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14,569 |
44
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44(四十四、しじゅうし、よんじゅうよん、よそよん、よそじあまりよつ)は自然数、また整数において、43の次で45の前の数である。
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44(四十四、しじゅうし、よんじゅうよん、よそよん、よそじあまりよつ)は自然数、また整数において、43の次で45の前の数である。
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{{整数|Decomposition=2{{sup|2}} × 11}}
'''44'''('''四十四'''、しじゅうし、よんじゅうよん、よそよん、よそじあまりよつ)は[[自然数]]、また[[整数]]において、[[43]]の次で[[45]]の前の数である。
== 性質 ==
*44は[[合成数]]であり、[[約数]]は [[1]], [[2]], [[4]], [[11]], [[22]], 44 である。
**[[約数の和]]は[[84]] 。
***44を除いた約数の和は[[40]]であり[[不足数]]。
**約数を6個もつ6番目の数である。1つ前は[[32]]、次は[[45]]。
***約数を ''n'' 個もつ ''n'' 番目の数である。1つ前は[[14641]]。次は24137569。({{OEIS|A073916}})
*{{sfrac|1|44}} = 0.02{{underline|27}}… (下線部は循環節で長さは2)
**[[逆数]]が[[循環小数]]になる数で[[循環節]]が2になる4番目の数である。1つ前は[[33]]、次は[[55]]。({{OEIS|A070022}})
*14番目の[[回文数]]である。1つ前は[[33]]、次は[[55]]。
** 3つの回文数の積で表せる2番目の回文数である。1つ前は[[8]]、次は[[66]]。({{OEIS|A078895}})
*8番目の[[フィボナッチ数#トリボナッチ数|トリボナッチ数]]である。1つ前は[[24]]、次は[[81]]。
*4番目の[[八面体数]]である。1つ前は[[19]]、次は[[85]]。
*5つのものを並べる[[完全順列]]の個数。
**5番目のモンモール数である。1つ前は[[9]]、次は[[265]]。
* 異なる[[平方数]]の和で表せない31個の数の中で20番目の数である。1つ前は[[43]]、次は[[47]]。
*[[約数]]の和が44になる数は1個ある。([[43]]) 約数の和1個で表せる17番目の数である。1つ前は[[40]]、次は[[57]]。
*[[各位の和]]が8になる5番目の数である。1つ前は[[35]]、次は[[53]]。
* 各位の積が[[各位の和]]の2倍になる2番目の数である。1つ前は[[36]]、次は[[63]]。({{OEIS|A062034}})
*各位の[[平方和]]が32になる最小の数である。次は[[404]]。({{OEIS|A003132}})
** 各位の平方和が ''n'' になる最小の数である。1つ前の31は1125、次の33は[[144]]。({{OEIS|A055016}})
*各位の[[立方和]]が128になる最小の数である。次は[[404]]。({{OEIS|A055012}})
** 各位の立方和が ''n'' になる最小の数である。1つ前の127は[[115]]、次の129は[[144]]。({{OEIS|A165370}})
*[[完全数]] [[6]] と [[28]] の約数の和の差が 44 である。<br>44 = σ(28) − σ(6) = 56 − 12 (ただし σ は[[約数関数]])
* 1~44までの約数の個数を加えると[[176]]個になり44の4倍になる。1~''n'' までの約数の個数が ''n'' の整数倍になる6番目の数である。1つ前は[[42]] (4倍)、次は[[47]] (4倍)。({{OEIS|A050226}}参照)
* [[九九]]で表せない(登場しない)4の倍数のうち最小の数。
* 44番目の[[三角数]]は990で3桁の最大数になる。いいかえると[[自然数]]を1から44まで加えていくと3桁最大数になる。1つ前は[[13]]、次は[[140]]。({{OEIS|A095863}})
* 44 = 2{{sup|2}} × 11
**2つの異なる[[素因数]]の積で ''p''{{sup|2}} × ''q'' の形で表せる5番目の数である。1つ前は[[28]]、次は[[45]]。({{OEIS|A054753}})
** ''n'' = 2 のときの 11 × 2{{sup|''n''}} の値とみたとき1つ前は[[22]]、次は[[88]]。({{OEIS|A005015}})
** 44 = 11 × 4
*** ''n'' = 1 のときの 11 × 4{{sup|''n''}} の値とみたとき1つ前は[[11]]、次は[[176]]。({{OEIS|A002089}})
* 44 = 2{{sup|2}} + 2{{sup|2}} + 6{{sup|2}}
** 3つの[[平方数]]の和1通りで表せる21番目の数である。1つ前は[[43]]、次は[[45]]。({{OEIS|A025321}})
* 44 = 2{{sup|2}} + 2{{sup|3}} + 2{{sup|5}}
** ''a'' = 2 のときの素数列 ''p'' において ''a''{{sup|''p''{{sub|1}}}} + ''a''{{sup|''p''{{sub|2}}}} + ''a''{{sup|''p''{{sub|3}}}} の値とみたとき1つ前は[[3]]、次は[[279]]。({{OEIS|A133073}})
* 桁の[[調和平均]]が4になる3番目の数である。1つ前は[[36]]、次は[[63]]。({{OEIS|A062182}})
*:例.{{sfrac|2|{{sfrac|1|4}} + {{sfrac|1|4}}}} = 4
* 44 = 4{{sup|3}} − 3{{sup|3}} + 2{{sup|3}} − 1{{sup|3}}
** ''n'' = 4 のときの |1{{sup|3}} − 2{{sup|3}} + … + (−1){{sup|''n''+1}}''n''{{sup|3}}| の値とみたとき1つ前は[[20]]、次は[[81]]。(ただし| |は[[絶対値]]記号)({{OEIS|A011934}})
* 44 = 4{{sup|3}} − 4{{sup|2}} − 4
** ''n'' = 4 のときの ''n''{{sup|3}} − ''n''{{sup|2}} − ''n'' の値とみたとき1つ前は[[15]]、次は[[95]]。({{OEIS|A152015}})
* 44 = <math>\sum^{4}_{k=1}(k^2+k+1)</math>
** ''n'' = 4 のときの <math>\sum^n_{k=1}(k^2+k+1)</math> の値とみたとき1つ前は[[23]]、次は[[75]]。({{OEIS|A145069}})
== その他 44 に関すること ==
*[[原子番号]] 44 の元素は[[ルテニウム]] (Ru)。
*第44代[[天皇]]は[[元正天皇]]である。
*[[日本]]の第44代[[内閣総理大臣]]は[[幣原喜重郎]]である。
*[[大相撲]]の第44代[[横綱]]は[[栃錦清隆]]である。
*[[アメリカ合衆国]]の第44代[[大統領]]は[[バラク・オバマ]]である。
*[[アメリカ合衆国]]の44番目の[[州]]は[[ワイオミング州]]である。
* JIS X 0401、[[ISO 3166-2:JP]]の[[都道府県コード]]の「44」は[[大分県]]。
*第44代[[教皇|ローマ教皇]]は[[シクストゥス3世 (ローマ教皇)|シクストゥス3世]](在位:[[432年]][[7月31日]]~[[440年]][[8月18日]])である。
*[[アトランタ・ブレーブス]]の[[野球界の永久欠番|永久欠番]]の一つ。[[ハンク・アーロン]]の[[野球の背番号|背番号]]であった。
*[[StG44 (突撃銃)|MP44/StG44]]:[[ナチス・ドイツ]]が開発した[[アサルトライフル]]。
*[[.44マグナム弾]]は、大口径弾薬の一種。
*[[易占]]の[[六十四卦]]で第44番目の卦は、[[周易下経三十四卦の一覧#姤|天風姤]]。
*[[クルアーン]]における第44番目の[[スーラ (クルアーン)|スーラ]]は[[煙霧 (クルアーン)|煙霧]]である。
*[[関本四十四]]は[[読売ジャイアンツ]]、[[横浜DeNAベイスターズ|横浜大洋ホエールズ]]などに所属したプロ野球選手。名前の由来は父親が44歳の時に生まれたことから。
*'''44''' は[[イギリス]] (UK) の国際電話 国番号
*[[44MAGNUM]] は日本のロックバンド。
*[[F1ドライバー]]、[[ルイス・ハミルトン]]が2014年から使用している固定カーナンバー。ワールドチャンピオンになっても翌シーズンはチャンピオンナンバーの「1」は使用せず引き続き「44」を使用し続けた。
*[[44プロダクション]]は日本の芸能事務所。読みは「よんよん」。
*[[フォーティーフォーマネジメント]]は日本の芸能事務所。略称は44。44グループ。
== 符号位置 ==
{| class="wikitable" style="text-align:center;"
!記号!![[Unicode]]!![[JIS X 0213]]!![[文字参照]]!!名称
{{CharCode|12985|32B9|1-8-56|CIRCLED DIGIT FORTY FOUR|font=JIS2004フォント}}
|}
== 関連項目 ==
{{数字2桁|4|- [[昭和44年]] - [[明治44年]]}}
*[[4月4日]]
*[[第44回衆議院議員総選挙]]
{{自然数}}
|
2003-08-31T04:27:41Z
|
2023-12-07T13:49:20Z
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"Template:自然数",
"Template:整数",
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"Template:Sfrac",
"Template:Underline",
"Template:Sup",
"Template:CharCode",
"Template:数字2桁"
] |
https://ja.wikipedia.org/wiki/44
|
14,570 |
45
|
45(四十五、よんじゅうご、しじゅうご、よそじあまりいつつ)は、自然数、また整数において、44の次で46の前の数である。
|
[
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45(四十五、よんじゅうご、しじゅうご、よそじあまりいつつ)は、自然数、また整数において、44の次で46の前の数である。
|
{{整数|Decomposition=3{{sup|2}} × 5}}
'''45'''('''四十五'''、よんじゅうご、しじゅうご、よそじあまりいつつ)は、[[自然数]]、また[[整数]]において、[[44]]の次で[[46]]の前の数である。
== 性質 ==
* 45は[[合成数]]であり、[[約数]]は[[1]], [[3]], [[5]], [[9]], [[15]], 45である。
**[[約数の和]]は[[78]]。
*9番目の[[三角数]]である。1つ前は[[36]]、次は[[55]]。
**出目が0から9である10面サイコロの目の総和と等しい。
***[[三角数]]が[[ハーシャッド数]]になる7番目の数である。1つ前は36、次は[[120]]。
***三角数が三角数になる約数の個数をもつ3番目の数である。1つ前は[[28]]、次は[[153]]。({{OEIS|A116541}})
*** 45 = 3 + 6 + 36
****3つの異なる三角数の和で表せる3番目の三角数である。1つ前は28、次は55。({{OEIS|A112353}})
*** ''n'' = 3 のときの ''n''{{sup|2}} 番目の三角数とみたとき1つ前は[[10]]、次は[[136]]。({{OEIS|A037270}})
**5番目の[[六角数]]である。1つ前は28、次は[[66]]。
**: 45 = 5 × (2 × 5 − 1)
*3番目の[[カプレカ数]]である。45{{sup|2}} = [[2025]], 20 + 25 = 45。1つ前は9、次は55。
*√{{overline|2000}} に最も近い整数である。√{{overline|2000}} = 44.72135…。44{{sup|2}} = 1936, 45{{sup|2}} = 2025。
*{{sfrac|1|45}} = 0.0{{underline|2}}… (下線部は循環節で長さは1)
**[[逆数]]が[[循環小数]]になる数で[[循環節]]が1になる10番目の数である。1つ前は36、次は[[48]]。({{OEIS|A070021}})
*[[九九]]では 5 の段で 5 × 9 = 45 (ごっくしじゅうご)、9 の段で 9 × 5 = 45 (くごしじゅうご)と2通りの表し方がある。
*21番目の[[ハーシャッド数]]である。1つ前は[[42]]、次は48。
**9を基とする5番目のハーシャッド数である。1つ前は36、次は[[54]]。
*各位の[[平方和]]が41になる最小の数である。次は54。({{OEIS|A003132}})
** 各位の平方和が ''n'' になる最小の数である。1つ前の40は[[26]]、次の42は[[145]]。({{OEIS|A055016}})
*各位の[[立方和]]が189になる最小の数である。次は54。({{OEIS|A055012}})
** 各位の立方和が ''n'' になる最小の数である。1つ前の188は12335、次の190は[[145]]。({{OEIS|A165370}})
* 約数の和で表せない15の倍数のうち最小の数である。
* 連続[[自然数]]を昇順に並べてできる4番目の数である。1つ前は[[34]]、次は[[56]]。({{OEIS|A035333}})
* 45番目の[[三角数]]は1035で初めて4桁の数になる。いいかえると1から[[自然数]]を加えていくと45で初めて4桁になる。1つ前は[[14]]、次は[[141]]。({{OEIS|A068092}})
* 45 = 3<sup>2</sup> + 6<sup>2</sup>
** 異なる2つの[[平方数]]の和で表せる13番目の数である。1つ前は[[41]]、次は[[50]]。({{OEIS|A004431}})
** ''n'' = 2 のときの 3{{sup|''n''}} + 6{{sup|''n''}} の値とみたとき1つ前は9、次は[[243]]。({{OEIS|A074607}})
* 45 = 2<sup>2</sup> + 4<sup>2</sup> + 5<sup>2</sup>
** 3つの平方数の和1通りで表せる22番目の数である。1つ前は[[44]]、次は[[46]]。({{OEIS|A025321}})
** 異なる3つの[[平方数]]の和1通りで表せる10番目の数である。1つ前は42、次は46。({{OEIS|A025339}})
** ''n'' = 2 のときの 2{{sup|''n''}} + 4{{sup|''n''}} + 5{{sup|''n''}} の値とみたとき1つ前は[[11]]、次は[[197]]。({{OEIS|A074532}})
* 45 = 5 × 3{{sup|2}}
** ''n'' = 3 のときの 5''n''{{sup|2}} の値とみたとき1つ前は[[20]]、次は[[80]]。({{OEIS|A033429}})
** ''n'' = 2 のときの 5 × 3{{sup|''n''}} の値とみたとき1つ前は15、次は[[135]]。({{OEIS|A005030}})
** 2つの異なる[[素因数]]の積で ''p''{{sup|2}} × ''q'' の形で表せる6番目の数である。1つ前は44、次は50。({{OEIS|A054753}})
* 45 = 4{{sup|3}} − 4{{sup|2}} − 4 + 1
** ''n'' = 4 のときの ''n''{{sup|3}} − ''n''{{sup|2}} − ''n'' + 1 の値とみたとき1つ前は15、次は[[95]]。({{OEIS|A152618}})
* 45 = <math>\sum^{4}_{k=0}(k^2+k+1)</math>
** ''n'' = 4 のときの <math>\sum^n_{k=0}(k^2+k+1)</math> の値とみたとき1つ前は[[24]]、次は[[76]]。({{OEIS|A006527}})
== その他 45 に関連すること ==
===45 × 単位===
*45[[度 (角度)|°]] = {{sfrac|[[円周率|{{π}}]]|4}}([[ラジアン]])。これは {{sfrac|1|8}} 周であり、すなわち[[正八角形]]の[[中心角]]であり、すなわちその[[外角]]である。
*結婚45周年の祝いを[[結婚記念日|サファイア婚式]]という。
*[[レコード]]の回転数は 45[[rpm (単位)|rpm]] である。特に[[シングル|シングルレコード]]は 45rpm であることが多いことから「45(フォーティファイブ)」と表現されることがある。
*[[M1911|コルト・ガバメント]]の愛称の一つ。使用弾薬が[[.45ACP弾|45口径]]であることに由来する。
===45番目のもの===
*[[45年|西暦45年]]
*第45[[原子番号|番元素]]は[[ロジウム]] (Rh) である。
*第45代[[天皇]]は[[聖武天皇]]である。
*[[日本]]の第45代[[内閣総理大臣]]は[[吉田茂]]である。
*[[大相撲]]の第45代[[横綱]]は[[若乃花幹士 (初代)|若乃花幹士]]である。
*[[アメリカ合衆国]]の第45代[[大統領]]は[[ドナルド・トランプ]]である。[[2017年]][[1月]]に大統領に就任した。
*[[アメリカ合衆国]]の45番目の[[州]]は[[ユタ州]]である。
*第45代[[教皇|ローマ教皇]]は[[レオ1世 (ローマ教皇)|レオ1世]](在位:[[440年]]~[[461年]][[11月10日]])である。
*[[年始]]から数えて45日目は[[2月14日]]([[平年]])、通称[[バレンタインデー]]。
*[[易占]]の[[六十四卦]]で第45番目の卦は、[[周易下経三十四卦の一覧#萃|沢地萃]]。
*[[クルアーン]]における第45番目の[[スーラ (クルアーン)|スーラ]]は[[跪く時 (クルアーン)|跪く時]]である。
*第45番[[周期彗星]]は[[本田・ムルコス・パイドゥシャーコヴァー彗星]]である。
*冬の代表的な[[散開星団]][[プレアデス星団]](和名昴)は[[メシエカタログ|M]]45。
*[[四五天安門事件]]は[[1976年]][[4月5日]]に起こった[[中華人民共和国|中国]]の民衆弾圧事件。
*[[月刊誌]]「[[新潮45]]」
* JIS X 0401、[[ISO 3166-2:JP]]の[[都道府県コード]]の「45」は[[宮崎県]]。
*{{OEIS|A000045}}は、[[フィボナッチ数]]。
*'''45''' は[[デンマーク]] (DK) の国際電話 国番号
== 符号位置 ==
{| class="wikitable" style="text-align:center;"
!記号!![[Unicode]]!![[JIS X 0213]]!![[文字参照]]!!名称
{{CharCode|12986|32BA|1-8-57|CIRCLED DIGIT FORTY FIVE|font=JIS2004フォント}}
|}
== 関連項目 ==
{{数字2桁|4|- [[昭和45年]] [[明治45年]]}}
*'''45''' [[90]] [[135]] [[180]] [[225]] [[270]] [[315]] [[360]] [[405]] [[450]] [[495]] [[540]]
*[[4月5日]]
{{自然数}}
|
2003-08-31T04:29:38Z
|
2023-12-07T13:57:16Z
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"Template:Overline",
"Template:数字2桁",
"Template:自然数",
"Template:整数",
"Template:Underline",
"Template:CharCode",
"Template:Sfrac"
] |
https://ja.wikipedia.org/wiki/45
|
14,571 |
46
|
46(四十六、しじゅうろく、よんじゅうろく、よそむ、よそじあまりむつ)は自然数、また整数において、45の次で47の前の数である。
|
[
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"text": "46(四十六、しじゅうろく、よんじゅうろく、よそむ、よそじあまりむつ)は自然数、また整数において、45の次で47の前の数である。",
"title": null
}
] |
46(四十六、しじゅうろく、よんじゅうろく、よそむ、よそじあまりむつ)は自然数、また整数において、45の次で47の前の数である。
|
{{整数|Decomposition=2×23}}
'''46'''('''四十六'''、しじゅうろく、よんじゅうろく、よそむ、よそじあまりむつ)は[[自然数]]、また[[整数]]において、[[45]]の次で[[47]]の前の数である。
== 性質 ==
*46は[[合成数]]であり、正の[[約数]]は [[1]], [[2]], [[23]], 46 である。
**[[約数の和]]は[[72]]。
*16番目の[[半素数]]である。1つ前は[[39]]、次は[[49]]。
*2つの[[過剰数]]の和で表せない[[偶数]]のうち最大の数である。1つ前は[[34]]。({{OEIS|A048242}})
*{{sfrac|1|46}} = 0.0{{underline|2173913043478260869565}}… (下線部は循環節で長さは22)
**[[逆数]]が[[循環小数]]になる数で[[循環節]]が22になる2番目の数である。1つ前は[[23]]、次は[[69]]。
* 46 = 1{{sup|2}} + 3{{sup|2}} + 6{{sup|2}}
**3連続三角数の平方和で表せる最小の数である。次は[[145]]。
** 3つの[[平方数]]の和1通りで表せる23番目の数である。1つ前は[[45]]、次は[[48]]。({{OEIS|A025321}})
** 異なる3つの[[平方数]]の和1通りで表せる11番目の数である。1つ前は[[45]]、次は[[49]]。({{OEIS|A025339}})
** ''n'' = 2 のときの 1{{sup|''n''}} + 3{{sup|''n''}} + 6{{sup|''n''}} の値とみたとき1つ前は[[10]]、次は[[244]]。({{OEIS|A074508}})
* ''π''(200) = 46 (ただし''π''(''x'')は[[素数計数関数]])
**[[200]]までの素数は46個ある。1つ前の100までは[[25]]、次の300までは[[62]]。({{OEIS|A028505}})
*[[各位の和]]が10になる4番目の数である。1つ前は[[37]]、次は[[55]]。
*各位の[[平方和]]が52になる最小の数である。次は[[64]]。({{OEIS|A003132}})
** 各位の平方和が ''n'' になる最小の数である。1つ前の51は[[117]]、次の53は[[27]]。({{OEIS|A055016}})
*各位の[[立方和]]が280になる最小の数である。次は[[64]]。({{OEIS|A055012}})
** 各位の立方和が ''n'' になる最小の数である。1つ前の279は11355、次の281は[[146]]。({{OEIS|A165370}})
*5乗した数の各位の和が元の数になる最大の数である。1つ前は[[36]]。({{OEIS|A055576}})
*:46{{sup|5}} = 205962976 → 2 + 0 + 5 + 9 + 6 + 2 + 9 + 7 + 6 = 46
** ''n'' = 5 のときの ''n'' 乗した数の各位の和が元の数になる最大の数とみたとき1つ前の4乗は[[36]]、次の6乗は[[64]]。({{OEIS|A046000}})
== その他 46 に関連すること ==
*[[ヒト]]の[[染色体]]の数は、男女とも23対46本(22対44本の[[常染色体]]と1対2本の[[性染色体]])となる。
*[[原子番号]] 46 の[[元素]]は[[パラジウム]] (Pd)。
*[[地球]]が生まれておよそ46億年である。
*年始から数えて46日目は[[2月15日]]。
*第46代[[天皇]]は[[孝謙天皇]]である。
*[[日本]]の第46代[[内閣総理大臣]]は[[片山哲]]である。
*[[大相撲]]の第46代[[横綱]]は[[朝潮太郎 (3代)|朝潮太郎]]である。
*[[画家]]の[[葛飾北斎]]の代表作『[[富嶽三十六景]]』は全46枚からなるシリーズである。
*[[アメリカ合衆国]]の46番目の[[州]]は[[オクラホマ州]]である。
*JIS X 0401、[[ISO 3166-2:JP]]の[[都道府県コード]]の「46」は[[鹿児島県]]。
*'''46''' は[[スウェーデン]] (SWE) の国際電話 国番号
*[[沖縄返還]]される以前は46[[都道府県]]と数えられた。
*第46代[[教皇|ローマ教皇]]は[[ヒラルス (ローマ教皇)|ヒラルス]](在位:[[461年]]~[[468年]][[2月28日]])である。
*アメリカ合衆国の第46代[[アメリカ合衆国大統領|大統領]]は[[ジョー・バイデン]]である。
*[[易占]]の[[六十四卦]]で第46番目の卦は、[[周易下経三十四卦の一覧#升|地風升]]。
*[[クルアーン]]における第46番目の[[スーラ (クルアーン)|スーラ]]は[[砂丘 (クルアーン)|砂丘]]である。
*[[大日本帝国海軍]]の[[大和型戦艦]]に搭載されていた主砲の口径は46㎝であり、これは2016年現在で世界最大の実用化された艦砲である。
*[[千葉テレビ放送|チバテレビ]]のアナログ放送の[[親局]]は 46ch。
*[[石戸四六]]は日本の元[[プロ野球選手]]。
*伝説的な[[オートバイ]]レーサーである[[バレンティーノ・ロッシ]]の[[ゼッケン]]は46。
*[[秋元康]]がプロデュースする「[[坂道シリーズ]]」と呼ばれる[[日本]]のアイドルグループは、グループ名に「46」が付く([[乃木坂46]]・[[櫻坂46]]・[[日向坂46]]・[[吉本坂46]])。
== 符号位置 ==
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!記号!![[Unicode]]!![[JIS X 0213]]!![[文字参照]]!!名称
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== 関連項目 ==
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*[[4月6日]]
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47
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47(四十七、よんじゅうなな、よんじゅうしち、しじゅうしち、よそなな、よそじあまりななつ)は、自然数、または整数において、46の次で48の前の数である。
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47(四十七、よんじゅうなな、よんじゅうしち、しじゅうしち、よそなな、よそじあまりななつ)は、自然数、または整数において、46の次で48の前の数である。
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'''47'''('''四十七'''、よんじゅうなな、よんじゅうしち、しじゅうしち、よそなな、よそじあまりななつ)は、[[自然数]]、または[[整数]]において、[[46]]の次で[[48]]の前の数である。
== 性質 ==
*47は15番目の[[素数]]である。1つ前は[[43]]、次は[[53]]。
**[[約数]]の和は[[48]] 。
* 47 = 47 + 0 × ''ω'' (''ω''は1の虚立方根)
** a + 0 × ''ω'' (a > 0) で表される8番目の[[アイゼンシュタイン整数#アイゼンシュタイン素数|アイゼンシュタイン素数]]である。1つ前は[[41]]、次は53。
* 47 = 47 + 0 × ''i'' (''i''は[[虚数単位]])
** a + 0 × ''i'' (a > 0) で表される8番目の[[ガウス整数#ガウス素数|ガウス素数]]である。1つ前は43、次は59。
** ガウス素数かつアイゼンシュタイン素数である3番目の素数。1つ前は[[23]]、次は59。
*5番目の[[安全素数]]である。1つ前は[[23]]、次は[[59]]。
*8番目の[[リュカ数]]である。1つ前は[[29]]、次は[[76]]。
* ''n'' に2を加えた数と2を乗じた数が逆順になる2番目の数である。1つ前は[[2]]、次は[[497]]。({{OEIS|A276509}})
**47 + [[2]] = [[49]] , 47 × 2 = [[94]]
*{{sfrac|1|47}} = 0.{{underline|0212765957446808510638297872340425531914893617}}… (下線部は循環節で長さは46)
**循環節が ''n'' − 1 (全ての余りを巡回する) である[[巡回数]]を作る6番目の[[素数]]である。1つ前は[[29]]、次は[[59]]。
***循環節46の半分の ([[23]]) も循環節が ''n'' − 1 (循環節 [[22]]) となる最小の素数である。次は[[59]]。
**[[逆数]]が[[循環小数]]になる数で[[循環節]]が46になる最小の数である。次は[[94]]。
**循環節が ''n'' になる最小の数である。1つ前の45は2511、次の47は35121409。({{OEIS|A003060}})
*4番目の 8''n'' − 1 型の素数である。この類の素数は ''x''{{sup|2}} − 2''y''{{sup|2}} と表せるが、47 = 7{{sup|2}} − 2 × 1{{sup|2}} である。1つ前は[[31]]、次は[[71]]。
* 4 と 7 を使った最小の素数である。次は4447。ただし単独使用を可とするなら1つ前は[[7]]。({{OEIS|A020465}})
** 47…7 の形の最小の素数である。次は47777。({{OEIS|A093940}})
** 4…47 の形の最小の素数である。次は4447。({{OEIS|A092480}})
*一辺の長さが[[整数]]である1つの[[立方体]]を47個の一辺が整数である立方体に分割することはできない。48個またはそれ以上の個数の立方体に分割することはできる。
* 3番目の[[素数|オイラー素数]]である。1つ前は[[43]]、次は[[53]]。
* 47 = (2{{sup|3}} − 1){{sup|2}} − 2
** 3番目の[[キャロル数]]である。1つ前は[[7]]、次は[[223]]。
*** 2番目の[[キャロル数#キャロル素数|キャロル素数]]である。1つ前は[[7]]、次は[[223]]。
* 異なる[[平方数]]の和で表せない31個の数の中で21番目の数である。1つ前は[[44]]、次は[[48]]。
*[[各位の和]]が11になる3番目の数である。1つ前は[[38]]、次は[[56]]。
**各位の和が11になる数で[[素数]]になる2番目の数である。1つ前は[[29]]、次は[[83]]。({{OEIS|A106754}})
*各位の[[立方和]]が407になる最小の数である。次は[[74]]。({{OEIS|A055012}})
** 各位の立方和が ''n'' になる最小の数である。1つ前の406は1456、次の408は[[147]]。({{OEIS|A165370}})
*各位の積が[[完全数]]28になる最小の数である。次は[[74]]。
**各位の積が[[完全数]]28になる最小の[[素数]]である。次は[[227]]。
* 1~47までの約数の個数を加えると[[188]]個になり47の4倍になる。1~''n'' までの約数の個数が ''n'' の整数倍になる7番目の数である。1つ前は[[44]](4倍)、次は[[121]] (5倍)。({{OEIS|A050226}}参照)
* 47 = 7{{sup|2}} − 2
** 7{{sup|''n''}} − 2 の形の2番目の素数である。1つ前は[[5]]、次は2399。({{OEIS|A093612}})
** ''n'' = 2 のときの 7{{sup|''n''}} − ''n'' の値とみたとき1つ前は[[6]]、次は[[340]]。({{OEIS|A024076}})
*** 7{{sup|''n''}} − ''n'' の形の最小の素数である。次は117643。({{OEIS|A224468}})
== その他 47に関連すること ==
* 年始から47日目は[[2月16日]]。
* 47[[都道府県]]・[[都道府県庁所在地]]:[[日本]]の[[行政区画]]である、1都1道2府43県の合計。[[47NEWS]]の47も47都道府県に由来。
* JIS X 0401、[[ISO 3166-2:JP]]の[[都道府県コード]]の 47 は[[沖縄県]]。すなわち都道府県コードの番号順に都道府県を配列したとき、最後の47番目になるのは沖縄県。
* [[赤穂浪士|赤穂四十七士]]:[[忠臣蔵]]の登場人物
* いろは四十七文字:[[いろは歌]]の仮名文字数。
* [[AK-47]]:世界的に普及したAK[[アサルトライフル]]シリーズの初期モデル。
* 第47代[[天皇]]は[[淳仁天皇]]である。
* [[日本]]の47代目の[[内閣総理大臣]]は、[[芦田均]]。
* [[大相撲]]の第47代[[横綱]]は[[柏戸剛]]である。
* [[アメリカ合衆国]]の47番目の[[州]]は[[ニューメキシコ州]]である。
* 第47代[[教皇|ローマ教皇]]は[[シンプリキウス (ローマ教皇)|シンプリキウス]](在位:[[468年]] - [[483年]][[3月10日]])である。
* [[易占]]の[[六十四卦]]で第47番目の卦は、[[周易下経三十四卦の一覧#困|沢水困]]。
* [[クルアーン]]における第47番目の[[スーラ (クルアーン)|スーラ]]は[[ムハンマド (クルアーン)|ムハンマド]]である。
* ゲーム「[[ヒットマン (ゲームシリーズ)|Hitman]]」の主人公、コードネーム「47」。
* [[原子番号]] 47 の元素は[[銀]] (Ag)。
* 「47 + 2 = 49、47 × 2 = 94」という性質について、[[嶺川貴子]]が「KANGAROO POCKET CALCULATOR」という曲の中で歌っている。
* 漫画・アニメ『[[CLAYMORE]]』の舞台となる大陸は47の地域に分かれており、各地域にクレイモアと呼ばれる戦士が配備されている。クレイモアには強さに応じてランクがあり、主人公クレアはNo.47である。
* [[スタートレック]]シリーズに、「47」という数字やそのバリエーションが頻繁に登場する。『[[新スタートレック]]』の脚本家の [[:en:Joe Menosky|Joe Menosky]] が母校[[ポモナ・カレッジ]]の学生たちの間で人気がある「47」という数字<ref>[http://www.audiograffiti.com.au/47/ Star Trek: The 47 Conspiracy]、[http://www.pomona.edu/Magazine/pcmfl00/1.shtml PCM Online - The Mystery of 47]、[http://www.47.net/47society/ The 47 Society] を参照。</ref>をわざとセリフなどに入れるようにしたのが始まりで、同シリーズの他の作品でも頻繁に登場するようになった。
* テレビドラマ『[[エイリアス (テレビドラマ)|エイリアス]]』や『[[FRINGE (テレビドラマ)|FRINGE]]』にも「47」という数字が頻繁に登場する(ページ、部屋番号、暗号、人数など)。
* [[国鉄キハ40系気動車 (2代)#キハ47形|キハ47形]] - [[日本国有鉄道]]が開発・製作した一般形[[気動車]]。
* [[ジャパーン47ch]] - 2011年に[[毎日放送]]制作・[[ジャパン・ニュース・ネットワーク|TBS系]]で放送された番組。
* [[47RONIN]] - 2013年に公開された映画。
* [[47 (関ジャニ∞)]] - 2007年に発売された[[関ジャニ∞]]のライブDVDタイトル。
* 47氏 - [[Winny]]を開発した[[プログラマー]]の[[金子勇 (プログラマー)|金子勇]]が[[2ちゃんねる掲示板]]の[[ファイル共有ソフト]]開発スレッドの47番目の書き込みの人物であることから。
* [[47の素敵な街へ]] - 2014年にリリースされた[[AKB48]] Team 8の楽曲。
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== 脚注 ==
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== 関連項目 ==
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*[[4月7日]]
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こどもの国駅
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こどもの国駅(こどものくにえき)は、日本各地の駅名。
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こどもの国駅(こどものくにえき)は、日本各地の駅名。
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'''こどもの国駅'''(こどものくにえき)は、日本各地の駅名。
== 一覧 ==
* [[こどもの国駅 (神奈川県)]] - [[神奈川県]][[横浜市]][[青葉区 (横浜市)|青葉区]]にある[[東京急行電鉄|東急]][[東急こどもの国線|こどもの国線]]の駅。
* [[こどもの国駅 (愛知県)]] - [[愛知県]][[西尾市]]にある[[名古屋鉄道|名鉄]][[名鉄蒲郡線|蒲郡線]]の駅。
* [[子供の国駅]] - [[宮崎県]][[宮崎市]]にある[[九州旅客鉄道]](JR九州)[[日南線]]の駅。
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[[Category:同名の鉄道駅]]
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14,576 |
お好み焼き
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お好み焼き(おこのみやき)は、小麦粉と鶏卵、キャベツ、ソースなどを使用する鉄板焼きの一種である。
水に溶いた小麦粉を生地として鶏卵、野菜、肉、魚介類、麺類など好みの材料を使用し、鉄板の上で焼き上げ、ソース・マヨネーズ・青のり等の調味料をつけて食する。焼き方や具材は地域によって差が見られ、「キャベツ焼き」、「関西風お好み焼き」「広島風お好み焼き」、「べた焼き」、「遠州焼き」、「カキオコ」、「ねぎ焼き」、「かしみん焼き」、「ちょぼ焼き」、など、様々な様式や具材のお好み焼きが存在している。
記録では日本における粉物料理の起源は、安土桃山時代の千利休が好んだという「麩の焼き」にあるといわれているがお好み焼きとはかけ離れたものであり、お好み焼きの起源としては異論もある。
現在のお好み焼きに近いものとしては明治に東京で定着していたもんじゃ焼きから派生し、昭和の初めに東京を中心に流行した「どんどん焼き」があり、屋台や縁日などで販売された。このどんどん焼きは近畿地方においては、ソースが洋食的で一銭で買えることから一銭洋食と呼ばれ広まっていった。こうした古いスタイルのお好み焼きの原型は、現在も縁日の沿道に出る屋台などで提供されている他、岸和田市のかしみん焼きや高砂市のにくてん、あるいは「ねぎ焼き」「キャベツ焼き」といった形で残存している。また中国人が似たものをごま油で香ばしく焼いたものの屋台も存在する。
大正7年(1918年)3月24日の読売新聞朝刊に「蝦フライ一銭のどんどん焼」と題する記事が掲載されており、記事内では「どんどん焼き」という表現を用いながらも、その屋台の暖簾や品書きには「お好み焼」という表現が使用されている。また柳田国男は、昭和6年(1931年)に刊行された「明治大正史 第四巻 世相篇」において「子供を相手の擔ひ商ひの方でも飴や新粉の細工物は通りこして、御好み焼などといふ一品料理の眞似事が、現に東京だけでも数十人の専門家を生活させて居る」と書いている。
池田弥三郎の「私の食物誌」には「昭和6〜7年(1931〜1932年)ごろに銀座裏のお好み焼き屋が密会所のようになり、風俗上の取り締まりで挙げられた」というエピソードが記録されており、当時のお好み焼き屋は飲食を口実として懇ろの男女に逢瀬の場を提供する、どちらかと言えばいかがわしい業態としても機能していたことが読み取れる。食文化史研究家の岡田哲は、「お好み焼き」は当時の東京の花街において、座敷にしつらえた鉄板で客が自分の「好み」に焼く風流な遊戯料理として誕生したというこの証言に基づいた解釈を紹介しており、日本コナモン協会会長の熊谷真菜も自著にて同じ説を採用している。
田辺聖子は藤本義一との対談の中で、大阪でお好み焼きが知られるようになったのは昭和16〜17年ぐらいからではなかったかと発言している。現存するお好み焼き屋の中で最古とされる店は、浅草の「風流お好み焼 染太郎」で昭和13年(12年という説もあり)の創業であるが、大阪でも同じ時期に「以登屋」(現在は閉店)が開店しており、大阪で初めて客に自由に焼かせる「お好み焼き」を紹介したとされる。以登屋は芸者や花柳界の粋人、船場の旦那衆などを対象とした高級店で、市中の洋食焼きが10銭程度であった時代に1円50銭もしたという。ちなみに大衆店として人気を博した染太郎では、創業当時のお好み焼きの価格は一枚5銭であった。
戦後、「お好み焼き」という言葉は客が自分で焼いて楽しむという原義を離れ、ネギではなくキャベツを用いた粉物料理そのものを指すようになる。キャベツを用いる混ぜ焼き式の「お好み焼き」は近畿地方を中心に戦後急速に浸透し、全国各地で洋食焼き・どんどん焼きからお好み焼きへと料理の名称と調理法が更新されていった。焼き方に関しては現在も戦前のスタイルを残す地域が存在するものの、名称の点ではほぼ全国的に「お好み焼き」に統一されている。お好み焼きは戦後の大阪において、具材やソースの追加、腰掛け式のカウンターテーブルの採用などの変化を経て、本家と言われるほどに発展していく。昭和中葉には、大人が飲食店としての「お好み焼き屋」で座って鉄板を前に焼きながら食べるものと、子どもが「立ち食い」を前提に「新聞紙」に包んだ二つ折りのものをその場で立って食べる、簡便なお好み焼きとが分かれて存在した。
広島は戦前の東京で誕生したお座敷料理のお好み焼きはもちろん、戦後に広まった混ぜ焼き式のお好み焼きの影響も受けなかった地域であるが、どんどん焼きは乗せ焼きが主流であり、どんどん焼きから一銭洋食として伝わり、関西のお好み焼きも広島のお好み焼きも源流は同じである。どんどん焼きが関西に渡り一銭洋食に変化した。乗せ焼きの文化は広島だけでは無く、神戸・京都・徳島などでも残っている。戦災からの復興過程で1950年ごろに発生した屋台街(後のお好み村)において、鉄板一枚で調理出来ることから、戦前の一銭洋食をベースに独自の変化を遂げ、後に広島風お好み焼きと呼ばれる料理に発展した。
呉市の関西風お好み焼き店「ぼてじゅ」の創業者である宅見義喜によれば、お好み焼きのルーツはピザであり、昭和初期に軍艦の乗組員がヨーロッパから呉に伝えたという。これを海軍工廠に徴用された大阪の料理職人が大阪に伝え、戦後の復興期に里帰りして関西風お好み焼きの元になったと主張している。
「柔らかいもんじゃ焼きを屋台で販売するために粉の分量を増やしたのがどんどん焼きの始まりである」とする説がある が、そもそも現在のもんじゃ焼きが誕生したのは昭和30年代のことであり、戦前の文字焼きは蜜の入った具なしの甘い生地を焼いて食べる子供のおやつであった。またどんどん焼きは一銭洋食と同じ「乗せ焼き」であり、後のもんじゃ焼きやお好み焼きのように生地に具材を混ぜ込む調理法は挽肉を用いる一例を除き記録には残っていない。池波正太郎は昭和初期を回想したエッセイの中で、今のお好み焼のごとく何でも彼でもメリケン粉の中へまぜこんで焼きあげるというような雑駁なものではなかったと語り、数あるどんどん焼きの中で唯一「牛てん」というメニューだけがネギとひき肉を生地に混ぜてから焼いていたと証言している。
三宅正弘は、戦前のお好み焼き屋において、一人前ずつの分量を座敷に運んで客に焼かせるという提供方法から必然的に合理的で管理がしやすい混ぜ焼きとなり、これが「お好み焼き」という言葉とともに大阪に伝わったのではないかと考察している。
現存する最古のお好み焼き店は、昭和13年創業の「染太郎」(浅草)である。染太郎では戦前から続く古風なメニューを多く残しており、キャベツではなく白ネギを用いたお好み焼きや、どんどん焼き形式の乗せ焼き、あんこ巻きなどの甘味焼きも提供されている。東京には染太郎以外にも「松浪」や「まりや」など、黎明期の面影を残すお好み焼き屋がいくつか残存している。
一方、大阪屈指の老舗として知られる「はつせ」(千日前)は全席完全個室で、風俗上の取り締まりを受けたという戦前のお好み焼き屋の姿を偲ばせる作りとなっている。近年はカウンター式で店員が焼き、マヨネーズまでかけた状態で提供されることが多くなった大阪だが、この店ではお好み焼きが東京から伝わった当時の様式を今もなお維持している。
これら老舗に共通するのは「客が自分で焼く」という点であり、店側は鉄板と材料を提供するのみで、特に要望のない限り店員が客席に顔を出すことはない。また焼き方や味付けは文字通り「お好み」であるが、基本的には具材をすべて混ぜ込み、よくかき混ぜてから焼くことを推奨している。
前述のように混ぜ焼きよりも乗せ焼きの方が歴史は古く、東京の「お好み焼き」や神戸の「にくてん」は大正時代以前から普及していた。伝搬時期に地域差はあるものの、昭和の初めには東日本ではどんどん焼き、西日本では洋食焼きという名称でほぼ全国的に広まった。
一銭洋食の流れを汲む 広島風お好み焼きは戦後の発祥で、後のお好み村に繋がる中央通りの屋台街から始まっており、屋台街誕生当時から営業している店にみっちゃんなどがある。
みじん切りにしたキャベツや鶏卵、干しエビなどを生地に混ぜ込んでから焼くスタイルのお好み焼きのことを「関西風」お好み焼きと呼ぶことが多い。しかしながら、実はこのスタイルのお好み焼きの発祥は東京であり、関西地方においても京都市など昔ながらの「洋食焼き」の流儀で、鉄板に薄く延ばした生地の上にせん切りのキャベツと具材を載せて焼きあげる重ね焼きが主流となってきた地域も少なくない。
大阪を中心とする関西地方のお好み焼きにも様々な調理方法があるが、混ぜ焼きにのみにみられる特徴として、食感を軽くするために生地の中に山芋を混ぜ込むことが多い点があげられる。
キャベツや鶏卵がいつごろから使用されるようになったかについては、はっきりしたことは分かっていない。キャベツそのものは1904年ごろから普及しており、決して高価な食材ではなかった。ただ、青ネギを用いる西日本と、白ネギを用いる東日本では、戦前の一銭洋食時代においても用いられる野菜が異なっており、西日本の洋食焼きがもっぱら青ネギを使用したのに対し、同時期のどんどん焼きには白ネギだけではなくキャベツやタマネギなども定番の素材として使用されていた。戦争中の食糧事情が悪い時期に、単価が安く腹持ちのいいキャベツを用いる「お好み焼き」が伝わったこと、また戦後ほどなくキャベツとの相性が良い濃厚ソースが開発されたこともあって、西日本でも徐々に「ネギを散らして焼く洋食」から「キャベツをたっぷりと混ぜて焼くお好み焼き」へと切り替わっていったのではないかと推測される。
鶏卵については大規模養鶏が導入されたのは昭和30年代であり、戦後しばらくまでは高級食材であった。現在も地域によってはデフォルトの仕様が玉子なしの店が少なからず存在し、玉子を追加する場合は「豚玉」「いか玉」のようにメインとなる具材の後に「玉」を付けて注文する。
関西地方においても、戦前は生地を薄く引いた上に具材を重ねて焼き上げるいわゆる「洋食焼き」が主流であった。昭和の初めに東京で生地と具材を混ぜて焼く「お好み焼き」が誕生し、それが遅れて大阪にも伝わった。昭和12年には老舗として知られた「以登屋」が北新地近くに開店しているが、東京式に客が自分で焼くスタイルで、「あんこ巻き」のような東京にしか見られないメニューも提供されていたという。
戦後になり、混ぜ焼きのお好み焼きはそれまでの洋食焼きに代わって関西一円に広まった。終戦直後は「代用食」としての位置づけでもあったため、子どものおやつや嗜好品であった戦前に比べサイズやボリュームも必然的に大きくなった。お好み焼きは関西の庶民に愛され、街中には多くのお好み焼き屋が商い、独自の味を競うソースメーカーが誕生した。また家庭においても鉄板を特注して楽しむなど、地域に根付いた文化として成熟していった。
大阪がお好み焼きの本場として認知されるようになったのは、1970年代以降のことである。これは「ぼてぢゅう」や「千房」など有名店の台頭、マヨネーズや山芋を用いるといった独自の進化、大阪万博による注目度や観光客の急増などによるところが大きいと思われる。また、客が自分で焼く料理として生まれたお好み焼きを、プロの焼き手が焼いて提供するというスタイルに変えたことで「料理」としての付加価値が高まったことも理由のひとつであろう。
なお、混ぜ焼きのお好み焼きが「関西風お好み焼き」と呼ばれるようになったのは、広島風お好み焼きがマスコミに紹介されて以降のことである。広島風お好み焼きの店は1980年前後から他地域への進出が始まり、当時すでに全国的に標準となっていた混ぜ焼きのお好み焼きが改めて「関西風」と命名されることとなった。 関西では、格子型に切り分けるのに対し、関東ではピザ風に切り分ける。
だし汁に小麦粉、そして鶏卵や山芋を混ぜた生地にみじん切りのキャベツを混ぜて焼く、いわゆる「混ぜ焼き」が主流である。ただし東京のように肉などを混ぜ込むことはあまりなく、メインとなる具材は上に載せたり、あるいは別に炒めて載せることが多い。また昔ながらの「重ね焼き」や、千切りキャベツと生地を混ぜるのみであとは重ねて焼く地域なども点在しており、必ずしも関西では混ぜ焼きがすべてというわけではない。
とんかつソースが発明される1948年以前は、粘度の低いウスターソース(中濃ソース・とんかつソースなどを含むウスターソース類の総称ではなく、狭義のウスターソース。以下同じ)、あるいは醤油が使われていた。現在はお好み焼き用に調整された粘度が高く甘みの強いソースが主に用いられるが、神戸市のようにどろソースと呼ばれる非常に辛いソースが使用される地域もある。
近畿地方、特に兵庫や大阪では各地に独特の「地ソース」が多数存在しており、お好み焼き専門店では、業務用として卸されるこれらのソースをブレンドして独自の味を作り出している。 また今日では、オリバー、イカリ、カゴメ、オタフク、ブルドックといった大手のみならず、中小メーカーからも風味の異なるお好み焼き専用ソースが何種類も発売されている。近畿地方では街のどこのスーパーにもお好み焼きソースが十数種類陳列されているほどで、個々人のソースへのこだわりの深さを感じさせられる。
最初に使用したのは大阪市の「ぼてぢゅう」で、昭和28年のことである。昭和40年代から大阪を中心に普及し、後に全国的に広く使われるようになった。
同じ関西でも大阪と神戸ではマヨネーズに対する嗜好に違いがある。現在の大阪では、どの店でもマヨネーズがかけられて提供されるのに対し、神戸ではマヨネーズを置かない店も少なくなく、置いていても注文がなければ出さない店が多い。全国的に、大阪風の混ぜ焼きお好み焼きを提供する店ではマヨネーズが使用されることが多い。店によってはマスタードやトマトケチャップを少量加えることもある。マヨネーズが嫌いな場合は、 「マヨネーズ抜き」で注文することができる。
モダン焼き(「そばのせ」とも言う)とは、茹でた(あるいは蒸した)中華麺を、お好み焼きの具材として重ねて焼いたものである。中華麺をそのまま載せるか鉄板で焼くか、麺に味付けを行うか行わないかなど、店によってレシピは様々である。ベースとなるお好み焼きも店や地域によって混ぜ焼きの場合と乗せ焼きの場合があり、後者は広島風お好み焼きとほとんど同じものとなる。
中華麺の代わりにうどんを用いる場合もあり、「うどんモダン」や「うどんのせ」と呼ばれる。
広島風お好み焼きと同じく「乗せ焼き」の発想から生まれたメニューであり、1950年(昭和25年)に『志ば多』(神戸市)で考案されたという説が有力である。同店では、当初はそばではなくうどんを使用しており、現在もうどんモダンが名物となっている。
また大阪の「ぼてぢゅう」も同社が発祥と主張しており、高度経済成長期に同社が売り出した「もりだくさん焼き」が略されて「もだん焼き」になり、後付けでモダン=近代的の意味が付与されたとしている。
関西のお好み焼き屋では、焼き始めから最後の青海苔や削り節等のトッピングまで全ての調理工程を店員が行うスタイルが一般的である。焼き上がったお好み焼きは、俗に「ちりとり」と呼ばれる大型の起し金で各人の席に運ばれる。過去には関西も客が自分で焼く「客焼き」の店が主流であったが、店焼きに変わったのは「大阪人は合理的で店の人に焼いてもらったほうが早くて時間の節約になるから」という説がある。
一方、「お好み焼き」の元祖である東京では、椀やカップに入った生の具材と生地を提供し、客が自分でかき混ぜて焼き上げるセルフサービスが標準である。このスタイルの店は、お好み焼きがあまり一般的ではない地方都市にも多い。大阪も昔はこの形式が少なくなかったが、現在は創業の古い老舗店と関東発祥のチェーン店以外ではほとんどみられない。
お好み焼きを米飯のおかずと考えている人は全国では2割だが、大阪では半数近くと他を圧倒しているという調査結果がある。また、関西のお好み焼き屋、定食屋には米飯を添える「お好み焼き定食」を出す店舗が存在する。
関西地方では、コテ(方言でテコとも言う。正式名称は「起し金」)でお好み焼きを食べやすい大きさに少しずつ切り、直接コテに載せて食べる。あらかじめ切り分ける場合は格子状に四角く切るのが普通で、関東地方でよく見られるような放射状に切ることはない。
お好み焼きは「大阪風」と「広島風」の2つに大別される。その違いを「大阪風(関西風)」は、"混ぜ焼き"、「広島風」は"重ね焼き"あるいは"乗せ焼き"と表現されることが多い。広島のお好み焼きは、小麦粉を水で溶いたものを薄く伸ばして焼いた生地の上に野菜や肉といった具を重ねてひっくり返し、生地でフタをして「蒸し焼き」にするのを特徴とする。生地そのものを食べる関西のものと違い、広島の生地は脇役的存在。具材を蒸し上げるために蒸気を閉じ込めるためのフタとしての役割が大きい。このため、具と小麦粉で出来た生地を混ぜて作る"混ぜ焼き"とは全く異なる形状、及び食感となる。同様の調理法の「お好み焼き」を供する地域は広島以外にも存在するが、中華麺を加えることが多い点と、具材としてもやしを用いること、これらを含めた全ての食材が層状に構築されるという点が決定的なオリジナリティとなっており、他の地域のスタイルと区別される。関西では「お好み焼はおかず」と言われることもあるが、広島のお好み焼はそばやうどんが入っているため、それ自体で満腹となる主食として成立し、一緒にご飯を食べることはあまりない。当然、広島のお好み焼店にはご飯は置いてない。また他県の人には驚かれることも多いが、夜も勿論食べるが、広島のお好み焼は昼食のイメージが強い。
戦前に子供のおやつであった「一銭洋食」が原型である。鉄板の上で簡単に作れる広島のお好み焼きは、原爆で焼け野原となった広島の復興を象徴する食文化として独自の発展を遂げた。広島でお好み焼きが発展したのは、広島は重工業が盛んで、鉄を扱う工場が多く、鉄板が庶民の手に入りやすかったこと、戦後にアメリカから小麦粉を大量に押しつけられたMSA協定も関係があるという見方もある。広島市中心部の新天地エリアを中心に、夕食やお酒を飲んだ後に立ち寄るお客で屋台が賑わい、これが集合してお好み村となり、また広島の町のあちこちに自宅の一部を改装した小さなお好み焼き店が生まれた。
1975年(昭和50年)には山陽新幹線が広島県内にも延伸開業し、広島カープが初優勝した。この頃から旅行ガイドブックなどにも掲載されるようになり、西城秀樹や島田洋七など、広島出身者らがマスメディアで広島のお好み焼を紹介したり、1980年代に修学旅行向けのガイド本で紹介されたりし、80年代までは広島県民しか知らない地方のマイナーグルメは、全国的にその名が広まっていった。1970年代までは大手新聞や雑誌メディアに広島のお好み焼きを取り上げた記事はあまり見られないが、1980年代からは急増している。『週刊ポスト』1984年2月28日号のお好み焼き特集では、お好み焼きの三大派閥として「広島/関東/関西」を取り上げ、『週刊読売』1986年6月8日号では、「東京もんじゃ焼きvs広島お好み焼」と題してこの二大対決を12頁にも亘って紹介している。この記事では都内の「広島風お好み焼き店」として12店が紹介されており、「広島風お好み焼き店」は有名人の来店が多いと書かれており、ビッグネームが列挙されている。原宿竹下通りにあった「もみじハウス」店長は「歌手やタレントが広島にコンサートや舞台の仕事で訪れ、本場のお好み焼きの虜となり、東京の広島風のお店に来るのではないか」と述べていた。NHK広島放送局の制作で1986年8月6日に全国放送された『ふたたびの街』は、原爆の被害から免れた広島市の段原でお好み焼き店を経営する家族の物語で、重森孝子脚本・渡辺紘史演出、大滝秀治・井川比佐志・宮本信子らの出演だった。広島風お好み焼きを取り上げた『朝日新聞』1987年4月23日付に「広島カープの本拠地広島の名物のひとつ、お好み焼き。野菜がたっぷり、太らず健康にいいとかで、今や全国的に知られている」と書かれている。近年では「ご当地グルメの代表格」ともいわれ、「関西風」の"混ぜ焼き"と「広島風」の"重ね焼き"の2つによってお好み焼きは「国民食」と呼ばれるほどの人気となった。
2006年現在、広島市だけで800軒以上(1992年中国新聞調べからの推定)、広島県内には1,700軒以上あるといわれる(総務省統計局、平成21年経済センサスより)。店舗数では全国3位、人口あたりの店舗数では日本一といわれ、コンビニエンスストアより多いともいわれる。その県のコンビニ・スーパーでしか売っていない「ちょっと珍しい商品」としては、広島の場合は"お好み焼と盆燈籠"が挙げられる。広島市内には徒歩5分圏内に10軒はあるという説もある。2023年5月に広島市で開催されたG7広島サミットでは、同市を選挙区とする岸田文雄首相の推しもあり、「お好み焼きは広島」を世界にアピールした。
1950年ごろに発生した屋台街(1967年お好み村になる)で開業した、みっちゃんの井畝井三男と善さんの中村善二郎が広島風お好み焼きの元祖と言われている。その他、初期のお好み焼きの屋台の流れをくむ店は「麗ちゃん」、「へんくつや」などがある。1950年当時のお好み焼きはねぎ焼きに近い物であった。
戦争や原爆で夫を亡くした女性が自宅の土間を改造して店を始めた例も多く「〇〇ちゃん」という屋号が多いのはその名残りである。戦地から帰還した家族が見つけやすいようにという理由もあったとされる。また、1963年に中国地方を襲った昭和38年1月豪雪で、中国山地の農村から一家で離村し、高度経済成長期の広島市に移住した農家の主婦が住宅地に開業した例も多い。現在も町の小さなお店に、老婦人やその家族が焼く小規模な店舗が残るのは、こうした理由もある。
石丸紀興広島大学工学部教授は「戦後復興のエネルギーとなったお好み村のような屋台の系譜と、原爆で夫を亡くすなどした妻たちが、自宅の軒先で始めた子供相手のお好み焼き店がどの町でもあちこちにでき、広島市民はお好み焼きに馴染むようになった。この2つがあったことで、広島風お好み焼きは一気に普及した。プロパンガスや厚い鉄板の普及により、独特の重ね焼きが可能になった。地場のソースメーカーが店と協力して、甘味があり、こってりとした専用ソースを開発したことも大きかった」と論じている。広島に於けるお好み焼き店は小規模で、大手資本もほとんどない。言い換えれば、広島に於けるお好み焼きは小規模経営で、庶民の味となっており、地元の食文化として定着している。
矢野新一は「広島県人は新しいものに敏感で、全国販売に先駆けてのテストマーケットになることが多い。だから"広島お好み焼き"が誕生したときも、すんなり受け入れられたのではないか」と論じている。
1960年代ごろまでは、家から卵や肉をお店に持っていって入れてもらうことができた。現在は肉や卵(合わせて肉玉と呼ぶ)は当たり前に置かれているが、昔は野菜とそばだけ、あるいは野菜だけを頼むことも珍しくなく、この頃の野菜だけで作られたお好み焼きの値段は250円程度だった。まだプラスチック製や発泡スチロール製のトレーが普及していなかったため、持ち帰りの場合は各家庭から平皿を持っていってお好み焼きを載せてもらったり、新聞紙にくるんでいた。もう少し時代が下ると、ラップで包んで持ち帰っていた。
広島地方においては、広島風のお好み焼きのことは単に「お好み焼き」あるいは「お好み」と呼ぶ。ただし、広島県三原市では、旧来の麺無しをベースとして「お好み焼き」と呼び、中華麺またはうどん入りを「モダン焼き」と呼んでいる。名前については、当初は決まった名前はなかった。好きな具材を入れていく事で「好み焼き」と呼ばれていたが、この名称では良くないのではとなり、接頭語としておを付けてお好み焼きになったらしい。自然発生的に「お好み焼き」という名前が現れ、それが一般に定着して今に至っている。
広島県外では「広島風お好み焼き」の他に、特に関西においては「広島焼き」とも呼ばれる。1970年代にマスメディアによって広島のお好み焼きが"発見"され、「関西風」「広島風」という名称が両者を区別するために用いられ、これに伴い「広島焼き」と呼び方も生まれた。広島焼きという呼称を正式に採用したのは、記録のある限りでは1983年に東京下北沢に開業して2023年も当地で営業を続ける広島出身者の経営「広島焼きHIROKI」が最古である。都内初の広島スタイルのお好み焼き店といわれた1975年4月創業の千駄ヶ谷「お多福」は、店の看板に「ひろしま風」と掲げていた。東京出身のエッセイスト・如月小春が『宝石』で「大学四年のときに初めて食べた広島風のお好み焼きがマズかった」と書いていることから、1970年代後半には広島スタイルのお好み焼きを提供する店が都内にあったことが分かる。1990年代初めに県外で広島のお好み焼きを出す店が増えて看板に「広島風」が使われ始めた。その際オタフクソースとしては「広島流」と呼んでいた。2008年に社内で呼び方を統一し、広島のお好み焼きを「広島お好み焼き」関西のお好み焼きを「お好み焼き」と呼び分けるようになったという。但し、広島県民はそんなことはどうでもよく、「広島焼き」の呼称を嫌う傾向があり、広島ではケンカの火種になる言い方であるという。2016年9月20日にNHK総合テレビで放送された『サラメシ』の広島特集の中で、「広島風お好み焼き」に「広島焼き」とテロップをつけたところ、広島県民から「そんな食べ物はない!」などと批判が相次いだため、2日後の再放送ではテロップが「お好み焼き」へと修正された。広島で公演をするアーティストの楽屋には「MCにおける注意事項」として「広島風のお好み焼を『広島焼き』と呼ぶことは絶対におやめください」と注意書きがあるといわれる。広島の「お好み焼」は、「広島風」でも「広島焼き」でもなく、「お好み焼」だと主張する者もいる。1980年代はまだ地方のマイナーな存在だった広島のお好み焼きが全国進出する際に「広島焼き」「広島風お好み焼き」という二つの呼称が発生し、この呼称の生みの親は広島県人自身とする見方もある。全国的に有名になったら今度は「広島焼き」という呼称に怒り始めたという意見もある。
「広島焼き」の呼称が嫌われる理由には諸説あるが、有名なものに「お好み焼きを作っているのだから名称は『お好み焼き』であり、わざわざ「広島」と地名を付けて強調する必要が無い」、戦中や戦後直後の悲劇を知る高齢者を中心に「『広島焼き』は、その言葉の響きから原爆投下で焼けた広島を想起させる」と諸説ある。「お好み焼き」だと地名がわからないが、「広島焼き」「大阪焼き」と分けた方が直接のアピールになるのではという意見もある。
広島のお好み焼きには、定番の具材がある。今日、トッピングと表現されるものは、広島(市)民にとっては世代によって捉え方が違う。自宅から卵や皿を持って行った高齢者にとっては、その卵やそば・うどんもトッピングといえる。ただ「肉玉そば (うどん)」「そば (うどん) 肉玉」が定着して以降にトッピングのイメージがあったのはイカ天だけである。中心部から外れた店舗では基本食材以外で必ず置かれていたのはイカ天だけだった。以降、店舗によって、観音ネギを増量したり、もちやキムチ、チーズ、生イカ、エビなどをトッピングとして置くようになった。今日でも中心部から外れた店舗ではイカ天しか置いてないところも多い。
関西風は基本的には麺は入れないが、広島では麺を入れる形が一般的。広島ではそば(中華麺)が主流で、中国新聞の2023年10月の統計では約80%がそば派。うどん派は18%。うどんよりそばが主流になった理由についてはよくわかっていない。お好み焼きに使用される麺は中華麺で、多くはお好み焼き用に製麺されたものが使用されることが多いが、焼きそば用の麺が使用されている店もある。店舗によって寸胴で茹でてから鉄板に出す「生麺」、予め茹でてある「ゆで麺」、蒸してある「蒸し麺」の3種類のうち一種類が使用される。3種類の中では生麺が比較的人気で、お好み広場やお好み村の店舗やガイドブック等に掲載されているような店舗では生麺が使用されることが多い。しかし、生麺を焼く時に使用するラードのカロリーを気にしたり、調理時間を短縮するため、人気店でもゆで麺や蒸し麺を使う場合もある。中華麺に代わるバリエーションとしてうどんがあり、うどんは中華麺がない時などに、古くから代用されてきた。近年ではうどん入りも人気を高めている。蕎麦やパスタを用いる店舗もある。
2010年代ころから以前よりも麺がカリカリになるように、パリッと焼き上げるスタイルがトレンドになっているといわれる。
関西風と広島風で味わいが異なるのがソースの味付け。関西風のお好み焼きで使うソースは、辛口であることが一般的。これに対して広島風のお好み焼きでは、濃厚な甘口のソースが使用される。広島のお土産として甘口ソースを購入する人もいる。
ソースは広島のメーカーであるオタフクソースがお好み焼き専用のソースを製造し、お好み焼き店の開業を積極的に支援していることや広島県内をエリアとする民放でのCMの効果もあり、多く利用されている。味は若干甘口。それ以外には、毛利醸造のカープソース(やや辛口)・サンフーズのミツワソース(ヒガシマルソースもある)、センナリの広島ぢゃけん、中間醸造(三原市)のテングソースなどのお好み焼きの専用ソースも使用されている。
多くのお好み焼き店では単一メーカーのソースを使用しており、ソース会社では、納入先のお好み焼き店に自社の名前が入った暖簾を提供している。そのため、暖簾にあるメーカー名を見ることで、その店がどのメーカーのソースを使っているか分かることが多い。近年では幟(のぼり)を立てている店も多く、より分かりやすくなっている。なお、一部の店では複数のソースを独自にブレンドしたり、前記以外の製造会社にソースを特注したりしている。
また、お好み焼きを食べるときに用いるヘラ (コテ) やお皿、ソース差しなどの道具にも、ソースのメーカー名がついていることがある。特に、多くの小規模な店舗がある広島市内では、ソース会社がお好み焼き店の開業支援をしており、「近所の主婦」が内職で自宅の一部を改装し、安価で店を開くことができた。
広島県は日本酒の産地であり、そこから派生して酢の製造も盛んであった。先述のオタフクなど多くのソースメーカーは酢の醸造会社をルーツに持ち、今もソースと酢の両方を製造している。
広島県民は自宅の冷蔵庫にお好みソースを常備していることが多い。
お好み焼きにマヨネーズをかけるのは元々関西風が発祥で、広島のお好み焼きにマヨネーズは使わない。吉川晃司が年齢で約10歳差がある猿岩石と『ミュージックステーション』で共演した際、広島のお好み焼きにマヨネーズをかけると話した猿岩石に「マヨネーズの味が強すぎて、本来の味が台無しになる。広島のお好み焼きにマヨネーズをかけたらダメ」と、生放送中に説教したこともあった。吉川は2016年5月15日に放送された『関ジャム 完全燃SHOW』でも「広島のお好み焼きにマヨネーズをかけてはダメだ」と改めて否定している。一般的にはマヨネーズはかけないが、最近では若年層や観光客向けに卓上に置いてあったり、注文すれば提供してくれる店舗もある。店側で責任をもってソースを塗るからと、卓上にソースやマヨネーズを置かない店もある。
広島のお店の注文書(メニュー)には「お好み焼き そば (うどん) 肉 玉子」という風に書いてあることもあるが、これを「肉玉そば (うどん) 入り」「そば (うどん) 肉玉」などと注文する。よく分からなかったり、迷ったりしたら「肉玉そば」と注文すれば問題ない。デフォルトである肉玉そば(うどん)にお好みでトッピングを付加したり、そば(うどん)抜きなどとすることも可能である。おすすめや人気のトッピングの組み合わせは「餅チーズ・肉玉そば(うどん)入り」などとメニューに併記したり、「スペシャル焼き」「○○ちゃん焼き」などと店舗独自の名前を付けていることもある。
そば(うどん)の下に「W」と書いてあることがあるが、これはそば(うどん)を2玉使う「ダブル」という意味である。「ちゃんぽん」または「ミックス」という言葉が使われている地域もあり、そばとうどんを半玉ずつ使用することを意味している。またミックスダブル等の呼び名もありこれはそばとうどんを1玉ずつ使うことを意味している。
広島でも自宅で作ることはあるが、焼き方に技術を要するため、お店で食べるか持ち帰るかが一般的。広島ではお好み焼店に注文し持ち帰って食べる、いわゆる「お持ち帰り」の文化が昭和30年代から定着していた。土曜日の学校が半ドン授業だった時代には、学校が終わると友達とお好み焼を食べに行ったり、お店から持ち帰ってお好み焼を食べながらテレビを観たりは、ある年代の広島市民にとっては原風景であった。さらに旧い世代では新聞紙にくるまれたお好み焼を持ち帰ったら、新聞紙の裏にソースがベッタリも原風景かもしれない。
テイクアウト、出前、電話予約などを行う店舗も多くある。近年では海外からの観光客のため英語や中国語などのメニューを用意している店舗もある。また、広島市等では、店内での食事ができず、原付で配達するケータリング専門の店舗も存在し、お好み焼きの出前文化が定着している。そのため、フードデリバリーサービスWoltの日本初進出地に広島市が選ばれた理由の一つに挙げられている。
典型的な広島風お好み焼きの店は、真ん中に大きな鉄板を擁するテーブルがあり、その周辺にいくつか小さめのテーブルが配置されていることが多い。客はお好み焼きを作る大きな鉄板の周りに座り、焼かれたお好み焼きを鉄板の上から直接小型のヘラを使って食べるのが基本である。広島や東京ではヘラと呼ばれることが多いが、大阪ではテコやコテと呼ばれる。歴史的には、昔からある広島のお好み焼き店は自宅を改装したようなところも多く、小規模なお店が多かった。鉄板の周りにしか席がないような狭い店では、必然的に客は鉄板の上で食べるしかなく、食べている間に冷めるのを防ぎ、最後まで熱々のまま楽しむため、また、屋台発祥の店では、客に鉄板で食べさせ洗い物やそれに必要な水を減らすという理由や、物が豊かではない時代に割り箸の消費量を減らすという理由もあり、ヘラで食べるようにしたところ、これが功を奏し慣習となったとされている。鉄板上で食べる場合は、お好み焼きをヘラで格子切りにし、一口二口程度で食べられる大きさをヘラに乗せて口に運ぶ。ピザ切りは広島県民とっては一般的ではない。
大きな鉄板のあるカウンターは店に一つしかないことが多く、鉄板で同時に食べられる人数には限りがある。そのため、店の中には鉄板のない小さいテーブル席も配置されており、その場合は皿に載せられたお好み焼きを箸で食べる。近年では大きな店が増えテーブル席が増えたことや、ヘラで食べるのはコツが必要で観光客や外国人には扱いが難しいこともあり、皿で出す店や、出す前に皿か鉄板を聞く店も多くなった。鉄板で出す場合も小皿や箸を用意し、卓上のソース等をお好みで自由に使えるようになっている店舗が多い。
同じ広島県内であっても、地域によって色々なバリエーションがある。これらは定番というものではなく、お好み焼きのメニューの一つとして提供されるものである。特に近年、「ひろしまフードフェスティバル」で「てっぱんグランプリ」を開催して競うこともあり、年々進化しつつある。毛利元就の故郷・安芸高田市では、石丸伸二市長の音頭取りで、地元の食材を使った「あきたかた焼き」を考案した。中国・九州地方の一部の県で、お祭りの露店・屋台で見られる割り箸に巻きつける形で焼いた「はしまき」「箸巻き」「はし巻き」の箸を抜いた状態の「広島お好みロール」などもある。
府中市は、人口あたりのお好み焼き提供軒数が広島随一ともいわれ、豚バラ肉の代わりにミンチ肉や細切れ肉を入れ、これを「府中焼き」と呼ぶ。地場産業の家具・桐箱製造業で働く母親が多く、お好み焼きは子どものおやつや夕食だったため、子どもがお小遣いで食べられるようにと、バラ肉ではなく安い合い挽き肉を使ったのが始まりである。ミンチ肉は細かいため熱を通すとよくダシが出てうま味が増し、脂も多く出て麺がカリッと焼き上がるのが特徴。府中市民にとっては「自分がミンチだとしたらハンバーグになるより府中焼きの中に入る方が幸せ」という。また、卵も溶き卵にしたものをソースを塗ったお好み焼きの上からかけて仕上げる方法も存在する。狭い鉄板でたくさん焼けるようにという工夫から、形は楕円形をしている。尾道市では砂ズリ(砂肝)を入れる店がある。「フワ、コリ、サク」「サクッ、ザクッ」などと食感が良いという。旧因島市のお好み焼きは「いんおこ」と呼び、うどん入りが主流で、麺をカツオ節とソースで炒め、コンニャク・のしいか・かまぼこ・ちくわを入れる店が多くある。三原市では、モツ (鶏のレバーやヒモ)を入れる店が市内全体(約80店舗)のうち7割でトッピングとして取り扱いがある。三原市は養鶏が盛んで、鶏肉の生産量は広島県全体の約半数(46%)を占めており、広島県の地域資源にも認定されている。昔から安価で新鮮な鳥モツが容易に手に入れることが可能だったため地域に根付いた。また、そばやうどんを入れたお好み焼きを特に「モダン焼き」と呼び分けるが、これは関西地方独特の呼び方で、広島県内で広島風のお好み焼きを出している地域ではあまり見られない特徴。戦前、戦後から三原市の産業基盤を築いていた「帝人」や「三菱」では、当時から関連企業の仕事で関西からの来客も多かったと思われ、関西での呼称である「モダン焼」と注文を受けることが多く定着したという見方がされる。竹原市では、生地に酒粕と日本酒を練り込んだ「竹原焼き」を提供する。呉市ではうどんを入れたり、普通に焼いた後、半分に折り半月型にする場合が多いといった特徴がある。庄原市は、広島市から遠い事もあってお好み焼きは馴染みが薄かったが、近年町おこしの一環として、「庄原焼き」を考案。麺の代わりに庄原産の米を入れてポン酢で仕上げているのが特徴。
2014年の「第5回てっぱんグランプリ」に出展された地域の産物を使用した最新のご当地お好み焼きは以下の通り。
「風月」のような大きいチェーン店があるが、北海道全体で人口比の店舗数が少なく多くは食べられていない。
戦前に東京から伝わったどんどん焼きがある。岩手県では、円形に薄く焼いて「薄焼き」または「どんどん焼き」と称する。宮城県には、半月形に焼いた「どんどん焼き」または「お好み焼き」と称するものと、木の棒にロール状に巻きつけた「くるくるお好み焼き」がある。山形県には、木の棒に「ロール状」あるいは「短冊状」に巻きつけた「どんどん焼き」がある。
秋田県横手市周辺では昭和40年代から、円形に薄く焼いた生地を、割らないままの割り箸に巻き付けソースをかけたものが「お好み焼き」または「箸巻き」という名で、縁日や祭りの屋台で売られていた。暴力団排除の風潮と共に屋台そのものが少なくなり、一時は見られなくなったが、2010年に有志が「しあわせ巻き巻きよこまき。の会」を設立し、地元名物の横手やきそばの麺などを使用した新たなB級グルメ「よこまき。」として復活させ、イベント等に屋台を出店しているほか、観光協会の協力を得て、市内の飲食店でも提供されている。
福島県福島市にはグルメレビューサイト「食べログ」「食べログ百名店2023」に「お好み焼き百名店」で、東北地方で唯一選ばれた広島お好み焼き店がある。
東京を中心とする関東地方には全国各地の料理を提供する店が存在し、関西風や広島風を提供する店が多数派となっているが、混ぜ焼きのお好み焼は客が自分で焼くスタイルが主流であるとされている。お好み焼きの材料は椀や金属カップに一人前ずつ盛られて提供されるため、肉やその他の具材も含めた完全な混ぜ焼きとなる。岡田哲は「たべもの起源辞典」において、上記のような「生地に具材を混ぜ込む」調理法を「関東風」、具材を上に「のせる」タイプのものを「関西風」と定義している。
鶏卵は基本的に加えられるが、古風な店ではオプションとされていることもある。生地にはもんじゃ焼きと共通の桜エビ、切りイカ、揚げ玉、紅生姜、餅などが混ぜ込まれる事が多い。もんじゃ焼きとお好み焼きの両方をメニューに置く店が多く、あんこ巻きやアンズ巻きなどの甘味系を揃えているのも東京ならではの特徴である。数は少なくなったものの、小柱やアサリといった江戸前の種や牛そぼろ、キャベツではなく白ねぎを用いたねぎ焼きなどを提供する店も残存している。調味料はソースやマヨネーズなど客の好み次第であるが、旧来のスタイルを守る老舗ではからし醤油などで勧められることもある。
お好み焼きの店では、メニュー名は加えられる具材を指して「○○天」と表現する。「天」が何を意味するかについては諸説あるが、同様の表現は神戸の「肉天」にもみられ、当時は水溶き小麦粉を油で焼く料理を総括して「天ぷら」の一種とみなしていたとも考えられる。
どんどん焼き時代の「乗せ焼き」を提供する店はほとんど見られないが、戦前から続く老舗である浅草の染太郎には「お染焼」という名前でメニューに残されている。また、埼玉県県北部には「フライ」と呼ばれるどんどん焼きの系譜に属する料理がある。
静岡県東部の富士宮市周辺では「しぐれ焼き」と呼ばれる、富士宮焼きそばを乗せたお好み焼きがある。浜松市を中心とする遠州地域では「遠州焼き」と呼ばれ、たくあんなどの漬物や紅しょうが、ねぎを刻んで生地に入れることがある。これは戦後の物資不足の時代に浜松市の三方原台地へ引揚者が入植し、大根の増産が行われたことから、当時適当な食材として導入されたことが由来だと言われている。尚、地場のソースとしては高嶺ソース、トリイソースなど生産されている。
名古屋市のお好み焼きは戦前から続く乗せ焼きだが、目玉焼きのような鶏卵が入っているのが特徴で、生地が固めで両面とも綴じるために厚みがあり、ともすれば混ぜ焼きのように見える仕上がりである。 また、「2つに折り畳まれている」「銀紙と白もしくは緑の紙に包まれた包装」が大きな特徴である。その理由は諸説あるが、1970年代にハンバーガーを食べ歩きしている若者をヒントに、地元の祭でお好み焼きを食べ歩きできるようにと考案されたとされる。同市西区のお好み焼き店「甘太郎本舗」の考案にてアルミシートが巻かれるようになり、地元では名古屋風お好み焼き用のアルミシートも販売されている。通常の容器とフタのセットよりも、包装費が約7分の1~12分の1で済むため、コストを抑えることが出来る。そのため、おやつ・ホットスナックとして他地域のお好み焼きよりもカジュアルに嗜まれ、やや小ぶりで価格もリーズナブルである。 また、庶民の食べ物としての洋食焼きの特徴を色濃く残している。ソースは名古屋市の調味料メーカー、カゴメのお好み焼きソースが使われる比率が高い。同じく名古屋市の調味料メーカー、コーミからは家庭用のお好み焼きソースとして赤だしみそ入りの『コクうまお好みソース』が発売されている。お好み焼きのソースに味噌を入れるのは、さすが名古屋と驚く人が多い。 家庭で作られるお好み焼きは一般的な混ぜ焼きであるが、乗せ焼きの場合と同様にひっくり返してからヘラでしっかりと抑える傾向がある。また切り分け方も、多くの家庭の場合、東京風に、十字に切り分けていく。
岐阜県の柳ヶ瀬商店街のお好み焼きは、三つ折りにされており、さながらナイフとフォークで喫食する正統的なクレープのような形をしている。小麦粉の薄地に(黒 ゴマペーストが練り込まれたものもある)、キャベツ、ネギ、紅ショウガ、天かす、削り節を載せ、ウスターソースで味付けをする。
富山市では刻み昆布を生地に入れることがある。ただ、どんどん焼きの方が刻み昆布や桜えびや紅ショウガを入れ、青のりなどをかけて食べることが多い。
いわゆる関西風お好み焼きを主流とする。かつては客に焼かせる店も多く見られたが、現在は大半が店員が焼いて提供するスタイルになっている。
混ぜ焼きの地域が多い中、神戸市の旧市街地域(兵庫区、長田区、中央区など)が異彩を放っている。肉天と呼ばれた時代の調理法を継承する乗せ焼きで、生地に卵を入れない、マヨネーズは用いない、どろソースを使用する、「すじこん」「ぼっかけ」と呼ばれる牛すじの煮込みや「大貝(おおがい)」と呼ばれる本荘貝(ウチムラサキ)、下茹でを行わない生蛸が使われるなど、近隣他地域に見られない独自性が多々残されている。近年ではこれを「神戸風お好み焼き」と呼んで区別する向きもある。
戦前の洋食焼きの面影を残すものとしては、上述した神戸市や高砂市のにくてん、ねぎ焼き、鶏肉と牛脂を具に使う岸和田市の「かしみん焼き」、京都市の「べた焼き」、懐古的に復活した一銭洋食やキャベツ焼きなどがある。
乗せ焼きが残る地域には鶏卵を使用しない古いスタイルも残存しており、そうした店では卵はオプション扱いで「◯◯玉」として注文する。(卵なしのプレーンなものは「○○焼き」「◯◯のお好み」あるいは単に「◯◯」と呼ばれる)
姫路市ではだしを多く含む柔らかいお好み焼きが好まれ、もんじゃ焼きに似た「ねり焼き」や「ぐじゃ焼き」、玉子焼のようにつゆで食べるスタイルの「どろ焼き」などもある。
独自の具材を使ったご当地お好み焼きとしては、富田林市の豚肉の鉄板焼きを用いた「ブー太郎焼き」、焼きそばを卵で綴じる和歌山県御坊市の「せち焼き」、焼きそばとホルモン焼きを入れた京都市の「まんぼ焼き」、京都市左京区にはキャベツの代わりに白菜を使う「白菜のお好み焼き」もある。
あぶらかすやホソ、生すじ肉などのもつ類が使用される地区が点在するのも近畿地方の特徴である。またそれらの地域では混ぜ焼きのお好み焼きではなく、乗せ焼きの様式がよく守られている傾向がある。
広島風お好み焼きが知られる地方であるが、乗せ焼きと混ぜ焼きの両方を提供する店もあり、独自の作り方のお好み焼きが名物になっている地域もある。
兵庫県西部から岡山県にかけてのエリアは、戦前からのにくてん・洋食焼きの影響が色濃く残る「乗せ焼き」の店が多い。岡山市では「ジャンボお好み焼き」と称して、広島風お好み焼きとほとんど同じスタイルのものが名物となっている。また岡山県備前地域(特に日生町)では「カキオコ」と呼ばれる岡山県名産のカキをいれたお好み焼きが有名である。また、カキのシーズンではないときには「エビオコ」(カキオコのカキをエビに変えたもの)が提供される。また、浅口市では手延べ麺のバチを大量に生地に混ぜ込んだ、バチのお好み焼きがあり、カキオコに倣って「バチオコ」と呼ばれる。
広島県東部の備後地方南部では、府中市を中心に、豚や牛挽肉を使用した「府中風お好み焼き」があり、これを「府中焼き」と呼び街おこしのご当地グルメとする活動がある。広島風お好み焼きに似ているが、挽肉から出る脂と肉汁が特徴的である。小さな街に多くのお好み焼き店が存在している。
広島県三原市では、そばやうどんの入ったお好み焼きをモダン焼きと呼称する場合がある。製法は元祖である神戸風に近く、まず生地を敷き、別の場所で麺と具(キャベツ、豚肉など)を炒めたのちに生地の上に載せ、生地を少しかけて反転させ、蒸し焼きに入るという製法をとる場合が多い。また、イカ天のことをのしイカと呼称したり、鶏肝(レバーやヒモなど)を入れるなど、独自の特色がみられる。隣接した地域で文化も食文化も似ているの尾道市では砂肝とのしイカを入れたものを「尾道焼き」と称している。
広島風お好み焼きの中でも、広島市中心部の店と呉市・呉市近辺の店では具材を重ねる順などに若干の差異があり、呉のものを「呉焼き」と呼んで区別することがある。呉焼きは焼いた後、半分に折り半月型にする店が多く、呉市民は、広島市のお好み焼きが丸いのでビックリするといわれる。
広島県庄原市では、広島風の「肉玉」をベースとしソバの代わりに「庄原の米」を炒め、「お好みソース」ではなく「ポン酢」をかけて食べる「庄原焼き」と呼ばれるものも存在する。
因島では、「因島お好み焼き」、略称「いんおこ」と呼ばれ、うどん入りが主流で、かつお粉とウスターソースで炒めた麺を野菜より先に生地に載せる。「尾道焼き」とともにしまなみ海道のB級グルメ料理として知名度の向上を目指している。
広島県三次市では地元の江草製麺で製造されている唐辛子を練り込んだ「唐麺」そばと、毛利醸造社で製造されているカープソース辛口で味付けしたお好み焼きを三次唐麺焼きとし、三次唐麺プロジェクトを立ち上げて地域興しに活用している。
戦前からの手法を引き継ぐ乗せ焼きと戦後発祥の混ぜ焼きが混在している。徳島県では、ミカン、甘く煮た金時豆、ヨーグルト、エビを入れて丸く揚げた「天ぷら」、フィッシュカツなどの独特の具を用いたものも供されている。香川県では神戸由来のにくてんも郷土料理のひとつとされる。
福岡市には、厚くどっしりとした生地を特徴とするお好み焼きを出すチェーン店がある。ふわふわが好まれる関西風とは対照的に空気を含ませず、表面はカリカリに焼き上げられる。真っ黒で粘度の高い独特のソースと、カスタードクリーム状の自家製マヨネーズを使用することも大きな特徴である。
元々福岡は、関西風お好み焼きが多かったが、近年は広島風の比率が増えているという。
福岡県大牟田市・熊本県荒尾市では、大牟田の炭鉱で働く電気工が家庭で水で溶いた生地を焼きウスターソースをかけただけのものをビンタ焼きと称して焼いていた。江戸時代から、全国各地から炭鉱に従事するものが大牟田荒尾に往来し、お好み焼きやその他の料理がアレンジされた料理や店が独特に定着したのが多いのも特徴である。その後大牟田・荒尾地区ではダゴと呼ばれるようになる。荒尾の有明高専の生徒が足繁く通うお好み焼き屋があり「高専ダゴ」と呼ばれて市民から愛されている。店主は学生がお腹いっぱいに食べれるよう鉄板いっぱいに広げて焼く大型のお好み焼きをメニューに取り入れ大牟田名物となっている。九州7県では人口あたりのお好み焼き店の数において大牟田市が1位、荒尾市が2位となっている。基本的には大阪風であるがキャベツの切り方はみじん切りの大阪風に対し、ざく切りにする店が多く山芋等の材料は使用せず、ひっくり返した際コテで押さえ付けてもっちりとさせた食感に仕上げる。ソースはとんかつソースベースのこってり甘口の関西風に対し、ウスターソースベースでさらっとした口当たりでコショウや一味唐辛子を加えたパンチの効いた辛口である。そのほかにも広島風やもんじゃ焼を提供する店も存在する。
北九州市では、マヨネーズとケチャップを混ぜたオーロラソースをつけて食べるのが定番となっている。
宮崎市には、神戸風の肉天が名物として提供される地域もある。
熊本市域ではお好み焼きに刻んだ沢庵をいれる店が多く、肉は薄切りではなくひき肉を入れる店もある。
沖縄県には「ヒラヤーチー」(平焼き)と呼ばれる料理があり、これはキャベツではなくネギやニラなどを使用する一銭洋食やどんどん焼きに近い軽食である。また、「ポーポー」という小麦粉の薄焼きで味噌や黒糖などを巻いた菓子もあり、こちらはお好み焼きの祖先とされる「麩の焼き」に酷似している。
祭りなどの露店・屋台でも、お好み焼きは定番の料理である。かつては関西においても洋食焼きスタイルの重ね焼きが主流であったが、現在は混ぜ焼きを供する店や、中華麺を加えて広島風として提供する店が増えている。また、割り箸に巻きつける形で焼いた「はしまき」「箸巻き」「はし巻」、鉄板に円形の焼き型を載せて今川焼きほどの小さなサイズで焼き上げた「大阪焼き」(関西地方や東海地方では「リング焼き」とも)、厚く焼いた混ぜ焼きをカットして割り箸や串に刺したものなど、立ち食い・歩き食いがしやすいように工夫されたお好み焼きも多くの屋台で供される。
お好み焼きを急速冷凍した冷凍食品が、食品メーカーやソースメーカー、スーパーやコンビニ各社、有名お好み焼き店などから販売されている。
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"text": "お好み焼き(おこのみやき)は、小麦粉と鶏卵、キャベツ、ソースなどを使用する鉄板焼きの一種である。",
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"text": "水に溶いた小麦粉を生地として鶏卵、野菜、肉、魚介類、麺類など好みの材料を使用し、鉄板の上で焼き上げ、ソース・マヨネーズ・青のり等の調味料をつけて食する。焼き方や具材は地域によって差が見られ、「キャベツ焼き」、「関西風お好み焼き」「広島風お好み焼き」、「べた焼き」、「遠州焼き」、「カキオコ」、「ねぎ焼き」、「かしみん焼き」、「ちょぼ焼き」、など、様々な様式や具材のお好み焼きが存在している。",
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"text": "記録では日本における粉物料理の起源は、安土桃山時代の千利休が好んだという「麩の焼き」にあるといわれているがお好み焼きとはかけ離れたものであり、お好み焼きの起源としては異論もある。",
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"text": "現在のお好み焼きに近いものとしては明治に東京で定着していたもんじゃ焼きから派生し、昭和の初めに東京を中心に流行した「どんどん焼き」があり、屋台や縁日などで販売された。このどんどん焼きは近畿地方においては、ソースが洋食的で一銭で買えることから一銭洋食と呼ばれ広まっていった。こうした古いスタイルのお好み焼きの原型は、現在も縁日の沿道に出る屋台などで提供されている他、岸和田市のかしみん焼きや高砂市のにくてん、あるいは「ねぎ焼き」「キャベツ焼き」といった形で残存している。また中国人が似たものをごま油で香ばしく焼いたものの屋台も存在する。",
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"text": "大正7年(1918年)3月24日の読売新聞朝刊に「蝦フライ一銭のどんどん焼」と題する記事が掲載されており、記事内では「どんどん焼き」という表現を用いながらも、その屋台の暖簾や品書きには「お好み焼」という表現が使用されている。また柳田国男は、昭和6年(1931年)に刊行された「明治大正史 第四巻 世相篇」において「子供を相手の擔ひ商ひの方でも飴や新粉の細工物は通りこして、御好み焼などといふ一品料理の眞似事が、現に東京だけでも数十人の専門家を生活させて居る」と書いている。",
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"text": "池田弥三郎の「私の食物誌」には「昭和6〜7年(1931〜1932年)ごろに銀座裏のお好み焼き屋が密会所のようになり、風俗上の取り締まりで挙げられた」というエピソードが記録されており、当時のお好み焼き屋は飲食を口実として懇ろの男女に逢瀬の場を提供する、どちらかと言えばいかがわしい業態としても機能していたことが読み取れる。食文化史研究家の岡田哲は、「お好み焼き」は当時の東京の花街において、座敷にしつらえた鉄板で客が自分の「好み」に焼く風流な遊戯料理として誕生したというこの証言に基づいた解釈を紹介しており、日本コナモン協会会長の熊谷真菜も自著にて同じ説を採用している。",
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"text": "田辺聖子は藤本義一との対談の中で、大阪でお好み焼きが知られるようになったのは昭和16〜17年ぐらいからではなかったかと発言している。現存するお好み焼き屋の中で最古とされる店は、浅草の「風流お好み焼 染太郎」で昭和13年(12年という説もあり)の創業であるが、大阪でも同じ時期に「以登屋」(現在は閉店)が開店しており、大阪で初めて客に自由に焼かせる「お好み焼き」を紹介したとされる。以登屋は芸者や花柳界の粋人、船場の旦那衆などを対象とした高級店で、市中の洋食焼きが10銭程度であった時代に1円50銭もしたという。ちなみに大衆店として人気を博した染太郎では、創業当時のお好み焼きの価格は一枚5銭であった。",
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"text": "戦後、「お好み焼き」という言葉は客が自分で焼いて楽しむという原義を離れ、ネギではなくキャベツを用いた粉物料理そのものを指すようになる。キャベツを用いる混ぜ焼き式の「お好み焼き」は近畿地方を中心に戦後急速に浸透し、全国各地で洋食焼き・どんどん焼きからお好み焼きへと料理の名称と調理法が更新されていった。焼き方に関しては現在も戦前のスタイルを残す地域が存在するものの、名称の点ではほぼ全国的に「お好み焼き」に統一されている。お好み焼きは戦後の大阪において、具材やソースの追加、腰掛け式のカウンターテーブルの採用などの変化を経て、本家と言われるほどに発展していく。昭和中葉には、大人が飲食店としての「お好み焼き屋」で座って鉄板を前に焼きながら食べるものと、子どもが「立ち食い」を前提に「新聞紙」に包んだ二つ折りのものをその場で立って食べる、簡便なお好み焼きとが分かれて存在した。",
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"text": "広島は戦前の東京で誕生したお座敷料理のお好み焼きはもちろん、戦後に広まった混ぜ焼き式のお好み焼きの影響も受けなかった地域であるが、どんどん焼きは乗せ焼きが主流であり、どんどん焼きから一銭洋食として伝わり、関西のお好み焼きも広島のお好み焼きも源流は同じである。どんどん焼きが関西に渡り一銭洋食に変化した。乗せ焼きの文化は広島だけでは無く、神戸・京都・徳島などでも残っている。戦災からの復興過程で1950年ごろに発生した屋台街(後のお好み村)において、鉄板一枚で調理出来ることから、戦前の一銭洋食をベースに独自の変化を遂げ、後に広島風お好み焼きと呼ばれる料理に発展した。",
"title": "歴史概略"
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"text": "呉市の関西風お好み焼き店「ぼてじゅ」の創業者である宅見義喜によれば、お好み焼きのルーツはピザであり、昭和初期に軍艦の乗組員がヨーロッパから呉に伝えたという。これを海軍工廠に徴用された大阪の料理職人が大阪に伝え、戦後の復興期に里帰りして関西風お好み焼きの元になったと主張している。",
"title": "歴史概略"
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"text": "「柔らかいもんじゃ焼きを屋台で販売するために粉の分量を増やしたのがどんどん焼きの始まりである」とする説がある が、そもそも現在のもんじゃ焼きが誕生したのは昭和30年代のことであり、戦前の文字焼きは蜜の入った具なしの甘い生地を焼いて食べる子供のおやつであった。またどんどん焼きは一銭洋食と同じ「乗せ焼き」であり、後のもんじゃ焼きやお好み焼きのように生地に具材を混ぜ込む調理法は挽肉を用いる一例を除き記録には残っていない。池波正太郎は昭和初期を回想したエッセイの中で、今のお好み焼のごとく何でも彼でもメリケン粉の中へまぜこんで焼きあげるというような雑駁なものではなかったと語り、数あるどんどん焼きの中で唯一「牛てん」というメニューだけがネギとひき肉を生地に混ぜてから焼いていたと証言している。",
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"text": "三宅正弘は、戦前のお好み焼き屋において、一人前ずつの分量を座敷に運んで客に焼かせるという提供方法から必然的に合理的で管理がしやすい混ぜ焼きとなり、これが「お好み焼き」という言葉とともに大阪に伝わったのではないかと考察している。",
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"text": "現存する最古のお好み焼き店は、昭和13年創業の「染太郎」(浅草)である。染太郎では戦前から続く古風なメニューを多く残しており、キャベツではなく白ネギを用いたお好み焼きや、どんどん焼き形式の乗せ焼き、あんこ巻きなどの甘味焼きも提供されている。東京には染太郎以外にも「松浪」や「まりや」など、黎明期の面影を残すお好み焼き屋がいくつか残存している。",
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"text": "一方、大阪屈指の老舗として知られる「はつせ」(千日前)は全席完全個室で、風俗上の取り締まりを受けたという戦前のお好み焼き屋の姿を偲ばせる作りとなっている。近年はカウンター式で店員が焼き、マヨネーズまでかけた状態で提供されることが多くなった大阪だが、この店ではお好み焼きが東京から伝わった当時の様式を今もなお維持している。",
"title": "歴史概略"
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"text": "これら老舗に共通するのは「客が自分で焼く」という点であり、店側は鉄板と材料を提供するのみで、特に要望のない限り店員が客席に顔を出すことはない。また焼き方や味付けは文字通り「お好み」であるが、基本的には具材をすべて混ぜ込み、よくかき混ぜてから焼くことを推奨している。",
"title": "歴史概略"
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"text": "前述のように混ぜ焼きよりも乗せ焼きの方が歴史は古く、東京の「お好み焼き」や神戸の「にくてん」は大正時代以前から普及していた。伝搬時期に地域差はあるものの、昭和の初めには東日本ではどんどん焼き、西日本では洋食焼きという名称でほぼ全国的に広まった。",
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"text": "一銭洋食の流れを汲む 広島風お好み焼きは戦後の発祥で、後のお好み村に繋がる中央通りの屋台街から始まっており、屋台街誕生当時から営業している店にみっちゃんなどがある。",
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"title": "お好み焼き(関西)"
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"text": "みじん切りにしたキャベツや鶏卵、干しエビなどを生地に混ぜ込んでから焼くスタイルのお好み焼きのことを「関西風」お好み焼きと呼ぶことが多い。しかしながら、実はこのスタイルのお好み焼きの発祥は東京であり、関西地方においても京都市など昔ながらの「洋食焼き」の流儀で、鉄板に薄く延ばした生地の上にせん切りのキャベツと具材を載せて焼きあげる重ね焼きが主流となってきた地域も少なくない。",
"title": "お好み焼き(関西)"
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"text": "大阪を中心とする関西地方のお好み焼きにも様々な調理方法があるが、混ぜ焼きにのみにみられる特徴として、食感を軽くするために生地の中に山芋を混ぜ込むことが多い点があげられる。",
"title": "お好み焼き(関西)"
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"text": "キャベツや鶏卵がいつごろから使用されるようになったかについては、はっきりしたことは分かっていない。キャベツそのものは1904年ごろから普及しており、決して高価な食材ではなかった。ただ、青ネギを用いる西日本と、白ネギを用いる東日本では、戦前の一銭洋食時代においても用いられる野菜が異なっており、西日本の洋食焼きがもっぱら青ネギを使用したのに対し、同時期のどんどん焼きには白ネギだけではなくキャベツやタマネギなども定番の素材として使用されていた。戦争中の食糧事情が悪い時期に、単価が安く腹持ちのいいキャベツを用いる「お好み焼き」が伝わったこと、また戦後ほどなくキャベツとの相性が良い濃厚ソースが開発されたこともあって、西日本でも徐々に「ネギを散らして焼く洋食」から「キャベツをたっぷりと混ぜて焼くお好み焼き」へと切り替わっていったのではないかと推測される。",
"title": "お好み焼き(関西)"
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"text": "鶏卵については大規模養鶏が導入されたのは昭和30年代であり、戦後しばらくまでは高級食材であった。現在も地域によってはデフォルトの仕様が玉子なしの店が少なからず存在し、玉子を追加する場合は「豚玉」「いか玉」のようにメインとなる具材の後に「玉」を付けて注文する。",
"title": "お好み焼き(関西)"
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"text": "関西地方においても、戦前は生地を薄く引いた上に具材を重ねて焼き上げるいわゆる「洋食焼き」が主流であった。昭和の初めに東京で生地と具材を混ぜて焼く「お好み焼き」が誕生し、それが遅れて大阪にも伝わった。昭和12年には老舗として知られた「以登屋」が北新地近くに開店しているが、東京式に客が自分で焼くスタイルで、「あんこ巻き」のような東京にしか見られないメニューも提供されていたという。",
"title": "お好み焼き(関西)"
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"text": "戦後になり、混ぜ焼きのお好み焼きはそれまでの洋食焼きに代わって関西一円に広まった。終戦直後は「代用食」としての位置づけでもあったため、子どものおやつや嗜好品であった戦前に比べサイズやボリュームも必然的に大きくなった。お好み焼きは関西の庶民に愛され、街中には多くのお好み焼き屋が商い、独自の味を競うソースメーカーが誕生した。また家庭においても鉄板を特注して楽しむなど、地域に根付いた文化として成熟していった。",
"title": "お好み焼き(関西)"
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"text": "大阪がお好み焼きの本場として認知されるようになったのは、1970年代以降のことである。これは「ぼてぢゅう」や「千房」など有名店の台頭、マヨネーズや山芋を用いるといった独自の進化、大阪万博による注目度や観光客の急増などによるところが大きいと思われる。また、客が自分で焼く料理として生まれたお好み焼きを、プロの焼き手が焼いて提供するというスタイルに変えたことで「料理」としての付加価値が高まったことも理由のひとつであろう。",
"title": "お好み焼き(関西)"
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"text": "なお、混ぜ焼きのお好み焼きが「関西風お好み焼き」と呼ばれるようになったのは、広島風お好み焼きがマスコミに紹介されて以降のことである。広島風お好み焼きの店は1980年前後から他地域への進出が始まり、当時すでに全国的に標準となっていた混ぜ焼きのお好み焼きが改めて「関西風」と命名されることとなった。 関西では、格子型に切り分けるのに対し、関東ではピザ風に切り分ける。",
"title": "お好み焼き(関西)"
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"text": "だし汁に小麦粉、そして鶏卵や山芋を混ぜた生地にみじん切りのキャベツを混ぜて焼く、いわゆる「混ぜ焼き」が主流である。ただし東京のように肉などを混ぜ込むことはあまりなく、メインとなる具材は上に載せたり、あるいは別に炒めて載せることが多い。また昔ながらの「重ね焼き」や、千切りキャベツと生地を混ぜるのみであとは重ねて焼く地域なども点在しており、必ずしも関西では混ぜ焼きがすべてというわけではない。",
"title": "お好み焼き(関西)"
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"text": "とんかつソースが発明される1948年以前は、粘度の低いウスターソース(中濃ソース・とんかつソースなどを含むウスターソース類の総称ではなく、狭義のウスターソース。以下同じ)、あるいは醤油が使われていた。現在はお好み焼き用に調整された粘度が高く甘みの強いソースが主に用いられるが、神戸市のようにどろソースと呼ばれる非常に辛いソースが使用される地域もある。",
"title": "お好み焼き(関西)"
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"text": "近畿地方、特に兵庫や大阪では各地に独特の「地ソース」が多数存在しており、お好み焼き専門店では、業務用として卸されるこれらのソースをブレンドして独自の味を作り出している。 また今日では、オリバー、イカリ、カゴメ、オタフク、ブルドックといった大手のみならず、中小メーカーからも風味の異なるお好み焼き専用ソースが何種類も発売されている。近畿地方では街のどこのスーパーにもお好み焼きソースが十数種類陳列されているほどで、個々人のソースへのこだわりの深さを感じさせられる。",
"title": "お好み焼き(関西)"
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"text": "最初に使用したのは大阪市の「ぼてぢゅう」で、昭和28年のことである。昭和40年代から大阪を中心に普及し、後に全国的に広く使われるようになった。",
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"text": "同じ関西でも大阪と神戸ではマヨネーズに対する嗜好に違いがある。現在の大阪では、どの店でもマヨネーズがかけられて提供されるのに対し、神戸ではマヨネーズを置かない店も少なくなく、置いていても注文がなければ出さない店が多い。全国的に、大阪風の混ぜ焼きお好み焼きを提供する店ではマヨネーズが使用されることが多い。店によってはマスタードやトマトケチャップを少量加えることもある。マヨネーズが嫌いな場合は、 「マヨネーズ抜き」で注文することができる。",
"title": "お好み焼き(関西)"
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"text": "モダン焼き(「そばのせ」とも言う)とは、茹でた(あるいは蒸した)中華麺を、お好み焼きの具材として重ねて焼いたものである。中華麺をそのまま載せるか鉄板で焼くか、麺に味付けを行うか行わないかなど、店によってレシピは様々である。ベースとなるお好み焼きも店や地域によって混ぜ焼きの場合と乗せ焼きの場合があり、後者は広島風お好み焼きとほとんど同じものとなる。",
"title": "お好み焼き(関西)"
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"text": "中華麺の代わりにうどんを用いる場合もあり、「うどんモダン」や「うどんのせ」と呼ばれる。",
"title": "お好み焼き(関西)"
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"text": "広島風お好み焼きと同じく「乗せ焼き」の発想から生まれたメニューであり、1950年(昭和25年)に『志ば多』(神戸市)で考案されたという説が有力である。同店では、当初はそばではなくうどんを使用しており、現在もうどんモダンが名物となっている。",
"title": "お好み焼き(関西)"
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"text": "また大阪の「ぼてぢゅう」も同社が発祥と主張しており、高度経済成長期に同社が売り出した「もりだくさん焼き」が略されて「もだん焼き」になり、後付けでモダン=近代的の意味が付与されたとしている。",
"title": "お好み焼き(関西)"
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"text": "関西のお好み焼き屋では、焼き始めから最後の青海苔や削り節等のトッピングまで全ての調理工程を店員が行うスタイルが一般的である。焼き上がったお好み焼きは、俗に「ちりとり」と呼ばれる大型の起し金で各人の席に運ばれる。過去には関西も客が自分で焼く「客焼き」の店が主流であったが、店焼きに変わったのは「大阪人は合理的で店の人に焼いてもらったほうが早くて時間の節約になるから」という説がある。",
"title": "お好み焼き(関西)"
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"text": "一方、「お好み焼き」の元祖である東京では、椀やカップに入った生の具材と生地を提供し、客が自分でかき混ぜて焼き上げるセルフサービスが標準である。このスタイルの店は、お好み焼きがあまり一般的ではない地方都市にも多い。大阪も昔はこの形式が少なくなかったが、現在は創業の古い老舗店と関東発祥のチェーン店以外ではほとんどみられない。",
"title": "お好み焼き(関西)"
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"text": "お好み焼きを米飯のおかずと考えている人は全国では2割だが、大阪では半数近くと他を圧倒しているという調査結果がある。また、関西のお好み焼き屋、定食屋には米飯を添える「お好み焼き定食」を出す店舗が存在する。",
"title": "お好み焼き(関西)"
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"text": "関西地方では、コテ(方言でテコとも言う。正式名称は「起し金」)でお好み焼きを食べやすい大きさに少しずつ切り、直接コテに載せて食べる。あらかじめ切り分ける場合は格子状に四角く切るのが普通で、関東地方でよく見られるような放射状に切ることはない。",
"title": "お好み焼き(関西)"
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"text": "",
"title": "お好み焼き(広島)"
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"text": "お好み焼きは「大阪風」と「広島風」の2つに大別される。その違いを「大阪風(関西風)」は、\"混ぜ焼き\"、「広島風」は\"重ね焼き\"あるいは\"乗せ焼き\"と表現されることが多い。広島のお好み焼きは、小麦粉を水で溶いたものを薄く伸ばして焼いた生地の上に野菜や肉といった具を重ねてひっくり返し、生地でフタをして「蒸し焼き」にするのを特徴とする。生地そのものを食べる関西のものと違い、広島の生地は脇役的存在。具材を蒸し上げるために蒸気を閉じ込めるためのフタとしての役割が大きい。このため、具と小麦粉で出来た生地を混ぜて作る\"混ぜ焼き\"とは全く異なる形状、及び食感となる。同様の調理法の「お好み焼き」を供する地域は広島以外にも存在するが、中華麺を加えることが多い点と、具材としてもやしを用いること、これらを含めた全ての食材が層状に構築されるという点が決定的なオリジナリティとなっており、他の地域のスタイルと区別される。関西では「お好み焼はおかず」と言われることもあるが、広島のお好み焼はそばやうどんが入っているため、それ自体で満腹となる主食として成立し、一緒にご飯を食べることはあまりない。当然、広島のお好み焼店にはご飯は置いてない。また他県の人には驚かれることも多いが、夜も勿論食べるが、広島のお好み焼は昼食のイメージが強い。",
"title": "お好み焼き(広島)"
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"text": "戦前に子供のおやつであった「一銭洋食」が原型である。鉄板の上で簡単に作れる広島のお好み焼きは、原爆で焼け野原となった広島の復興を象徴する食文化として独自の発展を遂げた。広島でお好み焼きが発展したのは、広島は重工業が盛んで、鉄を扱う工場が多く、鉄板が庶民の手に入りやすかったこと、戦後にアメリカから小麦粉を大量に押しつけられたMSA協定も関係があるという見方もある。広島市中心部の新天地エリアを中心に、夕食やお酒を飲んだ後に立ち寄るお客で屋台が賑わい、これが集合してお好み村となり、また広島の町のあちこちに自宅の一部を改装した小さなお好み焼き店が生まれた。",
"title": "お好み焼き(広島)"
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"text": "1975年(昭和50年)には山陽新幹線が広島県内にも延伸開業し、広島カープが初優勝した。この頃から旅行ガイドブックなどにも掲載されるようになり、西城秀樹や島田洋七など、広島出身者らがマスメディアで広島のお好み焼を紹介したり、1980年代に修学旅行向けのガイド本で紹介されたりし、80年代までは広島県民しか知らない地方のマイナーグルメは、全国的にその名が広まっていった。1970年代までは大手新聞や雑誌メディアに広島のお好み焼きを取り上げた記事はあまり見られないが、1980年代からは急増している。『週刊ポスト』1984年2月28日号のお好み焼き特集では、お好み焼きの三大派閥として「広島/関東/関西」を取り上げ、『週刊読売』1986年6月8日号では、「東京もんじゃ焼きvs広島お好み焼」と題してこの二大対決を12頁にも亘って紹介している。この記事では都内の「広島風お好み焼き店」として12店が紹介されており、「広島風お好み焼き店」は有名人の来店が多いと書かれており、ビッグネームが列挙されている。原宿竹下通りにあった「もみじハウス」店長は「歌手やタレントが広島にコンサートや舞台の仕事で訪れ、本場のお好み焼きの虜となり、東京の広島風のお店に来るのではないか」と述べていた。NHK広島放送局の制作で1986年8月6日に全国放送された『ふたたびの街』は、原爆の被害から免れた広島市の段原でお好み焼き店を経営する家族の物語で、重森孝子脚本・渡辺紘史演出、大滝秀治・井川比佐志・宮本信子らの出演だった。広島風お好み焼きを取り上げた『朝日新聞』1987年4月23日付に「広島カープの本拠地広島の名物のひとつ、お好み焼き。野菜がたっぷり、太らず健康にいいとかで、今や全国的に知られている」と書かれている。近年では「ご当地グルメの代表格」ともいわれ、「関西風」の\"混ぜ焼き\"と「広島風」の\"重ね焼き\"の2つによってお好み焼きは「国民食」と呼ばれるほどの人気となった。",
"title": "お好み焼き(広島)"
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"paragraph_id": 43,
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"text": "2006年現在、広島市だけで800軒以上(1992年中国新聞調べからの推定)、広島県内には1,700軒以上あるといわれる(総務省統計局、平成21年経済センサスより)。店舗数では全国3位、人口あたりの店舗数では日本一といわれ、コンビニエンスストアより多いともいわれる。その県のコンビニ・スーパーでしか売っていない「ちょっと珍しい商品」としては、広島の場合は\"お好み焼と盆燈籠\"が挙げられる。広島市内には徒歩5分圏内に10軒はあるという説もある。2023年5月に広島市で開催されたG7広島サミットでは、同市を選挙区とする岸田文雄首相の推しもあり、「お好み焼きは広島」を世界にアピールした。",
"title": "お好み焼き(広島)"
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"paragraph_id": 44,
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"text": "1950年ごろに発生した屋台街(1967年お好み村になる)で開業した、みっちゃんの井畝井三男と善さんの中村善二郎が広島風お好み焼きの元祖と言われている。その他、初期のお好み焼きの屋台の流れをくむ店は「麗ちゃん」、「へんくつや」などがある。1950年当時のお好み焼きはねぎ焼きに近い物であった。",
"title": "お好み焼き(広島)"
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"text": "戦争や原爆で夫を亡くした女性が自宅の土間を改造して店を始めた例も多く「〇〇ちゃん」という屋号が多いのはその名残りである。戦地から帰還した家族が見つけやすいようにという理由もあったとされる。また、1963年に中国地方を襲った昭和38年1月豪雪で、中国山地の農村から一家で離村し、高度経済成長期の広島市に移住した農家の主婦が住宅地に開業した例も多い。現在も町の小さなお店に、老婦人やその家族が焼く小規模な店舗が残るのは、こうした理由もある。",
"title": "お好み焼き(広島)"
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"paragraph_id": 46,
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"text": "石丸紀興広島大学工学部教授は「戦後復興のエネルギーとなったお好み村のような屋台の系譜と、原爆で夫を亡くすなどした妻たちが、自宅の軒先で始めた子供相手のお好み焼き店がどの町でもあちこちにでき、広島市民はお好み焼きに馴染むようになった。この2つがあったことで、広島風お好み焼きは一気に普及した。プロパンガスや厚い鉄板の普及により、独特の重ね焼きが可能になった。地場のソースメーカーが店と協力して、甘味があり、こってりとした専用ソースを開発したことも大きかった」と論じている。広島に於けるお好み焼き店は小規模で、大手資本もほとんどない。言い換えれば、広島に於けるお好み焼きは小規模経営で、庶民の味となっており、地元の食文化として定着している。",
"title": "お好み焼き(広島)"
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"paragraph_id": 47,
"tag": "p",
"text": "矢野新一は「広島県人は新しいものに敏感で、全国販売に先駆けてのテストマーケットになることが多い。だから\"広島お好み焼き\"が誕生したときも、すんなり受け入れられたのではないか」と論じている。",
"title": "お好み焼き(広島)"
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"text": "1960年代ごろまでは、家から卵や肉をお店に持っていって入れてもらうことができた。現在は肉や卵(合わせて肉玉と呼ぶ)は当たり前に置かれているが、昔は野菜とそばだけ、あるいは野菜だけを頼むことも珍しくなく、この頃の野菜だけで作られたお好み焼きの値段は250円程度だった。まだプラスチック製や発泡スチロール製のトレーが普及していなかったため、持ち帰りの場合は各家庭から平皿を持っていってお好み焼きを載せてもらったり、新聞紙にくるんでいた。もう少し時代が下ると、ラップで包んで持ち帰っていた。",
"title": "お好み焼き(広島)"
},
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"text": "広島地方においては、広島風のお好み焼きのことは単に「お好み焼き」あるいは「お好み」と呼ぶ。ただし、広島県三原市では、旧来の麺無しをベースとして「お好み焼き」と呼び、中華麺またはうどん入りを「モダン焼き」と呼んでいる。名前については、当初は決まった名前はなかった。好きな具材を入れていく事で「好み焼き」と呼ばれていたが、この名称では良くないのではとなり、接頭語としておを付けてお好み焼きになったらしい。自然発生的に「お好み焼き」という名前が現れ、それが一般に定着して今に至っている。",
"title": "お好み焼き(広島)"
},
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"text": "広島県外では「広島風お好み焼き」の他に、特に関西においては「広島焼き」とも呼ばれる。1970年代にマスメディアによって広島のお好み焼きが\"発見\"され、「関西風」「広島風」という名称が両者を区別するために用いられ、これに伴い「広島焼き」と呼び方も生まれた。広島焼きという呼称を正式に採用したのは、記録のある限りでは1983年に東京下北沢に開業して2023年も当地で営業を続ける広島出身者の経営「広島焼きHIROKI」が最古である。都内初の広島スタイルのお好み焼き店といわれた1975年4月創業の千駄ヶ谷「お多福」は、店の看板に「ひろしま風」と掲げていた。東京出身のエッセイスト・如月小春が『宝石』で「大学四年のときに初めて食べた広島風のお好み焼きがマズかった」と書いていることから、1970年代後半には広島スタイルのお好み焼きを提供する店が都内にあったことが分かる。1990年代初めに県外で広島のお好み焼きを出す店が増えて看板に「広島風」が使われ始めた。その際オタフクソースとしては「広島流」と呼んでいた。2008年に社内で呼び方を統一し、広島のお好み焼きを「広島お好み焼き」関西のお好み焼きを「お好み焼き」と呼び分けるようになったという。但し、広島県民はそんなことはどうでもよく、「広島焼き」の呼称を嫌う傾向があり、広島ではケンカの火種になる言い方であるという。2016年9月20日にNHK総合テレビで放送された『サラメシ』の広島特集の中で、「広島風お好み焼き」に「広島焼き」とテロップをつけたところ、広島県民から「そんな食べ物はない!」などと批判が相次いだため、2日後の再放送ではテロップが「お好み焼き」へと修正された。広島で公演をするアーティストの楽屋には「MCにおける注意事項」として「広島風のお好み焼を『広島焼き』と呼ぶことは絶対におやめください」と注意書きがあるといわれる。広島の「お好み焼」は、「広島風」でも「広島焼き」でもなく、「お好み焼」だと主張する者もいる。1980年代はまだ地方のマイナーな存在だった広島のお好み焼きが全国進出する際に「広島焼き」「広島風お好み焼き」という二つの呼称が発生し、この呼称の生みの親は広島県人自身とする見方もある。全国的に有名になったら今度は「広島焼き」という呼称に怒り始めたという意見もある。",
"title": "お好み焼き(広島)"
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"text": "「広島焼き」の呼称が嫌われる理由には諸説あるが、有名なものに「お好み焼きを作っているのだから名称は『お好み焼き』であり、わざわざ「広島」と地名を付けて強調する必要が無い」、戦中や戦後直後の悲劇を知る高齢者を中心に「『広島焼き』は、その言葉の響きから原爆投下で焼けた広島を想起させる」と諸説ある。「お好み焼き」だと地名がわからないが、「広島焼き」「大阪焼き」と分けた方が直接のアピールになるのではという意見もある。",
"title": "お好み焼き(広島)"
},
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"paragraph_id": 52,
"tag": "p",
"text": "広島のお好み焼きには、定番の具材がある。今日、トッピングと表現されるものは、広島(市)民にとっては世代によって捉え方が違う。自宅から卵や皿を持って行った高齢者にとっては、その卵やそば・うどんもトッピングといえる。ただ「肉玉そば (うどん)」「そば (うどん) 肉玉」が定着して以降にトッピングのイメージがあったのはイカ天だけである。中心部から外れた店舗では基本食材以外で必ず置かれていたのはイカ天だけだった。以降、店舗によって、観音ネギを増量したり、もちやキムチ、チーズ、生イカ、エビなどをトッピングとして置くようになった。今日でも中心部から外れた店舗ではイカ天しか置いてないところも多い。",
"title": "お好み焼き(広島)"
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"text": "関西風は基本的には麺は入れないが、広島では麺を入れる形が一般的。広島ではそば(中華麺)が主流で、中国新聞の2023年10月の統計では約80%がそば派。うどん派は18%。うどんよりそばが主流になった理由についてはよくわかっていない。お好み焼きに使用される麺は中華麺で、多くはお好み焼き用に製麺されたものが使用されることが多いが、焼きそば用の麺が使用されている店もある。店舗によって寸胴で茹でてから鉄板に出す「生麺」、予め茹でてある「ゆで麺」、蒸してある「蒸し麺」の3種類のうち一種類が使用される。3種類の中では生麺が比較的人気で、お好み広場やお好み村の店舗やガイドブック等に掲載されているような店舗では生麺が使用されることが多い。しかし、生麺を焼く時に使用するラードのカロリーを気にしたり、調理時間を短縮するため、人気店でもゆで麺や蒸し麺を使う場合もある。中華麺に代わるバリエーションとしてうどんがあり、うどんは中華麺がない時などに、古くから代用されてきた。近年ではうどん入りも人気を高めている。蕎麦やパスタを用いる店舗もある。",
"title": "お好み焼き(広島)"
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"text": "2010年代ころから以前よりも麺がカリカリになるように、パリッと焼き上げるスタイルがトレンドになっているといわれる。",
"title": "お好み焼き(広島)"
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"text": "関西風と広島風で味わいが異なるのがソースの味付け。関西風のお好み焼きで使うソースは、辛口であることが一般的。これに対して広島風のお好み焼きでは、濃厚な甘口のソースが使用される。広島のお土産として甘口ソースを購入する人もいる。",
"title": "お好み焼き(広島)"
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"paragraph_id": 56,
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"text": "ソースは広島のメーカーであるオタフクソースがお好み焼き専用のソースを製造し、お好み焼き店の開業を積極的に支援していることや広島県内をエリアとする民放でのCMの効果もあり、多く利用されている。味は若干甘口。それ以外には、毛利醸造のカープソース(やや辛口)・サンフーズのミツワソース(ヒガシマルソースもある)、センナリの広島ぢゃけん、中間醸造(三原市)のテングソースなどのお好み焼きの専用ソースも使用されている。",
"title": "お好み焼き(広島)"
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{
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"text": "多くのお好み焼き店では単一メーカーのソースを使用しており、ソース会社では、納入先のお好み焼き店に自社の名前が入った暖簾を提供している。そのため、暖簾にあるメーカー名を見ることで、その店がどのメーカーのソースを使っているか分かることが多い。近年では幟(のぼり)を立てている店も多く、より分かりやすくなっている。なお、一部の店では複数のソースを独自にブレンドしたり、前記以外の製造会社にソースを特注したりしている。",
"title": "お好み焼き(広島)"
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"text": "また、お好み焼きを食べるときに用いるヘラ (コテ) やお皿、ソース差しなどの道具にも、ソースのメーカー名がついていることがある。特に、多くの小規模な店舗がある広島市内では、ソース会社がお好み焼き店の開業支援をしており、「近所の主婦」が内職で自宅の一部を改装し、安価で店を開くことができた。",
"title": "お好み焼き(広島)"
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"paragraph_id": 59,
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"text": "広島県は日本酒の産地であり、そこから派生して酢の製造も盛んであった。先述のオタフクなど多くのソースメーカーは酢の醸造会社をルーツに持ち、今もソースと酢の両方を製造している。",
"title": "お好み焼き(広島)"
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"text": "広島県民は自宅の冷蔵庫にお好みソースを常備していることが多い。",
"title": "お好み焼き(広島)"
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"text": "お好み焼きにマヨネーズをかけるのは元々関西風が発祥で、広島のお好み焼きにマヨネーズは使わない。吉川晃司が年齢で約10歳差がある猿岩石と『ミュージックステーション』で共演した際、広島のお好み焼きにマヨネーズをかけると話した猿岩石に「マヨネーズの味が強すぎて、本来の味が台無しになる。広島のお好み焼きにマヨネーズをかけたらダメ」と、生放送中に説教したこともあった。吉川は2016年5月15日に放送された『関ジャム 完全燃SHOW』でも「広島のお好み焼きにマヨネーズをかけてはダメだ」と改めて否定している。一般的にはマヨネーズはかけないが、最近では若年層や観光客向けに卓上に置いてあったり、注文すれば提供してくれる店舗もある。店側で責任をもってソースを塗るからと、卓上にソースやマヨネーズを置かない店もある。",
"title": "お好み焼き(広島)"
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"text": "広島のお店の注文書(メニュー)には「お好み焼き そば (うどん) 肉 玉子」という風に書いてあることもあるが、これを「肉玉そば (うどん) 入り」「そば (うどん) 肉玉」などと注文する。よく分からなかったり、迷ったりしたら「肉玉そば」と注文すれば問題ない。デフォルトである肉玉そば(うどん)にお好みでトッピングを付加したり、そば(うどん)抜きなどとすることも可能である。おすすめや人気のトッピングの組み合わせは「餅チーズ・肉玉そば(うどん)入り」などとメニューに併記したり、「スペシャル焼き」「○○ちゃん焼き」などと店舗独自の名前を付けていることもある。",
"title": "お好み焼き(広島)"
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"text": "そば(うどん)の下に「W」と書いてあることがあるが、これはそば(うどん)を2玉使う「ダブル」という意味である。「ちゃんぽん」または「ミックス」という言葉が使われている地域もあり、そばとうどんを半玉ずつ使用することを意味している。またミックスダブル等の呼び名もありこれはそばとうどんを1玉ずつ使うことを意味している。",
"title": "お好み焼き(広島)"
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{
"paragraph_id": 64,
"tag": "p",
"text": "広島でも自宅で作ることはあるが、焼き方に技術を要するため、お店で食べるか持ち帰るかが一般的。広島ではお好み焼店に注文し持ち帰って食べる、いわゆる「お持ち帰り」の文化が昭和30年代から定着していた。土曜日の学校が半ドン授業だった時代には、学校が終わると友達とお好み焼を食べに行ったり、お店から持ち帰ってお好み焼を食べながらテレビを観たりは、ある年代の広島市民にとっては原風景であった。さらに旧い世代では新聞紙にくるまれたお好み焼を持ち帰ったら、新聞紙の裏にソースがベッタリも原風景かもしれない。",
"title": "お好み焼き(広島)"
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"text": "テイクアウト、出前、電話予約などを行う店舗も多くある。近年では海外からの観光客のため英語や中国語などのメニューを用意している店舗もある。また、広島市等では、店内での食事ができず、原付で配達するケータリング専門の店舗も存在し、お好み焼きの出前文化が定着している。そのため、フードデリバリーサービスWoltの日本初進出地に広島市が選ばれた理由の一つに挙げられている。",
"title": "お好み焼き(広島)"
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{
"paragraph_id": 66,
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"text": "典型的な広島風お好み焼きの店は、真ん中に大きな鉄板を擁するテーブルがあり、その周辺にいくつか小さめのテーブルが配置されていることが多い。客はお好み焼きを作る大きな鉄板の周りに座り、焼かれたお好み焼きを鉄板の上から直接小型のヘラを使って食べるのが基本である。広島や東京ではヘラと呼ばれることが多いが、大阪ではテコやコテと呼ばれる。歴史的には、昔からある広島のお好み焼き店は自宅を改装したようなところも多く、小規模なお店が多かった。鉄板の周りにしか席がないような狭い店では、必然的に客は鉄板の上で食べるしかなく、食べている間に冷めるのを防ぎ、最後まで熱々のまま楽しむため、また、屋台発祥の店では、客に鉄板で食べさせ洗い物やそれに必要な水を減らすという理由や、物が豊かではない時代に割り箸の消費量を減らすという理由もあり、ヘラで食べるようにしたところ、これが功を奏し慣習となったとされている。鉄板上で食べる場合は、お好み焼きをヘラで格子切りにし、一口二口程度で食べられる大きさをヘラに乗せて口に運ぶ。ピザ切りは広島県民とっては一般的ではない。",
"title": "お好み焼き(広島)"
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"paragraph_id": 67,
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"text": "大きな鉄板のあるカウンターは店に一つしかないことが多く、鉄板で同時に食べられる人数には限りがある。そのため、店の中には鉄板のない小さいテーブル席も配置されており、その場合は皿に載せられたお好み焼きを箸で食べる。近年では大きな店が増えテーブル席が増えたことや、ヘラで食べるのはコツが必要で観光客や外国人には扱いが難しいこともあり、皿で出す店や、出す前に皿か鉄板を聞く店も多くなった。鉄板で出す場合も小皿や箸を用意し、卓上のソース等をお好みで自由に使えるようになっている店舗が多い。",
"title": "お好み焼き(広島)"
},
{
"paragraph_id": 68,
"tag": "p",
"text": "同じ広島県内であっても、地域によって色々なバリエーションがある。これらは定番というものではなく、お好み焼きのメニューの一つとして提供されるものである。特に近年、「ひろしまフードフェスティバル」で「てっぱんグランプリ」を開催して競うこともあり、年々進化しつつある。毛利元就の故郷・安芸高田市では、石丸伸二市長の音頭取りで、地元の食材を使った「あきたかた焼き」を考案した。中国・九州地方の一部の県で、お祭りの露店・屋台で見られる割り箸に巻きつける形で焼いた「はしまき」「箸巻き」「はし巻き」の箸を抜いた状態の「広島お好みロール」などもある。",
"title": "お好み焼き(広島)"
},
{
"paragraph_id": 69,
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"text": "府中市は、人口あたりのお好み焼き提供軒数が広島随一ともいわれ、豚バラ肉の代わりにミンチ肉や細切れ肉を入れ、これを「府中焼き」と呼ぶ。地場産業の家具・桐箱製造業で働く母親が多く、お好み焼きは子どものおやつや夕食だったため、子どもがお小遣いで食べられるようにと、バラ肉ではなく安い合い挽き肉を使ったのが始まりである。ミンチ肉は細かいため熱を通すとよくダシが出てうま味が増し、脂も多く出て麺がカリッと焼き上がるのが特徴。府中市民にとっては「自分がミンチだとしたらハンバーグになるより府中焼きの中に入る方が幸せ」という。また、卵も溶き卵にしたものをソースを塗ったお好み焼きの上からかけて仕上げる方法も存在する。狭い鉄板でたくさん焼けるようにという工夫から、形は楕円形をしている。尾道市では砂ズリ(砂肝)を入れる店がある。「フワ、コリ、サク」「サクッ、ザクッ」などと食感が良いという。旧因島市のお好み焼きは「いんおこ」と呼び、うどん入りが主流で、麺をカツオ節とソースで炒め、コンニャク・のしいか・かまぼこ・ちくわを入れる店が多くある。三原市では、モツ (鶏のレバーやヒモ)を入れる店が市内全体(約80店舗)のうち7割でトッピングとして取り扱いがある。三原市は養鶏が盛んで、鶏肉の生産量は広島県全体の約半数(46%)を占めており、広島県の地域資源にも認定されている。昔から安価で新鮮な鳥モツが容易に手に入れることが可能だったため地域に根付いた。また、そばやうどんを入れたお好み焼きを特に「モダン焼き」と呼び分けるが、これは関西地方独特の呼び方で、広島県内で広島風のお好み焼きを出している地域ではあまり見られない特徴。戦前、戦後から三原市の産業基盤を築いていた「帝人」や「三菱」では、当時から関連企業の仕事で関西からの来客も多かったと思われ、関西での呼称である「モダン焼」と注文を受けることが多く定着したという見方がされる。竹原市では、生地に酒粕と日本酒を練り込んだ「竹原焼き」を提供する。呉市ではうどんを入れたり、普通に焼いた後、半分に折り半月型にする場合が多いといった特徴がある。庄原市は、広島市から遠い事もあってお好み焼きは馴染みが薄かったが、近年町おこしの一環として、「庄原焼き」を考案。麺の代わりに庄原産の米を入れてポン酢で仕上げているのが特徴。",
"title": "お好み焼き(広島)"
},
{
"paragraph_id": 70,
"tag": "p",
"text": "2014年の「第5回てっぱんグランプリ」に出展された地域の産物を使用した最新のご当地お好み焼きは以下の通り。",
"title": "お好み焼き(広島)"
},
{
"paragraph_id": 71,
"tag": "p",
"text": "「風月」のような大きいチェーン店があるが、北海道全体で人口比の店舗数が少なく多くは食べられていない。",
"title": "その他の地域のお好み焼き"
},
{
"paragraph_id": 72,
"tag": "p",
"text": "戦前に東京から伝わったどんどん焼きがある。岩手県では、円形に薄く焼いて「薄焼き」または「どんどん焼き」と称する。宮城県には、半月形に焼いた「どんどん焼き」または「お好み焼き」と称するものと、木の棒にロール状に巻きつけた「くるくるお好み焼き」がある。山形県には、木の棒に「ロール状」あるいは「短冊状」に巻きつけた「どんどん焼き」がある。",
"title": "その他の地域のお好み焼き"
},
{
"paragraph_id": 73,
"tag": "p",
"text": "秋田県横手市周辺では昭和40年代から、円形に薄く焼いた生地を、割らないままの割り箸に巻き付けソースをかけたものが「お好み焼き」または「箸巻き」という名で、縁日や祭りの屋台で売られていた。暴力団排除の風潮と共に屋台そのものが少なくなり、一時は見られなくなったが、2010年に有志が「しあわせ巻き巻きよこまき。の会」を設立し、地元名物の横手やきそばの麺などを使用した新たなB級グルメ「よこまき。」として復活させ、イベント等に屋台を出店しているほか、観光協会の協力を得て、市内の飲食店でも提供されている。",
"title": "その他の地域のお好み焼き"
},
{
"paragraph_id": 74,
"tag": "p",
"text": "福島県福島市にはグルメレビューサイト「食べログ」「食べログ百名店2023」に「お好み焼き百名店」で、東北地方で唯一選ばれた広島お好み焼き店がある。",
"title": "その他の地域のお好み焼き"
},
{
"paragraph_id": 75,
"tag": "p",
"text": "東京を中心とする関東地方には全国各地の料理を提供する店が存在し、関西風や広島風を提供する店が多数派となっているが、混ぜ焼きのお好み焼は客が自分で焼くスタイルが主流であるとされている。お好み焼きの材料は椀や金属カップに一人前ずつ盛られて提供されるため、肉やその他の具材も含めた完全な混ぜ焼きとなる。岡田哲は「たべもの起源辞典」において、上記のような「生地に具材を混ぜ込む」調理法を「関東風」、具材を上に「のせる」タイプのものを「関西風」と定義している。",
"title": "その他の地域のお好み焼き"
},
{
"paragraph_id": 76,
"tag": "p",
"text": "鶏卵は基本的に加えられるが、古風な店ではオプションとされていることもある。生地にはもんじゃ焼きと共通の桜エビ、切りイカ、揚げ玉、紅生姜、餅などが混ぜ込まれる事が多い。もんじゃ焼きとお好み焼きの両方をメニューに置く店が多く、あんこ巻きやアンズ巻きなどの甘味系を揃えているのも東京ならではの特徴である。数は少なくなったものの、小柱やアサリといった江戸前の種や牛そぼろ、キャベツではなく白ねぎを用いたねぎ焼きなどを提供する店も残存している。調味料はソースやマヨネーズなど客の好み次第であるが、旧来のスタイルを守る老舗ではからし醤油などで勧められることもある。",
"title": "その他の地域のお好み焼き"
},
{
"paragraph_id": 77,
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"text": "お好み焼きの店では、メニュー名は加えられる具材を指して「○○天」と表現する。「天」が何を意味するかについては諸説あるが、同様の表現は神戸の「肉天」にもみられ、当時は水溶き小麦粉を油で焼く料理を総括して「天ぷら」の一種とみなしていたとも考えられる。",
"title": "その他の地域のお好み焼き"
},
{
"paragraph_id": 78,
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"text": "どんどん焼き時代の「乗せ焼き」を提供する店はほとんど見られないが、戦前から続く老舗である浅草の染太郎には「お染焼」という名前でメニューに残されている。また、埼玉県県北部には「フライ」と呼ばれるどんどん焼きの系譜に属する料理がある。",
"title": "その他の地域のお好み焼き"
},
{
"paragraph_id": 79,
"tag": "p",
"text": "静岡県東部の富士宮市周辺では「しぐれ焼き」と呼ばれる、富士宮焼きそばを乗せたお好み焼きがある。浜松市を中心とする遠州地域では「遠州焼き」と呼ばれ、たくあんなどの漬物や紅しょうが、ねぎを刻んで生地に入れることがある。これは戦後の物資不足の時代に浜松市の三方原台地へ引揚者が入植し、大根の増産が行われたことから、当時適当な食材として導入されたことが由来だと言われている。尚、地場のソースとしては高嶺ソース、トリイソースなど生産されている。",
"title": "その他の地域のお好み焼き"
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{
"paragraph_id": 80,
"tag": "p",
"text": "名古屋市のお好み焼きは戦前から続く乗せ焼きだが、目玉焼きのような鶏卵が入っているのが特徴で、生地が固めで両面とも綴じるために厚みがあり、ともすれば混ぜ焼きのように見える仕上がりである。 また、「2つに折り畳まれている」「銀紙と白もしくは緑の紙に包まれた包装」が大きな特徴である。その理由は諸説あるが、1970年代にハンバーガーを食べ歩きしている若者をヒントに、地元の祭でお好み焼きを食べ歩きできるようにと考案されたとされる。同市西区のお好み焼き店「甘太郎本舗」の考案にてアルミシートが巻かれるようになり、地元では名古屋風お好み焼き用のアルミシートも販売されている。通常の容器とフタのセットよりも、包装費が約7分の1~12分の1で済むため、コストを抑えることが出来る。そのため、おやつ・ホットスナックとして他地域のお好み焼きよりもカジュアルに嗜まれ、やや小ぶりで価格もリーズナブルである。 また、庶民の食べ物としての洋食焼きの特徴を色濃く残している。ソースは名古屋市の調味料メーカー、カゴメのお好み焼きソースが使われる比率が高い。同じく名古屋市の調味料メーカー、コーミからは家庭用のお好み焼きソースとして赤だしみそ入りの『コクうまお好みソース』が発売されている。お好み焼きのソースに味噌を入れるのは、さすが名古屋と驚く人が多い。 家庭で作られるお好み焼きは一般的な混ぜ焼きであるが、乗せ焼きの場合と同様にひっくり返してからヘラでしっかりと抑える傾向がある。また切り分け方も、多くの家庭の場合、東京風に、十字に切り分けていく。",
"title": "その他の地域のお好み焼き"
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{
"paragraph_id": 81,
"tag": "p",
"text": "岐阜県の柳ヶ瀬商店街のお好み焼きは、三つ折りにされており、さながらナイフとフォークで喫食する正統的なクレープのような形をしている。小麦粉の薄地に(黒 ゴマペーストが練り込まれたものもある)、キャベツ、ネギ、紅ショウガ、天かす、削り節を載せ、ウスターソースで味付けをする。",
"title": "その他の地域のお好み焼き"
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{
"paragraph_id": 82,
"tag": "p",
"text": "富山市では刻み昆布を生地に入れることがある。ただ、どんどん焼きの方が刻み昆布や桜えびや紅ショウガを入れ、青のりなどをかけて食べることが多い。",
"title": "その他の地域のお好み焼き"
},
{
"paragraph_id": 83,
"tag": "p",
"text": "いわゆる関西風お好み焼きを主流とする。かつては客に焼かせる店も多く見られたが、現在は大半が店員が焼いて提供するスタイルになっている。",
"title": "その他の地域のお好み焼き"
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{
"paragraph_id": 84,
"tag": "p",
"text": "混ぜ焼きの地域が多い中、神戸市の旧市街地域(兵庫区、長田区、中央区など)が異彩を放っている。肉天と呼ばれた時代の調理法を継承する乗せ焼きで、生地に卵を入れない、マヨネーズは用いない、どろソースを使用する、「すじこん」「ぼっかけ」と呼ばれる牛すじの煮込みや「大貝(おおがい)」と呼ばれる本荘貝(ウチムラサキ)、下茹でを行わない生蛸が使われるなど、近隣他地域に見られない独自性が多々残されている。近年ではこれを「神戸風お好み焼き」と呼んで区別する向きもある。",
"title": "その他の地域のお好み焼き"
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{
"paragraph_id": 85,
"tag": "p",
"text": "戦前の洋食焼きの面影を残すものとしては、上述した神戸市や高砂市のにくてん、ねぎ焼き、鶏肉と牛脂を具に使う岸和田市の「かしみん焼き」、京都市の「べた焼き」、懐古的に復活した一銭洋食やキャベツ焼きなどがある。",
"title": "その他の地域のお好み焼き"
},
{
"paragraph_id": 86,
"tag": "p",
"text": "乗せ焼きが残る地域には鶏卵を使用しない古いスタイルも残存しており、そうした店では卵はオプション扱いで「◯◯玉」として注文する。(卵なしのプレーンなものは「○○焼き」「◯◯のお好み」あるいは単に「◯◯」と呼ばれる)",
"title": "その他の地域のお好み焼き"
},
{
"paragraph_id": 87,
"tag": "p",
"text": "姫路市ではだしを多く含む柔らかいお好み焼きが好まれ、もんじゃ焼きに似た「ねり焼き」や「ぐじゃ焼き」、玉子焼のようにつゆで食べるスタイルの「どろ焼き」などもある。",
"title": "その他の地域のお好み焼き"
},
{
"paragraph_id": 88,
"tag": "p",
"text": "独自の具材を使ったご当地お好み焼きとしては、富田林市の豚肉の鉄板焼きを用いた「ブー太郎焼き」、焼きそばを卵で綴じる和歌山県御坊市の「せち焼き」、焼きそばとホルモン焼きを入れた京都市の「まんぼ焼き」、京都市左京区にはキャベツの代わりに白菜を使う「白菜のお好み焼き」もある。",
"title": "その他の地域のお好み焼き"
},
{
"paragraph_id": 89,
"tag": "p",
"text": "あぶらかすやホソ、生すじ肉などのもつ類が使用される地区が点在するのも近畿地方の特徴である。またそれらの地域では混ぜ焼きのお好み焼きではなく、乗せ焼きの様式がよく守られている傾向がある。",
"title": "その他の地域のお好み焼き"
},
{
"paragraph_id": 90,
"tag": "p",
"text": "広島風お好み焼きが知られる地方であるが、乗せ焼きと混ぜ焼きの両方を提供する店もあり、独自の作り方のお好み焼きが名物になっている地域もある。",
"title": "その他の地域のお好み焼き"
},
{
"paragraph_id": 91,
"tag": "p",
"text": "兵庫県西部から岡山県にかけてのエリアは、戦前からのにくてん・洋食焼きの影響が色濃く残る「乗せ焼き」の店が多い。岡山市では「ジャンボお好み焼き」と称して、広島風お好み焼きとほとんど同じスタイルのものが名物となっている。また岡山県備前地域(特に日生町)では「カキオコ」と呼ばれる岡山県名産のカキをいれたお好み焼きが有名である。また、カキのシーズンではないときには「エビオコ」(カキオコのカキをエビに変えたもの)が提供される。また、浅口市では手延べ麺のバチを大量に生地に混ぜ込んだ、バチのお好み焼きがあり、カキオコに倣って「バチオコ」と呼ばれる。",
"title": "その他の地域のお好み焼き"
},
{
"paragraph_id": 92,
"tag": "p",
"text": "広島県東部の備後地方南部では、府中市を中心に、豚や牛挽肉を使用した「府中風お好み焼き」があり、これを「府中焼き」と呼び街おこしのご当地グルメとする活動がある。広島風お好み焼きに似ているが、挽肉から出る脂と肉汁が特徴的である。小さな街に多くのお好み焼き店が存在している。",
"title": "その他の地域のお好み焼き"
},
{
"paragraph_id": 93,
"tag": "p",
"text": "広島県三原市では、そばやうどんの入ったお好み焼きをモダン焼きと呼称する場合がある。製法は元祖である神戸風に近く、まず生地を敷き、別の場所で麺と具(キャベツ、豚肉など)を炒めたのちに生地の上に載せ、生地を少しかけて反転させ、蒸し焼きに入るという製法をとる場合が多い。また、イカ天のことをのしイカと呼称したり、鶏肝(レバーやヒモなど)を入れるなど、独自の特色がみられる。隣接した地域で文化も食文化も似ているの尾道市では砂肝とのしイカを入れたものを「尾道焼き」と称している。",
"title": "その他の地域のお好み焼き"
},
{
"paragraph_id": 94,
"tag": "p",
"text": "広島風お好み焼きの中でも、広島市中心部の店と呉市・呉市近辺の店では具材を重ねる順などに若干の差異があり、呉のものを「呉焼き」と呼んで区別することがある。呉焼きは焼いた後、半分に折り半月型にする店が多く、呉市民は、広島市のお好み焼きが丸いのでビックリするといわれる。",
"title": "その他の地域のお好み焼き"
},
{
"paragraph_id": 95,
"tag": "p",
"text": "広島県庄原市では、広島風の「肉玉」をベースとしソバの代わりに「庄原の米」を炒め、「お好みソース」ではなく「ポン酢」をかけて食べる「庄原焼き」と呼ばれるものも存在する。",
"title": "その他の地域のお好み焼き"
},
{
"paragraph_id": 96,
"tag": "p",
"text": "因島では、「因島お好み焼き」、略称「いんおこ」と呼ばれ、うどん入りが主流で、かつお粉とウスターソースで炒めた麺を野菜より先に生地に載せる。「尾道焼き」とともにしまなみ海道のB級グルメ料理として知名度の向上を目指している。",
"title": "その他の地域のお好み焼き"
},
{
"paragraph_id": 97,
"tag": "p",
"text": "広島県三次市では地元の江草製麺で製造されている唐辛子を練り込んだ「唐麺」そばと、毛利醸造社で製造されているカープソース辛口で味付けしたお好み焼きを三次唐麺焼きとし、三次唐麺プロジェクトを立ち上げて地域興しに活用している。",
"title": "その他の地域のお好み焼き"
},
{
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"tag": "p",
"text": "戦前からの手法を引き継ぐ乗せ焼きと戦後発祥の混ぜ焼きが混在している。徳島県では、ミカン、甘く煮た金時豆、ヨーグルト、エビを入れて丸く揚げた「天ぷら」、フィッシュカツなどの独特の具を用いたものも供されている。香川県では神戸由来のにくてんも郷土料理のひとつとされる。",
"title": "その他の地域のお好み焼き"
},
{
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"text": "福岡市には、厚くどっしりとした生地を特徴とするお好み焼きを出すチェーン店がある。ふわふわが好まれる関西風とは対照的に空気を含ませず、表面はカリカリに焼き上げられる。真っ黒で粘度の高い独特のソースと、カスタードクリーム状の自家製マヨネーズを使用することも大きな特徴である。",
"title": "その他の地域のお好み焼き"
},
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"text": "元々福岡は、関西風お好み焼きが多かったが、近年は広島風の比率が増えているという。",
"title": "その他の地域のお好み焼き"
},
{
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"text": "福岡県大牟田市・熊本県荒尾市では、大牟田の炭鉱で働く電気工が家庭で水で溶いた生地を焼きウスターソースをかけただけのものをビンタ焼きと称して焼いていた。江戸時代から、全国各地から炭鉱に従事するものが大牟田荒尾に往来し、お好み焼きやその他の料理がアレンジされた料理や店が独特に定着したのが多いのも特徴である。その後大牟田・荒尾地区ではダゴと呼ばれるようになる。荒尾の有明高専の生徒が足繁く通うお好み焼き屋があり「高専ダゴ」と呼ばれて市民から愛されている。店主は学生がお腹いっぱいに食べれるよう鉄板いっぱいに広げて焼く大型のお好み焼きをメニューに取り入れ大牟田名物となっている。九州7県では人口あたりのお好み焼き店の数において大牟田市が1位、荒尾市が2位となっている。基本的には大阪風であるがキャベツの切り方はみじん切りの大阪風に対し、ざく切りにする店が多く山芋等の材料は使用せず、ひっくり返した際コテで押さえ付けてもっちりとさせた食感に仕上げる。ソースはとんかつソースベースのこってり甘口の関西風に対し、ウスターソースベースでさらっとした口当たりでコショウや一味唐辛子を加えたパンチの効いた辛口である。そのほかにも広島風やもんじゃ焼を提供する店も存在する。",
"title": "その他の地域のお好み焼き"
},
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"text": "北九州市では、マヨネーズとケチャップを混ぜたオーロラソースをつけて食べるのが定番となっている。",
"title": "その他の地域のお好み焼き"
},
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"paragraph_id": 103,
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"text": "宮崎市には、神戸風の肉天が名物として提供される地域もある。",
"title": "その他の地域のお好み焼き"
},
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"text": "熊本市域ではお好み焼きに刻んだ沢庵をいれる店が多く、肉は薄切りではなくひき肉を入れる店もある。",
"title": "その他の地域のお好み焼き"
},
{
"paragraph_id": 105,
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"text": "沖縄県には「ヒラヤーチー」(平焼き)と呼ばれる料理があり、これはキャベツではなくネギやニラなどを使用する一銭洋食やどんどん焼きに近い軽食である。また、「ポーポー」という小麦粉の薄焼きで味噌や黒糖などを巻いた菓子もあり、こちらはお好み焼きの祖先とされる「麩の焼き」に酷似している。",
"title": "その他の地域のお好み焼き"
},
{
"paragraph_id": 106,
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"text": "祭りなどの露店・屋台でも、お好み焼きは定番の料理である。かつては関西においても洋食焼きスタイルの重ね焼きが主流であったが、現在は混ぜ焼きを供する店や、中華麺を加えて広島風として提供する店が増えている。また、割り箸に巻きつける形で焼いた「はしまき」「箸巻き」「はし巻」、鉄板に円形の焼き型を載せて今川焼きほどの小さなサイズで焼き上げた「大阪焼き」(関西地方や東海地方では「リング焼き」とも)、厚く焼いた混ぜ焼きをカットして割り箸や串に刺したものなど、立ち食い・歩き食いがしやすいように工夫されたお好み焼きも多くの屋台で供される。",
"title": "その他の地域のお好み焼き"
},
{
"paragraph_id": 107,
"tag": "p",
"text": "お好み焼きを急速冷凍した冷凍食品が、食品メーカーやソースメーカー、スーパーやコンビニ各社、有名お好み焼き店などから販売されている。",
"title": "冷凍食品"
}
] |
お好み焼き(おこのみやき)は、小麦粉と鶏卵、キャベツ、ソースなどを使用する鉄板焼きの一種である。 水に溶いた小麦粉を生地として鶏卵、野菜、肉、魚介類、麺類など好みの材料を使用し、鉄板の上で焼き上げ、ソース・マヨネーズ・青のり等の調味料をつけて食する。焼き方や具材は地域によって差が見られ、「キャベツ焼き」、「関西風お好み焼き」「広島風お好み焼き」、「べた焼き」、「遠州焼き」、「カキオコ」、「ねぎ焼き」、「かしみん焼き」、「ちょぼ焼き」、など、様々な様式や具材のお好み焼きが存在している。
|
{{複数の問題
|出典の明記 = 2015-11
|独自研究 = 2016-11
|観点 = 2016-11
}}
[[画像:Okonomiyaki_001.jpg|250px|thumb|お好み焼きの例]]
'''お好み焼き'''(おこのみやき)は、[[小麦粉]]と[[鶏卵]]、[[キャベツ]]、ソースなどを使用する[[鉄板焼き]]の一種である。
水に溶いた小麦粉を[[生地 (食品)|生地]]として[[鶏卵]]、[[野菜]]、[[食肉|肉]]、[[魚介類]]、[[麺類]]など好みの材料を使用し、[[鉄板 (調理器具)|鉄板]]の上で焼き上げ{{Refnest|group="出典"|{{R|大辞林|粉モノ歴史館}}}}、[[ウスターソース|ソース]]・[[マヨネーズ]]・[[青のり]]等の[[調味料]]をつけて食する。焼き方や具材は地域によって差が見られ、「[[キャベツ焼き]]」、「関西風お好み焼き」「広島風お好み焼き」、「[[一銭洋食|べた焼き]]」、「[[遠州焼き]]」、「[[カキオコ]]」、「[[ねぎ焼き]]」、「[[かしみん焼き]]」、「[[ちょぼ焼き]]」、など、様々な様式や具材のお好み焼きが存在している。
== 歴史概略 ==
[[画像:Festival1.jpg|thumb|[[屋台]]のお好み焼き屋]]
=== 前史 ===
{{出典の明記|date=2016-11|section=1}}
記録では日本における[[粉食|粉物料理]]の起源は、[[安土桃山時代]]の[[千利休]]が好んだという「[[麩の焼き]]」にあるといわれている{{Refnest|group="出典"|{{R|大辞林|粉モノ歴史館|千利休とふの焼|意外な関係}}}}がお好み焼きとはかけ離れたものであり、お好み焼きの起源としては異論もある<ref>2013年8月16日 JB PRESS [https://megalodon.jp/2018-0618-0349-04/jbpress.ismedia.jp/articles/-/38464?page=2 「関西風」のルーツは東京だった!花柳界と切り離せないお好み焼きの黎明期(2/5)]</ref>。
現在のお好み焼きに近いものとしては[[明治]]に東京で定着していた[[もんじゃ焼き]]から派生し、[[昭和]]の初めに東京を中心に流行した「[[どんどん焼き]]」があり、[[屋台]]や[[縁日]]などで販売された<ref>[http://www.seifun.or.jp/wadai/hukei/huukei-09_06.html 『お好み焼き』の仲間・関東編]([[財団法人]][[製粉振興会]])</ref>。このどんどん焼きは[[近畿地方]]においては、ソースが洋食的で一銭で買えることから[[一銭洋食]]と呼ばれ広まっていった{{Refnest|group="出典"|{{R|JB PRESS130916|JB PRESS130916_2|WEB歴史街道}}}}。こうした古いスタイルのお好み焼きの原型は、現在も縁日の沿道に出る屋台などで提供されている他、[[岸和田市]]の[[かしみん焼き]]や[[高砂市]]の[[にくてん]]、あるいは「[[ねぎ焼き]]」「[[キャベツ焼き]]」といった形で残存している。また中国人が似たものをごま油で香ばしく焼いたものの屋台も存在する。
=== お好み焼きの誕生と伝播 ===
大正7年(1918年)3月24日の[[読売新聞]]朝刊に「蝦フライ一銭のどんどん焼」と題する記事が掲載されており、記事内では「どんどん焼き」という表現を用いながらも、その屋台の暖簾や品書きには「お好み焼」という表現が使用されている。また[[柳田国男]]は、昭和6年(1931年)に刊行された「明治大正史 第四巻 世相篇」において「子供を相手の擔ひ商ひの方でも飴や新粉の細工物は通りこして、御好み焼などといふ一品料理の眞似事が、現に東京だけでも数十人の専門家を生活させて居る」と書いている<ref>{{Cite book|和書 |author=朝日新聞社 編 |year=1931 |title=明治大正史 第四巻 世相篇 |publisher=[[朝日新聞社]]}}</ref>。
[[池田弥三郎]]の「私の食物誌」には「昭和6〜7年(1931〜1932年)ごろに[[銀座]]裏のお好み焼き屋が密会所のようになり、風俗上の取り締まりで挙げられた」というエピソード{{efn|「屋台の、子ども相手の、二銭三銭五銭といったどんどん焼きが、出世して、いつしか「お好み焼き」になった。そして銀座の路地の奥などに、ちょっとした店ができた。それは昭和の初年ごろではなかったか。なんでも、銀座裏のお好み焼き屋が、密会所みたいになって、風俗上の取り締まりであげられたということがあったのが、昭和六、七年ごろのことで、当時大学の予科生だったわたしは、そろそろそういうところへ出入りし始める時分だったが、そんなことから、それっきり、行きそびれてしまった。」<ref>{{Cite book|和書 |author=池田弥三郎 |year=1965 |title=私の食物誌 |publisher=[[河出書房新社]] |location= |asin=B000JADHQA}}</ref>。}}が記録されており、当時のお好み焼き屋は飲食を口実として懇ろの男女に逢瀬の場を提供する、どちらかと言えばいかがわしい業態としても機能していたことが読み取れる。食文化史研究家の岡田哲は、「お好み焼き」は当時の東京の[[花街]]において、座敷にしつらえた鉄板で客が自分の「好み」に焼く風流な遊戯料理として誕生した{{efn|「お好み焼きの事始めは明らかではないが、昭和6〜7年ごろに、どんどん焼きの調理形態から東京の花柳界で創始されたという説がある。平焼きは、子供から大人へ、屋台からお座敷へと変わり、大人が楽しむ風流遊戯料理になる。そして、客が作って楽しむ、お座敷お好み焼きができる。」<ref>{{Cite book|和書 |author=岡田哲 |year=1993 |title=コムギ粉の食文化史 |page= |publisher=[[朝倉書店]] |location= |isbn=4-254-43053-1}}</ref>。}}というこの証言に基づいた解釈を紹介しており、[[日本コナモン協会]]会長の[[熊谷真菜]]も自著にて同じ説を採用している<ref>{{Cite book|和書 |author=熊谷真菜 |year=1993 |title=たこやき |publisher=[[リブロポート]] |isbn=4-8457-0828-0}}</ref>。
[[田辺聖子]]は[[藤本義一 (作家)|藤本義一]]との対談の中で、大阪でお好み焼きが知られるようになったのは昭和16〜17年ぐらいからではなかったかと発言している{{efn|「お好み焼きはかなり新しいけどね。昭和十六、七年くらいからと違いますか。その前は洋食焼きばっかりで」<ref>{{Cite book|和書 |author= |year=1983 |title=ふるさと日本の味(8) 大阪・神戸味どころ |publisher=[[集英社]] |asin=B000J7HOOY}}</ref>。}}。現存するお好み焼き屋の中で最古とされる店{{efn|お好み焼きを提供している店としては、昭和8年創業の神戸市の「みずはら」の方が古いが、戦前の水原は「肉天屋」であり、「お好み焼き」を名乗るようになったのは戦後になってからのことである。}}は、[[浅草]]の「風流お好み焼 染太郎」で昭和13年(12年という説もあり)の創業であるが、大阪でも同じ時期に「以登屋」(現在は閉店)が開店しており、大阪で初めて客に自由に焼かせる「お好み焼き」を紹介したとされる。以登屋は[[芸者]]や[[花街|花柳界]]の粋人、[[船場 (大阪市)|船場]]の旦那衆などを対象とした高級店で、市中の洋食焼きが10銭程度であった時代に1円50銭もしたという{{R|神戸とお好み焼き}}。ちなみに大衆店として人気を博した染太郎では、創業当時のお好み焼きの価格は一枚5銭であった{{efn|当時のメニューには「やきそば。いかてん。えびてん。あんこてん。もちてん。あんこ巻。もやし。あんず巻。よせなべ。牛てん。キャベッボール。シュウマイ。(以上いずれも、下に「五仙」と値段が入っている。それからは値段が上る)。テキ、二十仙。おかやき、十五仙。三原やき、十五仙。やきめし、十仙。カツ、十五仙。オムレツ、十五仙。新橋やき、十五仙。五もくやき、十仙。玉子やき、時価。」と記載されている{{R|如何なる星の下に}}。}}。<!--岡田哲は、その頃のお好み焼きを「関東風」と紹介している<ref name="たべもの起源事典/83">『たべもの起源事典』 - 83ページ</ref>。--><!--事実誤認。岡田が関東風としているのは「その頃」のお好み焼きではなく、戦後を含めた東京のお好み焼きである。-->
戦後、「お好み焼き」という言葉は客が自分で焼いて楽しむ{{efn|「知らるる通り、お好み焼の面白さというのは、自分の手で焼くところにあって、食うだけでは、面白さ楽しさのほとんど大半が失われると言っていい。」{{R|如何なる星の下に}}}}という原義を離れ、ネギではなくキャベツを用いた粉物料理そのものを指すようになる。キャベツを用いる混ぜ焼き式の「お好み焼き」は近畿地方を中心に戦後急速に浸透し、全国各地で洋食焼き・どんどん焼きからお好み焼きへと料理の名称と調理法が更新されていった。焼き方に関しては現在も戦前のスタイルを残す地域が存在するものの、名称の点ではほぼ全国的に「お好み焼き」に統一されている。お好み焼きは戦後の大阪において、具材やソースの追加、腰掛け式のカウンターテーブルの採用などの変化を経て、本家と言われるほどに発展していく{{R|たべもの起源事典/83}}。[[昭和]]中葉には、大人が飲食店としての「お好み焼き屋」で座って[[鉄板]]を前に焼きながら食べるものと、子どもが「[[立ち食い]]」を前提に「[[新聞紙]]」に包んだ二つ折りのものをその場で立って食べる、簡便なお好み焼きとが分かれて存在した。
[[広島県|広島]]は戦前の東京で誕生したお座敷料理のお好み焼きはもちろん、戦後に広まった混ぜ焼き式のお好み焼きの影響も受けなかった地域であるが、どんどん焼きは乗せ焼きが主流であり、どんどん焼きから一銭洋食として伝わり、関西のお好み焼きも広島のお好み焼きも源流は同じである{{efn|[[どんどん焼き]]の頃は乗せ焼きが主流だったとされている{{R|JPPRESS_3}}。}}。どんどん焼きが関西に渡り[[一銭洋食]]に変化した{{R|JPPRESS_3}}。乗せ焼きの文化は広島だけでは無く、神戸・京都・徳島などでも残っている{{Refnest|group="出典"|{{R|WEB歴史街道|JPPRESS_5}}}}。[[原子爆弾|戦災]]からの復興過程で1950年ごろに発生した屋台街(後の[[お好み村]])において、鉄板一枚で調理出来ることから{{R|JPPRESS_5}}、戦前の一銭洋食をベースに独自の変化を遂げ、後に[[#お好み焼き(広島)|広島風お好み焼き]]と呼ばれる料理に発展した<ref>[https://web.archive.org/web/20030624043330/http://www.chugoku-np.co.jp/okonomi/mystery/O403010601.html 中国新聞(炎の鉄板)おこのミステリー](2003年6月24日時点の[[インターネットアーカイブ|アーカイブ]])</ref>。
=== 混ぜ焼きの発祥について ===
{{出典の明記|date=2016-11|section=1}}
[[呉市]]の関西風お好み焼き店「ぼてじゅ」の創業者である宅見義喜によれば、お好み焼きのルーツは[[ピザ]]であり、昭和初期に軍艦の乗組員がヨーロッパから呉に伝えたという{{efn|ただし『広島お好み焼物語』58-59ページによれば、この説は「余り支持されていない」とある。}}。これを海軍工廠に徴用された大阪の料理職人が大阪に伝え、戦後の復興期に里帰りして関西風お好み焼きの元になったと主張している<ref name="中国新聞">[https://web.archive.org/web/20070813093259/http://www.chugoku-np.co.jp/okonomi/mystery/O403040901.html 中国新聞]</ref>。
<!--現在の主流であり、後述する「関西風お好み焼き」の特徴とされる「生地にみじん切りのキャベツを混ぜ込んで焼く」というスタイルがいつどこで発明されたかという明確な記録は存在しない。-->「柔らかいもんじゃ焼きを屋台で販売するために粉の分量を増やしたのがどんどん焼きの始まりである」とする説がある<ref>[https://news.mynavi.jp/article/20140607-okonomiyaki/ 大阪府vs.広島県どちらが本家? お好み焼き文化のルーツを名店とともに探る!] - マイナビニュース</ref> が、そもそも現在のもんじゃ焼きが誕生したのは昭和30年代のことであり、戦前の文字焼きは蜜の入った具なしの甘い生地を焼いて食べる子供のおやつであった。またどんどん焼きは一銭洋食と同じ「乗せ焼き」であり、後のもんじゃ焼きやお好み焼きのように生地に具材を混ぜ込む調理法は挽肉を用いる一例を除き記録には残っていない。[[池波正太郎]]は昭和初期を回想したエッセイの中で、今のお好み焼のごとく何でも彼でもメリケン粉の中へまぜこんで焼きあげるというような雑駁なものではなかったと語り、数あるどんどん焼きの中で唯一「牛てん」というメニューだけがネギとひき肉を生地に混ぜてから焼いていたと証言している{{R|食卓の情景}}。
三宅正弘は、戦前のお好み焼き屋において、一人前ずつの分量を座敷に運んで客に焼かせるという提供方法から必然的に合理的で管理がしやすい混ぜ焼きとなり、これが「お好み焼き」という言葉とともに大阪に伝わったのではないかと考察している{{R|神戸とお好み焼き}}。<!--お好み焼きは庶民の料理であるどんどん焼きをお座敷に持ち込むという遊びから始まったと考えられるため、{{要出典範囲|客である大人が子供の頃に親しんだもんじゃ焼きと同じ形式を採用したという推論は一定の説得力を有すると思われる|date=2016-11}}。-->
現存する最古のお好み焼き店は、昭和13年創業の「染太郎」(浅草)である。染太郎では戦前から続く古風なメニューを多く残しており、キャベツではなく白ネギを用いたお好み焼きや、どんどん焼き形式の乗せ焼き、あんこ巻きなどの甘味焼きも提供されている。東京には染太郎以外にも「松浪」や「まりや」など、黎明期の面影を残すお好み焼き屋がいくつか残存している。
一方、大阪屈指の老舗として知られる「はつせ」(千日前)は全席完全個室で、風俗上の取り締まりを受けたという戦前のお好み焼き屋の姿を偲ばせる作りとなっている。近年はカウンター式で店員が焼き、マヨネーズまでかけた状態で提供されることが多くなった大阪だが、この店ではお好み焼きが東京から伝わった当時の様式を今もなお維持している。
これら老舗に共通するのは「客が自分で焼く」という点であり、店側は鉄板と材料を提供するのみで、特に要望のない限り店員が客席に顔を出すことはない。また焼き方や味付けは文字通り「お好み」であるが、基本的には具材をすべて混ぜ込み、よくかき混ぜてから焼くことを推奨している。
=== 乗せ焼きの発祥について ===
前述のように混ぜ焼きよりも乗せ焼きの方が歴史は古く、東京の「お好み焼き」や神戸の「[[にくてん]]」は大正時代以前から普及していた。伝搬時期に地域差はあるものの、昭和の初めには[[東日本]]ではどんどん焼き、[[西日本]]では[[一銭洋食|洋食焼き]]という名称でほぼ全国的に広まった。
一銭洋食の流れを汲む<ref>[https://web.archive.org/web/20070819170042/http://www.chugoku-np.co.jp/okonomi/mystery/O401120801.html 広島風お好み焼きのルーツについて] - 中国新聞</ref> 広島風お好み焼きは戦後の発祥で<ref name="mura">[http://www.okonomimura.jp/about/index.html お好み村とは] - お好み村</ref>、後の[[お好み村]]に繋がる[[中央通り (広島市)|中央通り]]の屋台街から始まっており、屋台街誕生当時から営業している店に[[みっちゃん]]などがある<ref>[https://web.archive.org/web/20070825082032/http://www.chugoku-np.co.jp/okonomi/mystery/O403010601.html 「お好み焼き」名前のルーツ] - 中国新聞</ref>。<!--この節のタイトルである「オリジナル」は「関東風」の言い換えとして用いています。乗せ焼きのオリジンについての記述は別項目にてお願いします。-->
=== 年譜 ===
{{独自研究|section=1|date=2016-11}}
*[[大正]]時代以前 - 正確な発生時期や相互関係については、記録や証言がないため不詳である。
**[[東京]]で「[[どんどん焼き]]」が誕生。
**[[神戸]]で「[[にくてん|肉天]]」が誕生。
**[[近畿地方]]で「[[一銭洋食]]」が誕生。
*[[昭和]]初期 - どんどん焼きが[[関東]]・[[東北]]に伝搬。洋食焼き(大正時代の一銭洋食)が神戸周辺を除く[[西日本]]全体へと広まる。
**[[1931年]](昭和6年)ごろには、東京だけでも数十の「御好み焼」を提供する屋台が存在していた。[[サトウハチロー]]は[[朝日新聞]]東京版で連載していた随筆『僕の東京地図』(春陽堂文庫、1940年)にヤキソバ、お好み焼、ポテトフライ、ロールキャベツ、カツレツなどを販売する屋台があったことを記している。
*[[1931年]] - [[1932年]](昭和6 - 7年)ごろ - [[新橋 (花街)|銀座裏]]のお好み焼き屋が風俗上の理由で摘発される。
*[[1937年]](昭和12年)ごろ - [[大阪]]初のお好み焼き屋とされる「以登屋」が[[北新地]]近くに開店。
**東京で流行した「お好み焼き」が、大阪にも伝わる。
*[[1938年]](昭和13年)- [[浅草]]に現存する最古のお好み焼き店である「風流お好み焼き 染太郎」が開店。
*[[1939年]](昭和14年)- 「染太郎」をモデルとした店の登場する小説「如何なる星の下に」が[[文藝|文芸誌]]に連載される。単行本としては翌[[1940年]]に刊行。
*[[1941年|1941]] - [[1942年]](昭和16-17年)ごろ - 大阪でも「お好み焼き屋」が街中で目につくようになる。
*[[1942年|1942]] - [[1945年]](昭和17-20年) - 食料統制のため外食産業が衰退。
*[[1945年]](昭和20年)- 戦後の[[闇市]]で粉物料理が復活。
**戦争による中断を挟んだことにより、洋食焼きやどんどん焼きが廃れ、[[キャベツ]]を使用するお好み焼きが主流となる。
*[[1948年]](昭和23年)- 神戸の道満調味料研究所(現:[[オリバーソース]])がとんかつソースを開発し販売開始。
**世界初の濃厚ブラウンウスターソース。この発明により、お好み焼やたこ焼に濃厚ソースを使用する食文化が関西に生まれ、神戸や大阪を中心に多くの地ソースメーカーが誕生した。
*[[1950年]](昭和25年)- 神戸市[[長田区]]で「モダン焼き」が誕生。当初はうどんを用いていたが、やがて中華麺が主流となる。
*[[1950年]](昭和25年)ごろ - [[広島市]]の[[中央通り (広島市)|中央通り]]に後の[[お好み村]]に繋がる屋台街が発生<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.sunfoods.net/mura.html |title=お好み村紹介 |access-date=2023-04-07 |publisher=サンフーズ株式会社 |deadlinkdate=2023-04-07 |archive-date=2016-11-08 |archive-url=https://web.archive.org/web/20161108125443/http://www.sunfoods.net:80/mura.html}}</ref>。サイズの大型化や、他地域では用いられない[[もやし]]を定番化するなど、広島独自の変化を遂げていく。また調理法、提供方法のいずれにおいても「お好み焼き」の影響を受けなかった土地ではあるが、名称だけはお好み焼きを名乗るようになる。「お好み焼き」という呼称に関しては、「好みの物を入れるが、『好み焼き』ではいけないので『お』を付けたのではないでしょうか」と[[みっちゃん]]店主は証言している<ref name="chugokuO403010601">[https://web.archive.org/web/20070825082032/http://www.chugoku-np.co.jp/okonomi/mystery/O403010601.html 中国新聞(炎の鉄板)おこのミステリー第17回]</ref>。
*[[1952年]](昭和27年)- 佐々木商店(現:[[オタフクソース]])が業務用お好み焼用ソースの出荷を開始{{Refnest|group="出典"|{{R|otafuku-sauce02|j-net21-13|yomiuri-171101}}}}。
*[[1953年]](昭和28年)- 大阪[[玉出]]の「[[ぼてぢゅう]]」が[[宗右衛門町]]に進出。大阪で初めてカウンター形式を採用し、お好み焼きに[[マヨネーズ]]を導入する。
*[[1954年]](昭和29年)- 広島市内で最初とされる関西風お好み焼き店「大福」が創業<ref name="中国新聞"/>。
*[[1955年]](昭和30年)ごろ - 広島でもお好み焼きに中華麺を入れるようになる。[[広島風お好み焼き]]のスタイルが確立。
*[[1957年]](昭和32年)- 佐々木商店が業務用に続き、家庭用「オタフクお好みソース」の市販を開始{{Refnest|group="出典"|{{R|otafuku-sauce02|j-net21-13|yomiuri-171101}}}}。
*[[1964年]](昭和39年)- 広島の胡町に「関西風」お好み焼き店「[[徳川 (お好み焼店)|徳川]]」が開業<ref name="monogatari_119">『広島お好み焼物語』 119ページ</ref>。
** 徳川の出店は広島県民に関西風お好み焼きの認識と広島風お好みの再認識する出来事になった<ref name="monogatari_123">『広島お好み焼物語』 123ページ</ref>。
*[[1965年]](昭和40年)- ぼてぢゅうチェーン(現:ぼてぢゅうグループ)が東京[[渋谷]]に進出。大阪発のお好み焼き店が全国展開を開始する。
*[[1968年]](昭和43年)- オリバーソースが家庭用「お好み焼ソース」の市販を開始。
*[[1970年]](昭和45年)- [[日本万国博覧会|大阪万博]]開催。お好み焼きが大阪名物としての地位を固める。
*[[1973年]](昭和48年)- 大阪の[[千日前]]に「[[千房]]」が開店。
**お好み焼きの高級化路線が進行する。また客に焼かせる店が減少し、店員が焼いて提供するスタイルが関西の主流となっていく{{要出典|date=2016年11月}}。
*[[1975年]]4月(昭和50年)- 東京初の広島スタイルのお好み焼き店・[[千駄ヶ谷]]「お多福」が開店<ref name="週刊ポスト840228">{{Cite journal |和書 |title=いま町でヤングに大ブーム!お好み焼きの逆襲! |quote=『お多福』 都内初の広島ふうお好み焼き店として昭和50年4月開店。この年カープV1 |journal=[[週刊ポスト]] |issue=1984年2月28日号 |publisher = [[小学館]] |page=24頁 }}</ref>、店の看板に「ひろしま風」と掲げる<ref name="週刊ポスト840228"/>。
*[[1977年]](昭和52年)- 東京[[下北沢]]に広島名物お好み焼き「おたふく」が開店。
*[[1981年]](昭和56年)- 同じく下北沢に広島お好み焼き「かどまえ」が開店。
*[[1983年]](昭和58年)- 下北沢に「広島焼きHIROKI」が開店。<!--下北沢という狭いエリアに3軒も集中したことで注目を浴びた。この時点ではまだどの店にも「広島風」という表現は採用されていなかったことに注目。←参考までにその頃広島においては「広島風」の表現が既に存在していました。-->
**以降、広島独自のお好み焼きの存在が徐々に他地域でも知られるようになる。
== お好み焼き(関西) ==
{{独自研究|section=1|date=2010-01}}
[[画像:Okonomiyaki by S e i in Osaka.jpg|250px|thumb|関西風お好み焼き]]
[[画像:Preparing_okonomiyaki_in_Hiroshima.jpg|250px|thumb|広島お好み焼きを調理する様子]]
[[画像:TsurubashiFugetsu Yodobashi-Akiba.jpg|250px|thumb|関西風お好み焼きチェーン店の一例([[鶴橋風月]])]]
{{Anchors|関西風お好み焼き}}
=== 特徴 ===
[[みじん切り]]にしたキャベツや[[鶏卵]]、[[干しエビ]]などを生地に混ぜ込んでから焼くスタイルのお好み焼きのことを「関西風」お好み焼きと呼ぶことが多い。しかしながら、実はこのスタイルのお好み焼きの発祥は東京であり、関西地方においても[[京都市]]など昔ながらの「[[洋食焼き]]」の流儀で、鉄板に薄く延ばした生地の上に[[せん切り]]のキャベツと具材を載せて焼きあげる重ね焼きが主流となってきた地域も少なくない。
大阪を中心とする関西地方のお好み焼きにも様々な調理方法があるが、混ぜ焼きにのみにみられる特徴として、食感を軽くするために生地の中に[[ヤマノイモ|山芋]]を混ぜ込むことが多い点があげられる。
[[キャベツ]]や[[鶏卵]]がいつごろから使用されるようになったかについては、はっきりしたことは分かっていない。[[キャベツ]]そのものは[[1904年]]ごろから普及しており、決して高価な食材ではなかった。ただ、青ネギを用いる西日本と、白ネギを用いる東日本では、[[第二次世界大戦|戦前]]の一銭洋食時代においても用いられる野菜が異なっており、西日本の洋食焼きがもっぱら青ネギを使用したのに対し、同時期の[[どんどん焼き]]には白ネギだけではなくキャベツやタマネギなども定番の素材として使用されていた{{R|食卓の情景}}。戦争中の食糧事情が悪い時期に、単価が安く腹持ちのいいキャベツを用いる「お好み焼き」が伝わったこと、また戦後ほどなくキャベツとの相性が良い濃厚ソースが開発されたこともあって、西日本でも徐々に「ネギを散らして焼く洋食」から「キャベツをたっぷりと混ぜて焼くお好み焼き」へと切り替わっていったのではないかと推測される。
鶏卵については大規模養鶏が導入されたのは[[昭和#西暦との対照表|昭和30年代]]であり、戦後しばらくまでは高級食材であった。現在も地域によってはデフォルトの仕様が[[鶏卵|玉子]]なしの店が少なからず存在し、玉子を追加する場合は「豚玉」「いか玉」のようにメインとなる具材の後に「玉」を付けて注文する。
=== 歴史 ===
{{出典の明記|date=2016-07|section=1}}
関西地方においても、戦前は生地を薄く引いた上に具材を重ねて焼き上げるいわゆる「洋食焼き」が主流であった。昭和の初めに東京で生地と具材を混ぜて焼く「お好み焼き」が誕生し、それが遅れて大阪にも伝わった。昭和12年には老舗として知られた「以登屋」が[[北新地]]近くに開店しているが、東京式に客が自分で焼くスタイルで、「[[あんこ巻き]]」のような東京にしか見られないメニューも提供されていたという{{R|神戸とお好み焼き}}。
戦後になり、混ぜ焼きのお好み焼きはそれまでの洋食焼きに代わって関西一円に広まった。終戦直後は「[[代用食]]」としての位置づけでもあったため、子どものおやつや嗜好品であった戦前に比べサイズやボリュームも必然的に大きくなった。お好み焼きは関西の庶民に愛され、街中には多くのお好み焼き屋が商い、独自の味を競うソースメーカーが誕生した。また家庭においても鉄板を特注して楽しむなど、地域に根付いた文化として成熟していった。
大阪がお好み焼きの本場として認知されるようになったのは、1970年代以降のことである{{R|the-kansai-guide}}。これは「[[ぼてぢゅう]]」や「[[千房]]」など有名店の台頭、マヨネーズや山芋を用いるといった独自の進化、[[日本万国博覧会|大阪万博]]による注目度や観光客の急増などによるところが大きいと思われる。また、客が自分で焼く料理として生まれたお好み焼きを、プロの焼き手が焼いて提供するというスタイルに変えたことで「料理」としての付加価値が高まったことも理由のひとつであろう。
なお、混ぜ焼きのお好み焼きが「関西風お好み焼き」と呼ばれるようになったのは、広島風お好み焼きがマスコミに紹介されて以降のことである。広島風お好み焼きの店は1980年前後から他地域への進出が始まり、当時すでに全国的に標準となっていた混ぜ焼きのお好み焼きが改めて「関西風」と命名されることとなった。
関西では、格子型に切り分けるのに対し、関東ではピザ風に切り分ける。
=== 調理法 ===
だし汁に小麦粉、そして鶏卵や山芋を混ぜた生地にみじん切りのキャベツを混ぜて焼く、いわゆる「混ぜ焼き」が主流である。ただし東京のように肉などを混ぜ込むことはあまりなく、メインとなる具材は上に載せたり、あるいは別に炒めて載せることが多い。また昔ながらの「重ね焼き」や、千切りキャベツと生地を混ぜるのみであとは重ねて焼く地域なども点在しており、必ずしも関西では混ぜ焼きがすべてというわけではない。
==== 基本的な作り方 ====
{{cookbook}}
{{main|[[:b:料理本/お好み焼き]]}}
=== ソース ===
[[とんかつソース]]が発明される1948年以前は、粘度の低い[[ウスターソース]](中濃ソース・とんかつソースなどを含むウスターソース類の総称ではなく、狭義のウスターソース。以下同じ)、あるいは醤油が使われていた。現在はお好み焼き用に調整された粘度が高く甘みの強いソースが主に用いられるが、神戸市のように[[どろソース]]と呼ばれる非常に辛いソースが使用される地域もある。
近畿地方、特に兵庫や大阪では各地に独特の「地ソース」が多数存在しており、お好み焼き専門店では、業務用として卸されるこれらのソースをブレンドして独自の味を作り出している。
<!--ツヤと粘度があり、各種野菜や[[ナツメヤシ]]等を原材料とした、甘みと辛味の加減が程良いソースが用いられる。1990年代までには-->
また今日では、[[オリバーソース|オリバー]]、[[イカリソース|イカリ]]、[[カゴメ]]、[[オタフクソース|オタフク]]、[[ブルドックソース|ブルドック]]といった大手のみならず、中小メーカーからも風味の異なるお好み焼き専用ソースが何種類も発売されている。近畿地方では街のどこのスーパーにもお好み焼きソースが十数種類陳列されているほどで、個々人のソースへのこだわりの深さを感じさせられる。
==== マヨネーズ ====
最初に使用したのは大阪市の「[[ぼてぢゅう]]」で、昭和28年のことである<ref>[http://www.botejyu.co.jp/group/tips/mayo.html ぼてぢゅう豆知識:お好み焼きにマヨネーズ]</ref>。昭和40年代から大阪を中心に普及し、後に全国的に広く使われるようになった。
同じ関西でも大阪と神戸ではマヨネーズに対する嗜好に違いがある。現在の大阪では、どの店でもマヨネーズがかけられて提供されるのに対し、神戸ではマヨネーズを置かない店も少なくなく、置いていても注文がなければ出さない店が多い。全国的に、大阪風の混ぜ焼きお好み焼きを提供する店ではマヨネーズが使用されることが多い。店によっては[[マスタード]]や[[トマトケチャップ]]を少量加えることもある。マヨネーズが嫌いな場合は、 「マヨネーズ抜き」で注文することができる。
<!--
お好み焼きの表面に、ソースとマヨネーズを同時に混ぜ合わせながら塗る(この時、マスタードを少量混ぜ合わせる店もある)のが従来のマヨネーズの塗り方であり、古くから営まれているお好み焼き屋のほとんどが、この方法で提供している。一方、新しいスタイルの店では、ソースがあらかじめ塗られたお好み焼きの上に、細いノズルのついた容器でマヨネーズを噴射して模様やデザインを描いたり、パフォーマンスとして離れた位置からかけたりする所もある。-->
=== モダン焼き ===
[[画像:Modern-yaki モダン焼き DSCF3092.jpg|250px|thumb|モダン焼き]]
モダン焼き(「そばのせ」とも言う)とは、茹でた(あるいは蒸した)中華麺を、お好み焼きの具材として重ねて焼いたものである。中華麺をそのまま載せるか鉄板で焼くか、麺に味付けを行うか行わないかなど、店によってレシピは様々である。ベースとなるお好み焼きも店や地域によって混ぜ焼きの場合と乗せ焼きの場合があり、後者は広島風お好み焼きとほとんど同じものとなる。
中華麺の代わりにうどんを用いる場合もあり、「うどんモダン」や「うどんのせ」と呼ばれる。
広島風お好み焼きと同じく「乗せ焼き」の発想から生まれたメニューであり、[[1950年]]([[昭和]]25年)に『志ば多』(神戸市)で考案されたという説が有力である<ref>[http://www.homemate-research-okonomiyaki.com/useful/21309_okono_009/ モダン焼き ホームメイトお好み焼き屋リサーチ]</ref>。同店では、当初はそばではなくうどんを使用しており、現在もうどんモダンが名物となっている。<!--入れる具材によってバリエーションも少なからずあるが、卵を上面にのせ焼いたものを特に「月見モダン」と称す。-->
また大阪の「ぼてぢゅう」も同社が発祥と主張しており、高度経済成長期に同社が売り出した「もりだくさん焼き」が略されて「もだん焼き」になり、後付けでモダン=近代的の意味が付与されたとしている<ref>[https://rocketnews24.com/2023/08/24/1965834/ ロケットニュース24]</ref>。
=== サービススタイル ===
関西のお好み焼き屋では、焼き始めから最後の青海苔や削り節等のトッピングまで全ての調理工程を店員が行うスタイルが一般的である。焼き上がったお好み焼きは、俗に「ちりとり」と呼ばれる大型の起し金で各人の席に運ばれる。過去には関西も客が自分で焼く「客焼き」の店が主流であったが、店焼きに変わったのは「大阪人は合理的で店の人に焼いてもらったほうが早くて時間の節約になるから」という説がある<ref name="column4">[http://www.okonomiyaki.to/column4.html 第4回 店焼き客焼き] - お好み焼きネット.2016年11月20日閲覧.</ref>。
一方、「お好み焼き」の元祖である東京では、椀やカップに入った生の具材と生地を提供し、客が自分でかき混ぜて焼き上げるセルフサービスが標準である。このスタイルの店は、お好み焼きがあまり一般的ではない地方都市にも多い。大阪も昔はこの形式が少なくなかったが、現在は創業の古い老舗店と関東発祥のチェーン店以外ではほとんどみられない。
=== 食べ方 ===
お好み焼きを米飯のおかずと考えている人は全国では2割だが、大阪では半数近くと他を圧倒しているという調査結果がある<ref>[http://www.nisshin.com/company/release/details/090917_100910.html 全国7都市の主婦1000名に聞く『お好み焼き・たこ焼きに関する意識と実態調査』」] 日清フーズ株式会社 2009年9月17日</ref>。また、関西のお好み焼き屋、定食屋には米飯を添える「お好み焼き定食」を出す店舗が存在する。
関西地方では、コテ(方言でテコとも言う。正式名称は「起し金」)でお好み焼きを食べやすい大きさに少しずつ切り、直接コテに載せて食べる。あらかじめ切り分ける場合は格子状に四角く切るのが普通で、関東地方でよく見られるような放射状に切ることはない。<!--それ以外の地方では、お好み焼きを切り分けて皿に取り、箸を使って食べる事が多い。--><!--広島など他地方でもコテで食べることは一般的。関西に限った風習ではない。-->
== お好み焼き(広島) ==
{{独自研究|section=1|date=2010-01}}
[[画像:Preparation of okonomiyaki in shimo kitazawa 02.JPG|250px|thumb|[[鉄板]]で調理中のお好み焼き]]
[[画像:広島風お好み焼き.jpg|250px|thumb|広島お好み焼き]]
[[画像:Hiroshimayaki-henkutsuya.jpg|250px|thumb|ひっくり返す前の状態。奥には大量のキャベツが準備されている。広島市中区新天地]]
{{Anchors|広島風お好み焼き}}
=== 特徴 ===
お好み焼きは「大阪風」と「広島風」の2つに大別される{{Refnest|group="出典"|{{R|the-kansai-guide|moj|np1|otafuku|カカクコム|nhk|shuchi|j-town|tenjinsite|名古屋風}}}}。その違いを「大阪風(関西風)」は、"混ぜ焼き"、「広島風」は"重ね焼き"あるいは"乗せ焼き"と表現されることが多い{{Refnest|group="出典"|{{R|the-kansai-guide|moj|np1|otafuku|nhk|j-town|GOB|mainichi-kotoba|niigatanp|kansaihiroshima}}}}。広島のお好み焼きは、小麦粉を水で溶いたものを薄く伸ばして焼いた生地の上に野菜や肉といった具を重ねてひっくり返し、生地で[[蓋|フタ]]をして「蒸し焼き」にするのを特徴とする{{Refnest|group="出典"|{{R|moj|np1|otafuku|j-town|GOB|kitty|gac_nta|journal1|みっちゃん|statistic}}}}。生地そのものを食べる関西のものと違い{{R|GOB}}、広島の生地は[[脇役]]的存在{{R|GOB}}。具材を蒸し上げるために[[蒸気]]を閉じ込めるためのフタとしての役割が大きい{{R|GOB}}。このため、具と小麦粉で出来た生地を混ぜて作る"混ぜ焼き"とは全く異なる[[形状]]、及び[[食感]]となる{{Refnest|group="出典"|{{R|moj|カカクコム|tenjinsite|GOB}}}}。同様の調理法の「お好み焼き」を供する地域は広島以外にも存在するが、[[中華麺]]を加えることが多い点と、具材として[[もやし]]を用いること{{R|rbbtoday}}、これらを含めた全ての食材が[[地層|層]]状に構築されるという点が決定的な[[オリジナル#オリジナリティ|オリジナリティ]]となっており、他の地域のスタイルと区別される{{Refnest|group="出典"|{{R|moj|np1|カカクコム|みっちゃん|hosoi|gac_nta}}}}。関西では「お好み焼はおかず」と言われることもあるが、広島のお好み焼はそばやうどんが入っているため、それ自体で満腹となる[[主食]]として成立し{{R|statistic}}、一緒にご飯を食べることはあまりない{{Refnest|group="出典"|{{R|GOB|statistic}}}}。当然、広島のお好み焼店にはご飯は置いてない。また他県の人には驚かれることも多いが、夜も勿論食べるが<ref>{{Cite web|和書|url=https://newsdig.tbs.co.jp/articles/-/867024?page=4 |date=2023–11–30 |title=生まれた時から「OK Baby」 全国から永ちゃんファン集結!止まらない“矢沢愛” 「主人を生き返させてくれた」 広島が誇るロックスター矢沢永吉さんコンサートで |author= |website=[[TBS NEWS DIG]] |publisher=[[ジャパン・ニュース・ネットワーク]] |accessdate=2023年12月9日 |archiveurl=https://megalodon.jp/2023-1209-0614-44/https://newsdig.tbs.co.jp:443/articles/-/867024?page=4 |archivedate=2023年12月9日 }}</ref>、広島のお好み焼は[[昼食]]のイメージが強い{{R|statistic}}。
=== 歴史 ===
戦前に子供のおやつであった「一銭洋食」が原型である{{Refnest|group="出典"|{{R|moj|np1|otafuku|GOB|journal1|みっちゃん|カカクコム|gourmetinfo}}}}。鉄板の上で簡単に作れる広島のお好み焼きは、[[広島市への原子爆弾投下|原爆]]で焼け野原となった広島の復興を象徴する[[食文化#日本の食文化|食文化]]として独自の発展を遂げた{{Refnest|group="出典"|{{R|moj|np1|otafuku|GOB|journal1|カカクコム|gac_nta|香川大学|notechugokunp}}}}。広島でお好み焼きが発展したのは、広島は[[重工業]]が盛んで、[[鉄]]を扱う工場が多く{{Refnest|group="出典"|{{R|moj|otafuku|journal1}}}}、鉄板が[[庶民]]の手に入りやすかったこと{{Refnest|group="出典"|{{R|moj|np1|otafuku|みっちゃん}}}}、[[戦後#第二次世界大戦後|戦後]]に[[アメリカ合衆国|アメリカ]]から小麦粉を大量に押しつけられた[[日本国とアメリカ合衆国との間の相互防衛援助協定#内政への影響|MSA協定]]も関係があるという見方もある{{Refnest|group="出典"|{{R|np1|journal1|chan}}}}。広島市中心部の[[新天地 (広島市)|新天地]]エリアを中心に、夕食やお酒を飲んだ後に立ち寄るお客で[[屋台]]が賑わい、これが集合して[[お好み村]]となり{{Refnest|group="出典"|{{R|np1|GOB|journal1|カカクコム|香川大学|chan|okonomimura|朝日991031}}}}、また広島の町のあちこちに自宅の一部を改装した小さなお好み焼き店が生まれた{{Refnest|group="出典"|{{R|np1|GOB|journal1|香川大学|chan|okonomimura|朝日991031}}}}。
[[1975年]](昭和50年)には[[山陽新幹線]]が広島県内にも延伸開業し、[[広島東洋カープ|広島カープ]]が初優勝した。この頃から[[旅行ガイドブック]]などにも掲載されるようになり{{Refnest|group="出典"|{{R|np1|otafuku|GOB|journal1}}}}、[[西城秀樹]]や[[島田洋七]]など、広島出身者らが[[マスメディア]]で広島のお好み焼を紹介したり{{Refnest|group="出典"|{{R|journal2|celebrity}}}}{{efn|西城は[[原宿]][[竹下通り]]の[[明治通り (東京都)|明治通り]]側の角地にあったパレフランスビル(現在の[[神宮前タワービルディング]])地下1Fで広島お好み焼き店「もみじハウス」を経営し{{R|journal2|celebrity}}、洋七は[[渋谷]][[109 (商業施設)|109]]の真向かいや{{R|journal2}}、[[新宿]]など<ref>[https://weekly-jitsuwa.jp/archives/87776 新幹線内に充満するニンニク臭~島田洋七『お笑い“がばい”交遊録』]</ref>、[[東京都区部|都内]]に広島お好み焼き店「洋ちゃん」(渋谷店は1986年4月に経営が変わり「ばんばん横丁」)を数店舗経営していた{{R|journal2}}。また現役時代の[[長嶋茂雄]]、[[王貞治]]、[[堀内恒夫]]ら[[読売ジャイアンツ]]の選手は、当時の広島遠征時の宿舎「世羅別館」の近所だった木造トタン屋根時代の「お好み村」から試合後に[[出前]]を取るのを楽しみにしていたという<ref>{{Cite news |author = 近藤義之 |authorlink = 近藤義之 |title = 【思うまま】 いつも豪華メシでは |date = 2005年12月17日 |newspaper = [[産経新聞]] |publisher = [[産業経済新聞社]] |page = 東京朝刊朝運動1頁 }}</ref>。その「お好み村」の斜め向かいの「へんくつや」は、[[阪神タイガース]]の広島遠征時の[[御用達]]として有名で{{Refnest|group="出典"|{{R|journal2|へんくつや}}}}、この店の味に感動した[[掛布雅之]]は大阪に広島お好み焼き店を出店した<ref>{{Cite news|url=https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2011/07/28/kiji/K20110728001299340.html |date=2011–07–28 |title=お好み焼きスポーツ用品販売 掛布雅之氏オーナーの会社倒産 負債4億円 |newspaper=[[スポーツニッポン]] |publisher=スポーツニッポン新聞社 |accessdate=2023年6月27日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20120703070548/https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2011/07/28/kiji/K20110728001299340.html |archivedate=2012年7月7日 }}</ref>。}}、[[1980年代]]に[[修学旅行]]向けのガイド本で紹介されたりし{{R|np1}}、80年代までは広島県民しか知らない[[地方]]のマイナーグルメは{{R|spa0606}}、全国的にその名が広まっていった{{Refnest|group="出典"|{{R|moj|np1|j-town|GOB|gourmetinfo|spa0606}}}}。[[1970年代]]までは大手新聞や雑誌メディアに広島のお好み焼きを取り上げた記事はあまり見られないが、[[1980年代]]からは急増している{{Refnest|group="出典"|{{R|journal2|np2}}}}。『[[週刊ポスト]]』1984年2月28日号のお好み焼き特集では、お好み焼きの三大派閥として「広島/関東/関西」を取り上げ{{R|np2}}、『[[週刊読売]]』1986年6月8日号では、「東京もんじゃ焼きvs広島お好み焼」と題してこの二大対決を12頁にも亘って紹介している{{R|journal2}}。この記事では都内の「広島風お好み焼き店」として12店が紹介されており{{R|journal2}}、「広島風お好み焼き店」は[[有名人]]の来店が多いと書かれており、ビッグネームが列挙されている{{R|journal2}}。[[竹下通り|原宿竹下通り]]にあった「もみじハウス」店長は「[[歌手]]や[[タレント]]が広島に[[演奏会|コンサート]]や[[演劇|舞台]]の仕事で訪れ、本場のお好み焼きの虜となり、東京の広島風のお店に来るのではないか」と述べていた{{R|journal2}}。[[NHK広島放送局]]の制作で1986年8月6日に全国放送された『ふたたびの街』は、原爆の被害から免れた広島市の[[段原]]でお好み焼き店を経営する家族の物語で、[[重森孝子]]脚本・渡辺紘史演出、[[大滝秀治]]・[[井川比佐志]]・[[宮本信子]]らの出演だった{{R|np2}}。広島風お好み焼きを取り上げた『[[朝日新聞]]』1987年4月23日付に「広島カープの本拠地広島の名物のひとつ、お好み焼き。野菜がたっぷり、太らず健康にいいとかで、今や全国的に知られている」と書かれている{{R|np2}}。近年では「[[ご当地グルメ]]の代表格」ともいわれ{{Refnest|group="出典"|{{R|journal1|rbbtoday|spa0606|bgrade}}}}、「関西風」の"混ぜ焼き"と「広島風」の"重ね焼き"の2つによってお好み焼きは「[[国民食]]」と呼ばれるほどの人気となった{{R|nbs180517}}。
[[2006年]]現在、広島市だけで800軒以上(1992年[[中国新聞]]調べからの推定)、広島県内には1,700軒以上あるといわれる(総務省統計局、平成21年経済センサスより{{R|otafuku}})。店舗数では全国3位、人口あたりの店舗数では日本一といわれ{{Refnest|group="出典"|{{R|moj|otafuku|np1|j-town|GOB|diamond}}}}、[[コンビニエンスストア]]より多いともいわれる{{R|chan}}。その県のコンビニ・[[スーパーマーケット|スーパー]]でしか売っていない「ちょっと珍しい商品」としては、広島の場合は"お好み焼と[[盆燈籠]]"が挙げられる{{R|kenminseiSP}}。広島市内には[[徒歩所要時間|徒歩]]5分圏内に10軒はあるという説もある{{R|kenminseiSP}}。2023年5月に[[広島市]]で開催された[[第49回先進国首脳会議|G7広島サミット]]では、同市を選挙区とする[[岸田文雄]][[内閣総理大臣|首相]]の推しもあり{{R|appeal}}、「お好み焼きは広島」を世界にアピールした{{Refnest|group="出典"|{{R|spa0606|appeal}}}}。
1950年ごろに発生した屋台街([[1967年]][[お好み村]]になる{{Refnest|group="出典"|{{R|np1|GOB|hosoi|appeal|anaお好み村}}}})で開業した、[[みっちゃん]]の井畝井三男と'''善さん'''の中村善二郎が広島風お好み焼きの元祖と言われている{{Refnest|group="出典"|{{R|journal1|みっちゃん|gourmetinfo|炎の鉄板}}}}。その他、初期のお好み焼きの屋台の流れをくむ店は「'''麗ちゃん'''」{{R|gac_nta}}、「'''へんくつや'''」などがある。1950年当時のお好み焼きは[[ねぎ焼き]]に近い物であった。
戦争や原爆で夫を亡くした女性が自宅の土間を改造して店を始めた例も多く「〇〇ちゃん」という[[屋号]]が多いのはその名残りである{{Refnest|group="出典"|{{R|otafuku|shuchi|GOB|journal1|chan|朝日991031}}}}。戦地から帰還した家族が見つけやすいようにという理由もあったとされる{{R|chan}}。また、1963年に中国地方を襲った[[昭和38年1月豪雪]]で、中国山地の農村から一家で離村し、[[高度経済成長]]期の広島市に移住した農家の主婦が住宅地に開業した例も多い{{R|朝日991031}}。現在も町の小さなお店に、老婦人やその家族が焼く小規模な店舗が残るのは、こうした理由もある。
石丸紀興[[広島大学]]工学部教授は「戦後復興のエネルギーとなったお好み村のような屋台の系譜と、原爆で夫を亡くすなどした妻たちが、自宅の軒先で始めた子供相手のお好み焼き店がどの町でもあちこちにでき、広島市民はお好み焼きに馴染むようになった。この2つがあったことで、広島風お好み焼きは一気に普及した。[[プロパンガス]]や厚い鉄板の普及により、独特の重ね焼きが可能になった。地場のソースメーカーが店と協力して、甘味があり、こってりとした専用ソースを開発したことも大きかった」と論じている{{R|朝日991031}}。広島に於けるお好み焼き店は小規模で、大手資本もほとんどない{{R|香川大学}}。言い換えれば、広島に於けるお好み焼きは小規模経営で、庶民の味となっており、地元の食文化として定着している{{R|香川大学}}。
