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小杉駅 (富山県射水市)
小杉駅(こすぎえき)は、富山県射水市三ケ(さんが)にある、あいの風とやま鉄道線の駅である。 単式ホーム1面1線と島式ホーム1面2線、合計2面3線のホームを有する地上駅である。北口側1番線は下り線として、島式ホーム外側の3番線は上り線として使用されており、2番線はかつて優等列車待避のために普通列車が利用していた。駅西側には南北連絡地下道が設けられており、また両ホームと南口は跨線橋で結ばれている。 JR西日本時代にはみどりの窓口及び売店を有する駅であり、一部の優等列車が停車していた。経営移管後もみどりの窓口は北口に引続き設置されている。北口及び南口の窓口は直営(高岡駅の被管理駅)である。 近距離自動券売機は北口・南口ともに1台づつ設置されている。 南口は1996年(平成8年)の開設以来、自治体が委託する小杉駅サービスセンター運営振興会の簡易委託により運営されていたが、2019年(平成31年)4月1日よりあいの風とやま鉄道に移管された。 JR西日本時代、南口は19時30分から始発まで閉鎖されていたが、あいの風とやま鉄道に経営移管後は始発から終電まで開放されるようになった。但し、南口の待合室は防犯上の理由により、19時30分には閉鎖される。 また、JR西日本時代の2003年から2005年頃までの一時期、当時の小杉町の童謡の会から寄贈された童謡のCDを使って駅員が駅構内のスピーカーから童謡を流していた事があった。駅の利用者からは概ね好評だったが、2005年11月に市町村合併で射水市になったのを機に中止された。 JR西日本時代、あいの風とやま鉄道に経営移管後のしばらくは、2・3番線は「かっこうワルツ」、1番線は「メリーさんのひつじ」が使われていた。 2017年(平成29年)3月の新旅客案内システム導入に伴い、越中大門駅と共通で、射水ブランドを推進するイメージソング「イミズムズムズ♪」を射水市在住のシンセサイザー奏者・滝沢卓がアレンジしたものが到着メロディとして使用開始された。 当駅は国鉄分割民営化後も日本貨物鉄道の専用線発着車扱貨物取扱駅であったが、1996年(平成8年)7月25日にこれを廃止した。 1953年(昭和28年)10月10日付『鉄道公報』第1254号通報専用線一覧別表には当駅接続の専用線の記述はない。 1970年(昭和45年)10月1日現在における当駅接続の専用線は以下の通りであった。 2020年(令和2年)度の1日平均乗車人員は2,449人である。 『富山県統計年鑑』、『射水市統計書』及びあいの風とやま鉄道発表資料によると、各年度の1日平均乗車人員は以下の通りである。 駅の南側に大型ショッピングセンター「アル・プラザ小杉」が1996年(平成8年)11月30日に開業し、それに伴って南口が開設された。 富山地方鉄道バスと射水市コミュニティバスが北口や南口から発着する。 ※城端線直通列車(平日は2本 土曜は1本のみ運転)は城端線の項を参照のこと。
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小杉駅(こすぎえき)は、富山県射水市三ケ(さんが)にある、あいの風とやま鉄道線の駅である。
{{駅情報 |社色 = #00a556 |文字色 = |駅名 = 小杉駅 |画像 = Kosugi Station (7).jpg |pxl = 300px |画像説明 = 北口駅舎(2017年5月) |地図={{Infobox mapframe|zoom=14|frame-width=300|type=point|marker=rail}} |よみがな = こすぎ |ローマ字 = Kosugi |前の駅 = [[越中大門駅|越中大門]] |駅間A = 3.7 |駅間B = 6.6 |次の駅 = [[呉羽駅|呉羽]] |電報略号 = コス |駅番号 = |所属事業者 =[[あいの風とやま鉄道]]<ref name="hokuriku-chunichi-np-2015-3-19">高島碧(2015年3月19日). “1両増で混雑軽減 「あいの風」通勤ルポ”. [[北陸中日新聞]] (中日新聞社)</ref> |所属路線 = {{color|#00a556|■}}[[あいの風とやま鉄道線]] |キロ程 = 30.2&nbsp;km([[倶利伽羅駅|倶利伽羅]]起点)<br />[[金沢駅|金沢]]から48.0&nbsp;km<br />[[米原駅|米原]]から224.6 |起点駅 = |所在地 = [[富山県]][[射水市]]三ケ(錦町)4156-2 |座標 = {{coord|36|43|15.25|N|137|5|33.90|E|region:JP-16_type:railwaystation|display=inline,title}} |駅構造 = [[地上駅]] |ホーム = 2面3線 |開業年月日 = [[1899年]]([[明治]]32年)[[3月20日]] |廃止年月日 = |乗車人員 = 2,449 |乗降人員 = |統計年度 = 2020年 |乗換 = |備考 = [[日本の鉄道駅#直営駅|直営駅]]<br/>[[みどりの窓口]] 有 |備考全幅 = }} '''小杉駅'''(こすぎえき)は、[[富山県]][[射水市]]三ケ(さんが)にある、[[あいの風とやま鉄道線]]の[[鉄道駅|駅]]である。 == 歴史 == [[ファイル:昭和34年当時の北陸本線小杉駅.jpg|thumb|1959年(昭和34年)当時の北陸本線小杉駅駅舎]] * [[1899年]]([[明治]]32年)[[3月20日]]:[[日本国有鉄道|官設鉄道]]北陸線の[[高岡駅]] - [[富山駅]]間延伸時に[[日本の鉄道駅#一般駅|一般駅]]として[[射水郡]][[小杉町]]三ヶに開業する<ref name=":0">明治32年逓信省告示第90号(『官報』、1899年(明治32年)3月16日、内閣印刷局)</ref><ref name=":1">石野哲、『停車場変遷大事典 国鉄・JR編Ⅱ』、1998年(平成10年)10月、JTB</ref><ref>鉄道省編、『昭和十二年十月一日現在 鉄道停車場一覧』、1937年(昭和12年)12月、川口印刷所出版部</ref>。運輸営業開始と同時に小荷物の配達を取扱う<ref name=":0" />。 * [[1908年]](明治41年)[[11月3日]]:当駅 - 富山駅間に[[呉羽駅]]が開業する<ref>明治41年10月31日逓信省告示第1060号(『官報』、1908年(明治41年)10月31日、内閣印刷局)</ref>。 * [[1909年]](明治42年)[[10月12日]]:[[鉄道路線の名称|線路名称]]制定により、[[北陸本線]]所属駅となる<ref>明治42年鉄道院告示第54号(『官報』所収、1909年(明治42年)10月12日、内閣印刷局)</ref>。 * [[1911年]](明治44年):跨線橋完成<ref name="al">『写真アルバム 高岡・氷見・射水の昭和』(2018年2月20日、いき出版発行)132ページ。</ref>。 * [[1923年]]([[大正]]12年)[[10月15日]]:当駅 - 高岡駅間に越中大門駅が開業する<ref>大正12年鉄道省告示第225号(『官報』、1923年(大正12年)10月9日、内閣印刷局)</ref>。 * [[1958年]]([[昭和]]33年)[[9月29日]]:当駅 - 呉羽駅間が複線化する<ref name=":6">日本国有鉄道編、『日本国有鉄道百年史年表』、1972年(昭和47年)10月、日本国有鉄道</ref>。 * [[1964年]](昭和39年)[[8月24日]]:[[金沢駅]] - [[富山操車場]]間が交流電化する<ref name=":6" />。同時に跨線橋が架け替えられる<ref name="al" />。 * [[1965年]](昭和40年)[[7月5日]]:当駅 - [[越中大門駅]]間が複線化する<ref name=":6" />。 * [[1969年]](昭和44年)[[10月1日]]:営業範囲を改正し、手荷物及び小荷物の配達取扱を廃する<ref>昭和44年日本国有鉄道公示第309号(『官報』、1969年(昭和44年)10月1日、大蔵省印刷局)</ref>。 * [[1974年]](昭和49年)10月1日:営業範囲を改正し、旅客、荷物及び車扱貨物を取扱う駅となる<ref>昭和49年日本国有鉄道公示第208号(『官報』、1974年(昭和49年)9月29日、大蔵省印刷局)</ref>。 * [[1979年]](昭和54年)[[8月10日]]:新駅舎が竣工し、その供用を開始する<ref>「国鉄北陸本線小杉駅の新駅舎が近く完成」、『日本経済新聞』地方経済面北陸8頁、1979年(昭和54年)8月1日、日本経済新聞社</ref>。 * [[1984年]](昭和59年)[[2月1日]]:営業範囲を改正し、旅客、荷物及び専用線発着車扱貨物を取扱う駅となる<ref>昭和59年日本国有鉄道公示第174号(『官報』、1984年(昭和59年)1月30日、大蔵省印刷局)</ref>。 * [[1985年]](昭和60年)[[3月14日]]:営業範囲を改正し、[[チッキ|荷物]]の取扱を廃する<ref>昭和60年日本国有鉄道公示第181号(『官報』、1985年(昭和60年)3月12日、大蔵省印刷局9</ref>。 * [[1987年]](昭和62年) ** [[3月31日]]:営業範囲を改正し、旅客、荷物(但し新聞紙に限る)及び専用線発着車扱貨物を取扱う駅となる<ref>昭和62年日本国有鉄道公示第210号(『官報』、1987年(昭和62年)2月5日、大蔵省印刷局)</ref>。 ** [[4月1日]]:[[国鉄分割民営化]]により[[西日本旅客鉄道]]・[[日本貨物鉄道]]の駅となる<ref name=":1" />。日本貨物鉄道の駅は、専用線発着車扱貨物を取扱う<ref name=":1" />。 * [[1989年]]([[平成]]元年)[[3月15日]]:[[みどりの窓口]]開設<ref>『JR金沢支社、みどりの窓口増設』平成元年2月22日日本経済新聞地方経済面北陸</ref>。 *[[1990年]](平成2年)[[7月7日]]:当駅駅長角田義之と[[小松駅]]駅長土ケ端俊一が西日本旅客鉄道金沢支社において姉妹駅提携の調印式を挙行し、当駅と小松駅が姉妹駅となる<ref>「小杉駅 小松駅 手を携え共に地域発展を 姉妹駅の調印 JR西日本管内で初」、『富山新聞』(21面)、1990年(平成2年〉7月10日、富山新聞社</ref>。 * [[1996年]](平成8年) ** [[7月25日]]:日本貨物鉄道の駅を廃止する<ref name=":1" />。 ** [[12月20日]]:[[アル・プラザ小杉]]の開業に伴い、南口を設置する<ref>「JR小杉駅南改札口が開設 町サービスセンターも」、『北日本新聞』(24面)、1996年(平成8年)12月21日、北日本新聞社</ref>。 * [[2012年]](平成24年)[[9月27日]]:当駅待合室に小杉の特産品たる[[鏝絵]]を紹介する展示を設ける<ref>[http://webun.jp/item/1067370 鏝絵の小杉アピール 駅待合室にPRコーナー] - 2012年(平成24年)9月28日、北日本新聞</ref>。 * [[2014年]](平成26年)[[4月10日]]:当駅北口待合室に石崎勝紀製作の[[鏝絵]]を掲出する<ref>[http://webun.jp/item/1098954 おおなまずの鏝絵を小杉駅に移設] - 2014年(平成26年)4月10日、北日本新聞</ref>。 * [[2015年]](平成27年) ** [[3月14日]]:[[北陸新幹線]]金沢延伸開業に伴い、あいの風とやま鉄道の駅となる<ref name="hokuriku-chunichi-np-2015-3-15">広田和也、田嶋豊(2015年3月15日). “あいの風鉄道 3セク再出発 県内19駅「生活路線の役割果たす」”. [[北陸中日新聞]] (中日新聞社)</ref><ref name="hokuriku-chunichi-np-2015-3-19" />。 ** [[3月26日]]:[[ICカード]]「[[ICOCA]]」の供用を開始する<ref>{{Cite press release|和書|title=ICカードサービス開始日について |publisher=あいの風とやま鉄道株式会社 |date=2015-01-30 |url=http://ainokaze.co.jp/727 |accessdate=2015-07-10}}</ref>。 * [[2016年]](平成28年) ** [[1月6日]]:当駅より100キロ以上の片道乗車券を購入した者が使用できる[[パークアンドライド]]駐車場を開設する<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.city.imizu.toyama.jp/event-topics/svTopiDtl.aspx?servno=11581 |title=小杉駅・越中大門駅パークアンドライド駐車場サービスを開始します |access-date=2016-11-08 |publisher=射水市 |archive-url=https://web.archive.org/web/20161118223859/https://www.city.imizu.toyama.jp/event-topics/svTopiDtl.aspx?servno=11581 |archive-date=2016-11-08}}</ref>。 ** [[3月13日]]:当駅に鏝絵により制作された看板を設置する<ref>[http://webun.jp/item/7258617 小杉駅に「鏝絵」看板 現地で除幕式] - 2016年(平成28年)3月13日、北日本新聞</ref>。 * [[2019年]](平成31年)4月1日:南口の改札業務をあいの風とやま鉄道の直営とする<ref name=":7">[https://web.archive.org/web/20190331142749/https://www.hokkoku.co.jp/subpage/T20190331204.htm 小杉駅の南口改札業務移管 射水市からあいの風鉄道に] - 2019年(平成31年)3月31日、北國新聞社</ref>。 * [[2020年]]([[令和]]2年):地下道の照明をLED化を行った、階段の照明は色を変えることができ、新型コロナウイルス感染拡大への警戒を表す赤色に照らした時期もあった<ref>{{Cite web|和書|title=地下道歩けば旅気分 あいの風小杉駅 壁面に射水の風景・伝統(北日本新聞) |url=https://news.yahoo.co.jp/articles/9521ac32f822a3c7a8a3976ccb4b8c6609b7a274 |website=Yahoo!ニュース |accessdate=2022-04-10 |language=ja}}</ref>。 *[[2021年]](令和3年)[[5月9日]]:小杉駅北口に射水[[ロータリークラブ]]創立40周年事業として[[時計台]]が寄付された<ref>{{Cite news|title=小杉駅北口に時計台 射水RCが寄贈|北日本新聞ウェブ[webun ウェブン]|url=https://webun.jp/item/7754536|work=webun|accessdate=2021-09-03|language=ja}}</ref>。 *[[2022年]](令和4年)[[2月20日]]:[[射水市]]により駅の[[地下道]]を明るい雰囲気にしようと、市内の魅力的な風景などを紹介するフィルムを壁面に取り付けられた<ref>{{Cite web|和書|title=地下道歩けば旅気分 あいの風小杉駅 壁面に射水の風景・伝統(北日本新聞) |url=https://news.yahoo.co.jp/articles/9521ac32f822a3c7a8a3976ccb4b8c6609b7a274 |website=Yahoo!ニュース |accessdate=2022-04-10 |language=ja}}</ref>。 == 駅構造 == [[単式ホーム]]1面1線と[[島式ホーム]]1面2線、合計2面3線のホームを有する[[地上駅]]である<ref name=":3">郡司武編、『週刊朝日百科 JR全駅・全車両基地』43号、2013年(平成25年)6月、朝日新聞出版</ref>。北口側1番線は下り線として、島式ホーム外側の3番線は上り線として使用されており、2番線はかつて優等列車待避のために普通列車が利用していた<ref name=":3" />。駅西側には南北連絡地下道が設けられており、また両ホームと南口は[[跨線橋]]で結ばれている<ref name=":3" />。 JR西日本時代にはみどりの窓口及び売店を有する駅であり、一部の優等列車が停車していた<ref name=":3" />。経営移管後もみどりの窓口は北口に引続き設置されている<ref name=":4" />。北口及び南口の窓口は[[日本の鉄道駅#直営駅|直営]](高岡駅の被管理駅)である<ref name=":4" /><ref name=":7" />。 近距離自動券売機は北口・南口ともに1台づつ設置されている。 南口は1996年(平成8年)の開設以来、自治体が委託する小杉駅サービスセンター運営振興会の簡易委託により運営されていたが、2019年(平成31年)4月1日よりあいの風とやま鉄道に移管された<ref name=":7" /><ref name=":4">[http://ainokaze.co.jp/pc/pdf/use.pdf あいの風とやま鉄道 利用の手引き] - あいの風とやま鉄道</ref><ref name=":2">[http://webun.jp/item/7157161 「おつり多くない?」硬貨入れ間違え 小杉駅券売機] - 2015年(平成27年)2月2日、北日本新聞</ref><ref>[https://web.archive.org/web/20150209141138/http://www.westjr.co.jp/press/article/2015/02/page_6754.html 北陸線 小杉駅 自動券売機のつり銭が誤っていた事象について] - 西日本旅客鉄道</ref>。 JR西日本時代、南口は19時30分から始発まで閉鎖されていたが、あいの風とやま鉄道に経営移管後は始発から終電まで開放されるようになった。但し、南口の待合室は防犯上の理由により、19時30分には閉鎖される。 また、JR西日本時代の2003年から2005年頃までの一時期、当時の小杉町の童謡の会から寄贈された童謡のCDを使って駅員が駅構内のスピーカーから童謡を流していた事があった。駅の利用者からは概ね好評だったが、2005年11月に市町村合併で射水市になったのを機に中止された。 <gallery> Kosugi Station (6).jpg|北口駅舎本屋建物財産標 Kosugi Station (4).jpg|北口改札及び出札口 Kosugi Station (5).jpg|北口待合室 Hokurikuhonsen KosugiEkimae.JPG|北口駅前風景 Kosugi Station (12).jpg|南口駅舎 Kosugi Station (10).jpg|南口改札及び出札口 Kosugi Station (11).jpg|南口待合室 Kosugi Station (2).jpg|ホーム Kosugi Station (16).jpg|側線 </gallery> === のりば === {| rules="rows" class="wikitable" !番線<!-- 事業者側による呼称。2017年の旅客システム更新時に「○番線」呼称に変更 --->!!路線!!方向!!行先<ref name="timetable">[http://ainokaze.co.jp/pc/pdf/timetable_kureha.pdf 呉羽駅発車時刻表] - あいの風とやま鉄道(2015年4月14日閲覧)</ref>!!備考 |- ! 1 |rowspan=4| {{color|#00a556|■}}あいの風とやま鉄道線 |rowspan=2 style="text-align:center" | 下り |rowspan=2| [[富山駅|富山]]・[[魚津駅|魚津]]方面 | &nbsp; |- ! rowspan=2 | 2 | rowspan=2 | 一部の列車 |- |rowspan=2 style="text-align:center" | 上り |rowspan=2| [[高岡駅|高岡]]・[[金沢駅|金沢]]方面 |- ! 3 | &nbsp; |} * 2015年(平成27年)3月14日時点で2番線を使用する定期旅客列車は、1日につき上下2本ずつである。 === 到着メロディ === JR西日本時代、あいの風とやま鉄道に経営移管後のしばらくは、2・3番線は「かっこうワルツ」、1番線は「メリーさんのひつじ」が使われていた。 2017年(平成29年)3月の新旅客案内システム導入に伴い、越中大門駅と共通で、射水ブランドを推進するイメージソング「イミズムズムズ♪」を射水市在住のシンセサイザー奏者・滝沢卓がアレンジしたものが[[発車メロディ|到着メロディ]]として使用開始された<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.pref.toyama.jp/cms_pfile/00013225/00948183.pdf|title=新指令システム稼動に伴う利便性の向上について|accessdate=2016-12-30|author=あいの風とやま鉄道|date=2016-12-14|publisher=富山県|archiveurl=https://web.archive.org/web/20161230161458/http://www.pref.toyama.jp/cms_pfile/00013225/00948183.pdf|archivedate=2016年12月30日|deadlinkdate=2017年10月}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=http://www.pref.toyama.jp/cms_pfile/00013225/00948184.pdf|title=各駅の到着メロディの制作状況等について|accessdate=2016-12-30|author=あいの風とやま鉄道|date=2016-12-14|publisher=富山県|archiveurl=https://web.archive.org/web/20161230161502/http://www.pref.toyama.jp/cms_pfile/00013225/00948184.pdf|archivedate=2016年12月30日|deadlinkdate=2017年10月}}</ref>。 == 貨物取扱 == [[ファイル:昭和50年当時小杉駅周辺航空写真.jpg|thumb|1975年(昭和50年)9月6日当時の小杉駅周辺航空写真。国土地理院による撮影。]] 当駅は国鉄分割民営化後も日本貨物鉄道の専用線発着車扱貨物取扱駅であったが、1996年(平成8年)7月25日にこれを廃止した<ref name=":1" />。 1953年(昭和28年)10月10日付『鉄道公報』第1254号通報専用線一覧別表には当駅接続の専用線の記述はない<ref>名取紀之・瀧澤隆久編、『RM POCKET 11 トワイライトゾ~ン・マニュアルⅣ』、1995年(平成7年)10月、ネコ・パブリッシング</ref>。 1970年(昭和45年)10月1日現在における当駅接続の専用線は以下の通りであった<ref>日本国有鉄道貨物局編、『専用線一覧表 昭和45年10月1日』、1970年(昭和45年)、日本国有鉄道貨物局</ref>。 * 北酸線(通運事業者:日本通運、動力:国鉄動車及び手押、作業粁程:0.1粁、総延長粁程:0.1粁) * 笹谷工業線(真荷主:太陽興産、通運事業者:日本通運、動力:国鉄動車及び手押、作業粁程:0.1粁、総延長粁程:0.4粁) * 日本セメント線(動力:私有機関車、作業粁程:0.2粁、総延長粁程:0.3粁) == 利用状況 == [[2020年]](令和2年)度の1日平均[[乗降人員#乗車人員|'''乗車'''人員]]は'''2,449人'''である<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.pref.toyama.jp/documents/20180/20210615_17_02_02_2020ekibeturiyojyokyo.pdf|archiveurl=https://web.archive.org/web/20210617133103/https://www.pref.toyama.jp/documents/20180/20210615_17_02_02_2020ekibeturiyojyokyo.pdf|title=あいの風とやま鉄道(株) 1日当たり駅別乗車人員と輸送人員(2020年4月〜2021年3月)|archivedate=2021-06-17|accessdate=2021-06-17|publisher=あいの風とやま鉄道|format=PDF|language=日本語|deadlinkdate=}}</ref>。 『富山県統計年鑑』、『射水市統計書』及びあいの風とやま鉄道発表資料によると、各年度の1日平均'''乗車'''人員は以下の通りである<ref name=":5">{{Cite web|和書|url=http://www.pref.toyama.jp/cms_pfile/00013225/01005386.pdf|title=あいの風とやま鉄道H27年度利用状況等|publisher=あいの風とやま鉄道|format=PDF|date=2016-06-06|accessdate=2017-07-01}}</ref><ref>{{Cite web|和書|title=あいの風とやま鉄道 平成28年度 利用状況等|url=http://www.pref.toyama.jp/cms_pfile/00013225/01005409.pdf|publisher=あいの風とやま鉄道|format=PDF|date=2017-06-14|accessdate=2017-07-01}}</ref><ref>[http://www.pref.toyama.jp/sections/1015/lib/almanac/ 統計年鑑] - 富山県</ref><ref>[http://www.city.imizu.toyama.jp/guide/svguidedtl.aspx?servno=3009 統計書] - 射水市</ref>。 {| class="wikitable" style="text-align:right;" !年度 !1日平均<br>乗車人員 !出典 |- |1995年(平成{{0}}7年) |3,557 |<ref>平成7年富山県統計年鑑 108頁</ref> |- |1996年(平成{{0}}8年) |3,587 |<ref name="射水市統計H18">{{PDFlink|[http://www.city.imizu.toyama.jp/appupload/EDIT/001/001038.pdf 射水市統計書(平成18年度版)]}}</ref> |- |1997年(平成{{0}}9年) |3,609 |<ref name="射水市統計H18" /> |- |1998年(平成10年) |3,554 |<ref name="射水市統計H18" /> |- |1999年(平成11年) |3,557 |<ref name="射水市統計H18" /> |- |2000年(平成12年) |3,512 |<ref name="射水市統計H18" /> |- |2001年(平成13年) |3,414 |<ref name="射水市統計H18" /> |- |2002年(平成14年) |3,324 |<ref name="射水市統計H18" /> |- |2003年(平成15年) |3,174 |<ref name="射水市統計H18" /> |- |2004年(平成16年) |3,108 |<ref name="射水市統計H18" /> |- |2005年(平成17年) |3,130 |<ref name="射水市統計H18" /> |- |2006年(平成18年) |3,155 |<ref>{{PDFlink|[http://www.city.imizu.toyama.jp/appupload/EDIT/001/001010.pdf 射水市統計書(平成19年度版)]}}</ref> |- |2007年(平成19年) |3,172 |<ref>{{PDFlink|[http://www.city.imizu.toyama.jp/appupload/EDIT/000/000984.pdf 射水市統計書(平成20年度版)]}}</ref> |- |2008年(平成20年) |3,182 |<ref>{{PDFlink|[http://www.city.imizu.toyama.jp/appupload/EDIT/000/000959.pdf 射水市統計書(平成21年度版)]}}</ref> |- |2009年(平成21年) |3,090 |<ref>{{PDFlink|[http://www.city.imizu.toyama.jp/appupload/EDIT/010/010266.pdf 射水市統計書(平成22年度版)]}}</ref> |- |2010年(平成22年) |3,060 |<ref>{{PDFlink|[http://www.city.imizu.toyama.jp/appupload/EDIT/010/010234.pdf 射水市統計書(平成23年度版)]}}</ref> |- |2011年(平成23年) |3,047 |<ref>{{PDFlink|[http://www.city.imizu.toyama.jp/appupload/EDIT/021/021896.pdf 射水市統計書(平成24年度版)]}}</ref> |- |2012年(平成24年) |3,151 |<ref>{{PDFlink|[http://www.city.imizu.toyama.jp/appupload/EDIT/031/031072.pdf 射水市統計書(平成25年度版)]}}</ref> |- |2013年(平成25年) |3,174 |<ref>{{PDFlink|[http://www.city.imizu.toyama.jp/appupload/EDIT/040/040706.pdf 射水市統計書(平成26年度版)]}}</ref> |- |2014年(平成26年) |2,802<ref group="備考">2015年3月13日までの347日間の1日平均乗車人員は2,817人、3月14日から3月31日までの18日間の1日平均乗車人員は2,514人。365日間における1日平均乗車人員は2,802人である。</ref> |<ref>{{PDFlink|[http://www.city.imizu.toyama.jp/appupload/EDIT/050/050097.pdf 射水市統計書(平成27年度版)]}}</ref> |- |2015年(平成27年) |3,064 |<ref>{{PDFlink|[http://www.city.imizu.toyama.jp/appupload/EDIT/059/059408.pdf 射水市統計書(平成28年度版)]}}</ref> |- |2016年(平成28年) |3,110 |<ref>{{PDFlink|[http://www.city.imizu.toyama.jp/appupload/EDIT/068/068544.pdf 射水市統計書(平成29年度版)]}}</ref> |- |2017年(平成29年) |3,188 |<ref>{{PDFlink|[http://www.city.imizu.toyama.jp/appupload/EDIT/077/077654.pdf 射水市統計書(平成30年度版)]}}</ref> |- |2018年(平成30年) |3,251 |<ref>{{Cite web|和書|title=第13回あいの風とやま鉄道利用促進協議会(令和元年6月14日開催) |url=https://www.pref.toyama.jp/8001/kendodukuri/koukyou/koukyoukoutsuu/kj00013225/kj00013225-014-01.html |website=富山県 |access-date=2023-01-07 |language=ja |last=富山県}}</ref> |- |2019年(令和元年) |3,228 |<ref>{{Cite web|和書|title=第15回あいの風とやま鉄道利用促進協議会(令和2年6月※書面開催) |url=https://www.pref.toyama.jp/8001/kendodukuri/koukyou/koukyoukoutsuu/kj00013225/kj00013225-016-01.html |website=富山県 |access-date=2023-01-07 |language=ja |last=富山県}}</ref> |- |2020年(令和{{0}}2年) |2,449 |<ref>{{Cite web|和書|title=第17回あいの風とやま鉄道利用促進協議会(令和3年6月15日開催) |url=https://www.pref.toyama.jp/8001/kendodukuri/koukyou/koukyoukoutsuu/kj00013225-017.html |website=富山県 |access-date=2023-01-07 |language=ja |last=富山県}}</ref> |- |2021年(令和 3年) |2,748 |<ref>{{Cite web|和書|title=第19回あいの風とやま鉄道利用促進協議会(令和4年6月23日開催) |url=https://www.pref.toyama.jp/8001/kendodukuri/koukyou/koukyoukoutsuu/kj00013225/kj00013225-019-01.html |website=富山県 |access-date=2023-01-07 |language=ja |last=富山県}}</ref> |} ; 備考 {{Reflist|group="備考"}} == 駅周辺 == 駅の南側に大型ショッピングセンター「アル・プラザ小杉」が1996年(平成8年)11月30日に開業し<ref name="nissyoku-1996-12-9-4D">“平和堂が富山初進出、射水郡のSCにアルプラザ・小杉店を開店”. [[日本食糧新聞]](日本食糧新聞社). (1996年12月9日)</ref>、それに伴って南口が開設された<ref name=":2" />。 * [[小杉郵便局]]([[日本郵便]]小杉支店併設) * [[富山県立大学]]・[[富山県立大学短期大学部|短期大学部]] * [[富山福祉短期大学]] * [[富山情報ビジネス専門学校]] * [[富山県立小杉高等学校]] * [[射水市立小杉中学校]] * [[片山学園初等科]] * [[アル・プラザ小杉]] * [[太平洋セメント]]小杉サービスステーション == バス路線 == [[富山地方鉄道]]バスと[[射水市コミュニティバス]]が北口や南口から発着する<ref>[https://web.archive.org/web/20161108002823/http://www.chitetsu.co.jp/wp-content/themes/custom2/pdf/bus/teiryujyo_2016.pdf 乗合自動車 停留所表] - 富山地方鉄道</ref><ref>[http://www.city.imizu.toyama.jp/combus/images/20161001combus_jikokuhyo.pdf 射水市コミュニティバスきときとバス時刻表 平成28年10月1日ダイヤ改正] - 射水市</ref>。 ; 富山地方鉄道 * 「小杉」バス停(北口側。県道富山高岡線沿い) ** 高岡駅方面、富山駅方面、富山大学附属病院方面、新湊車庫方面、富山短大方面、高速バス山形・仙台ゆき、高速バス池袋・新宿ゆき * 「小杉駅前」バス停(北口側) ** 富山駅方面、富山大学付属病院方面、新湊車庫方面 * 「小杉駅南口」バス停(南口側) ** 富山短大方面、富山駅前方面(平日ラッシュ時の一部便のみ) ; 射水市コミュニティバス * 「小杉駅前」バス停(北口側) ** 7系統「新湊・小杉線」 ** 15系統「小杉駅・白石経由足洗線」 ** 16系統「小杉駅・本江経由足洗線」 * 「小杉駅南口」バス停(南口側)  ** 0系統「中央幹線」  ** 7系統「新湊・小杉線」 ** 8系統「大島・小杉経由大門線」 ** 9系統「浅井・大門経由小杉駅線」 ** 10系統「櫛田・大門経由小杉駅線」 ** 11系統「小杉駅・水戸田経由枇杷首線」 ** 12系統「小杉駅・金山線」 ** 13系統「小杉地区循環線」 ** 14系統「小杉駅・太閤山線」 ** 15系統「小杉駅・白石経由足洗線」 ** 16系統「小杉駅・本江経由足洗線」 == 隣の駅 == ※城端線直通列車(平日は2本 土曜は1本のみ運転)は[[城端線]]の項を参照のこと。 ; あいの風とやま鉄道 : {{color|#00a556|■}}あいの風とやま鉄道線 :: [[越中大門駅]] - '''小杉駅''' - [[呉羽駅]] == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Reflist|group="注釈"}} === 出典 === {{Reflist|2}} == 関連項目 == {{Commonscat}} * [[日本の鉄道駅一覧]] * [[小杉駅 (富山市)]] - 富山市小杉にある[[富山地方鉄道上滝線]]の駅。当駅とは約20km(直線距離で約15km)離れている。 == 外部リンク == * [https://ainokaze.co.jp/station/kosugi 小杉駅] - あいの風とやま鉄道 {{あいの風とやま鉄道線}} {{DEFAULTSORT:こすき}} [[Category:射水市の鉄道駅]] [[Category:日本の鉄道駅 こ|すき]] [[Category:あいの風とやま鉄道の鉄道駅]] [[Category:西日本旅客鉄道の廃駅]] [[Category:日本貨物鉄道の廃駅]] [[Category:日本国有鉄道の鉄道駅]] [[Category:北陸本線|廃こすきえき]] [[Category:1899年開業の鉄道駅]]
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1200年代
1200年代(せんにひゃくねんだい)は、
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1200年代(せんにひゃくねんだい)は、 西暦(ユリウス暦)1200年から1209年までの10年間を指す十年紀。本項で詳述する。 西暦1200年から1299年までの100年間を指す。13世紀とほぼ同じ意味であるが、開始と終了の年が1年ずれている。
{{Decadebox| 千年紀 = 2 | 世紀 = 13 | 年代 = 1200 | 年 = 1200 }} '''1200年代'''(せんにひゃくねんだい)は、 # [[西暦]]([[ユリウス暦]])1200年から1209年までの10年間を指す[[十年紀]]。'''本項で詳述する'''。 # 西暦1200年から1299年までの100年間を指す。[[13世紀]]とほぼ同じ意味であるが、開始と終了の年が1年ずれている。 == できごと == === 1203年 === {{main|1203年}} * [[源実朝]]、[[鎌倉幕府]][[征夷大将軍|将軍]]となる。第2代[[征夷大将軍|将軍]][[源頼家]]、[[伊豆国|伊豆]]に幽閉される。[[北条時政]]が初代[[執権]]に就任。 === 1204年 === {{main|1204年}} * 第4回[[十字軍]]、キリスト教国家[[東ローマ帝国]]の首都[[コンスタンティノポリス]]を攻撃、占領。[[東ローマ帝国]]がいったん断絶(-1261年)。 * [[伊賀国|伊賀]]・[[伊勢国|伊勢]][[平氏]]の叛乱([[三日平氏の乱 (元久元年)|三日平氏の乱]])。頼家殺される。 === 1205年 === {{main|1205年}} * [[藤原定家]]ら[[新古今和歌集]]編纂。 * [[北条義時]]が鎌倉幕府第2代執権に就任。 === 1206年 === {{main|1206年}} * [[チンギス・カン|チンギス・ハーン]]がモンゴルを統一。 * [[インド]]北部で[[奴隷王朝]]が成立。 === 1209年 === {{main|1209年}} * [[インノケンティウス3世 (ローマ教皇)|インノケンティウス3世]]、[[フランシスコ会|小さき兄弟会(フランシスコ会)]]を認可。 == 脚注 == '''注釈''' {{Reflist|group="注"}} '''出典''' {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} <!-- == 参考文献 == --> == 関連項目 == * [[十年紀の一覧]] * [[年表]] * [[年表一覧]] == 外部リンク == * {{Commonscat-inline}} * {{Commonscat-inline|Japan in the 1200s|日本の1200年代}} {{世紀と十年紀|千年紀=2|世紀=11|年代=1000}} {{History-stub}} {{デフォルトソート:1200ねんたい}} [[Category:1200年代|*]]
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600年
600年(600 ねん)は、西暦(ユリウス暦)による、閏年。
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{{年代ナビ|600}} {{year-definition|600}} == 他の紀年法 == * [[干支]] : [[庚申]] * [[日本]] ** [[推古天皇]]8年 ** [[皇紀]]1260年 * [[中国]] ** [[隋]] : [[開皇]]20年 * [[朝鮮]] ** [[高句麗]]:[[嬰陽王]]11年 ** [[百済]]:[[法王 (百済)|法王]]2年、[[武王 (百済)|武王]]元年 ** [[新羅]]:(王)[[真平王]]22年、(元号)[[建福 (新羅)|建福]]17年 ** [[檀紀]]2933年 * [[ベトナム]] : * [[仏滅紀元]] : * [[ユダヤ暦]] : {{Clear}} == カレンダー == {{年間カレンダー|年=600|Type=J|表題=可視}} == できごと == * [[日本]]が最初の[[遣隋使]]を送る * [[聖徳太子]]の命令で出された[[新羅]]征伐の兵が一時的に新羅を抑え、調を貢がせる事を約束させる。 * [[隋]]で、[[三階教]]が邪教とされ弾圧を受ける == 誕生 == {{see also|Category:600年生}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[アリー・イブン=アビー=ターリブ]]、[[イスラム教]]の第4代[[正統カリフ]]同教[[シーア派]]の初代イマーム。(+ [[661年]]) == 死去 == {{see also|Category:600年没}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[法王 (百済)|法王]]、[[百済]]の第29代[[王]] == 脚注 == '''注釈''' {{Reflist|group="注"}} '''出典''' {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} <!-- == 参考文献 == --> == 関連項目 == {{Commonscat|600}} * [[年の一覧]] * [[年表]] * [[年表一覧]] <!-- == 外部リンク == --> {{十年紀と各年|世紀=6|年代=500}} {{デフォルトソート:600ねん}} [[Category:600年|*]]
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661年
661年(661 ねん)は、西暦(ユリウス暦)による、平年。
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661年は、西暦(ユリウス暦)による、平年。
{{年代ナビ|661}} {{year-definition|661}} == 他の紀年法 == * [[干支]] : [[辛酉]] * [[日本]] ** [[斉明天皇]]7年 ** [[皇紀]]1321年 * [[中国]] ** [[唐]] : [[顕慶]]6年、[[龍朔]]元年 * [[朝鮮]] ** [[高句麗]]:[[宝蔵王]]20年 ** [[新羅]]:[[武烈王]]8年、[[文武王]]元年 ** [[檀紀]]2994年 * [[ベトナム]] : * [[仏滅紀元]] : * [[ユダヤ暦]] : {{Clear}} == カレンダー == {{年間カレンダー|年=661|Type=J|表題=可視}} == できごと == * [[1月27日]] - アリー・イブン・アビー=ターリブの{{仮リンク|アリーの暗殺|en|Assassination of Ali|label=死去}}により、イスラム教正統カリフが終焉。 * 5月[[白村江の戦い]]第一派出発:1万余人。船舶170余隻。指揮官は[[安曇比羅夫]]、[[狭井檳榔]]、[[朴市秦造田来津]]。[[豊璋王]]を護送する先遣隊。 * [[6月]](新羅国武烈王7年) - [[武烈王]](金春秋)が[[高句麗]]への遠征の途中で陣中にて死去。 * [[ムアーウィヤ]]が単独の[[カリフ]]となり、[[ウマイヤ朝]]がはじまる * [[百済]]の遺臣は[[鬼室福信]]・[[黒歯常之]]らを中心として百済復興の兵をあげ、倭国に滞在していた百済王の[[太子豊璋王]]を擁立しようと、倭国に救援を要請した。これは倭国が百済への影響力を増大させることを意味していたが、百済再興の為には古くからの同盟国である倭国の助けが不可欠だった。中大兄皇子はこれを承諾した。 === 日本 === * [[2月10日]](斉明天皇7年[[1月6日 (旧暦)|1月6日]]) - 斉明天皇、[[百済]]救済のため自ら船団に乗り筑紫へ出港 * [[2月12日]](斉明天皇7年[[1月8日 (旧暦)|1月8日]]) - 船団が備前の大伯海に停泊。[[大田皇女]]が[[大来皇女]]を出産。 * [[2月18日]](斉明天皇7年[[1月14日 (旧暦)|1月14日]]) - 船団が伊予の熟田津に寄港。[[額田王]]が歌を詠む * [[4月29日]](斉明天皇7年[[3月25日 (旧暦)|3月25日]]) - 船団が筑紫の那の大津に到着 * [[6月11日]](斉明天皇7年[[5月9日 (旧暦)|5月9日]]) - 斉明天皇、[[朝倉橘広庭宮|朝倉宮]]に布陣。周辺の神社を壊してその材木で宮殿を建てる * [[8月24日]](斉明天皇7年[[7月24日 (旧暦)|7月24日]]) - 斉明天皇崩御。第38代[[天皇]]・[[天智天皇]]が即位(称制) * [[11月4日]](斉明天皇7年[[10月7日 (旧暦)|10月7日]]) - [[天智天皇]]、亡き斉明天皇の遺体を[[難波]]へ葬送、[[挽歌]]を詠む * [[11月20日]](斉明天皇7年[[10月23日 (旧暦)|10月23日]]) - 斉明天皇の遺体が難波へ到着 * [[12月3日]](斉明天皇7年[[11月7日 (旧暦)|11月7日]]) - 斉明天皇の[[殯]]の儀が[[川原宮|飛鳥川原宮]]で始まる。 == 誕生 == {{see also|Category:661年生}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> *[[2月12日]](斉明天皇7年[[1月8日 (旧暦)|1月8日]]) - [[大来皇女]]、[[天武天皇]]皇女(+ [[702年]]) * [[元明天皇]]、第43代[[天皇]](+ [[721年]]) * [[陳子昂]]、[[唐]]の[[詩人]](+ 702年) * [[劉知幾]]、唐の歴史家(+ 721年) == 崩御・死去 == {{see also|Category:661年没}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[6月]] - [[武烈王]](金春秋)、第29代[[新羅]]王(* [[602年]]) * [[8月24日]](斉明天皇7年[[7月24日 (旧暦)|7月24日]]) - [[斉明天皇|皇極天皇(斉明天皇)]]、第35・37代[[天皇]](* [[594年]]) * [[アリー・イブン・アビー・ターリブ]]、[[イスラム教]]の第4代[[正統カリフ]]、同教[[シーア派]]の初代[[イマーム]](* [[600年]]頃) == 脚注 == '''注釈''' {{Reflist|group="注"}} '''出典''' {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} <!-- == 参考文献 == --> == 関連項目 == {{Commonscat|661}} * [[年の一覧]] * [[年表]] * [[年表一覧]] <!-- == 外部リンク == --> {{十年紀と各年|世紀=7|年代=600}} {{デフォルトソート:661ねん}} [[Category:661年|*]]
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656年
656年(656 ねん)は、西暦(ユリウス暦)による、閏年。
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656年は、西暦(ユリウス暦)による、閏年。
{{年代ナビ|656}} {{year-definition|656}} == 他の紀年法 == * [[干支]] : [[丙辰]] * [[日本]] ** [[斉明天皇]]2年 ** [[皇紀]]1316年 * [[中国]] ** [[唐]] : [[顕慶]]元年 * [[朝鮮]] ** [[高句麗]]:[[宝蔵王]]15年 ** [[百済]]:[[義慈王]]16年 ** [[新羅]]:[[武烈王]]3年 ** [[檀紀]]2989年 * [[ベトナム]] : * [[仏滅紀元]] : * [[ユダヤ暦]] : {{Clear}} == カレンダー == {{年間カレンダー|年=656|Type=J|表題=可視}} == できごと == * [[岡本宮|後飛鳥岡本宮]]を造営。その大規模な工事と多数の労働力の使用から「狂心の渠(たぶれごころのみぞ)」と揶揄される。 * 『[[隋書]]』の成立 * [[西明寺 (西安市)|西明寺]]の創建 == 誕生 == {{see also|Category:656年生}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[宋之問]]、[[中国]]の[[唐]]の詩人(+ [[712年]]) * [[中宗 (唐)|中宗]]、中国の唐の第4代[[皇帝]](+ [[710年]]) == 死去 == {{see also|Category:656年没}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[6月17日]] - [[ウスマーン・イブン・アッファーン]]、[[イスラーム]]第3代[[正統カリフ]](* [[574年]]) * [[10月3日]] - [[唐倹]]、[[中国]]の[[唐]]の[[軍人]](* [[579年]]) * [[崔義玄]]、中国の唐の[[軍人]]、[[儒学者]](* [[585年]]) == 脚注 == '''注釈''' {{Reflist|group="注"}} '''出典''' {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} <!-- == 参考文献 == --> == 関連項目 == {{Commonscat|656}} * [[年の一覧]] * [[年表]] * [[年表一覧]] <!-- == 外部リンク == --> {{十年紀と各年|世紀=7|年代=600}} {{デフォルトソート:656ねん}} [[Category:656年|*]]
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14,465
納豆
納豆(なっとう)は、煮る・蒸すなどして柔らかくした大豆を納豆菌によって発酵させた発酵食品。一般的に「糸引き納豆」を指す。菓子の一種である甘納豆とは異なる。世界各国に類似の食品が存在する(後述の「アジア」「アフリカ」参照)。 大豆を納豆菌で細菌発酵(「臭気」参照)させた発酵食品である。近年では健康食品としても注目を集めている。 和食の基本的な食材の1つとして日本全国の食品売り場で一年を通して安い値段で容易に手に入れることができる。 なお、「納豆」「納豆汁」などは冬の季語である。 他方、7月10日が「納豆の日」とされている。これは1981年、関西での納豆消費拡大のため、関西納豆工業協同組合がなっ (7) とう (10) の語呂合わせで制定したものであり、1992年、全国納豆工業協同組合連合会が改めて「納豆の日」として制定した。 納豆の発音が、納の呉音の慣用的発音である「ナッ」と、豆の漢音である「トウ」を合わせたものであり、呉音は仏教関係の語の発音に多く用いられている点から、寺院を通じて伝来したという説もある。平安中期の『新猿楽記』の中で「精進物、春、塩辛納豆」とあるのが初見で、この『新猿楽記』がベストセラーになったことにより、納豆という記され方が広まったとされる。また、納豆は精進料理として主に禅寺の納所(なっしょ、寺院の倉庫)で作られた食品で、これが名前の由来という説が『本朝食鑑』(1697年刊)という書物に載っている。納所に勤めていた僧侶が納豆作りをしていたので、納所の字をとって「納豆」になったという。ただし、『本朝食鑑』では、禅の伝来以前に『新猿楽記』に名があることから寺社起源説には疑問符をつけている。 その他の説としては、壺などに納めた、将軍に納めた、神様に納めたなど、「納めた豆」から納豆と呼ばれるようになったというものがある。また、伝統的な糸引き納豆は、大豆を煮たのを冷まして、稲藁を束ねた「苞(つと)」とよばれる包みの中に入れて製造されたことから、稲藁に納めた豆で「納豆」と呼ばれるようになったという説もある。 「本来は豆を腐らせた(発酵させた)ものが豆腐、型に納めたものが納豆だったが、両者が取り違えられた」という名称の由来が語られることがあるが、これは誤った俗説である。納豆が日本独自の言葉であるのに対し、豆腐は中国から伝来した食品であり中国でも豆腐と呼ばれており、取り違えられることはあり得ない。 大豆は縄文時代から栽培が開始されており、稲作も始まっていたが、納豆の起源がその頃まで遡るのかは不明である。糸引き納豆は、煮豆と藁の菌(弥生時代の住居には藁が敷き詰められていた。また炉があるために温度と湿度が菌繁殖に適した温度になる)がたまたま作用し、偶然に糸引き納豆が出来たと考えられているが、起源や時代背景については様々な説があり定かではない。 塩辛納豆は古い漢語では豉(し)と呼ばれ、中国大陸では紀元前2世紀頃の遺跡からも出土があり、今なお豆豉(トウチ)と呼ばれ、中華料理の重要な調味料である。中国では無塩発酵の淡豉(たんし)と加塩発酵の鹹豉(かんし)に分かれており、日本には鹹豉が奈良時代頃に伝来したとされ、元来は調味料の一種であった。豉は和名では「くき」と読まれており、古い史料では「久喜」(くき)の名で言及されている。正倉院文書の西暦770年(神護景雲4年)や771年(宝亀2年)の記録によれば、豉は末醤の2.5倍から4倍と高価な品だった。奈良時代の豉は、末醤や荒醤と同じく調味料だったと思われる。鑑真の伝記『唐大和上東征伝』(779年)には、経典とともに鹹豉を持ち込んだという記録がある。 平城京や平安京の木簡によれば、武蔵国や相模国で豉が生産され、貢物として都に送られていた。平安時代中期の『延喜式』の記述からは、豉が固形物である点、保存がきく点、乾燥した品である点、升などの容積で計った点などが分かる。『延喜式』には豉の製造法も記録されており、大豆と海藻を素材にしている。この豉は、現代の糸引き納豆に近いとする説もある。なお、「塩豉」のほかに「淡豉」という名のものがあったらしいが、これは平安時代以降に姿を消している。 納豆という語句が確認できる最古の書物は、11世紀半ば頃に藤原明衡によって書かれた『新猿楽記』である。同作中に「腐水葱香疾大根舂塩辛納豆」という記述があり、平安時代には納豆という言葉が既に存在していたことが確認できる。この記述の読み下しには諸説あるが(「舂塩辛」「納豆」、「舂塩」「辛納豆」、「大根舂」「塩辛納豆」、「辛納豆=唐納豆」など)、これが糸引き納豆を指すのか、または塩辛納豆を指すかなどについて複数の解釈がある。 北宋や南宋に渡航した仏教僧たちが塩辛納豆を持ち帰り、再度国内に紹介した。寺院内でも盛んに生産したことから、これらは寺納豆とも呼ばれるようになった。こうした伝統を持つものが今でも京都の大徳寺(大徳寺納豆)、天龍寺、一休寺や浜松の大福寺などで作り続けられており、名物として親しまれている。このうち浜松地方で作られる塩辛納豆は浜納豆の名称で販売されている。 南北朝時代、丹波山国荘の常照皇寺にいた光厳法皇が村人に藁包納豆(山国納豆)の製法を伝えた記録が残る。室町時代になると、糸引き納豆が広く知られるところとなり、日常食として消費されるようになるとともに、「納豆」という言葉もまず糸引き納豆を意味するように変化していったとされる。「納豆」の語で糸引き納豆を指したことが明らかな史料で、現存する最古のものは、15世紀の御伽草子『精進魚類物語』である。文中に、納豆を擬人化した武士「納豆太郎糸重」が登場する。他方で、主に調味料として用いられた塩辛納豆は、味噌にとって代わられるようになった。 戦国時代において、武将のたんぱく源やスタミナ源ともなっていた。 日本を訪れたイエズス会の宣教師が作った『日葡辞書』(1605年)には、「Natto(納豆)」や「Natto jiru(納豆汁)」も収録されている。料理書である『料理物語』(1635年)には、納豆汁に入れる具材として青菜や小鳥の肉、吸口としてカラシ、ユズ、ニンニクを挙げている。 江戸時代では、京都や江戸において「納豆売り」が毎朝納豆を売り歩いていたが、製法は容器に付着した納豆菌による自然発酵で行われていたため、不安定であったと考えられている。江戸時代後期の風俗や事物を記録した『守貞謾稿』には納豆について書かれており、大豆を煮て熟成させて作るとあり、醤油をかけて食べたり納豆汁として食べていた。江戸時代の風俗事典『人倫訓蒙図彙』に書かれた納豆売りは、叩納豆と呼ばれる叩いて平たくした納豆を青菜とともに売っており、手早く納豆汁が作れるように工夫されていた。 納豆は9月以降に売られる季節商品だったものが、次第に時期が早まって1年中売られるようになった。また、自家製の納豆が多かった頃は田畑の畦で畦豆と呼ばれる豆を育てて納豆の材料にしていた。 朝に納豆を売り歩く商売は、明治以降も続いた。学生、女性、老人が納豆売りになった他、子供が学校に行く前に働いて収入を得られる仕事でもあった。筆者未詳の『納豆考』(1873年-1883年)によれば、当初はザル(笊)に入れて笊納豆を売っていた。東京で納豆を売る際には、問屋から納豆を仕入れる他に、ザルを銭貨400文で借り、納豆を計る小升を銭200文で借りた。1873年(明治6年)頃から藁苞に入れた苞入納豆を売るようになり、笊納豆よりも安くて味がよかったとされる。 1894年の矢部規矩治による納豆の研究以降、数多くの研究が行われた。1918年に半澤洵が純粋培養した納豆菌によって安定的かつ衛生的な製造方法が報告され、1919年(大正8年)に「納豆容器審査改良会」を設立し、工場生産品の流通が始まった。 それを「大学納豆」と称して売り出し近代納豆の始まりとなる。「大学納豆」をいち早く取り入れてベンチャー企業を起こし、1920年(大正10年)に半澤式納豆製造の産業化を行ったのが宮城野納豆製造所(仙台市)の創設者で後の初代全国納豆協同組合連合会会長の三浦二郎である 。以降、納豆菌「宮城野株」は市販の納豆の始祖株となる三大株(宮城野株、高橋株、成瀬株)の内の一つ。 第二次世界大戦中は軍用食として、終戦後は日本人を救う栄養食として食べられ、日本に納豆が普及していった。常食される地域は長らく偏りがあった。1960年代以降の冷蔵輸送技術の発展と普及により流通量が拡大し、全国的に見られるようになった。 2007年1月7日に放送された教養番組『発掘!あるある大事典2』で、納豆の摂取はダイエットに効果があると大幅にデータを捏造して紹介されたことから、多くの店舗で一時品薄状態や売り切れになった。 血液凝固因子を作るのに不可欠なビタミンKや大豆由来のタンパク質が豊富であり、現在でも上質なタンパク質源とも言える。食物繊維は100グラム中に4.9 - 7.6グラムと豊富に含まれる。食物繊維はオリゴ糖等と共にプレバイオティクスと呼ばれる腸内環境に有用な成分であり、納豆菌はプロバイオティクスと呼ばれ、これも腸内環境に有用と考えられている。納豆には抗菌作用が認められ、抗生物質が見出される以前は、赤痢、腸チフス、病原性大腸菌などの増殖を抑制する作用があることから、腹痛や下痢の治療に用いられていた事がある。納豆に含まれるジピコリン酸は抗菌作用を有し、溶連菌、ビブリオ、病原性大腸菌などへの抗菌効果が認められている。また、納豆菌には虫歯菌や歯周病菌の働きを抑制する効果があるので虫歯や歯周病を予防する効果がある事が知られている。 納豆の摂取量が多いほど循環器疾患死亡リスクが低いとの報告がある。 納豆には血栓を溶かす酵素が含まれており、納豆から単離したナットウキナーゼを経口投与したイヌで血栓の溶解が観察されたという報告がある。 納豆に含まれるビタミンK2は骨タンパク質の働きや骨形成を促進することから、ビタミンK2を多く含む納豆が、特定保健用食品として許可されている。納豆を多く食べる習慣のある地方では、納豆をあまり食べない地方よりも骨折が少ないことが知られており、納豆に含まれるビタミンK2が骨折を予防する因子と考えられる。また、ポリグルタミン酸にはカルシウムの吸収促進効果があるため、納豆から抽出されたポリグルタミン酸が特定保健用食品として許可されている。納豆菌の一部には、安定した芽胞のまま腸内まで生きて到達してビフィズス菌を増やし腸内環境を正常化する効果があることから、そのような効果を持つ納豆が特定保健用食品として認可されている。 多くのマメ科植物の種子と同様に、ダイズ種子中には有毒なタンパク質性のプロテアーゼ・インヒビターやアミラーゼ・インヒビターやレクチンが含まれているため、生食はできない。そのため、加熱してプロテアーゼ・インヒビターやアミラーゼ・インヒビターを変性・失活させて消化吸収効率を上げている。なお、加熱してもプロテアーゼ・インヒビターの失活は十分ではないので、納豆菌などを繁殖させて納豆菌の分泌するプロテアーゼによってダイズ種子中のタンパク質を分解させると、タンパク質の消化吸収効率が増大する。 米飯食、米飯+大豆食、米飯+納豆食で食後血糖値を比較したところ、米飯+納豆食、米飯+大豆食、米飯食の順で血糖の上昇が少なかった。納豆の水溶性食物繊維や粘性の高い成分が血糖の抑制に貢献した可能性がある。 『本朝食鑑』には「腹中をととのえて食を進め、毒を解す」とあり、整腸作用は古くから知られている。これは、納豆菌が胃酸に耐えて腸まで生きたまま届くためである。 廃物も利用されている。ニワトリの飼料に加えることで、鶏卵のコレステロールを低減させることが報告されている。また、冷蔵庫で長期保存すると白いカビのような物が発生するが、これはチロシンというアミノ酸の一種で、風味は変化するが食べても差し支えはない。 イソフラボン (免疫力増強作用・ホルモンバランス正常化作用)、レシチン (整腸・抗菌殺菌効果)、サポニン (抗菌殺菌・高血圧・血栓予防)の効果がある。「納豆食うひと、色白美人」の諺(ことわざ)があるほど、納豆は整腸効果や満腹効果以外に、良質な栄養源であり健康に役立つ食品である。 必須元素のセレンが大量(234μg/100g)に含まれているとする説があるが、原料の大豆は含有量 17.8 μg/100g なので疑問がある。 納豆菌を使用して発酵させるため、納豆菌特有の発酵時の臭気がある。68種類のにおい成分から構成されている。代表的な「ピラジン」は、アーモンドやココア、パン、味噌・醤油、ほうじ茶にも含まれる臭気である。中には「アンモニア」成分も含まれており、発酵が進みすぎたり10°C以上で保管されていたりすると時間と共にアンモニア臭が強くなる。「わら納豆」は藁の臭気、経木で包んだものはその木の臭気が加わる。また、発酵室内で薫煙処理を行う場合もある。納豆を苦手とする人はこの臭気を理由に挙げることが多く、近年では臭気を抑えた製品も市販されている。 ビタミンK2は、抗凝血薬(ワルファリン)の作用を弱めることから、ワルファリン服用中は、納豆を食べないこと。 一般家庭でも納豆を作ることができる。必要なものは、十分に蒸したあるいは茹でた大豆と納豆菌(納豆そのもので代用可)と、納豆菌が生育する適度な温度(30 - 45°C)、適度な湿度、適度な時間(1 - 2日)、十分な酸素である。適度な温度や十分な時間や酸素がないと納豆にならず煮豆のままとなる。適度な湿度がないと乾燥大豆になり、過剰な時間だと腐敗同然のアンモニア臭に満ちることになる。 伝統的な納豆の作り方は、蒸した大豆を稲の藁苞(わらづと)で包み、40度程度に保温し約1日ほど置いておく。稲藁に付着している納豆菌が大豆に移行し、増殖することによって発酵が起こり、納豆ができあがる。日本における納豆の起源については、「聖徳太子が馬の飼料として残った煮豆を藁で包んで置いたら出来上がった」「後三年の役で農民が供出した煮豆の藁包みが、糸を引きつつ良い香りを放ち始めたので食べられるようになった」「文禄・慶長の役の際に俵詰めした煮豆が載せていた馬の体温で発酵した」 といった伝説があり、いずれも藁についた納豆菌による自然発酵が契機になっている。 納豆用の藁には一定の長さと品質が求められ、手作業で丁寧に刈り取った稲をおだ掛けした自然乾燥させた物が必要となるが、こうした農家は機械化や高齢化で激減している。米価の下落や飼料用米への転作などもあり、藁不足が深刻になっている。このため水戸市と納豆メーカーが稲藁確保のための協議会を設立し、加工機材の貸し出しなどに取り組む。 大量生産の要求に応えるため、純粋培養した納豆菌を用いる製造が主流である。衛生的で近代的な工場生産の手法を確立したのは半澤洵で、半澤は1930年代に研究を重ね納豆菌の純粋培養法と衛生的で安定した納豆の製造方法を確立した。 蒸した大豆に純粋培養した納豆菌の分散液をかける。次いでこれを発泡スチロール容器や紙パックに充填し40-42°Cで6時間程度保温すると納豆菌の増殖に伴う発酵熱で温度が上昇し、18-24時間経過後、冷却により発酵を停止させる。流通段階でのアンモニア増加を抑制するため10°C以下に保ち、食品衛生法など必要な法令により求められる表示が行われ出荷される。 製法にかかわらず、「販売する食料品」として納豆を製造するには、食品衛生法に基づき都道府県知事(保健所を設置する市では市長、特別区では区長)の許可が必要である。市販の納豆の大部分は、上述のように純粋培養した納豆菌を種菌として用いる製法によって製造されている。 こうした純粋培養の種菌を使った納豆を伝統食品らしさを演出するため稲藁で包んだ製品以外に、稲藁に付着している納豆菌を用いた伝統的な製法による納豆も少ないながら製造され、流通している。この製法での納豆菌は耐熱性の高い芽胞となって藁に付着しており、沸騰している湯に数分浸すと他の雑菌は大部分が煮沸されて死滅し、納豆菌芽胞が生き残る。その後、茹でた大豆を藁と接触させ37~42°Cに保つと、納豆菌は芽胞から発芽し増殖を始める。そして、その旺盛な繁殖力で、死滅を逃れた他の芽胞菌類に先んじて栄養となる物質を消費し、他の微生物の繁殖を阻む。 日本国内で流通する市販品は、食品としての基準に適合するよう衛生管理され製造されている。なお、敢えて自家で納豆を作ることを試みる場合には、いくつかの留意点がある。納豆菌は酸にはやや弱く、乳酸菌の活動によって生まれる乳酸によって活動が阻害されることがある。また技術開発の結果普及した臭気の弱い種の納豆では、活動がさほど旺盛ではない菌株が用いられており、環境によっては雑菌が繁殖する余地がある。また、納豆菌の天敵として細菌寄生性ウイルスのバクテリオファージがあり、ファージ活動後に雑菌が繁殖することもありうる。特に納豆菌繁殖前の茹でた大豆には雑菌が極めて繁殖しやすい。厳格な衛生管理が行える工場生産の場合と異なり、自家製の場合は管理が甘くなりがちであるため、食用に供するには衛生面での配慮が必要である。発酵中にファージが活動した場合は糸引きが弱いので、仕上がりに少しでも違和感を感じた場合にはすぐに廃棄するべきである。 いわゆる納豆ご飯として、白米を炊いたご飯に納豆を載せて一緒に食べることが多い。この食べ方も江戸時代から既に普及していたとされている。 納豆を叩き刻んで味噌汁に入れた納豆汁は、江戸時代までは納豆ご飯よりも頻繁に食卓に上っていた。そば、うどん、カレーライス、ラーメン、チャーハン、和風スパゲッティのトッピング、お好み焼きやオムレツ、焼き餅の具、納豆巻きや軍艦巻の寿司ネタ、天ぷらのタネなどとしても用いられる。 納豆をパンにのせる・袋状のパン(ピタ)に入れる・挟む等の方法で食べることも、いわゆる納豆パン、納豆トーストといった食べ方もある。 醤油やめんつゆ等のタレの他、和ガラシを加える食べ方が一般的。薬味として鶏卵やウズラの卵、ネギ、ミョウガ、大根おろし、とんぶり、削り節、海苔、青海苔などを合わせて食べることも多い。ヤマノイモやナガイモ(とろろ)、メカブ、ギバサ、オクラ、なめ茸など、納豆同様に粘り気がある食品と混ぜることも行われる。 ネギやからしを加えると納豆のアンモニア臭を抑える効果があり、優れた薬味ともいえる。ネギやからしを途中で加えずに、蕎麦のネギやワサビと同様に最後に少しだけ載せたり、からしの代わりにワサビを載せたりする場合もある。 北海道や東北地方では、醤油に上白糖を混ぜて甘だれ風にしたものを使用する地域がある。納豆に砂糖を加えると粘りが増す。市販の納豆の添付たれは、ほとんどのメーカーで醤油やめんつゆに砂糖を添加した物が使われている。 福島県の一部では白菜の漬物を入れる風習がある。野沢菜漬などを混ぜて食べられることもある。漬物に含まれる乳酸はアンモニアを中和し、臭いを抑えて食べやすくする効果がある。 主にスーパーマーケットやコンビニエンスストアなど、冷蔵施設を備える食料品売り場で広く売買されている。納豆の自動販売機も存在する。茨城県や埼玉県川越市などでは土産物(名産品)として販売している場合もある。かつては「納豆売り」と呼ばれる行商人が納豆を売り歩く振り売りなどが盛んであった。売り声は「なっと〜〜、なっと〜〜(語尾をあげる)」というものであった。 藁苞納豆は明治時代の東京で派生したもので、経木納豆は大正期以降に行われていた。 1960年代以降は、流通面で効率的なことなどから、一般的には発泡スチロール容器が使われている。発泡スチロール容器は積み重ねられる形状になっていて、2 - 4つを1セットとして売られている場合も多い。また、納豆を容器に入れたままかき混ぜて糸を引くことができるように、底に凹凸が付けられるなどの工夫もなされている。発泡スチロール容器の普及は納豆の消費拡大に大きく貢献した。ただし、藁に比べると通気性が悪く、また納豆の臭い成分を吸着しにくいために、納豆独特の臭いがこもって強くなる傾向がある。こうした風味の違いや、「自然食品」的なイメージから、一部の高級品や自然志向の商品、土産物では現在でも藁や経木を使う場合がある。 からしと納豆用のタレが付属することも多い。 なお、2008年にはミツカンが新改良の発泡スチロール容器の製品を発売した。これは同梱のタレを従来の液状袋入りからゼリー状にして容器内の小室に直接注入したもので、納豆とタレ袋を分離するフィルムを無くして通気性を向上させると共にタレとの混合を容易にしていた。しかし、ゼリー状のタレが溶けづらい、納豆のスペースが狭く混ぜにくい等の問題点もあり、2012年からは蓋に液体タレを内包させ、蓋を折って投入する新方式に変更している。 粒の大きさによって種類があり、大粒>中粒>小粒>極小粒>超極小粒>ひきわりの順で小さくなる。原料となる大豆の粒の大きさについては農林水産省の農産物規格規程によって下表の通りに定められており、丸目のふるいを使って振り分ける。なお、超極小粒については規格規定にない。 全国納豆協同組合連合会が2005年に実施した消費者アンケート調査では、粒の大きさとして小粒を好む人の割合がおおむね高い (40%) ものの、特にこだわらないという人も一定数存在する (25%)。 茨城県で水戸納豆づくりが盛んになったのは、江戸時代に水戸藩が作付けを奨励した、台風襲来前に収穫できる早生大豆が小粒で、豆腐・味噌には使いにくかったためとされる。 碾き割り、即ち砕いた大豆を発酵させることによって作られる納豆。ひきわり納豆に対し、割っていない大豆を使った納豆は「つぶ納豆」(粒納豆)または「丸大豆納豆」と呼ばれる。ひきわり納豆はつぶ納豆に比べてポリグルタミン酸は少ないが発酵が早く、消化にも良いとされる上、カルシウムを効率的に吸収する役割のビタミンKが豊富である。つぶ納豆を刻んだような形状をしていることから、発酵後に納豆を刻んだものと誤解されることがあるが、実際は発酵以前の浸水前に大豆を砕いている。 秋田県など北東北では古くからひきわり納豆が作られていた。他地方ではひきわりは「くず豆」の印象が強く敬遠されていたが、現在では糸引き納豆の一種として普及している。 塩辛納豆もしくは寺納豆・浜納豆とは、現在一般的な糸引き納豆との区別をつけるための便宜上の名称である。現在「納豆」といえば納豆菌を発酵させたいわゆる糸引き納豆を指すのが一般的だが、糸引き納豆が登場したのは中世以降のことであり、それ以前の定義で「納豆」とは、麹菌を使って発酵させた後に乾燥・熟成させたものであった。製法も風味も黒味噌や醤(ひしお)に近い。日本伝来前のものは今でも中国大陸で豆豉として存在している。豆醤(まめびしお)、麹納豆(こうじなっとう)、醤納豆・干塩納豆(ひしおなっとう)とも呼ばれる。 なお、山形県などの東北地方の一部には、糸引き納豆に麹と塩を混ぜて発酵させた(一般的に想像される「塩辛」に似た)「五斗納豆」というものも存在する。食べ方は魚介類の塩辛と同じように、ご飯のお供やお茶漬けの具として用いる。一部の産地では雪が降る季節に熟成させることで低温発酵させているものがあり風味が少し異なる。これは「雪割納豆」と呼ばれる。 山形県酒田市の塩納豆、熊本県の金山寺納豆などローカル色に富んだ納豆もある。 枯草菌によって大豆を発酵させた食品は、日本の糸引き納豆に相当するものから乾燥させたものまで、様々な形状や調理法がある。これらの食品は、大豆様発酵食品、無塩発酵大豆食品、大豆利用発酵食品などとも呼ばれる。 東南アジア、ヒマラヤ地域、西アフリカでは、納豆あるいは乾燥納豆と似た発酵食品が製造されている。日本の納豆は常温ではかなり早く発酵作用が進む(冷蔵ではその限りではなく、また冷凍も可能)ため、短期間で風味が落ちる場合もあるが、以下の各地域の発酵食品は長期保存が可能なものもある。 納豆は「世界の臭い食べ物」にもしばしば選出されており、納豆が持つ臭いとネバネバした食感に対して、欧米人からは「かなり食べにくい」との声が聞かれる。他方で納豆を好む欧米人も多く、かつ増えつつあり、類似した発酵食品がほとんどないセルビア出身のドラガン・ストイコビッチのような熱烈な納豆ファンもいる。 骨にカルシウムを与えて強固にするビタミンK2などのビタミン類やミネラル(マグネシウムなど)、食物繊維、腸に良い乳酸菌、蛋白質が含有されている。骨にも良く、免疫力を高める健康食である。長寿国日本の長生きの秘訣として、各国の健康志向の高まりにともない、国外でも臭いを弱めたものなども含めて人気を博している。 特に北関東から南東北にかけて消費量が多い。生産量日本一は茨城県、消費量日本一は福島県である。逆に消費量が少ないのは西日本で、最下位は和歌山県である。2004年の調査では西日本でも納豆好きは半数で嫌いは20%という結果であり、納豆消費金額は20年前の4 - 6倍以上に増加している。 NTTナビスペースが、2009年3月にPotora会員に対して実施した納豆の好き嫌いの調査では3,827の回答があり、70.2%が「好き」、15.1%が「好きではないが、健康のために食べる」、14.7%が「嫌い(食べない)」となった。近畿・四国・中国地方では、「好き」が過半数ではあるが他地域と比べ「嫌い」の比率が高く、特に奈良県、島根県、徳島県、高知県では好きが半数未満であった。 ヒマラヤ麓のネパールおよびブータン、インドの西ベンガル州とシッキム州、中国雲南省からタイをはじめとする東南アジアにかけた地域に見られる。東アジアや東南アジアの無塩発酵大豆から分離した納豆菌のプラスミドを調べると、共通の祖先を持つことが判明した。ネパール型の分岐は約1億6千万年前、中国・日本型とタイ型の分岐は約1億3千万年前、中国型と日本型の分岐は約7千万年前に起きていた。 アジア各地の納豆類は、藁よりも各種の植物の葉に包んで製作されることが多い。近年では、植物を得るのが困難になったり、簡単に作れるという理由からプラスチック袋が増え、段ボールや新聞紙を使う地域もある。傾向として、シダ類やイチジク属の葉を使うヒマラヤ地域やミャンマーのカチン州では粒状の納豆が多く糸引きが強い。チーク属やサラノキ属の葉を使うミャンマーのシャン州やタイ北部では、乾燥したせんべい状の納豆が多く、粒では糸引きが弱い。 アフリカの各地には、豆や種で作るスンバラなどの発酵食品がある。伝統的にヒロハフサマメノキ(パルキア)の実で作られていたが、近年は大豆の使用が増えている。パルキアは西アフリカを中心にサバンナに生息する樹木で、その種子は、大豆と同じくタンパク質を多く含むという共通点がある。 スンバラを作る際は、雨季のはじめにパルキアの実を収穫し、種を煮て皮を取り除いてから乾燥させる。それを再び煮てから木の葉を敷いた籠に詰め、発酵したら灰を混ぜて団子状などに固める。これを調理時に混ぜたり粉状にしてスープに溶かす。 臭い食べ物の代表例(食べ物の臭さの「順位付け」ではない) Au: アラバスター単位、におい成分の成分量の単位である。においの強弱は、におい成分毎にヒトの感覚閾値との相乗値で評価され、純粋な「においの単位」ではない。 末尾の数値は2013年時点の日本国内シェア順位 外国人には匂いが嫌等で嫌う人が多いが美味しさを知り、納豆好きになった外国人もいる。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "納豆(なっとう)は、煮る・蒸すなどして柔らかくした大豆を納豆菌によって発酵させた発酵食品。一般的に「糸引き納豆」を指す。菓子の一種である甘納豆とは異なる。世界各国に類似の食品が存在する(後述の「アジア」「アフリカ」参照)。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "大豆を納豆菌で細菌発酵(「臭気」参照)させた発酵食品である。近年では健康食品としても注目を集めている。 和食の基本的な食材の1つとして日本全国の食品売り場で一年を通して安い値段で容易に手に入れることができる。 なお、「納豆」「納豆汁」などは冬の季語である。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "他方、7月10日が「納豆の日」とされている。これは1981年、関西での納豆消費拡大のため、関西納豆工業協同組合がなっ (7) とう (10) の語呂合わせで制定したものであり、1992年、全国納豆工業協同組合連合会が改めて「納豆の日」として制定した。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "納豆の発音が、納の呉音の慣用的発音である「ナッ」と、豆の漢音である「トウ」を合わせたものであり、呉音は仏教関係の語の発音に多く用いられている点から、寺院を通じて伝来したという説もある。平安中期の『新猿楽記』の中で「精進物、春、塩辛納豆」とあるのが初見で、この『新猿楽記』がベストセラーになったことにより、納豆という記され方が広まったとされる。また、納豆は精進料理として主に禅寺の納所(なっしょ、寺院の倉庫)で作られた食品で、これが名前の由来という説が『本朝食鑑』(1697年刊)という書物に載っている。納所に勤めていた僧侶が納豆作りをしていたので、納所の字をとって「納豆」になったという。ただし、『本朝食鑑』では、禅の伝来以前に『新猿楽記』に名があることから寺社起源説には疑問符をつけている。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "その他の説としては、壺などに納めた、将軍に納めた、神様に納めたなど、「納めた豆」から納豆と呼ばれるようになったというものがある。また、伝統的な糸引き納豆は、大豆を煮たのを冷まして、稲藁を束ねた「苞(つと)」とよばれる包みの中に入れて製造されたことから、稲藁に納めた豆で「納豆」と呼ばれるようになったという説もある。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "「本来は豆を腐らせた(発酵させた)ものが豆腐、型に納めたものが納豆だったが、両者が取り違えられた」という名称の由来が語られることがあるが、これは誤った俗説である。納豆が日本独自の言葉であるのに対し、豆腐は中国から伝来した食品であり中国でも豆腐と呼ばれており、取り違えられることはあり得ない。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "大豆は縄文時代から栽培が開始されており、稲作も始まっていたが、納豆の起源がその頃まで遡るのかは不明である。糸引き納豆は、煮豆と藁の菌(弥生時代の住居には藁が敷き詰められていた。また炉があるために温度と湿度が菌繁殖に適した温度になる)がたまたま作用し、偶然に糸引き納豆が出来たと考えられているが、起源や時代背景については様々な説があり定かではない。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "塩辛納豆は古い漢語では豉(し)と呼ばれ、中国大陸では紀元前2世紀頃の遺跡からも出土があり、今なお豆豉(トウチ)と呼ばれ、中華料理の重要な調味料である。中国では無塩発酵の淡豉(たんし)と加塩発酵の鹹豉(かんし)に分かれており、日本には鹹豉が奈良時代頃に伝来したとされ、元来は調味料の一種であった。豉は和名では「くき」と読まれており、古い史料では「久喜」(くき)の名で言及されている。正倉院文書の西暦770年(神護景雲4年)や771年(宝亀2年)の記録によれば、豉は末醤の2.5倍から4倍と高価な品だった。奈良時代の豉は、末醤や荒醤と同じく調味料だったと思われる。鑑真の伝記『唐大和上東征伝』(779年)には、経典とともに鹹豉を持ち込んだという記録がある。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "平城京や平安京の木簡によれば、武蔵国や相模国で豉が生産され、貢物として都に送られていた。平安時代中期の『延喜式』の記述からは、豉が固形物である点、保存がきく点、乾燥した品である点、升などの容積で計った点などが分かる。『延喜式』には豉の製造法も記録されており、大豆と海藻を素材にしている。この豉は、現代の糸引き納豆に近いとする説もある。なお、「塩豉」のほかに「淡豉」という名のものがあったらしいが、これは平安時代以降に姿を消している。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "納豆という語句が確認できる最古の書物は、11世紀半ば頃に藤原明衡によって書かれた『新猿楽記』である。同作中に「腐水葱香疾大根舂塩辛納豆」という記述があり、平安時代には納豆という言葉が既に存在していたことが確認できる。この記述の読み下しには諸説あるが(「舂塩辛」「納豆」、「舂塩」「辛納豆」、「大根舂」「塩辛納豆」、「辛納豆=唐納豆」など)、これが糸引き納豆を指すのか、または塩辛納豆を指すかなどについて複数の解釈がある。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "北宋や南宋に渡航した仏教僧たちが塩辛納豆を持ち帰り、再度国内に紹介した。寺院内でも盛んに生産したことから、これらは寺納豆とも呼ばれるようになった。こうした伝統を持つものが今でも京都の大徳寺(大徳寺納豆)、天龍寺、一休寺や浜松の大福寺などで作り続けられており、名物として親しまれている。このうち浜松地方で作られる塩辛納豆は浜納豆の名称で販売されている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "南北朝時代、丹波山国荘の常照皇寺にいた光厳法皇が村人に藁包納豆(山国納豆)の製法を伝えた記録が残る。室町時代になると、糸引き納豆が広く知られるところとなり、日常食として消費されるようになるとともに、「納豆」という言葉もまず糸引き納豆を意味するように変化していったとされる。「納豆」の語で糸引き納豆を指したことが明らかな史料で、現存する最古のものは、15世紀の御伽草子『精進魚類物語』である。文中に、納豆を擬人化した武士「納豆太郎糸重」が登場する。他方で、主に調味料として用いられた塩辛納豆は、味噌にとって代わられるようになった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "戦国時代において、武将のたんぱく源やスタミナ源ともなっていた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "日本を訪れたイエズス会の宣教師が作った『日葡辞書』(1605年)には、「Natto(納豆)」や「Natto jiru(納豆汁)」も収録されている。料理書である『料理物語』(1635年)には、納豆汁に入れる具材として青菜や小鳥の肉、吸口としてカラシ、ユズ、ニンニクを挙げている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "江戸時代では、京都や江戸において「納豆売り」が毎朝納豆を売り歩いていたが、製法は容器に付着した納豆菌による自然発酵で行われていたため、不安定であったと考えられている。江戸時代後期の風俗や事物を記録した『守貞謾稿』には納豆について書かれており、大豆を煮て熟成させて作るとあり、醤油をかけて食べたり納豆汁として食べていた。江戸時代の風俗事典『人倫訓蒙図彙』に書かれた納豆売りは、叩納豆と呼ばれる叩いて平たくした納豆を青菜とともに売っており、手早く納豆汁が作れるように工夫されていた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "納豆は9月以降に売られる季節商品だったものが、次第に時期が早まって1年中売られるようになった。また、自家製の納豆が多かった頃は田畑の畦で畦豆と呼ばれる豆を育てて納豆の材料にしていた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "朝に納豆を売り歩く商売は、明治以降も続いた。学生、女性、老人が納豆売りになった他、子供が学校に行く前に働いて収入を得られる仕事でもあった。筆者未詳の『納豆考』(1873年-1883年)によれば、当初はザル(笊)に入れて笊納豆を売っていた。東京で納豆を売る際には、問屋から納豆を仕入れる他に、ザルを銭貨400文で借り、納豆を計る小升を銭200文で借りた。1873年(明治6年)頃から藁苞に入れた苞入納豆を売るようになり、笊納豆よりも安くて味がよかったとされる。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "1894年の矢部規矩治による納豆の研究以降、数多くの研究が行われた。1918年に半澤洵が純粋培養した納豆菌によって安定的かつ衛生的な製造方法が報告され、1919年(大正8年)に「納豆容器審査改良会」を設立し、工場生産品の流通が始まった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "それを「大学納豆」と称して売り出し近代納豆の始まりとなる。「大学納豆」をいち早く取り入れてベンチャー企業を起こし、1920年(大正10年)に半澤式納豆製造の産業化を行ったのが宮城野納豆製造所(仙台市)の創設者で後の初代全国納豆協同組合連合会会長の三浦二郎である 。以降、納豆菌「宮城野株」は市販の納豆の始祖株となる三大株(宮城野株、高橋株、成瀬株)の内の一つ。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "第二次世界大戦中は軍用食として、終戦後は日本人を救う栄養食として食べられ、日本に納豆が普及していった。常食される地域は長らく偏りがあった。1960年代以降の冷蔵輸送技術の発展と普及により流通量が拡大し、全国的に見られるようになった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "2007年1月7日に放送された教養番組『発掘!あるある大事典2』で、納豆の摂取はダイエットに効果があると大幅にデータを捏造して紹介されたことから、多くの店舗で一時品薄状態や売り切れになった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "血液凝固因子を作るのに不可欠なビタミンKや大豆由来のタンパク質が豊富であり、現在でも上質なタンパク質源とも言える。食物繊維は100グラム中に4.9 - 7.6グラムと豊富に含まれる。食物繊維はオリゴ糖等と共にプレバイオティクスと呼ばれる腸内環境に有用な成分であり、納豆菌はプロバイオティクスと呼ばれ、これも腸内環境に有用と考えられている。納豆には抗菌作用が認められ、抗生物質が見出される以前は、赤痢、腸チフス、病原性大腸菌などの増殖を抑制する作用があることから、腹痛や下痢の治療に用いられていた事がある。納豆に含まれるジピコリン酸は抗菌作用を有し、溶連菌、ビブリオ、病原性大腸菌などへの抗菌効果が認められている。また、納豆菌には虫歯菌や歯周病菌の働きを抑制する効果があるので虫歯や歯周病を予防する効果がある事が知られている。", "title": "栄養・効果" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "納豆の摂取量が多いほど循環器疾患死亡リスクが低いとの報告がある。", "title": "栄養・効果" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "納豆には血栓を溶かす酵素が含まれており、納豆から単離したナットウキナーゼを経口投与したイヌで血栓の溶解が観察されたという報告がある。", "title": "栄養・効果" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "納豆に含まれるビタミンK2は骨タンパク質の働きや骨形成を促進することから、ビタミンK2を多く含む納豆が、特定保健用食品として許可されている。納豆を多く食べる習慣のある地方では、納豆をあまり食べない地方よりも骨折が少ないことが知られており、納豆に含まれるビタミンK2が骨折を予防する因子と考えられる。また、ポリグルタミン酸にはカルシウムの吸収促進効果があるため、納豆から抽出されたポリグルタミン酸が特定保健用食品として許可されている。納豆菌の一部には、安定した芽胞のまま腸内まで生きて到達してビフィズス菌を増やし腸内環境を正常化する効果があることから、そのような効果を持つ納豆が特定保健用食品として認可されている。", "title": "栄養・効果" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "多くのマメ科植物の種子と同様に、ダイズ種子中には有毒なタンパク質性のプロテアーゼ・インヒビターやアミラーゼ・インヒビターやレクチンが含まれているため、生食はできない。そのため、加熱してプロテアーゼ・インヒビターやアミラーゼ・インヒビターを変性・失活させて消化吸収効率を上げている。なお、加熱してもプロテアーゼ・インヒビターの失活は十分ではないので、納豆菌などを繁殖させて納豆菌の分泌するプロテアーゼによってダイズ種子中のタンパク質を分解させると、タンパク質の消化吸収効率が増大する。", "title": "栄養・効果" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "米飯食、米飯+大豆食、米飯+納豆食で食後血糖値を比較したところ、米飯+納豆食、米飯+大豆食、米飯食の順で血糖の上昇が少なかった。納豆の水溶性食物繊維や粘性の高い成分が血糖の抑制に貢献した可能性がある。", "title": "栄養・効果" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "『本朝食鑑』には「腹中をととのえて食を進め、毒を解す」とあり、整腸作用は古くから知られている。これは、納豆菌が胃酸に耐えて腸まで生きたまま届くためである。", "title": "栄養・効果" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "廃物も利用されている。ニワトリの飼料に加えることで、鶏卵のコレステロールを低減させることが報告されている。また、冷蔵庫で長期保存すると白いカビのような物が発生するが、これはチロシンというアミノ酸の一種で、風味は変化するが食べても差し支えはない。", "title": "栄養・効果" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "イソフラボン (免疫力増強作用・ホルモンバランス正常化作用)、レシチン (整腸・抗菌殺菌効果)、サポニン (抗菌殺菌・高血圧・血栓予防)の効果がある。「納豆食うひと、色白美人」の諺(ことわざ)があるほど、納豆は整腸効果や満腹効果以外に、良質な栄養源であり健康に役立つ食品である。", "title": "栄養・効果" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "必須元素のセレンが大量(234μg/100g)に含まれているとする説があるが、原料の大豆は含有量 17.8 μg/100g なので疑問がある。", "title": "栄養・効果" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "納豆菌を使用して発酵させるため、納豆菌特有の発酵時の臭気がある。68種類のにおい成分から構成されている。代表的な「ピラジン」は、アーモンドやココア、パン、味噌・醤油、ほうじ茶にも含まれる臭気である。中には「アンモニア」成分も含まれており、発酵が進みすぎたり10°C以上で保管されていたりすると時間と共にアンモニア臭が強くなる。「わら納豆」は藁の臭気、経木で包んだものはその木の臭気が加わる。また、発酵室内で薫煙処理を行う場合もある。納豆を苦手とする人はこの臭気を理由に挙げることが多く、近年では臭気を抑えた製品も市販されている。", "title": "栄養・効果" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "ビタミンK2は、抗凝血薬(ワルファリン)の作用を弱めることから、ワルファリン服用中は、納豆を食べないこと。", "title": "栄養・効果" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "一般家庭でも納豆を作ることができる。必要なものは、十分に蒸したあるいは茹でた大豆と納豆菌(納豆そのもので代用可)と、納豆菌が生育する適度な温度(30 - 45°C)、適度な湿度、適度な時間(1 - 2日)、十分な酸素である。適度な温度や十分な時間や酸素がないと納豆にならず煮豆のままとなる。適度な湿度がないと乾燥大豆になり、過剰な時間だと腐敗同然のアンモニア臭に満ちることになる。", "title": "作り方" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "伝統的な納豆の作り方は、蒸した大豆を稲の藁苞(わらづと)で包み、40度程度に保温し約1日ほど置いておく。稲藁に付着している納豆菌が大豆に移行し、増殖することによって発酵が起こり、納豆ができあがる。日本における納豆の起源については、「聖徳太子が馬の飼料として残った煮豆を藁で包んで置いたら出来上がった」「後三年の役で農民が供出した煮豆の藁包みが、糸を引きつつ良い香りを放ち始めたので食べられるようになった」「文禄・慶長の役の際に俵詰めした煮豆が載せていた馬の体温で発酵した」 といった伝説があり、いずれも藁についた納豆菌による自然発酵が契機になっている。", "title": "作り方" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "納豆用の藁には一定の長さと品質が求められ、手作業で丁寧に刈り取った稲をおだ掛けした自然乾燥させた物が必要となるが、こうした農家は機械化や高齢化で激減している。米価の下落や飼料用米への転作などもあり、藁不足が深刻になっている。このため水戸市と納豆メーカーが稲藁確保のための協議会を設立し、加工機材の貸し出しなどに取り組む。", "title": "作り方" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "大量生産の要求に応えるため、純粋培養した納豆菌を用いる製造が主流である。衛生的で近代的な工場生産の手法を確立したのは半澤洵で、半澤は1930年代に研究を重ね納豆菌の純粋培養法と衛生的で安定した納豆の製造方法を確立した。", "title": "作り方" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "蒸した大豆に純粋培養した納豆菌の分散液をかける。次いでこれを発泡スチロール容器や紙パックに充填し40-42°Cで6時間程度保温すると納豆菌の増殖に伴う発酵熱で温度が上昇し、18-24時間経過後、冷却により発酵を停止させる。流通段階でのアンモニア増加を抑制するため10°C以下に保ち、食品衛生法など必要な法令により求められる表示が行われ出荷される。", "title": "作り方" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "製法にかかわらず、「販売する食料品」として納豆を製造するには、食品衛生法に基づき都道府県知事(保健所を設置する市では市長、特別区では区長)の許可が必要である。市販の納豆の大部分は、上述のように純粋培養した納豆菌を種菌として用いる製法によって製造されている。", "title": "作り方" }, { "paragraph_id": 39, "tag": "p", "text": "こうした純粋培養の種菌を使った納豆を伝統食品らしさを演出するため稲藁で包んだ製品以外に、稲藁に付着している納豆菌を用いた伝統的な製法による納豆も少ないながら製造され、流通している。この製法での納豆菌は耐熱性の高い芽胞となって藁に付着しており、沸騰している湯に数分浸すと他の雑菌は大部分が煮沸されて死滅し、納豆菌芽胞が生き残る。その後、茹でた大豆を藁と接触させ37~42°Cに保つと、納豆菌は芽胞から発芽し増殖を始める。そして、その旺盛な繁殖力で、死滅を逃れた他の芽胞菌類に先んじて栄養となる物質を消費し、他の微生物の繁殖を阻む。", "title": "作り方" }, { "paragraph_id": 40, "tag": "p", "text": "日本国内で流通する市販品は、食品としての基準に適合するよう衛生管理され製造されている。なお、敢えて自家で納豆を作ることを試みる場合には、いくつかの留意点がある。納豆菌は酸にはやや弱く、乳酸菌の活動によって生まれる乳酸によって活動が阻害されることがある。また技術開発の結果普及した臭気の弱い種の納豆では、活動がさほど旺盛ではない菌株が用いられており、環境によっては雑菌が繁殖する余地がある。また、納豆菌の天敵として細菌寄生性ウイルスのバクテリオファージがあり、ファージ活動後に雑菌が繁殖することもありうる。特に納豆菌繁殖前の茹でた大豆には雑菌が極めて繁殖しやすい。厳格な衛生管理が行える工場生産の場合と異なり、自家製の場合は管理が甘くなりがちであるため、食用に供するには衛生面での配慮が必要である。発酵中にファージが活動した場合は糸引きが弱いので、仕上がりに少しでも違和感を感じた場合にはすぐに廃棄するべきである。", "title": "作り方" }, { "paragraph_id": 41, "tag": "p", "text": "いわゆる納豆ご飯として、白米を炊いたご飯に納豆を載せて一緒に食べることが多い。この食べ方も江戸時代から既に普及していたとされている。", "title": "食べ方" }, { "paragraph_id": 42, "tag": "p", "text": "納豆を叩き刻んで味噌汁に入れた納豆汁は、江戸時代までは納豆ご飯よりも頻繁に食卓に上っていた。そば、うどん、カレーライス、ラーメン、チャーハン、和風スパゲッティのトッピング、お好み焼きやオムレツ、焼き餅の具、納豆巻きや軍艦巻の寿司ネタ、天ぷらのタネなどとしても用いられる。", "title": "食べ方" }, { "paragraph_id": 43, "tag": "p", "text": "納豆をパンにのせる・袋状のパン(ピタ)に入れる・挟む等の方法で食べることも、いわゆる納豆パン、納豆トーストといった食べ方もある。", "title": "食べ方" }, { "paragraph_id": 44, "tag": "p", "text": "醤油やめんつゆ等のタレの他、和ガラシを加える食べ方が一般的。薬味として鶏卵やウズラの卵、ネギ、ミョウガ、大根おろし、とんぶり、削り節、海苔、青海苔などを合わせて食べることも多い。ヤマノイモやナガイモ(とろろ)、メカブ、ギバサ、オクラ、なめ茸など、納豆同様に粘り気がある食品と混ぜることも行われる。", "title": "食べ方" }, { "paragraph_id": 45, "tag": "p", "text": "ネギやからしを加えると納豆のアンモニア臭を抑える効果があり、優れた薬味ともいえる。ネギやからしを途中で加えずに、蕎麦のネギやワサビと同様に最後に少しだけ載せたり、からしの代わりにワサビを載せたりする場合もある。", "title": "食べ方" }, { "paragraph_id": 46, "tag": "p", "text": "北海道や東北地方では、醤油に上白糖を混ぜて甘だれ風にしたものを使用する地域がある。納豆に砂糖を加えると粘りが増す。市販の納豆の添付たれは、ほとんどのメーカーで醤油やめんつゆに砂糖を添加した物が使われている。", "title": "食べ方" }, { "paragraph_id": 47, "tag": "p", "text": "福島県の一部では白菜の漬物を入れる風習がある。野沢菜漬などを混ぜて食べられることもある。漬物に含まれる乳酸はアンモニアを中和し、臭いを抑えて食べやすくする効果がある。", "title": "食べ方" }, { "paragraph_id": 48, "tag": "p", "text": "主にスーパーマーケットやコンビニエンスストアなど、冷蔵施設を備える食料品売り場で広く売買されている。納豆の自動販売機も存在する。茨城県や埼玉県川越市などでは土産物(名産品)として販売している場合もある。かつては「納豆売り」と呼ばれる行商人が納豆を売り歩く振り売りなどが盛んであった。売り声は「なっと〜〜、なっと〜〜(語尾をあげる)」というものであった。", "title": "販売形態" }, { "paragraph_id": 49, "tag": "p", "text": "藁苞納豆は明治時代の東京で派生したもので、経木納豆は大正期以降に行われていた。", "title": "販売形態" }, { "paragraph_id": 50, "tag": "p", "text": "1960年代以降は、流通面で効率的なことなどから、一般的には発泡スチロール容器が使われている。発泡スチロール容器は積み重ねられる形状になっていて、2 - 4つを1セットとして売られている場合も多い。また、納豆を容器に入れたままかき混ぜて糸を引くことができるように、底に凹凸が付けられるなどの工夫もなされている。発泡スチロール容器の普及は納豆の消費拡大に大きく貢献した。ただし、藁に比べると通気性が悪く、また納豆の臭い成分を吸着しにくいために、納豆独特の臭いがこもって強くなる傾向がある。こうした風味の違いや、「自然食品」的なイメージから、一部の高級品や自然志向の商品、土産物では現在でも藁や経木を使う場合がある。", "title": "販売形態" }, { "paragraph_id": 51, "tag": "p", "text": "からしと納豆用のタレが付属することも多い。", "title": "販売形態" }, { "paragraph_id": 52, "tag": "p", "text": "なお、2008年にはミツカンが新改良の発泡スチロール容器の製品を発売した。これは同梱のタレを従来の液状袋入りからゼリー状にして容器内の小室に直接注入したもので、納豆とタレ袋を分離するフィルムを無くして通気性を向上させると共にタレとの混合を容易にしていた。しかし、ゼリー状のタレが溶けづらい、納豆のスペースが狭く混ぜにくい等の問題点もあり、2012年からは蓋に液体タレを内包させ、蓋を折って投入する新方式に変更している。", "title": "販売形態" }, { "paragraph_id": 53, "tag": "p", "text": "粒の大きさによって種類があり、大粒>中粒>小粒>極小粒>超極小粒>ひきわりの順で小さくなる。原料となる大豆の粒の大きさについては農林水産省の農産物規格規程によって下表の通りに定められており、丸目のふるいを使って振り分ける。なお、超極小粒については規格規定にない。", "title": "種類" }, { "paragraph_id": 54, "tag": "p", "text": "全国納豆協同組合連合会が2005年に実施した消費者アンケート調査では、粒の大きさとして小粒を好む人の割合がおおむね高い (40%) ものの、特にこだわらないという人も一定数存在する (25%)。", "title": "種類" }, { "paragraph_id": 55, "tag": "p", "text": "茨城県で水戸納豆づくりが盛んになったのは、江戸時代に水戸藩が作付けを奨励した、台風襲来前に収穫できる早生大豆が小粒で、豆腐・味噌には使いにくかったためとされる。", "title": "種類" }, { "paragraph_id": 56, "tag": "p", "text": "碾き割り、即ち砕いた大豆を発酵させることによって作られる納豆。ひきわり納豆に対し、割っていない大豆を使った納豆は「つぶ納豆」(粒納豆)または「丸大豆納豆」と呼ばれる。ひきわり納豆はつぶ納豆に比べてポリグルタミン酸は少ないが発酵が早く、消化にも良いとされる上、カルシウムを効率的に吸収する役割のビタミンKが豊富である。つぶ納豆を刻んだような形状をしていることから、発酵後に納豆を刻んだものと誤解されることがあるが、実際は発酵以前の浸水前に大豆を砕いている。", "title": "種類" }, { "paragraph_id": 57, "tag": "p", "text": "秋田県など北東北では古くからひきわり納豆が作られていた。他地方ではひきわりは「くず豆」の印象が強く敬遠されていたが、現在では糸引き納豆の一種として普及している。", "title": "種類" }, { "paragraph_id": 58, "tag": "p", "text": "塩辛納豆もしくは寺納豆・浜納豆とは、現在一般的な糸引き納豆との区別をつけるための便宜上の名称である。現在「納豆」といえば納豆菌を発酵させたいわゆる糸引き納豆を指すのが一般的だが、糸引き納豆が登場したのは中世以降のことであり、それ以前の定義で「納豆」とは、麹菌を使って発酵させた後に乾燥・熟成させたものであった。製法も風味も黒味噌や醤(ひしお)に近い。日本伝来前のものは今でも中国大陸で豆豉として存在している。豆醤(まめびしお)、麹納豆(こうじなっとう)、醤納豆・干塩納豆(ひしおなっとう)とも呼ばれる。", "title": "種類" }, { "paragraph_id": 59, "tag": "p", "text": "なお、山形県などの東北地方の一部には、糸引き納豆に麹と塩を混ぜて発酵させた(一般的に想像される「塩辛」に似た)「五斗納豆」というものも存在する。食べ方は魚介類の塩辛と同じように、ご飯のお供やお茶漬けの具として用いる。一部の産地では雪が降る季節に熟成させることで低温発酵させているものがあり風味が少し異なる。これは「雪割納豆」と呼ばれる。", "title": "種類" }, { "paragraph_id": 60, "tag": "p", "text": "山形県酒田市の塩納豆、熊本県の金山寺納豆などローカル色に富んだ納豆もある。", "title": "種類" }, { "paragraph_id": 61, "tag": "p", "text": "枯草菌によって大豆を発酵させた食品は、日本の糸引き納豆に相当するものから乾燥させたものまで、様々な形状や調理法がある。これらの食品は、大豆様発酵食品、無塩発酵大豆食品、大豆利用発酵食品などとも呼ばれる。 東南アジア、ヒマラヤ地域、西アフリカでは、納豆あるいは乾燥納豆と似た発酵食品が製造されている。日本の納豆は常温ではかなり早く発酵作用が進む(冷蔵ではその限りではなく、また冷凍も可能)ため、短期間で風味が落ちる場合もあるが、以下の各地域の発酵食品は長期保存が可能なものもある。", "title": "地域別状況" }, { "paragraph_id": 62, "tag": "p", "text": "納豆は「世界の臭い食べ物」にもしばしば選出されており、納豆が持つ臭いとネバネバした食感に対して、欧米人からは「かなり食べにくい」との声が聞かれる。他方で納豆を好む欧米人も多く、かつ増えつつあり、類似した発酵食品がほとんどないセルビア出身のドラガン・ストイコビッチのような熱烈な納豆ファンもいる。", "title": "地域別状況" }, { "paragraph_id": 63, "tag": "p", "text": "骨にカルシウムを与えて強固にするビタミンK2などのビタミン類やミネラル(マグネシウムなど)、食物繊維、腸に良い乳酸菌、蛋白質が含有されている。骨にも良く、免疫力を高める健康食である。長寿国日本の長生きの秘訣として、各国の健康志向の高まりにともない、国外でも臭いを弱めたものなども含めて人気を博している。", "title": "地域別状況" }, { "paragraph_id": 64, "tag": "p", "text": "特に北関東から南東北にかけて消費量が多い。生産量日本一は茨城県、消費量日本一は福島県である。逆に消費量が少ないのは西日本で、最下位は和歌山県である。2004年の調査では西日本でも納豆好きは半数で嫌いは20%という結果であり、納豆消費金額は20年前の4 - 6倍以上に増加している。", "title": "地域別状況" }, { "paragraph_id": 65, "tag": "p", "text": "NTTナビスペースが、2009年3月にPotora会員に対して実施した納豆の好き嫌いの調査では3,827の回答があり、70.2%が「好き」、15.1%が「好きではないが、健康のために食べる」、14.7%が「嫌い(食べない)」となった。近畿・四国・中国地方では、「好き」が過半数ではあるが他地域と比べ「嫌い」の比率が高く、特に奈良県、島根県、徳島県、高知県では好きが半数未満であった。", "title": "地域別状況" }, { "paragraph_id": 66, "tag": "p", "text": "ヒマラヤ麓のネパールおよびブータン、インドの西ベンガル州とシッキム州、中国雲南省からタイをはじめとする東南アジアにかけた地域に見られる。東アジアや東南アジアの無塩発酵大豆から分離した納豆菌のプラスミドを調べると、共通の祖先を持つことが判明した。ネパール型の分岐は約1億6千万年前、中国・日本型とタイ型の分岐は約1億3千万年前、中国型と日本型の分岐は約7千万年前に起きていた。", "title": "地域別状況" }, { "paragraph_id": 67, "tag": "p", "text": "アジア各地の納豆類は、藁よりも各種の植物の葉に包んで製作されることが多い。近年では、植物を得るのが困難になったり、簡単に作れるという理由からプラスチック袋が増え、段ボールや新聞紙を使う地域もある。傾向として、シダ類やイチジク属の葉を使うヒマラヤ地域やミャンマーのカチン州では粒状の納豆が多く糸引きが強い。チーク属やサラノキ属の葉を使うミャンマーのシャン州やタイ北部では、乾燥したせんべい状の納豆が多く、粒では糸引きが弱い。", "title": "地域別状況" }, { "paragraph_id": 68, "tag": "p", "text": "アフリカの各地には、豆や種で作るスンバラなどの発酵食品がある。伝統的にヒロハフサマメノキ(パルキア)の実で作られていたが、近年は大豆の使用が増えている。パルキアは西アフリカを中心にサバンナに生息する樹木で、その種子は、大豆と同じくタンパク質を多く含むという共通点がある。", "title": "地域別状況" }, { "paragraph_id": 69, "tag": "p", "text": "スンバラを作る際は、雨季のはじめにパルキアの実を収穫し、種を煮て皮を取り除いてから乾燥させる。それを再び煮てから木の葉を敷いた籠に詰め、発酵したら灰を混ぜて団子状などに固める。これを調理時に混ぜたり粉状にしてスープに溶かす。", "title": "地域別状況" }, { "paragraph_id": 70, "tag": "p", "text": "臭い食べ物の代表例(食べ物の臭さの「順位付け」ではない)", "title": "地域別状況" }, { "paragraph_id": 71, "tag": "p", "text": "Au: アラバスター単位、におい成分の成分量の単位である。においの強弱は、におい成分毎にヒトの感覚閾値との相乗値で評価され、純粋な「においの単位」ではない。", "title": "地域別状況" }, { "paragraph_id": 72, "tag": "p", "text": "末尾の数値は2013年時点の日本国内シェア順位", "title": "主な納豆製造業者" }, { "paragraph_id": 73, "tag": "p", "text": "外国人には匂いが嫌等で嫌う人が多いが美味しさを知り、納豆好きになった外国人もいる。", "title": "その他" } ]
納豆(なっとう)は、煮る・蒸すなどして柔らかくした大豆を納豆菌によって発酵させた発酵食品。一般的に「糸引き納豆」を指す。菓子の一種である甘納豆とは異なる。世界各国に類似の食品が存在する(後述の「アジア」「アフリカ」参照)。
{{Otheruses|大豆を原材料とする発酵食品|大豆以外の豆類やその他の実・根菜を原材料とする和菓子|甘納豆}} {{栄養価 | name=糸引き納豆<ref name=mext7>[[文部科学省]]『[https://www.mext.go.jp/a_menu/syokuhinseibun/1365297.htm 日本食品標準成分表2015年版(七訂)]』</ref>|image=[[ファイル:Natto mixed.jpg|220px]]| kJ =837| water=59.5 g| protein=16.5 g| fat=10.0 g| satfat=(1.45) g| monofat = (2.21) g| polyfat =(5.65) g| carbs=12.1 g| starch=0.3 g| opt1n=[[食物繊維|水溶性食物繊維]]| opt1v=2.3 g| opt2n=[[食物繊維|不溶性食物繊維]]| opt2v=4.4 g| fiber=6.7 g| sodium_mg=2| potassium_mg=660| calcium_mg=90| magnesium_mg=100| phosphorus_mg=190| iron_mg=3.3| zinc_mg=1.9| copper_mg=0.61| selenium_ug =16| vitE_mg =0.5| vitK_ug=600| thiamin_mg=0.07| riboflavin_mg=0.56| niacin_mg=1.1| vitB6_mg=0.24| folate_ug=120| pantothenic_mg=3.60| opt3n=[[ビオチン|ビオチン(B<sub>7</sub>)]] | opt3v=18.2 μg| opt4n=n-3 多価不飽和 | opt4v=0.67 g| opt5n=n-6 多価不飽和 | opt5v=4.98 g| note =ビタミンEはα─トコフェロールのみを示した<ref>[[厚生労働省]]『{{PDFlink|[https://www.mhlw.go.jp/file/05-Shingikai-10901000-Kenkoukyoku-Soumuka/0000114399.pdf 日本人の食事摂取基準(2015年版)]}}』</ref>。ビタミンK: メナキノン-7を含む| right=1 }} '''納豆'''(なっとう)は、煮る・蒸すなどして柔らかくした[[ダイズ|大豆]]を[[納豆菌]]によって[[発酵]]させた[[発酵食品]]。一般的に「''糸引き納豆''」を指す<ref name=jbrewsocjapan1915.71.173>伊藤寛記「[https://doi.org/10.6013/jbrewsocjapan1915.71.173/ 浜納豆]」『日本釀造協會雜誌』Vol.71 (1976) No.3 P.173-176, {{doi|10.6013/jbrewsocjapan1915.71.173}}</ref>。菓子の一種である[[甘納豆]]とは異なる。世界各国に類似の食品が存在する(後述の「[[#アジア|アジア]]」「[[#アフリカ|アフリカ]]」参照)。 == 概要 == 大豆を[[納豆菌]]で[[細菌]]発酵(「[[#臭気|臭気]]」を参照)させた[[発酵食品]]で、多数の[[栄養素]]をバランス良く含む[[健康食品]]でもある。[[日本料理|和食]]の基本的な食材の1つとして、日本全国の食品売り場で一年を通して安価・容易に入手できる。低コストで高い健康効果が得られるが、特有の癖があるため、人により好き嫌いは分かれる。 「納豆」「[[納豆汁]]」などは冬の[[季語]]である{{efn|「納豆」「納豆売り」「納豆汁」は三冬・生活の季語。ただし、「納豆造る」は晩夏・生活に分類される季語である。[[齋藤慎爾]]・阿久根末忠編『必携季語秀句用字用例辞典』([[柏書房]]、1997年 ISBN 9784760114566)p.798。}}。一方で、[[7月10日]]が「''納豆の日''」とされている<ref>{{Cite web|和書|url=https://financial-field.com/living/2020/07/10/entry-82060|title=7月10日は「納豆の日」約9割の医師が健康のために納豆を食べている?|publisher=ファイナンシャルフィールド|date=2020-07-10|accessdate=2020-11-23}}</ref>。これは1981年、関西での納豆消費拡大のため、関西納豆工業協同組合がなっ (7) とう (10) の[[語呂合わせ]]で制定したものであり、1992年、[[全国納豆協同組合連合会|全国納豆工業協同組合連合会]]が改めて「納豆の日」として制定した。 === 名称 === 納豆の発音が、納の[[呉音]]の慣用的発音である「ナッ」と、豆の[[漢音]]である「トウ」を合わせたものであり、呉音は[[仏教]]関係の語の発音に多く用いられている点から、寺院を通じて伝来したという説もある{{sfn|石塚|2016|pp=70-72}}。[[平安時代]]中期の『[[新猿楽記]]』の中で「精進物、春、塩辛納豆」とあるのが初見で、この『新猿楽記』がベストセラーになったことにより、納豆という記され方が広まったとされる。また、納豆は[[精進料理]]として主に禅寺の納所(なっしょ、[[寺院]]の[[倉庫]])で作られた食品で、これが名前の由来という説が『[[本朝食鑑]]』(1697年刊)という書物に載っている<ref>『雑学大全480』(東京書籍、2007年ISBN 978-4487799473)p.480</ref>。納所に勤めていた僧侶が納豆作りをしていたので、納所の字をとって「納豆」になったという。ただし『本朝食鑑』では、禅の伝来以前に『新猿楽記』に名があることから寺社起源説には疑問符をつけている<ref name="siwa">鈴木晋一『たべもの史話』([[小学館]]ライブラリー、1999年 ISBN 9784582828399)pp.60-63</ref>。 その他の説としては、壺などに納めた、将軍に納めた、神様に納めたなど、「納めた豆」から納豆と呼ばれるようになったというものがある<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.yawataya.jp/column/1401/|title=納豆の日|publisher=[[八幡屋]] |accessdate=2021/03/03}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=http://www.takanofoods.co.jp/fun/study/natto.shtml|title=納豆について|publisher=[[タカノフーズ]] |accessdate=2021/03/03}}</ref>。また、伝統的な糸引き納豆は、大豆を煮たのを冷まして、稲藁を束ねた「苞(つと)」とよばれる包みの中に入れて製造された<ref name="食の研究所">{{Cite web|和書|url=https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/34346?page=3|title=食卓の定番「納豆」の歩んできた道|publisher=[[JBPRESS 食の研究所]] |accessdate=2021/03/03}}</ref>ことから、稲藁に納めた豆で「納豆」と呼ばれるようになったという説もある。 「本来は豆を腐らせた([[発酵]]させた)ものが[[豆腐]]、型に納めたものが納豆だったが、両者が取り違えられた」という名称の由来が語られることがあるが、これは誤った俗説である。納豆が日本独自の食品・名称であるのに対し、豆腐は中国から伝来した食品であり中国でも豆腐と呼ばれており、取り違えられることはあり得ない。 {{Main2|豆腐の名称の由来|豆腐#名称}} == 歴史 == === 古代・中世 === 大豆は[[縄文時代]]から栽培が開始されており<ref name="縄文時代のダイズ">{{Cite journal |和書|author1=中山誠二 |date=2015-02 |title=縄文時代のダイズの栽培化と種子の形態分化 |journal=植生史研究 |volume=23 |issue=2 |pages=33-42 |naid=40020390985 |url=http://hisbot.jp/journalfiles/2302/2302_033-042.pdf |format=pdf}}</ref>、稲作も始まっていたが、納豆の起源がその頃まで遡るのかは不明である。糸引き納豆は、[[煮豆]]と藁の菌([[弥生時代]]の住居には藁が敷き詰められていた。また炉があるために温度と湿度が菌繁殖に適した温度になる)がたまたま作用し、偶然に糸引き納豆が出来たと考えられているが、起源や時代背景については様々な説があり定かではない。 塩辛納豆は古い[[漢語]]では''{{Lang|zh|豉}}''(し)と呼ばれ、中国大陸では[[紀元前2世紀]]頃の遺跡からも出土があり<ref name=jbrewsocjapan1915.71.173 />、今なお[[豆豉]](トウチ)と呼ばれ、中華料理の重要な調味料である。中国では無塩発酵の淡豉(たんし)と加塩発酵の鹹豉(かんし)に分かれており、日本には鹹豉が[[奈良時代]]頃に伝来したとされ、元来は調味料の一種であった{{sfn|横山|2014|pp=37-38}}。豉は和名では「くき」と読まれており{{sfn|小松本ほか|2019|p=3}}、古い史料では「久喜」(くき)の名で言及されている{{efn|[[平城京]]跡から出土した[[700年]]頃の木簡に記載があるという。cf. [http://www.nattou.com/topics/history.html 納豆の歴史について]([http://www.nattou.com/ 納豆学会])}}。[[正倉院文書]]の西暦770年([[神護景雲]]4年)や771年([[宝亀]]2年)の記録によれば、豉は[[味噌|末醤]]の2.5倍から4倍と高価な品だった{{sfn|小松本ほか|2019|pp=5-6}}。奈良時代の豉は、末醤や荒醤と同じく調味料だったと思われる{{sfn|小松本ほか|2019|pp=3, 5}}。[[鑑真]]の伝記『[[唐大和上東征伝]]』(779年)には、経典とともに鹹豉を持ち込んだという記録がある{{sfn|横山|2014|pp=37-38}}。 平城京や[[平安京]]の[[木簡]]によれば、[[武蔵国]]や[[相模国]]で豉が生産され、貢物として都に送られていた。[[平安時代]]中期の『[[延喜式]]』の記述からは、豉が固形物である点、保存がきく点、乾燥した品である点、升などの容積で計った点などが分かる{{sfn|小松本ほか|2019|pp=5-6}}。『延喜式』には豉の製造法も記録されており、大豆と海藻を素材にしている。この豉は、現代の糸引き納豆に近いとする説もある{{sfn|小松本ほか|2019|pp=3, 5}}。なお、「塩{{Lang|zh|豉}}」のほかに「淡{{lang|zh|豉}}」という名のものがあったらしいが、これは平安時代以降に姿を消している<ref>[https://web.archive.org/web/20091221081332/http://www.co-4gun.eiyo.ac.jp/food%20database/2gun/foods-dic-2-natto.html 第2群 豆・豆製品 ナットウ] - [https://web.archive.org/web/20071211212346/http://www.co-4gun.eiyo.ac.jp/food%20database/tamatebako_column_w_menu.html KNUダイエット・食品データベース]([[女子栄養大学]] 食材百科事典)</ref>。 納豆という語句が確認できる最古の書物は、[[11世紀]]半ば頃に[[藤原明衡]]によって書かれた『[[新猿楽記]]』である。同作中に「腐水葱香疾大根舂塩辛納豆」という記述があり、平安時代には納豆という言葉が既に存在していたことが確認できる。この記述の読み下しには諸説あるが(「舂塩辛」「納豆」、「舂塩」「辛納豆」、「大根舂」「塩辛納豆」、「辛納豆=唐納豆」など)、これが糸引き納豆を指すのか、または[[#塩辛納豆|塩辛納豆]]を指すかなどについて複数の解釈がある{{sfn|横山|2014|pp=43-44}}。 [[北宋]]や[[南宋]]に渡航した[[仏教僧]]たちが塩辛納豆を持ち帰り、再度国内に紹介した。寺院内でも盛んに生産したことから、これらは寺納豆とも呼ばれるようになった。こうした伝統を持つものが今でも京都の[[大徳寺]]([[大徳寺納豆]])、[[天龍寺]]、[[酬恩庵|一休寺]]や浜松の[[大福寺 (浜松市)|大福寺]]などで作り続けられており、名物として親しまれている。このうち浜松地方で作られる塩辛納豆は浜納豆の名称で販売されている{{sfn|小松本ほか|2019|p=3}}。 [[南北朝時代 (日本)|南北朝時代]]、丹波山国荘の[[常照皇寺]]にいた[[光厳天皇|光厳法皇]]が村人に藁包納豆(山国納豆)の製法を伝えた記録が残る<ref name=kagakutoseibutsu.49.57 />。[[室町時代]]になると、糸引き納豆が広く知られるところとなり、日常食として消費されるようになるとともに、「納豆」という言葉もまず糸引き納豆を意味するように変化していったとされる。「納豆」の語で糸引き納豆を指したことが明らかな史料で、現存する最古のものは、[[15世紀]]の[[御伽草子]]『[[精進魚類物語]]』である<ref name="siwa"/>{{sfn|横山|2014|pp=44-45}}。文中に、納豆を擬人化した武士「納豆太郎糸重」が登場する<ref>[http://www.natto.or.jp/bungakushi/07.html 全国納豆協同組合連合会 納豆文学史]</ref>。他方で、主に調味料として用いられた塩辛納豆は、味噌にとって代わられるようになった。 [[戦国時代 (日本)|戦国時代]]において、武将の[[蛋白|たんぱく]]源やスタミナ源ともなっていた。 === 近世 === 日本を訪れた[[イエズス会]]の[[宣教師]]が作った『[[日葡辞書]]』(1605年)には、「Natto(納豆)」や「Natto jiru(納豆汁)」も収録されている{{sfn|石塚|2016|pp=105-106}}。料理書である『[[料理物語]]』(1635年)には、納豆汁に入れる具材として青菜や小鳥の肉、吸口として[[カラシ]]、[[ユズ]]、[[ニンニク]]を挙げている{{sfn|石塚|2016|pp=57-58}}。 [[江戸時代]]では、京都や江戸において「納豆売り」が毎朝納豆を売り歩いていたが、製法は容器に付着した[[納豆菌]]による自然発酵で行われていたため、不安定であったと考えられている<ref name=kagakutoseibutsu.49.57 />。江戸時代後期の風俗や事物を記録した『[[守貞謾稿]]』には納豆について書かれており、大豆を煮て熟成させて作るとあり、醤油をかけて食べたり納豆汁として食べていた。江戸時代の風俗事典『[[人倫訓蒙図彙]]』に書かれた納豆売りは、叩納豆と呼ばれる叩いて平たくした納豆を青菜とともに売っており、手早く納豆汁が作れるように工夫されていた{{sfn|横山|2014|pp=38-39}}。 納豆は9月以降に売られる季節商品だったものが、次第に時期が早まって1年中売られるようになった。また、自家製の納豆が多かった頃は田畑の畦で畦豆と呼ばれる豆を育てて納豆の材料にしていた{{efn|納豆についての記録は、柴村盛方『飛鳥川』(1810年)、白峯院『明和誌』(1822年)、[[喜多村信節]]『[[嬉遊笑覧]]』(1830年)、山田桂翁『[[宝暦]]現来集』(1831年)など多数の随筆で確認できる{{sfn|石塚|2016|pp=51-58}}。}}{{sfn|石塚|2016|pp=51-58}}。 === 近代以降 === 朝に納豆を売り歩く商売は、[[明治]]以降も続いた。学生、女性、老人が納豆売りになった他、子供が学校に行く前に働いて収入を得られる仕事でもあった{{efn|学費と生活費を納豆売りで得ていた苦学生、1人で子供を抱えて納豆を売る女性、親を養いつつ納豆売りをする少女など、文学作品には納豆売りが数多く描かれた{{sfn|石塚|2016|pp=170, 175-176, 181, 185}}。}}{{sfn|石塚|2016|pp=181, 185}}。筆者未詳の『納豆考』(1873年-1883年)によれば、当初はザル([[笊]])に入れて笊納豆を売っていた。東京で納豆を売る際には、問屋から納豆を仕入れる他に、ザルを[[銭貨]]400文で借り、納豆を計る小升を銭200文で借りた。1873年(明治6年)頃から藁苞に入れた苞入納豆を売るようになり、笊納豆よりも安くて味がよかったとされる{{sfn|石塚|2016|pp=196-197}}。 1894年の[[矢部規矩治]]による納豆の研究<ref>矢部規矩治「[https://doi.org/10.1246/nikkashi1880.15.196 納豆ノ研究]」『東京化學會誌』Vol.15 (1894) P.196-205, {{doi|10.1246/nikkashi1880.15.196}}</ref>以降、数多くの研究が行われた。1918年に[[半澤洵]]が純粋培養した[[納豆菌]]によって安定的かつ衛生的な製造方法が報告され<ref>半澤洵:『北海道農会報』18(4), 159 (1918).</ref>、1919年(大正8年)に「納豆容器審査改良会」を設立し、工場生産品の流通が始まった{{sfn|半澤編|1926|p=}}<ref name="kagakutoseibutsu.49.57"/><ref>堀田国元、佐々木博、[[doi:10.1271/kagakutoseibutsu.49.57|近代納豆の幕開けと応用菌学]] 化学と生物 Vol.49 (2011) No.1 P.57-62, {{doi|10.1271/kagakutoseibutsu.49.57}}</ref>。 それを「大学納豆」と称して売り出し近代納豆の始まりとなる。「大学納豆」をいち早く取り入れてベンチャー企業を起こし、1920年(大正10年)に半澤式納豆製造の産業化を行ったのが宮城野納豆製造所(仙台市)の創設者で後の初代全国納豆協同組合連合会会長の三浦二郎である<ref>(微生物利用研究領域 発酵細菌ユニット 木村 啓太郎 著)[http://www.naro.affrc.go.jp/org/nfri/publications/pdf/sousetsu/kanko_sou45/p061.pdf 納豆菌の粘質物生産機構] 食料 その科学と技術No.45(2007年3月)p.61</ref> <ref>半澤 洵,田村 芳祐,納豆生成菌に関する研究(第六報),農化誌 第十 巻,520-521(昭和9年)</ref> <ref>[https://www.jircas.go.jp/sites/default/files/seika/2007/2007_seikajouhou_A4_ja_Part17.pdf 国際農林水産業研究成果情報、平成19年度(第15号)]</ref>。以降、納豆菌「宮城野株」は市販の納豆の始祖株となる三大株([[納豆菌|宮城野株、高橋株、成瀬株]])の内の一つ<ref>[https://dbsearch.biosciencedbc.jp/Patent/page/ipdl2_JPP_an_2003010640.html 特許広報(B2)_納豆菌及び納豆の製造方法]</ref>。 [[第二次世界大戦]]中は軍用食として、終戦後は日本人を救う栄養食として食べられ{{efn|GHQの栄養部長ハーブ大佐、アップルトン}}、日本に納豆が普及していった。常食される地域は長らく偏りがあった。1960年代以降の[[コールドチェーン|冷蔵輸送技術の発展と普及]]により<ref name="jafps1975.6.110">太田輝夫「[https://doi.org/10.5891/jafps1975.6.110 納豆とコールドチェーン]」『コールドチェーン研究』Vol.6 (1980-1981) No.3 P.110-114, {{doi|10.5891/jafps1975.6.110}}</ref>流通量が拡大し、全国的に見られるようになった。 2007年1月7日に放送された教養番組『[[発掘!あるある大事典#データ捏造問題|発掘!あるある大事典2]]』で、納豆の摂取は[[ダイエット]]に効果があると大幅にデータを捏造して紹介されたことから、多くの店舗で一時品薄状態や売り切れになった<ref>{{Wayback |url=http://www.710.or.jp/news/070121.html |title=納豆のテレビ報道に関しまして 全国納豆協同組合連合会 |date=20141105075234 }}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nhk.or.jp/bunken/summary/research/focus/122.html |title=『発掘! あるある大事典II』でねつ造 関西テレビ,番組を打ち切り |publisher =NHK |accessdate=2021-06-30}}</ref>。 == 栄養・効果 == 血液凝固因子を作るのに不可欠な[[ビタミンK]]や大豆由来の[[タンパク質]]が豊富であり、現在でも上質なタンパク質源とも言える。[[食物繊維]]は100グラム中に4.9 - 7.6グラムと豊富に含まれる<ref>[[文部科学省]]『[https://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/gijyutu/gijyutu3/toushin/05031802.htm 五訂増補日本食品標準成分表]』</ref>。[[食物繊維]]は[[オリゴ糖]]等と共に[[プレバイオティクス]]と呼ばれる腸内環境に有用な成分であり、[[納豆菌]]はプロバイオティクスと呼ばれ、これも腸内環境に有用と考えられている。納豆には抗菌作用が認められ、[[抗生物質]]が見出される以前は、[[赤痢]]<ref>河村一「[https://doi.org/10.11552/kansenshogakuzasshi1926.10.948 納豆菌ノ赤痢菌ニ對スル拮抗作用ニ就テ]」『日本傳染病學會雜誌』Vol.10 (1935-1936) No.9 P.948-955, {{doi|10.11552/kansenshogakuzasshi1926.10.948}}</ref>、[[腸チフス]]<ref name="kansenshogakuzasshi1926.11.755">櫻田穆:[https://doi.org/10.11552/kansenshogakuzasshi1926.11.755 「チフス」の納豆菌療法の意義]『日本傳染病學會雜誌』Vol.11 (1936-1937) No.7 P.755-761,{{doi|10.11552/kansenshogakuzasshi1926.11.755}}</ref>、[[病原性大腸菌]]などの増殖を抑制する<ref name="j-nattokinase">[http://j-nattokinase.org/nattokinase/natto.html 納豆菌] 日本ナットキナーゼ協会(2021年5月16日閲覧)</ref>作用があることから、腹痛や下痢の治療に用いられていた事がある<ref name="kansenshogakuzasshi1926.11.755" />。納豆に含まれる[[ジピコリン酸]]は抗菌作用を有し、[[溶連菌]]、[[ビブリオ]]、病原性[[大腸菌]]などへの抗菌効果が認められている<ref>須見洋行、大杉忠則「[https://doi.org/10.1271/nogeikagaku1924.73.1289 納豆および納豆菌中の抗菌成分ジピコリン酸]」『日本農芸化学会誌』Vol.73 (1999) No.12 P.1289-1291, {{doi|10.1271/nogeikagaku1924.73.1289}}</ref>。また、納豆菌には[[虫歯菌]]や[[歯周病菌]]の働きを抑制する効果があるので虫歯や[[歯周病]]を予防する効果がある事が知られている<ref>{{citation|title=歯周病と納豆菌 |url=http://ega-dental.net/topics/dr/topics47.html |archiveurl=https://web.archive.org/web/20130126075810/http://ega-dental.net/topics/dr/topics47.html|archivedate=2013-01-26}}]</ref><ref>{{citation |author=螺良修一|title=歯周病にも効果あり (2011年 減農薬大特集 納豆菌で減農薬)--(人間の体にもいい)|journal=『現代農業』 |volume=90 |issue=6 |date=2011 |page=118-120 |url= }}</ref><ref>{{citation|title=虫歯の自然治癒に納豆の有効性 |url=http://www.ts-remy.com/science/tooth-decay-science/natto/|archiveurl=https://web.archive.org/web/20160426131058/http://www.ts-remy.com/science/tooth-decay-science/natto/|archivedate=2016-04-26 }}]</ref><ref>{{citation|title=納豆粘質によるミュータンス菌抑制効果 |url=https://www.j-platpat.inpit.go.jp/c1800/PU/JP-2005-336309/15F9486866DB718ED08AF26024A1819C70FC27F52C15F17897812CD12BB0451A/10/ja}}</ref>。 納豆の摂取量が多いほど循環器疾患死亡リスクが低いとの報告がある<ref>独立行政法人国立がん研究センター、多目的コホート研究、現在までの成果、[https://epi.ncc.go.jp/jphc/outcome/8438.html 大豆食品、発酵性大豆食品の摂取量と死亡リスクの関連]</ref>。 納豆には[[血栓]]を溶かす[[酵素]]が含まれており<ref>H. Sumi, H. Hamada, H. Tsushima et al. [http://www.springerlink.com/content/p2208h710613t971/ "A novel fibrinolytic enzyme (nattokinase) in the vegetable cheese Natto; a typical and popular soybean food in the Japanese diet"] Cellular and Molecular Life Sciences (CMLS) 43 (10), 1987年10月, pp.1110-1111</ref>、納豆から単離した[[ナットウキナーゼ]]を経口投与した[[イヌ]]で血栓の溶解が観察されたという報告がある<ref>Sumi, H. et al. [http://www.jafra.gr.jp/eng/natto3.html "Enhancement of the fibrinolytic activity in plasma by oral administration of nattokinase"] Acta Haematol 84 (3), 1990, pp.139-143</ref>。 納豆に含まれる[[ビタミンK|ビタミンK<sub>2</sub>]]は骨タンパク質の働きや骨形成を促進することから、ビタミンK<sub>2</sub>を多く含む納豆が、[[健康食品#特定保健用食品|特定保健用食品]]として許可されている<ref>[https://web.archive.org/web/20120706035614/http://www.mizkan.co.jp/company/csr/rd/honegenki.html ビタミンK2量を向上させる「ほね元気」が納豆で初の特定保健用食品に] [[ミツカン]](2021年5月16日閲覧)</ref>。納豆を多く食べる習慣のある地方では、納豆をあまり食べない地方よりも骨折が少ないことが知られており、納豆に含まれるビタミンK<sub>2</sub>が骨折を予防する因子と考えられる<ref>{{cite journal|author=M. Kaneki et al|title=Japanese fermented soybean food as the major determinant of the large geographic difference in circulating levels of vitamin K2: possible implications for hip-fracture risk|journal=Nutrition|volume=17|issue=4|page=315-321|year=2001|pmid=11369171|doi=10.1016/S0899-9007(00)00554-2}}</ref>。また、[[ポリグルタミン酸]]には[[カルシウム]]の吸収促進効果があるため、納豆から抽出されたポリグルタミン酸が特定保健用食品として許可されている<ref>[https://web.archive.org/web/20031218055637/http://www.ajinomoto.co.jp/calvital/ カルバイタル][[味の素]]</ref>。納豆菌の一部には、安定した[[芽胞]]のまま腸内まで生きて到達して[[ビフィズス菌]]を増やし腸内環境を正常化する効果があることから、そのような効果を持つ納豆が特定保健用食品として認可されている<ref>[https://web.archive.org/web/20080211131008/http://www.asahimatsu.co.jp/onaka/ おなか納豆][[旭松食品]]</ref>。 {{Main2|大豆としての栄養・効果|ダイズ#健康への影響}} 多くのマメ科植物の種子と同様に、ダイズ種子中には有毒なタンパク質性の[[プロテアーゼ]]・[[酵素阻害剤|インヒビター]]や[[アミラーゼ]]・インヒビターや[[レクチン]]が含まれているため、生食はできない。そのため、加熱してプロテアーゼ・インヒビターやアミラーゼ・インヒビターを[[変性]]・[[活性化|失活]]させて消化吸収効率を上げている。なお、加熱してもプロテアーゼ・インヒビターの失活は十分ではないので、納豆菌などを繁殖させて納豆菌の分泌するプロテアーゼによってダイズ種子中のタンパク質を分解させると、タンパク質の消化吸収効率が増大する。 米飯食、米飯+大豆食、米飯+納豆食で食後血糖値を比較したところ、米飯+納豆食、米飯+大豆食、米飯食の順で血糖の上昇が少なかった。納豆の水溶性食物繊維や粘性の高い成分が血糖の抑制に貢献した可能性がある<ref>{{Cite journal|和書|author=石川篤志, 岸幹也, 山上圭吾 |title=納豆、大豆が健常成人の食後血糖値に与える影響 |journal=生活衛生 |issn=0582-4176 |publisher=大阪生活衛生協会 |year=2009 |volume=53 |issue=4 |pages=257-260 |naid=130004448982 |doi=10.11468/seikatsueisei.53.257 |url=https://doi.org/10.11468/seikatsueisei.53.257}}</ref>。 『[[本朝食鑑]]』には「腹中をととのえて食を進め、毒を解す」とあり、整腸作用<ref>NHKテレビ『[[ためしてガッテン]]』2003年03月12日放送</ref>は古くから知られている。これは、納豆菌が胃酸に耐えて[[腸]]まで生きたまま届くためである<ref>{{Cite journal|和書|author=浜島健治 |title=いわゆる納豆菌(''Bacillus subtilis'')の免疫調節能 |journal=横浜医学 |issn=03727726 |publisher=横浜市立大学医学会 |year=1983 |month=jun |volume=34 |issue=3 |pages=139-142 |naid=40003710533 |url=https://iss.ndl.go.jp/books/R000000004-I2634669-00}}</ref>。 廃物も利用されている。ニワトリの飼料に加えることで、鶏卵の[[コレステロール]]を低減させることが報告されている{{efn|乾燥納豆給与による卵黄中のコレステロール低減] 「13週目には納豆を与える水準にしたがって卵黄中コレステロールが低くなり、3%区では20%以上の低下がみられる」<ref>[http://www.naro.affrc.go.jp/project/results/laboratory/nilgs/2006/nilgs06-02.html 乾燥納豆給与による卵黄中のコレステロール低減] [[農業・食品産業技術総合研究機構]](畜産草地研究所 2006年の成果情報)2021年5月16日閲覧</ref>}}。また、冷蔵庫で長期保存すると白い[[カビ]]のような物が発生するが、これは[[チロシン]]という[[アミノ酸]]の一種で、風味は変化するが食べても差し支えはない。 [[イソフラボン]] (免疫力増強作用・[[ホルモン]]バランス正常化作用)、[[レシチン]] (整腸・抗菌殺菌効果)、[[サポニン]] (抗菌殺菌・高血圧・血栓予防)の効果がある。「納豆食うひと、色白美人」の諺(ことわざ){{efn|[[東北地方]] 納豆の好きな女性には、肌のきれいな美人が多いという意味。}}があるほど、納豆は整腸効果や満腹効果以外に、良質な栄養源であり健康に役立つ食品である<ref>{{Wayback |url=http://www.710.or.jp/hyakka/ped_tyoju07.html|title=納豆百科事典 繊維質: 整腸効果。粘着物質。吸水率。タンパク質。ビタミン。|date=20150307195541}}</ref>。 [[必須元素]]の[[セレン]]が大量(234μg/100g)に含まれているとする説<ref>[http://www.nattou.com/topics/faq.html Q.納豆を毎食一パック食べているが、健康上問題はないのか?よくあるご質問とその回答] 納豆学会(最終更新日2002年11月13日)2021年5月16日閲覧</ref>があるが、原料の大豆は含有量 17.8 μg/100g なので疑問がある。 === 臭気 === 納豆菌を使用して発酵させるため、納豆菌特有の発酵時の臭気がある。{{要出典範囲|68種類のにおい成分から構成されている|date=2017年9月}}。代表的な「[[ピラジン]]」は、アーモンドやココア、パン、味噌・醤油、ほうじ茶にも含まれる臭気である。中には「[[アンモニア]]」成分も含まれており、発酵が進みすぎたり10[[セルシウス度|℃]]以上で保管されていたりすると時間と共にアンモニア臭が強くなる<ref name=jafps1975.6.110 />。「わら納豆」は[[藁]]の臭気、[[経木]]で包んだものはその木の臭気が加わる。また、発酵室内で薫煙処理を行う場合もある。納豆を苦手とする人はこの臭気を理由に挙げることが多く、近年では臭気を抑えた製品も市販されている。 === 医薬品との相互作用 === ビタミンK<sub>2</sub>は、[[抗凝固薬|抗凝血薬]]([[ワルファリン]])の作用を弱めることから、ワルファリン服用中は、納豆を食べないこと<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.pmda.go.jp/safety/consultation-for-patients/on-drugs/qa/0016.html|title=Q3 ワルファリンを飲んでいますが、納豆、クロレラ、青汁などの摂取を避けるように指導されました。なぜ、食べてはいけないのですか?|accessdate=2023-08-12|publisher=独立行政法人 医薬品医療機器総合機構}}</ref><!-- <ref>{{Hfnet|77|ナットウ(ナットウ菌)}}</ref> --><ref>ワーファリン錠添付文書2014年7月改訂(第22版) [[エーザイ]]株式会社</ref>。 == 作り方 == 一般家庭でも納豆を作ることができる。必要なものは、十分に蒸したあるいは茹でた大豆と納豆菌(納豆そのもので代用可)と、[[納豆菌]]が生育する適度な温度(30 - 45℃)、適度な湿度、適度な時間(1 - 2日)、十分な酸素である。適度な温度や十分な時間や酸素がないと納豆にならず煮豆のままとなる。適度な湿度がないと乾燥大豆になり、過剰な時間だと腐敗同然のアンモニア臭に満ちることになる。 === 自然発酵による伝統製法 === [[ファイル:Natto wrapped in straw.jpg|thumb|240x240px|藁苞に包まれたわら納豆]] 伝統的な納豆の作り方は、蒸した大豆を稲の[[藁苞]](わらづと)で包み、40度程度に保温し約1日ほど置いておく。稲藁に付着している納豆菌が大豆に移行し、増殖することによって発酵が起こり、納豆ができあがる。日本における納豆の起源については、「[[聖徳太子]]が[[馬]]の[[飼料]]として残った煮豆を藁で包んで置いたら出来上がった」<ref>{{Cite news|url=https://www.nikkei.com/article/DGXMZO84828100V20C15A3000000/|title=「ワラ納豆」を食べてみた 手間を裏切らぬ濃厚な味|work=|publisher=『[[日本経済新聞]]』NIKKEI STYLE|date=2015年3月27日}}</ref>「[[後三年の役]]で農民が供出した煮豆の藁包みが、糸を引きつつ良い香りを放ち始めたので食べられるようになった」<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.yokotekamakura.com/08_gosannen/03_densetsu/index.html|title=「納豆発祥の地」石碑|publisher=[[横手市]]観光協会ホームページ|accessdate=2017-6-12}}</ref>「[[文禄・慶長の役]]の際に俵詰めした煮豆が載せていた馬の体温で発酵した」<ref name="朝日20210516">[https://www.asahi.com/articles/DA3S14905489.html 「ネバネバ納豆 糸引く魅力」]『[[朝日新聞]]』朝刊2021年5月16日(扉面)同日閲覧</ref> といった伝説があり、いずれも藁についた納豆菌による自然発酵が契機になっている。 納豆用の藁には一定の長さと品質が求められ、手作業で丁寧に刈り取った稲をおだ掛けした自然乾燥させた物が必要となるが、こうした農家は機械化や高齢化で激減している。米価の下落や飼料用米への転作などもあり、藁不足が深刻になっている<ref>{{Cite news|url=http://this.kiji.is/62003576353768956|title=わらづと納豆 危機 コメ農家の機械化、高齢化 手刈りが減少|newspaper =[[茨城新聞]]|date=2016-01-19|accessdate=2016-01-19|archiveurl=https://web.archive.org/web/20160126071641/http://this.kiji.is/62003576353768956|archivedate=2016-01-26}}</ref>。このため水戸市と納豆メーカーが稲藁確保のための協議会を設立し、加工機材の貸し出しなどに取り組む<ref>{{Cite news|url=http://www.nikkei.com/article/DGXLZO17377320W7A600C1L60000/|title=わら納豆安定供給へ、水戸市・生産者ら協議会|work=|publisher=『[[日本経済新聞]]』ニュース|date=2017年6月7日}}</ref>。 === 近代的製法 === 大量生産の要求に応えるため、純粋培養した納豆菌を用いる製造が主流である。衛生的で近代的な工場生産の手法を確立したのは[[半澤洵]]で、半澤は1930年代に研究を重ね<ref>半澤洵、田村芳祐「[https://doi.org/10.1271/nogeikagaku1924.10.520 納豆生成菌に關する研究(第六報)]」『日本農芸化学会誌』 Vol.10 (1934) No.5 P.520-521, {{doi|10.1271/nogeikagaku1924.10.520}}</ref>納豆菌の純粋培養法と衛生的で安定した納豆の製造方法を確立した<ref name=kagakutoseibutsu.49.57>堀田国元、佐々木博「[https://doi.org/10.1271/kagakutoseibutsu.49.57 近代納豆の幕開けと応用菌学]」『化学と生物』Vol.49 (2011) No.1 P.57-62, {{doi|10.1271/kagakutoseibutsu.49.57}}</ref>。 蒸した大豆に純粋培養した納豆菌の分散液をかける。次いでこれを発泡スチロール容器や紙パックに充填し40-42℃で6時間程度保温すると納豆菌の増殖に伴う発酵熱で温度が上昇し、18-24時間経過後、冷却により発酵を停止させる。流通段階でのアンモニア増加を抑制するため10℃以下に保ち<ref name=jafps1975.6.110 />、[[食品衛生法]]など必要な法令により求められる表示が行われ出荷される。 === 衛生面 === {{出典の明記|date=2021年3月|section=1}} 製法にかかわらず、「販売する食料品」として納豆を製造するには、[[食品衛生法]]に基づき都道府県知事(保健所を設置する市では市長、特別区では区長)の許可が必要である。市販の納豆の大部分は、上述のように純粋培養した納豆菌を[[種菌]]として用いる製法によって製造されている。 こうした純粋培養の種菌を使った納豆を伝統食品らしさを演出するため稲藁で包んだ製品以外に、稲藁に付着している納豆菌を用いた伝統的な製法による納豆も少ないながら製造され、流通している。この製法での納豆菌は耐熱性の高い[[芽胞]]となって藁に付着しており、沸騰している湯に数分浸すと他の雑菌は大部分が煮沸されて死滅し、納豆菌芽胞が生き残る。その後、茹でた大豆を藁と接触させ37~42℃に保つと、納豆菌は芽胞から発芽し増殖を始める。そして、その旺盛な繁殖力で、死滅を逃れた他の芽胞菌類に先んじて栄養となる物質を消費し、他の微生物の繁殖を阻む。 日本国内で流通する市販品は、食品としての基準に適合するよう衛生管理され製造されている。なお、敢えて自家で納豆を作ることを試みる場合には、いくつかの留意点がある。納豆菌は酸にはやや弱く、[[乳酸菌]]の活動によって生まれる[[乳酸]]によって活動が阻害されることがある。また技術開発の結果普及した臭気の弱い種の納豆では、活動がさほど旺盛ではない菌株が用いられており、環境によっては雑菌が繁殖する余地がある。また、納豆菌の天敵として細菌寄生性[[ウイルス]]の[[ファージ|バクテリオファージ]]があり、ファージ活動後に雑菌が繁殖することもありうる。特に納豆菌繁殖前の茹でた大豆には雑菌が極めて繁殖しやすい。厳格な衛生管理が行える工場生産の場合と異なり、自家製の場合は管理が甘くなりがちであるため、食用に供するには衛生面での配慮が必要である。発酵中にファージが活動した場合は糸引きが弱いので、仕上がりに少しでも違和感を感じた場合にはすぐに廃棄するべきである。 == 食べ方 == {{出典の明記|date=2021年3月|section=1}} [[ファイル:Natto, with welsh onion and karashi by yoppy.jpg|thumb|200px|ネギ、からしを添え、タレをかけた納豆。]] いわゆる'''納豆ご飯'''として、[[白米]]を炊いたご飯に納豆を載せて一緒に食べることが多い。この食べ方も江戸時代から既に普及していたとされている<ref name="食の研究所" />。 納豆を叩き刻んで味噌汁に入れた[[納豆汁]]は、江戸時代までは納豆ご飯よりも頻繁に食卓に上っていた。[[蕎麦|そば]]、[[うどん]]、[[カレーライス]]、[[ラーメン]]、[[チャーハン]]、和風[[スパゲッティ]]のトッピング、[[お好み焼き]]や[[オムレツ]]、焼き[[餅]]の具、[[納豆巻き]]や[[軍艦巻]]の[[寿司]]ネタ、[[天ぷら]]<ref name="朝日20210516"/>のタネなどとしても用いられる。 納豆をパンにのせる・袋状のパン(ピタ)に入れる・挟む等の方法で食べることも、いわゆる納豆パン、納豆トーストといった食べ方もある。 === 薬味・付け合わせ === [[ファイル:Japanese okranatto 2014.jpg|thumb|オクラ納豆]] 醤油や[[めんつゆ]]等のタレの他、[[からし|和ガラシ]]を加える食べ方が一般的。薬味として鶏卵や[[ウズラ]]の卵、ネギ、ミョウガ、大根おろし、[[とんぶり]]、削り節、海苔、青海苔などを合わせて食べることも多い。[[ヤマノイモ]]や[[ナガイモ]](とろろ)、[[メカブ]]、[[アカモク|ギバサ]]、オクラ、なめ茸など、納豆同様に粘り気がある食品と混ぜることも行われる。 ネギやからしを加えると納豆の[[アンモニア臭]]を抑える効果があり、優れた薬味ともいえる。ネギやからしを途中で加えずに、蕎麦のネギやワサビと同様に最後に少しだけ載せたり、からしの代わりにワサビを載せたりする場合もある。 北海道や東北地方では、醤油に上白糖を混ぜて甘だれ風にしたものを使用する地域がある。納豆に砂糖を加えると粘りが増す。市販の納豆の添付たれは、ほとんどのメーカーで醤油やめんつゆに砂糖を添加した物が使われている。 福島県の一部では白菜の漬物を入れる風習がある<ref>[[読売テレビ]]『カミングアウトバラエティ [[秘密のケンミンSHOW]]』2010年5月20日放送回{{要高次出典|date=2017年9月}}</ref>。[[ノザワナ|野沢菜]]漬などを混ぜて食べられることもある。漬物に含まれる[[乳酸]]は[[アンモニア]]を中和し、臭いを抑えて食べやすくする効果がある。 == 販売形態 == {{出典の明記|date=2021年3月|section=1}} [[ファイル:Natto boxed.jpg|thumb|200px|発泡スチロール容器に入った納豆]] 主にスーパーマーケットやコンビニエンスストアなど、冷蔵施設を備える食料品売り場で広く売買されている。納豆の自動販売機も存在する<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.sendainatto.jp/zihanki/|title=納豆自販機について|accessdate=2019年11月4日|publisher=納豆工房せんだい屋}}</ref>。茨城県や埼玉県川越市などでは土産物(名産品)として販売している場合もある。かつては「納豆売り」と呼ばれる[[行商]]人が納豆を売り歩く[[振り売り]]などが盛んであった。売り声は「なっと〜〜、なっと〜〜(語尾をあげる)」というものであった{{efn|江戸後期の作家[[式亭三馬]]の『[[浮世風呂]]』(1809年)には、納豆の売り声が記録されている{{sfn|石塚|2016|pp=95-96}}。[[寺田寅彦]]は随筆「物売りの声」(1935年)で、納豆屋の「ナットナットー、ナット」という売り声が最近聞かれなくなったと書いている{{sfn|石塚|2016|p=103}}。}}。 藁苞納豆は明治時代の東京で派生したもので、経木納豆は大正期以降に行われていた。 1960年代以降は、流通面で効率的なことなどから、一般的には発泡スチロール容器が使われている。発泡スチロール容器は積み重ねられる形状になっていて、2 - 4つを1セットとして売られている場合も多い。また、納豆を容器に入れたままかき混ぜて糸を引くことができるように、底に凹凸が付けられるなどの工夫もなされている。発泡スチロール容器の普及は納豆の消費拡大に大きく貢献した。ただし、藁に比べると通気性が悪く、また納豆の臭い成分を吸着しにくいために、納豆独特の臭いがこもって強くなる傾向がある。こうした風味の違いや、「自然食品」的なイメージから、一部の高級品や自然志向の商品、土産物では現在でも藁や経木を使う場合がある。 からしと納豆用のタレが付属することも多い。 なお、2008年には[[ミツカン]]が新改良の発泡スチロール容器の製品を発売した。これは同梱のタレを従来の液状袋入りからゼリー状にして容器内の小室に直接注入したもので、納豆とタレ袋を分離するフィルムを無くして通気性を向上させると共にタレとの混合を容易にしていた。しかし、ゼリー状のタレが溶けづらい、納豆のスペースが狭く混ぜにくい等の問題点もあり、2012年からは蓋に液体タレを内包させ、蓋を折って投入する新方式に変更している<ref>{{Cite web|和書|title=簡単・便利、そして楽しさを追求した容器の革新 「パキッ!とたれ」|publisher=ミツカン|url=http://www.mizkan.co.jp/company/csr/rd/pakittotare.html|accessdate=2020-08-22}}</ref>。 == 種類 == [[ファイル:Hikiwari natto.jpg|right|thumb|200px|ひきわり納豆]] === 粒の大きさ === 粒の大きさによって種類があり、大粒>中粒>小粒>極小粒>超極小粒>ひきわりの順で小さくなる<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.takanofoods.co.jp/products/search/size.php |title=粒の大きさで選ぶ |publisher=タカノフーズ |accessdate=2018-01-03 }}</ref>。原料となる大豆の粒の大きさについては[[農林水産省]]の農産物規格規程によって下表の通りに定められており、丸目の[[篩|ふるい]]を使って振り分ける<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.maff.go.jp/j/kokuji_tuti/kokuji/k0001439.html |title=農産物規格規程 |publisher=農林水産省 |date=2013-03-29 |accessdate=2018-01-03 }}</ref>。なお、超極小粒については規格規定にない。 {| class="wikitable" |- !区分 !ふるいの目の大きさ(直径) |- |大粒 |7.9 mm(品種によっては8.5 mm、9.1 mm もある) |- |中粒 |7.3 mm |- |小粒 |5.5 mm |- |極小粒 |4.9 mm |} [[全国納豆協同組合連合会]]が2005年に実施した消費者アンケート調査では、粒の大きさとして小粒を好む人の割合がおおむね高い (40%) ものの、特にこだわらないという人も一定数存在する (25%)<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.natto.or.jp/reseach/reseach12.html |title=リサーチデータ |publisher=全国納豆協同組合連合会 |date=2005 |accessdate=2018-01-03 }}</ref>。 茨城県で[[水戸納豆]]づくりが盛んになったのは、江戸時代に[[水戸藩]]が作付けを奨励した、台風襲来前に収穫できる早生大豆が小粒で、豆腐・味噌には使いにくかったためとされる<ref name="朝日20210516"/>。 === ひきわり納豆 === 碾き割り、即ち砕いた大豆を発酵させることによって作られる納豆。ひきわり納豆に対し、割っていない大豆を使った納豆は「つぶ納豆」(粒納豆)または「丸大豆納豆」と呼ばれる。ひきわり納豆はつぶ納豆に比べて[[ポリグルタミン酸]]は少ないが発酵が早く、消化にも良いとされる上、[[カルシウム]]を効率的に吸収する役割の[[ビタミンK]]が豊富である。つぶ納豆を刻んだような形状をしていることから、発酵後に納豆を刻んだものと誤解されることがあるが、実際は発酵以前の浸水前に大豆を砕いている。 秋田県など北東北では古くからひきわり納豆が作られていた。他地方ではひきわりは「くず豆」の印象が強く敬遠されていたが、現在では糸引き納豆の一種として普及している<ref>{{Cite web|和書|url=https://nanmoda.jp/2019/07/7371/ |title=ひきわりLOVE!〜納豆の聖地、ヤマダフーズへ〜 | なんも大学 |publisher= |date=2019-07-17 |accessdate=2023-07-11}}]</ref>。 === 塩辛納豆 === 塩辛納豆もしくは[[大徳寺納豆|寺納豆]]・[[浜納豆]]とは、現在一般的な糸引き納豆との[[レトロニム|区別をつけるための便宜上の名称]]である。現在「納豆」といえば納豆菌を発酵させたいわゆる糸引き納豆を指すのが一般的だが、糸引き納豆が登場したのは中世以降のことであり、それ以前の定義で「納豆」とは、[[麹|麹菌]]を使って発酵させた後に乾燥・熟成させたものであった。製法も風味も黒味噌や[[醤]](ひしお)に近い。日本伝来前のものは今でも中国大陸で[[豆豉]]として存在している。豆醤(まめびしお)、[[麹]]納豆(こうじなっとう)、醤納豆・干塩納豆(ひしおなっとう)とも呼ばれる。 なお、[[山形県]]などの東北地方の一部には、糸引き納豆に麹と塩を混ぜて発酵させた(一般的に想像される「[[塩辛]]」に似た)「五斗納豆」というものも存在する。食べ方は[[魚介類]]の塩辛と同じように、ご飯のお供やお[[茶漬け]]の具として用いる。一部の産地では[[雪]]が降る季節に熟成させることで低温発酵させているものがあり風味が少し異なる。これは「雪割納豆」と呼ばれる<ref>[http://okitamaok.com/yukiwarinattou.html/ 雪国の醗酵文化が生んだ熟成・麹納豆「雪割納豆」を紹介すっからなっす!!] [[置賜地方|おきたま]]新聞(2015年4月21日)2021年5月16日閲覧</ref>。 === その他 === 山形県酒田市の''塩納豆''、熊本県の''金山寺納豆''などローカル色に富んだ納豆もある。 == 納豆料理 == {{出典の明記|date=2021年3月|section=1}} [[ファイル:納豆汁20101231.JPG|thumb|200px|納豆汁]] [[ファイル:Dried Natto.jpg|thumb|right|200px|干し納豆]] [[File:納豆餅.jpg|thumb|200px|納豆餅(京都市)]] ; [[納豆汁]] : 味噌汁の調味料または具として納豆を加えたもの。江戸時代には、現代でいうインスタント味噌汁のような「叩き納豆」を売り歩く「納豆売り」がおり、当時は納豆ご飯よりも主流の食べ方だった<ref name="siwa" />。東北地方では現在も広く食べられる。 ; [[巻き寿司|納豆巻き]] : 海苔の上に酢飯を乗せ、納豆を巻いた細巻の寿司。ひきわり納豆を主に使用する。 ; 醤油かけ納豆 : 納豆に醤油をかけたもの。現代でも代表的な食べ方の一つ。市販のパック入り納豆では予めパックに醤油タレとからしが添えられているものが多い。 ; 納豆ご飯 : ご飯の上に納豆をかけたもの。現代でも代表的な食べ方の一つ。前述したように、江戸時代に納豆ご飯が普及していたとされている。 ; そぼろ納豆 : 茨城県特産で、[[農林水産省]]選定の「[[農山漁村の郷土料理百選]]」に選ばれている<ref>{{Cite web|和書|url=https://koizumipress.com/archives/6700|title=切干し大根、ベストのメニュー!「そぼろ納豆」|accessdate=2023-03-08|website=丸ごと小泉武夫 食マガジン}}</ref>。しょぼろ納豆とも呼ぶ<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.maff.go.jp/j/keikaku/syokubunka/k_ryouri/search_menu/menu/soboronatto_ibaraki.html|title=そぼろ納豆/しょぼろ納豆 茨城県|うちの郷土料理|accessdate=2023-03-08|website=農林水産省}}</ref>。納豆に刻んだ切り干し大根を混ぜ込み、醤油等の調味料で味をつけたもので、そのまま酒のつまみとして食べたり、ご飯にかけて食べたり、お茶漬けにして食べたりする<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.lotascard.jp/column/travel/kanto/2921/|title=ポリポリとした食感がやみつきに! 茨城県民のソウルフード「そぼろ納豆」|accessdate=2023-03-08|website=ロータスタウン}}</ref>。 ; 干し納豆 : 茨城県特産。納豆を天日干しすることにより長期保存可能にしたもの。なお納豆を乾燥させても、納豆菌は死滅しない。食べ方としてはそのまま食べるほか、湯につけて戻す、お茶漬けにするなどがある。元来は保存食だったとされるが、現在は納豆の入手できない日本国外へ旅行に行く際に持っていく場合があるという。 ; 揚げ納豆 : 干し納豆に近いが、これは納豆を油で揚げ、粘り気を取り去ったもの。納豆独特の臭いも目立たない。揚げても納豆菌が死滅しないように、特別な製造技術が用いられている。そのまま酒のつまみとして食べることが多い。醤油、塩、梅、一味唐辛子などの味がつけられている。[[日本航空]]の国際線機内でも酒肴として提供されている。 ; [[納豆餅]](京都市) : 京都市京北町界隈には、南北朝時代より作られてきた、[[常照皇寺]]発祥とされる「山国納豆」があり、これを餅に練りこんで保存食とする。 ; [[納豆餅]](東北地方) : 山形県では、搗き立て、もしくは湯で柔らかくした餅に納豆を絡めて「納豆餅」として食べる<ref>{{Cite web|和書|url=http://waga.nikkei.co.jp/play/kiko.aspx?i=MMWAa2006023032009|title=このごろのお餅(その1)-日本経済新聞 文化部編集委員 野瀬泰申|accessdate=2018-01-09|date=|publisher=日本経済新聞|archiveurl=https://web.archive.org/web/20180108190452/http://waga.nikkei.co.jp/play/kiko.aspx?i=MMWAa2006023032009|archivedate=2018-01-08}}</ref>。山形県では普通の食べ方であり、家庭で料理として作る・食堂のメニューに入っているのみならず、スーパーマーケットなどで惣菜として販売されている程であるが、同様の食べ方をする地域は、宮城県や北海道などに限られる模様<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.pref.yamagata.jp/ou/somu/020020/03/mailmag/series/pride/nattomodu.html|title=納豆餅 いま、山形から…山形県メールマガジン第281号|accessdate=2018-01-09|date=|publisher=[[山形県]]|archiveurl=https://web.archive.org/web/20180108190154/http://www.pref.yamagata.jp/ou/somu/020020/03/mailmag/series/pride/nattomodu.html|archivedate=2018-01-08}}</ref>。 : 岩手県一関市、県境を挟んで隣接する宮城県栗原市では、年間を通じて様々な調理方法で餅を食べるが、その中で「納豆餅」が、山形県と同様の形で食されている<ref name=":0">{{Cite web|和書|url=https://style.nikkei.com/article/DGXMZO25062400V21C17A2000000?channel=DF080420167222|title=餅をいつでもおいしく食べる知恵 岩手・一関の食文化|accessdate=2008-01-09|date=2017-12-29|publisher=日本経済新聞|archiveurl=https://web.archive.org/web/20180108192058/https://style.nikkei.com/article/DGXMZO25062400V21C17A2000000?channel=DF080420167222|archivedate=2018-01-08}}</ref>{{Refnest|group="注釈"|岩手県一関市、宮城県栗原市は、江戸時代にはいずれも[[仙台藩]]に属した。年間を通じて餅を食べる風習は、本来は仙台藩の農政に由来する<ref name=":0" />。}}。 ; 塩納豆 : 高知県の一部の地域の郷土料理。納豆に塩と[[糠]]をまぶして鉄鍋で炒る。伝統的な製法では、市販の納豆の代わりに蒸した大豆を[[籾殻]]の中に入れ、糸を引くようになったものを用いる。また、上記の山国納豆が伝わったとされる京都府亀岡市や和歌山県の真国川流域でも塩和えにして食している<ref>[https://www.sankei.com/article/20160301-DJDNNBUBVZNT3JAGZTIPGPMDCM/ 「納豆嫌い」の和歌山に「納豆集落」があった! 京都から伝来か]『[[産経新聞]]』2016年3月1日</ref>。 ; スタミナ納豆 : ごま油、ショウガ、ニンニクで炒めた鶏の挽肉に納豆を和え、隠し味に[[タバスコ]]を加えた料理。鳥取県中部の学校給食で提供されている<ref>[http://www.city.kurayoshi.lg.jp/p/gyousei/div/kyouiku/kyushoku/4/ 鳥取県倉吉市 行政サイト トップページ]</ref>。 ; 納豆あえ : 納豆にチーズ、パセリ、醤油、砂糖を加え、よくかき混ぜた料理<ref>[http://www.city.toyota.aichi.jp/division/da00/da03/1199549_7220.html#03 学校給食レシピ|豊田市ホームページ]</ref>。愛知県豊田市や千葉県船橋市の学校給食で提供されている。 ; さくら納豆 : 納豆と馬肉を和え、醤油等で味付けした料理<ref>[http://www.ytv.co.jp/kenmin_show/secret/this_week/bn169740.html ケンミンの秘密 | カミングアウトバラエティ 秘密のケンミンSHOW(2010年7月1日放送)]</ref>。熊本県では定番の料理。 ; 納豆茶漬け : 醤油を混ぜて練った納豆を熱い飯の上に乗せ、煎茶をかける。納豆の量は飯の4分の1程度、多すぎても少なすぎてもいけない<ref>[[北大路魯山人]]『魯山人味道』中公文庫、p.171, ISBN 9784122023468</ref>。 ; [[ばくだん丼]] : 丼飯の一種。バリエーションが多様だが、マグロなどの刺身と、納豆、とろろ、オクラなどの粘り物を載せたものが多い。 ; [[納豆雑煮]] : [[雑煮]]の一種。[[福岡県]][[うきは市]]、[[熊本県]][[山鹿市]]、熊本県[[合志市]]、[[大分県]][[日田市]]などで食される。 == 地域別状況 == [[枯草菌]]によって大豆を発酵させた食品は、日本の糸引き納豆に相当するものから乾燥させたものまで、様々な形状や調理法がある{{Sfn|横山|2014|p=60}}。これらの食品は、大豆様発酵食品{{Sfn|新国|1996|p=}}、無塩発酵大豆食品{{Sfn|横山|2010|p=}}、大豆利用発酵食品{{Sfn|島田|1986|p=}}などとも呼ばれる。 [[東南アジア]]、[[ヒマラヤ]]地域、[[西アフリカ]]では、納豆あるいは乾燥納豆と似た発酵食品が製造されている。日本の納豆は常温ではかなり早く発酵作用が進む(冷蔵ではその限りではなく、また冷凍も可能)ため、短期間で風味が落ちる場合もあるが、以下の各地域の発酵食品は長期保存が可能なものもある。 納豆は「世界の臭い食べ物」にもしばしば選出<ref>[http://purpleslinky.com/offbeat/horrible-smelling-foods/ 世界の臭い食べ物]</ref>されており、納豆が持つ臭いとネバネバした食感に対して、欧米人からは「かなり食べにくい」との声が聞かれる<ref>[http://www.enbuenasmanos.com/articulos/muestra.asp?art=429 En Buenas Manos "El Natto"]</ref>。{{独自研究範囲|他方で納豆を好む欧米人も多く、かつ増えつつあり、類似した発酵食品がほとんどない[[セルビア]]出身の[[ドラガン・ストイコビッチ]]のような熱烈な納豆ファンもいる。|date=2023年2月}} {{要出典範囲|骨にカルシウムを与えて強固にする[[ビタミンK|ビタミンK2]]などの[[ビタミン]]類やミネラル([[マグネシウム]]など)、[[食物繊維]]、腸に良い[[乳酸菌]]、[[蛋白質]]が含有されている。骨にも良く、[[免疫]]力を高める健康食である。|date=2023年2月}}長寿国日本の長生きの秘訣として、各国の健康志向の高まりにともない、国外でも臭いを弱めたものなども含めて人気を博している<ref>{{Cite web|和書|url=http://japanese.joins.com/article/365/238365.html?servcode=300&sectcode=300|title=韓経:韓国の食卓に定着する納豆|accessdate=2018-04-13|website=|publisher=[[中央日報]]|language=ja|archiveurl=https://web.archive.org/web/20180413071205/http://japanese.joins.com/article/365/238365.html?servcode=300&sectcode=300|archivedate=2018-4-13}}</ref><ref>{{Cite news|title=納豆市場が急拡大 ヘルシー志向の高まりで=韓国|newspaper=[[朝鮮日報]]|date=|url=http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2018/02/06/2018020600936.html|accessdate=2018-04-13|publication-date=|language=ja|archiveurl=https://web.archive.org/web/20180413071427/http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2018/02/06/2018020600936.html|archivedate=2018-4-13}}</ref><ref>{{Cite news|title=納豆にも国際規格? 類似品対策、道険しく|くらし&ハウス|NIKKEI STYLE|date=|last=|url=https://style.nikkei.com/article/DGXMZO07427120Q6A920C1TZD000?channel=DF130120166127|accessdate=2018-04-13|publication-date=|language=ja|archiveurl=https://web.archive.org/web/20180413070802/https://style.nikkei.com/article/DGXMZO07427120Q6A920C1TZD000?channel=DF130120166127|archivedate=2018-4-13|work=日本経済新聞}}</ref>。 === 日本 === [[ファイル:Nattou hassyou no ti hi 1.jpg|thumb|right|160px|「納豆発祥の地」碑]] [[ファイル:Nattou hassyou no ti hi 2.jpg|thumb|right|160px|「納豆発祥の地」碑]] * [[秋田県]] - 納豆発祥の伝説は日本各地に存在するが、そのうちの一つが[[横手市]]にあり、[[金沢公園 (横手市)|金沢公園]]に「納豆発祥の地」の碑が設置されている。[[後三年の役]]の際、[[源義家]]の軍勢が兵糧として運んでいた煮豆が、馬の体温で醗酵して納豆になったという伝説である(他の地の伝説でも義家が関与するもの、あるいは他の武将でも馬の体温による醗酵を語るものが多い)。また、[[秋田音頭]]に「桧山納豆」([[能代市]]桧山地区)が秋田名物の一つとして謳われている。 * [[福島県]] - 都道府県庁所在地・政令指定都市ランキングで[[福島市]]が納豆消費量日本一である<ref>[https://www.stat.go.jp/data/kakei/5.html 総務省統計局 家計調査(二人以上の世帯) 品目別都道府県庁所在市及び政令指定都市ランキング(平成27年(2015年)~29年(2017年)平均)]</ref>。取り立てて「納豆を食べよう」というキャンペーンは行っておらず、福島市民はもちろんのこと、市役所職員ですら日本一である事に疑問を持っている。思い当たる節として「義務教育期間の給食で納豆を出すこと」が挙げられている。生産量一位の茨城県水戸市では3カ月に1回の割合で[[給食]]に納豆が出るのに対し、福島市では最低でも2週間に1回は給食に納豆が出る。幼少期から納豆を食べる習慣があるためか、スーパーマーケットには納豆コーナーが豆腐コーナーよりも大きく設置されており、ほとんどが100円以下で購入出来る。給食や朝食以外にも納豆を食べる家も多く、納豆が嫌い・臭いと敬遠する人が珍しがられる地域である。 * 茨城県 - 水戸市は納豆生産量が日本一である<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.sankei.com/article/20220621-RHNRVISHKNKUHAOKR66DXQD7RM/|title=7月10日は「納豆の日」、水戸市で条例可決|publisher=産経ニュース|date=2022-06-21|accessdate=2022-06-21}}</ref>([[水戸納豆]])。明治以降、鉄道(水戸線)の開通に伴い、[[天狗納豆]]の命名者とされる笹沼清左衛門が土産品として納豆を販売したのをきっかけに、産地として最も知られている。毎年[[3月10日]](水戸の日)に「納豆早食い大会」が開催されている。 * 熊本県 - 九州の中でも例外的に古くから普及している。全国規模の納豆製造会社が2社ある。スーパーマーケットで普通に販売され消費量も多い<ref>{{Cite web|和書|url= https://www.pref.kumamoto.jp/common/UploadFileOutput.ashx?c_id=3&id=8689&sub_id=1&flid=1369 |title=統計アラカルト|publisher=熊本県|accessdate=2020-7-5}}</ref>。 ==== 東西差 ==== 特に[[北関東]]から[[南東北]]にかけて消費量が多い。生産量日本一は茨城県、消費量日本一は福島県である。逆に消費量が少ないのは西日本で、最下位は和歌山県である。2004年の調査では西日本でも納豆好きは半数で嫌いは20%という結果であり、納豆消費金額は20年前の4 - 6倍以上に増加している<ref><!-- http://www.mainichi-msn.co.jp/kurashi/shoku/news/20040426k0000e040068000c.html -->「納豆:関西では今や夕食のおかず」[[MSN]]ニュース:2004年4月※[[夙川学院短期大学]](兵庫県)による2004年のアンケートと、2003年[[家計調査]]の20年前との比較。</ref>。 [[NTT]]ナビスペースが、2009年3月にPotora会員に対して実施した納豆の好き嫌いの調査では3,827の回答があり、70.2%が「好き」、15.1%が「好きではないが、健康のために食べる」、14.7%が「嫌い(食べない)」となった。近畿・四国・中国地方では、「好き」が過半数ではあるが他地域と比べ「嫌い」の比率が高く、特に奈良県、島根県、徳島県、高知県では好きが半数未満であった{{efn|設問内容に「嫌いだが食べる」という項目があるのに対し、「好きだが食べない」という項目が無いので好き・嫌いの比率は得られるが、食べる・食べないの比率は得られない。また調査対象がPotora会員に限られ、回答の有効性に懸念が残る。また回答数は3,827件ではあるが、県単位の回答数では十分でない可能性があり、県別の結果の信頼性には疑問が残る。{{Cite web|和書|url=http://www.research.nttnavi.co.jp/304z/903natto01.html|title=納豆は好きですか?|accessdate=2012年12月8日}} }}。 === アジア === [[ヒマラヤ山脈|ヒマラヤ]]麓の[[ネパール]]および[[ブータン]]、[[インド]]の[[西ベンガル州]]と[[シッキム州]]、中国[[雲南省]]から[[タイ王国|タイ]]をはじめとする[[東南アジア]]にかけた地域に見られる{{Sfn|原|1990|pp=}}。東アジアや東南アジアの無塩発酵大豆から分離した納豆菌の[[プラスミド]]を調べると、共通の祖先を持つことが判明した。ネパール型の分岐は約1億6千万年前、中国・日本型とタイ型の分岐は約1億3千万年前、中国型と日本型の分岐は約7千万年前に起きていた{{Sfn|原|1990|p=679}}。 ==== 加工方法 ==== #粒状納豆 - 見た目は日本の糸引き納豆に近く、[[枯草菌]]の種類の違いによって糸が引かないものもある。粒状はそのまま食べるよりも加工されることが多いが、[[ミャンマー]]の[[カチン州]]やネパール系諸族では粒のまま野菜に和えたりして食べる{{Sfn|横山|2014|p=61}}。 #ひき割り納豆 - 豆を刻んだものから、ペースト状に挽いたものまである。塩や唐辛子、ニンニク、[[レモングラス]]などの香辛料を加えて乾燥させることが多い。タイやミャンマーでよく用いられる方法。調味料としてスープに入れたり餅米にのせて食べることもある{{Sfn|横山|2014|pp=61-62}}。 #粒状熟成納豆 - 粒状のものを塩水に漬けて熟成させる。[[カンボジア]]の中国系の人々に見られる方法{{Sfn|横山|2014|p=62}}。 #干し納豆 - 粒状納豆を天日で乾燥させる。ミャンマーの[[シャン州]]やカチン州、インドのシッキム州、ネパールなどで行われている{{Sfn|横山|2014|pp=62-63}}。 #蒸し納豆 - [[タイ北部]]やミャンマーの[[シェン州]]、中国の[[雲南省]]などで作られている。バナナの葉で包んで蒸す{{Sfn|横山|2014|pp=64-65}}。 #せんべい状納豆 - 叩いて平たくした納豆を乾燥させる。タイ、[[ラオス]]、ミャンマーに多い方法。塩や香辛料を混ぜているが、販売用には塩だけのものやプレーンなものもある。大きさは直径10cmほどが多く、厚焼きクッキーや碁石のような形状もある{{Sfn|横山|2014|p=65}}。 #味噌状納豆 - ヒマラヤ地域のインドやブータンなどで見られる方法。粒を砕いて干し、さらに砕いて熟成させると、1年ほどは保存可能となる。味噌に似ているが麹菌ではなく枯草菌で発酵させる{{Sfn|横山|2014|pp=66-67}}。 アジア各地の納豆類は、藁よりも各種の植物の葉に包んで製作されることが多い。近年では、植物を得るのが困難になったり、簡単に作れるという理由からプラスチック袋が増え、段ボールや新聞紙を使う地域もある{{efn|プラスチック袋は通気性があり、日本の土嚢袋に似ている{{Sfn|高野|2020a|p=38}}。}}{{Sfn|横井|2014|p=286}}{{Sfn|高野|2020a|p=38}}。傾向として、シダ類やイチジク属の葉を使うヒマラヤ地域やミャンマーのカチン州では粒状の納豆が多く糸引きが強い。チーク属やサラノキ属の葉を使うミャンマーのシャン州やタイ北部では、乾燥したせんべい状の納豆が多く、粒では糸引きが弱い{{Sfn|横山|2010|p=91}}。 ==== 各地の納豆系食品 ==== * 中国 - 雲南省の[[苗族]]は大豆から[[豆豉]]や水豆豉と呼ぶ納豆を作る。北部の豆豉は浜納豆に近いもので、麹カビと塩で熟成させる。南部の豆豉は褐色でより水っぽい{{Sfn|吉田|2000|pp=77-78}}。過去には、布とシダの葉で包んで仕込んで作っていたという{{Sfn|高野|2020a|pp=378-381}}。豆豉は生食の習慣もあり、醤油、ネギ、唐辛子と混ぜて米飯にかけて食べる{{Sfn|吉田|2000|pp=77-79}}。干豆豉は唐辛子やネギと炒め物にもする{{Sfn|高野|2020a|p=370}}。 * [[インド]] - 納豆がある地域は、チベットから南下した民族や、タイやミャンマーから西に移動してきた民族が多い{{Sfn|横山|2014|pp=58-59}}。ネパールに近い[[シッキム州]]や{{仮リンク|ダージリン県|en|Darjeeling district}}ではキネマが作られており、仕込みにはシダの葉を使っている{{Sfn|新国|1996|p=237}}。他に[[ナガランド州]]のザーチェイ、フクマタ、アクニ、[[マニプル州]]のハウアイザール、[[アーンドラ・プラデーシュ州]]のペルヤン、チュクチョロなどもあり、ナガランド州には15の民族があり納豆の呼称は19種類ある{{Sfn|横山|2014|pp=55, 59}}。 * [[インドネシア]] - [[テンペ]]と呼ばれる食品があり、大豆を煮てテンペ菌([[クモノスカビ]])で発酵させてブロック状にする。そのまま食べたり煮物、揚げ物などに調理する。インドネシアでは、大豆の他にも[[ナタマメ]]や[[ギンネム]]などの有毒な豆をテンペ加工して食用とする{{Sfn|吉田|2000|pp=81-84}}。 * [[ネパール]]、[[ブータン]] - [[キネマ (食品)|キネマ]]と呼ばれる{{Sfn|新国|1996|p=237}}。ブータン東部ではリビイッパ(リビは大豆を指す)、ネパール東部ではバタマス・ゴエン(バタマスは大豆を指す)とも呼ぶ{{Sfn|吉田|2000|p=64}}。煮た大豆を臼と杵で搗き、灰をかけたバナナの葉を竹籠に敷いて豆を詰めて発酵させる{{Sfn|新国|1996|pp=237-}}。バナナの他に[[パパイア|パパイヤ]]の葉やプラスチック袋なども使う{{Sfn|高野|2020a|p=237}}。料理では、生の納豆は唐辛子をはじめとするスパイスと炒めてカレーにする。乾燥した納豆は[[トマト]]や唐辛子と混ぜて漬物の[[アチャール]]にする{{Sfn|吉田|2000|pp=74-75}}。[[ダルバート]]のカレーや、タルカリ(おかず)に入れる{{Sfn|高野|2020a|pp=227-228, 251}}。ブータン東部には数ヶ月や1年以上保存する納豆があり、麹やチーズで仕込み、調味料や家畜の薬とする{{Sfn|吉田|2000|pp=76-77}}。イギリスに勤務した[[グルカ兵]]もキネマを食べる{{Sfn|高野|2020a|pp=244-245}}。 * [[タイ王国|タイ]] - 北部のシャン族を中心に、[[トゥアナオ]]またはトナオ(Thua-Nao)という加工食品を作る。トゥアは豆、ナオは臭いを意味する{{Sfn|吉田|2000|p=67}}{{Sfn|横山|2012|pp=132-148}}。仕込みには、過去には[[フタバガキ科]]の樹木の葉を使っており、樹木の減少によってバナナの葉やプラスチック袋を使うようになった{{Sfn|高野|2020a|p=49}}。トゥアナオは形状で3種類に分けられ、トゥアナオ・ケップ、日本の納豆に似た糸を引く粒納豆のトゥアナオ・サ、ブロック状のトゥアナオ・ウがある。トゥアナオ・ケップは、[[ゲーン]](汁物)や[[カノム・ジーン]](米麺)の具にする{{Sfn|高野|2020a|pp=42-43}}。トゥアナオ・サはトゥアナオ・メッ・コーという炒め物や、ソースの[[ナムプリック|ナムプリック・トゥアナオ]]、ナムプリック・オーンに使う{{Sfn|高野|2020a|p=39}}{{Sfn|横井|2014|pp=147-148}}。ひき割り状のものはナムプリックに混ぜて餅米につけて食べ、蒸してペースト状にしたり焼いたりして食べる。農民の野良仕事の日常食でもある{{Sfn|高野|2020a|pp=44-48}}{{Sfn|横井|2014|pp=}}。トゥアナオ・ウは調味料として使い、粉末にした納豆はトゥアナオ・ポンとも呼び、茹でた野菜などにつける{{Sfn|横井|2014|p=148}}。 * [[ラオス]] - トゥアナオを作る。せんべい状の乾燥したトゥアナオ・ペーン、粒状のトゥアナオ・メット、ひき割り状のトゥアナオ・ムン、味噌状の納豆がある{{Sfn|吉田|2000|p=74}}{{Sfn|横井|2014|p=92}}{{Sfn|今津屋|2016|p=36}}{{Sfn|横井|2014|pp=112-113}}。生産ではプラスチック袋が多く使われ、植物の葉を使う際には[[ラーオ語]]でバイ・トンチンと呼ぶ{{仮リンク|フリニウム属|en|Phrynium}}の葉を使い、バナナや[[カンナ (植物)|カンナ]]の葉も代用にする{{Sfn|横井|2014|pp=110-112}}。調理では、米麺の[[カオソーイ]]の豚そぼろソースに入れる。他に粒状とひき割り状のものはチェオと呼ぶソースの素材にしたり、せんべい状のものは炒め物や揚げ物にする{{Sfn|横井|2014|pp=112-113}}。 * ミャンマー - [[シャン州]]ではトゥアナオ、ベーセイン、ペーボウッ、[[カチン州]]ではノップー、ノーシー、アノシと呼ぶ{{Sfn|横山|2014|p=55}}。[[シャン族]]は餅米とともに食べる{{Sfn|高野|2020a|pp=73-75, 79-80}}。ノップーは油で炒めて米と食べたり、米と混ぜて炒める{{Sfn|高野|2020a|pp=73-74, 161-162}}。糸引き納豆は[[ビルマ語]]でペー・ボウと呼び、塩を加えて発酵させる塩辛納豆にあたるものはペー・ンガピと呼ぶ{{efn|ペー・ンガピは、ミャンマーの市場では中国語表記で「[[豆瓣醬]]」とも書かれている{{Sfn|横山|2014|p=79}}。}}{{Sfn|高野|2020a|pp=311-312}}。[[ナガ族]]には{{仮リンク|タンクル語|en|Tangkhul language}}でシュシュエと呼ぶ納豆があり、仕込みには[[イチジク属]]、[[ガジュマル]]、バナナなどの葉を使う{{Sfn|高野|2020a|pp=324-327, 336}}。味噌状のものは塩、唐辛子、ショウガと混ぜて熟成させる{{Sfn|吉田|2000|p=71}}。長期保存用には、塩や唐辛子とともに竹筒に入れる{{Sfn|高野|2020a|pp=166-168}}。料理では、牛肉や野菜を使った納豆汁を作るほか、炒め物や揚げ物にも使う。食習慣は部族ごとに異なり、1週間ほどで食べる部族から、1ヶ月以上保存する部族もある{{Sfn|高野|2020a|pp=324-327, 336}}。粒状のものは、シャン米と呼ばれる[[ジャポニカ米]]と合わせて食べる場合もある{{Sfn|横井|2014|pp=224-225}}。 * [[カンボジア]] - シエンと呼ばれる。大豆を煮てから竹製のザルで発酵させ、糸を引くくらいに発酵したものを食塩水に漬ける。調味料として使われる{{Sfn|小松本ほか|2019|p=5}}。 * [[朝鮮半島]] - [[チョングッチャン]](清麹醤、{{Lang|ko|청국장}})。チョングッチャンとは調理した汁物を指し(チョングッチャン[[チゲ]]とも呼ばれる)、豆だけの状態は生チョングッチャンと呼ぶ{{Sfn|高野|2020b|p=104}}。[[オンドル]]を使う寒い季節に仕込みをする。大豆を煮てザルに入れて藁を混ぜ、蓋をしてオンドルで温める。ザルの前には竹籠を使っていた{{Sfn|島田|1986|p=105}}{{Sfn|高野|2020b|p=144}}。 === アフリカ === [[File:2014.02-414-266 Rice,African locust bean(Parkia biglobosa),soumbala Bama,(Kou Valley),BF sun23feb2014-1408h.jpg|thumb|200px|ブルキナファソのリ・オ・スンバラ(スンバラの炊き込み飯)]] [[アフリカ]]の各地には、豆や種で作る[[スンバラ]]などの発酵食品がある{{Sfn|原|1990|pp=}}<ref>[https://news.yahoo.co.jp/articles/4bc517f180323f3d7125ccdcda85caf6e21de4cd]、[https://kadobun.jp/feature/talks/b8soqpx4ag0k.html]</ref>。伝統的に[[ヒロハフサマメノキ]](パルキア)の実で作られていたが、近年は大豆の使用が増えている{{efn|パルキアは、日本でアフリカイナゴマメとも呼ばれる{{Sfn|吉田|2000|p=79}}。ジュラ語ではネレ、モシ語ではドアーガと呼ぶ{{Sfn|川田|1991|p=38}}。}}。パルキアは西アフリカを中心に[[サバンナ]]に生息する樹木で、その種子は、大豆と同じくタンパク質を多く含むという共通点がある{{Sfn|川田|1991|p=38}}{{Sfn|原|1990|p=681}}。 ==== 加工方法 ==== スンバラを作る際は、雨季のはじめにパルキアの実を収穫し、種を煮て皮を取り除いてから乾燥させる。それを再び煮てから木の葉を敷いた[[籠]]に詰め、発酵したら灰を混ぜて団子状などに固める。これを調理時に混ぜたり粉状にしてスープに溶かす{{efn|パルキアの莢の中に入っているパルプ状の果肉は甘く、種とは別に食用にする{{Sfn|川田|1991|p=38}}{{Sfn|吉田|2000|pp=79-80}}。}}{{Sfn|川田|1991|pp=38-39}}{{Sfn|吉田|2000|pp=79-81}}。 ==== 各地の納豆系食品 ==== * [[ナイジェリア]] - [[ハウサ語]]でダワダワ(dawadawa)、[[ジュラ語]]でスンバラと呼ばれる発酵調味料は、パルキア(ハウサ語でカルワ。)の実から作る。パルキアの入手が難しくなってからは大豆が使われている{{Sfn|吉田|2000|pp=79-81}}。豆を炒ってから煮てひき割りにし、灰を混ぜてヒョウタンに入れる。パルキアの実を使う場合は大豆よりも手間がかかる{{Sfn|高野|2020b|pp=35-40}}。発酵した豆はペースト状にして乾燥させ、スープの調味料などに使う{{Sfn|高野|2020b|pp=49-50}}。ダワダワから分離した微生物株を調べたところ、大小2種類のプラスミドのうち分子量の大きいプラスミドは納豆菌と相同性を示した{{Sfn|原|1990|p=680}}。[[ヨルバ族]]は{{仮リンク|イル (食品)|en|Iru (food)|label=イル}}、[[イボ族]]は{{仮リンク|オギリ|en|Ogiri}}と呼ばれる発酵食品を作る{{Sfn|高野|2020b|pp=318, 328}}。 * [[セネガル]]、[[ギニア共和国]] - [[ウォロフ語]]でネテトウ(netetou)と呼ばれる、スンバラと同様の発酵調味料をパルキアから作る。塩辛い豆や、干した豆、つぶして固めたもの、粉末などがある。調理では、[[スープ]]や炊き込み飯などに使う。ギニア共和国や[[ギニアビサウ]]で作られたネテトウもセネガルに輸入されている{{Sfn|高野|2020b|p=61}}。 * [[ブルキナファソ]] - [[モシ族]]を中心にスンバラを食べ、[[モシ語]]でカールゴとも呼ぶ{{Sfn|川田|1991|p=36}}。調理では、魚、鶏、米と混ぜて炊き込み飯にしたり、[[クスクス]]と混ぜたり、スープに入れる。スンバラを混ぜた米料理はモシ語でムコロゴ(米飯を意味するムイと、スンバラを意味するコロゴを合わせた単語)とも呼ばれる{{Sfn|清水|2020|p=30-31}}{{Sfn|高野|2020b|pp=182-184, 201}}。また、ビカラガと呼ばれる[[ハイビスカス]](ローゼル草)の種を使ったものは、調理のダシに使う{{Sfn|清水|2020|p=31}}{{Sfn|高野|2020b|pp=207, 223-224}}。[[バオバブ]]の実を使ったトゥイ・ビカラガは、2日間煮てから臼で搗いて蒸す{{Sfn|高野|2020b|pp=249, 274}}。 === アメリカ === * [[日系アメリカ人]][[移民]]の多い[[ハワイ州]]や[[カリフォルニア州]]には豆腐製造業者があり、納豆も製造販売されている。 {{臭い食べ物}} == 主な納豆製造業者 == 末尾の数値は2013年時点の日本国内シェア順位<ref>[http://www2.fgn.jp/mpac/_data/1/?d=002601 マーケティング情報パック:納豆の市場規模、メーカーシェア2013年]</ref> <!-- 単独記事が無くかつ上位に入っていない業者は削除したほうが良い --> * [[タカノフーズ]](おかめ納豆、茨城県小美玉市) - 1位 * [[ミツカン]](金のつぶ、くめ納豆、なっとういち、愛知県半田市) - 2位 * [[あづま食品]](朝めし太郎納豆、栃木県宇都宮市) - 3位 * [[ヤマダフーズ]](おはよう納豆、秋田県仙北郡美郷町) - 4位 * [[マルキン食品]](元気納豆、熊本県熊本市) - 5位 * [[丸美屋]](お城納豆、熊本県玉名郡和水町) - 6位 * [[オーサト]](雪誉、茨城県取手市) - 7位 * [[太子食品工業]](青森県三戸郡三戸町) * [[菊水食品]](茨城県日立市) * [[天狗納豆]](茨城県水戸市) * [[こいしや食品]](平家納豆、栃木県宇都宮市) * [[保谷納豆]](東京都西東京市) * [[奥野食品]](東京納豆、三重県松阪市) * [[しか屋]](鹿児島県鹿児島市) == 納豆を題材とした作品 == * 15世紀の[[御伽草子]]『精進魚類物語』には、「畠山のさやまめ三代の末孫、大豆の御料の嫡子納豆太節糸重」というキャラクターが登場し、納豆の糸を引く場面もある。なまぐさ料理と[[精進料理]]が[[擬人化]]されて合戦をする物語であり、納豆太節糸重は精進料理の大将となっている。『精進魚類物語』の作者は不明で、[[二条良基]]とする説もある{{sfn|横山|2014|pp=44-45}}。 * [[落語]]の原型ともいわれる[[安楽庵策伝]]による江戸時代の[[咄本]]『[[醒睡笑]]』(1623年)には、納豆を題材とした咄が収録されている{{sfn|石塚|2016|pp=128-129}}。 * [[呉陵軒可有]]が「[[川柳]]を集めた句集『[[誹風柳多留]]』(1765年)には、納豆を題材にした作品が多数収録されている{{sfn|石塚|2016|pp=108-109}}。 * [[菊池寛]]には『納豆合戦』(1919年)という短編小説がある{{sfn|石塚|2016|p=143}}。 == その他 == 外国人には匂いが嫌等で嫌う人が多いが美味しさを知り、納豆好きになった外国人もいる。 * [[アーサー・ビナード]] - アメリカ合衆国ミシガン州生まれの詩人・俳人、随筆家、翻訳家。自身の名前「Arthur Binard」を漢字表記で「朝美納豆」として名刺に併記している。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Reflist|group="†"}} {{Notelist|2}} === 出典 === {{Reflist|3}} == 参考文献 == * 『納豆近代五十年史』全国納豆協同組合連合会、2004年。 * 『納豆の合理的製造法』産業評論社、1949年。 * {{Citation| 和書 | author = [[石塚修]] | title = 納豆のはなし | publisher = [[大修館書店]] | series = | year = 2016 | isbn = | ref = {{sfnref|石塚|2016}} }} * {{Cite journal|和書|author=[[今津屋直子]] |title=ラオスにおける食を営む力の育成に関する研究(2) : 伝統的な食べ物や食べ方が継承されている背景 |url=https://hdl.handle.net/10236/00025538 |format=PDF |journal=教育学論究 |publisher=[[関西学院大学]] |year=2016 |month=dec |volume=8 |issue= |pages=29-42 |naid= |issn= |accessdate=2020-08-08 |ref={{sfnref|今津屋|2016}} }} * {{Citation| 和書 |author = [[川田順造]] |title = [[サバンナ]]の博物誌 |publisher = [[筑摩書房]] |series = [[ちくま文庫]] |year = 1991 |isbn = |ref = {{sfnref|川田|1991}}}} * {{Cite journal|和書|author=小松本里菜, 今野里咲, 峰村貴央, 西念幸江, 三舟隆之 |title=古代における「豉」の復元 |url=https://www.thcu.ac.jp/research/pdf/bulletin/bulletin13_01.pdf |journal=[http://www.thcu.ac.jp/research/bulletin.html 東京医療保健大学紀要] |issn=1882-4455 |publisher=東京医療保健大学 |date=2019-03-31 |volume=13 |issue=1 |pages=3-13 |naid=40022104409 |format=PDF |accessdate=2021-08-01 |ref={{sfnref|小松本ほか|2019}} }} * {{Cite journal|和書|author=島田彰夫 |title=韓国における大豆利用発酵食品 |url=https://doi.org/10.6013/jbrewsocjapan1915.81.103 |journal=日本釀造協會雜誌 |issn=0369-416X |publisher=日本醸造協会 |year=1986 |volume=81 |issue=2 |pages=103-108 |naid=130004325573 |doi=10.6013/jbrewsocjapan1915.81.103 |accessdate=2021-06-01 |ref={{sfnref|島田|1986}} }} * {{Cite journal|和書|author=清水貴夫 |title=西アフリカの食のカルフール、ワガドゥグの食文化 |journal=Field+ : フィールドプラス : 世界を感応する雑誌 / 東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所 [編] |issn=1883-4957 |publisher=東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所 |year=2020 |month=jul |issue=23 |pages=30-31 |naid=120006864316 |doi=10.15026/94825 |url=https://hdl.handle.net/10108/94825 |accessdate=2021-06-01 |ref={{sfnref|清水|2020}} }} * {{Cite journal|和書|author=新国佐幸 |title=ネパールの発酵食品:―ネパールの麹「マーチャ」と納豆様大豆発酵食品「キネマ」― |journal=日本調理科学会誌 |issn=1341-1535 |publisher=日本調理科学会 |year=1996 |volume=29 |issue=3 |pages=234-239 |naid=130004132361 |doi=10.11402/cookeryscience1995.29.3_234 |url=https://doi.org/10.11402/cookeryscience1995.29.3_234 |accessdate=2021-06-01 |ref={{sfnref|新国|1996}} }} * {{Citation| 和書 |author = [[高野秀行 (ノンフィクション作家)|高野秀行]] |title = 謎のアジア納豆―そして帰ってきた〈日本納豆〉 |publisher = [[新潮社]] |series = [[新潮文庫]] |year = 2020 |isbn = |ref = {{sfnref|高野|2020a}} }} * {{Citation| 和書 |author = 高野秀行 |title = 幻のアフリカ納豆を追え!―そして現れた〈サピエンス納豆〉 |publisher = 新潮社 |series = |year = 2020 |isbn = |ref = {{sfnref|高野|2020b}}}} * {{Cite journal|和書|author=[[原敏夫]] |title=納豆のルーツを求めて |url=https://doi.org/10.1271/kagakutoseibutsu1962.28.676 |journal=化学と生物 |publisher=日本農芸化学会 |year=1990 |month= |volume=28 |issue=10 |pages=676-681 |naid= |issn= |accessdate=2020-08-08 |ref={{sfnref|原|1990}} }} * {{Citation| 和書 |author = |title = 納豆製造法 |publisher = 札幌納豆容器改良會 |series = |editor = [[半澤洵]] |year = 1926 |isbn = |ref = {{sfnref|半澤編|1926}}}} * {{Cite journal|和書|author=横山智 |title=タイとミャンマーにおける無塩発酵大豆食品の製法と植物利用の特徴 |journal=人文地理学会大会 研究発表要旨 |publisher=人文地理学会 |year=2010 |volume=2010年 人文地理学会大会 |pages=38-38 |naid=130005021004 |doi=10.11518/hgeog.2010.0.38.0 |url=https://doi.org/10.11518/hgeog.2010.0.38.0 |accessdate=2021-06-01 |ref={{sfnref|横山|2010}} }} * {{Citation| 和書 |author = 横山智 |chapter = 東南アジア大陸部のナットウ |title = [[モンスーン]]アジアのフードと風土 |publisher = [[明石書店]] |series = |year = 2012 |isbn = 4750336610 |ref 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[[納豆汁]]([[味噌汁]]) * [[ライス・アンド・ビーンズ]] == 外部リンク == * [http://www.natto.or.jp/ 全国納豆協同組合連合会 納豆PRセンター]([[業界団体]]) ** [http://natto.or.jp/make/index.html 納豆ができるまで] * {{Hfnet|77|ナットウ(ナットウ菌)}} * 須見洋行「[https://doi.org/10.6013/jbrewsocjapan1988.85.518 納豆の機能性]」『日本醸造協会誌』Vol.85 (1990) No.8 P.518-524, {{doi|10.6013/jbrewsocjapan1988.85.518}} * 「[https://www.asahi.com/articles/DA3S13805810.html サーファー、納豆アレルギーに注意 クラゲが原因?]」[[朝日新聞デジタル]](2018年12月10日記事) * {{Kotobank}} {{大豆加工食品}} {{Food-stub}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:なつとう}} [[Category:納豆|*]] [[Category:大豆の発酵食品]] [[Category:精進料理]] [[Category:冬の季語]] [[Category:日本の発明]] [[Category:国民食]]
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平和台駅
平和台駅(へいわだいえき)
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平和台駅(へいわだいえき) 平和台駅 (東京都) - 東京都練馬区にある、東京地下鉄有楽町線・副都心線の駅。 平和台駅 (千葉県) - 千葉県流山市にある、流鉄流山線の駅。 福岡県福岡市にあった西鉄福岡市内線の停留場。西鉄福岡市内線#貫線を参照。
'''平和台駅'''(へいわだいえき) * [[平和台駅 (東京都)]] - 東京都練馬区にある、東京地下鉄有楽町線・副都心線の駅。 * [[平和台駅 (千葉県)]] - 千葉県流山市にある、流鉄流山線の駅。 * 福岡県福岡市にあった西鉄福岡市内線の停留場。[[西鉄福岡市内線#貫線]]を参照。 {{aimai}} [[Category:同名の鉄道駅]] {{DEFAULTSORT:へいわたいえき}}
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ダイズ
