特急列車にも「むさし」の名称が使用されていた。休日の新宿線「おくちちぶ」の送り込み列車にも本愛称が使用された。
{{-}}
=== 運行本数 ===
登場当時は平日2往復・休日4往復で運転開始。その後ダイヤ改正によって増発をくり返し、現在に至る。2001年 - 2010年に7回実施されたダイヤ改正のうち、6回で増発および「むさし」の運転区間延長に伴う「ちちぶ」化が行われた。2018年3月10日改正より以下の形態で運転されている。
'''平日'''
*下り 「ちちぶ」16本・「むさし」11本の計27本運転(池袋駅発車基準)。
**6時 - 7時台:30分ヘッドで「ちちぶ」・「むさし」が交互運転。
**8時台 - 16時台:1時間ヘッドで毎時30分に「ちちぶ」のみ運転。
**17時 - 21時台:30分ヘッドで0分発「むさし」・30分発「ちちぶ」が交互運転。
**22時 - 0時台:30分ヘッドで「むさし」のみ運転。
*上り 「ちちぶ」16本・「むさし」14本の計30本運転(池袋駅到着基準)。
**6時台:「むさし」3本。
**7時台:「ちちぶ」1本・「むさし」1本。
**8時台:「むさし」1本。
**9時台:「ちちぶ」2本・「むさし」1本。
**10時 - 16時台:1時間ヘッドで「ちちぶ」のみ運転。
**17時 - 22時台:30分ヘッドで「ちちぶ」・「むさし」が交互運転。
**23時台:「むさし」2本。
'''土休日'''
*下り「ちちぶ」17本・「むさし」12本計29本運転(早朝の所沢駅始発1本を除き池袋駅発車基準)。
**6時台:所沢駅始発の「ちちぶ」1本・池袋駅始発の「ちちぶ」1本。
**7時台 - 8時台:30分発の「ちちぶ」のみ運転。
**9時 - 10時台:00分発「むさし」・30分発「ちちぶ」を運転。
**11時 - 14時台:30分発「ちちぶ」のみ運転。
**15時 - 21時台:00分発「むさし」・30分発「ちちぶ」を運転。
**22時 - 23時台:30分ヘッドで「むさし」のみ運転。
*上り「ちちぶ」17本・「むさし」12本計29本運転(池袋駅到着基準)。
**6時台 - 7時台:「むさし」3本。
**8時台 - 9時台:「ちちぶ」4本。
**10時台:「ちちぶ」1本・「むさし」1本。
**11時 - 14時台:1時間ヘッドで「ちちぶ」のみ運転。
**15時 - 22時台:30分ヘッドで「ちちぶ」・「むさし」が交互運転。
=== 使用車両・編成 ===
{|style="text-align:center; float:right; margin:1em 0em 1em 1em; border:1px solid #999;"
|+ 2020年3月14日現在の編成図
|style="background:#eee; border-bottom:solid 6px #ff0000;"|'''ちちぶ・むさし'''
|-
|{{TrainDirection|飯能|西武秩父・池袋}}
|-
|
{|class="wikitable" style="font-size:80%; float:center; margin:0em auto;"
|+ 001系(Laview)
|1||2||3||4||5||6||7||8
|-
|指 障||指||指||指||指||指||指||指
|}
|-
|
|-
|style="text-align:left; font-size:80%;"|
*全車禁煙
-----
;凡例
:指=[[座席指定席]]
:障=[[バリアフリー]]対応座席設置車
|}
2019年より[[西武001系電車|001系]]「Laview」が使用されている。全列車とも[[座席指定席|座席指定]]制で、利用には[[特別急行券|特急券]]を別途購入する必要がある。
1994年から2020年までは[[西武10000系電車|10000系]]「ニューレッドアロー」、1969年から1995年までは[[西武5000系電車|5000系]]「レッドアロー」も使用されていた。
=== 停車駅 ===
([[池袋駅]] -)[[所沢駅]] - [[入間市駅]] - [[飯能駅]]〈- [[横瀬駅]] - [[西武秩父駅]]〉
* 「ちちぶ」下り1本は所沢駅 → 西武秩父駅間の運転。
* 「むさし」全列車は池袋駅 - 飯能駅間の運転。
== 臨時列車 ==
=== ドーム ===
[[File:西武10000系電車 ニューレッドアロー スタジアムエクスプレス-2.jpg|thumb|right|200px|「スタジアムエクスプレス」HMの10000系]]
'''ドーム'''は、[[西武ドーム]]での[[日本プロ野球|プロ野球]]開催日に池袋駅 - [[西武球場前駅]]間で運転される臨時特急列車である。運行初年の[[2006年]]のみ「'''スタジアムエクスプレス'''」の愛称が使用されていたが、2007年からは後述の「ローズエクスプレス」とともに「ドーム」へ統一された。
2006年度は[[セ・パ交流戦]]の期間中に西武ドームでの西武主催試合の開催時に運転。翌2007年度からは交流戦の他にも[[パシフィック・リーグ|リーグ戦]]の試合日となる土曜・休日・[[ゴールデンウィーク|大型連休]]・[[夏休み]]期間(7月24日 - 8月31日)にも運行されている。
試合開始時刻に合わせて平日1パターン・土休日3パターンの全4パターン<ref group="注">平日ナイター、土休日13時開始、14時開始、17時開始、18時開始</ref>のダイヤがあり、試合時刻に合った列車のみ1日1往復する<ref group="注">2014年のオールスターゲーム当日は西武球場前行のみ2本運転予定だったがのちに池袋行も2本運転に変更</ref>。不測の事態で試合が中止となった場合は、運休となる。
なお2009年以降は、当列車の特急券を購入するとライオンズファンクラブ会員にはファンクラブのポイントシステム「Lポイント」が付与される<ref group="注">2011年までのファン感謝のつどい実施日を除く。</ref>。
2020年・2021年については、西武ドームの観客数制限の影響により、運休が相次いでいた。
=== 停車駅 ===
[[池袋駅]] - [[所沢駅]] - [[西武球場前駅]]
== かつて運行されていた列車 ==
=== 定期列車 ===
==== こぶし ====
[[1969年]] - [[1973年]]の休前日に池袋駅 - 西武秩父駅間で休前日に運転。
*休日前夜に池袋駅を発車し、西武秩父駅に到着した後乗客は朝まで車内で仮眠できるというハイキング客向けの夜行特急<ref group="注">夜通し運転されているわけではないので、厳密には[[夜行列車]]とは言えない。</ref>。
*本列車は休日早朝の西武秩父駅発「ちちぶ」の送り込みを兼ねていた。
==== おくちちぶ ====
「おくちちぶ<ref group="注">元々「おくちちぶ」の愛称は1969年の西武秩父線開業時に設定されたハイキング急行(現在の[[快速急行]]の前身)「'''奥秩父'''」(漢字表記)が祖となる。後に停車駅設定の違いで「'''奥武蔵'''」も設定された。<br />※飯能駅以西で「奥秩父」が一部駅のみ停車、「奥武蔵」が[[各駅停車]]。</ref>」の愛称は運行形態が異なる2つの列車に使用された。このほか、後述の臨時列車にも使用されている。
*[[1976年]] - [[1993年]]の休日に西武新宿駅 - 西武秩父駅間で運転。
**新宿線の定期列車としては初の特急列車となる。
**当初、高田馬場駅は上りのみの停車であったが、後に下りも停車している。
*1993年 - 2003年の土休日に池袋駅 - 西武秩父間で運転。
**1993年のダイヤ改正で西武新宿駅 - 本川越駅間の「小江戸」がデビューしたことに伴い、池袋発着へ変更された形となる。
**「ちちぶ」は同改正より入間市駅への停車を開始しており、「おくちちぶ」は同駅を通過するのが相違点。
=== 過去の臨時列車 ===
==== MISATO TRAIN ====
* 1990年から2005年の[[西武ドーム]]での[[渡辺美里]]ライブ開催時に池袋駅 - 西武球場前駅間をノンストップで運転。
* 2018年にも1日限りの復活として運転された<ref>[https://www.seibulions.jp/news/detail/00001729.html 8/4(土)“MISATOトレイン”1日限りの復活運行決定!400席限定で観戦チケット付きツアー販売] - 埼玉西武ライオンズ公式サイト</ref>。
==== ローズエクスプレス ====
*国際バラとガーデニングショウ開催時に、池袋駅 - 西武球場前駅間を1日3往復程度運転。
*2016年までの途中停車駅は練馬・所沢の2駅で<ref>[https://web.archive.org/web/20160418220441/http://www.seibu-group.co.jp/railways/news/news-release/2016/__icsFiles/afieldfile/2016/04/14/20160413rose_rinden.pdf 5 月13 日(金)~5 月18 日(水)「国際バラとガーデニングショウ」の開催に合わせ、臨時特急電車を増発!](PDF) - (西武鉄道リリースニュース・インターネットアーカイブ)</ref>、2017年の運転時には石神井公園・所沢の2駅となった<ref>[https://www.seiburailway.jp/news/news-release/2017/20170412baragarinden.pdf 「国際バラとガーデニングショウ」の開催に合わせ、臨時特急電車を運転!](PDF) - 西武鉄道リリースニュース</ref>。2018年には所沢のみ<ref>[https://www.seiburailway.jp/news/news-release/2018/20180419rosegardening_train.pdf 「第20回 国際バラとガーデニングショウ」の開催に合わせ、 臨時特急電車を運転します!](PDF) - 西武鉄道リリースニュース</ref>となり、「スタジアムエクスプレス」と揃えられたが、その年を最後に運転されていない。
*種別・行先表示器は「臨時」または「特急 むさし」を表示。
*2007年からは「スタジアムエクスプレス」とともに「'''ドーム'''」の愛称へ統一された。なお、以前の愛称も案内などで使用されている。
==== 電車フェスタ号 ====
* 2004年から2010年、[[武蔵丘車両検修場]]の一般公開にあわせて池袋駅または西武新宿駅から[[臨時列車]]として1往復運転された。2005年までは土日の2日間で同イベントが開催されており、両日とも運転されている。
* 2005年の土曜日のみ、西武新宿駅発着で運転された。
* 途中停車駅は、池袋駅発着の際は石神井公園・ひばりヶ丘・所沢<ref name=":0">[https://web.archive.org/web/20040807132904/http://www.seibu-group.co.jp/railways/kouhou/news/2004/0519festa.pdf 「西武・電車フェスタ 2004 in 武蔵丘車両検修場」開催](PDF) - (西武鉄道リリースニュース・インターネットアーカイブ)</ref>、西武新宿駅発着の際は高田馬場・上石神井・田無・所沢となる<ref name=":1">[https://web.archive.org/web/20051030063057/http://www.seibu-group.co.jp/railways/kouhou/news/2005/0520.pdf 「西武・電車フェスタ 2005 in 武蔵丘車両検修場」開催](PDF) - (西武鉄道リリースニュース・インターネットアーカイブ)</ref>。
* 大人350円、子供180円の全区間均一料金制とされた<ref name=":0" />。
* 往路では車内パフォーマンスが行われ<ref name=":0" />、2005年の土曜日までは[[SUPER BELL''Z]]<ref name=":1" />、2005年の日曜日からは[[立川真司]]<ref name=":1" />が担当している。
* 特急券の予約の際などでは臨時の「むさし」扱い。
* 2011年は[[東日本大震災]]及び[[福島第一原子力発電所|福島第一原発]]での[[福島第一原子力発電所事故|事故]]による[[東日本大震災による電力危機|電力事情悪化]]の影響で運転されず<ref>[https://web.archive.org/web/20110611145943/http://www.seibu-group.co.jp/railways/news/news-release/2011/__icsFiles/afieldfile/2011/05/12/seibu-densyafesta2011.pdf 「西武・電車フェスタ2011 in 武蔵丘車両検修場」 6月5日(日)開催](PDF) - (西武鉄道リリースニュース・インターネットアーカイブ)</ref>、2012年以降は[[通勤形車両 (鉄道)|通勤形車両]]に切り替えられた。
==== おくちちぶ(臨時) ====
* 2014年・2015年に「[[秩父川瀬祭]]」の開催にあわせ、西武新宿駅 - 西武秩父駅間で運転<ref name=":4" />。「おくちちぶ」としては11年ぶり、西武新宿 - 西武秩父間を直通する特急列車としては21年ぶりの運行となる。途中停車駅は高田馬場・田無駅・東村山駅・所沢駅・入間市駅・飯能駅・横瀬駅<ref name=":4" />。
* 2015年には[[羊山公園]]の芝桜開花時期にあわせて、西武新宿駅 - 西武秩父駅間で運転<ref name=":6" />。途中停車駅は高田馬場駅・東村山駅・所沢駅・飯能駅・横瀬駅となる<ref name=":6" /><ref name=":0" group="注" />。
==== 西武トレインフェスティバルの臨時特急 ====
2014年と2015年に、横瀬車両基地の公開イベントにあわせて臨時特急が運転された。
*[[2014年]][[11月8日]]に、「西武トレインフェスティバル2014 in 横瀬」の開催にあわせて本川越駅 → 西武秩父駅間で「ちちぶ」を片道のみ運転<ref name=":5" />。途中停車駅は狭山市・所沢・入間市・飯能・横瀬<ref name=":5" />。本川越駅からの池袋線直通特急は初となる。
*[[2015年]][[11月7日]]に、「西武トレインフェスティバル2015 in 横瀬」の開催にあわせ、西武新宿駅 → 西武秩父駅間で「ちちぶ」を片道のみ運転<ref name=":7" />。途中停車駅は高田馬場・東村山・所沢・入間市・飯能・横瀬<ref name=":7" />。
==== 臨時夜行特急 ====
2015年より[[西武トラベル]]による秩父絶景ツアーの一環として、西武秩父駅へ向かう夜行列車を運行している。ツアーは三峰神社での雲海・星空観賞などを目的とするもの。
* 2015年:8月25日と8月27日<ref>[https://web.archive.org/web/20151019205149/http://www.seibu-group.co.jp/railways/news/news-release/2015/__icsFiles/afieldfile/2015/06/11/150611unkaikansyou.pdf 秩父・三峯神社で絶景の雲海鑑賞を目指す!「ヱビスビール<生ビール>飲み放題 夜行特急ツアー」を催行](PDF) - (インターネットアーカイブ/西武鉄道リリースニュース 2015年6月11日掲載)</ref>の深夜(正確には同26日と同28日のいずれも午前0時26分)より運転を開始した<ref>[http://trafficnews.jp/post/40902/ 西武、夜行列車を運行 私鉄では特にレア] - 乗りものニュース 2015年6月16日発信</ref>。この臨時夜行特急では、[[サッポロビール]]と提携して、ヱビスビールおよびサッポロ黒ラベルの2種類の缶ビールが飲み放題形式で提供されている<ref>[http://trafficnews.jp/post/42587/ 走行77kmの夜行列車 その目的は 西武] - 乗りものニュース 2015年8月26日発信</ref>。また11月6日・11月28日<ref>[https://web.archive.org/web/20150921194620/http://www.seibu-group.co.jp/railways/news/news-release/2015/__icsFiles/afieldfile/2015/09/16/20150916unkai2.pdf 秩父・三峯神社で絶景の雲海鑑賞を目指す!「ヱビスビール<缶>飲み比べ放題 夜行特急ツアー」を催行!](PDF) - (インターネットアーカイブ/西武鉄道リリースニュース 2015年9月16日掲載)</ref>にも運行している<ref>[http://tetsudo-shimbun.com/article/girl/entry-537.html 雲海鑑賞を目指す西武鉄道の夜行特急ツアーに乗ってみた] - 鉄道新聞 2015年11月7日発信</ref>。
* 2016年:4月29日<ref>[https://web.archive.org/web/20160805072236/http://www.seibu-group.co.jp/railways/news/news-release/2015/__icsFiles/afieldfile/2016/02/24/20160224unkai3.pdf 秩父・三峯神社で絶景の雲海&星空鑑賞を目指す!「ヱビスビール&黒ラベル飲み比べ 夜行特急で行く秩父絶景ツアー」を催行!](PDF) - (インターネットアーカイブ/西武鉄道リリースニュース 2016年2月24日掲載)</ref>・8月10日・8月20日に運行<ref>[https://web.archive.org/web/20160811160028/http://www.seibu-group.co.jp/railways/news/news-release/2016/__icsFiles/afieldfile/2016/06/15/20160615neightexpress_starparty_fieldclouds.pdf 「夜行特急で行く秩父絶景ツアー」の募集開始!今年制定の祝日8月11日(木)「山の日」 秩父・三峯神社で絶景の雲海&星空鑑賞を目指す!](PDF) - (インターネットアーカイブ/西武鉄道リリースニュース 2016年6月15日掲載)</ref>。
* 2017年:3月17日・4月21日<ref>[https://www.seiburailway.jp/news/news-release/2016/20170130unkaitokkyu5.pdf 3月17日(金)・4月21日(金)深夜発 秩父・三峯神社で絶景の雲海&星空鑑賞を目指す!「夜行特急で行く秩父絶景ツアー」の募集開始](PDF) - 西武鉄道リリースニュース 2017年1月30日掲載</ref>・10月27日<ref name=":8">[https://www.seiburailway.jp/news/news-release/2017/20170830unkaitokkyu1.pdf 「夜行列車で行く 秩父絶景ツアー」の募集開始!](PDF) - 西武鉄道リリースニュース 2017年8月30日掲載</ref>に池袋駅発で運行したほか<ref>[https://trafficnews.jp/post/64228/ 夜行特急ツアー、今春も実施 星空と雲海目指し秩父へ 観光付きコースも 西武] - 乗りものニュース(2017年2月2日)</ref>、同様の企画として5月26日<ref>[https://www.seiburailway.jp/guide/event-campaign-info/event/unkaitour.html 西武鉄道新型通勤車両40000系使用 秩父・三峯神社で絶景の雲海&星空鑑賞を目指す!「元町・中華街駅発の夜行列車で行く秩父絶景ツアー」初開催!] - 西武鉄道公式ホームページ 2017年4月25日発信</ref>・11月10日<ref name=":8" />には通勤型の[[西武40000系電車|40000系]]を用いて[[元町・中華街駅]]発で運行<ref>[https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000009.000017680.html 【夜空&雲海が美しい】ラブグラフが密着撮影!西武鉄道が5月26日に「元町・中華街駅発の夜行列車で行く秩父絶景ツアー」を開催。 ] - ラブグラフ(PRTIMES 2017年5月29日)</ref>。
* 2018年:4月13日<ref name=":9">[https://www.seiburailway.jp/news/news-release/2017/20180219_201804unkaitour.pdf 秩父・三峯神社で絶景の雲海&星空観賞を目指す!「夜行列車で行く 秩父絶景ツアー」募集開始します!](PDF) - 西武鉄道リリースニュース 2018年2月19日掲載</ref>・10月26日<ref name=":10">[https://www.seiburailway.jp/news/news-release/2018/20180920unkaitua.pdf 秩父・三峯神社で絶景の雲海&星空鑑賞を目指す!「金よる発で行く 秩父絶景ツアー」の募集開始](PDF) - 西武鉄道リリースニュース 2018年9月20日掲載</ref>に池袋駅発で、また4月27日<ref name=":9" />・11月16日<ref name=":10" />に40000系を用いて元町・中華街駅発で運行。
* 2019年:5月10日・6月7日<ref>[https://www.seiburailway.jp/news/news-release/2018/20190319_unkaitour20190506.pdf 5月10日(金)・6月7日(金)夜発 秩父・三峯神社で絶景の雲海&星空鑑賞を目指す!「金よる発で行く 秩父絶景ツアー」の募集を開始します!](PDF) - 西武鉄道リリースニュース 2019年3月19日掲載</ref>・10月18日<ref>[https://www.seiburailway.jp/news/news-release/2017/20180219_201804unkaitour.pdf 秩父・三峯神社で絶景の雲海&星空観賞を目指す!「夜行列車で行く 秩父絶景ツアー」募集開始します!](PDF) - 西武鉄道リリースニュース 2018年2月19日掲載</ref>に池袋駅発で運行、11月22日<ref>[https://www.seiburailway.jp/news/news-release/2019/20190918unkai_hoshizora.pdf 秩父・三峯神社で絶景の雲海&星空観賞を目指す!「夜行列車で行く 秩父絶景ツアー」の募集を開始します](PDF) - 西武鉄道リリースニュース 2019年9月6日掲載</ref>に40000系を用いて新木場駅発で運行。
** 10月18日分からは10000系に代わり001系が使用されている。
* 2020年:4月24日・6月5日<ref>[https://www.seiburailway.jp/news/news-release/2019/20200305_0424_0605_chichibuunkaitabi.pdf 4 月 24 日(金)・ 6 月 5 日(金)夜発 秩父・三峯神社で絶景の雲海&星空 観賞 を目指す!「 金よる発で行く 秩父絶景ツアー 」の募集開始](PDF) - 西武鉄道リリースニュース 2020年3月5日掲載</ref>に池袋駅発で予定されていたが、新型コロナウイルスの感染拡大を受けていずれも中止となった<ref>[https://www.seiburailway.jp/news/information/20200424information_event.pdf 当社イベントの中止および延期について](PDF) - 西武鉄道Webサイト 2020年4月24日掲載</ref>。
なお、上記のほかに類似する形態をもちながら定期の特急を利用するツアーも開催されている<ref>[https://www.seiburailway.jp/news/news-release/2017/20180219_unkaidoron.pdf 秩父・三峯神社で絶景の雲海“撮影”を目指す!「特急レッドアロー号で行く 秩父ドローンツアー」募集開始します!](PDF) - 西武鉄道リリースニュース 2018年2月19日掲載</ref><ref>[https://www.seiburailway.jp/news/news-release/2019/20190705perseustour.pdf ペルセウス座流星群観賞・秩父美の山オールナイト絶景ツアー募集開始します](PDF) - 西武鉄道リリースニュース 2019年7月5日掲載</ref>。
==== 001系の新宿線・池袋線臨時特急 ====
* 2019年に本川越 - 飯能間の臨時列車が運行された。
** {{Main|小江戸 (列車)#001系の新宿線・池袋線臨時特急}}
==== 団体臨時列車 ====
[[File:Series 10000 of Seibu Railway.jpg|thumb|right|200px|10000系の「小さな旅」表示]]'''小さな旅'''
*1980年代頃から不定期に運転されている[[団体専用列車]]で[[ニッポン放送]]制作・西武鉄道提供の同名ミニ番組に因む。
'''『[[水樹奈々 スマイルギャング]]』([[文化放送]]制作)リスナー向け団体専用列車'''
*2009年・2010年・2013年に西武ドームで開催された[[水樹奈々]][[演奏会|コンサート]]に合わせ池袋駅 - 西武球場前駅間で運行。
'''メイドトレイン'''
*2010年12月11日と2012年1月14日に池袋駅 - 西武秩父駅間を往復するツアーチケットを発売して運行された団体専用列車。車内に[[コスプレ系飲食店|メイド喫茶]]に見立てた飾り付けがされた。
*車内では[[メイド#日本の文化におけるメイド|メイド]]による[[車内販売]]・ドリンクサービスや車内放送、目的地の秩父ではミニ撮影会や[[ビンゴ|ビンゴゲーム]]大会などが実施された。
*企画・運営は[http://www.bsvisual.co.jp/ BSビジュアル]で、[[ひたちなか海浜鉄道]]と[[鹿島臨海鉄道]]でも同様な形態の列車を運行した実績がある。
[[File:SEIBU_10000_series_lovelive_2018.jpg|thumb|right|200px|ラッピング車による臨時列車(2018年6月)]]
'''[[ラブライブ!サンシャイン!!]]×西武鉄道 プレミアムトレインツアー'''
*[[ラブライブ!サンシャイン!! Aqours 2nd LoveLive! HAPPY PARTY TRAIN TOUR|2017年9月29日・30日]]と<ref>{{Cite press release|和書|url=https://www.seiburailway.jp/news/news-release/2017/20170825lovelive_seibupremiumtraintour.pdf|format=pdf|title=「ラブライブ!サンシャイン!!×西武鉄道 プレミアムトレインツアー」を催行します!|publisher=西武鉄道|date=2017-08-25|accessdate=2017-09-05}}</ref>、[[ラブライブ!サンシャイン!! Aqours 3rd LoveLive! Tour 〜WONDERFUL STORIES〜|2018年6月9日・10日]]に<ref>{{PDFlink|[https://www.seiburailway.jp/news/news-release/2018/20180507lovelive_premiumtour.pdf 「ラブライブ!サンシャイン!!×西武鉄道プレミアムトレインツアー2018」を開催します!]}} - 西武鉄道ニュースリリース、2018年5月7日掲載。</ref>、それぞれ[[西武ドーム]]で開催されたコンサートに合わせ、同作品のラッピング電車を用い、池袋駅 - 西武球場前駅間で運行。
*車内では「[[ラブライブ!シリーズ#ファンおよび社会的な影響|ラブライバー(ラブライブ!シリーズのファンの総称)]]」向けに、[[Aqours]]声優による車内放送、特別グッズの配布などが実施された。
{{-}}
==== 過去の停車駅・臨時停車駅 ====
{| style="font-size:80%; margin:1em 0em 2em 3em;"
|-
|'''池袋線系統完結列車'''<!--武蔵丘は信号場は通るが検修場は通らない-->
{| class="wikitable" style="text-align:center; margin:0em 0em 1em 0em;"
|-
! colspan="2" |路線名
| colspan="11" |池袋線
| colspan="3" |西武秩父線
| colspan="2" |狭山線
|-
!列車名
!備考
!{{縦書き|[[池袋駅|池袋]]}}
!{{縦書き|[[練馬駅|練馬]]}}
!{{縦書き|[[石神井公園駅|石神井公園]]}}
!{{縦書き|[[ひばりヶ丘駅|ひばりヶ丘]]}}
!{{縦書き|[[所沢駅|所沢]]}}
!{{縦書き|[[西所沢駅|西所沢]]}}
!{{縦書き|[[稲荷山公園駅|稲荷山公園]]}}
!{{縦書き|[[入間市駅|入間市]]}}
!{{縦書き|[[飯能駅|飯能]]}}
!{{縦書き|[[武蔵丘車両検修場|武蔵丘検]]}}
!{{縦書き|[[高麗駅|高麗]]}}
!{{縦書き|[[芦ヶ久保駅|芦ヶ久保]]}}
!{{縦書き|[[横瀬駅|横瀬]]}}
!{{縦書き|[[西武秩父駅|西武秩父]]}}
!{{縦書き|[[下山口駅|下山口]]}}
!{{縦書き|[[西武球場前駅|西武球場前]]}}
|- style="border-top:solid 3px #ff0000;"
!ちちぶ・こぶし
!1969 - 1973
|●||―||―||―||◆||―||―||―||●|| style="background-color:#ddd;" |=||―||―||―||●|| colspan="2" rowspan="6" style="background-color:#ddd;" |
|-
!ちちぶ・むさし
!1973 - 1993
|●||―||―||―||●||―||―||―||●|| style="background-color:#ddd;" |=||―||●||―||●
|-
!おくちちぶ
! rowspan="2" |1993 - 1998
|●||―||―||―||●||―||―||―||●|| style="background-color:#ddd;" |=||―||●||―||●
|-
!ちちぶ・むさし
|●||―||―||―||●||―||―||●||●|| style="background-color:#ddd;" |=||―||●||―||●
|-
!おくちちぶ
!1998 - 2003
|●||―||―||―||●||―||―||―||●|| style="background-color:#ddd;" |=||―||▲||●||●
|-
!ちちぶ・むさし
!1998 - 現在
|●||▲||―||―||●||―||▲||●||●|| style="background-color:#ddd;" |=||▲||▲||●||●
|-
!MISATO TRAIN
!1990 - 2005
|●||―||―||―||―||―|| style="background-color:#ddd;" |=|| style="background-color:#ddd;" |=|| style="background-color:#ddd;" |=|| style="background-color:#ddd;" |=|| style="background-color:#ddd;" |=|| style="background-color:#ddd;" |=|| style="background-color:#ddd;" |=|| style="background-color:#ddd;" |=||―||●
|-
! rowspan="3" |ドーム
(ローズエクスプレス)
!2005 - 2016
|●||●||―||―||●||―|| style="background-color:#ddd;" |=|| style="background-color:#ddd;" |=|| style="background-color:#ddd;" |=|| style="background-color:#ddd;" |=|| style="background-color:#ddd;" |=|| style="background-color:#ddd;" |=|| style="background-color:#ddd;" |=|| style="background-color:#ddd;" |=||―||●
|-
!2017
|●||―||●||―||●||―|| style="background-color:#ddd;" |=|| style="background-color:#ddd;" |=|| style="background-color:#ddd;" |=|| style="background-color:#ddd;" |=|| style="background-color:#ddd;" |=|| style="background-color:#ddd;" |=|| style="background-color:#ddd;" |=|| style="background-color:#ddd;" |=||―||●
|-
!2018
|●||―||―||―||●||―|| style="background-color:#ddd;" |=|| style="background-color:#ddd;" |=|| style="background-color:#ddd;" |=|| style="background-color:#ddd;" |=|| style="background-color:#ddd;" |=|| style="background-color:#ddd;" |=|| style="background-color:#ddd;" |=|| style="background-color:#ddd;" |=||―||●
|-
!ドーム
(スタジアムエクスプレス)
!2006 - 現在
|●||―||―||―||●||―|| style="background-color:#ddd;" |=|| style="background-color:#ddd;" |=|| style="background-color:#ddd;" |=|| style="background-color:#ddd;" |=|| style="background-color:#ddd;" |=|| style="background-color:#ddd;" |=|| style="background-color:#ddd;" |=|| style="background-color:#ddd;" |=||―||●
|-
!電車フェスタ
!2004 - 2010
|●||―||●||●||●||―||―||―||―||●|| colspan="6" style="background-color:#ddd;" |
|}
|-
|'''新宿線直通列車(西武新宿 - 西武秩父)'''
{| class="wikitable" style="text-align:center; margin:0em 0em 1em 0em;"
! colspan="2" |路線名
| colspan="6" |新宿線
| colspan="4" |池袋線
| colspan="3" |西武秩父線
|-
!列車名
!備考
!{{縦書き|[[西武新宿駅|西武新宿]]}}
!{{縦書き|[[高田馬場駅|高田馬場]]}}
!{{縦書き|[[上石神井駅|上石神井]]}}
!{{縦書き|[[田無駅|田無]]}}
!{{縦書き|[[小平駅|小平]]}}
!{{縦書き|[[東村山駅|東村山]]}}
!{{縦書き|[[所沢駅|所沢]]}}
!{{縦書き|[[入間市駅|入間市]]}}
!{{縦書き|[[飯能駅|飯能]]}}
!{{縦書き|[[武蔵丘車両検修場|武蔵丘検]]}}
!{{縦書き|[[芦ヶ久保駅|芦ヶ久保]]}}
!{{縦書き|[[横瀬駅|横瀬]]}}
!{{縦書き|[[西武秩父駅|西武秩父]]}}
|- style="border-top:solid 3px #ff0000;"
!''おくちちぶ''
!1976 - 1993
|●||■||―||―||―||―||●||―||●|| style="background-color:#ddd;" |=||●||―||●
|-
!電車フェスタ
!2005
|●||●||●||●||―||―||●||―||―||●
| colspan="3" style="background-color:#ddd;" |
|-
!おくちちぶ
!川瀬祭 2014 - 15
|●||●||―||●||―||●||●||●||●|| style="background-color:#ddd;" |=||―||●||●
|-
!おくちちぶ
!芝桜 2015
|●||●||―||―||―||●||●||―||●|| style="background-color:#ddd;" |=||―||●||●
|-
!ちちぶ
!横瀬公開 2015
|●||●||―||―||―||●||●||●||●|| style="background-color:#ddd;" |=||―||●||●
|}
|-
|'''新宿線直通列車(本川越 - 飯能・西武秩父)'''
{| class="wikitable" style="text-align:center; margin:0em 0em 1em 0em;"
! colspan="2" |路線名
| colspan="2" |新宿線
| colspan="3" |池袋線
| colspan="3" |西武秩父線
|-
!列車名
!備考
!{{縦書き|[[本川越駅|本川越]]}}
!{{縦書き|[[狭山市駅|狭山市]]}}
!{{縦書き|[[所沢駅|所沢]]}}
!{{縦書き|[[入間市駅|入間市]]}}
!{{縦書き|[[飯能駅|飯能]]}}
!{{縦書き|[[芦ヶ久保駅|芦ヶ久保]]}}
!{{縦書き|[[横瀬駅|横瀬]]}}
!{{縦書き|[[西武秩父駅|西武秩父]]}}
|- style="border-top:solid 3px #ff0000;"
!ちちぶ
!横瀬公開 2014
|●||●||●||●||●||―||●||●
|-
!むさし・小江戸
!001系 2019
|●||●||●||●||●|| colspan="3" style="background-color:#ddd;" |
|}
|-
|
'''凡例'''
* ●:停車駅
* ▲:臨時停車駅
* ◆:平日のみ停車
*■:当初は上りのみ停車<!--下り停車開始時期は不明-->
* ―:通過・客扱いなし
* =・空欄:経由なし
'''備考'''
* 飯能は折り返し駅のため、客扱いのない場合も必ず停車する。<!--運転停車の項目を作ってしまうと、全て入れる必要が出てくるので現実的ではないと思い避けました。-->
* 狭山線直通列車は、客扱いのない場合も西所沢駅に停車する。
*練馬は[[巾着田]][[ヒガンバナ|曼珠沙華]]・秩父芝桜開花時に一部停車。
* 稲荷山公園は[[11月3日]]の[[航空自衛隊]][[入間基地]]航空祭開催時に停車。
* 高麗は9月の巾着田曼珠沙華開花時に停車。
* 芦ヶ久保は西武鉄道の定めた日のみ(主に[[秩父路三大氷柱|あしがくぼの氷柱]]開催期間、ゴールデンウィークや7月上旬 - 8月下旬頃)に停車。
* 西所沢・下山口は[[列車交換]]による[[停車 (鉄道)#運転停車|運転停車]]で乗降不可。
* 「ローズエクスプレス」は池袋駅 - 練馬駅間・練馬駅 - 所沢駅間のみの乗車不可<ref group="注">ただし券売機には練馬駅のコマがある。</ref>。
* 「むさし」の飯能駅 - 西武秩父駅間延長運転は秩父夜祭開催時など多客時に実施。
|}
== 沿革 ==
{{出典の明記|date=2018年4月|section=1}}
{{Vertical_images_list
|幅= 200px
| 1=Seibu Railway Kuha5503.JPG
| 2=5000系 クハ5503<br />([[横瀬車両基地]][[静態保存]]車)
| 3=Seibu Railway Kuha5503 Chichibu Head mark.JPG
| 4=1969年 - 1978年に使用された<br />「ちちぶ」愛称板(復元品)
| 5=Headmark OKUCHICHIBU of Red Arrow.jpg
| 6=「おくちちぶ」<br />電照式愛称板
}}
*1969年([[昭和]]44年)[[10月14日]]:西武秩父線開業とともに西武鉄道初の[[特急形車両]][[西武5000系電車|5000系電車]]により特急「ちちぶ」・「こぶし」が運転開始<ref group="注">「こぶし」は18日から</ref><ref name=":2">「鉄道ピクトリアル」2020年3月号(通巻970号)西武鉄道特急車の50年 西武特急略年表 p.18 - p.19</ref>。両列車の途中停車駅は所沢駅(平日・土曜のみ)、飯能駅の2つ。
*1973年(昭和48年):池袋駅 - 所沢駅・飯能駅間の「むさし」運行開始。「こぶし」廃止。「ちちぶ」の停車駅を変更、所沢駅へ毎日停車、芦ヶ久保駅への停車も開始。
*1976年(昭和51年):休日に西武新宿駅 - 西武秩父駅間を直通する「おくちちぶ」、同列車の入庫を兼ねた西武新宿駅 → 所沢駅間(下りのみ)の「むさし」運転開始<ref name=":2" />。池袋線の池袋駅 - 飯能駅間の特急を1時間ヘッド化<ref name=":2" />。
*[[1980年]](昭和55年):「おくちちぶ」の送り込みも営業列車化、所沢駅 → 西武新宿駅間(上り)の「むさし」運転開始。
*1993年(平成5年)12月6日:「[[小江戸 (列車)|小江戸]]」運転開始に伴い、西武新宿駅発着の「おくちちぶ」・「むさし」を廃止<ref name=":3">「鉄道ピクトリアル」2020年3月号(通巻970号)西武鉄道特急車の50年 西武特急略年表 p.18 - p.19</ref>。「ちちぶ」・「むさし」の入間市駅への停車を開始<ref name=":3" />。池袋駅 - 西武秩父駅間(入間市通過)の「おくちちぶ」運転開始(土休日のみ)<ref name=":3" />。
*[[1994年]]([[平成]]6年)10月15日:[[西武10000系電車|10000系]]が池袋線「ちちぶ」・「むさし」としての運行を開始<ref name=":2" />。
*[[1995年]](平成7年)11月1日:定期列車の5000系から10000系への置換えが完了<ref name=":2" />。前日をもって5000系の定期運行が終了した<ref name=":2" />。
*[[1998年]](平成10年)3月26日:ダイヤ改正より芦ヶ久保駅の停車を取止め、横瀬駅への停車を開始<ref name=":2" />。芦ヶ久保駅は行楽シーズンのみの臨時停車となる<ref name=":2" />。
*[[2003年]](平成15年)
**[[3月12日]]:ダイヤ改正より「おくちちぶ」を廃止。
**[[9月20日]] - [[9月27日]]:巾着田曼珠沙華開花に合わせた高麗駅の臨時停車を開始。以降、秋の臨時停車が恒常化する。
*[[2004年]](平成16年):[[武蔵丘車両検修場]]の一般公開イベント開催にあわせて、池袋駅<ref group="注">2005年の土曜日のみ西武新宿発着</ref> - 武蔵丘車両検修場間で臨時特急「電車フェスタ号」を1往復運行。以降2010年まで運転された。
*[[2007年]](平成19年)[[3月7日]]:ダイヤ改正で、臨時特急「ドーム」運転開始。
*[[2014年]](平成26年)
**[[7月19日]]・20日:「[[秩父川瀬祭]]」の開催にあわせ、西武新宿駅 - 西武秩父駅間に臨時特急「おくちちぶ」を運転<ref name=":4">[https://web.archive.org/web/20140728053741/http://www.seibu-group.co.jp/railways/news/news-release/2014/__icsFiles/afieldfile/2014/07/09/20140709kawase.pdf 7月19日(土)、20日(日) 秩父川瀬祭りに合わせ、西武新宿~西武秩父駅間に直通臨時特急電車「おくちちぶ」を運転します!](PDF) - 西武鉄道リリースニュース 2014年7月9日掲載 同年7月28日時点のアーカイブ</ref>。「おくちちぶ」としては11年ぶり、西武新宿 - 西武秩父間を直通する特急列車としては21年ぶりの運行となる。途中停車駅は高田馬場・田無駅・東村山駅・所沢駅・入間市駅・飯能駅・横瀬駅<ref name=":4" />。
**[[11月8日]]:西武トレインフェスティバル2014 in 横瀬の開催にあわせ、本川越駅 → 西武秩父駅間に臨時特急「ちちぶ」を片道のみ運転<ref name=":5">[https://web.archive.org/web/20141107103448/http://www.seibu-group.co.jp/railways/enjoy/event-campaign-info/event/1202779_2619.html 西武トレインフェスティバル 2014 in 横瀬] - 西武鉄道Webサイト 2014年11月7日時点のアーカイブ</ref>。途中停車駅は狭山市・所沢・入間市・飯能・横瀬<ref name=":5" />。本川越駅からの池袋線直通特急は初となる。
*[[2015年]](平成27年)
**4月18日・19日:秩父・羊山公園の芝桜開花時期にあわせ、西武新宿駅 - 西武秩父駅に臨時特急「おくちちぶ」を運転<ref name=":6">[https://web.archive.org/web/20150317093159/http://www.seibu-group.co.jp/railways/news/news-release/2014/__icsFiles/afieldfile/2015/03/13/20150313shibazakura.pdf 芝桜の開花時期に合わせ、臨時特急電車・普通電車を増発!](PDF) - 西武鉄道リリースニュース 2015年3月13日掲載 同年3月17日時点のアーカイブ</ref>。途中停車駅は高田馬場駅・東村山駅・所沢駅・飯能駅・横瀬駅となる<ref name=":6" /><ref group="注" name=":0">秩父川瀬祭のものと異なる。</ref>。
**7月19日・20日:「[[秩父川瀬祭]]」の開催に伴い、西武新宿駅 - 西武秩父駅間に臨時特急「おくちちぶ」を運転<ref>[https://web.archive.org/web/20150723215719/http://www.seibu-group.co.jp/railways/news/news-release/2015/__icsFiles/afieldfile/2015/06/18/20150618kawase.pdf 秩父川瀬祭の開催に合わせ、西武新宿~西武秩父駅間に臨時特急レッドアロー号「おくちちぶ」を運転します!](PDF) - 西武鉄道リリースニュース 2015年6月18日掲載 同年7月23日時点のアーカイブ</ref>。停車駅は昨年と同様
**11月7日:西武トレインフェスティバル2015 in 横瀬の開催にあわせ、西武新宿駅 → 西武秩父駅間に臨時特急「ちちぶ」を片道のみ運転<ref name=":7">[https://web.archive.org/web/20151008224122/http://www.seibu-group.co.jp/railways/redarrow/exp-temporary-train/1213772_1390.html 「西武トレインフェスティバル2015 in 横瀬」にあわせ臨時特急電車を運転します!] - 西武鉄道Webサイト 2014年10月8日時点のアーカイブ</ref>。途中停車駅は高田馬場・東村山・所沢・入間市・飯能・横瀬<ref name=":7" />。
*[[2016年]](平成28年)1月4日~2月28日:[[秩父路三大氷柱|あしがくぼの氷柱]]開催に合わせ一部臨時停車。また、[[ライトアップ]]中は速度を落として運行<ref>[http://www.seibu-group.co.jp/railways/news/news-release/2015/__icsFiles/afieldfile/2015/12/16/20151216ashigakubohyouchuu.pdf 特急レッドアロー号の一部が芦ヶ久保駅に臨時停車します] {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20160225071705/http://www.seibu-group.co.jp/railways/news/news-release/2015/__icsFiles/afieldfile/2015/12/16/20151216ashigakubohyouchuu.pdf |date=2016年2月25日 }}</ref>。
*[[2017年]](平成29年)2月19日:「第4回秩父ウイスキー祭」の開催に伴い本川越駅 → 西武秩父駅間に「ちちぶ」を片道のみ運転。
*[[2019年]](平成31年)3月16日:ダイヤ改正<ref>[https://www.seiburailway.jp/news/news-release/2018/2019daiyakaisei.pdf 2019年3月16日(土)ダイヤ改正を実施します。]</ref>。[[西武001系電車|001系「Laview」]]の運行を開始。池袋 - 所沢間の所要時間を最速19分に短縮。
*[[2020年]]([[令和]]2年)
**[[3月14日]]:001系による10000系の置換え完了。
**[[4月29日]]:[[新型コロナウイルス感染症 (2019年)|新型コロナウイルス感染症(COVID-19)]]流行拡大の影響から、この日より休日の一部列車の運転を休止<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.seiburailway.jp/news/information/20200422_information.pdf|title=土休日の特急列車の一部運休および「S-TRAIN」「拝島ライナー」の運休について|accessdate=2020-04-26|publisher=西武鉄道}}</ref>。
**9月5日 - 11月1日:一部の列車が−[[西吾野駅]]・[[正丸駅]]に停車。<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.seiburailway.jp/news/news-release/2020/20200729_rintei_hiking.pdf|title=秋のハイキングシーズンに合わせ一部の特急電車が西吾野駅・正丸駅に臨時停車します!|accessdate=2021-04-01|publisher=西武鉄道}}</ref>。
*[[2021年]](令和3年)
**5月7日 - 6月27日:一部の列車が−[[武蔵横手駅]]・[[東吾野駅]]に停車。<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.seiburailway.jp/news/news-release/2021/20210401_exp.pdf|title=清々しく雄大な大自然の中でリフレッシュしませんか?5月7日(金)~6月27日(日)初夏のハイキングシーズンに合わせ一部の特急電車が武蔵横手駅・東吾野駅に臨時停車します!|accessdate=2021-04-01|publisher=西武鉄道}}</ref>。
== 脚注 ==
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=== 注釈 ===
<references group="注" />
=== 出典 ===
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== 関連項目 ==
* [[レッドアロー]]
* [[小江戸 (列車)]]
* [[S-TRAIN]]
* [[西武鉄道のダイヤ改正]]
==外部リンク==
*[https://www.seiburailway.jp/railway/reservedtrain/laview/ 特急ラビュー :西武鉄道Webサイト]
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17,662 |
小江戸 (列車)
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小江戸(こえど)は、西武鉄道が西武新宿駅 - 本川越駅間を西武新宿線経由で運転する特急列車の名称。2021年現在は南入曽車両基地所属の10000系電車「ニューレッドアロー」によって運転されている。
なお、本項では過去に西武新宿 - 本川越間で運転されていた「むさし」、および新宿線系統の各種臨時特急列車も併せて解説する。
全列車とも座席指定制で利用には特急券を別途購入する必要がある。
列車号数は下りが奇数、上りが偶数となり、発車順に付番される。
2016年3月26日に東京メトロ副都心線・東武東上線で急行運転を行う「Fライナー」が運転を開始すると、西武新宿駅 - 本川越駅間と並行する新宿三丁目駅 - 川越市駅間がほぼ同じ所要時間(小江戸45分:Fライナー41分)で日中は30分間隔で運転されることになり(Fライナーは特急料金も不要だがロングシートである)、特に日中の西武新宿駅 - 本川越駅間の通し乗車は苦戦を強いられている。
1993年から、西武新宿駅 - 本川越駅間で運転。愛称の「小江戸」は、江戸時代は旧武蔵国であった埼玉県川越市の「江戸の文化が真っ先に伝わる繁栄した町」および「江戸時代の町並みを残す町」という意味合いの比喩的表現に由来する。朝・夕ラッシュ時における着席サービスを求める通勤客の利用を中心に据えている。
運行経緯 西武鉄道では、1969年より池袋線系統で5000系車両による特急列車の運転を開始しており、後に秩父観光の多チャンネル化を計る目的で西武新宿発着の特急列車も運転することとなった。1976年に西武新宿駅 - 西武秩父駅間の「おくちちぶ」が休日に1往復と、同列車の入庫を兼ねた西武新宿駅 → 所沢駅間の「むさし」が運転開始。「むさし」は後に上りも運転、下りは本川越まで延長された。
1993年、新型車両10000系による「小江戸」が登場した。車両を既にJR各社で主に通勤客をターゲットとした座席定員制列車「ホームライナー」が実績を積んでいたことや、池袋線系統の「ちちぶ」・「むさし」でも通勤客の着席サービス確保のための利用が確認されていたことが「小江戸」の運転開始に繋がった。なおこれと同時に西武新宿発着の「おくちちぶ」・「むさし」は運行終了した。
2018年3月10日現在
平日
土休日
1993年の運転開始当初は、早朝の1往復運転後は通勤ラッシュ終了後からおおむね1時間ヘッドの運転とされていた。また、南入曽車両基地からの出入庫を兼ねた所沢駅始発・終着の列車も設定されていたが、1998年3月のダイヤ改正以降は全列車西武新宿駅 - 本川越駅間の運転となる。
西武新宿駅 - 西武秩父駅間で運転される列車に「おくちちぶ」の愛称が使用されていた。このほか、後述の臨時列車にも使用されている。
上記「おくちちぶ」の入出庫を兼ねて、「むさし」を名乗る列車が運転されていた。
新宿線沿線では目立ったイベントもなく、基本的には池袋線系統とも独立して運行されるため数は少ないが、以下のようなものが運転されている。
2019年4月27日から5月6日の大型連休にあわせ、本川越駅 - 飯能駅間で001系「Laview」の臨時列車が各日1往復運行された。飯能行きが「むさし90号」本川越行きが「小江戸92号」となっており、いずれの列車も途中停車駅は狭山市・所沢・入間市である。車両はその日ごとに小手指から送り込まれ、A編成・B編成が交互に充当されていた。
001系の新宿線営業運転はこれが初となり、初日の4月27日には、「Laview 新宿線初運行記念セレモニー」が行われた。
2023年6月現在、001系「Laview」は池袋線系統のみでの運用となっており、新宿線への投入については2023年6月の西武ホールディングス株主総会において、株主からの質問に対し具体的な計画は未定であり、ニーズに応じた運行計画の改善などと合わせ、引き続き検討すると回答している。ただし、2023年の時点では、本川越駅の特急用ホームが7両編成までしか対応していない関係上、001系の入線は特急用以外のホームで折返す(臨時列車では実施)か、1両分延長する必要がある。
小江戸:西武新宿駅・高田馬場駅・東村山駅・所沢駅・狭山市駅・本川越駅
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"text": "001系の新宿線営業運転はこれが初となり、初日の4月27日には、「Laview 新宿線初運行記念セレモニー」が行われた。",
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"text": "2023年6月現在、001系「Laview」は池袋線系統のみでの運用となっており、新宿線への投入については2023年6月の西武ホールディングス株主総会において、株主からの質問に対し具体的な計画は未定であり、ニーズに応じた運行計画の改善などと合わせ、引き続き検討すると回答している。ただし、2023年の時点では、本川越駅の特急用ホームが7両編成までしか対応していない関係上、001系の入線は特急用以外のホームで折返す(臨時列車では実施)か、1両分延長する必要がある。",
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小江戸(こえど)は、西武鉄道が西武新宿駅 - 本川越駅間を西武新宿線経由で運転する特急列車の名称。2021年現在は南入曽車両基地所属の10000系電車「ニューレッドアロー」によって運転されている。 なお、本項では過去に西武新宿 - 本川越間で運転されていた「むさし」、および新宿線系統の各種臨時特急列車も併せて解説する。
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{{Infobox 列車名
|列車名=小江戸
|ロゴ=
|ロゴサイズ=
|画像=Seibu-Series10000-10112F Koedo-10.jpg
|画像サイズ=300px
|画像説明=10000系による「小江戸」<br>(2023年10月3日 [[東伏見駅]])
|国={{JPN}}
|種類=[[特別急行列車]]
|現況=運行中
|地域=
|前身=特急「むさし」(西武新宿発着)
|運行開始=[[1993年]][[12月6日]]
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|後継=
|運営者=[[西武鉄道]]
|旧運営者=
|平均乗客数=
|起点=[[西武新宿駅]]
|停車地点数=6駅(起終点含む)
|終点=[[本川越駅]]
|営業距離=47.5km
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|その他=
|車両=[[西武10000系電車|10000系]]
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|線路所有者=
|ルート番号=SS
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|路線図=
|路線図表示=<!--collapsed-->
}}'''小江戸'''(こえど)は、[[西武鉄道]]が[[西武新宿駅]] - [[本川越駅]]間を[[西武新宿線]]経由で運転する[[特別急行列車|特急列車]]の名称。2021年現在は[[南入曽車両基地]]所属の[[西武10000系電車|10000系電車]]「ニューレッドアロー」によって運転されている。
なお、本項では過去に西武新宿 - 本川越間で運転されていた「'''むさし'''」、および新宿線系統の各種臨時特急列車も併せて解説する。
== 列車概況 ==
{| style="text-align:center; float:right; margin:1em 0em 1em 1em; border:1px solid #999; padding:1em;"
|+ 2018年12月28日現在の編成図
| style="background:#eee; border-bottom:solid 6px #ff0000;" |'''小江戸'''
|-
|{{TrainDirection|西武新宿|本川越}}
|-
|
{| class="wikitable" style="font-size:80%; float:center; margin:0em auto;"
|+ 10000系(ニューレッドアロー)
| style="width:3em;" |1
| style="width:2em;" |2
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| style="width:2em;" |4
| style="width:2em;" |5
| style="width:2em;" |6
| style="width:2em;" |7
|-
|指 障||指||指||指||指||指||指
|}
|-
|
|-
| style="text-align:left; font-size:80%;" |
*全車禁煙 *Free Wi-Fi設置
----
;凡例
:指=[[座席指定席]]
:障=[[バリアフリー]]対応座席設置車
|}
全列車とも[[座席指定席|座席指定]]制で利用には[[特別急行券|特急券]]を別途購入する必要がある。
列車号数は下りが奇数、上りが偶数となり、発車順に付番される。
* 定期列車は0 - 50番台、臨時・不定期列車は70 - 90番台が充てられる。基本的には平日ダイヤと土休日ダイヤで概ね同時刻となるが、大幅に異なる列車も存在し、その場合は土休日の列車が60番台となっている。列車番号はこれに100を付加したものとなる。
<!--[[2012年]][[6月30日]]には西武鉄道の[[ダイヤ改正]]で[[快速急行]]が新宿線から廃止されたため、日中以降は田無駅以西([[2018年]]3月以降は[[拝島ライナー]]運転開始により小平駅以西)で通過運転を行う唯一の列車となった。-->
[[2016年]][[3月26日]]に[[東京メトロ副都心線]]・[[東武鉄道|東武]][[東上本線|東上線]]で急行運転を行う「[[Fライナー]]」が運転を開始すると、西武新宿駅 - 本川越駅間と並行する[[新宿三丁目駅]] - [[川越市駅]]間がほぼ同じ所要時間(小江戸45分:Fライナー41分)で日中は30分間隔で運転されることになり(Fライナーは特急料金も不要だがロングシートである)、特に日中の西武新宿駅 - 本川越駅間の通し乗車は苦戦を強いられている。
{{-}}
=== 現在の定期列車 ===
=== 小江戸 ===
[[File:Seibu-Series10000-10105 RED ARROW CLASSIC LAST RUN.jpg|thumb|270px|レッドアロークラシック塗装の「小江戸」(2021年4月21日 [[東伏見駅]] - [[武蔵関駅]]間)]][[File:SeibuLtdExpressTiketKoedo.png|thumb|小江戸号 特急券]]
1993年から、西武新宿駅 - 本川越駅間で運転。愛称の「[[小江戸]]」は、[[江戸時代]]は旧[[武蔵国]]であった[[埼玉県]][[川越市]]の「[[江戸]]の文化が真っ先に伝わる繁栄した町」および「江戸時代の町並みを残す町」という意味合いの[[比喩]]的表現に由来する。朝・夕[[ラッシュ時]]における着席サービスを求める通勤客の利用を中心に据えている。
'''運行経緯'''
西武鉄道では、1969年より[[西武池袋線|池袋線]]系統で[[西武5000系電車|5000系車両]]による特急列車の運転を開始しており、後に[[秩父地方|秩父]]観光の多チャンネル化を計る目的で西武新宿発着の特急列車も運転することとなった<ref group="注">ただしそれ以前に新宿線でも[[団体専用列車|団体]]臨時列車で5000系による運転記録があり、[[西武国分寺線|国分寺線]]や[[西武拝島線|拝島線]]への入線実績もある。</ref>。1976年に西武新宿駅 - [[西武秩父駅]]間の「'''おくちちぶ'''」が休日に1往復と、同列車の入庫を兼ねた西武新宿駅 → [[所沢駅]]間の「'''むさし'''」が運転開始。「むさし」は後に上りも運転、下りは本川越まで延長された。
[[1993年]]、新型車両10000系による「小江戸」が登場した。車両を既に[[JR]]各社で主に通勤客をターゲットとした座席定員制列車「[[ホームライナー]]」が実績を積んでいたことや、池袋線系統の[[ちちぶ (列車)|「ちちぶ」・「むさし」]]でも通勤客の着席サービス確保のための利用が確認されていたことが「小江戸」の運転開始に繋がった。なおこれと同時に西武新宿発着の「おくちちぶ」・「むさし」は運行終了した。
==== 運行概況 ====
2018年3月10日現在
'''平日'''
*6時台上り3本・7時台下り2本上り1本・8時台上り3本・9時台下り2本上り1本・10時台下り1本上り1本・11時台下り2本上り1本
*12時台 - 15時台:1時間ヘッド
*16時以降:30分ヘッド(多少間隔が開く場合もある・最終は西武新宿駅23時55分発)
'''土休日'''
*6時台上り1本・7時台下り1本上り1本・8時台下り1本上り1本・9時台下り1本上り2本・10時台下り2本上り2本・11時台下り2本上り1本
*12時台 - 15時台:1時間ヘッド
*16時以降:30分ヘッド(最終は西武新宿駅23時00分発)
1993年の運転開始当初は、早朝の1往復運転後は通勤ラッシュ終了後からおおむね1時間ヘッドの運転とされていた。また、南入曽車両基地からの出入庫を兼ねた所沢駅始発・終着の列車も設定されていたが、1998年3月のダイヤ改正以降は全列車西武新宿駅 - 本川越駅間の運転となる。
=== 過去の定期列車 ===
==== おくちちぶ ====
西武新宿駅 - 西武秩父駅間で運転される列車に「おくちちぶ」の愛称が使用されていた。このほか、後述の臨時列車にも使用されている。
* [[1976年]] - [[1993年]]:休日に西武新宿駅 - 西武秩父駅間で運転。
** {{Main|ちちぶ (列車)#おくちちぶ}}
==== むさし ====
上記「おくちちぶ」の入出庫を兼ねて、「むさし」を名乗る列車が運転されていた。
* 1976年 - 1993年:休日に西武新宿駅 - 本川越駅間で運転。
** 前述の「おくちちぶ」の入出庫を兼ねていた。
** 当初は下り列車のみの運転であったが、1980年より上り列車の運転を開始。
** 「おくちちぶ」と同様に当初は高田馬場駅は上りのみの停車であったが、後に下りも停車している。
** 1986年には下りが本川越駅まで延長され、狭山市駅が停車駅に加わった。
** 1993年、西武新宿駅 - 本川越駅間の「小江戸」デビューに伴い、西武新宿駅発着の「おくちちぶ」とともに運行終了。
=== 過去の臨時列車 ===
新宿線沿線では目立ったイベントもなく、基本的には池袋線系統とも独立して運行されるため数は少ないが、以下のようなものが運転されている。
==== 拝島線臨時特急 ====
* 2011年から2014年、西武新宿駅 → 拝島駅で臨時特急が運転された。
* 「レッドアロークラシック」運行記念として、2011年12月12日 – 18日まで西武新宿駅→[[拝島駅]]間の臨時特急列車を夜間に片道1本運行した<ref name=":6">[https://web.archive.org/web/20120102080030/http://www.seibu-group.co.jp/railways/news/news-release/2011/__icsFiles/afieldfile/2011/10/27/20111027haijima.pdf 12月12日(月)~18日(日)拝島線に臨時特急電車を運転](PDF) - (西武鉄道リリースニュース・インターネットアーカイブ)</ref>。[[西武拝島線|拝島線]]で特急列車が運行されるのはこれが初めてである。
** 途中停車駅は[[高田馬場駅]](乗車のみ)・[[田無駅]]・[[小平駅]]・[[玉川上水駅]](以上降車のみ)とされた<ref name=":6" />。
** 特急料金は西武新宿 - 拝島が410円、その他の区間が350円となっている<ref name=":6" />。
** 時刻は西武新宿19:40頃発となる。
* 2012年は「西武鉄道創立100周年記念」として8月24日 - 30日<ref name=":7">[https://web.archive.org/web/20130215103134/http://www.seibu-group.co.jp/railways/news/news-release/2012/__icsFiles/afieldfile/2012/07/25/20120725haijima.pdf 拝島線に臨時特急電車を運転します!](PDF) - (西武鉄道リリースニュース・インターネットアーカイブ)</ref>・12月10日 - 16日に運転された<ref name=":8">[https://web.archive.org/web/20130127044515/http://www.seibu-group.co.jp/railways/news/news-release/2012/__icsFiles/afieldfile/2012/11/13/20121113haijima.pdf 拝島線に臨時特急電車を運転します!](PDF) - (西武鉄道リリースニュース・インターネットアーカイブ)</ref>。
** 停車駅が変更され、田無駅が通過、新たに[[東大和市駅]](降車のみ)に停車する<ref name=":7" />。
** 特急料金も変更され、350円の全区間均一となった<ref name=":7" />。
** 12月の運転では土休日の運転時刻が約2時間繰り上げられた<ref name=":8" />。
* 2013年は12月12日・13日・19日・20日に運転された<ref name=":9">[https://web.archive.org/web/20140108153311/http://www.seibu-group.co.jp/railways/news/news-release/2013/__icsFiles/afieldfile/2013/11/01/20131101mokukin.pdf 夜間時間帯に池袋線・新宿線・拝島線で臨時電車を増発します!](PDF) - (西武鉄道リリースニュース・インターネットアーカイブ)</ref>。
** 今回から途中駅からの乗車が可能となっている<ref name=":9" />。
** 特急料金は西武新宿 - 拝島が410円、その他の区間が350円と初回同様のものとなった<ref name=":9" />。
** 時刻は西武新宿21:15発となる。
* 2014年は9月16日 - 26日の平日<ref name=":10">[https://web.archive.org/web/20150415160310/http://www.seibu-group.co.jp/railways/news/news-release/2014/__icsFiles/afieldfile/2014/09/11/20140903haijima.pdf 拝島線に臨時特急電車を運転します!](PDF) - (西武鉄道リリースニュース・インターネットアーカイブ)</ref> と12月11日 - 26日の木・金曜<ref>[https://web.archive.org/web/20150415114025/http://www.seibu-group.co.jp/railways/news/news-release/2014/__icsFiles/afieldfile/2014/11/25/20141125mokukin.pdf 忘年会シーズンに合わせ、年末 木・金曜日の夜間に池袋線・新宿線・拝島線で臨時電車を増発します!](PDF) - (西武鉄道リリースニュース・インターネットアーカイブ)</ref> に運転された。
** この運転では田無駅の停車を復活<ref name=":10" />。
** 特急料金が10円値上げされた。
** 時刻は2012年8月・12月にそれぞれ準じている。
* 利用状況は良好であったが定期運転は見送られた。その後2018年には[[拝島ライナー]]が登場している。
==== おくちちぶ (臨時) ====
* 2014年と2015年に西武新宿駅 - 西武秩父駅間で、臨時列車として運転された。
** {{Main|ちちぶ (列車)#おくちちぶ (臨時)}}
==== 001系の新宿線・池袋線臨時特急<!--むさし90号・小江戸92号などは臨時の列車名としてありきたりなものであり、タイトルとして不適切--> ====
[[2019年]][[4月27日]]から[[5月6日]]の大型連休にあわせ、[[本川越駅]] - 飯能駅間で[[西武001系電車|001系]]「Laview」の臨時列車が各日1往復運行された<ref>{{PDFlink|[https://www.seiburailway.jp/news/news-release/2019/20190417Laview_shinjukulinedebut.pdf “新型特急車両 Laview 新宿線の一部で初運行!”大型連休にあわせて本川越~飯能駅間で運転!!]}} -西武鉄道ニュースリリース 2019年4月17日</ref>。飯能行きが「むさし90号」本川越行きが「小江戸92号」となっており、いずれの列車も途中停車駅は狭山市・所沢・入間市である。車両はその日ごとに小手指から送り込まれ、A編成・B編成が交互に充当されていた。
001系の新宿線営業運転はこれが初となり、初日の4月27日には、「Laview 新宿線初運行記念セレモニー」が行われた。
== 使用車両(定期列車)==
* [[西武10000系電車|10000系「ニューレッドアロー」]](1993年 - )
* [[西武5000系電車|5000系「レッドアロー」]](1976年 - 1993年)
2023年6月現在、[[西武001系電車|001系「Laview」]]は[[西武池袋線|池袋線]]系統のみでの運用となっており、新宿線への投入については[[2023年]]6月の[[西武ホールディングス]][[株主総会]]において、株主からの質問に対し具体的な計画は未定であり、ニーズに応じた運行計画の改善などと合わせ、引き続き検討すると回答している<ref>{{cite news |url=https://news.mynavi.jp/article/20230624-seibuholdings/ |title=西武新宿線、JR中央線と街の規模が違いすぎ! 線路跡に関する提案も |newspaper=マイナビニュース |publisher=[[マイナビ]] |author=若林健矢 |date=2023-06-24 |accessdate=2023-06-26}}</ref>。ただし、2023年の時点では、本川越駅の特急用ホームが7両編成までしか対応していない関係上、001系の入線は特急用以外のホームで折返す(臨時列車では実施)か、1両分延長する必要がある。
== 停車駅 ==
=== 現在の停車駅 ===
'''小江戸''':西武新宿駅・高田馬場駅・東村山駅・所沢駅・狭山市駅・本川越駅
=== 過去の停車駅・臨時停車駅 ===
{| style="font-size:80%; margin:1em 0em 2em 3em;"
|-
|'''西武新宿 - 本川越・西武秩父'''<!-- 武蔵丘は信号場は通るが検修場は通らない -->
{| class="wikitable" style="text-align:center; margin:0em 0em 1em 0em;"
|-
! colspan="2" |路線名称
| colspan="9" |新宿線
| colspan="3" |池袋線
| colspan="3" |西武秩父線
|-
!列車名
!備考
!{{縦書き|[[西武新宿駅|西武新宿]]}}
!{{縦書き|[[高田馬場駅|高田馬場]]}}
!{{縦書き|[[上石神井駅|上石神井]]}}
!{{縦書き|[[田無駅|田無]]}}
!{{縦書き|[[小平駅|小平]]}}
!{{縦書き|[[東村山駅|東村山]]}}
!{{縦書き|[[所沢駅|所沢]]}}
!{{縦書き|[[狭山市駅|狭山市]]}}
!{{縦書き|[[本川越駅|本川越]]}}
!{{縦書き|[[入間市駅|入間市]]}}
!{{縦書き|[[飯能駅|飯能]]}}
!{{縦書き|[[武蔵丘車両検修場|武蔵丘検]]}}
!{{縦書き|[[芦ヶ久保駅|芦ヶ久保]]}}
!{{縦書き|[[横瀬駅|横瀬]]}}
!{{縦書き|[[西武秩父駅|西武秩父]]}}
|- style="border-top:solid 3px #ff0000;"
!''おくちちぶ''
! rowspan="2" |1976 - 1993
|●||◆
|―||―||―||―||●|| style="background-color:#ddd;" |=|| style="background-color:#ddd;" |=||―||●|| style="background-color:#ddd;" |=||●||―||●
|-
!''むさし''
|●||◆
|―||―||―||―||●||●||●|| colspan="6" rowspan="3" style="background-color:#ddd;" |
|-
! rowspan="2" |小江戸
!1993 - 2013
|●||●||―||―||―||▲||●||●||●
|-
!2013 - 現在
|●||●||―||―||▲||●||●||●||●
|-
!電車フェスタ
!2005
|●||●||●||●||―||―||●|| style="background-color:#ddd;" |=|| style="background-color:#ddd;" |=||―||―||●|| colspan="3" style="background-color:#ddd;" |
|-
!おくちちぶ
!川瀬祭 2014 - 15
|●||●||―||●||―||●||●|| style="background-color:#ddd;" |=|| style="background-color:#ddd;" |=||●||●|| style="background-color:#ddd;" |=||―||●||●
|-
!おくちちぶ
!芝桜 2015
|●||●||―||―||―||●||●|| style="background-color:#ddd;" |=|| style="background-color:#ddd;" |=||―||●|| style="background-color:#ddd;" |=||―||●||●
|-
!ちちぶ
!横瀬公開 2015
|●||●||―||―||―||●||●|| style="background-color:#ddd;" |=|| style="background-color:#ddd;" |=||●||●|| style="background-color:#ddd;" |=||―||●||●
|}
|-
|'''本川越 - 飯能・西武秩父'''
{| class="wikitable" style="text-align:center; margin:0em 0em 1em 0em;"
|-
! colspan="2" |路線名称
| colspan="2" |新宿線
| colspan="3" |池袋線
| colspan="3" |西武秩父線
|-
!列車名
!備考
!{{縦書き|[[本川越駅|本川越]]}}
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!{{縦書き|[[所沢駅|所沢]]}}
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!{{縦書き|[[飯能駅|飯能]]}}
!{{縦書き|[[芦ヶ久保駅|芦ヶ久保]]}}
!{{縦書き|[[横瀬駅|横瀬]]}}
!{{縦書き|[[西武秩父駅|西武秩父]]}}
|- style="border-top:solid 3px #ff0000;"
!ちちぶ
!横瀬公開 2014
|●||●||●||●||●||―
|●||●
|-
!むさし・小江戸
!001系 2019
|●||●||●||●||●|| colspan="3" style="background-color:#ddd;" |
|}
|-
|
'''凡例'''
* ●:停車駅
* ▲:臨時停車駅
*■:当初は上りのみ停車<!--- いつからか上下停車になった?最後まで上りのみ?不明 --->
* ―:通過・客扱いなし
* =・空欄:経由なし
'''備考'''
* 飯能は折り返し駅のため、客扱いのない場合も必ず停車する。<!-- 運転停車の項目を作ってしまうと、全て入れる必要が出てくるので現実的ではないと思い避けました。 -->
* 「小江戸」(1993-2003)の東村山駅への臨時停車は2003年から2005年の6月に実施。
* 「小江戸」(2013-)の小平駅への臨時停車は2014年から2018年までの春と2018年から2019年までの秋、それぞれ彼岸にあわせ実施。
|}
== 沿革 ==
*[[1976年]]([[昭和]]51年)[[3月1日]]:ダイヤ改正を実施。これより休日に西武新宿駅 - 西武秩父駅間を直通する「おくちちぶ」、同列車の入庫を兼ねた西武新宿駅 → 所沢駅間(下りのみ)の「むさし」が5000系にて運転開始<ref name=":4">「鉄道ピクトリアル」2020年3月号(通巻970号)西武鉄道特急車の50年 西武特急略年表 p.18 - p.19</ref>。
*[[1980年]](昭和55年):「おくちちぶ」の送り込みも営業列車化、所沢駅 → 西武新宿駅間(上り)の「むさし」運転開始。
*[[1986年]](昭和61年):下り西武新宿駅 → 所沢駅間の「むさし」を本川越駅まで延長。狭山市駅が停車駅となる。
*[[1993年]]([[平成]]5年)[[12月6日]]:ダイヤ改正より10000系による「小江戸」が運転開始。これに伴い、西武新宿駅発着の「おくちちぶ」・「むさし」を廃止<ref name=":4" />、5000系が新宿線定期列車から撤退。なお「おくちちぶ」の愛称自体は池袋線で存続している<ref name=":4" />。
*[[2003年]](平成15年)
**[[3月12日]]:ダイヤ改正で、8時台に運転する上り列車を新設。
**[[6月7日]]・8日・14日・15日:「西武沿線花さんぽ」キャンペーンの一環として、一部列車が東村山駅に臨時停車<ref>[https://web.archive.org/web/20061008213140/http://www.seibu-group.co.jp/railways/kouhou/news/2003/0604rite.pdf 6月7日(土)・8日(日)・14日(土)・15日(日) 東村山駅に特急レッドアローを臨時停車](PDF) - (西武鉄道リリースニュース・インターネットアーカイブ)</ref>。以後2005年まで実施。
*[[2005年]](平成17年)[[6月4日]]:「西武・電車フェスタ2005 in [[武蔵丘車両検修場]]」の開催にあわせ、西武新宿駅 - 武蔵丘車両検修場間に臨時特急「[[ちちぶ (列車)#電車フェスタ号|電車フェスタ号]]」が1往復運転<ref name=":5">[https://web.archive.org/web/20051030063057/http://www.seibu-group.co.jp/railways/kouhou/news/2005/0520.pdf 「西武・電車フェスタ 2005 in 武蔵丘車両検修場」開催](PDF) - (西武鉄道リリースニュース・インターネットアーカイブ)</ref>。途中停車駅は高田馬場・上石神井・田無・所沢<ref name=":5" />。
*[[2007年]](平成19年)[[3月28日]]:10108編成が西武新宿駅 - 本川越駅間で西武鉄道2回目のお召し列車として運行される。
*[[2009年]](平成21年)[[3月20日]]:川越市を舞台とする[[日本放送協会|NHK]][[連続テレビ小説]]『[[つばさ (2009年のテレビドラマ)|つばさ]]』の放送にあわせ、[[西武10000系電車#ラッピング車両|番組PRラッピング車両]]の運転を開始<ref>[https://web.archive.org/web/20090306120016/http://www.seibu-group.co.jp/railways/kouhou/news/2008/0226.pdf 連続テレビ小説「つばさ」ラッピングトレインを運転] ([[Portable Document Format|PDF]]) - 西武鉄道ニュースリリース 2009年2月26日掲載 2009/3/6時点のアーカイブ</ref>。初日には西武新宿駅で出発式を実施、また同駅から本川越駅までノンストップの臨時列車が運転。新宿線で9月26日まで運転された。
*[[2011年]](平成23年)[[12月12日]] - 18日:「レッドアロークラシック」運行記念として、西武新宿駅→[[拝島駅]]間の臨時特急列車を夜間に運転<ref name=":6" />。以後様々な名目で2014年まで運転、そのうち2012年と2014年は夏にも運転されている。
*[[2012年]](平成24年)
**[[9月24日]] - 30日:西武鉄道創立100周年を記念し、1週間限定で帰宅時間帯の下り4本が東村山駅に臨時停車<ref name=":11">[https://web.archive.org/web/20130215102925/http://www.seibu-group.co.jp/railways/news/news-release/2012/__icsFiles/afieldfile/2012/08/09/20120809rintei.pdf 東村山駅・新所沢駅に特急電車が停まります!](PDF) - (西武鉄道リリースニュース・インターネットアーカイブ)</ref>。
**[[11月5日]] - 11日:西武鉄道創立100周年を記念し、1週間限定で帰宅時間帯の下り4本が新所沢駅に臨時停車<ref name=":11" />。
*[[2013年]](平成25年)[[3月16日]]:ダイヤ改正で、東村山駅への停車を定期化。
* [[2014年]](平成26年)
** [[7月19日]]・20日:「[[秩父川瀬祭]]」の開催にあわせ、西武新宿駅 - 西武秩父駅間に臨時特急「おくちちぶ」を運転<ref name=":0">[https://web.archive.org/web/20140728053741/http://www.seibu-group.co.jp/railways/news/news-release/2014/__icsFiles/afieldfile/2014/07/09/20140709kawase.pdf 7月19日(土)、20日(日) 秩父川瀬祭りに合わせ、西武新宿~西武秩父駅間に直通臨時特急電車「おくちちぶ」を運転します!](PDF) - 西武鉄道リリースニュース 2014年7月9日掲載 同年7月28日時点のアーカイブ</ref>。「おくちちぶ」としては11年ぶり、西武新宿 - 西武秩父間を直通する特急列車としては21年ぶりの運行となる。途中停車駅は高田馬場・田無駅・東村山駅・所沢駅・入間市駅・飯能駅・横瀬駅<ref name=":0" />。
**[[9月20日]]・21日・23日:秋の彼岸の時期にあわせ一部列車が、「[[小平霊園]]」の最寄り駅である小平駅へ臨時停車<ref>[https://web.archive.org/web/20150415231943/http://www.seibu-group.co.jp/railways/news/news-release/2014/__icsFiles/afieldfile/2014/08/29/20140829kodaira.pdf 9月20日(土)、21日(日)、23日(火・祝) 特急レッドアロー号の一部が小平駅に臨時停車します](PDF) - (西武鉄道リリースニュース・インターネットアーカイブ)</ref>。以後、2018年まで同時期に実施された。
** [[11月8日]]:西武トレインフェスティバル2014 in 横瀬の開催にあわせ、本川越駅 → 西武秩父駅間に臨時特急「ちちぶ」を片道のみ運転<ref name=":1">[https://web.archive.org/web/20141107103448/http://www.seibu-group.co.jp/railways/enjoy/event-campaign-info/event/1202779_2619.html 西武トレインフェスティバル 2014 in 横瀬] - 西武鉄道Webサイト 2014年11月7日時点のアーカイブ</ref>。途中停車駅は狭山市・所沢・入間市・飯能・横瀬<ref name=":1" />。本川越駅からの池袋線直通特急は初となる。
* [[2015年]](平成27年)
** [[4月18日]]・19日:秩父・羊山公園の芝桜開花時期にあわせ、西武新宿駅 - 西武秩父駅に臨時特急「おくちちぶ」を運転<ref name=":2">[https://web.archive.org/web/20150317093159/http://www.seibu-group.co.jp/railways/news/news-release/2014/__icsFiles/afieldfile/2015/03/13/20150313shibazakura.pdf 芝桜の開花時期に合わせ、臨時特急電車・普通電車を増発!](PDF) - 西武鉄道リリースニュース 2015年3月13日掲載 同年3月17日時点のアーカイブ</ref>。途中停車駅は高田馬場駅・東村山駅・所沢駅・飯能駅・横瀬駅となる<ref name=":2" /><ref group="注">秩父川瀬祭のものと異なる。</ref>。
** [[7月19日]]・20日:「[[秩父川瀬祭]]」の開催に伴い、西武新宿駅 - 西武秩父駅間に臨時特急「おくちちぶ」を運転<ref>[https://web.archive.org/web/20150723215719/http://www.seibu-group.co.jp/railways/news/news-release/2015/__icsFiles/afieldfile/2015/06/18/20150618kawase.pdf 秩父川瀬祭の開催に合わせ、西武新宿~西武秩父駅間に臨時特急レッドアロー号「おくちちぶ」を運転します!](PDF) - 西武鉄道リリースニュース 2015年6月18日掲載 同年7月23日時点のアーカイブ</ref>。停車駅は昨年と同様
** [[11月7日]]:西武トレインフェスティバル2015 in 横瀬の開催にあわせ、西武新宿駅 → 西武秩父駅間に臨時特急「ちちぶ」を片道のみ運転<ref name=":3">[https://web.archive.org/web/20151008224122/http://www.seibu-group.co.jp/railways/redarrow/exp-temporary-train/1213772_1390.html 「西武トレインフェスティバル2015 in 横瀬」にあわせ臨時特急電車を運転します!] - 西武鉄道Webサイト 2014年10月8日時点のアーカイブ</ref>。途中停車駅は高田馬場・東村山・所沢・入間市・飯能・横瀬<ref name=":3" />。
*[[2018年]](平成30年)[[3月18日]]・21日・24日:春の彼岸の時期にあわせ一部列車が、「小平霊園」の最寄り駅である小平駅へ臨時停車<ref>[https://www.seiburailway.jp/news/news-release/2017/20180214kodairatokkyurintei.pdf 特急レッドアロー号の一部が小平駅に臨時停車します!](PDF) - 西武鉄道リリースニュース 2018年2月14日掲載</ref>。翌2019年も同時期に実施<ref>[https://www.seiburailway.jp/news/news-release/2018/20190220kodairarinjiteisya.pdf 3月21日(木・祝)・23日(土)・24日(日)の3日間 特急レッドアロー号の一部が小平駅に臨時停車します](PDF) - 西武鉄道リリースニュース 2019年2月20日掲載</ref>。
*[[2020年]]([[令和]]2年)
**[[3月25日]]:「レッドアロークラシック」10105編成が新宿線へ転属<ref name=":02">交友社『鉄道ファン』2020年8月号(通巻712号)付録「大手私鉄車両ファイル」</ref>、同日より「小江戸」として運行開始<ref group="注">それ以前も臨時列車や車両不足の影響などで一時的に新宿線を運行することもあった。</ref>。
**[[4月29日]]:[[新型コロナウイルス感染症 (2019年)|新型コロナウイルス感染症(COVID-19)]]流行拡大の影響から、この日より土休日の運転を休止<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.seiburailway.jp/news/information/20200422_information.pdf|title=土休日の特急列車の一部運休および「S-TRAIN」「拝島ライナー」の運休について|accessdate=2020-04-29|publisher=西武鉄道}}</ref>。
**[[6月1日]]:運休していた全ての列車の運転再開<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.seiburailway.jp/news/information/20200527_operationinformation.pdf|title=特急列車および「S-TRAIN」「拝島ライナー」の運転再開について|accessdate=2020-05-28|publisher=}}</ref>。
*[[2021年]](令和3年)
**[[2月13日]]:新型コロナウイルス感染症(COVID-19)流行拡大の影響から、土休日の運転を再び休止<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.seiburailway.jp/news/information/20210305_exp.pdf|title=【新宿線】土休日の特急列車の運休について|accessdate=2021-03-17}}</ref>。
**[[3月27日]]:運休していた土休日の運行を再開<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.seiburailway.jp/news/information/20210319_exp.pdf|title=【新宿線】土休日の特急列車の運転再開(3 月 27 日~)について|accessdate=2021-03-20|publisher=西武鉄道}}</ref>。
**[[4月29日]]:「レッドアロークラシック」の定期運行を終了'''<ref name="news_20210319">{{Cite web|和書|date=2021-03-19|url=https://www.seiburailway.jp/news/news-release/2020/20210319_rac.pdf|title=レッドアロークラシックが2021年4月29日に定期運行を終了します|publisher=西武鉄道ニュースリリース|accessdate=2021-05-07}}</ref>'''。
**[[6月5日]]:「西武・電車フェスタ2021 in 武蔵丘車両検修場」にあわせ、レッドアロークラシックを使用したツアー列車を西武新宿駅→武蔵丘車両検修場→所沢駅の経路で運転<ref>[https://www.seiburailway.jp/news/news-release/2021/20210513_trainfestivaltourtrain.pdf 「西武・電車フェスタ2021 in 武蔵丘車両検修場」にあわせ西武・電車フェスタ直通ツアーを2運行開催!] ([[Portable Document Format|PDF]]) - 西武鉄道、西武トラベルニュースリリース 2021年5月13日掲載</ref>。
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
<references group="注" />
=== 出典 ===
{{Reflist}}
== 関連項目 ==
*[[ちちぶ (列車)]]
*[[レッドアロー]]
*[[拝島ライナー]]
==外部リンク==
* [https://www.seiburailway.jp/railway/reservedtrain/redarrow/ 新宿線 特急レッドアロー号 :西武鉄道Webサイト]
{{DEFAULTSORT:こえと}}
[[Category:日本の特急列車]]
[[Category:列車愛称 こ|えと]]
[[Category:西武鉄道の列車|こえと]]
|
2003-09-21T05:51:45Z
|
2023-12-04T09:04:09Z
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[
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伊藤仁斎
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伊藤 仁斎(いとう じんさい、寛永4年7月20日(1627年8月30日) - 宝永2年3月12日(1705年4月5日))は、江戸時代の前期に活躍した儒学者・思想家。京都の生まれ。日常生活のなかからあるべき倫理と人間像を探求して提示した。
諱は、はじめ維貞、のち維禎。仮名 (通称)は、源吉、源佐、源七。屋号は、鶴屋七右衛門。仁斎は号であり、諡号は古学先生。『論語』を「最上至極宇宙第一の書」と尊重した。 初めは朱子学者であったが、後に反朱子学となり、孔子・孟子の原義に立ち返る「古義」を標榜した。
『論語』を「最上至極宇宙第一の書」と称した。
古義学(古学)を提唱し、主著に『論語古義』『孟子古義』『語孟字義』『中庸発揮』『童子問』『古学先生文集』などが挙げられるが、生前は講義と著述の整理・推敲に尽力し、著作を公刊することはなかった。
仁斎の学問手法は、当時支配的だった朱子学的経典解釈を廃し、直接テクストを検討するというものである。朱子学は学問体系としては非常に整ってはいたが、その成立過程に流入した禅学や老荘思想といった非儒教的な思想のために経書の解釈において偏りがあった。仁斎はそのような要素を儒学にとって不純なものとみなし、いわば実証主義的な方法を用いた。このような傾向は同時代の儒学研究に共通にみられるものである。仁斎は朱子学の「理」の思想に反して、「情」を極的に価値づけした。客観的でよそよそしい理屈よりも人間的で血液の通った心情を信頼している。四端の心や性善説を唱えた。
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伊藤 仁斎は、江戸時代の前期に活躍した儒学者・思想家。京都の生まれ。日常生活のなかからあるべき倫理と人間像を探求して提示した。 諱は、はじめ維貞、のち維禎。仮名 (通称)は、源吉、源佐、源七。屋号は、鶴屋七右衛門。仁斎は号であり、諡号は古学先生。『論語』を「最上至極宇宙第一の書」と尊重した。
初めは朱子学者であったが、後に反朱子学となり、孔子・孟子の原義に立ち返る「古義」を標榜した。
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'''伊藤 仁斎'''(いとう じんさい、[[寛永]]4年[[7月20日 (旧暦)|7月20日]]([[1627年]][[8月30日]]) - [[宝永]]2年[[3月12日 (旧暦)|3月12日]]([[1705年]][[4月5日]]))は、[[江戸時代]]の前期に活躍した[[儒学者]]・[[思想家]]。[[京都]]の生まれ。日常生活のなかからあるべき[[道徳|倫理]]と[[人間]]像を探求して提示した。
[[諱]]は、はじめ維貞、のち維禎。[[仮名 (通称)]]は、源吉、源佐、源七。[[屋号]]は、鶴屋七右衛門。仁斎は[[号 (称号)|号]]であり、[[諡]]号は古学先生。『論語』を「最上至極宇宙第一の書」と尊重した。
初めは朱子学者であったが、後に反朱子学となり、孔子・孟子の原義に立ち返る「古義」を標榜した。
== 生涯 ==
*寛永4年7月20日(1627年8月30日) 京都で誕生。
*[[1662年]] 京都の堀川に[[古義堂]](堀川学校)を開く。堀川を隔てた対岸に、[[山崎闇斎]]の闇斎塾があった。
*宝永2年3月12日(1705年4月5日) 死没。
===家庭===
*40歳を過ぎてから結婚し1男2女をもうけたが、52歳のときに妻に先立たれ、その数年後に再婚し、更に4男1女をもうけた。末子で五男の蘭嵎(らんぐう)が生まれたのは仁斎68歳の時である。5人の男子は皆、優れた儒学者となった。[[伊藤東涯|東涯]](原蔵)・[[伊藤梅宇|梅宇]](重蔵)・[[伊藤介亭|介亭]](正蔵)・[[伊藤竹里|竹里]](平蔵)・[[伊藤蘭嵎|蘭嵎]](才蔵)で、世上「伊藤の五蔵」と称された。
== 学説と思想 ==
『[[論語]]』を「最上至極宇宙第一の書」と称した。
古義学([[古学]])を提唱し、主著に『[[論語の注釈#日本人儒者による注|論語古義]]』『[[孟子]]古義』『語孟字義』『[[中庸]]発揮』『[[童子問]]』『古学先生文集』などが挙げられるが、生前は[[講義]]と著述の整理・[[推敲]]に尽力し、著作を公刊することはなかった。
仁斎の[[学問]]手法は、当時支配的だった[[朱子学]]的[[経典]]解釈を廃し、直接テクストを検討するというものである。朱子学は学問体系としては非常に整ってはいたが、その成立過程に流入した禅学や[[老荘思想]]といった非[[儒教]]的な思想のために[[経書]]の解釈において偏りがあった。仁斎はそのような要素を儒学にとって不純なものとみなし、いわば[[実証主義]]的な方法を用いた。このような傾向は同時代の儒学研究に共通にみられるものである。仁斎は朱子学の「理」の思想に反して、「情」を極的に価値づけした。客観的でよそよそしい理屈よりも人間的で血液の通った心情を信頼している。四端の心や[[性善説]]を唱えた。
== 校注著作 ==
*『論語古義』(関儀一郎編『日本名家四書注釈全書』論語部壱、東洋図書、1922年4月)
*『孟子古義』(関儀一郎編『日本名家四書注釈全書』孟子部壱、東洋図書、1924年10月)
*[[清水茂 (中国文学者)|清水茂]]校注 『[[童子問]]』<ref>元版は「日本古典文学大系97 近世思想家文集」岩波書店。原文も収録</ref>[[岩波文庫]]、1970年。ISBN 978-4-00-330091-6 - 度々重版
*[[木村英一]]編集・解説 『日本の思想11 伊藤仁斎集』 [[筑摩書房]]、1970年
*[[吉川幸次郎]]編集・解説、清水茂校注『[[日本思想大系]]33 伊藤仁斎 [[伊藤東涯]]』 [[岩波書店]]、1971年 -「語孟字義」「古学先生文集」
*[[貝塚茂樹]]責任編集 『[[日本の名著]]13 伊藤仁斎』<ref>「論語古義」の現代語訳(2段組み表記)を収録</ref> 中央公論社 1972年、新版・中公バックス 1983年
*浅山佳郎、厳明校注『日本漢詩人選集4 伊藤仁斎』 [[研文出版]]、2000年11月、ISBN 978-487636-190-8
*植谷元校注 『新[[日本古典文学大系]]99 仁斎日札 ほか』 岩波書店、2000年
*[[伊東倫厚]] 『伊藤仁斎 附伊藤東涯』<叢書・日本の思想家10>[[明徳出版社]]、1983年3月
*三宅正彦編集・解説 『古学先生詩文集』<近世儒家文集集成 第1巻>[[ぺりかん社]]、1985年
== 参考文献 ==
* [https://dl.ndl.go.jp/pid/754596/1/46 帝国教育会 編『六大先哲』,弘道館,明42.9. 国立国会図書館デジタルコレクション]
*[[尾藤正英]]「伊藤仁斎における学問と実践」、『[[思想 (雑誌)|思想]]』第524号、1968年2月
*吉川幸次郎『仁斎・徂徠・宣長』 [[岩波書店]]、1975年6月、復刊2000年ほか、ISBN 978-4-00-000959-1
*[[渡辺浩 (政治学者)|渡辺浩]]「伊藤仁斎・東涯-宋学批判と「古義学」」
*:『江戸の思想家たち(上)』[[相良亨]]・[[松本三之介]]・[[源了圓]]編、[[研究社出版]]、1979年11月
*[[子安宣邦]]『伊藤仁斎-人倫的世界の思想』、[[東京大学出版会]]、1982年5月
**増補版『伊藤仁斎の世界』[[ぺりかん社]]、2004年 ISBN 978-4-8315-1060-0
**『仁斎論語 『論語古義』現代語訳と評釈』上下、ぺりかん社、2017年
*[[石田一良]] 『伊藤仁斎』 [[吉川弘文館]]「[[人物叢書]]」、1989年 ISBN 978-4-642-05176-7
*[[相良亨]] 『伊藤仁斎』 ぺりかん社、1998年 ISBN 978-48315-0827-0
*丸谷晃一「伊藤仁齋の「情」的道徳実践論の構造」、『思想』第820号、1992年10月
**『伊藤仁斎の古義学 稿本からみた形成過程と構造』に収録。ぺりかん社、2018年
*[[澤井啓一]]『伊藤仁斎 孔孟の真血脈を知る』[[ミネルヴァ書房]]「[[ミネルヴァ日本評伝選]]」、2022年 ISBN 978-4-623-09502-5
== 解説書 ==
*[[谷沢永一]]『日本人の論語-伊藤仁斎「童子問」を読む』 [[PHP研究所]](新版)、2015年2月、ISBN 4-569-82367-X
*[[渡部昇一]]『伊藤仁斎「童子問」に学ぶ 人間修養に近道なし』 致知出版社、2015年12月、ISBN 4-8009-1098-6
== 脚注 ==
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== 関連項目 ==
{{commonscat|Itoh Jinsai}}
*[[朱子学]]
*[[儒学]]([[日本の儒教]])
*[[考証学]]
*[[漢学]]
*[[荻生徂徠]]
*[[本居宣長]]
== 外部リンク ==
*[http://www.l.u-tokyo.ac.jp/cgi-bin/thesis.cgi?mode=2&id=287 伊藤仁斎の「道徳」観 ―「本体」「修為」論の構造から]
*[https://1000ya.isis.ne.jp/1008.html 吉川幸次郎『仁斎・徂徠・宣長』(松岡正剛の千夜千冊)]
*[https://1000ya.isis.ne.jp/1198.html 伊藤仁斎『童子問』(松岡正剛の千夜千冊・思構篇)]
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Ipot
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ipot(アイポット)は、埼玉県入間市にある複合娯楽施設。
入間市駅南口から埼玉県道226号入間市停車場線沿いに徒歩7分、国道463号との交差点に隣接する。シネマコンプレックスのユナイテッド・シネマ入間をはじめ、カレーハウスCoCo壱番屋入間アイポット店、等が入っている。日本海庄や 入間アイポット店ローソン入間豊岡一丁目店が入っていたこともあるが、今は閉店している。かつてはゲームセンターTAITO STATION入間店もあったが、2008年10月19日に閉店した。
ipot、SAIOS、丸広百貨店入間店のそれぞれの2階は、ペデストリアンデッキ(さんかくはし)でつながっている。
駐車場は、向かいに立つSAIOSとの2棟について共通利用となっていて、建物内に精算機があり事前精算も可能になっている。
2009年春には、1〜2Fフロアにパチンコ・スロット・遊楽 ガーデングループの「ガーデン入間」がオープンしたが、2011年9月、閉店した。 2012年5月、1〜2Fフロアに別法人の宮城県・秋田県・茨城県・栃木県・群馬県・埼玉県にて15店舗パチンコ・スロット店をチェーン店展開しているカツヨシ商事 メルヘンワールドグループの「メルヘンワールド入間店」が駅前最大級全622台大型低貸専門店としてオープンしたが、2022年1月閉店した。
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'''ipot'''(アイポット)は、[[埼玉県]][[入間市]]にある複合娯楽施設。
== 概要 ==
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ipot、[[SAIOS]]、[[丸広百貨店入間店]]のそれぞれの2階は、[[ペデストリアンデッキ]]([[さんかくはし (入間市)|さんかくはし]])でつながっている。
駐車場は、向かいに立つ[[入間ショッピングプラザ サイオス|SAIOS]]との2棟について共通利用となっていて、建物内に精算機があり事前精算も可能になっている。
2009年春には、1〜2Fフロアに[[パチスロ|パチンコ・スロット]]・[[遊楽|遊楽 ガーデングループ]]の「ガーデン入間」がオープンしたが、2011年9月、閉店した。
2012年5月、1〜2Fフロアに別法人の宮城県・秋田県・茨城県・栃木県・群馬県・埼玉県にて15店舗パチンコ・スロット店をチェーン店展開している[[カツヨシ商事|カツヨシ商事 メルヘンワールドグループ]]の「メルヘンワールド入間店」が駅前最大級全622台大型低貸専門店としてオープンしたが、2022年1月閉店した。
== 周辺施設 ==
* [[入間市駅]]
* [[入間ショッピングプラザ サイオス]]
* [[丸広百貨店入間店]]
* [[埼玉県立豊岡高等学校]]
== 関連項目 ==
* [[河辺タウンビル]] - 隣接する[[東京都]][[青梅市]]にある同様の再開発ビル。
== 脚注 ==
<references />
== 外部リンク ==
* [http://www.unitedcinemas.jp/iruma/ ユナイテッド・シネマ入間]
* [http://www.apopo.net アポポ商店街]
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マイナスイオン
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マイナスイオン(minus ion, negative air ion)は、大気中に存在する負の電荷を帯びた分子の集合体である。主に空気中の過剰電子によりイオン化した大気分子の陰イオンを表す用語である。
大気電気学では、健康問題に関する際に負イオンをこのように呼ぶ。家電メーカー13社はほぼ共通して、空気中の原子や分子が電子を得てマイナスに帯電したものとしている。専門的には通常は空気マイナスイオンと呼ばれる。昭和初期の文献では空気陰イオンとするものもある。大気電気学のイオンは化学とは定義が異なる。
20世紀初頭から空気イオンに関する研究は連綿と続いてきた。日本でマイナスイオンという言葉は、20世紀の終わり頃からメディアに頻繁に登場するようになり、1999年から2003年頃が流行のピークであった。日本の流行語となった。十分な裏付けが得られないまま効能を謳うメーカーが数多く現れた結果、批判も起こった。ただし負の大気イオンの論文などの文献は、2002年までに海外に1470文献、日本でも290文献ある。また、厚生省の認可を受けた医療機器が存在する。また空気中の陰イオンは、ゲルディエン式コンデンサ形イオン密度測定器 (Gerdien condenser) などを用い、JIS B9929:2006「空気中のイオン密度測定方法」に基づいて計測される。
マイナスイオンの研究をさらに発展させて、クラスターやOHラジカルやアニオンといった物理学の概念を導入することで、技術の向上を目指し、携帯型空気清浄機やヘアドライヤーなどの分野で、より付加価値の高い製品を生み出す動きも見られる。
懐疑派である工学者の安井至は、マイナスイオンを未科学とし、ドライヤーのサラサラ効果は体験できるが副生成物のオゾン水の効果ではないかとし、集塵効果や、冷蔵庫の鮮度保持でも他の説明ができるのではとの仮説を述べている(その効果を否定してはいない)。安井はどのメーカーも効果の実証データを示していないと指摘しているが、その発言の前年に家電メーカー14社中8社が自社製品の実験データありと回答している。また健康に対しての効果については懐疑している。同じく懐疑している統計物理学者の菊池誠は、健康効果についてニセ科学とし、その根拠を2002年のAP通信によるインタビューに頼っている。安井はトルマリンがマイナスイオンを出すという説をインチキとし、菊池も同じような言説である。両者ともに、マイナスイオンの定義が明確でないと主張しているが、科学的には負の大気イオンだという認識に相違はなく、この現象自体については懐疑していない。
『大気電気学概論』では、健康問題との混同を避けるために以下のような記述がある。
大気イオン自体は大気電気学分野の科学用語である。負の大気イオンの英名はnegative air ionsである。
国内でマイナスイオン研究の主導的立場にある研究者らや、他の日本人研究者たちは、国内の学会において、負の大気イオンをマイナスイオンと呼んで生体・生物学的影響に関する研究発表を行っている(後述)。『空気マイナスイオン応用事典』では1996年以降の研究論文の題にマイナスイオンという言葉が登場する。
1937年の医学書『内科診療の実際』に「大気イオン療法」の項では、Aeroanionの訳語として「空気陰イオン」と記されている。
『科学大事典第2版』では、大気中の負の電荷を帯びた分子の集合体であるとされている。
国内の物理学分野では、陰イオンの意味で「マイナスイオン」が使われる例があり、例えば独立行政法人理化学研究所の分子動力学研究において「プラスイオン」、「マイナスイオン」という用語が用いられているほか、日本学術振興会総合研究連絡会議透明酸化物光・電子材料第166委員会でも結晶中のナノ構造に関連して「マイナスイオン」が用いられている。
1985年の通商産業省の先端技術の紹介文献において、水溶液中のイオンの状態をあらわす用法としても用いられたことがある。科学技術用語としては負イオンが正しい用法である。
2003年には、家電メーカー13社は「空気中の原子や分子が電子を得てマイナスに帯電したもの」というほぼ共通した定義を回答している。回答した13社(社名は当時)は、松下電器産業、松下電工、三洋電機、三洋エアコンディショナーズ、日立ホーム・アンド・ライフ・ソリューション、富士通ゼネラル、東芝コンシューマーマーケティング、東芝キャリア、三菱電機、シャープ、タイガー魔法瓶、象印マホービンである。
学術以外での用法では定義が曖昧で意味が統一されていないという側面がある。
懐疑的立場をとる安井至は、通常の化学でイオンは水溶液中の荷電粒子だが、大気電気学でのイオンの定義とは異なっているため、マイナスイオンを負の空気イオンとし、水溶液中には存在しないという立場をとるとしている。
大気中の負の小イオンでは、NO3・(HNO3)m・(H2O)n 、HSO4・(HNO3)m・(H2O)nが代表的である。
コロナ放電によって生成されたマイナスイオンでは、CO4(H2O)nやO2(H2O)n と推測されていたが、CO3(H2O)n 、NO3(HNO3O)mなど他の物質も候補に上がっている。コロナ放電による生成メカニズムとイオン種の特定については以下も参考となる。
水破砕によって発生するものは、ほとんどが O2(H2O)n と考えられている。放電プラズマによって生成されたものに関する実測でも、同じくO2(H2O)nが観測された。これらの生成方式による機器ではオゾンなどは発生しない。
2006年11月には、イオン発生量の測定方法がJIS規格化された。(後述)
1899年に、ElsterとGeitelはイオンを発見し、分子イオンと命名し、1901年には大気中の電気の伝導性の説明として「気体イオン説」を発表した。1901年にはCzermackはドイツやスイスの熱風「フェーン」のイオンを測定し、プラスイオンが増加しているため、肉体や精神に有害な作用があることを主張した。南風が吹くと空気のプラスイオンが増えるため、人の精神に悪影響を与え犯罪発生率が上がると主張され、スイスではプラスイオン量が増大するフェーン現象は犯罪の実刑が軽くなる情状酌量の証拠として認定されている。1905年には、フィリップ・レナードがレナード効果と呼ばれることになる、水が破砕されることで細かい水しぶきが負に帯電する現象を発見した。
Steffensは1910年に大気中のイオンと同じものを人工的に生成し、病気に応用し空気イオン療法がはじまった。1920年代以降に、日本の木村正一、ドイツのDessauerやソ連のTchijevskyといった研究者が、発展させていくことになる。フランス、チェコスロバキア、アメリカでも展開した。
1930年代には、空気イオンによる療法として、特に日本やドイツで陰イオンと陽イオンが病気にどのような影響を与えるかという研究論文が医学会誌に掲載された。1937年には、西川義方らが医学書『内科診療の実際』の治療法一覧に「大気イオン療法」を記載し、その生理作用や生成装置について記載している。Aeroanionの訳語として「空気陰イオン」と記されている。1938年には、北海道帝国大学医学部で空気イオンの医学的研究をしていた木村正一らが欧米の学者の説と自身の研究をまとめて『空気イオンの理論と実際』として出版し、これには国内外の治療研究の結果がさまざまに紹介されている。『空気イオンの医学的研究』も出版されている。慶応大学医学部の原島進を中心とした研究班のほかに、慈恵医大、日本医大、九州大学医学部でも日本での空気イオンの研究は活発となっていった。
アメリカでは健康機器としてion generating device(イオン発生装置)が1950年代頃に一時流行したことがあった。しかし1960年代初頭には、イオン発生装置や副産物のオゾンに対してアメリカ食品医薬品局 (FDA) が警告を出したことにより、イオン発生装置は健康市場から制限を受けることになった。結果として業者らは、空気清浄機として販売しなければならない状況になった。
第二次世界大戦はこうした研究を中断したが、1961年にはアメリカで、第1回国際空気イオン学会が開催された。1960年にはモスクワ空気イオン化中央研究所の所長であったTchijevskyの研究報告書が、ソ連連邦国家計画委員会によって出版されている。コロナ放電式のイオン生成機による研究であった。
1976年には『サイエンス』にも掲載され、殺菌作用と、セロトニン仮説などが述べられた。90年代にいたるまで研究は連綿と続くことになる。
疑似科学の批判者として知られるテレンス・ハインズは、1988年発行の自著の中で以下のようにコメントしている。「(要約)空気イオン (air ions) の人間行動への影響を示す研究がいくつかあるが示された効果は小さく、また被験者により正反対の効果をも示す別の研究結果もあり、さらに全く効果が見られないとする別の研究結果もある。よって実商品の応用に使うには無理だ。つまりこの「効果」を「マイナスイオン生成機」の購入正当化の理由にはできない。」
その18年後、2006年のアメリカ心理学会の発行する心理学の定点観測的な雑誌では、陰イオンによる季節性情動障害の治療研究が紹介されている。
後述の文献にて、研究を総説する2010年代の論文が提示されている。
1990年代後半から、マイナスイオン商品は散発的に販売されていたが、ブームのきっかけは1999年から2002年にかけて、テレビの情報バラエティ番組「発掘!あるある大事典」がマイナスイオンの特集番組を放送したことであった。番組ではマイナスイオンの効能が謳われ、ブームに火がつき、マイナスイオンは2002年の流行語となった。
2002年(平成14年)の家電量販店の店頭は一時マイナスイオン商品で溢れかえる事態となった。次に述べる。
マイナスイオンの健康問題を扱う一般書籍やマイナスイオン商品の広告の中には、科学としてマイナスイオンによる効能を扱うものが見られる。
2003年には、家電メーカー14社中8社が自社製品による実験データありと回答した。マイナスイオン商品の解説や健康本の著述の中には、「マイナスイオンが疲労回復・精神安定を始めとする様々な健康増進効果をもたらす」と主張するものがあるが、これらの効果は客観的に証明されたものではないものが多くある。実証されていなくとも、商品販売とは関係がなければ、書物の記述は医薬品医療機器等法の規制対象外であるためである。
流行が過熱した2002年(平成14年)頃には、流行に便乗して様々な「マイナスイオン商品」が発売された。同年上半期の日本経済新聞社発表のヒット商品番付では、マイナスイオン家電が小結にランクされた。エアコン・冷蔵庫といった大型で高価な家電製品、衣類・タオル・マスクなどの繊維製品、マッサージ器やドライヤーなどの健康機器・美容機器、芳香剤・消臭剤などの日用品、自動車用品、パソコン、パソコン関連製品など多岐にわたっている。また、マイナスイオンを発生させるという触れ込みの商品であっても、実際には単なる置物・装飾品・印刷物であるものも存在した。何かが発生しているように見せかけるため、音や光を出す商品や説明文書を添えた商品も存在した。
2003年(平成15年)になると景品表示法が改正され、商品の表示に対しては合理的な根拠が要求されることとなった。
法施行後、大手家電メーカーはマイナスイオン家電のパンフレットから効果効能の記述を削除し、そして販売自体が中止されたマイナスイオン家電も多く出た。2003年(平成15年)、国民生活センターは、マイナスイオンを冠した商品すべてに科学的に健康効果が実証されているわけではないと報告している。
2003年8月には、マイナスイオンブームの旗手であり、マスコミに頻繁に登場していた堀口昇が経営するメーカーが製造するマイナスイオン器具関係が薬事法(現・医薬品医療機器等法)違反で行政処分を受けた。その2カ月後には「電位治療器」として承認を受けたため、健康保険の対象となった。堀口昇の電位治療器のほかには、医療機器のAWGがマイナスイオンを発生させる機器として、1998年に同じく違反した後に許可を得ている。
2004年になると、マイナスイオン関連製品の月別発表件数は最盛期(2002年8月)の1/10以下となった。
後にマイナスイオン製品の効果効能を信じる、あるいは期待する消費者はいるが、効果を実感できなかったという消費者のアンケート結果が公開されたことや、効果の究明が全く不十分と指摘する学識経験者の声が広まり、またメーカーが効果を検証していないことが明らかになるに従い、効果を疑問視する消費者も増えてきた。さらに2006年11月には、東京都は科学的根拠が薄弱なマイナスイオン商品に対して、複数の業者に対し資料提出要求及び景品表示法を守るよう指導を行った(後述)。また2008年2月には、マイナスイオン等による「自動車の燃費向上グッズ」が効果無しとして、業者19社が公正取引委員会によって排除命令を受けた。
青森県の八戸学院大学では、同県に所在する奥入瀬渓流の「マイナスイオン」値を測定し、マップにして配布していたが、一部研究者からの指摘を受け、自主回収することとした。
一部の大手企業は、名称を変えた商品を販売している。
このようにマイナスイオンという言葉を宣伝に用いる企業もあれば、独自の名称を用いる企業もある。
2010年春モデルのエアコンでは、コロナがマイナスイオンを採用しているが、独自の名称のイオンの発生機を搭載しているメーカーが多く、プラスかマイナスかすらカタログに記載していないメーカーもある。
既出のように、大気中には大気イオンが微量であるが存在している。大気汚染がある場合や、人工空間等では、大気中の帯電粉塵により中和され、大気イオン濃度は小さくなる。これは科学的な記述である。
懐疑派で統計物理学者の菊池誠は2006年に自己のブログでこう述べる。確かに滝の側で爽快感を得ることはあるが、これは飛び散った細かな水滴が気化する時の気化熱による空気の冷却による涼しさ、都会の喧騒から離れたことによる静けさ(滝の音のみ聞こえる)や空気の清浄さ(車の排ガスなどのない)、また木々の緑が目に及ぼす優しさ等、普通に想定される快適要因による説明で十分であり、あえて科学的に実証されていない「マイナスイオン」を原因として持ち出す必要はないのではないか。
1999年の松下の研究はマイナスイオンに暴露するグループと、何もしないグループに分けて、マイナスイオンのあった方は、減算や逆唱の成績が落ち、深呼吸が増すといった有意な差が見られる。別の松下の2000年の研究は二重盲検法によって15人を振り分け就寝時に機器を使用して、3週間後にはマイナスイオンありではNK細胞の有意な減少が確認されている。
マイナスイオン商品が標榜する効能としては、精神安定・不眠の改善、アレルギーの抑制・血液浄化といった人体に直接作用するものから、空気浄化、脱臭、除菌といった環境に作用するものなどがある。
様々な商品が様々な効能があることを直接・間接に示唆しつつ販売された。
これらの効能は実証されていないものがあり(後述)、2003年の景品表示法の改正以降、研究データを持っていないメーカーはマイナスイオンを宣伝文句としては避けざるをえない。
行政は不実証の効果効能標榜に対し規制取締りを行っている。特に人体への作用と標榜するものに対しては医薬品医療機器等法違反となる。例えば、2007年に東京都はマイナスイオン関連商品に対して「病気の治療を目的として使用することを標ぼうする場合は医療機器に該当」するとし、薬事法(現・医薬品医療機器等法)違反を警告している。またここでいう「問題となる標ぼう」について、「血液をサラサラ」、「心臓病の予防精神安定」、「不眠症の解消」、「体細胞の活性化」等の具体的事例を挙げて説明している。
2003年に、家電メーカー13社から回答を得たところ、「脱臭」「保湿」「静電気の抑制」「集塵」といった費用・技術的に実証しやすいものは各社実験で確認済みであったり、ドライヤーに関しては松下(現パナソニック)が毛髪水分量や髪をしっとり・サラサラにさせるというデータを、日立製作所が髪の水分保持に関するデータを持っていた。
大手家電メーカーのシャープは除菌効果があるとするイオンを放電する装置を販売している。シャープは、放電により生成した大気イオンに除菌効果があるとし、これを「プラズマクラスター」と名付けてエアコンや冷蔵庫を販売している。開発者による技報によると、除菌効果は放電で同時に発生したオゾンによるものではなく、マイナスイオンとプラスイオンの反応により生成した活性酸素(OHラジカルなど)のタンパク質変性作用がウイルスを不活性するとしている。シャープはマイナスイオンとプラスイオンを放電するプラズマクラスターイオン技術に対して、同社の特許技術である「プラズマクラスター」という登録商標を使用している。
「除菌効果の実空間での実証」が開発者以外の第三者によってなされた科学論文は2007年現在のところ存在しない。同社は、広島大学、大阪市立大学、ハーバード大学、ソウル大学など国内外の複数機関で研究を行い効果を実証しているとしている。なお、有効な特許について「特許発明の技術的範囲」に則った説明が景品表示法違反になった例は、未だに存在しない。
シャープは製造した「プラズマクラスター」を組み込んだ掃除機に関して、空気中に浮遊しているダニの糞や死骸等のアレルギーの原因となる物質を分解、除去すると広告で表示していたが、2012年11月28日、消費者庁が外部の研究機関に依頼して調べた結果、表示された通りの性能が出なかったため、同社に対し不当景品類及び不当表示防止法違反(優良誤認)で再発防止を求める措置命令を出した。
市場では、マイナスイオンを発生すると称する様々な商品が販売されている。
代表的なものは以下のとおり。
1 - 3はいずれも放電により大気を電離させる。
4はレナード効果(水滴分裂による帯電)によるものである。この場合、負イオン濃度だけでなく、湿度も増加させる。
5のトルマリンの結晶は、その圧電効果や焦電効果により、衝撃や熱が加えられると大気を電離させて負イオンを発生させる能性がある。しかし、常時、歪みや熱が加えられなければこの状態は続かず、静止状態では負イオンは発生しない。また粉末状のトルマリンでは電離に必要な電圧が出るとは考えられない。そのため、原料のトルマリン粉に放射性同位元素を混入した商品が存在する。この場合は放射性同位元素から放出される電離放射線により大気を電離させて負イオンを発生させる可能性があるが、同時に低線量放射線の健康影響(被曝)が心配される。
7:愛媛大学農学部の仁科弘重教授は、観葉植物とマイナスイオンの濃度の関係について実験を行い、観葉植物の有無、配置によって濃度が変化することを示している。(しかし日本機能性イオン協会は「植物の放出エネルギーによるイオンの生成は考えられない」としている)
イオンブロアーという静電気の発生を制御する装置がある。ドライヤーや洗濯機などは乾燥による静電気の発生を抑制する目的としては理にかなっている。
発生器の性能を示す指標として、マイナスイオン密度(あるいは濃度)が用いられる。これは「マイナスイオン密度測定器」で測定される値であるが、この装置の多くは、大気イオンの濃度測定法を利用している。しかし、この測定器は原理的にさまざまな環境因子(温度・湿度・エアロゾル濃度)の影響を受けるため、信頼できるデータを得るためには、科学的な測定技術と知識が必要である。例えば測定時には湿度が敏感に影響するはずだが湿度の影響をどう取り除いたのかの説明が無いとの意見がある。
すなわち(高湿度である)滝の側や湿気の高い森林の中などでの測定は、測定に影響を及ぼす環境因子をきちんとコントロールしなければ科学的に信頼性のあるデータは得られない。
一部のメーカーは、バークレー大学の作った国際規格である、発生口から1メートル離れた場所で1立方センチあたり10万個以上のマイナスイオンが発生すればイオン発生器という名称が使えるというアメリカでの基準を自主的に採用していた。
このように信頼性に疑問があるイオン測定データが増え続ける可能性が懸念される状況の中、マイナスイオンブームの最中の2002年にマイナスイオン業界の支持の元で設立された特定非営利活動法人日本機能性イオン協会(会長 中江茂 東京理科大名誉教授)が利害関係人として、みずから作成した「空気中のイオン密度測定方法」の原案を提出してJIS制定を申し出た。日本工業標準調査会は提出原案の審議の後、空気中におけるイオン密度の測定方法及びイオン発生器によって生成されるイオン発生量の測定方法として、2006年11月にJIS B9929:2006「空気中のイオン密度測定方法」を制定した。なお、これは測定方法に関する規格なので、「イオン化学種は何か」「イオンが健康に良いかどうか」に関する説明は一切含まれていないことに注意しなければならない。
特許庁は、平成17年度特許出願技術動向調査報告書「多機能空気調和機」において、空気調和機の4つの基盤技術の一つに「オゾンやイオン発生などの電気技術」を挙げ、物質富化機能としてマイナスイオンに関する特許が多いことを指摘している。また、工業所有権情報・研修館は、2004年3月にマイナスイオン発生器の技術動向等を解説した特許流通支援チャート「マイナスイオン発生機」を作成し、マイナスイオン技術の概要、企業等の特許情報等を公開している。この中で、市場への商品投入後に学術研究が追いかけているのが現状であり、「マイナスイオン発生器の効果については、科学的に完全に解明されていない状況の下で社会的に注目されてきたことにも留意する必要がある」ことを指摘している。
東京都生活文化局は、2006年11月、「マイナスイオン商品」に対する注意を喚起し、「マイナスイオンの効果を謳う商品の表示」に関する科学的検証結果を公表した。これによると、景品表示法の観点から、マイナスイオン商品のインターネット表示8件を科学的に検証した結果、マイナスイオン発生量に関する表示には客観的実証が認められず、情報・根拠の表示も不十分であると指摘した。さらに、マイナスイオンの存在自体を否定したり、すべてのマイナスイオン商品の効果・性能を否定するものではないと断った上で、調査対象の8件の商品について、マイナスイオンの効果や性能に関する表示に客観的実証が認められない点を指摘した。対象となった事業者に対して景品表示法の遵守を指導すると共に、通信販売・訪問販売の関係業界に対して客観的事実と根拠に基づく表示の適正化等を要請した。
2002年まででも、海外に1470文献、日本でも290文献が示されている。2003年に国民生活センターが実施したアンケートに対して、マイナスイオン推進側の中江茂は「人体への効果との因果関係については、1970年以降400編近い論文が発表されている。ただ、分子レベルのメカニズムが解明されていないが、その大部分は効果ありとする論文であり、客観的には有益であると考える」と述べた。一方、懐疑側の安井至は「無効とする論文も多く、マイナスイオンと人体への効果との因果関係は十分に究明されていない。オゾンや湿度などの効果ではないという検証も不足している上に絶対量があまりにも少ない」と主張している。
空気イオンの生理学的研究には、1937年に出版された『内科診療の実際』において、空気陰イオンには鎮静作用が、空気陽イオンには興奮作用があり、血圧、脈拍、呼吸、血糖値、白血球など多くの生理学作用の増減報告がなされている。1930年代にもいくつかの例を示せば、血液酵素アミラーゼが陰イオンにより増強され陽イオンは阻害する、マイナスイオン療法は活性酵素を抑制しモルヒネ受容体と結合するため関節炎・打撲・骨折などの炎症を緩和し機能回復を促進する、陰イオンは特に糖尿病患者の血糖値を抑制するといった1930年代(昭和5年ごろ)の研究論文がある。
マイナスイオンの用語は、『空気マイナスイオン応用事典』の一覧からは日本の1996年以降の文献に見られる。多くの日本人研究者がマイナスイオンの用語にて、生体・生物学的影響に関する研究発表を国内の学会で発表した。
論文検索を用いて、題名に「マイナスイオン」を含み、かつ、生体・生物学的影響に関する国内学会発表を検索すると、少なくとも29学会で計56件の発表を確認できる。筆頭発表者の所属を見ると、大学が37件、その他が19件であった。産学共同の状況では56件中14件が大学と企業との共同研究であった。発表年別集計では、1994年が1件、1995-1999年が8件、2000-2004年に46件と大きく増加したが、2005年以降が1件と激減している。この検索の中に、査読付き原著論文(国内誌)は、過去2件ある。共に、渡部一郎北大助教授(当時)によるものである。
なお、医療書でも論文でもなく単に事典であるが定義で前述の『科学大事典第2版』の「マイナスイオン」の解説では、「人体への好影響が言われているが詳細は不明である」との記述がある。
1930年代にはいくつか例をあげれば、軽症の動脈硬化症に対し発作が減り血圧と脈拍が降下する、特に肺結核に対する諸疾患に対して陰イオンが病気に対する抵抗を高める、陰イオンは喘息患者79例中32例が快癒13例が軽癒19例はやや軽快13例は変化なしで陽イオンは疲労感を訴えさせたといった研究論文がある。
負の大気イオン(negative air ions)の生体・生物学的影響に関する論文(主に国外論文誌に掲載)を、生命科学系文献データベースPubMed(MEDLINE)にてキーワードを"negative air ion(s)" OR "negative ion(s)"で検索し、生体・生物学的影響に関する論文のみ抽出すると、1959年から2007年までの48年間で63件(平均1.3件/年)確認できた。論文誌別にみると、International Journal of Biometeorologyが8件、Biofizikaが4件、Natureが3件(活性酸素による殺菌の研究)、その他(Scienceに1件を含む40誌)に掲載されている。著者の国別を見ると、USAが12件、Russiaが9件、Japanが8件、UKとGermanyが各4件、その他であった。これらの論文のうち、効果に否定的な結論を示す論文は63件中4件ある。
2004年のエアロゾル学会の『エアロゾル用語集』には、仮説の実証には今後の更なる検討が必要であると記されている。
代替医療として臨床現場で使用が試みられている例も存在する。(なお以下の「療法」は医療機関が自主判断で行っているものは、厚生労働省が関知する医療行為ではない)
東京女子医科大学付属青山自然医療研究所クリニックはホメオパシーなどとともに「マイナスイオン療法」を行っている。統合医療を実践する上での問題点や本クリニックの実践内容については、日本補完代替医療学会誌に掲載された論文に詳しく書かれている。なお、「マイナスイオン療法」は他の代替医療と同様、健康保険は利用できない。
向の岡工業高等学校元教諭で玉川大学工学部元講師の青木文昭は著書にて、マイナスイオンを増加させることによって数十例の難病が全体あるいは部分的に快復したと書いている。
ニューウェイズの宣伝本を書いたピート・ビラックは自身の別の著書で、「アメリカのフィラデルフィアのイーストウエスト病院において、マイナスイオン療法により花粉症やぜんそくの63%が全快または部分的な改善を示し、火傷患者の85%に鎮痛剤としてのモルヒネが必要なくなり、138人の外科手術者に対しては57%が痛みをまったく感じないか大幅に減じられた」と主張している。
1998年の研究では、季節性情動障害の158人を振り分け、負の空気イオンは朝の朝への暴露と同じ程度の効果があった。2007年の32人でのランダム化比較試験では、光、負の空気イオン共に季節性情動障害に有効であった。2010年の報告では、ランダム化比較試験で73人の季節性情動障害を振り分け、光、負の空気イオン、プラセボで処置し、光では有意に、高濃度負イオンへの暴露では、有意ではないが有効であった。
マイナスイオンを批判している工学者の安井至は、マイナスイオンを未科学としている。2004年の論文で次のように述べている。定義については、負の大気イオンが正式名称である。実験値が出ていると思えるものにシャープのプラズマクラスターイオンの除菌作用があるが、ほかのメーカーから再現できないと指摘されているとしている。それ以外にもドライヤーは副生成物のオゾンによるオゾン水の効果で説明がつくのではないかなど、脱臭、掃除機などの効果がマイナスイオン以外の原理で説明がつくだろうという検証されていない仮説を述べている。トルマリンについてはインチキとしている。どのメーカーも効果を示すための実証データを示していないと指摘している。(なお2003年の家電メーカー各社からの回答によれば、14社中8社が自社製品の実験データありと回答している)2003年の論文では、ドライヤーのサラサラ効果については、体験上事実であるが、オゾンによるオゾン水の効果ではないかとの仮説を述べている。掃除機や空気清浄機の集塵、冷蔵庫の鮮度保持についてはオゾンや光触媒でも説明できるとの仮説を述べている。二重盲検法の条件を達成することで人体への効能は証明可能となるが、それは匂いのするオゾンの発生などの条件のため難しいと指摘している。
同じくマイナスイオン批判をしている統計物理学者の菊池誠の言説について。2004年の『「ニセ科学」入門』と題する自らサイトで公開する文書にて、マイナスイオンの生成法には、水の粉砕、放電、トルマリンの3種類があり、水粉砕には保湿効果くらいがあり、放電にはオゾンが発生し、トルマリンでは帯電したものは何もないだろうと仮説を述べている。身体への根拠では、現在では省みられない『空気イオンの理論と実際』を参照しているとし、2006年2月23日の追記では、歴史がまだよくわからないし、挙げた書籍もときどき省みられていると追記し見解を変更している。影響はあるがイオン製造器を買う価値はないとし、よく調べれば効果が明らかになると反論されることがあるが、科学的効果がはっきりしないものはニセ科学であると断言している。
その後、菊池は2006年4月18日に自身のブログで、日本大気電気学会が出版した『大気電気学概論』を読んだところ、マイナスイオンは健康によいのかは解決すべき問題だと記載されているため、未科学だとしている。2006年7月28日のブログにて、マイナスイオンが存在するのかといえば、マイナスイオンは身体によいと言うときのマイナスイオンの場合だと、大気イオンや帯電した水クラスターは存在するが、身体によいという根拠がなく、それがトルマリンから出るかどうかについては怪しいとしている。2006年9月の同じく『「ニセ科学」入門』と題する論文では、2002年のAP通信による英語のニュースで、大手家電メーカーの話者がマイナスイオンの効果は知らないと語っていることを根拠として、それを自身の論として追認した。また自身の公開する公開日不明の文書では、『空気イオンの理論と実際』が入手困難なため調査不足であることと、2002年のAP通信のメーカーへのインタビューを根拠に、健康効果は科学的に実証されていないと結論している。