矢野新一は「広島県人は新しいものに敏感で、全国販売に先駆けての[[テスト・マーケティング|テストマーケット]]になることが多い。だから"広島お好み焼き"が誕生したときも、すんなり受け入れられたのではないか」と論じている{{R|kenminseiSP}}。
1960年代ごろまでは、家から卵や肉をお店に持っていって入れてもらうことができた。現在は肉や卵(合わせて肉玉と呼ぶ)は当たり前に置かれているが、昔は野菜とそばだけ、あるいは野菜だけを頼むことも珍しくなく、この頃の野菜だけで作られたお好み焼きの値段は250円程度だった。まだプラスチック製や発泡スチロール製のトレーが普及していなかったため、持ち帰りの場合は各家庭から平皿を持っていってお好み焼きを載せてもらったり、新聞紙にくるんでいた{{R|gourmetinfo}}。もう少し時代が下ると、ラップで包んで持ち帰っていた。
; 焼き方
: 広島風お好み焼きの焼き方は、昔から今まで一貫して生地と具材を混ぜずに焼く'''「重ね焼き」'''である。当初は、肉が入っていない野菜の重ね焼きで{{R|hosoi}}、二つ折りにして新聞紙にくるんで提供されていた{{R|hosoi}}。キャベツや揚げ玉などが入れられていたが、この頃はまだ、そば等の麺は入れられていなかった{{R|hosoi}}。この[[クレープ]]のような生地に、焼きそばやうどんと卵焼きを二つ折りにして挟むというスタイルは現在でも[[呉市|呉]]地方を中心に残っており「呉焼き」とも呼ばれている{{Refnest|group="出典"|{{R|GOB|htv090616|takozen}}}}。円盤状のものに比べて場所をとらないため、スーパーマーケットやコンビニエンスストアの惣菜の一つとしてもよく売られており、また片手で食べることも可能になるので、祭りなどの露店ではこのスタイルで売られることもある。
; 使用する食材
: 最初は地元産の[[観音ネギ]]を混ぜて一緒に焼いたものが主流であったが{{Refnest|group="出典"|{{R|np1|shuchi|nbs180517|chugoku231012}}}}(現在も使う店もある){{R|hiroki}}、戦後悪化した食料事情により、季節により供給量が左右されるネギよりも、単価が安く年間通して手に入りやすいキャベツに変えた(もやしは後年入れられる事になる){{Refnest|group="出典"|{{R|shuchi|hosoi}}}}。「お好み焼」と「焼きそば」はある時期まで別々のメニューだったが{{R|みっちゃん}}、ある日、『みっちゃん』で焼きそばの上にお好み焼を乗せて食べてみた客が、とても美味しく満腹感もあり、それを見た別のお客も欲しがった{{R|みっちゃん}}。2つをドッキングすることで、別々に注文するより安くつくというメリットもあり、こうして今の麺類を入れるお好み焼の原型が誕生した{{Refnest|group="出典"|{{R|みっちゃん|hosoi}}}}。当時はアメリカから大量に小麦粉が届けられた一方で、米はまだ貴重で、お好み焼は主食に変化していった。
: 具材が多くなったため、二つ折りが難しくなり、円盤状のままで出すようになった{{Refnest|group="出典"|{{R|np1|みっちゃん|hosoi|chugoku231012}}}}。こうして、1955年ごろには現在の広島風お好み焼きになった。このように、現在のような広島風お好み焼きの完成形がある日突然できたわけではない{{R|chugoku231012}}。当初は屋台営業の為、他店の[[レシピ]]や調理技術が盗み易く、各店が互いに影響を与え合いながら現在の形へと進化させていった。
; ソースの変化
: 広島風お好み焼きも、当初は'''ウスターソース'''を使っていた<ref name="みっちゃん"/>。多くなった具に対応するために、そばを焼そばのようにソースで味付け、さらに表面にも塗っていた時期もあった。しかし、さらさらのウスターソースではお好み焼にしみ込んでしまう欠点があり、ウスターソースに片栗粉を入れてとろみのあるソースを作って欲しいというオーダーにソースメーカーが応えて、濃厚なソースを使うようになった{{Refnest|group="出典"|{{R|moj|journal1|みっちゃん}}}}。
: その後、広島風お好み焼きの生地や具材に合うように甘味や酸味を持たせたり、液体のソース製造時の沈殿液を使うなどの改良がなされた。こうして誕生したお好み焼き用の濃厚ソースを'''「お好みソース」'''と呼ぶようになったが、小さな工場では昔ながらの製法で作っている所もある。広島県内のみならず、全国でも[[オタフクソース]]が高いシェアを誇っている。
=== 呼称 ===
広島地方においては、広島風のお好み焼きのことは単に「お好み焼き」あるいは「お好み」と呼ぶ{{Refnest|group="出典"|{{R|GOB|fukupon}}}}。ただし、[[三原市|広島県三原市]]では、旧来の麺無しをベースとして「お好み焼き」と呼び、中華麺またはうどん入りを「モダン焼き」と呼んでいる。名前については、当初は決まった名前はなかった。好きな具材を入れていく事で「'''好み焼き'''」と呼ばれていたが、この名称では良くないのではとなり、接頭語として'''お'''を付けて'''お好み焼き'''になったらしい。自然発生的に「お好み焼き」という名前が現れ、それが一般に定着して今に至っている{{R|chugokuO403010601}}。
<!--「お好み焼き」は、客が自分で好きなように焼くという意味で戦前の東京で生まれた言葉だが、提供方法や焼き方は異なるもの同種の料理であるため、その名前だけを拝借したと考えられる。これは広島と同様に戦前からの「重ね焼き」の手法が残されている神戸や名古屋などにおいても同様である。 → 出典無し、独自研究。ノートで出典を求めているが提示無し。-->
広島県外では「広島風お好み焼き」の他に{{R|mainichi-kotoba}}、特に関西においては「'''広島焼き'''」とも呼ばれる{{Refnest|group="出典"|{{R|notechugokunp|yomitv|cyzowoman230908|kobe230918|hankei500|dontcallitmystery}}}}。1970年代に[[マスメディア]]によって広島のお好み焼きが"発見"され{{R|journal1}}、「関西風」「広島風」という名称が両者を区別するために用いられ{{Refnest|group="出典"|{{R|np1|journal1|journal2}}}}、これに伴い「広島焼き」と呼び方も生まれた{{Refnest|group="出典"|{{R|np1|journal1|journal2}}}}。広島焼きという呼称を正式に採用したのは、記録のある限りでは[[1983年]]に[[東京]][[下北沢]]に開業して2023年も当地で営業を続ける広島出身者の経営「広島焼きHIROKI」{{R|hiroki}}が最古である{{efn|2023年6月現在は同店も「広島のお好み焼」と看板を掲げている<ref>[https://www.youtube.com/watch?v=zwN8ebwmRVc 【期間限定】第9話 世田谷区下北沢の広島風お好み焼き 孤独のグルメ Season1 松重豊 異色のグルメコミックを松重豊主演で実写ドラマ化!【公式】]</ref>。}}。[[東京都区部|都内]]初の広島スタイルのお好み焼き店といわれた{{R|journal2}}[[1975年]]4月創業の[[千駄ヶ谷]]「お多福」は{{Refnest|group="出典"|{{R|journal1|yoyogi}}}}、店の看板に「ひろしま風」と掲げていた{{R|journal1}}。東京出身の[[随筆家|エッセイスト]]・[[如月小春]]が『[[宝石 (雑誌)|宝石]]』で「大学四年のときに初めて食べた広島風のお好み焼きがマズかった」と書いていることから<ref>{{Cite journal |和書 |author=如月小春 |authorlink=如月小春 |title=十人十食 学生街のお好み焼き |journal=[[宝石 (雑誌)|宝石]] |issue=1995年2月号 |publisher = [[光文社]] |page=324頁 }}</ref>、1970年代後半には広島スタイルのお好み焼きを提供する店が都内にあったことが分かる。[[1990年代]]初めに県外で広島のお好み焼きを出す店が増えて看板に「広島風」が使われ始めた{{R|fnn231011}}。その際オタフクソースとしては「広島流」と呼んでいた{{R|fnn231011}}。2008年に社内で呼び方を統一し、広島のお好み焼きを「広島お好み焼き」関西のお好み焼きを「お好み焼き」と呼び分けるようになったという{{R|fnn231011}}。但し、広島県民はそんなことはどうでもよく、「広島焼き」の呼称を嫌う傾向があり{{Refnest|group="出典"|{{R|j-town|kitty|journal1|notechugokunp|yomitv|cyzowoman230908|kobe230918|fnn231011|claim}}}}、広島ではケンカの火種になる言い方であるという{{Refnest|group="出典"|{{R|mainichi-kotoba|notechugokunp|spa0606|yomitv|cyzowoman230908|kobe230918|fnn231011|claim|okonomi-hiroshima}}}}。2016年9月20日に[[NHK総合テレビジョン|NHK総合テレビ]]で放送された『[[サラメシ]]』の広島特集の中で、「広島風お好み焼き」に「広島焼き」と[[テロップ]]をつけたところ、広島県民から「そんな食べ物はない!」などと批判が相次いだため、2日後の再放送ではテロップが「お好み焼き」へと修正された{{Refnest|group="出典"|{{R|カカクコム|spa0606|okonomi-hiroshima|livedoornews161117}}}}。広島で公演をする[[音楽家#音楽家に関係する呼称|アーティスト]]の[[楽屋]]には「MCにおける注意事項」として「広島風のお好み焼を『広島焼き』と呼ぶことは絶対におやめください」と注意書きがあるといわれる{{R|livemc}}。広島の「お好み焼」は、「広島風」でも「広島焼き」でもなく、「お好み焼」だと主張する者もいる{{R|GOB}}。1980年代はまだ地方のマイナーな存在だった広島のお好み焼きが全国進出する際に「広島焼き」「広島風お好み焼き」という二つの呼称が発生し{{R|spa0606}}、この呼称の生みの親は広島県人自身とする見方もある{{R|spa0606}}。全国的に有名になったら今度は「広島焼き」という呼称に怒り始めたという意見もある{{R|spa0606}}。
「広島焼き」の呼称が嫌われる理由には諸説あるが、有名なものに「お好み焼きを作っているのだから名称は『お好み焼き』であり、わざわざ「広島」と地名を付けて強調する必要が無い」、戦中や戦後直後の悲劇を知る高齢者を中心に「『広島焼き』は、その言葉の響きから[[広島市への原子爆弾投下|原爆投下]]で焼けた広島を想起させる」と諸説ある{{Refnest|group="出典"|{{R|mainichi-kotoba|notechugokunp|spa0606}}}}。「お好み焼き」だと地名がわからないが、「広島焼き」「大阪焼き」と分けた方が直接のアピールになるのではという意見もある{{R|appeal}}。
=== 調理法 ===
==== 基本的な作り方====
{{cookbook}}
{{main|[[:b:料理本/お好み焼き#広島]]}}
# 水で溶いた小麦粉を円形に薄く伸ばして生地を焼く。
# 生地の上に[[魚粉]]、キャベツ、その上に肉とその他のトッピングや[[天かす]]等を乗せ、つなぎとして少量の小麦粉を垂らしてひっくり返し、生地を蓋として具材を蒸し焼きにする。
# 生地を上にしたまま、炒めた中華麺(またはうどん)に乗せる。
# 卵を割って円形に伸ばし、その上に生地を上にしたまま本体を乗せる。(黄身は割るが伸ばすだけ)
# ひっくり返して卵の面を上にし、ソース、[[青海苔]]等をかけて完成。
==== 主な材料 ====
;基本の材料
*[[小麦粉]]・水(小麦粉の代わりに[[山芋]]{{要曖昧さ回避|date=2023年4月}}をすりおろしたものを使用することも可能であり、こだわりのお店では山芋を使用することもあるが、一般には小麦粉を使用する)
*[[鶏卵]]
*[[中華麺]]または[[うどん]]
*[[豚肉]](バラ肉等のスライス)。豚肉の代わりに[[牛肉]]、ひき肉、[[ホルモン焼き]]などもある。
*野菜 - [[キャベツ]]、[[モヤシ|もやし]]、[[ネギ]]等
*[[とろろ昆布]](店舗に依る)
;主なトッピング
広島のお好み焼きには、定番の具材がある。今日、[[トッピング]]と表現されるものは、広島(市)民にとっては世代によって捉え方が違う。自宅から卵や皿を持って行った高齢者にとっては、その卵やそば・うどんもトッピングといえる。ただ「肉玉そば (うどん)」「そば (うどん) 肉玉」が定着して以降にトッピングのイメージがあったのはイカ天だけである{{Refnest|group="出典"|{{R|イカ天|googleonomichi}}}}。中心部から外れた店舗では基本食材以外で必ず置かれていたのはイカ天だけだった。以降、店舗によって、[[観音ネギ]]を増量したり、[[餅|もち]]や[[キムチ]]、[[チーズ]]、[[イカ|生イカ]]、[[エビ]]などをトッピングとして置くようになった。今日でも中心部から外れた店舗ではイカ天しか置いてないところも多い。
* その他、[[カキ (貝)|カキ]]、[[トウモロコシ|コーン]]、[[牛すじ]](県東部限定)、[[タコ]]、[[ベーコン]]、[[鶏肉]]、[[キノコ#食物としてのキノコ|きのこ]]など。チーズやネギはキャベツと混ぜて使用することもある。
;主な調味料等
*[[ソース (調味料)|ソース]]([[特濃ソース]])、[[マヨネーズ]]、[[紅生姜]]、カツオの粉([[魚粉]])、[[鰹節]]、[[サクラエビ|桜えび]]、[[青海苔]]、[[天かす]]、[[とろろ昆布]]など<ref>[https://www.youtube.com/watch?v=nKW75j9or-k 【お好み焼き・もんじゃまとめ】広島のお好み焼き 本場の味を東京で / だしがきいた絶品お好み焼き&チーズたっぷりもんじゃ など――グルメニュー] – 日テレNEWS</ref>。
*調理の際には[[植物油]]または[[ラード]]を使用する。
==== 麺 ====
関西風は基本的には麺は入れないが{{R|kansaihiroshima}}、広島では麺を入れる形が一般的{{R|kansaihiroshima}}。広島ではそば(中華麺)が主流で、[[中国新聞]]の2023年10月の統計では約80%がそば派{{R|chugoku231012}}。うどん派は18%{{R|chugoku231012}}。うどんよりそばが主流になった理由についてはよくわかっていない{{R|chugoku231012}}。お好み焼きに使用される麺は中華麺で、多くはお好み焼き用に製麺されたものが使用されることが多いが、[[焼きそば]]用の麺が使用されている店もある。店舗によって寸胴で茹でてから鉄板に出す「生麺」、予め茹でてある「ゆで麺」、蒸してある「蒸し麺」の3種類のうち一種類が使用される。3種類の中では生麺が比較的人気で、お好み広場やお好み村の店舗やガイドブック等に掲載されているような店舗では生麺が使用されることが多い。しかし、生麺を焼く時に使用するラードのカロリーを気にしたり、調理時間を短縮するため、人気店でもゆで麺や蒸し麺を使う場合もある<ref>[http://www.okoken.net/index.html おこけん] 各店において使用している麺を統計</ref>。中華麺に代わるバリエーションとして[[うどん]]があり{{R|np1}}、うどんは中華麺がない時などに、古くから代用されてきた。近年ではうどん入りも人気を高めている{{R|dontcallitmystery}}。[[蕎麦]]や[[パスタ]]を用いる店舗もある。
2010年代ころから以前よりも麺がカリカリになるように、パリッと焼き上げるスタイルが[[トレンド]]になっているといわれる{{R|journal1}}。
==== ソース ====
[[画像:Okonomiyaki sauce by cytech.jpg|250px|thumb|オタフクソース]]
関西風と広島風で味わいが異なるのがソースの味付け{{R|kansaihiroshima}}。関西風のお好み焼きで使うソースは、辛口であることが一般的{{R|kansaihiroshima}}。これに対して広島風のお好み焼きでは、濃厚な甘口のソースが使用される{{Refnest|group="出典"|{{R|moj|kansaihiroshima}}}}。広島の[[土産|お土産]]として甘口ソースを購入する人もいる{{R|kansaihiroshima}}。
[[ソース (調味料)|ソース]]は広島のメーカーである[[オタフクソース]]がお好み焼き専用のソースを製造し、お好み焼き店の開業を積極的に支援していることや広島県内をエリアとする[[民放]]での[[CM]]の効果もあり、多く利用されている{{R|journal1}}。味は若干甘口。それ以外には、[[毛利醸造]]の[[カープソース]](やや辛口)・[[サンフーズ]]の[[ミツワソース]](ヒガシマルソースもある)、[[センナリ]]の[[広島ぢゃけん]]、中間醸造([[三原市]])のテングソースなどのお好み焼きの専用ソースも使用されている{{R|gourmetinfo}}。
多くのお好み焼き店では単一メーカーのソースを使用しており、ソース会社では、納入先のお好み焼き店に自社の名前が入った暖簾を提供している{{Refnest|group="出典"|{{R|gourmetinfo|dailyportalz}}}}。そのため、暖簾にあるメーカー名を見ることで、その店がどのメーカーのソースを使っているか分かることが多い<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.ana.co.jp/travelandlife/article/000193/ |date=2018–05–24 |title=働く人の出張めし〜広島で必ず食べるべきご当地限定グルメ6軒〜 |website= |publisher=[[全日本空輸]] |accessdate=2023年6月12日 }}</ref>。近年では[[幟]](のぼり)を立てている店も多く、より分かりやすくなっている。なお、一部の店では複数のソースを独自にブレンドしたり、前記以外の製造会社にソースを特注したりしている。
また、お好み焼きを食べるときに用いるヘラ (コテ) やお皿、ソース差しなどの道具にも、ソースのメーカー名がついていることがある。特に、多くの小規模な店舗がある広島市内では、ソース会社がお好み焼き店の開業支援をしており、「近所の主婦」が内職で自宅の一部を改装し、安価で店を開くことができた。<!--お好みソースが初めて作られた時期および初めて作った会社については、不明な点が多い。ただ、[[オタフクソース]]、[[サンフーズ]](「ヒガシマルソース」及び「ミツワソース」)、[[カープソース]]のどれかであった可能性は高い。-->
広島県は[[日本酒]]の産地であり、そこから派生して[[酢]]の製造も盛んであった。先述のオタフクなど多くのソースメーカーは酢の醸造会社をルーツに持ち、今もソースと酢の両方を製造している。
広島県民は自宅の冷蔵庫にお好みソースを常備していることが多い{{R|GOB}}。
==== マヨネーズ ====
{{出典の明記|section=1|date=2021-03}}
お好み焼きにマヨネーズをかけるのは元々関西風が発祥で{{Refnest|group="出典"|{{R|kansaihiroshima|gourmetinfo|mayo}}}}、広島のお好み焼きにマヨネーズは使わない{{Refnest|group="出典"|{{R|kansaihiroshima|gourmetinfo|mayo}}}}。[[吉川晃司]]が年齢で約10歳差がある[[猿岩石]]と『[[ミュージックステーション]]』で共演した際、広島のお好み焼きにマヨネーズをかけると話した猿岩石に「マヨネーズの味が強すぎて、本来の味が台無しになる。広島のお好み焼きにマヨネーズをかけたらダメ」と、生放送中に説教したこともあった{{R|mayo}}。吉川は2016年5月15日に放送された『[[関ジャム 完全燃SHOW]]』でも「広島のお好み焼きにマヨネーズをかけてはダメだ」と改めて否定している{{R|mayo}}。一般的にはマヨネーズはかけないが{{Refnest|group="出典"|{{R|gourmetinfo|mayo}}}}、最近では若年層や観光客向けに卓上に置いてあったり、注文すれば提供してくれる店舗もある{{Refnest|group="出典"|{{R|kansaihiroshima|gourmetinfo|mayo}}}}。店側で責任をもってソースを塗るからと、卓上にソースやマヨネーズを置かない店もある{{Refnest|group="出典"|{{R|gourmetinfo|mayo}}}}。
=== 注文方法 ===
広島のお店の注文書([[献立|メニュー]])には「お好み焼き そば (うどん) 肉 玉子」という風に書いてあることもあるが、これを「肉玉そば (うどん) 入り」「そば (うどん) 肉玉」などと注文する{{Refnest|group="出典"|{{R|GOB|chugoku231012|lawson|hfm}}}}。よく分からなかったり、迷ったりしたら「肉玉そば」と注文すれば問題ない{{Refnest|group="出典"|{{R|GOB|hfm}}}}。デフォルトである肉玉そば(うどん)にお好みでトッピングを付加したり、そば(うどん)抜きなどとすることも可能である。おすすめや人気のトッピングの組み合わせは「餅チーズ・肉玉そば(うどん)入り」などとメニューに併記したり、「スペシャル焼き」「○○ちゃん焼き」などと店舗独自の名前を付けていることもある。
そば(うどん)の下に「W」と書いてあることがあるが、これはそば(うどん)を2玉使う「ダブル」という意味である。「ちゃんぽん」または「ミックス」という言葉が使われている地域もあり、そばとうどんを半玉ずつ使用することを意味している。またミックスダブル等の呼び名もありこれはそばとうどんを1玉ずつ使うことを意味している。
広島でも自宅で作ることはあるが{{R|statistic}}、焼き方に技術を要するため、お店で食べるか持ち帰るかが一般的{{R|statistic}}。広島ではお好み焼店に注文し持ち帰って食べる、いわゆる「お持ち帰り」の文化が昭和30年代から定着していた{{R|statistic}}。[[土曜日]]の学校が[[半ドン]]授業だった時代には、学校が終わると友達とお好み焼を食べに行ったり、お店から持ち帰ってお好み焼を食べながらテレビを観たりは、ある年代の広島市民にとっては[[原風景]]であった{{R|statistic}}。さらに旧い世代では新聞紙にくるまれたお好み焼を持ち帰ったら、新聞紙の裏にソースがベッタリも原風景かもしれない。
[[テイクアウト]]、出前、電話予約などを行う店舗も多くある。近年では海外からの観光客のため[[英語]]や[[中国語]]などのメニューを用意している店舗もある。また、[[広島市]]等では、店内での食事ができず、[[原付]]で配達する[[ケータリング]]専門の店舗も存在し、お好み焼きの出前文化が定着している{{R|moj}}。そのため、フードデリバリーサービス[[Wolt]]の日本初進出地に広島市が選ばれた理由の一つに挙げられている<ref>[https://zukan.biz/distribution/wolt-news/ ひろしま企業図鑑 広島から料理宅配事業を拡大 地域に愛されるサービスへ、採用強化]</ref>。
=== 食べ方 ===
典型的な広島風お好み焼きの店は、真ん中に大きな鉄板を擁するテーブルがあり、その周辺にいくつか小さめのテーブルが配置されていることが多い{{R|gourmetinfo}}。客はお好み焼きを作る大きな鉄板の周りに座り、焼かれたお好み焼きを鉄板の上から直接小型のヘラを使って食べるのが基本である{{Refnest|group="出典"|{{R|np1|GOB|dailyportalz}}}}。広島や東京ではヘラと呼ばれることが多いが{{R|nhk}}、大阪ではテコやコテと呼ばれる{{R|nhk}}。歴史的には、昔からある広島のお好み焼き店は自宅を改装したようなところも多く{{R|otafuku}}、小規模なお店が多かった。鉄板の周りにしか席がないような狭い店では、必然的に客は鉄板の上で食べるしかなく、食べている間に冷めるのを防ぎ、最後まで熱々のまま楽しむため、また、[[屋台]]発祥の店では、客に鉄板で食べさせ洗い物やそれに必要な水を減らすという理由や、物が豊かではない時代に割り箸の消費量を減らすという理由もあり、ヘラで食べるようにしたところ、これが功を奏し慣習となったとされている<ref>[https://www.anago-chikuwa.co.jp/blog/2018/10/24/post-10307/ なぜお好み焼きを鉄板とヘラで食べるようになったのか?]</ref>。鉄板上で食べる場合は、お好み焼きをヘラで格子切りにし<ref>[https://www.youtube.com/watch?v=MKZhBhDPTyU 芳根京子、かわいすぎる「おつかれ生です。」の方言にチャレンジ!? アサヒビールショートムービー&WEBムービー「とある酒場に 芳根京子」篇]</ref>、一口二口程度で食べられる大きさをヘラに乗せて口に運ぶ。ピザ切りは広島県民とっては一般的ではない{{R|statistic}}。
大きな鉄板のあるカウンターは店に一つしかないことが多く、鉄板で同時に食べられる人数には限りがある。そのため、店の中には鉄板のない小さいテーブル席も配置されており、その場合は皿に載せられたお好み焼きを箸で食べる。近年では大きな店が増えテーブル席が増えたことや、ヘラで食べるのはコツが必要で観光客や外国人には扱いが難しいこともあり、皿で出す店や、出す前に皿か鉄板を聞く店も多くなった。鉄板で出す場合も小皿や箸を用意し、卓上のソース等をお好みで自由に使えるようになっている店舗が多い。
=== 地域差 ===
{{See also|[[#その他の地域のお好み焼き]]の[[#中国地方]]}}
同じ広島県内であっても、地域によって色々なバリエーションがある{{Refnest|group="出典"|{{R|moj|GOB|journal1|kansaihiroshima|yomitv|hiroshima-kankou|hread|manhole}}}}。これらは定番というものではなく、お好み焼きのメニューの一つとして提供されるものである。特に近年、「ひろしまフードフェスティバル」で「てっぱんグランプリ」を開催して競うこともあり、年々進化しつつある{{R|ntv230817}}。[[毛利元就]]の故郷・[[安芸高田市]]では、[[石丸伸二]][[安芸高田市長|市長]]の[[音頭|音頭取り]]で、地元の食材を使った「あきたかた焼き」を考案した{{R|akitakata}}。[[中国地方|中国]]・[[九州地方]]の一部の県で、[[祭|お祭り]]の[[屋台|露店・屋台]]で見られる[[割り箸]]に巻きつける形で焼いた「はしまき」「箸巻き」「はし巻き」{{Refnest|group="出典"|{{R|statistic|はしまき}}}}の箸を抜いた状態の「広島お好みロール」などもある<ref>[https://food-stadium.com/headline/001196/ まかない生まれで行列もできる鉄板フード“元祖・広島お好みロール”の「art〈アルテ〉」が広島から上陸!下北沢一番街に12月10日オープン!]</ref>。
<!--[[福山市]]など[[岡山県]]境に近い広島県東部 ([[備後国|備後地域]]) では、近畿圏にも近いことから関西風のお好み焼き店が多い。備後地域では関西風のお好み焼きがもともと主流であったところに、後から広島風のお好み焼きが浸透していった。なお、この地域ではお店によって変わった具を入れる所がある。--><!--岡山県を含む備後地域は乗せ焼きが主流の地域です。混ぜ焼きの登場以前から洋食焼きは存在していたので、歴史的経緯から考えても後から広島風が浸透したという記述には疑問が残ります。-->[[府中市 (広島県)|府中市]]は、人口あたりのお好み焼き提供軒数が広島随一ともいわれ{{R|yomitv}}、豚バラ肉の代わりに[[挽肉|ミンチ]]肉や細切れ肉を入れ、これを「[[府中焼き]]」と呼ぶ{{Refnest|group="出典"|{{R|moj|kansaihiroshima|journal1|gac_nta|yomitv|hiroshima-kankou|hread|manhole}}}}。地場産業の[[府中家具|家具]]・[[桐箱]]製造業で働く母親が多く、お好み焼きは子どものおやつや夕食だったため、子どもがお小遣いで食べられるようにと、バラ肉ではなく安い合い挽き肉を使ったのが始まりである。ミンチ肉は細かいため熱を通すとよくダシが出てうま味が増し、脂も多く出て麺がカリッと焼き上がるのが特徴{{R|yomitv}}。府中市民にとっては「自分がミンチだとしたら[[ハンバーグ]]になるより府中焼きの中に入る方が幸せ」という{{R|yomitv}}。また、卵も溶き卵にしたものをソースを塗ったお好み焼きの上からかけて仕上げる方法も存在する。狭い鉄板でたくさん焼けるようにという工夫から、形は楕円形をしている。[[尾道市]]では砂ズリ([[砂肝]])を入れる店がある{{Refnest|group="出典"|{{R|moj|journal1|gac_nta|yomitv|googleonomichi|hiroshima-kankou|manhole|asahi20101021}}}}。「フワ、コリ、サク」「サクッ、ザクッ」などと[[食感]]が良いという{{R|yomitv}}。旧[[因島市]]のお好み焼きは「いんおこ」と呼び{{Refnest|group="出典"|{{R|journal1|hiroshima-kankou|asahi20101021|いんおこ}}}}、うどん入りが主流で、麺を[[カツオ節]]とソースで炒め、[[コンニャク]]・[[のしいか]]・[[かまぼこ]]・[[ちくわ]]を入れる店が多くある{{Refnest|group="出典"|{{R|journal1|hiroshima-kankou|asahi20101021|いんおこ}}}}。[[三原市]]では、[[もつ|モツ]] ([[鶏肉#派生語|鶏のレバーやヒモ]])を入れる店が市内全体(約80店舗)のうち7割でトッピングとして取り扱いがある{{Refnest|group="出典"|{{R|kansaihiroshima|yomitv|hread|manhole|三原焼き}}}}。三原市は養鶏が盛んで{{R|moj}}、鶏肉の生産量は広島県全体の約半数(46%)を占めており、広島県の地域資源にも認定されている。昔から安価で新鮮な鳥モツが容易に手に入れることが可能だったため地域に根付いた{{Refnest|group="出典"|{{R|GOB|journal1|hiroshima-kankou}}}}。また、そばやうどんを入れたお好み焼きを特に「モダン焼き」と呼び分けるが{{Refnest|group="出典"|{{R|GOB|hiroshima-kankou}}}}、これは関西地方独特の呼び方で、広島県内で広島風のお好み焼きを出している地域ではあまり見られない特徴{{R|三原焼き}}。戦前、戦後から三原市の産業基盤を築いていた「帝人」や「三菱」では、当時から関連企業の仕事で関西からの来客も多かったと思われ{{R|三原焼き}}、関西での呼称である「モダン焼」と注文を受けることが多く定着したという見方がされる{{Refnest|group="出典"|{{R|hiroshima-kankou|三原焼き}}}}。[[竹原市]]では、生地に[[酒粕]]と日本酒を練り込んだ「'''竹原焼き'''」を提供する{{Refnest|group="出典"|{{R|GOB|hiroshima-kankou|manhole|tabiiro}}}}。[[呉市]]ではうどんを入れたり、普通に焼いた後、半分に折り半月型にする場合が多いといった特徴がある{{Refnest|group="出典"|{{R|GOB|journal1|yomitv|hiroshima-kankou|hread|kuishinbo}}}}。[[庄原市]]は、広島市から遠い事もあってお好み焼きは馴染みが薄かったが、近年町おこしの一環として、「'''庄原焼き'''」を考案。麺の代わりに庄原産の米を入れてポン酢で仕上げているのが特徴{{Refnest|group="出典"|{{R|moj|kansaihiroshima|hiroshima-kankou|hread|manhole}}}}。
2014年の「第5回てっぱんグランプリ」に出展された地域の産物を使用した最新のご当地お好み焼きは以下の通り<ref>{{Cite web|和書|author=[[第5回てっぱんグランプリ]] |date= |url=https://ameblo.jp/papilin/entry-11944377519.html |title=「広島フードフェスティバルに行ってきました〜」 |publisher= |accessdate=2014-10-27}}</ref>。
# 三原市「'''三原焼き'''」は、三原で人気の鳥モツ入り{{Refnest|group="出典"|{{R|moj|yomitv|hread}}}}。
# 世羅町「'''せらの恵み焼き'''」は、トマト、大葉、チーズ入り{{R|hread}}。
# 神石高原町「'''神石高原焼き'''」は、[[神石牛]]、こんにゃく麺入り、トマトソースを使用。
# 三次市「'''三次唐麺焼き'''」は、ピリからの赤い色麺「唐麺」とカープソースを使用{{R|manhole}}<ref>[https://www.miyoshi-dmo.jp/okonomiyaki-fuku/ 【三次市吉舎町】お好み焼 福 / お好み焼きの“指導者”が郷里でかなえた夢]</ref>。
# 呉市「'''呉焼き'''」は、細うどんを使用し卵でとじて半月状に折る{{Refnest|group="出典"|{{R|moj|yomitv|hread|kuishinbo}}}}。
# 広島市「'''広島生めんお好み焼き'''」は、茹でて焼きパリっとさせたお好み焼き用の麺とチーズ入り
# 尾道市「'''尾道焼き'''」は、砂ずり{{Refnest|group="出典"|{{R|yomitv|hread}}}}、いか天、わけぎ入りで、尾道オリジナルソース使用。
# 廿日市市「'''はつかいち牡蠣盛焼'''」は、廿日市産の牡蠣と大葉入り。<!--
== 関西風と広島風の違い ==
2. 調理法:「混ぜ焼き」か「重ね焼き」かが関西風と広島風の最大の違いとなっている。関西風は、小ぶりのボウルにキャベツや肉などの具と小麦粉と水に溶いた生地を混ぜてから鉄板で焼く、混ぜ焼きが主流である。広島風は、鉄板に小麦粉を水等で溶いた生地を薄くクレープ状に伸ばして焼き、その上に具を重ねて焼く重ね焼きで作られる。ただ、関西風はお好み焼きの種類が多様であり、広島風同様に重ね焼きをするものもある。
3. 麺類:関西風ではそば(中華麺)・うどんはトッピングの一例でよく使われ、入れたものは「モダン焼き」「そばのせ」「うどんのせ」などと呼ばれる。広島風ではそば・うどんを入れることが多い。入れないものは「素焼き」等と呼ばれる。
4. 山芋:山芋は生地に混ぜるとふんわりした柔らかい食感を出すことができ、関西圏で入れることが多い。生地の薄い広島風ではこのような食感を出す必要はなく、むしろパリッとした焼き上がりが重視されるため、入れることは少ない。
5. 調理:関西風においても広島風においても、店員が焼き上げることが一般的。
関西圏においては、大阪を中心に一部のチェーン店や、地方の関西風お好み焼き屋においては、お客が自分で焼く場合もある。また、[[家庭料理]]として生地と具材を用意して混ぜ合わせ、自宅のコンロを用いて焼く人も多い。
一方で、広島風においては、お客が自力で焼くことはほぼない。多くの店は調理用の鉄板が大きなもの一つしかないこと、重ね焼きにコツを要すること、生地と麺を同時に焼くためにコンロが2つ必要になると言った理由からである。これらの理由により家庭での調理も難しいため、地元住民でも行きつけのお店に通ったり、出前を取るのが一般的である。広島市の人口あたりのお好み焼きの店舗数が関西を上回っているのは、このような背景がある。
6. 火力:広島風は重ね焼きで上の方まで火力を及ぼす必要があるため強くなっている。また、関西風・広島風共に客が鉄板から直接食べるため、同時に多くのお好み焼きが鉄板上にあっても温度が下がらないよう、熱容量の高い厚めの鉄板が使われている。
{|class="wikitable" style="margin-bottom:2em"
|-align=center
! !!関西風!!広島風
|-align=center
|1.前身
|どんどん焼き
|一銭洋食
|-align=center
|2.調理法
|具と生地を混ぜる
|生地の上に具を重ねる
|-align=center
|3.麺 類
|入れないことが多い
|入れることが多い
|-align=center
|4.ナガイモ
|入れることが多い
|入れないことが多い
|-align=center
|5.調 理
|お店の人かお客
|お店の人
|-align=center
|6.火 力
|普通
|大
|}-->
== その他の地域のお好み焼き ==
{{出典の明記|date=2016-11|section=1}}
=== 北海道 ===
「風月」のような大きいチェーン店があるが、北海道全体で人口比の店舗数が少なく<ref name="otafuku"/>多くは食べられていない。
=== 東北地方 ===
{{main|どんどん焼き}}
戦前に東京から伝わった[[どんどん焼き]]がある。[[岩手県]]では、円形に薄く焼いて「薄焼き」または「どんどん焼き」と称する。宮城県には、半月形に焼いた「どんどん焼き」または「お好み焼き」と称するものと、木の棒にロール状に巻きつけた「[[くるくるお好み焼き]]」がある。[[山形県]]には、木の棒に「ロール状」あるいは「短冊状」に巻きつけた「どんどん焼き」がある。
[[秋田県]][[横手市]]周辺では昭和40年代から、円形に薄く焼いた生地を、割らないままの割り箸に巻き付けソースをかけたものが「お好み焼き」または「箸巻き」という名で、縁日や祭りの屋台で売られていた。暴力団排除の風潮と共に屋台そのものが少なくなり、一時は見られなくなったが、2010年に有志が「しあわせ巻き巻きよこまき。の会」を設立し、地元名物の[[横手やきそば]]の麺などを使用した新たなB級グルメ「[[よこまき。]]」として復活させ、イベント等に屋台を出店しているほか、観光協会の協力を得て、市内の飲食店でも提供されている<ref>[http://foodpro-akita.com/dantai/yokomaki.html FOOD PRO あきた - 秋田県「食」のネットワーク協議会]</ref>。
[[福島県]][[福島市]]にはグルメレビューサイト「[[食べログ]]」「食べログ百名店2023」に「お好み焼き百名店」で、[[東北地方]]で唯一選ばれた広島お好み焼き店がある<ref name="gourmetinfo"/>。
=== 関東地方 ===
[[画像:Yukari-yaki by S e i.jpg|250px|thumb|各人に切り分けたお好み焼き]]
東京を中心とする関東地方には全国各地の料理を提供する店が存在し、関西風や広島風を提供する店が多数派となっているが、混ぜ焼きのお好み焼は客が自分で焼くスタイルが主流であるとされている{{R|column4}}。お好み焼きの材料は椀や金属カップに一人前ずつ盛られて提供されるため、肉やその他の具材も含めた完全な混ぜ焼きとなる。岡田哲は「たべもの起源辞典」において、上記のような「生地に具材を混ぜ込む」調理法を「関東風」、具材を上に「のせる」タイプのものを「関西風」と定義している{{R|たべもの起源事典/83}}。
[[鶏卵]]は基本的に加えられるが、古風な店ではオプションとされていることもある。生地には[[もんじゃ焼き]]と共通の[[桜エビ]]、[[するめ|切りイカ]]、[[揚げ玉]]、[[紅生姜]]、[[餅]]などが混ぜ込まれる事が多い。もんじゃ焼きとお好み焼きの両方をメニューに置く店が多く、[[あんこ巻き]]や[[アンズ]]巻きなどの甘味系を揃えているのも東京ならではの特徴である。数は少なくなったものの、[[バカガイ|小柱]]や[[アサリ]]といった[[江戸前]]の種や[[そぼろ|牛そぼろ]]、キャベツではなく白ねぎを用いた[[ねぎ焼き]]などを提供する店も残存している。調味料はソースやマヨネーズなど客の好み次第であるが、旧来のスタイルを守る老舗では[[からし]]醤油などで勧められることもある。
お好み焼きの店では、メニュー名は加えられる具材を指して「○○天」と表現する。「天」が何を意味するかについては諸説あるが、同様の表現は神戸の「肉天」にもみられ、当時は水溶き小麦粉を油で焼く料理を総括して「天ぷら」の一種とみなしていたとも考えられる。
どんどん焼き時代の「乗せ焼き」を提供する店はほとんど見られないが、戦前から続く老舗である[[浅草]]の染太郎には「お染焼」という名前でメニューに残されている。また、[[埼玉県]]県北部には「[[フライ (鉄板焼)|フライ]]」と呼ばれるどんどん焼きの系譜に属する料理がある。
=== 東海地方 ===
[[静岡県]]東部の[[富士宮市]]周辺では「しぐれ焼き」と呼ばれる、[[富士宮焼きそば]]を乗せたお好み焼きがある<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.tv-tokyo.co.jp/adomachi/090502/30.html |title=21位〜30位 出没!アド街ック天国 |access-date=2023-04-06 |publisher=TV TOKYO |deadlinkdate=2023-04 |archive-date=2009-05-07 |archive-url=https://web.archive.org/web/20090507074241/http://www.tv-tokyo.co.jp/adomachi/090502/30.html}}</ref>。[[浜松市]]を中心とする[[遠江国|遠州地域]]では「[[遠州焼き]]」と呼ばれ、[[沢庵漬け|たくあん]]などの漬物や紅しょうが、ねぎを刻んで生地に入れることがある。これは戦後の物資不足の時代に浜松市の三方原台地へ引揚者が入植し、大根の増産が行われたことから、当時適当な食材として導入されたことが由来だと言われている。尚、地場のソースとしては[[明治屋高嶺ソース醸造所|高嶺ソース]]、[[鳥居食品|トリイソース]]など生産されている。
[[名古屋市]]のお好み焼きは戦前から続く乗せ焼きだが、[[目玉焼き]]のような鶏卵が入っているのが特徴で、生地が固めで両面とも綴じるために厚みがあり、ともすれば混ぜ焼きのように見える仕上がりである。
また、「2つに折り畳まれている」「銀紙と白もしくは緑の紙に包まれた包装」が大きな特徴である。その理由は諸説あるが、[[1970年代]]に[[ハンバーガー]]を食べ歩きしている若者をヒントに、地元の祭でお好み焼きを食べ歩きできるようにと考案されたとされる。同市[[西区 (名古屋市)|西区]]のお好み焼き店「甘太郎本舗」の考案にてアルミシートが巻かれるようになり、地元では名古屋風お好み焼き用のアルミシートも販売されている。通常の容器とフタのセットよりも、包装費が約7分の1~12分の1で済むため、コストを抑えることが出来る{{R|名古屋風}}。そのため、おやつ・ホットスナックとして他地域のお好み焼きよりもカジュアルに嗜まれ、やや小ぶりで価格もリーズナブルである{{R|名古屋風}}。
また、庶民の食べ物としての洋食焼きの特徴を色濃く残している。ソースは名古屋市の調味料メーカー、[[カゴメ]]のお好み焼きソースが使われる比率が高い。同じく名古屋市の調味料メーカー、[[コーミ]]からは家庭用のお好み焼きソースとして赤だしみそ入りの『コクうまお好みソース』が発売されている。お好み焼きのソースに味噌を入れるのは、さすが名古屋と驚く人が多い。
家庭で作られるお好み焼きは一般的な混ぜ焼きであるが、乗せ焼きの場合と同様にひっくり返してからヘラでしっかりと抑える傾向がある。また切り分け方も、多くの家庭の場合、東京風に、十字に切り分けていく。
[[岐阜県]]の[[柳ヶ瀬 (岐阜市)|柳ヶ瀬]]商店街のお好み焼きは、三つ折りにされており、さながら[[ナイフ]]と[[フォーク (食器)|フォーク]]で喫食する正統的な[[クレープ]]のような形をしている。小麦粉の薄地に(黒
[[ゴマ]]ペーストが練り込まれたものもある)、キャベツ、ネギ、紅ショウガ、天かす、削り節を載せ、ウスターソースで味付けをする<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.gifu-np.co.jp/articles/-/191243 |title=「三つ折りお好み焼き」レトロB級グルメ、薄い生地&具材シンプル 柳ケ瀬散策の相棒、岐阜市 |publisher =岐阜新聞 |date=2023-01-30 |accessdate=2023-06-14}}</ref>。
=== 北陸地方 ===
[[富山市]]では刻み[[昆布]]を生地に入れることがある<ref>[http://www.ytv.co.jp/kenmin_show/secret/this_week/bn1697156.html ケンミンの秘密 | カミングアウトバラエティ 秘密のケンミンSHOW]{{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20130227024450/http://www.ytv.co.jp/kenmin_show/secret/this_week/bn1697156.html|date=2013年2月27日 }})</ref>。ただ、[[どんどん焼き]]の方が刻み昆布や桜えびや紅ショウガを入れ、青のりなどをかけて食べることが多い。
=== 近畿地方 ===
いわゆる関西風お好み焼きを主流とする。かつては客に焼かせる店も多く見られたが、現在は大半が店員が焼いて提供するスタイルになっている。
混ぜ焼きの地域が多い中、[[神戸市]]の旧市街地域([[兵庫区]]、[[長田区]]、[[中央区 (神戸市)|中央区]]など)が異彩を放っている。[[にくてん|肉天]]と呼ばれた時代の調理法を継承する乗せ焼きで、生地に卵を入れない、マヨネーズは用いない、[[どろソース]]を使用する、「[[すじこん]]」「ぼっかけ」と呼ばれる[[牛すじ]]の煮込みや「大貝(おおがい)」と呼ばれる本荘貝([[マルスダレガイ科|ウチムラサキ]])、下茹でを行わない[[タコ|生蛸]]が使われるなど、近隣他地域に見られない独自性が多々残されている。近年ではこれを「神戸風お好み焼き」と呼んで区別する向きもある。
戦前の洋食焼きの面影を残すものとしては、上述した神戸市や[[高砂市]]の[[にくてん]]、[[ねぎ焼き]]、鶏肉と牛脂を具に使う[[岸和田市]]の「[[かしみん焼き]]」、[[京都市]]の「べた焼き」、懐古的に復活した[[一銭洋食]]や[[キャベツ焼き]]などがある。
乗せ焼きが残る地域には鶏卵を使用しない古いスタイルも残存しており、そうした店では卵はオプション扱いで「◯◯玉」として注文する。(卵なしのプレーンなものは「○○焼き」「◯◯のお好み」あるいは単に「◯◯」と呼ばれる)
[[姫路市]]ではだしを多く含む柔らかいお好み焼きが好まれ、もんじゃ焼きに似た「ねり焼き」や「ぐじゃ焼き」、[[玉子焼 (明石市)|玉子焼]]のようにつゆで食べるスタイルの「どろ焼き」などもある。
独自の具材を使ったご当地お好み焼きとしては、[[富田林市]]の豚肉の[[鉄板焼き]]を用いた「ブー太郎焼き」、焼きそばを卵で綴じる[[和歌山県]][[御坊市]]の「[[せち焼き]]」、焼きそばと[[ホルモン焼き]]を入れた京都市の「まんぼ焼き」、京都市左京区にはキャベツの代わりに白菜を使う「白菜のお好み焼き」もある。
[[油かす (食品)|あぶらかす]]や[[コプチャン|ホソ]]、[[すじ肉|生すじ肉]]などの[[もつ]]類が使用される地区が点在するのも近畿地方の特徴である。またそれらの地域では混ぜ焼きのお好み焼きではなく、乗せ焼きの様式がよく守られている傾向がある。
=== 中国地方 ===
[[画像:カキオコ.JPG|thumb|[[カキオコ]]([[牡蠣]]のお好み焼き)]]
{{See also|[[#広島風お好み焼き]]の[[#地域差]]}}
広島風お好み焼きが知られる地方であるが、乗せ焼きと混ぜ焼きの両方を提供する店もあり、独自の作り方のお好み焼きが名物になっている地域もある。
[[兵庫県]]西部から[[岡山県]]にかけてのエリアは、戦前からのにくてん・洋食焼きの影響が色濃く残る「乗せ焼き」の店が多い。[[岡山市]]では「ジャンボお好み焼き」と称して、広島風お好み焼きとほとんど同じスタイルのものが名物となっている。また[[岡山県]][[備前地域]](特に[[日生町]])では「'''[[カキオコ]]'''」と呼ばれる岡山県名産の[[カキ (貝)|カキ]]をいれたお好み焼きが有名である。また、カキのシーズンではないときには「エビオコ」(カキオコのカキを[[エビ]]に変えたもの)が提供される。また、[[浅口市]]では[[備中手延べ麺|手延べ麺]]の[[節麺|バチ]]を大量に生地に混ぜ込んだ、バチのお好み焼きがあり、カキオコに倣って「'''バチオコ'''」と呼ばれる。
[[画像:Fuchu-yaki2016.jpg|thumb|府中焼き]]
広島県東部の[[備後国|備後]]地方南部では、[[府中市 (広島県)|府中市]]を中心に、[[豚肉|豚]]や[[牛肉|牛]][[挽肉]]を使用した「府中風お好み焼き」があり、これを「[[府中焼き]]」と呼び[[街おこし]]の[[ご当地グルメ]]とする活動がある<ref>{{Cite web|和書|date= |url=http://www.fuchucci.or.jp/okonomi/ |title=備後府中焼きを広める会 |publisher=府中商工会議所 |accessdate=2013-11-09}}</ref>。広島風お好み焼きに似ているが、挽肉から出る脂と肉汁が特徴的である。小さな街に多くのお好み焼き店が存在している。
広島県[[三原市]]では、そばやうどんの入ったお好み焼きをモダン焼きと呼称する場合がある。製法は元祖である神戸風に近く、まず生地を敷き、別の場所で麺と具(キャベツ、豚肉など)を炒めたのちに生地の上に載せ、生地を少しかけて反転させ、蒸し焼きに入るという製法をとる場合が多い。また、イカ天のことをのしイカと呼称したり、鶏肝(レバーやヒモなど)を入れるなど、独自の特色がみられる。隣接した地域で文化も食文化も似ているの尾道市では砂肝とのしイカを入れたものを「尾道焼き」と称している{{Refnest|group="出典"|{{R|journal1|asahi20101021|尾道焼き}}}}。
広島風お好み焼きの中でも、広島市中心部の店と[[呉市]]・呉市近辺の店では具材を重ねる順などに若干の差異があり、呉のものを「呉焼き」と呼んで区別することがある。呉焼きは焼いた後、半分に折り半月型にする店が多く、呉市民は、広島市のお好み焼きが丸いのでビックリするといわれる{{R|yomitv}}。
広島県庄原市では、広島風の「肉玉」をベースとしソバの代わりに「庄原の米」を炒め、「お好みソース」ではなく「ポン酢」をかけて食べる「庄原焼き」と呼ばれるものも存在する。
[[因島]]では、「因島お好み焼き」、略称「いんおこ」と呼ばれ{{R|いんおこ}}、[[うどん]]入りが主流で、かつお粉とウスターソースで炒めた麺を野菜より先に生地に載せる{{Refnest|group="出典"|{{R|journal1|いんおこ}}}}。「尾道焼き」とともに[[しまなみ海道]]のB級グルメ料理として知名度の向上を目指している{{R|asahi20101021}}。
広島県[[三次市]]では地元の[[江草製麺]]で製造されている[[唐辛子]]を練り込んだ「唐麺」そばと{{R|manhole}}、[[毛利醸造社]]で製造されている[[カープソース]]辛口で味付けしたお好み焼きを三次唐麺焼きとし、三次唐麺プロジェクトを立ち上げて地域興しに活用している。
=== 四国地方 ===
戦前からの手法を引き継ぐ乗せ焼きと戦後発祥の混ぜ焼きが混在している。[[徳島県]]では、[[ミカン]]、甘く煮た[[インゲンマメ|金時豆]]、[[ヨーグルト]]、エビを入れて丸く揚げた「[[天ぷら]]」、[[フィッシュカツ]]などの独特の具を用いたものも供されている。[[香川県]]では神戸由来の[[にくてん]]も郷土料理のひとつとされる<ref>[http://www.pref.kagawa.jp/nousui/aji/3/209.htm さぬき味の歳時記 にくてん焼き] 香川県農政水産部</ref>。
=== 九州地方 ===
[[File:高専ダゴ1.jpg|thumb|高専ダゴ]]
[[福岡市]]には、厚くどっしりとした生地を特徴とするお好み焼きを出すチェーン店がある。ふわふわが好まれる関西風とは対照的に空気を含ませず、表面はカリカリに焼き上げられる。真っ黒で粘度の高い独特のソースと、カスタードクリーム状の自家製マヨネーズを使用することも大きな特徴である。
元々福岡は、関西風お好み焼きが多かったが、近年は広島風の比率が増えているという{{R|tenjinsite}}。
[[福岡県]][[大牟田市]]・[[熊本県]][[荒尾市]]では、大牟田の炭鉱で働く電気工が家庭で水で溶いた生地を焼きウスターソースをかけただけのものをビンタ焼きと称して焼いていた。江戸時代から、全国各地から炭鉱に従事するものが大牟田荒尾に往来し、お好み焼きやその他の料理がアレンジされた料理や店が独特に定着したのが多いのも特徴である。その後大牟田・荒尾地区ではダゴと呼ばれるようになる。大牟田の[[有明工業高等専門学校|有明高専]]の生徒が足繁く通うお好み焼き屋が荒尾にあり、「高専ダゴ」と呼ばれて市民から愛されている。店主は学生がお腹いっぱいに食べれるよう鉄板いっぱいに広げて焼く大型のお好み焼きをメニューに取り入れ大牟田名物となっている。九州7県では人口あたりのお好み焼き店の数において大牟田市が1位、荒尾市が2位となっている。基本的には大阪風であるがキャベツの切り方はみじん切りの大阪風に対し、ざく切りにする店が多く山芋等の材料は使用せず、ひっくり返した際コテで押さえ付けてもっちりとさせた食感に仕上げる。ソースはとんかつソースベースのこってり甘口の関西風に対し、ウスターソースベースでさらっとした口当たりでコショウや一味唐辛子を加えたパンチの効いた辛口である。そのほかにも広島風やもんじゃ焼を提供する店も存在する。
[[北九州市]]では、マヨネーズとケチャップを混ぜた[[オーロラソース]]をつけて食べるのが定番となっている。
[[宮崎市]]には、神戸風の[[肉天]]が名物として提供される地域もある。
[[熊本市|熊本]]市域ではお好み焼きに刻んだ沢庵をいれる店が多く、肉は薄切りではなくひき肉を入れる店もある。
=== 沖縄 ===
[[沖縄県]]には「[[ヒラヤーチー]]」(平焼き)と呼ばれる料理があり、これはキャベツではなくネギやニラなどを使用する一銭洋食やどんどん焼きに近い軽食である。また、「[[ぽーぽー|ポーポー]]」という小麦粉の薄焼きで味噌や黒糖などを巻いた菓子もあり、こちらはお好み焼きの祖先とされる「[[麩の焼き]]」に酷似している。
=== 日本国外 ===
*[[台湾]]では「大阪燒」(ダーバンシャオ/中:DàBǎnShāo)の名称で、四角いお好み焼きが、屋台などで広く売られている。
*[[オーストラリア]]・[[クイーンズランド州]]でも人気のお好み焼き屋があり、マーケットやイベント等で出店されることがある。
*<!--。[[ネパール]]では「'''ウォー'''」という、豆の粉で作った生地を鉄板で焼くという料理が存在する。生地と具材は別々に焼いていく(乗せ焼き)という点でも、日本のお好み焼きとは異なる。--><!--世界各地に存在するパンケーキ類のひとつ。地理的にも歴史的にも日本との関連性は認められない。-->
*[[オタフクソース]]によると、日本国外の「お好み焼」<!--原文ママ-->をメインにした専門店は、[[2018年]]現在で約330店、2019年現在で約350店あるという{{R|otafuku}}。同社は、[[イスラム教]]で禁忌である[[エタノール|酒精]]・[[豚肉]]エキスを使わないソースを[[マレーシア]]で開発し、2017年より発売している。現地で[[ハラール]]認証を得て、売れ行きを伸ばしているという<ref>{{Cite web|和書|url=https://mainichi.jp/articles/20191209/k00/00m/040/097000c |title=広島お好み焼き、世界制覇へ一歩 オタフクソースがイスラム教徒に受けた理由 |accessdate=2022年11月19日|date=2019年12月9日|work=[[毎日新聞]]|author=中島昭浩}}</ref>。
=== 露店 ===
祭りなどの露店・屋台でも、お好み焼きは定番の料理である。かつては関西においても洋食焼きスタイルの重ね焼きが主流であったが、現在は混ぜ焼きを供する店や、中華麺を加えて広島風として提供する店が増えている。また、割り箸に巻きつける形で焼いた「はしまき」「箸巻き」「はし巻」<ref name="はしまき"/>、鉄板に円形の[[セルクル|焼き型]]を載せて[[今川焼き]]ほどの小さなサイズで焼き上げた「[[大阪焼き]]」(関西地方や東海地方では「リング焼き」とも)、厚く焼いた混ぜ焼きをカットして割り箸や串に刺したものなど、立ち食い・歩き食いがしやすいように工夫されたお好み焼きも多くの屋台で供される。
== 冷凍食品 ==
お好み焼きを急速冷凍した[[冷凍食品]]が、食品メーカーやソースメーカー、スーパーやコンビニ各社、有名お好み焼き店などから販売されている。
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{notelist}}
=== 出典 ===
{{reflist|2
|refs=
<ref name="大辞林">{{Cite book|和書 |author= |year=2006 |title=[[大辞林]] 第三版 |publisher=[[三省堂]]}}</ref>
<ref name="粉モノ歴史館">[http://www.okonomiyaki.to/history.html 粉モノ歴史館] - お好み焼きネット.2016年11月20日閲覧.</ref>
<ref name="千利休とふの焼">[https://www.toraya-group.co.jp/toraya/bunko/historical-personage/027/ 千利休とふの焼]</ref>
<ref name="意外な関係">[http://www.rikyu-en.co.jp/blog/sen-no-rikyu-okonomiyaki-2/ 千利休とお好み焼きの意外な関係]</ref>
<ref name="JB PRESS130916">2013年8月16日 JB PRESS [https://megalodon.jp/2018-0618-0337-35/jbpress.ismedia.jp/articles/-/38464?page=3 「関西風」のルーツは東京だった!花柳界と切り離せないお好み焼きの黎明期 (3/5)]</ref>
<ref name="JB PRESS130916_2">[https://megalodon.jp/2018-0618-0401-29/jbpress.ismedia.jp/articles/-/38464?page=4 関西風」のルーツは東京だった!花柳界と切り離せないお好み焼きの黎明期 (4/5)]</ref>
<ref name="JPPRESS_3">[http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/38464?page=3 「関西風」のルーツは東京だった! 花柳界と切り離せないお好み焼きの黎明期(3/5)] - JPPRESS 2013年8月16日</ref>
<ref name="JPPRESS_5">[http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/38464?page=5 「関西風」のルーツは東京だった! 花柳界と切り離せないお好み焼きの黎明期(5/5)] - JPPRESS 2013年8月16日</ref>
<ref name="WEB歴史街道">2015年10月08日 WEB歴史街道 (PHP) [https://megalodon.jp/2018-0618-0445-31/https://shuchi.php.co.jp:443/rekishikaido/detail/2558 広島vs.大阪!? お好み焼きのルーツ【後】]</ref>
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|publisher=[[朝日新聞社]]
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|newspaper=[[朝日新聞]]関西
|date=2010-10-21
|author1=寺門充
|author2=広津興一
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<ref name="moj">{{Cite web |url=https://web-japan.org/kidsweb/local/hiroshima-okonomiyaki/ |title=Hiroshima: Okonomiyaki |website=Web Japan |publisher=[[外務省]] |accessdate=2023–05–23 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20220804180900/https://web-japan.org/kidsweb/local/hiroshima-okonomiyaki/ |archivedate=2022–08–04 |language=en-AU }}{{Cite web|和書|url=https://www.maff.go.jp/j/keikaku/syokubunka/k_ryouri/search_menu/menu/42_7_hiroshima.html |title= お好み焼き 広島県 |website=うちの郷土料理 次世代に伝えたい大切な味 |publisher=[[農林水産省]] |accessdate=2023年5月29日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20220513121032/https://www.maff.go.jp/j/keikaku/syokubunka/k_ryouri/search_menu/menu/42_7_hiroshima.html |archivedate=2022年5月13日 }}{{Cite web|和書|url=https://www.mlit.go.jp/tagengo-db/en/R1-00502.html |title=広島お好み焼 Hiroshima Okonomiyaki |website= |publisher=[[国土交通省]] |accessdate=2023–05–23 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20230523171622/https://www.mlit.go.jp/tagengo-db/en/R1-00502.html |archivedate=2023–05–23 |language=en-AU }}{{PDFlink|[https://www.mof.go.jp/public_relations/finance/202301/202301p.pdf 渡越剛(神戸税関広島税関支署次長) 連載各地の話題『G7サミット開催地として脚光を浴びる広島をご覧あれ』]}} [[財務省]]広報誌「ファイナンス」2023年1月号 p.80</ref>
<ref name="GOB">
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「広島県に行く!」と決めたらやりたい10のリスト |author= |website=Tripa(トリパ) |publisher=[[日本旅行]] |accessdate=2023年11月26日<!--- |archiveurl=https://web.archive.org/web/20231117003852/https://www.nta.co.jp/media/tripa/articles/TAkhg |archivedate=2023年11月17日---> }}<!---{{Cite web|和書|date=2022-02-14 |url=https://www.nta.co.jp/media/tripa/articles/jGHwj |title=広島県民のソウルフード!広島のお好み焼きの名店おすすめ10選 |author= |website=Tripa(トリパ) |publisher=[[日本旅行]] |accessdate=2023年5月23日|archiveurl=https://web.archive.org/web/20230523151033/https://www.nta.co.jp/media/tripa/articles/jGHwj |archivedate=2023年5月23日 }}--->{{Cite web|url=https://jp.ch.com/Static/SpringskycafePlanHIJ1909?intcmp=ssc_plan_hij_190826|title=【2泊3日】学んで食べて楽しむ秋の広島社会科見学|author=|date=|website=SPRING JAPAN|publisher=[[春秋航空]]|accessdate=2023年11月26日<!--- |archiveurl=https://web.archive.org/web/20200813175102/https://jp.ch.com/Static/SpringskycafePlanHIJ1909?intcmp=ssc_plan_hij_190826|archivedate=2020–08–13--->}}{{Cite web|和書|url=https://www.cookdoor.jp/okonomiyaki/dictionary/21303_okono_003/ |date= |title=実は戦争が深く関わっている!?広島風お好み焼きの歴史 |website=クックドア |publisher=[[東建コーポレーション]] |accessdate=2023年5月20日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20181231010727/https://www.cookdoor.jp/okonomiyaki/dictionary/21303_okono_003/ |archivedate=2018年12月31日 }}
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<ref name="bgrade">「[[チューボーですよ!]]」、[[TBSテレビ|TBS]][[Japan News Network|系]]、2010年9月11日放送([http://www.excite.co.jp/News/tv/20100908/Dogatch_10080910787.html ご当地グルメの代表格「広島風お好み焼き」に歌舞伎俳優・中村吉右衛門が挑戦!] {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20141011031025/http://www.excite.co.jp/News/tv/20100908/Dogatch_10080910787.html |date=2014年10月11日 }})。[http://www.jal.co.jp/tabi/special/hants/19/ JAL - おいしいニッポン!ご当地グルメの旅(JAL旅プラスなび)第19回 広島編]{{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20140504004445/http://www.jal.co.jp/tabi/special/hants/19/ |date=2014年5月4日 }})。[https://www.ana.co.jp/travelandlife/feature/original/vol191/ ~広島で必ず食べるべき地元限定グルメ6軒~ANA Travel & Life]</ref>
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{{Cite web|和書|url=https://nikkan-spa.jp/1916810|date=2023–06|title=広島で「広島焼き」がタブー扱いされる理由を探る。「口にしたら生きては帰れない」|author=昼間たかし|authorlink=昼間たかし|website=[[SPA!|日刊SPA!]]|publisher=[[扶桑社]]|accessdate=2023年6月3日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20230603032954/https://nikkan-spa.jp/1916810|archivedate=2023年6月3日}}</ref>
<ref name="j-town">[https://j-town.net/2020/07/13307684.html?p=all これはツッコミ待ちなのか...? まさかの「関西風広島焼き」新潟で発見される]、[http://j-town.net/tokyo/gourmet/bbs/124841.html お好み焼きといえば「大阪」?それとも「広島」? - Jタウンネット] {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20140707224700/http://j-town.net/tokyo/gourmet/bbs/124841.html |date=2014年7月7日 }}[https://j-town.net/2014/05/08131427.html?p=all お好み焼き人気No.1は大阪か、広島か? 永遠の抗争、全国アンケートでついに決着! - Jタウンネット] {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20220128132118/https://j-town.net/2014/05/08131427.html?p=all |date=2022年1月28日 }}[https://j-town.net/2015/02/25201142.html?p=all 広島風お好み焼きを「広島焼き」と呼ぶの、許せる?]、[https://j-town.net/2015/05/02204525.html?p=all 広島に「日本お好み党」が設立! えっ、関西の立場は......?]</ref>
<ref name="diamond">{{Cite journal |和書 |author = |title = 特集ニッポンご当地まるごとランキング なんでもランキング2 人口比で突出した施設数 広島・大阪『お好み焼き対決』 |journal = [[週刊ダイヤモンド]] |issue = 2016年3月26日号 |publisher = [[ダイヤモンド社]] |pages = 71頁 }}</ref>
<ref name="np2">{{Cite news |title = TOKYOらいふ 東京フード記 わが「お好み焼き」初恋の広島風 |date = 1985年9月17日 |newspaper = [[読売新聞]] |publisher = [[読売新聞社]] |page = 21 }}{{Cite news |title = ふたたびの街-原爆の影、いまも(テレビ) |date = 1986年8月1日 |newspaper = 日本経済新聞夕刊 |publisher = [[日本経済新聞社]] |page = 9 }}{{Cite news |title = 男の腕まくり 広島風お好み焼き 小麦粉を薄く広げ、具は積み重ね、ギュッとおさえて焼く |date = 1987年4月23日 |newspaper = [[朝日新聞]] |publisher = [[朝日新聞社]] |page = 18 }}{{Cite news |title = サイエンストーク お好み焼きは「関西風」 |date = 1985年9月17日 |newspaper = 読売新聞夕刊 |publisher = 読売新聞社 |page = 10 }}</ref>
<ref name="appeal">{{Cite news |url=https://www.yomiuri.co.jp/politics/20230514-OYT1T50107/ |date=2023–05–14 |title=岸田首相「お好み焼きをたくさん焼いて広島アピールを」、サミットの取材拠点で実食 |newspaper=読売新聞オンライン |publisher=読売新聞社 |accessdate=2023年5月20日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20230514044635/https://www.yomiuri.co.jp/politics/20230514-OYT1T50107/ |archivedate=2023年5月14日 }}{{Cite news |url=https://www.yomiuri.co.jp/economy/20230701-OYT1T50177/ |date=2023–07–01 |title=お好み焼き作りに訪日客ら興奮「おいしさの秘密がわかった」…海外店舗も急増中 |newspaper=読売新聞オンライン |publisher=読売新聞社 |accessdate=2023年7月9日<!--- |archiveurl=https://web.archive.org/web/20230701090423/https://www.yomiuri.co.jp/economy/20230701-OYT1T50177/ |archivedate=2023年7月1日---> }}{{Cite web|和書|url=https://www.itmedia.co.jp/news/articles/2305/22/news145.html |date=2023–05–23 |title=G7で「お好み焼き=広島風」と確定か 英首相の発言めぐりTwitter沸く |author=岡田有花 |website=[[ITmedia]] |publisher=アイティメディア |accessdate=2023年5月20日<!--- |archiveurl=https://web.archive.org/web/20230522095656/https://www.itmedia.co.jp/news/articles/2305/22/news145.html |archivedate=2023年5月23日---> }}{{Cite news |url=https://www.nikkei.com/article/DGXZQOCC222SX0S3A520C2000000/ |date=2023–05–22 |title=お好み焼きやカープ靴下、広島名物に世界が注目 |newspaper=[[日本経済新聞]] |publisher=[[日本経済新聞社]] |accessdate=2023年6月1日<!--- |archiveurl=https://web.archive.org/web/20230522115821/https://www.nikkei.com/article/DGXZQOCC222SX0S3A520C2000000/ |archivedate=2023年5月22日 -->}}{{Cite web |url =https://times.abema.tv/articles/-/10080493 |title = ひろゆき「『広島焼き』と言った方がアピールに」 万博で巻き返しも? 広島vs大阪お好み焼きバトル |date = 2023-05-21 |website = ABEMA TIMS |publisher = Abema TV |accessdate = 2023年5月23日<!--- |archiveurl = https://web.archive.org/web/20230521145742/https://times.abema.tv/articles/-/10080493 |archivedate = 2023年5月21日---> }}{{Cite news |url=https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2023/05/19/kiji/20230519s00041000648000c.html |date=2023–05–19 |title=岸田総理、広島のお好み焼きを世界にアピールも…ネットでは「別の食べ物」と批判が ひろゆき氏の見解は? |newspaper=[[スポーツニッポン]] |publisher=スポーツニッポン新聞社 |accessdate=2023年5月20日<!--- |archiveurl=https://web.archive.org/web/20230519153101/https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2023/05/19/kiji/20230519s00041000648000c.html |archivedate=2023年5月19日---> }}{{Cite web|和書|url=https://www.j-cast.com/2023/05/22461967.html?p=all |date=2023–05–22 |title=「お好み焼き外交」でレシピ閲覧数が倍に! オタフクソース社明かす反響、英首相登場の舞台裏も |website=[[ジェイ・キャスト#J-CASTニュース|J-CASTニュース]] |publisher=[[ジェイ・キャスト]] |accessdate=2023年5月23日<!--- |archiveurl=https://web.archive.org/web/20230523181821/https://www.j-cast.com/2023/05/22461967.html?p=all |archivedate=2023年5月23日---> }}{{Cite web |url=https://jp.reuters.com/article/g7-summit-sunak-pancake-idAFKBN2XC08C |date=2023–05–21 |title=Hiroshima's savoury pancake wins new fan in Britain's Sunak |author=Katya Golubkova |website= |publisher=[[ロイター]] |accessdate=2023–05–23 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20230523121052/https://jp.reuters.com/article/g7-summit-sunak-pancake-idAFKBN2XC08C |archivedate=2023–05–23 |language=en-AU }}{{Cite web |url=https://www.theguardian.com/world/2023/may/16/okonomiyaki-street-food-that-helped-rebuild-hiroshima-in-the-g7-spotlight |date=2023–05–21 |title=Okonomiyaki: street food that helped rebuild Hiroshima in the G7 spotlight |author=Justin McCurry |website= |publisher=[[ガーディアン]] |accessdate=2023–05–23 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20230516023424/https://www.theguardian.com/world/2023/may/16/okonomiyaki-street-food-that-helped-rebuild-hiroshima-in-the-g7-spotlight |archivedate=2023–05–16 |language=en-AU }}{{Cite news |url=https://www.stuttgarter-nachrichten.de/inhalt.g7-gipfel-in-hiroshima-okonomiyaki-la-doitsu-koch-hofft-auf-scholz.eae285bb-e3dc-4db4-b29e-3668c2c6bad0.html |date=2023–05–16 |title=G7-Gipfel in Hiroshima Okonomiyaki "à la doitsu" - Koch hofft auf Scholz |newspaper=[[:de:stuttgarter-nachrichten.de|stuttgarter-nachrichten.de]] |publisher= |accessdate=2023–05–23 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20230523180131/https://www.stuttgarter-nachrichten.de/inhalt.g7-gipfel-in-hiroshima-okonomiyaki-la-doitsu-koch-hofft-auf-scholz.eae285bb-e3dc-4db4-b29e-3668c2c6bad0.html |archivedate=2023–05–23 |language=de-AU }}{{Cite news |url=https://www.asahi.com/articles/ASR5R46QNR5RUHBI00M.html |date=2023–05–23 |title=スナク英首相が語った「OKONOMIYAKI」その感想は? |newspaper=朝日新聞デジタル |publisher=朝日新聞社 |accessdate=2023年5月20日<!--- |archiveurl=https://web.archive.org/web/20230523170614/https://www.asahi.com/articles/ASR5R46QNR5RUHBI00M.html |archivedate=2023年5月23日---> }}{{Cite web|和書|url=https://news.tv-asahi.co.jp/news_international/articles/000300422.html |date=2023–05–23 |title=関西?広島?お好み焼き論争勃発 スナク首相発言で“まさかの展開”|author= |website=[[ANNニュース|テレ朝news]] |publisher=[[テレビ朝日]] |accessdate=2023年5月20日<!--- |archiveurl=https://web.archive.org/web/20230523160553/https://news.tv-asahi.co.jp/news_international/articles/000300422.html |archivedate=2023年5月23日 }}{{Cite web|和書|url=https://japanese.korea.net/Special/Foreign-Affairs/view |title=韓日首脳夫人 広島で親交を深める |date=2023-05-22 |website=Korea.net:大韓民国政府の公式ウェブサイト |publisher= |accessdate=2023年5月23日 }}
{{Cite web|和書|url=https://news.ntv.co.jp/category/politics/07990d110bf2449a90df499ad0efbf3a |date=2023–05–22 |title=【サミット】熱々のお好み焼きを…国際メディアセンター“広島ならでは”のおもてなしに海外メディアの反応は? |website=[[日テレNEWS24]] |publisher=[[日本テレビ放送網]] |accessdate=2023年5月23日<!--- |archiveurl=https://web.archive.org/web/20230523182510/https://news.ntv.co.jp/category/politics/07990d110bf2449a90df499ad0efbf3a |archivedate=2023年5月23日---> }}{{Cite news |url=https://www.nikkansports.com/entertainment/news/202305250000454.html |date=2023–05–25 |title=作家の今村翔吾氏がUNICORN川西幸一、作家稲田幸久氏とのお好み焼きの食事風景を公開 |newspaper=[[日刊スポーツ]] |publisher=[[日刊スポーツ新聞社]] |accessdate=2023年7月12日<!--- |archiveurl=https://web.archive.org/web/20230525100938/https://www.nikkansports.com/entertainment/news/202305250000454.html |archivedate=2023年5月25日---> }}[https://www.tbs.co.jp/tv/20230627_16DB.html # マツコの知らない世界 サミットで話題!広島お好み焼き キャベツ主役の絶品名店15選]</ref>
<ref name="nbs180517">{{Cite web|和書|url=https://news.1242.com/article/144427|title=お好み焼きは“関西風”の『混ぜ焼き』と“広島風”の『重ね焼き』|website=[[SUZUKIハッピーモーニング・いってらっしゃいシリーズ|鈴木杏樹のいってらっしゃい]]/ニッポン放送 NEWS ONLINE|publisher=[[ニッポン放送]]|date=2018-05-17|accessdate=2023年9月11日}}{{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20221128124656/https://news.1242.com/article/144427|date=2022年11月22日}}</ref>
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{{Cite news |url=https://www.chugoku-np.co.jp/articles/-/371482 |date=2023-10-12 |title=ちゅーぴー子どもウェブ ぶんタッチ お好み焼き そば派・うどん派 あなたはどっち派?【広島市】 |author= |newspaper=中国新聞デジタル |publisher=中国新聞社 |accessdate=2023年11月26日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20231012070434/https://www.chugoku-np.co.jp/articles/-/371482 |archivedate=2023年10月12日 }}</ref>
<ref name="dontcallitmystery">[https://www.thefirsttimes.jp/report/0000323672/ 【レポート】菅田将暉、映画『ミステリと言う勿れ』の舞台・広島に凱旋! 広島弁は「とりあえず、“じゃけぇ”だよね」]{{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20230909012208/https://www.thefirsttimes.jp/report/0000323672/|date=2023年9月9日}}{{Cite web|和書|url=https://tv.yahoo.co.jp/news/detail/tvdogatch-9397ff781f137aaa51df61eded3db064|title=原菜乃華、初挑戦のグルメドラマは『孤独のグルメ』を参考に!「美味しそうにガツガツと」|website=Yahoo!テレビ.Gガイド|date=2023-09-28|accessdate=2023-09-28|archiveurl=https://web.archive.org/web/20230928005430/https://tv.yahoo.co.jp/news/detail/tvdogatch-9397ff781f137aaa51df61eded3db064|archivedate=2023年9月28日}}</ref>
<ref name="イカ天">[https://www.otafuku.co.jp/product/detail/?product_id=92 専門店の味 いか天]、[https://hiroshimayaki-yofumi.com/ikaten.html いか天|トッピングの王様!これで広島焼きがうまい!…]、[https://www.ytv.co.jp/kenmin_show/backnumber/20231102.html 秘密のケンミンSHOW 極 過去の放送内容 第125回 11月2日放送 へぇ~!そうだったのか!? 県民熱愛グルメ 極 【広島県】 「イカ天」広島県]、[https://www.olive-hitomawashi.com/column/2019/06/3-42.html 広島風お好み焼きの作り方の決め手は3つ!イカ天・キャベツ・中華麺]、[https://setouchi-plus.jp/blogs/special/hiroshima-ikaten 「イカ天」は広島県が日本一⁉︎ 秘密のケンミンSHOW極で放送されます]、[https://shop.tau-hiroshima.jp/blog/133/ 県民は大人も子供も大好き「イカ天」は食材にも!]、[https://www.nikkan.co.jp/releases/view/57227 かっぱえびせんとれもんイカ天!?広島が生んだ「とまらない」コラボ商品「かっぱえびせん・イカ天瀬戸内れもん味ミックス」期間限定で販売開始!]、[https://e-maruka.co.jp/blog/history/maruka-ikatenn/ まるか食品とイカ天の関係]{{Cite web|和書|date=2023-11-02 |url=https://fujinkoron.jp/articles/-/10097?page=2 |title=広島県民熱愛「イカ天」の秘密。秋の夜長に愛媛県民が楽しむ「いもたき」とは?『秘密のケンミンSHOW 極』 |author= |website=[[婦人公論|婦人公論.jp]] |publisher=[[中央公論新社]] |accessdate=2023年11月26日<!--- |archiveurl=https://web.archive.org/web/20231102114245/https://fujinkoron.jp/articles/-/10097?page=2 |archivedate=2023年11月2日---> }}{{Cite news |url=https://nordot.app/1102788018599822196?c=388701204576175201 |date=2023-11-30 |title=広島の味「いか天」、イカの産地ではない瀬戸内にメーカー集積の謎 話は江戸時代中期の港町尾道に |author= |newspaper=中国新聞 |publisher=中国新聞社 |accessdate=2023年12月9日 |archiveurl=https://archive.md/CQsab |archivedate=2023年11月30日 }}{{Cite web|和書|date=2023-11-02 |url=https://fujinkoron.jp/articles/-/10097?page=2 |title=広島お好み焼きでも定番トッピング!広島県民が愛する「イカ天」の謎を探る |author= |website=entax(エンタックス) |publisher=AX-ON Inc. |accessdate=2023年12月9日<!--- |archiveurl=https://web.archive.org/web/20231102120244/https://www.entax.news/post/202311021245.html |archivedate=2023年11月2日---> }}</ref>
<ref name="googleonomichi">[https://artsandculture.google.com/story/mQVhop19tqW2JQ?hl=ja 造船の街が育む鉄板焼き文化 イカ天と砂肝を使った尾道のお好み焼き] – [https://artsandculture.google.com/project/hiroshima?hl=ja Google Arts & Culture EXPLORE HIROSHIMA]</ref>
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<ref name="dailyportalz">[https://dailyportalz.jp/kiji/mercari-in-hiroshima 広島の人はお好み焼きを食べるときにヘラしか使わないのか?]</ref>
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<ref name="fnn231011">{{Cite web|和書|url=https://www.fnn.jp/articles/-/598461 |date=2023–10–10 |title=広島風?広島流?公式見解は「広島お好み焼き」 お好み焼きの「呼び方論争」オタフクソースに聞いた |author= |website=[[フジニュースネットワーク|FNNプライムオンライン]] |publisher=[[フジネットワーク]] |accessdate=2023年11月26日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20231011020902/https://www.fnn.jp/articles/-/598461 |archivedate=2023年10月11日 }}</ref>
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<ref name="cyzowoman230908">[https://www.cyzowoman.com/2023/09/post_447189_1.html 嵐・櫻井翔、広島名物でどうしても欲しかったモノとは? 「めっちゃうまいですね!」大絶賛]{{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20230911115350/https://www.cyzowoman.com/2023/09/post_447189_1.html |date=2013年9月11日 }}</ref>
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<ref name="はしまき">[https://j-town.net/2017/01/27238193.html?p=all 西日本出身者「『はしまき』うまいな~。お祭りゆうたらこれや!」 東日本「何それ」][https://www.otafuku.co.jp/recipe/detail/?recipe_id=893 はしまき]、[https://tabepro.jp/16331 西日本の屋台グルメ「はしまき」のおいしい食べ方【レシピ付き】][https://www.asahibeer.co.jp/enjoy/recipe/search/recipe.psp.html?CODE=0000002162 ズバうま!おつまみレシピ はしまき]、[https://www.kewpie.co.jp/recipes/recipe/QP10006019/ キャベツ入りはしまき]、[https://www.itoham.co.jp/recipe/detail.html?pdid=2756 屋台風 ハムチーズ箸巻き][https://www.anago-chikuwa.co.jp/blog/2018/06/01/hashimaki/ 広島のお祭り定番フード【はしまき】]、[https://rocketnews24.com/2015/11/29/671597/ 中国九州地方ではあたりまえの「はしまき」って知ってる?][https://www.hotpepper.jp/mesitsu/entry/yuuyuu/17-00183 「『はしまき』って知ってる?」で相手の出身地がわかるかも!【今週は屋台の味】]、[https://macaro-ni.jp/18102 「はしまき」って知ってる?西日本の屋台料理と言ったらこれ!]</ref>
}}
=== 出典(リンク) ===
{{Reflist|group="出典"|2}}
== 関連項目 ==
* [[もんじゃ焼き]]
* [[どんどん焼き]]
* [[ちょぼ焼き]]
* [[にくてん]]
* [[一銭洋食]]
* [[大阪焼き]]
* [[ボール焼き]](たこ焼き器を使って焼く物)
* [[キャベツ焼き]]
* [[ねぎ焼き]]
* [[阪神百貨店]](スナックパーク)
<!--* [[はし巻き]](箸巻き) - お好み焼きを箸に巻きつけたような料理。九州地方で広くみられる。-->
* [[ムルタバ]] - お好み焼きに似たアジア料理。
* [[チヂミ]] - 「韓国風お好み焼き」として紹介されることもあるが、実際には戦前のどんどん焼きや洋食焼きに近い料理である。
* [[てっぱん]] - [[連続テレビ小説]](本作の主人公がお好み焼き屋を展開する) 2010 - 2011年([[平成]]22 - 23年)
* [[B-1グランプリ]]
* [[蚵仔煎]] - [[台湾]]の[[牡蠣]]オムレツ。[[オムレツ]]と称されるが、実際には主材料が澱粉生地である粉物料理であり、広島風お好み焼きと作り方や材料が非常に似ている(澱粉生地と卵を混ぜずに別に調理する点、焼いた後にソース(タレ)を塗る点)。
* [[じゃりン子チエ]](劇中に関西風お好み焼きがよく登場する)
== 外部リンク ==
{{Commons&cat|Okonomiyaki|Okonomiyaki}}
{{Cookbook|お好み焼き}}
* {{Wayback|url=http://www.chugoku-np.co.jp/okonomi/index.html |title=炎の鉄板(中国新聞) |date=20020408133025}}
* [http://www.okonomiyaki.to/ お好み焼きネット(にっぽんお好み焼き協会)]
{{Normdaten}}
{{リダイレクトの所属カテゴリ|redirect1=広島風お好み焼き|1-1=広島風お好み焼き|1-2=広島県の食文化|1-3=お好み焼き}}
{{DEFAULTSORT:おこのみやき}}
[[Category:お好み焼き|*]]
[[Category:鉄板焼き]]
[[Category:日本の粉物料理]]
[[Category:日本の野菜料理]]
[[Category:キャベツ料理]]
[[Category:大阪府の食文化]]
[[Category:大阪市の文化]]
[[Category:広島県の食文化]]
[[Category:広島市の文化]]
[[Category:農山漁村の郷土料理百選]]
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2003-08-31T05:51:45Z
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2023-12-31T14:45:45Z
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ときわ台駅
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ときわ台駅(ときわだいえき)は、日本の鉄道駅。
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ときわ台駅(ときわだいえき)は、日本の鉄道駅。 ときわ台駅 (東京都) - 東京都板橋区常盤台にある東武東上本線の駅。
ときわ台駅 (大阪府) - 大阪府豊能郡豊能町ときわ台にある能勢電鉄妙見線の駅。
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'''ときわ台駅'''(ときわだいえき)は、日本の鉄道駅。
* [[ときわ台駅 (東京都)]] - [[東京都]][[板橋区]][[常盤台 (板橋区)|常盤台]]にある[[東武東上本線]]の駅。
* [[ときわ台駅 (大阪府)]] - [[大阪府]][[豊能郡]][[豊能町]][[ときわ台 (豊能町)|ときわ台]]にある[[能勢電鉄妙見線]]の駅。
== 関連項目 ==
* [[常盤台駅]] - かつて[[北海道]][[美唄市]]に存在した[[三菱鉱業美唄鉄道線]]の駅。
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ひばりヶ丘駅
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ひばりヶ丘駅(ひばりがおかえき)は、東京都西東京市住吉町三丁目にある、西武鉄道池袋線の駅である。駅番号はSI13。
島式ホーム2面4線を有する地上駅。内側2線が本線、外側が待避線であり、1・2番ホームが下り、3・4番ホームが上りとなっている。橋上駅舎を有している。
駅舎はバリアフリー化が遅れていたが、2005年(平成17年)に改良工事が完成し、ホーム上屋の一部にアーチ状屋根が採用された。ホームと改札階、改札階と南口側地上との間をそれぞれ連絡するエレベーターとエスカレーターがある。トイレは2階改札内にあり、多機能トイレも併設している。
一方で、北口側は入口の両端に店舗があり、バリアフリー施設を設置するスペースが長らく存在しないこともあり旧態依然であったが、西東京市が推進する駅のバリアフリー化事業により2018年4月に新しい北口の階段・エスカレーター・エレベーターが新設された。これにより西東京市内の全5駅のバリアフリー化が完成した。
(出典:西武鉄道:駅構内図)
2022年(令和4年)度の1日平均の乗降人員は63,812人であり、西武鉄道全92駅中12位。
近年の1日平均乗降・乗車人員の推移は下表の通り。
出店店舗の詳細は西武プロパティーズ公式サイト「ひばりが丘駅の店舗情報」を参照。
南口には広い駅前広場があり、そこから武蔵境、三鷹方面へのバス路線が発着する。広場を囲むように西友とPARCOが建つ。駅から田無駅方面に延びる谷戸新道(都道112号)沿いは商店街となり、駅前再開発により建設された高層マンションが立ち並ぶが、一歩入るとすぐに住宅街となる。特に西側の東久留米市側は学園町と呼ばれ、自由学園を中心に碁盤の目のように道路が走る。
南口にかつてあった「都営亦六(またろく)住宅」跡地は、地区計画による再開発が行われ、タワーマンションが建設されている。
南口ではひばりが丘団地の建て替えと民間の大規模マンションや戸建て住宅の建設が続いており、今後1万人程度の利用者の増加が見込まれている。
西東京市の駅前広場バリアフリー事業に伴い、2018年3月までに南口ロータリーが改良された。バスやタクシーの乗降場や待機スペースの整備、福祉車両優先スペースの整備などが行われた。
地理的には西東京・東久留米・新座の3市の市境に近く、それぞれから利用者が集まる。
北口は南口と対照的に隘路が入り組み、商店街を中心に発達した。2010年8月には東京都都市整備局から「街並み再生地区」に指定された。
北口駅前ロータリーが供用開始するまで、北口バスターミナルは駅北側の埼玉県新座市内にあった。2019年(平成31年)に北口駅前広場が完成し、同年3月16日からバス乗り場が移設された。
新座市コミュニティバス「にいバス」(東武バスウエスト新座営業事務所により運行)を除き、一般路線バス、西東京市コミュニティバス「はなバス」のいずれも西武バスにより運行。
当駅と田無駅間のバス利用の便宜を図るために、西武バスにより2004年4月から発売されていた「ひばり田無フリー定期券」は、2019年2月28日を以って発売終了となった。
2019年3月16日14時から北口駅前ロータリーが供用され、駅前からバスが発着するようになった。
それまでは、ひばりヶ丘駅北口停留所は北口より徒歩5分の新座市栗原5丁目12-9に、西武バス専用折返し場を設けて乗降を扱っていた。北口駅前ロータリー供用開始に伴い、西武バスのダイヤ改正が行われ、旧折返し場の北側に「栗原五丁目」停留所が新設された。
折返し場構内には、かつては西武バス案内所が設置されていた。また折返し場と一体化した形でデイリーヤマザキひばりヶ丘北口店が出店しており、店舗からバス停留所へ屋根が伸びて雨に濡れずバスを待つことができた。北口駅前ロータリー供用開始後、デイリーヤマザキは2019年3月31日13時をもって休店している。
なお、東京都シルバーパスは北口発着路線では利用対象外となっており、北口駅前ロータリー供用後も扱いは変わらない(ひばりヶ丘駅北口の次の停留所が新座市内となるため)。
旧・西武バス専用折返し場(現・待機場)内にあり、にいバス(新座市コミュニティバス)専用の停留所ポールが設置されている。両方向とも同一の停留所を使用する。北口駅前ロータリー供用開始後、西武バスに新設された「栗原五丁目」停留所付近から西武バス折返し場内に変更されている。
なお、西武バス・はなバスにも「ひばりヶ丘駅入口」という同名のバス停留所があるが、駅南口の谷戸新道沿いで場所が全く異なる。
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ひばりヶ丘駅(ひばりがおかえき)は、東京都西東京市住吉町三丁目にある、西武鉄道池袋線の駅である。駅番号はSI13。
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[[ファイル:Seibu Railway Hibarigaoka Station South Entrance.jpg|thumb|南口(2022年7月)]]
'''ひばりヶ丘駅'''(ひばりがおかえき)は、[[東京都]][[西東京市]][[住吉町 (西東京市)|住吉町]]三丁目にある、[[西武鉄道]][[西武池袋線|池袋線]]の[[鉄道駅|駅]]である。[[駅番号]]は'''SI13'''。
== 歴史 ==
* [[1924年]]([[大正]]13年)[[6月11日]] - [[武蔵野鉄道]]の'''田無町駅'''(たなしまちえき)として開業。
** この当時、[[田無駅]]および[[西武新宿線]]は未開業(ともに[[1927年]]開業)。旧・[[田無市|田無町]]の北端からわずかに外れた[[保谷市|保谷村]]の当駅が田無駅開業まで田無町への玄関となった。
* [[1959年]]([[昭和]]34年)[[5月1日]] - [[ひばりが丘団地]]の造成に併せ、'''ひばりヶ丘駅'''に改称。
* [[1960年]](昭和35年)[[6月2日]] - 駅構造を[[単式ホーム]]1面1線+[[島式ホーム]]1面2線から、島式ホーム2面4線に変更<ref name="typ11">『写真で見る西武鉄道100年』([[ネコ・パブリッシング]])67ページ</ref>。
* [[1967年]](昭和42年)[[10月15日]] - [[橋上駅|橋上駅舎]]使用開始<ref name="typ11"/>。
* [[1992年]]([[平成]]4年) - [[自動改札機]]を導入。
* [[1999年]](平成11年) - [[ワイヤレスマイク]]による[[発車メロディ]]を導入。
* [[2001年]](平成13年)[[1月21日]] - 保谷市と田無市が合併して西東京市が発足<ref name="gappeikyo">[http://www.city.nishitokyo.lg.jp/siseizyoho/tokei/gappei/gappeikyo.html 田無市・保谷市合併協議会] 西東京市公式サイト</ref>、西東京市の駅となる。
* [[2003年]](平成15年)4月 - 利用者の増加に対応するため、駅舎改良工事を開始([[2005年]]5月まで)。
** [[プラットホーム|ホーム]]の拡幅・嵩上げ、上屋建て替え工事などを実施。
** 同時に北口階段を除き、[[バリアフリー]]化を伴う全面建て替えも行われた。
* [[2005年]](平成17年)
** 3月 - バリアフリー対応工事の進展により、新しい南口階段の供用を開始。
** 5月 - 新駅舎1階に[[セブン-イレブン]]ひばりヶ丘駅南口店が開店。これをもってバリアフリー対応工事が完了。
* [[2013年]](平成24年)[[12月18日]] - [[駅ナカ]][[商業施設]]「[[Emio|Emioひばりヶ丘]]」が開業。駅構内にあった既存の店舗をリニューアルする形でオープン。
*[[2018年]](平成30年)
** [[3月21日]] - 駅舎改修工事のため、この日から「Emioひばりヶ丘」が全店休業<ref>{{Cite web|和書|title=エミオ ひばりヶ丘 {{!}} エミオを探す|url=http://www.seibu-shop.jp/emio/floorguide/?fcd=3|website=エミオ|accessdate=2020-08-28|publisher=|archiveurl=https://archive.is/3aElU|archivedate=2020-08-28}}</ref>。
** [[4月26日]] - 北口の新階段とエレベーター・エスカレーターを使用開始<ref name="nishitokyo20180423">{{Cite web|和書|url=http://www.city.nishitokyo.lg.jp/press/press/hibaristaition_north.html|title=ひばりヶ丘駅北口バリアフリー化事業 エレベーター、エスカレーター等の使用開始|publisher=西東京市|date=2018年4月23日|accessdate=2018-06-07}}</ref><ref name="kohonishitokyo20180515">{{Cite web|和書|url=http://www.city.nishitokyo.lg.jp/siseizyoho/koho/sihomama/2018/no_432.files/30_0515_No432_07.pdf|format=pdf|title=市内5駅全てのバリアフリー化が実現!(広報 西東京2018年5月15日号)|publisher=西東京市|accessdate=2018-06-07}}</ref>。
* [[2019年]](平成31年)
** [[2月20日]] - 駅舎および橋上店舗改良工事のスケジュールを発表<ref name="seiburailway20190220" />。
*** 2020年度に完了し、乗客用トイレ・南口エスカレーターなどの改修工事を行った<ref name="seiburailway20190220" /><ref name=":0">{{Cite web|和書|title=駅に関する取り組み:ひばりヶ丘駅・多磨駅リニューアル|url=https://www.seiburailway.jp/safety/hibari_tama_renewal/index.html|website=西武鉄道Webサイト|accessdate=2020-08-27|language=ja|publisher=}}</ref>。
*** 2021年度に完了し、「Emioひばりヶ丘」の増床と既存店舗の改修工事を行った<ref name="seiburailway20190220" /><ref name=":0" />。
** [[3月16日]] - 北口駅前ロータリーを14時より供用開始<ref name="seiburailway20190220" /><ref name=":1">{{Cite web|和書|title=西武池袋線 ひばりヶ丘駅リニューアル、北口ロータリーにバス停を整備 {{!}} 鉄道ニュース|url=https://tetsudo-ch.com/5171965.html|website=[[鉄道チャンネル]]|accessdate=2020-08-28|language=ja|last=|publisher=|date=2019-02-25}}</ref>。北口でも駅前からバスが発着するようになる<ref name="seiburailway20190220" /><ref name=":1" />。
* [[2020年]]([[令和]]2年)
** [[1月31日]] - 駅舎改修工事の進捗により、2005年5月のバリアフリー対応工事完了の際に出店したセブン-イレブンが、この日の15時をもって閉店。
** [[11月10日]] - [[田無警察署#西東京市|ひばりが丘駅前交番]]が、南口エレベーター横に移動。
== 駅構造 ==
[[島式ホーム]]2面4線を有する[[地上駅]]。内側2線が[[停車場#本線|本線]]、外側が[[待避駅|待避線]]であり、1・2番ホームが下り、3・4番ホームが上りとなっている。[[橋上駅|橋上駅舎]]を有している。
駅舎は[[バリアフリー]]化が遅れていたが、[[2005年]]([[平成]]17年)に改良工事が完成し、ホーム上屋の一部にアーチ状屋根が採用された。ホームと[[改札]]階、改札階と南口側地上との間をそれぞれ連絡する[[エレベーター]]と[[エスカレーター]]がある。[[便所|トイレ]]は2階改札内にあり、多機能トイレも併設している。
一方で、北口側は入口の両端に店舗があり、バリアフリー施設を設置するスペースが長らく存在しないこともあり旧態依然であったが、西東京市が推進する駅のバリアフリー化事業により2018年4月に新しい北口の階段・エスカレーター・エレベーターが新設された<ref name="nishitokyo20180423"/>。これにより西東京市内の全5駅のバリアフリー化が完成した<ref name="kohonishitokyo20180515"/>。
=== のりば ===
<!--方面表記は、西武鉄道の「駅構内図」の記載に準拠-->
{|class="wikitable"
!ホーム!!路線!!方向!!行先
|-
!1・2
|rowspan="2"|[[File:SeibuIkebukuro.svg|18px|SI]] 池袋線
|style="text-align:center;"|下り
|[[所沢駅|所沢]]・[[飯能駅|飯能]]・[[西武秩父駅|西武秩父]]方面
|-
!3・4
|style="text-align:center;"|上り
|[[練馬駅|練馬]]・[[池袋駅|池袋]]・[[新木場駅|新木場]]・[[渋谷駅|渋谷]]・[[横浜駅|横浜]]方面
|}
(出典:[https://www.seiburailway.jp/railway/station/hibarigaoka/ 西武鉄道:駅構内図])
* 内側2線(2・3番ホーム)が本線(主本線)、外側2線(1・4番ホーム)が副線(待避線)である。なお一部の[[西武池袋線#快速|快速]]、[[西武池袋線#準急|準急]]列車で、他列車の待避がなくても1・4番ホームを使用する列車がある。これらは主に不定期運転の臨時列車の待避や前後の列車との運転間隔の調整を前提とした事である。
* [[ちちぶ (列車)|特急]]および平日朝ラッシュ時に運行される[[西武池袋線#通勤急行|通勤急行]]・[[S-TRAIN]]以外の全旅客営業列車が停車する。
* 主に当駅で[[西武池袋線#急行|急行]]と[[西武池袋線#準急|準急]]・[[西武池袋線#各駅停車|各駅停車]]の[[停車 (鉄道)#緩急接続|相互接続]]を行うが、土休日夜の下り急行の一部は接続がない。2019年3月16日改正では下り列車のみ当駅での緩急接続が減らされたが2020年3月14日の改正で元に戻されている。
* 平日早朝には上り[[西武池袋線#快速|快速]]が当駅で特急の通過待ちを行う。また土曜・休日ダイヤの上り快速急行1本は、当駅で特急の通過待ち合わせを行う。
* 平日朝、西武線池袋駅への先着列車は、快速急行・急行池袋駅行き・続行する通勤準急の池袋駅行き、および練馬駅で各停池袋駅行きに接続する快速元町・中華街駅行き・準急新木場駅行きが基本であるが、8時台1本の準急新木場駅行きのみ、各停池袋駅行きへの接続駅が石神井公園駅となっている。
* 土曜・休日の野球ダイヤ時では、副都心線からの快速急行小手指行が快速西武球場前行に行先変更(当駅から各駅に停車)となり、それに接続する形で、当駅始発の快速急行小手指行きが2本設定されている。 これは、行先変更により運転の無くなってしまう所沢より先の乗客への利便性を落とさないようにするためのものである。なお、始発の快速急行は、所沢で[[西武新宿線|新宿線]][[本川越駅|本川越]]方面からの各停西武球場前行(前述の快速より先行)に連絡するパターンがある。
* [[西武ドーム]]や[[入間基地]]航空祭などのイベント輸送では、所沢方面から当駅止まりの電車が不定期だが設定されており、各系列の[[方向幕|行先表示器]]にもひばりヶ丘の表示が存在する。ただし当駅には折り返し設備がないので、到着した電車は乗客を降車した後、1駅先の[[保谷駅|保谷]]駅の留置線へ[[回送]]されていた。これは配線改良前の保谷駅では本線を使っての上り列車の下り方面への折り返しが出来なかったためである。なお、野球イベント輸送は2012年6月30日のダイヤ改正で、保谷・清瀬・所沢行きに変更され消滅したが、現在でも人身事故や車両故障等のダイヤ乱れ等の場合に突発的に運転される事がある。
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Seibu Railway Hibarigaoka Station Gate.jpg|改札口(2022年7月)
Seibu Railway Hibarigaoka Station Platform 1・2.jpg|1・2番ホーム(2022年7月)
Seibu Railway Hibarigaoka Station Platform 3・4.jpg|3・4番ホーム(2022年7月)
</gallery>
== 利用状況 ==
[[2022年]](令和4年)度の1日平均の[[乗降人員|'''乗降'''人員]]は'''63,812人'''であり<ref group="西武" name="seibu2022" />、西武鉄道全92駅中12位。
近年の1日平均'''乗降'''・[[乗降人員#乗車人員|'''乗車'''人員]]の推移は下表の通り。
<!--東京都統計年鑑を出典にしている数値については、元データが1,000人単位で掲載されているため、*1000/365 (or 366) で計算してあります-->
{|class="wikitable" style="text-align:right; font-size:85%;"
|+年度別1日平均乗降・乗車人員<ref name="nishitokyo">[http://www.city.nishitokyo.lg.jp/siseizyoho/tokei/toukeisyo/index.html 統計書] - 西東京市</ref>
!年度
!1日平均<br />乗降人員<ref>[https://www.train-media.net/report.html レポート] - 関東交通広告協議会</ref>
!1日平均<br />乗車人員<ref>[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/tn-index.htm 東京都統計年鑑] - 東京都</ref>
!出典
|-
|1956年(昭和31年)
|
|3,835
|<ref group="*">{{PDFlink|[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1956/tn56qa0009.pdf 昭和31年]}} - 14ページ</ref>
|-
|1957年(昭和32年)
|
|4,429
|<ref group="*">{{PDFlink|[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1957/tn57qa0009.pdf 昭和32年]}} - 14ページ</ref>
|-
|1958年(昭和33年)
|
|5,624
|<ref group="*">{{PDFlink|[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1958/tn58qa0009.pdf 昭和33年]}} - 14ページ</ref>
|-
|1959年(昭和34年)
|
|9,086
|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1959/tn59qyti0510u.htm 昭和34年]</ref>
|-
|1960年(昭和35年)
|
|10,909
|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1960/tn60qyti0510u.htm 昭和35年]</ref>
|-
|1961年(昭和36年)
|
|12,428
|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1961/tn61qyti0510u.htm 昭和36年]</ref>
|-
|1962年(昭和37年)
|
|14,501
|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1962/tn62qyti0510u.htm 昭和37年]</ref>
|-
|1963年(昭和38年)
|
|16,332
|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1963/tn63qyti0510u.htm 昭和38年]</ref>
|-
|1964年(昭和39年)
|
|17,956
|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1964/tn64qyti0510u.htm 昭和39年]</ref>
|-
|1965年(昭和40年)
|
|19,101
|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1965/tn65qyti0510u.htm 昭和40年]</ref>
|-
|1966年(昭和41年)
|
|20,310
|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1966/tn66qyti0510u.htm 昭和41年]</ref>
|-
|1967年(昭和42年)
|
|21,543
|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1967/tn67qyti0510u.htm 昭和42年]</ref>
|-
|1968年(昭和43年)
|
|22,147
|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1968/tn68qyti0510u.htm 昭和43年]</ref>
|-
|1969年(昭和44年)
|
|23,455
|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1969/tn69qyti0510u.htm 昭和44年]</ref>
|-
|1970年(昭和45年)
|
|24,556
|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1970/tn70qyti0510u.htm 昭和45年]</ref>
|-
|1971年(昭和46年)
|
|25,014
|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1971/tn71qyti0510u.htm 昭和46年]</ref>
|-
|1972年(昭和47年)
|
|25,847
|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1972/tn72qyti0510u.htm 昭和47年]</ref>
|-
|1973年(昭和48年)
|
|26,871
|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1973/tn73qyti0510u.htm 昭和48年]</ref>
|-
|1974年(昭和49年)
|
|27,973
|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1974/tn74qyti0510u.htm 昭和49年]</ref>
|-
|1975年(昭和50年)
|
|28,331
|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1975/tn75qyti0510u.htm 昭和50年]</ref>
|-
|1976年(昭和51年)
|
|28,115
|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1976/tn76qyti0510u.htm 昭和51年]</ref>
|-
|1977年(昭和52年)
|
|28,512
|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1977/tn77qyti0510u.htm 昭和52年]</ref>
|-
|1978年(昭和53年)
|
|29,016
|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1978/tn78qyti0510u.htm 昭和53年]</ref>
|-
|1979年(昭和54年)
|
|29,410
|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1979/tn79qyti0510u.htm 昭和54年]</ref>
|-
|1980年(昭和55年)
|
|30,153
|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1980/tn80qyti0510u.htm 昭和55年]</ref>
|-
|1981年(昭和56年)
|
|30,868
|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1981/tn81qyti0510u.htm 昭和56年]</ref>
|-
|1982年(昭和57年)
|
|31,249
|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1982/tn82qyti0510u.htm 昭和57年]</ref>
|-
|1983年(昭和58年)
|
|31,967
|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1983/tn83qyti0510u.htm 昭和58年]</ref>
|-
|1984年(昭和59年)
|
|32,468
|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1984/tn84qyti0510u.htm 昭和59年]</ref>
|-
|1985年(昭和60年)
|
|32,964
|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1985/tn85qyti0510u.htm 昭和60年]</ref>
|-
|1986年(昭和61年)
|
|33,986
|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1986/tn86qyti0510u.htm 昭和61年]</ref>
|-
|1987年(昭和62年)
|
|34,402
|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1987/tn87qyti0510u.htm 昭和62年]</ref>
|-
|1988年(昭和63年)
|
|35,504
|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1988/tn88qyti0510u.htm 昭和63年]</ref>
|-
|1989年(平成元年)
|
|35,910
|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1989/tn89qyti0510u.htm 平成元年]</ref>
|-
|1990年(平成{{0}}2年)
|
|36,745
|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1990/tn90qyti0510u.htm 平成2年]</ref>
|-
|1991年(平成{{0}}3年)
|
|37,216
|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1991/tn91qyti0510u.htm 平成3年]</ref>
|-
|1992年(平成{{0}}4年)
|
|37,055
|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1992/TOBB510P.HTM 平成4年]</ref>
|-
|1993年(平成{{0}}5年)
|
|37,315
|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1993/TOBB510Q.HTM 平成5年]</ref>
|-
|1994年(平成{{0}}6年)
|
|36,907
|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1994/TOBB510R.HTM 平成6年]</ref>
|-
|1995年(平成{{0}}7年)
|
|36,041
|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1995/TOBB510S.HTM 平成7年]</ref>
|-
|1996年(平成{{0}}8年)
|
|35,381
|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1996/TOBB510T.HTM 平成8年]</ref>
|-
|1997年(平成{{0}}9年)
|
|35,058
|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1997/TOBB510U.HTM 平成9年]</ref>
|-
|1998年(平成10年)
|
|34,077
|<ref group="*">{{PDFlink|[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1998/TOBB510J.PDF 平成10年]}}</ref>
|-
|1999年(平成11年)
|
|32,978
|<ref group="*">{{PDFlink|[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1999/TOBB510K.PDF 平成11年]}}</ref>
|-
|2000年(平成12年)
|
|32,312
|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2000/00qyti0510u.htm 平成12年]</ref>
|-
|2001年(平成13年)
|
|32,211
|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2001/01qyti0510u.htm 平成13年]</ref>
|-
|2002年(平成14年)
|63,955
|31,745
|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2002/tn02qyti0510u.htm 平成14年]</ref>
|-
|2003年(平成15年)
|64,599
|32,060
|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2003/tn03qyti0510u.htm 平成15年]</ref>
|-
|2004年(平成16年)
|64,940
|32,156
|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2004/tn04qyti0510u.htm 平成16年]</ref>
|-
|2005年(平成17年)
|66,033
|32,696
|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2005/tn05qyti0510u.htm 平成17年]</ref>
|-
|2006年(平成18年)
|66,499
|32,959
|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2006/tn06qyti0510u.htm 平成18年]</ref>
|-
|2007年(平成19年)
|67,318
|33,473
|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2007/tn07qyti0510u.htm 平成19年]</ref>
|-
|2008年(平成20年)
|67,682
|33,663
|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2008/tn08qyti0510u.htm 平成20年]</ref>
|-
|2009年(平成21年)
|68,663
|34,167
|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2009/tn09q3i004.htm 平成21年]</ref>
|-
|2010年(平成22年)
|67,591
|33,786
|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2010/tn10q3i004.htm 平成22年]</ref>
|-
|2011年(平成23年)
|66,387
|33,180
|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2011/tn11q3i004.htm 平成23年]</ref>
|-
|2012年(平成24年)
|67,456
|33,696
|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2012/tn12q3i004.htm 平成24年]</ref>
|-
|2013年(平成25年)
|68,930
|34,433
|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2013/tn13q3i004.htm 平成25年]</ref>
|-
|2014年(平成26年)
|67,907
|33,918
|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2014/tn14q3i004.htm 平成26年]</ref>
|-
|2015年(平成27年)
|69,024
|34,497
|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2015/tn15q3i004.htm 平成27年]</ref>
|-
|2016年(平成28年)
|70,247
|35,121
|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2016/tn16q3i004.htm 平成28年]</ref>
|-
|2017年(平成29年)
|72,652
|36,323
|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2017/tn17q3i004.htm 平成29年]</ref>
|-
|2018年(平成30年)
|73,607
|36,800
|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2018/tn18q3i004.htm 平成30年]</ref>
|-
|2019年(令和元年)
|74,392
|37,189
|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2019/tn19q3i004.htm 平成31年・令和元年]</ref>
|-
|2020年(令和{{0}}2年)
|<ref group="西武" name="seibu2020">{{Wayback|url=https://www.seiburailway.jp/railway/eigyo/transfer/2020joukou.pdf|title=駅別乗降人員(2020年度1日平均)|date=20210923000614}}、2022年8月18日閲覧</ref>55,311
|
|-
|2021年(令和{{0}}3年)
|<ref group="西武" name="seibu2021">{{Wayback|url=https://www.seiburailway.jp/file.jsp?file/2021joukou.pdf|title=駅別乗降人員(2021年度1日平均)|date=20220708052848}}、2022年8月18日閲覧</ref>58,883
|
|
|-
|2022年(令和{{0}}4年)
|<ref group="西武" name="seibu2022">{{Cite web|和書|title=駅別乗降人員(2022年度1日平均)|url=https://www.seiburailway.jp/file.jsp?company/passengerdata/file/2022joukou.pdf|page=|accessdate=2023-07-22|publisher=西武鉄道|format=pdf|language=日本語|archiveurl=|archivedate=}}</ref>63,812
|
|
|}
== 駅周辺 ==
[[File:Hibarigaoka PARCO 2012-11-01.JPG|thumb|right|ひばりヶ丘PARCO(アリエビル)]]
{{See also|ひばりが丘 (東京都)}}
=== 駅構内 ===
出店店舗の詳細は[[西武プロパティーズ]]公式サイト「[http://www.seibu-shop.jp/floorguide/station.php?fcd=13 ひばりが丘駅の店舗情報]」を参照。
<!--駅ナカ施設以外ではチェーン店を含む飲食店、コンビニ、個人商店、ATMのみの銀行無人店舗、パチンコ店、ネットカフェ、学習塾などは記載しない-->
=== 南口 ===
* [[田無警察署]]ひばりヶ丘駅前交番
* 西東京市役所ひばりヶ丘駅前出張所
* 西東京市ひばりが丘図書館
* 西東京市ひばりが丘公民館
* 西東京市ひばりが丘福祉会館
* [[西友]]ひばりが丘店 - [[1978年]]開店。
** [[CASA]] ひばりヶ丘西友店
** [[コジマ|コジマ×ビックカメラ]] 西友ひばりヶ丘店
* アリエビル([[パルコ#コミュニティ型店舗|ひばりが丘PARCO]])- [[1993年]][[10月8日]]開店。南口再開発事業によって建設された「アリエビル」に出店。
* [[三井住友銀行]]ひばりヶ丘支店
* [[りそな銀行]]ひばりヶ丘支店
* [[みずほ信託銀行]]ひばりが丘支店
* [[住友重機械工業]]田無製作所(バス利用)
* [[ひばりが丘団地]] - [[都市再生機構|UR都市機構]]ひばりが丘パークヒルズとして再開発。バス利用。
** 西友ひばりが丘団地店
* 西東京いこいの森公園
* [[学校法人自由学園|自由学園]]
* ひばりが丘郵便局
* まなマートひばりヶ丘店
* [[ビッグ・エー|Big-A]]西東京谷戸町店
* [[生活協同組合コープとうきょう|コープとうきょう]]ひばりが丘店
南口には広い[[広場#交通広場と駅前広場|駅前広場]]があり、そこから[[武蔵境駅|武蔵境]]、[[三鷹駅|三鷹]]方面へのバス路線が発着する。広場を囲むように西友とPARCOが建つ。駅から[[田無駅]]方面に延びる[[東京都道112号ひばりケ丘停車場線|谷戸新道]](都道112号)沿いは[[商店街]]となり、駅前再開発により建設された高層[[マンション]]が立ち並ぶが、一歩入るとすぐに住宅街となる。特に西側の[[東久留米市]]側は学園町と呼ばれ、自由学園を中心に碁盤の目のように道路が走る。
南口にかつてあった「都営亦六(またろく)住宅」跡地は、地区計画による再開発<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.city.nishitokyo.lg.jp/siseizyoho/matidukuri/chikukeikaku/ichiran/hibarigaoka_minamiguchi/hibariminamigutitiku.html|title=ひばりヶ丘駅南口地区 地区計画|publisher=西東京市|date=2008-07-30|accessdate=2018-06-07}}</ref>が行われ、[[超高層マンション|タワーマンション]]が建設されている。
南口ではひばりが丘団地の建て替えと民間の大規模マンションや[[住宅#一戸建|戸建て住宅]]の建設が続いており、{{いつから範囲|今後|date=2020-08-28}}1万人程度の利用者の増加が見込まれている。
西東京市の駅前広場バリアフリー事業に伴い、2018年3月までに南口ロータリーが改良された<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.city.nishitokyo.lg.jp/siseizyoho/matidukuri/main_douroseibijigyou/180314.html|title=ひばりヶ丘駅南口駅前広場バリアフリー事業 ひばりヶ丘駅南口駅前広場バリアフリー事業の完了|publisher=西東京市|date=2018-03-14|accessdate=2018-06-07}}</ref>。バスやタクシーの乗降場や待機スペースの整備、福祉車両優先スペースの整備などが行われた<ref name="nishitokyo20160831">{{Cite web|和書|url=https://www.city.nishitokyo.lg.jp/press/2016/kisyakaiken20160831.files/11.pdf|title=ひばりヶ丘駅周辺のまちづくりの推進|format=pdf|publisher=西東京市|date=2016-08-31|accessdate=2018-06-07}}</ref>。
<gallery widths="200" style="font-size:90%;">
Seibu Hibarigaoka Station South-01.jpg|南口駅前広場(2010年6月)
Seibu-Railway-Hibarigaoka-Sta-South.jpg|2005年に改良された南口駅舎(2012年5月)
</gallery>
=== 北口 ===
* ひばりが丘北郵便局
* [[みずほ銀行]]ひばりが丘支店
* [[多摩信用金庫]]ひばりが丘支店
* [[青梅信用金庫]]新座支店
* [[Olympicグループ|オリンピック]]ひばりヶ丘店
* [[ライフコーポレーション|ライフ]]新座店
* スポーツクラブ ルネサンスひばりヶ丘
* [[東京ドーム (企業)|後楽園スイミングスクール]]ひばりが丘
* [[新座警察署]]栗原交番
地理的には西東京・東久留米・新座の3市の市境に近く、それぞれから利用者が集まる。
北口は南口と対照的に隘路が入り組み、商店街を中心に発達した。2010年8月には[[東京都都市整備局]]から「街並み再生地区」に指定された<ref>[http://www.metro.tokyo.jp/INET/OSHIRASE/2010/08/20k8p500.htm 「ひばりヶ丘駅北口地区」の「街並み再生地区」の指定について]{{リンク切れ|date=2018年3月|bot=InternetArchiveBot}} - 東京都都市整備局 2010年8月25日</ref><ref>[http://www.metro.tokyo.jp/INET/OSHIRASE/2010/08/20k8p501.htm 別紙 まちづくりにおける将来像のイメージ] {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20171219114250/http://gooddrama.net.websiteoutlook.com/robots.txt|date=2017年12月19日}} - 東京都都市整備局 2010年8月25日</ref>。
北口駅前ロータリーが供用開始するまで、北口[[バスターミナル]]は駅北側の[[埼玉県]][[新座市]]内にあった。[[2019年]](平成31年)に北口駅前広場が完成し、同年3月16日からバス乗り場が移設された<ref name="seiburailway20190220">{{Cite web|和書|url=https://www.seiburailway.jp/news/news-release/2018/20190220hibarigaokarinyual.pdf|title=池袋線 ひばりヶ丘駅が生まれ変わります!|format=pdf|publisher=西武鉄道|date=2019-02-20|accessdate=2019-02-21}}</ref>。
<gallery widths="200" style="font-size:90%;">
Hibarigaoka Station north 20190302 02.jpg|供用開始直前の北口駅前ロータリー(2019年3月)
Hibarigaoka Station north 20190302 03.jpg|整備中の北口駅前広場と都市計画道路(2019年3月)
Seibu hibarigaoka station north entrance 2012-11-01.JPG|商店に挟まれた旧・北口(2012年11月)
Hbarigaoka-station-northexit 2014-02-17 2014-02-18 00-17.JPG|バリアフリー対応工事前の旧・北口の階段(2014年2月)
</gallery>
== バス路線 ==
新座市[[コミュニティバス]]「[[にいバス]]」([[東武バスウエスト新座営業事務所]]により運行)<ref name=":2">{{Cite web|和書|url=https://www.city.niiza.lg.jp/uploaded/attachment/34765.pdf|title=新座市内循環バス「にいバス」ルート図|accessdate=2020-08-28|publisher=[[新座市]]|date=2020-01-06}}</ref>を除き、一般路線バス、西東京市コミュニティバス「[[はなバス]]」のいずれも[[西武バス]]により運行<ref name="rosenzu">西武バス路線図 2017年11月現在版 p.17</ref>。
当駅と[[田無駅]]間のバス利用の便宜を図るために、[[西武バス]]により2004年4月から発売されていた「ひばり田無フリー定期券」は、2019年2月28日を以って発売終了となった<ref>{{cite|url=https://www.seibubus.co.jp/news/post-2.html|title=「ひばり田無フリー定期券」発売終了について|date=2019.01.04}}</ref>。
=== 南口(ひばりヶ丘駅)===
<!--バス路線の記述は[[プロジェクト:鉄道#バス路線の記述法]]に基づき、必要最小限の情報に留めています。特に経由地については、[[プロジェクト:鉄道#バス路線の記述法]]の観点から、記載しないでください。-->
; 1番のりば
* 西武バス
** [[西武バス滝山営業所#境線|境03]]・深夜:[[武蔵境駅]]
** 田42・深夜:[[田無駅]]
; 2番のりば
* 西武バス
** [[西武バス滝山営業所#境・ひばりヶ丘線|境04]]:武蔵境駅
** 田43:田無駅
** [[西武バス滝山営業所#三鷹線・ひばり滝山線|鷹22]]:[[三鷹駅]]
; 3番のりば
* 西武バス
** [[西武バス滝山営業所#古河団地線|境07]]:武蔵境駅
** 田44:田無駅
** 入庫・深夜バス:[[文華女子中学校・高等学校|文華女子高等学校]]
** 深夜:南沢五丁目
** [[イオンモール東久留米]]
** ひばり81・ひばり82:滝山営業所
* [[はなバス]]
** [[はなバス#第2ルート|第2ルート]]:住吉・泉町循環 / [[東伏見駅]]北口
* 深夜急行バス([[西武バス練馬営業所#Midnight S-tarmine(深夜急行バス)|ミッドナイトアロー]])おりば
=== 北口(ひばりヶ丘駅北口)===
<!--バス路線の記述は[[プロジェクト:鉄道#バス路線の記述法]]に基づき、必要最小限の情報に留めています。特に経由地については、[[プロジェクト:鉄道#バス路線の記述法]]の観点から、記載しないでください。-->
2019年3月16日14時から北口駅前ロータリーが供用され、駅前からバスが発着するようになった<ref name="seiburailway20190220"/><ref name=":1" />。
それまでは、ひばりヶ丘駅北口停留所は北口より徒歩5分<ref name="seiburailway20190220" />の新座市[[栗原 (新座市)|栗原]]5丁目12-9に、西武バス専用折返し場を設けて乗降を扱っていた<ref name="seiburailway20190220" />。北口駅前ロータリー供用開始に伴い、西武バスのダイヤ改正が行われ<ref name=":3">{{Cite web|和書|url=http://www.seibubus.co.jp/whatsNew/news20190222/20190222.pdf|title=3月16日 ひばりヶ丘駅北口ロータリー完成に伴う停留所移設・新設、ダイヤ改正|format=PDF|publisher=西武バス|date=2019-02-22|accessdate=2019-02-23}}</ref>、旧折返し場の北側に「栗原五丁目」停留所が新設された<ref name=":3" />。
折返し場構内には、かつては西武バス案内所が設置されていた。また折返し場と一体化した形で[[デイリーヤマザキ]]ひばりヶ丘北口店<ref>{{Cite web|和書|title=地図 : デイリーヤマザキ ひばりヶ丘北口店 (DailyYAMAZAKI) - ひばりケ丘/その他|url=https://tabelog.com/saitama/A1103/A110302/11039461/|website=[[食べログ]]|accessdate=2020-08-28|language=ja|publisher=}}</ref>が出店しており、店舗からバス停留所へ屋根が伸びて雨に濡れずバスを待つことができた。北口駅前ロータリー供用開始後、デイリーヤマザキは2019年3月31日13時をもって休店している。
なお、[[東京都シルバーパス]]は北口発着路線では利用対象外となっており<ref>『西武の乗合バス ルートマップ』2018年4月1日版、P.10、西武バス発行。</ref>、北口駅前ロータリー供用後も扱いは変わらない(ひばりヶ丘駅北口の次の停留所が新座市内となるため)<ref>[https://www.seibubus.co.jp/docs/rosen/rosenzu/map01.pdf 西武バス路線図 1 成増・荻窪・大泉・吉祥寺・ひばりヶ丘・田無・武蔵境] 西武バス、2020年8月28日閲覧。</ref>。
; 1番のりば
* 西武バス
** [[西武バス新座営業所#ひばりヶ丘駅北口 - 朝霞台駅方面|ひばり71]]:[[朝霞台駅]] ※[[日本の深夜バス|深夜バス]]運行
; 2番のりば
* 西武バス
** [[西武バス新座営業所#ひばりヶ丘駅北口 - 新座市役所 - 志木駅方面|ひばり73]]:[[志木駅]]南口
** ひばり77:[[西武バス新座営業所|新座営業所]] ※深夜バス運行
<gallery widths="200" style="font-size:90%;">
saitamas-end.jpg|北口ロータリー完成前まで使われていた、旧・北口バスターミナル(2010年5月)
Hibarigaoka Station North Exit Bus Stop.jpg|旧・北口バスターミナルに停車する西武バス(2010年9月)
</gallery>
=== 北口(ひばりヶ丘駅入口)===
<!--バス路線の記述は[[プロジェクト:鉄道#バス路線の記述法]]に基づき、必要最小限の情報に留めています。特に経由地については、[[プロジェクト:鉄道#バス路線の記述法]]の観点から、記載しないでください。-->
旧・西武バス専用折返し場(現・待機場)内にあり<ref name="nii2">{{Cite web|和書|url=https://www.city.niiza.lg.jp/uploaded/attachment/43753.pdf|title=市内循環バス路線図(2020年11月改正)|publisher=新座市|accessdate=2021-11-19}}</ref>、[[にいバス]](新座市コミュニティバス)専用の停留所ポールが設置されている。両方向とも同一の停留所を使用する。北口駅前ロータリー供用開始後、西武バスに新設された「栗原五丁目」停留所付近<ref>{{wayback| url=https://www.city.niiza.lg.jp/uploaded/attachment/34763.pdf|title=市内循環バス路線図(2019年12月現在) |date=20191220}}</ref>から西武バス折返し場内<ref name="nii2"/>に変更されている。
* にいバス東コース 右回り・左回り:新座市役所<ref name=":2" />
なお、西武バス・はなバスにも「ひばりヶ丘駅入口」という同名のバス停留所があるが、駅南口の谷戸新道沿いで場所が全く異なる<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.seibubus.co.jp/docs/rosen/rosenzu/06.pdf|title=滝山営業所・西原車庫 バス路線案内図|accessdate=2020-08-28|publisher=西武バス|date=2019-04-01}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://transfer.navitime.biz/seibubus-dia/pc/diagram/BusCourseSearch?busstopId=00110467|title=乗換・時刻表検索 ひばりヶ丘駅入口|publisher=西武バス|accessdate=2018-06-07}}</ref>。
== 隣の駅 ==
; 西武鉄道
<!--有料特急の通過は記載しない-->
: [[File:SeibuIkebukuro.svg|18px|SI]] 池袋線
:: {{Color|#c69|■}}快速急行・{{Color|#f60|■}}急行
::: [[石神井公園駅]] (SI10) - '''ひばりヶ丘駅 (SI13)''' - [[所沢駅]] (SI17)
:: {{Color|#fc0|■}}通勤急行
:::; 通過
:: {{Color|#0cf|■}}快速(東久留米方当駅から各駅に停車)
::: 石神井公園駅 (SI10) - '''ひばりヶ丘駅 (SI13)''' - [[東久留米駅]] (SI14)
:: {{Color|#06c|■}}通勤準急(上りのみ運転)・{{Color|#0c9|■}}準急・{{Color|#999|■}}各駅停車
::: [[保谷駅]] (SI12) - '''ひばりヶ丘駅 (SI13)''' - 東久留米駅 (SI14)
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 記事本文 ===
{{Reflist|3}}
=== 利用状況 ===
;東京都統計年鑑
{{Reflist|group="*"|17em}}
;西武鉄道の1日平均利用客数
{{Reflist|group="西武"|3}}
== 関連項目 ==
* [[ひばりが丘 (東京都)]]
* [[日本の鉄道駅一覧]]
== 外部リンク ==
{{Commonscat|Hibarigaoka Station (Tokyo)}}
* {{外部リンク/西武鉄道駅|filename=hibarigaoka}}
{{西武池袋線}}
{{デフォルトソート:ひはりかおか}}
[[Category:東京都の鉄道駅]]
[[Category:日本の鉄道駅 ひ|はりかおか]]
[[Category:西武鉄道の鉄道駅]]
[[Category:武蔵野鉄道の鉄道駅]]
[[Category:1924年開業の鉄道駅]]
[[Category:西東京市の交通|ひはりかおかえき]]
[[Category:西東京市の建築物|ひはりかおかえき]]
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愛宕駅
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愛宕駅(あたごえき)
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愛宕駅(あたごえき) 愛宕駅 (宮城県) - 宮城県宮城郡松島町にあるJR東日本東北本線の駅
愛宕駅 (千葉県) - 千葉県野田市にある東武鉄道野田線の駅。
愛宕駅 (北海道) - 北海道旭川市にあった旭川電気軌道東旭川線(廃線)の駅。
愛宕駅 (京都府) - 京都府京都市右京区にあった愛宕山鉄道鋼索線(廃線)の駅。
|
'''愛宕駅'''(あたごえき)
*[[愛宕駅 (宮城県)]] - 宮城県宮城郡松島町にあるJR東日本東北本線の駅
*[[愛宕駅 (千葉県)]] - 千葉県野田市にある東武鉄道野田線の駅。
*愛宕駅 (北海道) - 北海道旭川市にあった[[旭川電気軌道東旭川線]](廃線)の駅。
*愛宕駅 (京都府) - 京都府京都市右京区にあった[[愛宕山鉄道]]鋼索線(廃線)の駅。
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[[Category:同名の鉄道駅]]
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愛野駅
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愛野駅(あいのえき)
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愛野駅(あいのえき) 愛野駅 (静岡県) - 静岡県袋井市にある東海旅客鉄道(JR東海)東海道本線の駅。
愛野駅 (長崎県) - 長崎県雲仙市にある島原鉄道 島原鉄道線の駅。
|
'''愛野駅'''(あいのえき)
* [[愛野駅 (静岡県)]] - 静岡県袋井市にある東海旅客鉄道(JR東海)[[東海道本線]]の駅。
* [[愛野駅 (長崎県)]] - 長崎県雲仙市にある島原鉄道 [[島原鉄道線]]の駅。
== 関連項目 ==
* [[相野駅]] - 兵庫県三田市にある[[JR西日本]] [[福知山線]]の駅。
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[[Category:同名の鉄道駅]]
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郡山駅
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郡山駅(こおりやまえき)
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郡山駅(こおりやまえき) 郡山駅 (福島県) - 福島県郡山市にあるJR東日本東北新幹線・東北本線・磐越西線・磐越東線の駅。
郡山駅 (奈良県) - 奈良県大和郡山市にあるJR西日本関西本線(大和路線)の駅。
近鉄郡山駅 - 奈良県大和郡山市にある近鉄橿原線の駅。
岩手県紫波郡紫波町日詰にある地名。馬継所(駅場)があったための地名であり、鉄道の駅ではない。
|
'''郡山駅'''(こおりやまえき)
*[[郡山駅 (福島県)]] - [[福島県]][[郡山市]]にあるJR東日本東北新幹線・東北本線・磐越西線・磐越東線の駅。
*[[郡山駅 (奈良県)]] - [[奈良県]][[大和郡山市]]にあるJR西日本関西本線(大和路線)の駅。
*[[近鉄郡山駅]] - 奈良県大和郡山市にある近鉄橿原線の駅。
*岩手県紫波郡[[紫波町]]日詰にある地名。馬継所(駅場)があったための地名であり、鉄道の駅ではない。
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[[Category:同名の鉄道駅]]
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旭駅
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旭駅(あさひえき)
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旭駅(あさひえき) 旭駅 (千葉県) - 千葉県旭市にあるJR東日本総武本線の駅。
旭駅 (高知県) - 高知県高知市にあるJR四国土讃線の駅。
旭駅 (北海道) - 北海道紋別郡上湧別町にあったJR北海道名寄本線の駅。
鹿島旭駅 - 茨城県鉾田市にある鹿島臨海鉄道大洗鹿島線の駅。
尾張旭駅 - 愛知県尾張旭市にある名鉄瀬戸線の駅。
三河旭駅 - 愛知県碧南市にあった名鉄三河線の駅。
肥前旭駅 - 佐賀県鳥栖市にあるJR九州鹿児島本線の駅。
|
'''旭駅'''(あさひえき)
* [[旭駅 (千葉県)]] - 千葉県旭市にあるJR東日本総武本線の駅。
* [[旭駅 (高知県)]] - 高知県高知市にあるJR四国土讃線の駅。
* [[旭駅 (北海道)]] - 北海道紋別郡上湧別町にあったJR北海道名寄本線の駅。
* [[鹿島旭駅]] - 茨城県鉾田市にある鹿島臨海鉄道大洗鹿島線の駅。
* [[尾張旭駅]] - 愛知県尾張旭市にある名鉄瀬戸線の駅。
* [[三河旭駅]] - 愛知県碧南市にあった名鉄三河線の駅。
* [[肥前旭駅]] - 佐賀県鳥栖市にあるJR九州鹿児島本線の駅。
== 関連項目 ==
* {{Prefix|旭駅}}
* {{Intitle|旭駅}}
* [[Wikipedia:索引 あさひ#あさひえ]]
* [[朝日駅]]
* [[朝陽駅]]
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[[Category:同名の鉄道駅]]
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14,585 |
京橋駅
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京橋駅(きょうばしえき)
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京橋駅(きょうばしえき) 京橋駅 (東京都) - 東京都中央区にある東京メトロ銀座線の駅。
京橋駅 (大阪府) - 大阪府大阪市都島区・城東区にある西日本旅客鉄道(JR西日本)大阪環状線・片町線・JR東西線・京阪本線・Osaka Metro長堀鶴見緑地線の駅。
京橋停留場 - 岡山県岡山市北区にある岡山電気軌道東山本線の臨時停留場。
桑名京橋駅 - 三重県桑名市京橋町にあった三重交通(現在の三岐鉄道)北勢線の駅。
和歌山県和歌山市にあった南海和歌山軌道線の駅。#停留所一覧を参照
|
'''京橋駅'''(きょうばしえき)
* [[京橋駅 (東京都)]] - [[中央区 (東京都)|東京都中央区]]にある[[東京メトロ銀座線]]の駅。
* [[京橋駅 (大阪府)]] - [[大阪府]][[大阪市]][[都島区]]・[[城東区]]にある[[西日本旅客鉄道]](JR西日本)[[大阪環状線]]・[[片町線]]・[[JR東西線]]・[[京阪本線]]・[[Osaka Metro長堀鶴見緑地線]]の駅。
* [[京橋停留場]] - [[岡山県]][[北区 (岡山市)|岡山市北区]]にある[[岡山電気軌道東山本線]]の臨時停留場。
* [[桑名京橋駅]] - [[三重県]][[桑名市]]京橋町にあった[[三重交通]](現在の三岐鉄道)北勢線の駅。
*[[和歌山県]][[和歌山市]]にあった[[南海和歌山軌道線]]の駅。[[南海和歌山軌道線#停留所一覧|#停留所一覧]]を参照
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[[Category:同名の鉄道駅]]
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14,586 |
三田駅
|
三田駅
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三田駅 三田駅 (東京都) (みたえき) - 東京都港区にある、東京都交通局(都営地下鉄)浅草線・三田線の駅。
三田駅 (兵庫県) (さんだえき) - 兵庫県三田市にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)福知山線・神戸電鉄三田線の駅。
三田駅 (ソウル特別市) (サムジョンえき) - 大韓民国ソウル特別市松坡区にある、ソウル地下鉄9号線の駅。
|
'''三田駅'''
* [[三田駅 (東京都)]] (みたえき) - [[東京都]][[港区 (東京都)|港区]]にある、[[東京都交通局]]([[都営地下鉄]])[[都営地下鉄浅草線|浅草線]]・[[都営地下鉄三田線|三田線]]の駅。
* [[三田駅 (兵庫県)]] (さんだえき) - [[兵庫県]][[三田市]]にある、[[西日本旅客鉄道]](JR西日本)[[福知山線]]・[[神戸電鉄]][[神戸電鉄三田線|三田線]]の駅。
* [[三田駅 (ソウル特別市)]] (サムジョンえき) - [[大韓民国]][[ソウル特別市]][[松坡区]]にある、[[ソウル市メトロ9号線|ソウル地下鉄9号線]]の駅。
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[[Category:同名の鉄道駅]]
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E7%94%B0%E9%A7%85
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14,587 |
48
|
48(四十八、しじゅうはち、よんじゅうはち、よそや、よそじあまりやつ)は自然数、また整数において、47の次で49の前の数である。
|
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"text": "48(四十八、しじゅうはち、よんじゅうはち、よそや、よそじあまりやつ)は自然数、また整数において、47の次で49の前の数である。",
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48(四十八、しじゅうはち、よんじゅうはち、よそや、よそじあまりやつ)は自然数、また整数において、47の次で49の前の数である。
|
{{整数|Decomposition=2{{sup|4}} × 3}}
'''48'''('''四十八'''、しじゅうはち、よんじゅうはち、よそや、よそじあまりやつ)は[[自然数]]、また[[整数]]において、[[47]]の次で[[49]]の前の数である。
== 性質 ==
* 48 は[[合成数]]であり、正の[[約数]]は [[1]], [[2]], [[3]], [[4]], [[6]], [[8]], [[12]], [[16]], [[24]], 48 である。
**[[約数の和]]は[[124]]。
***9番目の[[過剰数]]である。1つ前は[[42]]、次は[[54]]。
***約数の和が3桁の数になる最小の数である。
****16番目の[[高度過剰数]]である。1つ前は[[42]]、次は[[60]]。
** 約数を10個もつ最小の数である。次は[[80]]。
***[[約数]]を ''n'' 個もつ最小の数とみたとき。1つ前の9個は[[36]]、次の11個は[[1024]]。({{OEIS|A005179}})
***8番目の[[高度合成数]]である。1つ前は[[36]]、次は[[60]]。
***自分自身のすべての約数の積が自分自身の5乗になる最小の数である。1つ前の4乗は[[24]]、次の6乗は[[60]]。({{OEIS|A003680}})
**[[約数]]の積は254803968。
***約数の積の値がそれ以前の数を上回る14番目の数である。1つ前は[[36]]、次は[[60]]。({{OEIS|A034287}})
*7番目の[[高度トーシェント数]]である。1つ前は[[24]]、次は[[72]]。
*48 = 2 × 4 × 6
**初めの3つの正の[[偶数]]の総乗である。[[二重階乗]]の記号を使えば 48 = 6!! と表せる。1つ前は[[8]]、次は[[384]]。
**3連続偶数の積で表せる数である。自然数の範囲では最小、1つ前は[[0]]、次は [[192]]。
** 48 = 4<sup>3</sup> − 4<sup>2</sup>
***''n'' = 4 のときの ''n''{{sup|3}} − ''n''{{sup|2}} の値とみたとき1つ前は[[18]]、次は[[100]]。({{OEIS|A045991}})
*[[75]]との組 (48, 75) は最小の[[婚約数]]である。すなわち、一方の1と自身を除く正の約数の[[総和]]が他方に等しい。次は([[140]], [[195]])。
*{{sfrac|1|48}} = 0.0208{{underline|3}}… (下線部は循環節で長さは1)
**[[逆数]]が[[循環小数]]になる数で[[循環節]]が1になる11番目の数である。1つ前は[[45]]、次は[[60]]。({{OEIS|A070021}})
*[[九九]]では6の段で 6 × 8 = 48(ろくはしじゅうはち)、8の段で 8 × 6 = 48(はちろくしじゅうはち)と2通りの表し方がある。
*22番目の[[ハーシャッド数]]である。1つ前は[[45]]、次は[[50]]。
**12を基としたときの最小のハーシャッド数である。次は[[84]]。
* 異なる[[平方数]]の和で表せない31個の数の中で22番目の数である。1つ前は[[47]]、次は[[60]]。
*[[約数]]の和が48になる数は3個ある。([[33]], [[35]], [[47]]) 約数の和3個で表せる3番目の数である。1つ前は[[42]]、次は[[60]]。
**約数の和 ''n'' 個で表せる ''n'' 番目の数である。1つ前は[[18]]、次は[[312]]。
* [[各位の和]]が12になる2番目の数である。1つ前は[[39]]、次は[[57]]。
** [[偶数]]という条件をつけると各位の和が12になる最小の数である。
*各位の[[平方和]]が80になる最小の数である。次は[[84]]。({{OEIS|A003132}})
** 各位の平方和が ''n'' になる最小の数である。1つ前の79は1257、次の81は[[9]]。({{OEIS|A055016}})
*各位の[[立方和]]が576になる最小の数である。次は[[84]]。({{OEIS|A055012}})
** 各位の立方和が ''n'' になる最小の数である。1つ前の575は2267、次の577は[[148]]。({{OEIS|A165370}})
** 各位の[[立方和]]が[[平方数]]になる9番目の数である。1つ前は[[40]]、次は[[84]]。({{OEIS|A197039}})
* 48 = 7{{sup|2}} − 1
** ''n'' = 2 のときの 7{{sup|''n''}} − 1 の値とみたとき1つ前は[[6]]、次は[[342]]。({{OEIS|A024075}})
** ''n'' = 7 のときの ''n''{{sup|2}} − 1 の値とみたとき1つ前は[[35]]、次は[[63]]。({{OEIS|A005563}})
*異なる2つの[[素数]]の和5通りで表せる最小の数である。次は[[54]]。({{OEIS|A080854}})<br>48 = [[5]] + [[43]] = [[7]] + [[41]] = [[11]] + [[37]] = [[17]] + [[31]] = [[19]] + [[29]]
**異なる2つの素数の和 ''n'' 通りで表せる最小の数である。1つ前の4通りは[[36]]、次の6通りは[[60]]。({{OEIS|A087747}})
**2つの[[素数]]の和5通りで表せる最小の数である。次は[[54]]。({{OEIS|A067191}})
***2つの素数の和 ''n'' 通りで表せる最小の数である。1つ前の4通りは[[34]]、次の6通りは[[60]]。({{OEIS|A023036}})
* 48 = 4{{sup|2}} + 4{{sup|2}} + 4{{sup|2}}
** 3つの[[平方数]]の和1通りで表せる24番目の数である。1つ前は[[46]]、次は[[49]]。({{OEIS|A025321}})
** 48 = 3 × 4{{sup|2}}
*** ''n'' = 4 のときの 3''n''{{sup|2}} の値とみたとき1つ前は[[27]]、次は[[75]]。({{OEIS|A033428}})
*** ''n'' = 2 のときの 3 × 4{{sup|''n''}} の値とみたとき1つ前は[[12]]、次は[[192]]。({{OEIS|A164346}})
**48 = 2{{sup|4}} × 3
***2つの異なる[[素因数]]の積で ''p''{{sup|4}} × ''q'' の形で表せる最小の数である。次は[[80]]。({{OEIS|A178739}})
*** ''n'' = 4 のときの 3 × 2{{sup|''n''}} の値とみたとき1つ前は[[24]]、次は[[96]]。({{OEIS|A007283}})
*** 48 = 2{{sup|4}} × 3{{sup|1}} 、2{{sup|''i''}} × 3{{sup|''j''}} (''i'' ≧ 1, ''j'' ≧ 1) で表せる6番目の数である。1つ前は[[36]]、次は[[54]]。({{OEIS|A033845}})
*** 48 = 2{{sup|4}} + 2{{sup|5}}
**** ''n'' = 2 のときの ''n''{{sup|4}} + ''n''{{sup|5}} の値とみたとき1つ前は[[2]]、次は[[324]]。({{OEIS|A101362}})
* 48 = 2{{sup|6}} − 2{{sup|4}} = 1 × 2{{sup|4}} × 3
** ''n'' = 2 のときの ''n''{{sup|6}} − ''n''{{sup|4}} の値とみたとき1つ前は[[0]]、次は[[648]]。({{OEIS|A136038}})
** 48 = |4{{sup|2}} − 8{{sup|2}}| (ただし| |は[[絶対値]]記号)
***自身の数の並びを変えないで区切った2つの数の平方数の差の絶対値が自身になる最小の数である。次は100。({{OEIS|A113797}})
* ''n'' = 4 のときの ''n'' と 2''n'' を並べてできる数である。1つ前は[[36]]、次は[[510]]。({{OEIS|A019550}})
== その他 48に関連すること ==
*[[原子番号]] 48 の[[元素]]は[[カドミウム]] (Cd) である。
*'''[[四十八手]]''':[[相撲]]の[[大相撲の決まり手一覧|決まり手]]の総数の俗称。現在、[[日本相撲協会]]では 82 の技と 5 の[[非技]]を制定している。
*日本語の[[平仮名]]・[[片仮名]]は、[[変体仮名]]を除くと48種である。
*[[四十八滝]]・四十八瀬:大小問わず多数の滝や瀬が連なっていることを表す。
*[[四十八願]]
*[[花札]]の一組は48枚。
*[[48DVD]]
*[[AKB48グループ]] - [[秋元康]]プロデュースの[[女性アイドルグループ]]。
**[[AKB48]]・[[SKE48]]・[[NMB48]]・[[HKT48]]・[[NGT48]]・[[STU48]]・[[SDN48]]
**[[JKT48]] - [[インドネシア]]の女性アイドルグループ。
**[[BNK48]] - [[タイ王国|タイ]]の女性アイドルグループ。
**[[MNL48]] - [[フィリピン]]の女性アイドルグループ。
**[[AKB48 Team SH]] - [[中華人民共和国|中国]]の女性アイドルグループ。
**[[AKB48 Team TP]] - [[台湾]]の女性アイドルグループ。
*[[SNH48]] - 中国の女性アイドルグループ。
*[[Team48]] - 日本の[[YouTuber]]。
*年始から48日目は[[2月17日]]である。
*[[アニメ (日本のアニメーション作品)|アニメ]]・[[漫画]]『[[キン肉マン]]』で、主人公の[[キン肉スグル]]の殺人技の数「48の殺人技」。
*[[群馬テレビ]]の[[ガイドチャンネル]]。
*[[アメリカ合衆国]]の48番目の[[州]]は[[アリゾナ州]]である。
*日本の第48代[[内閣総理大臣]]は[[吉田茂]]である。
*[[奈良時代]]、病で退位した第[[46]]代の[[女帝]][[孝謙天皇]]は、[[重祚]]して第48代・[[孝謙天皇|称徳天皇]]として政治に復帰した。
*[[大相撲]]の第48代[[横綱]]は[[大鵬幸喜]]である。
*第48代[[教皇|ローマ教皇]]は[[フェリクス3世 (ローマ教皇)|フェリクス3世]](在位:[[483年]][[3月13日]] - [[492年]][[3月1日]])である。
*[[易占]]の[[六十四卦]]で第48番目の卦は、[[周易下経三十四卦の一覧#井|水風井]]。
*[[クルアーン]]における第48番目の[[スーラ (クルアーン)|スーラ]]は[[勝利 (クルアーン)|勝利]]である。
*[[トレミーの48星座]]:[[古代ローマ]]の[[天文学者]][[クラウディオス・プトレマイオス]]が定めた48の[[星座]]。
*『[[48時間 (映画)|48時間]]』『[[48時間PART2/帰って来たふたり]]』は、[[エディ・マーフィ]]、[[ニック・ノルティ]]主演の[[アメリカ合衆国の映画|アメリカ映画]]。
*『[[四八(仮)]]』は全国[[47]][[都道府県]]を題材とした[[アドベンチャーゲーム]]である。
*「[[特急48ライナー]]」は[[山形交通]]が運行する、国道48号経由で仙台市 - 山形県[[新庄市]]間を結ぶ都市間バス。
*[[全国高等学校サッカー選手権大会]]は予選を勝ち抜いたそれぞれの都道府県の代表校([[東京都]]代表はA・Bを含む)48チームが優勝を目指して出場する(一部例外の大会あり)。
*[[国鉄キハ40系気動車 (2代)#キハ48形|キハ48形]]は、[[日本国有鉄道]]が開発・製作した一般形[[気動車]]。
*ヒトの[[核内受容体]]は48種。
*[[藤本四八]]は、日本の写真家。古美術を撮影した写真作品で知られる。
*ゼッケン番号48を付けていたレーサー[[富沢祥也]]が[[サンマリノ]]で事故死したため、moto2においてそのゼッケン番号が[[永久欠番]]になった。
*[[フォーティエイターズ]]
== 符号位置 ==
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!記号!![[Unicode]]!![[JIS X 0213]]!![[文字参照]]!!名称
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== 関連項目 ==
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*[[4月8日]]
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アイスランドの歴史
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アイスランドの歴史(アイスランドのれきし)では、北大西洋にあるアイスランド島地域の歴史について記述する。
アイスランドは元々無人の島だった。紀元前300年頃に古代ギリシア人によって発見されていたという記録がある。古代ギリシア人のピュテアスと言う学者が、現在のノルウェー海まで航海をし、その海洋にある「トゥーレ」と言う島を発見したとされている。
中世には、「ウルティマ・トゥーレ」と呼ばれ、アイスランドやグリーンランドのような地域は漠然と「極地」、「北の果て」と呼ばれ、ヨーロッパ人からは存在すら忘れ去られていた。
初めてここで越冬したのはヴァイキングのインゴールヴル・アルナルソンだと言われている。なお、『植民の書』によれば、彼に先だってアイスランドを発見した人が「氷の島」と呼んだのが国名の由来とされる。
全島の調整機関として世界最古の近代議会とも言われるアルシングが創設され植民は終了した。初期のアイスランドは定住地域ごとに自治が行われ、国王の君臨する他のヨーロッパの国とは異なっていた。アルシングの集会はシンクヴェトリルにおいて各夏に2週間にかけて招集された。そこでゴジと呼ばれる指導者は、法律を改正したり、論争を解決したり、訴訟に判決を下すために陪審員を任命した。法律は文書化されなかったが、その代わりに、選ばれた「法の宣言者(英語版)」(lögsögumaður)によって記憶された。中心的な行政上の権力がなかったことから、法律はただ人々によって施行されていた。このことが血讐を招き、アイスランド人のサガ(英語版)の作者に多くの題材を提供した。
アルシングでは商業的な取引も行われ、ゴジが交易地の治安維持や価格設定を行った。価値尺度には銀が秤量貨幣となり、実際の支払いにはヴァズマールという自家製の羊毛布を主に用いた。外国商人は越冬する際に農場で生活し、主人の保護を受ける代わりに農作業や戦闘を手伝う互酬関係をもった。互酬は結婚、葬儀、祭日の贈り物でも重要とされ、社会的地位を保つために返礼が行われた。返礼には武力支援や詩作も含まれた。
985年、赤毛のエイリークがグリーンランドを発見し、グリーンランドへの植民が行われた。992年(実際は1000年頃)にエイリークの息子であるレイフ・エリクソンが北米に渡る。以後、僅かではあるが北米への植民が行なわれた。その時代からの定住地が南西グリーンランドとカナダ東部で見つかった。『赤毛のエイリークのサガ』や『グリーンランド人のサガ』といったサガが移民の功績を伝えている。
アイスランドの移民の間では異教信仰が優位であった。しかし10世紀までには、キリスト教への改宗を強いるノルウェーからの政治的圧力が増した。ノルウェー王の下で、また王がアイスランドに差し向けた司祭によって、多くの著名なアイスランド人が新しい信仰を受け入れた。1000年に、異教徒とキリスト教徒との間での内戦の可能性が出てきた。アルシングは、裁定によって宗教の問題を解決するために、族長の一人リョーサンヴァトンのトルゲイルを任命した。トルゲイルは、国が全体としてキリスト教に改宗しなければならないと決めた。しかし、異教の神々はひそかに崇拝してもよいとした。 最初のアイスランド人の司教はイスレイブ(Ísleifr Gizurarson)で、1056年にブレーメンの司教Adalbertによって任命された。
10世紀から13世紀にかけては、大麦や小麦、教会用のワイン、建築用に木材が輸入された。輸出品としてはシロハヤブサなどの猛禽類、セイウチやイッカクの牙など希少財が有名であり、他に羊毛布のヴァズマールが他国に比べ安価で良質であり多く輸出された。。
13世紀にはノルウェーの介入を誘うことになり、1241年、権勢を誇ったスノッリ・ストゥルルソンが暗殺され、1262年にはノルウェーの事実上の植民地となる。
14世紀以降は干し魚が重要な輸出品となる。干し魚には特にタラが用いられた。干し魚はドイツ商人によって大陸へ輸出され、ヴァズマールに代わって貨幣として用いられるようになる。ノルウェーの他にイギリスも取引や漁業のためにアイスランドを訪れ、ノルウェーと利害を共にするハンザ同盟の商人とイギリス人の間で対立も起きた。漁業が主要産業となり、のちの16世紀のアイスランドの紋章には、王冠を戴くタラが描かれている。
外国による支配、ペストの流行、飢饉、1783年のラキ火山噴火などで人口が大幅に減り、困窮状態に陥る。しかし、18世紀半ば以降さまざまな産業が興り、回復していく。1814年のキール条約により、デンマーク=ノルウェーが解消されたが、アイスランドはデンマーク領として残された。
1904年に自治を達成し、1874年に制定された憲法に基き、1904年からは首相が置かれた。1918年にはデンマークへの従属的同君連合を形成するアイスランド王国が発足。
第二次世界大戦中の1940年4月9日、ドイツのデンマーク侵攻により国王クリスチャン10世がドイツ占領下におかれると、その翌10日にアルシングは、内閣への元首権限付与と、それまでデンマークが担当していた外交および沿岸警備の自主化を決議する。5月10日、イギリスが航路防衛の必要上から、中立であったアイスランドに対し、侵攻作戦を実施、全土を占領した。
1941年5月15日にはアイスランド王国の元首代行として摂政を設置しスヴェイン・ビョルンソンをその職に充てる法律がアルシングで可決された。7月7日、アメリカ合衆国のフランクリン・ルーズベルト大統領は、アイスランドのイギリス軍の守備部隊に代りアメリカ海軍が進駐することを発表。欧州に対して不干渉を貫いてきたアメリカの転換点ともなった。占領下のアイスランドではドイツ軍からの攻撃による島民の犠牲者が出た一方で、史上空前の好景気がもたらされた。
デンマークとの同君連合協定は1940年から3年以内に改定されることとなっていたが、その作業が行われなかったことから1943年12月31日をもって失効した。1944年の2月25日にアルシングはデンマークとの同君連合解消と共和制憲法を可決し、5月20日から23日にかけてのアイスランド王国憲法改正国民投票(英語版)において、ともに圧倒的多数で承認された。これを受けて6月17日にアイスランド共和国が発足し、すでに名目化していた王制と同君連合を解消した。初代大統領にはアイスランド王国摂政のビョルンソンが選出された。国王クリスチャン10世はなおもドイツ占領下にあったが、これに祝福のメッセージを送ることで事実上の承認を行った。
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"text": "デンマークとの同君連合協定は1940年から3年以内に改定されることとなっていたが、その作業が行われなかったことから1943年12月31日をもって失効した。1944年の2月25日にアルシングはデンマークとの同君連合解消と共和制憲法を可決し、5月20日から23日にかけてのアイスランド王国憲法改正国民投票(英語版)において、ともに圧倒的多数で承認された。これを受けて6月17日にアイスランド共和国が発足し、すでに名目化していた王制と同君連合を解消した。初代大統領にはアイスランド王国摂政のビョルンソンが選出された。国王クリスチャン10世はなおもドイツ占領下にあったが、これに祝福のメッセージを送ることで事実上の承認を行った。",
"title": "主権国家体制へ"
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アイスランドの歴史(アイスランドのれきし)では、北大西洋にあるアイスランド島地域の歴史について記述する。
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[[File:Iceland sat cleaned.png|340px|thumb|アイスランド島]]
{{アイスランドの歴史}}
'''アイスランドの歴史'''(アイスランドのれきし)では、[[北大西洋]]にある[[アイスランド|アイスランド島]]地域の歴史について記述する。
== 前史 ==
アイスランドは元々無人の島だった。[[紀元前]]300年頃に[[古代ギリシア]]人によって発見されていたという記録がある。[[古代]]ギリシア人の[[ピュテアス]]と言う[[学者]]が、現在の[[ノルウェー海]]まで航海をし、その海洋にある「[[トゥーレ]]」と言う島を発見したとされている。
[[中世]]には、「ウルティマ・トゥーレ」と呼ばれ、アイスランドや[[グリーンランド]]のような地域は漠然と「極地」、「北の果て」と呼ばれ、ヨーロッパ人からは存在すら忘れ去られていた。
== 植民と開拓 ==
{{Main|{{仮リンク|アイスランド入植|en|Settlement of Iceland}}|[[アイスランド共和国 (中世)]]}}
[[ファイル:Ingolf by Raadsig.jpg|200px|thumb|インゴールヴル・アルナルソン]]
[[ファイル:Vikings-Voyages.png|200px|thumb|レイフ・エリクソンの行程]]
[[ファイル:Thingvellir1-2.jpg|thumb|200px|[[シンクヴェトリル]]、[[アルシング]]の議席。]]
初めてここで[[越冬]]したのは[[ヴァイキング]]の[[インゴールヴル・アルナルソン]]だと言われている。なお、『[[植民の書]]』によれば、彼に先だってアイスランドを発見した人が「'''氷の島'''」と呼んだのが国名の由来とされる<ref>『アイスランド小史』 p2</ref>。
全島の調整機関として世界最古の近代議会とも言われる[[アルシング]]が創設され植民は終了した。初期のアイスランドは定住地域ごとに[[自治]]が行われ、国王の君臨する他のヨーロッパの国とは異なっていた。アルシングの集会は[[シンクヴェトリル]]において各夏に2週間にかけて招集された。そこで[[ゴジ]]と呼ばれる指導者は、法律を改正したり、論争を解決したり、訴訟に判決を下すために陪審員を任命した。法律は文書化されなかったが、その代わりに、選ばれた「{{仮リンク|法の宣言者|en|Lawspeaker}}」({{lang|non|lögsögumaður}})によって記憶された。中心的な行政上の権力がなかったことから、法律はただ人々によって施行されていた<ref>『サガとエッダの世界』 p56-60</ref>。このことが[[血讐]]を招き、{{仮リンク|アイスランド人のサガ|en|Sagas of Icelanders}}の作者に多くの題材を提供した<ref>『サガとエッダの世界』 p47-48</ref>。
アルシングでは商業的な取引も行われ、ゴジが交易地の治安維持や価格設定を行った。価値尺度には銀が秤量貨幣となり、実際の支払いにはヴァズマールという自家製の羊毛布を主に用いた。外国商人は越冬する際に農場で生活し、主人の保護を受ける代わりに農作業や戦闘を手伝う[[互酬]]関係をもった。互酬は結婚、葬儀、祭日の贈り物でも重要とされ、社会的地位を保つために返礼が行われた。返礼には武力支援や詩作も含まれた<ref name="名前なし-1">松本「中世アイスランドと北大西洋の流通」</ref>。
985年、[[グリーンランド#赤毛のエイリーク|赤毛のエイリーク]]が[[グリーンランド]]を発見し、グリーンランドへの植民が行われた。992年(実際は[[1000年]]頃)にエイリークの息子である[[レイフ・エリクソン]]が[[北アメリカ|北米]]に渡る。以後、僅かではあるが北米への植民が行なわれた。その時代からの定住地が南西グリーンランドと[[カナダ]]東部で見つかった。『[[赤毛のエイリークのサガ]]』や『[[グリーンランド人のサガ]]』といったサガが移民の功績を伝えている<ref>『サガとエッダの世界』 p66-75</ref>。
=== 年表 ===
* [[793年]]、ヴァイキング時代がはじまる<ref name="nenpyo">『アイスランド 旅名人ブックス59』 p274。ISBN 9784861304439</ref>。
* [[870年]]頃、インゴゥルブル・アルトナルソンがアイスランドの最初の植民者となる<ref name=nenpyo></ref>。
* [[930年]]までにノルウェー人([[ノルマン人]])と、スコットランドおよびアイルランドの[[ケルト人]]等が中心となり、およそ2万人が移住。[[930年]]に[[アルシング]]が創設され植民は終了した。{{See also|ノース人によるアメリカ大陸の植民地化}}
* [[985年]]、赤毛のエイリークがグリーンランドを発見。
* [[992年]]、エイリークの息子レイフ・エリクソンが北アメリカに渡る。
== キリスト教化 ==
{{Main|アイスランドのキリスト教化}}
アイスランドの移民の間では[[北欧神話|異教信仰]]が優位であった<ref>『サガとエッダの世界』 p76</ref>。しかし10世紀までには、キリスト教への改宗を強いる[[ノルウェー]]からの政治的圧力が増した。ノルウェー王の下で、また王がアイスランドに差し向けた司祭によって、多くの著名なアイスランド人が新しい信仰を受け入れた。[[1000年]]に、異教徒とキリスト教徒との間での内戦の可能性が出てきた。アルシングは、裁定によって宗教の問題を解決するために、族長の一人[[リョーサンヴァトンのソルゲイル・ソルケルスソン|リョーサンヴァトンのトルゲイル]]を任命した。トルゲイルは、国が全体としてキリスト教に改宗しなければならないと決めた。しかし、異教の神々はひそかに崇拝してもよいとした<ref>『サガとエッダの世界』 p79-91</ref>。
最初のアイスランド人の司教はイスレイブ([[:en:Ísleifr Gizurarson|Ísleifr Gizurarson]])で<ref>『サガとエッダの世界』 p92</ref>、[[1056年]]に[[ブレーメン]]の司教[[:en:Adalbert of Bremen|Adalbert]]によって任命された。
10世紀から13世紀にかけては、大麦や小麦、教会用のワイン、建築用に木材が輸入された。輸出品としては[[シロハヤブサ]]などの猛禽類、セイウチやイッカクの牙など希少財が有名であり、他に羊毛布のヴァズマールが他国に比べ安価で良質であり多く輸出された。<ref name="名前なし-1"/>。
=== 年表 ===
* [[1066年]]、[[ウィリアム1世 (イングランド王)|ウィリアム征服王]]による[[ノルマン・コンクエスト|英国攻略]]。ヴァイキング時代が終わる<ref name=nenpyo></ref>。
* [[1120年]]-[[1230年]]、文芸([[サガ]]、[[エッダ]])の時代<ref name=nenpyo></ref>。
* [[1230年]]-[[1264年]]、長編サガ、[[ストゥルルング]]の時代<ref name=nenpyo></ref>。
== 植民地時代 ==
[[13世紀]]には[[ノルウェー]]の介入を誘うことになり、[[1241年]]、権勢を誇った[[スノッリ・ストゥルルソン]]が[[暗殺]]され、[[1262年]]にはノルウェーの事実上の[[植民地]]となる。
14世紀以降は干し魚が重要な輸出品となる。干し魚には特に[[タラ]]が用いられた。干し魚はドイツ商人によって大陸へ輸出され、ヴァズマールに代わって貨幣として用いられるようになる。ノルウェーの他にイギリスも取引や漁業のためにアイスランドを訪れ、ノルウェーと利害を共にする[[ハンザ同盟]]の商人とイギリス人の間で対立も起きた。漁業が主要産業となり、のちの16世紀のアイスランドの紋章には、王冠を戴くタラが描かれている<ref name="名前なし-1"/>。
外国による支配、[[ペスト]]の流行、飢饉、1783年の[[ラキ火山]]噴火などで人口が大幅に減り、困窮状態に陥る。しかし、18世紀半ば以降さまざまな産業が興り、回復していく。1814年の[[キール条約]]により、[[デンマーク=ノルウェー]]が解消されたが、アイスランドはデンマーク領として残された。
=== 年表 ===
* [[1300年]]、[[ヘクラ火山]]が大噴火<ref name=nenpyo></ref>。
* [[1380年]]にはノルウェーとともに[[デンマーク]]に帰属する。
* [[1402年]]-[[1404年]]、ペストの蔓延により全島民の3分の2が死亡<ref name=nenpyo></ref>。
* [[1550年]]、[[デンマーク=ノルウェーの宗教改革#ノルウェー、アイスランド|デンマーク]]の強制により新教[[ルター派]]に改宗した。
* [[1602年]]、デンマークが通商交易を独占<ref name=nenpyo></ref>。
* [[1783年]]-[[1785年]]、ラキ山が噴火し大惨事に<ref name=nenpyo></ref>。
* [[1787年]]、自由通商交易が条件付きで認められる<ref name=nenpyo></ref>。
* [[1800年]]、[[アルシング]]が解散<ref name=nenpyo></ref>。
* [[1811年]]-[[1879年]]、[[ヨン・シグルズソン]]の指導下に自治権獲得闘争の時代<ref name=nenpyo></ref>。
* [[1818年]]、国立図書館創設<ref name=nenpyo></ref>。
* [[1843年]]、アルシングが諮問機関として再スタート<ref name=nenpyo></ref>。
* [[1854年]]、外国との通商交易の完全自由化を獲得<ref name=nenpyo></ref>。
* [[1861年]]、国立博物館創設<ref name=nenpyo></ref>。
* [[1874年]]、殖民1000年を迎える。デンマーク王から憲法と財政的独立が承認<ref name=nenpyo></ref>。
* [[1879年]]、英雄ヨン・シグルズソン死去<ref name=nenpyo></ref>。
== 主権国家体制へ ==
1904年に自治を達成し、1874年に制定された憲法に基き、1904年からは首相が置かれた。1918年にはデンマークへの従属的同君連合を形成する[[アイスランド王国]]が発足。
[[第二次世界大戦]]中の1940年4月9日、[[ヴェーザー演習作戦|ドイツのデンマーク侵攻]]により国王[[クリスチャン10世]]がドイツ占領下におかれると、その翌10日にアルシングは、内閣への[[元首]]権限付与と、それまでデンマークが担当していた外交および沿岸警備の自主化を決議する。5月10日、イギリスが航路防衛の必要上から、中立であったアイスランドに対し、[[アイスランド侵攻|侵攻作戦]]を実施、全土を占領した。
1941年5月15日にはアイスランド王国の元首代行として[[摂政]]を設置し[[スヴェイン・ビョルンソン]]をその職に充てる法律がアルシングで可決された。[[7月7日]]、[[アメリカ合衆国]]の[[フランクリン・ルーズベルト]]大統領は、アイスランドのイギリス軍の守備部隊に代り[[アメリカ海軍]]が進駐することを発表<ref>米海軍部隊、アイスランドに進駐(『朝日新聞』昭和16年7月9日夕刊)『昭和ニュース辞典第7巻 昭和14年-昭和16年』p398 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年</ref>。欧州に対して不干渉を貫いてきたアメリカの転換点ともなった。占領下のアイスランドではドイツ軍からの攻撃による島民の犠牲者が出た一方で、史上空前の好景気がもたらされた。
デンマークとの同君連合協定は1940年から3年以内に改定されることとなっていたが、その作業が行われなかったことから1943年12月31日をもって失効した。[[1944年]]の2月25日にアルシングはデンマークとの同君連合解消と共和制憲法を可決し、[[5月20日]]から23日にかけての{{ill|アイスランド王国憲法改正国民投票|en|1944 Icelandic constitutional referendum}}において、ともに圧倒的多数で承認された。これを受けて[[6月17日]]に'''[[アイスランド共和国]]'''が発足し、すでに名目化していた王制と同君連合を解消した。初代大統領にはアイスランド王国摂政のビョルンソンが選出された。国王クリスチャン10世はなおもドイツ占領下にあったが、これに祝福のメッセージを送ることで事実上の承認を行った。
{| class=wikitable style=text-align:right
|+1944年アイスランド王国国民投票<ref>Dieter Nohlen & Philip Stöver (2010) ''Elections in Europe: A data handbook'', p.961 {{ISBN|978-3-8329-5609-7}}</ref>
!rowspan=2|項目
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!票数
!%
!票数
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|-
|align=left|同君連合法廃止||71,122||99.5||377||0.5||1,559||rowspan=2|73,058||rowspan=2|74,272||rowspan=2|98.4||{{yes2|承認}}
|-
|align=left|新憲法||69,435||98.5||1,051||1.5||2,572||{{yes2|承認}}
|}
=== 年表 ===
* [[1874年]]に自治法が制定。[[1904年]]に自治を達成する。
* [[1911年]]、アイスランド大学創立<ref name=nenpyo></ref>。
* [[1917年]]、女性にも選挙権付与<ref name=nenpyo></ref>。
* [[1918年]]、[[デンマーク]]と、[[元首]](=デンマーク国王)と[[外交]]を共通にする連合国、いわゆる[[同君連合]]として独立。アイスランドは、'''[[アイスランド王国]]'''となった。
* [[1920年]]、最高裁判所設立<ref name=nenpyo></ref>。
* [[1930年]]、アルシング創設1000年を祝う<ref name=nenpyo></ref>。
* [[1944年]][[6月17日]]に[[アイスランド共和国]]として、デンマークから分離・独立を宣言。
== 第二次大戦後 ==
* [[1945年]]、アイスランド航空の最初の国際便就航<ref name=nenpyo></ref>。
* 第二次世界大戦後の1946年にアメリカ軍は撤退。
* [[1947年]]、[[OEEC]](現[[OECD]])の原加盟国に<ref name=nenpyo></ref>。
* [[1949年]]、[[NATO]]の原加盟国に<ref name=nenpyo></ref>。
* [[冷戦]]の激化に伴い、[[1951年]]からはアメリカ軍の駐留が開始された。
* [[1955年]]、主に英国との間に[[タラ戦争]]勃発。アイスランドが設定した領海・漁業専管水域をめぐる争い。アイスランド側の主張がほぼ認められ、[[1976年]]までにアイスランド側の勝利で終結。
* [[1965年]]、古文書返還に関する条約をノルウェーと締結<ref name=nenpyo></ref>。
* [[1970年]]には[[欧州自由貿易連合]]([[EFTA]])に加盟、
* [[1973年]]、[[ウェストマン諸島]]の[[ヘイマエイ島火山]]噴火<ref name=nenpyo></ref>。
* [[1974年]]、殖民1100年記念。環状道路の完成<ref name=nenpyo></ref>。
* [[1980年]]、公選としては世界初の女性大統領誕生(84年、88年、92年再任)<ref name=nenpyo></ref>。
* [[1986年]]、米ソ首脳会談をアイスランドの[[ホフディハウス]]で開催<ref name=nenpyo></ref>。
* [[1994年]]、独立50周年を迎える<ref name=nenpyo></ref>。
* 1994年には[[欧州経済領域]](EEA)に加わるなど、欧州本土との経済活動は緊密となっている。
* [[1996年]]、女性大統領[[ヴィグディス・フィンボガドッティル]]退任。新大統領に[[オラフル・ラグナル・グリムソン|オラフル・グリムソン]]就任<ref name=nenpyo></ref>。
* [[1996年]]、[[ヴァトナヨークトル]]の氷河底火山[[グリームスヴォトン]]が大噴火<ref name=nenpyo></ref>。
* [[1996年]]、アイスランドを含む8カ国で[[北極評議会]]が発足。
* [[2006年]]、冷戦の終結および脅威の変化に伴い、アメリカ軍の駐留が終了、ケプラヴィーク基地は閉鎖、[[ケプラヴィーク国際空港]]となった。
* [[2008年]]、米国に端を発した[[世界金融危機_(2007年-)|世界金融危機]]のあおりを受け、主要銀行が破綻し、国有化される。[[カウプシング銀行]]は国有化後、[[債務不履行]]に陥り、国家経済は危機的状態に陥る。
* [[2008年]]、[[北極海会議]]が開催される。参加国はアメリカ合衆国、カナダ、デンマーク(グリーンランドを含む)、ノルウェー、ロシアの5カ国で、北極評議会のうち、アイスランド(とフィンランドとスウェーデン)抜きでの会合となった。
== 脚注 ==
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== 参考文献 ==
* グンナー・カールソン『アイスランド小史』、[[岡沢憲芙]]監訳、小森宏美訳、[[早稲田大学#早稲田大学出版部|早稲田大学出版部]]、2002年、ISBN 978-4-657-02718-4。
* [[松本涼]]「中世アイスランドと北大西洋の流通」([[山田雅彦]]編『伝統ヨーロッパとその周辺の市場の歴史』) 清文堂、2010年。
* [[山室静]]『サガとエッダの世界 アイスランドの歴史と文化』[[社会思想社]]〈そしおぶっくす〉、1982年。
* 『アイスランド 旅名人ブックス59』[[日経BP出版センター]]、2010年第4版。ISBN 978-4-86130-443-9
== 関連項目 ==
* [[北欧史]]
* [[スカンディナヴィアの歴史]]
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49
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49(四十九、しじゅうく、しじゅうきゅう、よんじゅうきゅう、よそじあまりここのつ)は自然数、また整数において、48の次で50の前の数である。
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{{Otheruses|整数|[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]のテレビドラマ|49 (テレビドラマ)}}
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'''49'''('''四十九'''、しじゅうく、しじゅうきゅう、よんじゅうきゅう、よそじあまりここのつ)は[[自然数]]、また[[整数]]において、[[48]]の次で[[50]]の前の数である。
== 性質 ==
*49は[[合成数]]であり、[[約数]]は [[1]], [[7]], 49 である。
**[[約数の和]]は[[57]]。
***約数の和が奇数になる11番目の数である。1つ前は[[36]]、次は[[50]]。
*** [[約数関数]]から導き出される数列 <math>a_n=\sigma(a_{n-1})</math> はその初期値によって異なる数列になる。異なる数列になる8番目の初期値(最小の値)を表す数である。1つ前は[[33]]、次は[[50]]。(ただし1を除く)({{OEIS|A257348}})
**約数を3個もつ4番目の数である。1つ前は[[25]]、次は[[121]]。
***[[素数]]を2乗した数は約数を3個もつ自然数である。
*49 = [[7]]{{sup|2}}
**7番目の[[平方数]]である。1つ前は[[36]]、次は[[64]]。
**''n'' = 2 のときの 7{{sup|''n''}} とみたとき1つ前は[[7]]、次は[[343]]。
** ''n'' = 2 のときの 7{{sup|''n''!}} の値とみたとき1つ前は[[7]]、次は117649。({{OEIS|A220079}})
** [[素数]] ''p'' = 7 のときの ''p''{{sup|2}} の値とみたとき1つ前は[[25]]、次は[[121]]。({{OEIS|A001248}})
** [[6]]未満の[[素数]]([[2]], [[3]], [[5]])の[[倍数]]でない[[合成数]]では最小である。次は[[77]]。なお、2 と 3 を除く[[素数]]は全て 6''n'' ± 1 の形で表せる。({{OEIS|A038510}})
*** 2の倍数でも3の倍数でもない合成数では、3番目の数である。一つ前は[[35]]、次は[[77]]。
*17番目の[[半素数]]である。1つ前は[[46]]、次は[[51]]。
* 49{{sup|3}} = 117649 になり下2桁が49になる。''n'' と ''n''{{sup|3}} の下2桁が同じになる4番目の数である。1つ前は[[25]]、次は[[51]]。
**この性質をもつ数は偶数乗においても下2桁が等しくなる。
**:例.49{{sup|2}} = 24{{underline|01}}、49{{sup|4}} = 57648{{underline|01}}
** この性質をもつ2桁の数字列は、他に00, 01, [[24]], [[25]], [[51]], [[75]], [[76]], [[99]]がある。({{OEIS|A008856}})
*{{sfrac|1|49}} = 0.{{underline|020408163265306122448979591836734693877551}}… (下線部は[[循環節]]で長さは42)
**[[逆数]]が[[循環小数]]になる数で[[循環節]]が42になる最小の数である。次は[[98]]。
**循環節が ''n'' になる最小の数である。1つ前の41は[[83]]、次の43は[[173]]。({{OEIS|A003060}})
<pre>
0. 02
04
08
16
32
64
128
256
512
1024
2048
+ .......
---------------------------------------------------
0. 020408163265306122448979591836734693877551...