大豆(学名: Glycine max)は、マメ科の一年草。完熟種子は主に搾油の原料となり、脱脂後の絞り粕(大豆粕)は飼料として利用されている。食用にもなり特に東アジアでは様々な利用形態が発達している。未成熟の種子を枝豆と呼ぶ。 東アジア原産のツルマメが原種と考えられる。ツルマメは特に日本、中国、韓国に広く分布しており、歴史的に複数の地域で栽培化が始まった。 農作物として世界中で広く栽培されている。日本には縄文時代に存在したと思われる大豆の出土例があり、『古事記』にも大豆の記録が記載されている。 植物の中でもタンパク質を多く含有することから日本・ドイツでは「畑の(牛)肉」、アメリカ合衆国では「大地の黄金」とも呼ばれている。また、日本料理やその調味料の原材料として中心的役割を果たしている(後述)。菜食主義や殺生を禁じた宗教においては植物性のタンパク源として利用され、精進料理においても重用された事で多くの加工食品が生み出された。加工食品の技術が上がるにつれて、肉を模した代替食品としても注目されている。 古くからの在来種・固定種が多く現存している。両性花なので自家受粉可能であり、自家採種のしやすい植物である。その反面、葉の黄化や生育不良や収穫減少などの連作障害を起こしやすいため、隔年または2年ごとに輪作を行ない、違う作物を作付けし、連作を避けるか、連作を行なうために土壌消毒や土壌改善を行う等の対策を練らねばならない。日本国内においては、このことが栽培規模拡大への障害のひとつとなっている。連作障害にはダイズシストセンチュウ(英語版)が関与していると考えられている。 それほど耐湿性が高い作物ではないため、稲作との輪作では水田地形特有の過剰な水分や冠水などがダイズの生育に影響を与えることがある。多くの場合、畝を高く盛ることで対応するが、アメリカのミシシッピ川デルタ(英語版)地帯などの大規模な湿地帯の農家では対応が難しく死活問題となる。このため、耐湿性の強さに着目した品種の導入や改良も試みられている。 ダイズを含む一部のマメ科植物は根に根粒もしくは茎に茎粒を持ち、根粒菌という細菌が共生している。根粒菌は植物からリンゴ酸などの効率の良い栄養分をもらって生活の場を提供してもらう代わりに、大気中の窒素を植物にとって使いやすいアンモニアに転換(窒素固定)する。窒素は植物にとって必須元素であり、肥料として取り入れる成分の一つであるが、自然界では一部の細菌と雷などでしか使用可能形態に転換できない。根粒菌はその能力が高いため、それを持つ植物は自ら窒素肥料を作ることができることになり、やせている土地でもよく育つものが多い。 大豆はかつては、地力涵養作物だと思われてきた。だが、実際は大豆は地力消耗作物であり、子実にタンパク質を多く含むため、多量の窒素を必要とするので、大豆の作付けは土壌中の窒素を消耗し地力の低下を招く。稲わらのみのすき込みの場合、大豆1作の窒素消耗量は水稲6作分の窒素消耗量に匹敵する。地力窒素の維持のためには、水稲作との輪作が必要である。大豆の生育に使われる窒素は、その3割が地力由来、6割が根粒菌由来、1割が施肥由来と言われている。 大豆は肥料がいらない作物だと思われがちだが、実は肥沃な土で栽培しないと収量が上がらない。特に根粒菌が固定した窒素の供給が盛んになるのは発芽後4週間からなので、それまでの栄養分を補ってやる必要がある。共生成立までの過程に於いて、Nodファクターと受容体による経路とIII型分泌系による経路の複数の経路があることが解明されている。 大豆は20世紀初頭までは、東アジアに限られた主に食用の作物であった。20世紀に入り満鉄が満州において「満州大豆」など大豆の品種改良や新種開発に乗り出してから、油糧作物および飼料作物として世界に生産が広まり、世紀後半には生産量が急拡大した。21世紀には、大豆と脱脂大豆を合わせた交易重量は長らく世界最大の交易作物である小麦と並ぶ量となった。 原産地は東アジアである。日本にも自生しているツルマメが原種と考えられている。 遺伝学的研究によれば、東アジアの複数の地域で野生ツルマメからの栽培化が進行し、日本も起源地のひとつである。2010年代の考古学的研究では、アジアでも他の地域に先駆けてダイズの栽培化が進行した可能性が判明しており他の起源地は中国や朝鮮半島である。縄文時代中期、紀元前4000年後半より日本列島での栽培が見られることが2015年の研究で判明し、この時期以降に野生種からの人為的な栽培に特徴的な種子の大型化がみられる。2007年には、縄文時代後期中頃。日本列島においては縄文時代においてアズキやリョクトウなどの炭化種実が検出されているためマメ類の利用が行われていたことが判明していた。山梨県の酒呑場遺跡から出土した土器のダイズ圧痕は蛇体装飾の把手部分から検出されており、これは偶然混入したものではなく意図的に練りこまれた可能性が想定されており、その祭祀的意図をめぐっても注目されている。 中国や日本などでは米・麦・粟・稗(ひえ)・豆(大豆)が五穀として重用されている。 ヨーロッパやアメリカに伝わったのは意外にも新しく、ヨーロッパには18世紀、アメリカには19世紀のことである。ヨーロッパにダイズの存在を伝えたのはエンゲルベルト・ケンペルだといわれており、彼が長崎から帰国した後、1712年に出版した『廻国奇観』において、ダイズ種子を醬油の原料として紹介した。ヨーロッパでは1739年にフランスでの試作、アメリカでは1804年にペンシルベニア州での試作が最初の栽培とされている。ベンジャミン・フランクリンの手紙の中に、1770年にイギリスにダイズ種子を送る旨が記してある。ヨーロッパでそれ以前にダイズの存在を知られていなかった理由として、既に他の豆類が栽培されていたことや、土壌が合わなかったこと、根粒菌が土壌にない場合があったことなどが挙げられている。 このようにダイズの伝搬が遅れたため、英語名の「Soy」は醤油が語源と言われる。 ダイズが伝播後19世紀にかけては、アジア圏以外では重要な作物とはみなされておらず、緑肥や飼料作物としての生産に留まっていた。20世紀に入り搾油用の需要が拡大していった。ヘンリー・フォードは、油脂の採取、繊維・プラスチックの開発目的で大豆農園を経営していた。作物(油糧作物)として注目されるようになったのは1920年代以降であり、ヨーロッパで食料として初めて収穫されたのは1929年とされる。アメリカで本格的にダイズが栽培されるようになったのは、1915年にワタミハナゾウムシ(英語版)の侵入によってアメリカ南部の綿花が大打撃を受け、それまでアメリカの製油業の中心であった綿実油が不足してからである。ワタに代わる新たな製油材料として、それまでも徐々に栽培を拡大させてきたダイズは一気に脚光を浴びることとなった。1920年代には製油用や飼料用としての需要の高まりにより、さらに大規模に栽培されるようになった。第二次世界大戦後、アメリカは世界最大の大豆生産国となったが、1973年に大豆の輸出規制を実施。大豆の消費の多くをアメリカからの輸入品に頼っていた日本は、輸入国の多様化を図る必要性に迫られた。当時の田中角栄政権は、ブラジルで放棄されてきた内陸部のサバンナ地帯(セラード)に着目、大豆生産を働きかけたところ軌道に乗り、2010年代のブラジルはアメリカに匹敵する規模の大豆生産国となった。 タンパク質含有量の高いダイズ種子は用途が広く、様々な食品の製造に加工されている。そのタンパク質以外の成分である脂質からは食用油以外にもレシチンなどが抽出され、利用されている。 原産地である東アジアでは、大豆(中国・日本)、黄豆(広東語・贛語)と呼ばれている。その他の多くの地域では、東アジアにおける名称とは異なった Soy / Soya、もしくはそれに類似した呼称が使われている。この Soy の起源は日本語の醤油であると考えられている。その経緯は、17世紀にオランダが日本との通商をとおして醤油を soya としてヨーロッパへ紹介したことに遡る。 英国においても、17世紀の文献に醤油を Saio、Soy とした記述が見られる。その後20世紀に入るまで Soy とは醤油を意味する単語であった。20世紀に入り、東アジア以外の国で大豆が主に油糧作物・飼料作物として栽培・利用されるようになり、醤油の原料であることから英語では soybean または soya bean、他の国でも同様に呼ばれるようになった。 属名 Glycine はリンネウスによる命名である。本属の命名時、リンネウスはこの属内の種の一つが甘い根を持つことに気付いた。この甘味に基づいて、ギリシア語で「甘い」を意味する γλυκός (glykós) をラテン語化した。本属名はアミノ酸のグリシン (Glycine) とは直接の関係はない。 リンネウスは著者『植物の種』においてダイズを Phaseolus max という学名で記載した。1917年、エルマー・ドリュー・メリルは国際植物命名規則に従って、ダイズの正しい学名は Glycine max となるべきだ、と主張した。 大豆の生産は20世紀初頭、第二次世界大戦前までは中国の特に東北地方(満州国)が世界最大の生産国であり、輸出国であった。大豆の輸入が途絶えた米国では国内での生産へシフトし、満洲で品種改良や新種開発を培ってきた日本を占領下に治めた戦後から20世紀後半にかけて世界最大の生産・輸出国となった。21世紀に入り増加し続ける需要に呼応し、ブラジル・アルゼンチン他南米各国で生産が拡大していった。 大豆は生産・輸出トン数ではトウモロコシや小麦には及ばないが、輸出金額ではトウモロコシや小麦を抜いて世界最大の交易作物となっている。米国の2017年の作物輸出金額の一位は大豆で216億ドル、二位はトウモロコシの91億ドルであった。ブラジルは世界最大のコーヒー豆と砂糖キビの生産国であるが、輸出金額トップは大豆で190億ドル、砂糖は104億ドル、コーヒー豆は48億ドルであった。アルゼンチンでも大豆製品の輸出金額は脱脂大豆100億ドル、大豆油41億ドル、丸大豆32億ドルの計173億ドルで2位のトウモロコシ42億ドルを大きく引き離している。 日本は現在大部分を輸入に頼っているため、2003年に世界的不作から価格が高騰したときには大きな影響を受けた。最大の生産国はアメリカ合衆国、次いでブラジル、アルゼンチン、中華人民共和国と続く。アメリカの大豆生産量は増減が激しいが、近年アルゼンチンとブラジルの大豆生産量が大きな伸びを示している。輸出国は、アメリカ合衆国、ブラジル、アルゼンチン、パラグアイ、カナダの順である。日本の輸入量は、中華人民共和国、EU 27カ国に次ぐ世界第3位である。中華人民共和国では経済成長に伴う食生活の変化により消費量が増加しており、これからも増え続けると見られている。 日本国内のダイズ生産量は平成22年度で222,800トンであり、県別では北海道が57,100トンで最大産地となっており、以下宮城県の18,100トン、佐賀県の17,700トン、福岡県の16,100トンと続く。日本でダイズ生産量が1万トンを超えるのはこの4道県のみである。平成26年では231,800トンであり、県別では北海道が73,600、以下宮城県19,300, 佐賀県15,300、福岡県14,300となっている。平均収量は、北海道(233kg/10a)・佐賀(229kg/10a)・福岡(198kg/10a)の順で、収穫量の上位の収量が多い。 中国は世界の大豆生産量の6割を輸入する大消費地であるが、その輸入元の3割はアメリカ合衆国となっていた。2018年、両国間で貿易摩擦問題が深刻化し、アメリカが中国産品に追加関税を掛けることを予告すると、中国もアメリカ産大豆を含む報復関税対象リストを発表。春先には大豆市場の価格が2割近く下落する動きが見られた。結果的に同年7月には、アメリカと中国で追加関税、報復関税を掛けあう米中貿易戦争 (2018年)に発展し、大豆が経済戦争上の戦略物資の一つとして注目を浴びた。なお、中国が大豆を含む報復関税対象リストを発表した時点では、すでにアメリカの農家は大豆の作付け準備が終わっており、今後、中国の需要を見込んだアメリカ産大豆の在庫が積み上がり価格の下落圧力となる可能性があること、また中国の需要を満たすため各国の作付け面積が増やすなど、国際的な大豆の生産消費に大きな変化が生じることが予想されている。 2007年のダイズ(丸大豆)の世界消費は、大豆油と脱脂大豆(ミール)への分離加工用が87%と圧倒的多数を占め、ついで飼料用が7%、食用が6%であった。また、油分分離後の脱脂大豆は、高タンパクの飼料として価値が高く、世界の穀物取引の中心であるシカゴ商品取引所にはダイズと大豆粕(大豆ミール)がともに上場され、盛んに取り引きされている。 以下は2013年度の全世界の大豆の需要供給の収支表である。大豆の総生産量は2億7836万トンで、その38.4%の1億692万トンが輸出された。輸入量が1億209万トン、在庫変動がプラス608万トンであった。 以上のように大豆の第一次の用途で最大のものは加工用大豆の85%であり、未加工大豆の食用は4%に達しない。加工用大豆から生成されるダイズ油の食用分9.1%、醸造用などに使われる大豆粕1.14%を加味してもヒトの食用は総生産重量の約14%となっている。一方で飼料の用途では未加工大豆が6.53%、加工用大豆から搾油された後の副産物の飼料用大豆粕が65.76%で合計72.29%が使われており、重量の観点から大豆は重要な飼料作物のひとつといえる。一方で大豆の大部分が家畜飼料に使用されることから、中国のように、食料安全保障を確保するために家畜飼料中の大豆のシェアを削減するよう求める動きもある。 ダイズ油のその他の利用は6.53%で、これはバイオマス燃料や化学工業用などである。近年は加工用大豆の需要が拡大し続けており、食用の比率は年々低下している。 日本国内のダイズ消費量は2005年度に534万8000トンであり、このうち大豆油用が429万6000トン、食用が105万2000トンである。ダイズが基幹食料となっている日本では食用消費の占める割合が世界消費に比べかなり多くなっているが、それでも20%弱に過ぎない。日本国内の食用消費の内訳は、豆腐が49万6000トンで半数近くを占め、ついで味噌・醬油用が17万1000トン、納豆用が13万6000トン、煮豆や惣菜用が3万3000トン、その他が21万5000トンとなっている。国産大豆は食用消費の21%を占めている。 大豆種子はタンパク質・脂質および炭水化物を豊富に含んでおり、主にその脂質とタンパク質を食用および飼料用に利用するために大規模に生産され利用されている。サポニンやイソフラボンも含まれている。 ダイズ種子貯蔵タンパク質のアミノ酸残基組成において、含硫アミノ酸であるメチオニンとシステイン残基が少なく、それらは制限アミノ酸となっていると言われたことがある。そのため、タンパク質の有効利用効率を示すアミノ酸スコアやプロテインスコアを下げていると言われていた。 しかし、これらは成長期のラットに基づく数値であり、その後、ヒトに基づく数値に置き換えられ、具体的には、大豆のアミノ酸スコアが1973年には86点だったものが、1985年には100点と変更された。大豆は、牛乳や卵と同等の良質なタンパク質であるとの評価を得ている。 ダイズから得られる大豆油は、パーム油に次ぐ代表的な食用油であり、大豆需要の87%を占めている。主要な生産国は、中国、アメリカ、ブラジル、アルゼンチンで、上位5カ国で8割を占める。日本では菜種油が好まれるため、大豆油の生産量は40万トン前後と菜種油の半分以下に留まる。 近年では環境配慮型の素材とされる大豆インキの原料としての需要も拡大している。 残渣の大豆粕は醤油の原料や家畜の飼料、大豆ミールとして粗タンパク質源に利用されていたが、最近は『ヘルシー』を売りにした小麦粉代替食品としても拡販が進んでいる。 飼料用としては主に大豆ミール(大豆粕)が利用される。大豆はタンパク質源として良質で、肉牛を肥えさせたり、鳥の産卵率を上昇させるのに大きく寄与している。ただし、含有タンパク質中のメチオニンやシステイン残基含量が少ないため、タンパク質の有効利用効率を上げるために、メチオニンやシステインを多く含む他の飼料と混合して利用されている。飼料としての需要は1960年頃から増加した、理由として、飼料として大豆ミールとトウモロコシを1:4の割合で配合すると家畜のタンパク質変換効率が大幅に向上することが発見されたことと、BSE問題によって飼料のタンパク質源として肉骨粉の利用が規制されたため、肉骨粉に替わるタンパク質源としてダイズ種子の需要は増したためである。 ダイズ種子(大豆)はタンパク質や脂肪、鉄分、カルシウムなど、ミネラルを多く含む。畑の肉と称されるほどタンパク質が豊富で、調理法によっては肉のような食感が得られるため、戒律によって食肉の扱いに慎重なイスラム教徒などに人気の食材となっている。 日本では色々な形に加工され、利用されている。まず、大豆を暗所で発芽させるとモヤシ、未熟大豆を枝ごと収穫し茹でると枝豆、さらに育てて完熟したら大豆となる。大豆を搾ると大豆油、油を絞った粕は大豆粕として食用・醤油製造や飼料へ、煎って粉にするときな粉、蒸した大豆を麹菌と耐塩性酵母で発酵させると醬油・味噌、また蒸した大豆を納豆菌で発酵させると納豆となる。熟した大豆を加水・浸漬・破砕・加熱したものを搾ると液体は豆乳、その残りはおから、豆乳を温めてラムスデン現象によって液面に形成される膜を湯葉、にがりを入れて塩析でタンパク質を固めると豆腐、豆腐を揚げると「油揚げ」「厚揚げ」、焼くと「焼き豆腐」、凍らせて「凍み(高野)豆腐」となる。代替肉タンパク質源としても利用され食肉に似た食味の製品も作られる。大豆にはサポニン等水溶性の低分子化合物やタンパク質性のプロテアーゼ・インヒビターやアミラーゼ・インヒビターやレクチンなども含まれており、これらの加工にはそれらの除去の意味もある。 蒸した黒豆(黒大豆)を発酵させてから乾燥させたものは、香豉(こうし、別名:豆豉(ずし))という生薬であり、陶弘景校定による『名医別録』には「豉」として収載されている。香豉には発汗作用、健胃作用があるとされ、香豉を含有する漢方薬には梔子豉湯、瓜蔕散などがある。本来、黒豆の発酵・乾燥品を用いるが、現在では納豆を乾燥させたものを代用する。 多くのマメ科植物の種子と同様に、ダイズ種子中には、微量タンパク質を含み多様な機能を発揮する。プロテアーゼ・インヒビター(プロテアーゼ阻害剤) (トリプシン・インヒビター、セリンプロテアーゼ・インヒビター(セルピン))やアミラーゼ・インヒビター(Α-グルコシダーゼ阻害剤)やレクチンが含まれて消化を悪くする。 生で大豆を食べると、トリプシン・インヒビターなどにより消化不良で下痢を起こすことがある。加熱処理をすることで変性・失活させて消化吸収効率を上げている。 大豆乳の加熱処理について、100°C10分間の加熱処理した大豆乳には加熱未処理試料のトリプシン・インヒビター活性の約34%が残存し、また100°C20分間では約30%、120°C10分間では約10%、120°C20分間でも約5%のトリプシン・インヒビター活性が残存した。 黒大豆を95°Cで加熱した場合のトリプシン・インヒビターの活性変化について、1%のNaCl(食塩)溶液中、16%のショ糖溶液中では、いずれも60分の加熱でトリプシン・インヒビターの70%の活性が残存していたが、0.1%の重曹溶液中の45分の加熱でトリプシン・インヒビターの活性は完全に失われた。 納豆菌はトリプシン・インヒビターを分解するプロテアーゼを作ることができ、それにより消化酵素であるトリプシンが正常に機能して、タンパク質の消化吸収効率が増大する。 現在日本でよく知られている大豆加工食品には以下のようなものがある。 ダイズは大豆オリゴ糖を含み整腸作用がある。大豆オリゴ糖を関与成分とした特定保健用食品が許可されている。 大豆をよく食べる女性グループで脳梗塞・心筋梗塞のリスクが低下した。疫学調査では、大豆の摂取は肥満および閉経後女性で糖尿病発症のリスクが低下するものの、全体としては糖尿病発症との関連なしとされた。 かつて、デザイナーフーズ計画のピラミッドの1群に属し、ショウガと共に、癌予防効果のある食材の第3位として位置づけられていた。2006年3月27日、アメリカ合衆国の健康専門月刊誌『ヘルス』による世界の5大健康食品が発表され、スペインのオリーブ油、日本の大豆、ギリシャのヨーグルト、インドのダール(豆料理)、大韓民国のキムチの5品目が選出された。 順天堂大学の研究によれば、納豆の摂食頻度と月経状態・月経随伴症状は有意の関係がみられ、摂食頻度の増加は症状を軽減させている可能性があるとしている。 雄の2型糖尿病マウスに大豆サポニンAグループと大豆サポニンBグループを別々に投与したところ大豆サポニンBグループに血糖値上昇抑制作用は認められたが大豆サポニンAグループにはその作用は認められなかった。 発酵性大豆食品の摂取量が多いほど総死亡リスクが低いとの指摘がある。 大豆はアレルゲンの1つであり、日本のアレルギー原因食物の全年齢を対象とした調査分析では、大豆の割合は2008年には全体の1.5%で11位、2017年の1.6%で10位となっている。特定原材料に準ずるアレルゲンとされ、原材料表示に可能な限り表示するよう努めることとなっている。アナフィラキシーショックを起こす可能性があるため、アトピーや喘息などアレルギー素因のある者は注意が必要である。 大豆イソフラボンとは、大豆に含まれるゲニステイン、ダイゼイン、グリシテインなどのイソフラボンの総称で、弱い女性ホルモン作用を示すことから骨粗鬆症や更年期障害の軽減が期待できる。 イソフラボンはヒトに対する悪影響も懸念されており(詳しくはイソフラボンを参照)、内閣府食品安全委員会は、食品とサプリメントを合わせた一日摂取許容量を、一日あたり70 - 75mgに設定している。なお日本人の食品由来の大豆イソフラボン摂取量は15 - 22mg、多い人でも40 - 45mg程度である。 乳がんの抑制として大豆麹が注目されている。乳がんの原因としてエストロゲン過多がある。女性ホルモンのエストロゲンは多すぎるとDNAを損傷させ癌化の原因となる変異原性となるが、それを抑制する抗変異原性が麹や大豆、特に大豆麹の発酵食品にあることがわかった。乳がん発生率は西洋諸国よりも東洋諸国のほうが低い、これは大豆の摂取量が関係している。東洋人や菜食主義者など大豆を多く食べる人々は尿中のエストロゲンの排出量が多い。大豆イソフラボノイド化合物がエストロゲンと似た構造を有するために同様の生理作用をもたらすためだと考えられる。しかし、大豆製品の中でも作用に違いがあり、非発酵大豆や、発酵大豆でも納豆や醤油は抗変異原性が低く、味噌やテンペの抗変異原性が高い。これは麹が生産するβ-グルコシターゼの活性により、イソフラボンの配糖体がアグリコンに変化することが関係していると考えられる。その効果が大豆麹の味噌では効果が強く、中でもベータグルコシターゼの活性が強い麹菌は「アグリコン」として流通している。一方で発酵大豆でも納豆ではβ-グルコシターゼの作用が弱く、醤油では変化したアグリコンがさらに変化してしまい抗変異原性が低くなると考えられる。 イソフラボン摂取が多い対象者では、認知機能障害のリスクが高かった。一方で、大豆製品の摂取量、豆腐、みそ、納豆、発酵大豆食品の摂取量は、認知機能障害との統計学的有意な関連は認められなかった。さらに、大豆の腸内細菌の代謝物であるエクオールに認知症リスクを低下させる可能性が報告されている。 生の大豆には微量含まれるタンパク質がいくつか存在する。その1つにトリプシン・インヒビターがあり、生の大豆で活性がある。生の大豆を飼料としてラットに大量摂取させると成長阻害や膵臓肥大が起こることが報告されている。この膵臓肥大は、腸内で阻害されるトリプシンを補うための膵臓の機能亢進の結果として生じると考えられる。生の大豆粉はラットの膵臓癌と相関するという報告があるが、加熱調理済みの大豆粉の発ガン性は認められていない。ラットに与えられている大豆の量は、人間が通常摂食する量に比べてはるかに大きく、また人間は生で大豆を食べず、調理することで微量なタンパク質の活性は極めて小さくなる。別の研究において大豆トリプシンインヒビターをラットとマウスに与えると、短期間(28日間)の実験において膵臓肥大を起こしたが、長期間(95週間)での実験では、マウスでは病変は観察されず、ラットでは膵臓病理が観察され、短期間の実験での膵臓肥大から長期間の病変形成は予測できないことが報告されている。豚に大豆トリプシン・インヒビターを含む餌を与えた研究では、6週齢と39週齢のどちらも膵臓細胞に影響がなく、血漿中のコレシストキニン、血清アミラーゼ活性などにも影響がなかった。またサルについてトリプシン・インヒビターによる膵臓肥大は観察されず、ラット、豚、サルにおいて加熱した大豆粉や分離大豆タンパクによる悪影響がなかったことが報告されている。2020年に公表された多目的コホート研究で、ヒトの非発酵性大豆食品摂取量と膵がん罹患リスクが関連していることが指摘されたが、発酵性大豆食品摂取量とは関連していないことが指摘されている。トリプシン・インヒビターには、マウスにおいてがんの肺転移や肝転移を抑制したり、がん抑制遺伝子の発現を高めたり、がんの増殖を抑制することが報告されており、がんの発生予防や治療にその効果が期待されている。 BSE問題が顕在した結果、それまで畜産飼料として利用されていた肉骨粉の利用が規制され、それに伴い、肉骨粉に替わるタンパク質源としてダイズ種子の利用が急激に増えた。需要が急増したため、南米諸国、特にブラジルやアルゼンチンでの栽培が増えた。その結果、アマゾンの熱帯雨林において、大豆生産のためのプランテーションの大規模な開発が行われており、それによる森林の消失が問題になっている。 日本においては、節分の日に炒った大豆をまく「豆撒き」の風習がある。 大豆の生豆を噛みつぶし、それを子供の頭の上に塗るとかんの虫が切れるという風習が長野県秋山郷地方に伝承されている。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "大豆(学名: Glycine max)は、マメ科の一年草。完熟種子は主に搾油の原料となり、脱脂後の絞り粕(大豆粕)は飼料として利用されている。食用にもなり特に東アジアでは様々な利用形態が発達している。未成熟の種子を枝豆と呼ぶ。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "東アジア原産のツルマメが原種と考えられる。ツルマメは特に日本、中国、韓国に広く分布しており、歴史的に複数の地域で栽培化が始まった。", "title": null }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "農作物として世界中で広く栽培されている。日本には縄文時代に存在したと思われる大豆の出土例があり、『古事記』にも大豆の記録が記載されている。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "植物の中でもタンパク質を多く含有することから日本・ドイツでは「畑の(牛)肉」、アメリカ合衆国では「大地の黄金」とも呼ばれている。また、日本料理やその調味料の原材料として中心的役割を果たしている(後述)。菜食主義や殺生を禁じた宗教においては植物性のタンパク源として利用され、精進料理においても重用された事で多くの加工食品が生み出された。加工食品の技術が上がるにつれて、肉を模した代替食品としても注目されている。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "古くからの在来種・固定種が多く現存している。両性花なので自家受粉可能であり、自家採種のしやすい植物である。その反面、葉の黄化や生育不良や収穫減少などの連作障害を起こしやすいため、隔年または2年ごとに輪作を行ない、違う作物を作付けし、連作を避けるか、連作を行なうために土壌消毒や土壌改善を行う等の対策を練らねばならない。日本国内においては、このことが栽培規模拡大への障害のひとつとなっている。連作障害にはダイズシストセンチュウ(英語版)が関与していると考えられている。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "それほど耐湿性が高い作物ではないため、稲作との輪作では水田地形特有の過剰な水分や冠水などがダイズの生育に影響を与えることがある。多くの場合、畝を高く盛ることで対応するが、アメリカのミシシッピ川デルタ(英語版)地帯などの大規模な湿地帯の農家では対応が難しく死活問題となる。このため、耐湿性の強さに着目した品種の導入や改良も試みられている。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "ダイズを含む一部のマメ科植物は根に根粒もしくは茎に茎粒を持ち、根粒菌という細菌が共生している。根粒菌は植物からリンゴ酸などの効率の良い栄養分をもらって生活の場を提供してもらう代わりに、大気中の窒素を植物にとって使いやすいアンモニアに転換(窒素固定)する。窒素は植物にとって必須元素であり、肥料として取り入れる成分の一つであるが、自然界では一部の細菌と雷などでしか使用可能形態に転換できない。根粒菌はその能力が高いため、それを持つ植物は自ら窒素肥料を作ることができることになり、やせている土地でもよく育つものが多い。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "大豆はかつては、地力涵養作物だと思われてきた。だが、実際は大豆は地力消耗作物であり、子実にタンパク質を多く含むため、多量の窒素を必要とするので、大豆の作付けは土壌中の窒素を消耗し地力の低下を招く。稲わらのみのすき込みの場合、大豆1作の窒素消耗量は水稲6作分の窒素消耗量に匹敵する。地力窒素の維持のためには、水稲作との輪作が必要である。大豆の生育に使われる窒素は、その3割が地力由来、6割が根粒菌由来、1割が施肥由来と言われている。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "大豆は肥料がいらない作物だと思われがちだが、実は肥沃な土で栽培しないと収量が上がらない。特に根粒菌が固定した窒素の供給が盛んになるのは発芽後4週間からなので、それまでの栄養分を補ってやる必要がある。共生成立までの過程に於いて、Nodファクターと受容体による経路とIII型分泌系による経路の複数の経路があることが解明されている。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "大豆は20世紀初頭までは、東アジアに限られた主に食用の作物であった。20世紀に入り満鉄が満州において「満州大豆」など大豆の品種改良や新種開発に乗り出してから、油糧作物および飼料作物として世界に生産が広まり、世紀後半には生産量が急拡大した。21世紀には、大豆と脱脂大豆を合わせた交易重量は長らく世界最大の交易作物である小麦と並ぶ量となった。", "title": "世界への伝播" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "原産地は東アジアである。日本にも自生しているツルマメが原種と考えられている。", "title": "世界への伝播" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "遺伝学的研究によれば、東アジアの複数の地域で野生ツルマメからの栽培化が進行し、日本も起源地のひとつである。2010年代の考古学的研究では、アジアでも他の地域に先駆けてダイズの栽培化が進行した可能性が判明しており他の起源地は中国や朝鮮半島である。縄文時代中期、紀元前4000年後半より日本列島での栽培が見られることが2015年の研究で判明し、この時期以降に野生種からの人為的な栽培に特徴的な種子の大型化がみられる。2007年には、縄文時代後期中頃。日本列島においては縄文時代においてアズキやリョクトウなどの炭化種実が検出されているためマメ類の利用が行われていたことが判明していた。山梨県の酒呑場遺跡から出土した土器のダイズ圧痕は蛇体装飾の把手部分から検出されており、これは偶然混入したものではなく意図的に練りこまれた可能性が想定されており、その祭祀的意図をめぐっても注目されている。", "title": "世界への伝播" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "中国や日本などでは米・麦・粟・稗(ひえ)・豆(大豆)が五穀として重用されている。", "title": "世界への伝播" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "ヨーロッパやアメリカに伝わったのは意外にも新しく、ヨーロッパには18世紀、アメリカには19世紀のことである。ヨーロッパにダイズの存在を伝えたのはエンゲルベルト・ケンペルだといわれており、彼が長崎から帰国した後、1712年に出版した『廻国奇観』において、ダイズ種子を醬油の原料として紹介した。ヨーロッパでは1739年にフランスでの試作、アメリカでは1804年にペンシルベニア州での試作が最初の栽培とされている。ベンジャミン・フランクリンの手紙の中に、1770年にイギリスにダイズ種子を送る旨が記してある。ヨーロッパでそれ以前にダイズの存在を知られていなかった理由として、既に他の豆類が栽培されていたことや、土壌が合わなかったこと、根粒菌が土壌にない場合があったことなどが挙げられている。 このようにダイズの伝搬が遅れたため、英語名の「Soy」は醤油が語源と言われる。", "title": "世界への伝播" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "ダイズが伝播後19世紀にかけては、アジア圏以外では重要な作物とはみなされておらず、緑肥や飼料作物としての生産に留まっていた。20世紀に入り搾油用の需要が拡大していった。ヘンリー・フォードは、油脂の採取、繊維・プラスチックの開発目的で大豆農園を経営していた。作物(油糧作物)として注目されるようになったのは1920年代以降であり、ヨーロッパで食料として初めて収穫されたのは1929年とされる。アメリカで本格的にダイズが栽培されるようになったのは、1915年にワタミハナゾウムシ(英語版)の侵入によってアメリカ南部の綿花が大打撃を受け、それまでアメリカの製油業の中心であった綿実油が不足してからである。ワタに代わる新たな製油材料として、それまでも徐々に栽培を拡大させてきたダイズは一気に脚光を浴びることとなった。1920年代には製油用や飼料用としての需要の高まりにより、さらに大規模に栽培されるようになった。第二次世界大戦後、アメリカは世界最大の大豆生産国となったが、1973年に大豆の輸出規制を実施。大豆の消費の多くをアメリカからの輸入品に頼っていた日本は、輸入国の多様化を図る必要性に迫られた。当時の田中角栄政権は、ブラジルで放棄されてきた内陸部のサバンナ地帯(セラード)に着目、大豆生産を働きかけたところ軌道に乗り、2010年代のブラジルはアメリカに匹敵する規模の大豆生産国となった。", "title": "世界への伝播" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "タンパク質含有量の高いダイズ種子は用途が広く、様々な食品の製造に加工されている。そのタンパク質以外の成分である脂質からは食用油以外にもレシチンなどが抽出され、利用されている。", "title": "世界への伝播" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "原産地である東アジアでは、大豆(中国・日本)、黄豆(広東語・贛語)と呼ばれている。その他の多くの地域では、東アジアにおける名称とは異なった Soy / Soya、もしくはそれに類似した呼称が使われている。この Soy の起源は日本語の醤油であると考えられている。その経緯は、17世紀にオランダが日本との通商をとおして醤油を soya としてヨーロッパへ紹介したことに遡る。", "title": "呼称" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "英国においても、17世紀の文献に醤油を Saio、Soy とした記述が見られる。その後20世紀に入るまで Soy とは醤油を意味する単語であった。20世紀に入り、東アジア以外の国で大豆が主に油糧作物・飼料作物として栽培・利用されるようになり、醤油の原料であることから英語では soybean または soya bean、他の国でも同様に呼ばれるようになった。", "title": "呼称" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "属名 Glycine はリンネウスによる命名である。本属の命名時、リンネウスはこの属内の種の一つが甘い根を持つことに気付いた。この甘味に基づいて、ギリシア語で「甘い」を意味する γλυκός (glykós) をラテン語化した。本属名はアミノ酸のグリシン (Glycine) とは直接の関係はない。", "title": "呼称" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "リンネウスは著者『植物の種』においてダイズを Phaseolus max という学名で記載した。1917年、エルマー・ドリュー・メリルは国際植物命名規則に従って、ダイズの正しい学名は Glycine max となるべきだ、と主張した。", "title": "呼称" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "大豆の生産は20世紀初頭、第二次世界大戦前までは中国の特に東北地方(満州国)が世界最大の生産国であり、輸出国であった。大豆の輸入が途絶えた米国では国内での生産へシフトし、満洲で品種改良や新種開発を培ってきた日本を占領下に治めた戦後から20世紀後半にかけて世界最大の生産・輸出国となった。21世紀に入り増加し続ける需要に呼応し、ブラジル・アルゼンチン他南米各国で生産が拡大していった。", "title": "生産" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "大豆は生産・輸出トン数ではトウモロコシや小麦には及ばないが、輸出金額ではトウモロコシや小麦を抜いて世界最大の交易作物となっている。米国の2017年の作物輸出金額の一位は大豆で216億ドル、二位はトウモロコシの91億ドルであった。ブラジルは世界最大のコーヒー豆と砂糖キビの生産国であるが、輸出金額トップは大豆で190億ドル、砂糖は104億ドル、コーヒー豆は48億ドルであった。アルゼンチンでも大豆製品の輸出金額は脱脂大豆100億ドル、大豆油41億ドル、丸大豆32億ドルの計173億ドルで2位のトウモロコシ42億ドルを大きく引き離している。", "title": "生産" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "日本は現在大部分を輸入に頼っているため、2003年に世界的不作から価格が高騰したときには大きな影響を受けた。最大の生産国はアメリカ合衆国、次いでブラジル、アルゼンチン、中華人民共和国と続く。アメリカの大豆生産量は増減が激しいが、近年アルゼンチンとブラジルの大豆生産量が大きな伸びを示している。輸出国は、アメリカ合衆国、ブラジル、アルゼンチン、パラグアイ、カナダの順である。日本の輸入量は、中華人民共和国、EU 27カ国に次ぐ世界第3位である。中華人民共和国では経済成長に伴う食生活の変化により消費量が増加しており、これからも増え続けると見られている。", "title": "生産" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "日本国内のダイズ生産量は平成22年度で222,800トンであり、県別では北海道が57,100トンで最大産地となっており、以下宮城県の18,100トン、佐賀県の17,700トン、福岡県の16,100トンと続く。日本でダイズ生産量が1万トンを超えるのはこの4道県のみである。平成26年では231,800トンであり、県別では北海道が73,600、以下宮城県19,300, 佐賀県15,300、福岡県14,300となっている。平均収量は、北海道(233kg/10a)・佐賀(229kg/10a)・福岡(198kg/10a)の順で、収穫量の上位の収量が多い。", "title": "生産" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "中国は世界の大豆生産量の6割を輸入する大消費地であるが、その輸入元の3割はアメリカ合衆国となっていた。2018年、両国間で貿易摩擦問題が深刻化し、アメリカが中国産品に追加関税を掛けることを予告すると、中国もアメリカ産大豆を含む報復関税対象リストを発表。春先には大豆市場の価格が2割近く下落する動きが見られた。結果的に同年7月には、アメリカと中国で追加関税、報復関税を掛けあう米中貿易戦争 (2018年)に発展し、大豆が経済戦争上の戦略物資の一つとして注目を浴びた。なお、中国が大豆を含む報復関税対象リストを発表した時点では、すでにアメリカの農家は大豆の作付け準備が終わっており、今後、中国の需要を見込んだアメリカ産大豆の在庫が積み上がり価格の下落圧力となる可能性があること、また中国の需要を満たすため各国の作付け面積が増やすなど、国際的な大豆の生産消費に大きな変化が生じることが予想されている。", "title": "生産" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "2007年のダイズ(丸大豆)の世界消費は、大豆油と脱脂大豆(ミール)への分離加工用が87%と圧倒的多数を占め、ついで飼料用が7%、食用が6%であった。また、油分分離後の脱脂大豆は、高タンパクの飼料として価値が高く、世界の穀物取引の中心であるシカゴ商品取引所にはダイズと大豆粕(大豆ミール)がともに上場され、盛んに取り引きされている。", "title": "用途" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "以下は2013年度の全世界の大豆の需要供給の収支表である。大豆の総生産量は2億7836万トンで、その38.4%の1億692万トンが輸出された。輸入量が1億209万トン、在庫変動がプラス608万トンであった。", "title": "用途" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "以上のように大豆の第一次の用途で最大のものは加工用大豆の85%であり、未加工大豆の食用は4%に達しない。加工用大豆から生成されるダイズ油の食用分9.1%、醸造用などに使われる大豆粕1.14%を加味してもヒトの食用は総生産重量の約14%となっている。一方で飼料の用途では未加工大豆が6.53%、加工用大豆から搾油された後の副産物の飼料用大豆粕が65.76%で合計72.29%が使われており、重量の観点から大豆は重要な飼料作物のひとつといえる。一方で大豆の大部分が家畜飼料に使用されることから、中国のように、食料安全保障を確保するために家畜飼料中の大豆のシェアを削減するよう求める動きもある。", "title": "用途" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "ダイズ油のその他の利用は6.53%で、これはバイオマス燃料や化学工業用などである。近年は加工用大豆の需要が拡大し続けており、食用の比率は年々低下している。", "title": "用途" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "日本国内のダイズ消費量は2005年度に534万8000トンであり、このうち大豆油用が429万6000トン、食用が105万2000トンである。ダイズが基幹食料となっている日本では食用消費の占める割合が世界消費に比べかなり多くなっているが、それでも20%弱に過ぎない。日本国内の食用消費の内訳は、豆腐が49万6000トンで半数近くを占め、ついで味噌・醬油用が17万1000トン、納豆用が13万6000トン、煮豆や惣菜用が3万3000トン、その他が21万5000トンとなっている。国産大豆は食用消費の21%を占めている。", "title": "用途" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "大豆種子はタンパク質・脂質および炭水化物を豊富に含んでおり、主にその脂質とタンパク質を食用および飼料用に利用するために大規模に生産され利用されている。サポニンやイソフラボンも含まれている。", "title": "用途" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "ダイズ種子貯蔵タンパク質のアミノ酸残基組成において、含硫アミノ酸であるメチオニンとシステイン残基が少なく、それらは制限アミノ酸となっていると言われたことがある。そのため、タンパク質の有効利用効率を示すアミノ酸スコアやプロテインスコアを下げていると言われていた。", "title": "用途" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "しかし、これらは成長期のラットに基づく数値であり、その後、ヒトに基づく数値に置き換えられ、具体的には、大豆のアミノ酸スコアが1973年には86点だったものが、1985年には100点と変更された。大豆は、牛乳や卵と同等の良質なタンパク質であるとの評価を得ている。", "title": "用途" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "ダイズから得られる大豆油は、パーム油に次ぐ代表的な食用油であり、大豆需要の87%を占めている。主要な生産国は、中国、アメリカ、ブラジル、アルゼンチンで、上位5カ国で8割を占める。日本では菜種油が好まれるため、大豆油の生産量は40万トン前後と菜種油の半分以下に留まる。 近年では環境配慮型の素材とされる大豆インキの原料としての需要も拡大している。", "title": "用途" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "残渣の大豆粕は醤油の原料や家畜の飼料、大豆ミールとして粗タンパク質源に利用されていたが、最近は『ヘルシー』を売りにした小麦粉代替食品としても拡販が進んでいる。", "title": "用途" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "飼料用としては主に大豆ミール(大豆粕)が利用される。大豆はタンパク質源として良質で、肉牛を肥えさせたり、鳥の産卵率を上昇させるのに大きく寄与している。ただし、含有タンパク質中のメチオニンやシステイン残基含量が少ないため、タンパク質の有効利用効率を上げるために、メチオニンやシステインを多く含む他の飼料と混合して利用されている。飼料としての需要は1960年頃から増加した、理由として、飼料として大豆ミールとトウモロコシを1:4の割合で配合すると家畜のタンパク質変換効率が大幅に向上することが発見されたことと、BSE問題によって飼料のタンパク質源として肉骨粉の利用が規制されたため、肉骨粉に替わるタンパク質源としてダイズ種子の需要は増したためである。", "title": "用途" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "ダイズ種子(大豆)はタンパク質や脂肪、鉄分、カルシウムなど、ミネラルを多く含む。畑の肉と称されるほどタンパク質が豊富で、調理法によっては肉のような食感が得られるため、戒律によって食肉の扱いに慎重なイスラム教徒などに人気の食材となっている。", "title": "用途" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "日本では色々な形に加工され、利用されている。まず、大豆を暗所で発芽させるとモヤシ、未熟大豆を枝ごと収穫し茹でると枝豆、さらに育てて完熟したら大豆となる。大豆を搾ると大豆油、油を絞った粕は大豆粕として食用・醤油製造や飼料へ、煎って粉にするときな粉、蒸した大豆を麹菌と耐塩性酵母で発酵させると醬油・味噌、また蒸した大豆を納豆菌で発酵させると納豆となる。熟した大豆を加水・浸漬・破砕・加熱したものを搾ると液体は豆乳、その残りはおから、豆乳を温めてラムスデン現象によって液面に形成される膜を湯葉、にがりを入れて塩析でタンパク質を固めると豆腐、豆腐を揚げると「油揚げ」「厚揚げ」、焼くと「焼き豆腐」、凍らせて「凍み(高野)豆腐」となる。代替肉タンパク質源としても利用され食肉に似た食味の製品も作られる。大豆にはサポニン等水溶性の低分子化合物やタンパク質性のプロテアーゼ・インヒビターやアミラーゼ・インヒビターやレクチンなども含まれており、これらの加工にはそれらの除去の意味もある。", "title": "用途" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "蒸した黒豆(黒大豆)を発酵させてから乾燥させたものは、香豉(こうし、別名:豆豉(ずし))という生薬であり、陶弘景校定による『名医別録』には「豉」として収載されている。香豉には発汗作用、健胃作用があるとされ、香豉を含有する漢方薬には梔子豉湯、瓜蔕散などがある。本来、黒豆の発酵・乾燥品を用いるが、現在では納豆を乾燥させたものを代用する。", "title": "用途" }, { "paragraph_id": 39, "tag": "p", "text": "多くのマメ科植物の種子と同様に、ダイズ種子中には、微量タンパク質を含み多様な機能を発揮する。プロテアーゼ・インヒビター(プロテアーゼ阻害剤) (トリプシン・インヒビター、セリンプロテアーゼ・インヒビター(セルピン))やアミラーゼ・インヒビター(Α-グルコシダーゼ阻害剤)やレクチンが含まれて消化を悪くする。", "title": "用途" }, { "paragraph_id": 40, "tag": "p", "text": "生で大豆を食べると、トリプシン・インヒビターなどにより消化不良で下痢を起こすことがある。加熱処理をすることで変性・失活させて消化吸収効率を上げている。", "title": "用途" }, { "paragraph_id": 41, "tag": "p", "text": "大豆乳の加熱処理について、100°C10分間の加熱処理した大豆乳には加熱未処理試料のトリプシン・インヒビター活性の約34%が残存し、また100°C20分間では約30%、120°C10分間では約10%、120°C20分間でも約5%のトリプシン・インヒビター活性が残存した。", "title": "用途" }, { "paragraph_id": 42, "tag": "p", "text": "黒大豆を95°Cで加熱した場合のトリプシン・インヒビターの活性変化について、1%のNaCl(食塩)溶液中、16%のショ糖溶液中では、いずれも60分の加熱でトリプシン・インヒビターの70%の活性が残存していたが、0.1%の重曹溶液中の45分の加熱でトリプシン・インヒビターの活性は完全に失われた。", "title": "用途" }, { "paragraph_id": 43, "tag": "p", "text": "納豆菌はトリプシン・インヒビターを分解するプロテアーゼを作ることができ、それにより消化酵素であるトリプシンが正常に機能して、タンパク質の消化吸収効率が増大する。", "title": "用途" }, { "paragraph_id": 44, "tag": "p", "text": "現在日本でよく知られている大豆加工食品には以下のようなものがある。", "title": "さまざまな大豆加工食品" }, { "paragraph_id": 45, "tag": "p", "text": "ダイズは大豆オリゴ糖を含み整腸作用がある。大豆オリゴ糖を関与成分とした特定保健用食品が許可されている。", "title": "健康への影響" }, { "paragraph_id": 46, "tag": "p", "text": "大豆をよく食べる女性グループで脳梗塞・心筋梗塞のリスクが低下した。疫学調査では、大豆の摂取は肥満および閉経後女性で糖尿病発症のリスクが低下するものの、全体としては糖尿病発症との関連なしとされた。", "title": "健康への影響" }, { "paragraph_id": 47, "tag": "p", "text": "かつて、デザイナーフーズ計画のピラミッドの1群に属し、ショウガと共に、癌予防効果のある食材の第3位として位置づけられていた。2006年3月27日、アメリカ合衆国の健康専門月刊誌『ヘルス』による世界の5大健康食品が発表され、スペインのオリーブ油、日本の大豆、ギリシャのヨーグルト、インドのダール(豆料理)、大韓民国のキムチの5品目が選出された。", "title": "健康への影響" }, { "paragraph_id": 48, "tag": "p", "text": "順天堂大学の研究によれば、納豆の摂食頻度と月経状態・月経随伴症状は有意の関係がみられ、摂食頻度の増加は症状を軽減させている可能性があるとしている。", "title": "健康への影響" }, { "paragraph_id": 49, "tag": "p", "text": "雄の2型糖尿病マウスに大豆サポニンAグループと大豆サポニンBグループを別々に投与したところ大豆サポニンBグループに血糖値上昇抑制作用は認められたが大豆サポニンAグループにはその作用は認められなかった。", "title": "健康への影響" }, { "paragraph_id": 50, "tag": "p", "text": "発酵性大豆食品の摂取量が多いほど総死亡リスクが低いとの指摘がある。", "title": "健康への影響" }, { "paragraph_id": 51, "tag": "p", "text": "大豆はアレルゲンの1つであり、日本のアレルギー原因食物の全年齢を対象とした調査分析では、大豆の割合は2008年には全体の1.5%で11位、2017年の1.6%で10位となっている。特定原材料に準ずるアレルゲンとされ、原材料表示に可能な限り表示するよう努めることとなっている。アナフィラキシーショックを起こす可能性があるため、アトピーや喘息などアレルギー素因のある者は注意が必要である。", "title": "健康への影響" }, { "paragraph_id": 52, "tag": "p", "text": "大豆イソフラボンとは、大豆に含まれるゲニステイン、ダイゼイン、グリシテインなどのイソフラボンの総称で、弱い女性ホルモン作用を示すことから骨粗鬆症や更年期障害の軽減が期待できる。", "title": "健康への影響" }, { "paragraph_id": 53, "tag": "p", "text": "イソフラボンはヒトに対する悪影響も懸念されており(詳しくはイソフラボンを参照)、内閣府食品安全委員会は、食品とサプリメントを合わせた一日摂取許容量を、一日あたり70 - 75mgに設定している。なお日本人の食品由来の大豆イソフラボン摂取量は15 - 22mg、多い人でも40 - 45mg程度である。", "title": "健康への影響" }, { "paragraph_id": 54, "tag": "p", "text": "乳がんの抑制として大豆麹が注目されている。乳がんの原因としてエストロゲン過多がある。女性ホルモンのエストロゲンは多すぎるとDNAを損傷させ癌化の原因となる変異原性となるが、それを抑制する抗変異原性が麹や大豆、特に大豆麹の発酵食品にあることがわかった。乳がん発生率は西洋諸国よりも東洋諸国のほうが低い、これは大豆の摂取量が関係している。東洋人や菜食主義者など大豆を多く食べる人々は尿中のエストロゲンの排出量が多い。大豆イソフラボノイド化合物がエストロゲンと似た構造を有するために同様の生理作用をもたらすためだと考えられる。しかし、大豆製品の中でも作用に違いがあり、非発酵大豆や、発酵大豆でも納豆や醤油は抗変異原性が低く、味噌やテンペの抗変異原性が高い。これは麹が生産するβ-グルコシターゼの活性により、イソフラボンの配糖体がアグリコンに変化することが関係していると考えられる。その効果が大豆麹の味噌では効果が強く、中でもベータグルコシターゼの活性が強い麹菌は「アグリコン」として流通している。一方で発酵大豆でも納豆ではβ-グルコシターゼの作用が弱く、醤油では変化したアグリコンがさらに変化してしまい抗変異原性が低くなると考えられる。", "title": "健康への影響" }, { "paragraph_id": 55, "tag": "p", "text": "イソフラボン摂取が多い対象者では、認知機能障害のリスクが高かった。一方で、大豆製品の摂取量、豆腐、みそ、納豆、発酵大豆食品の摂取量は、認知機能障害との統計学的有意な関連は認められなかった。さらに、大豆の腸内細菌の代謝物であるエクオールに認知症リスクを低下させる可能性が報告されている。", "title": "健康への影響" }, { "paragraph_id": 56, "tag": "p", "text": "生の大豆には微量含まれるタンパク質がいくつか存在する。その1つにトリプシン・インヒビターがあり、生の大豆で活性がある。生の大豆を飼料としてラットに大量摂取させると成長阻害や膵臓肥大が起こることが報告されている。この膵臓肥大は、腸内で阻害されるトリプシンを補うための膵臓の機能亢進の結果として生じると考えられる。生の大豆粉はラットの膵臓癌と相関するという報告があるが、加熱調理済みの大豆粉の発ガン性は認められていない。ラットに与えられている大豆の量は、人間が通常摂食する量に比べてはるかに大きく、また人間は生で大豆を食べず、調理することで微量なタンパク質の活性は極めて小さくなる。別の研究において大豆トリプシンインヒビターをラットとマウスに与えると、短期間(28日間)の実験において膵臓肥大を起こしたが、長期間(95週間)での実験では、マウスでは病変は観察されず、ラットでは膵臓病理が観察され、短期間の実験での膵臓肥大から長期間の病変形成は予測できないことが報告されている。豚に大豆トリプシン・インヒビターを含む餌を与えた研究では、6週齢と39週齢のどちらも膵臓細胞に影響がなく、血漿中のコレシストキニン、血清アミラーゼ活性などにも影響がなかった。またサルについてトリプシン・インヒビターによる膵臓肥大は観察されず、ラット、豚、サルにおいて加熱した大豆粉や分離大豆タンパクによる悪影響がなかったことが報告されている。2020年に公表された多目的コホート研究で、ヒトの非発酵性大豆食品摂取量と膵がん罹患リスクが関連していることが指摘されたが、発酵性大豆食品摂取量とは関連していないことが指摘されている。トリプシン・インヒビターには、マウスにおいてがんの肺転移や肝転移を抑制したり、がん抑制遺伝子の発現を高めたり、がんの増殖を抑制することが報告されており、がんの発生予防や治療にその効果が期待されている。", "title": "健康への影響" }, { "paragraph_id": 57, "tag": "p", "text": "BSE問題が顕在した結果、それまで畜産飼料として利用されていた肉骨粉の利用が規制され、それに伴い、肉骨粉に替わるタンパク質源としてダイズ種子の利用が急激に増えた。需要が急増したため、南米諸国、特にブラジルやアルゼンチンでの栽培が増えた。その結果、アマゾンの熱帯雨林において、大豆生産のためのプランテーションの大規模な開発が行われており、それによる森林の消失が問題になっている。", "title": "環境への影響" }, { "paragraph_id": 58, "tag": "p", "text": "日本においては、節分の日に炒った大豆をまく「豆撒き」の風習がある。", "title": "日本文化" }, { "paragraph_id": 59, "tag": "p", "text": "大豆の生豆を噛みつぶし、それを子供の頭の上に塗るとかんの虫が切れるという風習が長野県秋山郷地方に伝承されている。", "title": "日本文化" } ]
大豆は、マメ科の一年草。完熟種子は主に搾油の原料となり、脱脂後の絞り粕(大豆粕)は飼料として利用されている。食用にもなり特に東アジアでは様々な利用形態が発達している。未成熟の種子を枝豆と呼ぶ。 東アジア原産のツルマメが原種と考えられる。ツルマメは特に日本、中国、韓国に広く分布しており、歴史的に複数の地域で栽培化が始まった。
{{otheruses||テレビ制作会社|ダイズ (テレビ制作会社)}} {{生物分類表 |名称 = 大豆 |色 = lightgreen |画像 = [[ファイル:W daizu4111.jpg|250px]] |画像キャプション = ダイズ |分類体系 = [[APG III]] |界 = [[植物界]] {{Sname||Plantae}} |門階級なし = [[被子植物]] {{Sname||angiosperms}} |綱階級なし = [[真正双子葉類]] {{Sname||eudicots}} |下綱階級なし = [[バラ類]] {{Sname||rosids}} |上目階級なし = [[マメ類]] {{Sname||fabids}} |目 = [[マメ目]] {{Sname||Fabales}} |科 = [[マメ科]] {{Sname||Fabaceae}} |亜科 = [[マメ亜科]] {{Sname||Faboideae}} |連階級なし = millettioid |属 = [[ダイズ属]] {{Snamei||Glycine (plant)|Glycine}} |種 = '''ダイズ''' {{Snamei|G. max}} |学名 = ''Glycine max'' |和名 = ダイズ<!--(大豆)生物名はカタカナ--> |英名 = {{lang-en-us-short|Soybean}}、{{lang-en-gb-short|Soya bean}} }} [[ファイル:W daizu4091.jpg|200px|thumb|大豆の花]] '''大豆'''(学名: {{snamei|Glycine max}})は、[[マメ科]]の[[一年草]]。完熟[[種子]]は主に[[搾油]]の原料となり、脱脂後の絞り粕([[大豆粕]])は飼料として利用されている。食用にもなり特に東アジアでは様々な利用形態が発達している。未成熟の種子を[[枝豆]]と呼ぶ。 東アジア原産の[[ツルマメ]]が原種と考えられる。ツルマメは特に日本、中国、韓国に広く分布しており、歴史的に複数の地域で栽培化が始まった<ref name="島本義也">{{Cite journal|和書 | author = 島本義也 | year = 2000 | title = 三内丸山文化圏で育まれたダイズ: 葉緑体とミトコンドリアからみたダイズの起源 | journal = 育種学最近の進歩 | volume = 42 | pages = 157-162 | publisher = 養賢堂 | url = https://agriknowledge.affrc.go.jp/RN/2010700002 | issn = 03888177 | ref = harv }}</ref>。 == 特徴 == [[農作物]]として世界中で広く栽培されている。[[日本]]には[[縄文時代]]に存在したと思われる大豆の出土例があり、『[[古事記]]』にも大豆の記録が記載されている。 植物の中でも[[タンパク質]]を多く含有する<ref>{{Cite web|和書| url = https://www.mext.go.jp/a_menu/syokuhinseibun/1365419.htm | title = 第2章 日本食品標準成分表 PDF(日本語版) | publisher = 文部科学省 | accessdate = 2022-06-15 }}</ref>ことから日本・[[ドイツ]]では「畑の(牛)肉」<ref>{{Cite web|和書|url=https://dime.jp/genre/916878/|title=たんぱく質、大豆サポニン、じつは巣ごもり生活に必要な栄養成分が盛りだくさんの「大豆」を毎日食べ続ける健康法|publisher=@DIME アットダイム|date=2020-05-24|accessdate=2020-11-23}}</ref>、[[アメリカ合衆国]]では「大地の黄金」とも呼ばれている{{要出典|date=2022-6}}。また、[[日本料理]]やその[[調味料]]の原材料として中心的役割を果たしている(後述)。[[菜食主義]]や[[殺生]]を禁じた[[宗教]]においては植物性のタンパク源として利用され、[[精進料理]]においても重用された事で多くの加工食品が生み出された。加工食品の技術が上がるにつれて、[[代替肉|肉を模した代替食品]]としても注目されている。 ===連作障害=== [[image:Soybean cyst nematode and egg SEM.jpg|thumb|葉の黄化や生育不良、収穫減少などの生育障害の原因になっていると考えられているダイズシストセンチュウ<ref name=ktpps1999.2006.153 />]] 古くからの在来種・固定種が多く現存している。[[両性花]]なので[[自家受粉]]可能であり、自家採種のしやすい植物である。その反面、葉の黄化や生育不良や収穫減少などの[[連作|連作障害]]を起こしやすいため、隔年または2年ごと<ref>上野敏昭、渡辺耕造、石川元一、[https://doi.org/10.20768/jcskanto.1.0_51 転換畑における麦-大豆体系の転換期間] 日本作物学会関東支部会報 p.51-52, {{doi|10.20768/jcskanto.1.0_51}}</ref>に[[輪作]]を行ない、違う作物を作付けし、連作を避けるか、連作を行なうために土壌消毒や土壌改善を行う等の対策を練らねばならない。日本国内においては、このことが栽培規模拡大への障害のひとつとなっている。連作障害には{{仮リンク|ダイズシストセンチュウ|en|Soybean cyst nematode}}が関与していると考えられている<ref name=ktpps1999.2006.153>伊藤綾、竹内浩二、高木章雄 ほか、[https://doi.org/10.11337/ktpps1999.2006.153 東京都におけるエダマメのダイズシストセンチュウ発生実態] 関東東山病害虫研究会報 2006巻 (2006) 53 号 p.153-156, {{doi|10.11337/ktpps1999.2006.153}}</ref>。 それほど耐湿性が高い作物ではないため、稲作との輪作では水田地形特有の過剰な水分や冠水などがダイズの生育に影響を与えることがある。多くの場合、[[畝]]を高く盛ることで対応するが、アメリカの{{仮リンク|ミシシッピ川デルタ|en|Mississippi River Delta}}地帯などの大規模な[[湿地帯]]の農家では対応が難しく死活問題となる。このため、耐湿性の強さに着目した品種の導入や改良も試みられている<ref>{{Cite web|和書|date= 2012.09.13|url=https://bio.nikkeibp.co.jp/article/news/20120905/163101/ |title= 国際アグリバイオ事業団(ISAAA)アグリバイオ最新情報【2012年8月31日】|publisher= 日経バイオテクオンライン|accessdate=2018-04-13}}</ref>。 === 根粒菌との共生 === ダイズを含む一部の[[マメ科]]植物は[[根]]に[[根粒]]もしくは[[茎]]に茎粒を持ち、[[根粒菌]]という[[細菌]]が共生している。根粒菌は[[植物]]から[[リンゴ酸]]などの効率の良い[[栄養分]]をもらって生活の場を提供してもらう代わりに、[[大気]]中の[[窒素]]を植物にとって使いやすい[[アンモニア]]に転換([[窒素固定]])する。窒素は植物にとって必須元素であり、[[肥料]]として取り入れる成分の一つであるが、自然界では一部の細菌と雷などでしか使用可能形態に転換できない。根粒菌はその能力が高いため、それを持つ植物は自ら窒素肥料を作ることができることになり、やせている土地でもよく育つものが多い<ref>{{cite journal | title = Molecular Mechanisms in Root Nodule Development | author = Martin Crespi and Susana Gálvez | journal = Journal of Plant Growth and Regulation | year = 2000 | volume = 19 | pages = 155&ndash;166 | url = http://www.springerlink.com/content/2y6pbrdwqtegml7c/fulltext.pdf | doi = 10.1007/s003440000023 | pmid = 11038225 | issue = 2}}</ref>。 大豆はかつては、地力涵養作物だと思われてきた。だが、実際は大豆は地力消耗作物であり、子実にタンパク質を多く含むため、多量の窒素を必要とするので、大豆の作付けは土壌中の窒素を消耗し地力の低下を招く。稲わらのみのすき込みの場合、大豆1作の窒素消耗量は水稲6作分の窒素消耗量に匹敵する。地力窒素の維持のためには、水稲作との輪作が必要である。大豆の生育に使われる窒素は、その3割が地力由来、6割が根粒菌由来、1割が施肥由来と言われている<ref>{{PDFlink|[http://www.maff.go.jp/j/seisan/gizyutu/hukyu/gijutsuportal/attach/pdf/saibai-3.pdf 栽培のポイント] 農林水産省}}</ref>。 大豆は肥料がいらない作物だと思われがちだが、実は肥沃な土で栽培しないと収量が上がらない。特に根粒菌が固定した窒素の供給が盛んになるのは発芽後4週間からなので、それまでの栄養分を補ってやる必要がある。共生成立までの過程に於いて、Nodファクターと受容体による経路<ref>[http://www.glycoforum.gr.jp/science/word/glycobiology/PS-01J.html Nodファクターの認識・伝達機構] </ref><ref>[http://www.nias.affrc.go.jp/plant_symbiosis/research.html 土壌微生物由来の共生シグナル物質の受容と細胞内シグナル伝達経路の解明] 植物共生機構研究ユニット</ref>と[[III型分泌装置|III型分泌系]]による経路<ref>{{PDFlink|[http://www.kazusa.or.jp/j/information/pdf/20131018.pdf 根粒菌のダイズへの新規共生経路の発見 ~病原菌から共生菌への進化の解明に向けて~] かずさDNA研究所}}</ref>の複数の経路があることが解明されている。 == 世界への伝播 == 大豆は[[20世紀]]初頭までは、[[東アジア]]に限られた主に食用の作物であった。20世紀に入り[[南満州鉄道|満鉄]]が[[満州]]において「満州大豆」など大豆の品種改良や新種開発に乗り出してから、油糧作物および飼料作物として世界に生産が広まり、世紀後半には生産量が急拡大した。[[21世紀]]には、大豆と脱脂大豆を合わせた交易重量は長らく世界最大の交易作物である小麦と並ぶ量となった<ref>{{Cite journal|和書 | author = 薄井寛 | title = 第 13 回:大豆油とバイオ燃料の2つの「油」が世界の食料貿易を激変させる(その1)~小麦・トウモロコシをすでに追い抜いた大豆・大豆粕の貿易量~ | date = 2009-07-31 | publisher = JA総合研究所 | url = https://www.japan.coop/wp/wp-content/uploads/2018/05/window13.pdf | ref = harv }}</ref>。 === 原産地 === 原産地は東アジアである。日本にも自生している[[ツルマメ]]が原種と考えられている。 遺伝学的研究によれば、東アジアの複数の地域で野生ツルマメからの栽培化が進行し、日本も起源地のひとつである<ref name="縄文時代のダイズ"/><ref name="島本義也"/>。2010年代の考古学的研究では、アジアでも他の地域に先駆けてダイズの栽培化が進行した可能性が判明しており他の起源地は中国や朝鮮半島である<ref name="縄文豆利用">{{Cite journal|和書|author1=那須浩郎 |author2=会田進 |author3=佐々木由香 |author4=中沢道彦 |author5=山田武文 |author6=輿石甫 |date=2015-03 |url=https://meiji.repo.nii.ac.jp/records/13530 |title=炭化種実資料からみた長野県諏訪地域における縄文時代中期のマメの利用 |journal=資源環境と人類 |ISSN=2188-3483 |publisher=明治大学黒耀石研究センター |volume=5 |pages=37-52 |hdl=10291/17440 |CRID=1050294584545964032 |ref=harv}}</ref>。縄文時代中期、紀元前4000年後半より日本列島での栽培が見られることが2015年の研究で判明し、この時期以降に野生種からの人為的な栽培に特徴的な種子の大型化がみられる<ref name="縄文時代のダイズ">{{Cite journal |和書|author1=中山誠二 |date=2015-02 |title=縄文時代のダイズの栽培化と種子の形態分化 |journal=植生史研究 |volume=23 |issue=2 |pages=33-42 |naid=40020390985 |url=https://doi.org/10.34596/hisbot.23.2_33}}</ref>。2007年には、縄文時代後期中頃<ref>{{cite journal|和書|author=小畑弘己, 佐々木由香, 仙波靖子 |year=2007 |url=https://doi.org/10.34596/hisbot.15.2_97 |title=土器圧痕からみた 縄文時代後・晩期における九州のダイズ栽培 |journal=植生史研究 |volume=15 |issue=2 |pages=97-114 |doi=10.34596/hisbot.15.2_97 |publisher=日本植生史学会}}</ref>。日本列島においては[[縄文時代]]において[[アズキ]]や[[リョクトウ]]などの炭化種実が検出されているためマメ類の利用が行われていたことが判明していた。山梨県の[[酒呑場遺跡]]から出土した土器のダイズ圧痕は蛇体装飾の把手部分から検出されており、これは偶然混入したものではなく意図的に練りこまれた可能性が想定されており、その祭祀的意図をめぐっても注目されている。 中国や日本などでは[[米]]・[[ムギ|麦]]・[[アワ|粟]]・[[ヒエ|稗]](ひえ)・豆(大豆)が[[五穀]]として重用されている。 === 世界への伝播 === [[ファイル:Leiden University Library - Seikei Zusetsu vol. 18, page 023 - 穭豆 - Glycine max (L.) Merr., 1804.jpg|サムネイル|大豆、『[[成形図説]]』の挿絵(1804)]] [[ヨーロッパ]]に伝わったのは[[18世紀]]、アメリカには[[19世紀]]のことである。ヨーロッパにダイズの存在を伝えたのは[[エンゲルベルト・ケンペル]]だといわれており、彼が長崎から帰国した後、[[1712年]]に出版した『[[廻国奇観]]』において、ダイズ種子を[[醬油]]の原料として紹介した。ヨーロッパでは[[1739年]]に[[フランス]]での試作、アメリカでは[[1804年]]に[[ペンシルベニア州]]での試作が最初の栽培とされている。{{要出典範囲|[[ベンジャミン・フランクリン]]の手紙の中に、[[1770年]]に[[イギリス]]にダイズ種子を送る旨が記してある。|date=2015年12月}}ヨーロッパでそれ以前にダイズの存在を知られていなかった理由として、既に他の[[豆|豆類]]が栽培されていたことや、[[土壌]]が合わなかったこと、根粒菌が土壌にない場合があったことなどが挙げられている。 このようにダイズの伝搬が遅れたため、英語名の「{{en|Soy}}」は醤油が語源と言われる。 ダイズが伝播後19世紀にかけては、[[アジア]]圏以外では重要な[[農産物|作物]]とはみなされておらず、[[緑肥]]や飼料作物としての生産に留まっていた。20世紀に入り搾油用の需要が拡大していった。[[ヘンリー・フォード]]は、油脂の採取、繊維・プラスチックの開発目的で大豆農園を経営していた。[[作物]](油糧作物)として注目されるようになったのは[[1920年代]]以降であり、ヨーロッパで食料として初めて収穫されたのは[[1929年]]とされる。アメリカで本格的にダイズが栽培されるようになったのは、[[1915年]]に{{仮リンク|ワタミハナゾウムシ|en|Boll_weevil}}の侵入によって[[アメリカ南部]]の[[綿花]]が大打撃を受け、それまでアメリカの製油業の中心であった[[綿実油]]が不足してからである。ワタに代わる新たな製油材料として、それまでも徐々に栽培を拡大させてきたダイズは一気に脚光を浴びることとなった。[[1920年代]]には[[製油]]用や[[飼料]]用としての需要の高まりにより、さらに大規模に栽培されるようになった<ref>{{Cite book | 和書 | title = ケンブリッジ世界の食物史大百科事典 | volume = 2 主要食物:栽培作物と飼養動物 | others = 三輪睿太郎(監訳) | publisher = 朝倉書店 | date = 2004年9月10日 | edition = 第2版第1刷 | pages = pp. 461-462}}</ref>。第二次世界大戦後、アメリカは世界最大の大豆生産国となったが、1973年に大豆の輸出規制を実施。大豆の消費の多くをアメリカからの輸入品に頼っていた日本は、輸入国の多様化を図る必要性に迫られた。当時の[[田中角栄]]政権は、[[ブラジル]]で放棄されてきた内陸部の[[サバンナ]]地帯([[セラード]])に着目、大豆生産を働きかけたところ軌道に乗り、[[2010年代]]のブラジルはアメリカに匹敵する規模の大豆生産国となった<ref>{{Cite web|和書|date= 2016-06|url= https://www.maff.go.jp/j/pr/aff/1606/spe1_01.html|title= 生産と消費量で見る世界の大豆事情|publisher= 農林水産省|accessdate=2018-04-08}}</ref>。 タンパク質含有量の高いダイズ種子は用途が広く、様々な食品の製造に加工されている。そのタンパク質以外の成分である[[脂質]]からは食用油以外にも[[レシチン]]などが抽出され、利用されている。 == 呼称 == 原産地である東アジアでは、大豆(中国・日本)、黄豆([[広東語]]・[[贛語]])と呼ばれている。その他の多くの地域では、東アジアにおける名称とは異なった {{lang|und-latn|''Soy'' / ''Soya''}}、もしくはそれに類似した呼称が使われている。この {{lang|und-latn|''Soy''}} の起源は日本語の醤油であると考えられている。その経緯は、17世紀にオランダが日本との通商をとおして醤油を {{nl|''soya''}} としてヨーロッパへ紹介したことに遡る<ref>ONLINE ETYMOLOGY DICTIONARY [http://www.etymonline.com/index.php?term=soy&allowed_in_frame=0 soy] </ref>。 英国においても、17世紀の文献に醤油を {{lang|en|''Saio''}}<ref group="注">広東語: {{lang|yue-latn|shi-yau}} 起源か?</ref>、{{en|''Soy''}} とした記述が見られる。その後20世紀に入るまで {{lang|en|''Soy''}} とは醤油を意味する単語であった。20世紀に入り、東アジア以外の国で大豆が主に油糧作物・飼料作物として栽培・利用されるようになり、醤油の原料であることから英語では {{en|''soybean''}} または {{en|''soya bean''}}、他の国でも同様に呼ばれるようになった<ref>SOYINFO CENTER [http://www.soyinfocenter.com/HSS/soy_sauce1.php History of Soy Sauce, Shoyu and Tamari] </ref>。 属名 {{snamei|[[ダイズ属|Glycine]]}} は[[リンネウス]]による命名である。本属の命名時、リンネウスはこの属内の種の一つが甘い根を持つことに気付いた。この甘味に基づいて、ギリシア語で「甘い」を意味する {{lang|el|γλυκός}} ({{lang|el-latn|glykós}}) をラテン語化した<ref name=":1">{{Cite journal|last1=Hymowitz|first1=T.|last2=Newell|first2=C.A.|date=1981-07-01|title=Taxonomy of the genusGlycine, domestication and uses of soybeans|journal=Economic Botany|language=en|volume=35|issue=3|pages=272–88|doi=10.1007/BF02859119|s2cid=21509807|issn=0013-0001}}</ref>。本属名は[[アミノ酸]]の[[グリシン]] ({{en|Glycine}}) とは直接の関係はない。 リンネウスは著者『[[植物の種]]』においてダイズを {{snamei|Phaseolus max}} という学名で記載した。1917年、[[エルマー・ドリュー・メリル]]は国際植物命名規則に従って、ダイズの正しい学名は {{snamei|Glycine max}} となるべきだ、と主張した。 == 生産 == [[File:Soybean-Prod-history.png|thumb|right|'''大豆生産の推移''' (1961 - 2016)単位百万トン<ref>FAO [http://www.fao.org/faostat/en/#data/QC Production / Crops] </ref><br>国コード; [[ISO_3166-1]]_alpha-3, oth 86; 他86か国 <br>2016年の上位8か国で94.82%の生産]] 大豆の生産は20世紀初頭、[[第二次世界大戦]]前までは中国の特に東北地方([[満州国]])が世界最大の生産国であり、輸出国であった<ref>JA総合研究所 [http://www.jc-so-ken.or.jp/pdf/agri/research_report/usui/window14.pdf 「戦前の大豆生産・大豆油需要」] </ref>。大豆の輸入が途絶えた米国では国内での生産へシフトし、満洲で[[品種改良]]や新種開発を培ってきた日本を占領下に治めた[[戦後]]から20世紀後半にかけて世界最大の生産・輸出国となった。21世紀に入り増加し続ける需要に呼応し、ブラジル・アルゼンチン他南米各国で生産が拡大していった。 大豆は生産・輸出トン数ではトウモロコシや小麦には及ばないが、輸出金額ではトウモロコシや小麦を抜いて世界最大の交易作物となっている。米国の2017年の作物輸出金額の一位は大豆で216億ドル、二位はトウモロコシの91億ドルであった<ref>USDA - Foreign Agricultural Service (FAS) [https://www.fas.usda.gov/data/top-us-agricultural-exports-2017 Top U.S. Agricultural Exports in 2017] </ref>。ブラジルは世界最大のコーヒー豆と砂糖キビの生産国であるが、輸出金額トップは大豆で190億ドル、砂糖は104億ドル、コーヒー豆は48億ドルであった<ref>COMMODITY.COM [https://commodity.com/country-profiles/brazil/ Brazil’s Top Commodity Imports & Exports] </ref>。アルゼンチンでも大豆製品の輸出金額は脱脂大豆100億ドル、大豆油41億ドル、丸大豆32億ドルの計173億ドルで2位のトウモロコシ42億ドルを大きく引き離している<ref>COMMODITY.COM [https://commodity.com/country-profiles/argentina/ Argentina’s Top Commodity Imports & Exports] </ref>。 {| class="sortable wikitable" style="text-align:right; font-size:smaller" |+大豆の主な生産国と生産量(千トン)<ref name=faobc/> ! - !! 1965 !! 1970 !! 1975 !! 1980 !! 1985 !! 1990 !! 1995 !! 2000 !! 2005 !! 2010 !! 2015 !! 2019 |- !世界 | 31705 || 43697 || 64249 || 81040 || 101157 || 108456 || 126924 || 161308 || 214543 || 265088 || 323308 || 333672 |- !ブラジル | 523 || 1509 || 9893 || 15156 || 18279 || 19898 || 25683 || 32821 || 51182 || 68756 || 97465 || 114269 |- !アメリカ | 23014 || 30675 || 42140 || 48922 || 57128 || 52416 || 59174 || 75055 || 83507 || 90663 || 106954 || 96793 |- !アルゼンチン | 17 || 27 || 485 || 3500 || 6500 || 10700 || 12133 || 20136 || 38290 || 52675 || 61447 || 55264 |- !中国 | 6206 || 8775 || 7302 || 7966 || 10512 || 11008 || 13511 || 15409 || 16348 || 15084 || 11788 || 15729 |- !インド | 10 || 14 || 91 || 442 || 1024 || 2602 || 5096 || 5276 || 8274 || 12736 || 8570 || 13268 |- !パラグアイ | 22 || 41 || 220 || 537 || 1172 || 1795 || 2212 || 2980 || 3988 || 7460 || 8856 || 8520 |- !カナダ | 219 || 283 || 367 || 690 || 1012 || 1262 || 2298 || 2703 || 3156 || 4445 || 6456 || 6045 |} {| class="sortable wikitable" style="text-align:right; font-size:smaller" |+大豆の主な輸入国と輸入量(千トン)<ref name=faobc/> ! - !! 1965 !! 1970 !! 1975 !! 1980 !! 1985 !! 1990 !! 1995 !! 2000 !! 2005 !! 2010 !! 2015 !! 2019 |- !中国 | 0 || 0 || 27 || 576 || 0.5 || 0.9 || 294 || 10419 || 26590 || 54798 || 81690 || 88586 |- !メキシコ | 3 || 102 || 22 || 522 || 1494 || 897 || 2232 || 3985 || 3714 || 3772 || 3890 || 4851 |- !アルゼンチン | 0 || 0 || 0 || 1.8 || 0.04 || 0.04 || 0.1 || 238 || 748 || 1.8 || 0.5 || 4548 |- !エジプト | 0 || 0.003 || 0.002 || 1 || 5 || 25 || 55 || 243 || 574 || 1752 || 1764 || 4257 |- !オランダ | 391 || 1105 || 1282 || 3495 || 2960 || 4122 || 5372 || 5381 || 4870 || 3553 || 3467 || 4113 |- !ドイツ | 1332 || 2134 || 3502 || 3935 || 2900 || 2718 || 2907 || 3840 || 3884 || 3383 || 3787 || 3666 |- !日本 | 1847 || 3244 || 3334 || 4401 || 4910 || 4681 || 4813 || 4829 || 4181 || 3456 || 3243 || 3392 |} {| class="sortable wikitable" style="text-align:right; font-size:smaller" |+大豆の主な輸出国と輸出量(千トン)<ref name=faobc/> ! - !! 1965 !! 1970 !! 1975 !! 1980 !! 1985 !! 1990 !! 1995 !! 2000 !! 2005 !! 2010 !! 2015 !! 2019 |- !ブラジル | 75 || 290 || 3333 || 1549 || 3491 || 4077 || 3493 || 11517 || 22435 || 29073 || 54324 || 74073 |- !アメリカ | 6196 || 11839 || 12496 || 21786 || 17566 || 15467 || 22840 || 27192 || 25658 || 42351 || 48216 || 52388 |- !アルゼンチン | 0 || 0 || 0 || 2700 || 2963 || 3214 || 2550 || 4123 || 9962 || 13616 || 11650 || 10054 |- !パラグアイ | 1 || 0 || 102 || 235 || 710 || 1411 || 1270 || 1796 || 2972 || 4659 || 4576 || 4901 |- !カナダ | 83 || 29 || 10 || 96 || 105 || 166 || 654 || 771 || 1181 || 2776 || 4247 || 4013 |- !ウルグアイ | 0 || 0 || 0 || 9 || 6 || 27 || 0 || 0 || 477 || 1968 || 3035 || 2971 |- !ウクライナ | - || - || - || - || - || - || 5 || 8 || 175 || 196 || 2199 || 2953 |} 日本は現在大部分を輸入に頼っているため、[[2003年]]に世界的不作から価格が高騰したときには大きな影響を受けた。最大の[[生産国]]はアメリカ合衆国、次いで[[ブラジル]]、[[アルゼンチン]]、[[中華人民共和国]]と続く。アメリカの大豆生産量は増減が激しいが、近年アルゼンチンとブラジルの大豆生産量が大きな伸びを示している。輸出国は、アメリカ合衆国、ブラジル、アルゼンチン、[[パラグアイ]]、[[カナダ]]の順である。日本の輸入量は、中華人民共和国、EU 27カ国に次ぐ世界第3位である。中華人民共和国では経済成長に伴う食生活の変化により消費量が増加しており、これからも増え続けると見られている<ref>「中国においては、所得水準の向上に伴い、肉類、油脂類の消費が増加するなど、食生活が変化してきている。このため、家畜の飼料として消費される穀物や大豆粕などが人口の伸びを上回って増加しており、特に大豆粕等についてはOECD-FAO のレポートによると、2008 年の見込みでは10 年前の1998年に比べ2倍強に増加し、さらにその10 年後の2018 年には1998 年に比べ3 倍強にまで増加すると予測されている。」、p. 57、[http://www.maff.go.jp/j/zyukyu/jki/j_rep/annual/2009/pdf/2009_full.pdf 海外食料需給レポート2009]、平成22年3月、農林水産省 {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20130201180238/http://www.maff.go.jp/j/zyukyu/jki/j_rep/annual/2009/pdf/2009_full.pdf |date=2013年2月1日 }}</ref>。 日本国内のダイズ生産量は平成22年度で222,800トンであり、県別では[[北海道]]が57,100トンで最大産地となっており、以下[[宮城県]]の18,100トン、[[佐賀県]]の17,700トン、[[福岡県]]の16,100トンと続く。日本でダイズ生産量が1万トンを超えるのはこの4道県のみである<ref>[http://www.maff.go.jp/j/seisan/ryutu/daizu/d_data/pdf/002_huken_betu.pdf 大豆関連データ集 都道府県別生産状況] 農林水産省{{リンク切れ|date=2015年10月}}</ref>。平成26年では231,800トンであり、県別では北海道が73,600、以下宮城県19,300, 佐賀県15,300、福岡県14,300となっている。平均収量は、北海道(233kg/10a)・佐賀(229kg/10a)・福岡(198kg/10a)の順で、収穫量の上位の収量が多い<ref>{{PDFlink|[http://www.maff.go.jp/j/seisan/ryutu/daizu/pdf/daizu_meguji_h2802.pdf 大豆をめぐる事情]}} 農林水産省 平成28年2月</ref>。 ===戦略物資としての大豆=== 中国は世界の大豆生産量の6割を輸入する大消費地であるが、その輸入元の3割はアメリカ合衆国となっていた。2018年、両国間で貿易摩擦問題が深刻化し、アメリカが中国産品に追加[[関税]]を掛けることを予告すると、中国もアメリカ産大豆を含む[[報復関税]]対象リストを発表。春先には大豆市場の価格が2割近く下落する動きが見られた<ref>{{Cite web|和書|date= 2018-04-05|url= https://jp.reuters.com/article/us-china-soy-idJPKCN1HB39A|title= アングル:中国の米国産大豆への追加関税、中国企業に痛みも|publisher= ロイター|accessdate=2018-08-05}}</ref>。結果的に同年7月には、アメリカと中国で追加関税、報復関税を掛けあう[[米中貿易戦争 (2018年)]]に発展し、大豆が経済戦争上の戦略物資の一つとして注目を浴びた。なお、中国が大豆を含む報復関税対象リストを発表した時点では、すでにアメリカの農家は大豆の作付け準備が終わっており、今後、中国の需要を見込んだアメリカ産大豆の在庫が積み上がり価格の下落圧力となる可能性があること、また中国の需要を満たすため各国の作付け面積が増やすなど、国際的な大豆の生産消費に大きな変化が生じることが予想されている<ref>{{Cite web|和書|date= 2018-06-30|url= https://www.nikkei.com/article/DGXMZO32462080Q8A630C1NNE000/|title= 米産大豆、在庫が過去最高に 中国報復関税で価格下押し懸念 |publisher= 日本経済新聞|accessdate=2018-08-05}}</ref>。 == 用途 == 2007年のダイズ(丸大豆)の世界消費は、[[大豆油]]と[[大豆粕|脱脂大豆(ミール)]]への分離加工用が87%と圧倒的多数を占め、ついで飼料用が7%、食用が6%であった<ref>{{Cite book | title = 絵で見る:食糧ビジネスのしくみ | pages = pp. 26-27 | author = 榎本裕洋、安部直樹 | others = 柴田明夫(監修) | publisher = 日本能率協会マネジメントセンター | date = 2008年8月30日 | edition = 初版第1刷}}</ref>。また、油分分離後の脱脂大豆は、高タンパクの飼料として価値が高く、世界の穀物取引の中心である[[シカゴ商品取引所]]にはダイズと大豆粕(大豆ミール)がともに上場され、盛んに取り引きされている。 以下は2013年度の全世界の大豆の需要供給の収支表である。大豆の総生産量は2億7836万トンで、その38.4%の1億692万トンが輸出された。輸入量が1億209万トン、在庫変動がプラス608万トンであった<ref name=faobc>[[国際連合食糧農業機関]](FAO) [http://www.fao.org/faostat/en/#data/BC FAOSTAT Commodity Balances]閲覧2017-08-17 </ref>。 {|class="wikitable" style="text-align:center; font-size:smaller" ! colspan="6"|大豆需供バランス 2018年<ref name=faobc/> (単位百万トン) |総供給量比 |備考 |- |rowspan="11" |大豆<br>供給量 345.54 |rowspan="6" |加工用<br>299.49 (86.67%) |rowspan="4" |油生産<br>55.60<br>(16.09%) |rowspan="4" |供給量<br>54.76 |飼料 |0.01 |0.004% | |- |食用 |22.60 |6.54% | |- |その他 |25.67 |7.43% |バイオ燃料他 |- |損失 |0.005 |0.001% | |- style="height: 6em;" |rowspan="2" |ミール<br>生産<br>179.27<br>(2013年) |rowspan="2"|供給量<br>178.91 |飼料 |175.87 |65.76% (2013年比) | |- |その他 |3.04 |1.14% (2013年比) | |- |colspan="4" |飼料 |22.94 |6.64% | |- |colspan="4" |食用 |10.35 |2.99% | |- |colspan="4" |種子 |9.21 |2.66% |栽培用 |- |colspan="4" |その他 |1.49 |0.43% | |- |colspan="4" |損失 |5.25 |1.52% | |- |} 以上のように大豆の第一次の用途で最大のものは加工用大豆の85%であり、未加工大豆の食用は4%に達しない。加工用大豆から生成されるダイズ油の食用分9.1%、醸造用などに使われる大豆粕1.14%を加味してもヒトの食用は総生産重量の約14%となっている。一方で飼料の用途では未加工大豆が6.53%、加工用大豆から搾油された後の副産物の飼料用大豆粕が65.76%で合計72.29%が使われており、重量の観点から大豆は重要な飼料作物のひとつといえる。一方で大豆の大部分が[[家畜]]飼料に使用されることから、中国のように、食料安全保障を確保するために家畜飼料中の大豆のシェアを削減するよう求める動きもある<ref>{{Cite web |url=https://www.caixinglobal.com/2022-09-22/to-ensure-food-security-china-calls-for-cutting-share-of-soy-in-animal-feed-101943378.html |title=To Ensure Food Security, China Calls for Cutting Share of Soy in Animal Feed |access-date=20220925}}</ref>。 ダイズ油のその他の利用は6.53%で、これは[[バイオマス燃料]]や化学工業用などである。近年は加工用大豆の需要が拡大し続けており、食用の比率は年々低下している<ref>{{Cite web|和書| url = https://www.maff.go.jp/j/seisan/ryutu/daizu/attach/pdf/index-139.pdf | title = 大豆をめぐる事情(令和3年1月) | publisher = 農林水産省 | accessdate = 2021-06-01 }}</ref>。 日本国内のダイズ消費量は2005年度に534万8000トンであり、このうち大豆油用が429万6000トン、食用が105万2000トンである。ダイズが基幹食料となっている日本では食用消費の占める割合が世界消費に比べかなり多くなっているが、それでも20%弱に過ぎない。日本国内の食用消費の内訳は、豆腐が49万6000トンで半数近くを占め、ついで味噌・醬油用が17万1000トン、納豆用が13万6000トン、煮豆や惣菜用が3万3000トン、その他が21万5000トンとなっている。国産大豆は食用消費の21%を占めている<ref>{{Cite book | title = 絵で見る:食糧ビジネスのしくみ | pages = pp. 136-137 | author = 榎本裕洋、安部直樹 | others = 柴田明夫(監修) | publisher = 日本能率協会マネジメントセンター | date = 2008年8月30日 | edition = 初版第1刷}}</ref>。 === 栄養価 === {{hidden begin|border = #aaa solid 1px|titlestyle=text-align: center;|bg1=#eaecf0; |title=ダイズの栄養価の代表値 }} {{栄養価 | name=だいず(全粒、国産、黄大豆、乾)<ref name=mext7>[[文部科学省]] 「[https://www.mext.go.jp/a_menu/syokuhinseibun/1365297.htm 日本食品標準成分表2015年版(七訂)]」</ref>| kJ =1765| water=12.4 g| protein=33.8 g| fat=19.7 g| satfat=2.59 g| monofat = 4.80 g| polyfat =10.39 g| carbs=29.5 g| opt1n=[[食物繊維|水溶性食物繊維]]| opt1v=1.5 g| opt2n=[[食物繊維|不溶性食物繊維]]| opt2v=16.4 g| fiber=17.9 g| sodium_mg=1| potassium_mg=1900| calcium_mg=180| magnesium_mg=220| phosphorus_mg=490| iron_mg=6.8| zinc_mg=3.1| copper_mg=1.07| manganese_mg=2.51| selenium_ug =5| betacarotene_ug=7| vitA_ug =1| vitE_mg =2.3| vitK_ug=18| thiamin_mg=0.71| riboflavin_mg=0.26| niacin_mg=2.0| vitB6_mg=0.51| folate_ug=260| pantothenic_mg=1.36| opt3n=[[ビオチン|ビオチン(B<sub>7</sub>)]] | opt3v=27.5 µg| vitC_mg=3| note =ビタミンEはα─トコフェロールのみを示した<ref>[[厚生労働省]] 「{{PDFlink|[https://www.mhlw.go.jp/file/05-Shingikai-10901000-Kenkoukyoku-Soumuka/0000114399.pdf 日本人の食事摂取基準(2015年版)]」}}</ref>。| right=1 }} {| class="wikitable" style="float:right; clear:right" |+ 大豆100 g中の主な[[脂肪酸]]の種類<ref>[https://data.nal.usda.gov/dataset/usda-national-nutrient-database-standard-reference-legacy-release USDA栄養データベース]United States Department of Agriculture</ref> |- ! 項目 !! 分量(g) |- | [[脂肪]] || 19.94 |- | [[飽和脂肪酸]] || 2.884 |- | 14:0([[ミリスチン酸]]) || 0.055 |- | 16:0([[パルミチン酸]])|| 2.116 |- | 18:0([[ステアリン酸]]) || 0.712 |- | [[不飽和脂肪酸|一価不飽和脂肪酸]] || 4.404 |- | 16:1([[パルミトレイン酸]]) || 0.055 |- | 18:1([[オレイン酸]]) || 4.348 |- | [[多価不飽和脂肪酸]] || 11.255 |- | 18:2([[リノール酸]]) || 9.925 |- | 18:3([[α-リノレン酸]]) || 1.33 |} {{hidden end}} [[ファイル:Soybean-AAS.JPG|330px|thumb|'''ダイズ'''の[[アミノ酸スコア]]<ref>http://www.nal.usda.gov/fnic/foodcomp/search/</ref><ref>[『タンパク質・アミノ酸の必要量 WHO/FAO/UNU合同専門協議会報告』日本アミノ酸学会監訳、医歯薬出版、2009年05月。ISBN 978-4263705681 邦訳元 ''{{PDFlink|[http://whqlibdoc.who.int/trs/WHO_TRS_935_eng.pdf Protein and amino acid requirements in human nutrition]}}'', Report of a Joint WHO/FAO/UNU Expert Consultation, 2007]</ref>]] 大豆種子はタンパク質・脂質および炭水化物を豊富に含んでおり、主にその脂質とタンパク質を食用および飼料用に利用するために大規模に生産され利用されている。サポニンやイソフラボンも含まれている<ref>{{Cite web|和書|url=https://friday.kodansha.co.jp/article/123056|title=「野菜350g」は本当にカラダにいいの…?食生活のウソホント|publisher=FRIDAYデジタル|date=2020-07-16|accessdate=2020-11-27}}</ref>。 ダイズ種子[[貯蔵タンパク質]]の[[アミノ酸]][[残基]]組成において、含硫アミノ酸である[[メチオニン]]と[[システイン]]残基が少なく、それらは制限アミノ酸となっていると言われたことがある。そのため、タンパク質の有効利用効率を示す[[アミノ酸スコア]]や[[プロテインスコア]]を下げていると言われていた。 しかし、これらは成長期のラットに基づく数値であり、その後、ヒトに基づく数値に置き換えられ、具体的には、大豆の[[アミノ酸スコア]]が1973年には86点だったものが、1985年には100点と変更された。大豆は、[[牛乳]]や[[卵]]と同等の良質なタンパク質であるとの評価を得ている<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.solae.jp/dietetics/01.html|title=大豆タンパクの高い栄養価─その新しい評価方法―|accessdate=2012-11-16}}</ref>。 === 大豆油 === ダイズから得られる[[大豆油]]は、[[パーム油]]に次ぐ代表的な[[食用油]]であり、大豆需要の87%を占めている。主要な生産国は、中国、アメリカ、ブラジル、アルゼンチンで、上位5カ国で8割を占める。日本では[[菜種油]]が好まれるため、大豆油の生産量は40万トン前後と菜種油の半分以下に留まる。 近年では環境配慮型の素材とされる[[大豆インキ]]の原料としての需要も拡大している。 残渣の[[大豆粕]]は醤油の原料や[[家畜]]の[[飼料]]、[[大豆ミール]]として粗[[タンパク質]]源に利用されていたが、最近は『ヘルシー』を売りにした小麦粉代替食品としても拡販が進んでいる。 ;大豆レシチン :大豆[[レシチン]]は、大豆油の副産物で、絞ったばかりの大豆粗油をろ過し、お湯を混ぜ、成分を水側に移し遠心分離機で2層になった油を分離後、速やかに水分を乾燥させたものである。利用用途としては、化粧品や食品の[[乳化剤]]に利用される<ref>園良治、[https://doi.org/10.5650/jos1996.48.1161 大豆レシチンの製造と利用] 日本油化学会誌 1999年 48巻 10号 p.1161-1168,1202, {{doi|10.5650/jos1996.48.1161}}</ref><ref>食品ハイドロコロイドの開発と応用 p.115</ref>。 === 飼料 === 飼料用としては主に大豆ミール(大豆粕)が利用される。大豆はタンパク質源として良質で、[[肉牛]]を肥えさせたり、鳥の産卵率を上昇させるのに大きく寄与している。ただし、含有タンパク質中のメチオニンやシステイン残基含量が少ないため、タンパク質の有効利用効率を上げるために、メチオニンやシステインを多く含む他の飼料と混合して利用されている。飼料としての需要は1960年頃から増加した、理由として、飼料として大豆ミールとトウモロコシを1:4の割合で配合すると家畜のタンパク質変換効率が大幅に向上することが発見されたことと<ref>{{Cite journal|洋書 | author = Lester R. Brown | date = 2012 | title = Full Planet, Empty Plates: The New Geopolitics of Food Scarcity | publisher = Earth Policy Institute | pages = 94 | url = http://www.earth-policy.org/books/fpep | ref = harv }}</ref>、[[牛海綿状脳症|BSE]]問題によって飼料のタンパク質源として[[肉骨粉]]の利用が規制されたため、肉骨粉に替わるタンパク質源としてダイズ種子の需要は増したためである<ref name="農林研究所21"/>。 === 食用 === ダイズ種子(大豆)はタンパク質や[[脂肪]]、[[鉄|鉄分]]、[[カルシウム]]など、[[ミネラル]]を多く含む。畑の肉と称されるほどタンパク質が豊富で、調理法によっては肉のような食感が得られるため、戒律によって食肉の扱いに慎重なイスラム教徒などに人気の食材となっている。 日本では色々な形に加工され、利用されている。まず、大豆を暗所で発芽させると[[モヤシ]]、未熟大豆を枝ごと収穫し茹でると[[枝豆]]、さらに育てて完熟したら大豆となる。大豆を搾ると[[大豆油]]、油を絞った粕は[[大豆粕]]として食用・醤油製造や飼料へ、煎って[[穀粉|粉]]にすると[[きな粉]]、蒸した大豆を[[麹|麹菌]]と耐塩性[[酵母]]で[[発酵]]させると[[醬油]]・[[味噌]]、また蒸した大豆を[[納豆菌]]で発酵させると[[納豆]]となる。熟した大豆を加水・浸漬・破砕・加熱したものを搾ると液体は[[豆乳]]、その残りは[[おから]]、豆乳を温めて[[ラムスデン現象]]によって液面に形成される[[膜]]を[[ゆば|湯葉]]、[[にがり]]を入れて[[塩析]]で[[タンパク質]]を固めると[[豆腐]]、豆腐を揚げると「[[油揚げ]]」「[[厚揚げ]]」、焼くと「[[焼き豆腐]]」、凍らせて「[[高野豆腐|凍み(高野)豆腐]]」となる。[[代替肉]]タンパク質源としても利用され[[食肉]]に似た食味の製品も作られる。大豆には[[サポニン]]等水溶性の低分子化合物やタンパク質性のプロテアーゼ・インヒビターやアミラーゼ・インヒビターやレクチンなども含まれており、これらの加工にはそれらの除去の意味もある。 {| class="wikitable" style="font-size:smaller;" |+ 食用大豆の用途別使用量/1000 t (食料産業局食品製造卸売課の推計<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.maff.go.jp/j/seisan/ryutu/daizu/d_data/pdf/012_youto.pdf |title=アーカイブされたコピー |accessdate=2014年3月1日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20131108034718/http://www.maff.go.jp/j/seisan/ryutu/daizu/d_data/pdf/012_youto.pdf |archivedate=2013年11月8日 |deadlinkdate=2017年9月 }}</ref>) ! 年 !! みそ !! 醤油 !! 豆腐・油揚げ !! 納豆 !! 凍豆腐 !! 豆乳 !! 煮豆・惣菜 !! きなこ !! その他 !! 合計 |- | 1997 || 165 || 26 || 494 || 122 || 30 || 3 || 33 || 14 || 132 || 1,019 |- | 1998 || 162 || 26 || 495 || 128 || 30 || 4 || 33 || 16 || 152 || 1,046 |- | 1999 || 166 || 30 || 492 || 127 || 29 || 6 || 33 || 17 || 117 || 1,017 |- | 2000 || 166 || 30 || 492 || 122 || 29 || 7 || 33 || 17 || 114 || 1,010 |- | 2001 || 149 || 32 || 492 || 129 || 29 || 9 || 33 || 17 || 125 || 1,015 |- | 2002 || 149 || 35 || 494 || 141 || 29 || 11 || 33 || 17 || 126 || 1,035 |- | 2003 || 138 || 38 || 494 || 137 || 30 || 19 || 33 || 17 || 128 || 1,034 |- | 2004 || 139 || 37 || 496 || 139 || 33 || 29 || 33 || 18 || 129 || 1,053 |- | 2005 || 141 || 40 || 494 || 131 || 33 || 32 || 33 || 18 || 130 || 1,052 |- | 2006 || 140 || 40 || 492 || 130 || 33 || 30 || 33 || 18 || 130 || 1,046 |- | 2007 || 139 || 40 || 497 || 130 || 30 || 25 || 33 || 19 || 132 || 1,045 |- | 2008 || 137 || 39 || 496 || 129 || 29 || 25 || 33 || 19 || 130 || 1,037 |- | 2009 || 131 || 39 || 490 || 125 || 27 || 29 || 33 || 19 || 100 || 993 |- | 2010 || 127 || 39 || 480 || 123 || 26 || 32 || 33 || 19 || 97 || 976 |- | 2011 || 126 || 35 || 465 || 122 || 24 || 34 || 31 || 18 || 95 || 950 |- | 2012 || 124 || 33 || 450 || 123 || 22 || 40 || 30 || 17 || 93 || 932 |- |} === 生薬 === 蒸した[[黒豆]](黒大豆)を発酵させてから乾燥させたものは、香豉(こうし、別名:[[豆豉]](ずし))という[[生薬]]であり<ref name="gotou">{{Cite journal|和書 |author=後藤實 |date=1993-09 |title=生活の中の生薬102:大豆・黒豆・香豉 |journal=活 |volume=35 |issue=9 |pages=p.p.180}}</ref><ref name="matsuda">{{Cite book|和書 |author=松田邦夫 |title=漢方医学講座 |year=1985 |publisher=津村順天堂 |series=日本短波放送放送内容集 |volume=33 |pages=p.p.25 |chapter=康平傷寒論解説17:梔子豉湯 梔子甘草豉湯 梔子生姜豉湯 梔子厚朴湯 梔子乾姜湯}}</ref>、[[陶弘景]]校定による『名医別録』には「豉」として収載されている<ref name="gotou"/>。香豉には発汗作用、健胃作用があるとされ、香豉を含有する[[漢方薬]]には梔子豉湯、瓜蔕散などがある<ref name="gotou"/><ref name="matsuda"/>。本来、黒豆の発酵・乾燥品を用いるが、現在では納豆を乾燥させたものを代用する<ref name="matsuda"/>。 === 消化 === 多くの[[マメ科]]植物の種子と同様に、ダイズ種子中には、微量タンパク質を含み多様な機能を発揮する。[[プロテアーゼ]]・[[インヒビター]]([[プロテアーゼ阻害剤 (生物学)|プロテアーゼ阻害剤]]) ([[トリプシンインヒビター|トリプシン・インヒビター]]、[[セリンプロテアーゼ]]・インヒビター([[セルピン]]))や[[アミラーゼ]]・インヒビター([[Α-グルコシダーゼ阻害剤]])や[[レクチン]]が含まれて消化を悪くする。 生で大豆を食べると、トリプシン・インヒビターなどにより消化不良で[[下痢]]を起こすことがある。加熱処理をすることで[[変性]]・[[失活]]させて消化吸収効率を上げている<ref>町田芳郎、[[doi:10.5650/jos1956.12.461|食用大豆タンパク質とその新しい用途]] 油化学 Vol.12 (1963) No.8 P461-467</ref>。 大豆乳の加熱処理について、100℃10分間の加熱処理した大豆乳には加熱未処理試料のトリプシン・インヒビター活性の約34%が残存し、また100℃20分間では約30%、120℃10分間では約10%、120℃20分間でも約5%のトリプシン・インヒビター活性が残存した<ref>松岡 博厚, 笹子 謙治、[[doi:10.3136/nskkk1962.19.262|大豆乳を利用したチーズよう食品の製造に関する研究]] 日本食品工業学会誌 Vol.19 (1972) No.6 P262-267</ref>。 黒大豆を95℃で加熱した場合のトリプシン・インヒビターの活性変化について、1%のNaCl(食塩)溶液中、16%の[[ショ糖]]溶液中では、いずれも60分の加熱でトリプシン・インヒビターの70%の活性が残存していたが、0.1%の[[重曹]]溶液中の45分の加熱でトリプシン・インヒビターの活性は完全に失われた<ref>光永 俊郎、福岡 千鶴子、清水 まゆみ、[[doi:10.11428/jhej1951.36.665|黒大豆 (''Glycine max'', Merrill. ''forma Kuromame'' Makino) 中のトリプシンインヒビターの煮豆時の活性変化]] 家政学雑誌 Vol.36 (1985) No.9</ref>。 [[納豆菌]]はトリプシン・インヒビターを分解するプロテアーゼを作ることができ、それにより消化酵素であるトリプシンが正常に機能して、タンパク質の消化吸収効率が増大する。 == タイプ == ; 用途別 * 蛋白大豆=食用 * 油大豆=油用 * 枝豆用 == 主な品種・ブランド == [[ファイル:Soybeanvarieties.jpg|right|200px|thumb|様々な大豆]] * [[黒豆]] * [[赤豆]] * [[大鉄砲大豆]] * [[くろさき茶豆]] * [[だだちゃ豆]] * [[青入道]](青大豆) * [[雁食豆]] * [[ミヤギシロメ]] * [[大白]](おおじろ) * [[音更大袖]] * [[フクユタカ]] - 日本のシェア第1位の大豆品種。主に[[豆腐]]用。 * [[エンレイ (大豆)|エンレイ]] - 日本のシェア第2位の大豆品種。主に豆腐用。 * 納豆小粒・一関在来・遠野在来・地塚・小娘・生娘 - [[納豆]]専用の小粒品種<ref>[http://rms1.agsearch.agropedia.affrc.go.jp/contents/kaidai/kankouitiran/ichiran.html 農林水産研究文献解題] - No.27 大豆 自給率向上に向けた技術開発 - [http://rms2.agsearch.agropedia.affrc.go.jp/contents/kaidai/daizuNo27/27-1-6-2_h.html (2)極小粒・小粒納豆用育種]{{リンク切れ|date=2015年10月}}</ref>。 == さまざまな大豆加工食品 == [[ファイル:Miso Soup.jpg|250px|thumb|right|豆腐の味噌汁。豆腐と味噌はともに大豆から作られ、日本の食生活の根幹を成している]] [[File:Instant miso soup 2012 (8105783859).jpg|250px|thumb|right|インスタント味噌汁。味噌・豆腐・油揚げは、全て大豆から作られている]] [[ファイル:Natto mixed.jpg|thumb|right|200px|納豆]] [[ファイル:Edamame by Zesmerelda in Chicago.jpg|thumb|200px|right|枝豆]] 現在日本でよく知られている大豆加工食品には以下のようなものがある。 ; 大豆の原形をとどめるもの * 乾燥大豆 - 大豆を保存する際の基本形であり、数時間以上水にもどしてから調理に用いる。また[[節分]]時のようにそのまま「炒り豆」にすることも。 * [[煮豆]] - 味をつけずに煮た「水煮」は調理に用いられる。保存のきく[[缶詰]]や[[レトルトパック]]に個装されて市販もされている。[[枝豆]]も参照。 * [[甘納豆]] ; 大豆を粉砕したり搾ったりしたもの * [[大豆油]] * [[きな粉]] * [[ずんだ]] - 未成熟の青い大豆を茹でてから粉砕し、砂糖または塩を加え[[餡]]仕立てにしたもの * [[打豆]](かち豆)- 大豆を粗く粉砕して乾燥させたもの。さまざまな調理に用いる。 * 呉 - 水煮した大豆を摩砕した状態のもの(豆乳とおからに分離する前段階のもの) **[[豆乳]] - 呉を布などで搾って得られる液体 *** [[ゆば]] - 豆乳を加熱して生じる皮膜 *** [[豆腐]] - 豆乳に[[にがり]]を加えて凝固させたもの **** [[油揚げ]] - 薄切りにした豆腐を揚げたもの **** [[生揚げ]]、[[厚揚げ]] - 厚く切った豆腐を揚げたもので、内部に豆腐のままの部分を残している。 **** [[がんもどき]] - 水気を絞った豆腐に具材を混ぜて油で揚げたもの **** [[揚げ出し豆腐]] - 豆腐に[[片栗粉]]などをまぶして揚げたもの **** [[豆腐干]] - 豆腐をよく搾って作る中華食材 **** [[高野豆腐]] - 豆腐を凍結したのちに乾燥させたもの **** [[豆腐の味噌漬け]] **** [[豆腐よう|豆腐餻]](とうふよう)、[[腐乳]]、[[臭豆腐]](しゅうどうふ) - 豆腐の発酵食品 **** [[豆腐ハンバーグ]]、[[トーファーキー]] *** [[ごどうふ]] - 豆乳に[[葛粉]]などを加え、加熱して固めたもの *** [[豆汁]] - 豆乳を発酵させたもの ** [[おから]] - 呉から豆乳を搾ったあとの皮や繊維質を中心とした残りの部分 * [[代替肉|大豆ミート]] - 大豆を[[食肉]](ミート)のような食感に加工した食材。[[ハンバーグ]]や[[唐揚げ]]などに使われる<ref>【生活調べ隊】「大豆ミート」おいしく健康/から揚げやハンバーグ/繊維まで肉そっくりの驚き『読売新聞』朝刊2018年7月10日(くらし面)</ref>。 * [[ソイペーパー]] - 加熱後に潰して海苔のように薄く加工した食材 ; 大豆を発酵させた加工食品 * [[醬油]] * [[もろみ]] * [[ケチャップマニス]] - [[インドネシア]]の醬油 * [[味噌]] * [[納豆]] **[[豆豉]](とうち) - [[浜納豆|塩辛納豆]]様の物を乾燥させて作る[[中華料理|中華]]食材。豆豉醤の材料にもなる。 * [[テンペ]] - カビをつけて発酵させたインドネシアの食品。 {| class="wikitable" style="font-size:smaller; margin-right:0px;" |+ 主な大豆食品 | colspan="5" | (ダイズの若芽)[[モヤシ]] |- | colspan="5" | (未成熟のもの)[[枝豆]] |- | colspan="5" | (乾燥)乾燥大豆 |- | rowspan="3" | (粉砕せず加熱) || (炒る)炒り豆 || colspan="3" |(製粉)[[きな粉]] |- | colspan="4" | (煮る)[[煮豆]] |- | colspan="4" | (甘煮)[[甘納豆]] |- |(粉砕・乾燥)|| colspan="4" | [[打豆|打ち豆]] |- | rowspan="2" |(圧搾・抽出)|| colspan="4" | [[大豆油]] |- |[[脱脂加工大豆]] | colspan="3" |(発酵)醤油、味噌 |- | style="white-space:nowrap;" rowspan="11" | (水とともに摩砕)[[豆腐#製法|呉]] || rowspan="10" style="white-space:nowrap;" | (圧搾した液体)[[豆乳]] || colspan="3" |(加熱で生じた皮膜)[[ゆば|湯葉]] |- | style="white-space:nowrap;" rowspan="7" | (にがりで凝固)[[豆腐]] || rowspan="4" style="white-space:nowrap;" | (揚げる) || [[油揚げ]] |- | [[厚揚げ|生揚げ、厚揚げ]] |- | [[がんもどき]] |- | [[揚げ出し豆腐]] |- | colspan="2" |(凍結・乾燥)[[高野豆腐]] |- | style="white-space:nowrap;" colspan="2" |(発酵)[[豆腐よう|豆腐餻]]、[[腐乳]]、[[臭豆腐]] |- | colspan="2" |(脱水)[[豆腐干]] |- | colspan="3" |(葛粉で凝固)[[ごどうふ]] |- | colspan="3" |(発酵)[[豆汁]] |- | colspan="4" |(圧搾した残り)[[おから]] |- | rowspan="6" |(発酵) || colspan="4" | [[醤油]] |- | colspan="4" | [[もろみ]] |- | colspan="4" | [[ケチャップマニス]] |- | colspan="4" | [[味噌]] |- | colspan="4" | [[納豆]] |- | colspan="4" | [[テンペ]] |} == 健康への影響 == ダイズは大豆オリゴ糖を含み整腸作用がある。大豆オリゴ糖を関与成分とした特定保健用食品が許可されている<ref>{{Hfnet|20|大豆オリゴ糖}}</ref>。 大豆をよく食べる女性グループで[[脳梗塞]]・[[心筋梗塞]]のリスクが低下した<ref>[http://epi.ncc.go.jp/jphc/outcome/308.html イソフラボンと脳梗塞・心筋梗塞発症との関連について]、現在までの成果 | 多目的コホート研究 | 独立行政法人 国立がん研究センター がん予防・検診研究センター 予防研究部</ref>。疫学調査では、大豆の摂取は[[肥満]]および閉経後女性で糖尿病発症のリスクが低下するものの、全体としては糖尿病発症との関連なしとされた<ref>[http://epi.ncc.go.jp/jphc/outcome/383.html 大豆製品・イソフラボン摂取と糖尿病との関連について]、現在までの成果 | 多目的コホート研究 | 独立行政法人 国立がん研究センター がん予防・検診研究センター 予防研究部</ref>。 かつて、[[デザイナーフーズ計画]]のピラミッドの1群に属し、ショウガと共に、癌予防効果のある食材の第3位として位置づけられていた<ref>大澤俊彦、「[https://doi.org/10.2740/jisdh.20.11 がん予防と食品]」『日本食生活学会誌』 2009年 20巻 1号 p.11-16, {{doi|10.2740/jisdh.20.11}}</ref>。2006年3月27日、[[アメリカ合衆国]]の健康専門月刊誌『[[ヘルス]]』による世界の5大健康食品が発表され、[[スペイン]]の[[オリーブ油]]、日本の大豆、[[ギリシャ]]の[[ヨーグルト]]、[[インド]]の[[ダール]](豆料理)、[[大韓民国]]の[[キムチ]]の5品目が選出された。 [[順天堂大学]]の研究によれば、[[納豆]]の摂食頻度と[[月経]]状態・月経随伴症状は有意の関係がみられ、摂食頻度の増加は症状を軽減させている可能性があるとしている<ref>柳田美子、山田浩平、鯉川なつえ「[https://ci.nii.ac.jp/naid/110006658339 スポーツ系及び文科系女子大学生の納豆摂取状況が月経随伴症状に及ぼす影響]」『順天堂大学スポーツ健康科学研究』(12)2008年3月、pp29-39 {{NAID|110006658339}}</ref>。 雄の2型[[糖尿病]]マウスに[[ダイズサポニン|大豆サポニン]]Aグループと大豆サポニンBグループを別々に投与したところ大豆サポニンBグループに[[血糖値]]上昇抑制作用は認められたが大豆サポニンAグループにはその作用は認められなかった<ref>田中真実 ほか、[https://doi.org/10.11288/mibyou1998.12.1 ソヤサポニンBの血糖上昇抑制効果]」『日本未病システム学会雑誌』 2006年 12巻 1号 p.1-8, {{doi|10.11288/mibyou1998.12.1}}</ref>。 発酵性大豆食品の摂取量が多いほど総死亡リスクが低いとの指摘がある<ref>[https://epi.ncc.go.jp/jphc/outcome/8438.html 発酵性大豆食品の摂取量と死亡リスクの関連]、現在までの成果 | 多目的コホート研究 | 独立行政法人 国立がん研究センター がん予防・検診研究センター 予防研究部</ref>。 ===アレルギー=== 大豆はアレルゲンの1つであり、日本のアレルギー原因食物の全年齢を対象とした調査分析では、大豆の割合は2008年には全体の1.5%で11位<ref>{{Cite report|author=国立病院機構相模原病院|authorlink=国立病院機構相模原病院|title=食物アレルギーの栄養指導の手引き2011|date=2011|url=https://www.foodallergy.jp/wp-content/themes/foodallergy/pdf/nutritionalmanual2011.pdf}}</ref>、2017年の1.6%で10位となっている<ref name="相模原病院2018">{{Cite report|author=国立病院機構相模原病院|authorlink=国立病院機構相模原病院|title=平成30年度食物アレルギーに関連する食品表示に関する調査研究事業報告書|date=2018|url=https://www.caa.go.jp/policies/policy/food_labeling/food_sanitation/allergy/pdf/food_index_8_190531_0002.pdf}}</ref><ref>{{Cite report|author=国立病院機構相模原病院|authorlink=国立病院機構相模原病院|title=食物アレルギーの診療の手引き2020|date=2020|url=https://www.foodallergy.jp/wp-content/themes/foodallergy/pdf/manual2020.pdf}}</ref>{{Refnest|group="注"|2018年の他のアレルゲンは割合の多い順に、鶏卵34.7%、牛乳22%、小麦10.6%、木の実8.2%、落花生5.1%、果物類4.5%、魚卵類4%、甲殻類2.9%、ソバ1.8%となっている<ref name="相模原病院2018"/>。}}。特定原材料に準ずるアレルゲンとされ、原材料表示に可能な限り表示するよう努めることとなっている<ref>{{Cite report|author=消費者庁|authorlink=消費者庁|title=食品表示基準について(平成27年3月30日消食表第139号) 別添 アレルゲン関係|date=2021-07-15|url=https://www.caa.go.jp/policies/policy/food_labeling/food_labeling_act/pdf/food_labeling_cms101_200720_01.pdf}}</ref>。[[アナフィラキシーショック]]を起こす可能性があるため、[[アトピー]]や[[喘息]]などアレルギー素因のある者は注意が必要である<ref>{{Cite journal|和書|author=鈴木{{lang|zh|昶}}|date=2009-02|title=くすりと民俗2:疫病追い出す節分|journal=月刊漢方療法|volume=12|issue=11|pages=p. 76}}</ref><ref>{{Cite journal|和書|author=香坂隆夫、小林登ほか|date=1976-04|title=ショック症状を呈した大豆アレルギー7症例の検討(食餌アレルギー)|journal=Japanese Journal of Allergology|volume=25|issue=4|pages=p.p.330-331}}</ref>。 ===イソフラボン=== {{Main|イソフラボン}} 大豆[[イソフラボン]]とは、大豆に含まれる[[ゲニステイン]]、[[ダイゼイン]]、[[グリシテイン]]などのイソフラボンの総称で、弱い[[女性ホルモン]]作用を示すことから[[骨粗鬆症]]や[[更年期障害]]の軽減が期待できる<ref>{{Cite journal|author=Nagata, C., Takatsuka, N., et al.|year=2001|title=Soy Product Intake and Hot Flashes in Japanese Women: Results from a Community-based Prospective Study|journal=Am. J. Epidemiol.|volume=153|issue=8|pages=p.p.790-793|issn=0002-9262|doi=10.1093/aje/153.8.790|url=http://aje.oxfordjournals.org/cgi/reprint/153/8/790|format=pdf|accessdate=2010-05-22}}</ref><ref>{{Cite journal|author=Kronenberg, F., Fugh-Berman, A.|year=2002|title=Complementary and alternative medicine for menopausal symptoms: a review of randomized, controlled trials.|journal=Ann. Intern. Med.|volume=137|issue=10|pages=p.p.805-813|id=PMID 12435217|url=http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/12435217|accessdate=2010-05-22}}</ref><ref>{{Cite journal|和書|author=陳瑞東|year=2004|title=サプリメントの使い方・選び方:更年期障害:のぼせを中心に|journal=薬局|volume=55|issue=5|pages=pp.1848-4853|issn=0044-0035|url=http://www.nanzando.com/journals/yakkyoku/915505.php|accessdate=2010-05-22}}</ref>。 イソフラボンはヒトに対する悪影響も懸念されており(詳しくは[[イソフラボン]]を参照)、[[内閣府]][[食品安全委員会]]は、食品とサプリメントを合わせた[[一日摂取許容量]]を、一日あたり70 - 75mgに設定している<ref>[https://www.fsc.go.jp/sonota/daizu_isoflavone.html 食品安全委員会 大豆及び大豆イソフラボンに関するQ&A]</ref>。なお日本人の食品由来の大豆イソフラボン摂取量は15 - 22mg、多い人でも40 - 45mg程度である。 [[乳がん]]の抑制として大豆麹が注目されている。乳がんの原因として[[エストロゲン]]過多がある。女性ホルモンのエストロゲンは多すぎるとDNAを損傷させ癌化の原因となる変異原性となるが、それを抑制する抗変異原性が麹や大豆、特に大豆麹の発酵食品にあることがわかった。乳がん発生率は西洋諸国よりも東洋諸国のほうが低い、これは大豆の摂取量が関係している。東洋人や菜食主義者など大豆を多く食べる人々は尿中のエストロゲンの排出量が多い。大豆イソフラボノイド化合物がエストロゲンと似た構造を有するために同様の生理作用をもたらすためだと考えられる。しかし、大豆製品の中でも作用に違いがあり、非発酵大豆や、発酵大豆でも納豆や醤油は抗変異原性が低く、味噌や[[テンペ]]の抗変異原性が高い。これは麹が生産するβ-グルコシターゼの活性により、イソフラボンの配糖体が[[アグリコン]]に変化することが関係していると考えられる。その効果が大豆麹の味噌では効果が強く、中でもベータグルコシターゼの活性が強い麹菌は「アグリコン」として流通している。一方で発酵大豆でも納豆ではβ-グルコシターゼの作用が弱く、醤油では変化したアグリコンがさらに変化してしまい抗変異原性が低くなると考えられる<ref>{{Cite journal|和書 | author = 今野 宏 | date = 2019-05 | title = 麹・その古くて新しいもの | journal = 応用糖質科学 日本応用糖質科学会誌応用糖質科学 | volume = 9 | issue = 2 | pages = 90-97 | publisher = 日本応用糖質科学会 | issn= 21856427 | url = https://agriknowledge.affrc.go.jp/RN/2010927903}}</ref>。 イソフラボン摂取が多い対象者では、[[認知症|認知機能障害]]のリスクが高かった。一方で、大豆製品の摂取量、豆腐、みそ、納豆、発酵大豆食品の摂取量は、認知機能障害との統計学的有意な関連は認められなかった<ref>[https://epi.ncc.go.jp/jphc/outcome/8905.html イソフラボン、大豆製品の摂取量と認知機能障害の関連について]、現在までの成果、多目的コホート研究、国立がん研究センター</ref>。さらに、大豆の腸内細菌の代謝物である[[エクオール]]に認知症リスクを低下させる可能性が報告されている<ref>[https://www.eurekalert.org/news-releases/892304 Bacterial metabolism of dietary soy may lower risk factor for dementia], Oct. 22, 2020, eurekalert</ref>。 ===微量タンパク質=== 生の大豆には微量含まれるタンパク質がいくつか存在する。その1つにトリプシン・インヒビターがあり、生の大豆で活性がある。生の大豆を飼料としてラットに大量摂取させると成長阻害や[[膵臓]]肥大が起こることが報告されている<ref>片山 徹之ほか、[[doi:10.11428/jhej1987.53.1139|呉の加熱工程に電子レンジ加熱を利用した豆腐のラットにおける栄養評価]]、日本家政学会誌、Vol.53 (2002) No.11 </ref>。この膵臓肥大は、腸内で阻害される[[トリプシン]]を補うための膵臓の機能亢進の結果として生じると考えられる<ref>麻生和衛、高橋芳雄、田中米二、[[doi:10.2508/chikusan.38.435|雛における大豆トリプシン•インヒビター(SBTI)の栄養阻害作用に関する研究]] 日本畜産学会報 Vol.38 (1967) No.10 P.435-442</ref>。生の大豆粉はラットの[[膵臓癌]]と相関するという報告があるが<ref name="ToxSci">{{cite journal|last1=Dethloff|first1=L.|last2=Barr|first2=B.|last3=Bestervelt|first3=L.|last4=Bulera|first4=S.|last5=Sigler|first5=R.|last6=Lagattuta|first6=M.|last7=De La Iglesia|first7=F.|date=May 2000|title=Gabapentin-Induced Mitogenic Activity in Rat Pancreatic Acinar Cells|journal=Toxicological Sciences|volume=55|issue=1|pages=52–59|publisher=Society of Toxicology|doi=10.1093/toxsci/55.1.52|pmid=10788559}}</ref>、加熱調理済みの大豆粉の発ガン性は認められていない<ref name="CanRes">{{cite journal|last1=Roebuck|first1=B. D.|last2=Kaplita|first2=P. V.|last3=Edwards|first3=B. R.|last4=Praissman|first4=M.|date=March 1987|title=Effects of Dietary Fats and Soybean Protein on Azaserine-induced Pancreatic Carcinogenesis and Plasma Cholecystokinin in the Rat|journal=Cancer Research|volume=47|issue=5|pages=1333–1338|publisher=American Association for Cancer Research.|pmid=3815341}}</ref><ref name="AdvExp">{{cite journal|last1=Roebuck|first1=B. D.|year=1986|title=Enhancement of Pancreatic Carcinogenesis by Raw Soy Protein Isolate: Quantitative Rat Model and Nutritional Considerations|journal=Advances in Experimental Medicine and Biology|volume=199|pages=91–107|publisher=Kluwer Academic|doi=10.1007/978-1-4757-0022-0_5|isbn=978-1-4757-0024-4|pmid=3799291|series=Advances in Experimental Medicine and Biology}}</ref>。ラットに与えられている大豆の量は、人間が通常摂食する量に比べてはるかに大きく<ref>{{cite journal|last1=Sarkar|first1=F.|last2=Banerjee|first2=S.|last3=Li|first3=Y.|date=November 2007|title=Pancreatic Cancer: Pathogenesis, Prevention and Treatment|journal=Toxicology and Applied Pharmacology|volume=224|issue=3|pages=326–336|publisher=Academic Press|doi=10.1016/j.taap.2006.11.007|pmid=17174370|pmc=2094388}}</ref>、また人間は生で大豆を食べず、調理することで微量なタンパク質の活性は極めて小さくなる。別の研究において大豆トリプシンインヒビターをラットとマウスに与えると、短期間(28日間)の実験において膵臓肥大を起こしたが、長期間(95週間)での実験では、マウスでは病変は観察されず、ラットでは膵臓病理が観察され、短期間の実験での膵臓肥大から長期間の病変形成は予測できないことが報告されている<ref>https://academic.oup.com/jn/article-abstract/119/11/1598/4738250?redirectedFrom=fulltext&login=false</ref>。豚に大豆トリプシン・インヒビターを含む餌を与えた研究では、6週齢と39週齢のどちらも膵臓細胞に影響がなく、血漿中のコレシストキニン、血清アミラーゼ活性などにも影響がなかった<ref>{{Cite journal|last=Garthoff|first=L. H|last2=Henderson|first2=G. R|last3=Sager|first3=A. O|last4=Sobotka|first4=T. J|last5=Gaines|first5=D. W|last6=O'Donnell|first6=M. W|last7=Chi|first7=R|last8=Chirtel|first8=S. J|last9=Barton|first9=C. N|date=2002-04-01|title=Pathological evaluation, clinical chemistry and plasma cholecystokinin in neonatal and young miniature swine fed soy trypsin inhibitor from 1 to 39 weeks of age|url=https://www.sciencedirect.com/science/article/pii/S0278691501001211|journal=Food and Chemical Toxicology|volume=40|issue=4|pages=501–516|doi=10.1016/S0278-6915(01)00121-1|issn=0278-6915}}</ref>。またサルについてトリプシン・インヒビターによる膵臓肥大は観察されず、ラット、豚、サルにおいて加熱した大豆粉や分離大豆タンパクによる悪影響がなかったことが報告されている。2020年に公表された多目的コホート研究で、ヒトの非発酵性大豆食品摂取量と膵がん罹患リスクが関連していることが指摘されたが、発酵性大豆食品摂取量とは関連していないことが指摘されている<ref>[https://epi.ncc.go.jp/jphc/outcome/8492.html 大豆食品の摂取量と膵がん罹患の関連]、現在までの成果 | 多目的コホート研究 | 独立行政法人 国立がん研究センター がん予防・検診研究センター 予防研究部</ref>。トリプシン・インヒビターには、マウスにおいてがんの肺転移や肝転移を抑制したり、がん抑制遺伝子の発現を高めたり、がんの増殖を抑制することが報告されており、がんの発生予防や治療にその効果が期待されている<ref>https://www.spandidos-publications.com/10.3892/mmr_00000048</ref>。 == 環境への影響 == [[牛海綿状脳症|BSE]]問題が顕在した結果、それまで畜産飼料として利用されていた[[肉骨粉]]の利用が規制され、それに伴い、肉骨粉に替わるタンパク質源としてダイズ種子の利用が急激に増えた<ref name="農林研究所21">{{PDFlink|[https://www.maff.go.jp/primaff/kanko/review/021.html 農林水産政策研究所レビューNo.21(2006年10月16日)], 巻頭言, "BSE・大豆・アマゾン", 石 弘之, [[農林水産政策研究所]]レビュー}}</ref>。需要が急増したため、南米諸国、特にブラジルやアルゼンチンでの栽培が増えた。その結果、アマゾンの熱帯雨林において、大豆生産のためのプランテーションの大規模な開発が行われており、それによる森林の消失が問題になっている<ref>[https://www.nhk.or.jp/special/detail/20060519.html NHKスペシャル アマゾンの攻防〜日・中・米 大豆争奪戦〜] NHK,2006年5月19日(金) 午後10時~10時49分</ref>。 == 日本文化 == 日本においては、[[節分]]の日に炒った大豆をまく「豆撒き」の[[風習]]がある。 大豆の生豆を噛みつぶし、それを子供の頭の上に塗ると[[かんの虫]]が切れるという風習が長野県[[秋山郷]]地方に伝承されている<ref>『信州の民間薬』全212頁中20頁 医療タイムス社 昭和46年12月10日発行 信濃生薬研究会 林兼道編集</ref>。 == 参考文献 == * {{Cite book | 和書 | author = A・レウィントン | title = 暮らしを支える植物の事典 | publisher = 八坂書房|date=2007-01-01 |page=485 |isbn= 978-4-8969-4885-1 }} <gallery> File:So_3.jpg File:Lait-soya-soja-beans-legumineuse-Pixabay.jpg File:Kalo_Bhatmas.jpg File:Soybean Oil, Meal and Beans (10059732523).jpg File:Soy_powder.jpg </gallery> == 脚注 == === 注釈 === {{notelist2}} === 出典 === {{Reflist|25em}} ==関連文献== * {{Cite journal |和書|author =菊池三郎|title =組織状大豆たん白食品の歩み|date =1987|publisher =日本調理科学会|journal =調理科学|volume =20|issue =4|doi=10.11402/cookeryscience1968.20.4_308|pages =308-318|ref = }} == 関連項目 == {{commons|Glycine max}} {{wikispecies|Glycine max}} * [[蒸し大豆]] * [[枝豆]] * [[五穀豊穣]] * [[節分]] * [[食物アレルギー]] * [[イソフラボン]] * [[野菜の一覧]] * [[孫文]]・・・著書『[[三民主義]]』で、大豆を「畑の肉」として評価し、栽培を奨励した。 == 外部リンク == * [https://www.maff.go.jp/j/seisan/ryutu/daizu/ 大豆のホームページ] 農林水産省 * {{Hfnet|84|ダイズ}} * {{Hfnet|20|大豆オリゴ糖|nolink=yes}} * {{Hfnet|567|大豆サポニン|nolink=yes}} * {{Hfnet|832|イソフラボン|nolink=yes}} * {{Hfnet|53|レシチン|nolink=yes}} * {{Hfnet|720|リン脂質結合大豆ペプチド|nolink=yes}} * [http://www.snij.jp/ 大豆機能研究会サイト SNIJ(Soy Nutrition Institute Japan)] * {{Kotobank}} {{Normdaten}} {{森林破壊}} {{デフォルトソート:たいす}} [[Category:大豆|*]] [[Category:マメ科]] [[Category:豆類]] [[Category:油糧作物]]
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%80%E3%82%A4%E3%82%BA
14,469
O
Oは、ラテン文字(アルファベット)の15番目の文字。小文字は o 。ギリシャ文字の Ο(オミクロン)に由来し、キリル文字の О と同系の文字である。 円である。従って、アラビア数字の 0(ゼロ)と同じ形(ホモグリフ)であり、タイプライターによっては 0(ゼロ)をこの字の大文字で代用することもあるが、現在のコンピューターでは別の文字として扱う。区別のために、0(ゼロ)に斜線を引いたり(斜線付きゼロ)、この字の大文字の上部に筆記体のようなヒゲを付けたりすることがある。 手で書く場合には円の頂点から反時計回りに円を描く。筆記体では、 フラクトゥールでは、 O o {\displaystyle {\mathfrak {O\ o}}} である。 この文字が表す音素は、/o/ ないしその類似音である。 (例)luve→love, cume→come
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Oは、ラテン文字(アルファベット)の15番目の文字。小文字は o。ギリシャ文字の Ο(オミクロン)に由来し、キリル文字の О と同系の文字である。
{{Otheruseslist|[[ラテン文字]]のO|[[キリル文字]]のО|О|[[ギリシア文字]]のΟ|Ο|[[アルメニア文字]]のՕ|Օ}} {{A-Z}} '''O'''は、[[ラテン文字]]([[アルファベット]])の[[15]]番目の文字。小文字は '''o''' 。[[ギリシャ文字]]の [[Ο]](オミクロン)に由来し、[[キリル文字]]の [[О]] と同系の文字である。 == 字形 == [[File:O cursiva.gif|thumb|250px|筆記体]] [[ファイル:Sütterlin-O.png|サムネイル|250x250ピクセル|[[ジュッターリーン体]]]] 円である。従って、[[アラビア数字]]の [[0]](ゼロ)と同じ形([[ホモグリフ]])であり、タイプライターによっては 0(ゼロ)をこの字の大文字で代用することもあるが、現在のコンピューターでは別の文字として扱う。区別のために、0(ゼロ)に斜線を引いたり([[斜線付きゼロ]])、この字の大文字の上部に筆記体のようなヒゲを付けたりすることがある。 手で書く場合には円の頂点から反時計回りに円を描く。筆記体では、 #小文字では円の上部で他の文字と接続する。単独で書く場合や語の最後の場合にも、円の上部から右方に、次の字に続くかのように線を書く。 #大文字では、円を描いた後に円の上部内部に小さく円を描いて、外側の円の外に線を導く。 [[フラクトゥール]]では、<math>\mathfrak{O\ o}</math>である。 == 呼称 == *[[ラテン語|羅]]・[[ドイツ語|独]]・[[オランダ語|蘭]]・[[インドネシア語|尼]]・[[日本語|日]]・[[エスペラント|エス]]:オー {{ipa|oː}} *[[イタリア語|伊]]・[[フランス語|仏]]・[[スペイン語|西]]・[[越南語|越]]:オ {{ipa|o}} *[[英語|英]]:オゥ {{ipa|oʊ}}<ref>"O" ''Oxford English Dictionary,'' 2nd edition (1989); [http://www.chambersharrap.co.uk/chambers/features/chref/chref.py/main?query=o&title=21st ''Chambers-Happap''], "oes" ''op. cit.'' ''Oes'' is the plural of the name of the letter. The plural of the letter itself is rendered ''O''s, O's, ''o''s, o's.</ref> == 音素 == この文字が表す音素は、[[円唇後舌狭半母音|{{ipa|o}}]] ないしその類似音である。 *イタリア語では、強勢位置では語によって円唇後舌狭半母音または[[円唇後舌広半母音]]、他の位置ではほぼその中間音で発音される。 *英語では強勢が置かれる場合、[[大母音推移]]により、短音は [[円唇後舌広母音|{{ipa|ɒ}}]]、長音は {{ipa|əʊ}} となる。強勢のない場合には曖昧母音化する。また、[[u]] の代わり([[非円唇中舌狭め広母音]])に用いられる。これは、綴字上縦に書かれる線(ミニム)の多かったものを、その見づらさを解消するために置き換えられたものである。 (例)luve→love, cume→come == Oの意味 == * [[酸素]]の[[元素記号]] * [[座標]]の[[原点 (数学)|原点]]を表す記号。 * [[円 (数学)|円]]の中心を表す記号。 * [[ABO式血液型]]の1つ。O型。 * [[文法]]で[[目的語]] (object)。 * [[数学]]で、大文字で用いて[[座標|原点]] (origin)、[[直交群]] ('''o'''rthogonal group)、[[零行列]]、小文字フラクトゥールで[[直交リー環]]、カリグラフ体などで代数体の[[整数環]]、正則関数の[[層 (数学)|層]]、{{仮リンク|圏 O|label=圏 {{mathcal|O}}|en|Category O}}、大文字太字 '''O''' で[[八元数]]の全体を表す。 * [[8進数]] (octet) * [[24|二十四]]を意味する数字。[[三十六進法]]など、二十五進法以上<small>(参照: [[位取り記数法#Nが十を超過]])</small>において二十四([[十進法]]の'''24''')を一桁で表すために用いられる。ただし、アルファベットの [[I]] と数字の [[1]] 、およびアルファベットの O と数字の [[0]] が混同し易いために、アルファベットの I と O を用いないことがあり、この場合、[[J]] が[[18|十八]]、[[K]] が[[19|十九]]、…、[[N]] が[[22|二十二]]、[[P]] が[[23|二十三]]、[[Q]] が二十四を意味する。 * [[計算複雑性理論]]や[[解析学]]で使われる[[ランダウの記号]](''O'' 記法) * [[非SI接頭語]](ジム・ブロワーズ (Jim Blowers) の提案) ** オカ (ocha)(10<sup>54</sup>)(大文字) ** オトロ (otro)(10<sup>−54</sup>)(小文字) * [[化学]]で、[[オルト]] (ortho) 位を o- で表す。 * [[O抗原]] - [[大腸菌]]の抗原のうち菌体抗原を指す。例・[[O157|'''O'''157]] * [[鉄道]]の[[サインシステム]]において、[[JR西日本|JR]][[大阪環状線]]、[[近畿日本鉄道|近鉄]][[近鉄長野線|長野線]]の[[路線記号]]として用いられる。 *電気業界で[[沖電気]]を表す符丁 * [[Oゲージ]][[鉄道模型]]または[[Oスケール]] - 1フィートを7mmとする縮尺1/43.5から、1フィートを1/4インチとする縮尺1/48までの模型の規格名称。 * [[2001年]]の[[アメリカ合衆国の映画|アメリカ映画]]→[[O (映画)]] * [[野球]]の[[テレビ中継]]画面や[[野球場|球場]]内[[電光掲示板]]における、[[ボールカウント#概要|アウトカウント]]の略表記 ('''O'''ut)→[[アウト (野球)]] * 日本のプロ野球チーム[[千葉ロッテマリーンズ]]の前身球団「ロッテ・オリオンズ」の略号 ('''O'''rions)。 * 衣類のサイズ記号の1つ。[[L]] サイズより大きく、[[LL]] サイズと同義で使われる場合もある。 * [[島みやえい子]]のアルバム。→[[O (島みやえい子のアルバム)]] * [[ZONE (バンド)|ZONE]] のアルバム。→[[O (ZONEのアルバム)]] * [[大黒摩季]]のアルバム。→[[O (大黒摩季のアルバム)]] * [[東方神起]]のアルバム。→[[“O”-正・反・合]] ** 上記のアーティストの楽曲。→[[miss you/“O”-正・反・合]] * [[O (アルバム)]] * [[O (ユジュのアルバム)]] * 音楽ユニット。→O [ou] * アイルランド系の英語姓の接頭語。オブライエン ([[O']]Brien) やオニール (O'Neill) など。元来は「-の孫」「-の子孫」という意味。例えばO'Brienはブライエンの子孫(孫)の意。 * [[ウェブブラウザ]]の[[Opera]]。[[Cascading Style Sheets|CSS3]]の[[ベンダープレフィックス]]では"-o-"と記述する。 ; O は形が [[0]](ゼロ)と字体がほぼ同じで紛らわしいため、略号としての使用は避けられることも多い。 * [[電気抵抗]]の大きさの単位オームの記号は長音のOに対応する[[ギリシャ文字]]である[[Ω]]としている。 * [[都営地下鉄大江戸線]]の路線記号は頭文字のOでなく2番目のEを採用した。 == 符号位置 == {| class="wikitable" style="text-align: center;" !大文字!![[Unicode]]!![[JIS X 0213]]!![[文字参照]]!!小文字!!Unicode!!JIS X 0213!!文字参照!!備考 {{ULu|004F|79||1-3-47|006F|111||1-3-79|}} {{ULu|FF2F|65327||1-3-47|FF4F|65359||1-3-79|全角}} {{ULu|24C4|9412||‐|24DE|9438||1-12-40|丸囲み}} {{ULu|1F11E|127262||‐|24AA|9386||‐|括弧付き|bfont=ARIB外字フォント|sfont=MacJapanese}} {{ULu|1D40E|119822||‐|1D428|119848||‐|[[太字]]}} |} ==他の表現法== {{Letter other reps |NATO=Oscar |Morse=--- |Character=O |Braille=⠕ }} == 脚注 == {{Reflist}} == 関連項目 == * {{Unicode|[[Ò]] ò}} - [[グレイヴ・アクセント]] * {{Unicode|[[Ó]] ó}} - [[アキュート・アクセント]] * {{Unicode|[[Ô]] ô}} - [[サーカムフレックス]] * {{Unicode|[[Õ]] õ}} - [[ティルデ]] * {{Unicode|[[Ö]] ö}} - [[ウムラウト]] * {{Unicode|[[Ø]] ø}} - [[ストローク符号]] * {{Unicode|[[Ő]] ő}} - [[ダブルアキュート]] * {{Unicode|[[Ơ]] ơ}} - [[ホーン符号]] * {{Unicode|[[Ǫ]] ǫ}} - [[オゴネク]] * {{Unicode|[[Ō]] ō}} - [[マクロン]] * {{Unicode|[[Ǭ]] ǭ}} - オゴネク + マクロン * {{Unicode|[[Œ]] œ}} - [[合字]] * {{Unicode|{{仮リンク|Ɵ|en|Ɵ}} ɵ}} * {{Unicode|[[序数標識|º]]}} - 男性略語記号 {{ラテン文字}} [[Category:ラテン文字]]
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https://ja.wikipedia.org/wiki/O
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19
19(十九、じゅうく、じゅうきゅう、とおあまりここのつ)は自然数、また整数において、18の次で20の前の数である。英語の序数詞では、19th、nineteenth となる。ラテン語では undeviginti(ウーンデーウィーギンティー)。
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19(十九、じゅうく、じゅうきゅう、とおあまりここのつ)は自然数、また整数において、18の次で20の前の数である。英語の序数詞では、19th、nineteenth となる。ラテン語では undeviginti(ウーンデーウィーギンティー)。
{{Otheruses}} {{整数|Decomposition=([[素数]])}} '''19'''('''十九'''、じゅうく、じゅうきゅう、とおあまりここのつ)は[[自然数]]、また[[整数]]において、[[18]]の次で[[20]]の前の数である。英語の[[序数詞]]では、19th、''nineteenth'' となる。[[ラテン語]]では undeviginti(ウーンデーウィーギンティー)。 == 性質 == *19は8番目の[[素数]]である。1つ前は[[17]]、次は[[23]]。 **[[約数の和]]は[[20]] 。 ** [[約数関数]]から導き出される数列 <math>a_n=\sigma(a_{n-1})</math> はその初期値によって異なる数列になる。異なる数列になる4番目の初期値(最小の値)を表す数である。1つ前は[[16]]、次は[[27]]。(ただし1を除く)({{OEIS|A257348}}) *([[17]], 19) は4番目に小さな[[双子素数]]である。1つ前は([[11]], [[13]])、次は([[29]], [[31]])。 **4数の組 (11, 13, 17, 19) は2番目に小さな[[四つ子素数]]である。1つ前は([[5]], [[7]], 11, 13)、次は([[101]], [[103]], [[107]], [[109]])。 * 19 = 19 + 0 × ''i'' (''i''は[[虚数単位]]) ** a + 0 × ''i'' (a > 0) で表される4番目の[[ガウス整数#ガウス素数|ガウス素数]]である。1つ前は11、次は23。 *3番目の 8''n'' + 3 型の素数であり、この類の素数は ''x''{{sup|2}} + 2''y''{{sup|2}} と表せるが、19 = 1{{sup|2}} + 2 × 3{{sup|2}} である。1つ前は[[11]]、次は[[43]]。 * 1 と 9 を使った最小の素数である。次は[[191]]。ただし単独使用を可とするなら1つ前は[[11]]。({{OEIS|A020457}}) ** 19…9 の形の最小の素数である。次は[[1999]]。({{OEIS|A055558}}) ** 1…19 の形の最小の素数である。次は11119。({{OEIS|A093400}}) * 19 = 2{{sup|1}} × 3{{sup|2}} + 1より、7番目の[[ピアポント素数]]である。1つ前は[[17]]、次は[[37]]。({{OEIS|A005109}}) * 19 = 2{{sup|4}} + 3 ** ''n'' = 4 のときの 2{{sup|''n''}} + 3 の値とみたとき1つ前は[[11]]、次は[[35]]。({{OEIS|A062709}}) *** 2{{sup|''n''}} + 3 の形の4番目の素数である。1つ前は[[11]]、次は[[67]]。({{OEIS|A057733}}) ** 19 = 4{{sup|2}} + 3 *** ''n'' = 2 のときの 4{{sup|''n''}} + 3 の値とみたとき1つ前は[[7]]、次は[[67]]。({{OEIS|A253208}}) **** 4{{sup|''n''}} + 3 の形の2番目の素数である。1つ前は[[7]]、次は[[67]]。({{OEIS|A228026}}) *[[レピュニット]] ''R''{{sub|19}} = 1,111,111,111,111,111,111 は 2 番目に小さなレピュニット素数である。1つ前のレピュニット素数は [[2|''R''{{sub|2}}]] = 11、次は [[23|''R''{{sub|23}}]]。({{OEIS|A004023}}) *''p'' = 19 のときの 2{{sup|''p''}} &minus; 1 で表される 2{{sup|19}} &minus; 1 = 524287 は7番目の[[メルセンヌ数|メルセンヌ素数]]である。1つ前は[[17]]、次は[[31]]。 *19 = 4! &minus; 3! + 2! &minus; 1! **4番目の[[交互階乗]]である。1つ前は[[5]]、次は[[101]]。 * 19919, 19 + [[9]] + 19 = [[47]], 19 &minus; 9 + 19 = 1 + 9 + 9 + 1 + 9 = [[29]], 1 + 9 + 9 + 1 &minus; 9 = 11, 1 + 9 + 919 = 929 はいずれも素数である。 *{{sfrac|1|19}} = 0.{{underline|052631578947368421}}… (下線部は循環節で長さは18) **循環節が ''n'' &minus; 1 (全ての余りを巡回する)である3番目の[[素数]]である。1つ前は[[17]]、次は[[23]]。 **前の[[素数]] [[17]] もこの仲間であり、[[双子素数]]のうち最初の組み合わせとなる。 ***[[1000]] 以下でこのような双子素数は([[59]], [[61]])、(179, 181)、(821, 823)である。 **17, 19 の次の [[23]], [[29]] も該当するため、連続する4つの素数が循環節 ''n'' &minus; 1 となる最初の組である。次は[[487]], [[491]], [[499]], [[503]], [[509]](5連続)。 **[[逆数]]が[[循環小数]]になる数で[[循環節]]が18になる最小の数である。次は[[38]]。 **循環節が ''n'' になる最小の数である。1つ前の17は2071723、次の19は1111111111111111111。({{OEIS|A003060}}) *全ての[[自然数]]は、高々19個の4乗数の和で表すことができる。([[ウェアリングの問題]]) *19{{sup|5}} + 19{{sup|2}} + 19{{sup|1}} + 19{{sup|3}} + 19{{sup|5}} + 19{{sup|6}} + 19{{sup|4}} + 19{{sup|0}} = 52135640 **左辺の指数を取り出して並べると、右辺の各桁の数に一致するという特徴をもつ基数19では最小の数である。次は985992657240。 ***それぞれの基数でこのような性質をもつ数が何個あるかは{{OEIS|A296139}}を参照。 **基数 ''n'' においてこのような性質をもつ最小の数とみたとき1つ前の18は4193708389121、次の20は1347536041。({{OEIS|A236067}}) *19[[階乗|!]] = 121645100408832000 である(18桁)。 *[[各位の和]]が19になる[[ハーシャッド数]]の最小は[[874]]、1000までに1個、10000までに33個ある。 *19 = (1 + 9) + (1 × 9) **[[各位の和]]と各位の積を加えてできる最小の数である。ただし整数の範囲だと1つ前は[[0]]、次は[[29]]。({{OEIS|A038364}}) *[[各位の和]]が10になる最小の数である。次は[[28]]。 **各位の和が ''n'' になる最小の数である。1つ前の9は[[9]]、次の11は[[29]]。({{OEIS|A051885}}) **各位の和が10になる数で[[素数]]になる最小の数である。次は[[37]]。({{OEIS|A107579}}) *各位の[[平方和]]が82になる最小の数である。次は[[91]]。({{OEIS|A003132}}) ** 各位の平方和が ''n'' になる最小の数である。1つ前の81は[[9]]、次の83は[[119]]。({{OEIS|A055016}}) *各位の[[立方和]]が730になる最小の数である。次は[[91]]。({{OEIS|A055012}}) ** 各位の立方和が ''n'' になる最小の数である。1つ前の729は[[9]]、次の731は[[119]]。({{OEIS|A165370}}) * 各位の積が9になる2番目の数である。1つ前は[[9]]、次は[[33]]。({{OEIS|A034056}}) **各位の積が9になる数で最小の[[素数]]である。次は[[191]]。({{OEIS|A107695}}) *19 = 1 + 2 + 3 + 5 + 8 **[[フィボナッチ数列]]を構成する最初の5数の和である。1つ前は[[11]]、次は[[32]]。 * 異なる[[平方数]]の和で表せない31個の数の中で10番目の数である。1つ前は[[18]]、次は[[22]]。 *[[八面体数]]の第3の自然数。1つ前は[[6]]、次は[[44]]。 * 19 = 3<sup>3</sup> &minus; 2<sup>3</sup> **''n'' = 3 のときの ''n''{{sup|3}} &minus; (''n'' &minus; 1){{sup|3}} の値とみたとき1つ前は[[7]]、次は[[37]]。({{OEIS|A003215}}) **連続する[[立方数]]の差で表せる2番目の素数である。1つ前は[[7]]、次は[[37]]。 ** 連続[[素数]]の[[立方数]]の差で表せる最小の数である。次は[[98]]。({{OEIS|A129701}}) ** ''n'' = 3 のときの 3{{sup|''n''}} &minus; 2{{sup|''n''}} の値とみたとき1つ前は[[5]]、次は[[65]]。({{OEIS|A001047}}) ** 素数 ''p'' = 3 のときの 3{{sup|''p''}} &minus; 2{{sup|''p''}} の値とみたとき1つ前は[[5]]、次は[[211]]。({{OEIS|A135171}}) ** 3{{sup|''n''}} &minus; 2{{sup|''n''}} の形の2番目の素数である。1つ前は[[5]]、次は[[211]]。({{OEIS|A058765}}) ** 19 = 3{{sup|2}} + 3 × 2 + 2{{sup|2}} ***1辺3の[[立方体]]を1辺1の[[立方体]]27個を使って作ったとき、同時に見ることができる1辺1の[[立方体]]は最大19個である。 * [[中心つき三角数]]かつ[[中心つき六角数]]である。1つ前は[[1]]、次は[[631]]。({{OEIS|A107118}}) *19 = 1<sup>2</sup> + 3<sup>2</sup> + 3<sup>2</sup> ** 3つの[[平方数]]の和1通りで表せる9番目の数である。1つ前は[[18]]、次は[[21]]。({{OEIS|A025321}}) * 19 = 10{{sup|2}} &minus; 9{{sup|2}} = (10 + 9) × (10 &minus; 9) ** ''n'' = 10 のときの (''n'' + 9)(''n'' &minus; 9) の値とみたとき1つ前は[[0]]、次は[[40]]。({{OEIS|A098850}}) * 19 = 7{{sup|2}} &minus; 5{{sup|2}} &minus; 3{{sup|2}} + 2{{sup|2}} ** ''n'' = 2 のときの 7{{sup|''n''}} &minus; 5{{sup|''n''}} &minus; 3{{sup|''n''}} + 2{{sup|''n''}} の値とみたとき1つ前は[[1]]、次は[[199]]。({{OEIS|A135162}}) * 19 = 4{{sup|2}} + 4 &minus; 1 = 5{{sup|2}} &minus; 5 &minus; 1 ** ''n'' = 4 のときの ''n''{{sup|2}} + ''n'' &minus; 1 の値とみたとき1つ前は[[11]]、次は[[29]]。({{OEIS|A028387}}) * [[完全数]][[496]]、[[8128]]の[[各位の和]]である。 ** 19 = 4 + 9 + 6 = 8 + 1 + 2 + 8 == その他 19 に関連すること == *19の[[接頭辞]]:novemdec,novendec([[ラテン語|拉]])、enneakaideca([[ギリシャ語|希]]) *19[[倍]]を'''ノヴェムデキュプル''' (novemdecuple) という。 *[[原子番号]]19の[[元素]]は、[[カリウム]] (K)。 *第19代[[天皇]]は、[[允恭天皇]]。 *第19代[[内閣総理大臣]]は、[[原敬]]。 *通算して第19代の[[征夷大将軍]]は、[[足利義満]]([[室町幕府]]第3代将軍)。 *[[大相撲]]第19代[[横綱]]は、[[常陸山谷右エ門]]。 *[[アメリカ合衆国]]第19代[[アメリカ合衆国大統領|大統領]]は、[[ラザフォード・ヘイズ]]。 *アメリカ合衆国の19番目の[[州]]は、[[インディアナ州]]。 * [[年始]]から数えて19日目は[[1月19日]]。 * JIS X 0401、[[ISO 3166-2:JP]]の[[都道府県コード]]の「19」は[[山梨県]]。 *[[殷|殷朝]]第19代帝は、[[盤庚]]。 *[[周|周朝]]第19代王は、[[頃王 (周)|頃王]]。 *第19代[[教皇|ローマ教皇]]は[[アンテルス (ローマ教皇)|アンテルス]](在位:[[235年]][[11月21日]] - [[236年]][[1月3日]])である。 *[[タロット]]の[[大アルカナ]]でXIXは、[[太陽 (タロット)|太陽]]。 *[[易占]]の[[六十四卦]]で第19番目の卦は、[[周易上経三十卦の一覧#臨|地沢臨]]。 *[[クルアーン]]における第19番目の[[スーラ (クルアーン)|スーラ]]は[[マルヤム (クルアーン)|マルヤム]]である。 *[[テレビ大阪]]、[[TVQ九州放送]]のアナログ親局は、19ch。 *[[日本語]]で発音が重苦(じゅうく)に通じるため19という数字が忌み嫌われる場合がある。 *19年で、同じ日付の日の月相(月の缺け方)が一致する。これを[[メトン周期]]という。 *[[月#月齢と呼び名|十九日月]]を寝待月(ねまちづき)、臥待月(ふしまちづき)という。 *[[バハイ教#バハイ暦|バハーイー暦]]において、1[[暦年]]に含まれる月(アイヤーミ・ハーを除く)の数は19か月であり、各月の[[日]][[数]]は19日である。 *十九路盤は、[[囲碁]]に使われる最も標準的な[[碁盤]]。(縦横19本の線が交差している事から)。 *[[19インチラック]]は、機器類を収容する為のキャビネット。 *[[日本プロ野球|プロ野球]]で[[野田浩司]]は、1試合'''19'''奪三振のゲーム最多記録を保持。 *[[山鼻19条停留場]]は、[[札幌市電]][[山鼻線]]の停留場。 *[[ルノー・19]]は、[[フランス]]の[[ルノー]]の[[乗用車]]。 *[[A-19 122mmカノン砲|A-19]]は、[[ソ連]]の[[カノン砲]]。 *[[Do 19 (航空機)|Do 19]]は、[[ドイツ]]の[[爆撃機]]。 *[[F-19]]は、アメリカの存在しない[[航空機]]の形式番号。 *[[K-19 (原子力潜水艦)|K-19]]は、[[ソ連]]の658型[[潜水艦]]。 **[[K-19 (映画)]]は、この潜水艦を主題にした[[2002年]]のアメリカ[[映画]]。 *[[L-19]] *[[MiG-19 (航空機)|MiG-19]]は、ソ連の[[戦闘機]]。 *[[PP-19 Bizon]]は、[[ロシア]]の[[短機関銃]]。 *[[PT-19]]は、アメリカの[[練習機]]。 *[[Su-19 (航空機)|Su-19]]は、ソ連の[[戦闘爆撃機]]。 *[[XB-19]]は、アメリカの試作爆撃機。 *[[伊号第一九潜水艦]](伊19)は、日本の潜水艦。 *[[キ19 (航空機)|キ19]]は、日本の試作爆撃機。 *第19軍 **[[大日本帝国陸軍]][[第19軍 (日本軍)|第19軍]] **[[第二次世界大戦]]時の[[第19軍 (ドイツ軍)|ドイツ陸軍第19軍]] **[[アメリカ空軍]][[第19空軍 (アメリカ軍)|第19空軍]] *各国の[[第19師団]] *第19連隊 **大日本帝国陸軍[[歩兵第19連隊]] **[[陸上自衛隊]][[第19普通科連隊]] **[[フランス陸軍]][[第19工兵連隊 (フランス軍)|第19工兵連隊]] *「[[中村敦夫の地球発22時|地球発19時]]」は、TBS系列で放送された[[ドキュメンタリー]]番組。 *「[[19BOX21]]」は、[[CBCラジオ]]の音楽番組。 *『[[19 (ゲーム)|19 (ヌイーゼン)]]』 - [[ソフトプロ]]の[[ファミリーコンピュータ ディスクシステム]]用[[シミュレーションゲーム]]。 *『[[NINETEEN 19]]』は、[[きたがわ翔]]の[[漫画]]。 *『[[19 ナインティーン]]』 は、1987年公開の[[少年隊]]主演の日本の映画。 *『[[19 (映画)|19(ナインティーン)]]』は、2001年に公開された[[渡辺一志]]監督の日本映画。 *『[[サディスティック・19]]』は、[[立花晶]]の漫画。 *『[[Baby Princess]]』([[メディアミックス]]作品)0 - 18歳までの'''19人姉妹'''とこの家族の養子となった主人公の物語。 * [[全国高等学校野球選手権大会]]における個人最多[[安打]]記録は19安打で、[[第68回全国高等学校野球選手権大会|第68回大会]]で[[水口栄二]]が、[[第99回全国高等学校野球選手権大会|第99回大会]]で[[中村奨成]]が達成<ref>{{Cite news|title=広陵・中村が今大会通算19安打、水口の最多記録に並ぶ|url=http://www.asahi.com/koshien/articles/ASK8R4RLZK8RPTQP00Y.html|newspaper=[[朝日新聞デジタル]]|publisher=[[朝日新聞社]]|date=2017-08-23|accessdate=2017-08-23|archiveurl=https://archive.is/20170823085824/http://www.asahi.com/koshien/articles/ASK8R4RLZK8RPTQP00Y.html|archivedate=2017年08月23日|deadurldate=2017年09月}}</ref>。 === 音楽関係 === *[[19頭身]]は、日本を拠点とする[[レコードレーベル]]。 *[[19 (音楽グループ)|19]](ジューク) - [[岡平健治]]と[[岩瀬敬吾]]の[[フォークデュオ]][[音楽ユニット|ユニット]]。 **『[[19 BEST]]』、『[[19 〜すべての人へ]]』は、19のアルバム。 *『[[19 (ポール・ハードキャッスルの曲)|19 (Nineteen)]]』 - [[イギリス]]人[[ミュージシャン]]、[[ポール・ハードキャッスル]]が[[1985年]]に発表した[[シングル]]。 *『[[19 (nineteen)]] 』- [[THE ALFEE]]のシングル。 *『19』は、[[ザ・コレクターズ|THE COLLECTORS]]の楽曲。アルバム「[[ロック教室〜THE ROCK'N ROLL CULTURE SCHOOL〜]]」に収録。 *『[[19 Memories]]』は、[[加藤ミリヤ]]のシングル。 *『[[19roll]]』は、[[STANCE PUNKS]]のシングル。 *『[[SWEET 19 BLUES]]』は、[[安室奈美恵]]の[[アルバム]]。 *『[[19 -Road to AMAZING WORLD-]]』は、[[EXILE]]のアルバム。 == 符号位置 == {| class="wikitable" style="text-align:center;" !記号!![[Unicode]]!![[JIS X 0213]]!![[文字参照]]!!名称 {{CharCode|9330|2472|1-13-19|CIRCLED DIGIT NINETEEN|font=JIS2004フォント}} {{CharCode|9350|2486|-|PARENTHESIZED DIGIT NINETEEN|font=MacJapanese}} {{CharCode|9370|249A|-|DIGIT NINETEEN FULL STOP|font=ARIB外字フォント}} {{CharCode|9459|24F3|1-12-19|DOUBLE CIRCLED DIGIT NINETEEN|font=JIS2004フォント}} |} == 出典 == {{Reflist}} == 関連項目 == *[[数に関する記事の一覧]] **[[0]] [[10]] [[20]] [[30]] [[40]] [[50]] [[60]] [[70]] [[80]] [[90]] [[100]] **[[10]] [[11]] [[12]] [[13]] [[14]] [[15]] [[16]] [[17]] [[18]] '''19''' **'''19''' [[38]] [[57]] [[76]] [[95]] [[114]] [[133]] [[152]] [[171]] [[190]] *[[西暦]][[19年]] [[紀元前19年]] [[1919年]] [[19世紀]] - [[平成19年]] [[昭和19年]] [[明治19年]] - [[1月9日]] *[[名数一覧]] *[[19歳|19歳(才)、十九歳(才)]] {{自然数}} {{Normdaten}}
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小杉駅
小杉駅(こすぎえき)
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小杉駅(こすぎえき) 小杉駅 (富山県射水市) - 富山県射水市にあるあいの風とやま鉄道線の駅。 小杉駅 (富山市) - 富山県富山市にある富山地方鉄道上滝線の駅。 武蔵小杉駅 - 神奈川県川崎市中原区にある東日本旅客鉄道南武線・東海道本線、東急電鉄東横線・目黒線の駅。
'''小杉駅'''(こすぎえき) * [[小杉駅 (富山県射水市)]] - 富山県射水市にあるあいの風とやま鉄道線の駅。 * [[小杉駅 (富山市)]] - 富山県富山市にある富山地方鉄道上滝線の駅。 * [[武蔵小杉駅]] - 神奈川県川崎市中原区にある東日本旅客鉄道南武線・東海道本線、東急電鉄東横線・目黒線の駅。 {{Aimai}} [[Category:同名の鉄道駅]] {{DEFAULTSORT:こすきえき}}
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西武秩父線
西武秩父線(せいぶちちぶせん)は、埼玉県飯能市の吾野駅と同県秩父市の西武秩父駅とを結ぶ西武鉄道の鉄道路線である。路線名に「西武」を含む。駅ナンバリングで使われる路線記号はSI。 西武秩父線は池袋線の事実上の延伸路線であり、池袋線とともに池袋駅 - 西武秩父駅間を結ぶルートを形成している。 当路線は運転系統上、ほとんどの列車が池袋線の飯能駅 - 吾野駅間と直通運転している一方で、池袋線飯能駅以東の所沢駅・池袋駅方面と直通する列車は、特急「ちちぶ」号と土休日のS-TRAIN・快速急行(臨時列車のみ)に限られることや、飯能駅でスイッチバック(方向転換)が必要な配線となっていることから、池袋駅 - 飯能駅間を池袋線、飯能駅 - 西武秩父駅間を西武秩父線とする時刻表検索サイトも存在するが、正確な表現ではない。また特急の案内などでは、当線内も池袋線であるかのような表記が見られる。 当路線は「西武」を含めた「西武秩父線」を路線名としている。この理由は秩父地方に当路線より先の明治・大正時代に開業した秩父鉄道秩父本線が「秩父線」と呼ばれており、それを区別するため当路線は開業にあたり社名略称を冠して命名された。各駅の路線図などでも「西武」が省略されることはなく、「西武秩父線」と表記されている。つまり他社の路線名との重複を防止するためのものであり、西武鉄道の路線では他にも西武有楽町線が同様の理由で路線名に「西武」を含めている(東京メトロ有楽町線との区別のため)。 当路線は武甲山から産出する石灰石を原料とするセメントの輸送と沿線の観光開発を目的に建設され、1969年(昭和44年)に開業した。正丸駅 - 芦ヶ久保駅間で正丸峠を越える山岳路線で、同区間に存在する正丸トンネル(延長4,811m)は、山岳トンネルとして建設当時、日本の私鉄では最長であった。またほとんどの道路との交差は立体化され、当路線内の踏切は吾野・西武秩父の両駅付近(計2か所)と西吾野駅、横瀬駅の構内踏切のみである。 2013年(平成25年)、西武ホールディングスの筆頭株主であったサーベラスからリストラ策として、当路線を含む西武鉄道の複数路線の廃止が提案されていると報道された。これに対し、同年3月25日に、埼玉県知事の上田清司や沿線の首長は「生活鉄道」であるとして、当路線の存続を要請した。西武鉄道側も廃線提案には応じておらず、若林久社長(当時)は秩父市に対し「公共交通機関なので守る」と説明している。 同年5月、秩父地域1市4町の自治体・商工団体・観光協会や埼玉県は「西武秩父線利用促進協議会」を結成し、利用促進を目的に、様々な事業に取り組んでいる。 西武秩父線の始まりは、戦前に吾野駅まで達していた池袋線を、武州鉄道との競合の末に、1969年(昭和44年)に延長したものである。 当路線の開業により、西武鉄道では従来にない列車の運行を開始した。開業と同時に特急専用車両5000系を投入し、池袋 - 西武秩父間で全席指定の有料特急「レッドアロー」の運行を開始した。また、一般車両にも、25‰以上の連続勾配のある当路線を走破するため、大出力モーターに発電ブレーキや抑速ブレーキを装備した101系が投入され、電車の機構面でも一大エポックをもたらした。 貨物輸送でも、東横瀬駅(貨物駅) - 池袋駅・国分寺駅・高麗駅間でセメント輸送のための最大1,000tの重量貨物列車が設定された。そのため、国鉄EF60形電気機関車に準じた性能を持つ民鉄最大のE851形電気機関車が新製投入されたが、1996年(平成8年)の貨物輸送終了とともにその役目を終えている。 貨物輸送は、セメント(東横瀬駅構内にある三菱鉱業セメント)・砂利輸送列車と三菱鉱業セメントでの生産機材に使用する重油を輸送するためのタンク列車(タキ1500形・タキ45000形・タキ9800形タンク車を使用)があった。セメント列車はタキ1900形タンク車が使用された。同工場向けの重油列車・砂利輸送列車は当初東横瀬駅 - 池袋駅間の運転であった。セメント列車は池袋駅より国鉄山手貨物線経由で隅田川駅・南甲府駅・南橋本駅まで西武所属のワフ101形併結のまま運転されていた。重油列車は池袋駅より国鉄山手貨物線・東海道線を介して神奈川臨海鉄道の横浜本牧駅および総武線と外房線蘇我駅を経由して京葉臨海鉄道の浜五井駅まで運転されていた。砂利輸送列車は、池袋駅から赤羽線経由で板橋駅、山手貨物線経由で隅田川駅へ運転されていた。なお、武蔵野線が開業した後の1976年に西武の受け渡し駅が池袋駅と国分寺駅から新秋津駅へ集約されると西武線発着駅が池袋駅から新秋津駅へ変更となり、セメント列車は廃止まで、重油列車は1982年に燃料変更で消滅、砂利輸送は板橋駅と隅田川駅から酒折駅へ発着駅が変更となった。 なお、一時期は小鹿野町を経由して、創業者の堤康次郎が開発した西武グループのリゾート施設の多い、長野県北佐久郡軽井沢町まで路線を延伸するという構想があったという噂があるが、西武鉄道常務取締役を務めた長谷部和夫によると、「これは全くのデマで、当社としては与り知らぬこと(で)あります。ただし、長尾根地区の開発に絡んで西武秩父駅から空中索道などによる何らかの交通機関を検討していたのを地元の方々が希望を交え、このようなことが言われはじめたのではないかと考えられます。」と軽井沢延伸構想を否定し、西武秩父駅の構造についても、西武鉄道OBの西尾恵介は「ルート検討の中で、トンネルを出た後そのまま直線で荒川を越える案もあったようです。いわゆる軽井沢延伸という噂の原点です。しかし秩父農工高校の用地を取得できることになり、将来の構想の中で秩父鉄道との連携も念頭において秩父鉄道と並行する今の位置に駅が置かれたと聞いています。」と軽井沢延伸は噂であり、西武秩父駅設置場所の経緯について述べている。現在は、西武観光バスが西武秩父駅から小鹿野町方面へのバスを運行している。 運転系統としては完全に池袋線(飯能駅以北)と一体であり、有料特急の「ちちぶ」号が池袋駅発着、各駅停車が飯能駅発着で運転されている。かつては土曜・休日に池袋駅発着の快速急行・急行も運転されていたが、池袋発の運転は2020年3月14日のダイヤ改正で、西武秩父発の運転も2022年3月12日のダイヤ改正でそれぞれ廃止された。 2017年3月25日からは、40000系の10両固定編成を用いた座席指定列車「S-TRAIN」が土休日に運行を開始した。 1988年12月までは池袋駅発着の急行や準急(飯能駅 - 西武秩父駅間は各駅に停車)が終日にわたり運転されていた。現在では、春の芝桜シーズンや毎年12月3日の秩父夜祭、横瀬車両基地でのイベント開催時などに臨時列車が運転されている(西武新宿発着の臨時列車が運転されることもある)。1976年から1993年までは新宿線からも西武新宿駅発着の特急「おくちちぶ」号が土休日に1往復運転されていた。2014年7月には、21年ぶりに同区間に臨時特急「おくちちぶ」号が運転された。このほかにも同年のGWや夏に新宿線内急行、池袋線内快速急行の臨時列車が運転されている。 各駅停車は4000系の4両編成、またはこれを2編成組み合わせた8両編成による運用が主体で、4両編成の列車は一部を除いてワンマン運転となる。 また、土曜・休日には、新2000系・20000系・30000系が2往復乗り入れ、これらの車両はワンマン運転に対応していないため車掌乗務となっている。 10両編成は、過去には5000系が4両編成から6両編成へ増強される過渡期の観光シーズンに、4両編成と6両編成を連結して運用に入ったことがある。また10両固定編成である東急5050系4000番台が試運転目的のため入線したことがある。 山間部を走行する路線のため、台風やゲリラ豪雨などで運転見合わせになることがある。 西武秩父駅構内に設けられた秩父鉄道との連絡線を経由し、秩父本線の長瀞駅・三峰口駅まで直通運転を行っている。長瀞行きと三峰口行きを併結して運転する列車は、連絡線の配線の関係で西武秩父駅の一つ手前の横瀬駅で分割されて続行運転となり、長瀞行きは西武秩父駅に入らず直接秩父鉄道御花畑駅へ乗り入れ、三峰口行きは西武秩父駅で向きを変えて秩父鉄道に乗り入れるという特殊な運行形態をとる(秩父鉄道との乗務員交代は御花畑駅・西武秩父駅でそれぞれ行われる)。現行ダイヤでは土曜・休日に各駅停車として、飯能駅発長瀞行き・三峰口駅行きが1本、横瀬駅発長瀞駅行きが1本運行されている。 運賃計算上、西武秩父駅・御花畑駅は同一駅として扱われており、例として西武秩父駅まで有効な西武鉄道の乗車券・定期券を所持していれば、御花畑駅でも下車が可能である。 2020年3月8日までは池袋駅から秩父鉄道へ直通する快速急行(復路は急行)が2往復運行されていた。長瀞行きの列車は直通開始当初から1992年3月30日までは野上駅まで、1992年3月31日から2007年3月5日までは寄居駅まで運行していた。運転区間が寄居駅まで延長されたのは東武東上線からの直通列車が廃止されたことに伴うものだが、年々利用が減っていたこともあり、2007年からは直通開始当初よりも一駅短い長瀞駅までとなった。 2020年4月13日から、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の流行に伴い、秩父鉄道との直通運転を中止し、三峰口行きは西武秩父駅発着、長瀞行きは御花畑駅発着として運行していた。2021年3月13日のダイヤ改正に合わせて直通運転を再開したが、改正後は平日の設定が無くなり土曜・休日ダイヤのみの運行となっている。 2023年3月18日からは上り(西武線方面)の設定が無くなったほか、三峰口行き直通列車が削減された。また長瀞行きは秩父本線内では急行運転を行うようになったほか、新たに分割を行わない横瀬始発・長瀞行きが設定された。 25‰の連続する急勾配が存在する路線であるが、抑速ブレーキ装備車両のみ入線可能といった制限は開通当初から存在しない。この点は東武日光線や富士山麓電気鉄道富士急行線などにも共通する。 回生ブレーキを装備した車両は、試運転やイベント時などを除いて入線していなかったが、2007年12月3日より吾野変電所および正丸変電所で環境配慮型蓄電装置の運用が開始されたため、回生ブレーキが失効する恐れはなくなり本格運用が可能となった。また、これにより副都心線相互直通各社の車両も入線が可能となったものの、前述のS-TRAINおよび東急5050系4000番台が試運転で入線した以外には入線実績はない。 6000系・9000系は営業列車としての入線実績がない。2000系は新宿線にしか配置されておらず、入線実績が1997年(平成9年)の横瀬車両基地イベントの送り込みと、2015年(平成27年)の団体臨時列車の2度しかない。 当路線では、2007年3月18日から「PASMO」(Suicaも利用可能)を導入しており、西武秩父駅は自動改札機、その他の駅は簡易ICカード改札機を設置して対応している。なお、2022年3月11日までは秩父鉄道線では利用できなかったため、秩父鉄道線の駅を目的地にして乗車する場合はあらかじめ自動券売機で乗車券を購入する必要があった。
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西武秩父駅間は各駅に停車)が終日にわたり運転されていた。現在では、春の芝桜シーズンや毎年12月3日の秩父夜祭、横瀬車両基地でのイベント開催時などに臨時列車が運転されている(西武新宿発着の臨時列車が運転されることもある)。1976年から1993年までは新宿線からも西武新宿駅発着の特急「おくちちぶ」号が土休日に1往復運転されていた。2014年7月には、21年ぶりに同区間に臨時特急「おくちちぶ」号が運転された。このほかにも同年のGWや夏に新宿線内急行、池袋線内快速急行の臨時列車が運転されている。", "title": "運転" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "各駅停車は4000系の4両編成、またはこれを2編成組み合わせた8両編成による運用が主体で、4両編成の列車は一部を除いてワンマン運転となる。", "title": "運転" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "また、土曜・休日には、新2000系・20000系・30000系が2往復乗り入れ、これらの車両はワンマン運転に対応していないため車掌乗務となっている。", "title": "運転" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "10両編成は、過去には5000系が4両編成から6両編成へ増強される過渡期の観光シーズンに、4両編成と6両編成を連結して運用に入ったことがある。また10両固定編成である東急5050系4000番台が試運転目的のため入線したことがある。", "title": "運転" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "山間部を走行する路線のため、台風やゲリラ豪雨などで運転見合わせになることがある。", "title": "運転" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "西武秩父駅構内に設けられた秩父鉄道との連絡線を経由し、秩父本線の長瀞駅・三峰口駅まで直通運転を行っている。長瀞行きと三峰口行きを併結して運転する列車は、連絡線の配線の関係で西武秩父駅の一つ手前の横瀬駅で分割されて続行運転となり、長瀞行きは西武秩父駅に入らず直接秩父鉄道御花畑駅へ乗り入れ、三峰口行きは西武秩父駅で向きを変えて秩父鉄道に乗り入れるという特殊な運行形態をとる(秩父鉄道との乗務員交代は御花畑駅・西武秩父駅でそれぞれ行われる)。現行ダイヤでは土曜・休日に各駅停車として、飯能駅発長瀞行き・三峰口駅行きが1本、横瀬駅発長瀞駅行きが1本運行されている。", "title": "運転" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "運賃計算上、西武秩父駅・御花畑駅は同一駅として扱われており、例として西武秩父駅まで有効な西武鉄道の乗車券・定期券を所持していれば、御花畑駅でも下車が可能である。", "title": "運転" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "2020年3月8日までは池袋駅から秩父鉄道へ直通する快速急行(復路は急行)が2往復運行されていた。長瀞行きの列車は直通開始当初から1992年3月30日までは野上駅まで、1992年3月31日から2007年3月5日までは寄居駅まで運行していた。運転区間が寄居駅まで延長されたのは東武東上線からの直通列車が廃止されたことに伴うものだが、年々利用が減っていたこともあり、2007年からは直通開始当初よりも一駅短い長瀞駅までとなった。", "title": "運転" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "2020年4月13日から、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の流行に伴い、秩父鉄道との直通運転を中止し、三峰口行きは西武秩父駅発着、長瀞行きは御花畑駅発着として運行していた。2021年3月13日のダイヤ改正に合わせて直通運転を再開したが、改正後は平日の設定が無くなり土曜・休日ダイヤのみの運行となっている。", "title": "運転" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "2023年3月18日からは上り(西武線方面)の設定が無くなったほか、三峰口行き直通列車が削減された。また長瀞行きは秩父本線内では急行運転を行うようになったほか、新たに分割を行わない横瀬始発・長瀞行きが設定された。", "title": "運転" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "25‰の連続する急勾配が存在する路線であるが、抑速ブレーキ装備車両のみ入線可能といった制限は開通当初から存在しない。この点は東武日光線や富士山麓電気鉄道富士急行線などにも共通する。", "title": "使用車両" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "回生ブレーキを装備した車両は、試運転やイベント時などを除いて入線していなかったが、2007年12月3日より吾野変電所および正丸変電所で環境配慮型蓄電装置の運用が開始されたため、回生ブレーキが失効する恐れはなくなり本格運用が可能となった。また、これにより副都心線相互直通各社の車両も入線が可能となったものの、前述のS-TRAINおよび東急5050系4000番台が試運転で入線した以外には入線実績はない。", "title": "使用車両" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "6000系・9000系は営業列車としての入線実績がない。2000系は新宿線にしか配置されておらず、入線実績が1997年(平成9年)の横瀬車両基地イベントの送り込みと、2015年(平成27年)の団体臨時列車の2度しかない。", "title": "使用車両" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "当路線では、2007年3月18日から「PASMO」(Suicaも利用可能)を導入しており、西武秩父駅は自動改札機、その他の駅は簡易ICカード改札機を設置して対応している。なお、2022年3月11日までは秩父鉄道線では利用できなかったため、秩父鉄道線の駅を目的地にして乗車する場合はあらかじめ自動券売機で乗車券を購入する必要があった。", "title": "PASMO導入について" } ]
西武秩父線(せいぶちちぶせん)は、埼玉県飯能市の吾野駅と同県秩父市の西武秩父駅とを結ぶ西武鉄道の鉄道路線である。路線名に「西武」を含む。駅ナンバリングで使われる路線記号はSI。