化学者の小波秀雄も、マイナスイオンを「ニセ科学」と表現している。小波は「ニセ科学」が流行してしまった理由のひとつとして、「専門家の言語表現と一般の日常用語の感覚にあるズレ」について言及している。すなわち、専門家は「-は絶対にありえない」という表現は使えないため、「確率的にはきわめて低い」などと表現するが、これを一般の人の受け止め方では「実際に起きるかもしれない」となってしまうという。
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"text": "マイナスイオン(minus ion, negative air ion)は、大気中に存在する負の電荷を帯びた分子の集合体である。主に空気中の過剰電子によりイオン化した大気分子の陰イオンを表す用語である。",
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"text": "大気電気学では、健康問題に関する際に負イオンをこのように呼ぶ。家電メーカー13社はほぼ共通して、空気中の原子や分子が電子を得てマイナスに帯電したものとしている。専門的には通常は空気マイナスイオンと呼ばれる。昭和初期の文献では空気陰イオンとするものもある。大気電気学のイオンは化学とは定義が異なる。",
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"text": "20世紀初頭から空気イオンに関する研究は連綿と続いてきた。日本でマイナスイオンという言葉は、20世紀の終わり頃からメディアに頻繁に登場するようになり、1999年から2003年頃が流行のピークであった。日本の流行語となった。十分な裏付けが得られないまま効能を謳うメーカーが数多く現れた結果、批判も起こった。ただし負の大気イオンの論文などの文献は、2002年までに海外に1470文献、日本でも290文献ある。また、厚生省の認可を受けた医療機器が存在する。また空気中の陰イオンは、ゲルディエン式コンデンサ形イオン密度測定器 (Gerdien condenser) などを用い、JIS B9929:2006「空気中のイオン密度測定方法」に基づいて計測される。",
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"text": "コロナ放電によって生成されたマイナスイオンでは、CO4(H2O)nやO2(H2O)n と推測されていたが、CO3(H2O)n 、NO3(HNO3O)mなど他の物質も候補に上がっている。コロナ放電による生成メカニズムとイオン種の特定については以下も参考となる。",
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"text": "1899年に、ElsterとGeitelはイオンを発見し、分子イオンと命名し、1901年には大気中の電気の伝導性の説明として「気体イオン説」を発表した。1901年にはCzermackはドイツやスイスの熱風「フェーン」のイオンを測定し、プラスイオンが増加しているため、肉体や精神に有害な作用があることを主張した。南風が吹くと空気のプラスイオンが増えるため、人の精神に悪影響を与え犯罪発生率が上がると主張され、スイスではプラスイオン量が増大するフェーン現象は犯罪の実刑が軽くなる情状酌量の証拠として認定されている。1905年には、フィリップ・レナードがレナード効果と呼ばれることになる、水が破砕されることで細かい水しぶきが負に帯電する現象を発見した。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 20,
"tag": "p",
"text": "Steffensは1910年に大気中のイオンと同じものを人工的に生成し、病気に応用し空気イオン療法がはじまった。1920年代以降に、日本の木村正一、ドイツのDessauerやソ連のTchijevskyといった研究者が、発展させていくことになる。フランス、チェコスロバキア、アメリカでも展開した。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 21,
"tag": "p",
"text": "1930年代には、空気イオンによる療法として、特に日本やドイツで陰イオンと陽イオンが病気にどのような影響を与えるかという研究論文が医学会誌に掲載された。1937年には、西川義方らが医学書『内科診療の実際』の治療法一覧に「大気イオン療法」を記載し、その生理作用や生成装置について記載している。Aeroanionの訳語として「空気陰イオン」と記されている。1938年には、北海道帝国大学医学部で空気イオンの医学的研究をしていた木村正一らが欧米の学者の説と自身の研究をまとめて『空気イオンの理論と実際』として出版し、これには国内外の治療研究の結果がさまざまに紹介されている。『空気イオンの医学的研究』も出版されている。慶応大学医学部の原島進を中心とした研究班のほかに、慈恵医大、日本医大、九州大学医学部でも日本での空気イオンの研究は活発となっていった。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 22,
"tag": "p",
"text": "アメリカでは健康機器としてion generating device(イオン発生装置)が1950年代頃に一時流行したことがあった。しかし1960年代初頭には、イオン発生装置や副産物のオゾンに対してアメリカ食品医薬品局 (FDA) が警告を出したことにより、イオン発生装置は健康市場から制限を受けることになった。結果として業者らは、空気清浄機として販売しなければならない状況になった。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 23,
"tag": "p",
"text": "第二次世界大戦はこうした研究を中断したが、1961年にはアメリカで、第1回国際空気イオン学会が開催された。1960年にはモスクワ空気イオン化中央研究所の所長であったTchijevskyの研究報告書が、ソ連連邦国家計画委員会によって出版されている。コロナ放電式のイオン生成機による研究であった。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 24,
"tag": "p",
"text": "1976年には『サイエンス』にも掲載され、殺菌作用と、セロトニン仮説などが述べられた。90年代にいたるまで研究は連綿と続くことになる。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 25,
"tag": "p",
"text": "疑似科学の批判者として知られるテレンス・ハインズは、1988年発行の自著の中で以下のようにコメントしている。「(要約)空気イオン (air ions) の人間行動への影響を示す研究がいくつかあるが示された効果は小さく、また被験者により正反対の効果をも示す別の研究結果もあり、さらに全く効果が見られないとする別の研究結果もある。よって実商品の応用に使うには無理だ。つまりこの「効果」を「マイナスイオン生成機」の購入正当化の理由にはできない。」",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 26,
"tag": "p",
"text": "その18年後、2006年のアメリカ心理学会の発行する心理学の定点観測的な雑誌では、陰イオンによる季節性情動障害の治療研究が紹介されている。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 27,
"tag": "p",
"text": "後述の文献にて、研究を総説する2010年代の論文が提示されている。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 28,
"tag": "p",
"text": "1990年代後半から、マイナスイオン商品は散発的に販売されていたが、ブームのきっかけは1999年から2002年にかけて、テレビの情報バラエティ番組「発掘!あるある大事典」がマイナスイオンの特集番組を放送したことであった。番組ではマイナスイオンの効能が謳われ、ブームに火がつき、マイナスイオンは2002年の流行語となった。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 29,
"tag": "p",
"text": "2002年(平成14年)の家電量販店の店頭は一時マイナスイオン商品で溢れかえる事態となった。次に述べる。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 30,
"tag": "p",
"text": "マイナスイオンの健康問題を扱う一般書籍やマイナスイオン商品の広告の中には、科学としてマイナスイオンによる効能を扱うものが見られる。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 31,
"tag": "p",
"text": "2003年には、家電メーカー14社中8社が自社製品による実験データありと回答した。マイナスイオン商品の解説や健康本の著述の中には、「マイナスイオンが疲労回復・精神安定を始めとする様々な健康増進効果をもたらす」と主張するものがあるが、これらの効果は客観的に証明されたものではないものが多くある。実証されていなくとも、商品販売とは関係がなければ、書物の記述は医薬品医療機器等法の規制対象外であるためである。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 32,
"tag": "p",
"text": "流行が過熱した2002年(平成14年)頃には、流行に便乗して様々な「マイナスイオン商品」が発売された。同年上半期の日本経済新聞社発表のヒット商品番付では、マイナスイオン家電が小結にランクされた。エアコン・冷蔵庫といった大型で高価な家電製品、衣類・タオル・マスクなどの繊維製品、マッサージ器やドライヤーなどの健康機器・美容機器、芳香剤・消臭剤などの日用品、自動車用品、パソコン、パソコン関連製品など多岐にわたっている。また、マイナスイオンを発生させるという触れ込みの商品であっても、実際には単なる置物・装飾品・印刷物であるものも存在した。何かが発生しているように見せかけるため、音や光を出す商品や説明文書を添えた商品も存在した。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 33,
"tag": "p",
"text": "2003年(平成15年)になると景品表示法が改正され、商品の表示に対しては合理的な根拠が要求されることとなった。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 34,
"tag": "p",
"text": "法施行後、大手家電メーカーはマイナスイオン家電のパンフレットから効果効能の記述を削除し、そして販売自体が中止されたマイナスイオン家電も多く出た。2003年(平成15年)、国民生活センターは、マイナスイオンを冠した商品すべてに科学的に健康効果が実証されているわけではないと報告している。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 35,
"tag": "p",
"text": "2003年8月には、マイナスイオンブームの旗手であり、マスコミに頻繁に登場していた堀口昇が経営するメーカーが製造するマイナスイオン器具関係が薬事法(現・医薬品医療機器等法)違反で行政処分を受けた。その2カ月後には「電位治療器」として承認を受けたため、健康保険の対象となった。堀口昇の電位治療器のほかには、医療機器のAWGがマイナスイオンを発生させる機器として、1998年に同じく違反した後に許可を得ている。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 36,
"tag": "p",
"text": "2004年になると、マイナスイオン関連製品の月別発表件数は最盛期(2002年8月)の1/10以下となった。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 37,
"tag": "p",
"text": "後にマイナスイオン製品の効果効能を信じる、あるいは期待する消費者はいるが、効果を実感できなかったという消費者のアンケート結果が公開されたことや、効果の究明が全く不十分と指摘する学識経験者の声が広まり、またメーカーが効果を検証していないことが明らかになるに従い、効果を疑問視する消費者も増えてきた。さらに2006年11月には、東京都は科学的根拠が薄弱なマイナスイオン商品に対して、複数の業者に対し資料提出要求及び景品表示法を守るよう指導を行った(後述)。また2008年2月には、マイナスイオン等による「自動車の燃費向上グッズ」が効果無しとして、業者19社が公正取引委員会によって排除命令を受けた。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 38,
"tag": "p",
"text": "青森県の八戸学院大学では、同県に所在する奥入瀬渓流の「マイナスイオン」値を測定し、マップにして配布していたが、一部研究者からの指摘を受け、自主回収することとした。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 39,
"tag": "p",
"text": "一部の大手企業は、名称を変えた商品を販売している。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 40,
"tag": "p",
"text": "このようにマイナスイオンという言葉を宣伝に用いる企業もあれば、独自の名称を用いる企業もある。",
"title": "マイナスイオン商品"
},
{
"paragraph_id": 41,
"tag": "p",
"text": "2010年春モデルのエアコンでは、コロナがマイナスイオンを採用しているが、独自の名称のイオンの発生機を搭載しているメーカーが多く、プラスかマイナスかすらカタログに記載していないメーカーもある。",
"title": "マイナスイオン商品"
},
{
"paragraph_id": 42,
"tag": "p",
"text": "既出のように、大気中には大気イオンが微量であるが存在している。大気汚染がある場合や、人工空間等では、大気中の帯電粉塵により中和され、大気イオン濃度は小さくなる。これは科学的な記述である。",
"title": "マイナスイオン商品"
},
{
"paragraph_id": 43,
"tag": "p",
"text": "懐疑派で統計物理学者の菊池誠は2006年に自己のブログでこう述べる。確かに滝の側で爽快感を得ることはあるが、これは飛び散った細かな水滴が気化する時の気化熱による空気の冷却による涼しさ、都会の喧騒から離れたことによる静けさ(滝の音のみ聞こえる)や空気の清浄さ(車の排ガスなどのない)、また木々の緑が目に及ぼす優しさ等、普通に想定される快適要因による説明で十分であり、あえて科学的に実証されていない「マイナスイオン」を原因として持ち出す必要はないのではないか。",
"title": "マイナスイオン商品"
},
{
"paragraph_id": 44,
"tag": "p",
"text": "1999年の松下の研究はマイナスイオンに暴露するグループと、何もしないグループに分けて、マイナスイオンのあった方は、減算や逆唱の成績が落ち、深呼吸が増すといった有意な差が見られる。別の松下の2000年の研究は二重盲検法によって15人を振り分け就寝時に機器を使用して、3週間後にはマイナスイオンありではNK細胞の有意な減少が確認されている。",
"title": "マイナスイオン商品"
},
{
"paragraph_id": 45,
"tag": "p",
"text": "マイナスイオン商品が標榜する効能としては、精神安定・不眠の改善、アレルギーの抑制・血液浄化といった人体に直接作用するものから、空気浄化、脱臭、除菌といった環境に作用するものなどがある。",
"title": "マイナスイオン商品"
},
{
"paragraph_id": 46,
"tag": "p",
"text": "様々な商品が様々な効能があることを直接・間接に示唆しつつ販売された。",
"title": "マイナスイオン商品"
},
{
"paragraph_id": 47,
"tag": "p",
"text": "これらの効能は実証されていないものがあり(後述)、2003年の景品表示法の改正以降、研究データを持っていないメーカーはマイナスイオンを宣伝文句としては避けざるをえない。",
"title": "マイナスイオン商品"
},
{
"paragraph_id": 48,
"tag": "p",
"text": "行政は不実証の効果効能標榜に対し規制取締りを行っている。特に人体への作用と標榜するものに対しては医薬品医療機器等法違反となる。例えば、2007年に東京都はマイナスイオン関連商品に対して「病気の治療を目的として使用することを標ぼうする場合は医療機器に該当」するとし、薬事法(現・医薬品医療機器等法)違反を警告している。またここでいう「問題となる標ぼう」について、「血液をサラサラ」、「心臓病の予防精神安定」、「不眠症の解消」、「体細胞の活性化」等の具体的事例を挙げて説明している。",
"title": "マイナスイオン商品"
},
{
"paragraph_id": 49,
"tag": "p",
"text": "2003年に、家電メーカー13社から回答を得たところ、「脱臭」「保湿」「静電気の抑制」「集塵」といった費用・技術的に実証しやすいものは各社実験で確認済みであったり、ドライヤーに関しては松下(現パナソニック)が毛髪水分量や髪をしっとり・サラサラにさせるというデータを、日立製作所が髪の水分保持に関するデータを持っていた。",
"title": "マイナスイオン商品"
},
{
"paragraph_id": 50,
"tag": "p",
"text": "大手家電メーカーのシャープは除菌効果があるとするイオンを放電する装置を販売している。シャープは、放電により生成した大気イオンに除菌効果があるとし、これを「プラズマクラスター」と名付けてエアコンや冷蔵庫を販売している。開発者による技報によると、除菌効果は放電で同時に発生したオゾンによるものではなく、マイナスイオンとプラスイオンの反応により生成した活性酸素(OHラジカルなど)のタンパク質変性作用がウイルスを不活性するとしている。シャープはマイナスイオンとプラスイオンを放電するプラズマクラスターイオン技術に対して、同社の特許技術である「プラズマクラスター」という登録商標を使用している。",
"title": "マイナスイオン商品"
},
{
"paragraph_id": 51,
"tag": "p",
"text": "「除菌効果の実空間での実証」が開発者以外の第三者によってなされた科学論文は2007年現在のところ存在しない。同社は、広島大学、大阪市立大学、ハーバード大学、ソウル大学など国内外の複数機関で研究を行い効果を実証しているとしている。なお、有効な特許について「特許発明の技術的範囲」に則った説明が景品表示法違反になった例は、未だに存在しない。",
"title": "マイナスイオン商品"
},
{
"paragraph_id": 52,
"tag": "p",
"text": "シャープは製造した「プラズマクラスター」を組み込んだ掃除機に関して、空気中に浮遊しているダニの糞や死骸等のアレルギーの原因となる物質を分解、除去すると広告で表示していたが、2012年11月28日、消費者庁が外部の研究機関に依頼して調べた結果、表示された通りの性能が出なかったため、同社に対し不当景品類及び不当表示防止法違反(優良誤認)で再発防止を求める措置命令を出した。",
"title": "マイナスイオン商品"
},
{
"paragraph_id": 53,
"tag": "p",
"text": "市場では、マイナスイオンを発生すると称する様々な商品が販売されている。",
"title": "マイナスイオン商品"
},
{
"paragraph_id": 54,
"tag": "p",
"text": "代表的なものは以下のとおり。",
"title": "マイナスイオン商品"
},
{
"paragraph_id": 55,
"tag": "p",
"text": "1 - 3はいずれも放電により大気を電離させる。",
"title": "マイナスイオン商品"
},
{
"paragraph_id": 56,
"tag": "p",
"text": "4はレナード効果(水滴分裂による帯電)によるものである。この場合、負イオン濃度だけでなく、湿度も増加させる。",
"title": "マイナスイオン商品"
},
{
"paragraph_id": 57,
"tag": "p",
"text": "5のトルマリンの結晶は、その圧電効果や焦電効果により、衝撃や熱が加えられると大気を電離させて負イオンを発生させる能性がある。しかし、常時、歪みや熱が加えられなければこの状態は続かず、静止状態では負イオンは発生しない。また粉末状のトルマリンでは電離に必要な電圧が出るとは考えられない。そのため、原料のトルマリン粉に放射性同位元素を混入した商品が存在する。この場合は放射性同位元素から放出される電離放射線により大気を電離させて負イオンを発生させる可能性があるが、同時に低線量放射線の健康影響(被曝)が心配される。",
"title": "マイナスイオン商品"
},
{
"paragraph_id": 58,
"tag": "p",
"text": "7:愛媛大学農学部の仁科弘重教授は、観葉植物とマイナスイオンの濃度の関係について実験を行い、観葉植物の有無、配置によって濃度が変化することを示している。(しかし日本機能性イオン協会は「植物の放出エネルギーによるイオンの生成は考えられない」としている)",
"title": "マイナスイオン商品"
},
{
"paragraph_id": 59,
"tag": "p",
"text": "イオンブロアーという静電気の発生を制御する装置がある。ドライヤーや洗濯機などは乾燥による静電気の発生を抑制する目的としては理にかなっている。",
"title": "マイナスイオン商品"
},
{
"paragraph_id": 60,
"tag": "p",
"text": "発生器の性能を示す指標として、マイナスイオン密度(あるいは濃度)が用いられる。これは「マイナスイオン密度測定器」で測定される値であるが、この装置の多くは、大気イオンの濃度測定法を利用している。しかし、この測定器は原理的にさまざまな環境因子(温度・湿度・エアロゾル濃度)の影響を受けるため、信頼できるデータを得るためには、科学的な測定技術と知識が必要である。例えば測定時には湿度が敏感に影響するはずだが湿度の影響をどう取り除いたのかの説明が無いとの意見がある。",
"title": "マイナスイオン商品"
},
{
"paragraph_id": 61,
"tag": "p",
"text": "すなわち(高湿度である)滝の側や湿気の高い森林の中などでの測定は、測定に影響を及ぼす環境因子をきちんとコントロールしなければ科学的に信頼性のあるデータは得られない。",
"title": "マイナスイオン商品"
},
{
"paragraph_id": 62,
"tag": "p",
"text": "一部のメーカーは、バークレー大学の作った国際規格である、発生口から1メートル離れた場所で1立方センチあたり10万個以上のマイナスイオンが発生すればイオン発生器という名称が使えるというアメリカでの基準を自主的に採用していた。",
"title": "マイナスイオン商品"
},
{
"paragraph_id": 63,
"tag": "p",
"text": "このように信頼性に疑問があるイオン測定データが増え続ける可能性が懸念される状況の中、マイナスイオンブームの最中の2002年にマイナスイオン業界の支持の元で設立された特定非営利活動法人日本機能性イオン協会(会長 中江茂 東京理科大名誉教授)が利害関係人として、みずから作成した「空気中のイオン密度測定方法」の原案を提出してJIS制定を申し出た。日本工業標準調査会は提出原案の審議の後、空気中におけるイオン密度の測定方法及びイオン発生器によって生成されるイオン発生量の測定方法として、2006年11月にJIS B9929:2006「空気中のイオン密度測定方法」を制定した。なお、これは測定方法に関する規格なので、「イオン化学種は何か」「イオンが健康に良いかどうか」に関する説明は一切含まれていないことに注意しなければならない。",
"title": "マイナスイオン商品"
},
{
"paragraph_id": 64,
"tag": "p",
"text": "特許庁は、平成17年度特許出願技術動向調査報告書「多機能空気調和機」において、空気調和機の4つの基盤技術の一つに「オゾンやイオン発生などの電気技術」を挙げ、物質富化機能としてマイナスイオンに関する特許が多いことを指摘している。また、工業所有権情報・研修館は、2004年3月にマイナスイオン発生器の技術動向等を解説した特許流通支援チャート「マイナスイオン発生機」を作成し、マイナスイオン技術の概要、企業等の特許情報等を公開している。この中で、市場への商品投入後に学術研究が追いかけているのが現状であり、「マイナスイオン発生器の効果については、科学的に完全に解明されていない状況の下で社会的に注目されてきたことにも留意する必要がある」ことを指摘している。",
"title": "マイナスイオン商品"
},
{
"paragraph_id": 65,
"tag": "p",
"text": "東京都生活文化局は、2006年11月、「マイナスイオン商品」に対する注意を喚起し、「マイナスイオンの効果を謳う商品の表示」に関する科学的検証結果を公表した。これによると、景品表示法の観点から、マイナスイオン商品のインターネット表示8件を科学的に検証した結果、マイナスイオン発生量に関する表示には客観的実証が認められず、情報・根拠の表示も不十分であると指摘した。さらに、マイナスイオンの存在自体を否定したり、すべてのマイナスイオン商品の効果・性能を否定するものではないと断った上で、調査対象の8件の商品について、マイナスイオンの効果や性能に関する表示に客観的実証が認められない点を指摘した。対象となった事業者に対して景品表示法の遵守を指導すると共に、通信販売・訪問販売の関係業界に対して客観的事実と根拠に基づく表示の適正化等を要請した。",
"title": "マイナスイオン商品"
},
{
"paragraph_id": 66,
"tag": "p",
"text": "2002年まででも、海外に1470文献、日本でも290文献が示されている。2003年に国民生活センターが実施したアンケートに対して、マイナスイオン推進側の中江茂は「人体への効果との因果関係については、1970年以降400編近い論文が発表されている。ただ、分子レベルのメカニズムが解明されていないが、その大部分は効果ありとする論文であり、客観的には有益であると考える」と述べた。一方、懐疑側の安井至は「無効とする論文も多く、マイナスイオンと人体への効果との因果関係は十分に究明されていない。オゾンや湿度などの効果ではないという検証も不足している上に絶対量があまりにも少ない」と主張している。",
"title": "「マイナスイオン」研究の実態"
},
{
"paragraph_id": 67,
"tag": "p",
"text": "空気イオンの生理学的研究には、1937年に出版された『内科診療の実際』において、空気陰イオンには鎮静作用が、空気陽イオンには興奮作用があり、血圧、脈拍、呼吸、血糖値、白血球など多くの生理学作用の増減報告がなされている。1930年代にもいくつかの例を示せば、血液酵素アミラーゼが陰イオンにより増強され陽イオンは阻害する、マイナスイオン療法は活性酵素を抑制しモルヒネ受容体と結合するため関節炎・打撲・骨折などの炎症を緩和し機能回復を促進する、陰イオンは特に糖尿病患者の血糖値を抑制するといった1930年代(昭和5年ごろ)の研究論文がある。",
"title": "「マイナスイオン」研究の実態"
},
{
"paragraph_id": 68,
"tag": "p",
"text": "マイナスイオンの用語は、『空気マイナスイオン応用事典』の一覧からは日本の1996年以降の文献に見られる。多くの日本人研究者がマイナスイオンの用語にて、生体・生物学的影響に関する研究発表を国内の学会で発表した。",
"title": "「マイナスイオン」研究の実態"
},
{
"paragraph_id": 69,
"tag": "p",
"text": "論文検索を用いて、題名に「マイナスイオン」を含み、かつ、生体・生物学的影響に関する国内学会発表を検索すると、少なくとも29学会で計56件の発表を確認できる。筆頭発表者の所属を見ると、大学が37件、その他が19件であった。産学共同の状況では56件中14件が大学と企業との共同研究であった。発表年別集計では、1994年が1件、1995-1999年が8件、2000-2004年に46件と大きく増加したが、2005年以降が1件と激減している。この検索の中に、査読付き原著論文(国内誌)は、過去2件ある。共に、渡部一郎北大助教授(当時)によるものである。",
"title": "「マイナスイオン」研究の実態"
},
{
"paragraph_id": 70,
"tag": "p",
"text": "なお、医療書でも論文でもなく単に事典であるが定義で前述の『科学大事典第2版』の「マイナスイオン」の解説では、「人体への好影響が言われているが詳細は不明である」との記述がある。",
"title": "「マイナスイオン」研究の実態"
},
{
"paragraph_id": 71,
"tag": "p",
"text": "1930年代にはいくつか例をあげれば、軽症の動脈硬化症に対し発作が減り血圧と脈拍が降下する、特に肺結核に対する諸疾患に対して陰イオンが病気に対する抵抗を高める、陰イオンは喘息患者79例中32例が快癒13例が軽癒19例はやや軽快13例は変化なしで陽イオンは疲労感を訴えさせたといった研究論文がある。",
"title": "「マイナスイオン」研究の実態"
},
{
"paragraph_id": 72,
"tag": "p",
"text": "負の大気イオン(negative air ions)の生体・生物学的影響に関する論文(主に国外論文誌に掲載)を、生命科学系文献データベースPubMed(MEDLINE)にてキーワードを\"negative air ion(s)\" OR \"negative ion(s)\"で検索し、生体・生物学的影響に関する論文のみ抽出すると、1959年から2007年までの48年間で63件(平均1.3件/年)確認できた。論文誌別にみると、International Journal of Biometeorologyが8件、Biofizikaが4件、Natureが3件(活性酸素による殺菌の研究)、その他(Scienceに1件を含む40誌)に掲載されている。著者の国別を見ると、USAが12件、Russiaが9件、Japanが8件、UKとGermanyが各4件、その他であった。これらの論文のうち、効果に否定的な結論を示す論文は63件中4件ある。",
"title": "「マイナスイオン」研究の実態"
},
{
"paragraph_id": 73,
"tag": "p",
"text": "2004年のエアロゾル学会の『エアロゾル用語集』には、仮説の実証には今後の更なる検討が必要であると記されている。",
"title": "「マイナスイオン」研究の実態"
},
{
"paragraph_id": 74,
"tag": "p",
"text": "代替医療として臨床現場で使用が試みられている例も存在する。(なお以下の「療法」は医療機関が自主判断で行っているものは、厚生労働省が関知する医療行為ではない)",
"title": "「マイナスイオン」研究の実態"
},
{
"paragraph_id": 75,
"tag": "p",
"text": "東京女子医科大学付属青山自然医療研究所クリニックはホメオパシーなどとともに「マイナスイオン療法」を行っている。統合医療を実践する上での問題点や本クリニックの実践内容については、日本補完代替医療学会誌に掲載された論文に詳しく書かれている。なお、「マイナスイオン療法」は他の代替医療と同様、健康保険は利用できない。",
"title": "「マイナスイオン」研究の実態"
},
{
"paragraph_id": 76,
"tag": "p",
"text": "向の岡工業高等学校元教諭で玉川大学工学部元講師の青木文昭は著書にて、マイナスイオンを増加させることによって数十例の難病が全体あるいは部分的に快復したと書いている。",
"title": "「マイナスイオン」研究の実態"
},
{
"paragraph_id": 77,
"tag": "p",
"text": "ニューウェイズの宣伝本を書いたピート・ビラックは自身の別の著書で、「アメリカのフィラデルフィアのイーストウエスト病院において、マイナスイオン療法により花粉症やぜんそくの63%が全快または部分的な改善を示し、火傷患者の85%に鎮痛剤としてのモルヒネが必要なくなり、138人の外科手術者に対しては57%が痛みをまったく感じないか大幅に減じられた」と主張している。",
"title": "「マイナスイオン」研究の実態"
},
{
"paragraph_id": 78,
"tag": "p",
"text": "1998年の研究では、季節性情動障害の158人を振り分け、負の空気イオンは朝の朝への暴露と同じ程度の効果があった。2007年の32人でのランダム化比較試験では、光、負の空気イオン共に季節性情動障害に有効であった。2010年の報告では、ランダム化比較試験で73人の季節性情動障害を振り分け、光、負の空気イオン、プラセボで処置し、光では有意に、高濃度負イオンへの暴露では、有意ではないが有効であった。",
"title": "「マイナスイオン」研究の実態"
},
{
"paragraph_id": 79,
"tag": "p",
"text": "マイナスイオンを批判している工学者の安井至は、マイナスイオンを未科学としている。2004年の論文で次のように述べている。定義については、負の大気イオンが正式名称である。実験値が出ていると思えるものにシャープのプラズマクラスターイオンの除菌作用があるが、ほかのメーカーから再現できないと指摘されているとしている。それ以外にもドライヤーは副生成物のオゾンによるオゾン水の効果で説明がつくのではないかなど、脱臭、掃除機などの効果がマイナスイオン以外の原理で説明がつくだろうという検証されていない仮説を述べている。トルマリンについてはインチキとしている。どのメーカーも効果を示すための実証データを示していないと指摘している。(なお2003年の家電メーカー各社からの回答によれば、14社中8社が自社製品の実験データありと回答している)2003年の論文では、ドライヤーのサラサラ効果については、体験上事実であるが、オゾンによるオゾン水の効果ではないかとの仮説を述べている。掃除機や空気清浄機の集塵、冷蔵庫の鮮度保持についてはオゾンや光触媒でも説明できるとの仮説を述べている。二重盲検法の条件を達成することで人体への効能は証明可能となるが、それは匂いのするオゾンの発生などの条件のため難しいと指摘している。",
"title": "ニセ科学もしくは未科学とする主張"
},
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"paragraph_id": 80,
"tag": "p",
"text": "同じくマイナスイオン批判をしている統計物理学者の菊池誠の言説について。2004年の『「ニセ科学」入門』と題する自らサイトで公開する文書にて、マイナスイオンの生成法には、水の粉砕、放電、トルマリンの3種類があり、水粉砕には保湿効果くらいがあり、放電にはオゾンが発生し、トルマリンでは帯電したものは何もないだろうと仮説を述べている。身体への根拠では、現在では省みられない『空気イオンの理論と実際』を参照しているとし、2006年2月23日の追記では、歴史がまだよくわからないし、挙げた書籍もときどき省みられていると追記し見解を変更している。影響はあるがイオン製造器を買う価値はないとし、よく調べれば効果が明らかになると反論されることがあるが、科学的効果がはっきりしないものはニセ科学であると断言している。",
"title": "ニセ科学もしくは未科学とする主張"
},
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"paragraph_id": 81,
"tag": "p",
"text": "その後、菊池は2006年4月18日に自身のブログで、日本大気電気学会が出版した『大気電気学概論』を読んだところ、マイナスイオンは健康によいのかは解決すべき問題だと記載されているため、未科学だとしている。2006年7月28日のブログにて、マイナスイオンが存在するのかといえば、マイナスイオンは身体によいと言うときのマイナスイオンの場合だと、大気イオンや帯電した水クラスターは存在するが、身体によいという根拠がなく、それがトルマリンから出るかどうかについては怪しいとしている。2006年9月の同じく『「ニセ科学」入門』と題する論文では、2002年のAP通信による英語のニュースで、大手家電メーカーの話者がマイナスイオンの効果は知らないと語っていることを根拠として、それを自身の論として追認した。また自身の公開する公開日不明の文書では、『空気イオンの理論と実際』が入手困難なため調査不足であることと、2002年のAP通信のメーカーへのインタビューを根拠に、健康効果は科学的に実証されていないと結論している。",
"title": "ニセ科学もしくは未科学とする主張"
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"paragraph_id": 82,
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"text": "化学者の小波秀雄も、マイナスイオンを「ニセ科学」と表現している。小波は「ニセ科学」が流行してしまった理由のひとつとして、「専門家の言語表現と一般の日常用語の感覚にあるズレ」について言及している。すなわち、専門家は「-は絶対にありえない」という表現は使えないため、「確率的にはきわめて低い」などと表現するが、これを一般の人の受け止め方では「実際に起きるかもしれない」となってしまうという。",
"title": "ニセ科学もしくは未科学とする主張"
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マイナスイオンは、大気中に存在する負の電荷を帯びた分子の集合体である。主に空気中の過剰電子によりイオン化した大気分子の陰イオンを表す用語である。 大気電気学では、健康問題に関する際に負イオンをこのように呼ぶ。家電メーカー13社はほぼ共通して、空気中の原子や分子が電子を得てマイナスに帯電したものとしている。専門的には通常は空気マイナスイオンと呼ばれる。昭和初期の文献では空気陰イオンとするものもある。大気電気学のイオンは化学とは定義が異なる。
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'''マイナスイオン'''(minus ion<ref name="jiten" />, negative air ion<ref name="jiten" />)は、[[大気]]中に存在する負の[[電荷]]を帯びた[[分子]]の集合体である<ref name="jiten" />。主に[[空気]]中の過剰[[電子]]により[[イオン]]化した大気分子の[[陰イオン]]を表す用語である。
[[大気電気学]]では、健康問題に関する際に負イオンをこのように呼ぶ<ref name="大気電気学概論" />。[[家電メーカー]]13社はほぼ共通して、空気中の原子や分子が電子を得てマイナスに帯電したものとしている<ref name="メーカー回答" />。専門的には通常は'''空気マイナスイオン'''と呼ばれる。昭和初期の文献では'''空気陰イオン'''とするものもある<ref name="内科診療の実際" />。大気電気学のイオンは化学とは定義が異なる<ref name="商品化は" />。
== 概要 ==
20世紀初頭から空気イオンに関する研究は連綿と続いてきた。日本でマイナスイオンという言葉は、[[20世紀]]の終わり頃から[[メディア (媒体)|メディア]]に頻繁に登場するようになり、[[1999年]]から[[2003年]]頃が流行のピークであった。日本の[[流行語]]となった<ref name="ryukou" />。十分な裏付けが得られないまま効能を謳うメーカーが数多く現れた結果、批判も起こった。ただし負の大気イオンの論文などの文献は、2002年までに海外に1470文献、日本でも290文献ある<ref name="応用事典文献" />。また、[[厚生省]]の認可を受けた[[医療機器]]が存在する。また空気中の陰イオンは、ゲルディエン式コンデンサ形イオン密度測定器 (Gerdien condenser) などを用い、JIS B9929:2006「空気中のイオン密度測定方法」に基づいて計測される<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.japan-ion.jp/ |title=日本機能性イオン協会 |accessdate=2014-04-12 }}</ref>。
マイナスイオンの研究をさらに発展させて、[[クラスター (物質科学)|クラスター]]や[[OHラジカル]]やアニオンといった物理学の概念を導入することで、技術の向上を目指し、携帯型[[空気清浄機]]や[[ヘアドライヤー]]などの分野で、より付加価値の高い製品を生み出す動きも見られる。
<!--中立的な観点に従って、ここからを疑問とする。-->
懐疑派である工学者の[[安井至]]は、マイナスイオンを[[未科学]]とし、ドライヤーのサラサラ効果は体験できるが副生成物の[[オゾン水]]の効果ではないかとし、集塵効果や、冷蔵庫の鮮度保持でも他の説明ができるのではとの仮説を述べている(その効果を否定してはいない)<ref name="商品化は" />。安井はどのメーカーも効果の実証データを示していないと指摘しているが<ref name="からだに良い?" />、その発言の前年に家電メーカー14社中8社が自社製品の実験データありと回答している<ref name="メーカー回答" />。また健康に対しての効果については懐疑している<ref name="商品化は" />。同じく懐疑している統計物理学者の[[菊池誠 (大阪大学)|菊池誠]]は、健康効果について[[ニセ科学]]とし、その根拠を2002年のAP通信によるインタビューに頼っている<ref name="菊池入門2" />。安井はトルマリンがマイナスイオンを出すという説をインチキとし<ref name="からだに良い?" />、菊池も同じような言説である。両者ともに、マイナスイオンの定義が明確でないと主張しているが、科学的には負の大気イオンだという認識に相違はなく、この現象自体については懐疑していない。
== マイナスイオンの定義 ==
=== 大気イオンと国内の空気イオンの生体に対する研究 ===
『大気電気学概論』では<ref name="大気電気学概論">{{Cite book|和書|author=日本大気電気学会編|title=大気電気学概論|edition=初版|page=144|publisher=コロナ社|date=2003年3月}}</ref>、健康問題との混同を避けるために以下のような記述がある<ref group="注">この『大気電気学概論』引用箇所の執筆者はマイナスイオン研究を推進している[[小川俊雄]]である。</ref>。
{{quotation|[[大気電気学]]では[[負イオン]] (negative ion) と呼ぶが、健康問題に関係するときはマイナスイオンと呼んでいるので、以下、この呼び方をする。また、[[正イオン]] (positive ion) のことをプラスイオンと呼ぶ。|{{Cite book|和書|author=日本大気電気学会編|title=大気電気学概論|edition=初版|page=144|publisher=コロナ社|date=2003年3月}}}}
[[大気イオン]]自体は大気電気学分野の科学用語である。負の大気イオンの英名は''negative air ions''である。
国内でマイナスイオン研究の主導的立場にある[[#マイナスイオン研究推進の立場からの総説的文献|研究者ら]]や、他の[[日本人]]研究者たちは、国内の[[学会]]において、負の大気イオンをマイナスイオンと呼んで生体・生物学的影響に関する研究発表を行っている([[#日本国内のマイナスイオン研究の実情|後述]])。『空気マイナスイオン応用事典』では1996年以降の研究論文の題にマイナスイオンという言葉が登場する<ref name="空気イオンとは何か" />。
1937年の医学書『内科診療の実際』に「大気イオン療法」の項では、Aeroanionの訳語として「空気陰イオン」と記されている<ref name="内科診療の実際" />。
=== 国内の物理学 ===
『科学大事典第2版』では、大気中の負の電荷を帯びた分子の集合体であるとされている<ref name="jiten">国際科学振興財団編『科学大事典第2版』[[丸善]]、2005年。([http://pub.maruzen.co.jp/book_magazine/book_data/search/4621075217.html 書籍情報])</ref>。
国内の[[物理学]]分野では、[[イオン#陰イオン|陰イオン]]の意味で「マイナスイオン」が使われる例があり、例えば独立行政法人[[理化学研究所]]の[[分子動力学]]研究において「プラスイオン」、「マイナスイオン」という用語が用いられている<ref>{{Cite web|和書|url=http://atlas.riken.go.jp/simple/jp/program/claret.html|title=リアルタイムMDシミュレーションプログラム|author=独立行政法人理化学研究所戎崎計算宇宙物理研究室|accessdate=2007-09-01 }} (MD = [[分子動力学]])</ref>ほか、[[日本学術振興会]]総合研究連絡会議透明酸化物光・電子材料第166委員会でも[[結晶]]中の[[ナノ]]構造に関連して「マイナスイオン」が用いられている<ref>{{Cite web|和書|url=http://web.jsps.go.jp/j-grantsinaid/06_jsps_info/g_040818/suisen_pdf_2004/16gs0205_souken.pdf|title=創造的・革新的・学際的学問領域を創成する研究課題への推薦文|author=独立行政法人日本学術振興会総合研究連絡会議透明酸化物光・電子材料第166委員会 |accessdate=2007-09-01|deadlinkdate=2015-01-23 }}</ref>。
1985年の[[通商産業省]]の先端技術の紹介文献において、水溶液中のイオンの状態をあらわす用法としても用いられたことがある<ref name="通産省">通産省産業構造課『最先端技術の常識』講談社、1985年、ISBN 978-4062019965</ref>。科学技術用語としては負イオンが正しい用法である。
===家電メーカーの定義===
2003年には、家電メーカー13社は「空気中の原子や分子が電子を得てマイナスに帯電したもの」というほぼ共通した定義を回答している<ref name="メーカー回答">「家電メーカーの回答 リフレッシュ効果の根拠ってこれだけ?」『食品と暮らしの安全』2003年12月、No176、pp8-9。</ref>。回答した13社(社名は当時)は、松下電器産業、松下電工、三洋電機、三洋エアコンディショナーズ、日立ホーム・アンド・ライフ・ソリューション、富士通ゼネラル、東芝コンシューマーマーケティング、東芝キャリア、三菱電機、シャープ、タイガー魔法瓶、象印マホービンである。
===使用の実際===
学術以外での用法では定義が曖昧で意味が統一されていないという側面がある。
懐疑的立場をとる安井至は、通常の化学でイオンは水溶液中の荷電粒子だが、[[大気電気学]]でのイオンの定義とは異なっているため、マイナスイオンを負の空気イオンとし、水溶液中には存在しないという立場をとるとしている<ref name="商品化は" />。
=== 物質は何か ===
大気中の負の小イオンでは、{{chem|NO|3}}・{{chem|(HNO|3|)|m}}・{{chem|(H|2|O)|n}} 、{{chem|HSO|4}}・{{chem|(HNO|3|)|m}}・{{chem|(H|2|O)|n}}が代表的である<ref name="空気イオンとは何か">{{Cite book |和書 |author=日本住宅環境医学会監修、琉子友男編集、佐々木久夫編集 |date=2002 |title=空気マイナスイオン応用事典 |publisher=人間と歴史社|isbn=978-4890071272 |pages= }}</ref>。
コロナ放電によって生成されたマイナスイオンでは、{{chem|CO|4||-|(H|2|O)|n}}や{{chem|O|2||-|(H|2|O)|n}} と推測されていたが、{{chem|CO|3||-|(H|2|O)|n}} 、{{chem|NO|3||-|(HNO|3|O)|m}}など他の物質も候補に上がっている<ref name="臨床および生理学的効果">{{Cite journal |和書|author=琉子友男 |date=2001-12-31 |title=空気マイナスイオンの臨床および生理学的効果 |journal=臨床環境医学 : 日本臨床環境医学会会誌 |volume=10 |issue=2 |pages=70-77 |naid=10029422859}}</ref>。コロナ放電による生成メカニズムとイオン種の特定については以下も参考となる。
*{{Cite journal |和書|author=関本奏子, 高山光男 |date=2011 |title=大気中コロナ放電によるイオンの生成と発展の研究 |url=https://doi.org/10.11203/jar.26.203 |journal=エアロゾル研究 |volume=26 |issue=3 |pages=203-213|doi=10.11203/jar.26.203 |publisher=日本エアロゾル学会}}
水破砕によって発生するものは、ほとんどが {{chem|O|2||-|(H|2|O)|n}} と考えられている<ref name="臨床および生理学的効果" />。放電プラズマによって生成されたものに関する実測でも、同じくO<sub>2</sub><sup>-</sup>(H<sub>2</sub>O)<sub>n</sub>が観測された<ref name="sp">{{Cite web|和書|author=西川和男、野島秀雄 |date=2003 |title=放電プラズマにより生成したクラスターイオンを用いた気中ウィルス不活性化技術| url=http://www.sharp.co.jp/corporate/rd/21/pdf/86-03.pdf|format=PDF||journal=シャープ技報 |volume= |issue=86 |pages=10-15 |naid=40005919345 |accessdate=2007-08-27 }} 本論文では、大気イオンを[[クラスターイオン]]と表記しているが、これは大気イオンがクラスターイオンとして大気中に存在しているからである。ほぼ同内容の論文は、日本化学会の[http://www.chemistry.or.jp/journals/kakou/cimok/ci03-8.html 『化学と工業』56巻8号]にも掲載。</ref>。これらの生成方式による機器ではオゾンなどは発生しない。
2006年11月には、イオン発生量の測定方法がJIS規格化された。(後述)
== 歴史 ==
===空気イオン研究の起源===
1899年に、ElsterとGeitelはイオンを発見し、[[分子イオン]]と命名し、1901年には大気中の電気の伝導性の説明として「気体イオン説」を発表した。1901年にはCzermackはドイツやスイスの熱風「フェーン」のイオンを測定し、プラスイオンが増加しているため、肉体や精神に有害な作用があることを主張した<ref name="マイナスイオン研究史">{{Cite book |和書 |author=日本住宅環境医学会監修、琉子友男編集、佐々木久夫編集 |date=2002 |chapter=第1章マイナスイオン研究史 |title=空気マイナスイオン応用事典 |publisher=人間と歴史社|isbn=978-4890071272 |pages=23-83 }}</ref>。南風が吹くと空気のプラスイオンが増えるため、人の精神に悪影響を与え犯罪発生率が上がると主張され、[[スイス]]ではプラスイオン量が増大する[[フェーン現象]]は犯罪の[[実刑]]が軽くなる情状酌量の証拠として認定されている<ref name="イオンハンドブック" />。1905年には、[[フィリップ・レナード]]が[[レナード効果]]と呼ばれることになる、水が破砕されることで細かい水しぶきが負に帯電する現象を発見した。
Steffensは1910年に大気中のイオンと同じものを人工的に生成し、病気に応用し空気イオン療法がはじまった。1920年代以降に、日本の[[木村正一]]、ドイツのDessauerやソ連のTchijevskyといった研究者が、発展させていくことになる<ref name="マイナスイオン研究史" />。フランス、チェコスロバキア、アメリカでも展開した<ref name="空気イオンの諸問題" />。
[[1930年代]]には、空気イオンによる療法として、特に日本やドイツで陰イオンと陽イオンが病気にどのような影響を与えるかという研究論文が医学会誌に掲載された<ref name="イオンハンドブック">藤野薫・編著『マイナスイオンハンドブック』せせらぎ出版、2002年、ISBN 978-4884161095。</ref>。1937年には、[[西川義方]]<ref group="注">元・宮内省侍医、元・東京医大教授</ref>らが医学書『内科診療の実際』の治療法一覧に「大気イオン療法」を記載し、その生理作用や生成装置について記載している<ref name="内科診療の実際">西川義方『内科診療の実際』改訂第24版、南山堂、1937年。</ref>。Aeroanionの訳語として「空気陰イオン」と記されている<ref name="内科診療の実際" />。1938年には、[[北海道帝国大学]]医学部で空気イオンの医学的研究をしていた木村正一らが欧米の学者の説と自身の研究をまとめて『空気イオンの理論と実際』として出版し、これには国内外の治療研究の結果がさまざまに紹介されている<ref name="空気イオンの理論と実際">木村正一、谷口正弘『空気イオンの理論と実際』南山堂、1938年。</ref>。『空気イオンの医学的研究』も出版されている<ref>井上善一郎『空気イオンの医学的研究』北隆館、1946年。</ref>。慶応大学医学部の[[原島進]]を中心とした研究班のほかに、慈恵医大、日本医大、九州大学医学部でも日本での空気イオンの研究は活発となっていった<ref name="マイナスイオン研究史" />。
アメリカでは[[健康器具|健康機器]]としてion generating device(イオン発生装置)が[[1950年代]]頃に一時流行したことがあった。しかし[[1960年代]]初頭には、イオン発生装置や副産物の[[オゾン]]に対して[[アメリカ食品医薬品局]] (FDA) が警告を出したことにより、イオン発生装置は健康[[市場]]から制限を受けることになった<ref>Kinne, Stephen M., "A public health approach to evaluating the significance of air ions", AEROSPACE MEDICINE AND BIOLOGY, NASA SP-7011 (449), pp.10-11, 1997.([http://www.sti.nasa.gov/Pubs/Aeromed/med449.pdf PDF書類] {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20061003164354/http://www.sti.nasa.gov/Pubs/Aeromed/med449.pdf |date=2006年10月3日 }})</ref>。結果として業者らは、[[空気清浄機]]として販売しなければならない状況になった<ref>{{cite web|url=http://www.air-purifier-power.com/ionic-air-purifier.html|title=Ionic air purifier: "Ionic" needs clarification|author=Air-Purifier-Power|accessdate=2007-08-30 }}</ref>。
===連綿と続く研究===
[[第二次世界大戦]]はこうした研究を中断したが、1961年にはアメリカで、第1回国際空気イオン学会が開催された<ref name="空気イオンの諸問題">{{Cite journal |和書|author=安倍三史 |date=1964-06 |title=空気イオンの諸問題 |journal=公衆衛生 |volume=28 |issue=6 |pages=297-306 |naid=40017771814}}</ref>。1960年には[[モスクワ]]空気イオン化中央研究所の所長であったTchijevskyの研究報告書が、ソ連連邦国家計画委員会によって出版されている<ref name="マイナスイオン研究史" />。コロナ放電式のイオン生成機による研究であった<ref name="マイナスイオン研究史" />。
1976年には『[[サイエンス]]』にも掲載され、殺菌作用と、セロトニン仮説などが述べられた<ref name="Krueger1976">{{cite journal|last1=Krueger|first1=A.|last2=Reed|first2=E.|title=Biological impact of small air ions|journal=Science|volume=193|issue=4259|year=1976|pages=1209–1213|issn=0036-8075|pmid=959834|doi=10.1126/science.959834}}</ref>。90年代にいたるまで研究は連綿と続くことになる<ref name="マイナスイオン研究史" />。
疑似科学の批判者として知られる[[テレンス・ハインズ]]は、1988年発行の自著<ref>テレンスハインズ、井山弘幸訳『ハインズ博士「超科学」をきる―真の科学とニセの科学をわけるもの』 化学同人、1995年、ISBN 978-4-7598-0275-7。(原書 "PSEUDOSCIENCE AND THE PARANORMAL A Critical Examination of the Evidence", Prometheus Books, 1988, ISBN 0-87975-419-2)</ref>の中で以下のようにコメントしている。「(要約)空気イオン (air ions) の人間行動への影響を示す研究がいくつかあるが示された効果は小さく、また被験者により正反対の効果をも示す別の研究結果もあり、さらに全く効果が見られないとする別の研究結果もある。よって実商品の応用に使うには無理だ。つまりこの「効果」を「マイナスイオン生成機」の購入正当化の理由にはできない。」
その18年後、2006年の[[アメリカ心理学会]]の発行する心理学の定点観測的な雑誌では、陰イオンによる[[季節性情動障害]]の治療研究が紹介されている<ref>{{Cite journal |author=Tori DeAngelis |date=February 2006 |url=http://www.apa.org/monitor/feb06/sad.aspx |title=Promising new treatments for SAD |publisher=American Psychological Association |journal=Monitor on Psychology |volume=37 |issue=2 |pages=18 |accessdate=2016-07-13}}</ref>。
[[#文献|後述の文献]]にて、研究を総説する2010年代の論文が提示されている。
=== 日本での大衆的なマイナスイオンブーム ===
[[1990年代]]後半から、マイナスイオン商品は散発的に販売されていたが、ブームのきっかけは1999年から2002年にかけて、テレビの情報バラエティ番組「[[発掘!あるある大事典]]」<ref group="注">後継の「[[発掘!あるある大事典2]]」は2007年1月に[[捏造]]発覚をきっかけに番組打ち切り、同年4月には同番組の制作局であった[[関西テレビ放送]]の社長が辞任した。</ref>がマイナスイオンの特集番組を放送したことであった<ref group="注">番組にはマイナスイオン専門家を自称する[[堀口昇]]、[[山野井昇]]、[[菅原明子]]ら(三者ともマイナスイオン関連の著作がある)が出演していた。</ref>。番組ではマイナスイオンの効能が謳われ<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.ne.jp/asahi/ecodb/yasui/AruAru.htm|title=あるある大事典訂正 市民のための環境学ガイド|date=2000-12-09|author=安井 至||authorlink=安井至| accessdate=2007-08-27 }}</ref>、ブームに火がつき、マイナスイオンは2002年の[[流行語]]となった<ref name="ryukou">大賞はタマちゃん、マイナスイオンは入賞せず落選。[http://www.dentsu.co.jp/trendbox/adnenpyo/r2002.htm 広告景気年表:2002年] {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20070912080211/http://www.dentsu.co.jp/trendbox/adnenpyo/r2002.htm |date=2007年9月12日 }}([[電通]]) この年の流行語:タマちゃん、W杯、中津江村、貸し剥がし、声に出して読みたい日本語、真珠夫人、ダブル受賞、内部告発、ベッカム様、ムネオハウス、拉致、びみょー、GODZILLA(ゴジラ)、プチ整形、イケメン、食肉偽装、マイナスイオン、ワン切り、○○再生(リンク先サイトより引用)、[http://singo.jiyu.co.jp/nendo/2002.html 流行語大賞 2002 年](自由国民社)</ref>。
2002年(平成14年)の[[家電量販店]]の店頭は一時マイナスイオン商品で溢れかえる事態となった。次に述べる。
==== 流行の実態 ====
マイナスイオンの健康問題を扱う一般書籍<ref>[[堀口昇]]『マイナスイオンが生命危機の時代を救う』健友館、1996年、ISBN 4773703423。</ref><ref>[[山野井昇]]『マイナスイオンの健康学』サンロード、1995年、ISBN 4914986396。</ref><ref>[[菅原明子]]『マイナスイオンの秘密―心を癒し健康をつくる』PHP研究所、2003年、ISBN 4569579027。</ref>やマイナスイオン商品の広告の中には、科学としてマイナスイオンによる効能を扱うものが見られる。
2003年には、家電メーカー14社中8社が自社製品による実験データありと回答した<ref name="メーカー回答" />。マイナスイオン商品の解説や健康本の著述の中には、「マイナスイオンが[[疲労]]回復・[[精神]]安定を始めとする様々な[[健康]]増進効果をもたらす」と主張するものがあるが、これらの効果は客観的に証明されたものではないものが多くある。実証されていなくとも、商品販売とは関係がなければ、書物の記述は医薬品医療機器等法の規制対象外であるためである。
流行が過熱した[[2002年]](平成14年)頃には、流行に便乗して様々な「マイナスイオン商品」が発売された。同年上半期の[[日本経済新聞社]]発表のヒット商品番付では、マイナスイオン家電が[[小結]]にランクされた。エアコン・冷蔵庫といった大型で高価な家電製品、衣類・タオル・マスクなどの繊維製品、マッサージ器やドライヤーなどの健康機器・美容機器、芳香剤・消臭剤などの日用品、自動車用品、パソコン、パソコン関連製品など多岐にわたっている。また、マイナスイオンを発生させるという触れ込みの商品であっても、実際には単なる置物・装飾品・印刷物<ref>たかはし じゅんいち 『[[秋吉久美子]]写真集』 [[バウハウス]]、2003年、ISBN 978-4-89461-957-9 ([[ヘアヌード]]写真集、帯の表示は「世界初!マイナスイオンが発生する写真集」)</ref>であるものも存在した。何かが発生しているように見せかけるため、[[音]]や[[光]]を出す商品や説明文書を添えた商品も存在した。
=== 景表法改正による取締り強化 ===
[[2003年]](平成15年)になると[[景品表示法]]が改正され、商品の表示に対しては合理的な根拠が要求されることとなった。
法施行後、大手家電メーカーはマイナスイオン家電のパンフレットから効果効能の記述を削除し、そして販売自体が中止されたマイナスイオン家電も多く出た。2003年(平成15年)、国民生活センターは、マイナスイオンを冠した商品すべてに科学的に健康効果が実証されているわけではないと報告している<ref name="国民生活センター学識者意見">{{Cite web|和書|url=http://www.kokusen.go.jp/news/data/n-20030905_2.html|title=マイナスイオンを謳った商品の実態-消費者及び事業者へのアンケート、学識経験者の意見を踏まえて-(報道発表資料)|author=国民生活センター|date=2003-09-05 |accessdate=2007-08-27 }}</ref>。
2003年8月には、マイナスイオンブームの旗手であり、マスコミに頻繁に登場していた[[堀口昇]]が経営するメーカーが製造するマイナスイオン器具関係が薬事法(現・[[医薬品医療機器等法]])違反で行政処分を受けた。その2カ月後には「電位治療器」として承認を受けたため、健康保険の対象となった<ref>
{{Cite news |title=理系白書’07:第1部 科学と非科学/4 効果未確認の「マイナスイオン」(東京朝刊) |newspaper=毎日新聞 |date=2007-02-21 |url=http://www.mainichi-msn.co.jp/science/rikei/news/20070221ddm016070148000c.html |archiveurl=https://web.archive.org/web/20070222175739/http://www.mainichi-msn.co.jp/science/rikei/news/20070221ddm016070148000c.html |accessdate=2016-06-30|archivedate=2007-02-22}}</ref>。堀口昇の電位治療器のほかには、医療機器のAWGがマイナスイオンを発生させる機器として、1998年に同じく違反した後に許可を得ている<ref>俊成正樹 『「AWG」は魔術か、医術か』改訂版、2013年、五月書房、ISBN 978-4772705042。95-97・105・204-205ページ。</ref>。
2004年になると、マイナスイオン関連製品の月別発表件数は最盛期(2002年8月)の1/10以下となった<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.n-ion.com/trend_1604.html|title=マイナスイオン関連製品 月別発表件数他社製品動向~「平成16年4月度」|author=イオントレーディング |accessdate=2007-08-27|deadlinkdate=2015-01-23 }}</ref>。
後にマイナスイオン製品の効果効能を信じる、あるいは期待する消費者はいるが、効果を実感できなかったという消費者のアンケート結果が公開されたことや、効果の究明が全く不十分と指摘する学識経験者の声が広まり、またメーカーが効果を検証していないことが明らかになるに従い、効果を疑問視する消費者も増えてきた<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.jc-press.com/news/200309/03090507.htm|title=マイナスイオン商品の人体効果、半数以上が疑問視、専門家は「効果なし」と指摘|author=日本消費者新聞|date=2006-09-15 |accessdate=2007-08-27|deadlinkdate=2015-01-23 }}</ref>。さらに2006年11月には、東京都は科学的根拠が薄弱なマイナスイオン商品に対して、複数の業者に対し資料提出要求及び景品表示法を守るよう指導を行った([[#東京都生活文化局の対応|後述]])。また2008年2月には、マイナスイオン等による「自動車の燃費向上グッズ」が効果無しとして、業者19社が[[公正取引委員会]]によって排除命令を受けた<ref>[http://www.jftc.go.jp/pressrelease/08.february/08020801.pdf 自動車の燃費向上等を標ぼうする商品の製造販売業者ら19社に対する排除命令について]{{リンク切れ|date=2015年1月}} (平成20年2月9日, 公正取引委員会) - [[景品表示法]]第4条第2項の規定により、同条第1項第1号([[優良誤認]])に該当する表示。</ref>。
青森県の[[八戸学院大学]]では、同県に所在する[[奥入瀬渓流]]の「マイナスイオン」値を測定し、マップにして配布していたが、一部研究者からの指摘を受け、自主回収することとした。
一部の大手企業は、名称を変えた商品を販売している。
== マイナスイオン商品 ==
{{宣伝|section=1|date=2012年11月}}
=== 空気中のイオンの効果を標榜している家電企業 ===
;マイナスイオン商品を販売する家電企業
* [[ツインバード]](製品:空気清浄機)2020年4月
* [[コロナ (住宅関連機器メーカー)|コロナ]] (製品:窓用エアコン) 2010年4月
* [[三洋電機]] (製品:ドライヤー<ref>[http://www.e-life-sanyo.com/drier/index.html ドライヤー/ヘアカッター | 三洋電機]</ref>) 2007年12月現在
* [[東芝]] (製品:ドライヤー<ref>[http://www.toshiba.co.jp/living/cosmetic_helth/index_j.htm 美容・健康器具:家電製品 Toshiba Living Doors]</ref>、除湿機<ref>[http://www.toshiba.co.jp/living/webcata/aircon/rad_80dhx.htm 東芝マイナスイオン除湿機 RAD-80DHX/63DHX(生産終了製品)]</ref>) 2007年12月現在
* [[日立製作所]] (製品:ドライヤー<ref>[http://kadenfan.hitachi.co.jp/ioncare/index.html 日立の家電品 : イオンケア] {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20071214224824/http://kadenfan.hitachi.co.jp/ioncare/index.html |date=2007年12月14日 }}</ref>、掃除機<ref>[http://www.hitachi.co.jp/New/cnews/hl/news/2002/0523/index.html HITACHI : News Release : 5/23]</ref>、冷蔵庫<ref>[http://www.hitachi.co.jp/New/cnews/hl/news/2002/0805/index.html HITACHI : ニュースリリース : 2002年8月5日]</ref>、インテリアライト<ref>[http://www.hitachi.co.jp/New/cnews/hl/news/2002/0807/index.html HITACHI : ニュースリリース : 2002年8月7日]</ref>) 2007年12月現在
* [[テスコム]] (製品:ドライヤー<ref>[http://www.tescom-japan.co.jp/products/beauty/ione/index.html 株式会社テスコム|マイナスイオン]</ref>) 2007年12月現在
;参考:空気中にイオンを産生する家電を販売する企業
* [[パナソニック]] 「ナノイー([[OHラジカル]])」(製品:ナノイー発生機、空気清浄機、エアコン、加湿器、洗濯機、ドライヤー、冷蔵庫等) 2009年9月<ref>『09ナノイーブック』パナソニック株式会社 アプライアンス・ウェルネス マーケティング本部、2009年9月1日</ref>
* [[シャープ]] 「[[プラズマクラスター]](プラスのイオンとマイナスのイオン)」(製品:エアコン等) 2010年4月
* [[東芝]] 「ピコイオン」
* [[東芝キヤリア]] 「スゴイオン(マイナスのイオン)」(製品:エアコン) 2010年3月
* [[日立アプライアンス]] 「イオンミスト」(製品:エアコン) 2010年4月
* [[富士通ゼネラル]] 「プラズィオン」(製品:エアコン) 2010年5月
* [[三菱電機]] 「ピュアミスト」(製品:エアコン) 2010年4月
* [[三菱重工業]] 「プラズマ4Dイオン(マイナスのイオン)」密閉容器内のウイルスの抑制(製品:エアコン) 2010年12月
このようにマイナスイオンという言葉を宣伝に用いる企業もあれば、独自の名称を用いる企業もある<ref group="注">この独自名称は登録商標となっているものもある。一部の大手企業では研究や検証を基に製品に表示する効果を説明している。</ref>。
2010年春モデルのエアコンでは、コロナがマイナスイオンを採用しているが、独自の名称のイオンの発生機を搭載しているメーカーが多く、プラスかマイナスかすらカタログに記載していないメーカーもある。
=== 業者が主張するマイナスイオンの効能 ===
==== 業者の主張 ====
既出のように、大気中には大気イオンが微量であるが存在している。大気汚染がある場合や、人工空間等では、大気中の帯電粉塵により中和され、大気イオン濃度は小さくなる。これは科学的な記述である。
懐疑派で統計物理学者の菊池誠は2006年に自己のブログでこう述べる<ref name="kikulog200611">{{Cite web|和書|url=http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/weblog/200611.html#1163864085|title=論理: マイナスイオン|date=2006-11-19|author=菊池誠| |publisher=kikulog(自身のブログ) |accessdate=2007-08-27 }}</ref>。確かに滝の側で爽快感を得ることはあるが、これは飛び散った細かな水滴が気化する時の[[気化熱]]による空気の冷却<ref group="注">気化熱で空気を冷却する例としては近年{{いつ|date=2015年1月}}話題の[[ドライミスト]]などがある</ref>による涼しさ、都会の喧騒から離れたことによる静けさ(滝の音のみ聞こえる)や空気の清浄さ(車の排ガスなどのない)、また木々の[[緑]]が[[目]]に及ぼす優しさ等、普通に想定される快適要因による説明で十分であり、あえて科学的に実証されていない「マイナスイオン」を原因として持ち出す必要はないのではないか。
1999年の松下の研究はマイナスイオンに暴露するグループと、何もしないグループに分けて、マイナスイオンのあった方は、減算や逆唱の成績が落ち、深呼吸が増すといった有意な差が見られる<ref name="精神性発汗">{{Cite journal |和書|author=河村典彦、山内俊幸、渡部一郎 |date=1999 |title=マイナスイオンが精神性発汗および脈拍に与える影響 |url=https://doi.org/10.11227/seikisho1966.35.3_S67|journal=日本生気象学会雑誌|publisher=日本生気象学会 |volume=35 |issue=3 |pages=S67|doi=10.11227/seikisho1966.35.3_S67 }}</ref>。別の松下の2000年の研究は[[二重盲検法]]によって15人を振り分け就寝時に機器を使用して、3週間後にはマイナスイオンありでは[[ナチュラルキラー細胞|NK細胞]]の有意な減少が確認されている<ref name="NK細胞">{{Cite journal |和書|author=渡部一郎、眞野行生、山内俊幸 |date=2000 |title=空気中マイナスイオンがヒトのNK細胞に与える影響 |journal=日本温泉気候物理医学会雑誌 |volume=64 |issue=1 |pages=36 }}</ref>。
==== マイナスイオン商品が標榜する効能 ====
マイナスイオン商品が標榜する効能としては、精神安定・[[不眠]]の改善、[[アレルギー]]の抑制・[[血液]]浄化といった人体に直接作用するものから、空気浄化、[[脱臭]]、[[除菌]]といった環境に作用するものなどがある。
様々な商品が様々な効能があることを直接・間接に示唆しつつ販売された。
これらの効能は実証されていないものがあり<ref group="注">一部は、大学・病院・企業のマイナスイオン研究者が効果の検証が試みた例もある。</ref>(後述)、2003年の景品表示法の改正以降、研究データを持っていないメーカーはマイナスイオンを宣伝文句としては避けざるをえない。
行政は不実証の効果効能標榜に対し規制取締りを行っている。特に人体への作用と標榜するものに対しては医薬品医療機器等法違反となる。例えば、2007年に東京都はマイナスイオン関連商品に対して「病気の治療を目的として使用することを標ぼうする場合は医療機器に該当」するとし、薬事法(現・医薬品医療機器等法)違反を警告している。またここでいう「問題となる標ぼう」について、「血液をサラサラ」、「心臓病の予防精神安定」、「不眠症の解消」、「体細胞の活性化」等の具体的事例を挙げて説明している<ref>「[http://www.fukushihoken.metro.tokyo.jp/kenkou/iyaku/sonota/koukoku/siryou/files/suraido.pdf 平成19年度 医薬品等広告講習会]{{リンク切れ|date=2015年1月}}」(東京都 福祉保健局 健康安全室 薬事監視課 監視指導係, 平成19年10月10日)</ref>。
==== 家電メーカーの研究データ ====
2003年に、家電メーカー13社から回答を得たところ、「脱臭」「保湿」「静電気の抑制」「集塵」といった費用・技術的に実証しやすいものは各社実験で確認済みであったり、ドライヤーに関しては松下(現パナソニック)が毛髪水分量や髪をしっとり・サラサラにさせるというデータを、日立製作所が髪の水分保持に関するデータを持っていた<ref name="メーカー回答" />。
===== シャープによる除菌効果の検証 =====
大手家電メーカーの[[シャープ]]は除菌効果があるとするイオンを放電する装置を販売している。シャープは、[[放電]]により生成した大気イオンに除菌効果があるとし、これを「[[プラズマクラスター]]」と名付けてエアコンや冷蔵庫を販売している。開発者による技報によると<ref name="sp" />、除菌効果は放電で同時に発生した[[オゾン]]によるものではなく、マイナスイオンとプラスイオンの反応により生成した[[活性酸素]](OH[[ラジカル (化学)|ラジカル]]など)の[[タンパク質]]変性作用が[[ウイルス]]を不活性するとしている。シャープはマイナスイオンとプラスイオンを放電するプラズマクラスターイオン技術<ref>[http://www.sharp.co.jp/corporate/news/081023-b-2.html 2009年度 エアコン キレイオン <SXシリーズ> 7機種を発売・詳細](ニュースリリース:シャープ)</ref>に対して、同社の特許技術<ref group="注">[http://v3.espacenet.com/publicationDetails/originalDocument?CC=JP&NR=2002095731&KC=&FT=E 特開2002-095731]。この名称と技術を用いているのは2009年現在シャープのみである。</ref>である「プラズマクラスター」という登録商標を使用している。
「除菌効果の実空間での実証」が開発者以外の第三者によってなされた科学論文は2007年現在のところ存在しない。同社は、広島大学、大阪市立大学、ハーバード大学、ソウル大学など国内外の複数機関で研究を行い効果を実証しているとしている<ref>[http://www.sharp.co.jp/shiromonokaden/pci/ 「プラズマクラスター」は、シャープだけ] {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20091030124605/http://www.sharp.co.jp/shiromonokaden/pci/ |date=2009年10月30日 }} (SHARP)</ref><ref>[http://www.sharp.co.jp/plasmacluster/effect/index.html プラズマクラスターの効果] (SHARP、2010年)</ref>。なお、有効な特許について「特許発明の技術的範囲」に則った説明が[[景品表示法]]違反になった例は、未だに存在しない<ref group="注">ただし、医薬品医療機器等法に抵触すること(健康への効果など)は特許であっても広告に用いることはできない。</ref>。
シャープは製造した「プラズマクラスター」を組み込んだ掃除機に関して、空気中に浮遊しているダニの糞や死骸等のアレルギーの原因となる物質を分解、除去すると広告で表示していたが、2012年11月28日、消費者庁が外部の研究機関に依頼して調べた結果、表示された通りの性能が出なかったため、同社に対し不当景品類及び不当表示防止法違反(優良誤認)で再発防止を求める措置命令を出した。
=== マイナスイオン発生器 ===
==== 発生器の種類 ====
市場では、マイナスイオンを発生すると称する様々な商品が販売されている。
代表的なものは以下のとおり。
[[ファイル:Tourmaline noire.jpg|thumb|250px|トルマリン原石:「マイナスイオン商品」には宝石素材とはならない低品位原石を粉末にして使用する。]]
# コロナ放電方式発生装置
# 電子放射方式発生装置
# プラズマを利用した発生装置
# レナード方式発生装置
# 天然鉱石を用いるもの - [[トルマリン]]鉱石等
# 植物の加工品 - 木炭、竹炭
# その他 - 観葉植物([[サンセベリア]])等
1 - 3はいずれも放電により大気を電離させる。
4は[[レナード効果]](水滴分裂による帯電)によるものである。この場合、負イオン濃度だけでなく、湿度も増加させる。
5の[[トルマリン]]の結晶は、その[[圧電効果]]や[[焦電効果]]により、衝撃や熱が加えられると大気を電離させて負イオンを発生させる能性がある。しかし、常時、歪みや熱が加えられなければこの状態は続かず、静止状態では負イオンは発生しない。また粉末状のトルマリンでは電離に必要な電圧が出るとは考えられない<ref name="商品化は" />。そのため、原料のトルマリン粉に[[放射性同位元素]]を混入した商品が存在する。この場合は放射性同位元素から放出される[[電離放射線]]により大気を電離させて負イオンを発生させる可能性があるが、同時に低線量放射線の健康影響([[被曝]])が心配される<ref group="注">日本生活協同組合連合会ではマイナスイオン商品に対して慎重な方針をだしているが、その中で「放射性鉱石を応用した「放射線型」の寝具などは、微量であっても被曝について慎重な見方があるために取り扱わない」としてこの種の商品の生活協同組合での取り扱いを禁止している。</ref>。<!--ほかの方法として、[[弘前大学]]医学部保健学科が、トルマリンを粉末化し合成樹脂で固めた繊維が、合成樹脂の収縮圧力により半永久的にマイナスイオンを放出することを報告している<ref>野坂大喜、藤岡美幸ほか「[http://www1.cjr.hirosaki-u.ac.jp/seeds/17/p37.pdf マイナスイオン発生素材の医療応用化に関する研究]」(弘前大学医学部保健学科)</ref>。--報告書を読むと、1 - 5の実験で『影響はない』と結論付けている。-->
7:[[愛媛大学]][[農学部]]の[[仁科弘重]]教授は、観葉植物とマイナスイオンの濃度の関係について実験を行い、観葉植物の有無、配置によって濃度が変化することを示している<ref>{{Cite web|和書|url=http://adm.ehime-u.ac.jp/shokai/research/special/nougaku/res_02/interv06.html |title=マイナスイオン濃度上昇効果 |accessdate=2007-08-27|deadlinkdate=2015-01-23 }} </ref>。(しかし日本機能性イオン協会は「植物の放出エネルギーによるイオンの生成は考えられない」としている<ref>[http://www.japan-ion.jp/05_qa1.htm イオンQ&A](日本機能性イオン協会)</ref>)
イオンブロアーという静電気の発生を制御する装置がある。ドライヤーや洗濯機などは乾燥による静電気の発生を抑制する目的としては理にかなっている。
==== マイナスイオン密度の測定 ====
発生器の性能を示す指標として、マイナスイオン密度(あるいは濃度)が用いられる。これは「マイナスイオン密度測定器」で測定される値であるが、この装置の多くは、[[大気イオン#濃度の測定|大気イオンの濃度測定法]]を利用している。しかし、この測定器は原理的にさまざまな環境因子(温度・湿度・エアロゾル濃度)の影響を受けるため、信頼できるデータを得るためには、科学的な測定技術と知識が必要である。例えば測定時には[[湿度]]が敏感に影響するはずだが湿度の影響をどう取り除いたのかの説明が無いとの意見がある<ref>[http://atom11.phys.ocha.ac.jp/wwatch/misc/comment_misc_04.html 「市民のための環境学ガイド 」のマイナスイオン]</ref>。
すなわち(高湿度である)滝の側や湿気の高い森林の中などでの測定は、測定に影響を及ぼす環境因子をきちんとコントロールしなければ科学的に信頼性のあるデータは得られない。
一部のメーカーは、[[バークレー大学]]の作った国際規格である、発生口から1メートル離れた場所で1立方センチあたり10万個以上のマイナスイオンが発生すればイオン発生器という名称が使えるというアメリカでの基準を自主的に採用していた<ref>菅原明子『カンタン空気セラピ』オークラ出版、2004年、ISBN 978-4775504192</ref>。
このように信頼性に疑問があるイオン測定データが増え続ける可能性が懸念される状況の中、マイナスイオンブームの最中の2002年にマイナスイオン業界の支持の元で設立された[[特定非営利活動法人]]日本機能性イオン協会(会長 中江茂 東京理科大名誉教授)<ref group="注">公式サイトは[http://www.japan-ion.jp/ NPO法人日本機能性イオン協会]([http://www.japan-ion.jp/07_kaiin1.htm 法人会員リスト]、[http://www.japan-ion.jp/07_kaiin2.htm 学術会員リスト]) - この法人リストには大企業はない。</ref>が利害関係人として、みずから作成した「空気中のイオン密度測定方法」の原案を提出してJIS制定を申し出た。[[日本工業標準調査会]]は提出原案の審議の後、空気中におけるイオン密度の測定方法及びイオン発生器によって生成されるイオン発生量の測定方法として、2006年11月にJIS B9929:2006「空気中のイオン密度測定方法」<ref group="注">JIS本文は[https://www.jisc.go.jp/app/jis/general/GnrJISNumberNameSearchList?show&jisStdNo=B9929 JIS検索 B9929]、または[https://www.jisc.go.jp/app/jis/general/GnrJISSearch.html JIS検索]にてJIS規格番号欄に[B9929]と入力して[一覧表示]をクリックすれば、JIS B9929:2006「空気中のイオン密度測定方法」の閲覧できる(印刷不可)。内容は、環境条件(温度・相対湿度・気圧・空気の清浄度・電源電圧)、測定位置・高さ、測定前の確認事項、試料採取流量及び測定回数、吹き出し流量の調整方法、およびイオン密度算出に用いられる数式、イオン密度の評価方法等を規定している。規格の附属書には、空気中イオン密度測定器に関する事項(測定原理・性能及び仕様・試験方法・校正の頻度等)、イオン発生器の除電効果評価方法、空気中イオンの発生方法、イオンの寿命とエアロゾル濃度との関係が解説されている。</ref>を制定した。なお、これは測定方法に関する規格なので、「イオン化学種は何か」「イオンが健康に良いかどうか」に関する説明は一切含まれていないことに注意しなければならない<ref group="注">JISを申請した日本機能性イオン協会では商品のイオン発生の測定と認定を行っている。しかし『イオン発生』の認定であって、効果や作用の保証するものではないと明記している[http://www.japan-ion.jp/04_nintei1.htm 認定について](日本機能性イオン協会)</ref>。
==== 特許庁等の対応 ====
[[特許庁]]は、平成17年度特許出願技術動向調査報告書「多機能空気調和機」<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.jpo.go.jp/shiryou/pdf/gidou-houkoku/17mani_air_tyowa.pdf|author=[[特許庁]]|title=「平成17年度特許出願技術動向調査報告書 - 多機能空気調和機)date=2006-03|format=PDF |accessdate=2007-08-27 }} </ref>において、空気調和機の4つの基盤技術の一つに「オゾンやイオン発生などの電気技術」を挙げ、物質富化機能としてマイナスイオンに関する特許が多いことを指摘している。また、[[工業所有権情報・研修館]]は、2004年3月にマイナスイオン発生器の技術動向等を解説した特許流通支援チャート「マイナスイオン発生機」<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.ryutu.inpit.go.jp/chart/H15/ippan11/frame.htm|title=平成15年度特許流通支援チャート「マイナスイオン発生機」|date=2004-03|format=PDF |accessdate=2007-08-27|deadlinkdate=2015-01-23 }}</ref>を作成し、マイナスイオン技術の概要、企業等の特許情報等を公開している。この中で、市場への商品投入後に学術研究が追いかけているのが現状であり、「マイナスイオン発生器の効果については、科学的に完全に解明されていない状況の下で社会的に注目されてきたことにも留意する必要がある」ことを指摘している。
==== 東京都生活文化局の対応 ====
[[東京都]]生活文化局は、2006年11月、「マイナスイオン商品」に対する注意を喚起し<ref name="metro1">[http://www.metro.tokyo.jp/INET/OSHIRASE/2006/11/20gbr500.htm 科学的根拠をうたったネット広告にご注意 "「マイナスイオン商品」表示を科学的視点から検証しました"] {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20061206174416/http://www.metro.tokyo.jp/INET/OSHIRASE/2006/11/20gbr500.htm |date=2006年12月6日 }}([https://www.seikatubunka.metro.tokyo.lg.jp/ 東京都・生活文化局]) 報道発表2006-11-27</ref>、「マイナスイオンの効果を謳う商品の表示」に関する科学的検証結果を公表した<ref name="metro2">[http://www.metro.tokyo.jp/INET/OSHIRASE/2006/11/DATA/20gbr500.pdf 「マイナスイオン商品」表示を科学的視点からの検証について] {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20061217081650/http://www.metro.tokyo.jp/INET/OSHIRASE/2006/11/DATA/20gbr500.pdf |date=2006年12月17日 }}(PDF, 354KB, 14ページ)</ref>。これによると、[[景品表示法]]の観点から、マイナスイオン商品のインターネット表示8件を科学的に検証した結果、マイナスイオン発生量に関する表示には客観的実証が認められず、情報・根拠の表示も不十分であると指摘した。さらに、マイナスイオンの存在自体を否定したり、すべてのマイナスイオン商品の効果・性能を否定するものではないと断った上で、調査対象の8件の商品について、マイナスイオンの効果や性能に関する表示に客観的実証が認められない点を指摘した。対象となった事業者に対して景品表示法の遵守を指導すると共に、[[通信販売]]・[[訪問販売]]の関係業界に対して客観的事実と根拠に基づく表示の適正化等を要請した。
== 「マイナスイオン」研究の実態 ==
2002年まででも、海外に1470文献、日本でも290文献が示されている<ref name="応用事典文献">{{Cite book |和書 |author=日本住宅環境医学会監修、琉子友男編集、佐々木久夫編集 |date=2002 |title=空気マイナスイオン応用事典 |publisher=人間と歴史社|isbn=978-4890071272 |pages=659-706 }}</ref>。2003年に[[国民生活センター]]が実施したアンケートに対して、マイナスイオン推進側の中江茂は「人体への効果との因果関係については、1970年以降400編近い論文が発表されている。ただ、分子レベルのメカニズムが解明されていないが、その大部分は効果ありとする論文であり、客観的には有益であると考える」と述べた。一方、懐疑側の安井至は「無効とする論文も多く、マイナスイオンと人体への効果との因果関係は十分に究明されていない。オゾンや湿度などの効果ではないという検証も不足している上に絶対量があまりにも少ない」と主張している<ref name="国民生活センター学識者意見" />。
=== 日本国内のマイナスイオン研究の実情 ===
空気イオンの生理学的研究には、1937年に出版された『内科診療の実際』<ref name="内科診療の実際" />において、空気陰イオンには鎮静作用が、空気陽イオンには興奮作用があり、血圧、脈拍、呼吸、血糖値、白血球など多くの生理学作用の増減報告がなされている。1930年代にもいくつかの例を示せば、血液酵素アミラーゼが陰イオンにより増強され陽イオンは阻害する<ref>有泉金源「空気イオンの酵素溶液に及ぼす影響、特にアミラーゼに就いて」『北海道医学雑誌』1936年</ref>、マイナスイオン療法は活性酵素を抑制しモルヒネ受容体と結合するため関節炎・打撲・骨折などの炎症を緩和し機能回復を促進する<ref>林藍丸「千の婦人科疾患のイオン療法成績」『産科と婦人科』1935年</ref>、陰イオンは特に糖尿病患者の血糖値を抑制する<ref>本間茂雄「陰イオン化空気浴の生体に及ぼす影響」『日本内科学会誌』1935年</ref>といった[[1930年代]]([[昭和]]5年ごろ)の研究論文がある<ref name="イオンハンドブック" />。
マイナスイオンの用語は、『空気マイナスイオン応用事典』の一覧からは日本の1996年以降の文献に見られる<ref name="応用事典文献" />。多くの日本人研究者がマイナスイオンの用語にて、生体・生物学的影響に関する研究発表を国内の[[学会]]で発表した。
論文検索<ref group="注">検索サイト[[CiNii]]および[http://pr.jst.go.jp/jdream2/ JDreamII]</ref>を用いて、題名に「マイナスイオン」を含み、かつ、生体・生物学的影響に関する国内学会発表を検索すると、少なくとも29学会<ref group="注">内訳は、日本機械学会/12件、日本生理人類学会/5件、空気調和・衛生工学会/4件、電子情報通信学会、日本人間工学会/各3件、その他24学会(日本運動生理学会、日本温泉気候物理医学会、日本看護学会、日本産業衛生学会、日本歯周病学会、日本体力医学会、日本放射線影響学会、日本生気象学会などの医学生理学系の学会を含む)で29件。日本機械学会には「バイオエンジニアリング部門」、電子情報通信学会には「MEとバイオサイバネティックス研究会」があり、両学会とも生体生理工学分野をカバーする。</ref>で計56件の発表を確認できる。筆頭発表者の所属を見ると、大学が37件<ref group="注">内訳は、玉川大、都立大(琉子)/各5件、北大(渡辺)、岡山大、新潟大、日大/各3件、その他11大学で15件。</ref>、その他が19件<ref group="注">内訳は、パナソニック系企業/9件、病院関係/2件、その他民間研究施設/8件。</ref>であった。産学共同の状況では56件中14件が大学と企業との共同研究であった。発表年別集計では、1994年が1件、1995-1999年が8件、2000-2004年に46件と大きく増加したが、2005年以降が1件と激減している。この検索の中に、[[査読]]付き原著[[論文]](国内誌)は、過去2件ある。共に、渡部一郎北大助教授(当時)によるものである<ref>渡部一郎、眞野行生「長期マイナスイオン暴露がヒトの生理機能・免疫機能に与える影響」『日本温泉気候物理医学会雑誌』64巻3号、123-128頁、2001年。([http://www.n-ion.com/book_123.html pdf書類])</ref><ref> {{Cite journal|和書|author=渡部一郎 |author2=真野行生 |author3=野呂浩史 |title=空気中のマイナスイオンが脳波に与える影響 |date=1998-05 |publisher=日本温泉気候物理医学会 |journal=日本温泉気候物理医学会雑誌 |volume=61 |number=3 |naid=10005968142 |pages=121-126 }}</ref>。
なお、医療書でも論文でもなく単に事典であるが定義で前述の『科学大事典第2版』<ref name="jiten" />の「マイナスイオン」の解説では、「人体への好影響が言われているが詳細は不明である」との記述がある。
=== 国外論文誌におけるnegative air ions研究 ===
1930年代にはいくつか例をあげれば、軽症の動脈硬化症に対し発作が減り血圧と脈拍が降下する<ref>Steffens P.:DIe Anion-Behandlung. München, Verlag der arztlichen Rundschau Otto Gmelin, 1931</ref>、特に肺結核に対する諸疾患に対して陰イオンが病気に対する抵抗を高める<ref>Tchijewsky: Experimentelle Unstersuchungen über den Einfluss ionisierter Luft auf die Lungentuberkulose (Ref. in Zeitschr. f.ges. phys. Therap. Bd. 39, 1930)</ref><ref> Tchijewsky et al.:Observations sur des malades pulmonaires traités à l'air ionisé négativement, Le Progrès Médical, No.33, 1931</ref>、陰イオンは喘息患者79例中32例が快癒13例が軽癒19例はやや軽快13例は変化なしで陽イオンは疲労感を訴えさせた<ref>Landmann:Ueber die Behandlung von Bronchialasthma mit Aeroionisation. Wien, Klin. Woschsr. 1935</ref>といった研究論文がある<ref name="イオンハンドブック" />。
負の大気イオン(negative air ions)の生体・生物学的影響に関する論文(主に国外論文誌に掲載)を、生命科学系文献データベース[http://www.ncbi.nlm.nih.gov/sites/entrez?db=PubMed PubMed]([[MEDLINE]])にてキーワードを"negative air ion(s)" OR "negative ion(s)"で検索し、生体・生物学的影響に関する論文のみ抽出すると、1959年から2007年までの48年間で63件(平均1.3件/年)確認できた<ref group="注">内訳は、1959 - 1969年が9件、1870 - 1979年が3件、1980 - 1984年が12件、1985 - 1989件が10件、1990 - 1994年が5件、1995 - 1999年が10件、2000 - 2004年が8件、2005 - 2007年が6件。</ref>。論文誌別にみると、International Journal of Biometeorologyが8件<ref>{{cite journal|last1=Ryushi|first1=T.|last2=Kita|first2=Ichirou|last3=Sakurai|first3=Tomonobu|last4=Yasumatsu|first4=Mikinobu|last5=Isokawa|first5=Masanori|last6=Aihara|first6=Yasutugu|last7=Hama|first7=Kotaro|title=The effect of exposure to negative air ions on the recovery of physiological responses after moderate endurance exercise|journal=International Journal of Biometeorology|volume=41|issue=3|year=1998|pages=132-136|issn=0020-7128|doi=10.1007/s004840050066}} - 筆頭著者は[[琉子友男]]。この論文で琉子はスポーツにおけるマイナスイオンの効能を主張している。</ref>、Biofizikaが4件、Natureが3件<ref>{{cite journal |author= Krueger,A.P., Smith,R.F. |title=An enzymatic basis for the acceleration of ciliary activity by negative air ions |journal=Nature |volume=183 |issue=4671 |pages=1332-3 |date=1959-03 |pmid=13657110 |doi= |url=}}</ref><ref>{{cite journal |author=Kellogg EW, Yost MG, Barthakur N, Kreuger AP |title=Superoxide involvement in the bactericidal effects of negative air ions on Staphylococcus albus |journal=Nature |volume=281 |issue=5730 |pages=400–1 |date=1979-08 |pmid=225679 |doi= |url=}} - [[活性酸素]]による殺菌の研究</ref><ref>{{cite journal |author=Rosenthal I, Ben-Hur E |title=Superoxide involvement in negative air ion effects |journal=Nature |volume=288 |issue=5792 |pages=739–40 |date=1980-12 |pmid=6256644 |doi= |url=}}</ref>([[活性酸素]]による殺菌の研究)、その他(Scienceに1件<ref>{{cite journal |author=Diamond MC, Connor JR, Orenberg EK, Bissell M, Yost M, Krueger A |title=Environmental influences on serotonin and cyclic nucleotides in rat cerebral cortex |journal=Science (New York, N.Y.) |volume=210 |issue=4470 |pages=652-4 |date=1980-11 |pmid=6254145 |doi= |url=}}</ref>を含む40誌)に掲載されている。著者の国別を見ると、USAが12件、Russiaが9件、Japanが8件、UKとGermanyが各4件、その他<ref group="注">その他の内訳は、CanadaとRomaniaが各3件、ItaliaとSouth Africaが各1件、未確認が18件。</ref>であった。これらの論文のうち、効果に否定的な結論を示す論文は63件中4件ある<ref>{{cite journal |author=Fletcher LA, Gaunt LF, Beggs CB, ''et al.'' |title=Bactericidal action of positive and negative ions in air |journal=BMC Microbiology |volume=7 |issue= |pages=32 |year=2007 |pmid=17439657 |pmc=1868029 |doi=10.1186/1471-2180-7-32 |url=}}</ref><ref>{{cite journal |author=Buckalew LW, Rizzuto AP |title=Negative air ion effects on human performance and physiological condition |journal=Aviation, Space, and Environmental Medicine |volume=55 |issue=8 |pages=731-4 |date=1984-08 |pmid=6487210 |doi= |url=}}</ref><ref>{{cite journal |author=Dantzler BS, Martin BG, Nelson HS |title=The effect of positive and negative air ions on bronchial asthma |journal=Annals of Allergy |volume=51 |issue=3 |pages=362-6 |year=1983-09 |pmid=6351676 |doi= |url=}}</ref><ref>{{cite journal |author=Farmer EW, Bendix A |title=Geophysical variables and behavior: V. Human performance in ionized air |journal=Perceptual and Motor Skills |volume=54 |issue=2 |pages=403-12 |year=1982 |month=April |pmid=7079068 |doi= |url=}}</ref>。
2004年のエアロゾル学会の『エアロゾル用語集』には、仮説の実証には今後の更なる検討が必要であると記されている<ref>[http://www.jaast.jp/home-j.shtml 日本エアロゾル学会]編著『エアロゾル用語集』京都大学学術出版会、124-125頁、2004年、ISBN 4876986347。[http://www.kyoto-up.or.jp/book.php?id=1363&lang=jp 書籍情報]</ref>。
=== 医学的実証 ===
==== 代替医療の事例 ====
[[代替医療]]として臨床現場で使用が試みられている例も存在する。(なお以下の「療法」は医療機関が自主判断で行っているものは、[[厚生労働省]]が関知する医療行為ではない)
[[東京女子医科大学]]<ref group="注">東京女子医科大学は2003年6月に日本の大学で初の[[統合医療]]実践施設を設立し、青山自然医療研究所クリニックにて統合医療(自然医療)を組織的に実践している。</ref>付属青山自然医療研究所クリニックは[[ホメオパシー]]などとともに「マイナスイオン療法」を行っている<ref>{{cite web|url=http://www.twmu.ac.jp/AWNML/N/natural/menu.html|title=東京女子医科大学附属青山自然医療研究所クリニック (自然医療と統合医療) |accessdate=2007-08-27 }}(2007年6月現在)</ref>。統合医療を実践する上での問題点や本クリニックの実践内容については、日本補完代替医療学会誌に掲載された論文<ref>{{Cite journal|和書|author=川嶋朗 |author2=班目健夫 |title=日本初の大学における統合医療の実践 |date=2005 |publisher=日本補完代替医療学会 |journal=日本補完代替医療学会誌 |volume=2 |number=1 |naid=130000079419 |doi=10.1625/jcam.2.75 |pages=75-79}} <br />この論文の要点は以下の4つである。1) 相補・[[代替医療]] (CAM) の医学的検証は不足している。2) CAMには今後の医学的実証が必要である。3) CAMを用いる条件を明確に定め、西洋医学の一流医が自分の専門領域にCAMを用いるのであれば他医から批判されることは少ない。4) 「マイナスイオン療法」を含む多くのCAMは[[健康保険]]が適用されず、健康保険が適用される検査や治療もCAMと併用される場合は保険外診療としなければならない([[混合診療]]の禁止)。</ref>に詳しく書かれている。なお、「マイナスイオン療法」は他の代替医療と同様、健康保険は利用できない。
[[向の岡工業高等学校]]元教諭で[[玉川大学]]工学部元講師の青木文昭<ref>{{Cite web|和書|url=http://gokikaku.com/health/379.html|title=ジーオー企画出版「マイナスイオン健康法」著者プロフィール |accessdate=2015-09-20}}</ref>は著書にて、マイナスイオンを増加させることによって数十例の難病が全体あるいは部分的に快復したと書いている<ref>青木文昭『生体マイナスイオンで病気に克つ』土屋書店、2007年、ISBN 9784806908999</ref><ref>青木文昭『マイナスイオンの治療効果を検証―慢性病・難病・老化・美肌』タカタイオン医学研究所、2008年、ISBN 978-4806909620</ref>。
[[ニューウェイズ]]の宣伝本を書いたピート・ビラックは自身の別の著書で、「アメリカの[[フィラデルフィア]]のイーストウエスト病院において、マイナスイオン療法により花粉症やぜんそくの63%が全快または部分的な改善を示し、火傷患者の85%に鎮痛剤としての[[モルヒネ]]が必要なくなり、138人の外科手術者に対しては57%が痛みをまったく感じないか大幅に減じられた」と主張している<ref>ピート・ビラック『マイナスイオンの奇跡』古川千勝監訳、さんが出版、2003年、ISBN 4-88096-045-4</ref>。
1998年の研究では、[[季節性情動障害]]の158人を振り分け、負の空気イオンは朝の朝への暴露と同じ程度の効果があった<ref name="winterdepression1">{{cite journal |authors=Terman M, Terman JS, Ross DC |title=A controlled trial of timed bright light and negative air ionization for treatment of winter depression |journal=Archives of General Psychiatry |volume=55 |issue=10 |pages=875–82 |year=1998 |pmid=9783557}}</ref>。2007年の32人での[[ランダム化比較試験]]では、光、負の空気イオン共に季節性情動障害に有効であった<ref name="winterdepression3">{{cite journal |authors=Goel N, Terman M, Terman JS, Macchi MM, Stewart JW |title=Controlled trial of bright light and negative air ions for chronic depression |journal=Psychological Medicine |volume=35 |issue=7 |pages=945–55 |year=2005 |pmid=16045061 }}</ref>。2010年の報告では、ランダム化比較試験で73人の季節性情動障害を振り分け、光、負の空気イオン、プラセボで処置し、光では有意に、高濃度負イオンへの暴露では、有意ではないが有効であった<ref name="winterdepression2">{{cite journal |authors=Flory R, Ametepe J, Bowers B |title=A randomized, placebo-controlled trial of bright light and high-density negative air ions for treatment of Seasonal Affective Disorder |journal=Psychiatry Research |volume=177 |issue=1-2 |pages=101–8 |year=2010 |pmid=20381162 |doi=10.1016/j.psychres.2008.08.011 }}</ref>。
== ニセ科学もしくは未科学とする主張 ==
マイナスイオンを批判している工学者の[[安井至]]は、マイナスイオンを[[未科学]]としている<ref name="からだに良い?" /><ref name="商品化は" />。2004年の論文で次のように述べている<ref name="からだに良い?">安井至「マイナスイオンはからだに良い?」『EBNURSING』Vol.4,No3,pp118-123</ref>。定義については、負の大気イオンが正式名称である。実験値が出ていると思えるものにシャープのプラズマクラスターイオンの除菌作用があるが、ほかのメーカーから再現できないと指摘されているとしている。それ以外にもドライヤーは副生成物のオゾンによる[[オゾン水]]の効果で説明がつくのではないかなど、脱臭、掃除機などの効果がマイナスイオン以外の原理で説明がつくだろうという検証されていない仮説を述べている。トルマリンについてはインチキとしている。どのメーカーも効果を示すための実証データを示していないと指摘している。(なお2003年の家電メーカー各社からの回答によれば、14社中8社が自社製品の実験データありと回答している<ref name="メーカー回答" />)2003年の論文では、ドライヤーのサラサラ効果については、体験上事実であるが、オゾンによるオゾン水の効果ではないかとの仮説を述べている<ref name="商品化は" />。掃除機や空気清浄機の集塵、冷蔵庫の鮮度保持についてはオゾンや光触媒でも説明できるとの仮説を述べている<ref name="商品化は">{{Cite journal |和書|author=安井至 |date=2003-11 |title=マイナスイオンとサイエンス-商品化は未科学を科学にしてから |journal=におい・かおり環境学会誌 |volume=34 |issue=6 |pages=257-260}}</ref>。[[二重盲検法]]の条件を達成することで人体への効能は証明可能となるが、それは匂いのするオゾンの発生などの条件のため難しいと指摘している<ref name="商品化は" />。
同じくマイナスイオン批判をしている統計物理学者の[[菊池誠 (大阪大学)|菊池誠]]の言説について。2004年の『「ニセ科学」入門』と題する自らサイトで公開する文書にて<ref name="菊池入門" />、マイナスイオンの生成法には、水の粉砕、放電、トルマリンの3種類があり、水粉砕には保湿効果くらいがあり、放電にはオゾンが発生し、トルマリンでは帯電したものは何もないだろうと仮説を述べている。身体への根拠では、現在では省みられない『空気イオンの理論と実際』<ref name="空気イオンの理論と実際" />を参照しているとし、2006年2月23日の追記では、歴史がまだよくわからないし、挙げた書籍もときどき省みられていると追記し見解を変更している。影響はあるがイオン製造器を買う価値はないとし、よく調べれば効果が明らかになると反論されることがあるが、科学的効果がはっきりしないものはニセ科学であると断言している<ref name="菊池入門">{{Cite web|和書|url=http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/nisekagaku/nisekagaku_nyumon.html|title=ニセ科学入門|author=菊池誠|authorlink=菊池誠 (大阪大学)|date=2006-02-23 |accessdate=2007-08-27 }}</ref>。
その後、菊池は2006年4月18日に自身のブログで、日本大気電気学会が出版した『大気電気学概論』を読んだところ、マイナスイオンは健康によいのかは解決すべき問題だと記載されているため、[[未科学]]だとしている<ref name="kikulog200604">{{Cite web|和書|url=http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/weblog/200604.html#1145352396|title=マイナスイオンの「未科学性」|date=2006-04-18|author=菊池誠| |publisher=kikulog(自身のブログ) |accessdate=2007-08-27 }}</ref>。2006年7月28日のブログにて、マイナスイオンが存在するのかといえば、マイナスイオンは身体によいと言うときのマイナスイオンの場合だと、大気イオンや帯電した水クラスターは存在するが、身体によいという根拠がなく、それがトルマリンから出るかどうかについては怪しいとしている<ref name="kikulog200607">{{Cite web|和書|url=http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/weblog/200607.html#1154058674|title=マイナスイオン|date=2006-07-28|author=菊池 誠|publisher=kikulog(自身のブログ) |accessdate=2007-08-27 }}</ref>。2006年9月の同じく『「ニセ科学」入門』と題する論文では、2002年のAP通信による英語のニュースで、大手家電メーカーの話者がマイナスイオンの効果は知らないと語っていることを根拠として、それを自身の論として追認した<ref name="菊池入門2">{{Cite journal |和書|author=菊池誠 |date=2006-09-13 |title=「ニセ科学」入門 |journal=物理教育 |volume=54 |issue=3 |pages=220-224 |naid=110007491322 |url=https://ci.nii.ac.jp/naid/110007491322}}</ref>。また自身の公開する公開日不明の文書では、『空気イオンの理論と実際』が入手困難なため調査不足であることと、2002年のAP通信のメーカーへのインタビューを根拠に、健康効果は科学的に実証されていないと結論している<ref name="菊池困惑">{{Cite web|和書|url=http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/texts/minus_ion.pdf|title=科学者はマイナスイオン・ブームの何に困惑させられたのか|date=2006-04-18|author=菊池誠| |publisher=kikulog(自身のブログ) |accessdate=2007-08-27 }}</ref>。
化学者の[[小波秀雄]]も、マイナスイオンを「ニセ科学」と表現している。小波は「ニセ科学」が流行してしまった理由のひとつとして、「専門家の言語表現と一般の日常用語の感覚にあるズレ」について言及している。すなわち、専門家は「-は絶対にありえない」という表現は使えないため、「確率的にはきわめて低い」などと表現するが、これを一般の人の受け止め方では「実際に起きるかもしれない」となってしまうという<ref>[http://www.cs.kyoto-wu.ac.jp/~konami/chem/MinusIonResume.pdf 「マイナスイオン」どこがニセ科学か] {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20071008105709/http://www.cs.kyoto-wu.ac.jp/~konami/chem/MinusIonResume.pdf |date=2007年10月8日 }}</ref>。
== 文献 ==
=== 研究論文集 ===
* 日本住宅環境医学会監修、琉子友男編集、佐々木久夫編集『空気マイナスイオン応用事典』人間と歴史社、2002年、ISBN 978-4890071272。[http://www.ningen-rekishi.co.jp/details/4-89007-127-x.htm 書籍情報]
* 『ラジカル反応・活性種・プラズマによる脱臭・空気清浄技術とマイナス空気イオンの生体への影響と応用』エヌ・ティー・エス、2002年、ISBN 978-4860430085。[http://www.nts-book.co.jp/item/detail/summary/kankyo/20021015_26.html 書籍情報]
* イオン情報センター編集『空気マイナスイオンの科学と応用』イオン情報センター、2004年、ISBN 978-4990181901。[http://www.softenergy1.com/far/book-f/book10.htm 書籍情報]
===総説===
*{{cite journal |vauthors=Perez V, Alexander DD, Bailey WH |title=Air ions and mood outcomes: a review and meta-analysis |journal=BMC Psychiatry |volume=13 |issue= |pages=29 |year=2013 |pmid=23320516 |pmc=3598548 |doi=10.1186/1471-244X-13-29 |url=http://bmcpsychiatry.biomedcentral.com/articles/10.1186/1471-244X-13-29}}
*{{cite journal |authors=Olimpia Pino, Francesco La Ragione |title=There’s Something in the Air: Empirical Evidence for the Effects of Negative Air Ions (NAI) on Psychophysiological State and Performance |journal=Research in Psychology and Behavioral Sciences |volume=1 |issue=4 |pages=48-53 |year=2013 |pmid= |doi=10.12691/rpbs-1-4-1 |url=http://pubs.sciepub.com/rpbs/1/4/1/ }}
*{{cite journal |authors=Alexander DD, Bailey WH, Perez V, Mitchell ME, Su S |title=Air ions and respiratory function outcomes: a comprehensive review |journal=Journal of Negative Results in Biomedicine |volume=12 |issue= |pages=14 |year=2013 |pmid=24016271 |pmc=3848581 |doi=10.1186/1477-5751-12-14 }}
* 渡部一郎「空気中マイナスイオンがヒトへ与える影響の研究の取り組み」『臨床環境医学』11巻2号、63-71頁、2002年。
* {{Cite journal|和書|author=琉子友男 |authorlink=琉子友男 |title=体によいマイナスイオン--マイナスイオン研究の歴史と最近の研究動向 |date=2002 |publisher=放射線利用振興協会 |journal=放射線と産業 |number=96 |naid=40005508845 |pages=71-79 |ref=harv}} - 他のマイナスイオン(negative air ion)研究者の研究のまとめであり、研究成果の妥当性についての考察を目的としたものではない。
* 西岡将輝「マイナスイオンの測定技術と最近の研究動向」『におい・かおり環境学会誌』34巻6号、241-244頁、2003年。 - 大気イオン測定技術に関するまとめ
=== マイナスイオン批判者による書籍 ===
* 安井至「マイナスイオン論争 - 未科学がなぜ大メーカーによって製品化されるのか」[http://www.kagakudojin.co.jp/kagaku/chem_2003.html?200708#10 『化学』58巻10号]、[[化学同人]]、18-22頁、2003年。
* 安井至「マイナスイオンとは何か」『理科教室』46巻10号、科学教育研究協議会、8-15頁、2003年。
* [[菊池誠 (大阪大学)|菊池誠]]「疑似科学の現在」[http://www.iwanami.co.jp/kagaku/KaMo200609.html 『科学』76巻9号]、岩波書店、902-908頁、2006年。
* [[小波秀雄]]「「マイナスイオン」がニセ科学である理由」『化学』62巻4号、化学同人、22-26頁、2007年。
* 小波秀雄「マイナスイオンとはなんだろうか」[http://rikatan.com/backnumber0708.html 『RikaTan』1巻5号]、文一総合出版、44-46頁、2007年。
* [[松永和紀]]『メディア・バイアス - あやしい健康情報とニセ科学』[[光文社]]〈光文社新書〉、2007年、ISBN 978-4-334-03398-9。
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{reflist|2|group=注}}
=== 出典 ===
{{reflist|2}}
== 外部リンク ==
* [http://www1a.comm.eng.osaka-u.ac.jp/~saej/index.html 日本大気電気学会] - 学術団体
* [http://www.minusion.jp/ 日本マイナスイオン応用学会]
* [http://www.japan-ion.jp/ 特定非営利活動法人 日本機能性イオン協会]
* [http://www.yasuienv.net/ 市民のための環境学ガイド]
* [http://www.gakushuin.ac.jp/~881791/events/JPSsympo0306.html 物理学会でのシンポジウム「『ニセ科学』とどう向き合っていくか?」]
* [http://www.kokusen.go.jp/news/data/n-20030905_2.html マイナスイオンを謳った商品の実態]([[国民生活センター]])
{{DEFAULTSORT:まいなすいおん}}
[[Category:和製英語]]
[[Category:マイナスイオン|*]]
[[Category:疑似科学]]
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ノルディックスキー
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ノルディックスキー(英: Nordic skiing)とは、北欧のスカンジナビア地方で誕生・発展したスキーの型である。1920年代後半から盛んになりはじめたアルペンスキーに対して、もともと実施されていた距離(クロスカントリー)、飛躍(ジャンプ)、複合(コンバインド)の3競技は「ノルディック(北欧の、の意)」と呼ばれるようになった。スキーブーツの爪先だけがビンディングでスキー板と繋がれる構造であり、アルペンスキーと比較すると、かかとが固定されない点で異なる。
以下の3つの型に分類できる。
ノルディック複合ではクロスカントリーとジャンプの両方を組み合わせて競い、そのバイオメカニクスは深く研究されている。クロスカントリー競技では強靭さや持久力が、ジャンプ競技では空気力学的効率が必要で、それら両方を特定のスキルへ変換し、練習や競技会において最適化させる。
バイアスロンはクロスカントリースキーとライフル射撃を組み合わせた競技だが、国際バイアスロン連合の管轄であり、国際スキー連盟の下ではノルディック種目に含まれない。
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ノルディックスキーとは、北欧のスカンジナビア地方で誕生・発展したスキーの型である。1920年代後半から盛んになりはじめたアルペンスキーに対して、もともと実施されていた距離(クロスカントリー)、飛躍(ジャンプ)、複合(コンバインド)の3競技は「ノルディック(北欧の、の意)」と呼ばれるようになった。スキーブーツの爪先だけがビンディングでスキー板と繋がれる構造であり、アルペンスキーと比較すると、かかとが固定されない点で異なる。
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'''ノルディックスキー'''({{lang-en-short|Nordic skiing}})とは、[[北ヨーロッパ|北欧]]の[[スカンディナヴィア|スカンジナビア]]地方で誕生・発展した<!--、全ての-->[[スキー]]の<!--根源となる-->型である。1920年代後半から盛んになりはじめた[[アルペンスキー]]に対して、もともと実施されていた距離([[クロスカントリースキー|クロスカントリー]])、飛躍([[スキージャンプ|ジャンプ]])、複合([[ノルディック複合|コンバインド]])の3競技は「ノルディック(北欧の、の意)」と呼ばれるようになった<ref name="nonomiya">{{cite|author=野々宮徹 |title=雪と氷のスポーツ百科 |publisher=[[大修館書店]] |year=1997 |page=47 |isbn=4-469-26376-1}}</ref>。[[スキーブーツ]]の爪先だけが[[スキービンディング|ビンディング]]で[[スキー板]]と繋がれる構造であり、[[アルペンスキー]]と比較すると、かかとが固定されない点で異なる<ref>
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| title = Sports and Games of the 18th and 19th Centuries
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| series = Sports and games through history
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| isbn = 9780313316104 }}</ref>。
== 競技 ==
[[File:Anna Haag 2011-02-28.jpg|thumb|[[アンナ・ハーグ]]([[2011年ノルディックスキー世界選手権]]クロスカントリースキー女子10kmクラシカル走法)]]
[[File:SFC Vikersund 2012 Jurij Tepes sunday.jpg|thumb|[[ユーリ・テペシュ]](2012年[[スキーフライング世界選手権]]団体)]]
以下の3つの型に分類できる。
;[[クロスカントリースキー]]
: 長い[[ストック (スキー)|ストック]]と細長くて軽いスキー板で、雪原や整地されたなだらかなコースを滑る。[[冬季オリンピック]]正式競技である。
; [[スキージャンプ]]
: 太く長いスキー板で、ジャンプ台から飛躍する。冬季オリンピック正式競技である。
; [[テレマークスキー]]
: アルペンスキーのように雪山や[[ゲレンデ]]を滑る。テレマークという名称は、特に技術や用具について、ノルディックの別名としても用いられる。世界選手権やワールドカップがある。
[[ノルディック複合]]ではクロスカントリーとジャンプの両方を組み合わせて競い、その[[バイオメカニクス]]は深く研究されている。クロスカントリー競技では強靭さや持久力が、ジャンプ競技では[[空気力学]]的効率が必要で、それら両方を特定のスキルへ変換し<ref>
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| title = Science and Nordic Skiing
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| date = 2007
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{{cite book
| editor-last = Prokop
| editor-first = Dave
| title = Training for Nordic Skiing
| publisher = World Publications
| date = 1975
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[[バイアスロン]]はクロスカントリースキーと[[ライフル射撃]]を組み合わせた競技だが、[[国際バイアスロン連合]]の管轄であり、[[国際スキー連盟]]の下ではノルディック種目に含まれない<ref>
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== 出典 ==
{{reflist|2}}
== 関連項目 ==
* [[ウィンタースポーツ]]
* [[ノルディックウォーキング]]
* [[ノルディックスキー世界選手権]]
*[[パラリンピックのクロスカントリースキー]]
*[[シットスキー]](下肢障害者が座位で行うもの)
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17,667 |
藤井みほな
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藤井 みほな(ふじい みほな)は、日本の漫画家。血液型はO型。
2019年のSHIBUYA109のインタビューではどのブランドが一番好きか尋ねられ、「ずっとセシルマクビーが一番好きです!」と断言した。1990年代後半に初めて服を購入し、2020年まで世話になったという。2021年に『GALS!!』とコラボレートした際には「夢のようで、セシル愛を貫いた甲斐があった」と感激している。
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藤井 みほなは、日本の漫画家。血液型はO型。
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'''藤井 みほな'''(ふじい みほな)は、[[日本]]の[[漫画家]]。[[ABO式血液型|血液型]]はO型。
== 来歴 ==
* [[1990年]]、「無邪気なままで」([[RIBONオリジナル|りぼんオリジナル]]秋の号)でデビュー。主に『[[りぼん]]』([[集英社]])およびその増刊号にて執筆活動を行う。
* 1999年、『りぼん』にて「[[GALS!]]」の連載を開始。同作品は2002年まで連載が継続され、2001年には「超GALS!寿蘭」(スーパーギャルズ ことぶきらん)のタイトルでアニメ化されるなど、藤井の代表作となった。また、アニメ化の際に藤井は、出演[[声優]]の[[豊口めぐみ]]、[[釘宮理恵]]の3人で「ミュージカル同盟」を結成した。
* 2003年に『りぼん』での活動を終えた後、2005年から2006年にかけて『マーガレット』で「東京ANGELS」を連載。その後は長く漫画家としての活動が途絶えていたが、2019年にネット上で活動を再開した。2021年現在は「GALS!」の続編になる「GALS!!」を連載中。
== 作風 ==
{{独自研究|section=1|date=2021年6月}}
* 女の子は明るく元気で熱血漢、男の子はそこにツッコミを入れる沈着冷静なキャラクターが多いのが特徴。
== 人物 ==
=== セシルマクビーへの想い ===
2019年の[[SHIBUYA109]]のインタビューではどのブランドが一番好きか尋ねられ、「ずっと[[セシルマクビー]]が一番好きです!」と断言した<ref name="natalie20210629">{{Cite news|url=https://natalie.mu/comic/news/434634|title=「GALS!!」とCECIL McBEEが初コラボ、藤井みほな「セシル愛を貫いた甲斐があった」|newspaper=コミックナタリー|publisher=ナターシャ|date=2021-06-29|accessdate=2021-06-29}}</ref>。1990年代後半に初めて服を購入し、2020年まで世話になったという{{R|natalie20210629}}。2021年に『[[GALS!|GALS!!]]』とコラボレートした際には「夢のようで、セシル愛を貫いた甲斐があった」と感激している{{R|natalie20210629}}。
== 作品リスト ==
* START!