</pre>
*上記のように、49{{sup|−''n''}} には、[[2の累乗数]]が順に出現する。(初項 0.02、公比 0.02 の[[級数]]は {{sfrac|1|49}} であるため)
*[[九九]]では7の段で 7 × 7 = 49 (しちしちしじゅうく)と1通りで表される。九九で1通りしか表し方のない数は他に1, [[25]], [[64]], [[81]]の4つである。
*49 = (4 + 9) + (4 × 9)
**[[各位の和]]と各位の積を加えてできる4番目の数である。1つ前は[[39]]、次は[[59]]。({{OEIS|A038364}})
*[[各位の和]]が13になる最小の数である。次は[[58]]。
**各位の和が ''n'' になる最小の数である。1つ前の12は[[39]]、次の14は[[59]]。({{OEIS|A051885}})
*各位の[[平方和]]が97になる最小の数である。次は[[94]]。({{OEIS|A003132}})
** 各位の平方和が ''n'' になる最小の数である。1つ前の96は[[448]]、次の98は[[77]]。({{OEIS|A055016}})
*各位の[[立方和]]が793になる最小の数である。次は[[94]]。({{OEIS|A055012}})
** 各位の立方和が ''n'' になる最小の数である。1つ前の792は[[468]]、次の794は[[149]]。({{OEIS|A165370}})
* 49 = 3 × 2{{sup|4}} + 1 より9番目の[[プロス数]]である。1つ前は[[41]]、次は[[57]]。
* 49 = 2<sup>2</sup> + 3<sup>2</sup> + 6<sup>2</sup>
** 3つの[[平方数]]の和1通りで表せる25番目の数である。1つ前は[[48]]、次は[[50]]。({{OEIS|A025321}})
** 異なる3つの[[平方数]]の和1通りで表せる12番目の数である。1つ前は[[46]]、次は[[50]]。({{OEIS|A025339}})
** ''n'' = 2 のときの 2{{sup|''n''}} + 3{{sup|''n''}} + 6{{sup|''n''}} の値とみたとき1つ前は[[11]]、次は[[251]]。({{OEIS|A074528}})
* 13番目の[[幸運数]]である。1つ前は[[43]]、次は[[51]]。
== その他 49 に関連すること ==
*[[原子番号]] 49 の [[元素]] は[[インジウム]] (In) である。
*[[ドイツ]]への[[国際電話番号]]。
*[[アメリカ合衆国]]の49番目の[[州]]は[[アラスカ州]]である。
*[[バーコード]]世界での日本の国番号 (49, 45) → [[JANコード]]、[[POSシステム]]
*死後7週(7日 × 7回 = 49日)の[[法事]]を四十九日法要、または七七日忌という。
*轢く(「しく」。正しくは「ひく」である)とも読めて自動車運転には縁起が悪いため、日本の自動車の[[日本のナンバープレート|ナンバープレート]]では、希望番号制度による申し出があった場合を除き、下2桁「49」は付番しないことになっている(ただし駐留軍車は日本国籍を有さないものしか所有できないため、下2桁49でも払い出される。同様の理由で「42」も欠番)。
*一方、[[アメリカ合衆国|アメリカ]]では、49 は「[[ゴールドラッシュ]]」([[1849年]])に通じるとして、幸運とされる。また、当時、金を求めて夢を追いかけに行った男たちを「フォーティナイナー」と呼んだ。幸運とされる例としては、[[サンフランシスコ]]のプロ[[アメリカンフットボール|アメフト]]チームに、「[[サンフランシスコ・フォーティナイナーズ|49ers]]」がある。
*第49代[[天皇]]は[[光仁天皇]]である。
*[[日本]]の第49代[[内閣総理大臣]]は[[吉田茂]]である。
*[[大相撲]]の第49代[[横綱]]は[[栃ノ海晃嘉]]である。
*第49代[[教皇|ローマ教皇]]は[[ゲラシウス1世 (ローマ教皇)|ゲラシウス1世]](在位:[[492年]]~[[496年]][[11月21日]])である。
*[[易占]]の[[六十四卦]]で第49番目の卦は、[[周易下経三十四卦の一覧#革|沢火革]]。
*[[クルアーン]]における第49番目の[[スーラ (クルアーン)|スーラ]]は[[部屋 (クルアーン)|部屋]]である。
*[[北緯49度線]]は[[カナダ=アメリカ合衆国国境|アメリカ合衆国とカナダの国境]]の一部をなしている。
*『[[四十九日のレシピ]]』は日本の女性作家・[[伊吹有喜]]の長編小説、およびそれを原作としたテレビドラマ。
*[[全国高等学校野球選手権大会]]は地方大会(予選とは呼ばない)を勝ち抜いた全国都道府県の代表(東京と北海道は2校)49校が優勝を目指して出場する(一部例外の大会あり)。第49回大会の優勝校は千葉県代表の[[習志野市立習志野高等学校]]。
*『[[AKB49〜恋愛禁止条例〜]]』は、原作:元麻布ファクトリー、漫画:[[宮島礼吏]]、原案協力:高橋ヒサシによる日本の漫画作品。
*『[[私の期限は49日]]』は、[[2011年]]に放送された[[大韓民国|韓国]]のテレビドラマ。
*『[[49 (テレビドラマ)|49]]』は、2013年に放送された日本テレビ系列の深夜ドラマ。Sexy Zone の佐藤勝利が主役で、ヒロインは山本舞香。
*[[四十九駅]]は[[伊賀鉄道]][[伊賀鉄道伊賀線|伊賀線]]の駅である。
*[[年始]]から数えて49日目は[[2月18日]]。
== 関連項目 ==
{{数字2桁|4|- [[昭和49年]]}}
*[[4月9日]]
{{自然数}}
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2023-12-07T13:58:18Z
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ミシェル・ピコリ
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ミシェル・ピコリ(Michel Piccoli, ピッコリとも、1925年12月27日 - 2020年5月12日)は、舞台、映画、テレビなどで活動したフランスの俳優、映画監督。
フランス、パリ、13区生まれ。
イタリア系の父親アンリ・ピコリはヴァイオリニスト、母親マルセリーヌ・エクスペール=ブザンソンはピアニストという音楽一家。
第二次世界大戦終息後、舞台俳優として活動を開始。アート系映画から大作まで150本以上の映画に出演した。
1990年代より監督もこなし、2001年の『黒い海岸』(日本未公開、CS放映)などを手がけている。
1980年のマルコ・ベロッキオ監督作『虚空への跳躍』Salto nel vuoto でカンヌ国際映画祭最優秀男優賞を、1982年の『Une étrange affaire』でベルリン国際映画祭男優賞を受賞している。
2020年5月12日、脳卒中のため死去。94歳没。
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ミシェル・ピコリは、舞台、映画、テレビなどで活動したフランスの俳優、映画監督。
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{{ActorActress
| 芸名 = Michel Piccoli
| ふりがな = ミシェル・ピコリ
| 画像ファイル = Michel Piccoli anno 1965 (cropped).jpg
| 画像サイズ = 220
| 画像コメント = 1965年撮影
| 本名 = Jacques Daniel Michel Piccoli
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| 身長 =
| 血液型 =
| 生年 = 1925
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| 没日 = 12
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| 配偶者 = [[:fr:Eléonore Hirt|Eléonore Hirt]] (m.1954)<br>[[ジュリエット・グレコ]] (1966-1977)<br>Ludivine Clerc (1980-)
| 著名な家族 =
| 事務所 =
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| 主な作品 = <!--皆が認める代表作品を入力-->『[[昼顔 (1967年の映画)|昼顔]]』(1967年)
| カンヌ国際映画祭 = '''[[カンヌ国際映画祭 男優賞|男優賞]]'''<br />[[第33回カンヌ国際映画祭|1980年]]『虚空への跳躍』
| ベルリン国際映画祭 = '''[[銀熊賞 (男優賞)|銀熊賞(男優賞)]]'''<br />[[第32回ベルリン国際映画祭|1982年]]『''Une étrange affaire''』
| その他の賞 = '''[[上海国際映画祭]]'''<br />'''[[:en:Golden_Goblet_Award_for_Best_Actor|最優秀男優賞]]'''<br>[[1997年]]『[[旅の友]]』<hr>'''[[ロカルノ国際映画祭]]<br>[[:en:Best Actor Award (Locarno International Film Festival)|最優秀男優賞]]'''<br>[[2007年]]『[[パリの屋根の下]]』
}}
'''ミシェル・ピコリ'''(Michel Piccoli, '''ピッコリ'''とも、[[1925年]][[12月27日]] - [[2020年]][[5月12日]])は、舞台、映画、テレビなどで活動した[[フランス]]の[[俳優]]、[[映画監督]]。
== 来歴 ==
フランス、[[パリ]]、[[13区 (パリ)|13区]]生まれ。
イタリア系の父親アンリ・ピコリはヴァイオリニスト、母親マルセリーヌ・エクスペール=ブザンソンはピアニストという音楽一家。
[[第二次世界大戦]]終息後、舞台俳優として活動を開始。アート系映画から大作まで150本以上の映画に出演した。
[[1990年代]]より監督もこなし、[[2001年]]の『黒い海岸』(日本未公開、CS放映)などを手がけている。
[[1980年]]の[[マルコ・ベロッキオ]]監督作『虚空への跳躍』''Salto nel vuoto'' で[[カンヌ国際映画祭]]最優秀男優賞を、[[1982年]]の『''Une étrange affaire''』で[[ベルリン国際映画祭]]男優賞を受賞している。
2020年5月12日、[[脳卒中]]のため死去<ref>{{Cite news|url=https://www.linternaute.com/cinema/biographie/1773318-mort-de-michel-piccoli-sa-maladie-les-femmes-de-sa-vie-biographie-de-l-acteur/|title=Mort de Michel Piccoli : sa maladie, les femmes de sa vie... Biographie de l'acteur|newspaper=linternaute|date=2020-5-18|accessdate=2020-5-18}}</ref><ref>{{Cite news|url= https://www.sanspo.com/article/20200518-5I3FQQN3URKA3HV4FVOTAL4LTQ/ |title= フランスの名優、ミシェル・ピッコリ氏が死去 94歳 |newspaper= SANSPO.COM |publisher= 産経デジタル |date= 2020-05-18 |accessdate= 2020-05-18 }}</ref>。94歳没。
== 出演 ==
{| class="wikitable"
|-
!公開年!!邦題<br />原題!!役名!!備考
|-
|rowspan="2"|1954 ||運命<br />''Destinées'' || ||
|-
| [[フレンチ・カンカン (映画)|フレンチ・カンカン]]<br />''French Cancan'' || Valorgueil ||
|-
|1956|| [[この庭に死す]]<br />''La mort en ce jardin '' || || シネクラブ上映
|-
|1959|| 爪を磨く野獣<br />''La bête à l'affût'' || ||
|-
|1962|| [[いぬ (映画)|いぬ]]<br />''Le doulos '' || ヌテシオ ||
|-
|rowspan="2"|1963|| [[軽蔑 (1963年の映画)|軽蔑]] <br /> ''Le Mépris'' || 脚本家ポール・ジャヴァル ||
|-
| [[小間使の日記 (映画)|小間使の日記]] <br />''Le Journal d'une femme de chambre'' || ||
|-
|1964|| [[スタンダールの恋愛論]] <br /> ''De L'amour'' || ラウル ||
|-
|rowspan="3"|1965|| [[潜行]]<br />''Masquerade'' || ジョルジュ ||
|-
| [[七人目に賭ける男]]<br />''Compartiment tueurs'' || レネ ||
|-
| [[レディL]]<br />''Lady L'' || ||
|-
|rowspan="2"|1966 || [[獲物の分け前]] <br /> ''La Curée'' || アレクサンドル ||
|-
| [[パリは燃えているか]] <br />''Is Paris Burning?'' || エドガー・ピザーニ ||
|-
|rowspan="4"|1967 || [[恋びと]]<br />''Mon amour Mon amour'' || ||
|-
| [[ロシュフォールの恋人たち]] <br />''Les Demoiselles de Rochefort'' || シモン・ダム ||
|-
| 奇襲戦隊<br />''Un homme de trop'' || ||
|-
| [[昼顔 (1967年の映画)|昼顔]] <br /> ''Belle de jour'' || アンリ・ユッソン ||
|-
|rowspan="2"|1968|| 黄金の眼<br />''Diabolik'' || ||
|-
| [[別離 (1968年の映画)|別離]]<br />''La chamade'' || シャルル ||
|-
| 1969 || [[トパーズ (1969年の映画)|トパーズ]] <br /> ''[[:en:Topaz (1969 film)|Topaz]]'' || ジャック ||
|-
| 1970 || [[すぎ去りし日の…]] <br />''Les choses de la vie'' || ピエール ||
|-
|1971|| はめる/狙われた獲物<br />''Max et les ferrailleurs'' || マックス || VHS発売題
|-
|rowspan="2"|1972|| [[ひきしお]]<br />''Liza'' || ||
|-
| [[ブルジョワジーの秘かな愉しみ]] <br /> ''Le Charme discret de la bourgeoisie'' || ||
|-
| 1973 || [[最後の晩餐 (1973年の映画)|最後の晩餐]] <br /> ''La Grande bouffe'' || ミシェル ||
|-
|rowspan="3"|1974 ||[[地獄の貴婦人 (1974年の映画)|地獄の貴婦人]]<br />''Le trio infernal'' || ジョルジュ ||
|-
| [[自由の幻想]] <br /> ''Le Fantôme de la liberté'' || ||
|-
| 友情<br />''Vincent, François, Paul... et les autres'' || フランソワ || シネクラブ上映題<br>VHS発売
|-
|rowspan="2"|1975|| 呪われた女<br />''Leonor'' || リカルド ||
|-
| 仮面/死の処方箋<br />''7 morts sur ordonnance '' || ||
|-
|1977|| シルビア・クリステルの ピンク泥棒<br />''René la canne'' || || VHS発売題
|-
|1978|| 野望の王国<br />''[[:fr:L'État sauvage (film)|L'État sauvage]]'' || オルラヴィル || [[TV5MONDE]]放映
|-
|rowspan="2"|1980 || 虚空への跳躍<br>''Salto nel vuoto'' || マウロ || [[カンヌ国際映画祭 男優賞]] 受賞<br>イタリア文化会館上映
|-
| [[アトランティック・シティ (映画)|アトランティック・シティ]] <br /> ''Atlantic City U.S.A.'' || ジョセフ ||
|-
|rowspan="2"|1981|| 放蕩娘<br />''La fille prodigue'' || || 特集上映
|-
| ''Une étrange affaire || || [[ベルリン国際映画祭]] 男優賞 受賞
|-
|rowspan="5"|1982|| 遅れてきた死神<br />''Espion, lève-toi'' || || テレビ放映
|-
| [[サン・スーシの女]] <br /> ''La passante du Sans-Souci'' || マックス ||
|-
| [[パッション (1982年の映画)|パッション]] <br /> ''Passion'' || ミシェル・ブーラール ||
|-
| 愛の謝肉祭<br />''Oltre la porta'' || ムッティ氏 || VHS発売題
|-
| 都会のひと部屋<br />''Une chambre en ville'' || ||
|-
|1983|| バトルランナー2030<br />''Le prix du danger'' || フレデリック || VHS発売題
|-
|1984|| ヴィバラビィ<br />''Viva la vie!'' || ミシェル・ペリン || VHS発売題
|-
|rowspan="2"|1985|| ゲームの殺人<br />''Péril en la demeure'' || || VHS発売題
|-
| 遠い日の家族<br />''Partir, revenir'' || シモン ||
|-
|rowspan="2"|1986 || [[汚れた血]] <br /> ''Mauvais sang'' || マルク ||
|-
| ピューリタンの女<br />'' La puritaine'' || ピエール || シネクラブ上映
|-
|rowspan="2"|1987|| ラ・ルンバ<br />''La rumba'' || ダミアン || VHS発売題
|-
| 恋の病い<br />''Maladie d'amour'' || ラウル ||
|-
|1989|| 偉大なる家族<br />''Les grandes familles'' || ノエル || テレビ・ミニシリーズ
|-
| 1990|| [[五月のミル]] <br /> ''Milou en mai'' || ミル ||
|-
| 1991 || [[美しき諍い女]] <br /> ''La Belle Noiseuse'' || フレンホーフェル ||
|-
|1993|| [[小悪魔とキッス]]<br />''Rupture(s)'' || || VHS発売題
|-
|1994|| ランジュ・ノワール/甘い媚薬<br />''L'ange noir'' || ジョルジュ ||
|-
|1995|| [[百一夜]]<br />''Les cent et une nuits de Simon Cinéma'' || シモン・シネマ ||
|-
|rowspan="3"|1996 || [[ボーマルシェ フィガロの誕生]] <br />''Beaumarchais, l'insolent'' || コンティ ||
|-
| [[雨上がりの駅で]] <br /> ''Compagna di Viaggio'' || コジモ ||
|-
| [[ティコ・ムーン]] <br /> ''Tykho Moon'' || ||
|-
|1997 || 犯罪の系譜<br />''Généalogies d'un crime'' || ジョルジュ・ディディエ || シネクラブ上映題
|-
|2000|| 家族の再会<br>Everything Is Fine(We Are Leaving)(家族の再会)<br />''Tout va bien, on s'en va'' || ルイ || フランス映画祭上映後、CS放映
|-
|rowspan="2"|2001 || [[家路 (2001年の映画)|家路]] <br /> ''Je rentre a la Maison'' || ジルベール・ヴァランス ||
|-
| 黒い海岸<br />''La plage noire'' || || 監督/脚本<br>CS放映
|-
|2002|| D.I.<br />''Yadon ilaheyya'' || || 声の出演
|-
|2003|| [[リリィ (2003年の映画)|リリィ]]<br />''[[:fr:La petite Lili|La petite Lili]]'' || 映画に出演する俳優役 || DVDスルー
|-
|rowspan="2"|2006 || [[ここに幸あり (映画)|ここに幸あり]] <br /> ''Jardins en Automne'' || マリー、ヴァンサンの母 ||
|-
| [[夜顔 (映画)|夜顔]] <br /> ''Belle toujours'' || アンリ・ユッソン ||
|-
|2007|| [[ランジェ公爵夫人]]<br />''Ne touchez pas la hache'' || ヴィダム・ド・パミエ ||
|-
| 2008 || 戦争について<br />''De la guerre'' || ||
|-
| 2008 || [[エレニの帰郷]] <br />''Η σκόνη του χρόνο'' || スピロス ||
|-
| 2011 || [[ローマ法王の休日]] <br />''Habemus Papam'' || ローマ法王(メルヴィル) ||
|-
| 2012 || [[ホーリー・モーターズ]]<br />''Holy Motors'' || ||
|-
|}
== 参照 ==
{{Reflist}}
== 関連文献 ==
* [http://www.cahiersducinema.com/Evenement,627.html EVÉNEMENT. ミシェル・ピコリへのインタヴュー]
== 外部リンク ==
{{Commonscat|Michel Piccoli}}
* {{allcinema name|38454|ミシェル・ピッコリ}}
* {{Kinejun name|33408|ミシェル・ピッコリ}}
* {{IMDb name|0681566|Michel Piccoli}}
{{カンヌ国際映画祭男優賞 1980-1999}}
{{Normdaten}}
{{DEFAULTSORT:ひこり みしえる}}
[[Category:フランスの男優]]
[[Category:イタリア系フランス人]]
[[Category:パリ出身の人物]]
[[Category:1925年生]]
[[Category:2020年没]]
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14,595 |
50
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50(五十、ごじゅう、いそ、い、fifty)は自然数、また整数において、49の次で51の前の数である。
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50(五十、ごじゅう、いそ、い、fifty)は自然数、また整数において、49の次で51の前の数である。
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{{整数|Decomposition=2 × 5{{sup|2}}}}
'''50'''('''五十'''、ごじゅう、いそ、い、''fifty'')は[[自然数]]、また[[整数]]において、[[49]]の次で[[51]]の前の数である。
== 性質 ==
* 50 は[[合成数]]であり、正の[[約数]]は [[1]], [[2]], [[5]], [[10]], [[25]], 50 である。
**[[約数]]の和は[[93]]。
***このうち50を除いた約数の和は[[43]]であり[[不足数]]。
***[[約数]]の和が奇数になる12番目の数である。1つ前は49、次は[[64]]。
*** [[約数関数]]から導き出される数列 <math>a_n=\sigma(a_{n-1})</math> はその初期値によって異なる数列になる。異なる数列になる9番目の初期値(最小の値)を表す数である。1つ前は49、次は[[52]]。(ただし1を除く)({{OEIS|A257348}})
*50 = 1{{sup|2}} + 7{{sup|2}} = 5{{sup|2}} + 5{{sup|2}}
**2つの[[平方数]]の和2通りで表せる最小の数である。次は[[65]]。({{OEIS|A025285}})
**2つの[[平方数]]の和 ''n'' 通りで表せる最小の数である。1つ前の1通りは[[2]]、次の3通りは[[325]]。({{OEIS|A016032}})
** 50 = 1{{sup|2}} + 7{{sup|2}}
*** 異なる2つの[[平方数]]の和で表せる14番目の数である。1つ前は[[45]]、次は52。({{OEIS|A004431}})
* 50 = 3{{sup|2}} + 4{{sup|2}} + 5{{sup|2}}
**連続する3つの数の[[平方和|平方数の和]]で表せる数である。1つ前は[[29]]、次は[[77]]。
***3連続平方和がハーシャッド数になる最小の数である。次は[[110]]。
** 3つの[[平方数]]の和1通りで表せる26番目の数である。1つ前は49、次は[[53]]。({{OEIS|A025321}})
** 異なる3つの[[平方数]]の和1通りで表せる13番目の数である。1つ前は49、次は53。({{OEIS|A025339}})
** ''n'' = 2 のときの 3{{sup|''n''}} + 4{{sup|''n''}} + 5{{sup|''n''}} の値とみたとき1つ前は[[12]]、次は[[216]]。({{OEIS|A074547}})
** ''n'' から始まる ''n'' 連続整数の[[平方和]]で表せる数である。1つ前は[[13]]、次は[[126]]。({{OEIS|A050410}})
* 50 = 1{{sup|2}} + (1{{sup|2}} + 2{{sup|2}}) + (1{{sup|2}} + 2{{sup|2}} + 3{{sup|2}}) + (1{{sup|2}} + 2{{sup|2}} + 3{{sup|2}} + 4{{sup|2}})
**50は最初から4番目までの[[四角錐数]]の和である。1つ前は[[20]]、次は[[105]]。({{OEIS|A002415}})
*{{sfrac|1|50}} = 0.02
**[[逆数]]が[[有限小数]]になる11番目の数である。1つ前は[[40]]、次は[[64]]。({{OEIS|A003592}})
*23番目の[[ハーシャッド数]]である。1つ前は[[48]]、次は[[54]]。
**5を基としたとき2番目の[[ハーシャッド数]]である。1つ前は[[5]]、次は [[140]] 。
* [[オイラーのφ関数|φ]](n) = 50 をみたす自然数 ''n'' はないため、[[偶数]]の5番目の[[ノントーティエント]]である。このような[[偶数]]では、1つ前は[[38]]、次は[[62]]。また、このような10の倍数では最小である。
** 偶数のノントーティエントがハーシャッド数になる最小の数。次は[[90]]。
*[[各位の和]]が5になる6番目の数である。1つ前は[[41]]、次は[[104]]。
*各位の[[平方和]]が[[平方数]]になる16番目の数である。1つ前は[[43]]、次は[[60]]。({{OEIS|A175396}})
*各位の積が0になる6番目の数である。1つ前は[[40]]、次は[[60]]。({{OEIS|A011540}})
*九九で表せない5の倍数で最小の数。
* 50 = 2 × 5{{sup|2}}
**''n'' = 2 のときの ''n'' × 5{{sup|''n''}} の値とみたとき1つ前は[[5]]、次は[[375]]。({{OEIS|A036291}})
**''n'' = 5 のときの 2''n''{{sup|2}} の値とみたとき1つ前は[[32]]、次は[[72]]。({{OEIS|A001105}})
**2つの異なる[[素因数]]の積で ''p''{{sup|2}} × ''q'' の形で表せる7番目の数である。1つ前は[[45]]、次は[[52]]。({{OEIS|A054753}})
* 50 = 7{{sup|2}} + 1
** ''n'' = 2 のときの 7{{sup|''n''}} + 1 の値とみたとき1つ前は[[8]]、次は[[344]]。({{OEIS|A034491}})
** ''n'' = 7 のときの ''n''{{sup|2}} + 1 の値とみたとき1つ前は[[37]]、次は[[65]]。({{OEIS|A002522}})
*50 = 1{{sup|2}} + 2{{sup|2}} + 3{{sup|2}} + 6{{sup|2}}
** ''n'' = 2 のときの 1{{sup|''n''}} + 2{{sup|''n''}} + 3{{sup|''n''}} + 6{{sup|''n''}} の値とみたとき1つ前は[[12]]、次は[[252]]。({{OEIS|A034488}})
* ''n'' = 50 のとき ''n'' と ''n'' + 1 を並べた数を作ると[[素数]]になる。''n'' と ''n'' + 1 を並べた数が素数になる7番目の数である。1つ前は[[42]]、次は[[56]]。({{OEIS|A030457}})
== 「五十」の読み ==
*古来、「五十」は「[[い]]」と読んだ。[[崇神天皇]]の[[諡#和風諡号|和風諡号]]である御間城入彦五十瓊殖天皇(みまきいりびこいにえのすめらみこと)、[[垂仁天皇]]の和風諡号である活目入彦五十狭茅天皇(いくめいりびこいさちのすめらみこと)はいずれも「五十」を「い」と読んでいる。また[[和歌山県]][[和歌山市]]にある[[伊太祁曽神社]]では祭神である[[五十猛神|五十猛命]]を「いたけるのみこと」と読むとしている<ref>{{Cite web|和書| url = https://itakiso-jinja.net/yuisho.php | title = 伊太祁曽神社の御由緒について | publisher = 伊太祁曽神社 | accessdate = 2021-01-04 }}</ref>。
*[[五十日足彦命]]/五十日帯日子命(いかたらしひこのみこと)のように「五十日」を「いか」と読んだ。ここから「五十」を「いか」と読み、「五十嵐(いからし、いがらし)」「五十里(いかり)」等の表記が生まれた。五十日帯日子命を祀る[[新潟県]][[三条市]]の[[五十嵐神社]]は全国の「五十嵐」姓の発祥の地とされている<ref>{{Cite web|和書| url = http://www.niigataken-shokocho.jp/niigata/kyoudo/kfdk012.html | title = 「五十嵐」姓発祥の地 五十嵐神社 | publisher = 新潟県小学校長会 | accessdate = 2021-01-04 }}</ref>。
*[[万葉集]]には「五十日太(いかだ)」(五〇)「五十母不宿二(いも寝ずに)」(一七八七)「五十寸手(生きて)」(二九〇四)「五十戸常(言へど)」(六七四)のように「五十」を[[万葉仮名|借訓仮名]]の「い」として用いた例が多数ある<ref>{{Cite web|和書| url = https://kotobank.jp/word/%E4%BA%94%E5%8D%81-429842#E7.B2.BE.E9.81.B8.E7.89.88.20.E6.97.A5.E6.9C.AC.E5.9B.BD.E8.AA.9E.E5.A4.A7.E8.BE.9E.E5.85.B8 | title = 五十とは | publisher = コトバンク | accessdate = 2021-01-04 }}</ref>。
*「五十」は「いそ」とも読む。[[島根県]][[太田市]][[五十猛|五十猛町]]や[[西日本旅客鉄道]](JR西日本)[[山陰本線]]の[[五十猛駅]]はいずれも読みは「いそたけ」。また「五十」に[[接尾辞]]の「ぢ(路)」を付けて「いそぢ」と読み、50歳を表す。
== その他 50 に関連すること ==
* 50 の[[接頭辞]]:quinquaginti([[ラテン語|拉]])、pentaconta([[ギリシア語|希]])
* [[ラテン語]]では quinquaginta(クィーンクァーギンター)。
* [[100]] の半分。そのため、[[百分率]]の習慣と関連して「半分」の意味で使われることが多い。例:「フィフティ・フィフティ」「五十歩(ご'''じっ'''ぽ)百歩」「明日の百より今日の五十」。
* [[五十音]]:[[日本語]]の音の数。
* 五十州:[[アメリカ合衆国]]の[[アメリカ合衆国の州|州]]の数。
* アメリカ合衆国の50番目の州は[[ハワイ州]]である。
* [[ローマ数字]]では 50 は L で表される。
* 50年祭には、[[金]]が記念品として使われたり、形容詞とされることが多い。たとえば、結婚50周年の祝いを[[結婚記念日|金婚式]]という。
* [[論語]]に由来する言葉で、50歳を[[知命]]という。
* [[原子番号]] 50 の[[元素]]は[[スズ]] (Sn)。
* [[偏差値]]で 50 は[[平均値]]を意味する。
* 第50代[[天皇]]は[[桓武天皇]]である。
* [[日本]]の第50代[[内閣総理大臣]]は[[吉田茂]]である。
* [[大相撲]]の第50代[[横綱]]は[[佐田の山晋松]]である。
* 第50代[[教皇|ローマ教皇]]は[[アナスタシウス2世 (ローマ教皇)|アナスタシウス2世]](在位:[[496年]][[11月24日]]~[[498年]][[11月19日]])である。
* [[元日]]から日を数えた場合、[[2月19日]]で50日目を迎える。
* [[国鉄50系客車]]は[[日本国有鉄道]]最後の新造[[客車]]である。
* [[五十騎備]]は兵法の1種。
* [[易占]]の[[六十四卦]]で第50番目の卦は、[[周易下経三十四卦の一覧#鼎|火風鼎]]。
* [[クルアーン]]における第50番目の[[スーラ (クルアーン)|スーラ]]は[[カーフ (クルアーン)|カーフ]]である。
* [[12.7x99mm NATO弾]] (.50 BMG) を使用する[[ブローニングM2]]は「フィフティー・キャリバー」と呼ばれる。
* [[日本野球機構]](NPB)における現役最年長記録は、元[[中日ドラゴンズ]]の[[投手]]・[[山本昌]]の50歳。
* [[50 (アルバム)]]
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
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== 関連項目 ==
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{{Wiktionarypar|五十}}
{{Wiktionarypar|Ⅼ}}
{{Wiktionarypar|ⅼ}}
{{数字2桁|5|- [[昭和50年]]}}
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|
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https://ja.wikipedia.org/wiki/50
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14,597 |
電子ガス
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電子ガス(でんしがす、英: electron gas、電子気体)模型とは、一様な正電荷が分布した状態(ジェリウムモデル)に電子が存在するとした模型のこと。電子ガス模型から、プラズマ振動や、電子の遮蔽効果などの議論が出来る。
この模型における電子系のハミルトニアンは次のように表される。
ここでmは電子の質量、Nは電子の数である。また右辺第1項は運動エネルギー項、第2項は電子同士のクーロン相互作用項、第3項は一様な正電荷のポテンシャルエネルギーである。ここで第2項は発散項を含むが、第3項も発散項でありこれと打ち消し合う。
また第2項であるクーロン項を無視したものを特に自由電子ガス模型と言う。この時、第3項は系の全電荷が中性となる必要があり残る。
上記ハミルトニアンを、フーリエ変換により逆空間表示すると、
となる。Ωは系の体積。上式右辺第2項のkの和で、除外しているk = 0の項が発散項で、U0と打ち消し合っている。これは、逆空間でゼロ(k = 0)ということは、実空間では無限大のことであり、電子の電荷が空間全体に一様に分布していることに相当する。これが正の電荷の一様分布部分、U0と相殺する。
電子の電荷密度をρとして、次のパラメータが定義できる。
ここで、aBはボーア半径である。rsは電子の密度に関係するパラメータで、値が大きいほど低密度、小さいほど高密度となる。実際の金属では、大体2~5までの値をとる。このrsをパラメータとして、電子ガスの問題は解かれる。
高密度領域(rsが1以下)では、乱雑位相近似(RPA) が有効な近似となり、比較的簡単に問題を扱うことができる。
rsが100を越えるような低密度領域では解析の結果、電子はウィグナー結晶となっていることが指摘されている。また低密度領域は電子相関の影響が顕著に現れてくる領域である(→強相関電子系)。
金属程度の領域(中密度領域)は、最も解析が難しい領域であり、高密度、低密度で解かれている結果の外挿、内挿などにより近似的に解かれることが多い(→密度汎関数法)。
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電子ガス模型とは、一様な正電荷が分布した状態(ジェリウムモデル)に電子が存在するとした模型のこと。電子ガス模型から、プラズマ振動や、電子の遮蔽効果などの議論が出来る。
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{{出典の明記|date=2017年5月}}
{{混同|[[半導体製造]]に用いられる原料ガスとしての『電子ガス』|[[半導体素子]]に存在する状態としての『[[二次元電子ガス]]』}}
'''電子ガス'''(でんしがす、{{lang-en-short|electron gas}}、電子気体)模型とは、一様な正電荷が分布した状態([[ジェリウムモデル]])に[[電子]]が存在するとした[[モデル (自然科学)|模型]]のこと。電子ガス模型から、[[プラズマ振動]]や、電子の[[遮蔽]]効果などの議論が出来る。
== ハミルトニアン ==
この模型における電子系の[[ハミルトニアン]]は次のように表される。
:<math> H = {1 \over {2m}} \sum_{i = 1}^N p_i^2 + {1 \over 2} \sum_{i = 1}^N \sum_{j = 1, j \ne i}^N {e^2 \over {|\boldsymbol{r}_i - \boldsymbol{r}_j|} } - U_0 </math>
ここでmは電子の質量、Nは電子の数である。また右辺第1項は運動エネルギー項、第2項は電子同士のクーロン相互作用項、第3項は一様な正電荷のポテンシャルエネルギーである。ここで第2項は発散項を含むが、第3項も発散項でありこれと打ち消し合う。
また第2項であるクーロン項を無視したものを特に'''[[自由電子ガス]]'''模型と言う。この時、第3項は系の全電荷が中性となる必要があり残る。
上記ハミルトニアンを、[[フーリエ変換]]により逆空間表示すると、
:<math> H = - \frac{\hbar^2}{2m} \sum_{i = 1}^N \Delta_i + {1 \over 2} \sum_{\boldsymbol{k} \ne 0} {4 \pi e^2 \over {\Omega k^2}} \sum_{i = 1}^N \sum_{j = 1, j \ne i}^N e^{i\boldsymbol{k} \cdot (\boldsymbol{r}_i - \boldsymbol{r}_j) }</math>
となる。''Ω''は系の体積。上式右辺第2項の'''''k'''''の和で、除外している'''''k''''' = 0の項が発散項で、''U''<sub>0</sub>と打ち消し合っている。これは、逆空間でゼロ(''k'' = 0)ということは、実空間では無限大のことであり、電子の電荷が空間全体に一様に分布していることに相当する。これが正の電荷の一様分布部分、''U''<SUB>0</SUB>と相殺する。
== パラメータ''r''<sub>s</sub> ==
電子の[[電荷密度]]を''ρ''として、次のパラメータが定義できる。
:<math> r_s = \left( {4 \pi \rho \over 3} \right)^{-1/3} {1 \over {a_B}} = \left( {3 \over {4 \pi \rho}} \right)^{1/3} {1 \over {a_B}}</math>
ここで、''a''<sub>B</sub>は[[ボーア半径]]である。''r''<sub>s</sub>は電子の密度に関係するパラメータで、値が大きいほど低密度、小さいほど高密度となる。実際の金属では、大体2~5までの値をとる。この''r''<sub>s</sub>をパラメータとして、電子ガスの問題は解かれる。
高密度領域(''r''<sub>s</sub>が1以下)では、[[乱雑位相近似]](RPA) が有効な近似となり、比較的簡単に問題を扱うことができる。
''r''<SUB>s</SUB>が100を越えるような低密度領域では解析の結果、電子は[[ウィグナー結晶]]となっていることが指摘されている。また低密度領域は[[電子相関]]の影響が顕著に現れてくる領域である(→[[強相関電子系]])。
金属程度の領域(中密度領域)は、最も解析が難しい領域であり、高密度、低密度で解かれている結果の外挿、内挿などにより近似的に解かれることが多い(→[[密度汎関数法]])。
==関連記事==
*[[自由電子]]
*[[自由電子近似]]
*[[物性物理学]]
*[[プラズモン]]
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14,602 |
ジャン=ピエール・レオ
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ジャン=ピエール・レオ(Jean-Pierre Léaud, 1944年5月28日 - ) は、フランスの俳優。「ジャン=ピエール・レオー」とも表記される。
1944年5月28日、パリに生まれる。父は脚本家ピエール・レオ(Pierre Léaud)、母親は女優ジャクリーヌ・ピエルー(Jacqueline Pierreux)という恵まれた家庭に生まれ育ち、幼い頃から俳優になることを夢見る。13歳の時にフランソワ・トリュフォー監督の『大人は判ってくれない』の主役のオーディションに自らの強い意志で応募。トリュフォーから「誰よりも本気だった」との評価を得て主役の座を射止める。
『大人は判ってくれない』の成功とトリュフォーからの寵愛を得たことから、ヌーヴェルヴァーグの監督達の様々な作品に出演。ヌーヴェルヴァーグを代表する俳優となった。トリュフォーの死の前から、ゴダールとトリュフォーの板挟みに苦しみ精神的に不安定な時期を経て復帰した。以後、現在に至るまで活躍し、2016年には第69回カンヌ国際映画祭において名誉パルム・ドールを受賞している。
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ジャン=ピエール・レオ(Jean-Pierre Léaud, 1944年5月28日 - ) は、フランスの俳優。「ジャン=ピエール・レオー」とも表記される。
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| 芸名 = Jean-Pierre Léaud
| ふりがな = ジャン=ピエール・レオ
| 画像ファイル = Jean-Pierre Léaud Césars.jpg
| 画像サイズ =
| 画像コメント = 2000年、第25回[[セザール賞]]にて
| 本名 =
| 別名義 = <!-- 別芸名がある場合に記載。愛称の欄ではありません -->
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| 国籍 = <!--「出生地」からは推定できないときだけ -->
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| 生年 = 1944
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| 主な作品 = <!-- 主演映画・主演テレビドラマなど。脇役の場合、大ヒットした作品で重要な役割であった、またはその出演功績を認められたもの。例えば、日本アカデミー賞優秀助演男優(女優)賞を受賞したような役の作品を入力 -->『[[大人は判ってくれない]]』(1959年)<br/>『[[男性・女性]]』(1966年)<br/>『[[夜霧の恋人たち]]』(1968年)<br/>『[[恋のエチュード]]』(1971年)<br/>『[[アメリカの夜]]』(1973年)<br/>『ママと娼婦』(1973年)
| アカデミー賞 =
| AFI賞 =
| 英国アカデミー賞 =
| カンヌ国際映画祭 = '''[[パルム・ドール・ドヌール]]'''<br />[[第66回カンヌ国際映画祭|2011年]]
| ベルリン国際映画祭 = '''[[銀熊賞 (男優賞)|銀熊賞(男優賞)]]'''<br />[[第16回ベルリン国際映画祭|1966年]]『[[男性・女性]]』
| ゴールデングローブ賞 =
| ゴールデンラズベリー賞 =
| ゴヤ賞 =
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| セザール賞 = '''名誉賞'''<br />[[2000年]]
| ローレンス・オリヴィエ賞 =
| 全米映画俳優組合賞 =
| トニー賞 =
| 日本アカデミー賞 =
| その他の賞 =
| 備考 =
}}
'''ジャン=ピエール・レオ'''(Jean-Pierre Léaud, [[1944年]][[5月28日]] - ) は、[[フランス]]の[[俳優]]<ref>[https://www.imdb.com/name/nm0529543/ Jean-Pierre Léaud], [[IMDb]]. 2020年9月10日閲覧。</ref>。「'''ジャン=ピエール・レオー'''」とも表記される。
== 来歴 ==
1944年5月28日、[[パリ]]に生まれる<ref>{{cite web|url=http://www.allocine.fr/personne/fichepersonne_gen_cpersonne=635.html|title=Jean-Pierre Léaud|work=AlloCiné|accessdate=2015-09-21}}</ref>。父は脚本家[[ピエール・レオ]]([[:fr:Pierre Léaud|Pierre Léaud]])、母親は女優[[ジャクリーヌ・ピエルー]]([[:fr:Jacqueline Pierreux|Jacqueline Pierreux]])という恵まれた家庭に生まれ育ち、幼い頃から俳優になることを夢見る。13歳の時に[[フランソワ・トリュフォー]]監督の『[[大人は判ってくれない]]』の主役のオーディションに自らの強い意志で応募。トリュフォーから「誰よりも本気だった」との評価を得て主役の座を射止める。
『大人は判ってくれない』の成功とトリュフォーからの寵愛を得たことから、[[ヌーヴェルヴァーグ]]の監督達の様々な作品に出演。ヌーヴェルヴァーグを代表する俳優となった。トリュフォーの死の前から、[[ジャン=リュック・ゴダール|ゴダール]]とトリュフォーの板挟みに苦しみ精神的に不安定な時期を経て復帰した。以後、現在に至るまで活躍し、2016年には[[第69回カンヌ国際映画祭]]において[[名誉パルム・ドール]]を受賞している<ref>{{Cite web |url=http://www.festival-cannes.com/en/event/the-honorary-palme-d-or-awarded-to-jean-pierre-leaud |title=The honorary Palme d’or awarded to Jean-Pierre Léaud |publisher=''Cannes'' ||accessdate=2016-05-23}}</ref>。
== フィルモグラフィー ==
[[File:Japanese-edition-of-Alfred-Hitchcocks-Mystery-Magazine-1960-January-3.jpg|thumb|220px|『[[大人は判ってくれない]]』(1959年)]]
*[[大人は判ってくれない]] ''Les Quatre cents coups'' (1959年)
*オルフェの遺言-私に何故と問い給うな- ''Le testament d'Orphée, ou ne me demandez pas pourquoi! '' (1960年)
*並木道 ''Boulevard'' (1960年)
*[[二十歳の恋]] ''L' Amour à vingt ans'' (1962年)
*[[気狂いピエロ]] ''Pierrot le Fou'' (1965年)
*[[アルファヴィル]] ''Alphaville, une étrange aventure de Lemmy Caution'' (1965年)
*[[男性・女性]] ''Masculin féminin: 15 faits précis'' (1966年)
*[[メイド・イン・USA]] ''Made in U.S.A.'' (1967年)
*[[愛すべき女・女たち]] ''Le Plus vieux métier du monde'' (1967年)
*[[出発 (映画)|出発]] ''Le Départ'' (1967年)
*[[中国女 (映画)|中国女]] ''La Chinoise'' (1967年)
*[[ウイークエンド]] ''Week End'' (1967年)
*[[夜霧の恋人たち]] ''Baisers volés'' (1968年)
*サンタクロースの眼は青い ''Le père Noël a les yeux bleus'' (1969年)
*[[たのしい知識]] ''Le gai savoir'' (1969年)
*[[豚小屋]] ''Porcile'' (1969年)
*[[家庭 (映画)|家庭]] ''Domicile conjugal'' (1970年)
*[[恋のエチュード]] ''Les Deux anglaises et le continent'' (1971年)
*アウト・ワン ''Out 1 : Noli me tangere'' (1971年)
*[[ラストタンゴ・イン・パリ]] ''Ultimo tango a Parigi'' (1972年)
*[[アメリカの夜]] ''La nuit américaine'' (1973年)
*ママと娼婦 ''La Maman et la putain'' (1973年)
*[[逃げ去る恋]] ''L'amour en fuite'' (1979年)
*[[ゴダールの探偵]] ''Détective'' (1985年)
*[[映画というささやかな商売の栄華と衰退]] ''Série noire: Grandeur et décadence d'un petit commerce de cinéma'' (1986年)
*肉体と財産 ''Corps et biens'' (1986年)
*ボラン/復讐の銃口 ''Boran - Zeit zum Zielen'' (1987年)
*アニエスv.によるジェーンb. ''Jane B. par Agnès V.'' (1988年)
*ヴァージン・スピリト ''36 fillette'' (1988年)
*誰かが知っている ''La couleur du vent'' (1988年)
*[[バンカー・パレス・ホテル]] ''Bunker Palace Hôtel'' (1989年)
*[[コントラクト・キラー]] ''I Hired a Contract Killer'' (1990年)
*パリ・セヴェイユ ''Paris s'éveille'' (1991年)
*[[ラヴィ・ド・ボエーム]] ''La Vie de bohème'' (1992年)
*愛の誕生 ''La Naissance de l'amour'' (1993年)
*だれも私を愛さない! ''Personne ne m'aime'' (1994年)
*[[百一夜]] ''Les Cent et une nuits de Simon Cinéma'' (1995年)
*私の男 ''Mon homme'' (1996年)
*[[イルマ・ヴェップ]] ''Irma Vep'' (1996年)
*男と女と男 ''Pour rire!'' (1996年)
*趣味の問題 ''Une affaire de goût'' (2000年)
*[[ふたつの時、ふたりの時間]] ''Ni neibian jidian'' (2001年)
*ポルノグラフ ''Le pornographe'' (2001年)
*[[ドリーマーズ]] ''The Dreamers'' (2003年)
*ヴィザージュ ''Face'' (2009年)
*[[ル・アーヴルの靴みがき]] ''Le Havre'' (2011年)
*カミーユ、恋はふたたび ''Camille redouble'' (2012年)
*ルイ14世の死 ''La mort de Louis XIV'' (2016年)
*ライオンは今夜死ぬ ''Le lion est mort ce soir'' (2017年)
== 脚注 ==
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== 外部リンク ==
{{Commonscat|Jean-Pierre Léaud}}
* {{allcinema name|40519|ジャン=ピエール・レオ}}
* {{Kinejun name|51452|ジャン=ピエール・レオ}}
* {{IMDb name|0529543|Jean-Pierre Léaud}}
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[[Category:フランスの男優]]
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[[Category:1944年生]]
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フランソワ・トリュフォー
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フランソワ・ロラン・トリュフォー(François Roland Truffaut、1932年2月6日 - 1984年10月21日)は、フランスの映画監督、脚本家、俳優である。ヌーヴェルヴァーグを代表する監督の一人。映画作家・理論家のアレクサンドル・アストリュックがトリュフォーを「愛のシネアスト(cinéaste)」と定義した。
パリに生まれたトリュフォーは両親の離婚から孤独な少年時代を過ごし、幾度も親によって感化院に放り込まれるなど、親との関係で問題の多い少年だった。1946年には早くも学業を放棄し映画館に入り浸り、1947年にはシネクラブを組織し始める。15歳のとき、のちに映画評論誌『カイエ・デュ・シネマ』初代編集長(1951年 - 1958年)となる批評家アンドレ・バザンと出会い引き取られ、以降バザンが死ぬまで親子同然の生活を送る。失恋をきっかけに軍隊に志願するが、インドシナ戦線に送られることを恐れて脱走し、途中で捕まり軍刑務所にに投獄される。そのときもバザンが保護者となり軍隊から救い出した。20歳になると、彼の勧めにより映画評論を著すようになり、『カイエ・デュ・シネマ』を中心に先鋭的かつ攻撃的な映画批評を多数執筆した。特に、同誌1954年1月号に掲載された「フランス映画のある種の傾向」という文章は厳しい論調だった。
最初の短編映画を発表した後、1956年、ロベルト・ロッセリーニの助監督となる。1957年、配給会社の社長令嬢と最初の結婚をする。同年、製作会社レ・フィルム・デュ・キャロッス社を設立、2作目の短編映画『あこがれ』を演出し、翌1958年公開。
1959年、キャロッス社とSEDIF(義父の会社コシノールの子会社)の共同製作による処女長編『大人は判ってくれない』を監督し、第12回カンヌ国際映画祭に出品されると大絶賛を浴び、監督賞を受賞。作品は大ヒットを記録し、トリュフォーとヌーヴェルヴァーグの名を一躍高らしめることとなった。彼自身の体験談を下敷きにして作られた同作はその後ジャン=ピエール・レオ演ずるアントワーヌ・ドワネルを主人公とする「アントワーヌ・ドワネルの冒険」としてシリーズ化され、『逃げ去る恋』(1978年)に至るまで合計5本制作された。このとき出逢った映画会社マルソー=コシノール当時のマネジャーマルセル・ベルベールは、キャロッス社の大番頭的存在となり、またトリュフォー作品にカメオ出演し続けることになる。
1963年4月1日から10日にかけて第3回フランス映画祭が東京都千代田区の東商ホールで開催された。『突然炎のごとく』のほか、ジャン=ガブリエル・アルビコッコの『金色の眼の女』と『アメリカのねずみ』、『ミス・アメリカ パリを駆ける』『シベールの日曜日』『女はコワイです』『不滅の女』『地下室のメロディー』『地獄の決死隊』の計9本の長編と、短編映画『ふくろうの河』が上映された。トリュフォー、アレクサンドラ・スチュワルト、アラン・ドロン、マリー・ラフォレ、セルジュ・ブールギニョン、アルベール・ラモリス、フランソワーズ・ブリオンらは映画祭に参加するため3月28日に来日した。雑誌の企画により、トリュフォーとブールギニョンは、市川崑、増村保造、川喜多かしことホテルニュージャパンで語り合った。
1968年のカンヌ国際映画祭において、コンテストの必要性の有無を巡って大論争が巻き起こり、トリュフォーはカンヌ国際映画祭粉砕を主張して最も過激な論陣を張った。しかし、映画祭の改革を主張したトリュフォーに対しゴダールは政治的な改革を訴え、2人の方向性の違いが明らかとなった。この出来事を一つのきっかけに、盟友であったゴダールとの決別を始めとしてヌーヴェルヴァーグの面々と疎遠になった。68年の『黒衣の花嫁』、69年の『暗くなるまでこの恋を』は高い評価を得た。
1973年、映画へのラブレターと銘打ち、映画制作の裏側を描いた『アメリカの夜』を発表し、アカデミー外国語映画賞を受賞する。本作では自身も映画監督役として出演した。また、監督と兼任して科学者役を演じた『野性の少年』を観たスティーヴン・スピルバーグからのオファーにより、『未知との遭遇』では科学者役で出演した。
1983年7月に脳腫瘍と診断され、ミッチェル・ベルジェとフランス・ギャル夫妻の邸宅にて療養する。友人であったミロシュ・フォアマン監督の『アマデウス』のプレミアに出席することを望んでいたが、叶わないまま1984年10月21日に死去した。彼が生涯に制作した映画は25本であった。
トリュフォーの死に際して、フランスに留まらず世界各国の映画関係者が集い盛大な葬儀が執り行われたが、ゴダールは葬儀に参列せず、追悼文を著すこともなかった。しかし、死後4年経った1988年に出版されたトリュフォー書簡集に、彼からの手紙を提供した。内容は激しくゴダールを罵倒する語調のものであったが、新たに書き下ろした序文では「フランソワは死んだかもしれない。わたしは生きているかもしれない。だが、どんな違いがあるというのだろう?」と締めくくった。
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"text": "パリに生まれたトリュフォーは両親の離婚から孤独な少年時代を過ごし、幾度も親によって感化院に放り込まれるなど、親との関係で問題の多い少年だった。1946年には早くも学業を放棄し映画館に入り浸り、1947年にはシネクラブを組織し始める。15歳のとき、のちに映画評論誌『カイエ・デュ・シネマ』初代編集長(1951年 - 1958年)となる批評家アンドレ・バザンと出会い引き取られ、以降バザンが死ぬまで親子同然の生活を送る。失恋をきっかけに軍隊に志願するが、インドシナ戦線に送られることを恐れて脱走し、途中で捕まり軍刑務所にに投獄される。そのときもバザンが保護者となり軍隊から救い出した。20歳になると、彼の勧めにより映画評論を著すようになり、『カイエ・デュ・シネマ』を中心に先鋭的かつ攻撃的な映画批評を多数執筆した。特に、同誌1954年1月号に掲載された「フランス映画のある種の傾向」という文章は厳しい論調だった。",
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"text": "1968年のカンヌ国際映画祭において、コンテストの必要性の有無を巡って大論争が巻き起こり、トリュフォーはカンヌ国際映画祭粉砕を主張して最も過激な論陣を張った。しかし、映画祭の改革を主張したトリュフォーに対しゴダールは政治的な改革を訴え、2人の方向性の違いが明らかとなった。この出来事を一つのきっかけに、盟友であったゴダールとの決別を始めとしてヌーヴェルヴァーグの面々と疎遠になった。68年の『黒衣の花嫁』、69年の『暗くなるまでこの恋を』は高い評価を得た。",
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] |
フランソワ・ロラン・トリュフォーは、フランスの映画監督、脚本家、俳優である。ヌーヴェルヴァーグを代表する監督の一人。映画作家・理論家のアレクサンドル・アストリュックがトリュフォーを「愛のシネアスト(cinéaste)」と定義した。
|
{{ActorActress
| 芸名 = フランソワ・トリュフォー
| ふりがな = François Truffaut
| 画像ファイル = François Truffaut (1965).jpg
| 画像サイズ = 200
| 画像コメント = トリュフォー([[1965年]])
| 本名 = François Roland Truffaut
| 別名義 =
| 出生地 = {{FRA1870}} [[パリ]]
| 死没地 = {{FRA}} [[オー=ド=セーヌ県]][[ヌイイ=シュル=セーヌ]]
| 国籍 = {{FRA}}
| 民族 =
| 身長 =
| 血液型 =
| 生年 = 1932
| 生月 = 2
| 生日 = 6
| 没年 = 1984
| 没月 = 10
| 没日 = 21
| 職業 = [[映画監督]]、[[脚本家]]、[[俳優]]
| ジャンル = [[映画]]
| 活動期間 = [[1955年]] - [[1984年]]
| 活動内容 =
| 配偶者 = Madeleine Morgenstern(1957年 - 1965年)
| 著名な家族 =
| 事務所 =
| 公式サイト =
| 主な作品 = '''監督・脚本'''<br>『[[大人は判ってくれない]]』(1959年)<br/>『[[突然炎のごとく]]』(1962年)<br/>『[[夜霧の恋人たち]]』(1968年)<br/>『[[野生の少年]]』(1970年)<br/>『[[恋のエチュード]]』(1971年)<br />『[[アメリカの夜]]』(1973年)<br />『[[終電車 (映画)|終電車]]』(1980年)<hr>'''出演'''<br>『[[未知との遭遇]]』(1977年)<!-- 誰もが認める代表作品を記述 -->
| アカデミー賞 = '''[[アカデミー外国語映画賞|外国語映画賞]]'''<br />[[第46回アカデミー賞|1973年]]『[[アメリカの夜]]』
| カンヌ国際映画祭 = '''[[カンヌ国際映画祭 監督賞|監督賞]]'''<br />[[第12回カンヌ国際映画祭|1959年]]『[[大人は判ってくれない]]』<br/>'''[[カンヌ国際映画祭 国際カトリック映画事務局賞|国際カトリック映画事務局賞]]'''<br/>1959年『大人は判ってくれない』
| ベルリン国際映画祭 =
| 全米映画批評家協会賞 = '''[[全米映画批評家協会賞 監督賞|監督賞]]'''<br/>1969年『[[夜霧の恋人たち]]』<br/>1973年『アメリカの夜』
| ニューヨーク映画批評家協会賞 = '''[[ニューヨーク映画批評家協会賞 監督賞|監督賞]]'''<br/>[[第39回ニューヨーク映画批評家協会賞|1973年]]『アメリカの夜』<br/>'''[[ニューヨーク映画批評家協会賞 脚本賞|脚本賞]]'''<br />[[第41回ニューヨーク映画批評家協会賞|1975年]]『[[アデルの恋の物語]]』<br />'''[[ニューヨーク映画批評家協会賞 外国語映画賞|外国語映画賞]]'''<br/>[[第25回ニューヨーク映画批評家協会賞|1959年]]『大人は判ってくれない』
| 英国アカデミー賞 = '''[[英国アカデミー賞 監督賞|監督賞]]'''<br />1973年『アメリカの夜』
| セザール賞 = '''作品賞'''<br />[[1980年]]『[[終電車 (映画)|終電車]]』<br />'''監督賞'''<br />[[1980年]]『終電車』<br />'''脚本賞'''<br />1980年『終電車』
| エミー賞 =
| ジェミニ賞 =
| ゴールデングローブ賞 =
| ロサンゼルス映画批評家協会賞 =
| ゴヤ賞 =
| グラミー賞 =
| ブルーリボン賞 =
| ローレンス・オリヴィエ賞 =
| 全米映画俳優組合賞 =
| トニー賞 =
| 日本アカデミー賞 =
| その他の賞 = '''[[ボストン映画批評家協会賞]]'''<br />'''[[ボストン映画批評家協会賞 外国語映画賞|外国語映画賞]]'''<br />[[1980年]]『終電車』<hr />[[フランソワ・トリュフォー#受賞|下記]]を参照
| 備考 =
}}
'''フランソワ・ロラン・トリュフォー'''(François Roland Truffaut、[[1932年]][[2月6日]] - [[1984年]][[10月21日]])は、[[フランス]]の[[映画監督]]、[[脚本家]]、[[俳優]]である。[[ヌーヴェルヴァーグ]]を代表する監督の一人。映画作家・理論家の[[アレクサンドル・アストリュック]]がトリュフォーを「愛のシネアスト(cinéaste)」と定義した<ref>トリュフォー自身,彼の映画の〈愛〉のモティーフを〈女と子どもと書物〉だと語っていた。</ref>。
== 生涯 ==
[[File:Avant-première L'Amour en fuite Luxembourg Cinéma Marivaux 18 avril 1979 Photo Carlo Hansen Luxembourg.jpg|thumb|left|フランソワ・トリュフォーと[[クロード・ジャド]] (『逃げ去る恋』のプレミアで)]]
[[パリ]]に生まれたトリュフォーは両親の離婚から孤独な少年時代を過ごし、幾度も親によって[[感化院]]に放り込まれるなど、親との関係で問題の多い少年だった。[[1946年]]には早くも学業を放棄し映画館に入り浸り、[[1947年]]には[[シネクラブ]]を組織し始める。15歳のとき、のちに映画評論誌『[[カイエ・デュ・シネマ]]』初代編集長(1951年 - 1958年)となる[[批評家]][[アンドレ・バザン]]と出会い引き取られ、以降バザンが死ぬまで親子同然の生活を送る。失恋をきっかけに軍隊に志願するが、[[第一次インドシナ戦争|インドシナ戦線]]に送られることを恐れて脱走し、途中で捕まり軍刑務所にに投獄される。そのときもバザンが保護者となり軍隊から救い出した。20歳になると、彼の勧めにより映画評論を著すようになり、『カイエ・デュ・シネマ』を中心に先鋭的かつ攻撃的な映画批評を多数執筆した。特に、同誌[[1954年]]1月号に掲載された「フランス映画のある種の傾向」という文章は厳しい論調だった。
最初の短編映画を発表した後、[[1956年]]、[[ロベルト・ロッセリーニ]]の助監督となる。[[1957年]]、配給会社の社長令嬢と最初の結婚をする。同年、製作会社[[レ・フィルム・デュ・キャロッス]]社を設立、2作目の短編映画『[[あこがれ (1958年の映画)|あこがれ]]』を演出し、翌[[1958年]]公開。
[[1959年]]、キャロッス社とSEDIF(義父の会社コシノールの子会社)の共同製作による<!--[[クロード・シャブロル]]が『[[美しきセルジュ]]』([[1957年]]) のヒットで稼いだ資金を元手として-->処女長編『[[大人は判ってくれない]]』を監督し、[[第12回カンヌ国際映画祭]]に出品されると大絶賛を浴び、[[カンヌ国際映画祭 監督賞|監督賞]]を受賞。作品は大ヒットを記録し、トリュフォーとヌーヴェルヴァーグの名を一躍高らしめることとなった。彼自身の体験談を下敷きにして作られた同作はその後[[ジャン=ピエール・レオ]]演ずるアントワーヌ・ドワネルを主人公とする「アントワーヌ・ドワネルの冒険」としてシリーズ化され、『[[逃げ去る恋]]』([[1978年]])に至るまで合計5本制作された。このとき出逢った映画会社マルソー=コシノール当時のマネジャー[[マルセル・ベルベール]]は、キャロッス社の大番頭的存在となり、またトリュフォー作品にカメオ出演し続けることになる。
[[File:Kinema-Junpo-1963-May-early-1.jpg|thumb|200px|[[セルジュ・ブールギニョン]]とともに(1963年、[[ホテルニュージャパン]]にて)]]
1963年4月1日から10日にかけて第3回[[フランス映画祭 (日本)|フランス映画祭]]が東京都千代田区の[[東京商工会議所|東商]]ホールで開催された。『[[突然炎のごとく]]』のほか、[[ジャン=ガブリエル・アルビコッコ]]の『[[金色の眼の女]]』と『アメリカのねずみ』、『ミス・アメリカ パリを駆ける』『[[シベールの日曜日]]』『女はコワイです』『不滅の女』『[[地下室のメロディー]]』『地獄の決死隊』の計9本の長編と、短編映画『[[ふくろうの河]]』が上映された<ref name="eiga-hyron196305">『[[映画評論 (雑誌)|映画評論]]』1963年5月号。</ref>。トリュフォー、[[アレクサンドラ・スチュワルト]]、[[アラン・ドロン]]、[[マリー・ラフォレ]]、[[セルジュ・ブールギニョン]]、[[アルベール・ラモリス]]、フランソワーズ・ブリオンらは映画祭に参加するため3月28日に来日した<ref>『映画ストーリー』1963年6月号、雄鶏社、「ドロンとラフォレがやってきた!」。</ref><ref>『映画情報』1963年6月号、[[国際情報社]]、「フランス映画祭にぎわう」。</ref>。雑誌の企画により、トリュフォーとブールギニョンは、[[市川崑]]、[[増村保造]]、[[川喜多かしこ]]と[[ホテルニュージャパン]]で語り合った<ref>『[[キネマ旬報]]』1963年5月上旬号、34-41頁、「現代をえがく映画作家の眼」。</ref>。
[[1968年]]の[[カンヌ国際映画祭]]において、コンテストの必要性の有無を巡って大論争が巻き起こり、トリュフォーはカンヌ国際映画祭粉砕を主張して最も過激な論陣を張った。しかし、映画祭の改革を主張したトリュフォーに対しゴダールは政治的な改革を訴え、2人の方向性の違いが明らかとなった。この出来事を一つのきっかけに、盟友であったゴダールとの決別を始めとしてヌーヴェルヴァーグの面々と疎遠になった。68年の『黒衣の花嫁』、69年の『暗くなるまでこの恋を』<ref>https://movies.yahoo.co.jp/movie/6353/</ref>は高い評価を得た。
1973年、映画へのラブレターと銘打ち、映画制作の裏側を描いた『[[アメリカの夜]]』を発表し、[[アカデミー外国語映画賞]]を受賞する。本作では自身も映画監督役として出演した。また、監督と兼任して科学者役を演じた『[[野性の少年]]』を観た[[スティーヴン・スピルバーグ]]からのオファーにより、『[[未知との遭遇]]』では科学者役で出演した。
[[1983年]]7月に[[脳腫瘍]]と診断され、ミッチェル・ベルジェと[[フランス・ギャル]]夫妻の邸宅にて療養する。友人であった[[ミロス・フォアマン|ミロシュ・フォアマン]]監督の『[[アマデウス (映画)|アマデウス]]』の[[プレミア]]に出席することを望んでいたが、叶わないまま[[1984年]][[10月21日]]に死去した。彼が生涯に制作した映画は25本であった。
トリュフォーの死に際して、フランスに留まらず世界各国の映画関係者が集い盛大な葬儀が執り行われたが、ゴダールは葬儀に参列せず、追悼文を著すこともなかった。しかし、死後4年経った[[1988年]]に出版されたトリュフォー書簡集に、彼からの手紙を提供した。内容は激しくゴダールを罵倒する語調のものであったが、新たに書き下ろした序文では「フランソワは死んだかもしれない。わたしは生きているかもしれない。だが、どんな違いがあるというのだろう?」と締めくくった<ref>''Francois Truffaut: Correspondence, 1945-1984'' ISBN 0815410247 英語版ペーパーバック</ref>。
== エピソード ==
* フランス映画の父として慕い尊敬していた[[ジャン・ルノワール]]がアメリカで失意の底に沈んでいることを聞きつけ、幾度もアメリカに渡って勇気づけ、ルノワールの死に至るまで両者は親子同然の関係を持ち続けた。また、自分自身の分身を演じ続けたジャン=ピエール・レオに対しても息子同然の扱いをしていたという。
*『[[緑色の部屋]]』の宣伝キャンペーンで、1980年2月に来日した際、日本の映画ジャーナリストが日本の名作を観てもらおうと、当時[[名画座]]で掛かっていた[[深作欣二]]監督の『[[仁義の墓場]]』を推薦し<ref name="シティロード8001">{{Cite journal |和書 |author = 原將人 |authorlink = 原將人 |title = 追っかけインタビュー フランソワ・トリュフォー |journal = [[シティロード]] |issue = 1980年1月号 |publisher = エコー企画 |page = 11 }}</ref>、トリュフォーに観てもらった<ref name="シティロード8001"/>。しかしトリュフォーは開始10分で劇場を出てしまい<ref name="シティロード8001"/>、「何で?」と聞いたら、「非常に疲れていたのと、暴力的なシーンが多くて堪えられなかったのです。暴力的な映画よりエロチックな映画の方がずっと好きです」と言った<ref name="シティロード8001"/>。「今まで観た映画で好きな映画は?」という質問に対しては「[[オーソン・ウェルズ]]監督の『[[偉大なるアンバーソン家の人々]]』、それから[[フェデリコ・フェリーニ]]監督の『[[カサノバ (1976年の映画)|カサノバ]]』が大好きです。他にもたくさんあって数えきれません。それらについては色々本に書いているので読んでください」などと答えた<ref name="シティロード8001"/>。
== フィルモグラフィ ==
=== 監督作品 ===
[[File:Kinema-Junpo-1960-February-late-1.jpg|thumb|220px|『[[大人は判ってくれない]]』(1959年)]]
[[File:Kinema-Junpo-1964-February-Special-8.jpg|thumb|220px|『[[ピアニストを撃て]]』(1960年)]]
[[File:Kinema-Junpo-1964-February-early-2.jpg|thumb|220px|『[[突然炎のごとく]]』(1962年)]]
* [[ある訪問|ある訪問(短編、自主制作)]] ''Une visite''([[1954年]])
* [[あこがれ (1958年の映画)|あこがれ(短編)]] ''Les Mistons''([[1958年]])
* [[水の話|水の話(短編)]] ''Une histoire d'eau'' (共同監督ジャン=リュック・ゴダール、[[1958年]])
* [[大人は判ってくれない]] ''Les Quatre cents coups''([[1959年]])
* [[ピアニストを撃て]] ''Tirez sur le pianiste''([[1960年]])
* [[突然炎のごとく]] ''Jules et Jim''([[1962年]])
* [[アントワーヌとコレット/二十歳の恋]] ''L'Amour à vingt ans / Antoine et colette''([[1962年]])『[[二十歳の恋]]』の一篇
* [[柔らかい肌]] ''La Peau douce''([[1964年]])
* [[華氏451]] ''Fahrenheit 451''([[1966年]])原作 [[レイ・ブラッドベリ]]「[[華氏451度]]」
* [[黒衣の花嫁]] ''La Mariée était en noir''([[1968年]])
* [[夜霧の恋人たち]] ''Baisers volés''([[1968年]])
* [[暗くなるまでこの恋を]] ''La Sirène du Mississipi''([[1969年]])
* [[野性の少年]] ''L'Enfant sauvage''([[1970年]])
* [[家庭 (映画)|家庭]] ''Domicile conjugal''([[1970年]])
* [[恋のエチュード]] ''Les Deux anglaises et le continent''([[1971年]])
* [[私のように美しい娘]] ''Une belle fille comme moi''([[1972年]])
* [[アメリカの夜]] ''La Nuit américaine''([[1973年]])
* [[アデルの恋の物語]] ''L'Histoire d'Adèle H.''([[1975年]])
* [[トリュフォーの思春期]] ''L'Argent de poche''([[1976年]])
* [[恋愛日記]] ''L'Homme qui aimait les femmes''([[1977年]])
* [[緑色の部屋]] ''La Chambre verte''([[1978年]])
* [[逃げ去る恋]] ''L'Amour en fuite''([[1979年]])
* [[終電車 (映画)|終電車]] ''Le Dernier métro''([[1980年]])
* [[隣の女 (映画)|隣の女]] ''La Femme d'à côté''([[1981年]])
* [[日曜日が待ち遠しい!]] ''Vivement dimanche!''([[1983年]])
=== 出演作品 ===
* [[王手飛車取り (映画)|王手飛車取り]] ''Le Coup du berger''([[1956年]])
* [[野性の少年]] ''L'Enfant sauvage''([[1970年]])[[ジャン・イタール|イタール]]博士役
* [[恋のエチュード]] ''Les Deux anglaises et le continent''([[1971年]])ナレーター
* [[アメリカの夜]] ''La Nuit américaine''([[1973年]])フェラン監督役
* [[アデルの恋の物語]] ''L'Histoire d'Adèle H.''([[1975年]])士官役
* [[未知との遭遇]] ''Close Encounters of the Third Kind''([[1977年]])フランス人科学者ラコーム役
* [[緑色の部屋]] ''La Chambre verte''([[1978年]])
* [[フランソワ・トリュフォー/盗まれた肖像]] ''DEUX DE LA VAGUE''([[1993年]])
* [[ふたりのヌーヴェルヴァーグ ゴダールとトリュフォー]] ''FRANCOIS TRUFFAUT: PORTRAITS VOLES''([[2010年]])
* [[ヒッチコック/トリュフォー]] ''Hitchcock/Truffaut''([[2015年]])
== 受賞 ==
{| class="sortable wikitable" style="font-size:small"
!賞!!年!!部門!!作品!!結果
|-
!rowspan="2" style="text-align:left"|[[カンヌ国際映画祭]]
|rowspan="2"|1959年||[[カンヌ国際映画祭 監督賞|監督賞]]||rowspan="2"|『[[大人は判ってくれない]]』||{{won}}
|-
|[[カンヌ国際映画祭 国際カトリック映画事務局賞|国際カトリック映画事務局賞]]||{{won}}
|-
!rowspan="6" style="text-align:left"|[[アカデミー賞]]
|1959年||[[アカデミー脚本賞|脚本賞]]||『大人は判ってくれない』||{{nom}}
|-
|1968年||[[アカデミー国際長編映画賞|外国語映画賞]]||『[[夜霧の恋人たち]]』||{{nom}}
|-
|1973年||外国語映画賞||rowspan="3"|『[[アメリカの夜]]』||{{won}}
|-
|rowspan="2"|1974年||[[アカデミー監督賞|監督賞]]||{{nom}}
|-
|脚本賞||{{nom}}
|-
|1980年||外国語映画賞||『[[終電車 (映画)|終電車]]』||{{nom}}
|-
!rowspan="6" style="text-align:left"|[[ニューヨーク映画批評家協会賞]]
|1959年||[[ニューヨーク映画批評家協会賞 外国語映画賞|外国語映画賞]]||『大人は判ってくれない』||{{won}}
|-
|1969年||[[ニューヨーク映画批評家協会賞 脚本賞|脚本賞]]||『夜霧の恋人たち』||{{draw|次点}}
|-
|rowspan="2"|1973年||作品賞||rowspan="2"|『アメリカの夜』||{{won}}
|-
|[[ニューヨーク映画批評家協会賞 監督賞|監督賞]]||{{won}}
|-
|1975年||脚本賞||『[[アデルの恋の物語]]』||{{won}}
|-
|1981年||外国語映画賞||『終電車』||{{draw|次点}}
|-
!rowspan="5" style="text-align:left"|[[フランス映画批評家協会賞]]
|1959年||作品賞||『大人は判ってくれない』||{{won}}
|-
|1968年||作品賞||『夜霧の恋人たち』||{{won}}
|-
|1970年||作品賞||『[[野性の少年]]』||{{won}}
|-
|1973年||作品賞||『アメリカの夜』||{{won}}
|-
|1976年||作品賞||『アデルの恋の物語』||{{won}}
|-
!rowspan="6" style="text-align:left"|[[英国アカデミー賞]]
|1960年||[[英国アカデミー賞 作品賞|総合作品賞]]||『大人は判ってくれない』||{{nom}}
|-
|1962年||総合作品賞||『[[突然炎のごとく]]』||{{nom}}
|-
|rowspan="2"|1973年||作品賞||rowspan="2"|『アメリカの夜』||{{won}}
|-
|[[英国アカデミー賞 監督賞|監督賞]]||{{won}}
|-
|1978年||[[英国アカデミー賞 助演男優賞|助演男優賞]]||『[[未知との遭遇]]』||{{nom}}
|-
|1983年||[[英国アカデミー賞 外国語作品賞|外国語作品賞]]||『[[日曜日が待ち遠しい!]]』||{{nom}}
|-
!rowspan="3" style="text-align:left"|[[ボディル賞]]
|1960年||[[ボディル賞 非アメリカ映画賞|非アメリカ映画賞]]||『大人は判ってくれない』||{{won}}
|-
|1963年||非アメリカ映画賞||『突然炎のごとく』||{{won}}
|-
|1965年||非アメリカ映画賞||『[[柔らかい肌]]』||{{won}}
|-
!style="text-align:left"|[[マール・デル・プラタ国際映画祭]]
|1962年||監督賞||『突然炎のごとく』||{{won}}
|-
!rowspan="3" style="text-align:left"|[[ナストロ・ダルジェント賞]]
|1963年||外国監督賞||『突然炎のごとく』||{{won}}
|-
|1974年||外国監督賞||『アメリカの夜』||{{nom}}
|-
|1981年||外国監督賞||『終電車』||{{nom}}
|-
!style="text-align:left"|[[ルイ・デリュック賞]]
|1968年||style="text-align:center"|-||『夜霧の恋人たち』||{{won}}
|-
!rowspan="5" style="text-align:left"|[[ゴールデングローブ賞]]
|rowspan="2"|1968年||[[ゴールデングローブ賞 外国語映画賞|外国語映画賞]]||『[[黒衣の花嫁]]』||{{nom}}
|-
|外国語映画賞||『[[夜霧の恋人たち]]』||{{nom}}
|-
|1973年||外国語映画賞||『アメリカの夜』||{{nom}}
|-
|1976年||外国語映画賞||『[[トリュフォーの思春期]]』||{{nom}}
|-
|1980年||外国語映画賞||『終電車』||{{nom}}
|-
!rowspan="7" style="text-align:left"|[[全米映画批評家協会賞]]
|rowspan="2"|1969年||作品賞||rowspan="2"|『夜霧の恋人たち』||{{draw|2位}}
|-
|[[全米映画批評家協会賞 監督賞|監督賞]]||{{won}}
|-
|rowspan="3"|1970年||作品賞||rowspan="3"|『野性の少年』||{{draw|3位}}
|-
|監督賞||{{draw|2位}}
|-
|脚本賞||{{draw|4位}}
|-
|rowspan="2"|1973年||作品賞||rowspan="2"|『アメリカの夜』||{{won}}
|-
|監督賞||{{won}}
|-
!rowspan="3" style="text-align:left"|[[ナショナル・ボード・オブ・レビュー賞]]
|rowspan="2"|1970年||[[ナショナル・ボード・オブ・レビュー賞 監督賞|監督賞]]||rowspan="2"|『野性の少年』||{{won}}
|-
|[[ナショナル・ボード・オブ・レビュー賞 外国語映画賞|外国語映画賞]]||{{won}}
|-
|1975年||外国語映画賞||『アデルの恋の物語』||{{won}}
|-
!rowspan="6" style="text-align:left"|[[セザール賞]]
|1976年||監督賞||『アデルの恋の物語』||{{nom}}
|-
|rowspan="3"|1981年||作品賞||rowspan="3"|『終電車』||{{won}}
|-
|監督賞||{{won}}
|-
|脚本賞||{{nom}}
|-
|1984年||監督賞||『日曜日が待ち遠しい!』||{{nom}}
|-
|1989年||脚本賞||『小さな泥棒』||{{nom}}
|-
!style="text-align:left"|[[カンザスシティ映画批評家協会賞]]
|1976年||[[カンザスシティ映画批評家協会賞 外国語映画賞|外国語映画賞]]||『トリュフォーの思春期』||{{won}}
|-
!style="text-align:left"|[[ボストン映画批評家協会賞]]
|1980年||外国語映画賞||『終電車』||{{won}}
|-
!style="text-align:left"|[[ダヴィッド・ディ・ドナテッロ賞]]
|1981年||ルキノ・ヴィスコンティ賞||style="text-align:center"|-||{{won}}
|-
!style="text-align:left"|[[ロサンゼルス映画批評家協会賞]]
|1984年||特別賞||style="text-align:center"|-||{{won}}
|}
== 日本のテレビ番組出演 ==
* [[スター千一夜]]([[フジテレビジョン|フジテレビ]]、1963年4月1日)
== 日本語文献 ==
; 著作・インタビュー など
* 『映画の夢 夢の批評』山田宏一・蓮實重彦訳、たざわ書房、1979年。評論集
* [[アルフレッド・ヒッチコック|ヒッチコック]]との共著 『[[映画術 ヒッチコック/トリュフォー|映画術]]』 [[山田宏一]]・[[蓮實重彦]]訳、[[晶文社]]、1981年、増訂版1990年
* マルセル・ムーシー共著『[[大人は判ってくれない]]』山田宏一訳、[https://www.doyosha.com/ 土曜社]、2020年。小著
* 山田宏一・蓮實重彦 『フランソワ・トリュフォー 最後のインタビュー』 平凡社、2014年
* アンヌ・ジラン編 『トリュフォーの映画術』 和泉涼一、二瓶恵訳、[[水声社]]、2006年
* ドミニク・ラブールダン編『トリュフォーによるトリュフォー』 山田宏一訳、[[リブロポート]]、1994年。大著
* 『ある映画の物語』 山田宏一訳、草思社、1986年。[[オンデマンド]]版2000年。「[[華氏451]]」撮影日記ほか
* 『ある映画の物語2 [[アメリカの夜]]』 山田宏一訳、[[草思社]]、1988年
** 『ある映画の物語』 草思社文庫、2020年(1・2部の合本)
* [[アンドレ・バザン]]、トリュフォー編 『[[ジャン・ルノワール]]』 [[奥村昭夫]]訳、フィルムアート社、1980年
; 評伝
* アネット・インスドーフ 『フランソワ・トリュフォーの映画』 和泉涼一、二瓶恵訳、水声社、2013年
* アントワーヌ・ド・ベック、セルジュ・トゥビアナ編 『フランソワ・トリュフォー』 稲松三千野訳、[[原書房]]、2006年
* [[山田宏一]] 『フランソワ・トリュフォー映画読本』 [[平凡社]]、2003年、増補版2022年
* 山田宏一 『トリュフォー、ある映画的人生』 平凡社、1991年、増補1994年、[[平凡社ライブラリー]]、2002年
* 山田宏一 『トリュフォーの手紙』 平凡社、2012年
* 山田宏一 『フランソワ・トリュフォーの映画誌 山田宏一の映画教室vol.1』 平凡社、2004年。図版多数の編著
* 『季刊[[リュミエール (雑誌)|リュミエール]] 2 フランソワ・トリュフォーとフランス映画』 [[筑摩書房]]、1985年
* 『[[ユリイカ (雑誌)|ユリイカ 詩と批評]] 特集トリュフォー』1985年2月号、[[青土社]]、[[歌田明弘]]編
== 脚注 ==
<references />
== 関連項目 ==
* [[フランス映画]]
* [[ジョルジュ・ドルリュー]] トリュフォーの主要な作品で音楽を担当した。
* [[アンリ=ピエール・ロシェ]] 3作品の原作者
* [[カンヌ国際映画祭]]
== 外部リンク ==
{{Commonscat|François Truffaut}}
* {{allcinema name|2442|フランソワ・トリュフォー}}
* {{Kinejun name|52139|フランソワ・トリュフォー}}
* {{IMDb name|0000076|François Truffaut}}
* [https://www.imdb.com/list/ls054773107/ Francois Truffaut's favorite films] - [[IMDb]]
{{フランソワ・トリュフォー監督作品}}
{{英国アカデミー賞監督賞}}
{{カンヌ国際映画祭監督賞 1946-1959}}
{{全米映画批評家協会賞 監督賞}}
{{ニューヨーク映画批評家協会賞 監督賞}}
{{Normdaten}}
{{DEFAULTSORT:とりゆふおお ふらんそわ}}
[[Category:フランスの映画監督]]
[[Category:フランスの無神論者]]
[[Category:ヌーヴェルヴァーグの映画監督]]
[[Category:セザール賞受賞者]]
[[Category:英国アカデミー賞受賞者]]
[[Category:パリ出身の人物]]
[[Category:1932年生]]
[[Category:1984年没]]
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14,605 |
1162年
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1162年(1162 ねん)は、西暦(ユリウス暦)による、平年。
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1162年は、西暦(ユリウス暦)による、平年。
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== 他の紀年法 ==
{{他の紀年法}}
* [[干支]] : [[壬午]]
* [[元号一覧 (日本)|日本]]
** [[応保]]2年 (応保元年[[12月14日 (旧暦)|12月14日]] - 応保2年[[11月24日 (旧暦)|11月24日]])
** [[神武天皇即位紀元|皇紀]]1822年
* [[元号一覧 (中国)|中国]]
** [[南宋]] : [[紹興 (宋)|紹興]]32年
** [[金 (王朝)|金]] : [[大定 (金)|大定]]2年
*** [[移剌窩斡]] : [[天正 (移刺窩斡)|天正]]元年旧12月 - 2年旧4月
* 中国周辺
** [[西遼]] : [[紹興 (西遼)|紹興]]12年?
** [[西夏]]{{Sup|*}} : [[天盛]]14年
* [[元号一覧 (朝鮮)|朝鮮]]
** [[高麗]] : [[毅宗 (高麗王)|毅宗]]16年
** [[檀君紀元|檀紀]]3495年
* [[元号一覧 (ベトナム)|ベトナム]]
** [[李朝 (ベトナム)|李朝]] : [[大定 (李朝)|大定]]23年
* [[仏滅紀元]] : 1704年 - 1705年
* [[ヒジュラ暦|イスラム暦]] : 557年 - 558年
* [[ユダヤ暦]] : 4922年 - 4923年
{{Clear}}
== カレンダー ==
{{年間カレンダー|年=1162|Type=J|表題=可視}}
== できごと ==
* [[平清盛]]が[[大輪田泊]]の改修を開始{{要出典|date=2021-03}}。
== 誕生 ==
{{see also|Category:1162年生}}
<!--世界的に著名な人物のみ項内に記入-->
* [[4月20日]](応保2年[[3月5日 (旧暦)|3月5日]]) - [[小笠原長清]]、[[平安時代]]、[[鎌倉時代]]の[[武将]](+ [[1242年]])
* [[6月20日]](応保2年[[5月6日 (旧暦)|5月6日]]) - [[弁長]]、平安時代、鎌倉時代の[[浄土宗]]の[[僧]](+ [[1238年]])
* [[10月13日]] - [[エレノア・オブ・イングランド]]、[[カスティーリャ王国|カスティーリャ]]王[[アルフォンソ8世 (カスティーリャ王)|アルフォンソ8世]]の王妃(+ [[1214年]])
* [[梶原景季]]、平安時代、鎌倉時代の武将、[[御家人]](+ [[1200年]])
* [[武田信光]]、平安時代、鎌倉時代の武将(+ [[1248年]])
* [[忠快]]、平安時代、鎌倉時代の[[天台宗]]の僧(+ [[1227年]])
* [[ディートリヒ (マイセン辺境伯)|ディートリヒ]]、[[マイセン辺境伯]](+ [[1221年]])
* [[長沼宗政]]、平安時代、鎌倉時代の武将(+ [[1241年]])
* [[新田義房]]、平安時代、鎌倉時代の武将(+ [[1195年]])
* [[藤原定家]]、平安時代、鎌倉時代の[[公卿]]、[[歌人]](+ [[1241年]])
== 死去 ==
{{see also|Category:1162年没}}
<!--世界的に著名な人物のみ項内に記入-->
* [[2月13日]](応保2年[[1月28日 (旧暦)|1月28日]]) - [[重仁親王]]、[[平安時代]]の[[皇族]](* [[1140年]])
* [[2月15日]](応保2年[[1月30日 (旧暦)|1月30日]]) - [[藤原宗輔]]、平安時代の[[公卿]](* [[1077年]])
* [[3月3日]](応保2年[[2月16日 (旧暦)|2月16日]]) - [[最雲法親王]]、平安時代の皇族、[[天台宗]]の[[僧]](* [[1104年]])
* [[5月2日]](応保2年[[3月17日 (旧暦)|3月17日]]) - [[平基盛]]、平安時代の[[武将]](* [[1139年]])
* [[5月31日]] - [[ゲーザ2世 (ハンガリー王)|ゲーザ2世]]、[[ハンガリー王国|ハンガリー王]]、[[クロアチア王国|クロアチア王]](* [[1130年]])
* [[6月23日]](応保2年[[5月9日 (旧暦)|5月9日]]) - [[坂上兼成]]、平安時代の[[官人]](* [[1114年]]?)
* [[7月11日]](応保2年[[5月27日 (旧暦)|5月27日]]) - [[源雅定]]、平安時代の公卿、[[歌人]](* [[1094年]])
* [[7月31日]](応保2年[[6月18日 (旧暦)|6月18日]]) - [[藤原忠実]]、平安時代の公卿(* [[1078年]])
* [[8月6日]] - [[ラモン・バランゲー4世]]、[[バルセロナ伯]]、[[アラゴン王国|アラゴン公]]、[[ジローナ]]伯、[[ウゾーナ]]伯、[[サルダーニャ]]伯(* [[1113年]]?)
* [[9月9日]](応保2年[[7月28日 (旧暦)|7月28日]]) - [[三条実行]]、平安時代の公卿(* [[1080年]])
* [[9月27日]] - [[ウード2世 (ブルゴーニュ公)|ウード2世]]、[[ブルゴーニュ公]](* [[1118年]])
* [[9月30日]](応保2年[[8月20日 (旧暦)|8月20日]]) - [[八田宗綱]]、平安時代の武将、[[豪族]](* [[1086年]])
* [[イジャスラフ3世]]、[[キエフ大公]](* 生年未詳)
* [[鄭樵]]、[[南宋]]の[[歴史家]](* [[1104年]])
* [[藤原季行]]、平安時代の公卿(* [[1114年]])
* [[藤原成通]]、平安時代の公卿、歌人、[[蹴鞠]]の達人(* [[1097年]])
<!--
== 脚注 ==
'''注釈'''
{{Reflist|group="注"}}
'''出典'''
{{脚注ヘルプ}}
{{Reflist}}
== 参考文献 == -->
== 関連項目 ==
{{Commonscat|1162}}
* [[年の一覧]]
* [[年表]]
* [[年表一覧]]
<!-- == 外部リンク == -->
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14,606 |
1227年
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1227年(1227 ねん)は、西暦(ユリウス暦)による、平年。
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1227年は、西暦(ユリウス暦)による、平年。
|
{{年代ナビ|1227}}
{{year-definition|1227}}
== 他の紀年法 ==
{{他の紀年法}}
* [[干支]] : [[丁亥]]
* [[元号一覧 (日本)|日本]]
** [[嘉禄]]3年
** [[神武天皇即位紀元|皇紀]]1887年
* [[元号一覧 (中国)|中国]]
** [[南宋]] : [[宝慶]]3年
** [[金 (王朝)|金]] : [[正大]]4年
*** [[大真国]] : [[大同 (蒲鮮万奴)|大同]]4年
* 中国周辺
** [[西夏]]{{Sup|*}} : [[宝義]]2年(旧6月まで)
** [[モンゴル帝国]]{{Sup|*}} : 太祖([[チンギス・カン|チンギス・ハーン]])22年
* [[元号一覧 (朝鮮)|朝鮮]]
** [[高麗]] : [[高宗 (高麗王)|高宗]]14年
** [[檀君紀元|檀紀]]3560年
* [[元号一覧 (ベトナム)|ベトナム]]
** [[陳朝]] : [[建中 (陳朝)|建中]]3年
* [[仏滅紀元]] : 1769年 - 1770年
* [[ヒジュラ暦|イスラム暦]] : 624年 - 625年
* [[ユダヤ暦]] : 4987年 - 4988年
{{Clear}}
== カレンダー ==
{{年間カレンダー|年=1227|Type=J|表題=可視}}
== できごと ==
* [[3月19日]] - [[グレゴリウス9世 (ローマ教皇)|グレゴリウス9世]]が教皇就任。
* [[11月24日]] - ポーランド大公[[レシェク1世]]が諸公会議で{{仮リンク|ゴンサヴァの虐殺|en|Gąsawa massacre|label=暗殺}}される。
* [[チンギス・カン|チンギス・ハーン]]が[[西夏]]遠征中に死去。
* [[西夏]]滅亡。
* [[平安京]]の[[大内裏]]が焼失。
== 誕生 ==
{{see also|Category:1227年生}}
<!--世界的に著名な人物のみ項内に記入-->
* [[1月17日]](嘉禄2年[[12月28日 (旧暦)|12月28日]]) - [[無住]]、[[鎌倉時代]]の[[僧]](+ [[1312年]])
* [[4月22日]](嘉禄3年[[3月5日 (旧暦)|閏3月5日]]) - [[法助]]、鎌倉時代の[[真言宗]]の僧(+ [[1284年]])
* [[5月7日]](嘉禄3年[[3月20日 (旧暦)|閏3月20日]]) - [[京極為教]]、鎌倉時代の[[公卿]]、[[歌人]](+ [[1279年]])
* [[6月29日]](嘉禄3年[[5月14日 (旧暦)|5月14日]]) - [[北条時頼]]<ref>{{Harvnb|北条氏研究会|2001|p=280}}</ref>、[[鎌倉幕府]]第5代[[執権]](+ [[1263年]])
* [[9月30日]] - [[ニコラウス4世 (ローマ教皇)|ニコラウス4世]]、第191代[[教皇|ローマ教皇]](+ [[1292年]])
* [[ウィレム2世 (ホラント伯)|ウィレム2世]]、[[ホラント伯]]、[[ローマ王|ドイツ王]](+ [[1256年]])
* [[カルロ1世 (シチリア王)|カルロ1世]]、[[シチリア王国|シチリア王]]、[[ナポリ王国|ナポリ王]](+ [[1285年]])
* [[伊達政依]]、鎌倉時代の[[武将]]、[[伊達氏]]の第4代当主(+ [[1301年]])
* [[結城広綱]]、鎌倉時代の武将、[[結城氏]]の第3代当主(+ [[1278年]])
== 死去 ==
{{see also|Category:1227年没}}
<!--世界的に著名な人物のみ項内に記入-->
* [[2月17日]](嘉禄3年[[1月30日 (旧暦)|1月30日]]) - [[徳大寺公継]]、[[平安時代]]、[[鎌倉時代]]の[[公卿]](* [[1175年]])
* [[4月3日]](嘉禄3年[[3月16日 (旧暦)|3月16日]]) - [[忠快]]、平安時代、鎌倉時代の[[天台宗]]の[[僧]](* [[1162年]])
* [[4月25日]](嘉禄3年[[3月8日 (旧暦)|閏3月8日]]) - [[俊芿]]、平安時代、鎌倉時代の僧(* [[1166年]])
* [[7月22日]](嘉禄3年[[6月8日 (旧暦)|6月8日]]) - [[尊長]]、鎌倉時代の僧(* 生年未詳)
* [[8月1日]](安貞元年[[6月18日 (旧暦)|6月18日]]) - [[島津忠久]]、平安時代、鎌倉時代の[[武将]]、[[御家人]](* 生年未詳)
* 8月1日(嘉禄3年6月18日) - [[北条時実]]、鎌倉時代の武将(* [[1212年]])
* [[8月25日]] - [[チンギス・カン]]、[[モンゴル帝国]]の初代[[皇帝]](* [[1162年]])
* [[9月11日]] - [[ルートヴィヒ4世 (テューリンゲン方伯)|ルートヴィヒ4世]]、[[テューリンゲンの君主一覧|テューリンゲン方伯]]、[[ザクセン公国|ザクセン]][[宮中伯]](* [[1200年]])
* [[10月13日]](嘉禄3年[[9月2日 (旧暦)|9月2日]]) - [[堀川通具]]、平安時代、鎌倉時代の[[歌人]](* [[1171年]])
* 11月24日 - [[レシェク1世]]、[[クラクフ]]公、[[サンドミェシュ]]公、[[マゾフシェ]]公、[[クヤヴィ]]公(* [[1186年]]?)
* [[12月13日]](嘉禄3年[[11月4日 (旧暦)|11月4日]]) - [[阿波局 (北条時政の娘)|阿波局]]、[[阿野全成]]の妻、[[源実朝]]の[[乳母]](* 生年未詳)
* [[丘長春]]、[[全真教]]の大成者(* [[1148年]])
* [[スレイマン・シャー]]、[[オスマン帝国]]の開祖[[オスマン1世]]の祖父(* 生年未詳)
* [[デメトリオ・ディ・モンフェラート]]、第2代[[テッサロニキ王国|テッサロニキ王]](* [[1205年]])
* [[末主 (西夏)|末主]]、[[西夏]]の第10代皇帝(* 生年未詳)
== 脚注 ==
'''注釈'''
{{Reflist|group="注"}}
'''出典'''
{{脚注ヘルプ}}
{{Reflist}}
<!-- == 参考文献 == -->
== 関連項目 ==
{{Commonscat|1227}}
* [[年の一覧]]
* [[年表]]
* [[年表一覧]]
<!-- == 外部リンク == -->
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[[Category:1227年|*]]
|
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https://ja.wikipedia.org/wiki/1227%E5%B9%B4
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14,607 |
1213年
|
1213年(1213 ねん)は、西暦(ユリウス暦)による、平年。
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"title": "死去"
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1213年は、西暦(ユリウス暦)による、平年。
|
{{年代ナビ|1213}}
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== 他の紀年法 ==
{{他の紀年法}}
* [[干支]] : [[癸酉]]
* [[元号一覧 (日本)|日本]]
** [[建暦]]3年
** [[神武天皇即位紀元|皇紀]]1873年
* [[元号一覧 (中国)|中国]]
** [[南宋]] : [[嘉定 (南宋)|嘉定]]6年
** [[金 (王朝)|金]] : [[崇慶]]2年、[[至寧]]元年旧5月 - [[9月14日 (旧暦)|9月14日]]、[[貞祐 (金)|貞祐]]元年[[9月15日 (旧暦)|9月15日]] -
*** [[東遼]] : [[元統 (東遼)|元統]]元年旧3月 -
* 中国周辺
** [[西夏]]{{Sup|*}} : [[光定 (西夏)|光定]]3年
** [[モンゴル帝国]]{{Sup|*}} : 太祖([[チンギス・カン|チンギス・ハーン]])8年
** [[大理国]] : [[天開 (大理)|天開]]9年
* [[元号一覧 (朝鮮)|朝鮮]]
** [[高麗]] : [[康宗 (高麗王)|康宗]]2年
** [[檀君紀元|檀紀]] : 3546年
* [[元号一覧 (ベトナム)|ベトナム]]
** [[李朝 (ベトナム)|李朝]] : [[建嘉]]3年
* [[仏滅紀元]] : 1755年 - 1756年
* [[ヒジュラ暦|イスラム暦]] : 609年 - 610年
* [[ユダヤ暦]] : 4973年 - 4974年
{{Clear}}
== カレンダー ==
{{年間カレンダー|年=1213|Type=J|表題=可視}}
== できごと ==
* [[5月23日]](建暦3年[[5月2日 (旧暦)|5月2日]]) - [[和田合戦]]。[[和田義盛]]が[[北条義時]]を討つ為に鎌倉幕府を攻撃。翌日由比ヶ浜で一族ともに全滅
== 誕生 ==
{{see also|Category:1213年生}}
<!--世界的に著名な人物のみ項内に記入-->
* [[3月9日]] - [[ユーグ4世 (ブルゴーニュ公)|ユーグ4世]]、[[ブルゴーニュ公]](+ [[1271年]])
* [[8月8日]](嘉定6年[[6月28日 (旧暦)|6月28日]]) - [[賈似道]]、[[南宋]]の[[軍人]]、[[政治家]](+ [[1275年]])
* [[イブン・サイード・マグリビー]]、[[アンダルス]]出身の[[歴史学者]]、[[地理学者]](+ [[1276年]])
* [[小笠原長房 (阿波小笠原氏)|小笠原長房]]、[[鎌倉時代]]の[[武士]]、[[阿波国]][[守護]](+ [[1276年]])
* [[佐々木泰綱]]、鎌倉時代の[[武将]]、[[御家人]](+ [[1276年]])
* [[蘭渓道隆]]、南宋から渡来した鎌倉時代の[[臨済宗]]の[[僧]](+ [[1278年]])
== 死去 ==
{{see also|Category:1213年没}}
<!--世界的に著名な人物のみ項内に記入-->
* [[1月10日]](建暦2年[[12月17日 (旧暦)|12月17日]]) - [[覚憲]]、[[平安時代]]、[[鎌倉時代]]の[[法相宗]]の僧(* [[1131年]])
* [[2月21日]](建暦3年[[1月29日 (旧暦)|1月29日]]) - [[平時実]]、平安時代、鎌倉時代の[[公卿]](* [[1151年]])
* [[2月24日]](建暦3年[[2月3日 (旧暦)|2月3日]]) - [[貞慶]]、平安時代、鎌倉時代の法相宗の[[僧]](* [[1155年]])
* [[5月23日]](建暦3年[[5月2日 (旧暦)|5月2日]]) - [[愛甲季隆]]、[[鎌倉幕府]]の[[御家人]](* 生年未詳)
* [[5月24日]](建暦3年[[5月3日 (旧暦)|5月3日]]) - [[和田義盛]]、鎌倉幕府の御家人(* [[1147年]])
* [[5月25日]](建暦3年[[5月4日 (旧暦)|5月4日]]) - [[横山時兼]]、平安時代、鎌倉時代の[[武将]](* [[1153年]])
* 5月25日(建暦3年5月4日) - [[和田常盛]]、鎌倉幕府の御家人(* [[1172年]])
* [[5月30日]](建暦3年[[5月9日 (旧暦)|5月9日]]) - [[和田胤長]]、鎌倉幕府の御家人(* [[1183年]])
* [[9月12日]] - [[ペドロ2世 (アラゴン王)|ペドロ2世]]、[[アラゴン王国|アラゴン王]]、[[バルセロナ伯]](* [[1174年]])
* [[アル・マリク・アル・ザーヒル]]、[[アイユーブ朝]]の王族(* 生年未詳)
* [[衛紹王]]、[[金 (王朝)|金]]の第7代[[皇帝]](* 生年未詳)
* [[康宗 (高麗王)|康宗]]、第22代[[高麗王]](* [[1152年]])
* [[胡沙]]、金の[[官僚]](* 生年未詳)
* [[胡沙虎]]、金の[[軍人]](* 生年未詳)
* [[ニケタス・コニアテス]]、[[東ローマ帝国]]、[[ニカイア帝国]]の[[政治家]]・[[歴史家]](* [[1150年]])
* [[塩谷惟守]]、鎌倉時代の武将(* 生年未詳)
* [[タマル (グルジア女王)|タマル]]、[[バグラティオニ朝]][[グルジア]]王国の女王(* [[1160年]]?)
* [[耶律直魯古]]、[[西遼]]の第3代皇帝(* 生年未詳)
* [[畠山重慶]]、鎌倉時代の僧(* 生年未詳)
* [[ムハンマド・ナースィル]]、[[ムワッヒド朝]]の第4代[[アミール]](* 生年未詳)
<!-- == 脚注 ==
'''注釈'''
{{Reflist|group="注"}}
'''出典'''
{{脚注ヘルプ}}
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== 参考文献 == -->
== 関連項目 ==
{{Commonscat|1213}}
* [[年の一覧]]
* [[年表]]
* [[年表一覧]]
<!-- == 外部リンク == -->
{{十年紀と各年|世紀=13|年代=1200}}
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[[Category:1213年|*]]
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https://ja.wikipedia.org/wiki/1213%E5%B9%B4
|
14,609 |
雪どけ (映画)
|
『雪どけ』(ゆきどけ、仏: Les Feux de la Chandeleur)は、1973年のフランス映画。
|
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"text": "『雪どけ』(ゆきどけ、仏: Les Feux de la Chandeleur)は、1973年のフランス映画。",
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『雪どけ』は、1973年のフランス映画。
|
{{Infobox Film|
| 作品名 = 雪どけ
| 原題 = Les Feux de la Chandeleur
| 画像 =
| 画像サイズ =
| 画像解説 =
| 監督 = [[セルジュ・コルベール]]
| 製作総指揮 =
| 製作 =
| 脚本 = ピエール・ユイッテルヘーベン<br />セルジュ・コルベール
| 出演者 =
| 音楽 = [[ミシェル・ルグラン]]
| 撮影 = ジャン=ジャック・タルベ
| 編集 =
| 配給 =
| 公開 = {{flagicon|FRA}} 1973年5月24日<br />{{flagicon|JPN}} 1974年2月16日
| 上映時間 = 95分
| 製作国 = {{FRA}}
| 言語 = [[フランス語]]
| 制作費 =
| 興行収入 =
| 前作 =
| 次作 =
}}
『'''雪どけ'''』(ゆきどけ、{{Lang-fr-short|''Les Feux de la Chandeleur''}})は、[[1973年]]の[[フランス映画]]。
== スタッフ ==
*監督:[[セルジュ・コルベール]]
*原作:カトリーヌ・ペイザン
*撮影:[[ジャン=ジャック・タルベ]]
*音楽:[[ミシェル・ルグラン]]
== 出演 ==
*[[アニー・ジラルド]]:マリー・ルイス
*[[ジャン・ロシュフォール]]:アレクサンドレ
*[[クロード・ジャド]]:ローラ
*[[ベルナール・ル・コック]]:ジャン・ポール
*[[ベルナール・フレッソン]]:マーク
*[[ガブリエラ・ボッカルド]]:アニー
== 外部リンク ==
* {{Allcinema title|24065|雪どけ}}
* {{Kinejun title|12440|雪どけ}}
* {{IMDb title|0173821|Les Feux de la Chandeleur}}
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[[Category:フランスのドラマ映画]]
[[Category:1973年の映画]]
[[Category:ミシェル・ルグランの作曲映画]]
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14,610 |
ミシェル・シュボール
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ミシェル・シュボール(Michel Subor、1935年2月2日 - 2022年1月17日)は、フランスの俳優。
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ミシェル・シュボールは、フランスの俳優。
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[[File:Topaz wounded Subor Jade Robin.jpg|thumb|ミシェル・シュボール]]
'''ミシェル・シュボール'''(Michel Subor、[[1935年]][[2月2日]] - [[2022年]][[1月17日]])は、[[フランス]]の[[俳優]]。
== 主な出演作品 ==
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|-
!公開年!!邦題<br />原題!!役名!!備考
|-
|1955|| フルフル<br />''Frou-Frou'' || ||
|-
|rowspan="2"|1961 || [[何がなんでも首ったけ]] <br /> ''La Bride sur le cou'' || アラン ||
|-
| [[突然炎のごとく]] <br /> ''Jules et Jim'' || ||
|-
| 1963 || [[小さな兵隊]]<br />''Le petit soldat'' || ブルーノ ||
|-
| 1969 || [[トパーズ (1969年の映画)|トパーズ]] <br />''Topaz'' || フランセス・ピカード ||
|-
|1979|| 掘った奪った逃げた<br /> ''Les égouts du paradis'' || Biki le Targuy ||
|-
| 2000 || [[女写真家ソフィー]] <br /> ''La Fidélité'' || ルパート ||
|-
| 2001 || 白と黒の恋人たち<br /> ''Sauvage innocence'' || シャス ||
|-
| 2004 || ジ・イントゥルーダー<br /> ''L' Intrus'' || ルイ ||
|-
|}
== 外部リンク ==
*{{imdb|0836977}}
{{actor-stub}}
{{Normdaten}}
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[[Category:フランスの男優]]
[[Category:1935年生]]
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|
14,611 |
矢沢あい
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矢沢 あい(やざわ あい、1967年3月7日 - )は、日本の女性漫画家。兵庫県尼崎市出身。大阪モード学園中退。血液型B型。独身。身長168cm。代表作に『天使なんかじゃない』、『NANA-ナナ-』など。
1983年、『りぼん』(集英社)への漫画投稿で頭角を現す。1985年、『りぼんオリジナル早春の号』(集英社)に掲載された『あの夏』で活動開始。2002年、『Cookie』(同)で連載された『NANA -ナナ-』で第48回小学館漫画賞受賞。2009年6月29日から病気休載中。
有限会社矢沢漫画制作所(自営)代表。
ペンネームの苗字「矢沢」は、敬愛する矢沢永吉から。下の名「あい」は本名の「愛」を平仮名にしたもの。
2021年12月、企画展「ALL TIME BEST 矢沢あい展」が開催されることが決定。
仲の良い漫画家は、吉住渉、水沢めぐみ、小花美穂、槙ようこである。
2023年9月現在、X(旧 Twitter)、Instagram、FacebookなどのSNSによる発信は一切行っていない。
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矢沢 あいは、日本の女性漫画家。兵庫県尼崎市出身。大阪モード学園中退。血液型B型。独身。身長168cm。代表作に『天使なんかじゃない』、『NANA-ナナ-』など。
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{{Infobox 漫画家
| 名前 = 矢沢 あい
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| 脚注 =
| 本名 =
| 生地 = {{JPN}}・[[兵庫県]][[尼崎市]]
| 国籍 = <!-- {{JPN}} 出生地から推定できない場合のみ指定 -->
| 生年 = {{生年月日と年齢|1967|3|7}}
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| ジャンル = [[少女漫画]]
| 活動期間 = [[1985年]] -
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| 受賞 = [[2002年]]:第48回[[小学館漫画賞]](『NANA』)
}}
'''矢沢 あい'''(やざわ あい、[[1967年]][[3月7日]]<ref name="yazawa">日外アソシエーツ発行『漫画家人名事典』(2003年2月){{ISBN2|9784816917608}}、P388</ref> - )は、[[日本]]の[[女性]][[漫画家]]{{R|yazawa}}。[[兵庫県]]<ref name="natalie2435">{{Cite news|url=https://natalie.mu/comic/artist/2435|title=矢沢あい|newspaper=コミックナタリー|publisher=ナターシャ|accessdate=2021-12-21}}</ref>[[尼崎市]]出身。[[大阪モード学園]]中退{{R|yazawa}}。[[ABO式血液型|血液型]]B型{{R|yazawa}}。{{要出典範囲|date=2021-12-21|独身。身長168cm。}}代表作に『[[天使なんかじゃない]]』、『[[NANA-ナナ-]]』など<ref name="yomiuri">{{Cite news|url=https://www.yomiuri.co.jp/election/yoron-chosa/20211122-OYT1T50161/|title=オトナが選ぶ「好きなマンガ」ベスト10 王道・長寿作品が並ぶ上位に食い込んだのは…読売世論調査|newspaper=読売新聞オンライン|publisher=読売新聞社|date=2021-11-24|accessdate=2021-12-21}}</ref>。
== 概要 ==
[[1983年]]、『[[りぼん]]』([[集英社]])への漫画投稿で頭角を現す<ref>{{Cite news|url=http://www.konan-wu.ac.jp/~nobutoki/papers/ribon.pdf|format=PDF|language=日本語|title=信時哲郎「「りぼん」投稿時代のさくらももこ・矢沢あい・吉住渉」|publisher=甲南女子大学|accessdate=2022-01-22}}</ref><ref>さくらももこ『ひとりずもう(漫画版)』第29・38回、小学館・集英社。</ref>。[[1985年]]、『[[りぼん]]オリジナル早春の号』(集英社)に掲載された『あの夏』で活動開始{{R|yazawa}}。[[2002年]]、『[[Cookie (雑誌)|Cookie]]』(同)で連載された『NANA -ナナ-』で第48回[[小学館漫画賞]]受賞{{R|natalie2435}}。2009年6月29日から病気休載中。
有限会社矢沢漫画制作所(自営)代表。
ペンネームの苗字「矢沢」は、敬愛する[[矢沢永吉]]から。下の名「あい」は本名の「愛」を平仮名にしたもの。
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仲の良い漫画家は、[[吉住渉]]、[[水沢めぐみ]]、[[小花美穂]]、[[槙ようこ]]である<ref>{{Cite web|和書|title=『社長の会☆』|url=https://ameblo.jp/bar-obana/entry-10110574085.html|website=Bar OBANA Free MEMO|accessdate=2022-01-01|language=ja}}</ref>。
2023年9月現在、X(旧 [[Twitter]])、[[Instagram]]、[[Facebook]]などの[[ソーシャル・ネットワーキング・サービス|SNS]]による発信は一切行っていない<ref>[https://twitter.com/ribon60th/status/1699037178159153289 りぼん編集部公式X 2023年9月5日付]</ref>。
== 作品リスト ==
; 集英社
: すべて[[りぼんマスコットコミックス]](RMC) より刊行、特記の無いものは1巻完結。
* 15年目
* ラブレター(『りぼん』1986年12月号 - 1987年2月号連載)
* 風になれ!(『りぼん』1987年10月号 - 1988年2月号連載)
* エスケープ
* バラードまでそばにいて(『りぼん』1988年7月号 - 1988年12月号連載、前編・後編)
* [[マリンブルーの風に抱かれて]](『りぼん』1989年9月号 - 1992年1月号連載、全4巻、[[集英社文庫]]コミック版全3巻)
* [[天使なんかじゃない]](『りぼん』1991年9月号 - 1994年11月号連載、全8巻、完全版全4巻)
* うすべにの嵐
* [[ご近所物語]](『りぼん』1995年2月号 - 1997年10月号連載、全7巻、完全版全4巻)
* [[下弦の月 (漫画)|下弦の月]](『りぼん』1998年4月号 - 1999年6月号連載、全3巻、愛蔵版全2巻)
* [[NANA|NANA -ナナ-]](『[[Cookie (雑誌)|Cookie]]』2000年7月号 - 連載、RMCクッキー、既刊21巻、体調不良のため休載)
; [[祥伝社]]
* [[Paradise Kiss]](『[[Zipper]]』{{R|natalie2435}}1999年5月号 - 2003年5月号連載、全5巻) - 『ご近所物語』の続編{{R|natalie2435}}
; [[下川香苗]]によるノベライズ
* 下弦の月―ラスト・クォーター (新書・文庫)
* NANA―novel from the movie (文庫)
* NANA2―novel from the movie (文庫)
* 天使なんかじゃない (全8巻)
* ご近所物語―ファッショナブル・ラブ・ストーリー (全8巻)
* オルフェウスは千の翼を持つ - [[コバルト文庫]][[ライトノベル]]、但し、原作・下川香苗/イラスト・矢沢あい
; イラスト
* [[ホーユー]]株式会社 ヘアカラー ビューティーン パッケージ・キャラクター - [[2003年]] -
* 結論は、サイアク!! - [[上原さくら]]の[[エッセイ]]([[メディアファクトリー]])
* アディダスマンガフィーヴァー (adidas MANGA FEVER) イラスト1点書き下ろし
** [[飛鳥新社]] 2002年[[FIFA]]ワールドカップ公式スポンサー・[[アディダス]]がおくる「熱=FEVER」をテーマにした日・韓・欧の漫画集。他に大友克洋、荒木飛呂彦、岡野玲子、井上雄彦、松本大洋ら。
* ストリート・トラッド 〜メンズファッションは温故知新(著:佐藤誠二朗、2018年10月5日発売<ref name="natalie20181002">{{Cite news|url=https://natalie.mu/comic/news/302124|title=矢沢あい、ストリートファッションの歴史解説書で少年たちを描き下ろし|newspaper=コミックナタリー|publisher=ナターシャ|date=2018-10-02|accessdate=2021-12-21}}</ref>、集英社) - 挿画{{R|natalie20181002}}
; ヒロイン・キャラクター設定
* 母娘共に矢沢あいのファンだった縁で[[コートニー・ラブ]]のアルバム『アメリカズ・スウィートハート』の邦版ジャケットに、彼女をモデルにしたキャラクター『愛姫』を書き下ろす。ロッキング・オン社「コミックH」(2004年3月号 vo.10) で、このコラボレイトについてインタビューを受けている。新書館 で連載中の『[[プリンセス・アイ物語|Princess Ai―プリンセス・アイ物語]]』には関わっていない。
== 文献 ==
* [[藤本由香里]]「進化する矢沢あい」(全作品解題/作家論)
** 雑誌『クイック・ジャパン 61』(特集 矢沢あいの時代 1985 - 2005)、太田出版、2005年8月、ISBN 4872339789 所収
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
{{Reflist}}
== 関連項目 ==
* [[lonely girl (TETSUYAの曲)]] - 作詞を担当した楽曲
{{Normdaten}}
{{DEFAULTSORT:やさわ あい}}
[[Category:日本の漫画家]]
[[Category:兵庫県出身の人物]]
[[Category:1967年生]]
[[Category:存命人物]]
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14,612 |
クルト・ユルゲンス
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クルト・ユルゲンス(Curd Jürgens, 1915年12月13日 - 1982年6月18日)は、ドイツの俳優。
俳優としての特徴
ミュンヘン郊外のゾルンに、ハンブルクから移り住んだ父親と、教師だった母親の子として生まれる。ベルリンで高校を卒業後、新聞記者となるが、最初の妻で女優のルイーズ・バスラーの勧めにより俳優を志す。
1935年ベルリンのメトロポール劇場で初舞台を踏んだ後、ウィーンのドイツ民衆劇場、ブルク劇場などを遍歴する。映画初出演は1935年の『ワルツの季節』。舞台・映画俳優としてのキャリアを重ねる。
彼はナチスには批判的だったため、1944年にハンガリーの強制収容所に入れられた。
戦後解放され、オーストリア国籍をとり、一時的に新聞記者をした後、1947年にザルツブルクで舞台に復帰し、映画出演も再開した。
1955年のフランス映画『悪の決算』(岸惠子の夫だったイヴ・シャンピ監督)でヴェネツィア国際映画祭 男優賞を受賞、一躍国際的に知られる存在となり各国の映画に出演するようになった。同年のマリア・シェル共演の旧西ドイツ映画『Die Ratten』(日本未公開)は第5回ベルリン国際映画祭でグランプリ(金熊賞)を獲得している。
ハリウッド映画初出演は1957年の『眼下の敵』のドイツUボート艦長フォン・シュトルベルク役。戦争映画ではヒューマンなドイツ将校から貴族的なドイツの将軍といった役どころに重用された。
1958年(昭和33年)3月2日から5日まで来日している。
1950年以降、西ドイツで4本の映画を監督、1976年には自伝を出版している。5度の結婚歴があり、ハンガリー出身のハリウッド女優エヴァ・バルトークもその一人である。
1982年6月18日、ウィーンで心臓発作により死去した。ウィーン中央墓地の32C区に葬られている。BBC制作のテレビシリーズ『スマイリーと仲間たち』が遺作となった。『六番目の幸福』で共演したイングリッド・バーグマンとは生没年が同じである。
迷走の1960年代
20世紀フォックスの戦争大作『史上最大の作戦』(1962年)で国際的な知名度が高まると、ナチス・ドイツ軍人役へのタイプ・キャストの傾向が強まって来た。『空軍大戦略』(1969年)と言った大作への起用はまだしも、次第にマカロニ物と呼ばれる低予算のイタリア映画へも出演する様になったが、マカロニ・ウエスタンには縁が無かった。また、米国のテレビ・シリーズ『0011/ナポレオン・ソロ』にもゲスト出演しており、日本では他エピソードと再編集された『0011ナポレオン・ソロ/ミニコプター作戦』(1967年)として劇場公開された。
イタリアのアルベルト・デ・マルティーノ監督の『アルデンヌの戦い』(1967年)やウンベルト・レンツィ監督の『激戦地』(1969年)と言った国際的な名声とは分不相応な低ランクな作品にも出演した。また、ジョルジョ・フェローニ監督の『砂漠の戦場/エル・アラメン』(1968年)にはカナリス提督役でカメオ出演した。当初はロンメル元帥役に配役されていたが、結局はフランス俳優のロベール・オッセンに譲る形となった。
1969年にはユーゴが主導で製作した国際合作戦争大作『ネレトバの戦い』にもナチスの将軍役で顔を見せ、ハーディー・クルーガーやアンソニー・ドースンらと共演した。
1970年代に入るとピーター・グレーヴス主演のスパイ物『クルーズ・ミサイル』(1977年/未/ビデオ)にも起用された。本作は米国が主導の製作だが、イランやイタリア、西ドイツ、スペイン、ユーゴ等の多国籍による合作映画だった。また、西ドイツと英国とユーゴ合作の『戦場の黄金律/戦争のはらわたII』(1978年/未/ビデオ/日本版VHSソフトのジャケットには1983年作品と紹介)にも出演している。
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] |
クルト・ユルゲンスは、ドイツの俳優。
|
{{ActorActress
| 芸名 = クルト・ユルゲンス
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| 本名 = Curd Gustav Andreas Gottlieb Franz Jürgens<br />クルト・グスタフ・アンドレアス・ゴットリープ・フランツ・ユルゲンス
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| 事務所 =
| 公式サイト =
| 主な作品 = 『[[悪の決算]]』<br />『[[素直な悪女]]』<br />『[[史上最大の作戦]]』<br />『[[007 私を愛したスパイ]]』
| ヴェネツィア国際映画祭 = '''[[ヴェネツィア国際映画祭 男優賞|男優賞]]'''<br />[[1955年]]『[[悪の決済]]』『[[悪魔の将軍]]』
| 備考 =
}}
'''クルト・ユルゲンス'''('''Curd Jürgens''', [[1915年]][[12月13日]] - [[1982年]][[6月18日]])は、[[ドイツ]]の[[俳優]]。
== 略歴 ==
[[File:Paul Hartmann-Curd Jürgens in The Longest Day trailer.jpg|thumb|240px|left|『[[史上最大の作戦]]』のブルーメントリット将軍を演じるユルゲンス(1962年)]]
'''俳優としての特徴'''
[[ミュンヘン]]郊外のゾルンに、[[ハンブルク]]から移り住んだ父親と、教師だった母親の子として生まれる<ref>[https://archive.today/20130621213632/http://www.nytimes.com/1982/06/19/obituaries/curt-jurgens-war-films-star.html "Curt Jurgens, War Films' Star ''The New York Times''] </ref><ref>[https://web.archive.org/web/20180222141620/https://www.nytimes.com/1977/07/27/archives/the-man-youll-love-to-hate.html "The Man You'll Love to Hate" ''The New York Times'']</ref>。[[ベルリン]]で高校を卒業後、新聞記者となるが、最初の妻で女優のルイーズ・バスラーの勧めにより俳優を志す。
1935年ベルリンのメトロポール劇場で初舞台を踏んだ後、[[ウィーン]]のドイツ民衆劇場、[[ブルク劇場]]などを遍歴する。映画初出演は1935年の『ワルツの季節』。舞台・映画俳優としてのキャリアを重ねる。
彼は[[ナチス]]には批判的だったため、1944年に[[ハンガリー]]の強制収容所に入れられた<ref>{{cite book|last=Karney|first=Robyn|title=The Movie Stars Story|publisher=Outlet|year=1984}}</ref>。
戦後解放され、オーストリア国籍をとり、一時的に新聞記者をした後、1947年に[[ザルツブルク]]で舞台に復帰し、映画出演も再開した。
1955年の[[フランス映画]]『悪の決算』([[岸惠子]]の夫だった[[イヴ・シャンピ]]監督)で[[ヴェネツィア国際映画祭 男優賞]]を受賞、一躍国際的に知られる存在となり各国の映画に出演するようになった。同年の[[マリア・シェル]]共演の旧[[西ドイツ]]映画『''Die Ratten''』(日本未公開)は[[第5回ベルリン国際映画祭|第5回]][[ベルリン国際映画祭]]でグランプリ([[金熊賞]])を獲得している。
[[ハリウッド映画]]初出演は1957年の『[[眼下の敵]]』のドイツ[[Uボート]]艦長フォン・シュトルベルク役。[[戦争映画]]ではヒューマンなドイツ将校から貴族的なドイツの将軍といった役どころに重用された。
[[1958年]](昭和33年)3月2日から5日まで来日している。
1950年以降、[[西ドイツ]]で4本の映画を監督、1976年には自伝を出版している。5度の結婚歴があり、ハンガリー出身のハリウッド女優[[エヴァ・バルトーク]]もその一人である。
1982年6月18日、ウィーンで[[心臓発作]]により死去した。ウィーン中央墓地の32C区に葬られている。BBC制作のテレビシリーズ『[[スマイリーと仲間たち#テレビドラマ|スマイリーと仲間たち]]』が遺作となった。『[[六番目の幸福]]』で共演した[[イングリッド・バーグマン]]とは生没年が同じである。
'''迷走の1960年代'''
20世紀フォックスの戦争大作『史上最大の作戦』(1962年)で国際的な知名度が高まると、ナチス・ドイツ軍人役へのタイプ・キャストの傾向が強まって来た。『[[空軍大戦略]]』(1969年)と言った大作への起用はまだしも、次第にマカロニ物と呼ばれる低予算のイタリア映画へも出演する様になったが、マカロニ・ウエスタンには縁が無かった。また、米国のテレビ・シリーズ『[[0011ナポレオン・ソロ|0011/ナポレオン・ソロ]]』にもゲスト出演しており、日本では他エピソードと再編集された『[[0011ナポレオン・ソロ/ミニコプター作戦]]』(1967年)として劇場公開された。
イタリアの[[アルベルト・デ・マルティーノ]]監督の『[[アルデンヌの戦い (映画)|アルデンヌの戦い]]』(1967年)や[[ウンベルト・レンツィ]]監督の『[[激戦地]]』(1969年)と言った国際的な名声とは分不相応な低ランクな作品にも出演した。また、[[ジョルジョ・フェローニ]]監督の『[[砂漠の戦場エル・アラメン|砂漠の戦場/エル・アラメン]]』(1968年)にはカナリス提督役でカメオ出演した。当初はロンメル元帥役に配役されていたが、結局はフランス俳優の[[ロベール・オッセン]]に譲る形となった。
1969年にはユーゴが主導で製作した国際合作戦争大作『[[ネレトバの戦い (映画)|ネレトバの戦い]]』にもナチスの将軍役で顔を見せ、[[ハーディ・クリューガー|ハーディー・クルーガー]]や[[アンソニー・ドーソン|アンソニー・ドースン]]らと共演した。
1970年代に入ると[[ピーター・グレイブス|ピーター・グレーヴス]]主演のスパイ物『クルーズ・ミサイル』(1977年/未/ビデオ)にも起用された。本作は米国が主導の製作だが、イランやイタリア、西ドイツ、スペイン、ユーゴ等の多国籍による合作映画だった。また、西ドイツと英国とユーゴ合作の『戦場の黄金律/戦争のはらわたII』(1978年/未/ビデオ/日本版VHSソフトのジャケットには1983年作品と紹介)にも出演している。
== 主な出演作品 ==
{| class="wikitable"
|-
! 公開年 !! 邦題<br> 原題 !! 役名 !! 備考
|-
|1935|| ワルツの季節<br>''Königswalzer'' || ||
|-
|1948|| モーツァルトの恋<br>''The Mozart Story'' || [[ヨーゼフ2世 (神聖ローマ皇帝)|ヨーゼフ2世]] ||
|-
|rowspan="2"|1955|| 悪魔の将軍<br>''Des Teufels General''<ref>日本未公開であったが、2007年3月、東京の[[アテネ・フランセ]]文化センターで開催された「[[ヘルムート・コイトナー]]([[:de:Helmut Käutner|Helmut Käutner]])監督特集」の中で日本語字幕付きでDVD上映された。<br />[http://www.athenee.net/culturalcenter/schedule/2007/schedule0102032007.html アテネ・フランセ 2007年1月・2月・3月上映スケジュール]、[http://www.goethe.de/ins/jp/tok/acv/flm/2007/ja1935570v.htm ゲーテ・インスティトゥート公式HPでの紹介]</ref>|| ハリー ||
|-
| [[悪の決算]]<br>''Les Héros Sont Fatigués'' || Wolf Gerke || [[ヴェネチア国際映画祭]]男優賞 受賞
|-
|rowspan="2"|1956|| [[素直な悪女]]<br>''Et Dieu... Créa la Femme'' || エリック ||
|-
| 反乱<br>''Michel Strogoff'' || ミハイル・ストロゴフ ||
|-
|rowspan="4"|1957|| にがい勝利<br>''Bitter Victory'' || ブランド少佐 ||
|-
| [[眼には眼を]]<br>''Oeil pour oeil'' || ウォルター博士 ||
|-
| スパイ<br>''Les Espions'' || アレックス ||
|-
| [[眼下の敵]]<br>''The Enemy Below'' || フォン・シュトルベルク艦長 ||
|-
|rowspan="4"|1958|| 第五戦線・遠い道<br>''Londra chiama Polo Nord'' || バーンズ ||
|-
| 年頃ですモノ!<br>''This Happy Feeling'' || プレストン・ミッチェル ||
|-
| ダニー・ケイの戦場のドン・キホーテ<br>''Me and the Colonel'' || Colonel Prokoszny ||
|-
| [[六番目の幸福]]<br>''The Inn of the Sixth Happiness'' || リン・ナン ||
|-
|rowspan="2"|1959|| [[嘆きの天使 (1959年の映画)|嘆きの天使]]<br>''The Blue Angel'' || イマヌエル・ラート教授 ||
|-
| 香港定期船<br>''Ferry to Hong Kong'' || マーク・バートラム・コンラッド ||
|-
| 1961 || 皇帝の密使<br />''Le Triomphe de Michel Strogoff'' || ||
|-
|rowspan="2"|1962|| [[三文オペラ]]<br>''Die Dreigroschenoper'' || マクベル ||
|-
| [[史上最大の作戦]]<br>''The Longest Day'' || [[ギュンター・ブルーメントリット]]歩兵大将 ||
|-
|rowspan="3"|1963|| 第二次大戦秘話・白馬奪回作戦<br>''Miracle of the White Stallions'' || Gen. Tellheim ||
|-
| 情事の曲り角 <br>''Of Love and Desire'' || ポール・ベックマン ||
|-
| スエーデンの城 <br>''Château en Suède'' || ヒューゴ・ファルセン ||
|-
|1965|| [[ロード・ジム]]<br>''Lord Jim'' || コルネリウス ||
|-
|rowspan="2"|1967|| [[アルデンヌの戦い (映画)|アルデンヌの戦い]]<br>''Dalle Ardenne all'inferno'' || Gen. Edwin von Keist ||
|-
| 0011ナポレオン・ソロ/ミニコプター作戦<br>''The Five Daughters Affair'' || Carl Von Kesser || テレビシリーズ
|-
|1968|| O.S.S.117/殺人売ります<br>''Niente rose per OSS 117'' || ||
|-
|rowspan="4"|1969|| 世界殺人公社<br>''The Assassination Bureau'' || Gen. von Pinck ||
|-
| 激戦地<br>''La Legione dei dannati'' || Gen. von Reilow ||
|-
| [[空軍大戦略]]<br>''Battle of Britain'' || フォン・リヒター男爵 ||
|-
| [[ネレトバの戦い (映画)|ネレトバの戦い]]<br>''Bitka na Neretvi'' || ローリング将軍 ||
|-
|rowspan="3"|1970|| ハロー・グッドバイ<br>''Hello-Goodbye'' || Baron De Choisis ||
|-
| サンパウロから来た牧師<br>''Der Pfarrer von St. Pauli'' || コンラッド・ヨハンセン ||
|-
| ガラスの墓標<br>''Cannabis'' || アンリ ||
|-
|rowspan="3"|1971|| 悪魔のワルツ<br>''The Mephisto Waltz'' || ダンカン・モーブリー・イーライ ||
|-
| [[ニコライとアレクサンドラ]]<br>''Nicholas and Alexandra'' || ドイツの領事官 ||
|-
| 殺し<br>''Kill!'' || グリューニゲン ||
|-
|1973|| 墓場にて/魔界への招待・そこは地獄の始発駅<br>''The Vault of Horror'' || セバスティアン ||
|-
|1974|| これがピーター・セラーズだ!/艶笑・パリ武装娼館<br>''Soft Beds, Hard Battles'' || General Von Grotjahn ||
|-
|1976|| ブルース・ダーンの ザ・ツイスト<br>''Folies bourgeoises'' || 宝石商 ||
|-
|1977|| [[007 私を愛したスパイ]]<br>''The Spy Who Loved Me'' || カール・ストロンバーグ ||
|-
|rowspan="2"|1978|| クルーズ・ミサイル<br>''Missile X - Geheimauftrag Neutronenbombe'' || 男爵 ||
|-
| [[ジャスト・ア・ジゴロ (1978年の映画)|ジャスト・ア・ジゴロ]]<br>''Schöner Gigolo, armer Gigolo'' || Prince ||
|-
|rowspan="3"|1979|| 戦場の黄金律 戦争のはらわたII<br>''Steiner - Das eiserne Kreuz, 2. Teil'' || ホフマン ||
|-
| ゴールデンガール<br>''Goldengirl'' || セラフィン博士 ||
|-
| 替え玉大作戦<br>''La gueule de l'autre'' || ウフィルフレッド ||
|-
|1981|| [[テヘラン 43]]<br>''Tegeran-43'' || Maître Legraine ||
|-
|1982|| [[スマイリーと仲間たち#テレビドラマ|スマイリーと仲間たち]]<br>''Smiley's People'' || ウラジミール || テレビシリーズ
|-
|}
== 脚注 ==
<references />
== 外部リンク ==
{{commons|Category:Curd Jürgens}}
*{{imdb|0433819}}
*[http://www.youtube.com/watch?v=tPvwmJvx0t4 Curd Jürgens - 60 Jahre und kein bisschen weise 1975]{{de icon}}
**テレビ番組で歌を披露している映像。カラー。
{{Normdaten}}
{{DEFAULTSORT:ゆるけんす くると}}
[[Category:ドイツの男優]]
[[Category:オーストリアの俳優]]
[[Category:ドイツ系オーストリア人]]
[[Category:ホロコースト生還者]]
[[Category:007シリーズの出演俳優]]
[[Category:1915年生]]
[[Category:1982年没]]
|
2003-08-31T11:10:30Z
|
2023-09-11T13:54:17Z
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|
14,613 |
三鷹の森ジブリ美術館
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三鷹の森ジブリ美術館(みたかのもりジブリびじゅつかん)は、東京都三鷹市の井の頭恩賜公園西園内にある、三鷹市立のアニメーション美術館。正式名称は三鷹市立アニメーション美術館。指定管理者は公益財団法人徳間記念アニメーション文化財団。
スタジオジブリ(以下「ジブリ」)に深く関わる宮崎駿が発案し、2001年に開館した。名称のとおりジブリ関連の展示品を多数収蔵・公開している。建物自体も宮崎駿による断面スケッチを元にデザインされた。設計者は日本設計。美術館の運営および館内で上映する短編映画もジブリが制作しているほか、歴代館長もジブリ関係者が多く就任している。
また2007年からは、三鷹の森ジブリ美術館ライブラリーとして、世界のアニメーション映画の配給やテレビ放送も行っている。
施設屋上と屋外を除き、館内の写真撮影は原則として禁止されている(開館間もない2001年12月までは可能だったが、翌2002年から禁止された)。また、2005年10月1日から敷地内禁煙になった。
館内には、ディズニー作品のトイ・ストーリー、ファインディング・ニモ、フォー・ザ・バーズのキャラクターがある形で隠れている。また、ジョン・ラセターを初めとした関係者と思しき者の絵付きサインも館内にある。2012年には美術館の映像を収録したDVD『宮崎駿とジブリ美術館』が発売されている。
2001年の開館時から宮崎駿が館主を務めた。2021年2月、新型コロナウイルス禍に対応するため、前館長でスタジオジブリ代表取締役社長を務めていた中島清文が専従の総責任者として第2代館主に就任。宮崎は名誉館主となった。
初代館長は宮崎吾朗。2005年6月24日、中島清文が2代目館長に就任。2017年11月28日、中島がスタジオジブリ代表取締役社長に就任したことに伴い、安西香月が第3代館長となった。
2021年6月に経営危機が報じられた。新型コロナウイルス感染症の世界的流行の影響で長期の休館が続いた影響から、19年度の来場者数は58万人(入場料収入6億5000万円)であったことに対して20年度〜21年2月までの11ヶ月間では来場者数が6万6000人(入場料収入1億5000万円)にまで激減。大規模修繕用の積立金を取り崩して維持管理費に充てているが、三鷹市はさらに市民からや、ふるさと納税の仕組みを活用した寄付を募る計画を固めた。
2021年10月27日、ジブリ美術館と運営元である徳間記念アニメーション文化財団は、スペインのブランドであるロエベの文化財団と財政支援のスポンサーシップを締結したと発表した。
日本の美術館では珍しい完全予約制・定員制の入館方法を採用している。入館するためにはローソンのLoppiにて予め日時指定のチケット(入場引換券)を購入する必要がある。ミニストップの端末「MINISTOP Loppi」では取り扱っていないため注意が必要。ローチケ・電話による予約申込も可能である。
定員に達するか入場時間になった時点で当日分の販売は打ち切られる。現在、ジブリ美術館でチケット(入場引換券)の直売は行われていないが、美術館前にも「ローソン三鷹の森店」があり、当日でも購入可能な場合がある。なお定員には、三鷹市在住者と市内への通勤・通学者向けに配慮された恒常的な枠がある。
転売防止のため、購入者の名前が券面に印字される記名式のチケットとなっている。美術館入口にてチケット購入者の本人確認を行う場合があり、身分証明書(運転免許証、各種保険証、学生証、パスポート、マイナンバーカードのいずれか)を持参する必要がある。美術館入場時にチケット1枚につきフィルム付きっぷ(入場券)1枚と交換。一人が複数枚のチケットを持っていてもフィルム付きっぷと交換はしない。
入場時間は1日4回で、10・12・14・16時。入れ替え制ではない。入場は指定時間から30分後まで。
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三鷹の森ジブリ美術館(みたかのもりジブリびじゅつかん)は、東京都三鷹市の井の頭恩賜公園西園内にある、三鷹市立のアニメーション美術館。正式名称は三鷹市立アニメーション美術館。指定管理者は公益財団法人徳間記念アニメーション文化財団。 スタジオジブリ(以下「ジブリ」)に深く関わる宮崎駿が発案し、2001年に開館した。名称のとおりジブリ関連の展示品を多数収蔵・公開している。建物自体も宮崎駿による断面スケッチを元にデザインされた。設計者は日本設計。美術館の運営および館内で上映する短編映画もジブリが制作しているほか、歴代館長もジブリ関係者が多く就任している。 また2007年からは、三鷹の森ジブリ美術館ライブラリーとして、世界のアニメーション映画の配給やテレビ放送も行っている。
|
{{pp|vandalism}}
{{博物館
| 名称 = 三鷹の森ジブリ美術館
| native_name_lang = en
| native_name = GHIBLI MUSEUM, MITAKA
| 画像 = [[ファイル:Ghibli museum.png|300px]]<br />{{Infobox mapframe|zoom=13|frame-width=300|type=point|coord={{coord2|35.696233|139.570431}}}}
| 正式名称 = 三鷹市立アニメーション美術館<ref name="jourei">[https://en3-jg.d1-law.com/mitaka/d1w_reiki/413901010007000000MH/413901010007000000MH/413901010007000000MH.html 三鷹市立アニメーション美術館条例]</ref>
| 愛称 = 三鷹の森ジブリ美術館<ref>[https://en3-jg.d1-law.com/mitaka/d1w_reiki/413902100021000000MH/413902100021000000MH/413902100021000000MH.html 三鷹市立アニメーション美術館条例施行規則]</ref>
| 前身 =
| 専門分野 = アニメーション[[美術館]]
| 事業主体 = 三鷹市<ref name="jourei" />
| 収蔵作品数 =
| 来館者数 =
| 館長 = [[安西香月]]
| 学芸員 =
| 研究職員 =
| 管理運営 = [[公益財団法人]][[徳間記念アニメーション文化財団]]([[指定管理者]])<ref>[https://www.city.mitaka.lg.jp/c_service/018/018849.html 三鷹市指定管理者管理運営施設一覧表]</ref>
| 年運営費 =
| 建物設計 = [[日本設計]]
| 延床面積 = 約3,500m{{sup|2}}
| 開館 = [[2001年]]10月1日
| 所在地郵便番号 = 181-0013
| 所在地 = [[東京都]][[三鷹市]][[下連雀]]1丁目1番83号
| 位置 =
| 緯度度 = 35
| 緯度分 = 41
| 緯度秒 = 46.44
| N(北緯)及びS(南緯) = N
| 経度度 = 139
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| 経度秒 = 13.55
| E(東経)及びW(西経) = E
| 地図国コード = <!-- JP -->
| pushpin_map = Japan Western Tokyo#Japan
| アクセス = [[三鷹駅]]・[[吉祥寺駅]]から徒歩15分・バス6分<br/>[[井の頭公園駅]]より徒歩15分<br/>[[調布駅]]より吉祥寺駅行バス
| URL = https://www.ghibli-museum.jp/
| 画像説明 = 入り口(上)<br>マップ(下)
| 公式サイト = https://www.ghibli-museum.jp/
}}
{{基礎情報 会社
|社名 = 株式会社ジブリ美術館
|英文社名 =
|ロゴ =
|種類 = [[株式会社]]
|市場情報 = 非上場
|略称 =
|国籍 = {{JPN}}
|郵便番号 = 181-0013
|本社所在地 = 東京都三鷹市下連雀一丁目14番3号
|業種 =
|統一金融機関コード =
|SWIFTコード =
|事業内容 =
|代表者 = 代表取締役 安西 香月
|資本金 = 1000万円
|発行済株式総数 =
|売上高 =
|営業利益 =
|経常利益 =
|純利益 = ▲7000万円(2020年03月31日時点)<ref name="fy">[https://catr.jp/settlements/062af/171481 株式会社ジブリ美術館 第2期決算公告]</ref>
|純資産 =
|総資産 = 8億3900万円(2020年03月31日時点)<ref name="fy" />
|従業員数 =
|決算期 = 3月末日
|主要株主 =
|主要子会社 =
|関係する人物 =
|外部リンク =
|特記事項 = 2010年10月1日に株式会社[[スタジオジブリ]]に合併
}}
'''三鷹の森ジブリ美術館'''(みたかのもりジブリびじゅつかん)は、[[東京都]][[三鷹市]]の[[井の頭恩賜公園]]西園内にある、三鷹市立のアニメーション[[美術館]]。正式名称は'''三鷹市立アニメーション美術館'''<ref name="jourei" />。指定管理者は[[公益財団法人]][[徳間記念アニメーション文化財団]]。
[[スタジオジブリ]](以下「ジブリ」)に深く関わる[[宮崎駿]]が発案し、[[2001年]]に開館した。名称のとおりジブリ関連の展示品を多数収蔵・公開している。建物自体も宮崎駿による断面スケッチを元にデザインされた。設計者は[[日本設計]]。美術館の運営および館内で上映する短編映画もジブリが制作しているほか、歴代館長もジブリ関係者が多く就任している。
また[[2007年]]からは、'''三鷹の森ジブリ美術館ライブラリー'''として、世界の[[アニメーション映画]]の[[映画配給|配給]]や[[テレビ放送]]も行っている。
== 施設概略 ==
施設屋上と屋外を除き、館内の写真撮影は原則として禁止されている(開館間もない2001年12月までは可能だったが、翌[[2002年]]から禁止された)。また、[[2005年]]10月1日から敷地内[[禁煙]]になった。
館内には、[[ウォルト・ディズニー・カンパニー|ディズニー]]作品の[[トイ・ストーリー]]、[[ファインディング・ニモ]]、[[フォー・ザ・バーズ]]の[[キャラクター]]がある形で隠れている。また、[[ジョン・ラセター]]を初めとした関係者と思しき者の絵付きサインも館内にある。[[2012年]]には美術館の映像を収録した[[DVD]]『宮崎駿とジブリ美術館』が発売されている。
=== 館主・館長 ===
2001年の開館時から宮崎駿が館主を務めた。2021年2月、[[新型コロナウイルス禍]]に対応するため、前館長でスタジオジブリ代表取締役社長を務めていた中島清文が専従の総責任者として第2代館主に就任{{R|ghibli_20210210}}。宮崎は名誉館主となった{{R|ghibli_20210210}}。
初代館長は[[宮崎吾朗]]。[[2005年]]6月24日、[[中島清文]]が2代目館長に就任。[[2017年]]11月28日、中島がスタジオジブリ代表取締役社長に就任したことに伴い、[[安西香月]]が第3代館長となった。
=== 経営危機 ===
[[2021年]][[6月]]に経営危機が報じられた<ref name=yomiuri01>{{Cite web2|title=ジブリ美術館が苦境、積立金取り崩して維持管理費に…三鷹市は寄付募る方針|url=https://www.yomiuri.co.jp/national/20210611-OYT1T50109/|website=読売新聞オンライン|accessdate=2021-06-12|publisher=[[読売新聞]]|date=2021年6月12日}}</ref>。[[新型コロナウイルス感染症の世界的流行 (2019年-)|新型コロナウイルス感染症の世界的流行]]の影響で長期の休館が続いた影響から、19年度の来場者数は58万人(入場料収入6億5000万円)であったことに対して20年度〜21年2月までの11ヶ月間では来場者数が6万6000人(入場料収入1億5000万円)にまで激減<ref name=yomiuri01/>。大規模修繕用の積立金を取り崩して維持管理費に充てているが、三鷹市はさらに市民からや、ふるさと納税の仕組みを活用した寄付を募る計画を固めた<ref name=yomiuri01/>。
2021年10月27日、ジブリ美術館と運営元である徳間記念アニメーション文化財団は、スペインのブランドである[[ロエベ]]の文化財団と財政支援のスポンサーシップを締結したと発表した<ref name=asahi01>{{Cite web2|title=ロエベがコロナ禍で苦境のジブリ美術館を支援 宮崎駿の精神に共感|url=https://www.asahi.com/articles/ASPBV5S73PBTULZU01J.html|website=朝日新聞デジタル|accessdate=2021-10-27|publisher=[[朝日新聞]]|date=2021年10月27日}}</ref>。
== 展示内容 ==
* 企画展示室:特定の作品や作家、製作スタジオに焦点を当てた企画展示を行う。
* 常設展示室:[[アニメーション]]の原理、原始的なアニメなどの展示、製作スタジオの風景再現、歴代ジブリ作品の[[絵コンテ]]などの資料が見られる。
* 『[[となりのトトロ]]』のネコバスルーム:子供が中に入って遊べるようになっている。
* 屋上のロボット兵(『[[天空の城ラピュタ]]』)
* ラピュタ中枢部の石:ラピュタ語の文字が刻まれている。
* 図書閲覧室「トライホークス」:児童文学書([[角野栄子]]『[[魔女の宅急便]]』など)やジブリ関係の書籍などを常備し、購入も出来る。
* 映像展示室「土星座」:美術館用のアニメ作品や企画展示関係の作品が上映されている。
* エントランスホール:天井一面がジブリキャラの点在する[[フレスコ]]壁画になっている
* トトロのニセ受付
* カフェ「麦わらぼうし」:オリジナルメニューを出している。
* 売店「マンマユート」
== 入場方法 ==
日本の美術館では珍しい'''完全予約制・定員制'''の入館方法を採用している。入館するためには[[ローソン]]の[[Loppi]]にて予め日時指定の[[切符|チケット]](入場引換券)を購入する必要がある。[[ミニストップ]]の端末「MINISTOP Loppi」では取り扱っていないため注意が必要。[[ローチケ]]・[[電話]]による予約申込も可能である<ref>[https://www.lawson.co.jp/ghibli_museum/ 三鷹の森ジブリ美術館 チケットが買えるのはローソンだけ!] ローソン公式サイト</ref>。
定員に達するか入場時間になった時点で当日分の販売は打ち切られる。現在、ジブリ美術館でチケット(入場引換券)の直売は行われていないが、美術館前にも「ローソン三鷹の森店」があり、当日でも購入可能な場合がある。なお定員には、三鷹市在住者と市内への通勤・通学者向けに配慮された恒常的な枠がある。
[[転売]]防止のため、購入者の名前が券面に印字される記名式のチケットとなっている。美術館入口にてチケット購入者の本人確認を行う場合があり、[[身分証明書]]([[運転免許証]]、各種[[保険証]]、[[学生証]]、[[パスポート]]、[[マイナンバーカード]]のいずれか)を持参する必要がある<ref>[https://www.ghibli-museum.jp/ticket/ チケットの購入方法] 三鷹の森ジブリ美術館公式サイト</ref>。美術館入場時にチケット1枚につき[[フィルム]]付きっぷ([[入場券]])1枚と交換。一人が複数枚のチケットを持っていてもフィルム付きっぷと交換はしない。
=== 入場料・入場時間 ===
* 大人・大学生 - 1,000円
* 高校・中学生 - 700円
* 小学生 - 400円
* 幼児(4歳以上) - 100円
* 4歳未満 - 無料
入場時間は1日4回で、10・12・14・16時。入れ替え制ではない。入場は指定時間から30分後まで。
[[カフェ]]「麦わらぼうし」は11時00分開店、18時00分ラストオーダー。
=== アクセス ===
* [[三鷹駅]]南口より徒歩15分([[玉川上水]]沿いに看板あり)。
* 三鷹駅南口より、三鷹市[[コミュニティバス]]「[[みたかシティバス]]」三鷹の森ジブリ美術館ルート・明星学園ルート乗車5分、「三鷹の森ジブリ美術館」[[バス停留所|停留所]]下車<ref>[https://www.city.mitaka.lg.jp/c_service/000/000756.html みたかシティバス] 三鷹市公式サイト</ref>。
: 三鷹駅南口(小田急バス案内所・9番のりば発券機など)で、みたかシティバス専用の「三鷹の森ジブリ美術館往復割引乗車券」を販売している<ref>[https://www.odakyubus.co.jp/regular/ticket/bargain/ghibli.html https://www.odakyubus.co.jp/regular/ticket/bargain/ghibli.html 三鷹の森ジブリ美術館往復割引乗車券] 小田急バス公式サイト</ref>。{{see also|みたかシティバス}}
== 美術館用の短編アニメ作品 ==
{| class="wikitable" style="font-size:small;"
|-
! 公開年 || 作品名
|-
| [[2001年]]
| [[くじらとり]]
|-
| rowspan="2" | [[2002年]]
| [[コロの大さんぽ]]
|-
| [[めいとこねこバス]]
|-
| rowspan="3" | [[2006年]]
| [[水グモもんもん]]
|-
| [[星をかった日]]
|-
| [[やどさがし]]
|-
| rowspan="2" | [[2010年]]
| [[ちゅうずもう]]
|-
| [[パン種とタマゴ姫]]
|-
| [[2011年]]
| [[たからさがし]]
|-
| [[2018年]]
| [[毛虫のボロ]]
|}
== 歴代の企画展 ==
* 2001年10月 - 2002年9月『[[千と千尋の神隠し]]展』
* 2002年10月 - 2004年5月『天空の城ラピュタと空想科学の機械達展』
* 2003年11月 - 2004年5月『[[ユーリー・ノルシュテイン]]展』
* 2004年5月 - 2005年5月『[[ピクサー]]展』
* 2005年5月 - 2006年5月『[[アルプスの少女ハイジ (アニメ)|アルプスの少女ハイジ]]展』
* 2006年5月 - 2007年5月『[[アードマン]]展』
* 2007年5月 - 2008年5月『3びきのこぐま展』
* 2008年5月 - 2009年5月『小さな[[ルーヴル美術館]]展』
* 2009年5月 - 2010年5月『[[崖の上のポニョ]]展』
* 2010年5月 - 2011年6月『ジブリの森のえいが展』
* 2011年6月 - 2012年5月『ねこバスから見た風景展』
* 2012年6月 - 2013年5月『挿絵が僕らにくれたもの展』
* 2013年6月 - 2014年5月『ジブリの森のレンズ展』
* 2014年5月 - 2015年5月『クルミわり人形とネズミの王さま展』
* 2015年5月 - 2016年5月『幽霊塔へようこそ展』
* 2016年7月 - 2017年5月『猫バスにのって ジブリの森へ』
* 2017年5月 - 2018年11月『食べるを描く。』
* 2018年11月 - 2019年11月『映画を塗る仕事』展
* 2019年11月 - 2021年5月『手描き、ひらめき、おもいつき』展 ~ジブリの森のスケッチブックから~<ref>{{Cite web|和書|title=企画展示『手描き、ひらめき、おもいつき』展 ~ジブリの森のスケッチブックから~|Let’s ENJOY TOKYO|url=https://www.enjoytokyo.jp/event/1607258/|accessdate=2021-11-22}}</ref>
* 2021年6月 - 2022年5月『[[アーヤと魔女]]展』
* 2022年5月 - 2023年5月(予定)『[[未来少年コナン]]』展 -漫画映画の魅力にせまる!-
== 三鷹の森ジブリ美術館ライブラリー ==
=== 映画 ===
* {{仮リンク|春のめざめ (2016年の映画)|en|My Love (2006 film)|label=春のめざめ}}([[2007年]])
* {{仮リンク|アズールとアスマール|en|Azur & Asmar: The Princes' Quest}}([[2007年]])
* [[雪の女王 (1957年の映画)|雪の女王]] 新訳版([[2007年]])
* [[パンダコパンダ]]([[2008年]])
* [[チェブラーシカ]] 全四話完全版([[2008年]])
* [[動物農場]]([[2008年]])
* [[ルパン三世 (TV第1シリーズ)|ルパン三世1st.TVシリーズ]]([[2009年]])
* [[ウォレスとグルミット#ウォレスとグルミット ベーカリー街の悪夢|ウォレスとグルミット ベーカリー街の悪夢]]([[2009年]])
* [[バッタ君町に行く]]([[2009年]])
* [[赤毛のアン (アニメ)#劇場版|赤毛のアン グリーンゲーブルズへの道]]([[2010年]])
* [[イリュージョニスト (2010年の映画)|イリュージョニスト]]([[2010年]])
* [[フレデリック・バック]]の映画 短編四作([[2011年]])
* {{仮リンク|夜のとばりの物語|en|Tales of the Night (2011 film)}}([[2012年]])
* 夜のとばりの物語 ―醒めない夢―([[2013年]])
* しわ([[2013年]])
=== テレビ ===
* [[ひつじのショーン]]([[2010年]] - [[2011年]]、[[NHK教育]])
== 関連出版 ==
* スタジオジブリ企画・編『ジブリ美術館ものがたり』[[ディスカヴァー・トゥエンティワン|Discover 21]]、2020年
* スタジオジブリ編『宮崎駿とジブリ美術館』[[岩波書店]]、2021年。分冊の大型本
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 出典 ===
{{Reflist|refs=
<ref name="ghibli_20210210">{{Cite web|和書
|url=https://www.ghibli.jp/info/013431/
|title=「野中くん発 ジブリだより」2021年2月号
|author=野中晋輔|publisher=スタジオジブリ
|date=2021-02-10|accessdate=2022-02-08}}</ref>
}}
== 関連項目 ==
* [[三鷹市]] / [[みたかシティバス]]
* [[スタジオジブリ]] / [[宮崎駿]]
* [[徳間書店]]
* [[徳間記念アニメーション文化財団]]
* [[マンマユート団]]
; 協賛
* [[日清製粉グループ]]
* [[ローソンエンタテインメント]]
* [[日本テレビ]]
== 外部リンク ==
* {{Official website|https://www.ghibli-museum.jp/}}
* {{Facebook|GhibliML|三鷹の森ジブリ美術館ライブラリー}}
* {{Twitter|GhibliML|三鷹の森ジブリ美術館ライブラリー}}
* {{YouTube|user = GhibliML}}
{{スタジオジブリ}}
{{吉祥寺}}
{{Normdaten}}
{{デフォルトソート:みたかのもりしふりひしゆつかん}}
[[Category:東京都の美術館]]
[[Category:スタジオジブリ]]
[[Category:三鷹市の教育]]
[[Category:三鷹市の建築物]]
[[Category:徳間記念アニメーション文化財団]]
[[Category:吉祥寺]]
[[Category:2001年竣工の日本の建築物]]
[[Category:2001年開設の博物館]]
[[Category:日本のマンガ・アニメ美術館とギャラリー]]
[[Category:日本の子供博物館]]
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2003-08-31T11:11:08Z
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アラン・ドロン
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アラン・ドロン(Alain Delon, 1935年11月8日 - )は、フランスの元映画俳優。1960年代から1970年代にかけて、世紀の二枚目として人気を博した。ドロンは芸術映画から娯楽映画まで、数多くの作品に出演している。
1935年11月8日パリ郊外のセーヌ県ソーで生まれる。父は小さな映画館を経営、母は後に結婚するナタリーと雰囲気の似た美人で、薬剤師の資格を持っていた。
4歳で両親が離婚し 母方に預けられるも、再婚したシャルキュトリ(ハムやソーセージなど豚肉加工品専門の食品店)の義父と合わなかったこと、そして母親が新たに生まれた娘(エディット)だけを可愛がったためにアランはのけ者とされる。さらに実父も再婚、息子ジャン=フランソワ(後にアランの映画の製作に参加)が生まれていた。家庭不和による愛情不足のため、彼は女生徒とたびたび問題を起こして寄宿学校を転々とした。ドロンはその後14歳より食品店で働き始めた。
やがてドロンはフランス海軍へ志願。未成年者は保護者の承諾が必要だったが、母は義父の言うがままに承諾した。この一件で、母への不信感を持った。17歳で入隊し、マルセイユより貨物船に乗せられ、第一次インドシナ戦争へ従軍することになった。1955年、休戦協定によって20歳で無事除隊後はアメリカとメキシコを放浪、1956年に帰国後はパリのモンマルトルなど方々を転々とし、サン=ジェルマン=デ=プレに落ち着いた。その後、さまざまな職業を転々とするが、職業経験は後の俳優人生にプラスに働いた。
翌1957年の夏、女優のブリジット・オベール(英語版)から「カンヌで映画祭が開催されるから歩いてみたら。あなたほどの美貌なら、監督の誰かから声が掛かるかもしれない」と言われた。それがきっかけで、帰国後パリで知り合ったジャン=クロード・ブリアリと2人で、カンヌを歩いてみると、過去にロック・ハドソンを発掘したハリウッドの有名エージェント、ヘンリー・ウィルスンに「君はいい体をしている...」とスカウトされた。その3日後にローマのチネチッタ撮影所にて、映画『武器よさらば』撮影中のデヴィッド・O・セルズニックのスクリーンテスト(英語版)を受け合格し、アメリカ合衆国での成功に太鼓判を押され、英語の習得を条件に7年間の契約を持ちかけられる。しかし「私はフランス人なので、まずはフランスで勝負をしたい」と保留、女優エステラ・ブランの紹介で、イヴ・アレグレ監督の『女が事件にからむ時』(共演:ジャン=ポール・ベルモンド)でデビューした。
1959年、コメディ映画『お嬢さん、お手やわらかに!』がフランスで大ヒットした。同年、『恋ひとすじに』で共演した西ドイツの若手スター、ロミー・シュナイダーと同棲し婚約するも、1963年に破棄。
1960年、ドロンはパトリシア・ハイスミス原作、ルネ・クレマン監督の『太陽がいっぱい』に主演した。ニーノ・ロータの曲と共に大ヒットし、世界的にその名を知られる。その後もクレマン監督作品など、数多くのフランス映画・イタリア映画・アメリカ映画に出演し、自身が出演する作品のプロデュースも手がけるなどして活躍。ルキノ・ヴィスコンティ監督の『若者のすべて』にも出演した。その後も『シシリアン』『冒険者たち』『さらば友よ』『暗黒街のふたり』『ボルサリーノ』『栗色のマッドレー』『地下室のメロディー』『レッドサン』『友よ静かに死ね』『ショック療法』『ル・ジタン』『アラン・ドロンのゾロ』ほか多数の映画作品に出演した。『暗殺者のメロディ』ではレフ・トロツキーを殺害する男を演じた。ジョゼ・ジョバンニ監督との名コンビは、よく知られている。音楽活動では1973年に、ダリダとアラン・ドロン『甘い囁き』がヒットした。
ヴェルヴェット・アンダーグラウンドとのアルバムがあるドイツ人モデル・歌手のニコとの関係も知られている。ニコは1962年にドロンとの子供である長男クリスティアンを生むが、彼は未だに認知をしていない。クリスティアンはドロンの実母に育てられた。
ロミー・シュナイダーと破局した後には、1963年、ナタリー・バルテルミー(本名はフランシーヌ・カノヴァのちナタリー・ドロン)と出会う。ナタリーはモロッコのカサブランカ出身で、育った境遇が似ていたことや、人生経験豊かなところに惹かれ、親しくなった。1964年にナタリーと結婚、息子アントワーヌ(後にアントニー・ドロンの名でデビュー)が生まれる。この年には3人でアメリカ合衆国のビバリーヒルズに滞在。いくつかの映画に出演したり、アカデミー賞のプレゼンターにも立った。ナタリー・ドロンは後に映画『個人教授』に出演した。1966年フランスへ帰国。映画『サムライ』に出演したことにより、女優を続けたいと願うナタリーと対立し、やがて離婚。
その後、ミレーユ・ダルクと長い愛人関係にあった。1987年にオランダ人モデル、ロザリー・ファン・ブレーメン(フランス語版)と出会う。彼女とは籍は入れず、アヌーシュカ(英語版)とアラン・ファビアン(フランス語版)の2子をもうけるが、2002年に別れた。
2017年5月9日、今後出演する1本ずつの映画と舞台を最後に、引退するとの意向を示した。2018年には、ジュリエット・ビノシュ共演、パトリス・ルコント監督の新作映画に主演する予定だったが、2018年11月、フランスのメディアはこのプロジェクトがキャンセルされたことを発表した。中止の具体的な理由は明かされていない。
2019年5月19日(日本時間20日)、第72回カンヌ国際映画祭で、映画界への長年の功績をたたえて「名誉パルムドール」が贈られた。
2019年に脳卒中を発症しスイスで療養していると伝えられた。
第72回カンヌ国際映画祭で現地2019年5月19日夜、映画への長年の貢献をたたえて名誉パルムドールが贈られた。
主に担当していたのは、以下の三人である。
『さらば友よ』は、KADOKAWAから2018年5月25日に野沢(フジテレビ版)と堀(TBS版)の上記の両者の吹替えを収録したブルーレイが発売されている(思い出の復刻版ブルーレイに同梱のDVDには野沢版のみ収録)。
このほか、山田康雄や広川太一郎、富山敬、松橋登、伊武雅刀、石立鉄男、横内正、中野誠也、井上真樹夫、井上和彦、山寺宏一などが声を当てた作品も存在する。
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"text": "このほか、山田康雄や広川太一郎、富山敬、松橋登、伊武雅刀、石立鉄男、横内正、中野誠也、井上真樹夫、井上和彦、山寺宏一などが声を当てた作品も存在する。",
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アラン・ドロンは、フランスの元映画俳優。1960年代から1970年代にかけて、世紀の二枚目として人気を博した。ドロンは芸術映画から娯楽映画まで、数多くの作品に出演している。
|
{{ActorActress
| 芸名 = アラン・ドロン
| ふりがな = Alain Delon
| 画像ファイル = Alain Delon 1959 Rome.jpg
| 画像サイズ = 200px
| 画像コメント = 1959年
| 身長 = 178cm
| 生年 = 1935
| 生月 = 11
| 生日 = 8
| 没年 =
| 没月 =
| 没日 =
| 出生地 = {{FRA1870}}<br/>[[オー=ド=セーヌ県]][[ソー (オー=ド=セーヌ県)|ソー]]
| 死没地 =
| 国籍 = {{FRA}}<br/>{{CHE}}
| 本名 = Alain Fabien Maurice Marcel Delon
| 職業 = [[俳優]]
| ジャンル = [[映画]]
| 活動期間 = 1957年 - 2017年
| 血液型 =
| 別名義 =
| 公式サイト =
| 配偶者 =
| 主な作品 = 『[[太陽がいっぱい (映画)|太陽がいっぱい]]』(1960年)<br />『[[若者のすべて (映画)|若者のすべて]]』(1960年)<br/>『[[太陽はひとりぼっち]]』(1962年)<br/>『[[山猫 (映画)|山猫]]』(1963年)<br/>『[[地下室のメロディー]]』(1963年)<br />『[[冒険者たち]]』(1967年)<br/>『[[サムライ (映画)|サムライ]]』(1967年)<br/>『[[さらば友よ (映画)|さらば友よ]]』(1968年)<br />『[[ボルサリーノ (映画)|ボルサリーノ]]』(1970年)<br/>『[[レッド・サン]]』(1971年)
| カンヌ国際映画祭 = '''[[パルム・ドール・ドヌール]]'''<br />[[第72回カンヌ国際映画祭|2019年]] 映画、演劇両界における長年の功績に対して
| ベルリン国際映画祭 = '''[[金熊名誉賞]]'''<br />[[第45回ベルリン国際映画祭|1995年]] 映画界、演劇界への長年に渡る貢献に対して
| セザール賞 = '''[[セザール賞|作品賞]]'''<br />[[1976年]]『[[:en:Monsieur Klein|パリの灯は遠く]]』<br />'''[[セザール賞|主演男優賞]]'''<br />[[1984年]]『[[:en:Our Story (film)|真夜中のミラージュ]]』
| その他の賞 = '''[[モスクワ国際映画祭]]'''<br />'''金賞'''<br />[[1981年]]『[[テヘラン 43]]』
}}
'''アラン・ドロン'''(Alain Delon, [[1935年]][[11月8日]] - )は、[[フランス]]の元映画[[俳優]]。1960年代から1970年代にかけて、'''世紀の二枚目'''として人気を博した。ドロンは芸術映画から娯楽映画まで、数多くの作品に出演している。
== 来歴 ==
[[1935年]][[11月8日]][[パリ]]郊外の[[セーヌ県]][[ソー (オー=ド=セーヌ県)|ソー]]で生まれる。父は小さな[[映画館]]を経営、母は後に結婚するナタリーと雰囲気の似た美人で、[[薬剤師]]の資格を持っていた。
4歳で両親が離婚し<ref>[http://www.filmreference.com/film/28/Alain-Delon.html Alain Delon Biography (1935-)<!-- Bot generated title -->]</ref> 母方に預けられるも、再婚した{{仮リンク|シャルキュトリ|fr|Charcuterie}}(ハムやソーセージなど豚肉加工品専門の食品店)の義父と合わなかったこと、そして母親が新たに生まれた娘(エディット)だけを可愛がったためにアランはのけ者とされる。さらに実父も再婚、息子ジャン=フランソワ(後にアランの映画の製作に参加)が生まれていた。家庭不和による愛情不足のため、彼は女生徒とたびたび問題を起こして寄宿学校を転々とした。ドロンはその後14歳より食品店で働き始めた。
やがてドロンは[[フランス海軍]]へ志願。未成年者は保護者の承諾が必要だったが、母は義父の言うがままに承諾した。この一件で、母への不信感を持った。17歳で入隊し、[[マルセイユ]]より貨物船に乗せられ、<!--[[落下傘部隊]]へ配属され *英語(20:45, 6 May 2017)版には海軍憲兵隊配属とあり、仏語版(8 mai 2017 à 04:08)では海軍憲兵隊士官の指揮下でサイゴン防衛部隊配属とある。いずれも典拠不明。とりあえずは従軍経験がわかればよいと思われるので配属先はコメントアウト。-->[[第一次インドシナ戦争]]へ従軍することになった。[[1955年]]、[[ジュネーヴ協定|休戦協定]]によって20歳で無事除隊後はアメリカとメキシコを放浪、1956年に帰国後はパリの[[モンマルトル]]など方々を転々とし、[[サン=ジェルマン=デ=プレ]]に落ち着いた。その後、さまざまな職業を転々とするが、職業経験は後の俳優人生にプラスに働いた。
翌[[1957年]]の夏、女優の{{仮リンク|ブリジット・オベール|en|Brigitte Auber}}から「[[カンヌ]]で[[第10回カンヌ国際映画祭|映画祭]]が開催されるから歩いてみたら。あなたほどの美貌なら、監督の誰かから声が掛かるかもしれない」と言われた。それがきっかけで、帰国後パリで知り合った[[ジャン=クロード・ブリアリ]]と2人で、カンヌを歩いてみると、過去に[[ロック・ハドソン]]を発掘した[[ハリウッド]]の有名エージェント、[[ヘンリー・ウィルスン]]に「君はいい体をしている…」とスカウトされた。その3日後に[[ローマ]]の[[チネチッタ]]撮影所にて、映画『[[武器よさらば (映画)|武器よさらば]]』撮影中の[[デヴィッド・O・セルズニック]]の{{仮リンク|スクリーンテスト|en|Screen test}}を受け合格し、[[アメリカ合衆国]]での成功に太鼓判を押され、英語の習得を条件に7年間の契約を持ちかけられる。しかし「私はフランス人なので、まずはフランスで勝負をしたい」と保留、女優[[エステラ・ブラン]]の紹介で、[[イヴ・アレグレ]]監督の『[[女が事件にからむ時]]』(共演:[[ジャン=ポール・ベルモンド]])でデビューした。
[[1959年]]、コメディ映画『[[お嬢さん、お手やわらかに!]]』がフランスで大ヒットした<ref>[https://translate.googleusercontent.com/translate_c?anno=2&depth=2&rurl=translate.google.com&sl=fr&tl=en&u=http://www.boxofficestory.com/box-office-alain-delon-c22669761/5&usg=ALkJrhg74sY86oeUThRHiOnXTbjuuXjk8g Movie box office information] at Box Office Story</ref>。同年、『[[恋ひとすじに]]』で共演した[[西ドイツ]]の若手スター、[[ロミー・シュナイダー]]と同棲し婚約するも、[[1963年]]に破棄。
[[1960年]]、ドロンは[[パトリシア・ハイスミス]]原作、[[ルネ・クレマン]]監督の『[[太陽がいっぱい (映画)|太陽がいっぱい]]』に主演した<ref>{{cite web|url=[http://geraldpeary.com/interviews/ghi/highsmith.html Interview with Patricia Highsmith] | title=Patricia Highsmith interview |accessdate=22 April 2020}}</ref>。[[ニーノ・ロータ]]の曲と共に大ヒットし、世界的にその名を知られる。その後もクレマン監督作品など、数多くのフランス映画・[[イタリア映画]]・[[アメリカ合衆国の映画|アメリカ映画]]に出演し、自身が出演する作品の[[プロデュース]]も手がけるなどして活躍。[[ルキノ・ヴィスコンティ]]監督の『若者のすべて』にも出演した。その後も『[[シシリアン]]』『[[冒険者たち]]』『[[さらば友よ]]』『[[暗黒街のふたり]]』『[[ボルサリーノ]]』『[[栗色のマッドレー]]』『[[地下室のメロディー]]』『[[レッドサン]]』『[[友よ静かに死ね]]』『[[ショック療法]]』『[[ル・ジタン]]』『[[アラン・ドロンのゾロ]]』ほか多数の映画作品に出演した。『[[暗殺者のメロディ]]』では[[レフ・トロツキー]]を殺害する男を演じた。[[ジョゼ・ジョバンニ]]監督との名コンビは、よく知られている。音楽活動では1973年に、[[ダリダ]]とアラン・ドロン『[[甘い囁き]]』がヒットした。
[[ヴェルヴェット・アンダーグラウンド]]とのアルバムがあるドイツ人[[モデル (職業)|モデル]]・[[歌手]]の[[ニコ]]との関係も知られている。ニコは[[1962年]]にドロンとの子供である長男クリスティアンを生むが、彼は未だに[[認知]]をしていない。クリスティアンはドロンの実母に育てられた。
ロミー・シュナイダーと破局した後には、1963年、ナタリー・バルテルミー(本名はフランシーヌ・カノヴァのち[[ナタリー・ドロン]])と出会う。ナタリーは[[モロッコ]]の[[カサブランカ]]出身で、育った境遇が似ていたことや、人生経験豊かなところに惹かれ、親しくなった。[[1964年]]にナタリーと結婚、息子アントワーヌ(後に[[アントニー・ドロン]]の名でデビュー)が生まれる。この年には3人で[[アメリカ合衆国]]の[[ビバリーヒルズ]]に滞在。いくつかの映画に出演したり、[[第37回アカデミー賞|アカデミー賞]]のプレゼンターにも立った。ナタリー・ドロンは後に映画『[[個人教授]]』に出演した。[[1966年]]フランスへ帰国。映画『[[サムライ (映画)|サムライ]]』に出演したことにより、女優を続けたいと願うナタリーと対立し、やがて離婚。
その後、[[ミレーユ・ダルク]]と長い愛人関係にあった。[[1987年]]にオランダ人モデル、{{仮リンク|ロザリー・ファン・ブレーメン|fr|Rosalie van Breemen}}と出会う。彼女とは籍は入れず、{{仮リンク|アヌーシュカ・ドロン|en|Anouchka Delon|label=アヌーシュカ}}と{{仮リンク|アラン=ファビアン・ドロン|fr|Alain-Fabien Delon|label=アラン・ファビアン}}の2子をもうけるが、[[2002年]]に別れた。
== 引退 ==
2017年5月9日、今後出演する1本ずつの映画と舞台を最後に、引退するとの意向を示した<ref>時事通信 5月10日。</ref>。2018年には、[[ジュリエット・ビノシュ]]共演、[[パトリス・ルコント]]監督の新作映画に主演する予定だったが、2018年11月、フランスのメディアはこのプロジェクトがキャンセルされたことを発表した。中止の具体的な理由は明かされていない。
2019年5月19日(日本時間20日)、第72回[[カンヌ国際映画祭]]で、映画界への長年の功績をたたえて「[[名誉パルムドール]]」が贈られた。<ref>{{Cite news
| title = アラン・ドロン83歳、名誉パルムドール受賞に涙:第72回カンヌ国際映画祭|シネマトゥデイ
| publisher = シネマトゥデイ
| date = 2019-5-26
| url = https://www.cinematoday.jp/news/N0108896
| accessdate = 2022-01-02 }}</ref>
2019年に[[脳卒中]]を発症しスイスで療養していると伝えられた。<ref>{{Cite news
| title = 仏俳優アラン・ドロンさんが脳卒中、現在はスイスで療養
| publisher = AFPBB News
| date = 2019-8-9
| url = https://www.afpbb.com/articles/-/3239282
| accessdate = 2022-01-02 }}</ref>
== ギャラリー ==
<gallery widths="200" heights="200" style="font-size:smaller">
Kinema-Junpo-1959-February-late-2.jpg|『[[お嬢さん、お手やわらかに!]]』(1959年)
Kinema-Junpo-1960-June-early-1.jpg|『[[太陽がいっぱい (映画)|太陽がいっぱい]]』(1960年)
Alain Delon Rocco et ses frères 1.jpg|『[[若者のすべて (映画)|若者のすべて]]』(1960年)
Kinema-Junpo-1967-May-late-3.jpg|『[[冒険者たち]]』(1967年)
David di Donatello 1972 Vitti Delon.jpg|[[モニカ・ヴィッティ]]とドロン(1972年)
</gallery>
== エピソード ==
* 1963年4月1日から10日にかけて第3回「[[フランス映画祭 (日本)|フランス映画祭]]」が東京都千代田区の[[東京商工会議所|東商]]ホールで開催された。[[ジャン=ガブリエル・アルビコッコ]]の『[[金色の眼の女]]』と『アメリカのねずみ』、『[[突然炎のごとく]]』『ミス・アメリカ パリを駆ける』『[[シベールの日曜日]]』『女はコワイです』『不滅の女』『[[地下室のメロディー]]』『地獄の決死隊』の計9本の長編と、短編映画『ふくろうの川』が上映された<ref name="eiga-hyron196305">『[[映画評論 (雑誌)|映画評論]]』1963年5月号。</ref>。ドロン、[[アレクサンドラ・スチュワルト]]、[[フランソワ・トリュフォー]]、[[マリー・ラフォレ]]、[[セルジュ・ブールギニョン]]、[[アルベール・ラモリス]]、フランソワーズ・ブリオンらは映画祭に参加するため3月28日に来日した<ref>『映画ストーリー』1963年6月号、雄鶏社、「ドロンとラフォレがやってきた!」。</ref><ref>『映画情報』1963年6月号、[[国際情報社]]、「フランス映画祭にぎわう」。</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://mainichi.jp/graphs/20170510/hpj/00m/040/001000g/7 |title= アラン・ドロン 俳優引退へ “最高の美男”の軌跡 |publisher=毎日新聞 |date=2017-05-10 |accessdate=2018-03-24 }}</ref>。ドロンは初来日であった。
*1963年4月と[[1964年]]6月、[[フジテレビジョン|フジテレビ]]『[[スター千一夜]]』に出演。同6月13日には[[日本放送協会|NHK]]『[[夢であいましょう]]』に出演。映像は現存しないが、司会を務めたデザイナーの中嶋弘子と番組セット内で撮ったカラー写真が現存する。
*[[1980年代]]には、パリ旅行のメインとしてドロンと一緒のディナーを楽しめるという団体ツアーも企画され、日本から50,000名が参加し大きな話題を呈した。2010年には生誕75周年を記念して、「アラン・ドロン生誕75周年記念映画祭」が東京や京都で開催された<ref>[http://cinefil-imagica.com/dvd/ad75/ アラン・ドロン生誕75周年記念映画祭]</ref>。
*日本では美男俳優の代名詞と言えるほど人気の高い二枚目スターであるが、娯楽大作中心ではなく、社会派やアート志向の作品も多い出演歴でわかるように、フランスや欧米諸国では大衆的な二枚目スターとは異なる評価を受けている。
*1987年、[[モロッコ]]での15年間の投獄の末、脱走した[[マリカ・ウフキル]]は逃走中に自分たちの事実を伝えるため政治家やアーティストに20通ばかりの手紙を送ったが、返事があったのはアラン・ドロンただ一人だった。モロッコと関係のあるアラン・ドロンは弁護士を通じて「政治的立場をとるつもりはないが、ウフキルたちに友情を伝えてくれと言い、物資面の援助や裁判費用も払う用意がある」と伝え、ウフキルはこの厚意に心底感動したと語っている。
*[[1993年]]、[[スイス]]で行われた女優[[オードリー・ヘプバーン]]の葬儀に参列。それまで交流があったことは一切報じられておらず、また、日本では長年人気投票の外国男優・外国女優部門の1位を獲得してきた人気俳優同士だった。彼は「僕は彼女を尊敬していた」と交流を語った。
*[[1964年東京オリンピック]]のメインスタジアム([[新宿区]][[霞ヶ丘町]])の落成式に出席し併せて[[国立代々木競技場]]を訪問した。また[[東京モノレール]]の開業前に昭和島車両基地を訪れ、そこで試運転車両に乗車した<ref>光文社「[[女性自身]]」2014年10月14日号(第57巻第37号)100頁 雑誌20302-10/14</ref>。
*ドロンと[[岸田森]]は、映画『友よ静かに死ね』の来日イベントで共演している<ref>武井崇『岸田森 夭逝の天才俳優・全記録』 [[洋泉社]]、2017年。ISBN 978-4-8003-1222-8。同書の215pと589p。</ref>。
<!--
*ドロンと同時代のアメリカ映画のスターであり、同じく戦場の経験がある[[スティーブ・マックイーン]]とともに、銃を扱う芝居の上手さが語られている<ref>映画特電第108回より 出典無効</ref>。
*[[1975年]]の『[[ル・ジタン]]』では、3気筒のバイクに乗り、警官隊に囲まれた自宅から門を開けるとともに[[ウィリー走行]](前輪を上げた状態での走行)で脱出する姿を見せ、観客を感心させた<ref>出典無効</ref>。
*[[1998年]]公開の『[[ハーフ・ア・チャンス]]』を最後に映画からの引退を公言した(その理由を「映画でやりたいことは全てやりきったから」と発言)が、復帰して[[テレビドラマ]]や[[映画]]、[[舞台]]など幅広く俳優活動を継続しており、[[2007年]]にはベストセラー[[小説]]『[[マディソン郡の橋]]』の舞台化作品への出演が決まっていた。
*2007年10月、[[フジテレビジョン|フジテレビ]]の番組にゲスト出演した。出演した理由を「50年経ったし、そろそろ日本に来てもいいかな、と思って」「(日本には)昼飯を食べるためだけに来た。」とユーモアたっぷりに語り、前日の夜に日本に到着し、撮影日の午後9時に帰途に発つ、という強行スケジュールだった。
*フィルムデビュー50周年を記念して、2007年[[11月8日]]の72歳の誕生日から、2003年 - 2004年にフランスとドイツ共同制作で製作されたドラマ『[[アラン・ドロンの刑事フランク・リーヴァ]]』が[[WOWOW]]で放送された。
*大の格闘技好きであり、ドロン自ら格闘技の興行を主催したこともある。また、同じフランス人の[[K-1]]トップファイター[[ジェロム・レ・バンナ]]とは友人であり、映画で共演したこともある。[[1970年代]]より、自身の名をブランド名にした[[香水]]のプロデュースに注力している。男性用香水SAMOURAI・SHOGUN・47SAMOURAIは日本文化に感化されたネーミング・ボトルと、パッケージのデザイン・調香から日本でも人気を博している。「SAMOURAI」の名称は尊敬する[[三船敏郎]]から取ったものである。
*[[1977年]]に放送された、[[実相寺昭雄]]と
-->
== 出演 ==
{|class="wikitable"
!公開年!!邦題<br />原題!!役名!!備考
|-
|rowspan="2"|1957年||[[女が事件にからむ時]]<br />''Quand la femme s'en mêle''||ジョー||
|-
|[[黙って抱いて]]<br />''Sois belle et tais-toi''||Loulou||
|-
|1958年||[[恋ひとすじに]]<br />''Christine''||フランツ・ロブハイナー||
|-
|rowspan="2"|1959年||[[お嬢さん、お手やわらかに!]]<br />''Faibles Femmes''||ジュリアン・フェナル||
|-
|[[学生たちの道]]<br />''Le Chemin des écoliers''||Antoine Michaud||
|-
|rowspan="2"|1960年||[[太陽がいっぱい (映画)|太陽がいっぱい]]<br />''Plein soleil''||トム・リプレー||
|-
|[[若者のすべて (映画)|若者のすべて]]<br />''Rocco e i suoi fratelli''||ロッコ・パロンディ||
|-
|rowspan="2"|1961年||[[生きる歓び]]<br />''Che gioia vivere''||Ulysse Cecconato||
|-
|[[素晴らしき恋人たち (映画)|素晴らしき恋人たち]]<br />''Amours célèbres''||アルバート王子||
|-
|rowspan="2"|1962年||[[太陽はひとりぼっち]]<br />''L'Eclisse''||ピエロ||
|-
|[[フランス式十戒]]<br />''Le Diable et les dix commandements''||ピエール||
|-
|rowspan="2"|1963年||[[地下室のメロディー]]<br />''Mélodie en sous-sol''||フランシス・ヴェルロット||
|-
|[[山猫 (映画)|山猫]]<br />''Il Gattopardo''||タンクレディ||
|-
|rowspan="4"|1964年||[[黒いチューリップ (1964年の映画)|黒いチューリップ]]<br />''[[:fr:La Tulipe noire|La Tulipe noire]]''||ジュリアン/ギヨーム・ド・サンプルー伯爵(二役)||
|-
|[[危険がいっぱい]]<br />''Les Félins''||マルク||
|-
|[[さすらいの狼 (映画)|さすらいの狼]]<br />''L'Insoumis''||トーマ||
|-
|[[黄色いロールス・ロイス]]<br />''The Yellow Rolls-Royce''||ステファノ||
|-
|1965年||[[泥棒を消せ]]<br />'' Once a Thief''||エディ||
|-
|rowspan="3"|1966年||[[名誉と栄光のためでなく (映画)|名誉と栄光のためでなく]]<br />''Lost Command''||ピエール・エスクラビエ||
|-
|[[パリは燃えているか]]<br />''Paris brûle-t-il?''||[[ジャック・シャバン=デルマス]]||
|-
|[[テキサス (映画)|テキサス]]<br />''Texas Across the River''||ドン・アンドレア・バルダザール||
|-
|rowspan="3"|1967年||[[冒険者たち]]<br />''Les Aventuriers''||マヌー・ボレリー||
|-
|[[サムライ (映画)|サムライ]]<br />''Le Samouraï''||ジェフ・コステロ||
|-
|[[悪魔のようなあなた]]<br />''Diaboliquement vôtre''||Pierre Lagrange/Georges Campo||
|-
|rowspan="4"|1968年||[[世にも怪奇な物語]]<br />''Histoires Extraordinaires''||ウィリアム・ウィルソン||
|-
|[[あの胸にもういちど]]<br />''La Motocyclette ''||ダニエル・コロニー||
|-
|[[さらば友よ (映画)|さらば友よ]]<br />''Adieu l'ami''||ディノ・バラン||
|-
|[[太陽が知っている]]<br />''La Piscine''||ジャン=ポール||
|-
|rowspan="2"|1969年||[[ジェフ (映画)|ジェフ]]<br />''Jeff''||Laurent||兼製作
|-
|[[シシリアン (1969年の映画)|シシリアン]]<br />''Le Clan des Siciliens''||ロジェ・サルテ||
|-
|rowspan="3"|1970年||[[ボルサリーノ (映画)|ボルサリーノ]]<br />''Borsalino''||ロッコ・シフレディ||兼製作
|-
|[[仁義 (映画)|仁義]]<br />''Le Cercle rouge''||コレー||
|-
|[[栗色のマッドレー]]<br />''Madly''||ジュリアン||
|-
|rowspan="3"|1971年||[[もういちど愛して]]<br />''Doucement les Basses''||シモン・メデュー||
|-
|[[レッド・サン]]<br />''Soleil Rouge''||ゴーシュ||
|-
|[[帰らざる夜明け]]<br />''[[:fr:La Veuve Couderc (film)|La Veuve Couderc]]''||ジャン||
|-
|rowspan="4"|1972年||[[暗殺者のメロディ]]<br />''The Assassination of Trotsky''||[[ラモン・メルカデル|フランク・ジャクソン]]||
|-
|[[高校教師 (1972年の映画)|高校教師]]<br />''La Prima notte di quiete''||ダニエレ・ドミニチ||
|-
|[[リスボン特急]]<br />''Un flic''||エドゥアール・コールマン||
|-
|[[ショック療法]]<br />''Traitement de choc''||Docteur Devilers||
|-
|rowspan="4"|1973年||[[スコルピオ]]<br />''Scorpio''||ジャン・ローリエ 通称スコルピオ||
|-
|[[燃えつきた納屋]]<br />''[[:fr:Les Granges brulées|Les Granges brulées]]''||Pierre Larcher||
|-
|[[ビッグ・ガン]]<br />''Les Grands Fusils''||トニー・アルゼンタ||
|-
|[[暗黒街のふたり]]<br />''Deux hommes dans la ville''||ジーノ・ストラブリッジ||
|-
|rowspan="3"|1974年||[[個人生活]]<br />''La Race des 'seigneurs'''||ジュリアン・ダンディーユ||
|-
|[[愛人関係]]<br />''Les Seins de glace''||マルク・リルソン||
|-
|[[ボルサリーノ2]]<br />''Borsalino & Co.''||ロッコ・シフレディ||兼製作
|-
|rowspan="3"|1975年||[[アラン・ドロンのゾロ]]<br />''Zorro''||ゾロ / ディエゴ||
|-
|[[フリック・ストーリー]]<br />''[[:en:Flic Story|Flic Story]]''||ロジェ・ボルニッシュ||兼製作
|-
|[[ル・ジタン]]<br />''Le Gitan''||ユーゴ・セナール 通称ジダン||兼製作
|-
|rowspan="2"|1976年||[[パリの灯は遠く]]<br />''Monsieur Klein''||ロベール・クライン||
|-
|[[ブーメランのように]]<br />''Comme un boomerang''||ジャック・バトキン||兼製作
|-
|rowspan="3"|1977年||[[友よ静かに死ね]]<br />''[[:fr:Le Gang (film)|Le Gang]]''||ロベール||兼製作
|-
|[[プレステージ (1977年の映画)|プレステージ]]<br />''L'Homme pressé''||ピエール||兼製作
|-
|[[チェイサー (映画)|チェイサー]]<br />''Mort d'un pourri''||Xavier 'Xav' Maréchal||
|-
|1978年||ナイトヒート<br />''Attention, les enfants regardent''||||
|-
|rowspan="2"|1979年||[[エアポート'80]]<br />''The Concorde ... Airport '79''||ポール・メトラン機長||
|-
|未知の戦場/ヨーロッパ198X<br />''Le toubib''||Jean-Marie Desprée||
|-
|1980年||ポーカー・フェイス/アラン・ドロン・ウィズ・ジャック・ドレー<br />''3 hommes à abattre''||ミシェル||脚本/出演/製作
|-
|rowspan="2"|1981年||[[テヘラン 43]]<br />''Tegeran-43''||Georges Roche||
|-
|[[危険なささやき]]<br />''Pour la peau d'un flic''||シュカス||監督/脚本/出演/製作
|-
|1982年||最後の標的<br />''Le choc''||マルタン・テリエ||兼脚本
|-
|1983年||鷹<br />''Le battant''||ジャック||監督/脚本/出演/製作
|-
|rowspan="2"|1984年||[[スワンの恋]]<br />''Un amour de Swann''||Baron de Charlus||
|-
|真夜中のミラージュ<br />''Notre histoire''||ロベルト||[[セザール賞]] 主演男優賞 受賞
|-
|1985年||[[復讐のビッグガン]]<br />''Parole de flic''||ダニエル・プラット||兼 製作
|-
|1986年||デーモン・ワールド<br />''Le passage''||ジャン・ディアス||
|-
|1988年||[[アラン・ドロン/私刑警察]]<br />''Ne réveillez pas un flic qui dort''||Eugéne Grindel||兼脚本
|-
|1990年||[[ヌーヴェルヴァーグ (映画)|ヌーヴェルヴァーグ]]<br />''Nouvelle Vague''||ロジェ・レノックス / リシャール・レノックス||
|-
|1992年||[[カサノヴァ最後の恋]]<br />''Le Retour de Casanova''||カサノヴァ||兼製作総指揮
|-
|1995年||[[百一夜]]<br />''Les Cent et une nuits de Simon Cinéma''||アラン・ドロン||
|-
|1998年||[[ハーフ・ア・チャンス]]<br />''[[:fr:Une chance sur deux|Une chance sur deux]]''||ジュリアン||
|-
|2002年||アラン・ドロンの 刑事物語<br />''Fabio Montale''||ファビオ・モンタル||テレビ・ミニシリーズ
|-
|2003年 - 2004年||アラン・ドロンの刑事フランク・リーヴァ<br />''Frank Riva''||フランク・リーヴァ||テレビシリーズ
|-
|2008年||アステリックスと仲間たち オリンピック大奮闘<br />''ASTERIX AUX JEUX OLYMPIQUES''||ユリウス・カエサル||
|}
== ディスコグラフィ ==
*レティシア(冒険者たち、挿入歌)
*甘い囁き - [[ダリダ]]とアラン・ドロン(1973年)
== 受賞歴 ==
; [[ゴールデングローブ賞]]
: [[1964年]] 有望若手男優賞 『[[山猫 (映画)|山猫]]』 - ノミネート
; [[ダヴィッド・ディ・ドナテッロ賞]]
: [[1972年]] 特別賞 - '''受賞'''
; [[セザール賞]]
: [[1977年]] 最優秀男優賞 『[[パリの灯は遠く]]』 - ノミネート
: [[1978年]] 最優秀男優賞 『[[チェイサー (映画)|チェイサー]]』 - ノミネート
: [[1985年]] 最優秀男優賞 『[[真夜中のミラージュ]]』 - '''受賞'''
; [[ベルリン国際映画祭]]
: [[第45回ベルリン国際映画祭|1995年]] 名誉金熊賞 - '''受賞'''
第72回カンヌ国際映画祭で現地2019年5月19日夜、映画への長年の貢献をたたえて名誉パルムドールが贈られた。
*[https://www.asahi.com/articles/ASM5N2GQTM5NULZU001.html 「今日が人生最後」 アラン・ドロンに名誉パルムドール(朝日新聞デジタル2019年5月20日記事)]
== 日本語吹き替え ==
===専属声優([[フィックス]])===
;[[野沢那智]] '''(ドロン本人と対面経験あり)'''
:[[1969年]]頃、アラン・ドロンの吹き替えを初めて担当{{refnest|group="注"|ドロンを担当するようになった経緯ついて、野沢本人は後に「『[[太陽がいっぱい (映画)|太陽がいっぱい]]』で[[堀勝之祐]]がドロン、自身が[[モーリス・ロネ]]を吹き替え放送したところ、しばらくして[[春日正伸]]の提案で配役を逆にして録り直し放送した。これで初めてドロンを吹き替え、その後多く吹き替えるようになった」と述べている<ref>{{Cite|和書|author=[[テレビ朝日]]|title=映画はブラウン館の指定席で―淀川長治と『日曜洋画』の20年|date=1986|publisher=全国朝日放送|isbn=4881310798}}</ref>。ただし、野沢がロネを吹き替えた音源はなく、[[とり・みき]]の調査では野沢が初めてドロンを担当したのが『[[黒いチューリップ (1964年の映画)|黒いチューリップ]]』となっているため、真相は不明である。}}。数人いるドロン担当声優のひとりとなる。『[[日曜洋画劇場]]』で主にドロンを担当していた堀勝之祐(後述)などと比べ、ドロン担当として野沢は比較的後発の存在だったが、やがて[[1970年代]]後半頃から、ほぼ全局で野沢がドロンの吹替を担当するようになり、茶の間にも「'''アラン・ドロンの吹替といえば野沢那智'''」のイメージが浸透していった。ドロンの低い声とは対照的に野沢の声質は高音であるが、このことについては「アラン・ドロン自身のような低音でフランス語を話してると響きが良いんですけど、その声で日本語を話すと聞こえ方が違う(重くなりすぎ、泥臭く聞こえてドロンの外見のイメージと合わなくなってしまう)」として日本語とフランス語の聴感の違いを感じさせる回答を野沢は述べており、ドロンの吹替の時は大抵左端のマイクを使い、隣の相手役にも敢えて向き合わずに収録することを心掛けていたことを明かしている<ref name = "example3">[https://web.archive.org/web/20180126084817/http://seigura.com/senior/road/20131118_74/3.html 野沢那智の声優道 第2回 声優になるには1〜声優の前に、俳優であれ!〜(Wayback Machineによるアーカイブ)]</ref>。当初はドロンの熱狂的ファンからの「なんで日本語にしたんだ」といった理不尽なクレームの電話{{refnest|group="注"|そのようなクレームが来た際には「字幕では、年寄りは見づらいでしょう。今の方法が完璧とは思いませんが、できるだけ大勢の方に楽しんでもらいたいので吹替にしているんです。もっと深いところで楽しみたいときは、映画館へ足を運んでください」と言うことにしていたとのこと。}}に悩まされ、やりづらかったと言い、度々難色を示すほどの苦労{{R|voice star}}もありながらも、幼い頃に親を失った共通点などからドロンの作品に多く共感できることや、30年にもわたって関わり続けてきたことなどから、晩年には「どれだけの人数を吹き替えてきたかわからないけど、アラン・ドロンが(持ち役の中でも)一番やりやすいです」と野沢は答えている{{R|example3}}。過去に[[戸田奈津子]]の仲介でドロン本人と初めて対面した際には「もう少し上手な人に吹き替えてもらいたい」と言われ、当初はお墨付きには至らなかったものの、80年代に執り行われたドロンと会食ができる[[パリ]]観光ツアーでは野沢がドロンと同行しており、その後の両者の関係は良好であったという<ref>アラン・ドロン 生誕75周年記念映画祭 公式パンフレットより</ref>。[[東映]]制作の特撮テレビドラマ作品『[[仮面ライダークウガ]]』(2000年)の第37話では劇中で「アラン・ドロンの声をやっていた人物」として野沢の名前が登場。また、野沢はドロンがダリダとデュエットし、ヒットしたシングル『あまい囁き(Parole Parole)』の日本語版にもドロンのパートを担当する形で参加している。
: 主な担当作品については以下のとおり。テレビ版を含めればほぼすべてだが、ソフト収録作品を列挙する。
** 『[[アラン・ドロンのゾロ]]』
** 『[[エアポート'80]]』
** 『[[お嬢さん、お手やわらかに!]]』
** 『[[高校教師 (1972年の映画)|高校教師]]』
** 『[[冒険者たち]]』
** 『[[ボルサリーノ (映画)|ボルサリーノ]]』
** 『[[レッド・サン]]』
** 『[[ハーフ・ア・チャンス]]』
: など、計20作品がソフトに収録されている。
===その他の担当声優===
:<!-- 箇条書きのスタイル崩壊防止用につき除去しないで下さい -->
;[[堀勝之祐]] '''(かつて代表作を多く担当)'''
: 1969年の『[[木曜洋画劇場]]』で放映された『[[若者のすべて (映画)|若者のすべて]]』以後、1970年代初期に多く担当。現在はリニューアルなどで野沢ドロンになっている作品の多くは当初、堀が吹き替えていた。堀はドロンが抑えた演技をしている作品を担当することが多かったと語り、「彼(ドロン)の演技にふっとのれないことがあった。彼の癖とかも入ってくるんだろうが、割合簡単にのれそうでいて意外と拒否されちゃうところがある。そういうところで僕の場合、演技を作って逃げる事もありました」と告白しており、後に専属となる野沢が担当した作品を観た際には「野沢さんの場合はぴったり合っているようだなあ」と感じたという<ref name = "voice star">{{Cite book|和書 |author=阿部邦雄|year=1978|month= 5|title = 声のスターのすべて TV洋画の人気者 |publisher=[[近代映画社]] |id={{全国書誌番号|79023322}} |ref=harv}}</ref>。野沢の没後である2018年9月22日に[[BSプレミアム]]にて放送された番組『アラン・ドロン ラストメッセージ~映画 人生 そして孤独~』においては朗読部分を担当、『[[さらば友よ (映画)|さらば友よ]]』(TBS版)以来32年ぶりにドロンに扮した。『[[太陽がいっぱい]]』のように堀は準主役の別の役の吹替えを行っているものもある。
:主な担当作品は『[[悪魔のようなあなた]]』、『[[山猫 (映画)|山猫]]』など、計5作品がソフトに収録されている。
『[[さらば友よ (映画)|さらば友よ]]』は、[[KADOKAWA]]から[[2018年]][[5月25日]]に野沢(フジテレビ版)と堀(TBS版)の上記の両者の吹替えを収録したブルーレイが発売されている(思い出の復刻版ブルーレイに同梱のDVDには野沢版のみ収録)。
;[[久富惟晴]] '''(日本テレビでの担当声優)'''
: 主に70年代後期の[[日本テレビ]]系列の洋画劇場で担当。主な担当作品は『[[ボルサリーノ]]1・2』、『[[栗色のマッドレー]]』など。ソフト収録作品には『[[パリは燃えているか]]』、『[[リスボン特急]]』、『[[ル・ジタン]]』がある。
このほか、[[山田康雄]]や[[広川太一郎]]、[[富山敬]]、[[松橋登]]、[[伊武雅刀]]、[[石立鉄男]]、[[横内正]]、[[中野誠也 (俳優)|中野誠也]]、[[井上真樹夫]]、[[井上和彦 (声優)|井上和彦]]、[[山寺宏一]]などが声を当てた作品も存在する。
== 関連項目 ==
*[[リノ・ヴァンチュラ]]
*[[ジャン・ギャバン]]
*[[チャールズ・ブロンソン]]
*[[マリー・ラフォレ]]
*[[ミレーユ・ダルク]]
*[[ルネ・クレマン]]
*[[ニーノ・ロータ]]
== 脚注 ==
=== 注釈 ===
{{reflist|group="注"}}
=== 出典 ===
{{Reflist}}
== 外部リンク ==
{{Commonscat|Alain Delon}}
* {{allcinema name|3943|アラン・ドロン}}
* {{Kinejun name|7107|アラン・ドロン}}
* {{IMDb name|0001128|Alain Delon}}
* {{Discogs artist|Alain Delon|Alain Delon}}
* [http://www.dailymotion.com/video/xw3aar_le-gitan_shortfilmsl Le Gitan]
{{Normdaten}}
{{DEFAULTSORT:とろん あらん}}
[[Category:フランスの軍人]]
[[Category:インドシナ戦争の人物]]
[[Category:20世紀の軍人]]
[[Category:フランスの男優]]
[[Category:フランスの映画プロデューサー]]
[[Category:セザール賞受賞者]]
[[Category:フランス系スイス人]]
[[Category:オー=ド=セーヌ県出身の人物]]
[[Category:20世紀フランスの俳優]]
[[Category:21世紀フランスの俳優]]
[[Category:1935年生]]
[[Category:存命人物]]
|
2003-08-31T11:18:58Z
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|
14,616 |
新板橋駅
|
新板橋駅(しんいたばしえき)は、東京都板橋区板橋一丁目にある、東京都交通局(都営地下鉄)三田線の駅である。駅番号はI 17。
島式ホーム1面2線の地下駅。
西高島平方に引き上げ線を1本持ち、2014年3月15日ダイヤ改正で設定された当駅止まり最終電車は、到着後引き上げ線で夜間留置となる。翌朝は白金高輪行の始発列車として出庫する。非常時には当駅で折り返し運転することがある。
(出典:都営地下鉄:駅構内図)
2022年(令和4年)度の1日平均乗降人員は26,262人(乗車人員:13,152人、降車人員:13,110人)である。
近年の1日平均乗降・乗車人員の推移は下表の通りである。
ホームのある真上に国道17号と首都高速中央環状線が走っている。
駅名の由来は不明であるが、国道17号で石神井川に架かっている新板橋とは地理的に直接的な関係はない。同橋は三田線では板橋区役所前駅と板橋本町駅の間となる。
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新板橋駅(しんいたばしえき)は、東京都板橋区板橋一丁目にある、東京都交通局(都営地下鉄)三田線の駅である。駅番号はI 17。
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{{Otheruses|東京都板橋区にある都営地下鉄の駅|かつて同区にあった東京都電車(都電)の同名の停留場|都電志村線#停留場一覧}}
{{駅情報
|社色 = #009f40
|文字色 =
|駅名 = 新板橋駅
|画像 = Shin-Itabashi-Station-ExitA3.jpg
|pxl = 300px
|画像説明 = A3番出入口(2019年8月)
|よみがな = しんいたばし
|ローマ字 = Shin-itabashi
|副駅名 =
|地図={{maplink2|frame=yes|plain=yes|type=point|type2=point|zoom=14|frame-align=center|frame-width=300|marker=rail-metro|marker2=rail|coord={{coord|35|44|55.6|N|139|43|10.6|E}}|title=新板橋駅|coord2={{coord|35|44|45.7|N|139|43|10.3|E}}|title2=板橋駅|marker-color=006ab8|marker-color2=008000}}下は乗換駅の板橋駅
|前の駅 = I 16 [[西巣鴨駅|西巣鴨]]
|駅間A = 1.0
|駅間B = 0.9
|次の駅 = [[板橋区役所前駅|板橋区役所前]]<br />I 18
|電報略号 = 板(駅名略称)
|駅番号 = {{駅番号r|I|17|#006ab8|4}}<ref name="tokyosubway">[https://www.tokyometro.jp/ 東京地下鉄] 公式サイトから抽出(2019年5月26日閲覧)</ref>
|所属事業者 = [[東京都交通局]]([[都営地下鉄]])
|所属路線 = {{color|#006ab8|●}}<ref name="tokyosubway"/>[[都営地下鉄三田線|三田線]]
|キロ程 = 17.0
|起点駅 = [[目黒駅|目黒]]
|所在地 = [[東京都]][[板橋区]][[板橋 (板橋区)|板橋]]一丁目53-17
|緯度度 = 35 |緯度分 = 44 |緯度秒 = 55.6
|経度度 = 139 |経度分 = 43 |経度秒 = 10.6
|地図国コード = JP
|座標右上表示 = Yes
|駅構造 = [[地下駅]]
|ホーム = 1面2線
|開業年月日 = [[1968年]]([[昭和]]43年)[[12月27日]]
|廃止年月日 =
|乗降人員 = <ref group="都交" name="toei2022" />26,262
|統計年度 = [[2022年]]
|乗換 = {{駅番号r|JA|13|#00ac9a|1}} [[板橋駅]]([[埼京線|JR埼京線]]・[[赤羽線]])<ref name="transfer">{{Cite web|和書|url=https://www.jreast.co.jp/renrakuteiki/pdf/00.pdf|archiveurl=https://web.archive.org/web/20200512081618/https://www.jreast.co.jp/renrakuteiki/pdf/00.pdf|title=●JR線と連絡会社線との乗り換え駅|archivedate=2020-05-12|accessdate=2020-07-26|publisher=東日本旅客鉄道|format=PDF|language=日本語}}</ref>
|備考 = [[直営駅]]
}}
'''新板橋駅'''(しんいたばしえき)は、[[東京都]][[板橋区]][[板橋 (板橋区)|板橋]]一丁目にある、[[東京都交通局]]([[都営地下鉄]])[[都営地下鉄三田線|三田線]]の[[鉄道駅|駅]]である。[[駅ナンバリング|駅番号]]は'''I 17'''。
== 年表 ==
* [[1968年]]([[昭和]]43年)[[12月27日]]:都営地下鉄6号線開業に伴い開業。
* [[1978年]](昭和53年)[[7月1日]]:6号線を三田線に改称。
* [[2007年]]([[平成]]19年)[[3月18日]]:[[ICカード]]「[[PASMO]]」の利用が可能となる<ref>{{Cite press release|和書|url=https://www.tokyu.co.jp/file/061221_1.pdf|archiveurl=https://web.archive.org/web/20200501075147/https://www.tokyu.co.jp/file/061221_1.pdf|format=PDF|language=日本語|title=PASMOは3月18日(日)サービスを開始します ー鉄道23事業者、バス31事業者が導入し、順次拡大してまいりますー|publisher=PASMO協議会/パスモ|date=2006-12-21|accessdate=2020-05-06|archivedate=2020-05-01}}</ref>。
== 駅構造 ==
[[島式ホーム]]1面2線の[[地下駅]]。
[[西高島平駅|西高島平]]方に[[引き上げ線]]を1本持ち<ref name="RJ704_31">{{Cite journal|和書|author=篠澤政一(東京都交通局電車部運転課)|title=輸送と運転|journal=[[鉄道ピクトリアル]]|date=2001-07-10|volume=51|issue=第7号(通巻704号)|page=31|publisher=[[電気車研究会]]|issn=0040-4047}}</ref>、2014年3月15日ダイヤ改正で設定された[[白金高輪駅|白金高輪]]発・当駅止まりの最終電車は、到着後引き上げ線で夜間留置となっていた。2023年3月18日のダイヤ改正をもって前述の最終電車は[[高島平駅|高島平]]行に延長された<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.kotsu.metro.tokyo.jp/subway/timetable/mita/I03ND.html |title=白金高輪 時刻表 |publisher=東京都交通局 |accessdate=2023-12-18}}</ref>が、朝一の当駅[[始発列車|始発]]・白金高輪行の列車は引き続き設定されている。非常時には当駅で折り返し運転することがある。
=== のりば ===
{|class="wikitable"
!番線<!-- 事業者側による呼称 -->!!路線!!行先<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.kotsu.metro.tokyo.jp/subway/timetable/mita/I17SD.html |title=新板橋 時刻表 |publisher=東京都交通局 |accessdate=2023-06-04}}</ref>
|-
! 1
|rowspan=2|[[File:Toei Mita line symbol.svg|15px|I]] 都営三田線
|[[目黒駅|目黒]]・[[File:Tokyu MG line symbol.svg|15px|MG]] [[東急目黒線|東急線]]方面
|-
! 2
|[[西高島平駅|西高島平]]方面
|}
(出典:[https://www.kotsu.metro.tokyo.jp/subway/stations/shin-itabashi.html 都営地下鉄:駅構内図])
<gallery>
Toei-Shin-Itabashi-STA A2-Exit.jpg|A2番出入口(2021年9月)
Shin-Itabashi-STA Gate.jpg|JR板橋駅・滝野川方面改札口(2021年5月)
Toei-Shin-Itabashi-STA Itabashi1-Gate.jpg|板橋1丁目方面改札口(2021年9月)
Shin-Itabashi-STA Ticket-vending machine.jpg|切符売り場(2021年5月)
Toei-Shin-Itabashi-STA Home.jpg|ホーム(2021年9月)
</gallery>
== 利用状況 ==
[[2022年]](令和4年)度の1日平均[[乗降人員|'''乗降'''人員]]は'''26,262人'''([[乗降人員#乗車人員|乗車人員]]:13,152人、[[乗降人員#降車人員|降車人員]]:13,110人)である<ref group="都交" name="toei2022" />。
近年の1日平均乗降・乗車人員の推移は下表の通りである。
<!--東京都統計年鑑を出典にしている数値については、元データが1,000人単位で掲載されているため、*1000/365 (or 366) で計算してあります-->
{|class="wikitable" style="text-align:right; font-size:85%;"
|+年度別1日平均乗降・乗車人員<ref>[http://www.city.itabashi.tokyo.jp/c_categories/index01001006.html 板橋区の統計] - 板橋区</ref>
!年度
!1日平均<br />乗降人員<ref>[https://www.train-media.net/report.html レポート] - 関東交通広告協議会</ref>
!1日平均<br />乗車人員<ref>[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/tn-index.htm 東京都統計年鑑] - 東京都</ref>
!出典
|-
|1990年(平成{{0}}2年)
|
|11,808
|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1990/tn90qyti0510u.htm 東京都統計年鑑(平成2年)]</ref>
|-
|1991年(平成{{0}}3年)
|
|12,046
|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1991/tn91qyti0510u.htm 東京都統計年鑑(平成3年)]</ref>
|-
|1992年(平成{{0}}4年)
|
|12,205
|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1992/TOBB510P.HTM 東京都統計年鑑(平成4年)]</ref>
|-
|1993年(平成{{0}}5年)
|
|12,288
|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1993/TOBB510Q.HTM 東京都統計年鑑(平成5年)]</ref>
|-
|1994年(平成{{0}}6年)
|
|12,153
|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1994/TOBB510R.HTM 東京都統計年鑑(平成6年)]</ref>
|-
|1995年(平成{{0}}7年)
|
|11,448
|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1995/TOBB510S.HTM 東京都統計年鑑(平成7年)]</ref>
|-
|1996年(平成{{0}}8年)
|
|11,364
|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1996/TOBB510T.HTM 東京都統計年鑑(平成8年)]</ref>
|-
|1997年(平成{{0}}9年)
|
|11,455
|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1997/TOBB510U.HTM 東京都統計年鑑(平成9年)]</ref>
|-
|1998年(平成10年)
|
|11,403
|<ref group="*">{{PDFlink|[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1998/TOBB510J.PDF 東京都統計年鑑(平成10年)]}}</ref>
|-
|1999年(平成11年)
|
|11,016
|<ref group="*">{{PDFlink|[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1999/TOBB510K.PDF 東京都統計年鑑(平成11年)]}}</ref>
|-
|2000年(平成12年)
|
|10,995
|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2000/00qyti0510u.htm 東京都統計年鑑(平成12年)]</ref>
|-
|2001年(平成13年)
|
|11,241
|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2001/01qyti0510u.htm 東京都統計年鑑(平成13年)]</ref>
|-
|2002年(平成14年)
|
|11,496
|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2002/tn02qyti0510u.htm 東京都統計年鑑(平成14年)]</ref>
|-
|2003年(平成15年)
|23,167
|11,478
|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2003/tn03qyti0510u.htm 東京都統計年鑑(平成15年)]</ref>
|-
|2004年(平成16年)
|23,245
|11,534
|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2004/tn04qyti0510u.htm 東京都統計年鑑(平成16年)]</ref>
|-
|2005年(平成17年)
|23,370
|11,586
|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2005/tn05qyti0510u.htm 東京都統計年鑑(平成17年)]</ref>
|-
|2006年(平成18年)
|23,479
|11,651
|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2006/tn06qyti0510u.htm 東京都統計年鑑(平成18年)]</ref>
|-
|2007年(平成19年)
|24,207
|11,981
|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2007/tn07qyti0510u.htm 東京都統計年鑑(平成19年)]</ref>
|-
|2008年(平成20年)
|24,456
|12,104
|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2008/tn08qyti0510u.htm 東京都統計年鑑(平成20年)]</ref>
|-
|2009年(平成21年)
|24,178
|11,997
|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2009/tn09q3i004.htm 東京都統計年鑑(平成21年)]</ref>
|-
|2010年(平成22年)
|24,598
|12,223
|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2010/tn10q3i004.htm 東京都統計年鑑(平成22年)]</ref>
|-
|2011年(平成23年)
|24,956
|12,410
|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2011/tn11q3i004.htm 東京都統計年鑑(平成23年)]</ref>
|-
|2012年(平成24年)
|26,227
|13,032
|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2012/tn12q3i004.htm 東京都統計年鑑(平成24年)]</ref>
|-
|2013年(平成25年)
|27,292
|13,588
|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2013/tn13q3i004.htm 東京都統計年鑑(平成25年)]</ref>
|-
|2014年(平成26年)
|27,844
|13,855
|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2014/tn14q3i004.htm 東京都統計年鑑(平成26年)]</ref>
|-
|2015年(平成27年)
|28,697
|14,272
|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2015/tn15q3i004.htm 東京都統計年鑑(平成27年)]</ref>
|-
|2016年(平成28年)
|29,564
|14,716
|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2016/tn16q3i004.htm 東京都統計年鑑(平成28年)]</ref>
|-
|2017年(平成29年)
|30,711
|15,304
|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2017/tn17q3i004.htm 東京都統計年鑑(平成29年)]</ref>
|-
|2018年(平成30年)
|30,973
|15,439
|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2018/tn18q3i004.htm 東京都統計年鑑(平成30年)]</ref>
|-
|2019年(令和元年)
|30,233
|15,089
|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2019/tn19q3i004.htm 東京都統計年鑑(平成31年・令和元年)]</ref>
|-
|2020年(令和{{0}}2年)
|23,239
|11,604
|
|-
|2020年(令和{{0}}2年)
|<ref group="都交" name="toei2020">{{Cite web|和書|url=https://www.kotsu.metro.tokyo.jp/subway/kanren/passengers.html |title=各駅乗降人員一覧|東京都交通局 |website= |publisher=東京都交通局 |accessdate=2022-11-13 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20211104153832/https://www.kotsu.metro.tokyo.jp/subway/kanren/passengers.html |archivedate=2021-11-04 |deadlinkdate=2022-11-12}}</ref>23,239
|<ref group="都交" name="toei2020" />11,604
|
|-
|2021年(令和{{0}}3年)
|<ref group="都交" name="toei2021">{{Cite web|和書|url=https://www.kotsu.metro.tokyo.jp/subway/kanren/passengers.html |title=各駅乗降人員一覧|東京都交通局 |website= |publisher=東京都交通局 |accessdate=2022-11-13 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20221112011444/https://www.kotsu.metro.tokyo.jp/subway/kanren/passengers.html |archivedate=2022-11-12 |deadlinkdate=}}</ref>24,331
|<ref group="都交" name="toei2021" />12,173
|
|-
|2022年(令和{{0}}4年)
|<ref group="都交" name="toei2022">{{Cite report |url=https://www.kotsu.metro.tokyo.jp/about/information/statistics/pdf/statistics_2022_03.pdf |title=令和4年度 運輸統計年報 |website= |publisher=東京都交通局 |format=pdf |accessdate=2023-11-03 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20231102231721/https://www.kotsu.metro.tokyo.jp/about/information/statistics/pdf/statistics_2022_03.pdf |archivedate=2023-11-03 }}</ref>26,262
|<ref group="都交" name="toei2022" />13,152
|
|}
== 駅周辺 ==
ホームのある真上に[[国道17号]]と[[首都高速中央環状線]]が走っている。
=== A1出入口 ===
* [[東京国際フランス学園]]
* 家具年金会館
* 首都高速中央環状線 [[新板橋出口]]
=== A2出入口 ===
* [[東日本旅客鉄道]](JR東日本)[[埼京線]](正式には[[赤羽線]]) [[板橋駅]]
: 改札を出て5分程度。かつて三田線での乗換案内は行われていなかったが、定期券での[[連絡運輸]]は従前より行っており<ref name="transfer"/>、2018年の放送更新時より正式に乗換案内がなされるようになった。ただし、JR東日本側では乗換駅として案内されていない<ref>[https://www.jreast.co.jp/estation/station/info.aspx?StationCd=132 JR東日本:駅の情報(板橋駅)]</ref>。これは[[秋葉原駅]]と[[岩本町駅]]のケースと類似している。埼京線または三田線で運行トラブルが生じた際は、[[振替輸送]]の対象駅として案内される。
* [[きらぼし銀行]] 板橋支店
* [[都市再生機構|UR都市機構]] 板橋ビュータワー
* 首都高速中央環状線 [[滝野川入口]]
=== A3出入口 ===
* [[東武東上本線|東武東上線]] [[下板橋駅]](徒歩約10分)
* [[三菱UFJ銀行]] 板橋支店・新板橋支店
* [[東京都立北園高等学校]]
== 名称について ==
駅名の由来は不明であるが、[[国道17号]]で[[石神井川]]に架かっている[[新板橋]]とは地理的に直接的な関係はない。同橋は三田線では[[板橋区役所前駅]]と[[板橋本町駅]]の間となる。
== 隣の駅 ==
; 東京都交通局(都営地下鉄)
: [[File:Toei Mita line symbol.svg|15px|I]] 都営三田線
:: [[西巣鴨駅]] (I 16) - '''新板橋駅 (I 17)''' - [[板橋区役所前駅]] (I 18)
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 出典 ===
{{Reflist}}
;東京都統計年鑑
{{Reflist|group="*"|22em}}
;東京都交通局 各駅乗降人員
{{Reflist|group="都交"|3}}
== 関連項目 ==
{{commonscat|Shin-Itabashi Station}}
* [[日本の鉄道駅一覧]]
== 外部リンク ==
* [https://www.kotsu.metro.tokyo.jp/subway/stations/shin-itabashi.html 新板橋駅 | 都営地下鉄 | 東京都交通局]
{{都営地下鉄三田線}}
{{DEFAULTSORT:しんいたはし}}
[[Category:板橋区の鉄道駅]]
[[Category:日本の鉄道駅 し|んいたはし]]
[[Category:都営地下鉄の鉄道駅]]
[[Category:1968年開業の鉄道駅]]
[[Category:板橋 (板橋区)]]
|
2003-08-31T11:30:09Z
|
2023-12-18T03:37:03Z
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E6%9D%BF%E6%A9%8B%E9%A7%85
|
14,617 |
西巣鴨駅
|
西巣鴨駅(にしすがもえき)は、東京都豊島区西巣鴨三丁目にある、東京都交通局(都営地下鉄)三田線の駅である。駅番号はI 16。
島式ホーム1面2線の地下駅。エスカレーターとエレベーター(A4出口 - 改札階と改札階 - ホーム階の2基)が設置されている。
かつては巣鴨寄りにも改札口が存在し、ホームへのエスカレーター、階段で行き来することができた。改札口以外の設備は現在も残っているが、コンコース・ホーム上ともシャッターで塞がれ、非常口として使用されているため、通常はホーム上の階段躯体以外を見ることはできない。当駅の地下1階部は西側は共同溝として使用しており、東側部分のみ駅施設として使用している。
(出典:都営地下鉄:駅構内図)
2022年(令和4年)度の1日平均乗降人員は26,467人(乗車人員:13,433人、降車人員:13,034人)である。
各年度の1日平均乗降・乗車人員数の推移は下表の通り。
最寄りの停留所は「西巣鴨」で、東京都交通局により運行されている。
|
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西巣鴨駅(にしすがもえき)は、東京都豊島区西巣鴨三丁目にある、東京都交通局(都営地下鉄)三田線の駅である。駅番号はI 16。
|
{{Otheruses|東京都豊島区にある都営地下鉄の駅|かつて同区にあった東京都電車(都電)の同名の停留場|都電志村線#停留場一覧}}
{{駅情報
|社色 = #009f40
|文字色 =
|駅名 = 西巣鴨駅
|画像 = Nishi-sugamo-station-ExitA1.jpg
|pxl = 300px
|画像説明 = A1番出入口(2019年8月27日撮影)
|地図 = {{maplink2|frame=yes|zoom=15|frame-width=300|plain=yes|frame-align=center
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|coord={{coord|35|44|36.6|N|139|43|43.4|E}}|marker-color=006ab8|title=西巣鴨駅
|coord2={{coord|35|44|28.8|N|139|43|49.6|E}}|marker-color2=ee86a7|title2=新庚申塚停留場
}}右下は新庚申塚停留場
|よみがな = にしすがも
|ローマ字 = Nishi-sugamo
|副駅名 =
|前の駅 = I 15 [[巣鴨駅|巣鴨]]
|駅間A = 1.4
|駅間B = 1.0
|次の駅 = [[新板橋駅|新板橋]] I 17
|電報略号 = 西<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.kotsu.metro.tokyo.jp/about/contract/pdf/short_course_text.pdf|title=安全施工管理責任者講習会テキスト|accessdate=2021-05-14|publisher=東京都交通局|format=PDF|language=日本語}}</ref>(駅名略称)
|駅番号 = {{駅番号r|I|16|#006ab8|4}}<ref name="tokyosubway">[https://www.tokyometro.jp/ 東京地下鉄] 公式サイトから抽出(2019年5月26日閲覧)</ref>
|所属事業者 = [[東京都交通局]]([[都営地下鉄]])
|所属路線 = {{color|#006ab8|●}}<ref name="tokyosubway"/>[[都営地下鉄三田線|三田線]]
|キロ程 = 16.0
|起点駅 = [[目黒駅|目黒]]
|所在地 = [[東京都]][[豊島区]][[西巣鴨]]三丁目25-13
|緯度度 = 35 |緯度分 = 44 |緯度秒 = 36.6
|経度度 = 139 |経度分 = 43 |経度秒 = 43.4
|地図国コード = JP
|座標右上表示 = Yes
|駅構造 = [[地下駅]]
|ホーム = 1面2線
|開業年月日 = [[1968年]]([[昭和]]43年)[[12月27日]]
|廃止年月日 =
|乗降人員 = <ref group="都交" name="toei2022" />26,467
|統計年度 = [[2022年]]
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|備考 = かつての副名称は「大正大学前」
}}
[[File:Toei-subway-I16-Nishi-sugamo-station-platform-20181214-132155.jpg|thumb|240px|ホーム(2018年12月14日)]]
'''西巣鴨駅'''(にしすがもえき)は、[[東京都]][[豊島区]][[西巣鴨]]三丁目にある、[[東京都交通局]]([[都営地下鉄]])[[都営地下鉄三田線|三田線]]の[[鉄道駅|駅]]である。[[駅ナンバリング|駅番号]]は'''I 16'''。
== 年表 ==
* [[1968年]]([[昭和]]43年)[[12月27日]]:都営地下鉄6号線の駅として開業。
* [[1978年]](昭和53年)[[7月1日]]:都営地下鉄6号線を都営地下鉄三田線に改称。
* [[2007年]]([[平成]]19年)[[3月18日]]:[[ICカード]]「[[PASMO]]」の利用が可能となる<ref>{{Cite press release|和書|url=https://www.tokyu.co.jp/file/061221_1.pdf|archiveurl=https://web.archive.org/web/20200501075147/https://www.tokyu.co.jp/file/061221_1.pdf|format=PDF|language=日本語|title=PASMOは3月18日(日)サービスを開始します ー鉄道23事業者、バス31事業者が導入し、順次拡大してまいりますー|publisher=PASMO協議会/パスモ|date=2006-12-21|accessdate=2020-05-06|archivedate=2020-05-01}}</ref>。
== 駅構造 ==
[[島式ホーム]]1面2線の[[地下駅]]。[[エスカレーター]]と[[エレベーター]](A4出口 - 改札階と改札階 - ホーム階の2基)が設置されている。
かつては巣鴨寄りにも改札口が存在し、ホームへのエスカレーター、階段で行き来することができた。改札口以外の設備は現在も残っているが、コンコース・ホーム上ともシャッターで塞がれ、非常口として使用されているため、通常はホーム上の階段躯体以外を見ることはできない<ref group="注釈">[https://www.kotsu.metro.tokyo.jp/about/safety/pdf/railwaybusiness_30.pdf 東京都交通局安全報告書]の中で、旧改札口跡を利用し不審物対処訓練を行う様子が写真掲載されている。</ref>。当駅の地下1階部は西側は[[共同溝]]として使用しており、東側部分のみ駅施設として使用している<ref name="PICT1969-2">鉄道図書刊行会『鉄道ピクトリアル』1969年2月号「都営地下鉄第6号線 巣鴨 - 志村間開通」p.60。</ref>。
=== のりば ===
{|class="wikitable"
!番線<!-- 事業者側による呼称 -->!!路線!!行先<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.kotsu.metro.tokyo.jp/subway/timetable/mita/I16SD.html |title=西巣鴨 時刻表 |publisher=東京都交通局 |accessdate=2023-06-04}}</ref>
|-
! 1
|rowspan="2"|[[File:Toei Mita line symbol.svg|15px|I]] 都営三田線
|[[目黒駅|目黒]]・[[File:Tokyu MG line symbol.svg|15px|MG]] [[東急目黒線|東急線]]方面
|-
! 2
|[[西高島平駅|西高島平]]方面
|}
(出典:[https://www.kotsu.metro.tokyo.jp/subway/stations/nishi-sugamo.html 都営地下鉄:駅構内図])
== 利用状況 ==
[[2022年]](令和4年)度の1日平均[[乗降人員|'''乗降'''人員]]は'''26,467人'''([[乗降人員#乗車人員|乗車人員]]:13,433人、[[乗降人員#降車人員|降車人員]]:13,034人)である<ref group="都交" name="toei2022" />。
各年度の1日平均'''乗降・乗車'''人員数の推移は下表の通り。
<!--東京都統計年鑑を出典にしている数値については、元データが1,000人単位で掲載されているため、*1000/365 (or 366) で計算してあります-->
{|class="wikitable" style="text-align:right; font-size:85%;"
|+年度別1日平均乗降・乗車人員<ref>[http://www.city.toshima.lg.jp/kuse/gaiyo/jinko/toke-02/index.html としまの統計] - 豊島区</ref>
!年度
!1日平均<br />乗降人員<ref>[https://www.train-media.net/report.html レポート] - 関東交通広告協議会</ref>
!1日平均<br />乗車人員<ref>[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/tn-index.htm 東京都統計年鑑] - 東京都</ref>
!出典
|-
|1990年(平成{{0}}2年)
|
|11,986
|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1990/tn90qyti0510u.htm 東京都統計年鑑(平成2年)]</ref>
|-
|1991年(平成{{0}}3年)
|
|12,235
|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1991/tn91qyti0510u.htm 東京都統計年鑑(平成3年)]</ref>
|-
|1992年(平成{{0}}4年)
|
|12,301
|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1992/TOBB510P.HTM 東京都統計年鑑(平成4年)]</ref>
|-
|1993年(平成{{0}}5年)
|
|12,499
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|-
|1994年(平成{{0}}6年)
|
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|-
|1995年(平成{{0}}7年)
|
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|-
|1996年(平成{{0}}8年)
|
|10,995
|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1996/TOBB510T.HTM 東京都統計年鑑(平成8年)]</ref>
|-
|1997年(平成{{0}}9年)
|
|10,586
|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1997/TOBB510U.HTM 東京都統計年鑑(平成9年)]</ref>
|-
|1998年(平成10年)
|
|10,581
|<ref group="*">{{PDFlink|[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1998/TOBB510J.PDF 東京都統計年鑑(平成10年)]}}</ref>
|-
|1999年(平成11年)
|
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|-
|2000年(平成12年)
|
|10,299
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|-
|2001年(平成13年)
|
|10,416
|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2001/01qyti0510u.htm 東京都統計年鑑(平成13年)]</ref>
|-
|2002年(平成14年)
|
|10,605
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|-
|2003年(平成15年)
|20,683
|10,590
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|-
|2004年(平成16年)
|20,757
|10,655
|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2004/tn04qyti0510u.htm 東京都統計年鑑(平成16年)]</ref>
|-
|2005年(平成17年)
|21,077
|10,811
|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2005/tn05qyti0510u.htm 東京都統計年鑑(平成17年)]</ref>
|-
|2006年(平成18年)
|21,465
|11,008
|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2006/tn06qyti0510u.htm 東京都統計年鑑(平成18年)]</ref>
|-
|2007年(平成19年)
|22,165
|11,292
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|-
|2008年(平成20年)
|22,528
|11,507
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|-
|2009年(平成21年)
|22,693
|11,583
|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2009/tn09q3i004.htm 東京都統計年鑑(平成21年)]</ref>
|-
|2010年(平成22年)
|23,304
|11,874
|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2010/tn10q3i004.htm 東京都統計年鑑(平成22年)]</ref>
|-
|2011年(平成23年)
|23,612
|12,058
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|-
|2012年(平成24年)
|24,857
|12,587
|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2012/tn12q3i004.htm 東京都統計年鑑(平成24年)]</ref>
|-
|2013年(平成25年)
|26,641
|13,521
|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2013/tn13q3i004.htm 東京都統計年鑑(平成25年)]</ref>
|-
|2014年(平成26年)
|27,322
|13,831
|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2014/tn14q3i004.htm 東京都統計年鑑(平成26年)]</ref>
|-
|2015年(平成27年)
|28,325
|14,321
|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2015/tn15q3i004.htm 東京都統計年鑑(平成27年)]</ref>
|-
|2016年(平成28年)
|28,807
|14,577
|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2016/tn16q3i004.htm 東京都統計年鑑(平成28年)]</ref>
|-
|2017年(平成29年)
|30,037
|15,198
|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2017/tn17q3i004.htm 東京都統計年鑑(平成29年)]</ref>
|-
|2018年(平成30年)
|30,549
|15,468
|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2018/tn18q3i004.htm 東京都統計年鑑(平成30年)]</ref>
|-
|2019年(令和元年)
|30,335
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|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2019/tn19q3i004.htm 東京都統計年鑑(平成31年・令和元年)]</ref>
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|2020年(令和{{0}}2年)
|<ref group="都交" name="toei2020">{{Cite web|和書|url=https://www.kotsu.metro.tokyo.jp/subway/kanren/passengers.html |title=各駅乗降人員一覧|東京都交通局 |website= |publisher=東京都交通局 |accessdate=2022-11-13 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20211104153832/https://www.kotsu.metro.tokyo.jp/subway/kanren/passengers.html |archivedate=2021-11-04 |deadlinkdate=2022-11-12}}</ref>20,630
|<ref group="都交" name="toei2020" />10,465
|
|-
|2021年(令和{{0}}3年)
|<ref group="都交" name="toei2021">{{Cite web|和書|url=https://www.kotsu.metro.tokyo.jp/subway/kanren/passengers.html |title=各駅乗降人員一覧|東京都交通局 |website= |publisher=東京都交通局 |accessdate=2022-11-13 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20221112011444/https://www.kotsu.metro.tokyo.jp/subway/kanren/passengers.html |archivedate=2022-11-12 |deadlinkdate=}}</ref>23,246
|<ref group="都交" name="toei2021" />11,794
|
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|2022年(令和{{0}}4年)
|<ref group="都交" name="toei2022">{{Cite report |url=https://www.kotsu.metro.tokyo.jp/about/information/statistics/pdf/statistics_2022_03.pdf |title=令和4年度 運輸統計年報 |website= |publisher=東京都交通局 |format=pdf |accessdate=2023-11-03 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20231102231721/https://www.kotsu.metro.tokyo.jp/about/information/statistics/pdf/statistics_2022_03.pdf |archivedate=2023-11-03 }}</ref>26,467
|<ref group="都交" name="toei2022" />13,433
|
|}
== 駅周辺 ==
* [[都電荒川線]](東京さくらトラム) [[新庚申塚停留場]] - 約250メートル南東にあり、連絡駅として案内されている。
* [[大正大学]]
* [[巣鴨中学校・高等学校]]
* [[淑徳巣鴨中学校・高等学校]]
* [[桜丘中学・高等学校 (東京都)|桜丘中学校・高等学校]]
* [[国道17号]]([[白山通り]])
* [[国道122号]](明治通り)
* [[東京都道305号芝新宿王子線]](明治通り)
* [[首都高速中央環状線]]
== バス路線 ==
最寄りの停留所は「'''西巣鴨'''」で、[[都営バス|東京都交通局]]により運行されている。
*1番乗り場
** [[都営バス北営業所#王40甲・丙系統|王40甲]]・王40出入・[[都営バス北営業所#王55・深夜11系統|王55]]・[[都営バス巣鴨営業所#草63・草64系統|草63]]・草64 - [[池袋駅]]東口行
** 草63-2 - [[豊島区役所|東池袋一丁目]]行(池袋駅東口経由)
*2番乗り場(全路線[[王子駅]]経由)
** 王40甲 - [[西新井駅]]行
** 王40甲・深夜02 - [[豊島 (東京都北区)|豊島五丁目団地]]
** 王40出入 - [[都営バス北営業所|北車庫]]行
** 王55 - [[新田 (足立区)|新田一丁目]]行
** 草64 - [[浅草駅|浅草雷門南]]行([[新三河島駅]]経由)
*3番乗り場
** 草63 - [[田原町駅 (東京都)|浅草寿町]]行([[巣鴨駅]]・[[西日暮里駅]]経由)
** 草63・草63-2・草64 - [[高岩寺|とげぬき地蔵]]行
== 隣の駅 ==
; 東京都交通局(都営地下鉄)
: [[File:Toei Mita line symbol.svg|15px|I]] 都営三田線
:: [[巣鴨駅]] (I 15) - '''西巣鴨駅 (I 16)''' - [[新板橋駅]] (I 17)
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Notelist}}
=== 出典 ===
{{Reflist}}
;東京都統計年鑑
{{Reflist|group="*"|22em}}
;東京都交通局 各駅乗降人員
{{Reflist|group="都交"|3}}
== 関連項目 ==
{{commonscat|Nishi-Sugamo Station}}
* [[日本の鉄道駅一覧]]
== 外部リンク ==
* [https://www.kotsu.metro.tokyo.jp/subway/stations/nishi-sugamo.html 西巣鴨駅 | 都営地下鉄 | 東京都交通局]
{{都営地下鉄三田線}}
{{デフォルトソート:にしすかも}}
[[Category:豊島区の鉄道駅]]
[[Category:日本の鉄道駅 に|しすかも]]
[[Category:都営地下鉄の鉄道駅]]
[[Category:1968年開業の鉄道駅]]
[[Category:巣鴨|にしすかもえき]]
|
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徳間記念アニメーション文化財団
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公益財団法人徳間記念アニメーション文化財団(こうえきざいだんほうじんとくまんきねんアニメーションぶんかざいだん)は、三鷹の森ジブリ美術館(三鷹市立アニメーション美術館)を管理・運営する公益財団法人である。
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公益財団法人徳間記念アニメーション文化財団(こうえきざいだんほうじんとくまんきねんアニメーションぶんかざいだん)は、三鷹の森ジブリ美術館(三鷹市立アニメーション美術館)を管理・運営する公益財団法人である。
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{{基礎情報 非営利団体
|名称 = 公益財団法人徳間記念アニメーション文化財団<br/>The Tokuma Memorial Cultural Foundation for Animation
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|画像説明 =
|創立者 =
|団体種類 = [[公益財団法人]]
|設立 = 2011年4月1日
|所在地 = [[東京都]][[三鷹市]][[下連雀]]一丁目1番83号
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|経度度 = |経度分 = |経度秒 =
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|起源 = 財団法人徳間記念アニメーション文化財団<br/>(2001年9月10日-2011年3月31日)
|主要人物 = [[宮崎駿|宮﨑駿]](代表理事理事長)<br/>[[河村孝 (政治家)|河村孝]](代表理事副理事長)<br/>[[鈴木敏夫]](代表理事副理事長)
|活動地域 =
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|主眼 = アニメーション文化の発展の一助となり、心豊かな社会の形成に寄与すること。
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|活動手段 =
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|基本財産 = 5億3,316万1,337円(2015年3月31日現在)
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|従業員数 = 14名
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|子団体 =
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|ウェブサイト = http://www.ghibli-museum.jp/about/
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|特記事項 =
}}
'''公益財団法人徳間記念アニメーション文化財団'''(こうえきざいだんほうじんとくまんきねんアニメーションぶんかざいだん)は、[[三鷹の森ジブリ美術館]](三鷹市立アニメーション美術館)を管理・運営する[[公益財団法人]]である。
==概要==
*所在地:[[東京都]][[三鷹市]][[下連雀]]1-1-83 (三鷹の森ジブリ美術館内)
*設立:2011年4月1日
*出捐者:[[徳間書店]]、[[日本テレビ放送網]]、[[三鷹市]]
==外部リンク==
*[http://www.ghibli-museum.jp/about/ 三鷹の森ジブリ美術館 - 公益財団法人の概要]
*[http://www.ghibli-museum.jp/about_museum/kiyou2006.pdf 財団法人徳間記念アニメーション文化財団年報2005-2006(平成17年度)]
*[http://www.ghibli-museum.jp/about_museum/josei2006.pdf 財団法人徳間記念アニメーション文化財団年報2005−2006.別冊.平成16年度アニメーション文化調査研究活動助成制度 研究成果発表]
*[http://www.ghibli-museum.jp/about_museum/kiyou2005.pdf 財団法人徳間記念アニメーション文化財団年報2004-2005(平成16年度)]
*[http://www.ghibli-museum.jp/about_museum/jigyo2006.pdf 平成18年度 事業計画書]
*[http://www.ghibli-museum.jp/about_museum/jigyo2005.pdf 平成17年度 事業計画書]
*[http://www.ghibli-museum.jp/about_museum/yosan2006.pdf 平成18年度 収支予算書 総括表]
*[http://www.ghibli-museum.jp/about_museum/yosan2005.pdf 平成17年度 収支予算書 総括表]
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徳間書店
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株式会社徳間書店(とくましょてん、英: Tokuma Shoten Publishing Co., Ltd.)は、日本の出版社。カルチュア・エンタテインメントの子会社、カルチュア・コンビニエンス・クラブの連結グループ会社。エンタテインメント分野が中心。
第二次世界大戦終結直後、言論統制の反動からか雨後の筍の如く勃興した新興新聞社の一つで、読売新聞社出身の竹井博友が1946年(昭和21年)に興した「アサヒ芸能新聞社」が源流。芸能とゴシップ記事を中心とした『アサヒ芸能新聞』を発行していた。竹井自身は新聞界への情熱は持っていたようで、1953年、東京で一般紙『日東新聞』を創刊している。しかし、この『日東新聞』創刊が裏目に出て、1954年にはアサヒ芸能新聞社の業績は急激に悪化。竹井は遂に撤退を余儀なくされてしまう。後を引き受けたのが、同じ読売新聞社の出身で竹井の同僚の徳間康快である。
徳間は竹井に請われて同社の役員になった関係で残務処理に当たっていた。この時の徳間の姿勢に債権者・従業員・取引先のほとんどが親近感を覚え、「会社をたたむより徳間の手で是非再建を」との声が各方面からおこり、同1954年3月に徳間は「東西芸能出版社」をおこして、休刊していた『アサヒ芸能新聞』を再刊した。
1956年『アサヒ芸能新聞』を雑誌『週刊アサヒ芸能』に切り替えたが、これは非新聞系の週刊誌として『週刊新潮』と歩調を合わせての創刊であり、徳間は新潮社の佐藤義助から声をかけられていた。東西芸能出版社は1958年「アサヒ芸能出版社」と改称して再起を期した。1961年4月にアサヒ芸能出版の書籍部門を徳間書店として分離設立したが、やがてアサヒ芸能出版は一般書籍にも進出することとなったため、1967年4月に両社が合併し、アサヒ芸能出版を存続会社として、社名を「徳間書店」に改称した。
太平住宅からミノルフォン株式会社(旧・太平音響)を買収し、徳間音楽工業(のち徳間ジャパン)に改組し音楽業界に参入。倒産した大映の経営も引き受け、同社を再建。さらに、業績が悪化していた『東京タイムズ』を買収して古巣の新聞業界にも参入した。出版社の音楽業界参入は既に講談社が戦前から行ってはいたが、映画事業への参入は角川書店よりも早かった。また新聞事業の参入は、やはり徳間も新聞社出身だったこともあるが、講談社の『日刊ゲンダイ』の成功が刺激となったようである。この『東京タイムズ』は朝日新聞販売店に販売を委託していたが、朝刊紙だったこともあり部数が伸びず廃刊となっている。
そして、アニメブームに乗って発刊した雑誌『アニメージュ』が契機となり、宮崎駿・高畑勲を擁するスタジオジブリを設立。日本のアニメ界の発展に多大な功績を残した。また1991年にはダイヤルQ2のパイオニア事業者だったダイヤルキューネットワークの事業譲渡を受け徳間インテリジェンスネットワークを設立している。
しかし、長年の拡大志向経営がたたりバブル崩壊が引き金となって、経営が大きく傾いて住友銀行(旧・平和相互銀行、後の三井住友銀行)の管理下に置かれる。それでもなお徳間は社長の座を手放さず、磯田一郎続く巽外夫率いる住友銀行と激しく渡り合って会社を巧みに存続させた。負債総額は、グループ全体で最大1300億円に達したともいわれる。
2000年9月20日、徳間康快が急死。徳間の死後、徳間ジャパンコミュニケーションズは2001年10月に第一興商へ売却され、大映は2002年11月に角川書店(現・KADOKAWA)へ全営業権を売却して解散、新橋の旧社屋は、2003年に資生堂へ売却されて「汐留FSビル」と改められ、併設の徳間ホールも「スペースFS汐留」となった。
2005年4月に徳間書店の徳間書店事業本部とスタジオジブリ事業本部を「株式会社徳間書店」と「株式会社スタジオジブリ」に分離独立させ、旧社は債務整理に当たる「株式会社芝ホールディングス」(2006年9月会社解散)に商号変更をした。
2013年10月にカルチュア・コンビニエンス・クラブ及びその出版事業子会社のカルチュア・エンタテインメントと業務・資本提携。2014年12月に代表取締役社長の平野健一がカルチュア・エンタテインメントの社外取締役に就任。2015年4月ネコ・パブリッシングと共同出資で共同販売業務委託会社株式会社C-パブリッシングサービスを設立。2017年3月21日付でカルチュア・エンタテインメントが株式を追加取得し出資比率を9割超に引き上げ子会社化した。
2018年2月本社を東京都品川区上大崎3丁目1番地へ移転。
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株式会社徳間書店は、日本の出版社。カルチュア・エンタテインメントの子会社、カルチュア・コンビニエンス・クラブの連結グループ会社。エンタテインメント分野が中心。
|
{{Pathnav|カルチュア・コンビニエンス・クラブ|カルチュア・エンタテインメント|frame=2}}
{{基礎情報 会社
| 社名 = 株式会社徳間書店
| 英文社名 = Tokuma Shoten Publishing Co., Ltd.