{{Infobox 鉄道路線 |路線名=[[File:SeibuRailway mark.svg|18px|link=西武鉄道]] 西武秩父線 |路線色=#ef810f |ロゴ=File:Seibu ikebukuro logo.svg |ロゴサイズ=50px |画像=Seibu series001 Laview yokoze.jpg<!--あくまで路線記事なので西武秩父線内の画像をお願いします。飯能駅 - 吾野駅間は池袋線です。--> |画像サイズ=300px |画像説明=西武秩父線を走る001系「Laview」<br>(2020年8月 [[芦ヶ久保駅]] - [[横瀬駅]]間) |国= {{JPN}} |所在地=[[埼玉県]] |起点=[[吾野駅]] |終点=[[西武秩父駅]] |駅数=6駅 |輸送実績= |1日利用者数= |路線記号=SI |開業={{start date and age|1969|10|14}} |休止= |廃止= |所有者=[[西武鉄道]] |運営者=西武鉄道 |車両基地= |使用車両=[[#使用車両|使用車両]]の節を参照 |路線距離=19.0 [[キロメートル|km]] |軌間=1,067 [[ミリメートル|mm]] |線路数=[[単線]] |電化方式=[[直流電化|直流]]1,500 [[ボルト (単位)|V]] [[架空電車線方式]] |最大勾配= |最小曲線半径= |閉塞方式= |保安装置= |最高速度=105 [[キロメートル毎時|km/h]] |路線図= |路線図表示=<!--collapsed--> }} {| {{Railway line header}} {{UKrail-header2|停車場・施設・接続路線|#ef810f}} {{BS-table}} {{BS3||KHSTa||{{BSkm|-|0.0}}|SI01 [[池袋駅]]||}} {{BS3||LSTR||||↑[[西武池袋線|池袋線]]||}} {{BS3||BHF||{{BSkm|0.0|57.8}}|SI31 [[吾野駅]]||}} {{BS3||TUNNEL2|||芳延トンネル|100m|}} {{BS3||TUNNEL2|||諸狩トンネル|79m|}} {{BS3||TUNNEL1|||三社トンネル|209m|}} {{BS3||TUNNEL2|||山崎トンネル|118m|}} {{BS3||BHF||{{BSkm|3.6|61.4}}|SI32 [[西吾野駅]]||}} {{BS3||TUNNEL2|||北川第1トンネル|91m|}} {{BS3||TUNNEL2|||北川第2トンネル|172m|}} {{BS3||TUNNEL2|||北川第3トンネル||}} {{BS3||TUNNEL2|||北川第4トンネル|65m|}} {{BS3||TUNNEL1|||南川トンネル|524m|}} {{BS3||tBHFa@f||{{BSkm|6.3|64.1}}|SI33 [[正丸駅]]||}} {{BS3||tSTR|||[[正丸トンネル]]|4811m|}} {{BS3||tDST||{{BSkm|9.0|66.8}}|[[正丸トンネル信号場]]||}} {{BS3||tSTR|||||}} {{BS3||tSTRe|||||}} {{BS3||TUNNEL2|||芦ヶ久保第1トンネル|192m|}} {{BS3||BHF||{{BSkm|12.4|70.2}}|SI34 [[芦ヶ久保駅]]||}} {{BS3||TUNNEL2|||芦ヶ久保第2トンネル|87m|}} {{BS3||TUNNEL2|||芦ヶ久保第3トンネル|45m|}} {{BS3||TUNNEL1|||川池トンネル|426m|}} {{BS3||TUNNEL1|||横瀬トンネル|452m|}} {{BS3|exKDSTaq|eABZgr|||''[[東横瀬駅]]''|1996年廃止}} {{BS3||BHF|KDSTa|{{BSkm|16.4|74.2}}|SI35 [[横瀬駅]] / [[横瀬車両基地]]||}} {{BS3||KRWgl|KRWg+r||||}} {{BS3||STR|ENDEe||||}} {{BS3||TUNNEL1|||羊山トンネル|322m|}} {{BS3||STR|KHSTa|||CR37 [[三峰口駅]]|}} {{BS3||STR|LSTR|O3=POINTERg@fq|||[[秩父鉄道]]:[[秩父鉄道秩父本線|秩父本線]]|}} {{BS3||KRWg+l|KRWgr||||}} {{BS3||KRWgl|KRWg+r||||}} {{BS3||KBHFe|O2=HUB2|STR|O3=HUBc3|{{BSkm|19.0|76.8}}|SI36 [[西武秩父駅]]||}} {{BS3|||O2=HUBc1|HST|O3=HUB4|||CR31 [[御花畑駅]]|}} {{BS3|||LSTR|||秩父鉄道:秩父本線|}} {{BS3|||HST|||CR24 [[長瀞駅]]|}} |} |} '''西武秩父線'''(せいぶちちぶせん)は、[[埼玉県]][[飯能市]]の[[吾野駅]]と同県[[秩父市]]の[[西武秩父駅]]とを結ぶ[[西武鉄道]]の[[鉄道路線]]である。路線名に「西武」を含む。[[駅ナンバリング]]で使われる路線記号は'''SI'''。 == 概要 == 西武秩父線は[[西武池袋線|池袋線]]の事実上の延伸路線であり、池袋線とともに[[池袋駅]] - [[西武秩父駅]]間を結ぶルートを形成している。 当路線は運転系統上、ほとんどの列車が池袋線の[[飯能駅]] - [[吾野駅]]間と直通運転している一方で、池袋線飯能駅以東の[[所沢駅]]・池袋駅方面と直通する列車は、特急「[[ちちぶ (列車)|ちちぶ]]」号と土休日の[[S-TRAIN]]・快速急行(臨時列車のみ)に限られることや、飯能駅で[[スイッチバック]](方向転換)が必要な配線となっていることから、池袋駅 - 飯能駅間を池袋線、飯能駅 - 西武秩父駅間を西武秩父線とする時刻表検索サイトも存在する<ref>[https://timetable.ekitan.com/railway/station/2836 駅探 飯能駅時刻表]</ref>が、正確な表現ではない。また特急の案内などでは、当線内も池袋線であるかのような表記が見られる<ref>[https://www.seiburailway.jp/railway/reservedtrain/laview/ 停車駅] - 池袋線 特急ラビュー(西武鉄道)</ref>。 当路線は「西武」を含めた「'''西武秩父線'''」を路線名としている<ref>国土交通省鉄道局監修『鉄道要覧』鉄道図書刊行会・電気車研究会</ref>。この理由は[[秩父地方]]に当路線より先の明治・大正時代に開業した[[秩父鉄道]][[秩父鉄道秩父本線|秩父本線]]が「秩父線」と呼ばれており<ref>[https://twitter.com/ctk_info 秩父鉄道運行情報] - 秩父鉄道、2017年3月20日閲覧。</ref><ref group="注">古い例では[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1219918/117 『産業と観光 新興日本の全貌 昭和十三年』]日本電報通信社(昭和12年発行)87頁の長瀞の項目などに「秩父線」との記述が見られる。</ref>、それを区別するため当路線は開業にあたり社名略称を冠して命名された。各駅の路線図などでも「西武」が省略されることはなく、「西武秩父線」と表記されている<ref>[http://www.seibu-group.co.jp/railways/railway/ekimap/index.html 各駅のご案内] - 西武鉄道</ref>。つまり他社の路線名との重複を防止するためのものであり、西武鉄道の路線では他にも[[西武有楽町線]]が同様の理由で路線名に「西武」を含めている([[東京メトロ有楽町線]]との区別のため)。 当路線は[[武甲山]]から産出する[[石灰石]]を原料とする[[セメント]]の輸送と沿線の観光開発を目的に建設され、1969年(昭和44年)に開業した。[[正丸駅]] - [[芦ヶ久保駅]]間で[[正丸峠]]を越える山岳路線で、同区間に存在する[[正丸トンネル]](延長4,811m)は、山岳トンネルとして建設当時、日本の私鉄では最長であった。またほとんどの道路との交差は立体化され、当路線内の[[踏切]]は吾野・西武秩父の両駅付近(計2か所)と[[西吾野駅]]、[[横瀬駅]]の構内踏切のみである。 [[2013年]](平成25年)、[[西武ホールディングス]]の筆頭[[株主]]であった[[サーベラス・キャピタル・マネジメント|サーベラス]]から[[リストラ]]策として、当路線を含む西武鉄道の複数路線の[[廃線|廃止]]が提案されていると報道された。これに対し、同年3月25日に、[[埼玉県知事]]の[[上田清司]]や沿線の首長は「生活鉄道」であるとして、当路線の存続を要請した。西武鉄道側も廃線提案には応じておらず、若林久社長(当時)は秩父市に対し「公共交通機関なので守る」と説明している<ref>「生活鉄道」西武秩父線存続を西武HD社長に要請/知事と首長ら - 埼玉新聞 2013年3月26日</ref><ref>秩父線が廃止対象? 秩父市長「連係し守る」 - 埼玉新聞 2013年3月23日</ref>。 同年5月、[[秩父地方|秩父地域]]1市4町の自治体・商工団体・観光協会や埼玉県は「西武秩父線利用促進協議会」を結成し、利用促進を目的に、様々な事業に取り組んでいる<ref>[http://city.chichibu.lg.jp/item9184.html 西武秩父線利用促進協議会] - 秩父市</ref>。 === 路線データ === *路線距離([[営業キロ]]):19.0km *[[軌間]]:1067mm *駅数:6駅(起終点駅含む) *複線区間:なし(全線[[単線]]) *電化区間:全線(直流1500V[[架空電車線方式]]) * 最高速度:105km/h(横瀬駅- 芦ヶ久保駅間と正丸トンネル内のみ) *橋梁:計35か所 (1960.26m) **橋梁:21か所 (1,565.51m) **高架橋:1か所 (307.73m) **架道橋:13か所 (87.02m) *隧道:計16か所 (7,749.78m) **[[正丸峠#西武鉄道西武秩父線|正丸隧道]] (4,811.42m) **その他15か所 (2,938.36m) ***芳延隧道、猪狩隧道 (79m)、三社隧道 (209m)、<br />山崎隧道 (116m)、北川第一隧道 (91m)、北川第二隧道、<br />北川第三隧道、北川第四隧道、南川隧道、<br />芦ヶ久保第一隧道 (192m)、芦ヶ久保第二隧道 (87m)、芦ヶ久保第三隧道 (56m)<br />川地隧道、横瀬隧道、羊山隧道 (322m) == 沿線風景 == {{節スタブ}} <!--西武秩父線は、大部分が山間部を走行している。終点の[[西武秩父駅]]まで[[国道299号|国道299号線]]と併走しており、[[正丸駅]]付近までは[[高麗川]]とも併走している。 === 吾野 - 横瀬 === [[側線]]を1本有する'''[[吾野駅]]'''を出ると、住宅地が見える。[[踏切]]を越えて[[国道299号|国道299号線]]を跨ぐと、すぐに芳延トンネル(100 [[メートル|m]])を通る。ほどなく、再び[[国道299号|国道299号線]]と立体交差する。すると住宅は疎らとなり、諸狩トンネル(79 m)・三社トンネル(209 m)を通り抜ける。もう一度国道299号線と交差して、山崎トンネルを抜けるとすぐに'''[[西吾野駅]]'''に着く。 西吾野駅を出ると、北川第1トンネル(91 m)、北川第2トンネル(172 m)、北川第3トンネル、北川第4トンネル(65 m)、南川トンネル(524 m)を通り抜ける。国道299号線を跨ぎ、しばらく併走する。ほどなく'''[[正丸駅]]'''に着く。この西吾野駅 - 正丸駅の駅間距離は、2.7 [[キロメートル|km]]と西武秩父線の中では比較的近い。 正丸駅を出てすぐに[[正丸トンネル]](4811 m)に入る。それと同時に、[[高麗川]]とは分かれることになる。しばらくすると、列車は減速する。ほどなく加速すると線路が分かれ、[[正丸トンネル信号場]]に入り、ここから459 mのところまでは複線となる。なお、ここで列車の[[列車交換|交換]]、[[待避駅|待避]]をすることがある。 正丸トンネル信号場を抜けて線路が合流すると、さらに加速する。この辺りでは、西武秩父線の最高速度(105 [[キロメートル毎時|km/h]])を出すこともある。このまましばらく走行すると、トンネルを出る。ほどなく芦ヶ久保第1トンネル(192 m)を通ると、側線を1本有する'''[[芦ヶ久保駅]]'''に着く。正丸トンネルの長さと、正丸駅 - 芦ヶ久保駅の駅間距離(6.1 km)は、西武鉄道全線の中で最長である。 芦ヶ久保駅を出てすぐに、芦ヶ久保第2トンネル(87 m)、芦ヶ久保第3トンネル(45 m)と川池トンネル(426 m)を通り抜ける。その後車窓右側では、谷の底に国道299号線が見える。国道299号線と併走しながら右に大きくカーブする。ほどなく、横瀬トンネル(452 m)に入る。同トンネル内で加速する。トンネルを出ると、平地になる。この辺りは[[盛土]]または[[切土]]区間となっているため、すべての道路と立体交差していて、さらに線路は直線的である。そのため、この区間でも西武秩父線の最高速度・105 km/hで走行することができる。なお、まだ住宅は疎らで、大部分を畑や木が占めている。車窓右側に、[[東横瀬駅]]の跡地を見える。[[UBE三菱セメント]] 横瀬工場を通過すると、[[横瀬車両基地]]が広がる。[[分岐器|ポイント]]を越えると、[[ちちぶ (列車)|特急「ちちぶ」号]]も停車する駅・'''[[横瀬駅]]'''に到着する。 === 横瀬 - 西武秩父・御花畑 === 横瀬駅を出ると、横瀬車両基地と合流してポイントを通過する。車窓右側に池を見つつ大きく左に曲がり、[[羊山公園]]をくぐり抜ける。その後、羊山トンネル(322 m)を通る。同トンネルを抜けると、一面に[[秩父市]]市街地が広がる。盛土を走りながら大きく右へ曲がる。住宅密集度は高くなっていき、減速しながら地上に降りる。[[秩父鉄道]][[秩父本線]]が近づきつつ、踏切を越える。[[三峰口駅]]方面からの[[連絡線]]が合流する。[[西武秩父駅]]・[[三峰口駅]]方面行きの列車は、[[長瀞駅]]方面に向かう連絡線が分岐して、'''西武秩父駅'''に到着する。三峰口駅方面行きの列車は、同駅で[[スイッチバック]](方向転換)をして、先ほど合流した三峰口駅方面への連絡線を渡って、[[影森駅]]へと向かう。長瀞駅方面行きの列車は、三峰口駅方面からの連絡線が合流した直後に長瀞駅方面に向かう連絡線を渡って、'''[[御花畑駅]]'''に到着する。同駅を出ると、そのまま[[秩父駅]]へと向かう。--> == 歴史 == 西武秩父線の始まりは、戦前に[[吾野駅]]まで達していた[[西武池袋線|池袋線]]を、[[武州鉄道汚職事件|武州鉄道]]との競合の末に、1969年(昭和44年)に延長したものである。 当路線の開業により、西武鉄道では従来にない列車の運行を開始した。開業と同時に特急専用車両[[西武5000系電車|5000系]]を投入し、池袋 - 西武秩父間で全席指定の有料特急「[[レッドアロー]]」の運行を開始した。また、一般車両にも、25[[パーミル|‰]]以上の連続勾配のある当路線を走破するため、大出力モーターに[[発電ブレーキ]]や[[抑速ブレーキ]]を装備した[[西武101系電車|101系]]が投入され、電車の機構面でも一大エポックをもたらした。 貨物輸送でも、[[東横瀬駅]](貨物駅) - 池袋駅・[[国分寺駅]]・[[高麗駅]]間でセメント輸送のための最大1,000tの重量[[貨物列車]]が設定された。そのため、[[国鉄EF60形電気機関車]]に準じた性能を持つ民鉄最大の[[西武E851形電気機関車|E851形電気機関車]]が新製投入されたが、[[1996年]](平成8年)の貨物輸送終了とともにその役目を終えている。 貨物輸送は、セメント(東横瀬駅構内にある[[三菱マテリアル|三菱鉱業セメント]])・砂利輸送列車と三菱鉱業セメントでの生産機材に使用する[[重油]]を輸送するためのタンク列車([[国鉄タキ3000形貨車#タキ1500形|タキ1500形]]・[[国鉄タキ35000形貨車#タキ45000形|タキ45000形]]・[[国鉄タキ9900形貨車#タキ9800形|タキ9800形]]タンク車を使用)があった。セメント列車は[[国鉄タキ1900形貨車|タキ1900形]]タンク車が使用された。同工場向けの重油列車・砂利輸送列車は当初東横瀬駅 - 池袋駅間の運転であった。セメント列車は池袋駅より国鉄山手貨物線経由で[[隅田川駅]]・[[南甲府駅]]・[[南橋本駅]]まで西武所属のワフ101形併結のまま運転されていた。重油列車は池袋駅より国鉄山手貨物線・東海道線を介して[[神奈川臨海鉄道]]の[[横浜本牧駅]]および総武線と外房線蘇我駅を経由して[[京葉臨海鉄道]]の[[浜五井駅]]まで運転されていた。砂利輸送列車は、池袋駅から[[赤羽線]]経由で[[板橋駅]]、山手貨物線経由で隅田川駅へ運転されていた。なお、[[武蔵野線]]が開業した後の1976年に西武の受け渡し駅が池袋駅と国分寺駅から[[新秋津駅]]へ集約されると西武線発着駅が池袋駅から新秋津駅へ変更となり、セメント列車は廃止まで、重油列車は1982年に燃料変更で消滅、砂利輸送は板橋駅と隅田川駅から[[酒折駅]]へ発着駅が変更となった。 なお、一時期は[[小鹿野町]]を経由して、創業者の[[堤康次郎]]が開発した[[西武グループ]]のリゾート施設の多い、[[長野県]][[北佐久郡]][[軽井沢町]]まで路線を延伸するという構想があったという噂があるが、西武鉄道常務取締役を務めた長谷部和夫によると、「これは全くのデマで、当社としては与り知らぬこと(で)あります。ただし、長尾根地区の開発に絡んで西武秩父駅から空中索道などによる何らかの交通機関を検討していたのを地元の方々が希望を交え、このようなことが言われはじめたのではないかと考えられます。」<ref>長谷部和夫「西武鉄道でのできごと」『レイル』 92号、エリエイ、2014年10月、63頁</ref>と軽井沢延伸構想を否定し、[[西武秩父駅]]の構造についても、西武鉄道OBの西尾恵介は「ルート検討の中で、トンネルを出た後そのまま直線で荒川を越える案もあったようです。いわゆる軽井沢延伸という噂の原点です。しかし秩父農工高校の用地を取得できることになり、将来の構想の中で秩父鉄道との連携も念頭において秩父鉄道と並行する今の位置に駅が置かれたと聞いています。」<ref>田中秀夫・西尾恵介「西武秩父線開業時をふりかえって」『鉄道ピクトリアル』通巻970号、電気車研究会、2020年1月、54-61頁。</ref>と軽井沢延伸は噂であり、西武秩父駅設置場所の経緯について述べている。現在は、[[西武観光バス]]が西武秩父駅から小鹿野町方面へのバスを運行している。 * [[1967年]](昭和42年)[[7月19日]] 横瀬村(現[[横瀬町]])芦ヶ久保中学校にて起工式<ref>{{Cite news|first=|last=|author=|coauthors=|url=|title=西武秩父線が起工へ|work=|newspaper=朝日新聞 朝刊|publisher=|pages=|page=|date=1967-07-13|accessdate=|language=日本語}}</ref>。 * [[1969年]](昭和44年)[[10月14日]] 吾野 - 西武秩父間 (19.0km) 開業。同時に貨物列車の運転も開始。 * [[1989年]](平成元年)[[4月1日]] 秩父鉄道秩父本線との連絡線開設、同線への直通運転を開始。 * [[1996年]](平成8年)[[3月28日]] 新秋津 - 東横瀬(貨)間の貨物輸送廃止。 * [[1999年]](平成11年) ** [[8月14日]] - [[9月15日]] 台風に伴う豪雨による吾野駅構内土砂崩れで東吾野 - 西吾野間が運休<ref name="RP677">{{Cite journal|和書 |journal = [[鉄道ピクトリアル]] |date = 1998-11 |volume = 49 |issue = 11 |page = 109 |publisher = [[電気車研究会]] }}</ref>。 ** [[8月31日]] 吾野駅上り線のみ復旧する形で東吾野 - 西吾野間が運行再開<ref name="RP677"/>。 ** 9月15日 東吾野 - 西吾野間が全面復旧。 * [[2003年]](平成15年)[[3月12日]] 全線で[[ワンマン運転]]開始<ref>{{Cite journal|和書 |title=鉄道記録帳2003年3月 |journal = RAIL FAN |date = 2003-06-01 |issue = 6 |volume = 50 |publisher = 鉄道友の会 |pages = 18 }}</ref>。 * [[2011年]](平成23年)[[3月14日]] - [[4月16日]] [[東北地方太平洋沖地震]]による[[輪番停電|輪番停電(計画停電)]]により秩父鉄道秩父本線との直通運転を休止。 * [[2014年]](平成26年)[[2月14日]] - [[2月21日]] [[平成26年豪雪|豪雪]]により正丸 - 西武秩父駅間で運転見合わせ。18日から一部区間で運転再開。 * [[2016年]](平成28年)[[4月17日]] 観光列車「[[西武4000系電車#西武 旅するレストラン 52席の至福|旅するレストラン 52席の至福]]」運行開始<ref name="shinjuku-keizai20160419">[http://shinjuku.keizai.biz/headline/2325/ 西武新宿駅発「旅するレストラン〜52席の至福〜」運行開始] - 新宿経済新聞、2016年4月19日</ref>。 * [[2017年]](平成29年)[[3月25日]] 座席指定列車「[[S-TRAIN]]」運行開始<ref name="trafficnews20170325" />。これにより東京メトロ・東急・横浜高速鉄道との直通運転も開始。 == 運転 == {{See also|西武池袋線#運転}} 運転系統としては完全に池袋線([[飯能駅]]以北)と一体であり、有料特急の「[[ちちぶ (列車)|ちちぶ]]」号が[[池袋駅]]発着、各駅停車が飯能駅発着で運転されている。かつては土曜・休日に池袋駅発着の快速急行・急行も運転されていたが、池袋発の運転は2020年3月14日のダイヤ改正で、西武秩父発の運転も2022年3月12日のダイヤ改正でそれぞれ廃止された。 [[2017年]][[3月25日]]からは、[[西武40000系電車|40000系]]の10両固定編成を用いた座席指定列車「[[S-TRAIN]]」が土休日に運行を開始した<ref>{{PDFlink|[http://www.seibu-group.co.jp/railways/news/news-release/2016/__icsFiles/afieldfile/2016/06/16/20160616_zasekisiteisouchoku_1.pdf 2017年春 座席指定制の直通列車を導入します!]}} - 西武鉄道・東京地下鉄・東京急行電鉄・横浜高速鉄道プレスリリース、2016年6月16日、同日閲覧。</ref><ref name="trafficnews20170325">[http://trafficnews.jp/post/67010/ 「S-TRAIN」出発進行! 通勤・行楽「変身」列車 元町・中華街〜西武秩父間] - 乗りものニュース、2017年3月25日</ref>。 1988年12月までは池袋駅発着の[[急行列車|急行]]や[[準急列車|準急]](飯能駅 - 西武秩父駅間は各駅に停車)が終日にわたり運転されていた。現在では、春の[[シバザクラ|芝桜]]シーズンや毎年12月3日の[[秩父夜祭]]、[[横瀬車両基地]]でのイベント開催時などに臨時列車が運転されている(西武新宿発着の臨時列車が運転されることもある)。1976年から1993年までは[[西武新宿線|新宿線]]からも[[西武新宿駅]]発着の特急「[[ちちぶ (列車)|おくちちぶ]]」号が土休日に1往復運転されていた。2014年7月には、21年ぶりに同区間に臨時特急「おくちちぶ」号が運転された。このほかにも同年の[[ゴールデンウィーク|GW]]や夏に新宿線内急行、池袋線内快速急行の臨時列車が運転されている。 各駅停車は[[西武4000系電車|4000系]]の4両編成、またはこれを2編成組み合わせた8両編成による運用が主体で、4両編成の列車は一部を除いて[[ワンマン運転]]となる。 また、土曜・休日には、[[西武2000系電車#新2000系|新2000系]]・[[西武20000系電車|20000系]]・[[西武30000系電車|30000系]]が2往復乗り入れ、これらの車両はワンマン運転に対応していないため車掌乗務となっている。 10両編成は、過去には[[西武5000系電車|5000系]]が4両編成から6両編成へ増強される過渡期の観光シーズンに、4両編成と6両編成を連結して運用に入ったことがある。また10両固定編成である[[東急5000系電車 (2代)#5050系4000番台|東急5050系4000番台]]が試運転目的のため入線したことがある<ref>[http://railf.jp/news/2013/05/02/180000.html 東急5050系4102編成が西武秩父線で試運転] - 交友社『鉄道ファン』railf.jp 鉄道ニュース 2013年5月2日</ref>。 山間部を走行する路線のため、台風や[[ゲリラ豪雨]]などで運転見合わせになることがある。 === 秩父鉄道との直通運転 === [[西武秩父駅]]構内に設けられた[[秩父鉄道]]との連絡線を経由し、[[秩父鉄道秩父本線|秩父本線]]の[[長瀞駅]]・[[三峰口駅]]まで直通運転を行っている。長瀞行きと三峰口行きを併結して運転する列車は、連絡線の配線の関係で西武秩父駅の一つ手前の[[横瀬駅]]で分割されて続行運転となり、長瀞行きは西武秩父駅に入らず直接秩父鉄道[[御花畑駅]]へ乗り入れ、三峰口行きは西武秩父駅で向きを変えて秩父鉄道に乗り入れるという特殊な運行形態をとる(秩父鉄道との乗務員交代は御花畑駅・西武秩父駅でそれぞれ行われる)。現行ダイヤでは土曜・休日に各駅停車として、飯能駅発長瀞行き・三峰口駅行きが1本、横瀬駅発長瀞駅行きが1本運行されている。 運賃計算上、西武秩父駅・御花畑駅は同一駅として扱われており、例として西武秩父駅まで有効な西武鉄道の乗車券・定期券を所持していれば、御花畑駅でも下車が可能である。 2020年3月8日までは池袋駅から秩父鉄道へ直通する[[快速急行]](復路は急行)が2往復運行されていた<ref>[https://railf.jp/news/2020/03/09/180819.html 西武4000系による池袋—飯能間の定期列車が運転を終える] - 交友社『鉄道ファン』railf.jp 鉄道ニュース、2020年3月9日掲載</ref>。長瀞行きの列車は直通開始当初から[[1992年]][[3月30日]]までは[[野上駅]]まで、1992年[[3月31日]]から[[2007年]][[3月5日]]までは[[寄居駅]]まで運行していた。運転区間が寄居駅まで延長されたのは[[東武東上本線|東武東上線]]からの直通列車が廃止されたことに伴うものだが、年々利用が減っていたこともあり、2007年からは直通開始当初よりも一駅短い長瀞駅までとなった。 2020年4月13日から、[[新型コロナウイルス感染症 (2019年)|新型コロナウイルス感染症(COVID-19)]]の流行に伴い、秩父鉄道との直通運転を中止し<ref name="chichibu-railway20200413">{{Cite web|和書|url=https://www.chichibu-railway.co.jp/blog/newsrelease/200410/|title=新型コロナウイルス感染症拡大に伴う 「計画運休」について|publisher=秩父鉄道|date=2020-04-10|accessdate=2020-04-14}}</ref>、三峰口行きは西武秩父駅発着、長瀞行きは御花畑駅発着として運行していた。2021年3月13日のダイヤ改正に合わせて直通運転を再開したが、改正後は平日の設定が無くなり土曜・休日ダイヤのみの運行となっている。 2023年3月18日からは上り(西武線方面)の設定が無くなったほか、三峰口行き直通列車が削減された。また長瀞行きは秩父本線内では急行運転を行うようになったほか、新たに分割を行わない横瀬始発・長瀞行きが設定された。 == 使用車両 == 25[[パーミル|‰]]の連続する急勾配が存在する路線であるが、[[抑速ブレーキ]]装備車両のみ入線可能といった制限は開通当初から存在しない。この点は[[東武日光線]]や[[富士山麓電気鉄道富士急行線]]などにも共通する。 [[回生ブレーキ]]を装備した車両は、試運転やイベント時などを除いて入線していなかったが、2007年[[12月3日]]より吾野[[変電所]]および正丸変電所で環境配慮型蓄電装置の運用が開始されたため、回生ブレーキが失効する恐れはなくなり本格運用が可能となった。また、これにより副都心線相互直通各社の車両も入線が可能となったものの、前述のS-TRAINおよび東急5050系4000番台が試運転で入線した以外には入線実績はない。 * [[西武4000系電車|4000系]] * [[西武001系電車|001系]](特急用。愛称「Laview」号) * [[西武40000系電車|40000系]]([[S-TRAIN]]として土休日のみ1往復運行) * [[西武2000系電車|新2000系]](土休日2往復運転、平日は臨時列車のみ) * [[西武20000系電車|20000系]](土休日2往復運転、平日は臨時列車のみ) * [[西武30000系電車|30000系]](土休日2往復運転、平日は臨時列車のみ) <gallery> Seibu-Railway Series4000.jpg|4000系 Seibu001series.jpg|001系 Seibu_40000.jpg|40000系 西武鉄道新2000系 秩父線.jpg|新2000系 Seibu_20000_8.jpg|20000系 Seibu-Railway Series30000.jpg|30000系 </gallery> [[西武6000系電車|6000系]]・[[西武9000系電車|9000系]]は営業列車としての入線実績がない。2000系は新宿線にしか配置されておらず、入線実績が1997年(平成9年)の横瀬車両基地イベントの送り込みと、2015年(平成27年)の団体臨時列車の2度しかない。 === 過去の車両 === *[[西武501系電車|501系]] *[[西武101系電車#旧101系|旧101系]] *[[西武701系電車|701系]] *[[西武5000系電車|5000系]](特急用。愛称「レッドアロー」号) *[[西武101系電車#新101系・301系|新101系・301系]](定期での乗り入れは2010年3月のダイヤ改正で終了。2012年12月9日をもって101系・301系の運用は多摩湖線および多摩川線のワンマン以外は終了しているため現在は見ることができない) *[[西武3000系電車|3000系]] * [[西武10000系電車|10000系]](特急用。愛称「ニューレッドアロー」号) *この他、赤電と称される旧性能車両各形式も特に制限なく運用されていた。 == 駅一覧 == * 全駅[[埼玉県]]内に所在。停車駅は「[[西武池袋線#駅一覧]]」も参照のこと。 * 線路は全線単線、全駅[[列車交換]]可。 * [[駅ナンバリング|駅番号]]は[[2013年]]3月までに順次導入された。吾野駅以東の池袋線からの続き番号となっている<ref>{{PDFlink|[http://www.seibu-group.co.jp/railways/news/news-release/2011/__icsFiles/afieldfile/2012/02/23/20110223eki-number.pdf 西武線全駅で駅ナンバリングを導入します]}} - 西武鉄道、2012年4月25日閲覧。</ref>。 ; 凡例 : 停車駅 … ●:停車、|:通過、△:土休日のみ停車 : 特急の臨時停車については「[[ちちぶ (列車)]]」を参照 : 各駅停車・快速急行はすべての駅に停車(表では省略) <!-- 各種別の色は[[西武池袋線]]などと合わせています。変更される場合、西武池袋線なども合わせて修正してください。 文字が見やすいように実際に使われているものより薄めの色を選ぶことをお奨めします。--> {|class="wikitable" rules="all" |- !style="width:4em; border-bottom:solid 3px #ef810f;"|駅番号 !style="width:9.5em; border-bottom:solid 3px #ef810f;"|駅名 !style="width:2.5em; border-bottom:solid 3px #ef810f;"|駅間キロ !style="width:2.5em; border-bottom:solid 3px #ef810f;"|営業キロ !style="background:#fff; width:1em; line-height:1; border-bottom:solid 3px #ef810f;"|{{縦書き|S-TRAIN|tag=span}} !style="background:#fcc; width:1em; line-height:1; border-bottom:solid 3px #ef810f;"|{{縦書き|特急[[ちちぶ (列車)|ちちぶ]]|height=6em}} !style="border-bottom:solid 3px #ef810f;"|接続路線 !style="border-bottom:solid 3px #ef810f;"|所在地 |- !SI31 |[[吾野駅]] |style="text-align:center;"|- |style="text-align:right;"|0.0 |style="background:#fff; text-align:center;"|| |style="background:#fcc; text-align:center;"|| |西武鉄道:[[ファイル:Seibu ikebukuro logo.svg|18px|SI]] [[西武池袋線|池袋線]]([[飯能駅|飯能]]方面直通運転) |rowspan="3" style="white-space:nowrap;"|[[飯能市]] |- !SI32 |[[西吾野駅]] |style="text-align:right;"|3.6 |style="text-align:right;"|3.6 |style="background:#fff; text-align:center;"|| |style="background:#fcc; text-align:center;"|| |&nbsp; |- !SI33 |[[正丸駅]] |style="text-align:right;"|2.7 |style="text-align:right;"|6.3 |style="background:#fff; text-align:center;"|| |style="background:#fcc; text-align:center;"|| |&nbsp; |- !&nbsp; |[[正丸トンネル信号場]] |style="text-align:center;"|- |style="text-align:right;"|9.0 |style="background:#fff; text-align:center;"|| |style="background:#fcc; text-align:center;"|| |&nbsp; |rowspan="3"|[[秩父郡]]<br />[[横瀬町]] |- !SI34 |[[芦ヶ久保駅]] |style="text-align:right;"|6.1 |style="text-align:right;"|12.4 |style="background:#fff; text-align:center;"|| |style="background:#fcc; text-align:center;"|| |&nbsp; |- !SI35 |[[横瀬駅]] |style="text-align:right;"|4.0 |style="text-align:right;"|16.4 |style="background:#fff; text-align:center;"|| |style="background:#fcc; text-align:center;"|● |&nbsp; |- !SI36 |[[西武秩父駅]] |style="text-align:right;"|2.6 |style="text-align:right;"|19.0 |style="background:#fff; text-align:center;"|△ |style="background:#fcc; text-align:center;"|● |[[秩父鉄道]]:[[秩父鉄道秩父本線|秩父本線]]([[御花畑駅]]: CR31)(※[[連絡運輸|徒歩連絡]]) |[[秩父市]] |} === 廃駅 === * [[東横瀬駅]](貨物駅 芦ヶ久保 - 横瀬間、1996年4月2日廃止) == PASMO導入について == 当路線では、[[2007年]][[3月18日]]から「[[PASMO]]」([[Suica]]も利用可能)を導入しており、[[西武秩父駅]]は[[自動改札機]]、その他の駅は簡易ICカード改札機を設置して対応している。なお、2022年3月11日までは[[秩父鉄道秩父本線|秩父鉄道線]]では利用できなかったため、秩父鉄道線の駅を目的地にして乗車する場合はあらかじめ[[自動券売機]]で[[乗車券]]を購入する必要があった。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{notelist2}} === 出典 === {{Reflist}} ==関連文献== *{{Cite journal |和書|author =淡野明彦|title =私鉄資本の進出に伴う秩父地方の変容|date =1974|publisher =日本地理学会|journal =地理学評論|volume =47|issue =8|doi=10.4157/grj.47.498|pages =498-510|ref = }} == 関連項目 == *[[日本の鉄道路線一覧]] {{西武鉄道の路線}} {{DEFAULTSORT:せいふちちふせん}} [[Category:関東地方の鉄道路線]] [[Category:西武鉄道の鉄道路線]] [[Category:埼玉県の交通]]
2003-08-30T08:59:12Z
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20
20(二十、弐拾、貳拾、卄、廾、廿、にじゅう、はた、はたち)は自然数、また整数において、19の次で21の前の数である。
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20(二十、弐拾、貳拾、卄、廾、廿、にじゅう、はた、はたち)は自然数、また整数において、19の次で21の前の数である。
{{Otheruses}} {{整数|Decomposition=2{{sup|2}} × 5}} '''20'''('''二十'''、'''弐拾'''、'''貳拾'''、'''卄'''、'''廾'''、'''廿'''、にじゅう、はた、はたち)は[[自然数]]、また[[整数]]において、[[19]]の次で[[21]]の前の数である。 == 性質 == * 20 は[[合成数]]であり、[[約数]]は [[1]], [[2]], [[4]], [[5]], [[10]], 20 である。 **[[約数の和]]は[[42]]。 ***自身を除く約数の和は22で3番目の[[過剰数]]である。1つ前は[[18]]、次は[[24]]。 **[[約数]]の積は[[8000]]。 ***約数の積の値がそれ以前の数を上回る10番目の数である。1つ前は[[18]]、次は[[24]]。({{OEIS|A034287}}) *20 = 1 + 3 + 6 + 10 ** 4番目の[[三角錐数]]である。1つ前は[[10]]、次は[[35]]。 ***4連続[[三角数]]の和で表せる最小の数である。次は[[34]]。([[0]]も三角数であると定義すると1つ前は[[10]]) ** 20 = 2{{sup|2}} + 4{{sup|2}} *** 異なる2つの[[平方数]]の和で表せる5番目の数である。1つ前は[[17]]、次は[[25]]。({{OEIS|A004431}}) ***20 = 0{{sup|2}} + 2{{sup|2}} + 4{{sup|2}} ****3連続偶数の平方和で表せる数である。負の数を除くと最小、次は[[56]]。 *** 20 = 4{{sup|2}} + 2{{sup|2}} ****''n'' = 2 のときの 4{{sup|''n''}} + 2{{sup|''n''}} = 2{{sup|2''n''}} + 2{{sup|''n''}} = 2{{sup|''n''}}(2{{sup|''n''}} + 1) の値とみたとき1つ前は[[6]]、次は[[72]]。({{OEIS|A063376}}) *** 20 = 2{{sup|4}} + 4 **** ''n'' = 4 のときの 2{{sup|''n''}} + ''n'' の値とみたとき1つ前は[[11]]、次は[[37]]。({{OEIS|A006127}}) *** 20 = 2{{sup|4}} + 2{{sup|2}} **** ''n'' = 2 のときの ''n''{{sup|4}} + ''n''{{sup|2}} の値とみたとき1つ前は[[2]]、次は[[90]]。({{OEIS|A071253}}) * 20 = [[4]] × [[5]] **4番目の[[矩形数]]である。1つ前は[[12]]、次は[[30]]。 ** ''n'' = 2 のときの 4(2''n'' + 1) の値とみたとき1つ前は[[12]]、次は[[28]]。 **20 = 4{{sup|1}} + 4{{sup|2}} = 5{{sup|2}} &minus; 5{{sup|1}} ***4の自然数乗の和とみたとき1つ前は[[4]]、次は[[84]]。 **20 = 2 + 4 + 6 + 8 ** 20 = 5 × 2{{sup|2}} *** ''n'' = 2 のときの 5''n''{{sup|2}} の値とみたとき1つ前は[[5]]、次は[[45]]。({{OEIS|A033429}}) *** ''n'' = 2 のときの 5 × 2{{sup|''n''}} の値とみたとき1つ前は[[10]]、次は[[40]]。({{OEIS|A020714}}) ***2つの異なる[[素因数]]の積で ''p''{{sup|2}} × ''q'' の形で表せる3番目の数である。1つ前は[[18]]、次は[[28]]。({{OEIS|A054753}}) *2番目の[[原始擬似完全数]]である。1つ前は[[6]]、次は[[28]]。 *[[正二十面体]]は最大の面の数をもつ[[正多面体]]である。1つ前は[[正十二面体]]。 * 20 = 1{{sup|2}} + (1{{sup|2}} + 2{{sup|2}}) + (1{{sup|2}} + 2{{sup|2}} + 3{{sup|2}}) **20は最初から3番目までの[[四角錐数]]の和である。1つ前は[[6]]、次は[[50]]。({{OEIS|A002415}}) *{{sfrac|1|20}} = 0.05 **[[逆数]]が[[有限小数]]になる7番目の数である。1つ前は[[16]]、次は[[25]]。 **自然数の逆数が小数第2位までの[[有限小数]]になるのは他に {{sfrac|1|4}} = 0.25 , {{sfrac|1|25}} = 0.04 , {{sfrac|1|50}} = 0.02 , {{sfrac|1|100}} = 0.01 である。 *20{{sup|2}} + 1 = 401 であり、''n''{{sup|2}} + 1 の形で[[素数]]を生む8番目の数である。1つ前は[[16]]、次は[[24]]。 *[[九九]]では 4 の段で 4 × 5 = 20 (しごにじゅう)、5 の段で 5 × 4 = 20 (ごしにじゅう)と 2 通りの表し方がある。 *20[[階乗|!]] = 2432902008176640000 である(19桁)。 *''e''{{sup|{{π}}}} &minus; {{π}} は約 19.9991 であり、20 に非常に近い。 *各位の和が20となる[[ハーシャッド数]]の最小は3980、10000までに16個ある。 *13番目の[[ハーシャッド数]]である。1つ前は[[18]]、次は[[21]]。 **2を基とする2番目の[[ハーシャッド数]]である。1つ前は[[2]]、次は[[110]]。 **''n''を基とする''n''番目の[[ハーシャッド数]]である。1つ前は[[1]]、次は[[21]]。 * [[約数]]の和が20になる数は1個ある。([[19]]) 約数の和1個で表せる10番目の数である。1つ前は[[15]]、次は[[28]]。 *[[パスカルの三角形]]の7段目の中央の数は20である。1つ前は[[6]]、次は[[70]]。 *[[各位の和]]が2になる3番目の数である。1つ前は[[11]]、次は[[101]]。 **各位の和が桁数に等しくなる3番目の数である。1つ前は[[11]]、次は[[102]]。({{OEIS|A061384}}) *各位の積が0になる3番目の数である。1つ前は[[10]]、次は[[30]]。({{OEIS|A011540}}) * <math>20 = \frac{4\times5\times6}{1+2+3}</math> この形の1つ前は[[4]]、次は[[168]]。({{OEIS|A110371}}) * 20 = 5{{sup|2}} &minus; 3{{sup|2}} + 2{{sup|2}} ** ''n'' = 2 のときの 5{{sup|''n''}} &minus; 3{{sup|''n''}} + 2{{sup|''n''}} の値とみたとき1つ前は[[4]]、次は[[106]]。({{OEIS|A135159}}) * 20 = 1{{sup|3}} &minus; 2{{sup|3}} + 3{{sup|3}} ** ''n'' = 3 のときの |1{{sup|3}} &minus; 2{{sup|3}} + … + (&minus;1){{sup|''n''+1}}''n''{{sup|3}}| の値とみたとき1つ前は[[7]]、次は[[44]]。(ただし| |は[[絶対値]]記号)({{OEIS|A011934}}) *** [[正の数]]の値とみたとき1つ前は[[1]]、次は[[81]]。 ** ''n'' = 3 のときの 3{{sup|''n''}} &minus; 2{{sup|''n''}} + 1{{sup|''n''}} の値とみたとき1つ前は[[6]]、次は[[66]]。({{OEIS|A083323}}) * 20 = {{sfrac|3 &times; 4 &times; 5|3}} ** ''n'' = 3 のときの {{sfrac|''n''(''n'' + 1)(''n'' + 2)|3}} の値とみたとき1つ前は[[8]]、次は[[40]]。({{OEIS|A007290}}) *** <math>20=\sum^3_{k=1}k(k+1)</math> == その他 20 に関連すること == * 20を、[[ラテン語]]では ''viginti''(ウィーギンティー)、[[ギリシャ語]]では ''icosa'' という([[接頭辞]]でも使われる)。 * 20[[倍]]を、二十重(はたえ)やヴァイヂンテュープル (vigintuple) という。 * [[年齢#20歳|20歳]]を「はたち」というが、本来は「はた」が「20」を意味し、「はたち」は「20個」を意味していた。つまり、「○ち」という[[接尾辞]]は、9以下の「○つ」あるいは30以上の「○ぢ」という接尾辞と同根である。しかし、現代日本語では、「はたち」は専ら「20歳」という年齢の意味に用いられている。{{要出典|date=2020年10月}} * 二十を「'''[[:wikt:廿|廿]]'''」とも書くが、これは「十」を2個組み合わせた合字。また[[大字 (数字)|大字]]の「'''念'''」は、「'''廿'''」の俗音「ネン」からの借用である。主に日付の表記に用いる(例:念五日 = 二十五日)<ref>新村出編『広辞苑』第六版、岩波書店、2008年、2180ページ。</ref>。なお、[[広島県]]に[[廿日市市]]が存在する。 * [[ヒト]]の手足の[[指]]の総和は、[[多指症]]等の場合を除き四肢に5本ずつで計20本となる(5本 × 4箇所 = 20本)。 * [[二十進法]]は、特に[[マヤ文明]]で多く用いられ、[[ヨーロッパ|西洋]]にも広く存在する。 * 様々な[[言語]]において、二十は特別扱いを受けることがある。言語によっては、[[40|四十]]を「二倍の廿」、[[100|百]]を「五倍の廿」という意味で呼ぶ国もある。 * 特に西洋においては、20 は多数を意味する数とされてきた。また、物を数える[[単位]]で、20個を1[[スコア]]という。 * 英語では ''twenty''(トゥウェンティー、トゥエンティー)と表記される。英語の[[序数詞]]では、20[[th]]、''twentieth'' となる。下2桁が 20 から [[30]], [[40]], …, [[90]] までの 10 ずつ区切りの数字は、英語の語尾に「-ty」が付く表現となる。 * ドイツ語では ''twanzig''(ツヴァンツィヒ)と表記される。ドイツの[[序数詞]]では、20.、''zwanzigst'' となる。下2桁が 20 から [[30]]を飛ばして、 [[40]], …, [[90]] までの 10 ずつ区切りの数字は、ドイツ語の語尾に「-zig」が付く表現となる。30のみdreißigとなる。 * [[原子番号]]20の[[元素]]は、[[カルシウム]] (Ca)。 * 20 は、[[核物理学]]において、[[2]], [[8]], [[28]], [[50]], [[82]], [[126]] と共に、[[魔法数]]の一つとして知られている。[[原子核]]中の[[陽子]]、もしくは、[[中性子]]の数がこれらの数である場合、その原子核は安定しやすくなる。 * 20 は、E24系列の[[標準数#JIS C 60063の標準数列|標準数]]。 * [[バーコード]]規格、[[EANコード|EAN]] の国コード20は、小売業[[インストアマーキング]]用。 * 第20代[[天皇]]は、[[安康天皇]]。 * 第20代[[内閣総理大臣]]は、[[高橋是清]]。 * 通算して第20代の[[征夷大将軍]]は、[[足利義持]]([[室町幕府]]第4代将軍)。 * [[大相撲]]第20代[[横綱]]は、[[梅ヶ谷藤太郎 (2代)|梅ヶ谷藤太郎]]。 * [[アメリカ合衆国]]第20代[[アメリカ合衆国大統領|大統領]]は、[[ジェームズ・ガーフィールド]]。 * アメリカ合衆国の20番目の[[州]]は、[[ミシシッピ州]]。 * [[殷|殷朝]]第20代帝は、[[小辛]]。 * [[周|周朝]]第20代王は、[[匡王]]。 * 第20代[[教皇|ローマ教皇]]は[[ファビアヌス (ローマ教皇)|ファビアヌス]](在位:[[236年]][[1月]]-[[250年]][[1月20日]])である。 * [[タロット]]の[[大アルカナ]]で XX は、[[審判 (タロット)|審判]]。 * [[易占]]の[[六十四卦]]で第20番目の卦は、[[周易上経三十卦の一覧#観|風地観]]。 * [[クルアーン]]における第20番目の[[スーラ (クルアーン)|スーラ]]は[[ター・ハー (クルアーン)|ター・ハー]]である。 * [[論語]]の篇数は全20篇。 * [[国際電話番号]]の 20 は、[[エジプト]]。 * 結婚20周年記念日は、[[結婚記念日|陶器婚式]](陶婚式、磁器婚式)。 * [[G20]] は、20ヶ国・地域の首脳会合および財務相・中央銀行総裁会議の参加国・団体。 ** 構成国・地域は、[[アルゼンチン]]、[[オーストラリア]]、[[ブラジル]]、[[カナダ]]、[[中華人民共和国|中国]]、[[フランス]]、[[ドイツ]]、[[インド]]、[[インドネシア]]、[[イタリア]]、日本、[[メキシコ]]、[[ロシア]]、[[サウジアラビア]]、[[南アフリカ共和国]]、[[大韓民国|韓国]]、[[トルコ]]、[[イギリス]]、アメリカ、[[欧州連合]] * [[サッカーボール]]の一般的な形は、[[切頂二十面体]]。 * [[ルービックキューブ]]は、いかなる状態からでも、最大でも20手で全面揃った状態に戻せることが証明されている。 * [[1997年]](平成9年)4月1日から[[2014年]](平成26年)3月31日まで、[[消費税|消費税率]]は {{sfrac|1|20}} (5%) 。税抜価格20円につき1円の消費税が掛かった。 * [[2012年]](平成24年)4月1日から現在まで、[[政令指定都市]]は全20[[市]]。 ** [[札幌市]]、[[仙台市]]、[[さいたま市]]、[[千葉市]]、[[横浜市]]、[[川崎市]]、[[相模原市]]、[[新潟市]]、[[静岡市]]、[[浜松市]]、[[名古屋市]]、[[京都市]]、[[大阪市]]、[[堺市]]、[[神戸市]]、[[岡山市]]、[[広島市]]、[[北九州市]]、[[福岡市]]、[[熊本市]] * [[月#月齢と呼び名|二十日月]]を更待月(ふけまちづき)という。 * [[20世紀]](二十世紀、廿世紀)に関する名称・事柄 ** [[ナシ#二十世紀|二十世紀]]は、ナシの品種。 ** [[二十世紀が丘]]は、[[千葉県]][[松戸市]]にある地名。 **[[20世紀フォックス]]は、アメリカの[[映画会社]]。 **[[廿世紀浴場]]は、[[1929年]](昭和4年)建築の[[昭和]]初期モダン洋風[[銭湯]]([[2007年]]廃業)。 **「[[所さんの20世紀解体新書]]」は、[[TBSテレビ|TBS]]系列で放送されていた[[バラエティ番組]]。 **「[[驚きももの木20世紀]]」は、[[朝日放送テレビ|朝日放送]]制作により、[[テレビ朝日]]系列で放送されていた[[ドキュメンタリー番組]]。 **『[[20世紀少年]]』は、[[浦沢直樹]]の[[漫画]]、およびこれに基づいた[[映画]]。 ** [[V6 (グループ)|V6]] の年長組3人を「20th Century」通称トニセン、TC という。 *** 『[[Replay〜Best of 20th Century〜]]』は、20th Century の[[アルバム]]。 ** 『[[20世紀狂詩曲]]』は、[[聖飢魔II]]の[[マキシシングル]]。 * JIS X 0401、[[ISO 3166-2:JP]]の[[都道府県コード]]の「20」は[[長野県]]。 * 20形[[鉄道車両]] ** [[国鉄20系客車]] ** [[国鉄ミキ20形貨車]] ** [[国鉄シキ20形貨車]] ** [[国鉄ソ20形貨車]] ** [[京成トキ20形貨車]] * [[大阪府]][[高槻市]]に[[高槻市交通部|市営バス]]の「二十」(はたち)という[[バス停留所]]がある。 * [[A-20 (航空機)|A-20]] ハヴォックは、アメリカの[[攻撃機]]。 * [[ANT-20 (航空機)|ANT-20]] は、[[ソビエト連邦|ソ連]]の大形[[航空機]]。 * [[F-20 (戦闘機)|F-20]] タイガーシャークは、アメリカの[[戦闘機]]。 * M20 [[三裂星雲]]は、[[いて座]]にある[[散光星雲]]。 * [[X-20 (航空機)|X-20]] ダイナソアは、アメリカの宇宙[[偵察機]]構想。 * [[交響曲第20番]] * [[ピアノ協奏曲第20番 (モーツァルト)|ピアノ協奏曲第20番]]は、[[ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト|モーツァルト]]が作曲。 * 弦楽四重奏曲第20番は、[[弦楽四重奏曲第20番 (モーツァルト)|モーツァルトが作曲]]したほか、[[フランツ・ヨーゼフ・ハイドン]]も作曲している。 * [[ピアノソナタ第20番]] * 『[[恋の二十分]]』(原題:''Twenty Minutes of Love'')は、[[チャールズ・チャップリン]]監督・主演の[[喜劇映画]]。 * 「[[20歳の結婚]]」は、[[TBSテレビ|TBS]]系列で放送された[[テレビドラマ]]。 * [[怪人二十面相]]は、[[江戸川乱歩]]の小説に登場するキャラクター。 ** 『[[K-20 怪人二十面相・伝]]』は、『完全版 怪人二十面相・伝』が原作の映画。 * 『[[HISTORY P-20]]』は、[[コタニキンヤ]]の[[アルバム]]。 * 『[[Ricken's 20 -WHO, YES & JAM- RECORD]]』は、[[Ricken's]] のアルバム。 * 『[[20th Anniversary B-side collection]]』は、[[工藤静香]]のアルバム。 * 『[[20 (電気グルーヴのアルバム)|20]]』は、[[電気グルーヴ]]のアルバム。 * 『[[20 (家入レオのアルバム)|20]]』は、[[家入レオ]]のアルバム。 * 『[[20 (アルバム)|20]]』は、[[吉井和哉]]のベスト・アルバム。 * 『[[20才になれば]]』は、[[桜田淳子]]の[[シングル]]。 * 『[[20粒のココロ]]』は、[[RYTHEM]] のシングル。 * 『[[20 -CRY-]]』は、[[加藤ミリヤ]]のシングル。 * 『[[20th Summer]]』は、[[TUBE]] の[[DVD]] BOX。 * 第20軍 ** [[大日本帝国陸軍]][[第20軍 (日本軍)|第20軍]] ** [[第二次世界大戦]]時の[[第20山岳軍 (ドイツ軍)|ドイツ陸軍第20山岳軍]] ** [[アメリカ空軍]][[第20空軍 (アメリカ軍)|第20空軍]] ** [[中国人民解放軍陸軍]][[第20集団軍]] * 各国の[[第20師団]] * 第20連隊 ** 大日本帝国陸軍[[歩兵第20連隊]] ** [[陸上自衛隊]][[第20普通科連隊]] * [[民法 (日本)|民法]]においては、[[2022年]][[4月1日]]までは20歳をもって[[成人]]とされていた(この日以降は18歳で成人となる)。ほか、 ** [[公職選挙法]]により、[[選挙権]]は以前は20歳からとされていた([[2016年]]に18歳に引き下げ)。 ** [[二十歳未満ノ者ノ飲酒ノ禁止ニ関スル法律]]により、20歳から飲酒できる。 ** [[二十歳未満ノ者ノ喫煙ノ禁止ニ関スル法律]]により、20歳から喫煙できる。 ** [[公営競技]]の[[投票券 (公営競技)|投票券]]購入は、20歳から許される。 ** [[道路交通法]]により、[[中型自動車]]の[[運転免許]]を20歳から取得できる。(ただし、普通免許、準中型免許または大型特殊免許を取得してから2年以上の運転経験が必要) ** [[鉄道営業法]]により、[[動力車操縦者]]運転免許を20歳から取得できる。 == 符号位置 == {| class="wikitable" style="text-align:center;" !記号!![[Unicode]]!![[JIS X 0213]]!![[文字参照]]!!名称 {{CharCode|9331|2473|1-13-20|CIRCLED DIGIT TWENTY|font=JIS2004フォント}} {{CharCode|9351|2487|-|PARENTHESIZED DIGIT TWENTY|font=MacJapanese}} {{CharCode|9371|249B|-|DIGIT TWENTY FULL STOP|font=ARIB外字フォント}} {{CharCode|9460|24F4|1-12-20|DOUBLE CIRCLED DIGIT TWENTY|font=JIS2004フォント}} |} == 関連項目 == {{Wiktionarypar|二十}} *[[数に関する記事の一覧]] {{数字2桁|2| - [[20世紀]] - [[平成20年]] [[昭和20年]] [[明治20年]]}} *[[-20|&minus;20]] *[[1/20|{{sfrac|1|20}}]] *[[年齢#20歳|はたち、20歳(才)、二十歳(才)]] == 脚注 == <references/> {{自然数}} {{リダイレクトの所属カテゴリ |collapse = |header = この記事は以下のカテゴリでも参照できます |redirect1 = 二十 |1-1 = 熟字訓 }}
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https://ja.wikipedia.org/wiki/20
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豆腐
豆腐(とうふ)は、煮た大豆の搾り汁(豆乳)を凝固剤(にがり、石膏など)によって固めた加工食品である。しっかりした食感のものは、型に入れたり、布地に包んだりしたうえで重しを乗せて、水分を押し出し、減らす工程が加わる。伝統的製法の堅豆腐のほか、現代では代替肉やスナックバー状、麺、米飯状に成型した豆腐も製造・販売されている。 東アジアと東南アジアの広範な地域で古くから食されている大豆加工食品であり、とりわけ中国本土(奥地を含む)、日本、朝鮮半島、台湾、ベトナム、カンボジア、タイ、ミャンマー、マレーシア、インドネシアなどでは日常的に食されている。現代ではアメリカ合衆国などにも普及している。加工法や調理法は地域ごとに異なる。 豆腐という文字が最初に現れたのは、中国の陶穀『清異録』(965年)であると、江戸時代の『豆腐百珍』の巻末にある。 現代では、中国も日本も「豆腐」と呼んでいる。日本では一部「豆富」「豆冨」としている業者があり、これは食品に対して「腐」という字を用いるのを嫌ってのことと考えられる。 中国でも「腐」を避け、菽乳、方壁、小宰羊(宰羊:羊の肉)等の異名があったと前述の『豆腐百珍』巻末に書かれている。 豆腐の「腐」の意味は、中国古代医学書『難経』にある腐熟の「腐」であるとする説があり、中国で腐熟とは胃での初期消化のことで、白くどろどろした状態ともある。 このことから、豆腐の「腐」は消化の悪い大豆を腐熟したものであるという説がある。 「本来は豆を腐らせた(発酵させた)ものが豆腐、型に納めたものが納豆だったが、両者が取り違えられた」と名称の由来が語られることがあるが、これは誤った俗説である。納豆が日本独自の言葉であるのに対し、豆腐は中国から伝来した食品であり中国でも豆腐と呼ばれており、取り違えられることはあり得ない。 元禄時代に絹ごし豆腐を発明した豆富料理店「根ぎし 笹乃雪」では、9代目当主が、20世紀前半頃、食品に「腐る」という字を用いることを嫌って豆富と記すようになって以降、「腐」という文字を使わない表記が日本中に広まったとしている。また、豆腐を好んだ日本の作家・泉鏡花は、極端な潔癖症でもあったことから豆府と表記した。 アメリカ合衆国やイギリスを始めとする英語圏のほか、ドイツ語圏、フランス語圏、イタリア語圏等々、世界の様々な言語圏で、"tofu " (ドイツ語名詞の語頭は大文字のため "Tofu ")が単語として定着している。なお、英語表記ではtofuのほかsoybean curdも用いられる。 中国語閩南方言由来もしくは広東方言由来であるtau-fuという表記も、ヨーロッパの中華料理店などでは頻繁に見られる。また、北京語では豆腐はdòufu(トウフー)と日本語に近い発音になる。 豆腐の起源については諸説ある。16世紀に李時珍によって編纂された『本草綱目』では、豆腐は紀元前2世紀前漢時代の淮南王で優れた学者でもあった劉安によって発明されたとしている。また、本草項目よりも前の12世紀の朱熹(朱子)の著作に「世に伝う、豆腐はすなわち准南王の術」というくだりがあり、これ(豆腐准南王(劉安)起源説)が朱子学を通じて世に広まったともされる。現代の淮南市には「豆腐村」があり、劉邦の孫でもある劉安が不老長寿の食べ物を研究させていたときに偶然生まれたのが豆腐であるという伝説が残る。しかし、真偽については必ずしも明らかではなく、劉安の著した『淮南子』にも豆腐の文字は出てこない。 豆腐の原料となる大豆は遅くとも紀元前2000年頃までには中国の広い範囲で栽培されていたと考えられ、大豆加工食品は前漢時代の馬王堆漢墓からも出土しているとされるが、日本豆腐協会では劉安の時代の中国には豆腐の原料となる大豆が存在しなかったとしている。大豆が中国に入ってきたのは劉安の活躍した約半世紀後のことであるという見方もある。 また一説には豆腐の起源は8世紀から9世紀にかけての唐代中期であるともいわれている。実際、6世紀の農書『斉民要術』には諸味や醤油についての記述はあるものの豆腐の記述が見当たらず、文献上「豆腐」という語が現れるのは10世紀の『清異録』からである。唐代には北方遊牧民族との交流によって、乳酪(ヨーグルト)、酪(バター)、蘇(濃縮乳)、乳腐(チーズ)などの乳製品が知られていた。このことから、豆腐は、遊牧民族の乳製品を漢民族がアレンジし、豆乳を用いて乳製品(特にチーズ)の代用品(乳「腐」から豆「腐」へ)として、発明されたものであるという説が唱えられている(篠田統など)。「腐」の文字は、中国では「くさる」という意味ではなく、「やわらかい固体」を意味することが多いことから、豆乳を固めてつくられた植物性チーズに「豆腐」の字を充当したものとも考えられる。 一方、乳腐は北方遊牧民族の常食の乳餅のことであるという見方もある。『本草綱目』での乳腐には「釈名:乳餅」とあり、他でも乳餅としている書物が多い。このことから、乳腐は漢人の一部が胡人の乳餅を「乳腐」(畜乳で作った豆腐に似たもの)とも称したのではないかという説もある。いずれにせよ、豆腐の起源については、未解明の部分が今なお存在する。 中国においては、伝統的には豆腐は生で食べるのではなく発酵豆腐などとして食べていたとされる。また、中国の伝統的な豆腐は日本の豆腐よりも堅いが、これは油を用いる調理法が主流のため水分が少ないほうが都合がよかったためとされる。少なくとも唐代後半には造られていた豆腐は、南宋末期のころには一般に普及し、明朝や清朝の時代になると豆腐の加工品も盛んに作られるようになった。安徽省南部で伝統的に生産されてきた毛豆腐は、白い毛カビが付着した発酵豆腐であり、現在も伝統食品として流通している。 今日、中国南部や香港・台湾では、日本の絹ごし豆腐のような滑らかな豆腐を冷やしてシロップをかけ、アズキやフルーツをトッピングして食べるデザートがあり、これを「豆花」と呼んでいる。 日本の豆腐は柔らかくて淡白な食感を特徴とする独特の食品として発達した。 一般に豆腐は中国から日本へ伝えられたとされる。遣唐使によるとする説が最も有力とされるが、その一員でもあった空海によるという説、鎌倉時代の帰化僧によるとするなど諸説ある。ゆばやこんにゃくなどとともに鎌倉時代に伝来したとみる説もある。ただ、1183年(寿永2年)の奈良・春日神社の供物帖の中に「唐府」という記述がある。 鎌倉時代末期頃には民間へ伝わり、室町時代には日本各地へ広がった。そして江戸時代にはよく食べる通常の食材となったとされる。この江戸時代の豆腐は、今日でいう木綿豆腐のみであった。 豆腐は庶民の生活に密着しており、江戸では物価統制の重要品目として奉行所から厳しく管理されていた。「豆腐値段引下令」に応じない豆腐屋は営業停止にされるため、豆腐屋は自由に売値を決めることは出来なかった。江戸後期には各藩で財政難となり大名の献立にもしばしばのぼる食材であった。下野国壬生藩の鳥居家の食事記録を調べると、菜は月に1日を除いて全て豆腐料理が出されていた。 一方、江戸において豆腐料理屋は評判で、江戸で初めて絹ごし豆腐を売った「笹の雪」はいまだに続いている老舗である。当時、庶民に親しまれたのは豆腐の田楽であり、豆腐を串に刺して焼き、赤みそを付けて食べる料理であった。 天明2年(1782年)に刊行された『豆腐百珍』には、100種類の豆腐料理が記述されている。また、豆腐は様々な文学でも親しまれてきた。当時より、豆腐は行商もされており、前述の豆腐百珍は大きな人気を得るほど一般的な料理であった。行商の豆腐屋はラッパや鐘を鳴らしながら売り歩いていた。関東地方では、明治時代初期に乗合馬車や鉄道馬車の御者が危険防止のために鳴らしていたものを、ある豆腐屋が「音が“トーフ”と聞こえる」ことに気づき、ラッパを吹きながら売り歩くことを始めたものである。その由来のようにラッパは「豆腐」の高低アクセントに合わせて2つの音高で「トーフー」と聞こえるように吹くことが多いが、地域や販売店によっても異なり、「トー」と「フー」が同じ音高の場合もある。2つの音高を使うラッパの場合、1つのリードで2つの音高が出る仕組みになっており、呼気と吸気で音高が変わる。スーパーなどが増えて歩き売りをする豆腐屋が減ったものの、近年では昭和の頃のように地域に密着した商売をする人も出て来ており豆腐屋のラッパが復刻されている。近畿地方では、豆腐屋はラッパではなく鐘(関東ではアイスクリーム屋が用いていた)を鳴らしていた。 近代工業が発達するに連れて豆腐の製造作業の機械化も進み、わずかの大豆から効率よく豆腐が大量生産できるようになり、より安価で提供されるようになった。柔らかいタイプの豆腐は昭和以前には個人経営の豆腐屋で毎日作られ、動かすことで形が崩れることの無いよう、売る間際まで店頭の水槽の中に沈められているものであった。 現代日本でも豆腐は非常に一般的な食品であり、そのまま調味料をかけて食べられるほか、様々な料理に用いられている。冷奴や湯豆腐、味噌田楽などのように主要食材になるほか、汁物や鍋料理の具材、料理のベースになる食材として使われるなど用途は多彩になっている。 技術進歩で、常温で120日保存可能な豆腐も販売されている。厚生労働省によると日本では、かつて細菌の繁殖で健康被害が発生したことから、1974年に、おおむね10度以下の冷蔵保存か、水槽内で冷水を絶えず交換しながら保存するなどの製造・保存基準が定められたという。国内メーカーは1986年から常温保存用の豆腐(無菌充填など)を輸出しており、これに関して業界団体は災害時の販売・配布の観点からも基準の見直しを要望してきた 。 水にさらさず直接容器にすくい上げたものは「寄せ豆腐」「おぼろ豆腐」と言う。ほぼ同様の沖縄の伝統食品として「ゆし豆腐(ゆしどうふ)」がある。 堅豆腐(固豆腐)や五箇山豆腐など非常に硬い豆腐があり、これは濃度の高い豆乳を使用したり、多めに凝固剤を使用したり、重石で脱水したりする事による。 沖縄県地方の豆腐も、日本同様中国との交易を通じて伝来したものであり、中国の豆腐と似ていて固くしまり、ずっしりとした重量をもち、「しま豆腐」と呼ばれる。中国同様、生しぼりの豆乳で製造し、強く押圧して水分をしぼる。しかし、天然の石膏が豊富で内陸が深く広大な中国大陸では凝固剤として石膏が用いられることが多いのに対し、琉球列島では日本同様「にがり」が凝固剤として用いられる。 朝鮮半島では「두부(トゥブ)」といい、中国同様固い豆腐である。高知県(土佐国)の「一升豆腐」は、安土桃山時代に長宗我部元親が李氏朝鮮より豆腐職人を連れ帰り、彼らに造らせた豆腐が起源だとされる。 ミャンマーでは「トーフー」という。シャン族はヒヨコマメから豆腐を作っている(「ビルマ風豆腐」を参照)。 インドネシアのジャワ島では「トーフ」と称する。 17世紀に清で布教したスペインのドミニコ会宣教師ドミンゴ・フェルナンデス・ナバレテはその著書の中で「teu fu」を豆から作られる中国のチーズとして紹介した。18世紀にナバレテの書物の英訳を読んだベンジャミン・フランクリンは豆腐に強い興味を示し、イギリス東インド会社のジェームズ・フリントに「tau-fu」の製法を問い合わせた。フリントはフランクリンあての1770年1月3日づけの手紙で「towfu」の製法を説明した。これが英語で初めて豆腐に言及した文献と考えられている。 20世紀末期以降のアメリカを始めとする欧米諸国では、高カロリー・高脂質の動物性食品や嗜好食品を多く摂る不健康な食習慣への反省と健康的な食品への関心の高まりによる健康ブームに伴い、健康の視点から優れた食品と言える豆腐が注目を集めるようになった。 しかし、1980年代までのアメリカでは、家畜のエサである大豆から作られたイメージなどから、消費者調査で不人気ナンバーワンの食品に位置づけられたこともあった。日常的にスーパーマーケットの棚に並ぶようになったのは、森永乳業のアメリカ現地法人が売り込みに成功した1990年代以降である。以降、菜食主義者にとってはバーベキュー、ステーキ、ハンバーガー、ジャーキーなどの肉の代替品として豆腐が使われている。 豆腐には、薄い豆乳を凝固させて圧搾・成形した種類のもの(例:木綿豆腐、ソフト豆腐)と、濃い豆乳全体を凝固させた種類のもの(例:絹ごし豆腐、充填豆腐)とがある。 今日、豆腐は木綿豆腐、ソフト豆腐、絹ごし豆腐、充填豆腐の4種に大別される。 堅豆腐 / 固豆腐 (かたとうふ)は、現在の日本で一般的となっている製法と異なり、濃度の高い豆乳を使ったり、にがりの代わりに海水を使うなど、様々な方法を用いて保存できるようにした種類の豆腐のことで、なかには荒縄で縛って持ち運びできるほど堅いものもある。狭義では日本各地で昔ながらに作られ続けている堅豆腐のみを指すが、広義では、文字どおりに同種の堅い豆腐全般を指す総称となっている。 狭義の堅豆腐、すなわち、日本の堅豆腐は、そもそも日本で作られ始めた当時のものに近い。つまり、本来的には豆腐は堅豆腐、もしくは、それに似た「堅い豆腐」であった。例えば江戸時代の浮世絵に描かれた豆腐もその多くは大きくしっかりとした長方体の堅豆腐である。現代では流通の不便な豪雪地帯や山岳地域あるいは離島などだけで変わらず作られ続ける伝統製法となっている。堅豆腐を作る地域としてしばしば例に挙げられる場所としては、加賀地方(石川県)の白山麓の一円の各所がその一つであり、なかでも旧・石川郡白峰村(現・白山市白峰)の石豆腐や、富山県五箇山の岩豆腐はよく知られている。これらの地では、肉類を食べるように堅豆腐が調理され、食べられている。 大豆は唯一の原料とも言えるものである。まず第一に、タンパク質の含有分の高い事が求められ、香り、また遺伝子組み換えをしているか否かなどの安全面が考慮されることが多い。豆腐に適した大豆品種としてはフクユタカやエンレイなどが挙げられる。油糧用(大豆油用)や飼料用を除く食品用大豆の国内自給率は2013年度は25%(大豆全体では7%)、輸入大豆の約7割はアメリカ産である。アメリカ産大豆の作付け面積の9割は遺伝子組み換え大豆であるが、日本へ輸出されている大豆は非遺伝子組み換え大豆である。 国産大豆や有機大豆、非遺伝子組み換え大豆など、特色のある原材料を使用していることを表示する場合、「国産大豆使用」などと表示できるのは、100%その原材料を使用している場合のみで、100%未満の割合で使用している場合は「国産大豆○○%使用」もしくは「国産大豆○割使用」などと、使用割合を表示しなければならない。なお、使用割合は切り捨てまたは最小値を表示しなければならない。 また、遺伝子組み換え大豆を使用している場合、「遺伝子組換え」や「遺伝子組換え不分別」という表示が義務づけられている。遺伝子組み換え作物の表示の詳細については、遺伝子組み換え作物を参照。 化学的には豆腐の凝固は豆乳の蛋白質が凝固剤によりゲル化することで起こる。したがって、豆腐は架橋された蛋白質の網目構造に多数の水分子を取り込んだ構造である。 大別するとマグネシウムイオンあるいはカルシウムイオンが蛋白側鎖のカルボキシル基を架橋してゲルを形成する場合(塩析)と、酸が蛋白質の高次構造を変える(変性)ことによりゲルを形成する場合(酸凝固)とがある。前者には凝固剤として硫酸カルシウム、塩化マグネシウム、塩化カルシウム、硫酸マグネシウム等が使用され、後者はグルコノデルタラクトンが使用される。グルコノデルタラクトンの徐々に酸(グルコン酸)へと変化する性質が利用されている。なお、グルコン酸はグルコースの有機酸なので安全性は高い。 中国では伝統的に塩鹵(塩化マグネシウム)溶液、山礬(ハイノキ)や酸漿(ホオズキ)の葉のしぼり汁、石膏(硫酸カルシウム)などが使われたが、現在では石膏を粉末とし水に溶いたものを凝固剤とすることが多い。古来の日本の伝統的な製法では製塩の過程で生じるにがりが主に使われていた。日本でも硫酸カルシウムやグルコノデルタラクトンなどの凝固剤が多く使われていた時期があったが、近年は見かけなくなりつつある。また、中国や韓国でもこの製法を用いる工場がある。 一般的ににがりと呼ばれているものは、塩化マグネシウムが主成分で、古くは、塩田で海水から塩を作るときに、いっしょに抽出される副産物であった。また、塩を運搬する途中でにがり成分が分かれて梱包した俵に染み出すこともあり、海から遠い街道沿いではよく利用されていた。 現在では、工業化されて塩化マグネシウムの純度の高いものや、海外の岩塩採掘場で採取されたもの、あるいは国内外の工業的な製塩の過程で抽出されたものが多く、実際に塩田から取っているものは少ない。また一部豆腐製造業者の間では、凝固剤の総称として「にがり」の呼称を使っている場合もあり、注意が必要である。 第二次世界大戦前までは、このにがりを凝固剤に使用するのが主流であったが(一部では硫酸カルシウム[すましこ]も使われていた)、やがて統制品に指定されたため入手が困難となった。そこで同じように凝固反応を起こし、入手の容易な硫酸カルシウム(すましこ)への転換が進んでいった。硫酸カルシウムはにがりの主成分である塩化マグネシウムと比べて適正な凝固反応が起こるいわゆる凝固のストライクゾーンが広いため、保水性が高く肌理の細かい高品質な豆腐が、比較的容易に作りやすかった。そのため、戦後も機械化が進むにつれ、凝固材として使いやすい硫酸カルシウムへの転換が進んでいった。1980年代後半になって、にがりで作られた豆腐の味が見直され始め、最近ではスーパーマーケットなどで容易に塩化マグネシウムやにがりを使った豆腐が入手できるようになった。 おいしい豆腐の条件として水が挙げられる。豆腐の約80 - 90%は水であり、また、豆腐の製造工程でのさらし水が良くなければ淡白な豆腐の味を損ねることになるためである。 江戸時代の日本では、落語の題材になったり、『豆腐百珍』のような料理本まで出るほど、広く庶民の食べ物となっていた豆腐は、比較的加工の度合いも低く、経験さえ積めば誰にでも容易に製造できたため、大正時代から昭和時代の第二次世界大戦前にかけては、一つの町内に一軒ずつ製造業者が存在するほどであった。辺鄙な田舎であることを表すのに「酒屋へ三里 豆腐屋へ二里」という狂歌もある。また、味噌などと同様に、各集落で共同で作られることもしばしばあった。 まず原料の大豆を、一夜(12時間ほど)真水に漬けておく。翌朝、十分に漬けあがった大豆を適度に水を加えながら石臼でクリーム状に磨り潰す、このクリーム状に磨り潰された大豆のことを「呉」と呼ぶ。次に呉を釜に移し、適度に水を加えて濃度を調整し薪にて炊き上げる。この時、呉はサポニンの作用で激しく泡立つため、消泡剤として食用油に石灰を加えたものを適度に振りかける。十分に炊き上がった呉を、布で濾して豆乳を木桶に取る。この豆乳が冷えないうちに凝固剤としてにがりを適度に加え、櫂と呼ばれる木の板で撹拌する(にがりを打った以降の一連の作業を寄せと呼び、職人の技の見せ所である)。豆乳の濃度、温度、にがりの量、そして適度な「寄せ」がそろうと、豆乳は水と分離することなく固まり始め、やがておぼろ状、またはプリン状の豆腐となる。これを崩しながら内側に布を敷いた型の中に盛り込み、蓋をして重石を掛け、硬く水を切ると豆腐(木綿豆腐)となる。 またこの方法で作られた豆腐は、最近まで山間部や離島などに残っていた。1980年(昭和55年)前後の岐阜県の徳山村や根尾村などで、この古典的な製法が確認されている。最近では、山間部で、逆に濃度の濃い豆乳を使って作った硬い豆腐を土産物的に売っているが、これは近代的に作られた似て非なるものである。 現代の日本における豆腐製造業者には、工場で大量生産する大手企業もあるが、中小企業や個人商店も非常に多い。全国豆腐連合会では、これは豆腐製造が微妙な技術を要することや、長期保存ができないなど、豆腐の特性が関係していると分析している。 また、中小企業側は中小企業事業分野調整法により、大企業が進出しようとする場合、都道府県知事を通じて経済産業大臣に調整(進出計画の撤退、縮小)の申し出をすることができる。そのため、当初大手メーカーは海外市場で販売を行っていた。しかし、包装技術の向上(真空充填、チルドなど)により長期保存、大量輸送が可能となり、また流通構造が大きく変化した現在では牛乳販売店などの宅配網や、インターネット等を中心に販売している。また、一部ではチルド製品を店頭販売している業者もある。日本最大の製造業者は相模屋食料である。 一方、中小企業を中心とする従来の店頭販売では、スーパーマーケットやコンビニエンスストアの事業者の価格決定権が強く、特売(安売り)が当たり前になってしまい、特売が希望小売価格状態になってしまって経営を圧迫している。さらに、原料である大豆はそのほとんどをアメリカに依存しているが、原料である非遺伝子組み換え大豆生産量はアメリカにおける生産数の一割以下であり、遺伝子組み換え価格の約3倍もする。また、アメリカのエネルギー安全保障政策でバイオ燃料作物への転作が進んだことによる原料の急激な高騰や、原油価格高騰による包装等の資材価格高騰も経営を圧迫している。こうした影響もあり、2003年度の全国の豆腐業者は約14000軒だったが、9年後の2012年度には約9000軒まで減少している。また、製造工程から出てくるおからは現在の法律上は産業廃棄物扱いであり、男前豆腐店の事件など不法投棄や処分費問題をかかえている。 食品のなかには大豆とにがりを使用していなくても柔らかく豆腐状の物があり、「かわり豆腐」などと呼ばれる。 フィリピンには「タホ (taho)」と呼ばれるスイーツがあり、水分の多い温かい豆腐(プリン状の豆乳)にタピオカと黒蜜をまぶして食べる。現地では朝食前にタホを食べる習慣があり、毎朝、天秤を担いだ「タホ売り」が家々を回る。この際、フィリピンのタホ売りは、かつての日本の豆腐の行商と同様にラッパを吹き鳴らして合図をする。 また、チェコのプラハでは、牛乳の代わりに豆乳を使って作ったチーズ(アナログチーズ)を "tofu" として売っている。プレーンタイプのほか、燻製タイプなど数種が、スーパーマーケットのチーズ売場で見られる。 冷奴など生で食されることも多いが、調理される料理も非常に多い。 豆腐を具材の一つとする一般料理は多い。豆腐をメインの具材とした料理もある。 日本で江戸時代に著された『豆腐百珍』には、その名のとおり100種類の豆腐料理が紹介されている。 豆腐は、冷奴や湯豆腐などでは奴切り、味噌汁や吸い物などでは賽の目切りや色紙切りなどに調理される。 豆腐を揚げたり、焼いたり、炒めたりする場合など豆腐料理の種類に応じて水切りが必要となる場合がある。 植物性蛋白質が豊富。カロリーは比較的低いため、健康的な食品として欧米などでも食材として使われるようになっている。製法工程上、食物繊維の多くは製造過程で滓として分けられるおからのほうに含まれるため、豆腐は、大豆の加工品でありながら食物繊維の含有量は少ない。 絹ごし豆腐100g中には、水分89.4g、蛋白質5.0g、脂質3.3g、糖質1.7gが含まれ、58kcalのカロリーがあると言われている。脂肪エネルギー比は51.7%であり、原料となる乾燥大豆の38.6%を上回る。 とても柔らかいものの例として用いられている。 日本には、豆腐あるいは豆腐売りをモチーフにした豆腐小僧という妖怪の伝説がある。 日本において、庶民の日常食材として使われた豆腐は落語にも登場する。 家畜の飼育者や動物園の一部は、餌として豆腐やおからを与えている。 パソコンにおいて、フォントが対応していないために表示できない文字は、小さい四角(□)で置き換えられることが多く、これをネットスラングで豆腐と呼ぶ。Googleが配布している「Noto」というフォントの名前はこのスラングに由来(no more tofu)しており、インターネット上で表示できない文字を無くすという意味が込められている。 中国においては血豆腐と称される動物の血液から作られた食品があるが、形状が豆腐に似ていることから命名された。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "豆腐(とうふ)は、煮た大豆の搾り汁(豆乳)を凝固剤(にがり、石膏など)によって固めた加工食品である。しっかりした食感のものは、型に入れたり、布地に包んだりしたうえで重しを乗せて、水分を押し出し、減らす工程が加わる。伝統的製法の堅豆腐のほか、現代では代替肉やスナックバー状、麺、米飯状に成型した豆腐も製造・販売されている。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "東アジアと東南アジアの広範な地域で古くから食されている大豆加工食品であり、とりわけ中国本土(奥地を含む)、日本、朝鮮半島、台湾、ベトナム、カンボジア、タイ、ミャンマー、マレーシア、インドネシアなどでは日常的に食されている。現代ではアメリカ合衆国などにも普及している。加工法や調理法は地域ごとに異なる。", "title": null }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "豆腐という文字が最初に現れたのは、中国の陶穀『清異録』(965年)であると、江戸時代の『豆腐百珍』の巻末にある。", "title": "名称" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "現代では、中国も日本も「豆腐」と呼んでいる。日本では一部「豆富」「豆冨」としている業者があり、これは食品に対して「腐」という字を用いるのを嫌ってのことと考えられる。 中国でも「腐」を避け、菽乳、方壁、小宰羊(宰羊:羊の肉)等の異名があったと前述の『豆腐百珍』巻末に書かれている。", "title": "名称" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "豆腐の「腐」の意味は、中国古代医学書『難経』にある腐熟の「腐」であるとする説があり、中国で腐熟とは胃での初期消化のことで、白くどろどろした状態ともある。 このことから、豆腐の「腐」は消化の悪い大豆を腐熟したものであるという説がある。", "title": "名称" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "「本来は豆を腐らせた(発酵させた)ものが豆腐、型に納めたものが納豆だったが、両者が取り違えられた」と名称の由来が語られることがあるが、これは誤った俗説である。納豆が日本独自の言葉であるのに対し、豆腐は中国から伝来した食品であり中国でも豆腐と呼ばれており、取り違えられることはあり得ない。", "title": "名称" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "元禄時代に絹ごし豆腐を発明した豆富料理店「根ぎし 笹乃雪」では、9代目当主が、20世紀前半頃、食品に「腐る」という字を用いることを嫌って豆富と記すようになって以降、「腐」という文字を使わない表記が日本中に広まったとしている。また、豆腐を好んだ日本の作家・泉鏡花は、極端な潔癖症でもあったことから豆府と表記した。", "title": "名称" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "アメリカ合衆国やイギリスを始めとする英語圏のほか、ドイツ語圏、フランス語圏、イタリア語圏等々、世界の様々な言語圏で、\"tofu \" (ドイツ語名詞の語頭は大文字のため \"Tofu \")が単語として定着している。なお、英語表記ではtofuのほかsoybean curdも用いられる。", "title": "名称" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "中国語閩南方言由来もしくは広東方言由来であるtau-fuという表記も、ヨーロッパの中華料理店などでは頻繁に見られる。また、北京語では豆腐はdòufu(トウフー)と日本語に近い発音になる。", "title": "名称" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "豆腐の起源については諸説ある。16世紀に李時珍によって編纂された『本草綱目』では、豆腐は紀元前2世紀前漢時代の淮南王で優れた学者でもあった劉安によって発明されたとしている。また、本草項目よりも前の12世紀の朱熹(朱子)の著作に「世に伝う、豆腐はすなわち准南王の術」というくだりがあり、これ(豆腐准南王(劉安)起源説)が朱子学を通じて世に広まったともされる。現代の淮南市には「豆腐村」があり、劉邦の孫でもある劉安が不老長寿の食べ物を研究させていたときに偶然生まれたのが豆腐であるという伝説が残る。しかし、真偽については必ずしも明らかではなく、劉安の著した『淮南子』にも豆腐の文字は出てこない。", "title": "歴史と調理法" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "豆腐の原料となる大豆は遅くとも紀元前2000年頃までには中国の広い範囲で栽培されていたと考えられ、大豆加工食品は前漢時代の馬王堆漢墓からも出土しているとされるが、日本豆腐協会では劉安の時代の中国には豆腐の原料となる大豆が存在しなかったとしている。大豆が中国に入ってきたのは劉安の活躍した約半世紀後のことであるという見方もある。", "title": "歴史と調理法" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "また一説には豆腐の起源は8世紀から9世紀にかけての唐代中期であるともいわれている。実際、6世紀の農書『斉民要術』には諸味や醤油についての記述はあるものの豆腐の記述が見当たらず、文献上「豆腐」という語が現れるのは10世紀の『清異録』からである。唐代には北方遊牧民族との交流によって、乳酪(ヨーグルト)、酪(バター)、蘇(濃縮乳)、乳腐(チーズ)などの乳製品が知られていた。このことから、豆腐は、遊牧民族の乳製品を漢民族がアレンジし、豆乳を用いて乳製品(特にチーズ)の代用品(乳「腐」から豆「腐」へ)として、発明されたものであるという説が唱えられている(篠田統など)。「腐」の文字は、中国では「くさる」という意味ではなく、「やわらかい固体」を意味することが多いことから、豆乳を固めてつくられた植物性チーズに「豆腐」の字を充当したものとも考えられる。", "title": "歴史と調理法" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "一方、乳腐は北方遊牧民族の常食の乳餅のことであるという見方もある。『本草綱目』での乳腐には「釈名:乳餅」とあり、他でも乳餅としている書物が多い。このことから、乳腐は漢人の一部が胡人の乳餅を「乳腐」(畜乳で作った豆腐に似たもの)とも称したのではないかという説もある。いずれにせよ、豆腐の起源については、未解明の部分が今なお存在する。", "title": "歴史と調理法" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "中国においては、伝統的には豆腐は生で食べるのではなく発酵豆腐などとして食べていたとされる。また、中国の伝統的な豆腐は日本の豆腐よりも堅いが、これは油を用いる調理法が主流のため水分が少ないほうが都合がよかったためとされる。少なくとも唐代後半には造られていた豆腐は、南宋末期のころには一般に普及し、明朝や清朝の時代になると豆腐の加工品も盛んに作られるようになった。安徽省南部で伝統的に生産されてきた毛豆腐は、白い毛カビが付着した発酵豆腐であり、現在も伝統食品として流通している。", "title": "歴史と調理法" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "今日、中国南部や香港・台湾では、日本の絹ごし豆腐のような滑らかな豆腐を冷やしてシロップをかけ、アズキやフルーツをトッピングして食べるデザートがあり、これを「豆花」と呼んでいる。", "title": "歴史と調理法" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "日本の豆腐は柔らかくて淡白な食感を特徴とする独特の食品として発達した。", "title": "歴史と調理法" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "一般に豆腐は中国から日本へ伝えられたとされる。遣唐使によるとする説が最も有力とされるが、その一員でもあった空海によるという説、鎌倉時代の帰化僧によるとするなど諸説ある。ゆばやこんにゃくなどとともに鎌倉時代に伝来したとみる説もある。ただ、1183年(寿永2年)の奈良・春日神社の供物帖の中に「唐府」という記述がある。", "title": "歴史と調理法" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "鎌倉時代末期頃には民間へ伝わり、室町時代には日本各地へ広がった。そして江戸時代にはよく食べる通常の食材となったとされる。この江戸時代の豆腐は、今日でいう木綿豆腐のみであった。", "title": "歴史と調理法" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "豆腐は庶民の生活に密着しており、江戸では物価統制の重要品目として奉行所から厳しく管理されていた。「豆腐値段引下令」に応じない豆腐屋は営業停止にされるため、豆腐屋は自由に売値を決めることは出来なかった。江戸後期には各藩で財政難となり大名の献立にもしばしばのぼる食材であった。下野国壬生藩の鳥居家の食事記録を調べると、菜は月に1日を除いて全て豆腐料理が出されていた。", "title": "歴史と調理法" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "一方、江戸において豆腐料理屋は評判で、江戸で初めて絹ごし豆腐を売った「笹の雪」はいまだに続いている老舗である。当時、庶民に親しまれたのは豆腐の田楽であり、豆腐を串に刺して焼き、赤みそを付けて食べる料理であった。", "title": "歴史と調理法" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "天明2年(1782年)に刊行された『豆腐百珍』には、100種類の豆腐料理が記述されている。また、豆腐は様々な文学でも親しまれてきた。当時より、豆腐は行商もされており、前述の豆腐百珍は大きな人気を得るほど一般的な料理であった。行商の豆腐屋はラッパや鐘を鳴らしながら売り歩いていた。関東地方では、明治時代初期に乗合馬車や鉄道馬車の御者が危険防止のために鳴らしていたものを、ある豆腐屋が「音が“トーフ”と聞こえる」ことに気づき、ラッパを吹きながら売り歩くことを始めたものである。その由来のようにラッパは「豆腐」の高低アクセントに合わせて2つの音高で「トーフー」と聞こえるように吹くことが多いが、地域や販売店によっても異なり、「トー」と「フー」が同じ音高の場合もある。2つの音高を使うラッパの場合、1つのリードで2つの音高が出る仕組みになっており、呼気と吸気で音高が変わる。スーパーなどが増えて歩き売りをする豆腐屋が減ったものの、近年では昭和の頃のように地域に密着した商売をする人も出て来ており豆腐屋のラッパが復刻されている。近畿地方では、豆腐屋はラッパではなく鐘(関東ではアイスクリーム屋が用いていた)を鳴らしていた。", "title": "歴史と調理法" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "近代工業が発達するに連れて豆腐の製造作業の機械化も進み、わずかの大豆から効率よく豆腐が大量生産できるようになり、より安価で提供されるようになった。柔らかいタイプの豆腐は昭和以前には個人経営の豆腐屋で毎日作られ、動かすことで形が崩れることの無いよう、売る間際まで店頭の水槽の中に沈められているものであった。", "title": "歴史と調理法" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "現代日本でも豆腐は非常に一般的な食品であり、そのまま調味料をかけて食べられるほか、様々な料理に用いられている。冷奴や湯豆腐、味噌田楽などのように主要食材になるほか、汁物や鍋料理の具材、料理のベースになる食材として使われるなど用途は多彩になっている。", "title": "歴史と調理法" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "技術進歩で、常温で120日保存可能な豆腐も販売されている。厚生労働省によると日本では、かつて細菌の繁殖で健康被害が発生したことから、1974年に、おおむね10度以下の冷蔵保存か、水槽内で冷水を絶えず交換しながら保存するなどの製造・保存基準が定められたという。国内メーカーは1986年から常温保存用の豆腐(無菌充填など)を輸出しており、これに関して業界団体は災害時の販売・配布の観点からも基準の見直しを要望してきた 。", "title": "歴史と調理法" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "水にさらさず直接容器にすくい上げたものは「寄せ豆腐」「おぼろ豆腐」と言う。ほぼ同様の沖縄の伝統食品として「ゆし豆腐(ゆしどうふ)」がある。", "title": "歴史と調理法" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "堅豆腐(固豆腐)や五箇山豆腐など非常に硬い豆腐があり、これは濃度の高い豆乳を使用したり、多めに凝固剤を使用したり、重石で脱水したりする事による。", "title": "歴史と調理法" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "沖縄県地方の豆腐も、日本同様中国との交易を通じて伝来したものであり、中国の豆腐と似ていて固くしまり、ずっしりとした重量をもち、「しま豆腐」と呼ばれる。中国同様、生しぼりの豆乳で製造し、強く押圧して水分をしぼる。しかし、天然の石膏が豊富で内陸が深く広大な中国大陸では凝固剤として石膏が用いられることが多いのに対し、琉球列島では日本同様「にがり」が凝固剤として用いられる。", "title": "歴史と調理法" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "朝鮮半島では「두부(トゥブ)」といい、中国同様固い豆腐である。高知県(土佐国)の「一升豆腐」は、安土桃山時代に長宗我部元親が李氏朝鮮より豆腐職人を連れ帰り、彼らに造らせた豆腐が起源だとされる。", "title": "歴史と調理法" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "ミャンマーでは「トーフー」という。シャン族はヒヨコマメから豆腐を作っている(「ビルマ風豆腐」を参照)。", "title": "歴史と調理法" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "インドネシアのジャワ島では「トーフ」と称する。", "title": "歴史と調理法" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "17世紀に清で布教したスペインのドミニコ会宣教師ドミンゴ・フェルナンデス・ナバレテはその著書の中で「teu fu」を豆から作られる中国のチーズとして紹介した。18世紀にナバレテの書物の英訳を読んだベンジャミン・フランクリンは豆腐に強い興味を示し、イギリス東インド会社のジェームズ・フリントに「tau-fu」の製法を問い合わせた。フリントはフランクリンあての1770年1月3日づけの手紙で「towfu」の製法を説明した。これが英語で初めて豆腐に言及した文献と考えられている。", "title": "歴史と調理法" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "20世紀末期以降のアメリカを始めとする欧米諸国では、高カロリー・高脂質の動物性食品や嗜好食品を多く摂る不健康な食習慣への反省と健康的な食品への関心の高まりによる健康ブームに伴い、健康の視点から優れた食品と言える豆腐が注目を集めるようになった。", "title": "歴史と調理法" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "しかし、1980年代までのアメリカでは、家畜のエサである大豆から作られたイメージなどから、消費者調査で不人気ナンバーワンの食品に位置づけられたこともあった。日常的にスーパーマーケットの棚に並ぶようになったのは、森永乳業のアメリカ現地法人が売り込みに成功した1990年代以降である。以降、菜食主義者にとってはバーベキュー、ステーキ、ハンバーガー、ジャーキーなどの肉の代替品として豆腐が使われている。", "title": "歴史と調理法" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "豆腐には、薄い豆乳を凝固させて圧搾・成形した種類のもの(例:木綿豆腐、ソフト豆腐)と、濃い豆乳全体を凝固させた種類のもの(例:絹ごし豆腐、充填豆腐)とがある。", "title": "種類" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "今日、豆腐は木綿豆腐、ソフト豆腐、絹ごし豆腐、充填豆腐の4種に大別される。", "title": "種類" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "堅豆腐 / 固豆腐 (かたとうふ)は、現在の日本で一般的となっている製法と異なり、濃度の高い豆乳を使ったり、にがりの代わりに海水を使うなど、様々な方法を用いて保存できるようにした種類の豆腐のことで、なかには荒縄で縛って持ち運びできるほど堅いものもある。狭義では日本各地で昔ながらに作られ続けている堅豆腐のみを指すが、広義では、文字どおりに同種の堅い豆腐全般を指す総称となっている。", "title": "種類" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "狭義の堅豆腐、すなわち、日本の堅豆腐は、そもそも日本で作られ始めた当時のものに近い。つまり、本来的には豆腐は堅豆腐、もしくは、それに似た「堅い豆腐」であった。例えば江戸時代の浮世絵に描かれた豆腐もその多くは大きくしっかりとした長方体の堅豆腐である。現代では流通の不便な豪雪地帯や山岳地域あるいは離島などだけで変わらず作られ続ける伝統製法となっている。堅豆腐を作る地域としてしばしば例に挙げられる場所としては、加賀地方(石川県)の白山麓の一円の各所がその一つであり、なかでも旧・石川郡白峰村(現・白山市白峰)の石豆腐や、富山県五箇山の岩豆腐はよく知られている。これらの地では、肉類を食べるように堅豆腐が調理され、食べられている。", "title": "種類" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "大豆は唯一の原料とも言えるものである。まず第一に、タンパク質の含有分の高い事が求められ、香り、また遺伝子組み換えをしているか否かなどの安全面が考慮されることが多い。豆腐に適した大豆品種としてはフクユタカやエンレイなどが挙げられる。油糧用(大豆油用)や飼料用を除く食品用大豆の国内自給率は2013年度は25%(大豆全体では7%)、輸入大豆の約7割はアメリカ産である。アメリカ産大豆の作付け面積の9割は遺伝子組み換え大豆であるが、日本へ輸出されている大豆は非遺伝子組み換え大豆である。", "title": "製法" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "国産大豆や有機大豆、非遺伝子組み換え大豆など、特色のある原材料を使用していることを表示する場合、「国産大豆使用」などと表示できるのは、100%その原材料を使用している場合のみで、100%未満の割合で使用している場合は「国産大豆○○%使用」もしくは「国産大豆○割使用」などと、使用割合を表示しなければならない。なお、使用割合は切り捨てまたは最小値を表示しなければならない。", "title": "製法" }, { "paragraph_id": 39, "tag": "p", "text": "また、遺伝子組み換え大豆を使用している場合、「遺伝子組換え」や「遺伝子組換え不分別」という表示が義務づけられている。遺伝子組み換え作物の表示の詳細については、遺伝子組み換え作物を参照。", "title": "製法" }, { "paragraph_id": 40, "tag": "p", "text": "化学的には豆腐の凝固は豆乳の蛋白質が凝固剤によりゲル化することで起こる。したがって、豆腐は架橋された蛋白質の網目構造に多数の水分子を取り込んだ構造である。", "title": "製法" }, { "paragraph_id": 41, "tag": "p", "text": "大別するとマグネシウムイオンあるいはカルシウムイオンが蛋白側鎖のカルボキシル基を架橋してゲルを形成する場合(塩析)と、酸が蛋白質の高次構造を変える(変性)ことによりゲルを形成する場合(酸凝固)とがある。前者には凝固剤として硫酸カルシウム、塩化マグネシウム、塩化カルシウム、硫酸マグネシウム等が使用され、後者はグルコノデルタラクトンが使用される。グルコノデルタラクトンの徐々に酸(グルコン酸)へと変化する性質が利用されている。なお、グルコン酸はグルコースの有機酸なので安全性は高い。", "title": "製法" }, { "paragraph_id": 42, "tag": "p", "text": "中国では伝統的に塩鹵(塩化マグネシウム)溶液、山礬(ハイノキ)や酸漿(ホオズキ)の葉のしぼり汁、石膏(硫酸カルシウム)などが使われたが、現在では石膏を粉末とし水に溶いたものを凝固剤とすることが多い。古来の日本の伝統的な製法では製塩の過程で生じるにがりが主に使われていた。日本でも硫酸カルシウムやグルコノデルタラクトンなどの凝固剤が多く使われていた時期があったが、近年は見かけなくなりつつある。また、中国や韓国でもこの製法を用いる工場がある。", "title": "製法" }, { "paragraph_id": 43, "tag": "p", "text": "一般的ににがりと呼ばれているものは、塩化マグネシウムが主成分で、古くは、塩田で海水から塩を作るときに、いっしょに抽出される副産物であった。また、塩を運搬する途中でにがり成分が分かれて梱包した俵に染み出すこともあり、海から遠い街道沿いではよく利用されていた。", "title": "製法" }, { "paragraph_id": 44, "tag": "p", "text": "現在では、工業化されて塩化マグネシウムの純度の高いものや、海外の岩塩採掘場で採取されたもの、あるいは国内外の工業的な製塩の過程で抽出されたものが多く、実際に塩田から取っているものは少ない。また一部豆腐製造業者の間では、凝固剤の総称として「にがり」の呼称を使っている場合もあり、注意が必要である。", "title": "製法" }, { "paragraph_id": 45, "tag": "p", "text": "第二次世界大戦前までは、このにがりを凝固剤に使用するのが主流であったが(一部では硫酸カルシウム[すましこ]も使われていた)、やがて統制品に指定されたため入手が困難となった。そこで同じように凝固反応を起こし、入手の容易な硫酸カルシウム(すましこ)への転換が進んでいった。硫酸カルシウムはにがりの主成分である塩化マグネシウムと比べて適正な凝固反応が起こるいわゆる凝固のストライクゾーンが広いため、保水性が高く肌理の細かい高品質な豆腐が、比較的容易に作りやすかった。そのため、戦後も機械化が進むにつれ、凝固材として使いやすい硫酸カルシウムへの転換が進んでいった。1980年代後半になって、にがりで作られた豆腐の味が見直され始め、最近ではスーパーマーケットなどで容易に塩化マグネシウムやにがりを使った豆腐が入手できるようになった。", "title": "製法" }, { "paragraph_id": 46, "tag": "p", "text": "おいしい豆腐の条件として水が挙げられる。豆腐の約80 - 90%は水であり、また、豆腐の製造工程でのさらし水が良くなければ淡白な豆腐の味を損ねることになるためである。", "title": "製法" }, { "paragraph_id": 47, "tag": "p", "text": "江戸時代の日本では、落語の題材になったり、『豆腐百珍』のような料理本まで出るほど、広く庶民の食べ物となっていた豆腐は、比較的加工の度合いも低く、経験さえ積めば誰にでも容易に製造できたため、大正時代から昭和時代の第二次世界大戦前にかけては、一つの町内に一軒ずつ製造業者が存在するほどであった。辺鄙な田舎であることを表すのに「酒屋へ三里 豆腐屋へ二里」という狂歌もある。また、味噌などと同様に、各集落で共同で作られることもしばしばあった。", "title": "製法" }, { "paragraph_id": 48, "tag": "p", "text": "まず原料の大豆を、一夜(12時間ほど)真水に漬けておく。翌朝、十分に漬けあがった大豆を適度に水を加えながら石臼でクリーム状に磨り潰す、このクリーム状に磨り潰された大豆のことを「呉」と呼ぶ。次に呉を釜に移し、適度に水を加えて濃度を調整し薪にて炊き上げる。この時、呉はサポニンの作用で激しく泡立つため、消泡剤として食用油に石灰を加えたものを適度に振りかける。十分に炊き上がった呉を、布で濾して豆乳を木桶に取る。この豆乳が冷えないうちに凝固剤としてにがりを適度に加え、櫂と呼ばれる木の板で撹拌する(にがりを打った以降の一連の作業を寄せと呼び、職人の技の見せ所である)。豆乳の濃度、温度、にがりの量、そして適度な「寄せ」がそろうと、豆乳は水と分離することなく固まり始め、やがておぼろ状、またはプリン状の豆腐となる。これを崩しながら内側に布を敷いた型の中に盛り込み、蓋をして重石を掛け、硬く水を切ると豆腐(木綿豆腐)となる。", "title": "製法" }, { "paragraph_id": 49, "tag": "p", "text": "またこの方法で作られた豆腐は、最近まで山間部や離島などに残っていた。1980年(昭和55年)前後の岐阜県の徳山村や根尾村などで、この古典的な製法が確認されている。最近では、山間部で、逆に濃度の濃い豆乳を使って作った硬い豆腐を土産物的に売っているが、これは近代的に作られた似て非なるものである。", "title": "製法" }, { "paragraph_id": 50, "tag": "p", "text": "現代の日本における豆腐製造業者には、工場で大量生産する大手企業もあるが、中小企業や個人商店も非常に多い。全国豆腐連合会では、これは豆腐製造が微妙な技術を要することや、長期保存ができないなど、豆腐の特性が関係していると分析している。", "title": "製法" }, { "paragraph_id": 51, "tag": "p", "text": "また、中小企業側は中小企業事業分野調整法により、大企業が進出しようとする場合、都道府県知事を通じて経済産業大臣に調整(進出計画の撤退、縮小)の申し出をすることができる。そのため、当初大手メーカーは海外市場で販売を行っていた。しかし、包装技術の向上(真空充填、チルドなど)により長期保存、大量輸送が可能となり、また流通構造が大きく変化した現在では牛乳販売店などの宅配網や、インターネット等を中心に販売している。また、一部ではチルド製品を店頭販売している業者もある。日本最大の製造業者は相模屋食料である。", "title": "製法" }, { "paragraph_id": 52, "tag": "p", "text": "一方、中小企業を中心とする従来の店頭販売では、スーパーマーケットやコンビニエンスストアの事業者の価格決定権が強く、特売(安売り)が当たり前になってしまい、特売が希望小売価格状態になってしまって経営を圧迫している。さらに、原料である大豆はそのほとんどをアメリカに依存しているが、原料である非遺伝子組み換え大豆生産量はアメリカにおける生産数の一割以下であり、遺伝子組み換え価格の約3倍もする。また、アメリカのエネルギー安全保障政策でバイオ燃料作物への転作が進んだことによる原料の急激な高騰や、原油価格高騰による包装等の資材価格高騰も経営を圧迫している。こうした影響もあり、2003年度の全国の豆腐業者は約14000軒だったが、9年後の2012年度には約9000軒まで減少している。また、製造工程から出てくるおからは現在の法律上は産業廃棄物扱いであり、男前豆腐店の事件など不法投棄や処分費問題をかかえている。", "title": "製法" }, { "paragraph_id": 53, "tag": "p", "text": "食品のなかには大豆とにがりを使用していなくても柔らかく豆腐状の物があり、「かわり豆腐」などと呼ばれる。", "title": "豆腐の関連食品" }, { "paragraph_id": 54, "tag": "p", "text": "フィリピンには「タホ (taho)」と呼ばれるスイーツがあり、水分の多い温かい豆腐(プリン状の豆乳)にタピオカと黒蜜をまぶして食べる。現地では朝食前にタホを食べる習慣があり、毎朝、天秤を担いだ「タホ売り」が家々を回る。この際、フィリピンのタホ売りは、かつての日本の豆腐の行商と同様にラッパを吹き鳴らして合図をする。", "title": "豆腐の関連食品" }, { "paragraph_id": 55, "tag": "p", "text": "また、チェコのプラハでは、牛乳の代わりに豆乳を使って作ったチーズ(アナログチーズ)を \"tofu\" として売っている。プレーンタイプのほか、燻製タイプなど数種が、スーパーマーケットのチーズ売場で見られる。", "title": "豆腐の関連食品" }, { "paragraph_id": 56, "tag": "p", "text": "冷奴など生で食されることも多いが、調理される料理も非常に多い。", "title": "豆腐料理" }, { "paragraph_id": 57, "tag": "p", "text": "豆腐を具材の一つとする一般料理は多い。豆腐をメインの具材とした料理もある。", "title": "豆腐料理" }, { "paragraph_id": 58, "tag": "p", "text": "日本で江戸時代に著された『豆腐百珍』には、その名のとおり100種類の豆腐料理が紹介されている。", "title": "豆腐料理" }, { "paragraph_id": 59, "tag": "p", "text": "豆腐は、冷奴や湯豆腐などでは奴切り、味噌汁や吸い物などでは賽の目切りや色紙切りなどに調理される。", "title": "豆腐料理" }, { "paragraph_id": 60, "tag": "p", "text": "豆腐を揚げたり、焼いたり、炒めたりする場合など豆腐料理の種類に応じて水切りが必要となる場合がある。", "title": "豆腐料理" }, { "paragraph_id": 61, "tag": "p", "text": "植物性蛋白質が豊富。カロリーは比較的低いため、健康的な食品として欧米などでも食材として使われるようになっている。製法工程上、食物繊維の多くは製造過程で滓として分けられるおからのほうに含まれるため、豆腐は、大豆の加工品でありながら食物繊維の含有量は少ない。", "title": "栄養" }, { "paragraph_id": 62, "tag": "p", "text": "絹ごし豆腐100g中には、水分89.4g、蛋白質5.0g、脂質3.3g、糖質1.7gが含まれ、58kcalのカロリーがあると言われている。脂肪エネルギー比は51.7%であり、原料となる乾燥大豆の38.6%を上回る。", "title": "栄養" }, { "paragraph_id": 63, "tag": "p", "text": "とても柔らかいものの例として用いられている。", "title": "文化" }, { "paragraph_id": 64, "tag": "p", "text": "日本には、豆腐あるいは豆腐売りをモチーフにした豆腐小僧という妖怪の伝説がある。", "title": "文化" }, { "paragraph_id": 65, "tag": "p", "text": "日本において、庶民の日常食材として使われた豆腐は落語にも登場する。", "title": "文化" }, { "paragraph_id": 66, "tag": "p", "text": "家畜の飼育者や動物園の一部は、餌として豆腐やおからを与えている。", "title": "その他" }, { "paragraph_id": 67, "tag": "p", "text": "パソコンにおいて、フォントが対応していないために表示できない文字は、小さい四角(□)で置き換えられることが多く、これをネットスラングで豆腐と呼ぶ。Googleが配布している「Noto」というフォントの名前はこのスラングに由来(no more tofu)しており、インターネット上で表示できない文字を無くすという意味が込められている。", "title": "その他" }, { "paragraph_id": 68, "tag": "p", "text": "中国においては血豆腐と称される動物の血液から作られた食品があるが、形状が豆腐に似ていることから命名された。", "title": "その他" } ]
豆腐(とうふ)は、煮た大豆の搾り汁(豆乳)を凝固剤(にがり、石膏など)によって固めた加工食品である。しっかりした食感のものは、型に入れたり、布地に包んだりしたうえで重しを乗せて、水分を押し出し、減らす工程が加わる。伝統的製法の堅豆腐のほか、現代では代替肉やスナックバー状、麺、米飯状に成型した豆腐も製造・販売されている。 東アジアと東南アジアの広範な地域で古くから食されている大豆加工食品であり、とりわけ中国本土(奥地を含む)、日本、朝鮮半島、台湾、ベトナム、カンボジア、タイ、ミャンマー、マレーシア、インドネシアなどでは日常的に食されている。現代ではアメリカ合衆国などにも普及している。加工法や調理法は地域ごとに異なる。
{{Redirect|とうふ|お笑いコンビ|とうふ (お笑いコンビ)}} {{栄養価 | name=豆腐 | image = [[File:Japanese_SilkyTofu_(Kinugoshi_Tofu).JPG|220px]] | caption = [[絹ごし豆腐]] | water =84.55 g| kJ =318| protein =8.08 g| fat =4.78 g| carbs =1.88 g| fiber =0.3 g| calcium_mg =350| iron_mg =5.36| magnesium_mg =30| phosphorus_mg =97| potassium_mg =121| sodium_mg =7| zinc_mg =0.8| manganese_mg =0.605| selenium_μg =8.9| vitC_mg =0.1| thiamin_mg =0.081| riboflavin_mg =0.052| niacin_mg =0.195| pantothenic_mg =0.068| vitB6_mg=0.047| folate_ug =15| vitB12_ug =0| vitA_ug =4| vitD_iu =0| satfat =0.691 g| monofat =1.056 g| polyfat =2.699 g| tryptophan =0.126 g| threonine =0.33 g| isoleucine =0.4 g| leucine =0.614 g| lysine =0.532 g| methionine =0.103 g| cystine =0.112 g| phenylalanine =0.393 g| tyrosine =0.27 g| valine =0.408 g| arginine =0.538 g| histidine =0.235 g| alanine =0.331 g| aspartic acid =0.893 g| glutamic acid =1.397 g| glycine =0.316 g| proline =0.436 g| serine =0.381 g| riさ絞りght=1 | source_usda=1 }} '''豆腐'''(とうふ)は、煮た[[ダイズ|大豆]]の搾り汁([[豆乳]])を[[凝固]]剤([[にがり]]、[[石膏]]など)によって固めた[[食品#食品の分類|加工食品]]である。しっかりした食感のものは、型に入れたり、布地に包んだりしたうえで重しを乗せて、水分を押し出し、減らす工程が加わる。伝統的製法の堅豆腐<ref>[http://www.tofu-as.com/tofu/howto/06.html 水を抜いて固める、堅豆腐] 日本豆腐協会(2021年5月25日閲覧)</ref>のほか、現代では[[代替肉]]や[[スナックバー (菓子類)|スナックバー]]状、[[麺]]<ref name="読売20210415">「豆腐 健康志向で新商品/肉のように加工■食べやすく棒状に」『[[読売新聞]]』朝刊2021年4月15日くらし面</ref>、[[米飯]]状<ref>「豆腐・[[こんにゃく]]食べ方革命」『[[日経MJ]]』2021年5月10日フード面</ref>に成型した豆腐も製造・販売されている。 [[東アジア]]と[[東南アジア]]の広範な地域で古くから食されている大豆加工食品であり、とりわけ[[中国本土]](奥地を含む)、[[日本]]、[[朝鮮半島]]、[[台湾]]、[[ベトナム]]、[[カンボジア]]、[[タイ王国|タイ]]、[[ミャンマー]]、[[マレーシア]]、[[インドネシア]]などでは日常的に食されている。現代では[[アメリカ合衆国]]などにも普及している<ref name="読売20210415"/>。加工法や調理法は地域ごとに異なる。 == 名称 == === 豆腐 === 豆腐という文字が最初に現れたのは、中国の陶穀『清異録』(965年)であると、[[江戸時代]]の『[[豆腐百珍]]』<ref>醒狂道人何必醇 輯『豆腐百珍』正編(1782年)</ref>の巻末にある。 現代では、中国も日本も「豆腐」と呼んでいる。日本では一部「豆富」「豆冨」としている業者があり、これは食品に対して「腐」という字を用いるのを嫌ってのことと考えられる。 中国でも「腐」を避け、菽乳、方壁、小宰羊(宰羊:羊の肉)等の異名があったと前述の『豆腐百珍』巻末に書かれている。 豆腐の「腐」の意味は、中国古代医学書『[[難経]]』<ref>滑壽(写作) 呉勉学『難経本義』(三十一難) 宋代</ref>にある腐熟の「腐」であるとする説があり、中国で腐熟とは胃での初期消化のことで、白くどろどろした状態ともある<ref>『中国語大辞典』[[角川書店]] 1994年</ref>。 このことから、豆腐の「腐」は消化の悪い大豆を腐熟したものであるという説がある<ref name="松崎">松崎修『食文化雑学:言語から考えるホントの語源』[[文芸社]] 2015年</ref>。 「本来は豆を腐らせた(発酵させた)ものが豆腐、型に納めたものが[[納豆]]だったが、両者が取り違えられた」と名称の由来が語られることがあるが、これは誤った俗説である。納豆が日本独自の言葉であるのに対し、豆腐は中国から伝来した食品であり中国でも豆腐と呼ばれており、取り違えられることはあり得ない。 {{Main2|納豆の名称の由来|納豆#名称}} === 豆富 === [[ファイル:Sasanoyuki-1.jpg|thumb|right|「根ぎし [[笹乃雪]]」(2018年1月31日撮影)]] [[元禄]]時代に絹ごし豆腐を発明した豆富料理店「根ぎし [[笹乃雪]]」では、9代目当主が、20世紀前半頃、食品に「[[wikt:腐|腐]]る」という字を用いることを嫌って'''豆富'''と記すようになって以降、「腐」という文字を使わない表記が日本中に広まったとしている<ref>{{Cite web|和書 | title = いわれ | publisher = 豆富料理 笹乃雪 | url = http://www.sasanoyuki.com/iware/index.html | accessdate = 2015年11月18日 }}</ref><ref group="注">日本の豆腐は[[豆腐よう]]など一部を除いてほとんどが発酵していないものである。[[中国]]では豆腐を発酵させた[[腐乳]]や[[臭豆腐]]も一般的。</ref>。また、豆腐を好んだ日本の作家・[[泉鏡花]]は、極端な[[潔癖症]]でもあったことから'''豆府'''と表記した。 === tofu === [[アメリカ合衆国]]や[[イギリス]]を始めとする[[英語圏]]のほか、[[ドイツ語#ドイツ語圏|ドイツ語圏]]、[[フランス語圏]]、[[イタリア語]]圏等々、世界の様々な[[言語連合|言語圏]]で、"[[wikt:en:tofu|''tofu '']]" (ドイツ語名詞の語頭は大文字のため "''Tofu ''")が単語として定着している。なお、英語表記では''tofu''のほか''soybean curd''も用いられる<ref name="nihonsyokuhindaijiten_p84">杉田浩一編『日本食品大事典』 医歯薬出版 p.84 2008年</ref>。<!-- 英語圏ではtofu-squareとも言われる。←これは(説明的に)「四角く切った豆腐」または「賽の目切り」等の表現では? --><!-- カリフォルニア州在住のネイティヴの方がすり潰した豆腐のこともtofu-squareと言っていました。出典は見つけられないのでコメントアウト維持しますが、普通に使われている言葉であるようです --> 中国語[[閩南語|閩南方言]]由来もしくは[[広東語|広東方言]]由来であるtau-fuという表記も、ヨーロッパの中華料理店などでは頻繁に見られる。また、[[北京語]]では豆腐はdòufu(トウフー)と日本語に近い発音になる。 == 歴史と調理法 == === 中国 === [[ファイル:豆腐.JPG|thumb|right|中国の豆腐]] [[ファイル:Tofu - assorted products 01.jpg|thumb|right|中国の豆腐店]] [[ファイル:台湾風豆腐.jpg|thumb|right|台湾風豆腐]] 豆腐の起源については諸説ある。[[16世紀]]に[[李時珍]]によって編纂された『[[本草綱目]]』では、豆腐は[[紀元前2世紀]][[前漢]]時代の[[淮南市|淮南]]王で優れた学者でもあった[[劉安]]によって発明されたとしている<ref name="history_16">{{Cite web|和書 | title = 豆腐の歴史 15. 豆腐のルーツは中国。その発明者は? |publisher = 日本豆腐協会 |url=http://www.tofu-as.com/tofu/history/16.html |accessdate = 2012-02-11}}</ref><ref name="ryorizensyu5_p202"/><ref name="tabemonokigen_p314">岡田哲著『たべもの起源事典』([[東京堂出版]] 2003年)p.314</ref>。また、本草項目よりも前の12世紀の[[朱熹]](朱子)の著作に「世に伝う、豆腐はすなわち准南王の術」というくだりがあり、これ(豆腐准南王(劉安)起源説)が[[朱子学]]を通じて世に広まったともされる。現代の淮南市には「豆腐村」があり、[[劉邦]]の孫でもある劉安が不老長寿の食べ物を研究させていたときに偶然生まれたのが豆腐であるという伝説が残る<ref name="dentohsyoku200">『日本の伝統食』(角川春樹事務所・グルメ文庫)pp.200-201</ref>。しかし、真偽については必ずしも明らかではなく<ref name="maruzensyokuhinsougoujiten_p754">『丸善食品総合辞典』([[丸善]] 1998年)p.754</ref>、劉安の著した『淮南子』にも豆腐の文字は出てこない<ref name="dentohsyoku200" />。 豆腐の原料となる大豆は遅くとも紀元前2000年頃までには中国の広い範囲で栽培されていたと考えられ、大豆加工食品は前漢時代の[[馬王堆漢墓]]からも出土しているとされるが、日本豆腐協会では劉安の時代の中国には豆腐の原料となる大豆が存在しなかったとしている<ref name="history_16" /><ref name="dentohsyoku200" />。大豆が中国に入ってきたのは劉安の活躍した約半世紀後のことであるという見方もある<ref name="dentohsyoku200" />。 また一説には豆腐の起源は[[8世紀]]から[[9世紀]]にかけての唐代中期であるともいわれている<ref name="nihonsyokuhindaijiten_p84"/><ref name="tabemonokigen_p314"/>。実際、6世紀の農書『[[斉民要術]]』には諸味や[[醤油]]についての記述はあるものの豆腐の記述が見当たらず、文献上「豆腐」という語が現れるのは10世紀の『[[清異録]]』からである<ref name="dentohsyoku200" /><ref name="tabemonokigen_p314"/><ref>{{Cite book|和書|author=陶穀|title=清異録|volume=官志門・小宰羊|quote=時戢為青陽丞、潔己勤民、肉味不給、日市豆腐数箇。邑人呼豆腐為小宰羊。|url=https://archive.org/stream/06047418.cn#page/n34/mode/2up}}</ref>。唐代には北方[[遊牧民族]]との交流によって、乳酪([[ヨーグルト]])、酪([[バター]])、[[蘇]]([[コンデンスミルク|濃縮乳]])、乳腐([[チーズ]])などの乳製品が知られていた。このことから、豆腐は、遊牧民族の乳製品を漢民族がアレンジし、[[豆乳]]を用いて乳製品(特にチーズ)の代用品(乳「腐」から豆「腐」へ)として、発明されたものであるという説が唱えられている([[篠田統]]など)<ref name="dentohsyoku200" /><ref group="注">この説には腐乳は清朝(『隋園食単』[[岩波書店]] 1980年)になってからであるという反論がある。著者は北方遊牧民族に腐乳が見当たらないとも書いてある。</ref>。「腐」の文字は、中国では「くさる」という意味ではなく、「やわらかい固体」を意味することが多いことから、豆乳を固めてつくられた植物性チーズに「豆腐」の字を充当したものとも考えられる<ref name="dentohsyoku200" />。 一方、乳腐は北方遊牧民族の常食の[[カッテージチーズ|乳餅]]のことであるという見方もある。『本草綱目』での乳腐には「釈名:乳餅」とあり、他でも乳餅としている書物が多い<ref>『古代日本のチーズ』角川書店 1996年</ref>。このことから、乳腐は漢人の一部が胡人の乳餅を「乳腐」(畜乳で作った豆腐に似たもの)とも称したのではないかという説もある<ref name="松崎" />。いずれにせよ、豆腐の起源については、未解明の部分が今なお存在する<ref name="dentohsyoku200" />。 中国においては、伝統的には豆腐は生で食べるのではなく発酵豆腐などとして食べていたとされる<ref name="ryorizensyu5_p202"/>。また、中国の伝統的な豆腐は日本の豆腐よりも堅いが、これは油を用いる調理法が主流のため水分が少ないほうが都合がよかったためとされる<ref name="ryorizensyu5_p202"/>。少なくとも唐代後半には造られていた豆腐は、[[南宋]]末期のころには一般に普及し、[[明]]朝や[[清]]朝の時代になると豆腐の加工品も盛んに作られるようになった<ref name="ryorizensyu5_p202"/>。[[安徽省]]南部で伝統的に生産されてきた毛豆腐は、白い毛[[カビ]]が付着した発酵豆腐であり、現在も伝統食品として流通している。 今日、中国南部や香港・台湾では、日本の絹ごし豆腐のような滑らかな豆腐を冷やして[[シロップ]]をかけ、[[アズキ]]や[[フルーツ]]を[[トッピング]]して食べる[[デザート]]があり、これを「[[豆花]]」と呼んでいる<ref>{{cite|url= https://apprev.smt.docomo.ne.jp/news/news-294026/|title= 次なるブーム「豆花」ってなに!?材料や味を詳しく解説!|date=2019-10-24|accessdate=2021-9-26|publisher=docomo}}</ref>。 === 日本 === [[ファイル:Okara (soybean pulp).jpg|thumb|right|[[おから]](豆腐を作る際に残る物)]] [[ファイル:Ishigaki higa yushidofu.jpg|thumb|right|ゆし豆腐]] [[File:ええとこ豆冨.jpg|thumb|大阪市淀川区、[[三国 (大阪市)|三国]]の豆腐屋]] 日本の豆腐は柔らかくて淡白な食感を特徴とする独特の食品として発達した<ref name="ryorizensyu5_p202">『Cook料理全集5 豆腐と豆の料理』([[千趣会]] 1976年)p.202</ref>。 一般に豆腐は中国から日本へ伝えられたとされる。[[遣唐使]]によるとする説が最も有力とされるが<ref name="history_17">{{Cite web|和書 | title = 豆腐の歴史 16. 日本に豆腐の製造方法をもたらしたのは遣唐使? | publisher = 日本豆腐協会| url = http://www.tofu-as.com/tofu/history/17.html | accessdate = 2018-06-16}}</ref>、その一員でもあった[[空海]]によるという説、[[鎌倉時代]]の帰化僧によるとするなど諸説ある。[[ゆば]]や[[こんにゃく]]などとともに鎌倉時代に伝来したとみる説もある<ref name="ryorizensyu5_p202"/>。ただ、[[1183年]]([[寿永]]2年)の奈良・[[春日大社|春日神社]]の供物帖の中に「唐府」という記述がある<ref name="history_17" /><ref name="nihonsyokuhindaijiten_p84"/><ref name="tabemonokigen_p314"/>。 [[鎌倉時代]]末期頃には民間へ伝わり、[[室町時代]]には日本各地へ広がった。そして江戸時代にはよく食べる通常の食材となったとされる<ref name="nihonsyokuhindaijiten_p84"/><ref name="ryorizensyu5_p202"/>。この江戸時代の豆腐は、今日でいう木綿豆腐のみであった<ref name="nihonsyokuhindaijiten_p84"/>。 豆腐は庶民の生活に密着しており、[[江戸]]では物価統制の重要品目として[[奉行所]]から厳しく管理されていた。「豆腐値段引下令」に応じない豆腐屋は営業停止にされるため、豆腐屋は自由に売値を決めることは出来なかった<ref>飯野亮一『居酒屋の誕生』[[ちくま学芸文庫]] 2014年、ISBN 978-4-480-09637-1 pp.284-285</ref>。また各大名の献立にもしばしばのぼる食材であった<ref name="k12" />。[[下野国]][[壬生藩]]の鳥居家の食事記録を調べると、菜は月に1日を除いて全て豆腐料理が出されていた<ref name="k12" />。 一方、江戸において豆腐料理屋は評判で、江戸で初めて絹ごし豆腐を売った「笹の雪」はいまだに続いている[[老舗]]である。当時、庶民に親しまれたのは豆腐の田楽であり、豆腐を串に刺して焼き、赤みそを付けて食べる料理であった<ref>{{Cite web|和書 | title = 豆腐の歴史 7. 江戸で評判だった豆腐料理屋 | publisher = 日本豆腐協会 | url = http://www.tofu-as.com/tofu/history/08.html | accessdate = 2018-06-16}}</ref>。 [[天明]]2年([[1782年]])に刊行された『[[豆腐百珍]]』には、100種類の豆腐料理が記述されている<ref name="k12">{{Cite web|和書|url=https://www.kikkoman.co.jp/pdf/no09_j_009_012.pdf|title=世界の食文化雑学講座|publisher=キッコーマン |accessdate=2020-04-10}}</ref>。また、豆腐は様々な[[文学]]でも親しまれてきた。当時より、豆腐は[[行商]]もされており、前述の豆腐百珍は大きな人気を得るほど一般的な料理であった。行商の豆腐屋は[[ラッパ]]や[[鐘]]を鳴らしながら売り歩いていた。[[関東地方]]では、[[明治]]時代初期に[[乗合馬車]]や[[鉄道馬車]]の御者が危険防止のために鳴らしていたものを、ある豆腐屋が「音が“トーフ”と聞こえる」ことに気づき、ラッパを吹きながら売り歩くことを始めたものである。その由来のようにラッパは「豆腐」の[[アクセント#高低アクセント|高低アクセント]]に合わせて2つの[[音高]]で「トーフー」と聞こえるように吹くことが多いが、地域や販売店によっても異なり、「トー」と「フー」が同じ音高の場合もある。2つの音高を使うラッパの場合、1つの[[リード (楽器)|リード]]で2つの音高が出る仕組みになっており、[[呼気]]と[[吸気]]で音高が変わる。スーパーなどが増えて歩き売りをする豆腐屋が減ったものの、近年では昭和の頃のように地域に密着した商売をする人も出て来ており豆腐屋のラッパが復刻されている<ref>{{cite news | title = 探訪 都の企業:<こだわり製品編>【上】豆腐屋のラッパ復刻 日本教育楽器(港区芝大門) | newspaper = [[東京新聞]] | url = http://www.tokyo-np.co.jp/feature/kigyou/news/130730.html | date = 2013年7月30日 | accessdate = 2018-06-16 }}</ref><ref>{{Cite web|和書 | title = ぶらり途中下車の旅 放送内容 2012年11月3日放送分 | publisher = 日本テレビ | url = https://www.ntv.co.jp/burari/contents/detail_2681620.html | accessdate = 2018-06-16}}</ref><ref>{{Cite web|和書 | title = 11月16日放送 “ものづくり”心と技を次世代へ NHK「団塊スタイル」公式ホームページ | publisher = [[日本放送協会]] | url = http://www.nhk.or.jp/dankai/bangumi/num032/index.html | deadlinkdate = 2018-06-16 | archiveurl = https://web.archive.org/web/20121221022506/http://www.nhk.or.jp/dankai/bangumi/num032/index.html | archivedate = 2012-12-21 | accessdate = 2018-06-16}}</ref>。[[近畿地方]]では、豆腐屋はラッパではなく鐘(関東では[[アイスクリーム]]屋が用いていた)を鳴らしていた<ref name="Nose, Nikkei">{{Cite web|和書 |author=[[野瀬泰申]] |title=豆腐(その3)豆腐屋の合図はラッパ、それとも鐘? |url=http://waga.nikkei.co.jp/play/kiko.aspx?i=MMWAj3001020022009 |work=[[日本経済新聞]] 電子版 |publisher=[[日本経済新聞社]] |accessdate=2012-02-11 | deadlinkdate = 2018-06-16 | archiveurl = https://web.archive.org/web/20111208111813/http://waga.nikkei.co.jp/play/kiko.aspx?i=MMWAj3001020022009 | archivedate = 2011-12-08}}</ref>。 近代工業が発達するに連れて豆腐の製造作業の[[機械化]]も進み、わずかの大豆から効率よく豆腐が[[大量生産]]できるようになり、より安価で提供されるようになった。柔らかいタイプの豆腐は[[昭和]]以前には<ref group="注">古来の豆腐は堅いタイプであるため、豆腐の全史からすれば、柔らかい豆腐のデリケートさは最近のものである。</ref>個人経営の豆腐屋で毎日作られ、動かすことで形が崩れることの無いよう、売る間際まで店頭の[[水槽]]の中に沈められているものであった。 現代日本でも豆腐は非常に一般的な食品であり、そのまま調味料をかけて食べられるほか、様々な料理に用いられている。[[冷奴]]や[[湯豆腐]]、[[味噌田楽]]などのように主要食材になるほか、[[汁物]]や[[鍋料理]]の具材、料理のベースになる食材として使われるなど用途は多彩になっている。 技術進歩で、常温で120日保存可能な豆腐も販売されている<ref>「豆腐 120日常温保存実現/備蓄・野外活動に最適」『[[日本農業新聞]]』2021年5月14日14面</ref>。[[厚生労働省]]によると日本では、かつて[[食中毒|細菌の繁殖で健康被害]]が発生したことから、[[1974年]]に、おおむね10[[セルシウス度|度]]以下の冷蔵保存か、水槽内で冷水を絶えず交換しながら保存するなどの製造・保存基準が定められたという。国内メーカーは1986年から常温保存用の豆腐(無菌充填など)を輸出しており、これに関して業界団体は災害時の販売・配布の観点からも基準の見直しを要望してきた<ref>{{cite news | title = 豆腐の「常温」販売を解禁へ 非常食での利用も可能に | newspaper = [[朝日新聞]] | url = http://www.asahi.com/articles/ASJCY55H2JCYULBJ00F.html | date = 2016年11月29日 | deadlinkdate = 2018-06-16 | archiveurl = https://web.archive.org/web/20161129182116/https://www.asahi.com/articles/ASJCY55H2JCYULBJ00F.html | archivedate = 2016-11-29}}</ref> <ref>{{cite news|title = 災害時の重要なたんぱく源…豆腐「常温で販売」解禁へ |newspaper = 読売新聞|url = https://yomidr.yomiuri.co.jp/article/20161130-OYTET50014/ | date = 2016年11月30日 | deadlinkdate = 2018-06-16 | archiveurl = https://web.archive.org/web/20161201132751/https://yomidr.yomiuri.co.jp/article/20161130-OYTET50014/ | archivedate = 2016-12-01 }}</ref><ref>{{Cite web|和書 | title = 1~2年後に「豆腐」が常温販売されるように?厚労省の決定に驚きの声 | author = 長澤まき|publisher = IRORIO |url = https://irorio.jp/nagasawamaki/20161130/368458/ | date = 2016年11月30日| accessdate=2018-06-16}}</ref>。 水にさらさず直接容器にすくい上げたものは「寄せ豆腐」「おぼろ豆腐」と言う。ほぼ同様の[[沖縄]]の伝統食品として「ゆし豆腐(ゆしどうふ)」がある。 堅豆腐(固豆腐)や[[五箇山]]豆腐など非常に硬い豆腐があり、これは濃度の高い豆乳を使用したり、多めに凝固剤を使用したり、重石で脱水したりする事による。 === 沖縄諸島 === [[沖縄県]]地方の豆腐も、日本同様中国との交易を通じて伝来したものであり、中国の豆腐と似ていて固くしまり、ずっしりとした重量をもち、「[[しま豆腐]]」と呼ばれる<ref name="dentohsyoku206">『日本の伝統食』(角川春樹事務所・グルメ文庫)pp.206-207</ref>。中国同様、生しぼりの豆乳で製造し、強く押圧して水分をしぼる<ref name="dentohsyoku206" />。しかし、天然の[[石膏]]が豊富で内陸が深く広大な中国大陸では凝固剤として石膏が用いられることが多いのに対し、[[琉球列島]]では日本同様「[[にがり]]」が凝固剤として用いられる<ref name="dentohsyoku206" />。 === 朝鮮半島 === [[朝鮮半島]]では「두부(トゥブ)」といい、中国同様固い豆腐である<ref name="dentohsyoku206" />。[[高知県]]([[土佐国]])の「[[一升豆腐]]」は、[[安土桃山時代]]に[[長宗我部元親]]が[[李氏朝鮮]]より豆腐職人を連れ帰り、彼らに造らせた豆腐が起源だとされる<ref name="dentohsyoku206" />。 === ミャンマー === [[ミャンマー]]では「トーフー」という<ref name="dentohsyoku206" />。[[シャン族]]は[[ヒヨコマメ]]から豆腐を作っている(「[[ビルマ風豆腐]]」を参照)。 === ジャワ島 === [[ファイル:Tahu guling Surakarta.jpg|250px|right|thumb|インドネシア・[[スラカルタ]](ジャワ島中部)の豆腐料理]] [[インドネシア]]の[[ジャワ島]]では「トーフ」と称する<ref name="dentohsyoku206" />。 === 欧米諸国 === 17世紀に[[清]]で布教した[[スペイン]]の[[ドミニコ会]]宣教師[[ドミンゴ・フェルナンデス・ナバレテ]]はその著書の中で「teu fu」を豆から作られる中国の[[チーズ]]として紹介した。18世紀にナバレテの書物の英訳を読んだ[[ベンジャミン・フランクリン]]は豆腐に強い興味を示し、[[イギリス東インド会社]]のジェームズ・フリントに「tau-fu」の製法を問い合わせた。フリントはフランクリンあての1770年1月3日づけの手紙で「towfu」の製法を説明した。これが[[英語]]で初めて豆腐に言及した文献と考えられている<ref>{{cite book|url=https://books.google.com/books?id=gGrUNvZt0_YC&pg=PA73|author1=William Shurtleff|author2=Akiko Aoyagi|year=2013|title=History of Tofu and Tofu Products (965 CE to 2013)|publisher=Soyinfo Center|isbn=1-928914-55-1|pages=72-73}}</ref>。 [[20世紀]]末期以降のアメリカを始めとする[[欧米]]諸国では、高[[カロリー]]・高[[脂質]]の[[食品#食品の分類|動物性食品]]や[[嗜好品#食品と飲料|嗜好食品]]を多く摂る不[[健康]]な食習慣への反省と健康的な食品への関心の高まりによる[[健康ブーム]]に伴い、健康の視点から優れた食品と言える豆腐が注目を集めるようになった。 しかし、1980年代までのアメリカでは、[[家畜]]のエサである大豆から作られたイメージなどから、消費者調査で不人気ナンバーワンの食品に位置づけられたこともあった。日常的にスーパーマーケットの棚に並ぶようになったのは、[[森永乳業]]のアメリカ現地法人が売り込みに成功した1990年代以降である<ref>{{Cite web|和書|date=2015 |url=https://www.jba.org/seminar/187-business-seminar/ |title=JBAセミナー 豆腐バカ世界に挑む |publisher= |accessdate=2019-05-21}}</ref>。以降、[[菜食主義|菜食主義者]]にとっては[[バーベキュー]]、[[ステーキ]]、[[ハンバーガー]]、[[ジャーキー]]などの肉の代替品として豆腐が使われている。 == 種類 == 豆腐には、薄い豆乳を凝固させて圧搾・成形した種類のもの(例:木綿豆腐、ソフト豆腐)と、濃い豆乳全体を凝固させた種類のもの(例:絹ごし豆腐、充填豆腐)とがある<ref name="maruzensyokuhinsougoujiten_p753"/>。 === 豆腐の一般的な分類 === 今日、豆腐は[[木綿豆腐]]、ソフト豆腐、[[絹ごし豆腐]]、充填豆腐の4種に大別される<ref name="nihonsyokuhindaijiten_p84"/>。 ; 木綿豆腐 : 豆乳に凝固剤を加えて凝固させ穴の開いた木綿豆腐用の型箱に布を敷いて流し込み圧搾・成形した豆腐<ref name="maruzensyokuhinsougoujiten_p753">『丸善食品総合辞典』丸善 p.753 1998年</ref>。表面に布目が付くことからこの名がある<ref name="maruzensyokuhinsougoujiten_p753"/>。普通豆腐ともいう<ref name="nihonsyokuhindaijiten_p86">杉田浩一編『日本食品大事典』(医歯薬出版 2008年)p.86</ref>。英語表記は''regular tofu''<ref name="nihonsyokuhindaijiten_p86"/>。絹ごし豆腐よりも型崩れしづらいため、煮炊きする料理に向いている。 : 脱水と成型という過程を通じ[[水溶性ビタミン]]の含有量が大きく減少するものの[[タンパク質]]、[[カルシウム]]、鉄などが多く含まれている。カルシウムが欲しいなら絹ごし豆腐よりも木綿豆腐が優れている<ref name="安達">安達巖『日本型食生活の歴史』</ref>。重量100 gあたりのエネルギー80 [[キロカロリー|kcal]]、たんぱく質7.0 g、[[灰分]]0.7 g<ref name="foodmext">[https://fooddb.mext.go.jp/index.pl 食品成分データベース] [[文部科学省]](2019年4月1日)</ref>。 ; ソフト豆腐 : 絹ごし豆腐状に凝固させたものを木綿豆腐の型箱に流し込んで軽く圧した、木綿豆腐と絹ごし豆腐の中間程度の濃度の豆腐。京都では[[嵯峨]]豆腐と言われる<ref name="maruzensyokuhinsougoujiten_p753"/><ref name="nihonsyokuhindaijiten_p85">杉田浩一編『日本食品大事典』(医歯薬出版 2008年)p.85</ref>。重量100 gあたりのエネルギー59 kcal、たんぱく質5.1 g、灰分0.7 g<ref name="foodmext" />。 ; 絹ごし豆腐 : 木綿豆腐製造時よりも濃い豆乳と凝固剤で凝固し絹ごし用の型箱に流し込んで[[ゲル状]]に固めて水にさらした豆腐<ref name="maruzensyokuhinsougoujiten_p753"/><ref name="nihonsyokuhindaijiten_p85"/>。笹の雪ともいう<ref name="maruzensyokuhinsougoujiten_p754"/>。英語表記は''Kinugoshi-tofu''あるいは''tofu with whey''<ref name="nihonsyokuhindaijiten_p85"/>。木綿豆腐に比べて崩れやすい反面で、口の中で崩れるように舌触りが良いため、冷や奴や湯豆腐などに向いている。 : 吸水総量は原料大豆重量の5倍から6倍となる<ref name="maruzensyokuhinsougoujiten_p753"/>。水分を抜かないので、[[ビタミンB1]]など水溶性ビタミンが残る上に[[マグネシウム]]も多く含まれている。代謝の促進には木綿より絹が優れている<ref name="安達" />。重量100 gあたりのエネルギー62 kcal、たんぱく質5.3 g、灰分0.7 g<ref name="foodmext" />。 ; 充填豆腐 : 充填豆腐(じゅうてんとうふ)は、絹ごし豆腐製造時の濃い豆乳を冷却後に凝固剤を加えて合成樹脂製の角型の容器に充填して摂氏約90度で40分から50分加熱し成形した上で冷却した豆腐<ref name="maruzensyokuhinsougoujiten_p753-754">『丸善食品総合辞典』丸善 pp.753-754 1998年</ref><ref name="nihonsyokuhindaijiten_p86"/>。英語表記は''packaged-tofu''<ref name="nihonsyokuhindaijiten_p86"/>。衛生的で保存性が高いのが特徴<ref name="maruzensyokuhinsougoujiten_p754"/><ref name="nihonsyokuhindaijiten_p86"/>。加熱で凝固させるので[[殺菌]]されて衛生的なため、長期保存に優れている。さらに品質が均質で輸送性に優れている上に[[葉酸]](ビタミンB9)の含有量は他の種類の豆腐の約2倍である<ref>森孝夫『食品加工学実験書』</ref>。重量100 gあたりのエネルギー59 kcal、たんぱく質5.0 g、灰分0.8 g<ref name="foodmext" />。[[第二次世界大戦]]後に発明され、発展した<ref>]https://www.weblio.jp/content/%E5%85%85%E5%A1%AB%E8%B1%86%E8%85%90 充填豆腐(Weblio辞書)]</ref>。 ; 高野豆腐 : 鎌倉時代に生まれ、「氷豆腐」「凍り豆腐」(こおりどうふ)または「凍み豆腐」(しみどうふ)とも呼ばれる。[[寒天]]同様、昔は冬場に晴天の多い地域で凍結と乾燥を交互に繰り返して仕上げたが、現代では工場で一年中生産できる。豆腐を凍結と解凍を繰り返して水分が抜け乾燥状態になっているため、豆腐の栄養成分が凝縮されている。カルシウムと[[リン]]などミネラルが特に豊富で、ビタミンEやタンパク質も多い[[健康食材]]である<ref>山口百々男『日本の文化・観光・歴史辞典』</ref>。水(多くは[[出汁]]を含んだもの)で戻して用いる。凍り豆腐の水煮重量100 gあたりのエネルギー115 kcal、たんぱく質10.7 g、灰分1.3 g<ref name="foodmext" />。 {{see also|高野豆腐}} === 堅豆腐 === '''[[堅豆腐]]''' / '''[[固豆腐]]''' (かたとうふ<ref name="Shokusai2012">{{Cite web|和書 | title = 食彩の王国 第412回『堅とうふ』 | work = tv asahi (ウェブサイト) | publisher = [[テレビ朝日]] | url = http://www.tv-asahi.co.jp/syokusai/contents/nextweek/0369/ | accessdate = 2018-06-16 }}</ref><!-- とりあえず番組公式サイトの放送回のページにリンクしましたが、この節の記載の大半は公式サイトの情報ではなく、放送内容自体を出典にしているようです。もしそうなら、アクセシビリティの点で検証可能性を満たしていない可能性があります。 -->)は、現在の日本で一般的となっている製法と異なり、濃度の高い豆乳を使ったり、[[にがり]]の代わりに海水を使うなど、様々な方法を用いて保存できるようにした種類の豆腐のことで、なかには荒縄で縛って持ち運びできるほど堅いものもある。 現代に遺る日本の堅豆腐は、そもそも日本で作られ始めた当時のものに近い<ref name="Shokusai2012" />。つまり、本来的には豆腐は堅豆腐、もしくは、それに似た「堅い豆腐」であった。例えば江戸時代の[[浮世絵]]に描かれた豆腐もその多くは大きくしっかりとした長方体の堅豆腐である<ref name="Shokusai2012" />。現代では[[流通]]の不便な[[豪雪地帯]]や山岳地域あるいは[[離島]]などだけで変わらず作られ続ける伝統製法となっている<ref name="Shokusai2012" />。堅豆腐を作る地域としてしばしば例に挙げられる場所としては、[[加賀国|加賀地方]]([[石川県]])の[[白山]]麓の一円の各所がその一つであり<ref name="Shokusai2012" />、なかでも旧・[[石川郡 (石川県)|石川郡]][[白峰村]](現・[[白山市]]白峰)の石豆腐や、[[富山県]][[五箇山]]の岩豆腐はよく知られている<ref name="Shokusai2012" />。 ; 水分を減らしたもの :* [[沖縄県]]の[[島豆腐]]:「生しぼり法」で作られ、豆乳の粘度が低い状態でにがりを混ぜるが、荷重と時間を多くかけて含水率を減らすため硬くなる。また、作りたてで新鮮なものが好まれるため、水にはさらさずに温かい状態で販売される。 :* [[京都府]]宇治市の黄檗豆腐:荷重と時間を多くかけて含水率を減らしたもので、[[普茶料理]]に使われる。 : ; 濃い豆乳 :* [[石川県]][[白峰村]]の石豆腐(堅豆腐) :* [[富山県]][[五箇山]]の岩豆腐(堅豆腐) :* [[徳島県]][[祖谷]]地方([[東祖谷山村]]・[[東祖谷山村]])の岩豆腐(石豆腐) :* [[熊本県]][[球磨郡]][[五木村]]の五木豆腐 : ; 海水利用 :* [[山口県]][[祝島]]の石豆腐 :* [[長崎県]][[五島列島]]の潮豆腐 :* 長崎県[[壱岐市]]の壱州豆腐 :* [[沖縄県]]の糸満豆腐 :* 沖縄県のシマ豆腐 == 製法 == === 原料 === ==== 大豆 ==== 大豆は唯一の原料とも言えるものである<ref>{{Cite web|和書 | title = 豆腐・原料大豆の消費量 | publisher = 全国豆腐連合会 | url = http://www.zentoren.jp/economy/consumption.html | accessdate = 2018-06-16 }}</ref>。まず第一に、タンパク質の含有分の高い事が求められ、香り、また[[遺伝子組み換え作物|遺伝子組み換え]]をしているか否かなどの安全面が考慮されることが多い。豆腐に適した大豆品種としては[[フクユタカ]]や[[エンレイ (大豆)|エンレイ]]などが挙げられる。油糧用(大豆油用)や飼料用を除く食品用大豆の国内自給率は2013年度は25%(大豆全体では7%)<ref>{{Cite web|和書 | title = 大豆のまめ知識:Q.5 大豆の自給率は? | publisher = 農林水産省 | url = https://www.maff.go.jp/j/seisan/ryutu/daizu/d_tisiki/#Q5 | accessdate = 2018-06-16 }}</ref>、輸入大豆の約7割はアメリカ産である<ref>{{Cite web|和書 | title = 大豆のまめ知識:Q.18 日本の大豆の輸入相手先は? | publisher = 農林水産省 | url = https://www.maff.go.jp/j/seisan/ryutu/daizu/d_tisiki/#Q18 | accessdate = 2018-06-16 }}</ref>。アメリカ産大豆の作付け面積の9割は遺伝子組み換え大豆であるが<ref>{{cite journal|和書 | title = 商社の人と仕事 非遺伝子組み換え大豆の安定確保への取り組み | author = 大北昌彦 | journal = 日本貿易会月報 | pages = 51-53 | volume = 2009年5月号 | issue = No.670 | publisher = 日本貿易会 | url = http://www.jftc.jp/monthly/archives/001/201704/a127f725a40b97ef2c56de42539d9d2e.pdf | date = 2009-05 | format = PDF | accessdate = 2018-06-16 }}</ref>、日本へ輸出されている大豆は非遺伝子組み換え大豆である<ref>{{Cite web|和書 | title = アメリカ大豆って? | publisher = アメリカ大豆輸出協会 | url = http://ussoybean.jp/whats-us-soy/ | accessdate = 2018-06-16 }}</ref>。 国産大豆や有機大豆、非遺伝子組み換え大豆など、特色のある原材料を使用していることを表示する場合、「国産大豆使用」などと表示できるのは、100%その原材料を使用している場合のみで、100%未満の割合で使用している場合は「国産大豆○○%使用」もしくは「国産大豆○割使用」などと、使用割合を表示しなければならない。なお、使用割合は切り捨てまたは最小値を表示しなければならない<ref>{{Cite web|和書 | title = 大豆のまめ知識:Q.49 国産大豆使用製品の表示は? | publisher = 農林水産省 | url = https://www.maff.go.jp/j/seisan/ryutu/daizu/d_tisiki/#Q49 | accessdate = 2018-06-16 }}</ref><ref>{{Cite web|和書 | title = 加工食品品質表示基準改正のポイント 「特色のある原材料表示」及び「原料原産地表示」 | publisher = 東京都福祉保健局 | url = http://www.fukushihoken.metro.tokyo.jp/shokuhin/hyouji/kyouzai/files/kakou_kaisei03.pdf | format = PDF | accessdate = 2018-06-16 |deadlinkdate=2019-5-7 }}</ref>。 また、遺伝子組み換え大豆を使用している場合、「遺伝子組換え」や「遺伝子組換え不分別」という表示が義務づけられている<ref>{{Cite web|和書 | title = 大豆のまめ知識:Q.50 遺伝子組換え大豆に係る表示は? | publisher = 農林水産省 | url = https://www.maff.go.jp/j/seisan/ryutu/daizu/d_tisiki/#Q50 | accessdate = 2018-06-16 }}</ref>。遺伝子組み換え作物の表示の詳細については、[[遺伝子組み換え作物#日本における表示|遺伝子組み換え作物]]を参照。 ==== 凝固剤 ==== 化学的には豆腐の凝固は豆乳の[[タンパク質|蛋白質]]が凝固剤により[[ゲル]]化することで起こる。したがって、豆腐は[[架橋]]された蛋白質の網目構造に多数の[[水]][[分子]]を取り込んだ構造である。 大別すると[[マグネシウム]][[イオン]]あるいは[[カルシウム]]イオンが蛋白側鎖の[[カルボキシル基]]を架橋してゲルを形成する場合([[塩析]])と、酸が蛋白質の高次構造を変える(変性)ことによりゲルを形成する場合(酸凝固)とがある。前者には凝固剤として[[硫酸カルシウム]]、[[塩化マグネシウム]]、[[塩化カルシウム]]、[[硫酸マグネシウム]]等が使用され、後者は[[グルコノデルタラクトン]]が使用される。グルコノデルタラクトンの徐々に酸([[グルコン酸]])へと変化する性質が利用されている。なお、グルコン酸は[[グルコース]]の[[有機酸]]なので安全性は高い。 中国では伝統的に塩鹵([[塩化マグネシウム]])溶液、山礬([[ハイノキ科|ハイノキ]])や酸漿([[ホオズキ]])の葉のしぼり汁、[[石膏]]([[硫酸カルシウム]])などが使われたが<ref>[[s:zh:本草綱目/穀之四#豆腐|『本草綱目』穀之四・豆腐]]</ref>、現在では石膏を粉末とし水に溶いたものを凝固剤とすることが多い。古来の日本の伝統的な製法では製塩の過程で生じる[[にがり]]が主に使われていた。日本でも硫酸カルシウムやグルコノデルタラクトンなどの凝固剤が多く使われていた時期があったが、近年は見かけなくなりつつある。また、中国や韓国でもこの製法を用いる工場がある。 一般的に[[にがり]]と呼ばれているものは、塩化マグネシウムが主成分で、古くは、[[塩田]]で[[海水]]から[[塩]]を作るときに、いっしょに[[抽出]]される副産物であった。また、塩を[[運搬]]する途中で[[にがり]]成分が分かれて梱包した[[俵]]に染み出すこともあり、[[海]]から遠い[[街道]]沿いではよく利用されていた。 現在では、工業化されて塩化マグネシウムの純度の高いものや、海外の[[岩塩]]採掘場で採取されたもの、あるいは国内外の工業的な製塩の過程で抽出されたものが多く、実際に塩田から取っているものは少ない。また一部豆腐製造業者の間では、凝固剤の総称として「にがり」の呼称を使っている場合もあり、注意が必要である。 [[戦前#日本史における「戦前」|第二次世界大戦前]]までは、この[[にがり]]を凝固剤に使用するのが主流であったが(一部では硫酸カルシウム[すましこ]も使われていた)、やがて[[統制]]品に指定されたため入手が困難となった。そこで同じように凝固反応を起こし、入手の容易な硫酸カルシウム(すましこ)への転換が進んでいった。硫酸カルシウムは[[にがり]]の主成分である塩化マグネシウムと比べて適正な凝固反応が起こるいわゆる凝固のストライクゾーンが広いため、保水性が高く肌理の細かい高品質な豆腐が、比較的容易に作りやすかった。そのため、[[戦後]]も機械化が進むにつれ、凝固材として使いやすい硫酸カルシウムへの転換が進んでいった。[[1980年代]]後半になって、[[にがり]]で作られた豆腐の味が見直され始め、最近では[[スーパーマーケット]]などで容易に塩化マグネシウムや[[にがり]]を使った豆腐が入手できるようになった。 ==== 水 ==== おいしい豆腐の条件として水が挙げられる<ref name="ryorizensyu5_p203"/>。豆腐の約80 - 90%は水であり、また、豆腐の製造工程でのさらし水が良くなければ淡白な豆腐の味を損ねることになるためである<ref name="ryorizensyu5_p203">『Cook料理全集5 豆腐と豆の料理』(千趣会 1976年)p.203</ref>。 === 古典的な製法 === [[江戸時代]]の日本では、[[落語]]の題材になったり、『[[豆腐百珍]]』のような料理本まで出るほど、広く庶民の食べ物となっていた豆腐は、比較的加工の度合いも低く、経験さえ積めば誰にでも容易に製造できたため、[[大正]]時代から[[昭和]]時代の[[戦前#日本史における「戦前」|第二次世界大戦前]]にかけては、一つの町内に一軒ずつ製造業者が存在するほどであった。辺鄙な[[田舎]]であることを表すのに「[[酒屋]]へ三[[里 (尺貫法)|里]] 豆腐屋へ二里」という[[狂歌]]<ref group="注">「[[ほととぎす]]自由自在にきく里は酒屋へ三里豆腐やへ二里」(ほととぎすの声が聞けるような場所は、近くの酒屋豆腐屋へ2里3里もある不便な田舎だ)江戸時代後期に、ほととぎすの多い郊外へ引っ越すことが流行った。当時の見さかいのない風流ばやりを馬鹿にした句。</ref>もある。また、[[味噌]]などと同様に、農村では各集落で共同で作られていた。 {{Anchors|呉}}まず原料の大豆を、一夜(12時間ほど)真水に漬けておく。翌朝、十分に漬けあがった大豆を適度に水を加えながら'''石[[臼]]'''でクリーム状に磨り潰す、このクリーム状に磨り潰された大豆のことを「呉」と呼ぶ。次に呉を'''[[釜]]'''に移し、適度に水を加えて濃度を調整し[[薪]]にて炊き上げる。この時、呉は[[サポニン]]の作用で激しく泡立つため、'''[[消泡剤]]'''として[[食用油]]に石灰を加えたものを適度に振りかける。十分に炊き上がった呉を、布で濾して豆乳を木[[桶]]に取る。この豆乳が冷えないうちに凝固剤として'''[[にがり]]'''を適度に加え、[[櫂]]と呼ばれる木の板で撹拌する(にがりを打った以降の一連の作業を'''寄せ'''と呼び、[[職人]]の技の見せ所である)。豆乳の濃度、温度、にがりの量、そして適度な「寄せ」がそろうと、豆乳は水と分離することなく固まり始め、やがて[[そぼろ|おぼろ]]状、またはプリン状の豆腐となる。これを崩しながら内側に布を敷いた型の中に盛り込み、蓋をして重石を掛け、硬く水を切ると豆腐(木綿豆腐)となる<ref group="注">古典的製法の古文書は[{{NDLDC|902169}} 『豆腐集説』]を参照のこと</ref>。 {{出典の明記|section=1|date=2016-7}} ; 石臼 : [[石臼]]で磨り潰されることにより、必要な蛋白分や糖分のみが液中に飛び出し、渋みの多い皮の部分はあまり細かくなることなく、[[おから]]として排出されやすくなると言われている。工業化された製法では、[[グラインダー]]で豆を微細に削る。石臼を使うと、呉の焼け([[酸化]])が少なくなるとも言われている。 ; 釜 : いわゆる地釜(五右衛門釜)である。直火で炊き上げるため、呉が非常に焦げ付きやすく、濃く粘度の高い呉を使って、現在のような高濃度の豆乳を作ることは、事実上不可能であった。大豆固形分[[濃度]]は推定7 - 8%であったと考えられる。現在は[[蒸気]]釜で炊き上げるため焦げることはなく、豆腐の場合10 - 13%の豆乳が一般的である。 ; 消泡剤 : 呉を炊くと、大豆中のサポニンが激しく泡立つため、釜から呉が容易に吹きこぼれてしまう。また泡立った呉から取った豆乳も[[メレンゲ]]状の泡に包まれてしまうので、まともに[[にがり]]を打ち、寄せの作業をすることが出来ない。このため古くから消泡剤を使うのが一般的であった(『豆腐集説』 [[1872年]][明治5年])。また消泡剤は[[乳化剤]]としての側面も持っていて、呉液を乳化させることにより大豆中の旨み成分(大豆油のアミノ酸等)を豆乳の中に引き出す重要な役割も担っている。他方、最近では消泡剤を使用しない豆腐も注目を集めている。 ; [[にがり]]、寄せ : さまざまな寄せの方法があるが、典型的な例として、桶の中の豆乳をにがりと反応させながら、櫂で中心に「寄せる」作業を行う。この時、豆乳は、蛋白の分子が[[にがり]]に反応して水の分子を包みながら網の目状に繋がり始め、大きく見るとプリン状になり、豆腐となる。釜で炊かれた豆乳は、前述の通り濃度が低いので、蛋白分子が繋がった網の目構造の'''網の目'''が粗いものとなる(濃度が高いと緻密な網となる)。このため水をその網に十分に捕らえることが出来ないので離水しやすく、木綿豆腐を作ると、水切れがよく非常に硬い豆腐が出来上がる。ゆえに、古来の豆腐というのは、このように非常に硬い木綿豆腐であったと考えられる。 [[1980年]]([[昭和]]55年)前後の[[岐阜県]]の[[徳山村 (岐阜県)|徳山村]]や[[根尾村]]などで、この古典的な製法が確認されている。最近では、山間部で、逆に濃度の濃い豆乳を使って作った硬い豆腐を土産物的に売っているが、これは近代的に作られた似て非なるものである。 === 現代日本の豆腐製造業 === 現代の日本における豆腐[[製造業]]者には、工場で大量生産する大手企業もあるが、中小企業や個人商店も非常に多い。全国豆腐連合会では、これは豆腐製造が微妙な技術を要することや、長期保存ができないなど、豆腐の特性が関係していると分析している<ref>{{Cite web|和書 | title = 豆腐事業者数の推移・販売額等 | publisher = 全国豆腐連合会 | url = http://www.zentoren.jp/economy/enterpreneur.html | accessdate = 2018-06-16 }}</ref>。 また、中小企業側は[[中小企業事業分野調整法]]により、大企業が進出しようとする場合、[[都道府県知事]]を通じて[[経済産業大臣]]に調整(進出計画の撤退、縮小)の申し出をすることができる<ref name="森宅">{{Cite web|和書|title=森永宅配ミルク |url=http://takuhaimilk.ne.jp/ |work=(公式ウェブサイト)|publisher=[[森永乳業]] |accessdate=2012-02-11}}</ref>{{出典無効|date=2018-06-17 |title=情報源に裏づけとなる記述がない}}<ref name="ShopHouse">{{Cite web|和書|title=ほんとうふ |url=https://www.shop-house.com/tofu/index.html |work=(公式ウェブサイト)|publisher=[[ハウス食品]] |accessdate=2012-02-11|deadlinkdate=2018年6月}}</ref>。そのため、当初大手メーカーは海外市場で販売を行っていた<ref name="森宅" />{{出典無効|date=2018-06-17 |title=情報源に裏づけとなる記述がない}}<ref name="ShopHouse" />。しかし、包装技術の向上(真空充填、チルドなど)により長期保存、大量輸送が可能となり、また流通構造が大きく変化した現在では牛乳販売店などの宅配網や、インターネット等を中心に販売している<ref name="森宅" />{{出典無効|date=2018-06-17 |title=情報源に裏づけとなる記述がない}}<ref name="ShopHouse" />。また、一部ではチルド製品を店頭販売している業者もある<ref>{{Cite web|和書|title=豆腐 - チルド商品 |url=http://www.imuraya.co.jp/goods/chilled/index2.html |work=SHOPハウス(公式ウェブサイト)|publisher=[[井村屋]] |accessdate=2012-02-11|deadlinkdate=2018年6月}}</ref>。日本最大の製造業者は[[相模屋食料]]である。 一方、中小企業を中心とする従来の店頭販売では、スーパーマーケットや[[コンビニエンスストア]]の事業者の価格決定権が強く、特売(安売り)が当たり前になってしまい、特売が希望小売価格状態になってしまって経営を圧迫している。さらに、原料である大豆はそのほとんどをアメリカに依存しているが、原料である非[[遺伝子組み換え作物|遺伝子組み換え]]大豆生産量はアメリカにおける生産数の一割以下であり、遺伝子組み換え価格の約3倍もする。また、アメリカのエネルギー安全保障政策でバイオ燃料作物への転作が進んだことによる原料の急激な高騰や、[[原油価格]]高騰<ref name=yomiuri_2013-11-02>{{cite news | title = 豆腐店、続々廃業「365日働いても利益ない」 | newspaper = 読売新聞 | url = http://www.yomiuri.co.jp/atmoney/news/20131102-OYT1T00227.htm | date = 2013年11月2日 | accessdate = 2013年11月3日観覧 | deadlinkdate = 2018-06-16 }}</ref>による包装等の資材価格高騰も経営を圧迫している。こうした影響もあり、2003年度の全国の豆腐業者は約14000軒だったが、9年後の2012年度には約9000軒まで減少している<ref name=yomiuri_2013-11-02 />。また、製造工程から出てくる[[おから]]は現在の法律上は[[産業廃棄物]]扱いであり、[[男前豆腐店]]の事件など[[不法投棄]]や処分費問題をかかえている。 == 豆腐の関連食品 == * [[豆腐花]] === 豆腐の副産物 === * [[おから]] :豆腐製造過程で出る副産物食品。栄養豊富な食品であるが、現代の日本では食品廃棄物であることが多い(あくまで現代日本に限ったことであり、時代と地域によって市場価値は大きく異なる)。 === 豆腐の二次加工品 === [[ファイル:Fuchu200921.JPG|thumb|right|生揚げ([[厚揚げ]])と[[油揚げ]]]] * [[焼き豆腐]] :表面を焼いて、焼き目を付けたもの。 * 乾燥豆腐:豆腐を塩蔵乾燥、凍結乾燥したり、[[燻製]]で乾燥して保存性を高めた豆腐。 ** [[六條豆腐]]:塩蔵乾燥させて作った豆腐は六條豆腐と呼ばれ、現在市販されているものとしては[[山形県]]岩根沢地方([[西村山郡]][[西川町]])の六浄豆腐がある。豆腐を塩で水分を抜き、乾燥させたもの。非常に堅いため削ったものを食べたり、料理に使ったりする。 ** [[高野豆腐]](凍り豆腐) :豆腐を凍結乾燥させたもの。 ** 燻り豆腐:[[岐阜県]][[郡上市]][[大和町 (岐阜県)|大和町]]に伝わる燻り豆腐(いぶり豆腐)は、硬めの豆腐を長時間燻して作られた豆腐の燻製。熊本県五木村にも同様にして製造する桜燻製豆腐が伝わっている。 * [[油揚げ]] :薄く切った豆腐を中心部まで火が通るように[[揚げる|揚げ]]たもの。 * [[厚揚げ]] :厚く切った豆腐を揚げたもの。中が生の状態である事から「生揚げ」とも呼ぶ。 * [[がんもどき]] :豆腐を崩して野菜を混ぜあわせて成形し油で揚げた加工品。 * [[つと豆腐]]:豆腐を納豆と同様に藁苞(わらづと)で包み、塩ゆでしたもの。[[福島県]]、[[茨城県]]の郷土料理。 ** [[こも豆腐]] * [[豆腐よう]] * [[腐乳]] * [[臭豆腐]] * {{仮リンク|醸豆腐|en|Yong Tau Foo}} * {{仮リンク|熏豆腐|zh|熏豆腐}} * {{仮リンク|鶏糕|zh|鸡糕}} * [[塩豆腐]] - 水を切った豆腐(絹豆腐でも木綿豆腐でもよい)にまんべんなく塩をふり、キッチンペーパーで多重にくるんで、冷蔵庫で1~3日ほど寝かせる。大量の水分が出るのでペーパーは何回か取り換える。完成すると[[モッツァレッラ]]のようになる。これを[[カプレーゼ]]など様々な料理に使う。 ** [[豆腐の味噌漬け]] * [[豆腐カステラ]] - [[秋田県]]の郷土料理。 === 豆腐を模した食品 === 食品のなかには大豆と[[にがり]]を使用していなくても柔らかく豆腐状の物があり、「[[かわり豆腐]]」などと呼ばれる。 * [[玉子豆腐]] * [[胡麻豆腐]] * [[杏仁豆腐]] * [[牛乳豆腐]] * [[ごどうふ]] - 日本([[長崎県]]と[[佐賀県]])の[[郷土食]]。 * [[ピーナツ]]豆腐・[[ジーマーミ豆腐]] * [[くるみ豆腐]]-磨った[[クルミ|くるみ]]を[[葛粉]]などで固めた、日本([[岩手県]])の郷土食<ref>[http://www.bunka.pref.iwate.jp/seikatsu/ryouri/shousai/ryouri_005.html くるみ豆腐]</ref>。 * [[カシ豆腐]] - [[イチイガシ]]の[[ドングリ]]から抽出した[[澱粉]]を固めた、日本([[高知県]])の郷土食。 * [[蕎麦豆腐]]‐蕎麦粉を葛などのデンプンで固めた食品。 * [[ムク]] - [[大韓民国]]の食品。[[澱粉]]を固めた食品 ** [[トトリムク]] - [[大韓民国]]の食品。「ムク」は[[澱粉]]を固めた食品で、トトリムクはトトリ(ドングリ)澱粉を固めたもの。 ** [[メミルムク]] - 大韓民国の食品。メミル([[ソバ]])の澱粉を固めたもの。 * [[ハウピア]] - [[ハワイ]]の[[ココナッツミルク]]豆腐。 * [[ヒヨコマメ|ひよこ豆]]豆腐 - ミャンマーの[[ビルマ風豆腐]]。 * [[血豆腐]] ==== 日本国外の豆腐 ==== [[フィリピン]]には「[[タホ (料理)|タホ]] ({{lang|tl|taho}})」と呼ばれる[[菓子|スイーツ]]があり、水分の多い温かい豆腐([[カスタードプディング|プリン]]状の豆乳)に[[タピオカ]]と[[黒蜜]]をまぶして食べる。現地では朝食前にタホを食べる習慣があり、毎朝、[[天秤棒|天秤]]を担いだ「タホ売り」が家々を回る。この際、フィリピンのタホ売りは、{{要出典範囲|date=2023年10月12日 (木) 21:34 (UTC)|かつての日本の豆腐の[[行商]]と同様に[[ラッパ]]を吹き鳴らして合図をする}}。 また、[[チェコ]]の[[プラハ]]では、[[牛乳]]の代わりに[[豆乳]]を使って作った[[チーズ]]([[アナログチーズ]])を "tofu" として売っている。プレーンタイプのほか、[[燻製]]タイプなど数種が、スーパーマーケットのチーズ売場で見られる。 == 豆腐料理 == {{Multiple image | align = right | direction = vertical | header = 豆腐料理 | header_align = center | footer = | image1 = Miso Soup.jpg | width1 = 200 | caption1 = 豆腐入りの[[味噌汁]] | image2 = Hiyayakko by -cipher-.jpg | width2 = 200 | caption2 = [[冷奴]]/[[ネギ]]、[[シラス (魚)|しらす]]、[[削り節]]をのせたもの。 | image3 = Yudōfu 001.jpg | width3 = 200 | caption3 = [[湯豆腐]] | image4 = Nameshi Dengaku.jpg | width4 = 200 | caption4 = 豆腐の[[味噌田楽]]/[[菜飯]]と一緒に食べるスタイル([[愛知県]])。 | image5 = Tofu-beijingchina.jpg | width5 = 150 | caption5 = 豆腐料理([[北京料理]]) }} {{multiple image | align = right | direction = vertical | header = 豆腐の再加工品 | header_align = center | footer = | image1 = Ganmodoki.jpg | width1 = 200 | caption1 = [[がんもどき]] }} {{Multiple image | align = right | direction = vertical | header = 豆腐の関連食品 | header_align = center | footer = | image1 = Yuba by Abrilon.jpg | width1 = 200 | caption1 = 中国の[[ゆば|湯葉]]である腐皮 }} === 種類 === [[冷奴]]など生で食されることも多いが、調理される料理も非常に多い。 ; 日本で一般的な料理 豆腐を具材の一つとする一般料理は多い。豆腐をメインの具材とした料理もある。 * [[湯豆腐]] * [[味噌汁]] * [[味噌田楽]]・[[木の芽田楽]] * [[豆腐の味噌漬け]] * [[揚げ出し豆腐]] * [[擬製豆腐]] * [[炒り豆腐]](煎り豆腐) * [[豆腐ハンバーグ]] * [[すき焼き]] * [[おから|卯の花]] * [[夫婦炊き]] :豆腐(主に焼き豆腐)と[[油揚げ]]の煮物。 * [[空也豆腐]] :豆腐の上に卵をかけて蒸し、葛餡をかけた料理。「空也蒸し」とも言う<ref>{{Cite |和書 | title = 広辞苑 | date = 1991 | edition = 第四 | publisher = 岩波書店 | pages =718 | isbn = 4000801015 | ref = harv }}</ref><ref>{{Cite journal|和書 | author = 富江 ハス子 | year = 1991 | title = 茶わん蒸し | journal = 調理科学 | volume = 24 | issue = 1 | pages = 71-75 | publisher = 日本調理科学会 | doi = 10.11402/cookeryscience1968.24.1_71 | ref = harv }}</ref>。 ; 日本の郷土料理 * [[半助豆腐]] :大阪の郷土料理 * [[どじょう豆腐]] :店によっては「どぜう豆腐」「地獄鍋」「地獄煮」「どじょう地獄」などと呼ぶ。 * [[チャンプルー]] :沖縄の[[郷土料理]]。 * [[冷や汁]] * 山掛け : 豆腐に[[とろろ]]をかけたもの。「山掛け豆腐」「いもかけどうふ」とも呼ぶ<ref name=kojien>『[[広辞苑]] 第5版』岩波書店</ref>。 ; 日本以外の料理 * [[麻婆豆腐]] * [[スンドゥブ|スンドゥブ・チゲ]] ; 豆腐百珍 日本で江戸時代に著された『[[豆腐百珍]]』には、その名のとおり100種類の豆腐料理が紹介されている。 {{See also|豆腐百珍}} * 甘露豆腐 * 埋豆腐 :[[味噌汁]]かけご飯。 * [[榧]]の揚げ豆腐 * 真の[[うどん]]豆腐 * 再び田楽 === 豆腐の調理法 === ==== 切り方 ==== 豆腐は、冷奴や湯豆腐などでは奴切り、味噌汁や吸い物などでは[[賽の目切り]]や色紙切りなどに調理される<ref name="ryorizensyu5_p190">『Cook料理全集5 豆腐と豆の料理』(千趣会 1976年)p.190</ref>。 ==== 水切り ==== 豆腐を揚げたり、焼いたり、炒めたりする場合など豆腐料理の種類に応じて水切りが必要となる場合がある<ref name="ryorizensyu5_p190"/>。 == 栄養 == [[植物]]性[[タンパク質|蛋白質]]が豊富。[[カロリー]]は比較的低いため<ref>{{Cite web|和書|url=https://kaigo.news-postseven.com/82194|title=豆腐が持つ驚きの6つのパワー 木綿と絹ごし栄養多いのはどっち? (1/1)|publisher=介護ポストセブンl|date=2020-06-25|accessdate=2020-11-20}}</ref>、健康的な食品<!--※意図:「健康食品」との呼び分け。-->として欧米などでも食材として使われるようになっている。製法工程上、[[食物繊維]]の多くは製造過程で滓として分けられる[[おから]]のほうに含まれるため、豆腐は、大豆の加工品でありながら食物繊維の含有量は少ない。 絹ごし豆腐100[[グラム|g]]中には、水分89.4g、蛋白質5.0g、[[脂質]]3.3g、[[糖質]]1.7gが含まれ、58[[カロリー#栄養学における「カロリー」|kcal]]のカロリーがあると言われている<ref>{{Cite web|和書|date= |title=豆腐と栄養・健康 |url=http://www.aiweb.or.jp/otoufu/htm/eiyo.htm |work=(公式ウェブサイト)|publisher=愛知県豆腐商工業協同組合[http://www.aiweb.or.jp/otoufu/] |accessdate=2012-02-11}}</ref>。脂肪エネルギー比は51.7[[パーセント|%]]であり、原料となる乾燥大豆の38.6%を上回る。 == 文化 == === 慣用句 === とても柔らかいものの例として用いられている。 ; 豆腐に鎹 : 木材をつなぎ止めるものである鉄製の[[鎹]](かすがい)を軟らかい豆腐に打ち込もうとする様を表す、[[日本語]][[慣用句]]で、「手応えが無い」という意味。類似表現に「[[糠]]に[[釘]]」「[[暖簾]]に腕押し」がある。 ; 豆腐の角に頭をぶつけて死ね : [[古典落語]]の演目『[[穴どろ]]』に登場する罵倒の台詞に由来する。角の尖った四角い物とは言え、柔らかな豆腐の角に頭を打ち付けても死ぬようなことは不可能であるのに、真に受けて本当に豆腐に頭をぶつけて死のうとする、それほどに愚かな者だと嘲る言葉である。類似表現として「[[うどん]]で首吊って死ね」「自分の耳齧って死ね」が存在する。 ; 畑の肉 : 豆腐はタンパク質が豊富であることから<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.ndl.go.jp/kaleido/entry/21/3.html |title=第3章 海を越えた大豆 本の万華鏡 第21回 大豆 -粒よりマメ知識- 国立国会図書館 |accessdate=2022-09-16}}</ref>。 === 伝説 === 日本には、豆腐あるいは豆腐売りをモチーフにした[[豆腐小僧]]という[[妖怪]]の伝説がある。 === 落語 === 日本において、庶民の日常食材として使われた豆腐は[[落語]]にも登場する。 ; [[酢豆腐]] : 通人ぶった若旦那に、腐った豆腐を「酢豆腐」と称して言葉巧みに食わせてしまう。 ; [[釜泥]] : 大盗賊・[[石川五右衛門]]が[[釜茹で]]で処刑された後、子分たちが「親分の仇」とばかりに方々の大釜を盗み出して壊すという暴挙に出る。2度も大釜を盗まれ、商売上がったりの豆腐屋は・・・<!--※注意:およそ百科事典の表現ではありません。PR文のような表現は改めて下さい。-->。 ; [[鹿政談]] : 端々に豆腐にちなんだクスグリが用いられる落語。奈良の豆腐屋が店先の[[おから]]を盗み食いした獣を打ったところ、当たり所が悪かったのか死なせてしまった。これが春日大社のお使いとされるシカのうちの一頭であった。神鹿を殺すことは過失であっても死罪に問われたことから、豆腐屋は捕縛されて裁きを受けることになってしまう。 == その他 == [[家畜]]の飼育者や[[動物園]]の一部は、[[餌]]として豆腐や[[おから]]を与えている。 [[パーソナルコンピュータ|パソコン]]において、[[フォント]]が対応していないために表示できない文字は、小さい四角(□)で置き換えられることが多く、これを[[ネットスラング]]で豆腐と呼ぶ。[[Google]]が配布している「[[Noto]]」というフォントの名前はこのスラングに由来('''no''' more '''to'''fu)しており、インターネット上で表示できない文字を無くすという意味が込められている<ref>{{Cite web|url=https://www.google.com/get/noto/ |title=Google Noto Fonts|accessdate=2017-04-20|publisher=Google Inc.}}</ref>。 中国においては[[血豆腐]]と称される[[血液の食用利用|動物の血液から作られた食品]]があるが、形状が豆腐に似ていることから命名された。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Reflist|group="注"}} === 出典 === {{Reflist}} == 参考文献 == * {{Cite book|和書|editor=グルメ文庫編集部|year=2005|month=7|title=日本の伝統食|publisher=[[角川春樹事務所]]|series=グルメ文庫|isbn=4-7584-3184-1|ref=}} == 外部リンク == {{Commons&cat|Tofu}} {{Wiktionary|豆腐}} * {{Anchors|ZTR}}{{Cite web|和書|title=全豆連 |url=http://www.zentoren.jp/ |work=(公式ウェブサイト)|publisher=全国豆腐連合会 |accessdate=2012-02-11}} * {{Anchors|JTA}}{{Cite web|和書|date= |title=日本豆腐協会 |url=http://www.tofu-as.com/ |work=(公式ウェブサイト)|publisher=日本豆腐協会 |accessdate=2012-02-11}} * {{Cite web|和書|date= |title=東京都豆腐商工組合 |url=http://tokyo102.jp/ |work=(公式ウェブサイト)|publisher=東京都豆腐商工組合 |accessdate=2012-04-17}} * {{Cite web|和書|date= |title=豆腐の誕生と普及 |url=https://ku-food-lab.com/wp/wp-content/uploads/2022/04/2221aa3b1c071460992ffdc4fc1be67b.pdf |accessdate=2022-08-24}} {{大豆加工食品}} {{専門店}} {{Food-stub}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:とうふ}} [[Category:豆腐|*]] [[Category:大豆加工品]] [[Category:日本の大豆加工品]] [[Category:中国の食文化]] [[Category:朝鮮の食文化]] [[Category:台湾の食文化]] [[Category:ベトナムの食文化]] [[Category:菜食主義]]
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湯豆腐
湯豆腐(ゆどうふ)は、和食の一つであり、豆腐を使った鍋料理である。 発祥地は京都府南禅寺周辺とされ、現在ほぼ日本全国で食べられているとされる料理である。 材料は豆腐、水、昆布、また好みでつけダレを入れるが一般的である。鍋に昆布を敷き、豆腐と水を入れて火にかけ、温まったところを引き揚げてつけダレで食べることが多い。 付けダレには、醤油、または醤油・酒・みりん・出汁等を合わせたもの、あるいはポン酢醤油などが用いられ、薬味としてネギ、ユズ、大根おろし(紅葉おろし)、削り節などがよく用いられる。他に変わり種として、卵黄・ニラ・トマトなどが用いられることもある。 醤油などで予め味付けした吸い物風のつゆで豆腐を温め、そこへ薬味を投じてそのつゆとともに食べる方法もあり、そちらは「煮奴」とも呼ばれる。さらに、家庭料理として豆腐と一緒にハクサイや鶏肉やしらたきや獣肉などを入れて煮る水炊きに近い調理法もある。 相撲部屋でもちゃんことして湯豆腐が食べられるが、普通の湯豆腐と違って豆腐だけでなく肉類(鶏肉や豚肉など)や野菜やキノコなどが入る具だくさんの中身。特徴は付けダレにあり、卵黄と醤油を混ぜたものをベースに長ネギ・鰹節・青海苔などの薬味を入れたものを燗酒器(相撲部屋では「カンテキ」と呼ぶ)か大きな湯呑みに入れ、それを鍋中に投じて鍋の熱で温めながらかき混ぜ、頃合となったらかけて食べる。 江戸時代に書かれた『豆腐百珍』には「絶品」として7品が掲載されているが、その一品として湯のかわりに葛湯を使う「湯やっこ」が紹介されている。
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湯豆腐(ゆどうふ)は、和食の一つであり、豆腐を使った鍋料理である。
{{複数の問題|独自研究=2022年7月|出典の明記=2022年7月}} {{Infobox prepared food | name = 湯豆腐 | image = [[ファイル:Yudōfu 001.jpg|250px]] | caption = [[土鍋]]で作る湯豆腐 | alternate_name = | country = | region = | national_cuisine = | creator = | year = | mintime = | maxtime = | type = | course = | served = | main_ingredient = | minor_ingredient = | variations = | serving_size = 100 g | calories = | protein = | fat = | carbohydrate = | glycemic_index = | similar_dish = | other = | complexity = }}<!--もとのflickrによれば、京都市 奥丹 南禅寺店にて--> '''湯豆腐'''(ゆどうふ)は、[[日本料理|和食]]の一つであり、[[豆腐]]を使った[[鍋料理]]である。 == 概要 == 発祥地は[[京都府]][[南禅寺]]周辺とされ、現在ほぼ日本全国で食べられているとされる料理である。 材料は[[豆腐]]、[[水]]、[[コンブ|昆布]]、また好みでつけ[[タレ|ダレ]]を入れるが一般的である<ref>{{Cite web|和書|title=湯豆腐(ゆどうふ)|京都府のご当地グルメ湯豆腐は、身も心もほっと安らぐ味わい|eats.jp |url=https://eats.jp/detail/100266 |website=eats.jp |access-date=2022-10-21 |language=ja}}</ref>。[[鍋]]に昆布を敷き、豆腐と水を入れて火にかけ、温まったところを引き揚げてつけ[[タレ|ダレ]]で食べることが多い。 付けダレには、[[醤油]]、または醤油・[[酒]]・[[みりん]]・[[出汁]]等を合わせたもの、あるいは[[ポン酢]]醤油などが用いられ、薬味として[[ネギ]]、[[ユズ]]、[[ダイコン|大根]]おろし([[紅葉おろし]])、[[削り節]]などがよく用いられる。他に変わり種として、[[卵黄]]・[[ニラ]]・[[トマト]]などが用いられることもある。 == 煮奴・湯奴などの料理 == [[醤油]]などで予め味付けした吸い物風のつゆで豆腐を温め、そこへ[[薬味]]を投じてそのつゆとともに食べる方法もあり、そちらは「煮奴」とも呼ばれる。さらに、家庭料理として豆腐と一緒に[[ハクサイ]]や鶏肉や[[コンニャク|しらたき]]や獣肉などを入れて煮る[[水炊き]]に近い調理法もある。 [[相撲部屋]]でも[[ちゃんこ鍋|ちゃんこ]]として湯豆腐が食べられるが、普通の湯豆腐と違って豆腐だけでなく[[食肉|肉類]]([[鶏肉]]や[[豚肉]]など)や[[野菜]]や[[キノコ]]などが入る具だくさんの中身。特徴は付けダレにあり、卵黄と醤油を混ぜたものをベースに長ネギ・鰹節・青海苔などの薬味を入れたものを燗酒器(相撲部屋では「カンテキ」と呼ぶ)か大きな湯呑みに入れ、それを鍋中に投じて鍋の熱で温めながらかき混ぜ、頃合となったらかけて食べる<ref name="sadocahn">[https://www.hotpepper.jp/mesitsu/entry/ken-miyauchi/18-00002 「ちゃんこってなんですか?」ド素人の質問を元力士&漫画家の琴剣淳弥さんにぶつけてみた【相撲メシ】]メシ通 2018-03-30 (リクルート、2018年4月12日閲覧)</ref>。 [[江戸時代]]に書かれた『[[豆腐百珍]]』には「絶品」として7品が掲載されているが、その一品として湯のかわりに[[葛湯]]を使う「湯やっこ」が紹介されている<ref name="k12">{{Cite web|和書|url= https://www.kikkoman.co.jp/pdf/no09_j_009_012.pdf|title=世界の食文化雑学講座|publisher=キッコーマン |accessdate=2020-04-10}}</ref>。 == 文化 == {{出典の明記|section=1|date=2016年12月31日 (土) 23:31 (UTC)}} [[ファイル:Yudofu in the morning.jpg|thumb|right|200px|湯豆腐 湯豆腐桶(ゆどうふおけ)と汁次(しるつぎ)とともに]]<!--注ではなく次と書くのが慣用らしい またおそらくは1人用と思われるが言い切れない--> * 主に[[冬]]に食べられることが多いが、[[夏]]の[[鍋料理|鍋]]として食べる人もいる。 * 湯豆腐を詠んだ名句に[[久保田万太郎]]の「湯豆腐やいのちのはてのうすあかり」がある<ref>1962年(昭和37年)12月27日の銀座百店会の忘年句会に提出された一句。『流寓抄以後』(文芸春秋新社、1963年)所収。 </ref>。 * [[中華人民共和国|中国]]の[[中華料理]]ではたれにつけながら豆腐を食べることは多くないが、[[貴州料理]]の「金鈎挂玉牌」や「豆花麺」は豆腐とともに[[モヤシ]]や[[中華麺]]をゆでておき、好みの辛いたれにつけて食べる料理である。 * [[嬉野温泉]]のように、[[温泉]]を用いた湯豆腐がある。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 出典 === {{Reflist}} == 関連項目 == * [[水炊き]] * [[京都府|京都]] * [[南禅寺]] * [[冷奴]] {{Food-stub}} {{Commonscat|Yudōfu}} {{DEFAULTSORT:ゆとうふ}} [[Category:日本の鍋料理]] [[Category:京都府の食文化]] [[Category:京都市の食文化]] [[Category:日本の豆腐料理]] [[Category:冬の季語]]
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砂浜
砂浜(すなはま、ビーチ)は、波や風で砂などが運ばれて堆積した水と陸との境界域。 浜は波や風で動く砂、泥、貝殻、有機堆積物(植物遺骸)などの堆積物からなる水と陸との境界域である。 サンゴ礁においては、造礁サンゴの活動は新鮮な海水のあるところで活発であり、そのために外洋に向いた浅いところに発達する。海岸線近くは死んだサンゴやサンゴ骨格の破片などが堆積した砂浜となる。サンゴに由来して出来た砂浜は炭酸カルシウムを多く含み白っぽいのが特徴。 特殊な砂の種類には次のようなものがある。 砂は波によってでも容易に移動しやすい粒子であるから、砂からなる海岸というのは、砂が運ばれて来て堆積した海岸、と考えるべきである。外海に面した波当たりの強い場所は岩礁海岸になりやすく、内湾は泥が貯まって干潟になりやすいから、その中間的な部分で砂浜が生じるが、実際には様々な場合がある。 砂浜は砂の堆積する場所に成立するが、その砂を運んできた沿岸流に沿って伸び、場合によってはその先端が海岸を離れて突き出す。これを砂嘴(さし)という。砂嘴の先端が陸に着いた場合、これを砂州(さす)という。また、砂州によって陸続きになった島のことを陸繋島(りくけいとう)という。 風で丘が形成された場合は、砂丘と呼ばれる。堤のようになると浜堤と呼ばれる。 砂浜は、基質である砂が固定しておらず、風や波によって変化する上、塩分、乾燥などの条件もあり、生物には暮しにくい環境である。このため独特の生物相を持つ。特にウミガメの産卵は砂浜に限られる。 また、砂は風によって移動するので、海岸の後背地を保全するために防風林の造成が行われることがある。他方、そのように表面が変形、移動しやすい環境ではあるが、人為的な攪乱はまた異なった影響を与える。例えば砂浜に四輪駆動車などで侵入すると深い轍が残り、これが海浜植物やウミガメの子供にとって大きな影響を与えることが知られている。日本では海岸法の改正により、2001年から砂浜への車両の進入を原則禁止するなどの措置が採られている。 河川の護岸による土砂の流出量の減少、河川にダムが作られてダム湖の湖底に土砂の堆積などが起こることによる土砂の流出量の減少、砂や砂利などコンクリートを作る時などに用いられる骨材の採取が進んで砂の絶対量が減少。これらの理由で海に流れ込む砂の量が減り、各地の砂浜で海岸線が侵食される現象が見られる。対策として、波消ブロックの設置、他の場所から輸送してきた砂の投入による養浜が行われている。 例えば三保の松原で有名な静岡市清水海岸では、昭和30年代から昭和40年代初頭にかけて安倍川の砂利採取が行われたことにより、砂の供給がほとんど無くなり、海岸線の侵食が始まった。昭和42年には大規模な砂利採取を止めたものの、その後も侵食がおさまらず、人工岬(ヘッドランド)の設置などの対策がなされている。 海岸浸食は、供給土砂量が不足することなどによって起こる。砂浜浸食の原因は以下のようなものがある。 また海岸に流れ着く漂着物は、漂流・漂着ごみとなって砂浜を汚染している。シーグラスや流木などを使ったアート作品にする人、ビーチクリーナー(英語版)と呼ばれる機械、ボランティア、ビーチコーミングなどによって回収される。 砂浜の砂が風で飛散したり拡大し、農業や住環境に影響を及ぼすため防砂林で防いでいる。 浜は海岸だけでなく、湖沼にもできる地形である。浜から運ばれた砂が湖岸に沿って堆積してできる遠浅の緩斜面を「湖棚」と呼ぶ。 安全対策が行われた海水浴場では海開き(浜開き)され、海水浴などのレジャーが行われる。 海水浴客を集める思惑から、人工的に砂浜を造る場合がある。最も有名なのはハワイのワイキキビーチであろう。本来はサンゴ礁の礁池であった場所にカリフォルニア州から砂を運び込んで白い砂の海岸が造成されている。本来の海岸の姿は、島の反対側に広がる溶岩起源の岩石(玄武岩)が砕けて造られた黒い砂利の海岸である。 日本でもいくつか例があるが、波や海流などの自然の力で流出して砂が定着しないことも多く、環境破壊などの点で議会等で問題となった例もある。また、砂の流出に伴って起きた人工砂浜(人工ビーチ)の陥没により死者が出た例(明石砂浜陥没事故)もある。
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砂浜(すなはま、ビーチ)は、波や風で砂などが運ばれて堆積した水と陸との境界域。
{{出典の明記|date=2015年8月5日}} {{雑多な内容の箇条書き|date=2022-11}} [[Image:La_Galera_3.JPG|thumb|300px|right|[[ベネズエラ]]の砂浜]] '''砂浜'''(すなはま、ビーチ)は、波や風で[[砂]]などが運ばれて[[堆積]]した水と陸との境界域<ref name="ibaraki" />。 == 概説 == {{multiple image | align = right | direction = vertical | width = 200 | image1 = Furuzamami_beach_Okinawa_Zamami.jpg | alt1 = | caption1 = [[座間味島]]・古座間味ビーチ | image2 = Hidden_Beach_(15093910956).jpg | alt2 = | caption2 = [[クロアチア]]南部の隠れたビーチ | image3 = Malediven Wasserbungalow (28800500816).jpg | alt3 = | caption3 = [[モルディブ]]の砂浜 | image4 = Anse Source d'Argent beach aerial La Digue, Seychellen (39587432402).jpg | alt4 = | caption4 = [[ラ・ディーグ島]]、[[セーシェル]] | image5 = Gold_Coast_skyline.jpg | alt5 = | caption5 = [[ゴールドコースト (クイーンズランド州)|ゴールドコースト]]の砂浜 | image6 = YBF 2010 - Bikini Bar perjantaina.jpg | alt6 = | caption6 = [[フィンランド]]、[[ポリ (フィンランド)|ポリ]]の{{ill|イテリビーチ|en|Yyteri}}の人々 }} 浜は波や風で動く砂、泥、貝殻、有機堆積物(植物遺骸)などの堆積物からなる水と陸との境界域である<ref name="ibaraki">{{Cite web|和書|url=https://www.pref.ibaraki.jp/soshiki/seikatsukankyo/kasumigauraesc/04_kenkyu/introduction/documents/05.pdf|title=3.湖としての霞ケ浦|publisher=茨城県 |accessdate=2019-09-27 }}</ref>。 [[サンゴ礁]]においては、[[造礁サンゴ]]の活動は新鮮な海水のあるところで活発であり、そのために外洋に向いた浅いところに発達する。海岸線近くは死んだサンゴやサンゴ骨格の破片などが堆積した砂浜となる。サンゴに由来して出来た砂浜は[[炭酸カルシウム]]を多く含み白っぽいのが特徴。 特殊な砂の種類には次のようなものがある。 * [[鳴き砂]](鳴り砂)- 歩くと音が鳴る砂浜がある。このような砂浜の砂を[[鳴り砂]]または[[鳴き砂]]という。 * [[星の砂]](星砂)- [[有孔虫]]の殻である。 * レッドサンドビーチ - [[カナダ]]の[[プリンスエドワードアイランド州]]などに見られる、[[酸化鉄]]の砂からなる赤い砂浜。 * ピンクサンド・ビーチ - [[バミューダ諸島]]、[[バハマ]]などに見られる砕けた[[サンゴ]]からなるピンクの砂浜。 * オレンジの砂浜 - [[サルデーニャ]]、[[ゴゾ島]]のラムラベイビーチなどに見られる、細かくなった[[貝殻]]と[[石灰岩]]、[[火山]]噴出物との混合物からなる砂浜。 * ブラックサンドビーチ - [[ハワイ]]の[[玄武岩]]の砂からなる黒い砂浜。 * グリーンサンドビーチ - ハワイの[[カンラン石]]の砂からなる緑の砂浜。 == 海岸と砂浜 == 砂は[[波]]によってでも容易に移動しやすい粒子であるから、砂からなる海岸というのは、砂が運ばれて来て堆積した海岸、と考えるべきである。外海に面した波当たりの強い場所は[[岩礁|岩礁海岸]]になりやすく、内湾は泥が貯まって[[干潟]]になりやすいから、その中間的な部分で砂浜が生じるが、実際には様々な場合がある。 === 地形 === 砂浜は砂の堆積する場所に成立するが、その砂を運んできた[[沿岸流]]に沿って伸び、場合によってはその先端が海岸を離れて突き出す。これを[[砂嘴]](さし)という。砂嘴の先端が陸に着いた場合、これを[[砂州]](さす)という。また、砂州によって陸続きになった島のことを[[陸繋島]](りくけいとう)という。 風で丘が形成された場合は、[[砂丘]]と呼ばれる。堤のようになると[[浜堤]]と呼ばれる。 === 生物の環境として === {{main|砂浜の生物}} 砂浜は、基質である砂が固定しておらず、風や波によって変化する上、塩分、乾燥などの条件もあり、生物には暮しにくい環境である。このため独特の生物相を持つ。特に[[ウミガメ]]の産卵は砂浜に限られる。 また、砂は風によって移動するので、海岸の[[後背地]]を保全するために[[防風林]]の造成が行われることがある。他方、そのように表面が変形、移動しやすい環境ではあるが、人為的な攪乱はまた異なった影響を与える。例えば砂浜に[[四輪駆動車]]などで侵入すると深い轍が残り、これが[[海浜植物]]や[[ウミガメ]]の子供にとって大きな影響を与えることが知られている。日本では[[海岸法]]の改正により、[[2001年]]から砂浜への車両の進入を原則禁止するなどの措置が採られている。 === 砂浜に関する問題 === [[File:Ajigaura-beach of the winter,hitachinaka-city,japan.JPG|thumb|right|200px|砂浜が浸食により減少したため砂を入れている(阿字ヶ浦海岸・[[ひたちなか市]])]] [[File:Katrina-14628.jpg|thumb|right|200px|[[ハリケーン・カトリーナ]]による[[漂流・漂着ごみ]]]] 河川の護岸による土砂の流出量の減少、河川に[[ダム]]が作られて[[ダム湖]]の湖底に土砂の堆積などが起こることによる土砂の流出量の減少、[[砂]]や[[砂利]]など[[コンクリート]]を作る時などに用いられる[[骨材]]の採取が進んで砂の絶対量が減少。これらの理由で海に流れ込む砂の量が減り、各地の砂浜で海岸線が侵食される現象が見られる。対策として、[[波消ブロック]]の設置、他の場所から輸送してきた砂の投入による[[養浜]]が行われている。 例えば[[三保の松原]]で有名な[[静岡市]]清水海岸では、昭和30年代から昭和40年代初頭にかけて[[安倍川]]の砂利採取が行われたことにより、砂の供給がほとんど無くなり、海岸線の侵食が始まった。昭和42年には大規模な砂利採取を止めたものの、その後も侵食がおさまらず、人工岬(ヘッドランド)の設置などの対策がなされている<ref>[http://shimizu-kaigan.net/shiru/jigyougaiyou.html 侵食・高潮事業の事業概要] 清水海岸ポータルサイト、静岡県交通基盤部静岡土木事務所</ref>。 海岸浸食は、供給土砂量が不足することなどによって起こる。砂浜浸食の原因は以下のようなものがある。 * [[ダム]]や砂利採取や護岸などによる、[[河川]]からの土砂供給の減少、それに伴う[[漂砂]]量の減少 * 護岸などによる、陸からの土砂供給の減少、それに伴う漂砂量の減少 * 海砂の採取、それに伴う砂の流出 * [[港湾]]や海岸にできた構造物による潮の流れの変化 * 港湾整備などに伴う、海底の掘削、それに伴う砂の流出 * 平均潮位の上昇 また海岸に流れ着く[[漂着物]]は、[[漂流・漂着ごみ]]となって砂浜を汚染している。[[シーグラス]]や[[流木]]などを使ったアート作品にする人、{{ill2|ビーチクリーナー|en|Sand cleaning machine}}と呼ばれる機械、[[ボランティア]]、[[ビーチコーミング]]などによって回収される。 砂浜の砂が風で飛散したり拡大し、[[農業]]や住環境に影響を及ぼすため[[防砂林]]で防いでいる。 == 湖岸と砂浜 == 浜は海岸だけでなく、[[湖沼]]にもできる地形である<ref name="ibaraki" />。浜から運ばれた砂が湖岸に沿って堆積してできる遠浅の緩斜面を「湖棚」と呼ぶ<ref name="ibaraki" />。 == 人間との関わり == {{雑多な内容の箇条書き|date=2022-11|section=1}} 安全対策が行われた[[海水浴場]]では[[海開き]](浜開き)され、[[海水浴]]などの[[レジャー]]が行われる。 === 文化 === [[ファイル:Sandworld1.jpg|thumb|サンドアートフェティバルの砂像]] [[画像:RedYellowFlag.jpg|thumb|right|ライフガードやライフセーバーが監視中であることを示す赤と黄色の旗]] [[ファイル:Blue Flag Logo.svg|thumb|200px|ブルーフラッグビーチ[[認証マーク]]]] ;レジャー :{{main|Category:ビーチスポーツ}} :* [[砂遊び]] :* [[潮干狩り]] :* [[サンドアート]] :* [[日光浴]] :* 海水浴と、その前の準備運動 :* {{ill2|ヌードビーチ|en|Nude beach}} :* [[海洋療法]] :* {{ill2|シュトラントコルプ|de|Strandkorb}} - 海辺に設置された屋根付きの椅子 : ;仕事 :* [[ライフセービング]]、[[海難救助隊]] :* [[海の家]]、レストハウス :* {{ill2|ビーチ小屋|en|Beach hut}} :* [[ビーチコーミング]] :* 漂着物アート :* [[砂絵]] :* [[地引き網]] : ;観光サービス認証 :環境[[NPO]]/[[NGO]]の{{仮リンク|国際環境教育基金|en|Foundation for Environmental Education}} (FEE)が「厳しい基準([[環境マネジメントシステム|環境管理]]・安全性・水質・教育など)を満たした砂浜、[[ヨットハーバー]]、持続可能な船観光事業」に対して[[ブルーフラッグビーチ]]という[[認証]]を行う<ref>{{cite web|author=Bysted A/S |url=http://www.fee-international.org/ |title=FEE - Foundation for Environmental Education |publisher=Fee-international.org |date= |accessdate=2010-05-21}}</ref> : ;記念日 :* [[国際海岸クリーンアップキャンペーン]]による国際ビーチクリーンアップデー 9月22日 : ;文学 :* 砂浜は[[季語]]にはならない。 : ;芸術 :日本では、海岸の美しい景観の形容を[[白砂青松]]と言う。これは「白い砂浜と青々とした松」によって形成される。美しい松原(マツ樹林)をともなった海岸、とりわけ砂浜を社団法人・日本の松の緑を守る会が100か所選出し、[[日本の白砂青松100選]]とした<ref>[http://www.rinya.maff.go.jp/j/hogo/higai/seisyou.html 白砂青松100選]([[農林水産省]]、[[林野庁]])</ref>。 === 注意 === ;[[赤旗#危険な状態を示す旗|赤旗]] :[[海水浴場]]では風や波が強い時は、安全のため遊泳禁止発令(赤旗)が掲揚される<ref>[https://www1.kaiho.mlit.go.jp/KAN3/marine/safe-info.htm 安全なマリンレジャーのための情報]([[海上保安庁]] 海洋情報部)</ref>。 : ;[[離岸流]] :流されてしまった場合は、砂浜に平行に移動することとされている。 : ;浮いて待て :溺れたり[[水難]]になった場合、とにかく浮いて待つことで救命率が上がるため、海難救助の関係者たちは「浮いて待て」と呼び掛けている<ref>[https://news.ntv.co.jp/category/society/335166 溺れたら「浮いて待て」そのコツ解説します](日テレNEWS24)</ref>。そのため、[[着衣水泳]]の講習や、背浮き(背泳ぎのように仰向けになり、手足を開いて大の字になり、力を抜いて、顔だけを出す)の講習が行われる。 : ;テント :砂浜に[[テント]]の設営などを行うこともあるが、満潮時の海岸線を考慮しないで設営すると、浸水・水没等の事故が起こるケースがあるので注意が必要である。 : ;火の扱い :海水浴場では、火を扱う事が禁止されている場合がある。炭や薪は砂に埋めても分解されず、更に火が付いたままの炭を踏んで[[熱傷|火傷]]した事故も発生しているため、きちんと回収するよう促している自治体もある<ref>[https://www.city.kamakura.kanagawa.jp/kan-hozen/beach-bbq.html 海辺でのバーベキューについて]([[鎌倉市]])</ref>。 : ;ゴミ :漂流・漂着ごみは、海洋生物の害になる事もあるのでポイ捨てせずに、持ち帰って適切に処理するのが最善である。 :条例で禁止されている地域もある。<ref>{{Cite web|和書|title=不法投棄・ごみのポイ捨ては犯罪です!{{!}}近江八幡市 |url=https://www.city.omihachiman.lg.jp/soshiki/kankyo/1/1/2/13932.html |website=www.city.omihachiman.lg.jp |access-date=2022-10-18 |language=ja}}</ref> : ;砂・石等の持ち帰り :砂を人工的に持ってきて維持していたり、砂の減少に悩んでいる砂浜もあることから、持ち帰りが禁止されている場合がある<ref>[https://www.pref.tokushima.lg.jp/opinion/5012032 小松海岸の砂の持ち帰りについて]徳島県</ref>。例として、イタリアのサルディーニャ島では、最長6年の禁固刑となっている<ref>[https://www.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_5d5b9ae2e4b0f667ed67bca3 絶景ビーチの砂を持ち帰ろうとしたカップルを逮捕、最大で禁錮6年か。「法律があるとは知らなかった」] [[ハフィントン・ポスト]] 掲載日:2020年06月16日 参照:2020年09月06日</ref><ref>[https://edition.cnn.com/travel/article/sardinia-sand-theft-arrest-scli-intl/index.html Couple face up to six years in jail for taking sand from Italian beach] cnn Published 20th August 2019</ref>。ハワイでは、2013年から、誤って服などに入ってた場合などは免除されるが、個人的な利用等に関わらず $100,000 以上の罰金刑となっている<ref>[https://nypost.com/2017/11/06/ebay-removes-listings-of-hawaii-beach-sand-from-its-website/ EBay removes listings of Hawaii beach sand from its website] [[ニューヨーク・ポスト]] November 6, 2017</ref>。日本においては、[[海岸法]] 第二章 第八条 によって、許可のない砂や石などの採取は禁止されており、[[砂利採取法]]によって認可された業者が土石採取料を支払い採取することが認められている。違反した場合は、原状回復などの対応が求められる<ref>[https://elaws.e-gov.go.jp/document?lawid=331AC0000000101 海岸法(昭和三十一年法律第百一号)施行日:令和二年四月一日 最終更新:平成三十年十二月十四日公布(平成三十年法律第九十五号)改正] 総務省行政管理局[[e-Gov法令検索]]</ref>。 == 人工砂浜 == 海水浴客を集める思惑から、人工的に砂浜を造る場合がある。最も有名なのは[[ハワイ]]のワイキキビーチであろう。本来は[[サンゴ礁]]の礁池であった<!--サンゴ礁は沖合付近に生息すること、また火山活動が活発な状況から溶岩がゴロゴロする海岸であった可能性が高い。少なくとも火山島なので泥っぽい海岸である可能性は低い。間違っていたらご指摘を。-->場所に[[カリフォルニア州]]から砂を運び込んで白い砂の海岸が造成されている。本来の海岸の姿は、島の反対側に広がる[[溶岩]]起源の岩石([[玄武岩]])が砕けて造られた黒い砂利の海岸である。 日本でもいくつか例があるが、波や海流などの自然の力で流出して砂が定着しないことも多く、[[自然破壊|環境破壊]]などの点で議会等で問題となった例もある。また、砂の流出に伴って起きた人工砂浜(人工ビーチ)の陥没により死者が出た例([[明石砂浜陥没事故]])もある<ref>{{Cite web|和書|date=2002-07-23 |url=https://kokkai.ndl.go.jp/#/detail?minId=115414319X02520020723 |title=参議院会議録情報 第154回国会 国土交通委員会 第25号 |work=国会会議録検索システム |publisher=国立国会図書館 |accessdate=2020-08-30}}</ref>。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 関連項目 == {{ウィキポータルリンク|地理学}} {{Commonscat|Beaches}} {{Commonscat|Beaches of Japan|日本の砂浜}} * [[砂浜海岸]] * [[プライベートビーチ]] - 個人所有の浜辺 * {{ill2|エイティマイルビーチ|en|Eighty Mile Beach}} - 世界最長の砂浜(220km) * {{ill2|ビーチの一覧|en|List of beaches}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:すなはま}} [[Category:砂浜|*]] [[Category:海岸]] [[Category:地形]] [[Category:土壌]] [[Category:ツーリスト・アクティヴィティズ]]
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21(二十一、廿一、にじゅういち、はたちあまりひとつ、はたひと)は自然数、また整数において、20の次で22の前の数である。英語の序数詞では、21st、twenty-first となる。ラテン語では viginti-unus(ウィーギンティー・ウーヌス)。
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21(二十一、廿一、にじゅういち、はたちあまりひとつ、はたひと)は自然数、また整数において、20の次で22の前の数である。英語の序数詞では、21st、twenty-first となる。ラテン語では viginti-unus(ウィーギンティー・ウーヌス)。
{{Otheruses}} {{整数|Decomposition=3 × 7}} '''21'''('''二十一'''、'''廿一'''、にじゅういち、はたちあまりひとつ、はたひと)は[[自然数]]、また[[整数]]において、[[20]]の次で[[22]]の前の数である。英語の[[序数詞]]では、21[[序数標識|st]]、''twenty-[[1|first]]'' となる。[[ラテン語]]では viginti-unus(ウィーギンティー・ウーヌス)。 == 性質 == *21は[[合成数]]であり、正の[[約数]]は [[1]], [[3]], [[7]], 21 である。 **[[約数の和]]は[[32]]。 **3番目の[[奇数]]の合成数である。1つ前は[[15]]、次は[[25]]。({{OEIS|A071904}}) *{{sfrac|1|21}} = 0.{{underline|047619}}… (下線部は循環節で長さは6) **[[逆数]]が[[循環小数]]になる数で[[循環節]]が6になる4番目の数である。1つ前は[[14]]、次は[[26]]。 *21 = 1 + 2 + 3 + 4 + 5 + 6 **6番目の[[三角数]]である。1つ前は[[15]]、次は[[28]]。 *** 三角数において三角数番目で表せる3番目の数である。1つ前は[[6]]、次は[[55]]。({{OEIS|A002817}}) ****この数は ''n'' = 3 のときの {{sfrac|''n''(''n'' + 1)(''n''{{sup|2}} + ''n'' + 2)|8}} の値である。 ***サイコロの目の総和と等しい。 ***三角数が[[ハーシャッド数]]になる5番目の数である。1つ前は[[10]]、次は[[36]]。 ***21 = 6 + 15 ****2つの異なる三角数の和で表せる最小の三角数である。次は[[36]]。ただし同じでも可とするとき最小は[[6]]。({{OEIS|A112352}}) *3番目の[[多角数|八角数]]である。1つ前は[[8]]、次は[[40]]。 *8番目の[[フィボナッチ数]]である。1つ前は[[13]]、次は[[34]]。 **フィボナッチ数がハーシャッド数となる6番目の数である。1つ前は[[8]]、次は[[144]]。 **7の倍数になる最小のフィボナッチ数である。次は[[987]]。 **4番目の[[フィボナッチ数]]かつ[[幸運数]]となる数である。1つ前は[[13]]、次は[[1597]]。({{OEIS|A057589}}) **最小の[[半素数]]のフィボナッチ数である。次は[[34]]。({{OEIS|A053409}}) **降順の数で表せる6番目のフィボナッチ数である。次は[[987]]。ただし1桁の数を除くと最小である。({{OEIS|A178356}}) * 21 = [[3]] × [[7]] ** 7番目の[[半素数]]である。1つ前は[[15]]、次は[[22]]。 ***半素数が[[ハーシャッド数]]になる5番目の数である。1つ前は[[10]]、次は[[111]]。 ** ''n'' = 1 のときの 7 × 3{{sup|''n''}} の値とみたとき1つ前は[[7]]、次は[[63]]。({{OEIS|A005032}}) ** ''n'' = 1 のときの 3 × 7{{sup|''n''}} の値とみたとき1つ前は[[3]]、次は[[147]]。({{OEIS|A169634}}) ** ''p × q'' で表せる2番目の奇数である。1つ前は[[15]]、次は[[33]]。({{OEIS|A046388}}) ** ''n'' = 3 のときの ''n''{{sup|3}} − ''n''{{sup|2}} + ''n'' の値とみたとき1つ前は[[6]]、次は[[52]]。({{OEIS|A069778}}) ** 21 = 1 × (1 + 2) × (1 + 2 + 4) *** 初項 1、公比 2 の[[等比数列]]の和の[[総乗]]の値とみたとき1つ前は[[3]]、次は[[315]]。({{OEIS|A005329}}) *508,853,989{{sup|2}} = 258,932,382,121,212,121 *[[九九]]では 3 の段で 3 × 7 = 21 (さんしちにじゅういち)、7 の段で 7 × 3 = 21 (しちさんにじゅういち)と2通りの表し方がある。 *21[[階乗|!]] = 51090942171709440000 である(20桁)。 *[[ルジンの問題]]の最小の解は21個である。 *21 = 4{{sup|0}} + 4{{sup|1}} + 4{{sup|2}} ** ''a'' = 4 のときの ''a''{{sup|0}} + ''a''{{sup|1}} + ''a''{{sup|2}} の値とみたとき1つ前は[[13]]、次は[[31]]。 ***この形の三角数としては2番目、1つ前は[[3]]、次は[[91]]。 *** ''a''<sup>0</sup> + ''a''<sup>1</sup> + ''a''<sup>2</sup> の形で表せる3番目の[[ハーシャッド数]]である。1つ前は[[7]]、次は[[111]]。 **4の累乗和とみたとき1つ前は[[5]]、次は[[85]]。({{OEIS|A002450}}) *** 21 = {{sfrac|4{{sup|3}} − 1|4 − 1}} = {{sfrac|5{{sup|3}} + 1|5 + 1}} **** ''n'' = 4 のときの {{sfrac|''n''{{sup|''n''−1}} − 1|''n'' − 1}} の値とみたとき1つ前は[[4]]、次は[[156]]。({{OEIS|A060072}}) **21 = 2{{sup|0}} + 2{{sup|2}} + 2{{sup|4}} ***''a'' = 2 のときの ''a''{{sup|0}} + ''a''{{sup|2}} + ''a''{{sup|4}} の値とみたとき1つ前は[[3]]、次は[[91]]。({{OEIS|A059826}}) **21 = 1<sup>2</sup> + 2<sup>2</sup> + 4<sup>2</sup> *** 3つの[[平方数]]の和1通りで表せる10番目の数である。1つ前は[[19]]、次は[[22]]。({{OEIS|A025321}}) *** 異なる3つの[[平方数]]の和1通りで表せる2番目の数である。1つ前は[[14]]、次は[[26]]。({{OEIS|A025339}}) *** ''n'' = 2 のときの 1{{sup|''n''}} + 2{{sup|''n''}} + 4{{sup|''n''}} の値とみたとき1つ前は[[7]]、次は[[73]]。({{OEIS|A001576}}) *各位の和が21になる[[ハーシャッド数]]の最小は[[399]]、[[1000]]までに4個、[[10000]]までに85個ある。 *14番目のハーシャッド数である。1つ前は[[20]]、次は[[24]]。 **3を基とする3番目のハーシャッド数である。1つ前は[[12]]、次は[[30]]。 **''n''を基とする''n''番目のハーシャッド数である。1つ前は[[20]]、次は[[220]]。 **各位の和([[数字和]])が ''n'' になる ''n'' 番目の数である。1つ前は[[11]]、次は[[31]]。 * 各位の[[立方和]]が[[平方数]]になる6番目の数である。1つ前は[[12]]、次は[[22]]。({{OEIS|A197039}}) * 1~5までの[[約数]]の和である。1つ前は15、次は[[33]]。 * 各位の積が2になる3番目の数である。1つ前は[[12]]、次は[[112]]。({{OEIS|A199986}}) * ''n'' = 1 のときの 2''n'' と ''n'' を並べてできる数である。''n'' を自然数としたとき最小、次は[[42]]。({{OEIS|A235497}}) * 7番目の[[幸運数]]である。1つ前は15、次は[[25]]。 **幸運数自身のすべての約数が幸運数である数としては6番目である。1つ前は13、次は31。 ** [[累乗数]]はもちろん1にもなり得ない5番目の幸運数である。1つ前は15、次は31。 == その他 21 に関連すること == *[[21年|西暦21年]] * JIS X 0401、[[ISO 3166-2:JP]]の[[都道府県コード]]の「21」は[[岐阜県]]。 *[[原子番号]]21の[[元素]]は[[スカンジウム]] (Sc) で、[[遷移元素]]の中では原子番号が最小。 *[[21cm線]]は、周波数 1420.40575[[メガヘルツ|MHz]] の電波であり、中性[[水素]]原子のエネルギー状態の変化によって放射されるスペクトル線のこと。[[天文学]]、特に[[電波天文学]]の分野で広く使われている。 *[[インターネット・プロトコル・スイート|TCP/IP]] では[[File Transfer Protocol|FTP]]接続の[[ポート番号]]。 *[[トランプ]]の[[ブラックジャック]]は、カードの数字の和を21に近付けるゲームである。 **[[2008年]]公開の[[映画]]「[[ラスベガスをぶっつぶせ]]」の原題「21」は、上記のブラックジャックに由来する。 *[[タロット]]の[[大アルカナ]]で XXI は[[世界 (タロット)|世界]]。 *[[易占]]の[[六十四卦]]で第21番目の卦は、[[周易上経三十卦の一覧#噬嗑|火雷噬嗑]]。 *[[クルアーン]]における第21番目の[[スーラ (クルアーン)|スーラ]]は[[預言者 (クルアーン)|預言者]]である。 *[[年始]]から数えて21日目は[[1月21日]]。 *[[21世紀]](二十一世紀)に関する名称・事柄 **[[近畿日本鉄道]]の[[通勤型電車]](次世代一般車両)「[[シリーズ21]]」。その第一陣として、[[近鉄3220系電車]]が[[2000年]]に登場した。 **[[伊豆急行2100系電車]]「リゾート21」 **[[横浜みなとみらい21]] **[[21エモン]]([[藤子・F・不二雄]]の漫画) **[[アイシールド21]]([[アメリカンフットボール]]をテーマとした原作[[稲垣理一郎]]・作画[[村田雄介]]による[[スポーツ漫画]]) **[[地底国の怪人|アバンチュール21]]([[手塚治虫]]の漫画) **[[ブラック・ジャック|ブラック・ジャック21]](手塚治虫原作漫画のアニメ化タイトル) **[[ウルトラマン一覧|ウルトラマン一族]]の1人、[[ウルトラセブン21]]。 **[[PHP研究所]]が出版する月刊誌「[[THE21]]」。 **[[日本公文教育研究会|くもん出版]]が出版していた科学雑誌「[[コペル21]]」。 **[[モーニング娘。]]のシングル曲「[[恋愛レボリューション21]]」。 **[[センチュリー21 (不動産業)|センチュリー21]]は世界中で展開している[[不動産会社]]。日本法人は[[センチュリー21・ジャパン]]。 **[[レオパレス21]]は日本の不動産会社。 **[[毛髪クリニックリーブ21]]は[[頭髪]]の発毛施術などを行っている[[サービス業]]者。 **[[21世紀グループ]]は[[熊本県]]で展開している[[パチンコ]]チェーン「CORE21」の運営会社。 **[[劇団21世紀FOX]]は[[肝付兼太]]や[[山口勝平]]などが所属する日本の[[劇団]]であったが、[[2016年]]に解散。 **[[21世紀フォックス]]は、[[ニューズ・コーポレーション (1979-2013)|ニューズ・コーポレーション]]が[[エンターテインメント]]事業を分社化して[[2013年]]に誕生した会社。傘下に映画会社の[[20世紀フォックス]]がある。 ***これらの他、20世紀末にあたる1980年代後半から90年代に掛けて「〇〇21」といった名称が流行した。 *21歳で解禁になる事項 **アメリカでは、21歳から[[アルコール飲料|お酒]]が飲めるようになる。 **日本では、定期運送用の[[飛行機]]、[[ヘリコプター]]、[[飛行船]]の操縦免許を21歳から取得できる。 **日本では、アメリカにサーバーを置いている関係で21歳未満のアクセスを禁じている[[ウェブサイト]]がある(かつての[[電子掲示板]]の「[[PINKちゃんねる|ピンク板]]」など)。 *21代目の継承に当たる人物 **第21代[[天皇]]は[[雄略天皇]]。 **[[日本]]の第21代[[内閣総理大臣]]は[[加藤友三郎]]。 **[[大相撲]]の第21代[[横綱]]は[[若嶌權四郎]]。 **第21代[[殷]]王は[[小乙]]。 **第21代[[周]]王は[[定王 (周)|定王]]。 **第21代[[教皇|ローマ教皇]]は[[コルネリウス (ローマ教皇)|コルネリウス]](在位:[[251年]][[3月6日]]〈[[3月13日]]説もある〉~[[253年]][[6月]])である。 *[[明治プロビオヨーグルトLG21|LG21]] は、[[明治 (企業)|明治]]から発売されている[[ヨーグルト]]の商品名、および使用されている[[乳酸菌]]名。 *[[新潟テレビ21]]は、[[新潟県]]のテレビ局。[[ガイドチャンネル|アナログ親局チャンネル]]が'''21ch'''であったことからこの社名と局名がついた。略称も2006年7月31日までは NT21 だった(現在はコールサイン後ろ2文字のUX)。 *[[ミュージカルスクールSTAGE21]](大阪にある舞台人養成校。21 は「ツーワン」と読む) *[[ディスカヴァー・トゥエンティワン]]は日本の出版社。 *[[BasiL]] から発売されたアダルトゲーム「[[21-Two One-]]」 *[[サントリー]]から発売されていた[[ウイスキー]]の名前。「ハタチを過ぎたら21」というコピーの [[コマーシャルメッセージ|CM]] が放映されていた。 *21時(午後9時)に関する名称・事柄 **[[Berryz工房]]のシングル曲「[[21時までのシンデレラ]]」。 **[[ニュース21]] *[[ノンフィクション]][[小説]]「[[江夏の21球]]」 *[[対華21カ条要求]] *トゥエンティ・ワンは[[斎藤誠 (ミュージシャン)|斎藤誠]]、[[村田和人]]、[[山根栄子]]、[[山根麻衣]]、[[重実徹]]が参加した[[バンド (音楽)|バンド]]である。 *[[ビール]]の王冠に付いているギザギザの溝は21本刻まれている。 *[[国家元首]]、[[皇族]]、[[国旗]]に対する[[礼砲]]は21発撃つ決まりになっている。 *「かい人21面相」は[[グリコ・森永事件]]の犯行声明文で犯人が名乗った名前。 *美少女クラブ21は[[女性アイドルグループ]]、[[美少女クラブ31]]の旧名。 *アルバム名 **[[21 (DIMENSIONのアルバム)]] - [[日本]]の[[フュージョン (音楽)|フュージョン]]バンド[[DIMENSION]]の[[2008年]]に発売された21枚目のアルバム名。 **[[21 (アデルのアルバム)]] - [[イギリス]]の[[シンガーソングライター]][[アデル (歌手)|アデル]]の[[2011年]]に発売されたセカンド・アルバム名。 *2つの[[さいころ]]の[[丁半#出目|目の出方]]は丁(偶数)が[[12]]通りで半(奇数)が[[9]]通りであわせて21通りある。 *[[RGB21ピン]] *'''[[21サヴェージ]]'''(トゥエニーワン・サヴェージ、英: 21 Savage、本名: Sheyaa Bin Abraham-Joseph、1992年10月22日 - )は、イギリス・ロンドン生まれ、アメリカ合衆国アトランタ出身のラッパー、シンガーソングライター、音楽プロデューサーである。 == 符号位置 == {| class="wikitable" style="text-align:center;" !記号!![[Unicode]]!![[JIS X 0213]]!![[文字参照]]!!名称 {{CharCode|12881|3251|1-8-33|CIRCLED DIGIT TWENTY ONE|font=JIS2004フォント}} |} == 関連項目 == {{数字2桁|2|- [[平成21年]] [[昭和21年]] [[明治21年]]}} * [[21世紀]] * [[2月1日]] {{自然数}}