* スパイシー・ガール
* [[パッション・ガールズ]](全5巻)
* [[龍王魔法陣]](全3巻)
* 雪の花びら
* 秘密の花園
* すーぱー☆プリンセス
* [[GALS!]](全10巻)
* 東京ANGELS(全3巻)
* [[GALS!|GALS!!]](『マンガMee』2019年11月5日配信<ref name="natalie">{{Cite web|和書|url=https://natalie.mu/comic/news/354192 |title=藤井みほな「GALS!」高校卒業後の蘭たちを描く続編がマンガMeeで始動|work=コミックナタリー |publisher=[[ナタリー (ニュースサイト)|株式会社ナターシャ]] |date=2019-11-05 |accessdate=2019-11-21}}</ref> - '''連載中'''、既刊4巻)
=== 単行本未収録作品 ===
* ノンストップるみ
* 藤井みほなのI♡TAKARAZUKA!!!<ref>{{Twitter status2|1=mihona_fujii|2=1242686098855227393|4=藤井みほな 2020年3月25日のツイート|5=2020-04-05}}</ref>(『[[月刊アフタヌーン]]』2020年5月号)
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
{{Reflist}}
== 外部リンク ==
* {{Twitter|mihona_fujii}}
* {{Instagram|mihona_fujii}}
* [https://news.livedoor.com/article/detail/17691576/ “りぼんっ子”の声が藤井みほなへ届いた瞬間――『GALS!』待望の続編が生まれた奇跡] - インタビュー
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{{Normdaten}}
{{DEFAULTSORT:ふしい みほな}}
[[Category:20世紀日本の女性著作家]]
[[Category:21世紀日本の女性著作家]]
[[Category:日本の漫画家]]
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[[Category:1974年生]]
[[Category:存命人物]]
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片桐澪
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片桐 澪(かたぎり みお、1973年2月14日 - )は、日本の漫画家。東京都出身。血液型A型。デビュー作は『硝子の魚たち』。
1991年、第28回りぼん新人漫画賞において『硝子の魚たち』が準入選受賞。この作品がデビュー作として『りぼんオリジナル』に掲載された(当時18歳)。
全て集英社、りぼんマスコットコミックスから刊行されている。
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片桐 澪は、日本の漫画家。東京都出身。血液型A型。デビュー作は『硝子の魚たち』。
|
{{Infobox 漫画家
| 名前 = 片桐 澪
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| 画像サイズ = <!-- 空白の場合は220px -->
| 脚注 = <!-- 画像の説明文 -->
| 本名 = <!-- 必ず出典を付ける -->
| 生年 = {{生年月日と年齢|1973|02|14}}<ref name="profile">{{Cite web|和書|url=http://ribon.shueisha.co.jp/data/sensei/katagiri_sensei.html |title=まんが家プロフ帳|work=集英社 りぼんわくわくステーション|accessdate=2018-02-12 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20110406062848/http://ribon.shueisha.co.jp/data/sensei/katagiri_sensei.html |archivedate=2011-04-06}}</ref>
| 生地 = {{JPN}}・{{Flagicon|東京都}}[[東京都]]<ref name="profile" />
| 没年 = <!-- {{死亡年月日と没年齢|XXXX|XX|XX|YYYY|YY|YY}} -->
| 没地 = <!-- {{JPN}}・XX都道府県YY市区町村 -->
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| 職業 = [[漫画家]]
| 称号 = <!-- 国家からの称号・勲章。学位は取得学校名、取得年を記載 -->
| 活動期間 = [[1991年]] - [[2007年]]
| ジャンル = [[少女漫画]]
| 代表作 = 『[[くまちゃん (映画)|くまちゃん]]』
| 受賞 = 1991年第28回りぼん新人漫画賞準入選『硝子の魚たち』
| サイン = <!-- 画像ファイル名 -->
| 公式サイト = <!-- {{Official|http://www.example.org}}や[http://www.example.org 公式ページ名] など -->
}}
'''片桐 澪'''(かたぎり みお、[[1973年]][[2月14日]]<ref name="profile" /> - )は、[[日本]]の[[漫画家]]。[[東京都]]出身<ref name="profile" />。[[ABO式血液型|血液型]]A型<ref name="profile" />。デビュー作は『硝子の魚たち』<ref name="profile" />。
== 略歴 ==
1991年、第28回りぼん新人漫画賞において『硝子の魚たち』が準入選受賞。この作品がデビュー作として『[[RIBONオリジナル|りぼんオリジナル]]』に掲載された(当時18歳)。
== 作品リスト ==
全て[[集英社]]、[[りぼんマスコットコミックス]]から刊行されている。
* 幻想懐古店(1993年3月20日発行、ISBN 4-08-853657-6)
** 幻想懐古店(『[[りぼん#増刊号・派生誌|りぼん]]』1992年夏のびっくり大増刊号)
** 二人で空をみあげよう(『りぼん』1992年秋のびっくり大増刊号)
** 銀の街の天使(『りぼん』1992年春のびっくり大増刊号)
** 月の雫 星の花束(『[[RIBONオリジナル|りぼんオリジナル]]』1991年冬の号)
** 硝子の魚たち(『りぼんオリジナル』1991年夏の号、デビュー作)
* [[くまちゃん (映画)|くまちゃん]](1993年 - 2003年、全7巻)
=== アンソロジー ===
* りぼん新人まんが傑作集 10 7つのシンフォニー<ref>他、[[彩花みん]](「われらハイスクールヒーロー」『りぼん』1991年秋のびっくり大増刊号)、[[佐伯茜]](「ルナ -天使の魔法使い-」、『[[RIBONオリジナル|りぼんオリジナル]]』1991年早春の号)、[[紺野ひろこ]](「真夜中にこんにちは」、『[[りぼん]]』1991年春のびっくり大増刊号)、[[山本由実]](「夢が降る頃」、『りぼんオリジナル』1991年初夏の号)、[[広尾万里]](「BE MY BABY」、『りぼん』1991年秋のびっくり大増刊号)、[[小泉あきこ]](「王子様のBACK STAGE」、『りぼん』1991年秋のびっくり大増刊号)計7作収録。</ref>(1992年4月20日発行、ISBN 4-08-853609-6)
** 硝子の魚たち(『りぼんオリジナル』1991年夏の号、デビュー作)
=== 単行本未収録作品 ===
* 草の記憶(『りぼん』1993年春のびっくり大増刊号)
* オールスター リレー8コマギャグまんが クリスマス お正月(『りぼん』1997年冬休みおたのしみ増刊号)
* ごめ〜ん、ウソ♥ 衝撃のひとこと(『りぼんオリジナル』2000年4月号)
* くまちゃん(『りぼん』2001年12月号 - 2003年3月号、『りぼんオリジナル』2001年12月号 - 2003年2月号、『りぼん』2002年夏休みおたのしみ増刊号、2002年早春のびっくり大増刊号 - 2002年初夏のびっくり大増刊号)
* コレちゃんがゆく!!(『りぼん』2002年夏休みおたのしみ増刊号)
* キャラカマスター コレちゃんがゆく!!(『りぼん』2002年秋のびっくり大増刊号)
* [[ウサハナ]](『りぼん』2003年4月号 - 2004年3月号)
* ベジベジ警備隊(『りぼんオリジナル』2004年6月号 - 2005年10月号、『りぼん』2004年夏休みびっくり大増刊号、秋のびっくり大増刊号、2005年冬休みびっくり大増刊号、春のびっくり大増刊号、夏休みびっくり大増刊号)
* ハル・うらら(『りぼん』2006年冬休みチャレンジ!大増刊号、春のチャレンジ!大増刊号、夏休み超びっくり大増刊号、2007年お正月超びっくり大増刊号、春の超びっくり大増刊号、夏休み大増刊号りぼんスペシャル、秋の大増刊号りぼんスペシャル)
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
{{Reflist}}
== 外部リンク ==
* {{Wayback |url=http://ribon.shueisha.co.jp/data/sensei/katagiri_intv01.html |title=片桐 澪先生インタビュー(2003年3月1日)|date=20110407010546}}
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[[Category:日本の漫画家]]
[[Category:1973年生]]
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|
17,673 |
秋谷栄之助
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秋谷 栄之助(あきや えいのすけ、1930年〈昭和5年〉7月15日 - )は、日本の宗教家。創価学会前会長(第5代)。
1930年(昭和5年)7月15日、東京府東京市(現在の東京都文京区)に誕生する。
第三東京市立中学校(旧制中学校、現在の東京都立文京高等学校)を卒業する。早稲田大学第一文学部仏文科(現在の文学部文学科フランス語フランス文学コース)在学中、創価学会会長の戸田城聖に師事し、創価学会(日蓮正宗)に入会する。一時期、師の城聖にならって城永(じょうえい)を名乗っていた。
大学卒業後は聖教新聞社に勤務し、同社編集長、論説主幹などを歴任する。
創価学会青年部内で頭角を現し、男子部長、青年部長、総務、東京第四本部長(東京・文京区など)を歴任する。
創価学会副会長職が設置され、初代の副会長(同時に北条浩、森田一哉も副会長に就任)に就任する。
1981年(昭和56年)7月、北条浩会長の死去に伴い、後任の会長(第5代)に就任する。1995年(平成7年)に自由民主党から池田大作創価学会名誉会長への証人喚問要求が出た際に、代案として秋谷の参考人招致で合意となり、1995年(平成7年)12月4日に第134回国会で参考人招致された(当時:村山富市改造内閣)。その4年後の1999年(平成11年)10月5日、成立した小渕恵三第2次改造内閣で、創価学会を支持母体とした公明党は結党から35年を経て自由民主党との連立政権を形成し始めた。
2006年(平成18年)11月、25年間に渡って務めた創価学会の会長職から退任し(後任:原田稔)、創価学会最高指導会議議長に就任した。
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秋谷 栄之助は、日本の宗教家。創価学会前会長(第5代)。
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|宗教=[[創価学会]]
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|別名=秋谷 城永<br>(あきや じょうえい)
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|生年月日={{生年月日と年齢|1930|7|15}}
|出生地={{JPN}}・[[東京府]][[東京市]]<br>(現在の[[東京都]][[文京区]])
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|出身校=[[早稲田大学]][[早稲田大学第一文学部|第一文学部]]仏文科卒業
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|肩書き= 第5代[[創価学会]]会長
|任期=[[1981年]](昭和56年)[[7月18日]]<br> - [[2006年]](平成18年)[[11月9日]]
|先代=[[北条浩]]
|次代=[[原田稔]]
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|師=[[戸田城聖]]<br>[[池田大作]]
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}}
'''秋谷 栄之助'''(あきや えいのすけ、[[1930年]]〈[[昭和]]5年〉[[7月15日]] - )は、[[日本]]の[[宗教家]]。[[創価学会]]前会長(第5代)。
== 経歴 ==
1930年(昭和5年)7月15日、[[東京府]][[東京市]](現在の[[東京都]][[文京区]])に誕生する。
第三東京市立中学校([[旧制中学校]]、現在の[[東京都立文京高等学校]])を卒業する。[[早稲田大学第一文学部]]仏文科(現在の[[早稲田大学文学部|文学部]]文学科[[フランス語]][[フランス文学]]コース)在学中、創価学会会長の[[戸田城聖]]に師事し、[[創価学会]]([[日蓮正宗]])に入会する。一時期、師の城聖にならって'''城永'''(じょうえい)を名乗っていた。
大学卒業後は[[聖教新聞社]]に勤務し、同社編集長、論説主幹などを歴任する。
創価学会[[創価学会#組織体制|青年部]]内で頭角を現し、[[創価学会#組織体制|男子部長]]、青年部長、総務、[[創価学会#地域別|東京第四本部長]](東京・文京区など)を歴任する。
創価学会副会長職が設置され、初代の副会長(同時に[[北条浩]]、[[森田一哉]]も副会長に就任)に就任する。
[[1981年]](昭和56年)[[7月]]、北条浩会長の死去に伴い、後任の会長(第5代)に就任する。[[1995年]](平成7年)に[[自由民主党 (日本)|自由民主党]]から[[池田大作]]創価学会名誉会長への[[証人喚問]]要求が出た際に、代案として秋谷の[[参考人]]招致で合意となり、1995年(平成7年)[[12月4日]]に第134回[[国会 (日本)|国会]]で参考人招致された(当時:[[村山内閣 (改造)|村山富市改造内閣]])。その4年後の1999年(平成11年)10月5日、成立した[[小渕内閣 (第2次改造)|小渕恵三第2次改造内閣]]で、創価学会を支持母体とした[[公明党]]は結党から35年を経て[[自公連立政権|自由民主党との連立政権]]を形成し始めた。
[[2006年]](平成18年)[[11月]]、25年間に渡って務めた創価学会の会長職から退任し(後任:[[原田稔]])、創価学会最高指導会議議長に就任した。
== 人物 ==
* 大学時代の同窓に、元[[内閣総理大臣|首相]]の[[小渕恵三]]がいる。
== 親族 ==
* 義兄:[[石田次男]](元[[参議院]][[日本の国会議員|議員]])
* 義兄:[[石田幸四郎]](元[[衆議院]]議員、元[[公明党代表|公明党委員長]])
== 著書 ==
* 『人・心・出会い-秋谷栄之助ヒューマン対話』 [[潮出版社]]、1987年。ISBN 978-4267011771
*旭日の創価学会70年―歴史と展望を語る [[第三文明社]]、1999/11/1発売。ISBN 978-4476061550
*旭日の創価学会70年<2>―歴史と展望を語る [[第三文明社]]、2000/1/1発売。ISBN 978-4476061581
*旭日の創価学会70年<3>―歴史と展望を語る [[第三文明社]]、2000/9/1発売。ISBN 978-4476061666
*旭日の創価学会70年<4>―歴史と展望を語る [[第三文明社]]、2000/11/1発売。ISBN 978-4476061680
*21世紀の創価の正義(3) 鳳書院、2001/10/1発売。ISBN 978-4871221221
== 役職歴 ==
* 創価学会
**男子部長
**青年部長
**総東京方面第四本部長
**中央会議議長
**中国方面最高参与
**第5代会長
**最高指導会議議長
* [[創価学会インタナショナル]]
**会長代行
* 聖教新聞社
**編集長
**論説主幹
**最高参与
* 広布新聞会議
**議長
**総合議長
* [[創価大学]]
**最高顧問
* [[東京富士美術館]]
**名誉館長
* [[民主音楽協会]]
**最高顧問
* 戸田記念国際平和研究所
**会長
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==脚注==
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{{DEFAULTSORT:あきや えいのすけ}}
[[Category:日本の宗教家]]
[[Category:創価学会の人物]]
[[Category:聖教新聞社の人物]]
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[[Category:東京都区部出身の人物]]
[[Category:1930年生]]
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源実朝
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源 実朝(みなもと の さねとも、實朝)は、鎌倉時代前期の鎌倉幕府第3代征夷大将軍(鎌倉殿)
鎌倉幕府を開いた源頼朝の嫡出の次男として生まれ、兄の頼家が追放されると12歳で征夷大将軍に就く。政治は初め執権を務める北条氏などが主に執ったが、成長するにつれ関与を深めた。
朝廷に重んじられ官位の昇進も早く、若くして公卿に補任され、武士として初めて右大臣(但し太政大臣には平清盛が任ぜられていた)に任ぜられた。しかし、その翌年に鶴岡八幡宮で頼家の子公暁に暗殺された。これにより鎌倉幕府の源氏将軍は断絶した。
歌人としても知られ、92首が勅撰和歌集に入集し、小倉百人一首にも選ばれている。家集として『金槐和歌集』がある。小倉百人一首では鎌倉右大臣とされている。
建久3年(1192年)8月9日巳の刻、鎌倉で生まれる。幼名は千幡。父は鎌倉幕府を開いた源頼朝、母はその正妻・北条政子。乳母は政子の妹・阿波局・大弐局ら御所女房が介添する。千幡は若公として誕生から多くの儀式で祝われる。12月5日、頼朝は千幡を抱いて御家人の前に現れると、「みな意を一つにして将来を守護せよ」と述べ、面々に千幡を抱かせる。建久10年(1199年)に父が薨去し、兄の源頼家が将軍職を継ぐ。
建仁3年(1203年)9月、比企能員の変により頼家は将軍職を失い、伊豆国に追われる。母の政子らは朝廷に対して9月1日に頼家が死去したという虚偽の報告を行い、千幡への家督継承の許可を求めた。朝廷は異例ながらこれに応じ、7日に千幡を従五位下・征夷大将軍に補任した。
10月8日、北条時政邸において12歳で元服し、後鳥羽院の命名により、実朝と称した。儀式に参じた御家人は大江広元・小山朝政・安達景盛・和田義盛ら百余名で、理髪は祖父・北条時政、加冠は門葉筆頭・平賀義信が行った。24日にはかつて父が務めた右兵衛佐に任じられる。実朝は朝廷を生涯重んじた。翌年、兄・頼家は北条氏の刺客により暗殺された。
元久元年(1204年)12月、京より後鳥羽の従妹でもある後鳥羽の寵臣・坊門信清の娘(西八条禅尼)を正室(御台所)に迎える。『吾妻鏡』によれば、正室ははじめ足利義兼の娘が考えられていたが、実朝は許容せず使者を京に発し妻を求めた。しかし実朝はまだ幼く、この決定は実際は時政と政子の妥協の産物とする説もある。元久2年(1205年)1月5日に正五位下に叙され、29日には加賀介を兼ね右近衛権中将に任じられる。
元久2年(1205年)4月、12首の和歌を試作する。6月、畠山重忠の乱が起こり、北条義時、時房、和田義盛、三浦義村らが鎮める。乱後の行賞は政子により計らわれ、実朝の幼年の間はこの例によるとされた。閏7月19日、時政邸にあった実朝を侵そうという牧の方の謀計が鎌倉に知れわたる。実朝は政子の命を受けた御家人らに守られ、義時の邸宅に逃れた。牧の方の夫である時政は兵を集めるが、兵はすべて実朝のいる義時邸に参じた。20日、時政は伊豆国北条に追われ、執権職は義時が継いだ(牧氏事件)。9月2日、後鳥羽が勅撰した『新古今和歌集』を京より運ばせる。和歌集はいまだ披露されていなかったが、和歌を好む実朝は、父の歌が入集すると聞くとしきりに見ることを望んだ。
建永元年(1206年)2月4日、北条義時の山荘に立ち寄り、北条泰時、東重胤、内藤知親らと歌会を催す。2月22日、従四位下へ昇り、10月20日には母の命により兄・頼家の次男である善哉を猶子とする。11月18日、歌会で近仕していた東重胤が数か月ぶりに鎌倉へ帰参する。実朝はかねてより和歌を送って重胤を召していたが、遅参したために蟄居させる。12月23日、重胤は義時の邸宅を訪れ、蟄居の悲嘆を述べる。義時は「凡そこの如き災いに遭うは、官仕の習いなり。但し詠歌を献らば定めて快然たらんかと」と述べ、重胤を伴って実朝の邸宅に赴き、重胤の詠歌を実朝に献じて重胤を庇った。実朝は重胤の歌を3回吟じると、門外で待つ重胤を召し、歌のことを尋ね許した。承元元年(1207年)1月5日、従四位上に叙せられる。
承元2年(1208年)2月、疱瘡を患う。回復まで2か月かかった重症で、実朝はそれまで幾度も鶴岡八幡宮に参拝していたが、以後3年間は病の瘡痕を恥じて参拝を止めた。幕府の宗教的な象徴である鶴岡八幡宮への参拝は、将軍の公的行事の中でも最も重要なものの一つであり、その期間には将軍が箱根権現・伊豆山権現と三嶋大社に参詣し幕府の安泰を祈願する二所詣も行われていない。承元3年(1209年)4月から建暦2年(1212年)11月の間に書かれたと推定される慈円の書状には、その期間の実朝は籠居していたとあり、やはり同時期に書かれたと推定される別の慈円書状には幕府への相談先として実朝だけではなく義時・政子・広元の名が記されているため、実朝は疱瘡による精神的打撃から政務のほぼ全般を行い得なかったのではないかと推測する見解がある。同年、12月9日、正四位下に昇る。
承元3年(1209年)4月10日、従三位に叙せられ、5月26日には右近衛中将に任ぜられ、公卿となり政所を開設する資格を得、親裁権を行使し始める。朝廷は実朝を一貫して重んじ、征夷大将軍の本来相応しい官位へ近づけるべく若くして引き上げた。
この頃から幕府の下文が「鎌倉殿下文」から「政所下文」に変化する。7月5日、和歌30首の評を藤原定家に請う。8月13日、定家はこれに合点を加え、さらに「近代秀歌」として知られる詠歌口伝1巻を献じた。11月4日、弓馬のことを忘れてはいけないという義時の諫言で、小御所の東面の小庭で切的という的を射る競技が行われた。7日には弓の勝負の負方衆が課物を献上し、御所で酒宴が行われ、その際に義時と広元が実朝に「武芸を事となし、朝廷を警衛せしめ給ふは、関東長久の基なるべし」と述べている。14日、義時が郎従の中で功のある者を侍に準ずることを望む。実朝は許容せず、「然る如きの輩、子孫の時に及び定めて以往の由緒を忘れ、誤って幕府に参昇を企てんか。後難を招くべきの因縁なり。永く御免有るべからざる」と述べる。
建暦元年(1211年)1月5日、正三位に昇り、18日に美作権守を兼ねる。2月22日、承元2年(1208年)以来3年ぶりに鶴岡八幡宮に参拝する。9月15日、猶子に迎えていた善哉は出家して公暁と号し、22日には受戒のため上洛した。
建暦2年(1212年)3月1日、「旬の蹴鞠」を始めたいという実朝の意向により「幕府御鞠始」を行う。実朝の蹴鞠記事は頼朝に比べ格段に少なく、恐らく4年前の承元2年に「承元御鞠」を催した後鳥羽を範としたものである。6月7日、侍所において宿直の御家人が闘乱を起こし、2名の死者が出る。7月2日、実朝は侍所の破却と新造を望み、不要との声を許容せず、千葉成胤に造進を命じる。12月10日、従二位に昇る。この頃しばしば幕府において歌会を催し、御家人との結びつきを固める(承元4年11月、建暦3年2月など)。特にしばしば泰時が伺候していることが注目される。
また、前記の慈円書状によると、この頃に実朝上洛の風聞が慈円の耳に達している。『沙石集』にも、時期は不明だが実朝が上洛を望み、評議が開かれたが、八田知家の反対により断念したという話が載せられている。
建暦3年(1213年)2月16日、御家人らの謀反が露顕する。頼家の遺児(栄実)を大将軍とし義時を討とうという、2年前からの企てであり、加わった者が捕らえられる(泉親衡の乱)。その中には侍所別当を務める和田義盛の子である義直と義重らもあった。20日、囚人である薗田成朝の逃亡が明らかとなる。実朝は成朝が受領を所望していたことを聞くと、かえって「早くこれを尋ね出し恩赦有るべき」と述べる。26日、死罪を命じられた渋河兼守が詠んだ和歌を見ると過を宥めた。27日に謀反人の多くは配流に処した。同日、正二位に昇る。3月8日、和田義盛が御所に参じ対面する。実朝は義盛の功労を考え、義直と義重の罪を許した。9日、義盛は一族を率いて再び御所に参じ、甥である胤長の許しを請うが、実朝は胤長が張本として許容せず、それを伝えた北条義時は和田一族の前に面縛した胤長を晒した。
4月、義盛の謀反が聞こえ始める。5月2日朝、兵を挙げる。義時はそれを聞くと幕府に参じ、政子と実朝の妻を八幡宮に逃れさせた。酉の刻、義盛の兵は幕府を囲み、御所に火を放つ。ここで実朝は火災を逃れ、頼朝の墓所である法華堂に入った。戦いは3日に入っても終わらず、実朝の下に「多勢の恃み有るに似たりといえども、更に凶徒の武勇を敗り難し。重ねて賢慮を廻らさるべきか」との報告が届く。驚いた実朝は政所にあった大江広元を召すと、願書を書かせそれに自筆で和歌を2首加え、八幡宮に奉じる。酉の刻に義盛は討たれ、合戦は終わった。5日、実朝は御所に戻ると、侍所別当の後任に義時を任じ、その他の勲功の賞も行った(和田合戦)。
9月19日、日光に住む畠山重忠の末子・重慶が謀反を企てるとの報が届く。実朝は長沼宗政に生け捕りを命じるが、21日、宗政は重慶の首を斬り帰参した。実朝は「重忠は罪無く誅をこうむった。その末子が隠謀を企んで何の不思議が有ろうか。命じた通りにまずその身を生け捕り参れば、ここで沙汰を定めるのに、命を奪ってしまった。粗忽の儀が罪である」と述べると嘆息し、宗政の出仕を止める。それ伝え聞いた宗政は眼を怒らし「この件は叛逆の企てに疑い無し。生け捕って参れば、女等の申し出によって必ず許しの沙汰が有ると考え、首を梟した。今後このような事があれば、忠節を軽んじて誰が困ろうか」と述べた。閏9月16日、兄・小山朝政の申請により実朝は宗政を許す。11月10日、頼家の遺児が政子の命により御所で出家する(法名は栄実)。23日、藤原定家より相伝の『万葉集』が届く。広元よりこれを受け取ると「これに過ぎる重宝があろうか」と述べ賞玩する。同日、仲介を行った飛鳥井雅経がかねてより訴えていた伊勢国の地頭の非儀を止めさせる。建暦3年12月の奥書のある『金槐和歌集』はこの頃にまとめられたと考えられている。
建保2年(1214年)5月7日、延暦寺に焼かれた園城寺の再建を沙汰する。6月3日、諸国は旱魃に愁いており、実朝は降雨を祈り法華経を転読する。5日、雨が降る。13日、関東の御領の年貢を3分の2に免ずる。11月13日、京で義盛らの残党が、栄西のもとで僧となっていた栄実を擁して謀反を企んだとの噂があったため、広元の在京する家人が栄実や義盛残党のいる一条北辺の旅亭を襲撃し、栄実は自害した。また同年には、栄西より『喫茶養生記』を献上される。栄西は翌年に病で亡くなるが、大江親広が実朝の使者として見舞った。
建保4年(1216年)3月5日、政子の命により実朝室が頼家の娘(後の竹御所)を猶子に迎える。4月、政所別当が5人から9人に増員される。5月20日、1首の和歌と共に恩賞の少なさを愁いた紀康綱に備中国の領地を与える。詠歌に感じた故という。
6月8日、東大寺大仏の再建を行った宋人の僧・陳和卿が鎌倉に参着し「当将軍は権化の再誕なり。恩顔を拝せんが為に参上を企てる」と述べる。15日、御所で対面すると、陳和卿は実朝を3度拝み泣いた。実朝が不審を感じると、陳和卿は「貴客は昔宋朝医王山の長老たり。時に我その門弟に列す。」と述べる。実朝はかつて夢に現れた高僧が同じことを述べ、その夢を他言していなかったことから、陳和卿の言を信じた。
6月20日、権中納言に任ぜられ、7月21日、左近衛中将を兼ねる。9月18日、北条義時と大江広元は密談し、実朝の昇進の早さを憂慮する。20日、広元は義時の使いと称し、御所を訪れて「御子孫の繁栄の為に、御当官等を辞しただ征夷大将軍として、しばらく御高年に及び、大将を兼ね給うべきか」と諫めた。実朝は「諌めの趣もっともといえども、源氏の正統この時に縮まり、子孫はこれを継ぐべからず。しかればあくまで官職を帯し、家名を挙げんと欲す」と答える。広元は再び是非をいわずに退出し、それを義時に伝えた。
11月24日、前世の居所と信じる宋の医王山を拝すために渡宋を思い立ち、陳和卿に唐船の建造を命じる。義時と広元はしきりにそれを諌めたが、実朝は許容しなかった。建保5年(1217年)4月17日、完成した唐船を由比ヶ浜から海に向かって曳かせるが、船は浮かばずそのまま砂浜に朽ち損じた。なお、宋への関心からか、実朝は宋の能仁寺より仏舎利を請来しており、円覚寺の舎利殿に祀られている。また渡宋を命じられた葛山景倫は、後に実朝のために興国寺を建立したという。
建保5年(1217年)6月20日、園城寺で学んでいた公暁が鎌倉に帰着し、政子の命により鶴岡八幡宮の別当に就く。この年、右大将の地位を巡って西園寺公経と大炊御門師経が争い、公経が後鳥羽上皇の怒りを買った際に、実朝が遠縁である公経のために取りなした。上皇は内心これを快く思わず、実朝と上皇の間に隙が生じたまま改善されなかったとする見方がある。
建保6年(1218年)1月13日、権大納言に任ぜられる。2月10日、実朝は右大将への任官を求め使者を京に遣わすが、やはり必ず左大将を求めよと命を改める。右大将はかつて父が補任された職で、左大将はその上位である。同月、政子が病がちな実朝の平癒を願って熊野を参詣する。政子は京で後鳥羽上皇の乳母の卿局(藤原兼子)と対面したが、『愚管抄』によればこの際に実朝の後継として後鳥羽上皇の皇子を東下させることを政子と卿局が相談した。卿局は養育していた頼仁親王を推して、2人の間で約束が交わされたという。3月16日、実朝は左近衛大将と左馬寮御監を兼ねる。10月9日、内大臣を兼ね、12月2日、九条良輔の薨去により右大臣へ転ずる。武士としては初めての右大臣であった。21日、昇任を祝う翌年の鶴岡八幡宮拝賀のため、装束や車などが後鳥羽上皇より贈られる。26日、随兵の沙汰を行う。
建保7年(1219年)1月27日、雪が2尺ほど積もる日に八幡宮拝賀を迎えた。夜になり神拝を終え退出の最中、「親の敵はかく討つぞ」と叫ぶ公暁に襲われ、実朝は落命した。享年28(満26歳没)。『愚管抄』によると次に公暁の一味の3~4人の法師が源仲章を斬り殺したが、これは北条義時と誤ったものだという。『吾妻鏡』によれば、義時は御所を発し八幡宮の楼門に至ると体調の不良を訴え、太刀持ちを仲章に譲り自邸に戻ったとある。一方で『愚管抄』によれば、義時は実朝の命により太刀を捧げて中門に留まっており、儀式の行われた本宮には同行しなかったとある。実朝の首は持ち去られ、公暁は食事の間も手放さなかったという。同日、公暁は討手に誅された。
『吾妻鏡』によると、予見があったのか、出発の際に大江広元は涙を流し「成人後は未だ泣く事を知らず。しかるに今近くに在ると落涙禁じがたし。これ只事に非ず。御束帯の下に腹巻を着け給うべし」と述べたが、仲章は「大臣大将に昇る人に未だその例は有らず」と答え止めた。また整髪を行う者に、記念と称して髪を1本与えている。庭の梅を見て詠んだと伝わる辞世の和歌は、「出でいなば 主なき宿と 成ぬとも 軒端の梅よ 春をわするな」で「禁忌の和歌」と評される。落命の場は八幡宮の石段とも石橋ともいわれ、また大銀杏に公暁が隠れていたとも伝わる。『承久記』によると、一の太刀は笏に合わせたが、次の太刀で切られ、最期は「広元やある」と述べ落命したという。
公暁による暗殺については、実朝を除こうとした「黒幕」によって実朝が父(頼家)の敵であると吹き込まれたためだとする説がある。ただし、その黒幕の正体については北条義時、三浦義村、北条・三浦ら鎌倉御家人の共謀、後鳥羽上皇など諸説ある。またそれらの背後関係よりも、公暁個人が野心家で実朝の跡目としての将軍就任を狙ったところにこの事件の最も大きな要因を求める見解もあり、近年では黒幕説を否定して公暁単独犯行説を取る研究者が多い。
28日、妻は落餝し、御家人百余名が出家する。『吾妻鏡』によると亡骸は勝長寿院に葬られたが首は見つからず、代わりに記念に与えた髪を入棺したとあるが、『愚管抄』には首は岡山の雪の中から見つかったとある。実朝には子がなく、幕府は実朝の後継として摂関家の三寅(九条頼経)を迎えたため、源氏将軍および初代源頼信から続く武家の棟梁を継ぐ河内源氏嫡流の血筋は断絶した。
『吾妻鏡』によれば、建保7年(1219年)鶴岡八幡宮での実朝暗殺時に随行した主な人物は以下の通りである。
『金槐和歌集』定家所伝本に663首(貞亨本では719首)の和歌が収められている。万葉風の和歌もあるが、大半は『古今和歌集』や『新古今和歌集』の模倣の域を出ないとされている。しかし少数ながら、時代の水準を大きく超える独創的な和歌を残しており、その生涯と相まって「悲劇の天才歌人」というイメージを与えている。
和歌の師である藤原定家は『新勅撰和歌集』に実朝の和歌を25首入集させており(同集の入集数第6位)、『小倉百人一首』に
を選んでいる。以後、勅撰和歌集に合計92首入集しており、『愚見抄』『愚秘抄』などの定家に仮託された歌論書でも人麻呂・赤人に匹敵する歌人とされていることから、中世においても、京都の中央歌壇で活動することがなかった歌人としては相当に高い評価を受けていたと見られる。
近世になると、松尾芭蕉が弟子の木節に「中頃の歌人は誰なるや」と問われ、言下に「西行と鎌倉右大臣ならん」と答えたという。賀茂真淵は『金槐和歌集』の貞享本を校訂したときの付言に、その万葉風の和歌を「大空に翔ける龍の如く勢いあり」などと絶賛し、各和歌に付した評語の中では、特に
を「人麿のよめらん勢ひなり」と激賞している。
明治時代には、正岡子規を中心に和歌革新運動が進められたが、その口火を切った評論「歌よみに与ふる書」は「仰せのごとく近来和歌は一向に振い申さず候。正直に申し候えば『万葉』以来、実朝以来、一向に振い申さず候」という文で始まっており、『万葉集』以後の第一人者とされている。この評価はアララギ派の歌人によって継承され、万葉風の歌人というイメージを定着させた。その中心となったのは斎藤茂吉であり、
を「真に天然の無常相に観入した歌」と絶賛している。
昭和期には、小林秀雄が「実朝」で、万葉風の歌人という評価の中では見落とされていた、
のような作品に注目し、「無垢な魂の沈痛な調べが聞かれる」と評している。戦時中は『愛国百人一首』に、
が収録され、愛国歌として大いにもてはやされた。
戦後には、吉本隆明が〈実朝的なもの〉を「暗い詩心ともいうべきものに帰せられる」とし、
を「この種の絶品を生涯のうちに一首でももっている歌人は、歴史のなかでも数えるほどしかない」と激賞している。
後鳥羽上皇は実朝に好意的であり、その昇進に便宜を図ったといわれている。その一方で、建永元年12月(1207年)に上皇が要求した備後国太田荘の地頭職停止要求を拒絶するなど、対朝廷の強硬態度を示しており、西園寺公経が右近衛大将を解任された折には、上皇の非を指摘してこれを諌めている。また、順徳天皇の蔵人に任じられた長井時広が鎌倉での職務を疎かにして京都に戻ろうとするのを「御家人でありながら鎌倉を軽んじている」とたしなめている。父・頼朝は自分の娘を後鳥羽天皇(当時)の妃にしようとするなど幕府を固めるために朝廷の利用を考えていた面があり、上皇との接近はその継承とも解釈できる。後鳥羽から見れば、実朝中心の幕府であれば武士の臣従を前提とした公武融和路線が進められると見ていたが、実朝の死によりその路線の破綻は明らかになり、承久の乱につながったとも考えられる。
上横手雅敬以来、幕府と後鳥羽には継嗣のない実朝の後継として後鳥羽の皇子を将軍(宮将軍)として猶子に迎える密約があったことが指摘され、また急激な官位の昇進をそのための環境づくりの側面があったとする見方がある(形式上でも皇族の父親となる以上、大臣級の官位を必要とした。河内祥輔説)。だが、鎌倉幕府成立以後、武士階層が次第に政治力と自信をつけてくるにつれて、朝廷や貴族による支配を拒絶する態度をより明確にするようになり、その中核をなした御家人などからは極端な官位昇進などを朝廷重視の姿勢の現れであると見なされ、後の暗殺事件への伏線になったとの説もある。一方で元木泰雄は、頼家・実朝は共に摂関家子弟クラスにしか許されていなかった「五位中将」となっていて、源氏将軍家は摂関家並みの家格が認められており、その点から見れば実朝の急速な官位上昇も摂関家子弟と比較すればごく普通なものであるとしている。
五味文彦は、実朝は承元3年(1209年)、18歳で政所開設とともに親裁権を行使し始めたとし、「実朝が直接の手本とした統治者は後鳥羽院だった。和歌・管弦に実朝が親しんだのもこの統治者の道にほかならなかった。」「頼朝・頼家・実朝と3代続いた源氏将軍は、否応なしに独裁の途を歩まねばならなかったのである。これに東国の有力御家人の北条氏らが強い反発を示したのは当然であろう。」としている。また、「実朝の最も直接的な影響を与えたのは北条泰時であった。泰時は実朝より約十歳の年上で、頼朝の徳政に学び、実朝の徳政を支えてきたことから、その徳政の延長上で武家の法典「御成敗式目」(貞永式目)を制定した。(中略)武家政権は泰時の段階に定着したが、幕府草創を担った頼朝や、後鳥羽上皇が推進した政治と文化に学び、武家の政治と文化の礎を築いた意味において、実朝の存在はもっと高く評価されるべきであろう。」としている。
実朝は実子がいなかったとされる。また『吾妻鏡』において、頼朝や頼家は正妻以外の女性関係に関するエピソードが紹介されていることに対し、実朝にはそれが皆無である。建保四年(1216年)の大江広元との会談の記載からも、実朝にはそもそも実子をもうけようとする意思が希薄であったことが読み取れる。坂井孝一は「それが精神的なものによるものか、肉体的・生物学的理由によるものかは不明である」とする。三木麻子は「実朝は日常の世界で女性と恋歌をやりとりする機会には恵まれなかったのではないだろうか」と推測している。三田武繁は、「さらに想像をたくましくするならば」と書き添えたうえで、実朝は「精神的、もしくは肉体的な理由から、男性に対して強い感情をもつことはできるが、女性に対する恋愛感情は希薄で(中略)女性を性愛の対象とみることができない人間であった」と推測する。この理由として三田は、『吾妻鏡』において「恋慕」「恋し」と記載されて実朝が歌をしたためたエピソードが、いずれも男性に対して送った歌であることを挙げている。いずれにせよ、実朝に実子をもうける意思がない、もしくは能力がないことは、幕府首脳陣には共有されていた可能性がある。
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"text": "源 実朝(みなもと の さねとも、實朝)は、鎌倉時代前期の鎌倉幕府第3代征夷大将軍(鎌倉殿)",
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"text": "鎌倉幕府を開いた源頼朝の嫡出の次男として生まれ、兄の頼家が追放されると12歳で征夷大将軍に就く。政治は初め執権を務める北条氏などが主に執ったが、成長するにつれ関与を深めた。",
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"text": "朝廷に重んじられ官位の昇進も早く、若くして公卿に補任され、武士として初めて右大臣(但し太政大臣には平清盛が任ぜられていた)に任ぜられた。しかし、その翌年に鶴岡八幡宮で頼家の子公暁に暗殺された。これにより鎌倉幕府の源氏将軍は断絶した。",
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"text": "歌人としても知られ、92首が勅撰和歌集に入集し、小倉百人一首にも選ばれている。家集として『金槐和歌集』がある。小倉百人一首では鎌倉右大臣とされている。",
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"text": "建久3年(1192年)8月9日巳の刻、鎌倉で生まれる。幼名は千幡。父は鎌倉幕府を開いた源頼朝、母はその正妻・北条政子。乳母は政子の妹・阿波局・大弐局ら御所女房が介添する。千幡は若公として誕生から多くの儀式で祝われる。12月5日、頼朝は千幡を抱いて御家人の前に現れると、「みな意を一つにして将来を守護せよ」と述べ、面々に千幡を抱かせる。建久10年(1199年)に父が薨去し、兄の源頼家が将軍職を継ぐ。",
"title": "生涯"
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"text": "建仁3年(1203年)9月、比企能員の変により頼家は将軍職を失い、伊豆国に追われる。母の政子らは朝廷に対して9月1日に頼家が死去したという虚偽の報告を行い、千幡への家督継承の許可を求めた。朝廷は異例ながらこれに応じ、7日に千幡を従五位下・征夷大将軍に補任した。",
"title": "生涯"
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"text": "10月8日、北条時政邸において12歳で元服し、後鳥羽院の命名により、実朝と称した。儀式に参じた御家人は大江広元・小山朝政・安達景盛・和田義盛ら百余名で、理髪は祖父・北条時政、加冠は門葉筆頭・平賀義信が行った。24日にはかつて父が務めた右兵衛佐に任じられる。実朝は朝廷を生涯重んじた。翌年、兄・頼家は北条氏の刺客により暗殺された。",
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"text": "元久元年(1204年)12月、京より後鳥羽の従妹でもある後鳥羽の寵臣・坊門信清の娘(西八条禅尼)を正室(御台所)に迎える。『吾妻鏡』によれば、正室ははじめ足利義兼の娘が考えられていたが、実朝は許容せず使者を京に発し妻を求めた。しかし実朝はまだ幼く、この決定は実際は時政と政子の妥協の産物とする説もある。元久2年(1205年)1月5日に正五位下に叙され、29日には加賀介を兼ね右近衛権中将に任じられる。",
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"text": "元久2年(1205年)4月、12首の和歌を試作する。6月、畠山重忠の乱が起こり、北条義時、時房、和田義盛、三浦義村らが鎮める。乱後の行賞は政子により計らわれ、実朝の幼年の間はこの例によるとされた。閏7月19日、時政邸にあった実朝を侵そうという牧の方の謀計が鎌倉に知れわたる。実朝は政子の命を受けた御家人らに守られ、義時の邸宅に逃れた。牧の方の夫である時政は兵を集めるが、兵はすべて実朝のいる義時邸に参じた。20日、時政は伊豆国北条に追われ、執権職は義時が継いだ(牧氏事件)。9月2日、後鳥羽が勅撰した『新古今和歌集』を京より運ばせる。和歌集はいまだ披露されていなかったが、和歌を好む実朝は、父の歌が入集すると聞くとしきりに見ることを望んだ。",
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"text": "建永元年(1206年)2月4日、北条義時の山荘に立ち寄り、北条泰時、東重胤、内藤知親らと歌会を催す。2月22日、従四位下へ昇り、10月20日には母の命により兄・頼家の次男である善哉を猶子とする。11月18日、歌会で近仕していた東重胤が数か月ぶりに鎌倉へ帰参する。実朝はかねてより和歌を送って重胤を召していたが、遅参したために蟄居させる。12月23日、重胤は義時の邸宅を訪れ、蟄居の悲嘆を述べる。義時は「凡そこの如き災いに遭うは、官仕の習いなり。但し詠歌を献らば定めて快然たらんかと」と述べ、重胤を伴って実朝の邸宅に赴き、重胤の詠歌を実朝に献じて重胤を庇った。実朝は重胤の歌を3回吟じると、門外で待つ重胤を召し、歌のことを尋ね許した。承元元年(1207年)1月5日、従四位上に叙せられる。",
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"text": "承元2年(1208年)2月、疱瘡を患う。回復まで2か月かかった重症で、実朝はそれまで幾度も鶴岡八幡宮に参拝していたが、以後3年間は病の瘡痕を恥じて参拝を止めた。幕府の宗教的な象徴である鶴岡八幡宮への参拝は、将軍の公的行事の中でも最も重要なものの一つであり、その期間には将軍が箱根権現・伊豆山権現と三嶋大社に参詣し幕府の安泰を祈願する二所詣も行われていない。承元3年(1209年)4月から建暦2年(1212年)11月の間に書かれたと推定される慈円の書状には、その期間の実朝は籠居していたとあり、やはり同時期に書かれたと推定される別の慈円書状には幕府への相談先として実朝だけではなく義時・政子・広元の名が記されているため、実朝は疱瘡による精神的打撃から政務のほぼ全般を行い得なかったのではないかと推測する見解がある。同年、12月9日、正四位下に昇る。",
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"text": "承元3年(1209年)4月10日、従三位に叙せられ、5月26日には右近衛中将に任ぜられ、公卿となり政所を開設する資格を得、親裁権を行使し始める。朝廷は実朝を一貫して重んじ、征夷大将軍の本来相応しい官位へ近づけるべく若くして引き上げた。",
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"text": "この頃から幕府の下文が「鎌倉殿下文」から「政所下文」に変化する。7月5日、和歌30首の評を藤原定家に請う。8月13日、定家はこれに合点を加え、さらに「近代秀歌」として知られる詠歌口伝1巻を献じた。11月4日、弓馬のことを忘れてはいけないという義時の諫言で、小御所の東面の小庭で切的という的を射る競技が行われた。7日には弓の勝負の負方衆が課物を献上し、御所で酒宴が行われ、その際に義時と広元が実朝に「武芸を事となし、朝廷を警衛せしめ給ふは、関東長久の基なるべし」と述べている。14日、義時が郎従の中で功のある者を侍に準ずることを望む。実朝は許容せず、「然る如きの輩、子孫の時に及び定めて以往の由緒を忘れ、誤って幕府に参昇を企てんか。後難を招くべきの因縁なり。永く御免有るべからざる」と述べる。",
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"text": "建暦元年(1211年)1月5日、正三位に昇り、18日に美作権守を兼ねる。2月22日、承元2年(1208年)以来3年ぶりに鶴岡八幡宮に参拝する。9月15日、猶子に迎えていた善哉は出家して公暁と号し、22日には受戒のため上洛した。",
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"text": "建暦2年(1212年)3月1日、「旬の蹴鞠」を始めたいという実朝の意向により「幕府御鞠始」を行う。実朝の蹴鞠記事は頼朝に比べ格段に少なく、恐らく4年前の承元2年に「承元御鞠」を催した後鳥羽を範としたものである。6月7日、侍所において宿直の御家人が闘乱を起こし、2名の死者が出る。7月2日、実朝は侍所の破却と新造を望み、不要との声を許容せず、千葉成胤に造進を命じる。12月10日、従二位に昇る。この頃しばしば幕府において歌会を催し、御家人との結びつきを固める(承元4年11月、建暦3年2月など)。特にしばしば泰時が伺候していることが注目される。",
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"text": "また、前記の慈円書状によると、この頃に実朝上洛の風聞が慈円の耳に達している。『沙石集』にも、時期は不明だが実朝が上洛を望み、評議が開かれたが、八田知家の反対により断念したという話が載せられている。",
"title": "生涯"
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"text": "建暦3年(1213年)2月16日、御家人らの謀反が露顕する。頼家の遺児(栄実)を大将軍とし義時を討とうという、2年前からの企てであり、加わった者が捕らえられる(泉親衡の乱)。その中には侍所別当を務める和田義盛の子である義直と義重らもあった。20日、囚人である薗田成朝の逃亡が明らかとなる。実朝は成朝が受領を所望していたことを聞くと、かえって「早くこれを尋ね出し恩赦有るべき」と述べる。26日、死罪を命じられた渋河兼守が詠んだ和歌を見ると過を宥めた。27日に謀反人の多くは配流に処した。同日、正二位に昇る。3月8日、和田義盛が御所に参じ対面する。実朝は義盛の功労を考え、義直と義重の罪を許した。9日、義盛は一族を率いて再び御所に参じ、甥である胤長の許しを請うが、実朝は胤長が張本として許容せず、それを伝えた北条義時は和田一族の前に面縛した胤長を晒した。",
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"text": "4月、義盛の謀反が聞こえ始める。5月2日朝、兵を挙げる。義時はそれを聞くと幕府に参じ、政子と実朝の妻を八幡宮に逃れさせた。酉の刻、義盛の兵は幕府を囲み、御所に火を放つ。ここで実朝は火災を逃れ、頼朝の墓所である法華堂に入った。戦いは3日に入っても終わらず、実朝の下に「多勢の恃み有るに似たりといえども、更に凶徒の武勇を敗り難し。重ねて賢慮を廻らさるべきか」との報告が届く。驚いた実朝は政所にあった大江広元を召すと、願書を書かせそれに自筆で和歌を2首加え、八幡宮に奉じる。酉の刻に義盛は討たれ、合戦は終わった。5日、実朝は御所に戻ると、侍所別当の後任に義時を任じ、その他の勲功の賞も行った(和田合戦)。",
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"text": "9月19日、日光に住む畠山重忠の末子・重慶が謀反を企てるとの報が届く。実朝は長沼宗政に生け捕りを命じるが、21日、宗政は重慶の首を斬り帰参した。実朝は「重忠は罪無く誅をこうむった。その末子が隠謀を企んで何の不思議が有ろうか。命じた通りにまずその身を生け捕り参れば、ここで沙汰を定めるのに、命を奪ってしまった。粗忽の儀が罪である」と述べると嘆息し、宗政の出仕を止める。それ伝え聞いた宗政は眼を怒らし「この件は叛逆の企てに疑い無し。生け捕って参れば、女等の申し出によって必ず許しの沙汰が有ると考え、首を梟した。今後このような事があれば、忠節を軽んじて誰が困ろうか」と述べた。閏9月16日、兄・小山朝政の申請により実朝は宗政を許す。11月10日、頼家の遺児が政子の命により御所で出家する(法名は栄実)。23日、藤原定家より相伝の『万葉集』が届く。広元よりこれを受け取ると「これに過ぎる重宝があろうか」と述べ賞玩する。同日、仲介を行った飛鳥井雅経がかねてより訴えていた伊勢国の地頭の非儀を止めさせる。建暦3年12月の奥書のある『金槐和歌集』はこの頃にまとめられたと考えられている。",
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"text": "建保2年(1214年)5月7日、延暦寺に焼かれた園城寺の再建を沙汰する。6月3日、諸国は旱魃に愁いており、実朝は降雨を祈り法華経を転読する。5日、雨が降る。13日、関東の御領の年貢を3分の2に免ずる。11月13日、京で義盛らの残党が、栄西のもとで僧となっていた栄実を擁して謀反を企んだとの噂があったため、広元の在京する家人が栄実や義盛残党のいる一条北辺の旅亭を襲撃し、栄実は自害した。また同年には、栄西より『喫茶養生記』を献上される。栄西は翌年に病で亡くなるが、大江親広が実朝の使者として見舞った。",
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"text": "建保4年(1216年)3月5日、政子の命により実朝室が頼家の娘(後の竹御所)を猶子に迎える。4月、政所別当が5人から9人に増員される。5月20日、1首の和歌と共に恩賞の少なさを愁いた紀康綱に備中国の領地を与える。詠歌に感じた故という。",
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"text": "6月8日、東大寺大仏の再建を行った宋人の僧・陳和卿が鎌倉に参着し「当将軍は権化の再誕なり。恩顔を拝せんが為に参上を企てる」と述べる。15日、御所で対面すると、陳和卿は実朝を3度拝み泣いた。実朝が不審を感じると、陳和卿は「貴客は昔宋朝医王山の長老たり。時に我その門弟に列す。」と述べる。実朝はかつて夢に現れた高僧が同じことを述べ、その夢を他言していなかったことから、陳和卿の言を信じた。",
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"text": "6月20日、権中納言に任ぜられ、7月21日、左近衛中将を兼ねる。9月18日、北条義時と大江広元は密談し、実朝の昇進の早さを憂慮する。20日、広元は義時の使いと称し、御所を訪れて「御子孫の繁栄の為に、御当官等を辞しただ征夷大将軍として、しばらく御高年に及び、大将を兼ね給うべきか」と諫めた。実朝は「諌めの趣もっともといえども、源氏の正統この時に縮まり、子孫はこれを継ぐべからず。しかればあくまで官職を帯し、家名を挙げんと欲す」と答える。広元は再び是非をいわずに退出し、それを義時に伝えた。",
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"text": "11月24日、前世の居所と信じる宋の医王山を拝すために渡宋を思い立ち、陳和卿に唐船の建造を命じる。義時と広元はしきりにそれを諌めたが、実朝は許容しなかった。建保5年(1217年)4月17日、完成した唐船を由比ヶ浜から海に向かって曳かせるが、船は浮かばずそのまま砂浜に朽ち損じた。なお、宋への関心からか、実朝は宋の能仁寺より仏舎利を請来しており、円覚寺の舎利殿に祀られている。また渡宋を命じられた葛山景倫は、後に実朝のために興国寺を建立したという。",
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"text": "建保5年(1217年)6月20日、園城寺で学んでいた公暁が鎌倉に帰着し、政子の命により鶴岡八幡宮の別当に就く。この年、右大将の地位を巡って西園寺公経と大炊御門師経が争い、公経が後鳥羽上皇の怒りを買った際に、実朝が遠縁である公経のために取りなした。上皇は内心これを快く思わず、実朝と上皇の間に隙が生じたまま改善されなかったとする見方がある。",
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"text": "建保6年(1218年)1月13日、権大納言に任ぜられる。2月10日、実朝は右大将への任官を求め使者を京に遣わすが、やはり必ず左大将を求めよと命を改める。右大将はかつて父が補任された職で、左大将はその上位である。同月、政子が病がちな実朝の平癒を願って熊野を参詣する。政子は京で後鳥羽上皇の乳母の卿局(藤原兼子)と対面したが、『愚管抄』によればこの際に実朝の後継として後鳥羽上皇の皇子を東下させることを政子と卿局が相談した。卿局は養育していた頼仁親王を推して、2人の間で約束が交わされたという。3月16日、実朝は左近衛大将と左馬寮御監を兼ねる。10月9日、内大臣を兼ね、12月2日、九条良輔の薨去により右大臣へ転ずる。武士としては初めての右大臣であった。21日、昇任を祝う翌年の鶴岡八幡宮拝賀のため、装束や車などが後鳥羽上皇より贈られる。26日、随兵の沙汰を行う。",
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"text": "建保7年(1219年)1月27日、雪が2尺ほど積もる日に八幡宮拝賀を迎えた。夜になり神拝を終え退出の最中、「親の敵はかく討つぞ」と叫ぶ公暁に襲われ、実朝は落命した。享年28(満26歳没)。『愚管抄』によると次に公暁の一味の3~4人の法師が源仲章を斬り殺したが、これは北条義時と誤ったものだという。『吾妻鏡』によれば、義時は御所を発し八幡宮の楼門に至ると体調の不良を訴え、太刀持ちを仲章に譲り自邸に戻ったとある。一方で『愚管抄』によれば、義時は実朝の命により太刀を捧げて中門に留まっており、儀式の行われた本宮には同行しなかったとある。実朝の首は持ち去られ、公暁は食事の間も手放さなかったという。同日、公暁は討手に誅された。",
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"text": "『吾妻鏡』によると、予見があったのか、出発の際に大江広元は涙を流し「成人後は未だ泣く事を知らず。しかるに今近くに在ると落涙禁じがたし。これ只事に非ず。御束帯の下に腹巻を着け給うべし」と述べたが、仲章は「大臣大将に昇る人に未だその例は有らず」と答え止めた。また整髪を行う者に、記念と称して髪を1本与えている。庭の梅を見て詠んだと伝わる辞世の和歌は、「出でいなば 主なき宿と 成ぬとも 軒端の梅よ 春をわするな」で「禁忌の和歌」と評される。落命の場は八幡宮の石段とも石橋ともいわれ、また大銀杏に公暁が隠れていたとも伝わる。『承久記』によると、一の太刀は笏に合わせたが、次の太刀で切られ、最期は「広元やある」と述べ落命したという。",
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"text": "公暁による暗殺については、実朝を除こうとした「黒幕」によって実朝が父(頼家)の敵であると吹き込まれたためだとする説がある。ただし、その黒幕の正体については北条義時、三浦義村、北条・三浦ら鎌倉御家人の共謀、後鳥羽上皇など諸説ある。またそれらの背後関係よりも、公暁個人が野心家で実朝の跡目としての将軍就任を狙ったところにこの事件の最も大きな要因を求める見解もあり、近年では黒幕説を否定して公暁単独犯行説を取る研究者が多い。",
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"text": "28日、妻は落餝し、御家人百余名が出家する。『吾妻鏡』によると亡骸は勝長寿院に葬られたが首は見つからず、代わりに記念に与えた髪を入棺したとあるが、『愚管抄』には首は岡山の雪の中から見つかったとある。実朝には子がなく、幕府は実朝の後継として摂関家の三寅(九条頼経)を迎えたため、源氏将軍および初代源頼信から続く武家の棟梁を継ぐ河内源氏嫡流の血筋は断絶した。",
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"text": "『吾妻鏡』によれば、建保7年(1219年)鶴岡八幡宮での実朝暗殺時に随行した主な人物は以下の通りである。",
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"text": "『金槐和歌集』定家所伝本に663首(貞亨本では719首)の和歌が収められている。万葉風の和歌もあるが、大半は『古今和歌集』や『新古今和歌集』の模倣の域を出ないとされている。しかし少数ながら、時代の水準を大きく超える独創的な和歌を残しており、その生涯と相まって「悲劇の天才歌人」というイメージを与えている。",
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"paragraph_id": 32,
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"text": "和歌の師である藤原定家は『新勅撰和歌集』に実朝の和歌を25首入集させており(同集の入集数第6位)、『小倉百人一首』に",
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"paragraph_id": 33,
"tag": "p",
"text": "を選んでいる。以後、勅撰和歌集に合計92首入集しており、『愚見抄』『愚秘抄』などの定家に仮託された歌論書でも人麻呂・赤人に匹敵する歌人とされていることから、中世においても、京都の中央歌壇で活動することがなかった歌人としては相当に高い評価を受けていたと見られる。",
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"text": "近世になると、松尾芭蕉が弟子の木節に「中頃の歌人は誰なるや」と問われ、言下に「西行と鎌倉右大臣ならん」と答えたという。賀茂真淵は『金槐和歌集』の貞享本を校訂したときの付言に、その万葉風の和歌を「大空に翔ける龍の如く勢いあり」などと絶賛し、各和歌に付した評語の中では、特に",
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"text": "を「人麿のよめらん勢ひなり」と激賞している。",
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"text": "明治時代には、正岡子規を中心に和歌革新運動が進められたが、その口火を切った評論「歌よみに与ふる書」は「仰せのごとく近来和歌は一向に振い申さず候。正直に申し候えば『万葉』以来、実朝以来、一向に振い申さず候」という文で始まっており、『万葉集』以後の第一人者とされている。この評価はアララギ派の歌人によって継承され、万葉風の歌人というイメージを定着させた。その中心となったのは斎藤茂吉であり、",
"title": "和歌"
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"text": "を「真に天然の無常相に観入した歌」と絶賛している。",
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"text": "昭和期には、小林秀雄が「実朝」で、万葉風の歌人という評価の中では見落とされていた、",
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"text": "のような作品に注目し、「無垢な魂の沈痛な調べが聞かれる」と評している。戦時中は『愛国百人一首』に、",
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"text": "が収録され、愛国歌として大いにもてはやされた。",
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"text": "戦後には、吉本隆明が〈実朝的なもの〉を「暗い詩心ともいうべきものに帰せられる」とし、",
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"text": "を「この種の絶品を生涯のうちに一首でももっている歌人は、歴史のなかでも数えるほどしかない」と激賞している。",
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"text": "後鳥羽上皇は実朝に好意的であり、その昇進に便宜を図ったといわれている。その一方で、建永元年12月(1207年)に上皇が要求した備後国太田荘の地頭職停止要求を拒絶するなど、対朝廷の強硬態度を示しており、西園寺公経が右近衛大将を解任された折には、上皇の非を指摘してこれを諌めている。また、順徳天皇の蔵人に任じられた長井時広が鎌倉での職務を疎かにして京都に戻ろうとするのを「御家人でありながら鎌倉を軽んじている」とたしなめている。父・頼朝は自分の娘を後鳥羽天皇(当時)の妃にしようとするなど幕府を固めるために朝廷の利用を考えていた面があり、上皇との接近はその継承とも解釈できる。後鳥羽から見れば、実朝中心の幕府であれば武士の臣従を前提とした公武融和路線が進められると見ていたが、実朝の死によりその路線の破綻は明らかになり、承久の乱につながったとも考えられる。",
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"text": "上横手雅敬以来、幕府と後鳥羽には継嗣のない実朝の後継として後鳥羽の皇子を将軍(宮将軍)として猶子に迎える密約があったことが指摘され、また急激な官位の昇進をそのための環境づくりの側面があったとする見方がある(形式上でも皇族の父親となる以上、大臣級の官位を必要とした。河内祥輔説)。だが、鎌倉幕府成立以後、武士階層が次第に政治力と自信をつけてくるにつれて、朝廷や貴族による支配を拒絶する態度をより明確にするようになり、その中核をなした御家人などからは極端な官位昇進などを朝廷重視の姿勢の現れであると見なされ、後の暗殺事件への伏線になったとの説もある。一方で元木泰雄は、頼家・実朝は共に摂関家子弟クラスにしか許されていなかった「五位中将」となっていて、源氏将軍家は摂関家並みの家格が認められており、その点から見れば実朝の急速な官位上昇も摂関家子弟と比較すればごく普通なものであるとしている。",
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"text": "五味文彦は、実朝は承元3年(1209年)、18歳で政所開設とともに親裁権を行使し始めたとし、「実朝が直接の手本とした統治者は後鳥羽院だった。和歌・管弦に実朝が親しんだのもこの統治者の道にほかならなかった。」「頼朝・頼家・実朝と3代続いた源氏将軍は、否応なしに独裁の途を歩まねばならなかったのである。これに東国の有力御家人の北条氏らが強い反発を示したのは当然であろう。」としている。また、「実朝の最も直接的な影響を与えたのは北条泰時であった。泰時は実朝より約十歳の年上で、頼朝の徳政に学び、実朝の徳政を支えてきたことから、その徳政の延長上で武家の法典「御成敗式目」(貞永式目)を制定した。(中略)武家政権は泰時の段階に定着したが、幕府草創を担った頼朝や、後鳥羽上皇が推進した政治と文化に学び、武家の政治と文化の礎を築いた意味において、実朝の存在はもっと高く評価されるべきであろう。」としている。",
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"text": "実朝は実子がいなかったとされる。また『吾妻鏡』において、頼朝や頼家は正妻以外の女性関係に関するエピソードが紹介されていることに対し、実朝にはそれが皆無である。建保四年(1216年)の大江広元との会談の記載からも、実朝にはそもそも実子をもうけようとする意思が希薄であったことが読み取れる。坂井孝一は「それが精神的なものによるものか、肉体的・生物学的理由によるものかは不明である」とする。三木麻子は「実朝は日常の世界で女性と恋歌をやりとりする機会には恵まれなかったのではないだろうか」と推測している。三田武繁は、「さらに想像をたくましくするならば」と書き添えたうえで、実朝は「精神的、もしくは肉体的な理由から、男性に対して強い感情をもつことはできるが、女性に対する恋愛感情は希薄で(中略)女性を性愛の対象とみることができない人間であった」と推測する。この理由として三田は、『吾妻鏡』において「恋慕」「恋し」と記載されて実朝が歌をしたためたエピソードが、いずれも男性に対して送った歌であることを挙げている。いずれにせよ、実朝に実子をもうける意思がない、もしくは能力がないことは、幕府首脳陣には共有されていた可能性がある。",
"title": "研究"
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] |
源 実朝は、鎌倉時代前期の鎌倉幕府第3代征夷大将軍(鎌倉殿) 鎌倉幕府を開いた源頼朝の嫡出の次男として生まれ、兄の頼家が追放されると12歳で征夷大将軍に就く。政治は初め執権を務める北条氏などが主に執ったが、成長するにつれ関与を深めた。 朝廷に重んじられ官位の昇進も早く、若くして公卿に補任され、武士として初めて右大臣(但し太政大臣には平清盛が任ぜられていた)に任ぜられた。しかし、その翌年に鶴岡八幡宮で頼家の子公暁に暗殺された。これにより鎌倉幕府の源氏将軍は断絶した。 歌人としても知られ、92首が勅撰和歌集に入集し、小倉百人一首にも選ばれている。家集として『金槐和歌集』がある。小倉百人一首では鎌倉右大臣とされている。
|
{{基礎情報 武士
| 氏名 = 源 実朝
| 画像 = Minamoto_no_Sanetomo.jpg
| 画像サイズ = 250px
| 画像説明 = 源実朝像(『[[國文学名家肖像集]]』収録)
| 時代 = [[鎌倉時代]]前期
| 生誕 = [[建久]]3年[[8月9日 (旧暦)|8月9日]]([[1192年]][[9月17日]])
| 死没 = [[建保]]7年[[1月27日 (旧暦)|1月27日]]([[1219年]][[2月13日]])<br>[[享年]]28(満26歳没)
| 改名 = 千幡(幼名)→実朝
| 別名 = 将軍家、羽林、右府、[[鎌倉殿]]、鎌倉右大臣
| 戒名 = 大慈寺殿正二位丞相公神儀
| 墓所 = [[寿福寺|亀谷山寿福寺]]、[[金剛三昧院]]、[[白旗神社]]
| 官位 =(官職)[[右大臣]]、(位階)[[正二位]]
| 幕府 = [[鎌倉幕府]] 3代[[征夷大将軍]]<br />(在任:[[1203年]] - [[1219年]])
| 氏族 = [[清和源氏]][[源頼信|頼信]]流[[河内源氏]]
| 父母 = 父:[[源頼朝]]、母:[[北条政子]]
| 兄弟 = [[千鶴御前|千鶴丸]]?、[[大姫 (源頼朝の娘)|大姫]]、[[源頼家|頼家]]、[[貞暁]]、[[三幡]]、'''実朝'''
| 妻 = '''[[西八条禅尼]]'''([[坊門信清]]の娘)
| 子 = 実子:なし<br />[[猶子]]:''[[公暁]]''
| 特記事項 =
}}
'''源 実朝'''(みなもと の さねとも、{{旧字体|'''源 實朝󠄁'''}})は、[[鎌倉時代]]前期の[[鎌倉幕府]]第3代[[征夷大将軍]]([[鎌倉殿]])
鎌倉幕府を開いた[[源頼朝]]の嫡出の次男{{Efn|頼朝の子としては第6子で四男、[[北条政子]]の子としては第4子で次男。}}として生まれ、兄の[[源頼家|頼家]]が追放されると12歳で[[征夷大将軍]]に就く。政治は初め[[執権]]を務める[[北条氏]]などが主に執ったが、成長するにつれ関与を深めた。
朝廷に重んじられ官位の昇進も早く、若くして[[公卿]]に補任され、[[武士]]として初めて[[右大臣]](但し[[太政大臣]]には平清盛が任ぜられていた)に任ぜられた。しかし、その翌年に[[鶴岡八幡宮]]で頼家の子[[公暁]]に暗殺された。これにより鎌倉幕府の[[源氏将軍]]は断絶した。
[[歌人]]としても知られ、92首が[[勅撰和歌集]]に入集し、[[小倉百人一首]]にも選ばれている。[[家集]]として『[[金槐和歌集]]』がある。小倉百人一首では'''鎌倉右大臣'''とされている。
== 生涯 ==
=== 出生 ===
[[建久]]3年([[1192年]])8月9日[[巳]]の刻、[[鎌倉]]で生まれる{{refnest|group="注釈"|産所は鎌倉の[[名越 (鎌倉市)|名越]]浜御所であり[[北条時政]]の屋敷といわれる<ref>『吾妻鏡』建久3年7月18日条</ref>。}}。幼名は'''千幡'''。父は鎌倉幕府を開いた[[源頼朝]]、母はその正妻・[[北条政子]]。乳母は政子の妹・[[阿波局 (北条時政の娘) |阿波局]]・[[大弐局 (加賀美氏)|大弐局]]ら御所女房が介添する。千幡は若公として誕生から多くの儀式で祝われる。12月5日、頼朝は千幡を抱いて[[御家人]]の前に現れると、「みな意を一つにして将来を守護せよ」と述べ、面々に千幡を抱かせる。建久10年([[1199年]])に父が薨去し、兄の[[源頼家]]が将軍職を継ぐ。
=== 三代鎌倉殿就任 ===
[[建仁]]3年([[1203年]])9月、[[比企能員の変]]により頼家は将軍職を失い、[[伊豆国]]に追われる。母の政子らは朝廷に対して9月1日に頼家が死去したという虚偽の報告を行い、千幡への家督継承の許可を求めた。朝廷は異例ながらこれに応じ、7日に千幡を[[従五位|従五位下]]・[[征夷大将軍]]に補任した{{Efn|『吾妻鏡』建仁3年9月15日条には征夷大将軍補任の宣旨が下されたと記されているが、『[[猪隈関白記]]』9月7日条には[[内大臣]][[藤原隆忠]]を[[上卿]]として従五位下征夷大将軍補任の[[除目]]が行われて後鳥羽上皇が「実朝」という名を定めたと記されており(同一の補任に対して除目と宣旨が同時に行われることはない)、両者の記事は矛盾しており、同時代史料である後者が正しい可能性が高い{{Sfn|北村拓|2005|pp=137–194}}。}}。
10月8日、[[北条時政]]邸において12歳で[[元服]]し、後鳥羽院の命名により、'''実朝'''と称した。儀式に参じた御家人は[[大江広元]]・[[小山朝政]]・[[安達景盛]]・[[和田義盛]]ら百余名で、理髪は祖父・北条時政、加冠は[[門葉]]筆頭・[[平賀義信]]が行った。24日にはかつて父が務めた[[兵衛府|右兵衛佐]]に任じられる。実朝は朝廷を生涯重んじた。翌年、兄・頼家は北条氏の刺客により暗殺された。
[[元久]]元年([[1204年]])12月、京より後鳥羽の従妹でもある後鳥羽の寵臣・[[坊門信清]]の娘([[西八条禅尼]])を正室([[御台所]])に迎える。『[[吾妻鏡]]』によれば、正室ははじめ[[足利義兼]]の娘が考えられていたが、実朝は許容せず使者を京に発し妻を求めた。しかし実朝はまだ幼く、この決定は実際は時政と政子の妥協の産物とする説もある{{Efn|実朝の婚姻は、頼家の母方の北条氏と妻方の[[比企氏]]が衝突した比企能員の変の翌年のことであり、[[坂井孝一]]は、義兼の娘は時政の前妻との子であり政子・義時と同母妹であることから、[[牧の方]]とその子[[北条政範|政範]]を寵愛し政子・義時とは利害が対立する時政としては許容できなかったため、将軍の権威を上げ母政子の地位も上がる都の貴人で双方妥協したと思われ、実朝の京都・貴族志向の表われとは解することは出来ないとしている。}}。元久2年([[1205年]])1月5日に[[正五位|正五位下]]に叙され、29日には[[加賀国|加賀介]]を兼ね[[近衛府|右近衛権中将]]に任じられる。
=== 騒乱と和歌 ===
{| class="wikitable floatright"
|+系譜
|
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{{familytree|border=1 | 001 | | 002 |~| 003 | | | | | |001=[[源義朝]]|002=[[北条時政]]|003=[[牧の方]]}}
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[[File:Painting of Minamoto no Sanetomo by Yashima Gakutei, 1825.jpg|thumb|250px|[[岳亭春信]]作]]
元久2年([[1205年]])4月、12首の和歌を試作する。6月、[[畠山重忠の乱]]が起こり、[[北条義時]]、[[北条時房|時房]]、[[和田義盛]]、[[三浦義村]]らが鎮める。乱後の行賞は政子により計らわれ、実朝の幼年の間はこの例によるとされた。閏7月19日、時政邸にあった実朝を侵そうという[[牧の方]]の謀計が鎌倉に知れわたる。実朝は政子の命を受けた御家人らに守られ、義時の邸宅に逃れた。牧の方の夫である時政は兵を集めるが、兵はすべて実朝のいる義時邸に参じた。20日、時政は伊豆国北条に追われ、[[執権]]職は義時が継いだ([[牧氏事件]])。9月2日、後鳥羽が勅撰した『[[新古今和歌集]]』を京より運ばせる。和歌集はいまだ披露されていなかったが、和歌を好む実朝は、父の歌が入集すると聞くとしきりに見ることを望んだ。
[[建永]]元年([[1206年]])2月4日、北条義時の山荘に立ち寄り、[[北条泰時]]、[[東重胤]]、[[内藤知親]]らと歌会を催す。2月22日、[[従四位|従四位下]]へ昇り、10月20日には母の命により兄・頼家の次男である善哉を[[猶子]]とする。11月18日、歌会で近仕していた東重胤が数か月ぶりに鎌倉へ帰参する。実朝はかねてより和歌を送って重胤を召していたが、遅参したために蟄居させる。12月23日、重胤は義時の邸宅を訪れ、蟄居の悲嘆を述べる。義時は「凡そこの如き災いに遭うは、官仕の習いなり。但し詠歌を献らば定めて快然たらんかと」と述べ、重胤を伴って実朝の邸宅に赴き、重胤の詠歌を実朝に献じて重胤を庇った。実朝は重胤の歌を3回吟じると、門外で待つ重胤を召し、歌のことを尋ね許した。[[承元]]元年([[1207年]])1月5日、従四位上に叙せられる。
承元2年([[1208年]])2月、[[天然痘|疱瘡]]を患う。回復まで2か月かかった重症で、実朝はそれまで幾度も[[鶴岡八幡宮]]に参拝していたが、以後3年間は病の瘡痕を恥じて参拝を止めた。幕府の宗教的な象徴である鶴岡八幡宮への参拝は、将軍の公的行事の中でも最も重要なものの一つであり、その期間には将軍が[[箱根権現]]・[[伊豆山権現]]と[[三嶋大社]]に参詣し幕府の安泰を祈願する二所詣も行われていない。承元3年([[1209年]])4月から[[建暦]]2年([[1212年]])11月の間に書かれたと推定される[[慈円]]の書状には、その期間の実朝は籠居していたとあり、やはり同時期に書かれたと推定される別の慈円書状には幕府への相談先として実朝だけではなく義時・政子・広元の名が記されているため、実朝は疱瘡による精神的打撃から政務のほぼ全般を行い得なかったのではないかと推測する見解がある{{Sfn|山本みなみ|2020|pp=332–340}}{{Sfn|山本みなみ|2021|pp=168–184}}。同年、12月9日、[[正四位|正四位下]]に昇る。
承元3年([[1209年]])4月10日、[[従三位]]に叙せられ、5月26日には右近衛中将に任ぜられ、[[公卿]]となり[[政所]]を開設する資格を得、親裁権を行使し始める。朝廷は実朝を一貫して重んじ、征夷大将軍の本来相応しい官位へ近づけるべく若くして引き上げた。
この頃から幕府の下文が「鎌倉殿下文」から「政所下文」に変化する。7月5日、和歌30首の評を[[藤原定家]]に請う。8月13日、定家はこれに合点を加え、さらに「近代秀歌」として知られる詠歌口伝1巻を献じた。11月4日、弓馬のことを忘れてはいけないという義時の諫言で、小御所の東面の小庭で切的という的を射る競技が行われた。7日には弓の勝負の負方衆が課物を献上し、御所で酒宴が行われ、その際に義時と広元が実朝に「武芸を事となし、朝廷を警衛せしめ給ふは、関東長久の基なるべし」と述べている。14日、義時が郎従の中で功のある者を侍に準ずることを望む{{Efn|ここでいう「侍」とは、位階で言えば六位に相当する諸官衙の三等官を指し、御家人たちはこの身分に属していたが、[[北条氏]]の被官は御家人の家来にすぎず、「侍」身分とは区別される身分である。つまり、義時は自分の郎従だけを特別扱いして欲しいと望んだ。}}。実朝は許容せず、「然る如きの輩、子孫の時に及び定めて以往の由緒を忘れ、誤って幕府に参昇を企てんか。後難を招くべきの因縁なり。永く御免有るべからざる」と述べる{{Efn|しかし後世、北条氏の家人は[[御内人]]と呼ばれ、幕府で権勢を振るうこととなる。}}。
[[建暦]]元年([[1211年]])1月5日、[[正三位]]に昇り、18日に[[美作国|美作権守]]を兼ねる。2月22日、承元2年(1208年)以来3年ぶりに鶴岡八幡宮に参拝する。9月15日、猶子に迎えていた善哉は出家して[[公暁]]と号し、22日には[[受戒]]のため上洛した。
建暦2年([[1212年]])3月1日、「旬の蹴鞠」を始めたいという実朝の意向により「幕府御鞠始」を行う。実朝の[[蹴鞠]]記事は頼朝に比べ格段に少なく、恐らく4年前の承元2年に「承元御鞠」を催した後鳥羽を範としたものである。6月7日、[[侍所]]において宿直の御家人が闘乱を起こし、2名の死者が出る。7月2日、実朝は侍所の破却と新造を望み、不要との声を許容せず、[[千葉成胤]]に造進を命じる。12月10日、[[従二位]]に昇る。この頃しばしば幕府において歌会を催し、御家人との結びつきを固める(承元4年11月、建暦3年2月など)。特にしばしば泰時が伺候していることが注目される。
また、前記の慈円書状によると、この頃に実朝上洛の風聞が慈円の耳に達している。『[[沙石集]]』にも、時期は不明だが実朝が上洛を望み、評議が開かれたが、[[八田知家]]の反対により断念したという話が載せられている{{Sfn|山本みなみ|2021|pp=168–184}}。
=== 和田合戦 ===
建暦3年([[1213年]])2月16日、御家人らの謀反が露顕する。頼家の遺児([[栄実]])を大将軍とし義時を討とうという、2年前からの企てであり、加わった者が捕らえられる([[泉親衡の乱]])。その中には侍所別当を務める和田義盛の子である[[和田義直|義直]]と[[和田義重|義重]]らもあった。20日、囚人である[[薗田成朝]]の逃亡が明らかとなる。実朝は成朝が受領を所望していたことを聞くと、かえって「早くこれを尋ね出し恩赦有るべき」と述べる。26日、死罪を命じられた[[渋河兼守]]が詠んだ和歌を見ると過を宥めた。27日に謀反人の多くは配流に処した。同日、[[正二位]]に昇る。3月8日、和田義盛が御所に参じ対面する。実朝は義盛の功労を考え、義直と義重の罪を許した。9日、義盛は一族を率いて再び御所に参じ、甥である[[和田胤長|胤長]]の許しを請うが、実朝は胤長が張本として許容せず、それを伝えた北条義時は和田一族の前に面縛した胤長を晒した。
4月、義盛の謀反が聞こえ始める。5月2日朝、兵を挙げる。義時はそれを聞くと幕府に参じ、政子と実朝の妻を八幡宮に逃れさせた。[[酉]]の刻、義盛の兵は幕府を囲み、御所に火を放つ。ここで実朝は火災を逃れ、頼朝の墓所である[[白旗神社 (鎌倉市西御門)|法華堂]]に入った。戦いは3日に入っても終わらず、実朝の下に「多勢の恃み有るに似たりといえども、更に凶徒の武勇を敗り難し。重ねて賢慮を廻らさるべきか」との報告が届く。驚いた実朝は[[政所]]にあった大江広元を召すと、願書を書かせそれに自筆で和歌を2首加え、八幡宮に奉じる。酉の刻に義盛は討たれ、合戦は終わった。5日、実朝は御所に戻ると、侍所別当の後任に義時を任じ、その他の勲功の賞も行った([[和田合戦]])。
9月19日、日光に住む[[畠山重忠]]の末子・[[畠山重慶|重慶]]が謀反を企てるとの報が届く。実朝は[[長沼宗政]]に生け捕りを命じるが、21日、宗政は重慶の首を斬り帰参した。実朝は「重忠は罪無く誅をこうむった。その末子が隠謀を企んで何の不思議が有ろうか。命じた通りにまずその身を生け捕り参れば、ここで沙汰を定めるのに、命を奪ってしまった。粗忽の儀が罪である」と述べると嘆息し、宗政の出仕を止める。それ伝え聞いた宗政は眼を怒らし「この件は叛逆の企てに疑い無し。生け捕って参れば、女等の申し出によって必ず許しの沙汰が有ると考え、首を梟した。今後このような事があれば、忠節を軽んじて誰が困ろうか」と述べた。閏9月16日、兄・[[小山朝政]]の申請により実朝は宗政を許す。11月10日、頼家の遺児が政子の命により御所で出家する(法名は栄実)。23日、藤原定家より相伝の『[[万葉集]]』が届く。広元よりこれを受け取ると「これに過ぎる重宝があろうか」と述べ賞玩する。同日、仲介を行った[[飛鳥井雅経]]がかねてより訴えていた[[伊勢国]]の地頭の非儀を止めさせる。建暦3年12月の奥書のある『[[金槐和歌集]]』はこの頃にまとめられたと考えられている。
[[建保]]2年([[1214年]])5月7日、[[延暦寺]]に焼かれた[[園城寺]]の再建を沙汰する。6月3日、諸国は[[旱魃]]に愁いており、実朝は降雨を祈り[[法華経]]を転読する。5日、雨が降る。13日、関東の御領の年貢を3分の2に免ずる。11月13日、京で義盛らの残党が、[[明菴栄西|栄西]]のもとで僧となっていた栄実を擁して謀反を企んだとの噂があったため、広元の在京する家人が栄実や義盛残党のいる一条北辺の旅亭を襲撃し、栄実は自害した。また同年には、栄西より『喫茶養生記』を献上される。栄西は翌年に病で亡くなるが、[[大江親広]]が実朝の使者として見舞った。
=== 渡宋計画 ===
建保4年([[1216年]])3月5日、政子の命により実朝室が頼家の娘(後の[[竹御所]])を猶子に迎える。4月、政所別当が5人から9人に増員される{{Efn|それまでは北条義時・時房・大江親広の3人が固定で、[[中原師俊]]・[[中原仲業|仲業]]・[[二階堂行光]]ら吏僚の中から2人が加わっていたが、さらに大江広元・[[源仲章]]・[[源頼茂]]・[[大内惟信]]が新たに加わった。}}。5月20日、1首の和歌と共に恩賞の少なさを愁いた[[紀康綱]]に[[備中国]]の領地を与える。詠歌に感じた故という。
6月8日、[[東大寺]]大仏の再建を行った[[南宋|宋]]人の僧・[[陳和卿]]が鎌倉に参着し「当将軍は権化の再誕なり。恩顔を拝せんが為に参上を企てる」と述べる。15日、御所で対面すると、陳和卿は実朝を3度拝み泣いた。実朝が不審を感じると、陳和卿は「貴客は昔[[宋 (王朝)|宋朝]]医王山の長老たり。時に我その門弟に列す。」と述べる。実朝はかつて夢に現れた高僧が同じことを述べ、その夢を他言していなかったことから、陳和卿の言を信じた。
6月20日、[[中納言|権中納言]]に任ぜられ、7月21日、左近衛中将を兼ねる。9月18日、北条義時と大江広元は密談し、実朝の昇進の早さを憂慮する。20日、広元は義時の使いと称し、御所を訪れて「御子孫の繁栄の為に、御当官等を辞しただ征夷大将軍として、しばらく御高年に及び、大将を兼ね給うべきか」と諫めた。実朝は「諌めの趣もっともといえども、源氏の正統この時に縮まり、子孫はこれを継ぐべからず。しかればあくまで官職を帯し、家名を挙げんと欲す」と答える。広元は再び是非をいわずに退出し、それを義時に伝えた{{Efn|[[上横手雅敬]]や[[河内祥輔]]は、この会話を実朝が男子誕生を断念してしかるべき家から後継者を求める意思を示し、義時にその伝言を求めたとする解釈を採る。}}。
11月24日、前世の居所と信じる宋の医王山を拝すために渡宋を思い立ち、陳和卿に唐船の建造を命じる。義時と広元はしきりにそれを諌めたが、実朝は許容しなかった。建保5年([[1217年]])4月17日、完成した唐船を[[由比ヶ浜]]から海に向かって曳かせるが、船は浮かばずそのまま砂浜に朽ち損じた。なお、宋への関心からか、実朝は宋の能仁寺より[[仏舎利]]を請来しており、[[円覚寺]]の舎利殿に祀られている。また渡宋を命じられた[[葛山景倫]]は、後に実朝のために[[興国寺 (和歌山県由良町)|興国寺]]を建立したという。
=== 最期 ===
[[File:源実朝.jpg|thumb|源実朝([[天子摂関御影]]収録)]]
建保5年([[1217年]])6月20日、園城寺で学んでいた[[公暁]]が鎌倉に帰着し、政子の命により[[鶴岡八幡宮]]の別当に就く。この年、右大将の地位を巡って[[西園寺公経]]と[[大炊御門師経]]が争い、公経が[[後鳥羽天皇|後鳥羽上皇]]の怒りを買った際に、実朝が遠縁である公経のために取りなした。上皇は内心これを快く思わず、実朝と上皇の間に隙が生じたまま改善されなかったとする見方がある{{Sfn|上横手雅敬|2006|p={{要ページ番号|date=2022年9月}}}}{{Sfn|山岡瞳|2019|pp=96–97}}。
[[ファイル:Large ginkgo in Tsurugaoka-hachimangu Shrine.jpg|thumb|200px|鶴岡八幡宮の大銀杏(倒壊前)]]
建保6年([[1218年]])1月13日、[[大納言|権大納言]]に任ぜられる。2月10日、実朝は右大将への任官を求め使者を京に遣わすが、やはり必ず左大将を求めよと命を改める。右大将はかつて父が補任された職で、左大将はその上位である。同月、政子が病がちな実朝の平癒を願って熊野を参詣する。政子は京で[[後鳥羽天皇|後鳥羽上皇]]の乳母の卿局([[藤原兼子]])と対面したが、『[[愚管抄]]』によればこの際に実朝の後継として後鳥羽上皇の皇子を東下させることを政子と卿局が相談した。卿局は養育していた[[頼仁親王]]を推して、2人の間で約束が交わされたという。3月16日、実朝は[[近衛大将|左近衛大将]]と[[馬寮|左馬寮御監]]を兼ねる。10月9日、[[内大臣]]を兼ね、12月2日、[[九条良輔]]の薨去により[[右大臣]]へ転ずる。[[武士]]としては初めての右大臣であった。21日、昇任を祝う翌年の鶴岡八幡宮拝賀のため、装束や車などが後鳥羽上皇より贈られる。26日、随兵の沙汰を行う。
建保7年([[1219年]])1月27日、雪が2[[尺]]ほど積もる日に八幡宮拝賀を迎えた。夜になり神拝を終え退出の最中、「親の敵はかく討つぞ」と叫ぶ公暁に襲われ、実朝は落命した。[[享年]]28(満26歳没)。『愚管抄』によると次に公暁の一味の3~4人の法師が源仲章を斬り殺したが、これは北条義時と誤ったものだという。『[[吾妻鏡]]』によれば、義時は御所を発し八幡宮の楼門に至ると体調の不良を訴え、太刀持ちを仲章に譲り自邸に戻ったとある。一方で『愚管抄』によれば、義時は実朝の命により太刀を捧げて中門に留まっており、儀式の行われた本宮には同行しなかったとある{{Efn|義時が目の前で発生した将軍殺害を防げなかった失態を隠蔽するため、現場にいなかったと『吾妻鏡』が曲筆したのではないかとする説がある<ref>[[平泉隆房]]「『吾妻鏡』源実朝暗殺記事について」『皇学館論叢』133号、1990年</ref>。}}。実朝の[[首級|首]]は持ち去られ、公暁は食事の間も手放さなかったという。同日、公暁は討手に誅された。
『吾妻鏡』によると、予見があったのか、出発の際に大江広元は涙を流し「成人後は未だ泣く事を知らず。しかるに今近くに在ると落涙禁じがたし。これ只事に非ず。御束帯の下に[[腹巻]]を着け給うべし」と述べたが、仲章は「大臣大将に昇る人に未だその例は有らず」と答え止めた。また整髪を行う者に、記念と称して髪を1本与えている。庭の梅を見て詠んだと伝わる辞世の和歌は、「出でいなば 主なき宿と 成ぬとも 軒端の梅よ 春をわするな」で「禁忌の和歌」と評される{{Efn|この歌は『吾妻鑑』以外には『[[六代勝事記]]』にしか見えず、[[菅原道真]]の「東風吹かば にほひおこせよ 梅の花 主なしとて 春を忘るな」に類似する。これらの点から、実朝は梅の歌をしばしば詠むのを知っていた『六代勝事記』の作者が、歌人としての実朝を悼み、急速に右大臣になった実朝と道真を重ね合わせて代作し、『六代勝事記』を原史料として用いた『吾妻鑑』が惨劇の予兆としてあえて取り込んだ歌とする説もある{{Sfn|坂井孝一|2014|pp=261-264}}。}}。落命の場は八幡宮の石段とも石橋ともいわれ、また大銀杏に公暁が隠れていたとも伝わる{{Efn|大銀杏については『吾妻鑑』に記載がなく後世の創作とする説もある。}}。『[[承久記]]』によると、一の太刀は[[笏]]に合わせたが、次の太刀で切られ、最期は「広元やある」と述べ落命したという。
公暁による暗殺については、実朝を除こうとした「黒幕」によって実朝が父(頼家)の敵であると吹き込まれたためだとする説がある。ただし、その黒幕の正体については北条義時{{Efn|北条義時黒幕説は古くは[[新井白石]]が『[[読史余論]]』で唱えており、代表的なものとして[[龍粛]]{{Sfn|龍粛|1957|p={{要ページ番号|date=2022年9月}}}}、[[安田元久]]{{Sfn|安田元久|1961|p={{要ページ番号|date=2022年9月}}}}などがいる。}}、[[三浦義村]]{{Efn|三浦義村黒幕説は1964年に[[永井路子]]が小説『[[炎環]]』で描いて以来注目され、[[石井進]]がその可能性を認め{{Sfn|石井進|1965|p={{要ページ番号|date=2022年9月}}}}、[[大山喬平]]{{Sfn|大山喬平|1974|p={{要ページ番号|date=2022年9月}}}}、[[上横手雅敬]]{{Sfn|上横手雅敬|1990|p={{要ページ番号|date=2022年9月}}}}、[[美川圭]]{{Sfn|美川圭|2006|p={{要ページ番号|date=2022年9月}}}}などが支持している。}}、北条・三浦ら鎌倉御家人の共謀{{Efn|北条・三浦ら鎌倉御家人共謀説は[[五味文彦]]{{Sfn|五味文彦|1979|p={{要ページ番号|date=2022年9月}}}}が唱え、[[本郷和人]]{{Sfn|本郷和人|2019|p={{要ページ番号|date=2022年9月}}}}が支持している。}}、後鳥羽上皇{{Efn|後鳥羽上皇黒幕説は[[谷昇 (学者)|谷昇]]が提唱している{{Sfn|谷昇|2005|p={{要ページ番号|date=2022年9月}}}}。}}など諸説ある。またそれらの背後関係よりも、公暁個人が野心家で実朝の跡目としての将軍就任を狙ったところにこの事件の最も大きな要因を求める見解もあり、近年では黒幕説を否定して公暁単独犯行説を取る研究者が多い{{Efn|公暁単独犯行説を取っているのは、[[山本幸司]]{{Sfn|山本幸司|2001|p={{要ページ番号|date=2022年9月}}}}、[[永井晋]]{{Sfn|永井晋|2010|p={{要ページ番号|date=2022年9月}}}}、[[坂井孝一]]{{Sfn|坂井孝一|2014|p={{要ページ番号|date=2022年9月}}}}、[[高橋秀樹]]{{Sfn|高橋秀樹|2015|p={{要ページ番号|date=2022年9月}}}}、[[矢代仁]]{{Sfn|矢代仁|2015|p={{要ページ番号|date=2022年9月}}}}、[[呉座勇一]]{{Sfn|呉座勇一|2021}}、[[山本みなみ]]{{Sfn|山本みなみ|2021}}など。}}。
28日、妻は落餝し、御家人百余名{{Efn|[[大江親広]]、[[大江時広]]、[[中原季時]]、[[安達景盛]]、[[二階堂行村]]、[[加藤景廉]]、以下百余名。}}が出家する。『吾妻鏡』によると亡骸は[[勝長寿院]]に葬られたが首は見つからず、代わりに記念に与えた髪を入棺したとあるが、『愚管抄』には首は岡山の雪の中から見つかったとある。実朝には子がなく、幕府は実朝の後継として[[摂関家]]の[[藤原頼経|三寅(九条頼経)]]を迎えたため、[[源氏将軍]]および初代[[源頼信]]から続く[[武家の棟梁]]を継ぐ河内源氏嫡流の血筋は断絶した。
==== 右大臣拝賀式参列者 ====
『吾妻鏡』によれば、建保7年(1219年)鶴岡八幡宮での実朝暗殺時に随行した主な人物は以下の通りである。
; 主な参列者
{{columns-list|4|
*[[一条能氏]]
*[[一条実雅]]
*[[源頼茂]]
*[[一条信能]]
*[[一条頼氏]]
*[[一条能継]]
*[[源仲章]]
*[[中原季時]]
*[[美作朝親]]
*[[長井時広]]
*[[足利義氏 (足利家3代目当主)|足利義氏]]
*[[北条時房]]
*[[大江親広]]
*[[北条義時]]
*[[大内惟義]]
*[[小笠原長清]]
*[[武田信光]]
*[[森頼定]]
*[[二階堂基行]]
*[[北条泰時]]
*[[安達景盛]]
*[[三浦朝村]]
*[[河越重時]]
*[[加藤景廉]]
*[[佐々木義清]]
*[[坊門忠信]]
*[[西園寺実氏]]
*[[藤原国通]]
*[[平光盛]]
*[[難波宗長]]
*[[加藤光員]]
*[[二階堂行村]]
*[[葛西清重]]
}}
== 年表 ==
* 年月日は出典が用いる暦。
* 西暦は元日を旧暦に変更している。
{| class=wikitable "
|-
![[和暦]]
!西暦
!月日
!内容
!出典
|-
|[[建久]]3年
|[[1192年]]
|8月9日
|出生([[数え年]]1歳)
|[[吾妻鏡]]
|-
|rowspan=3|[[建仁]]3年
|rowspan=3|[[1203年]]
|9月7日
|[[従五位|従五位下]]に叙し、[[征夷大将軍]]宣下(12歳)
|吾妻鏡
|-
|10月8日
|元服
|吾妻鏡
|-
|10月24日
|[[兵衛府|右兵衛佐]]に任官
|吾妻鏡
|-
|rowspan=1|[[元久]]元年
|rowspan=1|[[1204年]]
|7月18日
|兄・[[源頼家]]薨去(13歳)
|吾妻鏡等
|-
|rowspan=5|元久2年
|rowspan=5|[[1205年]]
|1月5日
|従五位上に昇叙し、右兵衛佐如元(14歳)
|明月記
|-
|1月29日
|[[近衛府|右近衛権中将]]に転任し、[[加賀国|加賀介]]を兼任
|明月記
|-
|6月
|[[畠山重忠の乱]]
|吾妻鏡
|-
|閏7月
|[[牧氏事件]]
|吾妻鏡
|-
|9月7日
|披露前の[[新古今和歌集]]を京より運ばせる
|吾妻鏡
|-
|rowspan=2|[[建永]]元年
|rowspan=2|[[1206年]]
|2月22日
|[[従四位|従四位下]]に昇叙し、右近衛権中将・加賀介如元(15歳)
|吾妻鏡
|-
|10月20日
|頼家の次男・善哉(後の[[公暁]])を[[猶子]]とする
|吾妻鏡
|-
|[[承元]]元年
|[[1207年]]
|1月5日
|従四位上に昇叙し、右近衛権中将・加賀介如元(16歳)
|吾妻鏡
|-
|rowspan=2|承元2年
|rowspan=2|[[1208年]]
|2月
|[[天然痘|疱瘡]]を患う(17歳)
|吾妻鏡
|-
|12月9日
|[[正四位|正四位下]]に昇叙し、右近衛権中将・加賀介如元
|吾妻鏡
|-
|rowspan=2|承元3年
|rowspan=2|[[1209年]]
|4月10日
|[[従三位]]に昇叙(18歳)
|吾妻鏡
|-
|5月26日
|右近衛中将に任官
|吾妻鏡
|-
|rowspan=2|[[建暦]]元年
|rowspan=2|[[1211年]]
|1月5日
|[[正三位]]に昇叙し、右近衛中将如元(20歳)
|吾妻鏡
|-
|1月18日
|[[美作国|美作権守]]を兼任
|吾妻鏡
|-
|建暦2年
|[[1212年]]
|12月10日
|[[従二位]]に昇叙し、右近衛中将・美作権守如元(21歳)
|吾妻鏡
|-
|rowspan=3|[[建保]]元年
|rowspan=3|[[1213年]]
|2月27日
|[[正二位]]に昇叙し、右近衛中将・美作権守如元(22歳)
|吾妻鏡
|-
|5月
|[[和田合戦]]
|吾妻鏡
|-
|
|[[金槐和歌集]]を纏める
|同集定家所伝本奥書
|-
|rowspan=4|建保4年
|rowspan=4|[[1216年]]
|3月5日
|頼家の娘(後の[[竹御所]])を猶子とする(25歳)
|吾妻鏡
|-
|6月20日
|[[中納言|権中納言]]に転任
|吾妻鏡
|-
|7月21日
|左近衛中将兼任
|吾妻鏡
|-
|9月20日
|[[大江広元]]より昇進を諌められる
|吾妻鏡
|-
|建保5年
|[[1217年]]
|4月17日
|陳和卿に造らせた船を海に出すが沈む(26歳)
|吾妻鏡
|-
|rowspan=4|建保6年
|rowspan=4|[[1218年]]
|1月13日
|[[大納言|権大納言]]に転任(27歳)
|吾妻鏡
|-
|3月6日
|[[近衛大将|左近衛大将]]と[[馬寮|左馬寮御監]]を兼任
|吾妻鏡
|-
|10月9日
|[[内大臣]]に転任。左近衛大将・左馬寮御監如元。
|吾妻鏡
|-
|12月2日
|[[右大臣]]に転任。左近衛大将・左馬寮御監如元。
|吾妻鏡
|-
|建保7年
|[[1219年]]
|1月27日
|[[鶴岡八幡宮]]で公暁に襲われ落命([[享年]]28/満26歳没)
|吾妻鏡、[[愚管抄]]、[[承久記]]
|}
== 祭祀 ==
* 胴体の墓は、[[寿福寺]]境内に掘られた[[やぐら]]の内に石層塔が設けられている。寿福寺は[[源義朝]]邸宅跡に建てられた寺院であり、実朝の墓の隣には母・政子の墓がある。
* 首は、逃亡する公暁を追っていた[[武常晴]]が見つけ、現在の[[神奈川県]][[秦野市]]に塚を造り[[五輪塔]]を建てて葬ったとされる。塚は現存しており、[[金剛寺 (秦野市)#文化財|御首塚(みしるしづか)]]と呼ばれる。また、塚に近接する[[金剛寺 (秦野市)|大聖山金剛寺]]には、「実朝が生前礼拝した[[念持仏]]」とされる[[阿弥陀三尊]]像や実朝の坐像が伝えられている。
* [[高野山]]には政子の発願により、実朝の菩提を弔うために創建された[[金剛三昧院]]がある。
* [[鶴岡八幡宮]]境内の[[白旗神社]]に頼朝と共に祀られ、[[明治]]になり白旗神社境内に改めて柳営社が建てられ祀られた。八幡宮では実朝の誕生日である8月9日に実朝祭が行われている。
* [[中野区]][[上高田]]にある[[金剛寺 (中野区)|金剛寺]]は波多野中務大輔忠経が源実朝の為に建長2年(1250)相州波多野に創建、江戸下野入道心佛が江戸小日向郷金杉村へ移転、文明年中(1469-1486)に太田道灌が再興、丸ノ内線開線に伴い現地に移転、なお寺には源実朝位牌・太田道灌位牌木像安置してあったが空襲により焼失。
<gallery>
画像:源実朝墓所.jpg|寿福寺境内墓所
画像:Sanetomo kubizuka.JPG|秦野市の御首塚
画像:鶴岡八幡宮境内白旗神社.JPG|白旗神社
File:金剛寺.jpg|中野区上高田の金剛寺
</gallery>
== 和歌 ==
[[File:Hyakuninisshu 093.jpg|thumb|240px|世の中は つねにもがもな なぎさこぐ あまの小舟の 綱手かなしも<br>鎌倉右大臣]]
[[ファイル:実朝5344.jpg|thumb|240px|源実朝歌碑、鴨川畔、京都市左京区下堤町]]
『[[金槐和歌集]]』定家所伝本に663首(貞亨本では719首)の和歌が収められている。[[万葉集|万葉]]風の和歌もあるが、大半は『[[古今和歌集]]』や『[[新古今和歌集]]』の模倣の域を出ないとされている。しかし少数ながら、時代の水準を大きく超える独創的な和歌を残しており、その生涯と相まって「悲劇の天才歌人」というイメージを与えている。
和歌の師である藤原定家は『[[新勅撰和歌集]]』に実朝の和歌を25首入集させており(同集の入集数第6位)、『[[小倉百人一首]]』に
:世の中は つねにもがもな なぎさこぐ あまの小舟の 綱手かなしも
を選んでいる。以後、勅撰和歌集に合計92首入集しており、『愚見抄』『愚秘抄』などの定家に仮託された歌論書でも人麻呂・赤人に匹敵する歌人とされている{{Efn|『日本歌学大系』第四巻に収録された『愚見抄』に「鎌倉右府の歌ざま、おそらくは人麿、赤人をもはぢ難く、当た世不相応の達者とぞ覚え侍る(360頁)」、『愚秘抄』に「鎌倉右大臣公の詠作は、まことに凡慮の及ぶべきさかひにもあらざるかと、ゆゆしくぞ覚え侍る。柿本、山辺の再誕とは是をや申すべく侍らん。(294頁)」とある。}}ことから、中世においても、京都の中央歌壇で活動することがなかった歌人としては相当に高い評価を受けていたと見られる。
近世になると、[[松尾芭蕉]]が弟子の木節に「中頃の歌人は誰なるや」と問われ、言下に「[[西行]]と鎌倉右大臣ならん」と答えたという{{Efn|『俳諧一葉集』の言葉。小林秀雄「実朝」の冒頭に同文が引用されている。}}。[[賀茂真淵]]は『金槐和歌集』の貞享本を校訂したときの付言に、その万葉風の和歌を「大空に翔ける龍の如く勢いあり」などと絶賛し、各和歌に付した評語の中では、特に
:もののふの 矢なみつくろふ 小手の上に 霰たばしる 那須の篠原
を「人麿のよめらん勢ひなり」と激賞している{{Sfn|鎌田五郎|1983|p={{要ページ番号|date=2022年9月}}}}。
明治時代には、[[正岡子規]]を中心に和歌革新運動が進められたが、その口火を切った評論「[[歌よみに与ふる書]]」は「仰せのごとく近来和歌は一向に振い申さず候。正直に申し候えば『万葉』以来、実朝以来、一向に振い申さず候」という文で始まっており、『万葉集』以後の第一人者とされている。この評価は[[アララギ派]]の歌人によって継承され、万葉風の歌人というイメージを定着させた。その中心となったのは[[斎藤茂吉]]であり、
:大海の 磯もとどろに よする浪 われて砕けて 裂けて散るかも
を「真に天然の無常相に観入した歌」と絶賛している{{Sfn|斎藤茂吉|1926|p={{要ページ番号|date=2022年9月}}}}。
昭和期には、[[小林秀雄 (批評家)|小林秀雄]]が「実朝」で、万葉風の歌人という評価の中では見落とされていた、
:流れ行く 木の葉のよどむ えにしあれば 暮れての後も 秋の久しき
のような作品に注目し、「無垢な魂の沈痛な調べが聞かれる」と評している。戦時中は『[[愛国百人一首]]』に、
:山は裂け 海はあせなむ 世なりとも 君にふた心 わがあらめやも
が収録され、愛国歌として大いにもてはやされた。
戦後には、[[吉本隆明]]が〈実朝的なもの〉を「暗い詩心ともいうべきものに帰せられる」とし、
:くれなゐの ちしほのまふり 山の端に 日の入るときの 空にぞありける
を「この種の絶品を生涯のうちに一首でももっている歌人は、歴史のなかでも数えるほどしかない」と激賞している{{Sfn|吉本隆明|1990|p={{要ページ番号|date=2022年9月}}}}。
== 評価 ==
; 『[[愚管抄]]』
: 実朝の同時代人である[[慈円]]は、暗殺された実朝について「又おろかに用心なくて、文の方ありける実朝は又大臣の大将けがしてけり。又跡もなくうせぬるなりけり」と記している。
; 『[[吾妻鏡]]』
: [[蹴鞠]]の書が京より送られたのを受け、「将軍家諸道を賞玩し給う中、殊に御意に叶うは、歌鞠の両芸なり」と記している。
; 長沼宗政
: 畠山重慶謀反の際に「当代は歌鞠を以て業と為し、武芸は廃るるに似たり。女性を以て宗と為し、勇士これ無きが如し。また没収の地は、勲功の族に充てられず。多く以て青女等に賜う」と述べている。
; 大江広元
: 昇任を急ぐ実朝を憂慮し、「今は先君の遺跡を継ぐばかりで、当代にさせる勲功は無く、諸国を管領し中納言中将に昇られる」と述べている。
; [[正岡子規]]
: 仰の如く近来[[和歌]]は一向に振ひ不申候。正直に申し候へば[[万葉集|万葉]]以来實朝以来一向に振ひ不申候。實朝といふ人は三十にも足らで、いざこれからといふ処にてあへなき最期を遂げられ誠に残念致し候。あの人をして今十年も活かして置いたならどんなに名歌を沢山残したかも知れ不申候。とにかくに第一流の歌人と存候。強ち[[柿本人麻呂|人丸]]・[[山部赤人|赤人]]の余唾を舐るでもなく、固より[[紀貫之|貫之]]・[[藤原定家|定家]]の糟粕をしやぶるでもなく、自己の本領屹然として山岳と高きを争ひ日月と光を競ふ処、実に畏るべく尊むべく、覚えず膝を屈するの思ひ有之候。古来凡庸の人と評し来りしは必ず誤なるべく、[[北条氏]]を憚りて韜晦せし人か、さらずば大器晩成の人なりしかと覚え候。人の上に立つ人にて文学技芸に達したらん者は、人間としては下等の地にをるが通例なれども、實朝は全く例外の人に相違無之候。何故と申すに實朝の歌はただ器用といふのではなく、力量あり見識あり威勢あり、時流に染まず世間に媚びざる処、例の物数奇連中や死に歌よみの公卿たちととても同日には論じがたく、人間として立派な見識のある人間ならでは、實朝の歌の如き力ある歌は詠みいでられまじく候。[[賀茂真淵|真淵]]は力を極めて實朝をほめた人なれども、真淵のほめ方はまだ足らぬやうに存候。真淵は實朝の歌の妙味の半面を知りて、他の半面を知らざりし故に可有之候<ref>正岡子規『[[歌よみに与ふる書]]』</ref>。
== 研究 ==
[[後鳥羽上皇]]は実朝に好意的であり、その昇進に便宜を図ったといわれている。その一方で、建永元年12月(1207年)に上皇が要求した[[備後国]]太田荘の[[地頭]]職停止要求を拒絶するなど、対朝廷の強硬態度を示しており{{Sfn|安田元久|1961|p=180}}、[[西園寺公経]]が右近衛大将を解任された折には、上皇の非を指摘してこれを諌めている。また、[[順徳天皇]]の[[蔵人]]に任じられた[[長井時広]]が鎌倉での職務を疎かにして京都に戻ろうとするのを「御家人でありながら鎌倉を軽んじている」とたしなめている<ref>『吾妻鏡』建保6年8月20日条。</ref>。父・頼朝は自分の娘を後鳥羽天皇(当時)の妃にしようとするなど幕府を固めるために朝廷の利用を考えていた面があり、上皇との接近はその継承とも解釈できる。後鳥羽から見れば、実朝中心の幕府であれば武士の臣従を前提とした公武融和路線が進められると見ていたが、実朝の死によりその路線の破綻は明らかになり、承久の乱につながったとも考えられる。
[[上横手雅敬]]以来、幕府と後鳥羽には継嗣のない実朝の後継として後鳥羽の皇子を将軍(宮将軍)として猶子に迎える密約があったことが指摘され、また急激な官位の昇進をそのための環境づくりの側面があったとする見方がある(形式上でも皇族の父親となる以上、大臣級の官位を必要とした。[[河内祥輔]]説)。だが、鎌倉幕府成立以後、武士階層が次第に政治力と自信をつけてくるにつれて、朝廷や貴族による支配を拒絶する態度をより明確にするようになり、その中核をなした[[御家人]]などからは極端な官位昇進などを朝廷重視の姿勢の現れであると見なされ、後の暗殺事件への伏線になったとの説もある。一方で[[元木泰雄]]は、[[源頼家|頼家]]・実朝は共に摂関家子弟クラスにしか許されていなかった「五位中将」となっていて、源氏将軍家は[[摂関家]]並みの家格が認められており、その点から見れば実朝の急速な官位上昇も摂関家子弟と比較すればごく普通なものであるとしている。
[[五味文彦]]は、実朝は承元3年(1209年)、18歳で政所開設とともに親裁権を行使し始めたとし、「実朝が直接の手本とした統治者は後鳥羽院だった。和歌・管弦に実朝が親しんだのもこの統治者の道にほかならなかった。」「頼朝・頼家・実朝と3代続いた源氏将軍は、否応なしに独裁の途を歩まねばならなかったのである。これに東国の有力御家人の北条氏らが強い反発を示したのは当然であろう。」としている{{Sfn|五味文彦|1979|p={{要ページ番号|date=2022年9月}}}}。また、「実朝の最も直接的な影響を与えたのは[[北条泰時]]であった。泰時は実朝より約十歳の年上で、頼朝の徳政に学び、実朝の徳政を支えてきたことから、その徳政の延長上で武家の法典「[[御成敗式目]]」(貞永式目)を制定した。(中略)武家政権は泰時の段階に定着したが、幕府草創を担った頼朝や、後鳥羽上皇が推進した政治と文化に学び、武家の政治と文化の礎を築いた意味において、実朝の存在はもっと高く評価されるべきであろう。」としている{{Sfn|五味文彦|2015|p={{要ページ番号|date=2022年9月}}}}。
実朝は実子がいなかったとされる。また『吾妻鏡』において、頼朝や頼家は正妻以外の女性関係に関するエピソードが紹介されていることに対し、実朝にはそれが皆無である。建保四年(1216年)の大江広元との会談の記載からも、実朝にはそもそも実子をもうけようとする意思が希薄であったことが読み取れる。[[坂井孝一]]は「それが精神的なものによるものか、肉体的・生物学的理由によるものかは不明である」とする{{Sfn|坂井孝一|2014|p=229}}。三木麻子は「実朝は日常の世界で女性と恋歌をやりとりする機会には恵まれなかったのではないだろうか」と推測している{{Sfn|三木麻子|2012|p=51}}。三田武繁は、「さらに想像をたくましくするならば」と書き添えたうえで、実朝は「精神的、もしくは肉体的な理由から、男性に対して強い感情をもつことはできるが、女性に対する恋愛感情は希薄で(中略)女性を性愛の対象とみることができない人間であった」と推測する。この理由として三田は、『吾妻鏡』において「恋慕」「恋し」と記載されて実朝が歌をしたためたエピソードが、いずれも男性に対して送った歌であることを挙げている{{Sfn|三田武繁|2017|p=18}}。いずれにせよ、実朝に実子をもうける意思がない、もしくは能力がないことは、幕府首脳陣には共有されていた可能性がある。
== 偏諱を与えた人物 ==
* [[北条朝時]](名越朝時)
* [[北条実泰]](金沢実泰)
* [[北条朝直]](大仏朝直)
* [[和田朝盛]]
* [[三浦朝村]]
* [[美作朝親]]
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Notelist}}
=== 出典 ===
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== 参考文献 ==
=== 書籍 ===
* {{Cite book|和書|author=斎藤茂吉|authorlink=斎藤茂吉|title=金槐集私鈔|publisher=春陽堂|year=1926|date=1926-05|ref=harv}}
* {{Cite book|和書|author=龍粛|authorlink=龍粛|title=鎌倉時代 下(京都)|publisher=春秋社|year=1957|ref=harv}}
* {{Cite book|和書|author=安田元久|authorlink=安田元久|title=北条義時|series=人物叢書|publisher=吉川弘文館|year=1961|ref=harv}}
* {{Cite book|和書|author=石井進|authorlink=石井進|title=鎌倉幕府|publisher=中央公論社|series=日本の歴史7|year=1965}}
* {{Cite book|和書|author=中野孝次|authorlink=中野孝次|title=実朝考 <small>ホモ・レリギオーズスの文学</small>|publisher=河出書房新社|year=1972|ref=harv}}
* {{Cite book|和書|author=大山喬平|authorlink=大山喬平|title=鎌倉幕府|publisher=小学館|series=日本の歴史9|year=1974|ref=harv}}
* {{Cite book|和書|author=吉本隆明 |authorlink=吉本隆明|title=源実朝|publisher=[[筑摩書房]]|series=[[ちくま文庫]]|year=1990|isbn=978-4-480-02376-6|ref=harv}}
* {{Cite book|和書|author=鎌田五郎|authorlink=鎌田五郎|title=金槐和歌集全評釈|publisher=風間書房|year=1983|date=1983-01|isbn=978-4-7599-0577-9|ref=harv}}
* {{Cite book|和書|author=上横手雅敬|authorlink=上横手雅敬|chapter=承久の乱|others=安田元久編|title=古文書の語る日本史3:鎌倉|publisher=筑摩書房|year=1990|isbn=|ref=harv}}
* {{Cite book|和書|author=山本幸司|authorlink=山本幸司|title=頼朝の天下草創|publisher=講談社|series=日本の歴史9|year=2001|isbn=|ref=harv}}
* {{Cite book|和書|author=北村拓|authorlink=北村拓|chapter=鎌倉幕府征夷大将軍の補任について|title=中世の史料と制度|others=[[今江廣道]]編|publisher=続群書類従完成会|year=2005|isbn=978-4-7971-0743-2|ref=harv}}
* {{Cite book|和書|author=美川圭|authorlink=美川圭|title=院政 <small>もうひとつの天皇制</small>|publisher=中央公論新社|series=中公新書|year=2006|isbn=|ref=harv}}
* {{Cite book|和書|author=永井晋|authorlink=永井晋|title=鎌倉源氏三代記 <small>一門・重臣と源家将軍</small>|publisher=吉川弘文館|year=2010|isbn=|ref=harv}}
* {{Cite book|和書|author=三木麻子|authorlink=三木麻子|title=源実朝|publisher=笠間書院|year=2012|isbn=|ref=harv}}
* {{Cite book|和書|author=坂井孝一|authorlink=坂井孝一|title=源実朝 <small>「東国王権」を夢見た将軍」</small>|publisher=講談社|series=講談社選書メチエ|date=2014-07|year=2014|isbn=978-4-06-258581-1|ref=harv}}
* {{Cite book|和書|author=五味文彦|authorlink=五味文彦|title=源実朝 <small>歌と身体からの歴史学</small>|publisher=角川学芸出版|series=角川選書|year=2015|isbn=|ref=harv}}
* {{Cite book|和書|author=高橋秀樹|authorlink=高橋秀樹|title=三浦一族の中世|publisher=吉川弘文館|year=2015|isbn=|ref=harv}}
* {{Cite book|和書|author=矢代仁|authorlink=矢代仁|title=公暁 <small>鎌倉殿になり損ねた男</small>|publisher=ブイツーソリューション|year=2015|isbn=|ref=harv}}
* {{Cite book|和書|author=山岡瞳|authorlink=山岡瞳|chapter=後鳥羽院と西園寺公経|title=承久の乱の構造と展開|others=[[野口実]]編|publisher=戎光祥出版|year=2019|isbn=|ref=harv}}
* {{Cite book|和書|author=本郷和人|authorlink=本郷和人|title=承久の乱 <small>日本史のターニングポイント</small>|publisher=文藝春秋社|series=文春新書|year=2019|isbn=|ref=harv}}
* {{Cite book|和書|author=山本みなみ|authorlink=山本みなみ|chapter=慈円書状を巡る諸問題|title=日本中世の政治と制度|others=[[元木泰雄]]編|publisher=吉川弘文館|year=2020|isbn=978-4-642-02966-7|ref=harv}}
* {{Cite book|和書|author=呉座勇一|authorlink=呉座勇一|title=頼朝と義時 <small>武家政権の誕生</small>|publisher=講談社|series=講談社現代新書|year=2021|isbn=|ref=harv}}
* {{Cite book|和書|author=山本みなみ|title=史伝 北条義時|publisher=小学館|year=2021|isbn=|ref=harv}}
=== 論文 ===
* {{Cite journal|和書|author=上横手雅敬|title=西園寺公経:理想なき現実主義政治家|journal=[[歴史と人物 (雑誌)|歴史と人物]]|issue=12月号|publisher=中央公論社|year=1974}}
** 所収:{{Cite book|和書|author=同|chapter=西園寺公経|title=鎌倉時代:その光と影|publisher=吉川弘文館|series=歴史文化セレクション|year=2006|isbn=|ref=harv}}
* 五味文彦「源実朝-将軍独裁の崩壊」『歴史公論』5巻3号、1979年。
* {{Cite journal|和書|author=谷昇|authorlink=谷昇 (学者)|title=承久の乱に至る後鳥羽上皇の政治課題:承久年中「修法群」の意味|journal=立命館文学|issue=588号|year=2005|ref=harv}}
* {{Cite journal|和書|author=三田武繁|authorlink=三田武繁|title=源実朝の「晩年」|journal=東海大学紀要. 文学部|issue=第108輯|year=2017|ref=harv}}
== 関連作品 ==
<!--[[Wikipedia:関連作品]]より「記事の対象が、大きな役割を担っている(主役、準主役、メインキャラクター、キーパーソン、メインレギュラー、メインライバル、メイン敵役、ラスボス等)わけではない作品」や未作成記事作品を追加しないで下さい。-->
; 伝記
* {{Cite book|和書|author=石川逸子|authorlink=石川逸子|title=われて砕けて|publisher=文芸書房|year=2005|isbn=9784894771857}}
; 小説
* [[太宰治]]『[[右大臣実朝]]』[[錦城出版社]]、1943年(『太宰治全集6』所収、[[ちくま文庫]]、1989年、ISBN 9784480022561)
* [[大佛次郎]]『源実朝』[[六興出版]]、1946年([[徳間書店|徳間文庫]]、1997年、ISBN 9784198907655。「婦人公論」1943年1-11月に連載。続編「からふね物語」が「新女苑」1945年1月-1946年3月に連載)
* [[永井路子]]『[[炎環]]』[[光風社]]、1964年([[文春文庫]]、1978年、ISBN 978-4-16-720003-9)、『北条政子』[[講談社]]、1969年([[角川文庫]]、文春文庫) - 実朝暗殺について、従来の定説であった「北条氏黒幕説」に対し「三浦氏黒幕説」を打ち出し、一部の歴史学者から「有力な説」と評価された。
* {{Cite book|和書|author=佐佐木幸綱|authorlink=佐佐木幸綱|title=乱世に死す|publisher=吉野教育図書|series=吉野ろまん新書|year=1981}}
* [[佐藤風人]]『源実朝の生涯』[[暁印書館]]、1988年([[文芸社]]、2006年、ISBN 9784286018065)
* {{Cite book|和書|author=津田さち子|authorlink=津田さち子|title=源頼朝|publisher=沖積舎|year=2002|isbn=978-4-8060-4080-4}}
* {{Cite book|和書|author=五車英男|authorlink=五車英男|title=天華舞う|publisher=文芸社|year=2004|isbn=978-4-8355-8530-7}}
* [[高橋直樹_(作家)|高橋直樹]]「源太の産衣」(『霊鬼頼朝』[[文藝春秋]]、2004年 所収)、ISBN 9784163233901
* {{Cite book|和書|author=佐藤雫|authorlink=佐藤雫|title=言の葉は、残りて|publisher=集英社|year=2020|isbn=978-4-08-771697-9}}
* {{Cite book|和書|author=伊東潤|authorlink=伊東潤|title=夜叉の都|publisher=文藝春秋|year=2021|isbn=978-4-16-391467-1}}
* [[周防柳]]『身もこがれつつ――小倉山の百人一首』中央公論新社、2021年。ISBN 978‐4‐12‐005447‐1
; テレビドラマ
* 『[[草燃える]]』(NHK大河ドラマ、1979年) - 演:[[篠田三郎]]
* 『[[鎌倉殿の13人]]』(NHK大河ドラマ、2022年) - 演:[[柿澤勇人]]
== 関連項目 ==
; 史料
* [[吾妻鏡]]
* [[愚管抄]]
; 家集
* [[金槐和歌集]]
== 外部リンク ==
* [http://www.tamagawa.ac.jp/SISETU/kyouken/kamakura/sanetomo/ 実朝さんの二つの供養塔が語るもの]
* [https://web.archive.org/web/20080617170006/http://www.pianoforte.co.jp/hadanosannsaku-4.htm 実朝首塚と金剛寺]
* [https://web.archive.org/web/20160304225541/http://www.ne.jp/asahi/kawaraban/sousyuu/page081.html 金剛寺の由緒]
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1219年
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== 他の紀年法 ==
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* [[干支]] : [[己卯]]
* [[元号一覧 (日本)|日本]]
** [[建保]]7年、[[承久]]元年[[4月12日 (旧暦)|4月12日]] -
** [[神武天皇即位紀元|皇紀]]1879年
* [[元号一覧 (中国)|中国]]
** [[南宋]] : [[嘉定 (南宋)|嘉定]]12年
** [[金 (王朝)|金]] : [[興定]]3年
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* 中国周辺
** [[西夏]]{{Sup|*}} : [[光定 (西夏)|光定]]9年
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* [[元号一覧 (ベトナム)|ベトナム]]
** [[李朝 (ベトナム)|李朝]] : [[建嘉]]9年
* [[仏滅紀元]] : 1761年 - 1762年
* [[ヒジュラ暦|イスラム暦]] : 615年 - 616年
* [[ユダヤ暦]] : 4979年 - 4980年
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== カレンダー ==
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== できごと ==
* [[2月13日]](建保7年[[1月27日 (旧暦)|1月27日]]) - [[鶴岡八幡宮]]で[[源実朝]]が甥の[[公暁]]に暗殺される
== 誕生 ==
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<!--世界的に著名な人物のみ項内に記入-->
* [[2月18日]](承久元年[[2月2日 (旧暦)|2月2日]]) - [[徹通義介]]、[[鎌倉時代]]中期の[[曹洞宗]]の[[僧]](+ [[1309年]])
* [[澄覚法親王]]、鎌倉時代の[[天台宗]][[三千院]]の[[門跡]](+ [[1289年]])
== 死去 ==
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<!--世界的に著名な人物のみ項内に記入-->
* [[2月13日]](建保7年[[1月27日 (旧暦)|1月27日]]) - [[源実朝]]、鎌倉幕府の第3代征夷大将軍、[[源頼朝]]の子(* [[1192年]])
* 2月13日(建保7年1月27日) - [[源仲章]]、[[平安時代]]、[[鎌倉時代]]の[[公家]]、[[儒学者]](* 生年未詳)
* 2月13日(建保7年1月27日) - [[公暁]]、鎌倉時代の[[僧]]、鎌倉幕府2代征夷大将軍[[源頼家]]の次男(* [[1200年]])
* [[2月27日]](建保7年[[2月11日 (旧暦)|2月11日]]) - [[阿野時元]]、平安時代、鎌倉時代の[[武将]](* 生年未詳)
* [[5月14日]] - [[ウィリアム・マーシャル (初代ペンブルック伯)|ウィリアム・マーシャル]]、[[イングランド王国|イングランド]]の[[騎士]]、[[ペンブルック伯爵]](* [[1146年]])
* [[8月24日]](承久元年[[7月13日 (旧暦)|7月13日]]) - [[源頼茂]]、鎌倉時代の武将、[[御家人]](* [[1179年]]?)