| ロゴ =
| 画像 = Meguro.jpg
| 画像説明 = 本社の入る[[目黒セントラルスクエア]]
| 種類 = [[株式会社 (日本)|株式会社]]
| 市場情報 =
| 略称 = 徳間
| 国籍 = {{JPN}}
| 本社郵便番号 = 141-8202
| 本社所在地 = [[東京都]][[品川区]][[上大崎]]3丁目1番1号<br />目黒セントラルスクエア
| 本店郵便番号 =
| 本店所在地 =
| 設立 = [[1954年]][[3月19日]]<br />(株式会社東西芸能出版社)
| 業種 = 情報・通信業
| 統一金融機関コード =
| 事業内容 = [[出版]]・[[編集]]
| 代表者 = 代表取締役社長 小宮英行
| 資本金 = 1億円
| 売上高 = 80億円
| 営業利益 =
| 経常利益 =
| 純利益 = 2億8087万6000円(2021年03月31日時点)<ref name="fy">[https://catr.jp/settlements/56261/210574 株式会社徳間書店 第23期決算公告]</ref>
| 純資産 =
| 総資産 = 35億8698万7000円(2021年03月31日時点)<ref name="fy" />
| 従業員数 = 112名(2021年4月1日時点)
| 決算期 = [[3月31日|3月末日]]
| 主要株主 = [[カルチュア・エンタテインメント]]株式会社
| 主要子会社 =
| 関係する人物 =
| 外部リンク = https://www.tokuma.jp/
| 特記事項 = 現法人は(旧)徳間書店を[[新旧分離]]して新規設立したもの
}}
'''株式会社徳間書店'''(とくましょてん、{{lang-en-short|Tokuma Shoten Publishing Co., Ltd.}})は、[[日本]]の[[出版社]]。[[カルチュア・エンタテインメント]]の子会社、[[カルチュア・コンビニエンス・クラブ]]の連結グループ会社。[[エンタテインメント]]分野が中心。
== 沿革 ==
{{独自研究|section=1|date=2022年6月}}
第二次世界大戦終結直後、[[言論統制]]の反動からか雨後の筍の如く勃興した新興新聞社の一つで、読売新聞社出身の[[竹井博友]]が[[1946年]](昭和21年)に興した「アサヒ芸能新聞社」が源流。[[芸能]]と[[ゴシップ]]記事を中心とした『アサヒ芸能新聞』を発行していた<!--が、余勢をかって大阪に進出を企てる。しかし、実際に大阪には、アサヒ芸能新聞社ではなく[[読売新聞大阪本社|大阪讀賣新聞社]]が進出した。実は、創業者の竹井博友は[[読売新聞社]]の出身であり、同社の実力者である[[務臺光雄]]と懇意の間柄で、竹井は読売の影のキーパーソンだった。←意味不明。-->。竹井自身は新聞界への情熱は持っていたようで、1953年、東京で一般紙『日東新聞』を創刊している。しかし、この『日東新聞』創刊が裏目に出て、1954年にはアサヒ芸能新聞社の業績は急激に悪化。竹井は遂に撤退を余儀なくされてしまう。後を引き受けたのが、同じ読売新聞社の出身で竹井の同僚の[[徳間康快]]である。
徳間は竹井に請われて同社の役員になった関係で残務処理に当たっていた。この時の徳間の姿勢に債権者・従業員・取引先のほとんどが親近感を覚え、「会社をたたむより徳間の手で是非再建を」との声が各方面からおこり、同[[1954年]]3月に徳間は「東西芸能出版社」をおこして、休刊していた『アサヒ芸能新聞』を再刊した。
1956年『アサヒ芸能新聞』を雑誌『週刊アサヒ芸能』に切り替えたが、これは非新聞系の週刊誌として『[[週刊新潮]]』と歩調を合わせての創刊であり、徳間は[[新潮社]]の[[佐藤義助]]から声をかけられていた。東西芸能出版社は1958年「アサヒ芸能出版社」と改称して再起を期した。1961年4月にアサヒ芸能出版の書籍部門を徳間書店として分離設立したが、やがてアサヒ芸能出版は一般書籍にも進出することとなったため、1967年4月に両社が合併し、アサヒ芸能出版を存続会社として、社名を「'''徳間書店'''」に改称した。
[[太平住宅]]からミノルフォン株式会社(旧・太平音響)を買収し、徳間音楽工業(のち[[徳間ジャパンコミュニケーションズ|徳間ジャパン]])に改組し音楽業界に参入。倒産した[[大映 (映画)|大映]]の経営も引き受け、同社を再建。さらに、業績が悪化していた『[[東京タイムズ]]』を買収して古巣の新聞業界にも参入した。出版社の音楽業界参入は既に[[講談社]]が戦前から行ってはいたが、映画事業への参入は[[角川書店]]よりも早かった。また新聞事業の参入は、やはり徳間も新聞社出身だったこともあるが、講談社の『[[日刊ゲンダイ]]』の成功が刺激となったようである。この『東京タイムズ』は朝日新聞販売店に販売を委託していたが、朝刊紙だったこともあり部数が伸びず廃刊となっている。
そして、[[アニメ (日本のアニメーション作品)|アニメ]]ブームに乗って発刊した雑誌『[[アニメージュ]]』が契機となり、[[宮崎駿]]・[[高畑勲]]を擁する[[スタジオジブリ]]を設立。日本のアニメ界の発展に多大な功績を残した。また1991年には[[ダイヤルQ2]]のパイオニア事業者だった[[ダイヤルキューネットワーク]]の事業譲渡を受け[[徳間インテリジェンスネットワーク]]を設立している。
しかし、長年の拡大志向経営がたたり[[バブル崩壊]]が引き金となって、経営が大きく傾いて[[住友銀行]](旧・[[平和相互銀行]]、後の[[三井住友銀行]])の管理下に置かれる。それでもなお徳間は社長の座を手放さず、[[磯田一郎]]続く[[巽外夫]]率いる住友銀行と激しく渡り合って会社を巧みに存続させた。負債総額は、グループ全体で最大1300億円に達したともいわれる。
2000年9月20日、徳間康快が急死。徳間の死後、徳間ジャパンコミュニケーションズは2001年10月に[[第一興商]]へ売却され、大映は2002年11月に[[角川書店]](現・[[KADOKAWA]])へ全営業権を売却して解散、[[新橋 (東京都港区)|新橋]]の旧社屋は、2003年に[[資生堂]]へ売却されて「[[汐留]]FSビル」と改められ、併設の徳間ホールも「スペースFS汐留」となった。
2005年4月に徳間書店の徳間書店事業本部とスタジオジブリ事業本部を「株式会社徳間書店」と「株式会社スタジオジブリ」に分離独立させ、旧社は債務整理に当たる「株式会社芝ホールディングス」(2006年9月会社解散)に商号変更をした。
2013年10月に[[カルチュア・コンビニエンス・クラブ]]及びその出版事業子会社のカルチュア・エンタテインメントと業務・資本提携<ref>{{Cite web|和書|date=2017-03-21|url=https://www.tokuma.jp/topicsinfo?tid=12863 |title=カルチュア・エンタテインメント株式会社による子会社化及び組織改編について |publisher=徳間書店|accessdate=2017-05-23}}</ref>。2014年12月に代表取締役社長の平野健一がカルチュア・エンタテインメントの社外取締役に就任<ref>{{Cite web|和書|date=2014-10-21|url=https://www.ccc.co.jp/news/2014/20141021_004617.html |title=組織再編に関するお知らせ |publisher=カルチュア・コンビニエンス・クラブ |accessdate=2017-05-20}}</ref>。2015年4月[[ネコ・パブリッシング]]と共同出資で共同販売業務委託会社株式会社C-パブリッシングサービスを設立。2017年3月21日付でカルチュア・エンタテインメントが株式を追加取得し出資比率を9割超に引き上げ子会社化した。
[[2018年]][[2月]]本社を東京都品川区上大崎3丁目1番地へ移転。
== 雑誌・書籍 ==
=== 雑誌 ===
* [[アサヒ芸能|週刊アサヒ芸能]](毎週火曜日発売、1946年 - )
** アサ芸シークレット(偶数月5日頃発売)
*[[アニメージュ]](毎月10日発売、1978年 - )
* Goods Press(毎月6日発売)
** Cal(キャル)(発行:[[カルチュア・エンタテインメント]]株式会社[[CLASSIX (企業)|CLASSIX]]事業部、Goods Press増刊)
* ENTAME(エンタメ) (毎月30日発売)
*[[Chara (雑誌)|Chara]] (偶数月22日発売、1994年 - )
** 小説キャラ(Chara増刊)
* Chara Selection (奇数月22日発売、1998年 - )
* 食楽(3、6、9、11月の6日発売)
* [[ニンテンドードリーム|Nintendo DREAM]](発行:[[アンビット]]、毎月21日発売)
* [[LARME]](発行:株式会社LARME、3、6、9、12月の17日発売)
* キャンプグッズ・マガジン(発行:[[カルチュア・エンタテインメント]]株式会社[[CLASSIX (企業)|CLASSIX]]事業部、偶数月30日発売)
=== ムック ===
* [[ハイパーホビー]](1997年 - )
* ボイスアニメージュ
* Car GoodsPress
* [[OVERTURE (雑誌)|OVERTURE]]
* STER EDGE ※旧TricksterAge
* [[ラブベリー|LOVE berry]]
=== 書籍 ===
* [[徳間文庫]]
** 徳間文庫カレッジ
* キャラ文庫
* アークライトノベルス<ref>{{Cite web|和書|title=徳間書店より新小説レーベル『アークライトノベルス』2019年5月17日創刊!|url=https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000185.000016935.html|website=PR TIMES|accessdate=2019-05-18|publisher=}}</ref>
* [[トクマ・ノベルズ]]
** トクマ・ノベルズEdge
* 徳間アニメ絵本
=== コミックス ===
* [[RYU COMICS|リュウコミックス]]
* Charaコミックス
* トクマコミックス
* アニメージュコミックス
* トクマフェイバリットコミックス
=== 過去に発行していた雑誌 ===
* [[コミック&コミック]](1973年 - 1974年<ref>「コミック & コミック」、徳間書店、1973年 {{全国書誌番号|00025155}}</ref>)
* [[リュウ (雑誌)|リュウ]](1979年 - 1986年)
* 漫画タウン(編集:徳間オリオン、1980年 - 1988年<ref>「漫画タウン」、徳間書店、1980年 {{全国書誌番号|00034196}}</ref>)
* [[プチアップルパイ]]
* [[ザ・モーションコミック]](1983年 - 1985年)
* コミックバンバン(1984年 - )
* [[月刊少年キャプテン]](1985年 - 1997年<ref>「月刊少年キャプテン」、徳間書店、1985年 {{全国書誌番号|00042599}}</ref>)
* [[わんぱっくコミック]](1985年 - 1989年)
* [[月刊マンガボーイズ]](1994年 - 1995年)
* [[月刊COMICリュウ]] (2006年 - 2011年、2012年-2018年<ref>「月刊comicリュウ」、徳間書店、2006年 {{全国書誌番号|01025027}}</ref>)
* [[テレビランド]](1973年 - 1997年<ref>「テレビランド」、徳間書店、1973年 {{全国書誌番号|00025621}}</ref>) ※企画:[[東映|東映株式会社]]
* 問題小説(1970年 - 2011年<ref>「 問題小説」、徳間書店、1970年 {{全国書誌番号|00023415}}</ref>)※継続後誌は「読楽」
* [[読楽]](2012年 - 2015年、2016年より[[PR誌]]に変更、紙版の刊行を停止し2023年6月号より完全電子化)
* [[本とも]](2007年 - 2011年<ref>「本とも」、徳間書店、2007年 {{全国書誌番号|01016116}}</ref>)
* [[SFアドベンチャー]](1988年 - 1993年<ref>「SFアドベンチャー」、徳間書店、1988年 {{全国書誌番号|00081780}}</ref>)
* [[SF Japan]] (2000年 - 2011年<ref>「SF Japan」、徳間書店、2000年 {{全国書誌番号|00116602}}</ref>)
* サンサーラ(1990年 - 1997年<ref>「サンサーラ」、徳間書店、1990年 {{全国書誌番号|00080093}}</ref>)
* 月刊 Auto マキシマム チューニングカー
* 4WD FREAK
* RV MAGAZINE(1984年 - 2003年<ref>「RV magazine」、徳間書店、1984年 {{全国書誌番号|00082824}}</ref>)
* [[BestGear]](2000年 - 2013年<ref>「Best gear 」、徳間書店、2000年 {{全国書誌番号|00115246}}</ref>)
* [[LARME]](2012年 - 2020年)※株式会社LARMEに事業譲渡<ref>{{Cite web|和書|title=株式会社LARME、女性ファッション誌「LARME」を徳間書店より事業譲渡|url=https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000001.000059429.html|website=PR TIMES|accessdate=2020-06-27|publisher=}}</ref>
;以下他社発行、徳間書店発売の雑誌
* [[週刊ゴング#『ゴング』(復刊版)|ゴング]](ムック、発行:[[アイビーレコード]]、2014年 - 2016年<ref>「ゴング」、徳間書店、2014年 {{全国書誌番号|01040228}}</ref>)
* [[月刊コミックゼノン]](発行:ノース・スターズ・ピクチャーズ、2010年 - 2020年)※委託契約終了<ref>{{Cite web|和書|title=月刊漫画雑誌『コミックゼノン』、コアミックスが4月1日から発売元に|url=https://www.bunkanews.jp/article/215652/|website=文化通信デジタル|date=2020-04-02|accessdate=2020-06-27|publisher=}}</ref>
* 季刊エス(発行:[[復刊ドットコム]]→[[SMIRAL]]→[[カルチュア・エンタテインメント]]、2015年 - 2023年)
* SS(スモールエス)(発行:復刊ドットコム→SMIRAL→カルチュア・エンタテインメント、2015年 - 2023年)
; 以下[[徳間書店インターメディア]]発行、徳間書店発売の雑誌
* [[テクノポリス (雑誌)|テクノポリス]]
* [[ファミリーコンピュータMagazine]] → ファミマガ64
* Nintendoスタジアム
*: ファミマガ64休刊後、新たに刊行された任天堂ゲーム機専門雑誌。後に発行元変更を経て『[[ニンテンドードリーム|Nintendo DREAM]]』に統合される。
* ファミマガWeekly
* [[PC Engine FAN]]
* メガドライブFAN → SATURN FAN → [[ドリームキャストFAN]]
* [[MSX・FAN]]
* [[3DO MAGAZINE]]
* [[Virtual IDOL]]
* [[Play Station Magazine]]
=== 過去に発行していた書籍 ===
* [[徳間デュアル文庫]]
* [[5次元文庫]]
* [[金庸#日本語訳について|金庸武侠小説集]]
* [[ゼノンコミックス]](発行:ノース・スターズ・ピクチャーズ)
== Webメディア ==
*[https://www.asagei.com/ アサ芸プラス]
*[https://asajo.jp/ アサジョ]
*[https://asagei.biz/ Asagei Biz]
*[https://asageimuse.com/ asagei MUSE]
*[https://www.goodspress.jp/ &GP]
*[https://www.syokuraku-web.com/ 食楽web]
*[https://entamenext.com/ ENTAME next(エンタメネクスト)]
*[https://animageplus.jp/ アニメージュプラス]
*[https://www.comic-ryu.jp/ COMICリュウ]
== 映像作品 ==
=== アニメ ===
* [[風の谷のナウシカ (映画)|風の谷のナウシカ]]
* [[アリオン (漫画)|アリオン]]
* [[天空の城ラピュタ]]
* [[GREY#映画版|GREY: Digital Target]]
* [[魔女の宅急便 (1989年の映画)|魔女の宅急便]]
* [[おもひでぽろぽろ]]
* [[紅の豚]]
* [[海がきこえる (アニメ)|海がきこえる]]
* [[平成狸合戦ぽんぽこ]]
* [[耳をすませば]]
* [[もののけ姫]]
* [[ホーホケキョ となりの山田くん]]
* [[千と千尋の神隠し]]
* [[猫の恩返し]]
* [[ギブリーズ episode2]]
* [[ハウルの動く城]]
* [[戦国魔神ゴーショーグン 時の異邦人]]
* [[永遠のフィレーナ]](OVA)
* [[天使のたまご]](OVA)
* [[デジタル・デビル・ストーリー|デジタル・デビル物語 女神転生]](OVA)
* [[大魔獣激闘 鋼の鬼]](OVA)
* [[銀河英雄伝説 (アニメ)|銀河英雄伝説]]
* [[遠山桜宇宙帖 奴の名はゴールド]](OVA)
* [[宇宙家族カールビンソン]](OVA)
* 花いちもんめ(OVA)
* [[紺碧の艦隊]](OVA)
* [[旭日の艦隊]](OVA)
* [[アップフェルラント物語]](OVA)
* [[ザ・コクピット]](OVA)
* [[ワイルド7]](OVA)
* [[コズミック・ファンタジー]](OVA)
* [[私立荒磯高等学校生徒会執行部]]
* [[攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX]]
* [[攻殻機動隊 S.A.C. 2nd GIG]]
* [[攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX Solid State Society]]
* [[イノセンス]]
* [[サムライチャンプルー]]
* [[電脳コイル]]
* [[大正野球娘。]]
* [[のろい屋しまい|魔女っこ姉妹のヨヨとネネ]]
* [[モンスター娘のいる日常]]
* [[アリスと蔵六]]
* [[セントールの悩み]]
* [[推しが武道館いってくれたら死ぬ]]
=== 実写映画 ===
* [[獣たちの熱い眠り]]
* ガキ帝国 悪たれ戦争
* [[首都消失]]
* [[敦煌 (映画)|敦煌]]
* [[おろしや国酔夢譚]]
* [[ガメラ3 邪神覚醒]]
* 漂流街 THE HAZARD CITY
* [[式日]]
* [[神去なあなあ日常|WOOD JOB!〜神去なあなあ日常〜]]
* 女の穴
* [[嘘を愛する女]]
* [[水上のフライト]]
== 役員 ==
=== 歴代社長 ===
{| class="wikitable" style="text-align:center"
!colspan=2|期間!!社長
|-
!1954年3月19日!!2000年9月20日
|[[徳間康快]]
|-
!2001年1月18日!!2008年2月22日
|[[松下武義]]
|-
!2008年2月23日!!2013年10月1日
|[[岩渕徹]]
|-
!2013年10月2日!!2020年3月31日
|平野健一
|-
!2020年4月1日
!現在
|小宮英行
|-
|}
=== 現役員 ===
* 大宮敏靖(取締役副社長)
* 中西一雄(取締役)
=== 歴代役員 ===
* [[牧田謙吾]]([[専務取締役]]社長代行)
* [[山下辰巳]](専務取締役 → 代表取締役副社長)
* [[小金井道宏]](常務取締役 → 専務取締役 → [[顧問]])
* [[長綱和幸]](取締役営業局長 → 専務取締役)
* [[尾形英夫]]([[アニメージュ]]初代[[編集長]] → 取締役 → 常務取締役)
* [[鈴木敏夫]](アニメージュ2代目編集長 → 取締役)
* [[大塚勤]](取締役)
* [[佐藤憲]](取締役編集統括局局長)
* [[横関澄雄]](取締役)
* [[竹内秀郎]](取締役)
== 備考 ==
* [[大藪春彦賞]]を後援している。
* [[日本SF大賞]]を1980年の創設から2014年まで後援していた。
== 過去のグループ会社 ==
* [[理研科学映画|理研映画]]
* 徳間牧場 - [[トクザクラ]]の馬主
* 徳間貿易
* 徳間美術サロン
* 東光徳間 - 中国映画の配給。法人は1989年に清算。
* 登別徳間ビューホテル - 旧登別日活ホテル
* 徳間観光
* 大徳開発興業
* ミヤコトラベルサービス - 後のトクマトラベルサービス。
* 現代史資料センター出版会 - 後の現代史出版会。
* 国際経営センター
* [[東京タイムズ]] - 1992年に解散
* [[徳間インテリジェンスネットワーク]] - 1994年に徳間コンピュータサービスへ吸収合併
* [[徳間書店インターメディア]] - 1997年6月に徳間書店へ吸収合併
* 徳間インターナショナル - 1997年6月に徳間書店へ吸収合併
* スーパーデジタル放送 - 旧徳間デジタル放送。[[ディレクTV]]の委託放送事業者。
* 徳間音楽出版 - 同社が保有していた音楽出版権はズームリパブリックとスタジオジブリが保有。
* [[徳間ジャパンコミュニケーションズ]] - 2001年10月に[[第一興商]]に売却
* ズームリパブリック - 旧ズームリパブリックネットワーク。現在は徳間ジャパンコミュニケーションズの子会社。
* [[アサガミプレスセンター|トクマプレスセンター]] - 1988年に新光印刷工業と合併。2001年12月にアサガミに買収され、アサガミプレスセンターに商号変更
* [[大映]] - 2002年11月に全営業権を[[角川書店]]に売却し、解散。
* [[スタジオジブリ]] - 1997年6月に徳間書店に吸収合併されたが、2005年4月にジブリ事業の営業権を二代目法人へ譲渡。
* [[マンマユート団|ムゼオ・ダルテ・ジブリ]] - [[三鷹の森ジブリ美術館]]の準備会社として設立。
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
{{Reflist}}
== 参考文献 ==
* {{Cite book|和書|editor=徳間書店社史編纂委員会|title=徳間書店の30年 1954-1983|date=1984-02|year=1984|publisher=徳間書店|ref=harv}}
* {{Cite book|和書|editor=徳間書店社史編纂委員会|title=徳間書店の35年 1954-1989|date=1989|year=1989|publisher=徳間書店|ref=harv}}
* 大塚英志:「二階の住人とその時代-転形期のサブカルチャー私史」、[[星海社]]、ISBN 978-4-06-138584-9(2016年4月25日)。
* 佐高信:「メディアの怪人 徳間康快」、[[講談社]] ([[講談社+α文庫]])、ISBN 978-4-06-281675-5(2016年6月21日)。
== 関連項目 ==
* [[ディレク・ティービー]] - 徳間書店が資本参加していた。
* [[AQインタラクティブ]] - 徳間書店、東北新社、日本テレビ放送網、エフエム東京、三菱商事、アミューズキャピタルの出資でキャビアとして設立。
* [[ビーエス日本]] - 徳間書店が設立に参加。
* [[デジタル・アドバタイジング・コンソーシアム]] - 徳間書店が設立に参加。
* [[太陽風交点事件]]
* [[日本児童図書出版協会]]
* [[デジタルコミック協議会]]
== 外部リンク ==
* [https://www.tokuma.jp/ 徳間書店 公式サイト]
* [https://www.tokuma-shop.com/ トクマショップ]
* {{YouTube|channel = UCW7wBoPeCi8kVWdS1l-86hA|徳間書店}}
* {{Mediaarts-db}}
{{カルチュア・コンビニエンス・クラブ}}
{{スタジオジブリ}}
{{Normdaten}}
{{DEFAULTSORT:とくましよてん}}
[[Category:徳間書店|*]]
[[Category:日本の出版社]]
[[Category:漫画出版社]]
[[Category:品川区の企業]]
[[Category:アニメに関係する企業]]
[[Category:カルチュア・コンビニエンス・クラブ]]
[[Category:1998年設立の企業]]
|
2003-08-31T12:09:06Z
|
2023-11-25T00:27:52Z
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%B3%E9%96%93%E6%9B%B8%E5%BA%97
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14,623 |
土佐国
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土佐国(とさのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。南海道に属する。高知県にあたる。
国名は、古くは『古事記』『日本書紀』では「土左」、『先代旧事本紀』では「都佐」と記されている。元々は「土左」で和銅6年(713年)の好字令で「土佐」に改められたといわれるが、和銅6年以後も「土左」と「土佐」が混用されている。平安時代中期に至り「土佐」が一般的な表記となったとされる。
「トサ」の語源には、俊聡・遠狭・(浦戸湾を指して)門狭などの諸説があるが明らかではない
明治維新直前の領域は、現在の高知県の大部分(宿毛市沖の島町母島・沖の島町鵜来島を除く)に相当する。なお、宿毛市の例外区域も1876年(明治9年)に土佐国に編入された。
律令制において、都佐国造と波多国造の領域をあわせて建てられた。「土佐」(土左)の記述は『日本書紀』に見え、天武4年3月(675年)の条項に「土左大神以神刀一口、進于天皇」とある。また天武13年(684年)には「土左国田苑五十余万頃、没為海」、「土左国司言、大潮高騰、海水飄蕩、由是運調船多放失焉」と白鳳地震における地変や津波により調を運ぶ船が流失したことを国司が報告する記事があり、律令制が敷かれ国司が派遣されていたことを示すものである。
古くは流刑地の一つであった。『日本書紀』の天武5年9月(676年)の条項に「筑紫大宰三位屋垣王、有罪、流于土左」と見える。平安時代末期、源義朝の五男で頼朝の同母弟 希義が流されて、兄の挙兵の折に自らも立ち、鎮圧されている。またこの他にも紀夏井や藤原師長、土御門天皇、尊良親王が流人として土佐の土を踏んでいる。鎌倉時代に入ると摂関家一条家が幡多郡に幡多荘を置き、戦国時代まで同家の支配が続くことになる。
室町時代、細川氏が守護を務め、後には室町幕府管領を輩出した京兆家の当主が守護を兼ねる国となった。だが、守護代の細川遠州家は在京したままで、さらに現地で実務を担う又守護代の大平氏すら在京して活動したため守護や守護代の戦国大名化の流れは起こらなかった。応仁の乱により荘園からの収入が途絶えがちになると、大平氏の助けで、関白・一条教房が土佐幡多荘(現在の四万十市中村)に下向し、土佐一条氏として地方に「在国」しながら、公家として高い官位を有しつつ、土佐国最南端部に位置する幡多郡及び高岡郡(高知県西部)を支配した「地域権力」化していくことになる。
戦国時代、一条氏の支配する西部を除く中部から東部では土佐七雄(土佐七豪族とも)と謂われた本山氏や安芸氏、吉良氏、津野氏、長宗我部氏、香宗我部氏、大平氏などの勢力がいたが、早くから伸張し吉良氏などを併呑した本山氏を長宗我部元親が倒し、他の七雄や盟主・一条氏との戦いにも勝利して土佐を統一、やがて四国全土を支配する目前にまで至るも、豊臣秀吉の四国征伐によって土佐一国のみを安堵されるに終わった。
元親の四男盛親は関ヶ原の戦いで西軍に与したことから改易され、山内一豊の入部以降、江戸時代を通じて山内氏が土佐一国を支配した。主に在地武士は郷士として遇されたものの、旧来の山内家臣で構成される上士階級との対立が長く続き、この構造は明治維新までしこりを残した。幕末期には、四賢侯の一人と賞された藩主山内容堂をはじめ、土佐勤王党で知られる武市半平太や坂本龍馬、中岡慎太郎、望月亀弥太、岡田以蔵、板垣退助等の志士を輩出している。
国府は長岡郡にあった。南国市比江で国衙関連施設の遺構が発掘され、「土佐国衙跡」として高知県指定史跡に指定されている(北緯33度35分59.58秒 東経133度38分55.27秒 / 北緯33.5998833度 東経133.6486861度 / 33.5998833; 133.6486861 (土佐国衙跡))。国司を勤めた紀貫之により、在任期間の事柄が『土佐日記』に記されている。
遺構については、1977年(昭和52年)から1990年(平成2年)の間に計25次の発掘調査が行われ、国衙関連と見られる柱穴や硯などの遺物は見つかったが、国府中心部の様相や全体的な官衙配置を確定するには至っていない。南国市比江には「内裏」「国庁」「府中」などの字が残り、付近にあったことは間違いないとされる。周辺では、土佐国分寺や比江廃寺が営まれたことも知られる。なお国衙跡碑の北西方には伝紀貫之邸跡があるが、これは同地に残る小字「内裏」から国司館跡と推定したもので、紀貫之が居住したという確証はないが天明5年(1785年)の「紀子旧跡碑」などが建てられている。
延喜式内社
総社・一宮以下
なお、朝倉神社(高知市朝倉、北緯33度33分12.35秒 東経133度28分54.16秒 / 北緯33.5534306度 東経133.4817111度 / 33.5534306; 133.4817111 (朝倉神社(一説に土佐国二宮)))が二宮とされた時期もあった。三宮以下はなし。
|
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"text": "室町時代、細川氏が守護を務め、後には室町幕府管領を輩出した京兆家の当主が守護を兼ねる国となった。だが、守護代の細川遠州家は在京したままで、さらに現地で実務を担う又守護代の大平氏すら在京して活動したため守護や守護代の戦国大名化の流れは起こらなかった。応仁の乱により荘園からの収入が途絶えがちになると、大平氏の助けで、関白・一条教房が土佐幡多荘(現在の四万十市中村)に下向し、土佐一条氏として地方に「在国」しながら、公家として高い官位を有しつつ、土佐国最南端部に位置する幡多郡及び高岡郡(高知県西部)を支配した「地域権力」化していくことになる。",
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"text": "戦国時代、一条氏の支配する西部を除く中部から東部では土佐七雄(土佐七豪族とも)と謂われた本山氏や安芸氏、吉良氏、津野氏、長宗我部氏、香宗我部氏、大平氏などの勢力がいたが、早くから伸張し吉良氏などを併呑した本山氏を長宗我部元親が倒し、他の七雄や盟主・一条氏との戦いにも勝利して土佐を統一、やがて四国全土を支配する目前にまで至るも、豊臣秀吉の四国征伐によって土佐一国のみを安堵されるに終わった。",
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"text": "元親の四男盛親は関ヶ原の戦いで西軍に与したことから改易され、山内一豊の入部以降、江戸時代を通じて山内氏が土佐一国を支配した。主に在地武士は郷士として遇されたものの、旧来の山内家臣で構成される上士階級との対立が長く続き、この構造は明治維新までしこりを残した。幕末期には、四賢侯の一人と賞された藩主山内容堂をはじめ、土佐勤王党で知られる武市半平太や坂本龍馬、中岡慎太郎、望月亀弥太、岡田以蔵、板垣退助等の志士を輩出している。",
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"text": "国府は長岡郡にあった。南国市比江で国衙関連施設の遺構が発掘され、「土佐国衙跡」として高知県指定史跡に指定されている(北緯33度35分59.58秒 東経133度38分55.27秒 / 北緯33.5998833度 東経133.6486861度 / 33.5998833; 133.6486861 (土佐国衙跡))。国司を勤めた紀貫之により、在任期間の事柄が『土佐日記』に記されている。",
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"text": "遺構については、1977年(昭和52年)から1990年(平成2年)の間に計25次の発掘調査が行われ、国衙関連と見られる柱穴や硯などの遺物は見つかったが、国府中心部の様相や全体的な官衙配置を確定するには至っていない。南国市比江には「内裏」「国庁」「府中」などの字が残り、付近にあったことは間違いないとされる。周辺では、土佐国分寺や比江廃寺が営まれたことも知られる。なお国衙跡碑の北西方には伝紀貫之邸跡があるが、これは同地に残る小字「内裏」から国司館跡と推定したもので、紀貫之が居住したという確証はないが天明5年(1785年)の「紀子旧跡碑」などが建てられている。",
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"text": "なお、朝倉神社(高知市朝倉、北緯33度33分12.35秒 東経133度28分54.16秒 / 北緯33.5534306度 東経133.4817111度 / 33.5534306; 133.4817111 (朝倉神社(一説に土佐国二宮)))が二宮とされた時期もあった。三宮以下はなし。",
"title": "国内の施設"
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] |
土佐国(とさのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。南海道に属する。高知県にあたる。
|
{{基礎情報 令制国
|国名 = 土佐国
|画像 = {{令制国地図 (令制国テンプレート用)|土佐国}}
|別称 = 土州(どしゅう)
|所属 = [[南海道]]
|領域 = [[高知県]]のほぼ全域
|国力 = [[中国 (令制国)|中国]]
|距離 = [[遠国]]
|郡 = 7郡43郷
|国府 = 高知県[[南国市]](土佐国衙跡)
|国分寺 = 高知県南国市([[土佐国分寺|土佐国分寺跡]])
|国分尼寺 = (未詳)
|一宮 = [[土佐神社]](高知県[[高知市]])
}}
'''土佐国'''(とさのくに)は、かつて[[日本]]の地方行政区分だった[[令制国]]の一つ。[[南海道]]に属する。[[高知県]]にあたる。
== 「土佐」の名称と由来 ==
国名は、古くは『[[古事記]]』『[[日本書紀]]』では「土左」、『[[先代旧事本紀]]』では「都佐」と記されている<ref name="土佐国">「土佐国」『日本歴史地名体系 40 高知県の地名』 平凡社、1983年。</ref>。元々は「土左」で[[和銅]]6年([[713年]])の好字令で「土佐」に改められたといわれるが、和銅6年以後も「土左」と「土佐」が混用されている<ref name="土佐国"/>。[[平安時代]]中期に至り「土佐」が一般的な表記となったとされる<ref name="土佐国"/>。
「トサ」の語源には、俊聡・遠狭・([[浦戸湾]]を指して)門狭などの諸説があるが明らかではない<ref name="土佐国"/>
== 領域 ==
[[明治維新]]直前の領域は、現在の[[高知県]]の大部分([[宿毛市]][[沖の島 (高知県)|沖の島]]町母島・沖の島町[[鵜来島]]を除く)に相当する。なお、宿毛市の例外区域も[[1876年]]([[明治]]9年)に土佐国に編入された。
== 歴史 ==
[[律令制#日本の律令制|律令制]]において、[[都佐国造]]と[[波多国造]]の領域をあわせて建てられた。「土佐」(土左)の記述は『[[日本書紀]]』に見え、[[天武天皇|天武]]4年3月([[675年]])の条項に「土左大神以神刀一口、進于天皇」とある。また天武13年([[684年]])には「土左国田苑五十余万頃、没為海」、「土左国司言、大潮高騰、海水飄蕩、由是運調船多放失焉」と[[白鳳地震]]における地変や[[津波]]により[[租庸調|調]]を運ぶ船が流失したことを国司が報告する記事があり、[[律令制]]が敷かれ国司が派遣されていたことを示すものである<ref>高知市 『高知市史 上巻第一篇 古代・中世』 1958年</ref>。
古くは流刑地の一つであった。『日本書紀』の天武5年9月([[676年]])の条項に「筑紫大宰三位屋垣王、有罪、流于土左」と見える。[[平安時代]]末期、[[源義朝]]の五男で[[源頼朝|頼朝]]の同母弟 [[源希義|希義]]が流されて、兄の挙兵の折に自らも立ち、鎮圧されている。またこの他にも[[紀夏井]]や[[藤原師長]]、[[土御門天皇]]、[[尊良親王]]が[[流人]]として土佐の土を踏んでいる。[[鎌倉時代]]に入ると[[摂関家]][[一条家]]が幡多郡に[[幡多荘]]を置き、[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]まで同家の支配が続くことになる。
[[室町時代]]、[[細川氏]]が[[守護]]を務め、後には[[室町幕府]][[管領]]を輩出した京兆家の当主が守護を兼ねる国となった。だが、守護代の細川遠州家は在京したままで、さらに現地で実務を担う又守護代の[[大平氏]]すら在京して活動したため守護や守護代の戦国大名化の流れは起こらなかった。[[応仁の乱]]により荘園からの収入が途絶えがちになると、大平氏の助けで、関白・[[一条教房]]が土佐[[幡多荘]](現在の[[四万十市]]中村)に下向し、[[土佐一条氏]]として地方に「在国」しながら、公家として高い官位を有しつつ、土佐国最南端部に位置する幡多郡及び高岡郡(高知県西部)を支配した「地域権力」化していくことになる<ref>中脇聖「土佐一条兼定権力の特質について」(『十六世紀史論叢』2号、2013年)</ref><ref>中脇聖「摂関家の当主自らが土佐国に下向する」(日本史史料研究会監修・神田裕理編『ここまでわかった戦国時代の天皇と公家衆たち』洋泉社、2015年)</ref>。
戦国時代、一条氏の支配する西部を除く中部から東部では'''[[土佐七雄]](土佐七豪族とも)'''と謂われた[[本山氏]]や[[安芸氏]]、[[吉良氏]]、[[津野氏]]、[[長宗我部氏]]、[[香宗我部氏]]、[[大平氏]]などの勢力がいたが、早くから伸張し吉良氏などを併呑した[[本山氏]]を[[長宗我部元親]]が倒し、他の七雄や盟主・一条氏との戦いにも勝利して土佐を統一、やがて四国全土を支配する目前にまで至るも、[[豊臣秀吉]]の四国征伐によって土佐一国のみを安堵されるに終わった。
元親の四男[[長宗我部盛親|盛親]]は[[関ヶ原の戦い]]で西軍に与したことから[[改易]]され、[[山内一豊]]の入部以降、江戸時代を通じて[[土佐山内氏|山内氏]]が土佐一国を支配した。主に在地武士は郷士として遇されたものの、旧来の山内家臣で構成される[[上士]]階級との対立が長く続き、この構造は[[明治維新]]までしこりを残した。幕末期には、[[幕末の四賢侯|四賢侯]]の一人と賞された藩主[[山内容堂]]をはじめ、[[土佐勤王党]]で知られる[[武市瑞山|武市半平太]]や[[坂本龍馬]]、[[中岡慎太郎]]、[[望月亀弥太]]、[[岡田以蔵]]、[[板垣退助]]等の志士を輩出している。
=== 近世以降の沿革 ===
* 「[[旧高旧領取調帳]]」の記載によると、[[明治]]初年時点では国内の全域が土佐'''[[土佐藩|高知藩]]'''領であった(348村・494,087石余)。蔵米1万3000石を土佐'''[[土佐新田藩|高知新田藩]]'''に分知していたが、国内に封地は定めず。
** [[安芸郡 (高知県)|安芸郡]](47村・51,420石余)、[[香美郡]](30村・68,762石余)、[[長岡郡]](38村・71,422石余)、[[土佐郡]](23村・49,921石余)、[[吾川郡]](40村・42,242石余)、[[高岡郡]](61村・107,098石余)、[[幡多郡]](109村・103,218石余)
* 明治3年[[8月25日 (旧暦)|8月25日]]([[1870年]][[9月20日]]) - 高知新田藩が高知藩に編入。
* 明治4年[[7月14日 (旧暦)|7月14日]]([[1871年]][[8月29日]]) - [[廃藩置県]]により'''[[高知県]]'''の管轄となる。
* 明治9年([[1876年]])[[2月25日]] - 高知県が管轄する[[伊予国]][[宇和郡]]母島浦・久保浦・小矢野浦・鵜来島(現在の[[鵜来島]]および[[沖の島 (高知県)|沖の島]]・姫島の各一部)の所属が土佐国幡多郡に変更。
== 国内の施設 ==
{{座標一覧}}
=== 国府 ===
[[File:Tosakokuga-ato.JPG|thumb|200px|right|{{center|土佐国衙跡碑<br />([[高知県]][[南国市]])}}]]
[[国府]]は[[長岡郡]]にあった。[[南国市]]比江で国衙関連施設の遺構が発掘され、「土佐国衙跡」として高知県指定史跡に指定されている<ref>[http://www.kochinet.ed.jp/bunkazai/details/410-2/410-2-14.htm 土佐国衙跡](高知県教育委員会)。</ref>({{Coord|33|35|59.58|N|133|38|55.27|E|region:JP-39_type:landmark|name=土佐国衙跡}})。国司を勤めた[[紀貫之]]により、在任期間の事柄が『[[土佐日記]]』に記されている。
遺構については、[[1977年]]([[昭和]]52年)から[[1990年]]([[平成]]2年)の間に計25次の発掘調査が行われ、国衙関連と見られる柱穴や硯などの遺物は見つかったが、国府中心部の様相や全体的な官衙配置を確定するには至っていない。南国市比江には「内裏」「国庁」「府中」などの字が残り、付近にあったことは間違いないとされる。周辺では、[[土佐国分寺]]や比江廃寺が営まれたことも知られる。なお国衙跡碑の北西方には伝紀貫之邸跡があるが、これは同地に残る小字「内裏」から国司館跡と推定したもので、紀貫之が居住したという確証はないが[[天明]]5年([[1785年]])の「紀子旧跡碑」などが建てられている<ref name="一宮制"/>。
=== 国分寺・国分尼寺 ===
[[File:Tosa Kokubunji hondou.JPG|thumb|200px|right|{{center|土佐国分寺(高知県南国市)}}]]
[[File:Hie-haiji-ato tou.JPG|thumb|200px|right|{{center|比江廃寺跡 塔心礎<br />(高知県南国市)}}]]
* [[土佐国分寺|土佐国分寺跡]] ([[南国市]]国分、{{Coord|33|35|55.64|N|133|38|25.51|E|region:JP-39_type:landmark|name=土佐国分寺}})
*: 国の史跡。創建時は東大寺式伽藍配置であったと推定されており、推定規模は一辺約150メートル。国分寺の下層からは郡司などの豪族館などの古い施設が発掘されている。平安時代後半に金堂などが焼失し、その後は衰退した。現在の跡地上には、四国八十八カ所第29番霊場である[[土佐国分寺|摩尼山宝蔵院国分寺]](土佐国分寺)が位置し、法燈を伝承する。
* 土佐国分尼寺跡
*: 未詳。南国市比江の比江廃寺跡(国の史跡、{{Coord|33|36|12.15|N|133|39|2.17|E|region:JP-39_type:landmark|name=比江廃寺跡(土佐国分尼寺跡か)}})を、国分尼寺に転用された寺院と推測する説がある<ref>『日本歴史地名大系 高知県の地名』(平凡社)比江廃寺跡項。</ref>。
=== 神社 ===
'''[[延喜式内社]]'''
: 『[[延喜式]]』[[延喜式神名帳|神名帳]]には、大社1座1社・小社20座20社の計21座21社が記載されている(「[[土佐国の式内社一覧]]」参照)。大社1社は以下に示すものであるが、[[名神大社]]ではない。
* [[土佐郡]] 都佐坐神社 - 式内大社。
** 比定社:[[土佐神社]]([[高知市]]一宮)
[[File:Tosa-jinja02s3872.jpg|thumb|200px|right|{{center|[[土佐神社]](高知県高知市)}}]]
'''[[総社]]・[[一宮]]以下'''
: 中世諸国一宮制研究会編『中世諸国一宮制の基礎的研究』に基づく一宮以下の一覧<ref name="一宮制">中世諸国一宮制研究会編『中世諸国一宮制の基礎的研究』(岩田書院、2000年)pp. 564-569。</ref>。
* 総社:総社([[南国市]]国分、{{Coord|33|35|54.34|N|133|38|22.79|E|region:JP-39_type:landmark|name=土佐国総社:総社}}) - 元々は国府の隣に所在したが、[[寛文]]9年([[1669年]])に国分寺境内の現在地に移ったという。
* 一宮:[[土佐神社]]([[高知市]]一宮、{{Coord|33|35|33.44|N|133|34|37.25|E|region:JP-39_type:landmark|name=土佐国一宮、式内大社:土佐神社}})
* 二宮:[[小村神社]]([[高岡郡]][[日高村]]、{{Coord|33|32|35.67|N|133|23|34.79|E|region:JP-39_type:landmark|name=土佐国二宮:小村神社}})
なお、[[朝倉神社 (高知市)|朝倉神社]](高知市朝倉、{{Coord|33|33|12.35|N|133|28|54.16|E|region:JP-39_type:landmark|name=朝倉神社(一説に土佐国二宮)}})が二宮とされた時期もあった<ref name="一宮制"/>。三宮以下はなし。
=== 安国寺利生塔 ===
* 利生塔 - [[最御崎寺]](室戸市[[室戸岬町]])。安国寺も最御崎寺であったとする説がある。
== 地域 ==
=== 郡 ===
*[[安芸郡 (高知県)|安藝郡]]
*[[香美郡]]
*[[長岡郡]]
*[[土佐郡]]
*:1889年(明治22年)4月1日、高知に市制を施行する。土佐郡から離れて高知市となる。
*[[吾川郡]]
*[[高岡郡]]
*:承和8年8月23日(841年9月11日)、吾川郡8郷のうち4郷を分けて郡を置く。
*[[幡多郡]]
=== 江戸時代の藩 ===
* [[土佐藩]](高知藩)、[[山内氏|山内家]](20.26万石)
* [[土佐中村藩|中村藩]](土佐藩支藩、2万石→3万石)
* [[土佐新田藩]](土佐藩支藩、1.3万石)
== 人物 ==
=== 国司 ===
{{節スタブ}}
==== 土佐守 ====
*[[大伴古慈斐]]:[[天平勝宝]]8年([[756年]])任官(左遷)
*[[紀船守]]:[[780年]]頃
*[[坂上浄野]]:[[天長]]2年([[825年]])頃任官(権守、左遷)
*[[文室笠科]]:[[承和 (日本)|承和]]6年([[839年]])任官
*[[清原遠賀]]:承和10年([[843年]])任官
*[[御輔真男]]:承和10年(843年)任官
*[[路永名]]:承和12年([[845年]])任官
*[[小野千株]]:承和12年(845年)任官
*[[藤原真岑]]:[[嘉祥]]2年([[849年]])任官
*[[小野千株]]:嘉祥3年([[850年]])任官(再任)
*[[橘時枝]]:[[仁寿]]2年([[852年]])任官
*[[橘高宗]]:[[斉衡]]2年([[855年]])任官
*[[紀貫之]]:[[延長 (元号)|延長]]8年([[930年]])- [[承平 (日本)|承平]]5年([[935年]])
*[[島田公鑑]]:承平5年(935年)任官
*[[橘則光]]:[[寛弘]]3年(1006年)任官。[[清少納言]]の夫
*[[源長季]]:平安時代後期
*[[藤原定実]]:1100年頃(権守)
*[[藤原信頼]]:[[久安]]4年([[1148年]])任官
*[[藤原隆季]]:[[久寿]]2年([[1155年]])任官
*[[源国基]]:鎌倉時代初期
==== 土佐介 ====
*[[藤原末茂]]:[[藤原魚名]]の子、[[藤原房前]]の孫。
=== 守護 ===
==== 鎌倉幕府 ====
*1185年~1186年 - [[梶原朝景]]
*1192年~1200年 - [[佐々木経高]]
*1201年~1203年 - [[豊島朝経]]
*1203年~1239年 - [[三浦義村]]
*1239年~1247年 - 三浦氏
*1323年~1333年 - 北条氏
==== 室町幕府 ====
*1337年 - [[細川顕氏]]
*1339年~1340年 - 細川氏
*1350年~? - [[高定信]]
*1352年 - 細川顕氏
*1352年~1359年 - [[細川繁氏]]
*1362年~1379年 - [[細川頼之]]
*1363年 - '''[[吉川経秋]]'''
*1385年~1392年 - 細川頼之
*1392年~1397年 - [[細川頼元]]
*1397年~1400年 - [[細川満元]]
*1400年~1402年 - [[細川頼長]]・[[細川基之]]
*1403年~1426年 - 細川満元
*1426年~1429年 - [[細川持元]]
*1429年~1442年 - [[細川持之]]
*1442年~1473年 - [[細川勝元]]
*1473年~1507年 - [[細川政元]]
*1507年 - [[細川澄之]]
*1507年~1508年 - [[細川澄元]]
*1508年~? - [[細川高国]]
===国人===
{{節スタブ}}
;安藝郡
*[[安芸氏]] - 東部の有力大名で一条氏と結んで伸張したが、長宗我部氏との抗争に敗れた。
;香美郡
*[[香宗我部氏]] - [[一条忠頼]]家臣の中原秋家が宗我・深淵郷の地頭となり、忠頼の暗殺後にその子・秋通を養子としたのに始まる。安芸氏との抗争で劣勢に陥り、長宗我部氏から養子を迎え入れて吸収された。
*[[山田氏]] - 山田郷。一条忠頼家臣の中原秋家の後裔。土佐七雄に数えられることもある有力豪族だったが、長宗我部国親に滅ぼされた。
;長岡郡
*[[本山氏]] - 本山郷。本姓は八木氏で[[紀貫之]]の[[土佐日記]]にも其の名が見える。長岡郡北部を基盤とし、細川政権崩壊後にいち早く南下して土佐中央部に進出したが長宗我部氏との抗争に敗れた。
*[[長宗我部氏]] - 宗我部郷。秦氏。[[長宗我部兼序|兼序]]の代に[[明応の政変]]で覇権を握った[[細川政元]]の下で権勢を振るったが、[[永正の錯乱]]により政元が死ぬと滅ぼされた。しかし、子[[長宗我部国親|国親]]の代に復興し、孫[[長宗我部元親|元親]]の代で戦国大名化して四国を統一した。
*[[豊永氏]] - 小笠原氏族。阿波国境豊永郷に割拠した。阿波三好・大西らと同族だが、出身は熊本県玉名郡豊永とも肥前松浦とも云う。本山氏、ついで長宗我部氏に服属したが、土豪の中では珍しく土佐藩でも上士として同郷を治め続けた<ref>[http://www1.quolia.ne.jp/~jofukuji/ 真言宗智山派 土佐 定福寺]</ref>。
;土佐郡
;吾川郡
*[[吉良氏#土佐吉良氏|吉良氏]] - 源頼朝の同母弟希義の後裔という。弘岡城主。土佐南学の祖[[南村梅軒]]は宣経に仕え学を講じている。吉良氏は名族故に断絶後、本山氏・長宗我部氏が相次いでその名跡を継いだ。
*[[片岡氏]] - 法巌城主。七雄に匹敵する領地を持ったが早くから長宗我部氏に協力した。
;高岡郡
*[[大平氏]] - 本姓近藤氏。蓮池城主。細川氏の実質的な土佐守護代として働き京でも活動、一条氏の下向にも協力した。永正の錯乱後も一定の役割を果たしたが、その一条氏に滅ぼされた。讃岐に同氏族有り。
*[[津野氏]] - 津野荘の地頭。[[姫野々城]]主。天文十五年(1546年)戦国大名化した一条氏に降伏。
*[[佐竹氏]] - 久礼。常陸佐竹氏と同族で、新補地頭として領知を得たとみられる。[[佐竹親直]]は長宗我部元親の娘を娶って親族となった。
;幡多郡
*[[土佐一条氏|一条氏]] - 名門公家であるが、応仁の乱後の混乱を避け、荘園からの収入を確保するために下向した。中村に[[小京都]]を造り、戦国大名化していく。
=== 戦国大名 ===
*[[長宗我部氏]]
*[[本山氏]]
===地域権力 ===
*[[土佐一条氏]]
===織豊大名===
*長宗我部氏
=== 武家官位としての土佐守 ===
==== 江戸期以前 ====
*[[塚原卜伝]]:戦国時代の剣豪、兵法家
*[[長宗我部元親]]:土佐の戦国大名
*[[長宗我部盛親]]:元親の4男。豊臣政権の大名
*[[小川祐忠]]:豊臣政権の大名
==== 江戸時代 ====
*[[土佐藩]][[山内氏|山内家]]
**[[山内一豊]]:初代藩主
**[[山内忠義]]:第2代藩主
<!--**山内忠豊:第3代藩主--><!--忠豊の官位は対馬守-->
**[[山内豊昌]]:第4代藩主
**[[山内豊房]]:第5代藩主
**[[山内豊隆]]:第6代藩主
**[[山内豊常]]:第7代藩主
**[[山内豊敷]]:第8代藩主
**[[山内豊雍]]:第9代藩主
**[[山内豊策]]:第10代藩主
**[[山内豊興]]:第11代藩主
**[[山内豊資]]:第12代藩主
**[[山内豊熈]]:第13代藩主
**[[山内豊惇]]:第14代藩主
**[[山内容堂|山内豊信]](容堂):第15代藩主
**[[山内豊範]]:第16代藩主
*[[上総国|上総]][[勝浦藩]][[植村氏|植村家]]
**[[植村泰忠 (戦国武将)|植村泰忠]]:安土桃山時代の武将、旗本。忠朝の祖父
**[[植村泰朝]]:旗本。忠朝の父
**[[植村忠朝]]:上総勝浦藩初代藩主
**[[植村正朝]]:第2代藩主
**[[植村恒朝]]:第3代藩主
*[[丹波国|丹波]][[福知山藩]][[朽木氏|朽木家]]
**[[朽木稙治]]:第4代藩主
**[[朽木玄綱]]:第5代藩主
**[[朽木倫綱]]:第9代藩主
**[[朽木綱方]]:第10代藩主
*[[陸奥国|陸奥]][[弘前藩]][[津軽氏|津軽家]]
**[[津軽信義]]:第3代藩主
**[[津軽信寿]]:第5代藩主
**[[津軽信明]]:第8代藩主
**[[津軽承昭]]:第12代藩主
*[[播磨国|播磨]][[小野藩]][[一柳氏|一柳家]]
**[[一柳直次]]:第2代藩主
**[[一柳末礼]]:第3代藩主
**[[一柳末昆]]:第4代藩主
**[[一柳末英]]:第6代藩主
**[[一柳末昭]]:第7代藩主
**[[一柳末延]]:第9代藩主
**[[一柳末彦]]:第10代藩主
*その他
**[[小笠原貞信]]:[[下総国|下総]][[関宿藩]]第2代藩主、[[美濃国|美濃]][[高須藩]]主、[[越前国|越前]][[越前勝山藩|勝山藩]]初代藩主
**[[戸川正安]]:[[備中国|備中]][[庭瀬藩]]第2代藩主
**[[戸川安宣]]:庭瀬藩第3代藩主
**[[戸田尊次]]:[[三河国|三河]][[田原藩]]主
**[[鳥居成次]]:[[甲斐国|甲斐]][[谷村藩]]初代藩主
**[[松平明矩]](松平義知):陸奥[[白河藩]]、播磨[[姫路藩]]初代藩主
**[[松平直良]]:越前[[木本藩]]、越前勝山藩、越前[[大野藩]]初代藩主
**[[三宅康勝]]:三河[[挙母藩]]第2代藩主、三河[[田原藩]]初代藩主
**[[三宅康直]]:田原藩第11代藩主
== 土佐国の合戦 ==
*[[1560年]]:[[長浜の戦い]]。[[長宗我部氏]]([[長宗我部国親]]、[[長宗我部元親]]) x [[本山氏]]([[本山茂辰]])
*[[1569年]]:[[八流の戦い]]。長宗我部元親 x [[安芸氏]]([[安芸国虎]])
*[[1575年]]:[[四万十川の戦い]]。長宗我部元親 x [[土佐一条氏]]([[一条兼定]])
*[[1585年]]:[[四国攻め#羽柴秀吉の四国攻め(四国の役)|秀吉の四国攻め]](土佐国内での合戦は無し)。[[豊臣秀吉|羽柴秀吉]]([[豊臣秀長|羽柴秀長]]、[[宇喜多秀家]]、[[小早川隆景]]など) x 長宗我部元親
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
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== 参考文献 ==
* [[角川日本地名大辞典]] 39 高知県
* [https://www.rekihaku.ac.jp/up-cgi/login.pl?p=param/kyud/db_param 旧高旧領取調帳データベース]
== 関連項目 ==
{{Commonscat|Tosa Province}}
* [[土佐日記]]
* [[土佐藩]]
* [[令制国一覧]]
* [[加賀型戦艦|土佐(戦艦)]]‐[[大日本帝国海軍|旧日本海軍]]の未成[[戦艦]]。[[加賀型戦艦]]の2番艦。艦名は土佐国に因む。
* [[土佐 (小惑星)]]
==外部リンク==
* [https://www.digital.archives.go.jp/ 国立公文書館 デジタルアーカイブ] - [https://www.digital.archives.go.jp/gallery/view/detail/detailArchives/0000000244 天保国絵図 土佐国]
* [http://komatsu0513.heteml.jp/index.html 国府物語] - [http://komatsu0513.heteml.jp/tosa.html 土佐国府]
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宇都宮二荒山神社
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宇都宮二荒山神社(うつのみやふたあらやまじんじゃ、うつのみやふたらやまじんじゃ)は、栃木県宇都宮市にある神社。式内社(名神大社)論社、下野国一宮。旧社格は国幣中社で、現在は神社本庁の別表神社。神紋は「三つ巴(菊に三つ巴)」。
正式名称は二荒山神社であるが、日光の二荒山神社(ふたらさんじんじゃ)との区別のために鎮座地名を冠して「宇都宮二荒山神社」と呼ばれる。古くは宇都宮大明神などとも呼ばれた。現在は通称として「二荒さん」とも呼ばれる。
宇都宮市の中心部、明神山(臼ヶ峰、標高約135m)山頂に鎮座する。
東国を鎮めたとする豊城入彦命を祭神として古くより崇敬され、宇都宮は当社の門前町として発展してきた。また、社家から武家となった宇都宮氏が知られる。社殿は創建以来何度も火災に遭っており、現在の社殿は戊辰戦争による焼失後の明治10年(1877年)の再建。
文化財として、国認定の重要美術品である三十八間星兜、鉄製狛犬などを有している。
主祭神については、時代によって彦狭嶋王、御諸別王(彦狭嶋王の子)、事代主命、健御名方命、日光三所神など諸説ある。江戸期には日光山大明神と称されたこともあり、天保14年(1843年)には大己貴命、事代主命、健御名方命が祭神であった。
社伝では、仁徳天皇41年に毛野国が下野国と上野国に分けられた際、下野国国造に任じられた奈良別王(ならわけのきみ)が曽祖父・豊城入彦命をこの地域の氏神として祀ったのに始まると伝える。ただし、それ以前に豊城入彦命によって三輪山から勧請された大物主命が祀られていたとも伝えられている。地元では、当社に参拝すれば下野国にある全ての神社の御利益を受けられるとされ、人々の信仰を集めた。
当初の鎮座地は現在地から大通りを隔てた南側にある荒尾崎(現 摂社下之宮が鎮座)であったが、承和5年(838年)に現在地の臼ヶ峰(明神山)に遷座した。
「二荒山神社」を名乗る神社は関東地方を中心に数多くあるが、中でも当社と日光の二荒山神社の2社が古社として知られている。平安時代中期の『延喜式神名帳』には名神大社として「下野国河内郡 二荒山神社」の記載があるが、その帰属を巡って日光社との間で議論がある(「二荒山神社」を参照)。その後神階は正一位まで進み、下野国一宮となったとされる(ただし日光社も一宮を称する)。
豊城入彦命は武徳にも優れ、藤原秀郷、源頼義、源義家、源頼朝、徳川家康など著名な武将らも戦勝祈願し、種々の寄進や社殿の改築をしたと伝えられている。平将門の乱にあっては、藤原秀郷がこの神社で授かった霊剣をもって将門を討ったと言われる。また『平家物語』によると、屋島の戦いにあって那須与一は平家船上の扇の的を射る際に「日光権現、宇都宮、那須の温泉大明神」と祈ったという。
また、宇都宮氏の初代当主であり、宇都宮城を築いたとされる摂関家藤原北家道兼流藤原宗円が、当社の宮司を務めたという説もある。宇都宮氏は、藤原宗円が、この地の豪族で当時の当社の座主であった下毛野氏ないし中原氏と姻戚関係となり土着したのが始まりであり、当時の毛野川(当時の鬼怒川)流域一帯を支配し、平安時代末期から約500年間に亘り関東地方の治安維持に寄与した名家である。庶流に常陸国守護小田氏や武茂氏がおり、また毛野川東岸および小貝川流域一帯を支配した紀清両党とも姻戚関係にあった。
「宇都宮」という地名は当社に由来するものとされる。ただし、一宮(いちのみや)の訛りという説、遷座したことから「移しの宮」の転という説、「二荒山の神の現宮(うつつのみや)」という説、豊城入彦命が東国の総監として此処に住し国がよく治まったことから「宇津くしき宮」と呼ばれそれが「うつのみや」に転じたという説など諸説ある。
明応9年(1498年)に17代当主宇都宮成綱によって建て替えられる。
明治20年(1887年)3月17日の内務省訓令第15号「官国幣社保存金制度」により、以降15年間に亘り官国幣社保存金が配付された。
2014年に「火焰太鼓山車」を修復。2016年に、1913年まで菊水祭で使用されていた「桃太郎山車」が修復され復活した。桃太郎山車は長さ約3.7m、幅約2.7m、最大の高さ約5.65m。2016年、戊辰戦争で新政府軍が下野の戦いで使った菊の紋章の旗2点が当社で見つかった。白生絹(しろすずし)御紋之旗は白い絹に墨で菊が描かれ、縦332.4cm、横58.9cmで書付には「宇都宮藩奉納」とある。菊御紋紅大四半は紅色の絹に菊が描かれ、縦164.8cm、横154.9cmで書付には「野津参謀奉納」とある。
当社の社殿は、かつては20年毎に立て替えられていた。また、戦国時代以降は戦火あるいは失火による焼失に見舞われ、天正13年(1585年)の後北条氏の宇都宮侵攻の際、安永2年(1773年)の宇都宮宿における大火の際、天保3年(1832年)の火災の際、さらに宇都宮戦争(戊辰戦争)での慶応4年4月19日(1868年5月11日)の第1次宇都宮城攻城戦の際に焼失している。現在の社殿は明治10年(1877年)に明治新政府によって仮社殿として再建されたものである。正面の石垣は江戸末期のもので、弘化3年丙午正月吉日の記載がある。
12月15日(冬渡祭)と1月15日(春渡祭)の2回行われる。祭神を旧社地(荒尾崎)から現在地(臼ヶ峰)に移した際の遷座の儀式を伝えている。祭神はその2日に分けて渡ったと考えられ、どちらも「おたりや」と呼ばれている。
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宇都宮二荒山神社(うつのみやふたあらやまじんじゃ、うつのみやふたらやまじんじゃ)は、栃木県宇都宮市にある神社。式内社(名神大社)論社、下野国一宮。旧社格は国幣中社で、現在は神社本庁の別表神社。神紋は「三つ巴(菊に三つ巴)」。 正式名称は二荒山神社であるが、日光の二荒山神社(ふたらさんじんじゃ)との区別のために鎮座地名を冠して「宇都宮二荒山神社」と呼ばれる。古くは宇都宮大明神などとも呼ばれた。現在は通称として「二荒さん」とも呼ばれる。
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{{神社
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'''宇都宮二荒山神社'''(うつのみやふたあらやまじんじゃ、うつのみやふたらやまじんじゃ)は、[[栃木県]][[宇都宮市]]にある[[神社]]。[[式内社]]([[名神大社]])[[論社]]、[[下野国]][[一宮]]。[[近代社格制度|旧社格]]は[[国幣中社]]で、現在は[[神社本庁]]の[[別表神社]]。[[家紋#神紋・寺紋|神紋]]は「[[三つ巴]](菊に三つ巴)」。
正式名称は'''二荒山神社'''であるが、[[日光市|日光]]の[[日光二荒山神社|二荒山神社]](ふたらさんじんじゃ)との区別のために鎮座地名を冠して「宇都宮二荒山神社」と呼ばれる。古くは'''宇都宮大明神'''などとも呼ばれた。現在は通称として「二荒さん」とも呼ばれる。
== 概要 ==
[[ファイル:Torii of Utsunomiya Futaarayama Shrine, Mar. 2020.jpg|thumb|200px|right|鳥居]]
[[宇都宮市]]の中心部、[[明神山 (宇都宮市)|明神山]](臼ヶ峰、標高約135m)山頂に鎮座する。
東国を鎮めたとする[[豊城入彦命]]を祭神として古くより崇敬され、宇都宮は当社の[[門前町]]として発展してきた。また、[[社家]]から[[武家]]となった[[宇都宮氏]]が知られる。社殿は創建以来何度も火災に遭っており、現在の社殿は[[戊辰戦争]]による焼失後の[[明治]]10年([[1877年]])の再建。
文化財として、国認定の[[重要美術品]]である三十八間星兜、鉄製狛犬などを有している。
== 祭神 ==
; 主祭神
* '''[[豊城入彦命]]''' (とよきいりひこのみこと)
:: 第10代[[崇神天皇]]の第一皇子で、天皇の命で東国を鎮めたとされる。[[毛野国]](のちの[[下野国]]・[[上野国]])の開祖とされる。
; 相殿
* [[大物主|大物主命]] - 崇神天皇が都とした[[磯城瑞籬宮]]([[奈良県]][[桜井市]]金屋)の北に鎮座する、[[三輪山]]([[大神神社]])の神
* [[事代主|事代主命]] - 大物主命の子
主祭神については、時代によって[[彦狭島命|彦狭嶋王]]、御諸別王(彦狭嶋王の子)、事代主命、[[建御名方神|健御名方命]]、日光三所神など諸説ある。江戸期には日光山大明神と称されたこともあり、[[天保]]14年([[1843年]])には大己貴命、事代主命、健御名方命が祭神であった。
== 歴史 ==
社伝では、[[仁徳天皇]]41年に毛野国が下野国と上野国に分けられた際、下野国[[国造]]に任じられた[[奈良別]]王(ならわけのきみ)が曽祖父・豊城入彦命をこの地域の[[氏神]]として祀ったのに始まると伝える。ただし、それ以前に豊城入彦命によって[[三輪山]]から[[勧請]]された大物主命が祀られていたとも伝えられている。地元では、当社に参拝すれば下野国にある全ての神社の御利益を受けられるとされ、人々の信仰を集めた<ref name="symbol">「頼朝も参拝 県都の象徴」(読売新聞、2013年1月20日)</ref>。
当初の鎮座地は現在地から大通りを隔てた南側にある荒尾崎(現 摂社下之宮が鎮座)であったが、[[承和 (日本)|承和]]5年([[838年]])に現在地の臼ヶ峰([[明神山 (宇都宮市)|明神山]])に遷座した。
「二荒山神社」を名乗る神社は[[関東地方]]を中心に数多くあるが、中でも当社と[[日光市|日光]]の[[日光二荒山神社|二荒山神社]]の2社が古社として知られている。[[平安時代]]中期の『[[延喜式神名帳]]』には[[名神大社]]として「下野国[[河内郡]] [[二荒山神社]]」の記載があるが、その帰属を巡って日光社との間で議論がある(「[[二荒山神社]]」を参照)。その後[[神階]]は[[正一位]]まで進み、下野国一宮となったとされる(ただし日光社も一宮を称する)。
豊城入彦命は武徳にも優れ、[[藤原秀郷]]、[[源頼義]]、[[源義家]]、[[源頼朝]]、[[徳川家康]]など著名な[[武将]]らも戦勝祈願し、種々の[[寄進]]や社殿の改築をしたと伝えられている。[[承平天慶の乱#平将門の乱|平将門の乱]]にあっては、藤原秀郷がこの神社で授かった霊剣をもって[[平将門|将門]]を討ったと言われる。また『[[平家物語]]』によると、[[屋島の戦い]]にあって[[那須与一]]は[[平家]]船上の[[扇子|扇]]の的を射る際に「日光権現、宇都宮、那須の温泉大明神」と祈ったという。
また、[[下野宇都宮氏|宇都宮氏]]の初代当主であり、[[宇都宮城]]を築いたとされる[[摂関家]][[藤原北家]][[藤原道兼|道兼流]][[藤原宗円]]が、当社の宮司を務めたという説もある<ref name="symbol" />。宇都宮氏は、藤原宗円が、この地の豪族で当時の当社の座主であった[[下毛野氏]]ないし中原氏と姻戚関係となり土着したのが始まりであり、当時の毛野川(当時の[[鬼怒川]])流域一帯を支配し、[[平安時代]]末期から約500年間に亘り[[関東地方]]の治安維持に寄与した名家である。庶流に[[常陸国]][[守護]][[小田氏]]や[[武茂氏]]がおり、また毛野川東岸および[[小貝川]]流域一帯を支配した[[益子氏|紀]][[清原氏|清]]両党とも姻戚関係にあった。
「宇都宮」という地名は当社に由来するものとされる。ただし、一宮(いちのみや)の訛りという説、遷座したことから「移しの宮」の転という説、「二荒山の神の現宮(うつつのみや)」という説<ref>御諸別宮と奈良別宮の二人の「うつつのみや」から「うつのみや」が、またこの二人の「あらぶる神」から「ふたあら」が起こったとする説。</ref>、豊城入彦命が東国の総監として此処に住し国がよく治まったことから「宇津くしき宮」と呼ばれそれが「うつのみや」に転じたという説など諸説ある<ref>このほか、[[江戸時代]]の[[森幸安]]の「[[下野国|下野州]]河内郡[[宇都宮]]地図」には「宇」とは「宇宙」つまり「太廣」の意味でまた「[[卯]]」と同じく「東」の意味、「都」は「京」と同訓、「宮」は「宮殿」の意味で、すなわち(当時こそ関東の中心は[[江戸]]であったが)古くより「宇都宮は関東の都」とある</ref>。
[[明応]]9年([[1498年]])に17代当主[[宇都宮成綱]]によって建て替えられる。
明治20年([[1887年]])[[3月17日]]の内務省訓令第15号「官国幣社保存金制度」により、以降15年間に亘り官国幣社保存金が配付された。
2014年に「火焰太鼓山車」を修復<ref>読売新聞栃木版 2016年5月9日 29面掲載。</ref>。2016年に、1913年まで菊水祭で使用されていた「桃太郎山車」が修復され復活した。桃太郎山車は長さ約3.7m、幅約2.7m、最大の高さ約5.65m<ref>読売新聞栃木版 2016年4月28日 33面掲載。</ref>。2016年、戊辰戦争で新政府軍が下野の戦いで使った菊の紋章の旗2点が当社で見つかった。白生絹(しろすずし)御紋之旗は白い絹に墨で菊が描かれ、縦332.4cm、横58.9cmで書付には「宇都宮藩奉納」とある。菊御紋紅大四半は紅色の絹に菊が描かれ、縦164.8cm、横154.9cmで書付には「野津参謀奉納」とある<ref>読売新聞栃木版 2016年4月29日 29面掲載。</ref>。
=== 神階 ===
* 「[[二荒山神社#神階]]」を参照。
== 境内 ==
当社の社殿は、かつては20年毎に立て替えられていた。また、[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]以降は戦火あるいは失火による焼失に見舞われ、[[天正]]13年([[1585年]])の[[後北条氏]]の宇都宮侵攻の際、[[安永 (元号)|安永]]2年([[1773年]])の[[宇都宮宿]]における大火の際、[[天保]]3年([[1832年]])の火災の際、さらに[[宇都宮城の戦い|宇都宮戦争]]([[戊辰戦争]])での[[慶応]]4年[[4月19日 (旧暦)|4月19日]]([[1868年]][[5月11日]])の第1次宇都宮城攻城戦の際に焼失している<ref>[[天正]]十三年([[1585年]])、[[安永 (元号)|安永]]二年([[1773年]])、[[天保]]三年([[1832年]])、[[明治]]元年 [[4月19日 (旧暦)|四月十九日]]([[1868年]] [[5月11日]])の4回の焼失。出典は『[[下野国]][[一宮|一の宮]] [[国幣中社]] 二荒山神社略記』、(著者)森口奈良吉、(発行所)[[国幣中社]] 宇都宮二荒山神社々務所、(発行)[[昭和]]11年
([[1936年]])[[4月10日]]、9頁より。</ref>。現在の社殿は[[明治]]10年([[1877年]])に[[明治新政府]]によって仮社殿として再建されたものである。正面の石垣は江戸末期のもので、[[弘化]]3年丙午正月吉日の記載がある。
<gallery widths="200px" heights="150px">
ファイル:宇都宮二荒山神社 本殿.JPG|'''本殿'''<br/>社殿は[[神明造]]。
ファイル:宇都宮二荒山神社 神楽殿.JPG|'''神楽殿'''<br/>祭事の[[神楽]]はこの舞台で行われる。
ファイル:宇都宮二荒山神社 神門.JPG|'''神門'''
</gallery>
* 拝殿
* 明神の井
:: 宇都宮は各所に湧水があり、明神の井の湧き水は江戸時代には宇都宮名水「七水」のひとつとして数えられた。[[明治天皇]]の[[行幸|御行幸]]の折にはこの水を茶の湯としたと伝えられる。
* 神門
* 鳥居
:: 樹齢400年の栃木県産の[[ケヤキ]]を用いた、高さ9.7m、幅13.8m、柱の直径90cmの大鳥居。江戸時代の同神社の[[両部鳥居]]を復元したものである。かつてあった鳥居は、第2次世界大戦中に空襲で焼失し、その代わりとして[[1946年]]12月に[[明神鳥居]]が建てられたが、その鳥居も老朽化が進んだため、[[2008年]]10月12日に現在のものに建て替えられた<ref name="symbol" /><ref>[https://web.archive.org/web/20160304200934/http://www.shimotsuke.co.jp/movienews/20080805/33501 下野新聞SOON 2008年8月5日掲載]</ref><ref>[https://web.archive.org/web/20160305021604/http://www.shimotsuke.co.jp/movienews/20081012/63339 下野新聞SOON 2008年10月12日掲載]</ref>。
== 摂末社 ==
=== 摂社 ===
[[ファイル:下之宮 (宇都宮二荒山神社摂社).JPG|thumb|200px|right|下之宮]]
; 境外摂社
* 下之宮
** 鎮座地:宇都宮市馬場通り3-1({{Coord|36|33|39.18|N|139|53|9.79|E|region:JP|name=境外摂社:下之宮}}) - 本社鳥居前の道路を渡ってすぐ
** 祭神:豊城入彦命(本社と同神)
: 周辺の旧地名を「荒尾崎」といい、本社の旧鎮座地と伝えられる。明治期までは小高い丘になっていたが終戦後、相生地区の大通り沿いに合同店舗「バンビル」が建設され、下之宮は地区南側の路地裏にひっそりと鎮座していた。[[1995年]](平成7年)に地区の再開発(相生ビル「宇都宮[[パルコ]]」建設)により現在地に移転・創建された。前の広場はイベントスペースなどに利用され市民の憩いの場となっている。
{{-}}
=== 末社 ===
<table width="90%"><tr><td valign=top width="50%">
{{underline|神門内}}
* 女体宮 - 祭神:[[三穂津姫|三穂津姫命]]、例祭:[[10月22日]]
* 須賀神社 - 祭神:[[スサノオ|素戔嗚命]]、例祭:[[6月15日]]
* 市神社 - 祭神:大市姫命、例祭:[[6月15日]]
* 十社宮 - 祭神:下野国内の式内社の神<ref>祭神は、素戔嗚尊、[[天児屋命]]、[[アヂスキタカヒコネ|味耜高彦根命]]、[[タケミカヅチ|武甕槌命]]、豊城入彦命、[[大山咋神|大山咋命]]、[[事代主|事代主命]]、[[シタテルヒメ|下照姫命]]、[[応神天皇|誉田別尊]]、[[ヤマトタケル|日本武尊]]の10柱。</ref>、例祭:[[3月15日]]
* 初辰稲荷神社 - 祭神:[[ウカノミタマ|倉稲魂命]]、例祭:陰暦2月初午日
{{underline|表参道左手}}
* 剣宮 - 祭神:素戔嗚命、例祭:[[6月15日]]
* 菅原神社 - 祭神:[[菅原道真]]、例祭:[[8月4日]]
* 十二社 - 祭神:[[国常立神]]ほか12柱<ref>祭神は、[[国常立神]]、国狭槌神、豊斟渟神、豊斟渟神、泥土煮神、沙土煮神、大戸之道神、大苫邊神、面足神、惶根神、[[イザナギ|伊弉諾神]]、[[イザナミ|伊弉冉尊]](以上「[[神世七代]]」)、[[天照大神|天照皇大神]]、[[アメノオシホミミ|天忍穂耳神]]、[[ニニギ|彦火瓊々杵]]、[[ホオリ|彦火々出見神]]、[[ウガヤフキアエズ|鵜茅葺不合神]]の12柱。</ref>、例祭:[[9月15日]]
</td><td valign=top>
{{underline|表参道右手}}
* 松尾神社 - 祭神:[[大山咋神]]・[[宗像三女神|中津嶋姫命]]、例祭:[[1月15日]]
* 荒神社 - 祭神:素戔嗚命、例祭:[[6月15日]]
* 水神社 - 祭神:[[ミズハノメ|罔象女神]]
{{underline|裏参道}}
* 東照宮 - 祭神:[[徳川家康]]公
</td></tr></table>
<gallery>
ファイル:女体宮 (宇都宮二荒山神社末社).JPG|女体宮(背後は本殿)
ファイル:須賀神社・市神社 (宇都宮二荒山神社末社).JPG|須賀神社・市神社
ファイル:十社宮 (宇都宮二荒山神社末社).JPG|十社宮
ファイル:初辰稲荷神社 (宇都宮二荒山神社末社).JPG|初辰稲荷神社
ファイル:宇都宮二荒山神社 摂末社3社(表参道左手).JPG|参道左手の3社<br/>(手前から剣宮、十二社、菅原神社)
ファイル:宇都宮二荒山神社 摂末社3社(表参道右手).JPG|参道右手の3社<br/>(手前から松尾神社、荒神社、水神社)
</gallery>
== 祭事 ==
=== 年間祭事 ===
<div class="NavFrame" style="width:100%;">
<div class="NavHead" style="padding:1.5px; line-height:1.7; letter-spacing:1px;">宇都宮二荒山神社 年間祭事一覧</div>
<div class="NavContent" style="text-align:left;">
* 毎月
** 月次祭 (毎月1日と19日)
** 末社初辰稲荷神社月次祭 (毎月初午日)
<table width="90%"><tr><td valign=top width="50%">
* 1月
** 歳旦祭・初詣祈祷祭 ([[1月1日]])
** 末社市神社初市祭 ([[1月11日]]) - 上河原にて開催される
** 春渡祭神輿御渡、末社松尾神社例祭 ([[1月15日]])
** 永代太々御神楽 ([[1月28日]])
* 2月
** 末社市神社花市祭 ([[2月1日]]) - 境内石段下にて開催される
** 厄難消除祈祷講祭 ([[2月3日]])
** 紀元祭 ([[2月11日]])
** 祈年祭 ([[2月17日]])
** 末社初辰稲荷神社祭初午祭 (陰暦2月初午日)
* 3月
** 末社十社例祭 ([[3月15日]])
* 4月
** 花合祭 ([[4月11日]])
** 東國御治定記念祭 ([[4月19日]])
* 5月
** 田舞祭 ([[5月15日]])
** 太々神楽祈祷護祭 ([[5月28日]])
* 6月
** 末社須賀神社例祭、末社荒神社例祭、末社剣宮例祭、末社市神社例祭 ([[6月15日]])
** 大祓式茅の輪くぐり ([[6月30日]])
</td><td valign=top>
* 7月
** 末社須賀神社夏祭天王祭 ([[7月15日]] - [[7月20日]]) - このうち日曜日に神輿御渡
* 8月
** 末社菅原神社例祭 ([[8月4日]])
* 9月
** 末社十二社例祭 ([[9月15日]])
** 太々御神楽祈祷護祭 ([[9月28日]])
* 10月
** 神嘗祭当日祭 ([[10月17日]])
** 例祭秋山祭 ([[10月21日]])
** 末社女体宮例祭 ([[10月22日]])
** 例祭附祭菊水祭:[[鳳輦]]渡御・[[流鏑馬]][[神事]] (10月最終土曜、日曜)
* 11月
** 明治祭 ([[11月3日]])
** [[七五三]]詣祈祷祭 ([[11月15日]])
** 新嘗祭 ([[11月23日]])
* 12月
** 冬渡祭 ([[12月15日]])
** 大祓式除夜祭 ([[12月31日]])
</td></tr></table>
</div>
</div>
=== 渡祭 ===
[[12月15日]](冬渡祭)と[[1月15日]](春渡祭)の2回行われる。祭神を旧社地(荒尾崎)から現在地(臼ヶ峰)に移した際の遷座の儀式を伝えている。祭神はその2日に分けて渡ったと考えられ、どちらも「おたりや」と呼ばれている。
== 文化財 ==
=== 重要美術品(国認定) ===
* 三十八間星兜 - 昭和9年認定
* 鉄製狛犬 - 昭和10年認定
=== 栃木県指定有形文化財 ===
* 太刀 拵付(銘 法城寺和泉守橘正次) - 昭和43年指定
* 刀 無銘(伝 宝寿) - 昭和57年指定
*本殿、拝殿、女体宮、神楽殿、神門、東回廊 附 建設の経緯を示す文書21点、棟札3点、奉納額4点 ‐平成31年3月29日<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.tochigi-edu.ed.jp/center/bunkazai/index_pref.htm|title=とちぎの文化財|accessdate=2020年3月5日|publisher=}}</ref>
=== 宇都宮市指定文化財 ===
{{underline|有形文化財}}
* 紙本墨書新式和歌集 - 藤原定家の孫・[[二条為氏]]の編集とされる和歌集。寛文12年(1672年)の古写本で、天保4年(1833年)に奉納された。昭和33年指定
* 本殿勾欄擬宝珠 - 慶長10年(1605年)再建時の徳川家康による寄進。昭和36年指定
* 絹本著色三十六歌仙図 - 昭和57年指定
{{underline|無形文化財}}
* 二荒山神社の神楽 - 江戸時代中期の起源。毎年1月・5月・9月の3回奉納される。昭和44年指定
== 現地情報 ==
; 所在地
* [[栃木県]][[宇都宮市]]馬場通り1-1-1
; 交通アクセス
{{underline|鉄道}}
* 最寄駅:[[東武鉄道]][[東武宇都宮線|宇都宮線]] [[東武宇都宮駅]]
** 徒歩:約10分
** バス:「馬場町・二荒山神社前」または「二荒山前」バス停下車 (下車後徒歩すぐ) - [[関東自動車 (栃木県)|関東バス]]、[[ジェイアールバス関東]]の路線バス(JR[[宇都宮駅]]方面行き)
* [[東日本旅客鉄道|JR東日本]][[東北新幹線]]・[[宇都宮線|東北本線(宇都宮線)]]ほか [[宇都宮駅]]
** 徒歩:約15分
** バス:「馬場町・二荒山神社前」または「二荒山前」バス停下車 (下車後徒歩すぐ) - [[関東自動車 (栃木県)|関東バス]]、[[ジェイアールバス関東]]の路線バス(県庁前・東武駅前方面行き)
{{underline|車}}
* [[東北自動車道]] [[鹿沼インターチェンジ|鹿沼IC]]から、約25分
; 付属施設
* 宇都宮二荒山会館
; 周辺
* [[宇都宮城]]跡
* [[餃子通り]]
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
{{reflist|2}}
== 参考文献 ==
* 『[[日本歴史地名大系]] 栃木県の地名』([[平凡社]]、1988年、ISBN 4582490093)宇都宮市 二荒山神社項
* 前沢輝政「二荒山神社」([[谷川健一]] 編『日本の神々 -神社と聖地- 11 関東』([[白水社]]、2000年、ISBN 4560025118))
== 関連項目 ==
* [[二荒山神社]]
** [[日光二荒山神社]]
* [[バンバ通り]]
* [[御橋通り]]
* [[樋爪氏の墓]]
* [[御蔵山古墳]]
== 外部リンク ==
{{commonscat|Utsunomiya Futaarayama-jinja}}
* [https://web.archive.org/web/20140222053423/http://www.futaarayamakaikan.jp/about/ 宇都宮二荒山神社](公式の[https://web.archive.org/web/20150514120143/http://www.futaarayamakaikan.jp/ 宇都宮二荒山会館]サイト内)
* [http://kir579053.kir.jp/jinjyacyo/?p=617 宇都宮二荒山神社](栃木県神社庁)
{{神道 横}}
{{近代社格制度}}
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[[Category:栃木県の神社]]
[[Category:宇都宮市の歴史]]
[[Category:宇都宮市の建築物]]
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[[Category:下野国の式内社|名うつのみやふたあらやましんしや]]
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[[Category:栃木県指定有形文化財]]
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[[Category:とちぎの百様]]
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14,626 |
伊予国
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伊予国(いよのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。愛媛県にあたる。
伝統的には「伊豫」の名称であり、「伊予」「伊与」の表記も用いられた。常用漢字による現代文表記では「伊予」(豫→予)である。
「伊予」の語源については、諸説がある。
明治維新直前の領域は、現在の愛媛県全域に高知県宿毛市の一部(沖の島町母島・沖の島町鵜来島)を加えた区域に相当する。なお、高知県内の区域は1876年(明治9年)に土佐国に移管されている。
律令制において、伊余国造の領域に加え、久味国造、風速国造、怒麻国造、小市国造の領域を合わせ、成立した。
三島領七島と呼ばれた大山祇神社領のうち、文明年間から慶長年間までの間、下島(大崎下島)と豊島が安藝国豊田郡に編入となる。
『和名抄』によれば、国府は越智郡にあった。現在の今治市であるが、未だ遺跡は見つかっていない。今治平野にあったことは確実であるが、場所については、古国分・中寺・町谷・上徳・八町など諸説ある。
二宮以下は不詳。
貞観8年から明治11年までの千年にわたり以下の14郡であった。
※郷名は『和名抄』による。
(出典は『愛媛県史 人物』)
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伊予国(いよのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。愛媛県にあたる。
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{{参照方法|date=2018-04}}
{{基礎情報 令制国
|国名 = 伊予国
|画像 = {{令制国地図 (令制国テンプレート用)|伊予国}}
|別称 = 予州(よしゅう)<ref group="注釈">[[伊豆国]](豆州)や[[伊勢国]](勢州)と区別するため2文字目を用いる。「伊州」は[[伊賀国]]。</ref>
|所属 = [[南海道]]
|領域 = [[愛媛県]]全域、[[高知県]]のごく一部
|国力 = [[上国]]
|距離 = [[遠国]]
|郡 = 13郡66郷
|国府 = (推定)愛媛県[[今治市]]
|国分寺 = 愛媛県今治市([[伊予国分寺|伊予国分寺塔跡]])
|国分尼寺 = 愛媛県今治市(伊予国分尼寺塔跡)
|一宮 = [[大山祇神社]](愛媛県今治市)
}}
'''伊予国'''(いよのくに)は、かつて[[日本]]の地方行政区分だった[[令制国]]の一つ。[[愛媛県]]にあたる。
== 「伊予」の名称と語源 ==
伝統的には「伊豫」の名称であり、「伊予」「伊与」の表記も用いられた。[[常用漢字]]による現代文表記では「伊予」(豫→予)である。
「伊予」の語源については、諸説がある。
* 温泉説
*: 「よ」は[[道後温泉]]の「ゆ(湯)」から転訛したものであり、それに発語の「い」を付して「いよ」になったという説である。一時は定説となっていたが、研究者の吉田茂樹が、[[延喜式]]に「[[伊予郡]]」と「[[温泉郡]]」の2つの郡名があり、伊予が道後温泉を指すならば別に温泉郡がある説明がつかないと指摘したことから、今日は否定されているとされる<ref name="kouhou">[http://www.city.iyo.lg.jp/soumu/shise/koho/kohoiyoshi/2006/documents/38_pdf4.pdf 広報いよし2006年1月号]</ref>。また、寺内浩他編の『愛媛県の不思議辞典』も、上代特殊仮名遣からみて、一般的には「ゆ」は「よ(乙)」には音韻変化しないとしてこの説を否定する。
* 湧水説
*: 研究者の志賀剛の説では、古代人は、温泉以外に湧水も「いゆ」と呼んでおり、これが「いよ」になったとする<ref name=kouhou/>。古代、水の湧き出ずる所は、特別な地として扱われるようになり、これが湧水の周辺を指す小地域としての地名から、より広い地域、さらには[[古事記]]にいう「伊予の[[二名之島]]」=[[四国]]を指す地名となっていったというものである。
*: 坪内寛もこの説を支持し、[[伊予神社]](愛媛県伊予郡[[松前町 (愛媛県)|松前町]])で、同神社は「正四位上」の位を朝廷から授けられた由緒正しい神社であり、祭神を[[愛比売命]](えひめのみこと)と[[ツクヨミ|月夜見命]](つきよみのみこと)とする。「愛比売」は古事記に、「伊予を愛比売といひ」とあるように愛媛の古名である。また、同名の[[伊予市]]上野地区にある神社の旧境内跡地には弥光井(いこい)神社(今日では湧水跡のみ)がある。古代、この地はゆるやかな傾斜地であり、水源に乏しかったことから、湧き水が特別重宝されたと推察されていることから、弥光井神社が伊予の語源であると主張する<ref name=kouhou/>。
* 弥説
*: 谷川士清の『倭訓栞』に載せる説である。伊豫ノ二名ノ洲と呼ばれた四国は国生み神話では淡路島の次に生まれたので、「いよ」は物の重なることを表す「弥」(いや)の意味であるという。
* 預説
*: 『豫章記』に載る説である。「天神第六代面足惶根尊」が伊豫国を支配する際に「(伊豫国を)伊(彼に)豫(預ける)」との詔があったという。しかし、「いよ」が倭語であったとすれば、[[万葉仮名]]による仮借字の字義で解釈しようとするのは無意味である可能性がある。
== 領域 ==
[[明治維新]]直前の領域は、現在の[[愛媛県]]全域に[[高知県]][[宿毛市]]の一部([[沖の島 (高知県)|沖の島]]町母島・沖の島町[[鵜来島]])を加えた区域に相当する。なお、高知県内の区域は[[1876年]]([[明治]]9年)に[[土佐国]]に移管されている。
== 沿革 ==
[[律令制#日本の律令制|律令制]]において、[[伊余国造]]の領域に加え、[[久味国造]]、[[風速国造]]、[[怒麻国造]]、[[小市国造]]の領域を合わせ、成立した。
三島領七島と呼ばれた大山祇神社領のうち、[[文明 (日本)|文明]]年間から[[慶長]]年間までの間、下島([[大崎下島]])と[[豊島 (広島県)|豊島]]が[[安芸国|安藝国]][[豊田郡]]に編入となる<ref name="kennkyuuhoukoku3">{{Cite journal|和書|author1=山口佳巳|publisher=広島大学総合博物館|journal=広島大学総合博物館研究報告 -(3)|url=https://ir.lib.hiroshima-u.ac.jp/files/public/3/32078/2014101618515633224/BullHiroshimaUnivMuseum_3_135.pdf|format=PDF|title=広島県呉市大崎下島大長の宇津神社棟札|date=2011|accessdate=2022-01-05}}</ref>。
=== 近代以降の沿革 ===
* 「[[旧高旧領取調帳]]」に記載されている[[明治]]初年時点での国内の支配は以下の通り(964村・434,408石7斗5升)。[[天領|幕府領]]は[[伊予松山藩|松山藩]][[預地]]。'''太字'''は当該郡内に[[藩庁]]が所在。
** [[宇摩郡]](56村・22,364石余) - [[天領|幕府領]]、今治藩、西条藩
** [[新居郡]](53村・36,694石余) - 幕府領、'''[[西条藩]]'''、小松藩
** [[周敷郡]](38村・23,142石余) - 松山藩、西条藩、'''[[小松藩]]'''
** [[桑村郡]](29村・14,650石余) - 幕府領、松山藩
** [[越智郡]](106村・46,790石余) - 幕府領、'''[[今治藩]]'''、松山藩
** [[野間郡]](29村・16,587石余) - 松山藩
** [[風早郡]](84村・18,351石余) - 幕府領、松山藩、大洲藩
** [[和気郡 (愛媛県)|和気郡]](25村・16,345石余) - 松山藩
** [[温泉郡]](36村・22,824石余) - '''[[伊予松山藩|松山藩]]'''
** [[久米郡 (愛媛県)|久米郡]](32村・17,554石余) - 松山藩
** [[浮穴郡]](102村・38,834石余) - 松山藩、大洲藩、新谷藩
** [[伊予郡]](41村・27,949石余) - 松山藩、大洲藩、新谷藩
** [[喜多郡]](83村・33,491石余) - '''[[大洲藩]]'''、'''[[新谷藩]]'''
** [[宇和郡]](250村・98,828石余) - '''[[宇和島藩]]'''、'''[[伊予吉田藩|吉田藩]]'''
* [[慶応]]4年[[1月27日 (旧暦)|1月27日]]([[1868年]][[2月20日]]) - [[戊辰戦争]]により松山藩預地が[[高知藩]]預地となる。
* 明治4年
** [[1月19日 (旧暦)|1月19日]]([[1871年]][[3月9日]]) - 高知藩預地が'''[[倉敷県]]'''の管轄となる。
** [[7月14日 (旧暦)|7月14日]](1871年[[8月29日]]) - [[廃藩置県]]により、藩領が'''[[今治県]]'''、'''[[西条県]]'''、'''[[小松県]]'''、'''[[伊予松山藩|松山県]]'''、'''[[大洲県]]'''、'''[[新谷県]]'''、'''[[宇和島県]]'''、'''[[吉田県]]'''の管轄となる。
** [[9月14日 (旧暦)|9月14日]](1871年[[10月27日]]) - 倉敷県の管轄地域が'''[[丸亀県]]'''の管轄となる。
** [[11月15日 (旧暦)|11月15日]](1871年[[12月26日]]) - 第1次府県統合により、宇摩郡・新居郡・周敷郡・桑村郡・越智郡・野間郡・和気郡・温泉郡および風早郡・浮穴郡・伊予郡のうち丸亀県・松山県の管轄地域が'''[[松山県]]'''、久米郡・喜多郡・宇和郡および風早郡・浮穴郡・伊予郡のうち大洲県・新谷県の管轄地域が'''[[宇和島県]]'''の管轄となる。
* 明治5年
** [[2月9日 (旧暦)|2月9日]]([[1872年]][[3月17日]]) - 松山県の管轄地域が'''[[石鉄県]]'''の管轄となる。
** [[5月15日 (旧暦)|5月15日]](1872年[[6月20日]]) - 石鉄県の管轄地域のうち伊予郡の一部([[重信川]]以南)が宇和島県、宇和島県の管轄地域のうち久米郡および浮穴郡の一部(旧大洲県・新谷県)が石鉄県の管轄となる。
** [[6月23日 (旧暦)|6月23日]](1872年[[7月28日]]) - 宇和島県の管轄地域が'''[[神山県 (日本)|神山県]]'''の管轄となる。
* 明治6年([[1873年]])[[2月20日]] - 全域が'''[[愛媛県]]'''の管轄となる。
* 明治9年([[1876年]])[[2月25日]] - 宇和郡母島浦・久保浦・小矢野浦・鵜来島(現在の[[鵜来島]]および[[沖の島 (高知県)|沖の島]]・姫島の各一部)の所属郡が[[土佐国]][[幡多郡]]に変更。
== 国内の施設 ==
=== 国府 ===
『[[和名抄]]』によれば、[[国府]]は越智郡にあった。現在の[[今治市]]であるが、未だ遺跡は見つかっていない。今治平野にあったことは確実であるが、場所については、古国分・中寺・町谷・上徳・八町など諸説ある。
=== 国分寺・国分尼寺 ===
* '''[[伊予国分寺]]'''
*: [[今治市]]国分の59番札所国分寺の東方に塔跡があり、[[基壇]]の上に心礎を含む12個の礎石が残されている。
* 伊予国分尼寺
*: 尼寺は、僧寺の南方約1,300メートルにある桜井小学校の敷地から唐草文軒平瓦が出土しているので、その付近と想定される。
=== 神社 ===
; [[延喜式内社]]
: 『[[延喜式神名帳]]』には、大社7座・小社17座の計24座が記載されている。大社7社は以下に示すもので、全て[[名神大社]]である。[[伊予国の式内社一覧]]を参照。
* [[宇摩郡]]
** [[村山神社]]([[四国中央市]])
* [[新居郡]]
** [[伊曽乃神社]]([[西条市]])
* [[越智郡]]
** 大山積神社(現: [[大山祇神社]]、[[今治市]])
** [[多伎神社]]([[今治市]])
* [[野間郡]]
** [[野間神社 (今治市)|野間神社]](今治市)
* [[温泉郡]]
** 阿治美神社 - [[松山市]]味酒町と平田町に論社2社(「[[阿沼美神社]]」参照)
* [[伊予郡]]
** [[伊予神社]] - 論社3社。伊予神社([[伊予郡]][[松前町 (愛媛県)|松前町]])、伊予神社(伊予市)、[[伊予豆比古命神社]](松山市)に比定
; [[総社]]・[[一宮]]以下
* 総社: 不詳 - [[伊加奈志神社]](今治市)、大山祇神社境内社「伊予国総社」と推定
* 一宮: '''[[大山祇神社]]'''
二宮以下は不詳。
== 地域 ==
=== 郡 ===
* 律書残篇では13郡。
* [[貞観 (日本)|貞観]]8年[[11月8日 (旧暦)|11月8日]]([[866年]][[12月18日]]) - 宇和郡を割いて喜多郡を置き14郡となる。
* [[1878年]](明治11年)[[12月16日]] - 郡区町村編制法により18郡を編制する。
* [[1889年]](明治22年)[[12月15日]] - 温泉郡の一部に市制を施行し、温泉郡から離れて松山市となる。18郡1市となる。
* [[1897年]](明治30年)[[4月1日]] - 郡制施行のため10郡を廃し、4郡を置く。12郡1市となる。
==== 郡市一覧 ====
貞観8年から明治11年までの千年にわたり以下の14郡であった。
* [[宇摩郡]] - 山田・山口・津根・御井(みい、近井(ちかい))・余戸(あまるべ)
* [[新居郡]] - 新居・丹上(井上(いのへ))・嶋山・花(立花)・加茂・神部
*: 大同4年9月22日(809年11月3日)、同年4月13日(809年5月30日)に即位した嵯峨天皇の諱に触れる為、神野郡を新居郡と改めた(嵯峨天皇の諱は乳母である神野郡出身の神野采女正が努めた事により命名)。
* [[周敷郡]] - 田野・池田・井出・吉田・石井・神戸・余戸
*: 1897年(明治30年)4月1日、廃する。周桑郡の一部となる。
* [[桑村郡]] - 籠田(こた)・御井・津宮(つのみや)
*: 1897年(明治30年)4月1日、廃する。周桑郡の一部となる。
* [[越智郡]] - 朝倉・高市(たけち)・桜井・新屋(にひや)・拝志(はやし)・給理(こほり)・高橋・鴨部・日吉・立花
*: 1897年(明治30年)4月1日、廃する。越智郡の一部となる。
* [[野間郡]] - 宅万・英多(あがた)・大井・賞多(さがた)・神戸
*: 1897年(明治30年)4月1日、廃する。越智郡の一部となる。
* [[風早郡]] - 栗井・河野・高田・難波・那賀
*: 1897年(明治30年)4月1日、廃する。温泉郡の一部となる。
* [[和気郡 (愛媛県)|和気郡]] - 高尾・吉原・姫原・大内
*: 1897年(明治30年)4月1日、廃する。温泉郡の一部となる。
* [[温泉郡]] - 桑原・埴生(はぶ)・立花・井上(いのへ)・味酒(まさけ)
*: 1889年(明治22年)12月15日、温泉郡の一部が松山市となる。
*: 1897年(明治30年)4月1日、温泉郡を廃する。温泉郡の一部となる。
* [[久米郡 (愛媛県)|久米郡]] - 天山・吉井・石井・神戸・余戸
*: 1897年(明治30年)4月1日、廃する。温泉郡の一部となる。
* [[浮穴郡]] - 井門(いど)・拝志・荏原(えばら)・出部(いづべ)
*: [[1878年]](明治11年)12月16日、上浮穴郡と下浮穴郡を編制する。
*: 1897年(明治30年)4月1日、下浮穴郡を廃する。温泉郡と伊豫郡の各一部となる。
* [[伊予郡]] - 神前(かむざき)・吾川(あがわ)・石田・岡田・神戸・余戸
*: 1897年(明治30年)4月1日、廃する。温泉郡と伊豫郡の各一部となる。
* [[喜多郡]] - 矢野・久米・新屋
*: 貞観8年11月8日(866年12月18日)、宇和郡を割いて郡を置く。
* [[宇和郡]] - 石野(いはの)・石城(いはき)・三間(三門)・立間(立門)
*: 1878年(明治11年)12月16日、西宇和郡、東宇和郡、北宇和郡、南宇和郡を編制する。
※郷名は『[[和名抄]]』による。
=== 江戸時代の藩 ===
* [[伊予松山藩]]、[[加藤氏#利仁流加藤氏|加藤家]](20万石) → [[蒲生氏|蒲生家]](24万石) → [[久松氏|久松松平家]](15万石)
* [[伊予松山藩#支藩|松山新田藩]](伊予松山藩支藩、1万石)
* [[宇和島藩]]、[[富田氏#出雲佐々木流富田氏|富田家]](6万石) → 天領 → [[伊達氏|伊達家]](10万石)
* [[伊予吉田藩]](伊達家宇和島藩支藩、3万石)
* [[大洲藩]]、[[脇坂氏|脇坂家]](5.3万石) → [[加藤氏#戦国時代|加藤光泰系加藤家]](6万石)
* [[大洲藩#支藩|新谷藩]](大洲藩支藩、1万石)
* [[今治藩]]、[[藤堂氏|藤堂家]](20万石) → 久松松平家(3万石 → 4万石 → 3.5万石)
* [[川之江藩]]、[[一柳氏|一柳家]](2.86万石) → 廃藩([[播磨国]][[小野藩]]に転封)
* [[西条藩]]、一柳家(6.8万石 → 3万石 → 2.5万石) → 天領 → [[紀州藩]]支藩(3万石)
* [[小松藩]]、一柳家(1万石)
== 人物 ==
=== 国司 ===
==== 伊予守 ====
* [[巨勢小邑治]]: [[和銅]]7年([[715年]])任官
* [[百済王敬福]]: [[天平宝字]]3年([[759年]])任官
* [[坂上苅田麻呂]]: 780年頃
* [[藤原吉野]]: [[弘仁]]14年([[823年]])任官
* [[藤原吉野]]: [[天長]]3年([[826年]])任官
* [[紀深江]]: 835年頃
* [[藤原大津]]: [[承和 (日本)|承和]]11年([[844年]])任官
** [[藤原氏宗]]: [[斉衡]]4年([[857年]])任官(権守)
* [[春澄善縄]]: [[天安 (日本)|天安]]2年([[858年]])任官
* [[豊前王]]: [[貞観 (日本)|貞観]]3年([[861年]])任官
* [[藤原基経]]: 貞観7年([[865年]])任官
* [[源寛]]: 貞観12年([[870年]])任官
* [[和気彜範]]: [[仁和]]3年([[887年]])任官
* [[橘澄清]]: [[寛平]]9年([[897年]])任官
** [[良岑衆樹]]: [[延喜]]17年([[917年]])任官(権守)
* [[平時望]]: [[延長 (元号)|延長]]3年([[925年]])任官
* [[平伊望]]: [[承平 (日本)|承平]]3年([[933年]])任官
* [[紀淑人]]: 承平6年([[936年]])任官
* [[藤原師氏]]: [[天慶]]8年([[945年]])任官
** [[大江朝綱]]: [[天暦]]3年([[949年]])任官(権守)
** [[大江維時]]: 天暦10年([[956年]])任官(権守)
* [[藤原伊尹]]: [[天徳 (日本)|天徳]]4年([[960年]])任官(天徳2年権守)
** [[藤原佐理]]: [[天元 (日本)|天元]]5年([[982年]])任官(権守)
** [[藤原公任]]: [[寛和]]2年([[986年]])任官(権守)
* [[藤原為任]]: [[長和]]3年([[1013年]])任官
* [[源頼定]]
* [[源頼光]]: 1018年頃在(「[[小右記]]」より)
* [[源満仲]]
* [[源満政]]
* [[高階成章]]:[[永承]]4年([[1049年]])任官
* [[源頼義]]: [[康平]]6年([[1063年]])任官
* [[藤原顕季]]: [[寛治]]4年([[1090年]])任官
* [[源国明]]
* [[藤原長実]]: [[長治]]2年([[1105年]])任官
* [[藤原忠隆]]: [[天承]]元年([[1131年]])任官
* [[平重盛]]: [[平治]]元年([[1159年]])任官
* [[藤原邦綱]]: [[永暦]]2年([[1161年]])任官
* [[藤原親信]]: 1160年頃
* [[藤原実宗]]: [[応保]]3年([[1163年]])任官
* [[高階泰経]]: [[安元]]2年([[1176年]])任官
* [[源義仲]]: [[寿永]]2年([[1183年]])任官
* [[源義経]]: [[元暦]]2年([[1185年]])任官
==== 伊予介 ====
* [[藤原経家 (権中納言)|藤原経家]]: [[永承]]4年([[1049年]])任官
* [[源隆俊]]: [[天喜]]元年([[1053年]])任官
==== 伊予掾 ====
* [[藤原純友]]
=== 守護 ===
==== 鎌倉幕府 ====
* [[佐々木盛綱]]: 〜[[建仁]]3年([[1203年]]) - ?
* [[宇都宮頼綱]]: 〜[[承久]]([[1219年]] - [[1222年]])・[[嘉禎]]([[1235年]] - [[1238年]])年間頃
* [[宇都宮頼業]]: 〜[[仁治]]元年([[1240年]]) - ?
* [[宇都宮貞宗]]: 〜[[元弘]]元年([[1331年]]) - 同3年([[1333年]])
(出典は『愛媛県史 人物』<ref>愛媛県史編さん委員会 編『愛媛県史 人物』愛媛県、1989年2月28日、699頁、{{NDLJP|9776235}}{{要登録}}。</ref>)
==== 室町幕府 ====
* [[河野通盛]]: 1336年 - ?
* [[岩松頼有]]: 1340年 - 1341年
* [[細川頼春]]: 1342年 - ?
* 河野通盛: 1351年 - 1354年
* [[細川頼之]]: 1354年 - 1379年
* [[河野通堯]]: 1379年 - ?
* [[河野通能]]: 1380年 - 1394年
* [[河野通之]]: 1394年 - 1411年
* [[河野通久]]: 1414年 - 1435年
* [[河野教通]]: 1435年 - 1444年
* [[河野通春]]: 1449年 - ?
* 河野教通: 1450年 - 1453年
* 河野通春: 1453年 - 1455年
* [[細川勝元]]: 1455年 - ?
* 河野通春: 1459年 - ?
* [[細川賢氏]]: 1465年 - ?
* 河野教通: 1473年 - 1477年
* 河野通春: 1477年 - 1482年
* [[河野通篤]]: 1482年 - 1485年
* [[河野通直 (弾正少弼)|河野通直]]: 1499年 - ?
* [[河野通宣 (刑部大輔)|河野通宣]]: 1500年 - 1519年
* [[河野通直 (伊予守)|河野通直]]: 1519年 - 1550年
=== 戦国時代 ===
==== 戦国大名 ====
* [[河野氏]]: 代々伊予守護を務めたが、[[豊後]]の[[大友氏]]や[[土佐国|土佐]]の[[長宗我部氏]]などの度重なる侵攻により衰退し、 1585年[[長宗我部元親]]に降伏(異論あり)。同年、[[豊臣秀吉|秀吉]]の[[四国攻め]]で降伏し改易される。1587年、[[河野通直 (伊予守)|河野通直]]が嗣子無くして没し、大名としての河野氏は57代をもって滅亡。
** [[村上水軍|村上氏]](村上水軍):能島村上家、因島村上家は[[毛利氏|毛利家]]家臣に、来島村上家は[[豊臣政権]]の大名を経て豊後国[[森藩]]主となった。
* [[西園寺氏]]: 1585年に[[長宗我部元親]]に降伏。1587年、豊臣政権の大名[[戸田勝隆]]に[[西園寺公広]]が殺害され滅亡。
* [[伊予宇都宮氏]]: 1568年の[[毛利氏の伊予出兵]]で滅亡した。
* [[長宗我部氏]]: 1585年までに伊予の大部分を平定するが、秀吉に降伏、土佐一国のみを安堵される。
==== 豊臣政権の大名 ====
* [[小早川隆景]]: 伊予一国35万石([[湯築城]])、1585年 - 1586年(筑前・筑後37万石に移封)
* [[粟野秀用]]:正木10万石([[松前城 (伊予国)|正木城]])→13万石→16万石、1585→1595(豊臣秀次に連座して斬首・改易)
* [[安国寺恵瓊]]: [[和気郡]]2万3,000石 → 6万石、1585年 - 1600年([[関ヶ原の戦い]]後改易)
* [[来島通総]]・[[来島長親|通親]]: [[風早郡]]1万4,000石、1585年 - 1600年(関ヶ原の戦い後改易、その後豊後[[森藩]]に移封)
* [[戸田勝隆]]: 大洲7万石([[大洲城]])、1587年 - 1594年(無嗣断絶)
* [[福島正則]]: 今治11万石(湯築城)、1587年 - 1595年(尾張国[[清洲城|清洲]]24万石に移封)
* [[池田景雄]]: 今治7万石、1595年 - 1598年(死亡、嫡子の秀氏が2万石を相続)
* [[藤堂高虎]]: 板島7万石 → 8万石([[宇和島城|板島丸串城]])、1595年 - 1600年(関ヶ原の戦い後、伊予[[今治藩]]20万石に移封)
* [[加藤嘉明]]: [[伊予郡]][[松前町 (愛媛県)|正木]](正木城)6万石 → 10万石、1595年 - 1600年(関ヶ原の戦い後、20万石に加増され、[[松山城 (伊予国)|松山]]に築城し[[伊予松山藩]]となる)
* [[池田秀氏]]: 大洲2万石、1598年 - 1600年(関ヶ原の戦い後改易)
* [[小川祐忠]]: 今治7万石(国分城)、1598年 - 1600年(関ヶ原の戦い後改易)
=== 武家官位としての伊予守 ===
* 江戸以前
** [[尼子経久]]: 出雲守護代、[[戦国大名]]
** [[今川貞世]](了俊): 鎌倉時代後期から南北朝・室町時代の武将、[[守護大名]]。遠江[[今川氏]]・初代当主
** [[今川貞相]]: 室町時代初期から中期にかけての武将。遠江今川氏・4代当主
** [[上杉顕定 (扇谷上杉家)|上杉顕定]]: 南北朝時代の武将。[[扇谷上杉家]]初代当主
** [[上杉憲方#略歴|上杉憲方]]: 室町時代の武将
** [[上杉教朝]]: 室町時代の武将
** [[大内満弘]]: 南北朝時代から室町時代の武将。豊前[[守護代]]
*** [[大内義隆]]: [[天文 (元号)|天文]]9年([[1540年]])伊予掾に任官
** [[大舘尚氏]]: 室町時代後期([[戦国時代 (日本)|戦国時代]])の武将。室町幕府[[奉公衆]]
** [[木曾義昌]]: 戦国時代信濃国の武将。木曾谷の領主[[木曾氏]]第19代当主
** [[河野通春]]: 室町時代後期から戦国時代にかけての武将、[[守護大名]]。伊予[[守護]]。[[河野氏|河野家]]分家予州家
** [[河野通宣 (左京大夫)|河野通宣]]: 伊予の戦国大名。河野家宗家
** [[河野通直 (伊予守)|河野通直]]: 伊予の戦国大名。[[河野氏]]最後の当主。通宣の子
** [[佐竹義宣 (伊予守)|佐竹義宣]]: 南北朝時代の武将。[[常陸国]][[佐竹氏]]第10代当主
** [[佐竹義俊]]: 室町時代の武将。佐竹氏第13代当主
** [[斯波家兼]]: 南北朝時代の武将。若狭守護、奥州管領
** [[斯波義種]]: 南北朝時代から室町時代の武将・守護大名。加賀・越前・若狭・信濃・山城守護
** [[滝川一益]]: 戦国時代から安土桃山時代にかけての武将、大名。織田信長の家臣
** [[畠山義就]]: 室町時代後期から戦国時代前期の武将、守護大名。河内・紀伊・山城・越中守護
** [[細川清氏]]: 南北朝時代の武将、守護大名。室町幕府2代将軍[[足利義詮]]の執事、伊勢・伊賀・若狭守護
** [[山名時義]]: 南北朝時代の武将、守護大名。美作・伯耆・但馬・備後守護。[[山名宗全]]の祖父
** [[山名豊時]]: 室町時代の武将。因幡守護
** [[山名満時]]: 室町時代の武将。[[山名宗全]]の兄
** [[脇屋義助]]: 鎌倉時代末期から南北朝時代初期の武将。[[新田義貞]]の弟
* 江戸時代[[阿部氏 (徳川譜代)|阿部家]]宗家
** [[阿部正勝]]: 戦国武将、武蔵[[鳩ヶ谷藩]]主。宗家初代[[阿部正次]]の父
** [[阿部正春]]: 宗家4代。上総[[大多喜新田藩]]、武蔵[[岩槻藩]]、上総[[大多喜藩]]、三河[[刈谷藩]]主
** [[阿部正右]]: 宗家7代。備後[[備後福山藩|福山藩]]第3代藩主・老中
** [[阿部正寧]]: 宗家10代。福山藩第6代藩主
** [[阿部正教]]: 宗家12代。福山藩第8代藩主
* 江戸時代[[備前国|備前]][[岡山藩]][[池田氏#美濃池田家|池田家]]
** [[池田綱政]]: 第2代藩主
** [[池田宗政]]: 第4代藩主
** [[池田斉敏]]: 第7代藩主
* 江戸時代[[上野国|上野]][[安中藩]][[板倉氏|板倉家]]
** [[板倉重形]]: 初代藩主
** [[板倉重同]]: 第2代藩主
** [[板倉勝意]]: 第3代藩主
** [[板倉勝尚 (安中藩主)|板倉勝尚]]: 第4代藩主
** [[板倉勝明]]: 第5代藩主
* 江戸時代[[豊後国|豊後]][[臼杵藩]][[稲葉氏|稲葉家]]
** [[稲葉良通]](一鉄): 美濃の戦国武将。初代藩主[[稲葉貞通]]の父
** [[稲葉恒通]]: 第7代藩主
** [[稲葉雍通]]: 第11代藩主
** [[稲葉観通]]: 第14代藩主
* 江戸時代[[出羽国|出羽]][[亀田藩]][[岩城氏|岩城家]]
** [[岩城重隆 (亀田藩主)|岩城重隆]]: 第3代藩主
** [[岩城秀隆]]: 第4代藩主
** [[岩城隆恭]]: 第6代藩主
** [[岩城隆恕]]: 第7代藩主
** [[岩城隆喜]]: 第8代藩主
* 江戸時代[[丹波国|丹波]][[福知山藩]][[朽木氏|朽木家]]
** [[朽木稙昌]]: 朽木家2代。常陸[[土浦藩]]第2代藩主、丹波[[福知山藩]]初代藩主
** [[朽木稙綱 (福知山藩主)|朽木稙綱]]: 朽木家4代。福知山藩第3代藩主
** [[朽木舖綱]]: 朽木家8代。丹波福知山藩第7代藩主
** [[朽木為綱]]: 朽木家14代。丹波福知山藩第13代藩主
* 江戸時代[[豊後国|豊後]][[森藩]]久留島家
** [[久留島通政]]: 第4代藩主
** [[久留島通嘉]]: 第8代藩主
** [[久留島通靖]]: 第12代藩主
* 江戸時代[[三河国|三河]][[刈谷藩]][[土井氏|土井家]]
** [[土井利意]]: 刈谷藩土井家2代。三河[[西尾藩]]第2代藩主
** [[土井利信]]: 刈谷藩土井家4代。西尾藩第4代藩主、三河刈谷藩初代藩主
** [[土井利謙]]: 刈谷藩土井家7代。刈谷藩第4代藩主
* 江戸時代[[上野国|上野]][[沼田藩]][[土岐氏|土岐家]]
** [[土岐頼殷]]: 土岐家3代。出羽[[上山藩]]、駿河[[田中藩]]初代藩主
** [[土岐頼煕]]: 土岐家5代。沼田藩第2代藩主
** [[土岐頼寛]]: 土岐家7代。沼田藩第4代藩主
* 江戸時代[[伊勢国|伊勢]][[神戸藩]][[本多氏|本多家]]
** [[本多忠統]]: 初代藩主
** [[本多忠奝]]: 第4代藩主
** [[本多忠升]]: 第5代藩主
** [[本多忠寛 (神戸藩主)|本多忠寛]]: 第6代藩主
** [[本多忠貫]]: 第7代藩主
* 江戸時代[[越前国|越前]][[福井藩]][[越前松平家]]
** [[松平忠昌]]: 第3代藩主
** [[松平吉邦]]: 第8代藩主
** [[松平治好]]: 第13代藩主
** [[松平斉承]]: 第14代藩主
* 江戸時代その他
** [[井上正兼]]: 常陸[[下妻藩]]第13代藩主
** [[井上正巳]]: 下妻藩第14代藩主
** [[大関増興]]: 下野[[黒羽藩]]第7代藩主
** [[小笠原忠総]]: 豊前[[小倉藩]]第4代藩主
** [[小笠原忠苗]]: 小倉藩第5代藩主
** [[小笠原吉次]]: 尾張[[犬山藩]]、下総[[佐倉藩]]、常陸[[笠間藩]]主
** [[織田秀行]]: 大和[[柳本藩]]第6代藩主
** [[伊達宗城]]: 伊予[[宇和島藩]]第8代藩主
** [[土屋直樹]]: 上総[[久留里藩]]第3代藩主
** [[遠山友由]]: 美濃[[苗木藩]]第5代藩主
** [[本多忠周]]: 三河[[足助藩]]主
** [[松平定昭]]: 伊予[[伊予松山藩|松山藩]]第14代藩主
** [[松平資昌]]: 遠江[[浜松藩]]第2代藩主、丹後[[宮津藩]]初代藩主
** [[松平資承]]: 丹後宮津藩第3代藩主
** [[森忠賛]]: 播磨[[赤穂藩]]第7代藩主
** [[森長義]]: 播磨[[三日月藩]]第6代藩主
** [[内藤信輝]]: 越後[[村上藩]]主
== 伊予国の合戦 ==
* [[940年]]: [[承平天慶の乱#藤原純友の乱|藤原純友の乱]]
* [[1567年]] - [[1568年]]: [[毛利氏の伊予出兵]]。[[河野氏|河野]]・[[毛利氏|毛利]]([[村上通康]]、[[小早川隆景]]等) x [[土佐一条氏|土佐一条]]・[[伊予宇都宮氏|伊予宇都宮]]([[一条兼定]]、[[宇都宮豊綱]])
* [[1585年]]: 秀吉の[[四国攻め]]。[[豊臣秀吉|羽柴秀吉]] x [[長宗我部元親]]
** [[1585年]]: [[天正の陣]]。羽柴軍(小早川隆景) x 長宗我部軍([[金子元宅]])
* [[1600年]]: [[関ヶ原の戦い]]の付随合戦
** [[三津浜夜襲|三津刈谷口の戦い]]: [[佃十成]]([[加藤嘉明]]留守居) x 毛利軍(宍戸景世、[[村上元吉]])
** 三瀬騒動: 芦田昌隆([[藤堂高虎]]留守居)x 三瀬六兵衛(西園寺氏旧臣)
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
===注釈===
{{Notelist}}
===出典===
{{Reflist}}
== 参考文献 ==
* [[角川日本地名大辞典]] 38 愛媛県
* [https://www.rekihaku.ac.jp/up-cgi/login.pl?p=param/kyud/db_param 旧高旧領取調帳データベース]
== 関連項目 ==
{{Commonscat|Iyo Province}}
* [[令制国一覧]]
* [[宇都宮貞泰]]
* [[忽那氏]]
* [[戒能氏]]
* [[今治城]]: [[日本100名城]]
{{令制国一覧}}
{{伊予国の郡}}
{{デフォルトソート:いよのくに}}
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[[Category:南海道|国いよ]]
[[Category:愛媛県の歴史]]
[[Category:伊予国|*]]
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2003-08-31T12:56:23Z
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フィボナッチ数
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フィボナッチ数(フィボナッチすう、英: Fibonacci number)は、イタリアの数学者レオナルド・フィボナッチ(ピサのレオナルド)に因んで名付けられた数である。
フィボナッチ数列(、英: Fibonacci sequence) (Fn) は、次の漸化式で定義される:
第0~22項の値は次の通りである:
1202年にフィボナッチが発行した『算盤の書』(Liber Abaci) に記載されたことで「フィボナッチ数」と呼ばれているが、それ以前にもインドの学者であるヘーマチャンドラ (Hemachandra) が韻律の研究により発見し、書物に記したことが判明している。
レオナルド・フィボナッチは次の問題を考案した。
つがいの数は次の表のようになる。どの月のつがいの合計も、その前の2つの月での合計の和となり、フィボナッチ数が現れていることが分かる。
フィボナッチ数列の一般項は次の式で表される:
この式は1843年にビネ (Jacques Philippe Marie Binet) が発表したことからビネの公式と呼ばれるが、それ以前の1730年(ド・モアブル)・1765年(オイラー)にも発表されており、ビネは最初の発見者ではない。
なお、この式に現れる
は黄金数で、いくつかの数学的特徴がある。黄金数を作る二次方程式 x − x − 1 = 0 の解を α, β (α > β) とすると、上記の一般項は
と表せる。
また、一般項の第2項 − 1 5 ( 1 − 5 2 ) n {\displaystyle -{\frac {1}{\sqrt {5}}}\left({\frac {1-{\sqrt {5}}}{2}}\right)^{n}} の絶対値は減少列で、n = 0 のとき 1 5 = 0.447 ⋯ < 1 2 {\displaystyle {\frac {1}{\sqrt {5}}}=0.447\cdots <{\frac {1}{2}}} より、第2項を切り捨てた式は Fn の値を 0.447 以下(n > 4 のとき1%以下)の誤差で与える近似式である。
この誤差の絶対値は0.5未満なので、Fn の正確な整数値は以下の式で得られる。
ただし、 ⌊ x ⌋ {\displaystyle \lfloor x\rfloor } は床関数である。
なお、後述の負数番への拡張を考慮した場合、n < 0 では逆に一般項の第1項の絶対値が0.5未満となるため、n < 0 における Fn の正確な整数値は以下の式で得られる。
これらのことから、任意の整数 n における Fn の正確な整数値は以下の式で得られる。
ただし、sgn x は符号関数である。
また、フィボナッチ数列の漸化式は次のように行列表現できる:
母関数は
である。
フィボナッチ数列の隣接2項の商は黄金数 φ に収束する。この性質は初期値 (F0 = 0, F1 = 1) に依らない。
これは次のように導出される:
これより以下を導くことができる。
フィボナッチ数の累和や累積について以下の式が成り立つ。
また、次の関係式が知られている。
フィボナッチ数のうち平方数であるのは F1 = F2 = 1, F12 = 144 のみ (Cohn 1964)、立方数であるのは F1 = F2 = 1, F6 = 8 のみ (London and Finkelstein 1969)である。フィボナッチ数のうち累乗数であるのはこれしかない (Bugeaud, Mignotte, Siksek 2006)。(オンライン整数列大辞典の数列 A227875)
フィボナッチ数で素数であるのは 2, 3, 5, 13, 89, 233, 1597, 28657, ... である(オンライン整数列大辞典の数列 A005478)。また、これらはフィボナッチ素数と呼ばれる。
フィボナッチ数で三角数であるのは 1, 3, 21, 55(オンライン整数列大辞典の数列 A039595)のみであることは Vern Hoggatt によって予想されていたが、のちに Luo Ming によって証明された。
フィボナッチ数でハーシャッド数であるのは 1, 2, 3, 5, 8, 21, 144, 2584, ...(オンライン整数列大辞典の数列 A117774)。
フィボナッチ数は完全数にはならない。より一般に、フィボナッチ数は倍積完全数にもならず、2つのフィボナッチ数の商も完全数にはならない。
フィボナッチ数列の逆数和は収束し、記号 ψ で表される。
この ψ が無理数であることは証明されているが (André-Jeannin 1989)、超越数であるかどうかは分かっていない。
任意の正の整数は、1つ以上の連続しない相異なるフィボナッチ数の和として一意に表すことができる(ゼッケンドルフの定理)。
再帰的処理の例としてよく紹介される。以下はPythonでの例。
しかし、上記例1のプログラムでは n が与えられてから Fn が求まるまでに F n ∝ φ n {\displaystyle F_{n}\propto \phi ^{n}} 回の関数呼び出しが発生する(すなわち指数時間の計算となる)ため、実用的ではない。したがって通常は、例4に示すような指数関数的なコールを必要としない実装を行うか、線形時間で計算するためにメモ化などの手法を用いる。さらに、n が大きい場合には一般項の公式(上記例3)や行列表現を利用して対数時間(英語版)での計算を行う。
ヨハネス・ケプラーは1611年に発表した小論文「深淵の贈り物あるいは六角形の雪について」において、フィボナッチ数を自己を増殖する比例と呼び、植物の種子の能力の現れであると論じた。
フィボナッチ数列は、漸化式 Fn = Fn−1 + Fn−2 を全ての整数 n に対して適用することにより、n が負の整数の場合に拡張できる。そして F−n = (−1)Fn が成り立つ。この式より、負の番号の項は次のようになる。
フィボナッチ数列の定義である初期値や漸化式をやや変更して、類似の数列が作れる。
フィボナッチ数列は各項が先行する二項の和であるものであったが、それを「先行する k 項の和」と置き換えた一般化
を考えることができる。ただし、初期値は 1 で埋める(1-fil型)
あるいは 0 で埋める(0-fil型)
などを取るのが一般的である。これらフィボナッチ数列の類似物を、項数 k に対応するラテン語またはギリシャ語に由来する倍数接頭辞を「フィボナッチ」と組み合わせた名称で呼ぶ。
特に直前の三項の和として各項が定まるトリボナッチ数列は、フィボナッチ数列に次いでよく調べられている。0-fil型でオフセットが0番目からのものは
と表される。第0~21項の値は次の通りである:
トリボナッチ数列の一般項は次で表される。
ただし、α, β, γ は三次方程式 x − x − x − 1 = 0 の3解
であり、ここで
である。
また、上記の α をトリボナッチ定数という。これはフィボナッチ数列における黄金数に当たる定数で、トリボナッチ数列の隣接2項間の商はトリボナッチ定数に収束する:
直前の四項の和に変更したテトラナッチ数列も同様に様々なことが知られている。同様にオフセット0番の 0-fil型は
と書けて、第0~21項の値は次の通りである:
一般項は、四次方程式 x − x − x − x − 1 = 0 の4解を α, β, γ, δ として、
となる。
フィボナッチ数列の最初の2項を 2, 1 に置き換えた数列の項をリュカ数という。
この数列の一般項は
と表される。
フィボナッチ数列やリュカ数の列を一般化したものがリュカ数列であり、1878年にエドゥアール・リュカが体系的な研究を行い、1913年にロバート・ダニエル・カーマイケル(英語版)がその結果を整理、拡張した。これらの研究が現代のフィボナッチ数の理論の基礎となった。
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"text": "フィボナッチ数列やリュカ数の列を一般化したものがリュカ数列であり、1878年にエドゥアール・リュカが体系的な研究を行い、1913年にロバート・ダニエル・カーマイケル(英語版)がその結果を整理、拡張した。これらの研究が現代のフィボナッチ数の理論の基礎となった。",
"title": "類似の数列"
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フィボナッチ数は、イタリアの数学者レオナルド・フィボナッチ(ピサのレオナルド)に因んで名付けられた数である。
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[[画像:34*21-FibonacciBlocks.png|300px|thumb|フィボナッチ数を一辺とする[[正方形]]]]
[[画像:Image from Gutza Wikipedia.jpg|thumb|[[ウィキペディア日本語版]]の[[Wikipedia:メインページの改訂|メインページ]]([[2007年]]〜[[2012年]])で使われていたイメージ画像もフィボナッチ数列を利用していた{{efn|フィボナッチ数列を利用したこの[[ウィキペディア日本語版]]のメインページの画像は、[[利用者:Co.kyoto/メインページ]]案中の「ウィキペディアにようこそ!」欄の左側に掲載されていた。なお、現在ウィキペディア日本語版の[[w:ja:メインページ|メインページ]]で利用されている、「[[Template:メインページ/ようこそ]]」とは異なり、各テンプレートの集合で構成されているため、履歴にはない。}}。]]
'''フィボナッチ数'''(フィボナッチすう、{{lang-en-short|Fibonacci number}})は、[[イタリア]]の数学者[[レオナルド・フィボナッチ]](ピサのレオナルド)に因んで名付けられた[[数]]である。
== 概要 ==
{{読み仮名|'''フィボナッチ[[数列]]'''|フィボナッチすうれつ|{{lang-en-short|{{lang|it|Fibonacci}} sequence}}}} {{math|(''F{{sub|n}}'')}} は、次の[[漸化式]]で定義される:
:{{math|1=''F''{{sub|0}} = 0,}}
:{{math|1=''F''{{sub|1}} = 1,}}
:{{math|1=''F''{{sub|''n''+2}} = ''F{{sub|n}}'' + ''F''{{sub|''n''+1}} (''n'' ≥ 0)}}
第0~22項の値は次の通りである:
:[[0]], [[1]], 1, [[2]], [[3]], [[5]], [[8]], [[13]], [[21]], [[34]], [[55]], [[89]], [[144]], [[233]], [[377]], [[610]], [[987]], 1597, 2584, 4181, [[6765]], 10946, 17711, …({{OEIS|A000045}})
[[1202年]]にフィボナッチが発行した『[[算盤の書]]』(Liber Abaci) に記載されたことで「フィボナッチ数」と呼ばれているが、それ以前にも[[インド]]の学者である[[ヘーマチャンドラ]] (Hemachandra) が[[韻律 (韻文)|韻律]]の研究により発見し、書物に記したことが判明している<ref>Parmanand Singh. "Acharya Hemachandra and the (so called) Fibonacci Numbers". ''Math. Ed. Siwan,'' '''20(1)''': pp. 28–30, 1986. ISSN 0047-6269.</ref><ref>Parmanand Singh, "The So-called Fibonacci numbers in ancient and medieval India." ''Historia Mathematica'' '''12(3)''', pp. 229–244, 1985.</ref>。
== 兎の問題 ==
[[レオナルド・フィボナッチ]]は次の問題を考案した<ref name="algo">{{Cite book|和書 |title=C言語による最新アルゴリズム事典 |publisher=[[技術評論社]] |author=奥村晴彦|authorlink=奥村晴彦|year=1991 |page=305 |isbn=4-87408-414-1}}</ref>。
*1つがいの兎は、産まれて2か月後から毎月1つがいずつの兎を産む。
*兎が死ぬことはない。
*この条件の下で、産まれたばかりの1つがいの兎は1年の間に何つがいの兎になるか?
つがいの数は次の表のようになる。どの月のつがいの合計も、その前の2つの月での合計の和となり、フィボナッチ数が現れていることが分かる。
{|class="wikitable" style="text-align:right"
! !!産まれたばかりのつがい!!生後1か月のつがい!!生後2か月以降のつがい!!つがいの数(合計)
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|-
!style="white-space:nowrap"|1か月後
|0||1||0||1
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|-
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|2||1||2||5
|-
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|3||2||3||8
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|5||3||5||13
|-
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|8||5||8||21
|-
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|13||8||13||34
|-
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|21||13||21||55
|-
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|34||21||34||89
|-
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|55||34||55||144
|-
!style="white-space:nowrap"|12か月後
|89||55||89||233
|}
== 一般項 ==
フィボナッチ数列の一般項は次の式で表される<ref name="algo" />:
:<math>F_n
= \frac{1}{\sqrt{5}} \left\{ \left( \frac{1+\sqrt{5}}{2} \right)^n - \left( \frac{1-\sqrt{5}}{2} \right)^n \right\}
= \frac{\phi^n - (1-\phi)^n}{\sqrt{5}}
= \frac{\phi^n - (-\phi)^{-n}}{\sqrt{5}}</math>
この式は[[1843年]]に[[ジャック・フィリップ・マリー・ビネ|ビネ]] ({{interlang|en|Jacques Philippe Marie Binet}}) が発表したことからビネの公式と呼ばれるが、それ以前の[[1730年]]([[アブラーム・ド・モアブル|ド・モアブル]])・[[1765年]]([[レオンハルト・オイラー|オイラー]])にも発表されており、ビネは最初の発見者ではない。
なお、この式に現れる
:<math>\phi = \frac{1+\sqrt{5}}{2} = 1.618 033 988 749 894\cdots</math>
は'''[[黄金比|黄金数]]'''で、いくつかの数学的特徴がある。黄金数を作る[[二次方程式]] {{math2|''x''{{sup|2}} − ''x'' − 1 {{=}} 0}} の解を {{math2|''α'', ''β'' (''α'' > ''β'')}} とすると、上記の一般項は
:<math>F_n=\frac{\alpha^n-\beta^n}{\alpha-\beta}=\frac{\alpha^n}{\alpha-\beta}+\frac{\beta^n}{\beta-\alpha}</math>
と表せる。
また、一般項の第2項 <math>-\frac{1}{\sqrt{5}} \left( \frac{1-\sqrt{5}}{2} \right)^n</math> の絶対値は減少列で、{{math|1=''n'' = 0}} のとき <math>\frac{1}{\sqrt{5}} = 0.447\cdots < \frac{1}{2}</math> より、第2項を切り捨てた式は {{mvar|F{{sub|n}}}} の値を 0.447 以下({{math|''n'' > 4}} のとき1%以下)の誤差で与える[[近似式]]である。
:<math>F_n \fallingdotseq \frac{\phi^n}{\sqrt{5}}</math>
この誤差の絶対値は0.5未満なので、{{mvar|F{{sub|n}}}} の正確な整数値は以下の式で得られる<ref name="algo" />。
:<math>F_n
= \left\lfloor \frac{\phi^n}{\sqrt{5}} + \frac{1}{2} \right\rfloor
= \left\lfloor \frac{1}{\sqrt{5}}\left( \frac{1+\sqrt{5}}{2} \right)^n + \frac{1}{2} \right\rfloor</math>
ただし、<math>\lfloor x\rfloor</math> は[[床関数と天井関数|床関数]]である。
なお、後述の[[#負数番への拡張|負数番への拡張]]を考慮した場合、{{math|''n'' < 0}} では逆に一般項の第1項の絶対値が0.5未満となるため、{{math|''n'' < 0}} における {{mvar|F{{sub|n}}}} の正確な整数値は以下の式で得られる。
:<math>F_n
= - \left\lfloor \frac{(-\phi)^{-n}}{\sqrt{5}} + \frac{1}{2} \right\rfloor
= - \left\lfloor \frac{1}{\sqrt{5}}\left( \frac{1-\sqrt{5}}{2} \right)^n + \frac{1}{2} \right\rfloor</math>
これらのことから、任意の整数 {{mvar|n}} における {{mvar|F{{sub|n}}}} の正確な整数値は以下の式で得られる。
:<math>F_n
= (\sgn n) \left\lfloor \frac{\{(\sgn n)\phi\}^{|n|}}{\sqrt{5}} + \frac{1}{2} \right\rfloor
= (\sgn n) \left\lfloor \frac{1}{\sqrt{5}}\left\{ \frac{1+(\sgn n)\sqrt{5}}{2} \right\}^n + \frac{1}{2} \right\rfloor</math>
ただし、{{math|sgn ''x''}} は[[符号関数]]である。
また、フィボナッチ数列の漸化式は次のように[[行列]]表現できる<ref name="algo" />:
:<math>{F_{n+2} \choose F_{n+1}} = \begin{pmatrix}
1 &1 \\
1 &0
\end{pmatrix} {F_{n+1} \choose F_n}</math>
:<math>\therefore \begin{pmatrix}
F_{n+1} &F_n \\
F_n &F_{n-1}
\end{pmatrix} = \begin{pmatrix}
1 &1 \\
1 &0
\end{pmatrix}^n</math>
[[母関数]]は
:<math>g(x) = \textstyle\sum\limits_{n=0}^{\infty} F_n x^n = \dfrac{x}{1-x-x^2}</math>
である。
== 性質 ==
フィボナッチ数列の隣接2項の商は[[黄金比|黄金数]] {{mvar|φ}} に収束する。この性質は初期値 ({{math2|1=''F''{{sub|0}} = 0, ''F''{{sub|1}} = 1}}) に依らない。
:<math>\lim_{n \to \infty} \frac{F_n}{F_{n-1}} = \phi</math>
これは次のように導出される:
:<math>x = \lim_{n \to \infty} \frac{F_n}{F_{n-1}}</math> が収束するとすれば、
:<math>x = \lim_{n \to \infty} \frac{F_{n-1} + F_{n-2}}{F_{n-1}} = \lim_{n \to \infty} \left( 1 + \frac{1}{F_{n-1} / F_{n-2}} \right) = 1 + \frac{1}{x}</math>
:<math>x^2-x-1=0</math>
* 自然数 {{math|''p'', ''q''}} の[[最大公約数]]を {{mvar|r}} とすると、{{mvar|F{{sub|p}}}} と {{mvar|F{{sub|q}}}} の最大公約数は {{mvar|F{{sub|r}}}} である。
これより以下を導くことができる。
:* {{mvar|m}} が {{mvar|n}} で割り切れるならば、{{mvar|F{{sub|m}}}} は {{mvar|F{{sub|n}}}} で割り切れる。
:* 連続する2数は[[互いに素 (整数論)|互いに素]]であることより、隣り合うフィボナッチ数も互いに素である。
:* {{mvar|F{{sub|m}}}} が[[偶数]]となるのは {{mvar|m}} が 3 の倍数となるときと一致する。
:* {{mvar|F{{sub|m}}}} が 5 の[[倍数]]となるのは {{mvar|m}} が 5 の倍数となるときと一致する。
:* {{mvar|p}} が 2 でも 5 でもない[[素数]]のとき、{{math|1=''m'' = ''p'' − (5/''p'')}} とおくと {{mvar|p}} は {{mvar|F{{sub|m}}}} を割り切る。ここで {{math|( / )}} は[[平方剰余の相互法則|ルジャンドル記号]]である。
フィボナッチ数の累和や累積について以下の式が成り立つ。
*{{math|1=''F''{{sub|1}} + ''F''{{sub|2}} + ''F''{{sub|3}} + … + ''F{{sub|n}}'' = ''F''{{sub|''n''+2}} − 1}}
*{{math|1=''F''{{sub|1}} + ''F''{{sub|3}} + ''F''{{sub|5}} + … + ''F''{{sub|2''n''−1}} = ''F''{{sub|2''n''}}}}
*{{math|1=''F''{{sub|2}} + ''F''{{sub|4}} + ''F''{{sub|6}} + … + ''F''{{sub|2''n''}} = ''F''{{sub|2''n''+1}} − 1}}
*{{math|1=''F''{{sub|1}}{{sup|2}} + ''F''{{sub|2}}{{sup|2}} + ''F''{{sub|3}}{{sup|2}} + … + ''F{{sub|n}}''{{sup|2}} = ''F{{sub|n}}'' ''F''{{sub|''n''+1}}}}
*{{math|1=''F''{{sub|''n''−1}} ''F''{{sub|''n''+1}} − ''F{{sub|n}}''{{sup|2}} = (−1){{sup|''n''}}}}
また、次の関係式が知られている。
:<math>\sum_{k=1}^\infty \frac{F_k}{n^{k}} = \frac{n}{n^2-n-1}</math>
フィボナッチ数のうち[[平方数]]であるのは {{math|1=''F''{{sub|1}} = ''F''{{sub|2}} = 1}}, {{math|1=''F''{{sub|12}} = 144}} のみ (Cohn 1964)<ref>J. H. E. Cohn, On square Fibonacci numbers, ''J. London Math. Soc.'' '''39''' (1964), pp. 537–540.</ref>、[[立方数]]であるのは {{math|1=''F''{{sub|1}} = ''F''{{sub|2}} = 1}}, {{math|1=''F''{{sub|6}} = 8}} のみ (London and Finkelstein 1969)<ref>{{Citation |first1=Hymie |last1=London |first2=Raphael |last2=Finkelstein |title=On Fibonacci and Lucas numbers which are perfect powers |journal=Fibonacci Quart. |volume=7 |issue=5 |year=1969 |pages=476-481 |id=[https://www.fq.math.ca/Scanned/7-5/london-a.pdf Part1], [https://www.fq.math.ca/Scanned/7-5/london-b.pdf Part2], [https://www.fq.math.ca/Scanned/8-3/corrections.pdf Correction]}}</ref>である。フィボナッチ数のうち[[累乗数]]であるのはこれしかない (Bugeaud, Mignotte, Siksek 2006)<ref>Yann Bugeaud, Maurice Mignotte, Samir Siksek, Classical and modular approaches to exponential Diophantine equations. I. Fibonacci and Lucas perfect powers. ''Ann. of Math.'' '''163'''(2006), pp. 969–1018. [http://www-irma.u-strasbg.fr/~bugeaud/publi.html Yann Bugeaud, Publications, 2006.]</ref>。({{OEIS|A227875}})
フィボナッチ数で[[素数]]であるのは [[2]], [[3]], [[5]], [[13]], [[89]], [[233]], 1597, 28657, … である({{OEIS|A005478}})。また、これらは[[フィボナッチ素数]]と呼ばれる。
フィボナッチ数で[[三角数]]であるのは [[1]], [[3]], [[21]], [[55]]({{OEIS|A039595}})のみであることは Vern Hoggatt によって予想されていたが、のちに Luo Ming によって証明された<ref>{{Citation |first=Luo |last=Ming |title=On triangular Fibonacci numbers |journal=Fibonacci Quart. |volume=27 |issue=2 |year=1989 |pages=98-108 |url=https://www.fq.math.ca/Scanned/27-2/ming.pdf}}</ref>。
フィボナッチ数で[[ハーシャッド数]]であるのは [[1]], [[2]], [[3]], [[5]], [[8]], [[21]], [[144]], 2584, …({{OEIS|A117774}})。
フィボナッチ数は[[完全数]]にはならない<ref name="Luca2000">{{Cite journal |first=Florian |last=Luca |title=Perfect Fibonacci and Lucas numbers |journal=Rendiconti del Circolo Matematico di Palermo |year=2000 |volume=49 |issue=2 |pages=313-318 |doi=10.1007/BF02904236 |mr=1765401 |issn=1973-4409}}</ref>。より一般に、フィボナッチ数は[[倍積完全数]]にもならず<ref name="BGLLHT2011">{{Cite journal |first1=Kevin A. |last1=Broughan |first2=Marcos J. |last2=González |first3=Ryan H. |last3=Lewis |first4=Florian |last4=Luca |first5=V. Janitzio |last5=Mejía Huguet |first6=Alain |last6=Togbé |title=There are no multiply-perfect Fibonacci numbers |journal=Integers |year=2011 |volume=11a |page=A7 |url=http://math.colgate.edu/~integers/vol11a.html |mr=2988067}}</ref>、2つのフィボナッチ数の商も完全数にはならない<ref name="LucaMH2010">{{Cite journal |first1=Florian |last1=Luca |first2= V. Janitzio |last2=Mejía Huguet |title=On Perfect numbers which are ratios of two Fibonacci numbers |journal=Annales Mathematicae at Informaticae |year=2010 |volume=37 |pages=107-124 |url=https://ami.uni-eszterhazy.hu/index.php?vol=37 |mr=2753031 |issn=1787-6117}}</ref>。
[[フィボナッチ数列の逆数和]]は収束し、記号 {{mvar|ψ}} で表される。
:<math>\psi = \sum_{n = 1}^\infty \frac{1}{F_n} = \frac{1}{1} + \frac{1}{1} + \frac{1}{2} + \frac{1}{3} + \cdots = 3.35988566 \cdots</math><ref>[https://mathworld.wolfram.com/ReciprocalFibonacciConstant.html Reciprocal Fibonacci Constant -- from Wolfram MathWorld]</ref>
この {{mvar|ψ}} が無理数であることは証明されているが (André-Jeannin 1989)、[[超越数]]であるかどうかは分かっていない。
任意の正の整数は、1つ以上の連続しない相異なるフィボナッチ数の和として一意に表すことができる([[ゼッケンドルフの定理]])。
== プログラミング言語での実装 ==
[[再帰]]的処理の例としてよく紹介される。以下は[[Python]]での例。
=== 例1(再帰的処理による実装例) ===
<syntaxhighlight lang="python">
def fibonacci(n):
if n == 0 or n == 1:
return n
else:
return fibonacci(n - 2) + fibonacci(n - 1)
</syntaxhighlight>
=== 例2(ループ処理による実装例) ===
<syntaxhighlight lang="python">
def fibonacci(n):
a, b = 1, 0
for _ in range(n):
a, b = b, a + b
return b
</syntaxhighlight>
=== 例3(一般項による実装例) ===
<syntaxhighlight lang="python">
def fibonacci(n):
return round((((1 + 5 ** 0.5) / 2) ** n - ((1 - 5 ** 0.5) / 2) ** n) / 5 ** 0.5)
</syntaxhighlight>
しかし、上記例1のプログラムでは {{mvar|n}} が与えられてから {{math|1=''F<sub>n</sub>''}} が求まるまでに <math>F_n \propto \phi^n</math> 回の関数呼び出しが発生する(すなわち[[指数関数時間|指数時間]]の計算となる)ため、実用的ではない。したがって通常は、例4に示すような指数関数的なコールを必要としない実装を行うか、[[線形時間]]で計算するために[[メモ化]]などの手法を用いる。さらに、{{mvar|n}} が大きい場合には一般項の公式(上記例3)や行列表現<ref name="algo" />を利用して{{仮リンク|対数時間|en|Time_complexity#Logarithmic_time}}での計算を行う。
==== 例4(指数関数的なコールを必要としない再帰的処理による実装例) ====
<syntaxhighlight lang="python">
def fibonacci(n, a = 0, b = 1):
if n > 1:
return fibonacci(n - 1, b, a + b)
return b
</syntaxhighlight>
== その他の話題 ==
[[画像:Helianthus whorl.jpg|250px|thumb|ヒマワリの種は螺旋状に並んでおり、螺旋の数を数えていくとフィボナッチ数が現れる<ref>{{PDFlink|[https://web.archive.org/web/20160304121512/http://tambara-h.esnet.ed.jp/cms/uploads/%E6%95%B0%E5%AD%A6%E5%BA%83%E5%A0%B4%E3%81%AE%E5%88%A5%E5%90%8D%E3%80%8C%E3%81%B2%E3%81%BE%E3%81%8C%E3%82%8A%E5%BA%83%E5%A0%B4%E3%80%8D%E3%81%AE%E7%94%B1%E6%9D%A5.pdf 数学広場の別名「ひまがり広場」の由来:数学と 黄金花『ひまわり』]}}([[愛媛県立丹原高等学校]])</ref><!--元の記述:ヒマワリの種の数を螺旋に沿って数えていくとフィボナッチ数が現れる(中心から外側までの種の数(1列)がフィボナッチ数になるという意味か?出典の他に、どういう場合にフィボナッチ数になるのか具体的に記述する必要もあり)-->]]
* フィボナッチ数は[[自然]]界の現象に数多く出現する。
*また、フィボナッチ数列が生み出す螺旋は、世界で最も美しい螺旋だと言われている。
[[ヨハネス・ケプラー]]は1611年に発表した小論文「深淵の贈り物あるいは六角形の雪について」において、フィボナッチ数を自己を増殖する比例と呼び、植物の種子の能力の現れであると論じた<ref>{{Cite journal|author=榎本恵美子|year=1977|title=翻訳・新年の贈り物あるいは六角形の雪について|journal=知の考古学|volume=第11号|page=286ページ}}</ref>。
*[[花冠|花びら]]の数はフィボナッチ数であることが多い。{{要出典|date=2023年12月}}<!--(⇒ この主張の根拠となる出典を明示してください。統計データでは、4枚の花は3枚と同程度に存在します<ref>西山豊『自然界にひそむ「5」の謎』筑摩書房、1999年、p123</ref>。キク科の舌状花はある範囲で分布し、このように枚数は固定されません。)-->
*フィボナッチ数は、花びらの枚数も決めているらしい。(『聖なる幾何学』p63より)
** 3枚:[[ユリ]]、[[アヤメ]]、[[エンレイソウ]]
** 5枚:[[オダマキ]]、[[サクラソウ]]、キンボウゲ、[[ノイバラ]]、ヒエンソウ
** 8枚:[[デルフィニウム属]]、サンギナリア、[[コスモス]]
** 13枚:[[シネラリア]]、コーンマリゴールド
** 21枚:[[チコリー]]、[[オオハンゴンソウ]]
** 34枚:[[オオバコ]]、[[シロバナムシヨケギク]]
** 55枚:[[ユウゼンギク]]
** 89枚:ミケルマス・デイジー
*** 花弁の数が144に達することはない。この数は、他の自然界に見られるフィボナッチ数の例でも限界になっていることが多い<ref>聖なる幾何学 スティーヴン・スキナー著 p.63「植物成長の幾何学」より抜粋</ref>。
* [[アブラナ]]や[[ダイコン]]の[[花びら]]は4枚であり、[[植物学]]では[[花式図]]より3数性、4数性、5数性で分類される<ref>[http://yutaka-nishiyama.sakura.ne.jp/sonota/subunka2303.pdf 西山豊「花びらの数はフィボナッチ数列に落ち着くか?」『数学文化』No. 39, p104, 2023.3]</ref>。
*[[植物]]の[[花]]や[[果実|実]]に現れる[[螺旋]]の数もフィボナッチ数であることが多い。
**[[ヒマワリ]]の螺旋の数はフィボナッチ数とされることもあるが、螺旋の数が多い場合、中心から離れると螺旋の隙間にも種ができてしまうため、途中から枝分かれしてフィボナッチ数にならないこともある<ref>[https://web.archive.org/web/20161016152523/http://www.fbs.osaka-u.ac.jp/labs/skondo/saibokogaku/fibonacchi.html 第14回:全ての植物をフィボナッチの呪いから救い出す](こんどうしげるの生命科学の明日はどっちだ!?)</ref>。
*[[パイナップル]]の螺旋の数は時計回りは13、反時計回りは8になっている。
*[[葉#葉序|葉序]](植物の葉の付き方)はフィボナッチ数と関連している。(シンパー=ブラウンの法則)<!--(⇒ 出典ならびに根拠を明示してください。)-->
*らせん葉序におけるシンパー・ブラウンの法則はフィボナッチ数列と関連するが、「近似値を示すにすぎず、またこれにあてはまらない例もある」(岩波生物学辞典)。
*[[ハチ]]や[[アリ]]など、オスに父親がない家系を辿っていくとフィボナッチ数列が現れる(父母2匹、祖父母3匹、曽祖父母5匹、高祖父母8匹…)。
*{{mvar|n}} 段の階段を1段または2段ずつ登るときに、登る場合の数は {{math|''F''{{sub|''n''+1}}}} 通りある。
* ●と○を合わせて {{mvar|n}} 個並べる。●が2個以上続かないように一列に並べる方法は {{math|''F''{{sub|''n''+2}}}} 通りある。
*[[為替]]などの[[テクニカル分析]]で、[[フィボナッチ・リトレースメント]]という手法がよく使われている。
== 負数番への拡張 ==
フィボナッチ数列は、[[漸化式]] {{math|1=''F{{sub|n}}'' = ''F''{{sub|''n''−1}} + ''F''{{sub|''n''−2}}}} を全ての整数 {{mvar|n}} に対して適用することにより、{{mvar|n}} が負の整数の場合に拡張できる。そして {{math|1=''F''{{sub|−''n''}} = (−1){{sup|''n''+1}}''F{{sub|n}}''}} が成り立つ。この式より、負の番号の項は次のようになる。
{|class="wikitable" style="text-align:right"
!{{mvar|n}}
|0||1||2||3||4||5||6||7||8||9||10||11||12||13||14||15||16||17||18||19||20
|-
!{{mvar|F{{sub|n}}}}
|0||1||1||2||3||5||8||13||21||34||55||89||144||233||377||610||987||1597||2584||4181||6765
|-
!{{mvar|F{{sub|−n}}}}
|0||1||−1||2||−3||5||−8||13||−21||34||−55||89||−144||233||−377||610||−987||1597||−2584||4181||−6765
|}
== 類似の数列 ==
フィボナッチ数列の定義である初期値や漸化式をやや変更して、類似の数列が作れる。
=== 項数の変更 ===
フィボナッチ数列は各項が先行する二項の和であるものであったが、それを「先行する {{mvar|k}} 項の和」と置き換えた一般化
:<math>F_{n+k}^{(k)} := F_{n+k-1}^{(k)} + F_{n+k-2}^{(k)} + \dotsb + F_n^{(k)}\quad (n\ge 0)</math>
を考えることができる。ただし、初期値は 1 で埋める(1-fil型)
:<math>F_0^{(k)} = F_1^{(k)}=\dotsb=F_{k-1}^{(k)}=1</math>
あるいは 0 で埋める(0-fil型)
:<math>F_0^{(k)} = F_1^{(k)}=\dotsb=F_{k-2}^{(k)}=0,\quad F_{k-1}^{(k)}=1</math>
などを取るのが一般的である。これらフィボナッチ数列の類似物を、項数 {{mvar|k}} に対応するラテン語またはギリシャ語に由来する[[倍数接頭辞]]を「フィボナッチ」と組み合わせた名称で呼ぶ{{efn|当然のことだが "Fibonacci" は人名であって、"fibo-" + "-nacci" や "fi-" + "-bonacci" という構成の合成語でもないし、もちろん "fi-" や "fibo-" が "{{math|2}}" の意味を持つわけでもない(ただし、摩擦音 ''f'' と破裂音 ''b'' が音韻的に近い関係にあることから {{math|2}} を表す "bi-" を "fi-" に結び付けての類推ではあるかもしれない)が、「フィボナッチ」の語を頭から適当な音節分だけ倍数を表す接頭辞で置き換えるという、[[数学的なジョーク|冗談のような名付け]]になっている。}}。
{|class="wikitable" style="text-align:right;margin:1ex 1em 1ex 1em;float:right"
|+和の項数や初期値の変更
!{{mvar|k}}!!接頭辞<ref>より多くは、例えば [http://nomenclator.la.coocan.jp/chem/text/numeric.htm] などを見よ</ref>!!名称!![[オンライン整数列大辞典|整数列大辞典]]
|-
|3||tri-
!トリボナッチ数
|0 fil: {{OEIS2C|A000073}}<br />1 fil: {{OEIS2C|A000213}}
|-
|4||tetra-
!テトラナッチ数
|0 fil: {{OEIS2C|A000078}}<br />1 fil: {{OEIS2C|A000288}}
|-
|5||penta-
!ペンタナッチ数
|0 fil: {{OEIS2C|A001591}}<br />1 fil: {{OEIS2C|A000322}}
|-
|6||hexa-
!ヘキサナッチ数
|0 fil: {{OEIS2C|A001592}}<br />1 fil: {{OEIS2C|A000383}}
|-
|7||hepta-
!ヘプタナッチ数
|0 fil: {{OEIS2C|A122189}}<br />1 fil: {{OEIS2C|A060455}}
|-
|8||octa-
!オクタナッチ数
|0 fil: {{OEIS2C|A079262}}<br />1 fil: {{OEIS2C|A123526}}
|-
|9||nona-
!ノナ(ボ)ナッチ数
|1 fil: {{OEIS2C|A127193}}
|-
|10||deca-
!デカ(ボ)ナッチ数
|1 fil: {{OEIS2C|A127194}}
|-
|11||undeca-
!ウンデカ(ボ)ナッチ数
|1 fil: {{OEIS2C|A127624}}
|-
|12||dodeca-
!ドデカ(ボ)ナッチ数
|1 fil: {{OEIS2C|A207539}}
|-
|
|-
|20||icosa-
|イコサナッチ数
|⋮
|}
==== トリボナッチ数 ====
特に直前の三項の和として各項が定まるトリボナッチ数列は、フィボナッチ数列に次いでよく調べられている。0-fil型でオフセットが0番目からのものは
:{{math2|1=''T''{{sub|0}} = ''T''{{sub|1}} = 0, ''T''{{sub|2}} = 1,}}
:{{math2|1=''T''{{sub|''n''+3}} = ''T{{sub|n}}'' + ''T''{{sub|''n''+1}} + ''T''{{sub|''n''+2}} (''n'' ≥ 0)}}
と表される。第0~21項の値は次の通りである:
:{{math2|0, 0, 1, 1, 2, 4, 7, 13, 24, 44, 81, 149, 274, 504, 927, 1705, 3136, 5768, 10609, 19513, 35890, 66012, …}} ([[OEIS]] {{OEIS2C|A000073}})
トリボナッチ数列の一般項は次で表される。
:<math>T_n = \frac{\alpha^n}{(\alpha - \beta)(\alpha - \gamma)}+ \frac{\beta^n}{(\beta - \gamma)(\beta - \alpha)}+ \frac{\gamma^n}{(\gamma - \alpha)(\gamma - \beta)}</math>
ただし、{{math2|''α'', ''β'', ''γ''}} は[[三次方程式]] {{math|1=''x''{{sup|3}} − ''x''{{sup|2}} − ''x'' − 1 = 0}} の3解
:<math>\begin{align}
\alpha &= \frac{1}{3} \left(1 + \sqrt[3]{19-3\sqrt{33}} + \sqrt[3]{19+3\sqrt{33}}\right) \\
\beta &= \frac{1}{3} \left(1 + \omega \sqrt[3]{19-3\sqrt{33}} + \bar{\omega} \sqrt[3]{19+3\sqrt{33}}\right) \\
\gamma &= \frac{1}{3} \left(1 + \bar{\omega} \sqrt[3]{19-3\sqrt{33}} + \omega \sqrt[3]{19+3\sqrt{33}}\right)
\end{align}</math>
であり、ここで
:<math>\omega = \frac{-1 + \sqrt{3} i}{2}</math>([[1の冪根|{{math|1}} の虚立方根]])
である。
また、上記の {{mvar|α}} を'''トリボナッチ定数'''という。これはフィボナッチ数列における黄金数に当たる定数で、トリボナッチ数列の隣接2項間の商はトリボナッチ定数に収束する:
:<math>\lim_{n \to \infty} \frac{T_n}{T_{n-1}} = \alpha = 1.839286755214161\cdots</math>
==== テトラナッチ数 ====
直前の四項の和に変更したテトラナッチ数列も同様に様々なことが知られている。同様にオフセット0番の 0-fil型は
:{{math|1=''T''{{sub|0}} = ''T''{{sub|1}} = ''T''{{sub|2}} = 0, ''T''{{sub|3}} = 1,}}
:{{math|1=''T''{{sub|''n''+4}} = ''T{{sub|n}}'' + ''T''{{sub|''n''+1}} + ''T''{{sub|''n''+2}} + ''T''{{sub|''n''+3}} (''n'' ≥ 0)}}
と書けて、第0~21項の値は次の通りである:
: {{math2|0, 0, 0, 1, 1, 2, 4, 8, 15, 29, 56, 108, 208, 401, 773, 1490, 2872, 5536, 10671, 20569, 39648, 76424, …}} ([[OEIS]] {{OEIS2C|A000078}})
一般項は、[[四次方程式]] {{math|''x''{{sup|4}} − ''x''{{sup|3}} − ''x''{{sup|2}} − ''x'' − 1 {{=}} 0}} の4解を {{math2|''α'', ''β'', ''γ'', ''δ''}} として、
:<math>T_n = \frac{\alpha^n}{(\alpha- \beta)(\alpha - \gamma)(\alpha - \delta)}+ \frac{\beta^n}{(\beta - \gamma)(\beta - \delta)(\beta - \alpha)}+ \frac{\gamma^n}{(\gamma - \delta)(\gamma - \alpha)(\gamma - \beta)}+ \frac{\delta^n}{(\delta - \alpha)(\delta - \beta)(\delta - \gamma)}</math>
となる。
=== 初期値の変更 ===
==== リュカ数 ====
フィボナッチ数列の最初の2項を 2, 1 に置き換えた数列の項を[[リュカ数]]という。
: 2, 1, 3, 4, 7, 11, 18, 29, 47, 76, 123, 199, 322, 521, 843, 1364, 2207, 3571, 5778, … ([[OECS]] {{OEIS2C|A000032}})
この数列の一般項は
:<math>L_n = \left( \frac{1+\sqrt{5}}{2} \right)^n + \left( \frac{1-\sqrt{5}}{2} \right)^n= \phi^n + (1-\phi)^n = {\phi^n + (-\phi)^{-n}}</math>
と表される。
フィボナッチ数列やリュカ数の列を一般化したものが[[リュカ数列]]であり、1878年に[[エドゥアール・リュカ]]が体系的な研究を行い、1913年に{{仮リンク|ロバート・ダニエル・カーマイケル|en|Robert Daniel Carmichael}}がその結果を整理、拡張した<ref>R. D. Carmichael, On the numerical factors of the arithmetic forms {{math|''α{{sup| n}}'' ± ''β{{sup| n}}''}}, ''Ann. of Math.'' '''15''' (1913), pp.30–70, {{DOI|10.2307/1967797}}.</ref>。これらの研究が現代のフィボナッチ数の理論の基礎となった。
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{notelist}}
=== 出典 ===
{{reflist}}
== 参考文献 ==
*{{Cite book|和書 |author=佐藤修一|authorlink=佐藤修一 (数学者)|date=1998-01-20 |title=自然にひそむ数学―自然と数学の不思議な関係 |publisher=[[講談社]] |series=ブルーバックス B-1201 |isbn=4-06-257201-X |ref={{Harvid|佐藤|1998}}}}
*{{Cite book|和書 |author=中村滋|authorlink=中村滋 (数学者)|year=2002-09 |title=フィボナッチ数の小宇宙(ミクロコスモス)―フィボナッチ数、リュカ数、黄金分割 |publisher=[[日本評論社]] |isbn=4-535-78281-4 |ref={{Harvid|中村|2002}} }}
**{{Cite book|和書 |author=中村滋 |date=2008-01 |title=フィボナッチ数の小宇宙(ミクロコスモス)―フィボナッチ数、リュカ数、黄金分割 |publisher=日本評論社 |edition=改訂版 |isbn=978-4-535-78492-5 |ref={{Harvid|中村|2008}}}}
*{{Cite journal|和書|author=中村滋|date=2018-08|title=日本フィボナッチ協会の20年|journal=数学セミナー|volume=57|issue=8|pages=48-53|publisher=日本評論社|ref={{harvid|中村|2018}}}}
*{{Citation |last=Arakelian |first=Hrant |date=2014 |title=Mathematics and History of the Golden Section |publisher=Logos |language=ru |isbn=978-5-98704-663-0}}
*{{Citation |last=Dunlap |first=Richard A. |date=1997-12-17 |title=The Golden Ratio and Fibonacci Numbers |publisher=World Scientific Pub. Co. Inc. |isbn=978-981-02-3264-1}}
**{{Cite book|和書 |last=ダンラップ |first=R.A. |translator=[[岩永恭雄]]・[[松井講介]] |date=2003-06 |title=黄金比とフィボナッチ数 |publisher=日本評論社 |isbn=4-535-78370-5 |ref={{Harvid|ダンラップ|2003}}}}
*{{Citation |last=Koshy |first=Thomas |date=2017-12-04 |title=Fibonacci and Lucas Numbers with Applications |publisher=Wiley |edition=2nd |volume=Volume 1 |series=Pure and Applied Mathematics: A Wiley Series of Texts, Monographs and Tracts |isbn=978-1-118-74212-9}}
*{{Citation |last=Koshy |first=Thomas |date=2019-01-07 |edition=2nd |title=Fibonacci and Lucas Numbers with Applications |publisher=Wiley |volume=Volume 2 |series=Pure and Applied Mathematics: A Wiley Series of Texts, Monographs and Tracts |isbn=978-1-118-74208-2}}
*{{Citation |author=[[レオナルド・フィボナッチ|Leonardo Pisano Fibonacci]] |translator=L. E. Sigler |date=1987-02-11 |title=The Book of Squares |publisher=Academic Press |isbn=978-0-12-643130-8 |ref={{Harvid|Fibonacci|1987}}}} - 『[[平方の書]]』の英訳。
*{{Citation |last=Sigler |first=Laurence |date=2003-11-11 |title=Fibonacci's Liber Abaci: A Translation into Modern English of Leonardo Pisano's Book of Calculation |publisher=Springer-Verlag |series=Sources and Studies in the History of Mathematics and Physical Sciences |isbn=978-0-387-40737-1}} - 『[[算盤の書]]』の英訳。
== 関連項目 ==
{{commonscat}}
{{Div col}}
* [[黄金比]]
* [[数学定数]]
* [[数列]]
* [[フィボナッチ数列の逆数和]]
* [[リュカ数]]
* [[リュカ数列]]
{{Div col end}}
== 外部リンク ==
* {{Kotobank|フィボナッチ数列|2=[[竹之内脩]]}}
* {{高校数学の美しい物語|643|フィボナッチ数列の7つの性質(一般項・黄金比・互いに素)}}
* [https://ameblo.jp/titchmarsh/entry-12220956942.html フィボナッチ数、トリボナッチ数、テトラナッチ数、ペンタナッチ数、ヘキサナッチ数 の考察]
* {{MathWorld|title=Fibonacci Number|urlname=FibonacciNumber}}
* [https://www.mathstat.dal.ca/fibonacci/ The Fibonacci Association(フィボナッチ協会)]{{En icon}}
* [https://www.fq.math.ca/ Fibonacci Quarterly Home Page(フィボナッチ・クォータリー)]{{En icon}}
* [http://www.zg.em-net.ne.jp/~aurues/Fibonacci/14thJFAWorkshop.pdf 日本フィボナッチ協会 第14回研究集会報告書2016年8月日本フィボナッチ協会]
* [http://jfa.mathsalon.com/15thJFAWorkshop.pdf 日本フィボナッチ協会 第15回研究集会報告書2017年8月日本フィボナッチ協会]
* [http://jfa.mathsalon.com/16thJFAWorkshop.pdf 日本フィボナッチ協会 第16回研究集会報告書2018年8月日本フィボナッチ協会]
* [http://jfa.mathsalon.com/17thJFAWorkshop.pdf 日本フィボナッチ協会 第17回研究集会報告書2019年8月日本フィボナッチ協会]
* [http://jfa.mathsalon.com/18thJFAWorkshop.pdf 日本フィボナッチ協会 第18回研究集会報告書2020年10月日本フィボナッチ協会]
* [http://jfa.mathsalon.com/19thJFAWorkshop.pdf 日本フィボナッチ協会 第19回研究集会報告書2021年10月日本フィボナッチ協会]
* [http://jfa.mathsalon.com/20thJFAWorkshop.pdf 日本フィボナッチ協会 第20回研究集会報告書2022年10月日本フィボナッチ協会]
* [http://jfa.mathsalon.com/21stJFAWorkshop.pdf 日本フィボナッチ協会 第21回研究集会報告書2022年11月日本フィボナッチ協会]
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取手市
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取手市(とりでし)は、茨城県の県南地域に位置する市。東京都市圏。1970年(昭和45年)市制施行。
市の中央部を南北に水戸街道(国道6号)が通り、古くは千住宿から5つ目の宿場町として取手宿が置かれ、利根川水運の拠点地・物資集積地でもあったこととあいまって、当時200軒程度の家並みが並ぶ集落を形成していた。1970年代から1980年代にかけて、東京都心へ通勤・通学する人々が住むベッドタウンとして市内各所でニュータウンの開発が行われ、人口が増加した。それ以降、いわゆる「茨城都民」と呼ばれる住民が多くなった。
1995年をピークとして以降、都心回帰現象の影響や、子供が成長して家を離れるケースも多く見受けられ、人口は減少傾向に推移している。その一方で、世帯数は増加しており、少数世帯化・少子高齢化が進み、市立学校では校舎の老朽化が進行したことから、2008年から市内の小・中学校の大幅な統合が実施された。
2005年に北相馬郡藤代町との合併によって人口10万人を突破するとともに、茨城県の「まちづくり特例市」に認定され、土地利用や福祉関係等の県主要事務の権限移譲を受けた。2020年現在、取手駅周辺再開発や土地区画整理事業、宅地開発などが新たに行われているほか、都市再生機構(UR)による常総ニュータウン「取手ゆめみ野」の開発が進められている。
市内に、東京芸術大学取手キャンパスがあることから、「アートのまち取手」としてまちづくりを展開しており、その一環として1999年より市民と取手市、東京芸術大学の三者が共同で、取手アートプロジェクト(TAP=Toride Art Project略)を行っている。
県庁所在地の水戸市まで約70キロメートル(km)、東京までは約40kmに位置する。JR常磐線や常総線の駅を中心に市街地が広がる一方、田園地帯も多く残る。また、古くは水戸街道の宿場町だったことから、それに関連した史跡・文化財が多数見られる。交通面は、鉄道ではJR常磐線、関東鉄道常総線が、道路では国道6号と、そこから分岐する国道294号の事実上の始点があり、茨城県南地域の交通の要衝として機能している。
関東平野に位置し、利根川と小貝川に面していることから、かつては水害が多かった。現在でも、市南西部と南東部の台地上の地域を除くと、市域の多くで浸水の危険性が見られる。詳しくは 浸水想定区域図 を参照。しかし、近年は利根川、小貝川などの堤防の高機能化により、河川氾濫に伴う浸水被害はほとんどなくなっている。一方、集中豪雨により市内の一部低地などでは道路が冠水するなどの被害が発生する。
1911年(明治44年)から1920年(大正9年)の利根川河川改修によりできた、利根川を挟んだ千葉県側に「取手市小堀(おおほり)」と呼ばれる、いわゆる対岸飛地があり、市営渡し船である小堀の渡しによって結ばれている。また、小堀地区を循環するバスも運行されている。尚、この地区は古利根沼が千葉県我孫子市との境である。
「取手」の都市名の由来は、戦国時代に大鹿太郎左衛門の砦(大鹿城:現在の取手競輪場付近)があったことから名づけられたといわれている。ただし、平安時代末の11世紀には伊勢神宮の相馬御厨として、当市周辺の地名が既に史料に記されており、さらに13世紀になると、稲村、戸頭、高井、大鹿などの地名も相馬氏の領地として史料に登場することから、正確な由来は判明していない。平将門が城堡(砦)を築いた事に由来するとの説もある。また、「取手」「鳥手」「鳥出」という標記がされている歴史書なども見受けられる。
1995年の国勢調査で11万8282人を記録して以降は減少傾向にある。2021年の人口は約10万4000人。
定数:24人
取手市では、本所機能を分散させた分庁舎方式を採用している。
1973年3月23日に取手駅東口にカタクラショッピングプラザ、1985年に取手駅西口に取手とうきゅうが開店した。1986年8月には西友が撤退したが、1988年9月21日にボックスヒル取手店が開店し、1990年頃に取手駅前は市の商業の中心地として最盛期を迎える。しかし、カタクラショッピングプラザは2001年のイトーヨーカドーの撤退後、キーテナントにマルエツ、ダイソーなどを入れたが2007年4月26日に閉店。現在は取り壊されている。また、取手とうきゅうも2010年8月31日をもって閉店した。市内にはラーメン店を展開する「ゆにろーず」の本社と製麺所があり、ベイシアの出店計画も2005年より存在する。そのような中、2012年度中に西友が取手とうきゅう跡地に出店すると報じられ、「リボンとりで」として開業した(西友は1階部分で営業し、2階以上は専門店)。2020年3月にボックスヒルがアトレ取手に改称した。
市東部では、ミスターマックス取手店が2011年12月1日に開業した。
市西部では、戸頭地区の街開き後にマスダやリブレ京成などのスーパーが出店し、新大利根橋・常総ふれあい道路の開通、隣接する守谷市の常総ニュータウン南守谷・ヒルズ美園などの開発が進むと、ジャスコ取手店が出店。さらに2001年(平成13年)にジャスコに隣接する場所にカルフール、戸頭に隣接する米ノ井にベイシアが出店する予定であったが、これらは中止となっている。しかし、カルフール予定地には、戸頭地内にあったケーズデンキが移転し、ホーマック(現DCM)も新規出店。2007年(平成19年)にはヤオコーが出店した。2015年(平成27年)9月、イオン取手店(旧ジャスコ取手店)は閉店した。跡地には、2019年7月にヨークタウン(ヨークベニマル取手戸頭店等)が開業した。
上記の他、取手市桑畑地区(国道6号線周辺地域)に土地区画整理事業が計画され、イオンモール(株)・イオンタウン(株)のJVが選定された。同地区の北側(約32.6ha)に専門店が連続する商業施設を、南側(約35ha)に多目的な大規模商業施設を整備する計画がある。
取手市は民放キー局、NHK東京教育、NHK水戸総合、放送大学の放送対象地域である。また、放送対象地域外であるがほとんどの地域でNHK東京総合/チバテレ/TOKYO MXが視聴できる。
尚、アンテナの設置方向の関係、具体的には、南の東京スカイツリー向きと、北の筑波中継局もしくは水戸放送局向きと、2つのアンテナを設置している建物はほぼ見当たらないことから、NHK総合テレビについても、NHK東京総合(JOAK-DTV)を設定、視聴している世帯が多いものと推定される。
ケーブルテレビは、土浦ケーブルテレビ(J:COM茨城)のサービスエリアである。
当市では茨城県内をカバーしている茨城放送のほか、隣県の千葉県のBayFMや、埼玉県のNACK5をはじめとして、在京AM局・FM局が聴取エリアである。聴取エリア内ではないものの、電波状況によっては、神奈川県のFMヨコハマ、山梨県のFM-FUJI、栃木県のRADIO BERRYも聴取可能な場合がある。同じく、東京方面も含む近隣地域のコミュニティFMが聴取できることがある。
旧取手市域の市外局番は02977(小堀・取手の一部のみ0471)となっていたが、1986年(昭和61年)8月に桁ずれを行い、0297(市内局番は7X)に変更された。小堀・取手の一部は、0471区域(千葉県・柏MAと同じ地区の扱いである)の市内局番の不足に伴い2002年(平成14年)2月11日に04(市内局番は71XX)に変更された。
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"text": "ケーブルテレビは、土浦ケーブルテレビ(J:COM茨城)のサービスエリアである。",
"title": "メディア"
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"text": "当市では茨城県内をカバーしている茨城放送のほか、隣県の千葉県のBayFMや、埼玉県のNACK5をはじめとして、在京AM局・FM局が聴取エリアである。聴取エリア内ではないものの、電波状況によっては、神奈川県のFMヨコハマ、山梨県のFM-FUJI、栃木県のRADIO BERRYも聴取可能な場合がある。同じく、東京方面も含む近隣地域のコミュニティFMが聴取できることがある。",
"title": "メディア"
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"text": "旧取手市域の市外局番は02977(小堀・取手の一部のみ0471)となっていたが、1986年(昭和61年)8月に桁ずれを行い、0297(市内局番は7X)に変更された。小堀・取手の一部は、0471区域(千葉県・柏MAと同じ地区の扱いである)の市内局番の不足に伴い2002年(平成14年)2月11日に04(市内局番は71XX)に変更された。",
"title": "その他"
}
] |
取手市(とりでし)は、茨城県の県南地域に位置する市。東京都市圏。1970年(昭和45年)市制施行。
|
{{日本の市
| 画像 = Oohorinowatashi 001.JPG
| 画像の説明 = [[小堀の渡し]]<br />{{Infobox mapframe|zoom=10}}
| 市旗 = [[ファイル:Flag of Toride, Ibaraki.svg|100px|取手市旗]]
| 市旗の説明 = 取手[[市町村旗|市旗]]
| 市章 = [[ファイル:Emblem_of_Toride,_Ibaraki.svg|75px|取手市章]]
| 市章の説明 = 取手[[市町村章|市章]]<br />[[1963年]][[3月1日]]制定
| 自治体名 = 取手市
| 都道府県 = 茨城県
| コード = 08217-1
| 隣接自治体 = [[つくばみらい市]]、[[龍ケ崎市]]、[[守谷市]]、[[北相馬郡]][[利根町]]<br />[[千葉県]]:[[我孫子市]]、[[柏市]]
| 木 = [[モクセイ]]<br />[[ゲッケイジュ]]
| 花 = [[ツツジ]]<br />[[フジ (植物)|フジ]]
| シンボル名 = 市の鳥
| 鳥など = [[フクロウ]]<br />[[カワセミ]]
| 郵便番号 = 302-8585
| 所在地 = 取手市寺田5139番地<br />{{Coord|format=dms|type:adm3rd_region:JP-08|display=inline,title}}<br />[[ファイル:Toride City Hall.JPG|250px|取手市役所]]
| 外部リンク = {{Official website}}
| 位置画像 = {{基礎自治体位置図|08|217|image=Toride in Ibaraki Prefecture Ja.svg|村の色分け=no}}
| 特記事項 =
}}
'''取手市'''(とりでし)は、[[茨城県]]の[[茨城県南地域|県南地域]]に位置する[[市]]。[[東京を中心とする地域の定義一覧#茨城県|東京都市圏]]。1970年(昭和45年)[[市制]]施行。
== 概要 ==
市の中央部を南北に[[水戸街道]]([[国道6号]])が通り、古くは[[千住宿]]から5つ目の[[宿場|宿場町]]として[[取手宿]]が置かれ、[[利根川]][[河川舟運|水運]]の拠点地・物資集積地でもあったこととあいまって、当時200軒程度の家並みが並ぶ集落を形成していた。1970年代から1980年代にかけて、[[東京]][[都心]]へ通勤・通学する人々が住む[[ベッドタウン]]として市内各所で[[日本のニュータウン|ニュータウン]]の開発が行われ、人口が増加した。それ以降、いわゆる「[[茨城都民]]」と呼ばれる住民が多くなった。
[[1995年]]をピーク<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.city.toride.ibaraki.jp/index.cfm/11,5254,c,html/5254/kokusei1.pdf|title=平成17年国勢調査第一次基本集計結果概要 取手市|publisher=取手市役所|accessdate=2012-04-18}}</ref>として以降、[[都心回帰|都心回帰現象]]の影響や、子供が成長して家を離れるケース<ref group="注釈">一例としては、1970年前後から[[日本のニュータウン#つくば市以外|ニュータウン]]開発事業が始まった[[井野村 (茨城県)|井野]]や[[戸頭 (取手市)|戸頭]]では、当初より[[核家族]]が目立ったが、2000年代以降は[[団塊の世代|団塊世代]]前後の夫婦のみが暮らし、子供は進学・就職・結婚等で取手を離れて他地域を生活拠点とするケースである。</ref>も多く見受けられ、人口は減少傾向に推移している。その一方で、世帯数は増加しており、[https://news.yahoo.co.jp/byline/fuwaraizo/20200810-00191592 少数世帯化]・[[少子高齢化]]が進み、市立学校では校舎の老朽化が進行したことから、2008年から市内の小・中学校の大幅な統合が実施された。
[[2005年]]に[[北相馬郡]][[藤代町]]との合併によって人口10万人を突破<ref>{{Cite web|和書|title=人口の推移|url=https://www.city.toride.ibaraki.jp/seisaku/shise/tokejoho/tokejinko/jinko.html|website=取手市|accessdate=2021-10-14|language=ja|last=取手市}}</ref>するとともに、[[茨城県]]の「まちづくり特例市」に認定され、土地利用や福祉関係等の県主要事務の権限移譲を受けた。2020年現在、[[取手駅]]周辺再開発や土地区画整理事業、宅地開発などが新たに行われているほか、[[都市再生機構]](UR)による[[常総ニュータウン]]「[[常総ニュータウン#取手ゆめみ野地区|取手ゆめみ野]]」の開発が進められている。
市内に、[[東京芸術大学]]取手[[キャンパス]]があることから、「アートのまち取手<ref>{{Cite web|和書|title=取手市/アートのまち|url=http://www.city.toride.ibaraki.jp/bunkakatsudo/bunkagejutsu/artnomachi/index.html|website=www.city.toride.ibaraki.jp|accessdate=2021-10-14}}</ref>」としてまちづくりを展開しており、その一環として[[1999年]]より市民と取手市、[[東京芸術大学]]の三者が共同で、[https://toride-ap.gr.jp/ 取手アートプロジェクト](TAP=Toride Art Project略)を行っている。
== 地理 ==
[[ファイル:Toride city center area Aerial photograph.1989.jpg|thumb|380px|取手市中心部周辺の空中写真。[[利根川]]の北東岸に取手市街地が広がる。画像下部方向の利根川対岸は[[千葉県]][[我孫子市]]域であるが、画像右下部付近に見える三日月形の河跡湖[[古利根沼]]と利根川に挟まれた小堀(おおほり)地区は取手市域である。<br/>1989年撮影の15枚を合成作成。{{国土航空写真}}。]]
[[都道府県庁所在地|県庁所在地]]の[[水戸市]]まで約70[[キロメートル]](km)、[[東京]]までは約40kmに位置する。[[東日本旅客鉄道|JR]][[常磐線]]や[[関東鉄道常総線|常総線]]の駅を中心に市街地が広がる一方、田園地帯も多く残る。また、古くは[[水戸街道]]の宿場町だったことから、それに関連した[https://www.city.toride.ibaraki.jp/maibun/bunkakatsudo/rekishi/shitebunkazai/index.html 史跡・文化財]が多数見られる。交通面は、鉄道ではJR常磐線、[[関東鉄道]]常総線が、道路では[[国道6号]]と、そこから分岐する[[国道294号]]の事実上の始点があり、茨城県南地域の交通の要衝として機能している。
[[関東平野]]に位置し、[[利根川]]と[[小貝川]]に面していることから、かつては[[水害]]が多かった。現在でも、市南西部と南東部の[[台地]]上の地域を除くと、市域の多くで浸水の危険性が見られる。詳しくは [https://www.ktr.mlit.go.jp/shimodate/08_hanra/map_2/index.htm 浸水想定区域図] を参照。しかし、近年は利根川、小貝川などの[[堤防]]の高機能化により、河川[[氾濫]]に伴う浸水被害<ref>{{Cite web|和書|title=日本の川 - 関東 - 小貝川 - 国土交通省水管理・国土保全局|url=https://www.mlit.go.jp/river/toukei_chousa/kasen/jiten/nihon_kawa/0307_kokai/0307_kokai_02.html|website=www.mlit.go.jp|accessdate=2021-10-20}}</ref>はほとんどなくなっている。一方、[[集中豪雨]]により市内の一部低地などでは道路が冠水するなどの被害が発生する。
* 市内を流れる河川:[[利根川]]、[[小貝川]]、[http://www.city.toride.ibaraki.jp/mizutomidori/shisetsu/006.html 北浦川]、[[相野谷川]]、[[谷田川 (茨城県)|谷田川]]、[[西浦川]]、[[大野川 (曖昧さ回避)|大野川]]
[[1911年]]([[明治]]44年)から[[1920年]]([[大正]]9年)の[[利根川東遷事業|利根川河川改修]]によりできた、[[利根川]]を挟んだ[[千葉県]]側に「[[小堀の渡し|取手市小堀]](おおほり)」と呼ばれる、いわゆる[[対岸飛び地|対岸飛地]]があり、市営[[渡し船]]である[[小堀の渡し]]によって結ばれている。また、小堀地区を循環するバス<ref>{{Cite web|和書|title=小堀の渡し(おおほりのわたし)|url=https://www.city.toride.ibaraki.jp/mizutomidori/bunkakatsudo/kanko/kankomesho/ohorinowatashi.html|website=取手市|accessdate=2021-10-14|language=ja|last=取手市}}</ref>も運行されている。尚、この地区は[[古利根沼]]が千葉県[[我孫子市]]との境である。
「取手」の都市名の由来は、[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]に大鹿太郎左衛門<ref>{{Cite web|和書|title=�厭��|url=http://kojousi.sakura.ne.jp/kojousi.ohshika.htm|website=kojousi.sakura.ne.jp|accessdate=2021-10-14}}</ref>の[[砦]](大鹿城:現在の[[取手競輪場]]付近)があったことから名づけられたといわれている。ただし、[[平安時代]]末の11世紀には[[伊勢神宮]]の[[相馬御厨]]として、当市周辺の地名が既に史料に記されており、さらに[[13世紀]]になると、稲村、[[戸頭駅|戸頭]]、高井、大鹿などの地名も[[相馬氏]]の領地として史料に登場することから、正確な由来は判明していない。[[平将門]]が城堡(砦)を築いた事に由来するとの説もある。また、「取手」「鳥手」「鳥出」という標記がされている歴史書なども見受けられる。
=== 隣接している自治体 ===
; 茨城県
* [[つくばみらい市]]
* [[龍ケ崎市]]
* [[守谷市]]
* [[北相馬郡]][[利根町]]
; 千葉県
* [[我孫子市]]
* [[柏市]]
=== 人口 ===
1995年の国勢調査で11万8282人を記録して以降は減少傾向にある。2021年の人口は約10万4000人。{{人口統計|code=08217|name=取手市|image=Population distribution of Toride, Ibaraki, Japan.svg}}
== 歴史 ==
* [[1871年]]([[明治4年]]) - [[廃藩置県]]により、[[常陸国]]に属した現在の久賀地区が[[新治県]]、下総国の属した小貝川以南が[[印旛県]]に属する。
* [[1873年]]([[明治6年]]) - 小貝川以南が[[千葉県]]に属する。
* [[1875年]]([[明治]]8年) - 小貝川以南が[[茨城県]]に編入される。新治県は廃止され、久賀地区も茨城県となる。
* [[1889年]](明治22年) - [[市制町村制]]の施行により、[[北相馬郡]]取手村・台宿村の区域を以て'''取手町'''になる。
* [[1947年]]([[昭和]]22年) - 北相馬郡[[井野村 (茨城県)|井野村]]を編入。
* [[1955年]](昭和30年) - 北相馬郡[[稲戸井村]]・[[小文間村]]・[[寺原村]]および[[高井村 (茨城県)|高井村]]の一部と[[日本の市町村の廃置分合#合体|新設合併]]し、改めて'''取手町'''が発足。
* [[1961年]](昭和36年) - [[日本国有鉄道]][[常磐線]] [[上野駅|上野]]・[[勝田駅|勝田]]間電化開通<ref name=":0">{{Cite web|和書|title=わがまち取手市のあゆみ(1955年から1970年) |url=https://www.city.toride.ibaraki.jp/seisaku/shise/shokai/profile/ayumi/ayumi1955-1970.html |website=取手市 |access-date=2023-10-28 |language=ja |last=取手市}}</ref>
* [[1963年]](昭和38年)[[3月1日]] - 町章を制定<ref>図典 日本の市町村章 p58</ref>。後に市章に引き継がれる。
* [[1964年]](昭和39年)- [[取手駅]]西口が開設される<ref name=":0" />。
* [[1968年]](昭和43年)[[7月1日]] - 取手町消防本部 消防署庁舎竣工、業務開始([[7月5日]]竣工式典)<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.city.toride.ibaraki.jp/shobo-somu/kurashi/anzen/shobo/shobonenpo/documents/r4nennpo-zennpe-zi.pdf |title=『令和4年度(2022年)取手市消防年表』 |access-date=2023年10月28日 |publisher=[[取手市消防本部]] |page=5 |date=2023年8月}}</ref>。
* [[1970年]](昭和45年)[[10月1日]] - 市制施行、'''取手市'''となる。市役所庁舎を寺田に移転<ref name=":0" />。
* [[1971年]](昭和46年) - 交通安全都市宣言<ref name=":1">{{Cite web|和書|title=わがまち取手市のあゆみ(1971年から1980年) |url=https://www.city.toride.ibaraki.jp/seisaku/shise/shokai/profile/ayumi/ayumi1971-1980.html |website=取手市 |access-date=2023-10-28 |language=ja |last=取手市}}</ref>。
* [[1972年]](昭和47年)
** 市の木、市の花、初代「[[市民のうた (取手市)|市民のうた]]」を制定。
** 「暴力追放都市」宣言<ref name=":1" />。
** [[12月18日]] - 取手市立市民会館が開館<ref>{{Cite web|和書|title=取手市立市民会館 : 全国劇場・音楽堂等総合情報サイト {{!}} 公益社団法人全国公立文化施設協会 |url=https://www.zenkoubun.jp/search/hall_0080237.html |website= |access-date=2023-10-28 |publisher=公益財団法人 全国公立文化施設協会}}</ref>
*[[1973年]](昭和48年)[[1月1日]] - 自主納税都市宣言<ref>{{Cite web|和書|title=納税と滞納 |url=https://www.city.toride.ibaraki.jp/nouzei/kurashi/zekin/osameru/taino.html |website=取手市 |access-date=2023-10-28 |language=ja |last=取手市}}</ref>。
*[[1974年]](昭和49年)
**[[第29回国民体育大会]]が[[茨城県]]で開催。取手市は自転車競技の会場となる<ref>{{Cite web|和書|title=第29回大会の概要 - 国民体育大会 - JSPO |url=https://www.japan-sports.or.jp/kokutai/tabid720.html |website= |access-date=2023-10-28 |publisher=公益財団法人 [[日本スポーツ協会]]}}</ref>。
**取手市役所庁舎を増築<ref name=":2">{{Cite web|和書|url=https://www.city.toride.ibaraki.jp/koho/shise/kohokocho/kohoshi/kohotoride/2020backnumber/documents/koho_toride_200501_all.pdf |title=『広報とりで』(2020年5月1日号、No.1292) |access-date=2023年10月28日 |publisher=取手市広報広聴課 |page=8}}</ref>。
* [[1975年]](昭和50年)
** [[関東鉄道常総線]] [[戸頭駅]]が開業<ref name=":1" />。
** 『取手市民憲章』<ref>{{Cite web|和書|title=取手市民憲章|url=https://www.city.toride.ibaraki.jp/shimin-kyodo/shise/shokai/shiminkensho/shiminkensho.html|website=取手市|accessdate=2021-10-21|language=ja|last=取手市}}</ref>を制定。
*[[1977年]](昭和52年) - 「交通事故防止モデル市」宣言<ref name=":1" />。
*[[1979年]](昭和54年)7月 - 取手市立図書館が開館<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.toride-toshokan.jp/TOSHOW/pdf/youran2023.pdf |title=『令和5年度 取手市立図書館要覧』 |access-date=2023年10月28日 |publisher=取手市立図書館 |page=2 |date=2023年6月}}</ref>。
*[[1980年]](昭和55年)
**[[4月17日]] - [[新大利根橋有料道路]]が開通<ref name=":3">{{Cite web|和書|title=茨城県道路公社 {{!}} 新大利根橋有料道路 |url=http://www.i-road.or.jp/contents/shinootone/index.html |website= |access-date=2023-10-28 |publisher=[[茨城県道路公社]]}}</ref>。
**「暴走族追放」宣言<ref name=":1" />。
* [[1981年]](昭和56年)[[11月1日]] - 新町名に、新町五丁目(旧[[大字]]取手の一部)、新取手一丁目〜五丁目(大字寺田・野々井の各一部)を設定<ref>{{Citation|title={{PDFlink|[http://soumu.pref.ibaraki.jp/file/PDF/1981/198110/n6983.pdf 字区域の変更(昭和56年10月26日 茨城県告示第1526号)]}}|periodical=茨城県報|publisher=茨城県|volume=第6983号|date=1981年10月26日|pages=pp.2-4}}</ref>。
* [[1982年]](昭和58年)
** [[11月15日]] - 日本国有鉄道常磐線 [[我孫子駅 (千葉県)|我孫子]]・取手間複々線化完成、[[営団地下鉄]][[千代田線]] 取手まで相互乗り入れを開始<ref>{{Cite web|和書|title=203系がデビュー 常磐線各駅停車が「我孫子から取手へ」延伸した日 -1982.11.15 |url=https://trafficnews.jp/post/122814 |website=乗りものニュース |date=2022-11-15 |access-date=2023-10-28 |language=ja}}</ref>。
** 関東鉄道常総線 取手全区間複線化<ref name=":4">{{Cite web|和書|title=わがまち取手市のあゆみ(1981年から1990年) |url=https://www.city.toride.ibaraki.jp/seisaku/shise/shokai/profile/ayumi/ayumi1981-1990.html |website=取手市 |access-date=2023-10-28 |language=ja |last=取手市}}</ref>
* [[1985年]](昭和60年)
** 11月1日 - 新取手5丁目の区域(旧寺田の一部)を追加設定<ref>{{Citation|title={{PDFlink|[http://soumu.pref.ibaraki.jp/file/PDF/1985/198510/n7395.pdf 字区域の変更(昭和60年10月31日 茨城県告示1467号)]}}|periodical=茨城県報|publisher=茨城県|volume=第7395号|pages=pp.1-2|date=1985年10月31日}}</ref>。
** 「非核兵器平和都市」宣言<ref name=":4" />。
*[[1986年]](昭和61年) - 「青少年健全育成都市」宣言<ref name=":4" />。
*[[1989年]]([[平成]]元年)[[4月1日]] - 消防本部機能を新庁舎に移転<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.city.toride.ibaraki.jp/shobo-somu/kurashi/anzen/shobo/shobonenpo/documents/r4nennpo-zennpe-zi.pdf |title=『令和4年版(2022年)消防年表』 |access-date=2023年10月28日 |publisher=取手市消防本部 |page=8}}</ref>。
*[[1990年]](平成2年)4月 - 取手グリーンスポーツセンターがオープン<ref>{{Cite web|和書|title=指定管理者の公募へ/グリーンスポーツセンター |url=https://www.nikoukei.co.jp/news/detail/43920 |website= |access-date=2023-10-28 |language=ja |publisher=日本工業経済新聞社 |date=2005-10-19}}</ref>。
*[[1991年]](平成3年) - 「健康づくり都市」宣言<ref name=":5">{{Cite web|和書|title=わがまち取手市のあゆみ(1991年から2000年) |url=https://www.city.toride.ibaraki.jp/seisaku/shise/shokai/profile/ayumi/ayumi1991-2000.html |website=取手市 |access-date=2023-10-28 |language=ja |last=取手市}}</ref>。
*[[1994年]](平成6年) - 取手市役所新庁舎が完成<ref name=":2" />
* [[1995年]](平成7年)[[10月2日]] - 新町名として、中原町(旧大字取手・井野の一部)、井野台3丁目〜5丁目(旧大字井野の一部)を設定<ref>{{Citation|title={{PDFlink|[http://soumu.pref.ibaraki.jp/file/PDF/1995/199509/n684.pdf 町の区域の設定(平成7年9月14日 茨城県告示第1048号)]}}|periodical=茨城県報|publisher=茨城県|volume=第684号|pages=p.2|date=1995年9月14日}}</ref>。
* [[1996年]](平成8年) - 取手市・藤代町合併問題協議会を設置<ref name=":5" />。
* [[1999年]](平成11年)[[2月5日]] - [[静岡県]][[御殿場市]]と[[災害時相互応援協定]]を締結<ref name=":6">{{Cite web|和書|title=災害時応援協定・見守り活動協定 |url=https://www.city.toride.ibaraki.jp/anzen-anshin/kurashi/anzen/bosai/taio/kyoutei.html |website=取手市 |access-date=2023-10-28 |language=ja |last=取手市}}</ref>。
* [[2000年]](平成12年) - 取手駅東口土地区画整理事業が完成<ref name=":5" />。
* [[2001年]](平成13年)
** 市の鳥を制定。
** 千葉県我孫子市との公共施設の相互利用協定を締結<ref>{{Cite web|和書|title=わがまち取手市のあゆみ(2001年から2010年) |url=https://www.city.toride.ibaraki.jp/seisaku/shise/shokai/profile/ayumi/ayumi2001-2010.html |website=取手市 |access-date=2023-10-28 |language=ja |last=取手市}}</ref>。
** 4月1日 - 県南総合防災センターがオープン<ref>{{Cite web|和書|title=県南総合防災センター |url=http://www.jyouso-koiki.or.jp/bosai/gaiyo.html |website= |access-date=2023-10-28 |publisher=常総地方広域市町村圏事務組合}}</ref>。
** [[5月17日]] - 第1回取手市・藤代町合併協議会が開催<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.tf-gappei.jp/tayori/main01.htm |title=『取手市藤代町合併協議会だより ひかり』No.1 |access-date=2023年10月28日 |publisher=取手市・藤代町合併協議会事務局 |archive-url=https://warp.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/282941/www.tf-gappei.jp/tayori/index.htm |archive-date=2004-11-4 |date=2001年7月1日}}</ref>。
*[[2004年]](平成16年)[[10月26日]] - 取手市・藤代町合併協定調印式が開催される<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.tf-gappei.jp/sign/main01.htm |title=合併協定調印式 |access-date=2023年10月28日 |publisher=取手市・藤代町合併協議会 |archive-url=https://warp.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/282941/www.tf-gappei.jp/sign/index.htm |archive-date=2004-11-4}}</ref>
* [[2005年]](平成17年)
** [[3月28日]] - 北相馬郡[[藤代町]]を編入。
** [[10月1日]] - 市の木・花・鳥を改訂<ref>{{Cite web|和書|title=市の木・市の花・市の鳥をご紹介します|url=https://www.city.toride.ibaraki.jp/seisaku/shise/shokai/shisho/ki-hana-tori.html|website=取手市|accessdate=2021-10-21|language=ja|last=取手市}}</ref>(旧藤代町分も含めた形に変更)。
*[[2006年]](平成18年)10月 - コミュニティバスの運行を開始<ref>{{Cite web|和書|title=コミュニティバス運行実績 |url=https://www.city.toride.ibaraki.jp/toshikeikaku/kurashi/sumai/bus/jisseki.html |website=取手市 |access-date=2023-10-28 |language=ja |last=取手市}}</ref>。
*[[2007年]](平成19年)
**[[7月23日]] - [[福島県]][[相馬市]]との間で災害時相互応援協定締結<ref name=":6" />。
**[[8月11日]] - [[群馬県]][[利根郡]][[昭和村 (群馬県)|昭和村]]との間で災害時相互応援協定締結<ref name=":6" />。
**[[8月21日]] - [[岩手県]][[二戸市]]との間で災害時相互応援協定締結<ref name=":6" />。
**[[11月10日]] - [[11月14日]] - 第20回[[全国健康福祉祭]]いばらき大会・ねんりんピックいばらき2007が開催。取手市は[[太極拳]]の会場として使用される<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.wam.go.jp/wamappl/bb16GS70.nsf/0/53642f62f27d6f53492573d700025253/$FILE/20070121_2shiryou2_2.pdf |title=男20回全国健康福祉祭いばらき大会・ねんりんピック茨城2007 |access-date=2023年10月28日 |publisher=独立行政法人 [[福祉医療機構]]}}</ref>。
*[[2008年]](平成20年)
**[[5月22日]] - 千葉県我孫子市との間で災害時相互応援協定締結<ref name=":6" />。
**11月1日 - [[11月9日]] - 第23回[[国民文化祭]]・いばらき2008が開催。取手市では現代アートフェスティバル in 取手が開催される<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.pref.ibaraki.jp/bugai/koho/kenmin/photoiba/documents/photoiba573_p14_19.pdf |title=第23回国民文化祭・いばらき2008 |access-date=2023年10月28日 |publisher=茨城県}}</ref>。
*[[2009年]](平成21年)[[8月8日]] - 群馬県[[みなかみ町]]との間で[[友好都市|友好都市協定]]を締結<ref>{{Cite web|和書|title=森を育み生命を運ぶ、利根川源流の町「みなかみ町」 |url=https://www.town.minakami.gunma.jp/politics/02gaiyou/2016-1012-1622-12.html |website=群馬県みなかみ町|ホームページ |access-date=2023-10-28 |language=ja}}</ref>。
*[[2010年]](平成22年)[[4月17日]] - 新大利根橋有料道路無料開放<ref name=":3" />。
*[[2011年]](平成23年)
**[[3月11日]] - [[東日本大震災]]([[東北地方太平洋沖地震]])が発生。取手市では最大[[気象庁震度階級|震度]]6弱を観測。取手市内では負傷者が10人発生し、断水は発生しなかったものの、[[停電]]、[[液状化現象]]等の被害を受ける<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.pref.ibaraki.jp/seikatsukankyo/bousaikiki/bousai/kirokushi/documents/shinsaikiroku-1syou.pdf |title=『東日本大震災の記録~地震・津波災害編~』 |access-date=2023年10月28日 |publisher=茨城県 |date=2013年3月 |pages=5, 12, 14, 15, 32}}</ref>。
**[[3月12日]] - 関東鉄道常総線 [[ゆめみ野駅]]が開業<ref>{{Cite web|和書|url=https://kantetsu.co.jp/img/news/2021/21030902_train/info.pdf |title=3/12(金)「常総線ゆめみ野駅開業 10 周年記念券」を発売! 限定 500 部!「ゆめみ野駅」で先行発売会を開催! |access-date=2023年10月28日 |publisher=[[関東鉄道]]株式会社 |date=2021-3-10}}</ref>。
*[[2016年]](平成28年)10月 - 取手市ブランドメッセージ「ほどよく絶妙とりで」を策定<ref>{{Cite web|和書|title=取手市ブランドメッセージ「ほどよく絶妙とりで」 |url=https://www.city.toride.ibaraki.jp/miryoku/shise/machizukuri/citypromotion/1612bm_kette.html |website=取手市 |access-date=2023-10-28 |language=ja |last=取手市}}</ref>。
*[[2018年]](平成30年)
**藤代駅北口階段開通及び駅前広場完成<ref>{{Cite web|和書|title=わがまち取手市のあゆみ(2011年から2020年) |url=https://www.city.toride.ibaraki.jp/seisaku/shise/shokai/profile/ayumi/ayumi2011-2014.html |website=取手市 |access-date=2023-10-28 |language=ja |last=取手市}}</ref>。
**[[1月29日]] - 福島県[[いわき市]]との間で災害時相互応援協定締結<ref name=":6" />。
**[[10月1日]] - 関東鉄道常総線 [[寺原駅]]南口オープン<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.kantetsu.co.jp/img/news/2018/18091202_train/info.pdf |title=10月1日(月) 常総線寺原駅南口オープン! |access-date=2023年10月28日 |publisher=関東鉄道株式会社 |date=2018-9-12}}</ref>。
*[[2019年]](平成31年)4月1日 - 取手市立市民会館リニューアルオープン<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.city.toride.ibaraki.jp/koho/shise/kohokocho/kohoshi/kohotoride/2019backnumber/documents/koho_toride_190415_all_2.pdf |title=『広報とりで』(2019年4月15日号、No.1267) |access-date=2023年10月28日 |publisher=取手市広報広聴課}}</ref>。
*2019年([[令和]]元年)[[9月28日]] - [[10月8日]] - 天皇陛下御即位記念[[第74回国民体育大会]]・いきいき茨城ゆめ国体2019が開催。取手市は自転車(トラック)やボウリングなどの会場として使用される<ref>{{Cite web|和書|title=競技会場(市町村別一覧) {{!}} いきいき茨城ゆめ国体(茨城国体・第74回国民体育大会) |url=https://www.pref.ibaraki.jp/ibarakikokutai2019/html/kokutai/area/city.html |website=いきいき茨城ゆめ国体(第74回国民体育大会)・いきいき茨城ゆめ大会(第19回全国障害者スポーツ大会) |access-date=2023-10-28 |language=ja}}</ref>。
* [[2020年]](令和2年)
** 3月 - 市制施行50周年・合併15周年を記念して2代目市民歌「[[取手市民のうた 〜新しい明日〜]]」(作詞・作曲:[[谷本貴義]])を制定<ref>[https://www.city.toride.ibaraki.jp/miryoku/shise/machizukuri/50th-anniversary/documents/16_siminkensyo_toride_yoran2021ol40.pdf Symbol of TORIDE] - 取手市。2021年10月12日閲覧。</ref><ref>[https://mainichi.jp/articles/20200330/ddl/k08/040/012000c 取手市制50周年 / 旧藤代町との合併15周年記念「市民のうた」新曲に 動画公開「郷土愛育んで」/ 茨城] - 毎日新聞(2020年3月30日)2021年10月12日閲覧。</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.city.toride.ibaraki.jp/shise/machizukuri/50th-anniversary/index.html |title=取手市制施行50周年 |publisher=取手市 |accessdate=2021-11-23}}</ref>。
** [[8月3日]] - [[地球温暖化]]に対して「取手市[[気候変動]][[非常事態宣言]]」を表明<ref>[https://www.city.toride.ibaraki.jp/kankyo/kurashi/kankyo/sekatsu/020803torideshi-kikouhijoujitaisengen.html 「取手市気候非常事態宣言」を表明しました] 取手市(2020年8月6日)2020年9月23日閲覧</ref>。
** [[10月15日]] - 取手市電子図書館がオープン<ref>{{Cite web|和書|title=取手市電子図書館オープン! {{!}} 取手市電子図書館 |url=https://web.d-library.jp/toride/g0108/infodetail/?iid=1 |website= |access-date=2023-10-28 |publisher=取手市電子図書館}}</ref>。
*[[2021年]](令和3年) - 議会改革度調査2020で取手市議会が総合1位となる<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.maniken.jp/gikai/2020tyousahoukoku.pdf |title=議会改革度調査2020 <調査結果報告書> |access-date=2023年10月28日 |publisher=[[早稲田大学]]マニフェスト研究所 |date=2021-6-1 |page=37}}</ref>。
* [[2023年]](令和5年)
** [[6月3日]] - 前日から降り続いた[[令和5年台風第2号]]による豪雨で双葉地区などが冠水。床上浸水436棟、床下浸水165棟<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.fnn.jp/articles/-/537522 |title=茨城の住宅街 広範囲で冠水 太平洋側で記録的大雨 |publisher=フジテレビ |date=2023-06-03 |accessdate=2023-06-03}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://mainichi.jp/articles/20230604/k00/00m/040/162000c |title=茨城・取手市の床上浸水 「家具だめに」片付けの住民ため息 |publisher=毎日新聞 |date=2023-04-06 |accessdate=2023-06-05}}</ref>。
** [[6月15日]] - 取手市議会が災害、介護、育児等で議員が議場に来ることが困難な場合に、本会議の一般質問をオンラインで可能にする会議規則改正案を可決<ref>{{Cite web|和書|title=取手市議会 議場に来ることが難しい場合 オンラインも可能に|NHK 茨城県のニュース |url=https://www3.nhk.or.jp/lnews/mito/20230615/1070021206.html |website=NHK NEWS WEB |access-date=2023-10-28 |last=日本放送協会 |date=2023-6-15}}</ref>。
== 行政 ==
=== 歴代市長 ===
<!--氏名の直後の括弧内は在任期間-->
* [[中村金左衛門]]([[1970年]](昭和45年)、1期)
*: ※1955年(昭和30年) - 1970年(昭和45年)まで、旧取手町長として4期在任。<!--※1977年1月26日死去(87歳没)。-->
* [[海老原一雄]](1970年(昭和45年) - [[1979年]](昭和54年)、2期)<!--※2008年3月30日死去(74歳没)。-->
* [[菊地勝志郎]](1979年(昭和54年) - [[1995年]]([[平成]]7年)、4期)<!--※2011年6月28日死去(91歳没)。-->
* [[大橋幸雄]](1995年(平成7年) - [[2003年]](平成15年)、2期)<!--※2020年8月20日死去(92歳没)。-->
* [[塚本光男]](2003年(平成15年) - [[2007年]](平成19年)、1期)<!--※1952年6月25日生まれ、2018年11月24日死去({{没年齢|1952|6|25|2018|11|24}})。-->
* [[藤井信吾 (政治家)|藤井信吾]]([[2007年]](平成19年) - [[2023年]]([[令和]]5年)、4期)<!--※1959年12月25日生まれ({{年数|1959|12|25}}歳)。-->
* [[中村修 (取手市長)|中村修]]([[2023年]](令和5年) - 現職、1期目)<!--※1962年2月17日生まれ({{年数|1962|2|17}}歳)。-->
=== 議会 ===
定数:24人<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.city.toride.ibaraki.jp/gikai/shise/shicho/shigikai/gaiyo/mebo-new.html|title=取手市議会議員名簿|accessdate=2020年5月5日|publisher=取手市}}</ref>
=== 市役所庁舎 ===
[[ファイル:fujisirocho.jpg|thumb|250px|藤代庁舎]]
取手市では、本所機能を分散させた分庁舎方式を採用している。
* 取手市役所 - 総務部、政策推進部、財政部、健康福祉部、建設部、まちづくり振興部、議会事務局、監査事務局ほか
* 藤代庁舎 - 教育委員会、農業委員会、藤代総合窓口課、農政課
* 取手駅西口都市整備事務所 - 都市整備部
* 窓口等を設置している施設
** 取手支所(福祉会館内)
** 取手駅前窓口(リボンとりでビル3階)
** 戸頭窓口コーナー(戸頭公民館内)
=== 広域事務 ===
* [http://www.jyouso-koiki.or.jp/ 常総地方広域市町村圏事務組合]
: [[常総市]](旧[[水海道市]]域)、[[つくばみらい市]]、[[守谷市]]と当市のごみ処理などを行っている。守谷市に組合運営の常総環境センター(ごみ処理施設)、組合事務所、常総運動公園が設置されている。
* [http://www.ibananww.ne.jp/ 茨城県南水道企業団]
: [[牛久市]]、[[龍ケ崎市]]、[[北相馬郡]][[利根町]]と当市の[[上水道]]供給を行っている。
* 取手地方広域下水道組合
: つくばみらい市の一部と当市の[[下水道]]処理を行っている。
* 龍ケ崎地方衛生組合
: [[稲敷市]]、牛久市、龍ケ崎市、稲敷郡[[阿見町]]・[[河内町]]・[[美浦村]]、北相馬郡利根町と当市のし尿などの処理を行っている。
* 取手市外二市火葬場組合
: つくばみらい市、守谷市、当市で斎場の運営を行っている。
* 利根川水系県南水防事務組合
: 牛久市・[[つくば市]]・つくばみらい市・龍ケ崎市・当市の広域的な水防事務を行っている。
* 茨城県市町村総合事務組合
: 茨城県内市町村の職員退職手当の管理や、県民交通災害[[共済]]事業等の事務を行っている。
* 茨城租税債権管理機構
: 茨城県内市町村の一部の市税徴収代行事務を行っている。
=== 第三セクター等 ===
* 取手市土地開発公社
* 取手市都市開発公社
* 取手市健康福祉医療事業団
* 取手市文化事業団
* 取手市農業公社
=== 警察 ===
* [[取手警察署]](<!--国道6号沿いにある警察署で、-->管轄は取手市、守谷市、北相馬郡利根町)
** 取手駅前[[交番]]
** 白山交番
** 戸頭交番
** 藤代地区交番
** 小文間[[駐在所]]
** 久賀駐在所
==== 消防 ====
* [[取手市消防本部]]
** 取手消防署
** 戸頭消防署
** 吉田消防署
** 椚木消防署
*** 宮和田出張所(2010年4月1日に宮和田消防署から改組)
=== その他の機関 ===
* 水戸地方法務局取手出張所
* 取手[[簡易裁判所]]
* 取手区検察庁
* [[国土交通省]][[関東地方整備局]]
** 下館河川事務所藤代出張所
** 利根川下流河川事務所取手出張所
* 茨城県[[自転車競技]]事務所([[取手競輪場]])
<!--: ※取手市ではなく、茨城県所管の施設である。-->
=== 市外に所在する管轄機関 ===
* [[関東信越国税局]]
** 竜ケ崎[[税務署]]([[龍ケ崎市]])
* 茨城県県税事務所
** 土浦県税事務所稲敷支所([[稲敷市]])
* [[自衛隊]]
** [[自衛隊茨城地方協力本部|茨城地方協力本部]]龍ヶ崎地域事務所(龍ケ崎市)
** [[陸上自衛隊]][[東部方面隊]][[第1施設団]]([[古河市]]、[[古河駐屯地]])
== 経済 ==
=== 特産品 ===
* [[米]]
* [[日本酒]](田中酒造「君萬代」、金門酒造「金門」、賜杯桜酒造「賜杯桜」)
* [[漬物]]([[奈良漬]]・[https://www.shinroku.co.jp/ 新六本店])
* [[リーキ]](西洋ネギ)
=== 農業 ===
* [[岡堰]][[土地改良区]]
* [[福岡堰]]土地改良区
=== 商業 ===
[[1973年]][[3月23日]]に取手駅東口に[[片倉工業|カタクラ]]ショッピングプラザ、[[1985年]]に取手駅西口に[[東急ストア|取手とうきゅう]]が開店した。[[1986年]]8月には[[西友]]が撤退したが、[[1988年]][[9月21日]]に[[ボックスヒル]]取手店が開店し、[[1990年]]頃に取手駅前は市の商業の中心地として最盛期を迎える。しかし、カタクラショッピングプラザは[[2001年]]の[[イトーヨーカ堂|イトーヨーカドー]]の撤退後、キーテナントに[[マルエツ]]、[[大創産業|ダイソー]]などを入れたが[[2007年]][[4月26日]]に閉店<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.katakura.co.jp/Activities/Kaihatu/toride_info.htm|title=◆◆◆弊社取手カタクラショッピングプラザ営業終了のお知らせ◆◆◆|publisher=片倉工業|accessdate=2010-03-01}}</ref>。現在は取り壊されている。また、取手とうきゅうも[[2010年]][[8月31日]]をもって閉店した。市内には[[ラーメン]]店を展開する「[[ゆにろーず]]」の本社と製麺所があり、[[ベイシア]]の出店計画も2005年より存在する<ref>平成20年第3回取手市議会定例会会議録(第4号)</ref>。<!-- 中止か今後出店か不透明なので計画が存在するとしました -->そのような中、2012年度中に西友が取手とうきゅう跡地に出店すると報じられ<ref>{{Cite news |title=東急ストア跡 西友が出店へ 茨城・取手駅西口|newspaper=[[産経新聞]]|date=2012年8月1日|url=http://sankei.jp.msn.com/region/news/120801/ibr12080102170001-n1.htm|accessdate=2012-08-28}}</ref>、「リボンとりで」として開業した(西友は1階部分で営業し、2階以上は専門店)。2020年3月にボックスヒルが[[アトレ]]取手に改称した。
市東部では、ミスターマックス取手店が2011年12月1日に開業した。
市西部では、戸頭地区の街開き後に[[エコス|マスダ]]や[[リブレ京成]]などの[[スーパーマーケット|スーパー]]が出店し、新大利根橋・常総ふれあい道路の開通、隣接する守谷市の常総ニュータウン南守谷・ヒルズ美園などの開発が進むと、[[ジャスコ]]取手店が出店。さらに[[2001年]](平成13年)にジャスコに隣接する場所に[[カルフール]]<ref>平成13年第1回取手市議会定例会会議録(第2号)</ref>、戸頭に隣接する米ノ井に[[ベイシア]]が出店する予定であったが<ref>平成13年第2回取手市議会定例会会議録(第2号)</ref>、これらは中止となっている。しかし、カルフール予定地には、戸頭地内にあった[[ケーズホールディングス|ケーズデンキ]]が移転し、[[ホーマック]](現[[DCMホールディングス|DCM]])も新規出店。[[2007年]](平成19年)には[[ヤオコー]]が出店した。2015年(平成27年)9月、イオン取手店(旧ジャスコ取手店)は閉店した。跡地には、2019年7月にヨークタウン([[ヨークベニマル]]取手戸頭店等)が開業した。
上記の他、取手市桑畑地区(国道6号線周辺地域)に土地区画整理事業が計画され、イオンモール(株)・イオンタウン(株)の[[共同企業体|JV]]が選定された。同地区の北側(約32.6[[ヘクタール|ha]])に専門店が連続する商業施設を、南側(約35ha)に多目的な大規模商業施設を整備する計画がある。
=== 工業 ===
* [[キヤノン]]取手事業所
* [[麒麟麦酒|キリンビール]]取手工場
* [[日清食品]]関東工場
* [[ニッピ]]バイオマトリックス研究所
* [[日本ファブテック]]取手工場
* [[伊藤ハム]]取手工場
=== 金融機関 ===
* [[みずほ銀行]]取手支店
* [[三井住友銀行]]取手支店
* [[東日本銀行]]取手支店
* [[常陽銀行]]取手支店、戸頭支店、藤代支店
* [[筑波銀行]]藤代支店、新取手支店
* [[中央労働金庫]]取手支店
* [[水戸信用金庫]]取手支店、藤代支店
* [[茨城県信用組合]]取手支店、藤代支店
* [[JAバンク]]茨城みなみ本店、取手支店、藤代支店
* [[ゆうちょ銀行]]
** 市内各郵便局が代理店として業務を行っている。(所在地は「郵便」節を参照)
=== 郵便 ===
{{Columns-list|colwidth=20em|
* [[取手郵便局]](集配局)
* 小文間郵便局
* 取手寺田郵便局
* 取手白山郵便局
* 取手[[ボックスヒル]]内郵便局
* 取手井野郵便局
* 取手一郵便局
* 藤代山王郵便局
* 稲戸井郵便局
* 取手新道郵便局
* 取手戸頭郵便局
* [[藤代郵便局]](集配局)
* 藤代清水郵便局
* 藤代新川郵便局
* 宮和田郵便局
}}
== 国際交流 ==
* 取手市国際交流協会
; 特別友好都市協定
* {{Flagicon|CHN}} [[桂林市]]([[中華人民共和国]])
** [[1990年]]([[平成]]2年)特別友好都市(覚書)締結<ref>{{Cite web|和書|title=桂林市との交流経過 |url=https://www.city.toride.ibaraki.jp/hisho/shise/shokai/yukotoshi/guilin/keirin-koryu.html |website=取手市 |access-date=2023-10-28 |language=ja |last=取手市}}</ref>。
; 姉妹都市協定
* {{Flagicon|USA}} [[ユバシティ]]([[アメリカ合衆国]])
** [[1989年]](平成元年)[[11月28日]]藤代町との間で姉妹都市協定締結<ref>{{Cite web|和書|title=ユーバ市との交流経過 |url=https://www.city.toride.ibaraki.jp/hisho/shise/shokai/yukotoshi/yubacity.html |website=取手市 |access-date=2023-10-28 |language=ja |last=取手市}}</ref>。
==学校教育 ==
=== 大学 ===
* [[東京芸術大学]]取手キャンパス
: 市は[[1985年]][[9月]]に目白女子大学(仮称、現在の[[目白大学]])の誘致を行い、[[1986年]][[1月]]に正式に取手市に建設する意向を受け、米ノ井地区が候補となったが<ref>『広報とりで』No.528 1988年7月1日</ref>、建設は中止となった。
=== 高等学校 ===
; 公立
* [[茨城県立取手第一高等学校]]
* [[茨城県立取手第二高等学校]]
* [[茨城県立取手松陽高等学校]]
* [[茨城県立藤代高等学校]]
* [[茨城県立藤代紫水高等学校]]
; 私立
* [[江戸川学園取手中学校・高等学校|江戸川学園取手高等学校]]
* [[聖徳大学附属取手聖徳女子中学校・高等学校|聖徳大学附属取手聖徳女子高等学校]]
=== 中学校 ===
; 公立
* [[取手市立取手第一中学校]]
* [[取手市立取手第二中学校]]
* [[取手市立永山中学校]]
* [[取手市立戸頭中学校]]
* 取手市立藤代中学校
* 取手市立藤代南中学校
; 私立
* [[江戸川学園取手中学校・高等学校|江戸川学園取手中学校]]
* [[聖徳大学附属取手聖徳女子中学校・高等学校|聖徳大学附属取手聖徳女子中学校]](2023年度から休止)
=== 小学校 ===
; 公立
* [[取手市立取手小学校]]
* [[取手市立取手東小学校]]
* [[取手市立白山小学校]]
* [[取手市立寺原小学校]]
* [[取手市立取手西小学校]]
* [[取手市立永山小学校]]
* [[取手市立高井小学校]]
* [[取手市立戸頭小学校]]
* 取手市立藤代小学校
* 取手市立久賀小学校
* 取手市立山王小学校
* 取手市立宮和田小学校
* 取手市立六郷小学校
* 取手市立桜が丘小学校
; 私立
* [[江戸川学園取手小学校]]
=== 幼稚園 ===
* 取手市立藤代幼稚園
* 光風台幼稚園
* あづま幼稚園
* チューリップ幼稚園
* チューリップ第二幼稚園
* 取手幼稚園
* 取手ふたば文化幼稚園
* 白山幼稚園
* みどりが丘幼稚園
* 戸頭幼稚園
* めぐみ幼稚園
* さつき幼稚園
* つつみ幼稚園
===専修学校===
* 取手歯科衛生専門学校
* [[成田国際航空専門学校]]
=== 職業訓練 ===
=== 社会教育 ===
==== 市立図書館 ====
* [https://www.toride-toshokan.jp/ 取手図書館]
* ふじしろ図書館
* 戸頭図書館
== 市立公民館 ==
* 中央公民館
* 小文間公民館
* 永山公民館
* 井野公民館
* 寺原公民館
* 戸頭公民館
* 白山公民館
* 藤代公民館
* 山王公民館
* 六郷公民館
* 相馬公民館
* 相馬南公民館