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JR東日本の車両形式
JR東日本の車両形式(ジェイアールひがしにほんのしゃりょうけいしき)は、東日本旅客鉄道(JR東日本)に在籍する、あるいは在籍した鉄道車両の一覧である。
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JR東日本の車両形式(ジェイアールひがしにほんのしゃりょうけいしき)は、東日本旅客鉄道(JR東日本)に在籍する、あるいは在籍した鉄道車両の一覧である。
{{Pathnav|[[東日本旅客鉄道|東日本旅客鉄道(JR東日本)]]|frame=1}} '''JR東日本の車両形式'''(ジェイアールひがしにほんのしゃりょうけいしき)は、[[東日本旅客鉄道]](JR東日本)に在籍する、あるいは在籍した[[鉄道車両]]の一覧である。 == 現在の所属車両 == === 新幹線電車 === * '''営業用''' ** [[新幹線E2系電車|E2系]] ** [[新幹線E3系電車|E3系]] ** [[新幹線E5系・H5系電車|E5系]] ** [[新幹線E6系電車|E6系]] ** [[新幹線E7系・W7系電車|E7系]] * '''事業用''' ** [[新幹線E926形電車|E926形]](電気・軌道総合検測車) ** [[新幹線E956形電車|E956形]](高速試験車) === 蒸気機関車 === * [[国鉄C57形蒸気機関車|C57形]] - [[国鉄C57形蒸気機関車180号機|180号機]] * [[国鉄C58形蒸気機関車|C58形]] - [[国鉄C58形蒸気機関車#C58 239|239号機]]<ref group="注">かつては[[国鉄C58形蒸気機関車#C58 363|363号機]]も保有した。</ref> * [[国鉄C61形蒸気機関車|C61形]] - [[国鉄C61形蒸気機関車20号機|20号機]] * [[国鉄D51形蒸気機関車|D51形]] - [[国鉄D51形蒸気機関車498号機|498号機]] === 電気機関車 === * '''直流用''' ** [[国鉄EF64形電気機関車|EF64形]] ** [[国鉄EF65形電気機関車|EF65形]] * '''交直両用''' ** [[国鉄EF81形電気機関車|EF81形]] * '''交流用''' ** [[国鉄ED75形電気機関車|ED75形]] === ディーゼル機関車 === * [[国鉄DD14形ディーゼル機関車|DD14形]]<ref group="注" name="保留車" /> * [[国鉄DD51形ディーゼル機関車|DD51形]] * [[国鉄DE10形ディーゼル機関車|DE10形]] * [[国鉄DE11形ディーゼル機関車|DE11形]] === 電車 === * '''旧形営業用''' ** '''直流用''' *** [[国鉄31系電車|クモハ12形]]<ref group="注" name="保留車" /> * '''特急形''' ** '''直流用''' *** [[国鉄157系電車|157系]]<ref group="注" name="保留車" /> *** [[国鉄185系電車|185系]] *** [[JR東日本253系電車|253系]] *** [[JR東日本255系電車|255系]] *** [[JR東日本E257系電車|E257系]] *** [[JR東日本E259系電車|E259系]] *** [[JR東日本E261系電車|E261系]] *** [[JR東日本E353系電車|E353系]] ** '''交直両用''' *** [[国鉄583系電車|583系]]<ref group="注" name="保留車" /> *** [[JR東日本651系電車|651系]]<ref group="注">交流機器を一部撤去・使用停止した1000番台のみ残存。保留車。</ref> *** [[JR東日本E653系電車|E653系]] *** [[JR東日本E655系電車|E655系]] *** [[JR東日本E657系電車|E657系]] ** '''交流用''' *** [[JR東日本E751系電車|E751系]] * '''近郊形''' **'''直流用''' *** [[国鉄115系電車|115系]]<ref group="注" name="保留車" /> *** [[国鉄211系電車|211系]] *** [[JR東日本E217系電車|E217系]] **'''交流用''' *** [[JR東日本719系電車|719系]] * '''通勤形''' ** '''直流用''' *** [[JR東日本E127系電車|E127系]] *** [[国鉄201系電車|201系]]<ref group="注" name="保留車" /> *** [[国鉄205系電車|205系]] *** [[JR東日本209系電車|209系]] ** '''交直両用''' *** [[JR東日本E501系電車|E501系]] ** '''交流用''' *** [[JR東日本701系電車|701系]] * '''一般形''' *: JR東日本ではE231系で初めて通勤形と近郊形の形式上の区別を廃止し<ref>{{PDFlink|[http://www.jreast.co.jp/development/tech/pdf_8/Tech-no.8-11-17.pdf JR東日本の通勤電車の開発経緯]}} - 東日本旅客鉄道</ref>、[[一般形車両 (鉄道)|一般形]]に区分している。 ** '''直流用''' *** [[JR東日本E129系電車|E129系]] *** [[JR東日本E131系電車|E131系]] *** [[JR東日本E231系電車|E231系]] *** [[JR東日本E233系電車|E233系]]<ref group="注">ただし{{PDFlink|[https://www.jreast.co.jp/youran/pdf/jre_youran_group_p27_29.pdf JR東日本会社要覧2012-2013]}}では通勤形電車・近郊形電車と記載。</ref> *** [[JR東日本E235系電車|E235系]] ** '''交直両用''' *** [[JR東日本E531系電車|E531系]]<ref group="注">ただし{{PDFlink|[https://www.jreast.co.jp/youran/pdf/jre_youran_group_p27_29.pdf JR東日本会社要覧2012-2013]}}では近郊形電車と記載。</ref> ** '''交流用''' *** [[JR東日本E721系電車|E721系]] ** '''直流用蓄電池式''' *** [[JR東日本EV-E301系電車|EV-E301系]] ** '''交流用蓄電池式''' *** [[JR東日本EV-E801系電車|EV-E801系]] * '''事業用''' ** '''交直両用''' *** [[JR東日本E491系電車|E491系]](電気・軌道総合検測車) *** [[JR東日本E493系電車|E493系]](牽引車) ** '''燃料電池式''' *** [[JR東日本FV-E991系電車|FV-E991系]](技術開発試験車) === 気動車 === * '''一般形''' ** '''液体式''' *** [[国鉄キハ40系気動車 (2代)|キハ40系]] *** [[JR東日本キハ100系気動車|キハ100系]] *** [[JR東日本キハ110系気動車|キハ110系]] *** [[JR東日本キハE120形気動車|キハE120形]] *** [[JR東日本キハE130系気動車|キハE130系]] ** '''電気式''' *** [[JR東日本GV-E400系気動車|GV-E400系]] ** '''ハイブリッド''' *** [[JR東日本キハE200形気動車|キハE200形]] *** [[JR東日本HB-E210系気動車|HB-E210系]] *** [[JR東日本HB-E300系気動車|HB-E300系]] * '''事業用''' ** '''液体式''' *** [[JR東日本キヤE193系気動車|キヤE193系]](電気・軌道総合検測車) *** [[JR東海キヤ97系気動車#キヤE195系気動車|キヤE195系]](レール輸送用) ** '''電気式''' *** [[JR東日本GV-E197系気動車|GV-E197系]]([[バラスト軌道|バラスト]]輸送・撒布用) === 電気・ディーゼル両用(EDC方式)車両 === * [[TRAIN SUITE 四季島#使用車両・編成|E001形]] === 客車 === * '''[[皇室用客車#御料車|御料車]]'''(全車保留車) ** [[皇室用客車#1号御料車(3代)|1号]] ** [[皇室用客車#2号御料車(2代)|2号]] ** [[皇室用客車#1号御料車(2代)→3号御料車(3代)|3号]] ** [[皇室用客車#14号御料車|14号]] * '''[[皇室用客車#供奉車|供奉車]]'''(全車保留車) ** [[皇室用客車#330形(330)|330号]] ** [[皇室用客車#340形(340)|340号]] ** [[皇室用客車#460形(460 - 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3472A・3480A・3487A・3542A・3573A ** LX20(個室寝台車) - 3551A ** YU(スタッフ用寝台車) - 3909A ** WR(食堂車・プレジデンシャル) - 3354D ** WSR(プルマン・カー/食堂車) - 4158DE ** ARP(バー・サロン車) - 4164E ** D(荷物車) - 1286M * '''事業用''' ** [[国鉄マヤ34形客車|マヤ34形]](高速軌道検測車) === 貨車 === * '''有蓋車''' ** [[国鉄ワム60000形貨車|ワム60000形]] ** [[国鉄ワム80000形貨車|ワム80000形]] ** [[国鉄ワキ10000形貨車|ワキ10000形]]([[カートレイン]]用) * '''無蓋車''' ** [[国鉄トラ70000形貨車|トラ70000形]] ** [[国鉄トラ90000形貨車|トラ90000形]] * '''長物車''' ** [[国鉄チ1000形貨車|チ1000形]] ** [[国鉄チキ5200形貨車|チキ5200形]](レール輸送用) ** [[国鉄チキ5500形貨車 (2代)|チキ5500形]](レール輸送用) ** [[国鉄チキ6000形貨車|チキ6000形]](レール輸送用) ** [[国鉄チキ7000形貨車|チキ7000形]](レール輸送用) * '''[[車掌車]]''' ** [[国鉄ヨ3500形貨車|ヨ3500形]] ** [[国鉄ヨ5000形貨車|ヨ5000形]] ** [[国鉄ヨ8000形貨車|ヨ8000形]] * '''[[検重車]]''' ** [[国鉄ケ10形貨車|ケ10形]] * '''[[操重車]]''' ** [[国鉄ソ80形貨車|ソ80形]] ** [[国鉄ソ300形貨車|ソ300形]] == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Reflist|group="注"|2|refs= <ref group="注" name="保留車">保留車のみ残存。</ref> }} === 出典 === {{Reflist}} == 関連項目 == * [[JR北海道の車両形式]] * [[JR東海の車両形式]] * [[JR西日本の車両形式]] * [[JR四国の車両形式]] * [[JR九州の車両形式]] * [[JR貨物の車両形式]] == 外部リンク == * [https://www.jreast.co.jp/railway/train/ 列車:JR東日本] {{デフォルトソート:しえいああるひかしにほんのしやりようけいしき}} [[Category:東日本旅客鉄道の車両|*]] [[Category:鉄道車両の形式称号]]
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ドノバン・ベイリー
ドノバン・ベイリー(Donovan Bailey, 1967年12月16日 - )は、ジャマイカ出身で、カナダ国籍の元陸上競技選手である。 100mにおいて大きな功績を残した選手である。1995年の世界陸上100mで優勝したのが国際的なデビューであった。この時ベイリーは27歳で、遅咲きであった。また、4×100mリレーでも優勝し、2冠を達成した。 1996年に行われたアトランタオリンピックの100m決勝では、スタートの反応時間が一番遅かった。特に隣のレーンのフランク・フレデリクスからは100分の3秒ほど遅れてのスタートであったにも拘らず、優勝。タイムは、当時の世界記録を100分の1秒更新する9秒84の世界新であった。これは、1968年に100mに電動計時が導入されて以来、初めてアメリカ人選手以外による世界記録更新という快挙となった。これにより、世界チャンピオン、五輪チャンピオン、世界記録保持者の3つのタイトルを独占した。これは、カール・ルイスに次いで2人目の達成者である(2010年3月現在、これを達成したのは、ルイス、ベイリーとモーリス・グリーン、ウサイン・ボルトの4人だけである)。また、前年の世界陸上に引き続き、リレーとの2冠を達成している。1996年2月9日には室内50mで世界最高記録となる5秒56をマークした。 2001年に引退した。もともと陸上を本格的に始める以前、ベイリーは投資に明るかったことから、会社を設立した。
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ドノバン・ベイリーは、ジャマイカ出身で、カナダ国籍の元陸上競技選手である。
{{Infobox 陸上選手 | 氏名 = ドノバン・ベイリー | 画像 = Asv-koeln-1997-donovan-bailey.jpg | 画像サイズ = 200px以下 | 画像説明 = ドノバン・ベイリー(1997年) | フルネーム = ドノバン・ベイリー | 愛称 = | 国籍 = {{CAN}} | 種目 = [[短距離走]] | 所属 = | 生年月日 = {{生年月日と年齢|1967|12|16}} | 生誕地 = {{JAM}}<br>[[ミドルセックス郡 (ジャマイカ)|ミドルセックス郡]][[マンチェスター教区|マンチェスター]] | 居住地 = | 没年月日 = | 死没地 = | 身長 = 183cm | 体重 = 83kg | 自己ベスト = 50m : 5秒56 (1996年) 100m : 9秒84(1996年)<br />200m : 20秒42(1998年) | medaltemplates = {{MedalCountry|{{CAN}}}} {{MedalSport|[[陸上競技]]}} {{MedalCompetition|[[オリンピックの陸上競技|オリンピック]]}} {{MedalGold|[[1996年アトランタオリンピックの陸上競技|1996]]|男子100m}} {{MedalGold|1996|男子4×100mリレー}} {{MedalCompetition|[[世界陸上選手権|世界選手権]]}} {{MedalGold | [[1995年世界陸上選手権|1995]] |男子100m}} {{MedalGold | [[1995年世界陸上選手権|1995]] |男子4×100mリレー}} {{MedalGold | [[1997年世界陸上選手権|1997]] |男子4×100mリレー}} {{MedalSilver | [[1997年世界陸上選手権|1997]] |100m}} }} '''ドノバン・ベイリー'''('''Donovan Bailey''', [[1967年]][[12月16日]] - )は、[[ジャマイカ]]出身で、[[カナダ]]国籍の元[[陸上競技]]選手である。 == 人物 == [[100メートル競走|100m]]において大きな功績を残した選手である。1995年の[[1995年世界陸上選手権|世界陸上]]100mで優勝したのが国際的なデビューであった。この時ベイリーは27歳で、遅咲きであった。また、[[400メートルリレー走|4×100mリレー]]でも優勝し、2冠を達成した。 [[1996年]]に行われた[[1996年アトランタオリンピック|アトランタオリンピック]]の100m決勝では、スタートの反応時間が一番遅かった。特に隣のレーンの[[フランク・フレデリクス]]からは100分の3秒ほど遅れてのスタートであったにも拘らず、優勝。タイムは、当時の世界記録を100分の1秒更新する9秒84の世界新であった。これは、[[1968年]]に100mに電動計時が導入されて以来、初めて[[アメリカ合衆国|アメリカ]]人選手以外による世界記録更新という快挙となった。これにより、世界チャンピオン、五輪チャンピオン、世界記録保持者の3つのタイトルを独占した。これは、[[カール・ルイス]]に次いで2人目の達成者である(2010年3月現在、これを達成したのは、ルイス、ベイリーと[[モーリス・グリーン (陸上選手)|モーリス・グリーン]]、[[ウサイン・ボルト]]の4人だけである)。また、前年の世界陸上に引き続き、リレーとの2冠を達成している。1996年2月9日には[[室内50m]]で世界最高記録となる5秒56をマークした。 [[2001年]]に引退した。もともと陸上を本格的に始める以前、ベイリーは投資に明るかったことから、会社を設立した<ref>[http://donovanbailey.com/ Bailey Inc.]</ref>。 == 略歴 == * 13歳でカナダに移住。 * 1995年、[[1995年世界陸上選手権|イェーテボリ世界陸上]]の[[100メートル競走|100m]]と[[400メートルリレー走|4x100mリレー]]で金メダル。 * 1996年、[[1996年アトランタオリンピック|アトランタオリンピック]]の100mで、9秒84の世界新記録(当時)を樹立。 * 同年、カナダの年間最優秀スポーツ選手に与えられる[[ルー・マーシュ賞]]を受賞。 * [[1997年]][[5月31日]]、「世界最速決定戦」として、[[200メートル競走|200m]]19秒32の世界記録(当時)および[[400メートル競走|400m]]43秒18の世界記録保持者 (当時) [[マイケル・ジョンソン]]との「[[150メートル走]]」対決がカナダで行われた。ジョンソンが脚の故障を理由に途中棄権し、ベイリーが勝利した。 * 1997年、[[1997年世界陸上選手権|アテネ世界陸上]]の100mで銀メダル、4x100mリレーで金メダル。 * [[2001年]]、現役引退。 == 主な成績 == {| border=1 cellspacing=0 cellpadding=4 style="border-collapse: collapse; font-size: 90%;" |- bgcolor="cccccc" !年 !大会 !場所 !種目 !結果 !記録 |- |1995 |[[1995年世界陸上選手権|世界陸上選手権]] |[[ヨーテボリ|イェーテボリ]]([[スウェーデン]]) |100m |bgcolor="gold" align="center" |1位 |9秒97 |- |1995 |世界陸上選手権 |イェーテボリ(スウェーデン) |4×100mR |bgcolor="gold" align="center" | 1位 |38秒31 |- |1996 |[[1996年アトランタオリンピック|アトランタオリンピック]] |[[アトランタ]]([[アメリカ合衆国]]) |100m |bgcolor="gold" align="center" | 1位 |9秒84 |- |1996 |アトランタオリンピック |アトランタ(アメリカ合衆国) |4×100mR |bgcolor="gold" align="center" | 1位 |37秒69 |- |1997 |[[1997年世界陸上選手権|世界陸上選手権]] |[[アテネ]]([[ギリシャ]]) |100m |bgcolor="silver" align="center" | 2位 |9秒91 |- |1997 |世界陸上選手権 |アテネ(ギリシャ) |4×100mR |bgcolor="gold" align="center" | 1位 |37秒86 |- |1999 |[[1999年世界陸上競技選手権大会|世界陸上選手権]] |[[セビリア]]([[スペイン]]) |4×100mR |align="center" |DQ |align="center" |- |- |2000 |[[2000年シドニーオリンピック|シドニーオリンピック]] |[[シドニー]]([[オーストラリア]]) |100m |align="center" |8位(qf) |11秒36 |- |2001 |[[2001年世界陸上競技選手権大会|世界陸上選手権]] |[[エドモントン]]([[カナダ]]) |100m |align="center" |6位(sf) |10秒33 |} == 記録 == * [[50m]]  5秒56  (1996年2月9日、室内世界最高記録) * 60m  6秒51  (1997年2月8日) * 100m 9秒84  (1996年7月27日) * 200m 20秒42 (1998年7月2日) == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 外部リンク == * {{Sports links}} {{S-start}} {{succession box|title=100mシーズンベスト記録保持者|before={{flagicon|USA}} [[リロイ・バレル]]|after={{flagicon|USA}} [[モーリス・グリーン (陸上選手)|モーリス・グリーン]]|years=1995-1996}} {{succession box|title=[[男子100メートル競走世界記録の推移|100m世界記録保持者]]|before={{flagicon|USA}} [[リロイ・バレル]]|after={{flagicon|USA}} [[モーリス・グリーン (陸上選手)|モーリス・グリーン]]|years=1996/7/27-1999/6/16}} {{S-end}} {{陸上競技オリンピック金メダリスト男子100m}} {{陸上競技オリンピック金メダリスト男子4×100mリレー}} {{世界陸上競技選手権大会金メダリスト男子100m}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:へいりい とのはん}} [[Category:カナダの男子陸上競技選手]] [[Category:カナダの短距離走の選手]] [[Category:オリンピック陸上競技カナダ代表選手]] [[Category:世界陸上選手権カナダ代表選手]] [[Category:カナダのパンアメリカン競技大会選手]] [[Category:カナダのオリンピック金メダリスト]] [[Category:カナダのコモンウェルスゲームズ金メダリスト]] [[Category:カナダのパンアメリカン競技大会銀メダリスト]] [[Category:陸上競技のオリンピック金メダリスト]] [[Category:世界陸上選手権メダリスト]] [[Category:コモンウェルスゲームズ陸上競技メダリスト]] [[Category:グッドウィルゲームズメダリスト]] [[Category:パンアメリカン競技大会陸上競技メダリスト]] [[Category:男子短距離走の選手]] [[Category:陸上競技の元世界記録保持者]] [[Category:ジャマイカ系カナダ人]] [[Category:帰化した陸上競技選手]] [[Category:帰化カナダ人のスポーツ選手]] [[Category:マンチェスター教区出身の人物]] [[Category:1967年生]] [[Category:存命人物]]
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22
22(二十二、廿二、にじゅうに、はたふた、はたちあまりふたつ)は自然数、また整数において、21の次で23の前の数である。英語の序数詞では、22nd、twenty-second となる。
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22(二十二、廿二、にじゅうに、はたふた、はたちあまりふたつ)は自然数、また整数において、21の次で23の前の数である。英語の序数詞では、22nd、twenty-second となる。
{{整数|Decomposition=2 × 11}} '''22'''('''二十二'''、'''廿二'''、にじゅうに、はたふた、はたちあまりふたつ)は[[自然数]]、また[[整数]]において、[[21]]の次で[[23]]の前の数である。英語の[[序数詞]]では、22[[nd]]、''twenty-[[セカンド|second]]'' となる。 == 性質 == *22は[[合成数]]であり、正の[[約数]]は [[1]], [[2]], [[11]], 22 である。 **[[約数の和]]は[[36]]。 ***約数の和が4の倍数になる10番目の数である。1つ前は[[21]]、次は[[23]]。 ***[[約数]]の和が[[平方数]]になる3番目の数である。1つ前は[[3]]、次は[[66]]。 *{{sfrac|1|22}} = 0.0{{underline|45}}… (下線部は循環節で長さは2) **[[逆数]]が[[循環小数]]になる数で[[循環節]]が2になる2番目の数である。1つ前は[[11]]、次は[[33]]。({{OEIS|A070022}}) *4番目の[[五角数]]であり、4(3 × 4 − 1)/2 = 22。1つ前は[[12]]、次は[[35]]。 ** 22 = 4 + 5 + 6 + 7 * 22 = 2 × 11 **2 + 2 = 2 + 1 + 1 より2番目の[[スミス数]]である。1つ前は[[4]]、次は[[27]]。 **8番目の[[半素数]]である。1つ前は[[21]]、次は[[25]]。 ** ''n'' = 1 のときの 11 × 2{{sup|''n''}} の値とみたとき1つ前は[[11]]、次は[[44]]。({{OEIS|A005015}}) *12番目の[[回文数]]である。1つ前は[[11]]、次は[[33]]。 **1桁の数を除くと2番目の[[回文数]]である。 **2が2つ並ぶ[[ゾロ目]]でもある。22{{sup|2}} = 484 もまた回文数。 *22[[階乗|!]] = 1124000727777607680000 は、22桁の数である。 * 22 ÷ 7 は、[[円周率]] {{π}} の簡単なよい近似値で、"2桁以下の整数÷2桁以下の整数"の中では、誤差が最も少ない。[[日本]]では[[7月22日]]が[[円周率の日]]とされている。 *:{{π}} = 3.1415926535897932384626433832795… *:{{sfrac|22|7}} = 3.1428571428571428571428571428571… *:{{sfrac|22|7{{π}}}} = 1.000402499… *[[九九]]においては登場しない最小の[[合成数]]である。 *[[各位の和]]が22になる[[ハーシャッド数]]の最小は2398、[[10000]]までに32個ある。 * 異なる[[平方数]]の和で表せない31個の数の中で12番目の数である。1つ前は[[19]]、次は[[23]]。 *[[各位の和]]が4になる3番目の数である。1つ前は[[13]]、次は[[31]]。 *各位の[[平方和]]が8になる最小の数である。次は[[202]]。({{OEIS|A003132}}) ** 各位の平方和が ''n'' になる最小の数である。1つ前の7は1112、次の9は[[3]]。({{OEIS|A055016}}) *各位の[[立方和]]が16になる最小の数である。次は[[202]]。({{OEIS|A055012}}) ** 各位の立方和が ''n'' になる最小の数である。1つ前の15は11111112、次の17は[[122]]。({{OEIS|A165370}}) ** 各位の[[立方和]]が[[平方数]]になる7番目の数である。1つ前は[[21]]、次は[[40]]。({{OEIS|A197039}}) * 各位の積が4になる3番目の数である。1つ前は[[14]]、次は[[41]]。({{OEIS|A199987}}) **各位の和と各位の積が等しくなる10番目の数である。ただし一桁の数を除けば最小の数である。1つ前は[[9]]、次は[[123]]。({{OEIS|A034710}}) *最小の[[完全数]] [[6]] と2番目の完全数 [[28]] の差が22である。次は[[468]]。({{OEIS|A139228}}) **[[完全数]]を作る数式 2<sup>''n''−1</sup>(2<sup>''n''</sup> − 1) からできる2番目の[[倍積完全数]] [[6]] と3番目の[[倍積完全数]] [[28]] の差が 22 である。1つ前は[[5]]、次は[[92]]。({{OEIS|A010036}}) *2つの[[素数]]の和3通りで表せる最小の数である。次は[[24]]。({{OEIS|A067189}})<br>22 = [[3]] + [[19]] = [[5]] + [[17]] = [[11]] + [[11]] **2つの素数の和 ''n'' 通りで表せる最小の数である。1つ前の2通りは[[10]]、次の4通りは[[34]]。({{OEIS|A023036}}) * 22 = 2{{sup|2}} + 3{{sup|2}} + 3{{sup|2}} ** 3つの[[平方数]]の和1通りで表せる11番目の数である。1つ前は[[21]]、次は[[24]]。({{OEIS|A025321}}) * [[正多角形]]の1つの内角が[[度数法]]において整数の値になる正多角形は22個である。({{OEIS|A110546}}) * 桁の[[調和平均]]が2になる2番目の数である。1つ前は[[2]]、次は[[136]]。({{OEIS|A062180}}) *:例.{{sfrac|2|{{sfrac|1|2}} + {{sfrac|1|2}}}} = 2 * ''n'' = 22 のとき ''n'' と ''n'' − 1 を並べた数を作ると[[素数]]になる。''n'' と ''n'' − 1 を並べた数が素数になる3番目の数である。1つ前は[[10]]、次は[[24]]。({{OEIS|A054211}}) * 22 = 2{{sup|5}} − 2 × 5 ** ''n'' = 5 のときの 2{{sup|''n''}} − 2''n'' の値とみたとき1つ前は[[8]]、次は[[52]]。({{OEIS|A005803}}) * 初項が22である[[読み上げ数列]]は、2項目以降も22が繰り返される。 == その他 22 に関連すること == * 22 は[[標準数]](E3系列) * [[原子番号]] 22 の[[元素]]は[[チタン]] (Ti) である。 * [[ヘブライ語]]で使用するアルファベットの文字数。 * [[大アルカナ]]は22種類。 * catch 22 :「どうにもならない状態」という意味の[[英語]]のイディオム。[[ジョーゼフ・ヘラー]]による同名の[[小説]]、[[キャッチ=22]]([[1961年]])から由来。 * [[プレリアール22日法]]は[[フランス革命]]期の法律であり、恐怖政治法とも呼ばれる。 * [[廷臣二十二卿列参事件]]は[[幕末]]の[[公家]]が起こした事件。 * 第22代[[天皇]]は[[清寧天皇]]である。 * [[日本]]の第22代[[内閣総理大臣]]は[[山本権兵衛]]である。 * 第22代[[教皇|ローマ教皇]]は[[ルキウス1世 (ローマ教皇)|ルキウス]](在位:[[253年]][[6月25日]] - [[254年]][[3月5日]])である。 * [[大相撲]]の第22代[[横綱]]は[[太刀山峯右エ門]]である。 * JIS X 0401、[[ISO 3166-2:JP]]の[[都道府県コード]]の「22」は[[静岡県]]。 * [[易占]]の[[六十四卦]]で第22番目の卦は、[[周易上経三十卦の一覧#賁|山火賁]]。 * [[クルアーン]]における第22番目の[[スーラ (クルアーン)|スーラ]]は[[巡礼 (クルアーン)|巡礼]]である。 * プロ野球の背番号 22 は抑えの投手や捕手が付けることが多い。 * [[インターネット・プロトコル・スイート|TCP/IP]] では SSH ([[Secure Shell]]) [[通信プロトコル]]の[[ポート番号]]。 * 第22代[[殷]]王は[[武丁]]である。 * 第22代[[周]]王は[[簡王 (周)|簡王]]である。 * [[熊本県民テレビ|くまもと県民テレビ]]の親局ch番号(アナログ)は 22ch。 * [[タンパク質を構成するアミノ酸]]は、22種類である。 * 年始から数えて22日目は[[1月22日]] 。 * 毎月22日は[[ショートケーキ]]の日である。ショートケーキの上には[[イチゴ]]が載っており、カレンダーでは22日のすぐ上に15(イチゴ)日が載っているため。 * 『[[Twenty Two]]』は、[[タッキー&翼]]のアルバムである。 == 符号位置 == {| class="wikitable" style="text-align:center;" !記号!![[Unicode]]!![[JIS X 0213]]!![[文字参照]]!!名称 {{CharCode|12882|3252|1-8-34|CIRCLED DIGIT TWENTY TWO|font=JIS2004フォント}} |} == 出典 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 関連項目 == {{数字2桁|2|- [[平成22年]] [[昭和22年]] [[明治22年]] [[22世紀]]}} *[[2月2日]] *{{仮リンク|二十二|zh|二十二 (2017年电影)}} - 2017年公開された22人の慰安婦をテーマとした中国映画 {{自然数}}
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多摩動物公園
多摩動物公園(たまどうぶつこうえん)は、東京都日野市程久保7-1-1に位置する動物園。多摩動物園と呼ばれることも多く、恩賜上野動物園等と並び日本有数の動物園となっている。都市公園としての名称は、都立七生公園。 1958年5月5日に開園。園内は日本最大の広さを誇る。当初は台東区にある上野動物園の分園という形であった。恩賜上野動物園に比して広大な(約4倍)敷地を生かし、動物たちが自由に動く様を見せることを目指している。当時最新の無柵放養式展示を導入した動物園の1つである。1964年に運行を開始した「ライオンバス」は世界初のサファリ形式による展示である。かつては、東京都が直営で運営していたが、指定管理者制度により公益財団法人東京動物園協会へ引き継がれた。2018年3月時点での職員数は112人。 多摩丘陵の上に作られたため起伏が多く、展示動物同士の間隔が比較的広いため園内ではシャトルバスが運行されている。シャトルバスは、ソデグロヅル舎前、インドサイ舎前、オランウータン舎前、動物慰霊碑前、アジアの平原、ソデグロヅル舎前を循環している。 生息地域ごとに生物を区分けする地理学展示を基調としている。 など
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多摩動物公園(たまどうぶつこうえん)は、東京都日野市程久保7-1-1に位置する動物園。多摩動物園と呼ばれることも多く、恩賜上野動物園等と並び日本有数の動物園となっている。都市公園としての名称は、都立七生公園。
{{動物園 |名称=多摩動物公園<br />Tama Zoological Park |画像=[[ファイル:Tama-zoo.jpg|300px|多摩動物公園 正門]] {{maplink2|frame=yes|plain=yes|type=point|zoom=13|frame-align=center|frame-width=300}} |正式名称= |愛称= |前身= |専門分野=総合 |事業主体=東京都 |管理運営=[[東京動物園協会]]<br /><small>2011 - 2015年度[[指定管理者]]</small> |園長 =渡部浩文 |面積 = 60ヘクタール |来園者数 =977,731人(平成30年3月末時点) |開園=[[1958年]][[5月5日]] |所在地郵便番号=191-0042 |所在地=[[東京都]][[日野市]]程久保7-1-1 | 緯度度 = 35 | 緯度分 = 38 | 緯度秒 = 59 | 経度度 = 139 |経度分 = 24 | 経度秒 = 8 |アクセス =[[京王動物園線]]・[[多摩都市モノレール線]]「[[多摩動物公園駅]]」 |公式サイト = https://www.tokyo-zoo.net/zoo/tama/ }} {{公園 |名称 = 都立七生公園 |英語名称 = |画像 = |画像キャプション = |国 =日本 |都市 = 東京都日野市程久保6-3 | 緯度度 = |緯度分 = |緯度秒 = | 経度度 = |経度分 = |経度秒 = |分類 = 都市公園(特殊公園・動植物園) |面積 = 60.1ha(計画64.6ha)<ref>[https://www.toshiseibi.metro.tokyo.lg.jp/seisaku/kaitei_koen_ryokuti/kaitei_03.html 東京都事業 「重点公園・緑地」、「優先整備区域」一覧]</ref> |前身 = |開園 = |運営者 = 東京都 |年来園者数 = |現況 =開園中 |設備・遊具 = |駐車場 = |バリアフリー = |建築家と技術者 = |告示 = |事務所 = |事務所所在地 = 多摩動物公園 |アクセス = |備考 = |公式サイト = }} '''多摩動物公園'''(たまどうぶつこうえん)は、[[東京都]][[日野市]]程久保7-1-1に位置する[[動物園]]。'''多摩動物園'''と呼ばれることも多く、[[恩賜上野動物園]]等と並び日本有数の動物園となっている。[[都市公園]]としての名称は、'''都立七生公園'''。 == 概要 == [[1958年]][[5月5日]]に開園。園内は日本最大の広さを誇る。当初は[[台東区]]にある上野動物園の分園という形であった。恩賜上野動物園に比して広大な(約4倍)敷地を生かし、動物たちが自由に動く様を見せることを目指している。当時最新の[[無柵放養式展示]]を導入した動物園の1つである。1964年に運行を開始した「ライオンバス」は世界初のサファリ形式による展示である<ref>{{Cite web|和書|title=ライオンバス・シャトルバス | 多摩動物公園公式サイト - 東京ズーネット|url=https://www.tokyo-zoo.net/sp/tama/T-19.html|website=www.tokyo-zoo.net|accessdate=2022-01-02}}</ref>。かつては、東京都が直営で運営していたが、[[指定管理者]]制度により[[公益財団法人]][[東京動物園協会]]へ引き継がれた。2018年3月時点での職員数は112人<ref name="withnews20180307"/>。 [[多摩丘陵]]の上に作られたため起伏が多く、展示動物同士の間隔が比較的広いため園内では[[シャトルバス]]が運行されている。シャトルバスは、ソデグロヅル舎前、インドサイ舎前、オランウータン舎前、動物慰霊碑前、アジアの平原、ソデグロヅル舎前を循環している。 == 園内構成 == 生息地域ごとに生物を区分けする[[地理学展示]]を基調としている。 === アジア園 === ; オランウータンのスカイウォーク : 放飼場間を9本のタワーとワイヤーロープで結ぶ。全長約154mと世界最大級。 : 2005年、[[ズーチェック運動#エンリッチメント大賞の動物園等|エンリッチメント大賞]] 飼育施設部門大賞を受賞。 ; フライングバードケージ : 半円形の巨大ケージの中を[[オジロワシ]]や[[イヌワシ]]が自由に飛び回る。 ; アジアの山岳ゾーン : [[ユキヒョウ]]、[[レッサーパンダ]]、[[ターキン|ゴールデンターキン]]を展示。 ; マレーバクの水辺 : 水中を泳ぐ[[マレーバク]]をガラス越しに観察できる。 ; モグラの家 : ガラスに入れた土や金網のトンネルで[[モグラ]]の巣を再現。日本最小の哺乳類、[[トウキョウトガリネズミ]]も展示。 ; アジアの沼地 : [[コツメカワウソ]]、[[インドサイ]]、[[スイギュウ]]、水鳥の生息地を再現。 ; アジアの平原 : [[オオカミ]]、[[モウコノウマ]]を展示。 === アフリカ園 === [[ファイル:tama-zoo-lionbus.JPG|thumb|220px|right|アフリカ園・ライオンバス(2007年)]] ; [[サファリバス#ライオンバス|ライオンバス]] : サファリ形式によって[[ライオン]]を見ることが出来る施設。初代園長・林寿郎の発案で[[1964年]]5月に開始し、サファリ形式での動物園における観覧手法は世界初の試みであった。なお、バスの運行は[[京王電鉄バス]]が行っている。 : [[2016年]]4月から休止(発着場の耐震化工事のため)<ref>[https://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1507/30/news066.html しばしのお別れ……。多摩動物公園名物のライオンバス、2016年4月より運行休止] ねとらぼ 2015年7月30日</ref><ref>[http://www.tokyo-zoo.net/topic/topics_detail?kind=news&inst=tama&link_num=23582 ライオンバス運行休止とその後のライオン園 2016年4月29日] 東京ズーネット</ref> し、2021年7月3日から運行再開した。 ; サバンナ : 広大な放飼場で[[キリン]]、[[ペリカン属|ペリカン]]を混合展示している。 ; [[チンパンジー]]の森 : チンパンジーの群れ展示、高さ15mのタワーやUFOキャッチャー、人工アリ塚、自動販売機などチンパンジーの運動能力と認知能力を観ることが出来る。 === オーストラリア園 === ; コアラ館 : [[コアラ]]を中心に[[フクロギツネ]]、[[フサオネズミカンガルー]]、[[フクロモモンガ]]などの有袋類を展示。 === 昆虫園 === [[ファイル:tama-zoo-Insectgarden.JPG|thumb|昆虫園・昆虫生態園]] [[ファイル:Great_Orange_Tip_(Hebomia_glaucippe).jpg|thumb|飼育されているチョウ]] ; 昆虫園本館 : [[トンボ]]をイメージした建物に国内外の昆虫の生体・標本を展示している。[[2002年]][[4月25日]]にリニューアルオープンした。[[コノハムシ科|オオコノハムシ]]などを展示。[[ハキリアリ]]、[[グローワーム]]の展示は国内唯一である。 : 2005年、キノコを育てる「ハキリアリの飼育と展示」[[高碕達之助|高碕賞]]を受賞。 ; 昆虫生態園 : 温度を調節し、[[チョウ]]や[[バッタ]]などを[[季節]]に関係なく1年を通して放し飼いされている大温室(チョウの通年飼育は[[日本初]])は国内最大級。そのほか国内の[[昆虫]]を展示したスペースがある。 : 建物はチョウをイメージしており、1989年、[[日本建築学会賞]]を受賞。 {{Clear}} == 主な飼育動物 == *[[アオダイショウ]] *[[アオバネワライカワセミ]] *[[アオバト]] *[[アカカンガルー]] *[[アカネズミ]] *[[アカハシハジロ]] *[[アジアゾウ]] *[[アズマモグラ]] *[[アフリカゾウ]] *[[アマサギ]] *[[アミメキリン]] *[[アムールトラ]] *[[アンデスブロンズトキ]] *[[イノシシ]] *[[イワシャコ]] *[[インカアジサシ]] *[[インドガン]] *[[インドクジャク]] *[[インドサイ]] *[[エミュー]] *[[オオコノハズク]] *[[オーストラリアガマグチヨタカ]] *[[オオフラミンゴ]] *[[オオワシ]] *[[オカヨシガモ]] *[[オグロヅル]] *[[オシドリ]] *[[オジロワシ]] *[[カイツブリ]] *[[カオグロトキ]] *[[カモシカ]] *[[カヤネズミ]] *[[カラスバト]] *[[カリガネ]] *[[カワセミ]] *[[カワネズミ]] *[[キジ]] *[[キングチーター]] *[[キンクロハジロ]] *[[グレビーシマウマ]] *[[クロツラヘラサギ]] *[[クロトキ]] *[[ケナガワラルー]] *[[コアラ]] *[[コウノトリ]] *[[コウベモグラ]] *[[ゴールデンターキン]] *[[コクガン]] *[[コサギ]] *[[コシベニペリカン]] *[[コジュケイ]] *[[コツメカワウソ]] *[[コミミズク]] *[[サーバル]] *[[サカツラガン]] *[[シジュウカラガン]] *[[シフゾウ]] *[[ジムグリ]] *[[シャモア]] *[[ショウジョウトキ]] *[[シロオリックス]] *[[シロテテナガザル]] *[[シロトキ]] *[[シロフクロウ]] *[[スミスネズミ]] *[[セキショクヤケイ]] *[[セグロカモメ]] *[[ソデグロヅル]] *[[ソリハシセイタカシギ]] *[[タイリクオオカミ]] *[[タゲリ]] *[[ダチョウ]] *[[ダルマワシ]] *[[タンチョウ]] *[[チーター]] *[[チョウゲンボウ]] *[[チンパンジー]] *[[ツキノワグマ]] *[[ツクシガモ]] *[[テンジクネズミ]] *[[トウキョウトガリネズミ]] *[[トキ]](特別公開) *[[トナカイ]] *[[ナベコウ]] *[[ニジキジ]] *[[ニホンアナグマ]] *[[ニホンイタチ]] *[[ニホンイヌワシ]] *[[ニホンザル]] *[[ニホンノウサギ]] *[[ハイイロガン]] *[[ハクビシン]] *[[ハクガン]] *[[ハダダトキ]] *[[パルマワラビー]] *[[ヒシクイ]] *[[ヒマラヤタール]] *[[ヒメウズラ]] *[[ヒメコンドル]] *[[ヒメネズミ]] *[[フサオネズミカンガルー]] *[[フクロウ]] *[[フクロギツネ]] *[[フクロモモンガ]] *[[ベニコンゴウインコ]] *[[ホオアカトキ]] *[[ホオジロガモ]] *[[ホシハジロ]] *[[ボルネオオランウータン]] *[[マガン]] *[[マレーバク]] *[[ムギワラトキ]] *[[ムフロン]] *[[ムラサキサギ]] *[[メンフクロウ]] *[[モウコノウマ]] *[[モモイロペリカン]] *[[ヤギ]] *[[ヤクシカ]] *[[ヤマネ]] *[[ユキヒョウ]] *[[ユリカモメ]] *[[ヨシガモ]] *[[ライオン]] *[[ルリコンゴウインコ]] *[[レッサーパンダ]] *[[ワオキツネザル]] *[[ワシミミズク]] *[[ワライカワセミ]] など == 歴史 == * 1958年 - 開園。代表的な動物は[[チンパンジー]]、[[インドゾウ]]、[[インドサイ]]など。 * 1960年 - アミメキリン来園。[[アフリカ]]園建設開始。[[フタコブラクダ]]の[[繁殖賞|日本初の繁殖]]に成功。 * 1962年 - 日本で初めてアイベックス、[[ホッグジカ]]の繁殖に成功。 * 1964年 - ライオンバス運行開始。 * 1965年 - 日本で初めて[[ヤク]]の繁殖に成功。 * 1966年 - 「バッタとチョウの温室(昆虫生態園の元祖)」完成。日本で初めて[[マレーグマ]]の繁殖に成功。 * 1967年 - アフリカゾウ、チーター、シロオリックス来園。日本で初めて[[トナカイ]]の繁殖に成功。 * 1968年 - 日本で初めて[[サバンナシマウマ|チャップマンシマウマ]]、シロオリックスの繁殖に成功。 * 1969年 - 昆虫園本館開館。日本で初めてヨザル、ハーテビーストなどの繁殖に成功。 * 1970年 - 日本で初めて[[マレーバク]]、パルマワラビー、[[ワシミミズク]]の繁殖に成功。 * 1965年 - 日本で初めて[[ムフロン]]、スナジリスの繁殖に成功。 * 1973年 - 日本で初めてインドサイの繁殖に成功。 * 1976年 - 日本で初めてオジロワシの繁殖に成功。 * 1977年 - サバンナ放飼場完成。 * 1978年 - 日本で初めて[[シフゾウ]]、[[シロガシラトビ]]、[[ショウジョウトキ]]などの繁殖に成功。 * 1980年 - 日本で初めてタンチョウの[[人工授精]]に成功。 * 1982年 - 日本で初めて[[ユキウサギ|エゾユキウサギ]]の繁殖に成功。 * 1984年 - オーストラリア[[タロンガ動物園]]からコアラ来園。コアラ館完成。 * 1985年 - 猛禽舎完成。日本で初めて[[ハナナガネズミカンガルー]]、[[コミミバンディクート]]などの繁殖に成功。 * 1987年 - 世界で初めて[[ヤマネ]]の繁殖に成功。 * 1988年 - 昆虫生態園完成。日本で初めてコウノトリの孵化に成功。 * 1990年 - チーター・サーバル舎完成。 * 1991年 - アジアの山岳ゾーン完成。日本で初めて[[ハチドリ|チャムネエメラルドハチドリ]]の繁殖に成功。 * 1993年 - ウォッチングセンター完成。 * 1996年 - アフリカゾウ舎改築。世界で初めて[[クロツラヘラサギ]]の繁殖に成功。日本で初めてゴールデンターキン、[[ヒメコンドル]]、[[ソデグロヅル]]の繁殖に成功。 * 1997年 - 世界最高齢のスイギュウ「ミタケ」が36歳で死ぬ。 * 1998年 - アフリカゾウの繁殖に成功。 * 2000年 - チンパンジーの森、マレーバクの水辺完成。 * 2002年 - 昆虫館本館をリニューアル。国内最高齢のグレビーシマウマ「ハルコ」が35歳で死ぬ。 * 2005年 - オランウータン・スカイウォーク完成。 * 2007年 - 佐渡トキ保護センターからトキ来園。 * 2008年 - トキが佐渡以外の施設で初めて繁殖する。アジアの沼地ゾーン完成。 * 2011年 - 3月17日から3月31日の間、東北地方太平洋沖地震の影響などにより臨時休園。 * 2013年 - アジアの平原ゾーン完成。 * 2016年 ** ライオンバス運行休止(発着場の耐震化)。 ** 2016年ライオンが昨年出産していたことが報じられた。子供の名前はルークとレイアに決定した。 * 2017年 ** 9月27日 - 世界最高齢のボルネオオランウータン「[[ジプシー (オランウータン)|ジプシー]]」が62歳で病死<ref>{{Cite news|title=62歳、世界最高齢オランウータン死ぬ 多摩動物公園|newspaper=産経新聞|date=2017年9月28日12時47分|url=http://www.sankei.com/life/news/170928/lif1709280031-n1.html|accessdate=2017-09-28}}</ref>。 * 2019年 ** 8月25日 - 午前10時50分、インドサイ飼育部屋内のおりの外側にある作業用通路にて飼育員があおむけに倒れているのを同僚が発見し、園を通じ119番通報した。飼育員は心肺停止の状態で病院に搬送されたが死亡が確認された。脇腹や背中に内出血があり、あばら骨も折れていた。飼育中のサイは足の皮膚病の治療中であり、飼育員の近くにはサイ用の塗り薬が落ちていた。それらのことから、おりの中にいるサイが鉄格子の間から角で飼育員を突くなどした可能性があると見られている。園は同日夜に記者会見を行い、動物に薬を塗る場合はおりの外側から食べ物を与えて気をそらすと説明した。園は事故を受け同日午後に臨時休園したが、翌26日からは通常開園した。<ref>{{Cite news|title=サイに襲われたか 多摩動物公園で飼育員倒れ死亡|newspaper=毎日新聞|date=2019年8月25日23時01分|url=https://mainichi.jp/articles/20190825/k00/00m/040/100000c|accessdate=2019-08-26}}</ref><ref>{{Cite news|title=サイに襲われたか、獣舎で飼育員死亡 多摩動物公園|newspaper=朝日新聞デジタル|date=2019年8月25日19時19分|url=https://www.asahi.com/articles/ASM8T4R8HM8TUTIL009.html|accessdate=2019-08-26}}</ref> * 2023年 ** 1月2日 - [[タスマニアデビル]]の「ダーウェント」が老衰のため死亡。国内の飼育頭数が同園のオス一匹だけとなる。<ref>{{Cite web|和書|title=タスマニアデビルの「ダーウェント」が死亡しました(※死因は慢性心不全でした) |url=https://www.tokyo-zoo.net/topic/topics_detail?kind=news&inst=tama&link_num=27768 |website=東京ズーネット TOKYO ZOO NET |access-date=2023-07-12 |language=ja}}</ref> ** 2月16日 - [[鳥インフルエンザ|高病原性鳥インフルエンザ]]発生のため、4月9日まで臨時休園。 ** 10月13日 - タスマニアデビルの「テイマー」を安楽死させる<ref>{{Cite news|url=https://www.yomiuri.co.jp/national/20231016-OYT1T50232/|title=国内動物園で唯一飼育、タスマニアデビルの「テイマー」安楽死…多摩動物公園|newspaper=読売新聞|date=2023-10-16|accessdate=2023-10-17}}</ref>。 == その他 == * 今でこそ、ライオンバスと同じように放し飼いの猛獣を自動車に乗ったまま見学できる施設は日本各地にあるが、ライオンバスを始めた当時はまだ日本にこのような施設はなく、地域住民からの猛反発を受けて当初1963年5月に開始予定だったものが翌年の5月まで延期が発表された。更に1964年1月に「当年5月の開業は見送る」と発表され、結局運行開始は同年の夏だった。 * 公園一帯は、タヌキの生息地でもあり、飼育されているタヌキの他に野生のタヌキも園内で生息している<ref name="withnews20180307"/>。そういった野生のタヌキが園内で捕獲されて飼育されるケースもある<ref name="withnews20180307">[https://withnews.jp/article/f0180307002qq000000000000000W00o10101qq000016922A 野生タヌキが住み着いた動物園! 多摩動物公園の驚くべき実態とは?。] withnews 2018年03月07日 同日閲覧</ref>。 * 本園は七生村(現在の日野市)と京王帝都電鉄(現在の京王電鉄)が誘致した。七生村は土地を都に寄贈した。京王帝都電鉄は施設を造成・建設し、完成後に都に寄贈した。 == 利用案内 == * 開園時間:9:30 - 17:00(入園は16:00まで)、サマーナイトのイベントを実施している(年間スケジュールを参照) * 休園日:毎週水曜日(水曜日が国民の祝日、振替休日、都民の日の場合はその翌日が休園日)および年末年始(12月29日 - 1月1日) * 飲食物の持ち込み可。 * 貸ベビーカー:正門の外にある「京王レストハウス」が2013年11月30日で閉店になったため、12月1日をもって終了<ref>[http://www.keio-retail.com/tamazoo.html 多摩動物公園京王レストハウス] {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20141024060125/http://www.keio-retail.com/tamazoo.html |date=2014年10月24日 }}</ref>、ウォッチングセンター前で行っている。 * 障害者用駐車場が正門前にあり、警備員に障害者手帳を提示すると利用できる<ref>[http://www.tokyo-zoo.net/zoo/tama/directions.html 交通アクセス 多摩動物公園公式サイト-東京ズーネット]</ref>。 === 交通 === *[[多摩動物公園駅]]下車すぐ。 *[[国立府中インターチェンジ]]から約20分。 == 関連項目 == * [[林寿郎|林壽郎]] - 初代園長 * [[増井光子]] * [[けものフレンズ]] - ネコ科担当の関係者が、[[けものフレンズ (アニメ)|テレビアニメ版]]第1話の動物を解説するコーナーで"しんざきおにいさん"として声で出演した。 == 出典 == {{Reflist}} == 外部リンク == {{Commons|Category:Tama Zoo}} * [https://www.tokyo-zoo.net/zoo/tama/ 多摩動物公園 公式サイト] - 東京ズーネット * [http://shinsenhino.com/archives/spot/park/050322021912.php 多摩動物公園] - 日野市観光協会による紹介ページ * {{twitter|TamaZooPark}} * {{Instagram|tokyo_zoogram|東京ズーグラム}} * {{いこーよ|215}} * {{Kotobank}} {{東京都立公園}} {{日本動物園水族館協会}} {{日本の動物園}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:たまとうふつこうえん}} [[Category:多摩動物公園|*]] [[Category:日本の動物園]] [[Category:東京都の公園]] [[Category:東京都の観光地]] [[Category:日野市の教育]] [[Category:多摩丘陵]] [[Category:日本のポストモダン建築]]<!--昆虫生態園--> [[Category:ガラス建築]] [[Category:1958年開設の博物館]] [[Category:東京・ミュージアムぐるっとパス対象施設]]
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阿波国
阿波国(あわのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。南海道に属する。徳島県にあたる。 古代、現在の徳島県の北の地域は粟の生産地だったために粟国、南の地域は長国と呼ばれていた。『古語拾遺』によれば、神武東征において忌部氏を率いて、木国の材木を採取し畝傍山の麓に橿原宮を造営した天富命が、肥沃な土地を求め当地の開拓をし、穀・麻種を植えたという。のち、律令制において長国造の領域を含め令制国としての粟国が成立した。和銅6年(713年)、元明天皇による好字令で、地名を二字で表記するため「粟」は「阿波」に変更された。 なお、同音の安房国は、阿波国から移り住んだ人々が開拓したことから名付けられたとする説が『古語拾遺』にある。 中世、鎌倉時代においては鎌倉幕府により佐々木氏、小笠原氏が守護に任ぜられた。室町時代には三管領家の一つである細川氏の支配するところとなるが、戦国時代の到来により小笠原氏の庶流である三好氏がこれに代わることになった。三好氏は三好之長や三好元長の代には京都にも進出し、管領細川氏の重臣として阿波を本国に畿内で権勢を振るうことになる。 1540年代に三好氏は三好長慶の代で最盛期を迎え、長慶の次弟である三好実休が阿波を、三弟安宅冬康が淡路を、末弟十河一存が讃岐を統治し、長慶自身は京都の幕府の元で管領代として中央政治に関与し、本国である阿波の他、弟達の統治する讃岐、淡路、更に和泉や摂津、河内や山城、大和、丹波に加えて若狭や播磨の一部をも支配下に置いて三好氏は勢力的にも歴史的にも最盛期を迎えた。(三好政権。) しかし1561年に一存が急死、1562年に実休が戦死。さらに追い打ちをかけるように1563年に長慶の嫡男で将来を有望されていた三好義興が病死すると、長慶は精神を病んで病気がちになる。 三好氏の勢力は後退し1564年には安宅冬康が長慶によって誅殺される。(理由は不明。この頃の長慶は精神的にも病んでおり、判断力が低下していた。)さらに長慶自身も弟達、息子のあとを追うように1564年に病死する。 家督を継いだ三好義継は飯盛山城や若江城を本拠に三好氏の勢力を保持しようとするも三好三人衆や重臣松永久秀らの主導権争いによる内紛を経て三好氏は弱体化。 その後、1573年に京都を追放された室町幕府第15代将軍足利義昭を保護した義継は織田信長に若江城にて滅ぼされてしまう。 その後、三好氏の嫡流は断絶し、生き残りであった実休の嫡男で阿波三好家の家督を継いだ三好長治が本国である阿波を統治することとなる。しかし、長治は阿波全土の国人や領民に対して法華宗を強要し、支持を失ってしまう。これを良い機会と見た土佐国の長宗我部氏の侵攻にあい、1584年、阿波は長宗我部元親の支配下となる。長宗我部元親は進撃を続け、1585年には讃岐、伊予も手中にし、四国統一を成し遂げる。 しかし、その直後(一説には、伊予の河野氏を制圧して四国をほぼ平定してから僅か3 - 5週間後と言われる)に豊臣秀吉が四国攻めを行う。1585年6月、羽柴秀長を総大将とする10万の軍勢が四国へ送られ、そのうち羽柴秀長、羽柴秀次らの兵は阿波から上陸し、さらに宇喜多秀家は讃岐へ、小早川隆景は伊予へと多方面から四国に攻め込んだ。 元親は2万から4万と言われる軍をもって阿波の白地城を本拠地に対抗したが、準備も出来ておらず、また兵力の差も覆せず、羽柴軍上陸の2ヶ月後には降伏せざるを得なかった。元親は土佐一国を安堵されたが、土佐以外の三カ国は没収された。 その後、蜂須賀正勝(子六)に阿波国ならびに淡路国を加増することを伝えたが固辞。息子の蜂須賀家政が阿波に封ぜられる。また正勝と義兄弟の契りを結んだ稲田植元を客将として招き淡路国と県北部を知行地として任せた。蜂須賀氏は改易されることなく、江戸時代を通じて阿波国徳島藩・富田藩(徳島藩支藩)、および淡路国の国主として阿波・淡路の二国を治めたが、次第に稲田氏を家臣として扱うようになり稲田氏では独立に向けた機運が高まるようになった。 明治に至り、廃藩置県が実施されると阿波は名東県となる。名東県は淡路国(淡路島)も範囲としており、さらに1873年(明治6年)2月20日には香川県も編入した。しかし、第二次府県統合により、1875年(明治8年)9月5日に旧讃岐国部分が香川県として分立再置県、1876年(明治9年)8月21日に庚午事変で敵対した淡路国は兵庫県に編入され、阿波国部分は高知県に編入された。しかし、結局1880年(明治13年)に旧名東県が高知県から分離されて現在の徳島県が発足。四国の各国はほぼ旧国の形のまま県へと移行した。 国府は名方郡にあり、現在の徳島市国府町と推定されるが、未だ遺跡は見つかっていない。 国府跡関連の発掘調査が現在までに30回以上実施されている。それらの結果から国衙関連の諸施設は、蛇行して流れる複数の川によって分断された微高地上に、分散的に所在していたらしいことが分かってきた。 古くは7世紀前半代に溯る可能性をもち、新しくは12世紀まで下る長い歴史をもつことが分かった。 阿波国一宮を称する神社は複数ある。現在「阿波国一宮」と言った場合は大麻比古神社とすることが多いが、大麻比古神社が一宮とされるようになったのは中世以降のことである。古くから一宮とされていたのは上一宮大粟神社(名西郡神山町)であった。平安時代後期に、一宮大粟神社から国府の近くに分祀して一宮神社(徳島市一宮町)が創建された。上一宮大粟神社および一宮神社は式内名神大社の天石門別八倉比売神社の論社であるが、八倉比売神社(徳島市)も天石門別八倉比売神社の論社であり、こちらも一宮とされる。また、忌部神社は阿波国最高の社格を有していたこともあり、「四国一宮」を称している。
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阿波国(あわのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。南海道に属する。徳島県にあたる。
{{Otheruseslist|'''[[徳島県]]にあった[[令制国]]'''|[[千葉県]]南部にあった令制国|安房国|のちにその安房国の西部となる、[[阿波国造]]が支配した地域|阿波国造#支配領域}} {{基礎情報 令制国 |国名 = 阿波国 |画像 = {{令制国地図 (令制国テンプレート用)|阿波国}} |別称 = 阿州(あしゅう) |所属 = [[南海道]] |領域 = [[徳島県]] |国力 = [[上国]] |距離 = [[中国 (令制国)|中国]] |郡 = 9郡45郷 |国府 = 徳島県[[徳島市]] |国分寺 = 徳島県徳島市([[阿波国分寺|阿波国分寺跡]]) |国分尼寺 = 徳島県[[名西郡]][[石井町]](阿波国分尼寺跡) |一宮 = [[八倉比売神社]](徳島県徳島市)<br/>[[上一宮大粟神社]](徳島県名西郡[[神山町]])<br/>[[一宮神社 (徳島市)|一宮神社]](徳島県徳島市)<br/>[[大麻比古神社]](徳島県[[鳴門市]]) }} '''阿波国'''(あわのくに)は、かつて[[日本]]の地方行政区分だった[[令制国]]の一つ。[[南海道]]に属する。[[徳島県]]にあたる。   == 「阿波」の名称と由来 == 古代、現在の[[徳島県]]の北の地域は[[アワ|粟]]の生産地だったために[[粟国造|粟国]]、南の地域は[[長国造|長国]]と呼ばれていた。『[[古語拾遺]]』によれば、[[神武東征]]において[[忌部氏]]を率いて、[[紀伊国|木国]]の[[材木]]を採取し[[畝傍山]]の[[麓]]に[[橿原神宮|橿原宮]]を造営した[[天富命]]が、肥沃な土地を求め当地の開拓をし、穀・麻種を植えたという<ref group="注釈">その郡の名は[[麻植郡|麻殖]]となり、さらに阿波忌部を分け[[東国]]に率いて[[房総]]の開拓をし、このため現在の徳島県と、[[和歌山県]]、[[千葉県]]に共通する地名が多い。</ref>。のち、[[律令制#日本の律令制|律令制]]において長国造の領域を含め令制国としての粟国が成立した。[[和銅]]6年([[713年]])、[[元明天皇]]による好字令で、地名を二字で表記するため「粟」は「阿波」に変更された。 なお、同音の[[安房国]]は、阿波国から移り住んだ人々が開拓したことから名付けられたとする説が『古語拾遺』にある。 == 沿革 == [[ファイル:Tokushima castle 22.JPG|thumb|300px|徳島城三の丸石垣と城山]] [[中世]]、[[鎌倉時代]]においては[[鎌倉幕府]]により佐々木氏、[[小笠原氏]]が守護に任ぜられた。[[室町時代]]には[[三管領|三管領家]]の一つである[[細川氏]]の支配するところとなるが、[[戦国時代_(日本)|戦国時代]]の到来により小笠原氏の庶流である[[三好氏]]がこれに代わることになった。三好氏は[[三好之長]]や[[三好元長]]の代には京都にも進出し、管領[[細川氏]]の重臣として阿波を本国に畿内で権勢を振るうことになる。 1540年代に三好氏は[[三好長慶]]の代で最盛期を迎え、長慶の次弟である[[三好実休]]が阿波を、三弟[[安宅冬康]]が淡路を、末弟[[十河一存]]が讃岐を統治し、長慶自身は京都の幕府の元で管領代として中央政治に関与し、本国である阿波の他、弟達の統治する讃岐、淡路、更に和泉や摂津、河内や山城、大和、丹波に加えて若狭や播磨の一部をも支配下に置いて三好氏は勢力的にも歴史的にも最盛期を迎えた。([[三好政権]]。) しかし1561年に一存が急死、1562年に実休が戦死。さらに追い打ちをかけるように1563年に長慶の嫡男で将来を有望されていた[[三好義興]]が病死すると、長慶は精神を病んで病気がちになる。 三好氏の勢力は後退し1564年には[[安宅冬康]]が長慶によって誅殺される。(理由は不明。この頃の長慶は精神的にも病んでおり、判断力が低下していた。)さらに長慶自身も弟達、息子のあとを追うように1564年に病死する。 家督を継いだ[[三好義継]]は[[飯盛山城]]や[[若江城]]を本拠に三好氏の勢力を保持しようとするも[[三好三人衆]]や重臣[[松永久秀]]らの主導権争いによる内紛を経て三好氏は弱体化。 その後、1573年に京都を追放された[[室町幕府]]第15代将軍[[足利義昭]]を保護した義継は[[織田信長]]に若江城にて滅ぼされてしまう。 その後、三好氏の嫡流は断絶し、生き残りであった実休の嫡男で阿波三好家の家督を継いだ[[三好長治]]が本国である阿波を統治することとなる。しかし、長治は阿波全土の国人や領民に対して[[法華宗]]を強要し、支持を失ってしまう。これを良い機会と見た[[土佐国]]の[[長宗我部氏]]の侵攻にあい、[[1584年]]、阿波は[[長宗我部元親]]の支配下となる。長宗我部元親は進撃を続け、[[1585年]]には[[讃岐国|讃岐]]、[[伊予国|伊予]]も手中にし、四国統一を成し遂げる。 しかし、その直後(一説には、伊予の[[河野氏]]を制圧して四国をほぼ平定してから僅か3 - 5週間後と言われる)に[[豊臣秀吉]]が[[四国攻め]]を行う。1585年6月、[[豊臣秀長|羽柴秀長]]を総大将とする10万の軍勢が四国へ送られ、そのうち羽柴秀長、[[豊臣秀次|羽柴秀次]]らの兵は阿波から上陸し、さらに[[宇喜多秀家]]は讃岐へ、[[小早川隆景]]は伊予へと多方面から四国に攻め込んだ。 元親は2万から4万と言われる軍をもって阿波の[[白地城]]を本拠地に対抗したが、準備も出来ておらず、また兵力の差も覆せず、羽柴軍上陸の2ヶ月後には降伏せざるを得なかった。元親は土佐一国を[[安堵]]されたが、土佐以外の三カ国は没収された。 その後、[[蜂須賀氏|蜂須賀]]正勝(子六)に阿波国ならびに淡路国を加増することを伝えたが固辞。息子の[[蜂須賀家政]]が阿波に封ぜられる。また正勝と義兄弟の契りを結んだ稲田植元を客将として招き淡路国と県北部を知行地として任せた。蜂須賀氏は[[改易]]されることなく、[[江戸時代]]を通じて阿波国[[徳島藩]]・富田藩(徳島藩支藩)、および[[淡路国]]の[[国主]]として阿波・淡路の二国を治めたが、次第に稲田氏を家臣として扱うようになり稲田氏では独立に向けた機運が高まるようになった。 [[明治]]に至り、[[廃藩置県]]が実施されると阿波は[[名東県]]となる。名東県は[[淡路国]]([[淡路島]])も範囲としており、さらに[[1873年]]([[明治]]6年)[[2月20日]]には[[香川県]]も編入した。しかし、第二次府県統合により、[[1875年]](明治8年)[[9月5日]]に旧[[讃岐国]]部分が香川県として分立再置県、[[1876年]](明治9年)[[8月21日]]に[[庚午事変]]で敵対した淡路国は[[兵庫県]]に編入され、阿波国部分は[[高知県]]に編入された。しかし、結局[[1880年]](明治13年)に旧名東県が高知県から分離されて現在の[[徳島県]]が発足。四国の各国はほぼ旧国の形のまま[[県]]へと移行した。 === 近世以降の沿革 === * 「[[旧高旧領取調帳]]」の記載によると、[[明治]]初年時点では国内の全域が阿波'''[[徳島藩]]'''領であった。(584村・306,632石余・一部は[[寺社領]]) ** [[名東郡]](55村・38,491石余)、[[名西郡]](38村・28,718石余)、[[板野郡]](133村・61,892石余)、[[阿波郡]](31村・12,667石余)、[[麻植郡]](29村・17,715石余)、[[美馬郡]](19村・10,735石余)、[[三好郡]](32村・22,985石余)、[[海部郡 (徳島県)|海部郡]](64村・18,450石余)、[[那賀郡]](137村・60,736石余)、[[勝浦郡]](46村・34,237石余) * [[明治]]4年 ** [[7月14日 (旧暦)|7月14日]]([[1871年]][[8月29日]]) - [[廃藩置県]]により'''[[徳島県]]'''(第1次)の管轄となる。 ** [[11月15日 (旧暦)|11月15日]](1871年[[12月26日]]) - 第1次府県統合により'''[[名東県]]'''の管轄となる。 * 明治9年([[1876年]])[[8月21日]] - 第2次府県統合により'''[[高知県]]'''の管轄となる。 * 明治13年([[1880年]])[[3月2日]] - '''徳島県'''(第2次)の管轄となる。 == 国内の施設 == === 国府 === [[国府]]は名方郡にあり、現在の[[徳島市]][[国府町 (徳島県)|国府町]]と推定されるが、未だ遺跡は見つかっていない。 国府跡関連の発掘調査が現在までに30回以上実施されている。それらの結果から国衙関連の諸施設は、蛇行して流れる複数の川によって分断された微高地上に、分散的に所在していたらしいことが分かってきた。 古くは7世紀前半代に溯る可能性をもち、新しくは12世紀まで下る長い歴史をもつことが分かった。 === 国分寺・国分尼寺 === * '''[[阿波国分寺]]''' : 国分寺は国府の南側に、国分尼寺は国府の西側に、それぞれ建立されている<ref>[[北條芳隆]]「古代国家への胎動」 [[石躍胤央]]・北條芳隆・[[大石雅章]]・[[高橋啓 (歴史学者)|高橋啓]]・[[生駒佳也]]『徳島県の歴史』[[山川出版社]]、[[2007年]] 50-55ページ</ref>。 === 神社 === ; [[延喜式内社]] : 『[[延喜式神名帳]]』には、大社3座3社・小社47座の計50座が記載されている。大社3社は以下に示すものである。[[阿波国の式内社一覧]]を参照。 * [[板野郡]] [[大麻比古神社]] ([[鳴門市]]) * [[麻殖郡]] [[忌部神社]] - [[延喜式神名帳#論社|論社]]複数。[[明治|明治時代]]に[[徳島市]]に遷座 * [[名方郡]] 天石門別八倉比売神社 - 論社複数 ; [[総社]]・[[一宮]] * 総社:国府八幡大明神宮 ([[徳島県]][[徳島市]][[国府町観音寺]]) - '''※ ただし明証はない''' * 一宮 ** '''[[大麻比古神社]]''' ** '''[[上一宮大粟神社]]''' (名西郡神山町) ** '''[[一宮神社 (徳島市)|一宮神社]]''' (徳島市[[一宮町 (徳島市)|一宮町]]) ** '''[[八倉比売神社]]''' (徳島市) 阿波国一宮を称する神社は複数ある。現在「阿波国一宮」と言った場合は大麻比古神社とすることが多いが、大麻比古神社が一宮とされるようになったのは[[中世]]以降のことである。古くから一宮とされていたのは[[上一宮大粟神社]]([[名西郡]]神山町)であった。[[平安時代]]後期に、一宮大粟神社から国府の近くに分祀して[[一宮神社 (徳島市)|一宮神社]](徳島市[[一宮町 (徳島市)|一宮町]])が創建された。上一宮大粟神社および一宮神社は式内名神大社の天石門別八倉比売神社の論社であるが、[[八倉比売神社]]([[徳島市]])も天石門別八倉比売神社の論社であり、こちらも一宮とされる。また、忌部神社は阿波国最高の社格を有していたこともあり、「四国一宮」を称している。 == 地域 == === 郡 === * [[板野郡]] ** 松島、津屋(つのや)、高野、小島、井隈(ゐのくま)、田上、山下(やまのした)、金戸、新屋 * [[阿波郡]] ** 高井、秋月、香美、拝師 * [[美馬郡]] ** 發原(はつはら)、三吹(みすゐ)、大島、大村 * [[三好郡]] ** 三縄、三津、三野 * [[麻植郡|麻殖郡]] ** 呉島、忌部、川島、射立 * [[名西郡]](名方西) ** 埴土、高足(たかし)、土師(はし)、櫻間 * [[名東郡]](名方東) ** 名方(なかた)、新井(にひゐ)、賀茂、井上(ゐのへ)、八萬(はちま)、殖栗(ゑくり) * [[勝浦郡]] ** 篠原、託羅(たから)、新居(にひのゐ)、餘戸 * [[那賀郡]] ** 山代、大野、島根、坂野、幡羅(はら)、和泉、和射 * [[海部郡 (徳島県)|海部郡]] === 江戸時代の藩 === * [[徳島藩]]、[[蜂須賀氏|蜂須賀家]](25.7[[石高|万石]]) * [[阿波富田藩]](徳島藩支藩、5万石) == 人物 == === 国司 === {{節スタブ}} ==== 阿波守 ==== * [[藤原真作]] * [[菅生王]]:[[天平宝字]]7年([[763年]])[[任官]] * [[藤原伊勢人]]:[[延暦]]15年([[796年]])任官 * [[藤原文山]]:延暦17年([[798年]])任官 * [[藤原真夏]]:[[大同 (日本)|大同]]2年([[807年]])任官 * [[田口息維]]:大同3年([[808年]])任官 * [[佐伯長継]]:[[弘仁]]4年([[813年]])任官 * [[菅原清公]]:弘仁7年([[816年]])任官 * [[小野峯守]]:弘仁11年([[820年]])任官 * [[藤原浜主]]:[[天長]]4年([[827年]])任官 * [[善道真貞]]:天長8年([[831年]])任官 * [[和家仲世]]:[[承和 (日本)|承和]]5年([[838年]])任官 * [[山名王]]:承和6年([[839年]])任官 * [[長岑高名]]:承和9年([[842年]])任官 * [[藤原良相]]:承和10年([[843年]])任官 * [[源多]]:[[嘉祥]]3年([[850年]])任官 * [[橘真直]]:[[仁寿]]元年([[851年]])任官 * [[源多]]:仁寿2年([[852年]])任官 * [[源勤]]:[[斉衡]]元年([[854年]])任官 * [[藤原輔嗣]]:斉衡2年([[855年]])任官 * [[茂世王]]:[[貞観 (日本)|貞観]]3年([[861年]])任官 * [[藤原基経]]:貞観7年([[865年]])任官 * [[清原秋雄]]:貞観8年([[866年]])任官 * [[源興]]:貞観11年([[869年]])任官 * [[藤原安嶺]]:[[仁和]]元年([[885年]])任官 * [[藤原弘蔭]]:仁和3年([[887年]])任官 * [[高階成章]]:[[長久]]5年([[1044年]])任官 * [[藤原親政]] * [[田口成良]] * [[坊門忠清]]:[[建久]]9年([[1198年]])任官 * [[細川和氏]]:[[後醍醐天皇]]による任命 ==== 阿波介 ==== * [[山田古嗣]] - [[846年]]([[承和 (日本)|承和]]13年)[[任官]]。 * [[藤原有実]] - [[878年]]([[元慶]]2年)任官。 === 守護 === ==== 鎌倉幕府 ==== * [[?年|?]]{{~}}1200年 - [[佐々木経高]] * 1205年{{~}}? - 佐々木経高 * ?{{~}}1221年 - [[佐々木高重]] * [[1221年]]{{~}}? - [[小笠原長清]] * [[1223年]]{{~}}? - [[小笠原長経]] * ?{{~}}[[1333年]] - [[小笠原氏]] ==== 室町幕府 ==== * 1339年{{~}}1340年 - [[細川和氏]] * 1341年{{~}}1352年 - [[細川頼春]] 1代守護 * 1352年{{~}}1372年 - [[細川頼之]] * 1381年{{~}}1392年 - 細川頼之 * 1392年{{~}}1402年 - [[細川義之]] * 1411年{{~}}1430年 - [[細川満久]] * 1430年{{~}}1449年 - [[細川持常]] * 1449年{{~}}1478年 - [[細川成之]] * 1479年{{~}}1488年 - [[細川政之]] * 1488年{{~}}1494年 - [[細川義春]] * 1494年{{~}}1512年 - [[細川之持]] * 1512年{{~}}1553年 - [[細川持隆]] * 1553年{{~}}? - [[細川真之]] === 戦国時代 === ==== 戦国大名 ==== * [[三好氏]]:阿波[[守護代]]。[[三好長慶]]の最盛期には、[[畿内]]一円をも支配し、[[三好政権]]を樹立した。長慶の死後、[[織田信長]]との戦いで衰退し、本国阿波も長宗我部元親の侵攻を受けることとなった * [[長宗我部元親]]:[[1580年]]頃、阿波を完全に平定(離島部を除く)するが、[[1585年]][[豊臣秀吉]]に降伏し、土佐一国のみの領有を許される ==== 豊臣政権の大名 ==== * [[蜂須賀家政]]:徳島17万3千石([[徳島城]])、[[1586年]] - [[1600年]]([[関ヶ原の戦い]]後、所領[[安堵]]。[[徳島藩]]藩祖) * [[赤松則英]]:住吉1万石、[[1585年]] - [[1600年]](関ヶ原の戦い後、自決) === 武家官位としての阿波守 === ==== 江戸時代以前 ==== * [[畠山時国]]:[[鎌倉時代]]の[[武将]]。源姓畠山氏第3代当主 * [[畠山国清]]:[[南北朝時代 (日本)|南北朝時代]]から[[室町時代]]の武将、[[守護大名]]。[[和泉国|和泉]]、[[紀伊国|紀伊]]守護を経て[[関東管領]]。伊豆守護家の祖 * [[畠山義清]]:南北朝時代から室町時代の武将。畠山国清の子 * [[畠山義忠]]:室町時代の守護大名。[[室町幕府]][[相伴衆]]、[[能登国|能登]]守護 * [[三好長治]]:[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]から[[安土桃山時代]]にかけての阿波国の[[戦国大名]] * 蜂須賀家政:安土桃山時代の[[近世大名]] ==== 江戸時代 ==== * [[板倉氏|板倉家]][[宗家]] ** [[板倉重郷]]:宗家3代。[[下総国|下総]][[関宿藩]]第2代藩主 ** [[板倉勝職]]:宗家12代。[[備中国|備中]][[備中松山藩|松山藩]]第6代藩主 ** [[板倉勝静]]:宗家13代。備中松山藩第7代藩主・[[老中]][[首座 (曖昧さ回避)|首座]] * 雅楽頭系[[酒井氏|酒井家]][[宗家]] ** [[酒井忠行]]:酒井家宗家3代。[[上野国|上野]][[板鼻藩]]、同国[[前橋藩|厩橋藩]](前橋藩)第3代藩主  ** [[酒井親本]]:宗家8代。上野前橋藩第8代藩主 ** [[酒井忠宜]]:宗家9代[[酒井忠恭]]の三男。早世 * 阿波[[徳島藩]]蜂須賀家 ** [[蜂須賀至鎮]]:初代藩主 ** [[蜂須賀忠英]]:第2代藩主 ** [[蜂須賀光隆]]:第3代藩主 ** [[蜂須賀綱通]]:第4代藩主 ** [[蜂須賀宗英]]:第7代藩主 ** [[蜂須賀宗鎮]]:第8代藩主 ** [[蜂須賀重喜]]:第10代藩主 ** [[蜂須賀治昭]]:第11代藩主 ** [[蜂須賀斉昌]]:第12代藩主 ** [[蜂須賀斉裕]]:第13代藩主 ** [[蜂須賀茂韶]]:第14代藩主。第11代[[東京府]]知事。第2代[[貴族院議長 (日本)|貴族院議長]] * その他 ** [[牧野忠寿]]:[[越後長岡藩]]主 ** [[松平忠周]]:[[丹波亀山藩]]主等・[[老中]] == 阿波国の合戦 == * [[1572年]]:[[上桜城#上桜城の戦い|上桜城の戦い]]、[[三好長治]]軍([[十河存保]]等7,000) x [[篠原長房]](1,500) * [[1582年]]:[[中富川の戦い]]、[[長宗我部元親]](23,000) x 三好軍(十河存保等5,000) * [[1868年]]:[[阿波沖海戦]]、旧[[幕府海軍]]([[榎本武揚]]:[[開陽丸]]) x 薩摩藩海軍(赤塚源六:[[春日丸]]、輸送船2隻) == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} ===注釈=== {{Notelist}} ===出典=== {{Reflist}} == 参考文献 == * [[角川日本地名大辞典]] 36 ([[徳島県]]) * [https://www.rekihaku.ac.jp/up-cgi/login.pl?p=param/kyud/db_param 旧高旧領取調帳データベース] {{ja icon}} == 関連項目 == {{Commonscat|Awa Province (Tokushima)}} * [[徳島県]] * [[阿波市]] * [[阿波座]](大阪市西区) * [[令制国一覧]] {{令制国一覧}} {{阿波国の郡}} {{DEFAULTSORT:あわのくに}} [[Category:日本の旧国名]] [[Category:南海道|国あわ]] [[Category:徳島県の歴史]] [[Category:阿波国|*]]
2003-08-30T11:33:53Z
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23(二十三、廿三、にじゅうさん、はたみ、はたちあまりみつ)は自然数、また整数において、22の次24の前の整数である。 英語の序数詞では、23rd、twenty-thirdとなる。
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23(二十三、廿三、にじゅうさん、はたみ、はたちあまりみつ)は自然数、また整数において、22の次24の前の整数である。 英語の序数詞では、23rd、twenty-thirdとなる。
{{Otheruses}} {{整数|Decomposition=([[素数]])}} '''23'''('''二十三'''、'''廿三'''、にじゅうさん、はたみ、はたちあまりみつ)は[[自然数]]、また[[整数]]において、[[22]]の次[[24]]の前の[[整数]]である。 英語の[[序数詞]]では、23rd、''twenty-third''となる。 == 性質 == *23は9番目の[[素数]]である。1つ前は[[19]]、次は[[29]]。 **[[双子素数]]でない奇素数のうち最小の数である。次は[[37]]。ただし[[偶数]]でも可としたとき1つ前は[[2]]。({{OEIS|A007510}}) **[[約数の和]]は[[24]]。 *5番目の[[ソフィー・ジェルマン素数]]である。1つ前は[[11]]、次は29。 **24''n'' &minus; 1 型のもので最小である。次は[[383]]。 *4番目の[[安全素数]]である。1つ前は11、次は[[47]]。 **8''n'' &minus; 5 型のもので2番目である。1つ前は[[7]]、次は[[167]]。 **ソフィー・ジェルマン素数かつ安全素数である3番目の素数である。1つ前は11、次は[[83]]。({{OEIS|A59455}}) **23番目の素数は83であり、83もソフィー・ジェルマン素数かつ安全素数である。 * 23 = 23 + 0 × ''ω'' (''ω''は1の虚立方根) ** a + 0 × ''ω'' (a > 0) で表される5番目の[[アイゼンシュタイン整数#アイゼンシュタイン素数|アイゼンシュタイン素数]]である。1つ前は[[17]]、次は[[29]]。 * 23 = 23 + 0 × ''i'' (''i''は[[虚数単位]]) ** a + 0 × ''i'' (a > 0) で表される5番目の[[ガウス整数#ガウス素数|ガウス素数]]である。1つ前は19、次は[[31]]。 ** ガウス素数かつアイゼンシュタイン素数である2番目の素数。1つ前は11、次は[[47]]。 *23 = 4! &minus; 1 より ''n''! &minus; 1 の形の2番目の[[階乗素数]]である。1つ前は7、次は[[719]]。({{OEIS|A055490}}) *2番目の 8''n'' &minus; 1 型の素数である。この類の素数は ''x''{{sup|2}} &minus; 2''y''{{sup|2}} と表せるが、23 = 5{{sup|2}} &minus; 2 × 1{{sup|2}} である。1つ前は7、次は[[31]]。 *最小の素な素数である。次は31である。 *連続した素数の和 (5 + 7 + 11) で表せる素数である(合成素数)。 **3連続素数和とみたとき1つ前は[[15]]、次は31。 ***3連続素数和が素数になる最小の数である。次は31。 * 2 と 3 を使った最小の素数である。次は[[223]]。ただし単独使用を可とするなら1つ前は[[3]]。({{OEIS|A020458}}) *23…3 の形の最小の素数である。次は[[233]]。({{OEIS|A093672}}) **23, 233, 2333, 23333はいずれも素数である。 *2…23 の形の最小の素数である。次は223。({{OEIS|A093162}}) * 23 = 2{{sup|4}} + 7 ** ''n'' = 4 のときの 2{{sup|''n''}} + 7 の値とみたとき1つ前は[[15]]、次は[[39]]。({{OEIS|A168415}}) *** 2{{sup|''n''}} + 7 の形の2番目の素数である。1つ前は11、次は[[71]]。({{OEIS|A104066}}) *{{sfrac|1|23}} = 0.{{underline|0434782608695652173913}}… (下線部は循環節で長さは22) **循環節が ''n'' &minus; 1 (全ての余りを巡回する)である4番目の[[素数]]である。1つ前は19、次は29。 **前の [[17]], 19と次の29も該当するため、連続する4つ以上の素数が循環節が ''n'' &minus; 1 となる最初の組み合わせとなる。次は[[487]],[[491]],[[499]],[[503]],[[509]](5連続)である。({{OEIS|A001913}}) **[[逆数]]が[[循環小数]]になる数で[[循環節]]が22になる最小の数である。次は[[46]]。 **循環節が ''n'' になる最小の数である。1つ前の21は[[43]]、次の23は11111111111111111111111。({{OEIS|A003060}}) *[[十進法]]における[[レピュニット]] ''R''{{sub|23}} = 11,111,111,111,111,111,111,111 は 3番目に小さなレピュニット素数である。1つ前のレピュニット素数は ''R''{{sub|19}}、次は [[317|''R''{{sub|317}}]]。 *23! = 25852016738884976640000 は23桁の数である。 *[[ウェアリングの問題]]で9個の[[立方数]]が必要な最小数である。つまり、8個以下の和では表せないともいえる。<br>23 = 1{{sup|3}} + 1{{sup|3}} + 1{{sup|3}} + 1{{sup|3}} + 1{{sup|3}} + 1{{sup|3}} + 1{{sup|3}} + 2{{sup|3}} + 2{{sup|3}} **立方数が9個必要なのは他に[[239]]しかない。 *23人の中に同じ[[誕生日]]を持つ複数人の組が少なくとも1組できる[[確率]]は <math>1-\frac{{}_{365} \mathrm{P}_{23}}{365^{23}} =0.507297\cdots</math> であり [[1/2|{{sfrac|1|2}}]] より大きくなる。([[誕生日のパラドックス]]を参照) *[[各位の和]]が23になる[[ハーシャッド数]]の最小は1679、[[10000]]までに20個ある。 * 異なる[[平方数]]の和で表せない31個の数の中で13番目の数である。1つ前は[[22]]、次は24。 *各位の[[平方和]]が13になる最小の数である。次は[[32]]。({{OEIS|A003132}}) ** 各位の平方和が ''n'' になる最小の数である。1つ前の12は[[222]]、次の14は[[123]]。({{OEIS|A055016}}) *各位の[[立方和]]が35になる最小の数である。次は[[32]]。({{OEIS|A055012}}) ** 各位の立方和が ''n'' になる最小の数である。1つ前の34は112222、次の36は[[123]]。({{OEIS|A165370}}) * 各位の積が6になる3番目の数である。1つ前は[[16]]、次は[[32]]。({{OEIS|A199988}}) **各位の積が6になる数で最小の[[素数]]である。次は[[61]]。({{OEIS|A107692}}) * 2つの連続[[自然数]]を昇順に並べてできる2番目の数である。1つ前は[[12]]、次は[[34]]。({{OEIS|A001704}}) ** 2つの連続する素数を昇順に並べてできる2番目の数である。1つ前は2、次は[[235]]。 ** 2つの連続する数を昇順に並べてできる最小の素数である。次は[[67]]。({{OEIS|A030458}}) ***''n'' 個(''n'' ≧ 2)の連続する数を昇順に並べてできる最小の素数とみたとき、次は4個の4567。({{OEIS|A052077}}) ** 2つの連続する素数を昇順に並べできる最小の数である。次は[[35]]。 ** 2つの連続する素数を昇順に並べてできる最小の素数である。次は3137。({{OEIS|A030461}}) ***''n'' 個(''n'' ≧ 2)の連続する素数を昇順に並べてできる最小の素数とみたとき、次は5711。({{OEIS|A030997}}) **2からの連続整数を昇順に並べてできる2番目の素数である。1つ前は2、次は[[23456789]]。({{OEIS|A089987}}) ***ただし1つ前の2は単独の素数なので、2つ以上の数とみたとき最小である。 ***''n'' からの連続整数を昇順に並べてできる最小の素数とみたとき1つ前の1からはなし、次の3からは345678910111213141516171819。({{OEIS|A140793}}) **連続素数を昇順に並べてできる最小の素数である。次は[[2357]]。({{OEIS|A069151}}) * 23 = 3 × 2{{sup|3}} &minus; 1 ** 3番目の[[ウッダル数]]である。1つ前は7、次は[[63]]。({{OEIS|A003261}}) ** 2番目の[[ウッダル数#ウッダル素数|ウッダル素数]]である。1つ前は7、次は383。({{OEIS|A050918}}) * 23 = 5{{sup|2}} &minus; 2 ** ''n'' = 2 のときの 5{{sup|''n''}} &minus; ''n'' の値とみたとき1つ前は[[4]]、次は[[122]]。({{OEIS|A024050}}) *** 5{{sup|''n''}} &minus; ''n'' の形の最小の素数である。次は15619。({{OEIS|A273940}}) * 23 = <math>\sum^{3}_{k=1}(k^2+k+1)</math> ** ''n'' = 3 のときの <math>\sum^n_{k=1}(k^2+k+1)</math> の値とみたとき1つ前は[[10]]、次は[[44]]。({{OEIS|A145069}}) *[[各位の和]]が5になる3番目の数である。1つ前は[[14]]、次は[[32]]。 **各位の和が5になる数で2番目の[[素数]]である。1つ前は[[5]]、次は[[41]]。({{OEIS|A062341}}) **各位の和が素数になる素数で、自身を作る数すべてが素数になる5番目の数である。1つ前は7、次は223。({{OEIS|A062088}}) == その他 23 に関すること == *[[23年|西暦23年]] *[[紀元前23年]] *[[原子番号]] 23 の元素は[[バナジウム]] (V) である。 * JIS X 0401、[[ISO 3166-2:JP]]の[[都道府県コード]]の「23」は[[愛知県]]。 *[[ヒト]]の[[生殖細胞]]に含まれる[[染色体]]は 23本である。また[[ヒト]]は23対の[[染色体]]を[[細胞核]]内に持つ。 *[[ダフィット・ヒルベルト|ヒルベルト]]が第2回[[国際数学者会議]]において提示した問題の数。[[ヒルベルトの23の問題]]を参照。 *[[ラテン語]]は23個の文字で構成されている。 *西洋では、23 は [[13]] と同様に凶兆を表す数字であると、[[アレイスター・クロウリー]]や[[ウィリアム・S・バロウズ]]がその著書で主張している。(→[[23エニグマ]]) *[[東京都区部]](旧[[東京市]])には、23個の[[特別区]]が設置されている。この23個をまとめて「東京23区」と呼ぶことがある。 *[[年始]]から数えて23日目は[[1月23日]]。 *[[バスケットボール]] ([[NBA]]) の[[マイケル・ジョーダン]]の背番号([[シカゴ・ブルズ]]、[[マイアミ・ヒート]]で[[永久欠番]])。 *[[日本プロ野球]]・[[阪神タイガース]]では、背番号23は[[吉田義男]]内野手の[[野球界の永久欠番|永久欠番]]となっている。 *サッカー・[[FIFAワールドカップ]]における1チームの登録可能人数は23人([[2002 FIFAワールドカップ|2002年日韓大会]]より)。 *第23代[[天皇]]は[[顕宗天皇]]である。 *[[日本]]の第23代[[内閣総理大臣]]は[[清浦奎吾]]である。 *[[大相撲]]の第23代[[横綱]]は[[大木戸森右エ門]]である。 *[[アメリカ合衆国]]第23代[[大統領]]は[[ベンジャミン・ハリソン]]である。 *第23代[[殷]]王は[[祖庚]]である。 *第23代[[周]]王は[[霊王 (周)|霊王]]である。 *第23代[[教皇|ローマ教皇]]は[[ステファヌス1世 (ローマ教皇)|ステファヌス1世]](在位:[[254年]] - [[257年]][[8月2日]])である。 *[[易占]]の[[六十四卦]]で第23番目の卦は、[[周易上経三十卦の一覧#剥|山地剥]]。 *[[クルアーン]]における第23番目の[[スーラ (クルアーン)|スーラ]]は[[信者たち (クルアーン)|信者たち]]である。 *[[安達二十三]]は日本の陸軍中将で、[[第二次世界大戦]]の東部[[ニューギニア島|ニューギニア]]戦線で指揮を執った。名前の由来は生年が[[1890年|明治23年]]であったことから。二十三の兄に陸軍少将[[安達十六]]と陸軍中将[[安達十九]]がおり、命名の由来も同様である。 *[[インターネット・プロトコル・スイート|TCP/IP]] では [[Telnet]][[通信プロトコル|プロトコル]]の[[デフォルト (コンピュータ)|デフォルト]]の[[ポート番号]]。 *[[RYTHEM]] のアルバム「[[23 (RYTHEMのアルバム)|23]]」。 *[[23 (DIMENSIONのアルバム)]] *[[日産自動車]]が[[自動車競技|レース]]活動をする場合([[SUPER GT]]など)、自[[チーム]]の車両の[[カーナンバー]]([[ゼッケン]])を「23」にすることが多い。これは、「にっさん」と「23」を掛け合わせていて、[[縁起]]の良い数字で[[事故]]などが起こらず無事に[[勝利]]できることを願っていることから。 **レース活動に限らず、日産では「23」が至る所で使われている。電話番号が「23」で終わる販売店があるほか、[[日産レンタカー]]には「23ボーナスクラブ」なる個人会員制度がある。 *[[2007年]]の米国映画「[[ナンバー23]](原題:The Number 23)」において、[[ジム・キャリー]]が演じる主人公が23という数字に翻弄されていく姿が描かれている。その映画の中では、23について、以下のような[[薀蓄]]が語られている。(監督は[[ジョエル・シュマッカー]]で、これが彼の23作目の映画) * [[news23]] - [[ジャパン・ニュース・ネットワーク|JNN]]系列の[[報道番組]]。23時([[午後]]11時)に番組が開始することから。 == 符号位置 == {| class="wikitable" style="text-align:center;" !記号!![[Unicode]]!![[JIS X 0213]]!![[文字参照]]!!名称 {{CharCode|12883|3253|1-8-35|CIRCLED DIGIT TWENTY THREE|font=JIS2004フォント}} |} == 脚注 == <references /> == 関連項目 == {{数字2桁|2|- [[平成23年]] - [[昭和23年]] - [[明治23年]] - [[23世紀]]}} *[[2月3日]] {{自然数}}
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24
24(二十四、廿四、にじゅうし、にじゅうよん、はたよん、はたちあまりよつ)は自然数、また整数において、23の次で25の前の数である。
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24(二十四、廿四、にじゅうし、にじゅうよん、はたよん、はたちあまりよつ)は自然数、また整数において、23の次で25の前の数である。
{{整数|Decomposition=2{{sup|3}} × 3}} '''24'''('''二十四'''、'''廿四'''、にじゅうし、にじゅうよん、はたよん、はたちあまりよつ)は[[自然数]]、また[[整数]]において、[[23]]の次で[[25]]の前の数である。 == 性質 == *24 は[[合成数]]であり、正の[[約数]]は [[1]], [[2]], [[3]], [[4]], [[6]], [[8]], [[12]], 24 である。 **[[約数の和]]は[[60]]。 ***4番目の過剰数である。1つ前は[[20]]、次は[[30]]。 ***約数の和が自身の2.5倍になる最小の数である。次は91963648。({{OEIS|A141643}}) ** 約数を8個もつ最小の数である。次は[[30]]。 ***[[約数]]を ''n'' 個もつ最小の数とみたとき。1つ前の7個は[[64]]、次の9個は[[36]]。({{OEIS|A005179}}) ***6番目の[[高度合成数]]である。1つ前は[[12]]、次は[[36]]。 ***自分自身のすべての約数の積が自分自身の4乗になる最小の数である。1つ前の3乗は[[12]]、次の5乗は[[48]]。({{OEIS|A003680}}) **[[約数]]の積は331776。 ***約数の積の値がそれ以前の数を上回る11番目の数である。1つ前は[[20]]、次は[[30]]。({{OEIS|A034287}}) ** [[素数]]を除いて σ(''n'') &minus; ''n'' が[[平方数]]になる5番目の数である。1つ前は[[15]]、次は[[26]]。ただしσは[[約数関数]]。({{OEIS|A048699}}) ** 約数を昇順に並べて和を求めていくと自身になる3番目の数である。1つ前は[[6]]、次は[[28]]。({{OEIS|A064510}}) **:例.1 + 2 + 3 + 4 + 6 + 8 = 24 **約数の和を平方した数が自身で割り切れる3番目の数である。1つ前は[[6]]、次は[[28]]。({{OEIS|A263928}}) **:例.σ(24){{sup|2}} ÷ 24 = 60{{sup|2}} ÷ 24 = 150 (ただしσは[[約数関数]]) * 24から[[28]]まではすべて合成数で、5個連続で合成数が続く。 **[[合成数]]の連続数がこれ以前の数を上回る数である。1つ前の3連続は[[8]]、次の7連続は[[90]]。({{OEIS|A008950}}) *{{sfrac|1|24}} = 0.041{{underline|6}}… (下線部は[[循環節]]で長さは1) **[[逆数]]が[[循環小数]]になる数で[[循環節]]が1になる7番目の数である。1つ前は[[18]]、次は[[30]]。({{OEIS|A070021}}) ** [[六進法]]では {{sfrac|1|40}} = 0.013 となり、[[十二進法]]では {{sfrac|1|20}} = 0.06 となる。 *6番目の[[高度トーシェント数]]。1つ前は[[12]]、次は[[48]]。 *7番目の[[フィボナッチ数#トリボナッチ数|トリボナッチ数]]であり、1つ前は[[13]]、次は[[44]]。 *24 = 4! = 4 × 3 × 2 × 1 ** 4番目の[[階乗]]数である。1つ前は[[6]]、次は[[120]]。 **4連続整数の積で表せる数である。自然数の範囲では最小、[[0]]を含めると1つ前は[[0]]、次は[[120]]。 **24 = 2 × 3 × 4 ***3連続整数の積で表せる数である。1つ前は[[6]]、次は[[60]]。 ***24 = 3{{sup|3}} &minus; 3 **** ''n'' = 3 のときの 3{{sup|''n''}} &minus; ''n'' の値とみたとき1つ前は[[7]]、次は[[77]]。({{OEIS|A000325}}) **** ''n'' = 3 のときの ''n''{{sup|''n''}} &minus; ''n'' の値とみたとき1つ前は[[2]]、次は[[252]]。({{OEIS|A061190}}) **** 素数 ''p'' = 3 のときの ''p''{{sup|''p''}} &minus; ''p'' の値とみたとき1つ前は[[2]]、次は3120。({{OEIS|A101339}}) **** 24 = 3{{sup|3}} &minus; 3{{sup|1}} = 3{{sup|1}} × (3{{sup|2}} &minus; 1) *****''n'' = 2 のときの 3{{sup|''n''&minus;1}}(3{{sup|''n''}} &minus; 1) の値とみたとき1つ前は[[2]]、次は[[234]]。({{OEIS|A219205}}) *24! = 620448401733239439360000 は24桁である。''n''! が ''n'' 桁になるのは、1, [[22]], [[23]], 24 のみで、24 が最大である。 *24{{sup|2}} + 1 = [[577]] であり、''n''{{sup|2}} + 1 の形で[[素数]]を生む9番目の数である。1つ前は[[20]]、次は[[26]]。 *[[九九|かけ算九九]]では、3 × 8(さんぱにじゅうし)、 4 × 6(しろくにじゅうし)、 6 × 4(ろくしにじゅうし)、 8 × 3(はちさんにじゅうし)と 4 通りに表される。九九での表し方は 4 通りが最大で、他に [[6]], [[8]], [[12]], [[18]] がそれに当たる。 *24 の24乗根の小数部分は、[[円周率]] [[π|{{π}}]] の小数部分に近い。 *:{{sup|24}}√{{overline|24}} ≈ 1.14158644 *:{{π}} &minus; {{sup|24}}√{{overline|24}} ≈ 2.00000621 *''p'' を 5 以上の素数とすると ''p''{{sup|2}} &minus; 1 は必ず24の[[倍数]]である。例: 5{{sup|2}} &minus; 1 = 24 × 1 , 7{{sup|2}} &minus; 1 = 24 × 2 , 11{{sup|2}} &minus; 1 = 24 × 5 *1{{sup|2}} + 2{{sup|2}} + … + 24{{sup|2}} = 70{{sup|2}} ** [[エドゥアール・リュカ|リュカ]]が提示した[[ディオファントス方程式]] <math>\sum_{n=1}^{N} n^2 = M^2\; (M>1)</math> を成り立たせる唯一の解が ''N'' = 24 , ''M'' = 70 である。 *[[正二十四胞体]]は6つ中4番目(胞数順で)の[[正多胞体]]である。前は[[正十六胞体]]、次は[[正百二十胞体]]である。 *15番目の[[ハーシャッド数]]である。1つ前は[[21]]、次は[[27]]。 **[[6]]を基とする2番目の[[ハーシャッド数]]である。1つ前は[[6]]、次は[[42]]。 *各位の和が24になる[[ハーシャッド数]]の最小は[[888]]、1000までに1個、10000までに48個ある。 * 約数の和が24になる数は3個ある。([[14]], [[15]], [[23]]) 約数の和3個で表せる最小の数である。次は[[42]]。 **約数の和が24より小さな数で3個ある数はない。1つ前は[[12]](2個)、次は[[72]](5個)。 * [[各位の和]]が6になる3番目の数である。1つ前は[[15]]、次は[[33]]。 *各位の[[平方和]]が20になる最小の数である。次は[[42]]。({{OEIS|A003132}}) ** 各位の平方和が ''n'' になる最小の数である。1つ前の19は[[133]]、次の21は[[124]]。({{OEIS|A055016}}) *各位の[[立方和]]が72になる最小の数である。次は[[42]]。({{OEIS|A055012}}) ** 各位の立方和が ''n'' になる最小の数である。1つ前の71は12233、次の73は[[124]]。({{OEIS|A165370}}) * 各位の積が8になる3番目の数である。1つ前は[[18]]、次は[[42]]。({{OEIS|A199989}}) * 連続してある数に対して[[約数の和]]を求めていった場合10個の数が24になる。24より小さい数で10個ある数はない。1つ前は[[15]](5個)、次は[[60]](14個)。いいかえると <math>\sigma^m(n)=24~(m\geqq 1)</math> を満たす ''n'' が10個あるということである。(ただし σ は[[約数関数]])(参照{{OEIS|A241954}}) * 24 = 2{{sup|3}} × (2{{sup|2}} &minus; 1) **''n'' = 2 のときの 2{{sup|''n''+1}}(2{{sup|''n''}} &minus; 1) の値とみたとき1つ前は[[4]]、次は[[112]]。({{OEIS|A059153}}) * 24 = 3 × 2{{sup|3}} ** ''n'' = 3 のときの ''n'' × 2{{sup|''n''}} の値とみたとき1つ前は[[8]]、次は[[64]]。({{OEIS|A036289}}) ** ''n'' = 2 のときの 3''n''{{sup|3}} の値とみたとき1つ前は[[3]]、次は[[81]]。({{OEIS|A117642}}) ** ''n'' = 3 のときの 3 × 2{{sup|''n''}} の値とみたとき1つ前は[[12]]、次は[[48]]。({{OEIS|A007283}}) ** 24 = 2{{sup|3}} + 2{{sup|3}} + 2{{sup|3}} *** 3つの[[正の数]]の[[立方数]]の和1通りで表せる4番目の数である。1つ前は[[17]]、次は[[29]]。({{OEIS|A025395}}) **24 = 2{{sup|3}} × 3 ***2つの異なる[[素因数]]の積で ''p''{{sup|3}} × ''q'' の形で表せる最小の数である。次は[[40]]。({{OEIS|A065036}}) ***24 = 8 × 3 ****''n'' = 1 のときの 8 × 3{{sup|''n''}} の値とみたとき1つ前は[[8]]、次は[[72]]。({{OEIS|A005051}}) ** 24 = 2{{sup|3}} × 3{{sup|1}} 、2{{sup|''i''}} × 3{{sup|''j''}} (''i'' ≧ 1, ''j'' ≧ 1) で表せる4番目の数である。1つ前は[[18]]、次は[[36]]。({{OEIS|A033845}}) ** 24 = 6 × 2{{sup|2}} *** ''n'' = 2 のときの 6''n''{{sup|2}} の値とみたとき1つ前は[[6]]、次は[[54]]。({{OEIS|A033581}}) ** 24 = 6 × 4 *** ''n'' = 1 のときの 6 × 4{{sup|''n''}} の値とみたとき1つ前は[[6]]、次は[[96]]。({{OEIS|A002023}}) **24 = 2{{sup|4}} + 2{{sup|3}} *** ''n'' = 2 のときの ''n''{{sup|4}} + ''n''{{sup|3}} の値とみたとき1つ前は[[2]]、次は[[108]]。({{OEIS|A179824}}) *異なる2つの[[素数]]の和3通りで表せる最小の数である。次は[[30]]。({{OEIS|A077969}})<br>24 = [[5]] + [[19]] = [[7]] + [[17]] = [[11]] + [[13]] **異なる2つの素数の和 ''n'' 通りで表せる最小の数である。1つ前の2通りは[[16]]、次の4通りは[[36]]。({{OEIS|A087747}}) * 異なる[[平方数]]の和で表せない31個の数の中で13番目の数である。1つ前は[[23]]、次は[[27]]。({{OEIS|A001422}}) * 24 = 2{{sup|2}} + 2{{sup|2}} + 4{{sup|2}} ** 3つの[[平方数]]の和1通りで表せる12番目の数である。1つ前は[[22]]、次は[[26]]。({{OEIS|A025321}}) * 1を除く自身の桁1個を使って余りなく割り切ることができる13番目の数である。1つ前は[[22]]、次は[[25]]。({{OEIS|A185186}}) ** 1を除く自身の桁の異なる2個を使って余りなく割り切ることができる最小の数である。次は[[36]]。({{OEIS|A187516}}) ** 1を除く自身の桁の異なる ''n'' 個を使って余りなく割り切ることができる最小の数である。1つ前の1個は[[2]]、次の3個は[[248]]。({{OEIS|A187584}}) * ''n'' = 2 のときの ''n'' と 2''n'' を並べてできる数である。1つ前は[[12]]、次は[[36]]。({{OEIS|A019550}}) * ''n'' = 24 のとき ''n'' と ''n'' &minus; 1 を並べた数を作ると[[素数]]になる。''n'' と ''n'' &minus; 1 を並べた数が素数になる4番目の数である。1つ前は[[22]]、次は[[34]]。({{OEIS|A054211}}) * 24{{sup|3}} = 13824 になり下2桁が24になる。''n'' と ''n''{{sup|3}} の下2桁が同じになる2番目の数である。1つ前は[[1]]、次は[[25]]。ただし2桁では最小である。 **この性質をもつ数は偶数乗においても下2桁が等しくなる。 **:例.24{{sup|2}} = 5{{underline|76}}、24{{sup|4}} = 3317{{underline|76}} ** この性質をもつ2桁の数字列は、他に00, 01, [[25]], [[49]], [[51]], [[75]], [[76]], [[99]]がある。({{OEIS|A008856}}) * 24 = <math>\sum^{3}_{k=0}(k^2+k+1)</math> ** ''n'' = 3 のときの <math>\sum^n_{k=0}(k^2+k+1)</math> の値とみたとき1つ前は[[11]]、次は[[45]]。({{OEIS|A006527}}) == その他 24 に関連すること == *'''24 × 単位''' **24[[度 (角度)|°]] = {{sfrac|2|15}}[[円周率|{{π}}]]([[ラジアン]])。これは {{sfrac|1|15}} 周であり、すなわち[[正十五角形]]の[[中心角]]であり、すなわちその[[外角]]である。 **1[[日]]は24[[時間 (単位)|時間]]である。24時は日の変わり目であることから、俗に締切りに例えられる。転じて、締切りや危機が迫っている様相を、「24時15分前」「23時45分」に例える。 **[[24年組]]: 昭和24年([[1949年]])生まれの[[少女漫画家]]の集まり。花の24年組と呼ばれる。 ** 純金は24[[カラット]](24金)。 **[[青年]]の定義は一般的に[[15]]歳から24歳まで(あるいは[[34]]歳まで)である。 ** ほとんどの[[映画]]は24[[フレームレート|コマ]]/秒のものである。 *'''24番目のもの''' **年始から数えて24日目は[[1月24日]]。 **第24[[原子番号|番元素]]は[[クロム]] (Cr) である。 **第24代[[天皇]]は[[仁賢天皇]]である。 **[[日本]]の第24代[[内閣総理大臣]]は[[加藤高明]]である。 **[[大相撲]]の第24代[[横綱]]は[[鳳谷五郎 (横綱)|鳳谷五郎]]である。 **[[アメリカ合衆国]]の第24代[[大統領]]は[[グロバー・クリーブランド]]である。 **[[アメリカ合衆国]]の24番目の[[州]]は[[ミズーリ州]]である。 ** JIS X 0401、[[ISO 3166-2:JP]]の[[都道府県コード]]の「24」は[[三重県]]。 **第24代[[殷]]王は[[祖甲]]である。 **第24代[[周]]王は[[景王 (周)|景王]]である。 **第24代[[教皇|ローマ教皇]]は[[シクストゥス2世 (ローマ教皇)|シクストゥス2世]](在位:[[257年]][[8月31日]]~[[258年]][[8月6日]])である。 **[[易占]]の[[六十四卦]]で第24番目の卦は、[[周易上経三十卦の一覧#復|地雷復]]。 **[[クルアーン]]における第24番目の[[スーラ (クルアーン)|スーラ]]は[[御光 (クルアーン)|御光]]である。 **[[M24 (天体)|M24]] は星雲・星団等ではなく、[[天の川]]が濃くなった領域である。 *'''24あるもの''' **[[二十四史]]: 中国の正史の数。 **[[二十四節気]]: 1年を24分割し、15日を1節気とする。 **[[ギリシャ文字]]は24文字。 **[[長調]]と[[短調]]を併せて24種類ある。[[ヨハン・ゼバスティアン・バッハ|J.S.バッハ]]が全24調で「前奏曲とフーガ」を作曲した(『[[平均律クラヴィーア曲集]]』、全2巻)ため、後世の[[作曲家]]がこれに倣い、[[前奏曲]]や[[練習曲]]などを24曲構成で作曲している。 **[[大阪市]]は24[[行政区|区]]からなり、「[[東京都|東京]][[特別区|23区]]」に対して「大阪24区」と呼ばれることもある。 **[[日本]]には[[競艇場]]が24場ある。 **健常な[[ヒト]]の[[頚椎]]・[[胸椎]]・[[腰椎]]の数を合わせると24個になる。 *'''言葉''' **{{sfrac|24|7}} (twenty-four seven) は、24時間・週7日間を転じて always(いつも)という意味を持つ。 **「通報」の意。「ツー(2)フォー(4)」から。 *'''企業''' **[[タイム二十四]]:東京都の第三セクター。 **[[に・よん・なな・みゅーじっく]]:日本の音楽関連企業。 **[[パーク24]]:[[駐車場]]運営会社。 **[[ベルシステム24]]:[[コールセンター]]業最[[大企業|大手]]の企業。 *'''作品タイトル''' **[[24 -TWENTY FOUR-]](トゥウェンティフォー):[[フォックス放送|FOX]](アメリカ合衆国)制作の[[テレビドラマ]]。 **[[24/7 -TWENTY FOUR/SEVEN-]]:[[DREAMS COME TRUE]]のシングル。 **24:[[倖田來未]]の曲。シングル「[[girls〜Selfish〜]]」に収録。 **[[24karats GOLD SOUL]]は、[[EXILE]]の通算46枚目のシングル。 **[[二十四の瞳]]: [[壺井栄]]の小説。 **[[24ナイツ]] : [[エリック・クラプトン]]が[[1991年]]に発表したライブ・アルバム。 *'''商品名''' **[[24ゾイド]](ツーフォー-): 『[[ゾイド]]』シリーズに登場する架空の兵器。 *'''写真集''' **24:2009年に発売された[[石川梨華]]の写真集。 **24:2021年に発売された[[森みはる]]の1st写真集。 *'''符号''' **[[国鉄24系客車|24系]]は[[JR]]の[[ブルートレイン (日本)|ブルートレイン]]に使われる[[客車]]。 **[[日本プロ野球]]・[[埼玉西武ライオンズ]]の背番号24は[[稲尾和久]]投手の永久欠番(元々は前身の西鉄ライオンズでの永久欠番であったが、[[1972年]]11月の西鉄球団売却に伴い失効。その後、[[2012年]]に後身の西武が再度永久欠番とした)。 == 符号位置 == {| class="wikitable" style="text-align:center;" !記号!![[Unicode]]!![[JIS X 0213]]!![[文字参照]]!!名称 {{CharCode|12884|3254|1-8-36|CIRCLED DIGIT TWENTY FOUR|font=JIS2004フォント}} |} ==脚注== <references/> == 関連項目 == {{数字2桁|2|- [[2024年]] [[平成24年]] [[昭和24年]] [[明治24年]] [[24世紀]] - [[2月4日]]}} {{自然数}}
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クーラスクス
クーラスクス(学名:Koolasuchus)は、オーストラリアのヴィクトリア州に分布する下部白亜系アプチアン階から発見された、2021年時点の既知の範囲では分椎目に属する最後の両生類の属。化石は断片的であるが、シデロプスに近縁とされる。下顎の断片から全長は3 - 4メートルと推定されている。 当時のオーストラリア大陸は南極大陸と陸続きであり、爬虫類のワニ形上目が高緯度ゆえに当該地域へ進出しなかったことが、クーラスクスの生存を許したと考えられている。 クーラスクスの最初の化石は顎の後方の断片 NMV-PI56988 で、Strzelecki層群から1980年に収集された。1986年に Anne Warren と R. Jupp により最初に投稿済みの論文で言及された際には、この標本が白亜紀の化石で、当時知られていた他のどの分椎目の標本よりも遥かに新しい時代のものであったことから、同定はなされなかった。1991年には間椎体 NMV-PI86040 と単離した頭蓋天井(前頭骨・上側頭骨・頭頂骨)NMV-PI86101 を含む追加の標本が報告された。間椎体の産出によりStrzelecki層群に分椎目が存在したことが証明され、またウォーレンらにより頭蓋天井の形状からプラギオサウルス科(英語版)あるいはブラキオプス上科に位置付けられた。 クーラスクスという属名は、ヴィクトリア州のStrzelecki層群Wonthaggi累層のアプチアン階から、1997年に命名された。化石は下顎・肋骨・腓骨・肩帯の一部の計4つの断片が知られている。顎の骨は1978年にサンレモ(英語版)近郊の Punch Bowl として知られる化石産地で発見された。後者の標本は1989年に Rowell's Beach の近郊で発見された。また、部分的な頭骨も知られているが、2000年時点でクリーニングなどの作業が完全には完了していない。 属名は古生物学者のレズリー・クール(Lesley Kool)にちなむ一方、生息環境の気候が寒冷(cool)であったことも指している。タイプ種 K. cleelandi の種小名は地質学者マイク・クリーランド(Mike Cleeland)への献名である。 クーラスクスは全長約3 - 4メートルと推定されている水棲の両生類で、体重は最大500キログラムと見積られている。標本は不完全であるものの、正中線上での頭骨長の推定値は65センチメートルとされる。他のキグチサウルス科(英語版)と同様に、頭部は幅広く丸みを帯びており、頭骨の後側は板状をなして突出していた。 クーラスクスは、上角骨と前関節骨の間の縫合線により後関節窩の背側面から除外されている下顎関節の枝を持つ点で、シデロプスおよびハドロッコサウルス(英語版)以外の分椎目から区別される。またその2属とは、冠顎骨に歯が生えていない点で区別される。クーラスクスの下顎には約40本の歯が並んでいた。これらの歯は内側にカーブを描いていて、また槍状の先端部には近位と遠位にキールが見られる。この特徴はシデロプスと共通するものであるが、キールに鋸歯を持たない点でシデロプスと異なる。 クーラスクスは前期白亜紀においてオーストラリア南部の地溝に生息した。この時代の間に当該地域は南極圏下にあり、気温は中生代にしては比較的寒冷であった。化石が発見された場所の粗い岩に基づくと、クーラスクスは流速の大きい水域に生息していた可能性が高い。現生のワニに類似した大型の水棲捕食動物としての生態的地位を獲得していた。前期白亜紀は正鰐類やその仲間が繁栄していた時代であったが、1億2000万年前のオーストラリア南部から彼らの化石は発見されておらず、これはおそらく寒冷気候によるものである。1億1000万年前までに気温が上昇するとワニが当該地域に進出し、おそらくクーラスクスはワニとの生存競争に敗れたと考えられている。それ以降の時代の地層からクーラスクスの化石は産出していない。 なお、クーラスクスと同じく両生類である現生のオオサンショウウオは、日本の河川で越冬が可能である。サイエンスライターの土屋健は、同様の寒さに対する耐性がクーラスクスにあったのかもしれないと述べている。
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クーラスクスは、オーストラリアのヴィクトリア州に分布する下部白亜系アプチアン階から発見された、2021年時点の既知の範囲では分椎目に属する最後の両生類の属。化石は断片的であるが、シデロプスに近縁とされる。下顎の断片から全長は3 - 4メートルと推定されている。 当時のオーストラリア大陸は南極大陸と陸続きであり、爬虫類のワニ形上目が高緯度ゆえに当該地域へ進出しなかったことが、クーラスクスの生存を許したと考えられている。
{{生物分類表 | 名称 = クーラスクス | 画像 = [[画像:Koolasuchus.png|250px]] | 画像キャプション = ''K. cleelandi''の想像図 | 地質時代 = [[前期白亜紀]][[アプチアン]]期 | 地質時代2 = | 省略 = 両生綱 | 亜綱 = [[迷歯亜綱]] {{sname||Labyrinthodontia}} | 目 = [[分椎目]] {{sname||Temnospondyli}} | 亜目 = <!-- [[●●●亜目]] --> {{sname||Stereospondyli}} | 上科 = [[ブラキオプス上科]] {{sname||Brachyopoidea}} | 科 = [[キグチサウルス科]] {{sname||Chigutisauridae}} | 属 = '''クーラスクス属''' {{snamei||Koolasuchus}} | 学名 = '''''Koolasuchus''''' {{AUY|Warren ''et al.''|1997}} | 下位分類名 = [[種 (分類学)|種]] | 下位分類 = * ''Koolasuchus cleelandi'' }} '''クーラスクス'''([[学名]]:'''''Koolasuchus''''')は、[[オーストラリア]]の[[ヴィクトリア州]]に分布する[[前期白亜紀|下部白亜系]][[アプチアン]]階から発見された、2021年時点の既知の範囲では[[分椎目]]に属する最後の[[両生類]]の[[属 (分類学)|属]]。[[化石]]は断片的であるが、[[シデロプス]]に近縁とされる。下顎の断片から全長は3 - 4メートルと推定されている<ref name=土屋2021>{{Cite book|和書|pages=87-88 |author=土屋健|authorlink=土屋健 (サイエンスライター) |publisher=[[技術評論社]] |title=地球生命 水際の興亡史 |others=松本涼子、[[小林快次]]、田中嘉寛(監修)|date=2021-07-15 |isbn= 978-4297122324}}</ref>。 当時の[[オーストラリア大陸]]は[[南極大陸]]と陸続きであり、[[爬虫類]]の[[ワニ形上目]]が高緯度ゆえに当該地域へ進出しなかったことが、クーラスクスの生存を許したと考えられている<ref name=土屋2021/>。 == 歴史 == クーラスクスの最初の化石は顎の後方の断片 NMV-PI56988 で、Strzelecki層群から1980年に収集された。1986年に Anne Warren と R. Jupp により最初に投稿済みの論文で言及された際には、この標本が[[白亜紀]]の化石で、当時知られていた他のどの分椎目の標本よりも遥かに新しい時代のものであったことから、同定はなされなかった<ref>{{Cite journal|last1=Jupp|first1=R.|last2=Warren|first2=A. A.|date=1986-01-01|title=The mandibles of the Triassic temnospondyl amphibians |url=https://doi.org/10.1080/03115518608619164 |journal=Alcheringa: An Australasian Journal of Palaeontology |volume=10 |issue=2 |pages=99–124 |doi=10.1080/03115518608619164 |issn=0311-5518}}</ref>。1991年には間椎体 NMV-PI86040 と単離した頭蓋天井([[前頭骨]]・[[上側頭骨]]・[[頭頂骨]])NMV-PI86101 を含む追加の標本が報告された。間椎体の産出によりStrzelecki層群に分椎目が存在したことが証明され、またウォーレンらにより頭蓋天井の形状から{{仮リンク|プラギオサウルス科|en|Plagiosauridae}}あるいは[[ブラキオプス上科]]に位置付けられた<ref>{{Cite journal|last1=Warren |first1=A.A. |last2=Kool |first2=L. |last3=Cleeland |first3=M. |last4=Rich |first4=T.H. |last5=Rich |first5=P. Vickers |year=1991 |title=An Early Cretaceous labyrinthodont |url=http://www.tandfonline.com/doi/abs/10.1080/03115519108619027|journal=Alcheringa: An Australasian Journal of Palaeontology |language=en |volume=15 |issue=4 |pages=327–332 |doi=10.1080/03115519108619027 |issn=0311-5518}}</ref>。 クーラスクスという属名は、[[ヴィクトリア州]]のStrzelecki層群Wonthaggi累層の[[アプチアン]]階から、1997年に命名された<ref name="WRR97">{{cite journal|last=Warren |first=A.A. |author2=Rich, P.V. |author3=Rich, T.H. |year=1997 |title=The last, last labyrinthodonts? |url=https://www.academia.edu/21856327|journal=Palaeontographica A |volume=247 |pages=1–24}}</ref>。化石は下顎・[[肋骨]]・[[腓骨]]・[[肩帯]]の一部の計4つの断片が知られている。顎の骨は1978年に{{仮リンク|サンレモ (ヴィクトリア州)|label=サンレモ|en|San Remo, Victoria}}近郊の Punch Bowl として知られる化石産地で発見された。後者の標本は1989年に Rowell's Beach の近郊で発見された。また、部分的な頭骨も知られているが、2000年時点でクリーニングなどの作業が完全には完了していない<ref name="DD00"/>。 属名は古生物学者のレズリー・クール(Lesley Kool)にちなむ一方、生息環境の気候が寒冷(cool)であったことも指している<ref name="DD00">{{cite book |last=Rich |first=T.H.V. |author2=Rich, P.V. |year=2000 |title=Dinosaurs of Darkness |publisher=Indiana University Press |location=Bloomington |pages=222 |isbn=978-0-253-33773-3}}</ref>。タイプ種 ''K. cleelandi'' の種小名は地質学者マイク・クリーランド(Mike Cleeland)への献名である<ref name="LIS">{{cite web|title=Life in the Shadows, Non-reptilian life in Mesozoic Australia |url=http://home.alphalink.com.au/~dannj/non-rept.htm |archiveurl=https://web.archive.org/web/20080220004845/http://www.geocities.com/dannsdinosaurs/non-rept.html |archivedate=2008-02-20 |accessdate=2008-08-09|publisher=geocities}}</ref>。 == 特徴 == [[File:Koolasuchus_cleelandi_version_2.jpg|upright|thumb|left|[[レエリナサウラ]]を捕食するクーラスクスの復元図]] クーラスクスは全長約3 - 4メートルと推定されている水棲の両生類で<ref name=土屋2021/>、体重は最大500キログラムと見積られている<ref name="MAJ09">{{cite journal|last=Martin |first=A.J. |year=2009 |title=Dinosaur burrows in the Otway Group (Albian) of Victoria, Australia, and their relation to Cretaceous polar environments |url=http://www.envs.emory.edu/faculty/MARTIN/ResearchDocs/Dinosaur_burrows_2009.pdf |url-status=dead |journal=Cretaceous Research |volume=30 |issue=2009 |pages=1223–1237 |doi=10.1016/j.cretres.2009.06.003 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20110719145945/http://www.envs.emory.edu/faculty/MARTIN/ResearchDocs/Dinosaur_burrows_2009.pdf |archivedate=2011-07-19 |accessdate=2011-04-20}}</ref>。標本は不完全であるものの、正中線上での頭骨長の推定値は65センチメートルとされる<ref name="SR05">{{cite journal|last=Steyer|first=J.S.|author2=Damiani, R.|year=2005|title=A giant brachyopoid temnospondyl from the Upper Triassic or Lower Jurassic of Lesotho|journal=Bulletin de la Société Géologique de France|volume=176|issue=3|pages=243–248|doi=10.2113/176.3.243}}</ref>。他の{{仮リンク|キグチサウルス科|en|Chigutisauridae}}と同様に、頭部は幅広く丸みを帯びており、頭骨の後側は板状をなして突出していた<ref name="WM00">{{cite journal|last=Warren |first=A. |author2=Marsicano, C. |year=2000 |title=A phylogeny of the Brachyopoidea (Temnospondyli, Stereospondyli) |journal=Journal of Vertebrate Paleontology |volume=20 |issue=3 |pages=462–483 |doi=10.1671/0272-4634(2000)020[0462:APOTBT]2.0.CO;2}}</ref>。 クーラスクスは、上角骨と前関節骨の間の縫合線により後関節窩の背側面から除外されている下顎関節の枝を持つ点で、シデロプスおよび{{仮リンク|ハドロッコサウルス|en|Hadrokkosaurus}}以外の分椎目から区別される。またその2属とは、冠顎骨に歯が生えていない点で区別される<ref name="WRR97" />。クーラスクスの下顎には約40本の歯が並んでいた。これらの歯は内側にカーブを描いていて、また槍状の先端部には近位と遠位にキールが見られる。この特徴はシデロプスと共通するものであるが、キールに鋸歯を持たない点でシデロプスと異なる<ref name="WRR97"/>。 == 古生物学 == クーラスクスは[[前期白亜紀]]においてオーストラリア南部の[[地溝]]に生息した。この時代の間に当該地域は[[南極圏]]下にあり、気温は中生代にしては比較的寒冷であった。化石が発見された場所の粗い岩に基づくと、クーラスクスは流速の大きい水域に生息していた可能性が高い。現生の[[ワニ]]に類似した大型の水棲捕食動物としての生態的地位を獲得していた。前期白亜紀は[[正鰐類]]やその仲間が繁栄していた時代であったが、1億2000万年前のオーストラリア南部から彼らの化石は発見されておらず、これはおそらく寒冷気候によるものである。1億1000万年前までに気温が上昇するとワニが当該地域に進出し、おそらくクーラスクスはワニとの生存競争に敗れたと考えられている。それ以降の時代の地層からクーラスクスの化石は産出していない<ref name=DD00/>。 なお、クーラスクスと同じく両生類である現生の[[オオサンショウウオ]]は、[[日本]]の河川で越冬が可能である。サイエンスライターの[[土屋健 (サイエンスライター)|土屋健]]は、同様の寒さに対する耐性がクーラスクスにあったのかもしれないと述べている<ref name=土屋2021/>。 == 出典 == {{Reflist}} == 関連項目 == {{Commons|Category:Koolasuchus|クーラスクス属}} {{Wikispecies|Koolasuchus|クーラスクス属}} * [[プリオノスクス]] - [[ペルム紀]]に生息した史上最大の分椎目 * [[マストドンサウルス]] - [[三畳紀]]に生息した当時最大の分椎目 {{DEFAULTSORT:くうらすくす}} [[Category:分椎目]] [[Category:アプチアンの生物]] [[Category:オーストラリア産の化石]] [[Category:1997年に記載された化石分類群]]
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25
25(二十五、廿五、にじゅうご、ねんご、はたちあまりいつつ)は、自然数また整数において、24の次で26の前の数である。
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25(二十五、廿五、にじゅうご、ねんご、はたちあまりいつつ)は、自然数また整数において、24の次で26の前の数である。
{{Otheruses}} {{整数|Decomposition=5<sup>2</sup>}} '''25'''('''二十五'''、'''廿五'''、にじゅうご、ねんご、はたちあまりいつつ)は、[[自然数]]また[[整数]]において、[[24]]の次で[[26]]の前の数である。 == 性質 == *25 は[[合成数]]であり、正の[[約数]]は [[1]], [[5]], 25 である。 **[[約数の和]]は[[31]]。 ***[[約数]]の和が奇数になる8番目の数である。1つ前は[[18]]、次は[[32]]。 ***約数の和が[[素数]]になる5番目の数である。1つ前は[[16]]、次は[[64]]。 **約数を3個もつ3番目の数である。1つ前は[[9]]、次は[[49]]。 ***約数を ''n'' 個もつ ''n'' 番目の数である。1つ前は[[3]]。次は[[14]]。({{OEIS|A073916}}) ***[[素数]]を2乗した数 (この場合は 25 = 5{{sup|2}}) は、正の約数の個数が3である合成数である。 **σ(''n'') − ''n'' が[[完全数]]になる2番目の数である。1つ前は[[6]]、次は[[28]]。(ただしσは[[約数関数]]、{{OEIS|A237286}}) ***完全数でない数では最小である。次は[[652]]。 *25 = [[5]]{{sup|2}} **5番目の[[平方数]]である。1つ前は[[16]]、次は[[36]]。 ** ''n'' = 2 のときの 5{{sup|''n''}} の値とみたとき1つ前は[[5]]、次は[[125]]。 ** ''n'' = 2 のときの (2''n'' + 1){{sup|''n''}} の値とみたとき1つ前は[[3]]、次は[[343]]。({{OEIS|A085527}}) ** ''n'' = 2 のときの 5{{sup|''n''!}} の値とみたとき1つ前は[[5]]、次は[[15625]]。({{OEIS|A220078}}) ** [[素数]] ''p'' = 5 のときの ''p''{{sup|2}} の値とみたとき1つ前は[[9]]、次は[[49]]。({{OEIS|A001248}}) **25 = 5{{sup|2}} であり、最小の[[フリードマン数]]である。次は[[121]]。 ***平方数がフリードマン数になる最小の数である。次は121。 ** ''n'' ≧ 2 における 5{{sup|''n''}} および 末尾が 5 の整数の2乗(あるいは偶数乗)の下2桁は必ず 25 となる。 * [[2]]の[[倍数]]でも[[3]]の倍数でもない数で、初めて[[合成数]]になる数である。なお、2 と 3 を除く[[素数]]は全て [[6]]''n'' ± 1 の形で表せる。次は[[35]]。({{OEIS|A038509}}) *{{sfrac|1|25}} = 0.04 **[[逆数]]が[[有限小数]]になる8番目の数である。1つ前は[[20]]、次は[[32]]。 **2{{sup|''i''}} × 5{{sup|''j''}} (''i'' ≧ 0, ''j'' ≧ 0) で表せる8番目の数である。1つ前は[[20]]、次は[[32]]。({{OEIS|A003592}}) * 約数に[[5]]が含まれる[[位取り記数法|N進法]]では、[[逆数]]が[[有限小数]]になる。 **例.{{sfrac|1|1A}}{{sub|(15)}} = 0.09{{sub|([[十五進法|15]])}}、{{sfrac|1|15}}{{sub|(20)}} = 0.0[[16|G]]{{sub|([[二十進法|20]])}} * 一方、約数に5が含まれないN進法では、逆数は[[循環小数]]になる。 **例. {{sfrac|1|41}}{{sub|(6)}} = 0.<u>0[[311|1235]]</u>…{{sub|([[六進法|6]])}}、{{sfrac|1|27}}{{sub|(9)}} = 0.<u>0321385675</u>…{{sub|([[九進法|9]])}}、{{sfrac|1|19}}{{sub|(16)}} = 0.<u>0A3D7</u>…{{sub|([[十六進法|16]])}}、{{sfrac|1|17}}{{sub|(18)}} = 0.<u>0CH5</u>…{{sub|([[十八進法|18]])}} (下線部はそれぞれの循環節)。 *9番目の[[半素数]]である。1つ前は[[22]]、次は[[26]]。 *25 = 3{{sup|2}} + 4{{sup|2}} ** 異なる2つの[[平方数]]の和で表せる6番目の数である。1つ前は[[20]]、次は[[26]]。({{OEIS|A004431}}) **[[平方数]]の和で2通りに表せる最小の数は 5{{sup|2}} + 5{{sup|2}} = 1{{sup|2}} + [[7]]{{sup|2}} = 50 だが、[[0]]を含めると、0{{sup|2}} + 5{{sup|2}} = 3{{sup|2}} + 4{{sup|2}} = 25 となり、最小である。 ** 5{{sup|2}} = 3{{sup|2}} + 4{{sup|2}} *** 平方数が異なる2つの平方数の和で表せる最小の数である。次は[[100]]。({{OEIS|A134422}}) **** ここに現れる 3,4,5 は[[ピタゴラス数]]である。 ***連続整数の平方和が平方数となる数とみたとき最小の数である。次は[[841]]。(841 = 29{{sup|2}} = 20{{sup|2}} + 21{{sup|2}}) ** ''n'' = 3 のときの ''n''{{sup|2}} + (''n'' + 1){{sup|2}} の値とみたとき1つ前は[[13]]、次は[[41]]。({{OEIS|A001844}}) **4番目の[[中心つき四角数]]である。 ** ''n'' = 2 のときの 3{{sup|''n''}} + 4{{sup|''n''}} の値とみたとき1つ前は[[7]]、次は[[91]]。({{OEIS|A074605}}) *[[十進法]]では 100÷4 = 25 となるため、25の倍数は下二桁が 25, 50, 75, 00 のいずれかになる。 ** 同じく、25{{sup|2}} = [[625]]、25{{sup|3}} = [[15625]]、25{{sup|4}} = 390625 … と、25の[[累乗]]数は、常に下二桁が 25 となる。下二桁に注目するとこのような性質数は、他に [[75]], [[24]], [[76]] がある。 **4番目の[[自己同形数]]である。1つ前は[[6]]、次は[[76]]。 **''n'' と ''n''{{sup|3}} の下2桁が同じになる3番目の数である。1つ前は[[24]]、次は[[49]]。({{OEIS|A008856}}) * ''π''(100) = 25 (ただし''π''(''x'')は[[素数計数関数]]) **[[100]]までの素数は25個ある。次の200までは[[46]]。({{OEIS|A028505}}) *[[九九]]では 5 の段で 5 × 5 = 25 (ごごにじゅうご) と 1 通りの表し方しかない。九九で 1 通りの表し方しかない数は他に [[1]], [[49]], [[64]], [[81]] のみである。 *25[[階乗|!]] = 15511210043330985984000000 である(26桁)。桁数と元の数が逆転する値(log{{sub|10}} ''x''! > ''x'' となる ''x'' の値)。 *25は[[2]]を加えると[[立方数]]になる唯一の平方数である。 *25 = 4! + 1 であるが、これは ''n''! + 1 で表せる最小の平方数である。次は[[121]]。({{OEIS|A085692}}) *各位の和が25となる[[ハーシャッド数]]の最小は4975、[[10000]]までに7個ある。 *[[各位の和]]が7になる3番目の数である。1つ前は[[16]]、次は[[34]]。 *各位の[[平方和]]が29になる最小の数である。次は[[52]]。({{OEIS|A003132}}) ** 各位の平方和が ''n'' になる最小の数である。1つ前の28は1115、次の30は[[125]]。({{OEIS|A055016}}) *各位の[[立方和]]が133になる最小の数である。次は[[52]]。({{OEIS|A055012}}) ** 各位の立方和が ''n'' になる最小の数である。1つ前の132は111144、次の134は[[125]]。({{OEIS|A165370}}) * 各位の積が10になる最小の数である。次は[[52]]。({{OEIS|A199990}}) * 25 = 3 × 2{{sup|3}} + 1 ** 3番目の[[カレン数]]である。1つ前は[[9]]、次は[[65]]。 ** 6番目の[[プロス数]]である。1つ前は[[17]]、次は[[33]]。 * 25{{sup|2}} = [[625]] が[[平方数]]において異なる2つの整数の[[平方和]]で表せる最小の数より、斜辺が25の[[直角三角形]]は3辺の長さが整数になる異なる直角三角形をもつ最小の斜辺の値である。次は[[50]]。({{OEIS|A084646}}) ** 25{{sup|2}} = 7{{sup|2}} + 24{{sup|2}} = 15{{sup|2}} + 20{{sup|2}} ** 異なる ''n'' 個の整数の辺の直角三角形をつくる最小の斜辺の値とみたとき1つ前の1個は[[5]]、次の3個は[[125]]。({{OEIS|A006339}}) == その他 25 に関連すること == *[[原子番号]] 25 の[[元素]]は[[マンガン]] (Mn) である。 *[[100]] の [[1/4|{{sfrac|1|4}}]]。このため、[[百分率]]の習慣から、25 は「四半」を意味することが多い。例:25年=四半[[世紀]]。 **[[アメリカ合衆国|米国]]では、25[[セント (通貨)|セント]][[硬貨]]を[[クォーター]](quarter、四半分)とも呼んでいる。 *[[日本]]において、[[衆議院議員]]、市町村長、地方議会議員の被選挙権は25歳以上。 *[[インターネット・プロトコル・スイート|TCP/IP]] では [[Simple Mail Transfer Protocol|SMTP]]接続の[[ポート番号]]。 *25周年の祝いには、[[銀]]が記念品として使われたり、形容詞とされることが多い。たとえば、結婚25周年の祝いを[[結婚記念日|銀婚式]]といい、25年祭を英語で“silver jubilee”という。 *[[西野カナ]]の23rdシングル『[[We Don't Stop]]』の2つ目の[[B面曲|B面(カップリング)曲]]「25」。 *[[安倍なつみ]]のミニアルバム『[[25 〜ヴァンサンク〜]]』。 *テレビ番組『[[パネルクイズ アタック25]]』。 *[[菅原道真]]は、[[誕生日]]と[[命日]]が共に旧暦25日であり、多くの[[天満宮]]では祭礼が行われる日となっている。 *[[大相撲]]の第25代[[横綱]]は[[西ノ海嘉治郎 (2代)|西ノ海嘉治郎]]である。 *[[ルノー・25]]。フランスの自動車会社[[ルノー]]が製造した乗用車。 *第25代[[アメリカ合衆国大統領]]は[[ウィリアム・マッキンリー]]([[共和党 (アメリカ)|共和党]])である。 *[[日本]]の第25代[[内閣総理大臣]]は[[若槻禮次郎]]([[憲政会]])である。 *第25代[[天皇]]は[[武烈天皇]]である。 *100以下の自然数に含まれる[[素数]]の個数。 *[[MiG-25]] はソ連の戦闘機。 *[[B-25]] はアメリカの爆撃機。 *[[Su-25]] はソ連の軍用機。 *旧陸軍の[[チハ]]の装甲は 25mm。 *[[火星]]の[[自転周期]]はおよそ25[[時間 (単位)|時間]]である。 *[[リクルートホールディングス|リクルート]]発行の[[フリーペーパー]]『[[R25 (雑誌)|R25]]』と『[[L25 (雑誌)|L25]]』。 *第25代[[殷]]王は[[廩辛]]である。 *第25代[[周]]王は[[悼王 (周)|悼王]]である。 *第25代[[教皇|ローマ教皇]]は[[ディオニュシウス (ローマ教皇)|ディオニュシウス]](在位:[[259年]][[7月22日]]~[[268年]][[12月26日]])である。 *[[易占]]の[[六十四卦]]で第25番目の卦は、[[周易上経三十卦の一覧#无妄|天雷无妄]]。 *[[クルアーン]]における第25番目の[[スーラ (クルアーン)|スーラ]]は[[識別 (クルアーン)|識別]]である。 *[[年始]]から数えて25日目は[[1月25日]]。 *[[電気グルーヴ]]のミニアルバム『[[25 (電気グルーヴのアルバム)|25]]』。 *[[テレビ愛知]]、[[北陸朝日放送]]、[[長崎国際テレビ]]、[[愛媛朝日テレビ]]の親局ch番号(アナログ)は 25ch。 *[[ボクシング]]の世界王座最多防衛記録は[[ヘビー級]][[ジョー・ルイス]]の25度。 * JIS X 0401、[[ISO 3166-2:JP]]の[[都道府県コード]]の「25」は[[滋賀県]]。 *[[麻波25]]は1996年に結成された日本のミクスチャー[[ロックバンド]]。2004年に解散。 *「C25」は3代目[[日産・セレナ]]の型式。 *『[[25 (花澤香菜のアルバム)|25]]』は、[[花澤香菜]] のアルバム。 *『25』は、[[イギリス]]のシンガーソングライター・[[アデル (歌手)|アデル]]のアルバム。 *1986年のスペースシャトル・[[チャレンジャー号爆発事故]]は[[スペースシャトル]]としては25回目のフライトだった。([[スペースシャトルのミッション一覧]]参照) *[[JR東海キハ25形気動車|キハ25形]]は[[東海旅客鉄道|JR東海]]の非電化区間向け一般型[[気動車]]。 == 符号位置 == {| class="wikitable" style="text-align:center;" !記号!![[Unicode]]!![[JIS X 0213]]!![[文字参照]]!!名称 {{CharCode|12885|3255|1-8-37|CIRCLED DIGIT TWENTY FIVE|font=JIS2004フォント}} |} == 出典 == {{Reflist}} == 関連項目 == {{数字2桁|2| - [[平成25年]] [[昭和25年]] [[明治25年]]}} *[[2月5日]] {{自然数}}
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14,492
ヤク
ヤク(犛牛、英: yak、家畜化された種としての学名はBos grunniens、野生種はBos mutus)は、偶蹄目ウシ科ウシ属に分類される偶蹄類。野生種はノヤクと呼ばれる。 漢名は旄牛(ボウギュウ。氂牛、犛牛とも)、犛牛(リギュウ)。 ヤクはチベット語では雄のヤクを意味する。 インド北西部、モンゴル、中華人民共和国(甘粛省、チベット自治区)、パキスタン北東部に自然分布、ロシアでは17世紀前後に絶滅したとされる。ネパールでは絶滅していたとされていたが2014年に再発見され、それを記念してノヤクが紙幣の絵柄に採用された。 野生種(ノヤク)はバイソン属やガウルに匹敵する大型種であり、体長380cm、体高205cm、尾長100cm、体重1,200kgに達する。 家畜種は、体長がオスで280-325cm、メスで200-220cm。尾長がオでス80-100cm、メスで60-75cm。肩高がオスで170-200cm、メスで150-160cm。体重はオスが800-1,000kg、メスが325-360kg。 高地に適応しており、体表は蹄の辺りまで達する黒く長い毛に覆われている。家畜種には、黒だけでなく様々な毛色のパターンが存在する。 換毛はしないため、暑さには弱い。肩は瘤状に隆起する。鳴き声はウシのような「モー」ではなく、低いうなり声である。 基部から外側上方、前方に向かい、先端が内側上方へ向かう角がある。最大角長92センチメートル。四肢は短く頑丈。 野生種(ノヤク)には、黄金(金白)の毛並みを持つ個体や群れ(金丝野牦牛)が存在しているが、その個体数は数百頭と少ない。通常のノヤクとは遺伝的な差異が見られ、亜種レベルの差があるとされる場合もある。 家畜種(ヤク)は、1766年にリンネによりBos grunniensとして記載され、野生種(ノヤク)は1883年にプルジェバリスキーによってPoephagus mutusとして記載された。種小名はgrunniensがラテン語で「唸るように鳴く」、mutusが「沈黙」の意だが、実際には野生種も鳴き声を出す。家畜種と野生種を同種とみなす場合、野生種に用いられるBos mutusが有効名となる。 標高4,000-6,000メートルにある草原、ツンドラ、岩場などに生息する。8-9月は万年雪がある場所に移動し、冬季になると標高の低い場所にある水場へ移動する。高地に生息するため、同じサイズの牛と比較すると心臓は約1.4倍、肺は約2倍の大きさを有している。食性は植物食で、草、地衣類などを食べる。 繁殖形態は胎生。妊娠期間は約258日。6月に1回に1頭の幼獣を産む。生後6-8年で性成熟し、寿命は25年と考えられている。 野生個体は食用の乱獲、家畜との競合や交配などにより生息数は激減している。中華人民共和国では法的に保護の対象とされている(中国国家一級重点保護野生動物を参照)。1964年における生息数は3,000-8,000頭と推定されている。 2,000年前から家畜化したとされる。1993年における家畜個体数は13,700,000頭と推定されている。 ほとんどのヤクが家畜として、荷役用、乗用(特に渡河に有用)、毛皮用、乳用、食肉用に使われている。中華人民共和国ではチベット自治区のほか、青海省、四川省、雲南省でも多数飼育されている。 「ヤク」の語はチベット語 「གཡག་」 (g-yag) に由来するが、チベット語では雄のヤクだけを指す言葉で、メスはディという。 チベットやブータンでは、ヤクの乳から取ったギーであるヤクバターを灯明に用いたり、塩とともに黒茶を固めた磚茶(団茶)を削って煮出し入れ、チベット語ではジャ、ブータンではスージャと呼ばれるバター茶として飲まれている。また、チーズも作られている。 食肉用としても重要な動物であり、脂肪が少ないうえに赤身が多く味も良いため、中国では比較的高値で取引されている。糞は乾かし、燃料として用いられる。 体毛は衣類などの編み物や、テントやロープなどに利用される。 ヤクの尾毛は日本では兜や槍につける装飾品として武士階級に愛好され、尾毛をあしらった兜は輸入先の国名を採って「唐の頭(からのかしら)」と呼ばれた。特に徳川家康が「家康に過ぎたるものが二つあり、唐の頭に本多平八」と詠われたほど好んだため、江戸時代に入って鎖国が行われてからも清経由で定期的な輸入が行われていた。 幕末、新政府軍が江戸城を接収した際に、収蔵されていたヤクの尾毛が軍帽として使われ、黒毛のものを黒熊(こぐま)、白毛のものを白熊(はぐま)、赤毛のものを赤熊(しゃぐま)と呼んだ。(なお、俗に「黒熊は薩摩藩、白熊は長州藩、赤熊は土佐藩の指揮官が着用していた」と説明される事があるが、軍帽を「魁」の前立てを付けた黒熊毛の陣笠で統一していた山国隊のように、実際には藩や階級を問わず広く使用されていた。) これらの他に、歌舞伎で用いる鏡獅子のかつらや振り毛、仏教僧が用いる払子にもヤクの尾毛が使用されている。
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ヤクは、偶蹄目ウシ科ウシ属に分類される偶蹄類。野生種はノヤクと呼ばれる。 漢名は旄牛(ボウギュウ。氂牛、犛牛とも)、犛牛(リギュウ)。 ヤクはチベット語では雄のヤクを意味する。
{{Otheruses|偶蹄類|その他|やく}} {{生物分類表 |省略 = 哺乳綱 |名称 = ヤク |画像=[[ファイル:Wild Yak Stuffed.jpg|250px|ノヤク]] [[ファイル:In Tibet, yaks are decorated and honored by the families they are part of.jpg|250px|ヤク]] |画像キャプション = '''ノヤク''' ''Bos mutus''<br>'''ヤク''' ''Bos grunniens'' |status = VU |status_ref = <ref name="iucn">Buzzard, P. & Berger, J. 2016. ''Bos mutus''. ''The IUCN Red List of Threatened Species'' 2016: e.T2892A101293528. https://doi.org/10.2305/IUCN.UK.2016-2.RLTS.T2892A101293528.en. Accessed on 08 November 2022.</ref> |status_text = (''Bos mutus''として<ref name="iucn" />)<br />[[絶滅のおそれのある野生動植物の種の国際取引に関する条約|ワシントン条約]]附属書I<ref name="cites">CITES. [http://www.cites.org/eng/app/appendices.php Appendices I, II and III] valid from 22 June 2022. ''Convention on International Trade in Endangered Species of Wild Fauna and Flora. Accessed on 08 November 2022.</ref><br />(''Bos grunniens''を除く<ref name="cites" />) |目 = [[偶蹄目]] {{Sname||Even-toed_ungulate|Artiodactyla}} |科 = [[ウシ科]] {{Sname||Bovid|Bovidae}} |亜科 = [[ウシ亜科]] {{Sname||Bovidae}} |属 = [[ウシ属]] {{Snamei||Bos}} |種 = '''ヤク''' ''B. grunniens''<br />'''ノヤク''' ''B. mutus'' |学名 = ''Bos grunniens'' {{AUY|Linnaeus|1766}}(家畜種)<br />''Bos mutus'' ({{AUY|Przewalski|1883}})(野生種) |和名 = ヤク(家畜種)<br />ノヤク(野生種) |英名 = Yak<br />[[w:Domestic yak|Domestic yak]](家畜種)<br />[[w:Wild yak|Wild yak]](野生種) }} '''ヤク'''(犛牛<ref>{{Citation | 和書 | year=2011 | contribution=ヤク | editor=[[山田忠雄]]ほか | title=[[新明解国語辞典]] | edition=第七 | publisher=[[三省堂]]}}</ref>、{{lang-en-short|yak}}、家畜化された種としての学名は''Bos grunniens''、野生種は''Bos mutus'')は、[[偶蹄目]][[ウシ科]][[ウシ属]]に分類される偶蹄類。野生種は'''ノヤク'''と呼ばれる<ref>今泉吉典 監修「ウシ属」『世界哺乳類和名辞典』平凡社、1988年、402-403頁。</ref>。 [[漢名]]は'''旄牛'''(ボウギュウ。氂牛、犛牛とも)、'''犛牛'''(リギュウ)。 ヤクは[[チベット語]]では雄のヤクを意味する。 == 分布 == [[インド]]北西部、[[モンゴル]]、[[中華人民共和国]]([[甘粛省]]、[[チベット自治区]])、[[パキスタン]]北東部に自然分布<ref name="fn1">[[今泉吉典]]監修 D.W.マクドナルド編 『動物大百科4 大型草食獣』、[[平凡社]]、[[1986年]]、112頁。</ref><ref name="fn2">[[小原秀雄]]・浦本昌紀・太田英利・松井正文編著 『動物世界遺産 レッド・データ・アニマルズ1 ユーラシア、北アメリカ』、[[講談社]]、[[2000年]]、152-153頁。</ref>、[[ロシア]]では17世紀前後に絶滅したとされる。[[ネパール]]では絶滅していたとされていたが2014年に再発見され、それを記念してノヤクが紙幣の絵柄に採用された<ref>[https://honeyguideapps.com/blog/extinct-wild-yak-found-in-nepal Extinct Wild Yak found in Nepal]</ref>。 == 形態 == [[ファイル:四川 阿坝 白牦牛 - panoramio.jpg|thumb|left|家畜種の毛色の一例]] 野生種(ノヤク)は[[バイソン属]]や[[ガウル]]に匹敵する大型種であり、[[体長]]380cm、体高205cm、尾長100cm、[[体重]]1,200kgに達する<ref name=Han2014>Han Jianlin, M. Melletti, J. Burton, 2014年, Wild yak (Bos mutus Przewalski, 1883), Ecology, Evolution and Behavior of Wild Cattle: Implications for Conservation, Chapter 1, p.203, [[ケンブリッジ大学出版局]]</ref>。 家畜種は、体長がオスで280-325cm、メスで200-220cm<ref name="fn2"/>。尾長がオでス80-100cm、メスで60-75cm<ref name="fn2"/>。肩高がオスで170-200cm、メスで150-160cm<ref name="fn2"/>。体重はオスが800-1,000kg、メスが325-360kg<ref name="fn2"/>。 高地に適応しており、体表は蹄の辺りまで達する黒く長い毛に覆われている。家畜種には、黒だけでなく様々な毛色のパターンが存在する。 換毛はしないため、暑さには弱い。肩は瘤状に隆起する<ref name="fn1"/>。鳴き声はウシのような「モー」ではなく、低いうなり声である。 基部から外側上方、前方に向かい、先端が内側上方へ向かう角がある<ref name="fn2"/>。最大角長92センチメートル<ref name="fn2"/>。四肢は短く頑丈<ref name="fn1"/>。 === 黄金のノヤク === 野生種(ノヤク)には、黄金(金白)の毛並みを持つ個体や群れ(金丝野牦牛)が存在しているが、その個体数は数百頭と少ない<ref>梁旭昶, 卡布, 葛庆敏, 2016年, [http://www.dili360.com/cng/article/p571480afb04a803.htm 羌塘之巅:金丝野牦牛的栖息地,正在被蚕食的野生动物家园], [[:en:Chinese National Geography|中国国家地理]]</ref><ref name=Leslie2009>{{cite journal |author1=Leslie, D.M. |author2=Schaller, G.B. |year=2009 |title=''Bos grunniens'' and ''Bos mutus'' (Artiodactyla: Bovidae) |journal=Mammalian Species |volume=836 |pages=1–17 |doi=10.1644/836.1 |doi-access=free}}</ref>。通常のノヤクとは遺伝的な差異が見られ、亜種レベルの差があるとされる場合もある<ref>Yan Zhang, Qiuying Wu,Liqin Yang,Xuanyu Chen,Chun Wang,Yan Zhang,Yutian Zeng,Ling Xu,Chuanzhi Lu,Changjun Zeng,Guangbin Zhou,Tianzhen Song, Ming Zhang, 2019年, [https://www.tandfonline.com/doi/full/10.1080/23802359.2019.1568215?fbclid=IwAR3Ui-KiQOAKfZV3NBSlQe397wykxvcRCSq5vy5tj7hRYoTyMs1yXNbjAE4 Characterization of the complete mitochondrial genome sequence of golden wild yak and revealed its phylogenetic relationship with 9 yak subspecies], Volume 4, 2019 - Issue 1, Mitochondrial DNA Part B: Resources</ref>。 == 分類 == 家畜種(ヤク)は、1766年に[[カール・フォン・リンネ|リンネ]]により''Bos grunniens''として記載され、野生種(ノヤク)は1883年に[[ニコライ・プルジェヴァリスキー|プルジェバリスキー]]によって''Poephagus mutus''として記載された<ref name=Leslie2009 />。種小名は''grunniens''がラテン語で「唸るように鳴く」、''mutus''が「沈黙」の意だが、実際には野生種も鳴き声を出す<ref name=Leslie2009 />。家畜種と野生種を同種とみなす場合、野生種に用いられる''Bos mutus''が有効名となる<ref name=Leslie2009 />。 == 生態 == 標高4,000-6,000メートルにある[[草原]]、[[ツンドラ]]、岩場などに生息する<ref name="fn1"/><ref name="fn2"/>。8-9月は[[万年雪]]がある場所に移動し、冬季になると標高の低い場所にある水場へ移動する<ref name="fn2"/>。高地に生息するため、同じサイズの牛と比較すると心臓は約1.4倍、肺は約2倍の大きさを有している。食性は植物食で、[[草本|草]]、[[地衣類]]などを食べる<ref name="fn2"/>。 繁殖形態は胎生。妊娠期間は約258日<ref name="fn1"/><ref name="fn2"/>。6月に1回に1頭の幼獣を産む<ref name="fn2"/>。生後6-8年で性成熟し、寿命は25年と考えられている<ref name="fn2"/>。 == 人間との関係 == 野生個体は食用の乱獲、家畜との競合や交配などにより生息数は激減している<ref name="fn2"/>。中華人民共和国では法的に保護の対象とされている<ref name="fn2"/>([[中国国家一級重点保護野生動物]]を参照)<!-- このリンクの語が出典で担保されているかどうかは未確認なので、refの後に置いてある -->。[[1964年]]における生息数は3,000-8,000頭と推定されている<ref name="fn2"/>。 === 利用 === 2,000年前から家畜化したとされる<ref name="fn2"/>。[[1993年]]における家畜個体数は13,700,000頭と推定されている<ref name="fn2"/>。 ほとんどのヤクが[[家畜]]として、荷役用、乗用(特に渡河に有用)、毛皮用、乳用、食肉用に使われている。中華人民共和国ではチベット自治区のほか、[[青海省]]、[[四川省]]、[[雲南省]]でも多数飼育されている。 「ヤク」の語は[[チベット語]] 「གཡག་」 (''g-yag'') に由来するが、チベット語では雄のヤクだけを指す言葉で、メスは'''ディ'''という。 [[チベット]]や[[ブータン]]では、ヤクの乳から取った[[ギー]]<ref>{{Cite journal|和書 |author=光永俊郎 |authorlink= |year=2011 |month=1 |title=嗜オオムギについてⅤ-歴史・文化・科学・利用 |journal=FFIジャーナル |volume=216 |issue=1 |pages=64 |publisher=日本食品化学研究振興財団 }}</ref>である[[ヤクバター]]を灯明に用いたり、[[塩]]とともに[[黒茶]]を固めた磚茶([[団茶]])<ref>{{Cite journal|和書 |author=光永俊郎 |authorlink= |year=2011 |month=1 |title=嗜オオムギについてⅤ-歴史・文化・科学・利用 |journal=FFIジャーナル |volume=216 |issue=1 |pages=65 |publisher=日本食品化学研究振興財団 }}</ref>を削って煮出し入れ、[[チベット語]]ではジャ、[[ブータン]]ではスージャと呼ばれる[[バター茶]]として飲まれている。また、[[チーズ]]も作られている。 食肉用としても重要な動物であり、脂肪が少ないうえに赤身が多く味も良いため、中国では比較的高値で取引されている。[[糞]]は乾かし、[[燃料]]として用いられる。 [[体毛]]は[[衣類]]などの[[編み物]]や、[[テント]]や[[ロープ]]などに利用される<ref>{{Cite web|和書|url=http://shokay.jp/story/meeting-the-yak/index.html |title=なぜ、ヤクなのか? |website= SHOKAY |publisher=SHOKAYジャパンオフィス/ダブルツリー株式会社 |accessdate=2019-01-21|archiveurl=https://web.archive.org/web/20160917024548/http://shokay.jp:80/story/meeting-the-yak/index.html |archivedate=2016-09-17}}</ref>。 == 日本での利用 == [[File:Haguma_and_Shaguma.jpg|thumb|白毛の白熊(はぐま)、赤毛の赤熊(しゃぐま)]] [[File:Duel_between_a_Shogitai_and_Shaguma_in_the_Battle_of_Ueno.jpg|thumb|上野戦争で対決した幕軍[[彰義隊]]と赤熊を被った官軍迅衝隊]] ヤクの尾毛は日本では兜や槍につける装飾品として[[武士]]階級に愛好され、尾毛をあしらった兜は輸入先の国名を採って「唐の頭(からのかしら)」と呼ばれた。特に[[徳川家康]]が「家康に過ぎたるものが二つあり、唐の頭に[[本多忠勝|本多平八]]」と詠われたほど好んだため、[[江戸時代]]に入って[[鎖国]]が行われてからも[[清]]経由で定期的な輸入が行われていた。 [[幕末]]、[[江戸城明け渡し|新政府軍が江戸城を接収した]]際に、収蔵されていたヤクの尾毛が軍帽として使われ、黒毛のものを黒熊(こぐま)、白毛のものを白熊(はぐま)、赤毛のものを赤熊(しゃぐま)と呼んだ。(なお、俗に「黒熊は[[薩摩藩]]、白熊は[[長州藩]]、赤熊は[[土佐藩]]の指揮官が着用していた」と説明される事があるが、軍帽を「魁」の前立てを付けた黒熊毛の陣笠で統一していた[[山国隊]]のように、実際には藩や階級を問わず広く使用されていた{{要出典|date=2019年3月}}。) これらの他に、歌舞伎で用いる鏡獅子のかつら<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.kabuki-bito.jp/special/kabuki_column/todaysword/post_227.html |title=歌舞伎 今日のことば・ことばで知る歌舞伎の世界 鬘と床山 |website=歌舞伎美人(かぶきびと) |publisher=松竹 |accessdate=2019-01-21}}</ref>や振り毛、仏教僧が用いる[[払子]]にもヤクの尾毛が使用されている。 == ギャラリー == <Gallery> File:Yak near shrine in Nepal.jpg|[[ネパール]]の高山地帯のヤク File:TianShanYaks.jpg|放牧されているヤク、[[新疆ウイグル自治区]]の[[天山山脈]]山麓 File:Shingen Takeda armor.jpg|ヤクの毛をあしらった総髪兜 </Gallery> == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist|2}} == 関連項目 == {{Commonscat|Bos grunniens}} {{Wikispecies|Bos grunniens}} * [[ゾ]] - ウシとヤクを交配させた交雑種。 * [[モモ (料理)]] - ヤクの肉を用いることもある、肉まんや餃子に類する料理。 * [[ヤクレース]] <!-- 英語の外部リンクは不要。英語版を見れば十分 --> {{食肉}} {{典拠管理}} {{デフォルトソート:やく}} [[Category:ウシ科]] [[Category:ワシントン条約附属書I]] [[Category:牛]] [[Category:畜産物]] [[Category:中国国家一級重点保護野生動物]]
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26(二十六、廿六、にじゅうろく、はたむ、はたちあまりむつ)は自然数、また整数において、25の次で27の前の数である。
{{Otheruses|整数|その他}} {{整数|Decomposition=2 × 13}} '''26'''('''二十六'''、'''廿六'''、にじゅうろく、はたむ、はたちあまりむつ)は[[自然数]]、また[[整数]]において、[[25]]の次で[[27]]の前の数である。 == 性質 == *26は[[合成数]]であり、[[約数]]は [[1]], [[2]], [[13]], 26 である。 **[[約数の和]]は[[42]]。 ** [[素数]]を除いて σ(''n'') − ''n'' が[[平方数]]になる6番目の数である。1つ前は[[24]]、次は[[56]]。ただしσは[[約数関数]]。({{OEIS|A048699}}) *{{sfrac|1|26}} = 0.0{{underline|384615}}… (下線部は[[循環節]]で長さは6) **[[逆数]]が[[循環小数]]になる数で[[循環節]]が6になる5番目の数である。1つ前は[[21]]、次は[[28]]。 * 26 = 2 × 13 **10番目の[[半素数]]である。1つ前は[[25]]、次は[[33]]。 ** ''n'' = 1 のときの 13 × 2{{sup|''n''}} の値とみたとき1つ前は[[13]]、次は[[52]]。({{OEIS|A005029}}) *26{{sup|2}} = [[676]] **[[2乗]]して[[回文数]]になる最小の非回文数である。次は[[264]]。(264{{sup|2}} = 69696) *3乗した数の各桁の数の和が元の数になる数である。26{{sup|3}} = [[17576]], 1 + 7 + 5 + 7 + 6 = 26。 **このような数は6個あり、他は[[1]], [[8]], [[17]], [[18]], [[27]]。 *26 = 5{{sup|2}} + 1 = 3{{sup|3}} − 1 **[[平方数]]と[[立方数]]に挟まれた唯一の自然数である<ref>証明は [http://shochandas.xsrv.jp/number/twentysix.htm http://shochandas.xsrv.jp/number/twentysix.htm] にある</ref>。 *26{{sup|2}} + 1 = [[677]] であり、 ''n''{{sup|2}} + 1 の形で[[素数]]を生む10番目の数である。1つ前は[[24]]、次は[[36]]。 *26[[階乗|!]] = 403291461126605635584000000 である(27桁)。 *散在型単純群の個数 * [[ノントーティエント]]の2番目の[[偶数]]である。1つ前は[[14]]、次は[[34]]。 *各位の和が26になる[[ハーシャッド数]]の最小は1898、10000までに9個ある。 *[[各位の和]]が8になる3番目の数である。1つ前は[[17]]、次は[[35]]。 *各位の[[平方和]]が40になる最小の数である。次は[[62]]。({{OEIS|A003132}}) ** 各位の平方和が ''n'' になる最小の数である。1つ前の39は[[1116]]、次の41は[[45]]。({{OEIS|A055016}}) *各位の[[立方和]]が224になる最小の数である。次は[[62]]。({{OEIS|A055012}}) ** 各位の立方和が ''n'' になる最小の数である。1つ前の223は1223335、次の225は[[126]]。({{OEIS|A165370}}) * 26 = 5{{sup|2}} + 1 ** ''n'' = 5 のときの n{{sup|2}} + 1 の値とみたとき1つ前は[[17]]、次は[[37]]。({{OEIS|A002522}}) ** ''n'' = 2 のときの 5{{sup|''n''}} + 1 の値とみたとき1つ前は[[6]]、次は[[126]]。({{OEIS|A034474}}) ** 26 = 1{{sup|2}} + 5{{sup|2}} *** 異なる2つの[[平方数]]の和で表せる7番目の数である。1つ前は[[25]]、次は[[29]]。({{OEIS|A004431}}) * 26 = 3{{sup|3}} − 1 ** ''n'' = 3 のときの n{{sup|3}} − 1 の値とみたとき1つ前は[[7]]、次は[[63]]。({{OEIS|A068601}}) ** ''n'' = 3 のときの 3{{sup|''n''}} − 1 の値とみたとき1つ前は[[8]]、次は[[80]]。({{OEIS|A024023}}) *26 = 1<sup>2</sup> + 3<sup>2</sup> + 4<sup>2</sup> ** 3つの[[平方数]]の和1通りで表せる13番目の数である。1つ前は[[24]]、次は[[29]]。({{OEIS|A025321}}) ** 異なる3つの[[平方数]]の和1通りで表せる3番目の数である。1つ前は[[21]]、次は[[29]]。({{OEIS|A025339}}) ** ''n'' = 2 のときの 1{{sup|''n''}} + 3{{sup|''n''}} + 4{{sup|''n''}} の値とみたとき1つ前は[[8]]、次は[[92]]。({{OEIS|A074506}}) * 桁の[[調和平均]]が3になる2番目の数である。1つ前は[[3]]、次は[[33]]。({{OEIS|A062181}}) *:例.{{sfrac|2|{{sfrac|1|2}} + {{sfrac|1|6}}}} = 3 * 26 = 2{{sup|4}} + 2{{sup|3}} + 2 ** ''n'' = 2 のときの ''n''{{sup|4}} + ''n''{{sup|3}} + ''n'' の値とみたとき1つ前は[[3]]、次は[[111]]。({{OEIS|A100606}}) ==その他 26 に関連すること== *[[原子番号]]26番の元素は、[[鉄]] (Fe)。 *第26代[[天皇]]は、[[継体天皇]]。 *第26代[[内閣総理大臣]]は、[[田中義一]]。 *通算して第26代の[[征夷大将軍]]は、[[足利義材]]([[室町幕府]]第10代将軍)。 *[[大相撲]]の第26代[[横綱]]は、[[大錦卯一郎]]。 *[[アメリカ合衆国]]第26代[[アメリカ合衆国大統領|大統領]]は、[[セオドア・ルーズベルト]]。 *アメリカ合衆国の26番目の[[州]]は、[[ミシガン州]]。 * JIS X 0401、[[ISO 3166-2:JP]]の[[都道府県コード]]の「26」は[[京都府]]。 *[[殷|殷朝]]第26代帝は、[[庚丁]]。 *[[周|周朝]]第26代王は、[[敬王]]。 *第26代[[教皇|ローマ教皇]]は[[フェリクス1世 (ローマ教皇)|フェリクス1世]](在位:[[269年]][[1月5日]]~[[274年]][[12月30日]])である。 *[[易占]]の[[六十四卦]]で第26番目の卦は、[[周易上経三十卦の一覧#大畜|山天大畜]]。 *[[クルアーン]]における第26番目の[[スーラ (クルアーン)|スーラ]]は[[詩人たち (クルアーン)|詩人たち]]である。 *[[ラテン文字|ラテンアルファベット]]の総数は、26個。 *[[トランプ]]のカードで黒のカードと赤のカードは、共に26枚。 *[[伊号第二十六潜水艦]](伊26)は、日本の潜水艦。 *[[An-26]] アントノフ26は、[[ソ連]]の[[輸送機]]。 *[[AIM-26]] ファルコンは、アメリカの[[ミサイル]]。 *[[B-26]] マローダーは、アメリカの[[爆撃機]]。 *[[C26 (潜水艦)|C26]] は、[[イギリス]]の[[潜水艦]]。 *[[Do 26 (航空機)|Do 26]] は、[[ドイツ]]の[[飛行艇]]。 *[[スオミ KP/-26]] は、[[フィンランド]]の[[短機関銃]]。 *[[Mark 26 (核爆弾)|Mark 26]] は、アメリカの[[核爆弾]]。 *[[Mi-26]] は、[[ソ連]]の輸送[[ヘリコプター]]。 *[[P-26]] ピーシューターは、アメリカの[[戦闘機]]。 *[[RPG-26]] は、ソ連の対戦車[[ロケット弾]]発射器。 *[[PZL 26]] は、[[ポーランド]]の[[スポーツ機]]。 *[[S-26 (潜水艦)|S-26]] は、アメリカの潜水艦。 *各種の [[T-26]] *[[X-26 (航空機)|X-26]] は、アメリカの[[グライダー]]。 *[[26型軽巡洋艦]]は、ソ連のキーロフ級[[軽巡洋艦]]。 *[[二十六年式拳銃]]は、[[大日本帝国陸軍]]の[[拳銃]]。 *[[日本プロ野球|日本のプロ野球]]チーム[[千葉ロッテマリーンズ]]では、[[2005年]]より背番号26を「[[マリーンズファン|ファン]]のための番号」として欠番にしている(「ベンチ入り26人目の選手」という意味)。 *[[第26集団軍]]は、[[中国人民解放軍陸軍]]の集団軍。 *各国の[[第26師団]] *第26連隊 **大日本帝国陸軍[[歩兵第26連隊]] **[[陸上自衛隊]][[第26普通科連隊]] *[[日本二十六聖人]]:[[豊臣秀吉]]によって、長崎で粛清されたキリスト教徒。 *[[26 (アルバム)|26]]は、日本のバンド[[DIMENSION]]のアルバム。 *[[東京都]]にある市の数は26。 == 符号位置 == {| class="wikitable" style="text-align:center;" !記号!![[Unicode]]!![[JIS X 0213]]!![[文字参照]]!!名称 {{CharCode|12886|3256|1-8-38|CIRCLED DIGIT TWENTY SIX|font=JIS2004フォント}} |} == 関連項目 == *[[数に関する記事の一覧]] {{数字2桁|2|- [[平成26年]] - [[昭和26年]] - [[明治26年]] - [[2月6日]]}} {{自然数}} == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}}
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27
27(二十七、廿七、二七、にじゅうなな、にじゅうしち、はたなな、はたちあまりななつ)は、自然数また整数において、26の次で28の前の数である。
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27(二十七、廿七、二七、にじゅうなな、にじゅうしち、はたなな、はたちあまりななつ)は、自然数また整数において、26の次で28の前の数である。
{{Otheruses|整数|その他}} {{整数|Decomposition=3<sup>3</sup>}}'''27'''('''二十七'''、'''廿七'''、'''二七'''、にじゅうなな、にじゅうしち、はたなな、はたちあまりななつ)は、[[自然数]]また[[整数]]において、[[26]]の次で[[28]]の前の数である。 == 性質 == *27は[[合成数]]であり、正の[[約数]]は [[1]], [[3]], [[9]], 27 である。 **[[奇数]]で[[半素数]]ではない最小の合成数である。次は[[45]]。({{OEIS|A046340}}) **[[約数の和]]は[[40]]。 *** [[約数関数]]から導き出される数列 <math>a_n=\sigma(a_{n-1})</math> はその初期値によって異なる数列になる。異なる数列になる5番目の初期値(最小の値)を表す数である。1つ前は[[19]]、次は[[29]]。(ただし1を除く)({{OEIS|A257348}}) *{{sfrac|1|27}} = {{sfrac|[[37]]|[[999]]}} =0.{{underline|037}}… (下線部は循環節で長さは3) **[[逆数]]が[[循環小数]]になる数で[[循環節]]が3になる最小の数である。次は[[37]]。 **循環節が ''n'' になる最小の数である。1つ前の2は[[11]]、次の4は[[101]]。({{OEIS|A003060}}) * 27 = 3{{sup|3}} **3番目の[[立方数]]である。1つ前は[[8]]、次は[[64]]。 ***[[立方数]]が[[ハーシャッド数]]になる3番目の数である。1つ前は[[8]]、次は[[216]]。 ** ''n'' = 3 の時の 3{{sup|''n''}} の値とみたとき、1つ前は[[9]]、次は[[81]]。 ** ''n'' = 3 のときの ''n''{{sup|''n''}} の値とみたとき1つ前は[[4]]、次は[[256]]。({{OEIS|A000312}}) ** [[素数]] ''p'' = 3 のときの 3{{sup|''p''}} の値とみたとき1つ前は[[9]]、次は[[243]]。({{OEIS|A057901}}) ** 素数 ''p'' = 3 のときの ''p''{{sup|''p''}} の値とみたとき1つ前は[[4]]、次は[[3125]]。({{OEIS|A051674}}) ** 素数 ''p'' = 3 のときの ''p''{{sup|3}} の値とみたとき1つ前は[[8]]、次は[[125]]。({{OEIS|A030078}}) ** ''n'' = 1 のときの 3{{sup|2''n''+1}} の値とみたとき1つ前は[[3]]、次は[[243]]。({{OEIS|A013708}}) ** ''n'' = 1 のときの (2''n'' + 1){{sup|2''n''+1}} の値とみたとき1つ前は[[1]]、次は[[3125]]。({{OEIS|A085529}}) ** 27 = 3 × 3{{sup|2}} ***''n'' = 3 のときの 3''n''{{sup|2}} の値とみたとき1つ前は[[12]]、次は[[48]]。({{OEIS|A033428}}) ** 27 = 1 × 3 × 9 *** 9 の約数の積で表せる数である。1つ前は[[64]]、次は[[100]]。({{OEIS|A007955}}) *** 初項 1、公比 3 の[[等比数列]]における第3項までの[[総乗]]である。1つ前は[[3]]、次は[[729]]。({{OEIS|A047656}}) **** この値は ''n'' = 3 のときの 3{{sup|{{sfrac|''n''(''n''&minus;1)|2}}}} の値である。 ** 2 + 7 = 3 × 3 より27は3番目の[[スミス数]]である。1つ前は[[22]]、次は[[58]]。 ***スミス数が[[立方数]]である最小の数である。次は[[729]]。({{OEIS|A098838}}) ***<math>\sqrt[3]{27}</math>番目(=3番目)である。 ** 27 = <sup>2</sup>3([[テトレーション]]) = 3↑↑2(矢印は[[クヌースの矢印表記]]) *** ''n'' = 3 のときの ''<sup>2</sup>''n の値とみたとき1つ前は[[4]]、次は[[256]]。 *** ''n'' = 2 のときの ''<sup>n</sup>''3 の値とみたとき1つ前は[[3]]、次は7625597484987。({{OEIS|A014222}}) *** ''n'' = 2 のときの ''3↑<sup>n</sup>2''の値、''n'' = 4 のときの '''hyper(3,n,2)'''の値とみたとき1つ前は[[9]]、次は7625597484987([[ハイパー演算子]])。 *4番目の[[完全トーシェント数]]である。1つ前は[[15]]、次は[[39]]。なお、3の累乗数は全て完全トーシェント数でもある。 *27 = 1{{sup|2}} + 1{{sup|2}} + 5{{sup|2}} = 3{{sup|2}} + 3{{sup|2}} + 3{{sup|2}} **3つの[[平方数]]の[[加法|和]]2通りで表せる最小の数である。次は[[33]]。({{OEIS|A025322}}) **3つの[[平方数]]の和 ''n'' 通りで表せる最小の数である。1つ前の1通りは[[3]]、次の3通りは[[54]]。({{OEIS|A025414}}) ** 27 = 5{{sup|2}} + 2 *** ''n'' = 2 のときの 5{{sup|''n''}} + ''n'' の値とみたとき1つ前は[[6]]、次は[[128]]。({{OEIS|A104745}}) *3乗した数の各位の和が元の数になる最大の数である。1つ前は[[26]]。({{OEIS|A046459}}) *:27{{sup|3}} = 19683 → 1 + 9 + 6 + 8 + 3 = 27 **このような数は6個あり、[[1]], [[8]], [[17]], [[18]], [[26]], 27。 ** ''n'' = 3 のときの ''n'' 乗した数の各位の和が元の数になる最大の数とみたとき1つ前の2乗は[[9]]、次の4乗は[[36]]。({{OEIS|A046000}}) *全ての[[自然数]]は[[高々 (数学)|高々]]27個の[[素数]]の和で表される{{要出典|date=2016年8月|title=「ゴールドバッハの予想」および「弱いゴールドバッハ予想」参照}}。 *[[九九]]では 3 の段で 3 × 9 = 27(さんくにじゅうしち)、9 の段で 9 × 3 = 27(くさんにじゅうしち)と 2 通りの表し方がある。 * ''n'' = 27 のときの ''n''! + 1 で表せる 27[[階乗|!]] + 1 = 10888869450418352160768000001 は5番目の[[階乗素数]]である。1つ前は[[11]]、次は[[37]]。({{OEIS|A002981}}) *[[コラッツの問題|コラッツの数列]]において初期値に 27 を選ぶと、1 に到達するまでに 111 ステップ掛かり、その最大は 9,232 にも達する。最大値が初期値の2乗を超えるケースとしては [[3]], [[7]] に次いで3番目であり、またステップ数が [[100]] を超える初めての数である。ステップ数の記録が 2''n'' まで破られないような初期値 ''n'' としては [[1]], [[3]], [[9]] に次いで4番目であり、27 の次は 15733191 となる<ref name="Delay Records">[http://www.ericr.nl/ Eric Roosendaal], [http://www.ericr.nl/wondrous/delrecs.html 3x+1 Delay Records]</ref>。 *各位の和が27になる[[ハーシャッド数]]の最小は[[999]]、1000までに1個、10000までに76個ある。 *16番目の[[ハーシャッド数]]である。1つ前は[[24]]、次は[[30]]。 **9を基とする3番目の[[ハーシャッド数]]である。1つ前は[[18]]、次は[[36]]。 *各位の[[平方和]]が53になる最小の数である。次は[[72]]。({{OEIS|A003132}}) ** 各位の平方和が ''n'' になる最小の数である。1つ前の52は[[46]]、次の54は[[127]]。({{OEIS|A055016}}) *各位の[[立方和]]が351になる最小の数である。次は[[72]]。({{OEIS|A055012}}) ** 各位の立方和が ''n'' になる最小の数である。1つ前の350は1256、次の352は[[127]]。({{OEIS|A165370}}) *4桁以上の数であれば、3桁毎に区切って足して27の倍数になれば27の倍数となる(27 × 37 = 999 であることから。例: 42336は [[42]] + [[336]] = [[378]] で27の倍数)。 * 異なる[[平方数]]の和で表せない31個の数の中で14番目の数である。1つ前は[[24]]、次は[[28]]。 * 27 = 2{{sup|5}} &minus; 5 ** ''n'' = 5 のときの 2{{sup|''n''}} &minus; ''n'' の値とみたとき1つ前は[[12]]、次は[[58]]。({{OEIS|A000325}}) ** 素数 ''p'' = 5 のときの 2{{sup|''p''}} &minus; ''p'' の値とみたとき1つ前は[[5]]、次は[[121]]。({{OEIS|A100105}}) * 2番目の[[完全数]][[28]]から1を減じた数である。1つ前は[[5]]、次は[[495]]。({{OEIS|A135627}}) === 他の進数での特徴 === * [[36]](= [[6]]{{sup|2}})の [[3/4]] であり、[[216]](= 6{{sup|3}})の [[1/8]] である。 ** [[六進法]]では、m/4 として表される[[小数]]第二位の有限小数は、{{sfrac|1|4}} = 0.13(十進表記:[[9]]/36)と {{sfrac|3|4}} = 0.43(十進表記:27/36)の計2つである。 ** 同じく、六進法で小数第三位の有限小数で表される自然数の[[逆数]]は、{{sfrac|1|43}} = 0.012(十進表記:1/27 = [[8]]/216), {{sfrac|1|12}} = 0.043 (十進表記:[[1/8]] = 27/216), {{sfrac|1|40}} = 0.013(十進表記:1/[[24]] = [[9]]/216), {{sfrac|1|130}} = 0.004(十進表記:1/[[54]] = 4/216), {{sfrac|1|300}} = 0.002(十進表記:1/[[108]] = 2/216), {{sfrac|1|1000}} = 0.001(十進表記:1/216) の計6つである。 *因数に[[3]]が含まれているN進法では、1/27{{sub|(10)}}は割り切れる。 ** 六進法では {{sfrac|1|43}} = 0.012 となり、[[十二進法]]では {{sfrac|1|23}} = 0.054(十進表記:[[64]]/[[1728]])となり、[[十八進法]]では {{sfrac|1|19}} = 0.0C(十進表記:[[12]]/[[324]])となる。 *[[十進法]]以外でも、因数に3が含まれていないN進法では、1/27{{sub|(10)}}は割り切れない。 ** [[十六進法]]では {{sfrac|1|1B}} = 0.<u>097B425ED</u>…([[循環小数|循環節]]の長さは9)となり、[[二十進法]]では {{sfrac|1|17}} = 0.<u>0EG5IA782J53E19CBH</u>…(循環節の長さは18)となる。 *** 3{{sup|-n}} の循環節の長さは、十六進法では 3{{sup|n-1}} となり、二十進法では 2×3{{sup|n-1}} となる。27{{sub|(10)}}は3{{sup|3}}なので、十六進法では 3{{sup|3-1}}で9、二十進法では 2×3{{sup|3-1}}で18となる。 == その他 27 に関連すること == *[[1月1日]]から数えて27日目は[[1月27日]]。 *27歳の4ヶ月と15日になって生まれてから約一万日を迎える。(27年に一度は廻ってくる。) *[[原子番号]]27番の[[元素]]は[[コバルト]] (Co)。 *[[月]]の[[地球#公転|公転周期]]は27日である。これを27回繰り返すと、[[太陽暦]]で約2年になる(27日 × 27回 = [[729]]日 ≒ 2年)。 *親子間の[[世代]](出生周期)は、約27年である。 *[[新約聖書]]は27の書物からなり、27番目の文書は[[ヨハネの黙示録]]である。 *[[クルアーン]]における第27番目の[[スーラ (クルアーン)|スーラ]]は[[蟻 (クルアーン)|蟻]]である。 *第27代[[天皇]]は[[安閑天皇]]である。 *[[日本]]の第27代[[内閣総理大臣]]は[[濱口雄幸]]である。 *[[大相撲]]の第27代[[横綱]]は[[栃木山守也]]である。 *[[ジル・ヴィルヌーヴ]]が事故死した時に使用したカーナンバーが27で、その後長らく[[スクーデリア・フェラーリ|フェラーリF1]]のエースドライバーのカーナンバーとなった。 *[[ジミ・ヘンドリックス]]、[[ジャニス・ジョプリン]]など多くのロックミュージシャンが27歳で死亡し、彼らは「[[27クラブ]]」と呼ばれている。 *[[ルービックキューブ]]は、27個の[[立方体]]で構成される立体パズル。 *第27代[[殷]]王は[[武乙]]である。 *第27代[[周]]王は[[元王]]である。 *第27代[[教皇|ローマ教皇]]は[[エウティキアヌス (ローマ教皇)|エウティキアヌス]](在位:[[274年]][[1月4日]] - [[283年]][[12月7日]])である。 *[[易占]]の[[六十四卦]]で第27番目の卦は、[[周易上経三十卦の一覧#頤|山雷頤]]。 *[[北海道文化放送]]([[フジニュースネットワーク|FNN]]系列)、[[長崎文化放送]]([[All-nippon News Network|ANN]]系列)の[[ガイドチャンネル|親局CH]]が27ch(アナログ)である。 * JIS X 0401、[[ISO 3166-2:JP]]の[[都道府県コード]]の「27」は[[大阪府]]。 == 符号位置 == {| class="wikitable" style="text-align:center;" !記号!![[Unicode]]!![[JIS X 0213]]!![[文字参照]]!!名称 {{CharCode|12887|3257|1-8-39|CIRCLED DIGIT TWENTY SEVEN|font=JIS2004フォント}} |} == 脚注 == <references/> == 関連項目 == {{数字2桁|2|- [[昭和27年]] [[明治27年]] [[平成27年]]}} *[[2月7日]] *[[FNS27時間テレビ]] *[[27時間チャレンジテレビ]] *[[NiNa]] {{自然数}}
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28
28(二十八、廿八、にじゅうはち、はたや、はたちあまりやつ)は自然数、また整数において、27の次で29の前の数である。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "28(二十八、廿八、にじゅうはち、はたや、はたちあまりやつ)は自然数、また整数において、27の次で29の前の数である。", "title": null } ]
28(二十八、廿八、にじゅうはち、はたや、はたちあまりやつ)は自然数、また整数において、27の次で29の前の数である。
{{Otheruses}} {{整数|Decomposition=2{{sup|2}} × 7}} '''28'''('''二十八'''、'''廿八'''、にじゅうはち、はたや、はたちあまりやつ)は[[自然数]]、また[[整数]]において、[[27]]の次で[[29]]の前の数である。 == 性質 == *28は[[合成数]]であり、[[約数]]は [[1]], [[2]], [[4]], [[7]], [[14]], 28 である。 ** 約数の和は[[56]]。 **σ(''n'') − ''n'' が[[完全数]]になる3番目の数である。1つ前は[[25]]、次は[[496]]。(ただしσは[[約数関数]]、{{OEIS|A237286}}) ** ''n''{{sup|2}} ÷ σ(''n'') が整数になる3番目の数である。1つ前は[[6]]、次は[[120]]。(ただしσは[[約数関数]])({{OEIS|A090777}}) **:例.28{{sup|2}} ÷ 56 = 14 ** 約数を昇順に並べて和を求めていくと自身になる4番目の数である。1つ前は[[24]]、次は[[496]]。({{OEIS|A064510}}) *28 = 2{{sup|2}} × (2{{sup|3}} − 1) **2番目の[[完全数]]である。1つ前は[[6]]、次は[[496]]。 ***3番目の[[倍積完全数]]である。1つ前は6、次は[[120]]。 ** ''n'' = 2 のときの 2<sup>''n''−1</sup>(2<sup>''n''</sup> − 1) の値とみたとき1つ前は[[6]]、次は[[120]]。 ** 素数 ''p'' = 3 のときの 2<sup>''p''−1</sup>(2<sup>''p''</sup> − 1) の値とみたとき1つ前は[[6]]、次は[[496]]。({{OEIS|A060286}}) ** 28 = [[4]] × σ([[4]]) (ただし σ は[[約数関数]]) ** 28 = 7 × 2{{sup|2}} *** ''n'' = 2 のときの 7''n''{{sup|2}} の値とみたとき1つ前は[[7]]、次は[[63]]。({{OEIS|A033582}}) *** ''n'' = 2 のときの 7 × 2{{sup|''n''}} の値とみたとき1つ前は[[14]]、次は[[56]]。({{OEIS|A005009}}) *** 2つの異なる[[素因数]]の積で ''p''{{sup|2}} × ''q'' の形で表せる4番目の数である。1つ前は[[20]]、次は[[44]]。({{OEIS|A054753}}) ** 28 = 7 × 4 *** ''n'' = 1 のときの 7 × 4{{sup|''n''}} の値とみたとき1つ前は[[7]]、次は[[112]]。({{OEIS|A002042}}) ** 28 = 2{{sup|4}} + 2{{sup|3}} + 2{{sup|2}} *** ''n'' = 2 のときの ''n''{{sup|4}} + ''n''{{sup|3}} + ''n''{{sup|2}} の値とみたとき1つ前は[[3]]、次は[[117]]。({{OEIS|A100019}}) *3番目の[[調和数]]である。1つ前は[[6]]、次は[[140]]。 **28の調和平均は3,[[調和平均]]が[[素数]]になる2番目の数である。1つ前は[[6]]、次は[[140]]。({{OEIS|A074247}}) *3番目の[[原始擬似完全数]]である。1つ前は[[20]]、次は[[88]]。 *28 = 1 + 2 + 3 + 4 + 5 + 6 + 7 **7番目の[[三角数]]である。1つ前は[[21]]、次は[[36]]。 *** ''n'' = 4 のときの ''n'' と ''prime(n)'' との積とみたとき1つ前は[[15]]、次は[[55]]。 *** 三角数が三角数になる約数の個数をもつ2番目の数である。1つ前は[[1]]、次は[[45]]。({{OEIS|A116541}}) *** 三角数が三角数になる約数の個数をもつ数の中で前の数を上回る個数をもつ2番目の数である。1つ前は[[1]]、次は[[496]]。({{OEIS|A076172}}) *** 三角数において[[各位の和]]も三角数になる7番目の数である。1つ前は[[21]]、次は[[55]]。({{OEIS|A062099}}) *** 28 = 1 + 6 + 21 = 3 + 10 + 15 ****3つの異なる[[三角数]]の和で表せる2番目の三角数である。1つ前は[[10]]、次は[[45]]。({{OEIS|A112353}}) ***4番目の[[素数]]番目の三角数である。1つ前は[[15]]、次は[[66]]。({{OEIS|A034953}}) **4番目の[[六角数]]である。1つ前は[[15]]、次は[[45]]。 **: 28 = 4 × (2 × 4 − 1) *28 = 2 + 3 + 5 + 7 + 11 **[[素数#連続素数和|最初からの連続素数の和]]で表せる5番目の数である。1つ前は[[17]]、次は[[41]]。 ***5連続素数和とみたとき最小の数である。次は[[39]]。 *28{{sup|4}} + 1 = 614657 であり、''n''{{sup|2}}<sup><sup>2</sup></sup> + 1 の形で素数を生む8番目の数である。1つ前は[[24]]、次は[[34]]。({{OEIS|A000068}}) *[[九九]]では 4 の段で 4 × 7 = 28(ししちにじゅうはち)、7 の段で 7 × 4 = 28(しちしにじゅうはち)と 2 通りの表し方がある。 *28番目(完全数番目)の[[素数]]は[[107]]である。1つ前の6番目は[[13]]、次の496番目は3541。({{OEIS|A168117}}) *''F''{{sub|28}} = 317811 (ただし ''F''{{sub|''n''}} は ''n'' 番目の[[フィボナッチ数]]を表す。) ** ''n'' = 28 のときの ''F''{{sub|''n''}} + ''n'' で表せる317839はこの形の7番目の素数である。1つ前は[[9]]、次は[[33]]。(''n'' の値:{{OEIS2C|A175404}}、具体的な数:{{OEIS2C|A069108}}) ** ''n'' = 28 のときの ''F''{{sub|''n''}} − ''n'' で表せる317783はこの形の5番目の素数である。1つ前は[[26]]、次は[[76]]。(''n'' の値:{{OEIS2C|A270821}}、具体的な数:{{OEIS2C|A069109}}) ** ''n'' = 28 のときの ''F''{{sub|''n''}} + ''n''{{sup|''n''}} で表せる33145523113253374862572728253364606130547はこの形の4番目の素数である。1つ前の ''n'' の値は[[3]]。次はまだ[[オンライン整数列大辞典]]には登録されていない。({{OEIS|A098812}}) *{{sfrac|1|28}} = 0.03{{underline|571428}}… (下線部は循環節で長さは6) **[[逆数]]が[[循環小数]]になる数で[[循環節]]が6になる6番目の数である。1つ前は[[26]]、次は[[35]]。({{OEIS|A120100}}) *各位の和が28になる[[ハーシャッド数]]の最小は7588、[[10000]]までに4個ある。 * 異なる[[平方数]]の和で表せない31個の数の中で15番目の数である。1つ前は[[27]]、次は[[31]]。 * 28 = 1{{sup|3}} + 3{{sup|3}} ** 自然数の奇数の[[立方和]]とみたとき1つ前は[[1]]、次は[[153]]。 ** ''n'' = 3 のときの 3{{sup|''n''}} + 1 の値とみたとき1つ前は[[10]]、次は[[82]]。({{OEIS|A034472}}) ** ''n'' = 3 のときの ''n''{{sup|3}} + 1 の値とみたとき1つ前は[[9]]、次は[[65]]。({{OEIS|A001093}}) ** 2つの正の数の[[立方数]]の和で表せる4番目の数である。1つ前は[[16]]、次は[[35]]。({{OEIS|A003325}}) ** 異なる2つの正の数の[[立方数]]の和で表せる2番目の数である。1つ前は[[9]]、次は[[35]]。({{OEIS|A024670}}) ** 2つの正の数の[[立方数]]の和で表せる最小の三角数である。次は[[91]]。({{OEIS|A113958}}) * 約数の和が28になる数は1個ある。([[12]]) 約数の和1個で表せる11番目の数である。1つ前は[[20]]、次は[[30]]。 *[[各位の和]]が10になる2番目の数である。1つ前は[[19]]、次は[[37]]。 ** [[偶数]]という条件をつけると各位の和が10になる最小の数である。 *各位の[[平方和]]が68になる最小の数である。次は[[82]]。({{OEIS|A003132}}) ** 各位の平方和が ''n'' になる最小の数である。1つ前の67は[[337]]、次の69は[[128]]。({{OEIS|A055016}}) *各位の[[立方和]]が520になる最小の数である。次は[[82]]。({{OEIS|A055012}}) ** 各位の立方和が ''n'' になる最小の数である。1つ前の519は222357、次の521は[[128]]。({{OEIS|A165370}}) *28 = 1{{sup|2}} + 1{{sup|2}} + 1{{sup|2}} + 5{{sup|2}} = 1{{sup|2}} + 3{{sup|2}} + 3{{sup|2}} + 3{{sup|2}} = 2{{sup|2}} + 2{{sup|2}} + 2{{sup|2}} + 4{{sup|2}} **4つの[[平方数]]の和3通りで表せる最小の数である。次は[[42]]。({{OEIS|A025359}}) ***4つの[[平方数]]の和 ''n'' 通りで表せる最小の数である。1つ前の2通りは[[31]]、次の4通りは[[52]]。({{OEIS|A025416}}) * ''n'' = 2 のときの ''n'' と ''n''{{sup|3}} を並べてできる数である。1つ前は[[11]]、次は[[327]]。({{OEIS|A061086}}) * ''n'' = 2 のときの ''n'' と 4''n'' を並べてできる数である。1つ前は[[14]]、次は[[312]]。({{OEIS|A019552}}) * 28 = 4 + 4 × 3 × 2 × 1 ** ''n'' = 4 のときの ''n'' + ''n''(''n'' − 1)(''n'' − 2)(''n'' − 3) の値とみたとき1つ前は[[3]]、次は[[125]]。({{OEIS|A001094}}) ** ''n'' = 4 のときの ''n''! + ''n'' の値とみたとき1つ前は[[9]]、次は[[125]]。({{OEIS|A005095}}) * 28 = 5{{sup|2}} + 2{{sup|2}} − 1{{sup|2}} ** ''n'' = 2 のときの 5{{sup|''n''}} + 2{{sup|''n''}} − 1{{sup|''n''}} の値とみたとき1つ前は[[6]]、次は[[132]]。({{OEIS|A155588}}) == その他28に関連すること == === 28番目のもの === * [[28年|西暦28年]] * [[紀元前28年]] * JIS X 0401、[[ISO 3166-2:JP]]の[[都道府県コード]]の「28」は[[兵庫県]]。 *『[[鉄人28号]]』は[[横山光輝]]の[[漫画]]および主役[[ロボット]]の名前。28機目に作られたものであることから。 *[[ゆうきまさみ]]の漫画『[[究極超人あ〜る]]』の主人公R・田中一郎は本名R28号で、成原博士の作った第28の[[人造人間|アンドロイド]]である。 **横山の「28」は[[B-29 (航空機)|B-29]]爆撃機に、ゆうきの「28」は横山の漫画に由来している。 *第28代[[天皇]]は[[宣化天皇]]である。 *[[日本]]の第28代[[内閣総理大臣]]は[[若槻禮次郎]]である。 *[[大相撲]]の第28代[[横綱]]は[[大錦大五郎]]である。 *[[アメリカ合衆国]]の第28代[[アメリカ合衆国大統領|大統領]]は[[ウッドロウ・ウィルソン]]である。 *第28代[[殷]]の[[天子]]は[[文武丁]]である。 *第28代[[周]]王は[[貞定王]]である。 *第28代[[教皇|ローマ教皇]]は[[カイウス (ローマ教皇)|カイウス]](在位:[[283年]][[12月7日]]~[[296年]][[4月22日]])である。 *年始([[1月1日]])から数えて28日目は、[[1月28日]]。 *[[易占]]の[[六十四卦]]で第28番目の卦は、[[周易上経三十卦の一覧#大過|沢風大過]]。 *[[クルアーン]]における第28番目の[[スーラ (クルアーン)|スーラ]]は[[物語 (クルアーン)|物語]]である。 *[[アメリカ合衆国]]の28番目の[[州]]は[[テキサス州]]である。 *[[NHK神戸放送局]]、[[NHK大津放送局]]、[[山口朝日放送]]、[[琉球朝日放送]]のアナログ親局は 28ch。 === その他 === *[[原子番号]] 28 の[[元素]]は[[ニッケル]] (Ni) である。 *28 は、[[核物理学]]において、[[2]], [[8]], [[20]], [[50]], [[82]], [[126]] と共に、[[原子核]]中の[[陽子]]、もしくは、[[中性子]]の数がこれらの数である場合、その原子核は安定しやすくなる、[[魔法数]]の一つとして知られている。 *[[グレゴリオ暦]]や[[ユリウス暦]]で最短の[[月 (暦)|月]]は[[平年]]の[[2月]]で、[[28日]]。 *[[二十八宿]] *[[雲台二十八将]]は[[後漢]]の[[光武帝]]に仕えた28人の将軍。 *[[徳川二十八神将]]は[[徳川家康]]に仕えた28人の武将。 *[[法華経]]は8巻28品。 *[[コンクリート]]の[[強度]]を示す基準は打ち込み28日目の圧縮強度。 *[[成人]]の[[頭蓋骨]]は[[舌骨]]を除いて28個の[[骨]]からなる。 *人間の[[歯]]の本数は、親知らずを含めなければ28本ある。 *[[二八そば]]とは[[小麦粉]]と[[そば粉]]の比率が 2:8 の[[蕎麦|そば]]。 *映画『[[28日後...]]』と『[[28週後...]]』。 *小説『[[博士の愛した数式]]』では、博士が完全数である 28 が背番号の([[阪神タイガース]]在籍時)[[江夏豊]]のファンである。 == 符号位置 == {| class="wikitable" style="text-align:center;" !記号!![[Unicode]]!![[JIS X 0213]]!![[文字参照]]!!名称 {{CharCode|12888|3258|1-8-40|CIRCLED DIGIT TWENTY EIGHT|font=JIS2004フォント}} |} == 関連項目 == {{数字2桁|2|- [[平成28年]] [[昭和28年]] [[明治28年]]}} *[[2月8日]] {{自然数}}