* [[10月17日]](承久元年[[9月8日 (旧暦)|9月8日]]) - [[二階堂行光]]、鎌倉時代の[[官僚]](* [[1164年]])
* [[高キ|高琪]]、[[金 (王朝)|金]]の[[女真]]貴族系の軍人(* 生年未詳)
* [[崔忠献]]、[[高麗]]王朝の重臣(* [[1149年]])
* [[ピエール2世・ド・クルトネー]]、[[ラテン帝国]][[ラテン皇帝一覧|皇帝]](在位:[[1216年]] - [[1217年]])(* [[1155年]])
* [[イナルチュク]]、[[ホラズム・シャー朝]]で[[オトラル]]の長官を務めた軍人(* 生年未詳)
<!-- == 脚注 ==
'''注釈'''
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'''出典'''
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== 参考文献 == -->
== 関連項目 ==
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* [[年の一覧]]
* [[年表]]
* [[年表一覧]]
<!-- == 外部リンク == -->
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17,680 |
イスラム世界
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イスラム世界(イスラムせかい)とは、イスラム教(イスラーム)とそれを信仰・実践する人々であるムスリム(イスラム教徒)が社会の中心に立って活動する地域を指し、イスラム法(シャリーア)の用語に言うダール・アル=イスラーム(「イスラムの家」)とほぼ等しい概念を意味する語である。歴史的な対象を指すのにしばしば使われるが、イスラム世界の中に法としてシャリーアを用いない国も少なくない現代を指しては、イスラム圏(イスラーム圏)、イスラム諸国などの言葉を用いることも多い。
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{{Islam}}
[[ファイル:Islam percent population in each nation World Map Muslim data by Pew Research.svg|400px|thumb|right|イスラム教徒の人口比(中東の非イスラム外国人を含まない)]]
[[Image:OIC countries map.png|thumb|[[イスラム協力機構]]加盟国|400px]]
'''イスラム世界'''(イスラムせかい)とは、[[イスラム教]](イスラーム)とそれを信仰・実践する人々である[[ムスリム]](イスラム教徒)が社会の中心に立って活動する地域を指し、イスラム法([[シャリーア]])の用語に言う'''ダール・アル=イスラーム'''(「イスラムの家」)とほぼ等しい概念を意味する語である。歴史的な対象を指すのにしばしば使われるが、イスラム世界の中に法としてシャリーアを用いない国も少なくない現代を指しては、'''イスラム圏'''(イスラーム圏)、'''イスラム諸国'''などの言葉を用いることも多い。
== イスラム教国 ==
'''イスラム教国'''とは、イスラム教に関連が深い国のことであり、以下のどちらかを指す。
# 国教がイスラム教である国、シャリーア(イスラーム法)を[[法 (法学)|法]]として実際に運用している国。この場合は[[イスラム国家]]と呼ばれることが多い。この定義では[[トルコ]]や[[アルバニア]]のような、人口の大多数がイスラム教徒であっても[[世俗主義]]を標榜する国家は入らない。
# イスラム教徒が人口の比較的多数を占め、国家の指導的立場、ヘゲモニーをイスラム教徒が握る国。ほぼすべてが[[イスラム協力機構]] (OIC) に加わっている。「[[ムスリム]]国家」とほぼ同義であり、「[[キリスト教]]国」「[[仏教]]国」「[[ヒンドゥー教]]国」などの言葉に対応する。
== イスラム世界に内包あるいは交差する地域概念 ==
; 地政学的概念
:* [[中東]]
:* [[近東]]
:* [[中近東]]
:* [[ペルシア湾]]岸
; 地理的概念
:* [[北アフリカ]]
:* [[西アフリカ]]
:* [[東アフリカ]]
:* [[西アジア]]
:* [[西南アジア]]
:* [[中央アジア]]
:* [[南アジア]]
:* [[東南アジア]]
; 文化的概念
:* [[アラブ世界]]
:* [[マグリブ]]
:* [[マシュリク]]
:* [[スワヒリ]]
:* [[大イラン|イラン世界]]
:* [[トルキスタン]]
:** [[西トルキスタン]]
:** [[東トルキスタン]]
; 個別地域
:* [[アンダルシア州|アンダルシア]]
:* [[ボスニア・ヘルツェゴビナ]]
:* [[アラビア半島]]
:** [[ヒジャーズ]]
:** [[ナジュド]]
:* [[歴史的シリア]]
:* [[アナトリア半島]]
:* [[バルカン半島]]
:* [[メソポタミア]]
:* [[イラン高原]]
:* [[ホラーサーン]]
:* [[ホラズム]]
:* [[マー・ワラー・アンナフル]]
:* [[フェルガナ盆地]]
:* [[パミール高原]]
:* [[タリム盆地]]
:* [[キプチャク草原]]
:** [[カザフ草原]]
:** [[南ロシア草原]]
:* [[クリミア半島|クリミア]]
:* [[カフカース|カフカス]]
== 関連文献 ==
* {{Citation| 和書
| author = [[イブン・ハルドゥーン]]
| title = 歴史序説
| translator = 森本公誠
| publisher = 岩波書店
| series = 岩波文庫
| year = 2001
| isbn =
}}
* {{Citation| 和書
| author = デヴィッド・ニコル
| title = イスラーム世界歴史地図
| translator = 清水和裕監
| publisher = 明石書店
| series =
| year = 2014
| isbn =
}}
* {{Citation| 和書
| first = 正
| last = 羽田
| author-link = 羽田正
| title = 〈イスラーム世界〉とは何か 「新しい世界史」を描く
| publisher = 講談社
| series = 講談社学術文庫
| year = 2021
| isbn =
}}
* {{Citation| 和書
| first =
| last =
| author-link =
| chapter =
| title = 記録と表象 史料が語るイスラーム世界
| editor = [[林佳世子]], [[桝屋友子]]
| publisher = 東京大学出版会
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| year = 2005
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}}
== 関連項目 ==
* [[イスラム教世界大学連合]]
* [[オレンブルク・ムスリム宗務局]] - [[18世紀]]に[[ロシア帝国]]で設立されたイスラム教組織
* [[ヒンメト]] - かつて存在したイスラム世界最初の[[社会民主主義]]組織で、ロシア帝国末期の[[アゼルバイジャン]]で誕生した
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狭心症
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狭心症(きょうしんしょう、angina pectoris)とは、虚血性心疾患の1つである。心筋へと酸素を供給している冠状動脈に何らかの異常が発生した結果、一過性に心筋の虚血が起こり、胸痛や胸部圧迫感などが現れる。なお、完全に冠動脈が閉塞、または著しい狭窄が起こり、心筋が壊死してしまった場合には心筋梗塞と呼ぶ。狭心症は可逆的だが、心筋梗塞は不可逆的である。狭心症を放置した場合に、心筋梗塞に発展する場合が有る。
一般的に狭心症は、心臓の冠状動脈にコレステロールなどによるプラークと呼ばれる固まりが形成され、血液の通り道が狭くなった結果として起こる。誘因としては高血圧、高脂血症、肥満、高尿酸血症、ストレス、性格などが考えられる。
これに対して冠攣縮型(異型)狭心症は、心臓の血管そのものが異常収縮を来たし、内腔が極度に狭くなってしまうために起こる。なお、微小血管狭心症は心臓内の微小血管の狭窄および攣縮によって起きた場合を指し、誘因としては閉経、喫煙などが考えられる。
狭心痛(締め付けられるような痛み、絞扼感や圧迫感)が、狭心症の主症状である。痛みは前胸部が最も多いものの、他の部位にも痛みを感ずる事も有る。例えば、心窩部から、頸部や左肩へ向かう放散痛などである。狭心症の発作による痛みは、大体15分以内に消失する。
狭心症の他の症状としては、例えば動悸・不整脈、呼吸困難、頭痛、嘔吐などが挙げられる。
胸の痛み、息切れ、汗、または吐き気に関連する顎の痛みは狭心症や心筋梗塞の症状である場合があるため、緊急の助けを求め、診断のためにすぐに緊急治療室に行く必要がある。これらの症状が出たり消えたりしても、すぐに医師に連絡する必要がある。
微小血管狭心症では、放散痛としてみぞおちや肩などの痛みとして感じられる事が有る。
など
どの狭心症にも生活習慣の改善として、禁煙、バランスの良い食事を摂ること、ストレスを解消すること、適度な運動をすること、ぬるめの風呂に浸かることなどが挙げられる。
異型狭心症(variant angina), 冠攣縮性狭心症(vasospastic angina; VSA)とも言う。また、夜間や早朝、朝方などの安静時に発作が起こる場合が多いため、安静狭心症(angina inversa)とも呼ばれる。日本人は欧米人に比べて多いとされている。原因となる誘発因子として、心身の疲労・ストレス、喫煙、怒責、寒冷な環境、過換気、女性ホルモン欠乏(更年期など)、飲酒などが挙げられる。副交感神経優位となった時に、冠動脈が攣縮・狭窄するために発生し易く、副交感神経が優位となる早朝(4時~6時)にとりわけ発作が多い。
微小血管狭心症(びしょうけっかんきょうしんしょう microvascular angina)には、次のような対症療法が行われる。
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狭心症とは、虚血性心疾患の1つである。心筋へと酸素を供給している冠状動脈に何らかの異常が発生した結果、一過性に心筋の虚血が起こり、胸痛や胸部圧迫感などが現れる。なお、完全に冠動脈が閉塞、または著しい狭窄が起こり、心筋が壊死してしまった場合には心筋梗塞と呼ぶ。狭心症は可逆的だが、心筋梗塞は不可逆的である。狭心症を放置した場合に、心筋梗塞に発展する場合が有る。
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'''狭心症'''(きょうしんしょう、''angina pectoris'')とは、[[虚血性心疾患]]の1つである。[[心筋]]へと[[酸素]]を供給している[[冠状動脈]]に何らかの異常が発生した結果、一過性に心筋の虚血が起こり、胸痛や胸部圧迫感などが現れる。なお、完全に冠動脈が閉塞、または著しい狭窄が起こり、心筋が壊死してしまった場合には[[心筋梗塞]]と呼ぶ。狭心症は可逆的だが、心筋梗塞は不可逆的である。狭心症を放置した場合に、心筋梗塞に発展する場合が有る。
== 分類 ==
=== 発症の誘因による分類 ===
; 労作性狭心症(angina of effort)
: 身体を動かした時に、症状が出る狭心症である。例えば、階段を上がったり、急いで歩いた時などに自覚症状が出易い。
; 安静時狭心症(angina at rest)
: 副交感神経が優位な、安静時に症状が出る狭心症である。運動やストレスなどに関わらずに起こる。
=== 発症機序による分類 ===
; 器質性狭心症(organic angina)
: 冠動脈の狭窄によって発生した、心筋の虚血である。
; 微小血管狭心症(microvascular angina)
: 心臓内の[[微小血管]]の狭窄及び攣縮によって発生した虚血である。患者の男女比が大きく、中でも[[更年期]]の女性に多く見られる症状であり、女性の場合は[[閉経]]により血管拡張作用を持つ[[エストロゲン]]減少との関連が示唆されている<ref>[https://www.jhf.or.jp/topics/2016/004291/ 微小血管狭心症をご存じですか。] 日本心臓財団 2016.9.20</ref>が、不明点も多い<ref>{{Cite journal|和書|url=https://doi.org/10.2169/naika.108.1883 |title=4.第2・第3の狭心症:冠攣縮性狭心症と微小血管狭心症 |author=下川宏明 |year=2019 |journal=日本内科学会雑誌 |volume=108 |issue=9 |pages=1883-1889 |doi=10.2169/naika.108.1883 |publisher=日本内科学会}}
</ref>。[[1980年代]]に発見された病態である。
; [[冠攣縮性狭心症]](vasospastic angina)
: 冠動脈の[[攣縮]](spasm)が原因の虚血である。
; 異型狭心症(ariant angina)
: 冠攣縮性狭心症の中で、[[心電図]]で[[心電図#ST変化|ST波が上昇]]している場合を言う。
=== 臨床経過による分類 ===
:出典:(AHA分類、1975年)
; 安定狭心症(stable angina)
: 最近3週間の症状や発作が、安定化している狭心症である。
; 不安定狭心症(unstable angina)
: 新たな症状が最近3週間以内に発症した場合や、次第に発作が増悪している狭心症である。これには薬の効き方が悪くなった場合も含まれる。不安定狭心症は心筋梗塞に移行し易いため、注意が必要である。近年では[[急性冠症候群]](Acute coronary syndrome)という概念が、これに近い。
== 原因 ==
一般的に狭心症は、心臓の冠状動脈に[[コレステロール]]などによる[[アテローム|プラーク]]と呼ばれる固まりが形成され、血液の通り道が狭くなった結果として起こる<ref name="cmedicalcenter.net">[http://cmedicalcenter.net/survey/%E7%8B%AD%E5%BF%83%E7%97%87/]</ref>。誘因としては[[高血圧]]、[[脂質異常症|高脂血症]]、[[肥満]]、[[高尿酸血症]]、[[ストレス (生体)|ストレス]]、性格などが考えられる。
これに対して冠攣縮型(異型)狭心症は、心臓の血管そのものが異常収縮を来たし、内腔が極度に狭くなってしまうために起こる。なお、微小血管狭心症は心臓内の微小血管の狭窄および攣縮によって起きた場合を指し、誘因としては[[閉経]]、[[喫煙]]などが考えられる。
== 症状 ==
狭心痛(締め付けられるような痛み、絞扼感や圧迫感)が、狭心症の主症状である。痛みは前胸部が最も多いものの、他の部位にも痛みを感ずる事も有る。例えば、心窩部から、頸部や左肩へ向かう[[放散痛]]などである。狭心症の発作による痛みは、大体15分以内に消失する。
狭心症の他の症状としては、例えば[[動悸]]・[[不整脈]]、[[呼吸困難]]、[[頭痛]]、[[嘔吐]]などが挙げられる。
胸の痛み、息切れ、汗、または吐き気に関連する顎の痛みは狭心症や心筋梗塞の症状である場合があるため、緊急の助けを求め、診断のためにすぐに緊急治療室に行く必要がある。これらの症状が出たり消えたりしても、すぐに医師に連絡する必要がある<ref>{{Cite web|title=Jaw, Gum, or Tooth Pain Triage|url=https://www.health.harvard.edu/tonyas_guide/jaw-gum-or-tooth-pain|website=Harvard Health|accessdate=2021-03-11|first=Harvard Health|last=Publishing}}</ref>。
微小血管狭心症では、[[放散痛]]として[[みぞおち]]や[[肩]]などの痛みとして感じられる事が有る<ref>[https://www.nhk.or.jp/kenko/atc_613.html 更年期女性に多い狭心症「微小血管狭心症」 原因不明の胸痛に注意] NHK健康チャンネル 2020年7月2日</ref>。
== 検査 ==
* [[心電図]]
: 一般的には発作時にST部の、上に向かい凸状の上昇または下降が見られる。典型的な場合、貫壁性虚血ではST部の上昇が、非貫壁性ではST部の下降が見られる<ref>{{Cite journal|和書|author=小菅雅美 |title=心筋虚血によるST,T波の変化とその特徴 |journal=レジデント |publisher=医学出版 |year=2014 |volume=7 |issue=3 |pages=40-46 |id={{国立国会図書館書誌ID|025822104}} |naid=40020216373 |url=https://search.jamas.or.jp/link/ui/2014124471}} {{要購読}}</ref>。しかし、対側性変化(ミラーイメージ)やSTに変化が見られない場合もある。
:: Wellens症候群は、不安定狭心症の中で、胸痛が消失した時に前胸部誘導でT波の心電図変化を示すもの。左前下行枝近位部の高度狭窄を示唆する<ref>{{Cite journal |author=De Zwaan, Chris; Bär, Frits WHM; Wellens, Hein JJ |year=1982 |title=Characteristic electrocardiographic pattern indicating a critical stenosis high in left anterior descending coronary artery in patients admitted because of impending myocardial infarction |journal=American heart journal |volume=103 |issue=4 |pages=730-736 |publisher=Elsevier |url=https://doi.org/10.1016/0002-8703(82)90480-x |PMID=6121481 |doi=10.1016/0002-8703(82)90480-x}}</ref><ref>{{Cite journal |author=de Zwaan, Chris; Bär, Frits W; Janssen, Johan HA; Cheriex, Emiel C; Dassen, Willem RM; Brugada, Pedro; Penn, Olaf CKM; Wellens, Hein JJ |year=1989 |title=Angiographic and clinical characteristics of patients with unstable angina showing an ECG pattern indicating critical narrowing of the proximal LAD coronary artery |journal=American heart journal |volume=117 |issue=3 |pages=657-665 |publisher=Elsevier |url=https://doi.org/10.1016/0002-8703(89)90742-4 |doi=10.1016/0002-8703(89)90742-4}}</ref>。不安定狭心症で入院した症例の14-18%でみられ、
::# V2・V3誘導で対称性の深い陰性T波(時にV1・V4・V5・V6誘導を含む)(76%)、
::# V2・V3誘導で二相性T波(24%)
:: の2つに分類される3)。
*ホルター心電図
{{see also|心電図#ホルター心電図}}
: 小型の心電図記録装置を、24時間携帯して検査を行う。例えば、安静時狭心症のように、昼間には発症し難い狭心症の検出に役立つ。
*運動負荷心電図
: 患者に運動をさせて、安静時と比べて心電図に変化が起こらないかを見る検査である。労作性狭心症の場合は、運動負荷によって心電図に変化が見られる。
* [[心臓核医学検査|心筋血流シンチグラフィ]]
: 人工的に作られた[[放射性同位体]]を使用する。血流が有る場所では信号が検出され、虚血部では信号が欠損する。冠動脈狭窄があっても、血流が維持されているかどうかが判定できる。使用される放射性同位体は<sup>201</sup>Tlや<sup>99m</sup>Tcであり、これを注射して検査するため、被験者は内部被曝する。また、放射性同位体の適切な管理なども求められるため、実施できる施設は限られる。
* [[心臓カテーテル検査|冠動脈造影]](coronary angiography:CAG)
: 検査でもあるが、引き続き[[経皮的冠動脈形成術]]を行う事もできる。冠攣縮性狭心症では[[エルゴノビン]]を用いた負荷試験ができるため、確定診断に有用である。
* 冠動脈造影CT
: [[コンピュータ断層撮影|CT]]と造影剤を併用して、冠動脈の形態を描出する検査である。64列マルチスライスCTによる冠動脈病変の描出は、[[感度]] 88%、[[特異度]] 96%、[[陽性的中率]] 79%、[[陰性的中率]] 98% との報告がある<ref>{{cite journal2|authors=Michèle Hamon; Rémy Morello; John W. Riddell; Martial Hamon |title=CCoronary arteries: diagnostic performance of 16-versus 64-section spiral CT compared with invasive coronary angiography—meta-analysis |journal=Radiology |volume=245 |issue=3 |year=2007 |pages=720-731 |doi=10.1148/radiol.2453061899 |url=https://doi.org/10.1148/radiol.2453061899}}</ref>。特異度が高く、スクリーニングにおける除外診断に有用と考えられている<ref>{{cite journal|authors=山科章ら |title=循環器病の診断と治療に関するガイドライン (2007-2008年度合同研究班報告) 冠動脈病変の非侵襲的診断法に関するガイドライン |journal=Circ J |volume=73 |issue=Suppl III |year=2009 |pages=1040-1043 |url=http://www.j-circ.or.jp/guideline/pdf/JCS2010_yamashina_h.pdf |format=PDF |accessdate=2016-1-15}}{{404|date=2023-05}}</ref>。非定型的な狭心症疑いの患者を対象にしたランダム化対照試験を行い、最初に冠動脈CT検査を行うと、カテーテル冠動脈造影の施行が減る上、入院期間も短縮できると報告されている<ref>{{Cite journal |author=Dewey, Marc and Rief, Matthias and Martus, Peter and Kendziora, Benjamin and Feger, Sarah and Dreger, Henryk and Priem, Sascha and Knebel, Fabian and Bohm, Marko and Schlattmann, Peter and others |year=2016 |title=Evaluation of computed tomography in patients with atypical angina or chest pain clinically referred for invasive coronary angiography: randomised controlled trial |journal=bmj |volume=355 |publisher=British Medical Journal Publishing Group |doi=10.1136/bmj.i5441 |url=https://doi.org/10.1136/bmj.i5441}}</ref>。
*血液検査
: [[トロポニンT]]、[[H-FABP]]、[[白血球]]、[[C反応性蛋白|CRP]]、[[クレアチンキナーゼ|クレアチニンキナーゼ]]、CKアイソザイム、[[アスパラギン酸アミノ基転移酵素|AST]]、[[乳酸脱水素酵素|LDH]]などは、[[心筋梗塞]]や不安定狭心症での鑑別に有用とされる。心筋壊死を伴わない場合は、いずれも上昇しない場合が多い。
* [[ペントラキシン]](PTX3)
: 炎症性蛋白であるが血管内皮で産生されており、血栓症と強い相関がある。心筋梗塞へ移行しつつある不安定狭心症の診断に有用と考えられている。
など
== 治療 ==
* どの形態の狭心症に対しても、共通して[[アセチルサリチル酸|アスピリン]]などの[[抗血小板剤]]の投与が検討される。[[高血圧]]などの危険因子のコントロールも重要である。なお[[喫煙]]も危険因子なので、患者には禁煙を徹底させる。
* [[血管拡張薬]]である、[[カルシウム拮抗薬]]・[[硝酸薬]]などが投与される。
* 心負荷を軽減させるため、[[βブロッカー]]も用いられる。
== 予防 ==
どの狭心症にも生活習慣の改善として、禁煙、バランスの良い食事を摂ること、ストレスを解消すること、適度な運動をすること、ぬるめの風呂に浸かることなどが挙げられる<ref name="cmedicalcenter.net"/>。
=== 労作性狭心症 ===
* 薬物療法
** 硝酸薬([[ニトログリセリン]]、[[硝酸イソソルビド]]等)
** [[交感神経β受容体遮断薬|β遮断薬]](冠動脈攣縮を伴わないものに限る)
** [[カルシウム拮抗剤|カルシウム拮抗薬]]
* [[経皮的冠動脈形成術]](PTCA、PCI)、[[冠動脈バイパス術]](CABG)など
=== 異型狭心症 ===
異型狭心症(variant angina), [[冠攣縮性狭心症]](vasospastic angina; VSA)とも言う<ref>{{cite journal|authors=小川久雄ら |title=冠攣縮性狭心症の診断と治療に関するガイドライン |journal=Circulation journal: official journal of the Japanese Circulation Society |volume=72 |year=2008 |pages=1195-1252 |url=http://www.j-circ.or.jp/guideline/pdf/JCS2008_ogawah_d.pdf |format=PDF |accessdate=2016-1-15}}</ref>。また、夜間や早朝、朝方などの安静時に発作が起こる場合が多いため、安静狭心症(angina inversa)とも呼ばれる。日本人は欧米人に比べて多いとされている<ref>{{cite journal|authors=Pristipino, Christian, et al. |title=Major racial differences in coronary constrictor response between Japanese and Caucasians with recent myocardial infarction |journal=Circulation |volume=101 |issue=10 |year=2000 |pages=1102-1108 |doi=10.1161/01.CIR.101.10.1102}}</ref>。原因となる誘発因子として、心身の疲労・ストレス、喫煙、怒責、寒冷な環境、過換気、女性ホルモン欠乏(更年期など)、[[飲酒]]などが挙げられる。[[副交感神経系|副交感神経]]優位となった時に、冠動脈が攣縮・狭窄するために発生し易く、副交感神経が優位となる早朝(4時~6時)にとりわけ発作が多い。
# 検査
#* [[CTスキャン]] - 冠動脈造影CTで責任狭窄病変が認められない。
#* [[ホルター心電図]]:体表面に[[電極]]を貼付し、24時間心電図を記録する<ref>http://plaza.umin.ac.jp/~utok-card/consultation/diseases/variant-angina</ref>。発作があれば記録される。
#* [[心臓超音波検査]](心エコー):心臓の大きさ、心筋の動き、弁の機能などを評価する。異型狭心症では異常が認められない。
#* [[心臓カテーテル検査]]:[[カテーテル]]で冠動脈を造影しながら[[アセチルコリン]]負荷や[[エルゴノビン]]負荷を行い、冠攣縮の誘発を確認する。
#* [[誘発試験]]:上記カテーテル検査で、冠動脈の痙攣を誘発する薬剤を直接冠動脈に注入し、症状、心電図変化、血管造影所見から診断する。
# 薬物療法
#* 器質的狭窄病変が見られない場合が多く、原則として薬物治療が行われる。
#* [[硝酸薬]]:発作時頓服薬としてしばしば処方される。また、持続製剤や貼付製剤は発作予防に使用される。
#* [[カルシウム拮抗剤]](calcium channel blocker)
#* [[スタチン]](Statin):本来、高コレステロール血症の治療薬であるが、継続投与(半年程度)することで冠スパズム予防に有効との報告がある。カルシウム拮抗薬と併用される場合がある<ref>{{cite journal|和書|author=泰江弘文, 山科章 |date=2005 |url=https://doi.org/10.11281/shinzo1969.37.11_955 |title=Meet the History 冠攣縮性狭心症の診断と治療 |journal=心臓 |ISSN=0586-4488 |publisher=Japan Heart Foundation |volume=37 |issue=11 |pages=955-966 |doi=10.11281/shinzo1969.37.11_955 |id={{CRID|1390001205491073664}} |accessdate=2023-05-11}}</ref>。
# 歴史
#* Myron Prinzmetal と[[和田敬]]によって<ref>Wada T. Basic and Advanced Visual Cardiology: Illustrated case report multi-media approach. Lea&Febiger, Philadelphia and London, 1991, p.436</ref>、1958年に新しい狭心症の概念として症例報告された。労作性狭心症の反対で安静時に胸痛・ST上昇が出現するため、当初は「angina pectoris inversa」と命名していた。後に「variant form of angina pectoris」と改称された<ref>{{Cite journal |author=Myron, Prinzmetal; Rexford, Kennamer; Reuben, Merliss; Takashi, Wada; Naci, Bor |year=1959 |title=Angina pectoris I. A variant form of angina pectoris |journal=The American Journal of Medicine |volume=27 |issue=3 |pages=375-388 |publisher=Elsevier BV |doi=10.1016/0002-9343(59)90003-8 |naid=30008554475 |url=https://doi.org/10.1016/0002-9343(59)90003-8}}</ref>。
=== 微小血管狭心症 ===
微小血管狭心症(びしょうけっかんきょうしんしょう microvascular angina)には、次のような対症療法が行われる。
* 薬物療法
** [[カルシウム拮抗剤]](calcium channel blocker)などで行う。
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
{{Reflist|30em}}
== 参考文献 ==
* [http://www.j-circ.or.jp/guideline/pdf/JCS2008_ogawah_h.pdf 冠攣縮性狭心症の診断と治療に関するガイドライン]
== 関連項目 ==
* [[循環器学]]
* [[心筋梗塞]]
* [[心電図]]
* [[狭心症治療薬]]
* [[ニフェジピン]]
* [[ジルチアゼム]]
== 外部リンク ==
* [[国立循環器病センター]]での解説 http://www.ncvc.go.jp/cvdinfo/pamphlet/heart/pamph34.html
* [[東京大学]]循環器内科での解説 http://plaza.umin.ac.jp/~utok-card/consultation/diseases/angina
* [https://dot.asahi.com/articles/-/112597?page=1 閉経前後の女性に多く発症 医師にも知られていない「微小血管狭心症」(週刊朝日記事、2017年9月3日)]
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[[Category:循環器病]]
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2003-09-21T09:25:38Z
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2023-11-01T08:54:15Z
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8B%AD%E5%BF%83%E7%97%87
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N88-BASIC
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N88-BASIC(エヌはちはちベーシック)は、NECのパーソナルコンピュータであるPC-8800シリーズおよびPC-9800シリーズに搭載され、標準プログラミング言語として使用されたBASIC言語の処理系である。ロゴやマニュアル上では「N88-BASIC」と「88」を小さく書いており、これは各種バリエーションにおいても同様である。
ブート時にROMから自動的に起動するものを「ROM-BASIC」、専用ディスクから起動してFDDやHDDを扱えるように機能拡張したものを「DISK-BASIC」と呼んだ。また、俗称だがMS-DOS上で動作するものを「DOS-BASIC」と呼ぶこともあった。初期はROM-BASICのみでDISK-BASICは別売りだったが、FDDの普及によってDISK-BASICも標準添付されるようになり、MS-DOSの普及に伴ってDOS-BASICが開発され、MS-DOSが一般化するとDISK-BASICは再び別売り(末期にはサポート外)になった。MS-DOSが普及する以前は、DISK-BASICが簡易なDOSとしての役割も担っていた。
N88-BASICは、1981年(昭和56年)に発表されたPC-8801に初めて搭載されたスタンドアロンBASICで、PC-8001に搭載されていたN-BASICの機能を大幅に拡張して作られた。一般的にはM-BASIC 4.5として知られているマイクロソフトのLevel-3 BASICインタプリタが基本設計(ベース)となっている。
N-BASICと完全互換ではないがある程度の上位互換性を持ち、PC-8001で作られたプログラムを実行させることも出来た。N-DISK BASICとファイルフォーマットにも互換性があるが、BASICの中間コードは異なるので、プログラムを交換する際にはアスキー形式で保存する必要があった。
N88-BASICには、PC-8800シリーズの機能拡張に合わせて、V1、V2のメジャーバージョンがある。V1は、V2の出現時に遡って付けられた呼称(レトロニム)であり、もともとは「無印」であった。V2はPC-8801mkIISRから新規に搭載されたものである。アナログRGB採用によって表示色が大幅に増えた他、FM音源などの新機能も扱えるようになった。V1に対しほぼ完全な上位互換性を保っているが、ハードウェアの初期状態の違いにより、V1用のプログラムをV2で実行するとグラフィックの色が変わるなどの不都合が生じることがあった。
「タートルグラフィックス命令」も用意され、拡張モジュールをロードすると、LOGOを簡略化したような文法でグラフィックスを描画させる命令などが追加された。しかし、対応したソフトウェアが少ないもしくは利用頻度が低かったことなどから、PC-8801MH/FH以降の機種には搭載(バンドル)されなくなった。
V1およびV2対応の日本語拡張として、NECからN88-漢字BASICとN88-日本語BASICが、システムソフトから8801漢字BASICと新8801漢字BASICが発売された。それぞれの間では2バイト文字の内部表現形式が異なっており、変換にはコンバータを必要とした。これらはいずれも命令は通常のBASICコマンドで、日本語を文字列として扱えるようにしたものである。なお、N88-日本語BASICはPC-8801mkIIFR/MR以降の機種に標準添付されたが、PC-8800シリーズのCRTコントローラはテキストVRAM上の2バイト文字に対応しておらず、従ってグラフィックVRAMにビットマップグラフィックとして文字を描画することになるため、動作が遅くプログラムを組む上ではあまり使われなかった。
PC-88VAシリーズには、専用に新規開発された「N88-日本語BASIC V3」が標準添付された。V2までのN88-BASICに対し、ある程度の上位互換性を保っているが、完全上位互換ではない。ROM-BASICは無く、PC-Engineと呼ばれる独自OSから起動して使うもので、その意味ではスタンドアロンBASICでもない。機能的にもN88-BASICよりは、むしろN88-日本語BASIC(86)に近い。V3モードのCRTCは2バイト文字テキストに対応しているため、PC-88VA用のBASICとして広く使われるようになった。
標準で表示やファイル入出力などのデータとして日本語を扱うことができ(ぴゅう太のG-BASICのように日本語でプログラミング出来る訳では無い)、ハードウェア・スクロールやスプライト、マウスやメニューバー等も利用できた。また、音楽作成ソフト「インスタント・ミュージック」で作成したファイルをBGMとして鳴らしたり、アニメ作成ソフト「アニメフレーマー」で作成したコンピュータアニメーションを再生することもできた。
N88-BASIC(86)は、1982年(昭和57年)から発売されたPC-9800シリーズのROM-BASICで、PC-8800シリーズのN88-BASICと、高いレベルで互換性がある。名称の(86)は、採用したx86系プロセッサに由来する。8ビット機時代のN-BASICとN88-BASICはNECとマイクロソフトの共同開発であったが、N88-BASIC(86)はNECのみによる独自開発である。
当初NECはマイクロソフトに開発を打診したが、8ビット機時代の「方言」の氾濫に手を焼き標準化を画策していたマイクロソフトは、同社が16ビット機用の決定版として開発したGW-BASICの採用を強く働きかけてきた。しかし、GW-BASICはIBM PC互換アーキテクチャを前提としている上、ラベルすら使えない旧態依然としたBASICであったため、N88-BASICで蓄積された膨大なソフトウェア資産を継承することは困難であり、NECはBASICを自社開発することによって独自路線を堅持する道を選択した。開発にあたってNECは、互換性を高めるためにN88-BASICのリバースエンジニアリングを行っている。当然ながら、完成したBASICにはN88-BASICと限りなく似た部分が存在し、マイクロソフトと衝突する可能性もあったわけであるが、最終的にはマイクロソフトから相当額の別の製品を購入することと、著作権の表示にマイクロソフトとNECの両社名を併記することで折り合った。
N88-DISK BASIC(86)も発売され、N88-DISK BASICとディスクフォーマットは互換性がある。しかし、BASICの中間コードが異なるため、プログラム交換の際はアスキー形式で保存する必要があった。
その後、日本語入力システムが追加されてN88-日本語BASIC(86)という名称になった。漢字の内部表現形式はN88-日本語BASICと異なっており、変換にはコンバータを必要とした。PC-9800シリーズのCRTCは2バイト文字テキストに対応しているため、N88-日本語BASIC(86)は広く使われるようになった。
PC-8800シリーズ用ほどバージョンは意識されないが、サポート対象ハードウェアの追加、日本語処理などのシステム拡張が行われている。最終バージョンは6.3。
PC-9800シリーズのMS-DOSへの移行に伴い、N88-日本語BASIC(86)のMS-DOS版が発売された。MS-DOSでの文字コードの扱いに合わせるため、スタンドアロン版では同時に扱うことができたPC-9800シリーズ独自のセミグラフィック文字と2バイト文字が、CONSOLE命令で切り替える排他仕様になった。MS-DOS上でDISK-BASICとファイルを交換するためのコンバータがあったが、DISK-BASICでセミグラフィック文字と2バイト文字の両方を扱ったファイルをMS-DOSへ変換すると文字化けが発生した。
MS-DOS版にはBASICコンパイラも用意されたが、全てのプログラムがコンパイル可能というわけではなかった。またいわゆるネイティブコードを吐くコンパイラではなく、外見としては実行ファイルになるものの内部的には中間表現で、実行にはその中間表現のインタプリタを含んだ200KB近いランタイムライブラリが必要であった。
MS-DOS版の最終バージョンは6.2で、6.3は発売されていない。DISK-BASICにおける6.2と6.3の違いは、(当時における)新しい規格のハードディスクへの対応であり、ディスクアクセスをMS-DOS経由で行うDOS-BASICは拡張の必要がなかったためである。
MS-Windows版であるN88-BASIC(WN)インタプリタも発売されたが、極端に動作速度が遅く、画面周りの互換性も乏しかったため、実用的とはいえず普及しなかった。MS-Windows 2.xx向けのものであり、MS-Windows 3.0以降ではスタンダードモードでもエンハンストモードでも動作しない。リアルモードではかろうじて動作したが、フリーエリアがほとんど無かった。
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N88-BASIC(エヌはちはちベーシック)は、NECのパーソナルコンピュータであるPC-8800シリーズおよびPC-9800シリーズに搭載され、標準プログラミング言語として使用されたBASIC言語の処理系である。ロゴやマニュアル上では「N88-BASIC」と「88」を小さく書いており、これは各種バリエーションにおいても同様である。 ブート時にROMから自動的に起動するものを「ROM-BASIC」、専用ディスクから起動してFDDやHDDを扱えるように機能拡張したものを「DISK-BASIC」と呼んだ。また、俗称だがMS-DOS上で動作するものを「DOS-BASIC」と呼ぶこともあった。初期はROM-BASICのみでDISK-BASICは別売りだったが、FDDの普及によってDISK-BASICも標準添付されるようになり、MS-DOSの普及に伴ってDOS-BASICが開発され、MS-DOSが一般化するとDISK-BASICは再び別売り(末期にはサポート外)になった。MS-DOSが普及する以前は、DISK-BASICが簡易なDOSとしての役割も担っていた。
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{{Infobox Software
| 名称 = N88-BASIC
| スクリーンショット = 88SRBASIC.png
| 開発元 = [[マイクロソフト]]
| 初版 = {{Start date and age|1981}}
| 対応プラットフォーム = [[PC-8800シリーズ]]<br/>[[PC-9800シリーズ]]
| 種別 = [[Microsoft BASIC]]
}}
[[ファイル:NEC N88-Nihongo BASIC for PC-8801FH floppy disk.jpg|サムネイル|N88-日本語BASIC システムディスク]]
'''N88-BASIC'''(エヌはちはちベーシック)は、[[日本電気|NEC]]の[[パーソナルコンピュータ]]である[[PC-8800シリーズ]]および[[PC-9800シリーズ]]に搭載され、標準[[プログラミング言語]]として使用された[[BASIC]]言語の[[処理系]]である。ロゴやマニュアル上では「N<small>88</small>-BASIC」と「88」を小さく書いており、これは各種バリエーションにおいても同様である。
[[ブート]]時に[[Read Only Memory|ROM]]から自動的に起動するものを「[[ROM-BASIC]]」、専用[[ディスクメディア|ディスク]]から起動して[[フロッピーディスクドライブ|FDD]]や[[ハードディスクドライブ|HDD]]を扱えるように機能拡張したものを「[[DISK-BASIC]]」と呼んだ。また、俗称だが[[MS-DOS]]上で動作するものを「DOS-BASIC」と呼ぶこともあった。初期はROM-BASICのみでDISK-BASICは別売りだったが、FDDの普及によってDISK-BASICも標準添付されるようになり、MS-DOSの普及に伴ってDOS-BASICが開発され、MS-DOSが一般化するとDISK-BASICは再び別売り(末期にはサポート外)になった。MS-DOSが普及する以前は、DISK-BASICが簡易な[[DOS (OS)|DOS]]としての役割も担っていた。
== PC-8800シリーズ用 ==
[[File:N88BASIC tenkey.gif|thumb|*をテンキーの4と6で左右に動かし0で終了]]
N88-BASICは、[[1981年]](昭和56年)に発表されたPC-8801に初めて搭載された[[スタンドアロン]]BASICで、[[PC-8000シリーズ|PC-8001]]に搭載されていた[[N-BASIC]]の機能を大幅に拡張して作られた。一般的には[[Microsoft BASIC|M-BASIC]] 4.5として知られている[[マイクロソフト]]のLevel-3 BASICインタプリタが基本設計(ベース)となっている。
N-BASICと完全互換ではないがある程度の[[上位互換]]性を持ち、PC-8001で作られた[[プログラム (コンピュータ)|プログラム]]を実行させることも出来た。N-DISK BASICと[[ファイルフォーマット]]にも互換性があるが、[[BASIC]]の[[中間言語|中間コード]]は異なるので、プログラムを交換する際には[[ASCII|アスキー]]形式で保存する必要があった。
N88-BASICには、PC-8800シリーズの機能拡張に合わせて、V1、V2のメジャーバージョンがある。V1は、V2の出現時に遡って付けられた呼称([[レトロニム]])であり、もともとは「無印」であった。V2はPC-8801mkIISRから新規に搭載されたものである。アナログRGB採用によって表示色が大幅に増えた他、[[FM音源]]などの新機能も扱えるようになった。V1に対しほぼ完全な上位互換性を保っているが、ハードウェアの初期状態の違いにより、V1用のプログラムをV2で実行するとグラフィックの色が変わるなどの不都合が生じることがあった。
「タートルグラフィックス命令」も用意され、拡張モジュールをロードすると、[[LOGO]]を簡略化したような文法でグラフィックスを描画させる命令などが追加された。しかし、対応したソフトウェアが少ないもしくは利用頻度が低かったことなどから、PC-8801MH/FH以降の機種には搭載(バンドル)されなくなった。
V1およびV2対応の日本語拡張として、NECからN88-漢字BASICとN88-日本語BASICが、[[システムソフト]]から8801漢字BASICと新8801漢字BASICが発売された。それぞれの間では2バイト文字の内部表現形式が異なっており、変換にはコンバータを必要とした。<!-- N88-漢字BASICはKI(FAh)/KO(FDh)コードおよび[[JIS X 0208|JISコード]]の上位と下位を反転させたもの、N88-日本語BASICは[[Shift_JIS]]であった。 -->これらはいずれも命令は通常のBASICコマンドで、日本語を文字列として扱えるようにしたものである。なお、N88-日本語BASICはPC-8801mkIIFR/MR以降の機種に標準添付されたが、PC-8800シリーズの[[CRTC (LSI)|CRTコントローラ]]はテキストVRAM上の2バイト文字に対応しておらず、従ってグラフィックVRAMにビットマップグラフィックとして文字を描画することになるため、動作が遅くプログラムを組む上ではあまり使われなかった。
=== PC-88VA用 ===
PC-88VAシリーズには、専用に新規開発された「N88-日本語BASIC V3」が標準添付された。V2までのN88-BASICに対し、ある程度の上位互換性を保っているが、完全上位互換ではない。ROM-BASICは無く、PC-Engineと呼ばれる独自OSから起動して使うもので、その意味ではスタンドアロンBASICでもない。機能的にもN88-BASICよりは、むしろN88-日本語BASIC(86)に近い。V3モードの[[CRTC (LSI)|CRTC]]は2バイト文字テキストに対応しているため、PC-88VA用のBASICとして広く使われるようになった。
標準で表示やファイル入出力などのデータとして[[日本語]]を扱うことができ([[ぴゅう太]]のG-BASICのように日本語でプログラミング出来る訳では無い)、ハードウェア・[[スクロール]]や[[スプライト (映像技術)|スプライト]]、[[マウス (コンピュータ)|マウス]]や[[メニュー (コンピュータ)|メニューバー]]等も利用できた。また、音楽作成ソフト「インスタント・ミュージック」で作成した[[ファイル (コンピュータ)|ファイル]]を[[背景音楽|BGM]]として鳴らしたり、アニメ作成ソフト「アニメフレーマー」で作成した[[コンピュータアニメーション]]を再生することもできた。
== PC-9800シリーズ用 ==
N88-BASIC(86)は、[[1982年]](昭和57年)から発売された[[PC-9800シリーズ]]の[[ROM-BASIC]]で、PC-8800シリーズのN88-BASICと、高いレベルで互換性がある。名称の(86)は、採用した[[x86]]系[[プロセッサ]]に由来する。8ビット機時代のN-BASICとN88-BASICはNECとマイクロソフトの共同開発であったが、N88-BASIC(86)はNECのみによる独自開発である。
当初NECはマイクロソフトに開発を打診したが、8ビット機時代の「方言」の氾濫に手を焼き[[標準化]]を画策していたマイクロソフトは、同社が16ビット機用の決定版として開発した[[Microsoft_BASIC#インタプリタ系|GW-BASIC]]の採用を強く働きかけてきた。しかし、GW-BASICは[[IBM PC]][[互換性|互換]][[アーキテクチャ]]を前提としている上、[[ラベル (プログラミング)|ラベル]]すら使えない旧態依然としたBASICであったため、N88-BASICで蓄積された膨大なソフトウェア資産を継承することは困難であり、NECはBASICを自社開発することによって独自路線を堅持する道を選択した。開発にあたってNECは、互換性を高めるためにN88-BASICの[[リバースエンジニアリング]]を行っている。当然ながら、完成したBASICにはN88-BASICと限りなく似た部分が存在し、マイクロソフトと衝突する可能性もあったわけであるが、最終的にはマイクロソフトから相当額の別の製品を購入することと、著作権の表示にマイクロソフトとNECの両社名を併記することで折り合った<ref>{{青空文庫|000055|365|新字新仮名|パソコン創世記}}</ref>。
N88-DISK BASIC(86)も発売され、N88-DISK BASICとディスクフォーマットは互換性がある。しかし、BASICの中間コードが異なるため、プログラム交換の際はアスキー形式で保存する必要があった。
その後、[[日本語入力システム]]が追加されてN88-日本語BASIC(86)という名称になった。漢字の内部表現形式はN88-日本語BASICと異なっており、変換にはコンバータを必要とした。PC-9800シリーズのCRTCは2バイト文字テキストに対応しているため、N88-日本語BASIC(86)は広く使われるようになった。
PC-8800シリーズ用ほどバージョンは意識されないが、サポート対象ハードウェアの追加、日本語処理などのシステム拡張が行われている。最終バージョンは6.3。
=== MS-DOS版 ===
PC-9800シリーズのMS-DOSへの移行に伴い、N88-日本語BASIC(86)のMS-DOS版が発売された。MS-DOSでの[[文字コード]]の扱いに合わせるため、スタンドアロン版では同時に扱うことができたPC-9800シリーズ独自のセミグラフィック文字と2バイト文字が、CONSOLE命令で切り替える排他仕様になった。MS-DOS上でDISK-BASICとファイルを交換するためのコンバータがあったが、DISK-BASICでセミグラフィック文字と2バイト文字の両方を扱ったファイルをMS-DOSへ変換すると文字化けが発生した。
MS-DOS版にはBASIC[[コンパイラ]]も用意されたが、全てのプログラムがコンパイル可能というわけではなかった。またいわゆるネイティブコードを吐くコンパイラではなく、外見としては[[実行ファイル]]になるものの内部的には[[中間表現]]で、実行にはその中間表現のインタプリタを含んだ200KB近い[[ランタイムライブラリ]]が必要であった。
MS-DOS版の最終バージョンは6.2で、6.3は発売されていない。DISK-BASICにおける6.2と6.3の違いは、(当時における)新しい規格のハードディスクへの対応であり、ディスクアクセスをMS-DOS経由で行うDOS-BASICは拡張の必要がなかったためである。
== MS-Windows版 ==
MS-Windows版であるN88-BASIC(WN)インタプリタも発売されたが、極端に動作速度が遅く、画面周りの互換性も乏しかったため、実用的とはいえず普及しなかった。MS-Windows 2.xx向けのものであり、MS-Windows 3.0以降ではスタンダードモードでもエンハンストモードでも動作しない。[[リアルモード (Windows 3.0)|リアルモード]]ではかろうじて動作したが、フリーエリアがほとんど無かった。
== 互換BASIC ==
;EPSON DISK BASIC
:PC-9800互換機であった[[EPSON PCシリーズ]]で、N88-BASIC(86)のソフトウェア資産を利用できるよう開発された処理系。N88-DISK BASIC(86)はROM-BASICを拡張する形で実装されているが、EPSON DISK BASICはROM-BASICを利用せず、全体をRAMにロードする点が異なっている。そのためフリーエリアの量がN88-DISK BASIC(86)と異なる。
:なお、EPSON PCシリーズは互換性維持のためBASICのROMを持っており、ソフトウェアからアクセスすることはできるが、ROM-BASICを起動することはできないようになっている。これは末期の[[PC-9821シリーズ]]も同様である。そのため、これらの機種は「ROM-BASICを持たない」と見なされることがある。
;BASIC/98
:有限会社 電脳組が販売するWindowsベースのインタプリタ。互換性はかなり高い。
:{{see|BASIC/98}}
;99Basic
:Windowsベースの[[フリーウェア]]。互換性は高い方ではないが、インタプリタとしては高速。
:{{see|99Basic}}
;N88互換BASIC
:Windowsベースのフリーウェア。互換性は高い方だが、動作は遅い。「[http://www.vector.co.jp./soft/win31/prog/se025866.html N88互換BASIC for Windows(3.1)]」と「[http://www.vector.co.jp./soft/win95/prog/se055956.html N88互換BASIC for Windows95]」がある。
== 脚注 ==
{{reflist}}
{{BASIC}}
{{Computer-stub}}
[[Category:NECのソフトウェア]]
[[Category:BASIC]]
[[Category:オペレーティングシステム]]
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2022-03-27T07:24:25Z
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https://ja.wikipedia.org/wiki/N88-BASIC
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電波新聞社
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株式会社電波新聞社(でんぱしんぶんしゃ)は、電子部品・家電などエレクトロニクス全般に視点を当てた新聞・メディアを主体とする会社。東京都品川区東五反田に本社を置く。
電気新聞を発行する日本電気協会や、電波タイムズを発行する電波タイムス社とは別会社で、資本や来歴の上でも一切関係ない。
家電量販店や地域家電店、携帯電話ショップなど流通部門を扱うことも特徴。かつては米国『ビルボード』誌と提携していた。電気関連プロダクツと電子産業情報をメインとした主力媒体の日刊電波新聞は、朝日新聞社の販売網と提携しており、容易に宅配購読することが可能である。
1977年10月から1995年4月まで、当初「マイコン」と呼ばれていた家庭用コンピュータを扱う雑誌『月刊マイコン』を刊行。1982年には、趣味(ホビー)としての「マイコン」「パソコン」プログラム初心者に重きを置いた雑誌『マイコンBASICマガジン』(ベーマガ)を刊行。この2誌(特に後者)は、コンピュータ愛好者たちに有形無形の影響を与えた。また、月刊マイコン/ベーマガを核とした出版部では、月刊誌の掲載プログラムを記録したメディアや、持ち込まれたオリジナルソフトウェアを発売した。「ビデオゲームアンソロジー」シリーズなど、X68000にアーケードゲームの名作を次々と移植していた。
1983年には、コンピュータ出版以外の業務を「マイコンソフトウェア開発室」として分離、Microsoft Windows登場以前の1980年代に普及していた各社国産パソコン向けソフトウェア(テレビゲーム)を開発するようになる。一時期は著名なゲームソフト会社のゲームを、各機種に多く移植・販売していた。一例として、ナムコ(後のバンダイナムコエンターテインメント)より『マッピー』『ゼビウス』『ドルアーガの塔』など、データイーストより『バーガータイム』『バーニン'ラバー』、セガより『スペースハリアー』など。
マイコンソフトウェア開発室は1991年にマイコンソフトとして分社し、ソフトウェア事業を終息させて以降もパソコン・テレビゲーム機器の映像関連周辺機器を長く作り続けていたが、2018年10月に電波新聞社に吸収合併。以後は「株式会社電波新聞社マイコンソフト事業部」として事業を継続している(一部を除き従来扱っていた商品も概ね引き続き販売している)。
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株式会社電波新聞社(でんぱしんぶんしゃ)は、電子部品・家電などエレクトロニクス全般に視点を当てた新聞・メディアを主体とする会社。東京都品川区東五反田に本社を置く。 電気新聞を発行する日本電気協会や、電波タイムズを発行する電波タイムス社とは別会社で、資本や来歴の上でも一切関係ない。
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{{基礎情報 会社
| 社名 = 株式会社電波新聞社
| 英文社名 = Dempa Publications' Inc.
| ロゴ =
| 画像 = [[画像:Dempa.jpg|300px]]
| 画像説明 = 電波新聞本社
| 種類 = [[株式会社 (日本)|株式会社]]
| 機関設計 =
| 市場情報 =
| 略称 = 電波新聞
| 国籍 = {{JPN}}
| 本社郵便番号 = 141-8715
| 本社所在地 = [[東京都]][[品川区]][[東五反田]]1-11-15
| 本店郵便番号 =
| 本店所在地 =
| 設立 = [[1950年]](昭和25年)[[5月5日]]
| 業種 = 5250
| 統一金融機関コード =
| SWIFTコード =
| 事業内容 = 日刊新聞・雑誌・書籍の発行
| 代表者 = 代表取締役社長 [[平山勉]]<ref name="pressnet">{{Cite web|和書|date=2017-12-01 |url=https://web.archive.org/web/20180120124629/http://www.pressnet.or.jp/news/headline/171201_11735.html |title=電波新聞社 社長に平山勉氏 |publisher=日本新聞協会 |accessdate=2022-08-09}}</ref>
| 資本金 = 9331万2000円
| 発行済株式総数 =
| 売上高 =
| 営業利益 =
| 経常利益 =
| 純利益 =
| 純資産 =
| 総資産 =
| 従業員数 =
| 支店舗数 =
| 決算期 =
| 会計監査人 =
| 所有者 =
| 主要株主 =
| 主要部門 =
| 主要子会社 =
| 関係する人物 = 平山秀雄(創業者)
| 外部リンク = https://www.dempa.co.jp/
| 特記事項 =
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'''株式会社電波新聞社'''(でんぱしんぶんしゃ)は、[[電子部品]]・[[家庭用電気機械器具|家電]]などエレクトロニクス全般に視点を当てた[[新聞]]・[[メディア (媒体)|メディア]]を主体とする会社。[[東京都]][[品川区]][[東五反田]]に本社を置く。
[[電気新聞]]を発行する日本電気協会や、[[電波タイムズ]]を発行する電波タイムス社とは別会社で、資本や来歴の上でも一切関係ない。
== 概要 ==
家電量販店や地域家電店、携帯電話ショップなど流通部門を扱うことも特徴。かつては米国『[[ビルボード]]』誌と提携していた。電気関連プロダクツと電子産業情報をメインとした主力媒体の[[日刊電波新聞]]は、[[朝日新聞社]]の販売網と提携しており、容易に宅配購読することが可能である。
=== コンピュータ関連事業 ===
1977年10月から1995年4月まで、当初「マイコン」と呼ばれていた家庭用コンピュータを扱う雑誌『[[月刊マイコン]]』を刊行。1982年には、趣味(ホビー)としての「マイコン」「パソコン」プログラム初心者に重きを置いた雑誌『[[マイコンBASICマガジン]]』(ベーマガ)を刊行。この2誌(特に後者)は、コンピュータ愛好者たちに有形無形の影響を与えた。また、月刊マイコン/ベーマガを核とした出版部では、月刊誌の掲載プログラムを記録したメディアや、持ち込まれたオリジナルソフトウェアを発売した。「ビデオゲームアンソロジー」シリーズなど、[[X68000]]に[[アーケードゲーム]]の名作を次々と移植していた。<ref>{{Cite book|title=電撃王|date=1993年3月1日|year=1993|publisher=メディアワークス|page=100}}</ref>
1983年には、コンピュータ出版以外の業務を「マイコンソフトウェア開発室」として分離、[[Microsoft Windows]]登場以前の1980年代に普及していた各社国産パソコン向けソフトウェア(テレビゲーム)を開発するようになる。一時期は著名なゲームソフト会社のゲームを、各機種に多く移植・販売していた。一例として、ナムコ(後の[[バンダイナムコエンターテインメント]])より『[[マッピー]]』『[[ゼビウス]]』『[[ドルアーガの塔]]』など、[[データイースト]]より『[[バーガータイム]]』『[[バーニン'ラバー]]』、セガより『[[スペースハリアー]]』など。
マイコンソフトウェア開発室は1991年に[[マイコンソフト]]として分社し、ソフトウェア事業を終息させて以降もパソコン・テレビゲーム機器の映像関連周辺機器を長く作り続けていたが、2018年10月に電波新聞社に吸収合併。以後は「株式会社電波新聞社マイコンソフト事業部」として事業を継続している(一部を除き従来扱っていた商品も概ね引き続き販売している)。
== 沿革 ==
* [[1950年]]5月 電波新聞社創立 電波新聞を創刊
* [[1962年]]6月 電波新聞を日刊に移行。全国の朝日新聞販売店から戸別配達開始
* [[1971年]]2月 東京本社新社屋第一期工事完成、地上9階、地下2階約8,000㎡
* [[1971年]]5月 株式会社電波エージェンシー(関連会社)設立
* [[1972年]]11月 現地法人Dempa Publications, Inc(アメリカ合衆国)設立
* [[1973年]]12月 株式会社コンピュータービジネス(関連会社)設立
* [[1977年]]7月 米国ビルボード社と提携。ミュージックラボ(関連会社)に資本参加
* [[1980年]]3月 デュッセルドルフ支局(ドイツ)開設
* [[1985年]]4月 東京本社社屋増改築工事完成、地上9階、地下2階約16,500㎡
* [[1990年]] 創業者の平山秀雄社長が会長に就任 平山哲雄副社長が社長に就任
* [[1991年]] 平山秀雄会長が死去
* [[1994年]]7月 クアラルンプール支局(マレーシア)開設
* [[1995年]]2月 Dempa Asia Advertising HK LTD(中華人民共和国香港特別行政区)設立
* [[1996年]]1月 ソウル支局(大韓民国)開設 International Dempa Trade Co.LTD(台湾)設立
* [[1997年]]4月 Dempa Asia Philippines, Inc(フィリピン)設立
* [[2017年]]12月 平山哲雄社長退任。後任に[[平山勉]]が就任<ref name="pressnet" />
== 刊行物 ==
=== 現在 ===
*[[日刊電波新聞]][http://www.dempa.co.jp/dempatoha.html]
*[[電子工作マガジン]]
=== 過去 ===
*[[月刊電気店]]
*[[電子工業年鑑]]
*[[マイコンBASICマガジン]]
*[[月刊マイコン]]
*[[ラジオの製作]]
*[[月刊オーディオビデオ]]
*[[コンピュータ・ミュージック・マガジン]]
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
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== 関連項目 ==
*[[マイコンソフト]] - 現・マイコンソフト事業部
*[[熊本朝日放送]] - 出資している
*[[電子工作の歴史]]
==外部リンク==
* [http://www.dempa.co.jp/ 電波新聞社公式サイト]
* [https://dempa-digital.com/ 電波新聞デジタル]
* [https://dempa-digital.com/anniversary70 電波新聞70周年特集]
* [https://twitter.com/TheDempashimbun 電波新聞公式Twitter]
* [https://www.instagram.com/thedempashimbun/ 電波新聞公式インスタグラム]
* [https://www.youtube.com/channel/UCfSX6R9tqKZMjeFOnT49Enw 電波新聞公式Youtubeチャンネル]
* {{Mediaarts-db}}
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[[Category:電波新聞社|*]]
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マイコンBASICマガジン
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『マイコンBASICマガジン』(マイコンベーシックマガジン)は、電波新聞社が1982年から2003年まで刊行していたホビーユーザー向けパーソナルコンピュータ(パソコン)関連雑誌。略称は「ベーマガ」。判型は当初B5、1990年4月号からA4変形。発売日は当初は毎月10日で、1986年2月号から毎月8日となった。
2015年に電子工作マガジンでコーナーとして再登場し、2018年から別冊附録化されている。
創刊当時、パソコンといえば、BASICインタプリタをROM内に搭載、もしくは標準で添付した8ビットパソコン(ホビーパソコン)やポケットコンピュータが主流だった。そしてパソコンの入門といえば、BASICのコマンドの文法からプログラミングまで、実際に動かして習得することだった。
本誌でもっとも特徴的なのは、読者が投稿したオリジナルのプログラムを掲載していたことである。当時はメーカーごとの仕様に基く、互換性の低い数十種類のBASIC言語が存在しており、本誌では各機種に対応したプログラムのリスト(ソースコードを印刷した物)を掲載していた。読者はこれを見ながら自分の手で入力し、そのプログラムが提供する主にゲームを楽しんだ。誌名のとおり、基本的にBASICのプログラムが掲載された一方、機械語を併用したものや、ごく一部ながらほとんどが機械語のプログラムもあった(ダンプリストをモニタで直接入力する形式ではなく、ダンプリストをバイナリに変換しながらメモリに配置するBASICプログラム)。後期には、時代の趨勢もありC言語、Delphi、HSPなど、BASIC以外の高級言語によるプログラムも掲載するようになった。
誌名が変わらなかったのは、「BASIC」の意味にBASIC単語以外に、基本(ベーシック)を大切にするプログラミング誌の意味が込められていたからだとされる。この姿勢から紙面ではしばしば半ば冗談で「ベーマガは教育誌」という単語が踊っていた。
ゲーム以外にも、カロリー計算やキャラクタエディタなどといった、小規模ながら多岐にわたる「実用プログラム」も掲載された。1986年頃からは、ゲームメーカーの許可を得て、ゲームミュージックをパソコンで鳴らすプログラムや、楽譜も掲載されるようになった。
ゲームのプログラムリストを掲載していた雑誌としては、本誌の他に『I/O』、『PiO』、初期の『ログイン』などがあった。これらの雑誌では実行速度の遅いBASICのプログラムではなく、処理が高速でアクションゲームを作るのに有利な機械語のプログラムを掲載していることがほとんどだった。しかもアセンブリ言語のソースコードではなく、ダンプリストの形でプログラムが掲載されており、すなわち0からFまでの十六進数の羅列であるため、読者が直接プログラムの内容を読み取ることが難しかった上に、入力ミスをした場合に問題箇所を見付けて修正するにも技術を必要とした。それに対して、本誌が掲載するBASICはインタプリタ型の高級言語であるため、予約語は簡易な英語をベースとしており記述の意味を読み解くことが容易で、入力に不整合があればエラーメッセージが表示されるため、入力の動機が「ゲームを遊ぶこと」であっても、自ずとプログラムの学習に繋がっていった。
プログラムには、作者が変数の用途、アルゴリズムの解説、機械語を併用している場合はその解説、ちょっとしたテクニックなど簡単な説明を付けているものもあり、改造などによって更に理解を深めることも可能だった。このような性質から、当時はIT業界への登竜門のひとつとして本誌が位置づけられていた。ウルフチームに就職し『ソル・フィース』を製作したという経歴で本誌に紹介されたBug太郎など、本誌のプログラム投稿者がそのままコンピューターゲームやアプリケーションソフトウェアの本職のプログラマとなった例もある。
若年者、入門者向けの側面として、大学入試センター試験の数学で出題される「情報処理」分野の解説がある。BASICのプログラムや、アルゴリズムの考え方に特化した試験対策は、他の参考書ではまず見られなかった。
趣味に於ける電気・電子回路や電子工作関連の月刊誌『ラジオの製作』の別冊付録として、1981年4月発売の5月号から発行された。1982年3月と5月には、『月刊マイコン』・『ラジオの製作』別冊として単独で発売されている。その後、1982年6月発売の1982年7月号で、『ラジオの製作』から独立する形で創刊された。
創刊当時は「パソコン」という語が普及しておらず、後にパソコン(パーソナルコンピュータ)へ分類されるものについても一般的に「マイコン」(マイクロコンピュータの略)と呼ばれる事が多かったため、冠称がマイコンになっている。ただし姉妹誌の『月刊マイコン』がMy Computerの略だった事もあり、本誌についても編集部は「マイコンピュータの略」と言っていた。
毎号数十本ものプログラムリストが掲載されてはいたものの、1機種あたりだと多くても数本程度しかないため、他機種のプログラムも活かせるよう、各機種のBASICの「方言」などについてまとめられた「移植テクニックマスター大作戦」という特集記事が、創刊号から長期に渡って連載された。
1980年代を通して、非常に高価な8ビットパソコンがごく限られたマニアの物だった時代から、ファミリーベーシックやMSX・ポケットコンピュータ等、安価な機種の登場する時代を経て、次第に工学的な興味を持った大学生はもとより、小中高校生に到るまで、幅広い年代に手が届く頃になると、様々な機種用のプログラムが投稿・掲載されるようになる。
やがて同社専門分野向けの『月刊マイコン』、アスキーが発売していた専門分野向けの技術誌色の強い『月刊アスキー』、幅広いパソコン関連情報を掲載した工学社の『I/O』、最も早く休刊した廣済堂の『RAM』という4大誌と順位が入れ替わり、プログラミング投稿誌としての地位を築いた。
なお同世代の他誌には、アスキーのゲーム寄り姉妹誌である『ログイン』、『I/O』の読者投稿に特化した『PiO』、徳間書店のゲーム情報誌『テクノポリス』や読者投稿に特化した『プログラムポシェット』、新声社のアーケードゲーム専門誌『ゲーメスト』、小学館のマイコン雑誌『ポプコム』、角川書店のゲーム専門誌だった『コンプティーク』等がある。
1983年11月号から、アーケードゲーム等の情報を扱う「スーパーソフトマガジン」という別冊付録が付くようになる。ナムコの開発室から提供されたゼビウスに関する様々な設定情報などは、現在でも貴重な資料としての価値をもつ。パソコンゲームの攻略法が載っていた時期もあり、山下章、手塚一郎などが執筆していた。巻末には全国のゲームセンター100店舗に及ぶ協力店から寄せられた「ハイスコアランキング」(当時は通信機能搭載のゲーム機は無かった)が掲載され、腕自慢にわざわざ協力店に出向いてハイスコアを叩き出すゲーマーもいた程である。
当時としては他に類を見ない濃い内容のコンピュータビデオゲーム情報誌の側面を持っており、本誌よりむしろ別冊付録を目的として買う読者も出現した。しかし付録だけを万引きされる問題が発生したため、1985年1月号より「スーパーソフトコーナー」として巻末に一体化することになる。なお、アダルトゲームに関する情報を一切掲載しないのも特徴の一つである(例外として、販売店の広告内では当たり障りのない範囲でタイトル名や画面写真、パッケージ写真が掲載されることはあった)。
その後もパソコン・コンシューマー・アーケードを問わずコンピューターゲーム関連の記事が幅広く掲載され、パソコン雑誌でありながら、総合的なゲーム情報誌としての一面がより色濃くなった。ゲーム関連の記事のページ数がプログラミングなど技術系の記事を上回った時期や、表紙の写真がパソコンではなくゲーム機やアーケードゲーム基板だった号もあった。
広告掲載や関連記事掲載、また電波新聞社(後のマイコンソフト)が発売しているアーケードゲームからの移植パソコン向けゲームソフトウェアの開発といった事情にも絡み、ナムコやセガ・タイトーといった大手のアーケードゲームメーカーとの間に築かれた関係も深く、精力的にメーカー内の開発者を交えて、内部開発資料から起こした高品質のゲーム紹介記事を掲載するなどしていた。しかし、次第にゲームメーカーの群雄割拠から、全てのゲームメーカーを網羅しきれなくなり、1980年代末から1990年代初頭には、他社ゲーム専門誌に読者を奪われる結果となった。
1989年5月号から1990年3月号まで、「レッツプレイ!コンピュータ・ミュージック」としてDTMに特化した別冊付録が添付され、1990年4月にはComputer Music Magazineとして独立している。その後1999年6月号から再度別冊付録となった後、同誌は同年10月に休刊した。
その後長らくは、既に市場から姿を消した機種を含むパソコン関連のプログラムを掲載する傍ら、新製品の紹介やゲームレビューなどを地道に掲載し、一定の固定読者層を獲得していた。一方で、90年代に入ると、パソコン低価格化の流れを受け、実用機としてのパソコン記事需要が伸びていったことで、巻頭掲載の実用パソコン記事、投稿プログラミング、ゲーム攻略、紹介記事という3要素がそれぞれ別の読者を抱え、分断されたような様相を見せていった。
1995年4月号から10月号まではCD-ROMが付録となった。インタビューやレポートなど独自の動画をVideo for Windowsによって複数収録しており、Windowsで収録コンテンツを閲覧できるほか、オーディオトラックに投稿プログラムのデータレコーダ音声を収録するという珍しい試みも行われた。付録CDは7号で終了となったが、その後はCD-ROM付きの別冊『BASIC Magazine CD-ROM Special』(4号以降は正題が『オリジナル・ゲームGRAND PRIX』、副題が『BASIC Magazine CD-ROM Special』となる)が5号まで発行された。
しかしインターネットが普及して以降、プログラムソース配布も個人が自分のウェブサイトを介して行う様式が定着、プログラム投稿誌としての需要の低下が進んでいく。
そんな時代の中で発行された1999年4月号では、「リニューアル」と称して、価格は据え置きのままで、当時250~280ページ程度だった総ページ数が186ページになり、内容も大幅に削減されてしまう。ゲーム関連記事は大幅に削減された。この号が発売された途端、公式サイトや読者が運営するサイトなどのウェブサイトで、編集部や内容に対する不満や絶望視する発言などが多く見られるようになり、購読をやめる読者も続出。特にリニューアル直後は、自身のウェブサイトや掲示板上で「今月で買うのをやめます」と宣言する読者も少なくなかった。本そのものが明らかに薄くなってしまった問題に、1999年7月号にて「紙を厚くする」という対応をしたことも、読者の不信と不満をかえって募らせる結果となってしまった。
なお、本誌の産みの親である『ラジオの製作』は、本誌のリニューアルと同じ1999年4月号にて、月刊誌から季刊ムックに変わると発表された。しかし、後に一号しか発行されず、雑誌としては事実上廃刊している。
その後、2001年4月号では、長年本誌を支えてきた市販ゲーム関連の記事を全廃し、中高生向けのパソコン入門誌として特化を試みた。しかし、削除された記事に代わる他の記事が充実した訳ではなかったため、ページ数は130ページとさらに減少。紙は厚いのに本はかつてのリニューアル前より薄くなった。これにより、新たな中高生の読者を獲得しないまま古くからの読者が離れてしまった。
1996年当時28万6000部あった発行部数は、2003年には8分の1程度まで減少してしまい、ついに2003年4月8日に発売された2003年5月号(通巻251号)をもって休刊となった。
休刊する事実は、休刊号発売のおよそ半月前である2003年3月25日に公式サイト上で発表され、ITmediaなど複数のIT系ニュースサイトがニュースとして取り上げた。また公式サイトの掲示板には、当時の購読者やニュース記事で休刊を知ったかつての読者から、休刊について惜しむ声や本誌への想いなど多くの書き込みが寄せられた。
休刊から7年後の2010年、「ゲームプログラマーの育成に対する多大なる貢献」として、CEDEC AWARDS 2010(プログラミング・開発環境部門)の最優秀賞を「元 『マイコンBASICマガジン』編集部とプログラム投稿者」が受賞した。元編集長の大橋太郎が代表してトロフィーを受け取り、後述のイベントなどで度々披露している。
2015年11月8日、3331 Arts Chiyodaにて、トークイベント「ALL ABOUT マイコンBASICマガジン」が開催。山下章を総合司会に、かつてのライターや編集者が登壇し、当時を振り返った。オープニングムービーとして、1992年に開催された「シャープ第一回X68000芸術祭」のオープニングムービーを映像・音声ともにセルフパロディしたものが使われた。会場規模が定員500人程度と小さいため、入場チケットは発売即日完売した。
2018年1月14日、より大きな会場であるよみうりホール(客席1,100席)にて、同様の趣旨のトークイベント「ALL ABOUT マイコンBASICマガジン II」が開催された。
電波新聞社から2008年より季刊誌『電子工作マガジン』が刊行されている。本誌はベーマガの源流であった『ラジオの製作』の流れを引き継ぐ電子工作雑誌であり、編集長はベーマガの編集長であった大橋太郎である。
2015年3月19日発売の『電子工作マガジン』No.26(2015年春号)から「マイコンBASICマガジン」と称したコーナーが掲載され、またくりひろしによる漫画「時空を超えて!帰ってきた パソコン・レクチャー」も連載されている。今後の展開によっては、月刊誌としてベーマガを復刊する事も検討していると、編集長がFacebookで投稿している。
2018年12月19日発売の『電子工作マガジン』No.41(2018年冬号)から、『マイコンBASICマガジン』が別冊付録として収録されるようになった。別冊付録第1号の表紙は、元祖である『ラジオの製作』別冊付録時代の第1号の表紙を模したものになっている。『ラジオの製作』別冊付録第1号の表紙は、PRINTやLETなどのBASICのコマンドを列挙する形でレイアウトされていたが、『電子工作マガジン』別冊付録第1号は、IchigoJam、HSP、IchigoLatteなど今時のコンピュータや言語の名称を列挙している。
月刊マイコンの読者コーナーから引き続き、本誌でも編集部メンバーに個性が設けられ、漫画やOFコーナー、コラムなどで描かれた。それぞれモデルとなった編集者が実在し、イベントや他誌のインタビュー等に実名で登場したことがある。
この他、ごく初期には「ラジオの製作」の編集部員であるみどりさん、タロベエ、水虫仮面が登場することもあった。
『プログラム大全集シリーズ』『マイコンBASICマガジンDELUXE』などとして、各種の書籍・ムックが出版されていた。以下に一例を挙げる。
アーケードゲームやパソコンゲームの詳解本として、「ALL ABOUT〜」または「〜のすべて」と題する別冊が多数出版された。当初はベーマガ編集部による単発の別冊として製作されていたが、1993年からスタジオベントスタッフによるシリーズ化した。
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"text": "『マイコンBASICマガジン』(マイコンベーシックマガジン)は、電波新聞社が1982年から2003年まで刊行していたホビーユーザー向けパーソナルコンピュータ(パソコン)関連雑誌。略称は「ベーマガ」。判型は当初B5、1990年4月号からA4変形。発売日は当初は毎月10日で、1986年2月号から毎月8日となった。",
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"text": "本誌でもっとも特徴的なのは、読者が投稿したオリジナルのプログラムを掲載していたことである。当時はメーカーごとの仕様に基く、互換性の低い数十種類のBASIC言語が存在しており、本誌では各機種に対応したプログラムのリスト(ソースコードを印刷した物)を掲載していた。読者はこれを見ながら自分の手で入力し、そのプログラムが提供する主にゲームを楽しんだ。誌名のとおり、基本的にBASICのプログラムが掲載された一方、機械語を併用したものや、ごく一部ながらほとんどが機械語のプログラムもあった(ダンプリストをモニタで直接入力する形式ではなく、ダンプリストをバイナリに変換しながらメモリに配置するBASICプログラム)。後期には、時代の趨勢もありC言語、Delphi、HSPなど、BASIC以外の高級言語によるプログラムも掲載するようになった。",
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"text": "ゲームのプログラムリストを掲載していた雑誌としては、本誌の他に『I/O』、『PiO』、初期の『ログイン』などがあった。これらの雑誌では実行速度の遅いBASICのプログラムではなく、処理が高速でアクションゲームを作るのに有利な機械語のプログラムを掲載していることがほとんどだった。しかもアセンブリ言語のソースコードではなく、ダンプリストの形でプログラムが掲載されており、すなわち0からFまでの十六進数の羅列であるため、読者が直接プログラムの内容を読み取ることが難しかった上に、入力ミスをした場合に問題箇所を見付けて修正するにも技術を必要とした。それに対して、本誌が掲載するBASICはインタプリタ型の高級言語であるため、予約語は簡易な英語をベースとしており記述の意味を読み解くことが容易で、入力に不整合があればエラーメッセージが表示されるため、入力の動機が「ゲームを遊ぶこと」であっても、自ずとプログラムの学習に繋がっていった。",
"title": "概要"
},
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"paragraph_id": 7,
"tag": "p",
"text": "プログラムには、作者が変数の用途、アルゴリズムの解説、機械語を併用している場合はその解説、ちょっとしたテクニックなど簡単な説明を付けているものもあり、改造などによって更に理解を深めることも可能だった。このような性質から、当時はIT業界への登竜門のひとつとして本誌が位置づけられていた。ウルフチームに就職し『ソル・フィース』を製作したという経歴で本誌に紹介されたBug太郎など、本誌のプログラム投稿者がそのままコンピューターゲームやアプリケーションソフトウェアの本職のプログラマとなった例もある。",
"title": "概要"
},
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"tag": "p",
"text": "若年者、入門者向けの側面として、大学入試センター試験の数学で出題される「情報処理」分野の解説がある。BASICのプログラムや、アルゴリズムの考え方に特化した試験対策は、他の参考書ではまず見られなかった。",
"title": "概要"
},
{
"paragraph_id": 9,
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"text": "趣味に於ける電気・電子回路や電子工作関連の月刊誌『ラジオの製作』の別冊付録として、1981年4月発売の5月号から発行された。1982年3月と5月には、『月刊マイコン』・『ラジオの製作』別冊として単独で発売されている。その後、1982年6月発売の1982年7月号で、『ラジオの製作』から独立する形で創刊された。",
"title": "略歴"
},
{
"paragraph_id": 10,
"tag": "p",
"text": "創刊当時は「パソコン」という語が普及しておらず、後にパソコン(パーソナルコンピュータ)へ分類されるものについても一般的に「マイコン」(マイクロコンピュータの略)と呼ばれる事が多かったため、冠称がマイコンになっている。ただし姉妹誌の『月刊マイコン』がMy Computerの略だった事もあり、本誌についても編集部は「マイコンピュータの略」と言っていた。",
"title": "略歴"
},
{
"paragraph_id": 11,
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"text": "毎号数十本ものプログラムリストが掲載されてはいたものの、1機種あたりだと多くても数本程度しかないため、他機種のプログラムも活かせるよう、各機種のBASICの「方言」などについてまとめられた「移植テクニックマスター大作戦」という特集記事が、創刊号から長期に渡って連載された。",
"title": "略歴"
},
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"text": "1980年代を通して、非常に高価な8ビットパソコンがごく限られたマニアの物だった時代から、ファミリーベーシックやMSX・ポケットコンピュータ等、安価な機種の登場する時代を経て、次第に工学的な興味を持った大学生はもとより、小中高校生に到るまで、幅広い年代に手が届く頃になると、様々な機種用のプログラムが投稿・掲載されるようになる。",
"title": "略歴"
},
{
"paragraph_id": 13,
"tag": "p",
"text": "やがて同社専門分野向けの『月刊マイコン』、アスキーが発売していた専門分野向けの技術誌色の強い『月刊アスキー』、幅広いパソコン関連情報を掲載した工学社の『I/O』、最も早く休刊した廣済堂の『RAM』という4大誌と順位が入れ替わり、プログラミング投稿誌としての地位を築いた。",
"title": "略歴"
},
{
"paragraph_id": 14,
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"text": "なお同世代の他誌には、アスキーのゲーム寄り姉妹誌である『ログイン』、『I/O』の読者投稿に特化した『PiO』、徳間書店のゲーム情報誌『テクノポリス』や読者投稿に特化した『プログラムポシェット』、新声社のアーケードゲーム専門誌『ゲーメスト』、小学館のマイコン雑誌『ポプコム』、角川書店のゲーム専門誌だった『コンプティーク』等がある。",
"title": "略歴"
},
{
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"text": "1983年11月号から、アーケードゲーム等の情報を扱う「スーパーソフトマガジン」という別冊付録が付くようになる。ナムコの開発室から提供されたゼビウスに関する様々な設定情報などは、現在でも貴重な資料としての価値をもつ。パソコンゲームの攻略法が載っていた時期もあり、山下章、手塚一郎などが執筆していた。巻末には全国のゲームセンター100店舗に及ぶ協力店から寄せられた「ハイスコアランキング」(当時は通信機能搭載のゲーム機は無かった)が掲載され、腕自慢にわざわざ協力店に出向いてハイスコアを叩き出すゲーマーもいた程である。",
"title": "略歴"
},
{
"paragraph_id": 16,
"tag": "p",
"text": "当時としては他に類を見ない濃い内容のコンピュータビデオゲーム情報誌の側面を持っており、本誌よりむしろ別冊付録を目的として買う読者も出現した。しかし付録だけを万引きされる問題が発生したため、1985年1月号より「スーパーソフトコーナー」として巻末に一体化することになる。なお、アダルトゲームに関する情報を一切掲載しないのも特徴の一つである(例外として、販売店の広告内では当たり障りのない範囲でタイトル名や画面写真、パッケージ写真が掲載されることはあった)。",
"title": "略歴"
},
{
"paragraph_id": 17,
"tag": "p",
"text": "その後もパソコン・コンシューマー・アーケードを問わずコンピューターゲーム関連の記事が幅広く掲載され、パソコン雑誌でありながら、総合的なゲーム情報誌としての一面がより色濃くなった。ゲーム関連の記事のページ数がプログラミングなど技術系の記事を上回った時期や、表紙の写真がパソコンではなくゲーム機やアーケードゲーム基板だった号もあった。",
"title": "略歴"
},
{
"paragraph_id": 18,
"tag": "p",
"text": "広告掲載や関連記事掲載、また電波新聞社(後のマイコンソフト)が発売しているアーケードゲームからの移植パソコン向けゲームソフトウェアの開発といった事情にも絡み、ナムコやセガ・タイトーといった大手のアーケードゲームメーカーとの間に築かれた関係も深く、精力的にメーカー内の開発者を交えて、内部開発資料から起こした高品質のゲーム紹介記事を掲載するなどしていた。しかし、次第にゲームメーカーの群雄割拠から、全てのゲームメーカーを網羅しきれなくなり、1980年代末から1990年代初頭には、他社ゲーム専門誌に読者を奪われる結果となった。",
"title": "略歴"
},
{
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"text": "1989年5月号から1990年3月号まで、「レッツプレイ!コンピュータ・ミュージック」としてDTMに特化した別冊付録が添付され、1990年4月にはComputer Music Magazineとして独立している。その後1999年6月号から再度別冊付録となった後、同誌は同年10月に休刊した。",
"title": "略歴"
},
{
"paragraph_id": 20,
"tag": "p",
"text": "その後長らくは、既に市場から姿を消した機種を含むパソコン関連のプログラムを掲載する傍ら、新製品の紹介やゲームレビューなどを地道に掲載し、一定の固定読者層を獲得していた。一方で、90年代に入ると、パソコン低価格化の流れを受け、実用機としてのパソコン記事需要が伸びていったことで、巻頭掲載の実用パソコン記事、投稿プログラミング、ゲーム攻略、紹介記事という3要素がそれぞれ別の読者を抱え、分断されたような様相を見せていった。",
"title": "略歴"
},
{
"paragraph_id": 21,
"tag": "p",
"text": "1995年4月号から10月号まではCD-ROMが付録となった。インタビューやレポートなど独自の動画をVideo for Windowsによって複数収録しており、Windowsで収録コンテンツを閲覧できるほか、オーディオトラックに投稿プログラムのデータレコーダ音声を収録するという珍しい試みも行われた。付録CDは7号で終了となったが、その後はCD-ROM付きの別冊『BASIC Magazine CD-ROM Special』(4号以降は正題が『オリジナル・ゲームGRAND PRIX』、副題が『BASIC Magazine CD-ROM Special』となる)が5号まで発行された。",
"title": "略歴"
},
{
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"text": "しかしインターネットが普及して以降、プログラムソース配布も個人が自分のウェブサイトを介して行う様式が定着、プログラム投稿誌としての需要の低下が進んでいく。",
"title": "略歴"
},
{
"paragraph_id": 23,
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"text": "そんな時代の中で発行された1999年4月号では、「リニューアル」と称して、価格は据え置きのままで、当時250~280ページ程度だった総ページ数が186ページになり、内容も大幅に削減されてしまう。ゲーム関連記事は大幅に削減された。この号が発売された途端、公式サイトや読者が運営するサイトなどのウェブサイトで、編集部や内容に対する不満や絶望視する発言などが多く見られるようになり、購読をやめる読者も続出。特にリニューアル直後は、自身のウェブサイトや掲示板上で「今月で買うのをやめます」と宣言する読者も少なくなかった。本そのものが明らかに薄くなってしまった問題に、1999年7月号にて「紙を厚くする」という対応をしたことも、読者の不信と不満をかえって募らせる結果となってしまった。",
"title": "略歴"
},
{
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"text": "なお、本誌の産みの親である『ラジオの製作』は、本誌のリニューアルと同じ1999年4月号にて、月刊誌から季刊ムックに変わると発表された。しかし、後に一号しか発行されず、雑誌としては事実上廃刊している。",
"title": "略歴"
},
{
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"text": "その後、2001年4月号では、長年本誌を支えてきた市販ゲーム関連の記事を全廃し、中高生向けのパソコン入門誌として特化を試みた。しかし、削除された記事に代わる他の記事が充実した訳ではなかったため、ページ数は130ページとさらに減少。紙は厚いのに本はかつてのリニューアル前より薄くなった。これにより、新たな中高生の読者を獲得しないまま古くからの読者が離れてしまった。",
"title": "略歴"
},
{
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"text": "1996年当時28万6000部あった発行部数は、2003年には8分の1程度まで減少してしまい、ついに2003年4月8日に発売された2003年5月号(通巻251号)をもって休刊となった。",
"title": "略歴"
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{
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"text": "休刊する事実は、休刊号発売のおよそ半月前である2003年3月25日に公式サイト上で発表され、ITmediaなど複数のIT系ニュースサイトがニュースとして取り上げた。また公式サイトの掲示板には、当時の購読者やニュース記事で休刊を知ったかつての読者から、休刊について惜しむ声や本誌への想いなど多くの書き込みが寄せられた。",
"title": "略歴"
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{
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"text": "休刊から7年後の2010年、「ゲームプログラマーの育成に対する多大なる貢献」として、CEDEC AWARDS 2010(プログラミング・開発環境部門)の最優秀賞を「元 『マイコンBASICマガジン』編集部とプログラム投稿者」が受賞した。元編集長の大橋太郎が代表してトロフィーを受け取り、後述のイベントなどで度々披露している。",
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{
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"text": "2015年11月8日、3331 Arts Chiyodaにて、トークイベント「ALL ABOUT マイコンBASICマガジン」が開催。山下章を総合司会に、かつてのライターや編集者が登壇し、当時を振り返った。オープニングムービーとして、1992年に開催された「シャープ第一回X68000芸術祭」のオープニングムービーを映像・音声ともにセルフパロディしたものが使われた。会場規模が定員500人程度と小さいため、入場チケットは発売即日完売した。",
"title": "略歴"
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"paragraph_id": 30,
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"text": "2018年1月14日、より大きな会場であるよみうりホール(客席1,100席)にて、同様の趣旨のトークイベント「ALL ABOUT マイコンBASICマガジン II」が開催された。",
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"text": "電波新聞社から2008年より季刊誌『電子工作マガジン』が刊行されている。本誌はベーマガの源流であった『ラジオの製作』の流れを引き継ぐ電子工作雑誌であり、編集長はベーマガの編集長であった大橋太郎である。",
"title": "略歴"
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"text": "2015年3月19日発売の『電子工作マガジン』No.26(2015年春号)から「マイコンBASICマガジン」と称したコーナーが掲載され、またくりひろしによる漫画「時空を超えて!帰ってきた パソコン・レクチャー」も連載されている。今後の展開によっては、月刊誌としてベーマガを復刊する事も検討していると、編集長がFacebookで投稿している。",
"title": "略歴"
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"paragraph_id": 33,
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"text": "2018年12月19日発売の『電子工作マガジン』No.41(2018年冬号)から、『マイコンBASICマガジン』が別冊付録として収録されるようになった。別冊付録第1号の表紙は、元祖である『ラジオの製作』別冊付録時代の第1号の表紙を模したものになっている。『ラジオの製作』別冊付録第1号の表紙は、PRINTやLETなどのBASICのコマンドを列挙する形でレイアウトされていたが、『電子工作マガジン』別冊付録第1号は、IchigoJam、HSP、IchigoLatteなど今時のコンピュータや言語の名称を列挙している。",
"title": "略歴"
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"text": "月刊マイコンの読者コーナーから引き続き、本誌でも編集部メンバーに個性が設けられ、漫画やOFコーナー、コラムなどで描かれた。それぞれモデルとなった編集者が実在し、イベントや他誌のインタビュー等に実名で登場したことがある。",
"title": "編集部"
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"text": "この他、ごく初期には「ラジオの製作」の編集部員であるみどりさん、タロベエ、水虫仮面が登場することもあった。",
"title": "編集部"
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"text": "『プログラム大全集シリーズ』『マイコンBASICマガジンDELUXE』などとして、各種の書籍・ムックが出版されていた。以下に一例を挙げる。",
"title": "別冊"
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{
"paragraph_id": 37,
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"text": "アーケードゲームやパソコンゲームの詳解本として、「ALL ABOUT〜」または「〜のすべて」と題する別冊が多数出版された。当初はベーマガ編集部による単発の別冊として製作されていたが、1993年からスタジオベントスタッフによるシリーズ化した。",
"title": "別冊"
}
] |
『マイコンBASICマガジン』(マイコンベーシックマガジン)は、電波新聞社が1982年から2003年まで刊行していたホビーユーザー向けパーソナルコンピュータ(パソコン)関連雑誌。略称は「ベーマガ」。判型は当初B5、1990年4月号からA4変形。発売日は当初は毎月10日で、1986年2月号から毎月8日となった。 2015年に電子工作マガジンでコーナーとして再登場し、2018年から別冊附録化されている。
|
{{基礎情報 雑誌
| 画像ファイル名 =
| 画像サイズ =
| 画像説明 =
| 誌名 = マイコンBASICマガジン
| 英文誌名 = Mycom BASIC Magazine
| 誌名略称 = ベーマガ
| ジャンル = コンピュータ
| 読者対象 =
| 刊行頻度 = [[月刊]]
| 発売国 = {{JPN}}
| 言語 = [[日本語]]
| 定価 =
| 出版社 = [[電波新聞社]]
| 編集部名 =
| 発行人 =
| 編集人1役職 =
| 編集人1氏名 =
| 編集人2役職 =
| 編集人2氏名 =
| ISSN =
| 雑誌名コード = 837(『月刊マイコン』『ラジオの製作』別冊時代)<br />836(独立創刊後)
| 刊行期間 = 1982年6月10日(1982年7月号) - 2003年4月8日(2003年5月号)
| 発行部数 =
| 発行部数調査年月 =
| 発行部数調査機関 =
| レーベル =
| 姉妹誌 = [[ラジオの製作]]<br />[[月刊マイコン]]<br />[[電子工作マガジン]]
| ウェブサイト =
| 特記事項 = 刊行期間は独立創刊後のもので、それ以前に『ラジオの製作』別冊付録・『月刊マイコン』『ラジオの製作』別冊として発行されたものがある。<br />本誌休刊後、『電子工作マガジン』のコーナー・別冊付録として再登場している。
}}
『'''マイコンBASICマガジン'''』(マイコンベーシックマガジン)は、[[電波新聞社]]が[[1982年]]から[[2003年]]まで刊行していたホビーユーザー向け[[パーソナルコンピュータ]](パソコン)関連雑誌。略称は「'''ベーマガ'''」。判型は当初B5、1990年4月号からA4変形。発売日は当初は毎月10日で、1986年2月号から毎月8日となった。
[[2015年]]に[[電子工作マガジン]]でコーナーとして再登場し、[[2018年]]から別冊附録化されている。
== 概要 ==
創刊当時、パソコンといえば、[[BASIC]][[インタプリタ]]をROM内に搭載、もしくは標準で添付した[[8ビットパソコン]]([[ホビーパソコン]])や[[ポケットコンピュータ]]が主流だった。そしてパソコンの入門といえば、BASICのコマンドの文法からプログラミングまで、実際に動かして習得することだった。
本誌でもっとも特徴的なのは、読者が投稿したオリジナルの[[プログラム (コンピュータ)|プログラム]]を掲載していたことである。当時はメーカーごとの仕様に基く、互換性の低い数十種類のBASIC言語が存在しており、本誌では各機種に対応したプログラムのリスト([[ソースコード]]を印刷した物)を掲載していた。読者はこれを見ながら自分の手で入力し、そのプログラムが提供する主に[[コンピュータゲーム|ゲーム]]を楽しんだ。誌名のとおり、基本的にBASICのプログラムが掲載された一方、[[機械語]]を併用したものや、ごく一部ながらほとんどが機械語のプログラムもあった(ダンプリストをモニタで直接入力する形式ではなく、ダンプリストをバイナリに変換しながらメモリに配置するBASICプログラム)。後期には、時代の趨勢もあり[[C言語]]、[[Delphi]]、[[Hot Soup Processor|HSP]]など、BASIC以外の[[高級言語]]によるプログラムも掲載するようになった。
誌名が変わらなかったのは、「BASIC」の意味にBASIC単語以外に、基本(ベーシック)を大切にするプログラミング誌の意味が込められていたからだとされる<ref name=":0">さやわか『ゲーム雑誌ガイドブック』(2019年、三才ブックス)12頁</ref>。この姿勢から紙面ではしばしば半ば冗談で「ベーマガは教育誌」という単語が踊っていた<ref name=":0" />。
ゲーム以外にも、カロリー計算やキャラクタエディタなどといった、小規模ながら多岐にわたる「実用プログラム」も掲載された。[[1986年]]頃からは、ゲームメーカーの許可を得て、[[ゲームミュージック]]をパソコンで鳴らすプログラムや、楽譜も掲載されるようになった。
ゲームのプログラムリストを掲載していた雑誌としては、本誌の他に『[[I/O (雑誌)|I/O]]』、『[[PiO]]』、初期の『[[ログイン (雑誌)|ログイン]]』などがあった。これらの雑誌では実行速度の遅いBASICのプログラムではなく、処理が高速でアクションゲームを作るのに有利な機械語のプログラムを掲載していることがほとんどだった。しかも[[アセンブリ言語]]のソースコードではなく、ダンプリストの形でプログラムが掲載されており、すなわち0からFまでの[[十六進数]]の羅列であるため、読者が直接プログラムの内容を読み取ることが難しかった上に、入力ミスをした場合に問題箇所を見付けて修正するにも技術を必要とした。それに対して、本誌が掲載するBASICはインタプリタ型の高級言語であるため、予約語は簡易な英語をベースとしており記述の意味を読み解くことが容易で、入力に不整合があればエラーメッセージが表示されるため、入力の動機が「ゲームを遊ぶこと」であっても、自ずとプログラムの学習に繋がっていった。
プログラムには、作者が変数の用途、アルゴリズムの解説、機械語を併用している場合はその解説、ちょっとしたテクニックなど簡単な説明を付けているものもあり、改造などによって更に理解を深めることも可能だった。このような性質から、当時は[[情報技術|IT]]業界への登竜門のひとつとして本誌が位置づけられていた。[[ウルフ・チーム]]に就職し『[[ソル・フィース]]』を製作したという経歴で本誌に紹介された<ref>『マイコンBASICマガジン』1991年1月号pp.226-227。</ref>'''[[谷裕紀彦|Bug太郎]]'''など、本誌のプログラム投稿者がそのまま[[コンピューターゲーム]]や[[アプリケーションソフトウェア]]の本職のプログラマとなった例もある。
若年者、入門者向けの側面として、[[大学入試センター試験]]の数学で出題される「情報処理」分野の解説がある。BASICのプログラムや、アルゴリズムの考え方に特化した試験対策は、他の参考書ではまず見られなかった。
== 略歴 ==
=== 創刊 ===
趣味に於ける電気・電子回路や電子工作関連の月刊誌『[[ラジオの製作]]』の別冊付録として、[[1981年]]4月発売の5月号から発行された。[[1982年]]3月<ref group="注">誌名は『マイコンBASICマガジン パソコン・ゲーム大全集』。</ref>と5月<ref group="注">誌名は『マイコンBASICマガジン パソコン・ゲーム大全集Ⅱ』。</ref>には、『[[月刊マイコン]]』・『ラジオの製作』別冊として単独で発売されている。その後、1982年6月発売の1982年7月号で、『ラジオの製作』から独立する形で創刊された。
創刊当時は「パソコン」という語が普及しておらず、後にパソコン([[パーソナルコンピュータ]])へ分類されるものについても一般的に「マイコン」([[マイクロコンピュータ]]の略)と呼ばれる事が多かったため、冠称が'''マイコン'''になっている。ただし姉妹誌の『月刊マイコン』が'''My Computer'''の略だった事もあり<ref group="注">1992年に'''My Computer Magazine'''と誌名も改称されている。</ref>、本誌についても編集部は「マイコンピュータの略」と言っていた。
毎号数十本ものプログラムリストが掲載されてはいたものの、1機種あたりだと多くても数本程度しかないため、他機種のプログラムも活かせるよう、各機種のBASICの「方言」などについてまとめられた「移植テクニックマスター大作戦」という特集記事が、創刊号から長期に渡って連載された。
[[1980年代]]を通して、非常に高価な8ビットパソコンがごく限られたマニアの物だった時代から、[[ファミリーベーシック]]や[[MSX]]・ポケットコンピュータ等、安価な機種の登場する時代を経て、次第に工学的な興味を持った大学生はもとより、小中高校生に到るまで、幅広い年代に手が届く頃になると、様々な機種用のプログラムが投稿・掲載されるようになる。
=== プログラム投稿誌へ ===
やがて同社専門分野向けの『[[月刊マイコン]]』、[[アスキー (企業)|アスキー]]が発売していた専門分野向けの技術誌色の強い『[[月刊アスキー]]』、幅広いパソコン関連情報を掲載した[[工学社]]の『[[I/O (雑誌)|I/O]]』、最も早く休刊した[[廣済堂]]の『[[RAM (雑誌)|RAM]]』という4大誌と順位が入れ替わり、プログラミング投稿誌としての地位を築いた。
なお同世代の他誌には、アスキーのゲーム寄り姉妹誌である『[[ログイン (雑誌)|ログイン]]』、『I/O』の読者投稿に特化した『[[PiO]]』、[[徳間書店]]のゲーム情報誌『[[テクノポリス (雑誌)|テクノポリス]]』や読者投稿に特化した『[[プログラムポシェット]]』、[[新声社]]の[[アーケードゲーム]]専門誌『[[ゲーメスト]]』、[[小学館]]のマイコン雑誌『[[ポプコム]]』、[[角川書店]]のゲーム専門誌だった『[[コンプティーク]]』等がある。
=== ゲーム情報誌として ===
[[1983年]]11月号から、[[アーケードゲーム]]等の情報を扱う「スーパーソフトマガジン」という別冊付録が付くようになる。[[ナムコ]]の開発室から提供された[[ゼビウス]]に関する様々な設定情報などは、現在でも貴重な資料としての価値をもつ。[[パソコンゲーム]]の攻略法が載っていた時期もあり、[[山下章]]、[[手塚一郎]]などが執筆していた。巻末には全国の[[ゲームセンター]]100店舗に及ぶ協力店から寄せられた「ハイスコアランキング」(当時は通信機能搭載のゲーム機は無かった)が掲載され、腕自慢にわざわざ協力店に出向いてハイスコアを叩き出すゲーマーもいた程である。
当時としては他に類を見ない濃い内容のコンピュータビデオゲーム情報誌の側面を持っており、本誌よりむしろ別冊付録を目的として買う読者も出現した。しかし付録だけを万引きされる問題が発生したため、[[1985年]]1月号より「スーパーソフトコーナー」として巻末に一体化することになる。なお、[[アダルトゲーム]]に関する情報を一切掲載しないのも特徴の一つである(例外として、販売店の広告内では当たり障りのない範囲でタイトル名や画面写真、パッケージ写真が掲載されることはあった)。
その後もパソコン・コンシューマー・アーケードを問わずコンピューターゲーム関連の記事が幅広く掲載され、パソコン雑誌でありながら、総合的なゲーム情報誌としての一面がより色濃くなった。ゲーム関連の記事のページ数がプログラミングなど技術系の記事を上回った時期や、表紙の写真がパソコンではなくゲーム機やアーケードゲーム基板だった号もあった。
広告掲載や関連記事掲載、また電波新聞社(後の[[マイコンソフト]])が発売している[[ビデオゲーム|アーケードゲーム]]からの[[移植 (ソフトウェア)|移植]]パソコン向けゲームソフトウェアの開発といった事情にも絡み、[[ナムコ]]や[[セガ]]・[[タイトー]]といった大手の[[アーケードゲーム]]メーカーとの間に築かれた関係も深く、精力的にメーカー内の開発者を交えて、内部開発資料から起こした高品質のゲーム紹介記事を掲載するなどしていた。しかし、次第にゲームメーカーの群雄割拠から、全てのゲームメーカーを網羅しきれなくなり、1980年代末から[[1990年代]]初頭には、他社ゲーム専門誌に読者を奪われる結果となった。
[[1989年]]5月号から[[1990年]]3月号まで、「レッツプレイ!コンピュータ・ミュージック」として[[DTM]]に特化した別冊付録が添付され、1990年4月には[[Computer Music Magazine]]として独立している。その後[[1999年]]6月号から再度別冊付録となった後、同誌は同年10月に休刊した。
=== 斜陽 ===
その後長らくは、既に市場から姿を消した機種を含むパソコン関連のプログラムを掲載する傍ら、新製品の紹介やゲームレビューなどを地道に掲載し、一定の固定読者層を獲得していた。一方で、90年代に入ると、パソコン低価格化の流れを受け、実用機としてのパソコン記事需要が伸びていったことで<ref name=":0" />、巻頭掲載の実用パソコン記事、投稿プログラミング、ゲーム攻略、紹介記事という3要素がそれぞれ別の読者を抱え、分断されたような様相を見せていった<ref name=":0" />。
[[1995年]]4月号から10月号までは[[CD-ROM]]が付録となった。インタビューやレポートなど独自の動画を[[Video for Windows]]によって複数収録しており、Windowsで収録コンテンツを閲覧できるほか、オーディオトラックに投稿プログラムの[[データレコーダ]]音声を収録するという珍しい試みも行われた。付録CDは7号で終了となったが、その後はCD-ROM付きの別冊『BASIC Magazine CD-ROM Special』(4号以降は正題が『オリジナル・ゲームGRAND PRIX』、副題が『BASIC Magazine CD-ROM Special』となる)が5号まで発行された。
しかし[[インターネット]]が普及して以降、プログラムソース配布も個人が自分の[[ウェブサイト]]を介して行う様式が定着、プログラム投稿誌としての需要の低下が進んでいく。
そんな時代の中で発行された[[1999年]]4月号では、「リニューアル」と称して、価格は据え置きのままで、当時250~280ページ程度だった総ページ数が186ページになり、内容も大幅に削減されてしまう。ゲーム関連記事は大幅に削減された<ref name=":0" />。この号が発売された途端、公式サイトや読者が運営するサイトなどの[[ウェブサイト]]で、編集部や内容に対する不満や絶望視する発言などが多く見られるようになり、購読をやめる読者も続出。特にリニューアル直後は、自身のウェブサイトや掲示板上で「今月で買うのをやめます」と宣言する読者も少なくなかった。本そのものが明らかに薄くなってしまった問題に、[[1999年]]7月号にて「紙を厚くする」という対応をしたことも、読者の不信と不満をかえって募らせる結果となってしまった。
なお、本誌の産みの親である『[[ラジオの製作]]』は、本誌のリニューアルと同じ[[1999年]]4月号にて、月刊誌から季刊[[ムック (出版)|ムック]]に変わると発表された。しかし、後に一号しか発行されず、雑誌としては事実上廃刊している。
=== 休刊 ===
その後、[[2001年]]4月号では、長年本誌を支えてきた市販ゲーム関連の記事を全廃し、中高生向けのパソコン入門誌として特化を試みた。しかし、削除された記事に代わる他の記事が充実した訳ではなかったため、ページ数は130ページとさらに減少。紙は厚いのに本はかつてのリニューアル前より薄くなった。これにより、新たな中高生の読者を獲得しないまま古くからの読者が離れてしまった。
[[1996年]]当時28万6000部<ref>『マイコンBASICマガジン』1996年5月号p.101。</ref>あった発行部数は、[[2003年]]には8分の1程度まで減少してしまい、ついに2003年4月8日に発売された2003年5月号(通巻251号)をもって休刊となった。
休刊する事実は、休刊号発売のおよそ半月前である2003年3月25日に公式サイト上で発表され、[[ITmedia]]など複数のIT系ニュースサイトがニュースとして取り上げた<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.itmedia.co.jp/news/0303/26/njbt_02.html |title=ITmedia News:ベーマガ、4月8日発売号で休刊へ |accessdate=2018-08-13}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url= https://pc.watch.impress.co.jp/docs/2003/yajiuma/2003_01.htm#basic|title=やじうまPC Watch:さようなら「ベーマガ」 |accessdate=2018-08-13}}</ref>。また公式サイトの掲示板には、当時の購読者やニュース記事で休刊を知ったかつての読者から、休刊について惜しむ声や本誌への想いなど多くの書き込みが寄せられた。
=== 休刊後 ===
休刊から7年後の[[2010年]]、「ゲームプログラマーの育成に対する多大なる貢献」として、[[CEDEC AWARDS]] 2010(プログラミング・開発環境部門)の最優秀賞を「元 『マイコンBASICマガジン』編集部とプログラム投稿者」が受賞した<ref>[http://cedec.cesa.or.jp/2010/event/awards/prize/ CEDEC AWARDS 2010 最優秀賞発表!]、コンピュータエンターテインメント協会 - 2019年3月30日閲覧。</ref>。元編集長の大橋太郎が代表してトロフィーを受け取り、後述のイベントなどで度々披露している。
2015年11月8日、[[3331 Arts Chiyoda]]にて、トークイベント「ALL ABOUT マイコンBASICマガジン」が開催<ref>{{Cite web|和書|url=http://basicmagazine.wixsite.com/aabm|title=ALL ABOUT マイコンBASICマガジン|accessdate=2018-03-16}}</ref>。山下章を総合司会に、かつてのライターや編集者が登壇し、当時を振り返った。オープニングムービーとして、1992年に開催された「シャープ第一回X68000芸術祭」のオープニングムービーを映像・音声ともにセルフパロディしたものが使われた。会場規模が定員500人程度と小さいため、入場チケットは発売即日完売した。
[[2018年]]1月14日、より大きな会場である[[読売会館#有楽町よみうりホール|よみうりホール]](客席1,100席)にて、同様の趣旨のトークイベント「ALL ABOUT マイコンBASICマガジン II」が開催された<ref>{{Cite web|和書|url=http://basicmagazine.wixsite.com/aabm2018|title=ALL ABOUT マイコンBASICマガジン II|accessdate=2018-03-16}}</ref>。
=== 電子工作マガジンでの復活 ===
電波新聞社から[[2008年]]より季刊誌『[[電子工作マガジン]]』が刊行されている。本誌はベーマガの源流であった『ラジオの製作』の流れを引き継ぐ電子工作雑誌であり、編集長はベーマガの編集長であった大橋太郎である。
[[2015年]]3月19日発売の『電子工作マガジン』No.26(2015年春号)から「マイコンBASICマガジン」と称したコーナーが掲載され、また[[くりひろし]]による漫画「時空を超えて!帰ってきた パソコン・レクチャー」も連載されている。今後の展開によっては、月刊誌としてベーマガを復刊する事も検討していると、編集長がFacebookで投稿している<ref>{{Cite web|url=https://www.facebook.com/taro.ohashi.71/posts/2130718940322563|title=Taro Ohashi|accessdate=2018-12-19|website=www.facebook.com|language=en}}</ref>。
2018年12月19日発売の『電子工作マガジン』No.41(2018年冬号)<ref>{{Cite web|和書|url=https://denkomagazine.net/2018/12/19/%E9%9B%BB%E5%AD%90%E5%B7%A5%E4%BD%9C%E3%83%9E%E3%82%AC%E3%82%B8%E3%83%B3-2018-winter-12%E6%9C%8819%E6%97%A5%EF%BC%88%E6%B0%B4%EF%BC%89%E7%99%BA%E5%A3%B2/|title=電子工作マガジン 2018 WINTER 12月19日(水)発売 – 電子工作マガジン|accessdate=2019-01-06|website=denkomagazine.net}}</ref>から、『マイコンBASICマガジン』が別冊付録として収録されるようになった。別冊付録第1号の表紙は、元祖である『ラジオの製作』別冊付録時代の第1号の表紙を模したものになっている。『ラジオの製作』別冊付録第1号の表紙は、PRINTやLETなどのBASICのコマンドを列挙する形でレイアウトされていたが、『電子工作マガジン』別冊付録第1号は、[[IchigoJam]]、[[Hot Soup Processor|HSP]]、IchigoLatteなど今時のコンピュータや言語の名称を列挙している。
== 主な連載記事・コーナー ==
{{節スタブ}}
=== 前半ページ(技術系) ===
;プログラムコーナー
:本誌の看板コーナーである。読者投稿のプログラムリストが機種別に掲載された。実用プログラムやゲームミュージックプログラムは単独でミニコーナー化された。
:一部のプログラム(末期は全プログラム)には「CHECKER FLAG」という欄が設けられ、指摘事項や改造ポイントなどがDr.Dを中心とする編集部の面々の雑談形式で伝えられた。ミュージックプログラムコーナーには「○○先生から一言」という同様の欄があり、担当ライターによる評価が伝えられた。
:リストの長さが半端でページに余白が生じた場合、読者投稿のイラストで穴埋めする事が多かった。個別のコーナー宛ではないイラストは、ここか後述の「あくせすROOM」に掲載された。
;OFコーナー
:プログラムコーナーの各ページ下部欄外に設けられた、短文投稿コーナー。OFとは'''OverFlow'''の略で、BASIC言語において[[変数 (プログラミング)|変数]]の値が制限値を超えてしまうエラーになぞらえている<ref group="注">[[PC-6000シリーズ|PC-6001]]などエラーメッセージを簡略化している機種で、OverFlowを"OF"と略していた。</ref>。アンケート葉書に書かれた読者の一言やそれに対する編集部からの返事、編集部の珍事件などが面白おかしく書かれていた。稀にライターや[[マイコンソフト]]のプログラマー、[[奥村印刷]]の担当者が登場することもあった。
:コーナーの文章量は原則として各ページ2行だが、ごくまれに内容が更にあふれ出て3行に渡ってしまうことがあり、翌月のOFで読者に指摘されるのがお約束だった。
;パソコンレクチャー
:くりひろしによる編集部漫画。パソコンのハード・ソフト両面にわたる技術を、基礎的なものから先進的なものまで紹介した。1985年8月号の初掲載以後、休刊号まで休載することなく連載された。ちなみに、くりひろしをスカウトしたのは断空我である<ref>{{YouTube|XuUQxXQErRU|ALL ABOUT マイコンBASICマガジン 2015 イベントダイジェスト映像}} 3分18秒付近。</ref>。
;Dr.Dのちょっと背のびのBASIC講座
:Dr.Dを教師、影さん・編さん・つぐ美ちゃんを生徒として、毎回1つのゲームを作り、その過程でプログラミングテクニックを紹介するコーナー。
;先生と生徒のためのBASICプログラミング講座
:
;Bug太郎のプログラムタイム
:
;Visual Basic研究所
:
;影のBlack Box
:ゲームのアイデアを募集・掲載するコーナー。パソコンを持っていない読者、またはプログラミングが不得手な読者が投稿したアイデアが掲載される。他の読者がそのアイデアを元に実際のゲームプログラムを作成し、プログラムコーナーへ投稿することが期待され、実際にそういったプログラムが数本掲載された。
;つぐ美のWhite Room
:ゲームプログラムに関するクイズコーナー<ref group="注">数ヶ所欠落した短いプログラムに対し、ゲーム内容などから本来あるべき記述を推定する、穴埋めクイズが多く見られた。</ref>。正解者に抽選で景品がプレゼントされた。
=== 後半ページ(ゲーム系) ===
;スーパーソフトコーナー
:アーケードゲームの新作ゲーム、ファミコンなどのコンシューマーの新作ソフト、パソコンゲームの新作ソフトの紹介ページ
;チャレンジ! パソコンアドベンチャー・ゲーム
:新作ゲームのレビューコーナー。場面ごとの画面写真を列挙し、キャプションで場面の解説や感想を記述する。後年にはアドベンチャーゲーム以外のジャンルも紹介されるようになり、それに伴って誌面の構成も文章の比率が上昇するなど変化していった。
;レスキューAVG&RPG
:ゲームの攻略法を始めとする質問を読者から募集し、ライターが回答するQ&Aコーナー。当初は山下章が担当で、山下の看板コーナーだった。後に「レスキュー隊」と称する若手ライターを誌上で公募し、レスキュー隊の看板コーナーになった。
;読者の広場
:「レスキューAVG&RPG」から派生した、ゲームの質問以外の投稿を紹介するコーナー。ゲームやゲーム業界に対する意見、イベントの紹介や参加レポート、同人サークルの紹介や告知、ライターの趣味に関する雑談などがあった。
;読者の闘技場
:「読者の広場」がリニューアルする形で登場した読者投稿コーナー。コーナー名は『[[ドラゴンクエストIII そして伝説へ…|ドラゴンクエストIII]]』に登場する「モンスターの闘技場」に由来する。主にウケ狙いの葉書を募集し、採用者(闘技場戦士と呼ばれる)には「経験値」が貯るシステムで、規定の期間で一定の経験値に到達した者、あるいは最も多くの経験値を貯めた者に賞品が与えられる。ウケ狙いが前面に押し出されているため、ベーマガの中でも特異なコーナーになって人気を博し、リニューアルを繰り返して10シーズンもの間連載され続けた<ref group="注">「読者の闘技場」と「新・読者の闘技場」の間、「新・読者の闘技場」と「真・読者の闘技場」の間には休載期間がある。「真」以降はほぼ継続して連載された。</ref>。
:*読者の闘技場
:*新・読者の闘技場
:*真・読者の闘技場
:*極上・読者の闘技場
:*風来・読者の闘技場
:*読者の闘技場 for Windows95
:*みらくる読者の闘技場
:*試験に出る読者の闘技場(1st)
:*試験に出る読者の闘技場(2nd)
:*さようなら読者の闘技場
;山下章のホンキでPlayホンネでReview!!