* 久賀公民館
* 高須公民館
{{Clear|left}}
==その他の教育・文化施設 ==
* [http://www.toride-green-spocen.com/ 取手グリーンスポーツセンター]
* 藤代スポーツセンター
* [https://www.toridebunka.com/ 市民会館、福祉会館]
* 埋蔵文化財センター
* 働く婦人の家
* 勤労青少年ホーム
== 福祉 ==
=== 保健衛生 ===
* 取手市立保健センター(ウェルネスプラザ)
===子育て支援===
* 白山子育て支援センター
* 戸頭子育て支援センター
* 藤代子育て支援センター
* 井野なないろ子育て支援センター
=== 児童福祉(保育所) ===
; 公立
* 取手市立永山保育所
* 取手市立井野なないろ保育所
* 取手市立白山保育所
* 取手市立中央保育所([[2024年]](令和6年)4月1日に民営化に移行する)
* 取手市立久賀保育所
; 私立
* 取手保育園
* ふたば保育園
* 育英保育園
* たちばな保育園
* 共生保育園
* 稲保育園
* 井野保育園
* 戸頭東保育園
* 取手ふたば文化保育園([[認定こども園]])
=== 高齢者福祉 ===
* 老人福祉センターさくら荘
* かたらいの郷
* デイサービスセンターふれあいの郷
* 特別養護老人ホームふれあいの郷
* 取手市介護老人保健施設緑樹荘
=== 障害福祉 ===
* あけぼの
* つつじ園
* もくせい園
* [https://nanacoro.life/sp/index.html ななころ取手](就労移行支援事業所)
* 社会福祉法人筑桜会ときわ学園
== 医療 ==
=== 病院 ===
* [[JAとりで総合医療センター]] - [[茨城県災害拠点病院]]、[[地域医療支援病院]]等に指定
* 取手北相馬保健医療センター医師会病院
* 医療法人中村会 常総病院
* 医療法人櫻友会 取手中央病院
* 医療法人社団 宗仁会病院
* 医療法人西秀会 西間木病院
* 医療法人社団輝峰会 東取手病院
* 医療法人社団耕潤会 藤代病院
== 交通 ==
=== 鉄道 ===
; [[東日本旅客鉄道]](JR東日本)
* [[File:JR JJ line symbol.svg|25px]][[File:JR JL line symbol.svg|25px]][[常磐線]]
** [[取手駅]] - [[藤代駅]]
; [[関東鉄道]]
* [[関東鉄道常総線|常総線]]
** [[取手駅]] - [[西取手駅]] - [[寺原駅]] - [[新取手駅]] - [[ゆめみ野駅]] - [[稲戸井駅]] - [[戸頭駅]]
* 中心となる駅:取手駅
=== バス ===
* [[関東鉄道]] - [[関東鉄道守谷営業所|守谷営業所]]、[[関東鉄道竜ヶ崎営業所|竜ヶ崎営業所]]、[[関東鉄道つくば中央営業所|つくば中央営業所]]
* [[大利根交通自動車]]
<!--* [[ジェイアールバス関東|JRバス関東]]([[深夜バス]]のみ)廃止済-->
* [[取手市コミュニティバス|ことバス]] - 市が運営する[[コミュニティバス]](運行は関東鉄道・大利根交通自動車に委託)
=== 道路 ===
* [[一般国道]]
** [[国道6号]]
*** 北方面 - [[龍ケ崎市|龍ケ崎]]・[[牛久市|牛久]]・[[土浦市|土浦]]・[[石岡市|石岡]]・[[水戸市|水戸]]・[[ひたちなか市|ひたちなか]]・[[日立市|日立]]・[[いわき市|いわき]]
*** 南方面 - [[我孫子市|我孫子]]・[[柏市|柏]]・[[松戸市|松戸]]・[[東京都|東京]]
** [[国道294号]]
*** 西方面 - [[常総市|常総]]・[[下妻市|下妻]]・[[筑西市|筑西]]・[[真岡市|真岡]]
* [[県道]] - [[茨城県道・千葉県道11号取手東線|茨城県道11号]]、[[茨城県道19号取手つくば線|茨城県道19号]]、[[茨城県道・千葉県道47号守谷流山線|茨城県道47号]]、[[茨城県道58号取手豊岡線|茨城県道58号]](取手市内は国道294号と重複)、[[茨城県道130号常総取手線|茨城県道130号]]、[[千葉県道・茨城県道170号我孫子利根線|茨城県道170号]]、[[茨城県道208号長沖藤代線|茨城県道208号]]、[[茨城県道210号谷田部藤代線|茨城県道210号]]、[[茨城県道211号高岡藤代線|茨城県道211号]]、[[茨城県道219号白山前取手線|茨城県道219号]]、[[茨城県道229号取手谷中線|茨城県道229号]]、[[茨城県道251号守谷藤代線|茨城県道251号]]、[[茨城県道269号取手停車場線|茨城県道269号]]、[[茨城県道270号藤代停車場線|茨城県道270号]]、[[茨城県道327号寺原停車場線|茨城県道327号]]、[[茨城県道328号谷井田稲戸井停車場線|茨城県道328号]]、[[茨城県道502号取手常総自転車道線|茨城県道502号]](自転車道)
; 高速道路
: 市内へは[[常磐自動車道]][[谷和原インターチェンジ|谷和原IC]]([[つくばみらい市]])を利用する。<!--参考までに、同ICから市役所まで[[国道294号]]を約10km進む。所要時間は約30分。-->
=== 船 ===
* [[小堀の渡し]](市営渡船) - 小堀渡船場、取手緑地運動公園サッカー場前、取手ふれあい桟橋を発着する。
== メディア ==
=== テレビ ===
取手市は民放[[キー局]]、[[日本放送協会|NHK]][[NHK放送センター|東京]][[NHK教育テレビジョン|教育]]、[[NHK水戸放送局|NHK水戸]][[NHK総合テレビジョン|総合]]、[[放送大学学園|放送大学]]の放送対象地域である。また、放送対象地域外であるがほとんどの地域で[[日本放送協会|NHK]][[NHK放送センター|東京]][[NHK総合テレビジョン|総合]]/[[千葉テレビ放送|チバテレ]]/[[東京メトロポリタンテレビジョン|TOKYO MX]]が視聴できる。
尚、アンテナの設置方向の関係、具体的には、南の[[東京スカイツリー]]向きと、北の筑波中継局もしくは水戸放送局向きと、2つのアンテナを設置している建物はほぼ見当たらないことから、NHK総合テレビについても、[[日本放送協会|NHK]][[NHK放送センター|東京]][[NHK総合テレビジョン|総合]](JOAK-DTV)を設定、視聴している世帯が多いものと推定される。
{| class="wikitable" style="text-align:center"
![[リモコンキーID]]!!放送局名!!コールサイン!!チャンネル
|-
|1||[[NHK水戸放送局|NHK水戸]][[NHK総合テレビジョン|総合]]||JOEP-DTV||49<br>([[NHK筑波中継局|筑波中継局]])
|-
|2||[[日本放送協会|NHK]][[NHK放送センター|東京]][[NHK教育テレビジョン|教育]]||JOAB-DTV||26
|-
|3||[[千葉テレビ放送|チバテレ]]<br>(放送対象地域外)||JOCL-DTV||30
|-
|4||[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]||JOAX-DTV||25
|-
|5||[[テレビ朝日]]||JOEX-DTV||24
|-
|6||[[TBSテレビ]]||JORX-DTV||22
|-
|7||[[テレビ東京]]||JOTX-DTV||23
|-
|8||[[フジテレビジョン|フジテレビ]]||JOCX-DTV||21
|-
|9||[[東京メトロポリタンテレビジョン|TOKYO MX]]<br>(放送対象地域外)||JOMX-DTV||16
|-
|12||[[放送大学学園|放送大学]]||JOUD-DTV||28
|}
ケーブルテレビは、[[土浦ケーブルテレビ]](J:COM茨城)のサービスエリアである。
=== ラジオ放送 ===
当市では茨城県内をカバーしている[[茨城放送]]のほか、隣県の千葉県の[[ベイエフエム|BayFM]]や、[[埼玉県]]の[[エフエムナックファイブ|NACK5]]をはじめとして、在京AM局・FM局が聴取エリアである。聴取エリア内ではないものの、電波状況によっては、[[神奈川県]]の[[横浜エフエム放送|FMヨコハマ]]、山梨県の[[エフエム富士|FM-FUJI]]、栃木県の[[エフエム栃木|RADIO BERRY]]も聴取可能な場合がある。同じく、東京方面も含む近隣地域の[[コミュニティ放送|コミュニティFM]]が聴取できることがある。
== 名所・旧跡・観光スポットなど ==
* [[小貝川]][[自転車道|サイクリングロード]]
*: 利根川の合流地点から茨城県下館市までの約60キロメートルのコースで、小貝川の左岸・右岸を取りかえながら堤防上を走っていける。また利根川との合流地点からそのまま利根川沿いを走ることもできる(取手駅方面等)。
* 新四国相馬八十八カ所霊場
*: 現在の取手市 - 我孫子市周辺に現存する250年の歴史の[[巡礼]]地<ref>[http://www.toride-kankou.net/henro/ 取手市観光ガイド]</ref>
* とりで利根川大花火
*: 取手駅にほど近い利根川の[[河川敷]]で行われる[[花火]]大会。橋の開通を記念し、[[1930年]](昭和5年)に始まった。打ち上げ数は約8000発。有料観覧席2000席(例年7月1日に販売)開催は例年8月中旬。取手駅東側の旧水戸街道一帯は車両通行止めとなり多くの出店で賑わう。また、<!--花火大会には珍しく-->仮設ゴミ捨て場が多く設けられる。しかし、向かいの千葉側では出店も少なく、本部やスピーカーやゴミ捨て場は設置されない。
* [http://www.kirin.co.jp/about/brewery/factory/toride/index.html/ キリンビアパーク取手]
* 小貝川フラワーカナル
*: 小貝川土手沿い約3キロメートル程のエリアに、5月 - 6月と9月 - 10月頃に[[ケシ|ポピー]]や[[コスモス]]が一面に咲き、毎年花まつりが開催される。
* [[八坂神社 (取手市)|八坂神社]](元は[[牛頭天王社]])例大祭<ref>[http://toride-yasaka.or.jp 公式]</ref>
*: 関東三大御輿とされる大御輿の渡御や底抜け山車、[[神楽]]ばやしなど、例年[[8月1日]] - [[8月3日|3日]]に行われ、取手駅東側の旧水戸街道一帯は車両通行止めとなり人で賑わう。[[取手八坂神社]]は[[1626年]]([[寛永]]3年)創建、[[神輿]]は[[1812年]]([[文政]]9年)に造られた。本殿・拝殿は取手市指定有形文化財。
* [http://www.toride-ap.gr.jp/ 取手アートプロジェクト(TAP=Toride Art Project略)]
* [http://haisyaku.jugem.jp/ 拝借景(アートスペース)]
* 旧[[取手宿]][[本陣]]染野家住宅(茨城県指定有形文化財、取手市指定史跡)
*: 水戸街道の[[本陣]]跡、1795年(寛政7年)に建てられた建物が現存し、無料公開されている。[[徳川斉昭]]歌碑が建っている。
* 米井山[[竜禅寺|龍禅寺]]<small>(竜禅寺)</small>三仏堂(国指定[[重要文化財]])<ref>[https://www.city.toride.ibaraki.jp/maibun/shisetsu/034.html]</ref><ref>[https://www.city.toride.ibaraki.jp/maibun/bunkakatsudo/rekishi/shitebunkazai/ryuzenji.html]</ref>
*: [[924年]]([[延長 (元号)|延長]]2年)創建とも、[[937年]]([[承平 (日本)|承平]]7年)に[[平将門]]が建立とも言われる。現存の三仏堂は室町時代後期の建築。
* [[本多重次|本多作左衛門重次]]の墓(茨城県指定史跡)
*: <!--妻宛の「一筆啓上、火の用心、お仙泣かすな馬肥やせ」の簡潔な手紙で有名。-->晩年を現在の当市井野で過ごした。重次の[[菩提寺]]である本願寺(墓の東南約1km)に遺品等が収蔵されている。
* 大鹿山[[長禅寺 (取手市)|長禅寺]]三世堂(茨城県指定有形文化財)<ref>[https://www.city.toride.ibaraki.jp/maibun/shisetsu/045.html 長禅寺]、[https://www.city.toride.ibaraki.jp/maibun/bunkakatsudo/rekishi/shitebunkazai/sazaedo.html 三世堂]</ref>
*: 取手駅東側、急な階段を上り詰めた丘の上にある。[[931年]]([[承平 (日本)|承平]]元年)に[[平将門]]が創建と伝えられる寺院。
* [[大日山古墳]](茨城県指定史跡)
*: 平将門の墳墓と言い伝えられで、隣に将門の愛妾桔梗の住居があったとも言われている。
=== 寺院 ===
* [[照谷寺 (取手市)|照谷寺]]<ref>[https://shoukokuji.com 公式]</ref>
* 大鹿山[[弘経寺 (取手市)|弘経寺]]<ref>[http://gugyoji.or.jp 公式]</ref>
* 明香山観音院[[東谷寺]]<ref>[http://www.eastvalley.or.jp/tokokuji.html 公式]</ref>
== 出身・ゆかりの人物 ==
=== 歴史上の人物 ===
* [[平将門]](武将) - 将門は「相馬の小次郎」とも称したが、これは相馬郡にあった母の実家(現在の取手市寺田)で育ったことによる
* [[本多重次]](武将) - [[三河国|三河]]三奉行
* [[広瀬誠一郎]](幕末から明治初期の[[政治家]]、[[治水|治水家]]) - [[利根運河]]の工事に携わる
=== 学術 ===
* [[武藤清]]([[建築家]]) - [[東京大学]]教授、文化勲章受章、[[千葉工業大学]]工学部建築学科の創設者。元[[鹿島建設]]副社長
* [[小山拓志]]([[地理学者]]) - [[大分大学]]准教授
=== 医師 ===
* [[高野素十]]([[俳人]]・医学博士) - 旧山王村生まれ
* [[武藤完雄]]([[医師]]) - [[東北大学]]名誉教授、[[医学博士]]([[消化器外科学]])
=== アナウンサー ===
* [[西村美月]]([[日本放送協会|NHK]][[ニュースキャスター|キャスター]])
* [[蛯原哲]]([[日本テレビ放送網|日本テレビ]][[アナウンサー]])
* [[斎藤哲也]](元[[TBSテレビ|TBS]]アナウンサー)
* [[中村慶子]](NHKアナウンサー)
* [[結城さとみ]](NHK[[NHKラジオセンター|ラジオセンター]][[ディレクター]]・元アナウンサー)
=== スポーツ ===
* [[福田健人]]([[プロサッカー選手]])
* [[大野久 (野球)|大野久]](元[[プロ野球選手]]・野球指導者) - 取手第二高等学校OB
* [[吉田剛]](元プロ野球選手) - 取手第二高等学校OB
* [[田口昌徳]](元プロ野球選手) - 藤代紫水高等学校OB
* [[井坂亮平]](元プロ野球選手) - 取手東中学校(現在の取手第一中学校)・藤代高等学校OB
* [[綾部翔]](元プロ野球選手)
* [[美馬学]](プロ野球選手) - 藤代中学校・藤代高等学校OB
* [[飯田真輝]](プロサッカー選手)
* [[輪湖直樹]](プロサッカー選手) - 藤代南中学校OB
* [[十文字貴信]](元競輪選手・自転車競技選手) - アトランタオリンピック銅メダル、取手第一高等学校OB
* [[吉田豊 (競馬)|吉田豊]]([[日本中央競馬会|JRA]]騎手) - 藤代中学校OB
* [[吉田隼人 (競馬)|吉田隼人]](JRA騎手) - 藤代中学校OB
* [[長塚智広]](元[[競輪選手]]) - アテネオリンピック銀メダル、取手第一高等学校OB
* [[井上貴子 (プロレスラー)|井上貴子]](女子[[プロレスラー]]) - 取手松陽高等学校OG
* [[小川良成]](プロレスラー)
=== その他 ===
* [[服部正一郎]]([[画家]])
* [[坂口安吾]]([[小説家]]) - [[1939年]]から1年間、取手病院に住み込む
* [[折原啓子]]([[俳優|女優]])
* [[木内幸男]]([[高校野球]]指導者) - 取手第二高等学校甲子園優勝時の監督
* [[堂島孝平]]([[音楽家|ミュージシャン]]) - [[大阪府]]生まれ、取手市育ち。取手松陽高等学校OB
* [[伊原直子]]([[声楽|声楽家]]) - 取手市在住、[[東京都]]出身。アルト歌手
* [[豊嶋真千子]]([[声優]])
* [[竹村義宏]]([[実業家]]、[[フランチャイズ|FC(フランチャイズ)]]プロデューサー)
* [[木内美穂]](実業家、元女優) - [[スクイズ (テレビ制作会社)|スクイズ]][[代表取締役]]
* [[琴吉 (呼出)|琴吉]]([[大相撲]][[呼出]])
* [[加藤啓子 (囲碁棋士)|加藤啓子]]([[囲碁]]の[[女流棋士 (囲碁)|女流棋士]])
* [[鎌田美礼]]([[将棋]]の[[女流棋士 (将棋)|女流棋士]])
* [[後藤仁]]([[日本画家]]) - [[兵庫県]]出身。一時、市内在住
* [[蔡國強]]([[現代美術家]]) - [[中華人民共和国|中国]]出身。1990年前後から5年間、市内在住
* [[廣枝音右衛門]]([[台湾総督府警察]]の[[警察官]]) - 現在の[[神奈川県]][[小田原市]]出身。市内の弘経寺に墓と部下が建立した顕彰碑がある
* [[Ryu (ものまねタレント)|Ryu]]([[ものまねタレント]]、取手市議会議員) - 白山小学校・取手第二中学校OB。議員として活動する時は本名の「山野井 隆(やまのい たかし)」を使用
* [[三遊亭小とり]]([[落語家]])
* [[白戸佑輔]]([[作曲家]]、[[編曲家]]、[[作詞家]]、[[ベーシスト]]、[[ピアニスト]])
* [[渡邉理佐]]([[ファッションモデル]]、元[[櫻坂46]]メンバー)
* [[quim]]([[歌手]])
*[[さくらまや]]([[歌手]][[タレント]])(取手市PR大使)
== その他 ==
=== 電話番号の市外局番 ===
旧取手市域の市外局番は02977(小堀・取手の一部のみ0471)となっていたが、[[1986年]](昭和61年)[[8月]]に桁ずれを行い、0297(市内局番は7X)に変更された。小堀・取手の一部は、0471区域(千葉県・柏MAと同じ地区の扱いである)の市内局番の不足に伴い[[2002年]]([[平成]]14年)[[2月11日]]に04(市内局番は71XX)に変更された。
=== 当市を舞台にした作品・歌謡 ===
* 『[[一本刀土俵入]]』[[長谷川伸]]
: [[歌舞伎]]の演目にもなっている、江戸時代の取手宿が舞台(取手宿の[[旅籠]]屋の安孫子屋、取手宿から少し離れた利根川を望む高台にあるお蔦の家、等)
* 『[[海と風と虹と]]』『平将門』[[海音寺潮五郎]]
: NHK大河ドラマ『[[風と雲と虹と]]』の原作でもある。
* 『日本文化私観』[[坂口安吾]]
: 筆者が取手に住んだ時のことについて書かれている。利根川に沿った小さな町で、[[とんかつ]]屋と[[蕎麦]]屋の他に食堂がなかったこと、框へ腰かけてコップ酒を飲む習慣「トンパチ」があり、村の百姓が「トンパチやんべいか」と言って親しんだこと、酒屋は一杯15銭だったり17銭だったり日によって仕入れ値段でまちまちだったことなど、[[1938年]] - [[1940年]]の取手の様子が書かれている。
* 『人情取手宿』歌:[[氷川きよし]]、作詞:[[松井由利夫]]、作曲:[[水森英夫]]
: 一本刀土俵入を題材とした演歌。
* 「トトリ」という[[ゆるキャラ]]がいる。
* 『[[ふらっと!294]]』という常総市、つくばみらい市、取手市の観光・地域情報を3人の[[美少女]][[キャラクター]]が案内する[[モバイルアプリケーション]]が[[2018年]][[5月1日]]からリリースされている。取手市は"取手きらり"というキャラクター<ref>{{Cite journal|和書|author=取手市|year=|date=2018-5-1|title=取手・つくばみらい・常総市・関東鉄道の観光アプリ 「ふらっと!294」が誕生|url=https://www.city.toride.ibaraki.jp/koho/shise/kohokocho/kohoshi/kohotoride/2018backnumber/documents/koho_toride_180501_p1.pdf|journal=広報とりで|volume=|issue=1244|page=1|accessdate=2021-1-9|format=pdf}}</ref>。
* [[五藤利弘]]監督の映画『[[美しすぎる議員]]』は当市の全面協力により、撮影のほとんどが市内で行われているが、舞台設定は「ゆめみ野市」という架空の都市になっている<ref>{{Cite news|title=取手映画祭:「美しすぎる議員」を23日上映 ほぼ全編、市内ロケ /茨城|newspaper=毎日新聞|date=2019-03-21|url=https://mainichi.jp/articles/20190321/ddl/k08/200/180000c|accessdate=2021-09-26}}</ref>。
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
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=== 出典 ===
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== 関連項目 ==
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* [[元気戦隊トリディンジャー]]
== 外部リンク ==
* {{Official website}}
* {{Twitter|toride_city}}
* {{Facebook|toridecity|取手市役所}}
* {{LINE公式アカウント|toridecity}}
* {{YouTube|channel=UCfZm4xIsRd7JSKw2tkP5zPA}}
* [http://www.toride-kankou.net/ 取手市観光ガイド]
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[[Category:茨城県の市町村]]
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[[Category:1955年設置の日本の市町村]]
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虚血性心疾患
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虚血性心疾患 (きょけつせいしんしっかん、Ischemic Heart Disease、IHD)とは、冠動脈の閉塞や狭窄などにより心筋への血流が阻害され、心臓に障害が起こる疾患の総称である。
狭心症や心筋梗塞がこの分類に含まれる。これらは冠動脈疾患と同義であるが、冠動脈自体に病変が無い疾患、例えば脳血管疾患による急激なストレスから来るたこつぼ心筋症や中枢性肺水腫などは特に本症に含まれる。
アメリカ合衆国では1950年代から心臓病患者の増加が問題となっていたが、朝鮮戦争で死亡したアメリカ人兵士を解剖した医師が冠動脈に動脈硬化症を発見したことから、虚血性心疾患と動脈硬化症との関連が明らかとなった。
日本でもかつて死に直結する病であったが、1979年、東京都で休日の救急体制が敷かれるなど医学の進歩に応じて積極的な医療が行われるようになった。
症状に応じて、薬物治療・冠動脈バイパス術(CABG)・経皮的冠動脈形成術(PCI、PTCA)が行われる。
心臓を取り巻く冠動脈は心筋へ栄養と酸素を含んた血液を供給している。この血管の閉塞や狭窄などによって心筋への血液が阻害される状態を心筋虚血といい、これにより引き起こされる疾患を虚血性心疾患という。
動脈硬化などで起こる狭窄は心筋に必要な血液不足を生じさせ、胸痛などの症状(狭心症)、さらに進行すれば心筋梗塞へと至る。
虚血性心疾患による心筋の収縮力低下は心不全を招き、これを虚血性心不全という。
日本人の危険因子は以下のとおり。
日本の原因疾患別死亡者数の割合と順位では、虚血性心疾患は1954年は5位、1955年から1957年まで4位、1958年から1984年まで3位、1985年から1994年まで2位、1995年から1996年まで3位、1997年から2018年まで2位であり、2018年度は死亡者数136万2470人のうち、虚血性心疾患による死者数は20万8221人であり、死亡者総数に対する割合は15.3%である。
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虚血性心疾患 とは、冠動脈の閉塞や狭窄などにより心筋への血流が阻害され、心臓に障害が起こる疾患の総称である。 狭心症や心筋梗塞がこの分類に含まれる。これらは冠動脈疾患と同義であるが、冠動脈自体に病変が無い疾患、例えば脳血管疾患による急激なストレスから来るたこつぼ心筋症や中枢性肺水腫などは特に本症に含まれる。
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'''虚血性心疾患''' (きょけつせいしんしっかん、Ischemic Heart Disease、IHD)とは、[[冠動脈]]の[[閉塞]]や[[狭窄]]などにより[[心筋]]への血流が阻害され、[[心臓]]に障害が起こる[[疾患]]の総称である。
'''[[狭心症]]'''や'''[[心筋梗塞]]'''がこの分類に含まれる。これらは[[冠動脈疾患]]と同義であるが、冠動脈自体に病変が無い疾患、例えば[[脳血管疾患]]による急激な[[ストレス (生体)|ストレス]]から来る[[たこつぼ心筋症]]や中枢性[[肺水腫]]などは特に本症に含まれる。
== 概要 ==
[[アメリカ合衆国]]では[[1950年代]]から心臓病患者の増加が問題となっていたが、[[朝鮮戦争]]で死亡したアメリカ人兵士を解剖した医師が[[冠動脈]]に[[動脈硬化症]]を発見したことから、虚血性心疾患と動脈硬化症との関連が明らかとなった。
日本でもかつて死に直結する病であったが、[[1979年]]、[[東京都]]で休日の救急体制が敷かれるなど医学の進歩に応じて積極的な医療が行われるようになった<ref>心臓病に休日救急体制 都が来月から開始『朝日新聞』1979年(昭和54年)9月28日朝刊 13版 23面</ref>。
症状に応じて、[[薬物治療]]・[[冠動脈バイパス術]](CABG)・[[経皮的冠動脈形成術]](PCI、PTCA)が行われる。
== 病態 ==
[[ファイル:Gray492.png|thumb|200px|心臓を取り巻く冠動脈。]]
[[心臓]]を取り巻く[[冠動脈]]は[[心筋]]へ栄養と酸素を含んた血液を供給している<ref name="日本心臓財団">[http://www.jhf.or.jp/q&adb/category/c4/ 「虚血性心疾患とは」] - [http://www.jhf.or.jp/ 日本心臓財団]</ref>。この血管の[[閉塞]]や[[狭窄]]などによって心筋への血液が阻害される状態を心筋虚血といい、これにより引き起こされる疾患を虚血性心疾患という<ref name="日本心臓財団" />。
動脈硬化などで起こる狭窄は心筋に必要な血液不足を生じさせ、胸痛などの症状([[狭心症]])、さらに進行すれば[[心筋梗塞]]へと至る<ref name="日本心臓財団" />。
虚血性心疾患による心筋の収縮力低下は[[心不全]]を招き、これを虚血性心不全という<ref name="日本心臓財団" />。
== 危険因子 ==
日本人の危険因子は以下のとおり<ref>{{PDFlink|[http://www.j-circ.or.jp/guideline/pdf/JCS2012_shimamoto_h.pdf 「虚血性心疾患の一次予防ガイドライン」2012年改訂版]}} 日本循環器学会公式webページ</ref><ref>三田充男、庄司優「薬剤師のための治療ガイドライン第四回:虚血性心疾患の一次予防ガイドライン」『Credentials』2009年、2巻、2号、p9</ref>。
#[[加齢]]:男性45歳以上、女性55歳以上
#[[冠動脈疾患]]の家族歴(両親、祖父母、兄弟、姉妹)
#[[喫煙]]
#[[高血圧]]:[[収縮期血圧]]140以上あるいは[[拡張期血圧]]90 [[水銀柱ミリメートル|mmHg]]以上
#[[肥満]]:[[BMI]]25以上かつ[[腰|ウエスト]]周囲径が男性85 [[センチメートル|cm]]、女性90 cm以上
#[[糖尿病の検査#糖尿病の診断|耐糖能異常]](境界型および糖尿病型)
#[[高コレステロール血症]](総[[コレステロール]]220 [[ミリグラム|mg]]/[[デシリットル|dL]]以上あるいは[[LDL|LDLコレステロール]]140 mg/dL以上)
#[[高トリグリセリド血症]]([[トリグリセリド]]150 mg/dL以上)
#低[[HDLコレステロール]]血症(HDLコレステロール40 mg/dL未満)
#[[メタボリックシンドローム]]<ref group="注釈">内臓肥満蓄積(ウエスト周囲径が男性85 cm、女性90 cm 以上)必須で、次の(1) (2) (3)のうち2項目以上を持つもの、(1) 高トリグリセリド血症150 mg/dL以上かつ/または低HDLコレステロール血症(40 mg/dL 未満)、(2) 収縮期血圧130 mmHgかつ/または拡張期血圧85 mmHg以上、(3) 空腹時高血糖110 mg/dL以上。</ref>
#精神的、肉体的[[ストレス (生体)|ストレス]]
== 死亡者数に対する原因別割合と順位 ==
{{世界の疾病負荷}}
日本の原因疾患別死亡者数の割合と順位では、虚血性心疾患は[[1954年]]は5位、[[1955年]]から[[1957年]]まで4位、[[1958年]]から[[1984年]]まで3位、[[1985年]]から[[1994年]]まで2位、[[1995年]]から[[1996年]]まで3位、[[1997年]]から[[2018年]]まで2位であり<ref>{{PDFlink|[https://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/jinkou/suii10/dl/s03.pdf 厚生労働省>統計情報・白書>各種統計調査>厚生労働統計一覧>人口動態調査>人口動態統計(確定数)の概況>平成22年(2010)人口動態統計(確定数)の概況>人口動態統計年報 主要統計表(最新データ、年次推移)>14ページ 第7表 死因順位(第5位まで)別にみた死亡数・死亡率(人口10万対)の年次推移]}}</ref><ref name="mhlw-2011-jdt-06">[https://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/jinkou/geppo/nengai11/toukei06.html 厚生労働省>人口動態統計>平成23年度>第6表 死亡数・死亡率(人口10万対),死因簡単分類別]</ref><ref name="mhlw-2011-jdt-07">[https://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/jinkou/geppo/nengai11/toukei07.html 厚生労働省>人口動態統計>平成23年度>第7表 死因順位(1~5位)別死亡数・死亡率(人口10万対),性・年齢(5歳階級)別]</ref><ref name="mhlw-2013-jdt-06">{{PDFlink|[https://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/jinkou/geppo/nengai13/dl/h6.pdf 厚生労働省>人口動態統計>平成25年度>第6表 死亡数・死亡率(人口10万対),死因簡単分類別]}}</ref><ref name="mhlw-2013-jdt-07">{{PDFLink|[https://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/jinkou/geppo/nengai13/dl/h7.pdf 厚生労働省>人口動態統計>平成25年度>第7表 死因順位(1~5位)別死亡数・死亡率(人口10万対),性・年齢(5歳階級)別]}}</ref><ref name="mhlw-2015-jdt-06">{{PDFlink|[https://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/jinkou/geppo/nengai15/dl/h6.pdf 厚生労働省>人口動態統計>平成27年度>第6表 死亡数・死亡率(人口10万対),死因簡単分類別]}}</ref><ref name="mhlw-2015-jdt-07">{{PDFlink|[https://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/jinkou/geppo/nengai15/dl/h7.pdf 厚生労働省>人口動態統計>平成27年度>第7表 死因順位(1~5位)別死亡数・死亡率(人口10万対),性・年齢(5歳階級)別]}}</ref><ref name="mhlw-2016-jdt-07">{{PDFlink|[https://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/jinkou/kakutei16/dl/10_h6.pdf 厚生労働省>人口動態統計>平成28年度>第6表 性別にみた死因順位(第10位まで)別 死亡数・死亡率(人口10万対)・構成割合]}}</ref><ref name="mhlw-2018-jdt-07">{{PDFlink|[https://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/jinkou/kakutei18/dl/10_h6.pdf 厚生労働省>人口動態統計>平成30年度>第6表 性別にみた死因順位(第10位まで)別 死亡数・死亡率(人口10万対)・構成割合]}}</ref>、2018年度は死亡者数136万2470人のうち、虚血性心疾患による死者数は20万8221人であり<ref name="mhlw-2018-jdt-07" />、死亡者総数に対する割合は15.3%である。
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
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=== 出典 ===
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== 関連項目 ==
* [[循環器学]]
* [[動脈硬化症]]
* [[脂質異常症]]
* [[喫煙]]、[[受動喫煙]]、[[煙害]]
* [[狭心症治療薬]]
* [[冠動脈バイパス術]]
* [[経皮的冠動脈形成術]]
== 外部リンク ==
*[https://www.j-circ.or.jp/ 日本循環器学会]
*[https://www.jsvs.org/ 日本血管外科学会]
*[https://jscvs.or.jp/ 日本心臓血管外科学会]
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[[Category:加齢関連疾患]]
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アロエビクスマン
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アロエビクスマンとは、1990年代中頃の近畿圏で流布した都市伝説の登場人物である。ラジオ番組の深夜放送に目撃談が寄せられたのをきっかけに、有名になった。
アロエの葉を模したと思われる緑色の突起物を頭につけ、緑色の全身タイツを着た姿をしていると言われる。京都市内各所に突如現れ、なんの脈絡もなくエアロビクスらしき踊りを踊り、またどこへともなく姿を消すという。
京都駅構内を歩き、ヘッドフォンをつけ、踊りながら歩く。前面には「私はアロエ」との看板をぶら下げている。
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'''アロエビクスマン'''とは、[[1990年代]]中頃の[[近畿地方|近畿圏]]で流布した[[都市伝説]]の登場人物である。[[ラジオ番組]]の深夜放送に目撃談が寄せられたのをきっかけに、有名になった。
== 概要 ==
[[アロエ]]の葉を模したと思われる緑色の突起物を頭につけ、緑色の[[全身タイツ]]を着た姿をしていると言われる。[[京都市]]内各所に突如現れ、なんの脈絡もなく[[エアロビクス]]らしき踊りを踊り、またどこへともなく姿を消すという。
[[京都駅]]構内を歩き、[[ヘッドフォン]]をつけ、踊りながら歩く。前面には「私はアロエ」との看板をぶら下げている。
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口裂け女
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口裂け女(くちさけおんな)は、1979年の春から夏にかけて日本で流布され、社会問題にまで発展した都市伝説。2004年には韓国でも流行した。中華圏でも有名。
口元を完全に隠すほどのマスクをした若い女性が、学校帰りの子供に 「私、綺麗?」と訊ねてくる。「きれい」と答えると、「......これでも......?」と言いながらマスクを外す。するとその口は耳元まで大きく裂けていた、というもの。「きれいじゃない」と答えると包丁や鋏で斬り殺される。
この都市伝説は全国の小・中学生に非常な恐怖を与え、パトカーの出動騒ぎ(福島県郡山市・神奈川県平塚市)や、北海道釧路市・埼玉県新座市で集団下校が行われるなど、市民社会を巻き込んだパニック状態にまで発展した。
1978年12月初めに岐阜県で噂が起こり、マスコミに初めて登場したのは1979年1月26日の岐阜日日新聞とされる。次いで『週刊朝日』1979年6月29日号に記事が掲載され、1978年12月初めに岐阜県本巣郡真正町で、農家の老婆が母屋から離れたトイレに立った際、口裂け女を見て腰を抜かしたという噂が紹介された。
1979年6月21日、姫路市の25歳の女がいたずらで口裂け女の格好をし、包丁を持ってうろつき、銃刀法違反容疑で逮捕された事例もある。
1979年8月、それまで全国を席巻していたこの噂は急速に沈静化した。これは夏休みに入り、子供達の情報交換=口コミが途絶えたためとされる。
宝暦4年(1754年)に美濃国郡上藩(現・岐阜県郡上市)での郡上一揆の後に処罰された多くの農民の怨念が、特に犠牲者の多かった白鳥村(現・郡上市)に今なお残っているといわれ、これがいつしか妖怪伝説となって近辺に伝播し、時を経て口裂け女に姿を変えたとの説がある。
また明治時代中期、滋賀県信楽に実在したおつやという女性が、恋人に会うために山を隔てた町へ行く際、女の独り身で山道を行くのは物騒なので、白装束に白粉を塗り、頭は髪を乱して蝋燭を立て、三日月型に切った人参を咥え、手に鎌を持って峠を越えたといい、これが都市伝説のモデルになったとの説がある。同様に岐阜県でも、明治または大正時代に女性が同様の姿で峠を越えて恋人のもとへ通ったという話がある。
前述の新聞記事にもあるように岐阜県を発祥地とする説においては、岐阜では発祥当時、小学校でも比較的裕福な家庭の子供のみが学習塾へ通っていたため、あまり財力のない家庭が子供に塾通いを諦めさせるために「夜道を歩いていると口裂け女に襲われる」と夜の外出を怖がらせた話がルーツとされることが多い。岐阜県本巣市近辺の教育熱心で怖い母親の姿が由来だとも言う説のほか、愛知県で、母親が娘にした話が様々な変化を伴いながら、全国に広まったとする説など諸説ある。ジャーナリスト・朝倉喬司の調査によれば、岐阜県での最初期の噂では、その正体が精神病院からの脱走者として語られており、1970年代に大垣市で座敷牢に閉じ込められていた精神病女性が夜ごとに外出し、精神に異常を来たしているために口紅を顔の下半分に塗りたくり、それを見た人が驚いたという話や、多治見市の著名な心霊スポットのトンネルで精神病の女性が徘徊して子供を脅かしていたという話が元になったといわれ、その後も精神病と口裂け女を結びつける事例の報告は多い。いずれにしても、中京地区、特に岐阜県近辺が発祥である点はほぼ一致している。
岐阜県美濃加茂市では1977年~78年頃、当時事故により搬送された女性が顔面の損傷によるショックで病院を脱走し、それが口裂け女の話題に変化して保育園児を中心に広がった。
1990年代に入り、整形手術や医療過誤などの話題が出るに伴い、再び広まり始め、整形手術に失敗し理性を失った女性が正体であると語られた。
またCIAが噂の広がり方を検証するために流した情報だという説もある。
ほかにも、岐阜県で1968年8月18日に発生した飛騨川バス転落事故現場の川から白骨化した頭蓋骨が発見され、それを復顔したところ口が耳まで裂けており、口裂け女はその亡霊だという説がある。
前述の通り口裂け女の話は韓国でも流行したが、日本統治下にあった頃の朝鮮半島ですでに口裂け女の話があったとの説もある。日本統治下の頃、雪の夜にマスクをした3人の女性が家を訪ね、「誰が一番きれい?」と聞き、1人を選ぶとほかの2人に殺され、マスクをはずすと3人とも口が裂けていた、という話が2001年に採集されている。
口裂け女から逃げるには様々な方法があると伝えられている。
江戸時代の怪談集『怪談老の杖』には、江戸近郊に狐が化けた「口裂け女」が現れた、との話がある。
大窪百人町(現・東京都新宿区)で、権助という十代後半の男が雨の中を傘をさして歩いていると、ずぶ濡れの女がいた。権助が傘に入るよう言うと、振り向いた女の顔は、口が耳まで裂けていた。権助は腰を抜かし、気がつけば老人のように歯が抜けた呆けた顔になり、言葉も話せなくなった挙句、息を引き取ったという。
江戸時代の読本『絵本小夜時雨』の記述では、以下のようにある。
吉原遊郭の廊下を歩いていた太夫を客が戯れに引き止めると、振り向いた太夫の顔は、口が耳まで裂けていた。客はそのまま気を失い、その遊郭へ行くことは二度となかったという。
口裂け女の噂が流行した1979年には、銀座のホステスの間で、口を手で覆って「私、きれい?」と客に聞くサービスが流行した。客は、「べっこう飴」や「ポマード」と答えなければならなかった。
また、「口裂け女」の単語をもじって、おしゃべりな女性のことを指す「口先女」という言葉も生まれた。
※ワーナーブラザーズTVコンスタンティン 第5話「よみがえり」にて口裂け女をモチーフにした話が収録されている。
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口裂け女(くちさけおんな)は、1979年の春から夏にかけて日本で流布され、社会問題にまで発展した都市伝説。2004年には韓国でも流行した。中華圏でも有名。
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{{otheruses|都市伝説|この都市伝説を元にした映画|口裂け女 (映画)}}
[[File:Sakaiminato Mizuki Shigeru Road Kuchisakeonna Statue 1.JPG|thumb|right|250px|[[鳥取県]][[境港市]]・[[水木しげるロード]]に設置されている「口裂け女」のブロンズ像。]]
'''口裂け女'''(くちさけおんな)は、[[1979年]]の春から夏にかけて日本で流布され、[[社会問題]]にまで発展した[[都市伝説]]。[[2004年]]には[[大韓民国|韓国]]でも流行した<ref name="並木2007">{{Harvnb|並木|2007|pp=119-122}}</ref>。[[中華圏]]でも有名。
== 概要 ==
口元を完全に隠すほどのマスクをした若い女性が、学校帰りの子供に '''「私、綺麗?」'''と訊ねてくる。「きれい」と答えると、「……これでも……?」と言いながらマスクを外す。するとその口は耳元まで大きく裂けていた、というもの<ref>{{Cite book|和書|author=宇佐和通|authorlink=宇佐和通|title=THE都市伝説|year=2004|publisher=[[新紀元社]]|isbn=978-4-7753-0344-3|page=19}}</ref>。「きれいじゃない」と答えると包丁や鋏で斬り殺される<ref>{{Cite book|和書|author=木原浩勝他|authorlink=木原浩勝|title=都市の穴|origyear=|year=2003|publisher=[[双葉社]]|series=双葉文庫|isbn=978-4-575-29279-4|page=204}}</ref>。
== 社会問題化と終息 ==
この都市伝説は全国の小・中学生に非常な恐怖を与え、[[パトロールカー|パトカー]]の出動騒ぎ([[福島県]][[郡山市]]・[[神奈川県]][[平塚市]])や、[[北海道]][[釧路市]]・[[埼玉県]][[新座市]]で[[集団登下校|集団下校]]が行われるなど、市民社会を巻き込んだパニック状態にまで発展した。
[[1978年]]12月初めに[[岐阜県]]で噂が起こり<ref name="inagaki">稲垣吉彦「流行語 51年~55年」『不確実・多様化への旅立ち』[[1億人の昭和史]]16 [[毎日新聞社]] 1980年 P.150-151</ref>、マスコミに初めて登場したのは[[1979年]][[1月26日]]の[[岐阜日日新聞]]とされる<ref>{{Cite news|title=編集余記|work=|newspaper=[[岐阜新聞|岐阜日日新聞]]|publisher=|page=1|date=1979-01-26|accessdate=2010-06-19}}</ref>。次いで『[[週刊朝日]]』1979年[[6月29日]]号に記事が掲載され、[[1978年]]12月初めに[[岐阜県]][[本巣郡]][[真正町]]で、農家の老婆が母屋から離れたトイレに立った際、口裂け女を見て腰を抜かしたという噂が紹介された<ref name="平泉1979">{{Harvnb|平泉|1979|pp=16-20}}</ref>。
[[1979年]][[6月21日]]、[[姫路市]]の25歳の女がいたずらで口裂け女の格好をし、包丁を持ってうろつき、銃刀法違反容疑で逮捕された事例もある<ref>{{Cite book|和書|author=大塚英志|authorlink=大塚英志|editor=野村敏晴|title=歴史読本 臨時増刊 特集 異界の日本史 鬼・天狗・妖怪の謎|year=1989|publisher=[[新人物往来社]]|page=275|ncid=BA55376086|chapter=怪談を生む“都市伝説”ゲーム}}</ref>。
1979年8月、それまで全国を席巻していたこの噂は急速に沈静化した。これは夏休みに入り、子供達の情報交換=口コミが途絶えたためとされる<ref name="並木2007" />。
== ルーツ ==
[[宝暦]]4年([[1754年]])に[[美濃国]][[郡上藩]](現・岐阜県[[郡上市]])での[[郡上一揆]]の後に処罰された多くの農民の怨念が、特に犠牲者の多かった白鳥村(現・郡上市)に今なお残っているといわれ、これがいつしか妖怪伝説となって近辺に伝播し、時を経て口裂け女に姿を変えたとの説がある<ref name="早川編2008">{{Harvnb|早川|2008|pp=112-121}}</ref>。
また[[明治時代]]中期、[[滋賀県]]信楽に実在したおつやという女性が、恋人に会うために山を隔てた町へ行く際、女の独り身で山道を行くのは物騒なので、白装束に白粉を塗り、頭は髪を乱して蝋燭を立て、三日月型に切った人参を咥え、手に鎌を持って峠を越えたといい、これが都市伝説のモデルになったとの説がある<ref name="並木2007" />。同様に岐阜県でも、明治または[[大正時代]]に女性が同様の姿で峠を越えて恋人のもとへ通ったという話がある<ref name="早川編2008" />。
前述の新聞記事にもあるように[[岐阜県]]を発祥地とする説においては、岐阜では発祥当時、小学校でも比較的裕福な家庭の子供のみが学習塾へ通っていたため、あまり財力のない家庭が子供に塾通いを諦めさせるために「夜道を歩いていると口裂け女に襲われる」と夜の外出を怖がらせた話がルーツとされることが多い<ref name="早川編2008" />。岐阜県[[本巣市]]近辺の教育熱心で怖い母親の姿が由来だとも言う説のほか、[[愛知県]]で、母親が娘にした話が様々な変化を伴いながら、全国に広まったとする説など諸説ある。ジャーナリスト・[[朝倉喬司]]の調査によれば、岐阜県での最初期の噂では、その正体が精神病院からの脱走者として語られており<ref>{{Cite book|和書|author=朝倉喬司|authorlink=朝倉喬司|title=うわさの本|series=別冊宝島92|chapter=あの口裂け女の棲み家を岐阜山中に見た|year=1989|publisher=[[宝島社]]|isbn=978-4-7966-9092-8|pages=132-149}}</ref>、1970年代に[[大垣市]]で[[私宅監置|座敷牢]]に閉じ込められていた精神病女性が夜ごとに外出し、精神に異常を来たしているために口紅を顔の下半分に塗りたくり、それを見た人が驚いたという話や<ref name="早川編2008" />、[[多治見市]]の著名な心霊スポットのトンネルで精神病の女性が徘徊して子供を脅かしていたという話が元になったといわれ<ref name="早川編2008" />、その後も精神病と口裂け女を結びつける事例の報告は多い<ref>{{Cite book|和書|author=野村純一|authorlink=野村純一|title=日本の世間話|chapter=『口裂け女』その他|year=1995|publisher=[[東京書籍]]|isbn=978-4-4877-2238-9|pages=21-56}}</ref><ref name="jyosei">{{Harvnb|河出書房|1979|pp=32-33}}</ref><ref name="jishin">{{Harvnb|光文社|1979|pp=46-48}}</ref>。いずれにしても、中京地区、特に岐阜県近辺が発祥である点はほぼ一致している。
岐阜県美濃加茂市では1977年~78年頃、当時事故により搬送された女性が顔面の損傷によるショックで病院を脱走し、それが口裂け女の話題に変化して保育園児を中心に広がった。
[[1990年代]]に入り、[[整形手術]]や[[医療過誤]]などの話題が出るに伴い、再び広まり始め、整形手術に失敗し理性を失った女性が正体であると語られた。
また[[中央情報局|CIA]]が噂の広がり方を検証するために流した情報だという説もある<ref name="並木2007" />。
ほかにも、岐阜県で[[1968年]][[8月18日]]に発生した[[飛騨川バス転落事故]]現場の川から[[白骨化]]した頭蓋骨が発見され、それを復顔したところ口が耳まで裂けており、口裂け女はその亡霊だという説がある<ref name="並木2007" />。
前述の通り口裂け女の話は韓国でも流行したが、日本統治下にあった頃の[[朝鮮半島]]ですでに口裂け女の話があったとの説もある。日本統治下の頃、雪の夜にマスクをした3人の女性が家を訪ね、「誰が一番きれい?」と聞き、1人を選ぶとほかの2人に殺され、マスクをはずすと3人とも口が裂けていた、という話が2001年に採集されている。
== 噂に見る「人物像」 ==
=== 容姿 ===
* (1970年代の噂の発祥地ともされる岐阜の岐阜日日新聞の1979年1月26日のコラム記事では、岐阜の子供たちの噂によると)[[山本陽子|ある女優]]似の美人、と書かれていた<ref>[[岐阜日日新聞]]、1979年1月26日、コラム記事「編集余記」。村瀬睦(むらせむつみ)岐阜日日新聞論説委員が執筆。</ref>
* 目はキツネ、声はネコに似ているともいう<ref name="山口2008">{{Harvnb|山口|2008|loc=「口裂け女」}}<!--頁数表記なし--></ref>。
* 赤いベレー帽、赤い服を身につけ、赤いハイヒールを履いているともいう<ref name="山口2008" />。
** 血の目立たない真っ赤な服をきている、血の目立つ真っ白い服を着ている、など服装に関する噂も多い。
* [[東京都]][[江戸川区]]では、赤い傘をさしており、この傘で空を飛ぶという<ref name="松谷1987">{{Harvnb|松谷|1987|pp=212-217}}</ref>。
* 東京都[[王子 (東京都北区)|王子]]では、白いコートを着て、白いブーツを履いているという<ref name="山口2008" />。
* 東京都[[多摩川 (大田区)|多摩川]]では薄汚い格好という<ref name="山口2008" />。
* 東京都[[八王子市]]や[[国分寺市]]では着物姿で、サングラスをかけているという<ref name="山口2008" />。
* [[岡山県]][[岡山市]]では、片手に[[ツゲ]]の[[櫛]]を持っているという<ref name="松谷1987" />。
* 長い鋏や、出刃包丁、鎌<ref name="名前なし-1">{{Harvnb|東映スーパー戦隊大全|2003|p=67}}</ref>、鉈、斧、メスなど複数の刃物を持っているとされ、人目の多い都会では、隠し持つことのできる鋏や鎌、メスなどが多く、田舎では出刃包丁や鉈、斧など殺傷力の高い凶器を好む。
=== 通行人に会った際の行動 ===
* 耳まで裂けた口で通行人を食べてしまう、人をどこかへ連れ去ってしまう<ref>{{Cite book|和書|author=水木しげる|authorlink=水木しげる|title=図説 日本妖怪大全|origyear=1991|year=1984|publisher=[[講談社]]|series=[[講談社+α文庫]]|isbn=978-4-0625-6049-8|page=182}}</ref>。
* 「ヨーグルト食べる?」と尋ねる。「食べない」と答えると、自分が口裂け女に食べられる<ref name="山口2008" />。
* 肩を叩く。うかつに振り向くと切りつけられる。右肩を叩かれたら左、左肩を叩かれたら右から振り向くと避けられる<ref name="山口2008" />。
* 子供を引きずり回してじゃんけんをする。
* なかゆびをたてて「おまえぶすだなー」といえば怒って殺しに来る。
=== 居場所 ===
* [[三軒茶屋]]や[[三宮]]など、地名に「三」のつく場所に多く現れる。
* 体育館のステージの地下室に住みついている<ref name="山口2008" />。
* 神社に寝泊りしている<ref name="山口2008" />。
* 学校の保健室にいる、いつもマスクをしている学校医が、実は口裂け女<ref name="山口2008b">{{Harvnb|山口|2008|loc=「口裂け女の仲間の妖怪たち」}}</ref>。
* 墓石の置き場所に現れる<ref name="山口2008" />。
=== 口裂け女の姉妹 ===
* 実は口裂け女は三姉妹で、全員口が裂けている。あるいは口が両側裂けているのはひとり、片側だけ裂けているのがひとり、残るひとりはメイクで裂けているようにみせかけているというバリエーションもある。出遭った人が「3人の中で誰が綺麗?」と聞かれ、1人を選ぶと、ほかの2人に殺されるとされる場合も<ref>{{Cite web|和書|author=山口敏太郎|url=http://www.top.ne.jp/aliceweb/youkai/data/gendaiyoukai/index.htm|title=現代妖怪図鑑 41) 口裂け女三姉妹|work=[http://www.top.ne.jp/aliceweb/youkai/ ホラーアリス妖怪王]|accessdate=2014-11-3|archiveurl=https://web.archive.org/web/20140414081638/http://www.top.ne.jp/aliceweb/youkai/data/gendaiyoukai/index.htm |archivedate=2014-4-14}}</ref>。
* 三姉妹の内、口が裂けているのは本人のみ。かつて3人揃って整形手術をしたが、末の妹のみが失敗して口が裂け、整形に成功した姉2人を羨んでいる内に精神に異常を来たし、子供たちを脅すようになった<ref name="常光1990">{{Harvnb|常光|1990|pp=106-117}}</ref>。
* 三姉妹が同時に交通事故に遭い、2人は死に、1人は生き残ったものの事故で口が裂けた<ref name="常光1990" />。
* 三姉妹のうちの1人が生まれつき口が裂けていたので、ほかの2人は同情し、1人は自分で口を裂き、もう1人は口紅で口を大きく見せた<ref name="山口2008" />。
* [[山口県]][[下松市]]では、三姉妹の長女は整形手術の失敗で口が裂け、次女は交通事故で口が裂けた。三女は口が裂けてはおらず、嫉妬した姉たちによって口を裂かれたといわれる<ref name="松谷1987" />。
* 2人姉妹であり、かつて姉が周囲からもてはやされ、妹は落ち込んでいた。母が妹を哀れみ、姉の口をハサミで裂いた<ref name="常光1990" />。
=== 身体能力 ===
* 高速で走ることができ<ref name="jyosei" /><ref name="jishin" />、100メートルを6秒<ref name="平泉1979" /><ref name="名前なし-1"/>、12秒で走るともいう<ref>{{Cite journal|和書|author=金内照男他|date=1979-3-23|title=口裂け女伝説の東海道中膝栗毛|journal=[[週刊朝日]]|volume=84巻|issue=12号(通巻3176号)|pages=35-46|publisher=[[朝日新聞出版]]|id={{NCID|AN10051537}}}}</ref>。
* 空中に浮く<ref name="山口2008" />。
=== バリエーション ===
; 二口女
: 頭の上にもうひとつの大きな口を持つ。「きれい」と答えた相手には髪の毛をかき分けてその口を見せ、「ブス」と言うとこの口で食べられるという。[[江戸時代]]の奇談集『[[絵本百物語]]』などに登場する[[妖怪]]にも[[二口女]]の名があるが、都市伝説の「二口女」は妖怪の二口女に関連するものではなく、あくまで口裂け女の亜種とされる<ref name="山口2007">{{Harvnb|山口|2007|p=147}}</ref>。
; 赤いマスクの女
: 韓国に登場する。この「赤」は[[血]]や[[性行為|性]]、[[月経|生理]]の象徴であるとされる。
; マスクの男
: 国分寺や八王子で噂された、口裂け女の連れ<ref name="山口2008b" />。
; 口割れ女
: [[愛媛県]]、[[徳島県]]でいうバリエーション。愛媛では相手に「美人ですか?」と尋ね、答えない相手を包丁で刺し殺す。この話を聞いてしまった者のもとには、3日以内に口割れ女が現れる。徳島では赤い[[トヨタ・セリカ|セリカ]]に乗って現れ「私の目はきれい?」と尋ねる。好きなものはべっこうあめではなく地元名産の飴玉。このバリエーションは、地元新聞社が口裂け女を誤ってこの名称で報道したために発祥したといわれる<ref name="山口2008b" />。
== 噂に見る「対処法」 ==
口裂け女から逃げるには様々な方法があると伝えられている。
=== 物による対処法 ===
* 広く知られたものに[[ポマード]]と[[鼈甲飴|べっこう飴]]がある。
** [[ポマード]]と3回(6回とも)続けて唱えると女が怯むのでその隙に逃げられる、というもの。これは、過去に整形手術を受けた時の執刀医が多量のポマードを付けていて、その臭いが嫌いだからとされている。また、ポマードを投げ付けたり、振り掛けたりして退散させる、手に「ポマード」と書いて見せると退散できるともいう<ref name="山口2008" />。足の裏にポマードと書く方法も伝わる。ただし、1説ではポマードと唱えた場合に、逆に怒らせてしまい、殺されてしまうか口を裂かれてしまうために注意が必要とも言われている。
** べっこう飴は口裂け女の好物であり、これを与えて夢中でなめている隙に逃げられるというもの。この説は広く浸透し、当時のパソコンゲーム「[[平安京エイリアン]]」にも敵を足止めするアイテムとしてべっこう飴が用いられるに至った。
*** [[関東地方]]では、逆に口裂け女はべっこう飴が嫌いなので、飴を投げつけると女が怯み、その隙に逃げることができるともいう<ref name="松谷1987" />。
*** [[千葉県]][[我孫子市]]では、べっこう飴5個なら喜んで、[[金平糖]]5個なら逃げ出すともいう<ref name="山口2008" />。
*** べっこう飴ではなく、[[ボンタンアメ]]で撃退できるともいう<ref name="山口2008" />。
* 豆腐を見せると逃げ出す<ref name="早川編2008" />。
** 逆に豆腐が好物というバージョンの噂もあった<ref>噂流行当時の特撮ヒーロー番組『[[バトルフィーバーJ]]』(1979年)の第29話では口裂け女モチーフの怪人が登場するが、劇中設定がこうした噂に忠実になっており、人間に化けている際に豆腐ばかり食べる(これで怪しまれる)という描写があった。{{Harvnb|東映スーパー戦隊大全|2003|p=67}}</ref>。
* 福岡県では口裂け女は[[スペースインベーダー]]が好きで、百円玉を投げつけると必死に拾おうとするので、その隙に逃げられる(スペースインベーダー流行期の福岡での噂)<ref name="山口2008" />。
=== 言葉による対処法===
*「[[ニンニク]]、ニンニク」と唱えると助かるともいう<ref name="常光1990" />。
*「ハゲ、ハゲ」と唱える<ref name="山口2008" />。
* 手のひらに「犬」と書き、これを見せれば逃げる<ref name="常光1990" />。
* 「犬が来た、犬が来た」というと逃げ出す<ref name="山口2008" />。
* 前述の「二口女」に対しては「[[整髪料|リキッド]]、リキッド」と唱えると助かる<ref name="山口2007" />。
=== 逃げ場所===
* 建物の2階より上に上がることができないので、2階建て以上の建物に逃げ込む。
* レコード店や化粧品店に逃げ込むと、追って来ない<ref name="山口2008" />。
=== 基本の「私きれい?」の問いに対する対処法===
* 「ふつう」と曖昧な返事をして口避け女が迷っている間に逃げる。([[1978年]]頃に京都で流布したパターン)。
* 「綺麗」と答えて裂けた口を見せられてもなお「綺麗ですよ」と言い続けると口裂け女が赤面するのでその隙に逃げる。
* 「綺麗」というよりも「可愛い(系)」と答えると助かる(「可愛い(系)」と答えると口裂け女にとっては説得力あるが故にかなり喜ぶため)。
* 「見た目も綺麗だけど中身も綺麗です」というと「ありがとうございます。あなたが好きです。」と律儀に礼を言われて口裂け女がその場を去る。
=== その他===
* [[ABO式血液型|血液型]]がO型の者は襲われない<ref name="常光1990" />。
== 江戸時代の口裂け女 ==
[[ファイル:Shungyosai Tayu-no-kao.jpg|right|thumb|280px|[[速水春暁斎]]『[[絵本小夜時雨]]』より「吉原の怪女」<ref>{{Cite book|和書|author=湯本豪一|authorlink=湯本豪一|title=図説 江戸東京怪異百物語|year=2007|publisher=[[河出書房新社]]|series=ふくろうの本|isbn=978-4-3097-6096-4|page=52}}</ref>]]
[[江戸時代]]の[[怪談|怪談集]]『怪談老の杖』には、[[江戸]]近郊に[[日本の文化における狐|狐]]が化けた「口裂け女」が現れた、との話がある。
{{Indent|大窪百人町(現・[[東京都]][[新宿区]])で、権助という十代後半の男が雨の中を傘をさして歩いていると、ずぶ濡れの女がいた。権助が傘に入るよう言うと、振り向いた女の顔は、口が耳まで裂けていた。権助は腰を抜かし、気がつけば老人のように歯が抜けた呆けた顔になり、言葉も話せなくなった挙句、息を引き取ったという<ref>{{Cite book|和書|author=平秩東作|authorlink=平秩東作|editor=柴田宵曲|editor-link=柴田宵曲|origyear=宝暦年間|year=2008|title=奇談異聞辞典|publisher=[[筑摩書房]]|series=[[ちくま学芸文庫]]|isbn=978-4-480-09162-8|pages=27-28|chapter=怪談老の杖}}</ref>。}}
江戸時代の[[読本]]『[[絵本小夜時雨]]』の記述では、以下のようにある。
{{Indent|[[吉原遊廓|吉原遊郭]]の廊下を歩いていた[[太夫]]を客が戯れに引き止めると、振り向いた太夫の顔は、口が耳まで裂けていた。客はそのまま気を失い、その遊郭へ行くことは二度となかったという<ref>{{Cite book|和書|author=速水春暁斎|authorlink=速水春暁斎|editor=近藤瑞木|title=百鬼繚乱 江戸怪談・妖怪絵本集成|origyear=1801|year=2002|publisher=[[国書刊行会]]|isbn=978-4-336-04447-1|pages=148-149|chapter=絵本小夜時雨}}</ref>。}}
== 影響 ==
口裂け女の噂が流行した1979年には、[[銀座]]の[[ホステス]]の間で、口を手で覆って「私、きれい?」と客に聞くサービスが流行した。客は、「べっこう飴」や「ポマード」と答えなければならなかった<ref name="inagaki"></ref>。
また、「口裂け女」の単語をもじって、おしゃべりな女性のことを指す「口先女」という言葉も生まれた<ref name="inagaki"></ref>。
== メディア ==
* [[1970年]]代後半、関西ローカルラジオ番組『[[MBSヤングタウン|ヤングタウン]]』で紹介され、目撃譚などの投稿が相次ぎ、噂が拡大化した。これは[[角南攻]]の仕掛けであったと[[三上丈晴]]が証言している。
* 口裂け女をモチーフとしたディスコソング「口裂け女をつかまえろ!」([[1979年]]発売。原案:飯島浩二、作詞:[[藤公之介]]、作曲・編曲:[[淡海悟郎]]、歌:ポマード&コンペイ党)、「十番街の口裂け女」(作詞:ジャニス藤沼、作曲・編曲:バービー牧野、歌:サミット・プランテーション)が存在する。「口裂け女をつかまえろ!」は2005年発売のCD『愛しのキャラうた伝説〜キャラクター・ソングの素晴らしき世界〜』に収録。
* 1979年放映開始の特撮作品「[[バトルフィーバーJ]]」には、口裂け女をモチーフとした特撮史上唯一の存在、口裂け怪人が登場する回がある。
* [[テレビアニメ|TVアニメ]]「[[学校の怪談 (テレビアニメ)|学校の怪談]]」([[フジネットワーク|フジテレビ系]])の口裂け女の回は、[[口蓋裂]]を連想するということで、放送では抗議により総集編に差し替えられている。
* 漫画「都市伝説」の2巻(集英社マーガレットコミックス)で登場する。
* [[NHK]]、[[アナザーストーリーズ 運命の分岐点]]、「口裂け女伝説 うわさの“真相”」、2021年9月28日放送
* 2022年発売のゲーム「Ghostwire Tokyo」に口裂け女が登場する。
※ワーナーブラザーズTVコンスタンティン 第5話「よみがえり」にて口裂け女をモチーフにした話が収録されている。
== 映画 ==
* [[口裂け女 (映画)]](2007)
* [[口裂け女2]](2008)
* [[口裂け女 in L.A.]](2016)
* [[ゴーストマスク~傷~]](2018)(アムステルダム映画祭 優秀撮影賞受賞、カナダ国際映画祭 長編コンペティション部門、ライジングスターアワード受賞、タブロイドウィッチアワード 最優秀ホラー作品賞受賞)韓国ソウルと日本の地方を舞台に物語が展開。成形手術で癒せない<u>心の傷</u>というものもモチーフやテーマとして扱われる。
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
{{reflist|2}}
== 参考文献 ==
* {{Cite book|和書|author=常光徹|authorlink=常光徹|title=[[学校の怪談 (小説)|学校の怪談]]|year=1990|publisher=[[講談社]]|series=講談社KK文庫|isbn=978-4-06-199006-7|ref={{SfnRef|常光|1990}}}}
* {{Cite book|和書|author=並木伸一郎|authorlink=並木伸一郎|title=最強の都市伝説|year=2007|publisher=[[経済界 (出版社)|経済界]]|isbn=978-4-7667-8398-8|ref={{SfnRef|並木|2007}}}}
* {{Cite journal|和書|author=平泉悦郎|date=1979-6-29|title=全国の小中学生を恐れさせる「口裂け女」風説の奇々怪々|journal=[[週刊朝日]]|volume=83巻|issue=27号(通巻3191号)|publisher=[[朝日新聞出版]]|id={{NCID|AN10051537}}|ref={{SfnRef|平泉|1979}}}}
* {{Cite book|和書|author=松谷みよ子|authorlink=松谷みよ子|title=現代民話考|volume=第二期 II|year=1987|publisher=[[立風書房]]|isbn=978-4-651-50202-1|ref={{SfnRef|松谷|1987}}}}
* {{Cite book|和書|author=山口敏太郎|authorlink=山口敏太郎|title=本当にいる日本の「現代妖怪」図鑑|year=2007|publisher=[[笠倉出版社]]|isbn=978-4-7730-0365-9|ref={{SfnRef|山口|2007}}}}
* {{Cite book|和書|author=山口敏太郎|authorlink=山口敏太郎|title=日本妖怪サイバー事典|url=http://www.papy.co.jp/act/books/1-51859/|format=[http://books.spacetown.ne.jp/sst/menu/xmdf/viewer.html XMDF]|year=2008|publisher=山口敏太郎事務所|volume=第1巻|ref={{SfnRef|山口|2008}}}}
* {{Cite journal|和書|date=1979-7-3|title=“口裂け女”の正体を徹底追跡!|journal=[[週刊女性]]|volume=23巻|issue=25号(通巻1098号)|publisher=[[河出書房]]|id={{NCID|AA11801594}}|ref={{SfnRef|河出書房|1979}}}}
* {{Cite journal|和書|date=1979-7-5|title=“口裂け女”騒動で証明されたデマの猛威|journal=[[女性自身]]|volume=22巻|issue=24号(通巻994号)|publisher=[[光文社]]|id={{NCID|AA11364707}}|ref={{SfnRef|光文社|1979}}}}
* {{Cite book|和書|author=早川和樹編|title=こわい話 - あなたの知らないニッポンの“恐怖”|year=2008|publisher=[[ミリオン出版]]|isbn=978-4-8130-2076-9|ref={{SfnRef|早川|2008}}}}
* {{Cite book |和書|year=2003|title=東映スーパー戦隊大全 バトルフィーバーJ・デンジマン・サンバルカンの世界|publisher=[[双葉社]]|isbn=4-575-29520-5|ref = {{SfnRef|東映スーパー戦隊大全|2003}}}}
== 関連項目 ==
* [[なんちゃっておじさん]]
* [[都市伝説]]
* [[日本の妖怪一覧]]
* [[ムエロナ]]
* [[グラスゴースマイル]]
* [[口唇口蓋裂症]]
{{DEFAULTSORT:くちさけおんな}}
[[Category:日本の都市伝説の妖怪]]
[[Category:怪談]]
[[Category:学校の怪談]]
[[Category:八百津町]]
[[Category:郡上市]]
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件
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件(くだん)は、19世紀前半ごろから日本各地で知られる予言獣(妖怪)。「件」(=人/にんべん+牛)の文字通り、半人半牛の姿をした妖怪として知られている。
人間の顔に牛の体を持つ件(くだん)が、天保7年(1836年)、丹波国与謝郡「倉橋山」(現・京都府宮津市の倉梯山)に出現したと触れまわる当時の瓦版が現存する。この件は、その先数年連続で豊作が続くと予言し、また、その絵図を張り置けば家内は繁盛し、厄も避けられると教示したという。「よって件のごとし」という証文を締めくくる常套句も、この幻獣になぞらえているものと主張されるが、これは俗説だとされる。
くたべ(あるいはクダベ、クタヘ等と表記)は、越中国(現・富山県)立山で薬種の採掘者が遭遇したとする記述が文政2年(1827年)以降の文献にみつかる。これは長髪の女性のような顔に描かれている例が複数あるが、禿頭の老人顔もあり、鋭い爪が生えていたり、白澤のように胴体に目がついているように描かれているものもある。
牛女の小説や都市伝説も件より派生したものと考えられる。
「件(くだん)」は、概していえば書いて字のごとし(「亻」+「牛」)、その容姿は牛の体と人間の顔の怪物とされる。
「(よって)件の如し(如件)」という定型句(証文等の末尾に記される書止、書留)があるが、西日本各地に伝わる多くの伝承によればこれは「件の予言が外れないように、嘘偽りがないという意味である」と説明されることもあるが、ただしこれは俗解語源(民間語源)の一種であろうと考えられている。
じっさい天保年間の瓦版によれば「件は正直な獣であるから、証文の末尾にも『件の如し』と書くのだ」ともあり、この説が天保の頃すでに流布していたことを示している。
怪物「件」の記述がみられるようになるのは江戸時代後期であるのに対して、「如件」という定型句はすでに平安時代の『枕草子』にも使われている。ゆえに「件の如し」と怪物「件」を関連付けるのは後世の創作と島田裕巳は主張している。
江戸時代後期に文献や民俗学的資料があるが、最古級の手記にもすでに「人面牛身」と記載される(『密局日乗』文政2年/1819年)。
天保7年(1836年)付の瓦版によれば、天保7年12月、丹後国「倉橋山」に人面牛身の獣「件」が出現したと言う。なお、この丹後の与謝郡(よさのこおり)にあったとおぼしき「倉橋山」は、現・京都府宮津市、天橋立の以西にある標高91mの倉梯山が合致する。
天保7年に流布した瓦版から書写したと思われる件の史料も現存する。「止可雑記」(毛利家文庫。山口県文書館蔵)に残される絵・文は展示もされている。 また、旧・五郎兵衛新田村の古文書にも書写例が見つかっている
しかし文政10年(1827年)頃に越中国立山に出現したとされる「くたべ」系(後述)は、件と同種・変種というものの、その絵にいくつかの特異点がみられる。長い髪の女性のような顔の絵が数点、老翁顔や老躯のものもあり、爪が伸びた胴体に目が付いた例も2点挙げられている。
牛頭の女性(牛女、後述)についても第二次世界大戦ごろから都市伝説化している。
江戸時代後期に出回ったいくつかの予言獣と共通して、「件(くだん)」は疫病の流行を予言するかわり、その厄除招福の方法を教示する。予言獣の典型では自分の絵姿を見る、書き写すと説くが、「クダベ」や「どだく」の場合がそうである。
天保年間の瓦版でも「この件の絵を貼っておけば、家内繁昌し疫病から逃れ、一切の災いを逃れて大豊年となる。じつにめでたい獣である」ともある。慶応3/1867年と鑑定された錦絵「件」も同様である。
また「件(くだん)」のうちでもクタベ系は、疫病の災厄のみで、豊作の吉兆は予言しない点が、予言獣の典型と異なる。
『密局日乗』という日記の、文政2年5月13日条(=西暦1819年7月4日)に牛の子として生まれたクダンの記述がみられる。それによれば防州上ノ関(現・山口県上関町)の民家の牛から生まれた人面牛身の子牛が、人語をあやつり、みずからを「件」と名づけよと指示し、異形という理由で自分を屠殺してはならないと諭し、7年の豊作が続くが、8年目に兵乱が起こる、と予言している。
また、安政7/1860年3月12日付で牛から件が生まれたという報告書が近年(2020年)、兵庫県立歴史博物館で発見されている。
さらに幕末の錦絵「件獣之写真(くだんじゅうのしゃしん)」(慶応3/1867年作と考証)に、牛の子として生まれ、予言を残して三日で死ぬと書かれている。
明治の文献にも牛の子として生まれたり、剥製が見世物になった記述がみられる。
のち大正時代に内田百閒が発表した短編小説「件」(初稿1921年)では、「件は生れて三日にして死し、その間に人間の言葉で未来の凶福を予言するもの」という設定であった。昭和時代、第二次世界大戦後の民俗学の書物をみると、「件(くだん)」は牛から生まれる奇獣、または人と牛とのあいのこ(雑種)で、人間の言葉を話すとされるが、生まれて数日で死に、その間に作物の豊凶や流行病、旱魃、戦争など重大なことに関して様々な予言をし、それは間違いなく起こる、とされている。そうした話の、戦後に近畿地方で採話された件の出生例もある。
人面を彷彿させる顔の奇形の仔牛が疾患によって生まれることは知られており、件の伝説に発展したものだろうと推察される。
中国伝来の白澤の起源説がある。白澤の図絵は、江戸期の日本でも旅行の際の厄除けとして配られる慣習があり、この図像を引用したものが「件」であるという論旨を佐藤健二(1995年、「クダンの誕生」等)が打ち立てている。戸隠山や八海山などで厄除けの札して「白沢避怪図」なるものを参詣者に配っていた。白澤は獣形であったものが、後世には主として人面獣身に描かれるようになり、見た目は「件」と紛らわしい、と笹方政紀が解説している。
異聞として、文政10–12年(1827–1829)頃、越中(現在の富山県)の立山に出現した怪獣クタベがいるが、その摺物(題名は非標準漢字二文字で「くたべ」。人偏に「久」の下に「田」、獣偏に「部」。右図の漢字表記参照)では、「件」が唐名(中国風の名前)で、「クタベ」を和名だと主張している。この「くたべ」系には、くたべの他にクダベ、クタヘ、さらにどだく/どたくなど表記の揺れがみられる。ぐだべ、あるいは具多遍()という表記も、フランスに渡った史料にみつかるとされる。
北陸地方の立山で遭遇したという談話だが、史料は、大阪や名古屋で見つかっている。また、同案件とおぼしき記載が屋代弘賢の雑稿から編んだ『弘賢随筆』にみられる(挿絵・文は左図参照)。年代は「当亥年」としかないが、当該の1827年に書写されたと思われ、年代特定できる「くたべ」の最古史料とされる。
やはり人面に書かれているが、「必ずしも牛らしさが見られない」と評価される。「くたべ」系の絵は、(蹄ではなく)四足/手足にするどい爪がのびている、という特徴で描かれるものがあるが、一方で、複数の例は「髪の長い女性のような顔」や「丸みのある体」を特徴としている。
越中国立山に、文政10年(1827年)に、頭に毛がなく体も疲れた医僧のような容姿の人獣(人面の獣)「くたべ」が現れ、厄を避けるにはその肖像を模して貼れと言い残したと、『虚実無尽蔵』という文献にみえる。
クタベ系の予言と除災法は、どの資料でもおおよそ同じで、4,5年のうちに名も知れぬ病が流行り苦しめられるが、その予言獣の絵図を一度見れば災厄からまぬかれられる、とするものである。
「ぐだべ」の例(在フランスの史料)では、その絵図を見るだけでなく、七色の草を摘み、餅について食すと災いをまぬがれるご利益が「神のごとし」であるという。
江戸時代後期の随筆『道聴塗説』では、「クダベ」が当時の流行の神社姫(人面の竜蛇)に似せて創作されたものと主張する。文政2年(1819年)に現れた神社姫は、厄を除ける方法までも説いており、後の「件」の例と共通している。ただ、この神社姫と同年の1819年に出現したという「件」は、予言の内容はわかるが、除厄法を伝授したとされるかまでは不詳である。
また、クタベこそ白澤と同一のものであると水木しげるが論じており、クタベは「人面の牛で、腹部の両横にも眼があった」とと誤認(混同)していたものの、たしかに摺物のクタベには背に二つの目が描かれるのであり、白澤の図像の影響がうかがえる。水木しげるは、他にも医の神である黄帝が博識の瑞獣と、富山の売薬の生業の者が「件」と遭遇したことにも共通点を見出しているのだが、細木ひとみはこの点については否定的で、「漢方薬の守護神」たる白澤と富山の薬売りを(いささか強引に)結びつけて、同一視してしまった、との見解を示している。さらには、立山の現地でクタベ伝説が発祥したふしはなく、逆に、富山以外の地域で「立山の薬種/妙薬」的な風評にあやかり「クタベ」という疫病予言獣に結び付けたのではないだろうかとしている。
小川未明が「牛女」(1919年)という短編小説を発表しているが、おそらく内田百閒「件」を読んだうえで書かれたものと察せられる。
のち、第二次世界大戦末期から戦後復興期にかけては、通常は人面牛身とされる「件(くだん)」と逆に、牛面人身で和服を着た女の噂も流れ始めた。以下、これを仮に牛女と呼称する。
小松左京『くだんのはは』(1968年)も百閒の小説や「件」の類の噂に取材して小説を執筆したと考えられており、牛女の都市伝説の伝搬に貢献したものと考えられる。
牛女の伝承は、ほぼ兵庫県西宮市、甲山近辺に集中している。例えば空襲の焼け跡で牛女が動物の死骸を貪っていたとする噂があった。また、兵庫県芦屋市・西宮市間が空襲で壊滅した時、ある肉牛商の家の焼け跡に牛女がいた、おそらくその家の娘で生まれてから座敷牢に閉じ込められていたのだろうという噂などが残されている。
幕末期の「件(くだん)」伝承と比較すると、
といった対立点があり、あくまでも件と牛女は区別すべきと木原浩勝は主張している。
昔、宝永2年(1705年)12月に件が現れ、その翌年から豊作が続いた、という記述が天保年間の瓦版(既述)にみられる。
早い史料としては『密局日乗』(文政2/1819年)の記載があり、周防国で民家の牛から生まれ、人面牛身の子牛が件と名乗り、豊作とその後の兵乱を予言した、とされている(上に詳述)。
富山県の立山には「くだん」ならず「くたべ」(または「くだべ」等)と呼ばれる山の精が出現するとされる、文政10–12年(1827–1829)の複数の史料が残ることは既述した。くだべは「これから数年間疫病が流行し多くの犠牲者が出る。しかし自分の姿を描き写した絵図を見れば、その者は難を逃れる」と予言した。これが評判になり、各地でくだべの絵を厄除けとして携帯することが流行したという。くたべ系/クダベ系の史料は、それから嘉永年間(1848–1854年)まで例に欠けるとされているが、漢字のくたべの摺物(年代不詳)は、『保古帖』という嘉永4年に着手された編本に貼られている。
天保年間の瓦版では、天保7年(1836年)12月に丹後国「倉橋山」に人面牛身の獣「件」が出現したとする(既述)。ちなみにこの報道の頃には、天保の大飢饉が最大規模化しており、「せめて豊作への期待を持ちたい」という意図があってのものと思われると島田裕巳は主張している。
幕末になってさらに、人間の飼っている牛が産んだとする説が流布されている。慶応3年(1867年)4月付の『件獣之写真』と題した瓦版によると「出雲の田舎で件が生まれ、『今年から大豊作になるが初秋頃より悪疫が流行る。』と予言し、3日で死んだ」という。
明治42年(1909年)6月21日の『名古屋新聞』の記事によると、その10年前に五島列島の農家で、家畜の牛が人の顔を持つ子牛を産み、生後31日目に「日本はロシアと戦争をする」と予言をして死んだとある。この子牛は剥製にされて長崎県 長崎市の八尋博物館に陳列されたものの、現在では博物館はすでに閉館しており、剥製の行方も判明していない。
明治時代から昭和初期にかけては、件の剥製と称するものが見世物小屋などで公開された。小泉八雲も自著『知られぬ日本の面影』の中で、件の見世物についての風説を書き残している。それによると明治25年(1892年)、旅の見世物師が島根県美保関に件の剥製を持ち込もうとしたところ、不浄の為に神罰が下り、その船は突風のため美保関に上陸できなくなったという。
昭和に入ると、件の絵に御利益があるという説は後退し、戦争や災害に関する予言をする面が特に強調された。昭和5年(1930年)頃には香川県で、森の中にいる件が「間もなく大きな戦争があり、勝利するが疫病が流行る。しかしこの話を聞いて3日以内に小豆飯を食べて手首に糸を括ると病気にならない。」と予言したという噂が立った。昭和8年には長野県でも似た噂が流行し、小学生が小豆飯を弁当に入れることから小学校を中心に伝播した。ただし内容は大きく変わっており、予言したのは蛇の頭をした新生児で、諏訪大社の祭神とされた。
また長崎県でも平戸でクダンが生まれたといううわさが立ち、佐世保を介して広まった。そして昭和7年(1932年)夏、西彼杵半島の面高村で民俗学者の桜田勝徳がその噂を採取し発表した(江島平島記、「未刊採訪記」所収)。
第二次世界大戦中には戦争や空襲などに関する予言をしたという噂が多く流布した。昭和18年(1943年)には、山口県岩国市のある下駄屋に件が生まれ、「来年4、5月ごろには戦争が終わる」と予言したと言う。また昭和20年春頃には愛媛県松山市などに「神戸(兵庫県)に件が生まれ、『自分の話を信じて3日以内に小豆飯かおはぎを食べた者は空襲を免れる』と予言した」という噂が流布していたという。
1944年初頭頃、ブラジルのマリリア地方で人頭獣身の件子(くだんご)が生まれたとの噂が日系移民の間に立ち、「今年中に戦争は枢軸側の大勝利で終結する」と予言し、「よって件の如し」と言ってすぐ死んだという。これは"後の勝ち組の論理の芽生え"ではないかと評されている。
牛から生まれた話例については、兵庫県の但馬牛の産地の村でクダンが生まれたという話が採取されている(1953年発表)。また岡山県の蒜山三村では、八束村の老人が件の話をするが所在を聞くと川上村で生まれたものと話し、けっきょく三つの村で堂々巡りになる記事が報道されている(1971年)。
作家の木原浩勝所蔵の件(くだん)の剥製(ミイラ)は、2004年に群馬県在住の所有者から譲り受けたもので、元所有者の父親の興行師は「牛人間」と称してこれを見世物にし、絵物語の紙芝居もおこなっていたという。
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"text": "人間の顔に牛の体を持つ件(くだん)が、天保7年(1836年)、丹波国与謝郡「倉橋山」(現・京都府宮津市の倉梯山)に出現したと触れまわる当時の瓦版が現存する。この件は、その先数年連続で豊作が続くと予言し、また、その絵図を張り置けば家内は繁盛し、厄も避けられると教示したという。「よって件のごとし」という証文を締めくくる常套句も、この幻獣になぞらえているものと主張されるが、これは俗説だとされる。",
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"text": "くたべ(あるいはクダベ、クタヘ等と表記)は、越中国(現・富山県)立山で薬種の採掘者が遭遇したとする記述が文政2年(1827年)以降の文献にみつかる。これは長髪の女性のような顔に描かれている例が複数あるが、禿頭の老人顔もあり、鋭い爪が生えていたり、白澤のように胴体に目がついているように描かれているものもある。",
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"text": "牛女の小説や都市伝説も件より派生したものと考えられる。",
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"text": "「件(くだん)」は、概していえば書いて字のごとし(「亻」+「牛」)、その容姿は牛の体と人間の顔の怪物とされる。",
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"text": "「(よって)件の如し(如件)」という定型句(証文等の末尾に記される書止、書留)があるが、西日本各地に伝わる多くの伝承によればこれは「件の予言が外れないように、嘘偽りがないという意味である」と説明されることもあるが、ただしこれは俗解語源(民間語源)の一種であろうと考えられている。",
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"text": "じっさい天保年間の瓦版によれば「件は正直な獣であるから、証文の末尾にも『件の如し』と書くのだ」ともあり、この説が天保の頃すでに流布していたことを示している。",
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"text": "怪物「件」の記述がみられるようになるのは江戸時代後期であるのに対して、「如件」という定型句はすでに平安時代の『枕草子』にも使われている。ゆえに「件の如し」と怪物「件」を関連付けるのは後世の創作と島田裕巳は主張している。",
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"text": "江戸時代後期に文献や民俗学的資料があるが、最古級の手記にもすでに「人面牛身」と記載される(『密局日乗』文政2年/1819年)。",
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"text": "天保7年(1836年)付の瓦版によれば、天保7年12月、丹後国「倉橋山」に人面牛身の獣「件」が出現したと言う。なお、この丹後の与謝郡(よさのこおり)にあったとおぼしき「倉橋山」は、現・京都府宮津市、天橋立の以西にある標高91mの倉梯山が合致する。",
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"text": "天保7年に流布した瓦版から書写したと思われる件の史料も現存する。「止可雑記」(毛利家文庫。山口県文書館蔵)に残される絵・文は展示もされている。 また、旧・五郎兵衛新田村の古文書にも書写例が見つかっている",
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"text": "天保年間の瓦版では、天保7年(1836年)12月に丹後国「倉橋山」に人面牛身の獣「件」が出現したとする(既述)。ちなみにこの報道の頃には、天保の大飢饉が最大規模化しており、「せめて豊作への期待を持ちたい」という意図があってのものと思われると島田裕巳は主張している。",
"title": "経緯"
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"paragraph_id": 41,
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"text": "幕末になってさらに、人間の飼っている牛が産んだとする説が流布されている。慶応3年(1867年)4月付の『件獣之写真』と題した瓦版によると「出雲の田舎で件が生まれ、『今年から大豊作になるが初秋頃より悪疫が流行る。』と予言し、3日で死んだ」という。",
"title": "経緯"
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"paragraph_id": 42,
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"text": "明治42年(1909年)6月21日の『名古屋新聞』の記事によると、その10年前に五島列島の農家で、家畜の牛が人の顔を持つ子牛を産み、生後31日目に「日本はロシアと戦争をする」と予言をして死んだとある。この子牛は剥製にされて長崎県 長崎市の八尋博物館に陳列されたものの、現在では博物館はすでに閉館しており、剥製の行方も判明していない。",
"title": "経緯"
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"text": "明治時代から昭和初期にかけては、件の剥製と称するものが見世物小屋などで公開された。小泉八雲も自著『知られぬ日本の面影』の中で、件の見世物についての風説を書き残している。それによると明治25年(1892年)、旅の見世物師が島根県美保関に件の剥製を持ち込もうとしたところ、不浄の為に神罰が下り、その船は突風のため美保関に上陸できなくなったという。",
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"text": "昭和に入ると、件の絵に御利益があるという説は後退し、戦争や災害に関する予言をする面が特に強調された。昭和5年(1930年)頃には香川県で、森の中にいる件が「間もなく大きな戦争があり、勝利するが疫病が流行る。しかしこの話を聞いて3日以内に小豆飯を食べて手首に糸を括ると病気にならない。」と予言したという噂が立った。昭和8年には長野県でも似た噂が流行し、小学生が小豆飯を弁当に入れることから小学校を中心に伝播した。ただし内容は大きく変わっており、予言したのは蛇の頭をした新生児で、諏訪大社の祭神とされた。",
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"text": "また長崎県でも平戸でクダンが生まれたといううわさが立ち、佐世保を介して広まった。そして昭和7年(1932年)夏、西彼杵半島の面高村で民俗学者の桜田勝徳がその噂を採取し発表した(江島平島記、「未刊採訪記」所収)。",
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"text": "第二次世界大戦中には戦争や空襲などに関する予言をしたという噂が多く流布した。昭和18年(1943年)には、山口県岩国市のある下駄屋に件が生まれ、「来年4、5月ごろには戦争が終わる」と予言したと言う。また昭和20年春頃には愛媛県松山市などに「神戸(兵庫県)に件が生まれ、『自分の話を信じて3日以内に小豆飯かおはぎを食べた者は空襲を免れる』と予言した」という噂が流布していたという。",
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"text": "1944年初頭頃、ブラジルのマリリア地方で人頭獣身の件子(くだんご)が生まれたとの噂が日系移民の間に立ち、「今年中に戦争は枢軸側の大勝利で終結する」と予言し、「よって件の如し」と言ってすぐ死んだという。これは\"後の勝ち組の論理の芽生え\"ではないかと評されている。",
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"text": "牛から生まれた話例については、兵庫県の但馬牛の産地の村でクダンが生まれたという話が採取されている(1953年発表)。また岡山県の蒜山三村では、八束村の老人が件の話をするが所在を聞くと川上村で生まれたものと話し、けっきょく三つの村で堂々巡りになる記事が報道されている(1971年)。",
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"text": "作家の木原浩勝所蔵の件(くだん)の剥製(ミイラ)は、2004年に群馬県在住の所有者から譲り受けたもので、元所有者の父親の興行師は「牛人間」と称してこれを見世物にし、絵物語の紙芝居もおこなっていたという。",
"title": "経緯"
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件(くだん)は、19世紀前半ごろから日本各地で知られる予言獣(妖怪)。「件」(=人/にんべん+牛)の文字通り、半人半牛の姿をした妖怪として知られている。 人間の顔に牛の体を持つ件(くだん)が、天保7年(1836年)、丹波国与謝郡「倉橋山」(現・京都府宮津市の倉梯山)に出現したと触れまわる当時の瓦版が現存する。この件は、その先数年連続で豊作が続くと予言し、また、その絵図を張り置けば家内は繁盛し、厄も避けられると教示したという。「よって件のごとし」という証文を締めくくる常套句も、この幻獣になぞらえているものと主張されるが、これは俗説だとされる。 くたべ(あるいはクダベ、クタヘ等と表記)は、越中国(現・富山県)立山で薬種の採掘者が遭遇したとする記述が文政2年(1827年)以降の文献にみつかる。これは長髪の女性のような顔に描かれている例が複数あるが、禿頭の老人顔もあり、鋭い爪が生えていたり、白澤のように胴体に目がついているように描かれているものもある。 牛女の小説や都市伝説も件より派生したものと考えられる。
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{{See Wiktionary|妖怪の件(くだん)}}
[[ファイル:Ketteiban yokai mira kanzen FILE(2010)-p105-kudan-kawaraban.jpg|thumb|400px|丹後倉橋山の件を描いた天保7年の文献<ref name="tenpo-nanigashiban" />(瓦版{{sfn|Yumoto|1999|p=115}}<ref name=山口県文書館/><ref name="yamaguchi_naoki"/>とされるが、木板に刷られているの<!--木目-->がうかがえる)。{{right|{{small|— [[徳川林政史研究所]]蔵。}}<ref name="tenpo-nanigashiban" />}}]]
'''件'''(くだん)は、19世紀前半ごろから日本各地で知られる予言獣([[妖怪]])。「件」(=人/[[人部|にんべん]]+牛)の文字通り、半人半牛の姿をした妖怪として知られている。
人間の顔に牛の体を持つ件(くだん)が、[[天保]]7年([[1836年]])、[[丹波国]][[与謝郡]]「倉橋山」(現・[[京都府]][[宮津]]市の倉梯山)に出現したと触れまわる当時の[[瓦版]]が現存する。この件は、その先数年連続で豊作が続くと予言し、また、その絵図を張り置けば家内は繁盛し、厄も避けられると教示したという。「よって件のごとし」という[[証文]]を締めくくる常套句も、この幻獣になぞらえているものと主張されるが{{efn2|右図の瓦版にも"證文(しょうもん)の終にも如件(くだんのごとし)と書(かく)も此由縁也(このゆえんなり)"と書かれる。}}、これは俗説だとされる。
'''くたべ'''(あるいは'''クダベ'''、'''クタヘ'''等と表記)は、[[越中国]](現・[[富山県]])[[立山]]で薬種の採掘者が遭遇したとする記述が文政2年(1827年)以降の文献にみつかる。これは長髪の女性のような顔に描かれている例が複数あるが、禿頭の老人顔もあり、鋭い爪が生えていたり、[[白沢 (瑞獣)|白澤]]のように胴体に目がついているように描かれているものもある。
[[#牛女|牛女]]の小説や都市伝説も件より派生したものと考えられる。
== 語釈 ==
「件(くだん)」は、概していえば書いて字のごとし(「亻」+「牛」)、その容姿は[[ウシ|牛]]の体と[[人間]]の顔の怪物とされる<ref name="komatsu"/><ref name="yamamura"/><ref name="kihara&okajima&ichigaya"/>{{Refn|group="注"|ただし牛頭人体の例も明治中期にはみえる。1921年(大正10年)の南方論文より25、6年前の例なので[[1894年|1894]]–5年(明治27–28年)頃。和歌山県[[三輪崎町]]。同県[[新宮市]]在住の須川寛得の談{{harv|南方|1921|pp=50–55}}<ref name="nichibun-minakata1921"/>。}}。
=== 件の如し ===
「(よって)件の如し(如件)」という定型句(証文等の末尾に記される書止、書留)があるが、西日本各地に伝わる多くの伝承によればこれは「件の予言が外れないように、嘘偽りがないという意味である」と説明されることもあるが、ただしこれは俗解語源([[民間語源]])の一種であろうと考えられている{{sfn|南方|1921|p=61}}。
じっさい天保年間の瓦版によれば「件は正直な獣であるから、証文の末尾にも『件の如し』と書くのだ」ともあり、この説が天保の頃すでに流布していたことを示している<ref name="tsunemitsu"/><ref name="tenpo-nanigashiban"/>。
怪物「件」の記述がみられるようになるのは江戸時代後期であるのに対して、「如件」という定型句はすでに平安時代の『[[枕草子]]』にも使われている<ref>添へたる立文には、解文(げもん)のやうにて、「進上 餅餤一包 例に依て進上'''如件''' 別当 少納言殿」とて月日書きて、(以下略、[[能因本]]136段)</ref>。ゆえに「件の如し」と怪物「件」を関連付けるのは後世の創作と島田裕巳は主張している{{sfn|島田裕巳|2020| p=73}}。
== 綱要 ==
=== 図像学 ===
江戸時代後期に文献や民俗学的資料があるが、最古級の手記にもすでに「人面牛身」と記載される(『密局日乗』文政2年/1819年)<ref name=山口県文書館/>。
[[天保]]7年(1836年)付の[[瓦版]]によれば{{Refn|group="注"|[[徳川林政史研究所]]所蔵<ref name=asahi2016-01-06/>。}}、天保7年12月、[[丹後国]]「倉橋山」に人面牛身の獣「件」が出現したと言う{{Refn|group="注"|原文では"からだは牛 面は人に似たる件といふ獣出たり"とある。}}{{Refn|group="注"|「倉橋山」でなく「倉橋下の山中」と堀部の論文に読まれている<ref name=horibe>{{harvnb|堀部|1994|p=220}}; {{harvnb|常光|1990|p=128}}に拠る。</ref>。}}<ref name="tenpo-nanigashiban"/>。なお、この丹後の[[与謝郡]](よさのこおり)にあったとおぼしき{{Refn|group="注"|瓦版の本文では与謝郡とされていないが、はしがきに版元について「丹後国与謝郡何某板」の付注がついている。}}「倉橋山」は、現・[[京都府]][[宮津市]]、[[天橋立]]の以西にある標高91mの倉梯山が合致する<ref name="mapion-kurahashi-miyazu" /><ref name="amanohashidate-park-map"/>{{Refn|group="注"|{{Coord|35.554782604831836 |135.14830214588173|format=dms|display=inline}}<ref name="mapion-kurahashi-miyazu" />。 同名の倉梯山がやはり丹後地方の現・舞鶴市にあり<ref name="mapion-kurahashi-maizuru" />、[[倉梯村]]もそこにあるが、この瓦版の与謝郡から離れている。}}。
天保7年に流布した瓦版から書写したと思われる件の史料も現存する。「止可雑記」(毛利家文庫。[[山口県文書館]]蔵)に残される絵・文は展示もされている{{Refn|{{nihongo|「大豊作を志ら寿件と云獣なり」天保7年12月。毛利家文庫29 風説 42 「止可雑記」}}<ref name="山口県文書館" />。}}。 また、旧・[[五郎兵衛新田村]]の古文書にも書写例が見つかっている{{Refn|大豊作を知ら寿件と云獣なり"、天保7年12月。『五郎兵衛新田古文書目録第5集』第6部土屋芳彦家古文書目録, p. 85, No.101<ref name="nezawa" />。}}
しかし文政10年(1827年)頃{{Refn|name="kutabe-bunsei"}}に[[越中国]][[立山]]に出現したとされる「[[#くたべ|くたべ]]」系(後述)は{{Refn|name="keito"|細木は論題に「クタベ」とし、これを標準表記扱いしているが、長野論文では、総称を「クダベ系」としている<ref name="nagano2005"/>。}}、件と同種・変種というものの{{Refn|name="doitsushi"}}、その絵にいくつかの特異点がみられる。長い髪の女性のような顔の絵が数点、老翁顔や老躯のものもあり、爪が伸びた胴体に目が付いた例も2点挙げられている<ref name="hosoki-table"/>。
牛頭の女性([[#牛女|牛女]]、後述)についても[[第二次世界大戦]]ごろから[[都市伝説]]化している<ref name=matsuyama/>。
=== 予言獣 ===
江戸時代後期に出回ったいくつかの[[予言獣]]{{efn2|[[アマビエ]]、[[アマビコ]]、[[神社姫]]等。}}と共通して、「件(くだん)」は疫病の流行を予言するかわり、その厄除招福の方法を教示する。予言獣の典型では自分の絵姿を見る、書き写すと説くが、「クダベ<ref name="kudabe-dochotosetsu"/>」や「どだく<ref name="dodaku-enkoan-nikki"/>」の場合がそうである<ref name="nagano2005-table2"/>。
天保年間の瓦版でも「この件の絵を貼っておけば、家内繁昌し疫病から逃れ、一切の災いを逃れて大豊年となる。じつにめでたい獣である」ともある<ref name="tenpo-nanigashiban"/>{{Refn|group="注"|「[[#件の如し|件の如し]]」という常套句については後述。}}。慶応3/1867年と鑑定された錦絵「件」も同様である<ref name="kudanju-no-shashin"/><ref name="nagano2005-table2"/>。
また「件(くだん)」のうちでもクタベ系は、疫病の災厄のみで、豊作の吉兆は予言しない点が、予言獣の典型と異なる<ref name="nagano2005"/>{{Refn|group="注"|「件(くだん)」(天保7年)は、豊作を予言する<ref name="tenpo-nanigashiban"/>。}}。
=== 牛の子 ===
『密局日乗』という日記の、[[文政]]2年5月13日条(=西暦1819年7月4日)に牛の子として生まれたクダンの記述がみられる。それによれば[[防州]]上ノ関(現・[[山口県]][[上関町]])の民家の牛から生まれた人面牛身の子牛が、人語をあやつり、みずからを「件」と名づけよと指示し、異形という理由で自分を屠殺してはならないと諭し、7年の豊作が続くが、8年目に兵乱が起こる、と予言している<ref name=山口県文書館/>。
また、安政7/1860年3月12日付で牛から件が生まれたという報告書が近年(2020年)、[[兵庫県立歴史博物館]]で発見されている<ref name="yamaguchi_naoki"/>。
さらに幕末の[[錦絵]]「件獣之写真(くだんじゅうのしゃしん)」([[慶応]]3/1867年作と考証)に、牛の子として生まれ、予言を残して三日で死ぬと書かれている{{Refn|name="kudanju-no-shashin"|錦絵「件獸之寫真(くだんじうのしゃしん)」。[[慶応]]3/1867年作と石井研堂が考証<ref>{{citation|和書|last=石井 |first=研堂 |author-link=石井研堂 |title=錦絵の改印の考証 —名錦絵の発行年代推定法 |edition=増補改版 |publisher=伊勢辰商店 |date=1932 |orig-date=1920}}; 再版:芸艸堂、1994年。{{harvnb|佐藤|1993|p=83}}; 長野 2005 の表2注に拠る</ref>。{{harvnb|佐藤|1993|pp=81–83}}の図版1、長野 2005、比較表の資料13<ref name="nagano2005-table2"/>。香川雅信の<!--兵庫県立歴史博物館学芸員-->『怪と幽』号外解説に画像が掲載(色彩絵。文も判読可)<ref name="kagawa"/>。}}。
明治の文献にも牛の子として生まれたり、[[剥製]]が見世物になった記述がみられる<ref name="nagoya-shimbun"/><ref name="hearn-jp"/>。
のち大正時代に[[内田百閒]]が発表した短編小説「件」(初稿1921年)では、「件は生れて三日にして死し、その間に人間の言葉で未来の凶福を予言するもの」という設定であった{{sfn|堀部|1994|pp=217–222}}。[[昭和]]時代、[[第二次世界大戦]]後の民俗学の書物をみると、「件(くだん)」は牛から生まれる奇獣、または人と牛とのあいのこ([[雑種]])で<ref name="okayama1975"/>、人間の言葉を話すとされるが<ref name=yanagita1956/>、生まれて数日で死に{{Refn|生まれて4、5日<ref name=yanagita1956/>あるいは2、3日<ref name="okayama1975"/>。}}、その間に作物の豊凶や流行病、[[旱魃]]、戦争など重大なことに関して様々な[[予言]]をし<ref name=yanagita1956/><ref name="okayama1975"/>、それは間違いなく起こる、とされている<ref name="okayama1975"/>。そうした話の、[[戦後]]に[[近畿地方]]で採話された件の出生例もある<ref name="suganuma"/><ref name="tsurufuji-sanyoshimbun"/>。
人面を彷彿させる顔の[[奇形]]の仔牛が疾患{{efn2|[[アカバネ病]]など([[木原浩勝]]に拠る)<ref name="yamaguchi_naoki"/>。}}によって生まれることは知られており、件の伝説に発展したものだろうと推察される<ref name="yamaguchi_bintaro"/><ref name="yamaguchi_naoki"/>。
== 由来 ==
中国伝来の[[白沢 (瑞獣)|白澤]]の起源説がある。白澤の図絵は、江戸期の日本でも旅行の際の厄除けとして配られる慣習があり、この[[図像]]を引用したものが「件」であるという論旨を[[佐藤健二]](1995年、「クダンの誕生」等)が打ち立てている<ref>{{harvnb|佐藤|1993|pp=87–88, 99}}</ref><ref name="shigenobu"/><ref name="tsunemitsu2012"/>{{Refn|group="注"|宮武外骨(1931)も白澤と件を並べて解説するので、その関連性の着想はより早いかもしれない<ref name="miyatake"/>。}}。[[戸隠山]]や[[八海山]]などで厄除けの札して「白沢避怪図」なるものを参詣者に配っていた<ref name="sasakata"/>。白澤は獣形であったものが{{Refn|本場中国風であれば"虎面鱗身"と[[佐々木聡 (東洋史学者)|佐々木聡]]が解説している<ref name=sasaki/>。<!--他では"虎面龍身"ともしている-->}}、後世には主として人面獣身に描かれるようになり、見た目は「件」と紛らわしい、と笹方政紀が解説している<ref name="sasakata"/>。
== くたべ ==
[[File:Kutabe.svg|thumb|「くたべ」の漢字表記]]
[[File:NAJDA-特095-0004 越中立山くたべ.pdf|thumb|越中国の立山で目撃されたという「くたべ」(『弘賢随筆』)|300px|left]]
異聞として{{Refn|name="doitsushi"|細木論文に「くたべ」(総称)と"同一視される「件」と「白澤」"とあり{{sfn|細木|2020|p=87}}、他の資料ではクタヘ、クダベなどと表記される<ref name="hosoki-table"/>。}}、文政10–12年(1827–1829)頃{{Refn|name="kutabe-bunsei"|細木論文では江戸期の「くたべ」系の7資料のうち4点を文政10か11年に特定可能とするが<ref name="hosoki-table"/>、細木がその資料⑦(『道聴塗説』所収)<ref name="kudabe-dochotosetsu"/>を「年号なし」とするところを、長野は文政12年春としている<ref name="nagano2005-table2"/>。}}、越中(現在の[[富山県]])の立山に出現した怪獣クタベがいるが、その[[摺物]](題名は[[外字|非標準漢字]]二文字で「くたべ」。人偏に「久」の下に「田」、獣偏に「部」。右図の漢字表記参照{{efn2|[[漢字構成記述文字 (Unicodeのブロック)|漢字構成記述文字]]での記述法だと "⿰亻⿱久田"、"⿰犭部"の二字。}}<ref name="kutabe-hogocho"/>)では、「件」が唐名(中国風の名前)で、「クタベ」を和名だと主張している{{sfn|細木|2020|pp=82, 87}}。この「くたべ」系には{{Refn|name="keito"}}、くたべ<ref name="kutabe-koken_zuihitsu"/>の他にクダベ<ref name="kudabe-dochotosetsu"/>、クタヘ<ref name="kutahe-matsudaira"/>、さらに'''どだく'''/'''どたく'''<ref name="dodaku-enkoan-nikki"/>など表記の揺れがみられる<ref name="hosoki-table"/>。'''ぐだべ'''<ref name="fushimi"/>、あるいは'''{{読み仮名|具多遍|ぐたべ}}'''という表記も、フランスに渡った史料にみつかるとされる{{Refn|name="kenei-gaso"|「献英楼画叢拾遺 八集三」(表題「う二ノ三」「災異」、[[田安徳川家]]旧蔵「貼込帳」四冊のひとつ)。仏[[コレージュ・ド・フランス]]日本学高等研究所{{仮リンク|ルイ・クレットマン (少将)|fr|Louis Kreitmann (général)|label=クレットマン・コレクション}}蔵。アラン・ブリオ 著『江戸の妖怪と怪異』(2013年)所収<ref name="briot"/>。{{harvnb|細木|2020}}、脚注(42)。}}{{Refn|group="注"|クレットマン・コレクション「献英楼画叢拾遺 八集三」については、細木も引いている谷・保谷・箱石『東京大学史料編纂所報』第40号、2004年度を参照<ref name="tani&hoya&hakoishi"/>。}}。
[[北陸地方]]の立山で遭遇したという談話だが、史料は、大阪や名古屋で見つかっている<ref name="sankei20200529"/>。また、同案件とおぼしき記載が[[屋代弘賢]]の雑稿から編んだ『弘賢随筆』にみられる(挿絵・文は左図参照)。年代は「当[[亥|亥年]]」としかないが、当該の1827年に書写されたと思われ、年代特定できる「くたべ」の最古史料とされる<ref name="kutabe-koken_zuihitsu"/>。
;図像
やはり人面に書かれているが<ref>{{harvnb|細木|2020|pp=83–86}}参照。</ref>、「必ずしも牛らしさが見られない」と評価される<ref name="nagano2005"/>。「くたべ」系の絵は、(蹄ではなく)四足/手足にするどい<ref name="sasakata"/>爪がのびている、という特徴で描かれるものがあるが{{efn2|摺物<ref name="kutabe-hogocho"/>、肉筆画「くたへ」<ref name="kutahe-matsudaira"/>。}}、一方で、複数の例は「髪の長い女性のような顔」や「丸みのある体」を特徴としている{{efn2|他には資料①摺物<ref name="kutabe-hogocho"/>では老いた男性のような顔の人面獣で、資料④『虚実無尽蔵』所収の「くたべ」は、[[禿頭]]で"医僧のつかれたる躰に見える"(後述)<ref name="kutabe-kyojitsumujinzo"/>。}}<ref name="hosoki-table"/>。
[[越中国]][[立山町|立山]]に、[[文政]]10年(1827年)に、頭に毛がなく<ref name="hosoki-table"/>体も疲れた医僧のような容姿の人獣(人面の獣)「くたべ」が現れ、厄を避けるにはその肖像を模して貼れと言い残したと、『虚実無尽蔵』という文献にみえる<ref name="kutabe-kyojitsumujinzo"/><ref name="miyatake1922">{{Cite book|和書 |author=宮武外骨<!--編集者:再生外骨 と序文にはある--> |authorlink=宮武外骨 |year=1922 |title=奇態流行史 |publisher=半狂堂 |page=65 |isbn= |url=https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/927419/41 |accessdate=2020-11-21}}</ref>。
;予言・除厄
クタベ系の予言と除災法は、どの資料でもおおよそ同じで、4,5年のうちに名も知れぬ病が流行り苦しめられるが、その予言獣の絵図を一度見れば災厄からまぬかれられる、とするものである<ref name="hosoki-table"/>。
「ぐだべ」の例(在フランスの史料)では、その絵図を見るだけでなく、七色の草を摘み、餅について食すと災いをまぬがれるご利益が「神のごとし」であるという<ref name="fushimi"/>。
;由来
[[江戸時代]]後期の随筆『道聴塗説』では、「クダベ」が当時の流行の[[神社姫]](人面の竜蛇)に似せて創作されたものと主張する<ref name="kudabe-dochotosetsu"/><ref name="tsunemitsu"/>。文政2年(1819年)に現れた神社姫は、厄を除ける方法までも説いており、後の「件」の例と共通している。ただ、この神社姫と同年の1819年に出現したという「件」は、予言の内容はわかるが、除厄法を伝授したとされるかまでは不詳である{{efn2|史料が日記であるため。『密局日乗』文政2年5月13日条。}}<ref name=山口県文書館/><ref name="sasakata"/>。
=== 白澤とクタベ ===
また、クタベこそ白澤と同一のものであると[[水木しげる]]が論じており、クタベは「人面の牛で、腹部の両横にも眼があった」と<ref name="mizuki">{{Citation|和書|last=水木 |first=しげる |author-link=水木しげる |year=2003 |title=[[妖鬼化]](むじゃら)〈2〉中部編 |page=60 |publisher=[[Softgarage]] |location= |isbn=978-4861330056|quote= }}</ref>と誤認(混同)していたものの{{sfn|細木|2020|p=88}}、たしかに摺物のクタベには背に二つの目が描かれるのであり{{efn2|そして松平家いわくの「くたべ」についても<ref name="kutahe-matsudaira"/>、笹方政紀は「背中の目」があるとするが{{sfn|笹方|2021}}、細木は「背中らしきところに目が 2 つ」と位置は不確かだとしている<ref name="hosoki-table"/>。<!--つまり脇腹に二つ目に見えなくもなく、水木しげるの主張に近くなる-->}}、白澤の図像の影響がうかがえる<ref name="kutabe-hogocho"/>{{sfn|細木|2020|p=88}}<!--"背中に目があるところから確かに白澤の姿に影響を受けているとも言える"-->。水木しげるは、他にも医の神である[[黄帝]]が博識の瑞獣と、[[富山の売薬]]の生業の者が「件」と遭遇したことにも共通点を見出しているのだが<ref name="mizuki"/>、細木ひとみはこの点については否定的で、「漢方薬の守護神」たる白澤と富山の薬売りを(いささか強引に)結びつけて、同一視してしまった、との見解を示している{{sfn|細木|2020|p=88}}。さらには、立山の現地でクタベ伝説が発祥したふしはなく{{efn2|[[立山修験]]の中心をはじめ富山県内外の立山関連の寺社、立山を訪れた人々の参詣記にも「クタベ」についての話は記されておらず、立山が伝説発祥の地とする傍証がない。}}、逆に、富山以外の地域で{{efn2|地元資料では存在が確認できない「立山の薬種塚」で遭遇したことになっている等、非在住者の創作がうかがえる。}}「立山の薬種/妙薬」的な風評にあやかり「クタベ」という疫病予言獣に結び付けたのではないだろうかとしている{{sfn|細木|2020|p=88}}。
== 牛女 ==
[[小川未明]]が「牛女」(1919年)という短編小説を発表しているが、おそらく内田百閒「件」を読んだうえで書かれたものと察せられる<ref name="tanemura"/>。
のち、第二次世界大戦末期から戦後復興期にかけては、通常は人面牛身とされる「件(くだん)」と逆に、牛面人身で[[和服]]を着た女の噂も流れ始めた{{sfn|松山|2004|p=72}}。以下、これを仮に牛女と呼称する。
[[小松左京]]『[[くだんのはは]]』(1968年)も百閒の小説や<ref name="tanemura"/>「件」の類の噂に取材して小説を執筆したと考えられており<ref name=asahi2016-01-06/>、牛女の都市伝説の伝搬に貢献したものと考えられる<ref name=ichiyanagi&yoshida/>。
牛女の伝承は、ほぼ兵庫県[[西宮市]]、[[甲山]]近辺に集中している。例えば空襲の焼け跡で牛女が動物の死骸を貪っていたとする噂があった{{sfn|並木伸一郎|2007| p=56}}。また、兵庫県[[芦屋市]]・西宮市間が空襲で壊滅した時、ある肉牛商の家の焼け跡に牛女がいた、おそらくその家の娘で生まれてから[[座敷牢]]に閉じ込められていたのだろうという噂などが残されている{{sfn|島田裕巳|2020| p=73}}。
幕末期の「件(くだん)」伝承と比較すると、
*件は牛から生まれるが、牛女は人間から生まれる。
*件は人面牛身、牛女は牛面人身。
*件は人語を話すなど知性が認められるが、牛女にはそれが認め難い。
といった対立点があり、あくまでも件と牛女は区別すべきと木原浩勝は主張している{{sfn|並木伸一郎|2007| p=56}}。
== 経緯 ==
=== 江戸時代 ===
昔、[[宝永]]2年(1705年)12月に件が現れ、その翌年から豊作が続いた、という記述が天保年間の瓦版(既述)にみられる<ref name="tenpo-nanigashiban"/><ref name=horibe/>。
早い史料としては『密局日乗』([[文政]]2/1819年)の記載があり、[[周防国]]で民家の牛から生まれ、人面牛身の子牛が件と名乗り、豊作とその後の兵乱を予言した、とされている(上に詳述)<ref name=山口県文書館>{{Cite web|和書|url=http://archives.pref.yamaguchi.lg.jp/user_data/upload/File/smallexhibition/H29-01.pdf |title=山口県文書館・平成29年度第1回資料小展示解説資料「よって件(くだん)のごとし -予言する正直な怪物-」 |accessdate=2021-04-23}}</ref>。
[[富山県]]の立山には「くだん」ならず「くたべ」(または「くだべ」等)と呼ばれる山の精が出現するとされる、文政10–12年(1827–1829)の複数の史料が残ることは<ref name="hosoki-table"/><ref name="国書1916 ">{{Cite book |和書 |author=国書刊行会 |authorlink=国書刊行会_(1905-1922)|year=1916 |title=鼠璞十種. 第二 |publisher=国書刊行会 |page=77 |isbn=978-4124008081 |url=https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1767733/77 |accessdate=2020-12-27}}</ref>既述した。くだべは「これから数年間疫病が流行し多くの犠牲者が出る。しかし自分の姿を描き写した絵図を見れば、その者は難を逃れる」と予言した<ref name="sankei20200529"/>。これが評判になり、各地でくだべの絵を厄除けとして携帯することが流行したという。くたべ系/クダベ系の史料は、それから[[嘉永]]年間(1848–1854年)まで例に欠けるとされているが<ref name="nagano2005"/>、漢字のくたべの[[摺物]](年代不詳)は<ref name="kutabe-hogocho"/>、『保古帖』という嘉永4年に着手された編本に貼られている<ref>{{harvnb|細木|2020|p=95}}、注 (5).</ref>。
天保年間の瓦版では、天保7年(1836年)12月に丹後国「倉橋山」に人面牛身の獣「件」が出現したとする(既述)<ref name="tenpo-nanigashiban" />。ちなみにこの報道の頃には、[[天保の大飢饉]]が最大規模化しており、「せめて豊作への期待を持ちたい」という意図があってのものと思われると[[島田裕巳]]は主張している{{sfn|島田裕巳|2020|p=73}}。
幕末になってさらに{{efn2|『密局日乗』(1819年)に牛から生まれた件の例は既述した。}}、人間の飼っている牛が産んだとする説が流布されている。[[慶応]]3年(1867年)4月付の『件獣之写真』と題した瓦版によると「[[出雲]]の田舎で件が生まれ、『今年から大豊作になるが初秋頃より悪疫が流行る。』と予言し、3日で死んだ」という{{sfn|佐藤|1993|p=81}}{{Refn|group="注"|同じく出雲国[[能義郡]]古川村の<!--民蔵という-->者が産した仔牛が「件」であったという記述が山村勉斎『奇獣記』にあるが、これは明治23年(1890年)3月1日付になっている<ref name="yamamura"/>。}}。
=== 明治以降 ===
明治42年(1909年)6月21日の『[[中日新聞|名古屋新聞]]』の記事によると、その10年前に[[五島列島]]の農家で、家畜の牛が人の顔を持つ子牛を産み、生後31日目に「日本は[[ロシア]]と戦争をする」と予言をして死んだとある。この子牛は[[剥製]]にされて[[長崎県]] [[長崎市]]の八尋博物館に陳列されたものの、現在では博物館はすでに閉館しており、剥製の行方も判明していない{{Refn|name="nagoya-shimbun"|『[[中日新聞|名古屋新聞]]』「汽車栗毛」(▽肥前の「件」)明治42年(1909年)6月21日。{{harvnb|湯本|1999|p=117}}に引用。宮武外骨(1931年)にも引用されるが、記事が明治38年としている<ref name="miyatake"/>。}}<ref name="jinbunsha"/>。
明治時代から昭和初期にかけては、件の剥製と称するものが[[見世物小屋]]などで公開された。[[小泉八雲]]も自著『[[知られぬ日本の面影]]』の中で、件の見世物についての風説を書き残している。それによると明治25年(1892年)、旅の見世物師が[[島根県]][[美保関]]に件の剥製を持ち込もうとしたところ、不浄の為に神罰が下り、その船は突風のため美保関に上陸できなくなったという<ref name="hearn"/><ref name="hearn-jp"/>。
[[ファイル:Sakaiminato Mizuki Shigeru Road Kudan Statue 1.jpg|thumb|right|280px|[[水木しげるロード]]に設置されている「くだん」のブロンズ像]]
昭和に入ると、件の絵に御利益があるという説は後退し、戦争や災害に関する予言をする面が特に強調された。昭和5年(1930年)頃には[[香川県]]で、森の中にいる件が「間もなく大きな戦争があり、勝利するが疫病が流行る。しかしこの話を聞いて3日以内に[[小豆飯]]を食べて手首に糸を括ると病気にならない。」と予言したという噂が立った<ref>永井生「くだん」『ドルメン』第2巻第7号 岡書院 1933年</ref>。昭和8年には[[長野県]]でも似た噂が流行し、小学生が小豆飯を弁当に入れることから[[小学校]]を中心に伝播した。ただし内容は大きく変わっており、予言したのは蛇の頭をした新生児で、[[諏訪大社]]の祭神とされた<ref>「小豆飯の厄除け」『ドルメン』第2巻第4号 岡書院 1933年. 長野県での噂は、前年(昭和7年)の暮れに[[北海道]]で阿弥陀仏のお告げを受けて80歳の老婆が出産した子供が予言した内容が伝わって変容したものと言う。</ref>。
また長崎県でも[[平戸]]でクダンが生まれたといううわさが立ち、[[佐世保]]を介して広まった。そして昭和7年(1932年)夏、[[西彼杵半島]]の[[面高村]]で民俗学者の桜田勝徳がその噂を採取し発表した(江島平島記、「未刊採訪記」所収){{sfn|常光|2012|p=193}}<ref name="miyata"/>。
第二次世界大戦中には戦争や[[空襲]]などに関する予言をしたという噂が多く流布した。昭和18年(1943年)には、[[山口県]][[岩国市]]のある下駄屋に件が生まれ、「来年4、5月ごろには戦争が終わる」と予言したと言う{{要出典|date=2020年7月}}。また昭和20年春頃には[[愛媛県]][[松山市]]などに「[[神戸市|神戸]]([[兵庫県]])に件が生まれ、『自分の話を信じて3日以内に小豆飯か[[ぼたもち|おはぎ]]を食べた者は空襲を免れる』と予言した」という噂が流布していたという{{sfn|島田裕巳|2020| p=73}}。
[[1944年]]初頭頃、[[ブラジル]]のマリリア地方で人頭獣身の'''件子(くだんご)'''が生まれたとの噂が日系移民の間に立ち、「今年中に戦争は枢軸側の大勝利で終結する」と予言し、「よって件の如し」と言ってすぐ死んだという<ref name="nihon_imin80nen-1991"/>。これは"後の[[勝ち組]]の論理の芽生え"ではないかと評されている<ref name="handa" />。
牛から生まれた話例については、兵庫県の[[但馬牛]]の産地の村でクダンが生まれたという話が採取されている(1953年発表)<ref name="suganuma"/>。また岡山県の[[蒜山三村]]では、[[八束村 (岡山県)|八束村]]の老人が件の話をするが所在を聞くと[[川上村 (岡山県)|川上村]]で生まれたものと話し、けっきょく三つの村で堂々巡りになる記事が報道されている(1971年)<ref name="tsurufuji-sanyoshimbun"/>。
作家の[[木原浩勝]]所蔵の件(くだん)の剥製([[ミイラ]])は、2004年に群馬県在住の所有者から譲り受けたもので、元所有者の父親の[[興行師]]は「牛人間」と称してこれを見世物にし、絵物語の[[紙芝居]]もおこなっていたという<ref name="yamaguchi_naoki"/>。
== 注釈 ==
{{notelist2}}
== 出典 ==
;脚注
{{脚注ヘルプ}}
{{reflist|30em|refs=
<ref name="amanohashidate-park-map">{{Cite web|和書|url=https://www.pref.kyoto.jp/tango/tango-doboku/documents/1245652173965.pdf |title=丹後天橋立大江山国定公園 宮津市世谷高原(せやこうげん)。(枠内、"アクセスマップ") |page=2 |access-date=2022-03-23}}</ref>
<ref name=asahi2016-01-06>{{cite news|ref=asahi20160106|author= |title=【ひょうごの謎スペシャル】其の五 甲山に妖怪・たたりの巨岩? |date=2016-01-06 |newspaper=朝日新聞 |url=http://www.asahi.com/area/hyogo/articles/MTW20160106290690005.html}}</ref>
<ref name="briot">{{cite book |last=Briot |first=Alain |author-link=<!--Alain Briot--> |chapter=XXIII From Hōki to Oki, v |title=Monstres et prodiges dans le Japon d'Edo: présentation, traduction et commentaire de l'Album Tayasu 84 |location= |publisher=Collège de France, Institut des hautes études japonaises |date=2013 |url=<!--n/as--> |pages= |isbn=<!--291321732X, -->9782913217324}}</ref>
<ref name="dodaku-enkoan-nikki">[[高力猿猴庵]](種信<!--たねのぶ-->)『猿狼庵日記』(『寛政文政間日記』坤)文政11年4月。文中、予言獣名は「どだく」、「どたく」。{{harvnb|長野|2005|p=23}}表2、資料5; {{harvnb|細木|2020|p=85}}、資料⑤。</ref>
<ref name="fushimi">アラン・ブリオの著書所収の「献英楼画叢拾遺 八集三」(次注に詳述)。伏見由希(湯本豪一記念日本妖怪博物館/三次もののけミュージアム学芸員)の談。{{harvnb|細木|2020|p=94}}および脚注(42)に同氏より教示とある。</ref>
<ref name="handa">{{citation|和書|editor-last=半田|editor-first=知雄 |editor-link=<!--半田知雄--> |title=ブラジル日本移民史年表 |edition=再 |location= |publisher=無明舎出版<!--Mumeisha shuppan--> |date=1997 |url=https://books.google.com/books?id=9mMnAQAAIAAJ&q=くだんご |page=98 |isbn=<!--4895441571, -->9784895441575 }}</ref>
<ref name="hearn">{{cite book |last=Hearn |first=Lafcadio |author-link=:en:Lafcadio Hearn |chapter=XXIII From Hōki to Oki, v |title=Glimpses of Unfamiliar Japan |volume=2 |location=Boston |publisher=Houghton Mifflin |date=1894 |chapter-url=https://books.google.com/books?id=awhxAAAAMAAJ&pg=PA567 |pages=566–568}}</ref>
<ref name="hearn-jp">{{citation|和書|author=ラフカディオ・ハーン |author-link=小泉八雲 |others=[[平井呈一]]訳 |chapter=第22章 伯耆から隠岐へ 第5節 |title=日本瞥見記 |volume=下巻 |publisher=グーテンベルク21 |date=2009 |chapter-url=https://books.google.com/books?id=RfNGRxiRch8C&pg=PT181 |page=|isbn=}}</ref>
<ref name="hosoki-table">{{harvnb|細木|2020}}, p. 98, 表1 クタベ資料一覧。資料①~⑦の比較。うち4点(③~⑥)は文政11年(1827)亥年か翌1828年に特定可能とする。</ref>
<ref name=ichiyanagi&yoshida>{{citation|和書|last1=一柳 |first1=廣孝 |author1-link=一柳廣孝 |last2=吉田 |first2=司雄 |author2-link=吉田司雄 |title=ホラー・ジャパネスクの現在 |publisher=青弓社 |date=2005 |url=https://books.google.com/books?id=eqU0AQAAIAAJ&q=%22くだんのはは%22 |page=68 |isbn=4-7872-9178-5 |series=ナイトメア叢書 1}}</ref>
<ref name="jinbunsha">{{Cite book|和書|author=斉藤小川町他|editor=人文社編集部|title=日本の謎と不思議大全 西日本編|year=2006|publisher=[[人文社]]|series=ものしりミニシリーズ|isbn=978-4-7959-1987-7|page=123}}</ref>
<ref name="kagawa">{{citation|author=香川雅信 |author-link=<!--香川雅信(兵庫県立歴史博物館学芸員)--> |title=予言するモンスターたち――アマビエ、人魚、件くだん、そして |journal=怪と幽 |volume=号外 |volume-title=厄災を予言!? 疫病を退散!? 話題の「アマビエ」とは? その正体を妖怪博士が解説する日 ||date=2020年03月19日 |publisher=角川書店 |url=https://kadobun.jp/feature/readings/4hlpdojjrs4k.html |accessdate=2022年3月9日}} @ カドブン(角川文芸Webマガジン)</ref>
<ref name="kihara&okajima&ichigaya">{{citation|和書|last1=木原 |first1=浩勝|author1-link=:ja:木原浩勝 |last2=岡島 |first2=正晃 |author2-link=<!--岡島正晃-->|last3=市ヶ谷 |first3=ハジメ |author3-link=<!--市ヶ谷ハジメ--> |title=都市の穴 |location= |publisher=双葉社 |series=双葉文庫 |year=2003 |url=<!-- n/a --> |page=249 |isbn=<!--4575712647, -->9784575712643}}</ref>
<ref name="komatsu">{{Citation|和書|last=小松 |first=和彦 |author-link=小松和彦 |title=怪異・妖怪百物語: 異界の杜への誘い |publisher=明治書院 |date=2006 |url=https://books.google.com/books?id=OXAnAQAAIAAJ&q=%22くだん%22 |page=100 |isbn=<!--4625683637, -->9784625683633}}; 宮元正博 「[https://www.nichibun.ac.jp/YoukaiDB/ikai/report.html#e049 第49回 件(くだん)]」 『異界の杜』 @日文研</ref>
<ref name="kudabe-dochotosetsu">大郷信斎(おおごう・しんさい)『道聴塗説』』第二十編に所収「流行クダベ」、文政12年春。{{harvnb|長野|2005|p=23}}表2、資料6; {{harvnb|細木|2020|pp=85–86}}、資料⑦。</ref>
<ref name="kutabe-hogocho">[[大阪府立中之島図書館]]所蔵『保古帖(ほごちょう)』四巻に貼られた摺物「[亻+久/田][犭+部]」。年代不記載。{{harvnb|細木|2020|p=82}}、資料①。</ref>
<ref name="kutabe-koken_zuihitsu">{{harvnb|細木|2020|p=85}}、資料⑥。</ref>
<ref name="kutabe-kyojitsumujinzo">『虚実無尽蔵』四所収。文政10年(1827年)丁亥の冬。予言獣名は「くたべ」。{{harvnb|細木|2020|pp=84–85}}、資料④。</ref>
<ref name="kutahe-matsudaira">個人蔵、肉筆画「くたへ」文政10年(1827)亥年11月下旬。「松平遠江守」([[松平忠誨]]、1829年没)も自らこの絵を写したとある。{{harvnb|細木|2020|p=84}}、資料③。{{harvnb|笹方|2021}}に解説。</ref>
<ref name="mapion-kurahashi-maizuru">{{Cite web|和書|url=https://www.mapion.co.jp/phonebook/M07003/26202/L0578598/ |title=倉梯山 (舞鶴市東舞鶴駅) |work=マピオン電話帳|access-date=2022-03-23}}、および[https://www.mapion.co.jp/m2/route/35.554782604831836,135.14830214588173,16/ マピオンキョリ測]</ref>
<ref name=mapion-kurahashi-miyazu>{{Cite web|和書|url=https://www.mapion.co.jp/phonebook/M07003/26205/L0578599/ |title=倉梯山 (宮津市岩滝口駅) |work=Mapion phonebook |access-date=2022-03-23}}</ref>
<ref name="matsuyama">{{citation|和書|last=松山 |first=ひろし |author-link=<!--松山ひろし--> |title=壁女-真夜中の都市伝説 |location= |publisher=イースト・プレス |date=2004 |url=<!-- n/a --> |page=72 |isbn=<!--4872574575-->978-4872574579}}</ref>
<ref name="miyata">{{citation|和書|last=宮田 |first=登 |author-link=宮田登 |chapter=世間話研究の意義 |title=現代民俗論の課題 |publisher=Miraisha<!--未来社--> |date=1986 |url=https://books.google.com/books?d=N7slAAAAMAAJ&dq=%22くだん%22 |page=115 |isbn=<!--4624220234, -->9784624220235}}</ref>
<ref name="miyatake">{{citation|和書|last=宮武 |first=外骨 |author-link=宮武外骨 |title=人面類似集 |location= |publisher=<!--宮武外骨--> |date=1931 |url=https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1465483/38 |pages=58–60 |series=随題随記随刊 ; 甲 1}}</ref>
<ref name="nagano2005">{{Cite journal|和書|ref={{SfnRef|長野|2005}}|author=長野栄俊 |author-link=<!--長野栄俊--> |title=予言獣アマビコ考--「海彦」をてがかりに |publisher=福井県郷土誌懇談会 |journal=若越郷土研究 |volume=49 |issue=2 |date=2005 |url=https://hdl.handle.net/10461/19948 |page=12<!--1–30--> |issn=2185-453X |naid=120005739812 |ncid=AN00407708 |asin=}}</ref>
<ref name="nagano2005-table2">{{harvnb|長野|2005|p=23}}、表2 その他の予言獣の言説比較</ref>
<ref name="nezawa">{{Cite web|和書|last=根澤 |first=茂|author-link=<!--佐久市五郎兵衛記念館館長 根澤茂(ねざわしげる)--> |title=第1回 妖怪の世界 ~件(くだん)と雨彦(あまひこ)~ |date=2002 |publisher=佐久市|url=https://www.city.saku.nagano.jp/shisetsu/sakubun/gorobekinenkan/mamechisiki/mamechisiki01.html |access-date=2022-03-22}}</ref>
<ref name="nichibun-minakata1921">{{cite web|和書|author= |title=クダン(件) |year=2002 |publisher=国際日本文化研究センター |url=https://www.nichibun.ac.jp/YoukaiCard/2400017.html |accessdate=2021-04-15}}</ref>
<ref name="nihon_imin80nen-1991">{{Cite book |author1=日本移民80年史編纂委員会 |year=1991 |title=ブラジル日本移民八十年史 |page=409 |publisher=移民80年祭祭典委員会 |url=https://www.brasilnippou.com/iminbunko/Obras/26.pdf#page=409 |ncid=BN14479228 |id={{CRID|1130000794801047296}} |accessdate=2022-08-20 | ref = harv }}</ref>
<ref name="okayama1975">{{citation|和書|editor=岡山民俗学会 |title=岡山民俗事典 |date=1975-05-01 |publisher=日本文教出版 |url= |page=118}}{{harvnb|堀部|1994|p=219}}で引用。</ref>
<ref name="sankei20200529">{{cite news|author=<!--no byline--> |title=「クタベ」で疫病退散 富山県ゆかりの人面妖怪が話題に |newspaper=産経ニュース |date=2020-05-29 |url=https://www.sankei.com/photo/story/news/200529/sty2005290001-n1.html}}</ref>
<ref name="sasakata">{{citation|和書|last=笹方 |first=政紀 |author-link=<!--笹方政紀 Sasakata, Masaki 大阪大学教授--> |chapter=白沢からクタベへ/ 8 クタヘ図 個人蔵 (解説) |title=特別展「東アジア恠異学会 20 周年記念展示 吉兆と魔除け―怪異学の視点から―」(令和3年2月 24日~4月 14日) |date=2021 |publisher=京都産業大学ギャラリー |url=https://www.kyoto-su.ac.jp/events/s1gk4u000005vv9m-att/a1615950888126.pdf |page=<!---->}}(ウェブ版: 「[https://www.kyoto-su.ac.jp/facilities/musubiwaza/gallery/202103_tenji00-4.html Ⅳ 白沢からクタベへ]」、「[https://www.kyoto-su.ac.jp/facilities/musubiwaza/gallery/202105_tenji08.html 8 クタヘ図]」.2021-04-23 閲覧.</ref>
<ref name=sasaki>{{citation|和書|last=佐々木 |first=聡 |author-link=<!--佐々木聡 (東洋史学者) Sasaki, Satoshi 金沢学院大学専任講師。『白澤復元図』編著者--> |chapter=吉兆と祥瑞|title=特別展「東アジア恠異学会 20 周年記念展示 吉兆と魔除け―怪異学の視点から―」(令和3年2月 24日~4月 14日) |date=2021 |publisher=京都産業大学ギャラリー |url=https://www.kyoto-su.ac.jp/events/s1gk4u000005vv9m-att/a1615950888126.pdf |page=<!---->}}(ウェブ版: 「[https://www.kyoto-su.ac.jp/facilities/musubiwaza/gallery/202103_tenji12.html 12 伝谷文晁模・関克明賛 「白沢之図」]」.2022-03-17 閲覧.</ref>
<ref name="shigenobu">{{citation|和書|last=重信 |first=幸彦 |author-link=<!--重信幸彦 SHIGENOBU Yukihiko (民俗学者)--> |title=(書評)モノとしての「話」〜佐藤健二『流言蜚語』から |journal=口承文芸研究 |number=19 |date=1996 |url=https://ko-sho.org/download/K_019/SFNRJ_K_019-18.pdf |page=176<!--172–176-->}}<!--[https://books.google.com/books?id=i0o0AQAAIAAJ&q= text] @ Google--></ref>
<ref name="suganuma">{{citation|和書|last=菅沼 |first=晃次郎 |author-link=<!--菅沼晃次郎 Suganuma, Kōjirō (民俗学者)--> |title=但馬牛聞書 |journal=近畿民俗<!--Bulletin of the Folklore Society of Kinki--> |number=復刊11号/通19 |date=1953年9月 |url=https://books.google.com/books?id=Map07_3gb6kC&q=クダン |page=204<!--196–207-->}}</ref>
<ref name="tanemura">{{citation|和書|last=種村 |first=季弘 |author-link=種村季弘 |title=和洋怪談比較考――内田百間・深沢七郎をめぐって |journal=南北 |publisher=南北社 |volume=3 |issue=8号通巻26 |date=1968年8月 |url=https://books.google.com/books?id=_MtoAAAAIAAJ&q=牛女 |page=126}}; 『影法師の誘惑』、1991年に再掲。</ref>
<ref name="tani&hoya&hakoishi">{{citation|和書|last1=谷 |first1=昭佳 |author1-link=<!--谷昭佳 Akiyoshi Tani--> |last2=保谷 |first2=徹<!--Hoya Toru--> |author2-link=保谷徹 |last3=箱石 |first3=大 |author3-link=<!--箱石大 Hakoishi Hiroshi--> |title=74 日本古写真および田安家旧蔵貼込帳等の調査・撮影(パリ市ほか) |journal=東京大学史料編纂所報 |issue=40 |date=2004 |url=https://www.hi.u-tokyo.ac.jp/publication/syoho/40/saiho_40_074.html |page=}}</ref>
<ref name="tenpo-nanigashiban">[[天保]]7/1836年の瓦版「大豊作をしらす件(くだん)と云獣(けもの)なり」。版元について"丹後国与謝郡何某板"と付記。原文は{{harvnb|細木|2020|p=87}}(変体仮名やカタカナづかいも原文の忠実)に記載があるが、{{harvnb|木村|2005|p=27}}および{{harvnb|堀部|1994|p=220}}({{harvnb|常光1990|p=128}}に拠る)にもより簡略に(現代仮名等に直して)掲載される。</ref>
<ref name="tsunemitsu">{{harvnb|常光|1990}}; {{harvnb|常光|2002|pp=159–161}}</ref>
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* {{citation|和書|last=細木 |first=ひとみ |author-link=<!--細木ひとみ 立山博物館 学芸員--> |title=疫病流行を告げる「クタベ」と越中立山に現れた理由 |trans-title= |journal=富山県[立山博物館]研究紀要<!-- Bulletin, Tateyama Museum of Toyama --> |publisher=[[富山県立山博物館]] |issue=27 |date=2020 |url=https://www.pref.toyama.jp/documents/15900/27_hosoki.pdf#page=7 |page=85<!--81–98--> |naid=40022556754 }}
* {{citation|和書|editor-last=湯本 |editor-first=豪一 |editor-link=湯本豪一 |date=1999 |title=明治妖怪新聞 |publisher=[[柏書房]] |url=https://books.google.com/books?id=N3AnAQAAIAAJ&q= |pages=115–117 |oclc=259862594 |isbn=4-7601-1785-7}} ISBN 978-4-7601-1785-7
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== 関連項目 ==
* [[牛頭馬頭]]
* [[獣人]]
* [[人面牛]]
* [[ミーノータウロス]]
* [[アマビコ]]
* [[アマビエ]]
== 外部リンク ==
* {{Cite web|和書|last=江藤学 |first=学 |author-link=<!--江藤学 @etoogaku--> |title=件 (くだん) |work=丹波・丹後の妖怪あつめ |date=2020年04月18日 |url=http://tanbatango-yokai.blog.jp/archives/22998927.html |access-date=2022-03-23}}<!--必ずしも地図に記載されない「倉梯山」についての入手情報源。写真画像あり。-->
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[[Category:日本の都市伝説]]
[[Category:日本の妖怪]]
[[Category:神話・伝説の牛]]
[[Category:予言]]
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関東鉄道
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関東鉄道株式会社(かんとうてつどう、英: Kanto Railway Co., Ltd.)は、茨城県に2つの鉄道路線と多くのバス路線を有する鉄道・バス・不動産事業等を行う日本の交通系企業である。京成グループの企業であり、京成電鉄の連結子会社である。略称は関鉄(かんてつ)。
茨城県に本社を置く交通事業者としては最大手である。主たる営業エリアは筑波研究学園都市、常総ニュータウン、竜ヶ崎ニュータウン、水郷筑波国定公園、鹿島臨海工業地帯などを抱える茨城県南部で、東京通勤輸送を柱とする2路線の鉄道事業を核として、高速路線バスを含む乗合バス事業を広く展開している。守谷市、龍ケ崎市、小美玉市などでは、同社と同社の子会社によって市内の公共交通事業をほぼ独占している。
鉄道事業は、かつて常総線・竜ヶ崎線・筑波線・鉾田線の4路線を保有しており、4路線を合わせると保有路線すべてが非電化の鉄道会社としては日本最長のキロ数 (123.1 km) を有していたが、1979年に筑波線と鉾田線を、それぞれ筑波鉄道(現・関鉄筑波商事)と鹿島鉄道に分社している(ともにのちに廃線)。
バス事業については、他社と同様に一部地域の分社化が行われ、地域子会社として関鉄観光バス、関鉄パープルバス、関鉄グリーンバスが存在する。またかつては関鉄メロンバスもあったが、関鉄グリーンバスへ統合された。
その他、不動産業なども手がける。日本民営鉄道協会、関東鉄道協会、茨城県バス協会(日本バス協会傘下)、茨城県宅地建物取引業協会、全国宅地建物取引業保証会、東日本不動産流通機構、茨城県つくばエクスプレス等整備利用促進協議会、つくばセンター地区活性化協議会に加入している。
株式保有率約60%の京成電鉄が経営を支配しており、同社の連結子会社となっている。また、茨城交通が約1.5%と京成系以外の交通企業も出資している。かつては、東武鉄道も約4%を出資していたが、2022年度中に株式を売却し資本撤退している。京成グループ内の人的交流・業務支援は盛んであり、社長は代々京成役員から就任している。また、PASMO接続サーバの共有 や広報誌の乗り入れ も行われている。
かつて、東武鉄道も出資していた関係上、京成グループ統一ロゴマーク(K'SEIロゴ)も長らく使われていなかったが、観光バスについては京成グループの統一観光カラー(白地にオレンジと紺色の「Kanacカラー」と呼ばれる)を採用してきた。鉄道車両も1994年以降の新製車はK'SEIロゴこそ掲出しないものの京成グループカラーに似た塗装を採用し、高速バス車両でもKaNaCカラーから京成グループ統一カラーへの代替が進み、こちらにはK'SEIロゴが大きく表示されている。
2019年7月31日、京成電鉄による株式公開買い付け (TOB) を実施。その結果、資本比率が従来の30.09%から56.46%となり、京成電鉄の持分法適用会社から連結子会社となった。
関鉄の出資先には分社子会社のほか、つくばエクスプレスを運営する首都圏新都市鉄道があり、同社と接続する鉄道会社では唯一出資している。
また、新京成電鉄が京成電鉄の完全子会社になるまでは、同社の株を子会社の関鉄クリエイト保有分を合わせて約3%保有し、京成グループ内株式持ち合いとなっていた。
常総筑波鉄道と鹿島参宮鉄道が1965年に対等合併して発足した。法的には鹿島参宮鉄道が存続会社で、関鉄は鹿島参宮鉄道が設立された「1922年9月3日」を「創立年月日」としている。ただし、吸収元の会社を含めると1898年設立の竜崎馬車鉄道(後の竜崎鉄道)が最古となり、2020年時点で120年を超える歴史がある。
常総筑波鉄道は第二次世界大戦中に常総鉄道(常総線)と筑波鉄道(旧)(筑波線)が合併して成立したもので、国鉄常磐線以北にバス路線網を持っていた。一方、鹿島参宮鉄道(鉾田線)は竜崎鉄道(竜ヶ崎線)を戦時中に吸収合併し、逆に国鉄常磐線以南から鹿行地区に至るバス路線網を保有していた。
常総筑波鉄道は1959年に赤字体質の経営を改善するために京成電鉄と東武鉄道の資本と取締役を受け入れ、1961年には京成が筆頭株主になっている。鹿島参宮鉄道も、労使紛争が起きていた最中の1950年代、霞ヶ浦の観光開発を主目的に京成が資本参加し、1961年に筆頭株主になっている。両者とも京成系列になったことから、バス事業での競合関係を解消し、合理化の推進ならびに資本力を増強するために合併した。
茨城県南部に常総線・竜ヶ崎線の2路線、計55.6 km 28駅を有し、すべて非電化となっている。沿線にベッドタウンを抱え、1980年代以降東京方面への通勤旅客輸送が柱となっており、常総線の取手駅 - 水海道駅間は日本で数少ない非電化複線で、短い駅間距離と電車区間並みの高頻度運転という特徴を持つ。一方、1950年代にあった常総線特急・急行列車廃止以降、2005年の常総線線路改良(快速列車運転開始)まで線内長距離輸送に対する施策は後回しにされており、2013年現在でも快速列車の運行本数は1日下り7本・上り6本と少なく、普通列車も常総線全線51.1kmを80分かけて走るほど低速である。
常総線には自動進路制御装置(PRC)、竜ヶ崎線には自動列車停止装置(ATS)をそれぞれ配備。年間輸送人員は1,148万6,000人、乗車効率は14.2%、営業収益は約24億円 である。
営業収益に占める割合こそバス事業より小さいが、定期運賃収入が見込める安定した主力事業で、同社の筆頭部門となっている。執行部の直下に鉄道事業を分掌する「鉄道部」が組織されており、その現業拠点は常総線の南水海道(水海道車両基地)に構える。常総線の運転指令ならびに乗務・車両・検修・施設系の各部門は南水海道に所在する。駅務は広い駅務管区制を採っており、管理駅は全28駅中3駅のみである。
全路線が非電化のため、保有する旅客用車両はすべて気動車である。旅客用の気動車61両及びディーゼル機関車1両の計62両を保有する。
かつては自社発注車両のほか、1960年代から1970年代にかけて全国各地の私鉄からの譲渡車両が投入されていた。出自は夕張鉄道、北陸鉄道、加越能鉄道、小田急電鉄、江若鉄道などと多彩を極め、ファンの間では「気動車天国」とも称されていた。しかし形式により車体長や扉数が異なるなど旅客取り扱い上問題を抱えていたほか、老朽化や機器の不統一によって車両の保守上も非効率な面が大きかったため、1987年から国鉄清算事業団・JR各社からキハ35系を購入、キハ300形として大量増備し一掃を図った。1993年以降はキハ300形の置き換えとして自社発注車両が再度増備されている。
通勤路線でもあるため、旅客用全車両が通勤型車両で、片側3ドアロングシートの座席構造である。旅客車両はすべてワンマン運転対応である。
運賃収受方式の違いから複線用(取手 - 水海道間)と単線用(水海道 - 下館間)の2種類に大別でき、後者は単線区間における車内運賃収受のため整理券発行機・運賃箱を備える。
1971年からワンマン運転を行なっているが、途中駅1駅という特殊な条件下にあるため、整理券発行機や運賃箱、自動運賃表などは一切備えない。すべての駅のプラットホームが竜ヶ崎方に向かって右側に設置されているので、運転席は竜ヶ崎に向かって右側に統一されている。
大人普通旅客運賃(小児半額・ICカードの場合は1円未満切り捨て、切符購入の場合は10円未満切り上げ)。2019年10月1日改定。
1km未満の端数は切り上げ。43, 47, 51kmについては、国土交通省に申請した運賃においては設定があるが、該当区間は実際には存在しない。
営業収益の約70%を占める バス事業は、茨城県南・鹿行地域を中心に乗合・特定・貸切事業を展開。茨城県水戸以南各地と東京都心などを結ぶ高速バス並びに土浦市・つくば市・取手市・龍ケ崎市・牛久市・守谷市・水戸市などを中心とした一般路線バスを運行している。特に東京・鹿島神宮間の高速バス「かしま号」は、高い利便性で並行鉄道を凌駕するほどの存在であり、また、東京駅高速バスターミナルにおいて非JR系会社で最多級の発着便数があり、東京地区での存在感も強めている。営業所10か所、乗合路線2,788.8 km、乗合車両410両、貸切車両34両を保有し、乗合の運行系統整理番号は4桁に達する。
かつては茨城県水戸以南地域に広大なバス路線網を有していたが、主力地域以外は子会社に分離するか撤退している。主な分離地域は筑西市・桜川市(以上子会社が再進出)・石岡市八郷地区・鉾田市・かすみがうら市など、主な撤退地域は結城市・坂東市猿島地区・笠間市友部、岩間地区・稲敷市桜川地区・北相馬郡利根町・東茨城郡大洗町・結城郡八千代町・稲敷郡河内町などである。貸切事業についてその主力は子会社の関鉄観光バス(67両)に譲っている。
一般路線バスの主たる営業エリアには、筑波山、霞ヶ浦、水郷潮来、、偕楽園、ミュージアムパーク茨城県自然博物館などの観光地や、イオンモールつくば、あみプレミアム・アウトレットなどの大規模商業施設、筑波研究学園都市の各研究所、常総ニュータウン、竜ヶ崎ニュータウンを始めとする東京通勤のベッドタウンなどを抱えており、観光から用務・通勤・通学まで幅広い需要の受け皿となっている点が特徴的である。
また、土浦全国花火競技大会、百里基地航空祭、鹿島アントラーズ主催試合、かすみがうらマラソン、つくばマラソンなど営業エリア内で開催される巨大催事においてもグループ全体において高い保有車両数を生かし観客輸送を担っている。
コミュニティバスの運行も多数受託しており、つくば市のつくバス、牛久市のかっぱ号、土浦市のキララちゃんとつちまるバス、取手市のことバス(一部を担当)、守谷市のモコバスなどを担当しており、一般路線・コミュニティバスを重複して運行している地域も多い。
主たる営業エリア内のターミナルにはつくばセンター(つくば駅)、土浦駅、取手駅、守谷駅、龍ケ崎市駅(佐貫駅)、水戸駅、水郷潮来バスターミナルがあり、これらには乗合バス券売所も設置されていて、一般路線普通券以外の乗車券(定期券や高速バスなど)を取り扱う。鹿島セントラルホテル停留所並びに鉄道の佐貫駅にはバス自動券売機も設置されている。
各路線の詳細は営業所記事を参照
バスの営業所は以下の通りである。つくば北営業所、つくば中央営業所、守谷営業所、関鉄パープルバスの車両はつくばナンバー(ただし2007年2月13日以降に当所に配置された車両に限り、それ以前は土浦ナンバー)、水戸営業所、潮来営業所、波崎車庫、関鉄グリーンバス鉾田営業所の車両は水戸ナンバー、関鉄観光バス佐原営業センターの車両は千葉ナンバーで、他は土浦ナンバーとなっている。なお、1978年4月16日以前に茨城県内で登録された車両は全て茨ナンバーであった。また、営業所名後ろの括弧内の英字は営業所・車庫を略記する際の記号であり、車体には社番の後に表記されている。
現在は、グループを含め、600台あまりの車両が在籍し、国内4メーカーすべての車両が配置されているが、その中でもいすゞ車が約半数を占めている。 いすゞ以外では、貸切車や高速車を中心に三菱ふそう製が多く、その他、日野、日産ディーゼル(現:UDトラックス)の順の保有台数である。 また日野製の高速車、貸切車の新製配置車は在籍していなかったが、2017年3月に水戸営業所に関東鉄道では初となる日野・セレガの高速車が2148MTとして新製配置された。
コーチビルダーがシャシーメーカーと一本化される以前は、いすゞは川重→IKコーチ→いすゞバス製造製と富士重工製、三菱は呉羽自動車工業→新呉羽→MBM製、日野は日野車体工業、日産ディーゼルは富士重工製で導入されていた。 また、1980年代ごろまではいすゞの大型車は帝国自工、中型車は北村製作所、三菱は貸切車を中心に富士重工製の車体も一部導入されていた。
一般路線車は、前・中扉が標準で、大型車は、全長10mのいわゆる大型短尺車、中型車は全長9mの標準尺車が標準 であるが、他社からの譲受車を中心に、前・後扉車や、全長10.5mの標準尺車、11m超の長尺車も在籍する。 かつては3ドア車も在籍していたが、現在はすべて廃車されている。
カラーリングはグレー地に窓周りを白、窓の下に青帯が入るデザインで、2001年より導入されているワンステップバス、ノンステップバスはこれに曲線でアレンジした塗装となっている。
ワンマン機器は、車内案内放送装置(音声合成)は、クラリオン製で、運賃箱、運賃表示器、整理券発行機は、小田原機器製が標準としていたが、2019年現在、関鉄グループの全営業所においてレシップ製新型の整理券発行機、ICカード及び釣り銭対応の運賃箱及びLCDモニター式の運賃表示器に交換されている。
関東鉄道発足後の一般路線車は、1970年、ワンマンカー導入からはじまる。 この時導入された車両は、帝国自動車工業製の車体と組み合わされた、いすゞ・BU10だった。 帝国自工といすゞシャーシーの組み合わせはかつては全国各地で見られていたが、この頃は、帝国自工は日野自動車のもとで経営再建が図られている時期で、指定車体だった国鉄バスを除くと、この当時でも珍しい組わせだった。 その他、いすゞ・BU10は、富士重製車体や、川重製車体でも導入されたが、この時期、川重製は少数派で、帝国自工が金産自工と合併し、日野車体工業となり、国鉄向け以外のいすゞシャーシへの架装から撤退すると、その後のいすゞ・CLMまでは、富士重製ボディでの導入が中心となる。
1976年からはローカル路線を中心に、中型車の導入が始まり、いすゞ・CCM/CDM、三菱・MK116、日野・RL320が導入された。
これらの車種がモデルチェンジした以降も、この3メーカーで導入が続けられるが、そのうち、三菱車は、土浦、鉾田、下妻。日野車は鹿島、潮来、佐原、波崎(RJ以降は柿岡も)とほぼ特定の営業所にしか配置されなかったのに対し、いすゞ車は中型路線車の配置がなかった取手営業所を除く、すべての営業所に配置され、いすゞ・LR→いすゞ・エルガミオと、いすゞ製中型車が関東鉄道バスの主力車種の座を現在まで占めている。
また同じころ、冷房車の導入もすすめられ、新規導入車のほか、トップドア貸切車に中扉を増設し、大型方向幕を取り付けた、貸切格下げ車も導入され、一般路線車の冷房化が徐々に進められていった。
1985年に、国際科学技術博覧会(科学万博)がエリア内の筑波郡谷田部町(現:つくば市)で開催されることになり、その観客輸送を担うため、いすゞLV、三菱エアロスターK、日野・ブルーリボンHTの3車種が大量に導入された。万博閉幕後は各営業所に配置され、急速にベットタウン化が進んでいた茨城県南部における新規路線の拡充や増発など輸送力向上に充てられた。
1986年から1988年にかけて、小型車のいすゞ・ジャーニーQが合計25台、子会社を含む、ローカル路線・閑散路線を抱える営業所に導入された が、その後閑散路線そのものが、廃止、縮小されていったこともあり、比較的に早期に廃車されている。
その後も中型車を中心に自社発注での増備が続けられることになるが、1989年、神奈川中央交通から、モノコックボディの三菱・MP118が合計11台導入され、水戸営業所と土浦営業所に配属されたのを皮切りに、西武バス、京阪バス、川崎鶴見臨港バス、千葉内陸バス、東京都交通局、千葉海浜交通などから、冷房付の中古車が導入され、非冷房車を置き換えていった。 京阪バス、千葉内陸バスからの譲受車は、前・後扉、千葉海浜交通からの譲受車は3ドア車であった。 そのうち、千葉内陸バス、西武バスからの譲受車は、1990年から2000年まで長きにわたり導入され、千葉内陸バスからの前・後扉の日野・ブルーリボンHTは長尺車であったこともあり、乗客数の多い路線を多く抱える土浦営業所に集中配置されたほか、西武バスからの日産ディーゼル車は、富士5Eボディの日産ディーゼル・U31から富士7EボディのU33まで導入され、大型車の配置が多い、土浦、取手、水戸の各営業所では一時、主力になっていた。 それまで日産ディーゼル車の導入がなかった関鉄でも、1989年に水戸営業所に配置された、富士7EボディのU33Kを皮切りに、中型車のRMも含め、1998年まで新車導入が行われ、一時日産ディーゼル車の割合が高くなっていたことがある。 また西武バスからは、1990年に日産ディーゼル・RM81Gが土浦営業所に5台導入された 他、2008年、2009年には短尺車のRM211ESN が導入された。
2001年には、廃業した茨城観光自動車から、経年の若い車両を中心に車両が移籍し、その中には、三菱ふそうの元サンプルカーの大型ショート車、三菱ふそう・エアロスターMMや前・後扉のエアロミディMKなど、関鉄では今まで導入のなかった車両も含まれていたほか、1995年に関鉄と同時に導入した、日野・ブルーリボンHTの竜ヶ崎ニュータウン線の元専用車もそのままの塗装で移籍していた。
自社発注の大型車は、上述の中古車の導入もあり、1991年以降は、1994年から1995年にかけて、竜ヶ崎ニュータウン線拡充のため、竜ヶ崎営業所に、いすゞ・キュービックが5台(そのうち3台は住宅・都市整備公団(現都市再生機構の補助金で導入された広告塗装車で通称「青竜」)配置された以外 は、しばらく導入がなかったが、2001年には、取手営業所にいすゞ・エルガと三菱ふそう・エアロスターが関東鉄道バスでは初めて、ノンステップバスで導入されたのを皮切りに、土浦、つくば中央、水戸の各営業所に2003年まで、数両ずつ導入された(つくば中央営業所配置車両はその後2台とも水海道営業所に移籍→うち1台は土浦営業所に再移籍)。また、水戸営業所には、三菱ふそう・エアロミディMK、取手営業所には日野・レインボーHRの中型ロング車 が2003年に1台ずつ導入されたが、中型ロング車はこれ以降新車導入はされていない。
2001年からは、親会社の京成電鉄 が、自動車NOx・PM法の施行により、規制対象車が移籍されはじめ、過去の他社からの中古車や万博開催時に導入された自社発注の経年車を置き換えられていった。
近年は、京成トランジットバス、千葉中央バス、ちばグリーンバス、千葉内陸バス、ちばフラワーバス、松戸新京成バス、船橋新京成バス、京成バスシステム、東京ベイシティ交通といった京成グループ各社や、京浜急行バス、東急バス、立川バス、横浜市営バス、小田急バス、尼崎市交通局、南海バス、平和交通、川崎鶴見臨港バスなどからも初期型のノンステップ車を中心に移籍され、初期導入の京成中古車も置き換えながら現在も導入が続けられている。
京成グループからの移籍車は、その車種構成から、前・中引扉、標準尺の、IK→IBMボディおよび富士7Eボディを架装したいすゞ・LVが比較的多く在籍するが、都内営業所配置の4枚折戸車や、船橋営業所、長沼営業所、ちばフラワーバス、京成バスシステムからの日野車、松戸営業所からの三菱車、船橋新京成バスからは、富士7Eボディの日産ディーゼル車も移籍するなど、車型、メーカーを問わず移籍している。2011年に日野・レインボーRJワンステが波崎車庫に導入されて以降、中型車は移籍していなかったが、2014年、松戸営業所より三菱ふそう・エアロミディMKワンステップが移籍され、竜ヶ崎営業所と水戸営業所に配置された。
AT仕様の車両については、中古車では京成バスからの移籍で2012年にいすゞ・キュービックノンステップが導入されたのが最初である。2014年には、日野・ブルーリボンシティ、いすゞ・エルガと、AT仕様のノンステップ車も移籍しはじめている。自社発注車では、中大型車が2021年現在も導入が見送られている一方で、小型車ではコミュニティバス向けとして、2DG-HX系に移行した日野・ポンチョが2017年に導入されたのが最初の事例であり、以降は後述のつくバスの車両増備(社番2202 - 2204)を含め急速に増備が進んでいる。
2003年には、牛久市コミュニティバスかっぱ号の受託にあたり三菱・ローザが路線仕様で導入されたほか、つくば市コミュニティバスつくつくバスの受託にあたり、いすゞ・エルガミオとオーストラリアのクセニッツCITY-I が、それぞれノンステップで導入された。
2004年夏には、一般路線仕様のエルガミオノンステップが土浦営業所に導入されたのを皮切りに、翌年には同型車の日野・レインボーIIと合わせ、ノンステップ、ワンステップ仕様で導入され、経年車を置き換えていった。 三菱ふそう・エアロミディMKは、2005年につくば中央営業所と水海道営業所にノンステップ車が2台配置されて以降導入がなかったが、2012年に水戸営業所に導入されて以降、再び導入が始められている。 また土浦市のコミュニティバス、キララちゃん受託に際して、三菱ふそう・エアロミディMEが初めて、され、そのうち1両は予備車兼用として一般路線カラーで導入されている。
2006年には、前記のつくつくバスが、つくバスに移行し、大幅に受託路線が増えたため、エアロミディMEが一般路線カラーの予備車を含めて、一挙に20台導入され、また北部シャトル用としては、エルガミオノンステップが4両導入された。 また、それまでツアーバス形式で運行されていた、筑波山シャトルバスが一般路線化されることになり、その専用車として、いすゞ・エルガワンステップ長尺車が、メトロ窓、2列シート主体の郊外路線仕様で、合計4両導入されている。
この年から、エリア各地域でのコミュニティバスの受託が相次ぎ、取手市のことバス用として、エアロミディMEが関鉄初のCNG仕様で導入されたほか、坂東市の坂東号用としては、日野・ポンチョが初めて導入された。
2006年にエアロスターノンステップが取手営業所に1両配置されて以降、大型路線車の新車の導入はなかったが、2009年にエアロスターがワンステップで2両(1988・2005)取手に導入され、2012年、2013年にエルガワンステップが取手に2両(2049・2075)、2013年、2014年にエルガノンステップが土浦に2両(2060・2073)導入されるなど再び導入が進められている。
2016年1月には、関東鉄道バスでは初となるいすゞ・エルガハイブリッドが水戸、水海道、取手、土浦、竜ヶ崎に各1台ずつ、合計5台が導入された。その後、モデルチェンジしたいすゞ・エルガノンステップバスも4台、取手と土浦に配置された。
2017年度末をもって、関東鉄道の一般路線バスはバリアフリー化100%を達成した。
2019年1月をもって、関東鉄道、関鉄観光バス、関鉄グリーンバス、関鉄パープルバス4社で運行する路線バスの全車両(計388両)のバリアフリー化100%を達成した。
2021年3月にはつくばみらい市のみらい号用に中国・BYD製の電気バス(J6)(2237MR)1台を導入した。電気バスの導入は茨城県内では初となる。
2023年5月より創立100周年記念復刻デザインバスとして国際興業バスから譲渡された3台が運用開始された。
2023年5月には守谷営業所に中国・BYD製の大型電気路線バスBYD・K8が2台配置され、同年6月1日より運用開始した。
関東鉄道の高速車は、開設当初は、55 - 60人乗りの貸切車からの転用が主であった が、1989年にはかしま号とはさき号に40人乗りのトイレ付車(1444KS、1445HS)が導入され て以降、40・44人乗りのトイレ付のハイデッカー車が標準である。2009年に、2代目ガーラを導入するまでは、空港連絡バスも含め、原則として、サブエンジン冷房車が導入されていた。
また、関鉄唯一の夜行路線である、よかっぺ関西号には、3列シート29人乗りのいすゞ・ガーラのハイデッカー車及び三菱・エアロクイーンのスーパーハイデッカー車が導入されている。2010年には、3代目エアロクイーンが、新・京成グループカラーで導入され、従来車も塗り替え、以降の新車も同カラーで導入されている。
近年までは昼行高速車にも、貸切転用のスーパーハイデッカー車も運用されていたが、現在はハイデッカー車も含め貸切転用車はすべて高速バス用として導入された車両に置き換えられている。
1988年に、関鉄初の高速バスの新車として、新呉羽ボディの三菱・エアロバスK(1430YT)と、富士HD-1ボディのいすゞ・LV719R(1431YT)の2車種が、谷田部営業所 に配属されて以降、貸切からの転用と並行して、主にこの2車種を導入していった。
いすゞ車は、1989年にIKCボディ車も導入され、1990年にLV719RからLV771Rにモデルチェンジして以降も、引き続き、富士重ボディ とIKCボディで導入されたが、1996年にガーラにモデルチェンジして以降は、IKコーチ、いすゞバス製造から社名を変更したジェイ・バス製の車体で導入されている。
三菱車は、主に新呉羽製のエアロバスKを採用 し、当時主流だった三菱製ボディ車は1994年導入のニューエアロバス(1655YT)まで、関鉄では採用されなかった。
日産ディーゼル・スペースアローは、1996年に1台、1999年には5台導入されたが、それ以降の導入はなく少数派に留まっている。
2003年には、つくば号に共同運行先のジェイアールバス関東より、ドイツ・ネオプランの二階建てバスメガライナーが2台リース導入されたが(1873YT・1874YT)、つくば号の減便に伴い、2006年にはJRバス関東に返却されている。
貸切車からの転用車も、当初はこれら新規導入車と同じく、一般路線カラーで投入されていたが、つくば号、かしま号とも、事業者の予想以上に好調で、すぐに輸送力増強を求められることとなり、貸切車からの転用車は以後は、貸切カラー のまま、転用されていた。
2007年に導入された、ニューエアロバス(1937MT、1938IT)からは、新しい京成グループカラーで登場し、2代目ガーラ、エアロエースが引き続き、京成グループカラーで導入されている。
2019年7月24日、潮来営業所に東京ディズニーリゾート方面への路線にベルギー・バンホールの二階建てバススカニア・アストロメガ(2200IT・2201IT)が運行開始した。上述のつくば号用メガライナー以来の二階建てバスであり、他事業者からリース以外の自社保有での導入は茨城県内の事業者としては初めてとなる。
高速車の移籍車は2000年に遠鉄バスからのエアロバスを導入以降、長らく存在していなかったが、2010年にちばシティバスから、直結クーラーのニューエアロバスがKanacカラーのまま水戸営業所に移籍し、2012年からは京成バスから、同じくガーラが京成グループカラーのまま移籍している。
かつては、関東鉄道本体でも、観光バス事業を行っており、多数の貸切車を保有していたが、1999年に観光バス事業を関鉄観光バスに移管してからは、スクールバスや企業送迎など、契約貸切に使われる車両のみ、保有している。
観光型車両のほか、路線型車、マイクロバスまで、契約先のニーズに合わせた、さまざまなタイプの車両を保有する。
観光型は、主に、元高速車や関鉄観光バスから移籍した元貸切車、路線車は、一般路線車や他事業者からの移籍車が転用されることが多い。 塗装も元貸切車はKanacカラー、元高速車と一般路線車は、路線カラーと、そのままの姿で転用されることが多いが、スクールバスを中心に契約先に合わせた塗装やラッピングが施される場合もある。
以前は、契約先が所有していた自家用バスをそのまま移籍(サブリース)させて使用されていたこともあった。
社番は自社発注車が0001 - 、中古車が9001 - の付番で、関鉄グリーンバスは5001 - 、関鉄パープルバスは6001 - 、関鉄観光バスは路線車が7001 - 、貸切車が8001 - である。年式、メーカー、使用用途などに問わずすべて導入順に通し番号で表記され忌み番である『××42』や『××49』も欠番にはならない。
かつて分離子会社になって導入された車は頭に子会社の記号(関鉄グリーンバス:G、関鉄パープルバス:P)が入って001 - となっていたが、2018年度からは前述の通り関鉄グリーンバスには5000番台、関鉄パープルバスには6000番台が付番されるようになった。2017年度より、関鉄観光バス、関鉄グリーンバス、関鉄パープルバス等の子会社では関東鉄道からのリース車輌として9000番台に再登録されている車輌が在籍している。
なお、廃車が出てもその社番は使用しないが、関鉄→他事業者→関鉄またはグリーン→パープル、関鉄観光バス→関鉄と渡ってきた車両は1台で2つの社番を持つこともある(例:9037IS:元川崎鶴見臨港バス→日本観光バス→関鉄観光バス7001TCなど)。
一般路線バスの普通旅客運賃は対キロ区間制で、初乗りはICカードの場合168円、現金の場合170円である。2019年10月1日の消費税増税に伴う運賃変更により、1円単位のICカード運賃が新設された。
中乗り・前降り、運賃後払い方式を採り、運賃箱は整理券の券面バーコード読み取りによる自動釣り銭に対応している。
一般路線バスでは通勤・通学定期券が設定されている。12ヶ月定期券も設定されており、最高額は57万6580円にもなる。なお、冊式回数券はICカードの普及により2018年9月9日をもって、金額式回数券は2020年12月31日をもって発売を終了している。利用終了日は未定。
高速バスでは一部路線を除き普通乗車券とつくば号、かしま号、TMライナーには日本の高速バスでは数少ない通勤・通学定期券が設定されている。つくば号、かしま号では共同運行他社扱いながらスマートフォンに搭載できる「スマホ定期券」も発売されている。
また、各種企画乗車券がある。
交通系ICカードについては後述する。
PASMO(PASMO協議会)に加盟 しており、鉄道・バス(一部を除く)でPASMO並びに相互利用カードが利用可能となっているが、交通機関により相互利用範囲が異なる。
駅・バス車内でチャージも取り扱うが、こちらもそれぞれ相互利用範囲内のカードのみ利用できる。
鉄道では2009年3月14日にPASMOを全線全駅に導入し、同時にSuicaが相互利用できるようになった。全駅にIC対応改札機または簡易改札機が設置されている。IC定期券も自社の全線に加え連絡運輸区間(JR東日本線、つくばエクスプレス線の各指定区間)で発券可能である。
ただし、2013年3月23日からの全国相互利用サービスからは除外されており、利用できる交通系ICカード(チャージも含む)はPASMO・Suicaのみ(首都圏ICカード相互利用サービス)である。
2017年9月16日現在の利用可能路線は下記の通り。
2013年3月31日に鹿島 - 東京駅線「かしま号」でサービスを開始した。
空港バスでは茨城空港に接続する3路線で、2016年7月より全国相互利用ICカードが利用可能となった。
一般路線バスでは、2015年10月から取手地区・水戸地区の一部、2016年9月26日に土浦・つくばエリア、2017年9月16日より残りの各線(一部路線や委託車両を除く)で利用可能となった。稲敷エリア広域バスもバス特付きで導入。2016年10月1日にはつくバスにバス特なしで導入している。
なお、PASMO加盟他社にありがちな子会社への同時導入は一切行わず、2018年3月16日の子会社への導入までは子会社との共同運行区間(水戸、筑波山、土浦など)で利用可能便と不可便が混在していた。
関鉄グループ4社(関東鉄道、関鉄グリーンバス、関鉄パープルバス、関鉄観光バス)共通のバスIC一日乗車券がある。
一般路線バス定期路線(筑波山シャトルバス、県庁シャトルバス、荒川沖 - あみアウトレット線を除く)と稲敷エリア広域バスが利用できる。高速バス、コミュニティバス等では利用できない。
利用可能日は土休日と8月13日 - 8月16日、12月29日 - 1月3日。2019年10月1日現在の価格は大人710円、小児360円(消費税増税に伴い、発売当初の価格から10円の値上げとなった)。
当日利用可能バスの車内でのみPASMO、Suicaのデータ領域内に情報を記録する形で発売され、ストアードフェア(SF)残額から価格分が引き去られる。他のICカード(ICOCA・manaca等)や現金では購入できない。
2018年4月28日に発売開始。同年7月28日、稲敷エリア広域バスに利用範囲を拡大した。
利用可能範囲に対してかなり低価格に設定されており、区間・利用時間帯さえ工夫すれば5000円区間超、100km超の長距離乗車も難しくない。
関鉄で発売する交通系ICカードはPASMOのみである。カードの発売・払戻等は下記の窓口等で取り扱う。窓口により取扱業務が異なる。
かつてバスでは、取手営業所管内においてICカード回数券という独自のICカード乗車券が導入されていた。2003年12月1日に導入され2009年7月31日に新規発行終了、2010年3月31日利用終了となっている。初回販売額は3000円でデポジット不要。最大チャージ可能額は30000円で1000円のチャージ毎に1100円分利用可能であった。
自社線・JR常磐線沿線及びつくば市周辺において、宅地の開発、ビルの賃貸、土地・建物の仲介などを開発部が行っている。宅地開発については、1970年の関鉄霞ヶ浦阿見台(稲敷郡阿見町)の開発をはじめとして、1978年の「関鉄ニュータウン取手」(取手市・常総線西取手駅周辺)、1983年の「関鉄ニュータウン伊奈すみれ野」(つくばみらい市谷井田)、「関鉄ニュータウンつくば南」(土浦市、バス「荒川沖センター」線沿い)などの開発を行っている。貸ビルは土浦市・つくば市などにある。
宅地建物取引業茨城県知事免許「(15)第203号」。一般建設業茨城県知事許可「(般-20)第25403号」。
首都圏新都市鉄道 (MIR) が経営するつくばエクスプレス(以下TXと表記)とは、「競合」と「協調」の相反する二面性を持った関係となっている。TX開業によって主力の高速バス・鉄道事業が圧迫される一方、関鉄によるMIR株の保有のみならず事業における一定の協調関係を持っており、その関係はTXと距離を置く鉄道事業者が多い中やや目立ったものとなっている。
TX開業以前はJR常磐線と並び高速バス「つくば号」が筑波研究学園都市主要部と東京都心を結ぶ主な移動手段であった。また、守谷以北の常総線利用者が東京都心に出る場合、取手駅まで常総線を利用し、そこからJR常磐線に乗り換える経路が主な移動手段であった。
TX開業に当たり、つくば号の減便・再編をせず様子を見ていたが、速度で劣るつくば号は乗客が70%減少し、後々減便された。守谷市と北柏駅(JR常磐線)を結ぶ一般バス路線なども乗客が減少した。収益性の高い高速バス乗客離れによりバス運賃収入は減少した。また、守谷以北の乗客の多くが守谷駅でTXに乗り換えるようになったため、常総線も減収となった。
これらを理由として全従業員に対して給与削減を実施し、2007年4月の運賃改定で鉄道運賃を上げた。また、減収を理由として連結子会社である鹿島鉄道に行っていた経済支援を2007年度以降継続しないこととしたこともあり、鹿島鉄道線は2007年4月1日廃止となるなど関鉄の経営に大きく影響している。
2016年現在でもつくば号では対TX競合姿勢を崩しておらず、割引率の高い回数乗車券を設定して「安さ」を強調したり、筑波大学乗り入れを行って鉄道との差別化を図ったり、つくば駅前のバス停留所も「つくばセンター」のままで「つくば駅」への改称を見合わせるなどしている。つくば号沿線(つくば市並木など)からTXとの競合が弱い他の目的地への新規路線開拓・撤退も散発されている。TX側も2005年の開業時からつくば号を意識し、つくば号より100円安い運賃(1150円、現在はつくば号値下げにより同額)とする攻めの姿勢を採った。
両者の利害が一致する分野においては協調関係が見られる。関鉄の主たる営業エリアはTXの終点付近に広がっているという地理的な理由が背景にあり、具体的には本線(TX)と培養線(関鉄)の関係にあたる。
関鉄は茨城県内の市長・議長、商工・青年会議所長などとMIR代表取締役で構成する「茨城県つくばエクスプレス等整備利用促進協議会」特別会員になっている。この協議会の事業には「常総線の複線電化等整備促進及びつくばエクスプレスとの輸送の一本化の確保に関すること」 が含まれている。
TXと組み合わせることで水海道・下妻・下館方面から東京都心への最短・最速経路になる常総線では、沿線自治体の意向と線路改良に対する支援 によりTX開業と同時に快速列車が新設された。「TX&常総ライン往復きっぷ」という往復割引乗車券も双方で発売するなど、TXと関鉄はこのルートの利用促進に努めている。
また、TX各駅の運賃表には接続路線で唯一、関鉄常総線連絡運賃を表示しているのみならず、自社線運賃表にまで常総線の乗換案内が表示されていることも特徴的である。
バス事業においては、東京から筑波山への最短ルートになったTXの開業後、TX列車に接続する「筑波山シャトルバス」を設けTX接続を強化する一方、直通高速バス「ニューつくばね号」を早々に撤退させた。これはつくば号の競合姿勢とは対照的である。「筑波山もみじまつり」「筑波山つつじまつり」など筑波山シャトルバスを利用した筑波山の観光促進キャンペーンをMIR、筑波観光鉄道、つくば市、つくば観光コンベンション協会と共同して行っている。関鉄のつくばエリアのバスは「つくば駅周辺フードマップ」などTX発行のパンフレットにも頻繁かつやや詳細に掲載される。
その他関鉄では、常総線沿線でもある守谷市や、つくば市などのTX沿線において宅地開発を行っている。
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"text": "関東鉄道株式会社(かんとうてつどう、英: Kanto Railway Co., Ltd.)は、茨城県に2つの鉄道路線と多くのバス路線を有する鉄道・バス・不動産事業等を行う日本の交通系企業である。京成グループの企業であり、京成電鉄の連結子会社である。略称は関鉄(かんてつ)。",
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"text": "茨城県に本社を置く交通事業者としては最大手である。主たる営業エリアは筑波研究学園都市、常総ニュータウン、竜ヶ崎ニュータウン、水郷筑波国定公園、鹿島臨海工業地帯などを抱える茨城県南部で、東京通勤輸送を柱とする2路線の鉄道事業を核として、高速路線バスを含む乗合バス事業を広く展開している。守谷市、龍ケ崎市、小美玉市などでは、同社と同社の子会社によって市内の公共交通事業をほぼ独占している。",
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"text": "鉄道事業は、かつて常総線・竜ヶ崎線・筑波線・鉾田線の4路線を保有しており、4路線を合わせると保有路線すべてが非電化の鉄道会社としては日本最長のキロ数 (123.1 km) を有していたが、1979年に筑波線と鉾田線を、それぞれ筑波鉄道(現・関鉄筑波商事)と鹿島鉄道に分社している(ともにのちに廃線)。",
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"text": "バス事業については、他社と同様に一部地域の分社化が行われ、地域子会社として関鉄観光バス、関鉄パープルバス、関鉄グリーンバスが存在する。またかつては関鉄メロンバスもあったが、関鉄グリーンバスへ統合された。",
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"text": "その他、不動産業なども手がける。日本民営鉄道協会、関東鉄道協会、茨城県バス協会(日本バス協会傘下)、茨城県宅地建物取引業協会、全国宅地建物取引業保証会、東日本不動産流通機構、茨城県つくばエクスプレス等整備利用促進協議会、つくばセンター地区活性化協議会に加入している。",
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"text": "株式保有率約60%の京成電鉄が経営を支配しており、同社の連結子会社となっている。また、茨城交通が約1.5%と京成系以外の交通企業も出資している。かつては、東武鉄道も約4%を出資していたが、2022年度中に株式を売却し資本撤退している。京成グループ内の人的交流・業務支援は盛んであり、社長は代々京成役員から就任している。また、PASMO接続サーバの共有 や広報誌の乗り入れ も行われている。",
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"text": "かつて、東武鉄道も出資していた関係上、京成グループ統一ロゴマーク(K'SEIロゴ)も長らく使われていなかったが、観光バスについては京成グループの統一観光カラー(白地にオレンジと紺色の「Kanacカラー」と呼ばれる)を採用してきた。鉄道車両も1994年以降の新製車はK'SEIロゴこそ掲出しないものの京成グループカラーに似た塗装を採用し、高速バス車両でもKaNaCカラーから京成グループ統一カラーへの代替が進み、こちらにはK'SEIロゴが大きく表示されている。",
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"text": "2019年7月31日、京成電鉄による株式公開買い付け (TOB) を実施。その結果、資本比率が従来の30.09%から56.46%となり、京成電鉄の持分法適用会社から連結子会社となった。",
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"text": "関鉄の出資先には分社子会社のほか、つくばエクスプレスを運営する首都圏新都市鉄道があり、同社と接続する鉄道会社では唯一出資している。",
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"text": "また、新京成電鉄が京成電鉄の完全子会社になるまでは、同社の株を子会社の関鉄クリエイト保有分を合わせて約3%保有し、京成グループ内株式持ち合いとなっていた。",
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"text": "常総筑波鉄道と鹿島参宮鉄道が1965年に対等合併して発足した。法的には鹿島参宮鉄道が存続会社で、関鉄は鹿島参宮鉄道が設立された「1922年9月3日」を「創立年月日」としている。ただし、吸収元の会社を含めると1898年設立の竜崎馬車鉄道(後の竜崎鉄道)が最古となり、2020年時点で120年を超える歴史がある。",
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"text": "常総筑波鉄道は第二次世界大戦中に常総鉄道(常総線)と筑波鉄道(旧)(筑波線)が合併して成立したもので、国鉄常磐線以北にバス路線網を持っていた。一方、鹿島参宮鉄道(鉾田線)は竜崎鉄道(竜ヶ崎線)を戦時中に吸収合併し、逆に国鉄常磐線以南から鹿行地区に至るバス路線網を保有していた。",
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"text": "常総筑波鉄道は1959年に赤字体質の経営を改善するために京成電鉄と東武鉄道の資本と取締役を受け入れ、1961年には京成が筆頭株主になっている。鹿島参宮鉄道も、労使紛争が起きていた最中の1950年代、霞ヶ浦の観光開発を主目的に京成が資本参加し、1961年に筆頭株主になっている。両者とも京成系列になったことから、バス事業での競合関係を解消し、合理化の推進ならびに資本力を増強するために合併した。",
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"text": "茨城県南部に常総線・竜ヶ崎線の2路線、計55.6 km 28駅を有し、すべて非電化となっている。沿線にベッドタウンを抱え、1980年代以降東京方面への通勤旅客輸送が柱となっており、常総線の取手駅 - 水海道駅間は日本で数少ない非電化複線で、短い駅間距離と電車区間並みの高頻度運転という特徴を持つ。一方、1950年代にあった常総線特急・急行列車廃止以降、2005年の常総線線路改良(快速列車運転開始)まで線内長距離輸送に対する施策は後回しにされており、2013年現在でも快速列車の運行本数は1日下り7本・上り6本と少なく、普通列車も常総線全線51.1kmを80分かけて走るほど低速である。",
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"text": "常総線には自動進路制御装置(PRC)、竜ヶ崎線には自動列車停止装置(ATS)をそれぞれ配備。年間輸送人員は1,148万6,000人、乗車効率は14.2%、営業収益は約24億円 である。",
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"text": "営業収益に占める割合こそバス事業より小さいが、定期運賃収入が見込める安定した主力事業で、同社の筆頭部門となっている。執行部の直下に鉄道事業を分掌する「鉄道部」が組織されており、その現業拠点は常総線の南水海道(水海道車両基地)に構える。常総線の運転指令ならびに乗務・車両・検修・施設系の各部門は南水海道に所在する。駅務は広い駅務管区制を採っており、管理駅は全28駅中3駅のみである。",
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"text": "全路線が非電化のため、保有する旅客用車両はすべて気動車である。旅客用の気動車61両及びディーゼル機関車1両の計62両を保有する。",
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"text": "かつては自社発注車両のほか、1960年代から1970年代にかけて全国各地の私鉄からの譲渡車両が投入されていた。出自は夕張鉄道、北陸鉄道、加越能鉄道、小田急電鉄、江若鉄道などと多彩を極め、ファンの間では「気動車天国」とも称されていた。しかし形式により車体長や扉数が異なるなど旅客取り扱い上問題を抱えていたほか、老朽化や機器の不統一によって車両の保守上も非効率な面が大きかったため、1987年から国鉄清算事業団・JR各社からキハ35系を購入、キハ300形として大量増備し一掃を図った。1993年以降はキハ300形の置き換えとして自社発注車両が再度増備されている。",
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"text": "通勤路線でもあるため、旅客用全車両が通勤型車両で、片側3ドアロングシートの座席構造である。旅客車両はすべてワンマン運転対応である。",
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"text": "運賃収受方式の違いから複線用(取手 - 水海道間)と単線用(水海道 - 下館間)の2種類に大別でき、後者は単線区間における車内運賃収受のため整理券発行機・運賃箱を備える。",
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"text": "1971年からワンマン運転を行なっているが、途中駅1駅という特殊な条件下にあるため、整理券発行機や運賃箱、自動運賃表などは一切備えない。すべての駅のプラットホームが竜ヶ崎方に向かって右側に設置されているので、運転席は竜ヶ崎に向かって右側に統一されている。",
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"paragraph_id": 21,
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"text": "大人普通旅客運賃(小児半額・ICカードの場合は1円未満切り捨て、切符購入の場合は10円未満切り上げ)。2019年10月1日改定。",
"title": "鉄道事業"
},
{
"paragraph_id": 22,
"tag": "p",
"text": "1km未満の端数は切り上げ。43, 47, 51kmについては、国土交通省に申請した運賃においては設定があるが、該当区間は実際には存在しない。",
"title": "鉄道事業"
},
{
"paragraph_id": 23,
"tag": "p",
"text": "営業収益の約70%を占める バス事業は、茨城県南・鹿行地域を中心に乗合・特定・貸切事業を展開。茨城県水戸以南各地と東京都心などを結ぶ高速バス並びに土浦市・つくば市・取手市・龍ケ崎市・牛久市・守谷市・水戸市などを中心とした一般路線バスを運行している。特に東京・鹿島神宮間の高速バス「かしま号」は、高い利便性で並行鉄道を凌駕するほどの存在であり、また、東京駅高速バスターミナルにおいて非JR系会社で最多級の発着便数があり、東京地区での存在感も強めている。営業所10か所、乗合路線2,788.8 km、乗合車両410両、貸切車両34両を保有し、乗合の運行系統整理番号は4桁に達する。",
"title": "バス事業"
},
{
"paragraph_id": 24,
"tag": "p",
"text": "かつては茨城県水戸以南地域に広大なバス路線網を有していたが、主力地域以外は子会社に分離するか撤退している。主な分離地域は筑西市・桜川市(以上子会社が再進出)・石岡市八郷地区・鉾田市・かすみがうら市など、主な撤退地域は結城市・坂東市猿島地区・笠間市友部、岩間地区・稲敷市桜川地区・北相馬郡利根町・東茨城郡大洗町・結城郡八千代町・稲敷郡河内町などである。貸切事業についてその主力は子会社の関鉄観光バス(67両)に譲っている。",
"title": "バス事業"
},
{
"paragraph_id": 25,
"tag": "p",
"text": "一般路線バスの主たる営業エリアには、筑波山、霞ヶ浦、水郷潮来、、偕楽園、ミュージアムパーク茨城県自然博物館などの観光地や、イオンモールつくば、あみプレミアム・アウトレットなどの大規模商業施設、筑波研究学園都市の各研究所、常総ニュータウン、竜ヶ崎ニュータウンを始めとする東京通勤のベッドタウンなどを抱えており、観光から用務・通勤・通学まで幅広い需要の受け皿となっている点が特徴的である。",
"title": "バス事業"
},
{
"paragraph_id": 26,
"tag": "p",
"text": "また、土浦全国花火競技大会、百里基地航空祭、鹿島アントラーズ主催試合、かすみがうらマラソン、つくばマラソンなど営業エリア内で開催される巨大催事においてもグループ全体において高い保有車両数を生かし観客輸送を担っている。",
"title": "バス事業"
},
{
"paragraph_id": 27,
"tag": "p",
"text": "コミュニティバスの運行も多数受託しており、つくば市のつくバス、牛久市のかっぱ号、土浦市のキララちゃんとつちまるバス、取手市のことバス(一部を担当)、守谷市のモコバスなどを担当しており、一般路線・コミュニティバスを重複して運行している地域も多い。",
"title": "バス事業"
},
{
"paragraph_id": 28,
"tag": "p",
"text": "主たる営業エリア内のターミナルにはつくばセンター(つくば駅)、土浦駅、取手駅、守谷駅、龍ケ崎市駅(佐貫駅)、水戸駅、水郷潮来バスターミナルがあり、これらには乗合バス券売所も設置されていて、一般路線普通券以外の乗車券(定期券や高速バスなど)を取り扱う。鹿島セントラルホテル停留所並びに鉄道の佐貫駅にはバス自動券売機も設置されている。",
"title": "バス事業"
},
{
"paragraph_id": 29,
"tag": "p",
"text": "各路線の詳細は営業所記事を参照",
"title": "バス事業"
},
{
"paragraph_id": 30,
"tag": "p",
"text": "バスの営業所は以下の通りである。つくば北営業所、つくば中央営業所、守谷営業所、関鉄パープルバスの車両はつくばナンバー(ただし2007年2月13日以降に当所に配置された車両に限り、それ以前は土浦ナンバー)、水戸営業所、潮来営業所、波崎車庫、関鉄グリーンバス鉾田営業所の車両は水戸ナンバー、関鉄観光バス佐原営業センターの車両は千葉ナンバーで、他は土浦ナンバーとなっている。なお、1978年4月16日以前に茨城県内で登録された車両は全て茨ナンバーであった。また、営業所名後ろの括弧内の英字は営業所・車庫を略記する際の記号であり、車体には社番の後に表記されている。",
"title": "バス事業"
},
{
"paragraph_id": 31,
"tag": "p",
"text": "現在は、グループを含め、600台あまりの車両が在籍し、国内4メーカーすべての車両が配置されているが、その中でもいすゞ車が約半数を占めている。 いすゞ以外では、貸切車や高速車を中心に三菱ふそう製が多く、その他、日野、日産ディーゼル(現:UDトラックス)の順の保有台数である。 また日野製の高速車、貸切車の新製配置車は在籍していなかったが、2017年3月に水戸営業所に関東鉄道では初となる日野・セレガの高速車が2148MTとして新製配置された。",
"title": "バス事業"
},
{
"paragraph_id": 32,
"tag": "p",
"text": "コーチビルダーがシャシーメーカーと一本化される以前は、いすゞは川重→IKコーチ→いすゞバス製造製と富士重工製、三菱は呉羽自動車工業→新呉羽→MBM製、日野は日野車体工業、日産ディーゼルは富士重工製で導入されていた。 また、1980年代ごろまではいすゞの大型車は帝国自工、中型車は北村製作所、三菱は貸切車を中心に富士重工製の車体も一部導入されていた。",
"title": "バス事業"
},
{
"paragraph_id": 33,
"tag": "p",
"text": "一般路線車は、前・中扉が標準で、大型車は、全長10mのいわゆる大型短尺車、中型車は全長9mの標準尺車が標準 であるが、他社からの譲受車を中心に、前・後扉車や、全長10.5mの標準尺車、11m超の長尺車も在籍する。 かつては3ドア車も在籍していたが、現在はすべて廃車されている。",
"title": "バス事業"
},
{
"paragraph_id": 34,
"tag": "p",
"text": "カラーリングはグレー地に窓周りを白、窓の下に青帯が入るデザインで、2001年より導入されているワンステップバス、ノンステップバスはこれに曲線でアレンジした塗装となっている。",
"title": "バス事業"
},
{
"paragraph_id": 35,
"tag": "p",
"text": "ワンマン機器は、車内案内放送装置(音声合成)は、クラリオン製で、運賃箱、運賃表示器、整理券発行機は、小田原機器製が標準としていたが、2019年現在、関鉄グループの全営業所においてレシップ製新型の整理券発行機、ICカード及び釣り銭対応の運賃箱及びLCDモニター式の運賃表示器に交換されている。",
"title": "バス事業"
},
{
"paragraph_id": 36,
"tag": "p",
"text": "関東鉄道発足後の一般路線車は、1970年、ワンマンカー導入からはじまる。 この時導入された車両は、帝国自動車工業製の車体と組み合わされた、いすゞ・BU10だった。 帝国自工といすゞシャーシーの組み合わせはかつては全国各地で見られていたが、この頃は、帝国自工は日野自動車のもとで経営再建が図られている時期で、指定車体だった国鉄バスを除くと、この当時でも珍しい組わせだった。 その他、いすゞ・BU10は、富士重製車体や、川重製車体でも導入されたが、この時期、川重製は少数派で、帝国自工が金産自工と合併し、日野車体工業となり、国鉄向け以外のいすゞシャーシへの架装から撤退すると、その後のいすゞ・CLMまでは、富士重製ボディでの導入が中心となる。",
"title": "バス事業"
},
{
"paragraph_id": 37,
"tag": "p",
"text": "1976年からはローカル路線を中心に、中型車の導入が始まり、いすゞ・CCM/CDM、三菱・MK116、日野・RL320が導入された。",
"title": "バス事業"
},
{
"paragraph_id": 38,
"tag": "p",
"text": "これらの車種がモデルチェンジした以降も、この3メーカーで導入が続けられるが、そのうち、三菱車は、土浦、鉾田、下妻。日野車は鹿島、潮来、佐原、波崎(RJ以降は柿岡も)とほぼ特定の営業所にしか配置されなかったのに対し、いすゞ車は中型路線車の配置がなかった取手営業所を除く、すべての営業所に配置され、いすゞ・LR→いすゞ・エルガミオと、いすゞ製中型車が関東鉄道バスの主力車種の座を現在まで占めている。",
"title": "バス事業"
},
{
"paragraph_id": 39,
"tag": "p",
"text": "また同じころ、冷房車の導入もすすめられ、新規導入車のほか、トップドア貸切車に中扉を増設し、大型方向幕を取り付けた、貸切格下げ車も導入され、一般路線車の冷房化が徐々に進められていった。",
"title": "バス事業"
},
{
"paragraph_id": 40,
"tag": "p",
"text": "1985年に、国際科学技術博覧会(科学万博)がエリア内の筑波郡谷田部町(現:つくば市)で開催されることになり、その観客輸送を担うため、いすゞLV、三菱エアロスターK、日野・ブルーリボンHTの3車種が大量に導入された。万博閉幕後は各営業所に配置され、急速にベットタウン化が進んでいた茨城県南部における新規路線の拡充や増発など輸送力向上に充てられた。",
"title": "バス事業"
},
{
"paragraph_id": 41,
"tag": "p",
"text": "1986年から1988年にかけて、小型車のいすゞ・ジャーニーQが合計25台、子会社を含む、ローカル路線・閑散路線を抱える営業所に導入された が、その後閑散路線そのものが、廃止、縮小されていったこともあり、比較的に早期に廃車されている。",
"title": "バス事業"
},
{
"paragraph_id": 42,
"tag": "p",
"text": "その後も中型車を中心に自社発注での増備が続けられることになるが、1989年、神奈川中央交通から、モノコックボディの三菱・MP118が合計11台導入され、水戸営業所と土浦営業所に配属されたのを皮切りに、西武バス、京阪バス、川崎鶴見臨港バス、千葉内陸バス、東京都交通局、千葉海浜交通などから、冷房付の中古車が導入され、非冷房車を置き換えていった。 京阪バス、千葉内陸バスからの譲受車は、前・後扉、千葉海浜交通からの譲受車は3ドア車であった。 そのうち、千葉内陸バス、西武バスからの譲受車は、1990年から2000年まで長きにわたり導入され、千葉内陸バスからの前・後扉の日野・ブルーリボンHTは長尺車であったこともあり、乗客数の多い路線を多く抱える土浦営業所に集中配置されたほか、西武バスからの日産ディーゼル車は、富士5Eボディの日産ディーゼル・U31から富士7EボディのU33まで導入され、大型車の配置が多い、土浦、取手、水戸の各営業所では一時、主力になっていた。 それまで日産ディーゼル車の導入がなかった関鉄でも、1989年に水戸営業所に配置された、富士7EボディのU33Kを皮切りに、中型車のRMも含め、1998年まで新車導入が行われ、一時日産ディーゼル車の割合が高くなっていたことがある。 また西武バスからは、1990年に日産ディーゼル・RM81Gが土浦営業所に5台導入された 他、2008年、2009年には短尺車のRM211ESN が導入された。",
"title": "バス事業"
},
{
"paragraph_id": 43,
"tag": "p",
"text": "2001年には、廃業した茨城観光自動車から、経年の若い車両を中心に車両が移籍し、その中には、三菱ふそうの元サンプルカーの大型ショート車、三菱ふそう・エアロスターMMや前・後扉のエアロミディMKなど、関鉄では今まで導入のなかった車両も含まれていたほか、1995年に関鉄と同時に導入した、日野・ブルーリボンHTの竜ヶ崎ニュータウン線の元専用車もそのままの塗装で移籍していた。",
"title": "バス事業"
},
{
"paragraph_id": 44,
"tag": "p",
"text": "自社発注の大型車は、上述の中古車の導入もあり、1991年以降は、1994年から1995年にかけて、竜ヶ崎ニュータウン線拡充のため、竜ヶ崎営業所に、いすゞ・キュービックが5台(そのうち3台は住宅・都市整備公団(現都市再生機構の補助金で導入された広告塗装車で通称「青竜」)配置された以外 は、しばらく導入がなかったが、2001年には、取手営業所にいすゞ・エルガと三菱ふそう・エアロスターが関東鉄道バスでは初めて、ノンステップバスで導入されたのを皮切りに、土浦、つくば中央、水戸の各営業所に2003年まで、数両ずつ導入された(つくば中央営業所配置車両はその後2台とも水海道営業所に移籍→うち1台は土浦営業所に再移籍)。また、水戸営業所には、三菱ふそう・エアロミディMK、取手営業所には日野・レインボーHRの中型ロング車 が2003年に1台ずつ導入されたが、中型ロング車はこれ以降新車導入はされていない。",
"title": "バス事業"
},
{
"paragraph_id": 45,
"tag": "p",
"text": "2001年からは、親会社の京成電鉄 が、自動車NOx・PM法の施行により、規制対象車が移籍されはじめ、過去の他社からの中古車や万博開催時に導入された自社発注の経年車を置き換えられていった。",
"title": "バス事業"
},
{
"paragraph_id": 46,
"tag": "p",
"text": "近年は、京成トランジットバス、千葉中央バス、ちばグリーンバス、千葉内陸バス、ちばフラワーバス、松戸新京成バス、船橋新京成バス、京成バスシステム、東京ベイシティ交通といった京成グループ各社や、京浜急行バス、東急バス、立川バス、横浜市営バス、小田急バス、尼崎市交通局、南海バス、平和交通、川崎鶴見臨港バスなどからも初期型のノンステップ車を中心に移籍され、初期導入の京成中古車も置き換えながら現在も導入が続けられている。",
"title": "バス事業"
},
{
"paragraph_id": 47,
"tag": "p",
"text": "京成グループからの移籍車は、その車種構成から、前・中引扉、標準尺の、IK→IBMボディおよび富士7Eボディを架装したいすゞ・LVが比較的多く在籍するが、都内営業所配置の4枚折戸車や、船橋営業所、長沼営業所、ちばフラワーバス、京成バスシステムからの日野車、松戸営業所からの三菱車、船橋新京成バスからは、富士7Eボディの日産ディーゼル車も移籍するなど、車型、メーカーを問わず移籍している。2011年に日野・レインボーRJワンステが波崎車庫に導入されて以降、中型車は移籍していなかったが、2014年、松戸営業所より三菱ふそう・エアロミディMKワンステップが移籍され、竜ヶ崎営業所と水戸営業所に配置された。",
"title": "バス事業"
},
{
"paragraph_id": 48,
"tag": "p",
"text": "AT仕様の車両については、中古車では京成バスからの移籍で2012年にいすゞ・キュービックノンステップが導入されたのが最初である。2014年には、日野・ブルーリボンシティ、いすゞ・エルガと、AT仕様のノンステップ車も移籍しはじめている。自社発注車では、中大型車が2021年現在も導入が見送られている一方で、小型車ではコミュニティバス向けとして、2DG-HX系に移行した日野・ポンチョが2017年に導入されたのが最初の事例であり、以降は後述のつくバスの車両増備(社番2202 - 2204)を含め急速に増備が進んでいる。",
"title": "バス事業"
},
{
"paragraph_id": 49,
"tag": "p",
"text": "2003年には、牛久市コミュニティバスかっぱ号の受託にあたり三菱・ローザが路線仕様で導入されたほか、つくば市コミュニティバスつくつくバスの受託にあたり、いすゞ・エルガミオとオーストラリアのクセニッツCITY-I が、それぞれノンステップで導入された。",
"title": "バス事業"
},
{
"paragraph_id": 50,
"tag": "p",
"text": "2004年夏には、一般路線仕様のエルガミオノンステップが土浦営業所に導入されたのを皮切りに、翌年には同型車の日野・レインボーIIと合わせ、ノンステップ、ワンステップ仕様で導入され、経年車を置き換えていった。 三菱ふそう・エアロミディMKは、2005年につくば中央営業所と水海道営業所にノンステップ車が2台配置されて以降導入がなかったが、2012年に水戸営業所に導入されて以降、再び導入が始められている。 また土浦市のコミュニティバス、キララちゃん受託に際して、三菱ふそう・エアロミディMEが初めて、され、そのうち1両は予備車兼用として一般路線カラーで導入されている。",
"title": "バス事業"
},
{
"paragraph_id": 51,
"tag": "p",
"text": "2006年には、前記のつくつくバスが、つくバスに移行し、大幅に受託路線が増えたため、エアロミディMEが一般路線カラーの予備車を含めて、一挙に20台導入され、また北部シャトル用としては、エルガミオノンステップが4両導入された。 また、それまでツアーバス形式で運行されていた、筑波山シャトルバスが一般路線化されることになり、その専用車として、いすゞ・エルガワンステップ長尺車が、メトロ窓、2列シート主体の郊外路線仕様で、合計4両導入されている。",
"title": "バス事業"
},
{
"paragraph_id": 52,
"tag": "p",
"text": "この年から、エリア各地域でのコミュニティバスの受託が相次ぎ、取手市のことバス用として、エアロミディMEが関鉄初のCNG仕様で導入されたほか、坂東市の坂東号用としては、日野・ポンチョが初めて導入された。",
"title": "バス事業"
},
{
"paragraph_id": 53,
"tag": "p",
"text": "2006年にエアロスターノンステップが取手営業所に1両配置されて以降、大型路線車の新車の導入はなかったが、2009年にエアロスターがワンステップで2両(1988・2005)取手に導入され、2012年、2013年にエルガワンステップが取手に2両(2049・2075)、2013年、2014年にエルガノンステップが土浦に2両(2060・2073)導入されるなど再び導入が進められている。",
"title": "バス事業"
},
{
"paragraph_id": 54,
"tag": "p",
"text": "2016年1月には、関東鉄道バスでは初となるいすゞ・エルガハイブリッドが水戸、水海道、取手、土浦、竜ヶ崎に各1台ずつ、合計5台が導入された。その後、モデルチェンジしたいすゞ・エルガノンステップバスも4台、取手と土浦に配置された。",
"title": "バス事業"
},
{
"paragraph_id": 55,
"tag": "p",
"text": "2017年度末をもって、関東鉄道の一般路線バスはバリアフリー化100%を達成した。",
"title": "バス事業"
},
{
"paragraph_id": 56,
"tag": "p",
"text": "2019年1月をもって、関東鉄道、関鉄観光バス、関鉄グリーンバス、関鉄パープルバス4社で運行する路線バスの全車両(計388両)のバリアフリー化100%を達成した。",
"title": "バス事業"
},
{
"paragraph_id": 57,
"tag": "p",
"text": "2021年3月にはつくばみらい市のみらい号用に中国・BYD製の電気バス(J6)(2237MR)1台を導入した。電気バスの導入は茨城県内では初となる。",
"title": "バス事業"
},
{
"paragraph_id": 58,
"tag": "p",
"text": "2023年5月より創立100周年記念復刻デザインバスとして国際興業バスから譲渡された3台が運用開始された。",
"title": "バス事業"
},
{
"paragraph_id": 59,
"tag": "p",
"text": "2023年5月には守谷営業所に中国・BYD製の大型電気路線バスBYD・K8が2台配置され、同年6月1日より運用開始した。",
"title": "バス事業"
},
{
"paragraph_id": 60,
"tag": "p",
"text": "関東鉄道の高速車は、開設当初は、55 - 60人乗りの貸切車からの転用が主であった が、1989年にはかしま号とはさき号に40人乗りのトイレ付車(1444KS、1445HS)が導入され て以降、40・44人乗りのトイレ付のハイデッカー車が標準である。2009年に、2代目ガーラを導入するまでは、空港連絡バスも含め、原則として、サブエンジン冷房車が導入されていた。",
"title": "バス事業"
},
{
"paragraph_id": 61,
"tag": "p",
"text": "また、関鉄唯一の夜行路線である、よかっぺ関西号には、3列シート29人乗りのいすゞ・ガーラのハイデッカー車及び三菱・エアロクイーンのスーパーハイデッカー車が導入されている。2010年には、3代目エアロクイーンが、新・京成グループカラーで導入され、従来車も塗り替え、以降の新車も同カラーで導入されている。",
"title": "バス事業"
},
{
"paragraph_id": 62,
"tag": "p",
"text": "近年までは昼行高速車にも、貸切転用のスーパーハイデッカー車も運用されていたが、現在はハイデッカー車も含め貸切転用車はすべて高速バス用として導入された車両に置き換えられている。",
"title": "バス事業"
},
{
"paragraph_id": 63,
"tag": "p",
"text": "1988年に、関鉄初の高速バスの新車として、新呉羽ボディの三菱・エアロバスK(1430YT)と、富士HD-1ボディのいすゞ・LV719R(1431YT)の2車種が、谷田部営業所 に配属されて以降、貸切からの転用と並行して、主にこの2車種を導入していった。",
"title": "バス事業"
},
{
"paragraph_id": 64,
"tag": "p",
"text": "いすゞ車は、1989年にIKCボディ車も導入され、1990年にLV719RからLV771Rにモデルチェンジして以降も、引き続き、富士重ボディ とIKCボディで導入されたが、1996年にガーラにモデルチェンジして以降は、IKコーチ、いすゞバス製造から社名を変更したジェイ・バス製の車体で導入されている。",
"title": "バス事業"
},
{
"paragraph_id": 65,
"tag": "p",
"text": "三菱車は、主に新呉羽製のエアロバスKを採用 し、当時主流だった三菱製ボディ車は1994年導入のニューエアロバス(1655YT)まで、関鉄では採用されなかった。",
"title": "バス事業"
},
{
"paragraph_id": 66,
"tag": "p",
"text": "日産ディーゼル・スペースアローは、1996年に1台、1999年には5台導入されたが、それ以降の導入はなく少数派に留まっている。",
"title": "バス事業"
},
{
"paragraph_id": 67,
"tag": "p",
"text": "2003年には、つくば号に共同運行先のジェイアールバス関東より、ドイツ・ネオプランの二階建てバスメガライナーが2台リース導入されたが(1873YT・1874YT)、つくば号の減便に伴い、2006年にはJRバス関東に返却されている。",
"title": "バス事業"
},
{
"paragraph_id": 68,
"tag": "p",
"text": "貸切車からの転用車も、当初はこれら新規導入車と同じく、一般路線カラーで投入されていたが、つくば号、かしま号とも、事業者の予想以上に好調で、すぐに輸送力増強を求められることとなり、貸切車からの転用車は以後は、貸切カラー のまま、転用されていた。",
"title": "バス事業"
},
{
"paragraph_id": 69,
"tag": "p",
"text": "2007年に導入された、ニューエアロバス(1937MT、1938IT)からは、新しい京成グループカラーで登場し、2代目ガーラ、エアロエースが引き続き、京成グループカラーで導入されている。",
"title": "バス事業"
},
{
"paragraph_id": 70,
"tag": "p",
"text": "2019年7月24日、潮来営業所に東京ディズニーリゾート方面への路線にベルギー・バンホールの二階建てバススカニア・アストロメガ(2200IT・2201IT)が運行開始した。上述のつくば号用メガライナー以来の二階建てバスであり、他事業者からリース以外の自社保有での導入は茨城県内の事業者としては初めてとなる。",
"title": "バス事業"
},
{
"paragraph_id": 71,
"tag": "p",
"text": "高速車の移籍車は2000年に遠鉄バスからのエアロバスを導入以降、長らく存在していなかったが、2010年にちばシティバスから、直結クーラーのニューエアロバスがKanacカラーのまま水戸営業所に移籍し、2012年からは京成バスから、同じくガーラが京成グループカラーのまま移籍している。",
"title": "バス事業"
},
{
"paragraph_id": 72,
"tag": "p",
"text": "かつては、関東鉄道本体でも、観光バス事業を行っており、多数の貸切車を保有していたが、1999年に観光バス事業を関鉄観光バスに移管してからは、スクールバスや企業送迎など、契約貸切に使われる車両のみ、保有している。",
"title": "バス事業"
},
{
"paragraph_id": 73,
"tag": "p",
"text": "観光型車両のほか、路線型車、マイクロバスまで、契約先のニーズに合わせた、さまざまなタイプの車両を保有する。",
"title": "バス事業"
},
{
"paragraph_id": 74,
"tag": "p",
"text": "観光型は、主に、元高速車や関鉄観光バスから移籍した元貸切車、路線車は、一般路線車や他事業者からの移籍車が転用されることが多い。 塗装も元貸切車はKanacカラー、元高速車と一般路線車は、路線カラーと、そのままの姿で転用されることが多いが、スクールバスを中心に契約先に合わせた塗装やラッピングが施される場合もある。",
"title": "バス事業"
},
{
"paragraph_id": 75,
"tag": "p",
"text": "以前は、契約先が所有していた自家用バスをそのまま移籍(サブリース)させて使用されていたこともあった。",
"title": "バス事業"
},
{
"paragraph_id": 76,
"tag": "p",
"text": "社番は自社発注車が0001 - 、中古車が9001 - の付番で、関鉄グリーンバスは5001 - 、関鉄パープルバスは6001 - 、関鉄観光バスは路線車が7001 - 、貸切車が8001 - である。年式、メーカー、使用用途などに問わずすべて導入順に通し番号で表記され忌み番である『××42』や『××49』も欠番にはならない。",
"title": "バス事業"
},
{
"paragraph_id": 77,
"tag": "p",
"text": "かつて分離子会社になって導入された車は頭に子会社の記号(関鉄グリーンバス:G、関鉄パープルバス:P)が入って001 - となっていたが、2018年度からは前述の通り関鉄グリーンバスには5000番台、関鉄パープルバスには6000番台が付番されるようになった。2017年度より、関鉄観光バス、関鉄グリーンバス、関鉄パープルバス等の子会社では関東鉄道からのリース車輌として9000番台に再登録されている車輌が在籍している。",
"title": "バス事業"
},
{
"paragraph_id": 78,
"tag": "p",
"text": "なお、廃車が出てもその社番は使用しないが、関鉄→他事業者→関鉄またはグリーン→パープル、関鉄観光バス→関鉄と渡ってきた車両は1台で2つの社番を持つこともある(例:9037IS:元川崎鶴見臨港バス→日本観光バス→関鉄観光バス7001TCなど)。",
"title": "バス事業"
},
{
"paragraph_id": 79,
"tag": "p",
"text": "一般路線バスの普通旅客運賃は対キロ区間制で、初乗りはICカードの場合168円、現金の場合170円である。2019年10月1日の消費税増税に伴う運賃変更により、1円単位のICカード運賃が新設された。",
"title": "バス事業"
},
{
"paragraph_id": 80,
"tag": "p",
"text": "中乗り・前降り、運賃後払い方式を採り、運賃箱は整理券の券面バーコード読み取りによる自動釣り銭に対応している。",
"title": "バス事業"
},
{
"paragraph_id": 81,
"tag": "p",
"text": "一般路線バスでは通勤・通学定期券が設定されている。12ヶ月定期券も設定されており、最高額は57万6580円にもなる。なお、冊式回数券はICカードの普及により2018年9月9日をもって、金額式回数券は2020年12月31日をもって発売を終了している。利用終了日は未定。",
"title": "バス事業"
},
{
"paragraph_id": 82,
"tag": "p",
"text": "高速バスでは一部路線を除き普通乗車券とつくば号、かしま号、TMライナーには日本の高速バスでは数少ない通勤・通学定期券が設定されている。つくば号、かしま号では共同運行他社扱いながらスマートフォンに搭載できる「スマホ定期券」も発売されている。",
"title": "バス事業"
},
{
"paragraph_id": 83,
"tag": "p",
"text": "また、各種企画乗車券がある。",
"title": "バス事業"
},
{
"paragraph_id": 84,
"tag": "p",
"text": "交通系ICカードについては後述する。",
"title": "バス事業"
},
{
"paragraph_id": 85,
"tag": "p",
"text": "PASMO(PASMO協議会)に加盟 しており、鉄道・バス(一部を除く)でPASMO並びに相互利用カードが利用可能となっているが、交通機関により相互利用範囲が異なる。",
"title": "交通系ICカード"
},
{
"paragraph_id": 86,
"tag": "p",
"text": "駅・バス車内でチャージも取り扱うが、こちらもそれぞれ相互利用範囲内のカードのみ利用できる。",
"title": "交通系ICカード"
},
{
"paragraph_id": 87,
"tag": "p",
"text": "鉄道では2009年3月14日にPASMOを全線全駅に導入し、同時にSuicaが相互利用できるようになった。全駅にIC対応改札機または簡易改札機が設置されている。IC定期券も自社の全線に加え連絡運輸区間(JR東日本線、つくばエクスプレス線の各指定区間)で発券可能である。",
"title": "交通系ICカード"
},
{
"paragraph_id": 88,
"tag": "p",
"text": "ただし、2013年3月23日からの全国相互利用サービスからは除外されており、利用できる交通系ICカード(チャージも含む)はPASMO・Suicaのみ(首都圏ICカード相互利用サービス)である。",
"title": "交通系ICカード"
},
{
"paragraph_id": 89,
"tag": "p",
"text": "2017年9月16日現在の利用可能路線は下記の通り。",
"title": "交通系ICカード"
},
{
"paragraph_id": 90,
"tag": "p",
"text": "2013年3月31日に鹿島 - 東京駅線「かしま号」でサービスを開始した。",
"title": "交通系ICカード"
},
{
"paragraph_id": 91,
"tag": "p",
"text": "空港バスでは茨城空港に接続する3路線で、2016年7月より全国相互利用ICカードが利用可能となった。",
"title": "交通系ICカード"
},
{
"paragraph_id": 92,
"tag": "p",
"text": "一般路線バスでは、2015年10月から取手地区・水戸地区の一部、2016年9月26日に土浦・つくばエリア、2017年9月16日より残りの各線(一部路線や委託車両を除く)で利用可能となった。稲敷エリア広域バスもバス特付きで導入。2016年10月1日にはつくバスにバス特なしで導入している。",
"title": "交通系ICカード"
},
{
"paragraph_id": 93,
"tag": "p",
"text": "なお、PASMO加盟他社にありがちな子会社への同時導入は一切行わず、2018年3月16日の子会社への導入までは子会社との共同運行区間(水戸、筑波山、土浦など)で利用可能便と不可便が混在していた。",
"title": "交通系ICカード"
},
{
"paragraph_id": 94,
"tag": "p",
"text": "関鉄グループ4社(関東鉄道、関鉄グリーンバス、関鉄パープルバス、関鉄観光バス)共通のバスIC一日乗車券がある。",
"title": "交通系ICカード"
},
{
"paragraph_id": 95,
"tag": "p",
"text": "一般路線バス定期路線(筑波山シャトルバス、県庁シャトルバス、荒川沖 - あみアウトレット線を除く)と稲敷エリア広域バスが利用できる。高速バス、コミュニティバス等では利用できない。",
"title": "交通系ICカード"
},
{
"paragraph_id": 96,
"tag": "p",
"text": "利用可能日は土休日と8月13日 - 8月16日、12月29日 - 1月3日。2019年10月1日現在の価格は大人710円、小児360円(消費税増税に伴い、発売当初の価格から10円の値上げとなった)。",
"title": "交通系ICカード"
},
{
"paragraph_id": 97,
"tag": "p",
"text": "当日利用可能バスの車内でのみPASMO、Suicaのデータ領域内に情報を記録する形で発売され、ストアードフェア(SF)残額から価格分が引き去られる。他のICカード(ICOCA・manaca等)や現金では購入できない。",
"title": "交通系ICカード"
},
{
"paragraph_id": 98,
"tag": "p",
"text": "2018年4月28日に発売開始。同年7月28日、稲敷エリア広域バスに利用範囲を拡大した。",
"title": "交通系ICカード"
},
{
"paragraph_id": 99,
"tag": "p",
"text": "利用可能範囲に対してかなり低価格に設定されており、区間・利用時間帯さえ工夫すれば5000円区間超、100km超の長距離乗車も難しくない。",
"title": "交通系ICカード"
},
{
"paragraph_id": 100,
"tag": "p",
"text": "関鉄で発売する交通系ICカードはPASMOのみである。カードの発売・払戻等は下記の窓口等で取り扱う。窓口により取扱業務が異なる。",
"title": "交通系ICカード"
},
{
"paragraph_id": 101,
"tag": "p",
"text": "かつてバスでは、取手営業所管内においてICカード回数券という独自のICカード乗車券が導入されていた。2003年12月1日に導入され2009年7月31日に新規発行終了、2010年3月31日利用終了となっている。初回販売額は3000円でデポジット不要。最大チャージ可能額は30000円で1000円のチャージ毎に1100円分利用可能であった。",
"title": "交通系ICカード"
},
{
"paragraph_id": 102,
"tag": "p",
"text": "自社線・JR常磐線沿線及びつくば市周辺において、宅地の開発、ビルの賃貸、土地・建物の仲介などを開発部が行っている。宅地開発については、1970年の関鉄霞ヶ浦阿見台(稲敷郡阿見町)の開発をはじめとして、1978年の「関鉄ニュータウン取手」(取手市・常総線西取手駅周辺)、1983年の「関鉄ニュータウン伊奈すみれ野」(つくばみらい市谷井田)、「関鉄ニュータウンつくば南」(土浦市、バス「荒川沖センター」線沿い)などの開発を行っている。貸ビルは土浦市・つくば市などにある。",
"title": "不動産事業"
},
{
"paragraph_id": 103,
"tag": "p",
"text": "宅地建物取引業茨城県知事免許「(15)第203号」。一般建設業茨城県知事許可「(般-20)第25403号」。",
"title": "不動産事業"
},
{
"paragraph_id": 104,
"tag": "p",
"text": "首都圏新都市鉄道 (MIR) が経営するつくばエクスプレス(以下TXと表記)とは、「競合」と「協調」の相反する二面性を持った関係となっている。TX開業によって主力の高速バス・鉄道事業が圧迫される一方、関鉄によるMIR株の保有のみならず事業における一定の協調関係を持っており、その関係はTXと距離を置く鉄道事業者が多い中やや目立ったものとなっている。",
"title": "つくばエクスプレスとの関係"
},
{
"paragraph_id": 105,
"tag": "p",
"text": "TX開業以前はJR常磐線と並び高速バス「つくば号」が筑波研究学園都市主要部と東京都心を結ぶ主な移動手段であった。また、守谷以北の常総線利用者が東京都心に出る場合、取手駅まで常総線を利用し、そこからJR常磐線に乗り換える経路が主な移動手段であった。",
"title": "つくばエクスプレスとの関係"
},
{
"paragraph_id": 106,
"tag": "p",
"text": "TX開業に当たり、つくば号の減便・再編をせず様子を見ていたが、速度で劣るつくば号は乗客が70%減少し、後々減便された。守谷市と北柏駅(JR常磐線)を結ぶ一般バス路線なども乗客が減少した。収益性の高い高速バス乗客離れによりバス運賃収入は減少した。また、守谷以北の乗客の多くが守谷駅でTXに乗り換えるようになったため、常総線も減収となった。",
"title": "つくばエクスプレスとの関係"
},
{
"paragraph_id": 107,
"tag": "p",
"text": "これらを理由として全従業員に対して給与削減を実施し、2007年4月の運賃改定で鉄道運賃を上げた。また、減収を理由として連結子会社である鹿島鉄道に行っていた経済支援を2007年度以降継続しないこととしたこともあり、鹿島鉄道線は2007年4月1日廃止となるなど関鉄の経営に大きく影響している。",
"title": "つくばエクスプレスとの関係"
},
{
"paragraph_id": 108,
"tag": "p",
"text": "2016年現在でもつくば号では対TX競合姿勢を崩しておらず、割引率の高い回数乗車券を設定して「安さ」を強調したり、筑波大学乗り入れを行って鉄道との差別化を図ったり、つくば駅前のバス停留所も「つくばセンター」のままで「つくば駅」への改称を見合わせるなどしている。つくば号沿線(つくば市並木など)からTXとの競合が弱い他の目的地への新規路線開拓・撤退も散発されている。TX側も2005年の開業時からつくば号を意識し、つくば号より100円安い運賃(1150円、現在はつくば号値下げにより同額)とする攻めの姿勢を採った。",
"title": "つくばエクスプレスとの関係"
},
{
"paragraph_id": 109,
"tag": "p",
"text": "両者の利害が一致する分野においては協調関係が見られる。関鉄の主たる営業エリアはTXの終点付近に広がっているという地理的な理由が背景にあり、具体的には本線(TX)と培養線(関鉄)の関係にあたる。",
"title": "つくばエクスプレスとの関係"
},
{
"paragraph_id": 110,
"tag": "p",
"text": "関鉄は茨城県内の市長・議長、商工・青年会議所長などとMIR代表取締役で構成する「茨城県つくばエクスプレス等整備利用促進協議会」特別会員になっている。この協議会の事業には「常総線の複線電化等整備促進及びつくばエクスプレスとの輸送の一本化の確保に関すること」 が含まれている。",
"title": "つくばエクスプレスとの関係"
},
{
"paragraph_id": 111,
"tag": "p",
"text": "TXと組み合わせることで水海道・下妻・下館方面から東京都心への最短・最速経路になる常総線では、沿線自治体の意向と線路改良に対する支援 によりTX開業と同時に快速列車が新設された。「TX&常総ライン往復きっぷ」という往復割引乗車券も双方で発売するなど、TXと関鉄はこのルートの利用促進に努めている。",
"title": "つくばエクスプレスとの関係"
},
{
"paragraph_id": 112,
"tag": "p",
"text": "また、TX各駅の運賃表には接続路線で唯一、関鉄常総線連絡運賃を表示しているのみならず、自社線運賃表にまで常総線の乗換案内が表示されていることも特徴的である。",
"title": "つくばエクスプレスとの関係"
},
{
"paragraph_id": 113,
"tag": "p",
"text": "バス事業においては、東京から筑波山への最短ルートになったTXの開業後、TX列車に接続する「筑波山シャトルバス」を設けTX接続を強化する一方、直通高速バス「ニューつくばね号」を早々に撤退させた。これはつくば号の競合姿勢とは対照的である。「筑波山もみじまつり」「筑波山つつじまつり」など筑波山シャトルバスを利用した筑波山の観光促進キャンペーンをMIR、筑波観光鉄道、つくば市、つくば観光コンベンション協会と共同して行っている。関鉄のつくばエリアのバスは「つくば駅周辺フードマップ」などTX発行のパンフレットにも頻繁かつやや詳細に掲載される。",
"title": "つくばエクスプレスとの関係"
},
{
"paragraph_id": 114,
"tag": "p",
"text": "その他関鉄では、常総線沿線でもある守谷市や、つくば市などのTX沿線において宅地開発を行っている。",
"title": "つくばエクスプレスとの関係"
}
] |
関東鉄道株式会社は、茨城県に2つの鉄道路線と多くのバス路線を有する鉄道・バス・不動産事業等を行う日本の交通系企業である。京成グループの企業であり、京成電鉄の連結子会社である。略称は関鉄(かんてつ)。
|
{{混同|関東バス|関東自動車 (栃木県)|関東自動車 (埼玉県)}}
{{基礎情報 会社
| 社名 = 関東鉄道株式会社
| 英文社名 = Kanto Railway Co., Ltd.