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https://ja.wikipedia.org/wiki/28
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29
29(二十九、廿九、にじゅうきゅう、にじゅうく、はたちあまりここ)は自然数、また整数において、28の次で30の前の数である。
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29(二十九、廿九、にじゅうきゅう、にじゅうく、はたちあまりここ)は自然数、また整数において、28の次で30の前の数である。
{{Otheruses}} {{整数|Decomposition=([[素数]])}} '''29'''('''二十九'''、'''廿九'''、にじゅうきゅう、にじゅうく、はたちあまりここ)は[[自然数]]、また[[整数]]において、[[28]]の次で[[30]]の前の数である。 == 性質 == *29は10番目の[[素数]]である。1つ前は[[23]]、次は[[31]]。 **[[約数の和]]は[[30]]。 *** [[約数関数]]から導き出される数列 <math>a_n=\sigma(a_{n-1})</math> はその初期値によって異なる数列になる。異なる数列になる6番目の初期値(最小の値)を表す数である。1つ前は[[27]]、次は[[33]]。(ただし1を除く)({{OEIS|A257348}}) *{{sfrac|1|29}} = 0.{{underline|0344827586206896551724137931}}… (下線部は循環節で長さは28) **循環節が ''n'' &minus; 1 (全ての余りを巡回する)である5番目の[[素数]]である。1つ前は[[23]]、次は[[47]]。 **[[逆数]]が[[循環小数]]になる数で[[循環節]]が28になる数のうち最小の数である、次は[[58]]。 ***循環節が ''n'' になる最小の数である。1つ前の27は[[243]]、次の29は3191。({{OEIS|A003060}}) * (29, [[31]]) は5番目の[[双子素数]]である。1つ前は([[17]], [[19]])、次は([[41]], [[43]]) 。 **唯一差がそれぞれ2となる([[3]], [[5]], [[7]])の組みを含めるパターンでは、[[三つ子素数]]でない最小の[[奇素数]]ともいえる。 * 29 = 29 + 0 × ''ω'' (''ω''は1の虚立方根) ** a + 0 × ''ω'' (a > 0) で表される6番目の[[アイゼンシュタイン整数#アイゼンシュタイン素数|アイゼンシュタイン素数]]である。1つ前は23、次は41。 *6番目の[[ソフィー・ジェルマン素数]]である。1つ前は[[23]]、次は[[41]]。 * 2 と 9 を使った最小の素数である。次は[[229]]。ただし単独使用を可とするなら1つ前は[[2]]。({{OEIS|A020460}}) ** 29…9 の形の最小の素数である。次は2999。({{OEIS|A055559}}) ** 2…29 の形の最小の素数である。次は[[229]]。({{OEIS|A093401}}) * 29 = 3{{sup|3}} + 2 ** ''n'' = 3 のときの 3{{sup|''n''}} + 2 の値とみたとき1つ前は[[11]]、次は[[83]]。({{OEIS|A168607}}) *** 3{{sup|''n''}} + 2 の形の4番目の素数である。1つ前は[[11]]、次は[[83]]。({{OEIS|A057735}}) *29 = 2{{sup|2}} + 3{{sup|2}} + 4{{sup|2}} **3つの連続する数の平方和で表せる数である。1つ前は[[14]]、次は[[50]]。 **3連続平方和と4連続平方和 (30 = 1{{sup|2}} + 2{{sup|2}} + 3{{sup|2}} + 4{{sup|2}}) が連続する最小の数である。次は[[365]] , [[366]]。 **3連続自然数の平方和が素数になる最小の数である。次は[[149]]。 ** 3つの[[平方数]]の和1通りで表せる14番目の数である。1つ前は[[26]]、次は[[30]]。({{OEIS|A025321}}) ** 異なる3つの[[平方数]]の和1通りで表せる4番目の数である。1つ前は[[26]]、次は[[30]]。({{OEIS|A025339}}) ** ''n'' = 2 のときの 2{{sup|''n''}} + 3{{sup|''n''}} + 4{{sup|''n''}} の値とみたとき1つ前は[[9]]、次は[[99]]。({{OEIS|A074526}}) ** 29 = ({{sfrac|3+1|2}}){{sup|2}} + ({{sfrac|5+1|2}}){{sup|2}} + ({{sfrac|7+1|2}}){{sup|2}} *[[ルーカス数]]のうち[[フィボナッチ数#テトラナッチ数|テトラナッチ数]]の7番目の要素。1つ前は[[15]]、次は[[56]]。 *7番目の[[リュカ数]]である。1つ前は[[18]]、次は[[47]]。 *5番目の[[ペル数]]である。1つ前は[[12]]、次は[[70]]。 *3つの[[4乗数]]の和が29で割り切れるのは、3つの数が全て29で割り切れる場合のみである。 **同様の性質を持つ素数は、他に[[5]]のみ。 *2''n''{{sup|2}} + 29 で表される数は 0≦ ''n'' ≦ 28 において素数である。 * 29[[階乗|!]] = 8,841,741,993,739,701,954,543,616,000,000 *連続した素数を2つに分けたそれぞれの和でも表せる素数。 *:29 = [[2]] + [[3]] + [[7]] + [[17]] = [[5]] + [[11]] + [[13]] **異なる素数の和で表せる7番目の素数である。1つ前は[[23]]、次は[[31]]。({{OEIS|A108719}}) *[[各位の和]]が29となる[[ハーシャッド数]]の最小は4988、10000までに5個ある。 *29 = (2 + 9) + (2 × 9) **[[各位の和]]と各位の積を加えてできる2番目の数である。1つ前は[[19]]、次は[[39]]。({{OEIS|A038364}}) *[[各位の和]]が11になる最小の数である。次は[[38]]。 **各位の和が ''n'' になる最小の数である。1つ前の10は[[19]]、次の12は[[39]]。({{OEIS|A051885}}) **各位の和が11になる数で[[素数]]になる最小の数である。次は[[47]]。({{OEIS|A106754}}) *各位の[[平方和]]が85になる最小の数である。次は[[67]]。({{OEIS|A003132}}) ** 各位の平方和が ''n'' になる最小の数である。1つ前の84は[[248]]、次の86は[[129]]。({{OEIS|A055016}}) *各位の[[立方和]]が737になる最小の数である。次は[[92]]。({{OEIS|A055012}}) ** 各位の立方和が ''n'' になる最小の数である。1つ前の736は[[268]]、次の738は[[129]]。({{OEIS|A165370}}) * 29 = 2{{sup|2}} + 5{{sup|2}} ** 異なる2つの[[平方数]]の和で表せる8番目の数である。1つ前は[[26]]、次は[[34]]。({{OEIS|A004431}}) ** ''n'' = 2 のときの 2{{sup|''n''}} + 5{{sup|''n''}} の値とみたとき1つ前は[[7]]、次は[[133]]。({{OEIS|A074600}}) ** 5{{sup|''n''}} + ''n''{{sup|2}} で表せる最小の素数である。次は[[641]]。({{OEIS|A182329}}) ** 29 = 5{{sup|2}} + 4 *** ''n'' = 2 のときの 5{{sup|''n''}} + 4 の値とみたとき1つ前は[[9]]、次は[[129]]。({{OEIS|A242329}}) **** 5{{sup|''n''}} + 4 の形の2番目の素数である。1つ前は[[5]]、次は15629。({{OEIS|A228028}}) * 29 = 1{{sup|3}} + 1{{sup|3}} + 3{{sup|3}} ** 3つの[[正の数]]の[[立方数]]の和1通りで表せる5番目の数である。1つ前は[[24]]、次は[[36]]。({{OEIS|A025395}}) ** 3つの[[正の数]]の[[立方数]]の和で表せる3番目の[[素数]]である。1つ前は[[17]]、次は[[43]]。({{OEIS|A007490}}) * 29 = 7{{sup|2}} &minus; 5{{sup|2}} + 3{{sup|2}} &minus; 2{{sup|2}} ** ''n'' = 2 のときの 7{{sup|''n''}} &minus; 5{{sup|''n''}} + 3{{sup|''n''}} &minus; 2{{sup|''n''}} の値とみたとき1つ前は[[3]]、次は[[237]]。({{OEIS|A135163}}) * 5番目の[[マルコフ数]]である。1つ前は[[13]]、次は[[34]]。 ** 2{{sup|2}} + 5{{sup|2}} + 29{{sup|2}} = 3 × 2 × 5 × 29 * 2番目の[[完全数]][[28]]に1を加えた数である。1つ前は[[7]]、次は[[497]]。({{OEIS|A135629}}) * 29 = 5{{sup|2}} + 5 &minus; 1 = 6{{sup|2}} &minus; 6 &minus; 1 ** ''n'' = 5 のときの ''n''{{sup|2}} + ''n'' &minus; 1 の値とみたとき1つ前は[[19]]、次は[[41]]。({{OEIS|A028387}}) * 29 = 5#&minus; 1 = 2 × 3 × 5 &minus; 1 ** 3番目の ''p''#&minus; 1 の形の[[素数階乗素数#クンマー数|クンマー数]]である。1つ前は[[5]]、次は[[209]]。(ただし ''p''# は ''p'' 以下の[[素数階乗|素数の総乗]])({{OEIS|A057588}}) == その他 29 に関連すること == *[[原子番号]]29の[[元素]]は[[銅]] (Cu)。 *[[グレゴリオ暦]]や[[ユリウス暦]]では、[[閏年]]の[[2月]]は29日間となる。 *第29代[[天皇]]は[[欽明天皇]]である。 *[[日本]]の第29代[[内閣総理大臣]]は[[犬養毅]]である。 *第29代[[教皇|ローマ教皇]]は[[マルケリヌス (ローマ教皇)|マルケリヌス]](在位:[[296年]][[6月30日]] - [[304年]][[4月1日]])である。 *第29代[[アメリカ合衆国大統領]]は[[ウォレン・ハーディング]]である。 *[[大相撲]]第29代横綱は[[宮城山福松]]である。 *[[海部俊樹]]は、29歳の時に[[第29回衆議院議員総選挙|第29回の総選挙]]で初当選し、その29年後に[[内閣総理大臣]]に就任した。 *[[アメリカ合衆国]]の29番目の[[州]]は[[アイオワ州]]である。 * JIS X 0401、[[ISO 3166-2:JP]]の[[都道府県コード]]の「29」は[[奈良県]]。 *[[易占]]の[[六十四卦]]で第29番目の卦は、[[周易上経三十卦の一覧#坎|坎為水]]。 *[[クルアーン]]における第29番目の[[スーラ (クルアーン)|スーラ]]は[[蜘蛛 (クルアーン)|蜘蛛]]である。 *[[年始]]から数えて29日目は[[1月29日]]。 *毎月29日は[[肉の日]]と食肉関連の組合によって定められている。 *[[29 (トランプゲーム)|29]]というトランプゲームがある。 *[[グルカゴン]]は29個のアミノ酸配列からなるペプチドホルモンである。 *『[[29 (奥田民生のアルバム)|29]]』は[[奥田民生]]のアルバム。 *[[Nippon News Network|NNN]]系列の[[テレビ新潟放送網|テレビ新潟]]と[[Japan News Network|JNN]]系列の[[あいテレビ]]は、アナログ放送の[[ガイドチャンネル]]が 29ch。 *2023年1月現在、[[囲碁]]と[[将棋]]の公式戦における連勝記録は29である。 ** 囲碁の[[坂田栄男]]九段<!--記録達成時にすでに九段-->(記録達成当時は[[名人 (囲碁)|名人]]・[[本因坊]]に在位)は1963-64年にかけて29連勝を記録した。 ** 将棋の[[藤井聡太]]四段(記録達成当時)は2016-17年にかけて29連勝を記録した。 * "TWENTYNINE"という単語は29本の線分で構成される。 == 符号位置 == {| class="wikitable" style="text-align:center;" !記号!![[Unicode]]!![[JIS X 0213]]!![[文字参照]]!!名称 {{CharCode|12889|3259|1-8-41|CIRCLED DIGIT TWENTY NINE|font=JIS2004フォント}} |} == 関連項目 == {{数字2桁|2|- [[平成29年]] [[昭和29年]] [[明治29年]]}} *[[2月9日]] {{自然数}}
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BCS理論
BCS理論(ビーシーエスりろん、BCS theory、Bardeen Cooper Schrieffer)とは、1911年の超伝導現象発見以来、初めてこの現象を微視的に説明した理論。1957年に米国、イリノイ大学のジョン・バーディーン、レオン・クーパー、ジョン・ロバート・シュリーファーの三人によって提唱された。三人の名前の頭文字からBCSと付けられた。この理論のモデルによると超伝導転移温度や比熱などが、式により表される。三人はこの業績により1972年のノーベル物理学賞を受賞した。 1911年、カマリン・オンネスによって発見された超伝導は、その後多くの研究者の注目を浴び、数多くの実験的、理論的研究がなされた。しかしながら、実験面では多くの成果が得られた半面、理論的な面での解明は遅々として進まなかった。1950年には超伝導体の同位体で転移温度が異なることが発見された。これに着目したJ.バーディーン(当時、ベル研究所、のちにイリノイ大学教授)は、直感的にフォノン(量子化された格子振動)に超伝導の原因があるとし、研究を進めた。1956年バーディーンがイリノイに招聘したL.クーパーが、フォノンを媒介とする電子対ではエネルギーが下がることを発見した。続いて、J.バーディーン教授の大学院生であったJ.シュリーファーが超伝導状態を表す波動関数を導いて、解明の土台を築いた。そしてカマリン・オンネスの発見から40年以上経った、1957年、バーディーン、クーパー、シュリーファーの三人によって提唱された超伝導を説明する理論(BCS理論)により一応の決着を見た。ボーズ-アインシュタイン凝縮と超伝導は、ボゴリューボフによって示されたいわゆるボゴリューボフ変換を通して、同時に解明することができる。 超伝導状態を実現するためには電子系が何らかの凝集状態にある必要がある。しかし、電子はフェルミ粒子であり、パウリの排他律からくる制限により、そのままでは凝集できない。 超伝導状態を実現するためには、電子がペア(対)となってボソン化し、最低エネルギー状態に集団で凝縮(ボース凝縮とみなせる状態)する必要がある。このためには、電子同士がお互い斥力を及ぼし合う状態から、何らかの有効な引力が電子同士に働く状態になる必要がある。 BCS理論では電子-格子相互作用を介して電子同士がフォノンを仮想的に交換(或いはフォノンを介して運動量を交換)することによって、電子同士に引力が働くと考える。この引力によって生じる電子対(スピンは互いに逆向き、かつ対の全運動量がゼロ)をクーパー対(クーパーペア)と言う。 この引力的な相互作用が効きうる範囲は、フォノンと関わりの深いデバイ振動数を ω D {\displaystyle \omega _{D}} とし、そのデバイエネルギーを ħ ω D {\displaystyle \hbar \omega _{D}} とすると、フェルミエネルギー ε F {\displaystyle \epsilon _{F}} を基準とし、上下 ħ ω D {\displaystyle \hbar \omega _{D}} の範囲内と考えられる。この時、金属では通常、 ε F ≫ ħ ω D {\displaystyle \epsilon _{F}\gg \hbar \omega _{D}} である。 単純な金属を考え、伝導電子は電子ガス模型で記述できるとする。電子間に有効的な引力 ( − g , g > 0 {\displaystyle -g,g>0} ) が存在すると考え、引力の働く状態を記述する電子ガスのハミルトニアンは、系の体積を V {\displaystyle V} として、 H = ∑ k , σ ε k c k σ † c k σ − g V ∑ k , k ′ , q ′ c k + q ↑ † c − k ↓ † c − k ′ ↓ c k ′ + q ↑ {\displaystyle H=\sum _{\mathbf {k} ,\sigma }\epsilon _{\mathbf {k} }c_{\mathbf {k} \sigma }^{\dagger }c_{\mathbf {k} \sigma }-{g \over V}{\sum _{\mathbf {k} ,\mathbf {k'} ,\mathbf {q} }}'c_{\mathbf {k} +\mathbf {q} \uparrow }^{\dagger }c_{-\mathbf {k} \downarrow }^{\dagger }c_{-\mathbf {k} '\downarrow }c_{\mathbf {k} '+\mathbf {q} \uparrow }} となる。 σ {\displaystyle \sigma } はスピンの ↑ {\displaystyle \uparrow } 、 ↓ {\displaystyle \downarrow } の指標。 c † {\displaystyle c^{\dagger }} は生成演算子、 c {\displaystyle \,c} は消滅演算子である。和 ∑ ′ {\displaystyle \textstyle \sum '} は ε F {\displaystyle \epsilon _{F}} を挟んだ 2 ħ w D {\displaystyle 2\hbar w_{D}} の範囲内のみで和を取ることを意味する。また、 ε k = ħ 2 k 2 2 m − μ {\displaystyle \epsilon _{\mathbf {k} }={\hbar ^{2}k^{2} \over {2m}}-\mu } である(一電子状態のエネルギー←運動エネルギーの形になっている)。 m {\displaystyle m} は電子の質量、 μ {\displaystyle \mu } は化学ポテンシャルである。尚、フェルミエネルギーを ε F = ε k = 0 {\displaystyle \epsilon _{F}=\epsilon _{\mathbf {k} }=0} として、エネルギーの原点とみなす。 常伝導状態の最低エネルギー状態の波動関数、 | φ 0 ⟩ {\displaystyle |\phi _{0}\rangle } は、電子間に有効的な引力の働く − g {\displaystyle -g} の存在下では最早最低のエネルギー状態でなくなる。この状態(=超伝導状態)は、以下に示す変分波動関数、 | φ B C S ⟩ = ∏ k ( u k + v k c − k ↓ † c k ↑ † ) | v a c u u m ⟩ {\displaystyle \left|\phi _{\rm {BCS}}\right\rangle =\prod _{\mathbf {k} }(u_{\mathbf {k} }+v_{\mathbf {k} }c_{-\mathbf {k} \downarrow }^{\dagger }c_{\mathbf {k} \uparrow }^{\dagger })\left|{\rm {vacuum}}\right\rangle } を解くことによって求められる。 | v a c u u m ⟩ {\displaystyle |\mathrm {vacuum} \rangle } は真空状態、 u k {\displaystyle u_{\mathbf {k} }} 、 v k {\displaystyle v_{\mathbf {k} }} は変分パラメータであり、 u k u k ∗ + v k v k ∗ = 1 {\displaystyle u_{\mathbf {k} }{u_{\mathbf {k} }}^{*}+v_{\mathbf {k} }{v_{\mathbf {k} }}^{*}=1} という制限が課されている。変分の結果、 g {\displaystyle g} がどんなに小さくても、 | φ B C S ⟩ {\displaystyle |\phi _{\mathrm {BCS} }\rangle } は、 | φ 0 ⟩ {\displaystyle |\phi _{0}\rangle } よりエネルギーが下がることが示せる。また u k {\displaystyle u_{\mathbf {k} }} 、 v k {\displaystyle v_{\mathbf {k} }} 全ての複素数位相は等しくなる。 尚、 ⟨ φ B C S | c k ↑ c − k ↓ | φ B C S ⟩ = u k ∗ v k ≠ 0 {\displaystyle \left\langle \phi _{\rm {BCS}}|c_{\mathbf {k} \uparrow }c_{-\mathbf {k} \downarrow }|\phi _{\rm {BCS}}\right\rangle ={u_{\mathbf {k} }}^{*}v_{\mathbf {k} }\neq 0} が超伝導状態となる条件である。 超伝導の特徴は、励起に対してエネルギーギャップが存在することである(注:ギャップレス、つまりギャップの存在しない場合もある)。ただ、これは半導体、絶縁体におけるバンドギャップとは異なり、ギャップの存在に関わらず、超伝導状態では永久電流が流れる。このギャップの存在により、超伝導状態は非磁性な不純物による散乱などの影響を受け難くなっている。 BCS理論から予想される超伝導転移温度の上限は、およそ30 - 40 K(ケルビン)と考えられている(注:もっと高くなり得ると主張する研究者もいる)。従って、2003年時点では、液体窒素温度よりも更に高い超伝導転移温度を示す高温超伝導を、BCS理論の枠内だけで説明することは多くの研究者は不可能と考えている。電子がクーパー対をつくりボース凝縮していることは確かだが、その駆動力がBCS理論のようにフォノン(電子‐格子相互作用)だけとは考えられていない。ただ現在提案されている理論によって軽重の差があるが、フォノンも高温超伝導を引き起こす機構に何らかの関わりを持っていると考えられている。 高温超伝導における電子間の引力を引き起こす(つまりクーパー対を作る)駆動力としてはスピンのゆらぎ(或いはマグノン)などが挙げられる。
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BCS理論とは、1911年の超伝導現象発見以来、初めてこの現象を微視的に説明した理論。1957年に米国、イリノイ大学のジョン・バーディーン、レオン・クーパー、ジョン・ロバート・シュリーファーの三人によって提唱された。三人の名前の頭文字からBCSと付けられた。この理論のモデルによると超伝導転移温度や比熱などが、式により表される。三人はこの業績により1972年のノーベル物理学賞を受賞した。
'''BCS理論'''(ビーシーエスりろん、BCS theory、'''B'''ardeen '''C'''ooper '''S'''chrieffer)とは、1911年の[[超伝導]]現象発見以来、初めてこの現象を微視的に説明した理論。1957年に米国、イリノイ大学の[[ジョン・バーディーン]]、[[レオン・クーパー]]、[[ジョン・ロバート・シュリーファー]]の三人によって提唱された。三人の名前の頭文字からBCSと付けられた。この理論の[[モデル (自然科学)|モデル]]によると超伝導[[転移温度]]や比熱などが、式により表される。三人はこの業績により1972年のノーベル物理学賞を受賞した。 == 概要 == [[1911年]]、[[ヘイケ・カメルリング・オネス|カマリン・オンネス]]によって発見された[[超伝導]]は、その後多くの研究者の注目を浴び、数多くの実験的、理論的研究がなされた。しかしながら、実験面では多くの成果が得られた半面、理論的な面での解明は遅々として進まなかった。1950年には超伝導体の[[同位体]]で転移温度が異なることが発見された。これに着目したJ.バーディーン(当時、ベル研究所、のちにイリノイ大学教授)は、直感的に[[フォノン]]([[格子振動]])に超伝導の原因があるとし、研究を進めた。1956年バーディーンがイリノイに招聘したL.クーパーが、フォノンを媒介とする電子対ではエネルギーが下がることを発見した。続いて、J.バーディーン教授の大学院生であったJ.シュリーファーが超伝導状態を表す波動関数を導いて、解明の土台を築いた。そしてカマリン・オンネスの発見から40年以上経った、[[1957年]]、[[ジョン・バーディーン|バーディーン]]、[[レオン・クーパー|クーパー]]、[[ジョン・ロバート・シュリーファー|シュリーファー]]の三人によって提唱された超伝導を説明する理論('''BCS理論''')により一応の決着を見た<ref>J. Bardeen, L. Cooper and J. R. Schrieffer, [http://yclept.ucdavis.edu/course/242/Publ/BCSa.pdf "Theory of superconductivity,"] [[フィジカル・レビュー|Phys. Rev.]] '''108''' (1957) 1175.</ref>。ボーズ-アインシュタイン凝縮と超伝導は、ボゴリューボフによって示されたいわゆる[[ボゴリューボフ変換]]を通して、同時に解明することができる。 超伝導状態を実現するためには電子系が何らかの凝集状態にある必要がある。しかし、[[電子]]は[[フェルミ粒子]]であり、[[パウリの排他律]]からくる制限により、そのままでは凝集できない。 超伝導状態を実現するためには、電子がペア(対)となって[[ボース粒子|ボソン]]化し、最低エネルギー状態に集団で凝縮([[ボース凝縮]]とみなせる状態)する必要がある。このためには、電子同士がお互い[[斥力]]を及ぼし合う状態から、何らかの有効な[[引力]]が電子同士に働く状態になる必要がある。 BCS理論では電子-格子相互作用を介して電子同士が[[フォノン]]を仮想的に交換(或いはフォノンを介して運動量を交換)することによって、電子同士に引力が働くと考える。この引力によって生じる電子対(スピンは互いに逆向き、かつ対の全運動量がゼロ)を'''クーパー対'''(クーパーペア)と言う。 この引力的な相互作用が効きうる範囲は、フォノンと関わりの深い[[デバイ振動数]]を<math>\omega_D</math>とし、そのデバイエネルギーを<math>\hbar\omega_D</math>とすると、[[フェルミエネルギー]]<math>\epsilon_F</math>を基準とし、上下<math>\hbar\omega_D</math>の範囲内と考えられる。この時、[[金属]]では通常、<math>\epsilon_F \gg \hbar\omega_D</math>である。 == 内容 == 単純な金属を考え、伝導電子は[[電子ガス]]模型で記述できるとする。電子間に有効的な引力 (<math>-g,g>0</math>) が存在すると考え、引力の働く状態を記述する電子ガスの[[ハミルトニアン]]は、系の体積を<math>V</math>として、 {{Indent|<math> H = \sum_{\mathbf{k},\sigma} \epsilon_{\mathbf{k}} c_{\mathbf{k} \sigma}^{\dagger} c_{\mathbf{k} \sigma} - {g \over V} {\sum_{\mathbf{k}, \mathbf{k'}, \mathbf{q}}}' c_{\mathbf{k} + \mathbf{q} \uparrow}^{\dagger} c_{-\mathbf{k} \downarrow}^{\dagger} c_{-\mathbf{k}' \downarrow} c_{\mathbf{k}'+\mathbf{q} \uparrow} </math>}} となる。<math>\sigma</math>はスピンの<math>\uparrow</math>、<math>\downarrow</math>の指標。<math> c^{\dagger} </math>は[[生成演算子]]、<math> \, c </math>は[[消滅演算子]]である。和<math>\textstyle\sum'</math>は<math>\epsilon_F</math>を挟んだ<math> 2 \hbar w_D </math>の範囲内のみで和を取ることを意味する。また、 {{Indent|<math> \epsilon_{\mathbf{k}} = { \hbar^2 k^2 \over {2m} } - \mu </math>}} である(一電子状態のエネルギー←運動エネルギーの形になっている)。<math>m</math>は電子の質量、<math>\mu</math>は化学ポテンシャルである。尚、フェルミエネルギーを {{Indent|<math> \epsilon_F = \epsilon_{\mathbf{k}} = 0 </math>}} として、エネルギーの原点とみなす。 常伝導状態の最低エネルギー状態の波動関数、<math>|\phi_0\rangle</math>は、電子間に有効的な引力の働く<math>-g</math>の存在下では最早最低のエネルギー状態でなくなる。この状態(=超伝導状態)は、以下に示す変分波動関数、 {{Indent|<math> \left | \phi_{\rm {BCS}} \right \rangle = \prod_{\mathbf{k}} ( u_{\mathbf{k}} + v_{\mathbf{k}} c_{-\mathbf{k} \downarrow}^{\dagger} c_{\mathbf{k} \uparrow}^{\dagger}) \left | {\rm {vacuum}} \right \rangle </math>}} を解くことによって求められる。<math>|\mathrm{vacuum}\rangle</math>は真空状態、<math>u_\mathbf{k}</math>、<math>v_\mathbf{k}</math>は変分パラメータであり、 {{Indent|<math> u_{\mathbf{k}} {u_{\mathbf{k}}}^* + v_{\mathbf{k}} {v_{\mathbf{k}}}^* = 1 </math>}} という制限が課されている。変分の結果、<math>g</math>がどんなに小さくても、<math>|\phi_\mathrm{BCS}\rangle</math>は、<math>|\phi_0\rangle</math>よりエネルギーが下がることが示せる。また<math>u_\mathbf{k}</math>、<math>v_\mathbf{k}</math>全ての複素数位相は等しくなる。 尚、 {{Indent|<math> \left\langle \phi_{\rm {BCS}} | c_{\mathbf{k} \uparrow} c_{-\mathbf{k} \downarrow} | \phi_{\rm {BCS}} \right \rangle = {u_{\mathbf{k}}}^* v_{\mathbf{k}} \ne 0 </math>}} が超伝導状態となる条件である。 == エネルギーギャップの存在 == 超伝導の特徴は、励起に対して[[エネルギーギャップ]]が存在することである(注:ギャップレス、つまりギャップの存在しない場合もある)。ただ、これは半導体、絶縁体における[[バンドギャップ]]とは異なり、ギャップの存在に関わらず、超伝導状態では[[永久電流]]が流れる。このギャップの存在により、超伝導状態は非磁性な不純物による散乱などの影響を受け難くなっている。 == 金属超伝導 == {| class="wikitable" !元素 !''T<sub>c</sub>'' (K) |- |Al |1.20 |- |Hg |4.15 |- |Mo |0.92 |- |Nb |9.26 |- |Pb |7.19 |- |Sn |3.72 |- |Ta |4.48 |- |Ti |0.39 |- |V |5.30 |- |Zn |0.88 |} == 高温超伝導に関して == BCS理論から予想される超伝導[[転移温度]]の上限は、およそ30 - 40 K([[ケルビン]])と考えられている(注:もっと高くなり得ると主張する研究者もいる)。従って、[[2003年]]時点では、[[液体窒素温度]]よりも更に高い超伝導転移温度を示す[[高温超伝導]]を、BCS理論の枠内だけで説明することは多くの研究者は不可能と考えている。電子がクーパー対をつくりボース凝縮していることは確かだが、その駆動力がBCS理論のようにフォノン(電子‐格子相互作用)だけとは考えられていない。ただ現在提案されている理論によって軽重の差があるが、フォノンも高温超伝導を引き起こす機構に何らかの関わりを持っていると考えられている。 高温超伝導における電子間の引力を引き起こす(つまりクーパー対を作る)駆動力としてはスピンのゆらぎ(或いは[[マグノン]])などが挙げられる。 *関連用語: [[ボゴリューボフ変換]] == 参考文献 == * Lillian Hoddeson and Vicki Daitch "True Genius: The Life and Science of John Bardeen, The Only Winner of Two Nobel Prizes in Physics", Joseph Henry Press (2002) * [[恒藤敏彦]]著「超伝導の探究」岩波書店 (1995) == 関連項目 == *概念 **[[二ホウ化マグネシウム]] **[[準粒子]] **[[Little–Parks effect]]、クーパー・ペアリング原理の重要性を示す最初の証拠のひとつである。<ref>{{Cite journal|last1=Gurovich|first1=Doron|last2=Tikhonov|first2=Konstantin|last3=Mahalu|first3=Diana|last4=Shahar|first4=Dan|s2cid=119268649|date=2014-11-20|title=Little-Parks Oscillations in a Single Ring in the vicinity of the Superconductor-Insulator Transition|url=https://www.researchgate.net/publication/268524767|journal=Physical Review B|volume=91|issue=17|pages=174505|doi=10.1103/PhysRevB.91.174505|arxiv=1411.5640|bibcode=2015PhRvB..91q4505G}}</ref> *人物 **[[ジョン・バーディーン]] (John Bardeen) **[[レオン・クーパー]] (Leon Neil Cooper) **[[ジョン・ロバート・シュリーファー]] (John Robert Schrieffer) == 外部リンク == {{Spedia|Bardeen-Cooper-Schrieffer_theory|BCS theory}} == 脚注 == {{Reflist}} {{DEFAULTSORT:ひいしいえすりろん}} [[Category:超伝導]] [[Category:物理学のエポニム]]
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30(三十、参拾、參拾、卅、丗、さんじゅう、みそ、みそじ)は自然数、また整数において、29の次で31の前の数である。
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30(三十、参拾、參拾、卅、丗、さんじゅう、みそ、みそじ)は自然数、また整数において、29の次で31の前の数である。
{{Otheruses}} {{整数|Decomposition=2 × 3 × 5}} '''30'''('''三十'''、'''参拾'''、'''參拾'''、'''卅'''、'''丗'''、さんじゅう、みそ、みそじ)は[[自然数]]、また[[整数]]において、[[29]]の次で[[31]]の前の数である。 == 性質 == *30 は[[合成数]]であり、正の[[約数]]は [[1]], [[2]], [[3]], [[5]], [[6]], [[10]], [[15]], 30 である。 **[[約数の和]]は[[72]]。 ***自身を除いた約数の和は [[72]] − 30 = [[42]] であり、5番目の[[過剰数]]である。1つ前は[[24]]、次は[[36]]。 **[[約数]]の積は810000。 ***約数の積の値がそれ以前の数を上回る12番目の数である。1つ前は[[24]]、次は[[36]]。({{OEIS|A034287}}) *{{sfrac|1|30}} = 0.0{{underline|3}}… (下線部は循環節で長さは1) **[[逆数]]が[[循環小数]]になる数で[[循環節]]が1になる8番目の数である。1つ前は[[24]]、次は[[36]]。({{OEIS|A070021}}) *30 = 1{{sup|2}} + 2{{sup|2}} + 3{{sup|2}} + 4{{sup|2}} **4番目の[[四角錐数]]である。1つ前は[[14]]、次は[[55]]。 **''n'' = 2 のときの 1{{sup|''n''}} + 2{{sup|''n''}} + 3{{sup|''n''}} + 4{{sup|''n''}} の値とみたとき1つ前は[[10]]、次は[[100]]。 **4連続整数の平方和とみたとき自然数の範囲では最小、整数の範囲だと1つ前は[[14]]、次は[[54]]。 **30 = 0{{sup|2}} + 1{{sup|2}} + 2{{sup|2}} + 3{{sup|2}} + 4{{sup|2}} ***5連続平方和とみたとき負の数を除くと最小、負の数を含めると1つ前は[[15]]、次は[[55]]。 **異なる4つの[[平方数]]の和1通りの形で表せる最小の数である。次は[[39]]。({{OEIS|A025376}}) ***異なる4つの[[平方数]]の和 ''n'' 通りの形で表すことができる最小の数である。次の2通りは[[90]]。({{OEIS|A025417}}) *30 = 2 × 3 × 5 **三つの異なる素数の積で、最小の数である。なお、四つの異なる素数の積では、[[210]](2 × 3 × 5 × 7)が最小の数である。 **3番目の[[素数階乗]]数 (''p''{{sub|3}}#) である。1つ前は[[6]]、次は[[210]]。 ***''p''{{sub|3}}# ± 1 が両方とも[[素数階乗素数]]になる2番目の数である。1つ前は[[6]] (''p''{{sub|2}}#)、次は[[2310]] (''p''{{sub|5}}#)。 ***3連続[[素数]]の積で表される最小の数である。次は[[105]]。 **最小の[[楔数]]である。楔数とは3つの独立した[[素因数]]を持つ数のことである。次は[[42]]。 ***楔数が[[ハーシャッド数]]になる最小の数である。次は[[42]]。 **3連続[[フィボナッチ数]]の積で表すことのできる数である。1つ前は[[6]]、次は[[120]]。 ***30 = 1 × 2 × 3 × 5 ****連続フィボナッチ数の積で表せる数である。1つ前は[[6]]、次は[[240]]。 **30 = 5 × 6 ***5番目の[[矩形数]]である。1つ前は[[20]]、次は[[42]]。 ***30 = 5{{sup|1}} + 5{{sup|2}} = 6{{sup|2}} − 6{{sup|1}} ****5の自然数乗の和とみたとき1つ前は[[5]]、次は[[155]]。 ***30 = 2 + 4 + 6 + 8 + 10 *** 30 = [[5]] × σ([[5]]) (ただし σ は[[約数関数]]) ** 30 = 10 × 3 *** ''n'' = 1 のときの 10 × 3{{sup|''n''}} の値とみたとき1つ前は[[10]]、次は[[90]]。({{OEIS|A005052}}) ** 30 = 15 × 2 *** ''n'' = 1 のときの 15 × 2{{sup|''n''}} の値とみたとき1つ前は[[15]]、次は[[60]]。({{OEIS|A110286}}) *自身以下の[[互いに素 (整数論)|互いに素]]な数が1または[[素数]]である最大の数である。1つ前は[[24]]。({{OEIS|A048597}}) **30以下の互いに素な数は[[7]], [[11]], [[13]], [[17]], [[19]], [[23]], [[29]]である。 *[[九九]]では5の段で 5 × 6 = 30 (ごろくさんじゅう)、6の段で 6 × 5 = 30 (ろくごさんじゅう) と2通りの表し方がある。 *各位の和が30になる[[ハーシャッド数]]の最小は39990である。 *30 = 2{{sup|1}} + 2{{sup|2}} + 2{{sup|3}} + 2{{sup|4}} **[[2]]の自然数乗の和とみたとき1つ前は[[14]]、次は[[62]]。 ** ''a'' = 2 のときの ''a''{{sup|1}} + ''a''{{sup|2}} + ''a''{{sup|3}} + ''a''{{sup|4}} の値とみたとき1つ前は[[4]]、次は[[120]]。 *17番目の[[ハーシャッド数]]である。1つ前は[[27]]、次は[[36]]。 **3を基とする4番目のハーシャッド数である。1つ前は[[21]]、次は[[102]]。 *[[約数]]の和が30になる数は1個ある。([[29]]) 約数の和1個で表せる12番目の数である。1つ前は[[28]]、次は[[36]]。 *各位の積が0になる4番目の数である。1つ前は[[20]]、次は[[40]]。({{OEIS|A011540}}) * 30 = 1<sup>2</sup> + 2<sup>2</sup> + 5<sup>2</sup> ** 3つの[[平方数]]の和1通りで表せる15番目の数である。1つ前は[[29]]、次は[[34]]。({{OEIS|A025321}}) ** 異なる3つの[[平方数]]の和1通りで表せる5番目の数である。1つ前は[[29]]、次は[[35]]。({{OEIS|A025339}}) ** ''n'' = 2 のときの 1{{sup|''n''}} + 2{{sup|''n''}} + 5{{sup|''n''}} の値とみたとき1つ前は[[8]]、次は[[134]]。({{OEIS|A074501}}) * ''n'' = 30 のときの ''n''! − 1 で表せる 30[[階乗|!]] − 1 は7番目の[[階乗素数]]である。1つ前は[[14]]、次は[[32]]。({{OEIS|A002982}}) * 30 = 3{{sup|3}} + 3 ** ''n'' = 3 のときの ''n''{{sup|3}} + ''n'' の値とみたとき1つ前は[[10]]、次は[[68]]。({{OEIS|A034262}}) ** ''n'' = 3 のときの 3{{sup|''n''}} + ''n'' の値とみたとき1つ前は[[11]]、次は[[85]]。({{OEIS|A104743}}) ** 素数 ''p'' = 3 のときの ''p''{{sup|''p''}} + ''p'' の値とみたとき1つ前は[[6]]、次は3130。({{OEIS|A101340}}) * 30 = 5{{sup|2}} + 3{{sup|2}} − 2{{sup|2}} ** ''n'' = 2 のときの 5{{sup|''n''}} + 3{{sup|''n''}} − 2{{sup|''n''}} の値とみたとき1つ前は[[6]]、次は[[144]]。({{OEIS|A135160}}) * 30 = 2 + 2 + 2 + 2{{sup|3}} + 2{{sup|3}} + 2{{sup|3}} ** ''n'' = 2 のときの 3''n''{{sup|3}} + 3''n'' の値とみたとき1つ前は[[6]]、次は[[90]]。({{OEIS|A119536}}) == その他 30 に関連すること == ===単位=== *30[[度 (角度)|°]] = {{sfrac|[[円周率|{{π}}]]|6}}([[ラジアン]])。これは {{sfrac|1|12}} 周であり、すなわち[[正十二角形]]の[[中心角]]であり、すなわちその[[外角]]である。 *1ヶ[[月 (暦)|月]]は約30[[日]]である。このため、時間の[[単位]]には30から成る物が見られる。 **[[グレゴリオ暦]]の1か月は28~31(平均約30.44)[[日]]で、平均をとれば30日。[[太陰暦]]の1か月は29~30(平均約29.53)日で、30日が最も多い。30日を1か月、12か月(=[[360]]日)を1年に対して、30年(=360か月)を1[[世代]]という場合がある。 **三十年祭を、英語で ''pearl jubilee'' 、ラテン語由来の英語だと ''tricennial'' という。結婚30周年の祝賀を[[結婚記念日|真珠婚式]]といい、特に[[西洋]]では、[[真珠]]が30周年の記念品や形容詞とされることが多い。 **[[命日|法要]]では30周忌(= 31回忌)前後を弔い上げとするのが一般的である。ただし、これより長く続ける場合もある。 *[[土星]]の[[公転]]周期は約30年である。 *[[三十年戦争]]: 1618年~1648年の間、ヨーロッパで行われた宗教戦争。 *[[日本]]における[[原動機付自転車]]の法定[[最高速度]]は 30&nbsp;km/h である。 *[[参議院議員]]および[[都道府県]][[知事]]の被選挙権は30歳以上。 ===30番のもの=== *[[30年|西暦30年]] *[[紀元前30年]] *[[年始]]から数えて30日目は[[1月30日]]。 *第30[[原子番号|番元素]]は[[亜鉛]] (Zn) である。 *第30代[[天皇]]は[[敏達天皇]]である。 *[[日本]]の第30代[[内閣総理大臣]]は[[齋藤實]]である。 *[[大相撲]]の第30代[[横綱]]は[[西ノ海嘉治郎 (3代)|西ノ海嘉治郎]]である。 *[[アメリカ合衆国]]の第30代[[アメリカ合衆国大統領|大統領]]は[[カルビン・クーリッジ]]である。 *[[アメリカ合衆国]]の30番目の[[州]]は[[ウィスコンシン州]]である。 * JIS X 0401、[[ISO 3166-2:JP]]の[[都道府県コード]]の「30」は[[和歌山県]]。 *[[易占]]の[[六十四卦]]で第30番目の卦は、[[周易上経三十卦の一覧#離|離為火]]。 *[[クルアーン]]における第30番目の[[スーラ (クルアーン)|スーラ]]は[[ビザンチン (クルアーン)|ビザンチン]]である。 *[[M30 (天体)|M30]] は[[球状星団]]である。 *[[さくらんぼテレビジョン]]、[[テレビ信州]]、[[びわ湖放送]]、[[テレビ和歌山]]、[[鹿児島讀賣テレビ|鹿児島読売テレビ]]の[[ガイドチャンネル]]は 30ch。 *第30代[[殷]]王は[[帝辛]](紂王)である。 *第30代[[周]]王は[[思王]]である。 *第30代[[教皇|ローマ教皇]]は[[マルケルス1世 (ローマ教皇)|マルケルス1世]](在位:[[308年]][[5月]]~[[309年]])である。 ===三十個一組のもの=== *午前0時から午前5時までは別名「24時から29時まで」の名があり、午前と深夜を合わせて合体をしたら合計30時間となる。 *[[人間]]の[[脊椎]]は約30個ある。 *[[将棋]]の初手の指し方は30通り。 *[[山手線]]の駅数は2020年に高輪ゲートウェイ駅が増設されて30駅。 *[[三十番神]]は一月([[太陰暦]])周期で一日ずつ[[法華経]]などを守護するとされる30の神々。 ===言葉=== *「卅」は30を表す漢字。例:卅五年(= 三十五年)。また「世」の異体字(異字体、書写体、俗字)とされる「丗」や「卋」も同様に30を表す漢字である。(「世」は象形文字であるがその字源については、「十」を三つ重ねた丗を原字とし、自分の子へ継ぐまでの約三十年が元の意で幾世代も続くことを意味したもの(説文解字『三十年爲一世。从卅而曳長之』)とするものと、三十を表すは誤りで「世」は「葉(枼)」が原字で、甲骨文字で分かるように草木の枝葉の新芽の出ている形を示し、それによって新しい時期、世代をあらわすものであるとする(白川)説がある。) *30 を、[[ラテン語]]では ''triginta''(トリーギンター)、[[ギリシャ語]]では ''triconta'' という。[[接頭辞]]は ''triginti''(ラテン語)、''triaconta''(ギリシャ語)。 *30日を三十日(みそか)という。転じて月の終わりの日を表す言葉になり([[晦日]])、年の終わりは[[大晦日]](おおみそか)と呼ばれるようになった。 *30歳の別名:三十路(みそじ)、而立(じりつ。[[論語]]に因む)。<!--ただし、本来は「みそじ(みそぢ)」または「みそち」自体が「30」という数そのものを表した。この場合の「-ち」という[[接尾辞]]は「はたち:20」の「-ち」、あるいは9以下の「-つ」と同根である。後に専ら年齢について用いられるようになり、「路」という字が当てられるようになった。--><!--30と関係ない--> *アメリカで、通例[[–30–]]と書き、新聞記事、原稿の終わり、完了を示す。転じて、おさらばという意味になる。 *1日の[[気温]]が30[[℃]]に達すると[[真夏日]]となる。 *[[東京六大学野球]]、[[ソフトボール]]において、背番号30は[[監督]]が付ける背番号。 *[[ボウリング]]では、1フレームで取れる最高点。10フレーム(12投)成功すれば300点となる。 *[[イオングループ|イオン]]でかつて開催されてきたセール、「[[ジャスコ]][[晦日|みそか]]市」は毎月30日に開催されていたことから由来。現在は「お客様感謝デー」の開催日変更等により既に廃止。 *『[[30 (奥田民生のアルバム)|30]]』は[[奥田民生]]のアルバム。 *『[[30 (電気グルーヴのアルバム)|30]]』は[[電気グルーヴ]]のアルバム。 * 『[[30 (UVERworldのアルバム)|30]]』は11枚目となる[[UVERworld]]のアルバム。 * [[マツダ・CX-30]] * [[マツダ・MX-30]] == 符号位置 == {| class="wikitable" style="text-align:center;" !記号!![[Unicode]]!![[JIS X 0213]]!![[文字参照]]!!名称 {{CharCode|12890|325A|1-8-42|CIRCLED DIGIT THIRTY|font=JIS2004フォント}} |} == 関連項目 == {{Wiktionarypar|三十}} {{数字2桁|3|- [[昭和30年]] [[明治30年]]}} {{自然数}}
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https://ja.wikipedia.org/wiki/30
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日出処の天子
『日出処の天子』(ひいづるところのてんし)は、山岸凉子による日本の漫画。1980年から1984年にかけて『LaLa』(白泉社)に連載された。1983年度、第7回講談社漫画賞少女部門を受賞。 『LaLa』1980年4月号から1984年2月号、1984年4月号から6月号に連載された。単行本は花とゆめコミックスから全11巻、角川書店あすかコミックス・スペシャルから全8巻が、文庫版は白泉社文庫から全7巻が、メディアファクトリーより完全版コミックス全7巻が発行された。 厩戸王子(聖徳太子)と蘇我毛人(蘇我蝦夷)を中心に、主人公である厩戸王子が少年時代を経て、摂政になるまでを描く。聖と俗、男と女という矛盾を抱える厩戸王子の圧倒的な存在感に加え、厩戸王子を天才・超能力者・同性愛者として描く斬新さが特徴。厩戸王子には超能力を持っているとでもしなければ説明できないような逸話が『聖徳太子伝暦』などに残っており、これはこうした伝承・伝説を積極的に採用したものである。 1983年度、第7回講談社漫画賞少女部門受賞。夏目房之介は「戦後マンガ史に残る傑作である」と評価。不安定に変化する厩戸王子の表情に注目して、その変貌を「手塚治虫以来日本のマンガに脈うつ男女変身譚および異人変身譚の最大の収穫のひとつだろう」と語っている。こういった表情は実に細かな描線で描かれており、薄い紙に模写したところで「1ミリの何分の1でも線が狂えば表情は変わってしまう」のだという。 1984年1月24日付けの『毎日新聞』全国版夕刊社会面に、「え、これが聖徳太子!?」「法隆寺カンカン」などの見出しで、本作品を法隆寺が遺憾に思っているという記事が掲載された。しかし、後に奈良支局の記者による捏造記事であることがわかり、同年2月4日付け紙面に謝罪文が掲載された(虚偽報道#1984年 「日出処の天子」事件 (毎日新聞))。 1984年、テレビ東京の「スーパーTV」で、1時間のテレビアニメを3月26日から5夜連続で放送する企画があったが、計画段階で中止となった。 2021年9月4日-10月24日、大阪市立美術館で行われた千四百年御聖忌記念特別展「聖徳太子-日出処の天子-」にて原画が出展された。 2023年1月31日発売の雑誌「昭和45年女・1970年女」の表紙及び特集記事"山岸凉子の金字塔『日出処の天子』は永遠の人生書"に掲載される。 本作は、飛鳥時代を背景に、政治的策謀をめぐらす厩戸皇子に毛人(馬子の長子として描かれている)をはじめとする蘇我家の人々や、崇峻天皇・推古天皇らが翻弄される形で話が進んでいく。 ある春の日、14歳の蘇我毛人は天女と見まごう美しい女童に偶然出会い、ほのかな恋心を抱く。それは実は10歳になる厩戸皇子であった。年若くとも非凡なる教養と才能、政治的手腕、威厳を持つ厩戸は並み居る臣下からも一目置かれる存在となる。しかし厩戸は自らが持つ不思議な力ゆえに、実母の穴穂部間人媛に恐れられ疎まれており、母から愛されない事に苦悩していた。同じく厩戸の不思議を感知した毛人は、時折垣間見る厩戸の孤独に心を痛める。尊敬と畏怖と好意を持って厩戸に接する毛人だが、厩戸にとって毛人は自分の持つ超能力を共有できる唯一の不可欠な存在であった。しかし毛人は無意識下でしか超能力を引き出せず、自分の能力を自覚していない。 厩戸の毛人への思いはやがて愛へと変わってゆき、毛人も自分が厩戸に惹かれていることを感じるが、やがて石上神社の巫女であった布都姫と出会い、恋に落ちてしまう。 厩戸は嫉妬に悩まされ、策謀を巡らして布都姫を殺害しようとするが、毛人に気づかれる。それまでの諸事に厩戸の策略があったことを悟った毛人は、厩戸に「二人が結べば万物を自由に動かす力が実現され、この世を意のままにできるから共に生きよう」と説得されるが、毛人は「二人が共に男として生まれたのは一緒になってはいけない運命だからだ」と答え、苦渋の内に厩戸から離れ、布都姫を選ぶ。 作品は厩戸が孤独の中に残される一方、政治的実権を握り、遣隋使を発案するところで終わる。 『馬屋古女王』(うまやこのひめみこ)は、『日出処の天子』の続編に当る短編漫画である。『LaLa』(白泉社)1984年11月号に読み切りとして発表されたが結末まで掲載されず、『月刊ASUKA』(角川書店)1985年8月号・9月号での再掲載及び未掲載分の発表により全編完結した。単行本は角川書店のあすかコミックス・スペシャルから全1巻が発行され、文庫版『日出処の天子』に併録された。『日出処の天子』の主要人物は既に物故しているか、生存していても会話の中でその名が言及されるのみであり、その影姿らしきものが登場する厩戸王子(の霊?)以外直接的には一切登場しない。物語の主役は厩戸王子や毛人の子供たちに移り、上宮王家と謳われた厩戸一族の滅亡の始まりを描く。 厩戸王子と膳美郎女が突然亡くなったところから物語は始まる。刀自古と厩戸皇子の子、山背大兄王子は、両親の葬儀に出席させるため、実父の厩戸によって生まれてから15年間軟禁されていた末妹、馬屋古女王を解放する。馬屋古は厩戸の子供たちで唯一、父に酷似した美しい容姿の持ち主であった。しかし彼女が解放されてから、上宮王家に不穏な兆しが見え始める。
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『日出処の天子』(ひいづるところのてんし)は、山岸凉子による日本の漫画。1980年から1984年にかけて『LaLa』(白泉社)に連載された。1983年度、第7回講談社漫画賞少女部門を受賞。
{{Infobox animanga/Header |タイトル= 日出処の天子 |ジャンル= [[少女漫画]]、[[歴史漫画]] }} {{Infobox animanga/Manga |タイトル= 日出処の天子 |作者= [[山岸凉子]] |出版社= [[白泉社]] |他出版社= [[角川書店]] |掲載誌= [[LaLa]] |レーベル= 花とゆめコミックス<br />あすかコミックス・スペシャル<br />白泉社文庫 |開始号= [[1980年]]4月号 |終了号= [[1984年]]6月号 |巻数= 花とゆめコミックス全11巻<br />あすかコミックス・スペシャル全8巻<br />白泉社文庫全7巻<br />完全版コミックス全7巻 }} {{Infobox animanga/Manga |タイトル= 馬屋古女王 |作者= 山岸凉子 |出版社= 角川書店 |掲載誌= LaLa、[[月刊Asuka|月刊ASUKA]] |レーベル= あすかコミックス・スペシャル |開始号= LaLa:1984年11月号<br />ASUKA:1985年8月号 |終了号= 1985年9月号 |巻数= 全1巻 }} {{Infobox animanga/Footer |ウィキプロジェクト=[[プロジェクト:漫画|漫画]] |ウィキポータル=[[Portal:漫画|漫画]] }} 『'''日出処の天子'''』(ひいづるところのてんし)は、[[山岸凉子]]による[[日本]]の[[漫画]]。[[1980年]]から[[1984年]]にかけて『[[LaLa]]』([[白泉社]])に連載された。[[1983年]]度、第7回[[講談社漫画賞]]少女部門を受賞。 == 概要 == 『[[LaLa]]』1980年4月号から1984年2月号、1984年4月号から6月号に連載された。単行本は花とゆめコミックスから全11巻、角川書店あすかコミックス・スペシャルから全8巻が、文庫版は白泉社文庫から全7巻が、[[メディアファクトリー]]より完全版コミックス全7巻が発行された。 厩戸王子([[聖徳太子]])と蘇我毛人([[蘇我蝦夷]])を中心に、主人公である厩戸王子が少年時代を経て、[[摂政]]になるまでを描く。聖と俗、男と女という矛盾を抱える厩戸王子の圧倒的な存在感に加え、厩戸王子を天才・超能力者・同性愛者として描く斬新さが特徴。厩戸王子には超能力を持っているとでもしなければ説明できないような逸話が『[[聖徳太子伝暦]]』などに残っており、これはこうした伝承・伝説を積極的に採用したものである。 [[1983年]]度、第7回[[講談社漫画賞]]少女部門受賞。[[夏目房之介]]は「戦後マンガ史に残る傑作である」と評価<ref>[[夏目房之介]] 『マンガの力-成熟する戦後マンガ』 [[晶文社]]、1999年、128頁。ISBN 9784794964038</ref>。不安定に変化する厩戸王子の表情に注目して、その変貌を「手塚治虫以来日本のマンガに脈うつ男女変身譚および異人変身譚の最大の収穫のひとつだろう」と語っている<ref>『マンガの力』 130頁。</ref>。こういった表情は実に細かな描線で描かれており、薄い紙に模写したところで「1ミリの何分の1でも線が狂えば表情は変わってしまう」のだという<ref>『マンガの力』 131頁。</ref>。 1984年1月24日付けの『[[毎日新聞]]』全国版夕刊社会面に、「え、これが聖徳太子!?」「[[法隆寺]]カンカン」などの見出し<ref>{{Cite web|和書|url=https://plus.chunichi.co.jp/blog/takashi_kaneiwa/article/620/8766/ |title=【第5回】山岸凉子の「日出処の天子」が引き起こした大騒動 |publisher=中日新聞プラス |date=2019年7月29日 |accessdate=2021-09-22}}</ref>で、本作品を法隆寺が遺憾に思っているという記事が掲載された。しかし、後に奈良支局の記者による捏造記事であることがわかり、同年2月4日付け紙面に謝罪文が掲載された([[虚偽報道#1984年 「日出処の天子」事件 (毎日新聞)]])。 [[1984年]]、[[テレビ東京]]の「[[5夜連続シリーズ スーパーTV|スーパーTV]]」で、1時間の[[テレビアニメ]]を[[3月26日]]から5夜連続で放送する企画があったが、計画段階で中止となった<ref>朝日新聞社会部『子ども新時代―メカ・テレビ』朝日新聞社、1984年、169頁。ISBN 4022552395</ref>。 [[2021年]][[9月4日]]-[[10月24日]]、[[大阪市立美術館]]で行われた千四百年御聖忌記念特別展「聖徳太子-日出処の天子-」にて原画が出展された<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.osaka-art-museum.jp/wordpress/wp-content/uploads/2021/03/01023bb2944b418aacf884368d6893d9.pdf |title=千四百年御聖忌記念特別展「聖徳太子-日出処の天子-」 |publisher=大阪市立美術館 |date=2021 |accessdate=2021-09-22}}</ref>。 2023年1月31日発売の雑誌「[[昭和45年女・1970年女]]」の表紙及び特集記事"山岸凉子の金字塔『日出処の天子』は永遠の人生書"に掲載される<ref>{{Cite web|和書|url=https://music-book.jp/book/news/news/1024618|title=『昭和45年女・1970年女』2023年3月号 vol.11「ヒーローまみれ!私たちの歴史エンタメ」が1/31に発売。|work=music.jp|publisher=エムティーアイ|date=2023-02-01|accessdate=2023-02-08}}</ref>。 == あらすじ == 本作は、[[飛鳥時代]]を背景に、政治的策謀をめぐらす厩戸皇子に毛人(馬子の長子として描かれている<ref group="注釈">通説では長子は[[蘇我善徳]]とされる。善徳は日本書紀 巻第二十二 推古天皇四年に記述がある(法興寺造竟 則以大臣男善徳臣拝寺司)。</ref>)をはじめとする[[蘇我氏|蘇我家]]の人々や、[[崇峻天皇]]・[[推古天皇]]らが翻弄される形で話が進んでいく。 ある春の日、14歳の蘇我毛人は天女と見まごう美しい女童に偶然出会い、ほのかな恋心を抱く。それは実は10歳になる厩戸皇子であった。年若くとも非凡なる教養と才能、政治的手腕、威厳を持つ厩戸は並み居る臣下からも一目置かれる存在となる。しかし厩戸は自らが持つ不思議な力ゆえに、実母の穴穂部間人媛に恐れられ疎まれており、母から愛されない事に苦悩していた。同じく厩戸の不思議を感知した毛人は、時折垣間見る厩戸の孤独に心を痛める。尊敬と畏怖と好意を持って厩戸に接する毛人だが、厩戸にとって毛人は自分の持つ超能力を共有できる唯一の不可欠な存在であった。しかし毛人は無意識下でしか超能力を引き出せず、自分の能力を自覚していない。 厩戸の毛人への思いはやがて愛へと変わってゆき、毛人も自分が厩戸に惹かれていることを感じるが、やがて[[石上神宮|石上神社]]の巫女であった布都姫と出会い、恋に落ちてしまう。 厩戸は嫉妬に悩まされ、策謀を巡らして布都姫を殺害しようとするが、毛人に気づかれる。それまでの諸事に厩戸の策略があったことを悟った毛人は、厩戸に「二人が結べば万物を自由に動かす力が実現され、この世を意のままにできるから共に生きよう」と説得されるが、毛人は「二人が共に男として生まれたのは一緒になってはいけない運命だからだ」と答え、苦渋の内に厩戸から離れ、布都姫を選ぶ。 作品は厩戸が孤独の中に残される一方、政治的実権を握り、[[遣隋使]]を発案するところで終わる。 == 登場人物 == <!-- 登場人物図鑑にならない程度に簡潔に、かつ定義の箇条書きのマークアップに則った加筆をお願いします。 --> === 池辺雙槻宮 === ; [[聖徳太子|厩戸王子]](うまやどのおうじ) : 本作の主人公。女性と見まごうほど美しい。頭脳明晰、冷静沈着。一部の人は彼を弥勒菩薩の変わりと思わせるほどに幼少の頃から超常的な力を持っており、それを他人に悟らせないように日頃ふるまいもするが、いくら隠しても母と毛人の2人だけは彼の特異性を感知してしまう。 :『[[日本書紀]]』や『[[上宮聖徳法王帝説]]』などの史料に描かれた「聖徳太子」像とは全く異なる人物造形を施されている。これについて作者は、文庫版2巻に収録された[[氷室冴子]]との対談で、「聖徳太子にまつわるエピソードに子供の頃から違和感を持っており、ある時、居酒屋で[[矢代まさこ]]を相手にそういう話をしていたら、[[梅原猛]]の『[[隠された十字架]]』を紹介され、翌日それを買ってきて読んで、その時に全てのイメージが出て来た」と語っている。 ; [[穴穂部間人皇女|穴穂部間人媛]](あなほべのはしひとひめ) : 厩戸の母。他人には感じられない厩戸の超常的な力を感じ得る人物である。ゆえに我が子への愛情よりも恐怖心が勝ってしまい、怖れ意識的に避けている。 ; [[用明天皇|橘豊日大兄]](たちばなのとよひのおおえ) : 厩戸の父。良き家庭人であり物静かな人物。異母妹である穴穂部間人媛を妃としている。訳語田大王亡き後、橘豊日大王として即位するも[[天然痘|瘡]]に侵され、在位2年足らずで崩御する。 ; [[来目皇子|来目王子]](くめのおうじ) : 厩戸のすぐ下の同母弟。両親に愛されて育ち、心優しく素直な性格である。等しく愛する母と兄の間に物心ついた時より流れる確執を感じ、折につけ心を悩ませている。 ; [[殖栗皇子|殖栗王子]](えぐりのおうじ)・[[茨田皇子|茨田王子]](まぎたのおうじ) : 厩戸の同母弟。 ; [[田目皇子|田目王子]](ためのおうじ) : 穴穂部間人媛の再婚相手であり厩戸の義父。穴穂部間人媛より8歳年下で橘豊日大兄皇子と蘇我石寸名の間に生まれた子であり、厩戸にとって異母兄である。父によく似た風貌を持つ。 ; [[佐富女王]](さとみのひめみこ) : 穴穂部間人媛と田目王子の第一皇女、厩戸の異父妹。 === 蘇我氏 === ; [[蘇我蝦夷|蘇我毛人]](そがのえみし) : 本作のもう一人の主人公。大豪族・[[蘇我氏|蘇我本宗家]]の後継者であるが、父・馬子ほどの政治的野心を持たない誠実で善良な人物として描かれる。 : 穴穂部間人媛と並んで厩戸の不思議な力を感知する人物。臣下の立場を超えて厩戸に惹かれ、間人媛との確執により孤独な厩戸の胸の内を慮って心を痛め、本気で心配するなど、対人関係に異常に神経質な厩戸が唯一、心底気を許せる存在である。 : 総領息子であるため、一族の繁栄のためにいずれは政略結婚することを本人も周囲もごく普通と受け止めてきたが、政敵として滅ぼした物部一族の象徴である石上齋宮・布都姫に、ある日偶然出逢った途端に一目で心を奪われ、以後想いを寄せる。 ; [[蘇我馬子]](そがのうまこ) : 毛人の父。朝廷で絶大な権力を握る有力豪族・蘇我氏の本宗家当主。姓(かばね)は大臣(おおおみ)。豊浦に居を構える朝廷随一の財力の持ち主で「嶋の大臣(しまのおおとど)」とも称される。 : 当初は幼い厩戸に対して、その年齢にそぐわない非凡さに苦手意識を持っていたが、成長するにつけますます際立つ天才の名に恥じぬ聡明さや政治的手腕、その博識具合、額田部女王を始め他の臣下からの評価や人気振りを高く買い、本妻との娘である刀自古郎女を嫁がせる。 ; [[刀自古郎女]](とじこのいらつめ) : 毛人の同母妹。非常に美しい容貌を持つ。物部との戦の際、強制的に帰されていた母の里・伊香郷で、複数の男に見せしめに凌辱された結果望まぬ子を宿し、雪の夜に自ら冷たい川に入り堕胎した挙句、数日間死の淵を彷徨うという凄惨な経験をする。そのため心身ともに深い傷を残し、楽しい幼少期を過ごした兄・毛人以外の男性を愛せなくなっていた。蘇我宗家の娘の常として泊瀬部大王の元へ入内する予定であったが、拒絶する余り入内前夜に入水を試みて未遂に終わり、急遽異母妹の河上娘を代わりに入内させることとなる。その後、布都姫の振りをして毛人を騙して契りを結び、毛人の息子を身ごもる。これを知った厩戸に取引を持ちかけられ、形式のみの厩戸の后となって[[山背大兄王]]を生む。後に形ばかりの夫である筈の厩戸に惹かれてゆくが…。 ; 十市郎女(といちのいらつめ) : 馬子の正妻であり毛人・刀自古郎女の母。物部出身で守屋の兄・物部大市御狩(みかり)を父に持ち、守屋の姪であるため、物部との戦の折には形式上の離縁をさせられ、刀自古郎女と実家である伊香郷に帰される。蘇我宗家の正妻として馬子を支え、母として絶えず兄妹に心を配り、中でも心に深い傷を持つ刀自古を終始心配している。 ; [[河上娘]](かわかみのいらつこ) : 毛人の異母妹。摩理勢の正妻と姉妹である母を持つ。正妻の娘である異母姉・刀自古に敵対心をむき出しにする。泊瀬部大王の後宮に入内するが、泊瀬部大王暗殺騒動の際、その刺客である駒に捕らわれ命を落とす。 ; [[境部摩理勢]](さかいべのおみまりせ) : 馬子の弟、毛人の叔父。馬子と共に朝廷に使える身であるが、野心家で蘇我の次期当主の座を狙って画策する。 ; 雄麻呂(おまろ) : 摩理勢の息子。毛人、刀自古郎女とはいとこにあたる。利発な毛人と異なり粗野で横柄な性格。子供の頃より刀自古郎女に恋していた。 ; [[蘇我倉麻呂|倉麻呂]](くらまろ) : 毛人の異母弟。穏やかな性質の好人物。 === 斑鳩宮 === ; [[迹見赤檮|淡水]](たんすい) : 難波吉士氏の縁戚であり、[[日羅]]来日に伴い新羅より渡来する。[[花郎]]の一員と思われ、厩戸を弥勒仙花の生まれ変わりとしてこの上なく崇め、その厩戸を「人の子でも神人でもない」と誹謗した日羅を暗殺、一度は帰国したものの厩戸を忘れられず吉備海部羽嶋を頼って再来日を果たす。以降、[[淡水|迹見赤檮]]を名乗って彦人王子の舎人となるが、実質は厩戸の舎人である。弓の名手であり厩戸の片腕として主に諜報活動に非凡な能力を発揮するが、冷静、沈着、非情であり、厩戸のためには暗殺も厭わず遂行する。 ; 調子麻呂(ちょうしまろ) : 百済からの渡来人で[[聖王 (百済)|聖明王]]の宰相だった人物を父に持つ。時代が変わり無位になったため、[[秦河勝]]を頼り来日する。当初は秦河勝を介して毛人にひき合わされ、蘇我氏の舎人となるが、毛人の機転により厩戸の舎人となる。淡水の異母弟であり、百済時代に関わりを持っていたようである。腕がたち淡水ほどではないが弓の名人である。淡水とは正反対の温和な人柄で周囲からの信頼も厚く、厩戸に献身的に仕える。 ; [[膳部菩岐々美郎女|膳美郎女]](かしわでのみのいらつめ) : 厩戸の3人目の妻。本作では[[知的障害]]を持った10歳未満の幼女として描かれる。元は浮浪児で、近隣の悪童たちの恰好のいじめの対象であり、ある日偶然厩戸がその場面に遭遇したことが2人の出会いである。以後、厩戸びいきの膳臣老人の養女という形式を踏んで厩戸の后となる。他の后2人と異なり、斑鳩宮で厩戸との同居を認められている。その容貌、特に両目は間人媛によく似ている。後に彼女に謁見した毛人は衝撃を受け、厩戸が無意識に母からの情愛を渇仰していることを知る。 === 幸玉宮 === ; [[敏達天皇|訳語田大王]](おさだのおおきみ) : 物語開始時点の大王。初登場時には既に健康がすぐれないと噂されており、登場から間もなく崩御する。 ; [[推古天皇|額田部女王]](ぬかたべのひめみこ) : 訳語田大王の大后であり厩戸の伯母<ref group="注釈">作中で橘豊日大兄を弟と呼んでいる。また、蘇我の血筋で馬子の姪でもある。</ref>にあたる。聡明で気が強く政治的手腕に長けた人物。その器量の大きさや長期間大后の座にいた経緯から、訳語田大王亡き後も相当の権力を手中に持つ。 : 実子である竹田王子をいずれは大王にと願うが若くして崩御したため、以降は非凡なる才をもつ厩戸王子を高く評価、大姫を嫁がせ、将来の大王の座につけるべく馬子と共に精力的に画策する。泊瀬部大王暗殺の後、厩戸の要請により大和朝廷最初の女帝として即位し、厩戸を大兄とする。 ; [[菟道貝蛸皇女|大姫]](おおひめ) : 訳語田大王と額田部女王の1番目の皇女。正式には菟道貝蛸皇女(うじのかいたこのおうじょ)。厩戸より2歳年上で、その最初の妃である。その血筋から並外れて高い自尊心を持ち、大后となるためのみの教育を受けて来たため、厩戸の后になることに当初は激しく傷つく。 ; 大中姫(おおなかつひめ) : 訳語田大王と額田部女王の2番目の皇女。正式には小墾田皇女(おはりだのおうじょ)。[[押坂彦人大兄皇子|彦人皇子]]の元へ嫁ぐこととなる。 ; [[竹田皇子|竹田王子]](たけだのおうじ) : 訳語田大王と額田部女王との第1王子。物部との戦いで受けた傷がもとで命を落とす。 ; 尾張王子(おわりのおうじ) : 訳語田大王と額田部女王との第2王子。 === 倉梯宮 === ; [[崇峻天皇|泊瀬部大王]](はつせべのおおきみ) : 穴穂部間人媛および穴穂部王子の同母弟。穴穂部王子と異なり政治的手腕にも豪胆さにも欠け、強欲で目先のことしか考えない享楽的で無能な人物として描かれる。 : 豊日大王の崩御による次期大王候補の選出に際しては、厩戸から「毒にも薬にもならぬ」、馬子からは「穴穂部王子と比べて小者」と評されるも、それゆえに傀儡とするに相応しいと判断され大王に擁立されるが、即位後は自分を「大王であるこのわし」と称して尊大に振る舞う。権力に執着しながら政治は二の次で、糠手と共謀して厩戸の暗殺を計画するなど次第に横暴な面が目立つようになり、その傍若かつ無能ぶりにより馬子に見放される。また、自分に従わない豪族を宮中の重要な儀式から排除したため味方を失い、最終的には厩戸と蘇我氏によって弑逆される。 ; [[大伴糠手子|大伴糠手]](おおとものぬかて) : 泊瀬部大王の相談役として、厩戸、蘇我氏にとって代わろうと日々策略を練る。 ; [[小手子]](おてこ) : 糠手の娘で泊瀬部大王の妃。大王が王子時代からの仲である。泊瀬部大王との間に[[蜂子皇子]]と錦代皇女を儲ける。臣下の出身である身を顧みず大妃の座を狙うなどしたため、次第に大王から疎まれるようになる。 ; [[太媛|布都姫]](ふつひめ) : 物部御狩の末娘で石上神宮の斎宮であった美貌の姫。毛人の母・十市郎女とは異母姉妹で毛人の叔母にあたる。敗戦後、畝傍に蟄居している叔父・贄子を頼って訪ねる道中で毛人と出会う。最初は一族を滅ぼした憎き仇として見ていた毛人であったが、強い愛情と熱意にほだされ、いつしか愛情を芽生えさせる。身分の高い美女を后に迎えようと躍起になっていた泊瀬部大王の目に留まり、同時に2人の仲を割かんとする厩戸の策略が交錯し、無理矢理還俗させられ後宮入りとなる。さらには厩戸自身の手で暗殺されかかるが、毛人によって救われる。後に毛人の子([[蘇我入鹿|入鹿]])を生む。 ; 白髪女(しらかみめ) : 布都姫の老侍女。布都姫が5歳の頃から仕え、こよなく慈しんでいる。布都姫の身代わりとなって厩戸に刺殺される。 === 物部氏 === ; [[物部守屋]](もののべのもりや) : 武力に優れ八十物部(やそもののべ)と称されるほど支族の多い[[物部氏]]の頭領で、代々朝廷の軍事を司る。姓(かばね)は大連(おおむらじ)。熱心な神道派であり排仏派である。訳語田大王および豊日大兄王子亡き後は穴穂部王子を次期大王として強力に推薦するなど、ことごとく馬子と対立し、穴穂部王子亡き後は彦人王子を擁立すべく蘇我氏と一戦を交える(丁未の乱・ていびのらん)こととなる。自ら大木に登って自軍を指揮するが、そのさなか突如眼前に現れた厩戸の常人離れした様子に強い恐怖を抱き心臓発作を起こして死ぬ。表向きは赤檮の放った強弓の矢に射抜かれたこととされた。 ; 物部梯麻呂(もののべのはしまろ) : 守屋の息子。蘇我氏との戦で討ち死にする。 ; 物部贄子(もののべのにえこ) : 守屋の弟。戦に敗れ一時は囚われの身となるが、その後は畝傍に細々と蟄居している。 ; [[中臣勝海]](なかとみのかつみ) : 朝廷の神道を祀る氏であり物部氏の一派である。姓(かばね)は連(むらじ)。穴穂部王子亡き後、彦人王子を次期大王に擁立するため居所である水派宮を訪ねる。物部との関わりで蘇我の怒りを買うことを恐れた彦人王子の命により門前で警護にあたっていた毛人と羽嶋に来訪を制止されるが、強行突破しようと毛人を襲撃したため秘かに警護していた赤檮によって打ち取られる。 === 司馬氏 === ; [[司馬達等]](しばたつと) : 司馬一族の総領。渡来人であり非常に博識である。技術の高さを厩戸、毛人に認められ寺院建立の一切を任される。トリの祖父。 ; [[鞍部多須奈|多須奈]](たすな) : 達等の子、トリの父。寺院建立の指揮にあたる。厩戸の依頼で八角堂、斑鳩宮の建立も請け負う。妹の善信尼が調子麻呂に思いを寄せるのを快く思っていない。 ; [[善信尼]](ぜんしんに) : 達等の娘。暴漢に襲われそうになっていたところを調子麻呂に助けられたことがきっかけで、出家した身ではあるが彼にほのかな想いを寄せる。出家前の名前は嶋。 ; トリ(とり) : 達等の孫で厩戸の住む斑鳩宮への自由な出入りを許されている少年。厩戸より年若い子供である。工作の技術に優れ、その才により斑鳩宮建築に際して特殊なからくりを考案した。無邪気で腕白なムードメーカーであり厩戸が心を許す数少ないうちの一人。のちに ❝玉虫厨子❞ の製作で知られることとなる[[鞍作止利]]の少年期の姿である。 === 阿倍氏 === ; [[阿倍毘賣]](あべのひめ) : 毛人が正妻とする姫。美貌ではないが兄と異なり心やさしい誠実な女性である。 ==== [[阿倍内麻呂]](あべのうちまろ) ==== : 阿倍毘賣の兄。赤子の入鹿を手元に引き取り都合のいいように育てようと企むなど、野心に満ちた如才ない人物として描かれている。 : なお、キャラクターのモデルとなった ❝阿倍内麻呂❞ はかつては氏が阿倍で名が内麻呂と見られていたが、現在の研究では氏は阿倍内、名は麻呂(よって、読みは ❝あべのうちのまろ❞)と考えられている。 === その他 === ; [[吉備海部羽嶋]](きびのあまべのはじま) : 豪族・吉備海部氏の頭領であり武人。[[百済]]へ派遣され百済王を説得して[[日羅]]を渡日させた人物。 ==== [[日羅]](にちら) ==== : 百済の王に使える高僧にして官僚。[[敏達天皇]]の命を受けた羽嶋の要請により来日するが、女の童に身を窶した厩戸と対面した際に「そこにいる童は人にあらず」と評したため、厩戸の怒りを買い謀殺される。 : 遂行者は淡水であったがこのことは厩戸と毛人以外は知らず、百済との外交関係の悪化を恐れた朝廷により日羅の従者の仕業であることとされた。 ; [[東漢駒|東漢直駒]](やまとのあやのあたいこま) : 蘇我の配下である渡来人・東漢氏の男。東漢氏は土木建築の技術で朝廷に使え隆盛を極めたが、現在はより新しい技術を擁する司馬氏の台頭でその地位を奪われている。野心家の駒は没落した東漢氏の再興を目論むが、この野心を厩戸に付け込まれ泊瀬部大王暗殺の刺客として使われた。 : かつて泊瀬部大王の命により行なわれた雨乞いの儀式で見た布都姫に執着し、暗殺騒動に乗じて攫おうとしたが人違いにより川上娘を略奪のうえ殺害した。これにより蘇我に討伐される。 ; [[三輪逆|三輪君逆]](みわのきみさかし) : 訳語田大王の第一の寵臣で、その死後は額田部女王に忠義を尽くすも、訳語田大王の遺言を奉じ彦人王子の大王擁立を志す。 : 穴穂部王子が額田部女王に狼藉を働いた際に駆け付け阻止するが、この事を宮中で吹聴したため穴穂部王子の恨みを買い兵を差し向けられる。この際に額田部女王の宮に保護を求めるが、彦人王子の擁立が竹田王子の障害となると考えた女王に見限られ、穴穂部・守屋の率いる兵に討たれる。 ; [[穴穂部皇子|穴穂部王子]](あなほべのおうじ) : 穴穂部間人媛の同母弟。厩戸の叔父にあたるが、その非凡な能力を認めて決して子供扱いせず、常に同等として扱う。 : 蘇我の血筋であるが崇仏・廃仏いずれの思想も持たず、一方で蘇我氏の台頭を快く思っていないため神道を擁する物部と結託する。これにより、訳語田大王亡き後の大王候補とされた際には馬子に疎まれ、最終的には厩戸の策に陥り暗殺される。 ; [[押坂彦人大兄皇子|彦人王子]](ひこひとのおうじ) : 訳語田大王と額田部女王より前の大后・[[広姫]]との間の第一王子。病弱で小心な人物として描かれ、守屋が自分を次期大王候補として立てようとしているのを知ると、馬子との敵対を恐れこれを断る。 ; [[宅部皇子|宅部王子]](やかべのおうじ) : 穴穂部王子の友人。[[宣化天皇]]の流れを汲む。野心を持たない誠実な性格だが、観察力に優れ穴穂部王子暗殺の犯人が厩戸であることに気づき厩戸を襲撃したが、毛人に突き飛ばされ庭石で頭を強打して命を落とす。 == 馬屋古女王 == 『'''馬屋古女王'''』(うまやこのひめみこ)は、『日出処の天子』の続編に当る短編漫画である。『[[LaLa]]』([[白泉社]])[[1984年]]11月号に読み切りとして発表されたが結末まで掲載されず、『[[月刊Asuka|月刊ASUKA]]』([[角川書店]])[[1985年]]8月号・9月号での再掲載及び未掲載分の発表により全編完結した。単行本は角川書店のあすかコミックス・スペシャルから全1巻が発行され、文庫版『日出処の天子』に併録された。『日出処の天子』の主要人物は既に物故しているか、生存していても会話の中でその名が言及されるのみであり、その影姿らしきものが登場する厩戸王子(の霊?)以外直接的には一切登場しない。物語の主役は厩戸王子や毛人の子供たちに移り、上宮王家と謳われた厩戸一族の滅亡の始まりを描く。 === あらすじ === 厩戸王子と膳美郎女が突然亡くなったところから物語は始まる。刀自古と厩戸皇子の子、山背大兄王子は、両親の葬儀に出席させるため、実父の厩戸によって生まれてから15年間軟禁されていた末妹、馬屋古女王を解放する。馬屋古は厩戸の子供たちで唯一、父に酷似した美しい容姿の持ち主であった。しかし彼女が解放されてから、上宮王家に不穏な兆しが見え始める。 === 登場人物 === === 上宮王家 === ; [[馬屋古女王]](うまやこのひめみこ) : 厩戸と膳美郎女の娘。厩戸そっくりの容貌を持ち、厩戸の超能力を受け継いでいる。先天的な障害者ということで人前には出されず、厩戸に軟禁されて成長した。 ; [[山背大兄王]](やましろのおおえのおうじ) : 本作では蘇我毛人と刀自古の子(表向きは厩戸と刀自古の子)。父が毛人であることは当人も厩戸も知っていて、厩戸に特に愛されて育つ。政治家としても存在感を発揮している。 ; 舂米女王(つきしねのひめみこ) : 厩戸と膳美郎女の娘。厩戸の血を実際に引いているのは、膳美郎女の生んだ子たちだけとされ、彼女はこの夫婦の最初の子供である。彼らの子の多くは何らかの知的障害を持って生まれたが、舂米と長谷は例外的に厩戸の優れた能力の一端を継承した人物として描かれている。作中では山背の妻となっており、夫婦仲も睦まじかったが、馬屋古の出現を機にその夫婦仲にひびが入り始める。 ; 長谷王(はつせのおうじ) : 厩戸と膳美郎女の子。厩戸の弟の来目に似ている。舂米と同じく優れた人物として描かれている。作中では、同母妹である美しい馬屋古に恋をして苦しむ。 ; 財王(たからのおうじ) : 厩戸と戸自古郎女の子されるが、実は戸自古が不義密通により儲けた子。財自身もこの事を承知し引け目を持ち、厩戸の血を引く(と財は思っている)山背に対して強い劣等感を抱いている。これにより、己の子孫に厩戸の血筋を得るため馬屋古を我がものとしようと企む。 ; 難波王(なにわのおうじ) : 山背と舂米の子の少年。殯宮の棺安置所で馬屋古と一緒にいるところを発見されてから挙動不審になり、衰弱する。 === 蘇我氏 === ; [[蘇我入鹿]](そがのいるか) : 毛人の子で布都姫の忘れ形見。山背大兄とは幼少時から気心の知れた仲であるが、舂米を巡っての恋敵でもあった人物として描かれている。 === その他 === ; [[佐富女王]](さとみのひめみこ) : 厩戸の異父妹。父は厩戸の異母兄である田目王子。優れた卜部(占い者)であり、容姿は母・間人媛によく似ている。厩戸に疎まれていた。厩戸逝去前後に恐(かしこみ)の卦という占い結果が出たことで入鹿に注意をうながす。15年前にも同じ卦を出していた。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === <references group="注釈" /> === 出典 === <div class="references-small"><references/></div> {{講談社漫画賞少女部門|第7回}} {{リダイレクトの所属カテゴリ |redirect1= 馬屋古女王 (漫画) |1-1= 山岸凉子の漫画作品 |1-2= 漫画作品 う |1-3= 1984年の漫画 |1-4= LaLa |1-5= 月刊Asukaの漫画作品 |1-6= 歴史漫画 |1-7= 山背大兄王 |1-8= 飛鳥時代を舞台とした漫画作品 |1-9= 王子を主人公とした漫画作品 |1-10= 近親相姦を題材とした漫画作品 |1-11= 日本の皇室関連作品 |1-12= 奈良県を舞台とした漫画作品 }} {{デフォルトソート:ひいつるところのてんし}} [[Category:山岸凉子の漫画作品]] [[Category:漫画作品 ひ|いつるところのてんし]] [[Category:1980年の漫画]] [[Category:LaLa]] [[Category:歴史漫画]] [[Category:聖徳太子]] [[Category:飛鳥時代を舞台とした漫画作品]] [[Category:王子を主人公とした漫画作品]] [[Category:LGBT関連漫画]] [[Category:日本の皇室関連作品]] [[Category:奈良県を舞台とした漫画作品]] [[Category:講談社漫画賞少女部門の受賞作品]]
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清明
清明(せいめい)は、二十四節気の第5。三月節(旧暦2月後半から3月前半)。 現在広まっている定気法では太陽黄経が15度のときで4月5日ごろ。暦ではそれが起こる日だが、天文学ではその瞬間とする。恒気法では冬至から7/24年(約106.53日)後で4月7日ごろ。 期間としての意味もあり、この日から、次の節気の穀雨前日までである。 万物が清々しく明るく美しいころ。 『こよみ便覧』には三月節に「万物発して清浄明潔なれば、此芽は何の草としれるなり」と記されている。 様々な花が咲き乱れ、お花見シーズンになる。「清明」を花言葉にする花はキンポウゲ科デルフィニウム属のヒエンソウ (Delphinium ajacis) である。 定気法による清明の瞬間(世界時、UT)と、日本・中国での清明日の日付は表のとおり。日本における時刻はこの表の9時間後、中国では8時間後となり、世界時15時台の2国の日付は異なる。 グレゴリオ暦による17世紀から24世紀までの日本の清明は表のとおり。 2023年の清明は4月5日。[更新] 365日からの超過分が毎年蓄積し、 4年に一度閏年でリセットされる様子がわかる(清明は閏日の挿入される2月末日より後のため、 4で割り切れる年が先頭)。 1948年から2202年までは4月4日、4月5日のいずれか。1947年までは4月6日のときもあった。 中国における清明節は祖先の墓に参り、草むしりをして墓を掃除する日であり、「掃墓節」とも呼ばれた。また、春を迎えて郊外を散策する日であり、「踏青節」とも呼ばれた。『白蛇伝』で許仙と白娘子が出会ったのも清明節でにぎわう杭州の郊外であった。また清明節前に摘んだ茶葉を「明前茶」、清明から穀雨までの茶葉を「雨前茶」、穀雨以後の茶葉を「雨後茶」という。中国で緑茶は清明節に近い時期に摘むほど、香りと甘みがあり、高級とされている。また、古代の寒食節の影響で特定の期間だけ火を使わず料理を作る風習が残っている地方がわずかながら存在する。 沖縄本島中南部(中頭、島尻)、伊是名島、伊平屋島、慶良間諸島等では「清明祭」として取り行われる。沖縄方言で「シーミー」(首里では「ウシーミー(御清明)」)と呼ぶ。 これらの地域では中国の風習と同様にお墓の掃除をするとともに墓参を行い、まるでピクニックのような雰囲気で親類が揃って墓前で祖先と共に食事(餅や豚肉料理、お菓子、果物など)を楽しむ風習が見られる。 清明祭は沖縄県外での「お盆」として紹介される事もあり、民俗、宗教的意義は異なるにしても似た風習である。 清明祭が行われない地域(奄美群島、沖縄本島北部(国頭、伊江島)、久米島、先島諸島)では、「十六日祭」(ジュウルクニチ、旧暦の1月16日)または旧暦の七夕(旧暦7月7日)が代わりに行われる。 清明の期間の七十二候は以下の通り。 春分 → 清明 → 穀雨
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清明(せいめい)は、二十四節気の第5。三月節(旧暦2月後半から3月前半)。 現在広まっている定気法では太陽黄経が15度のときで4月5日ごろ。暦ではそれが起こる日だが、天文学ではその瞬間とする。恒気法では冬至から7/24年(約106.53日)後で4月7日ごろ。 期間としての意味もあり、この日から、次の節気の穀雨前日までである。
{{節気}} '''清明'''(せいめい)は、[[二十四節気]]の第5。三月節([[旧暦2月]]後半から[[旧暦3月|3月]]前半)。 現在広まっている定気法では[[黄道|太陽黄経]]が15[[度 (角度)|度]]のときで[[4月5日]]ごろ。[[暦]]ではそれが起こる[[日]]だが、[[天文学]]ではその瞬間とする。[[恒気法]]では[[冬至]]から7/24年(約106.53日)後で[[4月7日]]ごろ。 期間としての意味もあり、この日から、次の節気の[[穀雨]]前日までである。 ==季節== 万物が清々しく明るく美しいころ。 『[[暦便覧|こよみ便覧]]』には三月節に「万物発して清浄明潔なれば、此芽は何の草としれるなり」と記されている<ref>{{Cite web|和書| url = {{NDLDC|2536637/7}} | title = こよみ便覧 | author = 太玄斎 | others = 蔦屋重三郎、日華軒 | DOI = 10.11501/2536637| work = 国会図書館デジタルコレクション| publisher = 国立国会図書館 | accessdate = 2016-03-21 | ref = harv}}</ref><ref>{{Cite web|和書| url = https://www.tvkanazawa.co.jp/tenki/season.html | title = 二十四節気とは| work = 生活気象情報| publisher = 株式会社テレビ金沢| accessdate = 2016-03-21 | ref = harv|archiveurl=https://web.archive.org/web/20050330073108/https://www.tvkanazawa.co.jp/tenki/season.html|archivedate=2005-03-30}}</ref>。 様々な[[花]]が咲き乱れ、[[お花見]]シーズンになる。「清明」を[[花言葉]]にする花は[[キンポウゲ科]][[デルフィニウム属]]のヒエンソウ ''(Delphinium ajacis)'' である<ref>{{Cite web|和書|url = https://tenki.jp/suppl/saijiki_shuuka/2015/04/05/2741.html |title = 二十四節気「清明(せいめい)」…花言葉になっている花は?| publisher = 日本気象協会| date = 2015-4-5|accessdate = 2016-03-21 | ref = harv}}</ref>。 ==日付== {{節気時刻説明|清明}} {|class="wikitable" align="left" |- ! 年 !! 日時 (UT) !! 日本 !! 中国 {{節気の日付|1966|04|05|05|57}} {{節気の日付|1967|04|05|11|45}} {{節気の日付|1968|04|04|17|21}} {{節気の日付|1969|04|04|23|15}} {{節気の日付|1970|04|05|05|02}} {{節気の日付|1971|04|05|10|36}} {{節気の日付|1972|04|04|16|29}} {{節気の日付|1973|04|04|22|14}} {{節気の日付|1974|04|05|04|05}} {{節気の日付|1975|04|05|10|02}} {{節気の日付|1976|04|04|15|46}} {{節気の日付|1977|04|04|21|46}} {{節気の日付|1978|04|05|03|39}} {{節気の日付|1979|04|05|09|18}} {{節気の日付|1980|04|04|15|15}} {{節気の日付|1981|04|04|21|05}} {{節気の日付|1982|04|05|02|53}} {{節気の日付|1983|04|05|08|44}} {{節気の日付|1984|04|04|14|22}} {{節気の日付|1985|04|04|20|14}} {{節気の日付|1986|04|05|02|06}} {{節気の日付|1987|04|05|07|44}} {{節気の日付|1988|04|04|13|39}} {{節気の日付|1989|04|04|19|30}} {{節気の日付|1990|04|05|01|13}} {{節気の日付|1991|04|05|07|05}} {{節気の日付|1992|04|04|12|45}} 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align="left" ! rowspan="2" | 年 !! colspan="4" | 年を4で割った余り !! 確定困難な(日を跨ぐ)年 |- ! 0 !! 1 !! 2 !! 3 !! 真夜中の前後10分 |- |{{EqJSTYRangeMark|1600|1627}} || |4日 || bgcolor=cyan|5日 || bgcolor=cyan|5日 || bgcolor=cyan|5日 || |- |{{EqJSTYRangeMark|1628|1659}} || |4日 || |4日 || bgcolor=cyan|5日 || bgcolor=cyan|5日 || |- |{{EqJSTYRangeMark|1660|1691}} || |4日 || |4日 || |4日 || bgcolor=cyan|5日 || 1691(4-5日), |- |{{EqJSTYRangeMark|1692|1699}} || |4日 || |4日 || |4日 || |4日 || |- |{{EqJSTYRangeMark|1700|1727}} || bgcolor=cyan|5日 || bgcolor=cyan|5日 || bgcolor=cyan|5日 || bgcolor=cyan|5日 || 1724(4-5日), |- |{{EqJSTYRangeMark|1728|1755}} || |4日 || bgcolor=cyan|5日 || bgcolor=cyan|5日 || bgcolor=cyan|5日 || |- |{{EqJSTYRangeMark|1756|1787}} || |4日 || |4日 || bgcolor=cyan|5日 || bgcolor=cyan|5日 || 1757(4-5日), |- |{{EqJSTYRangeMark|1788|1799}} || |4日 || |4日 || |4日 || bgcolor=cyan|5日 || |- |{{EqJSTYRangeMark|1800|1819}} || bgcolor=cyan|5日 || bgcolor=cyan|5日 || bgcolor=cyan|5日 || bgcolor=lime|6日 || 1819(5-6日), |- 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bgcolor=cyan|5日 || bgcolor=cyan|5日 || bgcolor=cyan|5日 || bgcolor=cyan|5日 || 2335(5-6日), |- |{{EqJSTYRangeMark|2368|2399}} || |4日 || bgcolor=cyan|5日 || bgcolor=cyan|5日 || bgcolor=cyan|5日 || |} {{clear}} ==風習== [[中華人民共和国|中国]]における'''清明節'''は祖先の墓に参り、草むしりをして墓を掃除する日であり、「掃墓節」とも呼ばれた。また、春を迎えて郊外を[[散策]]する日であり、「踏青節」とも呼ばれた<ref name = "nenju">{{cite book | title = 年中行事事典| page = 421|year = 1958 |others = (昭和33) |editor = [[西角井正慶]]| publisher = 東京堂出版 | ref = harv }} 初版は昭和33年5月23日発行。</ref>。『[[白蛇伝]]』で許仙と白娘子が出会ったのも清明節でにぎわう[[杭州市|杭州]]の郊外であった。また清明節前に摘んだ[[茶]]葉を「明前茶」、清明から穀雨までの茶葉を「雨前茶」、穀雨以後の茶葉を「雨後茶」という。中国で[[緑茶]]は清明節に近い時期に摘むほど、[[香り]]と[[甘み]]があり、高級とされている<ref name = "nenju"/>。また、古代の[[寒食節]]の影響で特定の期間だけ火を使わず料理を作る風習が残っている地方がわずかながら存在する。 [[沖縄本島]]中南部([[中頭]]、[[島尻]])、[[伊是名島]]、[[伊平屋島]]、[[慶良間諸島]]等では「'''清明祭'''」として取り行われる。[[沖縄方言]]で「'''シーミー'''」([[首里]]では「'''ウシーミー'''('''御清明''')」)と呼ぶ。 これらの地域では中国の風習と同様にお墓の掃除をするとともに墓参を行い、まるで[[ピクニック]]のような雰囲気で親類が揃って墓前で祖先と共に食事(餅や豚肉料理、お菓子、果物など)を楽しむ風習が見られる<ref>沖縄コンパクト事典(琉球新報社・2003年)</ref>。 清明祭は[[沖縄県]]外での「[[お盆]]」として紹介される事もあり、民俗、宗教的意義は異なるにしても似た風習である。 清明祭が行われない地域([[奄美群島]]、沖縄本島北部([[国頭]]、[[伊江島]])、[[久米島]]、[[先島諸島]])では、「[[十六日祭]]」(ジュウルクニチ、旧暦の[[1月16日 (旧暦)|1月16日]])または旧暦の[[七夕]](旧暦[[7月7日 (旧暦)|7月7日]])が代わりに行われる。 == 七十二候 == [[File:Along the River During the Qingming Festival (detail of original).jpg|400px|thumb|[[清明上河図]](12世紀)]] 清明の期間の[[七十二候]]は以下の通り。 ;初候 :'''玄鳥至'''(つばめ いたる) : [[ツバメ|燕]]が南からやって来る(日本)<ref name = "fujisawa">{{cite book | work = 図説日本民俗学全集 | title = 年中行事編 | author = 藤澤衛彦| volume = 7 | page = 103 | publisher = あかね書房 | year = 1961 | location = | ref = harv}}</ref> :'''桐始華'''(きり はじめて はなさく) : [[桐]]の花が咲き始める(中国)<ref name = "kondo">{{cite book | title = 新加纂録類 | work = 改定史籍集覧 | volume = 19 | editor = 近藤瓶城 | page = 110 | publisher = 近藤活版所 | location = 東京 |year = 1901 |others = (明治34年) | ref = harv}}</ref> ;次候 :'''鴻雁北'''(こうがん きたす) : [[雁]]が北へ渡って行く(日本)<ref name = "fujisawa"/> :'''田鼠化為鴽'''(でんそ けして うずらと なる) : [[クマネズミ|田鼠]]が[[ウズラ|鴽]]になる(中国)<ref name = "kondo"/> ;末候 :'''虹始見'''(にじ はじめて あらわる) : [[雨]]の後に[[虹]]が出始める(日本・中国)<ref name = "fujisawa"/><ref name = "kondo"/> == 前後の節気 == [[春分]] → '''清明''' → [[穀雨]] == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} <references /> == 関連項目 == *[[清明上河図]] *[[清明駅]] *[[京都府立清明高等学校]] {{DEFAULTSORT:せいめい}} [[Category:節気]] [[Category:4月]] [[Category:春の季語]] [[Category:死に関する慣習]] [[Category:中国の祝日]] [[Category:沖縄県の文化]] [[Category:墓]]
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%85%E6%98%8E
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穀雨
穀雨(こくう)は、二十四節気の第6。三月中(通常旧暦3月内)。 現在広まっている定気法では太陽黄経が30度のとき(黄道十二宮では金牛宮の原点に相当)で4月20日ごろ。暦ではそれが起こる日だが、天文学ではその瞬間とする。平気法では冬至から1/3年(約121.75日)後で4月22日ごろ。期間としての意味もあり、この日から、次の節気の立夏前日までである。 田畑の準備が整い、それに合わせて春の雨の降るころ。 穀雨とは、穀物の成長を助ける雨のことである。『暦便覧』には「春雨降りて百穀を生化すればなり」と記されている。 穀雨の終わりごろ(立夏直前)に八十八夜(立春の87日後の日)がある。 定気法による穀雨の瞬間(世界時、UT)と、日本・中国での穀雨日の日付は表のとおり。日本における時刻はこの表の9時間後、中国では8時間後となり、世界時15時台の2国の日付は異なる。 グレゴリオ暦による17世紀から24世紀までの日本の穀雨は表のとおり。 2023年の穀雨は4月20日。[更新] 365日からの超過分が毎年蓄積し、 4年に一度閏年でリセットされる様子がわかる(穀雨は閏日の挿入される2月末日より後のため、 4で割り切れる年が先頭)。 1983年までは4月20日、4月21日のいずれか(稀に4月19日)。 1984年からしばらく4月20日が続き、2020年からは4月19日、4月20日のいずれか(稀に4月21日)になる。 穀雨の期間の七十二候は以下の通り。 清明 → 穀雨 → 立夏
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穀雨(こくう)は、二十四節気の第6。三月中(通常旧暦3月内)。 現在広まっている定気法では太陽黄経が30度のとき(黄道十二宮では金牛宮の原点に相当)で4月20日ごろ。暦ではそれが起こる日だが、天文学ではその瞬間とする。平気法では冬至から1/3年(約121.75日)後で4月22日ごろ。期間としての意味もあり、この日から、次の節気の立夏前日までである。
{{節気}} '''穀雨'''(こくう)は、[[二十四節気]]の第6。三月中(通常[[旧暦3月]]内)。 現在広まっている[[定気法]]では[[黄道|太陽黄経]]が30[[度 (角度)|度]]のとき([[黄道十二宮]]では[[金牛宮]]の原点に相当)で[[4月20日]]ごろ。[[暦]]ではそれが起こる[[日]]だが、[[天文学]]ではその瞬間とする。[[平気法]]では[[冬至]]から1/3[[年]](約121.75日)後で[[4月22日]]ごろ。期間としての意味もあり、この日から、次の節気の[[立夏]]前日までである。 ==季節の特徴== [[田|田畑]]の準備が整い、それに合わせて春の雨の降るころ。 穀雨とは、[[穀物]]の成長を助ける雨のことである。『[[暦便覧]]』には「春雨降りて百穀を生化すればなり」と記されている。 穀雨の終わりごろ([[立夏]]直前)に[[八十八夜]](立春の87日後の日)がある。 ==日付== {{節気時刻説明|穀雨}} {|class="wikitable" align="left" |- ! 年 !! 日時 (UT) !! 日本 !! 中国 {{節気の日付|1966|04|20|13|12}} {{節気の日付|1967|04|20|18|55}} {{節気の日付|1968|04|20|00|41}} {{節気の日付|1969|04|20|06|27}} {{節気の日付|1970|04|20|12|15}} {{節気の日付|1971|04|20|17|54}} {{節気の日付|1972|04|19|23|37}} {{節気の日付|1973|04|20|05|30}} {{節気の日付|1974|04|20|11|19}} {{節気の日付|1975|04|20|17|07}} {{節気の日付|1976|04|19|23|03}} {{節気の日付|1977|04|20|04|57}} {{節気の日付|1978|04|20|10|50}} {{節気の日付|1979|04|20|16|35}} {{節気の日付|1980|04|19|22|23}} {{節気の日付|1981|04|20|04|19}} {{節気の日付|1982|04|20|10|07}} {{節気の日付|1983|04|20|15|50}} {{節気の日付|1984|04|19|21|38}} {{節気の日付|1985|04|20|03|26}} {{節気の日付|1986|04|20|09|12}} {{節気の日付|1987|04|20|14|58}} {{節気の日付|1988|04|19|20|45}} {{節気の日付|1989|04|20|02|39}} {{節気の日付|1990|04|20|08|27}} {{節気の日付|1991|04|20|14|08}} {{節気の日付|1992|04|19|19|57}} {{節気の日付|1993|04|20|01|49}} {{節気の日付|1994|04|20|07|36}} {{節気の日付|1995|04|20|13|21}} {{節気の日付|1996|04|19|19|10}} {{節気の日付|1997|04|20|01|03}} {{節気の日付|1998|04|20|06|57}} {{節気の日付|1999|04|20|12|46}} {{節気の日付|2000|04|19|18|40}} {{節気の日付|2001|04|20|00|36}} {{節気の日付|2002|04|20|06|20}} {{節気の日付|2003|04|20|12|03}} {{節気の日付|2004|04|19|17|50}} {{節気の日付|2005|04|19|23|37}} {{節気の日付|2006|04|20|05|26}} {{節気の日付|2007|04|20|11|07}} {{節気の日付|2008|04|19|16|51}} {{節気の日付|2009|04|19|22|44}} {{節気の日付|2010|04|20|04|30}} {{節気の日付|2011|04|20|10|17}} {{節気の日付|2012|04|19|16|12}} {{節気の日付|2013|04|19|22|03}} {{節気の日付|2014|04|20|03|56}} {{節気の日付|2015|04|20|09|42}} {{節気の日付|2016|04|19|15|29}} {{節気の日付|2017|04|19|21|27}} {{節気の日付|2018|04|20|03|12}} {{節気の日付|2019|04|20|08|55}} {{節気の日付|2020|04|19|14|45}} {{節気の日付|2021|04|19|20|33}} {{節気の日付|2022|04|20|02|24}} {{節気の日付|2023|04|20|08|13}} {{節気の日付|2024|04|19|13|59}} {{節気の日付|2025|04|19|19|55}} {{節気の日付|2026|04|20|01|39}} {{節気の日付|2027|04|20|07|17}} {{節気の日付|2028|04|19|13|09}} {{節気の日付|2029|04|19|18|55}} {{節気の日付|2030|04|20|00|42}} {{節気の日付|2031|04|20|06|30}} {{節気の日付|2032|04|19|12|13}} {{節気の日付|2033|04|19|18|12}} {{節気の日付|2034|04|20|00|02}} {{節気の日付|2035|04|20|05|48}} {{節気の日付|2036|04|19|11|49}} {{節気の日付|2037|04|19|17|39}} {{節気の日付|2038|04|19|23|27}} {{節気の日付|2039|04|20|05|16}} {{節気の日付|2040|04|19|10|58}} {{節気の日付|2041|04|19|16|53}} {{節気の日付|2042|04|19|22|38}} {{節気の日付|2043|04|20|04|13}} {{節気の日付|2044|04|19|10|05}} {{節気の日付|2045|04|19|15|51}} {{節気の日付|2046|04|19|21|37}} {{節気の日付|2047|04|20|03|31}} {{節気の日付|2048|04|19|09|16}} {{節気の日付|2049|04|19|15|12}} {{節気の日付|2050|04|19|21|01}} {{節気の日付|2051|04|20|02|39}} {{節気の日付|2052|04|19|08|36}} {{節気の日付|2053|04|19|14|29}} {{節気の日付|2054|04|19|20|13}} {{節気の日付|2055|04|20|02|07}} {{節気の日付|2056|04|19|07|51}} {{節気の日付|2057|04|19|13|46}} {{節気の日付|2058|04|19|19|39}} {{節気の日付|2059|04|20|01|19}} {{節気の日付|2060|04|19|07|16}} |} {{clear}} ===グレゴリオ暦=== {{節気日付パターン説明|穀雨|{{CURRENTYEAR-JST}}}} [[1983年]]までは[[4月20日]]、[[4月21日]]のいずれか(稀に[[4月19日]])。 [[1984年]]からしばらく[[4月20日]]が続き、[[2020年]]からは[[4月19日]]、[[4月20日]]のいずれか(稀に[[4月21日]])になる。 {|class="wikitable" align="left" ! rowspan="2" | 年 !! colspan="4" | 年を4で割った余り !! 確定困難な(日を跨ぐ)年 |- ! 0 !! 1 !! 2 !! 3 !! 真夜中の前後10分 |- |{{EqJSTYRangeMark|1600|1607}} || |20日 || |20日 || |20日 || bgcolor=cyan|21日 || |- |{{EqJSTYRangeMark|1608|1639}} || |20日 || |20日 || |20日 || |20日 || 1611(20-21日), |- |{{EqJSTYRangeMark|1640|1671}} || bgcolor=yellow|19日 || |20日 || |20日 || |20日 || 1640(19-20日), |- |{{EqJSTYRangeMark|1672|1699}} || bgcolor=yellow|19日 || bgcolor=yellow|19日 || |20日 || |20日 || |- |{{EqJSTYRangeMark|1700|1703}} || |20日 || |20日 || bgcolor=cyan|21日 || bgcolor=cyan|21日 || |- |{{EqJSTYRangeMark|1704|1735}} || |20日 || |20日 || |20日 || bgcolor=cyan|21日 || 1735(20-21日), |- |{{EqJSTYRangeMark|1736|1767}} || |20日 || |20日 || |20日 || |20日 || |- |{{EqJSTYRangeMark|1768|1799}} || bgcolor=yellow|19日 || |20日 || |20日 || |20日 || |- |{{EqJSTYRangeMark|1800|1827}} || |20日 || |20日 || bgcolor=cyan|21日 || bgcolor=cyan|21日 || |- |{{EqJSTYRangeMark|1828|1859}} || |20日 || |20日 || |20日 || bgcolor=cyan|21日 || 1830(20-21日), |- |{{EqJSTYRangeMark|1860|1895}} || |20日 || |20日 || |20日 || |20日 || 1892(19-20日), |- |{{EqJSTYRangeMark|1896|1899}} || bgcolor=yellow|19日 || |20日 || |20日 || |20日 || |- |{{EqJSTYRangeMark|1900|1923}} || |20日 || bgcolor=cyan|21日 || bgcolor=cyan|21日 || bgcolor=cyan|21日 || |- |{{EqJSTYRangeMark|1924|1955}} || |20日 || |20日 || bgcolor=cyan|21日 || bgcolor=cyan|21日 || 1925(20-21日), |- |{{EqJSTYRangeMark|1956|1983}} || |20日 || |20日 || |20日 || bgcolor=cyan|21日 || |- |{{EqJSTYRangeMark|1984|2019}} || |20日 || |20日 || |20日 || |20日 || 1987(20-21日), |- |{{EqJSTYRangeMark|2020|2051}} || bgcolor=yellow|19日 || |20日 || |20日 || |20日 || |- |{{EqJSTYRangeMark|2052|2079}} || bgcolor=yellow|19日 || bgcolor=yellow|19日 || |20日 || |20日 || |- |{{EqJSTYRangeMark|2080|2099}} || bgcolor=yellow|19日 || bgcolor=yellow|19日 || bgcolor=yellow|19日 || |20日 || 2082(19-20日), |- |{{EqJSTYRangeMark|2100|2111}} || |20日 || |20日 || |20日 || bgcolor=cyan|21日 || |- |{{EqJSTYRangeMark|2112|2147}} || |20日 || |20日 || |20日 || |20日 || 2144(19-20日), |- |{{EqJSTYRangeMark|2148|2175}} || bgcolor=yellow|19日 || |20日 || |20日 || |20日 || |- |{{EqJSTYRangeMark|2176|2199}} || bgcolor=yellow|19日 || bgcolor=yellow|19日 || |20日 || |20日 || |- |{{EqJSTYRangeMark|2200|2207}} || |20日 || |20日 || bgcolor=cyan|21日 || bgcolor=cyan|21日 || |- |{{EqJSTYRangeMark|2208|2239}} || |20日 || |20日 || |20日 || bgcolor=cyan|21日 || 2239(20-21日), |- |{{EqJSTYRangeMark|2240|2271}} || |20日 || |20日 || |20日 || |20日 || |- |{{EqJSTYRangeMark|2272|2299}} || bgcolor=yellow|19日 || |20日 || |20日 || |20日 || |- |{{EqJSTYRangeMark|2300|2303}} || |20日 || bgcolor=cyan|21日 || bgcolor=cyan|21日 || bgcolor=cyan|21日 || |- |{{EqJSTYRangeMark|2304|2331}} || |20日 || |20日 || bgcolor=cyan|21日 || bgcolor=cyan|21日 || |- |{{EqJSTYRangeMark|2332|2363}} || |20日 || |20日 || |20日 || bgcolor=cyan|21日 || 2334(20-21日), |- |{{EqJSTYRangeMark|2364|2399}} || |20日 || |20日 || |20日 || |20日 || 2396(19-20日), |} {{clear}} == 七十二候 == 穀雨の期間の[[七十二候]]は以下の通り。 ;初候 :'''葭始生'''(よし はじめて しょうず) : [[ヨシ|葦]]が芽を吹き始める(日本) :'''萍始生'''(うきくさ はじめて しょうず) : [[浮き草]]が芽を出し始める(中国) ;次候 :'''霜止出苗'''(しも やんで なえ いず) : [[霜]]が終わり[[イネ|稲]]の苗が生長する(日本) :'''鳴鳩払其羽'''(めいきゅう その はねを はらう) : [[イカル|鳴鳩]]が羽を払う(中国) ;末候 :'''牡丹華'''(ぼたん はな さく) : [[牡丹]]の花が咲く(日本) :'''戴勝降于桑'''(たいしょう くわに くだる) : [[ヤツガシラ|戴勝]]が[[クワ|桑]]の木に止まって[[蚕]]を生む(中国) == 前後の節気 == [[清明]] → '''穀雨''' → [[立夏]] == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} <references /> {{DEFAULTSORT:こくう}} [[Category:節気]] [[Category:4月]] [[Category:春の季語]] [[Category:旧暦3月]]
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2021-02-18T12:25:48Z
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立夏
立夏(りっか)は、二十四節気の第7。恒気法では冬至から3/8年(約136.97日)後で5月5日ごろ。 期間としての意味もあり、この日から次の節気の小満前日までが「立夏」の期間とされている。 春が極まり夏の気配が立ち始める日。『暦便覧』には「夏の立つがゆへ也」と記されている。春分と夏至の中間で、昼夜の長短を基準に季節を区分する場合、この日から立秋の前日までが夏となる。 定気法による立夏の瞬間(世界時、UT)と、日本・中国での立夏日の日付は表のとおり。日本における時刻はこの表の9時間後、中国では8時間後となり、世界時15時台の2国の日付は異なる。 グレゴリオ暦による17世紀から24世紀までの日本の立夏は表のとおり。 2023年の立夏は5月6日。[更新] 365日からの超過分が毎年蓄積し、 4年に一度閏年でリセットされる様子がわかる(立夏は閏日の挿入される2月末日より後のため、 4で割り切れる年が先頭)。 1916年 - 2071年には5月5日か5月6日だが、1915年までは5月7日もあり、2072年からは5月4日もある(2072年が日の境界に近いため、不確かさが残る)。 立夏の期間の七十二候は以下の通り。 穀雨 → 立夏 → 小満
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立夏(りっか)は、二十四節気の第7。恒気法では冬至から3/8年(約136.97日)後で5月5日ごろ。 期間としての意味もあり、この日から次の節気の小満前日までが「立夏」の期間とされている。
{{節気}} '''立夏'''(りっか)は、[[二十四節気]]の第7。[[恒気法]]では[[冬至]]から3/8年(約136.97日)後で[[5月5日]]ごろ。 期間としての意味もあり、この日から次の節気の[[小満]]前日までが「立夏」の期間とされている。 == 季節 == 春が極まり夏の気配が立ち始める日<ref>天体観測ハンドブック―「天文年鑑」を100%活用するために, 誠文堂新光社 (たとえば1970年)</ref>。『暦便覧』には「夏の立つがゆへ也」と記されている。[[春分]]と[[夏至]]の中間で、昼夜の長短を基準に季節を区分する場合、この日から[[立秋]]の前日までが[[夏]]となる。 == 日付 == {{節気時刻説明|立夏}} {|class="wikitable" align="left" |- ! 年 !! 日時 (UT) !! 日本 !! 中国 {{節気の日付|1966|05|05|23|30}} {{節気の日付|1967|05|06|05|17}} {{節気の日付|1968|05|05|10|56}} {{節気の日付|1969|05|05|16|50}} {{節気の日付|1970|05|05|22|34}} {{節気の日付|1971|05|06|04|08}} {{節気の日付|1972|05|05|10|01}} {{節気の日付|1973|05|05|15|46}} {{節気の日付|1974|05|05|21|34}} {{節気の日付|1975|05|06|03|27}} {{節気の日付|1976|05|05|09|14}} {{節気の日付|1977|05|05|15|16}} {{節気の日付|1978|05|05|21|09}} {{節気の日付|1979|05|06|02|47}} {{節気の日付|1980|05|05|08|45}} {{節気の日付|1981|05|05|14|35}} {{節気の日付|1982|05|05|20|20}} {{節気の日付|1983|05|06|02|11}} {{節気の日付|1984|05|05|07|51}} {{節気の日付|1985|05|05|13|43}} {{節気の日付|1986|05|05|19|31}} {{節気の日付|1987|05|06|01|06}} {{節気の日付|1988|05|05|07|02}} {{節気の日付|1989|05|05|12|54}} {{節気の日付|1990|05|05|18|35}} {{節気の日付|1991|05|06|00|27}} {{節気の日付|1992|05|05|06|09}} {{節気の日付|1993|05|05|12|02}} {{節気の日付|1994|05|05|17|54}} {{節気の日付|1995|05|05|23|30}} {{節気の日付|1996|05|05|05|26}} {{節気の日付|1997|05|05|11|19}} {{節気の日付|1998|05|05|17|03}} {{節気の日付|1999|05|05|23|01}} {{節気の日付|2000|05|05|04|50}} {{節気の日付|2001|05|05|10|45}} {{節気の日付|2002|05|05|16|37}} {{節気の日付|2003|05|05|22|10}} {{節気の日付|2004|05|05|04|02}} {{節気の日付|2005|05|05|09|53}} {{節気の日付|2006|05|05|15|31}} {{節気の日付|2007|05|05|21|20}} {{節気の日付|2008|05|05|03|03}} {{節気の日付|2009|05|05|08|51}} {{節気の日付|2010|05|05|14|44}} {{節気の日付|2011|05|05|20|23}} {{節気の日付|2012|05|05|02|20}} {{節気の日付|2013|05|05|08|18}} {{節気の日付|2014|05|05|13|59}} {{節気の日付|2015|05|05|19|53}} {{節気の日付|2016|05|05|01|42}} {{節気の日付|2017|05|05|07|31}} {{節気の日付|2018|05|05|13|25}} {{節気の日付|2019|05|05|19|03}} {{節気の日付|2020|05|05|00|51}} {{節気の日付|2021|05|05|06|47}} {{節気の日付|2022|05|05|12|26}} {{節気の日付|2023|05|05|18|18}} {{節気の日付|2024|05|05|00|10}} {{節気の日付|2025|05|05|05|57}} {{節気の日付|2026|05|05|11|48}} {{節気の日付|2027|05|05|17|25}} {{節気の日付|2028|05|04|23|11}} {{節気の日付|2029|05|05|05|07}} {{節気の日付|2030|05|05|10|45}} {{節気の日付|2031|05|05|16|34}} {{節気の日付|2032|05|04|22|25}} {{節気の日付|2033|05|05|04|13}} {{節気の日付|2034|05|05|10|08}} {{節気の日付|2035|05|05|15|54}} {{節気の日付|2036|05|04|21|48}} {{節気の日付|2037|05|05|03|48}} {{節気の日付|2038|05|05|09|30}} {{節気の日付|2039|05|05|15|17}} {{節気の日付|2040|05|04|21|08}} {{節気の日付|2041|05|05|02|53}} {{節気の日付|2042|05|05|08|41}} {{節気の日付|2043|05|05|14|21}} {{節気の日付|2044|05|04|20|04}} {{節気の日付|2045|05|05|01|58}} {{節気の日付|2046|05|05|07|39}} {{節気の日付|2047|05|05|13|27}} {{節気の日付|2048|05|04|19|23}} {{節気の日付|2049|05|05|01|11}} {{節気の日付|2050|05|05|07|00}} {{節気の日付|2051|05|05|12|45}} {{節気の日付|2052|05|04|18|33}} {{節気の日付|2053|05|05|00|32}} {{節気の日付|2054|05|05|06|16}} {{節気の日付|2055|05|05|12|02}} {{節気の日付|2056|05|04|17|56}} {{節気の日付|2057|05|04|23|45}} {{節気の日付|2058|05|05|05|34}} {{節気の日付|2059|05|05|11|22}} {{節気の日付|2060|05|04|17|11}} |} {{clear}} ===グレゴリオ暦=== {{節気日付パターン説明|立夏|{{CURRENTYEAR-JST}}}} [[1916年]] - [[2071年]]には[[5月5日]]か[[5月6日]]だが、[[1915年]]までは[[5月7日]]もあり、[[2072年]]からは[[5月4日]]もある(2072年が日の境界に近いため、不確かさが残る)。 {|class="wikitable" align="left" ! rowspan="2" | 年 !! colspan="4" | 年を4で割った余り !! 確定困難な(日を跨ぐ)年 |- ! 0 !! 1 !! 2 !! 3 !! 真夜中の前後10分 |- |{{EqJSTYRangeMark|1600|1607}} || |5日 || bgcolor=cyan|6日 || bgcolor=cyan|6日 || bgcolor=cyan|6日 || |- |{{EqJSTYRangeMark|1608|1635}} || |5日 || |5日 || bgcolor=cyan|6日 || bgcolor=cyan|6日 || |- |{{EqJSTYRangeMark|1636|1667}} || |5日 || |5日 || |5日 || bgcolor=cyan|6日 || 1638(5-6日), |- |{{EqJSTYRangeMark|1668|1699}} || |5日 || |5日 || |5日 || |5日 || |- |{{EqJSTYRangeMark|1700|1731}} || |5日 || bgcolor=cyan|6日 || bgcolor=cyan|6日 || bgcolor=cyan|6日 || 1700(5-6日), |- |{{EqJSTYRangeMark|1732|1763}} || |5日 || |5日 || bgcolor=cyan|6日 || bgcolor=cyan|6日 || 1762(5-6日), |- |{{EqJSTYRangeMark|1764|1791}} || |5日 || |5日 || |5日 || bgcolor=cyan|6日 || |- |{{EqJSTYRangeMark|1792|1799}} || |5日 || |5日 || |5日 || |5日 || |- |{{EqJSTYRangeMark|1800|1823}} || bgcolor=cyan|6日 || bgcolor=cyan|6日 || bgcolor=cyan|6日 || bgcolor=cyan|6日 || |- |{{EqJSTYRangeMark|1824|1855}} || |5日 || bgcolor=cyan|6日 || bgcolor=cyan|6日 || bgcolor=cyan|6日 || |- |{{EqJSTYRangeMark|1856|1883}} || |5日 || |5日 || bgcolor=cyan|6日 || bgcolor=cyan|6日 || |- |{{EqJSTYRangeMark|1884|1899}} || |5日 || |5日 || |5日 || bgcolor=cyan|6日 || 1886(5-6日), |- |{{EqJSTYRangeMark|1900|1915}} || bgcolor=cyan|6日 || bgcolor=cyan|6日 || bgcolor=cyan|6日 || bgcolor=lime|7日 || 1915(6-7日), |- |{{EqJSTYRangeMark|1916|1947}} || bgcolor=cyan|6日 || bgcolor=cyan|6日 || bgcolor=cyan|6日 || bgcolor=cyan|6日 || |- |{{EqJSTYRangeMark|1948|1979}} || |5日 || bgcolor=cyan|6日 || bgcolor=cyan|6日 || bgcolor=cyan|6日 || 1948(5-6日), |- |{{EqJSTYRangeMark|1980|2007}} || |5日 || |5日 || bgcolor=cyan|6日 || bgcolor=cyan|6日 || |- |{{EqJSTYRangeMark|2008|2039}} || |5日 || |5日 || |5日 || bgcolor=cyan|6日 || |- |{{EqJSTYRangeMark|2040|2071}} || |5日 || |5日 || |5日 || |5日 || |- |{{EqJSTYRangeMark|2072|2099}} || bgcolor=yellow|4日 || |5日 || |5日 || |5日 || 2072(4-5日), |- |{{EqJSTYRangeMark|2100|2103}} || |5日 || bgcolor=cyan|6日 || bgcolor=cyan|6日 || bgcolor=cyan|6日 || 2101(5-6日), |- |{{EqJSTYRangeMark|2104|2131}} || |5日 || |5日 || bgcolor=cyan|6日 || bgcolor=cyan|6日 || |- |{{EqJSTYRangeMark|2132|2159}} || |5日 || |5日 || |5日 || bgcolor=cyan|6日 || |- |{{EqJSTYRangeMark|2160|2195}} || |5日 || |5日 || |5日 || |5日 || 2163(5-6日), |- |{{EqJSTYRangeMark|2196|2199}} || bgcolor=yellow|4日 || |5日 || |5日 || |5日 || |- |{{EqJSTYRangeMark|2200|2227}} || |5日 || bgcolor=cyan|6日 || bgcolor=cyan|6日 || bgcolor=cyan|6日 || |- |{{EqJSTYRangeMark|2228|2255}} || |5日 || |5日 || bgcolor=cyan|6日 || bgcolor=cyan|6日 || |- |{{EqJSTYRangeMark|2256|2287}} || |5日 || |5日 || |5日 || bgcolor=cyan|6日 || 2287(5-6日), |- |{{EqJSTYRangeMark|2288|2299}} || |5日 || |5日 || |5日 || |5日 || |- |{{EqJSTYRangeMark|2300|2319}} || bgcolor=cyan|6日 || bgcolor=cyan|6日 || bgcolor=cyan|6日 || bgcolor=cyan|6日 || |- |{{EqJSTYRangeMark|2320|2351}} || |5日 || bgcolor=cyan|6日 || bgcolor=cyan|6日 || bgcolor=cyan|6日 || 2349(5-6日), |- |{{EqJSTYRangeMark|2352|2379}} || |5日 || |5日 || bgcolor=cyan|6日 || bgcolor=cyan|6日 || |- |{{EqJSTYRangeMark|2380|2399}} || |5日 || |5日 || |5日 || bgcolor=cyan|6日 || |} {{clear}} == 七十二候 == 立夏の期間の[[七十二候]]は以下の通り。 ;初候 :'''蛙始鳴'''(かえる はじめて なく) : [[カエル|蛙]]が鳴き始める(日本) :'''螻蟈鳴'''(ろうこく なく) : [[ケラ|螻蟈]]が鳴き始める(中国) ;次候 :'''蚯蚓出'''(きゅういん いずる) : [[ミミズ|蚯蚓]]が地上に這出る(日本・中国) ;末候 :'''竹笋生'''(ちくかん しょうず) : [[筍]]が生えて来る(日本) :'''王瓜生'''(おうか しょうず) : [[カラスウリ|王瓜]]の実が生り始める(中国) == 前後の節気 == [[穀雨]] → '''立夏''' → [[小満]] == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} <references /> {{DEFAULTSORT:りつか}} [[Category:節気]] [[Category:5月]] [[Category:夏の季語]] [[Category:旧暦3月]] [[Category:旧暦4月]]
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14,503
小満
小満(しょうまん)は、二十四節気の第8。四月中(通常旧暦4月内)。 現在広まっている定気法では太陽黄経が60度のとき(黄道十二宮では双児宮の原点に相当)で5月21日ごろ。暦ではそれが起こる日だが、天文学ではその瞬間とする。平気法では冬至から5/12年(約152.18日)後で5月23日ごろ。期間としての意味もあり、この日から、次の節気の芒種前日までである。 万物が次第に成長して、一定の大きさに達して来るころ。『暦便覧』には「万物盈満(えいまん)すれば草木枝葉繁る」と記されている。 麦畑が緑黄色に色付き始める。 沖縄では、次の節気と合わせた「スーマンボースー」(小満芒種)という語が梅雨の意味で使われる。 定気法による小満の瞬間(世界時、UT)と、日本・中国での小満日の日付は表のとおり。日本における時刻はこの表の9時間後、中国では8時間後となり、世界時15時台の2国の日付は異なる。 グレゴリオ暦による17世紀から24世紀までの日本の小満は表のとおり。 2023年の小満は5月21日。[更新] 365日からの超過分が毎年蓄積し、 4年に一度閏年でリセットされる様子がわかる(小満は閏日の挿入される2月末日より後のため、 4で割り切れる年が先頭)。 1983年までは5月21日、5月22日のいずれか(稀に5月20日)。 1984年からしばらく5月21日が続き、2016年からは5月20日、5月21日のいずれか(稀に5月22日)になる。 小満の期間の七十二候は以下の通り。 立夏 → 小満 → 芒種
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小満(しょうまん)は、二十四節気の第8。四月中(通常旧暦4月内)。 現在広まっている定気法では太陽黄経が60度のとき(黄道十二宮では双児宮の原点に相当)で5月21日ごろ。暦ではそれが起こる日だが、天文学ではその瞬間とする。平気法では冬至から5/12年(約152.18日)後で5月23日ごろ。期間としての意味もあり、この日から、次の節気の芒種前日までである。
{{節気}} '''小満'''(しょうまん)は、[[二十四節気]]の第8。四月中(通常[[旧暦4月]]内)。 現在広まっている[[定気法]]では[[太陽黄経]]が60[[度 (角度)|度]]のとき([[黄道十二宮]]では[[双児宮]]の原点に相当)で[[5月21日]]ごろ。[[暦]]ではそれが起こる[[日]]だが、[[天文学]]ではその瞬間とする。[[平気法]]では[[冬至]]から5/12[[年]](約152.18日)後で[[5月23日]]ごろ。期間としての意味もあり、この日から、次の節気の[[芒種]]前日までである。 ==季節の特徴== 万物が次第に成長して、一定の大きさに達して来るころ。『[[暦便覧]]』には「万物盈満(えいまん)すれば草木枝葉繁る」と記されている。 [[ムギ|麦]]畑が緑黄色に色付き始める。 [[沖縄県|沖縄]]では、次の節気と合わせた「スーマンボースー」(小満芒種)という語が[[梅雨]]の意味で使われる。 ==日付== {{節気時刻説明|小満}} {|class="wikitable" align="left" |- ! 年 !! 日時 (UT) !! 日本 !! 中国 {{節気の日付|1966|05|21|12|32}} {{節気の日付|1967|05|21|18|18}} {{節気の日付|1968|05|21|00|06}} {{節気の日付|1969|05|21|05|50}} {{節気の日付|1970|05|21|11|37}} {{節気の日付|1971|05|21|17|15}} {{節気の日付|1972|05|20|23|00}} {{節気の日付|1973|05|21|04|54}} {{節気の日付|1974|05|21|10|36}} {{節気の日付|1975|05|21|16|24}} {{節気の日付|1976|05|20|22|21}} {{節気の日付|1977|05|21|04|14}} {{節気の日付|1978|05|21|10|08}} {{節気の日付|1979|05|21|15|54}} {{節気の日付|1980|05|20|21|42}} {{節気の日付|1981|05|21|03|39}} {{節気の日付|1982|05|21|09|23}} {{節気の日付|1983|05|21|15|06}} {{節気の日付|1984|05|20|20|58}} {{節気の日付|1985|05|21|02|43}} {{節気の日付|1986|05|21|08|28}} {{節気の日付|1987|05|21|14|10}} {{節気の日付|1988|05|20|19|57}} {{節気の日付|1989|05|21|01|54}} {{節気の日付|1990|05|21|07|37}} {{節気の日付|1991|05|21|13|20}} {{節気の日付|1992|05|20|19|12}} {{節気の日付|1993|05|21|01|02}} {{節気の日付|1994|05|21|06|48}} {{節気の日付|1995|05|21|12|34}} {{節気の日付|1996|05|20|18|23}} {{節気の日付|1997|05|21|00|18}} {{節気の日付|1998|05|21|06|05}} {{節気の日付|1999|05|21|11|52}} {{節気の日付|2000|05|20|17|49}} {{節気の日付|2001|05|20|23|44}} {{節気の日付|2002|05|21|05|29}} {{節気の日付|2003|05|21|11|12}} {{節気の日付|2004|05|20|16|59}} {{節気の日付|2005|05|20|22|47}} {{節気の日付|2006|05|21|04|32}} {{節気の日付|2007|05|21|10|12}} {{節気の日付|2008|05|20|16|01}} {{節気の日付|2009|05|20|21|51}} {{節気の日付|2010|05|21|03|34}} {{節気の日付|2011|05|21|09|21}} {{節気の日付|2012|05|20|15|16}} {{節気の日付|2013|05|20|21|10}} {{節気の日付|2014|05|21|02|59}} {{節気の日付|2015|05|21|08|45}} {{節気の日付|2016|05|20|14|36}} {{節気の日付|2017|05|20|20|31}} {{節気の日付|2018|05|21|02|14}} {{節気の日付|2019|05|21|07|59}} {{節気の日付|2020|05|20|13|49}} {{節気の日付|2021|05|20|19|37}} {{節気の日付|2022|05|21|01|22}} {{節気の日付|2023|05|21|07|09}} {{節気の日付|2024|05|20|12|59}} {{節気の日付|2025|05|20|18|54}} {{節気の日付|2026|05|21|00|36}} {{節気の日付|2027|05|21|06|18}} {{節気の日付|2028|05|20|12|09}} {{節気の日付|2029|05|20|17|55}} {{節気の日付|2030|05|20|23|40}} {{節気の日付|2031|05|21|05|27}} {{節気の日付|2032|05|20|11|14}} {{節気の日付|2033|05|20|17|10}} {{節気の日付|2034|05|20|22|56}} {{節気の日付|2035|05|21|04|42}} {{節気の日付|2036|05|20|10|43}} {{節気の日付|2037|05|20|16|34}} {{節気の日付|2038|05|20|22|21}} {{節気の日付|2039|05|21|04|09}} {{節気の日付|2040|05|20|09|54}} {{節気の日付|2041|05|20|15|47}} {{節気の日付|2042|05|20|21|30}} {{節気の日付|2043|05|21|03|08}} {{節気の日付|2044|05|20|09|00}} {{節気の日付|2045|05|20|14|44}} {{節気の日付|2046|05|20|20|27}} {{節気の日付|2047|05|21|02|18}} {{節気の日付|2048|05|20|08|06}} {{節気の日付|2049|05|20|14|02}} {{節気の日付|2050|05|20|19|49}} {{節気の日付|2051|05|21|01|30}} {{節気の日付|2052|05|20|07|27}} {{節気の日付|2053|05|20|13|18}} {{節気の日付|2054|05|20|19|01}} {{節気の日付|2055|05|21|00|55}} {{節気の日付|2056|05|20|06|40}} {{節気の日付|2057|05|20|12|34}} {{節気の日付|2058|05|20|18|22}} {{節気の日付|2059|05|21|00|03}} {{節気の日付|2060|05|20|06|02}} |} {{clear}} ===グレゴリオ暦=== {{節気日付パターン説明|小満|{{CURRENTYEAR-JST}}}} [[1983年]]までは[[5月21日]]、[[5月22日]]のいずれか(稀に[[5月20日]])。 [[1984年]]からしばらく[[5月21日]]が続き、[[2016年]]からは[[5月20日]]、[[5月21日]]のいずれか(稀に[[5月22日]])になる。 {|class="wikitable" align="left" ! rowspan="2" | 年 !! colspan="4" | 年を4で割った余り !! 確定困難な(日を跨ぐ)年 |- ! 0 !! 1 !! 2 !! 3 !! 真夜中の前後10分 |- |{{EqJSTYRangeMark|1600|1615}} || |21日 || |21日 || |21日 || bgcolor=cyan|22日 || |- |{{EqJSTYRangeMark|1616|1651}} || |21日 || |21日 || |21日 || |21日 || |- |{{EqJSTYRangeMark|1652|1679}} || bgcolor=yellow|20日 || |21日 || |21日 || |21日 || |- |{{EqJSTYRangeMark|1680|1699}} || bgcolor=yellow|20日 || bgcolor=yellow|20日 || |21日 || |21日 || |- |{{EqJSTYRangeMark|1700|1707}} || |21日 || |21日 || bgcolor=cyan|22日 || bgcolor=cyan|22日 || |- |{{EqJSTYRangeMark|1708|1739}} || |21日 || |21日 || |21日 || bgcolor=cyan|22日 || 1710(21-22日), |- |{{EqJSTYRangeMark|1740|1771}} || |21日 || |21日 || |21日 || |21日 || |- |{{EqJSTYRangeMark|1772|1799}} || bgcolor=yellow|20日 || |21日 || |21日 || |21日 || |- |{{EqJSTYRangeMark|1800|1831}} || |21日 || |21日 || bgcolor=cyan|22日 || bgcolor=cyan|22日 || 1801(21-22日), |- |{{EqJSTYRangeMark|1832|1859}} || |21日 || |21日 || |21日 || bgcolor=cyan|22日 || |- |{{EqJSTYRangeMark|1860|1891}} || |21日 || |21日 || |21日 || |21日 || |- |{{EqJSTYRangeMark|1892|1899}} || bgcolor=yellow|20日 || |21日 || |21日 || |21日 || 1892(20-21日), |- |{{EqJSTYRangeMark|1900|1923}} || |21日 || bgcolor=cyan|22日 || bgcolor=cyan|22日 || bgcolor=cyan|22日 || |- |{{EqJSTYRangeMark|1924|1951}} || |21日 || |21日 || bgcolor=cyan|22日 || bgcolor=cyan|22日 || |- |{{EqJSTYRangeMark|1952|1983}} || |21日 || |21日 || |21日 || bgcolor=cyan|22日 || 1983(21-22日), |- |{{EqJSTYRangeMark|1984|2015}} || |21日 || |21日 || |21日 || |21日 || |- |{{EqJSTYRangeMark|2016|2043}} || bgcolor=yellow|20日 || |21日 || |21日 || |21日 || |- |{{EqJSTYRangeMark|2044|2075}} || bgcolor=yellow|20日 || bgcolor=yellow|20日 || |21日 || |21日 || |- |{{EqJSTYRangeMark|2076|2099}} || bgcolor=yellow|20日 || bgcolor=yellow|20日 || bgcolor=yellow|20日 || |21日 || |- |{{EqJSTYRangeMark|2100|2103}} || |21日 || |21日 || |21日 || bgcolor=cyan|22日 || |- |{{EqJSTYRangeMark|2104|2135}} || |21日 || |21日 || |21日 || |21日 || |- |{{EqJSTYRangeMark|2136|2167}} || bgcolor=yellow|20日 || |21日 || |21日 || |21日 || 2136(20-21日), 2165(20-21日), |- |{{EqJSTYRangeMark|2168|2195}} || bgcolor=yellow|20日 || bgcolor=yellow|20日 || |21日 || |21日 || |- |{{EqJSTYRangeMark|2196|2199}} || bgcolor=yellow|20日 || bgcolor=yellow|20日 || bgcolor=yellow|20日 || |21日 || |- |{{EqJSTYRangeMark|2200|2223}} || |21日 || |21日 || |21日 || bgcolor=cyan|22日 || |- |{{EqJSTYRangeMark|2224|2259}} || |21日 || |21日 || |21日 || |21日 || 2227(21-22日), |- |{{EqJSTYRangeMark|2260|2287}} || bgcolor=yellow|20日 || |21日 || |21日 || |21日 || |- |{{EqJSTYRangeMark|2288|2299}} || bgcolor=yellow|20日 || bgcolor=yellow|20日 || |21日 || |21日 || |- |{{EqJSTYRangeMark|2300|2315}} || |21日 || |21日 || bgcolor=cyan|22日 || bgcolor=cyan|22日 || |- |{{EqJSTYRangeMark|2316|2347}} || |21日 || |21日 || |21日 || bgcolor=cyan|22日 || 2318(21-22日), |- |{{EqJSTYRangeMark|2348|2379}} || |21日 || |21日 || |21日 || |21日 || |- |{{EqJSTYRangeMark|2380|2399}} || bgcolor=yellow|20日 || |21日 || |21日 || |21日 || |} {{clear}} == 七十二候 == 小満の期間の[[七十二候]]は以下の通り。 ;初候 :'''蚕起食桑'''(かいこ おこって くわを くらう) : [[蚕]]が[[桑]]を盛んに食べ始める(日本) :'''苦菜秀'''(くさい ひいず) : [[苦菜]]がよく茂る(中国) ;次候 :'''紅花栄'''(こうか さかう) : [[ベニバナ|紅花]]が盛んに咲く(日本) :'''靡草死'''(びそう かる) : [[ナズナ|薺]]など田に生える草が枯れる(中国) ;末候 :'''麦秋至'''(ばくしゅう いたる) : [[ムギ|麦]]が熟し麦秋となる(日本) :'''小暑至'''(しょうしょ いたる) : ようやく暑さが加わり始める(中国) == 前後の節気 == [[立夏]] → '''小満''' → [[芒種]] == 祭事 == ;小満祭(こまんさい) :[[長野県]][[佐久市]]の[[稲荷神社]]で、小満に行われる祭事。[[露店]]が並び、[[パレード]]等の[[催し物]]でにぎわう<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.city.saku.nagano.jp/kanko/townguide/event/komansai.html |title=小満祭 |publisher=佐久市 |date=2016-04-18 |accessdate=2017-11-11 }}</ref>。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} <references /> {{DEFAULTSORT:しようまん}} [[Category:節気]] [[Category:5月]] [[Category:夏の季語]] [[Category:旧暦4月]]
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芒種
芒種(ぼうしゅ)は、二十四節気の第9。五月節(旧暦4月後半から5月前半)。 現在広まっている定気法では太陽黄経が75度のときで6月6日ごろ。暦ではそれが起こる日だが、天文学ではその瞬間とする。恒気法では冬至から11/24年(167.40日目で6月7日ごろ)。 期間としての意味もあり、この日から、次の節気の夏至前日までである。 芒(のぎ 、イネ科植物の果実を包む穎(えい)すなわち稲でいう籾殻にあるとげのような突起)を持った植物の種をまくころ。『暦便覧』には「芒(のぎ)ある穀類、稼種する時なり」と記されている。実際には、現在の種まきはこれよりも早い。 西日本では梅雨入りのころ。沖縄県では小満から芒種が梅雨の時期に当たり、梅雨のことを沖縄方言で「小満芒種(すーまんぼーすー)」と言う。 定気法による芒種の瞬間(世界時、UT)と、日本・中国での芒種日の日付は表のとおり。日本における時刻はこの表の9時間後、中国では8時間後となり、世界時15時台の2国の日付は異なる。 グレゴリオ暦による17世紀から24世紀までの日本の芒種は表のとおり。 2023年の芒種は6月6日。[更新] 365日からの超過分が毎年蓄積し、 4年に一度閏年でリセットされる様子がわかる(芒種は閏日の挿入される2月末日より後のため、 4で割り切れる年が先頭)。 殆どが6月5日、6月6日のいずれか。1935年までは6月7日もあった。稀に6月4日になることも(2092年、2096年)。 芒種の期間の七十二候は以下の通り。 小満 → 芒種 → 夏至
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芒種(ぼうしゅ)は、二十四節気の第9。五月節(旧暦4月後半から5月前半)。 現在広まっている定気法では太陽黄経が75度のときで6月6日ごろ。暦ではそれが起こる日だが、天文学ではその瞬間とする。恒気法では冬至から11/24年(167.40日目で6月7日ごろ)。 期間としての意味もあり、この日から、次の節気の夏至前日までである。
{{節気}} '''芒種'''(ぼうしゅ)は、[[二十四節気]]の第9。五月節([[旧暦4月]]後半から[[旧暦5月|5月]]前半)。 現在広まっている[[定気法]]では[[太陽黄経]]が75[[度 (角度)|度]]のときで[[6月6日]]ごろ。[[暦]]ではそれが起こる[[日]]だが、[[天文学]]ではその瞬間とする。[[恒気法]]では[[冬至]]から11/24年(167.40日目で[[6月7日]]ごろ)。 期間としての意味もあり、この日から、次の節気の[[夏至]]前日までである。 ==季節== [[芒]](のぎ 、[[イネ科]]植物の果実を包む[[穎]](えい)すなわち稲でいう籾殻にあるとげのような突起)を持った植物の種をまくころ。『[[暦便覧]]』には「芒(のぎ)ある穀類、稼種する時なり」と記されている。実際には、現在の種まきはこれよりも早い。 [[西日本]]では[[梅雨]]入りのころ。[[沖縄県]]では小満から芒種が梅雨の時期に当たり、梅雨のことを[[沖縄方言]]で「小満芒種(すーまんぼーすー)」と言う。 ==日付== {{節気時刻説明|芒種}} {|class="wikitable" align="left" |- ! 年 !! 日時 (UT) !! 日本 !! 中国 {{節気の日付|1966|06|06|03|50}} {{節気の日付|1967|06|06|09|36}} {{節気の日付|1968|06|05|15|19}} {{節気の日付|1969|06|05|21|12}} {{節気の日付|1970|06|06|02|52}} {{節気の日付|1971|06|06|08|29}} {{節気の日付|1972|06|05|14|22}} {{節気の日付|1973|06|05|20|07}} {{節気の日付|1974|06|06|01|52}} {{節気の日付|1975|06|06|07|42}} {{節気の日付|1976|06|05|13|31}} {{節気の日付|1977|06|05|19|32}} {{節気の日付|1978|06|06|01|23}} {{節気の日付|1979|06|06|07|05}} {{節気の日付|1980|06|05|13|04}} {{節気の日付|1981|06|05|18|53}} {{節気の日付|1982|06|06|00|36}} {{節気の日付|1983|06|06|06|26}} {{節気の日付|1984|06|05|12|09}} {{節気の日付|1985|06|05|18|00}} {{節気の日付|1986|06|05|23|44}} {{節気の日付|1987|06|06|05|19}} {{節気の日付|1988|06|05|11|15}} {{節気の日付|1989|06|05|17|05}} {{節気の日付|1990|06|05|22|46}} {{節気の日付|1991|06|06|04|38}} {{節気の日付|1992|06|05|10|22}} {{節気の日付|1993|06|05|16|15}} {{節気の日付|1994|06|05|22|05}} {{節気の日付|1995|06|06|03|42}} {{節気の日付|1996|06|05|09|41}} {{節気の日付|1997|06|05|15|33}} {{節気の日付|1998|06|05|21|13}} {{節気の日付|1999|06|06|03|09}} {{節気の日付|2000|06|05|08|59}} {{節気の日付|2001|06|05|14|54}} {{節気の日付|2002|06|05|20|45}} {{節気の日付|2003|06|06|02|20}} {{節気の日付|2004|06|05|08|14}} {{節気の日付|2005|06|05|14|02}} {{節気の日付|2006|06|05|19|37}} {{節気の日付|2007|06|06|01|27}} {{節気の日付|2008|06|05|07|12}} {{節気の日付|2009|06|05|12|59}} {{節気の日付|2010|06|05|18|49}} {{節気の日付|2011|06|06|00|27}} {{節気の日付|2012|06|05|06|26}} {{節気の日付|2013|06|05|12|23}} {{節気の日付|2014|06|05|18|03}} {{節気の日付|2015|06|05|23|58}} {{節気の日付|2016|06|05|05|49}} {{節気の日付|2017|06|05|11|36}} {{節気の日付|2018|06|05|17|29}} {{節気の日付|2019|06|05|23|06}} {{節気の日付|2020|06|05|04|58}} {{節気の日付|2021|06|05|10|52}} {{節気の日付|2022|06|05|16|26}} {{節気の日付|2023|06|05|22|18}} {{節気の日付|2024|06|05|04|10}} {{節気の日付|2025|06|05|09|56}} {{節気の日付|2026|06|05|15|48}} {{節気の日付|2027|06|05|21|25}} {{節気の日付|2028|06|05|03|15}} {{節気の日付|2029|06|05|09|09}} {{節気の日付|2030|06|05|14|43}} {{節気の日付|2031|06|05|20|34}} {{節気の日付|2032|06|05|02|27}} {{節気の日付|2033|06|05|08|12}} {{節気の日付|2034|06|05|14|05}} {{節気の日付|2035|06|05|19|49}} {{節気の日付|2036|06|05|01|46}} {{節気の日付|2037|06|05|07|45}} {{節気の日付|2038|06|05|13|24}} {{節気の日付|2039|06|05|19|14}} {{節気の日付|2040|06|05|01|07}} {{節気の日付|2041|06|05|06|48}} {{節気の日付|2042|06|05|12|37}} {{節気の日付|2043|06|05|18|17}} {{節気の日付|2044|06|05|00|02}} {{節気の日付|2045|06|05|05|55}} {{節気の日付|2046|06|05|11|31}} {{節気の日付|2047|06|05|17|19}} {{節気の日付|2048|06|04|23|17}} {{節気の日付|2049|06|05|05|02}} {{節気の日付|2050|06|05|10|53}} {{節気の日付|2051|06|05|16|39}} {{節気の日付|2052|06|04|22|28}} {{節気の日付|2053|06|05|04|26}} {{節気の日付|2054|06|05|10|06}} {{節気の日付|2055|06|05|15|54}} {{節気の日付|2056|06|04|21|51}} {{節気の日付|2057|06|05|03|35}} {{節気の日付|2058|06|05|09|23}} {{節気の日付|2059|06|05|15|11}} {{節気の日付|2060|06|04|21|00}} |} {{clear}} ===グレゴリオ暦=== {{節気日付パターン説明|芒種|{{CURRENTYEAR-JST}}}} 殆どが[[6月5日]]、[[6月6日]]のいずれか。[[1935年]]までは[[6月7日]]もあった。稀に[[6月4日]]になることも([[2092年]]、[[2096年]])。 {|class="wikitable" align="left" ! rowspan="2" | 年 !! colspan="4" | 年を4で割った余り !! 確定困難な(日を跨ぐ)年 |- ! 0 !! 1 !! 2 !! 3 !! 真夜中の前後10分 |- |{{EqJSTYRangeMark|1600|1611}} || bgcolor=cyan|6日 || bgcolor=cyan|6日 || bgcolor=cyan|6日 || bgcolor=cyan|6日 || 1608(5-6日), |- |{{EqJSTYRangeMark|1612|1639}} || |5日 || bgcolor=cyan|6日 || bgcolor=cyan|6日 || bgcolor=cyan|6日 || 1637(5-6日), |- |{{EqJSTYRangeMark|1640|1667}} || |5日 || |5日 || bgcolor=cyan|6日 || bgcolor=cyan|6日 || |- |{{EqJSTYRangeMark|1668|1695}} || |5日 || |5日 || |5日 || bgcolor=cyan|6日 || 1670(5-6日), |- |{{EqJSTYRangeMark|1696|1699}} || |5日 || |5日 || |5日 || |5日 || 1699(5-6日), |- |{{EqJSTYRangeMark|1700|1731}} || bgcolor=cyan|6日 || bgcolor=cyan|6日 || bgcolor=cyan|6日 || bgcolor=cyan|6日 || 1728(5-6日), |- |{{EqJSTYRangeMark|1732|1759}} || |5日 || bgcolor=cyan|6日 || bgcolor=cyan|6日 || bgcolor=cyan|6日 || |- |{{EqJSTYRangeMark|1760|1787}} || |5日 || |5日 || bgcolor=cyan|6日 || bgcolor=cyan|6日 || |- |{{EqJSTYRangeMark|1788|1799}} || |5日 || |5日 || |5日 || bgcolor=cyan|6日 || 1790(5-6日), |- |{{EqJSTYRangeMark|1800|1815}} || bgcolor=cyan|6日 || bgcolor=cyan|6日 || bgcolor=cyan|6日 || bgcolor=lime|7日 || |- |{{EqJSTYRangeMark|1816|1851}} || bgcolor=cyan|6日 || bgcolor=cyan|6日 || bgcolor=cyan|6日 || bgcolor=cyan|6日 || 1819(6-7日), |- |{{EqJSTYRangeMark|1852|1879}} || |5日 || bgcolor=cyan|6日 || bgcolor=cyan|6日 || bgcolor=cyan|6日 || |- |{{EqJSTYRangeMark|1880|1899}} || |5日 || |5日 || bgcolor=cyan|6日 || bgcolor=cyan|6日 || |- |{{EqJSTYRangeMark|1900|1907}} || bgcolor=cyan|6日 || bgcolor=cyan|6日 || bgcolor=lime|7日 || bgcolor=lime|7日 || |- |{{EqJSTYRangeMark|1908|1935}} || bgcolor=cyan|6日 || bgcolor=cyan|6日 || bgcolor=cyan|6日 || bgcolor=lime|7日 || 1910(6-7日), |- |{{EqJSTYRangeMark|1936|1971}} || bgcolor=cyan|6日 || bgcolor=cyan|6日 || bgcolor=cyan|6日 || bgcolor=cyan|6日 || 1939(6-7日), |- |{{EqJSTYRangeMark|1972|1999}} || |5日 || bgcolor=cyan|6日 || bgcolor=cyan|6日 || bgcolor=cyan|6日 || |- |{{EqJSTYRangeMark|2000|2027}} || |5日 || |5日 || bgcolor=cyan|6日 || bgcolor=cyan|6日 || 2001(5-6日), |- |{{EqJSTYRangeMark|2028|2059}} || |5日 || |5日 || |5日 || bgcolor=cyan|6日 || |- |{{EqJSTYRangeMark|2060|2091}} || |5日 || |5日 || |5日 || |5日 || |- |{{EqJSTYRangeMark|2092|2099}} || bgcolor=yellow|4日 || |5日 || |5日 || |5日 || |- |{{EqJSTYRangeMark|2100|2119}} || |5日 || bgcolor=cyan|6日 || bgcolor=cyan|6日 || bgcolor=cyan|6日 || |- |{{EqJSTYRangeMark|2120|2147}} || |5日 || |5日 || bgcolor=cyan|6日 || bgcolor=cyan|6日 || |- |{{EqJSTYRangeMark|2148|2179}} || |5日 || |5日 || |5日 || bgcolor=cyan|6日 || 2150(5-6日), 2179(5-6日), |- |{{EqJSTYRangeMark|2180|2199}} || |5日 || |5日 || |5日 || |5日 || |- |{{EqJSTYRangeMark|2200|2211}} || bgcolor=cyan|6日 || bgcolor=cyan|6日 || bgcolor=cyan|6日 || bgcolor=cyan|6日 || |- |{{EqJSTYRangeMark|2212|2239}} || |5日 || bgcolor=cyan|6日 || bgcolor=cyan|6日 || bgcolor=cyan|6日 || |- |{{EqJSTYRangeMark|2240|2267}} || |5日 || |5日 || bgcolor=cyan|6日 || bgcolor=cyan|6日 || 2241(5-6日), |- |{{EqJSTYRangeMark|2268|2299}} || |5日 || |5日 || |5日 || bgcolor=cyan|6日 || |- |{{EqJSTYRangeMark|2300|2331}} || bgcolor=cyan|6日 || bgcolor=cyan|6日 || bgcolor=cyan|6日 || bgcolor=cyan|6日 || |- |{{EqJSTYRangeMark|2332|2359}} || |5日 || bgcolor=cyan|6日 || bgcolor=cyan|6日 || bgcolor=cyan|6日 || |- |{{EqJSTYRangeMark|2360|2391}} || |5日 || |5日 || bgcolor=cyan|6日 || bgcolor=cyan|6日 || 2390(5-6日), |- |{{EqJSTYRangeMark|2392|2399}} || |5日 || |5日 || |5日 || bgcolor=cyan|6日 || |} {{clear}} == 七十二候 == 芒種の期間の[[七十二候]]は以下の通り。 ;初候 :'''螳螂生'''(とうろう しょうず) : [[螳螂]]が生まれ出る(日本・中国) ;次候 :'''腐草為蛍'''(ふそう ほたると なる) : 腐った草が蒸れ[[ホタル|蛍]]になる(日本) :'''鵙始鳴'''(もず はじめて なく) : [[モズ|鵙]]が鳴き始める(中国) ;末候 :'''梅子黄'''(うめのみ き なり) : [[ウメ|梅]]の実が黄ばんで熟す(日本) :'''反舌無声'''(はんぜつ こえ なし) : [[クロウタドリ|反舌鳥]]が鳴かなくなる(中国) == 前後の節気 == [[小満]] → '''芒種''' → [[夏至]] == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} <references /> {{DEFAULTSORT:ほうしゆ}} [[Category:節気]] [[Category:6月]] [[Category:夏の季語]]
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小暑
小暑(しょうしょ)は、二十四節気の第11。六月節(旧暦5月後半から6月前半)。 現在広まっている定気法では太陽黄経が105度のときで7月7日ごろ。暦ではそれが起こる日だが、天文学ではその瞬間とする。恒気法では冬至から13/24年(約197.84日)後で7月7日ごろ。 期間としての意味もあり、この日から、次の節気の大暑前日までである。 梅雨明けが近付き、暑さが本格的になるころ。『暦便覧』には「大暑来れる前なればなり」と記されている。 蝉が鳴き始める。 この日に至っても梅雨が入らない場合は「梅雨入り」の発表は特定できずとなる。それゆえに、四国地方、北陸地方、近畿地方などでは「梅雨入り特定せず(梅雨入りなし)」となることがある。 小暑あるいは大暑から立秋までの間が暑中で、暑中見舞いはこの期間内に送る。小暑の終わりごろに夏の土用に入る。大暑は土用に含まれる。 なお、暑中見舞いの時期については諸説ある。終了時期(残暑見舞いに変わる時期)については、立秋で共通しているが、開始時期については小暑の他、夏の土用、梅雨明けを以てするとする説もある。立秋以降は残暑見舞いになる。 小寒と互いに半年後・半年前である。大寒と大暑も同じ関係である。 全国高等学校野球選手権地方大会も小暑頃に開幕を迎える。 定気法による小暑の瞬間(世界時、UT)と、日本・中国での小暑日の日付は表のとおり。日本における時刻はこの表の9時間後、中国では8時間後となり、世界時15時台の2国の日付は異なる。 グレゴリオ暦による17世紀から24世紀までの日本の小暑は表のとおり。 2023年の小暑は7月7日。[更新] 365日からの超過分が毎年蓄積し、 4年に一度閏年でリセットされる様子がわかる(小暑は閏日の挿入される2月末日より後のため、 4で割り切れる年が先頭)。 1797年から1987年までは7月7日、7月8日のいずれか。1988年から2023年まで7月7日が続く。 2024年以降は7月6日、7月7日のいずれか(2049年が日の境界に近いため、不確かさが残る)。稀に7月8日(2103年、2107年)。 小暑の期間の七十二候は以下の通り。 夏至 → 小暑 → 大暑
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小暑(しょうしょ)は、二十四節気の第11。六月節(旧暦5月後半から6月前半)。 現在広まっている定気法では太陽黄経が105度のときで7月7日ごろ。暦ではそれが起こる日だが、天文学ではその瞬間とする。恒気法では冬至から13/24年(約197.84日)後で7月7日ごろ。 期間としての意味もあり、この日から、次の節気の大暑前日までである。
{{節気}} '''小暑'''(しょうしょ)は、[[二十四節気]]の第11。六月節([[旧暦5月]]後半から[[旧暦6月|6月]]前半)。 現在広まっている[[定気法]]では[[太陽黄経]]が105[[度 (角度)|度]]のときで[[7月7日]]ごろ。[[暦]]ではそれが起こる[[日]]だが、[[天文学]]ではその瞬間とする。[[恒気法]]では[[冬至]]から13/24[[年]](約197.84日)後で[[7月7日]]ごろ。 期間としての意味もあり、この日から、次の節気の[[大暑]]前日までである。 == 季節 == [[梅雨明け]]が近付き、暑さが本格的になるころ。『暦便覧』には「大暑来れる前なればなり」と記されている。 [[蝉]]が鳴き始める。 この日に至っても[[梅雨]]が入らない場合は「梅雨入り」の発表は特定できずとなる。それゆえに、[[四国地方]]、[[北陸地方]]、[[近畿地方]]などでは「'''梅雨入り特定せず(梅雨入りなし)'''」となることがある。 {{main|[[梅雨#梅雨入りの特定なしの年]]}} 小暑あるいは[[大暑]]から[[立秋]]までの間が[[暑中]]で、[[暑中見舞い]]はこの期間内に送る。小暑の終わりごろに夏の[[土用]]に入る。[[大暑]]は土用に含まれる。 なお、暑中見舞いの時期については諸説ある。終了時期(残暑見舞いに変わる時期)については、立秋で共通しているが、開始時期については小暑の他、夏の土用、梅雨明けを以てするとする説もある。[[立秋]]以降は'''残暑見舞い'''になる。 [[小寒]]と互いに半年後・半年前である。[[大寒]]と[[大暑]]も同じ関係である。 [[全国高等学校野球選手権地方大会]]も小暑頃に開幕を迎える。 == 日付 == {{節気時刻説明|小暑}} {|class="wikitable" align="left" |- ! 年 !! 日時 (UT) !! 日本 !! 中国 {{節気の日付|1966|07|07|14|07}} {{節気の日付|1967|07|07|19|53}} {{節気の日付|1968|07|07|01|42}} {{節気の日付|1969|07|07|07|32}} {{節気の日付|1970|07|07|13|11}} {{節気の日付|1971|07|07|18|51}} {{節気の日付|1972|07|07|00|43}} {{節気の日付|1973|07|07|06|27}} {{節気の日付|1974|07|07|12|11}} {{節気の日付|1975|07|07|17|59}} {{節気の日付|1976|07|06|23|51}} {{節気の日付|1977|07|07|05|48}} {{節気の日付|1978|07|07|11|37}} {{節気の日付|1979|07|07|17|25}} {{節気の日付|1980|07|06|23|24}} {{節気の日付|1981|07|07|05|12}} {{節気の日付|1982|07|07|10|55}} {{節気の日付|1983|07|07|16|43}} {{節気の日付|1984|07|06|22|29}} {{節気の日付|1985|07|07|04|19}} {{節気の日付|1986|07|07|10|01}} {{節気の日付|1987|07|07|15|39}} {{節気の日付|1988|07|06|21|33}} {{節気の日付|1989|07|07|03|19}} {{節気の日付|1990|07|07|09|00}} {{節気の日付|1991|07|07|14|53}} {{節気の日付|1992|07|06|20|40}} {{節気の日付|1993|07|07|02|32}} {{節気の日付|1994|07|07|08|19}} {{節気の日付|1995|07|07|14|01}} {{節気の日付|1996|07|06|20|00}} {{節気の日付|1997|07|07|01|49}} {{節気の日付|1998|07|07|07|30}} {{節気の日付|1999|07|07|13|25}} {{節気の日付|2000|07|06|19|14}} {{節気の日付|2001|07|07|01|07}} {{節気の日付|2002|07|07|06|56}} {{節気の日付|2003|07|07|12|36}} {{節気の日付|2004|07|06|18|31}} {{節気の日付|2005|07|07|00|17}} {{節気の日付|2006|07|07|05|51}} {{節気の日付|2007|07|07|11|42}} {{節気の日付|2008|07|06|17|27}} {{節気の日付|2009|07|06|23|13}} {{節気の日付|2010|07|07|05|02}} {{節気の日付|2011|07|07|10|42}} {{節気の日付|2012|07|06|16|41}} {{節気の日付|2013|07|06|22|35}} {{節気の日付|2014|07|07|04|15}} {{節気の日付|2015|07|07|10|12}} {{節気の日付|2016|07|06|16|03}} {{節気の日付|2017|07|06|21|51}} {{節気の日付|2018|07|07|03|42}} {{節気の日付|2019|07|07|09|20}} {{節気の日付|2020|07|06|15|14}} {{節気の日付|2021|07|06|21|05}} {{節気の日付|2022|07|07|02|38}} {{節気の日付|2023|07|07|08|30}} {{節気の日付|2024|07|06|14|20}} {{節気の日付|2025|07|06|20|05}} {{節気の日付|2026|07|07|01|56}} {{節気の日付|2027|07|07|07|37}} {{節気の日付|2028|07|06|13|29}} {{節気の日付|2029|07|06|19|22}} {{節気の日付|2030|07|07|00|54}} {{節気の日付|2031|07|07|06|48}} {{節気の日付|2032|07|06|12|40}} {{節気の日付|2033|07|06|18|24}} {{節気の日付|2034|07|07|00|16}} {{節気の日付|2035|07|07|06|00}} {{節気の日付|2036|07|06|11|56}} {{節気の日付|2037|07|06|17|54}} {{節気の日付|2038|07|06|23|31}} {{節気の日付|2039|07|07|05|25}} {{節気の日付|2040|07|06|11|18}} {{節気の日付|2041|07|06|16|57}} {{節気の日付|2042|07|06|22|46}} {{節気の日付|2043|07|07|04|26}} {{節気の日付|2044|07|06|10|14}} {{節気の日付|2045|07|06|16|07}} {{節気の日付|2046|07|06|21|39}} {{節気の日付|2047|07|07|03|29}} {{節気の日付|2048|07|06|09|25}} {{節気の日付|2049|07|06|15|07}} {{節気の日付|2050|07|06|21|00}} {{節気の日付|2051|07|07|02|48}} {{節気の日付|2052|07|06|08|38}} {{節気の日付|2053|07|06|14|36}} {{節気の日付|2054|07|06|20|12}} {{節気の日付|2055|07|07|02|04}} {{節気の日付|2056|07|06|08|01}} {{節気の日付|2057|07|06|13|41}} {{節気の日付|2058|07|06|19|30}} {{節気の日付|2059|07|07|01|17}} {{節気の日付|2060|07|06|07|06}} |} {{clear}} ===グレゴリオ暦=== {{節気日付パターン説明|小暑|{{CURRENTYEAR-JST}}}} [[1797年]]から[[1987年]]までは[[7月7日]]、[[7月8日]]のいずれか。[[1988年]]から[[2023年]]まで[[7月7日]]が続く。 [[2024年]]以降は[[7月6日]]、[[7月7日]]のいずれか(2049年が日の境界に近いため、不確かさが残る)。稀に[[7月8日]]([[2103年]]、[[2107年]])。 {|class="wikitable" align="left" ! 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大暑
大暑(たいしょ)は、二十四節気の第12。六月中(通常旧暦6月内)。 現在広まっている定気法では太陽黄経が120度のとき(黄道十二宮では獅子宮の原点に相当)で7月23日ごろ。暦ではそれが起こる日だが、天文学ではその瞬間とする。平気法では冬至から7/12年(約213.06日)後で7月23日ごろ。期間としての意味もあり、この日から、次の節気の立秋前日までである。 快晴が続き、気温が上がり続けるころ。『暦便覧』には「暑気いたりつまりたるゆえんなればなり」と記されている。 夏の土用が大暑の数日前から始まり、大暑の間じゅう続く。土用の丑の日には鰻を食べる習慣もある。小暑と大暑の一か月間が暑中で、暑中見舞いはこの期間内に送る。立秋以降は残暑見舞いになる。 大寒と互いに半年後・半年前である。小寒と小暑も同じ関係である。 定気法による大暑の瞬間(世界時、UT)と、日本・中国での大暑日の日付は表のとおり。日本における時刻はこの表の9時間後、中国では8時間後となり、世界時15時台の2国の日付は異なる。 グレゴリオ暦による17世紀から24世紀までの日本の大暑は表のとおり。 2023年の大暑は7月23日。[更新] 365日からの超過分が毎年蓄積し、 4年に一度閏年でリセットされる様子がわかる(大暑は閏日の挿入される2月末日より後のため、 4で割り切れる年が先頭)。 1798年から1955年までは7月23日、7月24日のいずれか(稀に7月22日)。 1956年から1987年までは7月23日が続いた。 1988年以降は7月22日、7月23日のいずれかとなる(稀に7月24日)。2464年からは7月21日もある。 大暑の期間の七十二候は以下のとおり。 小暑 → 大暑 → 立秋
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "大暑(たいしょ)は、二十四節気の第12。六月中(通常旧暦6月内)。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "現在広まっている定気法では太陽黄経が120度のとき(黄道十二宮では獅子宮の原点に相当)で7月23日ごろ。暦ではそれが起こる日だが、天文学ではその瞬間とする。平気法では冬至から7/12年(約213.06日)後で7月23日ごろ。期間としての意味もあり、この日から、次の節気の立秋前日までである。", "title": null }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "快晴が続き、気温が上がり続けるころ。『暦便覧』には「暑気いたりつまりたるゆえんなればなり」と記されている。", "title": "季節" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "夏の土用が大暑の数日前から始まり、大暑の間じゅう続く。土用の丑の日には鰻を食べる習慣もある。小暑と大暑の一か月間が暑中で、暑中見舞いはこの期間内に送る。立秋以降は残暑見舞いになる。", "title": "季節" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "大寒と互いに半年後・半年前である。小寒と小暑も同じ関係である。", "title": "季節" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "定気法による大暑の瞬間(世界時、UT)と、日本・中国での大暑日の日付は表のとおり。日本における時刻はこの表の9時間後、中国では8時間後となり、世界時15時台の2国の日付は異なる。", "title": "日付" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "グレゴリオ暦による17世紀から24世紀までの日本の大暑は表のとおり。 2023年の大暑は7月23日。[更新]", "title": "日付" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "365日からの超過分が毎年蓄積し、 4年に一度閏年でリセットされる様子がわかる(大暑は閏日の挿入される2月末日より後のため、 4で割り切れる年が先頭)。 1798年から1955年までは7月23日、7月24日のいずれか(稀に7月22日)。 1956年から1987年までは7月23日が続いた。 1988年以降は7月22日、7月23日のいずれかとなる(稀に7月24日)。2464年からは7月21日もある。", "title": "日付" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "大暑の期間の七十二候は以下のとおり。", "title": "七十二候" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "小暑 → 大暑 → 立秋", "title": "前後の節気" } ]
大暑(たいしょ)は、二十四節気の第12。六月中(通常旧暦6月内)。 現在広まっている定気法では太陽黄経が120度のとき(黄道十二宮では獅子宮の原点に相当)で7月23日ごろ。暦ではそれが起こる日だが、天文学ではその瞬間とする。平気法では冬至から7/12年(約213.06日)後で7月23日ごろ。期間としての意味もあり、この日から、次の節気の立秋前日までである。
{{Otheruses|二十四節気|厳しい暑さ|猛暑}} {{節気}} '''大暑'''(たいしょ)は、[[二十四節気]]の第12。六月中(通常[[旧暦6月]]内)。 現在広まっている[[定気法]]では[[太陽黄経]]が120[[度 (角度)|度]]のとき([[黄道十二宮]]では[[獅子宮]]の原点に相当)で[[7月23日]]ごろ。[[暦]]ではそれが起こる[[日]]だが、[[天文学]]ではその瞬間とする。[[平気法]]では[[冬至]]から7/12[[年]](約213.06日)後で[[7月23日]]ごろ。期間としての意味もあり、この日から、次の節気の[[立秋]]前日までである。 ==季節== 快晴が続き、気温が上がり続けるころ。『[[暦便覧]]』には「暑気いたりつまりたるゆえんなればなり」と記されている。 夏の[[土用]]が大暑の数日前から始まり、大暑の間じゅう続く。[[土用の丑の日]]には[[ウナギ|鰻]]を食べる習慣もある。小暑と大暑の一か月間が[[暑中]]で、[[暑中見舞い]]はこの期間内に送る。[[立秋]]以降は'''残暑見舞い'''になる。 [[大寒]]と互いに半年後・半年前である。[[小寒]]と[[小暑]]も同じ関係である。 ==日付== {{節気時刻説明|大暑}} {|class="wikitable" align="left" |- ! 年 !! 日時 (UT) !! 日本 !! 中国 {{節気の日付|1966|07|23|07|23}} {{節気の日付|1967|07|23|13|16}} {{節気の日付|1968|07|22|19|07}} {{節気の日付|1969|07|23|00|48}} {{節気の日付|1970|07|23|06|37}} {{節気の日付|1971|07|23|12|15}} {{節気の日付|1972|07|22|18|03}} {{節気の日付|1973|07|22|23|56}} {{節気の日付|1974|07|23|05|30}} {{節気の日付|1975|07|23|11|22}} {{節気の日付|1976|07|22|17|18}} {{節気の日付|1977|07|22|23|04}} {{節気の日付|1978|07|23|05|00}} {{節気の日付|1979|07|23|10|49}} {{節気の日付|1980|07|22|16|42}} {{節気の日付|1981|07|22|22|40}} {{節気の日付|1982|07|23|04|15}} {{節気の日付|1983|07|23|10|04}} {{節気の日付|1984|07|22|15|58}} {{節気の日付|1985|07|22|21|36}} {{節気の日付|1986|07|23|03|24}} {{節気の日付|1987|07|23|09|06}} {{節気の日付|1988|07|22|14|51}} {{節気の日付|1989|07|22|20|45}} {{節気の日付|1990|07|23|02|22}} {{節気の日付|1991|07|23|08|11}} {{節気の日付|1992|07|22|14|09}} {{節気の日付|1993|07|22|19|51}} {{節気の日付|1994|07|23|01|41}} {{節気の日付|1995|07|23|07|30}} {{節気の日付|1996|07|22|13|19}} {{節気の日付|1997|07|22|19|15}} {{節気の日付|1998|07|23|00|55}} {{節気の日付|1999|07|23|06|44}} {{節気の日付|2000|07|22|12|43}} {{節気の日付|2001|07|22|18|26}} {{節気の日付|2002|07|23|00|15}} {{節気の日付|2003|07|23|06|04}} {{節気の日付|2004|07|22|11|50}} {{節気の日付|2005|07|22|17|41}} {{節気の日付|2006|07|22|23|18}} {{節気の日付|2007|07|23|05|00}} {{節気の日付|2008|07|22|10|55}} {{節気の日付|2009|07|22|16|36}} {{節気の日付|2010|07|22|22|21}} {{節気の日付|2011|07|23|04|12}} {{節気の日付|2012|07|22|10|01}} {{節気の日付|2013|07|22|15|56}} {{節気の日付|2014|07|22|21|41}} {{節気の日付|2015|07|23|03|30}} {{節気の日付|2016|07|22|09|30}} {{節気の日付|2017|07|22|15|15}} {{節気の日付|2018|07|22|21|00}} {{節気の日付|2019|07|23|02|50}} {{節気の日付|2020|07|22|08|37}} {{節気の日付|2021|07|22|14|26}} {{節気の日付|2022|07|22|20|07}} {{節気の日付|2023|07|23|01|50}} {{節気の日付|2024|07|22|07|44}} {{節気の日付|2025|07|22|13|29}} {{節気の日付|2026|07|22|19|12}} {{節気の日付|2027|07|23|01|04}} {{節気の日付|2028|07|22|06|53}} {{節気の日付|2029|07|22|12|41}} {{節気の日付|2030|07|22|18|24}} {{節気の日付|2031|07|23|00|09}} {{節気の日付|2032|07|22|06|03}} {{節気の日付|2033|07|22|11|52}} {{節気の日付|2034|07|22|17|35}} {{節気の日付|2035|07|22|23|27}} {{節気の日付|2036|07|22|05|21}} {{節気の日付|2037|07|22|11|11}} {{節気の日付|2038|07|22|16|58}} {{節気の日付|2039|07|22|22|47}} {{節気の日付|2040|07|22|04|39}} {{節気の日付|2041|07|22|10|25}} {{節気の日付|2042|07|22|16|05}} {{節気の日付|2043|07|22|21|52}} {{節気の日付|2044|07|22|03|42}} {{節気の日付|2045|07|22|09|25}} {{節気の日付|2046|07|22|15|07}} {{節気の日付|2047|07|22|20|54}} {{節気の日付|2048|07|22|02|45}} {{節気の日付|2049|07|22|08|35}} {{節気の日付|2050|07|22|14|20}} {{節気の日付|2051|07|22|20|11}} {{節気の日付|2052|07|22|02|07}} {{節気の日付|2053|07|22|07|55}} {{節気の日付|2054|07|22|13|39}} {{節気の日付|2055|07|22|19|30}} {{節気の日付|2056|07|22|01|21}} {{節気の日付|2057|07|22|07|09}} {{節気の日付|2058|07|22|12|52}} {{節気の日付|2059|07|22|18|39}} {{節気の日付|2060|07|22|00|34}} |} {{clear}} ===グレゴリオ暦=== {{節気日付パターン説明|大暑|{{CURRENTYEAR-JST}}}} [[1798年]]から[[1955年]]までは[[7月23日]]、[[7月24日]]のいずれか(稀に[[7月22日]])。 [[1956年]]から[[1987年]]までは[[7月23日]]が続いた。 [[1988年]]以降は[[7月22日]]、[[7月23日]]のいずれかとなる(稀に[[7月24日]])。[[2464年]]からは[[7月21日]]もある。 {|class="wikitable" align="left" ! rowspan="2" | 年 !! colspan="4" | 年を4で割った余り !! 確定困難な(日を跨ぐ)年 |- ! 0 !! 1 !! 2 !! 3 !! 真夜中の前後10分 |- |{{EqJSTYRangeMark|1600|1631}} || bgcolor=cyan|23日 || bgcolor=cyan|23日 || bgcolor=cyan|23日 || bgcolor=cyan|23日 || |- |{{EqJSTYRangeMark|1632|1659}} || |22日 || bgcolor=cyan|23日 || bgcolor=cyan|23日 || bgcolor=cyan|23日 || |- |{{EqJSTYRangeMark|1660|1687}} || |22日 || |22日 || bgcolor=cyan|23日 || bgcolor=cyan|23日 || |- |{{EqJSTYRangeMark|1688|1699}} || |22日 || |22日 || |22日 || bgcolor=cyan|23日 || |- |{{EqJSTYRangeMark|1700|1719}} || bgcolor=cyan|23日 || bgcolor=cyan|23日 || bgcolor=cyan|23日 || bgcolor=lime|24日 || 1719(23-24日), |- |{{EqJSTYRangeMark|1720|1751}} || bgcolor=cyan|23日 || bgcolor=cyan|23日 || bgcolor=cyan|23日 || bgcolor=cyan|23日 || 1748(22-23日), |- |{{EqJSTYRangeMark|1752|1779}} || |22日 || bgcolor=cyan|23日 || bgcolor=cyan|23日 || bgcolor=cyan|23日 || |- |{{EqJSTYRangeMark|1780|1799}} || |22日 || |22日 || bgcolor=cyan|23日 || bgcolor=cyan|23日 || |- |{{EqJSTYRangeMark|1800|1807}} || bgcolor=cyan|23日 || bgcolor=cyan|23日 || bgcolor=lime|24日 || bgcolor=lime|24日 || |- |{{EqJSTYRangeMark|1808|1835}} || bgcolor=cyan|23日 || bgcolor=cyan|23日 || bgcolor=cyan|23日 || bgcolor=lime|24日 || 1810(23-24日), |- |{{EqJSTYRangeMark|1836|1871}} || bgcolor=cyan|23日 || bgcolor=cyan|23日 || bgcolor=cyan|23日 || bgcolor=cyan|23日 || 1839(23-24日), 1868(22-23日), |- |{{EqJSTYRangeMark|1872|1899}} || |22日 || bgcolor=cyan|23日 || bgcolor=cyan|23日 || bgcolor=cyan|23日 || |- |{{EqJSTYRangeMark|1900|1927}} || bgcolor=cyan|23日 || bgcolor=cyan|23日 || bgcolor=lime|24日 || bgcolor=lime|24日 || |- |{{EqJSTYRangeMark|1928|1955}} || bgcolor=cyan|23日 || bgcolor=cyan|23日 || bgcolor=cyan|23日 || bgcolor=lime|24日 || |- |{{EqJSTYRangeMark|1956|1987}} || bgcolor=cyan|23日 || bgcolor=cyan|23日 || bgcolor=cyan|23日 || bgcolor=cyan|23日 || |- |{{EqJSTYRangeMark|1988|2019}} || |22日 || bgcolor=cyan|23日 || bgcolor=cyan|23日 || bgcolor=cyan|23日 || 1988(22-23日), |- |{{EqJSTYRangeMark|2020|2047}} || |22日 || |22日 || bgcolor=cyan|23日 || bgcolor=cyan|23日 || 2046(22-23日), |- |{{EqJSTYRangeMark|2048|2075}} || |22日 || |22日 || |22日 || bgcolor=cyan|23日 || |- |{{EqJSTYRangeMark|2076|2099}} || |22日 || |22日 || |22日 || |22日 || |- |{{EqJSTYRangeMark|2100|2107}} || bgcolor=cyan|23日 || bgcolor=cyan|23日 || bgcolor=cyan|23日 || bgcolor=cyan|23日 || |- |{{EqJSTYRangeMark|2108|2135}} || |22日 || bgcolor=cyan|23日 || bgcolor=cyan|23日 || bgcolor=cyan|23日 || |- |{{EqJSTYRangeMark|2136|2163}} || |22日 || |22日 || bgcolor=cyan|23日 || bgcolor=cyan|23日 || |- |{{EqJSTYRangeMark|2164|2195}} || |22日 || |22日 || |22日 || bgcolor=cyan|23日 || 2166(22-23日), 2195(22-23日), |- |{{EqJSTYRangeMark|2196|2199}} || |22日 || |22日 || |22日 || |22日 || |- |{{EqJSTYRangeMark|2200|2227}} || bgcolor=cyan|23日 || bgcolor=cyan|23日 || bgcolor=cyan|23日 || bgcolor=cyan|23日 || |- |{{EqJSTYRangeMark|2228|2255}} || |22日 || bgcolor=cyan|23日 || bgcolor=cyan|23日 || bgcolor=cyan|23日 || |- |{{EqJSTYRangeMark|2256|2283}} || |22日 || |22日 || bgcolor=cyan|23日 || bgcolor=cyan|23日 || |- |{{EqJSTYRangeMark|2284|2299}} || |22日 || |22日 || |22日 || bgcolor=cyan|23日 || |- |{{EqJSTYRangeMark|2300|2315}} || bgcolor=cyan|23日 || bgcolor=cyan|23日 || bgcolor=cyan|23日 || bgcolor=lime|24日 || 2315(23-24日), |- |{{EqJSTYRangeMark|2316|2343}} || bgcolor=cyan|23日 || bgcolor=cyan|23日 || bgcolor=cyan|23日 || bgcolor=cyan|23日 || |- |{{EqJSTYRangeMark|2344|2375}} || |22日 || bgcolor=cyan|23日 || bgcolor=cyan|23日 || bgcolor=cyan|23日 || 2373(22-23日), |- |{{EqJSTYRangeMark|2376|2399}} || |22日 || |22日 || bgcolor=cyan|23日 || bgcolor=cyan|23日 || |} {{clear}} == 七十二候 == 大暑の期間の[[七十二候]]は以下のとおり。 ;初候 :'''桐始結花'''(きり はじめて はなをむすぶ) : [[桐]]の実が生り始める(日本) :'''腐草為蛍'''(ふそう ほたると なる) : 腐った草が蒸れ[[ホタル|蛍]]となる(中国) ;次候 :'''土潤溽暑'''(つち うるおいて あつし(じょくしょす)) : 土が湿って蒸暑くなる(日本・中国) ;末候 :'''大雨時行'''(たいう ときに ゆく(ときどき おこなう)) : 時として大雨が降る(日本・中国) == 前後の節気 == [[小暑]] → '''大暑''' → [[立秋]] == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 外部リンク == * {{Kotobank}} {{DEFAULTSORT:たいしよ}} [[Category:節気]] [[Category:7月]] [[Category:夏の季語]] [[Category:旧暦6月]]
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31
31(三十一、丗一、さんじゅういち、みそひと、みそじあまりひとつ)は自然数、また整数において、30の次で32の前の数である。
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31(三十一、丗一、さんじゅういち、みそひと、みそじあまりひとつ)は自然数、また整数において、30の次で32の前の数である。