:
;読者の意見 ホンキでPlayホンネでReview!!
:
;バトル・オブ・ストリートファイターII
:当時絶大な人気を誇っていた対戦格闘ゲーム『[[ストリートファイターII]]』の編集部内大会の模様を描いた小説。著者は山下章。1991年7月号の連載開始後、2/3程度の対戦まで描かれた1992年4月号を最後に中断した(途中2回の休載あり)。
:後に『ALL ABOUT [[ぷよぷよ]]』が発売された際、本コーナーのオマージュである「バトル・オブ・ぷよぷよ」が掲載された<ref group="注">1993年5月21日に秋葉原ラオックス・コンピュータ館で開催された、出版社対抗ぷよぷよ大会の模様を描いた小説。なお、大会は1位・2位をベーマガチームが独占した。</ref>。著者は同じく山下章。
:2018年1月14日に行われたイベント「ALL ABOUT マイコンBASICマガジンII」にて、連載中断から26年を経て、結末までの書き下ろしを含む単行本(同人誌扱い)『バトル・オブ・ベーマガライターズ』の発行が発表された。「バトル・オブ・[[F-ZERO]]」<ref group="注">ベーマガ1991年2月号に掲載された「F-ZERO 1分59秒台への道」を改題したもの。コースのひとつ「MUTE CITY I」で、当時まだ任天堂でしか記録されていなかった2分未満のタイムレコードを実現するまでの技術開発の模様を描いた小説。同記事は翌月から「F-ZERO 1分58秒台への道」として、コース毎の最速タイムレコードやテクニックを掲載するコーナーになった。</ref>と「バトル・オブ・ぷよぷよ」を併録している。同イベントの会場内で限定版を販売し、後に協力店舗で通常版が発売された。
;ファンタジー通信
:
;ペーパーアドベンチャー
:[[ゲームブック]]形式の読者投稿を掲載するコーナー。担当は手塚一郎。2頁程度に詰め込む都合上、パラグラフ毎の描写は極めて簡潔で、また前兆無くゲームオーバーに直結するなど理不尽な選択肢も多かった。
:手塚が「アドベンチャーゲームを紙でプレイする」ことを企図して作った同人誌が端緒で、連載も当初は手塚が制作した作品を掲載していた。第1回が掲載された1984年8月号は同年7月発売で、これは日本で最初のゲームブック単行本が発売される2ヶ月前、世界的ベストセラーの『[[火吹山の魔法使い]]』が翻訳出版される半年前である。結果として本コーナーが日本におけるゲームブック普及の一助となったが、手塚は海外にゲームブックというものが存在していることを知らずに偶然同じものを作ったと語っている。
;ORGのテーブルトークRPGコーナー
:[[オーアールジー|ORG]]の[[大貫昌幸]]による、黎明期の[[テーブルトークRPG]]を紹介するコーナー。『[[ワープス]]』のリプレイが連載された。後にリプレイ形式で各種TRPGを紹介するコーナーになった。
;チャレンジ!ハイスコア
:全国のゲームセンターでプレイされるアーケードゲームのハイスコアランキングを提携ゲームセンターごとにリストアップした物を掲載したページ。
;Software House Hot Information
:1999年11月号からは「Software Maker Hot Information」。ゲームソフトメーカーの情報コーナー。「Hummingbird Soft Land」([[ハミングバードソフト]])、「T&E PRESS番外編」([[T&E SOFT]])、「ベーセガ」([[セガ]])など。各社が1ページないし2ページを持ち、新作紹介などを掲載した。記事のような体裁だが実際は広告ページであり、各社は広告費を支払ってページを持っていた。ページの使い方はかなり自由にされていたようで、独自に読者投稿コーナーを設けたところもあり、宛先もベーマガ編集部ではなく各社だった。
:;なにわ通信
::[[マイコンソフト]]の情報コーナー。タイトル冠文の募集や「シテオク劇場」などで独自の雰囲気を作っていた。
;ビデオゲームグラフィティ
:読者がアーケードゲームでタイトル不明、年代不明、メーカー不明のゲームの質問を投稿してライターの[[見城こうじ]]が答えて解決するQ&Aコーナー。
=== その他 ===
;あくせすROOM
:ベーマガ自体の情報コーナー。時期によって内容が異なるが、プログラムコーナーの印刷ミスや致命的バグなどの訂正、Software House Hot Informationに参加していないメーカーのゲームに関するイラスト投稿、お知らせなどが掲載された。
== 編集部 ==
月刊マイコンの読者コーナーから引き続き、本誌でも編集部メンバーに個性が設けられ、漫画やOFコーナー、コラムなどで描かれた。それぞれモデルとなった編集者が実在し、イベントや他誌のインタビュー等に実名で登場したことがある。<!-- 編集長は電波新聞社のイベントに実名で多数出演している。影さんと編さんも2015年・2018年のイベント「ALL ABOUT マイコンBASICマガジン」に実名で出演。また編さんは、他誌のインタビュー等に登場したことがある。 -->
;影さん
:サングラス、マスク、トレンチコートという不審者スタイルがトレードマークのダメ編集部員。読者にとっては一番親しみやすい存在で、OFコーナーなどで度々遊ばれていた。触れたパソコンが爆発するという特技を持つ、と描かれていた。ベーマガ創刊以前には「ラジオの製作」で[[BCL]]コーナー、投書欄を担当していた。
;編さん
:影さんと対をなす真面目な編集部員。[[中日ドラゴンズ]]ファン、[[コラムス]]名人などの特徴を持つ。[[エドモンド本田]]使いでもあることから、連載小説『バトル・オブ・ストリートファイターII』では「本田部屋」を開いてライターから弟子を取っていた。
;Dr.D
:デバッグ博士(ドクター・デバッグ)。主にCHECKER FLAGで、読者のプログラムに辛口の批評を付けていた。時に投稿者のバグを放置して掲載し、修正を促す厳しい側面もある。「パソコンレクチャー」「Dr.Dのちょっと背伸びのBASIC講座」などのコーナーで教師役を務めることが多い。
;つぐ美ちゃん
:編集部の紅一点。当初はアイドル的存在だったが、初登場時から休刊までずっと年齢が20歳のままであり、読者から度々突っ込まれるようになった。誕生日は[[11月11日]]<ref>『マイコンBASICマガジン』1994年5月号p.128。</ref>。
;編集長
:一番偉い人。影さんの奇行に上司の立場から突っ込み・苦言を呈する登場が多い。初期には影さん・編さんと一緒に、Dr.Dからプログラミングを教わることもあった。
この他、ごく初期には「ラジオの製作」の編集部員であるみどりさん、タロベエ、水虫仮面が登場することもあった。
== 主なライター ==
=== 技術系 ===
* [[丹治佐一]]
* [[断空我]]
* [[森巧尚]]
* [[高橋はるみ (ゲームクリエイター)|高橋はるみ]]
* [[谷裕紀彦]](Bug太郎)
* 東幸太
* 山崎寛(やまかん)
* 竹宮恵亀(VB研所長)
** 助手1号
** 助手2号
** 助手4号
* 石川直人(VB研助手3号)
=== 音楽系 ===
* [[古代祐三]](YK-2)
* [[永田英哉]](Yu-You)
* [[川野俊充]](はちみつ川野、とちもつ川野)
* [[後藤浩昭]](GORRY)
* [[荒木潤]]
* [[粟田英樹]]
* [[源康史]]
* Silpheed☆
=== ゲーム系 ===
* [[山下章]](幸運私真矢)
* [[ベニー松山]](TOMMY)
* [[手塚一郎]]
* [[見城こうじ]](鈴木宏治)
* うる星あんず(師範代大堀、[[大堀康祐]])
* 響あきら([[MMR (漫画)#MMRメンバーとその関係者|池田雅行]])
* [[猪野清秀]]
* EXCHANGER
* 山下信行(やんま)
* 大出綾太
* 山田真也(GIL)
* 仲みゆき
* 中村京子(kyou)
==== 第一次レスキュー隊 ====
* No.1 [[清水毅]]
* No.2 原田賢
* No.3 川合竜也
* No.4 [[引本高征]](ロッキー引本)
* No.4' 大亘康平(大亘理泰衡、大亘理零夢)
* No.5 尾林安政
* No.6 南泰人
* No.7 君島隆之
* No.8 青木聡
* No.9 亀田直人
* No.10 高橋純一
==== 第二次レスキュー隊 ====
* No.11 [[石井弘一]](情報局長(初代)<ref name="bm199903-202">『マイコンBASICマガジン』1999年3月号p.202。</ref>)
* No.12 倉本一浩(KERA)
* No.13 [[佐久間亮介]](藤井砂姫)
* No.17 煌竜
* No.X 今聡
==== 第三次レスキュー隊 ====
* No.21 鹿島五郎(解せないクン<ref name="bm199903-202" />、編さんJr.<ref>{{Twitter status|Gessey9|954674990456086528}}</ref>)
* No.22 久保田裕之(ASP.久保田)
* No.22' 千歳秋吉
* No.23 板場利光(いたばし)
* No.24 NAGACY
* No.25 藤吉彰
* No.26 若林大亮
* No.27 長谷川真一
* No.1110 川口晋護(キャプション川口)
=== その他のライター ===
* [[くりひろし]]
* [[赤烏龍吉]]
* [[服部陽一郎]](陽の字)
* [[FURU]]
* [[斉藤久典]]
* [[内藤寛]]
* 藪良小路
* 保多手力也
* 京極順一
* 片平鍾瀛
* みるきぃぷりん☆
* [[松田ばんれい]](松田晩鈴)
* [[野沢プロト]]
== 別冊 ==
『プログラム大全集シリーズ』『マイコンBASICマガジンDELUXE』などとして、各種の[[書籍]]・[[ムック_(出版)|ムック]]が出版されていた。以下に一例を挙げる。
* 『PC-8801・8001プログラム大全集』 - プログラムコーナーの総集編。様々な機種のものが出版された。
* 『ゲーム・ミュージック・プログラム大全集』 - こちらもミュージックプログラムの総集編。『I』 - 『III』まで出版。それ以降は機種別のムックが出版された。
* 『チャレンジ!!パソコンアドベンチャーゲーム』 - 山下章著。
* 『チャレンジ!!パソコンAVG&RPG』 - 山下章著。『I』 - 『V』まで出版。
* 『パソコン[[パソコン通信|BBS]]電話帳』
=== ALL ABOUTシリーズ ===
{{Main|ALL ABOUTシリーズ}}
アーケードゲームやパソコンゲームの詳解本として、「ALL ABOUT〜」または「〜のすべて」と題する別冊が多数出版された。当初はベーマガ編集部による単発の別冊として製作されていたが、1993年から[[スタジオベントスタッフ]]によるシリーズ化した。
* ALL ABOUT [[ナムコ]] ナムコゲームのすべて
* ALL ABOUT ナムコII ナムコゲームのすべてII
* [[PCエンジン|PC Engine]] HEシステムのすべて
* [[大戦略III グレートコマンダー#大戦略III '90|大戦略III'90]]のすべて
* ALL ABOUT [[ダンジョンマスター|Dungeon Master]] コンピュータRPGの名作 ダンジョンマスターのすべて
* ALL ABOUT [[ソーサリアン]] ソーサリアンのすべて
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Reflist|group=注}}
=== 出典 ===
{{Reflist|3}}
== 関連項目 ==
*[[電波新聞社]]
*[[BASIC]]
*[[パーソナルコンピュータ史]]
*[[8ビットパソコン]] - [[8ビット御三家]] - [[ホビーパソコン]]
*[[スタジオベントスタッフ]]
*[[ナイコン族]]
*[[ハンドアセンブル]]
*[[P/ECE]]
*[[プチコン]]
== 外部リンク ==
* {{Wayback|url=http://www.basicmagazine.net/|title=マイコンBASICマガジン 公式サイト|date=20030425032954}}
* {{Wayback|url=http://basicmagazine.homeip.net/|title=マイコンBASICマガジン 公式サイト (休刊後に移転されたサイト)|date=20070403103634}}
* [https://twitter.com/a_a_bm ALL ABOUT ベーマガ (トークイベント)] - [[2015年]]、[[2018年]]に行われた公式トークイベントの告知用Twitterアカウント
* [https://www.aabmg.com/ ALL ABOUT ベーマガ (データベースサイト)] - [[1997年]][[3月]]に開設。読者が作成したデータベース ベーマガ総合辞典も有り。公式トークイベントとは同名だが直接の関係はない
* [https://next.rikunabi.com/tech/docs/ct_s03600.jsp?p=000882&rfr_id=kanren 「ベーマガ」の魅力] - 懐かしの「アレ」がエンジニアの原点だ!
* [http://s-sasaji.ddo.jp/bm/ 懐パソカタログ閲覧室]-「マイコン BASIC Magazine」表紙画像(大きめ)
* [https://swinginthinkin.com/column/allabout-maikon-basic-magazine-2015/ 12年前に休刊した雑誌「マイコンBASICマガジン」、初のイベントが大盛況。リスペクト山下章さん! #ベーマガ]
{{-}}
{{DEFAULTSORT:まいこんへえしつくまかしん}}
[[Category:電波新聞社]]
[[Category:新聞社の出版物]]
[[Category:コンピュータゲーム雑誌 (休廃刊)]]
[[Category:パソコン雑誌の歴史]]
[[Category:パソコンゲーム雑誌]]
[[Category:アーケードゲーム雑誌]]
[[Category:1982年創刊の雑誌]]
[[Category:2003年休廃刊の雑誌]]
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17,689 |
ベーマガ
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頭文字に「ベ」を持ついくつかの雑誌の略称として使われている。
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"text": "頭文字に「ベ」を持ついくつかの雑誌の略称として使われている。",
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頭文字に「ベ」を持ついくつかの雑誌の略称として使われている。 マイコンBASICマガジン - 電波新聞社が刊行していたホビーユーザー向けパーソナルコンピュータ関連雑誌。
ベースボール・マガジン社 - 日本の出版社。
ベースボールマガジン - ベースボール・マガジン社から刊行されている野球雑誌。
ベーマガSTADIUM(ベーマガスタジアム) - ベースボール・マガジン社がネーミングライツを取得した大原運動公園野球場の名称。
ベース・マガジン - リットーミュージックから刊行されているエレクトリックベースをフィーチャーした専門誌。
|
頭文字に「ベ」を持ついくつかの雑誌の略称として使われている。
* [[マイコンBASICマガジン]] - 電波新聞社が刊行していたホビーユーザー向けパーソナルコンピュータ関連雑誌。
* [[ベースボール・マガジン社]] - 日本の出版社。
** [[ベースボールマガジン]] - ベースボール・マガジン社から刊行されている野球雑誌。
** ベーマガSTADIUM(ベーマガスタジアム) - ベースボール・マガジン社がネーミングライツを取得した[[大原運動公園野球場]]の名称。
* [[ベース・マガジン]] - [[リットーミュージック]]から刊行されている[[エレクトリックベース]]をフィーチャーした専門誌。
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17,690 |
アンジオテンシン変換酵素阻害薬
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アンジオテンシン変換酵素阻害薬(アンジオテンシンへんかんこうそそがいやく、angiotensin-converting-enzyme inhibitor)は、アンジオテンシンIをアンジオテンシンIIに変換するアンジオテンシン変換酵素(ACE)を阻害する薬物である。略称はACE阻害薬(エースそがいやく)。
日本薬局方に収載されているカプトプリルをはじめ、多くの薬物が臨床で用いられている。
など
など
ACE阻害薬の服用者は、ブラジキニンの分解が遅くなるため、血液透析を行う場合、ポリアクリロニトリル共重合体膜の1種であるAN69膜を使用すると、高い確率でアナフィラキシーを起こすことが知られている。
など
医薬品として用いられるアンジオテンシン変換酵素阻害薬以外に、ACE阻害作用を持った食品が存在することも知られている。例えば、イソロイシン-プロリン-プロリンの順に3つのアミノ酸が連なったトリペプチドと、バリン-プロリン-プロリンの順に3つのアミノ酸が連なったトリペプチドは、ACE阻害作用を持つ 。
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"text": "アンジオテンシン変換酵素阻害薬(アンジオテンシンへんかんこうそそがいやく、angiotensin-converting-enzyme inhibitor)は、アンジオテンシンIをアンジオテンシンIIに変換するアンジオテンシン変換酵素(ACE)を阻害する薬物である。略称はACE阻害薬(エースそがいやく)。",
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"text": "日本薬局方に収載されているカプトプリルをはじめ、多くの薬物が臨床で用いられている。",
"title": "解説"
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"text": "など",
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"text": "など",
"title": "副作用"
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"text": "ACE阻害薬の服用者は、ブラジキニンの分解が遅くなるため、血液透析を行う場合、ポリアクリロニトリル共重合体膜の1種であるAN69膜を使用すると、高い確率でアナフィラキシーを起こすことが知られている。",
"title": "透析患者について"
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{
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"text": "など",
"title": "禁忌"
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"text": "医薬品として用いられるアンジオテンシン変換酵素阻害薬以外に、ACE阻害作用を持った食品が存在することも知られている。例えば、イソロイシン-プロリン-プロリンの順に3つのアミノ酸が連なったトリペプチドと、バリン-プロリン-プロリンの順に3つのアミノ酸が連なったトリペプチドは、ACE阻害作用を持つ 。",
"title": "医薬品以外"
}
] |
アンジオテンシン変換酵素阻害薬は、アンジオテンシンIをアンジオテンシンIIに変換するアンジオテンシン変換酵素(ACE)を阻害する薬物である。略称はACE阻害薬(エースそがいやく)。
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'''アンジオテンシン変換酵素阻害薬'''(アンジオテンシンへんかんこうそそがいやく、{{lang|en|angiotensin-converting-enzyme inhibitor}})は、[[アンジオテンシン]]IをアンジオテンシンIIに変換する[[アンジオテンシン変換酵素]](ACE)を阻害する薬物である。略称は'''ACE阻害薬'''(エースそがいやく)。
== 解説 ==
[[日本薬局方]]に収載されている[[カプトプリル]]をはじめ、多くの薬物が臨床で用いられている。
;降圧作用
: アンジオテンシン変換酵素を阻害して、昇圧作用のある[[アンジオテンシンII]]の生成を抑制するとともに[[ブラジキニン]]の分解抑制による[[一酸化窒素]]の増加により末梢血管を拡張し、血圧を下げる作用を示す。
;腎保護作用
: 腎臓の[[輸出細動脈]]を拡張し、[[アンジオテンシンII受容体拮抗薬]]とともに糸球体内圧を下げることによる直接的な腎保護作用があるとされていたが、現在のメタアナリシスでは否定されている。なお腎機能が中程度から高度に低下し血清クレアチニン値が3mg/dL以上あるいは[[クレアチニンクリアランス]]が30未満の患者では、輸出細動脈の拡張に伴い糸球体内圧が過度に低下し、乏尿などにより腎機能が却って悪化することがある。
: さらにアンギオンテンシンIIの減少に伴いアルドステロンの分泌が抑制されるため、腎臓におけるナトリウムと重炭酸の排出が増える一方、カリウムの排出が抑制されるため高カリウム血症およびアルカローシスが起こり腎機能が障害される。このため、高度の腎機能低下および高カリウム血症ではACEの使用は禁忌である。
;その他
:* [[インスリン]]の感受性を改善し、その効果は、[[アンジオテンシンII受容体拮抗薬]]よりも優れるとの報告がある(FISIC試験:2011)。
:* 高齢者の肺炎防止効果が認められ肺炎発生率を1/3程度に低下させたとの報告がある([[脳卒中治療ガイドライン]]2009)。高齢者では、[[大脳基底核]]での[[ドパミン]]の産生低下に伴い咽頭知覚をになうC繊維の[[P物質]]が低下し嚥下機能が低下する事で、夜間に[[唾液]]が肺に入り[[肺炎]]が起こる。ACE阻害薬は、P物質の分解を抑制し咽頭知覚を増強することで嚥下機能を改善し、夜間の不顕性誤嚥を防止することで肺炎を防止すると考えられている(http://www.jsts.gr.jp/guideline/118_119.pdf)。
:* [[心筋梗塞]]や[[心不全]]患者の心筋リモデリングを防止し、予後の改善効果が報告されている。
;副作用
: ACEは、[[キニナーゼII]]として、[[ブラジキニン]]やP物質を分解する働きもある。ブラジキニンやP物質の過剰産生による、血圧低下や空咳などが知られている。空咳は若い女性に比較的多くみられるが、閉経後や高齢者では少なく心保護効果や誤嚥性肺炎を防止する効果がある。
: 同時にアンギオンテンシンIIの減少にともないアルドステロンの分泌が抑制されるため、腎臓におけるナトリウムと重炭酸の排出が増える一方、カリウムの排出が抑制されるため高カリウム血症およびアルカローシスが起こり腎機能が障害される。このため、高度の腎機能低下ではACEの使用は禁忌である。
: なお、レニン-アンギオテンシンーアルドステロン系は塩分とそれに伴う水分の喪失により腎臓血流量が低下した場合に循環血流量を確保するためにおもに陸生哺乳類で進化した系統である。したがって、現代人のように塩分が過多の状況ではレニンの分泌は抑制されている。
: 塩分過多の状況では[[アンギオテンシンII変換酵素阻害剤]]([[ACE阻害剤]])や[[アンジオテンシンII受容体拮抗薬]](ARB)による降圧効果は弱い。 このため、現時点の治療としては依然として塩分の制限が中心であり、これにカルシウム拮抗剤や利尿剤をARBと組み合わせた配合錠が広く使われるようになっている。
== 適応 ==
* [[高血圧]]
** [[ペリンドプリル]] ({{sname||Perindopril}}) 商品名:コバシル([[協和発酵キリン]])
** [[デラプリル]] ({{sname||Delaprill}}) 商品名:アデカット([[武田薬品工業]])
** [[トランドプリル]] ({{sname||Trandolapril}}) 商品名:プレラン([[中外製薬]])、オドリック([[日本新薬]])
** [[シラザプリル]] ({{sname||Cilazapril}}) 商品名:インヒベース([[中外製薬]])
* 高血圧 + [[心不全]]
** [[カプトプリル]] ({{sname||Captopril}}) 商品名:カプトリル([[第一三共]])
** [[エナラプリル]] ({{sname||Enalapril}}) 商品名:レニベース([[万有製薬]])
** [[リシノプリル]] ({{sname||Lisinopril}}) 商品名:ロンゲス([[塩野義製薬]])ゼストリル([[アストラゼネカ]])
** [[ベナゼプリル]] ({{sname||Benazepril}}) 商品名:チバセン([[ノバルティスファーマ]])
* 高血圧 + [[糖尿病#1型糖尿病|1型糖尿病]]に伴う[[糖尿病性腎症]]
** [[イミダプリル]] ({{sname||Imidapril}}) 商品名:タナトリル([[田辺三菱製薬]]) ※[[オーファンドラッグ]](稀少疾病用医薬品)として承認
* 日本未発売
** [[ラミプリル]] ({{sname||Ramipril}})
など
== 副作用 ==
* [[空咳]]:ブラジキニン、[[P物質]]の分解抑制によるものと考えられる
* [[高カリウム血症]]
* 味覚異常
* [[蕁麻疹]]、[[蕁麻疹#血管性浮腫|血管浮腫]]
* [[誤嚥]]の減少(副効用)
など
== 透析患者について ==
ACE阻害薬の服用者は、ブラジキニンの分解が遅くなるため、[[血液透析]]を行う場合、[[ポリアクリロニトリル共重合体膜]]の1種である'''AN69膜'''を使用すると、高い確率で[[アナフィラキシー]]を起こすことが知られている<ref>{{Cite journal |author=Verresen L. |year=1994 |title=Bradykinin is a mediator of anaphylactoid reactions during hemodialysis with AN69 membranes. |journal=Kidney international |volume=45 |issue=5 |pages=1497-503 |publisher=International Society of Nephrology |doi= 10.1038/ki.1994.195 |pmid=8072263 |url=https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/8072263 }}</ref><ref>{{Cite journal |author=Brunet P. |year=1992 |title=Anaphylactoid reactions during hemodialysis and hemofiltration: role of associating AN69 membrane and angiotensin I-converting enzyme inhibitors. |journal=American journal of kidney diseases |volume=19 |issue=5 |pages=444-7 |publisher=National Kidney Foundation |doi=10.1016/s0272-6386(12)80952-8 |pmid=1585932 |url=https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/1585932 }}</ref>。
== 禁忌 ==
* [[催奇形性]]があるため妊婦には禁忌
* 高度腎機能低下
など
== 医薬品以外 ==
医薬品として用いられるアンジオテンシン変換酵素阻害薬以外に、ACE阻害作用を持った食品が存在することも知られている。例えば、[[イソロイシン]]-[[プロリン]]-プロリンの順に3つのアミノ酸が連なったトリペプチドと、[[バリン]]-プロリン-プロリンの順に3つのアミノ酸が連なったトリペプチドは、ACE阻害作用を持つ
<ref>
[https://www.fsc.go.jp/hyouka/hy/hy-tuuchi-170512kenkouyasai100.pdf 「アミールS 健康野菜100」に係る食品健康影響評価に関する評価結果] (ラクトトリペプチド関連文書)
</ref>。
== 出典 ==
<references/>
== 関連項目 ==
* [[アンジオテンシンII受容体拮抗薬]]
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[[Category:ACE阻害剤|*]]
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奥瀬サキ
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奥瀬 サキ(おくせ サキ、1966年9月18日 - )は、日本の漫画家、漫画原作者。神奈川県出身。男性。血液型AB型。
『月刊コミコミ』(白泉社)に掲載された短編「座敷童子」でデビュー(1986年1月号掲載)。代表作に『低俗霊狩り』、『火閻魔人』・『支配者の黄昏』の桃源津那美シリーズなどの他、原作を担当したスピンオフ作品「低俗霊」シリーズなどがある。
デビュー当時のペンネームは「奥瀬早紀」、他に「奥瀬早揮」など表記違いの名義もある。
掲載誌の休刊や出版元の倒産などの諸事情から打ち切り・未完・早期終了などがたびたびある。
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奥瀬 サキは、日本の漫画家、漫画原作者。神奈川県出身。男性。血液型AB型。 『月刊コミコミ』(白泉社)に掲載された短編「座敷童子」でデビュー(1986年1月号掲載)。代表作に『低俗霊狩り』、『火閻魔人』・『支配者の黄昏』の桃源津那美シリーズなどの他、原作を担当したスピンオフ作品「低俗霊」シリーズなどがある。 デビュー当時のペンネームは「奥瀬早紀」、他に「奥瀬早揮」など表記違いの名義もある。 掲載誌の休刊や出版元の倒産などの諸事情から打ち切り・未完・早期終了などがたびたびある。
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{{存命人物の出典明記|date=2013年5月14日 (火) 03:23 (UTC)}}
'''奥瀬 サキ'''(おくせ サキ、[[1966年]][[9月18日]] - )は、[[日本]]の[[漫画家]]、[[漫画原作者]]。[[神奈川県]]出身。男性。[[ABO式血液型|血液型]][[ABO式血液型|AB型]]。
『[[月刊コミコミ]]』([[白泉社]])に掲載された短編「座敷童子」でデビュー(1986年1月号掲載)。代表作に『[[低俗霊狩り]]』、『火閻魔人』・『支配者の黄昏』の桃源津那美シリーズなどの他、原作を担当した[[スピンオフ]]作品「低俗霊」シリーズなどがある。<!--編注:シリーズ名は便宜上の物で公式な名称ではない。-->
デビュー当時のペンネームは「'''奥瀬早紀'''」、他に「'''奥瀬早揮'''」など表記違いの名義もある。<!--改名の経緯や正確な時期、旧名の使い分けの基準などが不明なため、現状の記述とした。-->
掲載誌の休刊や出版元の倒産などの諸事情から打ち切り・未完・早期終了などがたびたびある<ref>[http://oarfishsea.blog33.fc2.com/blog-entry-68.html 休載完結テンプレ] - 作者公式[[ブログ]]「OARFISH SEA」での自身の解説による。</ref>。
== 作品リスト ==
=== 連載中 ===
* 流香魔魅の杞憂([[コミックガム]]掲載、[[ワニブックス]]、2016年9月号 - )※既刊1巻(2017年8月25日時点<!--出版社公式通販での「発売日」に準拠-->)
* 火閻魔人 鬼払い([[コミックガム]]掲載、[[ワニブックス]]、2012年7月号 - )※既刊2巻(2013年9月25日時点<!--出版社公式通販での「発売日」に準拠-->)<!--編注:雑誌章扉・単行本書名などから判断して、サブタイトルのチルダ「〜」は省略。-->
=== 単行本化作品 ===
* 火閻魔人([[白泉社]]、全1巻)1987年11月30日初版発行 ※'''奥瀬早紀'''名義
** 火閻魔人(B6判、幻冬舎コミックス、全1巻)2008年12月24日初版発行 ※上記の再編集版、描き下ろしの番外編を収録、および『支配者の黄昏』を同時収録。
* [[支配者の黄昏]]([[ウィングス (雑誌)|月刊ウィングス]]掲載、[[新書館]]、全1巻)1991年12月20日初版発行 ※'''奥瀬早紀'''名義
* [[低俗霊狩り]]([[月刊コミコミ]]・[[ヤングアニマル]]掲載、白泉社、全3巻) ※'''奥瀬早紀'''名義
** 低俗霊狩り(文庫版、[[小学館]]、上下巻)1998年11月10日初版発行 ※上記の再編集版
** 低俗霊狩り(完全版、[[ワニブックス]]、全5巻)※上記に加え[[コミックガム]]連載中の新作を収録
*** ご先祖様はご機嫌斜め([[ドラゴンマガジン (富士見書房)|ドラゴンマガジン]]、1990年4・6・7月号掲載、[[富士見書房]])※'''奥瀬早揮'''名義で3話掲載。低俗霊狩りとは直接関係ない作品だが完全版第5巻に単行本初収録。
* [[コックリさんが通る]]([[週刊ヤングサンデー]]増刊・大漫王掲載、[[小学館]]、全3巻)
** コックリさんが通る Planset3 (文庫版、[[メディアファクトリー]]、上下巻) ※上記の再編集版、描き下ろしの番外編を収録。
* Flowers 第1巻(コミックバーズ掲載、[[スコラ]]、全1巻)1999年3月発行
** フラワーズ<ref>原書のカバーおよび表紙の表記を元に片仮名表記で記述。</ref> 第1巻([[ソニー・マガジンズ]]、全1巻)1999年8月発行 ※出版元移管に伴う新装版。
** Flowers 第1巻([[幻冬舎]]、全1巻)2002年7月発行 ※出版元移管に伴う新装版。
** Flowers 増補改訂版(B6判、幻冬舎コミックス、全1巻)2009年12月24日初版発行 ※新装版、未収録エピソードを収録。
* [[ドロねこ9]]([[コミックバーズ]]掲載、[[幻冬舎コミックス]]、全3巻)
* 星の夜月の空 奥瀬サキ短篇集(新書館)1992年9月20日初版発行
* 4LOST CAUSE不発作品集([[ジャイブ]])2012年2月7日初版発行 ※短編「MARYLIN REACTION」「J-HUNTER 白の戦慄」「掃天娘娘考」「COLLECTOER」収録。
=== 未収録作品 ===<!--
* MARYLIN REACTION([[メロディ]]、1998年1月号掲載、白泉社)※8ページの短編
* J-HUNTER 白の戦慄([[ヤングアニマル|月刊アニマルハウス]]、1989年7 - 10月号掲載、白泉社)※4話掲載-->
<!--* 掃天娘娘考([[ヤングテイオー]]、1995年2号 - 1996年4号掲載、[[ぶんか社]])-->
=== 原作担当作品 ===
* [[低俗霊DAYDREAM]](作画:[[目黒三吉]]、ヤングエース掲載、角川書店、全10巻)
* [[低俗霊MONOPHOBIA]](作画:[[刻夜セイゴ]]、[[ヤングエース]]掲載、[[角川書店]]、全6巻)
* [[夜刀の神つかい]](作画:[[志水アキ]]、コミックバーズ掲載、幻冬舎コミックス、全12巻)※出版元移管に伴い、第1巻 - 第4巻は新装版となる。
** 夜刀の神つかい(旧版)(ソニー・マガジンズ、第1巻 - 第4巻)※出版元移管に伴い、上記へと継続。
* [[DRAW 魔女の眠る海で]](原作担当、作画:[[阿倍野ちゃこ]]、[[ヤングチャンピオン烈]]掲載、[[秋田書店]]、全4巻)
=== 挿絵 ===
* [[眠り男の伝説]](挿絵担当、著:[[菊地秀行]]、[[徳間書店]]、[[徳間デュアル文庫]]、全1巻)2000年10月31日初版発行 ※小説の挿絵を担当
=== キャラクターデザイン ===
* [[ギルガメッシュ (漫画)|ギルガメッシュ]](アニメ、原作:[[石ノ森章太郎]]) [[関西テレビ放送|関西テレビ]]・[[フジテレビジョン|フジテレビ]]系、2003年 - 2004年
== アシスタント ==
* [[志水アキ]]
* [[井上元伸]]
== 脚注 ==
<references />
== 外部リンク ==
* [http://oarfishsea.blog33.fc2.com/ OARFISH SEA] - 現在更新中のブログ(開始:2008年9月7日)
* [https://mozmog.exblog.jp/ MOZMOG] - 奥瀬サキの旧ブログ(最終更新:2008年8月24日)
* [https://twitter.com/oarfish_sea 奥瀬サキ](@oarfish_sea) - [[Twitter]]
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京王百貨店
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株式会社京王百貨店(けいおうひゃっかてん、英: KEIO DEPARTMENT STORE CO., LTD.)は、東京都渋谷区に本社を置く京王グループの百貨店。日本百貨店協会加盟。本店は新宿駅西口(新宿区西新宿)にある新宿店だが、呼称は「新宿本店」ではなく「新宿店」 である。
ロゴマークは、開業時からの独自ロゴ(王冠マークの下に「Keio」の文字が入る青色基調のデザイン)を用い、1990年代にグループ共通の「KEIO」CIロゴが制定されてからも、引き続き独自ロゴを使用している。グループでは他にも京王プラザホテルが独自の王冠ロゴマークを使用する。
1960年(昭和35年)6月に東京都が新宿副都心計画を発表したことを受けて、京王帝都電鉄(現:現在の京王電鉄)が新宿駅と同駅付近の併用軌道を地下化すると同時に、地上に駅ビルを建設する大規模な改良工事を行うことになり、それに伴って同年の秋に百貨店業への進出を決定し、1961年(昭和36年)3月10日に株式会社京王百貨店を設立して1964年(昭和39年)11月1日に京王帝都電鉄新宿駅のビルに現在の新宿店を開店した のが始まりである。
開業時から、会員を集めて定期的に積立を行わせて積立額を上回る金額の自店でのみ使用可能な商品券を提供する友の会を設立して運営しており、関東地区では初の百貨店の友の会であった。
百貨店業界への新規参入にあたり髙島屋と資本・業務提携を結び、同社から従業員教育や仕入れなどの百貨店経営のノウハウを導入して開業した。このノウハウの指導を受けていた高島屋が1953年(昭和28年)から大阪店で「全国の観光とうまいもの大会」に併設して有名駅弁即売会を行っていた。京王百貨店新宿店でも類似の催事を行うことになり、1966年(昭和41年)に約30種類の駅弁を集めて現在の「元祖有名駅弁と全国うまいもの大会」の第1回目を開催して現在まで続く人気イベントとなっている。
1984年(昭和59年)2月から京王グループが着手した聖蹟桜ヶ丘駅周辺の総合開発により京王聖蹟桜ヶ丘ショッピングセンターが建設され、A館・B館が完成して1986年(昭和61年)3月28日に開業するのに合わせて、京王百貨店初の支店となる聖蹟桜ヶ丘店をB館に開業し、複数の店舗を展開する百貨店チェーンとなった。
開業時から資本・業務提携を行ってきた髙島屋 が新宿貨物駅跡の再開発ビル(現:タカシマヤタイムズスクエア)へ進出することに伴い、その競争を勝ち抜くための生き残り策として中高年顧客を重視する と共に一般市民の日常生活に対応した「新・大衆百貨店」をコンセプトとして1994年(平成6年)6月に改装を行って 独自色を打ち出し始め、2001年(平成13年)に京王電鉄100%出資の子会社となった。
「新・大衆百貨店」のコンセプトに基いて百貨店としてはいち早く自社プライベートブランド(PB)商品の開発に取り組み、いわゆるデパ地下と呼ばれる地下食品売り場の中核を為す総菜売場でも1994年(平成6年)6月からセルフサービス方式の総菜売場「デリカ亭」を自社で運営する など独自の商品や売場作りを行って他店との差別化や集客力増強を狙う戦略を展開した。
中高年層を重視した戦略の一環として、他の百貨店とより比較的年配の店員を多めに配置して気軽に相談しやすい雰囲気を醸し出し、顧客・商品情報システムを活用して顧客ごとに買い上げのお礼状のサンキューレターやおすすめ商品や催事などを案内するおすすめレターを送るなど上顧客にきめ細かな対応を行うようにした ほか、設備面でも中核となる4階の中高年女性向けの婦人服フロアは一角に休憩室を設置しただけでなく売場の壁沿いにも椅子を並べて疲れたときに休憩が採りやすいようにしたり、手すりや鞄を置ける棚が設置された他店よりもやや大きめの試着室も設置しているほか、全身が映る鏡があってパウダーコーナーや家族連れで来店する客を想定して男児を想定した男子トイレも設置した女子トイレを設置するなど細かな配慮をしている。
また、20~30歳の女性をバイヤーとデザイナーに起用して自分の母親に着てもらいたい感覚の商品開発をコンセプトに、若い世代の流行を採り入れながら年代による体型変化も考慮し、40から50代を対象に設定したプライベートブランド(PB)の「トライアングル」を開発・販売などを行っている。
2002年(平成14年)9月から裾を切ることによってシルエットが変わってしまうことや試着室でサイズ調整して修理の手間が掛かることを避けるために2センチ刻みで商品化した中から選べる「レングスパンツ」 などの独自の商品を用意したほか、他店がブランド導入を重視しているためにあまり設置していないセーターやブラウス及びパンツといった品目別の構成を行ったスタイルブックなどの平場と呼ばれる単品編集売り場 を積極的に設けて多くの商品の中から顧客が自分で選びやすくするなどの工夫もしている。
この平場の展開はブランド毎に分かれた売場を見て回るのでは中高年層の客は歩き疲れてしまうことへの配慮にもなっている ほか、多くのブランドなどが流行を追い掛ける為に不足しがちな商品を逆に多く並べる逆の戦略を採ることで売上を伸ばすことを可能とした。
こうした様々な取り組みの結果、2004年(平成16年)9月時点で全国百貨店平均38.5%とほぼ同じ39.2%を衣料品で売上げつつ4階の中高年女性向けの婦人服フロアでは65歳以上が63%で50歳以上86.5%とすると同時に全店売上の約70%を50歳以上の顧客が占めるなど目標通り中高年層の支持を獲得することに成功し、新宿店は店舗面積が41,294mで伊勢丹新宿本店の64,296mや小田急百貨店新宿店の57,316m、高島屋新宿店の51,913mという競合店を下回る にもかかわらず、「新宿百貨店戦争」と称された激しい顧客争奪戦 を勝ち抜き、2008年(平成20年)度の百貨店店舗別売上高ランキングで伊勢丹新宿本店の約2460.03億円と小田急百貨店新宿店の約1047.84億円に次ぐ約926.34億円で新宿地区で3位となり、高島屋新宿店を上回る売上を上げている。
また1999年(平成11年)から、卵アレルギーの人が食べられるクリスマスケーキとして、卵を使わずにできるムースを用いた商品を扱うなどアレルギーへの配慮も行い、高齢者に限らないバリアフリーの展開を図っている。
高島屋との新宿での競合により提携先を事実上失ったため、同様に高島屋と提携していたがジェイアール名古屋タカシマヤとの競合に晒されることになった名古屋の丸栄と提携したほか、大阪・梅田で当社と同じく電鉄系百貨店で多店舗展開を行っていなかった大阪の阪神百貨店(現・阪急阪神百貨店)と2000年(平成12年)から業務提携を始めた。
なお、丸栄も高島屋と競合することになったものの共に高島屋との提携によるフランスパンのフォションの営業を続ける など現在も一部で提携を続けている。
この阪神百貨店との提携により2002年(平成14年)7月に新宿店7階玩具売場に首都圏で唯一の阪神タイガースの公式ショップを開設して2003年(平成15年)3月に月間売上500万円を上げていたが、同年に阪神タイガースがセントラル・リーグのペナントレースで早くから現在首位を独走したため同年6月には15日までの半月で3000万円の売上を上げるほど売上が急増し、取扱商品数も当初の200種類から約450種類へ増やされた。
そして同年9月15日に阪神タイガースがリーグ優勝したため、翌日の16日から優勝記念セールが行われる など阪神タイガースのリーグ優勝の恩恵を受けることになった。
ただ、京王グループ全体がタイガース寄りというわけではなく、京王電鉄本社が沿線のよみうりランドに出資している関連で読売ジャイアンツのパスネットカードを発行したことがあったり、京王エージェンシーが東京ヴェルディに出資したりするなど、読売グループと提携した施策も行っている。
ところが、阪神百貨店は阪急・阪神の包括統合によりエイチ・ツー・オー リテイリング傘下の阪急阪神百貨店社運営となった上、京王と袂を分かった高島屋と業務提携関係を成したこと、また丸栄についても、再建過程で親会社となった興和の社長が百貨店業からの撤退を仄めかし、その後店舗閉店を実行して外商部門のみを存続するなど、京王の業務提携を巡る環境は年々厳しさを増しつつある。
いわゆるリーマンショック後に発生した消費不況により日本の百貨店業界の売上が急激に減少したことを受けて、他の百貨店と同様に当社も2009年(平成21年)度から約15億円を投じて行う予定をしていた新宿店レストラン街の全面改装を中止して店舗ごとの一部改装などで対応する など不況に対応した投資抑制を行ったほか、要因配置の適正化や2008年(平成20年)10月に本格稼働した新しい顧客・商品情報システムを活用して対前年比で5%以上となる約10億円の経費削減と販売促進の両立による収益の改善を目指した。
その一環としてハウスカードと外商顧客などの組織化された顧客に対して商品やフェアなどの紹介に特化したアプローチレターと呼ぶ新たなダイレクトメールを導入したり、新潟産コシヒカリや干物などを扱う友の会の会員限定の通信販売を開始したり、医療機関と提携して会員向けの婦人科検診などの割引を拡充するなど京王友の会の会員特典を強化して年間の買い物額が積立額の3~4倍といわれる友の会の魅力を利用拡大を目指す など上得意客の囲い込み強化を図って上位約30%で売上の約80%となっていたのを上位約20%で売上の約80%を上げることを目指した。
2009年(平成21年)10月にオットージャパン初の実店舗である「オットー・コレクション」、2011年(平成23年)10月に「通販生活」のブランドで知られるカタログハウス初の実店舗である「カタログハウスの店 セレクト」を開設させる など通信販売専門業者を店頭に取り込んで互いに客を紹介しあって売上を伸ばす戦略の展開も始めた ほか、地盤である新宿駅西口の魅力を高めて集客強化を図るため京王グループや同地区に本拠を置くヨドバシカメラと共同で割引やおまけのサービスを提供するクーポン冊子の配布を行う など基幹となる新宿店の集客力の強化を図っている。
また、プライベートブランド(PB)の「オンリーアット京王」を強化して2008年(平成20年)度の約12.9億円を2011年(平成23年)度に約21億円に増やすなど独自商品による売上拡大も目指すなど婦人服や服飾雑貨で低価格の戦略商品を投入した ほか、2009年(平成21年)10月からファッション商品を拡充した新たなインターネット通信販売サイトを開設し、2011年(平成23年)1月6日から伊藤忠食品と提携してインターネット通信販売サイトにパッケージ変更商品やメーカーの在庫処分品を扱う「アウトレット食品」と 賞味期限が三分の一を切った食品を扱う「食卓おたすけ便」の2つのコーナーを設けて 百貨店としては初となるアウトレット食品の常時販売を始める などインターネット通信販売でも新たな取組みを行っている。
こうした取組みにより、2010年(平成22年)5月の売上高が前年同月比2.2%増で同じ新宿地区で競合する伊勢丹新宿本店の1.9%増や高島屋新宿店の0.1%増、小田急百貨店新宿店の3%減を上回り、いち早く売上を回復軌道に乗せた。
埼玉県三郷市のJR武蔵野線新三郷駅前に2009年(平成21年)9月17日に開業した 178店舗が出店する大型ショッピングセンターのららぽーと新三郷 に初の郊外ショッピングセンター向け小型業態となる店舗面積359mのららぽーと新三郷店を開業し、京王沿線以外へ初めて進出した。
ららぽーと新三郷店は裾を切ることによってシルエットが変わってしまうことや試着室でサイズ調整して修理の手間が掛かることを避けるために2センチ刻みで商品化した中から選べる「レングスパンツ」からウオーキングシューズや帽子など新宿店の得意分野を集約して投入し、総投資額を6400万円に抑えて過半を占めることになる食料品や催事と合わせて小型店で収益を上げる事業モデルの構築を図り、自社カード会員が約3000人しかいない手薄な新しい商圏開拓を目指した。
このららぽーと新三郷店が初年度目標を30%上回って達成して軌道に乗り始めた ため、そごう八王子店が撤退した八王子駅ビルを改装して2012年(平成24年)10月に開業したセレオ八王子北館4階に、ららぽーと新三郷店とほぼ同規模の店舗面積約351mの 中高年層を対象顧客とするにしたサテライト店セレオ八王子店を開設して、婦人向けの衣料品や雑貨から化粧品などを取り扱う ことになった。さらに2015年(平成27年)4月10日には、3店目となるららぽーと富士見店をオープンした。将来的には、同様の小型店を10店舗まで拡大する計画である。
東日本大震災の発生に伴う福島第一原子力発電所の事故発生を受けて日本全国で原子力発電所が停止した関係で当社も節電を行い、その一環として2011年(平成23年)夏にスポット照明を50%削減したところ、当社が主力とする中高年層から衣料品などの商品で色が正確に確認できないとの苦情が出たため、同年7月末から8月上旬にかけて、全ての試着室の照明を屋外光に近い色味となる5000ケルビンの蛍光灯に切替える対応を行い、節電と正確な色の確認の両立を図った。
こうした従来からの主力顧客層への対応を進めながらも、他店に比べて早くから年齢の高い客層に特化した戦略を採ってきた影響で顧客の中心となる年齢層が高齢化し過ぎて消費意欲が衰えがちとなる70代以上が多くなってしまったことから、40~50代を取り込んで顧客の年齢層を引き下げ、45~69歳の顧客の構成比を従来の約30%から2012年(平成24年)度中に約40%に引上げることを目指している。
多くのことに興味・関心を持ち、自分らしい個性を重視する傾向にある40~50代を取り込む戦略として、売り場をブランド別から「ファッション」「美・健康」「食」「趣味」「暮らし」の6つを中心とする生活場面別に衣料品や生活雑貨、キッチン用品などを編集したライフスタイル提案型に切替えて展開するほか、この世代向けに旬の雑貨や衣料品などを提案する「こだわりコレクション」を展開するなど新商材の導入や売場の改装を進めていくことにしている。
京王帝都電鉄(現在の京王電鉄)の新宿駅の地下化に伴う再開発で建設された京王ビルに1964年(昭和39年)11月1日に開業した当社の1号店で本店格の店舗である。現在も登記上の本店となっている。
1984年(昭和59年)2月から京王グループが着手した聖蹟桜ヶ丘駅周辺総合開発により建設された京王聖蹟桜ヶ丘ショッピングセンターのA・B館が完成して1986年(昭和61年)3月28日に開業するのに合せてその核店舗として開業した初の百貨店の支店である。
当店の入居する京王聖蹟桜ヶ丘ショッピングセンターは裏を多摩川が流れる立地を活かして地元と協力して毎年桜祭りを開催し、周辺を緑化した街の玄関となる広場や授乳室、スポーツ施設などを整備して地元客が仲間と食事やお茶をして帰るコミュニティー化を図る地域密着の路線を採っている ため当店も地域密着型の展開をしていたが長年赤字が続いていた。
そこで、2011年(平成23年)10月に前年に他の百貨店で歳暮を注文した顧客が歳暮を手配するとギフト券を進呈する「お歳暮のりかえキャンペーン」を打ち出したり、ファッションビルなどで売られている雑貨などの取り扱いを充実させる一方で百貨店らしさも打ち出すために2012年(平成24年)3月に売り場を一部改装してイベントスペースを新設して季節に応じた提案を強化するなどの戦略を展開し、2012年(平成24年)3月に3月期に11年ぶりに黒字に転じた。
2012年(平成24年)1月に閉店したそごう八王子店の需要取り込みを目指して同店から婦人服ブランドを店長ごと迎えたり、本社勤務の社員も動員した八王子地区でチラシ配布や住民へのあいさつ回りを展開し、同年4月には八王子市在住者からの売上を前年同月比で約20%増加させるなど新たな顧客確保を目指している。
埼玉県三郷市のJR武蔵野線新三郷駅前に2009年(平成21年)9月17日に開業した 178店舗が出店する大型ショッピングセンターのららぽーと新三郷 に初の郊外ショッピングセンター向け小型業態となる店舗面積359mで開業し、京王沿線以外へ初めて進出となる小型店である。
裾を切ることによってシルエットが変わってしまうことや試着室でサイズ調整して修理の手間が掛かることを避けるために2センチ刻みで商品化した中から選べる「レングスパンツ」からウオーキングシューズや帽子など新宿店の得意分野が集約されていて、子供連れのファミリーが主要顧客で50~60代の女性のような中高年層を取り込めていないショッピングセンターの弱みをカバーすることを狙っている。
百貨店らしい催事を展開することを想定して可変性ある什器を多用し、巨額の投資をして失敗して撤退するなど成功事例が乏しい郊外型百貨店のため工夫を重ねて総投資額を6400万円に抑えて食料品が売上高の50%を占める小型店で収益を上げられるようにし、開業初年度の目標を30%上回って達成して軌道に乗せることに成功した。
また、2011年(平成23年)1月28日から2月3日まで新宿店の人気催事である「元祖有名駅弁と全国うまいもの大会」の小型版の「駅弁特別販売会」を開催する など新宿店の強みを徹底的に活用した展開を図っている。
東京都八王子市のJR八王子駅ビルのそごう八王子店の撤退跡を改装して2012年(平成24年)10月25日に開業したセレオ八王子北館 の4階にある店舗。
前述のららぽーと新三郷店とほぼ同規模の店舗面積約351mに4ブランドの中高年向け婦人服 や雑貨から化粧品、ギフトなどを取り揃えて 中高年層を対象顧客として 売場ごとに専門の販売員が担当する百貨店と同じ対面販売を行う店舗である。
東京都昭島市のJR青梅線昭島駅北口にある大型ショッピングモールのモリタウンの本館1階にある店舗。2016年(平成28年)10月オープン。
東京都武蔵野市の吉祥寺駅前にある駅ビルのキラリナ京王吉祥寺の7階にある店舗。2017年(平成29年)9月1日オープン。
東京都調布市の京王線調布駅前に2017年(平成29年)9月29日に開業した駅ビルのトリエ京王調布A館の4階にある店舗。
神奈川県相模原市緑区の京王橋本駅にある駅ナカ商業施設の京王クラウン街橋本の2階にある店舗。2021年(令和3年)4月22日オープン。
当社の親会社の京王帝都電鉄相模原線の延伸が計画され、JR横浜線・相模線と合わせたターミナル駅となることが予定されていた橋本駅前の市街地再開発で出来るビルへの出店計画で、橋本駅前再開発準備組合が行った核テナント選定のコンペに14社が参加する中でそごうや近鉄百貨店と共に最終選考まで残ったが、坪当たり8,000円以上という2倍の賃貸料を提示したそごうに決まったため出店を断念した。
そごうが経営不振で出店しなかったため、2000年(平成12年)3月4日に橋本ビブレが核店舗として開業し、その後橋本サティへの業態転換 を経てイオン橋本店となった。
2021年4月には京王電鉄の駅ナカ商業施設「京王クラウン街橋本」にサテライト橋本店として小型業態を出店している。
京王高尾線めじろ台駅(八王子市)や聖蹟桜ヶ丘駅(多摩市)に、京王リビングというミニショップもあった。
2015年(平成27年)4月10日に開業したららぽーと富士見の1階にあった。店舗面積約240mは先行する小型2店より小さめだが、中高年層に向けて婦人服・雑貨や化粧品などを展開するのは同様。食器では自社のネット通販との連動を初めて開始した。2017年(平成29年)7月15日をもって閉店。
1964年(昭和39年)の開業時から展開していた関東地方の百貨店で初の友の会が1972年(昭和47年)に割賦販売法が改正されて前払式特定取引業として規制対象となったことに伴って別会社として分離してその事業を継承する形で設立した株式会社京王友の会 や、京王パスポートVISAカードなどのカードを発行する株式会社京王パスポートクラブ、親会社の京王電鉄と折半出資で婦人服専門店「ビープロピル」などを運営する株式会社エリート、1994年(平成6年)に100%出資の子会社として設立して京王プラザホテルなどで貸衣装を展開している株式会社京王コスチューム などの関連会社がある。
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"text": "株式会社京王百貨店(けいおうひゃっかてん、英: KEIO DEPARTMENT STORE CO., LTD.)は、東京都渋谷区に本社を置く京王グループの百貨店。日本百貨店協会加盟。本店は新宿駅西口(新宿区西新宿)にある新宿店だが、呼称は「新宿本店」ではなく「新宿店」 である。",
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"text": "ロゴマークは、開業時からの独自ロゴ(王冠マークの下に「Keio」の文字が入る青色基調のデザイン)を用い、1990年代にグループ共通の「KEIO」CIロゴが制定されてからも、引き続き独自ロゴを使用している。グループでは他にも京王プラザホテルが独自の王冠ロゴマークを使用する。",
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"text": "1960年(昭和35年)6月に東京都が新宿副都心計画を発表したことを受けて、京王帝都電鉄(現:現在の京王電鉄)が新宿駅と同駅付近の併用軌道を地下化すると同時に、地上に駅ビルを建設する大規模な改良工事を行うことになり、それに伴って同年の秋に百貨店業への進出を決定し、1961年(昭和36年)3月10日に株式会社京王百貨店を設立して1964年(昭和39年)11月1日に京王帝都電鉄新宿駅のビルに現在の新宿店を開店した のが始まりである。",
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"text": "開業時から、会員を集めて定期的に積立を行わせて積立額を上回る金額の自店でのみ使用可能な商品券を提供する友の会を設立して運営しており、関東地区では初の百貨店の友の会であった。",
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"text": "百貨店業界への新規参入にあたり髙島屋と資本・業務提携を結び、同社から従業員教育や仕入れなどの百貨店経営のノウハウを導入して開業した。このノウハウの指導を受けていた高島屋が1953年(昭和28年)から大阪店で「全国の観光とうまいもの大会」に併設して有名駅弁即売会を行っていた。京王百貨店新宿店でも類似の催事を行うことになり、1966年(昭和41年)に約30種類の駅弁を集めて現在の「元祖有名駅弁と全国うまいもの大会」の第1回目を開催して現在まで続く人気イベントとなっている。",
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"text": "1984年(昭和59年)2月から京王グループが着手した聖蹟桜ヶ丘駅周辺の総合開発により京王聖蹟桜ヶ丘ショッピングセンターが建設され、A館・B館が完成して1986年(昭和61年)3月28日に開業するのに合わせて、京王百貨店初の支店となる聖蹟桜ヶ丘店をB館に開業し、複数の店舗を展開する百貨店チェーンとなった。",
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"text": "開業時から資本・業務提携を行ってきた髙島屋 が新宿貨物駅跡の再開発ビル(現:タカシマヤタイムズスクエア)へ進出することに伴い、その競争を勝ち抜くための生き残り策として中高年顧客を重視する と共に一般市民の日常生活に対応した「新・大衆百貨店」をコンセプトとして1994年(平成6年)6月に改装を行って 独自色を打ち出し始め、2001年(平成13年)に京王電鉄100%出資の子会社となった。",
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"text": "「新・大衆百貨店」のコンセプトに基いて百貨店としてはいち早く自社プライベートブランド(PB)商品の開発に取り組み、いわゆるデパ地下と呼ばれる地下食品売り場の中核を為す総菜売場でも1994年(平成6年)6月からセルフサービス方式の総菜売場「デリカ亭」を自社で運営する など独自の商品や売場作りを行って他店との差別化や集客力増強を狙う戦略を展開した。",
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"text": "中高年層を重視した戦略の一環として、他の百貨店とより比較的年配の店員を多めに配置して気軽に相談しやすい雰囲気を醸し出し、顧客・商品情報システムを活用して顧客ごとに買い上げのお礼状のサンキューレターやおすすめ商品や催事などを案内するおすすめレターを送るなど上顧客にきめ細かな対応を行うようにした ほか、設備面でも中核となる4階の中高年女性向けの婦人服フロアは一角に休憩室を設置しただけでなく売場の壁沿いにも椅子を並べて疲れたときに休憩が採りやすいようにしたり、手すりや鞄を置ける棚が設置された他店よりもやや大きめの試着室も設置しているほか、全身が映る鏡があってパウダーコーナーや家族連れで来店する客を想定して男児を想定した男子トイレも設置した女子トイレを設置するなど細かな配慮をしている。",
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"text": "また、20~30歳の女性をバイヤーとデザイナーに起用して自分の母親に着てもらいたい感覚の商品開発をコンセプトに、若い世代の流行を採り入れながら年代による体型変化も考慮し、40から50代を対象に設定したプライベートブランド(PB)の「トライアングル」を開発・販売などを行っている。",
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"text": "2002年(平成14年)9月から裾を切ることによってシルエットが変わってしまうことや試着室でサイズ調整して修理の手間が掛かることを避けるために2センチ刻みで商品化した中から選べる「レングスパンツ」 などの独自の商品を用意したほか、他店がブランド導入を重視しているためにあまり設置していないセーターやブラウス及びパンツといった品目別の構成を行ったスタイルブックなどの平場と呼ばれる単品編集売り場 を積極的に設けて多くの商品の中から顧客が自分で選びやすくするなどの工夫もしている。",
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"text": "この平場の展開はブランド毎に分かれた売場を見て回るのでは中高年層の客は歩き疲れてしまうことへの配慮にもなっている ほか、多くのブランドなどが流行を追い掛ける為に不足しがちな商品を逆に多く並べる逆の戦略を採ることで売上を伸ばすことを可能とした。",
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"text": "こうした様々な取り組みの結果、2004年(平成16年)9月時点で全国百貨店平均38.5%とほぼ同じ39.2%を衣料品で売上げつつ4階の中高年女性向けの婦人服フロアでは65歳以上が63%で50歳以上86.5%とすると同時に全店売上の約70%を50歳以上の顧客が占めるなど目標通り中高年層の支持を獲得することに成功し、新宿店は店舗面積が41,294mで伊勢丹新宿本店の64,296mや小田急百貨店新宿店の57,316m、高島屋新宿店の51,913mという競合店を下回る にもかかわらず、「新宿百貨店戦争」と称された激しい顧客争奪戦 を勝ち抜き、2008年(平成20年)度の百貨店店舗別売上高ランキングで伊勢丹新宿本店の約2460.03億円と小田急百貨店新宿店の約1047.84億円に次ぐ約926.34億円で新宿地区で3位となり、高島屋新宿店を上回る売上を上げている。",
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"text": "また1999年(平成11年)から、卵アレルギーの人が食べられるクリスマスケーキとして、卵を使わずにできるムースを用いた商品を扱うなどアレルギーへの配慮も行い、高齢者に限らないバリアフリーの展開を図っている。",
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"text": "高島屋との新宿での競合により提携先を事実上失ったため、同様に高島屋と提携していたがジェイアール名古屋タカシマヤとの競合に晒されることになった名古屋の丸栄と提携したほか、大阪・梅田で当社と同じく電鉄系百貨店で多店舗展開を行っていなかった大阪の阪神百貨店(現・阪急阪神百貨店)と2000年(平成12年)から業務提携を始めた。",
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"text": "なお、丸栄も高島屋と競合することになったものの共に高島屋との提携によるフランスパンのフォションの営業を続ける など現在も一部で提携を続けている。",
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"text": "この阪神百貨店との提携により2002年(平成14年)7月に新宿店7階玩具売場に首都圏で唯一の阪神タイガースの公式ショップを開設して2003年(平成15年)3月に月間売上500万円を上げていたが、同年に阪神タイガースがセントラル・リーグのペナントレースで早くから現在首位を独走したため同年6月には15日までの半月で3000万円の売上を上げるほど売上が急増し、取扱商品数も当初の200種類から約450種類へ増やされた。",
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"text": "そして同年9月15日に阪神タイガースがリーグ優勝したため、翌日の16日から優勝記念セールが行われる など阪神タイガースのリーグ優勝の恩恵を受けることになった。",
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"text": "ただ、京王グループ全体がタイガース寄りというわけではなく、京王電鉄本社が沿線のよみうりランドに出資している関連で読売ジャイアンツのパスネットカードを発行したことがあったり、京王エージェンシーが東京ヴェルディに出資したりするなど、読売グループと提携した施策も行っている。",
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"text": "ところが、阪神百貨店は阪急・阪神の包括統合によりエイチ・ツー・オー リテイリング傘下の阪急阪神百貨店社運営となった上、京王と袂を分かった高島屋と業務提携関係を成したこと、また丸栄についても、再建過程で親会社となった興和の社長が百貨店業からの撤退を仄めかし、その後店舗閉店を実行して外商部門のみを存続するなど、京王の業務提携を巡る環境は年々厳しさを増しつつある。",
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"text": "いわゆるリーマンショック後に発生した消費不況により日本の百貨店業界の売上が急激に減少したことを受けて、他の百貨店と同様に当社も2009年(平成21年)度から約15億円を投じて行う予定をしていた新宿店レストラン街の全面改装を中止して店舗ごとの一部改装などで対応する など不況に対応した投資抑制を行ったほか、要因配置の適正化や2008年(平成20年)10月に本格稼働した新しい顧客・商品情報システムを活用して対前年比で5%以上となる約10億円の経費削減と販売促進の両立による収益の改善を目指した。",
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"text": "1984年(昭和59年)2月から京王グループが着手した聖蹟桜ヶ丘駅周辺総合開発により建設された京王聖蹟桜ヶ丘ショッピングセンターのA・B館が完成して1986年(昭和61年)3月28日に開業するのに合せてその核店舗として開業した初の百貨店の支店である。",
"title": "店舗"
},
{
"paragraph_id": 33,
"tag": "p",
"text": "当店の入居する京王聖蹟桜ヶ丘ショッピングセンターは裏を多摩川が流れる立地を活かして地元と協力して毎年桜祭りを開催し、周辺を緑化した街の玄関となる広場や授乳室、スポーツ施設などを整備して地元客が仲間と食事やお茶をして帰るコミュニティー化を図る地域密着の路線を採っている ため当店も地域密着型の展開をしていたが長年赤字が続いていた。",
"title": "店舗"
},
{
"paragraph_id": 34,
"tag": "p",
"text": "そこで、2011年(平成23年)10月に前年に他の百貨店で歳暮を注文した顧客が歳暮を手配するとギフト券を進呈する「お歳暮のりかえキャンペーン」を打ち出したり、ファッションビルなどで売られている雑貨などの取り扱いを充実させる一方で百貨店らしさも打ち出すために2012年(平成24年)3月に売り場を一部改装してイベントスペースを新設して季節に応じた提案を強化するなどの戦略を展開し、2012年(平成24年)3月に3月期に11年ぶりに黒字に転じた。",
"title": "店舗"
},
{
"paragraph_id": 35,
"tag": "p",
"text": "2012年(平成24年)1月に閉店したそごう八王子店の需要取り込みを目指して同店から婦人服ブランドを店長ごと迎えたり、本社勤務の社員も動員した八王子地区でチラシ配布や住民へのあいさつ回りを展開し、同年4月には八王子市在住者からの売上を前年同月比で約20%増加させるなど新たな顧客確保を目指している。",
"title": "店舗"
},
{
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"text": "埼玉県三郷市のJR武蔵野線新三郷駅前に2009年(平成21年)9月17日に開業した 178店舗が出店する大型ショッピングセンターのららぽーと新三郷 に初の郊外ショッピングセンター向け小型業態となる店舗面積359mで開業し、京王沿線以外へ初めて進出となる小型店である。",
"title": "店舗"
},
{
"paragraph_id": 37,
"tag": "p",
"text": "裾を切ることによってシルエットが変わってしまうことや試着室でサイズ調整して修理の手間が掛かることを避けるために2センチ刻みで商品化した中から選べる「レングスパンツ」からウオーキングシューズや帽子など新宿店の得意分野が集約されていて、子供連れのファミリーが主要顧客で50~60代の女性のような中高年層を取り込めていないショッピングセンターの弱みをカバーすることを狙っている。",
"title": "店舗"
},
{
"paragraph_id": 38,
"tag": "p",
"text": "百貨店らしい催事を展開することを想定して可変性ある什器を多用し、巨額の投資をして失敗して撤退するなど成功事例が乏しい郊外型百貨店のため工夫を重ねて総投資額を6400万円に抑えて食料品が売上高の50%を占める小型店で収益を上げられるようにし、開業初年度の目標を30%上回って達成して軌道に乗せることに成功した。",
"title": "店舗"
},
{
"paragraph_id": 39,
"tag": "p",
"text": "また、2011年(平成23年)1月28日から2月3日まで新宿店の人気催事である「元祖有名駅弁と全国うまいもの大会」の小型版の「駅弁特別販売会」を開催する など新宿店の強みを徹底的に活用した展開を図っている。",
"title": "店舗"
},
{
"paragraph_id": 40,
"tag": "p",
"text": "東京都八王子市のJR八王子駅ビルのそごう八王子店の撤退跡を改装して2012年(平成24年)10月25日に開業したセレオ八王子北館 の4階にある店舗。",
"title": "店舗"
},
{
"paragraph_id": 41,
"tag": "p",
"text": "前述のららぽーと新三郷店とほぼ同規模の店舗面積約351mに4ブランドの中高年向け婦人服 や雑貨から化粧品、ギフトなどを取り揃えて 中高年層を対象顧客として 売場ごとに専門の販売員が担当する百貨店と同じ対面販売を行う店舗である。",
"title": "店舗"
},
{
"paragraph_id": 42,
"tag": "p",
"text": "東京都昭島市のJR青梅線昭島駅北口にある大型ショッピングモールのモリタウンの本館1階にある店舗。2016年(平成28年)10月オープン。",
"title": "店舗"
},
{
"paragraph_id": 43,
"tag": "p",
"text": "東京都武蔵野市の吉祥寺駅前にある駅ビルのキラリナ京王吉祥寺の7階にある店舗。2017年(平成29年)9月1日オープン。",
"title": "店舗"
},
{
"paragraph_id": 44,
"tag": "p",
"text": "東京都調布市の京王線調布駅前に2017年(平成29年)9月29日に開業した駅ビルのトリエ京王調布A館の4階にある店舗。",
"title": "店舗"
},
{
"paragraph_id": 45,
"tag": "p",
"text": "神奈川県相模原市緑区の京王橋本駅にある駅ナカ商業施設の京王クラウン街橋本の2階にある店舗。2021年(令和3年)4月22日オープン。",
"title": "店舗"
},
{
"paragraph_id": 46,
"tag": "p",
"text": "当社の親会社の京王帝都電鉄相模原線の延伸が計画され、JR横浜線・相模線と合わせたターミナル駅となることが予定されていた橋本駅前の市街地再開発で出来るビルへの出店計画で、橋本駅前再開発準備組合が行った核テナント選定のコンペに14社が参加する中でそごうや近鉄百貨店と共に最終選考まで残ったが、坪当たり8,000円以上という2倍の賃貸料を提示したそごうに決まったため出店を断念した。",
"title": "実現しなかった店舗"
},
{
"paragraph_id": 47,
"tag": "p",
"text": "そごうが経営不振で出店しなかったため、2000年(平成12年)3月4日に橋本ビブレが核店舗として開業し、その後橋本サティへの業態転換 を経てイオン橋本店となった。",
"title": "実現しなかった店舗"
},
{
"paragraph_id": 48,
"tag": "p",
"text": "2021年4月には京王電鉄の駅ナカ商業施設「京王クラウン街橋本」にサテライト橋本店として小型業態を出店している。",
"title": "実現しなかった店舗"
},
{
"paragraph_id": 49,
"tag": "p",
"text": "京王高尾線めじろ台駅(八王子市)や聖蹟桜ヶ丘駅(多摩市)に、京王リビングというミニショップもあった。",
"title": "過去に存在した店舗"
},
{
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"tag": "p",
"text": "2015年(平成27年)4月10日に開業したららぽーと富士見の1階にあった。店舗面積約240mは先行する小型2店より小さめだが、中高年層に向けて婦人服・雑貨や化粧品などを展開するのは同様。食器では自社のネット通販との連動を初めて開始した。2017年(平成29年)7月15日をもって閉店。",
"title": "過去に存在した店舗"
},
{
"paragraph_id": 51,
"tag": "p",
"text": "1964年(昭和39年)の開業時から展開していた関東地方の百貨店で初の友の会が1972年(昭和47年)に割賦販売法が改正されて前払式特定取引業として規制対象となったことに伴って別会社として分離してその事業を継承する形で設立した株式会社京王友の会 や、京王パスポートVISAカードなどのカードを発行する株式会社京王パスポートクラブ、親会社の京王電鉄と折半出資で婦人服専門店「ビープロピル」などを運営する株式会社エリート、1994年(平成6年)に100%出資の子会社として設立して京王プラザホテルなどで貸衣装を展開している株式会社京王コスチューム などの関連会社がある。",
"title": "関連会社"
}
] |
株式会社京王百貨店は、東京都渋谷区に本社を置く京王グループの百貨店。日本百貨店協会加盟。本店は新宿駅西口(新宿区西新宿)にある新宿店だが、呼称は「新宿本店」ではなく「新宿店」 である。 ロゴマークは、開業時からの独自ロゴ(王冠マークの下に「Keio」の文字が入る青色基調のデザイン)を用い、1990年代にグループ共通の「KEIO」CIロゴが制定されてからも、引き続き独自ロゴを使用している。グループでは他にも京王プラザホテルが独自の王冠ロゴマークを使用する。
|
{{特殊文字|説明=[[Microsoftコードページ932]]([[はしご高]])}}
{{基礎情報 会社
|社名 = 株式会社京王百貨店<ref name="nikkei-commerce-yearbook-1978">{{Cite book|和書|title = 流通会社年鑑 1978年版 |publisher = [[日本経済新聞社]] |date = 1977-10-25 |pages = 37-38 |isbn =}}</ref>
|英文社名 = KEIO DEPARTMENT STORE CO., LTD.