| ロゴ = [[File:Kantetsu Logo S.svg|280px]]
| 画像 = [[File:Kantetsu head office 2013.jpg|280px]]
| 画像説明 = 関東鉄道本社
| 種類 = [[株式会社 (日本)|株式会社]]
| 市場情報 =
| 略称 = 関鉄(かんてつ)
| 国籍 = {{JPN}}
| 本社郵便番号 = 300-8555
| 本社所在地 = [[茨城県]][[土浦市]][[真鍋 (土浦市)|真鍋]]一丁目10番8号
| 本社緯度度 = 36|本社緯度分 = 5|本社緯度秒 = 25.5|本社N(北緯)及びS(南緯) = N
| 本社経度度 = 140|本社経度分 = 12|本社経度秒 = 3.0|本社E(東経)及びW(西経) = E
| 座標右上表示 = Yes
| 本社地図国コード = JP
| 設立 = [[1922年]]([[大正]]11年)[[9月3日]]<ref name="sone21 3">[[#sone21|『歴史でめぐる鉄道全路線 公営鉄道・私鉄』21号 3頁]]</ref><br />(鹿島参宮鉄道株式会社)
| 業種 = 陸運業
| 事業内容 = 第一種鉄道事業、自動車による一般運輸業、土地建物の売買及び賃貸業
| 代表者 = {{Plainlist|
* 代表取締役社長 松上英一郎<ref>{{Cite web|和書|title=役員一覧|publisher=関東鉄道|date=2019-06-25|url=http://kantetsu.co.jp/about/officer.html|accessdate=2019-07-20}}</ref>
* 代表取締役副社長 登嶋進
}}
| 資本金 =
* 1億円
(2023年3月31日現在)<ref name="yuho152">{{Cite report |和書 |author=関東鉄道株式会社 |date=2023-06-29 |title=第152期(2022年4月1日 - 2023年3月31日)有価証券報告書}}</ref>
| 発行済株式総数 =
* 1020万株
(2023年3月31日現在)<ref name="yuho152" /><!-- 数値を更新する際は出典を修正してください -->
| 売上高 =
* 連結: 137億0011万8000円
* 単独: 92億8665万6000円
(2023年3月期)<ref name="yuho152" /><!-- 数値を更新する際は出典を修正してください -->
| 営業利益 =
* 連結: 7億2508万1000円
* 単独: 6億4064万8000円
(2023年3月期)<ref name="yuho152" /><!-- 数値を更新する際は出典を修正してください -->
| 経常利益 =
* 連結: 9億3222万5000円
* 単独: 7億3847万7000円
(2023年3月期)<ref name="yuho152" /><!-- 数値を更新する際は出典を修正してください -->
| 純利益 =
* 連結: 6億1342万1000円
* 単独: 4億9068万9000円
(2023年3月期)<ref name="yuho152" /><!-- 数値を更新する際は出典を修正してください -->
| 純資産 =
* 連結: 87億8894万9000円
* 単独: 66億8545万2000円
(2023年3月31日現在)<ref name="yuho152" /><!-- 数値を更新する際は出典を修正してください -->
| 総資産 =
* 連結: 249億6912万2000円
* 単独: 222億5340万8000円
(2023年3月31日現在)<ref name="yuho152" /><!-- 数値を更新する際は出典を修正してください -->
| 従業員数 =
* 連結: 1,031人
* 単独: 666人
(2023年3月31日現在)<ref name="yuho152" /><!-- 数値を更新する際は出典を修正してください -->
| 決算期 = [[3月31日]]
| 会計監査人 = [[有限責任監査法人トーマツ]]<ref name="yuho152" /><!-- 更新する際は出典を修正してください -->
| 主要株主 = {{Plainlist|
* [[京成電鉄]] 60.53%
* 濱雄太郎 5.24%
* 青木恵美子 2.60%
* [[茨城交通]] 1.54%
* 関東鉄道従業員持株会 1.39%
* 青昌稲荷神社 1.09%
* 中山敬之助 0.99%
* 布川瑠璃子 0.54%
* 白井豊 0.49%
* 片倉力也 0.37%
* (2023年3月31日現在)<ref name="yuho152" /><!-- 数値を更新する際は出典を修正してください -->
}}
| 主要子会社 = {{Plainlist|
* [[関鉄筑波商事]] 100%
* [[鹿島鉄道]] 100%
* [[関鉄観光バス]] 100%
* [[関東情報サービス]] 100%
* [[関鉄パープルバス]] 100%
* [[関鉄グリーンバス]] 100%
* (2023年3月31日現在)<ref name="yuho152" /><!-- 数値を更新する際は出典を修正してください -->
}}
| 外部リンク = https://www.kantetsu.co.jp/ <!-- URL表記は省略しないこと -->
| 特記事項 = 1965年に常総筑波鉄道と[[鹿島参宮鉄道]]が合併。京成電鉄の連結子会社。
}}
'''関東鉄道株式会社'''(かんとうてつどう、{{Lang-en-short|''Kanto Railway Co., Ltd.''}})は、[[茨城県]]に2つの[[鉄道路線]]と多くの[[路線バス|バス路線]]を有する[[鉄道事業者|鉄道]]・[[バス (交通機関)|バス]]・[[不動産]]事業等を行う[[日本]]の交通系企業である。[[京成グループ]]の企業であり、[[京成電鉄]]の[[連結子会社]]である。略称は'''関鉄'''(かんてつ)。
== 概要 ==
=== 事業概要 ===
茨城県に本社を置く交通事業者としては最大手である。主たる営業エリアは[[筑波研究学園都市]]、[[常総ニュータウン]]、[[竜ヶ崎ニュータウン]]、[[水郷筑波国定公園]]、[[鹿島臨海工業地帯]]などを抱える茨城県南部で、東京通勤輸送を柱とする2路線の鉄道事業を核として、高速路線バスを含む乗合バス事業を広く展開している。[[守谷市]]、[[龍ケ崎市]]、[[小美玉市]]などでは、同社と同社の子会社によって市内の公共交通事業をほぼ独占している。
鉄道事業は、かつて[[関東鉄道常総線|常総線]]・[[関東鉄道竜ヶ崎線|竜ヶ崎線]]・[[筑波鉄道筑波線|筑波線]]・[[鹿島鉄道線|鉾田線]]の4路線を保有しており、4路線を合わせると保有路線すべてが[[非電化]]の鉄道会社としては日本最長のキロ数 (123.1 km) を有していたが、1979年に筑波線と鉾田線を、それぞれ筑波鉄道(現・[[関鉄筑波商事]])と[[鹿島鉄道]]に分社している(ともにのちに[[廃線]])。
バス事業については、他社と同様に一部地域の分社化が行われ、地域子会社として[[関鉄観光バス]]、[[関鉄パープルバス]]、[[関鉄グリーンバス]]が存在する。またかつては[[関鉄メロンバス]]もあったが、関鉄グリーンバスへ統合された。
その他、[[不動産業]]なども手がける。[[日本民営鉄道協会]]、関東鉄道協会、茨城県バス協会([[日本バス協会]]傘下)、茨城県宅地建物取引業協会、[[全国宅地建物取引業保証会]]、東日本不動産流通機構、茨城県つくばエクスプレス等整備利用促進協議会、つくばセンター地区活性化協議会に加入している。
=== 資本関係 ===
[[株式]]保有率約60%の京成電鉄が経営を支配しており、同社の[[連結子会社]]となっている。また、[[茨城交通]]が約1.5%と京成系以外の交通企業も出資している。かつては、[[東武鉄道]]も約4%を出資していたが、2022年度中に株式を売却し資本撤退している<ref group="注釈">この期間に、京成の保有率が56%から60%に増加している<!--おり、京成に売却したものと思われる-->。</ref>。京成グループ内の人的交流・業務支援は盛んであり、社長は代々京成役員から就任している。また、[[PASMO]]接続サーバの共有<ref>[https://www.mlit.go.jp/common/000116818.pdf 関東鉄道常総線沿線における地域公共交通活性化・再生総合事業] [[国土交通省]]</ref> や広報誌の乗り入れ<ref>[http://www.kantetsu.co.jp/event/pocket.html 関鉄ポケット]</ref> も行われている。
かつて、東武鉄道も出資していた関係上、京成グループ統一[[ロゴマーク]]('''K'SEI'''ロゴ)も長らく使われていなかったが、[[観光バス]]については京成グループの統一観光カラー(白地にオレンジと紺色の「Kanacカラー」と呼ばれる)を採用してきた。鉄道車両も1994年以降の新製車は'''K'SEI'''ロゴこそ掲出しないものの京成グループカラーに似た塗装を採用し、高速バス車両でもKaNaCカラーから京成グループ統一カラーへの代替が進み、こちらには'''K'SEI'''ロゴが大きく表示されている。
2019年7月31日、京成電鉄による[[株式公開買い付け]] (TOB) を実施。その結果、資本比率が従来の30.09%から56.46%となり、京成電鉄の[[持分法適用会社]]から連結子会社となった<ref>[http://www.nikkei.com/article/DGXMZO48021000R30C19A7L71000 「京成電鉄、関東鉄道を連結子会社化へ 株式50%以上の取得めざす」] [[日本経済新聞]]電子版、2019年7月31日付</ref><ref name="tob" />。
関鉄の出資先には分社子会社のほか、[[首都圏新都市鉄道つくばエクスプレス|つくばエクスプレス]]を運営する[[首都圏新都市鉄道]]があり、同社と接続する鉄道会社では唯一出資している。
また、[[新京成電鉄]]が京成電鉄の完全子会社になるまでは、同社の株を子会社の関鉄クリエイト保有分を合わせて約3%保有し<ref>{{Cite web|和書|publisher= [https://disclosure.edinet-fsa.go.jp/ EDINET] |title= 新京成電鉄株式会社 第102期 有価証券報告書 |url= https://disclosure.edinet-fsa.go.jp/E01EW/download?uji.verb=W0EZA104CXP001003Action&uji.bean=ee.bean.parent.EECommonSearchBean&PID=W1E63011&SESSIONKEY=1595745509293&lgKbn=2&pkbn=0&skbn=1&dskb=&askb=&dflg=0&iflg=0&preId=1&mul=E04098&fls=on&cal=1&era=H&yer=&mon=&pfs=5&row=100&idx=0&str=&kbn=1&flg=&syoruiKanriNo=&s=S100IXXD |date= |format= |accessdate= 2020-07-26 }}</ref>、京成グループ内[[株式持ち合い]]となっていた。
== 沿革 ==
[[ファイル:関東鉄道・竜ヶ崎線・キハ41302・1.jpg|thumb|right|250px|関鉄成立前後に竜ヶ崎線で使用されていた旧型の気動車([[国鉄キハ04形気動車|キハ41302]])]]
[[ファイル:Tamatsukurimachi station.JPG|thumb|right|250px|鉾田線であった鹿島鉄道線([[玉造町駅]])。関鉄から鹿島鉄道に分離後に廃止。]]
'''[[常総筑波鉄道]]'''と'''[[鹿島参宮鉄道]]'''が1965年に対等合併して発足した<ref name="sone21 10">[[#sone21|『歴史でめぐる鉄道全路線 公営鉄道・私鉄』21号 10頁]]</ref>。法的には鹿島参宮鉄道が[[存続会社]]で、関鉄は鹿島参宮鉄道が設立された「[[1922年]][[9月3日]]」を「創立年月日」としている。ただし、吸収元の会社を含めると1898年設立の竜崎馬車鉄道(後の竜崎鉄道)が最古となり、2020年時点で120年を超える歴史がある。
常総筑波鉄道は[[第二次世界大戦]]中に'''[[常総鉄道]]'''(常総線)と'''[[筑波鉄道 (初代)|筑波鉄道]]'''(旧)(筑波線)が合併して成立したもので、国鉄常磐線以北にバス路線網を持っていた。一方、鹿島参宮鉄道(鉾田線)は'''[[竜崎鉄道]]'''(竜ヶ崎線)を戦時中に吸収合併し、逆に国鉄常磐線以南から鹿行地区に至るバス路線網を保有していた。
常総筑波鉄道は1959年に赤字体質の経営を改善するために京成電鉄と東武鉄道の資本と取締役を受け入れ、1961年には京成が筆頭株主になっている。鹿島参宮鉄道も、労使紛争が起きていた最中の1950年代、霞ヶ浦の観光開発を主目的に京成が資本参加し、1961年に筆頭株主になっている。両者とも京成系列になったことから、バス事業での競合関係を解消し、合理化の推進ならびに資本力を増強するために合併した。
=== 常総筑波鉄道 ===
*[[1913年]](大正2年)[[11月1日]]: '''常総鉄道''' [[取手駅|取手]] - [[下館駅|下館]]間が開業<ref name="sone21 9">[[#sone21|『歴史でめぐる鉄道全路線 公営鉄道・私鉄』21号 9頁]]</ref>
*[[1914年]](大正3年)[[4月11日]]: '''筑波鉄道'''(旧)設立<ref name="sone21 9"/>
*[[1918年]](大正7年)
**[[4月17日]]: 筑波鉄道 [[土浦駅|土浦]] - [[筑波駅|筑波]]間が開業<ref name="sone21 9"/>
**[[6月7日]]: 筑波鉄道 筑波 - [[真壁駅|真壁]]間が開業
**[[9月7日]]: 筑波鉄道 真壁 - [[岩瀬駅|岩瀬]]間が開業し全通<ref name="sone21 9"/>
*[[1927年]](昭和2年)[[7月1日]]: 鬼怒川砂利合資会社から専用線を買収し三所線(後の[[常総筑波鉄道鬼怒川線|鬼怒川線]])として営業開始<ref name="sone21 9"/>
*[[1945年]](昭和20年)[[3月20日]]: 常総鉄道と筑波鉄道が合併して'''常総筑波鉄道'''となる<ref name="sone21 9"/>
*[[1949年]]
**愛宕交通([[帝産観光バス|帝産オート]]を経て[[茨城オート]])に一部バス路線を譲渡。
**取手バス(後の[[大利根交通自動車]])に取手市などの一部バス路線を譲渡。
*[[1957年]](昭和32年)[[8月1日]]: 鬼怒川線 常総関本 - 三所間廃止、旅客輸送廃止
*[[1964年]](昭和39年)[[1月16日]]: 鬼怒川線 大田郷 - 常総関本間廃止
=== 鹿島参宮鉄道 ===
*[[1898年]](明治31年)4月: '''竜崎馬車鉄道'''設立
*[[1900年]](明治33年)[[8月14日]]: 竜崎鉄道 竜崎(現:[[竜ヶ崎駅|竜ヶ崎]]) - 佐貫間が開業<ref name="sone21 9"/>
*[[1922年]](大正11年)[[9月3日]]: '''鹿島参宮鉄道'''設立<ref name="sone21 9"/>
*[[1924年]](大正13年)[[6月8日]]: 鹿島参宮鉄道 [[石岡駅|石岡]] - [[常陸小川駅|常陸小川]]間が開業<ref name="sone21 9"/>
*[[1929年]](昭和4年)[[5月16日]]: 鹿島参宮鉄道 [[玉造町駅|玉造町]] - [[鉾田駅|鉾田]]間が開業し全通<ref name="sone21 9"/>
*[[1944年]](昭和19年)[[5月13日]]: 鹿島参宮鉄道が竜崎鉄道を吸収合併<ref>3月27日許可[{{NDLDC|2961667/9}} 「鉄道譲渡」『官報』1944年3月30日](国立国会図書館デジタルコレクション)</ref>
=== 関東鉄道成立後 ===
*[[1965年]](昭和40年)[[6月1日]]: 常総筑波鉄道と鹿島参宮鉄道が合併して'''関東鉄道'''となる。本社を[[土浦市]]に置く<ref name="sone21 10"/>。
*[[1967年]](昭和42年)[[12月20日]] : 土浦 - 潮来間急行バス運行開始
*[[1968年]](昭和43年): [[牛久市|牛久町]]・[[藤代町]]・[[谷田部町]]で展開していた三ツ矢観光自動車の路線バス事業を譲受
**[[8月16日]] : ワンマンバス、土浦駅 - 園芸試験場・土浦駅 - 中貫・土浦駅 - 天川団地・土浦市役所循環線の4路線で運行開始
*[[1970年]](昭和45年): [[阿見町]]で住宅団地「関鉄霞ヶ浦阿見台」分譲開始
*[[1977年]](昭和52年)[[11月30日]] : 銚子 - 水戸間急行バス廃止
*[[1979年]](昭和54年)[[4月1日]]: 赤字路線の鉾田線・筑波線をそれぞれ[[鹿島鉄道]]・[[筑波鉄道筑波線|筑波鉄道]]に分社化<ref name="sone21 11">[[#sone21|『歴史でめぐる鉄道全路線 公営鉄道・私鉄』21号 11頁]]</ref>
*[[1984年]](昭和59年)[[11月15日]]: 常総線取手 - [[水海道駅|水海道]]間17.2kmの複線化完成<ref name="sone21 11"/>。
*[[1985年]](昭和60年)
**[[3月17日]] : [[国際科学技術博覧会|つくば科学万国博覧会]]の輸送開始(同年9月16日まで184日間)
**[[8月26日]] : パークシティ守谷 - [[北柏駅]]間の路線バスを[[東武バス|東武鉄道]]と共同運行開始
*[[1987年]](昭和62年)4月1日: 筑波研究学園都市と東京駅を結ぶ高速バス「[[つくば号]]」を[[東日本旅客鉄道]](JR東日本)と共同で運行開始、高速バスに参入。
*[[1989年]](平成元年)[[2月16日]]: 乗合車にデジタル式運賃表示器導入開始
*[[1990年]](平成2年)[[2月1日]] : 井野団地・江戸川学園両線で深夜バス運行開始
*[[1992年]](平成4年)[[6月2日]]: 常総線取手駅で列車脱線衝突事故発生<ref name="sone21 11"/>。乗客1名死亡、250名以上重軽傷<ref name="sone21 11"/>。これを機に新造車両導入方針に転換。
*[[1994年]](平成6年): 建設業免許取得
*[[1999年]](平成11年)[[9月16日]]: グループの貸切バス事業を関鉄観光バスに統合
*[[2001年]](平成13年)
**[[茨城観光自動車]]の一部路線を継承
**6月1日: 鉾田地区の乗合バス事業を関鉄メロンバスに分離、下妻地区の乗合バス事業を関鉄パープルバスに分離。
**9月30日 : 潮来地区の乗合バス事業の一部を関鉄メロンバスに分離
*[[2002年]](平成14年)[[7月1日]]: 石岡・柿岡地区の乗合バス事業の一部を関鉄グリーンバスに分離
*[[2005年]](平成17年)[[8月24日]]: [[首都圏新都市鉄道つくばエクスプレス|つくばエクスプレス]]の開業と同時に常総線で[[快速列車]]運行開始
*[[2009年]](平成21年)[[3月14日]]: 鉄道線に[[PASMO]]を導入<ref name="sone21 11"/>。全線全駅にIC対応改札機・簡易改札機を設置<ref name="sone21 11"/>。
*[[2011年]](平成23年)3月11日: [[東日本大震災]]発生により、一週間程度運休・本数削減。また、不通となったJR線の並行バスを運行。
*[[2013年]](平成25年)3月31日: バスへのPASMO導入順次開始。導入第1号は「[[かしま号]]」。2017年までに全線導入完了(予約制高速バス、一部のコミュニティバスを除く)。
*[[2015年]](平成27年)
**6月: 一般路線バス経路検索サイト「関東鉄道バス経路・時刻・運賃案内」開始。
**9月10日: [[平成27年9月関東・東北豪雨|関東・東北豪雨]]による[[鬼怒川]]の堤防決壊のため、常総線の線路や車両基地などが浸水する被害を受ける。全線復旧まで一ヶ月を要した。
*[[2018年]](平成30年)[[4月28日]]: バスIC1日乗車券を関鉄グループ4社共通で開始<ref>{{Cite web|和書|title=一般路線バスが1日乗り放題! 4月28日(土)から関鉄グループ一般路線バスにて「IC1日乗車券」サービス開始|publisher=関東鉄道株式会社|date=2018年4月17日|url=http://kantetsu.co.jp/news/18041601_bus.html|accessdate=2018-05-07}}</ref>。発売額700円。適用区間は一般路線バス全線だがコミュニティバスや筑波山シャトルバスなど一部路線は除外されている。
*[[2019年]](令和元年)
**[[7月31日]]:筆頭株主の京成電鉄がバス事業を中心とした連携強化や茨城県内での収益拡大を目的として、関東鉄道の[[株式公開買付け|株式公開買い付け]](TOB)を実施することを発表<ref>{{Cite web|和書|title=関東鉄道株式会社(非上場)株券に対する公開買付けの開始に関するお知らせ|publisher=京成電鉄株式会社|date=2019年7月31日|url=https://contents.xj-storage.jp/xcontents/AS01810/78ca1c95/3548/4875/b618/9d1668d972da/140120190731479787.pdf|accessdate=2019-10-10|format=PDF}}</ref>。
**[[10月8日]]:関東鉄道の株式公開買付け(TOB)が10月1日に終了。京成電鉄の株式保有率が30.07%から56.46%となり、同社の[[持分法|持分法適用関連会社]]から連結子会社に変更<ref name="tob">{{Cite web|和書|title=京成電鉄株式会社による当社株券に対する公開買付けの結果及び親会社の異動に関するお知らせ|publisher=関東鉄道株式会社|date=2019年10月2日|url=http://kantetsu.co.jp/img/stock/info20191002.pdf|accessdate=2019-10-10|format=PDF}}</ref>。
* [[2023年]](令和5年)[[3月23日]]:[[自転車シェアリング|シェアサイクル]]「関鉄Pedal」を土浦駅西口など土浦市内8か所、筑波山口バス停で営業開始。9月1日には水海道駅、三妻駅でも開始。
== 鉄道事業 ==
[[File:Kanto Railway Linemap.svg|thumb|right|400px|路線図]]
茨城県南部に[[関東鉄道常総線|常総線]]・[[関東鉄道竜ヶ崎線|竜ヶ崎線]]の2路線、計55.6 km 28駅を有し、すべて[[非電化]]となっている。沿線に[[ベッドタウン]]を抱え、1980年代以降東京方面への通勤旅客輸送が柱となっており、常総線の取手駅 - 水海道駅間は日本で数少ない非電化[[複線]]<ref group="注釈">日本で2020年時点で存在する非電化複線はほかに[[北海道旅客鉄道|JR北海道]][[函館本線]]の一部(4区間)、同[[室蘭本線]]の一部(5区間)、[[九州旅客鉄道|JR九州]][[筑豊本線]]の一部(通称若松線)、[[伊勢鉄道伊勢線]][[河原田駅]] - [[中瀬古駅]]間、[[東海交通事業城北線]]、[[平成筑豊鉄道伊田線]]くらいしか例がない。</ref>で、短い駅間距離と電車区間並みの高頻度運転という特徴を持つ。一方、1950年代にあった常総線特急・急行列車廃止以降、2005年の常総線線路改良(快速列車運転開始)まで線内長距離輸送に対する施策は後回しにされており、2013年現在でも快速列車の運行本数は1日下り7本・上り6本と少なく、普通列車も常総線全線51.1kmを80分かけて走るほど低速である。
常総線には[[自動進路制御装置]](PRC)、竜ヶ崎線には[[自動列車停止装置]](ATS)をそれぞれ配備。年間輸送人員は1,148万6,000人、乗車効率は14.2%、営業収益は約24億円<ref>[http://www.uforeader.com/v1/se/E04135_S0000R9I_5_7.html 関東鉄道株式会社の有価証券報告書 2007年04月01日 - 2008年03月31日期]</ref> である。
営業収益に占める割合こそバス事業より小さいが、定期運賃収入が見込める安定した主力事業で、同社の筆頭部門となっている。執行部の直下に鉄道事業を分掌する「鉄道部」が組織されており、その現業拠点は常総線の[[南水海道信号所|南水海道]]([[水海道車両基地]])に構える。常総線の[[運転指令]]ならびに乗務・車両・検修・施設系の各部門は南水海道に所在する。駅務は広い駅務管区制を採っており、管理駅は全28駅中3駅のみである。
=== 路線 ===
==== 現在の路線 ====
*[[関東鉄道常総線|常総線]](取手駅 - 下館駅間、51.1 km 25駅)
*[[関東鉄道竜ヶ崎線|竜ヶ崎線]](佐貫駅 - 竜ヶ崎駅間、4.5 km 3駅)
==== 過去の路線 ====
*[[鹿島鉄道線|鉾田線]](石岡駅 - 鉾田駅間、26.9 km。[[1979年]]に[[鹿島鉄道]]として分社化。[[2007年]]に廃止)
*[[筑波鉄道筑波線|筑波線]](土浦駅 - 岩瀬駅間、40.1 km。1979年に筑波鉄道として分社化。[[1987年]]に廃止)
*[[常総筑波鉄道鬼怒川線|鬼怒川線]](大田郷駅 - 三所駅間、6.0 km。[[1964年]]に全線廃止)
=== 車両 ===
[[ファイル:Kantou01.jpg|thumb|right|240px|非電化で複線区間がある常総線(1978年撮影)]]
全路線が非電化のため、保有する旅客用車両はすべて[[気動車]]である。旅客用の気動車61両及び[[ディーゼル機関車]]1両の計62両を保有する。
かつては自社発注車両のほか、1960年代から1970年代にかけて全国各地の私鉄からの譲渡車両が投入されていた。出自は[[夕張鉄道]]、[[北陸鉄道]]、[[加越能バス|加越能鉄道]]、[[小田急電鉄]]、[[江若鉄道]]などと多彩を極め、ファンの間では「気動車天国」とも称されていた。しかし形式により[[車両長|車体長]]や扉数が異なるなど旅客取り扱い上問題を抱えていたほか、老朽化や機器の不統一によって車両の保守上も非効率な面が大きかったため、1987年から[[日本国有鉄道清算事業団|国鉄清算事業団]]・JR各社からキハ35系を購入、[[関東鉄道キハ300形気動車|キハ300形]]として大量増備し一掃を図った。1993年以降はキハ300形の置き換えとして自社発注車両が再度増備されている。
通勤路線でもあるため、旅客用全車両が[[通勤形車両 (鉄道)|通勤型車両]]で、片側3ドア[[鉄道車両の座席#ロングシート(縦座席)|ロングシート]]の座席構造である。旅客車両はすべて[[ワンマン運転]]対応である。
==== 常総線 ====
運賃収受方式の違いから[[複線]]用(取手 - [[水海道駅|水海道]]間)と[[単線]]用(水海道 - 下館間)の2種類に大別でき、後者は単線区間における車内運賃収受のため[[乗車整理券|整理券]]発行機・[[運賃箱]]を備える。
{{Main|関東鉄道常総線#車両}}
*[[関東鉄道キハ0形気動車|キハ0形]](複線用)
*[[関東鉄道キハ310形気動車|キハ310形]](複線用)
*[[関東鉄道キハ2100形気動車|キハ2100形]](複線用)
*[[関東鉄道キハ2200形気動車|キハ2200形]](単線用)
*[[関東鉄道キハ2300形気動車|キハ2300形]](複線用)
*[[関東鉄道キハ2400形気動車|キハ2400形]](単線用)
*[[関東鉄道キハ5000形気動車|キハ5000形]](単線用)
*[[関東鉄道キハ5010形気動車|キハ5010形]](単線用)
*[[関東鉄道キハ5020形気動車|キハ5020形]]
*[[関東鉄道DD502形ディーゼル機関車|DD502形]]
<gallery widths="160" style="font-size:90%">
ファイル:kantetsu5020-wiki.jpg|キハ5020形
ファイル:kantetsu5010wiki.jpg|キハ5010形
ファイル:kantetsu5000n-wiki.jpg|キハ5000形
ファイル:kantetsu2400n-wiki.jpg|キハ2400形
ファイル:Kantetsu2200n-wiki.jpg|キハ2200形
ファイル:Kantetsu2300-wiki.jpg|キハ2300形
ファイル:Kantetsu2100n-wiki.jpg|キハ2100形新塗装車
ファイル:Kantetsu0wiki.jpg|キハ0形
ファイル:Kantetsu310wiki.jpg|キハ310形
ファイル:Locomotive of Kanto Railway.JPG|DD502
</gallery>
==== 竜ヶ崎線 ====
1971年からワンマン運転を行なっているが、途中駅1駅という特殊な条件下にあるため、整理券発行機や運賃箱、自動運賃表などは一切備えない。すべての駅のプラットホームが竜ヶ崎方に向かって右側に設置されているので、運転席は竜ヶ崎に向かって右側に統一されている。
{{Main|関東鉄道竜ヶ崎線#車両}}
*[[関東鉄道キハ532形気動車|キハ532形]]
*[[関東鉄道キハ2000形気動車|キハ2000形]]
<gallery widths="160" style="font-size:90%">
ファイル:kantetsu2000wiki.jpg|キハ2000形
ファイル:kantetsu532wiki.jpg|キハ532形
</gallery>
==== 鉾田線 ====
{{See|鹿島鉄道#車両}}
==== 筑波線 ====
{{See|筑波鉄道筑波線#車両}}
=== 運賃 ===
大人普通旅客運賃(小児半額・ICカードの場合は1円未満切り捨て、切符購入の場合は10円未満切り上げ)。[[2019年]][[10月1日]]改定<ref name="kantetsu20190905">{{PDFlink|[http://kantetsu.co.jp/img/news/2019/19090501_train/info.pdf 消費税改定に伴う鉄道旅客運賃の改定について]}} - 関東鉄道、2019年9月5日(2019年10月4日閲覧)</ref>。
1km未満の端数は切り上げ。43, 47, 51kmについては、国土交通省に申請した運賃においては設定があるが<ref name="kantetsu20190905" />、該当区間は実際には存在しない。
{| class="wikitable" style="text-align:center; float:left;"
|-
!rowspan="2"|キロ程
!colspan="2"|運賃(円)
|-
!ICカード
!切符購入
|-
|初乗り2km||143||150
|-
|3||143||150 <!-- 取手-寺原 2.1km-->
|-
|4||173||180 <!-- 取手-新取手 3.4km-->
|-
|5||224||230
|-
|6||255||260
|-
|7||305||310
|-
|8||357||360
|-
|9||387||390
|-
|10||427||430
|-
|11||458||460
|-
|12||499||500
|-
|13||550||550
|-
|14||561||570
|-
|15-16||632||640
|-
|17-18||693||700
|-
|19-20||754||760
|-
|21-22||836||840
|-
|23-24||896||900
|-
|25-26||968||970
|}
{| class="wikitable" style="text-align:center; float:left;"
|-
!rowspan="2"|キロ程
!colspan="2"|運賃(円)
|-
!ICカード
!切符購入
|-
|27-28||1008||1010
|-
|29-30||1049||1050
|-
|31-32||1090||1090
|-
|33-34||1130||1140
|-
|35-36||1192||1200
|-
|37-38||1233||1240
|-
|39-40||1273||1280
|-
|41||1283||1290
|-
|42||1304||1310
|-
|43||1334||1340
|-
|44||1355||1360 <!-- 取手-黒子43.6km、下館-南守谷43.7km -->
|-
|45||1375||1380
|-
|46||1395||1400
|-
|47||1416||1420
|-
|48||1446||1450
|-
|49||1467||1470
|-
|50||1487||1490
|-
|51||1518||1520
|-
|52||1538||1540
|}
{{clear}}
=== 企画乗車券 ===
*ミニ[[回数乗車券|回数券]]
* [[ときわ路パス]]
** 期間限定のフリーきっぷ。茨城県内の多くの鉄道がフリーエリア。[[東日本旅客鉄道水戸支社|JR東日本水戸支社]]発行。関鉄では発売しないが、取手駅などの接続駅ではJR東日本の出札口で購入可能。
==== 常総線用 ====
*TX&常総ライン往復きっぷ
**常総線下館・[[下妻駅|下妻]]・[[石下駅|石下]] - つくばエクスプレス[[北千住駅|北千住]]・[[秋葉原駅|秋葉原]]に設定、守谷のみ[[途中下車]]可能。
*すこやかパス
**70歳以上が利用できる常総線全線が乗り降り自由な[[定期乗車券]]
*常総線一日フリーきっぷ
**土休日、年末年始、茨城県民の日のみ利用可能。
**大人2000円、小児1000円<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.kantetsu.co.jp/img/news/2021/21122401_train/info.pdf|title=「常総線一日フリーきっぷ」の運賃変更について|accessdate=2022-04-03}}</ref>。
*常総線往復割引きっぷ
**通常では往復運賃が必要であるところをこの切符を購入するとほぼ半額で往復分利用できる。通年販売。19km以上で発売。
*[[常総線・真岡鐵道線共通一日自由きっぷ]]
==== 竜ヶ崎線用 ====
*竜鉄コロッケ☆フリーきっぷ
**[[コロッケ]]割引券付きで竜ヶ崎線が平日・土休日とも1日利用可能。
== バス事業 ==
<gallery widths="250px" heights="220px">
ファイル:The longest bus stop name in Japan02.jpg|一般路線バス停留所標識
ファイル:Waiting room in Tsukuba Center, May 2014.JPG|仮設営業当時の学園サービスセンター
</gallery>
営業収益の約70%を占める<ref>平成23年度単体決算報告</ref> バス事業は、茨城県南・鹿行地域を中心に[[乗合バス|乗合]]・[[特定バス|特定]]・[[貸切バス|貸切]]事業を展開。茨城県水戸以南各地と[[東京都区部|東京]]都心などを結ぶ[[高速バス]]並びに土浦市・つくば市・取手市・龍ケ崎市・牛久市・守谷市・[[水戸市]]などを中心とした一般路線バスを運行している。特に東京・鹿島神宮間の高速バス「かしま号」は、高い利便性で並行鉄道を凌駕するほどの存在であり、また、東京駅高速バスターミナルにおいて非JR系会社で最多級の発着便数があり、東京地区での存在感も強めている。営業所10か所、乗合路線2,788.8 km、乗合車両410両、貸切車両34両を保有し、乗合の運行系統整理番号は4桁に達する<ref>運賃表より</ref>。
かつては茨城県水戸以南地域に広大なバス路線網を有していたが、主力地域以外は子会社に分離するか撤退している。主な分離地域は[[筑西市]]・[[桜川市]](以上子会社が再進出)・[[石岡市]][[八郷町|八郷地区]]・[[鉾田市]]・[[かすみがうら市]]など、主な撤退地域は[[結城市]]・[[坂東市]][[猿島町|猿島地区]]・[[笠間市]][[友部町|友部]]、[[岩間町|岩間地区]]・[[稲敷市]][[桜川村 (茨城県)|桜川地区]]・[[北相馬郡]][[利根町]]・[[東茨城郡]][[大洗町]]・[[結城郡]][[八千代町]]・[[稲敷郡]][[河内町]]などである。貸切事業についてその主力は子会社の関鉄観光バス(67両)に譲っている。
一般路線バスの主たる営業エリアには、[[筑波山]]、[[霞ヶ浦]]、水郷[[潮来市|潮来]]、、[[偕楽園]]、[[ミュージアムパーク茨城県自然博物館]]などの観光地や、[[イオンモールつくば]]、[[あみプレミアム・アウトレット]]などの大規模商業施設、筑波研究学園都市の各研究所、[[常総ニュータウン]]、[[竜ヶ崎ニュータウン]]を始めとする東京通勤のベッドタウンなどを抱えており、観光から用務・通勤・通学まで幅広い需要の受け皿となっている点が特徴的である。
また、[[土浦全国花火競技大会]]、[[百里基地航空祭]]、[[鹿島アントラーズ]]主催試合、[[かすみがうらマラソン]]、[[つくばマラソン]]など営業エリア内で開催される巨大催事においてもグループ全体において高い保有車両数を生かし観客輸送を担っている。
[[コミュニティバス]]の運行も多数受託しており、[[つくば市]]の[[つくバス]]、牛久市の[[かっぱ号]]、土浦市の[[キララちゃん]]と[[つちまるバス]]、取手市の[[ことバス]](一部を担当)、守谷市の[[モコバス]]などを担当しており、一般路線・コミュニティバスを重複して運行している地域も多い。
主たる営業エリア内のターミナルには[[つくばセンター]]([[つくば駅]])、[[土浦駅]]、[[取手駅]]、[[守谷駅]]、[[龍ケ崎市駅]](佐貫駅)、[[水戸駅]]、[[水郷潮来バスターミナル]]があり、これらには乗合バス券売所も設置されていて<ref>[https://www.kantetsu.co.jp/bus/ticket/hatsubaijyo.html 乗車券発売所]</ref>、一般路線普通券以外の乗車券(定期券や高速バスなど)を取り扱う。[[鹿島セントラルホテル]]停留所並びに鉄道の佐貫駅にはバス[[自動券売機]]も設置されている。
=== 高速バス等 ===
<gallery widths="250px" heights="200px">
ファイル:Kantetsubus-Tsukuba01.JPG|つくば号
ファイル:みと号で使用される三菱・エアロエース1958MT 東京駅にて撮影.jpg|みと号(赤塚ルート)
ファイル:KantetsuBus-2200MT.jpeg|水戸-TDR線
ファイル:KantetsuBus TML-KittyVer.2230TC.jpeg|TMライナー(ハローキティコラボ車)
</gallery>
==== 長距離夜行バス ====
* [[よかっぺ関西号]](水戸駅・土浦駅・つくばセンター⇔京都・大阪・USJ、[[近鉄バス]]と共同。関東鉄道唯一の夜行高速バス)
==== 東京方面 ====
* [[つくば号]](東京駅⇔つくばセンター・筑波大学、JRバス関東と共同)
* [[つくば号|ミッドナイトつくば号]](東京駅→つくばセンター・筑波大学、JRバス関東と共同)
* [[かしま号]](東京駅⇔鹿島セントラルホテル・鹿島神宮駅・カシマサッカースタジアム、JRバス関東・[[ジェイアールバステック|JRバステック]]・京成バスと共同)
* [[かしま号|ミッドナイトかしま号]](東京駅→鹿島セントラルホテル・鹿島神宮駅)
* カシマサッカースタジアム号(東京駅⇔(直行)カシマサッカースタジアム、JRバス関東・京成バスと共同)※鹿島アントラーズ主催試合開催日のみ運行
* [[はさき号]](東京駅⇔神栖市役所・波崎、2010年7月16日より関鉄観光バスに替わり関東鉄道が運行、2023年3月31日をもってJRバス関東が撤退)
* [[常磐高速バス#みと号|みと号]](東京駅⇔水戸駅、JRバス関東・茨城交通と共同)
* ミッドナイトみと号(東京駅→赤塚駅・水戸駅)
* [[境 - 東京線]](東京駅⇔境町高速バスターミナル、JRバス関東と共同)
==== TDR方面 ====
* 鹿島神宮駅・鹿島セントラルホテル・水郷潮来⇔[[海浜幕張駅]]・東京ディズニーリゾート・[[東京テレポート駅]]
* 土浦駅東口・つくばセンター⇔東京ディズニーリゾート・東京テレポート駅・[[国際展示場駅]](運休中)
* 水戸駅南口・赤塚駅北口・石岡バスストップ・つくばセンター⇔東京ディズニーリゾート
==== 県内 ====
* [[TMライナー]](偕楽園・水戸駅⇔[[つくばセンター]]・[[筑波大学]]、[[関鉄観光バス]]と共同)
==== 空港バス ====
* つくばセンター - 羽田空港(2022年2月28日をもって京浜急行バスが撤退)
* 鹿島神宮駅・鹿島セントラルホテル・水郷潮来⇔羽田空港
* エアポートライナー[[NATT'S]](土浦駅東口・つくばセンター・ひたち野うしく駅⇔成田空港、[[千葉交通]]・[[成田空港交通]]と共同)
* [[常磐高速バス#茨城空港線|東京駅⇔茨城空港]](一部便は関鉄グリーンバスに運行委託)
* つくばセンター⇔茨城空港(運休中)
* 水戸駅南口⇔茨城空港(茨城交通と共同)
=== 一般路線バス ===
各路線の詳細は営業所記事を参照
=== コミュニティバス等 ===
* [[キララちゃん]](土浦市)
* [[つちまるバス]](土浦市)
* [[つくバス]](つくば市)
* [[牛久市コミュニティバス|かっぱ号]](牛久市)
* [[龍ケ崎市コミュニティバス|龍・ゆうバス]](龍ケ崎市)※一部
* [[取手市コミュニティバス|ことバス]](取手市)※一部
* [[モコバス]](守谷市)
* [[みらい号]](つくばみらい市)
* [[坂東号]](坂東市)
* 鹿行広域バス 神宮・あやめ・白帆ライン(鹿嶋市・潮来市・行方市)※一部<ref>[http://kantetsu.co.jp/img/bus/ex/rokkou/1904.pdf 鹿行広域バス(神宮・あやめ・白帆ライン運行開始のお知らせ](関東鉄道公式サイト 2019年8月22日閲覧)</ref>
* 神栖市コミュニティバス(神栖市)
=== 営業所 ===
バスの営業所は以下の通りである。つくば北営業所、つくば中央営業所、守谷営業所、関鉄パープルバスの車両はつくばナンバー(ただし2007年2月13日以降に当所に配置された車両に限り、それ以前は土浦ナンバー)、水戸営業所、潮来営業所、波崎車庫、関鉄グリーンバス鉾田営業所の車両は水戸ナンバー、関鉄観光バス佐原営業センターの車両は千葉ナンバーで、他は土浦ナンバーとなっている<ref group="注釈">水海道→筑波営業所に配置された1978年式いすゞBU04 社番0954以降</ref>。なお、[[1978年]]4月16日以前に茨城県内で登録された車両は全て茨ナンバーであった。また、営業所名後ろの括弧内の英字は営業所・車庫を略記する際の記号であり、車体には社番の後に表記されている。
==== 現在の営業所と一般路線バスエリア ====
*[[関東鉄道土浦営業所|土浦営業所]] (TC:[[茨城県]][[土浦市]]川口、土浦ナンバー)
*:土浦市・阿見町・つくば市
*[[関東鉄道つくば中央営業所|つくば中央営業所]](YT:[[つくば市]]上横場、つくばナンバー)
*:つくば市・牛久市・つくばみらい市・常総市・土浦市・取手市
*[[関東鉄道つくば北営業所|つくば北営業所]] (TK:つくば市沼田、つくばナンバー)
*:つくば市・土浦市
*[[関東鉄道守谷営業所|守谷営業所]] (MR:[[守谷市]][[百合ケ丘 (守谷市)|百合ケ丘]]、つくばナンバー)
*:守谷市・取手市・常総市・坂東市
*:[[2017年]][[12月16日]]、水海道・取手営業所を統合し、守谷市に守谷営業所を新設・営業開始<ref>{{Cite web|和書|title=守谷営業所新設について|url=http://kantetsu.co.jp/news/17120101_bus.html|publisher=関東鉄道|accessdate=2017-12-10}}</ref>
*[[関東鉄道竜ヶ崎営業所|竜ヶ崎営業所]] (RG:[[龍ケ崎市]]馴馬町、土浦ナンバー)
*:龍ケ崎市・取手市・牛久市
**[[関東鉄道江戸崎車庫|江戸崎車庫]] (ED:[[稲敷市]]高田、土浦ナンバー)
**:稲敷市・龍ケ崎市
*[[関東鉄道水戸営業所|水戸営業所]] (MT:[[水戸市]]住吉町、水戸ナンバー)
*:水戸市・茨城町・小美玉市・石岡市
*[[関東鉄道潮来営業所|潮来営業所]] (IT:[[潮来市]]洲崎、鹿島営業所 (KS)から移転、水戸ナンバー)
*:神栖市・鹿嶋市・千葉県銚子市
**[[関東鉄道波崎車庫|波崎車庫]] (HS:[[神栖市]]波崎、水戸ナンバー)
**:神栖市・鹿嶋市・千葉県銚子市
==== 過去に存在した営業所 ====
*奥ノ谷営業所([[茨城町]][[奥谷]])→1965年10月16日に水戸営業所に統合。営業所自体は1980年代まで案内所として運用
*玉造営業所([[行方市]]玉造)→1966年3月11日廃止
*麻生営業所(行方市麻生)→1966年3月11日廃止
*真壁営業所([[桜川市]])→1966年3月11日廃止
*石岡第二営業所(石岡市)→1966年3月11日廃止
*土浦第二営業所(土浦市)→1966年6月7日廃止
*岩井車庫([[坂東市]]岩井)→1972年3月15日廃止。水海道営業所の出張所として運用。
*[[関鉄グリーンバス#石岡本社営業所|石岡営業所]] (IS:茨城県[[石岡市]]行里川、土浦ナンバー)→2002年7月1日より関鉄グリーンバス石岡本社営業所に移管。一般路線バスの営業エリアは石岡市・小美玉市・かすみがうら市・土浦市
*[[関鉄グリーンバス#柿岡営業所|柿岡営業所]] (KK:茨城県石岡市柿岡、土浦ナンバー)→2002年7月1日より関鉄グリーンバス柿岡営業所に移管→現在は閉鎖しバスターミナルとして使用
*[[関鉄グリーンバス#鉾田営業所|鉾田営業所]] (HK:茨城県[[鉾田市]]鉾田、水戸ナンバー)→2001年6月1日より関鉄メロンバス本社営業所に移管→その後2005年8月16日より関鉄グリーンバス鉾田営業所に再移管。一般路線バスの営業エリアは鉾田市・茨城町・水戸市・行方市・小美玉市
*[[関鉄パープルバス|下妻営業所]](SM:茨城県[[下妻市]]下妻乙、つくばナンバー)→2001年6月1日より関鉄パープルバス下妻本社営業所に移管。一般路線バスの営業エリアは下妻市・つくば市・土浦市・筑西市・桜川市
*[[関鉄観光バス田伏営業所|田伏営業所]](TB:茨城県[[かすみがうら市]]田伏、土浦ナンバー)→関鉄観光バス田伏営業センターに移管→2009年3月31日をもって閉鎖
*鹿島営業所(KS:茨城県[[鹿嶋市]]宮中、水戸ナンバー)→ITに移動
*下館営業所(SD:茨城県[[筑西市]]乙、つくばナンバー)→関鉄観光バス下館営業センターに移管→現在は閉鎖。貸切バスのみ配置
*藤代営業所(FJ:茨城県取手市宮和田、土浦ナンバー)→1996年閉鎖。取手営業所の貸切部門として貸切バスのみ配置
*佐原営業所(SW:千葉県[[香取市]]佐原イ、千葉ナンバー)→関鉄観光バス佐原営業センターに移管。1995年から2010年までは貸切バスのみ配置
*[[関東鉄道取手営業所|取手営業所]] (TR:[[取手市]]駒場、土浦ナンバー)→2017年12月15日廃止。翌日から守谷営業所に統合
*[[関東鉄道水海道営業所|水海道営業所]] (MK:[[常総市]]水海道高野町、つくばナンバー)→2017年12月15日廃止。翌日から守谷営業所に統合
=== 車両 ===
{{独自研究|section=1|date=June 2021}}
[[File:Kanto Railway 2101MT 16 04 19.JPG|thumb|2016年に初めて投入されたエルガハイブリッド<br />(水戸営業所、2101MT)<br />2016年4月19日(火)水戸駅北口にて]]
現在は、グループを含め、600台あまりの車両が在籍し、国内4メーカーすべての車両が配置されているが、その中でも[[いすゞ自動車|いすゞ]]車が約半数を占めている。 いすゞ以外では、貸切車や高速車を中心に[[三菱ふそうトラック・バス|三菱ふそう]]製が多く、その他、[[日野自動車|日野]]、[[UDトラックス|日産ディーゼル(現:UDトラックス)]]の順の保有台数である。 また日野製の高速車、貸切車の新製配置車は在籍していなかったが<ref group="注釈">過去には夜行バス・[[よかっぺ関西号]]の開業時に共同運行の[[近鉄バス]]より日野製中古車(9147MT)を1台購入した事例がある。</ref>、[[2017年]]3月に水戸営業所に関東鉄道では初となる[[日野・セレガ]]の高速車が2148MTとして新製配置された。
[[コーチビルダー]]がシャシーメーカーと一本化される以前は、いすゞは[[いすゞバス製造|川重→IKコーチ→いすゞバス製造]]製と[[スバルカスタマイズ工房|富士重工]]製、三菱は[[三菱ふそうバス製造|呉羽自動車工業→新呉羽→MBM]]製、日野は[[日野車体工業]]、日産ディーゼルは富士重工製で導入されていた。 また、1980年代ごろまではいすゞの大型車は帝国自工、中型車は[[北村製作所]]、三菱は貸切車を中心に富士重工製の車体も一部導入されていた。
==== 一般路線車 ====
一般路線車は、[[日本のバス車両#ドア配置|前・中扉]]が標準で、大型車は、全長10mのいわゆる大型短尺車、中型車は全長9mの標準尺車が標準<ref name="出典1">『[[バスジャパン]] ニューハンドブックス 25 関東鉄道』BJエディターズ/星雲社、1998年8月1日。ISBN 4-7952-7792-3</ref> であるが、他社からの譲受車を中心に、前・後扉車や、全長10.5mの標準尺車、11m超の長尺車も在籍する。 かつては3ドア車も在籍していたが、現在はすべて廃車されている。
カラーリングはグレー地に窓周りを白、窓の下に青帯が入るデザインで<ref group="注釈">初期は車体裾部にエンジラインが入っていた。</ref>、2001年より導入されているワンステップバス、ノンステップバスはこれに曲線でアレンジした塗装となっている。
ワンマン機器は、車内案内放送装置([[音声合成]])は、[[クラリオン]]製で、[[運賃箱]]、[[運賃表示器]]、[[乗車整理券|整理券発行機]]は、[[小田原機器]]製が標準としていたが<ref group="注釈">関鉄観光バス潮来営業センター以外の水戸ナンバー圏に配置された車両の運賃表示器はレシップ製を使用していた。</ref>、2019年現在、関鉄グループの全営業所において[[レシップ]]製新型の[[乗車整理券|整理券発行機]]、[[乗車カード|ICカード]]及び釣り銭対応の運賃箱及び[[液晶ディスプレイ|LCDモニター]]式の運賃表示器に交換されている<ref group="注釈">2019年現在、関鉄グループ全営業所で2011年以前に導入した車両もLCD運賃表示器に変更されている。</ref>。
関東鉄道発足後の一般路線車は、[[1970年]]、[[ワンマン運転|ワンマンカー]]導入からはじまる。 この時導入された車両は、[[日野車体工業|帝国自動車工業]]製の車体と組み合わされた、[[いすゞ・BU|いすゞ・BU10]]だった。 帝国自工といすゞシャーシーの組み合わせはかつては全国各地で見られていたが、この頃は、帝国自工は日野自動車のもとで経営再建が図られている時期で、指定車体だった[[国鉄バス]]を除くと、この当時でも珍しい組わせだった。<ref name="出典1"/> その他、いすゞ・BU10は、富士重製車体や、川重製車体でも導入されたが、この時期、川重製は少数派で<ref name="出典1"/>、帝国自工が金産自工と合併し、日野車体工業となり、国鉄向け以外のいすゞシャーシへの架装から撤退すると、その後の[[いすゞ・C系|いすゞ・CLM]]までは、富士重製ボディでの導入が中心となる。
[[1976年]]からはローカル路線を中心に、中型車の導入が始まり<ref name="出典1"/>、[[いすゞ・ジャーニーK|いすゞ・CCM/CDM]]、[[三菱ふそう・エアロミディMK|三菱・MK116]]、[[日野・レインボー|日野・RL320]]が導入された。
これらの車種がモデルチェンジした以降も、この3メーカーで導入が続けられるが、そのうち、三菱車は、土浦、鉾田、下妻。日野車は鹿島、潮来、佐原、波崎(RJ以降は柿岡も)とほぼ特定の営業所にしか配置されなかったのに対し、いすゞ車は中型路線車の配置がなかった取手営業所を除く、すべての営業所に配置され、いすゞ・LR→[[いすゞ・エルガミオ]]と<ref group="注釈">ただし、いすゞ・LRは1990年代初期はIKボディ車が石岡、つくば中央がメインでそれ以外は基本富士重ボディでの導入だった。</ref>、いすゞ製中型車が関東鉄道バスの主力車種の座を現在まで占めている。
また同じころ、冷房車の導入もすすめられ、新規導入車のほか<ref group="注釈">[[1979年]]に水戸に配置されたいすゞ・BU04の社番1005 - 1009が冷房新車として導入された。</ref>、トップドア貸切車に中扉を増設し、大型方向幕を取り付けた、[[格下げ車両|貸切格下げ車]]も導入され、一般路線車の冷房化が徐々に進められていった<ref name="出典1"/>。
[[1985年]]に、[[国際科学技術博覧会]](科学万博)がエリア内の[[筑波郡]][[谷田部町]](現:[[つくば市]])で開催されることになり、その観客輸送を担うため、[[いすゞ・キュービック|いすゞLV]]、[[三菱ふそう・エアロスター|三菱エアロスターK]]、[[日野・ブルーリボン|日野・ブルーリボンHT]]の3車種が大量に導入された。万博閉幕後は各営業所に配置され、急速に[[ベットタウン]]化が進んでいた茨城県南部における新規路線の拡充や増発など輸送力向上に充てられた。
[[1986年]]から[[1988年]]にかけて、小型車の[[いすゞ・ジャーニーQ]]が合計25台<ref group="注釈">1986年式社番1372 - 1385、[[1987年]]式社番1396 - 1402、1988年式社番1415 - 1418。なお、後年社番1374,1375,1381は子会社の日本水郷観光バス、社番1376,1377は子会社の日本観光バスに転出している。</ref>、子会社を含む、ローカル路線・閑散路線を抱える営業所に導入された<ref name="出典1"/> が、その後閑散路線そのものが、廃止、縮小されていったこともあり、比較的に早期に廃車されている。
その後も中型車を中心に自社発注での増備が続けられることになるが、[[1989年]]、[[神奈川中央交通]]から、[[モノコック]]ボディの三菱・MP118が合計11台導入され<ref group="注釈">社番9001 - 9005, 9007 - 9012</ref>、水戸営業所と土浦営業所に配属されたのを皮切りに<ref name="出典1"/>、[[西武バス]]、[[京阪バス]]、[[川崎鶴見臨港バス]]、[[千葉内陸バス]]、[[都営バス|東京都交通局]]、[[千葉海浜交通]]などから、冷房付の中古車が導入され、非冷房車を置き換えていった。
京阪バス、千葉内陸バスからの譲受車は、前・後扉、千葉海浜交通からの譲受車は3ドア車であった<ref group="注釈">千葉海浜交通からの譲受車は社番9070 - 9072の3台のみで、鹿島に1台、土浦に2台配置</ref>。
そのうち、千葉内陸バス、西武バスからの譲受車は、[[1990年]]から[[2000年]]まで長きにわたり導入され、千葉内陸バスからの前・後扉の日野・ブルーリボンHTは長尺車であったこともあり、乗客数の多い路線を多く抱える土浦営業所に集中配置されたほか、西武バスからの日産ディーゼル車は、富士5Eボディの[[日産ディーゼル・スペースランナーRA|日産ディーゼル・U31]]から富士7EボディのU33まで導入され、大型車の配置が多い、土浦、取手、水戸の各営業所では一時、主力になっていた。
それまで日産ディーゼル車の導入がなかった関鉄でも、1989年に水戸営業所に配置された、富士7EボディのU33Kを皮切りに、中型車の[[日産ディーゼル・スペースランナーRM|RM]]も含め、[[1998年]]まで新車導入が行われ<ref group="注釈">ただし、1993年と1996年はUD中型車の新製配置がなかった。</ref>、一時日産ディーゼル車の割合が高くなっていたことがある。 また西武バスからは、1990年に日産ディーゼル・RM81Gが土浦営業所に5台導入された<ref group="注釈">社番9022 - 9025,9034。なお、9022,9023,9025はその後鉾田営業所に移籍。</ref> 他<ref name="出典1"/>、[[2008年]]、[[2009年]]には短尺車のRM211ESN<ref group="注釈">2019年現在は全車廃車</ref> が導入された。
[[2001年]]には、廃業した[[茨城観光自動車]]から、経年の若い車両を中心に車両が移籍し、その中には、三菱ふそうの元サンプルカーの大型ショート車、[[三菱ふそう・エアロスターMM]]や前・後扉のエアロミディMKなど、関鉄では今まで導入のなかった車両も含まれていたほか、1995年に関鉄と同時に導入した、日野・ブルーリボンHTの竜ヶ崎ニュータウン線の元専用車もそのままの塗装で移籍していた。
自社発注の大型車は、上述の中古車の導入もあり、1991年以降は、[[1994年]]から[[1995年]]にかけて、[[竜ヶ崎ニュータウン]]線拡充のため、竜ヶ崎営業所に、いすゞ・キュービックが5台(そのうち3台は[[住宅・都市整備公団]](現[[都市再生機構]]の[[補助金]]で導入された[[ラッピング車両|広告塗装車]]で通称「青竜」)配置された以外<ref name="出典1"/> は、しばらく導入がなかったが、2001年には、取手営業所に[[いすゞ・エルガ]]と[[三菱ふそう・エアロスター]]が関東鉄道バスでは初めて、[[ノンステップバス]]で導入されたのを皮切りに、土浦、[[関東鉄道つくば中央営業所|つくば中央]]、水戸の各営業所に[[2003年]]まで、数両ずつ導入された(つくば中央営業所配置車両はその後2台とも水海道営業所に移籍→うち1台は土浦営業所に再移籍)。また、水戸営業所には、三菱ふそう・エアロミディMK、取手営業所には日野・レインボーHRの中型ロング車<ref group="注釈">2016年秋に水戸営業所に転出</ref> が2003年に1台ずつ導入されたが、中型ロング車はこれ以降新車導入はされていない。
2001年からは、親会社の[[京成電鉄]]<ref group="注釈">現在はバス事業が子会社化され[[京成バス]]</ref> が、[[自動車から排出される窒素酸化物及び粒子状物質の特定地域における総量の削減等に関する特別措置法|自動車NOx・PM法]]の施行により、規制対象車が移籍されはじめ、過去の他社からの中古車や万博開催時に導入された自社発注の経年車を置き換えられていった。
近年は、[[京成トランジットバス]]、[[千葉中央バス]]、[[ちばグリーンバス]]、千葉内陸バス、[[ちばフラワーバス]]、[[松戸新京成バス]]、[[船橋新京成バス]]、[[京成バスシステム]]、[[東京ベイシティ交通]]といった[[京成グループ]]各社や、[[京浜急行バス]]、[[東急バス]]、[[立川バス]]、[[横浜市営バス]]、[[小田急バス]]、[[尼崎市交通局]]、[[南海バス]]、[[平和交通 (千葉県)|平和交通]]、川崎鶴見臨港バスなどからも初期型の[[ノンステップバス|ノンステップ車]]を中心に移籍され、初期導入の京成中古車も置き換えながら現在も導入が続けられている。
京成グループからの移籍車は、その車種構成から、前・中引扉、標準尺の、IK→IBMボディおよび富士7Eボディを架装したいすゞ・LVが比較的多く在籍するが、都内営業所配置の4枚折戸車や、[[京成バス新都心営業所|船橋営業所]]、[[京成バス長沼営業所|長沼営業所]]、ちばフラワーバス、京成バスシステムからの日野車、[[京成バス松戸営業所|松戸営業所]]からの三菱車、船橋新京成バスからは、富士7Eボディの日産ディーゼル車も移籍するなど、車型、メーカーを問わず移籍している。2011年に日野・レインボーRJワンステが波崎車庫に導入されて以降、中型車は移籍していなかったが<ref group="注釈">子会社を除く</ref>、[[2014年]]、松戸営業所より三菱ふそう・エアロミディMKワンステップが移籍され、竜ヶ崎営業所と水戸営業所に配置された<ref group="注釈">水戸営業所に配置された車両は後に全車関鉄パープルバスへ移籍</ref>。
[[オートマチックトランスミッション|AT]]仕様の車両については、中古車では京成バスからの移籍で[[2012年]]にいすゞ・キュービックノンステップが導入されたのが最初である。2014年には、日野・ブルーリボンシティ、いすゞ・エルガと、AT仕様のノンステップ車も移籍しはじめている<ref group="注釈">2017年現在、これらは土浦営業所に配置。ただし、キュービックノンステの2台は既に廃車</ref>。自社発注車では、中大型車が2021年現在も導入が見送られている一方で、小型車ではコミュニティバス向けとして、2DG-HX系に移行した日野・ポンチョが2017年に導入されたのが最初の事例<ref group="注釈">現行車種の日野・ポンチョは2DG-HX系でAT仕様のみとなっているため。一つ前のモデルでは、SDG-HX系(AT仕様)とSKG-HX系(MT仕様)の二種類が存在していたため、関東鉄道では後者のみの導入である。</ref>であり、以降は後述のつくバスの車両増備(社番2202 - 2204)を含め急速に増備が進んでいる。
2003年には、[[牛久市]][[コミュニティバス]][[かっぱ号]]の受託にあたり[[三菱・ローザ]]が路線仕様で導入されたほか、つくば市コミュニティバス[[つくつくバス]]の受託にあたり、いすゞ・エルガミオと[[オーストラリア]]の[[クセニッツ|クセニッツCITY-I]]<ref group="注釈">2007年、センター循環廃止に伴い廃車</ref> が、それぞれノンステップで導入された。
[[2004年]]夏には、一般路線仕様のエルガミオノンステップが土浦営業所に導入されたのを皮切りに、翌年には同型車の日野・レインボーIIと合わせ、ノンステップ、[[ワンステップバス|ワンステップ]]仕様で導入され、経年車を置き換えていった。 三菱ふそう・エアロミディMKは、2005年につくば中央営業所と水海道営業所にノンステップ車が2台配置されて以降導入がなかったが、2012年に水戸営業所に導入されて以降、再び導入が始められている。 また土浦市のコミュニティバス、[[キララちゃん]]受託に際して、[[三菱ふそう・エアロミディME]]が初めて<ref group="注釈">関鉄グループ全体では、2004年に石岡市巡回バス用として関鉄グリーンバス石岡営業所に導入されている。</ref>、され、そのうち1両は予備車兼用として一般路線カラーで導入されている。
[[2006年]]には、前記のつくつくバスが、つくバスに移行し、大幅に受託路線が増えたため、エアロミディMEが一般路線カラーの予備車を含めて、一挙に20台導入され、また北部シャトル用としては、エルガミオノンステップが4両導入された<ref group="注釈">2006年の開設時は社番1918 - 1920の3台が増備。後に2011年のつくバス再編時に1台(2018TK)が増備された。その後2016年につくば北に日野・ポンチョ(社番2127 - 2131)が、2017年につくば北・つくば中央・竜ヶ崎のいすゞ・エルガミオ(社番2157 - 2163)が、[[2019年]]にはつくば中央と竜ヶ崎に日野・ポンチョ(社番2202 - 2204)が、2021年にはつくば北・つくば中央にいすゞ・エルガミオ(社番2238 - 2244)、竜ヶ崎に日野・ポンチョ(社番2245)が配置された。</ref>。
また、それまで[[ツアーバス]]形式で運行されていた、筑波山シャトルバスが一般路線化されることになり、その専用車として、いすゞ・エルガワンステップ長尺車が、メトロ窓、2列シート主体の郊外路線仕様で、合計4両導入されている<ref group="注釈">社番1921 - 1924</ref>。
この年から、エリア各地域でのコミュニティバスの受託が相次ぎ、[[取手市]]の[[ことバス]]用として、エアロミディMEが関鉄初の[[天然ガス自動車|CNG仕様]]で導入されたほか<ref group="注釈">現在はCNG仕様のエアロミディMEは全車廃車。代替として日野・ポンチョが導入されている。</ref>、[[坂東市]]の[[坂東号]]用としては、[[日野・ポンチョ]]が初めて導入された。
2006年にエアロスターノンステップが取手営業所に1両配置されて以降、大型路線車の新車の導入はなかったが、2009年にエアロスターがワンステップで2両(1988・2005)取手に導入され、2012年、[[2013年]]にエルガワンステップが取手に2両(2049・2075)、2013年、2014年にエルガノンステップが土浦に2両(2060・2073)導入されるなど再び導入が進められている。
[[2016年]]1月には、関東鉄道バスでは初となるいすゞ・エルガハイブリッドが水戸、水海道、取手、土浦、竜ヶ崎に各1台ずつ、合計5台が導入された。その後、モデルチェンジしたいすゞ・エルガノンステップバスも4台、取手と土浦に配置された。
[[2017年]]度末をもって、関東鉄道の一般路線バスはバリアフリー化100%を達成した<ref>{{Cite web|和書|title=関東鉄道バス 全路線、バリアフリー車両|publisher=Yahoo!ニュース(茨城新聞クロスアイ)|date=2018-04-06|url=https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180406-00000007-ibaraki-l08|accessdate=2018-04-09}}</ref>。
2019年1月をもって、関東鉄道、[[関鉄観光バス]]、[[関鉄グリーンバス]]、[[関鉄パープルバス]]4社で運行する路線バスの全車両(計388両)のバリアフリー化100%を達成した<ref>{{Cite news|url=https://mainichi.jp/articles/20190130/ddl/k08/040/221000c|title=バリアフリー:路線バス運行の県内4社 車両100%に /茨城|accessdate=2019-01-31|date=2019-01-30|newspaper=毎日新聞|publisher=毎日新聞社}}</ref>。
[[2021年]]3月にはつくばみらい市のみらい号用に[[中華人民共和国|中国]]・[[比亜迪汽車|BYD]]製の[[電気バス]]([[BYD・J6|J6]])(2237MR)1台を導入した。電気バスの導入は茨城県内では初となる。
[[2023年]]5月より創立100周年記念復刻デザインバスとして[[国際興業バス]]から譲渡された3台<ref group="注釈">9536MT(鹿島参宮鉄道カラー)、9537MR(常総筑波鉄道カラー)、9542TC(関東鉄道初期カラー)</ref>が運用開始された<ref>{{Cite news|url=https://trafficnews.jp/post/125702|title=「鹿島参宮鉄道」「常総筑波鉄道」を覚えているか 関東鉄道100周年で復刻デザインバス|accessdate=2023-05-06|date=2023-05-05|publisher=乗りものニュース}}</ref>。
2023年5月には守谷営業所に中国・BYD製の大型電気路線バス[[BYD・K8]]が2台配置され、同年6月1日より運用開始した<ref>{{Cite news|url=https://www.nikkei.com/article/DGKKZO71289740U3A520C2L60000/|title=関東鉄道、大型EVバスを導入|accessdate=2023-05-28|date=2023-05-25|publisher=日本経済新聞}}</ref>。
<gallery widths="250px" heights="200px">
ファイル:Kanto-railway-bus-1852MK.JPG|路線バス([[ワンステップバス|ワンステップ車]])
ファイル:Kantetsu 1823YT KL-MP37JK.jpg|路線バス([[ノンステップバス|ノンステップ車]])
ファイル:Kantetsubus-Ryugasaki.JPG|路線バス(元・[[茨城観光自動車]]の元・[[竜ヶ崎ニュータウン]]専用車)
</gallery>
==== 高速車 ====
関東鉄道の高速車は、開設当初は、55 - 60人乗りの貸切車からの転用が主であった<ref name="出典1"/><ref group="注釈">最初の高速バスへの転用車は谷田部営業所(現・つくば中央営業所)の社番1050,1051</ref> が、[[1989年]]には[[かしま号]]と[[はさき号]]に40人乗りのトイレ付車(1444KS、1445HS)が導入され<ref name="出典1"/> て以降、40・44人乗りのトイレ付の[[ハイデッカー|ハイデッカー車]]が標準である。2009年に、[[いすゞ・ガーラ|2代目ガーラ]]を導入するまでは、[[リムジンバス|空港連絡バス]]も含め、原則として、[[独立機関式冷房装置|サブエンジン冷房車]]が導入されていた<ref group="注釈">2002年 - 2004年に、土浦営業所に直結クーラー、3連トランクのいすゞ・ガーラが2台(1830TC、1878TC)だけ導入されている。</ref>。
また、関鉄唯一の夜行路線である、[[よかっぺ関西号]]には、3列シート29人乗りの[[いすゞ・ガーラ]]のハイデッカー車及び[[三菱ふそう・エアロエース|三菱・エアロクイーン]]のスーパーハイデッカー車が導入されている。[[2010年]]には、3代目エアロクイーンが、新・京成グループカラーで導入され、従来車も塗り替え、以降の新車も同カラーで導入されている。
近年までは昼行高速車にも、貸切転用のスーパーハイデッカー車も運用されていたが、現在はハイデッカー車も含め貸切転用車はすべて高速バス用として導入された車両に置き換えられている。
[[1988年]]に、関鉄初の高速バスの新車として、新呉羽ボディの[[三菱ふそう・エアロエース|三菱・エアロバスK]](1430YT)と、富士HD-1ボディの[[いすゞ・スーパークルーザー|いすゞ・LV719R]](1431YT)の2車種が、谷田部営業所<ref group="注釈">現在のつくば中央営業所</ref> に配属されて以降、貸切からの転用と並行して、主にこの2車種を導入していった。
いすゞ車は、1989年にIKCボディ車も導入され、[[1990年]]にLV719RからLV771Rにモデルチェンジして以降も、引き続き、富士重ボディ<ref group="注釈">1990年まではHD-1、1991年から7HDマキシオン</ref> とIKCボディで導入されたが、[[1996年]]に[[いすゞ・ガーラ|ガーラ]]にモデルチェンジして以降は、IKコーチ、いすゞバス製造から社名を変更したジェイ・バス製の車体で導入されている。
三菱車は、主に新呉羽製のエアロバスKを採用<ref group="注釈">1991年に1台だけ富士HD-1ボディで導入されたことがある。</ref> し、当時主流だった三菱製ボディ車は1994年導入のニューエアロバス(1655YT)まで、関鉄では採用されなかった。
[[日産ディーゼル・スペースアロー]]は、1996年に1台、1999年には5台導入されたが、それ以降の導入はなく少数派に留まっている<ref group="注釈">2014年現在、1996年導入車は廃車、2000年導入車が水戸営業所に1台(1802MT)が配置されているほかは、すべて子会社に転籍</ref>。
[[2003年]]には、つくば号に共同運行先の[[ジェイアールバス関東]]より、[[ドイツ]]・[[ネオプラン]]の二階建てバス[[ネオプラン・メガライナー|メガライナー]]が2台リース導入されたが(1873YT・1874YT)、つくば号の減便に伴い、[[2006年]]にはJRバス関東に返却されている。
貸切車からの転用車も、当初はこれら新規導入車と同じく、一般路線カラーで投入されていたが、つくば号、かしま号とも、事業者の予想以上に好調で、すぐに輸送力増強を求められることとなり、貸切車からの転用車は以後は、貸切カラー<ref group="注釈">当初は、アイボリー地に、オレンジとマルーンのサンダーラインが入った関鉄貸切車のオリジナル、1990年代以降は京成グループ統一観光カラーのKanac塗装</ref> のまま、転用されていた。
[[2007年]]に導入された、ニューエアロバス(1937MT、1938IT)からは、新しい京成グループカラーで登場し、2代目ガーラ、エアロエースが引き続き、京成グループカラーで導入されている<ref group="注釈">グループカラーが採用された当初は、車体中央に「K'SEI」ロゴが表示されていたが、会社識別が困難であったため関東鉄道の略称「関鉄」をローマ字綴りそのままとした「Kantetsu」に変更された。現在は、2006年以前に導入した車両も一般路線カラーから徐々に京成グループカラーに変更されている。</ref>。
2019年7月24日、潮来営業所に東京ディズニーリゾート方面への路線に[[ベルギー]]・[[バンホール]]の二階建てバス[[バンホール・アストロメガ|スカニア・アストロメガ]](2200IT・2201IT)が運行開始した。上述のつくば号用メガライナー以来の二階建てバスであり、他事業者からリース以外の自社保有での導入は茨城県内の事業者としては初めてとなる。
高速車の移籍車は[[2000年]]に[[遠鉄バス]]からのエアロバスを導入以降、長らく存在していなかったが、2010年に[[ちばシティバス]]から、[[機関直結式冷房装置|直結クーラー]]のニューエアロバスがKanacカラーのまま水戸営業所に移籍し、[[2012年]]からは京成バスから、同じくガーラが京成グループカラーのまま移籍している。
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ファイル:MEGALINER.JPG|[[ネオプラン・メガライナー]](2006年6月[[西日本ジェイアールバス|西日本JRバス]]へ移籍。2009年3月廃車)
ファイル:Kanto-railway-bus-1805MT.jpg|高速バス(旧塗装)
ファイル:Kanto Railway - 1979MK.JPG|高速バス(京成グループ共通色新塗装)
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==== 貸切車 ====
かつては、関東鉄道本体でも、[[観光バス]]事業を行っており、多数の貸切車を保有していたが、1999年に観光バス事業を[[関鉄観光バス]]に移管してからは、[[スクールバス]]や企業送迎など、契約貸切に使われる車両のみ、保有している。
観光型車両のほか、路線型車、[[マイクロバス]]まで、契約先のニーズに合わせた、さまざまなタイプの車両を保有する。
観光型は、主に、元高速車や関鉄観光バスから移籍した元貸切車、路線車は、一般路線車や他事業者からの移籍車が転用されることが多い。 塗装も元貸切車はKanacカラー、元高速車と一般路線車は、路線カラーと、そのままの姿で転用されることが多いが、スクールバスを中心に契約先に合わせた塗装やラッピングが施される場合もある。
以前は、契約先が所有していた[[自家用バス]]をそのまま移籍([[サブリース]])させて使用されていたこともあった。
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ファイル:Kanto-railway-bus-KS1353.jpg|観光バス(高速バス改造後)
</gallery>
==== 社番 ====
社番は自社発注車が0001 - 、中古車が9001 - の付番で、関鉄グリーンバスは5001 - 、関鉄パープルバスは6001 - 、関鉄観光バスは路線車が7001 - 、貸切車が8001 - である。年式、メーカー、使用用途などに問わずすべて導入順に通し番号で表記され[[忌み番]]である『××42』や『××49』も欠番にはならない<ref group="注釈">ただし、関鉄グリーンバスはG5042,G5049は欠番となっている。</ref>。
かつて分離子会社になって導入された車は頭に子会社の記号(関鉄グリーンバス:G、関鉄パープルバス:P)が入って001 - となっていたが、2018年度からは前述の通り関鉄グリーンバスには5000番台、関鉄パープルバスには6000番台が付番されるようになった<ref group="注釈">G002→G5002、P002→P6002など</ref>。2017年度より、関鉄観光バス、関鉄グリーンバス、関鉄パープルバス等の子会社では関東鉄道からの[[リース]]車輌として9000番台に再登録されている車輌が在籍している<ref group="注釈">9442G、9448TC(関鉄観光バス土浦営業センターに在籍)、9450G、9452-9453G、9455G、9458-9460P、9461-9463G、9535G、2231TC(関鉄観光バス土浦営業センターに在籍)。うち9442Gは既に廃車。</ref>。
なお、[[廃車 (自動車)|廃車]]が出てもその社番は使用しないが、関鉄→他事業者→関鉄またはグリーン→パープル、関鉄観光バス→関鉄と渡ってきた車両は1台で2つの社番を持つこともある(例:9037IS:元[[川崎鶴見臨港バス]]→[[関鉄観光バス|日本観光バス]]→関鉄観光バス7001TCなど)。
===運賃===
一般路線バスの普通旅客運賃は対キロ区間制で、初乗りはICカードの場合168円、現金の場合170円である<ref>{{PDFlink|[http://kantetsu.co.jp/img/news/2019/19091701_bus/info_rosen.pdf 消費税率引上げに伴う路線バス(乗合バス)の運賃改定について]}} - 関東鉄道、2019年9月17日</ref><ref group="注釈">鹿島 - 銚子線の泉川界隈(初乗り190円)と銚子駅 - 銚子中学校間とジェイアールバス関東から継承した水都東線(いずれも初乗り160円)は除く</ref>。2019年10月1日の[[消費税]]増税に伴う運賃変更により、1円単位のICカード運賃が新設された。
*運賃設定(現金の場合):170円 - 1430円
中乗り・前降り、運賃後払い方式を採り、運賃箱は整理券の券面バーコード読み取りによる自動釣り銭に対応している。
===乗車券類===
一般路線バスでは通勤・通学定期券が設定されている。12ヶ月定期券も設定されており、最高額は57万6580円にもなる。なお、冊式回数券はICカードの普及により2018年9月9日をもって、金額式回数券は2020年12月31日をもって発売を終了している。利用終了日は未定。
高速バスでは一部路線を除き普通乗車券とつくば号、かしま号、TMライナーには日本の高速バスでは数少ない通勤・通学定期券が設定されている。つくば号、かしま号では共同運行他社扱いながらスマートフォンに搭載できる「スマホ定期券」も発売されている。
また、各種企画乗車券がある。
交通系ICカードについては後述する。
== 交通系ICカード ==
=== カード対応状況 ===
[[PASMO]](PASMO協議会)に加盟<ref>[http://www.pasmo.co.jp/about_pasmo/area_all.html ご利用可能交通機関]</ref> しており、鉄道・バス(一部を除く)でPASMO並びに相互利用カードが利用可能となっているが、交通機関により相互利用範囲が異なる。
駅・バス車内でチャージも取り扱うが、こちらもそれぞれ相互利用範囲内のカードのみ利用できる。
{| class="wikitable" style="text-align:left;"
|-
! 交通機関
! 利用可能カード
! 定期券搭載
! バス特
! 備考
|-
|鉄道
|PASMO・Suica
|可
|なし
|
|-
|一般路線バス
|rowspan="6"|PASMO・Suica・Kitaca・TOICA・manaca・PiTaPa・ICOCA・nimoca・SUGOCA・はやかけん
|不可
|あり※
|一部路線利用不可
|-
|高速バス
|不可
|なし
|予約制路線は利用不可
|-
|つくバス
|不可
|なし
|
|-
|モコバス
|不可
|なし
|
|-
|ことバス
|不可
|なし
|
|-
|鹿行広域バス
|不可
|なし
|
|-
|その他コミュニティバス
|colspan="4"|利用不可
|}
:※:バス利用特典サービス(バス特)はPASMO・Suicaのみ。ポイント付与は2022年3月をもって終了。
::一般路線バスには稲敷エリア広域バスを含む
==== 鉄道 ====
[[ファイル:Gate of KR Sanuki Station.JPG|240px|thumb|right|鉄道全駅でICカード導入]]
*利用可能カード:PASMO・[[Suica]]
鉄道では2009年3月14日にPASMOを全線全駅に導入し、同時にSuicaが相互利用できるようになった。全駅にIC対応改札機または簡易改札機が設置されている。IC定期券も自社の全線に加え[[連絡運輸]]区間(JR東日本線、つくばエクスプレス線の各指定区間)で発券可能である。
ただし、2013年3月23日からの[[交通系ICカード全国相互利用サービス|全国相互利用サービス]]からは除外<ref>[http://www.pasmo.co.jp/news/press/20121218_release.pdf 交通系ICカードの全国相互利用サービスがいよいよ始まります!] PASMO、2012年12月18日</ref>されており、利用できる交通系ICカード(チャージも含む)はPASMO・Suicaのみ([[首都圏ICカード相互利用サービス]])である。
==== バス ====
*利用可能カード:PASMO・Suica・[[Kitaca]]・[[manaca]]・[[TOICA]]・[[ICOCA]]・[[PiTaPa]]・[[nimoca]]・[[SUGOCA]]・[[はやかけん]]
*:※バス利用特典サービス(PASMO・Suica)は一般路線で実施
*:※2022年4月からIC定期券を導入<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.kantetsu.co.jp/img/news/2022/22030901_bus/info_1.pdf|title=関鉄グループバス共通 IC金額式定期券 定期券が変わります!|accessdate=2022-04-03}}</ref>
2017年9月16日現在の利用可能路線は下記の通り。
* 高速路線(昼行)
** 鹿島神宮駅 - 東京駅<ref name="hwypsm" />
** 鹿島神宮駅 - 羽田空港<ref name="hwypsm" />
** 鹿島神宮駅 - 東京テレポート駅<ref name="hwypsm" />
** 波崎 - 東京駅<ref name="hwypsm" />
** 水戸 - 東京駅<ref>{{Cite web|和書|title=4月20日(木)から高速バス「水戸~東京駅線」に交通系ICカード導入のお知らせ|publisher=関東鉄道|date=2017-04-07|url=http://kantetsu.co.jp/img/news/2017/17040701_bus/mito_ic.pdf|accessdate=2017-04-07|format=PDF}}</ref>
**:共同運行他社では茨城交通のみICカード利用不可
** 筑波大学・つくばセンター - 東京駅
** つくばセンター - 羽田空港
** つくばセンター - 茨城空港
** 水戸 - 茨城空港
** 茨城空港 - 東京駅
** 境町高速バスターミナル - 東京駅
* 一般路線
** 全線(ごく一部の例外あり)
** 稲敷エリア広域バス(一般路線に準じる扱い)
* コミュニティバス等
** [[つくバス]](つくば市)
** [[モコバス]](守谷市)<ref>[http://www.city.moriya.ibaraki.jp/oyaku/kotu/koukyoukoutuu/ICcard.html モコバスに交通系ICカード導入!](守谷市公式サイト)</ref>
** [[キララちゃん]](土浦市)
** [[ことバス]](取手市、関東鉄道担当便のみ)<ref>[https://www.city.toride.ibaraki.jp/toshikeikaku/kurashi/sumai/bus/riyo.html コミュニティバスの利用方法](取手市公式サイト)</ref>
** 鹿行広域バス(関東鉄道担当便のみ)
2013年3月31日に鹿島 - 東京駅線「[[かしま号]]」でサービスを開始した<ref>[http://www.kantetsu.co.jp/bus/highway/kashima/ic.html 鹿島〜東京駅線ICカードサービス開始] - 関東鉄道</ref>。
空港バスでは茨城空港に接続する3路線で、[[2016年]]7月より全国相互利用ICカードが利用可能となった<ref>[http://www.traicy.com/archives/2016062737399.html 関東鉄道、茨城空港連絡バスに交通系ICカード導入 7月13日より] - トライシー 2016年6月27日</ref>。
一般路線バスでは、[[2015年]]10月から取手地区・水戸地区の一部、[[2016年]]9月26日に土浦・つくばエリア、[[2017年]]9月16日より残りの各線(一部路線や[[管理の受委託 (バス)|委託]]車両を除く)で利用可能となった。稲敷エリア広域バスもバス特付きで導入。2016年10月1日にはつくバスにバス特なしで導入している<ref>[http://www.kantetsu.co.jp/news/2015/1504010903_bus/detail.html 一般路線バスに交通系ICカード導入のお知らせ] - 関東鉄道、2015年4月1日</ref><ref>[http://kantetsu.co.jp/topics/9%e6%9c%8826%e6%97%a5%e6%9c%88%e3%82%88%e3%82%8a%e3%80%81%e3%81%a4%e3%81%8f%e3%81%b0%e3%83%bb%e5%9c%9f%e6%b5%a6%e3%83%bb%e7%89%9b%e4%b9%85%e3%82%a8%e3%83%aa%e3%82%a2%e4%b8%80%e9%83%a8%e8%b7%af.html 9月26日(月)より、つくば・土浦・牛久エリア一般路線バスへの交通系ICカード導入のお知らせ] - 関東鉄道、2016年9月1日</ref><ref>[http://kantetsu.co.jp/news/17082801_bus.html 9月16日(土)より、守谷・水海道・竜ヶ崎・潮来・銚子エリア一般路線バスへの交通系ICカード導入のお知らせ] - 関東鉄道、2017年9月1日</ref>。
なお、PASMO加盟他社にありがちな子会社への同時導入は一切行わず、2018年3月16日の子会社への導入までは子会社との共同運行区間(水戸、筑波山、土浦など)で利用可能便と不可便が混在していた。
=== バスIC一日乗車券 ===
関鉄グループ4社(関東鉄道、関鉄グリーンバス、関鉄パープルバス、関鉄観光バス)共通のバスIC一日乗車券がある。
一般路線バス定期路線(筑波山シャトルバス、県庁シャトルバス、荒川沖 - あみアウトレット線を除く)と稲敷エリア広域バスが利用できる。高速バス、コミュニティバス等では利用できない。
利用可能日は土休日と8月13日 - 8月16日、12月29日 - 1月3日。2019年10月1日現在の価格は大人710円、小児360円(消費税増税に伴い、発売当初の価格から10円の値上げとなった)。
当日利用可能バスの車内でのみPASMO、Suicaのデータ領域内に情報を記録する形で発売され、ストアードフェア(SF)残額から価格分が引き去られる。他のICカード(ICOCA・manaca等)や現金では購入できない。
[[2018年]][[4月28日]]に発売開始。同年[[7月28日]]、稲敷エリア広域バスに利用範囲を拡大した<ref>[https://archive.fo/FfPTK 稲敷エリア広域バスIC1日乗車券発売開始] - アーカイブ</ref>。
利用可能範囲に対してかなり低価格に設定されており、区間・利用時間帯さえ工夫すれば5000円区間超、100km超の長距離乗車も難しくない<ref>[https://ibarakinews.jp/news/newsdetail.php?f_jun=15334700139859 1日乗車券を使って路線バスの旅 記者が茨城を巡ってみた] - [[茨城新聞]]2018年8月6日</ref>。
=== カード取扱状況 ===
関鉄で発売する交通系ICカードはPASMOのみである。カードの発売・払戻等は下記の窓口等で取り扱う<ref name="hwypsm">[http://kantetsu.co.jp/bus/pasmo_suica.html PASMO・Suicaご利用案内]</ref>。窓口により取扱業務が異なる。
*鉄道駅(取手・戸頭・守谷・水海道・下妻・竜ヶ崎。その他一部の駅でも限定的に取り扱う)
*バス営業所(取手・潮来・水戸・波崎車庫)
*バス案内所・サービスセンター(つくば学園・取手駅ビル・水戸駅前・関鉄観光水戸案内所)
*委託(鹿島セントラルホテル新館1階売店・水郷潮来バスターミナル)
=== ICカード回数券(廃止) ===
かつてバスでは、取手営業所管内において'''ICカード回数券'''という独自のICカード乗車券が導入されていた。[[2003年]][[12月1日]]に導入され[[2009年]][[7月31日]]に新規発行終了、[[2010年]][[3月31日]]利用終了となっている。初回販売額は3000円でデポジット不要。最大チャージ可能額は30000円で1000円のチャージ毎に1100円分利用可能であった。
== 不動産事業 ==
自社線・JR常磐線沿線及びつくば市周辺において、宅地の開発、ビルの賃貸、土地・建物の仲介などを開発部が行っている。宅地開発については、1970年の関鉄霞ヶ浦阿見台([[稲敷郡]][[阿見町]])の開発をはじめとして、[[1978年]]の「関鉄ニュータウン取手」(取手市・常総線西取手駅周辺)、[[1983年]]の「関鉄ニュータウン伊奈すみれ野」([[つくばみらい市]][[谷井田]])、「関鉄ニュータウンつくば南」(土浦市、バス「荒川沖センター」線沿い)などの開発を行っている。貸ビルは土浦市・つくば市などにある。
宅地建物取引業茨城県知事免許「(15)第203号」。一般建設業茨城県知事許可「(般-20)第25403号」。
== つくばエクスプレスとの関係 ==
{{独自研究|section=1|date=2021年10月}}
首都圏新都市鉄道 (MIR) が経営するつくばエクスプレス(以下TXと表記)とは、「競合」と「協調」の相反する二面性を持った関係となっている。TX開業によって主力の高速バス・鉄道事業が圧迫される一方、関鉄によるMIR株の保有のみならず事業における一定の協調関係を持っており、その関係はTXと距離を置く鉄道事業者が多い中やや目立ったものとなっている{{要出典|date=2021年10月}}。
=== 競合面 ===
[[ファイル:Jrbsu-omiya・tukuba.JPG|thumb|right|240px|TX打撃をカバーする路線になれず失敗した大宮線(他社車両)]]
TX開業以前はJR常磐線と並び高速バス「つくば号」が筑波研究学園都市主要部と東京都心を結ぶ主な移動手段であった。また、守谷以北の常総線利用者が東京都心に出る場合、取手駅まで常総線を利用し、そこからJR常磐線に乗り換える経路が主な移動手段であった。
TX開業に当たり、つくば号の減便・再編をせず様子を見ていたが、速度で劣るつくば号は乗客が70%減少し<ref name="ibaraki20060305">「新時代への扉 つくば-秋葉原45分 第4部 動く 鹿島鉄道廃線ヘ決断」『茨城新聞』2006年3月5日</ref>、後々減便された。守谷市と北柏駅(JR常磐線)を結ぶ一般バス路線なども乗客が減少した。収益性の高い高速バス乗客離れによりバス運賃収入は減少した。また、守谷以北の乗客の多くが守谷駅でTXに乗り換えるようになったため、常総線も減収となった。
これらを理由として全従業員に対して給与削減を実施し、2007年4月の運賃改定で鉄道運賃を上げた。また、減収を理由として連結子会社である[[鹿島鉄道]]に行っていた経済支援を2007年度以降継続しないこととしたこともあり、鹿島鉄道線は2007年4月1日廃止となるなど関鉄の経営に大きく影響している。
2016年現在でもつくば号では対TX競合姿勢を崩しておらず、割引率の高い回数乗車券を設定して「安さ」を強調したり、筑波大学乗り入れを行って鉄道との差別化を図ったり、つくば駅前のバス停留所も「つくばセンター」のままで「つくば駅」への改称を見合わせるなどしている。つくば号沿線(つくば市並木など)からTXとの競合が弱い他の目的地への新規路線開拓・撤退も散発されている<ref group="注釈">さいたま新都心・大宮(撤退)、TDR・幕張新都心</ref>。TX側も2005年の開業時からつくば号を意識し<ref>記者発表など</ref>、つくば号より100円安い運賃(1150円、現在はつくば号値下げにより同額)とする攻めの姿勢を採った。
=== 協調面 ===
[[ファイル:TX_Kantetsu_FareMap.jpg|thumb|240px|つくばエクスプレスの関鉄線連絡運賃表(他の会社線は掲示されていない)]]
両者の利害が一致する分野においては協調関係が見られる。関鉄の主たる営業エリアはTXの終点付近に広がっているという地理的な理由が背景にあり、具体的には本線(TX)と[[培養線]](関鉄)の関係にあたる。
関鉄は茨城県内の市長・議長、商工・青年会議所長などとMIR代表取締役で構成する「茨城県つくばエクスプレス等整備利用促進協議会」特別会員になっている。この協議会の事業には「常総線の複線電化等整備促進及びつくばエクスプレスとの輸送の一本化の確保に関すること」<ref>{{PDFlink|[http://www.tx-kyogikai.jp/pdfs/kiyaku03.pdf 茨城県つくばエクスプレス等整備利用促進協議会規約]}}</ref> が含まれている。
TXと組み合わせることで水海道・下妻・下館方面から東京都心への最短・最速経路になる常総線では、沿線自治体の意向と線路改良に対する支援<ref>「沿線14市町村でつくる常総地域振興促進既成同盟会が快速運行など近代化事業運動を展開。国や県、自治体、関鉄が負担して総事業費10億8500万円で、快速運行の整備が進められた」(常陽新聞2005年8月6日)</ref> によりTX開業と同時に快速列車が新設された。「[[#企画乗車券|TX&常総ライン往復きっぷ]]」という往復割引乗車券も双方で発売するなど、TXと関鉄はこのルートの利用促進に努めている。
また、TX各駅の運賃表には接続路線で唯一、関鉄常総線[[連絡運輸|連絡運賃]]を表示しているのみならず、自社線運賃表にまで常総線の乗換案内が表示されていることも特徴的である<ref>[http://www.agui.net/tasya/txs/txssta-tsukuba-6h.jpg つくばエクスプレス運賃表(のりかえ路線は常総線のみ記載)]</ref>。
バス事業においては、東京から[[筑波山]]への最短ルートになったTXの開業後、TX列車に接続する「筑波山シャトルバス」を設けTX接続を強化する一方、直通高速バス「[[ニューつくばね号]]」を早々に撤退させた。これはつくば号の競合姿勢とは対照的である。「筑波山もみじまつり」「筑波山つつじまつり」など筑波山シャトルバスを利用した筑波山の観光促進キャンペーンをMIR、筑波観光鉄道、つくば市、つくば観光コンベンション協会と共同して行っている。関鉄のつくばエリアのバスは「つくば駅周辺フードマップ」などTX発行のパンフレットにも頻繁かつやや詳細に掲載される<ref>「[http://www.mir.co.jp/towntopics/food/e-book/food_tsukuba/#page=19 つくば駅周辺フードマップ]」は駅前飲食店情報パンフレットでありながらわざわざ2ページを割いて関鉄グループバスの案内をしている。関鉄グループ以外のバスは掲載されておらず、他エリアの「フードマップ」にはバス情報のページすらない。</ref>。
その他関鉄では、常総線沿線でもある守谷市や、つくば市などのTX沿線において宅地開発を行っている。
== 関連会社 ==
=== 関鉄グループ ===
*[[関鉄観光バス]] - [[貸切バス]]事業
*[[関鉄パープルバス]] - 地域子会社
*[[関鉄グリーンバス]] - 地域子会社([[関鉄メロンバス]]を統合)
*[[関鉄筑波商事]]
*[[鹿島鉄道]]
*関鉄水戸タクシー
*関鉄ハイヤー
*関鉄タクシー
*関鉄自動車工業
*関東情報サービス
*関鉄観光
*関鉄クリエイト
*常総産業
=== 京成グループ ===
*[[筑波観光鉄道]] - 関鉄も出資する
*[[京成ホテル|筑波山京成ホテル]]
*[[京成百貨店]]
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Notelist}}
=== 出典 ===
{{Reflist|2}}
== 参考文献 ==
* {{Cite book|和書|author=曽根悟(監修)|authorlink=曽根悟|title=週刊 歴史でめぐる鉄道全路線 公営鉄道・私鉄|editor=朝日新聞出版分冊百科編集部|publisher=[[朝日新聞出版]]|series=週刊朝日百科|volume=21号 関東鉄道・真岡鐵道・首都圏新都市鉄道・流鉄|date=2011-08-07|ref=sone21}}
* 『[[バス・ジャパン]]』No.11 特集:[[常磐高速バス]]/関鉄バス車両カタログ、[[BJエディターズ]]/[[星雲社]]、1989年1月1日。ISBN 4-7952-7766-4
* 『[[バスジャパン]] ニューハンドブックス 25 関東鉄道』BJエディターズ/星雲社、1998年8月1日。ISBN 4-7952-7792-3
== 関連項目 ==
{{Commonscat}}
*[[筑波高速度電気鉄道]] - 筑波山への鉄道敷設免許を取得。京成グループの現関鉄エリア進出の契機となる。
*[[朝日自動車]] - 土浦地区で営んでいた[[路線バス|乗合自動車]]部門(初期)を[[戦時統合]]。
*[[笠間市営バス]] - 貸切バス部門を譲受。
*[[阪東自動車]] - かつてバスを[[共同運行]]。
*[[日本私鉄労働組合総連合会]] - 関東鉄道(鹿島)労働組合、関東鉄道(常総)労働組合が加盟。
*[[Updates (ベイエフエム)|bayfm UPDATES]]([[ベイエフエム]]) - 2017年の一時期、月曜 - 金曜7:02頃にスポンサーを務めていた。当時の提供読みは「地域のふれあいパートナー 関東鉄道グループ」。
== 外部リンク ==
* [https://www.kantetsu.co.jp/ 関東鉄道 公式サイト]
* {{Twitter|kantetsu_info|関東鉄道株式会社【公式】}}
{{PASMO}}
{{関東鉄道バスの営業所}}
{{京成グループ}}
{{東武グループ}}
{{Normdaten}}
{{DEFAULTSORT:かんとうてつとう}}
[[Category:関東鉄道|*]]
[[Category:関鉄グループ|*]]
[[Category:京成グループ]]
[[Category:日本の鉄道事業者]]
[[Category:関東地方の乗合バス事業者]]
[[Category:土浦市の企業]]
[[Category:茨城県の交通]]
[[Category:1922年設立の企業]]
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2003-08-31T14:54:48Z
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2023-12-22T17:00:14Z
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名古屋市営地下鉄東山線
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東山線(ひがしやません)は、愛知県名古屋市中川区の高畑駅から同市名東区の藤が丘駅までを結ぶ、名古屋市営地下鉄の路線。『鉄道要覧』における名称は1号線東山線、都市計画上の名称は名古屋市高速度鉄道第1号線。
ラインカラーは黄色(菜種色、ウィンザーイエロー ■)で、杉本健吉の提案による旧車両(黄電)の車体色に由来する。駅ナンバリングで用いられる路線記号はH。
すべての駅でmanaca(2011年2月11日に導入)などの交通系ICカード全国相互利用サービス対応カードが使用できる。
名古屋市で最初に開業した地下鉄路線であり、同市内を東西に横断し、都心部の名駅地区(名古屋駅周辺)と一大繁華街の栄を通って市東部を結んでおり、市内交通の大動脈を担っている。沿線に東山動植物園(東山公園駅からすぐ)があり、東山動植物園にちなんで東山線と名付けられた。一社駅 - 上社駅間から藤が丘駅までは地上区間で高架線となり、上社駅 - 本郷駅間では植田川の真上に高架が建てられている。そして本郷駅 - 藤が丘駅間で北へ大きくカーブし、東名高速道路を跨ぐ。東端の藤が丘駅では愛知高速交通東部丘陵線(リニモ)に接続し、名古屋市営地下鉄の路線で唯一、名東区を通っている。名古屋駅以西は太閤通をまっすぐ西へ進むルートにはなっておらず、北へ迂回して亀島や本陣を経由し、中村公園駅以遠は起点の高畑駅まで南北に路線が敷かれている。全体的に浅い場所を走っているが、1980年代に開業した高畑駅 - 中村公園駅間には15mを超える深さのホームを有する駅もある。亀島駅の先では名鉄名古屋本線と地下で交差しているが、東山線としては珍しく、名鉄線の下を通っている。
名古屋市営地下鉄の中で最も利用者が多い路線であり、純利益額は日本の公営地下鉄では、長らく大阪市営地下鉄御堂筋線に次ぐ第2位だったが、2018年4月1日を以って御堂筋線が大阪市高速電気軌道 (Osaka Metro) に移管され、民営化されたため、公営地下鉄では第1位となった(参照:日本の地下鉄)。
名古屋市街の主要部を走るため利用者が非常に多く、朝ラッシュ時には約2分間隔、夕方ラッシュ時は約3分間隔で列車が走り、日本国内でも有数の高頻度運行路線である。利用者が多い割に列車編成が短いため名古屋駅 - 今池駅間を中心に車内は終日混雑しており、また同市東部(本山駅 - 藤が丘駅間)も住宅密集地のため、終日にわたって比較的混雑している。一方、名古屋駅以西はJR東海関西本線が八田駅、近鉄名古屋線が近鉄八田駅に停車すること、また都心からの直通バスが多く走っていることなどから、比較的空いている。
特に、1980年代には、最混雑区間である名古屋駅→伏見駅間の混雑率が250%を超えていたが、1989年に今池駅までバイパス路線の役割を担う桜通線が開業した後は180%程度まで落ち着いた。その後も名城線の環状化、桜通線の延伸など他路線の利便性の向上に伴って輸送量の減少が続き、2010年度以降は混雑率が140%程度で推移している。
建設当時の名古屋市の財政事情により建設費を抑制するために、7年後に開業した名城線共々トンネル断面を小さくして、小型車両が用いられている。また、一社駅 - 上社駅間から藤が丘駅までは地下トンネルではなく高架線を建設して建設費を抑制している。名古屋市営地下鉄で最初に開業した路線であるため、駅の雰囲気は全体的に古く、桜通線などの新規建設路線と比べると島式ホームが少ない。
車両基地は、両端の藤が丘駅と高畑駅に存在する。当初は栄駅の東側や池下駅の北側にあった。
2005年に開催された愛知万博を契機に、日本語のほか、在住者の多い英語・標準中国語・ポルトガル語(ブラジルポルトガル語)・朝鮮語の計5か国語による車内放送が、名古屋駅発車時(藤が丘行)と到着時(高畑行)、藤が丘駅到着時、そして藤が丘駅停車中(高畑行)に流れるようになり、万博閉幕後も継続されていたが、2019年から駅到着時に駅ナンバリングの放送が導入されたことにより、見直された。このことは、名古屋市内で地下鉄、名鉄などの主要駅や幹線道路沿いに5か国語表示の案内の設置を進める先駆けとなった。
使用されている接近メロディは、藤が丘方面が「ドリーム」、高畑方面が「イエローライン」である。
2015年9月から2016年2月にかけて高畑駅から順次各駅に可動式ホーム柵(ホームドア)が設置され、藤が丘駅を最後に全駅に設置が完了した。これに伴い、2015年9月1日のダイヤ変更から運転システムのATO化が行われたが、これとほぼ同時に高畑駅 - 藤が丘駅間の所要時間が37分から40分と少し延びている。そして2016年7月1日から高畑駅 - 亀島駅間と池下駅 - 藤が丘駅間の各区間でワンマン運転が開始された。亀島駅 - 池下駅間は従来通り車掌が乗務していた。2017年7月1日からは全線区間でワンマン運転が開始されている。
可動式ホーム柵は、女性専用車両が停車する位置のものは薄い黄色で、他は白色となっているが、一部、駅の雰囲気に合わせ、女性専用車以外は異なった色で塗られていることも多い。また、線路側に掲出されている駅名標には、各駅ごとに駅カラーを定めている。
2018年現在、高畑駅以南港区方面は名古屋臨海高速鉄道あおなみ線、藤が丘駅以東長久手市方面は愛知高速交通東部丘陵線(リニモ)があるため延伸計画は全く存在しないが、1960年代には長久手町役場(現・長久手市役所)方面への延伸計画があり、その後様々な理由で中止になった。藤が丘駅から先への線路は東方の藤が丘車庫への車庫線のほか、北へ若干延びて引き上げ線として使われているが、守山区や尾張旭市方面への延伸計画は元より存在しない。
原則として全線通しの運転であるが、始終発は以下の通り区間運転となる(2022年現在)。
ダイヤは、平日の朝ラッシュ時は約2分間隔で毎時最大29本が運行され、昼間時は6分間隔、夕ラッシュ時は3分間隔、早朝・夜間は約8分間隔、土曜・休日の朝は4分間隔、昼間から夕方は5分間隔で運行される。2004年の名城線環状化と同時に東山線の列車も若干減便されたものの、2022年までは昼間の運転間隔は最大でも5分を維持していた。2022年の改正で平日昼間の運転間隔が6分に延ばされている(これにより平日昼間は名城線金山駅 - 大曽根駅より本数が少なくなった)。なお、終電(終電延長時に増発される2往復の列車を含む)に限り栄駅で停車時間を長くとる。
早朝および深夜帯は、車内アナウンスの広告や乗換案内は省略され、代わりに出口(改札口)の閉鎖案内が流れるようになる。また、終電は発車の際の自動放送も「○○行き、最終電車」と、終電であることを強調するものになる。
毎年の大晦日から正月三が日(1月1日 - 3日)には昼間時5分間隔の「年末年始ダイヤ」で運行され、大晦日から元旦までは終夜運転が行われる(30分間隔の全線通し)。この日のみ、岩塚駅・星ヶ丘駅発着の列車が終点の高畑駅・藤が丘駅まで臨時に延長運行される。
1969年に藤ヶ丘駅(現・藤が丘駅)まで延伸開業してから、1982年に高畑駅まで開業するまでの間は、星ヶ丘駅折り返しの列車も多く運転されていたが、それ以降、星ヶ丘駅行は終電のみの運行となっている。なお、現在でも台風などによる地上区間の運転休止の場合、星ヶ丘駅で折り返しをしている。その際、同駅から藤が丘駅までは市バスによる代行運転が行われる。
岩塚駅始発の電車は、2番線(高畑駅方面乗り場)から発車する。ただし線路工事等の都合上、1番線から発車する場合もある。
現在のダイヤでは池下駅止まりの定期営業列車は存在しないが、夜間には同駅からの始発列車へ送り込むため、藤が丘駅から池下駅へ毎日1本定期回送列車が運行されており、同駅到着後、今池寄りの引上線にて夜間滞泊する。
かつては、平日でも高等学校の夏休みや冬休みなど長期休暇の場合は夕方の時間帯に減便される「休校期ダイヤ」が設定されていた(2019年度をもって廃止)。また、金曜日および休日の前日(お盆・年末年始、土曜日、日曜日、休日を除く)に限り終電を繰り下げていた。終電繰下げは、2013年12月20日と27日の両金曜日に試行し、2014年7月4日より本格実施に至った。しかし新型コロナウイルス感染症感染拡大の影響により、2020年4月24日から運行を休止し、同年6月5日に再開するも、同年8月7日から再度休止となり、再開されることなく、2022年9月17日のダイヤ改正により同月16日付で廃止されている。なお、この増便が行われる日は、名古屋市営バスの深夜1号系統のうち1本が運休となっていた。
東山線は建築限界の関係で、使用されている車両の大きさが小さいのが特徴である。車体長は15.5m級、車体幅は2.5m級であり、東京メトロ銀座線の車両の大きさに近い寸法となっている。また、小断面化と軽量化のための工夫が随所に見られ、小径弾性車輪、直角カルダン駆動、モノコック構造の車体、床下機器のボディーマウントなど、市電時代からのアイディアも取り入れた新機軸が多数盛り込まれた。5000形登場前までの車両は天井の低い室内での蛍光灯の隅配置(天井と幕板の接合部に配置)や網棚の非設置など、日本では他にあまり見られない特徴を持っている。
東海地区で初めて、女性専用車両が設定された路線でもある。東山線での設定は藤が丘方面行車両の先頭から4両目(高畑方面行では先頭から3両目)である。2002年9月30日から痴漢行為等迷惑行為防止を目的として平日始発から9時までの時間帯1両を女性専用とし、翌2003年から本格的に実施された。その後、2008年6月2日からは17時 - 21時の時間帯にも設定、2015年4月からは終日設定となった。なお、女性専用車両であることを示す黄色いステッカーを車体側面に貼付し、駅では2008年6月2日の時間帯拡大時より接近放送の最後に「女性専用ステッカーのある車両は、女性専用となっています。」の放送がなされる(設定当初から2015年3月までは時間を限って設定していたため、「只今の時間」が加えられていた)。各駅のホームの女性専用車両の位置にはホーム上と可動式ホーム柵にもステッカーが貼られており、女性専用車両の位置の可動式ホーム柵は薄い黄色に設定されている。
2015年8月28日に5000形が営業運転を終了したことにより、名古屋市営地下鉄の路線の中で、名城線・名港線に次いで2番目にVVVFインバータ制御を搭載した車両に統一され、上飯田線に次いで2番目に車椅子スペース設置率100%を達成した。
東山線は1960年(昭和35年)、日本国内で初めて自動列車運転装置(ATO)による自動運転を実施した路線である。システムは日立製作所が開発したもので、路線長が短いことや運行車種も一つであることからATOは車上装置による地上パターン方式(地上プログラム方式)とし、地上装置側より地上子、さらに車両側の車上子へ制御プログラムを送信して、車上装置で車両側の制御機器を操作するものである。運転区間は名古屋 - 栄町間(下り線約2.5 km)であり、車両は100形105・106号車(ATOは105号車に搭載)を使用した。1960年(昭和35年)10月21日(10月24日となっている資料もある)から夜間終電後に2か月間実施し、乗り心地は問題なく、駅停止精度は当初±54 cm以内の精度であったが、種々改良の後は±50 cm以内を確保した(第1次現車試験)。1961年(昭和36年)12月から翌1962年(昭和37年)5月まで営業時間帯の手動運転中に電子機器の耐久試験を行いながら、月に1回のATO走行試験を行った(長期耐久試験)。現車試験ならびに長期耐久試験は成功に終わったが、安全性やコスト面に課題が残され、実用化には至らなかった。その後、1963年(昭和38年)1月10日から2月10日には営業運転に使用された。
2015年9月1日のダイヤ変更からATOによる自動運転、2016年7月1日からワンマン運転が開始された。
名古屋市営地下鉄東山線の輸送実績を下記に表す。表中、最高値を赤色で、最高値を記録した年度以降の最低値を青色で、最高値を記録した年度以前の最低値を緑色で表記している。
名古屋駅 - 伏見駅間に「柳橋駅」(仮称)を設置する検討が行われている。場所は錦通と江川線が交わる西柳町交差点の西側である。
1950年時点では「柳橋停留所」として設置が計画されていたが、着工時に十分な利用者数が見込めないとして保留とされた。しかし、後に駅を設置することを見据えて設計が行われ、「柳橋構造物」と称した。「柳橋構造物」は名古屋駅を起点に東へ0K645M地点から0K795M地点までの区間であり、前後の区間で見られる砕石道床ではなく駅部分で用いられるコンクリート道床で建設され、柱の間隔は前後の区間に比べて広くなっている。2012年には1955年に作製された柳橋構造物の平面図が見つかっている。
2014年の市議会での質問を受けて名古屋市長の河村たかしは柳橋構造物の視察を行い、駅周辺の活性化を狙って新駅の整備に取り組む姿勢を見せた。中央新幹線の開通に合わせた再開発のため特定都市再生緊急整備地域の指定を受け、この地域に含まれる柳橋駅の設置に国の予算支援を受けられる可能性が浮上したことが背景にある。2018年度には名古屋市が駅構内の配置や工事の方法を検討し、駅の設置が「物理的には可能」であると確認した。一方で混雑の激しい名古屋駅 - 伏見駅間の所要時間が延びることや維持管理費が増えることが指摘されている。
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"text": "東山線は1960年(昭和35年)、日本国内で初めて自動列車運転装置(ATO)による自動運転を実施した路線である。システムは日立製作所が開発したもので、路線長が短いことや運行車種も一つであることからATOは車上装置による地上パターン方式(地上プログラム方式)とし、地上装置側より地上子、さらに車両側の車上子へ制御プログラムを送信して、車上装置で車両側の制御機器を操作するものである。運転区間は名古屋 - 栄町間(下り線約2.5 km)であり、車両は100形105・106号車(ATOは105号車に搭載)を使用した。1960年(昭和35年)10月21日(10月24日となっている資料もある)から夜間終電後に2か月間実施し、乗り心地は問題なく、駅停止精度は当初±54 cm以内の精度であったが、種々改良の後は±50 cm以内を確保した(第1次現車試験)。1961年(昭和36年)12月から翌1962年(昭和37年)5月まで営業時間帯の手動運転中に電子機器の耐久試験を行いながら、月に1回のATO走行試験を行った(長期耐久試験)。現車試験ならびに長期耐久試験は成功に終わったが、安全性やコスト面に課題が残され、実用化には至らなかった。その後、1963年(昭和38年)1月10日から2月10日には営業運転に使用された。",
"title": "車両"
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"text": "2015年9月1日のダイヤ変更からATOによる自動運転、2016年7月1日からワンマン運転が開始された。",
"title": "車両"
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"tag": "p",
"text": "名古屋市営地下鉄東山線の輸送実績を下記に表す。表中、最高値を赤色で、最高値を記録した年度以降の最低値を青色で、最高値を記録した年度以前の最低値を緑色で表記している。",
"title": "利用状況"
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"text": "名古屋駅 - 伏見駅間に「柳橋駅」(仮称)を設置する検討が行われている。場所は錦通と江川線が交わる西柳町交差点の西側である。",
"title": "駅一覧"
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"text": "1950年時点では「柳橋停留所」として設置が計画されていたが、着工時に十分な利用者数が見込めないとして保留とされた。しかし、後に駅を設置することを見据えて設計が行われ、「柳橋構造物」と称した。「柳橋構造物」は名古屋駅を起点に東へ0K645M地点から0K795M地点までの区間であり、前後の区間で見られる砕石道床ではなく駅部分で用いられるコンクリート道床で建設され、柱の間隔は前後の区間に比べて広くなっている。2012年には1955年に作製された柳橋構造物の平面図が見つかっている。",
"title": "駅一覧"
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"text": "2014年の市議会での質問を受けて名古屋市長の河村たかしは柳橋構造物の視察を行い、駅周辺の活性化を狙って新駅の整備に取り組む姿勢を見せた。中央新幹線の開通に合わせた再開発のため特定都市再生緊急整備地域の指定を受け、この地域に含まれる柳橋駅の設置に国の予算支援を受けられる可能性が浮上したことが背景にある。2018年度には名古屋市が駅構内の配置や工事の方法を検討し、駅の設置が「物理的には可能」であると確認した。一方で混雑の激しい名古屋駅 - 伏見駅間の所要時間が延びることや維持管理費が増えることが指摘されている。",
"title": "駅一覧"
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] |
東山線(ひがしやません)は、愛知県名古屋市中川区の高畑駅から同市名東区の藤が丘駅までを結ぶ、名古屋市営地下鉄の路線。『鉄道要覧』における名称は1号線東山線、都市計画上の名称は名古屋市高速度鉄道第1号線。 ラインカラーは黄色で、杉本健吉の提案による旧車両(黄電)の車体色に由来する。駅ナンバリングで用いられる路線記号はH。 すべての駅でmanaca(2011年2月11日に導入)などの交通系ICカード全国相互利用サービス対応カードが使用できる。
|
{{pp-vandalism|small=yes}}
{{Infobox 鉄道路線
|路線名=[[File:Transportation Bureau City of Nagoya.svg|20px|bottom|名古屋市交通局|link=名古屋市交通局]] 東山線
|路線色=#FAB123
|ロゴ=[[File:Nagoya Subway Logo (Higashiyama Line).svg|50px|top]] [[File:Nagoya Subway Logo V2 (Higashiyama Line).svg|50px]]
|画像=名古屋市交通局N1000形.jpg
|画像サイズ=300px
|画像説明=[[名古屋市交通局N1000形電車|N1000形電車]](藤が丘駅)
|国={{JPN}}
|所在地=[[愛知県]][[名古屋市]]
|種類=[[地下鉄]]
|路線網=[[名古屋市営地下鉄]]
|起点=[[高畑駅]]
|終点=[[藤が丘駅 (愛知県)|藤が丘駅]]
|駅数=22駅
|輸送実績=
|1日利用者数=
|路線記号=H
|路線番号=1号線
|路線色3={{Nowrap|{{Legend2|#FAB123|黄色(菜種色、ウィンザーイエロー)}}<br />[[DICカラーガイド|DIC]] 2534<ref name="signmanual">「名古屋市交通局 旅客サインマニュアル」による</ref>}}
|開業=[[1957年]][[11月15日]]
|最終延伸=[[1982年]][[9月21日]]
|所有者=[[名古屋市交通局]]
|運営者=名古屋市交通局
|車両基地=[[高畑車庫]]、[[名古屋市交通局藤が丘工場|藤が丘車庫・藤が丘工場]]
|使用車両=[[#車両|車両]]の節を参照
|路線構造=地上区間:一社 - 藤が丘間
|路線距離=20.6 [[キロメートル|km]]
|軌間=1,435 [[ミリメートル|mm]]
|線路数=[[複線]]
|電化方式=[[直流電化|直流]]600 [[ボルト (単位)|V]] [[第三軌条方式]]<ref name="new-nagoya-history-7-1998-3-31">新修名古屋市史編集委員会 『新修名古屋市史 第7巻』 [[名古屋市]]、1998年3月31日。</ref>
|最大勾配=
|最小曲線半径=125 [[メートル|m]]
|閉塞方式=車内信号式
|保安装置=[[自動列車制御装置|CS-ATC]]、[[自動列車運転装置|ATO]]
|最高速度=65 [[キロメートル毎時|km/h]]<ref name="judan">『日本縦断! 地下鉄の謎』 - 小佐野カゲトシ</ref>
|諸元備考=
|諸元備考内容=
|路線図=Linemap of NMS Higashiyama Line.svg
|路線図名=
|路線図表示=<!--collapsed-->
}}
'''東山線'''(ひがしやません)は、[[愛知県]][[名古屋市]][[中川区]]の[[高畑駅]]から同市[[名東区]]の[[藤が丘駅 (愛知県)|藤が丘駅]]までを結ぶ、[[名古屋市営地下鉄]]の路線。『[[鉄道要覧]]』における名称は'''1号線東山線'''、都市計画上の名称は'''名古屋市高速度鉄道第1号線'''。
[[日本の鉄道ラインカラー一覧|ラインカラー]]は[[黄色]](菜種色、ウィンザーイエロー {{Color|#FAB123|■}})で、[[杉本健吉]]の提案による旧車両([[黄電]])の車体色に由来する。[[駅ナンバリング]]で用いられる路線記号は'''H'''。
すべての駅で[[manaca]](2011年2月11日に導入)などの[[交通系ICカード全国相互利用サービス|交通系ICカード全国相互利用サービス対応カード]]が使用できる。
== 概要 ==
名古屋市で最初に開業した地下鉄路線であり、同市内を東西に横断し、都心部の[[名駅]]地区([[名古屋駅]]周辺)と一大[[繁華街]]の[[栄 (名古屋市)|栄]]を通って市東部を結んでおり、市内交通の大動脈を担っている。沿線に[[東山動植物園]](東山公園駅からすぐ)があり、東山動植物園にちなんで東山線と名付けられた。一社駅 - 上社駅間から藤が丘駅までは地上区間で高架線となり、上社駅 - 本郷駅間では[[植田川]]の真上に高架が建てられている。そして本郷駅 - 藤が丘駅間で北へ大きくカーブし、[[東名高速道路]]を跨ぐ。東端の藤が丘駅では[[愛知高速交通]][[愛知高速交通東部丘陵線|東部丘陵線]](リニモ)に接続し、名古屋市営地下鉄の路線で唯一、名東区を通っている。名古屋駅以西は[[愛知県道68号名古屋津島線|太閤通]]をまっすぐ西へ進むルートにはなっておらず<ref group="注釈">太閤通の地下には[[名古屋市営地下鉄桜通線|桜通線]]の[[太閤通駅]]がある。そこから西へは建設されていない。ただ、中村公園を経て七宝町方面への延伸計画がある。</ref>、北へ迂回して亀島や本陣を経由し、中村公園駅以遠は起点の高畑駅まで南北に路線が敷かれている。全体的に浅い場所を走っているが、1980年代に開業した高畑駅 - 中村公園駅間には15mを超える深さのホームを有する駅もある。亀島駅の先では名鉄名古屋本線と地下で交差しているが、東山線としては珍しく、名鉄線の下を通っている。
名古屋市営地下鉄の中で最も利用者が多い路線であり、純利益額は日本の公営地下鉄では、長らく[[Osaka Metro御堂筋線|大阪市営地下鉄御堂筋線]]に次ぐ第2位だったが、[[2018年]][[4月1日]]を以って御堂筋線が[[大阪市高速電気軌道]] (Osaka Metro) に移管され、[[民営化]]されたため、公営地下鉄では第1位となった(参照:[[日本の地下鉄]])。
名古屋市街の主要部を走るため利用者が非常に多く、朝ラッシュ時には約2分間隔、夕方ラッシュ時は約3分間隔で列車が走り、日本国内でも有数の高頻度運行路線である。利用者が多い割に列車編成が短いため名古屋駅 - 今池駅間を中心に車内は終日混雑しており、また同市東部(本山駅 - 藤が丘駅間)も住宅密集地のため、終日にわたって比較的混雑している。一方、名古屋駅以西は[[東海旅客鉄道|JR東海]][[関西線 (名古屋地区)|関西本線]]が八田駅、[[近畿日本鉄道|近鉄]][[近鉄名古屋線|名古屋線]]が近鉄八田駅に停車すること、また都心からの直通バスが多く走っていることなどから、比較的空いている。
特に、[[1980年代]]には、最混雑区間である名古屋駅→伏見駅間の混雑率が250%を超えていたが、[[1989年]]に今池駅までバイパス路線の役割を担う桜通線が開業した後は180%程度まで落ち着いた。その後も[[名古屋市営地下鉄名城線|名城線]]の環状化、桜通線の延伸など他路線の利便性の向上に伴って輸送量の減少が続き、2010年度以降は混雑率が140%程度で推移している。
建設当時の名古屋市の財政事情により建設費を抑制するために、7年後に開業した名城線共々トンネル断面を小さくして、小型車両が用いられている<ref group="注釈">[[仙台市地下鉄東西線]]・[[都営地下鉄大江戸線]]・[[横浜市営地下鉄グリーンライン]]・[[Osaka Metro長堀鶴見緑地線]]・[[Osaka Metro今里筋線|同 今里筋線]]・[[神戸市営地下鉄海岸線]]・[[福岡市営地下鉄七隈線]]も同様であるが、これらの路線はリニアモーター式の車両が用いられている。</ref>。また、一社駅 - 上社駅間から藤が丘駅までは地下トンネルではなく高架線を建設して建設費を抑制している。名古屋市営地下鉄で最初に開業した路線であるため、駅の雰囲気は全体的に古く、桜通線などの新規建設路線と比べると島式ホームが少ない。
[[車両基地]]は、両端の藤が丘駅と[[高畑駅]]に存在する。当初は栄駅の東側<ref group="注釈">今の路線の新栄町駅寄り。「栄町車庫」と呼ばれていたが、正式には車庫ではなく桜通線[[太閤通駅]]で見られた本線を使用した暫定的な検車区であり、池下延伸まで使われた。現在もその名残りでトンネルの幅がやや広くなっている。</ref>や池下駅の北側<ref group="注釈">「池下車庫」と呼ばれ、[[愛知淑徳中学校・高等学校]]の旧敷地を活用したものであった。車庫の藤が丘移転後、敷地は旧[[愛知厚生年金会館]]として活用された。</ref>にあった。
[[2005年]]に開催された[[2005年日本国際博覧会|愛知万博]]を契機に、[[日本語]]のほか、在住者の多い[[英語]]・[[中国語|標準中国語]]・[[ポルトガル語]]([[ブラジルポルトガル語]])・[[朝鮮語]]の計5か国語による[[車内放送]]が、名古屋駅発車時(藤が丘行)と到着時(高畑行)、藤が丘駅到着時、そして藤が丘駅停車中(高畑行)に流れるようになり、万博閉幕後も継続されていたが、2019年から駅到着時に駅ナンバリングの放送が導入されたことにより、見直された。このことは、名古屋市内で地下鉄、[[名古屋鉄道|名鉄]]などの主要駅や幹線道路沿いに5か国語表示の案内の設置を進める先駆けとなった。
使用されている[[発車メロディ#接近メロディ|接近メロディ]]は、藤が丘方面が「ドリーム」、高畑方面が「イエローライン」である<ref>[https://www.kotsu.city.nagoya.jp/jp/pc/ENJOY/TRP0000483.htm 列車接近メロディ] - 名古屋市交通局</ref>。
[[2015年]]9月から[[2016年]]2月にかけて高畑駅から順次各駅に[[ホームドア|可動式ホーム柵]](ホームドア)が設置され<ref>「{{PDFlink|1=[http://www.kotsu.city.nagoya.jp/dbps_data/_material_/localhost/_res/about/reform_plan/091225kenzenkakeikakusoan.pdf#page=23 市営交通事業経営健全化計画・素案]}}」23頁、24頁</ref><ref name="kadousaku20150612">{{PDFlink|1=[https://web.archive.org/web/20151117020855/http://www.kotsu.city.nagoya.jp/dbps_data/_material_/localhost/_res/about/press_release/20150612.pdf 地下鉄東山線に可動式ホーム柵を設置します]}} - 名古屋市交通局、2015年6月12日(インターネットアーカイブ)。</ref>、藤が丘駅を最後に全駅に設置が完了した。これに伴い、2015年9月1日のダイヤ変更から運転システムの[[自動列車運転装置|ATO]]化が行われたが、これとほぼ同時に高畑駅 - 藤が丘駅間の所要時間が37分から40分と少し延びている。そして2016年7月1日から高畑駅 - 亀島駅間と池下駅 - 藤が丘駅間の各区間で[[ワンマン運転]]が開始された<ref name="city-nagoya20160617">[http://www.kotsu.city.nagoya.jp/jp/pc/SUBWAY/TRP0001708.htm 東山線のワンマン運転開始について] - 名古屋市交通局、2016年6月17日</ref>。亀島駅 - 池下駅間は従来通り車掌が乗務していた。2017年7月1日からは全線区間でワンマン運転が開始されている<ref name="city-nagoya20170701">[http://www.kotsu.city.nagoya.jp/jp/pc/SUBWAY/TRP0002178.htm 東山線における全線ワンマン運転の開始について] - 名古屋市交通局、2017年6月1日</ref>。
可動式ホーム柵は、[[女性専用車両]]が停車する位置のものは薄い黄色で、他は白色となっているが、一部、駅の雰囲気に合わせ、女性専用車以外は異なった色で塗られていることも多い。また、線路側に掲出されている[[駅名標]]には、各駅ごとに駅カラーを定めている。
2018年現在、高畑駅以南港区方面は[[名古屋臨海高速鉄道]][[名古屋臨海高速鉄道あおなみ線|あおなみ線]]、藤が丘駅以東[[長久手市]]方面は[[愛知高速交通]][[愛知高速交通東部丘陵線|東部丘陵線(リニモ)]]があるため延伸計画は全く存在しないが、1960年代には長久手町役場(現・長久手市役所)方面への延伸計画があり、その後様々な理由で中止になった。藤が丘駅から先への線路は東方の[[名古屋市交通局藤が丘工場|藤が丘車庫]]への車庫線のほか、北へ若干延びて引き上げ線として使われているが、守山区や尾張旭市方面への延伸計画は元より存在しない。
=== 路線データ ===
{| {{Railway line header}}<!-- 凡例に則りHUBを接続範囲とします --><!-- 煩雑になるため、高架は記述していません -->
{{UKrail-header|停車場・施設・接続路線|#FAB123}}
{{BS-table}}
{{BS4||||tKBHFa|0.0|H01 [[高畑駅]]||}}
{{BS4|||KDSTCCaq|tABZgr||[[高畑車庫]]||}}
{{BS4||||tBHF|O4=HUBa|0.9|H02 [[八田駅]]||}}
{{BS6||||STRq|tKRZ|O5=HUBtl|BHFq|O6=HUBeq|||[[東海旅客鉄道|JR東海]]:[[関西本線]]|}}
{{BS6||||BHFq|O4=HUBaq|tKRZ|O5=HUBrf|STRq|||[[近畿日本鉄道|近鉄]]:[[近鉄名古屋線|名古屋線]]([[近鉄八田駅]])|}}
{{BS4||||tBHF|2.0|H03 [[岩塚駅]]||}}
{{BS4||||tBHF|3.1|H04 [[中村公園駅]]||}}
{{BS4||||tBHF|3.9|H05 [[中村日赤駅]]||}}
{{BS4||||tBHF|4.6|H06 [[本陣駅]]||}}
{{BS4||||tBHF|5.5|H07 [[亀島駅]]||}}
{{BS6|STR+l|STRq|STRq|STRq|tKRZ|STRq|||{{rint|ja|新幹線|東海道}} JR東海:[[東海道新幹線]]|}}
{{BS6|STR|STR+l|STRq|STRq|tKRZ|STRq|||JR東海:[[東海道本線]]|}}
{{BS6|STR|STR||STR+l|tKRZ|STRq|||[[名古屋鉄道|名鉄]]:[[名鉄名古屋本線|名古屋本線]]|}}
{{BS6|STR|STR||tSTRa|tSTR||||{{rint|nagoya|s}} [[名古屋市営地下鉄桜通線|桜通線]]|}}
{{BS6|BHF|O1=HUBaq|BHF|O2=HUBlg|tSTRq|tKRZt|tTBHFt|O5=HUBa|tSTRq|6.6|H08 [[名古屋駅]]||}}
{{BS6|STR|STR|O2=HUBlf|tKBHFa|O3=HUBq|tBHF|O4=HUBq|tSTR|O5=HUBrf||||[[近鉄名古屋駅]]・[[名鉄名古屋駅]]|}}
{{BS6|KRZt|KRZt|tSTRr|tSTR|tSTR||||近鉄:名古屋線|}}
{{BS6|KRZo|ABZgr||tSTR|tSTR||||[[名古屋臨海高速鉄道|名臨高]]:[[名古屋臨海高速鉄道あおなみ線|あおなみ線]]|}}<!-- スペースの都合で合流。実際名古屋以北でJRの貨物線に直通 -->
{{BS6|KRZo|ABZgr|tSTRc2|tSTR3|tSTR||||JR東海:関西本線|}}
{{BS6|STRr|STR|tSTR+1|tSTRc4|tSTR||||JR東海:東海道新幹線|}}
{{BS6|STRq|ABZgr|tSTR||tSTR||||JR東海:[[中央本線]]|}}
{{BS6|STRq|STRr|tSTR||tSTR||||JR東海:東海道本線|}}
{{BS6|STRq|tSTRaq|tSTRr||tSTR||||名鉄:名古屋本線|}}
{{BS4||||etBHF||柳橋駅|([[未成駅]])|}}
{{BS4||||tKRZW|||[[堀川 (名古屋市)|堀川]]|}}
{{BS4||||tSTR|||{{rint|nagoya|t}} [[名古屋市営地下鉄鶴舞線|鶴舞線]]|}}
{{BS6||||tSTRq|tTBHFt|tSTRq|8.0|H09 [[伏見駅 (愛知県)|伏見駅]]||}}
{{BS4||||tSTR|||{{rint|nagoya|m}} [[名古屋市営地下鉄名城線|名城線]]|}}
{{BS6||||tSTRq|tTBHFt|O5=HUBa|tSTRq|9.0|H10 [[栄駅 (愛知県)|栄駅]]||}}
{{BS6|||||tSTR|O5=HUBlf|tKBHFaq|O6=HUBeq|||[[栄町駅 (愛知県)|栄町駅]] [[名鉄瀬戸線]]→|}}
{{BS4||||tBHF|10.1|H11 [[新栄町駅 (愛知県)|新栄町駅]]||}}
{{BS4|||STR+r|tSTR|||JR東海:中央本線|}}
{{BS4|||BHF|O3=HUBaq|tBHF|O4=HUBeq|11.0|H12 [[千種駅]]||}}
{{BS6||||STRl|tKRZ|STRq||||}}
{{BS4||||tSTR|||{{rint|nagoya|s}} 桜通線|}}
{{BS6||||tSTRq|tTBHFt|tSTRq|11.7|H13 [[今池駅 (愛知県)|今池駅]]||}}
{{BS6|||||etABZg+l|exKDSTCCeq||''旧池下車庫''||}}
{{BS4||||tBHF|12.6|H14 [[池下駅]]||}}
{{BS4||||tBHF|13.2|H15 [[覚王山駅]]||}}
{{BS4||||tSTR|||{{rint|nagoya|m}} 名城線|}}
{{BS6||||tSTRq|tTBHFt|tSTRq|14.2|H16 [[本山駅 (愛知県)|本山駅]]||}}
{{BS4||||tBHF|15.1|H17 [[東山公園駅 (愛知県)|東山公園駅]]||}}
{{BS4||||tBHF|16.2|H18 [[星ヶ丘駅 (愛知県)|星ヶ丘駅]]||}}
{{BS4||||tBHF|17.5|H19 [[一社駅]]||}}
{{BS4||||tSTRe||||}}
{{BS4||||SKRZ-Au|||[[名古屋第二環状自動車道]]|}}
{{BS4||||BHF|18.6|H20 [[上社駅]]||}}
{{BS4||||BHF|19.3|H21 [[本郷駅 (愛知県)|本郷駅]]||}}
{{BS4||||SKRZ-Ao|||[[東名高速道路]]|}}
{{BS4|||utKBHFa|O3=HUBaq|BHF|O4=HUBeq|20.6|H22 [[藤が丘駅 (愛知県)|藤が丘駅]]||}}
{{BS6||||utSTR|STRl|KDSTeq||[[名古屋市交通局藤が丘工場|藤が丘車庫・藤が丘工場]]||}}
{{BS2||utSTR|||[[愛知高速交通]]:[[愛知高速交通東部丘陵線|東部丘陵線]]|}}
|}
|}
* 路線距離([[営業キロ]]):20.6km
* [[軌間]]:1435mm
* 駅数:22駅(起終点駅含む)
* 複線区間:全線
* 電化区間:全線(直流600V・[[第三軌条方式]])
* 地上区間:一社 - 藤が丘間
* [[閉塞 (鉄道)|閉塞方式]]:[[自動列車運転装置|ATO]]
* 最小曲線半径:125m(名古屋 - 伏見間)
* 最高速度:65km/h<ref name="judan" />
* 1編成の両数:6両
* ホーム最大対応両数:6両
<gallery perrow="4" widths="180" style="font-size:90%;">
File:MOTOYAMA STATION.JPG|駅構内は全体的に低天井(本山駅)
File:東山線上社駅付近.JPG|路線東側は高架区間(上社駅付近)<br />名古屋のベッドタウンと都心を連絡する。直上道路は[[名古屋第二環状自動車道|名二環]][[上社ジャンクション|上社JCT]]。
</gallery>
== 運行形態 ==
原則として全線通しの運転であるが、始終発は以下の通り区間運転となる(2022年現在)<ref>{{Cite web|和書|archiveurl=https://web.archive.org/web/20210202120357/https://www.kotsu.city.nagoya.jp/jp/pc/SUBWAY/TRP0000188.htm|url=https://www.kotsu.city.nagoya.jp/jp/pc/SUBWAY/TRP0000188.htm|archivedate=2021-02-02|date=2020-05-23|accessdate=2021-02-02|title=東山線始発・終発時刻|publisher=名古屋市交通局}}</ref>。
* 藤が丘方面
** 始発:岩塚駅発
** 終発:星ヶ丘駅止まり
* 高畑方面
** 始発:池下駅発
** 始発の次:星ヶ丘駅発
** 終発:岩塚駅止まり
ダイヤは、平日の朝[[ラッシュ時]]は約2分間隔で毎時最大29本が運行され、昼間時は6分間隔、夕ラッシュ時は3分間隔、早朝・夜間は約8分間隔、土曜・休日の朝は4分間隔、昼間から夕方は5分間隔で運行される。[[2004年]]の名城線環状化と同時に東山線の列車も若干減便されたものの、2022年までは昼間の運転間隔は最大でも5分を維持していた。2022年の改正で平日昼間の運転間隔が6分に延ばされている(これにより平日昼間は名城線金山駅 - 大曽根駅より本数が少なくなった)。なお、[[終電]](終電延長時に増発される2往復の列車を含む)に限り栄駅で停車時間を長くとる。<!--名城線からの連絡待ちを行うためと思われる。-->
早朝および深夜帯は、車内アナウンスの広告や乗換案内は省略され、代わりに出口(改札口)の閉鎖案内が流れるようになる。また、終電は発車の際の自動放送も「○○行き、'''最終電車'''」と、終電であることを強調するものになる。
毎年の[[大晦日]]から[[正月三が日]](1月1日 - 3日)には昼間時5分間隔の「年末年始ダイヤ」<ref group="注釈">2014年度までは大晦日は「大晦日ダイヤ」、正月三が日は「正月ダイヤ」と分かれていた</ref>で運行され、大晦日から[[元日|元旦]]までは[[終夜運転]]が行われる(30分間隔の全線通し<ref group="注釈">1975年大晦日から2003年大晦日までは20分間隔、2008年大晦日までは25分間隔だった。</ref>)。この日のみ、岩塚駅・星ヶ丘駅発着の列車が終点の高畑駅・藤が丘駅まで臨時に延長運行される。
[[1969年]]に藤ヶ丘駅(現・藤が丘駅)まで延伸開業してから、[[1982年]]に高畑駅まで開業するまでの間は、星ヶ丘駅折り返しの列車も多く運転されていた{{refnest|group="注釈"|1969年の藤ヶ丘駅開業時は、4本中3本(平日)又は5本中4本(休日)が星ヶ丘駅で折り返していた。その後[[1971年]][[11月15日]]から3本中2本(平日)又は4本中3本(休日)が星ヶ丘駅折返し、[[1975年]][[3月21日]]から藤ヶ丘駅直通と星ヶ丘駅折返しの交互運行となった<ref>{{Cite book |和書 |author=名古屋市交通局 営業本部 電車部 |year=1987 |title=開業30周年 地下鉄資料集 |pages=120 - 121 |publisher= |location= |isbn= |quote= }}</ref>。}}が、それ以降、星ヶ丘駅行は終電のみの運行となっている。なお、現在でも台風などによる地上区間の運転休止の場合、星ヶ丘駅で折り返しをしている。その際、同駅から藤が丘駅までは[[名古屋市営バス|市バス]]による代行運転が行われる。
岩塚駅始発の電車は、2番線(高畑駅方面乗り場)から発車する。ただし線路工事等の都合上、1番線から発車する場合もある。
現在のダイヤでは池下駅止まりの定期営業列車は存在しない{{refnest|group="注釈"|東山線が午前0時までに運行を終了していた[[1976年]]までは、中村公園駅発の最終電車は池下駅行であった。また、名古屋駅での夜間滞泊もあり、藤ヶ丘駅(現・藤が丘駅)行の初発電車および星ヶ丘駅発の最終電車は名古屋駅始発・終着であった<ref>『市バス・地下鉄ご案内』、名古屋市交通局発行のリーフレット、1974年7月</ref>。}}が、夜間には同駅からの始発列車へ送り込むため、藤が丘駅から池下駅へ毎日1本定期回送列車が運行されており、同駅到着後、今池寄りの引上線にて[[夜間滞泊]]する。
かつては、平日でも高等学校の夏休みや冬休みなど長期休暇の場合は夕方の時間帯に減便される「休校期ダイヤ」が設定されていた(2019年度をもって廃止)。また、金曜日および休日の前日(お盆・年末年始、土曜日、日曜日、休日を除く)に限り終電を繰り下げていた<ref>[http://www.kotsu.city.nagoya.jp/jp/pc/SUBWAY/TRP0000160.htm 東山線終電延長] 名古屋市交通局</ref>。終電繰下げは、2013年12月20日と27日の両金曜日に試行し<ref group="注釈">この時は全線通しの列車1往復の運行であった。{{PDFlink|[https://web.archive.org/web/20151117063620/http://www.kotsu.city.nagoya.jp/dbps_data/_material_/localhost/_res/about/keiei_committee/131212dai8kaibesshi3.pdf 地下鉄東山線における最終電車延長の試行実施について]}}、名古屋市交通局報道発表資料(インターネット・アーカイブ)、2013年11月28日、2017年1月9日閲覧</ref>、2014年7月4日より本格実施に至った<ref name="nagoyacity20140624">{{Cite press release |和書 |title=地下鉄東山線における最終電車の時刻延長等の実施について |publisher=名古屋市交通局 |date=2014-06-24 |url=http://www.kotsu.city.nagoya.jp/dbps_data/_material_/localhost/_res/about/press_release/20140624.pdf |format=PDF |accessdate=2018-04-18 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20151117014959/http://www.kotsu.city.nagoya.jp/dbps_data/_material_/localhost/_res/about/press_release/20140624.pdf |archivedate=2015-11-17}}</ref>。しかし[[新型コロナウイルス感染症_(2019年)|新型コロナウイルス感染症]]感染拡大の影響により、[[2020年]][[4月24日]]から運行を休止し<ref>{{Cite web|和書|archiveurl=https://web.archive.org/web/20200429072112/https://www.kotsu.city.nagoya.jp/jp/pc/BUSSUBWAY/TRP0003963.htm|url=https://www.kotsu.city.nagoya.jp/jp/pc/BUSSUBWAY/TRP0003963.htm|archivedate=2020-04-29|date=2020-04|accessdate=2021-02-02|title=地下鉄・市バスの一部運休について|publisher=名古屋市交通局}}</ref>、同年[[6月5日]]に再開するも<ref>{{Cite web|和書|archiveurl=https://web.archive.org/web/20200529112634/https://www.kotsu.city.nagoya.jp/jp/pc/BUSSUBWAY/TRP0003963.htm|url=https://www.kotsu.city.nagoya.jp/jp/pc/BUSSUBWAY/TRP0003963.htm|archivedate=2020-05-29|date=2020-05|accessdate=2021-02-02|title=地下鉄・市バスの運行再開について|publisher=名古屋市交通局}}</ref>、同年[[8月7日]]から再度休止となり<ref>{{Cite web|和書|archiveurl=https://web.archive.org/web/20201025014423/https://www.kotsu.city.nagoya.jp/jp/pc/BUSSUBWAY/TRP0003963.htm|url=https://www.kotsu.city.nagoya.jp/jp/pc/BUSSUBWAY/TRP0003963.htm|archivedate=2020-10-25|date=2020-07|accessdate=2021-02-02|title=市バス・地下鉄の一部運休について|publisher=名古屋市交通局}}</ref>、再開されることなく、2022年9月17日のダイヤ改正により同月16日付で廃止されている。なお、この増便が行われる日は、[[名古屋市営バス]]の[[名古屋市営バス大森営業所#深夜1号系統|深夜1号系統]]のうち1本が運休となっていた。
== 車両 ==
東山線は[[建築限界]]の関係で、使用されている車両の大きさが小さいのが特徴である。車体長は15.5m級、車体幅は2.5m級であり、[[東京メトロ銀座線]]の車両の大きさに近い寸法となっている。また、小断面化と軽量化のための工夫が随所に見られ、小径[[弾性車輪]]、[[直角カルダン駆動]]、[[モノコック]]構造の車体、床下機器の[[ボディーマウント構造|ボディーマウント]]など、[[名古屋市電|市電]]時代からのアイディアも取り入れた新機軸が多数盛り込まれた。5000形登場前までの車両は天井の低い室内での[[蛍光灯]]の隅配置(天井と幕板の接合部に配置)や[[網棚]]の非設置など、日本では他にあまり見られない特徴を持っている。
東海地区で初めて、[[女性専用車両]]が設定された路線でもある。東山線での設定は藤が丘方面行車両の先頭から4両目(高畑方面行では先頭から3両目)である。[[2002年]][[9月30日]]から痴漢行為等迷惑行為防止を目的として平日始発から9時までの時間帯1両を女性専用とし<ref name="NAGOYA CITY200209">[https://web.archive.org/web/20021208040938fw_/http://www.kotsu.city.nagoya.jp/osirase/joseisenyo.htm 女性専用車両を試行導入しました。](名古屋市交通局・インターネットアーカイブ)。</ref>、翌[[2003年]]から本格的に実施された<ref name="NAGOYA CITY200306">[https://web.archive.org/web/20040416072119fw_/http://www.kotsu.city.nagoya.jp/osirase/jyoseisenyo/joseisenyo.htm 地下鉄女性専用車両運行の継続について](名古屋市交通局・インターネットアーカイブ)。</ref>。その後、[[2008年]][[6月2日]]からは17時 - 21時の時間帯にも設定、2015年4月からは終日設定となった。なお、女性専用車両であることを示す黄色いステッカーを車体側面に貼付し、駅では2008年6月2日の時間帯拡大時より接近放送の最後に「女性専用ステッカーのある車両は、女性専用となっています。」の放送がなされる(設定当初から2015年3月までは時間を限って設定していたため、「只今の時間」が加えられていた)。各駅のホームの女性専用車両の位置にはホーム上と可動式ホーム柵にもステッカーが貼られており、女性専用車両の位置の可動式ホーム柵は薄い黄色に設定されている。
[[2015年]][[8月28日]]に5000形が営業運転を終了したことにより、名古屋市営地下鉄の路線の中で、[[名古屋市営地下鉄名城線|名城線]]・[[名古屋市営地下鉄名港線|名港線]]に次いで2番目に[[可変電圧可変周波数制御|VVVFインバータ制御]]を搭載した車両に統一され、[[名古屋市営地下鉄上飯田線|上飯田線]]に次いで2番目に[[車椅子スペース]]設置率100%を達成した。
東山線は[[1960年]](昭和35年)、日本国内で初めて[[自動列車運転装置]](ATO)による自動運転を実施した路線である<ref name="HITACHI1961-EX">日立製作所『日立評論』1961年別冊39号「{{PDFlink|[https://www.hitachihyoron.com/jp/pdf/1961/ex39/1961_ex_39_11.pdf 電車自動運転装置]}}」。</ref><ref name="HITACHI1961-40EX">日立製作所『日立評論』1961年別冊40号「{{PDFlink|[https://www.hitachihyoron.com/jp/pdf/1961/ex40/1961_ex_40_12.pdf 列車自動制御装置]}}」pp.102 - 104。</ref><ref name="Rail-e1962-11">信号保安協会「信号保安」1962年11月号「名古屋市地下鉄の自動運転装置」pp.6 - 9。</ref>。システムは[[日立製作所]]が開発したもので、路線長が短いことや運行車種も一つであることからATOは車上装置による地上パターン方式(地上プログラム方式)とし、地上装置側より地上子、さらに車両側の車上子へ制御プログラムを送信して、車上装置で車両側の制御機器を操作するものである<ref name="HITACHI1961-EX"/><ref name="Rail-e1963-11">鉄道電化協会「電気鉄道」1963年11月号「列車の自動運転」pp.25 - 28。</ref>。運転区間は[[名古屋駅|名古屋]] - [[栄駅 (愛知県)|栄町]]間(下り線約2.5 km)であり、車両は[[名古屋市交通局100形電車|100形]]105・106号車(ATOは105号車に搭載)を使用した<ref name="Rail-e1962-11"/>。[[1960年]](昭和35年)[[10月21日]]<ref>[[名古屋市交通局]]「市営交通70年のあゆみ」([[1992年]][[8月]])参照。</ref>(10月24日となっている資料もある<ref name="HITACHI1961-40EX"/>)から夜間終電後に2か月間実施し、乗り心地は問題なく、駅停止精度は当初±54 cm以内の精度であったが、種々改良の後は±50 cm以内を確保した<ref name="Rail-e1962-11"/>(第1次現車試験)。1961年(昭和36年)12月から翌1962年(昭和37年)5月まで営業時間帯の手動運転中に電子機器の耐久試験を行いながら、月に1回のATO走行試験を行った<ref name="Rail-e1962-11"/>(長期耐久試験)。現車試験ならびに長期耐久試験は成功に終わったが、安全性やコスト面に課題が残され、実用化には至らなかった<ref name="Rail-e1962-11"/>。その後、[[1963年]](昭和38年)1月10日から2月10日には営業運転に使用された<ref name="Rail-e1963-11"/>。
2015年[[9月1日]]のダイヤ変更からATOによる自動運転、[[2016年]][[7月1日]]からワンマン運転が開始された。
=== 現用車両 ===
* [[名古屋市交通局5050形電車|5050形]]
* [[名古屋市交通局N1000形電車|N1000形]]
<gallery>
File:Nagoya Subway 5171 20170712.jpg|5050形
File:Nagoya Subway N1106 20170712.jpg|N1000形
</gallery>
=== 過去の車両 ===
* [[名古屋市交通局100形電車|100形・200形・250形]]
* [[名古屋市交通局300形電車|300形]]
* [[名古屋市交通局5000形電車|5000形]]
<gallery>
File:Nagoya City Tram & Subway Museum 10.JPG|100形
File:Nagoya Subway 300 series 001.JPG|300形
File:5000 20150729A.JPG|5000形
</gallery>
== 歴史 ==
=== 年表 ===
* [[1950年]]([[昭和]]25年)[[1月19日]]:[[建設省]]告示第9号で計画決定<ref name="kensetsusho-1963">{{Cite | title = 建設省十五年小史 | publisher = [[建設広報協議会]] | date = 1963年10月1日}}</ref>。
* [[1954年]](昭和29年)8月:名古屋 - 栄町間を着工<ref name="kensetsusho-1963" />。
* [[1957年]](昭和32年)[[11月15日]]:1号線として名古屋駅 - 栄町駅(現在の栄駅)間 (2.4km) が開業<ref name="new-nagoya-history-7-1998-3-31" />。100形電車営業運転開始。
* [[1960年]](昭和35年)
** [[6月15日]]:栄町駅 - 池下駅間 (3.6km) が開業。
** [[10月21日]]:名古屋駅 - 栄町駅間下り線で夜間終電後に自動列車運転装置(ATO)の現車試験を開始<ref>「市営交通70年のあゆみ」1992年、114頁</ref>(10月24日となっている資料もある。現車試験は2か月間)。
* [[1961年]](昭和36年)[[5月15日]]:地下鉄建設工事のため、[[名古屋市電東山公園線|市電東山公園線]]覚王山 - 星ヶ丘間の営業休止{{Refnest|group="注釈"|この区間は営業再開されず、1963年に覚王山 - 東山公園間、1967年に東山公園 - 星ヶ丘間が地下鉄開業に合わせて[[廃線|廃止]]された。}}。
* [[1963年]](昭和38年)
** [[1月10日]]:2月10日まで一時的に自動列車運転装置(ATO)を使用した営業運転を実施<ref name="Rail-e1963-11"/>。
** [[4月1日]]:池下駅 - 東山公園駅間 (2.5km) が開業<ref name="new-nagoya-history-7-1998-3-31" />。
* [[1964年]](昭和39年)12月:200形電車登場。
* [[1966年]](昭和41年)[[6月1日]]:栄町駅を栄駅に、伏見町駅を伏見駅にそれぞれ改称。
* [[1967年]](昭和42年)[[3月30日]]:東山公園駅 - 星ヶ丘駅間 (1.1km) が開業<ref name="new-nagoya-history-7-1998-3-31" />。300形電車営業運転開始。
* [[1969年]](昭和44年)
** 4月1日:中村公園駅 - 名古屋駅間 (3.5km)、星ヶ丘駅 - 藤ヶ丘駅間 (4.4km) が開業<ref name="new-nagoya-history-7-1998-3-31" />。このうち一社駅 - 藤ヶ丘駅間は名古屋市営地下鉄で初めての地上区間となった。
** [[4月25日]]:1号線の愛称を'''東山線'''と決定。[[5月1日]]から使用開始。愛称決定までは2号線(現・名城線)の南北線に対して、「東西線」と呼称する場合もあった。
* [[1970年]](昭和45年)[[12月10日]]:一社駅 - 本郷駅間に上社駅が開業<ref name="new-nagoya-history-7-1998-3-31" />。
* [[1980年]](昭和55年)[[7月1日]]:5000形電車営業運転開始。
* [[1982年]](昭和57年)[[9月21日]]:高畑駅 - 中村公園駅間 (3.1km) が開業<ref name="new-nagoya-history-7-1998-3-31" />。
* [[1983年]](昭和58年)10月:250形電車登場。
* [[1988年]](昭和63年)7月:100形電車全廃。
* [[1990年]]([[平成]]2年)8月:200形電車全廃。
* [[1992年]](平成4年)[[5月17日]]:5050形電車営業運転開始<ref>{{Cite news |title=新型車両が営業運転開始 名古屋市営地下鉄 |newspaper=[[交通新聞]] |publisher=交通新聞社 |date=1992-05-20 |page=1 }}</ref>。
* [[1999年]](平成11年)[[4月3日]]:250形電車営業運転終了。
* [[2000年]](平成12年)[[4月11日]]:300形電車営業運転終了。
* [[2002年]](平成14年)[[9月30日]]:平日の始発から午前9時まで女性専用車両を導入<ref name="NAGOYA CITY200209"/>。
* [[2003年]](平成15年)[[6月2日]]:女性専用車両の運行継続を発表<ref name="NAGOYA CITY200306"/>。
* [[2004年]](平成16年)
** [[3月27日]]:[[自動列車保安装置]]を[[自動列車停止装置#打子式ATS|打子式ATS]]から[[自動列車制御装置#新CS-ATC|CS-ATC]]に変更<ref name="NAGOYA CITY200403">[https://web.archive.org/web/20040405083812fw_/http://www.kotsu.city.nagoya.jp/archives/atc-led/higashiyama_atc.html 平成16年3月27日(土)から東山線でATC運転開始](名古屋市交通局・インターネットアーカイブ)。</ref>。電車緊急停止装置とLED式[[発車標]]を全駅に設置<ref name="NAGOYA CITY200403"/>。
** [[10月6日]]:藤ヶ丘駅を藤が丘駅に改称<ref>{{Cite journal|和書 |title=鉄道記録帳 |journal = RAIL FAN |date = 2005年1月号 |issue = 1 |volume = 52 |publisher = 鉄道友の会 |page = 24 }}</ref>。
* [[2007年]](平成19年)[[3月19日]]:全駅で列車到着前の接近チャイムに代わり[[発車メロディ#接近メロディ|接近メロディ]]を導入。
* [[2008年]](平成20年)
** [[3月26日]]:N1000形電車営業運転開始。
** [[5月1日]]:地上区間(上社駅 - 藤が丘駅間)で車内灯消灯実施(2015年まで。2022年以降は節電要請時のみ実施)。
** 6月2日:女性専用車両の運行時間帯を平日の午後5時から9時までに拡大。
* [[2014年]](平成26年)
** [[7月4日]]:金曜日および祝休日前日の最終列車の延長運転開始<ref name="nagoyacity20140624" />。
** [[9月25日]]:大雨で高層ビル[[JPタワー名古屋]]の建設現場から名古屋駅に水が流れ込み、岩塚駅 - 池下駅間が不通となる<ref>{{Cite news|title=地下鉄名古屋駅浸水:高層ビルの掘削工事が原因か|newspaper=毎日新聞|date=2014-09-25|url=http://mainichi.jp/select/news/20140925k0000e040210000c.html|accessdate=2021-11-01|publisher=毎日新聞社|archiveurl=https://web.archive.org/web/20140925034707/http://mainichi.jp/select/news/20140925k0000e040210000c.html|archivedate=2014-09-25}}</ref>。14時45分に全線運転再開<ref>{{Cite news|title=名古屋 浸水の地下鉄全線で運転再開|newspaper=NHK NEWS WEB|date=2021-09-25|url=http://www3.nhk.or.jp/news/html/20140925/k10014867731000.html|accessdate=2021-11-01|publisher=日本放送協会|archiveurl=https://web.archive.org/web/20140925082345/http://www3.nhk.or.jp/news/html/20140925/k10014867731000.html|archivedate=2014-09-25}}</ref><ref>{{cite news|url=http://www.asahi.com/articles/ASG9T5WBXG9TOIPE03X.html|title=地下鉄名古屋駅浸水、ビル建設が原因 竹中工務店陳謝|newspaper=朝日新聞デジタル|publisher=朝日新聞社|date=2014-09-26|accessdate=2021-11-01|archiveurl=https://web.archive.org/web/20140925132208/http://www.asahi.com/articles/ASG9T5WBXG9TOIPE03X.html |archivedate=2014-09-25}}</ref>。
* [[2015年]](平成27年)
** 4月1日:女性専用車両の運行時間帯を平日の終日に拡大。
** [[8月28日]]:5000形電車営業運転終了。
** [[8月30日]]:5000形電車引退記念イベントとして高畑駅 - 藤が丘駅間で特別列車を運転<ref>{{Cite web|和書|url=http://railf.jp/news/2015/07/15/140000.html|title=東山線5000形に引退記念装飾|accessdate=2021-08-08|publisher=交友社|date=2015-07-15|website=鉄道ファン railf.jp|work=鉄道ニュース}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=http://railf.jp/news/2015/08/31/204000.html|title=名古屋市交通局で5000形車両引退記念イベント|accessdate=2021-08-08|publisher=交友社|date=2015-08-31|website=鉄道ファン railf.jp|work=鉄道ニュース}}</ref>。
** [[9月1日]]:ダイヤ改正。ATOによる自動運転開始。
** [[9月7日]]:高畑駅から順次可動式ホーム柵使用開始<ref name="kadousaku20150612"/>。
* [[2016年]](平成28年)
** [[2月29日]]:藤が丘駅の可動式ホーム柵運用開始。この日をもって東山線全駅に可動式ホーム柵整備完了。
** [[7月1日]]:高畑駅 - 亀島駅間と池下駅 - 藤が丘駅間の各区間でワンマン運転開始<ref name="city-nagoya20160617" />。
* [[2017年]](平成29年)7月1日:全線でワンマン運転開始<ref name="city-nagoya20170701" />。
* [[2019年]](平成31年)2月1日:車内放送で英語のみ[[駅ナンバリング]]放送を開始。
* [[2022年]](令和4年)9月17日:ダイヤ見直し。平日10時から15時までの運行間隔を5分から6分に変更して列車削減。
== 利用状況 ==
名古屋市営地下鉄東山線の輸送実績を下記に表す。表中、最高値を赤色で、最高値を記録した年度以降の最低値を青色で、最高値を記録した年度以前の最低値を緑色で表記している。
{| class="wikitable" style="font-size:90%; text-align:center;"
|+東山線輸送実績
|-
!年度!!年間<br />輸送人員<br />(千人)!!一日平均<br />輸送人員<br />(人)!!輸送人キロ<br />(千人キロ)!!輸送密度<br />(人/日)(%)!!特記事項
|-
! style="font-weight: normal;"|1957年(昭和32年)
|
|
|
|
|
|-
! style="font-weight: normal;"|1970年(昭和45年)
| || style="background-color: #ccffcc;"|342,093 || || ||
|-
! style="font-weight: normal;"|1975年(昭和50年)
| || 520,408 || || ||
|-
! style="font-weight: normal;"|1980年(昭和55年)
| || 560,255 || || ||
|-
! style="font-weight: normal;"|1985年(昭和60年)
| || 593,282 || ||
|
|-
! style="font-weight: normal;"|1990年(平成2年)
| 197,339 || 540,654 || 976,952 || 129,931
|
|-
! style="font-weight: normal;"|1991年(平成3年)
| style="background-color: #ffcccc;"|206,189 || || 1,020,303 || 135,697
|
|-
! style="font-weight: normal;"|1992年(平成4年)
| 198,041 || || 984,292 || 130,907
|
|-
! style="font-weight: normal;"|1993年(平成5年)
| 198,494 || 543,819 || 988,865 || 131,515
|
|-
! style="font-weight: normal;"|1994年(平成6年)
| 192,323 || 526,912 || 960,816 || 127,785
|
|-
! style="font-weight: normal;"|1995年(平成7年)
| 193,224 || 527,934 || 970,226 || 129,037
|
|-
! style="font-weight: normal;"|1996年(平成8年)
| 190,685 || 522,425 || 963,762 || 128,177
|
|-
! style="font-weight: normal;"|1997年(平成9年)
| 188,029 || 515,148 || 956,006 || 127,145
|
|-
! style="font-weight: normal;"|1998年(平成10年)
| 186,577 || 511,170 || 949,541 || 126,286
|
|-
! style="font-weight: normal;"|1999年(平成11年)
| 183,023 || 501,433 || 944,258 || 125,583
|
|-
! style="font-weight: normal;"|2000年(平成12年)
| 182,243 || 499,299 || 940,699 || 125,110
|
|-
! style="font-weight: normal;"|2001年(平成13年)
| style="background-color: #ccffff;"|176,643 || style="background-color: #ccffff;"|483,953 || style="background-color: #ccffcc;"|909,302 || style="background-color: #ccffcc;"|120,934
|
|-
! style="font-weight: normal;"|2002年(平成14年)
| 178,709 || 489,614 || 924,794 || 122,944
|
|-
! style="font-weight: normal;"|2003年(平成15年)
| 199,730 || 547,206 || 1,029,188 || 136,878
|
|-
! style="font-weight: normal;"|2004年(平成16年)
| 195,275 || 535,000 || 976,966 || 129,933
|
|-
! style="font-weight: normal;"|2005年(平成17年)
| 198,706 || 544,400 || style="background-color: #ffcccc;"|1,048,139 || style="background-color: #ffcccc;"|139,399
| style="text-align:left;"|愛知万博開催
|-
! style="font-weight: normal;"|2006年(平成18年)
| 198,873 || 544,858 || 1,004,003 || 133,529
|
|-
! style="font-weight: normal;"|2007年(平成19年)
| 199,942 || 547,786 || 1,020,203 || 135,683
|
|-
! style="font-weight: normal;"|2008年(平成20年)
| 200,334 || 548,860 || 1,020,079 || 135,667
|
|-
! style="font-weight: normal;"|2009年(平成21年)
| 196,979 || 539,668 || 1,010,079 || 134,337
|
|-
! style="font-weight: normal;"|2010年(平成22年)
| 196,736 || 539,002 || 1,025,452 || 136,381
|
|-
! style="font-weight: normal;"|2011年(平成23年)
| 198,278 || 543,227 || style="background-color: #ccffff;"|989,539 || style="background-color: #ccffff;"|131,605
|
|-
! style="font-weight: normal;"|2012年(平成24年)
| 203,142 ||556,000
| ||
|
|-
! style="font-weight: normal;"|2013年(平成25年)
| 209,204 ||573,000
| ||
|
|-
! style="font-weight: normal;"|2014年(平成26年)
| 210,028 ||575,000
| ||
|
|-
! style="font-weight: normal;"|2015年(平成27年)
| 215,850 ||590,000
| ||
|
|-
! style="font-weight: normal;"|2016年(平成28年)
| 218,016 ||597,000
| ||
|
|-
! style="font-weight: normal;"|2017年(平成29年)
| 220,263 ||603,000
| ||
|
|-
! style="font-weight: normal;"|2018年(平成30年)
| 222,005 ||603,000
| ||
|
|-
! style="font-weight: normal;"|2019年(令和元年)
|
|
|
|
|
|-
! style="font-weight: normal;"|2020年(令和2年)
|
|
|
|
|
|}
; 出典:
: 愛知県ホームページ <!-- 古い時期のデータを拾った、過去のリンクも残してあります。-->
:* {{Wayback|url=http://www.pref.aichi.jp/0000008567.html |title=あいちの陸上交通(統計資料) 2007年4月1日|date=20110119131422}}
:* {{Wayback|url=http://www.pref.aichi.jp/0000036948.html |title=陸上交通に関する統計 2011年3月9日|date=20110809184519}}
:* [http://www.pref.aichi.jp/0000080752.html 陸上交通に関する統計 2015年3月31日]
:* [https://www.pref.aichi.jp/soshiki/toukei/0000055972.html 第8回愛知県累年統計表]
:* [https://www.pref.aichi.jp/toukei/jyoho/nhistory.html 愛知県統計年鑑] 各年度版
{| class="wikitable" style="font-size:90%; text-align:center;"
|-
!rowspan="2"|年度
!colspan="4"|最混雑区間(名古屋 → 伏見間)輸送実績<ref>「都市交通年報」各年度版</ref>
!rowspan="2"|特記事項
|-
! 運転本数:本 !! 輸送力:人 !! 輸送量:人 !! 混雑率:%
|-
|1960年(昭和35年)
| 20 || 6,900 || style="background-color: #ccffcc;"|3,718 || style="background-color: #ccffcc;"|'''54'''
|style="text-align:left;"|1960年6月15日、栄町駅 - 池下駅間開業
|-
|1963年(昭和38年)
| 26 || 7,332 || 16,584 || '''226'''
|style="text-align:left;"|1963年4月1日、池下駅 - 東山公園駅間開業
|-
|1965年(昭和40年)
| 30 || 8,550 || 20,070 || '''235'''
|
|-
|1966年(昭和41年)
| 30 || 10,165 || 24,291 || '''239'''
|style="text-align:left;"|1967年3月30日、東山公園駅 - 星ヶ丘駅間開業
|-
|1969年(昭和44年)
| 30 || 12,784 || 27,393 || '''214'''
|style="text-align:left;"|1969年4月1日、中村公園駅 - 名古屋駅間、星ヶ丘駅 - 藤ヶ丘駅間開業
|-
|1970年(昭和45年)
| 30 || 12,878 || 30,734 || '''239'''
|
|-
|1973年(昭和48年)
| 30 || 17,028 || 37,506 || '''220'''
|
|-
|1975年(昭和50年)
| 30 || 17,100 || 40,392 || '''236'''
|
|-
|1979年(昭和54年)
| 30 || 17,100 || style="background-color: #ffcccc;"|46,724 || style="background-color: #ffcccc;"|'''273'''
|
|-
|1980年(昭和55年)
| 30 || 17,100 || 45,221 || '''265'''
|
|-
|1982年(昭和57年)
| 30 || 17,100 || 45,654 || '''267'''
|style="text-align:left;"|1982年9月21日、高畑駅 - 中村公園駅間開業
|-
|1985年(昭和60年)
| 30 || 17,100 || 42,867 || '''251'''
|
|-
|1986年(昭和61年)
| 30 || 17,100 || 43,210 || '''253'''
|
|-
|1987年(昭和62年)
| 30 || 17,100 || 43,896 || '''257'''
|
|-
|1988年(昭和63年)
| 30 || 17,100 || 42,777 || '''250'''
|
|-
|1989年(平成元年)
| 30 || 17,100 || 35,910 || '''210'''
|style="text-align:left;"|1989年9月10日、桜通線中村区役所駅 - 今池駅間開業
|-
|1990年(平成{{0}}2年)
| 30 || 17,100 || 40,366 || '''236'''
|
|-
|1991年(平成{{0}}3年)
| 30 || 17,100 || 40,654 || '''238'''
|
|-
|1992年(平成{{0}}4年)
| 30 || 17,100 || 40,729 || '''238'''
|
|-
|1993年(平成{{0}}5年)
| 30 || 17,100 || 36,870 || '''216'''
|style="text-align:left;"|1994年3月30日、桜通線今池駅 - 野並駅間開業
|-
|1994年(平成{{0}}6年)
| 30 || 16,920 || 36,446 || '''215'''
|
|-
|1995年(平成{{0}}7年)
| 30 || 16,920 || 36,068 || '''213'''
|
|-
|1996年(平成{{0}}8年)
| 30 || 16,920 || 35,347 || '''209'''
|
|-
|1997年(平成{{0}}9年)
| 30 || 16,920 || 33,692 || '''199'''
|
|-
|1998年(平成10年)
| 30 || 16,920 || 33,205 || '''196'''
|
|-
|1999年(平成11年)
| 30 || 16,920 || 32,007 || '''189'''
|
|-
|2000年(平成12年)
| 30 || 16,920 || 31,215 || '''184'''
|
|-
|2001年(平成13年)
| 30 || 16,920 || 31,272 || '''185'''
|
|-
|2002年(平成14年)
| 30 || 16,920 || 30,752 || '''182'''
|
|-
|2003年(平成15年)
| 30 || 16,920 || 28,898 || '''177'''
|
|-
|2004年(平成16年)
| 30 || 16,920 || 30,796 || '''182'''
|
|-
|2005年(平成17年)
| 30 || 16,920 || 29,794 || '''176'''
|
|-
|2006年(平成18年)
| 30 || 16,920 || 29,398 || '''174'''
|
|-
|2007年(平成19年)
| 30 || 16,920 || 29,383 || '''174'''
|
|-
|2008年(平成20年)
| 30 || 19,314 || 29,056 || '''150'''
|
|-
|2009年(平成21年)
| 30 || 19,278 || 28,512 || '''148'''
|
|-
|2010年(平成22年)
| 30 || 19,278 || 28,262 || '''147'''
|
|-
|2011年(平成23年)
| 30 || 19,242 || 24,558 || '''128'''
|
|-
|2012年(平成24年)
| 29 || 18,461 || 25,291 || '''137'''
|
|-
|2013年(平成25年)
| 29 || 18,212 || 25,224 || '''139'''
|
|-
|2014年(平成26年)
| 29 || 18,102 || 24,792 || '''137'''
|
|-
|2015年(平成27年)
| 29 || 17,954 || 25,128 || '''140'''
|
|-
|2016年(平成28年)
| 29 || 17,954 || 25,180 || '''140'''
|
|-
|2017年(平成29年)
| 29 || 17,954 || 25,100 || '''140'''
|
|-
|2018年(平成30年)
| 29 || 17,954 || 24,843 || '''138'''
|
|-
|2019年(令和元年)
| 29 || 17,954 || 25,351 || '''141'''
|
|-
|2020年(令和{{0}}2年)
| 29 || 17,954 || style="background-color: #ccffff;"|18,683 || style="background-color: #ccffff;"|'''104'''
|
|}
; 出典:
:* 国土交通省ホームページ「[https://wwwtb.mlit.go.jp/chubu/tetudo/image/konzatsu.pdf ラッシュ時における混雑状況の推移]」
; 出典:
:* 国土交通省ホームページ「[https://wwwtb.mlit.go.jp/chubu/tetudo/image/konzatsu.pdf ラッシュ時における混雑状況の推移]」
:* {{PDFlink|[https://www.mlit.go.jp/statistics/details/content/001365148.pdf 最混雑区間における混雑率(令和元年度)]}}
:* {{PDFlink|[https://www.mlit.go.jp/report/press/content/001413544.pdf 最混雑区間における混雑率(令和2年度)]}}
== 駅一覧 ==
* 全駅[[愛知県]][[名古屋市]]内に所在。
* 亀島駅 - 名古屋駅間で[[西区 (名古屋市)|西区]]を通るが、駅はない。
* 八田駅・中村公園駅・中村日赤駅・本陣駅・亀島駅の現場的業務は縁エキスパート株式会社に委託されている。高畑駅・岩塚駅・池下駅・星ヶ丘駅・藤が丘駅は東山線運転区が駅業務も行っている。その他の駅は直営駅。
{| class="wikitable" rules="all" style="font-size:90%"
|-
!style="width:3.5em; border-bottom:3px solid #FAB123;"|駅番号
!style="width:7em; border-bottom:3px solid #FAB123;"|駅名
!style="width:2.5em; border-bottom:3px solid #FAB123;"|駅間<br>キロ
!style="width:2.5em; border-bottom:3px solid #FAB123;"|営業<br>キロ
!style="border-bottom:3px solid #FAB123;"|接続路線
!style="width:1em; border-bottom:solid 3px #FAB123;"|{{縦書き|地上/地下|height=6em}}
!style="border-bottom:3px solid #FAB123;"|所在地
|-
!H01
|[[高畑駅]]<br /><small>(中川区役所)</small>
|style="text-align:center;"|-
|style="text-align:right;"|0.0
|
|rowspan="19" style="text-align:center; background-color:#ccc; width:1em; letter-spacing:0.5em;"|{{縦書き|地下区間|height=8em}}
|rowspan="2" style="white-space:nowrap;"|[[中川区]]
|-
!H02
|[[八田駅]]
|style="text-align:right;"|0.9
|style="text-align:right;"|0.9
|[[東海旅客鉄道]]:{{JR海駅番号|CJ}} [[関西線 (名古屋地区)|関西本線]] (CJ01)<br />[[近畿日本鉄道]]:{{近鉄駅番号|E}} [[近鉄名古屋線|名古屋線]]([[近鉄八田駅]]:E05)
|-
!H03
|[[岩塚駅]]
|style="text-align:right;"|1.1
|style="text-align:right;"|2.0
|
|rowspan="6"|[[中村区]]
|-
!H04
|[[中村公園駅]]
|style="text-align:right;"|1.1
|style="text-align:right;"|3.1
|
|-
!H05
|[[中村日赤駅]]
|style="text-align:right;"|0.8
|style="text-align:right;"|3.9
|
|-
!H06
|[[本陣駅]]<br /><small>(中村区役所)</small>
|style="text-align:right;"|0.7
|style="text-align:right;"|4.6
|
|-
!H07
|[[亀島駅]]
|style="text-align:right;"|0.9
|style="text-align:right;"|5.5
|
|-
!H08
|[[名古屋駅]]
|style="text-align:right;"|1.1
|style="text-align:right;"|6.6
|名古屋市営地下鉄:[[File:Nagoya Subway Logo V2 (Sakura-dori Line).svg|20px]] [[名古屋市営地下鉄桜通線|桜通線]] (S02)<br />東海旅客鉄道:[[ファイル:Shinkansen jrc.svg|17px|■]] [[東海道新幹線]]・{{JR海駅番号|CA}} [[東海道線 (名古屋地区)|東海道本線]] (CA68)・{{JR海駅番号|CF}} [[中央線 (名古屋地区)|中央本線]] (CF00)・{{JR海駅番号|CJ}} 関西本線 (CJ00)<br />[[名古屋臨海高速鉄道]]:{{Color|#334fa0|●AN}} [[名古屋臨海高速鉄道あおなみ線|あおなみ線]] (AN01)<br />[[名古屋鉄道]]:{{名鉄駅番号|NH}} [[名鉄名古屋本線|名古屋本線]]([[名鉄名古屋駅]]:NH36)<br />近畿日本鉄道:{{近鉄駅番号|E}} 名古屋線([[近鉄名古屋駅]]:E01)
|-
!H09
|[[伏見駅 (愛知県)|伏見駅]]
|style="text-align:right;"|1.4
|style="text-align:right;"|8.0
|名古屋市営地下鉄:[[File:Nagoya Subway Logo V2 (Tsurumai Line).svg|20px]] [[名古屋市営地下鉄鶴舞線|鶴舞線]] (T07)
|rowspan="2"|[[中区 (名古屋市)|中区]]
|-
!H10
|[[栄駅 (愛知県)|栄駅]]
|style="text-align:right;"|1.0
|style="text-align:right;"|9.0
|名古屋市営地下鉄:[[File:Nagoya Subway Logo V2 (Meijo Line).svg|20px]] [[名古屋市営地下鉄名城線|名城線]] (M05)<br />名古屋鉄道:{{名鉄駅番号|ST}} [[名鉄瀬戸線|瀬戸線]]([[栄町駅 (愛知県)|栄町駅]]:ST01)
|-
!H11
|[[新栄町駅 (愛知県)|新栄町駅]]
|style="text-align:right;"|1.1
|style="text-align:right;"|10.1
|
|rowspan="2"|[[東区 (名古屋市)|東区]]
|-
!H12
|[[千種駅]]
|style="text-align:right;"|0.9
|style="text-align:right;"|11.0
|東海旅客鉄道:{{JR海駅番号|CF}} 中央本線 (CF03)
|-
!H13
|[[今池駅 (愛知県)|今池駅]]
|style="text-align:right;"|0.7
|style="text-align:right;"|11.7
|名古屋市営地下鉄:[[File:Nagoya Subway Logo V2 (Sakura-dori Line).svg|20px]] 桜通線 (S08)
|rowspan="6"|[[千種区]]
|-
!H14
|[[池下駅]]
|style="text-align:right;"|0.9
|style="text-align:right;"|12.6
|
|-
!H15
|[[覚王山駅]]
|style="text-align:right;"|0.6
|style="text-align:right;"|13.2
|
|-
!H16
|[[本山駅 (愛知県)|本山駅]]
|style="text-align:right;"|1.0
|style="text-align:right;"|14.2
|名古屋市営地下鉄:[[File:Nagoya Subway Logo V2 (Meijo Line).svg|20px]] 名城線 (M17)
|-
!H17
|[[東山公園駅 (愛知県)|東山公園駅]]
|style="text-align:right;"|0.9
|style="text-align:right;"|15.1
|
|-
!H18
|[[星ヶ丘駅 (愛知県)|星ヶ丘駅]]
|style="text-align:right;"|1.1
|style="text-align:right;"|16.2
|
|-
!H19
|[[一社駅]]
|style="text-align:right;"|1.3
|style="text-align:right;"|17.5
|
|rowspan="4"|[[名東区]]
|-
!H20
|[[上社駅]]
|style="text-align:right;"|1.1
|style="text-align:right;"|18.6
|
|rowspan="3" style="text-align:center; background:#fff; color:#000; width:1em;"|{{縦書き|地上区間|height=5em}}
|-
!H21
|[[本郷駅 (愛知県)|本郷駅]]
|style="text-align:right;"|0.7
|style="text-align:right;"|19.3
|
|-
!H22
|[[藤が丘駅 (愛知県)|藤が丘駅]]
|style="text-align:right;"|1.3
|style="text-align:right;"|20.6
|[[愛知高速交通]]:[[愛知高速交通東部丘陵線|東部丘陵線(リニモ)]](L01)
|}
* 名古屋駅と本郷駅は、切符では「なごや」「ほんごう」と平仮名で表記される。また中村公園駅は切符には「なかむら公園」と表記されている<ref group="注釈">[[自動改札機|自動改札]]導入以前に駅員が目視で切符を判別しやすくするために導入された方式の名残りで、それぞれ名古屋港駅・本陣駅・中村日赤駅との判別を容易にしている。なお星ヶ丘駅と藤が丘駅の切符では、星ヶ丘は「丘」、藤が丘は「藤」をそれぞれ大きな文字にすることで判別を容易にしている。なお、manacaではこの表記ではなく、普通に表記される。</ref>。
=== 新駅計画 ===
名古屋駅 - 伏見駅間に「柳橋駅」(仮称)を設置する検討が行われている<ref>{{Citation|和書|editor=名古屋市会編集委員会 |title=柳橋新駅の設置に向けた考え |periodical=広報なごや 市会だより |issue=180 |publisher=名古屋市会 |date=2022-05-01 |page=2 |url=https://www.city.nagoya.jp/shikai/page/0000152132.html |accessdate=2022-11-11}}</ref>。場所は[[錦通 (名古屋市)|錦通]]と[[名古屋市道江川線|江川線]]が交わる西柳町交差点の西側である{{R|chunichi2014|chunichi2019}}。
1950年時点では「柳橋停留所」として設置が計画されていたが{{Sfn|名古屋市交通局高速度鉄道建設部計画課|1959|p=103}}、着工時に十分な利用者数が見込めないとして保留とされた{{Sfn|名古屋市交通局高速度鉄道建設部計画課|1959|p=129}}。しかし、後に駅を設置することを見据えて設計が行われ、「柳橋構造物」と称した{{Sfn|名古屋市交通局高速度鉄道建設部計画課|1959|p=129}}。「柳橋構造物」は名古屋駅を起点に東へ0K645M地点から0K795M地点までの区間であり{{Sfn|名古屋市交通局高速度鉄道建設部計画課|1959|p=129}}、前後の区間で見られる砕石道床ではなく駅部分で用いられるコンクリート道床で建設され、柱の間隔は前後の区間に比べて広くなっている{{R|sawada2014}}。2012年には1955年に作製された柳橋構造物の平面図が見つかっている<ref name="yokoi-blog">{{Cite web|和書|author=横井利明 |date=2012-08-15 |title=都市伝説「柳橋駅」は本当だった... |website=名古屋市会議員 横井利明オフィシャルブログ |url=http://blog.livedoor.jp/minami758/archives/1965851.html |accessdate=2014-03-06}}</ref>。
2014年の市議会での質問を受けて[[名古屋市長]]の[[河村たかし]]は柳橋構造物の視察を行い、駅周辺の活性化を狙って新駅の整備に取り組む姿勢を見せた<ref name="chunichi2014">{{Cite news|和書|title=名古屋 柳橋 伏見 東山線に新駅 市が検討 |newspaper=中日新聞 朝刊 |date=2014-03-07 |page=1}}</ref><ref name="sawada2014">{{Cite news|和書|title=出番待つ「柳橋駅」 60年前頓挫…リニア開業控え脚光 地下鉄東山線 |newspaper=中日新聞 夕刊 |date=2014-04-26 |page=1 |author=沢田千秋}}</ref>。[[中央新幹線]]の開通に合わせた再開発のため特定都市再生緊急整備地域の指定を受け、この地域に含まれる柳橋駅の設置に国の予算支援を受けられる可能性が浮上したことが背景にある{{R|sawada2014}}。2018年度には名古屋市が駅構内の配置や工事の方法を検討し、駅の設置が「物理的には可能」であると確認した<ref name="chunichi2019">{{Cite news|和書|title=市議会 地下鉄柳橋新駅の設置構想 市「物理的には可能」 |newspaper=中日新聞 朝刊 市民版 |date=2019-03-12 |page=12 |author=垣見洋樹}}</ref>。一方で混雑の激しい名古屋駅 - 伏見駅間の所要時間が延びることや維持管理費が増えることが指摘されている{{R|chunichi2014|chunichi2019}}。
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Reflist|group="注釈"}}
=== 出典 ===
{{Reflist}}
== 参考文献 ==
* {{Cite book|和書|editor=名古屋市交通局高速度鉄道建設部計画課 |title=名古屋市高速度鉄道建設史 |publisher=名古屋市交通局 |year=1959 |date=1959-03-31 |ref=harv}}
== 関連項目 ==
* [[日本の鉄道路線一覧]]
* [[名古屋市電]]
** [[名古屋市電下之一色線|下之一色線]] - 開業前、車両の試験走行を実施。
** [[名古屋市電栄町線|栄町線]] - 実質的な前身路線。
** [[名古屋市電覚王山線|覚王山線]] - 同上。
** [[名古屋市電東山公園線|東山公園線]] - 同上。
* [[名古屋市営地下鉄桜通線]] - 第一期区間([[今池駅 (愛知県)|今池]] - [[太閤通駅|太閤通]])は本路線の補完路線として開業。
* [[名古屋市営バス#深夜バス]] - 東山線終電後の交通手段を確保する目的で設定。
* [[錦通 (名古屋市)]] - 地下を本路線が通っている。
* [[愛知県道60号名古屋長久手線]] - 名古屋市内区間([[広小路通 (名古屋市)|広小路通]]・[[東山通 (名古屋市)|東山通]])の大半が本路線に沿っている。
{{名古屋市営地下鉄の路線}}
{{DEFAULTSORT:なこやしえいちかてつひかしやません}}
[[Category:日本の地下鉄路線|ひかしやま]]
[[Category:中部地方の鉄道路線|ひかしやません]]
[[Category:名古屋市営地下鉄|路ひかしやません]]
[[Category:愛知県の交通]]
|
2003-08-31T15:44:47Z
|
2023-12-30T05:15:39Z
| false | false | false |
[
"Template:Cite",
"Template:BS-table",
"Template:BS2",
"Template:近鉄駅番号",
"Template:Sfn",
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%8D%E5%8F%A4%E5%B1%8B%E5%B8%82%E5%96%B6%E5%9C%B0%E4%B8%8B%E9%89%84%E6%9D%B1%E5%B1%B1%E7%B7%9A
|
14,640 |
名古屋市営地下鉄名城線
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名城線(めいじょうせん)は、愛知県名古屋市東区の大曽根駅から、同市中区の栄駅、金山駅、同市瑞穂区の新瑞橋駅、同市千種区の名古屋大学駅、本山駅を経て、大曽根駅までを環状に結ぶ、名古屋市営地下鉄の路線の愛称。
2号線名城線及び名港線の一部(大曽根駅 - 栄駅 - 名古屋港駅間のうち大曽根駅 - 栄駅 - 金山駅間)と、4号線名城線(大曽根駅 - 名古屋大学駅 - 金山駅間)から構成される。ラインカラーは紫(藤色 ■)で、名城線で使用されていた1000形のウインザーイエローの車体に補色である紫色の線が巻かれていたことに由来する。駅ナンバリングで用いられる路線記号はM。日本国内初の地下鉄環状路線である。
なお、路線としては上記の通り大曽根駅から左回り基準であるが、列車番号はナゴヤドーム前矢田駅から両回り同等、駅番号は金山駅から右回り基準で付されている。
すべての駅でmanaca(2011年2月11日に導入)などの交通系ICカード全国相互利用サービス対応カードが使用できる。
1965年に栄町駅(現在の栄駅) - 市役所駅(現在の名古屋城駅)間が2号線として開業。2004年10月6日に4号線名古屋大学駅から八事駅を経て新瑞橋駅までが開業したことで、大曽根駅 - 名古屋大学駅 - 金山駅間が全通し、2号線大曽根駅 - 栄駅 - 金山駅間とあわせて名古屋市営地下鉄初の環状線が完成、日本初の地下鉄環状運転が開始された。環状線の完成に伴い、環状部の愛称を「名城線」、放射部(枝線)となる2号線金山駅 - 名古屋港駅間の愛称を「名港線」とした。「名城線」は名古屋城の近くを通る路線であること、「名港線」は名古屋港へ向かう路線であることに因む。環状運転の実施以前は大曽根駅 - 金山駅 - 名古屋港駅間を「名城線」と呼び、それ以外の区間を「4号線」と表記していた。
最古の区間である栄駅 - 名古屋城駅間は1965年の開業であるのに対して、最新の区間である名古屋大学駅 - 新瑞橋駅間は2004年の開業であり、開業年にはおよそ40年もの差がある。この区間は一部が民有地の下を通っているため、地権者から建設差し止めや、土地収用の事業認定・収用裁決取り消しを求める裁判を起こされたことから開業が遅れた。1970年代までに開業した新瑞橋駅 - 金山駅 - 栄駅 - 大曽根駅間にある駅は、地上から比較的浅いところにある駅があり、2000年代に開業したナゴヤドーム前矢田駅 - 本山駅 - 瑞穂運動場東駅間にある駅は地上から比較的深くにある。2003年以降に開業した砂田橋駅 - 名古屋大学駅 - 新瑞橋駅間のトンネルは単線シールドまたは複心円シールドが使われている。既存の区間も一部単線シールドが使われている。他線との乗換駅では東山線を除いて名城線が上を通っている。八事駅も例外ではなく、1977年に鶴舞線が開業した時点で名城線のホームを造れるよう予め空間を造った上で通している。
全長は26.4 kmで、JR西日本の大阪環状線 (21.7 km) より長く、東京の都営地下鉄大江戸線の環状部 (27.8 km)、JR東日本の山手線 (34.5 km) より短い。
日本の環状地下鉄としては大江戸線に次ぐものであるが、大江戸線の環状部は都庁前駅で、光が丘駅への放射部に通じる線形となっていることからスイッチバック型の配線(全体の線形は放射部を含めればラケット型)となっており、路線自体が完全なる環状線で、環状運転を行う地下鉄としては名城線が日本で初、かつ唯一の路線である。また、世界的にもロンドン地下鉄サークル線、グラスゴー地下鉄、モスクワ地下鉄環状線、マドリード地下鉄6号線、ソウル交通公社2号線、北京地下鉄2号線に次いで7番目で、一周の距離ではモスクワ地下鉄大環状線、北京地下鉄10号線、ソウル交通公社2号線に次いで世界第4位の長さである。
名古屋市営地下鉄の中では名港線・桜通線・東山線とともに、路線が名古屋市内に収まっており、営業運転で車両が名古屋市外に出ない路線である。また、直通する名港線を含めて、全線が名古屋環状2号線の内側に収まっている。そして、名港線・桜通線・上飯田線とともに営業線が全て地下にある路線である(名港線は名港工場が地上にある。環状化前は名城工場が地上に存在した)。環状化されてからは多くの区を通過するようになったが、守山区、名東区、緑区、南区、中村区、西区は通らない(北東から時計回りに。中川区と港区は名港線のみ通る。天白区は通過するのみで、駅はない)。環状運転開始により、名古屋市東部および南部に延びる他の路線のバイパスとなったことで、東山線藤が丘方面から鶴舞線赤池・豊田市方面ならびに桜通線徳重方面への乗車時間が大幅に短縮されている。
同じく都心部で環状運転を行っている山手線や大阪環状線との相違点は、運転方向を「右回り」・「左回り」と呼んでいること、JRや大手私鉄との接続駅が金山駅と大曽根駅のみであること(栄駅、名古屋城駅、新瑞橋駅、妙音通駅、堀田駅、熱田神宮伝馬町駅は名鉄の駅の近くにある。熱田神宮西駅はJRの駅の近くにある)、他路線のバイパスとして機能していること、都心部ないし副都心と郊外とを結んでいることである。さらに沿線には、愛知県体育館(ドルフィンズアリーナ)、ナゴヤドーム(バンテリンドーム ナゴヤ)、名古屋市瑞穂公園(パロマ瑞穂スポーツパーク、瑞穂陸上競技場・瑞穂球場ほか)といったスポーツ施設があるので、これらの施設へのアクセス利便性が向上している。
2005年10月6日より、従来の接近チャイムに代わり、試験的に接近メロディが名港線とともに全駅において導入された。東日本旅客鉄道(JR東日本)の首都圏の駅で使われている櫻井音楽工房の発車メロディ(曲名は名城線左回りが「すすきの高原」、右回りが「あざみ野」、名港線名古屋港方面が「twilight」、金山方面が「光と風と」)が使われていたが、2007年3月19日からは、オリジナルの物に変更されており、現在使用している接近メロディは名城線の左回りが「ランディング」、右回りが「サークル・ポイント」、名港線の名古屋港方面が「ハッピータイム」、金山方面が「海」という曲である。
金山駅・八事駅・本山駅・栄駅を除く各駅のホーム番号は左回りが1番線で、右回りが2番線である。
2020年6月から、順次各駅に可動式ホーム柵を設置しており、2021年3月までに全駅に設置が完了した。
2021年7月1日からナゴヤドーム前矢田駅 - 本山駅 - 金山駅間でワンマン運転が開始され、金山駅 - 栄駅 - ナゴヤドーム前矢田駅間は従来通り車掌が乗務していた。2022年7月1日からは全区間でワンマン運転が開始されている。
2023年1月4日、市役所駅・伝馬町駅・神宮西駅をそれぞれ、名古屋城駅・熱田神宮伝馬町駅・熱田神宮西駅に改称した。
名城線では、運転方向の案内に他の日本の環状鉄道路線で一般的な「外回り」「内回り」ではなく、「右回り (clockwise)」「左回り (counterclockwise)」という表現が使われている。これは、電車が右側通行であるか左側通行であるか国や地域によって異なるため、「外回り」「内回り」では逆方向に受け取られるおそれがあることと、走っている電車の位置が見えないトンネル内では、内、外という区別はふさわしくないとの交通局の判断 や、路線図上も「右回り」「左回り」のほうが直感的でわかりやすいとするユニバーサルデザインの考え方に則ったもので、従来名古屋市交通局において、循環運転を行う市バスで用いられてきた表現を踏襲したものとなっている(上社11号、新瑞13号系統など)。環状運転の列車については全駅の発車標や車両の方向幕には、「名城線(右回り)」「名城線(左回り)」と表示される。
基本的な運行系統として、大曽根駅 - 名古屋大学駅 - 金山駅 - 栄駅 - 大曽根駅間の環状運転(右回り・左回り)と、名古屋港駅 - 金山駅 - 大曽根駅・ナゴヤドーム前矢田駅間で名港線直通列車が運転されている(平日朝夕ラッシュなどには名古屋港発の右回り、左回りからの名古屋港行きもあり)。運転間隔の変わり目では両系統が入れ替わることもある。
環状運転の所要時間は深夜・早朝は1周48分、昼間時間帯は1周50分、ラッシュ時間帯で1周52分であったが、2020年5月23日のダイヤ改正以降は可動式ホーム柵の稼働準備に伴い、各駅の停車時間などが調整されて1周60分に延びた。
平日朝ラッシュ時の運転間隔は、2020年5月のダイヤ改正で、2.5分間隔だった金山駅 - 栄駅 - 大曽根駅間が3分間隔に、5分間隔だったそれ以外の区間は6分間隔になった。昼間時間帯は平日休日問わず、環状系統・名港線直通系統とも10分間隔であり、両系統が重なる金山駅 - 栄駅 - 大曽根駅間は5分間隔、環状系統のみとなる大曽根駅 - 名古屋大学駅 - 金山駅間は10分間隔で運行されている。後者は平日の昼間では上飯田線に次いで名古屋市営地下鉄で2番目に運行本数が少ない区間となっている。一方、早朝・夜間帯は名港線直通系統がなくなり、名港線が金山折り返し(名古屋港駅 - 金山駅間の名港線内運転)となるため、金山駅 - 栄駅 - 大曽根駅間も運行本数が少なくなる(環状運転のみ概ね10分間隔で運行)。また、深夜時間帯の大曽根方面からの左回りでは、名港工場への入庫のため名古屋港行きが連続するなど、環状運転の列車との交互運転とならない場合もある。なお、環状化以前の日中は金山駅 - 栄駅 - 大曽根駅間では新瑞橋方面の系統と名港線直通系統が重なって4分間隔、大曽根駅 - 名古屋大学駅間および新瑞橋駅 - 金山駅間は8分間隔であった。また、名港線直通系統が走らない時間帯の新瑞橋行きの行先表示は「新瑞橋(名古屋港行金山接続)」となっていた。平日夕ラッシュ時は概ね7分間隔(運行経路が重複する金山駅 - 栄駅 - 大曽根駅では半分の約3分30秒間隔となる)で運転されており、名港線直通で名古屋港駅 - 金山駅 - (名城線一周) - 金山駅 - 大曽根駅(一部列車は出入庫のためナゴヤドーム前矢田駅発着)という逆6の字の経路で運行されている。
深夜帯のみ金山止まり、新瑞橋止まり、瑞穂運動場東止まり、名古屋大学止まりの運用がある。ラッシュ終了時や深夜帯に環状運転していた列車が途中駅止まりに変更になる場合、方向幕などの案内表示は原則として終点になる駅の次の駅で変更される(ただし、「名城線左回り」から「名古屋港」行きに変わる場合は新瑞橋駅、「名城線左回り」が深夜帯の「瑞穂運動場東」行きに変わる場合は名古屋大学駅、「名城線右回り」が深夜帯の「名古屋大学」行きに変わる場合は瑞穂運動場東駅、「名城線右回り」が深夜帯の「金山」行きに変わる場合は名古屋城駅で変更)。例えば、「名城線右回り」として運転されていた列車が「大曽根行き」に変更される場合には、ナゴヤドーム前矢田にて案内表示が大曽根行きに切り替わる。このため、ナゴヤドーム前矢田や本山では誤乗を防ぐため、ホームに注意書きが掲示されている。
野球や名古屋ウィメンズマラソンなど、バンテリンドーム ナゴヤでイベントがある場合、20時頃までは大曽根発着の系統をナゴヤドーム前矢田まで臨時に延長し、それ以降の夜間帯は通常の列車の合間に臨時列車を入れて対応している(主に名港線内折り返し列車を臨時に名城線ナゴヤドーム前矢田駅まで区間延長)。定期列車には変更はない。
試合終了後の臨時列車の運行開始時間を決めるため、野球開催中は交通局の職員がナゴヤドームに出向き、試合の状況を携帯電話で随時連絡している。
正月三が日は2011年まで臨時ダイヤで運行となり、名港線は基本的に金山折り返し、名城線の環状運転(環状運転前は新瑞橋発着)が増発されていたが、晩年はおよそ12 - 14時台のみこの形態となるなど、限られたものとなり、2012年以降は通常の土曜・休日ダイヤで運行されている。
大晦日の終夜運転は2009年大晦日以降は30分間隔で運行されている。環状運転開始前の2003年大晦日までは20分間隔、環状運転開始後の2004年大晦日からは25分間隔となった。25分間隔となった理由は、1周が約50分のため、ちょうど片道2編成で運行することができるからである。2009年大晦日からは、停車時間を調整することにより30分間隔で運行している。
大晦日の終夜運転時および車両故障などのトラブル発生時には当該列車をナゴヤドーム前矢田駅で大幸車庫に回送し、車両交換を行う場合がある。その場合、当該列車の乗客は一旦ナゴヤドーム前矢田駅でホームに下車し、大幸車庫から入線する別の列車に乗り換えることとなる。
なお、運転士は1周ごとに名城線運転区のある金山駅で交代するが、場合によっては大曽根駅やナゴヤドーム前矢田駅で交代する場合がある。
大曽根駅で終点となる列車は通常ナゴヤドーム前矢田寄りの引き上げ線に入ってそのまま栄・金山方面へ折り返すが、折り返さずにナゴヤドーム前矢田駅(大幸車庫)へ回送され、大幸車庫から回送されてきた別の列車に交換することもある。
栄駅 - 大曽根駅は名鉄瀬戸線も通っている。名城線は北へ迂回しているため名鉄より所要時間が長く、運賃(料金)も10円高い。運転本数は基本的に名鉄より多い。
金山駅 - 大曽根駅はJR中央本線も通っている。名城線は両回りとも大きく迂回する形になっており駅数も多いために運賃や所要時間はJRの方が圧倒的に有利である。
妙音通駅 - 金山駅は名鉄名古屋本線と並行するような形になっている(名鉄は呼続駅)。金山駅以外は直接の乗換駅ではないが、西高蔵駅を除いて徒歩連絡が可能である。所要時間や運賃は名鉄(普通列車の場合)の方が有利である。
名城線を金山駅から右回りの順に見ていくと金山駅 - 東別院駅間は大津通より西側を通り、東別院からは大津通の東側に変わる。東別院駅 - 矢場町駅間は前津通、矢場町駅 - 名古屋城駅付近は久屋大通の下を通る。名古屋城駅付近では大津通の下を通り、名城公園駅付近で少し西に逸れ、そのまま北へ向かう。名城公園駅を過ぎると進路を東寄りに変え、名古屋市道名古屋環状線の下を通り、大曽根駅を過ぎると名古屋ガイドウェイバスガイドウェイバス志段味線と平行になり、ナゴヤドームの横を通る。砂田橋駅を過ぎると進路をやや南寄りに変え、尾張丘陵(東山丘陵・八事丘陵)の住宅地の下を通り、本山駅 - 瑞穂運動場東駅間は山手グリーンロードの下を通る。この辺りは掘割構造の名古屋高速が通っていたり、地形の起伏が激しく、名古屋市でもかなり深い位置にホームがあったりコンコースまでの道のりが長くなっている駅が多い。名古屋大学駅付近は名古屋大学のキャンパス内の地下を通っており、全国的にも珍しい。新瑞橋駅から堀田駅を過ぎるまでは西寄りに進路を取り、愛知県道221号岩崎名古屋線の下、堀田駅 - 熱田神宮伝馬町駅間は国道1号の下を通る。熱田神宮伝馬町駅を過ぎると進路を北寄りに変え、伏見通(国道19号と国道22号の重複区間)の下を通り、熱田神宮の西側を通って金山駅に戻る。金山駅では名城線の電車は外側線に入り、名港線と合流してそのまま栄・大曽根方面に向かう。
名港線とは完全に共通運用であり、名城線専用や名港線専用の車両はない。また、名城線・名港線は上飯田線と同様に、LED式方向幕を搭載した車両は走っていない。また、名古屋市営地下鉄の他路線については2003年から新型車両が導入されているが、名城線・名港線については1989年に2000形を導入して以来、新型車両が導入されていない。黄電(1000形・1100形・1200形)の運用終了後は名古屋市営地下鉄で唯一完全に1形式のみで運行している。内装についても、客用ドア上部に千鳥配置で車内案内表示装置(ハッチービジョン)が設置された車両はないが、一部車両はLED式からLCD式に更新されている。