{{otheruses}} {{整数|Decomposition=([[素数]])}} '''31'''('''三十一'''、'''丗一'''、さんじゅういち、みそひと、みそじあまりひとつ)は[[自然数]]、また[[整数]]において、[[30]]の次で[[32]]の前の数である。 == 性質 == *31は11番目の[[素数]]である。1つ前は[[29]]、次は[[37]]。 **[[約数の和]]は[[32]]。 ***約数の和が[[2の累乗数]]になる5番目の数である。1つ前は[[21]]、次は[[93]]。 *([[29]], 31) は5番目の[[双子素数]]である。1つ前は([[17]], [[19]])、次は([[41]], [[43]])。 * 31 = 31 + 0 × ''i'' (''i''は[[虚数単位]]) ** a + 0 × ''i'' (a > 0) で表される6番目の[[ガウス整数#ガウス素数|ガウス素数]]である。1つ前は[[23]]、次は[[43]]。 *5番目の[[スーパー素数]]である。1つ前は17、次は41。 * 1 と 3 を使った2番目の[[素数]]である。1つ前は[[13]]、次は[[113]]。({{OEIS|A020451}}) ** 31…1 の形の最小の素数である。次は[[311]]。({{OEIS|A068813}}) ** 3…31 の形の最小の素数である。次は[[331]]。({{OEIS|A123568}}) ***十進数では、31, [[331]], 3331, 33331, 333331, 3333331, 33333331 はいずれも素数。333333331 は [[17]] × 19607843 となり[[合成数]]である。({{OEIS|A051200}}) *連続[[奇数]]を降順に並べてできる2番目の数である。1つ前は[[1]]、次は[[531]]。ただし2つ以上の数の連続とするとき最小である。({{OEIS|A038395}}) **連続[[奇数]]を降順に並べてできる最小の素数である。次は73716967…191715131197531。({{OEIS|A091308}}) **[[三角数]]を降順に並べてできる最小の素数である。次は[[631]]。({{OEIS|A068147}}) *31 = 2{{sup|5}} − 1 **5番目の[[メルセンヌ数]]である。1つ前は[[15]]、次は[[63]]。 ***3番目のメルセンヌ素数である。1つ前は[[7]]、次は[[127]]。 **** [[完全数]][[496]]の約数である。 *****完全数の約数とみたとき11番目の数である。1つ前は[[28]]、次は[[32]]。({{OEIS|A096360}}) **31 = 2{{sup|0}} + 2{{sup|1}} + 2{{sup|2}} + 2{{sup|3}} + 2{{sup|4}} ***''n'' = 2 のときの ''n''{{sup|0}} + ''n''{{sup|1}} + ''n''{{sup|2}} + ''n''{{sup|3}} + ''n''{{sup|4}} の値とみたとき1つ前は[[5]]、次は[[121]]。 **** ''n''{{sup|4}} + ''n''{{sup|3}} + ''n''{{sup|2}} + ''n''{{sup|1}} + ''n''{{sup|0}} の形の2番目の素数である。1つ前は[[5]]、次は2801。({{OEIS|A088548}}) * 31 = 2{{sup|2}} + 3{{sup|3}} ** ''n'' = 2 のときの ''n''{{sup|''n''}} + (''n'' + 1){{sup|''n''+1}} の値とみたとき1つ前は[[5]]、次は[[283]]。({{OEIS|A056788}}) ** ''n'' = 2 のときの ''n''{{sup|2}} + (''n'' + 1){{sup|3}} の値とみたとき1つ前は[[9]]、次は[[73]]。({{OEIS|A168297}}) ** 31 = 3{{sup|3}} + 4 *** ''n'' = 3 のときの 3{{sup|''n''}} + 4 の値とみたとき1つ前は[[13]]、次は[[85]]。({{OEIS|A168609}}) **** 3{{sup|''n''}} + 4 の形の4番目の素数である。1つ前は[[13]]、次は[[733]]。({{OEIS|A102903}}) *** 31 = 3{{sup|3}} + 3 + 1 **** ''n'' = 3 のときの ''n''{{sup|3}} + ''n'' + 1 の値とみたとき1つ前は[[11]]、次は[[69]]。({{OEIS|A071568}}) ***** ''n''{{sup|3}} + ''n'' + 1 の形の3番目の素数である。1つ前は[[11]]、次は[[131]]。({{OEIS|A095692}}) *''p'' = 31 のときの 2{{sup|''p''}} − 1 で表される 2{{sup|31}} − 1 = 2147483647 は8番目のメルセンヌ素数である。1つ前は[[19]]、次は[[61]]。 **この数は[[オイラー]]が[[1772年]]に発見した。 *31 = 5# + 1 = 2 × 3 × 5 + 1 (ただし ''p''# は ''p'' 以下の[[素数階乗|素数の総乗]]) **3番目の[[素数階乗素数#ユークリッド数|ユークリッド数]]である。1つ前は[[7]]、次は[[211]]。({{OEIS|A006862}}) ***3番目の[[素数階乗素数]]である。1つ前は[[7]]、次は[[211]]。({{OEIS|A018239}}) *31# + 1 = 2 × 3 × 5 × 7 × 11 × 13 × 17 × 19 × 23 × 29 × 31 + 1 = 200,560,490,131 は素数(素数階乗素数)。 ** ''p'' = 31 のときの ''p''# + 1 が素数になる数とみたとき1つ前は[[11]]、次は[[379]]。({{OEIS|A005234}}) *31 = 5{{sup|0}} + 5{{sup|1}} + 5{{sup|2}} = 2{{sup|0}} + 2{{sup|1}} + 2{{sup|2}} + 2{{sup|3}} + 2{{sup|4}} **このように連続した3つ以上の[[累乗数]]の和で2通りで表せる自然数は他に[[8191]]のみが知られている。この2つに限るかという問題は未解決である([[ゴールマハティヒ予想]])。({{OEIS|A119598}}) **:[[8191]] = 90{{sup|0}} + 90{{sup|1}} + 90{{sup|2}} = 2{{sup|0}} + 2{{sup|1}} + 2{{sup|2}} + 2{{sup|3}} + 2{{sup|4}} + 2{{sup|5}} + 2{{sup|6}} + 2{{sup|7}} + 2{{sup|8}} + 2{{sup|9}} + 2{{sup|10}} + 2{{sup|11}} + 2{{sup|12}} **31 = 5{{sup|0}} + 5{{sup|1}} + 5{{sup|2}} *** ''a'' = 5 のときの ''a''<sup>0</sup> + ''a''<sup>1</sup> + ''a''<sup>2</sup> の値とみたとき1つ前は[[21]]、次は[[43]]。 **** ''a''<sup>0</sup> + ''a''<sup>1</sup> + ''a''<sup>2</sup> で表せる3番目のメルセンヌ素数である。1つ前は[[7]]、次は[[8191]]。 **** ''a''<sup>0</sup> + ''a''<sup>1</sup> + ''a''<sup>2</sup> で表せる4番目の素数である。1つ前は[[13]]、次は[[73]]。 *** 5の[[累乗和]]とみたとき1つ前は[[6]]、次は[[156]]。({{OEIS|A003463}}) **** 31 = {{sfrac|5{{sup|3}} − 1|5 − 1}} = {{sfrac|6{{sup|3}} + 1|6 + 1}} ***** ''n'' = 4 のときの {{sfrac|(''n'' + 1){{sup|''n''−1}} − 1|''n''}} の値とみたとき1つ前は[[5]]、次は[[259]]。({{OEIS|A125598}}) *** [[素数]] ''p'' = 5 のときの ''p''{{sup|0}} + ''p''{{sup|1}} + ''p''{{sup|2}} の値とみたとき1つ前は[[13]]、次は[[57]]。({{OEIS|A060800}}) *{{sup|3}}√{{overline|31}} = 3.14138065… は [[円周率]] [[π|{{π}}]] の[[近似値]]。({{OEIS|A010602}}) ** π{{sup|3}} = 31.00627668… ({{OEIS|A091925}}) *[[10進数]]表記において桁を入れ替えても素数となる3番目の[[エマープ]]である。(31 ←→ [[13]]) 1つ前は[[17]]、次は[[37]]。 *{{sfrac|1|31}} = 0.{{underline|032258064516129}}… (下線部は[[循環節]]で長さは15) **[[逆数]]が[[循環小数]]になる数で[[循環節]]が15になる最小の数である。次は[[62]]。 **循環節が ''n'' になる最小の数である。1つ前の14は2629、次の16は[[17]]。({{OEIS|A003060}}) *[[素数#連続素数和|3つの連続した素数の和]]で表せる4番目の数である。1つ前は[[23]]、次は[[41]]。<br>31 = 7 + 11 + 13 **3連続素数和が素数になる2番目の数である。1つ前は[[23]]、次は[[41]]。 *3番目の 8''n'' − 1 型の素数である。この類の素数は ''x''{{sup|2}} − 2''y''{{sup|2}} と表せるが、31 = 7{{sup|2}} − 2 × 3{{sup|2}} である。1つ前は[[23]]、次は[[47]]。 *[[各位の和]]が31になる[[ハーシャッド数]]の最小は8959、10000までに2個ある。 * 異なる[[平方数]]の和で表せない31個の数の中で16番目の数である。1つ前は[[28]]、次は[[32]]。 *約数の和が31になる数は2個ある。([[16]], [[25]]) 約数の和2個で表せる3番目の数である。1つ前は[[18]]、次は[[32]]。 **約数の和が奇数になる6番目の奇数である。1つ前は[[15]]、次は[[39]]。 **31は約数の和2個で表せる唯一の素数である。 *各位の和([[数字和]])が4になる4番目の数である。1つ前は[[22]]、次は[[40]]。 ** 各位の和が4になる数で[[素数]]になる2番目の数である。1つ前は[[13]]、次は[[103]]。({{OEIS|A062339}}) **各位の和([[数字和]])が ''n'' になる ''n'' 番目の数である。1つ前は[[21]]、次は[[41]]。 * 各位の積が3になる3番目の数である。1つ前は[[13]]、次は[[113]]。({{OEIS|A034050}}) **各位の積が3になる数で[[素数]]になる3番目の数である。1つ前は[[13]]、次は[[113]]。({{OEIS|A107689}}) *31 = 1{{sup|2}} + 1{{sup|2}} + 2{{sup|2}} + 5{{sup|2}} = 2{{sup|2}} + 3{{sup|2}} + 3{{sup|2}} + 3{{sup|2}} **4つの[[平方数]]の和2通りで表せる最小の数である。次は[[34]]。({{OEIS|A025358}}) ***4つの[[平方数]]の和 ''n'' 通りで表せる最小の数である。1つ前の1通りは[[4]]、次の3通りは[[28]]。({{OEIS|A025416}}) * 9番目の[[幸運数]]である。1つ前は[[25]]、次は[[33]]。 **幸運数自身のすべての約数が幸運数である数としては7番目である。1つ前は21、次は37。 ** 累乗数はもちろん1にもなり得ない6番目の幸運数である。1つ前は21、次は33。 * [[三角数]]を降順に並べた数とみたとき1つ前は[[1]]、次は[[631]]。({{OEIS|A078891}}) * 円周上に異なる6つの点をとってそれぞれを結んだとき31個の領域に分けることができる。1つ前の5点は[[16]]、次の7点は[[57]]。({{OEIS|A000127}}) **この数は ''n'' = 6 のときの {{sfrac|''n''{{sup|4}} − 6''n''{{sup|3}} + 23''n''{{sup|2}} − 18''n'' + 24|24}} の値である。 * 31 × 10{{sup|−1}} は[[円周率]] π の近似値であり、√{{overline|10}}の数字列である。 ** πの数字列からできる2番目の素数である。1つ前は[[3]]、次は314159。({{OEIS|A005042}}) ** √{{overline|10}}の数字列からできる2番目の素数である。1つ前は[[3]]、次は3162277。({{OEIS|A136582}}) == その他 31 に関連すること == *[[原子番号]] 31 の[[元素]]は、[[ガリウム]] (Ga)。 *第31代[[天皇]]は、[[用明天皇]]。 *第31代[[内閣総理大臣]]は、[[岡田啓介]]。 *通算して第31代の[[征夷大将軍]]は、[[足利義栄]]([[室町幕府]]第14代将軍)。 *[[大相撲]]第31代[[横綱]]は、[[常ノ花寛市]]。 *[[アメリカ合衆国]]第31代[[アメリカ合衆国大統領|大統領]]は、[[ハーバート・フーヴァー]]。 *アメリカ合衆国の31番目の[[州]]は、[[カリフォルニア州]]。 * JIS X 0401、[[ISO 3166-2:JP]]の[[都道府県コード]]の「31」は[[鳥取県]]。 *第31代[[周]]王は、[[考王]]。 *第31代[[教皇|ローマ教皇]]は[[エウセビウス (ローマ教皇)|エウセビウス]](在位:[[310年]])である。 *[[易占]]の[[六十四卦]]で第31番目の卦は、[[周易下経三十四卦の一覧#咸|沢山咸]]。 *[[クルアーン]]における第31番目の[[スーラ (クルアーン)|スーラ]]は[[ルクマーン (クルアーン)|ルクマーン]]である。 *[[太陽暦]]において、大の[[月 (暦)|月]]は31日間である。大の月は、[[1月]]、[[3月]]、[[5月]]、[[7月]]、[[8月]]、[[10月]]、[[12月]]。そして年始から31日目は[[1月31日]]である。 *'''三十一文字'''(みそひともじ):[[短歌]]の称。5・7・5・7・7 の合計。 *√{{overline|1000}} = 31.62277・・・ である。 **[[地震]]の[[マグニチュード]]がある値から 1 上がると地震の[[エネルギー]]は元のエネルギーの √{{overline|1000}} 倍の値になる。 *[[数字選択式全国自治宝くじ]]「[[ミニロト]]」で選べる数字は、01 - 31の31通りである。 *『[[31 (アルバム)|31]]』は、[[スターダストレビュー]]の[[アルバム]]。 *『[[31 (映画)|31]]』は、[[2016年]]の[[アメリカ合衆国の映画|アメリカ合衆国]]の[[ホラー映画]]。 *[[美少女クラブ31]]は、女性アイドルグループ。 *[[U-31]] は、[[サッカー漫画]]。 *[[A-31 (航空機)|A-31]] は、アメリカが開発した[[爆撃機]]。 *[[DF-31 (ミサイル)|DF-31]] は、[[中華人民共和国|中国]]の[[ミサイル]]。 *[[ドルニエ Do 31|Do 31]] は、[[西ドイツ]]の実験機。 *[[Kh-31 (ミサイル)|Kh-31]] は、[[ソビエト連邦|ソ連]]のミサイル。 *[[MGM-31 (ミサイル)|MGM-31]] パーシングは、アメリカのミサイル。 *[[MiG-31 (航空機)|MiG-31]] は、ソ連の[[戦闘機]]。 *[[スオミ KP/-31]]は、[[フィンランド]]の[[短機関銃]]。 *[[MR 31 (核弾頭)|MR 31]] は、[[フランス]]の[[核弾頭]]。 *[[レナール R-31]]は、[[ベルギー]]の[[偵察機]]。 *[[X-31 (航空機)|X-31]] は、アメリカと西ドイツ共同開発実験機。 *[[XB-31 (航空機)|XB-31]] は、アメリカの爆撃機計画。 *[[XP-31 (航空機)|XP-31]] は、アメリカの試作戦闘機。 *[[第31集団軍]]は、[[中国人民解放軍陸軍]]の集団軍。 *[[大日本帝国陸軍]][[第31軍 (日本軍)|第31軍]] *[[大日本帝国陸軍]][[第31師団 (日本軍)|第31師団]] **大日本帝国陸軍[[歩兵第31連隊]] **[[陸上自衛隊]][[第31普通科連隊]] *[[海上自衛隊]][[第31航空群]] *[[第31戦闘攻撃飛行隊 (アメリカ海軍)|第31戦闘攻撃飛行隊]]は、[[アメリカ海軍]]の飛行隊。 *[[セクション31]]は、『[[スタートレック]]』シリーズに登場する架空の組織。 *[[NHK津放送局]]、[[岩手朝日テレビ]]、[[秋田朝日放送]]、[[テレビユー福島]]、[[とちぎテレビ]]、[[静岡第一テレビ]]、[[テレビ新広島]]のアナログ親局は 31ch。 *A31 は、初代[[日産・セフィーロ]]。 *J31 は、初代[[日産・ティアナ]]。 *31(サーティワン)は、世界最大級の[[アイスクリーム]]・パーラー・チェーン、[[バスキン・ロビンス]]の通称である。 *'''31番目のもの''' **[[31年|西暦31年]] **[[紀元前31年]] **[[年始]]から数えて31日目は[[1月31日]]。 **'''31''' は[[オランダ]] (NLD) の国際電話 国番号 == 符号位置 == {| class="wikitable" style="text-align:center;" !記号!![[Unicode]]!![[JIS X 0213]]!![[文字参照]]!!名称 {{CharCode|12891|325B|1-8-43|CIRCLED DIGIT THIRTY ONE|font=JIS2004フォント}} |} == 関連項目 == *[[数に関する記事の一覧]] {{数字2桁|3|- [[2019年|平成31年]] - [[1956年|昭和31年]] - [[1898年|明治31年]] - [[3月1日]]}} {{自然数}}
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https://ja.wikipedia.org/wiki/31
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はいからさんが通る
『はいからさんが通る』(はいからさんがとおる)は、大和和紀による日本の漫画。また、これを原作として製作されたアニメおよび映画、舞台の演目、テレビドラマである。 大正時代を主舞台とし、設定年代当時の様々な民間風俗や漫画連載当時のサブカルチャー(『宇宙戦艦ヤマト』、『科学忍者隊ガッチャマン』、『ロッキー・ホラー・ショー』、『ゴジラ』シリーズなど)を由来としたギャグなどを取り混ぜながら大正デモクラシー〜シベリア出兵〜関東大震災を駆け抜けて結ばれる一組の男女とそれをとりまく人々の恋愛模様を描くラブコメ作品。 『週刊少女フレンド』(講談社)に1975年7号から1977年10号まで連載された(本編は1977年の7号まで。8・9・10号は番外編)。番外編を含めコミックス全8巻、文庫版全4巻が出版されている。 1977年(昭和52年)度、第1回講談社漫画賞少女部門受賞。2017年11月時点でシリーズ累計発行部数は1200万部を突破している。 連載中より、いくつかの他メディア化が実施・放送された。これらの版では、放送枠や尺の関係もありストーリーが原作の結末まで描かれたことはなく特に忍のシベリア出兵後の経緯が大幅に省略されることが多い。 1978年6月3日から1979年3月31日まで、日本アニメーション製作の連続テレビアニメ版が、朝日放送(ABC)を制作局としてテレビ朝日系で放送(全42話)。当初は1年間の放送予定であったが、モスクワオリンピックの放送枠の関係で半ば打ち切り同然の終了となり、この影響でストーリーが最後まで描かれることはなかった。この時はアニメスタッフから原作者の大和和紀にも相談があったが、どうにもならなかったと言う。 1979年、KTVで連続ドラマ化。キャストには宝塚歌劇団の生徒が起用されている。 1987年、南野陽子主演、東映による製作・配給で実写映画版が公開。 その後、1985年4月15日 CX系月曜ドラマランドで単発ドラマ化(約90分)、2002年1月2日には TBS系で新春特別番組として単発ドラマ化(約120分)。 2017年より大和和紀画業50周年を記念し、劇場版アニメが前後編二部作で制作・上映された。この劇場版アニメでは各メディア作品では初めて、原作のストーリーを最後まで描いている(詳細は劇場版アニメの節を参照)。同年10月に宝塚歌劇団によるミュージカル版も上演。 本作を体現する最もわかりやすい言葉が、平塚らいてうの『青鞜』創刊号所収の文(創刊の辞)の冒頭、「元始女性は太陽であつた。真正の人であつた。今、女性は月である。他によつて生き、他の光によつて輝く」。本作では女学校時代から番外編まで、この言葉が重要な鍵となっている。 作中に登場する跡無女学館は跡見学園がモデルとされている。また紅緒の勤務先の冗談社も名前その他を本作の出版元である講談社に由来しており、作中では紅緒が講談社の社歌を歌ってごまかす場面も存在する。 雑誌連載時に掲載誌に広告が掲載される部分は、単行本では雑談や「みことば(御言葉)」等が掲載されるコーナーとなった。また、作品内の元ネタ紹介や近況報告等が多い中、本編最終巻(単行本では第7巻)ではコーナー自体が作者の「ありません」宣言を受け休止した事がある。同コーナーでの作者の自画像は長丈スカートのセーラー服を着用して、咥え煙草の時もある。また所持している薙刀は時として死神の鎌等の小道具に変化する場合がある。 実写作品は配役の都合と時代考証の観点から、主要キャラクターである伊集院忍少尉の設定が日本とドイツ人のハーフから純粋な日本人として変更し、ミハイロフとラリサのエピソードも省略されることが多い。 時は大正。「はいからさん」こと花村紅緒は竹刀、大槍を握れば向かうところ敵なし、跳ねっ返りのじゃじゃ馬娘。ひょんなことから知り合ったハンサムで笑い上戸の青年将校・伊集院忍が祖父母の代からの許嫁と聞かされる。忍に心ときめくものを感じながらも素直になれない紅緒は必死の抵抗を試みて数々の騒動を巻き起こす。伊集院家に招かれ、花嫁修業をすることになった紅緒だったがそこでも相変わらず騒動を起こしてゆく。しかし、やがて紅緒と忍はお互いをかけがえのない存在と思うようになるのだが、非情な運命によって引き裂かれてしまう。 忍の戦死の公報が届いたことにより、未亡人同然となった紅緒は没落しかけた伊集院家を支えるべく働きに出る。上司の青江冬星に支えられながら雑誌記者となった紅緒だったが、革命に揺れるロシアから亡命したサーシャ・ミハイロフ侯爵の姿に我が目を疑う。侯爵は容姿・性格ともに亡くなったとされる忍に瓜二つであった。忍を忘れ去ることなど出来ぬまま、それでも力強く生きる紅緒の姿に女嫌いの冬星も心動かされる。 やがて明らかになる真実。忍を恋慕いつつも、皆の幸せのため紅緒の下した苦渋の決断。そしてその先に待ち受ける運命とはいかに。 声優はテレビアニメ版 / 劇場アニメ版の順に表記。実写版のキャストはテレビドラマ版は#1979年版 / 連続番組、#1985年版 / 単発番組、#2002年版 / 単発番組 、その他#実写映画、#舞台、#宝塚歌劇団による舞台化の項に記載。 邸宅は、元は武家屋敷で平屋建ての日本家屋。 伯爵家で忍の実家。邸宅は西洋建築の屋敷で広大な庭が広がる。忍の戦死後、華族の体面を保つための贅沢な暮らしぶりが原因で財産がほとんどないことが判明する。 亡命したミハイロフ侯爵夫妻が身を寄せた西洋建築の屋敷。 冬星が経営する零細出版社。社員は紅緒とつめ子を入れてもたったの6人。三流雑誌「冗談倶楽部」を発行している。壁には毎週妙な標語が貼られている。連載作家も併記する。 初刊は講談社コミックスフレンドで単行本化。 テレビアニメ版と前後して新派で舞台化された際に、主演の水谷良重が歌うイメージソングもフィリップス・レコードから1978年7月に発売された(FS-2096)。ジャケット裏には大和の直筆メッセージが掲載されている。 1978年6月3日から1979年3月31日まで、朝日放送(ABC)を制作局としてテレビ朝日系で放送された(全42話)。当初は1年間の放送予定であったが、原作中盤時点(シベリア出兵に従軍した忍が、記憶喪失となりロシア貴族として帰国した時点)で、放送が打ち切り終了となり、原作の結末である関東大震災後の大団円まで描かれていない。 1980年代はテレビ東京で、2003年にはNHK-BS2で再放送が行われた。2000年代にはCS放送アニマックスとファミリー劇場でたびたび全話放送が行われ、2010年代も2012年1月に他局系のCSテレビ局・フジテレビTWOでの放送が行われている。 2016年12月21日に全話収録のDVD-BOX及びBlu-rayBOXがワーナー・ブラザース・ホームエンターテイメントより発売された。 横浜の放送ライブラリーでは第1話「紅緒は花の十七才」の閲覧が可能である。また、角川が一時期運営していたYouTubeのアニメ無料配信チャンネル「AniChan」でも同話を公式扱いで公開していた時期がある。 テレビアニメ版の中途での打ち切りにより、後の代表作『あさきゆめみし』他数作が、何度かアニメ化の話があったが原作者サイドが断っている。 原作者の大和によるとテレビアニメ版が放送されていた時間帯にモスクワオリンピックの中継を編成することが決まり、テレビ局からの通知で急遽打ち切りが決まったという。大和自身はテレビアニメ版の製作には直接タッチしていなかったが、打ち切りが決まった時点で残りが10回から3回分に減らされたことからアニメスタッフから相談を受け、かつ協力を仰がれた。しかし、テレビアニメ版のストーリーの進展が原作の半ば部分だったことから大和自身もどうすることもできず未完という形で理不尽に放送を終了せざるを得なかった。この件を重く見た製作元の日本アニメーションは大和に何度か完結編の製作を持ちかけたが、完結編兼リメイク版の製作が始動したのはテレビアニメ版の終了から38年後のことで、この劇場版アニメの完成を以てようやく完結した。 大和の画業50周年の一環として、テレビアニメと同じく日本アニメーションが二部作で制作、前編『劇場版 はいからさんが通る 前編 〜紅緒、花の17歳〜』は2017年11月11日、後編『劇場版 はいからさんが通る 後編 〜花の東京大ロマン〜』は2018年10月19日公開。 概要で前述したとおり、テレビアニメ版では描かれなかった原作のラストエピソードまでが初めてアニメ化された。監督は前編を『るろうに剣心 -明治剣客浪漫譚-』などの古橋一浩が担当(古橋は脚本も前後編通して執筆)。後編は『打ち上げ花火、下から見るか? 横から見るか?』(アニメ版)の演出などを担当した城所聖明が初監督作品として携わる。 ナレーションは前編の開幕を森功至、後編の終幕をよこざわけい子がそれぞれ務めている。 本作品の完成を以て、アニメ版『はいからさんが通る』は38年の時を経てようやく完結の時を迎えた。 『宝塚テレビロマン・はいからさんが通る』として、宝塚歌劇団の団員の出演で1979年4月7日より1980年8月30日まで関西テレビで放送された。宝塚歌劇では珍しい、テレビ用のオリジナルミュージカルだった。 肖像権及び権利上の関係から再放送や映像ソフト化は行われていない。 フジテレビ版。月曜ドラマランド枠で放送された。 TBS版。『モーニング娘。新春! LOVEストーリーズ』の一つとして放送された。 1987年12月12日公開。主演・南野陽子、監督・佐藤雅道。製作・配給・東映。 阿部寛の俳優デビュー作。 同時上映は『ビー・バップ・ハイスクール 高校与太郎狂騒曲』。 南野陽子は『スケバン刑事』に次いで主演映画二作目。『はいからさんが通る』は小学5年からの愛読書だったという。 阿部寛はモデルとして大人気だったが、大学卒業も迫り就職活動の真最中で、芸能界に進むか一般企業に就職してサラリーマンになるか迷い、サラリーマンになる方に気持ちが傾いていた。1987年8月2日、阿部の元へ東映から「はいからさんの映画をやるから、伊集院忍でやってくれないか」と映画出演のオファーが来た。「台本を読ませて欲しい」と伝え、カセットに相手の台詞を吹き込んで練習してみたら「あ、面白そうだなぁ」と感じた。この後、佐藤雅道監督と台詞読みをした際、佐藤から「あ、いいなぁ、声もいい。こっちは君でいくって決めるけど、就職を取るかどうかは君が決めてくれ」と言われた。それから一週間、体重が3kg落ちホオもこける程考えこみ、"面白そう"の直感と若いんだしやり直しもきくだろうという結論に達し、このオファーを受け、俳優人生がスタートした。 撮影中に阿部が『笑っていいとも!』に出演し人気が倍増、ロケ中に女性ファンが押し寄せる事態となった。1987年10月下旬に京都ロケ、東映京都撮影所他。その他鎌倉でもロケが行われた。 映画の中で髪を切るシーンがあったことから南野陽子は、東映サイドから「カツラでやりますか?」と聞かれたが、「いえ、自分の毛でやります」と、中学時代から大切に伸ばしてきた髪を映画のために25cmもバッサリ切った。ずっと髪を切りたいと周りに騒いでいたが、事務所から「仕事の流れがあるから」と制止されていた。実際は「切りたくない」という気持ちの方が強く、誰かに「切るな」と言われてホッとしていた。映画という大義名分があり、思いきって髪を切る決断をした。切ったら泣くだろうなと思っていたが涙は出なかった。ナンノが髪を切ったことがファンに知られると大きな騒動になった。大ショックを受けたファンが東映や所属事務所に「切った髪の毛はどうした?」「家宝にするから1本でも欲しい」「サービスとしてチケットに付けて!」などと電話が殺到した。慌てた東映が調べたところ、東映とナンノとナンノの担当ヘアデザイナーの三者で記念に分けることになっていたが、ナンノが「私、必要ないから」と東映東京撮影所に置いて帰り、東映も処置に困って焼却してしまったと判明、ファンから大顰蹙を買った。 1978年、1980年、1991年、1995年に舞台化された。
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『はいからさんが通る』(はいからさんがとおる)は、大和和紀による日本の漫画。また、これを原作として製作されたアニメおよび映画、舞台の演目、テレビドラマである。
{{Otheruses|大和和紀の漫画、およびそれを原作とした作品群}} {{Infobox animanga/Header | タイトル = はいからさんが通る | ジャンル = }} {{Infobox animanga/Manga | 作者 = [[大和和紀]] | 出版社 = [[講談社]] | 掲載誌 = [[少女フレンド|週刊少女フレンド]] | レーベル = フレンドKC | 開始号 = 1975年7号 | 終了号 = 1977年10号 | 開始日 = | 終了日 = | 巻数 = 全8巻(本編7巻+番外編1巻) | 話数 = }} {{Infobox animanga/TVAnime | 原作 = 大和和紀 | 監督 = 横田和善、馬越彦弥 | 脚本 = [[高橋二三]] | キャラクターデザイン = [[芝山努]] | 音楽 = [[山口ますひろ]] | アニメーション制作 = [[日本アニメーション]] | 製作 = 日本アニメーション、[[朝日放送テレビ|朝日放送]] | 放送局 = [[朝日放送グループホールディングス|朝日放送]] | 放送開始 = 1978年6月3日 | 放送終了 = 1979年3月31日 | 話数 = 全42話 }} {{Infobox animanga/Movie | タイトル = 劇場版 はいからさんが通る<br />前編 〜紅緒、花の17歳〜<br />後編 〜花の東京大ロマン〜 | 原作 = 大和和紀 | 監督 = [[古橋一浩]](前編)<br />城所聖明(後編) | 脚本 = 古橋一浩 | キャラクターデザイン = [[西位輝実]] | 音楽 = [[大島ミチル]] | 制作 = 日本アニメーション | 製作 = 劇場版「はいからさんが通る」製作委員会 | 配給 = [[ワーナー・ブラザース映画]] | 封切日 = 2017年11月11日(前編)<br />2018年10月19日(後編) | 上映時間 = 97分(前編)<br />105分(後編) }} {{Infobox animanga/Footer | ウィキプロジェクト = [[プロジェクト:漫画|漫画]]・[[プロジェクト:アニメ|アニメ]] | ウィキポータル = [[Portal:漫画|漫画]]・[[Portal:アニメ|アニメ]] }} 『'''はいからさんが通る'''』(はいからさんがとおる)は、[[大和和紀]]による[[日本]]の[[漫画]]。また、これを原作として製作された[[アニメ (日本のアニメーション作品)|アニメ]]および[[映画]]、舞台の演目、[[テレビドラマ]]である。 == 作品概要 == [[大正]]時代を主舞台とし、設定年代当時の様々な民間風俗や漫画連載当時のサブカルチャー(『[[宇宙戦艦ヤマト]]』、『[[科学忍者隊ガッチャマン]]』、『[[ロッキー・ホラー・ショー]]』、『[[ゴジラ]]』シリーズなど)を由来とした[[ギャグ]]などを取り混ぜながら[[大正デモクラシー]]〜[[シベリア出兵]]〜[[関東大震災]]を駆け抜けて結ばれる一組の男女とそれをとりまく人々の恋愛模様を描く[[ラブコメ]]作品。 『[[少女フレンド|週刊少女フレンド]]』([[講談社]])に[[1975年]]7号から[[1977年]]10号まで連載された(本編は1977年の7号まで。8・9・10号は番外編)。番外編を含めコミックス全8巻、文庫版全4巻が出版されている。 1977年(昭和52年)度、第1回[[講談社漫画賞]]少女部門受賞。2017年11月時点でシリーズ累計発行部数は1200万部を突破している<ref>{{Cite news |url=https://moviewalker.jp/news/article/127327/ |title=『はいからさんが通る』が愛され続ける理由は“朝ドラとの共通点”。大和和紀が語る! |work=ムービーウォーカー |date=2017-11-10 |accessdate=2022-03-26}}</ref>。 連載中より、いくつかの他メディア化が実施・放送された。これらの版では、放送枠や尺の関係もありストーリーが原作の結末まで描かれたことはなく特に忍のシベリア出兵後の経緯が大幅に省略されることが多い。 [[1978年]][[6月3日]]から[[1979年]][[3月31日]]まで、[[日本アニメーション]]製作の連続テレビアニメ版が、[[朝日放送テレビ|朝日放送]](ABC)を制作局として[[テレビ朝日]]系で放送(全42話)。当初は1年間の放送予定であったが、[[モスクワオリンピック]]の放送枠の関係で半ば[[打ち切り]]同然の終了となり、この影響でストーリーが最後まで描かれることはなかった。この時はアニメスタッフから原作者の大和和紀にも相談があったが、どうにもならなかったと言う<ref>[https://magmix.jp/post/28972 まるで打ち切り?1978年のアニメ『はいからさんが通る』 38年の時を超えて完結]『マグミクス』2020年6月3日 2022年6月18日閲覧</ref>。 [[1979年]]、[[関西テレビ放送|KTV]]で連続ドラマ化。キャストには[[宝塚歌劇団]]の生徒が起用されている。 [[1987年]]、[[南野陽子]]主演、[[東映]]による製作・配給で実写映画版が公開。 その後、[[1985年]][[4月15日]] [[フジテレビジョン|CX]]系[[月曜ドラマランド]]で単発ドラマ化(約90分)、[[2002年]][[1月2日]]には [[TBSテレビ|TBS]]系で新春特別番組として単発ドラマ化(約120分)。 2017年より大和和紀画業50周年を記念し、劇場版アニメが前後編二部作で制作・上映された。この劇場版アニメでは各メディア作品では初めて、原作のストーリーを最後まで描いている(詳細は[[#劇場アニメ|劇場版アニメ]]の節を参照)。同年10月に宝塚歌劇団によるミュージカル版も上演<ref>[http://kageki.hankyu.co.jp/revue/2017/haikarasan/index.html ミュージカル浪漫『はいからさんが通る』] 宝塚歌劇団公式ホームページ</ref>。 本作を体現する最もわかりやすい言葉が、[[平塚らいてう]]の『[[青鞜]]』創刊号所収の文(創刊の辞)の冒頭、「元始女性は太陽であつた。真正の人であつた。今、女性は月である。他によつて生き、他の光によつて輝く」。本作では女学校時代から番外編まで、この言葉が重要な鍵となっている。 === 補足 === 作中に登場する跡無女学館は[[学校法人跡見学園|跡見学園]]がモデルとされている。また紅緒の勤務先の冗談社も名前その他を本作の出版元である講談社に由来しており、作中では紅緒が講談社の社歌を歌ってごまかす場面も存在する。 雑誌連載時に掲載誌に広告が掲載される部分は、単行本では雑談や「みことば(御言葉)」等が掲載されるコーナーとなった。また、作品内の元ネタ紹介や近況報告等が多い中、本編最終巻(単行本では第7巻)ではコーナー自体が作者の「ありません」宣言を受け休止した事がある<ref group="注">作中で「未曾有の大災害(関東大震災)が発生した」との展開とその後のネタバレを避けるための休止である。</ref>。同コーナーでの作者の自画像は長丈スカートのセーラー服を着用して、咥え煙草の時もある。また所持している薙刀は時として死神の鎌等の小道具に変化する場合がある。 実写作品は配役の都合と時代考証の観点から、主要キャラクターである伊集院忍少尉の設定が日本とドイツ人のハーフから純粋な日本人として変更し、ミハイロフとラリサのエピソードも省略されることが多い。 == あらすじ == {{不十分なあらすじ|section=1|date=2018年7月}} 時は大正。「[[ハイカラ|はいから]]さん」こと花村紅緒は[[竹刀]]、[[槍|大槍]]を握れば向かうところ敵なし、跳ねっ返りのじゃじゃ馬娘。ひょんなことから知り合ったハンサムで笑い上戸の青年将校・伊集院忍が祖父母の代からの許嫁と聞かされる。忍に心ときめくものを感じながらも素直になれない紅緒は必死の抵抗を試みて数々の騒動を巻き起こす。伊集院家に招かれ、花嫁修業をすることになった紅緒だったがそこでも相変わらず騒動を起こしてゆく。しかし、やがて紅緒と忍はお互いをかけがえのない存在と思うようになるのだが、非情な運命によって引き裂かれてしまう。 忍の戦死の公報が届いたことにより、未亡人同然となった紅緒は没落しかけた伊集院家を支えるべく働きに出る。上司の青江冬星に支えられながら雑誌記者となった紅緒だったが、革命に揺れるロシアから亡命したサーシャ・ミハイロフ侯爵の姿に我が目を疑う。侯爵は容姿・性格ともに亡くなったとされる忍に瓜二つであった。忍を忘れ去ることなど出来ぬまま、それでも力強く生きる紅緒の姿に女嫌いの冬星も心動かされる。 やがて明らかになる真実。忍を恋慕いつつも、皆の幸せのため紅緒の下した苦渋の決断。そしてその先に待ち受ける運命とはいかに。 == 登場人物 == 声優はテレビアニメ版 / 劇場アニメ版の順に表記。実写版のキャストはテレビドラマ版は[[#1979年版 / 連続番組]]、[[#1985年版 / 単発番組]]、[[#2002年版 / 単発番組]] 、その他[[#実写映画]]、[[#舞台]]、[[#宝塚歌劇団による舞台化]]の項に記載。 ; 花村 紅緒(はなむら べにお) : 声 - [[よこざわけい子|横沢啓子(現・よこざわけい子)]]<ref>主婦の友社『声優道 名優50人が伝えたい仕事の心得と生きるヒント』よこざわけい子「天才じゃなくていい。努力の積み重ねが実を結ぶ」P97~98。</ref> / [[早見沙織]] : 主人公。17歳→22歳。跳ねっ返りのじゃじゃ馬娘で生まれついてのトラブルメーカーで、<q>無邪気と毒気が同居した[[コメディエンヌ]]</q>的キャラクター{{sfn|南|2013|p=74}}。特技は[[剣道]]と[[槍道]]で、軍人の忍とも互角に渡り合い、車屋の牛五郎を叩きのめす腕力の持ち主。自他共に認める<!--南(2013)ここから-->酒乱で、酒を飲むとよくトラブルを巻き起こす{{efn2|このキャラクター設定は、当時としては画期的なものであった{{sfn|南|2013|p=74}}。}}。食い気も旺盛で、<q>好物を越えたソウルフード的存在</q>たる[[つくね]]のほか、木村屋のアンパンも大好物である{{sfn|南|2013|p=74}}。家事全般は苦手。劣等生だが[[英語]]は得意。「[[洗濯板]]」等と揶揄される体型で、容貌も平凡<ref group="注">鬼島からは「ちんくしゃ」「[[貧乳|ナインペターン]]」、伊集院伯爵夫人からは「おじいさまにそっくり」、環からは「[[ジョン・デンバー]]まっつぁおの丸顔のくせに」と評される。なお作中ではその他に彼女の風貌や外見、特に胸に対する各種の悪口が散見される。</ref>。黙っていれば外見は愛らしく、その気立ての良さ、情の厚さと芯の強さから、忍のみならず蘭丸や冬星、鬼島からも好意を寄せられる。母親が早世し、男手一つで育てられた。忍との縁談が持ちあがった当初は、親に結婚を決められることへの反発もあって忍に反感を持っていたが、忍の人柄を知るにつれ彼への想いを自覚するようになる。しかし自身の起こした騒動がもとで忍が左遷、果ては[[シベリア出兵]]への参加を命じられることとなり、伊集院家も巻き込んだ悲劇を辿るという憂き目を見る。 : 忍戦死の報せを聞いて後は、彼に想いを告げず別れてしまったことを深く悔いながらも、気丈にも髪を切り落とし、二夫にまみえぬ誓いとして母の形見(白の喪服)をまとって葬儀に出席、忍亡き後の伊集院家を支え続ける決心をする。家計を支えるため紆余曲折を経て冗談社に入社、女嫌いの編集長の冬星にしごかれ雑誌記者として成長を遂げてゆく。反政府運動家の疑いをかけられ投獄される悲運も味わうが{{sfn|南|2013|p=74}}、持ち前の度胸とマイペースな性格で刑務所暮らしも乗り切り、冬星やサーシャの奔走もあって無事釈放される。侯爵の正体が判明し動揺するが、他に身寄りのないラリサのことを思い身を引く。長く支えとなってくれた冬星からのプロポーズを受け入れ、[[1923年|大正12年]]9月1日に挙式するが、[[関東大震災|未曾有の大災害]]に巻き込まれる。 : 最終回で運命の人と結ばれ、番外編では一児の母。 ; 伊集院 忍(いじゅういん しのぶ) : 声 - [[森功至]] / [[宮野真守]] : 紅緒の[[許婚]]。[[大日本帝国陸軍|陸軍]]歩兵[[少尉]]。紅緒からは「少尉」と呼ばれる。普段は朗らかだが、皮肉屋で笑い上戸。交際が広く、社交界の花形として女性に人気がある一方、要のような文人たちとのつき合いもある。伊集院伯爵の息子・宗一郎とドイツ人女性の間に生まれたハーフであり、祖父母に育てられた。両親の結婚は許されず、母親は忍の父と引き裂かれた後ロシア貴族に嫁ぎ、父親は自分を捨て外国で他界した。そのような背景から、祖母のたっての願いを断り切れず、許婚と会うべく花村家を訪ねる途中で木から落ちてきた紅緒を助けた。当時馬鹿にされていた[[ハイカラ]]を理由に紅緒をからかうことも多かったが、やがて健気で可愛げもある紅緒に強く惹かれ、彼女と人生を共にする決意をする。伯爵家次期当主の座を約束された御曹司だが、かねてから華族としての身分に疑問を感じており、紅緒の気質に華族の枠に留まらない可能性を見出したことも、紅緒に惹かれた一因だった。 : 見た目は優男だが、武道や格闘の術についても心得を身につけており、軍人として部下の為に命を賭ける勇敢さも持ち合わせている。そのため小倉で任された部下たちからも厚い信頼を勝ち得ていたが、[[シベリア]]で作戦行動中、部下を助けようとして消息を絶ち行方不明になる。 <!---番外編では大尉に昇格している。ネタバレの為にコメントアウト。---> ; 藤枝 蘭丸(ふじえだ らんまる) : 声 - [[杉山佳寿子]] / [[梶裕貴]] : 花村家の隣に住む、紅緒より1歳下の幼馴染。[[歌舞伎]]の[[女形]]役者。美少年。女性的で大人しい性格故に、お転婆な紅緒には振り回されがちであったが、小さいときから彼女に片思いしている。伊集院家に行儀見習いに出た紅緒恋しさに、女形としての技量を生かし蘭子と名乗って変装、紅緒専属の新任メイドとして伊集院家に潜入してくる。忍の戦死後、紅緒から実家に戻るよう諭され泣く泣く役者稼業に戻った。歌舞伎座に取材に行った紅緒と再会し、その後もなにかと手助けする。紅緒を一途に想い続けるが、弟分としてしか見られなかった。容姿、仕草が女性的ではあっても、紅緒への思慕が示すように彼自身に男色の嗜好はないが、度々男性に言い寄られている。 : 番外編で紅緒と性格が正反対な女性と恋に落ち、交際に反対する堅物の兄と悪戦苦闘を繰り広げるが、最後にとんでもないオチが待っていた。 ; 北小路 環(きたこうじ たまき) : 声 - [[吉田理保子]] / [[瀬戸麻沙美]] : 紅緒と同じ女学校に通う親友。[[華族]]出身。成績優秀で美人だが女性解放運動に興味を持ち、問題児の紅緒とも親しい。実は忍の幼馴染で、密かに思いを寄せる忍と紅緒の関係を知らずにそれぞれと交友しており、2人が許婚と知って激しく動揺するが、忍の想いを知ると身を引いた。 : 女学校卒業後は新聞社の婦人記者となり、[[モダンガール]]を地で行く人生を歩む。冗談社に入った紅緒と再会し、公私にわたって仲良く付き合う。後に自分同様に紅緒を見守っていた鬼島と出会い、育ちの違いから反発し合いながらも彼に次第に惹かれて行く。紅緒同様、酒乱の傾向がある。 === 花村家 === 邸宅は、元は武家屋敷で平屋建ての日本家屋。 ; 花村(はなむら)少佐 : 声 - [[永井一郎]] / [[石塚運昇]](前編)、[[銀河万丈]](後編<ref group="注">2018年8月に石塚が死去したことによるキャスト変更。</ref>) : 紅緒の父。陸軍[[少佐]]で忍の上官。[[旗本]]の子孫。妻に先立たれてからは男手一つで紅緒を育ててきた。紅緒のお転婆ぶりに悩まされており、娘への教育方針等は一般的な大正男性らしく男尊女卑の傾向が否めないが、娘の真っ直ぐな思いを受けとめている良き父親である。酒乱の傾向がある。なお本編では名前が不明のままだった。 ; ばあや : 声 - [[鈴木れい子]] / 同左 : 花村家の家事を取り仕切る老婆。[[#テレビアニメ|テレビアニメ版]]および[[#実写映画|実写映画版]]での役名は「'''あごなしばあや'''」。いまだに[[丸髷]]を結っており、肥満体で顎がなく目も星印であることが多い。紅緒の素行には手を焼いており、如月とは意気投合していた。紅緒が諸々の事情で伊集院家を出た際には紅緒が「暇を出された」と嘆き悲しんだ。 === 伊集院家 === 伯爵家で忍の実家。邸宅は西洋建築の屋敷で広大な庭が広がる。忍の戦死後、華族の体面を保つための贅沢な暮らしぶりが原因で財産がほとんどないことが判明する。 ; 伊集院伯爵 : 声 - [[宮内幸平]] / [[麦人]] : 忍の祖父。ハゲ頭にヒゲ、頭の固い頑固者。時代錯誤な言動と行動で騒動を起こすご老体。女中からは「お殿さま」、伯爵夫人からは「ご前(ごぜん)」と呼ばれる。[[肥後もっこす]]の矜持を持つ[[薩摩藩]][[藩士]]で[[明治維新]]の頃は倒幕のために戦った維新志士。幕府方士族([[旗本]])の娘である紅緒に当初は嫌悪感を隠さず、事あるごとに衝突していた。実は伯爵夫人を愛するがゆえ旗本嫌いになったことが判明する。紅緒の真っ直ぐな性格を気に入っている。後に諸々の事情から紅緒が伊集院家を出て行こうとした際には責任を感じて腹を切ろうとした。 ; 伊集院伯爵夫人 : 声 - [[峰あつ子]] / [[谷育子]] : 忍の祖母で[[公家]]出身。若い頃に紅緒の祖父と恋に落ちるが、明治維新で敵味方に分かれたため、「いつか2つの血をひとつにしよう」と誓い合って別れた過去を持つ。おっとりした雰囲気の穏やかな老婦人。息子同然の忍を溺愛、紅緒のことも気に入っていた。忍の戦死を聞かされ倒れて以来、すっかり体が弱る。一時は危篤状態に陥るが、紅緒の機転で持ち直した。 ; 如月(きさらぎ) : 声 - [[山田礼子]] / [[一城みゆ希]] : 伊集院家の奥女中。[[おすべらかし]]のような髪型に黒い洋装というスタイル。伊集院家にやってきた紅緒のがさつな態度にあきれ、厳しい花嫁修業を施そうとする。後に紅緒の理解者となり、忍の戦死後、他の使用人たちが暇を出される中、一人残り、紅緒とともに伊集院家を支え続ける。紅緒が伊集院家を離れたときは涙ながらに見送った。酒乱の気がある。 ; 牛五郎(うしごろう) : 声 - [[増岡弘]] / [[三宅健太]] : 二の腕の金魚の刺青と怪力が自慢の車屋([[人力車]]引き)。駆落ち中の紅緒たちに絡むが、叩きのめされて子分を志願する。紅緒に負けるまで喧嘩で負けたことがないと豪語していた。紅緒を「親分」と呼び、女だとは思っていない。伊集院家にも押しかけで出入りするようになり、紅緒を支える。「金魚の牛五郎」の通り名を持つ。 ; 天丸、地丸 : 忍の愛犬。天丸が無垢で地丸が黒と白。忍の他にはあまり懐かなかったが紅緒には懐いた。初対面の筈のサーシャには懐いたため、彼が忍であるという疑惑が深まる。 === 狸小路伯爵家 === 亡命したミハイロフ侯爵夫妻が身を寄せた西洋建築の屋敷。 ; サーシャ・ミハイロフ侯爵 : 声 - 森功至 / 宮野真守 : ロシアの貴族。ドイツ人であった忍の母親・エリナが夫のロシア人貴族との間にもうけた子供。忍とは異父弟。[[ロシア革命]]の後、革命軍の追跡を逃れ妻のラリサとともに日本に亡命してきた。容貌は忍とうり二つで、出会った紅緒は激しく動揺する。紅緒に対して思わせぶりな発言をしつつ、なにかと助力していた。後に自ら正体を明かす。 ; ラリサ : 声 - [[小山茉美|小山まみ(現・小山茉美)]] / [[坂本真綾]] : サーシャの妻で、ロシア革命を逃れて日本に亡命してきた。重大な秘密を隠しており、夫に近づく紅緒を快く思わない。その体は[[結核]]に蝕まれており、余命幾ばくもない。 ; エリナ・ミハイロブナ(ミハイロフ夫人) : 忍とサーシャの母親でドイツ人。結婚が許されず忍の父と別れた後、先代ミハイロフ侯爵の妻となりサーシャを生んだ。ロシア革命を逃れてサーシャ夫妻と共に逃亡し、日本にいる忍を頼ろうとしたものの、2人とはぐれる。[[満州]]で山賊に襲われて行き倒れていたところを馬賊時代の鬼島に発見され看取られた。 ; 狸小路(たぬきこうじ)伯爵 : 声 - [[水鳥鐵夫]](テレビアニメ版) : ロシアから亡命したミハイロフ侯爵夫妻を自宅に受け入れた人物。見た目は[[信楽焼]]の狸そっくりで紅緒からからかわれる。取材を口実にサーシャに近づこうとした紅緒を快く思わず、以後も妨害を続ける。 === 冗談社 === 冬星が経営する零細出版社。社員は紅緒とつめ子を入れてもたったの6人。三流雑誌「冗談倶楽部」を発行している。壁には毎週妙な標語が貼られている。連載作家も併記する。 ; 青江 冬星(あおえ とうせい) : 声 - [[井上真樹夫]] / [[櫻井孝宏]] : 社長兼「冗談倶楽部」編集長。紅緒が真っ青になるほどの美男子。母は遊び好きの浪費家で、冬星を身ごもりながら冬星の父と別れ、銀行家に嫁いでいる。そのことから母を始めとする全ての女性に対し不信感を抱くあまり女性アレルギーになった。唯一女性を感じさせない紅緒に恋心を抱くようになるが、紅緒の心の中から忍が消えない限り土足で踏み込むような真似はするまいと決めている。 : 合併騒ぎで会社経営が傾いた際には紅緒たちの奮闘で凌いだものの、後に伊集院家を救うために信念を曲げる。 : 番外編では渡仏して紅緒にそっくりな不良少年と知り合うエピソードが語られた。 : 作者によれば平安時代を舞台にした作品「ラブパック」の主役カップル、菜の君と疾風(かぜ)の子孫である。 ; 袋小路 つめ子(ふくろこうじ つめこ) : 声 -/ [[小牧未侑]] : 冬星の見合い相手。冬星に一目惚れするが、冬星が見合いを断る理由にと紅緒を紹介したことから、紅緒に対抗して冗談社の押しかけ社員となる。一応良家のお嬢様らしいが、[[空手]]4段・[[合気道]]3段という猛者であり、歩くと地面が揺れ、泣くと壁が崩れるなど、冬星からは「女ばなれどころか人間ばなれ」と評される。 ; 古美 売太 (こび うりた) : 声 - [[龍田直樹]] / [[矢野奨吾]] : 冗談倶楽部の編集部員で紅緒の先輩。丸[[眼鏡]]に[[サンバイザー]]を装備した[[カッターシャツ]]に[[サスペンダー]]姿の青年。名前は本編上においては登場せず編集部の[[モブキャラクター|モブ]]として扱われているが、終盤の展開における衝撃的な事情から、番外編「霧の朝パリで」の冒頭にて姓で呼ばれて明らかになる。同番外編ではその事情を原因として蒸発願望を発露させ、パリへ出張に行く冬星に「ぼくもパリに連れて行ってください!」と泣きつくが、結局置いていかれてしまう。 ; 辺面 岩男 (へつら いわお) : 声 - [[塩沢兼人]] / [[杉村憲司]] ; 愛相 良雄(あいそ よしお) : 声 - [[中村秀利]] / [[遠近孝一]] ; 高屋敷 要(たかやしき かなめ) : 声 - [[中村秀利]] -/ : 忍の親友。文士崩れであだ名は「[[快傑ライオン丸]]」。忍曰く口は悪いが根はいい奴とのことだが、初対面の紅緒を見て忍を[[ロリータ・コンプレックス|ロリコン]]呼ばわりした。美人に弱く、環に思いを寄せていたがまったく相手にされていなかった。実は[[純文学]]を標榜する人気[[作家]]。登場当初はゲストキャラ的扱いで伊集院家のパーティの客の一人の新進気鋭の新人作家として登場し、物語に関わるキャラになったのは後年。その為に本来なら紅緒とは面識があるはずだったが、忍の戦死扱いが原因で2人の距離が大きく離れた為にお互いすっかり忘れ去り、さらに要の方は軍人嫌いになった。冗談社が経営不振に陥った際、紅緒が原稿依頼に行ったものの前述の理由でまったく相手にされず、環の説得でようやく執筆を承諾した。要の人気もあって冗談社は持ち直したものの、彼の自宅には[[思想犯]]も出入りしており、これが原因で紅緒が絶体絶命の窮地に陥ることになる。 ; 江戸川端 散歩(えどかわばた さんぽ) : 声 - 永井一郎(テレビアニメ版) : 冗談社の編集者となった紅緒が担当した作家。見た目は[[吸血鬼]][[ドラキュラ伯爵|ドラキュラ]]そのもの。ノリが良く、奇行癖がある変人だが気さくな面もある。代表作は『廃人二十面相』。 === 帝国軍人 === ; 鬼島 森吾(おにじま しんご) : 声 - [[安原義人]] / [[中井和哉]] : 忍が小倉連隊([[歩兵第14連隊]])へ転属になったときの部下。[[隻眼]]で左の頬には十字傷のある強面。階級は[[軍曹]]。彼を中心とした小隊は「兵隊やくざ」として鼻つまみ者となっていた。当初はエリート[[将校]]である忍に対し反感を持っていたが、彼のさばけた性格と外見に似合わぬ男気が気に入り親しくなった。忍と共にシベリアに出兵したが、忍が鬼島を助けようとして敵兵に斬りつけられる(その場面を見た部下が引揚げ後に伊集院家及び紅緒に忍戦死を報告する事になる)。鬼島自身帰還することが出来ず、共に戦死したものと思われていた。 : 辛うじて生き長らえた鬼島はそのまま軍を抜け脱走兵となり、自分たちを見捨てた日本軍への憎しみを抱き、[[満州]]で[[馬賊]]の頭目となった。彼の率いる一団は「黒い狼」の名で恐れられるようになる。日本軍を狙っては暴れ回っていたところ、現地に取材に来ていた紅緒と賊らしい形で出会い、そこで紅緒が忍の話にあった許嫁本人と知る(名前だけは忍から聞いていたので知っていた)。後に、忍のことを想い死のうとした紅緒を救っている。恩人の婚約者とは知りながら紅緒に惹かれ、後に馬賊を解散して日本に戻り、伊集院家の居候となる。サーシャと忍の母・エレナの最期を伝えるため狸小路伯爵家を訪れた際、サーシャの正体をいち早く確認するが本人の希望で黙っていた。しかし、苦しむ紅緒を見ていられなくなる。同じく紅緒と忍を複雑に見守ってきた環と知り合い、当初は反目するものの次第に惹かれ合う。 : 番外編では、少年時代に大人の女性に淡い恋心を抱き、左目を失うことになった事故について描かれた。また、彼の不器用な優しさを改めて知った環と歩む未来が暗示されている。 : 作者によれば『[[科学忍者隊ガッチャマン]]』で人気のあったキャラクター、コンドルのジョーがモデルである。 ; 印念(いんねん)中佐 : 声 - [[肝付兼太]] / [[をはり万造]] : 陸軍[[中佐]]で紅緒の父や忍の上官。尊大かつ陰険で私怨を忘れない性格、かつ顔立ちと風貌が特徴的<ref group="注">作中で誰もが彼の人相に関して、「[[らっきょう]]を逆さにしたような顔で、陰険そのものの目付きに、[[富士山]]型のおちょぼ口、とどめが恐怖の点々まゆげ」という言葉を用いる。なお途中で遮られる事も多く、明確に最後まで言い切ったのは紅緒と牛五郎のみ。</ref>。酒場で酒乱の紅緒と喧嘩になり、その怨恨から忍を戦地に追いやるため小倉連隊への左遷を働きかけた。後に[[大佐]]に昇進し、満州の駐在武官に赴任したが、紅緒と鬼島達の襲撃を受け、その際の死の恐怖から発狂して廃人となる。 ; 大河内(おおこうち)中将 : 声 - [[中博史]](劇場アニメ版) : 陸軍中将で忍や花村少佐の上官。[[第1師団 (日本軍)|第一師団]]長。温厚で理解のある人物。しかし、印念の謀略で忍が小倉連隊に左遷されたときは、紅緒の懇願も空しく命令を覆すことは出来なかった。後に投獄された紅緒をある人物の依頼で救った。セリフに「アヤヤ」「オヨヨ」という言葉が混ざるのは[[大河内傳次郎]]の口癖を模したものである。なお後年の作品『[[紀元2600年のプレイボール]]』にネタキャラとして登場している場面がある。 === その他 === ; 花乃屋 吉次(はなのや きちじ) : 声 - [[増山江威子]] / [[伊藤静]] : [[柳橋 (神田川)|柳橋]]の[[芸者]]で、やくざ者をも一喝して退ける気丈な美女。忍の戦友の内縁の妻だったが、夫が[[第一次世界大戦]]で戦死し、自殺を図ったところを忍に救われる。忍に好意を寄せていたが、紅緒と知り合い早くから彼女のよき理解者となる。一時、芸者修行をしていた紅緒の面倒をみていたが、軍人の客とトラブルを起こしたため、紅緒に旧知の冬星が経営する冗談社を紹介した。後に花村少佐に好意を寄せられるようになり、震災に際して命懸けで助けた花村と結ばれた。 ; 羅鈍のお定(らどんのおさだ) : 投獄された紅緒が知り合った女囚で牢名主。顔を継ぎ合わせたような傷跡<ref group="注">紅緒からは国鉄の地図のようだと評された。</ref>が特徴。新入りながら傍若無人な紅緒をシメようとするが返り討ちにされた。後に出所して花村家に押し売りに来た際に紅緒と再会。嫌がらせのため花村家に居座る。花村少佐に一目惚れしてつきまとうがフラれた。どもり症で上手にしゃべれない。 ; 青江父 : 声 -/ [[井上和彦 (声優)|井上和彦]] : 成り上がりの銀行家。華族出身の妻を金で嫁にもらった引け目があり、彼女のわがままや遊びを黙認している。 ; 青江母 : 声 -/ [[島本須美]] : 華族の令嬢で16歳で金のために銀行家の夫に嫁いだ。そのとき以前交際していた男との間にできた子を身ごもっており、出産したのが冬星である。若々しく贅沢に遊び惚けているが、息子の冬星が家に戻って銀行を継いでくれるのを望んでいる。 == 書籍情報 == 初刊は[[講談社コミックスフレンド]]で単行本化。 ; [[講談社コミックス]] [[デザート (雑誌)|デザート]]版 全8巻(新装版 2016年12月-2017年3月) * 第1巻 ISBN 4-06-393123-4 * 第2巻 ISBN 4-06-393124-2 * 第3巻 ISBN 4-06-393125-0 * 第4巻 ISBN 4-06-393126-9 * 第5巻 ISBN 4-06-393141-2 * 第6巻 ISBN 4-06-393142-0 * 第7巻 ISBN 4-06-393164-1 * 第8巻 ISBN 4-06-393165-X ; [[講談社漫画文庫]]版 全4巻(1995年、他に[[講談社の漫画レーベル|スペシャル版]] 全4巻も刊) * 第1巻 ISBN 4-06-260086-2 * 第2巻 ISBN 4-06-260087-0 * 第3巻 ISBN 4-06-260088-9 * 第4巻 ISBN 4-06-260089-7 *映像化・公演に合わせて、愛蔵版(全1巻)も度々刊行している。 == 画集・ムック == *『大和和紀の華麗なる世界 はいからさんが通る』講談社フレンドDELUXE、1976年9月 *:他作品のイラストも含めた特選カラー画集、連載終了時に刊。テレビアニメ放送などで度々再版 *『「はいからさんが通る」と大和和紀ワールド』 外舘惠子編、[[宝島社]]、2017年9月 *『はいからさんが通るの世界』 [[別冊宝島]]編集部編、宝島社、2017年10月 *:前者は主に原作・イラスト、後者はアニメ版のファンムック == 小説 == *[[時海結以]] 『はいからさんが通る』 講談社[[青い鳥文庫]] 全2巻。原作版のノベライズ **上巻 2017年9月。ISBN 978-4062856546。装画は大和和紀自身 **下巻 2017年10月。ISBN 978-4062856607 *[[時海結以]] 『小説 劇場版はいからさんが通る』 講談社[[KCデラックス]] 全2巻。劇場アニメ版のノベライズ **小説「劇場版 はいからさんが通る 前編 〜紅緒、花の17歳〜」 2017年10月。ISBN 978-4063932775 **小説「劇場版 はいからさんが通る 後編 〜花の東京大ロマン〜」 2018年9月。ISBN 978-4065127711 == イメージソング == テレビアニメ版と前後して[[新派]]で舞台化された際に、主演の[[水谷八重子 (2代目)|水谷良重]]が歌うイメージソングも[[フィリップス・レコード]]から1978年7月に発売された(FS-2096)。ジャケット裏には大和の直筆メッセージが掲載されている。 * 「はいからさんのラブ・ソング」(3分50秒) * 「はいからさんが通る」(2分54秒) : 作詞:大和和紀 / 作曲:[[中村泰士]] / 編曲:槌田靖織 / 歌:水谷良重 == テレビアニメ == [[1978年]][[6月3日]]から[[1979年]][[3月31日]]まで、朝日放送(ABC)を制作局としてテレビ朝日系で放送された(全42話)。当初は1年間の放送予定であったが、原作中盤時点([[シベリア出兵]]に従軍した忍が、記憶喪失となりロシア貴族として帰国した時点)で、放送が打ち切り終了となり、原作の結末である[[関東大震災]]後の大団円まで描かれていない。 1980年代はテレビ東京で、[[2003年]]には[[NHK衛星第2テレビジョン|NHK-BS2]]で再放送が行われた。2000年代にはCS放送[[アニマックス]]と[[ファミリー劇場]]でたびたび全話放送が行われ、2010年代も[[2012年]][[1月]]に[[フジネットワーク|他局系]]のCSテレビ局・[[フジテレビTWO]]での放送が行われている。 [[2016年]][[12月21日]]に全話収録の[[DVD-BOX]]及びBlu-rayBOXが[[ワーナー ブラザース ジャパン|ワーナー・ブラザース・ホームエンターテイメント]]より発売された。 横浜の[[放送ライブラリー]]では第1話「紅緒は花の十七才」の閲覧が可能である。また、角川が一時期運営していた[[YouTube]]のアニメ無料配信チャンネル「AniChan」でも同話を公式扱いで公開していた時期がある。 テレビアニメ版の中途での打ち切りにより、後の代表作『[[あさきゆめみし]]』他数作が、何度かアニメ化の話があったが原作者サイドが断っている{{要出典|date=2016年11月}}<ref group="注">『あさきゆめみし』に関しては2009年にフジテレビの深夜アニメ枠・[[ノイタミナ]]でのアニメ化が進められたが、諸般の事情により最終的にはオリジナルアニメ作品『[[源氏物語千年紀 Genji]]』として放送された。詳細は当該項目先を参照。</ref>。 原作者の大和によるとテレビアニメ版が放送されていた時間帯に[[モスクワオリンピック]]の中継を編成することが決まり、テレビ局からの通知で急遽打ち切りが決まったという。大和自身はテレビアニメ版の製作には直接タッチしていなかったが、打ち切りが決まった時点で残りが10回から3回分に減らされたことからアニメスタッフから相談を受け、かつ協力を仰がれた。しかし、テレビアニメ版のストーリーの進展が原作の半ば部分だったことから大和自身もどうすることもできず未完という形で理不尽に放送を終了せざるを得なかった。この件を重く見た製作元の日本アニメーションは大和に何度か完結編の製作を持ちかけたが、完結編兼リメイク版の製作が始動したのはテレビアニメ版の終了から38年後のことで、この劇場版アニメの完成を以てようやく完結した<ref>{{Cite web|和書| url = https://bunshun.jp/articles/-/4866| title = 原作者が語る、テレビ版『はいからさんが通る』が尻切れトンボで終わった理由| publisher = 文春オンライン| date = 2017-11-09| accessdate = 2017-11-17}}</ref>。 === キャスト(テレビアニメ) === {{Main2|主なキャスト|#登場人物}} ==== キャストに纏わる逸話 ==== *紅緒役の横沢は個人的に是非ともやりたい役だったのだが、前番組の『[[若草のシャルロット]]』でヒロインをやっていた事で問題になってしまった。理由は2作品続けてのヒロイン役は前例が無いと言うことでオーディションを受かったものの落とされてしまった。ところが再オーディションをしてもイメージに合う方が居なかったので、結局、横沢が演じさせていただける事になったと語っている<ref>主婦の友社『声優道 名優50人が伝えたい仕事の心得と生きるヒント』よこざわけい子 P97~98「天才じゃなくていい。努力の積み重ねが実を結ぶ」。</ref>。 === スタッフ(テレビアニメ) === * 製作 - 本橋浩一 * 製作管理 - 高桑充 * 企画 - 佐藤昭司 * 脚本 - [[高橋二三]] * 音楽 - [[山口ますひろ]] * プロデューサー - 根来昭 * 監督 - 横田和善、馬越彦弥 * アニメーションキャラクター - [[芝山努]] * 美術監督 - 瀬戸内一 * 撮影監督 - 萩原亨 * 編集 - 古池東風、上遠野英俊 * 現像 - [[東京現像所]] * 録音監督 - [[藤野貞義]] * 効果 - [[フィズサウンドクリエイション|石田サウンド]] * 整音 - 桑原邦男 * 演出助手 - 岡崎幸男 * 製作協力 - [[トランス・アーツ]] * 制作 - [[日本アニメーション]]、[[朝日放送テレビ|朝日放送]] === 主題歌(テレビアニメ) === * '''オープニングテーマ - 「[[はいからさんが通る (関田昇介の曲)|はいからさんが通る]]」''' * '''エンディングテーマ - 「ごきげんいかが?紅緒です」''' : 両曲ともに、作詞 - [[中里綴]] / 編曲 - 山口ますひろ / 作曲・歌 - [[関田昇介]] === 放送リスト === {| class="wikitable" style="font-size:small" !話数!!サブタイトル!!絵コンテ!!作画監督 |- |1||紅緒は花の十七才||よこよこお||田代和男 |- |2||おさらば駈落ち||吉田浩||水村十司 |- |3||恋の二日酔||高垣幸蔵||永樹龍博 |- |4||浅草どたばたオペラ||松浦錠平||田中英二<br />[[岸義之]] |- |5||それいけ見習い花嫁||熊瀬哲郎||田代和男 |- |6||かりそめのウエディングマーチ||吉田浩||田中英二<br />水村十司 |- |7||伯爵さま! ごめんあそばせ||高垣幸蔵||田中英二 |- |8||泣きません勝つまでは||rowspan="4"|吉田浩||田中英二<br />[[西城隆詞]] |- |9||初めての胸のときめき||田中英二<br />岸義之 |- |10||召しませ愛の特効薬||田代和男 |- |11||ようこそ嘆きの園遊会(パーティー)へ||田中英二<br />水村十司 |- |12||踊れ! 悩ましの美少女?!||熊瀬哲郎||田中英二<br />西城隆詞 |- |13||恋は思案の帆かけ舟||吉田浩||田代和男 |- |14||思い乱れて花二輪||馬越彦称||田中英二<br />岸義之 |- |15||さようなら古きものヨ||高垣幸蔵||永樹龍博 |- |16||いざさらば落第花嫁||rowspan="4"|吉田浩||田中英二<br />水村十司 |- |17||さすらいの花びら||田中英二<br />西城隆詞 |- |18||恨み買いますご用心||藤原真理 |- |19||つかの間の幸せ||田中英二<br />水村十司 |- |20||相合傘のお二人は?||高垣幸蔵||永樹龍博 |- |21||命みじかく悩み果てなく||吉田浩||田中英二<br />岸義之 |- |22||散る花咲く花恋の花||高垣幸蔵||[[富永貞義]] |- |23||きのう天国、きょう地獄||rowspan="3"|吉田浩||田中英二<br />西城隆詞 |- |24||陸軍さん許せない!||田代和男 |- |25||行かないで! 少尉||富永貞義 |- |26||女らしく! お酒をやめて||高垣幸蔵||永樹龍博 |- |27||赤い夕日のシベリアで||馬越彦称||田中英二<br />水村十司 |- |28||男の戦い女の戦い||rowspan="4"|吉田浩||田中英二<br />西城隆詞 |- |29||硝煙弾雨のシベリアで||田中英二<br />岸義之 |- |30||花と散る少尉の最後!||田代和男 |- |31||ああ涙もかれ果てて||富永貞義 |- |32||黒髪きって捧げます||よこよこお<br />大滝勝之||田中英二<br />水村十司 |- |33||明日に向ってまっしぐら||rowspan="5"|吉田浩||永樹龍博 |- |34||芸者紅千代こんばんは||田中英二<br />西城隆詞 |- |35||美しき嘘||富永貞義 |- |36||泣いて笑って初月給||田中英二<br />岸義之 |- |37||いとしの少尉いまいずこ||田中英二<br />水村十司 |- |38||馬賊恋しや少尉どの||山崎勝彦||永樹龍博 |- |39||流れ流れて馬賊の詩||よこよこお||田中英二<br />西城隆詞 |- |40||少尉は生きてる心の中に||rowspan="3"|吉田浩||田代和男 |- |41||飛行船で飛んできた人||田中英二<br />岸義之 |- |42||嗚呼! 大正ろまんす||田代和男<br />富永貞義 |} === 放送局 === {{放送期間|media=テレビ | ネット状況 | 放送時間 | 放送局 | 対象地域 | 備考 | 同時ネット | 土曜 19:00 - 19:30 | 朝日放送 | [[広域放送|近畿広域圏]] | '''制作局'''<br />現・[[朝日放送テレビ]] | | | [[北海道テレビ放送|北海道テレビ]] | [[北海道]] | | | | [[東日本放送]] | [[宮城県]] | | | | [[テレビ朝日]] | 関東広域圏 | | | | [[名古屋テレビ放送|名古屋テレビ]] | 中京広域圏 | | | | [[瀬戸内海放送]] | [[香川県]] | 本放送当時は[[岡山県・香川県の放送|岡山県との相互乗り入れ]]実施前 | | | [[広島ホームテレビ]] | [[広島県]] | | | | [[九州朝日放送]] | [[福岡県]] | | 遅れネット | 水曜 17:00 - 17:30 | [[青森放送]] | [[青森県]] | [[日本テレビネットワーク協議会|日本テレビ系列]]・テレビ朝日系列 | | 火曜 17:30 - 18:00 | 岩手放送 | [[岩手県]] | [[ジャパン・ニュース・ネットワーク|TBS系列]]<br />現・[[IBC岩手放送]] | | | [[秋田放送]] | [[秋田県]] | 日本テレビ系列 | | 水曜 17:00 - 17:30 | [[山形テレビ]] | [[山形県]] | [[フジネットワーク|フジテレビ系列]]・テレビ朝日系列 | | | [[福島中央テレビ]] | [[福島県]] | 日本テレビ系列・テレビ朝日系列 | | 火曜 17:30 - 18:00 | [[新潟放送]] | [[新潟県]] | TBS系列 | | 金曜 17:00 - 17:30 | [[北日本放送]] | [[富山県]] | 日本テレビ系列 | | 火曜 17:00 - 17:30<br />→日曜 17:00 - 17:30<ref>『[[北國新聞]]』1979年3月25日付朝刊、テレビ欄。</ref> | [[北陸放送]] | [[石川県]] | TBS系列 | | 金曜 16:40 - 17:10<br />→土曜 15:30 - 16:00<ref>『[[北國新聞]]』1979年7月21日付朝刊、テレビ欄。</ref> | [[福井テレビジョン放送|福井テレビ]] | [[福井県]] | フジテレビ系列 | | 水曜 17:30 - 18:00 | [[山梨放送]] | [[山梨県]] | 日本テレビ系列<br />1978年8月2日放送開始<ref>YBSテレビ基本番組表 1978年8月号参照</ref> | | 木曜 17:00 - 17:30 | [[信越放送]] | [[長野県]] | TBS系列 | | 土曜 18:00 - 18:30 | 静岡けんみんテレビ | [[静岡県]] | 日本テレビ系列・テレビ朝日系列<br />現・[[静岡朝日テレビ]]<br />1978年7月開局から | | 月曜 19:00 - 19:30 | [[日本海テレビジョン放送|日本海テレビ]] | [[鳥取県]]・[[島根県]] | 日本テレビ系列 | | 水曜 17:00 - 17:30 | [[岡山放送|テレビ岡山]] | [[岡山県]] | フジテレビ系列・テレビ朝日系列<br />本放送当時は香川県との相互乗り入れ実施前 | | 金曜 17:15 - 17:45 | [[山口放送]] | [[山口県]] | 日本テレビ系列・テレビ朝日系列<ref group="注">テレビ朝日系列は1978年10月以降。</ref> | | 金曜 16:55 - 17:25 | [[南海放送]] | [[愛媛県]] | 日本テレビ系列 | | 火曜 17:25 - 17:55 | [[テレビ高知]] | [[高知県]] | TBS系列 | | 水曜 16:50 - 17:20 | [[長崎放送]] | [[長崎県]] | TBS系列 | | 月曜 17:25 - 17:55 | [[テレビ熊本]] | [[熊本県]] | フジテレビ系列・日本テレビ系列・テレビ朝日系列 | | 水曜 17:00 - 17:30 | [[テレビ宮崎]] | [[宮崎県]] | フジテレビ系列・日本テレビ系列・テレビ朝日系列 | | 火曜 17:20 - 17:50 | [[鹿児島テレビ放送|鹿児島テレビ]] | [[鹿児島県]] | フジテレビ系列・日本テレビ系列・テレビ朝日系列 | note= 同時ネット局は全て[[オールニッポン・ニュースネットワーク|テレビ朝日系列]]フルネット局。遅れネット局の系列は本放送当時のもの。 |ref={{Cite journal |和書 |journal=[[アニメージュ]] |issue=1979年2月号 |publisher=[[徳間書店]] |title=全国放映リスト |pages=52 - 54}} }} {{前後番組 |放送局=[[朝日放送テレビ|朝日放送]]制作 [[テレビ朝日]]系 |放送枠=土曜19時台前半のアニメ枠(1978年6月 - 1979年3月) |前番組=[[若草のシャルロット]] |次番組=[[シートン動物記 りすのバナー]] }} == 劇場アニメ == {{Infobox Film | 作品名 = 劇場版 はいからさんが通る<br />前編 〜紅緒、花の17歳〜<br />後編 〜花の東京大ロマン〜 | 原題 = | 画像 = | 画像サイズ = | 画像解説 = | 監督 = [[古橋一浩]](前編)<br />城所聖明(後編) | 脚本 = 古橋一浩 | 原案 = | 原作 = [[大和和紀]]「はいからさんが通る」 | 製作 = | 製作総指揮 = | ナレーター = | 出演者 = [[早見沙織]]<br />[[宮野真守]] | 音楽 = [[大島ミチル]] | 主題歌 = | 撮影 = 荻原猛夫([[グラフィニカ]]) | 編集 = | 制作会社 = [[日本アニメーション]] | 製作会社 = 劇場版「はいからさんが通る」製作委員会 | 配給 = [[ワーナー ブラザース ジャパン|ワーナー・ブラザース映画]] | 公開 = {{Flagicon|JPN}} 2017年11月11日(前編)<br />{{Flagicon|JPN}} 2018年10月19日(後編) | 上映時間 = 97分(前編)<br />105分(後編) | 製作国 = {{JPN}} | 言語 = [[日本語]] | 製作費 = | 興行収入 = 6800万円(前編)<ref>『[[キネマ旬報]]』2018年3月下旬 映画業界決算特別号 p.55</ref><br />6700万円(後編)<ref>『キネマ旬報』2019年3月下旬特別号 p.57</ref> | 前作 = | 次作 = }} 大和の画業50周年の一環として、テレビアニメと同じく日本アニメーションが二部作で制作<ref>{{Cite web|和書|date=2017-03-23 |url=https://natalie.mu/comic/news/225604 |title=劇場版「はいからさんが通る」前編は11月!後編では原作の結末までを初アニメ化 - コミックナタリー(株式会社ナターシャ)|accessdate=2017-03-23}}</ref>、前編『'''劇場版 はいからさんが通る 前編 〜紅緒、花の17歳〜'''』は2017年11月11日<ref group="注">当初は出典にあるとおり、前編を2017年2月3日に公開予定であったが、同年3月、正式に公開日の順延が発表された。</ref><ref>{{Cite web|和書|date=2016-11-01 |url=https://natalie.mu/comic/news/207584 |title=劇場版「はいからさんが通る」は2部作!紅緒役は早見沙織、忍役は宮野真守 - コミックナタリー(株式会社ナターシャ)|accessdate=2016-11-01}}</ref>、後編『'''劇場版 はいからさんが通る 後編 〜花の東京大ロマン〜'''』<ref group="注">当初は『劇場版 はいからさんが通る 後編 〜東京大浪漫〜』と発表されていたが、前編公開と同時に現在の表記に改められた。</ref>は2018年10月19日公開<ref>{{Cite web|和書|date=2018-05-24 |url=https://natalie.mu/comic/news/283512 |title=劇場版はいからさん後編「〜花の東京大ロマン〜」公開日は10月19日に決定 - コミックナタリー(株式会社ナターシャ)|accessdate=2018-05-24}}</ref>。 概要で前述したとおり、テレビアニメ版では描かれなかった原作のラストエピソードまでが初めてアニメ化された。監督は前編を『[[るろうに剣心 -明治剣客浪漫譚- (アニメ)|るろうに剣心 -明治剣客浪漫譚-]]』などの[[古橋一浩]]が担当(古橋は脚本も前後編通して執筆)。後編は『[[打ち上げ花火、下から見るか? 横から見るか?]]』(アニメ版)の演出などを担当した城所聖明が初監督作品として携わる<ref group="注">当初は[[加瀬充子]]が担当すると発表されていたが、前編公開と同時に後編の監督交代が公式に発表された。</ref>。 ナレーションは前編の開幕を森功至、後編の終幕をよこざわけい子がそれぞれ務めている。 本作品の完成を以て、アニメ版『はいからさんが通る』は38年の時を経てようやく完結の時を迎えた。 === あらすじ(劇場アニメ) === ; 前編 : 大正七年の東京。17歳の'''花村紅緒'''はお転婆ではいからさんな女学生。ある日、紅緒はハーフの陸軍歩兵少尉'''伊集院忍'''と出会い、祖父母の代から決められた[[許婚]](いいなづけ)と知らされる。反発する紅緒は幼馴染の'''藤枝蘭丸'''と家出するが、泥酔したところを少尉に保護される。紅緒は伊集院家に行儀見習いに出される。型破りな紅緒のふるまいは、堅苦しい伊集院家を少しずつ変えていく。紅緒も心優しい少尉を愛するようになる。少尉は小倉師団に転属し、大正七年、[[シベリア出兵]]する。秋、少尉の訃報が届く。紅緒は髪を切り、「二夫にまみえず」の意を込めた白い喪服で葬儀に出席、伊集院家を守っていくと宣言する。紅緒は家計を支えるため、女嫌いの'''青江冬星'''が編集長を務める「冗談社」の記者となる。そこで、満州に小倉師団出身の馬賊がいると聞いた紅緒は、少尉の手がかりを求め満州に渡る。 ; 後編 : 満州に渡った紅緒は、少尉の部下で馬賊の頭目になった'''鬼島森吾'''を見つける。鬼島から少尉の最期を聞いた紅緒は少尉への変わらぬ思いを胸に帰国。ロシアの亡命貴族'''サーシャ・ミハイロフ'''侯爵と妻'''ラリサ'''が飛行船で日本に到着。紅緒はミハイロフが少尉そっくりなのに驚く。日本に帰国した鬼島はミハイロフと少尉は異父兄弟との情報を紅緒に教える。母親から見合いを勧められていた冬星は紅緒に求婚。だが紅緒はまだ少尉をあきらめきれない。紅緒の顔に見覚えがあったミハイロフは一人伊集院邸を訪ね、自分が伊集院忍であり、シベリアで記憶喪失になりラリサに助けられたことを思い出す。だが病気で余命いくばくもないラリサを捨てることはできない。全てを知った紅緒は、ラリサと伊集院家のために少尉との婚約を解消し、冬星との結婚を決意。大正十二年九月一日、ラリサは少尉に看取られて息を引き取る。教会では紅緒と冬星の結婚式が行われていたが、[[関東大震災]]が発生。少尉は炎に包まれた教会にかけつけ、逃げ遅れた紅緒を救出し抱き合う。後日、伊集院家で紅緒と少尉は結婚。その後、被災者のための炊き出しを始める。 === スタッフ(劇場アニメ) === * 原作 - [[大和和紀]]「はいからさんが通る」([[講談社]] KCDX([[デザート (雑誌)|デザート]])所載) * 監督 - [[古橋一浩]](前編)、城所聖明(後編) * 脚本 - 古橋一浩 * キャラクターデザイン - [[西位輝実]] * サブキャラクターデザイン - [[小池智史]]、吉岡彩乃(後編) * 総作画監督 - 小池智史(前編)、中村深雪 (後編)、大竹紀子(後編)、伊藤秀樹(後編) * 演出 - 細川ヒデキ・鈴木吉男・山口美浩(前編) * 作画監督 - 仁井学・宍戸久美子・仲敷沙織・伊藤秀樹・薗部あい子・中島美子・木下由美子・飯塚葉子・小磯由佳・[[羽山淳一]]・西位輝実(前編) * 背景デザイン・美術監督 - [[秋山健太郎]] * 美術設定 - 藤井綾香、佐藤えみ子 * プロップデザイン - 枝松聖 * 設定考証 - 中條元史 * 色彩設計 - [[辻田邦夫]] * 撮影 - 荻原猛夫([[グラフィニカ]]) * 編集 - 丹彩子 * 音響監督 - [[若林和弘]] * 音楽 - [[大島ミチル]] * プロデューサー - 松田章男、井上孝史、川添千世 * 制作プロデューサー - 伊藤耕一郎 * 配給 - [[ワーナー ブラザース ジャパン|ワーナー・ブラザース映画]] * アニメーション制作 - [[日本アニメーション]] * 製作 - 劇場版「はいからさんが通る」製作委員会(ワーナー ブラザース ジャパン、日本アニメーション、[[講談社]]、[[クロックワークス]]、[[朝日新聞社|朝日新聞]]、[[東京メトロポリタンテレビジョン]]) === 主題歌(劇場アニメ) === ; 「[[夢の果てまで]]」(前編) : 作詞・作曲 - [[竹内まりや]] / 編曲 - [[増田武史]] / 歌 - [[早見沙織]] ; 「[[新しい朝]]」(後編) : 作詞・作曲 - 竹内まりや / 編曲 - [[前口渉]] / 歌 - 早見沙織 == テレビドラマ == === 1979年版 / 連続番組 === 『[[宝塚歌劇舞台中継 (関西テレビ)|宝塚テレビロマン・はいからさんが通る]]』として、[[宝塚歌劇団]]の団員の出演で1979年4月7日より1980年8月30日まで[[関西テレビ放送|関西テレビ]]で放送された。宝塚歌劇では珍しい、テレビ用のオリジナルミュージカルだった。 肖像権及び権利上の関係から再放送や映像ソフト化は行われていない。 ; 演出・脚本 * [[植田紳爾]] ; キャスト * 花村紅緒:[[花鳥いつき]] * 伊集院忍:[[平みち]] * 冬星:[[剣幸]] * 環:[[美雪花代]] * 鬼島軍曹:[[日向薫]] * 藤枝蘭丸:[[瀬川佳英]] * ラリサ:[[遥くらら]] * 案内役:[[キャッシー (タレント)|キャッシー]] === 1985年版 / 単発番組 === フジテレビ版。[[月曜ドラマランド]]枠で放送された。 ; キャスト * 花村紅緒:[[三田寛子]] * 伊集院忍:[[野口五郎]] * 北小路環:[[城戸真亜子]] * その他:[[久我美子]]、[[小鹿番]]、[[水野晴郎]]、[[笑福亭笑瓶]]、[[南州太郎]]、[[岡本麗]]、[[若村麻由美]]ほか ; スタッフ * 脚本: * 演出:福田真治 * プロデューサー:中曽根真弓 * 技術協力:[[東通]] * 制作:フジテレビ、[[泉放送制作]] === 2002年版 / 単発番組 === TBS版。『[[モーニング娘。新春! LOVEストーリーズ]]』の一つとして放送された。 ; キャスト * 花村紅緒:[[石川梨華]] * 伊集院忍:[[沢村一樹]] * 北小路環:[[吉澤ひとみ]] * 桂木ルリ子:[[矢口真里]] * あおい:[[小川麻琴]] * かすみ:[[高橋愛]] * さくら:[[紺野あさ美]] * すみれ:[[新垣里沙]] * 如月ふみ(伊集院家奥女中):[[根岸季衣]] * 伊集院博文(伯爵、忍の祖父):[[御木本伸介]] * 伊集院蔦子(伯爵夫人、忍の祖母):[[吉行和子]] * 花村正悟(紅緒の父):[[伊武雅刀]] * その他:[[高橋ひとみ]]、[[宮崎美子]]ほか {{前後番組 |放送局=関西テレビ制作 |放送枠=土曜18時台前半枠(1979年4月 - 1980年4月) |番組名=宝塚テレビロマン・はいからさんが通る |前番組=ザ・タカラヅカ |次番組=OH!タカラヅカ |2放送局=[[フジテレビジョン|フジテレビ]] |2放送枠=[[月曜ドラマランド]](1985年4月15日) |2前番組=[[いじわるばあさん|意地悪ばあさん<br />まだまだ…マダマダの巻]] |2次番組=[[ホールドアップ!|特別機動少女隊<br />ホールド・アップ!]]| }} == 実写映画 == {{Infobox Film |作品名=はいからさんが通る |原題= |画像= |画像サイズ= |画像解説= |監督=[[佐藤雅道]] |製作総指揮= |製作=[[稲生達朗]]<br />[[河瀬光]]<br />[[河井真也]] |脚本=[[西岡琢也]] |原作=大和和紀 |出演者= [[南野陽子]]<br />[[阿部寛]]<br />[[田中健 (俳優) |田中健]]<br />[[柳沢慎吾]]<br />[[松原千明]]<br />[[野際陽子]]<br />[[丹波哲郎]] |音楽=[[萩田光雄]]<br />[[大谷和夫]] |主題歌=南野陽子「[[はいからさんが通る (南野陽子の曲)|はいからさんが通る]]」 |撮影=[[大町進]] |編集=[[中野博 (編集技師)|中野博]] |配給=[[東映]] |公開={{flagicon|JPN}} [[1987年]][[12月12日]] |上映時間=90分 |製作国={{JPN}} |言語=[[日本語]] |製作費= |興行収入= | 配給収入 = 12億5000万円<ref>{{cite journal |和書 |author = |title = 記録編 邦画配給界 東映 |journal = 映画年鑑 1989年版([[映画産業団体連合会]]協賛) |issue = 1988年12月1日発行 |publisher = 時事映画通信社 |pages = 113 }}</ref> |前作= |次作= }} 1987年12月12日公開。主演・[[南野陽子]]<ref>[https://bunshun.jp/articles/-/602 ナンノの魅力が横溢!純度100%アイドル映画 文春オンライン]</ref>、監督・[[佐藤雅道]]。製作・配給・[[東映]]<ref>[https://lp.p.pia.jp/shared/cnt-s/cnt-s-11-02_1_84d1e0cf-452f-11e8-816e-fbb52deff1d6.html はいからさんが通る〈1987年〉] - [[ぴあ]]</ref>。 [[阿部寛]]の俳優デビュー作<ref name="週刊明星1987121724">{{Cite journal | 和書 | author = | title = モデル界のヒーローが映画界に進出した。これが話題の"いい男"だ! 阿部寛 | journal = [[週刊明星]] |publisher = [[集英社]] |issue = 1987年12月17、24日号 | pages = 22-23 }}</ref><ref>[https://myjitsu.jp/archives/71454 いつの間にか「演技派」になっていた『超ド下手』な俳優たち]</ref>。 同時上映は『[[ビー・バップ・ハイスクール 高校与太郎狂騒曲]]』。 === キャスト === *花村紅緒:[[南野陽子]] *伊集院忍:[[阿部寛]] *青江冬星:[[田中健 (俳優)|田中健 ]] *牛五郎:[[柳沢慎吾]] *吉次:[[松原千明]] *北小路環:[[篠山葉子]] *河内大佐:[[鈴木瑞穂]] *印念中佐:[[木村元]] *あごなしばあや:[[千石規子]] *伊集院夫人:[[風見章子]] *如月:[[野際陽子]] *鬼島軍曹:[[本田博太郎]] *花村小佐:[[河原崎長一郎]] *伊集院伯爵:[[丹波哲郎]] *[[辰馬伸]]、[[早川雄三]]、[[冨家規政]]、[[城谷光俊]]、[[山浦栄]]、[[高山千草]] ほか === スタッフ === * 企画 - 植田泰治 * プロデューサー - 稲生達朗、河瀬光(東映)、[[河井真也]](フジテレビ) * 原作 - 大和和紀 * 脚本 - [[西岡琢也]] * 監督 - 佐藤雅道 * 音楽 - [[萩田光雄]]、[[大谷和夫]] * 音楽プロデューサー - 石川光 * 音楽事務 - 新井明美 * 撮影 - 大町進 * 美術 - [[高橋章]] * 照明 - 篠崎豊治 * 録音 - 宗方弘好 * 編集 - 中野博 * 助監督 - 三輪誠之 * 進行主任 - 杉崎隆行 * 記録 - 高津省子 * 撮影効果 - 吉岡健一 * 音響効果 - 原尚 * 背景 - 植田泰明 * 装置 - 開米慶四郎 * 装飾 - 小原昭 * スタイリスト - 金丸照美(ICA) * 衣裳 - 東京衣裳 * ヘアーメイク - アートメイク・トキ、奥村弘子 * 刺青 - 霞涼二 * 擬斗 - [[岡田勝]] * 監督助手 - 山仲浩充、岡田周一、光石冨士朗 * 撮影助手 - 勝倉米明、山本一成、中川克也 * 撮影効果助手 - 佐藤信一 * 照明助手 - 石丸隆一、矢島俊幸、岡秀雅、石川英行、中島淳司 * 録音助手 - 渡辺一夫、佐原聡 * 美術助手 - 山崎秀満、[[原田恭明]] * セット付 - 貫井健二 * 装飾助手 - 松宮廣之、永野洋、小谷恒義 * 音響効果助手 - 須田良三 * リーレコ - 岡村昭治 * 編集助手 - 椎名信明 * ネガ編集 - 橋場恵 * スチール - [[原田大三郎]] * 宣伝 - 第四宣伝企画室 * 制作宣伝 - 石井薫 * 演技事務 - 福岡康裕 * 製作進行 - 市山隆治、岡英祐 * 現像 - [[東映化学]] * 企画協力 - [[エスワン・カンパニー]]、[[CBSソニー]]、[[フジテレビジョン]] === 主題歌(実写映画) === ; 「[[はいからさんが通る (南野陽子の曲)|はいからさんが通る]]」 : 作詞:小倉めぐみ / 作曲:[[国安わたる]] / 編曲:萩田光雄 / 歌:[[南野陽子]] : テレビアニメ版で使用された楽曲とは同名異曲。 === 製作 === ==== キャスティング ==== [[南野陽子]]は『[[スケバン刑事II 少女鉄仮面伝説#劇場版|スケバン刑事]]』に次いで主演映画二作目<ref name="月刊明星198801">{{Cite journal | 和書 | author = | date = 1988年1月号 | title =欲しいの、紅緒の情熱。南野陽子『私の中の"はいからさん"を探して』| journal = [[Myojo|月刊明星]] |publisher = [[集英社]] | pages = 11-15 }}</ref>。『はいからさんが通る』は小学5年からの愛読書だったという<ref name="月刊明星198801"/>。 [[阿部寛]]は[[ファッションモデル|モデル]]として大人気だったが<ref>[https://www.p.pia.jp/shared/cnt-s/cnt-s-11-02_1_84d1e0cf-452f-11e8-816e-fbb52deff1d6.html はいからさんが通る〈1987年〉 - ぴあ]</ref><ref name=" huffingtonpost">[https://www.huffingtonpost.jp/2015/11/21/shitamachi-rocket_n_8620642.html 阿部寛が「下町ロケット」で説得力がある理由 イケメン俳優としての下積み時代の経験が光る]</ref>、大学卒業も迫り[[就職活動]]の真最中で、[[芸能界]]に進むか一般企業に就職して[[サラリーマン]]になるか迷い<ref name="週刊明星1987121724"/>、サラリーマンになる方に気持ちが傾いていた<ref name="週刊明星1987121724"/>。1987年8月2日、阿部の元へ東映から「はいからさんの映画をやるから、伊集院忍でやってくれないか」と映画出演のオファーが来た<ref name="週刊明星1987121724"/>。「[[台本]]を読ませて欲しい」と伝え、[[カセットテープ|カセット]]に相手の台詞を吹き込んで練習してみたら「あ、面白そうだなぁ」と感じた<ref name="週刊明星1987121724"/>。この後、佐藤雅道監督と台詞読みをした際、佐藤から「あ、いいなぁ、声もいい。こっちは君でいくって決めるけど、就職を取るかどうかは君が決めてくれ」と言われた<ref name="週刊明星1987121724"/>。それから一週間、体重が3kg落ちホオもこける程考えこみ、"面白そう"の直感と若いんだしやり直しもきくだろうという結論に達し、このオファーを受け、俳優人生がスタートした<ref name="週刊明星1987121724"/><ref name=" huffingtonpost"/>。 ==== 撮影 ==== 撮影中に阿部が『[[森田一義アワー 笑っていいとも!|笑っていいとも!]]』に出演し人気が倍増<ref name="週刊明星1987121724"/>、ロケ中に女性ファンが押し寄せる事態となった<ref name="週刊明星1987121724"/>。1987年10月下旬に[[京都市|京都]]ロケ<ref name="月刊明星198801"/>、[[東映京都撮影所]]他<ref name="月刊明星198801"/>。その他[[鎌倉市|鎌倉]]でもロケが行われた<ref name="月刊明星198801"/>。 === エピソード === 映画の中で髪を切るシーンがあったことから南野陽子は、東映サイドから「[[かつら (装身具)|カツラ]]でやりますか?」と聞かれたが<ref name="週刊明星19880101">{{Cite journal |和書 |author = |title = {{small|アイドルDJ広場(スクエア) No.11 『GENJI GENKI爆発』(ニッポン放送系)}} GENJIvs南野陽子...『激突!!トーク・デスマッチ!!』... |journal = 週刊明星 |publisher = 集英社 |issue = 1988年1月1日号 |pages = 49–51頁 }}</ref><ref name="週刊明星19871126">{{Cite journal |和書 |author = |title = おさわがせスターの喜怒哀楽(秘)総チェック...南野陽子(20) {{small|ファン騒然!! ヘア騒動のテンマツ}}... |journal = 週刊明星 |publisher = 集英社 |issue = 1987年11月26日号 |page = 184頁 }}</ref>、「いえ、自分の毛でやります」と<ref name="週刊明星19880101"/>、中学時代から大切に伸ばしてきた髪を映画のために25cmもバッサリ切った<ref name="月刊明星198801"/><ref name="週刊明星19880101"/><ref name="週刊明星19871126"/>。ずっと髪を切りたいと周りに騒いでいたが<ref name="月刊明星198801"/>、事務所から「仕事の流れがあるから」と制止されていた<ref name="月刊明星198801"/>。実際は「切りたくない」という気持ちの方が強く、誰かに「切るな」と言われてホッとしていた<ref name="月刊明星198801"/>。映画という[[大義名分]]があり、思いきって髪を切る決断をした。切ったら泣くだろうなと思っていたが涙は出なかった<ref name="月刊明星198801"/>。ナンノが髪を切ったことがファンに知られると大きな騒動になった<ref name="週刊明星19871126"/>。大ショックを受けたファンが東映や所属事務所に「切った髪の毛はどうした?」「家宝にするから1本でも欲しい」「サービスとしてチケットに付けて!」などと電話が殺到した<ref name="週刊明星19871126"/>。慌てた東映が調べたところ、東映とナンノとナンノの担当[[美容師|ヘアデザイナー]]の三者で記念に分けることになっていたが、ナンノが「私、必要ないから」と[[東映東京撮影所]]に置いて帰り、東映も処置に困って焼却してしまったと判明<ref name="週刊明星19871126"/>、ファンから大顰蹙を買った<ref name="週刊明星19871126"/>。 ==舞台== 1978年、1980年、1991年、1995年に舞台化された。 ;1978年5月4日~28日 [[新橋演舞場]] [[劇団新派]]公演 *脚本:[[小野田勇]] *演出:[[三木のり平]] *音楽:[[神津善行]] *花村紅緒:[[水谷良重]] *伊集院忍:[[片岡孝夫]] *宗方吟子:[[水谷八重子 (初代)|水谷八重子]] *青江冬星:[[安井昌二]] *車曳き牛五郎:[[菅原謙次]] *花乃家吉次:[[波乃久里子]] *鬼島軍曹:永久保一男 *伊集院章介:中川秀夫 *同綾:[[竹内京子]] *花村健作:[[春本泰男]] *北小路環:紅貴代 *花乃家八重次:[[英太郎 (新派俳優)|二代目英太郎]] *浅野少尉:[[川口恒]] *ロシヤ女ニーナ:井上代司子 *藤枝蘭丸:林啓二 *双葉宮和彦:[[青山哲也]] *お滝:一條久枝 *如月:成田菊雄 *黒金先生:常磐緑 *因念中佐:加納英二郎 *辺面岩男:勝見史郎 *女学生:佐野布美子 ;1980年1月2日~27日 [[梅田コマ劇場]] *脚本:小野田勇 *演出:三木のり平 *音楽:神津善行 *花村紅緒:水谷良重 *北小路環:[[大原ますみ]] *号外売り:三原邦男 *伊集院忍:片岡孝夫 *牛五郎:菅原謙次 *書生:[[芦屋小雁]] *藤枝蘭丸:林啓二 *花村健作:春本泰男 *伊集院綾:竹内京子 *吉次:紅貴代 *桃太郎:青柳喜伊子 *とし:村岡ミヨ *伊集院章介:[[芦屋雁之助]] *青江冬星:四代目[[中村歌六 (5代目)|中村米吉]] *八重次:英太郎 *如月:成田菊雄 *因念中佐:加納英二郎 *浅野少尉:立松昭二 *双葉宮:青山哲也 *黒原大尉:真鍋克彦 *辺面岩男:勝見史郎 *宮本伍長:半田真二 *令嬢/ニーナ:高橋よしこ *令嬢/芸者:峰まり *隠居/江戸川端散歩:平野国臣 *職人/吉松:佐堂克美 *鬼島軍曹:永久保一男 *荒木伍長:鈴木淳 *伝令:[[片岡松之助]] *玉井:伊井義太郎 *黒金先生/丸尾:小泉まち子 *愛相:橋口忠夫 *梅田コマ・ミュージカルチーム ;1991年7月3日~28日 [[名鉄ホール]] *脚本:佐々木猛 *演出:井上思 *花村紅緒:[[柏原芳恵]] *伊集院忍:[[加納竜]] *花村少佐:[[沢本忠雄]] *北小路環:[[永吉京子]] *牛五郎:[[城後光義]] *如月:小柳久子 *弥生:後藤緑 *伊集院伯爵:菅原謙次 *岩崎琴子:[[加茂さくら]] *印念中佐/骨董屋:児玉利和 *夢屋の大将/軍人/岡部:松田隆男 *福屋の大将/麻生男爵:橋本宣三 *職人/東山子爵:安宅忍 *伊集院伯爵夫人:田嶋佳子 *ラリサ・ミハイロフ:根岸由里子 ;1995年2月1日~25日 [[新宿コマ劇場]] 藤あや子特別公演 *脚本・演出:吉村忠矩 *花村紅緒:[[藤あや子]] *伊集院忍:[[金田賢一]] *書生四郎:[[西川弘志]] *金魚の牛五郎:[[小野ヤスシ]] *藤枝蘭丸:[[片桐光洋]] *花乃家吉次:[[片桐夕子]] *花村:[[浅香春彦]] *大河内:宮野琢磨 *環:[[西崎みどり]] *如月:大原ますみ *冬星:[[宗方勝巳]] *印念:[[曽根晴美]] *伊集院章介:[[内田朝雄]] ==宝塚歌劇団による舞台化== *1979年に[[関西テレビ放送|関西テレビ]]の[[宝塚歌劇舞台中継 (関西テレビ)#宝塚テレビロマン|宝塚テレビロマン]]枠でテレビ収録用の舞台が上演された。演出・脚本は[[植田紳爾]]、花村紅緒役は[[花鳥いつき]]、伊集院忍役は[[平みち]]。 {{main|[[#1979年版 / 連続番組|上述]]|[[宝塚歌劇舞台中継 (関西テレビ)#宝塚テレビロマン|宝塚テレビロマン]]}} *2017年および2020年に[[宝塚歌劇団]][[花組 (宝塚歌劇)|花組]]により舞台化。脚本・演出は[[小柳奈穂子]]。 ;2017年の公演 *2017年10月7日〜15日まで、シアター・ドラマシティにて、同年10月24日〜30日まで[[日本青年館]]ホールにて公演。この作品を収録したBlu-ray版が2019年3月に発売された<ref>[https://shop.tca-pictures.net/tcaonlineshop/goods/index.html?ggcd=TSSB-010 ETERNAL SCENE Collection『はいからさんが通る』][[宝塚クリエイティブアーツ]]公式サイト</ref>。 ;2020年の公演 *当初は2020年3月13日〜4月20日まで[[宝塚大劇場]]で、5月8日〜6月14日まで[[東京宝塚劇場]]にて上演予定であったが、[[新型コロナウイルス感染症 (2019年)|新型コロナウイルス]]感染拡大による公演休止・延期を経て、7月17日〜9月5日まで宝塚大劇場に改められた<ref name="next">[https://www.nikkansports.com/entertainment/news/202006150000367.html 宝塚「はいからさんが通る」で7月17日から再開]日刊スポーツ</ref><ref group="注">東京宝塚劇場での公演は当初、未定であったが後に10月9日から11月15日となった。</ref>。しかし公演再開後に、公演関係者13名が新型コロナウイルスに感染し、クラスター化<ref name="noting">[https://www.nikkansports.com/entertainment/news/202008270000430.html クラスター発生の宝塚花組公演 9月3日から再開]日刊スポーツ</ref>。再び公演休止を余儀無くされ、新人公演の取り止めも発表された<ref name="noting"/>。尚、この公演は花組新トップコンビ[[柚香光]]・[[華優希]]の大劇場お披露目公演となる<ref name="next"/>。 {| class="wikitable" ! 役名 !!2017年<ref>{{Cite web|和書|url=https://kageki.hankyu.co.jp/revue/2017/haikarasan/cast.html|title=はいからさんが通る・キャスト|accessdate=2019年9月2日|publisher=宝塚歌劇団公式サイト}}</ref>!!2020年<ref>{{Cite web|和書|url=https://kageki.hankyu.co.jp/revue/2020/haikarasangatooru/cast.html|title=キャスト|accessdate=2021-10-13}}</ref> |- ! 伊集院忍 | colspan="2" | [[柚香光]] |- ! 花村紅緒 | COLSPAN="2" |[[華優希]]<br /> |- ! 青江冬星 ||[[鳳月杏]]||[[瀬戸かずや]]<br /> |- ! 鬼島森吾 | COLSPAN="2" |[[水美舞斗]]<br /> |- ! 北小路環 ||[[城妃美伶]]||[[音くり寿]]<br /> |- ! 藤枝蘭丸 | COLSPAN="2" |[[聖乃あすか]]<br /> |- ! 伊集院伯爵 | COLSPAN="2" |[[英真なおき]](専科)<br /> |- ! 伊集院伯爵夫人 ||[[芽吹幸奈]]||[[美穂圭子]](専科)<br /> |- ! リーダー ||-||[[高翔みず希]]<br /> |- ! 花村政次郎 | COLSPAN="2" |[[冴月瑠那]]<br /> |- ! 如月 | COLSPAN="2" |[[鞠花ゆめ]]<br /> |- ! 卯月 ||-||[[航琉ひびき]]<br /> |- ! 弥生 ||-||[[美花梨乃]]<br /> |- ! 牛五郎 ||[[天真みちる]]||[[飛龍つかさ]]<br /> |- ! 花乃屋吉次 ||[[桜咲彩花]]||[[朝月希和]]<br /> |- ! 狸小路伯爵 | COLSPAN="2" |[[舞月なぎさ]]<br /> |- ! 鈴木 ||[[和海しょう]]||<br /> |- ! 古美 売太 ||-||和海しょう<br /> |- ! ラリサ | COLSPAN="2" |[[華雅りりか]]<br /> |- ! 青江香月 ||-||[[羽立光来]]<br /> |- ! ばあや ||[[新菜かほ]]||[[真鳳つぐみ]]<br /> |- ! 図師 ||[[桜舞しおん]]||-<br /> |- ! 印念中佐 ||[[矢吹世奈]]||[[優波慧]]<br /> |- ! 女教師 ||-||[[更紗那知]]<br /> |- ! 青江須磨子 | COLSPAN="2" |[[春妃うらら]]<br /> |- ! ペラゴロ ||-||[[紅羽真希]]<br /> |- ! 令嬢 ||-||[[雛リリカ]]<br /> |- ! 有明 | COLSPAN="2" |[[峰果とわ]]<br /> |- ! ペラゴロ ||-||[[澄月菜音]]<br /> |- ! 高屋敷要 ||[[亜蓮冬馬]]||[[永久輝せあ]]<br /> |- ! 舞踏会の歌手 ||-||[[若草萌香]]<br /> |- ! 辺面岩男 || ||[[帆純まひろ]]<br /> |- ! 令嬢 ||-||[[凛乃しづか]]<br /> |- ! 牧師 ||-||[[高峰潤]]<br /> |- ! 原信子 ||-||[[糸月雪羽]]<br /> |- ! 田谷力三 ||-||[[泉まいら]]<br /> |- ! 愛相良雄 ||-||[[一之瀬航季]]<br /> |- ! 野路 ||[[和礼彩]]||[[希波らいと]]<br /> |- ! 丸葉 | COLSPAN="2" |[[翼杏寿]]<br /> |- ! 北原 ||[[太凰旬]]<br />||- |} == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Reflist|group="注"|45em}} === 出典 === {{Reflist|35em}} == 参考文献 == * {{cite|和書|date=2013-09-17|last=南|first=信長|authorlink=新保信長|title=マンガの食卓|publisher=[[NHK出版]]|edition=初版第1刷|isbn=978-4-7571-4316-6|ref=harv}} == 関連項目 == * [[反地球]] - 番外編「はいからさんがこけた」に登場する空想上の地球。 == 外部リンク == * [https://comic-sp.kodansha.co.jp/yamatowaki50th/index.html 大和和紀画業50周年 特設ページ](講談社) * {{Allcinema title|87618|はいからさんが通る}} * {{Kinejun title|17900|はいからさんが通る}} * [http://haikarasan.net/ 劇場版アニメ「はいからさんが通る」公式サイト] * {{Twitter|haikara_anime}} - 劇場版アニメ公式アカウント * {{YouTube|playlist = PLizFMbnOjAaUGEzzUIuksaSAuGZtAnuJS|映画『劇場版 はいからさんが通る』}} * [https://magmix.jp/post/28972 まるで打ち切り?1978年のアニメ『はいからさんが通る』 38年の時を超えて完結] {{テレビ朝日系列土曜夜7時台枠のアニメ}} {{講談社漫画賞少女部門|第1回}} {{宝塚歌劇団}} {{古橋一浩監督作品}} {{日本アニメーション}} {{リダイレクトの所属カテゴリ |redirect1= 劇場版 はいからさんが通る |1-1= 2017年のアニメ映画 |1-2= 2018年のアニメ映画 |1-3= ワーナーブラザースジャパンのアニメ映画 |1-4= クロックワークスのアニメ映画 |1-5= TOKYO MX製作のアニメ映画 }} {{DEFAULTSORT:はいからさんかとおる}} [[Category:大和和紀の漫画作品]] [[Category:漫画作品 は|いからさんかとおる]] [[Category:1975年の漫画]] [[Category:少女フレンド]] [[Category:恋愛漫画]] [[Category:大正時代を舞台とした漫画作品]] [[Category:日本の旧制教育機関を舞台とした漫画作品]] [[Category:貴族を題材とした漫画作品]] [[Category:記者を主人公とした漫画作品]] [[Category:出版社を舞台とした作品]] [[Category:軍人を題材とした作品]] [[Category:健忘を題材とした作品]] [[Category:東京を舞台とした漫画作品]] [[Category:関東大震災を扱った作品]] [[Category:大正時代の東京|作はいからさんかとおる]] [[Category:ロシアを舞台とした漫画作品]] [[Category:講談社漫画賞少女部門の受賞作品]] [[Category:ロシアを舞台としたアニメ作品]] [[Category:シベリアを舞台とした作品]] [[Category:朝日放送テレビのアニメ]] [[Category:恋愛アニメ]] [[Category:テレビ朝日系アニメ]] [[Category:アニメ作品 は|いからさんかとおる]] [[Category:日本アニメーション]] [[Category:1978年のテレビアニメ]] [[Category:講談社コミックスのアニメ作品]] [[Category:日本の恋愛映画]] [[Category:日本の旧制教育機関を舞台とした作品]] [[Category:大正時代を舞台としたアニメ作品]] [[Category:貴族を題材としたアニメ作品]] [[Category:記者を主人公としたアニメ作品]] [[Category:東京を舞台としたアニメ作品]] [[Category:東映製作の映画作品]] [[Category:1987年の映画]] [[Category:漫画を原作とする映画作品]] [[Category:大正時代を舞台とした映画作品]] [[Category:東京を舞台とした映画作品]] [[Category:日本の旧制教育機関を舞台とした映画作品]] [[Category:貴族を題材とした映画作品]] [[Category:記者を主人公とした映画作品]] [[Category:ジャーナリズムを題材とした映画作品]] [[Category:鎌倉市で製作された映画作品]] [[Category:京都市で製作された映画作品]] [[Category:月曜ドラマランド]] [[Category:漫画を原作とするテレビドラマ]] [[Category:日本の恋愛ドラマ]] [[Category:1979年のテレビドラマ]] [[Category:関西テレビのテレビドラマ]] [[Category:1985年のテレビドラマ]] [[Category:TBSのスペシャルドラマ]] [[Category:2002年のテレビドラマ]] [[Category:貴族を題材としたテレビドラマ]] [[Category:日本の旧制教育機関を舞台としたテレビドラマ]] [[Category:ジャーナリズムを題材としたテレビドラマ]] [[Category:大正時代を舞台としたテレビドラマ]] [[Category:東京を舞台としたテレビドラマ]] [[Category:ロシアを舞台としたテレビドラマ]] [[Category:日本の舞台作品]] [[Category:1978年の舞台作品]] [[Category:漫画を原作とする舞台作品]] [[Category:恋愛を扱った舞台作品]] [[Category:貴族を題材とした舞台作品]] [[Category:ジャーナリズムを題材とした作品]] [[Category:東京を舞台とした舞台作品]] [[Category:大正時代を舞台とした舞台作品]]
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コルモゴロフ複雑性
コルモゴロフ複雑性(コルモゴロフふくざつせい、英語: Kolmogorov complexity)とは、計算機科学において有限長のデータ列の複雑さを表す指標のひとつで、出力結果がそのデータに一致するプログラムの長さの最小値として定義される。コルモゴロフ複雑度、コルモゴロフ=チャイティン複雑性 (Kolmogorov-Chaitin complexity) とも呼ばれる。 コルモゴロフ複雑性の概念は一見すると単純なものであるが、チューリングの停止問題やゲーデルの不完全性定理と関連する深遠な内容をもつ。コルモゴロフ複雑性やその他の文字列やデータ構造の複雑性の計量を研究する計算機科学の分野はアルゴリズム情報理論と呼ばれており、1960 年代末にアンドレイ・コルモゴロフ、レイ・ソロモノフ、グレゴリー・チャイティンによって創始された。 厳密には、ある有限長の文字列 x として表されるデータ列のある万能計算機 u におけるコルモゴロフ複雑性は以下の式で定義される: ここで、p は計算機 u のためのプログラムであり、u(p) はそれを実行したときに出力される文字列である。l(p) はプログラムの長さを表す。ただし、プログラムは入力をもたず、つねに決まった出力を返すようなものとする。 ここで万能計算機とは万能チューリングマシンと同等の能力をもつ計算機を意味し、例えば C など通常のプログラム言語を解釈し実行するような処理系だと考えてよい。 ある文字列が別の文字列よりも複雑であると言うためにはどうすればよいかという問題を考えよう。 例えば、同じ 60 文字の長さの 0, 1 からなる以下の 2 種類の文字列が与えられたとする。 これらを見比べると、直観的に前者の文字列はより簡単であって、後者の方はより複雑であると感じる。 この直観を明確にするひとつの方法として、文字列を言語で説明することを考えよう。 このとき前者は「01 の 30 回の繰り返し」と 11 文字で説明できる。 それに対して、後者はそのような簡単な説明が与えられそうもなく、説明するには文字列そのものを含めて 60 文字以上で記す他はないように思える。 この例のように言語による記述によって短くできる文字列がある一方で、圧縮できないような文字列も存在しており、文字列の説明の長さは文字列そのものの複雑さと関係していると考えられる。 このことをより形式的に取り扱うためにアルゴリズムという概念を用いて定式化されたものがコルモゴロフ複雑性である。 コルモゴロフ複雑性を定めるためには、文字列に対する形式的な記述言語をまず指定しなければならない。 このような記述言語としては何かの具体的なプログラミング言語を選べばよい。 あるプログラム言語 L を固定したとき、 L のプログラム p が有限長の文字列 x を出力するなら、p は x の「記述」であるということにする。 このとき特に p として x 自身を明示的に含むような自明な記述がある。 例えば、上記の前者の文字列を標準出力に出力する Perl プログラムは、 のようになるだろう。 このようなプログラムの長さは明らかに x の長さよりもある定数分だけ長くなる。 しかし文字列に何かの構造が発見できれば、適切なアルゴリズムを用いることによってより短いプログラムを作れるかもしれない。 例えば次のPerlプログラムは上と同じ文字列を出力する。 このように記述言語 L における文字列 x のあらゆる記述のうちで最小の長さをもつ記述が見出せたとするなら、その長さが L における x のコルモゴロフ複雑性となる。 前述の例で示されたように明示的に文字列 x をプログラムに含めることができるので、すべての x に対してそのコルモゴロフ複雑性 Ku(x) は x 自体の長さ |x| を定数分以上越えることはない。 すなわち、 定理: 任意の u に対して、ある定数 c が存在して、任意の x に対して、 が成り立つ。 定義から明らかなように、コルモゴロフ複雑性は記述言語あるいは万能計算機に依存する。 しかし、ある万能計算機 u1 から別の万能計算機 u2 にプログラムを移植しても、コルモゴロフ複雑性はたかだか(u1 と u2 によって決まる) 定数分しか増えない。なぜなら2つの万能計算機は、必ずもう一方の計算機をエミュレートできるからである。 u2 上で u1を模倣するエミュレーションプログラム ε1,2 を作り、その上で u1 のためのプログラム p を動かせば、結果として u2 の上でプログラム p を動かせたことになる。 そしてこのエミュレーションプログラムはエミュレートするプログラムの大きさにかかわらずつねに一定である。 従って、 u2 上でのコルモゴロフ複雑性はたかだか l(p) + l(ε1,2) である。 逆の場合も同様にエミュレートができるので、すなわち、 定理: 任意の万能計算機 u1, u2 に対し、ある定数 c1,2 が存在して、任意の x に対し、 が成り立つ。 なおコルモゴロフ複雑性の議論では、記述言語の違いによりこのようなある定数分を除いて成立するという関係が頻出する。 文字列 x が Ku(x) ≧ |x| となるなら x は「圧縮不能」であるという。 このような圧縮不能な文字列が存在するならどの程度存在するかを考えたい。 まず、簡単な基数 (濃度) についての考察から、ある長さの文字列 x すべての中には「圧縮不能」な文字列が少なくとも 1 つは存在していることがわかる。 なぜなら、長さ n のバイナリ列 (2 種類のアルファベットからなる文字列) は 2 個存在するが、 それより短いバイナリ列は長さ 0 も含めて 2 - 1 しか存在しないからである。さらに同じ理由で、長さ n 以下の 2 - 1 個のバイナリ列のうち、その半数より多い 2 が長さ n をもつのであるから、ある長さ以下のバイナリ列のうち圧縮不能な文字列は半数より多い。 一般に、圧縮不能の定義に自然数 c だけの余裕を入れ、Ku(x) ≧ |x| - c を満たすとした x を「c 圧縮不能」 という。 長さ n - c より短いバイナリ列の個数は、長さ n のバイナリ列と比べ、 (2 - 1) / 2 しかないので、 c 圧縮不能な文字列は全体の 1 - 1/2 より多い。 例えば、 c = 100 ビットだけ圧縮できるような文字列は、たかだか全体の 2 ∼ 10 しかない。 よって、ほとんどの文字列は文字列の長さと大きく違わないコルモゴロフ複雑性しかもたないだろうと結論できる。 コルモゴロフ複雑性に関する計算理論上の興味深い帰結のひとつは、コルモゴロフ複雑性が実効的に計算できないということである。 定理: K は計算可能関数ではない。 言い換えれば、任意の文字列 s を入力として整数 K(s) を出力するようなプログラムは存在しない。証明は背理法による。以下、あるプログラムを構成し、そのプログラムから出力される文字列が、そのプログラムよりも長いプログラムからでなければ出力され得ないという矛盾を導く。次のようなプログラムがあるとしよう: これは文字列 s を入力とし K(s) を返却する。ここで次のようなプログラムを考える。 このプログラムは KolmogorovComplexity() をサブルーチンとして呼び出す。このプログラムは長さが1から無限大に至るまでのありとあらゆる文字列を調べ、コルモゴロフ複雑性が少なくとも n 以上であるような文字列を見つけたらそれを返す。従って、任意の正の整数 n について、これはコルモゴロフ複雑性が少なくとも n 以上であるような文字列を生成する。このプログラム自身は固定的な長さを持つが、その長さを U と書こう。プログラム GenerateComplexString() に対する入力は整数 n だが、この大きさは n を表すのに必要なビット数で測ることとすると、これは log2(n) である。さて、ここで更に次のようなプログラムを考える: このプログラムは GenerateComplexString() をサブルーチンとして呼び出すが、その際 n0 という任意の変数を引き渡す。このプログラムは コルモゴロフ複雑性が少なくとも n0 以上であるような文字列 s を出力する。このとき、n0 を適切に選ぶと矛盾を導くことができる。この値を選ぶに当っては、s が GenerateParadoxicalString() というプログラムによって生成される点に着目すると良い。このプログラムの長さは、たかだか である(C は GenerateParadoxicalString() が GenerateComplexString() を呼び出す前後の固定部分の長さを表す)。n と log2(n) では前者の方が急速に増大することが明らかなので、ある n0 が存在して次の関係を満たす。 ところが、これは「少なくとも n0 以上の複雑性を持つ」ということの定義に反してしまう。何故なら K(s) の定義により、文字列 s を生成したプログラムの長さは少なくとも n0 以上はある筈なのに、s を生成した GenerateParadoxicalString() の長さは n0 よりも短いからである。以上より、"KolmogorovComplexity" というプログラムは、任意の文字列について複雑性を計算することは出来ないことが示された。 この証明は背理法によるが、ここで現れる矛盾はベリーのパラドックスに似ている:「n を30字未満では表現できない最小の正の整数としよう」。他の証明方法として、K が計算不能であることを停止問題 H が計算不能であることに帰着して示すこともできる。K と H はチューリング同値である。 (可逆な) 圧縮プログラムは与えられた文字列 x に関して、文字列 y を返す関数とみることができる。 ただし y は対応する展開プログラムで x に復元できなければならない。 よって、コルモゴロフ複雑性の定義から、展開プログラムの長さと y の長さの和は x のコルモゴロフ複雑性以上でなければならない。 この意味でコルモゴロフ複雑性はその文字列データに対する究極的な圧縮を限界づけている。 通常、圧縮プログラムでは y の長さは x よりも小さくなることが期待されるが、上述の圧縮不能な文字列の議論は圧縮プログラムに関しても成立するので、実際には圧縮できない x が少なくとも半数存在し、ほとんどは大きな圧縮ができない。 圧縮プログラムが我々が扱う多くの文字列を圧縮できるようにみえるのは、我々が実際に扱う文字列が、可能なすべての文字列と比べて極めて偏ったものにすぎないからである。 また、コルモゴロフ複雑性が計算不能であるという事実は、すべての文字列 x に対してコルモゴロフ複雑性がしめす究極の圧縮を実現するプログラムを作ることが原理的に不可能であるということを意味している。もしすべての文字列をコルモゴロフ複雑性まで圧縮するプログラムが存在すれば、その出力結果の長さを数えることでコルモゴロフ複雑性が計算できてしまい、上述の事実と矛盾するからである。 十分長い文字列において「圧縮不能」な文字列は、アルゴリズム化できるような何の規則性ももたないと考えられるので「ランダム」な文字列だとみなせるだろう。 コルモゴロフ複雑性を無限長の文字列に拡張したとき、圧縮できないような文字列は「アルゴリズム的にランダムな列」 (algorithmically random sequence) と呼ばれている。 正確には、与えられた無限列 x のすべての接頭部分列が c 圧縮不能であるような c が存在するとき、x はアルゴリズム的にランダムである。 有限列の場合と同様に濃度の議論から、プログラムは可算個しかないのに対して、無限長のバイナリ列は非可算個であるので、この意味で「ほとんどすべて」の無限列はアルゴリズム的にランダムである。 しかしこのようなランダム列をプログラムによって生成することは決してできない。 統計的にランダム性をもつように見える列、例えば疑似乱数列や、円周率のような計算可能な超越数、あるいは有限長で記述される初期状態をもつ記号力学系(英語版)が示すカオスなどは、すべてそれらを生成するプログラムが存在するので、この意味でのランダムではない。 ランダムな文字列はその特定の文字列の説明の複雑さという直観を元にしたコルモゴロフの意味ではもっとも複雑となるが、ランダムな列のアンサンブルは逆に統計的に特徴づけることがもっとも簡単な文字列でもある。 殆どの文字列は、より「圧縮された」形では表現できないという意味で複雑である。しかしながら、文字列の長さがある閾値を超える場合、その文字列が複雑であることを形式的に証明することは出来ない、ということが言えてしまう。正確な定式化は以下の通り。まず、自然数を扱う特定の公理系 S を固定する。この公理系は次のことが出来る程度には強いものとする。即ち、S に含まれる式 FA を、文字列の複雑さに関する或る主張 A に関連付けることが出来る。この際、FAが S の公理から証明可能なら、これに対応する主張 A も真になるとする。この「定式化」に際しては、ゲーデル数化のような人工的な符号化を用いてもよいし、適用しようとする S をもっと明快に表現するような定式化を用いても良い。 定理:次の式(をS の中で定式化したもの)を公理系 S の中で証明できるように文字列 s を取れないような、定数 L(具体的な値は公理系と記述言語にのみ依存する) が存在する。 圧縮不能に近い文字列は大量にあることから、殆ど全ての場合にこの式は真である筈なことに注意されたい。 この結果の証明はベリーのパラドックスに似た自己言及的な構成を用いる。以下、背理法による。この定理が偽だと仮定すると、次のことが言える。 S内の形式的証明全てを実効的に枚挙する何らかの手段を見つけることができる。 は入力として n を取り、適当な証明を出力する。この関数は全ての証明を枚挙する。その中には我々にとって差し当たり興味のない証明も混ざるだろう(NthProof()が枚挙する証明の中には例えば平方剰余の相互法則の証明、フェルマーの小定理の証明、フェルマーの最終定理の証明など、様々な既知の証明をS内の形式的言語に翻訳したものが現れるだろう)。この中の幾つかは K(s)≧n という形をした複雑性に関する式の証明である(s と n はS内の言語における定数)。さて、次のプログラムが存在する。 このプログラムは n 番目の証明が式 K(s)≧L を証明しているどうかを判定する。文字列 s と整数 L はそれぞれ以下のプログラムで計算可能である: ここで次のようなプログラムを考えよう。 任意の n について、このプログラムは形式体系S内のありとあらゆる証明を調べ上げて、K(s)≧L(但しL ≧ n )を満たす文字列と証明を探し出そうとする。主張(X)によりこのプログラムは必ず停止する。このプログラムの長さを U としよう。 このとき、ある整数 n0 があって、U + log2(n0) + C < n0 を満たす。ここで C は、次のプログラムがGenerateProvablyComplexString()を呼び出す前後の固定的な長さである。 プログラム GenerateProvablyParadoxicalString() は文字列 s を出力するが、このとき L が存在して K(s)≧L(但し L ≧ n0)を満たし、S内でこれを形式的に証明できる。特に K(s)≧n0 は真である。ところが、s は長さが U+log2(n0)+C であるプログラムでも生成できるので、その複雑性は n0 よりも小さい。これは矛盾である。よって主張(X)は成り立たないことが証明された。 同様のアイディアはチャイティンの定数の性質を証明する際にも使われている。
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U+log2(n0)+C であるプログラムでも生成できるので、その複雑性は n0 よりも小さい。これは矛盾である。よって主張(X)は成り立たないことが証明された。", "title": "チャイティンの不完全性定理" }, { "paragraph_id": 45, "tag": "p", "text": "同様のアイディアはチャイティンの定数の性質を証明する際にも使われている。", "title": "チャイティンの不完全性定理" } ]
コルモゴロフ複雑性とは、計算機科学において有限長のデータ列の複雑さを表す指標のひとつで、出力結果がそのデータに一致するプログラムの長さの最小値として定義される。コルモゴロフ複雑度、コルモゴロフ=チャイティン複雑性 とも呼ばれる。 コルモゴロフ複雑性の概念は一見すると単純なものであるが、チューリングの停止問題やゲーデルの不完全性定理と関連する深遠な内容をもつ。コルモゴロフ複雑性やその他の文字列やデータ構造の複雑性の計量を研究する計算機科学の分野はアルゴリズム情報理論と呼ばれており、1960 年代末にアンドレイ・コルモゴロフ、レイ・ソロモノフ、グレゴリー・チャイティンによって創始された。
'''コルモゴロフ複雑性'''(コルモゴロフふくざつせい、{{lang-en|Kolmogorov complexity}})とは、[[計算機科学]]において有限長のデータ列の[[複雑さ]]を表す[[指標]]のひとつで、出力結果がそのデータに一致する[[プログラム (コンピュータ)|プログラム]]の長さの最小値として定義される。'''コルモゴロフ複雑度'''、'''コルモゴロフ=チャイティン複雑性''' ({{lang|en|Kolmogorov-Chaitin complexity}}) とも呼ばれる。 [[File:Mandelpart2.jpg|300px|right|thumb|この画像は[[フラクタル]]図形である[[マンデルブロ集合]]の一部である。この[[JPEG]]ファイルのサイズは17KB以上(約140,000ビット)ある。ところが、これと同じファイルは140,000ビットよりも遥かに小さいコンピュータ・プログラムによって作成することが出来る。従って、このJPEGファイルのコルモゴロフ複雑性は140,000よりも遥かに小さい。]] コルモゴロフ複雑性の概念は一見すると単純なものであるが、[[停止性問題|チューリングの停止問題]]や[[ゲーデルの不完全性定理]]と関連する深遠な内容をもつ。コルモゴロフ複雑性やその他の文字列やデータ構造の[[複雑性]]の計量を研究する計算機科学の分野は[[アルゴリズム情報理論]]と呼ばれており、1960 年代末に[[アンドレイ・コルモゴロフ]]、[[レイ・ソロモノフ]]<!--Ray Solomonoff-->、[[グレゴリー・チャイティン]]によって創始された。 ==定義== 厳密には、ある有限長の文字列 ''x'' として表されるデータ列のある万能計算機 ''u'' におけるコルモゴロフ複雑性は以下の式で定義される: :<math>K_u (x) = \min_{ p : u(p)=x }\, l(p)</math> ここで、''p'' は計算機 ''u'' のための[[プログラム (コンピュータ)|プログラム]]であり、''u''(''p'') はそれを実行したときに出力される文字列である。''l''(''p'') はプログラムの長さを表す。ただし、プログラムは入力をもたず、つねに決まった出力を返すようなものとする。 ここで万能計算機とは[[チューリングマシン|万能チューリングマシン]]と同等の能力をもつ計算機を意味し、例えば [[C言語|C]] など通常のプログラム言語を解釈し実行するような処理系だと考えてよい。 == 直観的な例 == ある文字列が別の文字列よりも複雑であると言うためにはどうすればよいかという問題を考えよう。 例えば、同じ 60 文字の長さの 0, 1 からなる以下の 2 種類の文字列が与えられたとする。 010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101 110010000110000111011110111011001111101001000010010101111001 これらを見比べると、直観的に前者の文字列はより簡単であって、後者の方はより複雑であると感じる。 この直観を明確にするひとつの方法として、文字列を言語で説明することを考えよう。 このとき前者は「01 の 30 回の繰り返し」と 11 文字で説明できる。 それに対して、後者はそのような簡単な説明が与えられそうもなく、説明するには文字列そのものを含めて 60 文字以上で記す他はないように思える。 この例のように言語による記述によって短くできる文字列がある一方で、圧縮できないような文字列も存在しており、文字列の説明の長さは文字列そのものの複雑さと関係していると考えられる。 このことをより形式的に取り扱うために[[アルゴリズム]]という概念を用いて定式化されたものがコルモゴロフ複雑性である。 コルモゴロフ複雑性を定めるためには、文字列に対する形式的な記述言語をまず指定しなければならない。 このような記述言語としては何かの具体的なプログラミング言語を選べばよい。 あるプログラム言語 ''L'' を固定したとき、 ''L'' のプログラム ''p'' が有限長の文字列 ''x'' を出力するなら、''p'' は ''x'' の「記述」であるということにする。 このとき特に ''p'' として ''x'' 自身を明示的に含むような自明な記述がある。 例えば、上記の前者の文字列を[[標準出力]]に出力する [[Perl]] プログラムは、 print "010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101" のようになるだろう。 このようなプログラムの長さは明らかに ''x'' の長さよりもある定数分だけ長くなる。 しかし文字列に何かの構造が発見できれば、適切なアルゴリズムを用いることによってより短いプログラムを作れるかもしれない。 例えば次のPerlプログラムは上と同じ文字列を出力する。 print "01" x 30 このように記述言語 ''L'' における文字列 ''x'' のあらゆる記述のうちで最小の長さをもつ記述が見出せたとするなら、その長さが ''L'' における ''x'' のコルモゴロフ複雑性となる。 == 基本的な性質 == === 自明な上限 === 前述の例で示されたように明示的に文字列 ''x'' をプログラムに含めることができるので、すべての ''x'' に対してそのコルモゴロフ複雑性 ''K''<sub>''u''</sub>(''x'') は ''x'' 自体の長さ |''x''| を定数分以上越えることはない。 すなわち、 '''定理:''' 任意の ''u'' に対して、ある定数 ''c'' が存在して、任意の ''x'' に対して、 :<math>K_u(x) \leq |x| + c</math> が成り立つ。 === 記述言語による相対性 === 定義から明らかなように、コルモゴロフ複雑性は記述言語あるいは万能計算機に依存する。 しかし、ある万能計算機 ''u''<sub>1</sub> から別の万能計算機 ''u''<sub>2</sub> にプログラムを移植しても、コルモゴロフ複雑性はたかだか(''u''<sub>1</sub> と ''u''<sub>2</sub> によって決まる) 定数分しか増えない。なぜなら2つの万能計算機は、必ずもう一方の計算機を[[エミュレーション|エミュレート]]できるからである。 ''u''<sub>2</sub> 上で ''u''<sub>1</sub>を模倣するエミュレーションプログラム &epsilon;<sub>1,2</sub> を作り、その上で ''u''<sub>1</sub> のためのプログラム ''p'' を動かせば、結果として ''u''<sub>2</sub> の上でプログラム ''p'' を動かせたことになる。 そしてこのエミュレーションプログラムはエミュレートするプログラムの大きさにかかわらずつねに一定である。 従って、 ''u''<sub>2</sub> 上でのコルモゴロフ複雑性はたかだか ''l''(''p'') + ''l''(&epsilon;<sub>1,2</sub>) である。 逆の場合も同様にエミュレートができるので、すなわち、 '''定理:''' 任意の万能計算機 ''u''<sub>1</sub>, ''u''<sub>2</sub> に対し、ある定数 ''c''<sub>1,2</sub> が存在して、任意の ''x'' に対し、 :<math>|K_1(x) - K_2(x)| \leq c_{1,2}.</math> が成り立つ。 なおコルモゴロフ複雑性の議論では、記述言語の違いによりこのようなある定数分を除いて成立するという関係が頻出する。 === 圧縮不能な文字列 === 文字列 ''x'' が ''K''<sub>''u''</sub>(''x'') ≧ |''x''| となるなら ''x'' は「圧縮不能」<!--incompressible-->であるという。 このような圧縮不能な文字列が存在するならどの程度存在するかを考えたい。 まず、簡単な[[濃度 (数学)|基数 (濃度)]] についての考察から、ある長さの文字列 ''x'' すべての中には「圧縮不能」な文字列が少なくとも 1 つは存在していることがわかる。 なぜなら、長さ ''n'' のバイナリ列 (2 種類のアルファベットからなる文字列) は 2<sup>''n''</sup> 個存在するが、 それより短いバイナリ列は長さ 0 も含めて 2<sup>''n''</sup> - 1 しか存在しないからである。さらに同じ理由で、長さ ''n'' 以下の 2<sup>''n''+1</sup> - 1 個のバイナリ列のうち、その半数より多い 2<sup>''n''</sup> が長さ ''n'' をもつのであるから、ある長さ以下のバイナリ列のうち圧縮不能な文字列は半数より多い。 一般に、圧縮不能の定義に自然数 ''c'' だけの余裕を入れ、''K''<sub>''u''</sub>(''x'') ≧ |''x''| - ''c'' を満たすとした ''x'' を「''c'' 圧縮不能」<!--''c''-incompressible--> という。 長さ ''n'' - ''c'' より短いバイナリ列の個数は、長さ ''n'' のバイナリ列と比べ、 (2<sup>''n''-''c''</sup> - 1) / 2<sup>''n''</sup> しかないので、 ''c'' 圧縮不能な文字列は全体の 1 - 1/2<sup>''c''</sup> より多い。 例えば、 ''c'' = 100 [[ビット]]だけ圧縮できるような文字列は、たかだか全体の 2<sup>-100</sup> &#8764; 10<sup>-30</sup> しかない。 よって、ほとんどの文字列は文字列の長さと大きく違わないコルモゴロフ複雑性しかもたないだろうと結論できる。 ==コルモゴロフ複雑性の計算不能性== コルモゴロフ複雑性に関する[[計算理論]]上の興味深い帰結のひとつは、コルモゴロフ複雑性が実効的に計算できないということである。 '''定理:''' ''K'' は[[計算可能関数]]ではない。 言い換えれば、任意の文字列 ''s'' を入力として整数 ''K''(''s'') を出力するようなプログラムは存在しない。証明は背理法による。以下、あるプログラムを構成し、そのプログラムから出力される文字列が、そのプログラムよりも長いプログラムからでなければ出力され得ないという矛盾を導く。次のようなプログラムがあるとしよう: '''function''' KolmogorovComplexity('''string''' ''s'') これは文字列 ''s'' を入力とし ''K''(''s'') を返却する。ここで次のようなプログラムを考える。 '''function''' GenerateComplexString('''int''' ''n'') '''for''' i = 1 '''to''' 無限大: '''for each''' 長さが丁度 i である string s の全集合に対して '''if''' KolmogorovComplexity(''s'') >= ''n'' '''return''' ''s'' '''quit''' このプログラムは KolmogorovComplexity() をサブルーチンとして呼び出す。このプログラムは長さが1から無限大に至るまでのありとあらゆる文字列を調べ、コルモゴロフ複雑性が少なくとも ''n'' 以上であるような文字列を見つけたらそれを返す。従って、任意の正の整数 ''n'' について、これはコルモゴロフ複雑性が少なくとも ''n'' 以上であるような文字列を生成する。このプログラム自身は固定的な長さを持つが、その長さを ''U'' と書こう。プログラム GenerateComplexString() に対する入力は整数 ''n'' だが、この大きさは ''n'' を表すのに必要なビット数で測ることとすると、これは log<sub>2</sub>(''n'') である。さて、ここで更に次のようなプログラムを考える: '''function''' GenerateParadoxicalString() '''return''' GenerateComplexString(''n''<sub>0</sub>) このプログラムは GenerateComplexString() をサブルーチンとして呼び出すが、その際 ''n''<sub>0</sub> という任意の変数を引き渡す。このプログラムは コルモゴロフ複雑性が少なくとも ''n''<sub>0</sub> 以上であるような文字列 ''s'' を出力する。このとき、''n''<sub>0</sub> を適切に選ぶと矛盾を導くことができる。この値を選ぶに当っては、''s'' が GenerateParadoxicalString() というプログラムによって生成される点に着目すると良い。このプログラムの長さは、たかだか :<math> U + \log_2(n_0) + C \quad </math> である(''C'' は GenerateParadoxicalString() が GenerateComplexString() を呼び出す前後の固定部分の長さを表す)。''n'' と log<sub>2</sub>(''n'') では前者の方が急速に増大することが明らかなので、ある ''n''<sub>0</sub> が存在して次の関係を満たす。 :<math> U + \log_2(n_0) + C < n_0. \quad </math> ところが、これは「少なくとも ''n''<sub>0</sub> 以上の複雑性を持つ」ということの定義に反してしまう。何故なら ''K''(''s'') の定義により、文字列 ''s'' を生成したプログラムの長さは少なくとも ''n''<sub>0</sub> 以上はある筈なのに、''s'' を生成した GenerateParadoxicalString() の長さは ''n''<sub>0</sub> よりも短いからである。以上より、"KolmogorovComplexity" というプログラムは、任意の文字列について複雑性を計算することは出来ないことが示された。 この証明は背理法によるが、ここで現れる矛盾は[[ベリーのパラドックス]]に似ている:「''n'' を30字未満では表現できない最小の正の整数としよう」。他の証明方法として、K が計算不能であることを[[停止性問題|停止問題]] H が計算不能であることに帰着して示すこともできる。K と H は[[チューリング次数|チューリング同値]]である<ref>{{cite web | url=http://www.daimi.au.dk/~bromille/DC05/Kolmogorov.pdf | title=Course notes for Data Compression - 2 Kolmogorov complexity Fall 2005 | last=Miltersen | first=Peter| accessdate=2009-07-19 | format=PDF | publisher=University of Aarhus | date=2005-09-29}}</ref>。 == 関連する問題 == === データ圧縮の限界 === (可逆な) 圧縮プログラムは与えられた文字列 ''x'' に関して、文字列 ''y'' を返す関数とみることができる。 ただし ''y'' は対応する展開プログラムで ''x'' に復元できなければならない。 よって、コルモゴロフ複雑性の定義から、展開プログラムの長さと ''y'' の長さの和は ''x'' のコルモゴロフ複雑性以上でなければならない。 この意味でコルモゴロフ複雑性はその文字列データに対する究極的な圧縮を限界づけている。 通常、圧縮プログラムでは ''y'' の長さは ''x'' よりも小さくなることが期待されるが、上述の圧縮不能な文字列の議論は圧縮プログラムに関しても成立するので、実際には圧縮できない ''x'' が少なくとも半数存在し、ほとんどは大きな圧縮ができない。 圧縮プログラムが我々が扱う多くの文字列を圧縮できるようにみえるのは、我々が実際に扱う文字列が、可能なすべての文字列と比べて極めて偏ったものにすぎないからである。 また、コルモゴロフ複雑性が計算不能であるという事実は、すべての文字列 ''x'' に対してコルモゴロフ複雑性がしめす究極の圧縮を実現するプログラムを作ることが原理的に不可能であるということを意味している。もしすべての文字列をコルモゴロフ複雑性まで圧縮するプログラムが存在すれば、その出力結果の長さを数えることでコルモゴロフ複雑性が計算できてしまい、上述の事実と矛盾するからである。 === ランダム性 === 十分長い文字列において「圧縮不能」な文字列は、アルゴリズム化できるような何の規則性ももたないと考えられるので「ランダム」な文字列だとみなせるだろう。 コルモゴロフ複雑性を無限長の文字列に拡張したとき、圧縮できないような文字列は「[[アルゴリズム的にランダムな列]]」 (algorithmically random sequence) と呼ばれている。 正確には、与えられた無限列 ''x'' のすべての接頭部分列が ''c'' 圧縮不能であるような ''c'' が存在するとき、''x'' はアルゴリズム的にランダムである。 有限列の場合と同様に濃度の議論から、プログラムは[[可算]]個しかないのに対して、無限長のバイナリ列は[[非可算]]個であるので、この意味で「ほとんどすべて」の無限列はアルゴリズム的にランダムである。 しかしこのようなランダム列をプログラムによって生成することは決してできない。 統計的にランダム性をもつように見える列、例えば[[疑似乱数]]列や、[[円周率]]のような計算可能な[[超越数]]、あるいは有限長で記述される初期状態をもつ{{仮リンク|記号力学系|en|Symbolic dynamics}}が示す[[カオス理論|カオス]]などは、すべてそれらを生成するプログラムが存在するので、この意味でのランダムではない。 ランダムな文字列はその特定の文字列の説明の複雑さという直観を元にしたコルモゴロフの意味ではもっとも複雑となるが、ランダムな列のアンサンブルは逆に統計的に特徴づけることがもっとも簡単な文字列でもある。 ==チャイティンの不完全性定理== 殆どの文字列は、より「圧縮された」形では表現できないという意味で複雑である。しかしながら、文字列の長さがある閾値を超える場合、その文字列が複雑であることを形式的に証明することは出来ない、ということが言えてしまう。正確な定式化は以下の通り。まず、自然数を扱う特定の公理系 S を固定する。この公理系は次のことが出来る程度には強いものとする。即ち、'''S''' に含まれる式 '''F'''<sub>'''A'''</sub> を、文字列の複雑さに関する或る主張 '''A''' に関連付けることが出来る。この際、'''F'''<sub>'''A'''</sub>が '''S''' の公理から証明可能なら、これに対応する主張 '''A''' も真になるとする。この「定式化」に際しては、[[ゲーデル数化]]のような人工的な符号化を用いてもよいし、適用しようとする '''S''' をもっと明快に表現するような定式化を用いても良い。 '''定理:'''次の式(を'''S''' の中で定式化したもの)を公理系 '''S''' の中で証明できるように文字列 ''s'' を取れないような、定数 ''L''(具体的な値は公理系と記述言語にのみ依存する) が存在する。 : <math>K(s) \geq L.</math> 圧縮不能に近い文字列は大量にあることから、殆ど全ての場合にこの式は真である筈なことに注意されたい。 この結果の証明は[[ベリーのパラドックス]]に似た自己言及的な構成を用いる。以下、背理法による。この定理が偽だと仮定すると、次のことが言える。 :'''主張(X)''':任意の整数 ''n'' について、ある文字列 ''s'' が存在し、体系'''S'''の中で式 「''K''(''s'')≧''n''」(が'''S'''の中で定式化できると仮定して)を証明できる。 '''S'''内の形式的証明全てを実効的に枚挙する何らかの手段を見つけることができる。 '''function''' NthProof('''int''' ''n'') は入力として ''n'' を取り、適当な証明を出力する。この関数は全ての証明を枚挙する。その中には我々にとって差し当たり興味のない証明も混ざるだろう(NthProof()が枚挙する証明の中には例えば[[平方剰余の相互法則]]の証明、[[フェルマーの小定理]]の証明、[[フェルマーの最終定理]]の証明など、様々な既知の証明を'''S'''内の形式的言語に翻訳したものが現れるだろう)。この中の幾つかは ''K''(''s'')≧''n'' という形をした複雑性に関する式の証明である(''s'' と ''n'' は'''S'''内の言語における定数)。さて、次のプログラムが存在する。 '''function''' NthProofProvesComplexityFormula('''int''' ''n'') このプログラムは ''n'' 番目の証明が式 ''K''(''s'')≧''L'' を証明しているどうかを判定する。文字列 ''s'' と整数 ''L'' はそれぞれ以下のプログラムで計算可能である: '''function''' StringNthProof('''int''' ''n'') '''function''' ComplexityLowerBoundNthProof('''int''' ''n'') ここで次のようなプログラムを考えよう。 '''function''' GenerateProvablyComplexString('''int''' ''n'') '''for''' i = 1 '''to''' 無限大: '''if''' NthProofProvesComplexityFormula(i) '''and''' ComplexityLowerBoundNthProof(i) >= ''n'' '''return''' StringNthProof(''i'') '''quit''' 任意の ''n'' について、このプログラムは[[形式体系]]'''S'''内のありとあらゆる証明を調べ上げて、''K''(''s'')≧''L''(但し''L'' ≧ ''n'' )を満たす文字列と証明を探し出そうとする。'''主張(X)'''によりこのプログラムは必ず停止する。このプログラムの長さを ''U'' としよう。 このとき、ある整数 ''n''<sub>0</sub> があって、''U'' + log<sub>2</sub>(''n''<sub>0</sub>) + ''C'' < ''n''<sub>0</sub> を満たす。ここで ''C'' は、次のプログラムがGenerateProvablyComplexString()を呼び出す前後の固定的な長さである。 '''function''' GenerateProvablyParadoxicalString() '''return''' GenerateProvablyComplexString(''n''<sub>0</sub>) '''quit''' プログラム GenerateProvablyParadoxicalString() は文字列 ''s'' を出力するが、このとき ''L'' が存在して ''K''(''s'')≧''L''(但し ''L'' ≧ ''n''<sub>0</sub>)を満たし、'''S'''内でこれを形式的に証明できる。特に ''K''(''s'')≧''n''<sub>0</sub> は真である。ところが、''s'' は長さが ''U''+log<sub>2</sub>(''n''<sub>0</sub>)+''C'' であるプログラムでも生成できるので、その複雑性は ''n''<sub>0</sub> よりも小さい。これは矛盾である。よって'''主張(X)'''は成り立たないことが証明された。 同様のアイディアは[[チャイティンの定数]]の性質を証明する際にも使われている。 ==脚注== <references/> == 関連項目 == *[[チューリングマシン]] *[[アンドレイ・コルモゴロフ]] *[[可逆圧縮]] *[[乱数列]] *[[チャイティンの定数]] *[[記述計算量]] == 参考文献 == *Ming Li, P.M.B. Vitanyi, ''An Introduction to Kolmogorov Complexity and Its Applications'', Springer-Verlag, 1993:1997, ISBN 0387948686 {{データ圧縮}} {{DEFAULTSORT:こるもころふふくさつせい}} [[Category:計算理論]] [[Category:アルゴリズム的情報理論]] [[Category:数学に関する記事]] [[Category:数学のエポニム]]
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クーパー対
物性物理学において、クーパー対(Cooper pair)は、所定の方法の低温において結合した電子(または他のフェルミ粒子)の対である。1956年にアメリカの物理学者レオン・クーパーにより記述された。 クーパーは、金属内の電子間の小さな引力により、電子の対状態がフェルミエネルギーよりも低いエネルギーを持つ可能性があることを示した。このことは、電子対が結合されていることを意味する。従来の超伝導体では、この引力は電子-フォノン相互作用によるものである。BCS理論で説明されているように、クーパー対状態が超伝導の原因である。 クーパー対が作られることは量子効果であるが、対となる理由は単純化された古典力学の説明から理解することができる。金属内の電子は通常、自由粒子として振る舞う。電子は負の電荷を持っているので他の電子と反発しあうが、金属の格子を構成する正イオンを引き付ける。この引力によりイオン格子に歪みが生じ、イオンが電子に向かってわずかに移動し、付近の格子の正電荷の密度が増加する。この正電荷は他の電子を引き付ける。長い距離で考えると、この移動したイオンによる電子間の引力が、負の電荷による電子の反発を上回り、電子がペア(対)になることがある。厳密な量子学的説明では、この効果は電子-フォノン相互作用によるものであり、フォノンは正に帯電した格子の集団運動であることが示される。 対相互作用のエネルギーは10 eVのオーダーと非常に弱く、熱エネルギーにより容易に対が破壊されうる。したがって、金属やその他の基板では低温でのみ、多くの数の電子がクーパー対になる。 対となる電子は必ずしも互いに接近している必要はない。相互作用は長距離であるため、電子対は依然として数百ナノメートル離れている可能性がある。この距離は通常、平均電子間距離よりも長いため、多くのクーパー対が同じ空間を占有しうる。電子はスピン⁄2であるのでフェルミ粒子であるが、クーパー対の総スピンは整数(0または1)であるため、複合ボース粒子である。これは、波動関数が粒子交換の下で対称であることを意味する。したがって、電子とは異なり、複数のクーパー対が同じ量子状態になることが許され、これが超伝導現象の原因となる。 2008年に、光格子内のボース粒子がクーパー対に似ている可能性が提案されている。 物体の全てのクーパー対が、同じ基底状態に「凝縮」する傾向が、超伝導の変わった特性の原因となっている。 クーパーは当初、金属内で孤立した対が形成される場合のみを考慮していた。完全なBCS理論で説明されているように、多くの電子対形成のより現実的な状態を考慮すると、対が形成されることにより、電子の許容エネルギー状態の連続スペクトルにギャップが生じることが分かる。このことは、系の全ての励起がある程度の最低限のエネルギーを持つ必要があることを意味する。電子の散乱などの小さな励起が禁制されるため、この「励起とのギャップ」が超伝導につながる。ギャップは、引力を感じる電子間の多体効果により現れる。 R. A. Ogg Jr.は、電子が物質内の格子振動により結合された対として振る舞う可能性があることを最初に示唆した。これは超伝導体で観察される同位体効果により示された。同位体効果は、より重いイオン(異なる核同位体)を含む材料ほど超伝導転移温度が低いことを示した。これはクーパー対の理論により説明できる。重いイオンほど電子が引き付けられたり移動したりするのが難しくなり(クーパー対がどのように形成されるか)、結果として対の結合エネルギーが小さくなる。
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物性物理学において、クーパー対は、所定の方法の低温において結合した電子(または他のフェルミ粒子)の対である。1956年にアメリカの物理学者レオン・クーパーにより記述された。
[[物性物理学]]において、'''クーパー対'''(Cooper pair)は、所定の方法の[[低温物理学|低温]]において結合した[[電子]](または他の[[フェルミ粒子]])の対である。1956年にアメリカの物理学者[[レオン・クーパー]]により記述された<ref> {{cite journal | last = Cooper | first = Leon N. | title = Bound electron pairs in a degenerate Fermi gas | journal = [[Physical Review]] | volume = 104 | issue = 4 | pages = 1189–1190 | year = 1956 | doi = 10.1103/PhysRev.104.1189 |bibcode = 1956PhRv..104.1189C | doi-access = free }}</ref>。 ==説明== クーパーは、[[金属]]内の電子間の小さな引力により、電子の対状態が[[フェルミエネルギー]]よりも低いエネルギーを持つ可能性があることを示した。このことは、電子対が結合されていることを意味する。従来の[[超伝導体]]では、この引力は[[電子]]-[[フォノン]]相互作用によるものである。[[BCS理論]]で説明されているように、クーパー対状態が超伝導の原因である<ref name="Hyperphysics"> {{cite web | last = Nave | first = Carl R. | title = Cooper Pairs | work = [[HyperPhysics]] | publisher = Dept. of Physics and Astronomy, Georgia State Univ. | year = 2006 | url = http://hyperphysics.phy-astr.gsu.edu/Hbase/solids/coop.html | access-date = 2008-07-24 }}</ref>。 クーパー対が作られることは量子効果であるが、対となる理由は単純化された古典力学の説明から理解することができる<ref name="Hyperphysics"/><ref> {{cite journal |title=Spatial Structure of the Cooper Pair |last1=Kadin | first1=Alan M. |year=2005 |doi=10.1007/s10948-006-0198-z |journal=Journal of Superconductivity and Novel Magnetism |volume=20 |issue=4 |pages=285–292 |arxiv=cond-mat/0510279 |s2cid=54948290 }}</ref>。[[金属]]内の電子は通常、[[自由粒子]]として振る舞う。電子は負の[[電荷]]を持っているので他の電子と反発しあうが、金属の格子を構成する正[[イオン]]を引き付ける。この引力によりイオン格子に歪みが生じ、イオンが電子に向かってわずかに移動し、付近の格子の正電荷の密度が増加する。この正電荷は他の電子を引き付ける。長い距離で考えると、この移動したイオンによる電子間の引力が、負の電荷による電子の反発を上回り、電子がペア(対)になることがある。厳密な量子学的説明では、この効果は[[電子]]-[[フォノン]]相互作用によるものであり、フォノンは正に帯電した格子の集団運動であることが示される<ref> {{cite book | last = Fujita | first = Shigeji |author2=Ito, Kei |author3=Godoy, Salvador | title = Quantum Theory of Conducting Matter | url = https://archive.org/details/quantumtheorycon00fuji | url-access = limited | publisher = [[Springer Publishing]] | year = 2009 | pages = [https://archive.org/details/quantumtheorycon00fuji/page/n34 15]–27 | isbn = 978-0-387-88211-6 }}</ref>。 対相互作用のエネルギーは10<sup>−3</sup>&nbsp;[[電子ボルト|eV]]のオーダーと非常に弱く、熱エネルギーにより容易に対が破壊されうる。したがって、金属やその他の基板では低温でのみ、多くの数の電子がクーパー対になる。 対となる電子は必ずしも互いに接近している必要はない。相互作用は長距離であるため、電子対は依然として数百[[ナノメートル]]離れている可能性がある。この距離は通常、平均電子間距離よりも長いため、多くのクーパー対が同じ空間を占有しうる<ref> {{cite book | last = Feynman | first = Richard P. |author2=Leighton, Robert |author3=Sands, Matthew | title = Lectures on Physics, Vol.3 | url = https://archive.org/details/feynmanlectureso00feyn_396 | url-access = limited | publisher = [[Addison–Wesley]] | year = 1965 | pages = [https://archive.org/details/feynmanlectureso00feyn_396/page/n238 21]–7, 8 | isbn = 0-201-02118-8 }}</ref>。電子はスピン{{frac|1|2}}であるので[[フェルミ粒子]]であるが、クーパー対の[[角運動量の合成|総スピン]]は整数(0または1)であるため、複合[[ボース粒子]]である。これは、[[波動関数]]が粒子交換の下で対称であることを意味する。したがって、電子とは異なり、複数のクーパー対が同じ量子状態になることが許され、これが超伝導現象の原因となる。 2008年に、[[光格子]]内の[[ボース粒子]]がクーパー対に似ている可能性が提案されている<ref>{{Cite web |url=http://www.optical-lattice.com/index.php?lattice-site=cooper-pairs |title=Cooper Pairs of Bosons |access-date=2009-09-01 |archive-url=https://web.archive.org/web/20151209184323/http://www.optical-lattice.com/index.php?lattice-site=cooper-pairs |archive-date=2015-12-09 |url-status=dead }}</ref>。 == 超伝導との関係 == 物体の全てのクーパー対が、同じ[[基底状態]]に「[[ボース=アインシュタイン凝縮|凝縮]]」する傾向が、超伝導の変わった特性の原因となっている。 クーパーは当初、金属内で孤立した対が形成される場合のみを考慮していた。完全なBCS理論で説明されているように、多くの電子対形成のより現実的な状態を考慮すると、対が形成されることにより、電子の許容エネルギー状態の連続スペクトルにギャップが生じることが分かる。このことは、系の全ての励起がある程度の最低限のエネルギーを持つ必要があることを意味する。電子の散乱などの小さな励起が禁制されるため、この「励起とのギャップ」が超伝導につながる<ref> {{cite web | last = Nave | first = Carl R. | title = The BCS Theory of Superconductivity | work = [[HyperPhysics]] | publisher = Dept. of Physics and Astronomy, Georgia State Univ. | year = 2006 | url = http://hyperphysics.phy-astr.gsu.edu/hbase/solids/bcs.html#c1 | access-date = 2008-07-24}}</ref>。ギャップは、引力を感じる電子間の多体効果により現れる。 R. A. Ogg Jr.は、電子が物質内の格子振動により結合された対として振る舞う可能性があることを最初に示唆した<ref>{{cite journal | last=Ogg | first=Richard A. | title=Bose-Einstein Condensation of Trapped Electron Pairs. Phase Separation and Superconductivity of Metal-Ammonia Solutions | journal=Physical Review | publisher=American Physical Society (APS) | volume=69 | issue=5–6 | date=1 February 1946 | issn=0031-899X | doi=10.1103/physrev.69.243 | pages=243–244| bibcode=1946PhRv...69..243O }}</ref><ref>Poole Jr, Charles P, "Encyclopedic dictionary of condensed matter physics", (Academic Press, 2004), p. 576</ref>。これは超伝導体で観察される[[同位体]]効果により示された。同位体効果は、より重いイオン(異なる核同位体)を含む材料ほど超伝導転移温度が低いことを示した。これはクーパー対の理論により説明できる。重いイオンほど電子が引き付けられたり移動したりするのが難しくなり(クーパー対がどのように形成されるか)、結果として対の結合エネルギーが小さくなる。 == 関連項目 == * [[:en:Color–flavor locking]] * [[:en:Superinsulator]] * [[孤立電子対]] * [[電子対]]([[:en:Electron pair]]) == 出典 == {{Reflist}} == 関連文献 == * [[マイケル・ティンカム|Michael Tinkham]], ''Introduction to Superconductivity'', {{ISBN|0-486-43503-2}} * Schmidt, Vadim Vasil'evich. The physics of superconductors: Introduction to fundamentals and applications. Springer Science & Business Media, 2013. {{Condensed matter physics topics}} {{Authority control}} {{DEFAULTSORT:くうはあつい}} [[Category:超伝導]] [[Category:スピントロニクス]] [[Category:物理学のエポニム]]
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554年
554年(554 ねん)は、西暦(ユリウス暦)による、平年。
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576年
576年(576 ねん)は、西暦(ユリウス暦)による、閏年。
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{{年代ナビ|576}} {{year-definition|576}} == 他の紀年法 == * [[干支]] : [[丙申]] * [[日本]] ** [[敏達天皇]]5年 ** [[皇紀]]1236年 * [[中国]] ** [[陳 (南朝)|陳]] : [[太建]]8年 ** [[後梁 (南朝)|後梁]] : [[天保 (南朝後梁)|天保]]15年 ** [[北斉]] : [[隆化]]元年 ** [[北周]] : [[建徳 (北周)|建徳]]5年 * [[朝鮮]] ** [[高句麗]] : [[平原王]]18年 ** [[百済]] : [[威徳王 (百済)|威徳王]]23年 ** [[新羅]]:(王)[[真興王]]37年、[[真智王]]元年、(元号)[[鴻済]]5年 ** [[檀紀]]2909年 * [[ベトナム]] : * [[仏滅紀元]] : * [[ユダヤ暦]] : {{Clear}} == カレンダー == {{年間カレンダー|年=576|Type=J|表題=可視}} == できごと == == 誕生 == {{see also|Category:576年生}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[高士廉]]、[[中国]]の[[隋]]、[[唐]]の[[政治家]]、[[軍人]](+ [[647年]]) == 死去 == {{see also|Category:576年没}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[真興王]]、[[新羅]]の第24代の王(* [[534年]]) * [[楊整]]、[[中国]]の[[隋]]の[[皇族]](* 生年不詳) == 脚注 == '''注釈''' {{Reflist|group="注"}} '''出典''' {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} <!-- == 参考文献 == --> == 関連項目 == {{Commonscat|576}} * [[年の一覧]] * [[年表]] * [[年表一覧]] <!-- == 外部リンク == --> {{十年紀と各年|世紀=6|年代=500}} {{デフォルトソート:576ねん}} [[Category:576年|*]]
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14,515
レピュニット
レピュニット (レピュニット数、レプユニット数、単位反復数、英: Repunit) とは 1, 11, 111, 1111, ... のように全ての桁の数字が 1である自然数のことである。名前の由来は repeated unitを省略した単語であり、1966年にアルバート・ベイラーが Recreations in the Theory of Numbers の中で命名したものである。 10進法におけるn桁のレピュニットは R n = 10 n − 1 9 {\displaystyle R_{n}={\frac {10^{n}-1}{9}}} の形に表される。n = 2, 19, 23, 317, 1031, ...(オンライン整数列大辞典の数列 A004023) のときに、Rn は素数となる。2進法におけるn桁のレピュニットはメルセンヌ数 ( M n = 2 n − 1 ) {\displaystyle (M_{n}=2^{n}-1)} である。レピュニットが素数であるとき、レピュニット素数 (またはレプユニット素数、英: Repunit prime)という。レピュニット素数は無限にあると予想されているが、証明されていない。 m が n を割り切るならば、Rm は Rn を割り切る。よって、n が合成数ならば、Rn は合成数となる。 100 を法として 11 と合同な平方数は存在しないから、レピュニットで平方数となるものは 1 のみである。一般に、レピュニットで累乗数となるものは 1 のみであることが知られている (Bugeaud, Mignotte 1999a)。 レピュニットは各桁の総乗が 1 となるため、すべてズッカーマン数である。 Rn は、n が3の累乗数のとき(n が 1 = 3 のときも含む)は全てハーシャッド数である。 前述の通り、R2n は11つまりR2 で割り切れる。同様に、2×n桁のR2n は、n桁のRn で割り切れる。さらに、nが奇数の時、Rn は11で割り切れないから、R2 と Rn は互いに素となる。よって、R2nは、R2 × Rn で割り切れて、その商は、n桁の数 100...1 ÷ 11 の計算値となるから、 n-1 桁の数 9090...91 である。 これらの関係を表にまとめると以下のようになる。 nが偶数の時のR2n、その他 についての例は以下。 現在、Rn で n = 2, 19, 23, 317, 1031, 49081 の場合に素数となることが証明されている。しかし桁数が大きい確率的素数 (PRP, probable prime) は素数判定が困難であり、例えば2022年3月に素数であることが証明された R49081 は、1999年に H. Dubner が確率的素数として発見してから P. Underwood によって素数判定されるまで23年を要した。 2007年4月3日、H. Dubner は n=109297 の場合が PRP であると発表し、その後 n≦200000 にはそれ以外の PRP は見つかっていないと報告している。同年7月15日、M. Voznyy は n=270343 の場合が PRP であると発表した。 2021年4月20日、S. Batalov と R. Propper は n=5794777 を、同年5月8日に n=8177207 を PRP であると発表した。発表時点ではそれぞれが知られている最大の PRP であった。 (オンライン整数列大辞典の数列 A004023) レピュニットは、2と5を除く素数の積で構成されている。 基数 10 のレピュニットの R1 から R122 までの素因数分解の一覧を示す。 n が素数の場合は背景のセルを水色にして示す。 ※ 素因数の数(含重複) 2022年末現在、素因数分解が完全には計算されていない最小のレピュニットは、n=353に当たる数である。 10以外の基数に対してもレピュニットを定義することができる。基数 a に対してn桁のレピュニットは R n ( a ) = a n − 1 a − 1 {\displaystyle R_{n}(a)={\frac {a^{n}-1}{a-1}}} と定義される。 前述の通り、a = 2 のときのレピュニットはメルセンヌ数である。また、a が素数ならば、これは a の約数の和に一致する。 基数 a ≤ 100 のレピュニットが累乗数となるのは R5(3) = 11, R4(7) = 20, R3(18) = 7 の場合しかない(Bugeaud 1999b)。 Fd(x) を d 次の円分多項式とすると、 と表すことができる。
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レピュニット とは 1, 11, 111, 1111, … のように全ての桁の数字が 1である自然数のことである。名前の由来は repeated unitを省略した単語であり、1966年にアルバート・ベイラーが Recreations in the Theory of Numbers の中で命名したものである。 10進法におけるn桁のレピュニットは R n = 10 n − 1 9 の形に表される。n = 2, 19, 23, 317, 1031, ...(オンライン整数列大辞典の数列 A004023) のときに、Rn は素数となる。2進法におけるn桁のレピュニットはメルセンヌ数 である。レピュニットが素数であるとき、レピュニット素数という。レピュニット素数は無限にあると予想されているが、証明されていない。
'''レピュニット''' ('''レピュニット数'''、'''レプユニット数'''、'''単位反復数'''、{{Lang-en-short|Repunit}}) とは 1, 11, 111, 1111, … のように全ての桁の数字が 1である[[自然数]]のことである。名前の由来は '''rep'''eated '''unit'''を省略した単語であり、[[1966年]]にアルバート・ベイラーが ''Recreations in the Theory of Numbers'' の中で命名したものである{{refnest|group=注釈|アルバート・ベイラーは以下のように記している:<blockquote>A number which consists of a repeated of a single digit is sometimes called a monodigit number, and for convenience the author has used the term “repunit number”(repeated unit) to represent monodigit numbers consisting solely of the digit 1. <ref>{{Harvnb|Beiler|2013|pp=83}}</ref></blockquote>}}。 [[10進法]]における''n''桁のレピュニットは <math>R_n=\frac{10^n-1}{9}</math>の形に表される。''n'' = [[2]], [[19]], [[23]], [[317]], 1031, ...({{OEIS|A004023}}) のときに、''R<sub>n</sub>'' は[[素数]]となる。[[2進法]]における''n''桁のレピュニットは[[メルセンヌ数]]<math>(M_n=2^n-1)</math> である。レピュニットが素数であるとき、'''レピュニット素数''' (または'''レプユニット素数'''、{{Lang-en-short|Repunit prime}})という。レピュニット素数は[[無限]]にあると予想されているが、証明されていない。 == レピュニットの性質 == ''m'' が ''n'' を割り切るならば、''R<sub>m</sub>'' は ''R<sub>n</sub>'' を割り切る。よって、''n'' が[[合成数]]ならば、''R<sub>n</sub>'' は合成数となる。 100 を法として 11 と[[合同式|合同]]な平方数は存在しないから、レピュニットで[[平方数]]となるものは 1 のみである。一般に、レピュニットで[[累乗数]]となるものは 1 のみであることが知られている (Bugeaud, Mignotte 1999a<ref>Yann Bugeaud and M. Mignotte, On integers with identical digits, ''Mathematika'' '''46''' (1999), 411–417.</ref>)。 レピュニットは各桁の総乗が 1 となるため、すべて[[ズッカーマン数]]である。 ''R<sub>n</sub>'' は、''n'' が3の累乗数のとき(''n'' が 1 = 3<sup>0</sup> のときも含む)は全て[[ハーシャッド数]]である。 ; ''n''の値と必ず含まれる約数 * 偶数 - [[11]] ** 4の倍数 - 11 · [[101]] ** 6の倍数 - 3・[[7]]・11・[[13]]・37 * 3の倍数 - [[3]] · [[37]] * 5の倍数 - [[41]] · [[271]] * 7の倍数 - [[239]] · [[4649]] * 17の倍数 - 2071723 · 5363222357 : など === 901型の例 === 前述の通り、''R''<sub>2n</sub> は11つまり''R''<sub>2</sub> で割り切れる。同様に、2×''n''桁の''R''<sub>2n</sub> は、n桁の''R''<sub>n</sub> で割り切れる。さらに、nが奇数の時、''R''<sub>n</sub> は11で割り切れないから、''R''<sub>2</sub> と ''R''<sub>n</sub> は互いに素となる。よって、''R''<sub>2n</sub>は、''R''<sub>2</sub> × ''R''<sub>n</sub> で割り切れて、その商は、''n''桁の数 100…1 ÷ 11 の計算値となるから、 ''n''-1 桁の数 9090…91 である。 これらの関係を表にまとめると以下のようになる。 {| class="wikitable sortable" style="line-height:1.4; text-align:right;" |- ! ''n''(奇数) !! 2 × ''n'' !!''R''<sub>''2n''</sub>!! ''R''<sub>2n</sub>''の値(2×''n''桁) !!!!''R''<sub>2</sub> × ''R''<sub>''n''</sub>!! ''R''<sub>2</sub> × ''R''<sub>''n''</sub>の値(''n''+1桁)!! !!''R''<sub>2n</sub> ÷ ''R''<sub>2</sub> ÷ ''R''<sub>n</sub>の値(''n''-1桁) !!''R''<sub>2n</sub> ÷ ''R''<sub>2</sub> ÷ ''R''<sub>n</sub>の素因数分解 |- |3 || 6 || ''R''<sub>{{0}}6</sub> ||111111|| rowspan=5|= || ''R''<sub>2</sub> × ''R''<sub>3</sub> || 1221 || rowspan=5|× ||'''91 || 7 · 13 |- |5||10|| ''R''<sub>10</sub> ||1111111111|| ''R''<sub>2</sub> × ''R''<sub>5</sub> || 122221 || '''9'''09'''1 || 素数 |- |7|| 14|| ''R''<sub>14</sub> ||11111111111111|| ''R''<sub>2</sub> × ''R''<sub>7</sub> || 12222221 || '''9'''0909'''1 || 素数 |- |9||18|| ''R''<sub>18</sub> ||111111111111111111|| ''R''<sub>2</sub> × ''R''<sub>9</sub> || 1222222221 || '''9'''090909'''1 || 7 · 13 · 19 · 52579 |- |11||22|| ''R''<sub>22</sub> ||1111111111111111111111|| ''R''<sub>2</sub> × ''R''<sub>11</sub> || 122222222221 || '''9'''09090909'''1 || 11 · 23 · 4093 · 8779 |} ''n''が偶数の時の''R''<sub>''2n''</sub>、その他 についての例は以下。 * ''R''<sub>12</sub> = 11222211 × 990'''1 * ''R''<sub>20</sub> = 1222210000122221 × 909'''1 * ''R''<sub>24</sub> = 112233332211 × 99000099990'''1 = 1111222222221111 × 9999000'''1 * ''R''<sub>28</sub> = 1222222100000012222221 × 90909'''1 * ''R''<sub>36</sub> = 111111222222222222111111× 99999900000'''1 * ''R''<sub>39</sub> = 123333333333321 × 90090090090099099099099'''1 : など * ''R''<sub>{{0}}6</sub> = 11 × (9091 + 1010) * ''R''<sub>{{0}}8</sub> = 11 × (909091 + 101010) * ''R''<sub>10</sub> = 11 × (90909091 + 10101010) <ref>[http://blog.sina.com.cn/s/blog_539fcb960100m0hf.html 电算游戏(六)“901”型的等式队列_屏山老马_新浪博客]</ref><ref>[http://blog.sina.com.cn/s/blog_539fcb960100m0hh.html 电算游戏(六)之二“9090…91”型数等式队列_屏山老马_新浪博客]</ref><ref>[http://www.ajimatics.com/entry/2017/11/11/231100 1111…1という数(レピュニット)の素因数分解を納得する - アジマティクス]</ref><ref>[https://www.mathe-wettbewerbe.de/bwm/aufgaben/aufgaben-2016/loes-16-1-e.pdf#page=2 Aufgaben und Lösungen 1. Runde 2016]</ref> {{節スタブ}} === 1と0のみで表す例 === {| class="wikitable sortable" style="line-height:1.4;" |- ! ''<sub>n</sub>'' !! (10''<sup>n/2</sup>'' − 1) / 9 !! <ref>[http://www.swansea.ac.uk/media/MathsP%205.pdf Factors of 10n − 1,10 n + 1,2n − 1 and 2 n + 1.]</ref> !! 10''<sup>n/2</sup>'' + 1 |- | [[11|''R''<sub>{{none|0}}2</sub>]] || ''1'' || 1 × 11 || 11 |- | [[1111|''R''<sub>{{none|0}}4</sub>]] || 11 || 11 × 101 || 101 |- | ''R''<sub>{{none|0}}6</sub> || 3 · 37 || 111 × 1001 || 7 · 11 · 13 |- | ''R''<sub>{{none|0}}8</sub> || 11 · 101 || 1111 × 10001 || 73 · 137 |- | ''R''<sub>10</sub> || 41 · 271 || 11111 × 100001 || 11 · 9091 |} {| class="wikitable sortable" style="line-height:1.4;" |- ! ''<sub>n</sub>'' !! !! !! |- | [[11|''R''<sub>{{0}}2</sub>]] || || {{000}}1 × 11 || 1 × 11 |- | [[111|''R''<sub>{{0}}3</sub>]] ||#|| {{000}}1 × 111 || |- | [[1111|''R''<sub>{{0}}4</sub>]] ||$|| {{000}}1 × 1111 || 11 × 101 |- | ''R''<sub>{{0}}5</sub> ||%|| {{000}}1 × 11111 || |- | rowspan=2|''R''<sub>{{0}}6</sub> ||&|| {{000}}1 × 111111 || 111 × 1001 |- |#|| {{00}}11 × 10101 || |- | ''R''<sub>{{0}}7</sub> ||*|| {{000}}1 × 1111111 || |- | ''R''<sub>{{0}}8</sub> ||$|| {{00}}11 × 1010101 || 1111 × 10001 |- | ''R''<sub>{{0}}9</sub> ||#|| {{0}}111 × 1001001 || |- | ''R''<sub>10</sub> ||%|| {{00}}11 × 101010101 || 11111 × 100001 |- | rowspan=3|''R''<sub>12</sub> ||&|| {{00}}11 × 10101010101 || 111111 × 1000001 |- |$|| {{0}}111 × 1001001001 || |- |#|| 1111 × 100010001 || |- | ''R''<sub>14</sub> ||*|| {{00}}11 × 1010101010101 || 1111111 × 10000001 |} {| class="wikitable sortable" style="line-height:1.4;" |- ! ''<sub>n</sub>'' !! !! |- | ''R''<sub>{{0}}6</sub> || 1 × 111 × 1001 || '''91''' · 11 |- | ''R''<sub>12</sub> || 11 × 10101 × 1000001 || '''9'''90'''1''' · 101 |- | ''R''<sub>18</sub> || 111 × 1001001 × 1000000001 || '''9'''9900'''1''' · 1001 |- | ''R''<sub>24</sub> || 1111 × 100010001 × 1000000000001 || '''9'''999000'''1''' · 10001 |} {| class="wikitable sortable" style="line-height:1.4;" |- ! ''<sub>n</sub>'' !! !! |- | [[1111|''R''<sub>{{0}}4</sub>]] || 11 × 101 || |- | ''R''<sub>{{0}}8</sub> || 101 × 110011 || |- | ''R''<sub>12</sub> || 1001 × 111000111 || 1221001221 × '''91 |- | ''R''<sub>16</sub> || 10001 × 111100001111 || |- | ''R''<sub>20</sub> || 100001 × 111110000011111 || 1222210000122221 × '''9'''09'''1 |- | ''R''<sub>24</sub> || 1000001 × 111111000000111111 || 1221001221001221001221 × '''91 |} === 累乗数 − 累乗数 === <ref>[http://www.worldofnumbers.com/em45.htm World!Of Numbers]</ref> {|class="wikitable sortable" style="line-height:1.4;" |- ! ''<sub>n</sub>'' !! <small>''R<sub>n</sub>''×(10''<sup>n</sup>''+1)</small> !! !! !! |- ! !! <ref>[http://science-log.com/wp/数学/number-theory-の話題(repunit-number-と-zsigmondys-theorem)/ Number Theory の話題(Repunit Number と Zsigmondy's Theorem)]</ref><ref>[http://yoda.guillaume.pagesperso-orange.fr/Onze1.htm nombre - onze en maths]</ref><ref>[http://villemin.gerard.free.fr/aNombre/MOTIF/Chiffres/Persista.htm persistance et repdigits]</ref> !! !! !! |- | [[11|''R''<sub>{{none|0}}2</sub>]] | '''6'''<sup>2</sup> − '''5'''<sup>2</sup> || '''6'''<sup>2</sup> − '''5'''<sup>2</sup> |||| '''6'''<sup>2</sup> − '''5'''<sup>2</sup> |- | [[111|''R''<sub>{{none|0}}3</sub>]] | || 5'''6'''<sup>2</sup> − 5'''5'''<sup>2</sup> || '''56'''<sup>2</sup> − '''55'''<sup>2</sup> || |- | [[1111|''R''<sub>{{none|0}}4</sub>]] | 5'''6'''<sup>2</sup> − 4'''5'''<sup>2</sup> || 55'''6'''<sup>2</sup> − 55'''5'''<sup>2</sup> |||| |- | ''R''<sub>{{none|0}}5</sub> | || 555'''6'''<sup>2</sup> − 555'''5'''<sup>2</sup> |||| |- | ''R''<sub>{{none|0}}6</sub> | 55'''6'''<sup>2</sup> − 44'''5'''<sup>2</sup> || 5555'''6'''<sup>2</sup> − 5555'''5'''<sup>2</sup> || '''5'''05'''6'''<sup>2</sup> − '''5'''04'''5'''<sup>2</sup> || 656<sup>2</sup> − 565<sup>2</sup> |- | ''R''<sub>{{none|0}}7</sub> | || 55555'''6'''<sup>2</sup> − 55555'''5'''<sup>2</sup> |||| |- | ''R''<sub>{{none|0}}8</sub> | 555'''6'''<sup>2</sup> − 444'''5'''<sup>2</sup> || style="text-align:center"|{{none|0G}}<small>(省略) |||| |- | [[111111111|''R''<sub>{{none|0}}9</sub>]] | || style="text-align:center"|{{none|0F}}<small>(省略) || '''5'''0055'''6'''<sup>2</sup> − '''5'''0044'''5'''<sup>2</sup> || |- |''R''<sub>10</sub> | style="text-align:center"|{{none|0E}}<small>(省略) || style="text-align:center"|{{none|0E}}<small>(省略) |||| 65656<sup>2</sup> − 56565<sup>2</sup> |- |''R''<sub>11</sub> | || style="text-align:center"|{{none|0D}}<small>(省略) |||| |- |''R''<sub>12</sub> | style="text-align:center"|{{none|0C}}<small>(省略) || style="text-align:center"|{{none|0C}}<small>(省略) || '''5'''000555'''6'''<sup>2</sup> − '''5'''000444'''5'''<sup>2</sup> || |- |''R''<sub>13</sub> | || style="text-align:center"|{{none|0B}}<small>(省略) |||| |- |''R''<sub>14</sub> | style="text-align:center"|{{none|0C}}<small>(省略) || style="text-align:center"|{{none|0A}}<small>(省略) |||| 6565656<sup>2</sup> - 5656565<sup>2</sup> |} == レピュニット素数 == 現在、''R<sub>n</sub>'' で ''n'' = 2, 19, 23, 317, 1031, 49081 の場合に素数となることが証明されている。しかし桁数が大きい[[確率的素数]] (PRP, probable prime) は[[素数判定]]が困難であり、例えば2022年3月に素数であることが証明された ''R''<sub>49081</sub> は、1999年に H. Dubner が確率的素数として発見してから P. Underwood によって素数判定されるまで23年を要した<ref>{{Cite web |url=https://mersenneforum.org/showpost.php?p=602219&postcount=35 |title=R49081 is prime! |accessdate=2022-03-29 |publisher=MersenneForum |date=2022-03-21 |author=Paul Underwood}}</ref>。 2007年4月3日、H. Dubner は ''n''=109297 の場合が PRP であると発表し<ref>Harvey Dubner, [https://listserv.nodak.edu/cgi-bin/wa.exe?A2=NMBRTHRY;a9325f9e.0704&S= ''R''<sub>109297</sub> に関するアナウンス]、Number Theory List</ref>、その後 ''n''≦200000 にはそれ以外の PRP は見つかっていないと報告している<ref>{{Cite web|url=https://groups.yahoo.com/neo/groups/primeform/conversations/topics/8546|title=Yahoo! Groups|accessdate=2018-04-06|website=groups.yahoo.com|language=en-US}}</ref>{{リンク切れ|date=2022年3月}}。同年7月15日、M. Voznyy は ''n''=270343 の場合が PRP であると発表した<ref>Maksym Voznyy, [https://listserv.nodak.edu/cgi-bin/wa.exe?A2=NMBRTHRY;1a44c5be.0707&S= ''R''<sub>270343</sub> に関するアナウンス]、Number Theory List</ref>。 2021年4月20日、S. Batalov と R. Propper は n=5794777 を<ref>{{Cite web |url=https://www.mersenneforum.org/showpost.php?p=576285&postcount=1 |title=New repunit (PRP) primes found |accessdate=2022-03-29 |publisher=MersenneForum |date=2021-04-20}}</ref>、同年5月8日に n=8177207 を PRP であると発表した<ref>{{Cite web |url=https://www.mersenneforum.org/showpost.php?p=578079&postcount=39 |title=It is R8177207 |accessdate=2022-03-29 |publisher=MersenneForum |date=2021-05-08}}</ref>。発表時点ではそれぞれが知られている最大の PRP であった。 {| class="wikitable" cellpadding="2" cellspacing="0" |+ ''R<sub>n</sub>'' = (10<sup>n</sup> − 1) / 9</caption> |- ! No. !! ''n'' !! 年 !! 発見者 !! 素数判定 |- ! style="text-align:right" | 1 | style="text-align:right" | 2 || - || - | style="text-align:center" | ○ |- ! style="text-align:right" | 2 | style="text-align:right" | 19 || - || - | style="text-align:center" | ○ |- ! style="text-align:right" | 3 | style="text-align:right" | 23 || - || - | style="text-align:center" | ○ |- ! style="text-align:right" | 4 | style="text-align:right" | 317 || 1978 || Williams | style="text-align:center" | ○ |- ! style="text-align:right" | 5 | style="text-align:right" | 1031 || 1986 || Williams, Dubner | style="text-align:center" | ○ |- ! style="text-align:right" | 6 | style="text-align:right" | 49081 || 1999 || Dubner | style="text-align:center" | ○ |- ! style="text-align:right" | 7 | style="text-align:right" | 86453 || 2000 || Baxter | style="text-align:center" | - |- ! style="text-align:right" | 8 | style="text-align:right" | 109297 || 2007 || Dubner | style="text-align:center" | - |- ! style="text-align:right" | 9 | style="text-align:right" | 270343 || 2007 || Voznyy | style="text-align:center" | - |- ! style="text-align:right" | 10 | style="text-align:right" | 5794777 || 2021 || Batalov, Ryan | style="text-align:center" | - |- ! style="text-align:right" | 11 | style="text-align:right" | 8177207 || 2021 || Batalov, Ryan | style="text-align:center" | - |} ({{OEIS|A004023}}) == レピュニットの素因数分解 == レピュニットは、[[2]]と[[5]]を除く素数の積で構成されている<ref>{{高校数学の美しい物語|title=レプユニット数|urlname=repunit}}</ref>。 基数 10 のレピュニットの ''R''<sub>1</sub> から ''R''<sub>122</sub> までの素因数分解の一覧を示す<ref>{{Cite web|和書|author=鎌田誠 |url=https://stdkmd.net/nrr/repunit/ |title=11...11 (レピュニット) の素因数分解 |publisher=STUDIO KAMADA |accessdate=2022-03-29}}</ref>。 ''n'' が[[素数]]の場合は背景のセルを水色にして示す。 '''※''' 素因数の数(含重複) 2022年末現在、素因数分解が完全には計算されていない最小のレピュニットは、n=353に当たる数である。 {| class="wikitable sortable" style="width:100%; line-height:1.4;" |+ 基数10 のレピュニットの''Rn''(n=1~122)の素因数分解の表 |- ! n !! <small>※</small> !! 素因数分解 |- ! &nbsp; !! !! |- | style="text-align:right" | 1 || 0 || {{none|0}}1 |- | style="background-color:#00FFFF;text-align:right" | 2 || 1 || 11 ('''素数''') |- | style="background-color:#00FFFF;text-align:right" | 3 || 2 || {{none|0}}3 · 37 |- | style="text-align:right" | 4 || 2 || 11 · {{none|‾C}}101 |- | style="background-color:#00FFFF;text-align:right" | 5|| 2 || 41 · 271 |- | style="text-align:right" | 6|| 5 || {{none|0}}3 · {{none|0}}7 · 11 · 13 · 37 |- | style="background-color:#00FFFF;text-align:right" | 7|| 2 || {{none|‾C}}239 · 4649 |- | style="text-align:right" | 8|| 4 || 11 · 73 · {{none|‾C}}101 · 137 |- | style="text-align:right" | 9 || 4 || {{none|0}}3<sup>2</sup> · 37 · {{none|‾F}}333667 |- | style="text-align:right" | 10 || 4 || 11 · 41 · {{none|‾C}}271 · 9091 |- | style="background-color:#00FFFF;text-align:right" | 11 || 2 || {{none|‾E}}21649 · 513239 |- | style="text-align:right" | 12 || 7 || {{none|0}}3 · {{none|0}}7 · 11 · 13 · 37 · {{none|‾C}}101 · 9901 |- | style="background-color:#00FFFF;text-align:right" | 13 || 3 || 53 · 79 · 265371653 |- | style="text-align:right" | 14 || 4 || 11 · {{none|‾C}}239 · 4649 · 909091 |- | style="text-align:right" | 15 || 6 || {{none|0}}3 · 31 · 37 · 41 · {{none|‾C}}271 · 2906161 |- | style="text-align:right" | 16 || 6 || 11 · 17 · 73 · 101 · 137 · 5882353 |- | style="background-color:#00FFFF;text-align:right" | 17 || 2 || {{none|‾G}}2071723 · 5363222357 |- | style="text-align:right" | 18 || 9 || {{none|0}}3<sup>2</sup> · {{none|0}}7 · 11 · 13 · 19 · 37 · {{none|‾E}}52579 · 333667 |- | style="background-color:#00FFFF;text-align:right" | 19 || 1 || {{none|‾S}}1111111111111111111 ('''素数''') |- | style="text-align:right" | 20 || 7 || 11 · 41 · {{none|‾C}}101 · 271 · 3541 · 9091 · 27961 |- | style="text-align:right" | 21 || 7 || {{none|0}}3 · 37 · 43 · 239 · 1933 · 4649 · 10838689 |- | style="text-align:right" | 22 || 7 || 11<sup>2</sup> · 23 · {{none|‾D}}4093 · 8779 · 21649 · 513239 |- | style="background-color:#00FFFF;text-align:right" | 23 || 1 || {{none|‾W}}11111111111111111111111 ('''素数''') |- | style="text-align:right" | 24 || 10 || {{none|0}}3 · {{none|0}}7 · 11 · 13 · 37 · 73 · 101 · 137 · 9901 · 99990001 |- | style="text-align:right" | 25 || 5 || 41 · 271 · {{none|‾E}}21401 · 25601 · 182521213001 |- | style="text-align:right" | 26 || 6 || 11 · 53 · 79 · 859 · 265371653 · 1058313049 |- | style="text-align:right" | 27 || 7 || {{none|0}}3<sup>3</sup> · 37 · 757 · 333667 · 440334654777631 |- | style="text-align:right" | 28 || 8|| 11 · 29 · {{none|‾C}}101 · 239 · 281 · 4649 · 909091 · 121499449 |- | style="background-color:#00FFFF;text-align:right" | 29 || 5 || {{none|‾D}}3191 · 16763 · 43037 · 62003 · 77843839397 |- | style="text-align:right" | 30 || 13 || {{none|0}}3 · {{none|0}}7 · 11 · 13 · 31 · 37 · 41 · {{none|‾C}}211 · 241 · 271 · 2161 · 9091 · 2906161 |- | style="background-color:#00FFFF;text-align:right" | 31 || 3 || {{none|‾D}}2791 · 6943319 · 57336415063790604359 |- | style="text-align:right" | 32 || 11 || 11 · 17 · 73 · 101 · 137 · 353 · 449 · 641 · 1409 · 69857 · 5882353 |- | style="text-align:right" | 33 || 6 || {{none|0}}3 · 37 · 67 · 21649 · 513239 · 1344628210313298373 |- | style="text-align:right" | 34 || 6 || 11 · {{none|‾C}}103 · 4013 · 2071723 · 5363222357 · 21993833369 |- | style="text-align:right" | 35 || 7 || 41 · {{none|0}}71 · 239 · 271 · 4649 · 123551 · 102598800232111471 |- | style="text-align:right" | 36 || 12 || {{none|0}}3<sup>2</sup> · {{none|0}}7 · 11 · 13 · 19 · 37 · {{none|‾C}}101 · 9901 · 52579 · 333667 · 999999000001 |- | style="background-color:#00FFFF;text-align:right" | 37 || 3 || {{none|‾G}}2028119 · 247629013 · 2212394296770203368013 |- | style="text-align:right" | 38 || 3 || 11 · {{none|‾R}}909090909090909091 · 1111111111111111111 |- | style="text-align:right" | 39 || 6 || {{none|0}}3 · 37 · 53 · 79 · 265371653 · 900900900900990990990991 |- | style="text-align:right" | 40 || 11 || 11 · 41 · 73 · 101 · 137 · 271 · 3541 · 9091 · 27961 · 1676321 · 5964848081 |- | style="background-color:#00FFFF;text-align:right" | 41 || 4 || 83 · 1231 · 538987 · 201763709900322803748657942361 |- | style="text-align:right" | 42 || 15|| {{none|0}}3 · {{none|0}}7<sup>2</sup> · 11 · 13 · 37 · 43 · 127 · 239 · 1933 · 2689 · 4649 · 459691 · 909091 · 10838689 |- | style="background-color:#00FFFF;text-align:right" | 43 || 4 || {{none|‾C}}173 · 1527791 · 1963506722254397 · 2140992015395526641 |- | style="text-align:right" | 44 || 11 || 11<sup>2</sup> · 23 · 89 · 101 · 4093 · 8779 · 21649 · 513239 · 1052788969 · 1056689261 |- | style="text-align:right" | 45 || 10 || {{none|0}}3<sup>2</sup> · 31 · 37 · 41 · 271 · 238681 · 333667 · 2906161 · 4185502830133110721 |- | style="text-align:right" | 46 || 6 || 11 · 47 · 139 · 2531 · 549797184491917 · 11111111111111111111111 |- | style="background-color:#00FFFF;text-align:right" | 47 || 2 || {{none|‾H}}35121409 · 316362908763458525001406154038726382279 |- | style="text-align:right" | 48 || 13 || {{none|0}}3 · {{none|0}}7 · 11 · 13 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27961 · 1676321 · 2906161 · 4188901 · 39526741 · 99990001 · 5964848081 · 100009999999899989999000000010001 |- |121 |6 |15973 · 21649 · 38237 · 274187 · 513239 · 597149176209530412360795391497657340159943421992502538230831481682232969649167277637825641074323 |- |122 |10 |11 · 733 · 4637 · 81131 · 329401 · 974293 · 1360682471 · 106007173861643 · 7061709990156159479 · 11205222530116836855321528257890437575145023592596037161 |} == 一般化 == 10以外の[[位取り記数法|基数]]に対してもレピュニットを定義することができる。基数 ''a'' に対して''n''桁のレピュニットは <math>R_n(a)=\frac{a^n-1}{a-1}</math>と定義される。 前述の通り、''a'' = 2 のときのレピュニットは[[メルセンヌ数]]である。また、''a'' が素数ならば、これは ''a''<sup>''n'' − 1</sup> の[[約数#約数の和|約数の和]]に一致する。 基数 ''a'' ≤ 100 のレピュニットが累乗数となるのは ''R''<sub>5</sub>(3) = 11<sup>2</sup>, ''R''<sub>4</sub>(7) = 20<sup>2</sup>, ''R''<sub>3</sub>(18) = 7<sup>3</sup> の場合しかない(Bugeaud 1999b<ref>Yann Bugeaud, On the diophantine equation <math>a\frac{x^n-1}{x-1}=y^q</math>, ''Number Theory'' ( ''Turku'', 1999), 19–24, de Gruyter, 2001.</ref>)。 ''F<sub>d</sub>''(''x'') を ''d'' 次の[[円分多項式]]とすると、 :<math>R_n(a)=\prod_{d\mid n,\, d>1}F_d(a)</math> と表すことができる。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{reflist|group="注釈"}} === 出典 === {{Reflist|30em}} ==参考文献== *{{Citation |last=Beiler |first=Albert H. |author-link=Albert Beiler |origdate=1964-06-01 |origyear=1964 |date=2013 |title=Recreations in the Theory of Numbers: The Queen of Mathematics Entertains |publisher=Dover Publications |location=New York |edition=2nd Revised |series=Dover Recreational Math |url={{Google books|NbbbL9gMJ88C|Recreations in the theory of numbers|plainurl=yes}} |isbn=978-0-486-21096-4 }} *{{Citation |last=Dickson |first=Leonard Eugene |author-link=レオナード・E・ディクソン |last2=Cresse |first2=G.H. |author2-link=G. H. Cresse |date=1999-04-24 |title=History of the Theory of Numbers |publisher=American Mathematical Society |location=Providence, Rhode Island |edition=2nd Reprinted |series=AMS Chelsea Publishing |volume=Volume I |url={{Google books|XnwsAQAAIAAJ|History of the Theory of Numbers|plainurl=yes}} |isbn=978-0-8218-1934-0 }} *{{Citation |last=Francis |first=Richard L. |author-link=Richard L. Francis |date=1988-05 |title=Mathematical Haystacks: Another Look at Repunit Numbers |journal=The College Mathematics Journal |volume=19 |issue=3 |pages=240-246 }} *{{Citation |last=Ribenboim |first=Paulo |author-link=パウロ・リーベンボイム |date=1996-02-02 |title=The New Book of Prime Number Records |publisher=Springer |location=New York |edition=3rd |series=Computers and Medicine |url={{Google books|2VTSBwAAQBAJ|The New Book of Prime Number Records|plainurl=yes}} |isbn=978-0-387-94457-9 }} *{{Citation |last=Yates |first=Samuel |author-link=Samuel Yates |date=1982-05 |title=Repunits and repetends |publisher=Delray Beach |location=FL |isbn=978-0-9608652-0-8 |url={{Google books|3_vuAAAAMAAJ|Repunits and repetends|plainurl=yes}} }} ==関連項目== *[[一進法]] *[[回文数]] *[[メルセンヌ数]] *[[ゴールマハティヒ予想]] *[[レピュニット (小惑星)]] - [[小惑星番号]]が11111であることから命名。 *[[37]] - [[111]]を[[3]]で割った値。 *[[259]] - [[111111]]を[[429]]で割った値。 *[[12345679]] - [[111111111]]を[[9]]で割った値。 == 外部リンク == *{{高校数学の美しい物語|1374|レプユニット数}} *[http://stdkmd.com/nrr/repunit/ 11...11 (レピュニット) の素因数分解(n = 20万までの一覧)] *[http://www.kurtbeschorner.de/ Factorizations of Repunit Numbers (n = 14980までの一覧)] *[http://blog.sina.com.cn/s/blog_539fcb960100luky.html 纯元数的实验与探究] *[http://villemin.gerard.free.fr/Wwwgvmm/Formes/RepUnit.htm collection de nombres, rep-unit] *{{MathWorld|urlname=Repunit|title=Repunit}} {{DEFAULTSORT:れひゆにつと}} {{素数の分類}} [[Category:数論]] [[Category:整数の類]] [[Category:数学に関する記事]] [[Category:素数]]