|画像 = Hatsudai Station-1.jpg
|画像説明 = 京王初台駅ビル
|種類 = [[株式会社 (日本)|株式会社]]
|市場情報 =
|国籍 = {{JPN}}
|本社郵便番号 = 151-0061
|本社所在地 = [[東京都]][[渋谷区]][[初台]]1丁目53番7号<br />[[初台駅|京王初台駅]]ビル
|本社緯度度 = 35|本社緯度分 = 40|本社緯度秒 = 49.5|本社N(北緯)及びS(南緯) = N
|本社経度度 = 139|本社経度分 = 41|本社経度秒 = 11.1|本社E(東経)及びW(西経) = E
|座標右上表示 = Yes
|本社地図国コード = JP
|本店郵便番号 = 160-8321
|本店所在地 = [[東京都]][[新宿区]][[西新宿]]1丁目1番4号
|本店緯度度 = 35|本店緯度分 = 41|本店緯度秒 = 24.7|本店N(北緯)及びS(南緯) = N
|本店経度度 = 139|本店経度分 = 41|本店経度秒 = 56.8|本店E(東経)及びW(西経) = E
|本店地図国コード = JP
|設立 = [[1961年]](昭和36年)3月10日<ref name="nikkei-commerce-yearbook-1978" />
|業種 = 小売業
|事業内容 = [[百貨店]]業
|代表者 = [[仲岡一紀]]([[代表取締役]][[社長]])
|資本金 = 100百万円<ref name="outline">{{Cite web|url=https://www.keionet.com/corp/company/outline.html|title=企業概要|京王百貨店|publisher=京王百貨店|accessdate=2023-12-14}}</ref>
|売上高 = 729億1500万円<br>(2023年3月期)<ref name="outline" />
|営業利益 = 1億2000万円<br>(2020年3月期)<ref name="fy2020">[https://catr.jp/settlements/7495d/158486 株式会社京王百貨店 第63期決算公告]</ref>
|経常利益 = 3億2500万円<br>(2020年3月期)<ref name="fy2020" />
|純利益 = 7億0700万円<br>(2023年3月期)<ref name="fy">[https://catr.jp/settlements/b9afd/309910 株式会社京王百貨店 第66期決算公告]</ref>
|純資産 = 101億4500万円<br>(2023年3月期)<ref name="fy" />
|総資産 = 296億8700万円<br>(2023年3月期)<ref name="fy" />
|従業員数 = 756人(2023年4月1日現在)<ref name="outline" />
|決算期 = 毎年[[3月31日]]
|主要株主 = [[京王電鉄]] 100%
|主要子会社 = エリート<br />[[京王友の会]]<br />[[京王コスチューム]]
|関係する人物= [[山本敏雄]](元社長)<br />[[林静男]](元社長)
|外部リンク = https://www.keionet.com/
|特記事項 =
}}
'''株式会社京王百貨店'''(けいおうひゃっかてん、{{Lang-en-short|''KEIO DEPARTMENT STORE CO., LTD.''}})は、[[東京都]][[渋谷区]]に[[本社]]を置く[[京王グループ]]の[[日本の百貨店|百貨店]]。[[日本百貨店協会]]加盟。[[本店]]は[[新宿駅]]西口([[新宿区]][[西新宿]])にある[[京王百貨店新宿店|新宿店]]だが、呼称は「新宿本店」ではなく「新宿店」<ref>[https://www.keionet.com/info/shinjuku/ 新宿店] 京王百貨店</ref> である。
[[ロゴマーク]]は、開業時からの独自ロゴ([[王冠]]マークの下に「'''Keio'''」の文字が入る青色基調のデザイン)を用い、[[1990年代]]にグループ共通の「'''''KEIO'''''」[[コーポレートアイデンティティ|CI]]ロゴが制定されてからも、引き続き独自ロゴを使用している。グループでは他にも[[京王プラザホテル]]が独自の王冠ロゴマークを使用する。
== 歴史 ==
=== 創業から聖蹟桜ヶ丘店の開業まで ===
[[1960年]](昭和35年)6月に東京都が[[新宿副都心]]計画を発表したことを受けて、京王帝都電鉄(現:現在の[[京王電鉄]])が新宿駅と同駅付近の[[併用軌道]]を地下化すると同時に、地上に[[駅ビル]]を建設する大規模な改良工事を行うことになり<ref name="keio-railways-50-1998-12">{{Cite book | 和書 | title = 京王電鉄五十年史 | publisher = 京王電鉄 | date = 1998-12}}</ref>、それに伴って同年の秋に百貨店業への進出を決定し<ref name="gifu-syotengai-2005-3">{{Cite report |language=ja|date=March 2005 |title=高齢者市場の活性化に関する調査研究報告書 シルバーマーケットにおけるファッション産業の在り方 |publisher=[[財団法人]]岐阜県産業経済振興センター}}</ref>、[[1961年]](昭和36年)3月10日に'''株式会社京王百貨店'''を設立して[[1964年]](昭和39年)11月1日に京王帝都電鉄[[新宿駅]]のビルに現在の新宿店を開店した<ref name="keio-railways-50-1998-12" /> のが始まりである。
開業時から、会員を集めて定期的に積立を行わせて積立額を上回る金額の自店でのみ使用可能な商品券を提供する'''友の会'''を設立して運営しており、関東地区では初の百貨店の'''友の会'''であった<ref name="membership-mutual-club-house-card-1985-12">{{Cite book | 和書 | title = 顧客組織化システム:友の会・自社カード・互助会・会員制ビジネス | publisher = [[工業市場研究所]]出版部 | date = 1985-12}}</ref>。
百貨店業界への新規参入にあたり'''[[髙島屋]]'''と[[業務提携|資本・業務提携]]を結び、同社から従業員教育や仕入れなどの百貨店経営のノウハウを導入して開業した<ref name="railway-journal-2002-4">{{Cite journal | title = RJ ESSENTIAL 繁昌する「デパートの駅弁大会」 | journal = [[鉄道ジャーナル]] 2002年4月号 | publisher = [[鉄道ジャーナル社]] | date = 2002-4}}</ref>。このノウハウの指導を受けていた高島屋が[[1953年]](昭和28年)から大阪店で「全国の観光とうまいもの大会」に併設して有名[[駅弁]]即売会を行っていた<ref name="lectures-of-station-lunch-box-2000-9">{{Cite book | 和書 | author = 林順信・小林しのぶ | title = 駅弁学講座 集英社新書 | publisher = [[集英社]] | isbn = 9784087200522 | date = 2000-9 }}</ref>。京王百貨店新宿店でも類似の催事を行うことになり<ref name="railway-journal-2002-4" />、[[1966年]](昭和41年)に約30種類の駅弁を集めて現在の「'''[[元祖有名駅弁と全国うまいもの大会]]'''」の第1回目を開催して現在まで続く人気イベントとなっている<ref name="trafic-np-2011-1-17">{{Cite news | title = 全国から200種 新宿・京王百貨店25日まで駅弁大会 | newspaper = [[交通新聞]] | publisher = 交通新聞社 | date = 2011-1-17 }}</ref>。
[[1984年]](昭和59年)2月から京王グループが着手した[[聖蹟桜ヶ丘駅]]周辺の総合開発により'''[[京王聖蹟桜ヶ丘ショッピングセンター]]'''が建設され、A館・B館が完成して[[1986年]](昭和61年)3月28日に開業するのに合わせて、京王百貨店初の支店となる'''聖蹟桜ヶ丘店'''をB館に開業し<ref name="keio-railways-50-1998-12" />、複数の店舗を展開する百貨店チェーンとなった。
=== 中高年層重視の「新・大衆百貨店」 ===
開業時から資本・業務提携を行ってきた髙島屋<ref name="railway-journal-2002-4" /> が新宿貨物駅跡の再開発ビル(現:[[タカシマヤタイムズスクエア]])へ進出することに伴い<ref name="nikkei-mj-2012-5-25">{{Cite news | title = 京王百、40~50代取り込み、生活シーン別の売り場、衣料など専用ブランド | newspaper = [[日経MJ]] | publisher = 日本経済新聞社 | date = 2012-5-25 }}</ref>、その競争を勝ち抜くための生き残り策として中高年顧客を重視する<ref name="gifu-syotengai-2005-3" /> と共に一般市民の日常生活に対応した「'''新・大衆百貨店'''」をコンセプトとして[[1994年]](平成6年)6月に改装を行って<ref name="nissyoku-1996-11-18">{{Cite news | title = 新宿第2次弁当 戦争・百貨店惣菜売場の再編成(3)京王百貨店新宿店 | newspaper = [[日本食糧新聞]] | publisher = 日本食糧新聞社 | date = 1996-11-18 }}</ref> 独自色を打ち出し始め<ref name="nikkei-mj-2012-5-25" />、[[2001年]](平成13年)に京王電鉄100%出資の子会社となった<ref name="keio-half-annual-report-2001">{{Cite report |year=2001 |title=2001年度中間連結決算・事業報告を中心に |publisher=京王電鉄 }}</ref>。
「'''新・大衆百貨店'''」のコンセプトに基いて百貨店としてはいち早く'''自社[[プライベートブランド|プライベートブランド(PB)]]商品'''の開発に取り組み<ref name="elneos-2011-2-1">{{Cite journal | title = 情報スクランブル アウトレット食品で注目される京王百貨店 | journal = エルネオス 2011年2月号 | publisher = エルネオス出版社 | date = 2011-2-1 }}</ref>、いわゆる[[デパ地下]]と呼ばれる地下食品売り場の中核を為す総菜売場でも[[1994年]](平成6年)6月からセルフサービス方式の総菜売場「'''デリカ亭'''」を自社で運営する<ref name="nissyoku-1996-11-18" /> など独自の商品や売場作りを行って他店との差別化や集客力増強を狙う戦略を展開した<ref name="nissyoku-1996-11-18" />。
中高年層を重視した戦略の一環として、他の百貨店とより比較的年配の店員を多めに配置して気軽に相談しやすい雰囲気を醸し出し<ref name="gifu-syotengai-2005-3" />、顧客・商品情報システムを活用して顧客ごとに買い上げのお礼状のサンキューレターやおすすめ商品や催事などを案内するおすすめレターを送るなど上顧客にきめ細かな対応を行うようにした<ref name="senken-np-2009-5-13">{{Cite news | title = 上顧客にきめ細かく 京王百貨店 対象別アプローチ強める | newspaper = [[繊研新聞]] | publisher = 繊研新聞社 | date = 2009-5-13 }}</ref> ほか、設備面でも中核となる4階の中高年女性向けの婦人服フロアは一角に休憩室を設置しただけでなく売場の壁沿いにも椅子を並べて疲れたときに休憩が採りやすいようにしたり<ref name="gifu-syotengai-2005-3" />、手すりや鞄を置ける棚が設置された他店よりもやや大きめの試着室も設置しているほか<ref name="gifu-syotengai-2005-3" />、全身が映る鏡があってパウダーコーナーや家族連れで来店する客を想定して男児を想定した男子トイレも設置した女子トイレを設置するなど細かな配慮をしている<ref name="gifu-syotengai-2005-3" />。
また、20~30歳の女性をバイヤーとデザイナーに起用して自分の母親に着てもらいたい感覚の商品開発をコンセプトに、若い世代の流行を採り入れながら年代による体型変化も考慮し、40から50代を対象に設定したプライベートブランド(PB)の「'''トライアングル'''」を開発・販売などを行っている<ref name="gifu-syotengai-2005-3" />。
[[2002年]](平成14年)9月から裾を切ることによってシルエットが変わってしまうことや試着室でサイズ調整して修理の手間が掛かることを避けるために2センチ刻みで商品化した中から選べる<ref name="gifu-syotengai-2005-3" />「'''レングスパンツ'''」<ref name="senken-np-2009-9-24">{{Cite news | title = め・て・みみ | newspaper = [[繊研新聞]] | publisher = 繊研新聞社 | date = 2009-9-24 }}</ref> などの独自の商品を用意したほか、他店がブランド導入を重視しているためにあまり設置していないセーターやブラウス及びパンツといった品目別の構成を行った<ref name="gifu-syotengai-2005-3" />'''スタイルブック'''などの平場と呼ばれる単品編集売り場<ref name="senken-np-2008-8-6">{{Cite news | title = ボイス/逆手 | newspaper = [[繊研新聞]] | publisher = 繊研新聞社 | date = 2008-8-6 }}</ref> を積極的に設けて多くの商品の中から顧客が自分で選びやすくするなどの工夫もしている<ref name="gifu-syotengai-2005-3" />。
この平場の展開はブランド毎に分かれた売場を見て回るのでは中高年層の客は歩き疲れてしまうことへの配慮にもなっている<ref name="gifu-syotengai-2005-3" /> ほか、多くのブランドなどが流行を追い掛ける為に不足しがちな商品を逆に多く並べる逆の戦略を採ることで売上を伸ばすことを可能とした<ref name="senken-np-2008-8-6" />。
こうした様々な取り組みの結果、[[2004年]](平成16年)9月時点で全国百貨店平均38.5%とほぼ同じ39.2%を衣料品で売上げつつ4階の中高年女性向けの婦人服フロアでは65歳以上が63%で50歳以上86.5%とすると同時に全店売上の約70%を50歳以上の顧客が占めるなど目標通り中高年層の支持を獲得することに成功し<ref name="gifu-syotengai-2005-3" />、新宿店は店舗面積が41,294[[平方メートル|m<sup>2</sup>]]で'''[[伊勢丹]]新宿本店'''の64,296m<sup>2</sup>や'''[[小田急百貨店]]新宿店'''の57,316m<sup>2</sup>、'''高島屋新宿店'''の51,913m<sup>2</sup>という競合店を下回る<ref name="national-land-developping-base-2000-6-9">{{Cite report |language=ja|date =June 2000 |title=国土審議会調査改革部会 第4回国際連携・持続的発展基盤小委員会配付資料 人口減少下での活力ある地域社会と二層の広域圏形成に資する国土基盤の現状と課題(資料編) |publisher=[[国土審議会]]調査改革部会 }}</ref> にもかかわらず、「'''新宿百貨店戦争'''」と称された激しい顧客争奪戦<ref name="nikkei-2006-4-18">{{Cite news | title = 新宿百貨店競争、第2幕へ | newspaper = [[日本経済新聞]] | publisher = 日本経済新聞社 | date = 2006-4-18 }}</ref> を勝ち抜き、[[2008年]](平成20年)度の百貨店店舗別売上高ランキングで伊勢丹新宿本店の約2460.03億円と小田急百貨店新宿店の約1047.84億円に次ぐ約926.34億円で新宿地区で3位となり<ref name="nikkei-mj-2009-8-13">{{Cite news | title = 2008年度百貨店店舗別売上ランキング | newspaper = [[日経MJ]] | publisher = 日本経済新聞社 | date = 2009-8-13 }}</ref>、高島屋新宿店を上回る売上を上げている<ref name="sankei-np-2009-11-1">{{Cite news | author = 小熊敦郎 | title = 【ドラマ・企業攻防“大阪最終決戦”ジュクの仇はキタで討つ 高島屋vs伊勢丹 | newspaper = [[産経新聞]] | publisher = 産経新聞社 | date = 2009-11-1 }}</ref>。
また[[1999年]](平成11年)から、卵[[アレルギー]]の人が食べられる[[クリスマスケーキ]]として、卵を使わずにできるムースを用いた商品を扱うなどアレルギーへの配慮も行い<ref name="yomiuri-np-2005-11-21">{{Cite news | title = 食材に配慮、みんな一緒にクリスマスケーキ | newspaper = [[読売新聞]] | publisher = 読売新聞社 | date = 2005-11-21 }}</ref>、高齢者に限らない[[バリアフリー]]の展開を図っている。
=== 新たな業務提携 ===
高島屋との新宿での競合により提携先を事実上失ったため、同様に高島屋と提携していたが[[ジェイアール名古屋タカシマヤ]]との競合に晒されることになった[[名古屋市|名古屋]]の'''[[丸栄]]'''と提携したほか、大阪・梅田で当社と同じく電鉄系百貨店で多店舗展開を行っていなかった[[大阪]]の'''[[阪神百貨店]]'''(現・[[エイチ・ツー・オー リテイリング|阪急阪神百貨店]])と[[2000年]](平成12年)から業務提携を始めた<ref name="nissyoku-2003-8-25">{{Cite news | title = 京王百貨店、阪神タイガース食品コーナー常設 優勝セールも検討 | newspaper = [[日本食糧新聞]] | publisher = 日本食糧新聞社 | date = 2003-8-25 }}</ref>。
なお、丸栄も高島屋と競合することになったものの共に高島屋との提携によるフランスパンの'''[[フォション]]'''の営業を続ける<ref name="fukui-np-2011-5-31">{{Cite news | title = パンに卵のアレルギー表示漏れ 高島屋、記載せず販売 | newspaper = [[福井新聞]] | publisher = 福井新聞社 | date = 2011-5-31 }}</ref> など現在も一部で提携を続けている。
この阪神百貨店との提携により[[2002年]](平成14年)7月に新宿店7階玩具売場に首都圏で唯一の'''[[阪神タイガース]]'''の公式ショップを開設して<ref name="nissyoku-2003-8-25" />[[2003年]](平成15年)3月に月間売上500万円を上げていたが、同年に阪神タイガースが[[セントラル・リーグ]]のペナントレースで早くから現在首位を独走したため同年6月には15日までの半月で3000万円の売上を上げるほど売上が急増し、取扱商品数も当初の200種類から約450種類へ増やされた<ref name="shikoku-np-2003-6-20">{{Cite news | title = 東京でも阪神グッズ人気/京王百貨店、売り上げ急増 | newspaper = [[四国新聞]] | publisher = 四国新聞社 | date = 2003-6-20 }}</ref>。
そして同年9月15日に阪神タイガースがリーグ優勝したため、翌日の16日から優勝記念セールが行われる<ref name="shikoku-np-2003-9-16">{{Cite news | title = 東京でも阪神ファンの列 優勝セールの京王百貨店 | newspaper = [[四国新聞]] | publisher = 四国新聞社 | date = 2003-9-16 }}</ref> など阪神タイガースのリーグ優勝の恩恵を受けることになった。
ただ、[[京王グループ]]全体がタイガース寄りというわけではなく、[[京王電鉄]]本社が沿線の[[よみうりランド]]に出資している関連で[[読売ジャイアンツ]]の[[パスネット]]カードを発行したことがあったり<ref>[https://web.archive.org/web/20031220170937/http://www.keio.co.jp/topics/keio_news/03_09/main.html 京王ニュース2003年9月]</ref>、[[京王エージェンシー]]が[[東京ヴェルディ1969|東京ヴェルディ]]に出資したりするなど<ref>[http://ms.verdy.co.jp/company/ 東京ヴェルディ1969フットボールクラブ株式会社 会社概要]。[[日本テレビ放送網]]が親会社であった2001年より出資。</ref>、[[読売グループ]]と提携した施策も行っている<ref>1リーグ時代には読売新聞社が大阪タイガースの、阪神電気鉄道が東京ジャイアンツの球団運営会社の株式を持ち合っていた他(野球協約がない時代のため可能だった)、[[読売新聞大阪本社|読売新聞の大阪進出]]の際には、阪神が大阪市北区野崎町の社屋用地の仲介を行うなど、企業としての読売新聞社と阪神電気鉄道は良好な関係である。</ref>。
ところが、阪神百貨店は阪急・阪神の包括統合により[[エイチ・ツー・オー リテイリング]]傘下の阪急阪神百貨店社運営となった上、京王と袂を分かった高島屋と業務提携関係を成したこと、また丸栄についても、再建過程で親会社となった[[興和]]の社長が百貨店業からの撤退を仄めかし、その後店舗閉店を実行して外商部門のみを存続するなど、京王の業務提携を巡る環境は年々厳しさを増しつつある<ref group="注">熊本県でも阪神が絡んだ百貨店の再編劇が起きており、阪神百貨店と提携し熊本岩田屋の後継店として「くまもと阪神」を運営していた[[県民百貨店]]が、阪急・阪神統合の余波で提携関係の断絶に追い込まれ、かつてライバル店[[鶴屋百貨店|鶴屋]]が属していた高島屋系のハイランドグループ入りしたという事例がある。熊本岩田屋は現在鶴屋が属するA・D・O系の百貨店であった。</ref>。
=== リーマンショック後の消費不況への対応 ===
いわゆる[[リーマンショック]]後に発生した消費不況により日本の百貨店業界の売上が急激に減少したことを受けて、他の百貨店と同様に当社も[[2009年]](平成21年)度から約15億円を投じて行う予定をしていた新宿店レストラン街の全面改装を中止して店舗ごとの一部改装などで対応する<ref name="nikkei-mj-2009-4-6">{{Cite news | title = 百貨店の改装延期、京王など中堅にも拡大、小田急・東武も | newspaper = [[日経MJ]] | publisher = 日本経済新聞社 | date = 2009-4-6 }}</ref> など不況に対応した投資抑制を行ったほか、要因配置の適正化や[[2008年]](平成20年)10月に本格稼働した新しい顧客・商品情報システムを活用して対前年比で5%以上となる約10億円の経費削減と販売促進の両立による収益の改善を目指した<ref name="senken-np-2009-5-13" />。
その一環としてハウスカードと外商顧客などの組織化された顧客に対して商品やフェアなどの紹介に特化したアプローチレターと呼ぶ新たなダイレクトメールを導入したり<ref name="senken-np-2009-5-13" />、新潟産コシヒカリや干物などを扱う友の会の会員限定の通信販売を開始したり<ref name="nikkei-mj-2009-2-6">{{Cite news | author =武田敏英 | title = 「友の会」魅力アップ、高島屋、買い物券当たる抽選、三越伊勢丹、相互利用サービス | newspaper = [[日経MJ]] | publisher = 日本経済新聞社 | date = 2009-2-6 }}</ref>、医療機関と提携して会員向けの婦人科検診などの割引を拡充するなど京王友の会の会員特典を強化して年間の買い物額が積立額の3~4倍といわれる友の会の魅力を利用拡大を目指す<ref name="nikkei-mj-2009-6-6">{{Cite news | title = 積立金で通販支払い、医療サービス割安に、百貨店「友の会」特典拡充 | newspaper = [[日経MJ]] | publisher = 日本経済新聞社 | date = 2009-6-6 }}</ref> など上得意客の囲い込み強化を図って上位約30%で売上の約80%となっていたのを上位約20%で売上の約80%を上げることを目指した<ref name="senken-np-2009-5-13" />。
[[2009年]](平成21年)10月にオットージャパン初の実店舗である「オットー・コレクション」<ref name="tsuhan-np-2010-9-16">{{Cite news | title = オットージャパン、百貨店などに出店加速 | newspaper = [[通販新聞]] | publisher = 通販新聞社 | date = 2010-9-16 }}</ref>、[[2011年]](平成23年)10月に「通販生活」のブランドで知られる[[カタログハウス]]初の実店舗である「カタログハウスの店 セレクト」を開設させる<ref name="nikkei-mj-2011-11-23">{{Cite news | title = カタログ通販出店を強化、ベルーナ、茨城に1号店、ニッセン、「大型サイズ」全国に | newspaper = [[日経MJ]] | publisher = 日本経済新聞社 | date = 2011-11-23 }}</ref> など通信販売専門業者を店頭に取り込んで互いに客を紹介しあって売上を伸ばす戦略の展開も始めた<ref name="tsuhan-np-2010-9-16" /> ほか、地盤である新宿駅西口の魅力を高めて集客強化を図るため京王グループや同地区に本拠を置く'''[[ヨドバシカメラ]]'''と共同で割引やおまけのサービスを提供するクーポン冊子の配布を行う<ref name="nikkei-mj-2010-12-8">{{Cite news | title = 京王百など、ヨドバシとクーポン冊子、新宿西口の魅力向上 | newspaper = [[日経MJ]] | publisher = 日本経済新聞社 | date = 2010-12-8 }}</ref> など基幹となる新宿店の集客力の強化を図っている。
また、プライベートブランド(PB)の「'''オンリーアット京王'''」を強化して[[2008年]](平成20年)度の約12.9億円を[[2011年]](平成23年)度に約21億円に増やすなど独自商品による売上拡大も目指すなど婦人服や服飾雑貨で低価格の戦略商品を投入した<ref name="senken-np-2009-5-13" /> ほか、[[2009年]](平成21年)10月からファッション商品を拡充した新たなインターネット通信販売サイトを開設し<ref name="senken-np-2009-5-13" />、[[2011年]](平成23年)1月6日から'''[[伊藤忠食品]]'''と提携してインターネット通信販売サイトにパッケージ変更商品やメーカーの在庫処分品を扱う「'''[[アウトレット]]食品'''」と<ref name="tsuhan-np-2011-1-27">{{Cite news | title = 京王百貨店、わけあり商品をネットで常時販売 | newspaper = [[通販新聞]] | publisher = 通販新聞社 | date = 2011-1-27 }}</ref> 賞味期限が三分の一を切った食品を扱う<ref name="elneos-2011-2-1" />「食卓おたすけ便」の2つのコーナーを設けて<ref name="tsuhan-np-2011-1-27" /> 百貨店としては初となるアウトレット食品の常時販売を始める<ref name="elneos-2011-2-1" /> などインターネット通信販売でも新たな取組みを行っている。
こうした取組みにより、[[2010年]](平成22年)5月の売上高が前年同月比2.2%増で同じ新宿地区で競合する伊勢丹新宿本店の1.9%増や高島屋新宿店の0.1%増、小田急百貨店新宿店の3%減を上回り、いち早く売上を回復軌道に乗せた<ref name="nikkei-mj-2010-6-6">{{Cite news | title = 小田急百貨店 ネット予約で店頭割引 スポーツ用品160点 | newspaper = [[日経MJ]] | publisher = 日本経済新聞社 | date = 2010-6-6 }}</ref>。
=== 京王沿線以外への小型店の出店 ===
[[埼玉県]][[三郷市]]のJR[[武蔵野線]][[新三郷駅]]前に<ref name="mainichi-np-2009-9-16">{{Cite news | author =飯嶋英好 | title = ららぽーと新三郷:あすオープン 話題性ある178店出店 | newspaper = [[毎日新聞]] | publisher = 毎日新聞社 | date = 2009-9-16 }}</ref>[[2009年]](平成21年)9月17日に開業した<ref name="senken-np-2009-9-24" /> 178店舗が出店する大型ショッピングセンターの'''[[ららぽーと新三郷]]'''<ref name="mainichi-np-2009-9-16" /> に初の郊外ショッピングセンター向け小型業態となる店舗面積359m<sup>2</sup>の'''ららぽーと新三郷店'''を開業し<ref name="senken-np-2009-9-24" />、京王沿線以外へ初めて進出した<ref name="senken-np-2009-5-13" />。
ららぽーと新三郷店は裾を切ることによってシルエットが変わってしまうことや試着室でサイズ調整して修理の手間が掛かることを避けるために2センチ刻みで商品化した中から選べる<ref name="gifu-syotengai-2005-3" />「'''レングスパンツ'''」からウオーキングシューズや帽子など新宿店の得意分野を集約して投入し<ref name="senken-np-2009-9-24" />、総投資額を6400万円に抑えて過半を占めることになる食料品や催事と合わせて小型店で収益を上げる事業モデルの構築を図り<ref name="senken-np-2009-9-24" />、自社カード会員が約3000人しかいない手薄な新しい商圏開拓を目指した<ref name="senken-np-2009-9-24" />。
この'''ららぽーと新三郷店'''が初年度目標を30%上回って達成して軌道に乗り始めた<ref name="stores-report-2011-2-28">{{Cite journal | title = 京王百貨店 ららぽーと新三郷店 初年度目標の30%増で通過 新規事業への挑戦に目途 | journal = [[月刊ストアーズレポート]] 2011年3月号 | publisher = [[ストアーズ社]] | date = 2011-2-28 }}</ref> ため、'''[[そごう]]八王子店'''が撤退した八王子駅ビルを改装して[[2012年]](平成24年)10月に開業した'''[[セレオ八王子|セレオ八王子北館]]'''4階に、ららぽーと新三郷店とほぼ同規模の店舗面積約351m<sup>2</sup>の<ref name="asahi-np-2012-8-18">{{Cite news | author =三嶋伸一 | title = JR八王子駅に新施設 百貨店並み、専門200店 | newspaper = [[朝日新聞]] | publisher = 朝日新聞社 | date = 2012-8-18 }}</ref> 中高年層を対象顧客とするにしたサテライト店'''セレオ八王子店'''を開設して<ref name="daily-industrial-np-2012-7-27">{{Cite news | title = 京王百貨店、東京・八王子市に小型サテライト店 | newspaper = [[日刊工業新聞]] | publisher = 日刊工業新聞社 | date = 2012-7-27 }}</ref>、婦人向けの衣料品や雑貨から化粧品などを取り扱う<ref name="nikkei-2012-7-19">{{Cite news | title = 京王百貨店、東京・八王子駅に小型店、今秋、女性需要を開拓 | newspaper = [[日本経済新聞]] | publisher = 日本経済新聞社 | date = 2012-7-19 }}</ref> ことになった。さらに[[2015年]](平成27年)[[4月10日]]には、3店目となる[[ららぽーと富士見]]店をオープンした<ref name="富士見">{{Cite web|和書|url=http://www.mitsuifudosan.co.jp/corporate/news/2014/1203_01/download/20141203_tmp06.pdf|title=『ららぽーと』誕生から35年 “人が集まる”から“人が交流する”新しい『ららぽーと』へ 「三井ショッピングパーク ららぽーと富士見」4月10日(金)グランドオープン ワンストップショッピングを実現する293店舗(出店店舗一覧)|date=2014-12-3|accessdate=2014-12-22|publisher=三井不動産}}</ref><!-- 該当記事 http://www.mitsuifudosan.co.jp/corporate/news/2014/1203_01/index.html --><ref name="富士見2">{{Cite web|和書|url=http://www.wwdjapan.com/fashion/2014/12/03/00014645.html|title=「ららぽーと富士見」2015年4月開業 百貨店のサテライト3店舗、チームラボの遊園地も|date=2014-12-3|accessdate=2014-12-22|publisher=WWD JAPAN.COM}}</ref>。将来的には、同様の小型店を10店舗まで拡大する計画である<ref name="富士見3">{{Cite web|和書|url=http://ryutsuu.biz/topix/h040805.html|title=京王百貨店/ららぽーと富士見にサテライト型店舗|date=2015-4-8|accessdate=2015-5-6|publisher=流通ニュース}}</ref>。
=== 東日本大震災に伴う対応と顧客層若返りへの挑戦 ===
[[東日本大震災]]の発生に伴う[[福島第一原子力発電所]]の事故発生を受けて日本全国で[[原子力発電所]]が停止した関係で当社も節電を行い、その一環として[[2011年]](平成23年)夏にスポット照明を50%削減したところ、当社が主力とする中高年層から衣料品などの商品で色が正確に確認できないとの苦情が出たため、同年7月末から8月上旬にかけて、全ての試着室の照明を屋外光に近い色味となる5000ケルビンの蛍光灯に切替える対応を行い、節電と正確な色の確認の両立を図った<ref name="nikkei-mj-2011-8-19">{{Cite news | title = 試着室の照明、屋外光に近く、京王百貨店新宿店-色味、正確に識別 | newspaper = [[日経MJ]] | publisher = 日本経済新聞社 | date = 2011-8-19 }}</ref>。
こうした従来からの主力顧客層への対応を進めながらも、他店に比べて早くから年齢の高い客層に特化した戦略を採ってきた影響で顧客の中心となる年齢層が高齢化し過ぎて消費意欲が衰えがちとなる70代以上が多くなってしまったことから、40~50代を取り込んで顧客の年齢層を引き下げ、45~69歳の顧客の構成比を従来の約30%から[[2012年]](平成24年)度中に約40%に引上げることを目指している<ref name="nikkei-mj-2012-5-25" />。
多くのことに興味・関心を持ち、自分らしい個性を重視する傾向にある40~50代を取り込む戦略として、売り場をブランド別から「ファッション」「美・健康」「食」「趣味」「暮らし」の6つを中心とする生活場面別に衣料品や生活雑貨、キッチン用品などを編集したライフスタイル提案型に切替えて展開するほか、この世代向けに旬の雑貨や衣料品などを提案する「'''こだわりコレクション'''」を展開するなど新商材の導入や売場の改装を進めていくことにしている<ref name="nikkei-mj-2012-5-25" />。
== 店舗 ==
=== 新宿店 ===
{{商業施設
|書式 = 京王百貨店
|名称 = 京王百貨店新宿店
|外国語表記 = Keio Department Store Shinjuku
|画像 =Shinjuku Keio Department Store 2012.JPG
|画像説明 =
|正式名称 = 京王百貨店新宿店
|施設所有者 = 京王電鉄
|施設管理者 = 京王百貨店
|前身 = 京王帝都電鉄新宿駅
|後身 =
|緯度度 = 35 |緯度分 = 41 |緯度秒 = 24.7
|経度度 = 139 |経度分 = 41 |経度秒 = 56.8
|座標右上表示 = No
|敷地面積=
|商業施設面積= 41294|商業施設面積脚注=<ref name="national-land-developping-base-2000-6-9" />
|延床面積=
|店舗数 =
|駐車場数 =
|商圏人口 =
|開業日 = [[1964年]](昭和39年)11月1日
|閉店日 =
|営業時間 =
|最寄駅 = [[新宿駅]]
|最寄IC = [[新宿出入口]]
|所在地郵便番号 = 160-8321
|所在地 = [[東京都]][[新宿区]][[西新宿]]1-1-4
|外部リンク = https://www.keionet.com/info/shinjuku/
}}
{{main|京王百貨店新宿店}}
'''京王帝都電鉄(現在の京王電鉄)'''の新宿駅の地下化に伴う再開発で建設された京王ビルに[[1964年]](昭和39年)11月1日に開業した当社の1号店で本店格の店舗である<ref name="keio-railways-50-1998-12" />。現在も登記上の本店となっている。
=== 聖蹟桜ヶ丘店 ===
{{商業施設
| 書式 = 京王百貨店
| 名称 = 京王百貨店聖蹟桜ヶ丘店
| 外国語表記 = Keio Department Store Seiseki-sakuragaoka
| 正式名称 = 京王百貨店聖蹟桜ヶ丘店
| 施設所有者 = 京王電鉄
| 施設管理者 =
| 前身 =
| 後身 =
| 敷地面積 =
| 商業施設面積 = 17089
| 商業施設面積脚注 = <ref name="national-land-developping-base-2000-6-9" />
| 商業施設面積備考 =
| 延床面積 =
| 店舗数 =
| 駐車場数 =
| 商圏人口 =
| 開業日 = [[1986年]](昭和61年)3月28日
| 閉店日 =
| 営業時間 =
| 最寄駅 = [[聖蹟桜ヶ丘駅]]
| 最寄IC = [[国立府中インターチェンジ]]
| 所在地郵便番号 = 206-0011
| 所在地 = [[東京都]][[多摩市]][[関戸 (多摩市)|関戸]]1-10-1
| 緯度度 = 35 |緯度分 = 39 |緯度秒 = 3
| 経度度 = 139 |経度分 = 26 |経度秒 = 48.7
| 座標右上表示 = No
| 外部リンク = https://www.keionet.com/info/seisekisakuragaoka/
}}
[[1984年]](昭和59年)2月から京王グループが着手した聖蹟桜ヶ丘駅周辺総合開発により建設された'''[[京王聖蹟桜ヶ丘ショッピングセンター]]'''のA・B館が完成して[[1986年]](昭和61年)3月28日に開業するのに合せてその核店舗として開業した初の百貨店の支店である<ref name="keio-railways-50-1998-12" />。
当店の入居する京王聖蹟桜ヶ丘ショッピングセンターは裏を[[多摩川]]が流れる立地を活かして地元と協力して毎年桜祭りを開催し、周辺を緑化した街の玄関となる広場や授乳室、スポーツ施設などを整備して地元客が仲間と食事やお茶をして帰るコミュニティー化を図る地域密着の路線を採っている<ref name="senken-np-2011-2-28">{{Cite news | title = ボイス/地域活性化 | newspaper = [[繊研新聞]] | publisher = 繊研新聞社 | date = 2011-2-28 }}</ref> ため当店も地域密着型の展開をしていたが長年赤字が続いていた<ref name="nikkei-mj-2012-4-27">{{Cite news | title = 京王百貨店聖蹟桜ケ丘店店長寺田秀明さん、「乗り換え客」獲得に全力(ハッスル店長) | newspaper = [[日経MJ]] | publisher = 日本経済新聞社 | date = 2012-4-27 }}</ref>。
そこで、[[2011年]](平成23年)10月に前年に他の百貨店で歳暮を注文した顧客が歳暮を手配するとギフト券を進呈する「お歳暮のりかえキャンペーン」を打ち出したり、ファッションビルなどで売られている雑貨などの取り扱いを充実させる一方で百貨店らしさも打ち出すために2012年(平成24年)3月に売り場を一部改装してイベントスペースを新設して季節に応じた提案を強化するなどの戦略を展開し、2012年(平成24年)3月に3月期に11年ぶりに黒字に転じた<ref name="nikkei-mj-2012-4-27" />。
[[2012年]](平成24年)1月に閉店したそごう八王子店の需要取り込みを目指して同店から婦人服ブランドを店長ごと迎えたり、本社勤務の社員も動員した八王子地区でチラシ配布や住民へのあいさつ回りを展開し、同年4月には八王子市在住者からの売上を前年同月比で約20%増加させるなど新たな顧客確保を目指している<ref name="nikkei-mj-2012-4-27" />。
=== 小型サテライト店 ===
==== ららぽーと新三郷店 ====
[[ファイル:Lalaport shin misato front.jpg|thumb|300px|right|ららぽーと新三郷]]
[[埼玉県]][[三郷市]]のJR[[武蔵野線]][[新三郷駅]]前に<ref name="mainichi-np-2009-9-16" />[[2009年]](平成21年)9月17日に開業した<ref name="senken-np-2009-9-24" /> 178店舗が出店する大型ショッピングセンターの'''[[ららぽーと新三郷]]'''<ref name="mainichi-np-2009-9-16" /> に初の郊外ショッピングセンター向け小型業態となる店舗面積359m<sup>2</sup>で開業し<ref name="senken-np-2009-9-24" />、京王沿線以外へ初めて進出となる小型店である<ref name="senken-np-2009-5-13" />。
裾を切ることによってシルエットが変わってしまうことや試着室でサイズ調整して修理の手間が掛かることを避けるために2センチ刻みで商品化した中から選べる<ref name="gifu-syotengai-2005-3" />「'''レングスパンツ'''」からウオーキングシューズや帽子など新宿店の得意分野が集約されていて<ref name="senken-np-2009-9-24" />、子供連れのファミリーが主要顧客で50~60代の女性のような中高年層を取り込めていないショッピングセンターの弱みをカバーすることを狙っている<ref name="nikkei-2009-3-31">{{Cite news | title = 京王百貨店、小型衣料店SCで展開 割安PB商品、中高年狙う | newspaper = [[日本経済新聞]] | publisher = 日本経済新聞社 | date = 2009-3-31 }}</ref>。
百貨店らしい催事を展開することを想定して可変性ある什器を多用し<ref name="senken-np-2009-9-24" />、巨額の投資をして失敗して撤退するなど成功事例が乏しい郊外型百貨店のため工夫を重ねて総投資額を6400万円に抑えて食料品が売上高の50%を占める小型店で収益を上げられるようにし<ref name="senken-np-2009-9-24" />、開業初年度の目標を30%上回って達成して軌道に乗せることに成功した<ref name="stores-report-2011-2-28" />。
また、[[2011年]](平成23年)1月28日から2月3日まで新宿店の人気催事である「'''元祖有名駅弁と全国うまいもの大会'''」の小型版の「'''駅弁特別販売会'''」を開催する<ref name="trafic-np-2011-1-17" /> など新宿店の強みを徹底的に活用した展開を図っている<ref name="senken-np-2009-9-24" />。
* [[埼玉県]][[三郷市]][[新三郷ららシティ]]3-1-1
==== セレオ八王子店 ====
東京都八王子市のJR八王子駅ビルの'''そごう八王子店'''の撤退跡を改装して[[2012年]](平成24年)10月25日に開業した'''[[セレオ八王子|セレオ八王子北館]]'''<ref name="mainichi-np-2012-10-26">{{Cite news | author = 平林由梨 | title = セレオ八王子北館:駅ビルオープン にぎわい期待、2000人が列 | newspaper = [[毎日新聞]] | publisher = 毎日新聞社 | date = 2012-10-26 }}</ref> の4階にある店舗<ref name="asahi-np-2012-8-18" />。
前述のららぽーと新三郷店とほぼ同規模の店舗面積約351m<sup>2</sup>に4ブランドの中高年向け婦人服<ref name="asahi-np-2012-8-18" /> や雑貨から化粧品、ギフトなどを取り揃えて<ref name="nikkei-2012-7-19" /> 中高年層を対象顧客として<ref name="daily-industrial-np-2012-7-27" /> 売場ごとに専門の販売員が担当する百貨店と同じ対面販売を行う店舗である<ref name="asahi-np-2012-8-18" />。
* 東京都[[八王子市]]旭町1-1
==== 昭島モリタウン店 ====
東京都昭島市のJR青梅線[[昭島駅]]北口にある大型ショッピングモールの'''[[モリタウン]]'''の本館1階にある店舗。2016年(平成28年)10月オープン<ref name="昭島モリタウン店">{{Cite web|和書|url=https://www.keionet.com/info/satellite/?shop04|title=昭島モリタウン店 |accessdate=2021-4-22|publisher=京王百貨店}}</ref>。
* 東京都[[昭島市]]田中町562-1
==== キラリナ京王吉祥寺店 ====
東京都武蔵野市の[[吉祥寺駅]]前にある駅ビルの'''[[キラリナ京王吉祥寺]]'''の7階にある店舗。2017年(平成29年)9月1日オープン<ref name="キラリナ京王吉祥寺店">{{Cite web|和書|url=https://www.keionet.com/corp/pressrelease/cms_img/20170822_keionewsrelease.pdf|title=「京王百貨店 キラリナ京王吉祥寺店」2017年9月1日(金)にいよいよオープン! |date=2017-8-22|accessdate=2021-4-22|publisher=京王百貨店}}</ref>。
* 東京都[[武蔵野市]][[吉祥寺南町]]2-1-25
==== トリエ京王調布店 ====
東京都調布市の京王線[[調布駅]]前に2017年(平成29年)9月29日に開業した駅ビルの'''[[トリエ京王調布|トリエ京王調布A館]]'''の4階にある店舗<ref name="トリエ京王調布店">{{Cite web|和書|url=https://www.keionet.com/corp/pressrelease/cms_img/20170927_newsrelease_chofu.pdf|title=「京王百貨店 トリエ京王調布店」9月29日(金)にいよいよオープン! |date=2017-9-27|accessdate=2021-4-22|publisher=京王百貨店}}</ref>。
* 東京都[[調布市]]布田4-4-22
==== サテライト橋本店 ====
神奈川県相模原市緑区の京王橋本駅にある駅ナカ商業施設の'''[[京王クラウン街|京王クラウン街橋本]]'''の2階にある店舗。2021年(令和3年)4月22日オープン<ref name="サテライト橋本店">{{Cite web|和書|url=https://www.keionet.com/corp/pressrelease/cms_img/241a135e12b3922b325b85391b119b53dc298c18.pdf|title=京王電鉄株式会社運営の商業施設に出店「京王百貨店 サテライト橋本店」4月22日(木)にオープン! |date=2021-3-30|accessdate=2021-4-22|publisher=京王百貨店}}</ref>。
* [[神奈川県]][[相模原市]][[緑区 (相模原市)|緑区]][[橋本 (相模原市)|橋本]]2-3-2
== 実現しなかった店舗 ==
=== 橋本店 ===
当社の親会社の京王帝都電鉄[[京王相模原線|相模原線]]の延伸が計画され、JR[[横浜線]]・[[相模線]]と合わせたターミナル駅となることが予定されていた'''[[橋本駅 (神奈川県)|橋本駅]]'''前の[[市街地再開発]]で出来るビルへの出店計画で、橋本駅前再開発準備組合が行った核テナント選定のコンペに14社が参加する中でそごうや[[近鉄百貨店]]と共に最終選考まで残ったが、坪当たり8,000円以上という2倍の賃貸料を提示したそごうに決まったため出店を断念した<ref name="why-brand-brake-down-sogo-snow-mitsubishi">{{Cite book | 和書 | authors = [[産経新聞]]取材班 | title = ブランドはなぜ堕ちたか 雪印、そごう、三菱自動車 事件の深層 | publisher = [[角川書店]] | isbn = 978-4048836517 | date = 2001-1}}</ref>。
そごうが経営不振で出店しなかったため<ref name="why-brand-brake-down-sogo-snow-mitsubishi" />、[[2000年]](平成12年)3月4日に橋本ビブレが核店舗として開業し<ref name="nissyoku-2000-3-20">{{Cite news | title = マイカル「橋本ビブレ」開店、街を変える生活提案へ | newspaper = [[日本食糧新聞]] | publisher = 日本食糧新聞社 | date = 2000-3-20 }}</ref>、その後橋本サティへの業態転換<ref name="shikoku-np-2001-5-27">{{Cite news | title = 宇多津ビブレなど6店舗、サティに | newspaper = [[四国新聞]] | publisher = 四国新聞社 | date = 2001-5-27 }}</ref> を経てイオン橋本店となった。
2021年4月には京王電鉄の駅ナカ商業施設「京王クラウン街橋本」に'''サテライト橋本店'''として小型業態を出店している<ref name="サテライト橋本店" />。
== 過去に存在した店舗 ==
[[京王高尾線]][[めじろ台駅]](八王子市)や[[聖蹟桜ヶ丘駅]](多摩市)に、京王リビングというミニショップもあった。
=== ららぽーと富士見店 ===
[[ファイル:LaLaport_FUJIMI_Entrance_(Fujimi_city,Saitama,Japan)_15-04.JPG|thumb|300px|right|ららぽーと富士見]]
[[2015年]](平成27年)4月10日に開業した'''[[ららぽーと富士見]]'''の1階にあった。店舗面積約240m<sup>2</sup>は先行する小型2店より小さめだが、中高年層に向けて婦人服・雑貨や化粧品などを展開するのは同様。[[食器]]では自社の[[通信販売|ネット通販]]との連動を初めて開始した<ref name="富士見3"/>。[[2017年]](平成29年)[[7月15日]]をもって閉店<ref>[https://www.keionet.com/info/satellite/?shop03 京王百貨店 ららぽーと富士見店 閉店のお知らせ] 2018年3月25日閲覧。</ref>。
* [[埼玉県]][[富士見市]][[山室 (富士見市)|山室]]1-1313
== POSシステム ==
* [[販売時点情報管理|POS]]システムは、[[富士通]]製を使用。
== 関連会社 ==
[[1964年]](昭和39年)の開業時から展開していた関東地方の百貨店で初の'''友の会'''が[[1972年]](昭和47年)に'''[[割賦販売法]]'''が改正されて前払式特定取引業として規制対象となったことに伴って別会社として分離してその事業を継承する形で設立した'''株式会社[[京王友の会]]'''<ref name="membership-mutual-club-house-card-1985-12" /> や、'''京王パスポートVISAカード'''などのカードを発行する'''株式会社[[京王パスポートクラブ]]'''<ref name="monthly-consumer-credit-2011-3">{{Cite journal | title = 京王百貨店 ららぽーと新三郷店 初年度目標の30%増で通過 新規事業への挑戦に目途 | journal = [[月刊消費者信用]] 2011年3月号(336号) | publisher = [[金融財政事情研究会]] | date = 2011-3 }}</ref>、親会社の京王電鉄と折半出資で婦人服専門店「'''ビープロピル'''」などを運営する'''株式会社エリート'''<ref name="senken-np-2003-12-26">{{Cite news | title = 銀座にOL向け新業態 エリート ネットで試着イメージ | newspaper = [[繊研新聞]] | publisher = 繊研新聞社 | date = 2003-12-26 }}</ref>、[[1994年]](平成6年)に100%出資の子会社として設立して'''[[京王プラザホテル]]'''などで貸衣装を展開している'''株式会社[[京王コスチューム]]'''<ref name="keio-costume-company-prefile-2012">{{Cite report |year=2012 |title= 会社案内 |publisher= 京王コスチューム }}</ref> などの関連会社がある。
* 株式会社エリート - ファッション衣料・雑貨専門店「リモーネ」や「ヴィプロプル銀座」などを運営
* 株式会社京王友の会 - 関東地方の百貨店初の友の会<ref name="membership-mutual-club-house-card-1985-12" />
* 株式会社京王コスチューム - [[京王プラザホテル]]などでの[[ウエディングドレス]]・婚礼衣装等のレンタル
* 株式会社京王パスポートクラブ
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Reflist|group="注"}}
=== 出典 ===
{{Reflist|2}}
== 関連項目 ==
* [[京王グループ]]
* [[京王モール]]
* [[京王ストア]]
* [[京王アートマン]]
* [[レストラン京王]]
* [[戸田菜穂]] - 90年前半京王百貨店のイメージガールだった
== 外部リンク ==
{{Commonscat|Keio Department store}}
* [https://www.keionet.com/ 京王百貨店] - 公式サイト・総合トップ《ネットショップ案内と百貨店各店舗毎個別サイト目次を兼ねる》
** [http://keio-dept-blog.cocolog-nifty.com/blog/ 京王百貨店BLOG] - 公式ブログ《取扱商品・イベント情報を掲載。サイドメニューから各店舗毎個別サイトへの接続も可能》
*** {{YouTube|user=keioblog|keioblog|「京王百貨店ブログ」公式動画}}
** {{Facebook|keio.dept|京王百貨店}} - 公式アカウント。通常の広告では収まりきれない取扱商品情報・イベント情報を掲載
* 各店舗毎の公式サイト
** [https://www.keionet.com/info/shinjuku/ 新宿店]
** [https://www.keionet.com/info/seisekisakuragaoka/ 聖蹟桜ヶ丘店] - [[京王聖蹟桜ヶ丘ショッピングセンター]]B館1~7階
** [https://mitsui-shopping-park.com/lalaport/shinmisato/shopguide/700383.html ららぽーと新三郷店] - [[ららぽーと新三郷]]1階
** [https://www.celeo.co.jp/shop/index.php?scd=1&id=427 セレオ八王子店] - [[セレオ八王子]]北館4階
** [http://www.moritown.com/shop/detail/?id=151 昭島モリタウン店] - [[モリタウン]]本館1階
** [http://www.kirarinakeiokichijoji.jp/shop/detail.php?shop_id=621 キラリナ京王吉祥寺店] - [[キラリナ京王吉祥寺]]7階
** [https://trie-keiochofu.jp/shop/index.jsp?bf=1&fmt=1&shopid=1401 トリエ京王調布店] - [[トリエ京王調布]]A館4階
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プラグイン
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プラグイン (plug-in)
通常、コンピュータ上で動作するプログラムは、中心となるプログラムコードがサブルーチンを呼び出して処理を進める形で構成される。処理の基本の流れは同じでも、処理内容の詳細が異なるアプリケーションコードを作る場合には、いくつかのサブルーチンを入れ替えることにより実現する。例えば、「ビットマップ画像ファイルを読み込んで画面に表示をする」というアプリケーションの場合、ファイル読み込みのサブルーチンを差し替えることにより、「PNGを読み込んで画面に表示をする」プログラムや「JPEGを読み込んで画面に表示をする」プログラムなどのバリエーションを作ることができる。逆の操作すなわちファイル保存に関しても同様である。
多くのソフトウェアでは、この差し替え可能な部分のサブルーチンの呼び出し手順(インターフェイス)は公開されておらず、アプリケーション・コードを開発した者だけが差し替え作業ができるようになっている。しかし、上記の画像ファイルのフォーマットの例のように、必要とされる全てのサブルーチンを大元の開発者が用意できるとは限らない場合がしばしば発生する。このような場合、サブルーチンの呼び出し手順を規格化して公開・公表し、さらにサブルーチンの差し替え方法を提供すれば、大元の開発者以外の第三者もアプリケーションの機能を変更・拡張できるようになる。
このようにアプリケーションコードの一部分が誰でも差し替え可能になっている状態をプラグ可能(pluggable)と呼び、外部から注入されるプログラムコードおよびそのモジュールをプラグインと呼ぶ。
プラグインの機構を実現するためには、次の点を外部公開仕様として明確に規格化しなければいけない。
また、プラグインとなるサブルーチンのコードを開発しやすいように、プラグイン開発用のライブラリ(フレームワーク)が大元のホストアプリケーション開発者から提供されることが多い。
コンパイラを用いて作られたアプリケーションコードでは、原則としてサブルーチンの実行メモリアドレス(相対アドレス)はコンパイル時に決定されてしまうため、サブルーチンの差し替えをする度に再度コンパイルが必要となる。プラグインの場合、ダイナミックリンクライブラリと呼ばれる機構を使って、アドレスをOSのローダーに決定させることによりこの問題を回避する。また、ヒープ上に動的メモリ確保されるオブジェクトは、ランタイムライブラリにバイナリ互換性がない限り、モジュール境界を越えて確保・解放することができないが、対となる動的なメモリ確保と解放の処理をプラグインのモジュール内に閉じ込めてしまうことで、プラグインの開発者とアプリケーションの開発者が異なるコンパイラや異なるコンパイルオプション、異なるプログラミング言語を使用することも可能である。
ダイナミックリンクライブラリは、WindowsではDLL形式が、macOSやLinuxなどのUNIX / Unix系OSではso形式が用いられることが多い。これは、OSの開発者が規格化したサブルーチン呼び出し手順であり、OSがその呼び出しを実現する標準APIなどを提供しているので、プラグインを開発する者もプラグイン機構を開発する者も簡単にかつ安定して利用できるからである。プラグインを実装する側では特定の名前と呼び出し規約を持つサブルーチンを実装してシンボルをエクスポートしておき、プラグインを利用するホストアプリケーション側では実行時にモジュールをロードして名前の文字列をもとにサブルーチンのアドレスを探索し、見つかった場合はそのサブルーチンのアドレスを利用して呼び出す、というダイナミックバインディングの技術が用いられる。
Windowsではプラグインの実現にCOM/ActiveXテクノロジーが用いられていることもある。注入されるコードは単純なサブルーチンではなく、オブジェクト指向のインターフェイスを実装したクラスとして実現される。.NET Frameworkではプラグイン機構の実現を容易にするためのフレームワークとして、バージョン4.0でManaged Extensibility Framework(英語版)が追加された。
なお、スクリプト言語の処理系をアプリケーションに組み込んでおくことで、プラグインと類似の機構を実現することもできる。
アプリケーションの外部からコードを読み込んで実行することで、サードパーティ製のプラグインを利用できるようにすると、コードインジェクションやコードの改竄によって、アプリケーションが不正に使用されるというセキュリティ上の問題が発生する可能性が大幅に高まる。あらゆる可能性を考慮しなければならなくなるため、アプリケーションの動作検証も難しくなる。アプリストアにおけるプライバシーとセキュリティの品質維持の観点から、アプリケーションのパッケージ外部にあるコードを動的に読み込んで実行しないようにポリシーを定めているプラットフォームや、ユーザーの同意が得られた場合のみアドオンや拡張機能を取得できるように定めているプラットフォームもある。
実際に、Adobe Flash Playerのプラグインはセキュリティホールの温床となっており、iOSプラットフォーム上では最後までサポートされなかった。
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プラグイン (plug-in) コンセントとプラグで電力を供給する機器。
電子機器において機能拡張、仕様変更をおこなうために規格化された差し替え可能なモジュール。
アプリケーションソフトウェアの機能を拡張するために追加することのできるプログラムモジュールの一種。本稿で記載する。
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'''プラグイン''' (plug-in)
* [[配線用差込接続器|コンセント]]と[[プラグ]]で[[電力]]を供給する[[機器]]。
* [[電子機器]]において[[機能]]拡張、[[仕様]]変更をおこなうために[[規格]]化された差し替え可能な[[モジュール]]。
* [[アプリケーションソフトウェア]]の機能を拡張するために追加することのできる[[プログラム (コンピュータ)|プログラム]]モジュールの一種。本稿で記載する。
== 概説 ==
通常、[[コンピュータ]]上で動作するプログラムは、中心となるプログラムコードが[[サブルーチン]]を呼び出して処理を進める形で構成される。処理の基本の流れは同じでも、処理内容の詳細が異なるアプリケーションコードを作る場合には、いくつかのサブルーチンを入れ替えることにより実現する。例えば、「[[ビットマップ画像]]ファイルを読み込んで画面に表示をする」というアプリケーションの場合、[[ファイル (コンピュータ)|ファイル]]読み込みのサブルーチンを差し替えることにより、「[[Portable Network Graphics|PNG]]を読み込んで画面に表示をする」プログラムや「[[JPEG]]を読み込んで画面に表示をする」プログラムなどのバリエーションを作ることができる。逆の操作すなわちファイル保存に関しても同様である。
多くのソフトウェアでは、この差し替え可能な部分のサブルーチンの呼び出し手順([[インタフェース (情報技術)|インターフェイス]])は公開されておらず、アプリケーション・コードを開発した者だけが差し替え作業ができるようになっている。しかし、上記の画像ファイルの[[ファイルフォーマット|フォーマット]]の例のように、必要とされる全てのサブルーチンを大元の開発者が用意できるとは限らない場合がしばしば発生する。このような場合、サブルーチンの呼び出し手順を[[規格化]]して公開・公表し、さらにサブルーチンの差し替え方法を提供すれば、大元の開発者以外の第三者もアプリケーションの機能を変更・拡張できるようになる。
このようにアプリケーションコードの一部分が誰でも差し替え可能になっている状態を'''プラグ可能'''({{lang|en|pluggable}})と呼び、外部から注入されるプログラムコードおよびそのモジュールを'''プラグイン'''と呼ぶ。
プラグインの機構を実現するためには、次の点を外部公開仕様として明確に規格化しなければいけない。
* サブルーチンに与える(入力)パラメータのフォーマットと意味の定義
* サブルーチンから受け取る(出力)データのフォーマットと意味の定義
* サブルーチンを呼び出す手順(サブルーチンの名前や[[呼び出し規約]]なども含む)
* サブルーチンが呼び出されるタイミング(実行される[[スレッド (コンピュータ)|スレッド]]なども含む)
* モジュールを配置する場所(ディレクトリ)
また、プラグインとなるサブルーチンのコードを開発しやすいように、プラグイン開発用の[[ライブラリ]]([[ソフトウェアフレームワーク|フレームワーク]])が大元のホストアプリケーション開発者から提供されることが多い。
[[コンパイラ]]を用いて作られたアプリケーションコードでは、原則としてサブルーチンの実行[[メモリアドレス]](相対アドレス)はコンパイル時に決定されてしまうため、サブルーチンの差し替えをする度に再度コンパイルが必要となる。プラグインの場合、[[ダイナミックリンクライブラリ]]と呼ばれる機構を使って、アドレスを[[オペレーティングシステム|OS]]の[[ローダ|ローダー]]に決定させることによりこの問題を回避する。また、ヒープ上に[[動的メモリ確保]]されるオブジェクトは、[[ランタイムライブラリ]]にバイナリ互換性がない限り、モジュール境界を越えて確保・解放することができないが<ref>[https://docs.microsoft.com/ja-jp/cpp/c-runtime-library/potential-errors-passing-crt-objects-across-dll-boundaries DLL の境界を越えて CRT オブジェクトを渡す場合に発生する可能性のあるエラー | Microsoft Docs]</ref><ref>[https://developer.android.com/ndk/guides/cpp-support?hl=ja C++ ライブラリ サポート | Android NDK | Android Developers]</ref>、対となる動的なメモリ確保と解放の処理をプラグインのモジュール内に閉じ込めてしまうことで、プラグインの開発者とアプリケーションの開発者が異なるコンパイラや異なるコンパイルオプション、異なるプログラミング言語を使用することも可能である。
ダイナミックリンクライブラリは、[[Microsoft Windows|Windows]]ではDLL形式が、[[macOS]]や[[Linux]]などの[[UNIX]] / [[Unix系]][[オペレーティングシステム|OS]]ではso形式が用いられることが多い。これは、OSの開発者が規格化したサブルーチン呼び出し手順であり、OSがその呼び出しを実現する標準[[アプリケーションプログラミングインタフェース|API]]などを提供しているので、プラグインを開発する者もプラグイン機構を開発する者も簡単にかつ安定して利用できるからである。プラグインを実装する側では特定の名前と呼び出し規約を持つサブルーチンを実装してシンボルをエクスポートしておき、プラグインを利用するホストアプリケーション側では実行時にモジュールをロードして名前の文字列をもとにサブルーチンのアドレスを探索し、見つかった場合はそのサブルーチンのアドレスを利用して呼び出す、という[[ダイナミックバインディング]]の技術が用いられる。
Windowsではプラグインの実現に[[Component Object Model|COM]]/[[ActiveX]]テクノロジーが用いられていることもある。注入されるコードは単純なサブルーチンではなく、オブジェクト指向の[[インタフェース (抽象型)|インターフェイス]]を実装したクラスとして実現される。[[.NET Framework]]ではプラグイン機構の実現を容易にするためのフレームワークとして、バージョン4.0で{{仮リンク|Managed Extensibility Framework|en|Managed Extensibility Framework}}が追加された。
なお、[[スクリプト言語]]の処理系をアプリケーションに組み込んでおくことで、プラグインと類似の機構を実現することもできる。
== セキュリティ ==
アプリケーションの外部からコードを読み込んで実行することで、サードパーティ製のプラグインを利用できるようにすると、コードインジェクションやコードの改竄によって、アプリケーションが不正に使用されるというセキュリティ上の問題が発生する可能性が大幅に高まる<ref>[https://developer.android.com/training/articles/security-tips?hl=ja#DynamicCode セキュリティに関するヒント | Android デベロッパー | Android Developers]</ref>。あらゆる可能性を考慮しなければならなくなるため、アプリケーションの動作検証も難しくなる。アプリストアにおけるプライバシーとセキュリティの品質維持の観点から、アプリケーションのパッケージ外部にあるコードを動的に読み込んで実行しないようにポリシーを定めているプラットフォーム<ref>[https://developer.android.com/docs/quality-guidelines/core-app-quality?hl=ja#sc アプリの中核品質 | Android デベロッパー | Android Developers]</ref>や、ユーザーの同意が得られた場合のみアドオンや拡張機能を取得できるように定めているプラットフォームもある<ref>[https://docs.microsoft.com/ja-jp/windows/uwp/publish/store-policies#product-policies Microsoft Store ポリシー - UWP applications | Microsoft Docs]</ref>。
実際に、[[Adobe Flash Player]]のプラグインは[[セキュリティホール]]の温床となっており<ref>[https://japan.cnet.com/article/35050793/ アップル、旧バージョンの「Adobe Flash」プラグインを遮断 - CNET Japan]</ref>、[[iOS]]プラットフォーム上では最後までサポートされなかった。
== プラグインの形式 ==
* [[Adobe Illustrator]]用プラグイン
* [[Adobe Photoshop]]用プラグイン
* [[Netscapeシリーズ]]のウェブブラウザ用のプラグイン
** [[Mozilla Firefox]]用のプラグイン - 関連:[[拡張機能 (Mozilla)]]
* [[Winamp]]用のプラグイン
* [[Susie]]プラグイン
* [[Sleipnir]]プラグイン
* [[Movable Type]]プラグイン
* [[Eclipse (統合開発環境)|Eclipse]]用のプラグイン
* [[Apache Maven]]用のプラグイン
* [[LightWave]] ([[3次元コンピュータグラフィックス]])
* [[Virtual Studio Technology|VST]]インストゥルメント (DTM)
* [[Audio Units|AU]] (DTM)
* [[DirectX]]インストゥルメント (DTM)
* [[時分割多重化|TDM]] (DTM)
* [[HTDM]] (DTM)
* [[RTAS]] (DTM)
==プラグインとして動作するソフトウェア==
* [[Adobe Flash Player]]
* [[Adobe Shockwave Player]]
* [[Adobe Acrobat Reader]]
* [[QuickTime]]
* [[Windows Media Player]]
* [[Microsoft Silverlight]]
* [[Real Player]]
* [[電子国土Webシステム]]
* [[3DMLW]]
== 主要なプラグイン対応ホストソフトウェア ==
* [[Internet Explorer]]
* [[Netscapeシリーズ]]
* [[Mozilla]]
* [[Mozilla Firefox|Firefox]]
* [[Opera]]
* [[Safari]]
* [[Google Chrome]]
* [[シイラ (ウェブブラウザ)|シイラ]]
* [[Susie]]
* [[Windows Media Player]]
* [[Winamp]]
* [[Notepad++]]
== 脚注 ==
<!--=== 注釈 ===
{{notelist}}-->
=== 出典 ===
{{reflist}}
== 関連項目 ==
* [[ダイナミックリンクライブラリ]]
{{DEFAULTSORT:ふらくいん}}
[[Category:ソフトウェア]]
[[Category:API]]
[[Category:テクノロジー関連の造語]]
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%83%A9%E3%82%B0%E3%82%A4%E3%83%B3
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カシオペア (列車)
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カシオペア (Cassiopeia) は、かつて東日本旅客鉄道(JR東日本)・IGRいわて銀河鉄道・青い森鉄道・北海道旅客鉄道(JR北海道)が上野駅 - 札幌駅間で運行していた臨時特別急行列車である。
本項では、1999年から2015年まで運行されていた「カシオペア」のほか、E26系客車を使用して運行されている団体専用列車「カシオペアクルーズ」および「カシオペア紀行」についても記載する。
本州と北海道を乗り換えなしで直結する寝台特急列車としては、1988年(昭和63年)3月13日から「北斗星」が、1989年(平成元年)7月21日から「トワイライトエクスプレス」が運行されていた。これらの列車はいずれも高い支持を得ていたが、カシオペアはさらなる高水準のサービスを提供するフラグシップトレインとして、全客室を2名用A寝台個室とするなど、JR東日本が新規に製造したE26系客車を投入し、1999年(平成11年)7月16日(上野発)・17日(札幌発)から運行開始した。
全客室が2名用A寝台個室であり、他の寝台特急列車よりも高額な本列車専用の寝台料金が必要となるにもかかわらず、人気の高い列車で、時季を問わず寝台券は乗車日1か月前の発売開始とほぼ同時に売り切れることも多かった。なお、本列車は毎日運転ではない臨時列車扱いであり(後述)、鉄道情報システム(JRシステム)が運営するJRグループ共通の予約状況検索サイトJRサイバーステーションでは検索対象外となっているため、代わりにJR東日本のウェブサイト「えきねっと」およびJR北海道の予約サイトにて確認できるようになっていたが、2014年12月22日をもってJR北海道予約サービスでの予約および空席確認は終了した。
2015年(平成27年)3月14日に寝台特急「北斗星」が定期運行を終了し、同年8月21日(上野発)・22日(札幌発)に臨時運行を終了して以降、上野駅を起点・終点とする唯一の寝台特急であり、日本の一般利用の寝台特急では唯一機関車牽引で運行する列車であった。
星座のカシオペヤ座(カシオペア座)に由来。理由としては夜行列車をイメージさせ、「北極星を中心に『北斗七星』と対となり一晩中北の空に輝く星座」であるためとされていた。
また、カシオペヤ座はW型の形状をしており、それが「オールダブルデッカー」「オール2人用個室(ダブル)」をイメージできることも命名理由とされていた。
北海道新幹線の開業によって、青函トンネルを含む約82 kmが新幹線と在来線の共用走行区間となり、架線電圧が在来線用の交流20,000 Vから新幹線用の交流25,000 Vへと昇圧される。これによって従来のED79形電気機関車が使用できなくなり、新型のEH800形電気機関車は日本貨物鉄道(JR貨物)保有であるため、寝台特急「カシオペア」は「北斗星」や急行「はまなす」などとともに2016年(平成28年)3月の北海道新幹線開業前に廃止となる公算が極めて大きいとの見方から存続問題に関心が集まっていた。
2014年(平成26年)8月19日に北海道・青森県・岩手県の幹部が国土交通省を訪れ、寝台特急「北斗星」・「カシオペア」の存続をJR北海道などに働き掛ける様に求める要望書を提出したが、「北斗星」は2015年(平成27年)3月13日で定期運行を終了し、同年8月21日(上野発)・22日(札幌発)に臨時運行も終了した。「カシオペア」についても、同年9月16日にJR北海道・東日本の連名で急行「はまなす」、特急「白鳥」・「スーパー白鳥」とともに廃止されることが公表された。
そして、寝台特急「カシオペア」は2016年(平成28年)3月19日(上野発)・20日(札幌発)を最後に運行を終了し、新幹線開業日である同年3月26日付で正式に廃止された。これに伴い、機関車牽引による一般販売の寝台特急は日本国内から姿を消すこととなった。また、2016年10月10日始発を最後に「カシオペアクルーズ」についてのツアー設定がなされていない。
E26系客車は1編成しかないため、2016年3月で運行終了した一般販売分では、下りの上野発は火・金・日曜日、上りの札幌発は月・水・土曜日のみ運行される臨時列車であった。ただし、春の大型連休や夏季、年末年始の繁忙期には、曜日に関わらず2日に1本の運行形態を採っていた。また、2年ごとに10月下旬から12月上旬にかけては車両の点検・整備のため運休していた。
列車番号は臨時列車のため8000番台が使用され、下りが8009、上りが8010であった。
2016年(平成28年)3月で運行終了した一般販売分の停車駅について記述する。
上野駅 - 大宮駅 - 宇都宮駅 - 郡山駅 - 福島駅 - 仙台駅 - (一ノ関駅) - (盛岡駅) - 函館駅 - 森駅 - 八雲駅 - 長万部駅 - 洞爺駅 - 伊達紋別駅 - 東室蘭駅 - 登別駅 - 苫小牧駅 - 南千歳駅 - 札幌駅
車両構造等の詳細については、「JR東日本E26系客車」も参照。
JR東日本尾久車両センター配置のE26系客車12両編成で運行された。客車はすべて2階建車両(12号車のラウンジカーのみハイデッカー構造)で、編成の向きは1号車が上野方、12号車が札幌方を基本とし、青森 - 函館間(津軽海峡線)では進行方向が変わり逆編成となった。12両編成のうち10両が客室であり、座席車はなく寝台車のみの設定であった。また、寝台はすべて2名用A寝台個室であり、開放式A寝台およびB寝台の連結はなかった。このほか、ダイニングカー(食堂車)を1両、ラウンジカーを1両連結していた。喫煙可能なのは2・5・6・11号車で、その他の車両は全面禁煙だった。
2000年代初めごろには、一名でも乗車できる特別企画乗車券「カシオペア シングルユース券」が発売されていた。その後2009年2月から4月まで上り列車限定で「カシオペアひとり利用券」が発売されていた。
以下の設備・サービスが全客室に用意されていた。
以上に加えて、「カシオペアスイート」と「カシオペアデラックス」には以下の設備・サービスも用意されていた。
JR東日本とびゅうトラベルサービスでの団体旅行ツアー「カシオペアクルーズ」としての販売は、一般販売の寝台特急「カシオペア」が運行されていた時期から実施されており、上野発着のツアーが合計7回設定された。
2012年(平成24年)10月12日 - 14日の第1弾「カシオペア・クルーズ」は、鉄道開業140周年記念の特別ツアーと銘打ち設定された。この時は上野駅→新潟駅→秋田駅→青森駅→仙台駅→上野駅の行程が組まれ、E26系客車が初めて日本海ルートを走行した。2013年(平成25年)10月5日 - 8日の第2弾「カシオペアクルーズ forあきた」は、秋田デスティネーションキャンペーンの特別企画として運行された。往路は上野駅→秋田駅→弘前駅、復路は一ノ関駅→上野駅の行程だった。
2014年(平成26年)6月7日 - 10日の第3弾「カシオペアクルーズ 〜日本海・道南紀行〜」は上野 - 洞爺間で運行され、初めて北海道に乗り入れた。同年10月2日 - 5日の第4弾「カシオペアクルーズ 〜初秋の東北・道南〜」は上野 - 登別間で運行され、以後は2015年(平成27年)10月17日 - 20日の第7弾「秋のカシオペアクルーズ みちのく・道南紀行」までこの運行パターンが主流となった。
なお、「カシオペアクルーズ」とは別にJR東日本管内のみのツアーも設定されていた。特に、北海道新幹線が開業予定する2年前からは新幹線関連工事に伴い青函トンネルが走行できない期間に、「カシオペアクルーズ」を含めたJR東日本管内での運行が設定されている。
「カシオペアクルーズ」は2016年10月10日始発を最後にツアー設定がされていない。
一般販売の「カシオペア」は営業運転を終了したが、使用車両のE26系客車は製造から20年も経過しておらず比較的新しいことや、車内設備が豪華で一定の需要があったため、2016年(平成28年)3月26日の北海道新幹線開業後の運用については協議・調整が行われていた。2016年(平成28年)2月時点までにJR東日本が団体専用列車として再び北海道に乗り入れを行う方向でJR貨物等と協議し、新幹線開業とともに変更される青函トンネルの架線電圧や運行管理システムへの対応としてJR貨物からEH800形電気機関車を借り受け、農産物の輸送需要が高まる秋などを避けて運行スケジュールを立てる計画で、それ以外の期間には同社管内の周遊列車としても活用していく方向が示された。
2016年(平成28年)4月には、「カシオペア」の名称を維持して北海道方面への団体専用列車として運行を再開することが決定。同年6月に「カシオペアクルーズ」および「カシオペア紀行」として運行を開始した。
同年8月は2回のみびゅうトラベルサービスにおいて、上野 - 札幌間ではない「カシオペア紀行」として上野→盛岡間はE26系にて、盛岡→新函館北斗間は東北・北海道新幹線「はやぶさ」を利用し、函館駅までの片道旅行商品が発売されていた。9月3日始発にも上野→盛岡間までの「カシオペア紀行」が阪急交通社からも運行設定がある。そして、同年9月7日始発での「カシオペアで行く信州の旅」として、初めて長野県入りのツアーとして運行された。同年10月10日には東北を一周するツアーが設定された。また、この団体専用列車利用でのツアーでも秋季にはJR貨物所属の機関車が農産物運搬を優先するために北海道乗り入れの運行は設定されない。
その後「TRAIN SUITE 四季島」が本格的にクルーズトレインとして役割を引き継ぐことが発表された。北海道乗り入れについても、2015年6月9日にJR東日本・冨田哲郎社長は「北海道など他社の管内もクルージングすることを考えたい」と述べている。北海道新幹線開業による架線電圧変更の影響から、北海道では運行出来なくなる寝台特急「カシオペア」との入れ替えでJR北海道とJR東日本間で運行の是非を検討していたが、同年12月2日、「カシオペアクルーズ」の運行ルートの一部で運行されていた道内乗り入れルートを、「カシオペア」と入れ替わりで運行予定であることが公表された。また、E26系客車での北海道内運行は2017年2月26日始発の札幌発上野終着をもって運行終了となり、今後はJR東日本管内のみの運行となる。このため、「TRAIN SUITE 四季島」が北海道乗り入れ寝台列車(青函トンネル通過)としても後継となった。
また、「TRAIN SUITE 四季島」の運行開始後は「カシオペアクルーズ」の運行が設定されておらず、「カシオペア紀行」のツアー設定のみとなっている。
3泊4日の行程で本州および北海道の観光地を巡る「カシオペアクルーズ」と、一般販売と同じルートの上野 - 札幌間を夜行で結ぶ「カシオペア紀行」の2種類が設定されている。「カシオペアクルーズ」ではJR東日本グループのびゅうトラベルサービスが催行する周遊タイプのツアーのみが設定されるが、「カシオペア紀行」では「びゅうトラベルサービス」を含む複数の旅行会社が企画した北海道ツアーの往路、もしくは復路の片道で列車に乗る行程のほか、「びゅうトラベルサービス」では札幌または上野到着後に解散となる片道乗車ツアーも設定される。
2016年(平成28年)6月・7月については、「カシオペアクルーズ」が毎週第1土曜日に上野始発で運行設定され、往路は上野駅から上越線・羽越本線・奥羽本線の日本海ルートを経由し、復路は一般営業販売と同じく東北ルートで上野駅に戻る。「カシオペア紀行」の設定される週についてはそれ以外の土曜日に上野始発・日曜日に札幌始発で往復する形となる。「カシオペア紀行」は一般販売時代と同じルートで上野 - 札幌間を往復する。
不定期運行の時期から先述の様に東北本線・いわて銀河鉄道線・青い森鉄道線経由の往路で青森駅まで運行し、復路に奥羽本線(秋田 - 青森間)・羽越本線・信越本線(宮内 - 新津間)・上越線を辿る経路から、東北地方を日本海側も経由して一周するツアーも存在している。2016年には10月10日始発のツアーにも運行された。また、同月19日・22日・29日始発でも「カシオペア紀行」としての旅行商品が設定されている。同年11月にも土曜日に上野発でツアー設定されていて、月曜日に返却回送がされている。
2017年1月・2月の運行については、1月1日 - 翌2日と土曜・日曜に上野 - 札幌間の運行でのツアー設定がなされているが、2月8日始発だけは上野 → 盛岡間のツアーのみで、翌日の設定はない。また、先述通りに2月26日始発の上野終着をもって、北海道内のE26系客車での運行終了し、以降はJR東日本管内のみで運行している。
2017年5月以降は「TRAIN SUITE 四季島」が寝台車における団体臨時列車の主力となっているが、2017年5月27日始発でE26系客車の青森入りでの「カシオペア紀行」が運行された。2017年7月1日の「信州デスティネーションキャンペーン」の特別企画として、上野 - 長野間で「信州カシオペア紀行」が運行されている。2017年9月2日にも上野→青森間での「カシオペア紀行」が運行された。「青森県・函館デスティネーションキャンペーン」(青函 DC)のアフターイベントとして、2017年9月30日始発で青森→上野間でのツアー運行がなされた。また、2017年10月14日には団体臨時列車『カシオペア紀行 青森』として、上野→青森でのツアー運行もなされている。2017年11月25日には既存の上野→青森間に加え、青森→秋田間(奥羽本線経由)のコースを延長した「カシオペア紀行」ツアーも行われている。
2017年12月5日始発では「JR7社共同企画スペシャルツアー『24の列車で繋ぐ じっくり日本列島縦断10日間』ツアー」(E26系客車利用は上野→青森間)に伴い、上野→東仙台信号場間ではEH500形電気機関車を利用した団体臨時列車も運行されている。試運転は2017年11月6日にEH500-21を使用して行われている。
2018年3月24日に上野→青森でツアー運行がなされている。
2018年5月19日に盛岡→上野でツアー運行がなされており、上野-盛岡間では逆方向のルートが確認された。
2018年8月17日には上野→湯沢間(青森駅・東北本線・いわて銀河鉄道線・青い森鉄道線・秋田駅・奥羽本線経由)の運行されており、同月19日の返却回送では上越線経由で行われた。同年8月30日の往路始発には上野-青森間を往路では高崎線・上越線・信越本線・羽越本線経由で、同年9月1日始発の復路では東北本線・いわて銀河鉄道線・青い森鉄道線経由で「カシオペア紀行」として初の周回ツアーも行われた。
2019年4月27日始発で上野→青森のツアーがなされており、同年5月3日始発には『GW特別貸切企画 憧れの信州「カシオペア紀行」2日間』による上野→長野間でツアー運行がなされている。同年5月17日には上野→秋田間(上越・信越本線・羽越本線)で回送され、翌18日には秋田→青森→上野での逆方向のツアー運行実施。
2019年10月5日始発で上野→青森間(上越・信越本線・羽越本線・奥羽本線)でツアー運行がなされている。同年12月7日始発では上野→長野間のツアーがなされている。
2020年9月11日始発で上野→青森間でツアー運行がなされ、同年10月3日始発では上野→長野間(常磐線・武蔵野線・中央線・篠ノ井線・信越本線)でツアー運行がなされている。
2016年6月4日運行再開した「カシオペアクルーズ」での牽引機は下記のとおり。EH800形・DF200形については機関車のみJR貨物から借り受け、運転はJR北海道の乗務員が担当する形となる(2017年2月26日発分で北海道乗り入れが終了したことにより、JR貨物のEH800形・DF200形による牽引も終了)。ただし、JR東日本管内のみのツアー運行となった際も、2017年12月5日始発においてはEH500形けん引でJR貨物所属機関車が使用されたツアーが例外的に存在している。
一般販売の「カシオペア」とほぼ同じだが、ツアー募集人員はE26系客車の編成定員(176人)に対して30 - 50人(初期の2回は除く)と少なくなっている。また、食事関係では著名なシェフが素材を吟味した特別なメニューを整え、「トレインクルー」と称する車内サービス専属スタッフも同行する。
カシオペアのスロネフE26とカハフE26には、推進運転用のブレーキハンドルなどがある。
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"text": "カシオペア (Cassiopeia) は、かつて東日本旅客鉄道(JR東日本)・IGRいわて銀河鉄道・青い森鉄道・北海道旅客鉄道(JR北海道)が上野駅 - 札幌駅間で運行していた臨時特別急行列車である。",
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"text": "本項では、1999年から2015年まで運行されていた「カシオペア」のほか、E26系客車を使用して運行されている団体専用列車「カシオペアクルーズ」および「カシオペア紀行」についても記載する。",
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"text": "本州と北海道を乗り換えなしで直結する寝台特急列車としては、1988年(昭和63年)3月13日から「北斗星」が、1989年(平成元年)7月21日から「トワイライトエクスプレス」が運行されていた。これらの列車はいずれも高い支持を得ていたが、カシオペアはさらなる高水準のサービスを提供するフラグシップトレインとして、全客室を2名用A寝台個室とするなど、JR東日本が新規に製造したE26系客車を投入し、1999年(平成11年)7月16日(上野発)・17日(札幌発)から運行開始した。",
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"text": "全客室が2名用A寝台個室であり、他の寝台特急列車よりも高額な本列車専用の寝台料金が必要となるにもかかわらず、人気の高い列車で、時季を問わず寝台券は乗車日1か月前の発売開始とほぼ同時に売り切れることも多かった。なお、本列車は毎日運転ではない臨時列車扱いであり(後述)、鉄道情報システム(JRシステム)が運営するJRグループ共通の予約状況検索サイトJRサイバーステーションでは検索対象外となっているため、代わりにJR東日本のウェブサイト「えきねっと」およびJR北海道の予約サイトにて確認できるようになっていたが、2014年12月22日をもってJR北海道予約サービスでの予約および空席確認は終了した。",
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"text": "2015年(平成27年)3月14日に寝台特急「北斗星」が定期運行を終了し、同年8月21日(上野発)・22日(札幌発)に臨時運行を終了して以降、上野駅を起点・終点とする唯一の寝台特急であり、日本の一般利用の寝台特急では唯一機関車牽引で運行する列車であった。",
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"text": "星座のカシオペヤ座(カシオペア座)に由来。理由としては夜行列車をイメージさせ、「北極星を中心に『北斗七星』と対となり一晩中北の空に輝く星座」であるためとされていた。",
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"text": "また、カシオペヤ座はW型の形状をしており、それが「オールダブルデッカー」「オール2人用個室(ダブル)」をイメージできることも命名理由とされていた。",
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"text": "3泊4日の行程で本州および北海道の観光地を巡る「カシオペアクルーズ」と、一般販売と同じルートの上野 - 札幌間を夜行で結ぶ「カシオペア紀行」の2種類が設定されている。「カシオペアクルーズ」ではJR東日本グループのびゅうトラベルサービスが催行する周遊タイプのツアーのみが設定されるが、「カシオペア紀行」では「びゅうトラベルサービス」を含む複数の旅行会社が企画した北海道ツアーの往路、もしくは復路の片道で列車に乗る行程のほか、「びゅうトラベルサービス」では札幌または上野到着後に解散となる片道乗車ツアーも設定される。",
"title": "団体専用列車「カシオペアクルーズ」「カシオペア紀行」"
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"text": "2016年(平成28年)6月・7月については、「カシオペアクルーズ」が毎週第1土曜日に上野始発で運行設定され、往路は上野駅から上越線・羽越本線・奥羽本線の日本海ルートを経由し、復路は一般営業販売と同じく東北ルートで上野駅に戻る。「カシオペア紀行」の設定される週についてはそれ以外の土曜日に上野始発・日曜日に札幌始発で往復する形となる。「カシオペア紀行」は一般販売時代と同じルートで上野 - 札幌間を往復する。",
"title": "団体専用列車「カシオペアクルーズ」「カシオペア紀行」"
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"text": "不定期運行の時期から先述の様に東北本線・いわて銀河鉄道線・青い森鉄道線経由の往路で青森駅まで運行し、復路に奥羽本線(秋田 - 青森間)・羽越本線・信越本線(宮内 - 新津間)・上越線を辿る経路から、東北地方を日本海側も経由して一周するツアーも存在している。2016年には10月10日始発のツアーにも運行された。また、同月19日・22日・29日始発でも「カシオペア紀行」としての旅行商品が設定されている。同年11月にも土曜日に上野発でツアー設定されていて、月曜日に返却回送がされている。",
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"text": "2017年1月・2月の運行については、1月1日 - 翌2日と土曜・日曜に上野 - 札幌間の運行でのツアー設定がなされているが、2月8日始発だけは上野 → 盛岡間のツアーのみで、翌日の設定はない。また、先述通りに2月26日始発の上野終着をもって、北海道内のE26系客車での運行終了し、以降はJR東日本管内のみで運行している。",
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"text": "2017年5月以降は「TRAIN SUITE 四季島」が寝台車における団体臨時列車の主力となっているが、2017年5月27日始発でE26系客車の青森入りでの「カシオペア紀行」が運行された。2017年7月1日の「信州デスティネーションキャンペーン」の特別企画として、上野 - 長野間で「信州カシオペア紀行」が運行されている。2017年9月2日にも上野→青森間での「カシオペア紀行」が運行された。「青森県・函館デスティネーションキャンペーン」(青函 DC)のアフターイベントとして、2017年9月30日始発で青森→上野間でのツアー運行がなされた。また、2017年10月14日には団体臨時列車『カシオペア紀行 青森』として、上野→青森でのツアー運行もなされている。2017年11月25日には既存の上野→青森間に加え、青森→秋田間(奥羽本線経由)のコースを延長した「カシオペア紀行」ツアーも行われている。",
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"text": "2017年12月5日始発では「JR7社共同企画スペシャルツアー『24の列車で繋ぐ じっくり日本列島縦断10日間』ツアー」(E26系客車利用は上野→青森間)に伴い、上野→東仙台信号場間ではEH500形電気機関車を利用した団体臨時列車も運行されている。試運転は2017年11月6日にEH500-21を使用して行われている。",
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"text": "2018年3月24日に上野→青森でツアー運行がなされている。",
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"text": "2018年5月19日に盛岡→上野でツアー運行がなされており、上野-盛岡間では逆方向のルートが確認された。",
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"text": "2018年8月17日には上野→湯沢間(青森駅・東北本線・いわて銀河鉄道線・青い森鉄道線・秋田駅・奥羽本線経由)の運行されており、同月19日の返却回送では上越線経由で行われた。同年8月30日の往路始発には上野-青森間を往路では高崎線・上越線・信越本線・羽越本線経由で、同年9月1日始発の復路では東北本線・いわて銀河鉄道線・青い森鉄道線経由で「カシオペア紀行」として初の周回ツアーも行われた。",
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"text": "2019年4月27日始発で上野→青森のツアーがなされており、同年5月3日始発には『GW特別貸切企画 憧れの信州「カシオペア紀行」2日間』による上野→長野間でツアー運行がなされている。同年5月17日には上野→秋田間(上越・信越本線・羽越本線)で回送され、翌18日には秋田→青森→上野での逆方向のツアー運行実施。",
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"text": "2019年10月5日始発で上野→青森間(上越・信越本線・羽越本線・奥羽本線)でツアー運行がなされている。同年12月7日始発では上野→長野間のツアーがなされている。",
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"text": "2020年9月11日始発で上野→青森間でツアー運行がなされ、同年10月3日始発では上野→長野間(常磐線・武蔵野線・中央線・篠ノ井線・信越本線)でツアー運行がなされている。",
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"text": "2016年6月4日運行再開した「カシオペアクルーズ」での牽引機は下記のとおり。EH800形・DF200形については機関車のみJR貨物から借り受け、運転はJR北海道の乗務員が担当する形となる(2017年2月26日発分で北海道乗り入れが終了したことにより、JR貨物のEH800形・DF200形による牽引も終了)。ただし、JR東日本管内のみのツアー運行となった際も、2017年12月5日始発においてはEH500形けん引でJR貨物所属機関車が使用されたツアーが例外的に存在している。",
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"text": "一般販売の「カシオペア」とほぼ同じだが、ツアー募集人員はE26系客車の編成定員(176人)に対して30 - 50人(初期の2回は除く)と少なくなっている。また、食事関係では著名なシェフが素材を吟味した特別なメニューを整え、「トレインクルー」と称する車内サービス専属スタッフも同行する。",
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"text": "カシオペアのスロネフE26とカハフE26には、推進運転用のブレーキハンドルなどがある。",
"title": "付記"
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カシオペア (Cassiopeia) は、かつて東日本旅客鉄道(JR東日本)・IGRいわて銀河鉄道・青い森鉄道・北海道旅客鉄道(JR北海道)が上野駅 - 札幌駅間で運行していた臨時特別急行列車である。 本項では、1999年から2015年まで運行されていた「カシオペア」のほか、E26系客車を使用して運行されている団体専用列車「カシオペアクルーズ」および「カシオペア紀行」についても記載する。
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{{画像提供依頼|路線図|date=2022年10月|cat=鉄道}}
{{Infobox 列車名
|列車名=カシオペア
|ロゴ=
|ロゴサイズ=
|画像=Cassiopeia No1.JPG
|画像サイズ=300px
|画像説明=[[JR貨物EF510形電気機関車|EF510形]]が牽引する「カシオペア」<br />(2010年8月 [[蕨駅]] - [[南浦和駅]]間)
|国={{JPN}}
|種類=[[寝台列車|寝台]][[特別急行列車]]
|現況=運行終了
|地域=[[東京都]]・[[埼玉県]]・[[茨城県]]・[[栃木県]]・[[福島県]]・[[宮城県]]・[[岩手県]]・[[青森県]]・[[北海道]]
|前身=寝台特急「[[北斗星 (列車)|北斗星]]」
|運行開始=[[1999年]][[7月16日]](上野発)<ref group="新聞" name="kotsu-np/2001-04-02/page9" /><ref group="RF" name="RF652_202" /><br />1999年[[7月17日]](札幌発)<ref group="新聞" name="kotsu-np/2001-04-02/page9" /><ref group="RF" name="RF652_202" /><br />(一般販売分)
|運行終了=[[2016年]][[3月19日]](上野発)<ref group="JR東" name="jreast/press/2015/20151212" /><ref group="JR北" name="jrhokkaido/press/2015/151218-1" /><ref group="RF" name="RF662_16-17" /><br />2016年[[3月20日]](札幌発)<ref group="JR東" name="jreast/press/2015/20151212" /><ref group="JR北" name="jrhokkaido/press/2015/151218-1" /><ref group="RF" name="RF662_16-17" /><br />※いずれも一般販売においての発駅基準
|後継=[[#団体専用列車「カシオペアクルーズ」「カシオペア紀行」|団体専用列車「カシオペアクルーズ」「カシオペア紀行」]]
|運営者=[[東日本旅客鉄道]](JR東日本)<br />[[IGRいわて銀河鉄道]]<br />[[青い森鉄道]]<br />[[北海道旅客鉄道]](JR北海道)
|旧運営者=
|平均乗客数=
|起点=[[上野駅]]
|停車地点数=
|終点=[[札幌駅]]
|営業距離=1214.7 km
|平均所要時間=約16時間00分
|運行間隔=
|列車番号=
|使用路線=JR東日本:[[東北本線]]([[宇都宮線]])・[[津軽線]]([[津軽海峡線]])<br />IGRいわて銀河鉄道:[[いわて銀河鉄道線]]<br />青い森鉄道:[[青い森鉄道線]]<br />JR北海道:[[海峡線]]・[[江差線]](津軽海峡線)・[[函館本線]]・[[室蘭本線]]・[[千歳線]]<ref name="techno_44" />
|クラス=[[A寝台]]
|身障者対応=「カシオペアコンパート」(4号車)
|座席=
|就寝=「カシオペアスイート」:1・2号車<br />「カシオペアデラックス」:2号車<br />「カシオペアツイン」:4 - 11号車<br />「カシオペアコンパート」:4号車
|車運車=
|食事=[[食堂車|ダイニングカー]](3号車)
|展望=[[ロビーカー|ラウンジカー]](12号車)
|娯楽=
|荷物=
|その他=
|車両=[[JR東日本E26系客車|E26系客車]](JR東日本[[尾久車両センター]])<br />[[JR貨物EF510形電気機関車|EF510形電気機関車]](JR東日本[[田端運転所]])<br />[[国鉄EF81形電気機関車|EF81形電気機関車]](JR東日本田端運転所)<br />[[国鉄ED76形電気機関車#550番台|ED76形電気機関車]](JR北海道青函運転所(当時))<br />[[国鉄ED79形電気機関車|ED79形電気機関車]](JR北海道[[函館運輸所#青函派出所|函館運輸所青函派出所]])<br />[[国鉄DD51形ディーゼル機関車|DD51形ディーゼル機関車]](JR北海道函館運輸所)
|軌間=1,067 [[ミリメートル|mm]]([[狭軌]])
|電化=[[直流電化|直流]]1,500 [[ボルト (単位)|V]](上野 - [[黒磯駅|黒磯]]間)<br />[[交流電化|交流]]20,000 V・50 [[ヘルツ (単位)|Hz]](黒磯 - [[函館駅|函館]]、[[東室蘭駅|東室蘭]] - 札幌駅間)<ref group="注釈">但し、東室蘭 - 札幌間はディーゼル機関車が牽引した。</ref><br />[[非電化]]([[五稜郭駅|五稜郭]] - 東室蘭間)
|最高速度=110 [[キロメートル毎時|km/h]]<ref name="techno_44">[[#techno|『鉄道のテクノロジー 北海道』 44-47頁]]</ref>
|線路所有者=
|ルート番号=
|備考=[[臨時列車|臨時]]特急列車として運行時のデータ。<br />団体専用列車としての運行データは[[#団体専用列車「カシオペアクルーズ」「カシオペア紀行」|後述]]
|路線図={{画像募集中|size=100px|cat=鉄道}}
|路線図表示=<!--collapsed-->
}}
'''カシオペア''' (''Cassiopeia'') は、かつて[[東日本旅客鉄道]](JR東日本)・[[IGRいわて銀河鉄道]]・[[青い森鉄道]]・[[北海道旅客鉄道]](JR北海道)が[[上野駅]] - [[札幌駅]]間で運行していた[[臨時列車|臨時]][[特別急行列車]]である。
本項では、1999年から2015年まで運行されていた「カシオペア」のほか、[[JR東日本E26系客車|E26系客車]]を使用して運行されている[[団体専用列車]]「カシオペアクルーズ」および「カシオペア紀行」についても記載する。
== 寝台特急「カシオペア」 ==
{{Vertical_images_list
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| 1=Dd51 1095 cassiopea E26 sapporo.jpg
| 2=札幌駅に到着する「カシオペア」
| 3=Cassiopeia sleeping car at ueno station.JPG
| 4=上野駅13番線ホームで出発を待つ「カシオペア」
}}
[[本州]]と[[北海道]]を乗り換えなしで直結する寝台特急列車としては、[[1988年]]([[昭和]]63年)[[3月13日]]から「[[北斗星 (列車)|北斗星]]」が、[[1989年]]([[平成]]元年)[[7月21日]]から「[[トワイライトエクスプレス]]」が運行されていた。これらの列車はいずれも高い支持を得ていたが、カシオペアはさらなる高水準のサービスを提供する[[フラグシップ機|フラグシップトレイン]]として、全客室を2名用[[A寝台]]個室とするなど、JR東日本が新規に製造した[[JR東日本E26系客車|E26系客車]]を投入し、[[1999年]](平成11年)[[7月16日]](上野発)・[[7月17日|17日]](札幌発)から運行開始した<ref group="新聞" name="kotsu-np/2001-04-02/page9" /><ref group="RF" name="RF652_202" />。
全客室が2名用[[A寝台]]個室であり、他の寝台特急列車よりも高額な本列車専用の[[寝台券|寝台料金]]が必要となるにもかかわらず、人気の高い列車で、時季を問わず寝台券は乗車日1か月前の発売開始とほぼ同時に売り切れることも多かった。なお、本列車は毎日運転ではない[[臨時列車]]扱いであり(後述)、[[鉄道情報システム]](JRシステム)が運営するJRグループ共通の予約状況検索サイトJRサイバーステーションでは検索対象外となっているため、代わりにJR東日本のウェブサイト「[[えきねっと]]」およびJR北海道の予約サイト<ref group="注釈">JR北海道の予約サイトでは、座席日と乗車予定駅を選択すると、カシオペアスイートを含む各個室を予約が可能となっている。</ref>にて確認できるようになっていたが、2014年12月22日をもってJR北海道予約サービスでの予約および空席確認は終了した<ref group="JR北" name="jrhokkaido/press/2014/141219-3" />。
[[2015年]](平成27年)[[3月14日]]に寝台特急「北斗星」が定期運行を終了し<ref group="JR東" name="jreast/press/2014/20141222" /><ref group="JR北" name="jrhokkaido/press/2014/141219-1" />、同年[[8月21日]](上野発)・[[8月22日|22日]](札幌発)に臨時運行を終了<ref group="JR東" name="jreast/press/2014/20150114" /><ref group="JR北" name="jrhokkaido/press/2015/150123-2" />して以降、上野駅を起点・終点とする唯一の寝台特急であり、日本の一般利用の寝台特急では唯一[[機関車]]牽引で運行する列車であった。
=== 列車名の由来 ===
[[星座]]の[[カシオペヤ座]](カシオペア座)<!-- 日本語での正式な表記は「カシオペヤ座」。 -->に由来。理由としては夜行列車をイメージさせ、「[[北極星]]を中心に『[[北斗七星]]』と対となり一晩中北の空に輝く星座」であるためとされていた<ref name="jreast/press/1998_2/19990104" group="JR東" /><ref group="注釈">「北斗星」の由来となった北斗七星と同様、北極星を見つけ出すためによく使われる。</ref>。
また、カシオペヤ座はW型の形状をしており、それが「オール[[2階建車両|ダブルデッカー]]」「オール2人用個室(ダブル)」をイメージできることも命名理由とされていた<ref group="JR東" name="jreast/press/1998_2/19990104" />。
=== 架線電圧変更と存続問題 ===
[[北海道新幹線]]の開業によって、[[青函トンネル]]を含む約82 kmが新幹線と在来線の共用走行区間となり、架線電圧が在来線用の交流20,000 [[ボルト (単位)|V]]から新幹線用の交流25,000 Vへと昇圧される<ref group="読売" name="yomiuri/hokkaido/news/20140820-OYTNT50023" />。これによって従来のED79形電気機関車が使用できなくなり、新型の[[JR貨物EH800形電気機関車|EH800形電気機関車]]は[[日本貨物鉄道]](JR貨物)保有であるため、寝台特急「カシオペア」は「北斗星」や急行「[[はまなす (列車)|はまなす]]」などとともに2016年(平成28年)3月の北海道新幹線開業前に廃止となる公算が極めて大きいとの見方から存続問題に関心が集まっていた<ref group="道新" name="hokkaido-np/2014-08-23/news/donai/558392" />。
2014年(平成26年)8月19日に北海道・青森県・岩手県の幹部が国土交通省を訪れ、寝台特急「北斗星」・「カシオペア」の存続をJR北海道などに働き掛ける様に求める要望書を提出したが<ref group="読売" name="yomiuri/hokkaido/news/20140820-OYTNT50023" />、「北斗星」は[[2015年]](平成27年)[[3月13日]]で定期運行を終了し<ref group="JR東" name="jreast/press/2014/20141222" /><ref group="JR北" name="jrhokkaido/press/2014/141219-1" />、同年[[8月21日]](上野発)・[[8月22日|22日]](札幌発)に臨時運行も終了した<ref group="JR東" name="jreast/press/2014/20150114" /><ref group="JR北" name="jrhokkaido/press/2015/150123-2" />。「カシオペア」についても、同年[[9月16日]]にJR北海道・東日本の連名で急行「はまなす」、特急[[スーパー白鳥|「白鳥」・「スーパー白鳥」]]とともに廃止されることが公表された<ref group="JR東" name="jreast/press/2015/20150914" /><ref group="JR北" name="jrhokkaido/press/2015/150916-3" /><ref group="道新" name="dd.hokkaido-np/2015-09-02/news/society/society/1-0174945" /><ref group="毎日" name="mainichi/2015-09-06/select/news/20150906k0000e040120000c" />。
そして、寝台特急「カシオペア」は2016年(平成28年)[[3月19日]](上野発)・[[3月20日|20日]](札幌発)を最後に運行を終了し<ref group="JR東" name="jreast/press/2015/20151212" /><ref group="JR北" name="jrhokkaido/press/2015/151218-1" /><ref group="RF" name="RF662_16-17" /><ref group="新聞" name="news.mynavi/2015-09-16/news/2015/09/16/750" />、新幹線開業日である同年3月26日付で正式に廃止された<ref group="JR東" name="jreast/2015/20151211" /><ref group="JR北" name="jrhokkaido/press/2015/151218-3" />。これに伴い、機関車牽引による一般販売の寝台特急は日本国内から姿を消すこととなった<ref group="RF" name="railf.jp/news/2016/03/21/201000" />。また、2016年10月10日始発を最後に「カシオペアクルーズ」についてのツアー設定がなされていない{{Refnest|group="注釈" |name="jre-cruisetrain_201610_linkdead"|2016年10月10日のツアー関連の更新で公式サイトがリンク切れとなった<ref group="JR東">[[#jreast-cassiopeia|カシオペアクルーズ~秋の東北周遊2泊3日の旅~発売・ツアー情報を更新しました。]]、2016年8月18日付。</ref><ref group="JR東" name="jre-cruisetrain.jp/201610" />。}}。
=== 運行概況 ===
E26系客車は1編成しかないため、2016年3月で運行終了した一般販売分では、下りの上野発は火・金・日曜日、上りの札幌発は月・水・土曜日のみ運行される臨時列車であった。ただし、[[ゴールデンウィーク|春の大型連休]]や夏季、[[年末年始]]の繁忙期には、曜日に関わらず2日に1本の運行形態を採っていた。また、2年ごとに10月下旬から12月上旬にかけては[[日本の鉄道車両検査|車両の点検・整備]]のため運休していた<ref group="RF" name="railf.jp/news/2008/10/28/100600.html" />。
[[列車番号]]は臨時列車のため8000番台が使用され、下りが'''8009'''、上りが'''8010'''であった<ref>[[#JTB時刻表2015-2016冬|寝台特急(時刻表)、p.141。]]</ref>。
* 運転最高速度{{要出典|date=2019年4月}}
** [[上野駅|上野]] - [[青森駅|青森]]間、[[新中小国信号場]] - [[木古内駅|木古内]]間:110 km/h<!--宇都宮 - 青森間は100 km/hではなかったか?-->
** 青森 - 新中小国信号場間、木古内 - [[函館駅|函館]]間:100 km/h
** 函館 - [[札幌駅|札幌]]間:95 km/h
==== 停車駅 ====
2016年(平成28年)3月で運行終了した一般販売分の停車駅について記述する<ref>[[#JTB2013寝台列車|今こそ乗りたい寝台列車の旅、pp.58-61。]]</ref><ref>[[#JT40|寝台特急「カシオペア」 ラストラン 札幌→上野、pp.4-20。]]</ref>。
[[上野駅]] - [[大宮駅 (埼玉県)|大宮駅]] - [[宇都宮駅]] - [[郡山駅 (福島県)|郡山駅]] - [[福島駅 (福島県)|福島駅]] - [[仙台駅]] - ([[一ノ関駅]]) - ([[盛岡駅]]) - [[函館駅]] - [[森駅 (北海道)|森駅]] - [[八雲駅]] - [[長万部駅]] - [[洞爺駅]] - [[伊達紋別駅]] - [[東室蘭駅]] - [[登別駅]] - [[苫小牧駅]] - [[南千歳駅]] - [[札幌駅]]
* ( )は下り列車のみ客扱いの停車。
* このほか、上下列車とも[[青森駅]]・[[蟹田駅]]に、上り列車のみ北豊津駅(現・[[北豊津信号場]])・[[上磯駅]]・盛岡駅に[[停車 (鉄道)#運転停車|運転停車]]した。
* 上り列車は伊達紋別駅で停車する間に後続の特急「[[北斗 (列車)|スーパー北斗]]」14号を待避し、特急列車が特急列車に追い抜かれた。
* 災害などで東北本線が長期不通となった場合、大宮駅‐青森駅を[[高崎線]]・[[上越線]]・[[信越本線]]・[[羽越本線]]・[[奥羽本線]]経由での迂回運行されることがあった。
* 北海道内の一部の駅ではプラットホームの[[有効長]]が列車の長さに満たないため、ホームからはみ出す車両は[[ドアカット]]され乗降できなかった。
*大幅な遅延が発生した場合は、新幹線が停車する駅で運転を打ち切りにして、[[東北新幹線]]による[[振替輸送]]が実施される事もあった。
==== 使用車両・編成 ====
===== 牽引機関車 =====
; 一般販売分での運行を終了した2016年3月の時点で使用されていた牽引機関車
:* [[JR貨物EF510形電気機関車|EF510形500番台]](JR東日本[[田端運転所]]所属)
:: 上野 - 青森間を牽引。「カシオペア」専用塗色の車両があるが、「北斗星」塗色の車両とも共通運用(計15機のうち前者は2機のみ)のため、後者が充当される場合も多かった。また、2015年(平成27年)3月14日のダイヤ改正前は機関車の車両トラブルおよび車両不足の影響で田端運転所のEF81形が代走を務めた。さらにEF81形の機関車故障で[[青森車両センター]]所属のEF81形が代走することもあった。定期運転ラストランを担当したのはEF510-510号機である。2010年(平成22年)6月25日に運用開始<ref group="RF" name="railf.jp/news/2010/06/25/215500" /><ref group="RH" name="rail.hobidas/2010-06-25/rmn/archives/2010/06/jref510_500" />。当初は「北斗星」塗装機が先行して運用開始されていたが、同年7月23日より、「カシオペア」塗装機も使用されるようになった<ref group="RF" name="railf.jp/news/2010/07/23/185500" />。
:: 運行終了後まもなく509・510号機ともに[[日本貨物鉄道]](JR貨物)[[富山機関区]]に転属したため<ref group="RF" name="railf.jp/news/2016/04/04/205000" />、2016年(平成28年)6月4日以降の「カシオペアクルーズ」・「カシオペア紀行」では使用されていない<ref group="RJ" name="toyokeizai.net/articles/2016-06-21/122988/page2" />。
:* [[国鉄ED79形電気機関車|ED79形電気機関車]](JR北海道[[函館運輸所#青函派出所|函館運輸所青函派出所]]所属)
:: 青森 - 函館間を牽引。一般販売分の寝台特急「カシオペア」・急行「[[はまなす (列車)|はまなす]]」が運行を終了した後に運用を離脱し、順次廃車前提で配給輸送された<ref group="RF" name="railf.jp/news/2016/03/24/113000" />。そのため、2016年(平成28年)6月4日以降の「カシオペアクルーズ」・「カシオペア紀行」では使用されていない<ref group="RJ" name="toyokeizai.net/articles/2016-06-21/122988/page2" />。
:* [[国鉄DD51形ディーゼル機関車|DD51形ディーゼル機関車]](JR北海道[[函館運輸所]]所属)
:: 函館 - 札幌間を牽引。「北斗星」や「トワイライトエクスプレス」同様、青を基調とした「北斗星色」塗色の車両が[[重連運転|重連]]で牽引した。一般販売分の寝台特急「カシオペア」が運行を終了した後に運用を離脱したため、2016年(平成28年)6月4日以降の「カシオペアクルーズ」・「カシオペア紀行」では使用されていない<ref group="RJ" name="toyokeizai.net/articles/2016-06-21/122988/page2" />。
<gallery>
ファイル:EF510-507+E26.JPG|EF510形500番台「北斗星」塗装機牽引の「カシオペア」<br/>(東北本線 赤羽 - 浦和間)
ファイル:Cassiopeia ED79 14 20160318.jpg|函館駅に到着したED79形牽引の「カシオペア」<br />(函館本線 函館駅)
ファイル:Cassiopeia DD51 1143 20120904.jpg|函館 - 札幌間を牽引するDD51形重連の「カシオペア」<br />(室蘭本線 [[白老駅|白老]] - [[社台駅|社台]]間)
</gallery>
; 過去の牽引機関車
:* [[国鉄EF81形電気機関車|EF81形電気機関車]](JR東日本田端運転所所属)
:: 運行開始から2010年6月24日まで上野 - 青森間を牽引。基本的に「カシオペア」専用塗色の79・89・92・99号機が限定使用されていた。その後も災害発生時などには突発的にEF510形500番台の代走を務めることがあった<ref group="RF" name="railf.jp/news/2010/07/19/154500" />。
:: 前述のとおり、EF510形500番台がJR貨物に転属した影響で、2016年(平成28年)6月以降の団体専用列車「カシオペアクルーズ」・「カシオペア紀行」では本形式が再活用されている(以降は後述)<ref group="道新" name="dd.hokkaido-np/2016-04-06/news/life-topic/life-topic/1-0256310" />。
:* [[国鉄ED76形電気機関車#550番台|ED76形電気機関車551号機]](旧・JR北海道青函運転所所属)
:: 青森 - 函館間でED79形に代わって充当されることがあった。2001年に[[廃車 (鉄道)|廃車]]された。
<gallery>
ファイル:JRE PC26 Cassiopeia 20070916 001.jpg|上野 - 青森間を牽引したEF81形<br/>(2007年9月16日 宇都宮駅)
ファイル:JR hokkaido ED76 551.jpg|ED76形551号機
</gallery>
===== 客車 =====
{| style="text-align:center; margin:1em 0em 1em 1em; border:solid 1px #999; float:right;"
|+ 2016年3月22日の運行最終日時点における編成図<ref name="JT40_28-44">[[#JT40|E26系客車のディテール、pp.28-44。]]</ref>
|style="background-color:#eee; border-bottom:solid 4px green;"|カシオペア
|-
|style="font-size:80%;"|{{TrainDirection|上野|札幌}}
|-
|
{| class="wikitable" style="font-size:80%; margin:auto;"
!1!!2!!3!!4!!5!!6!!7!!8!!9!!10!!11!!12
|-
|{{禁煙}}|| ||{{禁煙}}||{{禁煙}}[[File:Handicapped Accessible sign.svg|20px]]|| || ||colspan=4|{{禁煙}}|| ||{{禁煙}}
|-
|SU||SU,DX||D||colspan=8|A2||L EG
|}
|-
|style="text-align:left; font-size:80%;"|
* 青森 - 函館間は逆向き
; 凡例
: SU=[[A寝台]]カシオペアスイート
: DX=A寝台カシオペアデラックス
: A2=A寝台カシオペアツイン
: [[File:Handicapped Accessible sign.svg|20px]]=カシオペアコンパートあり
: D=ダイニングカー
: L=ラウンジカー
: EG=電源車
: {{禁煙}}=[[禁煙車]]
|}
[[File:JR East E26 Suronefu-E26.JPG|thumb|200px|機関車が札幌方面の場合の最後尾スロネフE26形<br />(2008年4月29日 尾久 - 上野間)]]
''車両構造等の詳細については、「[[JR東日本E26系客車]]」も参照。''
JR東日本[[尾久車両センター]]配置のE26系客車12両編成で運行された。客車はすべて[[2階建車両]](12号車のラウンジカーのみ[[ハイデッカー]]構造)で、編成の向きは1号車が上野方、12号車が札幌方を基本とし、青森 - 函館間(津軽海峡線)では進行方向が変わり逆編成となった。12両編成のうち10両が客室であり、[[座席車]]はなく[[寝台車 (鉄道)|寝台車]]のみの設定であった。また、寝台はすべて2名用A寝台個室であり、開放式A寝台および[[B寝台]]の連結はなかった。このほか、ダイニングカー([[食堂車]])を1両、[[ロビーカー|ラウンジカー]]を1両連結していた。喫煙可能なのは2・5・6・11号車で、その他の車両は全面禁煙だった<ref name="JT40_28-44" /><ref>[[#JTB2013寝台列車|今こそ乗りたい寝台列車の旅、pp.52-53。]]</ref>。
[[2000年代]]初めごろには、一名でも乗車できる[[特別企画乗車券]]「カシオペア シングルユース券」が発売されていた。その後2009年2月から4月まで上り列車限定で「カシオペアひとり利用券」が発売されていた。
====== 客室設備 ======
{{出典の明記|date=2019年4月|section=1}}
[[File:Cassiopeia welcome.JPG|thumb|200px|ウェルカムドリンクとミニバーセット]]
以下の設備・サービスが全客室に用意されていた<ref name="JT40_28-44" /><ref>[[#JTB2013寝台列車|今こそ乗りたい寝台列車の旅、pp.44-50,52-57,62。]]</ref>。
* [[列車便所|トイレ]]・[[洗面器#洗面台・洗面所・洗面室|洗面台]]、[[タオル#種類|フェイスタオル]]・[[コップ]]・[[浴衣]]・[[スリッパ]]・[[衣紋掛け|ハンガー]]
*: 洗面台に電源[[配線用差込接続器#種類|コンセント]]([[交流]]100[[ボルト (単位)|V]])が1口設置されていた。
* 個別[[エア・コンディショナー|空調]]、照明スイッチ、時計(アラーム機能付)、非常通報ボタン、[[車内販売]]接近告知ランプ
* [[テレビ受像機|液晶モニタ]]、[[背景音楽|BGM]]放送装置
*: 液晶モニタでは、トンネル区間をのぞいて[[NHK BS1]]・[[NHK BSプレミアム]]および車内ビデオ放送が視聴できた。また、現在の走行位置を表示する[[カーナビゲーション|ナビゲーション]]機能もあった。
* ウェルカムドリンク([[ソフトドリンク]])、[[コーヒー|モーニングコーヒー]]、[[朝刊]]サービス
以上に加えて、「カシオペアスイート」と「カシオペアデラックス」には以下の設備・サービスも用意されていた。
* [[シャワー室|シャワーブース]]・[[ヘアドライヤー|ドライヤー]]、[[タオル#種類|バスタオル]]、アメニティーセット([[石鹸]]、[[シャンプー]]、[[歯磨き]]のセット)、クローゼット
* ウェルカムドリンク・ミニバーセット([[ワイン]]・[[ウイスキー]]・[[氷]]・[[ミネラルウォーター]]など)
* ダイニングカー直結[[インターホン]]
; カシオペアスイート(展望室タイプ)
: 1号車の車端部に1部屋のみ存在する平屋構造の個室。上野発の下り列車では最後尾(進行方向が逆になる青森 - 函館間を除く)となる[[展望車|展望室]]であった。ツインベッドのほか、展望部分にソファとテーブルを設置したリビングスペースがあり、専用のシャワーブースやクローゼットもあった。1室のみであり、寝台券の確保は困難であった。座席番号は「1号車1番個室」。寝台料金は1室で'''52,440円'''(補助ベット料金は13,730円)。'''その他、寝台料金に加え[[乗車券|運賃]]・[[特別急行券|特急料金]]も別途必要(2016年3月22日の運行最終日時点での料金、以下全室同じ)<ref name="JTB時刻表2015-2016冬_1001-1002">[[#JTB時刻表2015-2016冬|寝台料金、pp.1001-1002。]]</ref>'''。
; カシオペアスイート(メゾネットタイプ)
: 1・2号車にそれぞれ3室ずつ存在するメゾネットタイプ(重層方式)の個室。1階が[[寝室]]、2階がリビングスペースとなっていた。定員は2名であるが、2階のリビングスペースに補助ベッドを設置して3名で利用することもできた。専用シャワーブースと洗面台・トイレは2階にあった。クローゼット付。座席番号は「1・2号車2 - 4番個室」。寝台料金は展望室タイプと同額。
; カシオペアデラックス
: 2号車に1室のみ存在する平屋構造の個室。定員は2名であるが、補助ベッドを使用して3人で利用することもできた。専用シャワーブースやクローゼットもあった。座席番号は「2号車1番個室」。寝台料金は'''35,340円'''(補助ベット料金は9,810円)<ref name="JTB時刻表2015-2016冬_1001-1002" />。
; カシオペアコンパート
[[File:Cassiopeia twin bedroom compartment type.JPG|thumb|200px|カシオペアコンパート]]
: 4号車に1室のみ存在していた平屋構造の個室。[[車椅子]]に対応できるように客室や周辺の通路が広く作られていた。原則として車椅子を必要とする利用者とその同伴者の2名利用に限り利用できた。車椅子対応のトイレ・洗面台はあるが、シャワーやクローゼットはなかった。料金は'''23,540円'''{{Refnest|group="注釈"|JTB時刻表では名称でなく「車イス対応個室」表記で料金案内がある<ref name="JTB時刻表2015-2016冬_1001-1002" />}}。
; カシオペアツイン(車端室タイプ)
: 4 - 6号車にそれぞれ1室、7 - 11号車にそれぞれ2室ずつ存在していた平屋構造の個室。補助ベッドを使用して3名で使用できる部屋もあった。トイレ・洗面台はあるが、シャワーやクローゼットはなかった。座席番号は補助ベッド対応の部屋が「7 - 11号車1番個室」、補助ベッド非対応の部屋が「4 - 11号車2番個室」。寝台料金は'''27,460円'''(補助ベット料金は9,810円)<ref name="JTB時刻表2015-2016冬_1001-1002" />。
; カシオペアツイン(車端室タイプを除く)
: 4 - 11号車にそれぞれ8室ずつ存在していたスタンダードタイプの2階建構造の個室。平屋の通路から階段を昇り(降り)客室に入った。定員は2名で、補助ベッドはなかった。トイレ・洗面台はあるが、シャワーやクローゼットはなかった。座席番号は1階が「11 - 14番個室」、2階が「21 - 24番個室」。寝台料金は車端室タイプと同額<ref name="JTB時刻表2015-2016冬_1001-1002" />。
====== 共用設備 ======
; 3号車:ダイニングカー(食堂車)<ref name="JT40_28-44" /><ref>[[#JTB2013寝台列車|今こそ乗りたい寝台列車の旅、pp.39,41-43,47,48,50。]]</ref>
[[File:Cassiopeia train dining room.JPG|thumb|200px|ダイニングカー]]
[[File:Cassiopeia train French cuisine meat dish.JPG|thumb|200px|フランス料理(肉料理)]]
: 客席が2階、厨房が1階の2階建構造。[[フランス料理]]や[[日本料理|和食]]、軽食類などが用意された。[[日本レストランエンタプライズ]]が営業を担当した。2012年3月より全面禁煙。
:* ディナータイム
:: フランス料理コース(8,500円)か[[懐石]]御膳(6,000円)のいずれかを選択できた。事前予約制で、乗車日3日前までに[[みどりの窓口]]で食事券を購入した乗客のみが利用できた。カシオペアスイートまたはカシオペアデラックスの乗客は、懐石御膳に限り[[ルームサービス]]も可能であった。また、同様に事前予約制の特製「カシオペアスペシャル弁当」(3,800円)も用意されており、こちらはすべての乗客がルームサービスを受けられた。
:* パブタイム
:: ディナータイム終了後に軽食類を提供した営業時間帯で、[[シチュー#ビーフシチュー|ビーフシチュー]]や[[ハンバーグ]]などのアラカルト、[[肴|おつまみ]]・[[デザート]]・[[酒|アルコール類]]などを用意していた。予約は不要で、すべての乗客が利用可能だった。
: パブタイムはディナータイム終了後の案内放送から開始され、ラストオーダーは22時30分、営業終了は23時00分だった。
:* モーニングタイム
:: 6時30分より朝食メニュー(1,650円)が用意され、和食と洋食が選べた。予約は不要で、すべての乗客が利用可能だった。
:* その他
:: 共用シャワー室の利用カードやシャワーセット、乗車記念グッズ・弁当・土産品などを販売した。
; 12号車:ラウンジカー<ref name="JT40_28-44" /><ref name="JTB2013寝台列車_53">[[#JTB2013寝台列車|今こそ乗りたい寝台列車の旅、p.53。]]</ref>
: すべての乗客が利用できた。約20名が座れるソファや飲料[[自動販売機]]が用意されていたほか、[[売店]]も設置していた。ハイデッカー構造の[[展望車]]となっており、この車両が最後尾となる札幌発の上り列車では(進行方向が逆になる函館 - 青森間を除く)後方眺望を楽しむことができた。全面禁煙。
: 床下(1階部分)は編成全体に電力を供給する[[ディーゼルエンジン|ディーゼル]][[発電機]]を搭載していた。機器メンテナンスの際には代替[[電源車]]としてカヤ27 501が連結され、この場合は通常の電源車扱い(乗客は立入不可)となっていた。
; その他設備<ref name="JT40_28-44" /><ref name="JTB2013寝台列車_53" />
:* ミニロビー(5・9号車)
:* 共用シャワー(6・10号車)
:: シャワーのお湯は1名当たり延べ6分間使用可能だった。利用に際しては3号車ダイニングカーでシャワーカード(320円)の購入が必要だった。
:* 飲料自動販売機(5・9・12号車)
:* 共用トイレ(2・7・11号車)
<!--
==== 担当車掌区所(上野 - 札幌間運行の一般販売分?) ====
* 上野 - [[青森駅|青森]]間:JR東日本[[上野車掌区]](かつては[[青森運輸区]]と月交替で担当していた)
* 青森 - 札幌間:JR北海道[[函館運輸所]](下り)、[[札幌車掌所]](上り)
-->
=== 沿革 ===
{{Main|北斗星 (列車)}}
* [[1999年]]([[平成]]11年)[[7月16日]]・[[7月17日|17日]]:寝台特急「'''カシオペア'''」が運行開始<ref group="新聞" name="kotsu-np/2001-04-02/page9" /><ref group="RF" name="RF652_202" />。
* [[2000年]](平成12年)[[3月31日]] - [[6月7日]]:[[3月29日]]に発生した[[有珠山]]噴火災害の影響で、室蘭本線の長万部 - 東室蘭間が不通となったため、[[長万部駅|長万部]] - 札幌間を函館本線([[倶知安駅]]・[[小樽駅]])経由で迂回運転<ref group="RF" name="RF652_202" />。同年[[6月8日]]から室蘭本線経由の通常運行に戻る。
* [[2002年]](平成14年)[[12月1日]]:[[東北本線]]の盛岡 - [[目時駅|目時]]間が[[IGRいわて銀河鉄道]]、目時 - [[八戸駅|八戸]]間が[[青い森鉄道]]にそれぞれ移管されたため<ref group="RF" name="RF652_202" />、同区間を経由する運賃・料金を一部変更<ref group="JR東" name="jreast/press/2002_1/20020911" /><ref group="JR北" name="jrhokkaido/press/2002/1412daiya" />。同区間を通過する特急列車の特急料金を引き下げ、乗車券は[[連絡運輸]]扱いでJR管内については通算をする扱いに変更。これはIGRいわて銀河鉄道・青い森鉄道両鉄道管内では特急料金・乗車券を各々単純加算することから、運賃・料金の急激な変化を回避したためである。これにより「北斗星」「カシオペア」の主な利用者とされる首都・東北圏 - 北海道間を通しで利用する乗客に影響が出ることとなった。
* [[2008年]](平成20年)[[3月15日]]:ダイヤ改正に伴い、下り「カシオペア」の札幌到着時刻が繰り下がる<ref group="RF" name="RF562_51" /><ref group="RF" name="RF652_202" /><ref group="JR東" name="jreast/press/2007_2/20071213" /><ref group="JR北" name="jrhokkaido/press/2007/071220-1" />。
* [[2010年]](平成22年)
** [[6月25日]] - [[JR貨物EF510形電気機関車|EF510形500番台]]が「カシオペア」での営業運転を開始<ref group="RF" name="railf.jp/news/2010/06/25/215500" /><ref group="RH" name="rail.hobidas/2010-06-25/rmn/archives/2010/06/jref510_500" />。
** [[7月13日]] - 同日限りでEF81形の「北斗星」牽引運用を終了<ref>『鉄道ファン』通巻652号 202頁</ref>。これによりEF81形牽引の北斗星、カシオペアの運用がなくなる。
** [[7月14日]] - [[JR貨物EF510形電気機関車|EF510形500番台]]が「北斗星」での営業運転を開始。
** [[7月18日|7月18]]・[[7月19日|19日]]:東北地方集中豪雨によるいわて銀河鉄道線内での土砂流入の影響で、下り線のみ不通となる。18日の「カシオペア」は[[高崎線]]・上越線・信越本線・羽越本線・奥羽本線経由で迂回運転<ref group="RF" name="RF652_202" />。この運用変更により、EF81形の牽引が一時的に復活した<ref group="RF" name="RF652_202" />。
** [[12月4日]]:東北本線の八戸 - 青森間が青い森鉄道に移管されたため、同区間を経由する運賃・料金を一部変更<ref group="JR東" name="jreast/press/2010/20100916" /><ref group="JR北" name="jrhokkaido/press/2010/100924-1" />。
* [[2011年]](平成23年)