ナゴヤドーム(現・バンテリンドーム ナゴヤ)を本拠地とするプロ野球球団中日ドラゴンズやイオンおよび中日新聞社との協力により、2006年から「ドラゴンズ・トレイン」という企画電車が同線を走っていた。同線が選ばれたのは沿線にナゴヤドーム(現・バンテリンドーム ナゴヤ)があるためであり、「右回り」「左回り」の両方向で運行していた。
毎年、シーズン開幕とほぼ同時に運行がスタートし、通常はシーズン終了と同時にドラゴンズ・トレインの運行も終了するが、中日ドラゴンズの成績次第では、クライマックスシリーズや日本シリーズの時期まで運行が延長される場合もあった。
毎年運行初日から4月中旬頃までは、パソコン向けの交通局公式サイトにてPDF版の時刻表が提供されていた。ドラゴンズ・トレインは車両に写真を印刷した特殊なシールを貼り付けているため、シール作製等のコストに膨大な費用が費やされることもあって、基本的には1日1編成のみの運行となる。そのため、PDF版時刻表の提供終了後は、乗車できる機会が少なくなる。ドラゴンズ・トレインは車両へのラッピング及び車内の装飾がメインであるが、2009年シーズンまで中日ドラゴンズの選手会長を務めた荒木雅博選手のアナウンスを車内に流していた時もあった。
なお、「ドラゴンズ・トレイン」は2012年から行われていないが、ナゴヤドーム前矢田駅の東改札口から1番出入り口に通じる通路の壁に中日ドラゴンズの選手や監督の写真などを貼り出す「ドラゴンズロード」は毎年行われている。
2016年(平成28年)7月4日より、平日の始発から午前9時まで女性専用車両を導入している。東山線とは異なり、駅での列車接近時の自動放送では女性専用車両の案内はない。
名港線への直通列車も走る金山駅 - 大曽根駅の内、金山駅 - 栄駅はほぼ終日混雑している。野球などナゴヤドームでイベントが開催されるときはナゴヤドーム前矢田駅までは混雑するが環状運転のみの区間は桜通線とJR・名鉄を結ぶ新瑞橋駅 - 金山駅をのぞいて通常それほど混雑しない。初詣期間や熱田まつりの開催日は熱田神宮伝馬町駅や熱田神宮西駅近辺の混雑が激しくなる。
砂田橋駅 - 八事駅間の沿線には、大学や高校が多く点在する。特に名古屋大学・中京大学・南山大学は名城線開業まで市バスまたは地下鉄東山線か地下鉄鶴舞線しか交通手段がなかったが、開業後は市内各所から各大学へのアクセスが改善された。鶴舞線沿線ではあるが、名城大学へも名古屋大学駅 - 新瑞橋駅間の開業で大きく改善されている。また、2007年には、名古屋学院大学が名城線西高蔵駅と名港線日比野駅の間付近に移転、2014年には、愛知学院大学の名城公園キャンパスが名城公園駅付近に開校した。
総務省の公共事業の需要予測調査で、当路線は1日の利用客数が2006年度実績で14万4,138人の予測の半分以下に留まって大幅に下回ったことから、予測精度など改善をするように勧告が出されることになった。
名古屋市営地下鉄名城線・名港線の年度別の輸送実績を下表に記す。2003年度(平成15年度)まではすべて大曽根 - 名古屋港間14.9kmの数値である。表中、最高値を赤色で、最低値を緑色で表記している。
名城線には中日ドラゴンズの本拠地・ナゴヤドーム(2021年からはネーミングライツによりバンテリンドーム ナゴヤ)の最寄り駅であるナゴヤドーム前矢田駅があることから、2000年の大曽根駅 - 砂田橋駅間の開業を告知するCMに当時中日に在籍していたプロ野球選手の岩瀬仁紀と福留孝介が出演し、同区間の出発式にも出席した。なお、大幸車庫の一部はナゴヤドームの下にある。
2008年には、当時選手会長を務めていた荒木雅博による車内放送が流された。
2022年5月1日から2023年3月31日までの間、ナゴヤドーム前矢田駅到着前に、立浪和義監督による「中日ドラゴンズの立浪です。バンテリンドーム ナゴヤはこちらです」という車内放送が流れる。
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"paragraph_id": 17,
"tag": "p",
"text": "基本的な運行系統として、大曽根駅 - 名古屋大学駅 - 金山駅 - 栄駅 - 大曽根駅間の環状運転(右回り・左回り)と、名古屋港駅 - 金山駅 - 大曽根駅・ナゴヤドーム前矢田駅間で名港線直通列車が運転されている(平日朝夕ラッシュなどには名古屋港発の右回り、左回りからの名古屋港行きもあり)。運転間隔の変わり目では両系統が入れ替わることもある。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 18,
"tag": "p",
"text": "環状運転の所要時間は深夜・早朝は1周48分、昼間時間帯は1周50分、ラッシュ時間帯で1周52分であったが、2020年5月23日のダイヤ改正以降は可動式ホーム柵の稼働準備に伴い、各駅の停車時間などが調整されて1周60分に延びた。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 19,
"tag": "p",
"text": "平日朝ラッシュ時の運転間隔は、2020年5月のダイヤ改正で、2.5分間隔だった金山駅 - 栄駅 - 大曽根駅間が3分間隔に、5分間隔だったそれ以外の区間は6分間隔になった。昼間時間帯は平日休日問わず、環状系統・名港線直通系統とも10分間隔であり、両系統が重なる金山駅 - 栄駅 - 大曽根駅間は5分間隔、環状系統のみとなる大曽根駅 - 名古屋大学駅 - 金山駅間は10分間隔で運行されている。後者は平日の昼間では上飯田線に次いで名古屋市営地下鉄で2番目に運行本数が少ない区間となっている。一方、早朝・夜間帯は名港線直通系統がなくなり、名港線が金山折り返し(名古屋港駅 - 金山駅間の名港線内運転)となるため、金山駅 - 栄駅 - 大曽根駅間も運行本数が少なくなる(環状運転のみ概ね10分間隔で運行)。また、深夜時間帯の大曽根方面からの左回りでは、名港工場への入庫のため名古屋港行きが連続するなど、環状運転の列車との交互運転とならない場合もある。なお、環状化以前の日中は金山駅 - 栄駅 - 大曽根駅間では新瑞橋方面の系統と名港線直通系統が重なって4分間隔、大曽根駅 - 名古屋大学駅間および新瑞橋駅 - 金山駅間は8分間隔であった。また、名港線直通系統が走らない時間帯の新瑞橋行きの行先表示は「新瑞橋(名古屋港行金山接続)」となっていた。平日夕ラッシュ時は概ね7分間隔(運行経路が重複する金山駅 - 栄駅 - 大曽根駅では半分の約3分30秒間隔となる)で運転されており、名港線直通で名古屋港駅 - 金山駅 - (名城線一周) - 金山駅 - 大曽根駅(一部列車は出入庫のためナゴヤドーム前矢田駅発着)という逆6の字の経路で運行されている。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 20,
"tag": "p",
"text": "深夜帯のみ金山止まり、新瑞橋止まり、瑞穂運動場東止まり、名古屋大学止まりの運用がある。ラッシュ終了時や深夜帯に環状運転していた列車が途中駅止まりに変更になる場合、方向幕などの案内表示は原則として終点になる駅の次の駅で変更される(ただし、「名城線左回り」から「名古屋港」行きに変わる場合は新瑞橋駅、「名城線左回り」が深夜帯の「瑞穂運動場東」行きに変わる場合は名古屋大学駅、「名城線右回り」が深夜帯の「名古屋大学」行きに変わる場合は瑞穂運動場東駅、「名城線右回り」が深夜帯の「金山」行きに変わる場合は名古屋城駅で変更)。例えば、「名城線右回り」として運転されていた列車が「大曽根行き」に変更される場合には、ナゴヤドーム前矢田にて案内表示が大曽根行きに切り替わる。このため、ナゴヤドーム前矢田や本山では誤乗を防ぐため、ホームに注意書きが掲示されている。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 21,
"tag": "p",
"text": "野球や名古屋ウィメンズマラソンなど、バンテリンドーム ナゴヤでイベントがある場合、20時頃までは大曽根発着の系統をナゴヤドーム前矢田まで臨時に延長し、それ以降の夜間帯は通常の列車の合間に臨時列車を入れて対応している(主に名港線内折り返し列車を臨時に名城線ナゴヤドーム前矢田駅まで区間延長)。定期列車には変更はない。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 22,
"tag": "p",
"text": "試合終了後の臨時列車の運行開始時間を決めるため、野球開催中は交通局の職員がナゴヤドームに出向き、試合の状況を携帯電話で随時連絡している。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 23,
"tag": "p",
"text": "正月三が日は2011年まで臨時ダイヤで運行となり、名港線は基本的に金山折り返し、名城線の環状運転(環状運転前は新瑞橋発着)が増発されていたが、晩年はおよそ12 - 14時台のみこの形態となるなど、限られたものとなり、2012年以降は通常の土曜・休日ダイヤで運行されている。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 24,
"tag": "p",
"text": "大晦日の終夜運転は2009年大晦日以降は30分間隔で運行されている。環状運転開始前の2003年大晦日までは20分間隔、環状運転開始後の2004年大晦日からは25分間隔となった。25分間隔となった理由は、1周が約50分のため、ちょうど片道2編成で運行することができるからである。2009年大晦日からは、停車時間を調整することにより30分間隔で運行している。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 25,
"tag": "p",
"text": "大晦日の終夜運転時および車両故障などのトラブル発生時には当該列車をナゴヤドーム前矢田駅で大幸車庫に回送し、車両交換を行う場合がある。その場合、当該列車の乗客は一旦ナゴヤドーム前矢田駅でホームに下車し、大幸車庫から入線する別の列車に乗り換えることとなる。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 26,
"tag": "p",
"text": "なお、運転士は1周ごとに名城線運転区のある金山駅で交代するが、場合によっては大曽根駅やナゴヤドーム前矢田駅で交代する場合がある。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 27,
"tag": "p",
"text": "大曽根駅で終点となる列車は通常ナゴヤドーム前矢田寄りの引き上げ線に入ってそのまま栄・金山方面へ折り返すが、折り返さずにナゴヤドーム前矢田駅(大幸車庫)へ回送され、大幸車庫から回送されてきた別の列車に交換することもある。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 28,
"tag": "p",
"text": "栄駅 - 大曽根駅は名鉄瀬戸線も通っている。名城線は北へ迂回しているため名鉄より所要時間が長く、運賃(料金)も10円高い。運転本数は基本的に名鉄より多い。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 29,
"tag": "p",
"text": "金山駅 - 大曽根駅はJR中央本線も通っている。名城線は両回りとも大きく迂回する形になっており駅数も多いために運賃や所要時間はJRの方が圧倒的に有利である。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 30,
"tag": "p",
"text": "妙音通駅 - 金山駅は名鉄名古屋本線と並行するような形になっている(名鉄は呼続駅)。金山駅以外は直接の乗換駅ではないが、西高蔵駅を除いて徒歩連絡が可能である。所要時間や運賃は名鉄(普通列車の場合)の方が有利である。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 31,
"tag": "p",
"text": "名城線を金山駅から右回りの順に見ていくと金山駅 - 東別院駅間は大津通より西側を通り、東別院からは大津通の東側に変わる。東別院駅 - 矢場町駅間は前津通、矢場町駅 - 名古屋城駅付近は久屋大通の下を通る。名古屋城駅付近では大津通の下を通り、名城公園駅付近で少し西に逸れ、そのまま北へ向かう。名城公園駅を過ぎると進路を東寄りに変え、名古屋市道名古屋環状線の下を通り、大曽根駅を過ぎると名古屋ガイドウェイバスガイドウェイバス志段味線と平行になり、ナゴヤドームの横を通る。砂田橋駅を過ぎると進路をやや南寄りに変え、尾張丘陵(東山丘陵・八事丘陵)の住宅地の下を通り、本山駅 - 瑞穂運動場東駅間は山手グリーンロードの下を通る。この辺りは掘割構造の名古屋高速が通っていたり、地形の起伏が激しく、名古屋市でもかなり深い位置にホームがあったりコンコースまでの道のりが長くなっている駅が多い。名古屋大学駅付近は名古屋大学のキャンパス内の地下を通っており、全国的にも珍しい。新瑞橋駅から堀田駅を過ぎるまでは西寄りに進路を取り、愛知県道221号岩崎名古屋線の下、堀田駅 - 熱田神宮伝馬町駅間は国道1号の下を通る。熱田神宮伝馬町駅を過ぎると進路を北寄りに変え、伏見通(国道19号と国道22号の重複区間)の下を通り、熱田神宮の西側を通って金山駅に戻る。金山駅では名城線の電車は外側線に入り、名港線と合流してそのまま栄・大曽根方面に向かう。",
"title": "沿線概況"
},
{
"paragraph_id": 32,
"tag": "p",
"text": "名港線とは完全に共通運用であり、名城線専用や名港線専用の車両はない。また、名城線・名港線は上飯田線と同様に、LED式方向幕を搭載した車両は走っていない。また、名古屋市営地下鉄の他路線については2003年から新型車両が導入されているが、名城線・名港線については1989年に2000形を導入して以来、新型車両が導入されていない。黄電(1000形・1100形・1200形)の運用終了後は名古屋市営地下鉄で唯一完全に1形式のみで運行している。内装についても、客用ドア上部に千鳥配置で車内案内表示装置(ハッチービジョン)が設置された車両はないが、一部車両はLED式からLCD式に更新されている。",
"title": "車両"
},
{
"paragraph_id": 33,
"tag": "p",
"text": "ナゴヤドーム(現・バンテリンドーム ナゴヤ)を本拠地とするプロ野球球団中日ドラゴンズやイオンおよび中日新聞社との協力により、2006年から「ドラゴンズ・トレイン」という企画電車が同線を走っていた。同線が選ばれたのは沿線にナゴヤドーム(現・バンテリンドーム ナゴヤ)があるためであり、「右回り」「左回り」の両方向で運行していた。",
"title": "車両"
},
{
"paragraph_id": 34,
"tag": "p",
"text": "毎年、シーズン開幕とほぼ同時に運行がスタートし、通常はシーズン終了と同時にドラゴンズ・トレインの運行も終了するが、中日ドラゴンズの成績次第では、クライマックスシリーズや日本シリーズの時期まで運行が延長される場合もあった。",
"title": "車両"
},
{
"paragraph_id": 35,
"tag": "p",
"text": "毎年運行初日から4月中旬頃までは、パソコン向けの交通局公式サイトにてPDF版の時刻表が提供されていた。ドラゴンズ・トレインは車両に写真を印刷した特殊なシールを貼り付けているため、シール作製等のコストに膨大な費用が費やされることもあって、基本的には1日1編成のみの運行となる。そのため、PDF版時刻表の提供終了後は、乗車できる機会が少なくなる。ドラゴンズ・トレインは車両へのラッピング及び車内の装飾がメインであるが、2009年シーズンまで中日ドラゴンズの選手会長を務めた荒木雅博選手のアナウンスを車内に流していた時もあった。",
"title": "車両"
},
{
"paragraph_id": 36,
"tag": "p",
"text": "なお、「ドラゴンズ・トレイン」は2012年から行われていないが、ナゴヤドーム前矢田駅の東改札口から1番出入り口に通じる通路の壁に中日ドラゴンズの選手や監督の写真などを貼り出す「ドラゴンズロード」は毎年行われている。",
"title": "車両"
},
{
"paragraph_id": 37,
"tag": "p",
"text": "2016年(平成28年)7月4日より、平日の始発から午前9時まで女性専用車両を導入している。東山線とは異なり、駅での列車接近時の自動放送では女性専用車両の案内はない。",
"title": "車両"
},
{
"paragraph_id": 38,
"tag": "p",
"text": "名港線への直通列車も走る金山駅 - 大曽根駅の内、金山駅 - 栄駅はほぼ終日混雑している。野球などナゴヤドームでイベントが開催されるときはナゴヤドーム前矢田駅までは混雑するが環状運転のみの区間は桜通線とJR・名鉄を結ぶ新瑞橋駅 - 金山駅をのぞいて通常それほど混雑しない。初詣期間や熱田まつりの開催日は熱田神宮伝馬町駅や熱田神宮西駅近辺の混雑が激しくなる。",
"title": "利用状況"
},
{
"paragraph_id": 39,
"tag": "p",
"text": "砂田橋駅 - 八事駅間の沿線には、大学や高校が多く点在する。特に名古屋大学・中京大学・南山大学は名城線開業まで市バスまたは地下鉄東山線か地下鉄鶴舞線しか交通手段がなかったが、開業後は市内各所から各大学へのアクセスが改善された。鶴舞線沿線ではあるが、名城大学へも名古屋大学駅 - 新瑞橋駅間の開業で大きく改善されている。また、2007年には、名古屋学院大学が名城線西高蔵駅と名港線日比野駅の間付近に移転、2014年には、愛知学院大学の名城公園キャンパスが名城公園駅付近に開校した。",
"title": "利用状況"
},
{
"paragraph_id": 40,
"tag": "p",
"text": "総務省の公共事業の需要予測調査で、当路線は1日の利用客数が2006年度実績で14万4,138人の予測の半分以下に留まって大幅に下回ったことから、予測精度など改善をするように勧告が出されることになった。",
"title": "利用状況"
},
{
"paragraph_id": 41,
"tag": "p",
"text": "名古屋市営地下鉄名城線・名港線の年度別の輸送実績を下表に記す。2003年度(平成15年度)まではすべて大曽根 - 名古屋港間14.9kmの数値である。表中、最高値を赤色で、最低値を緑色で表記している。",
"title": "利用状況"
},
{
"paragraph_id": 42,
"tag": "p",
"text": "名城線には中日ドラゴンズの本拠地・ナゴヤドーム(2021年からはネーミングライツによりバンテリンドーム ナゴヤ)の最寄り駅であるナゴヤドーム前矢田駅があることから、2000年の大曽根駅 - 砂田橋駅間の開業を告知するCMに当時中日に在籍していたプロ野球選手の岩瀬仁紀と福留孝介が出演し、同区間の出発式にも出席した。なお、大幸車庫の一部はナゴヤドームの下にある。",
"title": "その他"
},
{
"paragraph_id": 43,
"tag": "p",
"text": "2008年には、当時選手会長を務めていた荒木雅博による車内放送が流された。",
"title": "その他"
},
{
"paragraph_id": 44,
"tag": "p",
"text": "2022年5月1日から2023年3月31日までの間、ナゴヤドーム前矢田駅到着前に、立浪和義監督による「中日ドラゴンズの立浪です。バンテリンドーム ナゴヤはこちらです」という車内放送が流れる。",
"title": "その他"
}
] |
名城線(めいじょうせん)は、愛知県名古屋市東区の大曽根駅から、同市中区の栄駅、金山駅、同市瑞穂区の新瑞橋駅、同市千種区の名古屋大学駅、本山駅を経て、大曽根駅までを環状に結ぶ、名古屋市営地下鉄の路線の愛称。 2号線名城線及び名港線の一部と、4号線名城線から構成される。ラインカラーは紫で、名城線で使用されていた1000形のウインザーイエローの車体に補色である紫色の線が巻かれていたことに由来する。駅ナンバリングで用いられる路線記号はM。日本国内初の地下鉄環状路線である。 なお、路線としては上記の通り大曽根駅から左回り基準であるが、列車番号はナゴヤドーム前矢田駅から両回り同等、駅番号は金山駅から右回り基準で付されている。 すべての駅でmanaca(2011年2月11日に導入)などの交通系ICカード全国相互利用サービス対応カードが使用できる。
|
{{pp-vandalism|small=yes}}
{{Infobox 鉄道路線
|路線名=[[File:Transportation Bureau City of Nagoya.svg|20px|bottom|名古屋市交通局|link=名古屋市交通局]] 名城線
|路線色2=
|ロゴ=[[File:Nagoya Subway Logo (Meijo & Meiko Line).svg|50px|top]] [[File:Nagoya Subway Logo V2 (Meijo Line).svg|50px]]
|路線色=#B074D6
|画像=Nagoya Subway 2127 Motoyama 20090518.JPG
|画像サイズ=300px
|画像説明=2000形電車
|国={{JPN}}
|所在地=[[愛知県]][[名古屋市]]
|種類=[[地下鉄]]
|路線網=[[名古屋市営地下鉄]]
|起点=[[大曽根駅]]
|終点=大曽根駅
|駅数=28駅
|輸送実績=
|1日利用者数=
|路線記号=M
|路線番号=2号線(大曽根 - 栄 - 金山間)<br />4号線(金山 - 名古屋大学 - 大曽根間)
|路線色3={{Legend2|#B074D6|紫}}<br />[[DICカラーガイド|DIC]] 106<ref name="signmanual">「名古屋市交通局 旅客サインマニュアル」による</ref>
|開業=[[1965年]][[10月15日]](2号線)<br />[[1974年]][[3月30日]](4号線)
|全通=[[1971年]][[12月20日]](2号線)<br />[[2004年]][[10月6日]](4号線)
|所有者=[[名古屋市交通局]]
|運営者=名古屋市交通局
|車両基地=[[大幸車庫]]、[[名古屋市交通局名港工場|名港工場]]
|使用車両=[[#車両|車両]]の節を参照
|路線構造=[[放射線・環状線|環状線]]
|路線距離=26.4 [[キロメートル|km]]
|軌間=1,435 [[ミリメートル|mm]]
|線路数=[[複線]]
|電化方式=[[直流電化|直流]]600 [[ボルト (単位)|V]] [[第三軌条方式]]
|最大勾配=
|最小曲線半径=
|閉塞方式=車内信号式
|保安装置=[[自動列車制御装置|CS-ATC]]、[[自動列車運転装置|ATO]]
|最高速度=65 [[キロメートル毎時|km/h]]<ref name="judan">『日本縦断! 地下鉄の謎』 - 小佐野カゲトシ</ref>
|諸元備考=
|諸元備考内容=
|路線図=[[File:Linemap of NMS Meijō Line.svg|300px]]
|路線図名=
|路線図表示=
}}
{| {{Railway line header}}
{{UKrail-header2|停車場・施設・接続路線|#B074D6}}
{{BS-table}}
{{BS3|tSTR|||||新瑞橋方面|}}
{{BS3|tSTR|tSTR+l|tSTRq|||{{rint|nagoya|e}} [[名古屋市営地下鉄名港線|名港線]]|}}
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{{BS3|tSTRq|O1=HUBrg|tTBHFt|O2=HUBeq|uxmKRZt|3.0|M05 [[栄駅 (愛知県)|栄駅]]|}}
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{{BS3|tKRZt|tTBHFt|tSTRq|O3=uexHST|3.4|M06 [[久屋大通駅]]|}}
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{{BS5|LSTR||tBHF|O3=HUBaq|tKBHFaq|O4=HUBeq|tSTRq|8.2|M11 [[平安通駅]]|}}
{{BS5|LSTR||tSTR|||||{{rint|nagoya|k}} [[名古屋市営地下鉄上飯田線|上飯田線]]|}}
{{BS5|hSTR|HUBrg|tBHF|O3=HUBeq|||8.9|M12 [[大曽根駅]]|}}
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{{BS5||uhKBHFa|O2=HUBe|tSTR|uexKHSTa||||''名古屋市電:矢田町四丁目電停''|}}
{{BS5||uhSTR|O2=POINTERg@fq|tSTR|uexSTRr||||[[名古屋ガイドウェイバス|NGB]]:[[名古屋ガイドウェイバスガイドウェイバス志段味線|ガイドウェイバス志段味線]]([[ゆとりーとライン]])|}}
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{{BS3|tSTRq|tTBHFt|tSTRq|20.7|M23 [[新瑞橋駅]]|}}
{{BS3||tSTR|||{{rint|nagoya|s}} 桜通線|}}
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{{BS5|hSTR+l|hSTRq|tKRZh|HSTq||||名鉄:名古屋本線|}}
{{BS5|hSTR||tSTR|||||[[呼続駅]]}}
{{BS5|hSTR||tBHF|||22.2|M25 [[堀田駅 (名古屋市営地下鉄)|堀田駅]]|}}
{{BS5|hHST||tSTR|||||[[堀田駅 (名鉄)]]}}
<!--{{BS5|hSTR||tSTR|||||地下鉄堀田駅と徒歩連絡}}-->
{{BS5|hSTRe|STR+l|tKRZ|STRq||||JR東海:東海道本線|}}
{{BS5|ABZg+l|KRZu|tKRZ|STRq||||名鉄:常滑線|}}
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{{BS5|STR|STR|tSTR|||||[[熱田駅]]}}
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{{BS5|STR|STR|tSTR|tSTR+l|tSTRq|||{{rint|nagoya|e}} 名港線|}}
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{{BS5|STRl|STRq|tKRZ|tKRZ|BHFq|O5=HUB|||名鉄:名古屋本線|}}
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{{BS5|||tXBHF-L|O3=HUBaq|tXBHF-R|O4=HUBq|HUBrf|26.4|M01 金山駅||}}
{{BS3||tSTRl|tABZg+r|||栄方面|}}
|}
|}
'''名城線'''(めいじょうせん)は、[[愛知県]][[名古屋市]][[東区 (名古屋市)|東区]]の[[大曽根駅]]から、同市[[中区 (名古屋市)|中区]]の[[栄駅 (愛知県)|栄駅]]、[[金山駅 (愛知県)|金山駅]]、同市[[瑞穂区]]の[[新瑞橋駅]]、同市[[千種区]]の[[名古屋大学駅]]、[[本山駅 (愛知県)|本山駅]]を経て、大曽根駅までを環状に結ぶ、[[名古屋市営地下鉄]]の路線の[[鉄道路線の名称|愛称]]。
'''2号線名城線及び名港線'''{{efn2|都市計画上の名称は「'''名古屋市高速度鉄道第2号線'''」。}}の一部(大曽根駅 - 栄駅 - [[名古屋港駅 (名古屋市営地下鉄)|名古屋港駅]]間のうち大曽根駅 - 栄駅 - 金山駅間)と、'''4号線名城線'''{{efn2|都市計画上の名称は「'''名古屋市高速度鉄道第4号線'''」。}}(大曽根駅 - 名古屋大学駅 - 金山駅間)から構成される。[[日本の鉄道ラインカラー一覧|ラインカラー]]は[[紫]]([[藤色]] {{Color|#B074D6|■}})で、名城線で使用されていた[[名古屋市交通局1000形電車|1000形]]のウインザーイエローの車体に[[補色]]である紫色の線が巻かれていたことに由来する<ref>{{Cite news |title=地下鉄の色、どんな意味 |newspaper=中日新聞 |date=2007-01-29 |url=http://www.chunichi.co.jp/article/aichi/ntok0071/list/CK2008102802100026.html |accessdate=2014-12-26 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20110516072302/http://www.chunichi.co.jp/article/aichi/ntok0071/list/CK2008102802100026.html |archivedate=2011年5月16日 |deadlinkdate=2017年9月 }}</ref>。[[駅ナンバリング]]で用いられる路線記号は'''M'''。日本国内初の地下鉄環状路線である。
なお、路線としては上記の通り大曽根駅から左回り基準であるが、[[列車番号]]は[[ナゴヤドーム前矢田駅]]から両回り同等<ref group="注">名古屋市営地下鉄では始発駅(名城線の周回運転列車はナゴヤドーム前矢田駅)の発車時刻を列車番号とするため、方向による奇数・偶数の区別はなく、始発駅と終着駅を表すアルファベットを前後に付けることで方向を区別している。さらに、名城線では左回りの列車に対して「L」('''L'''eft)、右回りの列車に対して「R」('''R'''ight)を先頭に付けることで区別を図っている。</ref>、駅番号は金山駅から右回り基準で付されている。
すべての駅で[[manaca]](2011年2月11日に導入)などの[[交通系ICカード全国相互利用サービス|交通系ICカード全国相互利用サービス対応カード]]が使用できる。
== 概要 ==
1965年に栄町駅(現在の栄駅) - 市役所駅(現在の名古屋城駅)間<ref name="new-nagoya-history-7-1998-3-31">新修名古屋市史編集委員会 『新修名古屋市史 第7巻』 [[名古屋市]]、1998年3月31日。</ref>が2号線として開業。[[2004年]][[10月6日]]に4号線名古屋大学駅から八事駅を経て新瑞橋駅までが開業<ref name="NagoyaKotsu200410" /><ref name="JRC627">{{Cite journal|和書 |title=鉄道記録帳 |journal = RAIL FAN |date = 2005年1月号 |issue = 1 |volume = 52 |publisher = 鉄道友の会 |page = 24 }}</ref>したことで、大曽根駅 - 名古屋大学駅 - 金山駅間が全通し、2号線大曽根駅 - 栄駅 - 金山駅間とあわせて名古屋市営地下鉄初の環状線が完成、日本初の地下鉄[[環状運転]]が開始された<ref name="NagoyaKotsu200410" >[https://web.archive.org/web/20040819050307fw_/http://www.kotsu.city.nagoya.jp/osirase/kanjyo-kaigyou/kanjyo-kaigyou.htm 地下鉄4号線名古屋大学・新瑞橋間の開業について](名古屋市交通局新着情報・インターネットアーカイブ)。</ref><ref name="JRC627"/>。環状線の完成に伴い、環状部の愛称を「名城線」、放射部(枝線)となる2号線金山駅 - 名古屋港駅間の愛称を「[[名古屋市営地下鉄名港線|名港線]]」とした<ref name="NagoyaKotsu200410" /><ref name="JRC627"/>。「名城線」は[[名古屋城]]の近くを通る路線であること、「名港線」は[[名古屋港]]へ向かう路線であることに因む<ref>{{Cite web|和書|title=地下鉄4号線の駅名等及び路線の愛称について |publisher=名古屋市交通局 |date= |url=http://www.kotsu.city.nagoya.jp/osirase/ekimei/ekimei.htm |accessdate=2020-09-22 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20040406142234fw_/http://www.kotsu.city.nagoya.jp/osirase/ekimei/ekimei.htm |archivedate=2004-04-06 }}</ref>。環状運転の実施以前は大曽根駅 - 金山駅 - 名古屋港駅間を「名城線」と呼び、それ以外の区間を「4号線」と表記していた<ref group="注">ただし、乗客向け路線図や案内放送等では4号線の区間も「名城線」に統一されており、「4号線」の名称はほとんど使用されなかった。</ref>。
最古の区間である栄駅 - 名古屋城駅間は1965年の開業であるのに対して、最新の区間である名古屋大学駅 - 新瑞橋駅間は2004年の開業であり、開業年にはおよそ40年もの差がある。この区間は一部が民有地の下を通っているため、地権者から建設差し止め<ref>「日経コンストラクション」1999年11月12日号pp.78 - 79。</ref>や、土地収用の事業認定・収用裁決取り消しを求める裁判を起こされた<ref>[https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/217/003217_hanrei.pdf 平成14(行コ)20 事業認定処分取消,土地収用裁決取消請求控訴]</ref>ことから開業が遅れた。1970年代までに開業した新瑞橋駅 - 金山駅 - 栄駅 - 大曽根駅間にある駅は、地上から比較的浅いところにある駅があり、2000年代に開業したナゴヤドーム前矢田駅 - 本山駅 - 瑞穂運動場東駅間にある駅は地上から比較的深くにある。2003年以降に開業した砂田橋駅 - 名古屋大学駅 - 新瑞橋駅間のトンネルは単線シールドまたは複心円シールドが使われている。既存の区間も一部単線シールドが使われている。他線との乗換駅では東山線を除いて名城線が上を通っている。八事駅も例外ではなく、1977年に鶴舞線が開業した時点で名城線のホームを造れるよう予め空間を造った上で通している。
全長は26.4 kmで、JR西日本の[[大阪環状線]] (21.7 km) より長く、東京の[[都営地下鉄大江戸線]]の環状部 (27.8 km)、JR東日本の[[山手線]] (34.5 km) より短い。
日本の環状地下鉄としては大江戸線に次ぐものであるが、大江戸線の環状部は[[都庁前駅]]で、[[光が丘駅]]への放射部に通じる線形となっていることから[[スイッチバック]]型の配線(全体の線形は放射部を含めればラケット型)となっており、路線自体が完全なる環状線で、環状運転を行う地下鉄としては名城線が日本で初、かつ唯一の路線である<ref>{{Cite web|和書|url=https://twitter.com/nagoya_kotsu100/status/1445584599153725449 |title=市営交通100年祭(名古屋市)のツイート(2021年10月6日) |access-date=2022-05-29 |publisher=名古屋市交通局 |language=ja |archive-url=https://web.archive.org/web/20220518093333/https://twitter.com/nagoya_kotsu100/status/1445584599153725449 |archive-date=2022-05-18 |date=2021-10-06}}</ref>。また、世界的にも[[ロンドン地下鉄]][[サークル線]]<ref group="注">名城線同様、[[放射線・環状線|放射線]]の乗り入れあり。2009年以降は環状ではなく6の字型運転。</ref>、[[グラスゴー地下鉄]]、[[モスクワ地下鉄]][[環状線 (モスクワ地下鉄)|環状線]]、[[マドリード地下鉄]]6号線、[[ソウル交通公社]][[ソウル交通公社2号線|2号線]]<ref group="注">放射線(支線)を有するが、環状線と放射線の間での営業列車の直通運転はない。</ref>、[[北京地下鉄]][[北京地下鉄2号線|2号線]]に次いで7番目で、一周の距離では[[大環状線 (モスクワ地下鉄)|モスクワ地下鉄大環状線]]、[[北京地下鉄10号線]]、ソウル交通公社2号線に次いで世界第4位の長さである{{refnest|group="注"|既に部分開業した[[台北捷運環状線]]が全通すれば、同線が新たに世界第4位になる予定<ref>[https://www.dorts.gov.taipei/cp.aspx?n=B62EFF3676294E7F 環狀線北環及南環],台北市政府捷運工程局</ref><ref>[https://www.dorts.gov.taipei/cp.aspx?n=2353836DD875EA15 環狀線東環段],台北市政府捷運工程局</ref>}}。
名古屋市営地下鉄の中では名港線・[[名古屋市営地下鉄桜通線|桜通線]]・[[名古屋市営地下鉄東山線|東山線]]とともに、路線が名古屋市内に収まっており、営業運転で車両が名古屋市外に出ない路線である<ref group="注">桜通線の車両は大規模な車両検査の際、連絡線を介して鶴舞線に乗り入れ、[[日進市]]の[[名古屋市交通局日進工場|日進工場]]へ入線する(検査の他に訓練などに使用するため一部車両が常時日進工場に留置されている)。東山線は[[名古屋市交通局藤が丘工場|藤が丘工場]]の敷地の一部が名古屋市外の[[長久手市]]にかかる。上飯田線も路線が名古屋市内に収まっているが、大半の列車が名鉄小牧線に乗り入れて名古屋市外まで運行される。</ref>。また、直通する名港線を含めて、全線が[[名古屋環状2号線]]の内側に収まっている。そして、名港線・桜通線・[[名古屋市営地下鉄上飯田線|上飯田線]]とともに営業線が全て地下にある路線である(名港線は名港工場が地上にある。環状化前は名城工場が地上に存在した)<ref group="注">上飯田線は名鉄小牧線に乗り入れると地上に出る。</ref>。環状化されてからは多くの区を通過するようになったが、[[守山区]]、[[名東区]]、[[緑区 (名古屋市)|緑区]]、[[南区 (名古屋市)|南区]]、[[中村区]]、[[西区 (名古屋市)|西区]]は通らない(北東から時計回りに。中川区と港区は名港線のみ通る。[[天白区]]は通過するのみで、駅はない)。環状運転開始により、名古屋市東部および南部に延びる他の路線のバイパスとなったことで、東山線藤が丘方面から鶴舞線赤池・豊田市方面ならびに桜通線徳重方面への乗車時間が大幅に短縮されている。
同じく都心部で環状運転を行っている山手線や大阪環状線との相違点は、運転方向を[[時計回り・反時計回り|「右回り」・「左回り」]]と呼んでいること、JRや[[大手私鉄]]との接続駅が[[金山駅 (愛知県)|金山駅]]と[[大曽根駅]]のみであること(栄駅、名古屋城駅、新瑞橋駅、妙音通駅、堀田駅、熱田神宮伝馬町駅は名鉄の駅の近くにある。熱田神宮西駅はJRの駅の近くにある)、他路線のバイパスとして機能していること、都心部ないし副都心と郊外とを結んでいることである。さらに沿線には、[[愛知県体育館]](ドルフィンズアリーナ)、[[ナゴヤドーム]](バンテリンドーム ナゴヤ)、[[名古屋市瑞穂公園]](パロマ瑞穂スポーツパーク、[[名古屋市瑞穂公園陸上競技場|瑞穂陸上競技場]]・瑞穂球場ほか)といったスポーツ施設があるので、これらの施設へのアクセス利便性が向上している。
[[2005年]]10月6日より、従来の接近チャイムに代わり、試験的に[[発車メロディ#接近メロディ|接近メロディ]]が名港線とともに全駅において導入された。[[東日本旅客鉄道]](JR東日本)の[[首都圏 (日本)|首都圏]]の駅で使われている[[櫻井音楽工房]]の[[発車メロディ]](曲名は名城線左回りが「すすきの高原」、右回りが「あざみ野」、名港線名古屋港方面が「twilight」、金山方面が「光と風と」)が使われていたが、[[2007年]][[3月19日]]からは、オリジナルの物に変更されており、現在使用している接近メロディは名城線の左回りが「ランディング」、右回りが「サークル・ポイント」、名港線の名古屋港方面が「ハッピータイム」、金山方面が「海」という曲である<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.kotsu.city.nagoya.jp/jp/pc/ENJOY/TRP0000483.htm |title=列車接近メロディ |access-date=2022-06-04 |publisher=名古屋市交通局 |language=ja |archive-url=https://web.archive.org/web/20220407053023/https://www.kotsu.city.nagoya.jp/jp/pc/ENJOY/TRP0000483.htm |archive-date=2022-04-07}}</ref>。
金山駅・八事駅・本山駅・栄駅を除く各駅のホーム番号は左回りが1番線で、右回りが2番線である。
2020年6月から、順次各駅に[[ホームドア|可動式ホーム柵]]を設置しており<ref name="TRP0003985" />、2021年3月までに全駅に設置が完了した<ref name="meishinren20210118">[http://meishinren.or.jp/modules/news/index.php?action=PageView&page_id=957 名城線ホーム柵設置工事のお知らせ(堀田・伝馬・神宮西・西高蔵)] - 名古屋市身体障害者福祉連合会、2021年1月18日</ref><ref>[https://www.kotsu.city.nagoya.jp/jp/pc/SUBWAY/TRP0000134.htm 可動式ホーム柵] - 名古屋市交通局、2022年6月6日閲覧</ref>。
2021年7月1日から[[ナゴヤドーム前矢田駅]] - [[本山駅 (愛知県)|本山駅]] - [[金山駅 (愛知県)|金山駅]]間で[[ワンマン運転]]が開始され<ref name="one-person" />、金山駅 - [[栄駅 (愛知県)|栄駅]] - ナゴヤドーム前矢田駅間は従来通り車掌が乗務していた。2022年7月1日からは全区間でワンマン運転が開始されている<ref name=":0" />。
2023年1月4日、市役所駅・伝馬町駅・神宮西駅をそれぞれ、名古屋城駅・熱田神宮伝馬町駅・熱田神宮西駅に改称した<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.kotsu.city.nagoya.jp/jp/sp/SUBWAY/TRP0004156.htm |title=地下鉄駅名称変更の実施日について |access-date=2022-07-08 |publisher=名古屋市交通局}}</ref>。
[[ファイル:NS-Kamimaezu-station-platform-003.jpg|thumb|none|240px|[[上前津駅]]の可動式ホーム柵]]
=== 路線データ ===
* 路線距離([[営業キロ]]):全長 26.4 km
** 2号線:大曽根 - 栄 - 金山間 8.9 km
**: (2号線全線大曽根 - 栄 - 金山 - 名古屋港間は14.9 km)
** 4号線:大曽根 - 名古屋大学 - 金山間 17.5 km
* [[軌間]]:1435mm
* 駅数:28駅
* 複線区間:全線
* 電化区間:全線(直流600V・[[第三軌条方式]])
* [[閉塞 (鉄道)|閉塞方式]]:車内信号式
* 最高速度:65 km/h<ref name="judan" />
* 1編成の両数:6両
* ホーム最大対応両数:6両
== 歴史 ==
=== 年表 ===
* [[1965年]]([[昭和]]40年)[[10月15日]]:2号線市役所駅(現在の名古屋城駅) - 栄町駅(現在の栄駅)間 (1.3 km) 開業<ref name="new-nagoya-history-7-1998-3-31" /><ref>{{Cite web|和書|url=https://twitter.com/nagoya_kotsu100/status/1502841883860500483 |title=市営交通100年祭(名古屋市)のツイート(2021年10月15日) |access-date=2022-07-15 |publisher=名古屋市交通局 |date=2021年10月15日 |language=ja |archive-url=https://web.archive.org/web/20220518093331/https://twitter.com/nagoya_kotsu100/status/1448846092389347332 |archive-date=2022-05-18}}</ref>。1000形系列電車営業運転開始。
* [[1966年]](昭和41年)[[6月1日]]:2号線栄町駅を栄駅に改称。
* [[1967年]](昭和42年)[[3月30日]]:2号線栄駅 - 金山駅間 (3.0 km) 開業<ref name="new-nagoya-history-7-1998-3-31" />。
* [[1969年]](昭和44年)[[4月25日]]:2号線の愛称を'''名城線'''と決定<ref>{{Cite web|和書|url=https://twitter.com/nagoya_kotsu100/status/1518424562328875010 |title=市営交通100年祭(名古屋市)のツイート(2022年4月25日) |access-date=2022-07-15 |publisher=名古屋市交通局 |date=2022-04-25 |language=ja |archive-url=https://web.archive.org/web/20220425030109/https://twitter.com/nagoya_kotsu100/status/1518424562328875010 |archive-date=2022-04-25}}</ref>。5月1日から使用開始。愛称決定までは1号線(現・東山線)の東西線に対して、「南北線」と呼称する場合もあった。
* [[1971年]](昭和46年)
** [[3月29日]]:名城線金山駅 - 名古屋港駅間 (6.0 km) 開業<ref name="new-nagoya-history-7-1998-3-31" /><ref>{{Cite web|和書|url=https://twitter.com/nagoya_kotsu100/status/1508640086568570882 |title=市営交通100年祭(名古屋市)のツイート(2022年3月29日) |access-date=2022-07-15 |publisher=名古屋市交通局 |date=2022年3月29日 |language=ja |archive-url=https://web.archive.org/web/20220329030023/https://twitter.com/nagoya_kotsu100/status/1508640086568570882 |archive-date=2022年3月29日}}</ref>。
** [[12月20日]]:名城線大曽根駅 - 市役所駅間 (4.6 km) 開業(2号線全線開業)<ref name="new-nagoya-history-7-1998-3-31" />。
* [[1974年]](昭和49年)3月30日:4号線新瑞橋駅 - 金山駅間 (5.7 km) 開業<ref name="new-nagoya-history-7-1998-3-31" /><ref>{{Cite web|和書|url=https://twitter.com/nagoya_kotsu100/status/1509002480407007242 |title=市営交通100年祭(名古屋市)のツイート(2022年3月30日) |access-date=2022-07-15 |publisher=名古屋市交通局 |date=2022年3月30日 |language=ja |archive-url=https://web.archive.org/web/20220330030111/https://twitter.com/nagoya_kotsu100/status/1509002480407007242 |archive-date=2022年3月30日}}</ref>。
* [[1989年]]([[平成]]元年)
** [[6月10日]]:2000形電車営業運転開始<ref>{{Cite web|和書|url=https://twitter.com/nagoya_kotsu100/status/1535094400044265472 |title=市営交通100年祭(名古屋市)のツイート(2022年6月10日) |access-date=2022-07-15 |publisher=名古屋市交通局 |date=2022年6月10日 |language=ja |archive-url=https://web.archive.org/web/20220610033826/https://twitter.com/nagoya_kotsu100/status/1535094400044265472 |archive-date=2022年6月10日}}</ref>。
** [[9月10日]]:名城線市役所駅 - 栄駅間に久屋大通駅開業。同日開業した桜通線との乗換駅。
* [[1990年]](平成2年)6月:1000形系列電車廃車開始。
* [[1999年]](平成11年)12月7日:LED式[[発車標]]を全駅に設置<ref>{{Cite web|和書|url=https://twitter.com/nagoya_kotsu100/status/1468052650679672832 |title=市営交通100年祭(名古屋市)のツイート(2021年12月7日) |access-date=2022-05-29 |publisher=名古屋市交通局 |language=ja |archive-url=https://web.archive.org/web/20220516094017/https://twitter.com/nagoya_kotsu100/status/1468052650679672832 |archive-date=2022-05-16 |date=2021-12-07}}</ref>。
* [[2000年]](平成12年)
** [[1月19日]]:4号線大曽根駅 - 砂田橋駅間 (1.7 km) 開業<ref>{{Cite web|和書|url=https://twitter.com/nagoya_kotsu100/status/1483635329999548423 |title=市営交通100年祭(名古屋市)のツイート(2022年1月19日) |access-date=2022-05-29 |publisher=名古屋市交通局 |language=ja |archive-url=https://web.archive.org/web/20220518094329/https://twitter.com/nagoya_kotsu100/status/1483635329999548423 |archive-date=2022-05-18 |date=2022-01-19}}</ref><ref name=":0" group="注">当初、大曽根駅 - 名古屋大学駅間は一括で開業する予定だったが、ナゴヤドームへのアクセスのため大曽根駅 - 砂田橋駅間を先行して開業させた。</ref>。
** [[3月31日]]:1000形系列電車営業運転終了<ref>『週刊 歴史でめぐる鉄道全路線 公営鉄道・私鉄 No.10』「名古屋市営地下鉄・豊橋鉄道・愛知環状鉄道・東海交通事業・名古屋臨海高速鉄道」15頁</ref>。
* [[2003年]](平成15年)
** 2月7日:[[列車非常停止警報装置|電車緊急停止ボタン]]が全駅に設置される<ref>{{Cite web|和書|url=https://twitter.com/nagoya_kotsu100/status/1490520698325921802 |title=市営交通100年祭(名古屋市)のツイート(2022年2月7日) |access-date=2022-05-29 |publisher=名古屋市交通局 |language=ja |archive-date=2022-05-29 |archive-url=https://web.archive.org/web/20220528155806/https://twitter.com/nagoya_kotsu100/status/1490520698325921802}}</ref>。
** [[12月13日]]:4号線砂田橋駅 - 名古屋大学駅間 (4.5 km) 開業<ref name="NagoyaKotsu200312" >[https://web.archive.org/web/20031004161636fw_/http://www.kotsu.city.nagoya.jp/osirase/kaigyo/kaigyo.htm 地下鉄4号線「砂田橋・名古屋大学間」の開業について](名古屋市交通局新着情報・インターネットアーカイブ)。</ref><ref>{{Cite journal|和書|date=2004-03-01|title=鉄道記録帳2003年12月|journal=RAIL FAN|volume=51|issue=3|page=25|publisher=鉄道友の会}}</ref><ref name=":0" group="注" />。
* [[2004年]](平成16年)[[10月6日]]:4号線新瑞橋駅 - 名古屋大学駅間 (5.6 km) 開業<ref name="NagoyaKotsu200410" /><ref name="JRC627" />。これにより、2号線と4号線を併せた環状線の愛称を名城線、分岐線となった金山駅 - 名古屋港駅間の愛称を名港線とする<ref name="NagoyaKotsu200410-2" >[https://web.archive.org/web/20040819050307fw_/http://www.kotsu.city.nagoya.jp/osirase/kaigyou-annai/kaigyou-gaiyou-top.htm 名古屋大学・新瑞橋間の開業及び東山線等の運行の見直しについて](名古屋市交通局新着情報・インターネットアーカイブ)。</ref><ref name="JRC627" />。
* [[2005年]](平成17年)10月6日:全駅で列車到着前の接近チャイムに代わり関東地方で使用されている発車メロディと同じメロディを接近メロディとして導入。
* [[2007年]](平成19年)[[3月19日]]:全駅の接近メロディをJR東日本の発車メロディと同じメロディからオリジナルのものに変更。
* [[2009年]](平成21年)[[3月18日]]:全駅のLED式発車標で「先発」「次発」の表示に代わり発車時刻を表示。
* [[2016年]](平成28年)[[7月4日]]:平日の始発から午前9時まで[[女性専用車両]]を導入<ref name="kotsu-nagoya-city20160511">[http://www.kotsu.city.nagoya.jp/jp/pc/SUBWAY/TRP0001661.htm 女性専用車両の路線拡大について] - 名古屋市交通局、2016年5月11日</ref><ref name="railfjp20160705">[http://railf.jp/news/2016/07/05/174500.html 名古屋市営地下鉄名城線・名港線に女性専用車両] - 鉄道ファン・railf.jp 鉄道ニュース、2016年7月5日</ref>。
* [[2019年]]([[令和]]元年)[[11月5日]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://twitter.com/nagoya_kotsu100/status/1456456234463215616 |title=市営交通100年祭(名古屋市)のツイート(2021年11月5日) |access-date=2022-05-29 |publisher=名古屋市交通局 |language=ja |date=2021-11-05 |archive-date=2022-05-18 |archive-url=https://web.archive.org/web/20220518093515/https://twitter.com/nagoya_kotsu100/status/1456456234463215616}}</ref>:黒川駅を皮切りに発車標をLED式からLCD式に更新(名港線も含め、12月5日までに全34駅で切り替え完了)<ref>[https://www.kotsu.city.nagoya.jp/jp/pc/SUBWAY/TRP0003810.htm 地下鉄名城線・名港線 カラー液晶式(LCD)案内表示装置への更新について] - 名古屋市交通局、2019年10月29日</ref>。あわせて名古屋市営地下鉄では初となる音声合成ならびに英語による接近放送も開始。[[ファイル:Nagoya Subway Meijo・Meiko Line(M-01-M-28 - E-01-E-07).jpg|代替文=|サムネイル|名城線・名港線のホーム、改札口に設置されているLCD発車標]]
* [[2020年]](令和2年)
** [[5月23日]]:ダイヤ改正<ref>[https://www.kotsu.city.nagoya.jp/jp/pc/ABOUT/TRP0003949/20200423-%E5%9C%B0%E4%B8%8B%E9%89%84%E5%90%8D%E5%9F%8E%E7%B7%9A%E3%83%BB%E5%90%8D%E6%B8%AF%E7%B7%9A%E3%81%AE%E3%83%80%E3%82%A4%E3%83%A4%E6%94%B9%E6%AD%A3%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%A6.pdf 地下鉄名城線・名港線のダイヤ改正について] - 名古屋市交通局、2020年5月8日</ref>。[[自動列車運転装置|ATO]]による自動運転開始。所要時間が長くなり、1周が50分→1時間となった。
** [[5月25日]]:名港線名古屋港駅を皮切りに、名城・名港線各駅に順次[[ホームドア|可動式ホーム柵]]を設置<ref>[https://www.kotsu.city.nagoya.jp/jp/pc/SUBWAY/TRP0003979.htm 地下鉄名城線・名港線の可動式ホーム柵が稼働します] - 名古屋市交通局、2020年5月18日</ref>。
** [[7月5日]]:金山駅で名城線初の可動式ホーム柵が稼働<ref name="TRP0003985">[https://www.kotsu.city.nagoya.jp/jp/pc/SUBWAY/TRP0003985.htm 矢場町駅、栄駅の可動式ホーム柵稼働のお知らせ] - 名古屋市交通局、2020年8月13日閲覧</ref>。
* [[2021年]](令和3年)
** 3月15日:西高蔵駅の可動式ホームドアが稼働し、名城・名港線全駅で可動式ホームドアが稼働<ref name="meishinren20210118" />。
** [[7月1日]]:[[ナゴヤドーム前矢田駅]] - [[本山駅 (愛知県)|本山駅]] - [[金山駅 (愛知県)|金山駅]]間で[[ワンマン運転]]開始<ref name="one-person">{{Cite web|和書|url=https://www.kotsu.city.nagoya.jp/jp/pc/SUBWAY/TRP0004286.htm |archiveurl=https://web.archive.org/web/20210618025928/https://www.kotsu.city.nagoya.jp/jp/pc/SUBWAY/TRP0004286.htm |title=名城線・名港線のワンマン運転実施について |date=2021-06-18 |archivedate=2021-06-18 |accessdate=2021-06-18 |publisher=名古屋市交通局 |language=日本語 |deadlinkdate=}}</ref>。
** [[11月28日]] - :名港線[[築地口駅]]を皮切りに、1番乗降口と18番乗降口に限定した段差・隙間解消工事を実施(名城線も含め、2022年6月30日までに全34駅で工事完了)<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.kotsu.city.nagoya.jp/jp/pc/SUBWAY/TRP0004409.htm |title=名城線・名港線のホームと車両の段差・隙間の解消について |accessdate=2021年11月27日 |publisher=名古屋市交通局}}</ref>。
* [[2022年]](令和4年)
** 7月1日:金山駅 - 栄駅 - ナゴヤドーム前矢田駅間でもワンマン運転開始<ref name="one-person" />。全線がワンマン運転となる<ref name=":0">{{Cite web|和書|url=https://www.kotsu.city.nagoya.jp/jp/pc/SUBWAY/TRP0004536.htm |title=名城線・名港線における全線ワンマン運転の開始について |access-date=2022-07-03 |publisher=名古屋市交通局}}</ref>。
** 7月4日 - :残る2番から17番乗降口にて段差・隙間解消工事を実施予定<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.kotsu.city.nagoya.jp/jp/pc/SUBWAY/TRP0004409.htm |title=名城線・名港線のホームと車両の段差・隙間の解消について |accessdate=2021年11月27日 |publisher=名古屋市交通局}}</ref>。
* [[2023年]](令和5年)
** 1月4日:市役所駅を名古屋城駅、伝馬町駅を熱田神宮伝馬町駅、神宮西駅を熱田神宮西駅に改称<ref name="pr20210125">{{Cite web|和書|url=https://www.kotsu.city.nagoya.jp/jp/pc/SUBWAY/TRP0004156.htm |archiveurl=https://web.archive.org/web/20220531174516/https://www.kotsu.city.nagoya.jp/jp/pc/SUBWAY/TRP0004156.htm |language=日本語 |title=地下鉄駅名称の変更について |publisher=名古屋市交通局 |accessdate=2022-06-23 |archivedate=2021-05-31}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.kotsu.city.nagoya.jp/jp/sp/SUBWAY/TRP0004156.htm |title=地下鉄駅名称変更の実施日について |access-date=2022-07-08 |publisher=名古屋市交通局}}</ref>。
** 4月1日:組織改正により名古屋大学管区駅が廃止され、名城線南部駅務区金山管区駅と北部駅務区栄管区駅に振り分けられた。<ref>名古屋市公報第197号(本号)[https://www.city.nagoya.jp/somu/cmsfiles/contents/0000116/116280/05hongou197.pdf]633頁 </ref>。
== 運行形態 ==
名城線では、運転方向の案内に他の日本の環状鉄道路線で一般的な[[内回り・外回り|「外回り」「内回り」]]ではなく、[[時計回り・反時計回り|「右回り (clockwise)」「左回り (counterclockwise)」]]という表現が使われている<!-- 表示ではなく言葉の説明なので方向幕や案内板などの表示に合わせなくても結構です-->。これは、電車が右側通行であるか左側通行であるか国や地域によって異なるため、「外回り」「内回り」では逆方向に受け取られるおそれがあることと、走っている電車の位置が見えないトンネル内では、内、外という区別はふさわしくないとの交通局の判断<ref name="chunichi20041006">{{Cite news |title=環状地下鉄名城線 [[名古屋臨海高速鉄道あおなみ線|あおなみ線]] 〜誕生特集〜|newspaper=[[中日新聞]]朝刊 |date=2004-10-6 |page=B }}</ref> や、路線図上も「右回り」「左回り」のほうが直感的でわかりやすいとする[[ユニバーサルデザイン]]の考え方に則ったもので、従来名古屋市交通局において、循環運転を行う市バスで用いられてきた表現を踏襲したものとなっている(上社11号、新瑞13号系統など)。環状運転の列車については全駅の[[発車標]]や車両の[[方向幕]]には、「名城線(右回り)」「名城線(左回り)」と表示される。<!-- このように英語で「時計回り・反時計回り」の表現は、例えば機械(モーターやインバーター等)の仕様書などで軸の回転方向を示す場面でよく使用され、「CW」「CCW」と略称される事も多いなど工業都市らしい表現である。-->
<gallery widths="200">
ファイル:名城線 左回り電車の方向幕(前面).jpg|「左回り」前後幕
ファイル:名城線右回り方向幕.jpg|「右回り」方向幕
</gallery>
基本的な運行系統として、大曽根駅 - 名古屋大学駅 - 金山駅 - 栄駅 - 大曽根駅間の環状運転(右回り・左回り)と、名古屋港駅 - 金山駅 - 大曽根駅・ナゴヤドーム前矢田駅間で[[名古屋市営地下鉄名港線|名港線]]直通列車が運転されている(平日朝夕ラッシュなどには名古屋港発の右回り、左回りからの名古屋港行きもあり)。運転間隔の変わり目では両系統が入れ替わることもある。
環状運転の所要時間は深夜・早朝は1周48分、昼間時間帯は1周50分、ラッシュ時間帯で1周52分であったが、2020年5月23日のダイヤ改正以降は可動式ホーム柵の稼働準備に伴い、各駅の停車時間などが調整されて1周60分に延びた。
平日朝ラッシュ時の運転間隔は、2020年5月のダイヤ改正で、2.5分間隔だった金山駅 - 栄駅 - 大曽根駅間が3分間隔に、5分間隔だったそれ以外の区間は6分間隔になった。昼間時間帯は平日休日問わず、環状系統・名港線直通系統とも10分間隔であり、両系統が重なる金山駅 - 栄駅 - 大曽根駅間は5分間隔、環状系統のみとなる大曽根駅 - 名古屋大学駅 - 金山駅間は10分間隔で運行されている。後者は平日の昼間では上飯田線に次いで名古屋市営地下鉄で2番目に運行本数が少ない区間となっている。一方、早朝・夜間帯は名港線直通系統がなくなり、名港線が金山折り返し(名古屋港駅 - 金山駅間の名港線内運転)となるため、金山駅 - 栄駅 - 大曽根駅間も運行本数が少なくなる(環状運転のみ概ね10分間隔で運行)。また、深夜時間帯の大曽根方面からの左回りでは、名港工場への入庫のため名古屋港行きが連続するなど、環状運転の列車との交互運転とならない場合もある。なお、環状化以前の日中は金山駅 - 栄駅 - 大曽根駅間では新瑞橋方面の系統と名港線直通系統が重なって4分間隔、大曽根駅 - 名古屋大学駅間および新瑞橋駅 - 金山駅間は8分間隔であった。また、名港線直通系統が走らない時間帯の新瑞橋行きの行先表示は「新瑞橋(名古屋港行金山接続)」となっていた。平日夕ラッシュ時は概ね7分間隔(運行経路が重複する金山駅 - 栄駅 - 大曽根駅では半分の約3分30秒間隔となる)で運転されており、名港線直通で名古屋港駅 - 金山駅 - (名城線一周) - 金山駅 - 大曽根駅(一部列車は出入庫のためナゴヤドーム前矢田駅発着)という逆6の字の経路で運行されている。
深夜帯のみ金山止まり、新瑞橋止まり、瑞穂運動場東止まり、名古屋大学止まりの運用がある。ラッシュ終了時や深夜帯に環状運転していた列車が途中駅止まりに変更になる場合、方向幕などの案内表示は原則として終点になる駅の次の駅で変更される(ただし、「名城線左回り」から「名古屋港」行きに変わる場合は新瑞橋駅、「名城線左回り」が深夜帯の「瑞穂運動場東」行きに変わる場合は名古屋大学駅、「名城線右回り」が深夜帯の「名古屋大学」行きに変わる場合は瑞穂運動場東駅、「名城線右回り」が深夜帯の「金山」行きに変わる場合は名古屋城駅で変更)。例えば、「名城線右回り」として運転されていた列車が「大曽根行き」に変更される場合には、ナゴヤドーム前矢田にて案内表示が大曽根行きに切り替わる。このため、ナゴヤドーム前矢田や本山では誤乗を防ぐため、ホームに注意書きが掲示されている。
野球や名古屋ウィメンズマラソンなど、[[ナゴヤドーム|バンテリンドーム ナゴヤ]]でイベントがある場合、20時頃までは大曽根発着の系統をナゴヤドーム前矢田まで臨時に延長し、それ以降の夜間帯は通常の列車の合間に臨時列車を入れて対応している(主に名港線内折り返し列車を臨時に名城線ナゴヤドーム前矢田駅まで区間延長)。定期列車には変更はない。
{{要出典|範囲=試合終了後の臨時列車の運行開始時間を決めるため、野球開催中は交通局の職員がナゴヤドームに出向き、試合の状況を携帯電話で随時連絡している|title=元の出典は2012年12月9日放送のテレビ朝日系「シルシルミシルさんデー」と2017年9月21日放送の日本テレビ系「忍24時」からだが、テレビ番組は出典にはならない|date=2017年9月}}。
正月三が日は[[2011年]]まで臨時ダイヤで運行となり、名港線は基本的に金山折り返し、名城線の環状運転(環状運転前は新瑞橋発着)が増発されていたが、晩年はおよそ12 - 14時台のみこの形態となるなど、限られたものとなり、[[2012年]]以降は通常の土曜・休日ダイヤで運行されている。
大晦日の[[終夜運転]]は[[2009年]]大晦日以降は30分間隔で運行されている。環状運転開始前の[[2003年]]大晦日までは20分間隔、環状運転開始後の[[2004年]]大晦日からは25分間隔となった。25分間隔となった理由は、1周が約50分のため、ちょうど片道2編成で運行することができるからである。2009年大晦日からは、停車時間を調整することにより30分間隔で運行している。終夜運転時は名城線は環状運転のみとなり、名港線は金山折り返しのみが運転される。
大晦日の終夜運転時および車両故障などのトラブル発生時には当該列車をナゴヤドーム前矢田駅で[[大幸車庫]]に回送し、車両交換を行う場合がある。その場合、当該列車の乗客は一旦ナゴヤドーム前矢田駅でホームに下車し、大幸車庫から入線する別の列車に乗り換えることとなる。
なお、運転士は1周ごとに名城線運転区のある金山駅で交代するが、場合によっては大曽根駅やナゴヤドーム前矢田駅で交代する場合がある。
大曽根駅で終点となる列車は通常ナゴヤドーム前矢田寄りの引き上げ線に入ってそのまま栄・金山方面へ折り返すが、折り返さずにナゴヤドーム前矢田駅(大幸車庫)へ回送され、大幸車庫から回送されてきた別の列車に交換することもある。
栄駅 - 大曽根駅は名鉄瀬戸線も通っている。名城線は北へ迂回しているため名鉄より所要時間が長く、運賃(料金)も10円高い。運行本数は基本的に名鉄(急行・準急・普通)より多い。
金山駅 - 大曽根駅はJR中央本線も通っている。名城線は両回りとも大きく迂回する形になっており駅数も多いために運賃や所要時間はJRの方が圧倒的に有利である。運行本数は基本的にJR(快速・普通)より多い。
妙音通駅 - 金山駅は名鉄名古屋本線と並行するような形になっている(名鉄は呼続駅)。金山駅以外は直接の乗換駅ではないが、西高蔵駅を除いて徒歩連絡が可能である。所要時間や運賃は名鉄(普通列車の場合)の方が有利である。
== 沿線概況 ==
名城線を金山駅から右回りの順に見ていくと金山駅 - 東別院駅間は[[大津通]]より西側を通り、東別院からは大津通の東側に変わる。東別院駅 - 矢場町駅間は[[前津通]]、矢場町駅 - 名古屋城駅付近は[[久屋大通]]の下を通る。名古屋城駅付近では大津通の下を通り、[[名城公園駅]]付近で少し西に逸れ、そのまま北へ向かう。[[名城公園駅]]を過ぎると進路を東寄りに変え、[[名古屋市道名古屋環状線]]の下を通り、大曽根駅を過ぎると[[名古屋ガイドウェイバス]][[名古屋ガイドウェイバスガイドウェイバス志段味線|ガイドウェイバス志段味線]]と平行になり、[[ナゴヤドーム]]の横を通る。砂田橋駅を過ぎると進路をやや南寄りに変え、[[尾張丘陵|尾張丘陵(東山丘陵・八事丘陵)]]の住宅地の下を通り、本山駅 - 瑞穂運動場東駅間は[[山手グリーンロード]]の下を通る。この辺りは掘割構造の名古屋高速が通っていたり、地形の起伏が激しく、名古屋市でもかなり深い位置にホームがあったりコンコースまでの道のりが長くなっている駅が多い。名古屋大学駅付近は[[名古屋大学]]のキャンパス内の地下を通っており、全国的にも珍しい。新瑞橋駅から堀田駅を過ぎるまでは西寄りに進路を取り、[[愛知県道221号岩崎名古屋線]]の下、堀田駅 - 熱田神宮伝馬町駅間は[[国道1号]]の下を通る。熱田神宮伝馬町駅を過ぎると進路を北寄りに変え、[[伏見通]]([[国道19号]]と[[国道22号]]の重複区間)の下を通り、[[熱田神宮]]の西側を通って金山駅に戻る。金山駅では名城線の電車は外側線に入り、名港線と合流してそのまま栄・大曽根方面に向かう。
== 車両 ==
名港線とは完全に共通運用であり、名城線専用や名港線専用の車両はない。また、名城線・名港線は上飯田線と同様に、LED式方向幕を搭載した車両は走っていない。また、[[名古屋市営地下鉄]]の他路線については2003年から新型車両が導入されているが、名城線・名港線については1989年に2000形を導入して以来、新型車両が導入されていない。[[黄電]]([[名古屋市交通局1000形電車|1000形・1100形・1200形]])の運用終了後は名古屋市営地下鉄で唯一完全に1形式のみで運行している<ref group="注">上飯田線も1形式だが、[[名鉄小牧線]]から[[名鉄300系電車|300系]]が乗り入れてくる。</ref>。内装についても、客用ドア上部に千鳥配置で[[車内案内表示装置]](ハッチービジョン)が設置された車両はないが、一部車両はLED式からLCD式に更新されている。
=== 現用車両 ===
* [[名古屋市交通局2000形電車 (鉄道)|2000形]]
<gallery widths="200">
File:Nagoya Subway 2127 Motoyama 20090518.JPG|2000形
</gallery>
=== 過去の車両 ===
* [[名古屋市交通局1000形電車|1000形・1100形・1200形]]
<gallery widths="200">
File:Nagoya Subway 1000 series 001.JPG|1000形(写真は末期の1200形)
</gallery>
=== ドラゴンズ・トレイン ===
[[ファイル:NagoyaCitySeries2000-Dragons.JPG|サムネイル|220x220ピクセル|かつて運行されていたドラゴンズ・トレイン(2010年7月11日、金山駅)]]
ナゴヤドーム(現・バンテリンドーム ナゴヤ)を本拠地とするプロ野球球団[[中日ドラゴンズ]]や[[イオン (企業)|イオン]]および[[中日新聞社]]との協力により、2006年<ref>{{Cite web|和書|url=https://twitter.com/nagoya_kotsu100/status/1502841883860500483 |title=市営交通100年祭(名古屋市)のツイート(2022年3月13日) |access-date=2022-06-04 |language=ja |archive-url=https://web.archive.org/web/20220313030039/https://twitter.com/nagoya_kotsu100/status/1502841883860500483 |archive-date=2022-03-13 |date=2022-03-13 |publisher=名古屋市交通局}}</ref>から「ドラゴンズ・トレイン」という企画電車が同線を走っていた。同線が選ばれたのは沿線にナゴヤドーム(現・バンテリンドーム ナゴヤ)があるためであり、「右回り」「左回り」の両方向で運行していた。
毎年、シーズン開幕とほぼ同時に運行がスタートし、通常はシーズン終了と同時にドラゴンズ・トレインの運行も終了するが、中日ドラゴンズの成績次第では、[[クライマックスシリーズ]]や[[日本選手権シリーズ|日本シリーズ]]の時期まで運行が延長される場合もあった。
毎年運行初日から4月中旬頃までは、パソコン向けの交通局公式サイトにて[[Portable Document Format|PDF]]版の時刻表が提供されていた。ドラゴンズ・トレインは車両に写真を印刷した特殊なシールを貼り付けているため、シール作製等のコストに膨大な費用が費やされることもあって、基本的には1日1編成のみの運行となる。そのため、PDF版時刻表の提供終了後は、乗車できる機会が少なくなる。ドラゴンズ・トレインは車両へのラッピング及び車内の装飾がメインであるが、2009年シーズンまで中日ドラゴンズの選手会長を務めた[[荒木雅博]]選手のアナウンスを車内に流していた時もあった。
なお、「ドラゴンズ・トレイン」は2012年から行われていないが、[[ナゴヤドーム前矢田駅]]の東改札口から1番出入り口に通じる通路の壁に中日ドラゴンズの選手や監督の写真などを貼り出す「ドラゴンズロード」は毎年行われている。
=== 女性専用車両 ===
[[2016年]]([[平成]]28年)[[7月4日]]より、平日の始発から午前9時まで[[女性専用車両]]を導入している<ref name="kotsu-nagoya-city20160511" /><ref name="railfjp20160705"/>。東山線とは異なり、駅での列車接近時の自動放送では女性専用車両の案内はない。
== 利用状況 ==
名港線への直通列車も走る金山駅 - 大曽根駅の内、金山駅 - 栄駅はほぼ終日混雑している。野球などナゴヤドームでイベントが開催されるときはナゴヤドーム前矢田駅までは混雑するが環状運転のみの区間は桜通線とJR・名鉄を結ぶ新瑞橋駅 - 金山駅をのぞいて通常それほど混雑しない。初詣期間や熱田まつりの開催日は熱田神宮伝馬町駅や熱田神宮西駅近辺の混雑が激しくなる。
[[砂田橋駅]] - [[八事駅]]間の沿線には、[[大学]]や[[高等学校|高校]]が多く点在する。特に[[名古屋大学]]・[[中京大学]]・[[南山大学]]は名城線開業まで[[名古屋市営バス|市バス]]または[[名古屋市営地下鉄東山線|地下鉄東山線]]か[[名古屋市営地下鉄鶴舞線|地下鉄鶴舞線]]しか交通手段がなかったが、開業後は市内各所から各大学へのアクセスが改善された。鶴舞線沿線ではあるが、[[名城大学]]へも[[名古屋大学駅]] - [[新瑞橋駅]]間の開業で大きく改善されている。また、[[2007年]]には、[[名古屋学院大学]]が名城線[[西高蔵駅]]と名港線[[日比野駅 (名古屋市)|日比野駅]]の間付近に移転、[[2014年]]には、[[愛知学院大学]]の名城公園キャンパスが[[名城公園駅]]付近に開校した。
[[総務省]]の公共事業の需要予測調査で、当路線は1日の利用客数が2006年度実績で14万4,138人の予測の半分以下に留まって大幅に下回ったことから、予測精度など改善をするように勧告が出されることになった<ref name="chunichi-np-2008-8-8">“名城線利用実績 当初予測の48% 総務省が公共事業調査”. [[中日新聞]] (中日新聞社). (2008年8月8日)</ref>。
名古屋市営地下鉄名城線・名港線の年度別の輸送実績を下表に記す。2003年度(平成15年度)まではすべて大曽根 - 名古屋港間14.9kmの数値である。表中、最高値を赤色で、最低値を緑色で表記している。
{| class="wikitable" style="font-size:90%; text-align:center;"
|+名城・名港線輸送実績
!年度!!年間<br />輸送人員<br />(千人)!!一日平均<br />輸送人員<br />(人)!!輸送人キロ<br />(千人キロ)!!最混雑区間<br />乗車率<br />(%)!!輸送密度<br />(人/日)!!特記事項
|-
! style="font-weight: normal;" | 1975年(昭和50年)
| || style="background-color: #ccffcc;" |292,493 || ||205 || ||
|-
! style="font-weight: normal;" | 1976年(昭和51年)
| || || || || ||
|-
! style="font-weight: normal;" | 1977年(昭和52年)
| || || || || ||
|-
! style="font-weight: normal;" | 1978年(昭和53年)
| || || || || ||
|-
! style="font-weight: normal;" | 1979年(昭和54年)
| || || || || ||
|-
! style="font-weight: normal;" | 1980年(昭和55年)
| || 322,945 || || style="background-color: #ffcccc;" |218 || ||
|-
! style="font-weight: normal;" | 1981年(昭和56年)
| || || || || ||
|-
! style="font-weight: normal;" | 1982年(昭和57年)
| || || || || ||
|-
! style="font-weight: normal;" | 1983年(昭和58年)
| || || || || ||
|-
! style="font-weight: normal;" | 1984年(昭和59年)
| || || || || ||
|-
! style="font-weight: normal;" | 1985年(昭和60年)
| || 302,482 || || 197 || ||
|-
! style="font-weight: normal;" | 1986年(昭和61年)
| || || || || ||
|-
! style="font-weight: normal;" | 1987年(昭和62年)
| || || || || ||
|-
! style="font-weight: normal;" | 1988年(昭和63年)
| || || || || ||
|-
! style="font-weight: normal;" | 1989年(平成元年)
| || || || || || 久屋大通駅開業
|-
! style="font-weight: normal;" | 1990年(平成2年)
| 120,496 || 330,126 || 397,575 || style="background-color: #ffcccc;" |218 || 73,104 ||
|-
! style="font-weight: normal;" | 1991年(平成3年)
| 126,964 || || 418,309 || || 76,916 ||
|-
! style="font-weight: normal;" | 1992年(平成4年)
| 125,762 || || 414,230 || || 76,166 ||
|-
! style="font-weight: normal;" | 1993年(平成5年)
| 125,102 || 342,745 || 425,036 || || 78,153 ||
|-
! style="font-weight: normal;" | 1994年(平成6年)
| 121,857 || 333,855 || 407,373 || || 74,903 ||
|-
! style="font-weight: normal;" | 1995年(平成7年)
| 121,086 || 330,836 || 403,203 || 178 || 74,139 ||
|-
! style="font-weight: normal;" | 1996年(平成8年)
| 118,980 || 325,973 || 393,711 || || 72,393 ||
|-
! style="font-weight: normal;" | 1997年(平成9年)
| 121,563 || 333,049 || 404,519 || || 74,381 ||
|-
! style="font-weight: normal;" | 1998年(平成10年)
| 119,344 || 326,970 || 395,153 || || 72,658 ||
|-
! style="font-weight: normal;" | 1999年(平成11年)
| 117,686 || 322,427 || 396,638 || 162 || 72,932 ||
|-
! style="font-weight: normal;" | 2000年(平成12年)
| 114,809 || 314,548 || 388,236 || 159 || 71,387 || 4号線大曽根 - 砂田橋開通
|-
! style="font-weight: normal;" | 2001年(平成13年)
| 115,389 || 316,132 || 401,382 || 165 || 73,804 ||
|-
! style="font-weight: normal;" | 2002年(平成14年)
| style="background-color: #ccffcc;" |112,735 || 308,863 || style="background-color: #ccffcc;" |381,481 || 156 || 70,145 ||
|-
! style="font-weight: normal;" | 2003年(平成15年)
| 135,205 || 370,425 || 477,424 || 155 || style="background-color: #ffcccc;" |87,727 || 4号線砂田橋 - 名古屋大学開通
|-
! style="font-weight: normal;" | 2004年(平成16年)※
| 174,657 || 478,512 || 601,076 || 164 || style="background-color: #ccffcc;" |50,827 || 4号線名古屋大学 - 新瑞橋開通
|-
! style="font-weight: normal;" | 2005年(平成17年)
| 192,417 || 527,170 || 708,807 || 161 || 59,936 ||
|-
! style="font-weight: normal;" | 2006年(平成18年)
| 198,192 || 542,992 || 724,792 || 160 || 61,288 ||
|-
! style="font-weight: normal;" | 2007年(平成19年)
| 199,066 || 545,386 || 733,674 || 160 || 62,039 ||
|-
! style="font-weight: normal;" | 2008年(平成20年)
| 197,082 ||539,950 || 732,797 || 145 || 61,965 ||
|-
! style="font-weight: normal;" | 2009年(平成21年)
| 197,091 || 539,975 || 727,356 || 142 || 61,505 ||
|-
! style="font-weight: normal;" | 2010年(平成22年)
| 197,364 || 540,723 || 731,039 || 143 || 61,816 ||
|-
! style="font-weight: normal;" | 2011年(平成23年)
| 202,305 || 554,260 || style="background-color: #ffcccc;" |749,492 || 121 || 63,377 ||
|-
! style="font-weight: normal;" | 2012年(平成24年)
| 206,907 ||567,000
| || 129 || ||
|-
! style="font-weight: normal;" | 2013年(平成25年)
| 213,622 ||585,000
| || 127<ref name="H25konzatsu">{{Cite web|和書|url = http://www.mlit.go.jp/common/001050444.pdf |title = 東京圏における主要区間の混雑率 - 国土交通省 |publisher = [[国土交通省]] |format = PDF |accessdate = 2016-07-11}}</ref> || ||
|-
! style="font-weight: normal;" | 2014年(平成26年)
| 215,191 ||590,000
|
|128
|
|
|-
! style="font-weight: normal;" | 2015年(平成27年)
| 221,413 ||605,000
|
|130
|
|
|-
! style="font-weight: normal;" | 2016年(平成28年)
| 223,910 ||614,000
|
|132
|
|
|-
! style="font-weight: normal;" | 2017年(平成29年)
| 226,216 ||620,000
|
|135
|
|
|-
! style="font-weight: normal;" | 2018年(平成30年)
| style="background-color: #ffcccc;" | 231,267 || style="background-color: #ffcccc;" | 634,000
|
|135
|
|
|-
! style="font-weight: normal;" | 2019年(令和元年)
|
|
|
|135
|
|
|-
! style="font-weight: normal;" | 2020年(令和2年)
|
|
|
| style="background-color: #ccffcc;" |120
|
|
|}
* 平成15年度までは、2号線(大曽根 - 名古屋港)の数値。平成16年度以降は名城線(金山 - 金山)・名港線(金山 - 名古屋港)32.4kmの数値。
; 出典:
: 愛知県ホームページ <!-- 古い時期のデータを拾った、過去のリンクも残してあります。-->
:* {{Wayback|url=http://www.pref.aichi.jp/0000008567.html |title=あいちの陸上交通(統計資料) 2007年4月1日|date=20110119131422}}
:* {{Wayback|url=http://www.pref.aichi.jp/0000036948.html |title=陸上交通に関する統計 2011年3月9日|date=20110809184519}}
:* [http://www.pref.aichi.jp/0000080752.html 陸上交通に関する統計 2015年3月31日]
:* [https://www.pref.aichi.jp/soshiki/toukei/0000055972.html 第8回愛知県累年統計表]
:* [https://www.pref.aichi.jp/toukei/jyoho/nhistory.html 愛知県統計年鑑] 各年度版
: 国土交通省
:* {{PDFlink|[https://www.mlit.go.jp/statistics/details/content/001365148.pdf 最混雑区間における混雑率(令和元年度)]}}
:* {{PDFlink|[https://www.mlit.go.jp/report/press/content/001413544.pdf 最混雑区間における混雑率(令和2年度)]}}
== 駅一覧 ==
* 全駅[[愛知県]][[名古屋市]]内に所在。
* 金山駅から右回り方向に記述する。
** '''右回り''':金山駅→栄駅→大曽根駅→本山駅→八事駅→新瑞橋駅→金山駅方面
** '''左回り''':金山駅→新瑞橋駅→八事駅→本山駅→大曽根駅→栄駅→金山駅方面
* 八事駅 - 総合リハビリセンター駅間でわずかに[[天白区]]を通っており、八事駅の出口・駅設備の一部も天白区に跨っている。
{| class="wikitable" rules="all" style="font-size:95%"
|-
!style="border-bottom:3px solid #B074D6;width:1em;"|{{縦書き|正式路線名|height=6em}}
!style="border-bottom:3px solid #B074D6; white-space:nowrap;"|駅番号
!style="width:13em; border-bottom:3px solid #B074D6;"|駅名
!style="width:2.5em; border-bottom:3px solid #B074D6;"|駅間<br>キロ
!style="width:2.5em; border-bottom:3px solid #B074D6;"|営業<br>キロ
!style="border-bottom:3px solid #B074D6;"|接続路線・備考
!style="border-bottom:3px solid #B074D6; white-space:nowrap;"|所在地
|-
|rowspan="12" style="width:1em;text-align:center;"|{{縦書き|2号線|height=4em}}
!M01
|[[金山駅 (愛知県)|金山駅]]
|style="text-align:center;"|-
|style="text-align:right;"|0.0
|<div id="top-of-table">名古屋市営地下鉄:[[File:Nagoya Subway Logo V2 (Meiko Line).svg|20px]] [[名古屋市営地下鉄名港線|名港線]] (E01)(直通運転あり)<br />[[東海旅客鉄道]]:{{JR海駅番号|CA}} [[東海道線 (名古屋地区)|東海道本線]] (CA66)・{{JR海駅番号|CF}} [[中央線 (名古屋地区)|中央本線]] (CF01)<br />[[名古屋鉄道]]:{{名鉄駅番号|NH}} [[名鉄名古屋本線|名古屋本線]] (NH34)</div>
|rowspan="7"|[[中区 (名古屋市)|中区]]
|-
!M02
|[[東別院駅]]
|style="text-align:right;"|0.7
|style="text-align:right;"|0.7
|
|-
!M03
|[[上前津駅]]
|style="text-align:right;"|0.9
|style="text-align:right;"|1.6
|名古屋市営地下鉄:[[File:Nagoya Subway Logo V2 (Tsurumai Line).svg|20px]] [[名古屋市営地下鉄鶴舞線|鶴舞線]] (T09)
|-
!M04
|[[矢場町駅]]
|style="text-align:right;"|0.7
|style="text-align:right;"|2.3
|
|-
!M05
|[[栄駅 (愛知県)|栄駅]]
|style="text-align:right;"|0.7
|style="text-align:right;"|3.0
|名古屋市営地下鉄:[[File:Nagoya Subway Logo V2 (Higashiyama Line).svg|20px]] [[名古屋市営地下鉄東山線|東山線]] (H10)<br />名古屋鉄道:{{名鉄駅番号|ST}} [[名鉄瀬戸線|瀬戸線]] ([[栄町駅 (愛知県)|栄町駅]]:ST01)
|-
!M06
|[[久屋大通駅]]
|style="text-align:right;"|0.4
|style="text-align:right;"|3.4
|名古屋市営地下鉄:[[File:Nagoya Subway Logo V2 (Sakura-dori Line).svg|20px]] [[名古屋市営地下鉄桜通線|桜通線]] (S05)
|-
!M07
|[[名古屋城駅]](市役所・県庁)
|style="text-align:right;"|0.9
|style="text-align:right;"|4.3
|
|-
!M08
|[[名城公園駅]]
|style="text-align:right;"|1.1
|style="text-align:right;"|5.4
|
|rowspan="6"|[[北区 (名古屋市)|北区]]
|-
!M09
|[[黒川駅 (愛知県)|黒川駅]]
|style="text-align:right;"|1.0
|style="text-align:right;"|6.4
|
|-
!M10
|[[志賀本通駅]]
|style="text-align:right;"|1.0
|style="text-align:right;"|7.4
|
|-
!M11
|[[平安通駅]]
|style="text-align:right;"|0.8
|style="text-align:right;"|8.2
|名古屋市営地下鉄:[[File:Nagoya Subway Logo V2 (Kamiiida Line).svg|20px]] [[名古屋市営地下鉄上飯田線|上飯田線]] (K02)
|-style="height:3em;"
!rowspan="2"|M12
|rowspan="2"|[[大曽根駅]]
|rowspan="2" style="text-align:right"|0.7
|rowspan="2" style="text-align:right"|8.9
|rowspan="2"|東海旅客鉄道:{{JR海駅番号|CF}} 中央本線 (CF04)<br />名古屋鉄道:{{名鉄駅番号|ST}} 瀬戸線 (ST06)<br />[[名古屋ガイドウェイバス]]:[[名古屋ガイドウェイバスガイドウェイバス志段味線|ガイドウェイバス志段味線]]([[ゆとりーとライン]]) (Y01)
|-
|rowspan="18" style="width:1em;text-align:center;"|{{縦書き|4号線|height=4em}}
|-
!M13
|[[ナゴヤドーム前矢田駅]]
|style="text-align:right;"|0.8
|style="text-align:right;"|9.7
|名古屋ガイドウェイバス:ガイドウェイバス志段味線(ゆとりーとライン) (Y02)
|rowspan="2"|[[東区 (名古屋市)|東区]]
|-
!M14
|[[砂田橋駅]]
|style="text-align:right;"|0.9
|style="text-align:right;"|10.6
|名古屋ガイドウェイバス:ガイドウェイバス志段味線(ゆとりーとライン) (Y03)
|-
!M15
|[[茶屋ヶ坂駅]]
|style="text-align:right;"|0.9
|style="text-align:right;"|11.5
|
|rowspan="4" style="white-space:nowrap;"|[[千種区]]
|-
!M16
|[[自由ヶ丘駅]]
|style="text-align:right;"|1.2
|style="text-align:right;"|12.7
|
|-
!M17
|[[本山駅 (愛知県)|本山駅]]
|style="text-align:right;"|1.4
|style="text-align:right;"|14.1
|名古屋市営地下鉄:[[File:Nagoya Subway Logo V2 (Higashiyama Line).svg|20px]] 東山線 (H16)
|-
!M18
|[[名古屋大学駅]]
|style="text-align:right;"|1.0
|style="text-align:right;"|15.1
|
|-
!M19
|[[八事日赤駅]]
|style="text-align:right;"|1.1
|style="text-align:right;"|16.2
|
|rowspan="2"|[[昭和区]]
|-
!M20
|[[八事駅]]
|style="text-align:right;"|1.0
|style="text-align:right;"|17.2
|名古屋市営地下鉄:[[File:Nagoya Subway Logo V2 (Tsurumai Line).svg|20px]] 鶴舞線 (T15)
|-
!M21
|[[総合リハビリセンター駅]]
|style="text-align:right;"|1.3
|style="text-align:right;"|18.5
|
|rowspan="5"|[[瑞穂区]]
|-
!M22
|[[瑞穂運動場東駅]]
|style="text-align:right;"|1.0
|style="text-align:right;"|19.5
|
|-
!M23
|[[新瑞橋駅]]
|style="text-align:right;"|1.2
|style="text-align:right;"|20.7
|名古屋市営地下鉄:[[File:Nagoya Subway Logo V2 (Sakura-dori Line).svg|20px]] 桜通線 (S14)
|-
!M24
|[[妙音通駅]]
|style="text-align:right;"|0.7
|style="text-align:right;"|21.4
|
|-
!M25
|[[堀田駅 (名古屋市営地下鉄)|堀田駅]]
|style="text-align:right;"|0.8
|style="text-align:right;"|22.2
|
|-
!M26
|[[熱田神宮伝馬町駅]]
|style="text-align:right;"|1.2
|style="text-align:right;"|23.4
|
|rowspan="3"|[[熱田区]]
|-
!M27
|[[熱田神宮西駅]]
|style="text-align:right;"|1.0
|style="text-align:right;"|24.4
|
|-
!M28
|[[西高蔵駅]]
|style="text-align:right;"|0.9
|style="text-align:right;"|25.3
|
|-
!M01
|金山駅
|style="text-align:right;"|1.1
|style="text-align:right;"|26.4
|本表の[[#top-of-table|最上欄]]を参照
|中区
|}
* 駅番号順に記述しているが、正式な起点は2号線・4号線とも大曽根駅。
* ナゴヤドーム前矢田駅は、駅名標等では「ナゴヤドーム前 矢田(駅)」と間を空けて表記されている。
== その他 ==
* 開通を記念して[[1965年]]には[[川路英夫]]による「若いサブウェイ」という曲が発売された。
* 日本で2番目に[[自動列車制御装置|CS-ATC]](車内信号式ATC。無絶縁軌道回路によるものでは日本初)を採用した路線である(日本初は[[東海道新幹線]])。
* 当初、[[名古屋鉄道]](名鉄)の[[名鉄瀬戸線|瀬戸線]]との相互直通運転の計画もあった<ref name="new-nagoya-history-7-1998-3-31" /><ref group="注">名城線の開業以前に、瀬戸線を栄(栄町)まで延伸する計画があったが、大曽根 - 栄間が名城線と競合するため、名鉄と名古屋市の間で協議が持たれた。最終的には、名鉄が持っていた八事 - 豊田市間(現在の鶴舞線の一部区間と[[名鉄豊田線]])の免許のうち、八事 - 赤池間の免許と交換で名鉄に対して瀬戸線の栄町延伸が認められた。</ref>が不調に終わり、[[名古屋市営地下鉄東山線|東山線]]と同じ規格で建設されたという経緯がある。
* 名城線の環状線の完成日と同じ2004年10月6日に、[[名古屋臨海高速鉄道あおなみ線]]の営業も開始されている。設立間もない時期には同鉄道の事務所が地下鉄金山駅直上の「金山総合ビル」内にあった。
* 金山駅北口の名古屋市交通局関連企業で、駅構内でDO!●●(●●は駅名)を展開する(株)[[名古屋交通開発機構]]が運営するテナントビル「LOOP金山」は環状地下鉄にちなんだ命名であったが、その後も市内各所で「LOOP」を含む屋号や店名が多く現れるなど名称として認知されていることがうかがえるものの、「LOOP金山郵便局」を除けば全て同ビルとの関連はない。
=== 中日ドラゴンズの選手・監督によるCM・車内放送 ===
名城線には[[中日ドラゴンズ]]の本拠地・[[ナゴヤドーム]](2021年からはネーミングライツによりバンテリンドーム ナゴヤ)の最寄り駅である[[ナゴヤドーム前矢田駅]]があることから、2000年の[[大曽根駅]] - [[砂田橋駅]]間の開業を告知するCMに当時中日に在籍していた[[プロ野球選手]]の[[岩瀬仁紀]]と[[福留孝介]]が出演し<ref>『中日スポーツ』1999年12月1日「福留、岩瀬 CM初出演/名古屋市の地下鉄4号線をPR」(中日新聞社)</ref>、同区間の出発式にも出席した。なお、大幸車庫の一部はナゴヤドームの下にある。
2008年には、当時[[主将#選手会長|選手会長]]を務めていた[[荒木雅博]]による車内放送が流された<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.chunichi.co.jp/article/461772 |title=「立浪です。バンテリンドームはこちらです」 地下鉄車内アナウンス |access-date=2022-06-04 |publisher=中日新聞社 |archive-url=https://web.archive.org/web/20220604133641/https://www.chunichi.co.jp/article/461772 |archive-date=2022-06-04 |language=ja |date=2022-04-29 |website=中日新聞Web}}</ref>。
2022年5月1日から2023年3月31日までの間、ナゴヤドーム前矢田駅到着前<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2022/04/28/kiji/20220428s00001173335000c.html |title=中日・立浪監督が名古屋市営地下鉄名城線の車内案内放送を担当―「バンテリンドームナゴヤはこちらです」 |access-date=2022-06-04 |language=ja |archive-url=https://web.archive.org/web/20220604132940/https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2022/04/28/kiji/20220428s00001173335000c.html |archive-date=2022-06-04 |date=2022-04-28 |website=スポニチ Sponichi Annex 野球}}</ref>に、[[立浪和義]]監督による「中日ドラゴンズの立浪です。バンテリンドーム ナゴヤはこちらです」という車内放送が流れる<ref>{{Cite web|和書|url=https://dragons.jp/news/2022/22042801.php |title=立浪監督による地下鉄車内放送実施のお知らせ |access-date=2022-05-04 |publisher=中日ドラゴンズ オフィシャルウェブサイト |language=ja |archive-url=https://web.archive.org/web/20220428032028/https://dragons.jp/news/2022/22042801.php |archive-date=2022-04-28}}</ref>。
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Reflist|group="注"}}
=== 出典 ===
{{Reflist}}
== 関連項目 ==
* [[日本の鉄道路線一覧]]
{{Commonscat|Meijō_Line}}
{{名古屋市営地下鉄の路線}}
[[Category:日本の地下鉄路線|めいしよう]]
[[Category:中部地方の鉄道路線|めいしようせん]]
[[Category:名古屋市営地下鉄|路めいしようせん]]
[[Category:愛知県の交通|なこやしえいちかてつめいしようせん]]
|
2003-08-31T15:50:42Z
|
2023-12-04T17:41:03Z
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[
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%8D%E5%8F%A4%E5%B1%8B%E5%B8%82%E5%96%B6%E5%9C%B0%E4%B8%8B%E9%89%84%E5%90%8D%E5%9F%8E%E7%B7%9A
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14,643 |
茨城県立取手第二高等学校
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茨城県立取手第二高等学校(いばらきけんりつ とりでだいにこうとうがっこう)は、茨城県取手市東二丁目にある県立高等学校。
実業系女学校を経て、戦後すぐ共学化された。卒業後の進路は就職が半数近くを占め、次いで大学(四年制・短期の両方を含む)と専門学校進学が20%ずつを占める。主な進学先は県内・近郊の私立大学、短期大学、専門学校などである。
取手市内を中心におおむね北は土浦市、南は我孫子市、東は稲敷市、西は常総市の範囲に広がる。 常磐線沿線を中心に通学圏が広いが、当校のすぐ南が他県(千葉県)になることから南には狭い。
かつては越県入学が可能であったため、主に千葉県の常磐線沿線地域からの入学者もいた。
作詞は東京の作詞家西條八十、作曲は福島市の作曲家古関裕而の作品。
野球部は甲子園に春夏合わせて6回出場し、前述のとおり1984年夏の大会で優勝した経験を持つ。これは茨城県勢初の全国制覇であるが、この年の国体優勝をもって木内幸男監督が退任し(常総学院野球部監督に就任)、それ以降は甲子園に出場することはなくなった。
|
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] |
茨城県立取手第二高等学校は、茨城県取手市東二丁目にある県立高等学校。
|
{{Infobox 日本の学校
| 校名 = 茨城県立取手第二高等学校
| 画像 = Toride 2nd High School.JPG
| 過去校名 = 茨城県北相馬郡北総実修学校女子部<br />茨城県取手実科高等女学校<br />茨城県立取手高等女学校<br />茨城県立取手女子高等学校
| 国公私立 = [[公立学校]]
| 設置者 = {{Flag|茨城県}}
| 設立年月日 = 1922年
| 校訓 = 考究せよ<br />忍耐せよ<br />実践せよ
| 共学・別学 = [[男女共学]]
| 課程 = 全日制課程
| 単位制・学年制 = 学年制
| 設置学科 = 普通科<br />家政科
| 高校コード = 08160E
| 郵便番号 = 302-0005
| 所在地 = 茨城県取手市東二丁目5番1号
| 緯度度 = 35 | 緯度分 = 53 | 緯度秒 = 29.4
| 経度度 = 140 | 経度分 = 4 | 経度秒 = 6.7
| 外部リンク = {{Official website}}
}}
{{location map|Japan Ibaraki|caption=}}
'''茨城県立取手第二高等学校'''(いばらきけんりつ とりでだいにこうとうがっこう)は、[[茨城県]][[取手市]]東二丁目にある県立[[高等学校]]。
== 概要 ==
実業系女学校を経て、戦後すぐ共学化された。卒業後の進路は就職が半数近くを占め、次いで大学(四年制・短期の両方を含む)と専門学校進学が20%ずつを占める。主な進学先は県内・近郊の[[私立大学]]、[[短期大学]]、[[専門学校]]などである。
*募集定員 普通科120名、家政科40名
== 進学地域 ==
取手市内を中心におおむね北は[[土浦市]]、南は[[我孫子市]]、東は[[稲敷市]]、西は[[常総市]]の範囲に広がる。
[[常磐線]]沿線を中心に通学圏が広いが、当校のすぐ南が他県([[千葉県]])になることから南には狭い。
かつては越県入学が可能であったため、主に千葉県の常磐線沿線地域からの入学者もいた。
== 沿革 ==
*[[1922年]] - 茨城県北相馬郡北総実修学校設立 校内に女子部を置く
*[[1925年]] - 茨城県取手実科高等女学校創立
*[[1940年]] - 県移管認可 茨城県立高等女学校となる
*[[1948年]] - 茨城県立取手女子高等学校に改組
*[[1949年]] - 男女共学を実施、茨城県立取手第二高等学校に改称
*[[1984年]]
**[[第66回全国高等学校野球選手権大会]]優勝
**[[第39回国民体育大会]]で硬式野球部が優勝
== 校歌 ==
作詞は東京の作詞家[[西條八十]]、作曲は[[福島市]]の作曲家[[古関裕而]]の作品<ref>[https://web.archive.org/web/20200320100615/http://www.kosekiyuji-kinenkan.jp/kouka/kantou.html 古関裕而記念館 古関裕而が校歌を作曲した関東地方の学校]</ref>。
== 部活動 ==
野球部は[[阪神甲子園球場|甲子園]]に春夏合わせて6回出場し、前述のとおり[[第66回全国高等学校野球選手権大会|1984年夏の大会]]で優勝した経験を持つ。これは茨城県勢初の全国制覇であるが、この年の[[国民体育大会|国体]]優勝をもって[[木内幸男]]監督が退任し([[常総学院中学校・高等学校|常総学院]]野球部監督に就任)、それ以降は甲子園に出場することはなくなった。
== 著名な出身者 ==
* [[松沼博久]] - 元・[[プロ野球選手]](投手)([[埼玉西武ライオンズ|西武]])
* [[松沼雅之]] - 元・プロ野球選手(投手)(西武) - 松沼博久の弟。
* [[大野久 (野球)|大野久]] - 元・プロ野球選手(外野手)([[阪神タイガース|阪神]] → [[福岡ソフトバンクホークス|ダイエー]] → [[中日ドラゴンズ|中日]])。[[東洋大学附属牛久中学校・高等学校|東洋大学附属牛久高等学校]]の教員・野球部監督、オーストラリアでのコーチを経て、[[野球日本代表|侍ジャパン]]U15コーチ。
* [[吉田剛]] - 元・プロ野球選手(遊撃手)([[大阪近鉄バファローズ|近鉄]] → 阪神 → [[大阪放送|OBC]]野球解説者、現在は実業家)※
* [[石田文樹]] - 元・プロ野球選手(投手)([[横浜DeNAベイスターズ|横浜]])※
<!-- *小林ちひろ - 女子ラグビー選手(RKUラグビー龍ヶ崎GRACE) --><!-- 独立記事未作成 -->
*[[折原啓子]] - [[俳優|女優]]
*[[沼田和利]] - [[牛久市]]長
<!-- *小菅勲([[茨城県立伊奈高等学校|伊奈高]]監督→[[茨城県立下妻第二高等学校|下妻二高]]監督、監督として甲子園出場 → 土浦日大高校監督、監督として甲子園出場)※ --><!-- 独立記事未作成 -->
<!-- *中島彰一([[新日鐵住金鹿島硬式野球部|住友金属鹿島]]監督、都市対抗の常連に)※ --><!-- 独立記事未作成 -->
<!-- *近藤教克(世田谷学園前監督、監督として甲子園出場) --><!-- 独立記事未作成 -->
<!-- *佐々木力(常総学院高等学校、監督として甲子園出場)※ --><!-- 独立記事未作成 -->
:※は第66回全国高等学校野球選手権大会優勝メンバー
== 脚注 ==
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== 関連項目 ==
* [[木内幸男]]
* [[茨城県高等学校一覧]]
* [[旧制中等教育学校の一覧 (茨城県)]]
* [[日本の家庭に関する学科設置高等学校一覧]]
== 外部リンク ==
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[[Category:茨城県の公立高等学校|とりてたい2]]
[[Category:日本の家庭に関する学科設置高等学校]]
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名古屋市営地下鉄鶴舞線
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鶴舞線(つるまいせん)は、愛知県名古屋市西区の上小田井駅から愛知県日進市の赤池駅までを結ぶ、名古屋市営地下鉄の路線。『鉄道要覧』における名称は3号線鶴舞線、都市計画上の名称は名古屋市高速度鉄道第3号線。
ラインカラーは青(■)で、相互直通運転を行っている名鉄線と見分けがつくよう名鉄の赤色に対するRGBにおける補色としている。駅ナンバリングで用いられる路線記号はT。
すべての駅でmanaca(2011年2月11日に導入)などの交通系ICカード全国相互利用サービス対応カードが使用できる。
上小田井駅から名古屋鉄道(名鉄)犬山線を経由して岩倉駅、柏森駅、扶桑駅、犬山駅まで、赤池駅から名鉄豊田線・三河線を経由して豊田市駅まで、それぞれ相互直通運転を行っている。日本の地下鉄で起点と終点の両方で同じ鉄道事業者に直通している例は、鶴舞線の他には起点の中野駅と終点の西船橋駅の両方でJR線に直通する東京メトロ東西線しかなく、かなり珍しい。東京メトロ東西線は西船橋駅側からJR総武線へは平日の朝夕ラッシュ時のみの直通運転であるのに対し、鶴舞線は犬山線・豊田線双方とも終日相互直通運転を実施しており、これは日本で唯一である。鶴舞線は東京メトロ東西線とは異なり、自局車両が乗り入れ相手方の駅や車庫で当日の運用を終了する外泊運用は組まれていないが、事故などの非常時には外泊することはある。
高架駅の上小田井駅を出るとすぐ地下に潜り、浅間町駅付近までは愛知県道63号名古屋江南線・名古屋市道江川線の下を通る。江川線には高速道路を地下に通す計画があったため、浄心 - 浅間町間は地下鉄の上層に高速道路を通せるよう、地下10 mよりも深い位置に建設された(高速道路はその後高架線として建設され、2007年に名古屋高速6号清須線として開通した)。庄内緑地公園 - 庄内通間は庄内川の下をくぐっており、平成になってから開通した上小田井駅付近を含めてやや深めに造られている。浅間町駅を過ぎて堀川の下をくぐると線路がやや東に移動し、丸の内 - 大須観音間は伏見通(国道22号・国道19号)の下を通る。大須観音駅を過ぎて西大須交差点の下から大須通を通り、進路を東向きに変える。路線名のもととなった鶴舞公園の地下を通り、荒畑 - 川名間は山王通(名古屋市道山王線)の下を通る。川名駅を過ぎて山中交差点の下からは、進路を南東向きに変え、飯田街道(国道153号)の下を通る。植田駅からは国道から離れ、東向きに進路を変える。この区間も天白川や名古屋第二環状自動車道を地下でくぐるためにやや深めに造られている。平針駅から終点の赤池駅までも地下区間となっているが、赤池駅は地上の日進工場や名鉄豊田線に出やすくするため浅めに造られている。他線と交差する駅については東山線と名城線との乗換駅では下、桜通線との乗換駅では上を通っている。八事駅は鶴舞線の方が先に開業しているが、後の名城線ホーム増設を考慮して空間を造った上で鶴舞線を通している。
また、赤池駅と日進工場は名古屋市外の日進市にあり、名古屋市営地下鉄で唯一名古屋市外に営業線を延ばしている。後述の通り八事 - 赤池間の免許を名鉄から譲り受ける形で開業したためである。
沿線には高校・大学が多数立地している(いりなか駅 - 塩釜口駅間に所在する、南山大学、中京大学、名城大学など)。また、直通先の名鉄豊田線沿線にも名古屋商科大学、東海学園大学三好キャンパス、中京大学豊田キャンパス、私立豊田大谷高校などがあることから、学生の利用が多い(以前はみよし市の黒笹駅近くに愛知大学があったが、現在は名古屋駅南のあおなみ線沿線「ささしまライブ24」地区に移転した)。また、平針駅から市バスに乗り換えた先には愛知県運転免許試験場(通称:平針試験場)がある。
最混雑区間は塩釜口駅 → 八事駅で、2017年度のピーク時混雑率は115%となっている。土休日は伏見駅→大須観音駅も混雑する。
名鉄線と相互乗り入れを行う計画が建設当初からあったため、ホームが8両対応であったり、車両が20 m車であるなど、余裕を持った構造となっており、名鉄と同じ軌間1,067 mmの線路とパンタグラフを利用した架空電車線方式を採用している。
鶴舞線には可動式ホーム柵は設置されていないが、2026年度までの整備を予定している。また、LED式発車標はすべての駅に設置されており、各種運行情報やニュースなどが表示できる。なお、LED式に更新されたのは、名古屋市営地下鉄の中で最も遅い。ただし、上小田井駅は名鉄の管理駅のため、他の駅とは表示方式が異なる。
使用されている接近メロディの曲名は赤池方面が「サンライト」、上小田井方面が「ファンタジー」である。ただし、前述したように、上小田井駅は名鉄の管理駅なので、メロディは流れない。
2022年7月1日からは名古屋市営地下鉄で唯一、ワンマン運転を行っていない路線となった。
名鉄犬山線と豊田線との間には鶴舞線を介した通過連絡運輸が設定されている。通過連絡運賃は、大人も小児も
の合算額である(本来の通過連絡運輸とは異なり、それぞれの線区での計算となる)。
なお、名古屋市外在住の障がい者手帳保持者(鉄道割引1種・2種ない方も含む)及び、割引設定済みのmanaca保持者は、鶴舞線区間のみ半額となる関係で、通過連絡運賃が設定できず、
となる。
また、豊田線まで改札を出ずに乗り通した場合は、豊田市駅で赤池駅から豊田市駅までの大人運賃を精算し、地下鉄5区割引運賃分は、後日か復路利用の際に、地下鉄各駅で精算する必要がある。
すべての列車が普通列車である。以前の内照式行先案内板には、「普通」と列車種別の案内が表示されていたほか、一時期は両数表示も行っていた。
朝から昼・昼から夕方に変わる時間帯や深夜・早朝など、上記の間隔で運行されていない時間もある。
鶴舞線内折り返し列車は、平日の日中は主に両方向とも毎時2-4本程度運行されている。休日は基本的に豊田線か犬山線のどちらかに直通するため朝以外はあまり運行されない(休日日中の鶴舞線内のみの列車は上小田井発赤池行きが毎時2本程度運行)。
始発と最終に浄心駅・八事駅を終起点とする列車が設定されている(浄心駅始発はなく、同駅で夜間滞泊した車両は翌朝上小田井駅へ回送される)。また、台風など災害時には、庄内緑地公園駅止まりの列車が設定される場合もある。2017年には人身事故で丸の内駅止まりの列車が設定された。また、前例はないが、鶴舞駅で折り返すことも可能である。2021年に伏見駅で、2022年に上前津駅で人身事故が発生した際などには上小田井駅方面 - 浄心駅と八事駅 - 赤池駅方面の列車が設定された。
2003年3月以前は平日・土曜・休日問わず昼間は毎時10本(6分毎)運行されていたが、同月の改正で平日の昼間は毎時8本(7.5分毎)、土曜・休日は昼間以降毎時6本(10分毎)に減便された。平日夜7時以降は8分間隔になり、夜間は10 - 12分間隔に開く。また長年、鶴舞線だけが最終電車が早い(0時前に運行を終了する)状況が続いていたが、2003年3月に他線と同様、0時30分頃までの運行となった。
大晦日から元旦は終電後に終夜運転を行う(30分間隔、鶴舞線内全線通し)。ただし、名鉄線への直通は行わない(1996年大晦日までは名鉄犬山線と直通していた)。
名鉄犬山線・豊田線・三河線のダイヤが改正されると同時に鶴舞線のダイヤも改正されることがある(行き先変更のみを含む)。
鶴舞線が上小田井駅まで延伸してからは毎時4本(犬山行きと岩倉行きが各2本)が運行されていたが、急行が上小田井駅に朝夕のみから全て停車するようになった2001年10月の名鉄のダイヤ改正以降、上小田井駅で犬山線の急行・準急との接続(乗換)を優先して、鶴舞線から犬山線への直通列車を減らし、原則として平日・休日ともに毎時2本ずつの運行としている。ただし、2020年時点のダイヤでは、平日の10時 - 15時台は毎時1本だけ豊田市発岩倉行きが直通する。直通列車の行先は基本的に岩倉行きであるが、平日の朝と夕方(土休日は朝1本のみ)は柏森行き、犬山行きがあり、平日の朝に1本だけ豊田市発の扶桑行き(名古屋市交通局の車両で運用)もある。また、土休日の朝には布袋始発が2本ある。昼間の上りは2020年時点のダイヤでは赤池行きが多いが、夕方になると豊田市行きが多くなる。
名鉄犬山線内は原則普通列車で各駅に停車するが、2005年1月改正時より平日朝に犬山線内で上小田井駅から急行となる列車が岩倉・犬山方面行きに設定されるようになり、2011年3月26日改正時点では犬山行き3本と岩倉行き2本が設定されている。これらの列車はすべて名古屋市交通局所有の車両で運転されている。
名鉄犬山線内で事故が発生した場合など異常時には直通運転が取り止められ、上小田井駅での折返し運転となる。また、台風で名鉄線内が運休となった場合、鶴舞線の上小田井駅 ‐ 庄内緑地公園駅間も運休となり、庄内緑地公園駅 - 赤池駅間の地下区間のみの運転となる。
2004年までは毎年8月10日の日本ライン夏まつり花火大会や大晦日深夜の初詣時に運行される臨時列車については犬山駅発着を延長し、犬山遊園駅まで直通していたことがあった。その後、2008年までは花火大会の臨時列車に限り新鵜沼駅まで運行していたが、犬山駅直通が減少した2009年以降は鶴舞線からの延長運転は行われていない。
原則として平日・休日ともに毎時4本が運転されている。ただし、平日の朝・夕方、休日の朝は本数が増え、早朝や夜間は本数が減る。平日昼間は上小田井方面から赤池駅行きと豊田市駅行きが交互に運行されるダイヤとなっている。休日は豊田市行きが2本の後に赤池行きが来る(豊田市行きの2本に1本は赤池駅で時間調整)。名鉄豊田線・三河線内は全列車が普通で運転される。平日朝の豊田市駅から上小田井へ向かう名鉄車運用のうち2本は三河線土橋駅の留置線に留置されている名鉄車を土橋発豊田市行きとして営業運転後、豊田市駅で行き先を上小田井駅に変更して運用を継続している。この場合、豊田市駅では配線の都合で1番線に入線する(逆向きは豊田市行きとして運転して3番線に到着し、豊田市駅からは営業運転を行わず回送列車になる)。なお、かつて(上小田井駅が急行停車駅となった2001年以前)昼間の豊田線直通列車は原則として犬山線へも直通していた。現在のダイヤでは直通先は豊田線方面のみが基本形となっている。
豊田スタジアムでのJ1開催日や豊田おいでんまつり花火大会開催日など、イベント開催時は通常赤池駅止まりとなる列車が一部豊田市駅発着に変更される。
名鉄犬山線での場合と同様に、豊田線内で事故や台風で運休となった際は赤池駅で折り返し運転が行われる。
車両の規格は20m 4ドアである。開業当初から名鉄犬山線との相互直通開始までは4両編成で、これは直通先の名鉄豊田線も同様であった。4両編成で運行されていた当時は交通局が3000形23編成92両、名鉄が100系6編成24両(1 - 3次車。このほかに1991年製の4次車4編成16両が在籍していたが、こちらの方は1993年7月の3500系就役まで暫定的に名鉄犬山線や名鉄名古屋本線などで運用されていた)を保有していた。その後、名鉄犬山線との相互直通開始に際して6両編成化されることとなり、交通局側は3000形を4両編成から6両編成に組成変更し、不足する分は3050形9編成52両の新製で補われた。名鉄側は100系の中間車のみ20両を新製し、4次車も含めた既存の車両10編成に組み込むことで対処した(この時に4次車が鶴舞線・豊田線の運用に転用された)。また、1994年には交通局と名鉄の双方で運用増強として1編成ずつ増備された。この結果、交通局は25編成、名鉄は11編成の保有となり、現在に至っている。
交通局の車両はいずれも乗り入れ先の名鉄に合わせたため、全て高運転台となっている。鶴舞線内折り返し運用と名鉄線直通列車にも使われているが、名鉄線内のみの運行はない。1987年 - 1989年の間には、先行的に製造された桜通線6000形6101編成を試験的・暫定的に使用していたこともあるが、運転台が進行方向右側に設置されている関係で、M式ATSは設置されておらず、鶴舞線内のみで用いられ、名鉄線内には直通しなかった。その後落成した同形式も当線で試運転を行った。また、2010年3月には同じく桜通線所属で当時落成したばかりの6050形が試運転を行った。
3000形は2011年から順次導入されているN3000形による置き換えが完了しており、2023年3月時点で全編成が営業運転から離脱し、一部車両は廃車されている。
名古屋市営地下鉄鶴舞線の輸送実績を下記に表す。表中、最高値を赤、最低値を緑で表記。
八事 - 赤池間は、新三河鉄道が昭和期に収得し、名古屋鉄道が継承していた八事 - 挙母(後の豊田市)間の免許を、名鉄から譲り受ける形で開業した。残る赤池 - 梅坪間は、名鉄豊田線として開業を見ている。
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"text": "鶴舞線が上小田井駅まで延伸してからは毎時4本(犬山行きと岩倉行きが各2本)が運行されていたが、急行が上小田井駅に朝夕のみから全て停車するようになった2001年10月の名鉄のダイヤ改正以降、上小田井駅で犬山線の急行・準急との接続(乗換)を優先して、鶴舞線から犬山線への直通列車を減らし、原則として平日・休日ともに毎時2本ずつの運行としている。ただし、2020年時点のダイヤでは、平日の10時 - 15時台は毎時1本だけ豊田市発岩倉行きが直通する。直通列車の行先は基本的に岩倉行きであるが、平日の朝と夕方(土休日は朝1本のみ)は柏森行き、犬山行きがあり、平日の朝に1本だけ豊田市発の扶桑行き(名古屋市交通局の車両で運用)もある。また、土休日の朝には布袋始発が2本ある。昼間の上りは2020年時点のダイヤでは赤池行きが多いが、夕方になると豊田市行きが多くなる。",
"title": "運行形態"
},
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"text": "名鉄犬山線内は原則普通列車で各駅に停車するが、2005年1月改正時より平日朝に犬山線内で上小田井駅から急行となる列車が岩倉・犬山方面行きに設定されるようになり、2011年3月26日改正時点では犬山行き3本と岩倉行き2本が設定されている。これらの列車はすべて名古屋市交通局所有の車両で運転されている。",
"title": "運行形態"
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"tag": "p",
"text": "名鉄犬山線内で事故が発生した場合など異常時には直通運転が取り止められ、上小田井駅での折返し運転となる。また、台風で名鉄線内が運休となった場合、鶴舞線の上小田井駅 ‐ 庄内緑地公園駅間も運休となり、庄内緑地公園駅 - 赤池駅間の地下区間のみの運転となる。",
"title": "運行形態"
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"text": "2004年までは毎年8月10日の日本ライン夏まつり花火大会や大晦日深夜の初詣時に運行される臨時列車については犬山駅発着を延長し、犬山遊園駅まで直通していたことがあった。その後、2008年までは花火大会の臨時列車に限り新鵜沼駅まで運行していたが、犬山駅直通が減少した2009年以降は鶴舞線からの延長運転は行われていない。",
"title": "運行形態"
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{
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"text": "原則として平日・休日ともに毎時4本が運転されている。ただし、平日の朝・夕方、休日の朝は本数が増え、早朝や夜間は本数が減る。平日昼間は上小田井方面から赤池駅行きと豊田市駅行きが交互に運行されるダイヤとなっている。休日は豊田市行きが2本の後に赤池行きが来る(豊田市行きの2本に1本は赤池駅で時間調整)。名鉄豊田線・三河線内は全列車が普通で運転される。平日朝の豊田市駅から上小田井へ向かう名鉄車運用のうち2本は三河線土橋駅の留置線に留置されている名鉄車を土橋発豊田市行きとして営業運転後、豊田市駅で行き先を上小田井駅に変更して運用を継続している。この場合、豊田市駅では配線の都合で1番線に入線する(逆向きは豊田市行きとして運転して3番線に到着し、豊田市駅からは営業運転を行わず回送列車になる)。なお、かつて(上小田井駅が急行停車駅となった2001年以前)昼間の豊田線直通列車は原則として犬山線へも直通していた。現在のダイヤでは直通先は豊田線方面のみが基本形となっている。",
"title": "運行形態"
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"text": "豊田スタジアムでのJ1開催日や豊田おいでんまつり花火大会開催日など、イベント開催時は通常赤池駅止まりとなる列車が一部豊田市駅発着に変更される。",
"title": "運行形態"
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"text": "名鉄犬山線での場合と同様に、豊田線内で事故や台風で運休となった際は赤池駅で折り返し運転が行われる。",
"title": "運行形態"
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{
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"text": "車両の規格は20m 4ドアである。開業当初から名鉄犬山線との相互直通開始までは4両編成で、これは直通先の名鉄豊田線も同様であった。4両編成で運行されていた当時は交通局が3000形23編成92両、名鉄が100系6編成24両(1 - 3次車。このほかに1991年製の4次車4編成16両が在籍していたが、こちらの方は1993年7月の3500系就役まで暫定的に名鉄犬山線や名鉄名古屋本線などで運用されていた)を保有していた。その後、名鉄犬山線との相互直通開始に際して6両編成化されることとなり、交通局側は3000形を4両編成から6両編成に組成変更し、不足する分は3050形9編成52両の新製で補われた。名鉄側は100系の中間車のみ20両を新製し、4次車も含めた既存の車両10編成に組み込むことで対処した(この時に4次車が鶴舞線・豊田線の運用に転用された)。また、1994年には交通局と名鉄の双方で運用増強として1編成ずつ増備された。この結果、交通局は25編成、名鉄は11編成の保有となり、現在に至っている。",
"title": "車両"
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"text": "交通局の車両はいずれも乗り入れ先の名鉄に合わせたため、全て高運転台となっている。鶴舞線内折り返し運用と名鉄線直通列車にも使われているが、名鉄線内のみの運行はない。1987年 - 1989年の間には、先行的に製造された桜通線6000形6101編成を試験的・暫定的に使用していたこともあるが、運転台が進行方向右側に設置されている関係で、M式ATSは設置されておらず、鶴舞線内のみで用いられ、名鉄線内には直通しなかった。その後落成した同形式も当線で試運転を行った。また、2010年3月には同じく桜通線所属で当時落成したばかりの6050形が試運転を行った。",
"title": "車両"
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{
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"text": "3000形は2011年から順次導入されているN3000形による置き換えが完了しており、2023年3月時点で全編成が営業運転から離脱し、一部車両は廃車されている。",
"title": "車両"
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"text": "名古屋市営地下鉄鶴舞線の輸送実績を下記に表す。表中、最高値を赤、最低値を緑で表記。",
"title": "利用状況"
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"text": "八事 - 赤池間は、新三河鉄道が昭和期に収得し、名古屋鉄道が継承していた八事 - 挙母(後の豊田市)間の免許を、名鉄から譲り受ける形で開業した。残る赤池 - 梅坪間は、名鉄豊田線として開業を見ている。",
"title": "歴史"
}
] |
鶴舞線(つるまいせん)は、愛知県名古屋市西区の上小田井駅から愛知県日進市の赤池駅までを結ぶ、名古屋市営地下鉄の路線。『鉄道要覧』における名称は3号線鶴舞線、都市計画上の名称は名古屋市高速度鉄道第3号線。 ラインカラーは青(■)で、相互直通運転を行っている名鉄線と見分けがつくよう名鉄の赤色に対するRGBにおける補色としている。駅ナンバリングで用いられる路線記号はT。 すべての駅でmanaca(2011年2月11日に導入)などの交通系ICカード全国相互利用サービス対応カードが使用できる。
|
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<!-- 自身の推測、目撃情報、非公開・未公開の内部情報を記述しないでください。この記事は編集合戦が発生しています。編集合戦は保護依頼につながります。直ちに編集合戦はやめる必要があります。-->
{{Infobox 鉄道路線
|路線名=[[File:Transportation Bureau City of Nagoya.svg|20px|bottom|名古屋市交通局|link=名古屋市交通局]] 鶴舞線
|路線色=#009bbf
|路線色2=
|ロゴ=[[File:Nagoya Subway Logo (Tsurumai Line).svg|50px|top]] [[File:Nagoya Subway Logo V2 (Tsurumai Line).svg|50px]]
|画像= 名古屋市営地下鉄N3000形N3107編成.jpg
|画像サイズ=300px
|画像説明= [[名古屋市交通局N3000形電車|N3000形]](上小田井駅にて)
|国={{JPN}}
|所在地=[[愛知県]][[名古屋市]]、[[日進市]]
|種類=[[地下鉄]]
|路線網=[[名古屋市営地下鉄]]
|起点=[[上小田井駅]]
|終点=[[赤池駅 (愛知県)|赤池駅]]
|駅数=20駅
|輸送実績=
|1日利用者数=
|路線記号=T
|路線番号=3号線
|路線色3={{Legend2|#009bbf|青}}<br />[[DICカラーガイド|DIC]] 138<ref name="signmanual">「名古屋市交通局 旅客サインマニュアル」による</ref>
|開業=[[1977年]][[3月18日]]
|最終延伸=[[1993年]][[8月12日]]
|全通=
|所有者=[[名古屋市交通局]]
|運営者=名古屋市交通局
|車両基地=[[名古屋市交通局日進工場|日進工場]]
|使用車両=[[#車両|車両]]の節を参照
|路線構造=地上区間:上小田井駅付近
|路線距離=20.4 [[キロメートル|km]]
|軌間=1,067 [[ミリメートル|mm]]
|線路数=[[複線]]
|電化方式=[[直流電化|直流]]1,500 [[ボルト (単位)|V]] [[架空電車線方式]]
|最大勾配=
|最小曲線半径=
|閉塞方式=車内信号式
|保安装置=[[自動列車制御装置|ATC]]
|最高速度=75 [[キロメートル毎時|km/h]]<ref name="judan">『日本縦断! 地下鉄の謎』 - 小佐野カゲトシ</ref>
|諸元備考=
|諸元備考内容=
|路線図=[[File:Linemap of NMS Tsurumai Line.svg|300px]]
|路線図名=
|路線図表示=
}}
{| {{Railway line header}}
{{UKrail-header2|停車場・施設・接続路線|#009bbf}}
{{BS-table}}
{{BS2|HST||||[[犬山駅]]|}}
{{BS2|LSTR|O1=lhSTRa@f||||[[名古屋鉄道|名鉄]]:[[名鉄犬山線|犬山線]]|}}
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{{BS4|hABZ3+1g|tSTRa|O2=hSTRc4|||||名鉄:犬山線|}}
{{BS4|hSTRc4|tBHF|||1.4|T02 [[庄内緑地公園駅]]|}}
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{{BS2|tkABZg+1||||{{rint|nagoya|s}} [[名古屋市営地下鉄桜通線|桜通線]]|}}
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|}
|}
'''鶴舞線'''(つるまいせん)は、[[愛知県]][[名古屋市]][[西区 (名古屋市)|西区]]の[[上小田井駅]]から愛知県[[日進市]]の[[赤池駅 (愛知県)|赤池駅]]までを結ぶ、[[名古屋市営地下鉄]]の路線<ref name="new-nagoya-history-7-1998-3-31">新修名古屋市史編集委員会 『新修名古屋市史 第7巻』 [[名古屋市]]、1998年3月31日。</ref>。『[[鉄道要覧]]』における名称は'''3号線鶴舞線'''、都市計画上の名称は'''名古屋市高速度鉄道第3号線'''<ref name="new-nagoya-history-7-1998-3-31" />。
[[日本の鉄道ラインカラー一覧|ラインカラー]]は[[青]]({{Color|#009bbf|■}})で、[[直通運転|相互直通運転]]を行っている[[名古屋鉄道|名鉄]]線と見分けがつくよう名鉄の[[名鉄スカーレット|赤色]]に対する[[RGB]]における[[補色]]としている。[[駅ナンバリング]]で用いられる路線記号は'''T'''。
すべての駅で[[manaca]](2011年2月11日に導入)などの[[交通系ICカード全国相互利用サービス|交通系ICカード全国相互利用サービス対応カード]]が使用できる。
== 概要 ==
上小田井駅から[[名古屋鉄道]](名鉄)[[名鉄犬山線|犬山線]]を経由して[[岩倉駅 (愛知県)|岩倉駅]]、[[柏森駅]]、[[扶桑駅]]、[[犬山駅]]まで、赤池駅から名鉄[[名鉄豊田線|豊田線]]・[[名鉄三河線|三河線]]を経由して[[豊田市駅]]まで、それぞれ[[直通運転|相互直通運転]]を行っている。日本の地下鉄で起点と終点の両方で同じ鉄道事業者に直通している例は、鶴舞線の他には起点の中野駅と終点の西船橋駅の両方でJR線に直通する[[東京メトロ東西線]]しかなく、かなり珍しい<ref group="注釈">姪浜駅からJR筑肥線に直通している[[福岡市地下鉄空港線]]も福岡空港駅から延伸してJR[[福北ゆたか線]]とも直通する構想がある。</ref>。東京メトロ東西線は西船橋駅側から[[中央・総武緩行線|JR総武線]]へは平日の朝夕ラッシュ時のみの直通運転であるのに対し、鶴舞線は犬山線・豊田線双方とも終日相互直通運転を実施しており、これは日本で唯一である。鶴舞線は東京メトロ東西線とは異なり、自局車両が乗り入れ相手方の駅や車庫で当日の運用を終了する[[泊まりダイヤ|外泊運用]]は組まれていないが、事故などの非常時には外泊することはある。
高架駅の上小田井駅を出るとすぐ地下に潜り、浅間町駅付近までは[[愛知県道63号名古屋江南線]]・[[名古屋市道江川線]]の下を通る。江川線には高速道路を地下に通す計画があったため、浄心 - 浅間町間は地下鉄の上層に高速道路を通せるよう、地下10 mよりも深い位置に建設された<ref>[https://www.chubudenkikyokai.com/archive/syswp/wp-content/uploads/2015/09/3255c784dd387f799d5c5a5ef609c587.pdf プロジェクト紀行 地下鉄が変えた街 平成24年4月号 池田 誠一(一般社団法人日本電気協会中部支部発行)]</ref>(高速道路はその後高架線として建設され、[[2007年]]に[[名古屋高速6号清須線]]として開通した)。庄内緑地公園 - 庄内通間は庄内川の下をくぐっており、平成になってから開通した上小田井駅付近を含めてやや深めに造られている。浅間町駅を過ぎて堀川の下をくぐると線路がやや東に移動し、丸の内 - 大須観音間は[[伏見通]]([[国道22号]]・[[国道19号]])の下を通る。大須観音駅を過ぎて西大須交差点の下から[[大須通]]を通り、進路を東向きに変える。路線名のもととなった[[鶴舞公園]]の地下を通り、荒畑 - 川名間は山王通([[名古屋市道山王線]])の下を通る。川名駅を過ぎて山中交差点の下からは、進路を南東向きに変え、[[飯田街道]]([[国道153号]])の下を通る。植田駅からは国道から離れ、東向きに進路を変える。この区間も[[天白川 (愛知県)|天白川]]や[[名古屋第二環状自動車道]]を地下でくぐるためにやや深めに造られている。平針駅から終点の赤池駅までも地下区間となっているが、赤池駅は地上の[[名古屋市交通局日進工場|日進工場]]や[[名鉄豊田線]]に出やすくするため浅めに造られている。他線と交差する駅については東山線と名城線との乗換駅では下、桜通線との乗換駅では上を通っている。八事駅は鶴舞線の方が先に開業しているが、後の名城線ホーム増設を考慮して空間を造った上で鶴舞線を通している。
また、赤池駅と日進工場は名古屋市外の日進市にあり、名古屋市営地下鉄で唯一名古屋市外に営業線を延ばしている。後述の通り八事 - 赤池間の免許を名鉄から譲り受ける形で開業したためである。
沿線には高校・大学が多数立地している([[いりなか駅]] - [[塩釜口駅]]間に所在する、[[南山大学]]、[[中京大学]]、[[名城大学]]など)。また、直通先の名鉄豊田線沿線にも[[名古屋商科大学]]、[[東海学園大学]]三好キャンパス、中京大学豊田キャンパス、私立[[豊田大谷高等学校|豊田大谷高校]]などがあることから、学生の利用が多い(以前は[[みよし市]]の黒笹駅近くに[[愛知大学]]があったが、現在は[[名古屋駅]]南の[[名古屋臨海高速鉄道あおなみ線|あおなみ線]]沿線「[[ささしまライブ24]]」地区に移転した)。また、[[平針駅]]から市バスに乗り換えた先には[[愛知県運転免許試験場]](通称:平針試験場)がある。
最混雑区間は塩釜口駅 → 八事駅で、2017年度のピーク時[[混雑率]]は115%となっている<ref>{{PDFlink|[http://www.mlit.go.jp/common/001245932.pdf 混雑率データ]}} - 国土交通省</ref>。土休日は伏見駅→大須観音駅も混雑する。
名鉄線と相互乗り入れを行う計画が建設当初からあったため、ホームが8両対応であったり、車両が20 m車であるなど、余裕を持った構造となっており、名鉄と同じ[[軌間]]1,067 mmの線路とパンタグラフを利用した[[架空電車線方式]]を採用している。
鶴舞線には[[ホームドア|可動式ホーム柵]]は設置されていないが、2026年度までの整備を予定している<ref>{{Cite press release|和書|title=地下鉄名城線・名港線に可動式ホーム柵を設置します|publisher=名古屋市交通局|url=https://www.kotsu.city.nagoya.jp/jp/pc/ABOUT/TRP0003922/20200302-%E5%9C%B0%E4%B8%8B%E9%89%84%E5%90%8D%E5%9F%8E%E7%B7%9A%E3%83%BB%E5%90%8D%E6%B8%AF%E7%B7%9A%E3%81%AB%E5%8F%AF%E5%8B%95%E5%BC%8F%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%83%A0%E6%9F%B5%E3%82%92%E8%A8%AD%E7%BD%AE%E3%81%97%E3%81%BE%E3%81%99%20.pdf#page=2|format=PDF|date=2020-03-02|accessdate=2020-04-13|archiveurl=https://web.archive.org/web/20200726124604/https://www.kotsu.city.nagoya.jp/jp/pc/ABOUT/TRP0003922/20200302-%E5%9C%B0%E4%B8%8B%E9%89%84%E5%90%8D%E5%9F%8E%E7%B7%9A%E3%83%BB%E5%90%8D%E6%B8%AF%E7%B7%9A%E3%81%AB%E5%8F%AF%E5%8B%95%E5%BC%8F%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%83%A0%E6%9F%B5%E3%82%92%E8%A8%AD%E7%BD%AE%E3%81%97%E3%81%BE%E3%81%99%20.pdf#page=2 |archivedate=2020-07-26 }}</ref>。また、[[発光ダイオード|LED]]式[[発車標]]はすべての駅に設置されており、各種運行情報やニュースなどが表示できる。なお、LED式に更新されたのは、名古屋市営地下鉄の中で最も遅い。ただし、上小田井駅は名鉄の管理駅のため、他の駅とは表示方式が異なる。
使用されている[[発車メロディ#接近メロディ|接近メロディ]]の曲名は赤池方面が「サンライト」、上小田井方面が「ファンタジー」である<ref>[https://www.kotsu.city.nagoya.jp/jp/pc/ENJOY/TRP0000483.htm 列車接近メロディ] - 名古屋市交通局</ref>。ただし、前述したように、上小田井駅は名鉄の管理駅なので、メロディは流れない。
2022年7月1日からは名古屋市営地下鉄で唯一、[[ワンマン運転]]を行っていない路線となった<ref name=":0">{{Cite web|和書|url=https://www.kotsu.city.nagoya.jp/jp/pc/SUBWAY/TRP0004536.htm |title=名城線・名港線における全線ワンマン運転の開始について |access-date=2022-09-27 |publisher=名古屋市交通局}}</ref>。
名鉄犬山線と豊田線との間には鶴舞線を介した[[連絡運輸#通過連絡運輸|通過連絡運輸]]が設定されている。通過連絡運賃は、大人も小児も
:「名鉄犬山線の各駅、各務原線の新那加駅 - 新鵜沼駅、広見線の各駅、小牧線の小牧駅 - 羽黒駅(犬山経由)のいずれかから上小田井駅までの運賃」
:+「豊田線の各駅、三河線の猿投駅 - 三河八橋駅のいずれかから赤池駅までの運賃」
:+「鶴舞線の5区の乗車料金」
の合算額である(本来の通過連絡運輸とは異なり、それぞれの線区での計算となる)。
なお、名古屋市外在住の障がい者手帳保持者(鉄道割引1種・2種ない方も含む)及び、割引設定済みのmanaca保持者は、鶴舞線区間のみ半額となる関係で、通過連絡運賃が設定できず、
: 犬山線・各務原線・広見線・小牧線の大人運賃
: + 鶴舞線5区の割引運賃
: + 豊田線・三河線の大人運賃
となる。
:例:犬山線犬山駅 → 鶴舞線 → 豊田線の豊田市駅に向かう場合、犬山駅で上小田井駅までの大人運賃切符を購入し、上小田井駅での乗り換え時に、一度改札を出て地下鉄の割引切符を購入して再入場するか、赤池駅まで乗車し、ホーム中央にある西改札口横に常駐している係員に名鉄線切符と障がい者手帳を渡して、地下鉄5区の割引運賃を精算する必要がある。赤池駅では、大人料金用manacaでの犬山線運賃の精算も可能。
また、豊田線まで改札を出ずに乗り通した場合は、豊田市駅で赤池駅から豊田市駅までの大人運賃を精算し、地下鉄5区割引運賃分は、後日か復路利用の際に、地下鉄各駅で精算する必要がある。
=== 路線データ ===
* 路線距離([[営業キロ]]):20.4 km
* [[軌間]]:1,067 mm
* 駅数:20(起終点駅含む)
* 複線区間:全線
* 電化区間:全線(直流1500 V・[[架空電車線方式]](カテナリー電車線・[[剛体架線|剛体電車線]]))
* 地上区間:上小田井駅付近(約0.3 km)
* [[閉塞 (鉄道)|閉塞方式]]:車内信号式
* 営業最高速度:75 km/h<ref name="judan" />
* 1編成の両数:6両
* ホーム最大対応両数:8両
== 運行形態 ==
すべての列車が普通列車である。以前の内照式行先案内板には、「普通」と列車種別の案内が表示されていたほか、一時期は両数表示も行っていた。
* 運転間隔<ref name="dia">{{Cite web|和書|url = http://www.kotsu.city.nagoya.jp/subway/sub_timetable/sub_time02/botTsurumai.html |title = 鶴舞線 地下鉄始発・終発時刻 | work = |format = |publisher = [[名古屋市交通局]] |accessdate = 2015-06-29 }}</ref>
** 平日:朝4分毎、昼間7.5分毎、夕方5分毎
** 土曜・休日:朝6 - 8分毎、昼間以降10分毎
** 相互直通列車:昼間:
*** 豊田線直通:平日15分間隔、土曜・休日おおむね12分または18分間隔
*** 犬山線直通:平日1時間毎、土曜・休日30分毎
朝から昼・昼から夕方に変わる時間帯や深夜・早朝など、上記の間隔で運行されていない時間もある。
鶴舞線内折り返し列車は、平日の日中は主に両方向とも毎時2-4本程度運行されている。休日は基本的に豊田線か犬山線のどちらかに直通するため朝以外はあまり運行されない(休日日中の鶴舞線内のみの列車は上小田井発赤池行きが毎時2本程度運行)。
始発と最終に[[浄心駅]]・[[八事駅]]を終起点とする列車が設定されている(浄心駅始発はなく、同駅で夜間滞泊した車両は翌朝上小田井駅へ回送される)。また、台風など災害時には、[[庄内緑地公園駅]]止まりの列車が設定される場合もある。2017年には人身事故で丸の内駅止まりの列車が設定された。また、前例はないが、鶴舞駅で折り返すことも可能である。2021年に伏見駅で、2022年に上前津駅で人身事故が発生した際などには上小田井駅方面 - 浄心駅と八事駅 - 赤池駅方面の列車が設定された。
2003年3月以前は平日・土曜・休日問わず昼間は毎時10本(6分毎)運行されていたが、同月の改正で平日の昼間は毎時8本(7.5分毎)、土曜・休日は昼間以降毎時6本(10分毎)に減便された。平日夜7時以降は8分間隔になり、夜間は10 - 12分間隔に開く。また長年、鶴舞線だけが[[終電|最終電車]]が早い(0時前に運行を終了する)状況が続いていたが<ref>{{Cite web|和書|archiveurl=https://web.archive.org/web/20030205093809/http://www.kotsu.city.nagoya.jp/subway/sishuhatu/sishuhatu_turu.html|url=http://www.kotsu.city.nagoya.jp/subway/sishuhatu/sishuhatu_turu.html|archivedate=2003-02-05|date=2003-02|accessdate=2021-02-03|title=地下鉄(始発/終発)時刻表 鶴舞線|publisher=名古屋市交通局|deadlinkdate=2021-02-03}}</ref>、2003年3月に他線と同様、0時30分頃までの運行となった<ref>{{Cite web|和書|archiveurl=https://web.archive.org/web/20030423224053/http://www.kotsu.city.nagoya.jp/subway/sishuhatu/sishuhatu_turu.html|url=http://www.kotsu.city.nagoya.jp/subway/sishuhatu/sishuhatu_turu.html|archivedate=2003-04-23|date=2003-03|accessdate=2021-02-03|title=地下鉄(始発/終発)時刻表 鶴舞線|publisher=名古屋市交通局|deadlinkdate=2021-02-03}}</ref>。
[[大晦日]]から[[元日|元旦]]は終電後に[[終夜運転]]を行う(30分間隔、鶴舞線内全線通し<ref group="注釈">2003年大晦日までは20分間隔、2008年大晦日までは25分間隔だった。</ref>)。ただし、名鉄線への直通は行わない([[1996年]]大晦日までは名鉄犬山線と直通していた<ref>[https://web.archive.org/web/19980117021055/http://www.meitetsu.co.jp/meitetsu/081125-j.html 大みそか、元旦に臨時列車34本を増発](インターネット・アーカイブ)- 名古屋鉄道プレスリリース 1996年11月25日</ref><ref>[https://web.archive.org/web/19980117020042/http://www.meitetsu.co.jp/meitetsu/091205-j.html 大みそか深夜から元日早朝に臨時列車25本を増発](インターネット・アーカイブ)- 名古屋鉄道プレスリリース 1997年12月5日</ref>)。
名鉄犬山線・豊田線・三河線のダイヤが改正されると同時に鶴舞線のダイヤも改正されることがある(行き先変更のみを含む)。
=== 名鉄犬山線直通列車 ===
[[ファイル:Nagoya Municipal Subway 3050 Series Express train in Meitetsu Inuyama Line.jpg|サムネイル|250px|right|名鉄犬山線内急行となる直通電車]]
鶴舞線が上小田井駅まで延伸してからは毎時4本(犬山行きと岩倉行きが各2本)が運行されていたが、急行が上小田井駅に朝夕のみから全て停車するようになった2001年10月の名鉄のダイヤ改正以降、上小田井駅で犬山線の急行・準急との接続(乗換)を優先して、鶴舞線から犬山線への直通列車を減らし、原則として平日・休日ともに毎時2本ずつの運行としている。ただし、2020年時点のダイヤでは、平日の10時 - 15時台は毎時1本だけ豊田市発岩倉行きが直通する。直通列車の行先は基本的に[[岩倉駅 (愛知県)|岩倉]]行きであるが、平日の朝と夕方(土休日は朝1本のみ)は[[柏森駅|柏森]]行き、[[犬山駅|犬山]]行きがあり、平日の朝に1本だけ豊田市発の[[扶桑駅|扶桑]]行き(名古屋市交通局の車両で運用)もある。また、土休日の朝には[[布袋駅|布袋]]始発が2本ある。昼間の上りは2020年時点のダイヤでは赤池行きが多いが、夕方になると豊田市行きが多くなる。
[[名鉄犬山線]]内は原則普通列車で各駅に停車するが、[[2005年からの名古屋鉄道ダイヤ改正#2005年1月29日改正|2005年1月改正時]]より平日朝に犬山線内で上小田井駅から[[急行列車#私鉄・第三セクター鉄道の急行列車|急行]]となる列車が岩倉・犬山方面行きに設定されるようになり、[[2005年からの名古屋鉄道ダイヤ改正#2011年3月26日改正|2011年3月26日改正]]時点では犬山行き3本と岩倉行き2本が設定されている。これらの列車はすべて名古屋市交通局所有の車両で運転されている。
名鉄犬山線内で事故が発生した場合など異常時には直通運転が取り止められ、上小田井駅での折返し運転となる。また、台風で名鉄線内が運休となった場合、鶴舞線の上小田井駅 ‐ 庄内緑地公園駅間も運休となり、庄内緑地公園駅 - 赤池駅間の地下区間のみの運転となる。
[[2004年]]までは毎年[[8月10日]]の[[日本ライン夏まつり]]花火大会や大晦日深夜の[[初詣]]時に運行される[[臨時列車]]については犬山駅発着を延長し、[[犬山遊園駅]]まで直通していたことがあった。その後、[[2008年]]までは花火大会の臨時列車に限り[[新鵜沼駅]]まで運行していたが、犬山駅直通が減少した2009年以降は鶴舞線からの延長運転は行われていない。
=== 名鉄豊田線直通列車 ===
原則として平日・休日ともに毎時4本が運転されている。ただし、平日の朝・夕方、休日の朝は本数が増え、早朝や夜間は本数が減る。平日昼間は上小田井方面から[[赤池駅 (愛知県)|赤池駅]]行きと[[豊田市駅]]行きが交互に運行されるダイヤとなっている。休日は豊田市行きが2本の後に赤池行きが来る(豊田市行きの2本に1本は赤池駅で時間調整)。名鉄豊田線・三河線内は全列車が普通で運転される。平日朝の豊田市駅から上小田井へ向かう名鉄車運用のうち2本は[[名鉄三河線|三河線]][[土橋駅 (愛知県)|土橋駅]]の[[留置線]]に留置されている名鉄車を土橋発豊田市行きとして営業運転後、豊田市駅で行き先を上小田井駅に変更して運用を継続している。この場合、豊田市駅では配線の都合で1番線に入線する(逆向きは豊田市行きとして運転して3番線に到着し、豊田市駅からは営業運転を行わず回送列車になる)。なお、かつて(上小田井駅が急行停車駅となった2001年以前)昼間の豊田線直通列車は原則として犬山線へも直通していた。現在のダイヤでは直通先は豊田線方面のみが基本形となっている。
豊田スタジアムでのJ1開催日や豊田おいでんまつり花火大会開催日など、イベント開催時は通常赤池駅止まりとなる列車が一部豊田市駅発着に変更される。
名鉄犬山線での場合と同様に、豊田線内で事故や台風で運休となった際は赤池駅で折り返し運転が行われる。
== 車両 ==
車両の規格は20m 4ドアである。開業当初から名鉄犬山線との相互直通開始までは4両編成で、これは直通先の名鉄豊田線も同様であった。4両編成で運行されていた当時は交通局が3000形23編成92両、名鉄が100系6編成24両(1 - 3次車。このほかに1991年製の4次車4編成16両が在籍していたが、こちらの方は1993年7月の[[名鉄3500系電車 (2代)|3500系]]就役まで暫定的に名鉄犬山線や[[名鉄名古屋本線]]などで運用されていた)を保有していた。その後、名鉄犬山線との相互直通開始に際して6両編成化されることとなり、交通局側は3000形を4両編成から6両編成に組成変更し、不足する分は3050形9編成52両の新製で補われた。名鉄側は100系の中間車のみ20両を新製し、4次車も含めた既存の車両10編成に組み込むことで対処した(この時に4次車が鶴舞線・豊田線の運用に転用された)。また、1994年には交通局と名鉄の双方で運用増強として1編成ずつ増備された。この結果、交通局は25編成、名鉄は11編成の保有となり、現在に至っている。
交通局の車両はいずれも乗り入れ先の名鉄に合わせたため、全て高運転台となっている。鶴舞線内折り返し運用と名鉄線直通列車にも使われているが、名鉄線内のみの運行はない。[[1987年]] - [[1989年]]の間には、先行的に製造された[[名古屋市営地下鉄桜通線|桜通線]][[名古屋市交通局6000形電車|6000形6101編成]]を試験的・暫定的に使用していたこともあるが、運転台が進行方向右側に設置されている関係で、[[M式ATS]]は設置されておらず、鶴舞線内のみで用いられ、名鉄線内には直通しなかった。その後落成した同形式も当線で試運転を行った。また、2010年3月には同じく桜通線所属で当時落成したばかりの[[名古屋市交通局6050形電車|6050形]]が試運転を行った。
3000形は2011年から順次導入されているN3000形による置き換えが完了しており、2023年3月時点で全編成が営業運転から離脱<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.kotsu.city.nagoya.jp/jp/pc/ENJOY/TRP0000488/%E7%B7%A8%E6%88%90%E8%A1%A8.pdf |title=高速度鉄道車両編成表 |access-date=2023-04-01 |publisher=名古屋市交通局 |date=2023-03-15 |work=設備・車両ガイド}}</ref><ref name=":1" />し、一部車両は廃車<ref>{{Cite web|和書|title=【名市交】3000形3120H廃車陸送 {{!}}2nd-train鉄道ニュース |url=https://2nd-train.net/topics/article/43769/ |website=2nd-train |access-date=2023-03-31 |language=ja}}</ref>されている。
=== 現用車両 ===
==== 自局車両 ====
* [[名古屋市交通局N3000形電車|N3000形]]
* [[名古屋市交通局3050形電車|3050形]]
** 鶴舞線内では名鉄線に直通する列車を含めて「普通」の種別表示はされない(赤池駅または上小田井駅で名鉄線に入る際に変更される)。
<gallery widths="170">
ファイル:N3000形第2編成.jpg|N3000形
ファイル:Nagoya Municipal Subway 3050 series 013.JPG|3050形
</gallery>
==== 乗り入れ車両 ====
; [[名古屋鉄道]]
:* [[名鉄100系電車|100系・200系]]
<gallery widths="170px">
Meitetsu 100 series 015.JPG|100系
Meitetsu 200 series 012.JPG|200系
</gallery>
=== 過去の車両 ===
==== 自局車両 ====
* [[名古屋市交通局3000形電車 (鉄道)|3000形]]
<gallery widths="170">
ファイル:Nagoya-Municipal-Subway Series3000-3120.jpg|3000形
</gallery>
== 利用状況 ==
名古屋市営地下鉄鶴舞線の輸送実績を下記に表す。表中、最高値を赤、最低値を緑で表記。<!--あいちの陸上交通(統計資料)--->
{| class="wikitable" style="font-size:90%; text-align:center;"
|+鶴舞線輸送実績
|-
!年度!!年間<br />輸送人員<br />(千人)!!一日平均<br />輸送人員<br />(人)!!輸送人キロ<br />(千人キロ)!!最混雑区間<br />乗車率<br />(%)!!輸送密度<br />(人/日)!!特記事項
|-
!style="font-weight: normal;"|1977年(昭和52年)
|
|
|
|
|
|style="text-align:left;"|開業(伏見 - 八事開通)
|-
!style="font-weight: normal;"|1978年(昭和53年)
|
|
|
|
|
|style="text-align:left;"|八事 - 赤池開通
|-
!style="font-weight: normal;"|1979年(昭和54年)
|
|
|
|
|
|style="text-align:left;"|名鉄豊田新線(現・豊田線)と相互直通運転開始
|-
!style="font-weight: normal;"|1980年(昭和55年)
|
|style="background-color: #ccffcc;"|157,847
|
|185
|
|
|-
!style="font-weight: normal;"|1981年(昭和56年)
|
|
|
|
|
|style="text-align:left;"|浄心 - 伏見開通
|-
!style="font-weight: normal;"|1982年(昭和57年)
|
|
|
|
|
|
|-
!style="font-weight: normal;"|1983年(昭和58年)
|
|
|
|
|
|
|-
!style="font-weight: normal;"|1984年(昭和59年)
|
|
|
|
|
|style="text-align:left;"|庄内緑地公園 - 浄心開通
|-
!style="font-weight: normal;"|1985年(昭和60年)
|
|203,532
|
|179
|
|
|-
!style="font-weight: normal;"|1986年(昭和61年)
|
|
|
|
|
|
|-
!style="font-weight: normal;"|1987年(昭和62年)
|
|
|
|
|
|
|-
!style="font-weight: normal;"|1988年(昭和63年)
|
|
|
|
|
|
|-
!style="font-weight: normal;"|1989年(平成1年)
|
|
|
|
|
|
|-
!style="font-weight: normal;"|1990年(平成2年)
|style="background-color: #ccffcc;"|81,207
|222,485
|
|style="background-color: #ffcccc;"|232
|style="background-color: #ccffcc;"|74,064
|
|-
!style="font-weight: normal;"|1991年(平成3年)
|85,663
|
|
|
|77,439
|
|-
!style="font-weight: normal;"|1992年(平成4年)
|83,971
|
|
|
|75,936
|
|-
!style="font-weight: normal;"|1993年(平成5年)
|91,094
|249,573
|
|
|81,925
|style="text-align:left;"|上小田井 - 庄内緑地公園開通、名鉄犬山線と相互直通運転開始
|-
!style="font-weight: normal;"|1994年(平成6年)
|95,147
|260,677
|
|
|84,508
| style="text-align:left;"|桜通線 今池駅 - 野並駅開通
|-
!style="font-weight: normal;"|1995年(平成7年)
|97,187
|265,538
|
|163
|86,636
|
|-
!style="font-weight: normal;"|1996年(平成8年)
|97,904
|268,230
|
|
|88,732
|
|-
!style="font-weight: normal;"|1997年(平成9年)
|97,998
|268,488
|655,398
|
|88,020
|
|-
!style="font-weight: normal;"|1998年(平成10年)
|98,232
|269,129
|665,604
|
|89,391
|
|-
!style="font-weight: normal;"|1999年(平成11年)
|96,805
|265,219
|658,500
|161
|88,437
|
|-
!style="font-weight: normal;"|2000年(平成12年)
|95,990
|262,986
|653,547
|159
|87,772
|
|-
!style="font-weight: normal;"|2001年(平成13年)
|96,844
|265,326
|657,414
|155
|88,291
|
|-
!style="font-weight: normal;"|2002年(平成14年)
|93,583
|256,392
|633,746
|154
|85,112
|
|-
!style="font-weight: normal;"|2003年(平成15年)
|101,250
|279,644
|631,535
|154
|84,815
|
|-
!style="font-weight: normal;"|2004年(平成16年)
|102,070
|277,397
|style="background-color: #ffcccc;"|682,670
|138
|style="background-color: #ffcccc;"|91,683
|style="text-align:left;"|4号線 名古屋大学 - 新瑞橋開通
|-
!style="font-weight: normal;"|2005年(平成17年)
|101,351
|277,674
|610,230
|136
|81,954
|
|-
!style="font-weight: normal;"|2006年(平成18年)
|104,617
|286,622
|622,889
|141
|83,654
|
|-
!style="font-weight: normal;"|2007年(平成19年)
|104,928
|287,474
|629,610
|138
|84,557
|
|-
!style="font-weight: normal;"|2008年(平成20年)
|style="background-color: #ffcccc;"|105,605
|style="background-color: #ffcccc;"|289,328
|630,809
|131
|84,718
|
|-
!style="font-weight: normal;"|2009年(平成21年)
|103,914
|284,695
|621,395
|131
|83,454
|
|-
!style="font-weight: normal;"|2010年(平成22年)
|104,054
|285,079
|634,708
|127
|85,241
|
|-
!style="font-weight: normal;"|2011年(平成23年)
|94,322
|258,416
|style="background-color: #ccffcc;"|563,013
|style="background-color: "|
|75,613
|style="text-align:left;"|桜通線 野並駅 - 徳重駅開通
|-
!style="font-weight: normal;"| 2012年(平成24年)
|96,632 ||265,000
| || || ||
|-
!style="font-weight: normal;"| 2013年(平成25年)
|100,345 ||275,000
| || 113<ref name ="H25konzatsu">{{Cite web|和書|url = http://www.mlit.go.jp/common/001050444.pdf |title = 東京圏における主要区間の混雑率 - 国土交通省 |publisher = [[国土交通省]] |format = PDF |accessdate = 2016-07-11}}</ref> || ||
|-
!style="font-weight: normal;"| 2014年(平成26年)
|100,774 ||276,000
| || 112 || ||
|-
!style="font-weight: normal;"| 2015年(平成27年)
|104,714 ||286,000
| || 113 || ||
|-
!style="font-weight: normal;"| 2016年(平成28年)
|106,114 ||291,000
| || 116 || ||
|-
!style="font-weight: normal;"| 2017年(平成29年)
|107,243 ||294,000
| || 115 || ||
|-
!style="font-weight: normal;"| 2018年(平成30年)
|108,795 ||298,000
| || 116 || ||
|-
!style="font-weight: normal;"| 2019年(令和元年)
| ||
| || 116 || ||
|-
!style="font-weight: normal;"| 2020年(令和2年)
| ||
| || style="background-color: #ccffcc;"| 92 || ||
|-
|}
; 出典:
: 愛知県ホームページ <!-- 古い時期のデータを拾った、過去のリンクも残してあります。-->
:* {{Wayback|url=http://www.pref.aichi.jp/0000008567.html |title=あいちの陸上交通(統計資料) 2007年4月1日|date=20110119131422}}
:* {{Wayback|url=http://www.pref.aichi.jp/0000036948.html |title=陸上交通に関する統計 2011年3月9日|date=20110809184519}}
:* [http://www.pref.aichi.jp/0000080752.html 陸上交通に関する統計 2015年3月31日]
:* [https://www.pref.aichi.jp/soshiki/toukei/0000055972.html 第8回愛知県累年統計表]
:* [https://www.pref.aichi.jp/toukei/jyoho/nhistory.html 愛知県統計年鑑] 各年度版
: 国土交通省
:* {{PDFlink|[https://www.mlit.go.jp/statistics/details/content/001365148.pdf 最混雑区間における混雑率(令和元年度)]}}
:* {{PDFlink|[https://www.mlit.go.jp/report/press/content/001413544.pdf 最混雑区間における混雑率(令和2年度)]}}
== 歴史 ==
八事 - 赤池間は、[[新三河鉄道]]が昭和期に収得し、名古屋鉄道が継承していた八事 - 挙母(後の豊田市)間の免許を、名鉄から譲り受ける形で開業した<ref group="注釈">その見返りとして、名鉄には[[名鉄瀬戸線|瀬戸線]]の[[栄町駅 (愛知県)|栄町]]乗り入れが認められ、1978年に開業した。</ref>。残る赤池 - [[梅坪駅|梅坪]]間は、名鉄豊田線として開業を見ている。
=== 年表 ===
* [[1977年]]([[昭和]]52年)[[3月18日]]:伏見 - 八事間 (8.0 km) が開業<ref name="new-nagoya-history-7-1998-3-31" /><ref name="ayumi">{{Cite web|和書|url = https://www.kotsu.city.nagoya.jp/jp/pc/ABOUT/TRP0004025/18-%E4%BA%A4%E9%80%9A%E5%B1%80%E3%81%AE%E3%81%82%E3%82%86%E3%81%BF.pdf |title = 交通局のあゆみ | work = 交通局事業概要(令和2年度) |format = PDF |publisher = [[名古屋市交通局]] |accessdate = 2020-08-15 }}</ref>。3000形電車営業運転開始。
* [[1978年]](昭和53年)[[10月1日]]:八事 - 赤池間 (5.4 km) が開業<ref name="new-nagoya-history-7-1998-3-31" /><ref name="ayumi" />。
* [[1979年]](昭和54年)[[7月29日]]:名鉄豊田新線(現在の豊田線)開業により、相互直通運転開始<ref name="new-nagoya-history-7-1998-3-31" /><ref name="ayumi" />。
* [[1981年]](昭和56年)[[11月27日]]:浄心 - 伏見間 (2.9 km) が開業<ref name="ayumi" />。
* [[1984年]](昭和59年)[[9月6日]]:庄内緑地公園 - 浄心間 (2.7 km) が開業<ref name="new-nagoya-history-7-1998-3-31" /><ref name="ayumi" />。
* [[1987年]](昭和62年)[[12月28日]]:桜通線6000形電車が鶴舞線で暫定営業運転開始([[1989年]]まで運行)。
* [[1993年]]([[平成]]5年)
** [[4月1日]]:3050形電車営業運転開始<ref name="ayumi" />。
** [[8月12日]]:上小田井 - 庄内緑地公園間 (1.4 km) が開業<ref Name="ayumi" />。名鉄犬山線との相互直通運転開始(当時は上小田井駅の折り返し設備が未完成のため、犬山線に直通しない列車については従来通り庄内緑地公園駅で折り返し)<ref name="ayumi" />。
* [[1994年]](平成6年)[[3月30日]]:上小田井駅の折り返し設備完成による[[1987年から2004年までの名古屋鉄道ダイヤ改正#1994年3月30日改正|ダイヤ改正]]により、同駅での折り返し運転が開始<ref name="ayumi" />、すべての列車が同駅に乗り入れ。桜通線今池 - 野並開業により、御器所駅が乗換駅となる<ref name="ayumi" />。
* [[1997年]](平成9年)[[4月5日]]:土曜ダイヤが休日ダイヤに統合<ref>{{Cite news|title=鶴舞線も土曜に休日ダイヤ導入 名古屋市交|newspaper=[[交通新聞]]|publisher=交通新聞社|date=1997-03-11|page=1}}</ref>。
* [[2003年]](平成15年)
** [[3月6日]]:電車緊急停止装置を全駅に設置<ref name="ayumi" />。
** [[3月27日]]:終車時間を30分延長。これにより、他線とほぼ同じ終車時間となる。
* [[2007年]](平成19年)
** 3月18日:3050形を使用した鶴舞線開業30周年記念列車が桜通線今池 - 赤池間で運転される。
** [[3月19日]]:上小田井駅を除く各駅で列車到着前の接近チャイムに代わり[[発車メロディ#接近メロディ|接近メロディ]]を導入。
* [[2012年]](平成24年)
** [[2月16日]]:LED式[[発車標]]を上小田井駅を除く各駅に設置。
** [[3月16日]]:N3000形電車営業運転開始。3000形電車廃車開始。
* [[2013年]](平成25年)[[8月1日]]:地下鉄鶴舞線・名鉄犬山線相互直通運転20周年記念イベントが9月1日まで実施され<ref name="ayumi" />、記念系統板を掲出して運転<ref>[http://railf.jp/news/2013/08/03/174500.html 名鉄犬山線・地下鉄鶴舞線相互直通運転20周年記念イベント] - 鉄道ファン・railf.jp 鉄道ニュース、2013年8月3日</ref>。
* [[2015年]](平成27年)[[2月22日]]:LED式発車標を上小田井駅に設置。
* [[2023年]]([[令和]]5年)3月:3000形電車営業運転終了予定<ref name=":1">{{Cite web|和書|title=【鶴舞線】3000形電車 引退 |url=https://final-access.jp/52558 |website=ファイナルアクセス |date=2022-06-23 |access-date=2022-10-08 |language=ja}}</ref>。
== 駅一覧 ==
* 全駅[[愛知県]]内に所在。
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!style="border-bottom:3px solid #009bbf;"|駅番号
!style="width:8em; border-bottom:3px solid #009bbf;"|駅名
!style="width:2.5em; border-bottom:3px solid #009bbf;"|駅間<br>キロ
!style="width:2.5em; border-bottom:3px solid #009bbf;"|営業<br>キロ
!style="border-bottom:3px solid #009bbf;"|接続路線
!style="width:1em; border-bottom:solid 3px #009bbf;"|{{縦書き|地上/地下|height=6em}}
!colspan="2" style="border-bottom:3px solid #009bbf;"|所在地
|-
|colspan="8" style="text-align:center;"|{{名鉄駅番号|IY}} [[名鉄犬山線]] [[犬山駅]]まで直通運転
|-
!T01
|[[上小田井駅]]
|style="text-align:center;"|-
|style="text-align:right;"|0.0
|[[名古屋鉄道]]:{{名鉄駅番号|IY}} [[名鉄犬山線|犬山線]] (IY03)
|rowspan="1" style="text-align:center; background:#fff; color:#000; width:1em;"|{{縦書き|地上区間|height=5em}}
| rowspan="19" style="width:1em; text-align:center; letter-spacing:0.5em;"|{{縦書き|[[名古屋市]]|height=8em}}
|rowspan="5"|[[西区 (名古屋市)|西区]]
|-
!T02
|[[庄内緑地公園駅]]
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|style="text-align:right;"|1.4
|
|rowspan="19" style="text-align:center; background-color:#ccc; width:1em; letter-spacing:0.5em;"|{{縦書き|地下区間|height=8em}}
|-
!T03
|[[庄内通駅]]
|style="text-align:right;"|1.3
|style="text-align:right;"|2.7
|
|-
!T04
|[[浄心駅]]
|style="text-align:right;"|1.4
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|
|-
!T05
|[[浅間町駅]]
|style="text-align:right;"|0.8
|style="text-align:right;"|4.9
|
|-
!T06
|[[丸の内駅]]
|style="text-align:right;"|1.4
|style="text-align:right;"|6.3
|名古屋市営地下鉄:[[File:Nagoya Subway Logo V2 (Sakura-dori Line).svg|20px]] [[名古屋市営地下鉄桜通線|桜通線]] (S04)
|rowspan="5"|[[中区 (名古屋市)|中区]]
|-
!T07
|[[伏見駅 (愛知県)|伏見駅]]
|style="text-align:right;"|0.7
|style="text-align:right;"|7.0
|名古屋市営地下鉄:[[File:Nagoya Subway Logo V2 (Higashiyama Line).svg|20px]] [[名古屋市営地下鉄東山線|東山線]] (H09)
|-
!T08
|[[大須観音駅]]
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|style="text-align:right;"|7.8
|
|-
!T09
|[[上前津駅]]
|style="text-align:right;"|1.0
|style="text-align:right;"|8.8
|名古屋市営地下鉄:[[File:Nagoya Subway Logo V2 (Meijo Line).svg|20px]] [[名古屋市営地下鉄名城線|名城線]] (M03)
|-
!T10
|[[鶴舞駅]]
|style="text-align:right;"|0.9
|style="text-align:right;"|9.7
|[[東海旅客鉄道]]:{{JR海駅番号|CF}} [[中央線 (名古屋地区)|中央本線]] (CF02)
|-
!T11
|[[荒畑駅]]
|style="text-align:right;"|1.3
|style="text-align:right;"|11.0
|
|rowspan="5" style="white-space:nowrap;"|[[昭和区]]
|-
!T12
|[[御器所駅]]<br /><small>(昭和区役所)</small>
|style="text-align:right;"|0.9
|style="text-align:right;"|11.9
|名古屋市営地下鉄:[[File:Nagoya Subway Logo V2 (Sakura-dori Line).svg|20px]] 桜通線 (S10)
|-
!T13
|[[川名駅]]
|style="text-align:right;"|1.2
|style="text-align:right;"|13.1
|
|-
!T14
|[[いりなか駅]]
|style="text-align:right;"|1.0
|style="text-align:right;"|14.1
|
|-
!T15
|[[八事駅]]
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|style="text-align:right;"|15.0
|名古屋市営地下鉄:[[File:Nagoya Subway Logo V2 (Meijo Line).svg|20px]] 名城線 (M20)
|-
!T16
|[[塩釜口駅]]<br /><small>([[名城大学]]前)</small>
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|
|rowspan="4" style="white-space:nowrap;"|[[天白区]]
|-
!T17
|[[植田駅 (名古屋市)|植田駅]]
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|
|-
!T18
|[[原駅 (愛知県)|原駅]]
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|style="text-align:right;"|18.4
|
|-
!T19
|[[平針駅]]
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|
|-
!T20
|[[赤池駅 (愛知県)|赤池駅]]
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|style="text-align:right;"|20.4
|名古屋鉄道:{{名鉄駅番号|TT}} [[名鉄豊田線|豊田線]] (TT07)
|colspan="2"|[[日進市]]
|-
|colspan="8" style="text-align:center;"|{{名鉄駅番号|TT}} [[名鉄豊田線]]経由 {{名鉄駅番号|MY}} [[名鉄三河線]][[豊田市駅]]まで直通運転
|}
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Reflist|group="注釈"}}
=== 出典 ===
{{Reflist}}
== 関連項目 ==
{{Commonscat|Tsurumai Line}}
* [[日本の鉄道路線一覧]]
{{名古屋市営地下鉄の路線}}
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[[Category:日本の地下鉄路線|つるまい]]
[[Category:中部地方の鉄道路線|つるまいせん]]
[[Category:名古屋市営地下鉄|路つるまいせん]]
[[Category:愛知県の交通|なこやしえいちかてつつるまいせん]]
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14,645 |
名古屋市営地下鉄桜通線
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桜通線(さくらどおりせん)は、愛知県名古屋市中村区の太閤通駅から同市緑区の徳重駅までを結ぶ、名古屋市営地下鉄の路線。『鉄道要覧』における名称は6号線桜通線、都市計画上の名称は名古屋市高速度鉄道第6号線。
ラインカラーは赤(■)。駅ナンバリングで用いられる路線記号はS。
すべての駅でmanaca(2011年2月11日導入)などの交通系ICカード全国相互利用サービス対応カードが使用できる。
現在の始発駅である太閤通駅は太閤通(愛知県道68号名古屋津島線)の地下にあり、環状線(名古屋市道名古屋環状線)が交差している。次駅の名古屋駅(名駅)から久屋大通公園(久屋大通)北側に位置する久屋大通駅を経由して今池駅に至る区間は、東西に延びる桜通の地下を通る。愛称「桜通線」はこの通りの名前に由来する。同区間は錦通地下にある東山線と並行しており、市内交通最大の大動脈である同線のバイパス路線としての役割を担っている。
今池駅北側で南に進路を変え、桜本町駅までの間は南北方向に延びる環状線(名古屋市道名古屋環状線)の地下を通る。桜本町駅の南で再び進路を東に変え、あとは終点の徳重駅まで東海通(名古屋市道東海橋線)の地下を通る。このうち鶴里駅 - 野並駅間では天白川の下を通るため、名古屋市営地下鉄で唯一の複線シールド構造になっており、両方向の電車が至近ですれ違う様子を見ることができる。桜本町以東の区間では区画整理が進み、それに伴い住宅開発とともに人口の増加が著しい名古屋市南東部郊外の鉄道空白地域を解消する路線としての役割を担っている。
以上に述べた路線構造から、桜通線は東山線・名城線・鶴舞線との乗換駅がそれぞれ2駅ずつ設置されている。また、名古屋駅 - 御器所駅間は既存路線との交差駅では全て桜通線が他線(改札内で直接乗り換え可能な地下鉄各線のほか、地下で交差する名鉄名古屋本線、名鉄瀬戸線を含む)の下を通っており、名駅や栄の大規模な地下街を潜るためほとんどの駅が20m近い深度にあることから、名古屋市営地下鉄では最も深い位置を走っている路線でもある(最深は丸の内駅で深度24m)。一方で、桜山駅以南では既存路線と交差するのは名城線の下を通って交差する新瑞橋駅のみであるため、同駅や丘陵地帯にある相生山駅・神沢駅以外は深度20m未満の浅い駅が多い。また、名古屋市営地下鉄で唯一、南区と緑区を通る路線でもある。桜通線と他社線との乗換駅は名古屋駅のみであるが、一部の駅(桜本町駅と名鉄名古屋本線の桜駅、車道駅とJR中央本線の千種駅、久屋大通駅と名鉄瀬戸線の栄町駅)は、連絡運輸はないものの近接している。
後発の路線のため、名古屋市営地下鉄では最初にATO(自動列車運転装置)を採用した路線であり、すべての列車で運転士のみが乗務するワンマン運転が実施されている。また、いち早くから可動式ホーム柵(ホームドア)が各駅に導入された路線でもある。
名古屋市営地下鉄の中では名城線・名港線・東山線とともに、路線が名古屋市内に収まっており、営業運転で車両が名古屋市外に出ない路線である。桜通線の車両整備等は徳重駅に併設された徳重車庫で行われている。ただし徳重車庫は小規模であるため、大きな検査が行われる際や廃車となる際は丸の内駅に設けられた鶴舞線とを結ぶ連絡線を介して日進市にある日進工場まで自力回送している。徳重駅が開業するまでは桜通線単独の車庫が存在しなかったため、中村区役所駅(現在の太閤通駅)の引き上げ線を検車区として、簡単な清掃や車両点検を行っていた。また、現在本線となっている野並駅以東の線路も徳重延伸に備えて野並開業時より長めに造られて留置線として使われていた。
鶴舞線と連絡し車両検査施設を共有していることから、鶴舞線と同じく線路は軌間1,067 mm、パンタグラフを利用した架空電車線方式を採用している。鶴舞線や上飯田線は名鉄との相互乗り入れのために前記の軌間、架空電車線方式となっているが、相互乗り入れの列車がない路線で同軌間・給電方式となっているのは名古屋市営地下鉄では桜通線のみである(東山線、名城線、名港線は1,435mm、第三軌条方式)。
接近メロディの曲名は太閤通駅方面が「チェリー」、徳重駅方面が「オーバル」である。
2023年1月4日、中村区役所が東山線本陣駅付近に移転するため、起点駅の中村区役所駅が「太閤通駅」に改称された。
すべての列車が各駅停車で、全区間通し運行が基本である。ただし、終電が太閤通駅発、徳重駅発のいずれも今池駅までの区間運行である。また、太閤通駅発の終電1本前は徳重駅まで行かず、野並駅までの区間運行である。東山線と並行する区間では終着駅の関係上(名古屋駅から見て、太閤通駅は東山線岩塚駅より近いため。また東山線は今池駅が終点にならず星ヶ丘駅まで行くため)、名古屋駅基準で東山線より終電が遅くなっている。
かつて夜間及び土休日朝に桜山駅発または桜山駅までの区間運行が設定されていた(太閤通発着、徳重発着各1往復)。桜山駅止まりの区間列車が設定される前は同じダイヤで中村区役所駅(現在の太閤通駅)および野並駅から定期回送列車が運行されていた。
日進工場への出入庫列車は主に夜間に不定期に運行されており、鶴舞線へは徳重駅からそのまま丸の内駅まで回送され、鶴舞線からは丸の内駅から一旦太閤通駅まで運行されたあと、折り返して徳重駅へ向かう(丸の内駅の桜通線側は渡り線がないため)。
夜間滞泊は終着駅の設定がある太閤通駅、今池駅、桜山駅、野並駅、徳重駅(徳重車庫)で行っている。留置線のない野並駅を除いて2編成以上の留置が可能になっており、全ての車両を収納できない徳重車庫を補完する役割を担っている。
大晦日から元旦にかけての終夜運転では、通常の今池止まりの後から30分間隔 で全線通し運行となる。
2010年の6050形運用開始及び、2011年の野並駅 - 徳重駅延伸開業後は2形式5両編成24本120両の体制になっている。桜通線用の車両は開業当時から運行している車両を含めて廃車は生じていないほか、右手操作式ワンハンドルマスコンの6050形が登場するまでは開業時より全車両がVVVFインバータ制御と横軸ツインレバー型マスコンのみで、ほかの制御装置やマスコンの車両は一切入っておらず、これらの特徴はいずれも上飯田線を除けば、名古屋市営地下鉄では唯一の例である。また5両編成で運転されているのも名古屋市営地下鉄に限らず日本の地下鉄全体で唯一である。
桜通線と同様に名古屋駅に乗り入れる東山線とは異なり、女性専用車両は設定されていない。
通常は全編成が運用されることはなく、鶴舞線の日進工場に2編成留置される。
ホームは、太閤通駅から野並駅は20m車8両編成に対応しているが、鳴子北駅から徳重駅は経費削減のため20m車6両編成までの対応となっている。すべての駅に可動式ホーム柵が設置されており、6両編成以上の定期列車が入線することはないため、電車が停まらない部分には普通柵を設置しているほか、ホームの一部を封鎖している。可動式ホーム柵は、鳴子北駅・相生山駅・神沢駅・徳重駅の各駅では2011年3月27日の開業と同時に使用が開始され、既存の駅でも順次設置され、同年7月23日までにすべての駅で設置が完了した(当初は7月16日設置完了予定だった)。また、名古屋市営地下鉄の開業区間で初めて駅のテーマカラーが設定され、既存の各駅でも可動式ホーム柵の設置とともに設定された。
ホームは、常に進行方向右手となるよう全駅で島式ホームとなっている。また、日本国内の鉄道の多くでは、車両の運転台を進行方向左側に設置しているが、桜通線では車両の運転台をホームに近い、進行方向右側に設置している。乗務員は、可動式ホーム柵の最前方のモニターテレビで、ホームに設置されたカメラ等との映像を見て、ホーム前後の安全確認やドアの開閉、発進操作を行う。これらの設備によりホーム安全やドア開閉の確認を容易にし、ワンマン運転を可能にしている。
太閤通駅 - 野並駅の各駅のコンコースには壁画を設けたが、鳴子北駅から徳重駅は、壁画が省略されている。
すべての駅で、エレベーター・エスカレーター、車椅子使用者対応トイレ等のバリアフリー化、押しボタン式の列車非常停止警報装置が完了している。名古屋市営地下鉄全線でバリアフリー設備の整備や列車非常停止警報装置の整備が始まったのは桜通線が初である。
最混雑区間は吹上駅 → 今池駅で、2018年度のピーク時混雑率は125%となっている。2018年度の輸送人員は約29万人/日 で、鶴舞線とほぼ同規模である。
名古屋駅 - 今池駅は並行する東山線よりすいているものの、ラッシュ時は混雑する。新瑞橋駅以北の各駅は大半の駅が乗降人員1万人/日以上であり、2011年開業の野並駅以東も開業後徐々に利用者が増え、終点の徳重駅は市営地下鉄単独駅として桜山駅に次ぐ2万人/日の乗降人員、鳴子北駅も接続するバス路線が充実していることから一日1万人/日以上の乗降人員となっている。太閤通駅、国際センター駅、鶴里駅、神沢駅は利用者が少ない。
名古屋市営地下鉄桜通線の年度別の輸送実績を下表に記す。 表中、最高値を赤色で、最低値を緑色で表記している。
1972年(昭和47年)の都市交通審議会答申第14号において、計画化された路線である。当時、東山線では、通勤時間帯に名古屋駅での改札止めが常態化し、昭和50年代中ごろには、名古屋駅 - 伏見駅間において、混雑率が250%を超える状況となっていた。そのため、東山線の混雑緩和のため、バイパス路線として、まず、 中村区役所駅(現在の太閤通駅) - 今池駅間の建設が行なわれ、1989年(平成元年)9月10日に開業した。同区間の工事は、名古屋駅の地下をくぐる構造を建設するもので、採用された大規模アンダーピニング工法が土木学会賞技術賞を受賞した。当線名古屋駅ホームにはそのプレートが埋め込まれていたが、2015年に撤去された。
桜通線は当初からワンマン運転を行うことを前提に、すべてのホームを島式とし、すべての車両の運転台をホームに近い、進行方向右側に整備した。開業時は車掌が乗務していたものの、1994年(平成6年)2月16日からはATOによる自動運転およびワンマン運転を開始した。同じ年の3月30日には今池駅 - 野並駅間が開業した。
2011年(平成23年)3月27日には野並駅 - 徳重駅間が開業した。開業が東北地方太平洋沖地震の直後となったため、記念イベントを中止し、出発式および、ドニチエコきっぷ、Bトレインショーティーなどの記念グッズの販売のみ行った。同区間については、名古屋市が2000年(平成12年)12月に次期整備区間として建設する方針を固め、2003年(平成15年)9月5日、同区間の第一種鉄道事業許可を取得し、2006年2月に建設を開始した。開業に伴う試運転は、2011年1月22日から、通常の旅客運行を利用し、野並駅での乗客乗降前後に、開通後の運行を想定して野並駅 - 徳重駅で行った。
なお、野並駅 - 徳重駅の延長工事に関し、2007年(平成19年)1月、工事に伴う入札で大手ゼネコンが談合の疑いで名古屋地検特捜部と公正取引委員会の家宅捜査を受けた。同年2月28日には大手ゼネコン5社の幹部らが独占禁止法違反容疑で逮捕された。
下記の通り、桜通線では徳重から豊田市南部方面、中村区役所(太閤通)から七宝町方面へ延伸計画があるが、事業化のめどが立っていないほか、今後の安全対策や資金不足、費用対効果が薄いなどの理由により、2019年(平成31年)3月時点では新線建設は行わないとしている。
1992年の運輸政策審議会答申第12号名古屋圏における高速鉄道を中心とする交通網の整備に関する基本計画についてにおいては、以下の区間が延伸計画として策定されている。
これらのうち、今池駅 - 野並駅間は1994年、野並駅 - 徳重駅間は2011年に開業済みである。
徳重駅以東については、豊明北からさらに東進して豊田市南部へ延伸する経路は未定である
1992年策定の運輸政策審議会答申第12号では、2008年までに整備の推進を図ることが適当である路線として、中村区役所駅(現在の太閤通駅)から東山線の中村公園駅を経て中村区稲葉地地区、海部郡大治町、あま市七宝町方面への延伸が示されている。
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"text": "すべての列車が各駅停車で、全区間通し運行が基本である。ただし、終電が太閤通駅発、徳重駅発のいずれも今池駅までの区間運行である。また、太閤通駅発の終電1本前は徳重駅まで行かず、野並駅までの区間運行である。東山線と並行する区間では終着駅の関係上(名古屋駅から見て、太閤通駅は東山線岩塚駅より近いため。また東山線は今池駅が終点にならず星ヶ丘駅まで行くため)、名古屋駅基準で東山線より終電が遅くなっている。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 13,
"tag": "p",
"text": "かつて夜間及び土休日朝に桜山駅発または桜山駅までの区間運行が設定されていた(太閤通発着、徳重発着各1往復)。桜山駅止まりの区間列車が設定される前は同じダイヤで中村区役所駅(現在の太閤通駅)および野並駅から定期回送列車が運行されていた。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 14,
"tag": "p",
"text": "日進工場への出入庫列車は主に夜間に不定期に運行されており、鶴舞線へは徳重駅からそのまま丸の内駅まで回送され、鶴舞線からは丸の内駅から一旦太閤通駅まで運行されたあと、折り返して徳重駅へ向かう(丸の内駅の桜通線側は渡り線がないため)。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 15,
"tag": "p",
"text": "夜間滞泊は終着駅の設定がある太閤通駅、今池駅、桜山駅、野並駅、徳重駅(徳重車庫)で行っている。留置線のない野並駅を除いて2編成以上の留置が可能になっており、全ての車両を収納できない徳重車庫を補完する役割を担っている。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 16,
"tag": "p",
"text": "大晦日から元旦にかけての終夜運転では、通常の今池止まりの後から30分間隔 で全線通し運行となる。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 17,
"tag": "p",
"text": "2010年の6050形運用開始及び、2011年の野並駅 - 徳重駅延伸開業後は2形式5両編成24本120両の体制になっている。桜通線用の車両は開業当時から運行している車両を含めて廃車は生じていないほか、右手操作式ワンハンドルマスコンの6050形が登場するまでは開業時より全車両がVVVFインバータ制御と横軸ツインレバー型マスコンのみで、ほかの制御装置やマスコンの車両は一切入っておらず、これらの特徴はいずれも上飯田線を除けば、名古屋市営地下鉄では唯一の例である。また5両編成で運転されているのも名古屋市営地下鉄に限らず日本の地下鉄全体で唯一である。",
"title": "車両"
},
{
"paragraph_id": 18,
"tag": "p",
"text": "桜通線と同様に名古屋駅に乗り入れる東山線とは異なり、女性専用車両は設定されていない。",
"title": "車両"
},
{
"paragraph_id": 19,
"tag": "p",
"text": "通常は全編成が運用されることはなく、鶴舞線の日進工場に2編成留置される。",
"title": "車両"
},
{
"paragraph_id": 20,
"tag": "p",
"text": "ホームは、太閤通駅から野並駅は20m車8両編成に対応しているが、鳴子北駅から徳重駅は経費削減のため20m車6両編成までの対応となっている。すべての駅に可動式ホーム柵が設置されており、6両編成以上の定期列車が入線することはないため、電車が停まらない部分には普通柵を設置しているほか、ホームの一部を封鎖している。可動式ホーム柵は、鳴子北駅・相生山駅・神沢駅・徳重駅の各駅では2011年3月27日の開業と同時に使用が開始され、既存の駅でも順次設置され、同年7月23日までにすべての駅で設置が完了した(当初は7月16日設置完了予定だった)。また、名古屋市営地下鉄の開業区間で初めて駅のテーマカラーが設定され、既存の各駅でも可動式ホーム柵の設置とともに設定された。",
"title": "駅等の設備"
},
{
"paragraph_id": 21,
"tag": "p",
"text": "ホームは、常に進行方向右手となるよう全駅で島式ホームとなっている。また、日本国内の鉄道の多くでは、車両の運転台を進行方向左側に設置しているが、桜通線では車両の運転台をホームに近い、進行方向右側に設置している。乗務員は、可動式ホーム柵の最前方のモニターテレビで、ホームに設置されたカメラ等との映像を見て、ホーム前後の安全確認やドアの開閉、発進操作を行う。これらの設備によりホーム安全やドア開閉の確認を容易にし、ワンマン運転を可能にしている。",
"title": "駅等の設備"
},
{
"paragraph_id": 22,
"tag": "p",
"text": "太閤通駅 - 野並駅の各駅のコンコースには壁画を設けたが、鳴子北駅から徳重駅は、壁画が省略されている。",
"title": "駅等の設備"
},
{
"paragraph_id": 23,
"tag": "p",
"text": "すべての駅で、エレベーター・エスカレーター、車椅子使用者対応トイレ等のバリアフリー化、押しボタン式の列車非常停止警報装置が完了している。名古屋市営地下鉄全線でバリアフリー設備の整備や列車非常停止警報装置の整備が始まったのは桜通線が初である。",
"title": "駅等の設備"
},
{
"paragraph_id": 24,
"tag": "p",
"text": "最混雑区間は吹上駅 → 今池駅で、2018年度のピーク時混雑率は125%となっている。2018年度の輸送人員は約29万人/日 で、鶴舞線とほぼ同規模である。",
"title": "利用状況"
},
{
"paragraph_id": 25,
"tag": "p",
"text": "名古屋駅 - 今池駅は並行する東山線よりすいているものの、ラッシュ時は混雑する。新瑞橋駅以北の各駅は大半の駅が乗降人員1万人/日以上であり、2011年開業の野並駅以東も開業後徐々に利用者が増え、終点の徳重駅は市営地下鉄単独駅として桜山駅に次ぐ2万人/日の乗降人員、鳴子北駅も接続するバス路線が充実していることから一日1万人/日以上の乗降人員となっている。太閤通駅、国際センター駅、鶴里駅、神沢駅は利用者が少ない。",
"title": "利用状況"
},
{
"paragraph_id": 26,
"tag": "p",
"text": "名古屋市営地下鉄桜通線の年度別の輸送実績を下表に記す。 表中、最高値を赤色で、最低値を緑色で表記している。",
"title": "利用状況"
},
{
"paragraph_id": 27,
"tag": "p",
"text": "1972年(昭和47年)の都市交通審議会答申第14号において、計画化された路線である。当時、東山線では、通勤時間帯に名古屋駅での改札止めが常態化し、昭和50年代中ごろには、名古屋駅 - 伏見駅間において、混雑率が250%を超える状況となっていた。そのため、東山線の混雑緩和のため、バイパス路線として、まず、 中村区役所駅(現在の太閤通駅) - 今池駅間の建設が行なわれ、1989年(平成元年)9月10日に開業した。同区間の工事は、名古屋駅の地下をくぐる構造を建設するもので、採用された大規模アンダーピニング工法が土木学会賞技術賞を受賞した。当線名古屋駅ホームにはそのプレートが埋め込まれていたが、2015年に撤去された。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 28,
"tag": "p",