2003-08-30T16:47:08Z
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十進法
十進法(、英: decimal system)とは、十を底()とし、底およびその冪を基準にして数を表す方法である。 十進記数法とは、十を底とする位取り記数法である。十進記数法では十種類の数字を並べることで数を表す。用いられる数字は例えば漢数字(〇、一、二、三、四、五、六、七、八、九)やアラビア数字(0, 1, 2, 3, 4, 5, 6, 7, 8, 9)などがある。以下ではアラビア数字を用いる。 各アラビア数字を自然数 0、1、・・・、9 の数値に対応させ、 a m a m − 1 ⋯ a 1 a 0 . b 1 b 2 ⋯ b k {\displaystyle a_{m}a_{m-1}\cdots a_{1}a_{0}.b_{1}b_{2}\cdots b_{k}} という数字列で表現する。(ただし、 a ∗ {\displaystyle a_{*}} 、 b ∗ {\displaystyle b_{*}} はそれぞれの 0 から 9 を示すいずれかの数字であり、 a m ≠ 0 {\displaystyle a_{m}\neq 0} とする) この数字列が、 a m × 10 m + a m − 1 × 10 m − 1 + ⋯ + a 1 × 10 + a 0 + b 1 10 + b 2 10 2 + ⋯ + b k 10 k {\displaystyle a_{m}\times 10^{m}+a_{m-1}\times 10^{m-1}+\cdots +a_{1}\times 10+a_{0}+{\frac {b_{1}}{10}}+{\frac {b_{2}}{10^{2}}}+\cdots +{\frac {b_{k}}{10^{k}}}} という数値であることを表す。 別の位取り記数法と区別する場合には、(15)10 というように十進表記は括弧および下付の 10 で区別する。 この他、算木も十進記数法であるが、現在は用いられていない。しかし、算木から変化した蘇州号碼は現在も香港などで僅かに使われている。 そろばんは十進法と同じ仕組みだが、文字として表記することはない。十進法のうち、五倍→二倍→五倍→二倍...の循環で繰り上げる方法は、正確には「二・五進法」という。 ローマ数字、漢数字、ヒエログリフ(エジプト数字)などは、十を「10」ではなく新しい文字として表現するが、十進法を基本にしている。 十進法という考え方は古代からあったとみられる。日本の須玖岡本遺跡(福岡県春日市)からは、弥生時代に分銅のように重量を計るため使われた権(けん)という石器が出土しており、基準となる権の十倍の重さのものが見つかっている。 十進命数法とは、十を底とする命数法である。 現在、世界の言語の数詞は十進命数法が圧倒的であり、北京官話、英語、スペイン語、ポルトガル語、ロシア語、日本語、ドイツ語など、話者数の多い言語の大半で使われている。古語ではラテン語も同様である。古語大言語で十進命数法でないのは、二十進法を遺すフランス語などに限られる。 十進命数法は、ヒトの両手の指の数に由来する。数詞が例外なく各桁の数と位から構成される完全な十進命数法は、呉語を除く中国語に見られる。ベトナム語の数詞もほぼ例外がない。朝鮮語、日本語、タイ語の数詞は中国語から輸入したものである。なお、春秋戦国時代までの中国語では、各桁の間に「と」を意味する「又」や「有」を挿入した。『論語』では十五を「十有五」と書かれている。 その他の言語では、十の倍数が一語で表されたり、十一から十九までの数が一語で表されたり、十一から十九までが「十にRを加えた」語で表されたりする例が多い。例えば、英語では、十一は ten-one ではなく eleven であり、二十は two-ten ではなく twenty である。また、十の倍数についても、日本語の「みそ」(三十)や漢数詞の「四十」やラテン語の「sexaginta」(六十) というように、「掛ける十」を意味する接尾辞を付けている数詞が多い。 五本指の手が二本あるので、十の他に五も基準にして、「十の累乗数」と「十の累乗数の五倍」で桁を繰り上げる方法がある。これを二五進法と呼ぶ。このような数詞を持つ言語は少なく、ウォロフ語、クメール語などがある。一方、十を二個の五に分ける言語は存在しない。 不規則な数詞は子供の数の能力に悪影響があるという報告がある。 以下に漢語、日本語(大和言葉)、ウォロフ語、英語、ラテン語の数詞を示す。 10 を底とする単位には以下のものがある。 10 の冪乗に基づく単位系はフランス革命以降に世界規模に拡大したが、それ以前には地域ごとに様々な数に基づく単位系が使用されていた。たとえば、ヤード・ポンド法では1 ヤード = 3 フィート = 36 インチである。中国や日本の尺貫法も、1 丈 = 10 尺 = 100 寸など 10 の冪乗に基づく部分は多いものの、1 斤 = 16 両のような例外も多い。単位系を 10 の冪乗に基づくものに移行することを「十進化」という。 「10」と書いた場合、十進記数法を採用しない限りこれは「十」を意味しない。逆にどのような底をとっても、その進法において底自体は「10」と表せる(例えば 2 は二進法において 10 と表される)。十、百、千などの数詞は狭義の位取り記数法において使われないため、「10進法」でなく「十進法」と書くことで底の曖昧さをなくせる。 その他の底についても、規約として漢数字を用いることとするか、底そのものは必ず十進表記であるとすることで混同を避けられる。英語でも同様に base-10 より decimal や base-ten、base-60 より sexagesimal や base-sixty のように表記することで曖昧さを取り除ける。
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十進法(じっしんほう、とは、十を底とし、底およびその冪を基準にして数を表す方法である。
{{読み仮名|'''十進法'''|じっしんほう|{{lang-en-short|decimal system}}}}{{efn2|「十進法」は「じゅっしんほう」とも読む。「十」に関する読みや読み仮名の揺れについては[[10#漢字「十」の音読み]]を参照。}}とは、[[10|十]]を{{読み仮名|[[位取り記数法|底]]|てい}}とし、底およびその[[冪乗|冪]]を基準にして[[数]]を表す方法である。 == 記数法 == '''十進記数法'''とは、[[10|十]]を底とする[[位取り記数法]]である。十進記数法では十種類の[[数字]]を並べることで数を表す。用いられる数字は例えば[[漢数字]](〇、一、二、三、四、五、六、七、八、九)や[[アラビア数字]](0, 1, 2, 3, 4, 5, 6, 7, 8, 9)などがある。以下ではアラビア数字を用いる。 各アラビア数字を自然数 {{Indent|0、1、・・・、9}} の数値に対応させ、 {{Indent|<math>a_m a_{m-1} \cdots a_1 a_0 . b_1 b_2 \cdots b_k</math>}} という数字列で表現する。(ただし、<math>a_*</math>、<math>b_*</math> はそれぞれの 0 から 9 を示すいずれかの数字であり、<math>a_m\neq 0</math> とする) この数字列が、 {{Indent|<math>a_m \times 10^m + a_{m-1} \times 10^{m-1} + \cdots + a_1 \times 10 + a_0 + \frac{b_1}{10} + \frac{b_2}{10^2} + \cdots + \frac{b_k}{10^k}</math>}} という数値であることを表す<ref>{{harvnb|『岩波数学入門辞典』|2005|loc=【n進法】、【記数法】|pp=46, 125-126}}において、底を10とした場合。</ref>。 別の位取り記数法と区別する場合には、(15){{sub|10}} というように十進表記は括弧および下付の 10 で区別する。 この他、[[算木]]も十進記数法であるが、現在は用いられていない。しかし、算木から変化した[[蘇州号碼]]は現在も[[香港]]などで僅かに使われている。 [[そろばん]]は十進法と同じ仕組みだが、文字として表記することはない。十進法のうち、五倍→二倍→五倍→二倍…の循環で繰り上げる方法は、正確には「[[二五進法|二・五進法]]」という。 [[ローマ数字]]、[[漢数字]]、[[ヒエログリフ]]([[エジプト数学|エジプト数字]])などは、十を「10」ではなく新しい文字として表現するが、十進法を基本にしている。 十進法という考え方は古代からあったとみられる。[[日本]]の[[須玖岡本遺跡]]([[福岡県]][[春日市]])からは、[[弥生時代]]に[[分銅]]のように重量を計るため使われた権(けん)という[[石器]]が出土しており、基準となる権の十倍の重さのものが見つかっている<ref>[https://mainichi.jp/articles/20210901/k00/00m/040/348000c 「弥生時代に10進法利用か 基準10倍の分銅発見 国内初」]『[[毎日新聞]]』朝刊2021年9月2日(社会面)同年9月4日閲覧</ref>。 == 命数法 == '''十進命数法'''とは、[[10|十]]を底とする[[命数法]]である。 === 数詞 === 現在、世界の言語の[[数詞]]は十進命数法が圧倒的であり、[[北京官話]]、[[英語]]、[[スペイン語]]、[[ポルトガル語]]、[[ロシア語]]、[[日本語]]、[[ドイツ語]]など、話者数の多い言語の大半で使われている。古語では[[ラテン語]]も同様である。古語大言語で十進命数法でないのは、[[二十進法]]を遺す[[フランス語]]などに限られる。 十進命数法は、[[ヒト]]の両手の[[指]]の数に由来する。数詞が例外なく各桁の数と位から構成される完全な十進命数法は、[[呉語]]を除く[[中国語]]に見られる。[[ベトナム語]]の数詞もほぼ例外がない。[[朝鮮語]]、日本語、[[タイ語]]の数詞は中国語から輸入したものである。なお、[[春秋戦国時代]]までの中国語では、各桁の間に「と」を意味する「又」や「有」を挿入した。『[[論語]]』では十五を「十有五」と書かれている<ref>『論語』「吾十有五而志于学」。</ref>。 その他の言語では、十の倍数が一語で表されたり、十一から十九までの数が一語で表されたり、十一から十九までが「十にR<!--Remainder(余り)の頭文字-->を加えた」語で表されたりする例が多い。例えば、英語では、十一は <sup>*</sup>ten-one ではなく eleven であり、二十は <sup>*</sup>two-ten ではなく twenty である。また、十の倍数についても、日本語の「み'''そ'''」(三十)や[[漢数詞]]の「四'''十'''」やラテン語の「sexa'''ginta'''」(六十) というように、「掛ける十」を意味する[[接尾辞]]を付けている数詞が多い。 五本指の手が二本あるので、十の他に五も基準にして、「十の累乗数」と「十の累乗数の五倍」で桁を繰り上げる方法がある。これを[[二五進法]]と呼ぶ。このような[[数詞]]を持つ言語は少なく、[[ウォロフ語]]<ref>[http://www.zompist.com/niger.htm#WOL Wolof] Numbers in Niger-Congo Languages(2021年9月4日閲覧)</ref>、[[クメール語]]<ref>[http://www.zompist.com/asia.htm#KMR Khmer] Numbers in Asian Languages(2021年9月4日閲覧)</ref>などがある。一方、十を二個の五に分ける言語は存在しない。 不規則な数詞は子供の数の能力に悪影響があるという報告がある{{sfn|Azar|1999}}。 以下に[[漢語]]、日本語([[大和言葉]])、ウォロフ語、英語、ラテン語の数詞を示す。 {| class="wikitable" border="1" style="text-align:center" ! 数!! 漢語 !! 日本語(大和言葉) !! ウォロフ語 !! 英語 !! ラテン語 |- ! style="text-align:right" | 1 | 一 || ひい || benna || one || unus |- ! style="text-align:right" | 2 | 二 || ふう || ñaar || two || duo |- ! style="text-align:right" | 3 | 三 || みい || ñetta || three || tres |- ! style="text-align:right" | 4 | 四 || よ || ñenent || four || quattuor |- ! style="text-align:right" | 5 | 五 || いつ || juróom || five || quinque |- ! style="text-align:right" | 6 | 六 || む || juróom benna || six || sex |- ! style="text-align:right" | 7 | 七 || なな || juróom ñaar || seven || septem |- ! style="text-align:right" | 8 | 八 || や || juróom ñetta || eight || octo |- ! style="text-align:right" | 9 | 九 || ここ || juróom ñenent || nine || novem |- ! style="text-align:right" | 10 | 十 || とお || fukka || ten || decem |- ! style="text-align:right" | 11 | 十一 || とおあまりひい || fukka ak benna || eleven || undecim |- ! style="text-align:right" | 12 | 十二 || とおあまりふう || fukka ak ñaar || twelve || duodecim |- ! style="text-align:right" | 20 | 二十 || はた || ñaar fukka || twenty || viginti |- ! style="text-align:right" | 21 | 二十一 || はたあまりひい || ñaar fukka ak benna || twenty-one || viginti et unus |} === 単位系 === 10 を底とする[[単位]]には以下のものがある。 *[[メートル法]] *[[国際単位系]]([[SI接頭語]]) *[[百分率]]、[[千分率]] *[[世紀]] *[[摂氏]][[温度計]] *[[貨幣]]制度 *:発行される[[貨幣]]の額面は、5 も基準にする[[二五進法]]が普通である。 10 の冪乗に基づく単位系は[[フランス革命]]以降に世界規模に拡大したが、それ以前には地域ごとに様々な数に基づく[[単位系]]が使用されていた。たとえば、[[ヤード・ポンド法]]では1 [[ヤード]] = 3 [[フィート]] = 36 [[インチ]]である。中国や日本の[[尺貫法]]も、1 [[丈]] = 10 [[尺]] = 100 [[寸]]など 10 の[[冪乗]]に基づく部分は多いものの、1 [[斤]] = 16 [[両]]のような例外も多い。単位系を 10 の冪乗に基づくものに移行することを「[[十進化]]」という。 == 「十進法」という表記について == 「10」と書いた場合、十進記数法を採用しない限りこれは「十」を意味しない。逆にどのような底をとっても、その進法において底自体は「10」と表せる(例えば 2 は[[二進法]]において 10 と表される)。十、百、千などの数詞は狭義の位取り記数法において使われないため、「10進法」でなく「十進法」と書くことで底の曖昧さをなくせる。 その他の底についても、規約として[[漢数字]]を用いることとするか、底そのものは必ず十進表記であるとすることで混同を避けられる。[[英語]]でも同様に {{en|base-10}} より {{en|decimal}} や {{en|base-ten}}、{{en|base-60}} より {{en|sexagesimal}} や {{en|base-sixty}} のように表記することで曖昧さを取り除ける。 == 注釈 == {{notelist2}} == 出典 == <references/> == 参考文献 == * {{cite book|和書 |editor1-last=青木 |editor1-first=和彦 |editor2-last=上野 |editor2-first=健爾 |editor3-last=加藤 |editor3-first=和也 |editor4-last=神保 |editor4-first=道夫 |editor5-last=砂田 |editor5-first=利一 |editor6-last=高橋 |editor6-first=陽一郎 |editor7-last=深谷 |editor7-first=賢治 |editor8-last=俣野 |editor8-first=博 |editor9-last=室田 |editor9-first=一雄 |title=岩波数学入門辞典 |publisher=岩波書店 |date=2005-09-28 |isbn=9784000802093 |ref={{sfnref|『岩波数学入門辞典』|2005}} }} * {{Cite journal | last=Azar | first=Beth | year=1999 | title=English words may hinder math skills development | url=http://www.apa.org/monitor/apr99/english.html | journal=American Psychology Association Monitor | volume=30 | issue=4 | ref = harv }} == 関連項目 == *[[日本十進分類法]] *[[位取り記数法]] *[[二五進法]] *[[二進化十進表現]] *[[10の冪]] {{Normdaten}} {{デフォルトソート:しつしんほう}} [[Category:数の表現]] [[Category:位取り記数法]] [[Category:初等数学]] [[Category:数学に関する記事]]
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2023-04-25T02:29:30Z
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奉天会戦
奉天会戦(ほうてんかいせん、フォンティエンかいせん)は、1905年2月21日から3月10日にかけて行われた、日露戦争における最後の大規模な会戦である(日露戦争において最後の戦闘は樺太の戦いとなる)。 奉天は現在の中華人民共和国遼寧省の瀋陽。双方あわせて60万に及ぶ将兵が18日間に亘って満洲の荒野で激闘を繰り広げ、世界史上でも希に見る大規模な会戦となった。しかしこの戦いだけでは日露戦争全体の決着にはつながらず、それには5月の日本海海戦の結果を待つことになる。 参加兵力は大日本帝国陸軍24万人、ロシア帝国軍36万人。指揮官は日本側大山巌、ロシア側アレクセイ・クロパトキン。 ロシア帝国はシベリア鉄道の全線開通を4年後に控えていた。クロパトキンを総司令官とするロシア軍は100万人に動員令を出していたが、直前に血の日曜日事件があったように、国内は混沌とした状況にあった。皇帝ニコライ2世への国民の忠誠心は揺らぎ、後退していた。 日本軍は緒戦から危うい勝利を拾い続け、ここまでなんとか全体での優勢を保っていたが、国力の限界を超えて軍に補給を続けなくてはならなかった。また、ロシア軍を追って満洲の奥深くへ進撃を続けたため、兵站の維持や兵力の補充はさらに困難になり、旅順攻囲戦の激しい消耗を経て戦争の継続自体が危うい状況になっていた。 1905年3月、満洲軍首脳は、奉天で増援を待つロシア軍に対して、日本軍有利の今の内に講和を結ぶため、賭けとも言える総力戦を挑んだ。大山巌は「本作戦は、今戦役の関ヶ原とならん」と訓示し、その決意を将兵たちに示した。 ロシア側は、当初日本側左翼(第二軍、特に秋山支隊が防衛する黒溝台付近)に対する攻勢を企図していたが、2月21日、それよりわずかに早く日本軍最右翼の鴨緑江軍(満洲軍揮下)が陽動のために進軍を開始し、清河城にこもるロシア軍を攻撃して24日に清河城を攻め落とした。しかし鴨緑江軍は、乃木第三軍より編入された四国善通寺第11師団と後備第1師団によって編成されており、このうち第11師団は現役兵師団ではあったが旅順攻囲戦によって現役兵を大量に失い、応召兵によって補充されていたため戦力的には問題があった。このため、日本軍得意の夜襲をかけても逆にロシア軍から夜襲を受けるなど、開戦時の日本軍に比べると攻撃に精彩を欠いていた。鴨緑江軍は何とか清河城支隊を撃退したが、クロパトキンが派遣した予備兵力に遮られ、膠着状態に陥った。第一軍も攻撃を開始し、27日に前哨基地を落として一定の戦果をあげた。 主導権を握ったと判断した日本軍は、3月1日を期して奉天に対する包囲攻撃を開始した。作戦当初、日本軍は陽動として最左翼の乃木希典の第三軍・秋山支隊によってロシア軍右翼を攻撃させ、鴨緑江軍(ロシア軍左翼を攻撃中)と連動させることによってロシア軍の両翼を圧迫し、その両翼に援軍を出して手薄になるはずの正面に対して、大規模な攻勢を展開する意図を持っていた。秋山支隊がビルゲル支隊を破り、両翼で第三軍・鴨緑江軍が戦況を進展させている状況になったが、奉天正面で激しい攻撃を行ったにもかかわらず、進展が見られないばかりかロシア軍に撃退されてしまう状況が続いていた。これは、カノン砲や28サンチ榴弾砲による準備砲撃が、満洲の厳寒によって地面が凍っていたため砲弾が弾かれ、威力が半減していたことや、当時使われていた黒色火薬の威力の不足により、ロシア軍陣地を十分に叩くことができなかったことが原因であった。このため、満洲軍総司令部は作戦変更を行い、ロシア軍右翼の側面に回り込むために迂回を続ける第三軍に対し、さらに大きく奉天を迂回・包囲してロシア軍退路を遮断するとともに奉天を攻撃するよう命令した。 一方、ロシア軍の総司令官クロパトキン大将は旅順を陥落させた乃木の戦闘指揮能力とその揮下の第三軍を高く評価しており、当初ロシア軍左翼を攻撃した鴨緑江軍を第三軍と勘違いして、これに対して大量の予備軍を派遣した。ところが、本当の第三軍がロシア軍右翼を包囲するように動き出したと知って、ロシア軍左翼(鴨緑江軍正面)の応援に送ったこの予備軍をまたさらに右翼(乃木第三軍正面)へ転進させるという命令の変更を行った。このため、乃木軍はロシア軍の正面を受け持ちつつ奉天へ前進するという苦しい状況になり、連日のロシア軍の猛攻の前に崩壊寸前になっていた。 この時もし第三軍が奉天後方に回り込んで哈爾浜=奉天間の鉄道遮断に成功すれば、ロシア軍に対する物理的・精神的打撃は決定的であった可能性がある。また、クロパトキンは3万8千人ほどの第三軍を約10万人と過大に見積もっていたが、この誤断が生じたのは増援を重ねた10万のロシア軍に対して、乃木の第三軍が対等以上に戦ったからであるとされる。 ロシア軍は奉天前面を攻撃する日本軍の第二軍、第四軍、第一軍に対して反撃を続けていたが、3月6日になって奉天前面から徐々に計画的に後退を始めた。これはロシア軍正面を中央より第三軍のほうへ移す処置であった。このため、ロシア軍側面を攻撃していたはずの第三軍及び秋山支隊は敵正面に対することになってしまい、苦戦を強いられた。隣接する第二軍に対してもロシア軍が随時反撃を加え、日本軍の被害は徐々に増大していった。 両軍とも予備軍を前線に投入済みの中、日本軍の首脳部はあくまで全戦線での総力戦を指令し続け、ロシア軍の強固な防衛線を前に日本兵は文字通り死体の山を築いた。そうした状況が数日続くにおよび、遂には銃を捨てて逃走する日本兵の姿すら見られる状況に至り(大石橋の惨戦)、満洲の日本軍は絶体絶命の状況にあった。 児玉源太郎満洲軍参謀長はついに作戦全体の方針転換を決め、腹心の松川敏胤少将と図って、第四軍と第二軍に奉天への前進を指令した。 3月9日、ロシア軍の総帥クロパトキンは、第三軍によって退路を遮断される事を恐れて鉄嶺・哈爾浜方面への転進を指令した。これは満洲軍総司令部が全く予期しなかった出来事であった。奉天のロシア兵はまだ余力のある状態で、総撤退を開始したと思われたからである。ここまでの戦いで大きな損害を受けていた日本軍は3月10日、無人になった奉天に雪崩れ込んだ。第四軍はロシア軍を追撃し、2個師団に打撃を与えた。なお、この日は翌年に陸軍記念日と定められている。日本側の死傷者は約7万5000であった。 ロシア軍の損害もまた大きく(ロシア側の死傷者および捕虜約9万)、回復には秋頃までかかる状況であった。しかし、ロシア軍が受けた最も大きな損害は士気だったと言われる。鉄嶺までの暫時退却であったはずだが、その過程で軍隊秩序は失せ、略奪、上官への背命など、軍隊としての体をなさないまでに崩れたという。そのためクロパトキンは鉄嶺も捨てて、北へさらに退いた。すぐに日本軍が鉄嶺を占領している。哈爾浜に逃れたクロパトキンは罷免された。 会戦後は日本軍の能力は格段に落ちており、鉄嶺まで占領して補給線が伸びきってしまった日本軍としては、この辺が攻勢の限界であった。これは物資だけでなく人的補充という意味でも同じで、最後まで勇戦した第三軍は損耗率が4割から6割近くあったにもかかわらず、その補充の予定すら立たない状況であった。特に第一線の将校、すなわち少尉から大尉程度の、前線指揮を執り兵の先頭を進む下級将校の欠乏は目を覆わんばかりで、開戦当初に配属されていた士官学校出身の現役将校はこれまでの会戦や旅順攻囲戦などによって大量に損耗していた。このため、大部分の将校が速成教育しか受けていない者や予備役から召集された者ばかりになり、前線での指揮も満足に取れない者が多く、またたった一日の行軍で体力を消耗してしまうような老齢の者も多く存在するような状態になっていた。これは奉天会戦開始前の鴨緑江軍所属の後備第1師団においてすでに顕著であり、同軍は奉天会戦後期にはほとんど活動できないまでになっていた。 奉天を制圧したことにより、会戦の勝利は日本側に帰したとも言えなくもないが、ロシア軍にとって奉天失陥は「戦略的撤退」であった。100年前のナポレオン戦争でもロシア軍が採用した伝統的な戦法であり、欧米のマスコミも当初はこの撤退を「戦略的撤退である」と報じていた。さらにロシア軍と日本軍では補給能力に格段の差があった。だがクロパトキンが罷免されたことで結果的にロシア軍が自ら敗北を認めてしまった形となり、国際的にもそのように認知されることとなった。代わりに総帥として就任したリネウィッチ将軍は、軍隊秩序を乱した者を処罰していくことによって、軍の建て直しに腐心した。ロシア軍は敗北を認めた上で、やがて日本軍に反撃することを意図していたと言える。 ロシア側は奉天会戦に敗北したとは言っても、ロシア陸軍(現役兵の兵力は約200万人で、日本陸軍の約10倍)はいまだ半分の動員しか行っておらずまだ健在であり、またインド洋にはバルチック艦隊が極東への航海の途上であり、陸海軍ともに額面上の継戦能力はまだ十分にあった。しかし、この年の1月の血の日曜日事件を皮切りにロシア第一革命が始まるなど、激しくなる国内の反乱分子の活動への鎮圧活動、およびドイツ帝国への対抗として露仏同盟を結んでいたフランスがこの年の3月の第一次モロッコ事件でドイツと対立するなど、他の欧州諸国に対する抑止力も大量に必要とされていたため、もはや遠く極東への戦力の大量補充は実質上不可能となっていた。 奉天会戦勝利の報に日本中は沸き返り、さらに戦争を継続すべしという世論が高まった。大本営は、奉天会戦の勝利を受けてウラジオストクへの進軍による沿海州の占領を計画し始めていた。また、4個師団(第13・第14・第15・第16師団)を新編し、講和圧力のために第13師団を樺太へ派遣、これを占領した。 これを知った大山巌満洲軍総司令官は児玉満洲軍参謀長と協議し、児玉を急ぎ東京へ戻して戦争終結の方法を探るよう具申した。目先の勝利に浮かれあがっていた中央の陸軍首脳はあくまで戦域拡大を主張したが、日本軍の継戦能力の払底を理解していた海軍大臣山本権兵衛が児玉の意見に賛成し、ようやく日露講和の準備が始められることとなった。 日露の講和を促そうと、アメリカ合衆国大統領のセオドア・ルーズベルトが駐露大使のマイヤーに訓令を発し、ニコライ2世に謁見させたが、バルチック艦隊の実情をよく知らなかったロシア宮廷には、「バルチック艦隊が思い上がった日本に鉄槌を下すであろう」という希望的観測から講和を渋る声があった。そのため、いったんは日露講和は頓挫する。 しかし、5月日本海海戦において日本海軍が完勝すると、アメリカ合衆国の調停によって両国は交渉の席に着き、9月、休戦が成立。10月、ポーツマス条約が批准され、日露戦争は終結した。 日露双方の兵力が衝突した最大・最後の陸上戦である。ロシア陸軍大臣のウラジーミル・ヴィクトロヴィチ・サハロフ(英語版)は、奉天会戦後「二つの軍が戦場で出会うとき、それぞれ一つずつの目標を持っている。その目標を達成した方が勝者である。だから我がロシア軍は残念ながら敗れた」と述べ、ロシア軍の敗北を公式に認めた。ニコライ二世は奉天会戦での敗北を屈辱的なものと感じ、ロシア満洲軍総司令官を慎重派のクロパトキンから猛将として知られていたリネウィッチに変更するという人事を行っている。一方の日本側も戦いに勝利したものの、兵員不足・砲弾・物資不足に陥り、北方へ悠々と退却するロシア軍に対して追撃を行うことは不可能であった。このことにより日本軍の辛勝とする意見も存在するが、世界では日露戦争の日本勝利を認識させる大きな結果につながった。
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奉天会戦(ほうてんかいせん、フォンティエンかいせん)は、1905年2月21日から3月10日にかけて行われた、日露戦争における最後の大規模な会戦である(日露戦争において最後の戦闘は樺太の戦いとなる)。 奉天は現在の中華人民共和国遼寧省の瀋陽。双方あわせて60万に及ぶ将兵が18日間に亘って満洲の荒野で激闘を繰り広げ、世界史上でも希に見る大規模な会戦となった。しかしこの戦いだけでは日露戦争全体の決着にはつながらず、それには5月の日本海海戦の結果を待つことになる。 参加兵力は大日本帝国陸軍24万人、ロシア帝国軍36万人。指揮官は日本側大山巌、ロシア側アレクセイ・クロパトキン。
{{出典の明記|date=2011年6月}} {{Pathnav|日露戦争|frame=1}} {{Battlebox |battle_name=奉天会戦 |campaign=日露戦争 |partof= |image=[[File:Brockhaus and Efron Encyclopedic Dictionary b85 218-0.jpg|300px]] |caption=ロシア側の図。上方に[[瀋陽市|奉天]](Мукден)、下方に左から日本の[[第2軍 (日本軍)|第2軍]](2Армия)・[[第4軍 (日本軍)|第4軍]]・[[第1軍 (日本軍)|第1軍]]・後方に[[第3軍 (日本軍)|第3軍]]の配置が見える。 |conflict=[[日露戦争]] |date=[[1905年]][[2月21日]] - [[3月10日]] |place=[[瀋陽市|奉天]] |result=日本軍の勝利 |combatant1={{JPN1889}} |combatant2={{RUS1883}} |commander1=[[大山巌]] |commander2=[[アレクセイ・クロパトキン]] |casualties1=死者15,892人<br/>負傷者59,612人 |casualties2=死者8,705人<br />負傷者51,438人<br />行方不明28,209人<br />(うち捕虜約22,000人)<ref>Russian Main Military Medical Directorate (''Glavnoe Voenno-Sanitarnoe Upravlenie'') statistical report. 1914.</ref> |strength1=約240,000人 |strength2=約360,000人 }} [[File:Russian Cavalry under Reconnaissance Mission during the Battle of Mukden.jpg|thumb|偵察中のロシア軍の騎兵]] [[File:Japanese commanding officers at mukden 1905.jpg|thumb|奉天に集結した満洲軍首脳。左から[[黒木為楨]]第1軍司令官、[[野津道貫]]第4軍司令官、[[山縣有朋]]参謀総長、[[大山巌]]満洲軍司令官、[[奥保鞏]]第2軍司令官、[[乃木希典]]第3軍司令官、[[児玉源太郎]]満洲軍参謀長、[[川村景明]]鴨緑江軍司令官]] '''奉天会戦'''(ほうてんかいせん、フォンティエンかいせん)は、[[1905年]][[2月21日]]から[[3月10日]]にかけて行われた、[[日露戦争]]における最後の大規模な[[会戦]]である(日露戦争において最後の戦闘は[[樺太の戦い (1905年)|樺太の戦い]]となる)。 [[奉天]]は現在の中華人民共和国[[遼寧省]]の[[瀋陽]]。双方あわせて60万に及ぶ将兵が18日間に亘って満洲の荒野で激闘を繰り広げ、世界史上でも希に見る大規模な会戦となった。しかしこの戦いだけでは日露戦争全体の決着にはつながらず、それには5月の[[日本海海戦]]の結果を待つことになる。 参加兵力は[[大日本帝国陸軍]]24万人、[[ロシア帝国陸軍|ロシア帝国軍]]36万人。指揮官は[[大日本帝国|日本]]側[[大山巌]]、[[ロシア帝国|ロシア]]側[[アレクセイ・クロパトキン]]。 == 背景 == [[ロシア帝国]]は[[シベリア鉄道]]の全線開通を4年後に控えていた。[[クロパトキン]]を総司令官とするロシア軍は100万人に動員令を出していたが、直前に[[血の日曜日事件_(1905年)|血の日曜日事件]]があったように、国内は混沌とした状況にあった。皇帝[[ニコライ2世 (ロシア皇帝)|ニコライ2世]]への国民の忠誠心は揺らぎ、後退していた。 日本軍は緒戦から危うい勝利を拾い続け、ここまでなんとか全体での優勢を保っていたが、国力の限界を超えて軍に補給を続けなくてはならなかった。また、ロシア軍を追って満洲の奥深くへ進撃を続けたため、兵站の維持や兵力の補充はさらに困難になり、[[旅順攻囲戦]]の激しい消耗を経て戦争の継続自体が危うい状況になっていた。 1905年3月、[[満洲軍_(日本軍)|満洲軍]]首脳は、奉天で増援を待つロシア軍に対して、日本軍有利の今の内に講和を結ぶため、賭けとも言える総力戦を挑んだ。[[大山巌]]は「本作戦は、今戦役の[[関ヶ原の戦い|関ヶ原]]とならん」と訓示し、その決意を将兵たちに示した。 == 経緯 == === 前哨戦(2月21~28日) === [[ファイル:Mukden February 23.png|サムネイル|2月23日までの軍隊の位置、日本陸軍は赤、ロシア軍は緑色。]] ロシア側は、当初日本側左翼([[第2軍 (日本軍)|第二軍]]、特に[[秋山支隊]]が防衛する黒溝台付近)に対する攻勢を企図していたが、[[2月21日]]、それよりわずかに早く日本軍最右翼の[[鴨緑江軍 (日本軍)|鴨緑江軍]]([[満洲軍 (日本軍)|満洲軍]]揮下)が陽動のために進軍を開始し、清河城にこもるロシア軍を攻撃して24日に清河城を攻め落とした。しかし鴨緑江軍は、乃木[[第3軍_(日本軍)|第三軍]]より編入された四国善通寺[[第11師団_(日本軍)|第11師団]]と後備第1師団によって編成されており、このうち第11師団は現役兵師団ではあったが旅順攻囲戦によって現役兵を大量に失い、応召兵によって補充されていたため戦力的には問題があった。このため、日本軍得意の夜襲をかけても逆にロシア軍から夜襲を受けるなど、開戦時の日本軍に比べると攻撃に精彩を欠いていた。鴨緑江軍は何とか清河城支隊を撃退したが、クロパトキンが派遣した予備兵力に遮られ、膠着状態に陥った。第一軍も攻撃を開始し、27日に前哨基地を落として一定の戦果をあげた。 === 包囲作戦開始(3月1日~5日) === [[File:Chinese Mounted Bandits during the Battle of Mukden.jpg|thumb|両軍は満洲の[[馬賊]]を積極的に利用した]] [[File:Russian Field Gun during the Battle of Mukden.jpg|thumb|戦闘中のロシア軍[[砲兵]]]] 主導権を握ったと判断した日本軍は、3月1日を期して奉天に対する包囲攻撃を開始した。作戦当初、日本軍は陽動として最左翼の[[乃木希典]]の第三軍・秋山支隊によってロシア軍右翼を攻撃させ、鴨緑江軍(ロシア軍左翼を攻撃中)と連動させることによってロシア軍の両翼を圧迫し、その両翼に援軍を出して手薄になるはずの正面に対して、大規模な攻勢を展開する意図を持っていた。秋山支隊がビルゲル支隊を破り、両翼で第三軍・鴨緑江軍が戦況を進展させている状況になったが、奉天正面で激しい攻撃を行ったにもかかわらず、進展が見られないばかりかロシア軍に撃退されてしまう状況が続いていた。これは、[[カノン砲]]や[[二十八糎砲|28サンチ榴弾砲]]<ref group="注釈">28サンチ榴弾砲は威力もあり、飛翔音も敵兵をひるませるものだったが、奉天会戦ではロシア軍陣地への破壊力は大きくなかった。</ref>による準備砲撃が、満洲の厳寒によって地面が凍っていたため砲弾が弾かれ、威力が半減していたことや、当時使われていた黒色火薬の威力の不足により、ロシア軍陣地を十分に叩くことができなかったことが原因であった。このため、満洲軍総司令部は作戦変更を行い、ロシア軍右翼の側面に回り込むために迂回を続ける第三軍に対し、さらに大きく奉天を迂回・包囲してロシア軍退路を遮断するとともに奉天を攻撃するよう命令した。 一方、ロシア軍の総司令官クロパトキン大将は旅順を陥落させた乃木の戦闘指揮能力とその揮下の第三軍を高く評価しており<ref group="注釈">実際の第三軍は、確かに創設時は精鋭ではあったが、旅順攻囲戦で大量に消耗しており、定員に満たない状態で、奉天会戦前に大量の人員の補充を受けていなければ、軍としての行動を取れないほど消耗した状況にあった。</ref>、当初ロシア軍左翼を攻撃した鴨緑江軍を第三軍と勘違いして<ref group="注釈">第11師団が主力として編成されていたことが原因のひとつであった。</ref>、これに対して大量の予備軍を派遣した。ところが、本当の第三軍がロシア軍右翼を包囲するように動き出したと知って、ロシア軍左翼(鴨緑江軍正面)の応援に送ったこの予備軍をまたさらに右翼(乃木第三軍正面)へ転進させるという命令の変更を行った。このため、乃木軍はロシア軍の正面を受け持ちつつ奉天へ前進するという苦しい状況になり、連日のロシア軍の猛攻の前に崩壊寸前になっていた。 この時もし第三軍が奉天後方に回り込んで[[ハルビン市|哈爾浜]]=奉天間の鉄道遮断に成功すれば、ロシア軍に対する物理的・精神的打撃は決定的であった可能性がある。また、クロパトキンは3万8千人ほどの第三軍を約10万人と過大に見積もっていたが、この誤断が生じたのは増援を重ねた10万のロシア軍に対して、乃木の第三軍が対等以上に戦ったからであるとされる。 === ロシア軍の後退戦術と日本軍の決戦主義(3月6日~8日) === ロシア軍は奉天前面を攻撃する日本軍の第二軍、[[第4軍 (日本軍)|第四軍]]、[[第1軍 (日本軍)|第一軍]]に対して反撃を続けていたが、3月6日になって奉天前面から徐々に計画的に後退を始めた。これはロシア軍正面を中央より第三軍のほうへ移す処置であった。このため、ロシア軍側面を攻撃していたはずの第三軍及び秋山支隊は敵正面に対することになってしまい、苦戦を強いられた。隣接する第二軍に対してもロシア軍が随時反撃を加え、日本軍の被害は徐々に増大していった。 両軍とも予備軍を前線に投入済みの中、日本軍の首脳部はあくまで全戦線での総力戦を指令し続け、ロシア軍の強固な防衛線を前に日本兵は文字通り死体の山を築いた。そうした状況が数日続くにおよび、遂には銃を捨てて逃走する日本兵の姿すら見られる状況に至り(大石橋の惨戦)、満洲の日本軍は絶体絶命の状況にあった。 [[児玉源太郎]]満洲軍参謀長はついに作戦全体の方針転換を決め、腹心の[[松川敏胤]]少将と図って、第四軍と第二軍に奉天への前進を指令した。 === 奉天会戦の結末(3月9日~10日) === [[File:Retreat of the Russian Army after the Battle of Mukden.jpg|right|thumb|ロシア軍の後退]] 3月9日、ロシア軍の総帥クロパトキンは、第三軍によって退路を遮断される事を恐れて[[鉄嶺市|鉄嶺]]・哈爾浜方面への転進を指令した。これは満洲軍総司令部が全く予期しなかった出来事であった。奉天のロシア兵はまだ余力のある状態で、総撤退を開始したと思われたからである。ここまでの戦いで大きな損害を受けていた日本軍は[[3月10日]]、無人になった奉天に雪崩れ込んだ。第四軍はロシア軍を追撃し、2個師団に打撃を与えた。なお、この日は翌年に[[陸軍記念日]]と定められている。日本側の死傷者は約7万5000であった。 ロシア軍の損害もまた大きく(ロシア側の死傷者および捕虜約9万)、回復には秋頃までかかる状況であった。しかし、ロシア軍が受けた最も大きな損害は士気だったと言われる。鉄嶺までの暫時退却であったはずだが、その過程で軍隊秩序は失せ、略奪、上官への背命など、軍隊としての体をなさないまでに崩れたという。そのためクロパトキンは鉄嶺も捨てて、北へさらに退いた。すぐに日本軍が鉄嶺を占領している。哈爾浜に逃れたクロパトキンは罷免された。 会戦後は日本軍の能力は格段に落ちており、鉄嶺まで占領して補給線が伸びきってしまった日本軍としては、この辺が攻勢の限界であった。これは物資だけでなく人的補充という意味でも同じで、最後まで勇戦した第三軍は損耗率が4割から6割近くあったにもかかわらず<ref group="注釈">とくに被害の大きかったのは[[第9師団 (日本軍)|第9師団]](石川県金沢市)で、その損耗率は65%にも及んだ。</ref>、その補充の予定すら立たない状況であった。特に第一線の将校、すなわち少尉から大尉程度の、前線指揮を執り兵の先頭を進む下級将校の欠乏は目を覆わんばかりで、開戦当初に配属されていた士官学校出身の現役将校はこれまでの会戦や旅順攻囲戦などによって大量に損耗していた。このため、大部分の将校が速成教育しか受けていない者や予備役から召集された者ばかりになり、前線での指揮も満足に取れない者が多く、またたった一日の行軍で体力を消耗してしまうような老齢の者も多く存在するような状態になっていた。これは奉天会戦開始前の鴨緑江軍所属の後備第1師団においてすでに顕著であり、同軍は奉天会戦後期にはほとんど活動できないまでになっていた。 == 奉天会戦の影響と日露講和への道 == [[File:Formation of a division of the Japanese 1st. Army after the Battle of Mukden.jpg|thumb|戦闘終了後に行われた日本軍一師団の点呼]] [[File:Battle of Mukden.jpg|thumb|奉天に入城する大山巌の絵葉書|左]] 奉天を制圧したことにより、会戦の勝利は日本側に帰したとも言えなくもないが、ロシア軍にとって奉天失陥は「[[戦略的撤退]]」であった。100年前の[[ナポレオン戦争]]でもロシア軍が採用した伝統的な戦法であり、欧米のマスコミも当初はこの撤退を「[[戦略的撤退]]である」と報じていた。さらにロシア軍と日本軍では補給能力に格段の差があった。だがクロパトキンが罷免されたことで結果的にロシア軍が自ら敗北を認めてしまった形となり、国際的にもそのように認知されることとなった。代わりに総帥として就任した[[ニコライ・リネウィッチ|リネウィッチ]]将軍は、軍隊秩序を乱した者を処罰していくことによって、軍の建て直しに腐心した。ロシア軍は敗北を認めた上で、やがて日本軍に反撃することを意図していたと言える。 ロシア側は奉天会戦に敗北したとは言っても、ロシア陸軍(現役兵の兵力は約200万人で、日本陸軍の約10倍)はいまだ半分の動員しか行っておらずまだ健在であり、また[[インド洋]]には[[バルチック艦隊]]が極東への航海の途上であり、陸海軍ともに額面上の継戦能力はまだ十分にあった。しかし、この年の1月の[[血の日曜日事件 (1905年)|血の日曜日事件]]を皮切りに[[ロシア第一革命]]が始まるなど、激しくなる国内の反乱分子の活動への鎮圧活動、およびドイツ帝国への対抗として露仏同盟を結んでいたフランスがこの年の3月の[[第一次モロッコ事件]]でドイツと対立するなど、他の欧州諸国に対する抑止力も大量に必要とされていたため、もはや遠く極東への戦力の大量補充は実質上不可能となっていた。 奉天会戦勝利の報に日本中は沸き返り、さらに戦争を継続すべしという世論が高まった。[[大本営]]は、奉天会戦の勝利を受けて[[ウラジオストク]]への進軍による[[沿海州]]の占領を計画し始めていた。また、4個師団([[第13師団_(日本軍)|第13]]・[[第14師団_(日本軍)|第14]]・[[第15師団_(日本軍)|第15]]・[[第16師団_(日本軍)|第16師団]])を新編し、講和圧力のために第13師団を[[樺太]]へ派遣、これを占領した。 これを知った大山巌満洲軍総司令官は児玉満洲軍参謀長と協議し、児玉を急ぎ東京へ戻して戦争終結の方法を探るよう具申した。目先の勝利に浮かれあがっていた中央の陸軍首脳はあくまで戦域拡大を主張したが、日本軍の継戦能力の払底を理解していた海軍大臣[[山本権兵衛]]が児玉の意見に賛成し、ようやく日露講和の準備が始められることとなった。 日露の講和を促そうと、アメリカ合衆国大統領の[[セオドア・ルーズベルト]]が駐露大使のマイヤーに訓令を発し、[[ニコライ2世 (ロシア皇帝)|ニコライ2世]]に謁見させたが、バルチック艦隊の実情をよく知らなかったロシア宮廷には、「バルチック艦隊が思い上がった日本に鉄槌を下すであろう」という希望的観測から講和を渋る声があった。そのため、いったんは日露講和は頓挫する。 しかし、5月[[日本海海戦]]において日本海軍が完勝すると、アメリカ合衆国の調停によって両国は交渉の席に着き、9月、休戦が成立。10月、[[ポーツマス条約]]が批准され、日露戦争は終結した。 == 評価 == 日露双方の兵力が衝突した最大・最後の陸上戦である。ロシア陸軍大臣の{{仮リンク|ウラジーミル・ヴィクトロヴィチ・サハロフ|en|Vladimir Viktorovich Sakharov}}は、奉天会戦後「二つの軍が戦場で出会うとき、それぞれ一つずつの目標を持っている。その目標を達成した方が勝者である。だから我がロシア軍は残念ながら敗れた」と述べ、ロシア軍の敗北を公式に認めた<ref>成美堂出版刊 SEIBIDO MOOK『近代戦の先駆・日露戦争』より</ref>。ニコライ二世は奉天会戦での敗北を屈辱的なものと感じ、ロシア満洲軍総司令官を慎重派のクロパトキンから猛将として知られていたリネウィッチに変更するという人事を行っている。一方の日本側も戦いに勝利したものの、兵員不足・砲弾・物資不足に陥り、北方へ悠々と退却するロシア軍に対して追撃を行うことは不可能であった。このことにより日本軍の辛勝とする意見も存在するが、世界では日露戦争の日本勝利を認識させる大きな結果につながった<ref>宝島社刊『別冊宝島 激闘!日露戦争』より</ref>。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Notelist}} === 出典 === {{Reflist|2}} == 関係文献 == {{参照方法|date=2022年2月|section=1}} * 長南政義「乃木希典の奉天会戦 ロシア軍殲滅を目指した大運動戦」『歴史群像』2014年8月号(学研パブリッシング、2014年) * ゲームジャーナル編集部『坂の上の雲5つの疑問』(並木書房、2011年)ISBN 4890632840 == 関連項目 == {{commonscat|Battle of Mukden}} *[[陸軍記念日]] * [[山口菅三]] * [[歩兵の本領]] == 外部リンク == * {{Kotobank}} {{Normdaten}} {{history-stub}} {{War-stub}} {{DEFAULTSORT:ほうてんかいせん}} [[Category:日露戦争の戦闘]] [[Category:瀋陽の歴史]] [[Category:1905年2月]] [[Category:1905年3月]] [[Category:アレクセイ・クロパトキン]] [[Category:大山巌]] [[Category:秋山好古]]
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選挙
選挙(せんきょ)とは、組織または集団において、投票などの手続きによって、代表者や役員などを決定することをいう。国政に関する選挙は国政選挙(こくせいせんきょ)、地方自治に関する選挙は地方選挙(ちほうせんきょ)と称される。 選挙は公職に就任する者を選定する行為である。歴史的には挙手や起立、喝采などの方法が採用されたこともあるが、現代の選挙は投票によって行われることが多い(日本の公職選挙法35条も参照)。 明治維新前後の時期の表記・訳語では撰挙・選択とも。 選挙における普通選挙、平等選挙、直接選挙、秘密選挙(秘密投票)、自由選挙(自由投票)という5つの原則を選挙の五大公理という。それぞれ対義の概念として、普通選挙と制限選挙、平等選挙と不平等選挙、直接選挙と間接選挙、秘密選挙(秘密投票)と公開選挙、自由選挙(自由投票)と強制選挙(強制投票)がある。 区割りと意見集約の方針で分類した選挙方式の表。 国会議員などの公職選挙に見られるように、一般の有権者の投票によって選出する方式。被選挙権の要件は有権者の要件と一致する必要はない。このため一党独裁国家などでも、被選挙権行使要件に「独裁者の推薦」などを加えることで、体制を崩すこと無く公選を維持するところがある。あるいは他県在住の者でも立候補できる知事選のように、有権者の権利を持たない者を選出するところもある。民選とも言う。 日本の政令指定都市の区長に見られるように、国家などの行政機関の指名によって選出する方式。必ずしも投票が行われるわけではないが、公選・互選との比較のため掲載する。 日本の内閣総理大臣指名投票やバチカン市国におけるコンクラーベ(教皇選出選挙)に見られるように、関係者の間で行う投票によって選出する方式。公選と違い、選挙権と被選挙権の要件は一致する。大抵の民主制での公選は、一般の有権者も被選挙権を持つため、大規模な互選ともいえる(しかし、選挙権と被選挙権の要件が異なる場合も多く、厳密には互選とはいえない)。 くじなどを利用して、立候補者毎に等しい確率で当選者を選出する方式。定数が何人であろうと当選者の勢力比の期待値は被選挙権行使者の人口比と完全に等しく、有権者全てが被選挙権を行使すれば比例代表制になる。確率が絡むため個々の選挙では偏りが出る場合が殆どになる。古代ギリシアや室町幕府の第6代将軍(足利義教)選出などに例がある。投票者が存在しないため投票が行われることがないが、投票者が存在する選挙との比較のため掲載する。 また、投票で複数候補が同票で並び、そのいずれかが当選の資格を得る場合がある。日本の公職選挙法では決選投票を行わず、くじ引きで当選人を決定することになっている。 現在におけるくじで選ぶ公職の代表としては陪審員があげられ、日本には検察審査員や裁判員がある。 事前に立候補者の人気を公表すると、選挙の当選結果を左右し公正な投票とならない。そのため、日本では公職選挙法138条の3に「人気投票の公表の禁止」が規定されており、事前に候補者の人気投票の結果を公開することが禁じられている。しかし、近年では、ネットメディアにより「意図せざる人気投票」がネット上で公開されたも同然となるなど、どの立候補者が人気であるかがたやすく予想されて選挙結果を左右する危険性も指摘されている。 伝統中国においても選挙という述語が用いられるが、現代の選挙とは用法が異なるので、注意が必要である。中国における選挙とは、国家の側による官吏登用制度のことであり、科挙以前に用いられた用語である。その語源は、「郷挙里選」であるとされている。つまり、前漢代において、地方の郷・里の長が、地方官と協議した上で官吏候補者を推挙する制度を、こう呼んだ。この場合の選ぶ主体は、飽くまで中央政府であり、皇帝である。また、郷や里の有力者である地方の豪族の意見のことを「輿論」と呼んでいるので、同じく現代の用語と混同しないよう、注意を要する。一般の人間(庶人)や奴隷などは初めから数に含まれていないのである。 漢代の選挙が、六朝には九品官人法に発展し、隋唐を経て、科挙制度へと結びついていく。なお、選挙の語の用法は、後世まで広く用いられ、歴代の正史には「選挙志」という項目が立てられ、九品官人法や科挙制のことが述べられている。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "選挙(せんきょ)とは、組織または集団において、投票などの手続きによって、代表者や役員などを決定することをいう。国政に関する選挙は国政選挙(こくせいせんきょ)、地方自治に関する選挙は地方選挙(ちほうせんきょ)と称される。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "選挙は公職に就任する者を選定する行為である。歴史的には挙手や起立、喝采などの方法が採用されたこともあるが、現代の選挙は投票によって行われることが多い(日本の公職選挙法35条も参照)。", "title": null }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "明治維新前後の時期の表記・訳語では撰挙・選択とも。", "title": null }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "選挙における普通選挙、平等選挙、直接選挙、秘密選挙(秘密投票)、自由選挙(自由投票)という5つの原則を選挙の五大公理という。それぞれ対義の概念として、普通選挙と制限選挙、平等選挙と不平等選挙、直接選挙と間接選挙、秘密選挙(秘密投票)と公開選挙、自由選挙(自由投票)と強制選挙(強制投票)がある。", "title": "選挙の種別" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "区割りと意見集約の方針で分類した選挙方式の表。", "title": "選挙方式" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "国会議員などの公職選挙に見られるように、一般の有権者の投票によって選出する方式。被選挙権の要件は有権者の要件と一致する必要はない。このため一党独裁国家などでも、被選挙権行使要件に「独裁者の推薦」などを加えることで、体制を崩すこと無く公選を維持するところがある。あるいは他県在住の者でも立候補できる知事選のように、有権者の権利を持たない者を選出するところもある。民選とも言う。", "title": "投票者による分類" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "日本の政令指定都市の区長に見られるように、国家などの行政機関の指名によって選出する方式。必ずしも投票が行われるわけではないが、公選・互選との比較のため掲載する。", "title": "投票者による分類" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "日本の内閣総理大臣指名投票やバチカン市国におけるコンクラーベ(教皇選出選挙)に見られるように、関係者の間で行う投票によって選出する方式。公選と違い、選挙権と被選挙権の要件は一致する。大抵の民主制での公選は、一般の有権者も被選挙権を持つため、大規模な互選ともいえる(しかし、選挙権と被選挙権の要件が異なる場合も多く、厳密には互選とはいえない)。", "title": "投票者による分類" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "くじなどを利用して、立候補者毎に等しい確率で当選者を選出する方式。定数が何人であろうと当選者の勢力比の期待値は被選挙権行使者の人口比と完全に等しく、有権者全てが被選挙権を行使すれば比例代表制になる。確率が絡むため個々の選挙では偏りが出る場合が殆どになる。古代ギリシアや室町幕府の第6代将軍(足利義教)選出などに例がある。投票者が存在しないため投票が行われることがないが、投票者が存在する選挙との比較のため掲載する。 また、投票で複数候補が同票で並び、そのいずれかが当選の資格を得る場合がある。日本の公職選挙法では決選投票を行わず、くじ引きで当選人を決定することになっている。 現在におけるくじで選ぶ公職の代表としては陪審員があげられ、日本には検察審査員や裁判員がある。", "title": "投票者による分類" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "事前に立候補者の人気を公表すると、選挙の当選結果を左右し公正な投票とならない。そのため、日本では公職選挙法138条の3に「人気投票の公表の禁止」が規定されており、事前に候補者の人気投票の結果を公開することが禁じられている。しかし、近年では、ネットメディアにより「意図せざる人気投票」がネット上で公開されたも同然となるなど、どの立候補者が人気であるかがたやすく予想されて選挙結果を左右する危険性も指摘されている。", "title": "選挙と人気投票" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "伝統中国においても選挙という述語が用いられるが、現代の選挙とは用法が異なるので、注意が必要である。中国における選挙とは、国家の側による官吏登用制度のことであり、科挙以前に用いられた用語である。その語源は、「郷挙里選」であるとされている。つまり、前漢代において、地方の郷・里の長が、地方官と協議した上で官吏候補者を推挙する制度を、こう呼んだ。この場合の選ぶ主体は、飽くまで中央政府であり、皇帝である。また、郷や里の有力者である地方の豪族の意見のことを「輿論」と呼んでいるので、同じく現代の用語と混同しないよう、注意を要する。一般の人間(庶人)や奴隷などは初めから数に含まれていないのである。", "title": "各国における選挙" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "漢代の選挙が、六朝には九品官人法に発展し、隋唐を経て、科挙制度へと結びついていく。なお、選挙の語の用法は、後世まで広く用いられ、歴代の正史には「選挙志」という項目が立てられ、九品官人法や科挙制のことが述べられている。", "title": "各国における選挙" } ]
選挙(せんきょ)とは、組織または集団において、投票などの手続きによって、代表者や役員などを決定することをいう。国政に関する選挙は国政選挙(こくせいせんきょ)、地方自治に関する選挙は地方選挙(ちほうせんきょ)と称される。 選挙は公職に就任する者を選定する行為である。歴史的には挙手や起立、喝采などの方法が採用されたこともあるが、現代の選挙は投票によって行われることが多い(日本の公職選挙法35条も参照)。 明治維新前後の時期の表記・訳語では撰挙・選択とも。
{{Otheruses}} [[ファイル:Election Poster Board in Fukushima Minamisoma.jpg|thumb|250px|right|日本の選挙戦で使う候補者ポスター掲示板(選挙戦が公示されると候補者のポスターが届け出順で貼り付けられる)]] [[ファイル:Osaka Mayoral Election ballot box 20051127.jpg|thumb|250px|right|日本の選挙で使用される投票箱]] {{選挙}} '''選挙'''(せんきょ)とは、組織または集団において、[[投票]]などの手続きによって、代表者や役員などを決定することをいう<ref>{{Cite web|和書|title=選挙とは|url=https://kotobank.jp/word/%E9%81%B8%E6%8C%99-88091|website=コトバンク|accessdate=2021-03-30|language=ja|first=ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典,知恵蔵,デジタル大辞泉,百科事典マイペディア,世界大百科事典 第2版,日本大百科全書(ニッポニカ),精選版 日本国語大辞典,旺文社世界史事典|last=三訂版,世界大百科事典内言及}}</ref>。[[政治|国政]]に関する選挙は'''国政選挙'''(こくせいせんきょ)、[[地方自治]]に関する選挙は'''地方選挙'''(ちほうせんきょ)と称される。 選挙は[[公職]]に就任する者を選定する行為である{{Sfn|野中俊彦|中村睦男|高橋和之|高見勝利|2006|p=13}}。歴史的には挙手や起立、[[喝采投票|喝采]]などの方法が採用されたこともあるが、現代の選挙は[[投票]]によって行われることが多い([[日本]]の公職選挙法35条も参照){{Sfn|野中俊彦|中村睦男|高橋和之|高見勝利|2006|p=14}}。 [[明治維新]]前後の時期の表記・訳語では'''撰挙'''・'''選択'''とも<ref>澤大洋, [https://doi.org/10.14854/jaes1986.5.29 明治最初期の選挙制度論の発展]」『選挙研究』 1990年 5巻 p.29-50, 日本選挙学会, {{doi|10.14854/jaes1986.5.29}}</ref>。 == 選挙の種別 == 選挙における普通選挙、平等選挙、直接選挙、秘密選挙(秘密投票)、自由選挙(自由投票)という5つの原則を選挙の五大公理という<ref name="jinken2p180">{{Cite book |和書 |year= 1975 |editor= 阿部照哉 |series= 有斐閣双書 |title= 憲法 2 基本的人権(2) |publisher= 有斐閣 |page= 180}}</ref>。それぞれ対義の概念として、普通選挙と制限選挙、平等選挙と不平等選挙、直接選挙と間接選挙、秘密選挙(秘密投票)と公開選挙、自由選挙(自由投票)と強制選挙(強制投票)がある。 === 普通選挙・制限選挙 === ; {{Anchors|}}[[普通選挙]] : 狭義には財力(納税額の多寡や財産の有無)を選挙人の要件としない選挙制度{{Sfn|毛利透|小泉良幸|淺野博宣|松本哲治|2011|p=198}}{{Sfn|野中俊彦|中村睦男|高橋和之|高見勝利|2006|p=16-17}}。広義には財力・人種・信条・性別などを選挙人の要件とせず、一定年齢に達したすべての[[国民]]に選挙権を与える選挙制度{{Sfn|毛利透|小泉良幸|淺野博宣|松本哲治|2011|p=198}}{{Sfn|野中俊彦|中村睦男|高橋和之|高見勝利|2006|p=16-17}}。 : 普通選挙は[[日本]]では[[日本国憲法第15条]]3項及び[[日本国憲法第44条]]但書で保障されている{{Sfn|毛利透|小泉良幸|淺野博宣|松本哲治|2011|p=198}}{{Sfn|野中俊彦|中村睦男|高橋和之|高見勝利|2006|p=17}}。 : 普通選挙の実現は漸進的で、まず、財産制限の除去について[[1848年]]の[[フランス第二共和政]]憲法において確立され、第一次世界大戦後になって世界各国に広まることとなった<ref name="jinken2p180"/>{{Sfn|野中俊彦|中村睦男|高橋和之|高見勝利|2006|p=16-17}}。日本では1928年に財産制限が撤廃された。[[女性参政権]]についても[[第一次世界大戦]]後に世界の大勢となっていったが、[[フランス]]のように[[第二次世界大戦]]後に実現した国もある<ref name="jinken2p180"/>。日本でも女性参政権は第二次世界大戦後に実現した。 ; {{Anchors|}}[[制限選挙]] : 選挙権を収入、資産、家柄などで制限するもの。 === 平等選挙・不平等選挙 === ; {{Anchors|平等選挙}}平等選挙 : 選挙人の選挙権を平等に扱う選挙制度{{Sfn|毛利透|小泉良幸|淺野博宣|松本哲治|2011|p=198}}。一人一票(数的平等)で一票の価値が平等(価値的平等)なもの。日本では[[日本国憲法第14条]]1項及び[[日本国憲法第44条]]但書で保障されている。 ; {{Anchors|不平等選挙}}不平等選挙 : 数的あるいは価値的に格差のある選挙。'''差等選挙'''ともいう{{Sfn|野中俊彦|中村睦男|高橋和之|高見勝利|2006|p=17}}。選挙人の一部が複数票を投票することを認める複数選挙や納税額の多少により等級を定め等級ごとに選挙を行う等級選挙がある{{Sfn|野中俊彦|中村睦男|高橋和之|高見勝利|2006|p=17}}{{Sfn|毛利透|小泉良幸|淺野博宣|松本哲治|2011|p=199}}。 === 直接選挙・間接選挙 === ; {{Anchors|直接選挙}}直接選挙 : 選挙人が代表者を直接選ぶ選挙制度{{Sfn|毛利透|小泉良幸|淺野博宣|松本哲治|2011|p=199}}{{Sfn|野中俊彦|中村睦男|高橋和之|高見勝利|2006|p=28}}。今日では少なくとも議会下院の選挙は直接選挙が原則となっている{{Sfn|毛利透|小泉良幸|淺野博宣|松本哲治|2011|p=199-200}}。 ; {{Anchors|間接選挙}}間接選挙 : 選挙人が選挙人(中間選挙人)を選びその中間選挙人が投票を行う選挙制度{{Sfn|野中俊彦|中村睦男|高橋和之|高見勝利|2006|p=28}}{{Sfn|毛利透|小泉良幸|淺野博宣|松本哲治|2011|p=199-200}}。フランスや[[オーストリア]]などの上院選挙や[[アメリカ合衆国大統領選挙|アメリカ大統領選挙]]で採用されている{{Sfn|野中俊彦|中村睦男|高橋和之|高見勝利|2006|p=28}}。ただし、アメリカ大統領選挙のように選挙委員の候補者が誰を大統領に選ぶか予め明らかにしたうえで選出する制度では実際には直接選挙と変わらない<ref name="jinken2p181">{{Cite book |和書 |year= 1975 |editor= 阿部照哉 |series= 有斐閣双書 |title= 憲法 2 基本的人権(2) |publisher= 有斐閣 |page= 181}}</ref>。 : なお、有権者から選挙で選ばれた公職にある者がさらに選挙で代表者を選挙する制度は複選制という。 : 日本国憲法には直接選挙制について定めた明文の規定はない{{Sfn|野中俊彦|中村睦男|高橋和之|高見勝利|2006|p=28}}{{Sfn|毛利透|小泉良幸|淺野博宣|松本哲治|2011|p=200}}。学説には[[日本国憲法第43条]]の「選挙」には間接選挙が含まれると解する学説(参議院議員通常選挙においては衆議院議員総選挙とは異なり独自の間接選挙制の採用も許容される)と同条1項の「選挙された議員」の文言を根拠として直接選挙が保障されているとみる説(参議院議員通常選挙においても直接選挙によらねばならない)が対立しており争点となっている{{Sfn|野中俊彦|中村睦男|高橋和之|高見勝利|2006|p=28}}{{Sfn|毛利透|小泉良幸|淺野博宣|松本哲治|2011|p=200}}。 === 秘密選挙・公開選挙 === ; {{Anchors|秘密選挙}}秘密選挙 : 選挙人の投票内容(どの候補者あるいは政党に投票したか)の秘密が保障されている選挙制度{{Sfn|毛利透|小泉良幸|淺野博宣|松本哲治|2011|p=200}}{{Sfn|野中俊彦|中村睦男|高橋和之|高見勝利|2006|p=29}}。日本では[[日本国憲法第15条]]4項前段で保障されており、[[公職選挙法]]46条(無記名投票制)や同法52条(投票の秘密保持)、同法68条(他事項記載投票の無効)などの規定もこの原則に基づく{{Sfn|毛利透|小泉良幸|淺野博宣|松本哲治|2011|p=200}}{{Sfn|野中俊彦|中村睦男|高橋和之|高見勝利|2006|p=29-30}}。 ; {{Anchors|公開選挙}}公開選挙 : 署名などで投票内容が分かるもの。公開選挙では社会的弱者が自由に意思表明することが困難となる<ref name="jinken2p181"/>。 === 強制選挙・自由選挙 === ; {{Anchors|強制選挙}}強制選挙 : 棄権に対して制裁を伴う選挙制度<ref name="jinken2p181"/>。有権者が必ず投票しなければならない'''[[義務投票制|義務投票]]'''によるもの。 ; {{Anchors|自由選挙}}自由選挙 : 投票したい者だけが自由に投票することを選択できる選挙制度<ref name="jinken2p181"/>。'''任意投票'''によるもの。 == 選挙方式 == {{See|選挙方法}} 区割りと意見集約の方針で分類した[[選挙方法|選挙方式]]の表。 {| class="wikitable" style="width:60%" ! style="width:30%; background-color:#C0C0C0" | '''[[小選挙区制]]''' !! style="width:10%; background-color:#DCDCDC" | '''[[多数代表制|多数代表]]''' !! style="width:10%; background-color:#C0C0C0" | '''[[比例代表制|比例代表]]''' !! style="width:10%; background-color:#DCDCDC" | '''[[選挙方法#少数代表|少数代表]]''' |- |[[単純小選挙区制]]||<center>○|| ||<center>○ |- |単純小選挙区制([[決選投票]]制)||<center>○|| ||<center>○ |- |[[認定投票]]||<center>○|| ||<center>○ |- |[[投票の逆理#コンドルセの投票方法|コンドルセの投票方法]]||<center>○|| ||<center>○ |} {| class="wikitable" style="width:60%" ! style="width:30%; background-color:#C0C0C0" | '''[[大選挙区制]]''' !! style="width:10%; background-color:#DCDCDC" | '''多数代表''' !! style="width:10%; background-color:#C0C0C0" | '''比例代表''' !! style="width:10%; background-color:#DCDCDC" | '''少数代表''' |- |[[完全連記制]] (block voting) ||<center>○|| ||<center>○ |- |[[単記非移譲式投票]]|| ||<center>○||<center>○ |- |[[単記移譲式投票]]|| ||<center>○|| |} {| class="wikitable" style="width:60%" ! style="width:30%; background-color:#C0C0C0" | '''[[比例代表制]]''' !! style="width:10%; background-color:#DCDCDC" | '''多数代表''' !! style="width:10%; background-color:#C0C0C0" | '''比例代表''' !! style="width:10%; background-color:#DCDCDC" | '''少数代表''' |- |比例代表制|| ||<center>○|| |- |チリで行われる国政選挙|| ||<center>△||<center>○ |} {| class="wikitable" style="width:60%" ! style="width:30%; background-color:#C0C0C0" | '''[[集団選挙区制]]''' !! style="width:10%; background-color:#DCDCDC" | '''多数代表''' !! style="width:10%; background-color:#C0C0C0" | '''比例代表''' !! style="width:10%; background-color:#DCDCDC" | '''少数代表''' |- |集団選挙区制||<center>○|| || |} {| class="wikitable" style="width:60%" ! style="width:30%; background-color:#C0C0C0" | '''その他''' !! style="width:10%; background-color:#DCDCDC" | '''多数代表''' !! style="width:10%; background-color:#C0C0C0" | '''比例代表''' !! style="width:10%; background-color:#DCDCDC" | '''少数代表''' |- |[[小選挙区比例代表併用制]]|| ||<center>○|| |- |[[小選挙区比例代表並立制]]|| ||<center>△|| |} == 投票者による分類 == === 公選 === 国会議員などの公職選挙に見られるように、一般の有権者の投票によって選出する方式。被選挙権の要件は有権者の要件と一致する必要はない。このため一党独裁国家などでも、被選挙権行使要件に「独裁者の推薦」などを加えることで、体制を崩すこと無く公選を維持するところがある。あるいは他県在住の者でも立候補できる知事選のように、有権者の権利を持たない者を選出するところもある。'''民選'''とも言う。 === 官選 === 日本の[[政令指定都市]]の[[区長]]や貴族院の[[勅撰議員]]に見られるように、国家などの行政機関の指名によって選出する方式。必ずしも投票が行われるわけではないが、公選・互選との比較のため掲載する。 === 互選 === 日本の[[内閣総理大臣指名選挙|内閣総理大臣指名投票]]や[[バチカン市国]]における[[コンクラーベ]]([[教皇]]選出選挙)に見られるように、関係者の間で行う投票によって選出する方式。公選と違い、選挙権と被選挙権の要件は一致する。大抵の民主制での公選は、一般の有権者も被選挙権を持つため、大規模な互選ともいえる(しかし、選挙権と被選挙権の要件が異なる場合も多く、厳密には互選とはいえない)。 === くじ引き === {{See also|くじ#くじによる抽選の例}} [[くじ]]などを利用して、立候補者毎に等しい確率で当選者を選出する方式。定数が何人であろうと当選者の勢力比の期待値は被選挙権行使者の人口比と完全に等しく、有権者全てが被選挙権を行使すれば比例代表制になる。確率が絡むため個々の選挙では偏りが出る場合が殆どになる。[[古代ギリシア]]や[[室町幕府]]の第6代将軍([[足利義教]])選出などに例がある。投票者が存在しないため投票が行われることがないが、投票者が存在する選挙との比較のため掲載する。 また、投票で複数候補が同票で並び、そのいずれかが当選の資格を得る場合がある。日本の公職選挙法では決選投票を行わず、くじ引きで当選人を決定することになっている。 現在におけるくじで選ぶ公職の代表としては[[陪審員]]があげられ、日本には[[検察審査員]]や[[裁判員]]がある。 == 選挙の当落 == ; {{Anchors|当選}}当選 : 選挙によって選ばれること。選挙で選ばれた者を'''当選人(当選者)'''といい、通常、有効投票の最多数を得た者が当選者となる(複数名を選挙する場合には有効投票を多く得た順に上位者のうち定数に相当する人数の者が当選者となる。また、比例代表制の選挙の場合には政党の得票数により当選者が定まる。また[[間接選挙]]・[[勝者総取り方式]]の場合、有効投票の最多数を得ていない者が当選者となる場合もある)。最低得票数の制度が設けられている場合には最低得票を獲得していなければ当選人とはならない(日本の公職選挙における[[法定得票]])。日本の公職選挙では当選の効力は選挙長による当選人の告示により生じ(公職選挙法102条)、当選人に'''当選証書'''が付与される(公職選挙法105条)。 ; {{Anchors|当選確実}}当選確実 : 選挙報道において[[出口調査]]などの分析により当選することが確実とみられる状態をいう。 ; 落選 : 選挙によって選ばれないこと。選挙によっては、有効投票の最多数を得た者が落選者となる場合もある。 ; 次点 : 落選者のうちの最多得票者。[[繰り上げ当選]]の制度がある場合、選挙後の事情(主として[[選挙違反]]発覚により当選が取り消されたケースがある)によっては当選者となる場合もある。 == 選挙の管理 == * [[選挙管理委員会]]([[日本国]]) * [[連邦選挙委員会]]([[アメリカ合衆国]]) * [[中央選挙管理委員会 (琉球政府)]] * [[中央選挙委員会]]([[中華民国]]) * [[中央選挙管理委員会 (大韓民国)]] * [[選挙監視団]]([[国際連合平和維持活動]]など) == 選挙と人気投票 == {{節スタブ}} 事前に立候補者の人気を公表すると、選挙の当選結果を左右し公正な投票とならない。そのため、日本では[[公職選挙法]]138条の3に「人気投票の公表の禁止」が規定されており、事前に候補者の人気投票の結果を公開することが禁じられている。しかし、近年では、ネットメディアにより「意図せざる人気投票」がネット上で公開されたも同然となるなど、どの立候補者が人気であるかがたやすく予想されて選挙結果を左右する危険性も指摘されている<ref>{{cite book |author = 西田亮介 |authorlink = 西田亮介|title=ネット選挙 解禁がもたらす日本社会の変容|publisher=[[東洋経済新報社]]|year=2013}}</ref>。 == 各国における選挙 == {{See also|[[:Category:各国の選挙]]}} <!--* [[日本の選挙]] ** [[衆議院議員総選挙]] ** [[参議院議員通常選挙]] ** [[統一地方選挙]] * 世界の国政選挙 ** [[イギリス庶民院総選挙]] ** [[アメリカ合衆国大統領選挙]] ** [[フランス大統領選挙]] ** [[中華民国総統選挙]]--> === 伝統中国における選挙 === 伝統[[中国]]においても選挙という述語が用いられるが、現代の選挙とは用法が異なるので、注意が必要である。中国における選挙とは、国家の側による官吏登用制度のことであり、[[科挙]]以前に用いられた用語である。その語源は、「'''[[郷挙里選]]'''」であるとされている。つまり、[[前漢]]代において、地方の郷・里の長が、地方官と協議した上で官吏候補者を推挙する制度を、こう呼んだ。この場合の選ぶ主体は、飽くまで中央政府であり、[[皇帝]]である。また、郷や里の有力者である地方の豪族の意見のことを「[[輿論]]」と呼んでいるので、同じく現代の用語と混同しないよう、注意を要する。一般の人間([[庶人]])や[[奴隷]]などは初めから数に含まれていないのである。 漢代の選挙が、六朝には[[九品官人法]]に発展し、[[隋]][[唐]]を経て、科挙制度へと結びついていく。なお、選挙の語の用法は、後世まで広く用いられ、歴代の[[正史]]には「選挙志」という項目が立てられ、九品官人法や科挙制のことが述べられている。 == 歴史 == {{See also|民主主義#歴史}} == 選挙を題材とした作品 == {{See also|[[:Category:選挙を題材とした作品]]}} == 脚注・出典 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 参考文献 == * {{仮リンク|ヨハン・カスパー・ブルンチュリ|en|Johann Kaspar Bluntschli|preserve=1}}『[{{NDLDC|784010}} 国会議員選挙論]』。[[グイド・フルベッキ|ブエルベッキ]]口訳、[[武者小路実世]]筆記、1879年([[博聞社]])。74頁。- 前書きには「此書ハ原名ヲ『ポリチーク・アルス・ベヒセンシヤフト』ト云ヒ」と記載されているが、目次構成も頁数もブルンチュリの『[[#Bluntschli|Politik als Wissenschaft]]』とは全く異なり、日本国内で女性に選挙権を与えることの是非などを論じた[[文部省]]の書籍。 * {{Cite book|和書|author=毛利透 |author2=小泉良幸 |author3=淺野博宣 |author4=松本哲治 |title=統治 |date=2011 |publisher=有斐閣 |isbn=9784641179134 |series=LEGAL QUEST, . 憲法 1 |edition=5版 |ref=harv}} * {{Cite book|和書|author=野中俊彦 |author2=中村睦男 |author3=高橋和之 |author4=高見勝利 |title=憲法Ⅱ |date=2006 |edition=第4版 |publisher=有斐閣 |isbn=978-4641130005 |ref=harv}} * {{Cite book|和書 |author=久礼義一 |title=現代選挙論 -投票行動と問題点- |publisher=[[萌書房]] |date=2001-04 |isbn=978-4-9900-7082-3 |ref=Kure (2001)}} * {{Cite book|和書 |author=小林良彰|authorlink=小林良彰 |title=選挙・投票行動 |series=社会科学の理論とモデル |volume=1 |publisher=[[東京大学出版会]] |date=2000-06 |isbn=978-4-1303-4131-8 |ref=Kobayashi (2000)}} <!--* 『選挙・投票行動 社会科学の理論とモデル』、2000年|※重複?--> * {{Cite journal|和書|author=中村正志 |title=分断社会の政治統合--マレーシアにおける連邦議会下院選挙の統合機能 |url=https://hdl.handle.net/2344/440 |journal=アジア経済 |publisher=日本貿易振興機構アジア経済研究所 |year=2006 |month=jan |volume=47 |issue=1 |pages=2-35 |naid=120000808743 |issn=00022942}} * Johann Caspar {{Anchors|Bluntschli}}Bluntschli, ''[https://babel.hathitrust.org/cgi/pt?id=nyp.33433086951245;view=1up;seq=7 Politik als Wissenschaft]''(意: 政治の科学). J. G. Cotta, Stuttgart, 1876年. 664頁. * Agranoff, R., ed. 1976. The new style in election campaigns. Boston: Holbrook Press. * Alexander, H. E. 1984. Financing politics. Washington, D. C.: CQ Press. * Butler, D. 1989. British general elections since 1945. Oxford: Basil Blackwell. * Bulter, D., Penniman, H. R., and Ranney, A., eds. 1981. Democracy at the polls. Washington, D.C.: American Enterprise Institute. * Crewe, I. and Harrop, M., eds. 1989. Political communication: The general election campaign of 1987. Cambridge: Cambridge Univ. Press. * Diamond, E. and Bates, S. 1984. The spot: The rise of political advertising on television. Cambridge, Mass.: MIT Press. * Harrop, M. and Miller, W. L. 1987. Elections and voters. Basingstoke: Macmillan. * Hess, S. 1988. The presidental campaign. 3rd edn. Washington, D. C.: Brookings Institution. * Luntz, F. 1988. Candidates, consultants and campaigns. Oxford: Basil Blackwell. * Patterson, T. E. and McClure, R. D. 1976. The unseeng eye. New York: Putnam Books. * Poundstone, W. 2008. Gaming the Vote: Why Elections Aren't Fair. Fsg Adult, ** ウィリアム・パウンドストーン著、[[篠儀直子]]訳『選挙のパラドクス なぜあの人が選ばれるのか?』[[青土社]] [[2008年]](平成20年) ISBN 978-4-7917-6415-0 * Sabato, L. J. 1981. The rise of political consultants: New Ways of winning elections. New York: Basic Books. * Salmore, S. A. and Salmore, B. G. 1985. Candidates, parties, and campaigns. Washington, D.C.: CQ Press. * White, T. H. 1982. America in search of itself. New York: Warner Books. == 関連項目 == {{Wiktionary}} {{Commonscat}} * [[投票]] * [[参政権]] * [[公民権運動]] * [[政党制]] * [[多数決]]、[[少数決]]、[[全会一致]](満場一致) * [[社会選択理論]] * [[ボートマッチ]] * [[選挙特別番組]] * [[日本の選挙]] ** [[衆議院議員総選挙]] ** [[参議院議員通常選挙]] ** [[内閣総理大臣指名選挙]] * [[弔い選挙]] * [[繰上げ当選]] * [[分裂選挙]] * [[選挙違反]] == 外部リンク == * [https://www.soumu.go.jp/senkyo/senkyo_s/ 選挙についての紹介](総務省) {{典拠管理}} {{デフォルトソート:せんきよ}} [[Category:選挙|*]] [[Category:間接民主主義]]
2003-08-30T17:41:03Z
2023-12-18T16:11:01Z
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被選挙権
被選挙権(ひせんきょけん、英語: Eligibility for election)とは、政治における参政権の一つであり、候補者が国や地方での選挙を経て公職に就任する資格または地位を指す。被選資格(ひせんしかく)とも称する。なお、選挙権と被選挙権が同じ要件である選挙のことを互選(ごせん)と呼ぶ。 被選挙権を選挙権によって認められた選挙に参加する権利の一環である「立候補の自由」とみなす見解がある一方で、選挙を通じて当該公職に相応しい人物を選び出すのが選挙の目的であるとして、被選挙権を権利そのものではなくて権利能力とする見方を採用して、選挙で選ばれた場合に公職に就くことを許される資格と捉える見解もある。そのため、選挙権と異なる要件を付される場合があり、その場合には選挙権よりも要件が狭くとらえられることとなる。 世界・地域における被選挙権年齢(国の議会)(2015年12月現在) 日本では例外的に被選挙権を有しない者については、公職選挙法第11条1~2項・第252条、政治資金規正法第28条、電磁記録投票法第17条に規定がある。 備えなければならない条件については、下記の通り。 なお、選挙権を失う条件は「選挙に関する犯罪により、選挙権や被選挙権が停止されている者」など、被選挙権を失う条件(前述)と同一である。
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被選挙権とは、政治における参政権の一つであり、候補者が国や地方での選挙を経て公職に就任する資格または地位を指す。被選資格(ひせんしかく)とも称する。なお、選挙権と被選挙権が同じ要件である選挙のことを互選(ごせん)と呼ぶ。
{{Otheruses|被選挙権一般|日本の公職選挙の被選挙権|日本の選挙}} '''被選挙権'''(ひせんきょけん、{{lang-en|Eligibility for election}})とは、[[政治]]における[[参政権]]の一つであり、[[候補者]]が国や地方での[[選挙]]を経て[[公職]]に就任する資格または地位を指す。'''被選資格'''(ひせんしかく)とも称する。なお、[[選挙権]]と被選挙権が同じ要件である選挙のことを'''互選'''(ごせん)と呼ぶ。 == 被選挙権の本質 == 被選挙権を選挙権によって認められた選挙に参加する権利の一環である「立候補の自由」とみなす見解がある一方で、選挙を通じて当該公職に相応しい人物を選び出すのが選挙の目的であるとして、被選挙権を権利そのものではなくて[[権利能力]]とする見方を採用して、選挙で選ばれた場合に公職に就くことを許される資格と捉える見解もある。そのため、選挙権と異なる要件を付される場合があり、その場合には選挙権よりも要件が狭くとらえられることとなる。 == 被選挙権と年齢 == 世界・地域における被選挙権年齢(国の議会)<ref name="syogaikoku">{{Cite journal |和書|author=那須俊貴(政治議会課) |title=諸外国の選挙権年齢及び被選挙権年齢 |date=2015-12 |publisher=[[国立国会図書館]] |journal=レファレンス |issue=779 |issn=0034-2912 |url=https://dl.ndl.go.jp/view/download/digidepo_9578222_po_077907.pdf?contentNo=1 |format=PDF |accessdate=2017-10-19}}</ref><small>(2015年12月現在)</small> *17歳 – {{flagicon|PRK}} [[朝鮮民主主義人民共和国|北朝鮮]]・{{flag|東ティモール}} *18歳 - '''{{flag|アイスランド}}'''・{{flag|アルバニア}}・{{flag|アンドラ}}・'''{{flag|イギリス}}'''<sup>{{Color|olive|☆}}</sup>(下院)・{{flag|ウガンダ}}・'''{{flag|オーストラリア}}'''(下院・上院)・'''{{flag|オーストリア}}'''(下院)・'''{{flag|オランダ}}'''(下院・上院<sup>{{Color|blue|▲}}</sup>)・{{flag|カーボベルデ}}・{{flag|ガイアナ}}・'''{{flag|カナダ}}'''<sup>{{Color|olive|☆}}</sup>(下院)・{{flag|ギニア}}・{{flag|キューバ}}・{{flag|グアテマラ}}・{{flag|グレナダ}}(下院・上院<sup>{{Color|blue|▲}}</sup>)・{{flag|クロアチア}}・{{flag|ケニア}}(下院・上院)・{{flag|コモロ}}・{{flag|サントメ・プリンシペ}}・'''{{flag|スイス}}'''(下院)・'''{{flag|スウェーデン}}'''・'''{{flag|スペイン}}'''(下院・上院)・{{flag|スリランカ}}・'''{{flag|スロベニア}}'''(下院・上院<sup>{{Color|blue|▲}}</sup>)・{{flag|スワジランド}}(下院・上院<sup>{{Color|blue|▲}}</sup>)・{{flag|セーシェル}}・{{flag|セルビア}}・{{flagicon|PRC}} [[中華人民共和国|中国]]<sup>{{Color|blue|▲}}</sup>・'''{{flag|デンマーク}}'''・'''{{flag|ドイツ}}'''<sup>{{Color|olive|☆}}</sup>(下院・上院<sup>{{Color|blue|▲}}</sup>)・{{flag|トリニダード・トバゴ}}(下院)・{{flag|ベリーズ}}・'''{{flag|ニュージーランド}}'''・'''{{flag|ノルウェー}}'''・'''{{flag|ハンガリー}}'''・{{flag|フィジー}}・'''{{flag|フィンランド}}'''・'''{{flag|フランス}}'''<sup>{{Color|olive|☆}}</sup>(下院)・'''{{flag|ベルギー}}'''(下院・上院<sup>{{Color|blue|▲}}</sup>)・{{flag|ボスニア・ヘルツェゴビナ}}(下院・上院<sup>{{Color|blue|▲}}</sup>)・'''{{flag|ポルトガル}}'''・{{flag|マケドニア}}・{{flag|マルタ}}・{{flagicon|ZAF}} [[南アフリカ共和国|南アフリカ]](下院・上院<sup>{{Color|blue|▲}}</sup>){{flag|モーリシャス}}・{{flag|モザンビーク}}・{{flag|モルディブ}}・{{flag|モンテネグロ}}・{{flag|リヒテンシュタイン}}・'''{{flag|ルクセンブルク}}''' *20歳 - 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{{flagu|アルジェリア}}(上院<sup>{{Color|blue|▲}}</sup>)・'''{{flagu|イタリア}}'''<sup>{{Color|olive|☆}}</sup>(上院)・{{flagu|オマーン}}(上院<sup>{{Color|blue|▲}}</sup>)・{{flagu|ガボン}}(上院<sup>{{Color|blue|▲}}</sup>)・{{flagu|カメルーン}}(上院<sup>{{Color|blue|▲}}</sup>)・{{flagu|カンボジア}}(上院<sup>{{Color|blue|▲}}</sup>)・{{flagu|ジンバブエ}}(上院)・'''{{flagu|チェコ}}'''(上院)・{{flagu|パラグアイ}}・{{flagu|ヨルダン}}(上院<sup>{{Color|blue|▲}}</sup>) *45歳 - {{flagu|コンゴ共和国}}(上院<sup>{{Color|blue|▲}}</sup>) == 被選挙権の欠格事由 == 日本では例外的に被選挙権を有しない者については、公職選挙法第11条1~2項・第252条、[[政治資金規正法]]第28条、[[地方公共団体の議会の議員及び長の選挙に係る電磁的記録式投票機を用いて行う投票方法等の特例に関する法律|電磁記録投票法]]第17条に規定がある。 *[[禁錮]]以上の刑に処せられその執行を終わるまでの者 *禁錮以上の刑に処せられその執行を受けることがなくなるまでの者(刑の[[執行猶予]]中の者を除く) :具体的には、以下の何れも成立してない者 #仮釈放後の残刑期期間満了 #[[刑の時効]] #[[恩赦]]による刑の執行免除 *公職<ref group="注" name="kousyoku">過去には公職ではない人物が収賄罪の執行猶予付き有罪確定になった際に、誤って執行猶予中に公民権が停止された例が存在する。例として公職でない元輪之内町農業委員<!--公選委員か選任委員か不明。-->、元鹿町町建設課長、元瑞穂郵便局保険課長、元建設省酒田工事事務所副所長が収賄罪で執行猶予付き有罪確定になった際に誤って執行猶予中に公民権が停止されたことがある。</ref>にある間に犯した[[賄賂罪|収賄罪]]または[[斡旋利得罪]]により刑期満了になっていない者 *公職<ref group="注" name="kousyoku"></ref>にある間に犯した収賄罪または斡旋利得罪の実刑の刑期満了から10年間を経過しない者 *選挙に関する犯罪<ref group="注" name="senkyo">選挙人名簿の抄本等の閲覧に係る報告義務違反・選挙事務所、休憩所等の制限違反・選挙事務所の設置届出及び表示違反・選挙気勢を張る行為の禁止違反・自動車、船舶及び拡声機の使用表示違反・ポスター掲示違反・文書図画の撤去処分拒否・街頭演説の標旗提示拒否・夜間街頭演説禁止違反・選挙運動のための通常葉書等の返還拒否及び譲渡禁止違反・選挙期日後のあいさつ行為の制限違反・推薦団体の選挙運動の規制違反・政党その他の政治活動を行う団体の政治活動の規制の違反・選挙人等の偽証罪を除く。</ref>により禁錮以上の刑に処せられ、刑が執行猶予中の者 *選挙に関する犯罪<ref group="注" name="senkyo"/>により実刑の刑期満了から5年間を経過しない者 *政治資金規正法に定める犯罪<ref group="注" name="seijisikin">政治資金監査報告書の虚偽記載・政治資金監査の業務等で知りえた秘密保持義務違反を除く。</ref>により禁錮以上の刑に処せられ、刑が執行猶予中<ref group="注" name="joujou">裁判所によって情状により被選挙権停止を適用しなかったり、停止期間を短縮したりすることもできる。</ref>の者 *政治資金規正法に定める犯罪<ref group="注" name="seijisikin"/>により実刑の刑期満了から5年間<ref group="注" name="joujou"></ref>を経過しない者 == 日本の被選挙権 == 備えなければならない条件については、下記の通り<ref>[https://www.soumu.go.jp/senkyo/senkyo_s/naruhodo/naruhodo02.html 選挙権と被選挙権] 総務省</ref>。 * すべてに共通 - 日本国民であること * 衆議院議員、市区町村長 - 満25歳以上 * 参議院議員、都道府県知事 - 満30歳以上 * 都道府県議会議員、市区町村議会議員 - 満25歳以上で、その選挙権を持っていること :: また、その都道府県内、または市町村に引き続き3か月以上住所があり、客観的な居住実態があること<ref>{{PDFlink|[https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/837/062837_hanrei.pdf 判例全文(平成9(行ツ)78)] 平成9年8月25日最高裁判所判決}} </ref>も必要となる。[[2019年]](令和元年)の[[統一地方選挙]]では、居住実態が無いにもかかわらず立候補するケースが相次いだ<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.asahi.com/articles/ASN335D0LN33ULFA00G.html |title=地方議員選、居住なし立候補に罰則 改正法案を閣議決定 |publisher=朝日新聞 |date=2020-03-03 |accessdate=2023-07-14}}</ref>ことから、[[2020年]]に[[地方分権一括法]]が改正。立候補者に居住実態に関する宣誓書の提出を求め、虚偽と判明した場合に30万円以下の罰金を科すこととなった<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nhk.or.jp/politics/articles/statement/38622.html |title=「地方分権一括法」成立 虚偽の立候補届け出には罰金 |publisher=NHK政治マガジン |date=2020-06-03 |accessdate=2023-07-14}}</ref>。 なお、[[選挙権#選挙権の欠格事由|選挙権を失う条件]]は「選挙に関する犯罪により、選挙権や被選挙権が停止されている者」など、被選挙権を失う条件([[被選挙権#被選挙権の欠格事由|前述]])と同一である。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Reflist|group="注"}} === 出典 === {{Reflist}} == 関連項目 == * [[参政権]] * [[選挙権]] * [[公民権]] * [[有権者]] * [[外国人参政権]] {{DEFAULTSORT:ひせんきよけん}} [[Category:選挙]] [[Category:地方自治]] [[Category:間接民主主義]] [[Category:参政権]]
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京都・ハーバード方式
京都・ハーバード方式(きょうとハーバードほうしき、Harvard-Kyoto Convention, KHと略す)とは、ASCII文字のみでデーヴァナーガリーを翻字する方法の一つ。ASCIIしか使えないコンピューターでサンスクリットを処理するために、IAST翻字のうち、ASCIIにない文字を大文字などに置き換えたもので、IASTとの相互変換が機械的に行える。 パソコンで直接デーヴァナーガリーを扱えなかった時代、サンスクリット文献などを記述する際に利用されていた。 ミヒャエル・ヴィツェル(英語版)によると、1984年にライデン大学の Andrea van Arkel によって作られた方式が元になっており、その後1990年に京都大学で使われたという。 Unicodeの普及によってその必要性が少なくなった現在も、デーヴァナーガリーを入力するときの入力方式などに利用される。 翻字方式にはいくつかの変種があるが、以下に表で一例を示す。IAST と比べると、 のような対応がある。 京都・ハーバード方式はサンスクリットに特化されており、同じデーヴァナーガリーを使用するヒンディー語・ネパール語・マラータ語などについて考慮されていない。この問題を解決したものに ITRANS がある。 大文字を特殊な目的に用いるので、もともと IAST で書いてあった場合、京都・ハーバード方式に変換すると、原文の大文字・小文字情報が脱落してしまう。この問題を解決するため、小文字のみを使用して、記号を前置させる上村勝彦方式、相場徹方式、岡野潔方式などが作られた。 Ga, Ja, za などは原音からかけはなれているため、方式をよく知らない人には誤読されやすい。
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京都・ハーバード方式とは、ASCII文字のみでデーヴァナーガリーを翻字する方法の一つ。ASCIIしか使えないコンピューターでサンスクリットを処理するために、IAST翻字のうち、ASCIIにない文字を大文字などに置き換えたもので、IASTとの相互変換が機械的に行える。
'''京都・ハーバード方式'''(きょうとハーバードほうしき、Harvard-Kyoto Convention, '''KH'''と略す)とは、[[ASCII]]文字のみで[[デーヴァナーガリー]]を[[翻字]]する方法の一つ。ASCIIしか使えないコンピューターで[[サンスクリット]]を処理するために、[[IAST]]翻字のうち、ASCIIにない文字を大文字などに置き換えたもので、IASTとの相互変換が機械的に行える。 ==概要== [[パーソナルコンピュータ|パソコン]]で直接デーヴァナーガリーを扱えなかった時代、[[サンスクリット]]文献などを記述する際に利用されていた。 {{仮リンク|ミヒャエル・ヴィツェル|en|Michael Witzel}}によると、1984年に[[ライデン大学]]の Andrea van Arkel によって作られた方式が元になっており、その後1990年に[[京都大学]]で使われたという<ref>{{cite web|url=http://list.indology.info/pipermail/indology_list.indology.info/2009-December/033855.html|title=Kyoto-Harvard transliteration|publisher=Indology mailing list|date=2009-07-12|accessdate=2015-09-05}}</ref>。 [[Unicode]]の普及によってその必要性が少なくなった現在も、デーヴァナーガリーを入力するときの入力方式などに利用される<ref>たとえば {{cite web|url=http://www.sanskrit-lexicon.uni-koeln.de/mwquery/index.html|title=MW Advanced Search, 2008|publisher=Cologne Digital Sanskrit Dictionaries|accessdate=2015-09-05}}</ref>。 ==一覧== 翻字方式にはいくつかの変種があるが、以下に表で一例を示す。[[IAST]] と比べると、 *[[マクロン]]付き母音文字は、大文字で表す方式と、同じ母音文字を二つ重ねて表す方式がある。 *下に点のある文字は、原則として大文字で表す。 *例外として、京都・ハーバード方式での大文字の有声子音文字は、同じ[[調音部位]]の鼻音を表す。 *&#x015b;aはzaで表す。 のような対応がある。 {|class="wikitable" |+母音 |- !KH !! [[IAST]] !! デーヴァナーガリー</th> |- |a || a || अ |- |A, aa || &#x101; || आ |- |i || i || इ |- |I, ii || &#x12b; || ई |- |u || u || उ |- |U, uu || &#x16b; || ऊ |- |R || &#x1e5b; || ऋ |- |q, RR || &#x1e5d; || ॠ |- |L, lR || &#x1e37; || ऌ |- |E, LL, lRR || &#x1e39; || ॡ |- |e || e || ए |- |ai || ai || ऐ |- |o || o || ओ |- |au || au || औ |- |aM || a&#x1e43; || अं |- |aH || a&#x1e25; || अः |} {|class="wikitable" |+子音 !KH !! IAST !! デーヴァナーガリー</th> |- |ka || ka || &#x0915; |- |kha || kha || &#x0916; |- |ga || ga || &#x0917; |- |gha || gha || &#x0918; |- |Ga || &#x1e45;a || &#x0919; |- |ca || ca || &#x091a; |- |cha || cha || &#x091b; |- |ja || ja || &#x091c; |- |jha || jha || &#x091d; |- |Ja || ña || &#x091e; |- |Ta || &#x1e6d;a || &#x091f; |- |Tha || &#x1E6d;ha || &#x0920; |- |Da || &#x1e0d;a || &#x0921; |- |Dha || &#x1e0d;ha || &#x0922; |- |Na || &#x1e47;a || &#x0923; |- |ta || ta || &#x0924; |- |tha || tha || &#x0925; |- |da || da || &#x0926; |- |dha || dha || &#x0927; |- |na || na || &#x0928; |- |pa || pa || &#x092a; |- |pha || pha || &#x092b; |- |ba || ba || &#x092c; |- |bha || bha || &#x092d; |- |ma || ma || &#x092e; |- |ya || ya || &#x092f; |- |ra || ra || &#x0930; |- |la || la || &#x0932; |- |va || va || &#x0935; |- |za || &#x015b;a || &#x0936; |- |Sa || &#x1e63;a || &#x0937; |- |sa || sa || &#x0938; |- |ha || ha || &#x0939; |} ==問題点== 京都・ハーバード方式は[[サンスクリット]]に特化されており、同じデーヴァナーガリーを使用する[[ヒンディー語]]・[[ネパール語]]・[[マラータ語]]などについて考慮されていない。この問題を解決したものに [[ITRANS]] がある。 大文字を特殊な目的に用いるので、もともと IAST で書いてあった場合、京都・ハーバード方式に変換すると、原文の大文字・小文字情報が脱落してしまう。この問題を解決するため、小文字のみを使用して、記号を前置させる[[上村勝彦]]方式、相場徹方式<ref>{{Cite web|和書|url=http://ayiva.sakura.ne.jp/vacia/codes/table/|title=サンスクリット・チベット語の転写方法の一覧|publisher=相場 徹|date=2001-05-30|accessdate=2015-09-05}}</ref>、岡野潔方式<ref>{{cite book|和書|chapterurl=http://gdgdgd.g.dgdg.jp/introduction.html|title=インド仏教文学研究史|chapter=序文 ならびにサンスクリットの転写方式についての説明|author=岡野潔|year=1998|edition=電子版}}</ref>などが作られた。 Ga, Ja, za などは原音からかけはなれているため、方式をよく知らない人には誤読されやすい。 ==関連項目== *[[IAST]](International Alphabet of Sanskrit Transliteration) *[[ITRANS]] *[[中谷英明]] ==脚注== {{脚注ヘルプ}} {{reflist}} {{デフォルトソート:きようとはあはあとほうしき}} [[Category:インドの言語]] [[Category:言語の転写と翻字]] [[Category:ブラーフミー系文字]]
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14,521
32
32(三十二、さんじゅうに、みそふた、みそじあまりふたつ)は、自然数また整数において、31の次で33の前の数である。
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32(三十二、さんじゅうに、みそふた、みそじあまりふたつ)は、自然数また整数において、31の次で33の前の数である。
{{otheruses||DIMENSIONのアルバム|32 (DIMENSIONのアルバム)}} {{整数|Decomposition=2{{sup|5}}}} '''32'''('''三十二'''、さんじゅうに、みそふた、みそじあまりふたつ)は、[[自然数]]また[[整数]]において、[[31]]の次で[[33]]の前の数である。 == 性質 == * 32 は[[合成数]]であり、正の[[約数]]は [[1]], [[2]], [[4]], [[8]], [[16]], 32 である。 **[[約数]]の和は[[63]]。 ***[[約数]]の和が奇数になる9番目の数である。1つ前は[[25]]、次は[[36]]。 *{{sfrac|1|32}} = 0.03125 **{{sfrac|1|2{{sup|''n''}}}} は小数点以下 ''n'' 桁の[[有限小数]]になるので、{{sfrac|1|32}} は {{sfrac|1|2{{sup|5}}}} なので、小数点以下5桁の有限小数になる。 **[[逆数]]が[[有限小数]]になる9番目の数である。1つ前は[[25]]、次は[[40]]。({{OEIS|A003592}}) * 32 = 2{{sup|5}} × 3{{sup|0}} ** 2{{sup|''i''}} × 3{{sup|''j''}} (''i'' ≧ 0, ''j'' ≧ 0) で表せる12番目の数である。1つ前は[[27]]、次は[[36]]。({{OEIS|A003586}}) * 32 = 2{{sup|5}} **5番目の[[2の冪|2の累乗数]]である。1つ前は[[16]]、次は[[64]]。 **[[平方数]]でも[[立方数]]でもない最小の[[累乗数]]である。次は[[128]] (2{{sup|7}})。 **2番目の五乗数である。1つ前は[[1]]、次は[[243]]。 ** 素数 ''p'' = 5 のときの 2{{sup|''p''}} の値とみたとき1つ前は[[8]]、次は[[128]]。({{OEIS|A034785}}) ** 32 = 2 × 2{{sup|4}} *** ''n'' = 2 のときの 2''n''{{sup|4}} の値とみたとき1つ前は[[2]]、次は[[162]]。({{OEIS|A244730}}) ** 32 = 2 × 4{{sup|2}} ***''n'' = 2 のときの ''n'' × 4{{sup|''n''}} の値とみたとき1つ前は[[4]]、次は[[192]]。({{OEIS|A018215}}) ***''n'' = 4 のときの 2''n''{{sup|2}} の値とみたとき1つ前は[[18]]、次は[[50]]。({{OEIS|A001105}}) **32 = 2{{sup|2×2+1}} ***''n'' = 2 のときの 2{{sup|2''n''+1}} の値とみたとき1つ前は[[8]]、次は[[128]]。({{OEIS|A004171}}) *** ''n'' = 2 のときの ''n''{{sup|2''n''+1}} の値とみたとき1つ前は[[1]]、次は[[2187]]。({{OEIS|A085526}}) **32 = 2{{sup|4}} + 4{{sup|2}} *** ''n'' = 4 のときの 2{{sup|''n''}} + ''n''{{sup|2}} の値とみたとき1つ前は[[17]]、次は[[57]]。({{OEIS|A001580}}) *** ''n'' = 2 のときの 4{{sup|''n''}} + ''n''{{sup|4}} の値とみたとき1つ前は[[5]]、次は[[145]]。({{OEIS|A001589}}) ** 32 = 8 × 2{{sup|2}} *** ''n'' = 2 のときの 8''n''{{sup|2}} の値とみたとき1つ前は[[8]]、次は[[72]]。({{OEIS|A139098}}) *32 = 1{{sup|1}} + 2{{sup|2}} + 3{{sup|3}} = (3 − 1) × (3 + 1){{sup|2}} = 3{{sup|3}} + 3{{sup|2}} − 3 − 1 ** ''n''{{sup|''n''}} の総和とみたとき1つ前は[[5]]、次は[[288]]。 ** ''n'' = 1 のときの ''n''{{sup|1}} + (''n'' + 1){{sup|2}} + (''n'' + 2){{sup|3}} の値とみたとき自然数の範囲では最小、次は[[75]]。 ** ''n'' = 3 のときの ''n''{{sup|3}} + (''n'' − 1){{sup|2}} + (''n'' − 2) の値とみたとき1つ前は[[9]]、次は[[75]]。({{OEIS|A152619}}) *[[円周率]]を[[十進法|十進数]]で表したとき、最初に [[0]] が現れるのは小数第32位である。次は小数第50位。({{OEIS|A037008}}) :3.1415926535 8979323846 2643383279 5'''0'''28841971 693993751'''0'''… *√{{overline|1000}} に最も近い整数である。√{{overline|1000}} = 31.62277…、31{{sup|2}} = 961, 32{{sup|2}} = [[1024]] (= 2{{sup|10}})。 *[[九九]]では4の段で 4 × 8 = 32(しはさんじゅうに)、8の段で 8 × 4 = 32(はちしさんじゅうに)と2通りの表し方がある。 *32{{sup|2}} = 1024 **[[平方数]]が4桁になる最初の数である。 *32 = 1 + 2 + 3 + 5 + 8 + 13 **[[フィボナッチ数列]]を構成する最初の6数の和である。1つ前は[[19]]、次は[[53]]。 * 異なる[[平方数]]の和で表せない31個の数の中で17番目の数である。1つ前は[[31]]、次は[[33]]。 *32番目の[[三角数]]は[[528]]。 *32番目の[[矩形数]]は[[1056]]。 *各位の和が32になる[[ハーシャッド数]]の最小は17888である。 *[[約数]]の和が32になる数は2個ある。([[21]], [[31]]) 約数の和2個で表せる4番目の数である。1つ前は31、次は[[54]]。 * 32 = 2! + 3! + 4! **3連続[[階乗]]の和で表せる数である。1つ前は[[9]]、次は[[150]]。({{OEIS|A054119}}) * [[各位の和]]が5になる4番目の数である。1つ前は[[23]]、次は[[41]]。 * 各位の積が6になる4番目の数である。1つ前は[[23]]、次は[[61]]。({{OEIS|A199988}}) * ''n'' = 32 のときの ''n''! − 1 で表せる 32[[階乗|!]] − 1 は8番目の[[階乗素数]]である。1つ前は[[30]]、次は[[33]]。({{OEIS|A002982}}) * [[完全数]][[8128]]の約数である。1つ前は[[16]]、次は[[64]]。({{OEIS|A133024}}) **完全数の約数とみたとき12番目の数である。1つ前は[[31]]、次は[[62]]。({{OEIS|A096360}}) * [[素数]]を降順に並べた数とみたとき2番目の数である。1つ前は[[2]]、次は[[532]]。({{OEIS|A038394}}) == その他 32 に関連すること == *[[切頂二十面体]]の面の数は 32 である。[[炭素]]原子のみからなる[[フラーレン]]はこの構造を持つ。 *[[電子殻|N殻]]に入る[[電子]]の最大数は32個である。 *[[原子番号]]32番の元素は[[ゲルマニウム]] (Ge)。 *[[華氏温度]]で 32&nbsp;°F は[[水]]の[[氷点]]である。 *片手5本の指を、折ったり伸ばしたりした時に数えられる数([[二進指数え法]])。 *[[チェス]]の駒の数は32個。また黒と白のマス目はそれぞれ32個である。 *[[皇室]]の[[十六弁八重表菊紋]]の花弁の数は正確には32枚である。 *第32代の[[天皇]]は[[崇峻天皇]]である。 *第32代の[[内閣総理大臣]]は[[広田弘毅]]である。 *[[大相撲]]の第32代[[横綱]]は[[玉錦三右エ門]]である。 *第32代の[[アメリカ合衆国大統領]]は[[フランクリン・ルーズベルト]]である。 *[[アメリカ合衆国]]の32番目の[[州]]は[[ミネソタ州]]である。 * JIS X 0401、[[ISO 3166-2:JP]]の[[都道府県コード]]の「32」は[[島根県]]。 *第32代[[周]]王は、[[威烈王]]。 *第32代[[教皇|ローマ教皇]]は[[ミルティアデス (ローマ教皇)|ミルティアデス]](在位:[[311年]][[7月10日]]~[[314年]][[1月10日]])である。 *[[易占]]の[[六十四卦]]で第32番目の卦は、[[周易下経三十四卦の一覧#恒|雷風恒]]。 *[[クルアーン]]における第32番目の[[スーラ (クルアーン)|スーラ]]は[[アッ・サジダ (クルアーン)|アッ・サジダ]]である。 *[[成人]]の[[歯]]の本数は[[親知らず]]も含めて32本である。 *[[コンピュータ]]には[[32ビット]]機([[PlayStation (ゲーム機)|プレイステーション]]など)がある。 *[[バスケットボール]] ([[NBA]]) の歴史的選手、[[マジック・ジョンソン]]の背番号([[ロサンゼルス・レイカーズ]]で永久欠番)。 *[[日産・スカイライン#8代目 R32型(1989年-1994年)|日産・スカイライン]]の8代目モデルの型式は、R32型である。 *[[NHK京都放送局]]、[[NHK和歌山放送局]]、[[All-nippon News Network|ANN]]系列の[[東日本放送]]([[宮城県]])と[[鹿児島放送]]、[[Japan News Network|JNN]]系列の[[チューリップテレビ]]([[富山県]])の[[ガイドチャンネル]]は 32ch。 *[[選抜高等学校野球大会]]の出場校は32校。 *1年のうち32日目は[[2月1日]]で、この日から[[2月]]になる。 *{{OEIS|A000032}}は、[[リュカ数]]。 *[[天孫降臨]]で[[ニニギ|瓊瓊杵尊]]に供奉した神は32柱(三十二神)。 == 符号位置 == {| class="wikitable" style="text-align:center;" !記号!![[Unicode]]!![[JIS X 0213]]!![[文字参照]]!!名称 {{CharCode|12892|325C|1-8-44|CIRCLED DIGIT THIRTY TWO|font=JIS2004フォント}} |} == 関連項目 == {{数字2桁|3|- [[昭和32年]] [[明治32年]]}} *[[3月2日]] {{自然数}} {{2^n}}
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33
33(三十三、さんじゅうさん、みそみつ、みそじあまりみつ)は自然数、また整数において、32の次で34の前の数である。 33+1/3 は100の3分の1に当たる数である。
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33(三十三、さんじゅうさん、みそみつ、みそじあまりみつ)は自然数、また整数において、32の次で34の前の数である。
{{整数|Decomposition=3 × 11}} '''33'''('''三十三'''、さんじゅうさん、みそみつ、みそじあまりみつ)は[[自然数]]、また[[整数]]において、[[32]]の次で[[34]]の前の数である。 == 性質 == * 33 は17番目の[[奇数]]である。1つ前は[[31]]、次は[[35]]。 *33は[[合成数]]であり、正の[[約数]]は [[1]], [[3]], [[11]], 33 である。 **[[約数の和]]は[[48]]。 *** [[約数関数]]から導き出される数列 <math>a_n=\sigma(a_{n-1})</math> はその初期値によって異なる数列になる。異なる数列になる7番目の初期値(最小の値)を表す数である。1つ前は[[29]]、次は[[49]]。(ただし1を除く)({{OEIS|A257348}}) **一の位が3の数では最小の合成数である。 *33 = 3 × 11 **11番目の[[半素数]]である。1つ前は[[26]]、次は[[34]]。 ***3連続で半素数が続く最小の数である。次は[[85]]。 ***[[約数]]の個数が3連続で同じ (33も[[34]]も[[35]]も約数の個数は4個) になる最小の数である。次は[[85]]。 ** ''n'' = 1 のときの 11 × 3{{sup|''n''}} の値とみたとき1つ前は[[11]]、次は[[99]]。({{OEIS|A120354}}) *13番目の[[回文数]]である。1つ前は[[22]]、次は[[44]]。 **1桁の数を除くと3番目の[[回文数]]であり、3が2つ並ぶ[[ゾロ目]]でもある。 **[[二進数]]でも回文数になる12番目の数である。1つ前は[[31]]、次は[[45]]。({{OEIS|A006995}}) *{{sfrac|1|33}} = 0.{{underline|03}}… (下線部は循環節で長さは2) **[[逆数]]が[[循環小数]]になる数で[[循環節]]が2になる3番目の数である。1つ前は[[22]]、次は[[44]]。({{OEIS|A070022}}) *33 = 1[[階乗|!]] + 2! + 3! + 4! **連続階乗の和とみたとき1つ前は[[9]]、次は[[153]]。 **4連続階乗の和とみたとき最小。次は[[152]]。ただし 0!=1 と考えると最小は[[10]]。 * 33 = (3!){{sup|2}} &minus; (2!){{sup|2}} + (1!){{sup|2}} ** [[交互階乗]]の[[平方和]]で表せる3番目の数である。1つ前は[[3]]、次は[[543]]。({{OEIS|A092170}}) *33 =1{{sup|5}} + 2{{sup|5}} ** ''n'' = 5 のときの 2{{sup|''n''}} + 1 の値とみたとき1つ前は[[17]]、次は[[65]]。({{OEIS|A000051}}) **33 = 2{{sup|2×2+1}} + 1 ***''n'' = 2 のときの 2{{sup|2''n''+1}} + 1 の値とみたとき1つ前は[[9]]、次は[[129]]。({{OEIS|A087289}}) ** 33 = 1 × 2{{sup|5}} + 1 より7番目の[[プロス数]]である。1つ前は[[25]]、次は[[41]]。 **33 = 0{{sup|5}} + 1{{sup|5}} + 2{{sup|5}} ***3連続整数の5乗和で表せる最小の数である(負の数は除く)。次は[[276]](負の数を含めると1つ前は[[0]])。 * 異なる[[平方数]]の和で表せない31個の数の中で18番目の数である。1つ前は[[32]]、次は[[43]]。 *33 = 1 + (1 + 2) + (1 + 3) + (1 + 2 + 4) + (1 + 5) + (1 + 2 + 3 + 6) ** [[1]]~[[6]]までの[[約数]]の和である。1つ前は[[21]]、次は[[41]]。 * [[各位の和]]が6になる4番目の数である。1つ前は[[24]]、次は[[42]]。 *各位の[[平方和]]が18になる最小の数である。次は[[114]]。({{OEIS|A003132}}) ** 各位の平方和が ''n'' になる最小の数である。1つ前の17は[[14]]、次の19は[[133]]。({{OEIS|A055016}}) *各位の[[立方和]]が54になる最小の数である。次は[[303]]。({{OEIS|A055012}}) ** 各位の立方和が ''n'' になる最小の数である。1つ前の53は112223、次の55は[[133]]。({{OEIS|A165370}}) * 各位の積が9になる3番目の数である。1つ前は[[19]]、次は[[91]]。({{OEIS|A034056}}) * [[九九]]で表せない(登場しない)3の倍数のうち最小の数。 * 3番目の[[完全数]][[496]]の異なる[[素因数]]の和が33である。1つ前は[[9]]、次は[[129]]。({{OEIS|A239546}}) *33 = 1{{sup|2}} + 4{{sup|2}} + 4{{sup|2}} = 2{{sup|2}} + 2{{sup|2}} + 5{{sup|2}} ** 3つの[[平方数]]の和2通りで表せる2番目の数である。1つ前は[[27]]、次は[[38]]。({{OEIS|A025322}}) *33 = 8866128975287528<sup>3</sup> + (–8778405442862239)<sup>3</sup> + (–2736111468807040)<sup>3</sup> ** 「[[3つの立方数の和]]1通りで表せる100以下の整数のうち、組み合わせが見つかっていない数」だったが、2019年に英[[ブリストル大学]]のアンドリュー・ブッカー教授がスーパーコンピュータを使用した探索により発見した。 * ''n'' = 33 のときの ''n''! &minus; 1 で表せる 33[[階乗|!]] &minus; 1 は9番目の[[階乗素数]]である。1つ前は[[32]]、次は[[38]]。({{OEIS|A002982}}) * 10番目の[[幸運数]]である。1つ前は31、次は[[37]]。 ** [[累乗数]]はもちろん1にもなり得ない7番目の幸運数である。1つ前は31、次は37。 * 桁の[[調和平均]]が3になる3番目の数である。1つ前は[[26]]、次は[[62]]。({{OEIS|A062181}}) *:例.{{sfrac|2|{{sfrac|1|3}} + {{sfrac|1|3}}}} = 3 * 0から10までの数を使って[[分数]] {{sfrac|''p''|''q''}} (''p'' ≦ ''q'', ''q'' ≠ 0) を作るとき[[既約分数]]の数は33個である。1つ前の9までは29個、次の11までは43個。({{OEIS|A005728}}) == その他 33 に関連すること == *純[[太陰暦]](1年=約354日)では、端数部分を除いて、閏による補正を行わないために、毎年11日早まるので、33年で季節が一巡する。 *[[しし座流星群]]は33年周期で大出現する。 *[[イエス・キリスト]]は33歳で処刑されたとされる伝説がある。「イエス・キリストが人間であった期間は33年間であった」という言い方もされる。{{要出典|date=2021年4月}} *年始から数えて33日目に当てはまるのは、[[2月2日]]。 *[[ネブラ・ディスク]]には、32個の星と、月と太陽が表されている。月と太陽を合わせて一つとすれば、32個の星と合わせて33個になる。 *[[フリーメイソン]]のスコティッシュ・ライトの最高階級は33階級。 *[[国際連合の旗]]の[[地球]]は33に分割されている。 *暗殺された[[教皇]][[ヨハネ・パウロ1世]]の在位期間は33日間。 *[[キャソック]]のボタンの数は33個。 *33 は[[標準数]](E6系列)。 *主にロシアで使用されている[[キリル文字]]は33文字。 *[[原子番号]]33番の[[元素]]は[[砒素|ヒ素]] (As)。 *インド発祥の[[インド発祥の宗教|ヴェーダの宗教]]においては、33は聖数とされる。 **{{仮リンク|33神|en|Thirty-three gods}}:『[[リグ・ヴェーダ]]』に登場する[[パンテオン]] **仏教においても同様に、33は聖数。 ***[[忉利天]](三十三天) ***[[観音菩薩]]が33種類に姿を変えるという説をもとに、以下のような寺院がある。 ****[[三十三間堂]]:[[京都市]]の有名[[寺院]]の一つ。 ****[[西国三十三所]]:[[近畿]]と[[岐阜県|岐阜]]に点在する、33軒の有名寺院。 ****[[新西国三十三所]]:同じく、[[近畿]]に点在する、33軒の有名寺院。 ****[[坂東三十三箇所]]:同じく、[[関東]]に点在する、33軒の有名寺院。 *[[漫才コンビ]]の[[ルート33]]。 *[[33分探偵]]は[[堂本剛]]主演の、[[フジテレビジョン|フジテレビ]]の[[テレビドラマ]]。 *[[クラブ33]]は[[ディズニーランド]]にある会員専用[[レストラン]]。 *[[日本]]では、33歳が[[女性]]の大厄とされる。 *第33代[[天皇]]は[[推古天皇]]である。 *[[日本]]の第33代[[内閣総理大臣]]は、[[林銑十郎]]である。 *[[大相撲]]の第33代[[横綱]]は[[武藏山武]]である。 *第33代[[教皇|ローマ教皇]]は[[シルウェステル1世 (ローマ教皇)|シルウェステル1世]](在位:[[314年]][[1月31日]]~[[335年]][[12月31日]])である。 *1[[寸]] = {{sfrac|1|33}} [[メートル|m]] ≒ 3.03 [[センチメートル|cm]]、1[[尺]] = {{sfrac|10|33}} m ≒ 30.3&nbsp;cm *第33代[[周]]王は[[安王 (周)|安王]]である。 *[[易占]]の[[六十四卦]]で第33番目の卦は、[[周易下経三十四卦の一覧#遯|天山遯]]。 *[[クルアーン]]における第33番目の[[スーラ (クルアーン)|スーラ]]は[[部族連合 (クルアーン)|部族連合]]である。 *第33代の[[アメリカ合衆国大統領]]は[[ハリー・S・トルーマン]]である。 *[[アメリカ合衆国]]の33番目の[[州]]は[[オレゴン州]]である。 * JIS X 0401、[[ISO 3166-2:JP]]の[[都道府県コード]]の「33」は[[岡山県]]。 *[[三重テレビ放送]]でかつて使われたロゴマーク(アナログ33chから由来、地上デジタル放送開始以降は社旗のみに使用されている。)。三重テレビ放送の他、[[岩手めんこいテレビ]]、[[福島中央テレビ]]、[[テレビ金沢]]、[[静岡朝日テレビ]]のアナログ親局も33ch。 *[[三十三フィナンシャルグループ]]は[[三重銀行]]と[[第三銀行]]が[[2018年]]の経営統合で発足した[[金融持株会社]]である<ref name="mainichi_20170915">[https://mainichi.jp/articles/20170915/k00/00e/020/254000c 三重銀・第三銀統合 持ち株会社は「三十三FG」]毎日新聞 2017年9月15日付</ref>。また、[[三十三銀行]]は両行の統合により[[2021年]]5月に発足した地方銀行。 *『[[33 (曲)|33]]』は、[[TRICERATOPS]]のシングル。 *『[[33 (T-SQUAREのアルバム)|33]]』は、[[T-SQUARE]]の33枚目のアルバム。 *『[[41 (航空機)|33]]』は、[[MiG|ミグ設計局]]の試作戦闘機『41』の別称。 *「+33」は、[[坂本龍一]]の楽曲。アルバム『[[/04]]』に収録。 *[[地球33番地]] - [[高知県]][[高知市]]にある、北緯33度33分33秒、東経133度33分33秒の地点。 *フランスの国際電話番号は「33」である。 *[[マックス・フェルスタッペン]]が[[フォーミュラ1|F1]]で使用している固定カーナンバーは「33」。 *スペインにある世界遺産[[サグラダ・ファミリア]]教会の内部に合計が33となる以下のような[[魔方陣]]がある([[サグラダ・ファミリアの魔方陣]])。 :{|class="wikitable" style="text-align:center" |1||14||14||4 |- |11||7||6||9 |- |8||10||10||5 |- |13||2||3||15 |} === 33 1/3 === 33+1/3 は100の3分の1に当たる数である。 * [[レコード]] - レコードの回転数は33 1/3 rpm。これらは[[LP盤|ロングプレイ]] (LP、''long play'')として知られている。 * [[33 1/3|『33 1/3』]] (サーティ・スリー・アンド・ワン・サード、''Thirty Three and 1/3'') - [[ジョージ・ハリスン]]の[[アルバム]]。 * [[裸の銃を持つ男|『裸の銃を持つ男 PART 33 1/3 最後の侮辱』]] (''The Naked Gun 33 1/3: The Final Insult'') - [[コメディ映画]]、裸の銃を持つ男シリーズ (''The Naked Gun Series'')の第3弾。 == 符号位置 == {| class="wikitable" style="text-align:center;" !記号!![[Unicode]]!![[JIS X 0213]]!![[文字参照]]!!名称 {{CharCode|12893|325D|1-8-45|CIRCLED DIGIT THIRTY THREE|font=JIS2004フォント}} |} == 脚注 == <references /> == 関連項目 == {{数字2桁|3|- [[昭和33年]] - [[明治33年]]}} * [[3月3日]] * [[三三]] {{自然数}}
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14,523
34
34(三十四、さんじゅうし、さんじゅうよん、みそじあまりよつ)は自然数、また整数において、33の次で35の前の数である。
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34(三十四、さんじゅうし、さんじゅうよん、みそじあまりよつ)は自然数、また整数において、33の次で35の前の数である。
{{整数|Decomposition=2 × 17}} '''34'''('''三十四'''、さんじゅうし、さんじゅうよん、みそじあまりよつ)は[[自然数]]、また[[整数]]において、[[33]]の次で[[35]]の前の数である。 == 性質 == * 34は[[合成数]]であり、正の[[約数]]は [[1]], [[2]], [[17]], 34 である。 ** [[約数]]の和は[[54]]。 ** [[約数]]の個数が3連続([[33]],34,[[35]])で同じになる最小の中央の数である。次は[[86]]。 * 34 = 2 × 17 ** 12番目の[[半素数]]である。1つ前は[[33]]、次は[[35]]。 ** ''n'' = 1 のときの 17 × 2{{sup|''n''}} の値とみたとき1つ前は[[17]]、次は[[68]]。({{OEIS|A110287}}) * {{sfrac|1|34}} = 0.0{{underline|2941176470588235}}… (下線部は循環節で長さは16) ** [[逆数]]が[[循環小数]]になる数で[[循環節]]が16になる2番目の数である。1つ前は[[17]]、次は[[51]]。 * 9番目の[[フィボナッチ数]]である。1つ前は[[21]]、次は[[55]]。 ** 2番目の半素数のフィボナッチ数である。1つ前は[[21]]、次は[[55]]。({{OEIS|A053409}}) *** 偶数の半素数かつフィボナッチ数である唯一の数である。 * 4番目の七角数である。4(5 × 4 &minus; 3) / 2 = 34。1つ前は[[18]]、次は[[55]]。 * 34 = {{sfrac|4 × (4{{sup|2}} + 1)|2}} ** ''n'' = 4 のときの {{sfrac|''n''(''n''{{sup|2}} + 1)|2}} の値とみたとき1つ前は[[15]]、次は[[65]]。 ** 4 × 4 の[[魔方陣]]の1列の和は 34 である。 1 から 16 (= 4{{sup|2}}) までの整数の和は [[136]] でありそれを4で割ると1列あたり 34 になる。 ::{|class="wikitable" style="text-align:center" |16||3||2||13 |- |5||10||11||8 |- |9||6||7||12 |- |4||15||14||1 |} * 34 = [[6]] + [[28]] ** 最初から2番目までの[[完全数]] [[6]] と [[28]] の和で表せる数である。[[完全数]]の総和と考えると次は[[530]]。 ** 異なる[[完全数]]の和で表せる数とみたとき1つ前は[[28]]、次は[[496]]。({{OEIS|A185351}}) ** 数列 2{{sup|''n''&minus;1}}(2{{sup|''n''}} &minus; 1) において隣りあう2項の和とみたとき1つ前は[[7]]、次は[[148]]。({{OEIS|A080960}}) * [[各位の和]]が7になる4番目の数である。1つ前は[[25]]、次は[[43]]。 * 各位の[[平方和]]が[[平方数]]になる13番目の数である。1つ前は[[30]]、次は[[40]]。({{OEIS|A175396}}) *: 3{{sup|2}} + 4{{sup|2}} = 25 = 5{{sup|2}} * 各位の[[立方和]]が91になる最小の数である。次は[[43]]。({{OEIS|A055012}}) ** 各位の立方和が ''n'' になる最小の数である。1つ前の90は12333、次の92は[[134]]。({{OEIS|A165370}}) * 連続[[自然数]]を昇順に並べてできる3番目の数である。1つ前は[[23]]、次は[[45]]。(参照{{OEIS|A035333}}) * 正34角形は[[定規とコンパスによる作図|定規とコンパスのみで作図]]できる15番目の[[正多角形]]である。1つ前は正[[32]]角形、次は正[[40]]角形。({{OEIS|A003401}}) * [[偶数]]の3番目の[[ノントーティエント]]である。1つ前は[[26]]、次は[[38]]。 * 2つの[[素数]]の和4通りで表せる最小の数である。次は[[36]]。({{OEIS|A067190}})<br>34 = [[3]] + [[31]] = [[5]] + [[29]] = [[11]] + [[23]] = [[17]] + [[17]] ** 2つの素数の和 ''n'' 通りで表せる最小の数である。1つ前の3通りは[[22]]、次の5通りは[[48]]。({{OEIS|A023036}}) * 34 = 3{{sup|2}} + 5{{sup|2}} ** 異なる2つの[[平方数]]の和で表せる9番目の数である。1つ前は[[29]]、次は[[37]]。({{OEIS|A004431}}) ** ''n'' = 2 のときの 3{{sup|''n''}} + 5{{sup|''n''}} の値とみたとき1つ前は[[8]]、次は[[152]]。({{OEIS|A074606}}) * 34 = 3{{sup|2}} + 3{{sup|2}} + 4{{sup|2}} ** 3つの[[平方数]]の和1通りで表せる16番目の数である。1つ前は[[30]]、次は[[35]]。({{OEIS|A025321}}) * 34 = (1 + 2 + 3 + 4) + (1 × 2 × 3 × 4) 。この形の1つ前は[[12]]、次は[[135]]。({{OEIS|A101292}}) * 34 = 6{{sup|2}} &minus; 2 ** ''n'' = 2 のときの 6{{sup|''n''}} &minus; ''n'' の値とみたとき1つ前は[[5]]、次は[[213]]。({{OEIS|A024063}}) * 6番目の[[マルコフ数]]である。1つ前は[[29]]、次は[[89]]。 ** 1{{sup|2}} + 13{{sup|2}} + 34{{sup|2}} = 3 × 1 × 13 × 34 * ''n'' = 34 のとき ''n'' と ''n'' &minus; 1 を並べた数を作ると[[素数]]になる。''n'' と ''n'' &minus; 1 を並べた数が素数になる5番目の数である。1つ前は[[24]]、次は[[42]]。({{OEIS|A054211}}) * 34 = 0! + 1! + 2! + 3! + 4! ** 0からの連続[[階乗]]和とみたとき1つ前は[[10]]、次は[[154]]。({{OEIS|A003422}}) == その他 34 に関連すること == * [[日本ニュースネットワーク|NNN系列]]の[[宮城テレビ放送|ミヤギテレビ]]、[[オールニッポン・ニュースネットワーク|ANN系列]]の[[青森朝日放送]]、[[フジニュースネットワーク|FNN系列]]の[[富山テレビ放送|富山テレビ]]・[[山陰中央テレビジョン放送|山陰中央テレビ]]・[[テレビ熊本|テレビくまもと]]、[[全国独立UHF放送協議会|独立UHF局]]の[[京都放送|KBS京都]]の[[ガイドチャンネル]]。 * [[原子番号]] 34 の[[元素]]は[[セレン]] (Se) * [[スペイン]]への[[国際電話番号]] * [[麻雀]]の牌の種類(萬子・筒子・索子各9種と字牌7種(3元牌+4風牌)) * [[年始]]から数えて34日目は[[2月3日]]。通称[[節分]]。[[豆まき]]や[[恵方巻き]]を食べる習慣がある。 * [[日本]]の34代目の[[内閣総理大臣]]は、[[近衛文麿]]。 * [[大相撲]]の第34代[[横綱]]は[[男女ノ川登三]]である。 * [[日本プロ野球|プロ野球]]・[[読売ジャイアンツ]]の背番号34は[[金田正一]]投手の[[野球界の永久欠番|永久欠番]] ** 金田は国鉄スワローズ(現・[[東京ヤクルトスワローズ]])でも背番号34を付けていたが、こちらでは永久欠番とはなっていない。 * [[ロードレース世界選手権]]における[[ケビン・シュワンツ]]の[[永久欠番]]。 * 第34代[[周]]王は[[烈王 (周)|烈王]]である。 * 第34代[[教皇|ローマ教皇]]は[[マルクス (ローマ教皇)|マルクス]](在位:[[336年]][[1月18日]] - [[10月7日]])である。 * [[易占]]の[[六十四卦]]で第34番目の卦は、[[周易下経三十四卦の一覧#大壮|雷天大壮]]。 * [[クルアーン]]における第34番目の[[スーラ (クルアーン)|スーラ]]は[[サバア (クルアーン)|サバア]]である。 * [[アメリカ合衆国]]の34番目の[[州]]は[[カンザス州]]である。 * JIS X 0401、[[ISO 3166-2:JP]]の[[都道府県コード]]の「34」は[[広島県]]。 * [[T-34]] は、[[第二次世界大戦]]から[[冷戦時代]]に掛けて[[ソビエト連邦]]を中心に使用された[[中戦車]]である。 * [[ティレル・P34]]は、[[フォーミュラ1|F1コンストラクター]]の[[ティレル]]が製作した[[フォーミュラ1カー]]である。 == 符号位置 == {| class="wikitable" style="text-align:center;" !記号!![[Unicode]]!![[JIS X 0213]]!![[文字参照]]!!名称 {{CharCode|12894|325E|1-8-46|CIRCLED DIGIT THIRTY FOUR|font=JIS2004フォント}} |} == 関連項目 == {{数字2桁|3|- [[昭和34年]] [[明治34年]]}} {{自然数}}
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585年
585年(585 ねん)は、西暦(ユリウス暦)による、平年。
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585年は、西暦(ユリウス暦)による、平年。
{{年代ナビ|585}} {{year-definition|585}} == 他の紀年法 == {{他の紀年法}} * [[干支]] : [[乙巳]] * [[元号一覧 (日本)|日本]] ** [[敏達天皇]]14年 ** [[神武天皇即位紀元|皇紀]]1245年 * [[元号一覧 (中国)|中国]] ** [[陳 (南朝)|陳]] : [[至徳 (陳)|至徳]]3年 ** [[後梁 (南朝)|後梁]] : [[天保 (南朝後梁)|天保]]24年 ** [[隋]] : [[開皇]]5年 * 中国周辺 ** [[高昌]] : [[延昌 (高昌)|延昌]]25年 * [[元号一覧 (朝鮮)|朝鮮]] ** [[高句麗]] : [[平原王]]27年 ** [[百済]] : [[威徳王 (百済)|威徳王]]32年 ** [[新羅]] : (王)[[真平王]]7年、(元号)[[建福 (新羅)|建福]]2年 ** [[檀君紀元|檀紀]]2918年 * [[仏滅紀元]] : 1128年 * [[ユダヤ暦]] : 4345年 - 4346年 {{Clear}} == カレンダー == {{年間カレンダー|年=585|Type=J|表題=可視}} == できごと == * [[4月5日]](敏達天皇14年3月1日) - 仏教排斥を唱える物部守屋が、疫病の流行が原因が仏教崇拝にあると奏上。 * [[10月3日]](敏達天皇14年[[9月5日 (旧暦)|9月5日]]) - 第31代[[天皇]]・[[用明天皇]]が即位。 * [[後梁 (南朝)|後梁]]の[[蕭琮|後主]]が即位。 * [[イベリア半島]]西北部の[[スエビ族|スエビ王国]]が、[[西ゴート王国]]に滅ぼされる。 == 誕生 == {{see also|Category:585年生}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[杜如晦]]、[[唐]]の政治家(+ [[630年]]) == 死去 == {{see also|Category:585年没}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[9月14日]](敏達天皇14年[[8月15日 (旧暦)|8月15日]]) - [[敏達天皇]]、第30代天皇(* [[538年]]?) * [[蕭巋|明帝]]、[[南北朝時代 (中国)|南北朝時代]]の[[後梁 (南朝)|後梁]]の第2代皇帝(* [[542年]]) == 脚注 == '''注釈''' {{Reflist|group="注"}} '''出典''' {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} <!-- == 参考文献 == --> == 関連項目 == {{Commonscat|585}} * [[年の一覧]] * [[年表]] * [[年表一覧]] <!-- == 外部リンク == --> {{十年紀と各年|世紀=6|年代=500}} {{デフォルトソート:585ねん}} [[Category:585年|*]]
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593年
593年(593 ねん)は、西暦(ユリウス暦)による、平年。
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624年
624年(624 ねん)は、西暦(ユリウス暦)による、閏年。
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624年は、西暦(ユリウス暦)による、閏年。
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603年
603年(603 ねん)は、西暦(ユリウス暦)による、平年。
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603年は、西暦(ユリウス暦)による、平年。
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607年
607年(607 ねん)は、西暦(ユリウス暦)による、平年。
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607年は、西暦(ユリウス暦)による、平年。
{{年代ナビ|607}} {{year-definition|607}} == 他の紀年法 == * [[干支]] : [[丁卯]] * [[日本]] ** [[推古天皇]]15年 ** [[皇紀]]1267年 * [[中国]] ** [[隋]] : [[大業]]3年 * [[朝鮮]] ** [[高句麗]]:[[嬰陽王]]18年 ** [[百済]]:[[武王 (百済)|武王]]8年 ** [[新羅]]:(王)[[真平王]]29年、(元号)[[建福 (新羅)|建福]]24年 ** [[檀紀]]2940年 * [[ベトナム]] : * [[仏滅紀元]] : * [[ユダヤ暦]] : {{Clear}} == カレンダー == {{年間カレンダー|年=607|Type=J|表題=可視}} == できごと == * [[3月]]、[[ハレー彗星]]が[[日本]]などで観測される。 * [[法隆寺]]を創建 * 推古天皇15年7月3日 - [[小野妹子]]らを[[隋]]に派遣(=[[遣隋使]])。[[国書]]に「日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す、恙無きや」と記し[[煬帝]]が激怒。 == 誕生 == {{see also|Category:607年生}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[楊杲]]、[[中国]]の[[隋]]の[[煬帝]]の三男(+ [[618年]]) == 死去 == {{see also|Category:607年没}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[11月12日]] - [[ボニファティウス3世 (ローマ教皇)|ボニファティウス3世]]、第66代目[[ローマ教皇]](* 生年未詳) * [[楊弘 (河間王)|楊弘]]、[[中国]]の[[隋]]の[[皇族]](* 生年未詳) == 脚注 == '''注釈''' {{Reflist|group="注"}} '''出典''' {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} <!-- == 参考文献 == --> == 関連項目 == {{Commonscat|607}} * [[年の一覧]] * [[年表]] * [[年表一覧]] <!-- == 外部リンク == --> {{十年紀と各年|世紀=7|年代=600}} {{デフォルトソート:607ねん}} [[Category:607年|*]]
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620年
620年(620 ねん)は、西暦(ユリウス暦)による、閏年。
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620年は、西暦(ユリウス暦)による、閏年。
{{年代ナビ|620}} {{year-definition|620}} == 他の紀年法 == * [[干支]] : [[庚辰]] * [[日本]] ** [[推古天皇]]28年 ** [[皇紀]]1280年 * [[中国]] ** [[唐]] : [[武徳]]3年 * [[朝鮮]] ** [[高句麗]]:[[栄留王]]3年 ** [[百済]]:[[武王 (百済)|武王]]21年 ** [[新羅]]:(王)[[真平王]]42年、(元号)[[建福 (新羅)|建福]]37年 ** [[檀紀]]2953年 * [[ベトナム]] : * [[仏滅紀元]] : * [[ユダヤ暦]] : {{Clear}} == カレンダー == {{年間カレンダー|年=620|Type=J|表題=可視}} == できごと == * [[聖徳太子]]と[[蘇我馬子]]が「[[天皇記]]」「[[国記]]」「[[臣連伴造国造百八十部并公民等本記]]」を著す。 * [[東ローマ帝国|東ローマ(ビザンティン)帝国]]の公用語が[[ラテン語]]から[[ギリシア語]]に変わる。 * [[12月30日]] - [[日本書紀]]に赤気([[オーロラ (代表的なトピック)|オーロラ]])の観測記録が残っている。 == 誕生 == {{see also|Category:620年生}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> == 死去 == {{see also|Category:620年没}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[劉季真]]、中国の[[隋]]代、[[唐]]代の群雄 (* 生年未詳) == 脚注 == '''注釈''' {{Reflist|group="注"}} '''出典''' {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} <!-- == 参考文献 == --> == 関連項目 == {{Commonscat|620}} * [[年の一覧]] * [[年表]] * [[年表一覧]] <!-- == 外部リンク == --> {{十年紀と各年|世紀=7|年代=600}} {{デフォルトソート:620ねん}} [[Category:620年|*]]
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バター茶
バター茶(バターちゃ、中国語: 酥油茶〈スーヨウチャー、拼音: sūyóuchá〉)は、主にチベット、ブータンを中心としたアジア中央部の遊牧民族や住民が日常飲んでいる茶飲料。ヤクの乳脂肪、塩を加えるため、塩バター茶とも言われる。チベット語ではプージャ(チベット文字:བོད་ཇ་; ワイリー方式:bod ja)、ラダック(インド)ではグルグル・チャ、ブータンではスージャ(suja)と呼ばれる。 チベット人の生活には欠かせない飲料である。味噌汁や海草スープに近い塩味があるので、飲み慣れていない外国人には好みが分かれる。 遊牧民族の住む海抜の高い草原では茶の木は育たないため、全量を中国から輸入している。遊牧に際して携行するために、可搬性に優れた黒茶を固めた磚茶(団茶)を淹れ、固形化したヤクの乳から作られたギーであるヤクバターと岩塩を加え、ドンモ(wikidata)(チベット文字:མདོང་མོ; ワイリー方式:mdong mo)と呼ばれる専用の攪拌器具を使って、脂肪分を分散させて供する。主に女性が行ってきたドンモでの肉体労働を嫌って、ラサなどの都市部では、電動ミキサーを使うこともある。 乾燥した気候で失われがちな水分、脂肪分、熱量と塩分を効率的に補給することができ、暖も取れるため、チベットではよく飲まれている。朝から夜まで少なくとも一日10回ほどは飲まれ、多い人は日に5リットルも飲む場合がある。飲む時に唇に脂肪が付くため、リップクリームのようにひび割れを防ぐ効果もある。チベット人で英国に渡ったリンチェン・ハモは著書『私のチベット』で、バターは油分の多い紅茶用のクリームと同じと書いている。 バター茶は客人をもてなすのには欠かせないものであり、来客があれば主人が何杯も勧める。飲み終わるとまた注がれるので、客は飲みたいだけ飲めば良いが、不要であれば碗に残しておけばよい。 輸入品である茶葉は、大きな薬缶で何度もじっくり煮出し、暖めなおして徹底的に使われる。もともと発酵が進み、熟成された黒茶を使うが、量は少ないので、茶水の色は褐色である。一方、ギーや塩は後から飲む分に応じて都度加え、攪拌されるので、暖かい状態で飲むことが出来る。また、ギー、塩を加えたものを保温して、あるいは暖めなおして飲むこともある。 直接飲用にする以外に、チベット人の主食であるツァンパを練るのにも使う。 モンゴルではツァイと呼ばれる乳茶にバターを入れて飲む。 じっくり火にかけて煮出すため、茶葉と水の比率は重量比で1:100程度と少量を用いる。これは雲南省や香港で黒茶を飲む際の比率よりもかなり少ない。 四川省、雲南省のチベット民族の官能評価で、塩の比率は重量比で0.4%以下が好まれる。ギーの比率は茶葉と同程度で良いが、多少多くても風味に大きな影響はない。 チベットのナクチュ県などでの健康調査で、磚茶由来のフッ素過剰摂取が歯のフッ素症などの健康障害の原因となっていることが判明した。同県では児童の歯のフッ素症の罹患率が80%を超えており、内、重度の者も40%を超える。アメリカの1日当たり推奨許容摂取量(RDA)2.5mgと比較すると同県では3.77倍を摂取していることになるが、この来源の約85%がバター茶、約15%がツァンパであった。ナクチュ県の水に含有するフッ素は0.01mg/100g程度に過ぎないため、磚茶由来と判断された。他の食品の摂取自体が少ないということもあるが、小麦粉、肉類、野菜を相対的に多く食べるラサ市の児童でも、これらからのフッ素摂取は1%程度に過ぎない。バター茶100mg当たりのフッ素含量は0.3mg程度のため、毎日1リットル以上を飲む生活を続けなければ、健康に問題がでる訳ではない。 茶自体は10世紀以前からチベットに持ち込まれていた証拠があるが、実際には13世紀のサキャ派時代あるいは14世紀のパクモドゥ派時代に至るまで普及はしていなかったと見られる。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "バター茶(バターちゃ、中国語: 酥油茶〈スーヨウチャー、拼音: sūyóuchá〉)は、主にチベット、ブータンを中心としたアジア中央部の遊牧民族や住民が日常飲んでいる茶飲料。ヤクの乳脂肪、塩を加えるため、塩バター茶とも言われる。チベット語ではプージャ(チベット文字:བོད་ཇ་; ワイリー方式:bod ja)、ラダック(インド)ではグルグル・チャ、ブータンではスージャ(suja)と呼ばれる。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "チベット人の生活には欠かせない飲料である。味噌汁や海草スープに近い塩味があるので、飲み慣れていない外国人には好みが分かれる。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "遊牧民族の住む海抜の高い草原では茶の木は育たないため、全量を中国から輸入している。遊牧に際して携行するために、可搬性に優れた黒茶を固めた磚茶(団茶)を淹れ、固形化したヤクの乳から作られたギーであるヤクバターと岩塩を加え、ドンモ(wikidata)(チベット文字:མདོང་མོ; ワイリー方式:mdong mo)と呼ばれる専用の攪拌器具を使って、脂肪分を分散させて供する。主に女性が行ってきたドンモでの肉体労働を嫌って、ラサなどの都市部では、電動ミキサーを使うこともある。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "乾燥した気候で失われがちな水分、脂肪分、熱量と塩分を効率的に補給することができ、暖も取れるため、チベットではよく飲まれている。朝から夜まで少なくとも一日10回ほどは飲まれ、多い人は日に5リットルも飲む場合がある。飲む時に唇に脂肪が付くため、リップクリームのようにひび割れを防ぐ効果もある。チベット人で英国に渡ったリンチェン・ハモは著書『私のチベット』で、バターは油分の多い紅茶用のクリームと同じと書いている。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "バター茶は客人をもてなすのには欠かせないものであり、来客があれば主人が何杯も勧める。飲み終わるとまた注がれるので、客は飲みたいだけ飲めば良いが、不要であれば碗に残しておけばよい。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "輸入品である茶葉は、大きな薬缶で何度もじっくり煮出し、暖めなおして徹底的に使われる。もともと発酵が進み、熟成された黒茶を使うが、量は少ないので、茶水の色は褐色である。一方、ギーや塩は後から飲む分に応じて都度加え、攪拌されるので、暖かい状態で飲むことが出来る。また、ギー、塩を加えたものを保温して、あるいは暖めなおして飲むこともある。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "直接飲用にする以外に、チベット人の主食であるツァンパを練るのにも使う。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "モンゴルではツァイと呼ばれる乳茶にバターを入れて飲む。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "じっくり火にかけて煮出すため、茶葉と水の比率は重量比で1:100程度と少量を用いる。これは雲南省や香港で黒茶を飲む際の比率よりもかなり少ない。", "title": "配合" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "四川省、雲南省のチベット民族の官能評価で、塩の比率は重量比で0.4%以下が好まれる。ギーの比率は茶葉と同程度で良いが、多少多くても風味に大きな影響はない。", "title": "配合" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "チベットのナクチュ県などでの健康調査で、磚茶由来のフッ素過剰摂取が歯のフッ素症などの健康障害の原因となっていることが判明した。同県では児童の歯のフッ素症の罹患率が80%を超えており、内、重度の者も40%を超える。アメリカの1日当たり推奨許容摂取量(RDA)2.5mgと比較すると同県では3.77倍を摂取していることになるが、この来源の約85%がバター茶、約15%がツァンパであった。ナクチュ県の水に含有するフッ素は0.01mg/100g程度に過ぎないため、磚茶由来と判断された。他の食品の摂取自体が少ないということもあるが、小麦粉、肉類、野菜を相対的に多く食べるラサ市の児童でも、これらからのフッ素摂取は1%程度に過ぎない。バター茶100mg当たりのフッ素含量は0.3mg程度のため、毎日1リットル以上を飲む生活を続けなければ、健康に問題がでる訳ではない。", "title": "健康問題" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "茶自体は10世紀以前からチベットに持ち込まれていた証拠があるが、実際には13世紀のサキャ派時代あるいは14世紀のパクモドゥ派時代に至るまで普及はしていなかったと見られる。", "title": "歴史" } ]
バター茶は、主にチベット、ブータンを中心としたアジア中央部の遊牧民族や住民が日常飲んでいる茶飲料。ヤクの乳脂肪、塩を加えるため、塩バター茶とも言われる。チベット語ではプージャ、ラダック(インド)ではグルグル・チャ、ブータンではスージャ(suja)と呼ばれる。
[[ファイル:Butter tea 20120622.jpg|thumb|220px|碗に注いだバター茶]] {{栄養価/ナトリウム量未確認 | name=バター茶(浸出液)<ref name="nongda">呂才有、刘勤晋、「酥油茶风味品质及营养成份研究」『云南农业大学学报』Vol.11 No.1 pp.20-24、1996年、云南农业大学</ref>| kJ= 52.75 | water= 97.9 g| protein= 0.13 g| fat= 1.16 g| carbs= 0.42 g| sodium_mg= | potassium_mg= | calcium_mg= | magnesium_mg= 0.18 | phosphorus_mg= | iron_mg= 0.017 | zinc_mg= 0.003 | copper_mg= 0.0001 | Manganese_mg= 0.0077 | fluoride_mg = 0.3 | betacarotene_ug=| vitA_ug = 8.6 | vitD_ug= | vitK_ug= | thiamin_mg= | riboflavin_mg= | niacin_mg= | vitB6_mg= | vitB12_ug= | folate_ug= | pantothenic_mg= | vitC_mg= 0.16 | satfat= | monofat = | polyfat = | fiber= |vitE_mg= 0.22 |opt1n =[[カフェイン]]| opt1v =8.85 mg| opt2n =総[[カテキン]]| opt2v =25.8 mg| opt3n =総[[ポリフェノール]]| opt3v = 96.78 mg||opt4n =[[没食子酸]]| opt4v =4.35 mg| right=1 }} '''バター茶'''(バターちゃ、{{Lang-zh|'''酥油茶'''}}〈スーヨウチャー、{{ピンイン|sūyóuchá}}〉)は、主に[[チベット]]、[[ブータン]]を中心とした[[アジア]]中央部の[[遊牧民|遊牧民族]]や住民が日常飲んでいる[[茶]]飲料。[[ヤク]]の乳脂肪、[[塩]]を加えるため、'''塩バター茶'''とも言われる。[[チベット語]]では'''プージャ'''({{bo|t=བོད་ཇ་|w=bod ja}})、[[ラダック]]([[インド]])では'''グルグル・チャ'''、[[ブータン]]では'''スージャ'''(suja)と呼ばれる。 == 概要 == [[ファイル:Butter tea churns, Sera, Tibet.JPG|thumb|left|180px|バター茶を攪拌するためのドンモ]] [[ファイル:Monk churning butter tea.JPG|180px|thumb|ドンモを用いてプージャを淹れるチベット僧]] [[ファイル:Monk in Tashilhunpo3.jpg|thumb|180px|バター茶を注ぐ[[タシルンポ寺]]のチベット僧]] [[チベット人]]の生活には欠かせない飲料である。[[味噌汁]]や[[海草]][[スープ]]<ref name="nongda"/>に近い塩味があるので、飲み慣れていない外国人には好みが分かれる。 遊牧民族の住む[[海抜]]の高い[[草原]]では[[チャノキ|茶の木]]は育たないため、全量を[[中華人民共和国|中国]]から輸入している。遊牧に際して携行するために、可搬性に優れた[[黒茶]]を固めた[[磚茶]]([[団茶]])<ref>{{Cite journal|和書 |author=光永俊郎 |authorlink= |year=2011 |month=1 |title=嗜オオムギについてⅤ-歴史・文化・科学・利用 |journal=FFIジャーナル |volume=216 |issue=1 |pages=65 |publisher=日本食品化学研究振興財団 }}</ref><ref>{{Cite web|和書|title=第68回 捏ねて楽しいチベット族の国民食(2ページ目)|url=https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/web/15/352321/061200030/?P=2|accessdate=2019-07-02|language=ja|work=ナショナルジオグラフィック日本版|publisher=[[ナショナルジオグラフィック]]|author=中川明紀}}</ref>を淹れ、固形化した[[ヤク]]の[[乳]]から作られた[[ギー]]<ref>{{Cite journal|和書 |author=光永俊郎 |authorlink= |year=2011 |month=1 |title=嗜オオムギについてⅤ-歴史・文化・科学・利用 |journal=FFIジャーナル |volume=216 |issue=1 |pages=64 |publisher=日本食品化学研究振興財団 }}</ref>である[[ヤクバター]]と[[岩塩]]を加え、'''{{仮リンク|ドンモ|wikidata|Q48637095|preserve=1}}'''({{bo|t=[[wiktionary:མདོང་མོ|མདོང་མོ]]|w=mdong mo}})と呼ばれる専用の[[攪拌]]器具を使って、脂肪分を分散させて供する。主に女性が行ってきた'''ドンモ'''での肉体労働を嫌って、[[ラサ]]などの都市部では、[[ミキサー (調理器具)|電動ミキサー]]を使うこともある。 乾燥した気候で失われがちな水分、[[脂肪]]分、熱量と塩分を効率的に補給することができ、暖も取れるため、チベットではよく飲まれている。朝から夜まで少なくとも一日10回ほどは飲まれ、多い人は日に5[[リットル]]も飲む場合がある<ref name="nongda"/>。飲む時に唇に脂肪が付くため、[[リップクリーム]]のようにひび割れを防ぐ効果もある<ref>Mayhew, Bradley and Kohn, Michael. (2005) ''Tibet''. 6th edition, p. 75. ISBN 1-74059-523-8.</ref>。チベット人で[[イギリス|英国]]に渡ったリンチェン・ハモは著書『私のチベット』で、バターは油分の多い[[紅茶]]用のクリームと同じと書いている。 バター茶は客人をもてなすのには欠かせないものであり、来客があれば主人が何杯も勧める。飲み終わるとまた注がれるので、客は飲みたいだけ飲めば良いが、不要であれば碗に残しておけばよい。 輸入品である茶葉は、大きな薬缶で何度もじっくり煮出し、暖めなおして徹底的に使われる。もともと[[発酵]]が進み、熟成された[[黒茶]]を使うが、量は少ないので、茶水の色は褐色である。一方、ギーや塩は後から飲む分に応じて都度加え、攪拌されるので、暖かい状態で飲むことが出来る。また、ギー、塩を加えたものを保温して、あるいは暖めなおして飲むこともある。 直接飲用にする以外に、[[チベット民族|チベット人]]の主食である[[ツァンパ]]を練るのにも使う。 [[モンゴル]]では[[ツァイ]]と呼ばれる乳茶に[[バター]]を入れて飲む。 == 配合 == じっくり火にかけて煮出すため、茶葉と水の比率は重量比で1:100程度と少量を用いる<ref name="nongda"/>。これは雲南省や香港で黒茶を飲む際の比率よりもかなり少ない。 [[四川省]]、[[雲南省]]のチベット民族の官能評価で、塩の比率は重量比で0.4%以下が好まれる<ref name="nongda"/>。ギーの比率は茶葉と同程度で良いが、多少多くても風味に大きな影響はない<ref name="nongda"/>。 == 健康問題 == チベットの[[ナクチュ県]]などでの健康調査で、[[団茶|磚茶]]由来の[[フッ素]]過剰摂取が[[歯のフッ素症]]などの健康障害の原因となっていることが判明した<ref name="huanke">曹进、赵燕、刘箭卫、「西藏的环境氟水平与砖茶型氟中毒」『环境科学』vol.23 no.6 pp97-100, 2002, 北京、中国科学院生态环境研究中心</ref>。同県では児童の歯のフッ素症の罹患率が80%を超えており、内、重度の者も40%を超える<ref name="huanke"/>。[[アメリカ合衆国|アメリカ]]の1日当たり推奨許容摂取量([[:en:Dietary Reference Intake|RDA]])2.5mgと比較すると同県では3.77倍を摂取していることになるが、この来源の約85%がバター茶、約15%が[[ツァンパ]]であった。ナクチュ県の水に含有するフッ素は0.01mg/100g程度に過ぎないため、磚茶由来と判断された。他の食品の摂取自体が少ないということもあるが、小麦粉、肉類、野菜を相対的に多く食べる[[ラサ市]]の児童でも、これらからのフッ素摂取は1%程度に過ぎない<ref name="huanke"/>。バター茶100mg当たりのフッ素含量は0.3mg程度のため、毎日1リットル以上を飲む生活を続けなければ、健康に問題がでる訳ではない。 == 歴史 == 茶自体は[[10世紀]]以前からチベットに持ち込まれていた証拠があるが、実際には13世紀の[[チベットの歴史#中世|サキャ派時代]]あるいは14世紀の[[チベットの歴史#中世|パクモドゥ派時代]]に至るまで普及はしていなかったと見られる。 == 脚注 == <references /> {{茶}} {{DEFAULTSORT:はたあちや}} [[Category:茶]] [[Category:バター]] [[Category:喫茶文化]] [[Category:チベットの食文化]]
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810年
810年(810 ねん)は、西暦(ユリウス暦)による、平年。
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810年は、西暦(ユリウス暦)による、平年。
{{年代ナビ|810}} {{year-definition|810}} == 他の紀年法 == * [[干支]] : [[庚寅]] * [[日本]] ** [[大同 (日本)|大同]]5年、[[弘仁]]元年 ** [[皇紀]]1470年 * [[中国]] ** [[唐]] : [[元和 (唐)|元和]]5年 * [[朝鮮]] : * [[ベトナム]] : * [[仏滅紀元]] : * [[ユダヤ暦]] : {{Clear}} == カレンダー == {{年間カレンダー|年=810|Type=J|表題=可視}} == できごと == * 3月 - [[令外官]]として[[蔵人頭]]を新設し、[[藤原冬嗣]]・[[巨勢野足]]が頭に任命される。 * 9月 - [[藤原薬子]]・[[藤原仲成|仲成]]ら、平城上皇に政権を戻そうと謀って露見し、捕らえられる。上皇は出家し、皇太子[[高岳親王]]は廃される([[薬子の変]])。 * [[10月14日]](大同5年[[9月13日 (旧暦)|9月13日]]) - 大伴王(後の第53代[[天皇]]・[[淳和天皇]])が[[立太子]]。 == 誕生 == {{see also|Category:810年生}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[アッバース・イブン・フィルナス]]、[[後ウマイヤ朝]]の[[学者]](+ [[887年]]) * [[ケネス1世 (スコットランド王)|ケネス1世]]、[[ピクト人]]の王、[[ダルリアダ王国]]、[[アルバ王国]]の国王(+ [[858年]]) * [[ジラール・ド・ルシヨン]]、[[ブルゴーニュ]]の族長(+ 877年?/879年?) * [[宣宗 (唐)|宣宗]]、[[中国]]の[[唐]]の第19代[[皇帝]](+ [[859年]]) * [[仁明天皇]]、第54代[[天皇]](+ [[850年]]) * [[藤原氏宗]]、[[平安時代]]の[[公卿]]、政治家(+ [[872年]]) * [[正子内親王 (嵯峨天皇皇女)|正子内親王]]、[[嵯峨天皇]]の皇女(+ [[879年]]) * [[源潔姫]]、嵯峨天皇の皇女(+ [[856年]]) * [[源信 (公卿)|源信]]、平安時代の公卿、初代[[源氏長者]](+ [[869年]]) * [[ムハンマド・アル=ブハーリー]]、[[スンナ派]]の[[ハディース]]学者、[[シャリーア|イスラム法学者]](+ [[870年]]) == 死去 == {{see also|Category:810年没}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[ゴズフレズ (デンマーク王)|ゴズフレズ]]、[[デンマーク王]](* 生年未詳) * [[10月16日]](大同5年[[9月11日 (旧暦)|9月11日]]) - [[藤原仲成]]、平安時代の[[公卿]](* [[774年]]) * [[10月17日]](大同5年[[9月12日 (旧暦)|9月12日]]) - [[藤原薬子]]、[[平安時代]]の[[女官]](* 生年未詳) == 脚注 == '''注釈''' {{Reflist|group="注"}} '''出典''' {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} <!-- == 参考文献 == --> == 関連項目 == {{Commonscat|810}} * [[年の一覧]] * [[年表]] * [[年表一覧]] <!-- == 外部リンク == --> {{十年紀と各年|世紀=9|年代=800}} {{デフォルトソート:810ねん}} [[Category:810年|*]]
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868年
868年(868 ねん)は、西暦(ユリウス暦)による、閏年。
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868年は、西暦(ユリウス暦)による、閏年。
{{年代ナビ|868}} {{year-definition|868}} == 他の紀年法 == * [[干支]] : [[戊子]] * [[日本]] ** [[貞観 (日本)|貞観]]10年 ** [[皇紀]]1528年 * [[中国]] ** [[唐]] : [[咸通]]9年 * [[朝鮮]] : * [[ベトナム]] : * [[仏滅紀元]]: * [[ユダヤ暦]]: {{Clear}} == カレンダー == {{年間カレンダー|年=868|Type=J|表題=可視}} == できごと == * [[教皇|ローマ教皇]][[アドリアヌス2世 (ローマ教皇)|アドリアヌス2世]]、[[教会スラヴ語]]による[[聖書]]と[[典礼]]を認可。 * 現在のエジプト・シリアに[[イスラーム王朝]]の[[トゥールーン朝]]が興る。 === 日本 === * [[日本三代実録]]巻一五によれば、毎月のように地震、特に7月から8月には連日地震。特に、旧暦7月8日には[[播磨国]]で官舎、諸寺堂塔ことごとく頽倒の記録([[播磨国地震]])。 * 6月 - [[円珍]]を[[延暦寺]][[天台座主|座主]]とする。 * この頃以降、[[惟宗直本]]『[[令集解]]』を著す。 == 誕生 == {{see also|Category:868年生}} * [[ムハンマド・ムンタザル]] 12番目のイマーム, (マハディ)イスラム教徒 の救世主(特にシーア派)。(+ [[870年]]) == 死去 == {{see also|Category:868年没}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[5月2日]](貞観10年[[4月3日 (旧暦)|4月3日]]) - [[安慧 (天台宗)|安慧]]、[[平安時代]]の[[天台宗]]の[[僧]](* [[794年]]) * [[7月1日]] - [[アリー・ハーディー]]、第10代[[イマーム]](* [[828年]]) * [[伴善男]]、平安時代の[[公卿]]、[[正三位]][[大納言]](* [[811年]]) == 脚注 == '''注釈''' {{Reflist|group="注"}} '''出典''' {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} <!-- == 参考文献 == --> == 関連項目 == {{Commonscat|868}} * [[年の一覧]] * [[年表]] * [[年表一覧]] <!-- == 外部リンク == --> {{十年紀と各年|世紀=9|年代=800}} {{デフォルトソート:868ねん}} [[Category:868年|*]]
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818年
818年(818 ねん)は、西暦(ユリウス暦)による、平年。
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818年は、西暦(ユリウス暦)による、平年。
{{年代ナビ|818}} {{year-definition|818}} == 他の紀年法 == * [[干支]] : [[戊戌]] * [[日本]] ** [[弘仁]]9年 ** [[皇紀]]1478年 * [[中国]] ** [[唐]] : [[元和 (唐)|元和]]13年 * [[朝鮮]] : * [[ベトナム]] : * [[仏滅紀元]] : * [[ユダヤ暦]] : {{Clear}} == カレンダー == {{年間カレンダー|年=818|Type=J|表題=可視}} == できごと == * 3月 - [[長門国|長門国司]]を[[鋳銭使]]とする。 * 4月 - [[宮中]]の殿舎・諸門の名を唐風に改める。 * 7月 - [[関東地方|関東]]で[[地震]]([[弘仁地震]])が起こる。各地で山崩れが発生し、圧死者も多数<ref>安田政彦『災害復興の日本史』p24 吉川弘文館 2013年2月1日発行 {{全国書誌番号|22196456}}</ref>。 * 11月 - [[富寿神宝]]を鋳造する。 * [[唐]]の[[憲宗 (唐)|憲宗]]皇帝が、鳳翔[[法門寺]]の佛骨を[[長安]]に奉迎する。 == 誕生 == {{see also|Category:818年生}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[在原行平]]、[[平安時代]]の[[歌人]]、[[公卿]] (* [[893年]]) * [[源仁]]、平安時代の[[真言宗]]の[[僧]] (* [[887年]]) == 死去 == {{see also|Category:818年没}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[5月26日]] - [[アリー・リダー]]、[[シーア派]]・[[十二イマーム派]]の第8代[[イマーム]] (* [[766年]]) * [[7月23日]] (弘仁9年[[6月17日 (旧暦)|6月17日]]) - [[玄賓]]、[[奈良時代]]、[[平安時代]]の[[法相宗]]の[[僧]] (* [[734年]]) * [[12月11日]] (弘仁9年[[11月10日 (旧暦)|11月10日]]) - [[藤原葛野麻呂]]、奈良時代、平安時代の[[公卿]] (* [[755年]]) * [[大明忠]]、[[渤海 (国)|渤海]]の第9代王 (* 生年未詳) == 脚注 == '''注釈''' {{Reflist|group="注"}} '''出典''' {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} <!-- == 参考文献 == --> == 関連項目 == {{Commonscat|818}} * [[年の一覧]] * [[年表]] * [[年表一覧]] <!-- == 外部リンク == --> {{十年紀と各年|世紀=9|年代=800}} {{デフォルトソート:818ねん}} [[Category:818年|*]]
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857年
857年(857 ねん)は、西暦(ユリウス暦)による、平年。
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857年は、西暦(ユリウス暦)による、平年。
{{年代ナビ|857}} {{year-definition|857}} == 他の紀年法 == * [[干支]] : [[丁丑]] * [[日本]] ** [[斉衡]]4年、[[天安 (日本)|天安]]元年 ** [[皇紀]]1517年 * [[中国]] ** [[唐]] : [[大中]]11年 * [[朝鮮]] : * [[ベトナム]] : * [[仏滅紀元]]: * [[ユダヤ暦]]: {{Clear}} == カレンダー == {{年間カレンダー|年=857|Type=J|表題=可視}} == できごと == * 1月 - 開元大衍暦経を廃し、五紀暦経を採用する。 * 2月 - [[藤原良房]]が[[太政大臣]]となる。 * 3月 - 京・[[平城]]の群盗を捕獲する。 == 誕生 == {{see also|Category:857年生}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[是忠親王]]、[[平安時代]]の[[皇族]]、[[品位 (位階)|一品]](+ [[922年]]) == 死去 == {{see also|Category:857年没}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[大彝震]]、[[渤海 (国)|渤海]]の第11代の王 (* 生年未詳) * [[文聖王]]、[[新羅]]の第14代の王 (* 生年未詳) == 脚注 == '''注釈''' {{Reflist|group="注"}} '''出典''' {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} <!-- == 参考文献 == --> == 関連項目 == {{Commonscat|857}} * [[年の一覧]] * [[年表]] * [[年表一覧]] <!-- == 外部リンク == --> {{十年紀と各年|世紀=9|年代=800}} {{デフォルトソート:857ねん}} [[Category:857年|*]]
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14,537
866年
866年(866 ねん)は、西暦(ユリウス暦)による、平年。
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866年は、西暦(ユリウス暦)による、平年。
{{年代ナビ|866}} {{year-definition|866}} == 他の紀年法 == * [[干支]] : [[丙戌]] * [[日本]] ** [[貞観 (日本)|貞観]]8年 ** [[皇紀]]1526年 * [[中国]] ** [[唐]] : [[咸通]]7年 * [[朝鮮]] : * [[ベトナム]] : * [[仏滅紀元]]: * [[ユダヤ暦]]: {{Clear}} == カレンダー == {{年間カレンダー|年=866|Type=J|表題=可視}} == できごと == * [[4月28日]]([[貞観 (日本)|貞観]]8年[[閏]][[3月10日 (旧暦)|3月10日]]) - [[応天門]]焼亡する。 * 8月 - [[藤原良房]]が[[摂政]]となる。 * 9月 - 応天門焼亡の罪で[[伴善男]]を[[流罪]]にする([[応天門の変]])。 == 誕生 == {{see also|Category:866年生}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[9月1日]]/[[9月19日]] - [[レオーン6世]]、[[東ローマ帝国]][[マケドニア王朝 (東ローマ)|マケドニア王朝]]の第2代[[皇帝]](+ [[912年]]) * [[大江朝綱]]、[[平安時代]]中期の[[公卿]]、[[書家]](+ [[958年]]) * [[カルロマン (西フランク王)|カルロマン]]、[[カロリング朝]][[西フランク王国]]の[[国王]](+ [[884年]]) * [[貞崇]]、平安時代中期の[[真言宗]]の[[僧]](+ [[944年]]) * [[尊意]]、平安時代中期の[[天台宗]]の僧(+ [[940年]]) * [[藤原定国]]、平安時代初期から中期にかけての公卿(+ [[906年]]) == 死去 == {{see also|Category:866年没}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[7月31日]](貞観8年[[6月16日 (旧暦)|6月16日]]) - [[高子内親王]]、[[平安時代]]の[[皇族]]、[[斎院|賀茂斎院]](* 生年未詳) == 脚注 == '''注釈''' {{Reflist|group="注"}} '''出典''' {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} <!-- == 参考文献 == --> == 関連項目 == {{Commonscat|866}} * [[年の一覧]] * [[年表]] * [[年表一覧]] <!-- == 外部リンク == --> {{十年紀と各年|世紀=9|年代=800}} {{デフォルトソート:866ねん}} [[Category:866年|*]]
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942年
942年(942 ねん)は、西暦(ユリウス暦)による、平年。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "942年(942 ねん)は、西暦(ユリウス暦)による、平年。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "", "title": "死去" } ]
942年は、西暦(ユリウス暦)による、平年。
{{年代ナビ|942}} {{year-definition|942}} == 他の紀年法 == * [[干支]]:[[壬寅]] * [[日本]] ** [[天慶]]5年 ** [[皇紀]]1602年[[中国]] ** 五代 *** [[後晋]]:[[天福 (後晋)|天福]]7年 ** 十国 *** [[南唐]]:[[昇元]]6年 *** [[呉越]]:天福7年(後晋の元号を使用) *** [[閩]]:[[永隆 (閩)|永隆]]4年 *** [[南漢]]:[[大有]]15年、[[光天 (南漢)|光天]]元年 *** [[楚 (十国)|楚]]:天福7年(後晋の元号を使用) *** [[荊南]]:天福7年(後晋の元号を使用) *** [[後蜀 (十国)|後蜀]]:[[広政]]5年 ** その他 *** [[遼]]:[[会同]]5年 *** [[于闐]]:[[同慶 (于闐)|同慶]]31年 * [[朝鮮]] * [[ベトナム]] * [[仏滅紀元]]: * [[ユダヤ暦]]: {{Clear}} == カレンダー == {{年間カレンダー|年=942|Type=J|表題=可視}} == できごと == == 誕生 == {{see also|Category:942年生}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[源信 (僧侶)|源信]]、[[平安時代]]の[[天台宗]]の僧(+ [[1017年]]) * [[藤原為光]]、平安時代の[[公卿]](+ [[992年]]) * [[劉鋹]]、[[五代十国時代|十国]]・[[南漢]]の末代[[皇帝]](+ [[980年]]) == 死去 == {{see also|Category:942年没}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[12月17日]] - [[ギヨーム1世 (ノルマンディー公)|ギヨーム1世]]、[[ノルマンディー公]](* 生年未詳) * [[石敬瑭]]、[[五代十国時代|十国]]・[[後晋]]の初代[[皇帝]](* [[892年]]) * [[劉龑]]、十国・[[南漢]]の初代皇帝(* [[889年]]) <!-- == 脚注 == '''注釈''' {{Reflist|group="注"}} '''出典''' {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 参考文献 == --> == 関連項目 == {{Commonscat|942}} * [[年の一覧]] * [[年表]] * [[年表一覧]] <!-- == 外部リンク == --> {{十年紀と各年|世紀=10|年代=900}} {{デフォルトソート:942ねん}} [[Category:942年|*]]
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985年
985年(985 ねん)は、西暦(ユリウス暦)による、平年。 源信が念仏実践の書である『往生要集』を完成させた
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985年は、西暦(ユリウス暦)による、平年。
{{年代ナビ|985}} {{year-definition|985}} == 他の紀年法 == * [[干支]]:[[乙酉]] * [[日本]] ** [[永観]]3年、[[寛和]]元年 ** [[皇紀]]1645年 * [[中国]] ** [[北宋]] : [[雍熙]]2年 ** [[契丹|遼]] : [[統和]]3年 ** [[大理国]] : [[明政 (大理)|明政]]17年 ** [[于闐]] : [[中興 (于闐)|中興]]8年 * [[朝鮮]] * [[ベトナム]] ** [[前黎朝]] : [[天福 (前黎朝)|天福]]6年 * [[仏滅紀元]] : * [[ユダヤ暦]] : {{Clear}} == カレンダー == {{年間カレンダー|年=985|Type=J|表題=可視}} == できごと == [[源信 (僧侶)|源信]]が念仏実践の書である『[[往生要集]]』を完成させた * 2月13日、[[円融上皇]]主催の野遊びの宴に、歌人の[[曽禰好忠]]が乱入し、[[藤原実資]]と[[藤原朝光]]の指図により強制退出され、直後に反感を抱いた複数の殿上人たちから暴行される事件が起きる<ref>[[繁田信一]]『殴り合う貴族たち 平安朝裏源氏物語』、柏書房、2005年、24-25頁</ref>。 == 誕生 == {{see also|Category:985年生}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[ハーキム]]、[[ファーティマ朝]]の第6代[[カリフ]](+ [[1021年]]) * [[藤原兼隆]]、[[平安時代]]の[[公卿]](+ [[1053年]]) * [[ボニファーチオ・ディ・カノッサ]]、[[トスカーナの支配者一覧|トスカーナ辺境伯]](+ [[1052年]]) == 死去 == {{see also|Category:985年没}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[1月26日]](永観3年[[1月3日 (旧暦)|1月3日]]) - [[良源]]、[[平安時代]]の[[天台宗]]の[[僧]](* [[912年]]) * [[5月24日]](永観3年[[5月2日 (旧暦)|5月2日]]) - [[尊子内親王]]、平安時代の[[斎院|賀茂斎院]]、[[円融天皇]]の[[女御]](* [[966年]]) * [[7月20日]] - [[ボニファティウス7世 (対立教皇)|ボニファティウス7世]]、[[対立教皇]](* 生年未詳) * [[徽子女王]]、平安時代の[[皇族]]、[[歌人]](* [[929年]]) * [[リクダック]]、[[マイセン辺境伯]](* 生年未詳) == 脚注 == <!--'''注釈''' {{Reflist|group="注"}}--> '''出典''' {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} <!-- == 参考文献 == --> == 関連項目 == {{Commonscat|985}} * [[年の一覧]] * [[年表]] * [[年表一覧]] <!-- == 外部リンク == --> {{十年紀と各年|世紀=10|年代=900}} {{デフォルトソート:985ねん}} [[Category:985年|*]]
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1017年
1017年(1017 ねん)は、西暦(ユリウス暦)による、平年。
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1017年は、西暦(ユリウス暦)による、平年。
{{年代ナビ|1017}} {{year-definition|1017}} == 他の紀年法 == {{他の紀年法}} * [[干支]] : [[丁巳]] * [[日本]] ** [[長和]]6年、[[寛仁]]元年 ** [[神武天皇即位紀元|皇紀]]1677年 * [[中国]] ** [[北宋]] : [[天禧 (宋)|天禧]]元年 ** [[遼]] : [[開泰 (遼)|開泰]]6年 ** [[大理国]] : [[明啓]]8年 * [[朝鮮]] * [[ベトナム]] ** [[李朝 (ベトナム)|李朝]] : [[順天 (李朝)|順天]]7年 * [[仏滅紀元]] : * [[ユダヤ暦]] : {{Clear}} == カレンダー == {{年間カレンダー|年=1017|Type=J|表題=可視}} == できごと == * [[藤原頼通]]が[[摂政]]となる == 誕生 == {{see also|Category:1017年生}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[10月28日]] - [[ハインリヒ3世 (神聖ローマ皇帝)|ハインリヒ3世]]、[[神聖ローマ皇帝]] (+ [[1056年]]) * [[周敦頤]]、[[北宋]]の[[儒学者]] (+ [[1073年]]) * [[ニザームルムルク]]、[[セルジューク朝]]の[[政治家]]、[[学者]] (+ [[1092年]]) * [[フェルナンド1世 (カスティーリャ王)|フェルナンド1世]]、[[カスティーリャ王国|カスティーリャ王]] (+ [[1065年]]) * [[ラーマーヌジャ]]、[[インド]]の[[哲学者]]、[[神学者]] (+ [[1137年]]) * [[コンスタンティヌス・アフリカヌス]]、[[チュニジア]]出身の[[医学者]]、[[翻訳家]](+ [[1087年]]) == 死去 == {{see also|Category:1017年没}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[6月5日]] (寛仁元年[[5月9日 (旧暦)|5月9日]]) - [[三条天皇]]、第67代[[天皇]] (* [[976年]]) * [[6月27日]] (寛仁元年[[6月1日 (旧暦)|6月1日]]) - [[藤原遵子]]、[[円融天皇]]の[[中宮]] (* [[957年]]) * [[7月6日]] (寛仁元年[[6月10日 (旧暦)|6月10日]]) - [[源信 (僧侶)|源信]]、[[平安時代]]の[[天台宗]]の[[僧]] (* [[942年]]) <!-- == 脚注 == '''注釈''' {{Reflist|group="注"}} '''出典''' {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 参考文献 == --> == 関連項目 == {{Commonscat|1017}} * [[年の一覧]] * [[年表]] * [[年表一覧]] <!-- == 外部リンク == --> {{十年紀と各年|世紀=11|年代=1000}} {{デフォルトソート:1017ねん}} [[Category:1017年|*]]
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35
35(三十五、さんじゅうご、みそじあまりいつつ)は自然数、また整数において、34の次で36の前の数である。
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35(三十五、さんじゅうご、みそじあまりいつつ)は自然数、また整数において、34の次で36の前の数である。
{{整数|Decomposition=5×7}} '''35'''('''三十五'''、さんじゅうご、みそじあまりいつつ)は[[自然数]]、また[[整数]]において、[[34]]の次で[[36]]の前の数である。 == 性質 == *35 は[[合成数]]であり、正の[[約数]]は [[1]], [[5]], [[7]], 35 である。 **[[約数の和]]は[[48]]。 **[[約数]]の個数が3連続([[33]],[[34]],35)で同じになる最小の3連続の中で最大の数である。次は[[87]]。 *{{sfrac|1|35}} = 0.0{{underline|285714}}… (下線部は循環節で長さは6) **[[逆数]]が[[循環小数]]になる数で[[循環節]]が6になる7番目の数である。1つ前は[[28]]、次は[[39]]。 *35 = 1 + 3 + 6 + 10 + 15 **5番目の[[三角錐数]]である。1つ前は[[20]]、次は[[56]]。 ** 35 = 1{{sup|2}} + 3{{sup|2}} + 5{{sup|2}} *** 連続奇数の[[平方和]]とみたとき1つ前は[[10]]、次は[[84]]。 *** 3連続奇数の平方和で表せる数で自然数の範囲では最小である。次は[[83]]。[[負の数]]を含めると1つ前は[[11]]。 *** 3つの[[平方数]]の和1通りで表せる17番目の数である。1つ前は[[34]]、次は[[36]]。({{OEIS|A025321}}) *** 異なる3つの[[平方数]]の和1通りで表せる6番目の数である。1つ前は[[30]]、次は[[38]]。({{OEIS|A025339}}) ***''n'' = 2 のときの 1{{sup|''n''}} + 3{{sup|''n''}} + 5{{sup|''n''}} の値とみたとき1つ前は[[9]]、次は[[153]]。 **三角錐数が[[半素数]]になる最大の数である。1つ前は[[10]]。 *5番目の[[五角数]]である。(35 = 5 × (3 × 5 − 1)/2) 1つ前は[[22]]、次は[[51]]。 ** 35 = 5 + 6 + 7 + 8 + 9 *4番目の[[五胞体数]]である。1つ前は[[15]]、次は[[70]]。 **35 = {{sfrac|4 × 5 × 6 × 7|1 × 2 × 3 × 4}} * 35 = [[5]] × [[7]] **13番目の[[半素数]]である。1つ前は[[34]]、次は[[38]]。 **[[双子素数]]の積で表せる2番目の数である。1つ前は[[15]]、次は[[143]]。 ** 2つの連続する[[素数]]の積で表せる3番目の数である。1つ前は[[15]]、次は[[77]]。({{OEIS|A006094}}) ** ''n'' = 1 のときの 5 × 7{{sup|''n''}} の値とみたとき1つ前は[[5]]、次は[[245]]。({{OEIS|A193577}}) ** ''n'' = 1 のときの 7 × 5{{sup|''n''}} の値とみたとき1つ前は[[7]]、次は[[175]]。({{OEIS|A005055}}) ** [[2]]の[[倍数]]でも[[3]]の倍数でもない[[合成数]]で、2番目に小さい数である。一つ前は[[25]]、次は[[49]]。 *[[九九]]では 5 の段で 5 × 7 = 35 (ごしちさんじゅうご)、7 の段で 7 × 5 = 35 (しちごさんじゅうご)と2通りの表し方がある。 * 35 = [[1]] + [[6]] + [[28]] **[[倍積完全数]]の総和で表せる数である。1つ前は[[7]]、次は[[155]]。 * [[各位の和]]が8になる4番目の数である。1つ前は[[26]]、次は[[44]]。 *各位の[[平方和]]が34になる最小の数である。次は[[53]]。({{OEIS|A003132}}) ** 各位の平方和が ''n'' になる最小の数である。1つ前の33は[[144]]、次の35は[[135]]。({{OEIS|A055016}}) *各位の[[立方和]]が152になる最小の数である。次は[[53]]。({{OEIS|A055012}}) ** 各位の立方和が ''n'' になる最小の数である。1つ前の151は112225、次の153は[[135]]。({{OEIS|A165370}}) *35 = [[2]]{{sup|3}} + [[3]]{{sup|3}} ** 連続素数の[[立方和]]で表せる数である。1つ前は[[8]]、ただし連続と考えると最小、次は[[160]]。 ** 2つの正の数の[[立方数]]の和で表せる5番目の数である。1つ前は[[28]]、次は[[54]]。({{OEIS|A003325}}) ** 異なる2つの正の数の[[立方数]]の和で表せる3番目の数である。1つ前は[[28]]、次は[[65]]。({{OEIS|A024670}}) ** ''n'' = 2 のときの ''n''{{sup|3}} + (''n'' + 1){{sup|3}} の値とみたとき1つ前は[[9]]、次は[[91]]。({{OEIS|A005898}}) ** ''n'' = 3 のときの 2{{sup|''n''}} + 3{{sup|''n''}} の値とみたとき1つ前は[[13]]、次は[[97]]。({{OEIS|A007689}}) ** ''n'' = 1 のときの 2{{sup|2''n''+1}} + 3{{sup|2''n''+1}} の値とみたとき1つ前は[[5]]、次は[[275]]。({{OEIS|A138233}}) ** 素数 ''p'' = 3 のときの 2{{sup|''p''}} + 3{{sup|''p''}} の値とみたとき1つ前は[[13]]、次は[[275]]。({{OEIS|A135172}}) ** ''n'' からの ''n'' 連続整数の[[立方和]]で表せる数である。1つ前は[[1]]、次は[[216]]。({{OEIS|A240137}}) * 35 = 6{{sup|2}} − 1 ** ''n'' = 2 のときの 6{{sup|''n''}} − 1 の値とみたとき1つ前は[[5]]、次は[[215]]。({{OEIS|A024062}}) ** ''n'' = 6 のときの ''n''{{sup|2}} − 1 の値とみたとき1つ前は[[24]]、次は[[48]]。({{OEIS|A005563}}) * 35 = 4 × 3{{sup|2}} − 1 ** ''n'' = 3 のときの 4''n''{{sup|''2''}} − 1 の値とみたとき1つ前は[[15]]、次は[[63]]。({{OEIS|A000466}}) * 35 = 9 × 2{{sup|2}} − 1 ** ''n'' = 2 のときの 9''n''{{sup|''2''}} − 1 の値とみたとき1つ前は[[8]]、次は[[80]]。({{OEIS|A136016}}) * 2つの連続する[[素数]]を並べできる2番目の数である。1つ前は[[23]]、次は[[57]]。({{OEIS|A045533}}) * 35 = 3{{sup|3}} + 3{{sup|2}} − 1 ** ''n'' = 3 のときの ''n''{{sup|3}} + ''n''{{sup|2}} − 1 の値とみたとき1つ前は[[11]]、次は[[79]]。({{OEIS|A003777}}) *連続[[フィボナッチ数]]を並べた数である。1つ前は[[23]]、次は[[58]]。({{OEIS|A092778}}) * ''n'' = 35 のときの ''n''{{sup|2}} の値は3番目の[[平方三角数]][[1225]]になる。1つ前は[[6]]、次は[[204]]。({{OEIS|A001109}}) == その他 35 に関連すること == *[[原子番号]]35の[[元素]]は[[臭素]] (Br)。 *[[直木三十五]]は日本の小説家。 *[[T-35重戦車|T-35]]はソビエト連邦の多砲塔重戦車である。 *[[F-35 (戦闘機)|F-35]] は戦闘機である。 *『[[北緯35度の風]]』はかつて放送された、[[毎日放送]]制作のテレビ番組。 *第35代[[天皇]]は[[斉明天皇|皇極天皇]]である。 *[[日本]]の第35代[[内閣総理大臣]]は[[平沼騏一郎]]である。 *[[大相撲]]の第35代[[横綱]]は[[双葉山定次]]である。 *[[アメリカ合衆国]]第35代[[大統領]]は[[ジョン・F・ケネディ]]である。 *[[アメリカ合衆国大統領]]の[[被選挙権]]年齢は35歳以上と規定されている。 *[[アメリカ合衆国]]の35番目の[[州]]は[[ウェストバージニア州]]である。 * JIS X 0401、[[ISO 3166-2:JP]]の[[都道府県コード]]の「35」は[[山口県]]。 *[[結婚]]35周年の[[結婚記念日]]を[[珊瑚]]婚式という。 *第35代[[周]]王は[[顕王]]である。 *第35代[[教皇|ローマ教皇]]は[[ユリウス1世 (ローマ教皇)|ユリウス1世]](在位:[[337年]][[2月6日]]~[[352年]][[4月12日]])である。 *[[年始]]から数えて35日目は[[2月4日]]。 *[[易占]]の[[六十四卦]]で第35番目の卦は、[[周易下経三十四卦の一覧#晋|火地晋]]。 *[[クルアーン]]における第35番目の[[スーラ (クルアーン)|スーラ]]は[[創造者 (クルアーン)|創造者]]である。 *『[[Age,35]]』は[[柴門ふみ]]原作の漫画作品。及びそれを原作とした[[テレビドラマ]]、『Age,35 恋しくて』。 *理論上考えられる炭素数9の[[アルカン]]の[[異性体]]の数は35。 *[[35xxxv]]は、[[ONE OK ROCK]]の7枚目の[[アルバム]]。 *[[中京テレビ放送]]と[[NST新潟総合テレビ]]・[[テレビ静岡]]の[[ガイドチャンネル]]は、35ch。 *[[U35]]はイラストレーター・漫画家。 *[[ヘキソミノ]]の数。 === 35以上で決まるもの === * 1日の[[気温]]が35[[℃]]に達すると[[猛暑日]]となる。 * [[高齢出産]]とは母親の[[年齢]]が35歳以上の場合に定義される。 == 符号位置 == {| class="wikitable" style="text-align:center;" !記号!![[Unicode]]!![[JIS X 0213]]!![[文字参照]]!!名称 {{CharCode|12895|325F|1-8-47|CIRCLED DIGIT THIRTY FIVE|font=JIS2004フォント}} |} == 関連項目 == {{数字2桁|3|- [[昭和35年]] [[明治35年]]}} *[[3月5日]] {{自然数}}
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14,542