** [[3月11日]] - [[5月19日]]:[[東北地方太平洋沖地震]]([[東日本大震災]])の影響で東北本線が寸断し不通となり、また[[東京電力]][[福島第一原子力発電所|福島第一原発]][[福島第一原子力発電所事故|事故]]などにより電力事情も悪化したため、「北斗星」とともに全区間運休<ref group="RF" name="RF652_202" />。
** [[9月23日]]:[[平成23年台風第15号|台風第15号]]の影響により、上越線・信越本線・羽越本線・奥羽本線経由で迂回運転。前日である22日始発で同ルートの迂回運転もされた。この運用変更により、EF64形の牽引が一時的に復活した<ref group="RF" name="railf.jp/news/2011/09/24/215500.html" />。
* [[2012年]](平成24年)[[3月17日]]:ダイニングカーが終日禁煙となる<ref group="JR東" name="jreast/press/2011/20111211" />。
* [[2014年]](平成25年)[[10月1日]]:海峡線(青函トンネル)で[[北海道新幹線]]開業に向けた総合的な検査および試験が実施されるため、年末年始を含む一部の運転日において、運休や時刻変更が発生<ref group="JR東" name="jreast/press/2014/20140808" /><ref group="JR北" name="jrhokkaido/press/2014/140822-3" /><!-- <ref group="JR西" name="westjr/press/article/2014/08/page_6056" /> --><ref group="RF" name="RF652_202" />。
* [[2015年]](平成27年)
** [[3月14日]]:同日のダイヤ改正で「北斗星」が定期運行を終了<ref group="JR東" name="jreast/press/2014/20141222" /><ref group="JR北" name="jrhokkaido/press/2014/141219-1" />。「カシオペア」の運転時刻が変更。下りの上野 - 青森間と上りの札幌 - 青森間が改正前の「カシオペア」、下りの青森 - 札幌間と上りの青森 - 上野間が改正前の「北斗星」のダイヤをほぼ踏襲し、所要時間が増加<ref group="JR東" name="jreast/press/2014/20150115" /><ref group="JR北" name="jrhokkaido/press/2015/150123-1" />。
** [[8月21日]]・[[8月22日|22日]]:「北斗星」が臨時運行を終了<ref group="JR東" name="jreast/press/2014/20150114" /><ref group="JR北" name="jrhokkaido/press/2015/150123-2" />。北海道と本州を結ぶ唯一の寝台特急となる。
** [[9月16日]]:JR東日本・JR北海道が、2016年(平成28年)3月26日のダイヤ改正で寝台特急「カシオペア」の運行を終了すると発表<ref group="JR東" name="jreast/press/2015/20150914" /><ref group="JR北" name="jrhokkaido/press/2015/150916-3" />。
* [[2016年]](平成28年)
** [[3月19日]]・[[3月20日|20日]]:寝台特急「カシオペア」一般販売分の運行が終了<ref group="RF" name="RF662_16-17" /><ref group="JR東" name="jreast/press/2015/20151212" /><ref group="JR北" name="jrhokkaido/press/2015/151218-1" />。
** 最終の牽引は上下列車ともに上野 - 青森間がEF510-510、青森 - 函館間がED79 14、函館 - 札幌間がDD51 1148(札幌行きは前位)、1143(上野行きは前位)の重連であった
** [[3月22日]] - [[3月25日|25日]]:北海道新幹線の開業に向けた「[[海峡線#北海道新幹線開業に向けた試運転とその後の予定|地上設備最終切替]]」が実施されるため、寝台特急「カシオペア」が全区間運休<ref group="JR東" name="jreast/press/2015/20151212" /><ref group="JR北" name="jrhokkaido/press/2015/151218-1" />。
** [[3月26日]]:寝台特急「カシオペア」廃止<ref group="JR東" name="jreast/2015/20151211" /><ref group="JR北" name="jrhokkaido/press/2015/151218-3" />。
== 団体専用列車「カシオペアクルーズ」「カシオペア紀行」 ==
{{Infobox 列車名
|列車名=カシオペア紀行
|ロゴ=
|ロゴサイズ=
|画像=EF81-81 Cassiopeia.jpg
|画像サイズ=300px
|画像説明=EF81 81牽引の「カシオペア紀行」<br />(2022年5月 蕨駅 - 南浦和駅間)
|国={{JPN}}
|種類=[[団体専用列車]]
|現況=
|地域=[[東日本]]
|前身=[[#寝台特急「カシオペア」|寝台特急「カシオペア」]]
|運行開始=[[2012年]][[7月4日]](カシオペアクルーズ)<ref group="JR東" name="jreast/press/2012/20120715" /><ref group="RJ" name="toyokeizai.net/articles/2016-06-21/122988" /><br />2016年[[6月11日]](カシオペア紀行・上野 - 札幌間)<ref group="JR東" name="jreast/press/2016/20160403" /><ref group="RF" name="railf.jp/news/2016/06/12/205500" />
|運行終了=[[2016年]][[10月12日]](カシオペアクルーズ)
|後継=団体専用列車「[[TRAIN SUITE 四季島]]」(北海道方面)<ref group="JR東" name="jreast/press/2015/20151203" />
|運営者=[[東日本旅客鉄道]](JR東日本)<br />IGRいわて銀河鉄道<br />[[青い森鉄道]]
|旧運営者=[[日本貨物鉄道]]<br />[[北海道旅客鉄道]](JR北海道)<br/>[[道南いさりび鉄道]]
|平均乗客数=
|起点=[[上野駅]]
|停車地点数=
|終点= [[仙台駅]]・[[松島駅]]・[[盛岡駅]]・[[青森駅]]・[[長野駅]]・[[秋田駅]]・[[湯沢駅]]・上野駅(周遊ツアー)
|営業距離=
|平均所要時間=
|運行間隔=
|列車番号=
|使用路線=JR東日本:[[東北本線]]・[[常磐線]]・[[武蔵野線]]・[[中央本線]]・[[篠ノ井線]]・[[信越本線]]・[[奥羽本線]]・[[高崎線]]・[[上越線]]・[[羽越本線]]<br />IGRいわて銀河鉄道:[[いわて銀河鉄道線]]<br />青い森鉄道:[[青い森鉄道線]]
|クラス=A寝台
|身障者対応=「カシオペアコンパート」(4号車)
|座席=
|就寝=「カシオペアスイート」:1・2号車<br />「カシオペアデラックス」:2号車<br />「カシオペアツイン」:4 - 11号車<br />「カシオペアコンパート」:4号車
|車運車=
|食事=ダイニングカー:3号車
|展望=ラウンジカー:12号車
|娯楽=
|荷物=
|その他=
|車両=E26系客車(JR東日本尾久車両センター)<br />EF81形電気機関車(JR東日本田端運転所)<br />[[国鉄EF64形電気機関車|EF64形電気機関車]](JR東日本[[長岡車両センター]])
|軌間=1,067 [[ミリメートル|mm]]
|電化=直流1,500 [[ボルト (単位)|V]]<br />交流20,000 V・50 [[ヘルツ (単位)|Hz]]
|最高速度=
|線路所有者=
|ルート番号=
|備考=
|路線図=
|路線図表示=<!--collapsed-->
}}
=== 概要 ===
<!--ツアー宣伝要素も多いですが、出典はJR東日本プレスリリースのみを挙げています。-->
JR東日本と[[びゅうトラベルサービス]]での団体旅行ツアー「[[#jre-cruisetrain|カシオペアクルーズ]]」としての販売は、一般販売の寝台特急「カシオペア」が運行されていた時期から実施されており<ref group="RJ" name="toyokeizai.net/articles/2016-06-21/122988" />、上野発着のツアーが合計7回設定された。
[[2012年]](平成24年)[[10月12日]] - [[10月14日|14日]]の第1弾「カシオペア・クルーズ」は、鉄道開業140周年記念の特別ツアーと銘打ち設定された。この時は上野駅→新潟駅→秋田駅→青森駅→仙台駅→上野駅の行程が組まれ、E26系客車が初めて日本海ルートを走行した<ref group="JR東" name="jreast/press/2012/20120715" /><ref group="RJ" name="toyokeizai.net/articles/2016-06-21/122988" />。[[2013年]](平成25年)[[10月5日]] - [[10月8日|8日]]の第2弾「カシオペアクルーズ forあきた」は、秋田[[デスティネーションキャンペーン]]の特別企画として運行された。往路は上野駅→秋田駅→[[弘前駅]]、復路は[[一ノ関駅]]→上野駅の行程だった<ref group="JR東" name="jreast/press/2013/20130604" />。
[[2014年]](平成26年)[[6月7日]] - [[6月10日|10日]]の第3弾「カシオペアクルーズ 〜日本海・道南紀行〜」は上野 - [[洞爺駅|洞爺]]間で運行され、初めて北海道に乗り入れた<ref group="JR東" name="jreast/press/2013/20140217" /><ref group="RJ" name="toyokeizai.net/articles/2016-06-21/122988" />。同年[[10月2日]] - 5日の第4弾「カシオペアクルーズ 〜初秋の東北・道南〜」は上野 - [[登別駅|登別]]間で運行され<ref group="JR東" name="jreast/press/2014/20140712" />、以後は[[2015年]](平成27年)[[10月17日]] - [[10月20日|20日]]の第7弾「秋のカシオペアクルーズ みちのく・道南紀行」までこの運行パターンが主流となった<ref group="JR東" name="jreast/press/2015/20150812" /><ref group="RJ" name="toyokeizai.net/articles/2016-06-21/122988" />。
なお、「カシオペアクルーズ」とは別にJR東日本管内のみのツアーも設定されていた<ref group="JR東" name="jreast/press/2015/20150607" />。特に、北海道新幹線が開業予定する2年前からは新幹線関連工事に伴い青函トンネルが走行できない期間に、「カシオペアクルーズ」を含めたJR東日本管内での運行が設定されている<ref group="JR東" name="jreast/press/2014/20141007" /><ref group="JR東" name="jreast/press/2014/20141112" /><ref group="JR東" name="jreast/press/2015/20151108" />。
「カシオペアクルーズ」は2016年10月10日始発を最後にツアー設定がされていない<ref group="注釈" name="jre-cruisetrain_201610_linkdead" />。
==== 北海道新幹線開業後 ====
一般販売の「カシオペア」は営業運転を終了したが、使用車両のE26系客車は製造から20年も経過しておらず比較的新しいことや、車内設備が豪華で一定の需要があったため、2016年(平成28年)3月26日の北海道新幹線開業後の運用については協議・調整が行われていた<ref group="毎日" name="mainichi/2015-09-16/select/news/20150917k0000m040041000c" />。2016年(平成28年)2月時点までにJR東日本が団体専用列車として再び北海道に乗り入れを行う方向でJR貨物等と協議し、新幹線開業とともに変更される青函トンネルの架線電圧や運行管理システムへの対応としてJR貨物からEH800形電気機関車を借り受け、農産物の輸送需要が高まる秋などを避けて運行スケジュールを立てる計画で、それ以外の期間には同社管内の周遊列車としても活用していく方向が示された<ref group="朝日" name="asahi/2016-02-18/articles/ASJ2L62CCJ2LUTIL04H" />。
2016年(平成28年)4月には、「カシオペア」の名称を維持して北海道方面への[[団体専用列車]]として運行を再開することが決定<ref group="JR東" name="jreast/press/2016/20160403" /><ref group="JR東" name="jreast/press/2016/20160407" /><ref group="東奥" name="toonippo/2016-02-18/news_too/nto2016/20160218010537" />。同年6月に「カシオペアクルーズ」および「カシオペア紀行」として運行を開始した<ref group="JR東" name="jreast/press/2016/20160403" /><ref group="朝日" name="asahi/2016-04-06/articles/ASJ4653D7J46UTIL020" /><ref group="新聞" name="itmedia/2016-04-08/business/articles/1604/08/news027" />。
同年8月は2回のみ[[びゅうトラベルサービス]]において、上野 - 札幌間ではない「カシオペア紀行」として上野→[[盛岡駅|盛岡]]間はE26系にて、盛岡→[[新函館北斗駅|新函館北斗]]間は[[東北新幹線|東北]]・[[北海道新幹線]]「[[はやぶさ (新幹線)|はやぶさ]]」を利用し、[[函館駅]]までの片道旅行商品が発売されていた。9月3日始発にも上野→盛岡間までの「カシオペア紀行」が[[阪急交通社]]からも運行設定がある<ref group="JR東" name="jreast/press/2016/20160716" /><ref group="RF" name="railf.jp/news/2016/09/04/203500.html" />。そして、同年[[9月7日]]始発での「カシオペアで行く信州の旅」として、初めて[[長野県]]入りのツアーとして運行された<ref group="JR東" name="jreast/press/2016/20160723" /><ref group="RF" name="railf.jp/news/2016/09/08/180000.html" /><ref group="新聞" name="shinmai/news/nagano/KT160908ASI000003000.php" />。同年10月10日には東北を一周するツアーが設定された<ref group="JR東" name="jreast/press/2016/20160806" />。また、この団体専用列車利用でのツアーでも秋季にはJR貨物所属の機関車が農産物運搬を優先するために北海道乗り入れの運行は設定されない<ref group="朝日" name="asahi/2016-04-06/articles/ASJ4653D7J46UTIL020" />。
その後「[[TRAIN SUITE 四季島]]」が本格的にクルーズトレインとして役割を引き継ぐことが発表された<ref group="JR東" name="jreast/press/2013/20130603" />。北海道乗り入れについても、2015年6月9日にJR東日本・冨田哲郎社長は「北海道など他社の管内もクルージングすることを考えたい」と述べている。北海道新幹線開業による架線電圧変更の影響から、北海道では運行出来なくなる寝台特急「カシオペア」との入れ替えでJR北海道とJR東日本間で運行の是非を検討していた<ref group="産経" name="sankei/2015-06-09/life/news/150609/lif1506090035-n1" />が、同年12月2日、「カシオペアクルーズ」の運行ルートの一部で運行されていた道内乗り入れルートを、「カシオペア」と入れ替わりで運行予定であることが公表された<ref group="注釈">ただし、一部の「カシオペアクルーズ」のルートと異なる点は洞爺駅・伊達紋別駅から登別駅まで延伸したことである。</ref><ref group="JR東" name="jreast/press/2015/20151203" />。また、E26系客車での北海道内運行は2017年2月26日始発の札幌発上野終着をもって運行終了となり、今後はJR東日本管内のみの運行となる<ref group="JR東" name="jreast/press/2016/20161209" /><ref group="新聞" name="mynavi/news/2016/12/07/146/" /><ref group="JR東" name="jreast/press/2015/20151203" /><ref group="新聞">{{Cite news|title=「カシオペア」ツアー列車、北海道内の運転終了 2017年2月ラストラン|newspaper=乗りものニュース|date=2016-12-07|url=https://trafficnews.jp/post/61044|accessdate=2018-02-26}}</ref>。このため、「TRAIN SUITE 四季島」が北海道乗り入れ寝台列車([[青函トンネル]]通過)としても後継となった。
また、「TRAIN SUITE 四季島」の運行開始後は「カシオペアクルーズ」の運行が設定されておらず<ref group="注釈" name="jre-cruisetrain_201610_linkdead" />、「カシオペア紀行」のツアー設定のみとなっている。
=== 運行概況 ===
3泊4日の行程で本州および北海道の観光地を巡る「カシオペアクルーズ」と、一般販売と同じルートの上野 - 札幌間を夜行で結ぶ「カシオペア紀行」の2種類が設定されている<ref group="JR東" name="jreast/press/2016/20160403" /><ref group="朝日" name="asahi/2016-04-06/articles/ASJ4653D7J46UTIL020" /><ref group="新聞" name="itmedia/2016-04-08/business/articles/1604/08/news027" /><ref group="RJ" name="toyokeizai.net/articles/2016-06-21/122988" />。「カシオペアクルーズ」ではJR東日本グループのびゅうトラベルサービスが催行する周遊タイプのツアーのみが設定されるが、「カシオペア紀行」では「びゅうトラベルサービス」を含む複数の旅行会社が企画した北海道ツアーの往路、もしくは復路の片道で列車に乗る行程のほか、「びゅうトラベルサービス」では札幌または上野到着後に解散となる片道乗車ツアーも設定される<ref group="RJ" name="toyokeizai.net/articles/2016-06-21/122988" />。
2016年(平成28年)6月・7月については、「カシオペアクルーズ」が毎週第1土曜日に上野始発で運行設定され、往路は上野駅から[[上越線]]・[[羽越本線]]・[[奥羽本線]]の日本海ルートを経由し、復路は一般営業販売と同じく東北ルートで上野駅に戻る<ref group="RJ" name="toyokeizai.net/articles/2016-06-21/122988" />。「カシオペア紀行」の設定される週についてはそれ以外の土曜日に上野始発・日曜日に札幌始発で往復する形となる<ref group="JR東" name="jreast/press/2016/20160407" /><ref group="道新" name="dd.hokkaido-np/2016-04-21/news/life-topic/life-topic/1-0262085" />。「カシオペア紀行」は一般販売時代と同じルートで上野 - 札幌間を往復する<ref group="RJ" name="toyokeizai.net/articles/2016-06-21/122988" />。
不定期運行の時期から先述の様に[[東北本線]]・[[いわて銀河鉄道線]]・[[青い森鉄道線]]経由の往路で[[青森駅]]まで運行し、復路に[[奥羽本線]](秋田 - 青森間)・[[羽越本線]]・[[信越本線]](宮内 - 新津間)・[[上越線]]を辿る経路から、東北地方を日本海側も経由して一周するツアーも存在している。2016年には10月10日始発のツアーにも運行された<ref group="RF" name="railf.jp/news/2016/10/13/140000.html" />。また、同月19日・22日・29日始発でも「カシオペア紀行」としての旅行商品が設定されている<ref group="JR東" name="jreast/press/2016/20160806" />。同年11月にも土曜日に上野発でツアー設定されていて、月曜日に返却回送がされている<ref group="RF" name="railf.jp/news/2016/11/15/170000.html" />。
2017年1月・2月の運行については、1月1日 - 翌2日と土曜・日曜に上野 - 札幌間の運行でのツアー設定がなされているが、2月8日始発だけは上野 → 盛岡間のツアーのみで、翌日の設定はない。また、先述通りに2月26日始発の上野終着をもって、北海道内のE26系客車での運行終了し、以降はJR東日本管内のみで運行している<ref group="JR東" name="jreast/press/2016/20161209" /><ref group="新聞" name="mynavi/news/2016/12/07/146/" /><ref group="RF" name="railf.jp/news/2017/02/28/170000.html " />。
2017年5月以降は「TRAIN SUITE 四季島」が寝台車における団体臨時列車の主力となっているが、2017年5月27日始発でE26系客車の青森入りでの「カシオペア紀行」が運行された<ref group="RF" name="railf.jp/news/2017/05/29/200000.html" />。2017年7月1日の「信州デスティネーションキャンペーン」の特別企画として、上野 - 長野間で「信州カシオペア紀行」が運行されている<ref group="RF" name="railf.jp/news/2017/07/02/202500.html" />。2017年9月2日にも上野→青森間での「カシオペア紀行」が運行された<ref group="RF" name="railf.jp/news/2017/09/05/111500.html" />。「青森県・函館デスティネーションキャンペーン」(青函 DC)のアフターイベントとして、2017年9月30日始発で青森→上野間でのツアー運行がなされた<ref group="JR東" name="jreast/akita/press/20170609" /><ref group="RF" name="railf.jp/archives/news/2017/10/03/185000.html" />。また、2017年10月14日には団体臨時列車『カシオペア紀行 青森』として、上野→青森でのツアー運行もなされている<ref group="RF" name="railf.jp/archives/news/2017/10/15/201000.html" />。2017年11月25日には既存の上野→青森間に加え、青森→秋田間([[奥羽本線]]経由)のコースを延長した「カシオペア紀行」ツアーも行われている<ref group="RF" name="railf.jp/news/2017/11/26/202000.html" />。
2017年12月5日始発では「JR7社共同企画スペシャルツアー『24の列車で繋ぐ じっくり日本列島縦断10日間』ツアー」(E26系客車利用は上野→青森間)に伴い、上野→[[東仙台信号場]]間では[[JR貨物EH500形電気機関車|EH500形電気機関車]]を利用した団体臨時列車も運行されている<ref group="RF" name="railf.jp/news/2017/12/06/150000.html" /><ref group="RJ" name="RJ616_10-11" />。試運転は2017年11月6日にEH500-21を使用して行われている<ref group="RF" name="railf.jp/news/2017/11/23/203000.html" />。
2018年3月24日に上野→青森でツアー運行がなされている<ref group="RF" name="railf.jp/news/2018/03/28/130000.html" />。
2018年5月19日に盛岡→上野でツアー運行がなされており、上野-盛岡間では逆方向のルートが確認された<ref group="RF" name="railf.jp/news/2018/05/22/140000.html" />。
2018年8月17日には上野→[[湯沢駅|湯沢]]間(青森駅・東北本線・いわて銀河鉄道線・青い森鉄道線・秋田駅・奥羽本線経由)の運行されており、同月19日の返却回送では上越線<!-- 信越本線・羽越本線? -->経由で行われた<ref group="RF" name="railf.jp/news/2018/08/20/163000.html" /><ref group="RH" name="rail.hobidas/rmn/archives/2018/08/2_41.html" />。同年8月30日の往路始発には上野-青森間を往路では高崎線・上越線・信越本線・羽越本線<!-- ・奥羽本線? -->経由で、同年9月1日始発の復路では東北本線・いわて銀河鉄道線・青い森鉄道線経由で「カシオペア紀行」として初の周回ツアーも行われた<ref group="RF" name="railf.jp/news/2018/08/31/160000.html" /><ref group="RH" name="rail.hobidas.com/rmn/archives/2018/08/jr_13031.html" /><ref group="JR東" name="v-travels.co.jp/mt/press_20180628" />。
2019年4月27日始発で上野→青森のツアーがなされており<ref group="RF">{{Cite web|和書|website=[[鉄道ファン (雑誌)|railf.jp(鉄道ニュース)]]|date=2019年4月28日|url=https://railf.jp/news/2019/04/28/203000.html|title=『カシオペア紀行』をEF81 98がけん引運転|publisher=[[交友社]]|accessdate=2019年4月30日}}</ref>、同年5月3日始発には『GW特別貸切企画 憧れの信州「カシオペア紀行」2日間』による上野→長野間でツアー運行がなされている<ref group="RF">{{Cite web|和書|website=railf.jp(鉄道ニュース)|date=2019年5月4日|url=https://railf.jp/news/2019/05/04/202500.html|title=EF64 37がE26系「カシオペア」をけん引|publisher=[[交友社]]|accessdate=2019年5月5日}}</ref>。同年5月17日には上野→秋田間(上越・信越本線・羽越本線)で回送され、翌18日には秋田→青森→上野での逆方向のツアー運行実施<ref group="RF">{{Cite web|和書|website=[[鉄道ファン (雑誌)|railf.jp(鉄道ニュース)]]|date=2019年5月18日|url=https://railf.jp/news/2019/05/18/201500.html|title=「カシオペア」が上越線経由で秋田へ|publisher=[[交友社]]|accessdate=2019年6月1日}}</ref><ref group="JR東" name="jreast.co.jp/akita/press/pdf/20190326-2" />。
2019年10月5日始発で上野→青森間(上越・信越本線・羽越本線・奥羽本線)でツアー運行がなされている<ref group="RF">{{Cite web|和書|website=[[鉄道ファン (雑誌)|railf.jp(鉄道ニュース)]]|date=2019年10月6日|url=https://railf.jp/news/2019/10/06/194000.html|title=『カシオペア紀行』,上越線経由で運転|publisher=[[交友社]]|accessdate=2019年12月14日}}</ref>。同年12月7日始発では上野→長野間のツアーがなされている<ref group="RF">{{Cite web|和書|website=[[鉄道ファン (雑誌)|railf.jp(鉄道ニュース)]]|date=2019年12月8日|url=https://railf.jp/news/2019/12/08/203000.html|title=長野行きの『カシオペア紀行』が運転される|publisher=[[交友社]]|accessdate=2019年12月14日}}</ref>。
2020年9月11日始発で上野→青森間でツアー運行がなされ<ref group="RF">{{Cite web|和書|website=[[鉄道ファン (雑誌)|railf.jp(鉄道ニュース)]]|date=2020年9月12日|url=https://railf.jp/news/2020/09/12/203000.html|title=『カシオペア紀行』の運転再開|publisher=[[交友社]]|accessdate=2020年10月7日}}</ref>、同年10月3日始発では上野→長野間(常磐線・武蔵野線・中央線・篠ノ井線・信越本線)でツアー運行がなされている<ref group="RF">{{Cite web|和書|website=[[鉄道ファン (雑誌)|railf.jp(鉄道ニュース)]]|date=2020年10月4日|url=https://railf.jp/news/2020/10/04/202500.html|title=『カシオペア紀行 長野行き』をEF64 1052がけん引|publisher=[[交友社]]|accessdate=2020年10月7日}}</ref>。
=== 停車駅・経由路線 ===
* 「カシオペア紀行」(2016年6月 - 7月、2017年1月 - 2月分(2月8日始発以外))
** [[上野駅|上野]] - [[札幌駅|札幌]]間(不定期運行時代の一般販売分と経由路線は同じだが、2016年6月以降の[[江差線]]区間は三セク化により[[道南いさりび鉄道線]]となっている。)<ref group="JR東" name="jreast/press/2016/20160403" /><ref group="JR東" name="jreast/press/2016/20161209" />
* 「カシオペア紀行」(上記以外のE26系客車の利用区間における3パターン)
** 上野 - [[盛岡駅|盛岡]]間(東北本線経由)<ref group="JR東" name="jreast/press/2016/20160716" /><ref group="RF" name="railf.jp/news/2016/09/04/203500.html" /><ref group="JR東" name="jreast/press/2016/20161209" /><ref group="RF" name="railf.jp/news/2018/05/22/140000.html" />
** 上野 - [[青森駅|青森]]間(東北本線・いわて銀河鉄道線・青い森鉄道線経由{{Refnest|group="注釈"|周回ツアーの復路としても利用された<ref group="RF" name="railf.jp/news/2018/08/31/160000.html" />}}。)<ref group="JR東" name="jreast/akita/press/20170609" /><ref group="RF" name="railf.jp/archives/news/2017/10/03/185000.html" /><ref group="RF" name="railf.jp/archives/news/2017/10/15/201000.html" />( - [[秋田駅]]([[奥羽本線]]経由)<ref group="RF" name="railf.jp/news/2017/11/26/202000.html" /><ref group="JR東" name="jreast.co.jp/akita/press/pdf/20190326-2" /> - [[湯沢駅]](奥羽本線経由)<ref group="RF" name="railf.jp/news/2018/08/20/163000.html" /><ref group="RH" name="rail.hobidas/rmn/archives/2018/08/2_41.html" /><ref group="JR東" name="v-travels.co.jp/mt/press_20180628" />)
*** (※)秋田駅・湯沢駅終着は、個々のツアーにおいて青森駅の延長線上から奥羽本線経由で行われている。
** 上野 - 青森間(高崎線・上越線・信越本線・羽越本線・奥羽本線経由{{Refnest|group="注釈"|周回ツアーの往路として<ref group="RF" name="railf.jp/news/2018/08/31/160000.html" /><ref group="RH" name="rail.hobidas.com/rmn/archives/2018/08/jr_13031.html" /><ref group="JR東" name="v-travels.co.jp/mt/press_20180628" />>}}。)
*「信州カシオペア紀行」(2016年9月以降運行)
** 上野 - [[長野駅|長野]]間([[常磐線]]・[[武蔵野線]]・[[中央本線]]・[[篠ノ井線]]・[[信越本線]]経由)<ref group="JR東" name="jreast/press/2016/20160723" />
* 「カシオペアクルーズ」(不定期運行時代・2016年6月以降)
** 原則的には上野駅での始発・終着であるが、E26系客車での運行はJR東日本管内(主に東北ルート・日本海ルート)で途中下車・終着駅で設定することもある。また、2016年9月運行の「信州カシオペアクルーズ」では、信州カシオペア紀行と同様の路線ルートで[[松本駅]]・[[小淵沢駅]]降車・[[竜王駅]]乗車設定での観光<ref group="JR東" name="jreast/press/2016/20160723" />や、JR北海道管内を含む設定ツアーでは「カシオペア紀行」で設定する路線内のルート・途中降車駅も利用して設定するツアーもある<ref group="注釈">ただし、不定期運行時代は本州側からは[[洞爺駅]]・[[登別駅]]までしか行かないツアー設定もあった。</ref>。詳細は沿革を参照。
=== 使用車両・編成 ===
==== 牽引機関車 ====
2016年6月4日運行再開した「カシオペアクルーズ」での牽引機は下記のとおり。EH800形・DF200形については機関車のみ[[日本貨物鉄道|JR貨物]]から借り受け、運転はJR北海道の乗務員が担当する形となる<ref group="RJ" name="rail-j.com/journal/1608" /><ref group="RJ" name="toyokeizai.net/articles/2016-06-21/122988/page2" /><ref group="RF" name="railf.jp/japan_railfan_magazine/point/665/665-072" />(2017年2月26日発分で北海道乗り入れが終了したことにより、JR貨物のEH800形・DF200形による牽引も終了<ref group="JR東" name="jreast/press/2016/20161209" /><ref group="新聞" name="mynavi/news/2016/12/07/146/" /><ref group="RF" name="railf.jp/news/2017/02/28/170000.html " />)。ただし、JR東日本管内のみのツアー運行となった際も、2017年12月5日始発においてはEH500形けん引でJR貨物所属機関車が使用されたツアーが例外的に存在している<ref group="RF" name="railf.jp/news/2017/12/06/150000.html" /><ref group="RJ" name="RJ616_10-11" />。
* [[国鉄EF81形電気機関車|EF81形電気機関車]](JR東日本田端運転所所属)
*: 「カシオペアクルーズ」の往路の上野→[[長岡駅|長岡]]→青森間と復路の青森→上野間<ref group="RJ" name="toyokeizai.net/articles/2016-06-21/122988/page2" />、「カシオペア紀行」の上野 - 青森間を牽引する<ref group="RJ" name="toyokeizai.net/articles/2016-06-21/122988/page2" />。なお、往路の上野→長岡間は[[上越線]]の勾配対策としてEF64形電気機関車を前補機とした[[重連運転]]が実施される<ref group="RJ" name="toyokeizai.net/articles/2016-06-21/122988/page2" />。
*: 2016年4月18日の試運転にはEF81 80が充当されたほか<ref group="RF" name="railf.jp/news/2016/04/19/170000" />、同年5月14日・15日と18日・19日の試運転にはEF81 81が充当された<ref group="RF" name="railf.jp/news/2016/05/15/193500" /><ref group="RJ" name="toyokeizai.net/articles/2016-06-21/122988/page2" />。
*: 「カシオペアクルーズ」運行再開初日はEF81 95が充当された<ref group="RF" name="railf.jp/news/2016/06/05/202000" /><ref group="RH" name="rail.hobidas/2016-06-06/rmn/archives/2016/06/jrjrjr_13" /><ref group="RJ" name="toyokeizai.net/articles/2016-06-21/122988/page2" />。「カシオペア紀行」初日はEF81 81が充当された<ref group="RF" name="railf.jp/news/2016/06/12/205500" /><ref group="RH" name="rail.hobidas/2016-06-14/rmn/archives/2016/06/jr_2156" />。
* [[国鉄EF64形電気機関車|EF64形電気機関車]](JR東日本[[長岡車両センター]]・[[ぐんま車両センター]]所属)
*:[[上越線]]の勾配対策のため、「カシオペアクルーズ」往路における上野→長岡間の前補機として使用される<ref group="RJ" name="toyokeizai.net/articles/2016-06-21/122988/page2" />。
*: 2016年(平成28年)5月14日・15日と18日・19日の試運転にはEF64 1051が充当された<ref group="RF" name="railf.jp/news/2016/05/15/193500" /><ref group="RJ" name="toyokeizai.net/articles/2016-06-21/122988/page2" />。
*: 「カシオペアクルーズ」運行再開初日はEF64 1030が充当された<ref group="RF" name="railf.jp/news/2016/06/05/202000" /><ref group="RH" name="rail.hobidas/2016-06-06/rmn/archives/2016/06/jrjrjr_13" /><ref group="RJ" name="toyokeizai.net/articles/2016-06-21/122988/page2" />。
*: 2016年9月に運行された「信州カシオペアクルーズ」・「信州カシオペア紀行」では、長野県への運行のために7日にはEF64 37にて、17日始発にはEF64 1001にて、29日始発にはEF64 37で牽引されている<ref group="RF" name="railf.jp/news/2016/09/08/180000.html" /><ref group="RF" name="railf.jp/news/2016/09/18/203000.html" /><ref group="RF" name="railf.jp/news/2016/10/01/202000.html" />。
*:2018年8月30日始発で行われた『「カシオペア紀行」でめぐるゆったり東日本周遊4日間』では上越線の高崎→長岡間においてEF64 1051が前補機として連結されている<ref group="RF" name="railf.jp/news/2018/08/31/160000.html" /><ref group="RH" name="rail.hobidas.com/rmn/archives/2018/08/jr_13031.html" />。
*:2019年5月3日~4日運転の『憧れの信州「カシオペア紀行」』には37号機が登板した。
* [[JR貨物EH800形電気機関車|EH800形電気機関車]](JR貨物[[五稜郭機関区]]所属)
*: 「カシオペアクルーズ」・「カシオペア紀行」の青森 - 五稜郭間を牽引する<ref group="RH" name="rail.hobidas/2016-06-06/rmn/archives/2016/06/jrjrjr_13" /><ref group="RH" name="rail.hobidas/2016-06-14/rmn/archives/2016/06/jr_2156" />。EH800形の旅客運用は本列車が初めてである<ref group="RH" name="rail.hobidas/2016-06-06/rmn/archives/2016/06/jrjrjr_13" />。
*: 2016年5月14日・15日と18日・19日の試運転にはEH800-901が充当された<ref group="RJ" name="toyokeizai.net/articles/2016-06-21/122988/page2" />。
*: 「カシオペアクルーズ」運行再開初日はEH800-1が充当された<ref group="RH" name="rail.hobidas/2016-06-06/rmn/archives/2016/06/jrjrjr_13" /><ref group="RJ" name="toyokeizai.net/articles/2016-06-21/122988/page2" />。「カシオペア紀行」初日はEH800-2が充当された<ref group="RH" name="rail.hobidas/2016-06-14/rmn/archives/2016/06/jr_2156" />。
* [[JR貨物DF200形ディーゼル機関車|DF200形ディーゼル機関車]](JR貨物五稜郭機関区所属)
*: 「カシオペアクルーズ」・「カシオペア紀行」の五稜郭 - 札幌間を牽引する<ref group="RH" name="rail.hobidas/2016-06-06/rmn/archives/2016/06/jrjrjr_13" />。JR貨物所属DF200形の旅客運用は本列車が初めてである。
*: 2016年5月5日 - 9日の4日間に単機での試運転が行われた<ref group="RF" name="railf.jp/news/2016/05/19/110000" />。同年5月14日・15日と18日・19日の試運転にはDF200-52が充当された<ref group="RF" name="railf.jp/news/2016/05/19/110000" /><ref group="RJ" name="toyokeizai.net/articles/2016-06-21/122988/page2" />。
*: 「カシオペアクルーズ」運行再開初日はDF200-116が充当された<ref group="RH" name="rail.hobidas/2016-06-06/rmn/archives/2016/06/jrjrjr_13" /><ref group="RJ" name="toyokeizai.net/articles/2016-06-21/122988/page2" />。「カシオペア紀行」初日はDF200-120が充当された<ref group="RH" name="rail.hobidas/2016-06-14/rmn/archives/2016/06/jr_2156" />。
* [[JR貨物EH500形電気機関車|EH500形電気機関車]](JR貨物[[仙台総合鉄道部]]所属)
*: 2017年12月5日始発での「JR7社共同企画スペシャルツアー『24の列車で繋ぐ じっくり日本列島縦断10日間』ツアー」(E26系客車利用は上野→青森間)において運行されている。北海道内・青函トンネル経由したツアー以外でのJR貨物の機関車運用であり、運用牽引はEH500-30で上野→東仙台信号場間を担当した。東仙台信号場 → 青森間はEF81 81で運用している<ref group="RF" name="railf.jp/news/2017/12/06/150000.html" /><ref group="RJ" name="RJ616_10-11" />。
<gallery>
ファイル:EF81 97 Cassiopeia Cruise Matsushima 20161010.jpg|EF81形牽引の「カシオペアクルーズ」<br />(東北本線 [[松島駅]])
ファイル:EF64 37 Shinshu Cassiopeia Cruise 20160930.jpg|EF64 37牽引の「信州カシオペア紀行」<br/>(篠ノ井線筑北村・聖高原~冠着)
ファイル:EF64 1030 EF81 95 Cassiopeia 20160604.jpg|EF64形+EF81形牽引の「カシオペアクルーズ」<br />(上越線 [[八木原駅|八木原]] - [[渋川駅|渋川]]間)
ファイル:EH800-3 Cassiopeia 20160717 (cropped).jpg|EH800形牽引の「カシオペア紀行」<br />(道南いさりび鉄道線 [[上磯駅|上磯]] - [[矢不来信号場]]間)
ファイル:DF200-121 Cassiopeia 20170226.jpg|DF200形牽引の「カシオペア紀行」<br />(千歳線 北広島 - 島松間)
</gallery>
==== 客車 ====
一般販売の「カシオペア」とほぼ同じだが、ツアー募集人員はE26系客車の編成定員(176人)に対して30 - 50人(初期の2回は除く)と少なくなっている<ref group="RJ" name="toyokeizai.net/articles/2016-06-21/122988/page3" />。また、食事関係では著名なシェフが素材を吟味した特別なメニューを整え、「トレインクルー」と称する車内サービス専属スタッフも同行する<ref group="RJ" name="toyokeizai.net/articles/2016-06-21/122988/page3" />。
=== 沿革 ===
<!--前例のないツアー運行のみを記述して下さい。-->
==== 不定期運行時代 ====
* [[2012年]](平成24年)[[10月12日]] - [[10月14日|14日]]:鉄道開業140周年記念の東北応援特別ツアーとして、第1弾「カシオペア・クルーズ」(2泊3日)が上野 - 青森間で運行<ref group="JR東" name="jreast/press/2012/20120715" />。
* [[2013年]](平成25年)[[10月5日]] - [[10月8日|8日]]:秋田デスティネーションキャンペーン特別企画として、第2弾「カシオペアクルーズ forあきた」(3泊4日)が(往路)上野 - 秋田 - [[弘前駅|弘前]]間・(復路)[[一ノ関駅|一ノ関]] - 上野間で運行<ref group="JR東" name="jreast/press/2013/20130604" />。
* [[2014年]](平成26年)
** [[6月7日]] - [[6月10日|10日]]:第3弾「カシオペアクルーズ 〜日本海・道南紀行〜」(3泊4日)が上野 - [[洞爺駅|洞爺]]間で運行。団体臨時列車として初めて北海道に乗り入れる<ref group="JR東" name="jreast/press/2013/20140217" />。
** [[10月2日]] - 5日:第4弾「カシオペアクルーズ 〜初秋の東北・道南〜」(3泊4日)が上野 - [[登別駅|登別]]間で運行<ref group="JR東" name="jreast/press/2014/20140712" />。
* [[2015年]](平成27年)
** [[1月5日]] - [[1月7日|7日]]:第5弾「冬のカシオペアクルーズ」(2泊3日)を上野 - 青森間で運行<ref group="JR東" name="jreast/press/2014/20141007" />。
** [[7月4日]] - [[7月7日|7日]]:第6弾「夏のカシオペアクルーズ 東北・道南4日間」(3泊4日)が上野 - 登別間で運行<ref group="JR東" name="jreast/press/2014/20150325" />。
** [[10月17日]] - [[10月20日|20日]]:第7弾「秋のカシオペアクルーズ みちのく・道南紀行」(3泊4日)として上野 - 登別間で運行<ref group="JR東" name="jreast/press/2015/20150812" />。
==== 「カシオペアクルーズ」・「カシオペア紀行」 ====
* [[2016年]](平成28年)
** [[6月4日]]:週末を中心に[[団体専用列車]]「カシオペアクルーズ」として運行開始<ref group="JR東" name="jreast/press/2016/20160403" /><ref group="JR東" name="jreast/press/2016/20160407" /><ref group="毎日" name="mainichi/2016-06-04/articles/20160604/k00/00e/040/220000c" /><ref group="RF" name="railf.jp/news/2016/06/05/202000" />。
** [[6月11日]]:一般販売分だった区間を利用して、団体専用列車「カシオペア紀行」として運転再開<ref group="JR東" name="jreast/press/2016/20160403" /><ref group="JR東" name="jreast/press/2016/20160407" /><ref group="RF" name="railf.jp/news/2016/06/12/205500" />。
** [[9月7日]]:「カシオペアで行く信州の旅」として、初めて[[長野県]]でのツアーが催行された<ref group="JR東" name="jreast/press/2016/20160716" /><ref group="JR東" name="jreast/press/2016/20160723" /><ref group="RF" name="railf.jp/news/2016/09/08/180000.html" /><ref group="新聞" name="shinmai/news/nagano/KT160908ASI000003000.php" />。
** [[9月17日]]・[[9月29日|29日]]:「信州カシオペア紀行」として長野県へのツアーが運行された<ref group="JR東" name="jreast/press/2016/20160723" /><ref group="RF" name="railf.jp/news/2016/09/18/203000.html" /><ref group="RF" name="railf.jp/news/2016/10/01/202000.html" />。
** [[10月10日]]:東北地方を東北ルートを往路とし、青森駅から日本海ルートを復路として一周するツアーが運行<ref group="JR東" name="jreast/press/2016/20160806" /><ref group="RF" name="railf.jp/news/2016/10/13/140000.html" />。
* [[2017年]](平成29年)
** [[2月26日]](始発基準):札幌発上野終着のツアー設定をもって、北海道内でのE26系客車での運行終了<ref group="JR東" name="jreast/press/2016/20161209" /><ref group="新聞" name="mynavi/news/2016/12/07/146/" /><ref group="RF" name="railf.jp/news/2017/02/28/170000.html " />。
** [[5月27日]] - 28日:E26系客車で青森入りのツアーを実施<ref group="RF" name="railf.jp/news/2017/05/29/200000.html" />。
** [[7月1日]] - 2日:「信州カシオペア紀行」の運行<ref group="RF" name="railf.jp/news/2017/07/02/202500.html" />。
** [[11月25日]] - 26日:原則、JR東日本管内のみの「カシオペア紀行」(東北本線経由系統)では盛岡・青森駅が終着駅だったが、秋田駅を終着駅とするツアーが実施<ref group="RF" name="railf.jp/news/2017/11/26/202000.html" />。
* [[2018年]](平成30年)
** [[8月17日]] - 18日:[[湯沢駅]](奥羽本線)を終着駅とするツアーを実施<ref group="RF" name="railf.jp/news/2018/08/20/163000.html" /><ref group="RH" name="rail.hobidas/rmn/archives/2018/08/2_41.html" /><ref group="JR東" name="v-travels.co.jp/mt/press_20180628" />。
** [[8月30日]] - 9月2日:『「カシオペア紀行」でめぐるゆったり東日本周遊4日間』として、「カシオペア紀行」としては初の周回ツアーが行われる<ref group="RF" name="railf.jp/news/2018/08/31/160000.html" /><ref group="RH" name="rail.hobidas.com/rmn/archives/2018/08/jr_13031.html" /><ref group="JR東" name="v-travels.co.jp/mt/press_20180628" />。
== 付記 ==
* 本列車が発車する上野駅の13番線ホームには、E26系客車の車体をあしらった「五ツ星広場」と称する待ち合わせスポットが設置されており、本列車乗客が利用できた。また1階の新幹線乗り換え改札に隣接して、1号車の「カシオペアスイート」展望室部分のモックアップが展示されていたが、すでに撤去されている{{要出典|date=2015年11月|title=写真か出典の検証になるものが必要です}}。
* それに代わり、上野駅13番線のホーム上に「TRAIN SUITE 四季島」の専用ラウンジが設置された<ref group="JR東" name="jreast/press/2015/20150605" /><ref group="JR東" name="jreast/press/2016/20161208" /><ref group="RF" name="railf.jp/news/2016/12/07/090000.html" />。
* [[フュージョン (音楽)|フュージョン]][[バンド (音楽)|バンド]]「[[カシオペア (バンド)|カシオペア]]」の[[キーボーディスト]]だった[[向谷実]]は、「カシオペア」の運行開始に際して、以前より交流があったJR東日本の関係者から「今度『カシオペア』という名前の列車が走るんだけど…」と、列車名についての相談を受けたと語っている<ref group="注釈">ただしバンド名の綴りは「CASIOPEA」なのに対して、列車名は「CASSIOPEIA」と差異がある。</ref>。名前の使用に関して問題ないことがわかり、[[鉄道ファン]]でもある向谷は快諾、そして列車にイメージを得て作曲した「Lucky Stars」という楽曲をアルバム『[[MATERIAL]]』に収録した。上野駅と札幌駅で開催された「カシオペア」運行開始一周年イベントでは、ゲスト出演したカシオペアがこの曲を生演奏している{{要出典|title=JR関係者とのやりとりの詳細・楽曲に関する事柄(着想など)・ゲスト出演の詳細について、それぞれ出典を提示ください。|date=2013年9月}}。
* カシオペアのスロネフE26とカハフE26には、推進運転用のブレーキハンドルなどがある。
== 参考書籍 ==
*『上野駅13番線ホーム』[[西村京太郎]]([[光文社]] 2007年) ISBN 9784167906368 (同列車を舞台とした推理小説)
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Reflist|group="注釈"}}
=== 出典 ===
{{Reflist}}
=== 報道発表資料 ===
==== JR東日本 ====
{{Reflist|2|group="JR東"|refs=
<ref group="JR東" name="jreast/press/1998_2/19990104">{{Cite press release|和書|url=http://www.jreast.co.jp/press/1998_2/19990104/index.html|language=日本語|title=ついにデビュー 新型寝台特急の運転開始について|publisher=東日本旅客鉄道|date=1999-01-04|accessdate=2018-03-13|archiveurl=https://web.archive.org/web/20130618233518/http://www.jreast.co.jp/press/1998_2/19990104/index.html|archivedate=2013-06-18}}</ref>
<ref group="JR東" name="jreast/press/2002_1/20020911">{{Cite press release|和書|url=http://www.jreast.co.jp/press/2002_1/20020911/index.html|language=日本語|title=2002年12月ダイヤ改正について|publisher=東日本旅客鉄道|date=2002-09-20|accessdate=2014-06-26|archiveurl=https://web.archive.org/web/20140626023616/http://www.jreast.co.jp/press/2002_1/20020911/index.html|archivedate=2014年6月26日}}</ref>
<ref group="JR東" name="jreast/press/2007_2/20071213">{{Cite press release|和書|url=http://www.jreast.co.jp/press/2007_2/20071213.pdf|format=PDF|language=日本語|title=2008年3月ダイヤ改正について|publisher=東日本旅客鉄道|date=2007-12-20|accessdate=2011-03-23|archiveurl=https://web.archive.org/web/20110323202845/https://www.jreast.co.jp/press/2007_2/20071213.pdf|archivedate=2011年3月23日}}</ref>
<ref group="JR東" name="jreast/press/2010/20100916">{{Cite press release|和書|url=http://www.jreast.co.jp/press/2010/20100916.pdf|format=PDF|language=日本語|title=2010年12月ダイヤ改正について|publisher=東日本旅客鉄道|date=2010-09-24|accessdate=2010-11-21|archiveurl=https://web.archive.org/web/20101121155634/http://www.jreast.co.jp/press/2010/20100916.pdf|archivedate=2010年11月21日}}</ref>
<ref group="JR東" name="jreast/press/2011/20111211">{{Cite press release|和書|url=http://www.jreast.co.jp/press/2011/20111211.pdf|format=PDF|language=日本語|title=2012年3月ダイヤ改正について|publisher=東日本旅客鉄道|date=2011-12-16|accessdate=2011-12-16|archiveurl=https://web.archive.org/web/20111216144625/http://www.jreast.co.jp/press/2011/20111211.pdf|archivedate=2011年12月16日}}</ref>
<ref group="JR東" name="jreast/press/2012/20120715">{{Cite press release|和書|url=http://www.jreast.co.jp/press/2012/20120715.pdf|format=PDF|language=日本語|title=鉄道開業140周年・「大人の休日倶楽部」会員限定 東北応援特別ツアー「カシオペア・クルーズ」の発売〜寝台列車「カシオペア」初の日本海ルートで東日本を巡る旅〜|publisher=東日本旅客鉄道|date=2012-07-24|accessdate=2012-08-03|archiveurl=https://web.archive.org/web/20120803053811/http://www.jreast.co.jp/press/2012/20120715.pdf|archivedate=2012年8月3日}}</ref>
<ref group="JR東" name="jreast/press/2013/20130603">{{Cite press release|和書|url=http://www.jreast.co.jp/press/2013/20130603.pdf|format=PDF|language=日本語|title=「日本を楽しむあなただけの上質な体験」を感じる旅が始まります。〜クルーズトレインの新造について〜|publisher=東日本旅客鉄道|date=2013-06-04|accessdate=2013-06-12|archiveurl=https://web.archive.org/web/20130612162543/http://www.jreast.co.jp/press/2013/20130603.pdf|archivedate=2013年6月12日}}</ref>
<ref group="JR東" name="jreast/press/2013/20130604">{{Cite press release|和書|url=http://www.jreast.co.jp/press/2013/20130604.pdf|format=PDF|language=日本語|title=秋田デスティネーションキャンペーン特別企画「カシオペアクルーズ for あきた」の発売について|publisher=東日本旅客鉄道|date=2013-06-05|accessdate=2013-06-12|archiveurl=https://web.archive.org/web/20130612162549/http://www.jreast.co.jp/press/2013/20130604.pdf|archivedate=2013年6月12日}}</ref>
<ref group="JR東" name="jreast/press/2013/20140217">{{Cite press release|和書|url=http://www.jreast.co.jp/press/2013/20140217.pdf|format=PDF|language=日本語|title=寝台列車「カシオペア」で、ゆったり巡る旅「カシオペアクルーズ 〜日本海・道南紀行〜」の発売について|publisher=東日本旅客鉄道|date=2014-02-20|accessdate=2015-04-30|archiveurl=https://web.archive.org/web/20150430115216/http://www.jreast.co.jp/press/2013/20140217.pdf|archivedate=2015年4月30日}}</ref>
<ref group="JR東" name="jreast/press/2014/20140712">{{Cite press release|和書|url=http://www.jreast.co.jp/press/2014/20140712.pdf|format=PDF|language=日本語|title=寝台列車「カシオペア」でゆったり巡る旅、ご好評につき「初秋の旅」をご用意しました。「カシオペアクルーズ 〜初秋の東北・道南〜」の発売について|publisher=東日本旅客鉄道|date=2014-07-15|accessdate=2015-04-30|archiveurl=https://web.archive.org/web/20150430114535/http://www.jreast.co.jp/press/2014/20140712.pdf|archivedate=2015年4月30日}}</ref>
<ref group="JR東" name="jreast/press/2014/20140808">{{Cite press release|和書|url=http://www.jreast.co.jp/press/2014/20140808.pdf|format=PDF|language=日本語|title=平成26年10月から平成27年2月までの夜行列車運転計画について|publisher=東日本旅客鉄道|date=2014-08-22|accessdate=2014-08-22|archiveurl=https://web.archive.org/web/20140822145547/http://www.jreast.co.jp/press/2014/20140808.pdf|archivedate=2014年8月22日}}</ref>
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<ref group="JR東" name="jreast/press/2016/20160723">{{Cite press release|和書|url=http://www.jreast.co.jp/press/2016/20160723.pdf|format=PDF|language=日本語|title=〜2016年9月 カシオペアが初めて長野へ〜 カシオペアで行く信州の旅|publisher=東日本旅客鉄道|date=2016-07-20|accessdate=2016-07-28|archiveurl=https://web.archive.org/web/20160728210732/http://www.jreast.co.jp/press/2016/20160723.pdf|archivedate=2016年7月28日}}</ref>
<ref group="JR東" name="jreast/press/2016/20160806">{{Cite press release |和書 |title=〜2016年10月 秋の特別な旅をあなたに〜 カシオペアで行く秋の東北の旅 |publisher=東日本旅客鉄道 |date=2016年8月18日 |url=http://www.jreast.co.jp/press/2016/20160806.pdf |format=PDF |language=日本語 |accessdate=2016年9月9日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20160824045922/http://www.jreast.co.jp/press/2016/20160806.pdf |archivedate=2016年8月24日}}</ref>
<ref group="JR東" name="jreast/press/2016/20161209">{{Cite press release |和書 |title=E26系「カシオペア」車両を使用した臨時列車の運転について |publisher=東日本旅客鉄道 |date=2016年12月6日 |url=http://www.jreast.co.jp/press/2016/20161209.pdf |format=PDF |language=日本語 |accessdate=2016年12月7日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20161207021431/http://www.jreast.co.jp/press/2016/20161209.pdf |archivedate=2016年12月7日}}</ref>
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<ref group="JR東" name="jreast/akita/press/20170609">{{Cite press release |和書 |title=「青森県・函館観光キャンペーン」開催! 青森県・函館デスティネーションキャンペーン アフターイベント “アフターDC” |publisher=東日本旅客鉄道 盛岡支社・秋田支社 |date=2017年6月9日 |url=http://www.jreast.co.jp/akita/press/pdf/20170609.pdf |format=PDF |language=日本語 |accessdate=2017年6月19日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20170619082448/http://www.jreast.co.jp/akita/press/pdf/20170609.pdf |archivedate=2017年6月19日}}</ref>
<ref group="JR東" name="jre-cruisetrain.jp/201610">{{Wayback|url=http://www.jre-cruisetrain.jp/201610/index.html|date=20171028115412|title=カシオペアクルーズ~秋の東北周遊2泊3日の旅~発売・ツアー情報を更新しました。}}</ref>
<ref group="JR東" name="v-travels.co.jp/mt/press_20180628">{{Cite press release |和書 |title=~E26 系「カシオペア」車両を使用した夏の厳選コースが登場~ 「カシオペア紀行」でめぐる東日本周遊の旅・湯沢駅初入線!「カシオペア紀行 青森・湯沢行き」商品を発売します |publisher=[[びゅうトラベルサービス]] |date=2018年6月28日 |url=http://www.v-travels.co.jp/mt/press_20180628.pdf |format=PDF |language=ja |accessdate=2019年3月11日<!--|archiveurl=https://web.archive.org/web/20190311000822/http://www.v-travels.co.jp/mt/press_20180628.pdf |archivedate=2019年3月11日-->}}</ref>
<ref group="JR東" name="jreast.co.jp/akita/press/pdf/20190326-2">{{Cite press release|和書|title=~旅行商品発売のお知らせ~憧れの寝台列車 秋田駅始発「カシオペア紀行」好評発売中|publisher=東日本旅客鉄道 秋田支社|date=2019-3-26|url=https://www.jreast.co.jp/akita/press/pdf/20190326-2.pdf|format=PDF|language=ja|accessdate=2019-04-08}}</ref>
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==== JR北海道 ====
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==== JR西日本 ====
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=== 新聞記事 ===
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==== 鉄道ジャーナル ====
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==== 鉄道ホビダス ====
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== 参考文献 ==
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* {{Cite journal ja-jp |和書 |author=J-train編集部 |title=特集 寝台特急「カシオペア」 |url=https://archive.li/2016.04.13-004042/http://secure.ikaros.jp/sales/list.php?srhm=0&tidx=13&Page=1&ID=3503 |year=2016 |publisher=[[イカロス出版]] |journal=J-train |issue=Vol.60 |pages=3-44 |ASIN=B01718IXUM |ref=JT40}}
* {{Cite book |和書|author=時刻表編集部 |year=2015 |title=JTB小さな時刻表2015・16-冬 |publisher=JTBパブリッシング |ref=JTB時刻表2015-2016冬}}
* {{Cite book|和書|editor=松沼猛|title=鉄道のテクノロジー 北海道(サンエイムック)|publisher=三栄書房|volume=8|pages=|date=2000-08-04|isbn=978-4-7796-0947-3|ref=techno}}
== 関連項目 ==
* [[日本の列車愛称一覧]]
* [[東北本線優等列車沿革]]
* [[過去の鉄道に関する日本一の一覧]]
== 外部リンク ==
{{Commonscat|Cassiopeia (train)}}
* 東日本旅客鉄道
**{{Cite web|和書|url=https://www.jreast.co.jp/cassiopeia/|title=鉄道・きっぷの予約>E26系 カシオペア|publisher=東日本旅客鉄道 |accessdate=2022-03-26|}}
**{{Cite web|和書|url=https://www.jrview-travel.com/content/sp/cassiopeia/|title=日本の旅、鉄道の旅>カシオペア紀行|publisher=JR東日本びゅうツーリズム&セールス|accessdate=2022-04-02|}}
**{{Cite web|和書|url=http://www.jreast.co.jp/train/express/26cassiopeia.html|title=JR東日本:車両図鑑>特急・寝台特急 E26系 カシオペア|publisher=東日本旅客鉄道 |accessdate=2014-04-11|archiveurl=https://web.archive.org/web/20140411141303/http://www.jreast.co.jp/train/express/26cassiopeia.html|archivedate=2014-04-11|ref=jreast-train-express-26cassiopeia|deadlinkdate=2016年4月}}
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** {{Cite web|和書|url=http://www.jre-cruisetrain.jp/index.html|title=寝台特急カシオペアで思い出に残る特別な旅を『カシオペアクルーズ』|publisher=東日本旅客鉄道([[びゅうトラベルサービス]])|accessdate=2016年7月29日|ref=jre-cruisetrain|archiveurl=https://web.archive.org/web/20171106094456/http://www.jre-cruisetrain.jp/index.html|archivedate=2017-11-06|deadlinkdate=2019年3月}}
* 北海道旅客鉄道
** {{Cite web|和書|url=http://www.jrhokkaido.co.jp/train/tr016_01.html|title=寝台特急カシオペア(E26系)|車両の紹介|列車ガイド|publisher=北海道旅客鉄道|accessdate=2016-03-04|archiveurl=https://web.archive.org/web/20160304114441/http://www.jrhokkaido.co.jp/train/tr016_01.html|archivedate=2016-03-04|ref=jrhokkaido-train-tr016_01|deadlinkdate=2016年9月}}
** {{Cite web|和書|url=http://www.jrhokkaido.co.jp/train/tr016_02.html|title=寝台特急カシオペア(E26系)|車内のご案内|列車ガイド|publisher=北海道旅客鉄道|accessdate=2015-06-30|archiveurl=https://web.archive.org/web/20150630111732/http://www.jrhokkaido.co.jp/train/tr016_02.html|archivedate=2015-06-30|ref=jrhokkaido-train-tr016_02|deadlinkdate=2016年9月}}
** {{Cite web|和書|url=http://www.jrhokkaido.co.jp/train/tr016_03.html|title=寝台特急カシオペア(E26系)|列車編成|列車ガイド|publisher=北海道旅客鉄道|accessdate=2015-07-04|archiveurl=https://web.archive.org/web/20150704143245/http://www.jrhokkaido.co.jp/train/tr016_03.html|archivedate=2015-07-04|ref=jrhokkaido-train-tr016_03|deadlinkdate=2016年9月}}
** {{Cite web|和書|url=http://www.jrhokkaido.co.jp/train/tr016_04.html|title=寝台特急カシオペア(E26系)|食堂車のご案内|列車ガイド|publisher=北海道旅客鉄道|accessdate=2015-07-06|archiveurl=https://web.archive.org/web/20150706074157/http://www.jrhokkaido.co.jp/train/tr016_04.html|archivedate=2015-07-06|ref=jrhokkaido-train-tr016_04|deadlinkdate=2016年9月}}
* {{Cite web|和書|url=http://www.nre.co.jp/ressya/dining_car.shtml|title=カシオペア食堂車のご案内|publisher=[[日本レストランエンタプライズ]]|accessdate=2015-04-26|archiveurl=https://web.archive.org/web/20150426221211/http://www.nre.co.jp/ressya/dining_car.shtml|archivedate=2015-04-26|ref=nre-ressya-dining_car}}{{リンク切れ|date=2016年4月}}
*{{Cite web|和書|url=https://tourist-train.info/kanto/cassiopeia/|title=2023年「カシオペア紀行」予約・料金・運転日・時刻|publisher=観光列車なび|accessdate=2023-04-08|}}
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図形の合同
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ユークリッド幾何学において二つの図形が合同(ごうどう、英語: congruence)とは、それらの形と大きさが同じであるということを数学的に表した概念である。場合によっては、形と大きさが同じである他に、一方が他方の鏡像である場合を含める。つまり、より厳密に言えば、二つの点集合が(互いに)合同であるとは、一方が他方に等長変換(すなわち、平行移動、回転および鏡映というユークリッドの運動 の組み合わせ)で移るとき、かつそのときに限り言う。しかるに二つの異なる平面図形が互いに合同ならば、いずれか一方の図形を位置を変え、あるいは鏡像反転して(しかし大きさは変えずに)他方の図形に一致させることができ、また紙の上に書いたそれらを切り取って(必要ならば紙を裏返して)ぴったり重ねることができる。
初等幾何学では以下のような形で「合同」という語がしばしば用いられる。
これらの言い回しにおいて、「合同」というべきところを「等しい」「同じ」という語を充てることもよく行われる。この意味において、「二つの平面図形が合同である」ということは、それらの持つ対応する特徴(これには辺や角だけでなく、対角線や周長、面積などといったものも含まれる)が「合同」あるいは「同じ」であることを含意するものと捉えられる。
合同性と関連する概念として相似性は図形の形は同じで大きさだけが違いうることを意味する。ゆえに合同は相似の特別の場合である。
どのような図形を互いに同じと見なすかという基準は考察している対象や状況によって変わりうる。ユークリッド幾何学では合同を基準とするが、例えば基準を大幅に緩めてできる幾何学が位相幾何学(トポロジー)であり、他にも様々な幾何学が考えられる。エルランゲン目録を参照。
まず2次元の場合を考える。A, B を平面上の二つの図形としよう。A を B にユークリッドの運動、すなわち
を繰り返すことによって重ねる、すなわちAの全ての点が対応するBの点を持つようにできるとき、A は B と合同である、または合同関係にあるという。
現代数学では、ユークリッド空間 E のある部分集合 A と B に対して、E から E への等長写像 (isometry) f が存在して、f(A) = B となるとき、A は B に合同である、と定義することが普通である。ユークリッド空間における自己等長写像は上のユークリッドの運動に一致するという定理があるのでこれらの定義は合致する。
2つの図形 A, B が互いに合同であるとき、"A ≡ B " と表す。合同関係は同値関係の一つである。
二つの多角形が合同であるためには、それらの辺の数が(従って頂点の数も)等しくなければならない。n-辺形が互いに合同となるための必要十分条件は、それらが持つ n 個の辺と n 個の角を「辺-角-辺-角-...」のように順番に辿る(場合によっては一方を時計回りに、他方を反時計回りに辿ることを許すこともある)とき、それらの数値が数列として一致することである。
多角形の合同は、以下のように視覚的に述べることができる:
この各ステップの何れかの部分で完遂できないことがあるならば、それらの図形は合同でないことになる。
ユークリッドの運動のどの操作も、三角形のそれぞれの辺の長さや角の大きさを変えない。逆に2つの三角形が、互いに等しい長さの辺を持ち、対応する角も全て等しければ、2つは合同であることが分かる。つまり、3つの辺全てが等しく、三つの角も全て等しいということは、合同であるための必要十分条件である。この条件はもう少し簡単にすることができる。それが以下の3つである。
綜合幾何学における公理的手法(英語版)に従い、ユークリッド幾何学(原論)において、これらはそれぞれ定理として証明されている。一方、ヒルベルトによる幾何学の公理化においても、これらはそれぞれ定理として証明されているが、二辺夾角相等に関しては、これに非常に近い公理が用いられ証明されている。日本の中学校数学においては、この点を曖昧にしており、あたかもすべてが公理であるかのように、作図に頼って導入されている。
ユークリッド幾何のパターンに加え、球面幾何や双曲幾何においては(三角形の内角の和が三角形の大きさを決定するから)AAA が(与えられた曲率の曲面上の)角度の順番も等しければ合同条件となる。
二つの円錐曲線が合同であるには、それらの離心率が一致し、かつそれ以外にそれらを特徴づける別のパラメータが一つ一致することが十分である。離心率は円錐曲線の形を決定するから、離心率が等しいことは相似性を言うには十分であり、もう一つのパラメータで大きさを決定することになる。二つの円、二つの放物線、二つの直角双曲線は常に同じ離心率(円は 0、放物線は 1、直角双曲線は √2)を持つから、これらの合同判定には、大きさを決めるパラメータが共通値であることのみを知ればよい。
二つの多面体は辺の数 E が同じであるものとし、さらに面の数および対応する面における辺の数もそれぞれ一致するものとする。このとき、これら二つの多面体が合同であるか否かを決定することができる、高々 E 個の測度からなる集合が存在する。例えば立方体の場合、12 個の辺があるが、決定に必要な測度は 9 個で十分である。
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"text": "ユークリッドの運動のどの操作も、三角形のそれぞれの辺の長さや角の大きさを変えない。逆に2つの三角形が、互いに等しい長さの辺を持ち、対応する角も全て等しければ、2つは合同であることが分かる。つまり、3つの辺全てが等しく、三つの角も全て等しいということは、合同であるための必要十分条件である。この条件はもう少し簡単にすることができる。それが以下の3つである。",
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"title": "三角形の決定問題"
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"text": "ユークリッド幾何のパターンに加え、球面幾何や双曲幾何においては(三角形の内角の和が三角形の大きさを決定するから)AAA が(与えられた曲率の曲面上の)角度の順番も等しければ合同条件となる。",
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"text": "二つの円錐曲線が合同であるには、それらの離心率が一致し、かつそれ以外にそれらを特徴づける別のパラメータが一つ一致することが十分である。離心率は円錐曲線の形を決定するから、離心率が等しいことは相似性を言うには十分であり、もう一つのパラメータで大きさを決定することになる。二つの円、二つの放物線、二つの直角双曲線は常に同じ離心率(円は 0、放物線は 1、直角双曲線は √2)を持つから、これらの合同判定には、大きさを決めるパラメータが共通値であることのみを知ればよい。",
"title": "円錐曲線の合同性と離心率"
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"text": "二つの多面体は辺の数 E が同じであるものとし、さらに面の数および対応する面における辺の数もそれぞれ一致するものとする。このとき、これら二つの多面体が合同であるか否かを決定することができる、高々 E 個の測度からなる集合が存在する。例えば立方体の場合、12 個の辺があるが、決定に必要な測度は 9 個で十分である。",
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ユークリッド幾何学において二つの図形が合同とは、それらの形と大きさが同じであるということを数学的に表した概念である。場合によっては、形と大きさが同じである他に、一方が他方の鏡像である場合を含める。つまり、より厳密に言えば、二つの点集合が(互いに)合同であるとは、一方が他方に等長変換で移るとき、かつそのときに限り言う。しかるに二つの異なる平面図形が互いに合同ならば、いずれか一方の図形を位置を変え、あるいは鏡像反転して(しかし大きさは変えずに)他方の図形に一致させることができ、また紙の上に書いたそれらを切り取って(必要ならば紙を裏返して)ぴったり重ねることができる。 初等幾何学では以下のような形で「合同」という語がしばしば用いられる。 ふたつの線分が合同であるのは、それらの長さが同じときである。
ふたつの角が合同であるのは、それらの角度が同じときである。
ふたつの円が合同であるのは、それらの直径が同じときである。 これらの言い回しにおいて、「合同」というべきところを「等しい」「同じ」という語を充てることもよく行われる。この意味において、「二つの平面図形が合同である」ということは、それらの持つ対応する特徴(これには辺や角だけでなく、対角線や周長、面積などといったものも含まれる)が「合同」あるいは「同じ」であることを含意するものと捉えられる。 合同性と関連する概念として相似性は図形の形は同じで大きさだけが違いうることを意味する。ゆえに合同は相似の特別の場合である。 どのような図形を互いに同じと見なすかという基準は考察している対象や状況によって変わりうる。ユークリッド幾何学では合同を基準とするが、例えば基準を大幅に緩めてできる幾何学が位相幾何学(トポロジー)であり、他にも様々な幾何学が考えられる。エルランゲン目録を参照。
|
[[File:Congruent_non-congruent_triangles.svg|thumb|370px|図形の合同の例。左の二つの図形が互いに合同、その隣はそれらに[[図形の相似|相似]]である。一番右は他のどれとも合同でも相似でもない。注意すべき点は、図形の合同において位置や向きといった一部の性質・量は変わるが、[[距離]]や[[角度]]といった性質・量は変わらないということである。このように変わることのない性質・量を[[不変量]]と呼ぶ。]]
[[ユークリッド幾何学]]において二つの[[図形]]が'''合同'''(ごうどう、{{lang-en|congruence}})とは、それらの形と大きさが同じであるということを数学的に表した概念である。場合によっては、形と大きさが同じである他に、一方が他方の[[鏡像]]である場合を含める<ref>{{cite web | url=http://web.cortland.edu/matresearch/OxfordDictionaryMathematics.pdf |title=Oxford Concise Dictionary of Mathematics, Congruent Figures | first1=C.|last1=Clapham|first2=J.|last2=Nicholson | publisher =Addison-Wesley | year =2009|page=167|accessdate=September 2013}}</ref>。つまり、より厳密に言えば、二つの点集合が(互いに)合同であるとは、一方が他方に[[等長変換]](すなわち、[[平行移動]]、[[回転 (数学)|回転]]および[[鏡映]]という'''[[ユークリッド群|ユークリッドの運動]]''' の組み合わせ)で移るとき、かつそのときに限り言う。しかるに二つの異なる平面図形が互いに合同ならば、いずれか一方の図形を位置を変え、あるいは鏡像反転して(しかし大きさは変えずに)他方の図形に一致させることができ、また紙の上に書いたそれらを切り取って(必要ならば紙を裏返して)ぴったり重ねることができる。
[[初等幾何学]]では以下のような形で「合同」という語がしばしば用いられる。<ref>{{cite web|url=http://mathopenref.com/congruent.html|title=Congruence|publisher=Math Open Reference|year=2009|accessdate=September 2013}}</ref>
* ふたつの[[線分]]が合同であるのは、それらの長さが同じときである。
* ふたつの[[角度|角]]が合同であるのは、それらの角度が同じときである。
* ふたつの[[円 (数学)|円]]が合同であるのは、それらの直径が同じときである。
これらの言い回しにおいて、「合同」というべきところを「等しい」「同じ」という語を充てることもよく行われる。この意味において、「二つの平面図形が合同である」ということは、それらの持つ対応する特徴(これには辺や角だけでなく、対角線や周長、面積などといったものも含まれる)が「合同」あるいは「同じ」であることを含意するものと捉えられる。
合同性と関連する概念として[[図形の相似|相似性]]は図形の形は同じで大きさだけが違いうることを意味する。ゆえに合同は相似の特別の場合である。
どのような図形を互いに同じと見なすかという基準は考察している対象や状況によって変わりうる。ユークリッド幾何学では合同を基準とするが、例えば基準を大幅に緩めてできる幾何学が[[位相幾何学]](トポロジー)であり、他にも様々な幾何学が考えられる。[[エルランゲン目録]]を参照。
== 解析幾何学的な定義 ==
まず2次元の場合を考える。''A'', ''B'' を平面上の二つの[[図形]]としよう。''A'' を ''B'' に'''[[ユークリッド群|ユークリッドの運動]]'''、すなわち
#'''平行移動''':図形上の全ての点を、一定の向きに一定の距離だけ移動すること、
#'''回転移動''':平面上のある点を中心にしてそこからの距離を保ちつつ、図形上の全ての点を同じ角度だけ移動すること、
#'''対称移動''':平面上のある直線に関して、線対称の位置にある点に図形上の全ての点をそれぞれ移動すること、
を繰り返すことによって重ねる、すなわち''A''の全ての点が対応する''B''の点を持つようにできるとき、''A'' は ''B'' と合同である、または合同関係にあるという。
現代数学では、ユークリッド空間 ''E'' のある部分集合 ''A'' と ''B'' に対して、''E'' から ''E'' への[[等長写像]] (isometry) ''f'' が存在して、''f''(''A'') = ''B'' となるとき、''A'' は ''B'' に合同である、と定義することが普通である。ユークリッド空間における自己[[等長写像]]は上の[[ユークリッド群|ユークリッドの運動]]に一致するという定理があるのでこれらの定義は合致する。
2つの図形 ''A'', ''B'' が互いに合同であるとき、"''A'' ≡ ''B'' " と表す。合同関係は[[同値関係]]の一つである。
== 多角形の合同問題 ==
[[File:quadrilateral_congruence.png|thumb|300px|橙と緑の四辺形は合同、青はそれらとは合同でない。三つとも[[周長]]と[[面積]]は等しい(青の四辺形は辺の順番を「混ぜ」て、二つの内角と一つの対角線が合同でないようにしてある)。]]
二つの多角形が合同であるためには、それらの辺の数が(従って頂点の数も)等しくなければならない。{{mvar|n}}-辺形が互いに合同となるための必要十分条件は、それらが持つ {{mvar|n}} 個の辺と {{mvar|n}} 個の角を「辺-角-辺-角-…」のように順番に辿る(場合によっては一方を時計回りに、他方を反時計回りに辿ることを許すこともある)とき、それらの数値が数列として一致することである。
多角形の合同は、以下のように視覚的に述べることができる:
{{ordered list
|1= 二つの図形の対応する頂点を合わせてラベルを付ける。
|2= 一方の図形から他方へ向けて、互いの図形の対応する頂点の間に矢印を書き、矢印に従った「平行移動」によって一組の頂点同士を一致させる。
|3= 平行移動で一致させた頂点の周りの「回転」によって一組の対応する辺同士を一致させる。
|4= 回転で一致させた辺に関する「鏡映」によって図形の残りの部分を一致させる。
}}
この各ステップの何れかの部分で完遂できないことがあるならば、それらの図形は合同でないことになる。
== 三角形の決定問題 ==
{{main|三角形の決定}}
ユークリッドの運動のどの操作も、[[三角形]]のそれぞれの辺の長さや角の大きさを変えない。逆に2つの三角形が、互いに等しい長さの辺を持ち、対応する角も全て等しければ、2つは合同であることが分かる。つまり、3つの辺全てが等しく、三つの角も全て等しいということは、合同であるための必要十分条件である。この条件はもう少し簡単にすることができる。それが以下の3つである。[[File:Congruent triangles.svg|thumb|right|三角形の形状は、2つの辺とその間の角度(二辺挟角相等;'''SAS'''(左上))、2つの角度とその間の辺(二角夾辺相等;'''ASA'''(右上))、または2つの角度とその間にない辺(二角一辺相等;'''AAS'''(左下))を指定して合同にすることで決定される。 ただし、2つの辺とその間にない角度(二辺一角相等;'''SSA'''(右下) )を指定する場合は、二通りの可能性が考えられ、それだけでは三角形の形状を決定できない。]]
; 三角形の合同条件
* '''SSS''' (三辺相等): 3組の辺がそれぞれ等しい。
* '''SAS''' (二辺夾角相等または二辺挟角相等): 2組の辺とその間の角がそれぞれ等しい。
* '''ASA''' (一辺両端角相等/二角夾辺相等): 1組の辺とその両端の角がそれぞれ等しい。
* '''AAS''' (一辺二角相等/二角一辺相等): 2組の角とその間にない1組の辺がそれぞれ等しい。
[[綜合幾何学]]における{{仮リンク|公理的手法|en|Axiomatic method}}に従い、[[ユークリッド幾何学]]([[原論]])において、これらはそれぞれ[[定理]]として証明されている。一方、[[ダフィット・ヒルベルト|ヒルベルト]]による幾何学の公理化においても、これらはそれぞれ定理として証明されているが、二辺夾角相等に関しては、これに非常に近い[[公理]]が用いられ証明されている<ref>see also. {{MathWorld|title=Congruence Axioms|urlname=CongruenceAxioms}}</ref>。日本の中学校数学においては、この点を曖昧にしており、あたかもすべてが公理であるかのように、作図に頼って導入されている。
*'''SSA''' (二辺一角相等/一角二辺相等): ユークリッド幾何では直角三角形・鈍角三角形などの情報がなければ必ずしも合同性は証明できず、二通りの可能性が考えられる場合がある。
*'''AAA''' (三角相等): ユークリッド幾何では相似性が証明できるのみで、合同条件には含まれない。
;
; 直角三角形
* '''RHS''' (斜辺他一辺相等): [[斜辺]]と他の辺の1組がそれぞれ等しい。
*'''RHA''' (斜辺一鋭角相等): 斜辺と1組の鋭角がそれぞれ等しい。
; 鈍角三角形
* '''SSA''' (二辺鈍角相等): {{要出典|=2組の辺と1つの鈍角がそれぞれ等しい|date=2021年12月}}<ref>{{Cite web|和書|url=http://blog.livedoor.jp/sqcnn033/archives/55332934.html|title=鈍角三角形の合同条件|publisher=東大・京大・一直線|accessdate=2019-11-03}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=http://gakusyu.shizuoka-c.ed.jp/math/h18/tyu/2nen/ouyou/goudou/toitop.htm|title=2つの鈍角三角形は本当に合同? 二等辺三角形を作り出せ!|publisher=あすなろ学習室|accessdate=2019-11-03}}</ref>。
=== 球面三角形の決定問題 ===
ユークリッド幾何のパターンに加え、[[球面幾何学|球面幾何]]や[[双曲幾何学|双曲幾何]]においては(三角形の内角の和が三角形の大きさを決定するから)'''AAA''' が(与えられた曲率の曲面上の)角度の順番も等しければ合同条件となる。
<!--
As with plane triangles, on a sphere two triangles sharing the same sequence of angle-side-angle (ASA) are necessarily congruent (that is, they have three identical sides and three identical angles).<ref name=Bolin>Michael Bolin, "Exploration of Spherical Geometry", September 9, 2003, pp.6-7. http://math.iit.edu/~mccomic/420/notes/Bolin_spherical.pdf</ref> This can be seen as follows: One can situate one of the vertices with a given angle at the south pole and run the side with given length up the prime meridian. Knowing both angles at either end of the segment of fixed length ensures that the other two sides emanate with a uniquely determined trajectory, and thus will meet each other at a uniquely determined point; thus ASA is valid.
The congruence theorems side-angle-side (SAS) and side-side-side (SSS) also hold on a sphere; in addition, if two spherical triangles have an identical angle-angle-angle (AAA) sequence, they are congruent (unlike for plane triangles).<ref name=Bolin/>
The plane-triangle congruence theorem angle-angle-side (AAS) does not hold for spherical triangles.<ref>Hollyer, L., http://www.uh.edu/~hollyer/Module6/m6ppt/sld089.htm</ref> As in plane geometry, side-side-angle (SSA) does not imply congruence.
-->
== 円錐曲線の合同性と離心率 ==
二つの円錐曲線が合同であるには、それらの[[離心率]]が一致し、かつそれ以外にそれらを特徴づける別のパラメータが一つ一致することが十分である。離心率は円錐曲線の形を決定するから、離心率が等しいことは相似性を言うには十分であり、もう一つのパラメータで大きさを決定することになる。二つの[[円 (数学)|円]]、二つの[[放物線]]、二つの[[直角双曲線]]は常に同じ離心率(円は {{math|0}}、放物線は {{math|1}}、直角双曲線は {{math|{{sqrt|2}}}})を持つから、これらの合同判定には、大きさを決めるパラメータが共通値であることのみを知ればよい。
== 多面体の合同判定 ==
二つの[[多面体]]は辺の数 {{mvar|E}} が同じであるものとし、さらに面の数および対応する面における辺の数もそれぞれ一致するものとする。このとき、これら二つの多面体が合同であるか否かを決定することができる、高々 {{mvar|E}} 個の測度からなる集合が存在する<ref>Alexander Borisov, Mark Dickinson, and Stuart Hastings, "A congruence problem for polyhedra", ''[[American Mathematical Monthly]]'' 117, March 2010, pp. 232-249. [http://www.maa.org/programs/maa-awards/writing-awards/a-congruence-problem-for-polyhedra]</ref><ref>Alexa Creech, "A congruence problem" {{Cite web|和書|url=http://146.163.152.131/teaching/projects/creech_final.pdf |title=アーカイブされたコピー |accessdate=2013年11月11日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20131111162553/http://146.163.152.131/teaching/projects/creech_final.pdf |archivedate=2013年11月11日 |deadlinkdate=2017年9月 }} </ref>。例えば[[立方体]]の場合、{{math|12}} 個の辺があるが、決定に必要な測度は {{math|9}} 個で十分である。
== 注釈 ==
{{reflist}}
== 関連項目 ==
*[[合同記号]]
*[[中点三角形]]
* {{仮リンク|ユークリッド平面の等距変換|en|Euclidean plane isometry}}
== 外部リンク ==
* {{MathWorld|title=Geometric Congruence|urlname=GeometricCongruence}}
* {{PlanetMath|title=geometric congruence|urlname=GeometricCongruence}}
{{Normdaten}}
{{DEFAULTSORT:こうとう}}
[[Category:同値 (数学)]]
[[Category:初等幾何学]]
[[Category:綜合幾何学]]
[[Category:数学に関する記事]]
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2003-09-21T10:42:40Z
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2023-11-16T20:14:04Z
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%B3%E5%BD%A2%E3%81%AE%E5%90%88%E5%90%8C
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17,698 |
直流電動機
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直流電動機(ちょくりゅうでんどうき、英語:DC motor)は、直流を入力とする電動機(モーター)である。
回転速度 : トルク一定の負荷を負って回転しているとき界磁電流を大きくすると、速度は下降する。
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"text": "回転速度 : トルク一定の負荷を負って回転しているとき界磁電流を大きくすると、速度は下降する。",
"title": "仕様"
}
] |
直流電動機は、直流を入力とする電動機(モーター)である。
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{{出典の明記|date=2014年2月}}
{{Pathnav|電動機|frame=1}}
[[File:Electric motor cycle 2.png|thumb|200px|right|ブラシ付きDCモータ]]
[[File:DC_motor.JPG|thumb|220px|[[東京高速鉄道100形電車|営団地下鉄(現東京メトロ)100形]]に使用されていた直流整流子電動機]]
[[File:Floppy drive spindle motor open.jpg|thumb|220px|フロッピーディスクドライブのモータを分解した状態、右が回転子]]
'''直流電動機'''(ちょくりゅうでんどうき、[[英語]]:DC motor)は、[[直流]]を入力とする[[電動機]](モーター)である。
== 直流電動機の分類 ==
* [[直流整流子電動機]](ブラシ付きDCモータ)
** [[永久磁石界磁形整流子電動機]]
*** 鉄心電動機:玩具などに使われる。
*** 無鉄心電動機([[コアレスモータ]]):携帯電話の振動モータなどに使われる。
** [[電磁石界磁形整流子電動機]]
*** [[直巻整流子電動機]]:電気鉄道に使われる。
*** [[分巻整流子電動機]]:ディーゼル機関車やエレベータに使われる。
*** [[複巻整流子電動機]]:主に[[界磁チョッパ制御]]との組み合わせで電気鉄道に使われる。
* [[無整流子電動機]]:(ブラシレスDCモータ)
**インナーローター型:[[ラジコン模型自動車|電動RCカー]]の走行用モーターに使われる<ref name="motor">{{Cite web|和書|url=http://www.nidec.com/ja-JP/technology/motor/basic/00019/ |title=2-2-2 ブラシレスDCモータの構造と用途|publisher=日本電産(現・[[ニデック (電機メーカー)|ニデック]]) |accessdate=2016-05-02}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=http://www.gforce-hobby.jp/products/G0094.html |title=TS50A & Super Fast Type-C コンボセット|publisher=株式会社[[ジーフォース]] |accessdate=2016-05-02}}</ref>。
**アウターローター型:コンピュータの[[FDD]]や冷却ファンなどに使われる<ref name="motor" />。
== 仕様 ==
回転速度 : トルク一定の負荷を負って回転しているとき界磁電流を大きくすると、速度は下降する<ref>電気主任技術者国家試験問題平成16年度第3種</ref>。
== 脚注 ==
{{Reflist}}
== 関連項目 ==
{{Commonscat|DC motors}}
* [[電動機]]
* [[交流電動機]]
{{電動機}}
{{電磁気学}}
{{Tech-stub}}
{{Normdaten}}
{{DEFAULTSORT:ちよくりゆうてんとうき}}
[[Category:電動機]]
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2003-09-21T10:45:17Z
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交流電動機
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交流電動機(こうりゅうでんどうき)は、交流を入力とする電動機(モーター)である。
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"text": "交流電動機(こうりゅうでんどうき)は、交流を入力とする電動機(モーター)である。",
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交流電動機(こうりゅうでんどうき)は、交流を入力とする電動機(モーター)である。
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{{Pathnav|電動機|frame=1}}
'''交流電動機'''(こうりゅうでんどうき)は、[[交流]]を入力とする[[電動機]](モーター)である。
== 交流電動機の分類 ==
* [[誘導電動機]]
** [[単相誘導電動機]]
** [[かご形三相誘導電動機]]:[[電車]]、[[電気機関車]]などに使われる。
** [[巻線形三相誘導電動機]]
* [[同期電動機]]
** [[電磁石同期電動機]]:揚水発電のポンプ水車などに使われる。
** [[永久磁石同期電動機]]:電気自動車などに使われる。
** [[リラクタンスモータ]]:界磁の励磁が不要で回転子の吸引力のみで回転する。<ref>従来は回転数の制御が困難だったが、近年ではパワーエレクトロニクスの進歩により制御技術が向上し、直流ブラシレスモータで使用されていた希土類磁石が不要なことから、徐々に活路を広げつつある。</ref>
* [[交流整流子電動機]]:電気掃除機などに使われる。
== 関連 ==
*[[直流電動機]]
== 脚注 ==
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労働基本権
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労働基本権(ろうどうきほんけん)とは、労働者がその労働に関して持つ権利のことであり、特に雇用者に対し労働条件・労働環境の促進または維持を求める行為に係る基本権をいう。
権利の具体的な内容については、自主的に労働することを妨害されない権利、労働組合を作り加入する権利、労働組合加入を強制されない権利、雇用者と団体交渉を行う権利、合法的に争議を行う権利などであるが、実際にどのような権利が保障されるかは国・地域によって様々である。また、労働基本権を認めない国、著しく制限している国もある。
労働基本権保障の根拠も国・地域によって異なり、成文憲法で保障する国(日本など)もあれば、立法や判例の積み重ねで認める国もある。また、保障範囲も国・地域によって異なる。たとえば、国家公務員の団体交渉権について、ドイツは広く保障し、日本は現業職員に限り認めるとしている。
国際法規としては、経済的、社会的及び文化的権利に関する国際規約(国際人権規約A規約)の第6条ないし第8条に労働に関する権利が規定されている。
日本において、労働基本権は賃金労働者に対して憲法上認められている基本的権利である。
日本国憲法は、第27条で「(1)すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負ふ。(2)賃金、就業時間、休息その他の勤労条件に関する基準は、法律でこれを定める。(3)児童は、これを酷使してはならない」と規定し、続く第28条で「勤労者の団結する権利及び団体交渉その他の団体行動をする権利は、これを保障する」と規定しており、ここに保障された権利は、すべての国民に保障された権利とは異なり、賃金労働者という社会的地位にある者に対して特別に保障された権利であり、労働基本権と呼ばれる。
とくに第28条で示された、団結権、団体交渉権、団体行動権は、併せて労働三権と呼ばれる。団結権は、勤労者が使用者と対等の立場に立って、労働条件などについて交渉するために労働組合をつくる権利、また労働組合に加入する権利を指す。団体交渉権は、使用者と交渉し、協約をむすぶ権利である。団体行動権は、団体交渉において使用者に要求を認めさせるため、団結して就労を放棄する、つまりストライキを行う権利である。
また第28条は、労働者の権利行使に対する刑事免責と民事免責を含むと解されている。すなわち、労働者の団結・団体交渉・団体行動に対して、刑事罰からの自由という自由権的側面と、不法行為・債務不履行など民事上の責任に問われないという社会権的側面を保障したものである。民事免責(司法権力が介入)と刑事免責は公権力からの自由であるが、公権力の介入しない純粋に私人間による労働基本権の侵害(解雇・懲戒等)からの自由も想定されている。
これら労働三権を具体的に保障するため、労働基準法、労働組合法、労働関係調整法のいわゆる労働三法が制定されている。労働基本権は、憲法でうたわれている権利の中でも、社会権あるいは生存権的基本権と呼ばれる権利として分類される。
日本において、全ての公務員は団体行動を行う権利は認められていない。しかし、日本国憲法第18条に規定される身体的自由権は当然に保証されるから、この自由権について伝播性の大きい統括的な事項については、政策等の指揮命令関係とその合理性に則り、職務の実行およびその具体的方法に関しての申入れと合意の権利は留保されている。
第二次世界大戦終戦前の大日本帝国憲法の下においては、法により認められた労働者の権利というものは存在せず、労働運動に対しては弾圧的な政策が採られていた。官公吏については、例えば官吏は国家に対して忠実に無定量の勤務に服するものと観念されるなど、それに労働基本権なるものを付与するという発想そのものが制度上存在しなかった。
終戦後に、GHQによる占領政策として日本の非軍国主義化・民主化が図られ、1945年(昭和20年)10月15日に治安維持法が廃止される等、従来労働運動を弾圧していた法律が廃止された。占領開始当初のこのような労働運動奨励政策により、敗戦後の混乱の中で労働運動が活発化し、これが体制の崩壊を引き起こす恐れもあったことから、この時期労働関係法の制定が急がれた。
1945年9月に内閣に提出された厚生省の報告書に基づき、同年10月に労務法制審議委員会が設置され、戦前から検討が進められていた労働関係法が日本側の主導により成立を見ることとなった。すなわち、同年12月21日に(旧)労働組合法が制定され(施行は1946年3月1日)労働者の団結権、団体交渉権及び争議権が認められるに至り、官公吏については、警察・消防・監獄の職員を除き、その他の官公吏はすべて同法の適用を受けることとなったのである。
次いで労働関係調整法が、今度はGHQの主導により1946年9月27日に公布・同年10月13日から施行された。同法施行により非現業の公務員については争議行為が明文の規定で以って禁止されることとなった。非現業公務員の争議権は7ヶ月余りに終わったものの、現業公務員には争議権が認められた。
その後、労働運動は激化を極め、危機感を強めたGHQは1947年2月1日に予定されていた国鉄を含むゼネラル・ストライキ(二・一ゼネスト)を占領軍の武力を背景とした強権発動により中止させる等、その労働政策を転換する至った。
1946年11月に日本政府の招聘により来日したブレイン・フーバー(Blaine Hoover)を団長とする対日合衆国人事行政顧問団(通称フーバーミッション)が5ヶ月にわたり調査を行い、1947年6月11日、片山哲内閣総理大臣に公務員制度についての勧告を提出した。その中で、日本の公務員制度の欠陥として次の点が指摘された。
これに加えて、技術的な欠陥として次の点が指摘された。
また同勧告においては、政府から独立した強力な権限を有する中央行政人事機関としての「人事院」の設置や、公務員の争議行為の禁止などが謳われていた。
前述のフーバー勧告に基づき、1947年10月21日に国家公務員法が公布された。しかしながら同法の内容は、人事委員会(原案の「人事院」の名称を衆議院の審議において「人事委員会」に修正)を内閣総理大臣の所管の下に置くものとし、労働基本権については争議行為の禁止が盛り込まれないなど、同勧告の大部分を採り入れていないものであった。 その後、公務員による労働運動は依然として衰えることなく、1948年8月7日には現業公務員及び非現業公務員の双方が参加するゼネストが予定されるなど、既に禁止されている非現業公務員による争議行為も、あたかも公然と認められるかのように捉えられる状況であった。 このような状況及び当時の公務員制度に不満を抱いていたGHQの最高司令官マッカーサーは、1948年7月22日に内閣総理大臣芦田均に対して、
を内容とする、国家公務員法の改正を示唆する旨の書簡を送った。
これを受けて内閣は、国家公務員法改正までの暫定措置として同年7月31日に、「昭和二十三年七月二十二日附内閣総理大臣宛連合国最高司令官書簡に基く臨時措置に関する政令」(政令201号)を公布、即日施行した(なお、同政令は昭和20年勅令第542号に基づくいわゆる「ポツダム命令」であり、1952年10月25日まで法的効力を有していた)。同政令は現業であると非現業であるとを問わず、一切の公務員について労働協約の締結を目的とする団体交渉権を有さずに、争議行為を禁止することを定めたものであり、これにより前述のゼネストを含め公務員による労働協約の締結を目的とする団体交渉権と争議行為は全て非合法のものとされた。
政令201号に基づき、改正国家公務員法が1948年12月3日に公布・即日施行され、国家公務員の労働基本権については、争議権の禁止、団体交渉権の制限、政治的行為の制限強化等がなされた。
また、国鉄及び専売事業を公共企業体としてその職員を国家公務員法の適用から除外するため、日本国有鉄道法及び日本専売公社法が1948年12月に制定され、1949年6月1日から施行された。公共企業体の職員の争議行為を禁止し、強制仲裁制度を設けるための公共企業体労働関係法(現在の特定独立行政法人の労働関係に関する法律)も併せて制定され、同日から施行された。
地方公務員については、1950年12月に地方公務員法が制定され、翌年2月から施行された。その内容は、国家公務員法に概ね準じたものとなっている。
さらに、地方公務員である企業職員・単純労務職員については、地方公営企業労働関係法(現在の地方公営企業等の労働関係に関する法律)が1952年7月に制定された。
以下の職種の公務員は、団結権・団体交渉権・団体行動権の全てが認められていない。
厳しい規律が求められる組織において、指揮命令系統の確保・組織秩序の維持という観点から労働基本権の制限が不可欠であるという考えから来ている。ILO87号条約(結社の自由及び団結権の保護に関する条約・日本は1965年6月14日に批准、1966年6月14日発効)においても、第9条第1項で「この条約に規定する保障を軍隊及び警察に適用する範囲は、国内法令で定める。」とされ、団結権を保障するか否かは各国の判断に委ねることとされている。
裁判官については、職務及び身分の特殊性から団結権等が認められないという見解が最高裁判所事務総局から出されている。
なお、監獄に近い性格を持つ少年院・少年鑑別所に勤務する法務教官には労働基本権が認められている。
消防職員、監獄職員の労働基本権に関する日本政府の見解については「#消防・監獄職員への団結権付与」を参照のこと。
公務員の労働基本権が制限されていることの代償措置として、措置要求制度がある。また政治的に中立かつ独立した行政委員会として国に人事院、地方公共団体には人事委員会又は公平委員会が置かれ、それぞれ人事行政の専門機関としての役割を果たしている。
日本国憲法第28条が「勤労者の団結する権利及び団体交渉その他の団体行動をする権利は、これを保障する。」として、勤労者に労働基本権を認めていることとの関係から、団体行動権をはじめとした労働基本権を制限している公務員関係諸法の合憲性が長く裁判で争われてきた。 公務員の労働基本権に関する最高裁判所の判例はその時代背景とともに揺らぎを見せるが、昭和48年4月25日最高裁判所大法廷判決において関係諸法の一律合憲論に至り、司法上は一応の決着をみたかたちとなっている。
政令201号と日本国憲法第28条の関係等が争われたいわゆる「政令201号事件」について、最高裁判所は次のように説示し、公共の福祉の観点及び公務員が全体の奉仕者たるが故に、公務員の争議を禁止した政令201号は日本国憲法第28条に違反しないとした。
「国民の権利はすべて公共の福祉に反しない限りにおいて立法その他の国政の上で最大の尊重をすることを必要とするのであるから、憲法二八条が保障する勤労者の団結する権利及び団体交渉その他の団体行動をする権利も公共の福祉のために制限を受けるのは已を得ないところである。殊に国家公務員は、国民全体の奉仕者として(憲法一五条)公共の利益のために勤務し、且つ職務の遂行に当つては全力を挙げてこれに専念しなければならない(国家公務員法九六条一項)性質のものであるから、団結権団体交渉権等についても、一般の勤労者とは違つて特別の取扱を受けることがあるのは当然である。」(昭和28年4月8日最高裁判所大法廷判決)
公共企業体等労働関係法(公労法)17条1項と日本国憲法第28条の関係等が争われたいわゆる「全逓東京中郵事件」について、最高裁判所は次のように説示し、従前の公共の福祉等を理由とした全面的な合憲論から、実質的に判例を変更した。すなわち、憲法第28条の労働基本権の保障については公務員にも基本的には及ぶものとし、労働基本権を制約する法規定は諸事項について一定の考慮がなされてはじめて合憲であるとする「限定的合憲論(合憲限定解釈)」を採ったのである。
「労働基本権は、たんに私企業の労働者だけについて保障されるのではなく、公共企業体の職員はもとよりのこと、国家公務員や地方公務員も、憲法二八条にいう勤労者にほかならない以上、原則的には、その保障を受けるべきものと解される。「公務員は、全体の奉仕者であつて、一部の奉仕者ではない」とする憲法一五条を根拠として、公務員に対して右の労働基本権をすべて否定するようなことは許されない。ただ、公務員またはこれに準ずる者については、後に述べるように、その担当する職務の内容に応じて、私企業における労働者と異なる制約を内包しているにとどまると解すべきである。」
「勤労者の団結権・団体交渉権・争議権等の労働基本権は、すべての勤労者に通じ、その生存権保障の理念に基づいて憲法二八条の保障するところであるが、これらの権利であつて、もとより、何らの制約も許されない絶対的なものではないのであつて、国民生活全体の利益の保障という見地からの制約を当然の内在的制約として内包しているものと解釈しなければならない。しかし、具休的にどのような制約が合憲とされるかについては、諸般の条件、ことに左の諸点を考慮に入れ、慎重に決定する必要がある。
全農林労働組合の役員たる被告人が、警察官職務執行法の改正に反対する目的で、約2500名の農林省の職員に対し職場大会への参加を慫慂した行為等が、国家公務員法(昭和40年法律第69号による改正前のもの)第98条第5項(争議行為の禁止)・第110条第1項17号(争議行為のあおり等禁止)の罪にあたるとして起訴され、同条項と日本国憲法第28条の関係等が争われたいわゆる「全農林警職法事件」について、最高裁は次のように説示し、前述の合憲限定解釈を否定した。すなわち、最高裁判所は同判決で、日本国憲法第28条による労働基本権の保障は原則として公務員にも及ぶことを認めるものの、
ことを理由とし、日本国憲法第13条の公共の福祉による制約により、争議行為を一律に禁止する国家公務員法の規定を合憲としたのである。(昭和48年4月25日最高裁判所大法廷判決)
2001年12月25日に閣議決定された「公務員制度改革大綱」において、「公務の安定的・継続的な運営の確保の観点、国民生活へ与える影響の観点などを総合的に勘案し、公務員の労働基本権の制約については、今後もこれに代わる相応の措置を確保しつつ、現行の制約を維持する」とされたことについて、平成14年2月に連合等、同年3月に全労連及び自治労連が「公務員制度改革は、労働者団体との適切な協議なしに進められているものであり、現行の公務員制度法令を更に改悪し、十分な代償なしに公務員の労働基本権制約を保持するものである」として、ILO結社の自由委員会に申立てを行った。
これに対して2002年11月21日に同委員会において、ILO結社の自由委員会中間報告(第2177号、第2183号案件)が採択され、日本政府に対して勧告が出された(結社の自由委員会第329次報告)。
2009年9月成立の鳩山由紀夫内閣はこの勧告を受け、2010年1月に「消防職員への団結権付与」について総務省で検討することを決めた。なお民主党はマニフェストで「公務員の労働基本権回復」を宣言していた。しかし2011年1月、菅第1次改造内閣は見送りを決定。理由として“実際にストが打たれた場合の国民生活への影響を考慮した”としている。
2017年10月に結成された立憲民主党も公務員の労働基本権の回復を掲げている。
同中間報告はILO98号条約(団結権及び団体交渉権についての原則の適用に関する条約・日本は1953年10月20日に批准)との関係から、日本政府に対して「国の行政に直接従事しない公務員への、結社の自由の原則に沿った団体交渉権及びストライキ権の付与」を勧告した。 同勧告に対し、日本政府は以下のとおり見解を示し、ILOの見解を認識しつつも、日本の歴史的背景や公務員における労使関係の状況等を踏まえ、国民全体の共同利益の見地から労働基本権の制約は免れ得ないとしている。
「公務員の労働基本権については、その地位の特殊性と職務の公共性に鑑み、国民全体の共同利益の保障という見地から、一定の制約のもとに置かれているところである。一方、公務員も勤労者であり、その生存権保障の見地から、人事院勧告制度等の代償措置が講じられているところである。
最高裁判所においても、労働基本権を保障する憲法28条の規定は公務員にも適用されるが、この権利は国民全体の共同利益の保障の見地から制約を免れ得ないものであり、また、労働基本権制約に対する適切な代償措置が講じられていることから、公務員の争議行為を禁止した法律の各規定は違憲ではない旨判示するとともに団体交渉権についても同様の判示がなされているところである。
公務員の労働基本権制約に関するILOの見解は十分認識しているが、公務員の争議行為制約の範囲等については、各国の歴史的背景や公務員労使関係の状況等諸般の事情を考慮して決めるべきものであると考える。」
同じく中間報告において「消防職員及び監獄において勤務する職員への、自ら選択する団体を設立する権利の付与」が勧告されているが、これに対して日本政府は以下のとおり見解を示し、消防職員及び監獄職員の任務はILO第87号条約第9条の「警察」に含まれるとしている。
以上の日本政府の反論に対してILOは、日本自治体労働組合総連合(自治労連)と消防職員ネットワーク(FFN)が2008年10月13日提出した、「消防職員委員会制度の実情」報告を検証した結果、消防職員の団結権に関して実質的に前進していないことに、結果として「消防職員委員会の役割には、制約があることが明らかになった」とし、「消防職員に対する団結権を確実に保障するために、すでに行われているか、検討されている法的追加措置について次回報告で示すこと」と疑義を呈している。
なお、PFIの結果として、全国4か所の「民活刑務所」においては、「団結権すら有しない公務員たる刑務所職員と、争議権まで有する民間委託企業の労働者が同じ刑務所内で就労するという事態」になっている旨、濱口桂一郎により指摘されている。
団体行動権に関連して、政治目的での団体行動や、争議行為の一環として使用者の生産設備を勤労者が奪取する行為(生産管理と呼ばれる)が憲法28条の保障する団体行動に含まれるかについては争いがある。判例はいずれも消極に解する。
政治目的での団体行動の例として、自衛隊の派遣地域からの撤退を求めて行うストライキや、使用者であるZ社が武器禁輸原則の撤廃を政府に働きかけて、収益の拡大を目指す方針を掲げたことに反発した組合が行うストライキ、有事の際に協力義務を課せられる船員の組合が法律の改廃を求めて行うストライキなどが挙げられる。
政治目的での争議行為が憲法28条の保障の外にあると解される理由は団体行動権の趣旨・沿革にある。団体行動権の趣旨は、使用者よりも劣位にある被用者が給与、勤務時間、休暇などの雇用条件について使用者と交渉するにあたって、実質的に対等、平等の立場に立つための基盤を確保し、もって労働者の経済的地位の向上を目指す点にある。しかし、政治目的での団体行動は、使用者との交渉による雇用条件の改善を目指して行われるものではない。それゆえ政治目的での団体行動は憲法28条によって保障されないとされている。
もっとも政治目的での団体行動といえども、政治問題が直接又は間接に雇用条件に影響を及ぼすことは否定できないことに鑑みると、それを全く保障されないものとしてしまうことには問題がないわけではない。上の例で言えば武器輸出の拡大によって勤務時間が延長されたり、武器を国外に輸出されることによって勤労者の精神衛生に悪影響を及ぼすということもあり得るであろうし、危険な戦闘地域での輸送業務への従事は勤務内容そのものである。このため直接的影響がある場合には政治目的での団体行動は憲法による保障を受けるとしたり、あらゆる政治目的での団体行動が憲法28条によって保障されているとする見解も主張されている。
生産管理の手法は、大きく分けて二つあり、工場などを占拠して生産活動を不能にする行為と、工場を労働者が占拠するのみならず、生産活動を労働者自らが行い、その収益を労働者に分配する行為の二つの類型がある。いずれの行為も使用者の私有財産を侵害するものであって、許されないとするのが一般的である。もっとも団体行動の代表例であるストライキ(同盟罷業・怠業)においても使用者が生産設備を活用できないという私有財産の制約は生じうるのであるから(ストは生産管理と異なり、設備は使用者の支配下にあるので、物理的には別の人間を連れてきて生産活動に従事させることができるが、まず無理である。したがって私有財産の制約という意味ではストと生産管理に差はないというのである)生産管理だけを特別視して保障の対象外とすることへの反対論もある。
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"text": "前述のフーバー勧告に基づき、1947年10月21日に国家公務員法が公布された。しかしながら同法の内容は、人事委員会(原案の「人事院」の名称を衆議院の審議において「人事委員会」に修正)を内閣総理大臣の所管の下に置くものとし、労働基本権については争議行為の禁止が盛り込まれないなど、同勧告の大部分を採り入れていないものであった。 その後、公務員による労働運動は依然として衰えることなく、1948年8月7日には現業公務員及び非現業公務員の双方が参加するゼネストが予定されるなど、既に禁止されている非現業公務員による争議行為も、あたかも公然と認められるかのように捉えられる状況であった。 このような状況及び当時の公務員制度に不満を抱いていたGHQの最高司令官マッカーサーは、1948年7月22日に内閣総理大臣芦田均に対して、",
"title": "日本の公務員の労働基本権"
},
{
"paragraph_id": 19,
"tag": "p",
"text": "を内容とする、国家公務員法の改正を示唆する旨の書簡を送った。",
"title": "日本の公務員の労働基本権"
},
{
"paragraph_id": 20,
"tag": "p",
"text": "これを受けて内閣は、国家公務員法改正までの暫定措置として同年7月31日に、「昭和二十三年七月二十二日附内閣総理大臣宛連合国最高司令官書簡に基く臨時措置に関する政令」(政令201号)を公布、即日施行した(なお、同政令は昭和20年勅令第542号に基づくいわゆる「ポツダム命令」であり、1952年10月25日まで法的効力を有していた)。同政令は現業であると非現業であるとを問わず、一切の公務員について労働協約の締結を目的とする団体交渉権を有さずに、争議行為を禁止することを定めたものであり、これにより前述のゼネストを含め公務員による労働協約の締結を目的とする団体交渉権と争議行為は全て非合法のものとされた。",
"title": "日本の公務員の労働基本権"
},
{
"paragraph_id": 21,
"tag": "p",
"text": "政令201号に基づき、改正国家公務員法が1948年12月3日に公布・即日施行され、国家公務員の労働基本権については、争議権の禁止、団体交渉権の制限、政治的行為の制限強化等がなされた。",
"title": "日本の公務員の労働基本権"
},
{
"paragraph_id": 22,
"tag": "p",
"text": "また、国鉄及び専売事業を公共企業体としてその職員を国家公務員法の適用から除外するため、日本国有鉄道法及び日本専売公社法が1948年12月に制定され、1949年6月1日から施行された。公共企業体の職員の争議行為を禁止し、強制仲裁制度を設けるための公共企業体労働関係法(現在の特定独立行政法人の労働関係に関する法律)も併せて制定され、同日から施行された。",
"title": "日本の公務員の労働基本権"
},
{
"paragraph_id": 23,
"tag": "p",
"text": "地方公務員については、1950年12月に地方公務員法が制定され、翌年2月から施行された。その内容は、国家公務員法に概ね準じたものとなっている。",
"title": "日本の公務員の労働基本権"
},
{
"paragraph_id": 24,
"tag": "p",
"text": "さらに、地方公務員である企業職員・単純労務職員については、地方公営企業労働関係法(現在の地方公営企業等の労働関係に関する法律)が1952年7月に制定された。",
"title": "日本の公務員の労働基本権"
},
{
"paragraph_id": 25,
"tag": "p",
"text": "以下の職種の公務員は、団結権・団体交渉権・団体行動権の全てが認められていない。",
"title": "日本の公務員の労働基本権"
},
{
"paragraph_id": 26,
"tag": "p",
"text": "厳しい規律が求められる組織において、指揮命令系統の確保・組織秩序の維持という観点から労働基本権の制限が不可欠であるという考えから来ている。ILO87号条約(結社の自由及び団結権の保護に関する条約・日本は1965年6月14日に批准、1966年6月14日発効)においても、第9条第1項で「この条約に規定する保障を軍隊及び警察に適用する範囲は、国内法令で定める。」とされ、団結権を保障するか否かは各国の判断に委ねることとされている。",
"title": "日本の公務員の労働基本権"
},
{
"paragraph_id": 27,
"tag": "p",
"text": "裁判官については、職務及び身分の特殊性から団結権等が認められないという見解が最高裁判所事務総局から出されている。",
"title": "日本の公務員の労働基本権"
},
{
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"tag": "p",
"text": "なお、監獄に近い性格を持つ少年院・少年鑑別所に勤務する法務教官には労働基本権が認められている。",
"title": "日本の公務員の労働基本権"
},
{
"paragraph_id": 29,
"tag": "p",
"text": "消防職員、監獄職員の労働基本権に関する日本政府の見解については「#消防・監獄職員への団結権付与」を参照のこと。",
"title": "日本の公務員の労働基本権"
},
{
"paragraph_id": 30,
"tag": "p",
"text": "公務員の労働基本権が制限されていることの代償措置として、措置要求制度がある。また政治的に中立かつ独立した行政委員会として国に人事院、地方公共団体には人事委員会又は公平委員会が置かれ、それぞれ人事行政の専門機関としての役割を果たしている。",
"title": "日本の公務員の労働基本権"
},
{
"paragraph_id": 31,
"tag": "p",
"text": "日本国憲法第28条が「勤労者の団結する権利及び団体交渉その他の団体行動をする権利は、これを保障する。」として、勤労者に労働基本権を認めていることとの関係から、団体行動権をはじめとした労働基本権を制限している公務員関係諸法の合憲性が長く裁判で争われてきた。 公務員の労働基本権に関する最高裁判所の判例はその時代背景とともに揺らぎを見せるが、昭和48年4月25日最高裁判所大法廷判決において関係諸法の一律合憲論に至り、司法上は一応の決着をみたかたちとなっている。",
"title": "日本の公務員の労働基本権"
},
{
"paragraph_id": 32,
"tag": "p",
"text": "政令201号と日本国憲法第28条の関係等が争われたいわゆる「政令201号事件」について、最高裁判所は次のように説示し、公共の福祉の観点及び公務員が全体の奉仕者たるが故に、公務員の争議を禁止した政令201号は日本国憲法第28条に違反しないとした。",
"title": "日本の公務員の労働基本権"
},
{
"paragraph_id": 33,
"tag": "p",
"text": "「国民の権利はすべて公共の福祉に反しない限りにおいて立法その他の国政の上で最大の尊重をすることを必要とするのであるから、憲法二八条が保障する勤労者の団結する権利及び団体交渉その他の団体行動をする権利も公共の福祉のために制限を受けるのは已を得ないところである。殊に国家公務員は、国民全体の奉仕者として(憲法一五条)公共の利益のために勤務し、且つ職務の遂行に当つては全力を挙げてこれに専念しなければならない(国家公務員法九六条一項)性質のものであるから、団結権団体交渉権等についても、一般の勤労者とは違つて特別の取扱を受けることがあるのは当然である。」(昭和28年4月8日最高裁判所大法廷判決)",
"title": "日本の公務員の労働基本権"
},
{
"paragraph_id": 34,
"tag": "p",
"text": "公共企業体等労働関係法(公労法)17条1項と日本国憲法第28条の関係等が争われたいわゆる「全逓東京中郵事件」について、最高裁判所は次のように説示し、従前の公共の福祉等を理由とした全面的な合憲論から、実質的に判例を変更した。すなわち、憲法第28条の労働基本権の保障については公務員にも基本的には及ぶものとし、労働基本権を制約する法規定は諸事項について一定の考慮がなされてはじめて合憲であるとする「限定的合憲論(合憲限定解釈)」を採ったのである。",
"title": "日本の公務員の労働基本権"
},
{
"paragraph_id": 35,
"tag": "p",
"text": "「労働基本権は、たんに私企業の労働者だけについて保障されるのではなく、公共企業体の職員はもとよりのこと、国家公務員や地方公務員も、憲法二八条にいう勤労者にほかならない以上、原則的には、その保障を受けるべきものと解される。「公務員は、全体の奉仕者であつて、一部の奉仕者ではない」とする憲法一五条を根拠として、公務員に対して右の労働基本権をすべて否定するようなことは許されない。ただ、公務員またはこれに準ずる者については、後に述べるように、その担当する職務の内容に応じて、私企業における労働者と異なる制約を内包しているにとどまると解すべきである。」",
"title": "日本の公務員の労働基本権"
},
{
"paragraph_id": 36,
"tag": "p",
"text": "「勤労者の団結権・団体交渉権・争議権等の労働基本権は、すべての勤労者に通じ、その生存権保障の理念に基づいて憲法二八条の保障するところであるが、これらの権利であつて、もとより、何らの制約も許されない絶対的なものではないのであつて、国民生活全体の利益の保障という見地からの制約を当然の内在的制約として内包しているものと解釈しなければならない。しかし、具休的にどのような制約が合憲とされるかについては、諸般の条件、ことに左の諸点を考慮に入れ、慎重に決定する必要がある。",
"title": "日本の公務員の労働基本権"
},
{
"paragraph_id": 37,
"tag": "p",
"text": "全農林労働組合の役員たる被告人が、警察官職務執行法の改正に反対する目的で、約2500名の農林省の職員に対し職場大会への参加を慫慂した行為等が、国家公務員法(昭和40年法律第69号による改正前のもの)第98条第5項(争議行為の禁止)・第110条第1項17号(争議行為のあおり等禁止)の罪にあたるとして起訴され、同条項と日本国憲法第28条の関係等が争われたいわゆる「全農林警職法事件」について、最高裁は次のように説示し、前述の合憲限定解釈を否定した。すなわち、最高裁判所は同判決で、日本国憲法第28条による労働基本権の保障は原則として公務員にも及ぶことを認めるものの、",
"title": "日本の公務員の労働基本権"
},
{
"paragraph_id": 38,
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"text": "ことを理由とし、日本国憲法第13条の公共の福祉による制約により、争議行為を一律に禁止する国家公務員法の規定を合憲としたのである。(昭和48年4月25日最高裁判所大法廷判決)",
"title": "日本の公務員の労働基本権"
},
{
"paragraph_id": 39,
"tag": "p",
"text": "2001年12月25日に閣議決定された「公務員制度改革大綱」において、「公務の安定的・継続的な運営の確保の観点、国民生活へ与える影響の観点などを総合的に勘案し、公務員の労働基本権の制約については、今後もこれに代わる相応の措置を確保しつつ、現行の制約を維持する」とされたことについて、平成14年2月に連合等、同年3月に全労連及び自治労連が「公務員制度改革は、労働者団体との適切な協議なしに進められているものであり、現行の公務員制度法令を更に改悪し、十分な代償なしに公務員の労働基本権制約を保持するものである」として、ILO結社の自由委員会に申立てを行った。",
"title": "日本の公務員の労働基本権"
},
{
"paragraph_id": 40,
"tag": "p",
"text": "これに対して2002年11月21日に同委員会において、ILO結社の自由委員会中間報告(第2177号、第2183号案件)が採択され、日本政府に対して勧告が出された(結社の自由委員会第329次報告)。",
"title": "日本の公務員の労働基本権"
},
{
"paragraph_id": 41,
"tag": "p",
"text": "2009年9月成立の鳩山由紀夫内閣はこの勧告を受け、2010年1月に「消防職員への団結権付与」について総務省で検討することを決めた。なお民主党はマニフェストで「公務員の労働基本権回復」を宣言していた。しかし2011年1月、菅第1次改造内閣は見送りを決定。理由として“実際にストが打たれた場合の国民生活への影響を考慮した”としている。",
"title": "日本の公務員の労働基本権"
},
{
"paragraph_id": 42,
"tag": "p",
"text": "2017年10月に結成された立憲民主党も公務員の労働基本権の回復を掲げている。",
"title": "日本の公務員の労働基本権"
},
{
"paragraph_id": 43,
"tag": "p",
"text": "同中間報告はILO98号条約(団結権及び団体交渉権についての原則の適用に関する条約・日本は1953年10月20日に批准)との関係から、日本政府に対して「国の行政に直接従事しない公務員への、結社の自由の原則に沿った団体交渉権及びストライキ権の付与」を勧告した。 同勧告に対し、日本政府は以下のとおり見解を示し、ILOの見解を認識しつつも、日本の歴史的背景や公務員における労使関係の状況等を踏まえ、国民全体の共同利益の見地から労働基本権の制約は免れ得ないとしている。",
"title": "日本の公務員の労働基本権"
},
{
"paragraph_id": 44,
"tag": "p",
"text": "「公務員の労働基本権については、その地位の特殊性と職務の公共性に鑑み、国民全体の共同利益の保障という見地から、一定の制約のもとに置かれているところである。一方、公務員も勤労者であり、その生存権保障の見地から、人事院勧告制度等の代償措置が講じられているところである。",
"title": "日本の公務員の労働基本権"
},
{
"paragraph_id": 45,
"tag": "p",
"text": "最高裁判所においても、労働基本権を保障する憲法28条の規定は公務員にも適用されるが、この権利は国民全体の共同利益の保障の見地から制約を免れ得ないものであり、また、労働基本権制約に対する適切な代償措置が講じられていることから、公務員の争議行為を禁止した法律の各規定は違憲ではない旨判示するとともに団体交渉権についても同様の判示がなされているところである。",
"title": "日本の公務員の労働基本権"
},
{
"paragraph_id": 46,
"tag": "p",
"text": "公務員の労働基本権制約に関するILOの見解は十分認識しているが、公務員の争議行為制約の範囲等については、各国の歴史的背景や公務員労使関係の状況等諸般の事情を考慮して決めるべきものであると考える。」",
"title": "日本の公務員の労働基本権"
},
{
"paragraph_id": 47,
"tag": "p",
"text": "同じく中間報告において「消防職員及び監獄において勤務する職員への、自ら選択する団体を設立する権利の付与」が勧告されているが、これに対して日本政府は以下のとおり見解を示し、消防職員及び監獄職員の任務はILO第87号条約第9条の「警察」に含まれるとしている。",
"title": "日本の公務員の労働基本権"
},
{
"paragraph_id": 48,
"tag": "p",
"text": "以上の日本政府の反論に対してILOは、日本自治体労働組合総連合(自治労連)と消防職員ネットワーク(FFN)が2008年10月13日提出した、「消防職員委員会制度の実情」報告を検証した結果、消防職員の団結権に関して実質的に前進していないことに、結果として「消防職員委員会の役割には、制約があることが明らかになった」とし、「消防職員に対する団結権を確実に保障するために、すでに行われているか、検討されている法的追加措置について次回報告で示すこと」と疑義を呈している。",
"title": "日本の公務員の労働基本権"
},
{
"paragraph_id": 49,
"tag": "p",
"text": "なお、PFIの結果として、全国4か所の「民活刑務所」においては、「団結権すら有しない公務員たる刑務所職員と、争議権まで有する民間委託企業の労働者が同じ刑務所内で就労するという事態」になっている旨、濱口桂一郎により指摘されている。",
"title": "日本の公務員の労働基本権"
},
{
"paragraph_id": 50,
"tag": "p",
"text": "団体行動権に関連して、政治目的での団体行動や、争議行為の一環として使用者の生産設備を勤労者が奪取する行為(生産管理と呼ばれる)が憲法28条の保障する団体行動に含まれるかについては争いがある。判例はいずれも消極に解する。",
"title": "団体行動権"
},
{
"paragraph_id": 51,
"tag": "p",
"text": "政治目的での団体行動の例として、自衛隊の派遣地域からの撤退を求めて行うストライキや、使用者であるZ社が武器禁輸原則の撤廃を政府に働きかけて、収益の拡大を目指す方針を掲げたことに反発した組合が行うストライキ、有事の際に協力義務を課せられる船員の組合が法律の改廃を求めて行うストライキなどが挙げられる。",
"title": "団体行動権"
},
{
"paragraph_id": 52,
"tag": "p",
"text": "政治目的での争議行為が憲法28条の保障の外にあると解される理由は団体行動権の趣旨・沿革にある。団体行動権の趣旨は、使用者よりも劣位にある被用者が給与、勤務時間、休暇などの雇用条件について使用者と交渉するにあたって、実質的に対等、平等の立場に立つための基盤を確保し、もって労働者の経済的地位の向上を目指す点にある。しかし、政治目的での団体行動は、使用者との交渉による雇用条件の改善を目指して行われるものではない。それゆえ政治目的での団体行動は憲法28条によって保障されないとされている。",
"title": "団体行動権"
},
{
"paragraph_id": 53,
"tag": "p",
"text": "もっとも政治目的での団体行動といえども、政治問題が直接又は間接に雇用条件に影響を及ぼすことは否定できないことに鑑みると、それを全く保障されないものとしてしまうことには問題がないわけではない。上の例で言えば武器輸出の拡大によって勤務時間が延長されたり、武器を国外に輸出されることによって勤労者の精神衛生に悪影響を及ぼすということもあり得るであろうし、危険な戦闘地域での輸送業務への従事は勤務内容そのものである。このため直接的影響がある場合には政治目的での団体行動は憲法による保障を受けるとしたり、あらゆる政治目的での団体行動が憲法28条によって保障されているとする見解も主張されている。",
"title": "団体行動権"
},
{
"paragraph_id": 54,
"tag": "p",
"text": "生産管理の手法は、大きく分けて二つあり、工場などを占拠して生産活動を不能にする行為と、工場を労働者が占拠するのみならず、生産活動を労働者自らが行い、その収益を労働者に分配する行為の二つの類型がある。いずれの行為も使用者の私有財産を侵害するものであって、許されないとするのが一般的である。もっとも団体行動の代表例であるストライキ(同盟罷業・怠業)においても使用者が生産設備を活用できないという私有財産の制約は生じうるのであるから(ストは生産管理と異なり、設備は使用者の支配下にあるので、物理的には別の人間を連れてきて生産活動に従事させることができるが、まず無理である。したがって私有財産の制約という意味ではストと生産管理に差はないというのである)生産管理だけを特別視して保障の対象外とすることへの反対論もある。",
"title": "団体行動権"
}
] |
労働基本権(ろうどうきほんけん)とは、労働者がその労働に関して持つ権利のことであり、特に雇用者に対し労働条件・労働環境の促進または維持を求める行為に係る基本権をいう。
|
{{複数の問題|出典の明記=2017年5月|更新=2017年5月}}
{{Labor}}
{{権利}}
'''労働基本権'''(ろうどうきほんけん)とは、[[労働者]]がその[[労働]]に関して持つ[[権利]]のことであり、特に[[雇用]]者に対し[[労働条件]]・労働環境の促進または維持を求める行為に係る基本権をいう。
== 概要==
権利の具体的な内容については、自主的に[[労働]]することを妨害されない[[権利]]、[[労働組合]]を作り加入する権利、労働組合加入を強制されない権利、[[雇用]]者と団体交渉を行う権利、合法的に争議を行う権利などであるが、実際にどのような権利が保障されるかは国・地域によって様々である。また、労働基本権を認めない国、著しく制限している国もある。
労働基本権保障の根拠も国・地域によって異なり、成文憲法で保障する国([[日本]]など)もあれば、立法や判例の積み重ねで認める国もある。また、保障範囲も国・地域によって異なる。たとえば、[[国家公務員]]の団体交渉権について、[[ドイツ]]は広く保障し、日本は現業職員に限り認めるとしている。
国際法規としては、[[経済的、社会的及び文化的権利に関する国際規約]]([[国際人権規約]]A規約)の第6条ないし第8条に[[勤労権|労働に関する権利]]が規定されている。
== 日本における労働基本権 ==
{{law|section=1}}
日本において、労働基本権は[[賃金]][[労働者]]に対して憲法上認められている基本的[[権利]]である。
[[日本国憲法]]は、[[日本国憲法第27条|第27条]]で「(1)すべて国民は、[[勤労権|勤労の権利]]を有し、義務を負ふ。(2)賃金、就業時間、休息その他の勤労条件に関する基準は、法律でこれを定める。(3)児童は、これを酷使してはならない」と規定し、続く[[日本国憲法第28条|第28条]]で「勤労者の団結する権利及び団体交渉その他の団体行動をする権利は、これを保障する」と規定しており、ここに保障された権利は、すべての[[国民]]に保障された権利とは異なり、賃金労働者という社会的地位にある者に対して特別に保障された権利であり、労働基本権と呼ばれる。
とくに第28条で示された、'''団結権'''、'''団体交渉権'''、'''団体行動権'''は、併せて[[労働三権]]と呼ばれる。団結権は、勤労者が[[使用者]]と対等の立場に立って、[[労働条件]]などについて交渉するために労働組合をつくる権利、また労働組合に加入する権利を指す。団体交渉権は、使用者と交渉し、[[労働協約|協約]]をむすぶ権利である。団体行動権は、団体交渉において使用者に要求を認めさせるため、団結して就労を放棄する、つまり[[ストライキ]]を行う権利である。
また第28条は、労働者の権利行使に対する刑事免責と民事免責を含むと解されている。すなわち、労働者の団結・団体交渉・団体行動に対して、[[刑事罰]]からの自由という自由権的側面と、不法行為・[[債務不履行]]など民事上の責任に問われないという社会権的側面を保障したものである。民事免責(司法権力が介入)と刑事免責は公権力からの自由であるが、公権力の介入しない純粋に私人間による労働基本権の侵害([[解雇]]・[[懲戒処分|懲戒]]等)からの自由も想定されている。
これら労働三権を具体的に保障するため、[[労働基準法]]、[[労働組合法]]、[[労働関係調整法]]のいわゆる[[労働三法]]が制定されている。労働基本権は、憲法でうたわれている権利の中でも、[[社会権]]あるいは生存権的基本権と呼ばれる権利として分類される。
== 日本の公務員の労働基本権 ==
日本において、全ての[[公務員]]は団体行動を行う権利は認められていない。しかし、[[日本国憲法第18条]]に規定される身体的自由権は当然に保証されるから、この自由権について伝播性の大きい統括的な事項については、政策等の指揮命令関係とその合理性に則り、職務の実行およびその具体的方法に関しての申入れと合意の権利は留保されている。
=== 沿革 ===
==== 戦前 ====
[[第二次世界大戦]]終戦前の[[大日本帝国憲法]]の下においては、法により認められた[[労働者]]の権利というものは存在せず、[[労働運動]]に対しては[[弾圧]]的な政策が採られていた。官公吏については、例えば官吏は国家に対して忠実に無定量の勤務に服するものと観念されるなど、それに労働基本権なるものを付与するという発想そのものが制度上存在しなかった。
==== 終戦 - 労働組合法等の成立 ====
終戦後に、[[連合国軍最高司令官総司令部|GHQ]]による占領政策として日本の非[[軍国主義]]化・[[民主化]]が図られ、1945年(昭和20年)10月15日に[[治安維持法]]が廃止される等、従来労働運動を弾圧していた法律が廃止された。占領開始当初のこのような労働運動奨励政策により、敗戦後の混乱の中で労働運動が活発化し、これが体制の崩壊を引き起こす恐れもあったことから、この時期労働関係法の制定が急がれた。
1945年9月に内閣に提出された厚生省の報告書に基づき、同年10月に労務法制審議委員会が設置され、戦前から検討が進められていた労働関係法が日本側の主導により成立を見ることとなった。すなわち、同年12月21日に(旧)労働組合法が制定され(施行は1946年3月1日)労働者の団結権、団体交渉権及び争議権が認められるに至り、官公吏については、警察・消防・監獄の職員を除き、その他の官公吏はすべて同法の適用を受けることとなったのである。
次いで[[労働関係調整法]]が、今度はGHQの主導により1946年9月27日に公布・同年10月13日から施行された。同法施行により非現業の公務員については争議行為が明文の規定で以って禁止されることとなった。非現業公務員の争議権は7ヶ月余りに終わったものの、現業公務員には争議権が認められた。
==== 二・一スト中止 - フーバー勧告 ====
その後、労働運動は激化を極め、危機感を強めたGHQは1947年2月1日に予定されていた[[日本国有鉄道|国鉄]]を含む[[ゼネラル・ストライキ]]([[二・一ゼネスト]])を占領軍の武力を背景とした強権発動により中止させる等、その労働政策を転換する至った。
1946年11月に[[日本国政府|日本政府]]の招聘により来日したブレイン・フーバー(Blaine Hoover)を団長とする対日合衆国人事行政顧問団(通称フーバーミッション)が5ヶ月にわたり調査を行い、1947年6月11日、[[片山哲]][[内閣総理大臣]]に公務員制度についての勧告を提出した。その中で、日本の公務員制度の欠陥として次の点が指摘された。
:*標準化された公平で民主的な任用制度を欠いていること。
:*人事行政の一元化と統一的な基準を欠いていること。
:*職員の規律の欠如。いくつかの省では数千の職員が勤務時間を組合活動に充て、公務に必要なスペースを占拠し、業務活動を混乱させていること。
:*上司が部下に威圧されていること。
:*無秩序、反抗、政府財産の濫費。
これに加えて、技術的な欠陥として次の点が指摘された。
:*職務分類が機能よりも個人的なものに基づいていること。
:*公平な苦情処理機関を欠いていること。
:*非常に複雑、不公平でしかも高額な手当制度。
:*責任ないしは地位の高低と不釣り合い・不適切な俸給。
:*職員過剰。
:*非論理的で非現実的な退職制度。
:*的はずれの研修講座。
:*理にかなった経済的手法よりも、恩情主義による不十分な内容の安全、保健、福祉政策。
また同勧告においては、政府から独立した強力な権限を有する中央行政人事機関としての「[[人事院]]」の設置や、公務員の争議行為の禁止などが謳われていた。
==== 国家公務員法の制定 - 政令201号の制定 ====
前述のフーバー勧告に基づき、1947年10月21日に[[国家公務員法]]が公布された。しかしながら同法の内容は、[[人事委員会]](原案の「人事院」の名称を衆議院の審議において「人事委員会」に修正)を内閣総理大臣の所管の下に置くものとし、労働基本権については争議行為の禁止が盛り込まれないなど、同勧告の大部分を採り入れていないものであった。
その後、公務員による労働運動は依然として衰えることなく、1948年8月7日には現業公務員及び非現業公務員の双方が参加するゼネストが予定されるなど、既に禁止されている非現業公務員による争議行為も、あたかも公然と認められるかのように捉えられる状況であった。
このような状況及び当時の公務員制度に不満を抱いていたGHQの最高司令官[[ダグラス・マッカーサー|マッカーサー]]は、1948年7月22日に内閣総理大臣[[芦田均]]に対して、
:*公務員による争議行為及び団体交渉を禁止すること、
:*鉄道、専売事業等の現業部門を公共企業体として一般職から分離すること
を内容とする、国家公務員法の改正を示唆する旨の書簡を送った。
これを受けて内閣は、国家公務員法改正までの暫定措置として同年7月31日に、「昭和二十三年七月二十二日<!--政令の題名は固有名称扱いのため「」でくくって正式っぽく引用するのであれば元号を西暦にしたり漢数字を算用数字にしたり「附」を「付き」するのは正しくない-->附内閣総理大臣宛連合国最高司令官書簡に基く<!--政令の題名は固有名称扱いのため「づ」入りの「基づく」とはしない-->臨時措置に関する政令」([[政令201号]])を公布、即日施行した(なお、同政令は昭和20年勅令第542号に基づくいわゆる「[[ポツダム命令]]」であり、1952年10月25日まで法的効力を有していた<ref>[https://rnavi.ndl.go.jp/cabinet/bib00914.html 国会図書館『昭和23年9月3日閣議決定「政令201号の効力について」(法務総裁説明)』]</ref>)。同政令は現業であると非現業であるとを問わず、一切の公務員について労働協約の締結を目的とする団体交渉権を有さずに、争議行為を禁止することを定めたものであり、これにより前述のゼネストを含め''公務員による労働協約の締結を目的とする団体交渉権と争議行為は全て非合法のものとされた''。
==== 政令201号に基づく立法 ====
政令201号に基づき、改正国家公務員法が1948年12月3日に公布・即日施行され、国家公務員の労働基本権については、争議権の禁止、団体交渉権の制限、政治的行為の制限強化等がなされた。
また、国鉄及び専売事業を公共企業体としてその職員を国家公務員法の適用から除外するため、'''日本国有鉄道法'''及び'''日本専売公社法'''が1948年12月に制定され、1949年6月1日から施行された。公共企業体の職員の争議行為を禁止し、強制仲裁制度を設けるための'''公共企業体労働関係法'''(現在の[[特定独立行政法人の労働関係に関する法律]])も併せて制定され、同日から施行された。
地方公務員については、1950年12月に'''[[地方公務員法]]'''が制定され、翌年2月から施行された。その内容は、国家公務員法に概ね準じたものとなっている。
さらに、地方公務員である企業職員・単純労務職員については、'''地方公営企業労働関係法'''(現在の[[地方公営企業等の労働関係に関する法律]])が1952年7月に制定された。
=== 警察職員等の労働基本権 ===
以下の職種の公務員は、団結権・団体交渉権・団体行動権の全てが認められていない。
*[[警察職員]]・[[消防職員]]
*[[海上保安庁]]職員
*[[刑務官|刑事施設において勤務する職員]]
*[[防衛省職員]]([[自衛隊員]])
*[[裁判官]]
厳しい規律が求められる組織において、指揮命令系統の確保・組織秩序の維持という観点から労働基本権の制限が不可欠であるという考えから来ている。'''[[国際労働機関|ILO]]87号条約'''([[結社の自由及び団結権の保護に関する条約]]・日本は1965年6月14日に批准、1966年6月14日発効)においても、第9条第1項で「この条約に規定する保障を軍隊及び警察に適用する範囲は、国内法令で定める。」とされ、団結権を保障するか否かは各国の判断に委ねることとされている。
裁判官については、職務及び身分の特殊性から団結権等が認められないという見解が最高裁判所事務総局から出されている<ref>平成22年11月16日衆議院法務委員会大谷直人最高裁判所人事局長答弁</ref>。
なお、監獄に近い性格を持つ[[少年院]]・[[少年鑑別所]]に勤務する[[法務教官]]には労働基本権が認められている。
消防職員、監獄職員の労働基本権に関する日本政府の見解については「[[#消防・監獄職員への団結権付与]]」を参照のこと。
=== 労働基本権の制限に対する代償措置 ===
公務員の労働基本権が制限されていることの代償措置として、[[措置要求]]制度がある。また政治的に中立かつ独立した[[行政委員会]]として国に[[人事院]]、[[地方公共団体]]には[[人事委員会]]又は[[公平委員会]]が置かれ、それぞれ人事行政の専門機関としての役割を果たしている。
=== 日本国憲法第28条との関係 ===
[[日本国憲法第28条]]が「勤労者の団結する権利及び団体交渉その他の団体行動をする権利は、これを保障する。」として、勤労者に労働基本権を認めていることとの関係から、団体行動権をはじめとした労働基本権を制限している公務員関係諸法の合憲性が長く裁判で争われてきた。
公務員の労働基本権に関する最高裁判所の判例はその時代背景とともに揺らぎを見せるが、昭和48年4月25日最高裁判所大法廷判決において関係諸法の一律合憲論に至り、司法上は一応の決着をみたかたちとなっている。
==== 公共の福祉・全体の奉仕者性による合憲論 ====
政令201号と日本国憲法第28条の関係等が争われたいわゆる「[[政令201号事件]]」について、最高裁判所は次のように説示し、公共の福祉の観点及び公務員が全体の奉仕者たるが故に、公務員の争議を禁止した政令201号は日本国憲法第28条に違反しないとした。
<blockquote>「国民の権利はすべて''公共の福祉に反しない限りにおいて''立法その他の国政の上で最大の尊重をすることを必要とするのであるから、憲法二八条が保障する勤労者の団結する権利及び団体交渉その他の団体行動をする権利も公共の福祉のために制限を受けるのは已を得ないところである。殊に国家公務員は、''国民全体の奉仕者として''(憲法一五条)''公共の利益のために''勤務し、且つ職務の遂行に当つては全力を挙げてこれに専念しなければならない(国家公務員法九六条一項)性質のものであるから、団結権団体交渉権等についても、一般の勤労者とは違つて特別の取扱を受けることがあるのは当然である。」(昭和28年4月8日最高裁判所大法廷判決)</blockquote>
==== 限定的合憲論(合憲限定解釈) ====
公共企業体等労働関係法(公労法)17条1項と日本国憲法第28条の関係等が争われたいわゆる「[[全逓東京中郵事件]]」について、最高裁判所は次のように説示し、従前の公共の福祉等を理由とした全面的な合憲論から、実質的に判例を変更した。すなわち、憲法第28条の労働基本権の保障については公務員にも基本的には及ぶものとし、労働基本権を制約する法規定は諸事項について一定の考慮がなされてはじめて合憲であるとする「限定的合憲論(合憲限定解釈)」を採ったのである。
<blockquote>「労働基本権は、たんに私企業の労働者だけについて保障されるのではなく、公共企業体の職員はもとよりのこと、国家公務員や地方公務員も、憲法二八条にいう勤労者にほかならない以上、原則的には、その保障を受けるべきものと解される。「公務員は、全体の奉仕者であつて、一部の奉仕者ではない」とする憲法一五条を根拠として、公務員に対して右の労働基本権をすべて否定するようなことは許されない。ただ、公務員またはこれに準ずる者については、後に述べるように、その担当する職務の内容に応じて、私企業における労働者と異なる制約を内包しているにとどまると解すべきである。」</blockquote>
<blockquote>「勤労者の団結権・団体交渉権・争議権等の労働基本権は、すべての勤労者に通じ、その生存権保障の理念に基づいて憲法二八条の保障するところであるが、これらの権利であつて、もとより、何らの制約も許されない絶対的なものではないのであつて、国民生活全体の利益の保障という見地からの制約を当然の内在的制約として内包しているものと解釈しなければならない。しかし、具休的にどのような制約が合憲とされるかについては、諸般の条件、ことに左の諸点を考慮に入れ、慎重に決定する必要がある。
:(1)労働基本権の制限は、労働基本権を尊重確保する必要と国民生活全体の利益を維持増進する必要とを比較衡量して、両者が適正な均衡を保つことを目途として決定すべきてあるが、労働基本権が勤労者の生存権に直結し、それを保障するための重要な手段である点を考慮すれば、その制限は、合理性の認められる必要最小限度のものにとどめなければならない。
:(2)労働基本権の制限は、勤労者の提供する職務または業務の性質が公共性の強いものであり、したがつてその職務または業務の停廃が国民生活全体の利益を害し、国民生活に重大な障害をもたらすおそれのあるものについて、これを避けるために必要やむを得ない場合について考慮されるべきである。
:(3)労働基本権の制限違反に伴う法律効果、すなわち、違反者に対して課せられる不利益については、必要な限度をこえないように、十分な配慮がなされなければならない。とくに、勤労者の争議行為等に対して刑事制裁を科することは、必要やむを得ない場合に限られるべきであり、同盟罷業、怠業のような単純な不作為を刑罰の対象とするについては、特別に慎重でなければならない。(中略)
:(4)職務または業務の性質上からして、労働基本権を制限することがやむを得ない場合には、これに見合う代償措置が講ぜられなければならない。」(昭和41年10月26日最高裁判所大法廷判決)</blockquote>
==== 一律禁止合憲論 ====
[[全農林労働組合]]の役員たる被告人が、[[警察官職務執行法]]の改正に反対する目的で、約2500名の[[農林省]]の職員に対し職場大会への参加を慫慂した行為等が、国家公務員法(昭和40年法律第69号による改正前のもの)第98条第5項(争議行為の禁止)・第110条第1項17号(争議行為のあおり等禁止)の罪にあたるとして起訴され、同条項と日本国憲法第28条の関係等が争われたいわゆる「'''[[全農林警職法事件]]'''」について、最高裁は次のように説示し、前述の合憲限定解釈を否定した。すなわち、最高裁判所は同判決で、日本国憲法第28条による労働基本権の保障は原則として公務員にも及ぶことを認めるものの、
*公務員の争議行為は使用者たる国民全体の共同利益に重大な影響を及ぼす
*公務員の勤務条件は国会の制定する法律と予算により民主的に決定されるものであり、公務員の争議行為は議会制民主主義に背馳し、国会の議決権を侵す虞がある
*私企業における労使交渉であるような[[ロックアウト]]や、市場の抑制力による歯止めが、公務員の争議行為にあっては働かない
*既に労働基本権の制約に対する代償措置が設けられている
ことを理由とし、日本国憲法第13条の公共の福祉による制約により、争議行為を一律に禁止する国家公務員法の規定を合憲としたのである。([https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/906/050906_hanrei.pdf 昭和48年4月25日最高裁判所大法廷判決])
=== ILO勧告 ===
2001年12月25日に[[閣議]]決定された「'''公務員制度改革大綱'''」において、「公務の安定的・継続的な運営の確保の観点、国民生活へ与える影響の観点などを総合的に勘案し、公務員の労働基本権の制約については、今後もこれに代わる相応の措置を確保しつつ、現行の制約を維持する」とされたことについて<ref>[https://www.kantei.go.jp/jp/kakugikettei/2001/1225koumuin.html 首相官邸『平成13年12月25日閣議決定「公務員制度改革大綱」』]</ref>、平成14年2月に[[日本労働組合総連合会|連合]]等、同年3月に[[全国労働組合総連合|全労連]]及び[[日本自治体労働組合総連合|自治労連]]が「公務員制度改革は、労働者団体との適切な協議なしに進められているものであり、現行の公務員制度法令を更に改悪し、十分な代償なしに公務員の労働基本権制約を保持するものである」として、ILO結社の自由委員会に申立てを行った。
これに対して2002年11月21日に同委員会において、ILO結社の自由委員会中間報告(第2177号、第2183号案件)が採択され、日本政府に対して勧告が出された(結社の自由委員会第329次報告)<ref>[http://www.komu-rokyo.jp/arc/komu/2177ilo_cfa_report.pdf 公務労協「結社の自由委員会第329次報告(第285回ILO 理事会(2002 年11 月)にて採択)」]</ref>。
2009年9月成立の[[鳩山由紀夫内閣]]はこの勧告を受け、[[2010年]]1月に「消防職員への団結権付与」について[[総務省]]で検討することを決めた。なお[[民主党 (日本 1998-2016)|民主党]]は[[マニフェスト]]で「公務員の労働基本権回復」を宣言していた<ref>[https://web.archive.org/web/20130423152657/http://www.47news.jp/CN/201001/CN2010011901000485.html 「総務省、消防職員の団結権検討へ 22日に有識者会議」][[共同通信]]2010年1月19日</ref>。しかし2011年1月、[[菅内閣 (第1次改造)|菅第1次改造内閣]]は見送りを決定。理由として“実際にストが打たれた場合の国民生活への影響を考慮した”としている<ref>[https://web.archive.org/web/20110112185642/http://www.47news.jp/CN/201101/CN2011010901000264.html 政府、公務員スト権付与を見送り 民主と労組反発も] 共同通信2011年1月10日</ref>。
[[2017年]]10月に結成された[[立憲民主党 (日本 2017)|立憲民主党]]も公務員の労働基本権の回復を掲げている<ref>[https://cdp-japan.jp/news/20180601_0538 国家公務員制度の抜本的見直しに向け公務員制度改革関連三法案を提出]</ref>。
==== 団体交渉権とストライキ権の付与 ====
同中間報告は'''ILO98号条約'''(団結権及び団体交渉権についての原則の適用に関する条約・日本は1953年10月20日に批准)との関係から、日本政府に対して「国の行政に直接従事しない公務員への、結社の自由の原則に沿った団体交渉権及びストライキ権の付与」を勧告した。
同勧告に対し、日本政府は以下のとおり見解を示し、ILOの見解を認識しつつも、日本の歴史的背景や公務員における労使関係の状況等を踏まえ、国民全体の共同利益の見地から労働基本権の制約は免れ得ないとしている。
<blockquote>「公務員の労働基本権については、その地位の特殊性と職務の公共性に鑑み、国民全体の共同利益の保障という見地から、一定の制約のもとに置かれているところである。一方、公務員も勤労者であり、その生存権保障の見地から、人事院勧告制度等の代償措置が講じられているところである。
最高裁判所においても、労働基本権を保障する憲法28条の規定は公務員にも適用されるが、この権利は国民全体の共同利益の保障の見地から制約を免れ得ないものであり、また、労働基本権制約に対する適切な代償措置が講じられていることから、公務員の争議行為を禁止した法律の各規定は違憲ではない旨判示するとともに団体交渉権についても同様の判示がなされているところである。
公務員の労働基本権制約に関するILOの見解は十分認識しているが、公務員の争議行為制約の範囲等については、各国の歴史的背景や公務員労使関係の状況等諸般の事情を考慮して決めるべきものであると考える。[http://www.jichiroren.jp/]」</blockquote>
==== 消防・監獄職員への団結権付与 ====
同じく中間報告において「消防職員及び監獄において勤務する職員への、自ら選択する団体を設立する権利の付与」が勧告されているが、これに対して日本政府は以下のとおり見解を示し、消防職員及び監獄職員の任務はILO第87号条約第9条の「警察」に含まれるとしている<ref>[http://www.soumu.go.jp/s-news/2002/021120_3.html 総務省『報道資料・平成14年11月20日付「ILO結社の自由委員会の中間報告について」』]</ref>。
<blockquote>
;消防職員
:「日本の消防は、火災、風水害、地震等の災害が多発する国土の特殊な条件下で、交通制限権、付近にいる者の協力要請権、住宅侵入権、消火活動中の緊急措置権として近隣建物を破壊する権限を行使しつつ、火災を予防し、警戒し及び鎮圧し、国民の生命身体及び財産を火災から保護するとともに、火災又は地震等の災害による被害を軽減し、もって安寧秩序を保持し、社会公共の福祉の増進に資することを目的とする。こうした業務内容や歴史的沿革、運営状況から、日本の消防は保安警察の一部と解されており、ILO第87号条約第9条の「警察」に含まれるものである。
:このことは、結社の自由委員会第12次報告および第54次報告が認めるところであり、このようにILOが我が国の見解を認めたことから、当該[[条約]]を批准したものである。このような経緯からも、日本の消防職員の団結禁止はILO条約に違反するものではない。
:消防職員の団結権問題は国内問題として解決すべき問題であり、1995年、旧[[自治省]]及び[[消防庁]]と地方公務員の代表的[[労働組合]]である[[全日本自治団体労働組合]](自治労)の合意の下、勤務条件の決定等への消防職員の参加を保障し、その権利保護の趣旨に沿い、かつ国民的コンセンサスが得られる解決策として消防職員委員会制度が導入された。なお、ILOにおいて、このような解決策を合意したことを満足をもって歓迎するとされ、その合意内容を反映した法改正等を行うことを要請されたところである(1995年)。
:政府としては、当該制度が円滑に運用され、定着し、効果を上げることが最も重要であると認識している。」
;[[刑事施設]]において勤務する職員
:「監獄(現・刑事施設)において勤務する職員は、拘禁刑に処せられた者、刑事[[被告人]]、[[被疑者]]及び[[死刑]]の言い渡しを受けた者を監獄に拘禁し、その拘禁を確保することにより、社会防衛を図るという任務を担っている。そのため、職員に強固な統制と厳格な規律が求められるとともに、職務上の指揮命令系統が厳格に確保されることが必要不可欠である。このような監獄職員の任務は、ILO第87号条約第9条の趣旨にかんがみ、同条に言う警察に含まれているものと考える。」</blockquote>
以上の日本政府の反論に対してILOは、[http://www.jichiroren.jp/ 日本自治体労働組合総連合](自治労連)と[http://www.geocities.co.jp/WallStreet-Stock/8542/ 消防職員ネットワーク](FFN)が2008年10月13日提出した、「消防職員委員会制度の実情」報告を検証した結果、消防職員の団結権に関して実質的に前進していないことに、結果として「消防職員委員会の役割には、制約があることが明らかになった」とし、「消防職員に対する団結権を確実に保障するために、すでに行われているか、検討されている法的追加措置について次回報告で示すこと」と疑義を呈している<ref>[http://zensyokyo.jp/?p=547 2010-2011年度活動方針] - [[全国消防職員協議会]] 2009年12月1日</ref>。
なお、[[PFI]]の結果として、全国4か所の「民活刑務所」においては、「団結権すら有しない公務員たる刑務所職員と、争議権まで有する民間委託企業の労働者が同じ刑務所内で就労するという事態」になっている旨、[[濱口桂一郎]]により指摘されている。<ref>[http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2008/11/post-930d.html 民営化・外部委託と労働基本権-hamachanブログ(EU労働法政策雑記帳)]</ref>
== 団体行動権 ==
団体行動権に関連して、'''政治目的での団体行動'''や、争議行為の一環として使用者の生産設備を勤労者が奪取する行為('''[[生産管理 (法学)|生産管理]]'''と呼ばれる)が憲法28条の保障する団体行動に含まれるかについては争いがある。判例はいずれも消極に解する。
'''政治目的での団体行動'''の例として、自衛隊の派遣地域からの撤退を求めて行う[[ストライキ]]や、使用者であるZ社が武器禁輸原則の撤廃を政府に働きかけて、収益の拡大を目指す方針を掲げたことに反発した組合が行うストライキ、有事の際に協力義務を課せられる船員の組合が法律の改廃を求めて行うストライキなどが挙げられる。
政治目的での争議行為が憲法28条の保障の外にあると解される理由は団体行動権の趣旨・沿革にある。団体行動権の趣旨は、使用者よりも劣位にある被用者が給与、勤務時間、休暇などの雇用条件について使用者と交渉するにあたって、実質的に対等、平等の立場に立つための基盤を確保し、もって労働者の経済的地位の向上を目指す点にある。しかし、政治目的での団体行動は、使用者との交渉による雇用条件の改善を目指して行われるものではない。それゆえ政治目的での団体行動は憲法28条によって保障されないとされている。
もっとも政治目的での団体行動といえども、政治問題が直接又は間接に雇用条件に影響を及ぼすことは否定できないことに鑑みると、それを全く保障されないものとしてしまうことには問題がないわけではない。上の例で言えば武器輸出の拡大によって勤務時間が延長されたり、武器を国外に輸出されることによって勤労者の精神衛生に悪影響を及ぼすということもあり得るであろうし、危険な戦闘地域での輸送業務への従事は勤務内容そのものである。このため直接的影響がある場合には政治目的での団体行動は憲法による保障を受けるとしたり、あらゆる政治目的での団体行動が憲法28条によって保障されているとする見解も主張されている。
'''生産管理'''の手法は、大きく分けて二つあり、工場などを占拠して生産活動を不能にする行為と、工場を労働者が占拠するのみならず、生産活動を労働者自らが行い、その収益を労働者に分配する行為の二つの類型がある。いずれの行為も使用者の私有財産を侵害するものであって、許されないとするのが一般的である。もっとも団体行動の代表例である[[ストライキ]](同盟罷業・怠業)においても使用者が生産設備を活用できないという私有財産の制約は生じうるのであるから(ストは生産管理と異なり、設備は使用者の支配下にあるので、物理的には別の人間を連れてきて生産活動に従事させることができるが、まず無理である。したがって私有財産の制約という意味ではストと生産管理に差はないというのである)生産管理だけを特別視して保障の対象外とすることへの反対論もある。
== 脚注 ==
<references/>
== 関連項目 ==
*[[労働]]
*[[労働運動]]
*[[労働組合]]
*[[労働権]]
*[[労働三権]]
*[[勤労の義務]]
*[[ユニオン・ショップ]]
*[[国際労働機関]](ILO)
*[[スト権スト]]
*[[民営化]]・[[市場化テスト]]
== 外部リンク ==
*[https://www.jtuc-rengo.or.jp/about_rengo/toall/right.html 働く人の権利とは?] - [[日本労働組合総連合会]]
*{{Kotobank}}
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同期電動機
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同期電動機(どうきでんどうき)は、シンクロナスモーター(英: Synchronous motor, SM)とも呼ばれ、交流電源の周波数によって決まる同期速度で回転する電動機である。加えられる交流電流が作る周囲の回転磁界によって回転子が吸引されて追従し回転する。
出力軸の回転周波数は、交流電源周波数と極数で決定される。 同期電動機の固定子には交流電磁石が内蔵されており、電流の入力に合わせて回転する磁界を形成する。 永久磁石や電磁石を備えたローターは、ステーターの磁界と同じ速度で回転する。 同期モータのなかでも、ロータとステータの両方に独立して励磁される多相交流電磁石が使われている場合、二重給電と呼ばれる。
小型の同期モーターは、家電製品のタイマー、テープレコーダー、精密なサーボ機構など、モーターが正確な速度で動作する必要がある用途に使用される。 同期電動機には、数センチ角の小型のものから大型で高出力の産業用のものまである。 電車の主電動機や電気自動車やハイブリッドカーなどでも使用されている。
同期電動機と並んで交流モーターの中でよく使われる電動機としては誘導電動機がある。 同期モーターは電源周波数によって出力軸の回転周波数が決まるのに対して、誘導モーターは滑りが発生するため出力軸の回転周波数が電源周波数よりもわずかに遅くなる。
始動時に加えられる電力の周波数が高いと、停止している回転子が追従できず自ら回転を始められないため、駆動電源を周波数制御しないものでは別に始動用のモータを備えたり、他方式のモータ機構を内蔵したりして対応している。半導体によるインバータ制御回路を一緒に用いることで高い制御性が得られる。
相差角(トルク角)とは、界磁が発生する無負荷誘導起電力と、電機子電圧の位相差δのことである。同期電動機のトルクはsin(δ)に比例して大きくなり、δ=90度の時に理論的な最大トルクとなる(円筒機の場合。突極機の場合は異なる)。また、電機子電圧の周波数に同期して回転しているため、出力はトルクに比例する。負荷のトルクが大きくなりすぎると「同期外れ(脱調)」のため停止する。この時のトルクを「脱出トルク」といい、相差角にして50 - 70度の範囲にある。
界磁が作った磁束を、電機子電流(負荷電流)が乱す作用である。電機子電圧と電機子電流の位相差(力率角)によって様子が異なる。
なお、同期発電機と同期電動機で、増磁作用/減磁作用に対する電機子電流の進み/遅れは逆になる。この関係は、弱め励磁/強め励磁と無効電力を出すか取るかで理解すると統一できる。
界磁電流を絞った弱め励磁では、同期機が発生する電圧(無負荷誘導起電力)は系統の電圧(電機子電圧)よりも低く、同期機は系統から遅れの無効電力を吸収する。以下、遅れの無効電力を単に無効電力と書く。この場合、電機子反作用は増磁作用になる。同期発電機から見た負荷は進み力率(容量性)で無効電力を発生している。同期電動機なら電源から見て遅れ負荷(誘導性)で無効電力を吸収している。
界磁電流を多く流した強め励磁では、同期機が発生する電圧(無負荷誘導起電力)は系統の電圧(電機子電圧)よりも高く、同期機は系統へ無効電力を供給する。この場合、電機子反作用は減磁作用になる。同期発電機から見た負荷は遅れ力率(誘導性)で無効電力を吸収している。同期電動機なら電源から見て進み負荷(容量性)で無効電力を発生している。
永久磁石同期電動機やリラクタンス電動機は、動作させるための制御システム(VFDやサーボドライブ)が必要となる。 PMSMの制御方式は数多くあり、電動機の構造や範囲に応じて選択する。
スカラー ベクトル (FOC, DTC)
オープンループ クローズドループ(ホールセンサー有/無)
同期電動機の主要構成要素は固定子と回転子である。 同期電動機の固定子と誘導電動機の固定子はの構造は類似している。 固定子フレームには側板がついており(巻線式ロータ同期二重給電機は例外)、側板には周方向のリブとキーバーがついている。 機械重量を支えるために、フレームマウントとフッティングが必要である。
界磁巻線を直流励磁で励磁する場合、励磁電源に接続するためのブラシとスリップリングが必要である。 界磁巻線をブラシレス励磁で励磁することも可能である。
6極までは、円筒形の丸いローター(ノンサリエントポールローターとも呼ばれる)が使用される。 同期電動機の構造は、同期オルタネータの構造と似ている。 同期電動機の多くは、固定された電機子と回転する界磁巻線を使用しているが、この構造は電機子が回転するDCモータよりも有利である。
同期電動機の動作は、固定子と回転子の磁界の相互作用によるものである。 固定子は3相巻線で構成され、3相電源が供給され、3相の固定子巻線に3相の電流が流れることで、3相の回転磁束(つまり回転磁界)が発生する。 ローターは回転磁界に同調して回転する。ローター磁界が回転磁界に同調すると、電動機は同期するという。 単相(または単相から派生した二相)の固定子巻線も理論上可能であるが、回転方向が定義されないため、どちらの回転方向にも始動してしまう可能性がある。
モータの速度は供給周波数にのみ依存する。モータの負荷が破壊負荷を超えてしまうと、モータは同期から外れ(脱調)、界磁巻線が回転磁界に追従しなくなる。 同期が取れなくなると、モーターはトルクを出せなくなるので、実用的な同期モーターには、動作の安定化と始動を容易にするために、リスケージダンパー(アモルティスール)巻線が付いている。 脱調したままでの長時間の運転では過熱する可能性があり、ロータ励磁巻線には大きなスリップ周波数電圧が誘起されるため、同期電動機の保護装置はこの状態を感知して電源を遮断する(脱調保護)。
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"text": "出力軸の回転周波数は、交流電源周波数と極数で決定される。 同期電動機の固定子には交流電磁石が内蔵されており、電流の入力に合わせて回転する磁界を形成する。 永久磁石や電磁石を備えたローターは、ステーターの磁界と同じ速度で回転する。 同期モータのなかでも、ロータとステータの両方に独立して励磁される多相交流電磁石が使われている場合、二重給電と呼ばれる。",
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"text": "小型の同期モーターは、家電製品のタイマー、テープレコーダー、精密なサーボ機構など、モーターが正確な速度で動作する必要がある用途に使用される。 同期電動機には、数センチ角の小型のものから大型で高出力の産業用のものまである。 電車の主電動機や電気自動車やハイブリッドカーなどでも使用されている。",
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"text": "同期電動機と並んで交流モーターの中でよく使われる電動機としては誘導電動機がある。 同期モーターは電源周波数によって出力軸の回転周波数が決まるのに対して、誘導モーターは滑りが発生するため出力軸の回転周波数が電源周波数よりもわずかに遅くなる。",
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"text": "始動時に加えられる電力の周波数が高いと、停止している回転子が追従できず自ら回転を始められないため、駆動電源を周波数制御しないものでは別に始動用のモータを備えたり、他方式のモータ機構を内蔵したりして対応している。半導体によるインバータ制御回路を一緒に用いることで高い制御性が得られる。",
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"text": "相差角(トルク角)とは、界磁が発生する無負荷誘導起電力と、電機子電圧の位相差δのことである。同期電動機のトルクはsin(δ)に比例して大きくなり、δ=90度の時に理論的な最大トルクとなる(円筒機の場合。突極機の場合は異なる)。また、電機子電圧の周波数に同期して回転しているため、出力はトルクに比例する。負荷のトルクが大きくなりすぎると「同期外れ(脱調)」のため停止する。この時のトルクを「脱出トルク」といい、相差角にして50 - 70度の範囲にある。",
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"text": "界磁が作った磁束を、電機子電流(負荷電流)が乱す作用である。電機子電圧と電機子電流の位相差(力率角)によって様子が異なる。",
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"text": "なお、同期発電機と同期電動機で、増磁作用/減磁作用に対する電機子電流の進み/遅れは逆になる。この関係は、弱め励磁/強め励磁と無効電力を出すか取るかで理解すると統一できる。",
"title": "電機子反作用"
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"text": "界磁電流を絞った弱め励磁では、同期機が発生する電圧(無負荷誘導起電力)は系統の電圧(電機子電圧)よりも低く、同期機は系統から遅れの無効電力を吸収する。以下、遅れの無効電力を単に無効電力と書く。この場合、電機子反作用は増磁作用になる。同期発電機から見た負荷は進み力率(容量性)で無効電力を発生している。同期電動機なら電源から見て遅れ負荷(誘導性)で無効電力を吸収している。",
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"text": "界磁電流を多く流した強め励磁では、同期機が発生する電圧(無負荷誘導起電力)は系統の電圧(電機子電圧)よりも高く、同期機は系統へ無効電力を供給する。この場合、電機子反作用は減磁作用になる。同期発電機から見た負荷は遅れ力率(誘導性)で無効電力を吸収している。同期電動機なら電源から見て進み負荷(容量性)で無効電力を発生している。",
"title": "電機子反作用"
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"text": "永久磁石同期電動機やリラクタンス電動機は、動作させるための制御システム(VFDやサーボドライブ)が必要となる。 PMSMの制御方式は数多くあり、電動機の構造や範囲に応じて選択する。",
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"text": "同期電動機の主要構成要素は固定子と回転子である。 同期電動機の固定子と誘導電動機の固定子はの構造は類似している。 固定子フレームには側板がついており(巻線式ロータ同期二重給電機は例外)、側板には周方向のリブとキーバーがついている。 機械重量を支えるために、フレームマウントとフッティングが必要である。",
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"text": "界磁巻線を直流励磁で励磁する場合、励磁電源に接続するためのブラシとスリップリングが必要である。 界磁巻線をブラシレス励磁で励磁することも可能である。",
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"text": "6極までは、円筒形の丸いローター(ノンサリエントポールローターとも呼ばれる)が使用される。 同期電動機の構造は、同期オルタネータの構造と似ている。 同期電動機の多くは、固定された電機子と回転する界磁巻線を使用しているが、この構造は電機子が回転するDCモータよりも有利である。",
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"text": "同期電動機の動作は、固定子と回転子の磁界の相互作用によるものである。 固定子は3相巻線で構成され、3相電源が供給され、3相の固定子巻線に3相の電流が流れることで、3相の回転磁束(つまり回転磁界)が発生する。 ローターは回転磁界に同調して回転する。ローター磁界が回転磁界に同調すると、電動機は同期するという。 単相(または単相から派生した二相)の固定子巻線も理論上可能であるが、回転方向が定義されないため、どちらの回転方向にも始動してしまう可能性がある。",
"title": "操作"
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"text": "モータの速度は供給周波数にのみ依存する。モータの負荷が破壊負荷を超えてしまうと、モータは同期から外れ(脱調)、界磁巻線が回転磁界に追従しなくなる。 同期が取れなくなると、モーターはトルクを出せなくなるので、実用的な同期モーターには、動作の安定化と始動を容易にするために、リスケージダンパー(アモルティスール)巻線が付いている。 脱調したままでの長時間の運転では過熱する可能性があり、ロータ励磁巻線には大きなスリップ周波数電圧が誘起されるため、同期電動機の保護装置はこの状態を感知して電源を遮断する(脱調保護)。",
"title": "操作"
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] |
同期電動機(どうきでんどうき)は、シンクロナスモーターとも呼ばれ、交流電源の周波数によって決まる同期速度で回転する電動機である。加えられる交流電流が作る周囲の回転磁界によって回転子が吸引されて追従し回転する。
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{{Pathnav|電動機|交流電動機|frame=1}}
'''同期電動機'''(どうきでんどうき)は、'''シンクロナスモーター'''({{lang-en-short|Synchronous motor}}, SM)とも呼ばれ、[[交流]][[電源]]の[[周波数]]によって決まる[[同期速度]]で回転する[[電動機]]である。加えられる交流電流が作る周囲の回転[[磁界]]によって[[回転子]]が吸引されて追従し回転する<ref name="「モータ」のキホン">井出萬盛著、『「モータ」のキホン』、ソフトバンククリエイティブ、2010年4月10日初版第1刷発行、ISBN 9784797357141</ref>。
==概要==
出力軸の回転周波数は、交流電源周波数と極数で決定される。
同期電動機の固定子には交流電磁石が内蔵されており、電流の入力に合わせて回転する磁界を形成する。
永久磁石や電磁石を備えたローターは、ステーターの磁界と同じ速度で回転する。
同期モータのなかでも、ロータとステータの両方に独立して励磁される多相交流電磁石が使われている場合、二重給電と呼ばれる。
小型の同期モーターは、家電製品のタイマー、テープレコーダー、精密なサーボ機構など、モーターが正確な速度で動作する必要がある用途に使用される。
同期電動機には、数センチ角の小型のものから大型で高出力の産業用のものまである。
電車の[[主電動機]]や[[電気自動車]]や[[ハイブリッドカー]]などでも使用されている。
同期電動機と並んで交流モーターの中でよく使われる電動機としては[[誘導電動機]]がある。
同期モーターは電源周波数によって出力軸の回転周波数が決まるのに対して、誘導モーターは滑りが発生するため出力軸の回転周波数が電源周波数よりもわずかに遅くなる。
== 特徴 ==
* 交流電流が作る回転[[磁界]]と[[電機子]]電流の作る磁界との回転速度差に同期して回転する
** 回転数の[[オープンループ制御]]が可能である
** 工夫を加えないと始動時に自ら回転を始められない
* [[永久磁石同期電動機]]では[[誘導電動機]]と比べて効率が高い
始動時に加えられる電力の周波数が高いと、停止している回転子が追従できず自ら回転を始められないため、駆動電源を周波数制御しないものでは別に始動用のモータを備えたり、他方式のモータ機構を内蔵したりして対応している。[[半導体]]による[[インバータ]]制御回路を一緒に用いることで高い制御性が得られる<ref group="注">電気自動車には三相交流による誘導モータかPM同期モータが使用されている。エレベータ<!--やエスカレータ(エスカレーターではまだ同期電動機の採用例はない。特許出願例のみ。)-->ではPM同期モータが主流である。同期モータには入力電流の位相を調整する働きがあり、特殊な利用方法として、[[電力系統#送電系統|送電系統]]中の一次変電所の受電端に「同期調相機」として設置することで、電流の位相や大きさを調整するのに用いられる。</ref><ref name = "「モータ」のキホン"/>。
== 相差角とトルク ==
相差角(トルク角)とは、界磁が発生する無負荷誘導起電力と、電機子電圧の[[位相]]差δのことである。同期電動機の[[トルク]]はsin(δ)に比例して大きくなり、δ=90度の時に[[理論]]的な最大トルクとなる(円筒機の場合。突極機の場合は異なる)。また、電機子電圧の周波数に同期して回転しているため、出力はトルクに比例する。負荷のトルクが大きくなりすぎると「同期外れ(脱調)」のため停止する。この時のトルクを「脱出トルク」といい、相差角にして50 - 70度の範囲にある。
== 電機子反作用 ==
界磁が作った[[磁束]]を、電機子電流(負荷電流)が乱す作用である。電機子[[電圧]]と電機子電流の位相差(力率角)によって様子が異なる。
; 交差磁化作用(横軸反作用)
: [[力率]]が1の時、界磁極の回転方向前側の磁束を強め、後側の磁束を弱める作用である。
: 電動機の場合、磁束が回転子よりも進み、磁束は回転子を加速方向に引っ張る。
: 発電機の場合、逆に、磁束が回転子よりも遅れ、磁束は回転子を減速方向に引っ張る。
: これは「磁力線には縮もうとする力が働く」というマクスウェル応力に基づいて、トルクが発生することに対応する。
; 増磁作用(直軸反作用)
: 力率が遅れのとき、磁束を強める方向で作用する。
; 減磁作用(直軸反作用)
: 力率が進みのとき、磁束を弱める方向で作用する。
なお、同期発電機と同期電動機で、増磁作用/減磁作用に対する電機子電流の進み/遅れは逆になる。この関係は、弱め励磁/強め励磁と無効電力を出すか取るかで理解すると統一できる。
界磁電流を絞った弱め励磁では、同期機が発生する電圧(無負荷誘導起電力)は系統の電圧(電機子電圧)よりも低く、同期機は系統から遅れの[[無効電力]]を吸収する。以下、遅れの無効電力を単に無効電力と書く。この場合、電機子反作用は増磁作用になる。同期発電機から見た負荷は進み力率(容量性)で無効電力を発生している。同期電動機なら電源から見て遅れ負荷(誘導性)で無効電力を吸収している。
界磁電流を多く流した強め励磁では、同期機が発生する電圧(無負荷誘導起電力)は系統の電圧(電機子電圧)よりも高く、同期機は系統へ[[無効電力]]を供給する。この場合、電機子反作用は減磁作用になる。同期発電機から見た負荷は遅れ力率(誘導性)で無効電力を吸収している。同期電動機なら電源から見て進み負荷(容量性)で無効電力を発生している。
== 分類 ==
* 基本型
**[[電磁石同期電動機]] - 界磁極に電磁石を使用する<ref group="注">電磁石同期電動機はブラシとスリップリングを備える。</ref>
** [[永久磁石同期電動機]] (PM型モータ) - 界磁極に永久磁石を使用する
** [[リラクタンス型同期電動機]] - 界磁に磁石を設けず、横軸と直軸のリラクタンス([[磁気抵抗]])が異なる磁極形状にすることで、突極性による回転トルクを得る。
** ヒステリシス型同期電動機 - 回転子にヒステリシスの大きな[[常磁性]]体を使用する<ref group="注">ヒステリシスが大きいために交流電流が作る回転磁界の位相よりも回転子は遅れて磁化される為、これに追いつこうとして回転子にトルクが発生する。</ref>
==制御==
永久磁石同期電動機やリラクタンス電動機は、動作させるための制御システム([[可変電圧可変周波数制御|VFD]]やサーボドライブ)が必要となる。
PMSMの制御方式は数多くあり、電動機の構造や範囲に応じて選択する。
*正弦波制御
スカラー
ベクトル (FOC, DTC)
*矩形波制御
オープンループ
クローズドループ(ホールセンサー有/無)
==構成==
同期電動機の主要構成要素は固定子と回転子である。 同期電動機の固定子と誘導電動機の固定子はの構造は類似している。
固定子フレームには側板がついており(巻線式ロータ同期二重給電機は例外)、側板には周方向のリブとキーバーがついている。
機械重量を支えるために、フレームマウントとフッティングが必要である。
界磁巻線を直流励磁で励磁する場合、励磁電源に接続するためのブラシとスリップリングが必要である。
界磁巻線をブラシレス励磁で励磁することも可能である。
6極までは、円筒形の丸いローター(ノンサリエントポールローターとも呼ばれる)が使用される。
同期電動機の構造は、同期オルタネータの構造と似ている。
同期電動機の多くは、固定された電機子と回転する界磁巻線を使用しているが、この構造は電機子が回転するDCモータよりも有利である。
==操作==
同期電動機の動作は、固定子と回転子の磁界の相互作用によるものである。
固定子は3相巻線で構成され、3相電源が供給され、3相の固定子巻線に3相の電流が流れることで、3相の回転磁束(つまり回転磁界)が発生する。
ローターは回転磁界に同調して回転する。ローター磁界が回転磁界に同調すると、電動機は同期するという。
単相(または単相から派生した二相)の固定子巻線も理論上可能であるが、回転方向が定義されないため、どちらの回転方向にも始動してしまう可能性がある。
モータの速度は供給周波数にのみ依存する。モータの負荷が破壊負荷を超えてしまうと、モータは同期から外れ(脱調)、界磁巻線が回転磁界に追従しなくなる。
同期が取れなくなると、モーターはトルクを出せなくなるので、実用的な同期モーターには、動作の安定化と始動を容易にするために、リスケージダンパー(アモルティスール)巻線が付いている。
脱調したままでの長時間の運転では過熱する可能性があり、ロータ励磁巻線には大きなスリップ周波数電圧が誘起されるため、同期電動機の保護装置はこの状態を感知して電源を遮断する(脱調保護)。
== 仕様 ==
* 無効電力 : トルク一定の負荷を負って回転しているとき界磁電流を大きくすると、進み側に増大する<ref>電気主任技術者国家試験問題平成16年度第3種</ref>。
== 脚注 ==
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=== 注釈 ===
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=== 出典 ===
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== 関連項目 ==
* [[同期発電機]]
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17,705 |
Susie
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Susie(スージー)は、竹村嘉人が開発したMicrosoft Windows上で動作するグラフィックビューアである。
Windows 3.1向け(16ビット版)は“Susie”、Windows XPなど32ビットOS向けは“Susie32”と称している。一時期はWin32sにも対応していたため、バージョンによってはWindows 3.1でもSusie32が利用できた。
単体ではBMP形式にのみ対応しているが、プラグインを導入することにより、様々なファイルフォーマットを扱えるようになることが特徴である。ただし、Susie本体がアニメーション再生機能をもたないため、GIFアニメーションやMNGといったフォーマットについては制限がある。2002年10月20日公開のバージョン0.47bを最後に長らくバージョンアップが停止していたが、2007年9月29日に全面的に開発し直したバージョン0.50 alpha1が公開され、2014年現在も開発が継続中。
Windows Vista以降では、カタログ機能にあるフォルダツリービューが機能しない不具合があり、レジストリキーをユーザ自身で変更しないと動作しない不具合がある。
Susieで読み込める画像ファイルフォーマットは、Susie Plug-inと呼ばれるプラグインにより拡張することができる。データを読み込み、デバイス独立ビットマップ (DIB) にレンダリングするのが基本的な仕組みである。プラグインの拡張子は"sph"(64ビット版用)、"spi"(32ビット版用)、"plg"(16ビット版用)。
このプラグインは仕様が公開されているため、有志によって多数制作されており、AVIF・WebP・JPEG 2000・PNG・JPEG・GIFなど広く使われている形式や、特定ソフトウェアのバイナリデータやコンピュータゲームのデータに対応するものもある。また、画像の読み出し以外にも、コンバータプラグインや、書庫ファイルをディレクトリと同じように扱えるようにするためのプラグインも存在する。中には動画や音楽の再生を可能にするものもある。
また、Susie Plug-inに対応したグラフィックソフトウェアも多く製作されている。しかし、Susie Plug-in対応を謳うソフトウェアの中には、プラグインとの互換性に問題があるものも一部に存在する。
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"text": "また、Susie Plug-inに対応したグラフィックソフトウェアも多く製作されている。しかし、Susie Plug-in対応を謳うソフトウェアの中には、プラグインとの互換性に問題があるものも一部に存在する。",
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}
] |
Susie(スージー)は、竹村嘉人が開発したMicrosoft Windows上で動作するグラフィックビューアである。
|
{{Otheruses|グラフィックビューア|その他|スージー}}
{{Infobox Software
| 名称 = Susie
| ロゴ =
| スクリーンショット =
| 説明文 =
| 開発者 = 竹村嘉人 (たけちん)
| 開発元 =
| 初版 = 0.01 ({{Start date and age|1994|5|25|br=yes}})
| 最新版 = 0.47b
| 最新版発表日 = {{Start date and age|2002|10|20|br=yes}}
| 最新評価版 = 0.50 beta3
| 最新評価版発表日 = {{Start date and age|2013|1|15|br=yes}}
| プログラミング言語 =
| 対応OS = [[Microsoft Windows]]
| エンジン =
| 対応プラットフォーム =
| サイズ =
| 対応言語 =
| サポート状況 =
| 種別 = [[画像ビューア]]
| ライセンス = [[フリーウェア]]
| 公式サイト = [http://www.digitalpad.co.jp/~takechin/ Susieの部屋]
}}
'''Susie'''(スージー)は、竹村嘉人が開発した[[Microsoft Windows]]上で動作する[[画像ビューア|グラフィックビューア]]である。
== 概要 ==
[[Microsoft Windows 3.x|Windows 3.1]]向け([[16ビット]]版)は“Susie”、[[Microsoft Windows XP|Windows XP]]など[[32ビット]][[オペレーティングシステム|OS]]向けは“Susie32”と称している。一時期は[[Win32s]]にも対応していたため、バージョンによってはWindows 3.1でもSusie32が利用できた。
単体では[[Windows bitmap|BMP]]形式にのみ対応しているが、[[プラグイン]]を導入することにより、様々なファイルフォーマットを扱えるようになることが特徴である。ただし、Susie本体がアニメーション再生機能をもたないため、[[GIFアニメーション]]や[[Multiple-image Network Graphics|MNG]]といったフォーマットについては制限がある。2002年10月20日公開のバージョン0.47bを最後に長らくバージョンアップが停止していたが、2007年9月29日に全面的に開発し直したバージョン0.50 alpha1が公開され、2014年現在も開発が継続中<ref>{{Cite web|和書
|author=
|date=2014年11月29日
|url=http://www.digitalpad.co.jp/~takechin/betasue.html
|title=Susieの実験室
|accessdate=2014年11月29日
}}</ref>。
[[Microsoft Windows Vista|Windows Vista]]以降では、カタログ機能にあるフォルダツリービューが機能しない不具合があり、レジストリキーをユーザ自身で変更しないと動作しない不具合がある。
== Susie Plug-in ==
Susieで読み込める[[画像ファイルフォーマット]]は、Susie Plug-inと呼ばれる[[プラグイン]]により拡張することができる。データを読み込み、[[Windows bitmap|デバイス独立ビットマップ]] (DIB) に[[レンダリング (コンピュータ)|レンダリング]]するのが基本的な仕組みである。プラグインの[[拡張子]]は"sph"(64ビット版用)<ref>64bit版は正式な仕様ではない</ref>、"spi"(32ビット版用)、"plg"(16ビット版用)。
このプラグインは仕様が公開されているため、有志によって多数制作されており、[[AVIF]]・[[WebP]]・[[JPEG 2000]]・[[Portable Network Graphics|PNG]]・[[JPEG]]・[[Graphics Interchange Format|GIF]]など広く使われている形式や、特定ソフトウェアの[[バイナリ]]データや[[コンピュータゲーム]]の[[データ]]に対応するものもある。また、画像の読み出し以外にも、コンバータプラグインや、[[アーカイブ (コンピュータ)|書庫]]ファイルをディレクトリと同じように扱えるようにするためのプラグインも存在する。中には動画や音楽の再生を可能にするものもある。
また、Susie Plug-inに対応した[[グラフィックソフトウェア]]も多く製作されている。しかし、Susie Plug-in対応を謳うソフトウェアの中には、プラグインとの互換性に問題があるものも一部に存在する。
== 脚注 ==
<references />
== 関連項目 ==
*[[ViX]]
*[[Linar]]
== 外部リンク ==
* [http://www.digitalpad.co.jp/~takechin/ Susieの部屋]
* [http://www2f.biglobe.ne.jp/~kana/ kana's Home Page]
* [http://www.asahi-net.or.jp/~kh4s-smz/ Shimitei's homepage]
* [https://web.archive.org/web/20011104192348/http://www5.ocn.ne.jp/~cronos/s/spic.html Susieプラグインかたろぐ]
[[Category:フリーウェア]]
[[Category:グラフィックソフトウェア]]
[[Category:画像ビューア]]
[[Category:1994年のソフトウェア]]
|
2003-09-21T11:03:59Z
|
2023-09-30T09:14:33Z
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[
"Template:Otheruses",
"Template:Infobox Software",
"Template:Cite web"
] |
https://ja.wikipedia.org/wiki/Susie
|
17,706 |
誘導電動機
|
誘導電動機(ゆうどうでんどうき、Induction Motor、IM)は、交流電動機の代表例である。 固定子の作る回転磁界により、電気伝導体の回転子に誘導電流が発生し滑りに対応した回転トルクが発生する。
入力される交流電源の種類によって、単相誘導電動機と三相誘導電動機に大別され、一般的には特別な工夫なしで回転磁界を得ることができる三相交流を用いる。
同じ交流電動機である同期電動機と比較して脱調することがないため、トルク変動の大きい負荷に向いている。 滑りによりトルクを得る原理上、過去においては回転速度の制御が困難になる点が欠点となっていた。しかし近年のパワーエレクトロニクスの発展でインバータ回路で回転数を自在に制御可能となったことで、欠点は解消されている。 回転子に電気的な接続が不要である。誘導電動機の回転子には巻線型とかご型がある。
かご形三相誘導電動機は、自己始動性、信頼性、経済性に優れているため、産業用駆動装置として広く使用されている。 単相誘導電動機は、扇風機などの家電製品のような小さな負荷に広く使用されている。誘導電動機は従来、固定速度で使用されてきたが、最近では可変周波数ドライブ(VFD)や可変電圧可変周波数制御(VVVF)と組み合わせて可変速度で使用することが増えている。 これらの制御方法で、トルク変動の大きい遠心ファン、ポンプ、コンプレッサーや、トルクと回転速度の変動幅が大きい鉄道車両などにおいて低コスト・高効率化が期待される。かご型誘導電動機は、固定速度と可変電圧可変周波数制御の両者で非常に広く使用されている。
1824年、フランスの物理学者のフランソワ・アラゴは回転磁界の存在でアラゴーの円板を作り、1879年この効果を利用してWalter Bailyが手動で回転を切り替える原始的な誘導電動機を作った。
ハンガリーの技術者オットー・ブラシーは無整流子単相交流誘導電動機を発明し、電力量計に使用した。
最初の交流無整流子電動機はガリレオ・フェラリスとニコラ・テスラによってそれぞれ独立して発明され、実動する電動機の模型が1885年、1887年に実演された。 テスラは1887年にアメリカの特許を出願して1888年5月にいくつかについて特許を取得した。 1888年4月Royal Academy of Science of Turin にフェラリスの交流多極電動機の運転の詳細に関する研究を出版した。
1888年5月、テスラは技術論文A New System for Alternating Current Motors and Transformers をアメリカ電気学会 (AIEE)に投稿した。 そのなかで4極固定界磁電動機について3形式を述べている。 1番目:4極回転子で自己起動できないリラクタンスモータ。 2番目:自己起動可能な誘導電動機。 3番目:回転子の界磁を励磁するために直流を供給する真の同期電動機。
当時、交流送電を開発していたジョージ・ウェスティングハウスは1888年にテスラの特許の権利を取得してフェラリスの誘導電動機の概念と合わせた。テスラは同様に1年間相談役を引き受けた。ウェスティングハウスはテスラの補助を目的として後にウェスティングハウスの誘導電動機の開発を引き継ぐことになるC. F. Scott(英語版)を雇用した。Mikhail Dolivo-Dobrovolsky(英語版)は1889年に信念をもってかご形誘導電動機と三相変圧器の開発を売り込んだ。しかしながら、彼はテスラの電動機は二相脈流なので実用的ではなく、彼の三相式の方が優れていると主張した。
1892年にウェスティングハウスが最初の実用的な誘導電動機を開発し、1893年に60ヘルツの多極誘導電動機を開発したものの、これらの初期のウェスティングハウスの電動機はB. G. Lamme(英語版)によって開発された回転軸に巻線を備えた二相式電動機だった。ゼネラル・エレクトリック (GE)は1891年に三相交流式電動機の開発を開始した。1896年以降、ゼネラルエレクトリックとウェスティングハウスは後にかご形回転子と称される棒巻線設計のクロスライセンスに同意した。Arthur E. Kennellyは初めて完全なサイン波 "i" (-1の平方根) の90°回転を交流問題の複素数解析に取り入れた。GEのチャールズ・プロテウス・スタインメッツは、今では常識になっている交流誘導電動機の等価回路 (Steinmetz equivalent) を導き出した。
誘導電動機はこれらの発明と革新により1897年当時に同じ寸法で7.5馬力だったものが今では100馬力を出せるようになった。
移動回転する磁極の中に電気的に閉じたコイルを置くと、電磁誘導による誘導電流により磁極の移動する方向に向かう力が生まれる。コイルを磁界の回転軸で固定するとコイルは結果として磁極の回転を追うかたちで回り出すことを利用する。
誘導電動機、同期電動機ともに、形成される磁界は電動機の固定子の電源交流に同期して回転している。同期電動機の回転子は固定子磁界と同じ速度で回転するが、誘導電動機の回転子は固定子磁界よりも(すべりによって)少し遅い速度で回転する。誘導電動機の固定子の磁界は、回転子に対して相対的に変化・回転していることになる。
誘導モータのロータ(実質的にはモータの2次巻線)が外部インピーダンスによって短絡または閉成されると、ロータに反対の電流が誘導される。回転する磁束は、変圧器の2次巻線に誘導される電流と同様に、ロータの巻線に電流を誘導し、これがロータに磁界を発生させ、ステータの磁界と反応する。生成される磁場の方向はレンツの法則に基づき、ローター巻線を流れる電流の変化に逆向きになる。ロータ巻線の誘導電流の原因は回転するステータの磁界であるため、ロータ巻線電流の変化に対抗するために、ロータは回転するステータ磁界の方向に回転を開始する。誘導されたローター電流とトルクの大きさが、ローターの回転にかかる機械的負荷と釣り合うまでローターは加速する。
誘導モーターは、同期機や直流機のように個別に励磁したり、永久磁石モーターのように自己消磁したりするのではなく、誘導によってのみ生み出される点が特徴的である。
同期速度で回転するとローターの誘導電流が発生しないため、誘導モーターは常に同期速度よりもわずかに遅い速度で動作する。実際の速度と同期速度の差を「すべり」と言うが、標準的なデザインBのトルク曲線を持つ誘導モーターでは、約0.5%から5.0%の範囲で変化する。
回転子電流が誘導されるためには、物理的な回転子の速度が固定子の回転磁界の速度よりも低くなければならず、そうでなければ磁界は回転子の導体に対して移動せず、電流は誘導されない。ロータの速度が同期速度以下になると、ロータ内の磁界の回転速度が上昇し、巻線に多くの電流が誘導され、より大きなトルクが発生する。このとき、ローターに誘起される磁界の回転速度とステーターの回転磁界の回転速度の比を「スリップ」と呼ぶ。負荷がかかると、回転数が下がり、スリップが大きくなって、負荷を回すのに十分なトルクが発生する。このため、誘導モーターは「非同期モーター」とも呼ばれる。
誘導モーターは、誘導発電機として使用することもできるし、巻き戻して直線運動を直接発生させることができるリニア誘導モーターにすることもできる。誘導モーターの発電モードは、残留磁化のみで始まるローターを励磁する必要があるため複雑である。この残留磁化は、負荷時にモーターを自励するのに十分な場合がある。そのため、モータを停止させて一時的に商用電源に接続するか、残留磁化によって最初に充電されるコンデンサを追加して、運転中に必要な無効電力を供給する必要がある。同様に、誘導電動機と力率補償用の同期電動機を並列にして運転する場合も同様である。系統に並列した発電機モードの特徴は、駆動モードに比べてローターの回転数が高いことである。誘導電動機発電機のもう一つの欠点は、大きな磁化電流I0=(20-35)%を消費することです。
電動機の始動時は回転速度が 0 すなわち、すべりはほぼ 1 である。誘導電動機は最大トルクを極大化するように設計されているため、回転子の電気抵抗は極めて低く、また、漏れリアクタンスは小さく設計されて。このことはすなわち始動時には力率の低い、大きな突入電流が流れることを意味する。小型の電動機では始動時間も短く突入電流も電源に与える影響も限られていることから直接全電圧を投入するじか入れ始動法を用いるが、中容量以上の電動機は起動トルクを犠牲にしながらも何らかの方法で入力電圧を下げて始動しなければならない。当然に起動時は軸負荷の軽減も同時に必要であるが、電動機にも外側に抵抗の大きな導体棒を、内部に抵抗の大きな導体棒を仕込んだ二重かご形回転子や、くさび形導体棒を用いた深みぞかご形回転子を用いることで回転子内部の漏れリアクタンスを大きく取り、始動時の回転子電流を表面に寄せて突入電流を抑える特殊かご形誘導電動機としている。
巻線形三相誘導電動機においては、スリップリングの先に可変抵抗器(二次抵抗と呼ぶ)を星型に繋ぎ、速度上昇とともに可変抵抗器の値を下げて始動する。二次抵抗を挿入することにより電流は制限されるとともに、負荷と釣り合う点のすべりを移動できるため、速度制御にも利用される。
可変電圧可変周波数制御における始動もまた、供給電圧・周波数ともに下げて始動する。
筒状の筐体の中に、円筒状の鉄心に軸方向に溝を刻み、巻線を収めて固定子にする。それと対向して回転軸に固定された円筒状の鉄心に同じく軸方向少し斜めに溝を刻み中に導体棒または巻線を収め、両端を短絡するか(かご形三相誘導電動機)、三組の巻線を星型に交差させ(巻線形三相誘導電動機)回転子を構成する。巻線に交流電流を流し回転磁界を発生させることで電動機として機能させるので構造的に単純でありまた、堅牢な構造を取れる。なお巻線で回転子を構成したものは回転子特性を変化させる目的でそれぞれの巻線の始端を短絡し、終端をそれぞれ軸上に設けたスリップリングという絶縁された導体環に接続し人工黒鉛製のブラシを通じて外部に引き出してある。漏れ磁束による損失を防ぐため固定子と回転子とは許容されるぎりぎりまで近づけてあるため、固定子と回転子とのすき間は同期電動機よりも狭い。
単相交流はそれ自身で回転磁界を作り出すことが出来ないが、軽負荷(おおむね 1 kW 程度)であれば回すことができる。三相誘導電動機では全周にわたって巻いてある固定子巻線を約 2/3 ほどに留めて単相巻線とし、別途、始動方法を必要とする。この巻線とずれたところ(通常は直交する場所)に補助巻線を巻き、コンデンサまたはコイルを用いて電流位相をずらして起動するか、短絡環の代わりに整流子を用いて起動トルクを得る(反発電動機)。
#歴史の節で紹介された Steinmetz による三相誘導電動機の一相分の等価回路を示す。回路パラメーターは次の組にて説明することができる。
このことは、固定子から回転子に電磁誘導にて伝わった電力のうち、すべり s {\displaystyle s} に相当する部分が回転子にて電気抵抗もしくは摩擦により消費され、残った ( 1 − s ) {\displaystyle (1-s)} が軸出力として得られることを示す。
一定電圧かつ一定周波数で運転される三相誘導電動機の特性は、すべり s {\displaystyle s} のみによって決定される。したがってトルクおよび回転数を変化させるためには電源周波数、極数、電源電圧、電動機インピーダンスのパラメーターを変更させることによって実現する。
固定子巻線の結線をつなぎ替え、4極の電動機を8極にすると回転数はほぼ半分になる。スイッチだけで速度制御ができるため極めて安価な制御法であり工作機械や従来型のエレベーターなど、現在でも用途は広い。
巻線形三相誘導電動機の二次抵抗を変えることにより電動機・負荷トルク曲線と釣り合う点のすべりを移動させて速度を制御することができる。これを二次抵抗制御と呼ぶ。 二次抵抗を取り払い、二次抵抗に掛かる電圧と、大きさも位相も同じ電圧を二次端子に与えても発生トルク・速度ともに変わらない。このことを利用し、二次端子から出る電圧を変えることにより速度制御できる。これを二次励磁法と呼び、二次端子から出る電力を動力に変換するクレーマ方式と、電力として送り返すセルビウス方式がある。
パワーエレクトロニクスの進歩により最も進化を遂げた誘導電動機の速度制御である。固定子巻線・回転子巻線ともに鎖交する磁束を一定としたとき、供給周波数と供給電圧とは比例関係にあることから、磁気飽和を避けるため、一般に V f {\displaystyle {\frac {V}{f}}} を一定に保つ制御がなされる。この制御ではほぼ定トルクモーターとして働き、負荷変動に対する速度変化も小さい。同期速度よりも低い周波数を与えると発電機として働くことから回生制動も使え、理想的な速度制御ができる。汎用的なモーターで使えるインバータ装置の普及により、構造が簡単で堅牢なかご形三相誘導電動機とインバータとの組み合わせは、エネルギー消費量削減の動きからも、また保守の面からも他の用途を凌駕しつつある。
|
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"text": "誘導電動機(ゆうどうでんどうき、Induction Motor、IM)は、交流電動機の代表例である。 固定子の作る回転磁界により、電気伝導体の回転子に誘導電流が発生し滑りに対応した回転トルクが発生する。",
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"text": "入力される交流電源の種類によって、単相誘導電動機と三相誘導電動機に大別され、一般的には特別な工夫なしで回転磁界を得ることができる三相交流を用いる。",
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"text": "かご形三相誘導電動機は、自己始動性、信頼性、経済性に優れているため、産業用駆動装置として広く使用されている。 単相誘導電動機は、扇風機などの家電製品のような小さな負荷に広く使用されている。誘導電動機は従来、固定速度で使用されてきたが、最近では可変周波数ドライブ(VFD)や可変電圧可変周波数制御(VVVF)と組み合わせて可変速度で使用することが増えている。 これらの制御方法で、トルク変動の大きい遠心ファン、ポンプ、コンプレッサーや、トルクと回転速度の変動幅が大きい鉄道車両などにおいて低コスト・高効率化が期待される。かご型誘導電動機は、固定速度と可変電圧可変周波数制御の両者で非常に広く使用されている。",
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"text": "回転子電流が誘導されるためには、物理的な回転子の速度が固定子の回転磁界の速度よりも低くなければならず、そうでなければ磁界は回転子の導体に対して移動せず、電流は誘導されない。ロータの速度が同期速度以下になると、ロータ内の磁界の回転速度が上昇し、巻線に多くの電流が誘導され、より大きなトルクが発生する。このとき、ローターに誘起される磁界の回転速度とステーターの回転磁界の回転速度の比を「スリップ」と呼ぶ。負荷がかかると、回転数が下がり、スリップが大きくなって、負荷を回すのに十分なトルクが発生する。このため、誘導モーターは「非同期モーター」とも呼ばれる。",
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"text": "可変電圧可変周波数制御における始動もまた、供給電圧・周波数ともに下げて始動する。",
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"text": "単相交流はそれ自身で回転磁界を作り出すことが出来ないが、軽負荷(おおむね 1 kW 程度)であれば回すことができる。三相誘導電動機では全周にわたって巻いてある固定子巻線を約 2/3 ほどに留めて単相巻線とし、別途、始動方法を必要とする。この巻線とずれたところ(通常は直交する場所)に補助巻線を巻き、コンデンサまたはコイルを用いて電流位相をずらして起動するか、短絡環の代わりに整流子を用いて起動トルクを得る(反発電動機)。",
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"text": "#歴史の節で紹介された Steinmetz による三相誘導電動機の一相分の等価回路を示す。回路パラメーターは次の組にて説明することができる。",
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"text": "一定電圧かつ一定周波数で運転される三相誘導電動機の特性は、すべり s {\\displaystyle s} のみによって決定される。したがってトルクおよび回転数を変化させるためには電源周波数、極数、電源電圧、電動機インピーダンスのパラメーターを変更させることによって実現する。",
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"title": "誘導電動機の速度制御"
}
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誘導電動機は、交流電動機の代表例である。
固定子の作る回転磁界により、電気伝導体の回転子に誘導電流が発生し滑りに対応した回転トルクが発生する。 入力される交流電源の種類によって、単相誘導電動機と三相誘導電動機に大別され、一般的には特別な工夫なしで回転磁界を得ることができる三相交流を用いる。 同じ交流電動機である同期電動機と比較して脱調することがないため、トルク変動の大きい負荷に向いている。
滑りによりトルクを得る原理上、過去においては回転速度の制御が困難になる点が欠点となっていた。しかし近年のパワーエレクトロニクスの発展でインバータ回路で回転数を自在に制御可能となったことで、欠点は解消されている。
回転子に電気的な接続が不要である。誘導電動機の回転子には巻線型とかご型がある。 かご形三相誘導電動機は、自己始動性、信頼性、経済性に優れているため、産業用駆動装置として広く使用されている。
単相誘導電動機は、扇風機などの家電製品のような小さな負荷に広く使用されている。誘導電動機は従来、固定速度で使用されてきたが、最近では可変周波数ドライブ(VFD)や可変電圧可変周波数制御(VVVF)と組み合わせて可変速度で使用することが増えている。
これらの制御方法で、トルク変動の大きい遠心ファン、ポンプ、コンプレッサーや、トルクと回転速度の変動幅が大きい鉄道車両などにおいて低コスト・高効率化が期待される。かご型誘導電動機は、固定速度と可変電圧可変周波数制御の両者で非常に広く使用されている。
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[[File:Silniki by Zureks.jpg|thumb|200 px|右の電動機は覆いを取り除いた事で空冷ファンが見える三相式空冷型誘導電動機 この三相式誘導電動機は内部が密閉されているので冷却は外装の冷却ひれに強制的に空気を送って冷却する]]
[[File:Rotterdam Ahoy Europort 2011 (14).JPG|thumb|200 px|三相交流誘導電動機のカットモデル]]
'''誘導電動機'''(ゆうどうでんどうき、Induction Motor、''IM'')は、[[交流電動機]]の代表例である。
[[固定子]]の作る[[回転磁界]]により、[[電気伝導体]]の[[回転子]]に[[誘導電流]]が発生し[[同期速度#滑り|滑り]]に対応した回転[[トルク]]が発生する。
入力される交流電源の種類によって、[[交流|単相]]誘導電動機と[[三相交流|三相]]誘導電動機に大別され、一般的には特別な工夫なしで回転磁界を得ることができる三相交流を用いる。
同じ交流電動機である[[同期電動機]]と比較して[[脱調]]することがないため、[[トルク]]変動の大きい[[負荷]]に向いている。
滑りによりトルクを得る[[原理]]上、過去においては[[回転速度]]の制御が困難になる点が欠点となっていた。しかし近年の[[パワーエレクトロニクス]]の発展で[[インバータ]][[電子回路|回路]]で回転数を自在に制御可能となったことで、欠点は解消されている。
回転子に電気的な接続が不要である。誘導電動機の回転子には巻線型とかご型がある。
[[かご形三相誘導電動機]]は、自己始動性、信頼性、経済性に優れているため、産業用駆動装置として広く使用されている。
[[単相誘導電動機]]は、扇風機などの家電製品のような小さな負荷に広く使用されている。誘導電動機は従来、固定速度で使用されてきたが、最近では可変周波数ドライブ(VFD)や[[可変電圧可変周波数制御]](VVVF)と組み合わせて可変速度で使用することが増えている。
これらの制御方法で、トルク変動の大きい[[送風機#遠心送風機|遠心ファン]]、[[ポンプ]]、[[圧縮機|コンプレッサー]]や、トルクと[[回転速度]]の変動幅が大きい[[鉄道車両]]などにおいて低コスト・高効率化が期待される。かご型誘導電動機は、固定速度と可変電圧可変周波数制御の両者で非常に広く使用されている。
== 歴史 ==
[[File:Tesla's induction motor.jpg|thumb|200px|[[ベオグラード]]のテスラ博物館に展示されているテスラの最初の誘導電動機の模型]]
[[File:Squirrel cage.jpg|thumb|200px|初期の[[かご形三相誘導電動機|かご形誘導電動機]]]]
1824年、フランスの物理学者の[[フランソワ・アラゴ]]は[[回転磁界]]の存在で[[アラゴーの円板]]を作り、1879年この効果を利用してWalter Bailyが手動で回転を切り替える原始的な誘導電動機を作った<ref name="Babbage (1825)">{{cite journal|last=Babbage|first=C.|author2=Herschel, J. F. W.|title=Account of the Repetition of M. Arago's Experiments on the Magnetism Manifested by Various Substances during the Act of Rotation|journal=Philosophical Transactions of the Royal Society|volume=115|issue=0|pages=467-496|doi=10.1098/rstl.1825.0023|url=https://archive.org/details/philtrans03806447/03806447/page/n0/mode/2up?view=theater|accessdate=2 December 2012|date=Jan 1825}}</ref><ref name="Thompson (1895)">{{cite book|last=[[Silvanus Phillips Thompson|Thompson]]|first=Silvanus Phillips|title=Polyphase Electric Currents and Alternate-Current Motors|year=1895|publisher=E. & F.N. Spon|pages=261|location=London|url=https://archive.org/details/polyphaseelectri00thomuoft/page/n5/mode/2up?view=theater|accessdate=2 December 2012|edition=1st}}</ref><ref name="Bailey (1879)">{{Cite journal|first=Walter|last=Baily|url=https://books.google.co.jp/books?id=85AOAAAAIAAJ&pg=PA286&lpg=PA286&redir_esc=y&hl=ja|title= A Mode of producing Arago's Rotation|date= June 28, 1879|journal=Philosophical magazine: A journal of theoretical, experimental and applied physics| publisher=Taylor & Francis}}</ref><ref name="Vuckovic (2006)">{{cite journal|last=Vučković|first=Vladan|journal=The Serbian Journal of Electrical Engineers|title=Interpretation of a Discovery|date=November 2006|volume=3|issue=2|url=http://www.doiserbia.nb.rs/img/doi/1451-4869/2006/1451-48690603202V.pdf|accessdate=10 February 2013}}</ref>。
ハンガリーの技術者オットー・ブラシーは無整流子単相交流誘導電動機を発明し、電力量計に使用した。
最初の交流[[無整流子電動機]]は[[ガリレオ・フェラリス]]と[[ニコラ・テスラ]]によってそれぞれ独立して発明され、実動する電動機の模型が1885年、1887年に実演された。
テスラは1887年にアメリカの特許を出願して1888年5月にいくつかについて特許を取得した。
1888年4月''Royal Academy of Science of Turin'' にフェラリスの交流多極電動機の運転の詳細に関する研究を出版した<ref name="Vuckovic (2006)"/><ref name="Ferraris (1888)">{{cite journal|last=Ferraris|first=G.|title=Atti della Reale Academia delle Science di Torino|journal=Atti della R. Academia delle Science di Torino|year=1888|volume=XXIII|pages=360-375}}</ref>。
1888年5月、テスラは技術論文''A New System for Alternating Current Motors and Transformers'' を''[[アメリカ電気学会]]'' (AIEE)に投稿した<ref name="Alger (1976)">{{cite journal|last=Alger|first=P.L.|author2=Arnold, R.E.|title=The History of Induction Motors in America|journal=Proceedings of the IEEE|year=1976|volume=64|issue=9|pages=1380-1383|doi=10.1109/PROC.1976.10329|accessdate=1 December 2012}}</ref><ref name="Froehlich (1992)">{{cite book|last=Froehlich|first=Fritz E. Editor-in-Chief|author2=Allen Kent Co-Editor|title=The Froehlich/Kent Encyclopedia of Telecommunications: Volume 17 - Television Technology to Wire Antennas|year=1992|publisher=Marcel Dekker, Inc.|location=New York|isbn=0-8247-2902-1|url=http://www.amazon.com/Froehlich-Kent-Encyclopedia-Telecommunications-Television/dp/0824729153#reader_0824729153|edition=First|accessdate=2 December 2012|page=36}}</ref><ref name="TEE (1888)">{{cite book|last=The Electrical Engineer|date=21 Sep 1888|title=. . . a new application of the alternating current in the production of rotary motion was made known almost simultaneously by two experimenters, Nikola Tesla and Galileo Ferraris, and the subject has attracted general attention from the fact that no commutator or connection of any kind with the armature was required. . . .|publisher=Charles & Co.|volume=Volume II|location=London|page=239|url=https://books.google.ca/books?id=_KvmAAAAMAAJ&pg=PA239&lpg=PA239&dq=The+electrical+engineer+1888+by+two+experimenters,+Nikola+Tesla+and+Galileo+Ferraris&source=bl&ots=O9MmzKi-0t&sig=GQS21Uaduwa2VUfA55rO7bx7LgM&hl=en&sa=X&ei=fdG6UMrVNImBywHy44AI#v=onepage&q=The%20electrical%20engineer%201888%20by%20two%20experimenters%2C%20Nikola%20Tesla%20and%20Galileo%20Ferraris&f=false}}</ref><ref name=Sravastava>{{cite journal|title=Electromagnetic Rotation with an Alternating Current|first=Galileo|last=Ferraris|journal=Electrican|volume=36|year=1885|pages=360-375}}</ref><ref name="Tesla (1888)">{{cite journal|last=Tesla|first=Nikola|author2=AIEE Trans.|pages=308-324|title=A New System for Alternating Current Motors and Transformers|journal=AIEE|year=1888|volume=5|url=http://www.tfcbooks.com/tesla/1888-05-16.htm|accessdate=17 December 2012}}</ref>。
そのなかで4極固定界磁電動機について3形式を述べている。
1番目:4極回転子で自己起動できない[[リラクタンスモータ]]。
2番目:自己起動可能な誘導電動機。
3番目:回転子の界磁を励磁するために直流を供給する真の[[同期電動機]]。
当時、交流送電を開発していた[[ジョージ・ウェスティングハウス]]は1888年にテスラの特許の権利を取得してフェラリスの誘導電動機の概念と合わせた<ref>[https://books.google.co.jp/books?id=2_58p3Z69bIC&pg=PT163&lpg=PT163&dq=%22While+Westinghouse+continued+to+survey+the+general+status+of+AC+motors%22&source=bl&ots=6T_5GZlrtX&sig=UqZBWY0jxZSRmrcTGje8g2C6agI&hl=en&redir_esc=y#v=onepage&q=%22While%20Westinghouse%20continued%20to%20survey%20the%20general%20status%20of%20AC%20motors%22&f=false Jill Jonnes, Empires of Light: Edison, Tesla, Westinghouse, and the Race to Electrify the World, Edison Declares War]</ref>。テスラは同様に1年間相談役を引き受けた。ウェスティングハウスはテスラの補助を目的として後にウェスティングハウスの誘導電動機の開発を引き継ぐことになる{{仮リンク|C. F. Scott|EN|Charles F. Scott (engineer)}}を雇用した<ref name="Alger (1976)"/><ref>[https://books.google.co.jp/books?id=ZOlQAAAAYAAJ&pg=PA340&dq=Charles+F.+Scott+tesla&hl=en&sa=X&ei=WV85UdDUNaiy0QHyiIHgAg&redir_esc=y#v=onepage&q=Charles%20F.%20Scott%20tesla&f=false Electrical World, Volume 78, No 7. page 340]</ref><ref name="Klooster (2009)">{{cite book|last=Klooster|first=John W.|title=Icons of Invention the Makers of the Modern World from Gutenberg to Gates.|publisher=ABC-CLIO|location=Santa Barbara|isbn=978-0-313-34744-3|url=https://books.google.co.jp/books?id=WKuG-VIwID8C&pg=PA305&lpg=PA305&dq=tesla+hired+by+westinghouse&source=bl&ots=KDI0aTz0EK&sig=oct2jnPyWkQ3qvUR-JmstK9F0FI&hl=en&sa=X&ei=jRwxUKK3LtS80QHjxoGYAg&sqi=2&redir_esc=y#v=onepage&q=tesla%20hired%20by%20westinghouse&f=false|date=30 July 2009 |page=305|accessdate=10 September 2012}}</ref><ref name="Day (1996)">{{cite book|last=Day|first=Lance |title=Biographical Dictionary of the History of Technology|year=1996|publisher=Routledge|location=London|isbn=0-203-02829-5|coauthors=McNeil, Ian; (Editors)|page=1204|accessdate=2 December 2012|url=https://books.google.ca/books?id=n--ivouMng8C&pg=PA1204&lpg=PA1204&dq=tesla+induction+motor+patent&source=bl&ots=CwZdCXFBMs&sig=yHtXcB6ukl3dO26c73h884URzsI&hl=en&sa=X&ei=1VpOUKCPAaLv0gGb14HwAw&redir_esc=y#v=onepage&q=tesla%20induction%20motor%20patent&f=false}}</ref>。{{仮リンク
|Mikhail Dolivo-Dobrovolsky|EN|Mikhail Dolivo-Dobrovolsky}}は1889年に信念をもって[[かご形三相誘導電動機|かご形誘導電動機]]と三相変圧器の開発を売り込んだ<ref>{{cite book|last=Hubbell|first=M.W.|year=2011|title=The Fundamentals of Nuclear Power Generation Questions & Answers.|publisher=Authorhouse|isbn=978-1463424411|url=http://www.amazon.com/Fundamentals-Nuclear-Power-Generation-Questions/dp/1463424418|page=27}}</ref><ref name="IEEE German Ch. (2012)">{{cite journal|last=VDE Committee History of Electrical Engineering IEEE German Chapter|title=150th Birthday of Michael von Dolivo-Dobrowolsky Colloquium|volume=13|date=January 2012|url=http://www.vde.com/de/fg/ETG/Arbeitsgebiete/Geschichte/Aktuelles/Seiten/150JMDD.aspx|accessdate=10 February 2013}}</ref>。しかしながら、彼はテスラの電動機は二相脈流なので実用的ではなく、彼の三相式の方が優れていると主張した<ref name="Dolivo-Dobrowolsky (1891)">{{cite journal|last=Dolivo-Dobrowolsky|first=M.|journal=ETZ|year=1891|volume=12|pages=149, 161}}</ref>。
1892年にウェスティングハウスが最初の実用的な誘導電動機を開発し、1893年に60ヘルツの多極誘導電動機を開発したものの、これらの初期のウェスティングハウスの電動機は{{仮リンク|B. G. Lamme|EN|Benjamin G. Lamme}}によって開発された回転軸に巻線を備えた[[二相式電動機]]だった<ref name="Alger (1976)"/>。[[ゼネラル・エレクトリック]] (GE)は1891年に三相交流式電動機の開発を開始した<ref name="Alger (1976)"/>。1896年以降、ゼネラルエレクトリックとウェスティングハウスは後にかご形回転子と称される棒巻線設計のクロスライセンスに同意した<ref name="Alger (1976)"/>。[[Arthur E. Kennelly]]は初めて完全なサイン波 "i" (-1の平方根) の90°[[回転 (数学)|回転]]を交流問題の[[複素数]]解析に取り入れた<ref name="Kenelly (1893)">{{cite journal|last1=Kennelly|first1=A. E.|title=Impedance|journal=Transactions of the American Institute of Electrical Engineers|date=Jan 1893|volume=X|pages=172-232|doi=10.1109/T-AIEE.1893.4768008|url=http://ieeexplore.ieee.org/xpl/login.jsp?tp=&arnumber=4768008&url=http%3A%2F%2Fieeexplore.ieee.org%2Fxpls%2Fabs_all.jsp%3Farnumber%3D4768008}}</ref>。GEの[[チャールズ・プロテウス・スタインメッツ]]は、今では常識になっている交流誘導電動機の[[等価回路]] (Steinmetz equivalent) を導き出した<ref name="Alger (1976)"/><ref name="Steinmetz (1897a)">{{cite journal|last=Steinmetz|first=Charles Porteus|title=The Alternating Current Induction Motor|journal=AIEE Trans|year=1897|volume=XIV|issue=1|pages=183-217|url=http://ieeexplore.ieee.org/stamp/stamp.jsp?tp=&arnumber=5570186|accessdate=18 December 2012}}</ref><ref name="Banihaschemi (1973)">{{cite book|last=Banihaschemi|first=Abdolmajid|title=Determination of the Losses in Induction Machines Due to Harmonics|year=1973|publisher=University of New Brunswick|location=Fredericton, N.B.|pages=1, 5-8|url=http://dspace.hil.unb.ca:8080/bitstream/handle/1882/44564/Thesis%20E%2054.pdf?sequence=4 }}{{リンク切れ|date=2022年6月}}</ref><ref name="Steinmetz (1897b)">{{cite book|last=Steinmetz|first=Charles Proteus|title=Theory and Calculation of Alternating Current Phenomena|year=1897|publisher=McGraw Publishing Company|author2=Berg, Ernst J.|url=http://openlibrary.org/books/OL7218906M/Theory_and_calculation_of_alternating_current_phenomena}}</ref>。
誘導電動機はこれらの発明と革新により1897年当時に同じ寸法で7.5馬力だったものが今では100馬力を出せるようになった<ref name="Alger (1976)"/>。
==動作原理==
[[File:Rotatingfield.png|thumb|三相電力の供給で回転磁界が誘導電動機内にできる]]
[[File:Asynchronmotor animation.gif|thumb|すべり現象では界磁の回転周波数と回転子の回転速度が一致しない]]
{{Seealso|アラゴーの円板}}
移動回転する[[磁極]]の中に電気的に閉じたコイルを置くと、[[電磁誘導]]による[[誘導電流]]により磁極の移動する方向に向かう力が生まれる。コイルを磁界の回転軸で固定するとコイルは結果として磁極の回転を追うかたちで回り出すことを利用する。
===三相電動機===
誘導電動機、同期電動機ともに、形成される磁界は電動機の固定子の電源交流に同期して回転している。同期電動機の回転子は固定子磁界と同じ速度で回転するが、誘導電動機の回転子は固定子磁界よりも(すべりによって)少し遅い速度で回転する。誘導電動機の固定子の磁界は、回転子に対して相対的に変化・回転していることになる。
誘導モータのロータ(実質的にはモータの2次巻線)が外部インピーダンスによって短絡または閉成されると、ロータに反対の電流が誘導される。回転する磁束は、[[変圧器]]の2次巻線に誘導される電流と同様に、ロータの巻線に電流を誘導し、これがロータに磁界を発生させ、ステータの磁界と反応する。生成される磁場の方向は[[レンツの法則]]に基づき、ローター巻線を流れる電流の変化に逆向きになる。ロータ巻線の誘導電流の原因は回転するステータの磁界であるため、ロータ巻線電流の変化に対抗するために、ロータは回転するステータ磁界の方向に回転を開始する。誘導されたローター電流とトルクの大きさが、ローターの回転にかかる機械的負荷と釣り合うまでローターは加速する。
誘導モーターは、同期機や直流機のように個別に励磁したり、[[永久磁石]]モーターのように自己消磁したりするのではなく、誘導によってのみ生み出される点が特徴的である。
* すべり
同期速度で回転するとローターの誘導電流が発生しないため、誘導モーターは常に同期速度よりもわずかに遅い速度で動作する。実際の速度と同期速度の差を「すべり」と言うが、標準的なデザインBのトルク曲線を持つ誘導モーターでは、約0.5%から5.0%の範囲で変化する。
回転子電流が誘導されるためには、物理的な回転子の速度が固定子の回転磁界の速度よりも低くなければならず、そうでなければ磁界は回転子の導体に対して移動せず、電流は誘導されない。ロータの速度が同期速度以下になると、ロータ内の磁界の回転速度が上昇し、巻線に多くの電流が誘導され、より大きなトルクが発生する。このとき、ローターに誘起される磁界の回転速度とステーターの回転磁界の回転速度の比を「スリップ」と呼ぶ。負荷がかかると、回転数が下がり、スリップが大きくなって、負荷を回すのに十分なトルクが発生する。このため、誘導モーターは「非同期モーター」とも呼ばれる。
* 発電機としての利用
誘導モーターは、誘導発電機として使用することもできるし、巻き戻して直線運動を直接発生させることができるリニア誘導モーターにすることもできる。誘導モーターの発電モードは、残留磁化のみで始まるローターを励磁する必要があるため複雑である。この残留磁化は、負荷時にモーターを自励するのに十分な場合がある。そのため、モータを停止させて一時的に商用電源に接続するか、残留磁化によって最初に充電されるコンデンサを追加して、運転中に必要な無効電力を供給する必要がある。同様に、誘導電動機と力率補償用の同期電動機を並列にして運転する場合も同様である。系統に並列した発電機モードの特徴は、駆動モードに比べてローターの回転数が高いことである。誘導電動機発電機のもう一つの欠点は、大きな磁化電流I0=(20-35)%を消費することです。
=== 三相誘導電動機の始動 ===
電動機の始動時は回転速度が 0 すなわち、すべりはほぼ 1 である。誘導電動機は最大トルクを極大化するように設計されているため、回転子の電気抵抗は極めて低く、また、漏れリアクタンスは小さく設計されて。このことはすなわち始動時には[[力率]]の低い、大きな[[突入電流]]が流れることを意味する。小型の電動機では始動時間も短く突入電流も電源に与える影響も限られていることから直接全電圧を投入する'''じか入れ始動法'''を用いるが、中容量以上の電動機は起動トルクを犠牲にしながらも何らかの方法で入力電圧を下げて始動しなければならない。当然に起動時は軸負荷の軽減も同時に必要であるが、電動機にも外側に抵抗の大きな導体棒を、内部に抵抗の大きな導体棒を仕込んだ二重かご形回転子や、くさび形導体棒を用いた深みぞかご形回転子を用いることで回転子内部の漏れリアクタンスを大きく取り、始動時の回転子電流を表面に寄せて突入電流を抑える特殊かご形誘導電動機としている。
巻線形三相誘導電動機においては、スリップリングの先に[[可変抵抗器]](二次抵抗と呼ぶ)を星型に繋ぎ、速度上昇とともに可変抵抗器の値を下げて始動する。二次抵抗を挿入することにより電流は制限されるとともに、負荷と釣り合う点のすべりを移動できるため、速度制御にも利用される。
可変電圧可変周波数制御における始動もまた、供給電圧・周波数ともに下げて始動する。
== 構造 ==
筒状の筐体の中に、円筒状の[[鉄心]]に軸方向に溝を刻み、巻線を収めて固定子にする。それと対向して回転軸に固定された円筒状の鉄心に同じく軸方向少し斜めに溝を刻み中に導体棒または巻線を収め、両端を短絡するか([[かご形三相誘導電動機]])、三組の巻線を星型に交差させ([[巻線形三相誘導電動機]])回転子を構成する。巻線に交流電流を流し回転磁界を発生させることで電動機として機能させるので構造的に単純でありまた、堅牢な構造を取れる。なお巻線で回転子を構成したものは回転子特性を変化させる目的でそれぞれの巻線の始端を短絡し、終端をそれぞれ軸上に設けた[[スリップリング]]という絶縁された導体環に接続し人工黒鉛製のブラシを通じて外部に引き出してある。[[漏れ磁束]]による損失を防ぐため固定子と回転子とは許容されるぎりぎりまで近づけてあるため、固定子と回転子とのすき間は同期電動機よりも狭い。
[[単相交流]]はそれ自身で回転磁界を作り出すことが出来ないが、軽負荷(おおむね 1 kW 程度)であれば回すことができる。三相誘導電動機では全周にわたって巻いてある固定子巻線を約 2/3 ほどに留めて単相巻線とし、別途、始動方法を必要とする。この巻線とずれたところ(通常は直交する場所)に補助巻線を巻き、[[コンデンサ]]または[[インダクタ|コイル]]を用いて電流位相をずらして起動するか、短絡環の代わりに[[整流子]]を用いて起動トルクを得る(反発電動機)。
== 等価回路 ==
<!-- 等価回路を英語版{{Cross-wiki language oldid|WP|en|790173321#Steinmetz equivalent circuit}} (2017-07-12T10:31:48)で使われた版より移入して加筆 -->
[[File:IMEQCCT.jpg|thumb|center|600px|Steinmetz の誘導電動機の等価回路(1相分)]]
[[#歴史]]の節で紹介された Steinmetz による三相誘導電動機の一相分の[[等価回路]]を示す。回路パラメーターは次の組にて説明することができる。
* [[固定子]]の直流抵抗 <math>R_s</math> および、漏れ[[リアクタンス]] <math>X_s</math>
* [[回転子]]の直流抵抗 <math>R_r</math> および、漏れリアクタンス <math>X_r</math>
* 回転子の一次側換算抵抗値および漏れインダクタンス(固定子から見た換算値) <math>R_r^{'}</math>, <math>X_r^{'}</math>
* すべり <math>s</math> ( <math> = \frac{n_s-n_r}{n_s}\,</math> )
:: ただし <math>n_s</math> : 固定子の回転数([[同期速度]])、<math>n_r</math> : 回転子の回転数
* 励磁インダクタンス <math>X_m</math>
このことは、固定子から回転子に電磁誘導にて伝わった電力のうち、すべり<math>s</math>に相当する部分が回転子にて電気抵抗もしくは摩擦により消費され、残った <math>( 1 - s )</math> が軸出力として得られることを示す。
== 誘導電動機の速度制御 ==
一定電圧かつ一定周波数で運転される三相誘導電動機の特性は、すべり<math>s</math>のみによって決定される。したがってトルクおよび回転数を変化させるためには電源周波数、極数、電源電圧、電動機インピーダンスのパラメーターを変更させることによって実現する。
=== 極数切り替え ===
固定子巻線の結線をつなぎ替え、4極の電動機を8極にすると回転数はほぼ半分になる。スイッチだけで速度制御ができるため極めて安価な制御法であり工作機械や従来型の[[エレベーター]]など、現在でも用途は広い。
=== 巻線形三相誘導電動機の速度制御 ===
巻線形三相誘導電動機の二次抵抗を変えることにより電動機・負荷トルク曲線と釣り合う点のすべりを移動させて速度を制御することができる。これを'''二次抵抗制御'''と呼ぶ。
二次抵抗を取り払い、二次抵抗に掛かる電圧と、大きさも位相も同じ電圧を二次端子に与えても発生トルク・速度ともに変わらない。このことを利用し、二次端子から出る電圧を変えることにより速度制御できる。これを二次励磁法と呼び、二次端子から出る電力を動力に変換する'''クレーマ方式'''と、電力として送り返す'''セルビウス方式'''がある。
=== 可変電源周波数制御 ===
{{Seealso|可変電圧可変周波数制御}}
[[パワーエレクトロニクス]]の進歩により最も進化を遂げた誘導電動機の速度制御である。固定子巻線・回転子巻線ともに鎖交する磁束を一定としたとき、供給周波数と供給電圧とは比例関係にあることから、[[飽和|磁気飽和]]を避けるため、一般に<math>\frac{V}{f}</math>を一定に保つ制御がなされる。この制御ではほぼ定トルクモーターとして働き、負荷変動に対する速度変化も小さい。同期速度よりも低い周波数を与えると発電機として働くことから[[回生制動]]も使え、理想的な速度制御ができる。汎用的なモーターで使える[[インバータ]]装置の普及により、構造が簡単で堅牢なかご形三相誘導電動機とインバータとの組み合わせは、エネルギー消費量削減の動きからも、また保守の面からも他の用途を凌駕しつつある。
==誘導電動機の分類==
* [[三相誘導電動機]]
** [[かご形三相誘導電動機]]
** [[巻線形三相誘導電動機]]
* [[単相誘導電動機]]
** [[分相起動型電動機]]
** 蓄電器(コンデンサ)起動型電動機
*** 常時コンデンサを接続したままの電動機を特に[[コンデンサモータ]]
** [[隈取磁極型誘導電動機]]
** [[反発起動型電動機]] <!-- 構造が整流子電動機であるため項を下げる -->
==仕様==
* 極数:固定子の磁極数。例えばN、Sが2組あれば4極である。
* 周波数:固定子巻線の交流の周波数。
* 同期速度:回転磁界の速度。
* 回転速度:回転子の速度。
* 相対速度:同期速度と回転速度の差。
* すべり:相対速度と同期速度との比。
* すべり周波数:回転子巻線の交流の周波数。
* トルク:固定子の電圧の二乗に比例する。
** 始動トルク:回転子の速度が0のときのトルク。
** 停動トルク:電動機を停止させずに取り出せる最大トルク。
== 参考文献 ==
{{Cite book|和書|author=中田高義 他|date=1984-9-20|title=電気機器 II|publisher=朝倉書店|series=電気・電子情報基礎シリーズ 7|ref="中田1984"}}
== 関連項目 ==
* [[突入電流]]
* [[可変電圧可変周波数制御]]
* [[誘導発電機]]
== 出典 ==
{{Reflist}}
== 外部リンク ==
{{Commons category|Induction motors}}
* [http://aungwin.htut.googlepages.com/inductionmotor2.jpg An induction motor drawing]
* [http://www.sandroronca.it/elettrotecnica/asincrono/camporotante0.html Rotating magnetic fields]: interactive, {{it icon}}
* [http://magrf.grf.hr/~mtodorov/tesla/build_3ph_induction.html Construct your squirrel cage induction motor], using povray
* [http://hyperphysics.phy-astr.gsu.edu/hbase/magnetic/indmot.html Induction motor topics] from Hyperphysics website hosted by C.R. Nave, GSU Physics and Astronomy Dept.
{{電動機}}
{{Normdaten}}
{{DEFAULTSORT:ゆうとうてんとうき}}
[[category:電動機]]
[[Category:イタリアの発明]]
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2003-09-21T11:04:45Z
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2023-10-30T22:46:11Z
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AA%98%E5%B0%8E%E9%9B%BB%E5%8B%95%E6%A9%9F
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17,707 |
XTension
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XTension(エクステンション)とは、DTPソフトQuarkXPressのためのプラグイン。XPressという名に合わせて、特にこの名を使う。
XTensionの追加によって、QuarkXPressは多彩な機能を実現できるが、ものによってはそのXTensionが無い環境でデータがうまく開けない・出力できない、エラーが生じるなどの問題が発生する場合がある。
索引作成のXTensionなどはアプリケーション本体に同梱されているが、以下に挙げたものは基本的にサードパーティーが開発し、販売しているものである。
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XTension(エクステンション)とは、DTPソフトQuarkXPressのためのプラグイン。XPressという名に合わせて、特にこの名を使う。 XTensionの追加によって、QuarkXPressは多彩な機能を実現できるが、ものによってはそのXTensionが無い環境でデータがうまく開けない・出力できない、エラーが生じるなどの問題が発生する場合がある。 索引作成のXTensionなどはアプリケーション本体に同梱されているが、以下に挙げたものは基本的にサードパーティーが開発し、販売しているものである。
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{{出典の明記|date=2023年1月4日 (水) 12:31 (UTC)}}
'''XTension'''(エクステンション)とは、[[DTP]]ソフト[[QuarkXPress]]のための[[プラグイン]]。''XPress''という名に合わせて、特にこの名を使う。
XTensionの追加によって、QuarkXPressは多彩な機能を実現できるが、ものによってはそのXTensionが無い環境でデータがうまく開けない・出力できない、エラーが生じるなどの問題が発生する場合がある。
[[索引]]作成のXTensionなどはアプリケーション本体に同梱されているが、以下に挙げたものは基本的にサードパーティーが開発し、販売しているものである。
==代表的な日本語XTension==
;Base&BOX:日本語組版のルールに則った編集作業を簡便化するツール群。文字数・行数によるレイアウト、字取り・行取りなどを操作するツールパレットが表示されるようになる。
;DragDrop:[[テキスト]]データや画像データを、ドラッグ&ドロップ操作で編集中のドキュメントに取り込むことを可能にするツール。
;Dr.カーニング:自動[[カーニング]]処理を可能にする。
;FLIGHT CHECK:プリフライト(=フライトチェッカー。出力前に問題点を検証する機能を持つ)ソフト。
;HX ボックスツール:テキストや画像ボックスの位置を簡単にコントロールできる。
;HX 下線革命:罫線としてでなく、文字に対する下線や囲み罫を実現する。文字に連動して動くため、訂正時の作業が簡便化されるが、出力環境でも同じXTensionが必要。
;HX 文字回転:縦組みドキュメント内で半角英数文字文字を扱うときに、そこだけを横組みで流すことができるようになるツール。
;MarkzTools:破損したファイルの復元や、上位バージョンのファイルを下位バージョンで開くなどの操作が可能。
;PressWorks:[[新聞]]特有の組版を行うためのツール。
;Rubi Manager:テキストデータに自動的にルビを付与するツール。
;Tableworks Plus:表組ができるようになる。(罫線の組み合わせで作表せずとも済む)
;字取り行取り:日本語組版で必須と言える、“何文字、何行で”という設定で、文字ボックスを外部制御で設定してくれるツール。
;写研コンバータ:QuarkXPressのデータを[[写研]]の[[組版]]機のデータ形式に変換する。
[[Category:DTPソフト]]
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https://ja.wikipedia.org/wiki/XTension
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労働市場
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労働市場(ろうどうしじょう、Labour market)は、労働力を商品として、需要と供給をめぐる取引がおこなわれる市場である。労働市場の存在は、資本主義の特徴の一つである。
労働市場では、需要と供給の調整は、賃金の調整で行われている。労働の超過供給とは、「失業」であり、失業とは「賃金の下方硬直性」と密接に結びついた現象である。
労働力人口(Labour force, Workforce)、経済的アクティブ人口(currently active population)とは、雇用者(一般雇用および軍人)および失業者であり、かつ以下の条件を満たす者である。
労働参加率(Labour force participation rate, LFPR)、労働力比率,労働力人口比率、経済的アクティブ率(Economic activity rate, EAR)とは、生産年齢人口(working age, 15-64歳)に占める労働力人口の割合である。
日本の労働市場は堅い解雇規制(これについては正規社員の解雇規制緩和論や整理解雇も参照)と企業風土によって硬直化しているが、技術職や専門職など社外でも技術をそのまま生かせる職能を持つ者は転職しやすく、またそれを求める需要も多く存在する。そのような職種はエンジニア(特にシステムエンジニア)やトレーダー、デザイナーなど多種多様である。
また近年では、リクナビやマイナビなどの登場により、「新卒採用の労働市場化」も顕著になってきている。
専門家によると、情熱によって労働市場を選ぶことが苦難になる理由は、情熱を持てる仕事はたいてい自分の専門分野だが、現在と将来の労働市場を考えると、就職先や給料などの状況が自分の専門分野と一致しないことが多いからだそうである。例えば、言語は平均的に女子の方が男子より得意だが、数学は女子も男子も同じであることが科学的に証明されている。そのため、女子は自分の得意な語学関係の仕事を選ぶ傾向があるが、その結果、比較的有利な数学関係の仕事は男子に取られてしまうのである。
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"text": "専門家によると、情熱によって労働市場を選ぶことが苦難になる理由は、情熱を持てる仕事はたいてい自分の専門分野だが、現在と将来の労働市場を考えると、就職先や給料などの状況が自分の専門分野と一致しないことが多いからだそうである。例えば、言語は平均的に女子の方が男子より得意だが、数学は女子も男子も同じであることが科学的に証明されている。そのため、女子は自分の得意な語学関係の仕事を選ぶ傾向があるが、その結果、比較的有利な数学関係の仕事は男子に取られてしまうのである。",
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労働市場は、労働力を商品として、需要と供給をめぐる取引がおこなわれる市場である。労働市場の存在は、資本主義の特徴の一つである。 労働市場では、需要と供給の調整は、賃金の調整で行われている。労働の超過供給とは、「失業」であり、失業とは「賃金の下方硬直性」と密接に結びついた現象である。
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'''労働市場'''(ろうどうしじょう、Labour market)は、労働力を[[商品]]として、需要と供給をめぐる取引がおこなわれる[[市場]]である。労働市場の存在は、[[資本主義]]の特徴の一つである。
労働市場では、需要と供給の調整は、賃金の調整で行われている<ref>野口旭 『ゼロからわかる経済の基礎』 講談社〈講談社現代新書〉、2002年、155頁。</ref>。労働の超過供給とは、「[[失業]]」であり、失業とは「賃金の下方硬直性」と密接に結びついた現象である<ref>野口旭 『ゼロからわかる経済の基礎』 講談社〈講談社現代新書〉、2002年、100-101頁。</ref>。
== 統計 ==
'''[[労働力人口]]'''(Labour force, Workforce)、'''経済的アクティブ人口'''(currently active population)とは、[[雇用者]](一般雇用および軍人)および[[失業者]]であり、かつ以下の条件を満たす者である<ref>OECD (2020), Labour force (indicator). doi: 10.1787/ef2e7159-en </ref>。
* 民間雇用:週に1時間以上働いている(または職についているが、病気・休暇といった理由で働いていない)。
* 失業者:現在仕事はないが、積極的に仕事を探しており、すぐに就業可能である。
'''労働参加率'''(Labour force participation rate, '''LFPR''')、'''労働力比率''','''労働力人口比率'''、'''経済的アクティブ率'''(Economic activity rate, EAR)とは、生産年齢人口(working age, 15-64歳)に占める労働力人口の割合である<ref>OECD (2020), Labour force participation rate (indicator). doi: 10.1787/8a801325-en</ref>。
[[File:OECD Labour force participation rate.svg|thumb|none|700px|OECD各国の労働参加率]]
== 日本における労働市場 ==
{{日本の雇用者}}
{{出典の明記|date=2020-08|section=1}}
日本の労働市場は堅い解雇規制(これについては[[正規社員の解雇規制緩和論]]や[[整理解雇]]も参照)と企業風土によって硬直化しているが、技術職や専門職など社外でも技術をそのまま生かせる職能を持つ者は転職しやすく、またそれを求める需要も多く存在する。そのような職種は[[エンジニア]](特に[[システムエンジニア]])や[[トレーダー]]、[[デザイナー]]など多種多様である。
また近年では、[[リクナビ]]や[[マイナビ]]などの登場により、「新卒採用の労働市場化」も顕著になってきている。
{{Main2|統計|労働力人口}}
== 労働市場とスキル ==
専門家によると、情熱によって労働市場を選ぶことが苦難になる理由は、情熱を持てる仕事はたいてい自分の専門分野だが、現在と将来の労働市場を考えると、就職先や給料などの状況が自分の専門分野と一致しないことが多いからだそうである。例えば、言語は平均的に女子の方が男子より得意だが、数学は女子も男子も同じであることが科学的に証明されている。そのため、女子は自分の得意な語学関係の仕事を選ぶ傾向があるが、その結果、比較的有利な数学関係の仕事は男子に取られてしまうのである<ref>{{Cite web|和書|title=Mindshift: Break Through Obstacles to Learning and Discover Your Hidden Potential |url=https://www.coursera.org/learn/mindshift |website=Coursera |access-date=2022-06-08 |language=ja}}</ref>。
== 脚注 ==
<references/>
==関連項目==
*[[労働経済学]]
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[[Category:市場]]
[[Category:労働経済学]]
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