赤道
赤道(せきどう、英語: Equator、スペイン語: Ecuador、ポルトガル語: Equador)とは、自転する天体の重心を通り、天体の自転軸に垂直な平面が天体表面を切断する理論上の線である。緯度の基準の1つであり、緯度0度を示す。緯線の中で唯一の大円である。天体の赤道より北を北半球、南を南半球と言う。また、天文学では赤道が作る面(赤道面)と天球が交わってできる円のことを赤道(天の赤道)と呼ぶ。天の赤道は恒星や惑星の天球上の位置(赤緯、赤経)を決める基準にされる。 以下、特に断らない限り地球の赤道について述べる。 「赤道」という言葉は、古代中国の天文学において、太陽が真上を通るとされる地点を天球図で表現する際に、赤い線を用いたことが由来である。 地球の赤道の全周長は約40,075 km。春分と秋分の年2回、太陽が真上に来る。 赤道上は世界で唯一、太陽が天頂から天底までまっすぐに沈む場所である。そしてそのような場所は理論上、昼の長さと夜の長さが、共に1年を通じて12時間である。しかし実際は大気が太陽光を屈折させるので、2、3分のずれが出る。 かなり厳密に言うと、赤道は理論通りの位置にきっちり固定されているわけではない。実際の赤道面は常に必ず地球の自転軸に垂直をなしているものである。自転軸は、“比較的”安定であるが、極運動という現象によって、自転軸は1年かけて半径約9メートルの円を描く。このため、赤道面も赤道も、僅かながら動く。しかし、この移動は繊細な科学調査にのみ関係する程度の、わずかな移動である。 地球で最も気温の高い地域を熱赤道と言う。熱赤道は公転軸に対して地軸が傾いているため移動し、この結果、季節が生ずる。北半球が冬の時期は赤道付近にあるものの、夏になると北緯20度付近にまで移動する。 航海中に赤道を通過する際には「赤道祭」(せきどうさい)と呼ばれる祭りが船上で行われる。 赤道上は年間を通じた日射量(面積あたりの日射量)が最も大きい。そのため温暖で、強い上昇気流を生じている。この上昇気流のため低気圧地帯(熱帯収束帯)を生じ、雨量の豊富な熱帯の気候を形成している。 また、赤道付近の上昇気流は激しい渦巻き気流を伴った熱帯低気圧となり、台風やサイクロン、ハリケーンなどとして、赤道から南北へと波及することがある。 赤道の近くは宇宙機を東向きに打上げるロケットの射場に向いている。赤道は地球の自転によって地球上で一番速く東向きに動いており、東へと打ち上げる場合には、その速度を利用することによって(地球から宇宙へ投げる形になる)、静止軌道に投下する静止衛星の打ち上げ燃料が節約できる。赤道に近い位置に射場を建設した例として、フランス領ギアナのギアナ宇宙センター(北緯5度3分)や鹿児島県の種子島宇宙センター(北緯30度24分、計画当時日本の最南端に近かった。21世紀の現在では沖縄県が最適)等が挙げられる。 比較的高い軌道で、かつ大型の商業衛星の需要が多いため、高性能な商業ロケットの最適化対象である静止軌道の周辺、あるいは特に種別を問わず、衛星軌道に上げたいといった場合には、赤道付近からの打ち上げに優位性がある。逆に、軌道傾斜角の大きな軌道に向けた打上げには優位性が薄い。偵察衛星や地球観測衛星に用いられる軌道傾斜角が90度より大きい太陽同期軌道や、赤道傾斜角の約23.4度ほど傾いた惑星の公転面に合わせる惑星間軌道への投入には、両極付近や中緯度の射場が適している。 赤道は、本初子午線から東に向かって以下の場所を通っている。 以下の14か国は領土(領海)に赤道が通る。赤道直下の国とも表現する。首都が赤道から緯度1度未満の国は5か国あり、その中でエクアドルのキトが赤道に最も近く南緯0度19分(距離にして40 km未満)である。 赤道ギニアはその名前にもかかわらず赤道が通らないが、赤道を挟んでアンノボン島も領土である。 下記の国は、赤道が海上の国境となっている。 赤道に近い首都を以下に一覧する (北緯・南緯とも2度以内)。緯度1度は60分で約111 kmである。
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赤道とは、自転する天体の重心を通り、天体の自転軸に垂直な平面が天体表面を切断する理論上の線である。緯度の基準の1つであり、緯度0度を示す。緯線の中で唯一の大円である。天体の赤道より北を北半球、南を南半球と言う。また、天文学では赤道が作る面(赤道面)と天球が交わってできる円のことを赤道(天の赤道)と呼ぶ。天の赤道は恒星や惑星の天球上の位置(赤緯、赤経)を決める基準にされる。 以下、特に断らない限り地球の赤道について述べる。
{{Otheruses|緯度0度線}} {{Location map-line|lat=0|caption=[[地球]]の赤道}} '''赤道'''(せきどう、{{Lang-en|''Equator''}}、{{Lang-es|''Ecuador''}}、{{Lang-pt|''Equador''}})とは、[[自転]]する[[天体]]の[[重心]]を通り、天体の[[自転軸]]に[[垂直]]な[[平面]]が天体表面を切断する理論上の線である。[[緯度]]の基準の1つであり、緯度0度を示す。[[緯線]]の中で唯一の[[大円]]である。天体の赤道より北を[[北半球]]、南を[[南半球]]と言う。また、[[天文学]]では赤道が作る面(赤道面)と[[天球]]が交わってできる円のことを赤道([[天の赤道]])と呼ぶ。天の赤道は[[恒星]]や[[惑星]]の天球上の位置([[赤緯]]、[[赤経]])を決める基準にされる。 以下、特に断らない限り地球の赤道について述べる。 == 概要 == [[画像:Equator sign kenya.jpg|thumb|right|[[ケニア]]中央の[[ライキピア (カウンティ)|ライキピア県]]{{仮リンク|ナニュキ|en|Nanyuki}}近くに立つ、赤道を示す標識。]] 「赤道」という言葉は、古代中国の天文学において、太陽が真上を通るとされる地点を天球図で表現する際に、赤い線を用いたことが由来である。 地球の赤道の全周長は約40,075 [[キロメートル|km]]。[[春分]]と[[秋分]]の年2回、[[太陽]]が真上に来る。 赤道上は世界で唯一、太陽が[[天頂]]から[[天底]]までまっすぐに沈む場所である。そしてそのような場所は理論上、昼の長さと夜の長さが、共に1年を通じて12時間である。しかし実際は[[地球の大気|大気]]が太陽光を屈折させるので、2、3分のずれが出る。 かなり厳密に言うと、赤道は理論通りの位置にきっちり固定されているわけではない。実際の赤道面は常に必ず地球の自転軸に垂直をなしているものである。自転軸は、“比較的”安定であるが、[[極運動]]という現象によって、自転軸は1年かけて半径約9メートルの円を描く。このため、赤道面も赤道も、僅かながら動く。しかし、この移動は繊細な科学調査にのみ関係する程度の、わずかな移動である。 地球で最も気温の高い地域を[[熱赤道]]と言う。熱赤道は公転軸に対して[[地軸]]が傾いているため移動し、この結果、季節が生ずる。北半球が冬の時期は赤道付近にあるものの、夏になると北緯20度付近にまで移動する。 航海中に赤道を通過する際には「[[赤道祭]]」(せきどうさい)と呼ばれる祭りが船上で行われる<ref>{{Cite web|和書|author=|date=|url=https://kotobank.jp/word/%E8%B5%A4%E9%81%93%E7%A5%AD-547329|title=コトバンク/赤道祭 (日本大百科全書)|accessdate=2018-02-22}}</ref>。 == 赤道と気候 == 赤道上は年間を通じた日射量(面積あたりの日射量)が最も大きい。そのため温暖で、強い上昇気流を生じている。この上昇気流のため低気圧地帯([[熱帯収束帯]])を生じ、雨量の豊富な[[熱帯]]の気候を形成している。 また、赤道付近の上昇気流は激しい渦巻き気流を伴った[[熱帯低気圧]]となり、[[台風]]や[[サイクロン]]、[[ハリケーン]]などとして、赤道から南北へと波及することがある。 == ロケットの打ち上げとの関係 == 赤道の近くは[[宇宙機]]を東向きに[[ローンチ・ヴィークル|打上げるロケット]]の[[射場]]に向いている。赤道は地球の自転によって地球上で一番速く東向きに動いており、東へと打ち上げる場合には、その速度を利用することによって(地球から宇宙へ投げる形になる)、[[静止軌道]]に投下する[[静止衛星]]の打ち上げ燃料が節約できる。赤道に近い位置に射場を建設した例として、[[フランス領ギアナ]]の[[ギアナ宇宙センター]](北緯5度3分)や[[鹿児島県]]の[[種子島宇宙センター]](北緯30度24分、計画当時日本の最南端に近かった。21世紀の現在では沖縄県が最適)等が挙げられる。 比較的高い軌道で、かつ大型の商業衛星の需要が多いため、高性能な商業ロケットの最適化対象である[[静止軌道]]の周辺、あるいは特に種別を問わず、衛星軌道に上げたいといった場合には、赤道付近からの打ち上げに優位性がある。逆に、[[軌道傾斜角]]の大きな軌道に向けた打上げには優位性が薄い。[[偵察衛星]]や[[地球観測衛星]]に用いられる軌道傾斜角が90度より大きい[[太陽同期軌道]]や、[[赤道傾斜角]]の約23.4度ほど傾いた惑星の公転面に合わせる[[人工惑星|惑星間軌道]]への投入には、両極付近や中緯度の射場が適している。 == 通過する地域一覧 == {{座標一覧}} 赤道は、[[グリニッジ子午線|本初子午線]]から東に向かって以下の場所を通っている。 {{-}} :{| class="sortable wikitable plainrowheaders" !scope="col"|地理座標!!scope="col"|国土・領土・領海!!scope="col"|備考 |- |style="background:#b0e0e6"|{{Display none|000/}}{{Coord|0|N|0|E|type:landmark|name=本初子午線}} !scope="row" style="background:#b0e0e6"|[[大西洋]] |style="background:#b0e0e6"|[[ギニア湾]] |- |{{Display none|006/}}{{Coord|0|0|N|6|31|E|type:country|name=サントメ・プリンシペ}} !scope="row"|{{STP}} |[[ロラス島]] |- |style="background:#b0e0e6"|{{Display none|006/}}{{Coord|0|0|N|6|31|E|type:waterbody|name=大西洋}} !scope="row" style="background:#b0e0e6"|[[大西洋]] |style="background:#b0e0e6"|ギニア湾 |- |{{Display none|009/}}{{Coord|0|0|N|9|21|E|type:country|name=ガボン}} !scope="row"|{{GAB}} | |- |{{Display none|013/}}{{Coord|0|0|N|13|56|E|type:country|name=コンゴ共和国}} !scope="row"|{{COG}} |{{仮リンク|マクア|en|Makoua}}の町を通過 |- |{{Display none|017/}}{{Coord|0|0|N|17|46|E|type:country|name=コンゴ民主共和国}} !scope="row"|{{COD}} |[[ビュトンボ]]の中心部の9 km南を通過 |- |{{Display none|029/}}{{Coord|0|0|N|29|43|E|type:country|name=ウガンダ}} !scope="row"|{{UGA}} |[[カンパラ]]の中心部の32 km南を通過 |- |style="background:#b0e0e6"|{{Display none|032/}}{{Coord|0|0|N|32|22|E|type:waterbody|name=ビクトリア湖}} !scope="row" style="background:#b0e0e6"|[[ビクトリア湖]] |style="background:#b0e0e6"|{{UGA}}領のいくつかの島を通過 |- |{{Display none|034/}}{{Coord|0|0|N|34|0|E|type:country|name=ケニア}} !scope="row"|{{KEN}} |[[キスム]]の中心部の6 km北を通過 |- |{{Display none|041/}}{{Coord|0|0|N|41|0|E|type:country|name=ソマリア}} !scope="row"|{{SOM}} | |-style="vertical-align="top" |style="background:#b0e0e6"|{{Display none|042/}}{{Coord|0|0|N|42|53|E|type:waterbody|name=インド洋}} !scope="row" style="background:#b0e0e6"|[[インド洋]] |style="background:#b0e0e6"|{{仮リンク|フヴァドゥ環礁|en|Huvadhu Atoll}}と{{仮リンク|フヴァンムラ環礁|en|Fuvahmulah}}の間を通過({{MDV}}) |- |{{Display none|098/}}{{Coord|0|0|N|98|12|E|type:country|name=インドネシア}} !scope="row"|{{IDN}} |[[バトゥ諸島]]、[[スマトラ島]]、[[リンガ諸島]] |- |style="background:#b0e0e6"|{{Display none|104/}}{{Coord|0|0|N|104|34|E|type:waterbody|name=カリマタ海峡}} !scope="row" style="background:#b0e0e6"|[[カリマタ海峡]] |style="background:#b0e0e6"|&nbsp; 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|- |{{Display none|129/}}{{Coord|0|0|N|129|20|E|type:country|name=インドネシア}} !scope="row"|{{IDN}} |グベ島<!-- Gebe Island --> |-style="vertical-align="top" |style="background:#b0e0e6"|{{Display none|129/}}{{Coord|0|0|N|129|21|E|type:waterbody|name=太平洋}} !scope="row" style="background:#b0e0e6"|[[太平洋]] |style="background:#b0e0e6"|[[ワイゲオ島]]({{IDN}})の570m北を通過<br/>[[アラヌカ]]({{KIR}})の13 km南を通過<br/>[[ベーカー島]]({{UMI}})の21 km南を通過 |- |{{Display none|269/}}{{Coord|0|0|N|91|35|W|type:country|name=エクアドル}} !scope="row"|{{ECU}} |[[イサベラ島 (エクアドル)|イサベラ島]]([[ガラパゴス諸島]]) |- |{{Display none|280/}}{{Coord|0|0|N|80|6|W|type:country|name=エクアドル}} !scope="row"|{{ECU}} |[[キト]]の24 km北を通過。「[[ミッター・デル・ムンド]]」の近くを通過。 |- |{{Display none|285/}}{{Coord|0|0|N|75|32|W|type:country|name=コロンビア}} !scope="row"|{{COL}} |[[ペルー]]との国境の4.3 km北を通過 |-style="vertical-align="top" |{{Display none|290/}}{{Coord|0|0|N|70|3|W|type:country|name=ブラジル}} !scope="row"|{{BRA}} |[[アマゾナス州]]<br/>[[ロライマ州]]<br/>アマゾナス州<br/>[[パラー州]]<br/>[[アマパー州]]<br/>パラー州 - [[アマゾン川]]河口の島を通過 |- |style="background:#b0e0e6"|{{Display none|311/}}{{Coord|0|0|N|49|20|W|type:waterbody|name=大西洋}} !scope="row" style="background:#b0e0e6"|[[大西洋]] |style="background:#b0e0e6"|&nbsp; |} === 通過する国 === [[Image:Equator Sao Tome.jpg|thumb|right|[[サントメ・プリンシペ]]の[[ロラス島]]にある、赤道を示すモニュメント。]] 以下の14か国は領土(領海)に赤道が通る。赤道直下の国とも表現する。首都が赤道から緯度1度未満の国は5か国あり、その中でエクアドルのキトが赤道に最も近く南緯0度19分(距離にして40 km未満)である。 * [[サントメ・プリンシペ]] * [[ガボン]] * [[コンゴ共和国]] * [[コンゴ民主共和国]] * [[ウガンダ]] * [[ケニア]] * [[ソマリア]] * [[インドネシア]] * [[エクアドル]](スペイン語で「赤道」という意味) * [[コロンビア]] * [[ブラジル]] * [[モルディブ]] * [[キリバス]] * [[アメリカ合衆国]]([[合衆国領有小離島]]の[[ジャーヴィス島]]が赤道のすぐ南にある) [[赤道ギニア]]はその名前にもかかわらず赤道が通らないが、赤道を挟んで[[アンノボン島]]も領土である。 下記の国は、赤道が海上の国境となっている。 * [[ミクロネシア連邦]](国境の南端) * [[ナウル]](国境の北端) === 赤道に近い首都 === 赤道に近い[[首都]]を以下に一覧する (北緯・南緯とも2度以内)。[[緯度]]1度は60分で約111 kmである。 {| class="wikitable sortable" |- ! 首都 || 国 || 緯度 || 標高 || 人口 (統計年) |- | [[サントメ]] || [[サントメ・プリンシペ]] || {{Display none|020/}}北緯0度20分10秒 || {{0}}137 m || style="text-align:right;" | {{Display none|00}}6万7000 (2012年) |- | [[リーブルヴィル]] || [[ガボン]] || {{Display none|023/}}北緯0度23分24秒 ||{{0}}{{0}}12 m || style="text-align:right;" | {{Display none|0}}70万3904 (2013年) |- | [[カンパラ]] || [[ウガンダ]] || {{Display none|018/}}北緯0度18分49秒 || 1190 m || style="text-align:right;" | 165万9600 (2011年) |- | [[ナイロビ]] || [[ケニア]] || {{Display none|117/}}北緯1度17分 || 1661 m || style="text-align:right;" | 313万8369 (2009年) |- | [[シンガポール]] || [[シンガポール]] || {{Display none|117/}}北緯1度17分 ||{{0}}{{0}}15 m以下 || style="text-align:right;" | 561万2300 (2017年) |- | [[ヤレン地区|ヤレン]] || [[ナウル]] || {{Display none|032/}}南緯0度32分51秒 || {{0}}{{0}}25 m || style="text-align:right;" | {{Display none|0000}}747 (2011年) |- | [[タラワ]] || [[キリバス]] || {{Display none|120/}}北緯1度20分 || {{0}}{{0}}{{0}}3 m || style="text-align:right;" | {{Display none|00}}5万6284 (2010年) |- | [[キト]] || [[エクアドル]] || {{Display none|013/}}南緯0度13分 || 2850 m || style="text-align:right;" | 267万1191 (2014年) |} == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} <!--=== 注釈 === {{Reflist|group=注}}--> === 出典 === {{Reflist}} == 関連項目 == {{Sisterlinks | wikt = 赤道 | q = no | v = no }} * [[北赤道海流]]・[[南赤道海流]]・[[赤道反流]] * [[赤道座標系]] * [[赤道祭]] * [[北緯1度線]] * [[南緯1度線]] * [[赤道記念碑]] * [[熱帯気候]] * [[赤道記念碑 (エクアドル)]] * [[赤道に近い首都の一覧]] {{世界の地理|hemispheres}} {{地理座標|state=collapsed}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:せきとう}} [[Category:緯線|00]] [[Category:測地学]] [[Category:熱帯地方]] [[Category:天文学に関する記事]]
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14,543
12年
12年(12 ねん)は、西暦(ユリウス暦)による、閏年。
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{{yearbox|前世紀={{紀元前/世紀|1}}|世紀=1|次世紀=2|前10年紀2={{紀元前/年代|0}}|前10年紀1=0|10年紀=10|次10年紀1=20|次10年紀2=30|3年前=9|2年前=10|1年前=11|1年後=13|2年後=14|3年後=15|}} {{year-definition|12}} == 他の紀年法 == {{他の紀年法}} * [[干支]] : [[壬申]] * [[元号一覧 (日本)|日本]] ** [[垂仁天皇]]41年 ** [[神武天皇即位紀元|皇紀]]672年 * [[元号一覧 (中国)|中国]] ** [[新]] : [[始建国]]4年 * [[元号一覧 (朝鮮)|朝鮮]] ** [[高句麗]] : [[瑠璃明王]]31年 ** [[新羅]] : [[南解次次雄|南解王]]9年 ** [[百済]] : [[温祚王]]30年 ** [[檀君紀元|檀紀]]2345年 * [[仏滅紀元]] : 555年 * [[ユダヤ暦]] : 3772年 - 3773年 {{Clear}} == カレンダー == {{年間カレンダー|年=12|Type=J|表題=可視}} == できごと == * [[アンニウス・ルフス]]、[[ユダヤ属州]]総督に指名される。 * [[オウィディウス]]、流刑先の[[黒海]]沿岸で、『[[祭暦]]』を執筆。 * [[ゲルマニクス]]と [[ガイウス・フォンテイウス・カピト]]、ローマの[[執政官]]となる。 * [[クィリニウス|キリニウス]]、[[ティベリウス]]の相談役となるため[[ユダヤ属州]]から戻る。 == 誕生 == {{see also|Category:12年生}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[8月31日]] - [[カリグラ]]、第3代[[ローマ皇帝]](+ [[41年]]) == 死去 == {{see also|Category:12年没}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> == 脚注 == '''注釈''' {{Reflist|group="注"}} '''出典''' {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} <!-- == 参考文献 == --> == 関連項目 == {{Commonscat|12}} * [[年の一覧]] * [[年表]] * [[年表一覧]] <!-- == 外部リンク == --> {{十年紀と各年|世紀=1|年代=0}} {{デフォルトソート:12ねん}} [[Category:12年]] [[als:10er#12]]
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14,544
1488年
1488年(1488 ねん)は、西暦(ユリウス暦)による、閏年。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "1488年(1488 ねん)は、西暦(ユリウス暦)による、閏年。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "", "title": "死去" } ]
1488年は、西暦(ユリウス暦)による、閏年。
{{年代ナビ|1488}} {{year-definition|1488}} == 他の紀年法 == {{他の紀年法}} * [[干支]] : [[戊申]] * [[元号一覧 (日本)|日本]] ** [[長享]]2年 ** [[神武天皇即位紀元|皇紀]]2148年 * [[元号一覧 (中国)|中国]] ** [[明]] : [[弘治 (明)|弘治]]元年 * [[元号一覧 (朝鮮)|朝鮮]] ** [[李氏朝鮮]] : [[成宗 (朝鮮王)|成宗]]19年 ** [[檀君紀元|檀紀]]3821年 * [[元号一覧 (ベトナム)|ベトナム]] ** [[黎朝|後黎朝]] : [[洪徳 (黎朝)|洪徳]]19年 * [[仏滅紀元]] : 2030年 - 2031年 * [[ヒジュラ暦|イスラム暦]] : 893年 - 894年 * [[ユダヤ暦]] : 5248年 - 5249年 {{Clear}} == カレンダー == {{年間カレンダー|年=1488|Type=J|表題=可視}} == できごと == * [[3月18日]](長享2年[[2月5日 (旧暦)|2月5日]]) - [[山内上杉家]]と[[扇谷上杉家]]の抗争([[長享の乱]])が勃発。 * [[5月]] - [[バルトロメウ・ディアス]]、[[喜望峰]]到達。 * [[7月17日]](長享2年[[6月9日 (旧暦)|6月9日]]) - [[加賀国]][[守護大名|守護]][[富樫政親]]が[[一向一揆]]によって滅ぼされ[[1580年]]まで加賀国は一向衆によって統治される。([[加賀一向一揆]]) == 誕生 == {{see also|Category:1488年生}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[2月17日]](長享2年[[1月5日 (旧暦)|1月5日]]) - [[塩谷義孝]]、[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]の武将(+ [[1564年]]) * [[4月16日]] - [[中宗 (朝鮮王)|中宗]]、[[李氏朝鮮]]の第11代国王(+ [[1544年]]) * [[4月21日]] - [[ウルリヒ・フォン・フッテン]]、[[ドイツ]]の[[作家]]、[[思想家]]、[[人文主義者]](+ [[1523年]]) * [[12月15日]] - [[フェルナンド・デ・アラゴン (カラブリア公)|フェルナンド・デ・アラゴン]]、[[バレンシア王国|バレンシア]][[副王]](+ [[1550年]]) * [[尼子政久]]、戦国時代の[[武将]](+ [[1518年]]) * [[威穆帝]]、[[ベトナム]]の[[黎朝|後黎朝]]大越国の第8代[[皇帝]](+ [[1509年]]) * [[上杉朝興]]、戦国時代の[[戦国大名]]、[[扇谷上杉家]]の当主(+ [[1537年]]) * [[小山田信有 (越中守)|小山田信有]]、戦国時代の武将(+ [[1541年]]) * [[カルロ・ジョヴァンニ・アメデーオ・ディ・サヴォイア]]、[[サヴォイア公]](+ [[1496年]]) * [[観世長俊]]、戦国時代の[[能]]役者(+ [[1541年]]) * [[グラレアヌス]]、[[スイス]]の[[音楽理論|音楽理論家]]、[[詩人]]、人文主義者(+ [[1563年]]) * [[ジョヴァンニ・バッティスタ・コンファロニエリ]]、[[イタリア]]の[[医師]](+ [[1537年]]) * [[佐野泰綱]]、戦国時代の武将(+ [[1560年]]) * [[ジェルメーヌ・ド・フォワ]]、[[アラゴン王国|アラゴン]]王[[フェルナンド2世 (アラゴン王)|フェルナンド2世]]の2番目の妻(+ [[1538年]]) * [[実顕]]、戦国時代の[[浄土真宗]]の[[僧]](+ [[1542年]]) * [[伊達稙宗]]、戦国時代の戦国大名、[[伊達氏]]の第14代当主(+ [[1565年]]) * [[ヤン・タルノフスキ]]、[[ポーランド王国|ポーランド]]の貴族(+ [[1561年]]) * [[伏見宮貞敦親王]]、戦国時代の[[皇族]](+ [[1572年]]) * [[楊慎]]、[[明]]の文人(+ [[1559年]]) * [[黎粛宗]]、ベトナムの後黎朝大越国の第7代皇帝(+ [[1504年]]) == 死去 == {{see also|Category:1488年没}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[4月1日]] - [[ジャン2世 (ブルボン公)|ジャン2世]]、[[ブルボン公]]、[[オーヴェルニュ地域圏|オーヴェルニュ]]公(* [[1426年]]) * [[4月6日]](長享2年[[2月15日 (旧暦)|2月15日]]) - [[横瀬国繁]]、室町時代、戦国時代の武将、[[横瀬氏]]の第4代当主(* 生年未詳) * [[5月5日]](長享2年[[3月24日 (旧暦)|3月24日]]) - [[上杉定昌]]、室町時代、戦国時代の武将(* [[1453年]]) * [[5月18日]](長享2年[[4月7日 (旧暦)|4月7日]]) - [[里見義実]]、室町時代、戦国時代の武将(* [[1412年]]) * [[5月26日]](長享2年[[4月15日 (旧暦)|4月15日]]) - [[飯篠家直]]、[[室町時代]]、戦国時代の兵法家(* [[1387年]]) * [[6月8日]](長享2年[[4月28日 (旧暦)|4月28日]]) - [[大炊御門信子]]、[[後花園天皇]]の[[下臈]](* [[1411年]]) * [[6月11日]] - [[ジェームズ3世 (スコットランド王)|ジェームズ3世]]、[[スコットランド王国|スコットランド]]王(* 1451年/1452年) * [[6月30日]] - [[アンドレア・デル・ヴェロッキオ]]、イタリアの[[彫刻家]]、[[画家]]、[[建築家]](* [[1435年]]) * [[7月4日]](長享2年[[5月25日 (旧暦)|5月25日]]) - [[蜷川親元]]、室町時代、戦国時代の幕府官僚、[[歌人]](* [[1433年]]) * [[7月17日]](長享2年[[6月9日 (旧暦)|6月9日]]) - [[富樫政親]]、室町時代、戦国時代の[[守護大名]]、[[富樫氏|富樫家]]の第12・14代当主(* [[1455年]]?) * [[8月20日]] - [[イッポーリタ・マリーア・スフォルツァ]]、[[ナポリ王国|ナポリ]]王[[アルフォンソ2世 (ナポリ王)|アルフォンソ2世]]の妻(* [[1445年]]) * [[9月4日]](長享2年[[7月28日 (旧暦)|7月28日]]) - [[細川政之]]、室町時代、戦国時代の守護大名(* [[1455年]]) * [[9月9日]] - [[フランソワ2世 (ブルターニュ公)|フランソワ2世]]、[[ブルターニュ公]](* [[1433年]]) * [[9月13日]] - [[シャルル2世 (ブルボン公)|シャルル2世]]、ブルボン公、[[リヨン]][[大司教]]兼[[枢機卿]](* [[1434年]]) * [[9月15日]](長享2年[[8月10日 (旧暦)|8月10日]]) - [[安東政季]]、室町時代、戦国時代の武将(* 生年未詳) * [[9月28日]](長享2年[[8月23日 (旧暦)|8月23日]]) - [[九条政忠]]、室町時代、戦国時代の[[関白]]、[[公卿]](* [[1440年]]) * [[10月21日]](長享2年[[9月17日 (旧暦)|9月17日]]) - [[日親]]、室町時代、戦国時代の[[日蓮宗]]の僧(* [[1407年]]) * [[11月26日]](長享2年[[10月23日 (旧暦)|10月23日]]) - [[菊池為邦]]、室町時代、戦国時代の戦国大名、[[菊池氏]]の第20代当主(* [[1430年]]) * [[太田資清]]、室町時代、戦国時代の武将(* [[1411年]]) * [[ボーロマトライローカナート]]、[[タイ王国|タイ]]の[[アユタヤ王朝]]の第9代の王(* [[1431年]]) <!-- == 脚注 == '''注釈''' {{Reflist|group="注"}} '''出典''' {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 参考文献 == --> == 関連項目 == {{Commonscat|1488}} * [[年の一覧]] * [[年表]] * [[年表一覧]] <!-- == 外部リンク == --> {{十年紀と各年|世紀=15|年代=1400}} {{デフォルトソート:1488ねん}} [[Category:1488年|*]]
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1209年
1209年(1209 ねん)は、西暦(ユリウス暦)による、平年。
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1209年は、西暦(ユリウス暦)による、平年。
{{年代ナビ|1209}} {{year-definition|1209}} == 他の紀年法 == {{他の紀年法}} * [[干支]] : [[己巳]] * [[元号一覧 (日本)|日本]] ** [[承元]]3年 ** [[神武天皇即位紀元|皇紀]]1869年 * [[元号一覧 (中国)|中国]] ** [[南宋]] : [[嘉定 (南宋)|嘉定]]2年 ** [[金 (王朝)|金]] : [[泰和 (金)|泰和]]9年、[[大安 (金)|大安]]元年[[1月27日 (旧暦)|正月27日]] - * 中国周辺 ** [[西遼]] : [[天禧 (西遼)|天禧]]32年? ** [[西夏]]{{Sup|*}} : [[応天 (西夏)|応天]]4年 ** [[モンゴル帝国]]{{Sup|*}} : 太祖([[チンギス・カン|チンギス・ハーン]])4年 ** [[大理国]] : [[天開 (大理)|天開]]5年 * [[元号一覧 (朝鮮)|朝鮮]] ** [[高麗]] : [[熙宗 (高麗王)|熙宗]]5年 ** [[檀君紀元|檀紀]] : 3542年 * [[元号一覧 (ベトナム)|ベトナム]] ** [[李朝 (ベトナム)|李朝]] : [[治平龍応]]5年 * [[仏滅紀元]] : 1751年 - 1752年 * [[ヒジュラ暦|イスラム暦]] : 605年 - 606年 * [[ユダヤ暦]] : 4969年 - 4970年 {{Clear}} == カレンダー == {{年間カレンダー|年=1209|Type=J|表題=可視}} == できごと == * [[10月8日]] - [[オットー4世 (神聖ローマ皇帝)|オットー4世]]、[[ローマ]]で教皇[[インノケンティウス3世 (ローマ教皇)|インノケンティウス3世]]によって[[神聖ローマ帝国]]皇帝として戴冠 * [[アルビジョア十字軍]]始まる。 * [[フランシスコ会]]結成。 * [[ケンブリッジ大学]]創立。 == 誕生 == {{see also|Category:1209年生}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[1月5日]] - [[リチャード (コーンウォール伯)|リチャード]]、[[コーンウォール]]伯(+ [[1272年]]) * [[1月10日]] - [[モンケ]]、[[モンゴル帝国]]の第4代[[ハーン|カアン]](+ [[1259年]]) * [[3月17日]](承元3年[[2月10日 (旧暦)|2月10日]]) - [[真仏]]、[[鎌倉時代]]の[[浄土真宗]]の[[僧]](+ [[1258年]]) * [[12月7日]] - [[ヴァシリコ (ロストフ公)|ヴァシリコ]]、[[ロストフ]]公(+ [[1238年]]) * [[邦子内親王]]、鎌倉時代の[[皇族]](+ [[1283年]]) *[[崔沆 (高麗の武臣)|崔沆]](萬全)[[武臣政権]]の第7代執権者。(+ [[1257年]]) == 死去 == {{see also|Category:1209年没}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[1月25日]](承元2年[[12月18日 (旧暦)|12月18日]]) - [[中原親能]]、[[平安時代]]、[[鎌倉時代]]の[[武士]]、[[文官]](* [[1143年]]) * [[9月12日]](承元3年[[8月12日 (旧暦)|8月12日]]) - [[藤原忻子]]、[[後白河天皇]]の[[中宮]](* [[1134年]]) * [[9月22日]](承元3年[[8月22日 (旧暦)|8月22日]]) - [[藤原定能]]、平安時代、鎌倉時代の[[公卿]](* [[1148年]]) * [[12月1日]] - [[アルフォンス2世 (プロヴァンス伯)|アルフォンス2世]]、[[プロヴァンス伯]](* [[1174年]]) * [[ギヨーム1世・ド・シャンリット]]、[[フランス]]の[[騎士]]、初代[[アカイア公国|アカイア公]](* 生年未詳) * [[ニザーミー]]、[[ペルシア人]]の[[詩人]](* [[1141年]]) * [[藤原隆房]]、平安時代、鎌倉時代の公卿(* [[1148年]]) <!-- == 脚注 == '''注釈''' {{Reflist|group="注"}} '''出典''' {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 参考文献 == --> == 関連項目 == {{Commonscat|1209}} * [[年の一覧]] * [[年表]] * [[年表一覧]] <!-- == 外部リンク == --> {{十年紀と各年|世紀=13|年代=1200}} {{デフォルトソート:1209ねん}} [[Category:1209年|*]]
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14,546
1478年
1478年(1478 ねん)は、西暦(ユリウス暦)による、平年。
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1478年は、西暦(ユリウス暦)による、平年。
{{年代ナビ|1478}} {{year-definition|1478}} == 他の紀年法 == {{他の紀年法}} * [[干支]] : [[戊戌]] * [[元号一覧 (日本)|日本]] ** [[文明 (日本)|文明]]10年 *** [[古河公方]] : [[享徳]]27年 ** [[神武天皇即位紀元|皇紀]]2138年 * [[元号一覧 (中国)|中国]] ** [[明]] : [[成化]]14年 * [[元号一覧 (朝鮮)|朝鮮]] ** [[李氏朝鮮]] : [[成宗 (朝鮮王)|成宗]]9年 ** [[檀君紀元|檀紀]]3811年 * [[元号一覧 (ベトナム)|ベトナム]] ** [[黎朝|後黎朝]] : [[洪徳 (黎朝)|洪徳]]9年 * [[仏滅紀元]] : 2020年 - 2021年 * [[ヒジュラ暦|イスラム暦]] : 882年 - 883年 * [[ユダヤ暦]] : 5238年 - 5239年 {{Clear}} == カレンダー == {{年間カレンダー|年=1478|Type=J|表題=可視}} == できごと == * [[2月18日]] - [[イングランド]]王弟[[ジョージ・プランタジネット (クラレンス公)]]が[[エドワード4世_(イングランド王)|エドワード4世]]との不和により処刑。 * [[4月26日]] - イタリアのフィレンツェで[[パッツィ家の陰謀]]事件が起きる。[[パッツィ家]]が[[メディチ家]]当主らを暗殺しようとして失敗。 *[[応仁の乱]]終結。 == 誕生 == {{see also|Category:1478年生}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[2月7日]] - [[トマス・モア]]、[[イギリス]]・[[ルネサンス]]期の法律家・思想家・[[聖人]]、『[[ユートピア (本)|ユートピア]]』の著述で知られる(+ [[1535年]]) * [[5月26日]] - [[クレメンス7世 (ローマ教皇)|クレメンス7世]]、第219代[[教皇|ローマ教皇]](+ [[1534年]]) * [[7月22日]] - [[フェリペ1世 (カスティーリャ王)|フェリペ1世]]、[[カスティーリャ君主一覧|カスティーリャ王]]、[[ブルゴーニュ公一覧|ブルゴーニュ公]](+ [[1506年]]) *桔梗(誕生日不明)※犬夜叉の登場人物 == 死去 == {{see also|Category:1478年没}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[2月18日]] - [[ジョージ・プランタジネット (クラレンス公)|ジョージ・プランタジネット]]、[[クラレンス公]]、[[ウォリック伯]]、[[ソールズベリー伯]](* [[1449年]]) * [[6月12日]] - [[ルドヴィーコ3世・ゴンザーガ]]、[[マントヴァの領主一覧|マントヴァ侯]]、[[コンドッティエーレ]](* [[1412年]]) * [[熊谷堅直]]、[[室町時代]]の[[武将]](* [[1430年]]) * [[長宗我部雄親]]、室町時代の武将(* 生年未詳) <!-- == 脚注 == '''注釈''' {{Reflist|group="注"}} '''出典''' {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} --> <!-- == 参考文献 == --> == 関連項目 == {{Commonscat|1478}} * [[年の一覧]] * [[年表]] * [[年表一覧]] <!-- == 外部リンク == --> {{十年紀と各年|世紀=15|年代=1400}} {{デフォルトソート:1478ねん}} [[Category:1478年|*]]
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1457年
1457年(1457 ねん)は、西暦(ユリウス暦)による、平年。
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1457年は、西暦(ユリウス暦)による、平年。
{{年代ナビ|1457}} {{year-definition|1457}} == 他の紀年法 == {{他の紀年法}} * [[干支]] : [[丁丑]] * [[元号一覧 (日本)|日本]] ** [[康正]]3年、[[長禄]]元年[[9月28日 (旧暦)|9月28日]]([[ユリウス暦]][[10月16日]]) - *** [[古河公方]] : [[享徳]]6年 ** [[神武天皇即位紀元|皇紀]]2117年 * [[元号一覧 (中国)|中国]] ** [[明]] : [[景泰]]8年、[[天順 (明)|天順]]元年[[1月21日 (旧暦)|1月21日]]([[2月15日]]) - *** [[王斌]] : [[天繡]]元年 *** [[エセン・ハーン]] : [[添元]]5年? * [[元号一覧 (朝鮮)|朝鮮]] ** [[李氏朝鮮]] : [[世祖 (朝鮮王)|世祖]]3年 ** [[檀君紀元|檀紀]]3790年 * [[元号一覧 (ベトナム)|ベトナム]] ** [[黎朝|後黎朝]] : [[延寧]]4年 * [[仏滅紀元]] : 1999年 - 2000年 * [[ヒジュラ暦|イスラム暦]] : 861年 - 862年 * [[ユダヤ暦]] : 5217年 - 5218年 {{Clear}} == カレンダー == {{年間カレンダー|年=1457|Type=J|表題=可視}} == できごと == * [[奪門の変]]勃発。 * [[オーストリア大公国]]成立。 === 日本 === * (康正3年[[4月18日 (旧暦)|4月18日]]) - [[太田道真]]・[[太田道灌|道灌]]父子、[[江戸城]]を築城を完了。 * [[12月27日]](長禄元年[[12月2日 (旧暦)|12月2日]]) - [[長禄の変]]、[[赤松氏|赤松家]]遺臣が[[南朝 (日本)|南朝]]より[[八尺瓊勾玉|神璽]]の奪還を試みる。 * (長禄元年[[12月19日 (旧暦)|12月19日]]) - [[征夷大将軍|将軍]][[足利義政]]が弟の[[足利政知|政知]]を[[鎌倉公方]]に任命し、関東に派遣する([[堀越公方]]の成立)。 * [[コシャマインの戦い]]勃発。 == 誕生 == {{see also|Category:1457年生}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[1月28日]] - [[ヘンリー7世 (イングランド王)|ヘンリー7世]]、[[テューダー朝]]初代の[[イングランド王国|イングランド]]王(+ [[1509年]]) * [[2月13日]] - [[マリー・ド・ブルゴーニュ]]、名目上の[[ブルゴーニュ公一覧|ブルゴーニュ女公]]、[[マクシミリアン1世 (神聖ローマ皇帝)|マクシミリアン1世]]の妻(+ [[1482年]]) * [[8月20日]] - [[成宗 (朝鮮王)|成宗]]、[[李氏朝鮮]]の第9代国王(+ [[1495年]]) * [[11月16日]] - [[ベアトリーチェ・ダラゴーナ]]、[[ナポリ王国|ナポリ]]王女(+ [[1508年]]) * [[斯波義寛]]、[[室町時代]]の[[守護大名]](+ [[1513年]]) * [[土岐政房]]、室町時代の[[美濃国]][[守護]](+ [[1519年]]) * [[フィリッピーノ・リッピ]]、[[盛期ルネサンス]]の[[イタリア]]の[[画家]](+ [[1504年]]) == 死去 == {{see also|Category:1457年没}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[3月14日]](天順元年[[2月19日 (旧暦)|2月19日]]) - [[景泰帝]]、[[明]]朝第7代皇帝(* [[1428年]]) * [[7月18日]](康正3年[[6月18日 (旧暦)|6月18日]]) - [[存如]]、[[室町時代]]の[[浄土真宗]]の[[僧]]、[[本願寺]]第七世(* [[1396年]]) * [[8月1日]] - [[ロレンツォ・ヴァッラ]]、[[ルネサンス]]期[[イタリア]]の[[人文主義者]](* [[1407年]]) * [[9月20日]] - [[懿敬世子]]、[[李氏朝鮮]]の第7代国王[[世祖 (朝鮮王)|世祖]]最初の[[王世子]](* [[1438年]]) * [[11月11日]] - [[端宗 (朝鮮王)|端宗]]、李氏朝鮮の第6代国王(* [[1441年]]) * 12月18日(長禄元年12月2日) - [[尊秀王|自天王]]、室町時代の[[南朝 (日本)|南朝]]の指導者(* [[1440年]]) * [[于謙]]、明の[[進士]]出身の政治家(* [[1398年]]) * [[アンドレア・デル・カスターニョ]]、ルネサンス期イタリアの[[画家]](* [[1421年]]?) <!-- == 脚注 == '''注釈''' {{Reflist|group="注"}} '''出典''' {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 参考文献 == --> == 関連項目 == {{Commonscat|1457}} * [[年の一覧]] * [[年表]] * [[年表一覧]] <!-- == 外部リンク == --> {{十年紀と各年|世紀=15|年代=1400}} {{デフォルトソート:1457ねん}} [[Category:1457年|*]]
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14,548
1312年
1312年(1312 ねん)は、西暦(ユリウス暦)による、閏年。
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1312年は、西暦(ユリウス暦)による、閏年。
{{年代ナビ|1312}} {{year-definition|1312}} == 他の紀年法 == {{他の紀年法}} * [[干支]] : [[壬子]] * [[元号一覧 (日本)|日本]] ** [[応長]]2年、[[正和]]元年[[3月20日 (旧暦)|3月20日]] - ** [[神武天皇即位紀元|皇紀]] : 1972年 * [[元号一覧 (中国)|中国]] ** [[元 (王朝)|元]] : [[皇慶 (元)|皇慶]]元年 * [[元号一覧 (朝鮮)|朝鮮]] ** [[高麗]] : [[忠宣王]]4年 ** [[檀君紀元|檀紀]] : 3645年 * [[元号一覧 (ベトナム)|ベトナム]] ** [[陳朝]] : [[興隆]]20年 * [[仏滅紀元]] : 1854年 - 1855年 * [[ヒジュラ暦|イスラム暦]] : 711年 - 712年 * [[ユダヤ暦]] : 5072年 - 5073年 {{Clear}} == カレンダー == {{年間カレンダー|年=1312|Type=J|表題=可視}} == できごと == * [[テンプル騎士団]]が、財産没収をねらう[[フランス王国|フランス]][[フランス君主一覧|王]][[フィリップ4世 (フランス王)|フィリップ4世]]の陰謀によって、[[教皇]]から解散を命ぜられる。 == 誕生 == {{see also|Category:1312年生}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[8月28日]] - [[ハインリヒ15世 (バイエルン公)|ハインリヒ15世]]、[[バイエルン大公|下バイエルン公]](+ [[1333年]]) * [[11月13日]] - [[エドワード3世 (イングランド王)|エドワード3世]]{{sfn|森護|1986|p=137}}{{sfn|松村赳|富田虎男|2000| p=224}}、[[イングランド王国|イングランド]]王(+ [[1377年]]) * [[徳大寺公清]]、[[鎌倉時代]]、[[南北朝時代 (日本)|南北朝時代]]の[[公卿]](+ [[1360年]]) == 死去 == {{see also|Category:1312年没}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[1月21日]] - [[イザベル・ド・ヴィルアルドゥアン]]、[[アカイア公国]]の公位継承者・共同統治者(* 1260年/1263年) * [[3月10日]] - [[カジミェシュ (ビトム公)|カジミェシュ]]、[[オポーレ公国|オポーレ公]]、[[ビトム]]公(* 1253年/1257年) * [[7月16日]](正和元年[[6月12日 (旧暦)|6月12日]]) - [[北条宗宣]]、[[鎌倉幕府]]第11代[[執権]](* [[1259年]]) * [[9月7日]] - [[フェルナンド4世 (カスティーリャ王)|フェルナンド4世]]、[[カスティーリャ王国|カスティーリャ=レオン王]](* [[1285年]]) * [[9月9日]] - [[オットー3世 (バイエルン公)|オットー3世]]、[[ヴィッテルスバッハ家]]の[[バイエルン大公|下バイエルン公]]、[[ハンガリー王国|ハンガリー王]](* [[1261年]]) * [[11月9日]](正和元年[[10月10日 (旧暦)|10月10日]]) - [[無住]]、[[鎌倉時代]]の[[僧]](* [[1227年]]) * [[トクタ]]、[[ジョチ・ウルス]]の第9代[[ハーン|ハン]](* 生年未詳) <!-- == 脚注 == '''注釈''' {{Reflist|group="注"}} '''出典''' {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 参考文献 == --> == 関連項目 == {{Commonscat|1312}} * [[年の一覧]] * [[年表]] * [[年表一覧]] <!-- == 外部リンク == --> {{十年紀と各年|世紀=14|年代=1300}} {{デフォルトソート:1312ねん}} [[Category:1312年|*]]
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1489年
1489年(1489 ねん)は、西暦(ユリウス暦)による、平年。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "1489年(1489 ねん)は、西暦(ユリウス暦)による、平年。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "", "title": "死去" } ]
1489年は、西暦(ユリウス暦)による、平年。
{{年代ナビ|1489}} {{year-definition|1489}} == 他の紀年法 == {{他の紀年法}} * [[干支]] : [[己酉]] * [[元号一覧 (日本)|日本]] ** [[長享]]3年、[[延徳]]元年8月21日 - ** [[神武天皇即位紀元|皇紀]]2149年 * [[元号一覧 (中国)|中国]] ** [[明]] : [[弘治 (明)|弘治]]2年 * [[元号一覧 (朝鮮)|朝鮮]] ** [[李氏朝鮮]] : [[成宗 (朝鮮王)|成宗]]20年 ** [[檀君紀元|檀紀]]3822年 * [[元号一覧 (ベトナム)|ベトナム]] ** [[黎朝|後黎朝]] : [[洪徳 (黎朝)|洪徳]]20年 * [[仏滅紀元]] : 2031年 - 2032年 * [[ヒジュラ暦|イスラム暦]] : 894年 - 895年 * [[ユダヤ暦]] : 5249年 - 5250年 {{Clear}} == カレンダー == {{年間カレンダー|年=1489|Type=J|表題=可視}} == できごと == * [[9月16日]](長享3年[[8月21日 (旧暦)|8月21日]]) - 日本、[[改元]]して[[延徳]]元年 == 誕生 == {{see also|Category:1489年生}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[2月17日]](長享3年[[1月17日 (旧暦)|1月17日]]) - [[島津忠治]]、[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]の[[戦国大名]]、[[島津氏]]の第12代当主(+ [[1515年]]) * [[4月15日]]? - [[ミマール・スィナン]]、[[オスマン帝国]]の[[建築家]](+ [[1588年]]) * [[6月2日]] - [[シャルル・ド・ブルボン (ヴァンドーム公)|シャルル・ド・ブルボン]]、[[ヴァンドーム公]]、[[ソワソン伯]](+ [[1537年]]) * [[6月4日]] - [[アントワーヌ (ロレーヌ公)|アントワーヌ]]、[[ロレーヌ公]](+ [[1544年]]) * [[7月2日]] - [[トマス・クランマー]]、[[カンタベリー大主教]](+ [[1566年]]) * [[11月10日]] - [[ハインリヒ2世 (ブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテル公)|ハインリヒ2世]]、[[ブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテル君主一覧|ブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテル侯]](+ [[1568年]]) * [[11月28日]] - [[マーガレット・テューダー]]、[[スコットランド王国|スコットランド]]王[[ジェームズ4世 (スコットランド王)|ジェームズ4世]]の妃(+ [[1541年]]) * [[12月10日]] - [[ガストン・ド・フォワ (ヌムール公)|ガストン・ド・フォワ]]、[[フランス]]の将軍、[[ヌムール]]公(+ [[1512年]]) * [[12月21日]] - [[トマス・ミュンツァー]]、[[ドイツ]]の宗教改革者(+ [[1525年]]) * [[ヘロニモ・デ・アギラール]]、[[スペイン]]の[[フランシスコ会]]の[[修道士]](+ [[1531年]]?) * [[飛鳥井雅綱]]、戦国時代の[[公卿]](+ [[1571年]]) * [[板垣信方]]、戦国時代の[[武将]](+ [[1548年]]) * [[宇佐美定満]]、戦国時代の武将(+ [[1564年]]) * [[円如]]、戦国時代の[[浄土真宗]]の[[僧]](+ [[1521年]]) * [[越智家教]]、戦国時代の武将(+ [[1517年]]) * [[フアン・デ・グリハルバ]]、スペインの[[コンキスタドール]](+ [[1527年]]) * [[コレッジョ]]、[[イタリア]]の[[ルネサンス]]期の[[画家]](+ [[1534年]]) * [[シャルル4世 (アランソン公)|シャルル4世]]、[[アランソン]]公(+ [[1525年]]) * [[フアン・ヒネス・デ・セプルベダ]]、スペインの[[神学者]]、[[哲学者]](+ [[1573年]]) * [[塚原卜伝|塚原卜傳]]、戦国時代の[[剣豪]]、[[兵法家]](+ [[1571年]]) * [[長尾為景]]、戦国時代の戦国大名(+ [[1543年]]) * [[細川澄元]]、戦国時代の[[守護大名]]、戦国大名(+ [[1520年]]) * [[細川澄之]]、戦国時代の戦国大名(+ [[1507年]]) == 死去 == {{see also|Category:1489年没}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[4月26日]](長享3年[[3月26日 (旧暦)|3月26日]]) - [[足利義尚]]、[[室町幕府]]第9代[[征夷大将軍|将軍]](* [[1465年]]) * [[4月28日]] - [[ヘンリー・パーシー (第4代ノーサンバランド伯)|ヘンリー・パーシー]]、[[ノーサンバランド伯]](* 1449年頃) * [[7月19日]] - [[ルートヴィヒ1世 (プファルツ=ツヴァイブリュッケン公)|ルートヴィヒ1世]]、[[プファルツ=ツヴァイブリュッケン|プファルツ=ツヴァイブリュッケン公]](* [[1424年]]) * [[8月27日]](長享3年[[7月22日 (旧暦)|7月22日]]) - [[筒井順尊]]、[[室町時代]]、戦国時代の武将、[[筒井氏]]当主(* [[1451年]]) * [[11月24日]]/[[11月25日|25日]] - [[シモン・マルミオン]]、[[初期フランドル派]]の画家、[[装飾写本]]作家(* 1425年頃) * [[バフルール・ローディー]]、[[インド]]の[[ローディー朝]]の創始者(* 生年未詳) * [[毛利貞元]]、室町時代、戦国時代の武将(* 生年未詳) * [[矢部定利]]、室町時代、戦国時代の武将(* 生年未詳) * [[山名政実]]、室町時代、戦国時代の守護大名(* 生年未詳) <!-- == 脚注 == '''注釈''' {{Reflist|group="注"}} '''出典''' {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 参考文献 == --> == 関連項目 == {{Commonscat|1489}} * [[年の一覧]] * [[年表]] * [[年表一覧]] <!-- == 外部リンク == --> {{十年紀と各年|世紀=15|年代=1400}} {{デフォルトソート:1489ねん}} [[Category:1489年|*]]
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1569年
1569年(1569 ねん)は、西暦(ユリウス暦)による、平年。
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1569年は、西暦(ユリウス暦)による、平年。
{{年代ナビ|1569}} {{year-definition|1569}} == 他の紀年法 == {{他の紀年法}} * [[干支]] : [[己巳]] * [[元号一覧 (日本)|日本]] ** [[永禄]]12年 ** [[神武天皇即位紀元|皇紀]]2229年 * [[元号一覧 (中国)|中国]] ** [[明]] : [[隆慶 (明)|隆慶]]3年 * [[元号一覧 (朝鮮)|朝鮮]] ** [[李氏朝鮮]] : [[宣祖]]2年 ** [[檀君紀元|檀紀]]3902年 * [[元号一覧 (ベトナム)|ベトナム]] ** [[莫朝]] : [[崇康]]4年 ** [[黎朝|後黎朝]] : [[正治 (黎朝)|正治]]12年 * [[仏滅紀元]] : 2111年 - 2112年 * [[ヒジュラ暦|イスラム暦]] : 976年 - 977年 * [[ユダヤ暦]] : 5329年 - 5330年 {{Clear}} == カレンダー == {{年間カレンダー|年=1569|Type=J|表題=可視}} == できごと == * 11月 - [[イングランド王国|イングランド]]で北部[[カトリック]]貴族が蜂起するも失敗({{仮リンク|北部諸侯の乱|en|Rising of the North}}) === 日本 === * [[1月14日]](永禄11年[[12月27日 (旧暦)|12月27日]]) - [[徳川家康]]が[[今川氏真]]が籠る[[遠江国|遠江]][[掛川城]]を包囲する。 * 7月 - [[八流の戦い]]にて[[長宗我部元親]]が[[土佐国|土佐]]東部を平定。 * [[北条氏康]]と[[上杉謙信|上杉輝虎]]が[[越相同盟]]を締結。 == 誕生 == {{see also|Category:1569年生}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[8月31日]] - [[ジャハーンギール]]、ムガル帝国第4代皇帝(+ [[1627年]]) <!--* [[9月]] - [[バース=ウェルズ司教アーサー]]、キングジェームズ聖書の翻訳家(+ [[1626年]]) * [[リヒテンシュタインのカール]]、リヒテンシュタイン王子(+ [[1627年]]) * [[ウィリアム・モンソン (海軍士官)|ウィリアム・モンソン]]、英国の提督家(+ [[1643年]])--> * [[淀殿]]、[[豊臣秀吉]]の[[側室]](+ [[1615年]]) * [[豊臣秀勝]]、豊臣秀吉の[[甥]](+ [[1592年]]) == 死去 == {{see also|Category:1569年没}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> <!--== 脚注 == '''注釈''' {{Reflist|group="注"}} '''出典''' {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 参考文献 == --> == 関連項目 == {{Commonscat|1569}} * [[年の一覧]] * [[年表]] * [[年表一覧]] <!-- == 外部リンク == --> {{十年紀と各年|世紀=16|年代=1500}} {{デフォルトソート:1569ねん}} [[Category:1569年|*]]
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1554年
1554年(1554 ねん)は、西暦(ユリウス暦)による、平年。
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1554年は、西暦(ユリウス暦)による、平年。
{{年代ナビ|1554}} {{year-definition|1554}} == 他の紀年法 == {{他の紀年法}} * [[干支]] : [[甲寅]] * [[元号一覧 (日本)|日本]] ** [[天文 (元号)|天文]]23年 ** [[神武天皇即位紀元|皇紀]]2214年 * [[元号一覧 (中国)|中国]] ** [[明]] : [[嘉靖]]33年 * [[元号一覧 (朝鮮)|朝鮮]] ** [[李氏朝鮮]] : [[明宗 (朝鮮王)|明宗]]9年 ** [[檀君紀元|檀紀]]3887年 * [[元号一覧 (ベトナム)|ベトナム]] ** [[莫朝]] : [[光宝]]元年 ** [[黎朝|後黎朝]] : [[順平]]6年 * [[仏滅紀元]] : 2096年 - 2097年 * [[ヒジュラ暦|イスラム暦]] : 961年 - 962年 * [[ユダヤ暦]] : 5314年 - 5315年 {{Clear}} == カレンダー == {{年間カレンダー|年=1554|Type=J|表題=可視}} == できごと == <!--* [[1月25日]] - [[サンパウロ]]が創設の市制施行が誕生。--> * [[尼子晴久]]、[[尼子国久]]ら新宮党を粛清{{要出典|date=2021-03}} * [[武田信玄|武田晴信]]と[[北条氏康]]と[[今川義元]]が[[甲相駿三国同盟]]を締結。 == 誕生 == {{see also|Category:1554年生}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> == 死去 == {{see also|Category:1554年没}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[10月28日]](天文23年[[10月2日 (旧暦)|10月2日]])? - [[山崎宗鑑]]、[[連歌]]・[[俳諧|俳諧師]](* [[1465年]]?) <!--== 脚注 == '''注釈''' {{Reflist|group="注"}} '''出典''' {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 参考文献 == --> == 関連項目 == {{Commonscat|1554}} * [[年の一覧]] * [[年表]] * [[年表一覧]] <!-- == 外部リンク == --> {{十年紀と各年|世紀=16|年代=1500}} {{デフォルトソート:1554ねん}} [[Category:1554年|*]]
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14,552
1593年
1593年(1593 ねん)は、西暦(グレゴリオ暦)による、金曜日から始まる平年。
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1593年は、西暦(グレゴリオ暦)による、金曜日から始まる平年。
{{年代ナビ|1593}} {{year-definition|1593}} == 他の紀年法 == {{他の紀年法}} * [[干支]] : [[癸巳]] * [[元号一覧 (日本)|日本]] ** [[天正]]20年11月29日 - 12月7日、[[文禄]]元年12月8日 - 2年11月9日 ** [[神武天皇即位紀元|皇紀]]2253年 * [[元号一覧 (中国)|中国]] ** [[明]] : [[万暦]]21年 * [[元号一覧 (朝鮮)|朝鮮]] ** [[李氏朝鮮]] : [[宣祖]]26年 ** [[檀君紀元|檀紀]]3925年 * [[元号一覧 (ベトナム)|ベトナム]] ** [[黎朝|後黎朝]] : [[光興 (黎朝)|光興]]16年 *** [[莫朝|莫朝・高平莫氏]] : [[武安]]元年12月 - 2年正月、[[宝定]]元年12月、[[康佑]]元年正月、[[乾統 (莫朝)|乾統]]元年3月 - * [[仏滅紀元]] : 2135年 - 2136年 * [[ヒジュラ暦|イスラム暦]] : 1001年 - 1002年 * [[ユダヤ暦]] : 5353年 - 5354年 * [[ユリウス暦]] : 1592年12月22日 - 1593年12月21日 {{Clear}} == カレンダー == {{年間カレンダー|年=1593}} == できごと == * [[1月10日]](天正20年[[12月8日 (旧暦)|12月8日]]) - 日本、[[改元]]して[[文禄]]元年{{要出典|date=2021-02}} * [[2月27日]](文禄2年1月26日) - [[碧蹄館の戦い]]{{要出典|date=2021-03}}。 * [[3月14日]](文禄2年2月12日) - [[幸州山城の戦い]]。 * [[8月5日]](文禄2年[[7月9日 (旧暦)|7月9日]]) - 前年(天正20年[[4月12日 (旧暦)|4月12日]])に開戦した[[文禄・慶長の役#文禄の役|文禄の役]](日本・[[李氏朝鮮]])の休戦 * [[11月27日]](文禄2年[[10月5日 (旧暦)|10月5日]]) - この日より3日間、[[豊臣秀吉]]が[[後陽成天皇]]を前に「禁中御能」を開き、[[徳川家康]]・[[前田利家]]とともに[[狂言]]『耳引』(現在の『[[居杭]]』)を自ら演じる。 * 豊臣秀吉は[[松前慶広]]に樺太の先住民である[[アイヌ]]の保護を行うとともに、諸国から集まる人々を取り締った。 * [[小笠原貞頼]]が[[小笠原諸島]]を発見した年とされる。 == 誕生 == {{see also|Category:1593年生}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[3月3日]](文禄2年[[2月1日 (旧暦)|2月1日]]) - [[豊臣土丸]]、[[豊臣秀次]]四男(+ [[1595年]]) * [[3月19日]] - [[ジョルジュ・ド・ラ・トゥール]]、[[画家]](+ [[1652年]]) * [[4月13日]] - [[トマス・ウェントワース (初代ストラフォード伯爵)|ストラフォード伯爵トマス・ウェントワース]]、[[イングランド]]の政治家(+ [[1641年]]{{sfn|松村赳|富田虎男|2000| p=720}}) * [[5月19日]] - [[ヤーコブ・ヨルダーンス]]、画家(+ [[1678年]]) * [[7月8日]] - [[アルテミジア・ジェンティレスキ]]、画家(+ [[1653年]]) * [[8月29日]](文禄2年[[8月3日 (旧暦)|8月3日]]) - [[豊臣秀頼]]、[[大名]]・[[天下人]](+ [[1615年]]) * [[9月22日]] - [[マテウス・メーリアン]]、[[版画家]]・[[製図]]家(+ [[1650年]]) == 死去 == {{see also|Category:1593年没}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[2月6日]]([[文禄]]2年[[1月5日 (旧暦)|1月5日]]) - [[正親町天皇]]、第105代[[天皇]](* [[1517年]]) * [[7月11日]] - [[ジュゼッペ・アルチンボルド]]、[[画家]](* [[1527年]]) * [[8月28日]] - [[ルートヴィヒ (ヴュルテンベルク公)|ルートヴィヒ敬虔公]]、[[ヴュルテンベルク君主一覧#ヴュルテンベルク公(1495年から1803年まで)|ヴュルテンベルク公]](* [[1554年]]) * [[徐渭]]、画家・書家・劇作家(* [[1521年]]) == 脚注 == '''注釈''' {{Reflist|group="注"}} '''出典''' {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} <!-- == 参考文献 == --> == 関連項目 == {{Commonscat|1593}} * [[年の一覧]] * [[年表]] * [[年表一覧]] <!-- == 外部リンク == --> {{十年紀と各年|世紀=16|年代=1500}} {{デフォルトソート:1593ねん}} [[Category:1593年|*]]
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1138年
1138年(1138 ねん)は、西暦(ユリウス暦)による、平年。
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1138年は、西暦(ユリウス暦)による、平年。
{{年代ナビ|1138}} {{year-definition|1138}} == 他の紀年法 == * [[干支]] : [[戊午]] * [[日本]] ** [[保延]]4年 ** [[皇紀]]1798年 * [[中国]] ** [[南宋]] : [[紹興 (宋)|紹興]]8年 ** [[金 (王朝)|金]] : [[天眷]]元年 ** [[西夏]] : [[大徳 (西夏)|大徳]]4年 ** [[西遼]] : [[康国]]5年 * [[朝鮮]] * [[ベトナム]] ** [[李朝 (ベトナム)|李朝]] : [[天彰宝嗣]]6年、[[紹明]]元年 * [[仏滅紀元]] : * [[ユダヤ暦]] : {{Clear}} == カレンダー == {{年間カレンダー|年=1138|Type=J|表題=可視}} == できごと == {{節スタブ}} *[[コンラート3世 (神聖ローマ皇帝)|コンラート3世]]が[[ホーエンシュタウフェン朝]]の初代[[ローマ王]]に即位。 * [[シリア]]で[[アレッポ地震]]が発生。死者約23万人。 == 誕生 == {{see also|Category:1138年生}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[3月30日]](保延4年[[2月18日 (旧暦)|2月18日]]) - [[勝賢]]、[[平安時代]]の[[真言宗]]の[[僧]](+ [[1196年]]) * [[カジミェシュ2世]]、[[長子領|ポーランド公]](+ [[1194年]]) * [[金子家忠]]、平安時代、[[鎌倉時代]]の[[武将]](+ [[1216年]]) * [[サラーフッディーン]]、[[アイユーブ朝]]の始祖(+ [[1193年]]) * [[平重盛]]、平安時代の武将、[[公卿]](+ [[1179年]]) * [[藤原兼長]]、平安時代の公卿(+ [[1158年]]) * [[藤原成親]]、平安時代の公卿(+ [[1177年]]) * [[藤原師長]]、平安時代の公卿(+ [[1192年]]) * [[北条時政]]、平安時代、鎌倉時代の武将、[[鎌倉幕府]]の初代[[執権]](+ [[1215年]]) * [[ギラウト・デ・ボルネーユ]]、[[フランス]]の[[トルバドゥール]](+ [[1215年]]) * [[ミカエル・コニアテス]]、[[東ローマ帝国]]、[[ニケーア帝国]]の[[神学者]]、[[詩人]](+ [[1220年]]) == 死去 == {{see also|Category:1138年没}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[10月28日]] - [[ボレスワフ3世クシヴォウスティ]]、[[ポーランド王国|ポーランド王]](* [[1085年]]) * [[11月18日]](保延4年[[10月14日 (旧暦)|10月14日]]) - [[忠尋]]、[[平安時代]]の[[天台宗]]の[[僧]](* [[1065年]]) * [[イブン・バーッジャ]]、[[サラゴサ]]出身の[[イスラーム哲学|イスラーム哲学者]](* [[1095年]]?) <!-- == 脚注 == '''注釈''' {{Reflist|group="注"}} '''出典''' {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 参考文献 == --> == 関連項目 == {{Commonscat|1138}} * [[年の一覧]] * [[年表]] * [[年表一覧]] <!-- == 外部リンク == --> {{十年紀と各年|世紀=12|年代=1100}} {{デフォルトソート:1138ねん}} [[Category:1138年|*]]
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14,554
1204年
1204年(1204 ねん)は、西暦(ユリウス暦)による、閏年。
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1204年は、西暦(ユリウス暦)による、閏年。
{{年代ナビ|1204}} {{year-definition|1204}} == 他の紀年法 == {{他の紀年法}} * [[干支]] : [[甲子]] * [[元号一覧 (日本)|日本]] ** [[建仁]]4年、[[元久]]元年[[2月20日 (旧暦)|2月20日]] - ** [[神武天皇即位紀元|皇紀]]1864年 * [[元号一覧 (中国)|中国]] ** [[南宋]] : [[嘉泰 (宋)|嘉泰]]4年 ** [[金 (王朝)|金]] : [[泰和 (金)|泰和]]4年 * 中国周辺 ** [[西遼]] : [[天禧 (西遼)|天禧]]27年? ** [[西夏]]{{Sup|*}} : [[天慶 (西夏)|天慶]]11年 ** [[大理国]] : [[元寿 (大理)|元寿]]末年 * [[元号一覧 (朝鮮)|朝鮮]] ** [[高麗]] : [[神宗 (高麗王)|神宗]]7年 ** [[檀君紀元|檀紀]] : 3537年 * [[元号一覧 (ベトナム)|ベトナム]] ** [[李朝 (ベトナム)|李朝]] : [[天嘉宝祐]]3年 * [[仏滅紀元]] : 1746年 - 1747年 * [[ヒジュラ暦|イスラム暦]] : 600年 - 601年 * [[ユダヤ暦]] : 4964年 - 4965年 {{Clear}} == カレンダー == {{年間カレンダー|年=1204|Type=J|表題=可視}} == できごと == *[[2月21日]]、[[藤原定家]]の『[[明月記]]』によると京都で[[オーロラ (代表的なトピック)|オーロラ]]と推測される「赤気(せっき)」が目撃されている{{sfn|中沢|1999|p=96}}{{sfn|上出|2010|p=78}}<ref>{{Cite web|和書|title=オーロラが最も見えやすかったのは「鎌倉時代」…藤原定家「明月記」にある「赤い光」と合致 : 科学・IT : ニュース|url=https://www.yomiuri.co.jp/science/20210917-OYT1T50161/|website=読売新聞オンライン|date=2021-09-17|accessdate=2021-09-17|language=ja}}</ref>。 *[[4月12日]] - [[第4回十字軍]]が[[東ローマ帝国]]の首都[[コンスタンティノポリス]]を陥落させ、東ローマ帝国はいったん滅亡。皇族たちが[[ニカイア帝国]]など各地に亡命政権を樹立する。 * [[源頼家]]が[[修禅寺]]で殺される。 == 誕生 == {{see also|Category:1204年生}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[6月4日]](元久元年[[5月5日 (旧暦)|5月5日]]) - [[笠間時朝]]、[[鎌倉時代]]の[[武将]](+ [[1265年]]) * [[アンナ・プシェミシリトカ]]、シロンスク=ヴロツワフ公[[ヘンリク2世]]の妃(+ [[1265年]]) * [[エンリケ1世 (カスティーリャ王)|エンリケ1世]]、[[カスティーリャ王国|カスティーリャ王]](+ [[1217年]]) * [[道覚法親王]]、鎌倉時代の[[皇族]]、[[天台宗]]の[[僧]](+ [[1250年]]) * [[ハインリヒ・ラスペ (テューリンゲン方伯)|ハインリヒ・ラスペ]]、[[テューリンゲンの君主一覧|テューリンゲン方伯]](+ [[1247年]]) * [[ホーコン4世 (ノルウェー王)|ホーコン4世]]、[[ノルウェー君主一覧|ノルウェー王]](+ [[1263年]]) * [[武藤景頼]]、鎌倉時代の武将(+ [[1267年]]) == 死去 == {{see also|Category:1204年没}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[1月1日]] - [[ホーコン3世 (ノルウェー王)|ホーコン3世]]、[[ノルウェー君主一覧|ノルウェー王]](* [[1180年]]) * [[1月28日]] - [[イサキオス2世アンゲロス]]、[[東ローマ帝国]][[アンゲロス王朝]]の初代[[皇帝]](* [[1156年]]) * [[2月8日]] - [[アレクシオス4世アンゲロス]]、東ローマ帝国アンゲロス王朝の第3代皇帝(* [[1182年]]) * [[4月1日]] - [[アリエノール・ダキテーヌ]]、[[イングランド王国|イングランド]]王[[ヘンリー2世 (イングランド王)|ヘンリー2世]]の王妃(* [[1124年]]) * [[8月14日]](元久元年[[7月18日 (旧暦)|7月18日]]) - [[源頼家]]、[[鎌倉幕府]]第2代[[征夷大将軍|将軍]](* [[1182年]]) * [[9月1日]](元久元年[[8月6日 (旧暦)|8月6日]]) - [[宇都宮朝綱]]、[[平安時代]]、[[鎌倉時代]]の[[武将]](* [[1122年]]) * [[11月27日]](元久元年[[11月5日 (旧暦)|11月5日]]) - [[北条政範]]、鎌倉時代の武将(* [[1189年]]) * [[11月30日]] - [[イムレ (ハンガリー王)|イムレ]]、[[ハンガリー王国]][[アールパード朝]]の[[国王]](* [[1174年]]) * [[12月13日]] - [[モーシェ・ベン=マイモーン]]、[[コルドバ (スペイン)|コルドバ]]出身の[[ユダヤ教|ユダヤ教徒]]の[[ラビ]]、[[哲学者]]、[[博学者]](* [[1135年]]) * [[12月29日]](元久元年[[11月30日 (旧暦)|11月30日]]) - [[藤原俊成]]、平安時代、鎌倉時代の[[公卿]]、[[歌人]](* [[1114年]]) * [[アルペトラギウス]]、[[モロッコ]]出身の[[天文学者]]、[[哲学者]](* 生年未詳) * [[アレクシオス5世ドゥーカス]]、東ローマ帝国アンゲロス王朝の第4代[[皇帝]](* 生年未詳) * [[イルカ・セングン]]、[[ケレイト]]王国の王子(* 生年未詳) * [[神宗 (高麗王)|神宗]]、第20代[[高麗王]](* [[1144年]]) * [[タヤン・ハン]]、[[ナイマン]]部の[[ハーン|汗]](* 生年未詳) * [[段智廉]]、[[大理国]]の第19代国王(* 生年未詳) == 脚注 == {{Reflist}} == 参考文献 == * {{Cite journal|和書 |date=1999-02 |last=中沢|first=陽 |title=日本における低緯度オーロラの記録について |journal = [[天文雑誌#日本語の天文雑誌|天文月報]]|publisher=[[日本天文学会]]|volume=92|issue=2|pages=94-101 |url=https://www.asj.or.jp/geppou/archive_open/1999/pdf/19990203c.pdf |naid=10002142945 |accessdate=2012-10-05 |ref=harv}} * {{Cite book|和書 |date=2010-10 |last=上出|first=洋介|authorlink=上出洋介 |title=オーロラの科学 — 人はなぜオーロラにひかれるのか |publisher=[[誠文堂新光社]] |isbn=978-4416210253 |ref=harv}} == 関連項目 == {{Commonscat|1204}} * [[年の一覧]] * [[年表]] * [[年表一覧]] <!-- == 外部リンク == --> {{十年紀と各年|世紀=13|年代=1200}} {{デフォルトソート:1204ねん}} [[Category:1204年|*]]
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1505年
1505年(1505 ねん)は、西暦(ユリウス暦)による、平年。
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1505年は、西暦(ユリウス暦)による、平年。
{{年代ナビ|1505}} {{year-definition|1505}} == 他の紀年法 == {{他の紀年法}} * [[干支]] : [[乙丑]] * [[元号一覧 (日本)|日本]] ** [[永正]]2年 ** [[神武天皇即位紀元|皇紀]]2165年 * [[元号一覧 (中国)|中国]] ** [[明]] : [[弘治 (明)|弘治]]18年 * [[元号一覧 (朝鮮)|朝鮮]] ** [[李氏朝鮮]] : [[燕山君]]11年 ** [[檀君紀元|檀紀]]3838年 * [[元号一覧 (ベトナム)|ベトナム]] ** [[黎朝|後黎朝]] : [[端慶]]元年 * [[仏滅紀元]] : 2047年 - 2048年 * [[ヒジュラ暦|イスラム暦]] : 910年 - 911年 * [[ユダヤ暦]] : 5265年 - 5266年 {{Clear}} == カレンダー == {{年間カレンダー|年=1505|Type=J|表題=可視}} == できごと == * この頃、[[ポルトガル]]人が[[モーリシャス]]島をヨーロッパ人としてはじめて訪れる。 == 誕生 == {{see also|Category:1505年生}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[1月9日]] - [[ヨアヒム2世 (ブランデンブルク選帝侯)|ヨアヒム2世]]、[[ブランデンブルク辺境伯|ブランデンブルク選帝侯]](+ [[1571年]]) * [[9月17日]] - [[マリア・フォン・エスターライヒ]]、[[ハンガリー王国|ハンガリー]]と[[ボヘミア]]の王[[ラヨシュ2世 (ハンガリー王)|ラヨシュ2世]]の王妃(+ [[1558年]]) * [[朝倉景紀]]、[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]の[[武将]](+ [[1572年]]) * [[姉小路済俊]]、戦国時代の[[公家]](+ [[1527年]]) * [[阿部定吉]]、戦国時代の武将(+ [[1549年]]) * [[菊池義武]]、戦国時代の武将、[[肥後国|肥後]][[菊池氏]]の当主(+ [[1554年]]) * [[小早川興平]]、戦国時代の武将、[[沼田小早川氏]]の当主(+ [[1527年]]) * [[椎津行憲]]、戦国時代の武将(+ [[1538年]]) * [[パンチェン・ラマ3世]]、第3代の[[パンチェン・ラマ]](+ [[1567年]]) * [[松平清善]]、戦国時代の武将、[[竹谷松平家]]当主(+ [[1587年]]) * [[守矢頼真]]、戦国時代の神職、[[諏訪大社]]の神長官(+ [[1597年]]) * [[吉江宗信]]、戦国時代の武将(+ [[1582年]]) == 死去 == {{see also|Category:1505年没}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[2月4日]] - [[ジャンヌ・ド・フランス (1464-1505)|ジャンヌ・ド・フランス]]、[[フランス王国|フランス]]王[[ルイ12世 (フランス王)|ルイ12世]]の最初の王妃(* [[1464年]]) * [[3月30日]](永正2年[[2月15日 (旧暦)|2月15日]]) - [[武田元綱]]、[[室町時代]]、[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]の[[武将]]、[[武田氏#安芸武田氏|安芸武田氏]]の当主(* [[1441年]]) * [[5月7日]](永正2年[[4月4日 (旧暦)|4月4日]]) - [[朝倉景総]]、戦国時代の武将(* 生年未詳) * [[5月18日]](永正2年[[4月15日 (旧暦)|4月15日]]) - [[里見成義]]、室町時代、戦国時代の武将、[[里見氏|安房里見氏]]の第2代当主(* [[1448年]]) * [[5月20日]](永正2年[[4月17日 (旧暦)|4月17日]]) - [[斎藤利為]]、室町時代、戦国時代の武将(* 生年未詳) * [[6月8日]](弘治18年[[5月7日 (旧暦)|5月7日]]) - [[弘治帝]]、[[明]]の第10代皇帝(+ [[1470年]]) * [[6月15日]] - [[エルコレ1世・デステ]]、[[フェラーラとモデナの君主一覧|フェラーラ公]](* [[1431年]]) * [[7月20日]](永正2年[[6月19日 (旧暦)|6月19日]]) - [[近衛政家]]、室町時代、戦国時代の[[公卿]]、[[藤原北家]][[摂家]][[近衛家]]の第13代当主(* [[1444年]]) * [[8月30日]] - [[エリーザベト・フォン・ハプスブルク]]、[[ポーランド王国|ポーランド]]王および[[リトアニア大公国|リトアニア大公]]の[[カジミェシュ4世 (ポーランド王)|カジミェシュ4世]]の妃(* [[1437年]]?) * [[10月13日]](永正2年[[9月16日 (旧暦)|9月16日]]) - [[武田信昌]]、室町時代、戦国時代の[[戦国大名]]、[[甲斐国]]の[[守護大名]]、[[武田氏|甲斐武田氏]]の第16代当主(* [[1447年]]) * [[10月27日]] - [[イヴァン3世]]、[[モスクワ大公国|モスクワ大公]](* [[1440年]]) * [[12月18日]](永正2年[[11月13日 (旧暦)|11月13日]]) - [[古市胤栄]]、戦国時代の武将、[[僧]](* [[1439年]]) * [[ヤーコプ・オブレヒト]]、[[ベルギー]]の[[フランドル楽派]]の[[作曲家]](* 1457年/1458年) <!--== 脚注 == '''注釈''' {{Reflist|group="注"}} '''出典''' {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}}--> <!-- == 参考文献 == --> == 関連項目 == {{Commonscat|1505}} * [[年の一覧]] * [[年表]] * [[年表一覧]] <!-- == 外部リンク == --> {{十年紀と各年|世紀=16|年代=1500}} {{デフォルトソート:1505ねん}} [[Category:1505年|*]]
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1387年
1387年(1387 ねん)は、西暦(ユリウス暦)による、平年。
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1387年は、西暦(ユリウス暦)による、平年。
{{年代ナビ|1387}} {{year-definition|1387}} == 他の紀年法 == {{他の紀年法}} * [[干支]] : [[丁卯]] * [[元号一覧 (日本)|日本]] ** [[南朝 (日本)|南朝]] : [[元中]]4年 ** [[北朝 (日本)|北朝]] : [[至徳 (日本)|至徳]]4年、[[嘉慶 (日本)|嘉慶]]元年[[8月23日 (旧暦)|8月23日]] - ** [[神武天皇即位紀元|皇紀]]2047年 * [[元号一覧 (中国)|中国]] ** [[明]] : [[洪武]]20年 * 中国周辺 ** [[北元]] : [[天元 (北元)|天元]]9年 * [[元号一覧 (朝鮮)|朝鮮]] ** [[高麗]] : [[王禑|辛禑]]13年 ** [[檀君紀元|檀紀]]3720年 * [[元号一覧 (ベトナム)|ベトナム]] ** [[陳朝]] : [[昌符]]11年 * [[仏滅紀元]] : 1929年 - 1930年 * [[ヒジュラ暦|イスラム暦]] : 788年 - 789年 * [[ユダヤ暦]] : 5147年 - 5148年 {{Clear}} == カレンダー == {{年間カレンダー|年=1387|Type=J|表題=可視}} == できごと == * [[10月5日]](嘉慶元年/元中4年[[8月23日 (旧暦)|8月23日]]) - [[北朝 (日本)|北朝]]が至徳より嘉慶に[[改元]] == 誕生 == {{see also|Category:1387年生}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[7月6日]] - [[ブランカ1世 (ナバラ女王)|ブランカ1世]]、[[ナバラ王国]]の女王(+ [[1441年]]) * [[9月16日]] - [[ヘンリー5世 (イングランド王)|ヘンリー5世]]<ref>[https://www.britannica.com/biography/Henry-V-king-of-England Henry V king of England] [[ブリタニカ百科事典|Encyclopædia Britannica]]</ref>、[[ランカスター朝]]の[[イングランド王国|イングランド]]国王(+ [[1422年]]) * [[フラ・アンジェリコ]]、[[イタリア]]の[[ルネサンス]]期の[[画家]](+ [[1455年]]) * [[飯篠家直]]、[[室町時代]]の[[武士]]、[[天真正伝香取神道流]]の創始者(+ [[1488年]]) * [[日野有光]]、室町時代の[[公卿]](+ [[1443年]]) == 死去 == {{see also|Category:1387年没}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[1月1日]] - [[カルロス2世 (ナバラ王)|カルロス2世]]、[[ナバラ王国|ナバラ王]]、[[エヴルー]]伯(* [[1332年]]) * [[1月6日]] - [[ペドロ4世 (アラゴン王)|ペドロ4世]]、[[アラゴン王国|アラゴン王]]、[[バレンシア王国|バレンシア王]]、[[バルセロナ伯]](* [[1319年]]) * [[1月16日]] - [[エリザベタ・コトロマニッチ]]、[[ハンガリー王国|ハンガリー]]王兼[[ポーランド王国|ポーランド]]王[[ラヨシュ1世 (ハンガリー王)|ラヨシュ1世]]の2番目の妃(* [[1340年]]) * [[3月10日]](嘉慶元年/元中4年[[2月20日 (旧暦)|2月20日]]) - [[抜隊得勝]]、[[南北朝時代 (日本)|南北朝時代]]の[[僧]]、[[臨済宗向嶽寺派]]の祖(* [[1327年]]) * [[6月20日]](至徳4年/元中4年閏[[5月4日 (旧暦)|5月4日]]) - [[島津氏久]]、南北朝時代の武将、[[島津氏]]の第6代当主(* [[1328年]]) * [[8月23日]] - [[オーロフ2世 (デンマーク王)|オーロフ2世]]、[[デンマーク]]王、[[ノルウェー]]王(* [[1370年]]) * [[11月30日]](嘉慶元年/元中4年[[10月19日 (旧暦)|10月19日]]) - [[細川氏春]]、南北朝時代の[[武将]](* 生年未詳) == 脚注 == '''注釈''' {{Reflist|group="注"}} '''出典''' {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} <!-- == 参考文献 == --> == 関連項目 == {{Commonscat|1387}} * [[年の一覧]] * [[年表]] * [[年表一覧]] <!-- == 外部リンク == --> {{十年紀と各年|世紀=14|年代=1300}} {{デフォルトソート:1387ねん}} [[Category:1387年|*]]
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1208年
1208年(1208 ねん)は、西暦(ユリウス暦)による、閏年。
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1208年は、西暦(ユリウス暦)による、閏年。
{{年代ナビ|1208}} {{year-definition|1208}} == 他の紀年法 == {{他の紀年法}} * [[干支]] : [[戊辰]] * [[元号一覧 (日本)|日本]] ** [[承元]]2年 ** [[神武天皇即位紀元|皇紀]]1868年 * [[元号一覧 (中国)|中国]] ** [[南宋]] : [[嘉定 (南宋)|嘉定]]元年 ** [[金 (王朝)|金]] : [[泰和 (金)|泰和]]8年 * 中国周辺 ** [[西遼]] : [[天禧 (西遼)|天禧]]31年? ** [[西夏]]{{Sup|*}} : [[応天 (西夏)|応天]]3年 ** [[モンゴル帝国]]{{Sup|*}} : 太祖([[チンギス・カン|チンギス・ハーン]])3年 ** [[大理国]] : [[天開 (大理)|天開]]4年 * [[元号一覧 (朝鮮)|朝鮮]] ** [[高麗]] : [[熙宗 (高麗王)|熙宗]]4年 ** [[檀君紀元|檀紀]] : 3541年 * [[元号一覧 (ベトナム)|ベトナム]] ** [[李朝 (ベトナム)|李朝]] : [[治平龍応]]4年 * [[仏滅紀元]] : 1750年 - 1751年 * [[ヒジュラ暦|イスラム暦]] : 604年 - 605年 * [[ユダヤ暦]] : 4968年 - 4969年 {{Clear}} == カレンダー == {{年間カレンダー|年=1208|Type=J|表題=可視}} == できごと == == 誕生 == {{see also|Category:1208年生}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[2月2日]] - [[ハイメ1世 (アラゴン王)|ハイメ1世]]<ref>[https://www.britannica.com/biography//James-I-king-of-Aragon James I king of Aragon] [[ブリタニカ百科事典|Encyclopædia Britannica]]</ref>、[[アラゴン王国|アラゴン王]]、[[バルセロナ伯]]、[[モンペリエ]]の領主(+ [[1276年]]) * [[11月14日]](承元2年[[10月5日 (旧暦)|10月5日]]) - [[千葉胤綱]]、[[鎌倉時代]]の[[武将]]、[[千葉氏]]の第6代当主(+ [[1228年]]) * [[新田政氏]]、鎌倉時代の武将、[[新田氏]]の第5代当主(+ [[1271年]]) * [[北条実泰]]、鎌倉時代の武将(+ [[1263年]]) * [[ボレスワフ1世 (マゾフシェ公)|ボレスワフ1世]]、[[マゾフシェ公国|マゾフシェ公]](+ [[1248年]]) * [[シモン・ド・モンフォール]]、[[レスター伯]](+ [[1265年]]) * [[隆弁]]、鎌倉時代の[[天台宗]][[寺門派]]の[[僧]]、[[歌人]](+ [[1283年]]) == 死去 == {{see also|Category:1208年没}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[6月21日]] - [[フィリップ (神聖ローマ皇帝)|フィリップ]]、[[ホーエンシュタウフェン朝]]の[[ローマ王]](* [[1178年]]) * [[イレーネー・アンゲリナ]]、[[ローマ王]][[フィリップ (神聖ローマ皇帝)|フィリップ]]の妃(* 1177年/1181年) * [[章宗 (金)|章宗]]、[[金 (王朝)|金]]の第6代[[皇帝]](* [[1168年]]) == 脚注 == '''注釈''' {{Reflist|group="注"}} '''出典''' {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} <!-- == 参考文献 == --> == 関連項目 == {{Commonscat|1208}} * [[年の一覧]] * [[年表]] * [[年表一覧]] <!-- == 外部リンク == --> {{十年紀と各年|世紀=13|年代=1200}} {{デフォルトソート:1208ねん}} [[Category:1208年|*]]
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1100年
1100年(1100 ねん)は、西暦(ユリウス暦)による、閏年。
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1100年は、西暦(ユリウス暦)による、閏年。
{{年代ナビ|1100}} {{year-definition|1100}} == 他の紀年法 == * [[干支]] : [[庚辰]] * [[日本]] ** [[康和]]2年 ** [[皇紀]]1760年 * [[中国]] ** [[北宋]] : [[元符]]3年 ** [[遼]] : [[寿昌]]6年 ** [[西夏]] : [[永安 (西夏)|永安]]3年 ** [[大理国]] : [[開明 (大理)|開明]]4年 * [[朝鮮]] * [[ベトナム]] ** [[李朝 (ベトナム)|李朝]] : [[会豊]]9年 * [[仏滅紀元]] : * [[ユダヤ暦]] : * [[ユリウス暦]]:1145年 {{Clear}} == カレンダー == {{年間カレンダー|年=1100|Type=J|表題=可視}} == できごと == * [[イングランド王国]]、[[ヘンリー1世 (イングランド王)|ヘンリー1世]]が、第3代国王に即位(+ [[1135年]]) * [[北宋]]、[[徽宗]]が第8代皇帝に即位(+ [[1125年]]) == 誕生 == {{see also|Category:1100年生}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[寛遍]]、[[平安時代]]の[[真言宗]]の[[僧]](+ [[1166年]]) * [[欽宗]]、[[北宋]]の第9代皇帝(+ [[1161年]]) * [[豊原時秋]]、平安時代の[[公家]]、[[楽人]](+ 没年未詳) * [[ジェフリー・オブ・モンマス]]、[[イングランド]]の聖職者(+ [[1155年]]?) * [[ペトルス・ロンバルドゥス]]、[[カトリック教会|ローマ・カトリック教会]]の[[司教]]、[[スコラ学|スコラ]][[神学者]](+ [[1160年]]) == 死去 == {{see also|Category:1100年没}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[7月18日]] - [[ゴドフロワ・ド・ブイヨン]]、[[ブローニュ]]伯、[[第1回十字軍]]の指導者の1人(* [[1060年]]?) * [[8月2日]] - [[ウィリアム2世 (イングランド王)|ウィリアム2世]]、[[ノルマン朝]][[イングランド王国|イングランド]]の第2代国王(* [[1060年]]?) * [[8月21日]](康和2年[[7月14日 (旧暦)|7月14日]]) - [[隆禅]]、[[平安時代]]の[[法相宗]]の[[僧]](* [[1038年]]) * [[秦観]]、[[北宋]]の[[詩人]]、[[政治家]](* [[1049年]]) * [[哲宗 (宋)|哲宗]]{{要出典|date=2021-03}}、北宋の第7代[[皇帝]](* [[1076年]]) <!-- == 脚注 == '''注釈''' {{Reflist|group="注"}} '''出典''' {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 参考文献 == --> == 関連項目 == {{Commonscat|1100}} * [[年の一覧]] * [[年表]] * [[年表一覧]] <!-- == 外部リンク == --> {{十年紀と各年|世紀=11|年代=1000}} {{デフォルトソート:1100ねん}} [[Category:1100年|*]]
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36
36(三十六、さんじゅうろく、みそむ、みそじあまりむつ)は、自然数、また整数において、35の次で37の前の数である。
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36(三十六、さんじゅうろく、みそむ、みそじあまりむつ)は、自然数、また整数において、35の次で37の前の数である。
{{整数|Decomposition=2{{sup|2}} × 3{{sup|2}}}} '''36'''('''三十六'''、さんじゅうろく、みそむ、みそじあまりむつ)は、[[自然数]]、また[[整数]]において、[[35]]の次で[[37]]の前の数である。 == 性質 == *36は[[合成数]]であり、正の[[約数]]は[[1]], [[2]], [[3]], [[4]], [[6]], [[9]], [[12]], [[18]], 36 である。 **[[約数の和]]は[[91]] 。 ***[[約数]]の和が奇数になる10番目の数である。1つ前は[[32]]、次は[[49]]。 ***6番目の過剰数である。1つ前は[[30]]、次は[[40]]。 **約数を9個もつ最小の数である。次は[[100]]。 ***[[約数]]を ''n'' 個もつ最小の数とみたとき。1つ前の8個は[[24]]、次の10個は[[48]]。({{OEIS|A005179}}) ***7番目の[[高度合成数]]である。1つ前は[[24]]、次は[[48]]。 **[[約数]]の積は10077696 = 6{{sup|9}}になる。 ***約数の積の値がそれ以前の数を上回る13番目の数である。1つ前は[[30]]、次は[[48]]。({{OEIS|A034287}}) **自身を除く約数の和の約数の和が自身の2倍になる3番目の数である。1つ前は[[28]]、次は[[496]]。({{OEIS|A247111}}) **:例.σ(σ(36) − 36) = σ(55) = 72 = 36 × 2 (ただしσは[[約数関数]]) *{{sfrac|1|36}} = 0.02{{underline|7}}… (下線部は循環節で長さは1) **[[複偶数]](下2桁が 00、04、08、12、16、20、24、28、32、36、40、44、48、52、56、60、64、68、72、76、80、84、88、92、96 の数)で各桁の和が9の倍数となる数は全て36の倍数。 **[[逆数]]が[[循環小数]]になる数で[[循環節]]が1になる9番目の数である。1つ前は[[30]]、次は[[45]]。({{OEIS|A070021}}) ** {{sfrac|1|36}} = {{sfrac|1|100}}{{sub|(6)}} = 0.01{{sub|(6)}} 、{{sfrac|1|36}} = {{sfrac|1|30}}{{sub|(12)}} = 0.04{{sub|(12)}} *36 = 1 + 2 + 3 + 4 + 5 + 6 + 7 + 8 **8番目の[[三角数]]である。1つ前は[[28]]、次は[[45]]。 ***[[正八面体|八面]][[サイコロ]]の目の合計である。 ***[[三角数]]が[[過剰数]]になる最小の数である。次は[[66]]。({{OEIS|A074315}}) ***[[三角数]]が[[ハーシャッド数]]になる6番目の数である。1つ前は[[21]]、次は[[45]]。 *** 3つの[[正の数]]の[[立方数]]の和で表せる3番目の[[三角数]]である。1つ前は[[10]]、次は[[55]]。({{OEIS|A119977}}) ***36 = 15 + 21 ****2つの異なる三角数の和で表せる2番目の三角数である。1つ前は[[21]]、次は[[55]]。({{OEIS|A112352}}) *** ''n'' = 3 のときの 2{{sup|''n''}} 番目の三角数である。1つ前は[[10]]、次は[[136]]。({{OEIS|A007582}}) **** 36 = 2{{sup|2}} × (2{{sup|3}} + 1) *36 = [[6]]{{sup|2}} **6番目の[[平方数]]である。1つ前は[[25]]、次は[[49]]。 ***36 = 1 + 3 + 5 + 7 + 9 + 11 (6番目までの正の奇数の和)。 ** ''n'' = 2 のときの 6{{sup|''n''}} の値とみたとき、1つ前は[[6]]、次は[[216]]。 **2番目の[[平方三角数]]である。1つ前は[[1]]、次は[[1225]]。 ** [[完全数]]の[[平方数]]とみたとき最小、次は[[784]]。({{OEIS|A133051}}) * 36 = (2 × 3){{sup|2}} **''n'' = 2 のときの (3''n''){{sup|2}} の値とみたとき1つ前は[[9]]、次は[[81]]。({{OEIS|A016766}}) **''n'' = 3 のときの (2''n''){{sup|2}} の値とみたとき1つ前は[[16]]、次は[[64]]。({{OEIS|A016742}}) **素数 ''p'' = 3 のときの (2''p''){{sup|2}} の値とみたとき1つ前は[[16]]、次は[[100]]。({{OEIS|A069262}}) ** 36 = (1 × 2 × 3){{sup|2}} ***''n'' = 3 のときの (''n''!){{sup|2}} の値とみたとき1つ前は[[4]]、次は[[576]]。({{OEIS|A001044}}) *36 = 2{{sup|2}} × 3{{sup|2}} **2つの異なる[[素因数]]の積で ''p''{{sup|2}} × ''q''{{sup|2}} の形で表せる最小の数である。次は[[100]]。({{OEIS|A085986}}) **最初からの連続[[素数]]の平方の積である。1つ前は[[4]]、ただし連続とみたとき最小、次は[[900]]。 ** 2{{sup|''i''}} × 3{{sup|''j''}} (''i'' ≧ 1, ''j'' ≧ 1) で表せる5番目の数である。1つ前は[[24]]、次は[[48]]。({{OEIS|A033845}}) ** 36 = 3{{sup|2}} × 4 ***''n'' = 3 のときの ''n''{{sup|2}}(''n'' + 1) の値とみたとき1つ前は[[12]]、次は[[80]]。({{OEIS|A011379}}) *** ''n'' = 2 のときの (''n'' + 2)(''n'' + 1){{sup|''n''}} の値とみたとき1つ前は[[6]]、次は[[320]]。({{OEIS|A055541}}) ** 36 = 9 × 2{{sup|2}} *** ''n'' = 2 のときの 9 × 2{{sup|''n''}} の値とみたとき1つ前は[[18]]、次は[[72]]。({{OEIS|A005010}}) ** 36 = 9 × 4 *** ''n'' = 1 のときの 9 × 4{{sup|''n''}} の値とみたとき1つ前は[[9]]、次は[[144]]。({{OEIS|A002063}}) *36 = (1 + 2 + 3){{sup|2}} = 1{{sup|2}} × 2{{sup|2}} × 3{{sup|2}} **3連続整数の和の平方とみたとき自然数の範囲では最小、整数の範囲では1つ前は[[9]]、次は[[81]]。 **連続自然数の和の平方とみたとき1つ前は[[9]]、次は[[100]]。 **3連続整数の平方の積とみたとき自然数の範囲では最小、整数の範囲では1つ前は[[0]]、次は[[576]]。 **連続自然数の平方の積とみたとき1つ前は[[4]]、次は[[576]]。 * 36 = 1 × 2 × 3 × 6 ** 6 の約数の積で表せる数である。1つ前は[[5]]、次は[[7]]。({{OEIS|A007955}}) * 36 = (1 + 2 + 3) × (1 × 2 × 3) 。この形の1つ前は[[6]]、次は[[240]]。({{OEIS|A001286}}) * 36 = [[5]] + [[7]] + [[11]] + [[13]] **[[四つ子素数]]の和で表せる最小の数である。次は[[60]]。 ** 一般の四つ子素数の和は5の倍数になるが、これは唯一当てはまらない。 *36 = 1{{sup|2}} × 2{{sup|2}} × 3{{sup|2}} = 1{{sup|3}} + 2{{sup|3}} + 3{{sup|3}} **3連続整数の立方和で表せる数である。自然数の範囲では最小、次は[[99]]。整数の範囲だと1つ前は[[9]]。 **自然数の立方和とみたとき1つ前は[[9]]、次は [[100]]。 **''n'' = 3 のときの 1{{sup|''n''}} + 2{{sup|''n''}} + 3{{sup|''n''}} の値とみたとき1つ前は[[14]]、次は[[98]]。 **36 = 0{{sup|3}} + 1{{sup|3}} + 2{{sup|3}} + 3{{sup|3}} ***4連続整数の立方和とみたとき1つ前は[[8]]、次は[[100]]。ただし負の数を含めないときは最小である。 ** 3つの[[正の数]]の[[立方数]]の和1通りで表せる6番目の数である。1つ前は[[29]]、次は[[43]]。({{OEIS|A025395}}) **異なる3つの[[正の数]]の[[立方数]]の和1通りで表せる最小の数である。次は[[73]]。({{OEIS|A025399}}) **異なる3つの[[正の数]]の[[立方数]]の和 ''n'' 通りで表せる最小の数である。次の2通りは[[1009]]。({{OEIS|A025419}}) *36{{sup|2}} + 1 = 1297 であり、''n''{{sup|2}} + 1 の形で素数を生む11番目の数である。1つ前は [[26]]、次は [[40]]。 *[[九九]]では 4 の段で 4 × 9 = 36 (しくさんじゅうろく)、6 の段で 6 × 6 = 36 (ろくろくさんじゅうろく)、9 の段で 9 × 4 = 36 (くしさんじゅうろく)と 3 通りの表し方がある。他に九九で 3 通りの表し方がある数は 4, 9, 16 のみである。 *[[双子素数]]の和で表せる4番目の数である。36 = [[17]] + [[19]] 。1つ前は[[24]] ([[11]] + [[13]])、次は[[60]] ([[29]] + [[31]])。 *36[[階乗|!]] = 371,993,326,800,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000 *18番目の[[ハーシャッド数]]である。1つ前は[[30]]、次は[[40]]。 **9を基とする4番目の[[ハーシャッド数]]である。1つ前は[[27]]、次は[[45]]。 **平方数が[[ハーシャッド数]]になる4番目の数である。1つ前は[[9]]、次は[[81]]。 *各位の[[平方和]]が45になる最小の数である。次は[[63]]。({{OEIS|A003132}}) ** 各位の平方和が ''n'' になる最小の数である。1つ前の44は[[226]]、次の46は[[136]]。({{OEIS|A055016}}) *各位の[[立方和]]が243になる最小の数である。次は[[63]]。({{OEIS|A055012}}) ** 各位の立方和が ''n'' になる最小の数である。1つ前の242は112226、次の244は[[136]]。({{OEIS|A165370}}) *[[約数]]の和が36になる数は1個ある。([[22]]) 約数の和1個で表せる13番目の数である。1つ前は[[30]]、次は[[38]]。 * 各位の積が[[各位の和]]の2倍になる最小の数である。次は[[44]]。({{OEIS|A062034}}) **''k'' 倍になる最小の数とみたとき1つ前は[[1]] (1倍)、次は[[66]] (3倍)。({{OEIS|A126789}}) *異なる2つの[[素数]]の和4通りで表せる最小の数である。次は[[42]]。({{OEIS|A078299}})<br>36 = [[5]] + [[31]] = [[7]] + [[29]] = [[13]] + [[23]] = [[17]] + [[19]] **異なる2つの素数の和 ''n'' 通りで表せる最小の数である。1つ前の3通りは[[24]]、次の5通りは[[48]]。({{OEIS|A087747}}) * 36 = 2{{sup|2}} + 4{{sup|2}} + 4{{sup|2}} ** 3つの[[平方数]]の和1通りで表せる18番目の数である。1つ前は[[35]]、次は[[42]]。({{OEIS|A025321}}) * 桁の[[調和平均]]が4になる2番目の数である。1つ前は[[4]]、次は[[44]]。({{OEIS|A062182}}) *:例.{{sfrac|2|{{sfrac|1|3}} + {{sfrac|1|6}}}} = 4 *4乗した数の各位の和が元の数になる最大の数である。1つ前は[[28]]。({{OEIS|A055575}}) *:36{{sup|4}} = 1979616 → 1 + 6 + 7 + 9 + 6 + 1 + 6 = 36 ** ''n'' = 4 のときの ''n'' 乗した数の各位の和が元の数になる最大の数とみたとき1つ前の3乗は[[27]]、次の5乗は[[46]]。({{OEIS|A046000}}) *5乗した数の各位の和が元の数になる4番目の数である。1つ前は[[35]]、次は[[46]]。({{OEIS|A055576}}) *:36{{sup|5}} = 60466176 → 6 + 0 + 4 + 6 + 6 + 1 + 7 + 6 = 36 * ''n'' = 3 のときの ''n'' と 2''n'' を並べてできる数である。1つ前は[[24]]、次は[[48]]。({{OEIS|A019550}}) * ''n'' = 36 のとき ''n'' と ''n'' + 1 を並べた数を作ると[[素数]]になる。''n'' と ''n'' + 1 を並べた数が素数になる5番目の数である。1つ前は[[12]]、次は[[42]]。({{OEIS|A030457}}) == その他 36 に関連すること == *36 × 単位 **36[[度 (角度)|°]] = {{sfrac|[[円周率|{{π}}]]|5}}([[ラジアン]])。これは {{sfrac|1|10}} 周であり、すなわち[[正十角形]]の[[中心角]]であり、すなわちその[[外角]]である。 **底辺と等しい辺との長さの比が[[黄金比]]になる二等辺三角形において、底角の大きさは36[[度 (角度)|°]]になる。 **[[黄金三角形]]の頂角の大きさは36[[度 (角度)|°]]である。 ** cos 36°= {{sfrac|1|2}}φ (ただしφは[[黄金数]])({{OEIS|A019863}}) *36番目のもの ** 第36[[原子番号|番元素]]は[[クリプトン]] (Kr) である。 **第36代[[天皇]]は[[孝徳天皇]]である。 **[[日本]]の第36代[[内閣総理大臣]]は、[[阿部信行]]である。 **[[大相撲]]の第36代[[横綱]]は[[羽黒山政司]]である。 **[[アメリカ合衆国]]の第36代[[大統領]]は[[リンドン・ジョンソン]]である。 **[[アメリカ合衆国]]の36番目の[[州]]は[[ネバダ州]]である。 ** JIS X 0401、[[ISO 3166-2:JP]]の[[都道府県コード]]の「36」は[[徳島県]]。 **第36代[[教皇|ローマ教皇]]は[[リベリウス (ローマ教皇)|リベリウス]](在位:[[353年]][[5月17日]]~[[366年]][[9月24日]])である。 **[[年始]]から数えて36日目は[[2月5日]]。 **[[易占]]の[[六十四卦]]で第36番目の卦は、[[周易下経三十四卦の一覧#明夷|地火明夷]]。 **[[クルアーン]]における第36番目の[[スーラ (クルアーン)|スーラ]]は[[ヤー・スィーン (クルアーン)|ヤー・スィーン]]である。 **[[M36 (天体)|M36]] は[[散開星団]]である。 **[[テレビユー山形]]、[[サンテレビジョン|サンテレビ]]、[[サガテレビ]]、[[テレビ大分]]の[[ガイドチャンネル]]は 36ch。 **36協定(サブロク協定)は、[[労働基準法]]第36条に規定される、[[時間外労働]]に関する労使協定である。 **'''36''' は[[ハンガリー]] (HUN) の国際電話 国番号 *36あるもの **「[[兵法三十六計]]」は中国の兵法書。 **[[ピアノ|グランドピアノ]]の黒鍵の数は36個。 **[[旧約聖書]] は同一タイトルを1つと数えると36の文書からなる。 *「多数」としての三十六 **三十六は「多数」「全ての方角」を意味することがある。例:「[[富嶽三十六景]]」「[[東山 (京都府)|東山三十六峰]]」等 **三十六人で一束の例として、[[山城国一揆]]や[[酒田市|酒田]]商人の「三十六人衆」、[[歌仙]]の「[[三十六歌仙]]」など。 **「三十六選」も度々用いられている。例として、「[[やまなみ五湖 水のある風景36選|水のある風景三十六選]]」「[http://www.jtbtrading.co.jp/kojin/newsrelease/release20160622.pdf 旅宿三十六選]」「[http://24setuki.com/selected-words/ 季節の言葉三十六選]」「[http://withonline.jp/lifestyle/0paas 手土産おすすめ三十六選]」など。 *[[ルーレット]]のゲームで扱われる、最高の掛け率は36倍。 *[[日本]]・[[中国]]では、1年を36分割して、10日単位([[旬 (単位)|旬]])で数える習慣もある。 *[[三陸鉄道]]の保有する気動車の[[形式称号|形式]]。[[三陸鉄道36-100形気動車|36(サンリク)形]]。 *『[[鉄道公安36号]]』は、NET(現・[[テレビ朝日]])系列で[[1962年]][[6月7日]] - [[1963年]][[3月28日]]に放送された[[テレビドラマ]]。 *[[3・6街]](さんろくがい)は、[[北海道]][[旭川市]]にある[[歓楽街]]の通称。 *[[選抜高等学校野球大会]]は記念大会の年は36校が出場する。 == 符号位置 == {| class="wikitable" style="text-align:center;" !記号!![[Unicode]]!![[JIS X 0213]]!![[文字参照]]!!名称 {{CharCode|12977|32B1|1-8-48|CIRCLED DIGIT THIRTY SIX|font=JIS2004フォント}} |} == 関連項目 == {{数字2桁|3|- [[昭和36年]] [[明治36年]]}} * '''36''' [[72]] [[108]] [[144]] [[180]] [[216]] [[252]] [[288]] [[324]] [[360]] *[[3月6日]] {{自然数}}
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1141年
1141年(1141 ねん)は、西暦(ユリウス暦)による、平年。
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1141年は、西暦(ユリウス暦)による、平年。
{{年代ナビ|1141}} {{year-definition|1141}} == 他の紀年法 == * [[干支]] : [[辛酉]] * [[日本]] ** [[保延]]7年、[[永治]]元年7月10日 - ** [[皇紀]]1801年 * [[中国]] ** [[南宋]] : [[紹興 (宋)|紹興]]11年 ** [[金 (王朝)|金]] : [[皇統 (金)|皇統]]元年 ** [[西夏]] : [[大慶 (夏仁宗)|大慶]]2年 ** [[西遼]] : [[康国]]8年 * [[朝鮮]] ** [[檀紀]]3474年 * [[ベトナム]] ** [[李朝 (ベトナム)|李朝]] : [[大定 (李朝)|大定]]2年 * [[仏滅紀元]] : 1683年 - 1684年 * [[ヒジュラ暦|イスラム暦]] : 536年 - 537年 * [[ユダヤ暦]] : 4901年 - 4902年 {{Clear}} == カレンダー == {{年間カレンダー|年=1141|Type=J|表題=可視}} == できごと == * [[藤原泰子|高陽院]]が落飾。 * [[カトワーンの戦い]] == 誕生 == {{see also|Category:1141年生}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[3月24日]](保延7年[[2月15日 (旧暦)|2月15日]]) - [[熊谷直実]]<ref>「四十八巻伝」27では、蓮生は[[建永]]2年9月4日([[1207年]][[9月27日]]))に往生したとある。</ref>、[[平安時代]]、[[鎌倉時代]]の[[武将]](+ [[1207年]]) * [[5月8日]](保延7年[[4月1日 (旧暦)|4月1日]]) - [[千葉胤正]]、平安時代、鎌倉時代の武将、[[千葉氏]]の第4代当主(+ [[1203年]]) * [[5月27日]](保延7年[[4月20日 (旧暦)|4月20日]]) - [[明菴栄西]]、[[臨済宗|日本臨済宗]]の開祖(+ [[1215年]]) * [[ニザーミー|ニザーミー・ギャンジェヴィー]]、[[ペルシア人]]の[[詩人]](+ [[1209年]]) * [[源義平]]、平安時代の武将、[[源義朝]]の[[長男]](+ [[1160年]]) == 死去 == {{see also|Category:1141年没}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[2月13日]] - [[ベーラ2世 (ハンガリー王)|ベーラ2世]]、[[ハンガリー国王一覧|ハンガリー王]]、[[クロアチア王国|クロアチア王]](* [[1110年]]?) * [[5月27日]](保延7年[[4月20日 (旧暦)|4月20日]]) - [[藤原宗忠]]、[[平安時代]]の[[公卿]]、[[従一位]][[右大臣]](* [[1062年]]) * [[6月10日]] - [[リヒェンツァ・フォン・ノルトハイム]]、[[神聖ローマ皇帝]][[ロタール3世 (神聖ローマ皇帝)|ロタール3世]]の皇妃(* 1087/1089年) * [[10月18日]] - [[レオポルト (バイエルン公)|レオポルト]]、[[オーストリア辺境伯]]、[[バイエルン大公|バイエルン公]](* [[1108年]]) * [[斡本]]、[[金 (王朝)|金]]の[[皇族]](* 生年未詳) * [[岳雲]]、[[南宋]]の[[武将]](* [[1119年]]) * [[岳飛]]、南宋の武将(* [[1103年]]) * [[サン・ヴィクトルのフーゴー]]、[[中世ヨーロッパ]]の[[神学者]](* [[1096年]]) * [[イェフダ・ハレヴィ]]、[[スペイン]]の[[ユダヤ教徒]]の[[哲学者]](* [[1075年]]?) == 脚注 == '''注釈''' {{Reflist|group="注"}} '''出典''' {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} <!-- == 参考文献 == --> == 関連項目 == {{Commonscat|1141}} * [[年の一覧]] * [[年表]] * [[年表一覧]] <!-- == 外部リンク == --> {{十年紀と各年|世紀=12|年代=1100}} {{デフォルトソート:1141ねん}} [[Category:1141年|*]]
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37
37(三十七、さんじゅうしち、さんじゅうなな、みそなな、みそじあまりななつ)は自然数、素数、また整数において、36の次で38の前の数である。
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37(三十七、さんじゅうしち、さんじゅうなな、みそなな、みそじあまりななつ)は自然数、素数、また整数において、36の次で38の前の数である。
{{整数|Decomposition=([[素数]])}} '''37'''('''三十七'''、さんじゅうしち、さんじゅうなな、みそなな、みそじあまりななつ)は[[自然数]]、[[素数]]、また[[整数]]において、[[36]]の次で[[38]]の前の数である。 ==性質== *37は12番目の[[素数]]である。1つ前は[[31]]、次は[[41]]。 **[[約数の和]]は[[38]]。 *最小の[[非正則素数]]である。次は[[59]]。 *{{sfrac|1|37}} = {{sfrac|[[27]]|[[999]]}} = 0.{{underline|027}}… (下線部は循環節で長さは3) **[[逆数]]が[[循環小数]]になる数で[[循環節]]が3になる2番目の数である。1つ前は[[27]]、次は[[54]]。({{OEIS|A069105}}) *全ての[[自然数]]は、高々37個の五乗数の和で表すことができる([[ウェアリングの問題]])。 *3 × 37は[[111]]となり、[[1]]が3つ並ぶ[[レピュニット]] ''R''{{sub|3}} となるので、3桁の同じ数でできている数はすべて3と37の素因数を持つ。 :例.[[111]] = 3 × 37、[[222]] = 2 × 3 × 37、[[333]] = 3{{sup|2}} × 37、… *10進数表記において桁を入れ替えても素数となる4番目の[[エマープ]]である。(37 ←→ [[73]]) 1つ前は[[31]]、次は[[71]]。 * 3 と 7 を使った最小の素数である。次は[[73]]。ただし単独使用を可とするなら1つ前は[[7]]。({{OEIS|A020463}}) ** 37…7 の形の最小の素数である。次は377777777777。({{OEIS|A093939}}) ** 3…37 の形の最小の素数である。次は[[337]]。({{OEIS|A093168}}) * 37 = 2{{sup|2}} × 3{{sup|2}} + 1より、8番目の[[ピアポント素数]]である。1つ前は[[19]]、次は[[73]]。({{OEIS|A005109}}) * 37 = 2{{sup|5}} + 5 ** ''n'' = 5 のときの 2{{sup|''n''}} + 5 の値とみたとき1つ前は[[21]]、次は[[69]]。({{OEIS|A168614}}) *** 2{{sup|''n''}} + 5 の形の3番目の素数である。1つ前は[[13]]、次は2053。({{OEIS|A057733}}) ** ''n'' = 5 のときの 2{{sup|''n''}} + ''n'' の値とみたとき1つ前は[[20]]、次は[[70]]。({{OEIS|A006127}}) *** 2{{sup|''n''}} + ''n'' の形の3番目の素数である。1つ前は[[11]]、次は[[521]]。({{OEIS|A129962}}) *37 の[[立方根]]は[[自然対数]] ln 28 の近似値となる。 * 3番目の[[六芒星数]]である。1つ前は[[13]]、次は[[73]]。 **六芒星数かつ中心つき六角数となる2番目の数である。1つ前は[[1]]、次は1261。({{OEIS|A006062}}) *[[各位の和]]が10になる3番目の数である。1つ前は[[28]]、次は[[46]]。 **各位の和が10になる数で素数になる2番目の数である。1つ前は[[19]]、次は73。({{OEIS|A107579}}) *各位の[[平方和]]が58になる最小の数である。次は[[73]]。({{OEIS|A003132}}) ** 各位の平方和が ''n'' になる最小の数である。1つ前の57は[[227]]、次の59は[[137]]。({{OEIS|A055016}}) *各位の[[立方和]]が370になる最小の数である。次は[[73]]。({{OEIS|A055012}}) ** 各位の立方和が ''n'' になる最小の数である。1つ前の369は1356、次の371は[[137]]。({{OEIS|A165370}}) * 37 = 4<sup>3</sup> &minus; 3<sup>3</sup> ** ''n'' = 4 のときの ''n''{{sup|3}} &minus; (''n'' &minus; 1){{sup|3}} の値とみたとき1つ前は[[19]]、次は[[61]]。({{OEIS|A003215}}) ** 連続する[[立方数]]の差で表せる3番目の素数である。1つ前は[[19]]、次は[[61]]。 ** 37 = 4{{sup|2}} + 4 × 3 + 3{{sup|2}} **1辺4の[[立方体]]を1辺1の[[立方体]]64個を使って作ったとき、同時に見ることができる1辺1の[[立方体]]は最大37個である。 ** 4番目の[[中心つき六角数]]である。1つ前は[[19]]、次は[[61]]。 * 37 = 6{{sup|2}} + 1 ** ''n'' = 2 のときの 6{{sup|''n''}} + 1 の値とみたとき1つ前は[[7]]、次は[[217]]。({{OEIS|A062394}}) *** 6{{sup|''n''}} + 1 の形の3番目の素数である。1つ前は[[7]]、次は1297。({{OEIS|A182331}}) ** ''n'' = 6 のときの ''n''{{sup|2}} + 1 の値とみたとき1つ前は[[26]]、次は[[50]]。({{OEIS|A002522}}) *** ''n''{{sup|2}} + 1 で表される4番目の[[素数]]である。1つ前は[[17]]、次は[[101]]。 ** 37 = 1{{sup|2}} + 6{{sup|2}} *** 異なる2つの[[平方数]]の和で表せる10番目の数である。1つ前は[[34]]、次は[[40]]。({{OEIS|A004431}}) * ''n'' = 37 のときの ''n''! + 1 で表せる 37! + 1 は6番目の[[階乗素数]]である。1つ前は[[27]]、次は[[41]]。({{OEIS|A002981}}) : 37[[階乗|!]] + 1 = 13763753091226345046315979581580902400000001 * 11番目の[[幸運数]]である。1つ前は33、次は[[43]]。 **幸運数自身のすべての約数が幸運数である数としては9番目である。1つ前は31、次は43。 ** [[累乗数]]はもちろん1にもなり得ない8番目の幸運数である。1つ前は33、次は43。 * 37 = 7{{sup|2}} &minus; 5{{sup|2}} + 3{{sup|2}} + 2{{sup|2}} ** ''n'' = 2 のときの 7{{sup|''n''}} &minus; 5{{sup|''n''}} + 3{{sup|''n''}} + 2{{sup|''n''}} の値とみたとき1つ前は[[7]]、次は[[253]]。({{OEIS|A135164}}) * 37 = 3{{sup|3}} + 3{{sup|2}} + 1 ** ''n'' = 3 のときの ''n''{{sup|3}} + ''n''{{sup|2}} + 1 の値とみたとき1つ前は[[13]]、次は[[81]]。({{OEIS|A098547}}) *** ''n''{{sup|3}} + ''n''{{sup|2}} + 1 の形の3番目の素数である。1つ前は[[13]]、次は[[151]]。({{OEIS|A120479}}) == その他 37 に関連すること == *[[原子番号]] 37 の[[元素]]は、[[ルビジウム]] (Rb)。 *第37代[[天皇]]は、[[斉明天皇]]。 *第37代[[内閣総理大臣]]は、[[米内光政]]。 *[[年始]]から数えて37日目は[[2月6日]]。 *通算して第37代の[[征夷大将軍]]は、[[徳川綱吉]]([[江戸幕府]]第5代将軍)。 *[[大相撲]]第37代[[横綱]]は、[[安藝ノ海節男]]。 *[[アメリカ合衆国]]第37代[[アメリカ合衆国大統領|大統領]]は、[[リチャード・M・ニクソン]]。 *アメリカ合衆国の37番目の[[州]]は、[[ネブラスカ州]]。 * JIS X 0401、[[ISO 3166-2:JP]]の[[都道府県コード]]の「37」は[[香川県]]。 *第37代[[周]]王は、[[赧王]]。 *第37代[[教皇|ローマ教皇]]は[[ダマスス1世 (ローマ教皇)|ダマスス1世]](在位:[[366年]] - [[384年]][[12月11日]])である。 *[[易占]]の[[六十四卦]]で第37番目の卦は、[[周易下経三十四卦の一覧#家人|家人]]。 *[[クルアーン]]における第37番目の[[スーラ (クルアーン)|スーラ]]は[[整列者 (クルアーン)|整列者]]である。 *ヨーロピアンスタイルの[[ルーレット]]で選択出来る数字の升の数は、37個(0と1から36)。 *[[数字選択式全国自治宝くじ]][[ロト7]]の抽せんに使用されるボールの数は37個。 *[[チ-37号事件]]は、1961年に発生した偽札事件。 *[[37階の男]]は、[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]系列で放送された[[テレビ映画]]。 *[[37℃]]は、[[テレビドラマ]]、[[漫画]]の題名。 *自動車の名称。 **[[ランチア・ラリー037]] **[[日産・スカイラインセダン V37]] *[[大日本帝国陸軍]] **[[第37軍 (日本軍)|第37軍]] **[[第37師団 (日本軍) |第37師団]] **[[歩兵第37連隊]] == 符号位置 == {| class="wikitable" style="text-align:center;" !記号!![[Unicode]]!![[JIS X 0213]]!![[文字参照]]!!名称 {{CharCode|12978|32B2|1-8-49|CIRCLED DIGIT THIRTY SEVEN|font=JIS2004フォント}} |} == 関連項目 == *[[数に関する記事の一覧]] {{数字2桁|3|- [[昭和37年]] - [[明治37年]] - [[3月7日]]}} *[[37号線]] {{自然数}}
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38
38(三十八、さんじゅうはち、さんぱ、みつや、みつはち、みそや、みそじあまりやつ)は自然数、また整数において、37の次で39の前の数である。
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38(三十八、さんじゅうはち、さんぱ、みつや、みつはち、みそや、みそじあまりやつ)は自然数、また整数において、37の次で39の前の数である。
{{整数|Decomposition=2 × 19}} '''38'''('''三十八'''、さんじゅうはち、さんぱ、みつや、みつはち、みそや、みそじあまりやつ)は[[自然数]]、また[[整数]]において、[[37]]の次で[[39]]の前の数である。 == 性質 == *38は[[合成数]]であり、正の[[約数]]は [[1]], [[2]], [[19]], 38 である。 **[[約数の和]]は[[60]]。 *38 = 2 × 19 **14番目の[[半素数]]である。1つ前は[[35]]、次は[[39]]。 ** ''n'' = 1 のときの 19 × 2{{sup|''n''}} の値とみたとき1つ前は[[19]]、次は[[76]]。({{OEIS|A110288}}) *38 = 2{{sup|2}} + 3{{sup|2}} + 5{{sup|2}} **連続素数の平方和とみたとき1つ前は[[13]]、次は[[87]]。 **3連続素数の平方和で表せる最小の数である。次は[[83]]。 ***3連続素数の平方和が偶数になる唯一の数である。 ** 異なる3つの[[平方数]]の和1通りで表せる7番目の数である。1つ前は[[35]]、次は[[41]]。({{OEIS|A025339}}) ** ''n'' = 2 のときの 2{{sup|''n''}} + 3{{sup|''n''}} + 5{{sup|''n''}} の値とみたとき1つ前は[[10]]、次は[[160]]。({{OEIS|A074527}}) ** 38 = ({{sfrac|5−1|2}}){{sup|2}} + ({{sfrac|7−1|2}}){{sup|2}} + ({{sfrac|11−1|2}}){{sup|2}} **38 = 1{{sup|2}} + 1{{sup|2}} + 6{{sup|2}} = 2{{sup|2}} + 3{{sup|2}} + 5{{sup|2}} *** 3つの[[平方数]]の和2通りで表せる3番目の数である。1つ前は[[33]]、次は[[41]]。({{OEIS|A025322}}) *** 38 = 6{{sup|2}} + 2 **** ''n'' = 2 のときの 6{{sup|''n''}} + ''n'' の値とみたとき1つ前は[[7]]、次は[[219]]。({{OEIS|A226200}}) * [[オイラーのφ関数|φ]](n)=38 をみたす自然数 ''n'' は存在しないため、[[偶数]]の4番目の[[ノントーティエント]]である。1つ前は[[34]]、次は[[50]]。 *{{sfrac|1|38}} = 0.0{{underline|263157894736842105}}… (下線部は循環節で長さは18) **[[逆数]]が[[循環小数]]になる数で[[循環節]]が18になる2番目の数である。1つ前は[[19]]、次は[[57]]。 *2桁の数で唯一[[平方数]]の下3桁が[[ゾロ目]]となる数である。次は[[100]]。({{OEIS|A186439}}) ** 平方数の下3桁が444になる最小の数である。次は[[462]]。({{OEIS|A039685}}) *:38{{sup|2}} = [[1444]] ** 平方数の下2桁が同じ数になる5番目の数である。1つ前は[[30]]、次は[[40]]。ただし00を除くと1つ前は[[12]]、次は[[62]]。({{OEIS|A186438}}) *[[約数]]の和が38になる数は1個ある。([[37]]) 約数の和1個で表せる14番目の数である。1つ前は[[36]]、次は[[39]]。 *[[各位の和]]が11になる2番目の数である。1つ前は[[29]]、次は[[47]]。 ** [[偶数]]という条件をつけると各位の和が11になる最小の数である。 *各位の[[平方和]]が73になる最小の数である。次は[[83]]。({{OEIS|A003132}}) ** 各位の平方和が ''n'' になる最小の数である。1つ前の72は[[66]]、次の74は[[57]]。({{OEIS|A055016}}) *各位の[[立方和]]が539になる最小の数である。次は[[83]]。({{OEIS|A055012}}) ** 各位の立方和が ''n'' になる最小の数である。1つ前の538は24556、次の540は[[138]]。({{OEIS|A165370}}) * ''n'' = 38 のときの ''n''! − 1 で表せる 38[[階乗|!]] − 1 は10番目の[[階乗素数]]である。1つ前は[[33]]、次は[[94]]。({{OEIS|A002982}}) * 38 = 2{{sup|5}} + 6 ** ''n'' = 5 のときの 2{{sup|''n''}} + ''n'' + 1 の値とみたとき1つ前は[[21]]、次は[[71]]。({{OEIS|A005126}}) == その他 38 に関連すること == * 38番目のもの ** [[原子番号]] 38 の元素は[[ストロンチウム]] (Sr)。 ** 第38代目の天皇は[[天智天皇]]である。 ** 年始から数えて38日目は[[2月7日]]。 ** [[日本]]の第38代[[内閣総理大臣]]は[[近衞文麿]]である。 ** [[大相撲]]の第38代[[横綱]]は[[照國万藏]]である。 ** [[アメリカ合衆国]]第38代[[アメリカ合衆国大統領|大統領]]は[[ジェラルド・R・フォード]]である。 ** [[アメリカ合衆国]]の38番目の[[州]]は[[コロラド州]]である。 ** JIS X 0401、[[ISO 3166-2:JP]]の[[都道府県コード]]の「38」は[[愛媛県]]。 ** 第38代[[教皇|ローマ教皇]]は[[シリキウス (ローマ教皇)|シリキウス]](在位:[[384年]][[12月11日]]~[[399年]][[11月26日]])である。 ** [[易占]]の[[六十四卦]]で第38番目の卦は、[[周易下経三十四卦の一覧#睽|火沢睽]]。 ** [[クルアーン]]における第38番目の[[スーラ (クルアーン)|スーラ]]は[[サード (クルアーン)|サード]]である。 ** 以下の日本の[[テレビ放送局]]のかつての[[ガイドチャンネル]]は38であった。 *** [[NHK佐賀放送局]] *** [[All-nippon News Network|ANN系列]]の[[山形テレビ]] *** [[Japan News Network|JNN系列]]の[[青森テレビ]]・[[テレビ山口]]・[[テレビ高知]] *** [[フジニュースネットワーク|FNN系列]]の[[長野放送]]と[[鹿児島テレビ放送]] *** [[全国独立UHF放送協議会|独立UHF局]]の[[テレビ埼玉]] * 38個のもの ** 1[[分子]]の[[グルコース]]から38分子の[[アデノシン三リン酸]](ATP)が生成される。 ** アメリカンスタイルの[[ルーレット]]で選択できる数字のマスの数(0、00、1から36) ** [[軽自動車]]の[[日本のナンバープレート|ナンバープレート]]で自家用車につけられる平仮名は、「あ」~「を」のうち「お」「し」「へ」「り」「れ」「ろ」「わ」を除いた38通りである。 === 固有名詞 === {{see also|サンパチ}} * 人物・組織 ** [[ビーグル38]] - 日本のお笑いトリオ。 ** sengoku38 - [[尖閣諸島中国漁船衝突映像流出事件]]を起こした[[一色正春]]の[[YouTube]]チャンネルの名前。 ** [[38スペシャル]] - [[アメリカ合衆国|アメリカ]]の[[サザン・ロック]]バンド。 * 商品名、型式名 ** [[ワルサーP38]]は、[[ドイツ]]の軍用[[自動式拳銃]]である。 ** [[三八式歩兵銃]]は、1900年代初頭に開発・採用された[[大日本帝国陸軍]]の[[小銃]]である。 ** L38は、2代目[[ルノーサムスン・SM3]]の型式。 ** [[C-38B]]は、[[ソニー]]製のコンデンサマイクロフォン。 * [[昭和]]38年([[1963年]])に関すること - 同年に起きた出来事は、しばしば「[[サンパチ]]」が冠される。 ** [[昭和38年1月豪雪]]は「サンパチ豪雪(三八豪雪)」とも呼ばれる。 ** [[大相撲]]では1963年生まれの[[力士]]([[横綱]][[双羽黒光司]]、[[横綱]][[北勝海信芳]]、[[関脇]][[寺尾常史]]、[[関脇]][[琴ヶ梅剛史]]等)が多く活躍し、「[[花のサンパチ組]]」と呼ばれた。 * その他 ** [[38度線]]は、[[朝鮮半島]]の[[北緯38度線]]に引かれていた[[大韓民国]]と[[朝鮮民主主義人民共和国]]の国境線。[[朝鮮戦争休戦協定]]締結後は、両国の[[軍事境界線 (朝鮮半島)|軍事境界線]]の通称となっている。 ** [[南部地方 (青森県)|三八(さんぱち)地域]]は、[[青森県]]の地域区分。[[八戸市]]と[[三戸郡]]の頭文字の合成。 == 符号位置 == {| class="wikitable" style="text-align:center;" !記号!![[Unicode]]!![[JIS X 0213]]!![[文字参照]]!!名称 {{CharCode|12979|32B3|1-8-50|CIRCLED DIGIT THIRTY EIGHT|font=JIS2004フォント}} |} == 関連項目 == {{数字2桁|3|- [[昭和38年]] [[明治38年]]}} *[[3月8日]] {{自然数}}
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39
39(三十九、さんじゅうきゅう、みそじあまりここのつ)は自然数、また整数において、38の次で40の前の数である。
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39(三十九、さんじゅうきゅう、みそじあまりここのつ)は自然数、また整数において、38の次で40の前の数である。
{{pp-vandalism|small=yes}} {{整数|Decomposition=3 × 13}} '''39'''('''三十九'''、さんじゅうきゅう、みそじあまりここのつ)は[[自然数]]、また[[整数]]において、[[38]]の次で[[40]]の前の数である。 == 性質 == *39 は[[合成数]]であり、正の[[約数]]は [[1]], [[3]], [[13]], 39 である。 **[[約数の和]]は[[56]]。 *39 = 3 × 13 **15番目の[[半素数]]である。1つ前は[[38]]、次は[[46]]。 ** ''n'' = 1 のときの 13 × 3{{sup|''n''}} の値とみたとき1つ前は[[13]]、次は[[117]]。({{OEIS|A258597}}) *5番目の[[完全トーシェント数]]である。1つ前は[[27]]、次は[[81]]。 *39 = 3{{sup|1}} + 3{{sup|2}} + 3{{sup|3}} **3の自然数乗の和とみたとき1つ前は[[12]]、次は[[120]]。 **''a'' = 3 のときの ''a''{{sup|1}} + ''a''{{sup|2}} + ''a''{{sup|3}} の値とみたとき1つ前は[[14]]、次は[[84]]。 **[[素数]] ''p'' = 3 のときの ''p''{{sup|1}} + ''p''{{sup|2}} + ''p''{{sup|3}} の値とみたとき1つ前は[[14]]、次は[[155]]。({{OEIS|A181149}}) *{{sfrac|1|39}} = 0.{{underline|025641}}… (下線部は[[循環節]]で長さは6) **[[逆数]]が[[循環小数]]になる数で[[循環節]]が6になる8番目の数である。1つ前は[[35]]、次は[[42]]。 *[[約数]]の和が39になる数は1個ある。([[18]]) 約数の和1個で表せる15番目の数である。1つ前は[[38]]、次は[[40]]。 **約数の和が奇数になる7番目の奇数である。1つ前は[[31]]、次は[[57]]。 *David Wells はその著書“The Penguin Dictionary of Curious and Interesting Numbers”で、『39 は最初の「特徴のない数」であり、「特徴のない数の集合のなかで最小の要素である」という特徴のある数』だとしている。これは[[嘘つきのパラドックス]]と類似の[[パラドックス]]であり、[[ユーモア]]である。 *39 = (3 + 9) + (3 × 9) **[[各位の和]]と各位の積を加えてできる3番目の数である。1つ前は[[29]]、次は[[49]]。({{OEIS|A038364}}) *[[各位の和]]が12になる最小の数である。次は[[48]]。 **各位の和が ''n'' になる最小の数である。1つ前の11は[[29]]、次の13は[[49]]。({{OEIS|A051885}}) *各位の[[平方和]]が90になる最小の数である。次は[[93]]。({{OEIS|A003132}}) ** 各位の平方和が ''n'' になる最小の数である。1つ前の89は[[58]]、次の91は[[139]]。({{OEIS|A055016}}) *各位の[[立方和]]が756になる最小の数である。次は[[93]]。({{OEIS|A055012}}) ** 各位の立方和が ''n'' になる最小の数である。1つ前の755は[[368]]、次の757は[[139]]。({{OEIS|A165370}}) * 39 = 1{{sup|2}} + 2{{sup|2}} + 3{{sup|2}} + 5{{sup|2}} ** ''n'' = 2 のときの 1{{sup|''n''}} + 2{{sup|''n''}} + 3{{sup|''n''}} + 5{{sup|''n''}} の値とみたとき1つ前は[[11]]、次は[[161]]。 ** 39 = ({{sfrac|3−1|2}}){{sup|2}} + ({{sfrac|5−1|2}}){{sup|2}} + ({{sfrac|7−1|2}}){{sup|2}} + ({{sfrac|11−1|2}}){{sup|2}} * ''n'' = 3 のときの ''n'' と ''n''{{sup|2}} を並べてできる数である。1つ前は[[24]]、次は[[416]]。({{OEIS|A053061}}) * ''n'' = 3 のときの ''n'' と 3''n'' を並べてできる数である。1つ前は[[26]]、次は[[412]]。({{OEIS|A019551}}) * 3番目の[[完全数]][[496]]の全ての[[素因数]]の和が39である。1つ前は[[11]]、次は[[139]]。({{OEIS|A276663}}) == その他 39 に関連すること == *[[原子番号]]39番の[[元素]]は[[イットリウム]] (Y)。 *第39代[[天皇]]は[[弘文天皇]]。 *[[日本]]の第39代[[内閣総理大臣]]は[[近衞文麿]]である。 *[[大相撲]]の第39代[[横綱]]は[[前田山英五郎]]である。 *[[易占]]の[[六十四卦]]で第39番目の卦は、[[周易下経三十四卦の一覧#蹇|水山蹇]]。 *[[アメリカ合衆国]]の第39代[[アメリカ合衆国大統領|大統領]]は[[ジミー・カーター]]。 *アメリカ合衆国の39番目の[[州]]は[[ノースダコタ州]]である。 * JIS X 0401、[[ISO 3166-2:JP]]の[[都道府県コード]]の「39」は[[高知県]]。 *[[クルアーン]]における第39番目の[[スーラ (クルアーン)|スーラ]]は[[集団 (クルアーン)|集団]]である。 *第39代[[教皇|ローマ教皇]]は[[アナスタシウス1世 (ローマ教皇)|アナスタシウス1世]](在位:[[399年]][[11月27日]]~[[401年]][[12月19日]])である。 *年始から数えて39日目は、[[2月8日]]。 *[[福井テレビジョン放送|福井テレビ]]の[[NTSC|アナログ]]親局のチャンネル番号。 *「[[サンキュー|Thank you.]]」に掛けられる。 * 作品の名 **[[39 刑法第三十九条]] - 1999年公開の[[日本映画]] **[[39 (下川みくにのアルバム)]] - [[下川みくに]]の1stアルバム **[[39 (KinKi Kidsのアルバム)]] - [[KinKi Kids]]のベストアルバム **[['39]] - [[クイーン (バンド)|クイーン]]の楽曲。アルバム『[[オペラ座の夜]]』に収録。 **39 - [[sasakure.UK]]作曲、[[DECO*27]]作詞の、音声合成ソフト[[VOCALOID]]の[[初音ミク]]をボーカルに用いた楽曲。「ミク」の語呂合わせ。 == 符号位置 == {| class="wikitable" style="text-align:center;" !記号!![[Unicode]]!![[JIS X 0213]]!![[文字参照]]!!名称 {{CharCode|12980|32B4|1-8-51|CIRCLED DIGIT THIRTY NINE|font=JIS2004フォント}} |} == 関連項目 == {{数字2桁|3|- [[昭和39年]] [[明治39年]]}} *[[3月9日]] {{自然数}}
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14,564
40
40(四十、卌、四〇、肆十、しじゅう、よんじゅう、よそ、よそじ、forty)は自然数、また整数において、39の次で41の前の数である。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "40(四十、卌、四〇、肆十、しじゅう、よんじゅう、よそ、よそじ、forty)は自然数、また整数において、39の次で41の前の数である。", "title": null } ]
40(四十、卌、四〇、肆十、しじゅう、よんじゅう、よそ、よそじ、forty)は自然数、また整数において、39の次で41の前の数である。
{{整数|Decomposition=2{{sup|3}} × 5}} '''40'''('''四十'''、'''卌'''、'''四〇'''、'''肆十'''、しじゅう、よんじゅう、よそ、よそじ、''forty'')は[[自然数]]、また[[整数]]において、[[39]]の次で[[41]]の前の数である。 == 性質 == * 40は[[合成数]]であり、[[約数]]は [[1]], [[2]], [[4]], [[5]], [[8]], [[10]], [[20]], 40 である。 ** [[約数の和]]は[[90]]。 * 4番目の[[八角数]]である。4(4 × 3 &minus; 2) = 40。1つ前は[[21]]、次は[[65]]。 * 40{{sup|2}} + 1 = 1601 であり、''n''<sup>2</sup> + 1 の形で[[素数]]を生む12番目の数である。1つ前は[[36]]、次は[[54]]。 * ''n''{{sup|2}} + ''n'' + 41 は ''n'' が 0 から[[39]]までの整数のときは素数になるが、''n'' = 40で初めて、40{{sup|2}} + 40 + 41 = [[1681]] = [[41]]{{sup|2}} と[[合成数]]になる。 * 40 = 3{{sup|0}} + 3{{sup|1}} + 3{{sup|2}} + 3{{sup|3}} ** ''a'' = 3 のときの ''a''{{sup|0}} + ''a''{{sup|1}} + ''a''{{sup|2}} + ''a''{{sup|3}} の値とみたとき1つ前は[[15]]、次は[[85]]。 ** 3の累乗和とみたとき1つ前は[[13]]、次は[[121]]。 *** 40 = {{sfrac|3{{sup|4}}&minus;1|3&minus;1}} **** ''n'' = 3 のときの {{sfrac|''n''{{sup|''n''+1}}&minus;1|''n''&minus;1}} の値とみたとき1つ前は[[7]]、次は[[341]]。({{OEIS|A031973}}) * {{sfrac|1|40}} = 0.025 ** [[逆数]]が[[有限小数]]になる10番目の数である。1つ前は[[32]]、次は[[50]]({{OEIS|A003592}})。 * [[九九|掛け算九九]]では5の段で 5 × 8 = 40 (ごはしじゅう)、8の段で 8 × 5 = 40(はちごしじゅう)と2通りの表し方がある。 * 最初からの素数の[[総和]]と[[総乗]]の和で表せる3番目の数である。1つ前は[[11]]、次は[[227]]。({{OEIS|A228190}}) : 40 = (2 + 3 + 5) + (2 × 3 × 5) * 19番目の[[ハーシャッド数]]である。1つ前は36、次は[[42]]。 ** 4を基としたとき2番目の[[ハーシャッド数]]である。 1つ前は4、次は[[112]] 。 * [[約数]]の和が40になる数は1個ある([[27]])。約数の和1個で表せる16番目の数である。1つ前は39、次は[[44]]。 * [[各位の和]]が4になる5番目の数である。1つ前は[[31]]、次は[[103]]。 * 各位の[[平方和]]が[[平方数]]になる14番目の数である。1つ前は[[34]]、次は[[43]]。({{OEIS|A175396}}) ** 各位の和と各位の平方和が両方とも平方数になる5番目の数である。1つ前は[[10]]、次は[[90]]。({{OEIS|A197125}}) * 各位の[[立方和]]が[[平方数]]になる8番目の数である。1つ前は[[22]]、次は[[48]]。({{OEIS|A197039}}) * 各位の積が0になる5番目の数である。1つ前は[[30]]、次は[[50]]。({{OEIS|A011540}}) * 40 = 2{{sup|3}} × (2{{sup|2}} + 1) ** ''n'' = 2 のときの 2{{sup|''n''+1}}(2{{sup|''n''}} + 1) の値とみたとき1つ前は[[12]]、次は[[144]]。 ** 40 = 5 × 2{{sup|3}} *** ''n'' = 3 のときの 5 × 2{{sup|''n''}} の値とみたとき1つ前は[[20]]、次は[[80]]。({{OEIS|A020714}}) ** 40 = 10 × 2{{sup|2}} *** ''n'' = 2 のときの 10''n''{{sup|2}} の値とみたとき1つ前は[[10]]、次は[[90]]。({{OEIS|A033583}}) ** 40 = 10 × 4 *** ''n'' = 1 のときの 10 × 4{{sup|''n''}} の値とみたとき1つ前は[[10]]、次は[[160]]。({{OEIS|A002066}}) * 40 = 2{{sup|2}} + 6{{sup|2}} ** 異なる2つの[[平方数]]の和で表せる11番目の数である。1つ前は[[37]]、次は[[41]]。({{OEIS|A004431}}) ** ''n'' = 2 のときの 2{{sup|''n''}} + 6{{sup|''n''}} の値とみたとき1つ前は[[8]]、次は[[224]]。({{OEIS|A074601}}) * 40 = 4! + 4{{sup|2}} ** ''n'' = 4 のときの ''n''! + ''n''{{sup|2}} の値とみたとき1つ前は[[15]]、次は[[145]]。({{OEIS|A004664}}) * 40 = {{sfrac|4 &times; 5 &times; 6|3}} ** ''n'' = 4 のときの {{sfrac|''n''(''n'' + 1)(''n'' + 2)|3}} の値とみたとき1つ前は[[20]]、次は[[70]]。({{OEIS|A007290}}) *** <math>40=\sum^4_{k=1}k(k+1)</math> * 40 = {{sfrac|5!|3}} = {{sfrac|1 × 2 × 3 × 4 × 5|3}} ** ''n'' = 5 のときの {{sfrac|''n''!|3}} の値とみたとき1つ前は[[8]]、次は[[240]]。({{OEIS|A002301}}) == その他 40 に関連すること == * 40[[度 (角度)|°]] = {{sfrac|2|9}}[[円周率|{{π}}]]([[ラジアン]])。これは {{sfrac|1|9}} 周であり、すなわち[[正九角形]]の[[中心角]]であり、すなわちその[[外角]]である。 * 英語の[[序数詞]]では、40th、''fortieth'' となる。 * [[ラテン語]]では quadraginta(クァドラーギンター)。 * [[ロシア語]]では {{ru|сорок}}(ソーラク)で、漁師が毛皮40枚を入れた袋1つをソーラクと呼んでいたことに由来する<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.spintheearth.net/russian_number/|title=ロシア語の数字表記を簡単に習得できる7つの法則|website=SpinTheEarth|date=2019-05-06|accessdate=2021-03-08}}</ref>。 * 40 の[[接頭辞]]:quadraginti([[ラテン語|拉]])、tetraconta([[ギリシャ語|希]]) * 40 は漢字1字で「卌」と表す。 * 40歳を四十路(よそじ)、または不惑([[論語]]に因む)ともいう。<!--本来は「よそじ(よそぢ)」が40という数、または「40個」という意味を表した。この場合の「-じ(ぢ)」という[[接尾辞]]は「はたち:20」の「-ち」や9以下の「-つ」と同根である。後に専ら年齢について用いられるようになり、「路」という字が当てられるようになった。--><!--40と関係ない--> * &minus;40[[華氏|°F]] = &minus;40[[摂氏|°C]]。摂氏と華氏が等しい唯一の温度である。 * 結婚40周年の祝いを[[結婚記念日|ルビー婚式]]という。 * [[検疫]]では40日を期間とするものがある。 * 機械式[[メトロノーム]]の最も遅い[[テンポ]]は40[[rpm (単位)|bpm]]である。 * [[40年|西暦40年]] * 第40[[原子番号|番元素]]は[[ジルコニウム]] (Zr) である。 * 第40代[[天皇]]は[[天武天皇]]である。 * [[日本]]の第40代[[内閣総理大臣]]は[[東條英機]]である。 * [[大相撲]]の第40代[[横綱]]は[[東富士欽壹]]である。 * 第40代[[アメリカ合衆国大統領]]は[[ロナルド・レーガン]]([[共和党 (アメリカ)|共和党]])である。 * 第40代[[教皇|ローマ教皇]]は[[インノケンティウス1世 (ローマ教皇)|インノケンティウス1世]](在位:[[401年]]~[[417年]][[3月12日]])である。 * [[アメリカ合衆国]]の40番目の[[州]]は[[サウスダコタ州]]である。 ** JIS X 0401、[[ISO 3166-2:JP]]の[[都道府県コード]]の「40」は[[福岡県]]。 * [[年始]]から数えて40日目は、[[2月9日]]。 * [[易占]]の[[六十四卦]]で第40番目の卦は、[[周易下経三十四卦の一覧#解|雷水解]]。 * [[クルアーン]]における第40番目の[[スーラ (クルアーン)|スーラ]]は[[ガーフィル (クルアーン)|ガーフィル]]である。 * [[将棋]]の駒は全部で(双方併せて)40枚。 * [[M40 (天体)]] - 二重星。 * [[風速40米]] - [[1958年]][[8月12日]]公開の[[日活]]の[[映画]]。および映画内での[[石原裕次郎]]の[[主題歌]]。 * [[40-40クラブ]] - [[メジャーリーグベースボール]]でシーズン40[[本塁打]]・40[[盗塁]]を達成すること(達成者は4人) * {{OEIS|A000040}} - [[素数]]。 * '''40''' - [[ルーマニア]] (RO) の国際電話 国番号 * 音楽 ** [[40 (歌手)]] - [[大韓民国|韓国]]の歌手。 ** {{仮リンク|40/40|en|40/40 (The Carpenters album)}} - [[カーペンターズ]]のアルバム([[2009年の音楽|2009年]]) ** [[40/40〜ベスト・セレクション]] - [[オリビア・ニュートン=ジョン]]のベスト・アルバム([[2010年の音楽|2010年]]) ** [[40 〜forty〜]] - [[EXILE ATSUSHI]]のアルバム([[2020年の音楽|2020年]]) ** [[40 (Ms.OOJAのアルバム)]] - [[Ms.OOJA]]のアルバム([[2023年の音楽|2023年]]) ** [[40 (アルバム)]] == 符号位置 == {| class="wikitable" style="text-align:center;" !記号!![[Unicode]]!![[JIS X 0213]]!![[文字参照]]!!名称 {{CharCode|12981|32B5|1-8-52|CIRCLED DIGIT FORTY|font=JIS2004フォント}} |} == 出典 == {{Reflist}} == 関連項目 == {{Wiktionarypar|40}} {{Wiktionarypar|四十}} {{数字2桁|4|- [[昭和40年]] [[明治40年]]}} {{自然数}} {{Normdaten}}
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14,565
県庁前駅
県庁前駅(けんちょうまええき)
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県庁前駅(けんちょうまええき) 県庁前駅 (千葉県) - 千葉県千葉市中央区にある千葉都市モノレール1号線の駅。 県庁前駅 (兵庫県) - 兵庫県神戸市中央区にある神戸市営地下鉄西神・山手線の駅。 県庁前駅 (広島県) - 広島県広島市中区にある広島高速交通1号線(アストラムライン)の駅。 県庁前駅 (沖縄県) - 沖縄県那覇市にある沖縄都市モノレール(ゆいレール)の駅。 県庁前駅 (秋田県) - 秋田県秋田市にあった秋田市電の停留場。 県庁前駅 (静岡県) - 静岡県静岡市にあった静岡鉄道静岡市内線の停留場。 県庁前駅 (山梨県) - 山梨県甲府市にあった山梨交通電車線の停留場。 県庁前駅 (福岡県) - 福岡県福岡市にあった西鉄福岡市内線の駅。#貫線を参照。 県庁前駅 (和歌山県) - 和歌山県和歌山市にあった南海和歌山軌道線の停留場 神奈川県横浜市中区にある横浜高速鉄道みなとみらい線日本大通り駅の建設当時の仮称。 新潟県新潟市にあった新潟交通電車線白山前駅の旧称。 鹿児島県鹿児島市にある鹿児島市電第一期線水族館口停留場の旧称。
'''県庁前駅'''(けんちょうまええき) *[[県庁前駅 (千葉県)]] - 千葉県千葉市中央区にある千葉都市モノレール1号線の駅。 *[[県庁前駅 (兵庫県)]] - 兵庫県神戸市中央区にある神戸市営地下鉄西神・山手線の駅。 *[[県庁前駅 (広島県)]] - 広島県広島市中区にある広島高速交通1号線(アストラムライン)の駅。 *[[県庁前駅 (沖縄県)]] - 沖縄県那覇市にある沖縄都市モノレール(ゆいレール)の駅。 *[[県庁前駅 (秋田県)]] - 秋田県秋田市にあった[[秋田市電]]の停留場。 *[[県庁前駅 (静岡県)]] - 静岡県静岡市にあった[[静岡鉄道静岡市内線]]の停留場。 *[[県庁前駅 (山梨県)]] - 山梨県甲府市にあった山梨交通電車線の停留場。 *[[県庁前駅 (福岡県)]] - 福岡県福岡市にあった西鉄福岡市内線の駅。[[西鉄福岡市内線#貫通線|#貫線]]を参照。 *[[県庁前駅 (和歌山県)]] - 和歌山県和歌山市にあった[[南海和歌山軌道線]]の停留場 *神奈川県横浜市中区にある横浜高速鉄道みなとみらい線[[日本大通り駅]]の建設当時の仮称。 *新潟県新潟市にあった新潟交通電車線[[白山前駅]]の旧称。 *鹿児島県鹿児島市にある鹿児島市電第一期線[[水族館口停留場]]の旧称。 == 関連項目 == *[[県庁前停留場]] - 路面電車の同名停留場に関する曖昧さ回避項目 *[[都庁前駅]] - 東京都新宿区にある都営地下鉄大江戸線の駅。 {{Aimai}} [[Category:同名の鉄道駅]] {{DEFAULTSORT:けんちようまええき}}
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14,566
41
41(四十一、しじゅういち、よんじゅういち、よそひと、よそじあまりひとつ)は自然数、また整数において、40の次で42の前の数である。
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41(四十一、しじゅういち、よんじゅういち、よそひと、よそじあまりひとつ)は自然数、また整数において、40の次で42の前の数である。
{{整数|Decomposition=([[素数]])}} '''41'''('''四十一'''、しじゅういち、よんじゅういち、よそひと、よそじあまりひとつ)は[[自然数]]、また[[整数]]において、[[40]]の次で[[42]]の前の数である。 == 性質 == *41は13番目の[[素数]]である。1つ前は[[37]]、次は[[43]]。 **[[約数の和]]は[[42]]。 * 41 = 41 + 0 × ''ω'' (''ω''は1の虚立方根) ** a + 0 × ''ω'' (a > 0) で表される7番目の[[アイゼンシュタイン整数#アイゼンシュタイン素数|アイゼンシュタイン素数]]である。1つ前は[[29]]、次は[[47]]。 *7番目の[[ソフィー・ジェルマン素数]]である。1つ前は[[29]]、次は[[53]]。 * 6番目の[[スーパー素数]]である。1つ前は[[31]]、次は[[59]]。 *41 と [[43]] は6番目の[[双子素数]]である。1つ前は([[29]], [[31]])、次は([[59]], [[61]])。 * 1 と 4 を使った最小の素数である。次は4111。ただし単独使用を可とするなら1つ前は[[11]]。({{OEIS|A020452}}) ** 41…1 の形の最小の素数である。次は4111。({{OEIS|A068815}}) ** 4…41 の形の最小の素数である。次は4441。({{OEIS|A093174}}) * 4''m'' &minus; 1 型の素数と 4''m'' + 1 型の素数の個数が同じになる4番目の数である。1つ前は[[17]]、次は[[461]]。({{OEIS|A007351}}) * 41 = 2{{sup|5}} + 9 ** ''n'' = 5 のときの 2{{sup|''n''}} + 9 の値とみたとき1つ前は[[25]]、次は[[73]]。({{OEIS|A188165}}) *** 2{{sup|''n''}} + 9 の形の4番目の素数である。1つ前は[[17]]、次は[[73]]。({{OEIS|A104070}}) *{{sfrac|1|41}} = {{sfrac|2439|[[99999]]}} = 0.{{underline|02439}}… (下線部は循環節で長さは5) **[[逆数]]が[[循環小数]]になる数で[[循環節]]が5になる最小の数である。次は[[82]]。 **循環節が ''n'' になる最小の数である。1つ前の4は[[101]]、次の6は[[7]]。({{OEIS|A003060}}) *''n''{{sup|2}} + ''n'' + 41 の値は 0 ≤ ''n'' ≤ 39 を満たす整数 ''n'' に対し全て素数となる(→[[オイラー素数]])。 **[[多項式]]:''n''{{sup|2}} + ''n'' + ''a'' が 0 ≤ ''n'' ≤ ''a'' &minus; 2 を満たす ''n'' に対して、全て素数となるような ''a'' は[[レオンハルト・オイラー|オイラー]]の幸運数と呼ばれ、''a'' = 2, 3, 5, 11, 17, 41 しか存在しない。これは、虚二次体 '''Q'''(√{{overline|1 &minus; 4''a''}}) の[[類数]]が 1 であることと関係している。 **最小の[[オイラー素数]]。次は[[43]]。({{OEIS|A005846}}) *41 × [[271]] = 11111 となり、1 が5個列ぶ。(→[[レピュニット]]) *[[素数#連続素数和|最初の6つの素数の和]]で表される6番目の数である。1つ前は[[28]]、次は[[58]]。<br>41 = 2 + 3 + 5 + 7 + 11 + 13 **最初からの連続素数の和が素数となる4番目の素数である。1つ前は[[17]]、次は[[197]]。 *[[素数#連続素数和|連続する3つの素数の和]]で表される5番目の数である。1つ前は[[31]]、次は[[49]]。<br>41 = 11 + 13 + 17 **連続する3つの素数の和が素数となる3番目の素数である。1つ前は[[31]]、次は[[59]]。 * [[1]]~[[7]]までの[[約数]]の和である。1つ前は[[33]]、次は[[56]]。 *各位の和([[数字和]])が5になる5番目の数である。1つ前は[[32]]、次は[[50]]。 **各位の和([[数字和]])が ''n'' になる ''n'' 番目の数である。1つ前は[[31]]、次は[[51]]。 **各位の和が5になる数で3番目の[[素数]]である。1つ前は[[23]]、次は[[113]]。({{OEIS|A062341}}) * 各位の積が4になる4番目の数である。1つ前は[[22]]、次は[[114]]。({{OEIS|A199987}}) ** 各位の積が4になる数で最小の[[素数]]である。次は4111。({{OEIS|A107690}}) * 41 = 5 × 2{{sup|3}} + 1 より8番目の[[プロス数]]である。1つ前は[[33]]、次は[[49]]。 **5番目の[[プロス数#プロス素数|プロス素数]]である。1つ前は[[17]]、次は[[97]]。 * 41 = 4{{sup|2}} + 5{{sup|2}} ** 異なる2つの[[平方数]]の和で表せる12番目の数である。1つ前は[[40]]、次は[[45]]。({{OEIS|A004431}}) ** ''n'' = 4 のときの ''n''{{sup|2}} + (''n'' + 1){{sup|2}} の値とみたとき1つ前は[[25]]、次は[[61]]。({{OEIS|A001844}}) *** ''n''{{sup|2}} + (''n'' + 1){{sup|2}} で表せる3番目の[[素数]]である。1つ前は[[13]]、次は[[61]]。({{OEIS|A027862}}) **5番目の[[中心つき四角数]]である。 ** ''n'' = 2 のときの 4{{sup|''n''}} + 5{{sup|''n''}} の値とみたとき1つ前は[[9]]、次は[[189]]。({{OEIS|A074611}}) ** 41 = 5{{sup|2}} + 2{{sup|4}} *** ''n'' = 2 のときの 5{{sup|''n''}} + ''n''{{sup|4}} の値とみたとき1つ前は[[6]]、次は[[206]]。 **** 5{{sup|''n''}} + ''n''{{sup|4}} で表せる最小の素数である。次は[[881]]。({{OEIS|A182359}}) *41 = 1{{sup|2}} + 2{{sup|2}} + 6{{sup|2}} = 3{{sup|2}} + 4{{sup|2}} + 4{{sup|2}} ** 3つの[[平方数]]の和2通りで表せる4番目の数である。1つ前は[[38]]、次は[[51]]。({{OEIS|A025322}}) ** 41 = 1<sup>2</sup> + 2<sup>2</sup> + 6<sup>2</sup> *** 異なる3つの[[平方数]]の和1通りで表せる8番目の数である。1つ前は[[38]]、次は[[42]]。({{OEIS|A025339}}) *** ''n'' = 2 のときの 1{{sup|''n''}} + 2{{sup|''n''}} + 6{{sup|''n''}} の値とみたとき1つ前は[[9]]、次は[[225]]。({{OEIS|A074502}}) *** 41 = (1!){{sup|2}} + (2!){{sup|2}} + (3!){{sup|2}} **** ''n'' = 3 のときの 1 から ''n'' までの (''n''!){{sup|2}} の和とみたとき1つ前は[[5]]、次は[[617]]。({{OEIS|A104344}}) * ''n'' = 41 のときの ''n''! + 1 で表せる 41! + 1 は7番目の[[階乗素数]]である。1つ前は[[37]]、次は[[73]]。({{OEIS|A002981}}) : 41[[階乗|!]] + 1 = 33452526613163807108170062053440751665152000000001 * 41 = 6{{sup|2}} + 6 &minus; 1 = 7{{sup|2}} &minus; 7 &minus; 1 ** ''n'' = 6 のときの ''n''{{sup|2}} + ''n'' &minus; 1 の値とみたとき1つ前は[[29]]、次は[[55]]。({{OEIS|A028387}}) *** この形の5番目の素数である。1つ前は[[29]]、次は[[71]]。({{OEIS|A002327}}) * ''n''{{sup|2}} の数を降順に並べた数とみたとき1つ前は[[1]]、次は941。({{OEIS|A038397}}) == その他 41 に関連すること == *[[原子番号]] 41 の[[元素]]は[[ニオブ]] (Nb) である。 *第41代[[天皇]]は[[持統天皇]]である。 *[[日本]]の第41代[[内閣総理大臣]]は[[小磯國昭]]である。 *[[大相撲]]の第41代[[横綱]]は[[千代の山雅信]]である。 *[[アメリカ合衆国|アメリカ]]の第41代[[大統領]]は[[ジョージ・H・W・ブッシュ]]で第43代大統領の父に当たる。 *[[アメリカ合衆国]]の41番目の[[州]]は[[モンタナ州]]である。 * JIS X 0401、[[ISO 3166-2:JP]]の[[都道府県コード]]の「41」は[[佐賀県]]。 *第41代[[教皇|ローマ教皇]]は[[ゾシムス (ローマ教皇)|ゾシムス]](在位:[[417年]][[3月17日]]~[[418年]][[12月26日]])である。 *[[Sum 41]]はカナダの[[ロックバンド]]。 *[[交響曲第41番 (モーツァルト)|交響曲第41番「ジュピター」]]は[[ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト]]の最後の[[交響曲]]である。 *[[易占]]の[[六十四卦]]で第41番目の卦は、[[周易下経三十四卦の一覧#損|山沢損]]。 *[[クルアーン]]における第41番目の[[スーラ (クルアーン)|スーラ]]は[[フッスィラ (クルアーン)|フッスィラ]]である。 *[[年始]]から数えて41日目は[[2月10日]]。[[語呂合わせ]]で「ふとんの日」と読める。 *日本における観測史上最高[[気温]]は 41[[セルシウス温度|°C]] である。([[2013年]][[8月12日]]、[[高知県]][[四万十市]]) *日本における観測史上最低[[気温]]は &minus;41°C である。([[1902年]][[1月25日]]、[[北海道]][[旭川市]]) *『[[41 (航空機)|41]]』は[[MiG|ミグ]]設計局の試作戦闘機。 *[[将棋]]の初形における空きスペース(駒がない場所)の数は41ますである。 *'''41''' は[[スイス]] (CHE) の国際電話 国番号 == 符号位置 == {| class="wikitable" style="text-align:center;" !記号!![[Unicode]]!![[JIS X 0213]]!![[文字参照]]!!名称 {{CharCode|12982|32B6|1-8-53|CIRCLED DIGIT FORTY ONE|font=JIS2004フォント}} |} == 関連項目 == {{数字2桁|4|- [[昭和41年]] [[明治41年]]}} *[[4月1日]] {{自然数}}
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14,567
42
42(四十二、しじゅうに、よんじゅうに、よそふた、よそじあまりふたつ)は自然数、また整数において、41の次で43の前の数である。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "42(四十二、しじゅうに、よんじゅうに、よそふた、よそじあまりふたつ)は自然数、また整数において、41の次で43の前の数である。", "title": null } ]
42(四十二、しじゅうに、よんじゅうに、よそふた、よそじあまりふたつ)は自然数、また整数において、41の次で43の前の数である。
{{整数|Decomposition=2 × 3 × 7}} '''42'''('''四十二'''、しじゅうに、よんじゅうに、よそふた、よそじあまりふたつ)は[[自然数]]、また[[整数]]において、[[41]]の次で[[43]]の前の数である。 == 性質 == * 42 は[[合成数]]であり、正の[[約数]]は [[1]], [[2]], [[3]], [[6]], [[7]], [[14]], [[21]], 42 である。 **[[約数の和]]は[[96]]。 ***8番目の[[過剰数]]である。1つ前は[[40]]、次は[[48]]。 *{{sfrac|1|42}} = 0.0{{underline|238095}}… (下線部は循環節で長さは6) **[[逆数]]が[[循環小数]]になる数で[[循環節]]が6になる9番目の数である。1つ前は[[39]]、次は[[52]]。 *42 = 2 × 21 ** ''n'' = 1 のときの 21 × 2{{sup|''n''}} の値とみたとき1つ前は[[21]]、次は[[84]]。({{OEIS|A175805}}) *2番目の[[楔数]]である。1つ前は[[30]]、次は[[66]]。 **[[楔数]]が[[ハーシャッド数]]になる2番目の数である。1つ前は[[30]]、次は[[70]]。 *5番目の[[カタラン数]]である。1つ前は[[14]]、次は[[132]]。 :<math>42 = \frac{10!}{6!\times 5!} = \frac{7\times 8\times 9\times 10}{1\times 2\times 3\times 4\times 5}</math> *42 = 6 × 7 **6番目の[[矩形数]]である。1つ前は[[30]]、次は[[56]]。 **42 = 6{{sup|1}} + 6{{sup|2}} = 7{{sup|2}} &minus; 7{{sup|1}} ***6の自然数乗の和とみたとき1つ前は[[6]]、次は[[258]]。 **42 = 2 + 4 + 6 + 8 + 10 + 12 ** ''n'' = 1 のときの 6 × 7{{sup|''n''}} の値とみたとき1つ前は[[6]]、次は[[294]]。({{OEIS|A055272}}) *20番目の[[ハーシャッド数]]である。1つ前は[[40]]、次は[[45]]。 **6を基とする3番目の[[ハーシャッド数]]である。1つ前は[[24]]、次は[[60]]。 *[[約数]]の和が42になる数は3個ある。([[20]], [[26]], [[41]]) [[約数]]の和3個で表せる2番目の数である。1つ前は[[24]]、次は[[48]]。 **6の倍数の楔数で約数の和で表せる個数が最も多い。 * [[各位の和]]が6になる5番目の数である。1つ前は[[33]]、次は[[51]]。 * 各位の積が8になる4番目の数である。1つ前は[[24]]、次は[[81]]。({{OEIS|A199989}}) * 1~42までの約数の個数を加えると[[168]]個になり42の4倍になる。1~''n'' までの約数の個数が ''n'' の整数倍になる5番目の数である。1つ前は[[15]] (3倍)、次は[[44]] (4倍)。({{OEIS|A050226}}参照) **''n'' 倍になる最小の数とみたとき1つ前は[[15]] (3倍)、次は[[121]] (5倍)。({{OEIS|A085567}}) * 42 = 1<sup>2</sup> + 4<sup>2</sup> + 5<sup>2</sup> ** 3つの[[平方数]]の和1通りで表せる19番目の数である。1つ前は[[36]]、次は[[43]]。({{OEIS|A025321}}) ** 異なる3つの[[平方数]]の和1通りで表せる9番目の数である。1つ前は[[41]]、次は[[45]]。({{OEIS|A025339}}) ** ''n'' = 2 のときの 1{{sup|''n''}} + 4{{sup|''n''}} + 5{{sup|''n''}} の値とみたとき1つ前は[[10]]、次は[[190]]。({{OEIS|A074511}}) * 42 = 2{{sup|1}} + 2{{sup|3}} + 2{{sup|5}} ** ''a'' = 2 のときの ''a''{{sup|1}} + ''a''{{sup|3}} + ''a''{{sup|5}} の値とみたとき1つ前は[[3]]、次は[[273]]。 * 42 = (-80538738812075974)<sup>3</sup> + 80435758145817515<sup>3</sup> + 12602123297335631<sup>3</sup> ** 「[[3つの立方数の和]]1通りで表せる100以下の整数のうち、組み合わせが見つかっていない唯一の数([[ルイス・モーデル]]により提唱された予想)」とされていたが、2019年に英[[ブリストル大学]]のアンドリュー・ブッカー教授がスーパーコンピュータを使用した探索により発見した<ref>{{Cite web |url = https://web.archive.org/web/20191024001655/https://aperiodical.com/2019/09/42-is-the-answer-to-the-question-what-is-80538738812075974%C2%B3-80435758145817515%C2%B3-12602123297335631%C2%B3/|title = 42 is the answer to the question “what is (-80538738812075974)³ + 80435758145817515³ + 12602123297335631³?” |publisher = aperiodical.com |date = 2019-09-06 |accessdate = 2019-10-24}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url = https://web.archive.org/web/20191024001928/https://www.asahi.com/articles/ASMBL5481MBLULBJ00N.html|title = 60年解けなかった数学の難題 世界中のPCつなぎ解決” |publisher = www.asahi.com |date = 2019-10-24|accessdate = 2019-10-24}}</ref>。 * ''n'' = 42 のとき ''n'' と ''n'' &minus; 1 を並べた数を作ると[[素数]]になる。''n'' と ''n'' &minus; 1 を並べた数が素数になる6番目の数である。1つ前は[[34]]、次は[[58]]。({{OEIS|A054211}}) * ''n'' = 42 のとき ''n'' と ''n'' + 1 を並べた数を作ると[[素数]]になる。''n'' と ''n'' + 1 を並べた数が素数になる6番目の数である。1つ前は[[36]]、次は[[50]]。({{OEIS|A030457}}) ** ''n'' = 42 のとき ''n'' と ''n'' &minus; 1 および ''n'' と ''n'' + 1 を並べた数が素数になる最小の数である。次は[[78]]。({{OEIS|A068700}}) **:例.4241 と 4243 は素数。またこの2つの素数は[[双子素数]]である。 * ''n'' = 2 のときの 2''n'' と ''n'' を並べてできる数である。1つ前は[[21]]、次は[[63]]。({{OEIS|A235497}}) == その他 42 に関連すること == *[[原子番号]] 42 の[[元素]]は、[[モリブデン]] (Mo)。 *第42代[[天皇]]は、[[文武天皇]]。 *第42代[[内閣総理大臣]]は、[[鈴木貫太郎]]。 *年始から数えて42日目は、[[2月11日]]。[[国民の祝日]][[建国記念の日]]である。 *通算して第42代の[[征夷大将軍]]は、[[徳川家治]]([[江戸幕府]]第10代将軍)。 *[[大相撲]]第42代[[横綱]]は、[[鏡里喜代治]]。 *[[アメリカ合衆国]]第42代[[アメリカ合衆国大統領|大統領]]は、[[ビル・クリントン]]。 *アメリカ合衆国の42番目の[[州]]は、[[ワシントン州]]。 * JIS X 0401、[[ISO 3166-2:JP]]の[[都道府県コード]]の「42」は[[長崎県]]。 *第42代[[教皇|ローマ教皇]]は[[ボニファティウス1世 (ローマ教皇)|ボニファティウス1世]](在位:[[418年]][[9月28日]]〜[[422年]][[9月4日]])である。 *[[易占]]の[[六十四卦]]で第42番目の卦は、[[周易下経三十四卦の一覧#益|風雷益]]。 *[[クルアーン]]における第42番目の[[スーラ (クルアーン)|スーラ]]は[[相談 (クルアーン)|相談]]である。 *冬の代表的な[[散光星雲]][[オリオン大星雲]]は、[[メシエカタログ|M]] 42。 *[[水]]が[[全反射]]を起こす[[光]]の[[角度]]は、42[[度 (角度)|度]]。 *一般的な[[体温計]]の計測可能な上限は、摂氏42[[セルシウス度|度]]。これは摂氏約42度でタンパク質が変質するからである。 *[[イヌ科]]動物の歯の数は、上下併せて42本。 *[[日本]]では、42歳は男の[[厄年|大厄]]の年とされている。父親がこの歳に2歳になる男児は親を殺すと言われ、仮に捨てて他人に拾ってもらう風習があった(四十二の二つ子)<ref>[https://kotobank.jp/word/%E5%9B%9B%E5%8D%81%E4%BA%8C%E3%81%AE%E4%BA%8C%E3%81%A4%E5%AD%90-519271 四十二の二つ子(読み)シジュウニノフタツゴ]コトバンク</ref>。 *日本では、42 の「し・に」の音が「[[死]]に」に通じるとして凶運・不縁起の数とされる。日本語の「42」と同様の忌み言葉として、ラテン語で「死ぬ」を意味する「mori」がある。 **男性の[[厄年]]。 **自動車の[[日本のナンバープレート|ナンバープレート]]では、希望番号制度による申し出があった場合を除いて下二桁「42」を付けない(ただし、駐留軍車を除く)。 **[[競輪]]では、開催に出場する選手に割り当てる整理番号を…40、41、43、44、…としている。 **逆に、[[運送|運輸]]・[[荷役]]などの[[物流]]業では、「42」を「しじゅうに」(「始終荷」)と読んで縁起の好い数字とする場合もある。 *[[国鉄42系電車]]。 **そのうちクモハ42001は、[[西日本旅客鉄道|JR西日本]][[小野田線]]の本山支線で、[[2003年]]まで運用された。 *[[メジャーリーグベースボール|メジャーリーグ]]では初の[[アフリカ系アメリカ人|黒人]]選手として数々の功績を残した[[ジャッキー・ロビンソン]]を讃え、彼が付けていた[[野球の背番号|背番号]]42を1997年4月15日(デビュー50周年記念日)に全球団共通の[[野球界の永久欠番|永久欠番]]とした。制定以前から 42 を付けていた選手に限り、42 を付けられるが、最後まで背番号42を付けていた[[ニューヨーク・ヤンキース]]の[[マリアノ・リベラ]]が[[2013年]]で引退して、背番号42の選手はいなくなった。4月15日は「ジャッキー・ロビンソン・デー」とされ、チームにもよるがこの日に限り選手・監督・コーチら全員が42の背番号をつけて試合に臨む。 **また、彼を題材に作られ、2013年に公開された伝記映画のタイトルは『[[42 〜世界を変えた男〜]]』。 *[[日本プロ野球]]では「42="死に"」と連想されることから、日本人選手からは嫌われており、[[下柳剛]]が[[阪神タイガース]]時代につけていたなど少数の例にとどまる([[2016年]]は[[千葉ロッテマリーンズ|ロッテ]]の[[香月良仁]]、[[福岡ソフトバンクホークス|ソフトバンク]]の[[飯田優也]]、[[阪神タイガース|阪神]]の[[竹安大知]]、[[東京ヤクルトスワローズ|ヤクルト]]の[[坂口智隆]]が着用)。逆に、前項の通りメジャーリーグでは大変に名誉ある背番号でありながら普段身に付けることは不可能なため、同リーグ出身の外国人選手が好んで背番号42を付けている。 *日本のプロ野球に於けるシーズン最多勝は、[[ヴィクトル・スタルヒン]]と[[稲尾和久]]が記録した42勝である。 *[[レベル42]]は、[[ロック (音楽)|ロック]]バンド。 *一般的な[[千手観音]]の手は、42本。 *[[テレビ神奈川]]の[[ガイドチャンネル|アナログ放送]]は 42ch。 *[[42型駆逐艦]]は、[[イギリス海軍]]および[[アルゼンチン海軍]]の[[駆逐艦]]。 *[[reiser4]]ファイル・システムにおけるルート・ディレクトリのiノードが「42」。 <!-- The inode number of the root directory of reiser4 file system.--> *[[Tagged Image File Format|TIFF]]イメージ・ファイルを16ビット表現した時の第二[[ワード]]は、常に「42」([[エンディアン|リトルエンディアン]]で 0x2A)である。なお、第一ワードはバイト・オーダーを表す。<!-- The second 16-bit word of every TIFF image file, used together with the first word to indicate byte order. --> *プログラマーは[[メタ構文変数]]として「42」を使う。(次項と関係あり) <!--A common metasyntactic variable used by programmers.--> *<div id="42 id">[[生命、宇宙、そして万物についての究極の疑問の答え]]は「42」である。([[ダグラス・アダムズ]]の[[サイエンス・フィクション|SF]]小説『[[銀河ヒッチハイク・ガイド]]』より)</div> *テレビ番組『[[ザ・クマーズ・アット・ナンバー42]]』(''[[:en:The Kumars at No. 42|The Kumars at No. 42]]'') で主人公クマーズ達は部屋番号「42」の部屋に住んでいる。2003年 [[英国放送協会|BBC]] で放送された脚本家の一人である Sanjeev Bhaskar 司会の番組で『銀河ヒッチハイクガイド』がイギリスで最も愛されている本としてノミネートされた。この番組中で Bhaskar はクマーズの部屋番号は『銀河ヒッチハイクガイド』から来ていると語った。 <!-- The Kumars at No. 42 TV series. In 2003, Sanjeev Bhaskar hosted a BBC show nominating The Hitchhiker's Guide to the Galaxy as Britain's Best Loved Book. During the show Bhaskar stated that the Kumars house number was in honour of the book. --> *数学者でもあった[[ルイス・キャロル]]にとって 42 は特別な数である。([[ダグラス・アダムズ]]『[[銀河ヒッチハイク・ガイド]]』への影響が指摘されている) **王は手にしている文書を読み上げた、「規則 42。身長1マイル以上のものは全員この法廷を去ること(All persons more than a mile high to leave the court. 文字数も 42)」(『[[不思議の国のアリス]]』) <!-- Lewis Carroll "Alice's Adventures in Wonderland": At this moment the King, who had been for some time busily writing in his note-book, cackled out 'Silence!' and read out from his book, 'Rule Forty-two. All persons more than a mile high to leave the court.' --> **丁寧に詰められた42個の箱は、それぞれにくっきりと名前が書かれていたが、そのことに言及するのを忘れてしまったので、そっくり岸に残されることとなった。(『[[スナーク狩り]]』) <!-- Lewis Carroll "The Hunting of the Snark": He had forty-two boxes, all carefully packed, With his name painted clearly on each: But, since he omitted to mention the fact, They were all left behind on the beach. --> *BBC のテレビ番組『[[ドクター・フー]]』で2007年5月19日に放送されたサブタイトルが「[[タイムリミット42|42]]」。放送時間45分のうち、最初の3分間を除いた、残りの42分間について、ドラマの時間と現実時間がリアルタイムに進行するという手法がとられた。 *[[超重力理論]]の素粒子の数は42種類である。 *Siriによる、「人生の意味」についての回答のひとつである。 *[[サン電子]]の[[ファミリーコンピュータ]]用ゲーム『[[アトランチスの謎]]』では、「42th ZONE」に入ると強制的に落下ミスするしかなく[[ゲームオーバー]]となってしまう。 *[[42 (学校)]]はフランスにあるコンピュータプログラミングを学ぶ私立学校で、校名は上記の銀河ヒッチハイクガイドから採られている。 * [[木村カエラ]]のデビュー曲のタイトルが[[Level42]](上記のテレビ神奈川のアナログチャンネル番号から。ロックバンドとは無関係)。 * [[テキサス州]]で遊ばれている [[ドミノ]]ゲームの名称 == 符号位置 == {| class="wikitable" style="text-align:center;" !記号!![[Unicode]]!![[JIS X 0213]]!![[文字参照]]!!名称 {{CharCode|12983|32B7|1-8-54|CIRCLED DIGIT FORTY TWO|font=JIS2004フォント}} |} == 関連項目 == *[[数に関する記事の一覧]] {{数字2桁|4|- [[昭和42年]] - [[明治42年]] - [[4月2日]]}} == 脚注 == {{Reflist}} {{自然数}}
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43
43(四十三、しじゅうさん、よそみ、よそじあまりみつ)は自然数、また整数において、42の次で44の前の数である。
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43(四十三、しじゅうさん、よそみ、よそじあまりみつ)は自然数、また整数において、42の次で44の前の数である。
{{整数|Decomposition=([[素数]])}} '''43'''('''四十三'''、しじゅうさん、よんじゅうさん、よそみ、よそじあまりみつ)は[[自然数]]、また[[整数]]において、[[42]]の次で[[44]]の前の数である。 == 性質 == *43は14番目の[[素数]]である。1つ前は[[41]]、次は[[47]]。 **[[約数の和]]は[[44]]。 *** 約数の和が[[回文数]]になる7番目の数である。1つ前は[[7]]、次は[[81]]。({{OEIS|A028980}}) * ([[41]], 43) は6番目の[[双子素数]]である。1つ前は([[29]], [[31]])、次は([[59]], [[61]]) 。 *4番目の 8''n'' + 3 型の素数であり、この類の素数は ''x''{{sup|2}} + 2''y''{{sup|2}} と表せるが、43 = 5{{sup|2}} + 2 × 3{{sup|2}} である。1つ前は[[19]]、次は[[59]]。 * 43 = 43 + 0 × ''i'' (''i''は[[虚数単位]]) ** a + 0 × ''i'' (a > 0) で表される7番目の[[ガウス整数#ガウス素数|ガウス素数]]である。1つ前は[[31]]、次は[[47]]。 *[[陳素数]]でない素数のうち最小の数である。次は[[61]]。 *{{sfrac|1|43}} = 0.{{underline|023255813953488372093}}… (下線部は[[循環節]]で長さは21) **[[逆数]]が[[循環小数]]になる数で[[循環節]]が21になる最小の数である。次は[[86]]。 **循環節が ''n'' になる最小の数である。1つ前の20は3541、次の22は[[23]]。({{OEIS|A003060}}) * 43 = 2{{sup|2}} - 2 + 41 ** 2番目の[[素数|オイラー素数]]である。1つ前は[[41]]、次は[[47]]。 * 3 と 4 を使った最小の素数である。次は[[433]]。ただし単独使用を可とするなら1つ前は[[3]]。({{OEIS|A020461}}) ** 43…3 の形の最小の素数である。次は[[433]]。({{OEIS|A093939}}) ** 4…43 の形の最小の素数である。次は[[443]]。({{OEIS|A093163}}) * 連続[[整数]]を降順に並べてできる4番目の数である。1つ前は[[32]]、次は[[54]]。({{OEIS|A127423}}) ** 2つの連続する数を降順に並べてできる最小の素数である。次は[[109]]。({{OEIS|A052089}}) ** 1桁の連続する数を降順に並べてできる5番目の素数である。1つ前は[[7]]、次は76543。ただし2つ以上の数とみたとき最小である。({{OEIS|A052016}}) *43 = 6{{sup|0}} + 6{{sup|1}} + 6{{sup|2}} **''a'' = 6 のときの ''a''<sup>0</sup> + ''a''<sup>1</sup> + ''a''<sup>2</sup> の値とみたとき1つ前は[[31]]、次は[[57]]。 *** ''a''<sup>0</sup> + ''a''<sup>1</sup> + ''a''<sup>2</sup> で表せる5番目の[[素数]]である。1つ前は[[31]]、次は[[73]]。 ** 6の累乗和とみたとき1つ前は[[7]]、次は[[259]]。({{OEIS|A003464}}) *** 43 = {{sfrac|6{{sup|3}} − 1|6 − 1}} = {{sfrac|7{{sup|3}} + 1|7 + 1}} ** 43 = 111{{sub|(6)}} ***六進法では[[ゾロ目]]になる11番目の数である。ただし3桁では最小。1つ前は[[35]]、次は[[86]]。({{OEIS|A048331}}) * 異なる[[平方数]]の和で表せない31個の数の中で19番目の数である。1つ前は[[33]]、次は[[44]]。 *[[各位の和]]が7になる5番目の数である。1つ前は[[34]]、次は[[52]]。 **各位の和が7になる数で[[素数]]になる2番目の数である。1つ前は[[7]]、次は[[61]]。({{OEIS|A062337}}) *各位の[[平方和]]が[[平方数]]になる15番目の数である。1つ前は[[40]]、次は[[50]]。({{OEIS|A175396}}) *:4{{sup|2}} + 3{{sup|2}} = 25 = 5{{sup|2}} * 43 = 3{{sup|2}} + 3{{sup|2}} + 5{{sup|2}} ** 3つの[[平方数]]の和1通りで表せる20番目の数である。1つ前は[[42]]、次は[[44]]。({{OEIS|A025321}}) * 43 = 2{{sup|3}} + 2{{sup|3}} + 3{{sup|3}} ** 3つの[[正の数]]の[[立方数]]の和1通りで表せる7番目の数である。1つ前は[[36]]、次は[[55]]。({{OEIS|A025395}}) ** 3つの[[正の数]]の[[立方数]]の和で表せる4番目の[[素数]]である。1つ前は[[29]]、次は[[73]]。({{OEIS|A007490}}) * 12番目の[[幸運数]]である。1つ前は37、次は[[49]]。 **幸運数自身のすべての約数が幸運数である数としては9番目である。1つ前は37、次は49。 ** [[累乗数]]はもちろん1にもなり得ない幸運数としても9番目である。1つ前は37、次は51。 * 43 = 2{{sup|6}} − 2{{sup|5}} + 2{{sup|4}} − 2{{sup|3}} + 2{{sup|2}} − 2{{sup|1}} + 2{{sup|0}} ** ''n'' = 2 のときの ''n''{{sup|6}} − ''n''{{sup|5}} + ''n''{{sup|4}} − ''n''{{sup|3}} + ''n''{{sup|2}} − ''n''{{sup|1}} + ''n''{{sup|0}} の値とみたとき1つ前は[[1]]、次は[[547]]。({{OEIS|A060888}}) *** ''n''{{sup|6}} − ''n''{{sup|5}} + ''n''{{sup|4}} − ''n''{{sup|3}} + ''n''{{sup|2}} − ''n''{{sup|1}} + ''n''{{sup|0}} の形の最小の素数である。次は[[547]]。({{OEIS|A245427}}) *** 43 = {{sfrac|2{{sup|7}} + 1|2 + 1}} **** ''n'' = 3 のときの {{sfrac|2{{sup|2''n''+1}} + 1|3}} の値とみたとき1つ前は[[11]]、次は[[171]]。({{OEIS|A007583}}) * 43 = 4{{sup|3}} − 4{{sup|2}} − 4 − 1 ** ''n'' = 4 のときの ''n''{{sup|3}} − ''n''{{sup|2}} − ''n'' − 1 の値とみたとき1つ前は[[14]]、次は[[94]]。({{OEIS|A083074}}) * ''n'' = 43 のとき ''a''{{sub|0}} = 1 , ''a''{{sub|''n''}} = {{sfrac|1 + ''a''{{sub|0}}{{sup|2}} + ''a''{{sub|1}}{{sup|2}} + … + ''a''{{sub|''n''−1}}{{sup|2}}|''n''}} (''n'' ≧ 1) からなるゲーベル数列は整数でなくなる。({{OEIS|A003504}}) ** ''k'' = 2 のときの ''a''{{sub|0}} = 1 , ''a''{{sub|''n''}} = {{sfrac|1 + ''a''{{sub|0}}{{sup|''k''}} + ''a''{{sub|1}}{{sup|''k''}} + … + ''a''{{sub|''n''−1}}{{sup|''k''}}|''n''}} (''n'' ≧ 1) が整数でない最小の ''n'' の値とみたとき次の ''k'' = 3 のときは[[89]]。({{OEIS|A108394}})<ref>数学セミナー2020年6月号P42-43</ref> * 4番目の{{仮リンク|シルベスター数|en|Sylvester's sequence}}である。1つ前は[[7]]、次は1807。({{OEIS|A000058}}) ** 43 = 2 × (2 + 1) × (2{{sup|2}} + 2 + 1) + 1 == その他 43 に関連すること == * [[日本]]には、43個の[[県]]がある。(1[[東京都|都]]、1[[道 (行政区画)#地方自治法施行後|道]]、2[[府 (行政区画)#日本|府]]と合わせて[[47]]の[[都道府県]]) * 年始から数えて43日目は[[2月12日]]。 * [[原子番号]] 43 の元素は[[テクネチウム]] (Tc) で、人工元素では原子番号が最も小さい。 * 第43代[[天皇]]は[[元明天皇]]である。 * 日本の43代目の[[内閣総理大臣]]は、[[東久邇宮稔彦王]]。 * [[大相撲]]の第43代[[横綱]]は[[吉葉山潤之輔]]である。 * 第43代[[教皇|ローマ教皇]]は[[カエレスティヌス1世 (ローマ教皇)|カエレスティヌス1世]](在位:[[422年]]~[[432年]][[7月27日]])である。 * [[易占]]の[[六十四卦]]で第43番目の卦は、[[周易下経三十四卦の一覧#夬|沢天夬]]。 * [[クルアーン]]における第43番目の[[スーラ (クルアーン)|スーラ]]は[[金の装飾 (クルアーン)|金の装飾]]である。 * [[数字選択式全国自治宝くじ]]「[[ロト6]]」で選べる数字は01~43の43通りである。 * [[アメリカ合衆国]]第43代[[大統領]]は[[ジョージ・W・ブッシュ]]である。 * アメリカ合衆国の43番目の[[州]]は[[アイダホ州]]である。 * JIS X 0401、[[ISO 3166-2:JP]]の[[都道府県コード]]の「43」は[[熊本県]]。 * [[岐阜シティ・タワー43]]は[[岐阜県]][[岐阜市]]にある商業・住居複合ビルである。 * 43の呪い - 大相撲において[[連勝記録 (大相撲)|連勝]]記録は43で止まるという[[ジンクス]]<ref>[https://www.sponichi.co.jp/sports/news/2013/07/21/kiji/K20130721006260760.html 40連勝以上は4人だけも、いずれも2番目の記録は43][[スポーツニッポン]]、2013年7月21日。</ref><ref>[[日本放送協会|NHK]]の[[大相撲中継]](2013年7月21日)でも、[[中入]]時のエピソードで紹介された。</ref>。40連勝以上を複数回記録した力士は、[[谷風梶之助 (2代)|谷風]]、[[雷電爲右エ門|雷電]]<ref>43連勝時は雷電震右エ門と名乗っていた。</ref>、[[太刀山峯右エ門|太刀山]]、[[白鵬翔|白鵬]]の4人だけ(白鵬以外は[[休場]]、[[引分 (相撲)|引分]]、[[預り (相撲)|預り]]、[[無勝負 (相撲)|無勝負]]を含む)だが、いずれも43連勝で止まったことがある。 * L43は、3代目[[ルノーサムスン・SM5]]の型式。 * '''43''' は[[オーストリア]] (AUT) の国際電話 国番号 * 3 × 3 の[[ルービックキューブ]]の異なる色の配置の数は約 43 × 10{{sup|18}} 通りある。 ** この正確な値は 3{{sup|8}} × 8! × 2{{sup|12}} × {{sfrac|12!|12}} = 43252003274489856000 である。({{OEIS|A075152}}) * [[ミニカー (玩具)|ミニカー]]は、実物の1/43の大きさで作られることが多い。 == 符号位置 == {| class="wikitable" style="text-align:center;" !記号!![[Unicode]]!![[JIS X 0213]]!![[文字参照]]!!名称 {{CharCode|12984|32B8|1-8-55|CIRCLED DIGIT FORTY THREE|font=JIS2004フォント}} |} == 脚注 == <references /> == 関連項目 == {{数字2桁|4|- [[昭和43年]] [[明治43年]]}} *[[4月3日]] {{自然数}}
2003-08-31T04:18:23Z
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