"text": "桜通線は当初からワンマン運転を行うことを前提に、すべてのホームを島式とし、すべての車両の運転台をホームに近い、進行方向右側に整備した。開業時は車掌が乗務していたものの、1994年(平成6年)2月16日からはATOによる自動運転およびワンマン運転を開始した。同じ年の3月30日には今池駅 - 野並駅間が開業した。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 29,
"tag": "p",
"text": "2011年(平成23年)3月27日には野並駅 - 徳重駅間が開業した。開業が東北地方太平洋沖地震の直後となったため、記念イベントを中止し、出発式および、ドニチエコきっぷ、Bトレインショーティーなどの記念グッズの販売のみ行った。同区間については、名古屋市が2000年(平成12年)12月に次期整備区間として建設する方針を固め、2003年(平成15年)9月5日、同区間の第一種鉄道事業許可を取得し、2006年2月に建設を開始した。開業に伴う試運転は、2011年1月22日から、通常の旅客運行を利用し、野並駅での乗客乗降前後に、開通後の運行を想定して野並駅 - 徳重駅で行った。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 30,
"tag": "p",
"text": "なお、野並駅 - 徳重駅の延長工事に関し、2007年(平成19年)1月、工事に伴う入札で大手ゼネコンが談合の疑いで名古屋地検特捜部と公正取引委員会の家宅捜査を受けた。同年2月28日には大手ゼネコン5社の幹部らが独占禁止法違反容疑で逮捕された。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 31,
"tag": "p",
"text": "下記の通り、桜通線では徳重から豊田市南部方面、中村区役所(太閤通)から七宝町方面へ延伸計画があるが、事業化のめどが立っていないほか、今後の安全対策や資金不足、費用対効果が薄いなどの理由により、2019年(平成31年)3月時点では新線建設は行わないとしている。",
"title": "延伸計画"
},
{
"paragraph_id": 32,
"tag": "p",
"text": "1992年の運輸政策審議会答申第12号名古屋圏における高速鉄道を中心とする交通網の整備に関する基本計画についてにおいては、以下の区間が延伸計画として策定されている。",
"title": "延伸計画"
},
{
"paragraph_id": 33,
"tag": "p",
"text": "これらのうち、今池駅 - 野並駅間は1994年、野並駅 - 徳重駅間は2011年に開業済みである。",
"title": "延伸計画"
},
{
"paragraph_id": 34,
"tag": "p",
"text": "徳重駅以東については、豊明北からさらに東進して豊田市南部へ延伸する経路は未定である",
"title": "延伸計画"
},
{
"paragraph_id": 35,
"tag": "p",
"text": "1992年策定の運輸政策審議会答申第12号では、2008年までに整備の推進を図ることが適当である路線として、中村区役所駅(現在の太閤通駅)から東山線の中村公園駅を経て中村区稲葉地地区、海部郡大治町、あま市七宝町方面への延伸が示されている。",
"title": "延伸計画"
}
] |
桜通線(さくらどおりせん)は、愛知県名古屋市中村区の太閤通駅から同市緑区の徳重駅までを結ぶ、名古屋市営地下鉄の路線。『鉄道要覧』における名称は6号線桜通線、都市計画上の名称は名古屋市高速度鉄道第6号線。 ラインカラーは赤(■)。駅ナンバリングで用いられる路線記号はS。 すべての駅でmanaca(2011年2月11日導入)などの交通系ICカード全国相互利用サービス対応カードが使用できる。
|
{{pp-vandalism|small=yes}}
{{Infobox 鉄道路線
|路線名=[[File:Transportation Bureau City of Nagoya.svg|20px|bottom|名古屋市交通局|link=名古屋市交通局]] 桜通線
|路線色=#C92F44
|路線色2=
|ロゴ=[[File:Nagoya Subway Logo (Sakura-dori Line).svg|50px|top]] [[File:Nagoya Subway Logo V2 (Sakura-dori Line).svg|50px]]
|画像[email protected]
|画像サイズ=300px
|画像説明=桜通線の車両、[[名古屋市交通局6050形電車|6050形電車]]
|国={{JPN}}
|所在地=[[愛知県]][[名古屋市]]
|種類=[[地下鉄]]
|路線網=[[名古屋市営地下鉄]]
|起点=[[太閤通駅]]
|終点=[[徳重駅 (名古屋市)|徳重駅]]
|駅数=21駅
|輸送実績=
|1日利用者数=
|路線記号=S
|路線番号=6号線
|路線色3={{Legend2|#C92F44|赤}}<br />[[DICカラーガイド|DIC]] 2492<ref name="signmanual">「名古屋市交通局 旅客サインマニュアル」による</ref>
|開業=[[1989年]][[9月10日]]
|最終延伸=[[2011年]][[3月27日]]
|全通=
|所有者=[[名古屋市交通局]]
|運営者=名古屋市交通局
|車両基地=[[名古屋市交通局日進工場|日進工場]]、[[徳重車庫]]
|使用車両=[[#車両|車両]]の節を参照
|路線構造=
|路線距離=19.1 [[キロメートル|km]]
|軌間=1,067 [[ミリメートル|mm]]
|線路数=[[複線]]
|電化方式=[[直流電化|直流]]1,500 [[ボルト (単位)|V]] [[架空電車線方式]]
|最大勾配=
|最小曲線半径=
|閉塞方式=車内信号式
|保安装置=[[自動列車制御装置|ATC]]、[[自動列車運転装置|ATO]]
|最高速度=75 [[キロメートル毎時|km/h]]<ref name="judan">『日本縦断! 地下鉄の謎』 - 小佐野カゲトシ</ref>
|諸元備考=
|諸元備考内容=
|路線図=[[File:Linemap of NMS Sakura-dōri Line.svg|300px]]
|路線図名=
|路線図表示=
}}
{| {{Railway line header}}
{{UKrail-header2|停車場・施設・接続路線|#C92F44}}
{{BS-table}}
{{BS5|||||extKDSTa||(旧)''[[太閤通駅#駅構造|中村区役所検車区]]''||}}
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{{BS5|KRZh|KRZh|tKRZh|hBHFq|O4=HUBa|tKRZh|||←{{rint|ja|新幹線|東海道}} JR東海:[[東海道新幹線]]→|}}
{{BS5|hSTRa|STRl|tSTR|O3=MSTRq|P3=hSTRa@gq|hKBHFeq|O4=HUB|tSTR||||}}
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{{BS5|hSTRr||tSTR|HUB|tSTR|||←JR東海:[[中央本線]]|}}
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{{BS5||||tSTRq|tTBHFt|8.4|S10 [[御器所駅]]|}}
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{{BS5|||||tBHF|19.1|S21 [[徳重駅 (名古屋市)|徳重駅]]|}}
{{BS7||||||tABZg+l|tKDSTeq||[[名古屋市交通局徳重車庫|徳重車庫]]|}}
{{BS5|||||tENDEe|||}}
|}
|}
'''桜通線'''(さくらどおりせん)は、[[愛知県]][[名古屋市]][[中村区]]の[[太閤通駅]]から同市[[緑区 (名古屋市)|緑区]]の[[徳重駅 (名古屋市)|徳重駅]]までを結ぶ、[[名古屋市営地下鉄]]の路線。『[[鉄道要覧]]』における名称は'''6号線桜通線'''、都市計画上の名称は'''名古屋市高速度鉄道第6号線'''。
[[日本の鉄道ラインカラー一覧|ラインカラー]]は[[赤]]({{Color|#C92F44|■}})。[[駅ナンバリング]]で用いられる路線記号は'''S'''。
すべての駅で[[manaca]](2011年2月11日導入)などの[[交通系ICカード全国相互利用サービス|交通系ICカード全国相互利用サービス対応カード]]が使用できる。
== 概要 ==
現在の始発駅である[[太閤通駅]]は[[太閤通]]([[愛知県道68号名古屋津島線]])の地下にあり、環状線([[名古屋市道名古屋環状線]])が交差している。次駅の[[名古屋駅]]([[名駅]])から[[久屋大通公園]]([[久屋大通]])北側に位置する[[久屋大通駅]]を経由して[[今池駅 (愛知県)|今池駅]]に至る区間は、東西に延びる[[桜通 (名古屋市)|桜通]]の地下を通る。愛称「桜通線」はこの通りの名前に由来する<ref>{{Cite news|和書|title=愛称は「桜通線」 名古屋の地下鉄6号線 |newspaper=中日新聞 |date=1988-12-15 |page=25}}</ref>。同区間は[[錦通 (名古屋市)|錦通]]地下にある[[名古屋市営地下鉄東山線|東山線]]と並行しており、市内交通最大の大動脈である同線の[[バイパス]]路線としての役割を担っている。
今池駅北側で南に進路を変え、[[桜本町駅]]までの間は南北方向に延びる環状線(名古屋市道名古屋環状線)の地下を通る。桜本町駅の南で再び進路を東に変え、あとは終点の[[徳重駅 (名古屋市)|徳重駅]]まで東海通([[名古屋市道東海橋線]])の地下を通る。このうち[[鶴里駅]] - [[野並駅]]間では[[天白川 (愛知県)|天白川]]の下を通るため、名古屋市営地下鉄で唯一の複線シールド構造になっており、両方向の電車が至近ですれ違う様子を見ることができる。桜本町以東の区間では区画整理が進み、それに伴い住宅開発とともに人口の増加が著しい[[尾張丘陵|名古屋市南東部郊外]]の[[鉄道空白地帯|鉄道空白地域]]を解消する路線としての役割を担っている。
以上に述べた路線構造から、桜通線は東山線・[[名古屋市営地下鉄名城線|名城線]]・[[名古屋市営地下鉄鶴舞線|鶴舞線]]との乗換駅がそれぞれ2駅ずつ設置されている。また、名古屋駅 - [[御器所駅]]間は既存路線との交差駅では全て桜通線が他線(改札内で直接乗り換え可能な地下鉄各線のほか、地下で交差する名鉄名古屋本線、名鉄瀬戸線を含む)の下を通っており、名駅や栄の大規模な地下街を潜るためほとんどの駅が20m近い深度にあることから、名古屋市営地下鉄では最も深い位置を走っている路線でもある(最深は[[丸の内駅]]で深度24m)。一方で、[[桜山駅]]以南では既存路線と交差するのは名城線の下を通って交差する[[新瑞橋駅]]のみであるため、同駅や丘陵地帯にある[[相生山駅]]・[[神沢駅]]以外は深度20m未満の浅い駅が多い<ref>今尾恵介『日本鉄道旅行地図帳』7号 東海、新潮社、2008年、p.10</ref>。また、名古屋市営地下鉄で唯一、[[南区 (名古屋市)|南区]]と[[緑区 (名古屋市)|緑区]]を通る路線でもある。桜通線と他社線との乗換駅は名古屋駅のみであるが、一部の駅(桜本町駅と[[名古屋鉄道|名鉄]][[名鉄名古屋本線|名古屋本線]]の[[桜駅 (愛知県)|桜駅]]、車道駅とJR[[中央線 (名古屋地区)|中央本線]]の[[千種駅]]、久屋大通駅と名鉄[[名鉄瀬戸線|瀬戸線]]の[[栄町駅 (愛知県)|栄町駅]])は、[[連絡運輸]]はないものの近接している。
後発の路線のため、名古屋市営地下鉄では最初にATO([[自動列車運転装置]])を採用した路線であり、すべての列車で[[運転士]]のみが乗務する[[ワンマン運転]]が実施されている。また、いち早くから[[ホームドア|可動式ホーム柵]](ホームドア)が各駅に導入された路線でもある。
名古屋市営地下鉄の中では名城線・名港線・東山線とともに、路線が名古屋市内に収まっており、営業運転で車両が名古屋市外に出ない路線である。桜通線の車両整備等は徳重駅に併設された[[名古屋市交通局徳重車庫|徳重車庫]]で行われている。ただし徳重車庫は小規模であるため、大きな[[日本の鉄道車両検査|検査]]が行われる際や[[廃車 (鉄道)|廃車]]となる際は丸の内駅に設けられた鶴舞線とを結ぶ[[連絡線]]を介して[[日進市]]にある[[名古屋市交通局日進工場|日進工場]]まで自力回送している。徳重駅が開業するまでは桜通線単独の車庫が存在しなかったため、中村区役所駅(現在の太閤通駅)の引き上げ線を検車区として、簡単な清掃や車両点検を行っていた。また、現在本線となっている野並駅以東の線路も徳重延伸に備えて野並開業時より長めに造られて留置線として使われていた。
鶴舞線と連絡し車両検査施設を共有していることから、鶴舞線と同じく線路は軌間1,067 mm、パンタグラフを利用した架空電車線方式を採用している。鶴舞線や上飯田線は名鉄との相互乗り入れのために前記の軌間、架空電車線方式となっているが、相互乗り入れの列車がない路線で同軌間・給電方式となっているのは名古屋市営地下鉄では桜通線のみである(東山線、名城線、名港線は1,435mm、第三軌条方式)。
[[発車メロディ#接近メロディ|接近メロディ]]の曲名は太閤通駅方面が「チェリー」、徳重駅方面が「オーバル」である<ref>[https://www.kotsu.city.nagoya.jp/jp/pc/ENJOY/TRP0000483.htm 列車接近メロディ] - 名古屋市交通局</ref>。
2023年1月4日、中村区役所が東山線[[本陣駅]]付近に移転するため、起点駅の中村区役所駅が「[[太閤通駅]]」に改称された<ref>[https://www.nikkei.com/article/DGXMZO53855200W9A221C1CN8000/ 駅名変更候補は名所の最寄り 名古屋市懇談会、城や神宮] - 日本経済新聞、2019年12月26日</ref><ref name="pr20210125">{{Cite web|和書|url=https://www.kotsu.city.nagoya.jp/jp/pc/SUBWAY/TRP0004156.htm |archiveurl=https://web.archive.org/web/20220531174516/https://www.kotsu.city.nagoya.jp/jp/pc/SUBWAY/TRP0004156.htm |language=日本語 |title=地下鉄駅名称の変更について |publisher=名古屋市交通局 |accessdate=2022-06-23 |archivedate=2022-05-31}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.kotsu.city.nagoya.jp/jp/sp/SUBWAY/TRP0004156.htm |title=地下鉄駅名称変更の実施日について |access-date=2022-07-08 |publisher=名古屋市交通局}}</ref>。
[[ファイル:Nagoya-subway-S01-Nakamura-kuyakusho-station-entrance-2-20100315.jpg|サムネイル|250px|none|太閤通駅(写真は駅名改称前)]]
=== 路線データ ===
* 路線距離([[営業キロ]]):19.1 km
* [[軌間]]:1067mm
* 駅数:21駅(起終点駅含む)
* 複線区間:全線
* 電化区間:全線(直流1500V・[[架空電車線方式]])
* [[閉塞 (鉄道)|閉塞方式]]:車内信号式ATC、ATO
* 最高速度:75 km/h<ref name="judan" />
* 1編成の両数:5両
* ホーム最大対応両数:8両(太閤通 - 野並間)、6両(鳴子北 - 徳重間)
== 運行形態 ==
すべての列車が各駅停車で、全区間通し運行が基本である。ただし、終電が太閤通駅発、徳重駅発のいずれも今池駅までの区間運行である。また、太閤通駅発の終電1本前は徳重駅まで行かず、野並駅までの区間運行である。東山線と並行する区間では終着駅の関係上(名古屋駅から見て、太閤通駅は東山線岩塚駅より近いため。また東山線は今池駅が終点にならず星ヶ丘駅まで行くため)、名古屋駅基準で東山線より終電が遅くなっている。
かつて夜間及び土休日朝に[[桜山駅]]発または桜山駅までの区間運行が設定されていた(太閤通発着、徳重発着各1往復)。桜山駅止まりの区間列車が設定される前は同じダイヤで中村区役所駅(現在の太閤通駅)および野並駅から定期回送列車が運行されていた。
日進工場への出入庫列車は主に夜間に不定期に運行されており、鶴舞線へは徳重駅からそのまま丸の内駅まで回送され、鶴舞線からは丸の内駅から一旦太閤通駅まで運行されたあと、折り返して徳重駅へ向かう(丸の内駅の桜通線側は渡り線がないため)。
[[夜間滞泊]]は終着駅の設定がある太閤通駅、今池駅、桜山駅、野並駅、徳重駅(徳重車庫)で行っている。留置線のない野並駅を除いて2編成以上の留置が可能になっており、全ての車両を収納できない徳重車庫を補完する役割を担っている。
* 運転間隔<ref name="aramashi">{{Cite web|和書|url = https://www.kotsu.city.nagoya.jp/jp/pc/ABOUT/TRP0004025/15-%E5%9C%B0%E4%B8%8B%E9%89%84.pdf |title = 地下鉄:営業線のあらまし| work = 交通局事業概要(令和5年度) |format = PDF |publisher = [[名古屋市交通局]] |accessdate = 2023-09-17 }}</ref><ref name="dia">{{Cite web|和書|url = https://www.kotsu.city.nagoya.jp/jp/pc/SUBWAY/TRP0000191.htm |title = 桜通線 地下鉄始発・終発時刻 | work = |format = |publisher = 名古屋市交通局 |accessdate = 2023-09-17 }}</ref><ref name="pr20230703" />
** 平日:朝ラッシュ時4分間隔、昼間10分間隔(2003年3月のダイヤ改正までは6分間隔、2023年9月のダイヤ改正までは7.5分間隔)、夕ラッシュ時6分間隔
** 土曜・休日:朝7.5分間隔(2023年9月のダイヤ改正までは6分間隔)、その他10分間隔
大晦日から元旦にかけての終夜運転では、通常の今池止まりの後から30分間隔<ref>2003年大晦日までは20分間隔、2008年大晦日までは25分間隔だった。</ref> で全線通し運行となる。
== 車両 ==
2010年の6050形運用開始及び、2011年の野並駅 - 徳重駅延伸開業後は2形式5両編成24本120両の体制になっている。桜通線用の車両は開業当時から運行している車両を含めて廃車は生じていないほか、[[マスター・コントローラー#ワンハンドルマスコン|右手操作式ワンハンドルマスコン]]の6050形が登場するまでは開業時より全車両が[[可変電圧可変周波数制御|VVVFインバータ制御]]と[[マスター・コントローラー#横軸ツインレバー型マスコン|横軸ツインレバー型マスコン]]のみで、ほかの制御装置やマスコンの車両は一切入っておらず、これらの特徴はいずれも[[名古屋市営地下鉄上飯田線|上飯田線]]を除けば、名古屋市営地下鉄では唯一の例である。また5両編成で運転されているのも名古屋市営地下鉄に限らず日本の地下鉄全体で唯一である。
桜通線と同様に名古屋駅に乗り入れる東山線とは異なり、女性専用車両は設定されていない。
通常は全編成が運用されることはなく、鶴舞線の日進工場に2編成留置される。
* [[名古屋市交通局6000形電車|6000形]]
* [[名古屋市交通局6050形電車|6050形]]
<gallery>
ファイル:Sakura-dori Line 6000..jpg|6000形
ファイル:Sakura-dori Line 6050..jpg|6050形
</gallery>
== 駅等の設備 ==
[[ファイル:Kamisawa Station 20170917-12.jpg|サムネイル|250px|right|桜通線の島式ホーム(神沢駅)]]
[[ファイル:Subway Sakura-dori Line Platform screen doors Information.JPG|250px|right|thumb|桜通線ホームドアにおける乗車位置と注意事項案内(久屋大通駅)]]
[[プラットホーム|ホーム]]は、[[太閤通駅]]から[[野並駅]]は20m車8両編成に対応しているが、[[鳴子北駅]]から[[徳重駅 (名古屋市)|徳重駅]]は経費削減のため20m車6両編成までの対応となっている。すべての駅に[[ホームドア|可動式ホーム柵]]が設置されており、6両編成以上の定期列車が入線することはないため、電車が停まらない部分には普通柵を設置しているほか、ホームの一部を封鎖している。可動式ホーム柵は、鳴子北駅・[[相生山駅]]・[[神沢駅]]・徳重駅の各駅では[[2011年]][[3月27日]]の開業と同時に使用が開始され、既存の駅でも順次設置され、同年7月23日までにすべての駅で設置が完了した<ref name="ホーム柵設置完了">{{Cite web|和書|url=http://www.kotsu.city.nagoya.jp/info/2007/006833.html |title=地下鉄桜通線全駅に可動式ホーム柵を設置しました! |access-date=2022-07-16 |publisher=名古屋市交通局 |archive-url=https://web.archive.org/web/20111101171048/http://www.kotsu.city.nagoya.jp/info/2007/006833.html |archive-date=2011-11-01}}</ref>(当初は7月16日設置完了予定だった)。また、名古屋市営地下鉄の開業区間で初めて駅のテーマカラーが設定され、既存の各駅でも可動式ホーム柵の設置とともに設定された。
ホームは、常に進行方向右手となるよう全駅で[[島式ホーム]]となっている。また、日本国内の鉄道の多くでは、車両の運転台を進行方向左側に設置しているが、桜通線では車両の運転台をホームに近い、進行方向右側に設置している。乗務員は、可動式ホーム柵の最前方のモニターテレビで、ホームに設置されたカメラ等との映像を見て、ホーム前後の安全確認やドアの開閉、発進操作を行う。これらの設備によりホーム安全やドア開閉の確認を容易にし、ワンマン運転を可能にしている。
太閤通駅 - 野並駅の各駅のコンコースには壁画を設けたが、鳴子北駅から徳重駅は、壁画が省略されている。
すべての駅で、[[エレベーター]]・[[エスカレーター]]、[[車椅子]]使用者対応トイレ等の[[バリアフリー]]化、押しボタン式の[[列車非常停止警報装置]]が完了している。名古屋市営地下鉄全線でバリアフリー設備の整備や[[列車非常停止警報装置]]の整備が始まったのは桜通線が初である。
== 利用状況 ==
最混雑区間は吹上駅 → 今池駅で、2018年度のピーク時[[混雑率]]は125%となっている<ref>{{PDFlink|[http://www.mlit.go.jp/common/001245932.pdf 混雑率データ]}} - 国土交通省</ref>。2018年度の輸送人員は約29万人/日<ref>{{XLSlink|[http://www.pref.aichi.jp/uploaded/attachment/260563.xls 鉄道輸送状況]}} 平成29年度刊愛知県統計年鑑</ref> で、鶴舞線とほぼ同規模である。
名古屋駅 - 今池駅は並行する東山線よりすいているものの、ラッシュ時は混雑する。新瑞橋駅以北の各駅は大半の駅が乗降人員1万人/日以上であり、2011年開業の野並駅以東も開業後徐々に利用者が増え、終点の徳重駅は市営地下鉄単独駅として桜山駅に次ぐ2万人/日の乗降人員、鳴子北駅も接続するバス路線が充実していることから一日1万人/日以上の乗降人員となっている。太閤通駅、国際センター駅、鶴里駅、神沢駅は利用者が少ない。
名古屋市営地下鉄桜通線の年度別の輸送実績を下表に記す。 表中、最高値を赤色で、最低値を緑色で表記している。
{| class="wikitable" style="font-size:90%; text-align:center;"
|+桜通線輸送実績
|-
!年度!!年間<br />輸送人員<br />(千人)!!一日平均<br />輸送人員<br />(人)!!最混雑区間<br />乗車率<br />(%)!!輸送密度<br />(人/日)!!特記事項
|-
! style="font-weight: normal;"| 1989年(平成元年)
| || || || || style="text-align:left;"| 開業(中村区役所駅 - 今池駅開通)
|-
! style="font-weight: normal;"| 1990年(平成2年)
| style="background-color: #ccffcc;"|38,449 || style="background-color: #ccffcc;"|105,340 || style="background-color: #ffcccc;"|174 ||style="background-color: #ccffcc;"| 16,210 ||
|-
! style="font-weight: normal;"| 1991年(平成3年)
| 43,855 || || || 18,368 ||
|-
! style="font-weight: normal;"| 1992年(平成4年)
| 44,617 || || || 18,472 ||
|-
! style="font-weight: normal;"| 1993年(平成5年)
| 45,426 || 124,455 || || 19,672 ||
|-
! style="font-weight: normal;"| 1994年(平成6年)
| 72,797 || 199,444 || || 49,456 || style="text-align:left;"|今池駅 - 野並駅開通
|-
! style="font-weight: normal;"| 1995年(平成7年)
| 76,390 || 208,716 || 152 || 53,222 ||
|-
! style="font-weight: normal;"| 1996年(平成8年)
| 78,795 || 215,877 || || 56,240 ||
|-
! style="font-weight: normal;"| 1997年(平成9年)
| 77,873 || 213,351 || || 56,507 ||
|-
! style="font-weight: normal;"| 1998年(平成10年)
| 79,209 || 217,011 || || 57,805 ||
|-
! style="font-weight: normal;"| 1999年(平成11年)
| 78,221 || 213,479 || 134 || 57,619 ||
|-
! style="font-weight: normal;"| 2000年(平成12年)
| 79,705 || 218,370 || 134 || 59,090 ||
|-
! style="font-weight: normal;"| 2001年(平成13年)
| 77,523 || 212,392 || 138 || 57,818 ||
|-
! style="font-weight: normal;"| 2002年(平成14年)
| 78,354 || 214,668 || 134 || 58,253 ||
|-
! style="font-weight: normal;"| 2003年(平成15年)
| 88,217 ||241,690 || 134 || style="background-color: #ffcccc;"| 66,534 ||
|-
! style="font-weight: normal;"| 2004年(平成16年)
| 84,891 || 232,578 || 144 || 62,261 ||
|-
! style="font-weight: normal;"| 2005年(平成17年)
| 82,902 || 227,129 || 135 || 62,154 ||
|-
! style="font-weight: normal;"| 2006年(平成18年)
| 84,100 || 230,164 || 139 || 62,674 ||
|-
! style="font-weight: normal;"| 2007年(平成19年)
| 83,959 || 230,022 || 140 || 63,216 ||
|-
! style="font-weight: normal;"| 2008年(平成20年)
| 85,173 ||233,350 || 131 || 63,372 ||
|-
! style="font-weight: normal;"| 2009年(平成21年)
| 83,330 ||228,301 || 125 || 62,362 ||
|-
! style="font-weight: normal;"| 2010年(平成22年)
| 83,632 ||237,347 || 125 ||63,873 ||
|-
! style="font-weight: normal;"| 2011年(平成23年)
| style="background-color: #ffcccc;"| 88,290 || style="background-color: #ffcccc;"| 241,890 || 105 ||56,188 || style="text-align:left;"|野並駅 - 徳重駅開通
|-
! style="font-weight: normal;"| 2012年(平成24年)
| 90,791 || 249,000 || 116 || ||
|-
! style="font-weight: normal;"| 2013年(平成25年)
| 94,243 || 258,000 || || ||
|-
! style="font-weight: normal;"| 2014年(平成26年)
| 95,640 || 262,000 || 120 || ||
|-
! style="font-weight: normal;"| 2015年(平成27年)
| 98,710 || 270,000 || 119 || ||
|-
! style="font-weight: normal;"| 2016年(平成28年)
| 100,823 || 276,000 || 121 || ||
|-
! style="font-weight: normal;"| 2017年(平成29年)
| 104,014 || 285,000 || 122 || ||
|-
! style="font-weight: normal;"| 2018年(平成30年)
| 106,001 || 290,000 || 125 || ||
|-
! style="font-weight: normal;"| 2019年(令和元年)
| || || 127 || ||
|-
! style="font-weight: normal;"| 2020年(令和2年)
| || || style="background-color: #ccffcc;"| 98 || ||
|-
|}
; 出典:
: 愛知県ホームページ <!-- 古い時期のデータを拾った、過去のリンクも残してあります。-->
:* {{Wayback|url=http://www.pref.aichi.jp/0000008567.html |title=あいちの陸上交通(統計資料) 2007年4月1日|date=20110119131422}}
:* {{Wayback|url=http://www.pref.aichi.jp/0000036948.html |title=陸上交通に関する統計 2011年3月9日|date=20110809184519}}
:* [http://www.pref.aichi.jp/0000080752.html 陸上交通に関する統計 2015年3月31日]
:* [https://www.pref.aichi.jp/soshiki/toukei/0000055972.html 第8回愛知県累年統計表]
:* [https://www.pref.aichi.jp/toukei/jyoho/nhistory.html 愛知県統計年鑑] 各年度版
: 国土交通省
:* {{PDFlink|[https://www.mlit.go.jp/statistics/details/content/001365148.pdf 最混雑区間における混雑率(令和元年度)]}}
:* {{PDFlink|[https://www.mlit.go.jp/report/press/content/001413544.pdf 最混雑区間における混雑率(令和2年度)]}}
== 歴史 ==
[[1972年]](昭和47年)の[[都市交通審議会]]答申第14号において、計画化された路線である。当時、東山線では、通勤時間帯に名古屋駅での[[改札|改札止め]]が常態化し、昭和50年代中ごろには、名古屋駅 - [[伏見駅 (愛知県)|伏見駅]]間において、混雑率が250%を超える状況となっていた。そのため、東山線の混雑緩和のため、バイパス路線として、まず、 中村区役所駅(現在の太閤通駅) - 今池駅間の建設が行なわれ、[[1989年]](平成元年)[[9月10日]]に開業した<ref name="chunichi-np-2009-9-10">“地下鉄桜通線きょう20周年 記念グッズも販売”. [[中日新聞]] (中日新聞社). (2009年9月10日)</ref>。同区間の工事は、名古屋駅の地下をくぐる構造を建設するもので、採用された大規模[[アンダーピニング工法]]が[[土木学会]]賞技術賞を受賞した。当線名古屋駅ホームにはそのプレートが埋め込まれていたが、2015年に撤去された。
桜通線は当初からワンマン運転を行うことを前提に、すべてのホームを島式とし、すべての車両の運転台をホームに近い、進行方向右側に整備した。開業時は車掌が乗務していたものの、[[1994年]](平成6年)[[2月16日]]からはATOによる自動運転およびワンマン運転を開始した<ref name="ワンマン運転開始">{{Cite web|和書|url=https://twitter.com/nagoya_kotsu100/status/1493782192450768897 |title=市営交通100年祭(名古屋市)のツイート(2022年2月16日) |access-date=2022-07-16 |publisher=名古屋市 |date=2022年2月16日 |website=名古屋市交通局 |archive-url=https://web.archive.org/web/20220518094524/https://twitter.com/nagoya_kotsu100/status/1493782192450768897 |archive-date=2022-05-18}}</ref>。同じ年の[[3月30日]]には今池駅 - 野並駅間が開業した<ref name="交通1994">{{Cite news |title=名古屋市営地下鉄桜通線が延長開業 |newspaper=[[交通新聞]] |publisher=交通新聞社 |date=1994-03-31 |page=3 }}</ref>。
[[2011年]](平成23年)[[3月27日]]には野並駅 - 徳重駅間が開業した<ref name="chunichi-np-2011-3-28">“地下鉄桜通線が延伸 野並-徳重間、記念グッズに行列”. [[中日新聞]] (中日新聞社). (2011年3月28日)</ref>。開業が[[東北地方太平洋沖地震]]の直後となったため、記念イベントを中止し、出発式および、[[ドニチエコきっぷ]]、[[Bトレインショーティー]]などの記念グッズの販売のみ行った。同区間については、名古屋市が[[2000年]](平成12年)12月に次期整備区間として建設する方針を固め、[[2003年]](平成15年)[[9月5日]]、同区間の[[鉄道事業者|第一種鉄道事業]]許可を取得し、[[2006年]]2月に建設を開始した<ref>「[https://www.mlit.go.jp/kisha/kisha03/08/080905_.html 名古屋市高速度鉄道第6号線延伸の許可申請について]」国土交通省鉄道局、2003年9月5日</ref><ref>名古屋市議会土木交通委員会平成21年9月28日報告。[[鉄道事業法]]に基づく許可申請時は2014年度開業予定として許可されたが、名古屋市が2006年(平成18年)に策定した [http://www.kotsu.city.nagoya.jp/about/2009/ 市営交通事業経営改革計画] ({{PDFlink|[http://www.kotsu.city.nagoya.jp/dbps_data/_material_/localhost/_res/about/reform_plan/plan.pdf PDF]}}) では開業目標を2010年度に前倒しした。[http://www.kotsu.city.nagoya.jp/info/2007/006501.html 桜通線 野並・徳重間の開業日が決まりました] - 名古屋市交通局、2010年10月25日。</ref>。開業に伴う試運転は、2011年1月22日から、通常の旅客運行を利用し、野並駅での乗客乗降前後に、開通後の運行を想定して野並駅 - 徳重駅で行った。
なお、野並駅 - 徳重駅の延長工事に関し、[[2007年]](平成19年)1月、工事に伴う[[競争入札|入札]]で大手[[ゼネコン]]が[[談合]]の疑いで[[名古屋地方検察庁|名古屋地検]][[特別捜査部|特捜部]]と[[公正取引委員会]]の家宅捜査を受けた。同年2月28日には大手ゼネコン5社の幹部らが[[私的独占の禁止及び公正取引の確保に関する法律|独占禁止法]]違反容疑で逮捕された。
=== 年表 ===
* [[1989年]]([[平成]]元年)
** [[9月10日]]:中村区役所駅(現在の太閤通駅) - 今池駅間 (6.3 km) が開業<ref name="chunichi-np-2009-9-10" /><ref>{{Cite web|和書|url=https://twitter.com/nagoya_kotsu100/status/1436162520465788934 |title=市営交通100年祭(名古屋市)のツイート(2021年9月10日) |access-date=2022-07-16 |publisher=名古屋市 |date=2021年9月10日 |website=名古屋市交通局 |archive-date=2022-05-18 |archive-url=https://web.archive.org/web/20220518093107/https://twitter.com/nagoya_kotsu100/status/1436162520465788934}}</ref>。6000形電車営業運転開始。
** この年、桜通線建設時の名古屋駅付近の大規模アンダーピニング工法が土木学会賞技術賞を受賞。
* [[1994年]](平成6年)
** [[2月16日]]:ATOによる自動運転およびワンマン運転開始<ref name="ワンマン運転開始" />。
** [[3月30日]]:今池駅 - 野並駅間 (8.6 km) が開業{{R|交通1994}}。
* [[2003年]](平成15年)[[3月27日]]:ダイヤ改正。昼間の運転間隔を従来の6 - 7分から平日7分30秒、土休日10分に減便。
* [[2004年]](平成16年)[[10月6日]]:[[名古屋市営地下鉄名城線|名城線]][[瑞穂運動場東駅]]の開業に伴い、瑞穂運動場駅を瑞穂運動場西駅に改称。
* [[2007年]](平成19年)
** [[3月18日]]:[[名古屋市交通局3050形電車|3050形]]を使用した鶴舞線開通30周年記念列車が今池駅 - 鶴舞線赤池駅間で運転される。6000形以外の車両が当線に入線したのは、1993年に鶴舞線と犬山線直通運転記念イベント団体専用列車で3151編成が入って以来、これが2度目となる。当日入線したのは3152編成の6連。
** [[3月19日]]:全駅で列車到着前の接近チャイムに代わり[[発車メロディ#接近メロディ|接近メロディ]]を導入。
* [[2009年]](平成21年)[[9月20日]]:3050形を使用した桜通線開業20周年記念特別列車「ミステリートレイン」が鶴舞線赤池駅 - 今池駅間で運転される<ref>{{Cite web|和書|url=https://rail.hobidas.com/news/192877/ |title=名古屋市交通局桜通線開業20周年記念イベント |access-date=2022-07-16 |publisher=鉄道ホビダス (hobidas.com) |date=2009-08-11 |archive-url=https://web.archive.org/web/20210304130007/https://rail.hobidas.com/news/192877/ |archive-date=2021-03-04}}</ref>。
* [[2010年]](平成22年)[[7月5日]]:6050形電車営業運転開始<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.kotsu.city.nagoya.jp/info/2007/006328.html |title=桜通線の新型車両6050形の営業運行開始 |access-date=2022-07-16 |publisher=名古屋市交通局 |archive-url=https://web.archive.org/web/20100709215825/http://www.kotsu.city.nagoya.jp/info/2007/006328.html |archive-date=2010-07-10}}</ref>。
* [[2011年]](平成23年)
** [[1月20日]]:LED式[[発車標]]を全駅に設置。
** [[1月22日]]:中村区役所駅を皮切りに可動式ホーム柵使用開始。
** [[3月20日]]:鳴子北駅 - 徳重駅間にて試乗会開催。
** [[3月21日]]:ダイヤ改正。桜山駅行の区間運行を設定(桜山駅発は従来から設定)。
** [[3月27日]]:野並駅 - 徳重駅間 (4.2 km) が開業<ref name="chunichi-np-2011-3-28" />。
** [[7月23日]]:野並駅を最後に可動式ホーム柵整備完了<ref name="ホーム柵設置完了" />。
* [[2019年]]([[令和]]元年)
** [[6月1日]]:車内放送で英語のみ[[駅ナンバリング]]放送を開始(実際には前日の[[5月31日]]より随時駅ナンバリング放送に更新されていった)。
** [[6月23日]]:沿線で[[不発弾]]処理が行われることに伴い、今池駅 - 桜山駅間で部分運休。
* [[2021年]](令和3年)[[3月16日]]:今池駅構内のエレベーター新設工事現場で火災が発生し、東山線と桜通線が一時運転見合わせ<ref>{{Cite news|title=地下鉄駅構内に煙充満、名古屋 利用客避難|newspaper=産経新聞|date=2021-03-16|url=https://www.sankei.com/affairs/news/210316/afr2103160015-n1.html|accessdate=2021-05-17}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.kotsu.city.nagoya.jp/jp/pc/ABOUT/TRP0004191/20210316-2-%E5%9C%B0%E4%B8%8B%E9%89%84%E4%BB%8A%E6%B1%A0%E9%A7%85%E3%81%AB%E3%81%8A%E3%81%91%E3%82%8B%E7%81%AB%E7%81%BD%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%A6.pdf|title=地下鉄今池駅における火災について|publisher=名古屋市交通局|date=2021-03-16|accessdate=2021-05-17}}</ref>。
* [[2023年]](令和5年)
** [[1月4日]]:中村区役所駅を太閤通駅に改称<ref name="pr20210125" /><ref>{{Cite web|和書|title=地下鉄駅名称変更の実施日について|名古屋市交通局 |url=https://www.kotsu.city.nagoya.jp/jp/pc/SUBWAY/TRP0004156.htm |website=www.kotsu.city.nagoya.jp |access-date=2022-07-10}}</ref>
** [[4月1日]]:組織改正により桜本町管区駅が廃止、同管区管轄駅は今池管区駅に移管された。<ref>名古屋市公報第197号(本号)[https://www.city.nagoya.jp/somu/cmsfiles/contents/0000116/116280/05hongou197.pdf]633頁 </ref>
** [[8月31日]]:経費削減のため全ての駅のホームの[[時刻表]]を撤去。代わりに時刻を[[ウェブサイト|ウェブ]]で確認できる[[QRコード]]を掲示する案内板を導入<ref>{{cite news|url=https://mainichi.jp/articles/20230831/k00/00m/040/107000c|title=名古屋市営地下鉄 ホームの時刻表撤去、QRコードに 経費削減で|newspaper=毎日新聞|date=2023-08-31|accessdate=2023-09-02}}</ref>。
** [[9月16日]]:一部時間帯で減便。平日日中の運転間隔が従来の7分30秒から10分に、土休日朝の運転間隔が従来の6分から7分30秒に変更となった<ref>{{cite news|url=https://news.tv-aichi.co.jp/single.php?id=2898|title=名古屋市の地下鉄桜通線 16日から減便 コロナによる利用者減が影響|newspaper=テレビ愛知|date=2023-09-13|accessdate=2023-09-16}}</ref><ref name="pr20230703">{{Cite press release|title=地下鉄桜通線のダイヤ改正について|publisher=名古屋市交通局|date=2023-07-03|url=https://www.kotsu.city.nagoya.jp/jp/pc/ABOUT/TRP0003715/2023%E5%B9%B47%E6%9C%883%E6%97%A5-%E5%9C%B0%E4%B8%8B%E9%89%84%E6%A1%9C%E9%80%9A%E7%B7%9A%E3%83%80%E3%82%A4%E3%83%A4%E6%94%B9%E6%AD%A3%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%A6.pdf|format=PDF|language=ja|access-date=2023-09-17}}</ref>。
== 延伸計画 ==
下記の通り、桜通線では徳重から豊田市南部方面、中村区役所(太閤通)から七宝町方面へ延伸計画があるが、事業化のめどが立っていないほか、今後の安全対策や資金不足、費用対効果が薄いなどの理由により、[[2019年]](平成31年)3月時点では新線建設は行わないとしている<ref>{{PDFlink|[https://www.kotsu.city.nagoya.jp/jp/pc/ABOUT/TRP0003651/名古屋市営交通事業経営計画2023(案)に対する市民意見の内容及び交通局の考え方.pdf 名古屋市営交通事業経営計画2023(案)に対する市民意見の内容及び交通局の考え方]}} - 名古屋市交通局</ref>。
=== 野並 - 徳重 - 豊田市南部方面 ===
[[1992年]]の[[運輸政策審議会]]答申第12号'''[[名古屋圏における高速鉄道を中心とする交通網の整備に関する基本計画について]]'''においては、以下の区間が延伸計画として策定されている。
* 今池 - 野並 - 徳重間 … [[2008年]]までに整備することが適当である路線
* 徳重 - 豊明北間 … 2008年までに整備の推進を図ることが適当である路線
* 豊明北 - [[豊田市]]南部方面間 … 今後整備について検討すべき路線
これらのうち、今池駅 - 野並駅間は1994年{{R|交通1994}}、野並駅 - 徳重駅間は2011年に開業済みである。
徳重駅以東については、豊明北からさらに東進して豊田市南部へ延伸する経路は未定である
=== 太閤通 - 七宝町方面 ===
1992年策定の運輸政策審議会答申第12号では、2008年までに整備の推進を図ることが適当である路線として、中村区役所駅(現在の太閤通駅)から東山線の[[中村公園駅]]を経て中村区稲葉地地区、[[海部郡 (愛知県)|海部郡]][[大治町]]、[[あま市]]七宝町方面への延伸が示されている。
== 駅一覧 ==
* 全駅[[愛知県]][[名古屋市]]内に所在。
* 2023年4月1日現在、鳴子北駅・相生山駅・神沢駅の現場的業務は日本通運株式会社名古屋支店に委託されている。太閤通駅と桜山駅、野並駅、徳重駅は桜通線運転区、丸の内駅は鶴舞線運転区、新瑞橋駅は名城線運転区が駅業務も行っている。名古屋駅は東山線駅務区による直営駅、その他の駅は桜通線駅務区による直営駅。
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!style="width:3em; border-bottom:3px solid #C92F44;"|駅番号
!style="width:8em; border-bottom:3px solid #C92F44;"|駅名
!style="width:2.5em; border-bottom:3px solid #C92F44;"|駅間<br>キロ
!style="width:2.5em; border-bottom:3px solid #C92F44;"|営業<br>キロ
!style="border-bottom:3px solid #C92F44;"|接続路線・備考
!style="border-bottom:3px solid #C92F44;"|所在地
|-
!S01
|[[太閤通駅]]
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|
|rowspan="3" style="white-space:nowrap;"|[[中村区]]
|-
!S02
|[[名古屋駅]]
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|style="text-align:right;"|0.9
|名古屋市営地下鉄:[[File:Nagoya Subway Logo V2 (Higashiyama Line).svg|20px]] [[名古屋市営地下鉄東山線|東山線]] (H08)<br />[[東海旅客鉄道]]:[[ファイル:Shinkansen jrc.svg|17px|■]] [[東海道新幹線]]・{{JR海駅番号|CA}} [[東海道線 (名古屋地区)|東海道本線]] (CA68)・{{JR海駅番号|CF}} [[中央線 (名古屋地区)|中央本線]] (CF00)・{{JR海駅番号|CJ}} [[関西線 (名古屋地区)|関西本線]] (CJ00)<br />[[名古屋臨海高速鉄道]]:{{Color|#334fa0|●AN}} [[名古屋臨海高速鉄道あおなみ線|あおなみ線]] (AN01)<br />[[名古屋鉄道]]:{{名鉄駅番号|NH}} [[名鉄名古屋本線|名古屋本線]]([[名鉄名古屋駅]]:NH36)<br />[[近畿日本鉄道]]:{{近鉄駅番号|E}} [[近鉄名古屋線|名古屋線]]([[近鉄名古屋駅]]:E01)
|-
!S03
|[[国際センター駅 (愛知県)|国際センター駅]]
|style="text-align:right;"|0.7
|style="text-align:right;"|1.6
|
|-
!S04
|[[丸の内駅]]
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|名古屋市営地下鉄:[[File:Nagoya Subway Logo V2 (Tsurumai Line).svg|20px]] [[名古屋市営地下鉄鶴舞線|鶴舞線]] (T06)
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|[[久屋大通駅]]
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|名古屋市営地下鉄:[[File:Nagoya Subway Logo V2 (Meijo Line).svg|20px]] [[名古屋市営地下鉄名城線|名城線]] (M06)
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|[[高岳駅]]
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|
|rowspan="2"|[[東区 (名古屋市)|東区]]
|-
!S07
|[[車道駅]]
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|
|-
!S08
|[[今池駅 (愛知県)|今池駅]]
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|名古屋市営地下鉄:[[File:Nagoya Subway Logo V2 (Higashiyama Line).svg|20px]] 東山線 (H13)
|rowspan="2"|[[千種区]]
|-
!S09
|[[吹上駅 (愛知県)|吹上駅]]
|style="text-align:right;"|1.1
|style="text-align:right;"|7.4
|
|-
!S10
|[[御器所駅]]<br /><small>(昭和区役所)</small>
|style="text-align:right;"|1.0
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|名古屋市営地下鉄:[[File:Nagoya Subway Logo V2 (Tsurumai Line).svg|20px]] 鶴舞線 (T12)
|[[昭和区]]
|-
!S11
|[[桜山駅]]<br /><small>([[名古屋市立大学病院|市立大学病院]])</small>
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|
|rowspan="4"|[[瑞穂区]]
|-
!S12
|[[瑞穂区役所駅]]
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|
|-
!S13
|[[瑞穂運動場西駅]]
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|style="text-align:right;"|11.1
|
|-
!S14
|[[新瑞橋駅]]
|style="text-align:right;"|0.7
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|名古屋市営地下鉄:[[File:Nagoya Subway Logo V2 (Meijo Line).svg|20px]] 名城線 (M23)
|-
!S15
|[[桜本町駅]]
|style="text-align:right;"|1.1
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|
|rowspan="2"|[[南区 (名古屋市)|南区]]
|-
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|[[鶴里駅]]
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|
|-
!S17
|[[野並駅]]
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|
|rowspan="2"|[[天白区]]
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|-
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|[[相生山駅]]
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|[[神沢駅]]
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|
|-
!S21
|[[徳重駅 (名古屋市)|徳重駅]]
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|
|}
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
{{Reflist}}
== 関連項目 ==
* [[日本の鉄道路線一覧]]
* [[桜通 (名古屋市)]]
== 外部リンク ==
* [[日本地下鉄協会]]『SUBWAY』2010年9月号現場から1{{PDFlink|[http://www.jametro.or.jp/upload/subway/pTRVQPcwJeYu.pdf 「名古屋市地下鉄桜通線野並・徳重間建設工事の概要について」]}}(pp.25 - 29掲載)
{{Commonscat|Sakura-dōri_Line}}
{{名古屋市営地下鉄の路線}}
{{DEFAULTSORT:なこやしえいちかてつさくらとおりせん}}
[[Category:日本の地下鉄路線|さくらとおり]]
[[Category:中部地方の鉄道路線|さくらとおりせん]]
[[Category:名古屋市営地下鉄|路さくらとおりせん]]
[[Category:愛知県の交通]]
|
2003-08-31T16:17:44Z
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14,646 |
名古屋市営地下鉄上飯田線
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上飯田線(かみいいだせん)は、愛知県名古屋市北区の平安通駅から同区の上飯田駅までを結ぶ、名古屋市営地下鉄の路線。協定などでは名古屋市高速度鉄道上飯田線と称する。ラインカラーは桃色(■)。駅ナンバリングで用いられる路線記号はK。
営業キロ数は、平安通 - 上飯田間の全長わずか0.8 km (800 m) しかなく、日本で距離が最も短い地下鉄路線である。
上飯田発平安通行き始発列車と平安通発上飯田行き最終列車の1往復を除く全列車が名古屋鉄道(名鉄)小牧線と上飯田 - 犬山間で相互直通運転を行っており、小牧線と一体的な運行形態となっている。
すべての駅でmanaca(2011年2月11日に導入)などの交通系ICカード全国相互利用サービス対応カードが使用できる。
上飯田線は平安通 - 上飯田間の1駅間のみを結ぶ路線であるが、これによって名鉄小牧線と名古屋市営地下鉄名城線の連絡を可能にしており、上飯田駅発着のバス路線の混雑緩和や小牧線沿線地域と名古屋都心部の鉄道による連絡を実現している。
施設は、第三セクターの上飯田連絡線株式会社が第三種鉄道事業者として所有している。同社は上飯田 - 平安通間だけでなく味鋺 - 上飯田間の施設も所有しているが、その区間は第二種鉄道事業者である名鉄の線区となっている。2003年(平成15年)の開業当初は、上飯田線内は同線の第二種鉄道事業者である名古屋市交通局の乗務員が乗務し運転業務を行う体制であったが、合理化のため2007年(平成19年)度より名古屋市交通局が運転業務を名鉄に委託し、上飯田線内も名鉄の乗務員(犬山乗務区)が通し乗務している。
各駅に可動式ホーム柵(ホームドア)が設置されているが、TASCは設置されておらず、ATCによって25km/hまで減速した後、運転士が手動で停車させる方式を採っている。このため、ホームドアの幅が扉幅+700mmと通常(扉幅+300mm)よりも広く作られている。また、将来の輸送量増加を見込んでホームは20m車6両分(130m、現在は4両編成で運行)で建設されている。
上飯田線には列車接近メロディは導入されていない。出発指示合図ブザーは平安通駅のみに設置されている(上飯田駅は、名鉄の管轄になっているため、名鉄の出発承認合図ベルが設置してある)。列車が駅を発車する前のドア閉めの際には、上飯田線では直通する名鉄小牧線と同様に車載の乗降促進メロディが流される。また、LED式旅客案内装置は両駅に設置されているが、上飯田駅のLED式旅客案内装置は名鉄仕様となっている。
上飯田線を経由して、地下鉄名城線平安通駅、志賀本通駅、黒川駅、大曽根駅、ナゴヤドーム前矢田駅のいずれかの駅と、名鉄小牧線の味鋺駅・味美駅のいずれかの駅の相互間を利用する場合、運賃に連絡特定割引の適用を受けることができる。
上飯田線の開業によって小牧・犬山方面から平安通・大曽根両駅での乗り換えにより名鉄瀬戸線またはJR中央本線への連絡も容易になったが、地下鉄を介した小牧線と瀬戸線との通過連絡運輸は設定されていない。上飯田線経由での名鉄への連絡運輸も小牧線内にのみに限られており、各務原線・広見線を含めた犬山駅以遠への連絡乗車券は購入できない。犬山駅以遠を発駅とする小牧線・上飯田線を経由する連絡定期券は名鉄で購入できる。さらに、小牧線・上飯田線から名城線・鶴舞線を経由して名鉄豊田線方面へも中間改札なしで繋がっているが、こちらの連絡運輸は上飯田駅を地下鉄駅と見なしているために豊田線方面までの乗車券を購入できるものの、小牧線からは赤池駅までしか購入できない。
上飯田線は名城線としか接続していないが、開業時期が遅く、上飯田駅北の小牧線区間で庄内川をくぐる構造となっているために深い位置に造られており、両駅ともホームは地上から20m以上の深さにある。
ほぼ全列車が名鉄小牧線と直通運転しているが、平安通0:28発の最終列車上飯田行きと、上飯田5:35発の平安通行き始発列車は地下鉄線内のみの運行である。なお、名鉄小牧線が事故または気象災害等で運転休止の場合、上飯田駅で折り返し運転となる。昼間は小牧線犬山駅発着列車のみだが、朝夕には同線小牧駅折り返し列車がある。また、ワンマン運転を行っている。昼間は1時間あたり4本の運行で、これは日本の地下鉄で最も少ない運行頻度となっている。
当線では大晦日から元日にかけての終夜運転は行わない。ただし、2003年と2004年は行われ、小牧線との直通運転も行われた。
上飯田線および名鉄小牧線で運用されている7000形・名鉄300系はすべて日本車輌製造製で、東山線以外の名古屋市営地下鉄の他の路線では(2015年8月までは東山線でも)日立製作所製の車両も走っているが、上飯田線は名古屋市営地下鉄の路線で唯一、開業時から一貫して日立製作所製の車両は走っていない。両形式とも方向幕車のみであり、LED行先表示器を装備した車両は存在しない(名古屋市交通局では名城線・名港線も該当)。また、いずれも右手操作式ワンハンドルマスコンを装備している。
上飯田線用の車庫はなく、また現時点では他の地下鉄路線と直接的に線路がつながっていないため、車両整備は名鉄に委託して犬山検査場および舞木検査場で行っている。ただし書類上における自局車両の所属先は鶴舞線や桜通線の車両と同様に日進工場となっている。
2003年の開業時より交通局2編成、名鉄8編成の体制であり、廃車や増備は行われていない。前節の上飯田線内のみの列車は交通局の7000形で運転される(稀に名鉄車が代走をすることがある)。
7000形全2編成のうち、1編成は自局内の上飯田駅の留置線で夜間滞泊を行っている。平安通駅では行われない。7000形のもう1編成は名鉄犬山検査場に留置される。
名古屋市営地下鉄上飯田線の年度別の輸送実績を下表に記す。 表中、最高値を赤色で、最低値を緑色で表記している。
利用客は年々増加しているものの、上飯田連絡線株式会社への線路使用料が高いのと、上飯田駅から直接地下鉄を利用しても必然的に平安通駅で乗り換えが生じるために線内のみの利用客はそれほど多くなく(小牧線との直通利用客は上飯田駅で一度乗り降りしたと見なされる)、営業係数は400を超えている。
名鉄小牧線から名古屋市の中心部へは小牧駅から名鉄岩倉支線経由で名鉄犬山線に、あるいは上飯田駅で名古屋市電御成通線に乗り換えることで鉄軌道での連絡ができた。しかし1964年(昭和39年)に岩倉支線が、1971年(昭和46年)に御成通線が廃止され、鉄軌道での連絡手段が無くなった。
1992年(平成4年)の運輸政策審議会第12号答申「名古屋圏における高速鉄道を中心とする交通網の整備に関する基本計画について」で「名鉄小牧線・市交上飯田線の建設」として味鋺 - 上飯田 - 平安通 - 新栄町 - 丸田町を結ぶ路線が挙げられた。特に味鋺 - 上飯田 - 平安通(上飯田連絡線)は名鉄小牧線と名古屋市営地下鉄の連絡を改善するため緊急に整備するものとされた。1994年に上飯田連絡線株式会社が設立され、建設時には平安通駅 - 上飯田駅間の工事を名古屋市交通局に委託した。2003年(平成15年)3月27日に開業した。
平安通 - 上飯田間を含む計画としては1972年(昭和47年)の都市交通審議会答申第14号で金山 - 市役所 - 平安通 - 上飯田を結ぶ「7号線」があった。しかし、先述した1992年に答申された計画で路線網が見直されて7号線の名前は消え、新たに上飯田線が計画された。
上飯田線のうち、平安通 - 上飯田間は、路線連絡の必要性の高さから先行開業したが、1992年(平成4年)の運輸政策審議会第12号答申「名古屋圏における高速鉄道を中心とする交通網の整備に関する基本計画について」によれば、将来は桜通線高岳駅及び東山線新栄町駅を経て、名古屋市中区の丸田町交差点付近まで延長する計画となっていた。丸田町付近では、同じく前記答申で計画されている東部線および金山線と接続する計画もあった。
しかし、開通前と比べて愛知県や名古屋市などの周辺自治体の関心が乏しく、また人口増加が望めない社会情勢だけでなく、名古屋市も桜通線の徳重駅までの延伸開業以降は新規の路線開設ならびに延伸を行わないと表明しており、実現は困難となっている。
上飯田駅は名古屋鉄道の管轄駅、平安通駅は名古屋市交通局(名城線運転区)の管轄駅である。上飯田線単独の名古屋市交通局管轄駅は存在しない。
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"text": "上飯田線用の車庫はなく、また現時点では他の地下鉄路線と直接的に線路がつながっていないため、車両整備は名鉄に委託して犬山検査場および舞木検査場で行っている。ただし書類上における自局車両の所属先は鶴舞線や桜通線の車両と同様に日進工場となっている。",
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"text": "2003年の開業時より交通局2編成、名鉄8編成の体制であり、廃車や増備は行われていない。前節の上飯田線内のみの列車は交通局の7000形で運転される(稀に名鉄車が代走をすることがある)。",
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"text": "7000形全2編成のうち、1編成は自局内の上飯田駅の留置線で夜間滞泊を行っている。平安通駅では行われない。7000形のもう1編成は名鉄犬山検査場に留置される。",
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"text": "名古屋市営地下鉄上飯田線の年度別の輸送実績を下表に記す。 表中、最高値を赤色で、最低値を緑色で表記している。",
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"text": "利用客は年々増加しているものの、上飯田連絡線株式会社への線路使用料が高いのと、上飯田駅から直接地下鉄を利用しても必然的に平安通駅で乗り換えが生じるために線内のみの利用客はそれほど多くなく(小牧線との直通利用客は上飯田駅で一度乗り降りしたと見なされる)、営業係数は400を超えている。",
"title": "利用状況"
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"text": "名鉄小牧線から名古屋市の中心部へは小牧駅から名鉄岩倉支線経由で名鉄犬山線に、あるいは上飯田駅で名古屋市電御成通線に乗り換えることで鉄軌道での連絡ができた。しかし1964年(昭和39年)に岩倉支線が、1971年(昭和46年)に御成通線が廃止され、鉄軌道での連絡手段が無くなった。",
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"text": "1992年(平成4年)の運輸政策審議会第12号答申「名古屋圏における高速鉄道を中心とする交通網の整備に関する基本計画について」で「名鉄小牧線・市交上飯田線の建設」として味鋺 - 上飯田 - 平安通 - 新栄町 - 丸田町を結ぶ路線が挙げられた。特に味鋺 - 上飯田 - 平安通(上飯田連絡線)は名鉄小牧線と名古屋市営地下鉄の連絡を改善するため緊急に整備するものとされた。1994年に上飯田連絡線株式会社が設立され、建設時には平安通駅 - 上飯田駅間の工事を名古屋市交通局に委託した。2003年(平成15年)3月27日に開業した。",
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"text": "平安通 - 上飯田間を含む計画としては1972年(昭和47年)の都市交通審議会答申第14号で金山 - 市役所 - 平安通 - 上飯田を結ぶ「7号線」があった。しかし、先述した1992年に答申された計画で路線網が見直されて7号線の名前は消え、新たに上飯田線が計画された。",
"title": "歴史"
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"text": "上飯田線のうち、平安通 - 上飯田間は、路線連絡の必要性の高さから先行開業したが、1992年(平成4年)の運輸政策審議会第12号答申「名古屋圏における高速鉄道を中心とする交通網の整備に関する基本計画について」によれば、将来は桜通線高岳駅及び東山線新栄町駅を経て、名古屋市中区の丸田町交差点付近まで延長する計画となっていた。丸田町付近では、同じく前記答申で計画されている東部線および金山線と接続する計画もあった。",
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"text": "しかし、開通前と比べて愛知県や名古屋市などの周辺自治体の関心が乏しく、また人口増加が望めない社会情勢だけでなく、名古屋市も桜通線の徳重駅までの延伸開業以降は新規の路線開設ならびに延伸を行わないと表明しており、実現は困難となっている。",
"title": "延伸計画"
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"text": "上飯田駅は名古屋鉄道の管轄駅、平安通駅は名古屋市交通局(名城線運転区)の管轄駅である。上飯田線単独の名古屋市交通局管轄駅は存在しない。",
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] |
上飯田線(かみいいだせん)は、愛知県名古屋市北区の平安通駅から同区の上飯田駅までを結ぶ、名古屋市営地下鉄の路線。協定などでは名古屋市高速度鉄道上飯田線と称する。ラインカラーは桃色(■)。駅ナンバリングで用いられる路線記号はK。 営業キロ数は、平安通 - 上飯田間の全長わずか0.8 km しかなく、日本で距離が最も短い地下鉄路線である。 上飯田発平安通行き始発列車と平安通発上飯田行き最終列車の1往復を除く全列車が名古屋鉄道(名鉄)小牧線と上飯田 - 犬山間で相互直通運転を行っており、小牧線と一体的な運行形態となっている。 すべての駅でmanaca(2011年2月11日に導入)などの交通系ICカード全国相互利用サービス対応カードが使用できる。
|
{{pp-vandalism|small=yes}}
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{{Infobox 鉄道路線
|路線名=[[File:Transportation Bureau City of Nagoya.svg|20px|bottom|名古屋市交通局|link=名古屋市交通局]] 上飯田線
|路線色=#FC78B4
|ロゴ=[[File:Nagoya Subway Logo (Kamiiida Line).svg|50px|top]] [[File:Nagoya Subway Logo V2 (Kamiiida Line).svg|50px]]
|画像=Kamiiida Line. Nagoya-subway7000.jpg
|画像説明=名古屋市交通局7000形([[平安通駅]])
|国={{JPN}}
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|種類=[[地下鉄]]
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|起点=[[平安通駅]]<ref name="kiten" group="注釈" />
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|路線色3={{Legend2|#FC78B4|桃色}}<br />[[DICカラーガイド|DIC]] F180<ref name="signmanual">「名古屋市交通局 旅客サインマニュアル」による</ref>
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|所有者=[[上飯田連絡線]](第3種鉄道事業者)
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|使用車両=[[#車両|車両]]の節を参照
|路線構造=
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|路線図=Linemap of NMS Kamiiida Line.svg
|路線図名=
|路線図表示=<!--collapsed-->
}}
{| {{Railway line header}}
{{UKrail-header2|停車場・施設・接続路線|#FC78B4}}
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'''上飯田線'''(かみいいだせん)は、[[愛知県]][[名古屋市]][[北区 (名古屋市)|北区]]の[[平安通駅]]から同区の[[上飯田駅]]まで<ref name="kiten" group="注釈" />を結ぶ、[[名古屋市営地下鉄]]の[[鉄道路線|路線]]。協定などでは'''名古屋市高速度鉄道上飯田線'''と称する<ref>{{Cite web|和書|title=実施基準(車両) |publisher=名古屋市交通局 |page=2 |url=https://www.kotsu.city.nagoya.jp/jp/pc/ENJOY/TRP0000402/%EF%BC%8831.3%E6%94%B9%E8%A8%82%EF%BC%89%E5%AE%9F%E6%96%BD%E5%9F%BA%E6%BA%96%E7%AC%AC%EF%BC%94%E7%B7%A8%E8%BB%8A%E4%B8%A1.pdf |format=PDF |accessdate=2022-11-14}}</ref>。[[日本の鉄道ラインカラー一覧|ラインカラー]]は[[ピンク|桃色]]({{Color|#FC78B4|■}})。[[駅ナンバリング]]で用いられる路線記号は'''K'''。
[[営業キロ]]数は、平安通 - 上飯田間の全長わずか0.8 [[キロメートル|km]] (800 [[メートル|m]]) しかなく、日本で距離が最も短い地下鉄路線である。
上飯田発平安通行き始発列車と平安通発上飯田行き最終列車の1往復を除く全列車が[[名古屋鉄道]](名鉄)[[名鉄小牧線|小牧線]]と上飯田 - [[犬山駅|犬山]]間で[[直通運転|相互直通運転]]を行っており、小牧線と一体的な運行形態となっている。<!-- 車両(or列車)が相互乗り入れしていれば相互乗り入れです。 -->
すべての駅で[[manaca]](2011年2月11日に導入)などの[[交通系ICカード全国相互利用サービス|交通系ICカード全国相互利用サービス対応カード]]が使用できる。
== 概要 ==
上飯田線は平安通 - 上飯田間の1駅間のみを結ぶ路線であるが、これによって名鉄小牧線と[[名古屋市営地下鉄名城線]]の連絡を可能にしており、上飯田駅発着のバス路線の混雑緩和や小牧線沿線地域と名古屋都心部の鉄道による連絡を実現している<ref group="注釈">上飯田線に類似し1駅間だけ延長して他鉄道路線との連絡を可能にした例としては神戸電鉄有馬線の湊川駅から新開地駅までを結ぶ[[神戸電鉄神戸高速線]](所有者は[[神戸高速鉄道]])があるが、こちらは上飯田線とは異なり既存路線に接続させたものではない。</ref>。
施設は、[[第三セクター]]の[[上飯田連絡線]]株式会社が[[鉄道事業者|第三種鉄道事業者]]として[[所有権|所有]]している。同社は上飯田 - 平安通間だけでなく[[味鋺駅|味鋺]] - 上飯田間の施設も所有しているが、その区間は[[鉄道事業者|第二種鉄道事業者]]である名鉄の線区となっている。[[2003年]]([[平成]]15年)の開業当初は、上飯田線内は同線の第二種鉄道事業者である[[名古屋市交通局]]の乗務員が乗務し運転業務を行う体制であったが、合理化のため[[2007年]](平成19年)度より名古屋市交通局が運転業務を名鉄に委託し、上飯田線内も名鉄の乗務員(犬山乗務区)が通し乗務している{{Sfn|名古屋市交通局|2008|p=47}}<ref>{{Cite web|和書|title=平成18年度の取り組み |publisher=名古屋市交通局 |url=http://www.kotsu.city.nagoya.jp/dbps_data/_material_/localhost/_res/about/keiei_committee/data3_3.pdf |format=PDF |deadlinkdate=2022-11-14 |archiveurl=https://warp.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/233316/www.kotsu.city.nagoya.jp/dbps_data/_material_/localhost/_res/about/keiei_committee/data3_3.pdf |archivedate=2009-03-09}}</ref><ref>{{Cite news|和書|title=上飯田線 名鉄に運行委託 名古屋市が07年度から 公営地下鉄で初 |newspaper=中日新聞 夕刊 |date=2006-02-13 |page=1}}</ref>。
各駅に可動式ホーム柵([[ホームドア]])が設置されているが、[[定位置停止装置|TASC]]は設置されておらず、[[自動列車制御装置|ATC]]によって25km/hまで減速した後、運転士が手動で停車させる方式を採っている。このため、ホームドアの幅が扉幅+700mmと通常(扉幅+300mm)よりも広く作られている<ref group="注釈">桜通線のホームドアの幅も同じ扉幅+700mm。</ref>。また、将来の輸送量増加を見込んで[[プラットホーム|ホーム]]は20m車6両分(130m、現在は4両編成で運行)で建設されている。
上飯田線には[[発車メロディ#接近メロディ|列車接近メロディ]]は導入されていない。出発指示合図ブザーは平安通駅のみに設置されている(上飯田駅は、名鉄の管轄になっているため、名鉄の出発承認合図ベルが設置してある)。列車が駅を発車する前のドア閉めの際には、上飯田線では直通する名鉄小牧線と同様に車載の[[発車メロディ|乗降促進メロディ]]が流される。また、[[発光ダイオード|LED]]式[[発車標|旅客案内装置]]は両駅に設置されているが、上飯田駅のLED式旅客案内装置は名鉄仕様となっている。
上飯田線を経由して、地下鉄名城線平安通駅、[[志賀本通駅]]、[[黒川駅 (愛知県)|黒川駅]]、[[大曽根駅]]、[[ナゴヤドーム前矢田駅]]のいずれかの駅と、名鉄小牧線の味鋺駅・[[味美駅 (名鉄)|味美駅]]のいずれかの駅の相互間を利用する場合、[[運賃]]に連絡特定割引の適用を受けることができる。
上飯田線の開業によって小牧・犬山方面から平安通・大曽根両駅での乗り換えにより[[名鉄瀬戸線]]または[[東海旅客鉄道|JR]][[中央線 (名古屋地区)|中央本線]]への連絡も容易になったが、地下鉄を介した小牧線と瀬戸線との[[通過連絡運輸]]は設定されていない。上飯田線経由での名鉄への[[連絡運輸]]も小牧線内にのみに限られており、各務原線・広見線を含めた犬山駅以遠への連絡乗車券は購入できない<ref group="注釈">犬山駅以遠に行く場合は、一旦自動券売機で犬山駅までの乗車券を購入し、着駅で精算する。なお、manaca等の交通系ICカードで乗車した場合は最短距離にて計算された運賃が引き去られる。</ref>。犬山駅以遠を発駅とする小牧線・上飯田線を経由する連絡定期券は名鉄で購入できる。さらに、小牧線・上飯田線から名城線・鶴舞線を経由して名鉄豊田線方面へも中間改札なしで繋がっているが、こちらの連絡運輸は上飯田駅を地下鉄駅と見なしているために豊田線方面までの乗車券を購入できるものの、小牧線からは赤池駅までしか購入できない。
上飯田線は名城線としか接続していないが、開業時期が遅く、上飯田駅北の小牧線区間で[[庄内川]]をくぐる構造となっているために深い位置に造られており、両駅ともホームは地上から20m以上の深さにある。
=== 路線データ ===
* 管轄・路線距離([[営業キロ]]):
** [[名古屋市交通局]]([[鉄道事業者|第二種鉄道事業者]]):
*** 平安通 - 上飯田間<ref name="kiten" group="注釈" /> 0.8 km
** [[上飯田連絡線]]([[鉄道事業者|第三種鉄道事業者]]):
*** 上飯田 - 平安通間 0.8 km
* [[軌間]]:1067 [[ミリメートル|mm]]
* 駅数:2駅(起終点駅含む)
* 複線区間:全線
* 電化区間:全線(直流1500 V・[[架空電車線方式]])
* [[閉塞 (鉄道)|閉塞方式]]:車内信号式
* 最高速度:75 km/h<ref name="judan" />
* 1編成の両数:4両
* ホーム最大対応両数:6両
== 運行形態 ==
ほぼ全列車が名鉄小牧線と直通運転しているが、平安通0:28発の最終列車上飯田行きと、上飯田5:35発の平安通行き始発列車は地下鉄線内のみの運行である。なお、名鉄小牧線が事故または気象災害等で運転休止の場合、上飯田駅で折り返し運転となる。昼間は小牧線犬山駅発着列車のみだが、朝夕には同線[[小牧駅]]折り返し列車がある。また、[[ワンマン運転]]を行っている。昼間は1時間あたり4本の運行で、これは日本の地下鉄で最も少ない運行頻度となっている。
*運転間隔<ref name="dia">{{Cite web|和書|url = https://www.kotsu.city.nagoya.jp/jp/pc/SUBWAY/TRP0000192.htm |title = 上飯田線始発・終発時刻 | work = |format = |publisher = [[名古屋市交通局]] |accessdate = 2020-05-04}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url = https://www.kotsu.city.nagoya.jp/jp/pc/SUBWAY/timetable_dtl.html?name=%E5%B9%B3%E5%AE%89%E9%80%9A&rosenName=%E4%B8%8A%E9%A3%AF%E7%94%B0%E7%B7%9A&lineindex=0 |title = 時刻表 {{!}} 平安通 {{!}} 地下鉄 | work = |publisher = 名古屋市交通局 |accessdate = 2020-05-05}}</ref>
**朝7.5分毎(平日。土休日朝は10分毎)、昼間15分毎、夕方10分毎
当線では大晦日から元日にかけての[[終夜運転]]は行わない。ただし、2003年と2004年は行われ、小牧線との直通運転も行われた。
== 車両 ==
上飯田線および名鉄小牧線で運用されている[[名古屋市交通局7000形電車|7000形]]・名鉄[[名鉄300系電車|300系]]はすべて[[日本車輌製造]]製で、[[名古屋市営地下鉄東山線|東山線]]以外の名古屋市営地下鉄の他の路線では(2015年8月までは東山線でも)[[日立製作所]]製の車両も走っているが、上飯田線は名古屋市営地下鉄の路線で唯一、開業時から一貫して日立製作所製の車両は走っていない。両形式とも[[方向幕]]車のみであり、LED行先表示器を装備した車両は存在しない(名古屋市交通局では名城線・名港線も該当)。また、いずれも[[マスター・コントローラー|右手操作式ワンハンドルマスコン]]を装備している。
上飯田線用の車庫はなく、また現時点では他の地下鉄路線と直接的に線路がつながっていないため、車両整備は名鉄に委託して[[犬山検査場]]および[[舞木検査場]]で行っている。ただし書類上における自局車両の所属先は鶴舞線や桜通線の車両と同様に[[名古屋市交通局日進工場|日進工場]]となっている。
2003年の開業時より交通局2編成、名鉄8編成の体制であり、廃車や増備は行われていない。前節の上飯田線内のみの列車は交通局の7000形で運転される(稀に名鉄車が代走をすることがある)。
7000形全2編成のうち、1編成は自局内の上飯田駅の留置線で[[夜間滞泊]]を行っている。平安通駅では行われない。7000形のもう1編成は名鉄犬山検査場に留置される。
=== 自局車両 ===
* [[名古屋市交通局7000形電車|7000形]]
<gallery widths="200" heights="180">
File:Nagoya Municipal Subway 7000 series.jpg|7000形
</gallery>
=== 乗り入れ車両 ===
; [[名古屋鉄道]]
:* [[名鉄300系電車|300系]]
<gallery widths="200" heights="180">
File:Meitetsu Komaki Line 300 series 2.JPG|300系
</gallery>
== 利用状況 ==
名古屋市営地下鉄上飯田線の年度別の輸送実績を下表に記す。 表中、最高値を赤色で、最低値を緑色で表記している。
{| class="wikitable" style="font-size:90%; text-align:center;"
|+上飯田線輸送実績
!年度!!年間輸送人員<br />(千人)!!一日平均輸送人員<br />(人)!!最混雑区間乗車率<br />(%)!!輸送密度<br />(人/日)!!特記事項
|-
! style="font-weight: normal;"| 2003年(平成15年)
| 8,189 ||22,436|| style="background-color: #ccffcc;"| 70 || || style="text-align:left;"|開業
|-
! style="font-weight: normal;"| 2004年(平成16年)
| 9,796 || 26,841 || 85 || ||
|-
! style="font-weight: normal;"| 2005年(平成17年)
| 10,286 || style="background-color: #ffcccc;"|28,181 || 98 || ||
|-
! style="font-weight: normal;"| 2006年(平成18年)
| 10,000 || 27,397 || 99 || ||
|-
! style="font-weight: normal;"| 2007年(平成19年)
| 10,071 ||27,589|| style="background-color: #ffcccc;"|101 || ||
|-
! style="font-weight: normal;"| 2008年(平成20年)
| 10,495 || || || ||
|-
! style="font-weight: normal;"| 2009年(平成21年)
| 10,071 || || || ||
|-
! style="font-weight: normal;"| 2010年(平成22年)
| 10,277 || || || ||
|-
! style="font-weight: normal;"| 2011年(平成23年)
| 9,403 || || || ||
|-
! style="font-weight: normal;"| 2012年(平成24年)
| 10,058 || || || ||
|-
! style="font-weight: normal;"| 2013年(平成25年)
| 10,548 || || || ||
|-
! style="font-weight: normal;"| 2014年(平成26年)
| 10,475 || || 113 || ||
|-
! style="font-weight: normal;"| 2015年(平成27年)
| 11,419 || || 116 || ||
|-
! style="font-weight: normal;"| 2016年(平成28年)
| 11,768 || || 123 || ||
|-
! style="font-weight: normal;"| 2017年(平成29年)
| 12,140 || || 123 || ||
|-
! style="font-weight: normal;"| 2018年(平成30年)
| 12,444 || || 127 || ||
|-
! style="font-weight: normal;"| 2019年(令和元年)
| || || 124 || ||
|-
! style="font-weight: normal;"| 2020年(令和2年)
| || || 97 || ||
|-
|}
; 出典:
: 愛知県ホームページ
:* [http://www.pref.aichi.jp/0000080752.html 陸上交通に関する統計 2015年3月31日]
:* [https://www.pref.aichi.jp/soshiki/toukei/0000055972.html 第8回愛知県累年統計表]
:* [https://www.pref.aichi.jp/toukei/jyoho/nhistory.html 愛知県統計年鑑] 各年度版
: 国土交通省
:* {{PDFlink|[https://www.mlit.go.jp/statistics/details/content/001365148.pdf 最混雑区間における混雑率(令和元年度)]}}
:* {{PDFlink|[https://www.mlit.go.jp/report/press/content/001413544.pdf 最混雑区間における混雑率(令和2年度)]}}
利用客は年々増加しているものの、上飯田連絡線株式会社への線路使用料が高いのと、上飯田駅から直接地下鉄を利用しても必然的に平安通駅で乗り換えが生じるために線内のみの利用客はそれほど多くなく(小牧線との直通利用客は上飯田駅で一度乗り降りしたと見なされる)、営業係数は400を超えている。
== 歴史 ==
{{See also|上飯田連絡線}}
名鉄小牧線から[[名古屋市]]の中心部へは小牧駅から[[名鉄岩倉支線]]経由で名鉄犬山線に、あるいは上飯田駅で[[名古屋市電御成通線]]に乗り換えることで鉄軌道での連絡ができた。しかし[[1964年]](昭和39年)に岩倉支線が、[[1971年]](昭和46年)に御成通線が廃止され、鉄軌道での連絡手段が無くなった。
[[1992年]](平成4年)の[[運輸政策審議会]]第12号答申「[[名古屋圏における高速鉄道を中心とする交通網の整備に関する基本計画について]]」で「名鉄小牧線・市交上飯田線の建設」として味鋺 - 上飯田 - 平安通 - 新栄町 - 丸田町を結ぶ路線が挙げられた。特に味鋺 - 上飯田 - 平安通([[上飯田連絡線]])は名鉄小牧線と名古屋市営地下鉄の連絡を改善するため緊急に整備するものとされた。1994年に上飯田連絡線株式会社が設立され、建設時には平安通駅 - 上飯田駅間の工事を名古屋市交通局に委託した。[[2003年]](平成15年)[[3月27日]]に開業した{{Sfn|名古屋市交通局|2008|p=47}}。
平安通 - 上飯田間を含む計画としては[[1972年]]([[昭和]]47年)の[[都市交通審議会]]答申第14号で[[金山駅 (愛知県)|金山]] - [[名古屋城駅|市役所]] - 平安通 - 上飯田を結ぶ「7号線」があった{{Sfn|名古屋市交通局|1986|pp=5–6}}。しかし、先述した1992年に答申された計画で路線網が見直されて7号線の名前は消え、新たに上飯田線が計画された。
=== 年表 ===
* [[2003年]]([[平成]]15年)[[3月27日]]:平安通駅 - 上飯田駅間<ref name="NagoyaKotsu200303" >[https://web.archive.org/web/20030207200428fw_/http://www.kotsu.city.nagoya.jp/osirase/kamiiidakaigyo/kamiiida.htm 地下鉄上飯田線の開業のお知らせ](名古屋市交通局新着情報・インターネットアーカイブ)。</ref><ref name="kiten" group="注釈" />が開業。名鉄小牧線との相互直通運転開始。7000形電車営業運転開始。
* [[2007年]](平成19年)
** [[4月1日]]:名鉄に運転業務を委託(名鉄の乗務員が平安通駅 - 犬山駅を通しで乗務)。
** [[6月30日]]:上飯田線開業後初のダイヤ改正。平安通駅での名城線との接続を改善。
== 延伸計画 ==
上飯田線のうち、平安通 - 上飯田間は、路線連絡の必要性の高さから先行開業したが、[[1992年]](平成4年)の[[運輸政策審議会]]第12号答申「[[名古屋圏における高速鉄道を中心とする交通網の整備に関する基本計画について]]」によれば、将来は[[名古屋市営地下鉄桜通線|桜通線]][[高岳駅]]及び[[名古屋市営地下鉄東山線|東山線]][[新栄町駅 (愛知県)|新栄町駅]]を経て、名古屋市[[中区 (名古屋市)|中区]]の丸田町交差点付近まで延長する計画となっていた。[[丸田町 (名古屋市)|丸田町]]付近では、同じく前記答申で計画されている東部線および金山線と接続する計画もあった。
しかし、開通前と比べて愛知県や名古屋市などの周辺自治体の関心が乏しく、また人口増加が望めない社会情勢だけでなく、名古屋市も桜通線の[[徳重駅 (名古屋市)|徳重駅]]までの延伸開業以降は新規の路線開設ならびに延伸を行わないと表明しており、実現は困難となっている。
== 駅一覧 ==
* 駅番号順に記述<ref name="kiten" group="注釈">『[[鉄道要覧]]』では、第二種鉄道事業者の名古屋市交通局の路線としては平安通起点で記載。</ref>。
* 全駅[[愛知県]][[名古屋市]][[北区 (名古屋市)|北区]]内に所在。
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|colspan="4" style="text-align:center;"| {{名鉄駅番号|KM}} '''[[名古屋鉄道]][[名鉄小牧線|小牧線]][[犬山駅]]まで直通運転'''
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|[[上飯田駅]]
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|名古屋鉄道:{{名鉄駅番号|KM}} [[名鉄小牧線|小牧線]] (KM13)(直通運転)
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|[[平安通駅]]
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|名古屋市営地下鉄:[[File:Nagoya Subway Logo V2 (Meijo Line).svg|20px]] [[名古屋市営地下鉄名城線|名城線]] (M11)
|}
上飯田駅は名古屋鉄道の管轄駅、平安通駅は名古屋市交通局(名城線運転区)の管轄駅である。上飯田線単独の名古屋市交通局管轄駅は存在しない。
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Reflist|group="注釈"}}
=== 出典 ===
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== 参考文献 ==
* {{Cite book |和書 |editor=名古屋市交通局 |title=資料集・名古屋の地下鉄建設 |publisher=名古屋市交通局 |year=1986 |date=1986-03-31 |ref=harv}}
* {{Cite book |和書 |editor=名古屋市交通局 |title=名古屋の地下鉄 メモリアル50 |publisher=名古屋市交通局 |year=2008 |date=2008-02 |ref=harv}}
== 関連項目 ==
* [[上飯田連絡線]]
* [[名鉄小牧線]]
* [[日本の鉄道路線一覧]]
{{Commonscat|Kamiiida_Line}}
== 外部リンク ==
* [http://www.k-linkline.jp/ 上飯田連絡線株式会社]
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{{名古屋市営地下鉄の路線}}
{{デフォルトソート:なこやしえいちかてつかみいいたせん}}
[[Category:日本の地下鉄路線|かみいいた]]
[[Category:中部地方の鉄道路線|かみいいたせん]]
[[Category:名古屋市営地下鉄|路かみいいたせん]]
[[Category:愛知県の交通]]
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14,647 |
筑肥線
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筑肥線(ちくひせん)は、福岡県福岡市西区の姪浜駅から佐賀県唐津市の唐津駅まで、および唐津市の山本駅から佐賀県伊万里市の伊万里駅までを結ぶ九州旅客鉄道(JR九州)の鉄道路線(幹線)である。
かつては福岡(博多駅) - 伊万里間の短絡線的性格を有し、唐津市街地を通らないルートで直通する一本の路線だったが、1983年の部分電化に伴って一部区間の廃止や経路変更が生じ、姪浜駅 - 唐津駅、山本駅 - 伊万里駅の2区間に分断された路線となった。現在両区間は唐津線を介して接続している。
伊万里駅では、かつてはその先の松浦線と接続していたので、博多駅 - 長崎駅間を結んだ急行「平戸」など、筑肥線と松浦線を直通運転する列車もあったが、1988年に松浦線が第三セクターの松浦鉄道に転換されたことにより直通運転はなくなった。また、2002年に伊万里駅の駅舎改築とともに線路も分断された。
姪浜駅 - 唐津駅間は福岡市・唐津市双方への通勤・通学路線となっており、福岡市地下鉄空港線と相互直通運転を行うため、九州地方の国鉄(現在のJR九州)の路線としては、山陽本線の関門トンネル部に次いで直流電化された。同区間および同区間と直通運転をしている唐津線唐津駅 - 西唐津駅間は、JR九州内では唯一直流専用電車が運転されている。
また、姪浜駅 - 唐津駅間は唐津線唐津駅 - 西唐津駅間と合わせてIC乗車カード「SUGOCA」の利用エリアに含まれている。なお、他のSUGOCAエリアでは2011年3月5日よりTOICA・ICOCAとの相互利用を開始したが、当路線については接続する福岡市地下鉄線のはやかけんが相互利用に対応していなかった関係上、全区間でTOICA・ICOCAの利用対象外となっていた。2013年3月23日の交通系ICカード全国相互利用サービス開始に合わせ、SUGOCAを導入している全ての駅でTOICA・ICOCAの利用が可能となった。
また、2016年12月22日には、リアルタイム列車位置情報システム「どれどれ」が運用開始され、スマートフォンアプリ「JR九州アプリ」により、当線では下山門駅 - 西唐津駅間・西唐津駅 - 伊万里駅間におけるリアルタイムの列車位置情報がスマートフォンで閲覧できるようになった。ただし、姪浜駅 - 下山門駅間は閉塞方式の都合で配信できない。
姪浜駅 - 周船寺駅間の各駅は福岡市に所在するが、福岡市内のJR九州の他の路線とつながっていないため、旅客営業規則上の「特定都区市内」における「福岡市内」のエリアには含まれていない。なお、博多駅 - 姪浜駅間が廃止されるまでは、これらの駅は「福岡市内」として扱われていた。
全線が本社鉄道事業本部直轄となっている。ただし姪浜駅構内は福岡市交通局の管理下に置かれている。
高架駅の姪浜駅を発車して暫くは、沿線にマンションや高層ビルが林立しているが、すぐに住宅街に変貌する。左手に福岡市地下鉄の姪浜車両基地を見ながら高架をくだり、下山門駅に到着する。しばらく北側には松林(生の松原)が広がる。生の松原を過ぎて博多湾が見えてきたところで、福岡市都心部から断続的に続いた市街地を外れ、長垂山を貫く長垂トンネルに入る。長垂トンネルを抜けると、福岡市西区内では西部の副次的中核地域である今宿駅に到着する。今宿駅を発車すると高架区間に入り、両側に伊都土地区画整理事業により整地中の広大な土地の様子が見られる。次第に周辺にビルやマンションが増え、高架島式ホーム1面2線の九大学研都市駅に到着。左手にはイオンモール福岡伊都が隣接している。九大学研都市駅を出てしばらくすると区画整理の事業地内を抜けて、右手に広がる住宅街を見ながら高架線を下り、周船寺駅に到着する。周船寺駅からは福岡前原有料道路の高架が確認できる。周船寺駅を発車してすぐに糸島市に入る。依然沿線には住宅街が広がっているが、徐々に田圃が見られるようになる。波多江駅を出ると、左手には溜池や田圃が多く見られるが、糸島高校前駅の手前まで来ると市街地となり、複線区間の終点となる筑前前原駅に到着する。乗り入れてきた福岡市地下鉄の列車はここで折り返す(2021年のダイヤ改正前は筑前深江駅で折り返す列車もあった)。
筑前前原の隣駅である単式1面1線の美咲が丘駅前後では国道202号と並行するが、まもなく離れて、島式1面2線の加布里駅、単式1面1線の一貴山駅を出ると、広大な田園風景が出現する。田園風景を駆け抜けると、筑前深江駅に到着する。筑前深江駅からは概ね国道202号と並行しながら右手に玄界灘を見ることができるが、トンネルやカーブが多く65km/h程度しか出せない状況が続く。大入駅、福吉駅、鹿家駅と過ぎて行くと県境に達し、佐賀県唐津市に入り、遠くに虹の松原が確認できる。二丈浜玉道路の橋梁と並行する玉島川橋梁を渡ると、まもなく国道202号と離れ、浜崎駅に到着する。浜崎駅を出るとすぐ、右手に虹の松原が近接する。そのまま片面1面1線の虹ノ松原駅を過ぎ、唐津市内の高架区間に入り、唐津市街に近づいてくる。まもなく高架島式1面2線の東唐津駅に到着。東唐津駅周辺では新東唐津駅土地区画整理事業が行われている。東唐津駅のすぐ先で長大な松浦川橋梁を渡る。松浦川橋梁では遠くに唐津城や唐津発電所の煙突が確認できる。橋梁を渡りきって、住宅地を眼下に見ながら和多田駅に到着する。和多田駅の北側は丘陵の住宅地となっている。和多田駅の先で唐津線と合流し、谷間の高架線を行く。谷間を抜けると右手に唐津市の中心部が見え、まもなく一部列車の終点となる高架島式2面4線の唐津駅に到着する。
山本駅を出るとしばらく唐津線と並走し、唐津線の線路を乗り越えて右へカーブする。並走区間の途中に本牟田部駅があるが、ホームは唐津線側にのみ設置されており、筑肥線側にはない。本牟田部駅を過ぎしばらくすると唐津線との並走区間が終わり、その後は旧相知町の山間部を走行する。佐里駅を過ぎると伊万里市に入る。そのまま山間部を走ると山本駅 - 伊万里駅間で唯一列車交換可能な駅である大川野駅がある。そのまましばらく進行し、肥前長野駅を過ぎてしばらくすると、右にカーブして桃川駅、金石原駅、上伊万里駅と過ぎていき、伊万里市街地に入ると終点の伊万里駅に到着する。現在は伊万里駅で線路は途切れているが、かつては松浦線と線路がつながっており、国鉄時代は伊万里駅を通じて筑肥線と松浦線の直通列車も存在していた。
福岡市地下鉄空港線と直通運転する福岡空港駅 - 姪浜駅 - 筑前前原駅・筑前深江駅・唐津駅・西唐津駅間の列車のほか、筑前前原駅 - 筑前深江駅・唐津駅・西唐津駅間の区間列車も運行されている。福岡市交通局が所有する福岡市地下鉄空港線用の車両は当線では姪浜駅 - 筑前前原駅間で運行される。2021年3月13日改正時点で、姪浜駅が始発・終点となる筑肥線の定期列車は設定されておらず、姪浜駅 - 筑前前原駅間を運行する全列車が地下鉄空港線に直通する。事故や災害等でダイヤが乱れた場合は姪浜駅で折り返し、地下鉄と筑肥線で運行を分ける場合がある。筑前前原駅発着の初電・終電は地下鉄空港線の初電・終電を兼ねており、当線からも新幹線や航空便の始発便への乗り継ぎが可能となっている。
平日・土曜休日ともに福岡空港駅 - 唐津駅・西唐津駅間(平日朝の唐津行きは筑前前原駅で乗り換え)に1日5往復の快速列車が運行される。2003年3月15日に土曜・休日のみの運行で新設された当時は唐津・西唐津行きに「からつライナー」、福岡空港行きに「ふくおかライナー」の愛称が付けられていた。2007年3月18日の改正からは、平日にも快速の運転が行われるようになり、同時に愛称も廃止された。平日は筑前前原駅 - 東唐津駅間では途中筑前深江駅・浜崎駅のみに停車し、福岡空港駅 - 姪浜駅 - 筑前前原駅間と東唐津駅 - 唐津駅・西唐津駅間では各駅に停車する。土曜・休日は姪浜駅 - 東唐津駅間で途中の九大学研都市駅・筑前前原駅・筑前深江駅・浜崎駅のみに停車し、それ以外の区間は各駅に停車する。2014年3月15日の改正で平日に筑前前原発唐津行きの3両編成ワンマン運転の快速列車が1本新設された。
姪浜駅 - 筑前前原駅間は日中15分間隔・ラッシュ時4 - 10分間隔、筑前前原駅 - 唐津駅・西唐津駅間は日中20 - 30分間隔、ラッシュ時10 - 20分間隔である。福岡空港駅 - 姪浜駅 - 筑前前原駅間で運行される列車はすべて6両編成、筑前前原駅 - 筑前深江駅・唐津駅・西唐津駅間の区間列車は大半が3両編成で運行される。筑前前原駅で増解結を行い、福岡空港駅 - 姪浜駅 - 筑前前原駅間が6両編成、筑前前原駅 - 筑前深江駅・唐津駅・西唐津駅間が3両編成となる列車もあったが、2014年3月15日の改正で廃止された。2021年3月13日の改正より日中時間帯は筑前前原駅で運行が分割され、区間列車のみとなっている。また、西唐津駅への乗り入れも減少している。
姪浜駅 - 筑前前原駅は全列車がワンマン運転、筑前前原駅 - 筑前深江駅・唐津駅・西唐津駅間は3両編成の列車がワンマン運転を行うが、都市型ワンマンであり車内での運賃収受は行わない。6両編成の列車は電化開業以来車掌が乗務していたが、2021年3月の改正より姪浜駅 - 筑前前原駅間でワンマン運転を行うようになった。ただし、筑前前原駅 - 唐津駅・西唐津駅間では改正後も従来どおり車掌が乗務する。
西唐津駅・唐津駅 - 山本駅 - 伊万里駅間の列車が、日中はおおよそ2 - 3時間に1本、朝夕は1時間に1本の間隔で運転されている。ワンマン運転を実施しており、車内で整理券を発行し運賃収受を行う。唐津駅・西唐津駅では車内精算は行わない。車両は基本的にキハ125形が1両で運用されているが、朝など2両で運転されることもある。キハ47形が入ることもあったが、2020年3月のダイヤ改正で運用に入ることは無くなった。
1994年のダイヤ改正では快速列車の設定もあった(唐津駅 - 伊万里駅間の途中停車駅は山本駅・大川野駅・桃川駅)。2002年1月時点では毎日運転の臨時列車として運行されており佐里駅にも停車していた。
キハとあるのは気動車、特記ないものは電車
電車(姪浜駅 - 唐津駅間)・気動車(山本駅 - 伊万里駅間)とも佐賀鉄道事業部唐津車両センター所属の車両が充当される。
キハ58系・35系は姪浜駅 - 唐津駅間の電化後も山本駅 - 伊万里駅間で運用。
起源は、私鉄の北九州鉄道が博多駅 - 伊万里駅間に敷設した路線(1935年全通)で、1937年に国有化され筑肥線となったものである。その後1983年まで非電化のローカル線であったが、同年3月に福岡市地下鉄空港線と相互直通運転を開始し、地下鉄と並行する博多駅 - 姪浜駅間の廃止、姪浜駅 - 唐津駅・西唐津駅間の電化、唐津付近で大規模な線路の付け替え(呼子線として建設した高架橋を流用)が行われて現在の姿となった(唐津付近の路線変更についての詳細は「唐津市#筑肥線の電化と新線開業」を参照)。
便宜上、本路線の列車が直通する唐津線の区間もあわせて記載する。
この区間は1983年(昭和58年)3月22日、福岡市地下鉄1号線(現在の空港線)と引き替えで廃止された。なお、廃止区間各駅のみならず、姪浜駅・今宿駅・周船寺駅も特定都区市内制度における「福岡市内」エリアから外れることになったため、地下鉄等の代替交通機関の運賃も併せて負担が増すこととなった。
この区間は1983年(昭和58年)3月22日、虹ノ松原駅 - 唐津駅間の開業とそれに伴う経路変更のため廃止された。なお、この経路変更により唐津線の唐津駅 - 山本駅間が筑肥線との重複区間に指定されたが、1987年(昭和62年)4月1日の国鉄分割民営化と同時に唐津線の単独区間に戻っている。
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"text": "1994年のダイヤ改正では快速列車の設定もあった(唐津駅 - 伊万里駅間の途中停車駅は山本駅・大川野駅・桃川駅)。2002年1月時点では毎日運転の臨時列車として運行されており佐里駅にも停車していた。",
"title": "運行形態"
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"text": "キハとあるのは気動車、特記ないものは電車",
"title": "使用車両"
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"tag": "p",
"text": "電車(姪浜駅 - 唐津駅間)・気動車(山本駅 - 伊万里駅間)とも佐賀鉄道事業部唐津車両センター所属の車両が充当される。",
"title": "使用車両"
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"text": "キハ58系・35系は姪浜駅 - 唐津駅間の電化後も山本駅 - 伊万里駅間で運用。",
"title": "使用車両"
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"paragraph_id": 20,
"tag": "p",
"text": "起源は、私鉄の北九州鉄道が博多駅 - 伊万里駅間に敷設した路線(1935年全通)で、1937年に国有化され筑肥線となったものである。その後1983年まで非電化のローカル線であったが、同年3月に福岡市地下鉄空港線と相互直通運転を開始し、地下鉄と並行する博多駅 - 姪浜駅間の廃止、姪浜駅 - 唐津駅・西唐津駅間の電化、唐津付近で大規模な線路の付け替え(呼子線として建設した高架橋を流用)が行われて現在の姿となった(唐津付近の路線変更についての詳細は「唐津市#筑肥線の電化と新線開業」を参照)。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 21,
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"text": "便宜上、本路線の列車が直通する唐津線の区間もあわせて記載する。",
"title": "駅一覧"
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"text": "この区間は1983年(昭和58年)3月22日、福岡市地下鉄1号線(現在の空港線)と引き替えで廃止された。なお、廃止区間各駅のみならず、姪浜駅・今宿駅・周船寺駅も特定都区市内制度における「福岡市内」エリアから外れることになったため、地下鉄等の代替交通機関の運賃も併せて負担が増すこととなった。",
"title": "駅一覧"
},
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"paragraph_id": 23,
"tag": "p",
"text": "この区間は1983年(昭和58年)3月22日、虹ノ松原駅 - 唐津駅間の開業とそれに伴う経路変更のため廃止された。なお、この経路変更により唐津線の唐津駅 - 山本駅間が筑肥線との重複区間に指定されたが、1987年(昭和62年)4月1日の国鉄分割民営化と同時に唐津線の単独区間に戻っている。",
"title": "駅一覧"
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{
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"text": "区間別の平均通過人員(輸送密度)、旅客運輸収入は以下の通り。",
"title": "輸送実績"
}
] |
筑肥線(ちくひせん)は、福岡県福岡市西区の姪浜駅から佐賀県唐津市の唐津駅まで、および唐津市の山本駅から佐賀県伊万里市の伊万里駅までを結ぶ九州旅客鉄道(JR九州)の鉄道路線(幹線)である。
|
<!--出典が不足している場合は具体的な箇所にタグを貼り、ノートで指摘してください。-->
{{参照方法|date=2020年4月}}
{{Infobox 鉄道路線
|路線名 = [[File:JR logo (kyushu).svg|35px|link=九州旅客鉄道]] 筑肥線
|路線色 = #8f3e97
|ロゴ = JRK number JK.svg
|ロゴサイズ = 40px
|画像 = JR-Series305-W5.jpg
|画像サイズ = 300px
|画像説明 = 筑肥線を走行する[[JR九州305系電車|305系電車]]<br/>([[加布里駅]] - [[一貴山駅]] 2019年1月)
|国 = {{JPN}}
|所在地 = [[福岡県]]、[[佐賀県]]
|種類 = [[日本の鉄道|普通鉄道]]([[在来線]]・[[幹線]])
|起点 = [[姪浜駅]]、[[山本駅 (佐賀県)|山本駅]]
|終点 = [[唐津駅]]、[[伊万里駅]]
|駅数 = 31駅
|電報略号 = チヒセ<ref name="tetsudoudenpouryakugou-p24">{{Cite book |和書 |author=日本国有鉄道電気局 |date=1959-09-17 |title=鉄道電報略号 |url= |format= |publisher= |volume= |page=24}}</ref>
|輸送実績 =
|1日利用者数 =
|路線記号 = {{JR九駅番号|JK}}(姪浜 - 唐津間)
|開業 = [[1923年]][[12月5日]]
|全通 =
|項目1 = 一部廃止
|日付1 = [[1983年]][[3月22日]](博多 - 姪浜間、虹ノ松原 - 山本間)
|所有者 = [[九州旅客鉄道]](JR九州)
|運営者 = 九州旅客鉄道
|車両基地 = [[唐津鉄道事業部#唐津乗務センター|唐津鉄道事業部唐津運輸センター]]
|使用車両 = [[#使用車両|使用車両]]の節を参照
|路線距離 = 42.6 [[キロメートル|km]](姪浜-唐津間)<br />25.7 [[キロメートル|km]](山本-伊万里間)
|軌間 = 1,067 [[ミリメートル|mm]]([[狭軌]])
|線路数 = [[複線]]、[[単線]]
|複線区間 = 姪浜 - 筑前前原間
|電化区間 = 姪浜 - 唐津間
|電化方式 = [[直流電化|直流]]1,500 [[ボルト (単位)|V]] [[架空電車線方式]]
|最大勾配 =
|最小曲線半径 =
|閉塞方式 = 複線自動閉塞式<br />(姪浜 - 筑前前原間)<br />単線自動閉塞式<br />(筑前前原 - 唐津間)<br />特殊自動閉塞式(軌道回路検知式)<br />(山本-伊万里間)
|保安装置 = [[自動列車停止装置#ATS-S改良形|ATS-SK]]
|最高速度 = 85 [[キロメートル毎時|km/h]]<ref name="speed">[https://www.jrkyushu.co.jp/company/ir/library/fact_sheet/pdf/factsheets2017.pdf FACT SHEETS 2017] - JR九州</ref>
|駅間平均長 =
|路線図 = Chikuhi Line linemap.svg
|路線図名 =
|路線図表示 =
}}
<mapframe width="300" height="200" text="筑肥線経路地図 (黒色:現路線、赤色:廃止)">
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</mapframe>
'''筑肥線'''(ちくひせん)は、[[福岡県]][[福岡市]][[西区 (福岡市)|西区]]の[[姪浜駅]]から[[佐賀県]][[唐津市]]の[[唐津駅]]まで、および唐津市の[[山本駅 (佐賀県)|山本駅]]から佐賀県[[伊万里市]]の[[伊万里駅]]までを結ぶ[[九州旅客鉄道]](JR九州)の[[鉄道路線]]([[幹線]])である<ref name="RJ377">{{Cite journal|和書 |date = 1998-3 |title = ローカル線の実態と問題を現地に見る 64 唐津線 筑肥線 山本 - 伊万里 |author = [[鈴木文彦]] |journal = [[鉄道ジャーナル]] |volume = 32 |issue = 3 |pages = 66-72 |publisher = [[鉄道ジャーナル社]]}}</ref>。
== 概要 ==
かつては福岡([[博多駅]]) - 伊万里間の短絡線的性格を有し、[[唐津市|唐津]][[市街地]]を通らないルートで直通する一本の路線だったが、[[1983年]]の部分[[鉄道の電化|電化]]に伴って一部区間の廃止や経路変更が生じ、姪浜駅 - 唐津駅、山本駅 - 伊万里駅の2区間に分断された路線となった。現在両区間は[[唐津線]]を介して接続している。
伊万里駅では、かつてはその先の[[松浦鉄道西九州線|松浦線]]と接続していたので、博多駅 - [[長崎駅]]間を結んだ急行「[[シーサイドライナー (列車)|平戸]]」など、筑肥線と松浦線を直通運転する列車もあったが、[[1988年]]に松浦線が[[第三セクター]]の[[松浦鉄道]]に転換されたことにより直通運転はなくなった。また、[[2002年]]に伊万里駅の駅舎改築とともに線路も分断された。
姪浜駅 - 唐津駅間は福岡市・唐津市双方への通勤・通学路線となっており、[[福岡市地下鉄空港線]]と[[直通運転|相互直通運転]]を行うため、[[九州|九州地方]]の[[日本国有鉄道|国鉄]](現在のJR九州)の路線としては、[[山陽本線]]の[[関門トンネル (山陽本線)|関門トンネル]]部に次いで[[直流電化]]された。同区間および同区間と直通運転をしている唐津線唐津駅 - [[西唐津駅]]間は、JR九州内では唯一直流専用電車が運転されている。
また、姪浜駅 - 唐津駅間は唐津線唐津駅 - 西唐津駅間と合わせて[[ICカード|IC]][[乗車カード]]「[[SUGOCA]]」の利用エリアに含まれている。なお、他のSUGOCAエリアでは2011年3月5日より[[TOICA]]・[[ICOCA]]との相互利用を開始したが、当路線については接続する福岡市地下鉄線の[[はやかけん]]が相互利用に対応していなかった関係上、全区間でTOICA・ICOCAの利用対象外となっていた。2013年3月23日の[[交通系ICカード全国相互利用サービス]]開始に合わせ、SUGOCAを導入している全ての駅でTOICA・ICOCAの利用が可能となった。
また、2016年12月22日には、リアルタイム列車位置情報システム「どれどれ」が運用開始され、スマートフォンアプリ「JR九州アプリ」により、当線では下山門駅 - 西唐津駅間・西唐津駅 - 伊万里駅間におけるリアルタイムの列車位置情報がスマートフォンで閲覧できるようになった<ref name="jrkyushu20161220">{{PDFlink|[http://www.jrkyushu.co.jp/news/__icsFiles/afieldfile/2016/12/20/001doredore.pdf 〜 運行情報のご案内を充実 〜 「JR九州アプリ」で列車位置情報を表示します!]}} - 九州旅客鉄道、2016年12月20日</ref>。ただし、姪浜駅 - 下山門駅間は閉塞方式の都合で配信できない。
姪浜駅 - 周船寺駅間の各駅は福岡市に所在するが、福岡市内のJR九州の他の路線とつながっていないため、[[旅客営業規則]]上の「[[特定都区市内]]」における「福岡市内」のエリアには含まれていない。なお、博多駅 - 姪浜駅間が廃止されるまでは、これらの駅は「福岡市内」として扱われていた<ref group="注釈">なお下山門駅、九大学研都市駅は福岡市地下鉄との直通後に開業したため、開業時から一貫して特定都区市内制度上の「福岡市内」の駅には含まれていない。</ref>。
=== 路線データ ===
* 管轄(事業種別):九州旅客鉄道([[鉄道事業者|第一種鉄道事業者]])
* 路線距離([[営業キロ]])
** 姪浜駅 - 唐津駅間 42.6km
** 山本駅 - 伊万里駅間 25.7km
* [[軌間]]:1067mm
* 駅数:31(各区間の起終点駅含む)
** 筑肥線所属駅に限定した場合、唐津駅と山本駅(どちらも唐津線所属<ref name="teisha">『停車場変遷大事典 国鉄・JR編』JTB 1998年</ref>)が除外され、29駅となる。なお、伊万里駅はかつて松浦線所属<ref name="teisha" />であったが、同線の松浦鉄道への転換に伴い、筑肥線所属に変更された。
* 複線区間:姪浜駅 - 筑前前原駅間
* 電化区間:姪浜駅 - 唐津駅間(直流 1,500V)
* 最高速度:85km/h<ref name="speed" />
* [[自動列車保安装置|保安装置]]:[[自動列車停止装置#ATS-S改良形|ATS-SK]](ATS-DKについては設置対象外とされている)
* [[閉塞 (鉄道)|閉塞方式]]
** 姪浜駅 - 筑前前原駅間:複線自動閉塞式
** 筑前前原駅 - 唐津駅間:単線自動閉塞式
** 山本駅 - 伊万里駅間:特殊自動閉塞式(軌道回路検知式)
* [[ICカード|IC]][[乗車カード]]対応区間:
** [[SUGOCA]]福岡・佐賀・大分・熊本エリア:姪浜駅 - 唐津駅間
全線が[[九州旅客鉄道鉄道事業本部|本社鉄道事業本部]]直轄となっている。ただし姪浜駅構内は[[福岡市交通局]]の管理下に置かれている。
== 沿線概況 ==
{| {{Railway line header|collapse=yes}}
{{UKrail-header2|停車場・施設・接続路線|#8f3e97}}
{{BS-table}}
{{BS-colspan|HI=style="font-size:90%;"}}
* 博多駅 - 姪浜駅間は廃止時以前の状況
* [[西日本鉄道|西鉄]][[西鉄福岡市内線|福岡市内線]]の経路は省略
----
{{BS2|STR||||[[鹿児島本線]]|}}
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{{BS4|exSTR||BHF|BHF|11.6|[[博多駅]]|(2) 1963- [[ファイル:BSicon exTRAM.svg|14px|西鉄福岡市内線|link=西鉄福岡市内線]]|}}
{{BS4|exBHF||STR|STR|12.4|''博多駅''|(1) -1963 [[ファイル:BSicon exTRAM.svg|14px|西鉄福岡市内線|link=西鉄福岡市内線]]|}}
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{{BS4|exSTRl|exSTRq|exABZg+r|||||}}
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{{BS4||HSTq|xKRZu|STRq|||[[西日本鉄道|西鉄]]:[[西鉄天神大牟田線|大牟田線]] [[西鉄平尾駅]]|}}
{{BS2||exBHF|8.7|''[[平尾駅]]''|-1941|}}
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{{BS2|tSTReq|xABZg+r|||[[福岡市交通局|福岡市交]]:[[ファイル:Subway FukuokaKuko.svg|15px]] [[福岡市地下鉄空港線|空港線]]|}}
{{BS2|uexSTR+4|STR|||西鉄:''[[西鉄福岡市内線|福岡市内線]]''|}}
{{BS2|exmBHFa|BHF|0.0|JK01 [[姪浜駅]]||}}
{{BS4||exSTR|ABZgl|KDSTeq|||福岡市交:[[姪浜車両基地]]|}}
{{BS2|exSTR|O1=POINTERg@fq|STR|||''[[北筑軌道]]''|}}
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{{BS2|exBHF|BHF|5.2|JK03 [[今宿駅]]||}}
{{BS4|exKBSTaq|exKRZxr|eABZgr||||今津港|}}
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{{BS2|exLSTR|BHF|8.1|JK05 [[周船寺駅]]||}}
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{{BS2||BHF|23.3|JK13 [[大入駅]]||}}
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{{BS2||TUNNEL1||}}
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{{BS2||TUNNEL1||}}
{{BS2||STR+GRZq|||[[福岡県]]/[[佐賀県]]|}}
{{BS2||eBHF|34.2|''東浜崎駅''|-1941|}}
{{BS4|uexSTR+l|uexKBHFeq|BHF||35.4|JK16 [[浜崎駅]]||}}
{{BS4|uexLSTR||BHF||{{BSkm|37.5|10.4*}}|JK17 [[虹ノ松原駅]]||}}
{{BS4|uexLSTR|O1=POINTERg@fq|exSTRc2|eABZg3||||唐津軌道|}}
{{BS4|uexLSTR|exABZ+1l|exSTRc4|O3=eKRZ|exSTR+r|O4=POINTER+1||'''筑肥線 旧線'''||}}
{{BS4|uexLSTR|exSTR|BHF|exLSTR|39.3|JK18 [[東唐津駅]]|(2) 1983-|}}
{{BS4|uexLSTR|exKBHFe|O2=STRc2|STR3|exLSTR|7.4*|''東唐津駅''|(1) -1983|}}
{{BS4|uexBHF|STR+1|STRc4|exLSTR|||東唐津駅前|}}
{{BS4|uexhKRZWae|hKRZWae||exLSTR|||[[松浦川]]|}}
{{BS4|uexSTRr|BHF||exLSTR|40.9|JK19 [[和多田駅]]||}}
{{BS4|BHFq|ABZr+r||exLSTR|42.6|JK20 [[唐津駅]]|[[唐津線]]|}}
{{BS4||STR||exBHF|5.0*|''鏡駅''|(1) -1941|}}
{{BS4||STR||exBHF|3.9*|''[[鏡駅]]''|(2) -1983|}}
{{BS4||HST||exSTR|||[[鬼塚駅]]|}}
{{BS4||STR||exBHF|1.7*|''[[久里駅]]''|-1983|}}
{{BS4||STR||exhKRZWae|||松浦川||}}
{{BS4||STR2|O2=POINTERf@gq|STRc3|O3=exSTRc2|exSTR3|||唐津線|}}
{{BS4||STRc1|ABZ+4x1|exSTRc4||||}}
{{BS2||BHF|0.0*|[[山本駅 (佐賀県)|山本駅]]||}}
{{BS2|exSTRq|O1=STRc2|exSTRr|O2=ABZg3|||''唐津線 [[岸嶽駅|岸嶽]]支線''|}}
{{BS2|STR+1|STRc4|O2=STR||||}}
{{BS2|STR|eBHF|2.7*|''本牟田部駅''|(1) -1941|}}
{{BS2|HST|STR|||[[本牟田部駅]] (2) 1960-|}}
{{BS4||STRl|KRZo|STRq|||唐津線|}}
{{BS2||TUNNEL1||}}
{{BS2||BHF|5.1*|[[肥前久保駅]]||}}
{{BS2||TUNNEL1||}}
{{BS2||BHF|6.6*|[[西相知駅]]||}}
{{BS2||BHF|8.2*|[[佐里駅]]||}}
{{BS2||hKRZWae|||松浦川|}}
{{BS2||TUNNEL1||}}
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{{BS2||BHF|12.9*|[[大川野駅]]||}}
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{{BS2||hKRZWae|||松浦川|}}
{{BS2||BHF|17.4*|[[桃川駅]]||}}
{{BS2||BHF|19.7*|[[金石原駅]]||}}
{{BS2||BHF|24.1*|[[上伊万里駅]]||}}
{{BS2||KBHFxe|O2=HUBa|25.7*|[[伊万里駅]]||}}
{{BS2||KBHFxa|O2=HUBe||||}}
{{BS4||STRq|ABZlr|STRq|||[[松浦鉄道]]:[[松浦鉄道西九州線|西九州線]]|}}
|}
|}
=== 姪浜駅 - 筑前前原駅間 ===
高架駅の[[姪浜駅]]を発車して暫くは、沿線にマンションや高層ビルが林立しているが、すぐに住宅街に変貌する。左手に[[福岡市交通局|福岡市地下鉄]]の[[姪浜車両基地]]を見ながら高架をくだり、[[下山門駅]]に到着する。しばらく北側には松林(生の松原)が広がる。生の松原を過ぎて[[博多湾]]が見えてきたところで、福岡市都心部から断続的に続いた市街地を外れ、長垂山を貫く長垂トンネルに入る。長垂トンネルを抜けると、福岡市西区内では西部の副次的中核地域である[[今宿駅]]に到着する。今宿駅を発車すると高架区間に入り、両側に伊都土地区画整理事業により整地中の広大な土地の様子が見られる。次第に周辺にビルやマンションが増え、高架島式ホーム1面2線の[[九大学研都市駅]]に到着。左手には[[イオンモール福岡伊都]]が隣接している。九大学研都市駅を出てしばらくすると区画整理の事業地内を抜けて、右手に広がる住宅街を見ながら高架線を下り、[[周船寺駅]]に到着する。周船寺駅からは[[福岡前原有料道路]]の高架が確認できる。周船寺駅を発車してすぐに[[糸島市]]に入る。依然沿線には住宅街が広がっているが、徐々に田圃が見られるようになる。[[波多江駅]]を出ると、左手には溜池や田圃が多く見られるが、[[糸島高校前駅]]の手前まで来ると市街地となり、複線区間の終点となる[[筑前前原駅]]に到着する。乗り入れてきた福岡市地下鉄の列車はここで折り返す(2021年のダイヤ改正前は筑前深江駅で折り返す列車もあった)。
<gallery widths="180px">
Chikuhiline-hakatabay-20051226.jpg|博多湾沿いを走行する103系1500番台6両編成<br />(下山門駅 - 今宿駅 2005年12月)
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=== 筑前前原駅 - 唐津駅間 ===
筑前前原の隣駅である単式1面1線の[[美咲が丘駅]]前後では[[国道202号]]と並行するが、まもなく離れて、島式1面2線の[[加布里駅]]、単式1面1線の[[一貴山駅]]を出ると、広大な田園風景が出現する。田園風景を駆け抜けると、[[筑前深江駅]]に到着する。筑前深江駅からは概ね国道202号と並行しながら右手に[[玄界灘]]を見ることができるが、トンネルやカーブが多く65km/h程度しか出せない状況が続く。[[大入駅]]、[[福吉駅]]、[[鹿家駅]]と過ぎて行くと県境に達し、[[佐賀県]][[唐津市]]に入り、遠くに[[虹の松原]]が確認できる。[[二丈浜玉道路]]の橋梁と並行する玉島川橋梁を渡ると、まもなく国道202号と離れ、[[浜崎駅]]に到着する。浜崎駅を出るとすぐ、右手に虹の松原が近接する。そのまま片面1面1線の[[虹ノ松原駅]]を過ぎ、唐津市内の高架区間に入り、唐津市街に近づいてくる。まもなく高架島式1面2線の[[東唐津駅]]に到着。東唐津駅周辺では新東唐津駅土地区画整理事業が行われている。東唐津駅のすぐ先で長大な[[松浦川]]橋梁を渡る。松浦川橋梁では遠くに[[唐津城]]や[[唐津発電所]]の煙突が確認できる。橋梁を渡りきって、住宅地を眼下に見ながら[[和多田駅]]に到着する。和多田駅の北側は丘陵の住宅地となっている。和多田駅の先で[[唐津線]]と合流し、谷間の高架線を行く。谷間を抜けると右手に唐津市の中心部が見え、まもなく一部列車の終点となる高架島式2面4線の[[唐津駅]]に到着する。
<gallery widths="180px">
虹ノ松原と筑肥線103系.jpg|虹の松原脇の単線区間を走行する103系1500番台<br />(虹ノ松原駅 - 浜崎駅 2019年12月)
</gallery>
=== 山本駅 - 伊万里駅間 ===
[[山本駅 (佐賀県)|山本駅]]を出るとしばらく唐津線と並走し、唐津線の線路を乗り越えて右へカーブする<ref name="RJ377"/>。並走区間の途中に[[本牟田部駅]]があるが、ホームは唐津線側にのみ設置されており、筑肥線側にはない<ref name="RJ377"/>。本牟田部駅を過ぎしばらくすると唐津線との並走区間が終わり、その後は旧相知町の山間部を走行する。[[佐里駅]]を過ぎると伊万里市に入る<ref name="RJ377"/>。そのまま山間部を走ると山本駅 - 伊万里駅間で唯一列車交換可能な駅である[[大川野駅]]がある。そのまましばらく進行し、[[肥前長野駅]]を過ぎてしばらくすると、右にカーブして[[桃川駅]]、[[金石原駅]]、[[上伊万里駅]]と過ぎていき、伊万里市街地に入ると終点の[[伊万里駅]]に到着する<ref name="RJ377"/>。現在は伊万里駅で線路は途切れているが、かつては松浦線と線路がつながっており、国鉄時代は伊万里駅を通じて筑肥線と松浦線の直通列車も存在していた。
<gallery widths="180px">
Train for Nishi-Karatsu Station at Imari Station.jpg|伊万里駅にて発車を待つキハ125形による西唐津行き列車<br />(伊万里駅 2017年4月)
</gallery>
== 運行形態 ==
=== 姪浜駅 - 唐津駅間 ===
[[福岡市地下鉄空港線]]と直通運転する[[福岡空港駅]] - [[筑前前原駅]]間、福岡空港駅 - [[筑前深江駅]]・[[唐津駅]]・[[西唐津駅]]間の列車のほか、福岡空港駅 - 筑前前原駅間の列車と[[対面乗り換え|対面接続]]する筑前前原駅 - 筑前深江駅・唐津駅・西唐津駅間の列車も運行されている。[[福岡市交通局]]が所有する福岡市地下鉄空港線用の車両は当線では姪浜駅 - 筑前前原駅間で運行される<ref group="注釈">現行の通常ダイヤでは全て筑前前原駅までの運行である。ただし、大幅なダイヤ乱れの際は福岡市交通局の車両がJRの車両の運用を代走することがあるが、この場合でも筑前前原駅以西の唐津駅・西唐津駅方面に入線することはない。2021年3月13日改正前は筑前深江駅までの乗り入れもあった。</ref>。2021年3月13日改正時点で<ref>JTBパブリッシング『JTB時刻表』2021年3月号</ref>、姪浜駅が始発・終点となる筑肥線の定期列車は設定されておらず、姪浜駅 - 筑前前原駅間を運行する全列車が地下鉄空港線に直通する。事故や災害等でダイヤが乱れた場合は姪浜駅で折り返し、地下鉄と筑肥線で運行を分ける場合がある。筑前前原駅発着の初電・終電は地下鉄空港線の初電・終電を兼ねており、当線からも新幹線や航空便の始発便への乗り継ぎが可能となっている。
平日・土曜休日ともに福岡空港駅 - 唐津駅・西唐津駅間(平日朝の唐津行きは筑前前原駅で乗り換え)に1日5往復の快速列車が運行される。[[2003年]]3月15日に土曜・休日のみの運行で新設された当時は唐津・西唐津行きに「からつライナー」、福岡空港行きに「ふくおかライナー」の愛称が付けられていた。[[2007年]]3月18日の改正からは、平日にも快速の運転が行われるようになり、同時に愛称も廃止された。平日は筑前前原駅 - 東唐津駅間では途中筑前深江駅・浜崎駅のみに停車し、福岡空港駅 - 姪浜駅 - 筑前前原駅間と東唐津駅 - 唐津駅・西唐津駅間では各駅に停車する。土曜・休日は姪浜駅 - 東唐津駅間で途中の九大学研都市駅・筑前前原駅・筑前深江駅・浜崎駅のみに停車し、それ以外の区間は各駅に停車する。[[2014年]]3月15日の改正で平日に筑前前原発唐津行きの3両編成[[ワンマン運転]]の快速列車が1本新設された。
姪浜駅 - 筑前前原駅間は日中15分間隔・ラッシュ時4 - 10分間隔、筑前前原駅 - 唐津駅・西唐津駅間は日中20 - 30分間隔、ラッシュ時10 - 20分間隔である。福岡空港駅発着の列車と唐津駅・西唐津駅発着の列車は、筑前前原駅で対面接続を行う。これにより両方向間において直通列車とほぼ遜色のない所要時間を確保している。福岡空港駅 - 姪浜駅 - 筑前前原駅間で運行される列車はすべて6両編成、筑前前原駅 - 筑前深江駅・唐津駅・西唐津駅間の列車は大半が3両編成で運行される。筑前前原駅で増解結を行い、福岡空港駅 - 姪浜駅 - 筑前前原駅間が6両編成、筑前前原駅 - 筑前深江駅・唐津駅・西唐津駅間が3両編成となる列車もあったが、2014年3月15日の改正で廃止された。2021年3月13日の改正より日中時間帯は筑前前原駅で運行が分割され、区間列車のみとなっている。また、西唐津駅への乗り入れも減少している。
姪浜駅 - 筑前前原駅は全列車がワンマン運転、筑前前原駅 - 筑前深江駅・唐津駅・西唐津駅間は3両編成の列車がワンマン運転を行うが、[[ワンマン運転#都市型ワンマン|都市型ワンマン]]であり車内での運賃収受は行わない。6両編成の列車は電化開業以来車掌が乗務していたが、2021年3月の改正より姪浜駅 - 筑前前原駅間でワンマン運転を行うようになった。ただし、筑前前原駅 - 唐津駅・西唐津駅間では改正後も従来どおり車掌が乗務する。
=== 山本駅 - 伊万里駅間 ===
西唐津駅・唐津駅 - [[山本駅 (佐賀県)|山本駅]] - [[伊万里駅]]間の列車が、日中はおおよそ2 - 3時間に1本、朝夕は1時間に1本の間隔で運転されている。ワンマン運転を実施しており、車内で[[乗車整理券#乗車票・乗車駅証明書|整理券]]を発行し運賃収受を行う。唐津駅・西唐津駅では車内精算は行わない。車両は基本的に[[JR九州キハ125形気動車|キハ125形]]が1両で運用されているが、朝など2両で運転されることもある。[[国鉄キハ40系気動車 (2代)|キハ47形]]が入ることもあったが、2020年3月のダイヤ改正で運用に入ることは無くなった。
1994年のダイヤ改正では[[快速列車]]の設定もあった(唐津駅 - 伊万里駅間の途中停車駅は山本駅・[[大川野駅]]・[[桃川駅]])<ref name="西日本931217">“JR筑肥線、西唐津-伊万里間に4便増発、ダイヤ改正 佐賀” [[西日本新聞]] ([[西日本新聞社]]): p16. (1993年12月17日 朝刊)</ref>。2002年1月時点では毎日運転の臨時列車として運行されており佐里駅にも停車していた<ref>交通新聞社『JR時刻表』2002年1月号</ref>。
== 使用車両 ==
キハとあるのは[[気動車]]、特記ないものは電車
=== 現在の車両 ===
電車(姪浜駅 - 唐津駅間)・気動車(山本駅 - 伊万里駅間)とも[[佐賀鉄道事業部#唐津車両センター|佐賀鉄道事業部唐津車両センター]]所属の車両が充当される。
; 姪浜駅 - 唐津駅間
: 以下の系列の電車はすべて、[[自動列車停止装置#ATS-Dx (DN・DK・DF) 形|ATS-DK形]]の設置が対象外とされている<ref>[https://www.jrkyushu.co.jp/profile/safety/img/2016_anzen04.pdf 新しい自動列車停止装置への移行 (安全報告書2016 P19 4-4『安全設備』 )] - 九州旅客鉄道株式会社 (2016/9/29 同日閲覧)</ref>。
:* [[国鉄103系電車#1500番台|103系1500番台]](3両編成) - [[1983年]](昭和58年)[[3月22日]]に運用開始。現在は筑前前原駅 - 西唐津駅間のみで運用される。
:* [[JR九州303系電車|303系]](6両編成) - [[2000年]](平成12年)[[1月22日]]に運用開始<ref name="交通2001">{{Cite news |title=JR7社14年のあゆみ |newspaper=[[交通新聞]] |publisher=交通新聞社 |date=2001-04-02 |page=9 }}</ref>。合計3編成・18両が投入された。
:* [[JR九州305系電車|305系]](6両編成) - [[2015年]](平成27年)2月5日に運用開始<ref name="railfjp20150206">[http://railf.jp/news/2015/02/06/180000.html 305系が営業運転を開始] - 鉄道ファン・railf.jp鉄道ニュース、2015年2月6日。</ref><ref name="chikuhi305">{{PDFlink|[http://www.jrkyushu.co.jp/news/pdf/m081.pdf 平成27年初、筑肥線にバリアフリー・快適性・環境性能を追求した新型車両を投入します]}} - 九州旅客鉄道、2014年7月31日。</ref>。合計6編成・36両が投入された。
: 福岡市地下鉄との直通運転には上記303系及び305系が用いられる。
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JR-Series103-1500-E12.jpg|103系1500番台
Series303-Chikuhi-Line.jpg|303系
Series305-Chikuhi-Line.jpg|305系
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; 山本駅 - 伊万里駅間
:* [[JR九州キハ125形気動車|キハ125形]] - キハ47系と併結可能。
==== 乗り入れ車両 ====
* [[福岡市交通局]]
** [[福岡市交通局1000系電車|1000N系]]
** [[福岡市交通局2000系電車|2000N系]]
**: ともに姪浜駅 - 筑前前原駅間で運用され、[[佐賀県]]には乗り入れない。福岡市地下鉄の車両基地である[[姪浜車両基地]]は当路線の[[下山門駅]]そばにある。
: 2024年秋頃から、福岡市交通局が既存の1000N系の置き換えを目的に新車両である4000系を導入する予定<ref name="fukuoka20231130">{{Cite press release|title=地下鉄空港線・箱崎線 新しい車両が決定しました!!|publisher=福岡市交通局|date=2023-11-30|url=https://subway.city.fukuoka.lg.jp/subway_webapp/files/uploads/%E5%9C%B0%E4%B8%8B%E9%89%84%E7%A9%BA%E6%B8%AF%E7%B7%9A%E3%83%BB%E7%AE%B1%E5%B4%8E%E7%B7%9A%20%E6%96%B0%E3%81%97%E3%81%84%E8%BB%8A%E4%B8%A1%E3%81%8C%E6%B1%BA%E5%AE%9A%E3%81%97%E3%81%BE%E3%81%97%E3%81%9F!!.pdf|format=PDF|language=ja|access-date=2023-12-02}}</ref>。製造は[[川崎車両]]となる<ref>[https://www.khi.co.jp/pressrelease/detail/20220207_1.html 福岡市交通局向け地下鉄車両を受注] - 川崎車両、2022年2月7日</ref>。
<gallery widths="200">
ファイル:Fukuoka-City-Subway-Series1000-10F.jpg|1000N系
ファイル:2000N系.jpg|2000N系
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=== 過去の車両 ===
{{Main2|国有化前からの車両|北九州鉄道}}
キハ58系・35系は姪浜駅 - 唐津駅間の電化後も山本駅 - 伊万里駅間で運用。
*[[国鉄C11形蒸気機関車|C11形]]蒸気機関車
*[[国鉄DE10形ディーゼル機関車|DE10形]]ディーゼル機関車
*[[国鉄キハ58系気動車|キハ58系]]
*[[国鉄キハ10系気動車|キハ10系]]
*[[国鉄キハ20系気動車|キハ20系]]
*[[国鉄キハ55系気動車|キハ55系]]
*[[国鉄キハ35系気動車|キハ35系]]
*[[国鉄キハ40系気動車 (2代)|キハ40系]]
== 歴史 ==
起源は、私鉄の'''[[北九州鉄道]]'''が[[博多駅]] - [[伊万里駅]]間に敷設した路線(1935年全通)で、1937年に国有化され'''筑肥線'''となったものである。その後[[1983年]]まで非電化のローカル線であったが、同年3月に[[福岡市地下鉄空港線]]と相互直通運転を開始し、地下鉄と並行する博多駅 - [[姪浜駅]]間の廃止、姪浜駅 - 唐津駅・西唐津駅間の電化、唐津付近で大規模な線路の付け替え([[呼子線]]として建設した高架橋を流用)が行われて現在の姿となった(唐津付近の路線変更についての詳細は「[[唐津市#筑肥線の電化と新線開業]]」を参照)。
=== 年表 ===
==== 北九州鉄道 ====
*[[1923年]](大正12年)[[12月5日]] '''北九州鉄道'''が福吉駅 - 浜崎駅間を新規開業、福吉・鹿家・浜崎の各駅を新設<ref>[{{NDLDC|2955538/9}} 「地方鉄道運輸開始」『官報』1923年12月11日](国立国会図書館デジタルコレクション)</ref>
*[[1924年]](大正13年)
**[[4月1日]] 前原駅 - 福吉駅間を延伸開業、前原・加布里・筑前深江の各駅を新設<ref>[{{NDLDC|2955635/11}} 「地方鉄道運輸開始」『官報』1924年4月11日](国立国会図書館デジタルコレクション)</ref>
**[[5月29日]] 一貴山停留場を新設
**[[7月7日]] 浜崎駅 - 虹の松原駅間を延伸開業、虹の松原駅を新設<ref>[{{NDLDC|2955717/3}} 「地方鉄道運輸開始」『官報』1924年7月16日](国立国会図書館デジタルコレクション)</ref>
*[[1925年]](大正14年)
**[[4月15日]] 姪ノ浜駅 - 前原駅間を延伸開業、姪ノ浜・今宿・周船寺・大入の各駅を新設<ref>[{{NDLDC|2955946/8}} 「地方鉄道運輸開始」『官報』1925年4月23日](国立国会図書館デジタルコレクション)</ref>
**[[6月15日]] 新柳町駅 - 姪浜駅間を延伸開業、新柳町・鳥飼・西新町の各駅を新設。虹の松原駅 - 東唐津駅間を延伸開業、東唐津駅(初代)を新設(現在の東唐津駅とは位置が異なり松浦橋の近くにあった)<ref>[{{NDLDC|2955994/8}} 「地方鉄道運輸開始」『官報』1925年6月19日](国立国会図書館デジタルコレクション)</ref>
*1925年(大正14年)[[11月20日]] 南博多駅 - 新柳町駅間を延伸開業、南博多駅を新設<ref>[{{NDLDC|2956130/7}} 「地方鉄道運輸開始」『官報』1925年11月30日](国立国会図書館デジタルコレクション)</ref>
*[[1926年]](大正15年)
**[[7月20日]] 深江海岸仮停留場を新設
**[[10月15日]] 南博多分岐点 - 博多駅間を延伸開業、博多駅を新設(国有鉄道として既設)、南博多駅 - 南博多分岐点間の旅客営業を廃止、南博多駅を一般駅から貨物駅に変更<ref>[{{NDLDC|2956398/6}} 「地方鐵道運輸開始並旅客運輸廃止」『官報』1926年10月20日](国立国会図書館デジタルコレクション)</ref>
*[[1928年]](昭和3年)
**[[6月19日]] 一貴山を停留場から停車場に変更
**[[7月1日]] 波多江駅を新設
**[[9月11日]] 内燃動力併用認可([[客車]]を改造した[[ガソリンエンジン]]付[[気動車]]投入を計画するも頓挫、1930年(昭和5年)より新製ガソリンカー6両を導入)
*[[1929年]](昭和4年)
**4月1日 東唐津駅 - 山本駅間を延伸開業(東唐津駅で[[スイッチバック]]して[[松浦川]]の東岸を通り、山本駅で唐津線に接続)、久里(初代)・山本の各駅を新設(山本は唐津線の駅として既設)<ref>[{{NDLDC|2957218/8}} 「地方鉄道運輸開始」『官報』1929年7月3日](国立国会図書館デジタルコレクション)</ref>
**7月20日 福岡簑島停留場を新設
**[[11月6日]] 南博多分岐点を住吉信号所に変更
*[[1930年]](昭和5年)
**[[3月1日]] 上久里停留場を新設
**[[11月1日]] 長垂停留場を新設
*[[1931年]](昭和6年)[[1月16日]] 小笹停留場・愛宕神社前停留場・上高田停留場・東浜崎停留場・鏡停留場(初代)を新設
*[[1932年]](昭和7年)
**[[8月6日]] 愛宕神社前を庄に改称
**[[9月1日]] 糸島中学前停留場を新設
*[[1933年]](昭和8年)[[6月19日]] [[重油]]動力併用認可(気動車に[[ディーゼルエンジン]]導入。同年より1936年(昭和11年)までに6両のディーゼルカーを新製、主力車となる。ディーゼルカー導入は戦前私鉄では異例の試み。1935年(昭和10年)以降製造の4両には[[列車便所|便所]]が設置され、これも戦前の気動車としてはきわめて希な例であった)
*[[1935年]](昭和10年)[[3月1日]] 山本駅 - 伊万里駅間を延伸開業、本牟田部停留場・幡随院停留場・西相知駅・佐里温泉停留場・駒鳴停留場・大川野駅・肥前長野駅・松浦駅・金石原停留場・上伊万里駅・伊万里駅を新設(伊万里駅は松浦線の駅として既設)<ref>[{{NDLDC|2958931/19}} 「地方鉄道運輸開始」『官報』1935年3月8日](国立国会図書館デジタルコレクション)</ref>
*[[1936年]](昭和11年)
**?月?日 佐里温泉を松浦温泉に改称
**[[1月1日]] 平尾停留場を新設
==== 国有鉄道時代 ====
*[[1937年]](昭和12年)[[10月1日]] 北九州鉄道を買収・国有化し'''筑肥線''' (86.1km) とする。福岡簑島駅を筑前簑島駅に、新柳町駅を筑前高宮駅に、西新町駅を西新駅に、庄駅を筑前庄駅に、姪ノ浜駅を姪浜駅に、糸島中学前駅を浦志駅に、前原駅を筑前前原駅に、深江海岸仮停留場を深江浜仮停車場に、虹の松原駅を虹ノ松原駅に、幡随院駅を肥前久保駅に、松浦温泉駅を佐里駅(初代)に、松浦駅を桃川駅にそれぞれ改称、長垂駅を廃止、南博多駅 - 住吉信号所間を廃止、(貨)南博多駅を廃止(博多駅構内の荷扱い所となる)<ref>[{{NDLDC|2959709/11}} 「鉄道省告示第359号・第360号」『官報』1937年9月29日](国立国会図書館デジタルコレクション)</ref><ref name="chizucho" />
*[[1941年]](昭和16年)[[8月10日]] 平尾・筑前庄・上高田・浦志・深江浜・東浜崎・鏡(初代)・本牟田部(初代)・佐里(初代)の各駅を廃止<ref>[{{NDLDC|2960873/9}} 「鉄道省告示第159号」『官報』1941年8月7日](国立国会図書館デジタルコレクション)</ref>
*[[1946年]](昭和21年)[[6月1日]] 佐里駅(2代)を新設
*[[1950年]](昭和25年)[[5月20日]] 久里駅(初代)を鏡駅(2代)に、上久里駅を久里駅(2代)に改称<ref>[{{NDLDC|2963539/11}} 「日本国有鉄道公示第89号」『官報』1950年5月8日](国立国会図書館デジタルコレクション)</ref>
*[[1962年]](昭和37年)[[8月1日]] 博多駅 - [[佐世保駅]]間を筑肥線・松浦線平戸口駅(現:[[松浦鉄道西九州線]][[たびら平戸口駅]])経由で運行する[[準急列車]]「[[シーサイドライナー (列車)|九十九島]]」(くじゅうくしま)を新設
*[[1963年]](昭和38年)[[12月1日]] 博多駅移転により改キロ (-0.7km)
*[[1963年]](昭和38年)6月1日 準急「九十九島」を[[長崎駅]]まで延長(佐世保駅 - 長崎駅間は[[大村線]]経由)
*[[1966年]](昭和41年)
**[[3月5日]] 国鉄の制度改正により「九十九島」が[[急行列車]]に昇格
**[[3月25日]] 博多駅 - 佐世保駅間を筑肥線・松浦線[[有田駅]]・[[佐世保線]]経由で運行する急行「[[みどり (列車) #列車名の由来|からつ]]」運行開始(博多駅 - 伊万里間は「九十九島」に併結)
*[[1967年]](昭和42年)10月1日 急行「からつ」を廃止
*[[1968年]](昭和43年)10月1日 急行「九十九島」を「平戸」(ひらど)に改称
*[[1983年]](昭和58年)[[3月22日]] 鹿児島線の部から長崎線の部に移し起点を伊万里駅に変更。伊万里駅 - 山本駅 - 唐津駅 - 姪浜駅間(75.7km。山本駅 - 唐津駅間 (7.4km) は[[唐津線]]と重複)となる
**博多駅 - 姪浜駅間 (11.7km) を廃止、筑前簑島・筑前高宮・小笹・鳥飼・西新の各駅を廃止<ref name="sougou-nenpyou-p88" /><ref name="chizucho" />
**虹ノ松原駅 - 山本駅間 (10.4km) を廃止、東唐津(初代)・鏡・久里の各駅を廃止<ref name="sougou-nenpyou-p88" /><ref name="chizucho" />
**姪浜駅 - 浜崎駅間の貨物営業を廃止<ref name="sougou-nenpyou-p88" />
**唐津駅 - 虹ノ松原駅間 (5.1km) を開業、東唐津(2代)・和多田の各駅を新設<ref name="sougou-nenpyou-p88">池田光雅『鉄道総合年表1972-93』中央書院、1993年、pp.88-89</ref><ref name="chizucho">今尾恵介監修『日本鉄道旅行地図帳』12号 九州沖縄、新潮社、2008年、pp.41-42</ref>
**唐津駅 - 姪浜駅間を電化(直流1500V)、福岡市地下鉄と相互直通運転開始、同区間で103系1500番台電車の営業運転を開始<ref name="sougou-nenpyou-p88" />
**急行「平戸」の博多駅 - 山本駅間を廃止、唐津駅 - 長崎駅間の運転に変更<ref name="sougou-nenpyou-p88" />
*[[1984年]](昭和59年)[[2月1日]] 唐津駅 - 浜崎駅間の貨物営業を廃止<ref name="sougou-nenpyou-p96">池田光雅『鉄道総合年表1972-93』中央書院、1993年、pp.96</ref>
*[[1986年]](昭和61年)
**[[7月20日]] 姪浜駅 - 下山門駅間を複線化。下山門駅を新設<ref>{{Cite journal|和書 |date = 1986-09 |journal = [[鉄道ジャーナル]] |volume = 20 |issue = 10 |page = 115 |publisher = 鉄道ジャーナル社 }}</ref>
**[[11月1日]] 伊万里駅 - 山本駅 - 唐津駅間の貨物営業を廃止
==== 民営化以後 ====
*[[1987年]](昭和62年)4月1日 国鉄分割民営化にともない九州旅客鉄道が承継<ref name="交通2001"/>、区間の表示が姪浜 - 唐津間 (42.6km) 及び山本 - 伊万里間 (25.7km) となり、重複区間は解消
*[[1988年]](昭和63年)4月1日 急行「平戸」を廃止
*[[1990年]](平成2年)[[10月6日]] 姪浜駅 - 唐津駅間に快速列車を設定(快速区間は筑前前原駅 - 唐津駅間。途中停車駅は筑前深江駅と浜崎駅)<ref>{{Cite news |title=筑肥線に初の快速 JR九州 来月6日ダイヤ改正 |newspaper=[[交通新聞]] |publisher=交通新聞社 |date=1990-09-21 |page=1 }}</ref><ref>“JR筑肥線ダイヤ改正、昼間16本増発 主婦ニッコリ-沿線” [[西日本新聞]] ([[西日本新聞社]]): p26. (1990年10月5日 朝刊)</ref>。唐津線西唐津駅 - 伊万里駅間でワンマン運転を開始<ref>{{Cite book|和書 |date=1991-08-01 |title=JR気動車客車編成表 '91年版 |chapter=JR年表 |page=196 |publisher=ジェー・アール・アール |ISBN=4-88283-112-0}}</ref>。
*[[1994年]](平成6年)3月1日 唐津駅 - 伊万里駅間に快速列車を設定{{R|西日本931217}}。
*[[1995年]](平成7年)[[10月28日]] 美咲が丘駅を新設<ref>{{Cite news |title=「美咲が丘」駅28日開業 JR九州 |newspaper=[[交通新聞]] |date=1995-10-26 |publisher=[[交通新聞社]] |page=3}}</ref>
*[[1996年]](平成8年)[[12月3日]] 下山門駅 - 筑前前原駅間の複線化工事に着手<ref>{{Cite news |title=筑肥線複線化が起工 |newspaper=[[交通新聞]] |publisher=交通新聞社 |date=1996-12-05 |page=1 }}</ref>。
*[[1999年]](平成11年)[[12月11日]] 今宿駅 - 周船寺駅間を複線化
*[[2000年]](平成12年)[[1月22日]] 下山門駅 - 今宿駅間・周船寺駅 - 筑前前原駅間を複線化<ref name="交通2001"/>。姪浜駅 - 唐津駅間で303系電車の営業運転を開始<ref>{{Cite news |title=筑肥線 下山門-筑前前間 JR九州複線化が開業 |newspaper=[[交通新聞]] |publisher=交通新聞社 |date=2000-01-27 |page=1 }}</ref>。快速列車を廃止<ref>“快速列車を復活、土休日に5往復 筑肥線・3月ダイヤ改正” [[毎日新聞]] ([[毎日新聞社]]): p19. (2003年1月25日 地方版/佐賀)</ref>。
*[[2003年]](平成15年)[[3月15日]] 福岡空港駅 - 唐津駅・西唐津駅間で土曜・休日に快速列車「からつライナー」「ふくおかライナー」を設定<ref>{{Cite journal|和書 |title=鉄道記録帳2003年3月 |journal = RAIL FAN |date = 2003-06-01 |issue = 6 |volume = 50 |publisher = 鉄道友の会 |page = 21 }}</ref>(快速区間は姪浜駅 - 唐津駅間)
*[[2005年]](平成17年)[[9月23日]] 九大学研都市駅を新設
*[[2007年]](平成19年)[[3月18日]] 平日にも快速列車設定(快速区間は筑前前原駅 - 唐津駅間)、土曜・休日の快速の愛称廃止
*[[2010年]](平成22年)3月13日 姪浜駅 - 唐津駅間において[[SUGOCA]]を導入。同時に[[nimoca]]・[[はやかけん]]・[[Suica]]との相互利用も開始
*[[2013年]](平成25年)3月23日 [[ICOCA]]・[[TOICA]]・[[Kitaca]]・[[PASMO]]・[[manaca]]・[[PiTaPa]]とも相互利用開始
*[[2014年]](平成26年)[[3月15日]] 土曜・休日の快速を九大学研都市駅に停車<ref name="chikuhi2014">{{Cite press release|和書|title=平成26年春 筑肥線ダイヤ改正 |publisher=九州旅客鉄道 |date=2014-01-31 |url=http://www13.jrkyushu.co.jp/NewsReleaseWeb.nsf/Search/E867C26B516AF65D49257C71003FA85F?OpenDocument |accessdate=2016-12-25 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20140220055154/http://www13.jrkyushu.co.jp/NewsReleaseWeb.nsf/Search/E867C26B516AF65D49257C71003FA85F?OpenDocument |archivedate=2014-02-20}}</ref>。
*[[2015年]](平成27年)[[2月5日]] 姪浜駅 - 唐津駅間で305系電車の営業運転を開始<ref name="railfjp20150206" />。
*[[2016年]](平成28年)12月22日 スマートフォンアプリ「JR九州アプリ」内の列車位置情報システム「どれどれ」運用開始により、姪浜駅 - 下山門駅間を除く全線でリアルタイムの列車位置情報が配信開始<ref name="jrkyushu20161220" />。
*[[2017年]](平成29年)[[11月21日]] 九大学研都市駅2番のりばにおいて、軽量型ホームドアの実証実験を開始<ref name=":0">{{Cite press release|和書|title= 軽量型ホームドア実証試験の開始について |publisher=九州旅客鉄道 |date=2017-09-28 |url=http://www.jrkyushu.co.jp/news/__icsFiles/afieldfile/2017/09/28/170928-004.pdf |format=PDF |accessdate=2017-09-30 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20170929014415/http://www.jrkyushu.co.jp/news/__icsFiles/afieldfile/2017/09/28/170928-004.pdf |archivedate=2017-09-29}}</ref>。
*[[2018年]](平成30年)
** [[7月6日]] [[平成30年7月豪雨]]の影響により土石流入が発生、鹿家駅 - 浜崎駅間では西唐津発福岡空港行き6両編成の列車が土砂崩れに巻き込まれ脱線<ref>[https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180706/k10011516081000.html JR筑肥線で列車脱線 崩落土砂に乗り上げ 佐賀] - NHK NEWSWEB、2018年7月6日</ref>。これにより筑前前原駅 - 唐津駅間と山本駅 - 伊万里駅間が不通となった<ref>{{PDFlink|[http://www.jrkyushu.co.jp/news/__icsFiles/afieldfile/2018/07/09/180709press.pdf 「平成30年7月豪雨」による不通区間の被災状況及び今後の見通しについて]}} - 九州旅客鉄道、2018年7月9日</ref>。このうち筑前前原駅 - 唐津駅間では7月9日よりバス代行輸送を実施<ref>{{PDFlink|[http://www.jrkyushu.co.jp/common/inc/emergency/__icsFiles/afieldfile/2018/07/08/chikuhi_bus_180708_1900.pdf 筑肥線一部区間(西唐津駅・唐津駅〜筑前前原駅)バス代行輸送の実施について]}} - 九州旅客鉄道、2018年7月8日</ref>。
** 7月11日 筑前前原駅 - 唐津駅間が始発より運転再開<ref>[https://trafficnews.jp/post/80920 土砂流入の筑肥線・筑前前原~唐津間、11日めどに復旧 ほか3線区は時間要す見込み JR九州] - 乗りものニュース 2018年7月10日</ref>。山本駅 - 伊万里駅間のバス代行輸送開始<ref>{{PDFlink|[http://www.jrkyushu.co.jp/common/inc/emergency/__icsFiles/afieldfile/2018/07/10/180710chikuhi180711.pdf 筑肥線の一部区間運転見合わせに伴う唐津駅~伊万里駅間のバス代行輸送の実施について]}}- 九州旅客鉄道、2018年7月10日</ref>。
** 7月12日 山本駅 - 伊万里駅間で運転再開。同区間のバス代行輸送は1日で終了した<ref>{{PDFlink|[http://www.jrkyushu.co.jp/common/inc/emergency/__icsFiles/afieldfile/2018/07/11/180712untenkeikaku1807112300.pdf 「平成30年7月豪雨」の影響に伴う7月12日(木)の運転計画について]}} - 九州旅客鉄道、2018年7月11日</ref>。
** [[9月28日]] 姪浜駅 - 西唐津駅間にラインカラー・路線記号・駅ナンバリングを制定<ref name=":02">{{Cite press release|和書|url=http://www.jrkyushu.co.jp/news/__icsFiles/afieldfile/2018/09/28/Newsrelease-ekinumbering.pdf|title=訪日外国人のお客さまに、安心してご利用いただけるご案内を目指します!北部九州エリア157駅に「駅ナンバリング」を導入します|accessdate=2018-9-28|format=PDF|publisher=九州旅客鉄道|archiveurl=https://web.archive.org/web/20180928060817/http://www.jrkyushu.co.jp/news/__icsFiles/afieldfile/2018/09/28/Newsrelease-ekinumbering.pdf|archivedate=2018-9-28}}</ref>。
*[[2019年]](平成31年)
**[[2月1日]] 九大学研都市駅の軽量型ホームドア実証実験を終了し、同駅の軽量型ホームドアの本格稼働を開始<ref name=":03">{{Cite press release|和書|url=http://www.jrkyushu.co.jp/news/__icsFiles/afieldfile/2019/01/25/003.pdf|title=新型ホームドア 筑肥線(下山門〜筑前前原間)へ本格導入|accessdate=2019-1-27|date=2019-1-25|format=PDF|publisher=九州旅客鉄道|archiveurl=https://web.archive.org/web/20190127024653/http://www.jrkyushu.co.jp/news/__icsFiles/afieldfile/2019/01/25/003.pdf|archivedate=2019-1-27}}</ref>。これにともない、ホームドアを製造元の[[音楽館]]・[[日本信号]]から取得<ref name=":03" />。
**[[3月16日]] [[糸島高校前駅]]を新設<ref name=":1">{{Cite press release|和書|url=http://www.jrkyushu.co.jp/news/__icsFiles/afieldfile/2018/12/14/181214Newsrelease01.pdf|title=筑肥線「糸島高校前駅」が開業します。香椎線が快適に生まれ変わります。|accessdate=2018-12-15|date=2018-12-14|format=PDF|publisher=九州旅客鉄道|archiveurl=https://web.archive.org/web/20181215054959/http://www.jrkyushu.co.jp/news/__icsFiles/afieldfile/2018/12/14/181214Newsrelease01.pdf|archivedate=2018-12-15}}</ref><ref name=":2">{{Cite press release|和書|url=http://www.jrkyushu.co.jp/news/__icsFiles/afieldfile/2019/02/06/190206Newsreleasechikuhi.pdf|title=筑肥線のダイヤを一部変更します|accessdate=2019-2-7|publisher=九州旅客鉄道|format=PDF|archiveurl=https://web.archive.org/web/20190207121504/http://www.jrkyushu.co.jp/news/__icsFiles/afieldfile/2019/02/06/190206Newsreleasechikuhi.pdf|archivedate=2019-2-7}}</ref>。糸島高校前駅は平日のみ快速列車が停車<ref name=":2" />。
* [[2021年]]([[令和]]3年)[[3月13日]] 下山門駅 - 筑前前原駅間の各駅でホームドアを始発から稼働開始<ref name="pr20201218">{{Cite press release|和書|url=https://www.jrkyushu.co.jp/common/inc/news/newtopics/__icsFiles/afieldfile/2020/12/18/2021daiyaminaoshi_1_1.pdf|archiveurl=https://web.archive.org/web/20201218142214/https://www.jrkyushu.co.jp/common/inc/news/newtopics/__icsFiles/afieldfile/2020/12/18/2021daiyaminaoshi_1_1.pdf|format=PDF|language=日本語|title=2021年3月にダイヤを見直します|publisher=九州旅客鉄道|page=19|date=2020-12-18|accessdate=2020-12-21|archivedate=2020-12-19}}</ref>。[[姪浜駅]] - 筑前前原駅間でワンマン運転を開始<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.jr-krwu.org/wp-content/uploads/2021/02/e44dcb9fec5abd86c4d3672315fbef16.pdf|archiveurl=https://web.archive.org/web/20210323051006/http://www.jr-krwu.org/wp-content/uploads/2021/02/e44dcb9fec5abd86c4d3672315fbef16.pdf|title=JR九州労組業務速報No.804 ダイヤ改正・各種効率化施策を集約 組合員の声を最大限反映|date=2021-02-12|archivedate=2021-03-23|accessdate=2021-03-23|publisher=九州旅客鉄道労働組合業務部|format=PDF|language=日本語|deadlinkdate=}}</ref>。
* [[2024年]](令和6年)秋頃:姪浜駅 - 筑前前原駅間で福岡市交通局の4000系電車が営業運転を開始予定<ref name="fukuoka20231130" />。
== 駅一覧 ==
便宜上、本路線の列車が直通する唐津線の区間もあわせて記載する。
* 線路 … ∥:複線区間、◇・|:単線区間(◇は[[列車交換]]可能)、∨:ここより下は単線
:* ※:西唐津駅は旅客用ホームは1面1線のみであるが、ホームのない副本線を用いた列車交換は可能
=== 姪浜駅 - 唐津駅・西唐津駅間 ===
* 当路線の各駅は、[[特定都区市内]]制度における「福岡市内」エリアには属さない。
* 全区間直流電化。
* 停車駅
** 普通…すべての駅に停車
** 快速…●印の駅は停車、○印の駅は平日のみ停車、|印の駅は通過
*** 地下鉄空港線内は全列車各駅停車となる
{| class="wikitable" rules="all"
|-
!rowspan="2" style="border-bottom:3px solid #8f3e97;"|{{縦書き|路線名}}
!rowspan="2" style="border-bottom:3px solid #8f3e97;white-space:nowrap;"|駅番号
!rowspan="2" style="width:8em; border-bottom:3px solid #8f3e97;"|駅名
!colspan="2" style="width:6em;" |営業キロ
!rowspan="2" style="border-bottom:3px solid #8f3e97;"|{{縦書き|快速}}
!rowspan="2" style="border-bottom:3px solid #8f3e97;"|接続路線・備考
!rowspan="2" style="border-bottom:3px solid #8f3e97;"|{{縦書き|線路}}
!rowspan="2" colspan="2" style="border-bottom:3px solid #8f3e97;"|所在地
|-
!style="border-bottom:3px solid #8f3e97;"|駅間
!style="border-bottom:3px solid #8f3e97;"|累計
|-
|rowspan="20" style="text-align:center;"|{{縦書き|'''筑肥線'''}}
!JK01
|[[姪浜駅]]
|style="text-align:center;"| -
|style="text-align:right;"|0.0
|style="text-align:center;"|●
|[[福岡市交通局|福岡市地下鉄]]:[[ファイル:Subway FukuokaKuko.svg|20px]] [[福岡市地下鉄空港線|空港線]](K01)([[福岡空港駅]]まで直通運転)
|∥
|rowspan="15" style="width:1em; text-align:center; line-height:1.2;"|{{縦書き|[[福岡県]]}}
|rowspan="5" style="white-space:nowrap;"|[[福岡市]]<br />[[西区 (福岡市)|西区]]
|-
!JK02
|[[下山門駅]]
|style="text-align:right;"|1.6
|style="text-align:right;"|1.6
|style="text-align:center;"|○
|
|∥
|-
!JK03
|[[今宿駅]]
|style="text-align:right;"|3.6
|style="text-align:right;"|5.2
|style="text-align:center;"|○
|
|∥
|-
!JK04
|[[九大学研都市駅]]
|style="text-align:right;"|1.3
|style="text-align:right;"|6.5
|style="text-align:center;"|●
|
|∥
|-
!JK05
|[[周船寺駅]]
|style="text-align:right;"|1.6
|style="text-align:right;"|8.1
|style="text-align:center;"|○
|
|∥
|-
!JK06
|[[波多江駅]]
|style="text-align:right;"|2.0
|style="text-align:right;"|10.1
|style="text-align:center;"|○
|
|∥
|rowspan="10"|[[糸島市]]
|-
!JK07
|[[糸島高校前駅]]
|style="text-align:right;"|1.2
|style="text-align:right;"|11.3
|style="text-align:center;"|○
|
|∥
|-
!JK08
|[[筑前前原駅]]
|style="text-align:right;"|1.4
|style="text-align:right;"|12.7
|style="text-align:center;"|●
|
|∨
|-
!JK09
|[[美咲が丘駅]]
|style="text-align:right;"|1.6
|style="text-align:right;"|14.3
|style="text-align:center;"||
|
||
|-
!JK10
|[[加布里駅]]
|style="text-align:right;"|1.1
|style="text-align:right;"|15.4
|style="text-align:center;"||
|
|◇
|-
!JK11
|[[一貴山駅]]
|style="text-align:right;"|1.3
|style="text-align:right;"|16.7
|style="text-align:center;"||
|
||
|-
!JK12
|[[筑前深江駅]]
|style="text-align:right;"|3.4
|style="text-align:right;"|20.1
|style="text-align:center;"|●
|
|◇
|-
!JK13
|[[大入駅]]
|style="text-align:right;"|3.2
|style="text-align:right;"|23.3
|style="text-align:center;"||
|
|◇
|-
!JK14
|[[福吉駅]]
|style="text-align:right;"|2.8
|style="text-align:right;"|26.1
|style="text-align:center;"||
|
|◇
|-
!JK15
|[[鹿家駅]]
|style="text-align:right;"|4.1
|style="text-align:right;"|30.2
|style="text-align:center;"||
|
|◇
|-
!JK16
|[[浜崎駅]]
|style="text-align:right;"|5.2
|style="text-align:right;"|35.4
|style="text-align:center;"|●
|
|◇
|rowspan="7" colspan="2"|[[佐賀県]]<br />[[唐津市]]
|-
!JK17
|[[虹ノ松原駅]]
|style="text-align:right;"|2.1
|style="text-align:right;"|37.5
|style="text-align:center;"||
|
||
|-
!JK18
|[[東唐津駅]]
|style="text-align:right;"|1.8
|style="text-align:right;"|39.3
|style="text-align:center;"|●
|
|◇
|-
!JK19
|[[和多田駅]]
|style="text-align:right;"|1.6
|style="text-align:right;"|40.9
|style="text-align:center;"|●
|
||
|-style="height:1em;"
!rowspan="2"|JK20
|rowspan="2"|[[唐津駅]]
|rowspan="2" style="text-align:right;"|1.7
|rowspan="2" style="text-align:right;"|42.6
|rowspan="2" style="text-align:center;"|●
|rowspan="2"|[[九州旅客鉄道]]:{{Color|#0095d9|■}}[[唐津線]]([[久保田駅 (佐賀県)|久保田]]方面)・{{Color|#8f3e97|■}}筑肥線(伊万里方面)<ref group="注釈">列車は全て唐津駅、西唐津駅まで乗り入れる。</ref>
|rowspan="2"|◇
|-
|rowspan="2" style="width:1em; line-height:1.2em; text-align:center;"|{{縦書き|唐津線}}
|-
!JK21
|[[西唐津駅]]
|style="text-align:right;"|2.2
|style="text-align:right;"|44.8
|style="text-align:center;"|●
|
|※
|}
=== 西唐津駅 - 山本駅 - 伊万里駅間 ===
* 全列車普通列車(すべての駅に停車)
* 全駅[[佐賀県]]内に所在。
* 累計営業キロは山本駅起点。
{| class="wikitable" rules="all"
|-
!rowspan="2" style="border-bottom:3px solid #8f3e97;"|{{縦書き|路線名}}
!rowspan="2" style="border-bottom:3px solid #8f3e97;"|{{縦書き|電化方式}}
!rowspan="2" style="border-bottom:3px solid #8f3e97;"|駅番号
!rowspan="2" style="border-bottom:3px solid #8f3e97;"|駅名
!colspan="2"|営業キロ
!rowspan="2" style="border-bottom:3px solid #8f3e97;"|接続路線
!rowspan="2" style="border-bottom:3px solid #8f3e97;"|{{縦書き|線路}}
!rowspan="2" style="border-bottom:3px solid #8f3e97;"|所在地
|-
!style="border-bottom:3px solid #8f3e97;"|駅間
!style="border-bottom:3px solid #8f3e97;"|累計
|-
|rowspan="4" style="width:1em; line-height:1.2;text-align:center;"|{{縦書き|唐津線}}
!rowspan="2" style="width:1em; background:#9cf; line-height:1.2;"|{{縦書き|直流}}
!JK21
|[[西唐津駅]]
|style="text-align:center;"| -
|style="text-align:right;"|9.6
|
|※
|rowspan="8"|[[唐津市]]
|-
!JK20
|[[唐津駅]]
|style="text-align:right;"|2.2
|style="text-align:right;"|7.4
|九州旅客鉄道:{{JR九駅番号|JK}} 筑肥線(姪浜方面)
|◇
|-
!rowspan="13" style="width:1em; background:#fff; line-height:1.2;"|{{縦書き|非電化}}
!rowspan="13"|
|[[鬼塚駅]]
|style="text-align:right;"|3.7
|style="text-align:right;"|3.7
|
|◇
|-style="height:1em;"
|rowspan="2"|[[山本駅 (佐賀県)|山本駅]]
|rowspan="2" style="text-align:right;"|3.7
|rowspan="2" style="text-align:right"|0.0
|rowspan="2"|九州旅客鉄道:{{Color|#0095d9|■}}唐津線(久保田方面)
|rowspan="2"|◇
|-
|rowspan="11" style="width:1em; line-height:1.2;text-align:center;"|{{縦書き|'''筑肥線'''}}
|-
|[[肥前久保駅]]
|style="text-align:right;"|5.1
|style="text-align:right;"|5.1
|
||
|-
|[[西相知駅]]
|style="text-align:right;"|1.5
|style="text-align:right;"|6.6
|
||
|-
|[[佐里駅]]
|style="text-align:right;"|1.6
|style="text-align:right;"|8.2
|
||
|-
|[[駒鳴駅]]
|style="text-align:right;"|2.8
|style="text-align:right;"|11.0
|
||
|rowspan="7" style="white-space:nowrap;"|[[伊万里市]]
|-
|[[大川野駅]]
|style="text-align:right;"|1.9
|style="text-align:right;"|12.9
|
|◇
|-
|[[肥前長野駅]]
|style="text-align:right;"|1.4
|style="text-align:right;"|14.3
|
||
|-
|[[桃川駅]]
|style="text-align:right;"|3.1
|style="text-align:right;"|17.4
|
||
|-
|[[金石原駅]]
|style="text-align:right;"|2.3
|style="text-align:right;"|19.7
|
||
|-
|[[上伊万里駅]]
|style="text-align:right;"|4.4
|style="text-align:right;"|24.1
|
||
|-
|[[伊万里駅]]
|style="text-align:right;"|1.6
|style="text-align:right;"|25.7
|[[松浦鉄道]]:[[松浦鉄道西九州線|西九州線]]
||
|}
=== 廃止区間 ===
* 駅名<ref name="chizucho" />・自治体名・接続路線は特記ないものは廃止直前時点のもの。
* 廃止区間は全線[[非電化]]・[[単線]]
* 累計営業キロは博多駅起点(廃止時点)
* 線路 … |:列車交換不可、◇・∨:列車交換可能(∨:路線起点)、※:[[スイッチバック]]
* 特記なければ各区間廃止日に駅廃止。
==== 博多駅 - 姪浜駅間 ====
この区間は1983年(昭和58年)3月22日、[[福岡市地下鉄空港線|福岡市地下鉄1号線(現在の空港線)]]と引き替えで廃止された。なお、廃止区間各駅のみならず、姪浜駅・今宿駅・周船寺駅も[[特定都区市内]]制度における「福岡市内」エリアから外れることになったため、地下鉄等の代替交通機関の運賃も併せて負担が増すこととなった。
* 全駅福岡県福岡市内に所在。
* [[特定都区市内]]制度適用範囲の駅 … {{JR特定都区市内|福}}:福岡市内
* 西新駅は福岡市地下鉄空港線の[[西新駅]]とは別。姪浜駅は当時地上駅。
{| class="wikitable" rules="all"
|-
!rowspan="2"|駅名
!colspan="2"|営業キロ
!rowspan="2"|接続路線・備考
!rowspan="2" style="width:1em;" |{{縦書き|線路}}
!rowspan="2" colspan="3"|所在地
|-
!駅間
!累計
|-
|[[博多駅]] {{JR特定都区市内|福}}
| style="text-align:center;" | -
| style="text-align:right;" |0.0
|[[日本国有鉄道]]:[[山陽新幹線]]・[[鹿児島本線]]<br>[[西日本鉄道]]:[[西鉄福岡市内線|福岡市内線]](1979年2月11日廃止)<br>([[九州新幹線]]・[[博多南線]]・福岡市地下鉄空港線・[[福岡市地下鉄七隈線|七隈線]]は当時未開業)
|∨
| colspan="1" rowspan="2" |[[博多区]]
|-
|[[筑前簑島駅]] {{JR特定都区市内|福}}
| style="text-align:right;" |1.6
| style="text-align:right;" |1.6
|
| |
|-
|[[筑前高宮駅]] {{JR特定都区市内|福}}
| style="text-align:right;" |1.1
| style="text-align:right;" |2.7
|西日本鉄道:[[西鉄天神大牟田線|大牟田線]]([[西鉄平尾駅]])
| ◇
| colspan="1" rowspan="1" |[[中央区 (福岡市)|中央区]]
|-
|[[平尾駅]]
| style="text-align:right;" |0.3
| style="text-align:right;" |3.0
|(1941年8月10日廃止)
| |
| colspan="1" rowspan="1" |[[大字]][[平尾 (福岡市)|平尾]]<br>(現在の中央区)
|-
|[[小笹駅]] {{JR特定都区市内|福}}
| style="text-align:right;" |1.8
| style="text-align:right;" |4.8
|
| |
| colspan="1" rowspan="1" |中央区
|-
|[[鳥飼駅]] {{JR特定都区市内|福}}
| style="text-align:right;" |2.4
| style="text-align:right;" |7.2
|
| ◇
| colspan="1" rowspan="1" |[[城南区]]
|-
|[[西新駅 (国鉄)|西新駅]] {{JR特定都区市内|福}}
| style="text-align:right;" |1.7
| style="text-align:right;" |8.9
|
| ◇
| colspan="1" rowspan="1" |[[西区 (福岡市)|西区]]<br>(現在の[[早良区]])
|-
|[[筑前庄駅]]
| style="text-align:right;" |1.2
| style="text-align:right;" |10.1
|(1941年8月10日廃止)
| |
| colspan="1" rowspan="1" |(現在の早良区)
|-
|[[姪浜駅]] {{JR特定都区市内|福}}
| style="text-align:right;" |1.6
| style="text-align:right;" |11.7
|日本国有鉄道:筑肥線(東唐津・伊万里方面)<br>(福岡市地下鉄空港線は当時未開業)
| ◇
| colspan="1" rowspan="1" |西区
|}
[[ファイル:筑肥線列車 キハ35系 鳥飼付近.jpeg|サムネイル|筑肥線 鳥飼付近 キハ35系他(1967年)]]
; 沿線概況
: 姪浜駅を博多方面に出発した後線路は南下し、[[室見川]]を渡って室見小学校を左に見ながら徐々に左にカーブし、線路はもと通り真東へと進む。その後高取中学校を右手に金屑川を渡り500mほど進むと見えてくる西新駅は福岡市地下鉄空港線の西新駅よりも南側にあった。西新駅からさらに東に進んで早良街道と踏切で交差し、鳥飼駅に達する。鳥飼駅があった場所は現在は城南区役所となっている。鳥飼駅を出ると[[国道202号]]の別府大橋の下を斜めにくぐり、次いで樋井川を渡る。その後右にカーブして住宅街の中を南東に向かい、その後左にカーブして小笹駅に達する。小笹駅からは山荘通りの北側を並走し、次いで踏切で交差して南側を並走しながら東進した後は高宮通りを踏切で交差し、西鉄平尾駅のすぐ南をアンダークロスで抜けると筑前高宮駅(現在はスーパー「[[サニー (スーパーマーケット)|サニー]][[那の川]]店」など)である。筑前高宮駅から300mほど小笹駅寄りの位置には1936年1月1日から1941年8月10日まで平尾駅があった。
: その後右にカーブしながら日赤通りを踏切にて横断し、次いで左にカーブした後、[[那珂川 (九州)|那珂川]]を渡り筑前簑島駅に至る。その後直ちに[[国道385号]]の下をくぐって九州松下電器(現[[パナソニック システムネットワークス]])の北側を左にカーブしながら鹿児島本線に合流し、アンダーパスとなっている[[百年橋通り]]を鉄橋で越え、南側([[竹下駅|竹下]]寄り)から博多駅に至る。
; 廃止区間の現況
: 現在旧線路のうち、筑前簑島駅から小笹駅の西約700m(笹丘1丁目)の区間と鳥飼駅の東約700m(六本松4丁目)と姪浜駅の区間が道路として整備されたが、筑肥線を跨いでいた国道385号の跨道橋や国道202号([[別府橋通り]])の別府大橋など当時の名残を残す場所がある。このうち、筑前高宮駅近くの[[西鉄平尾駅|平尾駅]]入口交差点から[[笹丘]]1丁目までの道路には[[筑肥新道]]という[[福岡市道路愛称]]が付けられるとともに、[[荒江]]2丁目交差点から室見川筑肥橋までの約2.2kmの区間([[福岡市道鳥飼姪の浜線]]の一部)には車道とともに「グリーンレールロード」と呼ばれるウォーキングコースが整備された。また、これ以外の筑前簑島駅付近の旧線路や笹丘1丁目から六本松4丁目の間(「梅光園緑道」と呼ばれる)は遊歩道として整備されている。[[西鉄バス]]([[西日本鉄道博多自動車営業所|69-1系統]])が博多駅 - 小笹 - 昭代三丁目(旧西新駅)を経て[[藤崎バス乗継ターミナル]]まで、同7番系統が城南区役所北口(旧鳥飼駅)から姪浜駅南口まで、ほぼ廃線区間と同ルートを結んでいる。
: なお、旧筑肥線の鉄橋跡に架設された室見川、那珂川などの道路橋には、蒸気機関車の動輪や煙突などをモチーフにした造形物があしらわれており、かつて鉄道が走っていたことを偲ばせるものとなっている。
==== 虹ノ松原駅 - 山本駅間 ====
この区間は1983年(昭和58年)3月22日、虹ノ松原駅 - 唐津駅間の開業とそれに伴う経路変更のため廃止された。なお、この経路変更により唐津線の唐津駅 - 山本駅間が筑肥線との重複区間に指定されたが、1987年(昭和62年)4月1日の国鉄分割民営化と同時に唐津線の単独区間に戻っている。
* 全駅佐賀県唐津市内に所在。
* 東唐津駅は現在の駅とは違って[[松浦川]]の河口付近にあり、スイッチバック駅となっていた。
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|-
!rowspan="2"|駅名
!colspan="2"|営業キロ
!rowspan="2"|接続路線・備考
!rowspan="2" style="width:1em;" |{{縦書き|線路}}
|-
!駅間
!累計
|-
|[[虹ノ松原駅]]
| style="text-align:center;" | -
| style="text-align:right;" |49.2
|日本国有鉄道:筑肥線(博多方面)
||
|-
|[[東唐津駅]]
| style="text-align:right;" |3.0
| style="text-align:right;" |52.2
|
|※
|-
|[[鏡駅]]
| style="text-align:right;" |3.5
| style="text-align:right;" |55.7
|
||
|-
|[[久里駅]]
| style="text-align:right;" |2.2
| style="text-align:right;" |57.9
|
||
|-
|[[山本駅 (佐賀県)|山本駅]]
| style="text-align:right;" |1.7
| style="text-align:right;" |59.6
|日本国有鉄道:筑肥線(伊万里方面)・唐津線
|◇
|}
== 輸送実績 ==
区間別の平均通過人員([[輸送密度]])、旅客運輸収入は以下の通り<ref>[http://www.nikkei.com/article/DGXLZO19473870R30C17A7LX0000/ JR九州、区間別の利用状況を初公表 路線維持へ地元議論促す] - 日本経済新聞(2017年7月31日 23:30配信)</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.jrkyushu.co.jp/company/info/data/senkubetsu.html|title=線区別ご利用状況|accessdate=2022-5-22|publisher=九州旅客鉄道}}</ref>。
{| class="wikitable" style="text-align:right; font-size:90%;"
! rowspan="2" |年度
! colspan="5" |平均通過人員(人/日)
! rowspan="2" |旅客運輸収入<br>(百万円/年)
|-
!全区間
!伊万里 - 唐津
!唐津 - 筑前前原
!筑前前原 - 姪浜
!唐津 - 西唐津(参考)
|-
| style="text-align:left;" |1987年度
|7,557
|728
|7,233
|13,593
|1,315
|-
|-
| style="text-align:left;" |2016年度
|9,752
|236
|5,755
|43,961
|1,026
|3,607
|-
| style="text-align:left;" |2017年度
|9,959
|227
|5,859
|44,975
|1,066
|3,720
|-
| style="text-align:left;" |2018年度
|10,181
|222
|5,870
|46,283
|1,005
|3,803
|-
| style="text-align:left;" |2019年度
|10,207
|214
|5,878
|46,445
|1,024
|3,867
|-
| style="text-align:left;" |2020年度
|7,417
|180
|4,016
|34,282
|766
|2,585
|}
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Reflist|group=注釈}}
=== 出典 ===
{{Reflist}}
== 参考文献 ==
{{ページ番号|date=2019年6月|section=1}}
* [[川島令三]]編著『四国・九州ライン - 全線・全駅・全配線』5 長崎・佐賀エリア、[[講談社]]、2013年。ISBN 978-4-06-295164-7。
* {{Cite book | 和書 | author = 今尾恵介(監修) | title = [[日本鉄道旅行地図帳]] - 全線・全駅・全廃線 | publisher = [[新潮社]] | volume = 12 九州沖縄 | year = 2009 | id = ISBN 978-4-10-790030-2 | ref = imao |pages = 22,23,24,41,42頁}}
== 関連項目 ==
{{Commonscat|Chikuhi Line}}
*[[日本の鉄道路線一覧]]
*[[北筑軌道]](1910 - 1928年に、今川橋 - 加布里間にあった軌道)
*[[仙石線]]・[[七尾線]](筑肥線と同様、周辺のJR線と電気的に孤立している直流電化区間)
*[[京阪京津線]]・[[東急東横線]](筑肥線と同様、直通運転を行う地下鉄が開業したため並行する区間が廃止された)
*[[からつ号]](福岡 - 唐津間を運行する[[昭和自動車]]の[[高速バス]])
*[[西九州自動車道]](筑肥線に並行する[[日本の高速道路|高速道路]])
{{九州旅客鉄道本社}}
{{DEFAULTSORT:ちくひ}}
[[Category:九州地方の鉄道路線]]
[[Category:九州旅客鉄道の鉄道路線]]
[[Category:日本国有鉄道の鉄道路線]]
[[Category:北九州鉄道|路ちくひ]]
[[Category:福岡県の交通]]
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[[Category:部分廃止路線]]
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14,656 |
ヒトゲノム計画
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ヒトゲノム計画(ヒトゲノムけいかく、英: Human Genome Project)は、ヒトのゲノムの全塩基配列を解析するプロジェクト。1953年のDNAの二重らせん構造の発見から50周年となる配列コンソーシアムによって組織され、これまでにワーキング・ドラフトを発表し、その改良版の発表が継続して行われている。
このプロジェクトは1990年にアメリカのエネルギー省と厚生省によって30億ドルの予算が組まれて発足し、15年間での完了が計画されていた。発足後、プロジェクトはアメリカ、イギリス、フランス、ドイツ、中国、日本の国際的協力の拡大と、ゲノム科学の進歩(特に配列解析技術)、およびコンピュータ関連技術の大幅な進歩により、ゲノムの下書き版(ドラフトとも呼ばれる)を2000年に完成した。このアナウンスは2000年6月26日、ビル・クリントン米国大統領とトニー・ブレア英国首相によってなされた。これは予定より2年早い完成であった。完全・高品質なゲノムの完成に向けて作業が継続されて、2003年4月14日には完成版が公開された。そこにはヒトの全遺伝子の99%の配列が99.99%の正確さで含まれるとされている。
プロジェクトが加速したもう一つの理由として、クレイグ・ヴェンター率いるセレラ・ジェノミクス社による商業的なヒトゲノムプロジェクトの存在がある。この企業はショットガン・シークエンシング法という新しい方式でシークエンシングを行い、新たに発見された遺伝子を特許化しようとした。しかしこれは公的資金によって進められているヒトゲノムプロジェクト(こちらを以下HGPとする)と拮抗してしまうことから、調整を図る為にバミューダで会議が開かれることとなり、作成されたデータについては作成から24時間を基本として全て公開して全ての研究者が自由に利用できるようにするという項目を含む、バミューダ原則(1996年2月)という形で合意が成された。最終的には、このような競争はプロジェクトにとって非常に良いものであったことが証明されたといえる。
ゲノムのドラフトは2000年6月に発表されたが、その詳細な情報についてはセレラ社もHGP側も翌年2月まで公表されなかった。2001年2月に、HGP側はNature誌の特別号で、セレラ社はScience誌でその配列に対する分析と、そのドラフトの構築に用いた手法の詳細が発表された。このゲノムのドラフトは全ゲノムのうちの約90%分の足場にはなると期待されており、そのギャップを埋めていくことで完成に近付けることになる。
各ドラフト配列は最低でも4回から5回はチェックされ、シークエンシングの完成度と精度が向上していく。ドラフト配列では約47%が高品質配列であったが、完成版では7-8重のチェックがなされ、エラー率は10,000残基中で1残基程度まで抑えられているという。
ヒトゲノムプロジェクトは、数ある国際ゲノムプロジェクトの一つに過ぎず、各ゲノムプロジェクトはそれぞれの生物のシークエンシングを行っている。ヒトのDNA配列の解読は確実な利益を我々にもたらす一方で、マウスやショウジョウバエ、ゼブラフィッシュ、酵母、線虫、また数多くの微生物や寄生虫などのモデル生物の配列解析の成果は生物学と医学の発展に重要な役割を果たすことが期待されている。
HGPの目標は30億塩基対の高品質な配列を決定するだけでなく、この巨大なデータに含まれる遺伝子を見つけることも重要である。プロジェクトの予備調査では約22,000遺伝子が存在するとされているが、この数は多くの研究者の予測よりも遥かに少ないこともあり、現在でもこの調査は進行中である。HGPのもう一つのゴールはより高速かつ効率的なDNAシークエンシング法を開発し、それを産業化に向けて技術移転することにある。
今日、ヒトのDNA配列情報はデータベースに蓄積され、インターネットを介して誰でも利用することができる。ただし、これらのデータは何らかの解釈を加えなければほとんど利用価値が無いことから、これらのデータを解析するコンピュータ・プログラムが数多く開発されている。
単純なDNA塩基配列の中から遺伝子の境界を特定したり、何らかの特徴を見出す作業はアノテーションと呼ばれ、バイオインフォマティクスの得意とする分野である。現在でも最高品質のアノテーションを行うには生物の専門家に頼らねばならないが、その作業には大変な時間を要する。しかし、ゲノムプロジェクトのようなハイスループットなデータ生産の現場では、それに見合うペースでのアノテーションが必要とされたことから、コンピュータプログラムが利用されるケースが多くなってきたのである。現在、アノテーションに用いられている技術として最も役立っているのは、人間の言語の統計モデルをDNA配列解析に応用したものであり、形式文法などのコンピュータ・サイエンスから導入した手法を利用している。
ゲノムデータを解釈する作業は、まだ始まったばかりである。ゲノム情報の解明は、医学やバイオテクノロジーの飛躍的な発展に貢献することが期待されている。そしてやがてはガンやアルツハイマー病などの疾患の治療に役立つものになると思われる。
例えば、ある研究者が何らかのガンについて調査していく過程で、ある遺伝子に着目したとする。この研究者はWWWのヒトのゲノム・データベースを訪れることで、他の研究者がこれまでにこの遺伝子について何を調査したのか、3次構造はどうなっているのか、どのような機能があるのか、他のヒトの遺伝子との進化上での関係はどうなっているのか、酵母やマウス、ショウジョウバエと比べてどうなっているのか、有害な突然変異が起こる可能性があるか、他の遺伝子と相互作用するのか、どの組織で発現しているのか、関連する疾患は何か...などについて調査することができる。 このような得られる情報の種類は数多くあり、これはバイオインフォマティクスが注目を浴びる一因となっている。
特にゲノム学と関連して注目を集めている技術としてはマイクロアレイがある(マイクロアレイはDNAチップとも呼ばれる)。これはDNAのプローブが小さな板の上に規則的に配置されたもので、3万件以上の遺伝子について、同時にそれらのサンプル内における存在量を測定できるものである。この技術はこれからの医学・科学向けの診断用ツールとしての可能性を秘めていることから、大きな関心を集めている。また、ヒトゲノム計画の結果として今後も数多くの技術がここから派生すると見られている。
生物間でのDNA配列比較分析が可能となったことで、進化の研究においては新たな道が切り開かれた。現在では進化に関わる問題は、多くの場合は分子生物学の手法によって研究を進めることができる。実に、リボソームの出現や細胞内小器官の出現、胚発生から各種器官への発達、脊椎動物の免疫系の出現までを分子レベルで関連付けできるのである。このプロジェクトのデータによって、ヒトとその近縁の種(霊長類や哺乳類)の違いや類似性に関する問題が解明されていくであろうと期待されている。
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"text": "特にゲノム学と関連して注目を集めている技術としてはマイクロアレイがある(マイクロアレイはDNAチップとも呼ばれる)。これはDNAのプローブが小さな板の上に規則的に配置されたもので、3万件以上の遺伝子について、同時にそれらのサンプル内における存在量を測定できるものである。この技術はこれからの医学・科学向けの診断用ツールとしての可能性を秘めていることから、大きな関心を集めている。また、ヒトゲノム計画の結果として今後も数多くの技術がここから派生すると見られている。",
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"text": "生物間でのDNA配列比較分析が可能となったことで、進化の研究においては新たな道が切り開かれた。現在では進化に関わる問題は、多くの場合は分子生物学の手法によって研究を進めることができる。実に、リボソームの出現や細胞内小器官の出現、胚発生から各種器官への発達、脊椎動物の免疫系の出現までを分子レベルで関連付けできるのである。このプロジェクトのデータによって、ヒトとその近縁の種(霊長類や哺乳類)の違いや類似性に関する問題が解明されていくであろうと期待されている。",
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] |
ヒトゲノム計画は、ヒトのゲノムの全塩基配列を解析するプロジェクト。1953年のDNAの二重らせん構造の発見から50周年となる配列コンソーシアムによって組織され、これまでにワーキング・ドラフトを発表し、その改良版の発表が継続して行われている。
|
{{Genomics}}
'''ヒトゲノム計画'''(ヒトゲノムけいかく、{{lang-en-short|Human Genome Project}})は、[[ヒト]]の[[ゲノム]]の全[[塩基配列]]を解析するプロジェクト。[[1953年]]の[[デオキシリボ核酸|DNA]]の[[二重らせん]]構造の発見から50周年となる配列コンソーシアムによって組織され、これまでにワーキング・ドラフトを発表し、その改良版の発表が継続して行われている。
[[ファイル:Wellcome genome bookcase.png|thumb|解読された全ヒトゲノムの上製本]]
==歴史==
このプロジェクトは1990年に[[アメリカ合衆国|アメリカ]]の[[アメリカ合衆国エネルギー省|エネルギー省]]と[[アメリカ合衆国保健福祉省|厚生省]]によって30億ドルの予算が組まれて発足し、15年間での完了が計画されていた。発足後、プロジェクトはアメリカ、イギリス、フランス、ドイツ、中国、日本の国際的協力の拡大と<ref>{{cite web|title=Human Genome Project Completion: Frequently Asked Questions|url=https://www.genome.gov/human-genome-project/Completion-FAQ|work=genome.gov}}</ref>、[[ゲノミクス|ゲノム科学]]の進歩(特に配列解析技術)、および[[情報工学|コンピュータ関連技術]]の大幅な進歩により、ゲノムの下書き版(ドラフトとも呼ばれる)を2000年に完成した。このアナウンスは2000年6月26日、[[ビル・クリントン]]米国大統領と[[トニー・ブレア]]英国首相によってなされた。これは予定より2年早い完成であった。完全・高品質なゲノムの完成に向けて作業が継続されて、2003年4月14日には完成版が公開された。そこにはヒトの全[[遺伝子]]の99%の配列が99.99%の正確さで含まれるとされている。
プロジェクトが加速したもう一つの理由として、[[クレイグ・ヴェンター]]率いる[[セレラ|セレラ・ジェノミクス社]]による商業的なヒトゲノムプロジェクトの存在がある。この企業は[[ショットガン・シークエンシング法]]という新しい方式でシークエンシングを行い、新たに発見された遺伝子を特許化しようとした。しかしこれは公的資金によって進められているヒトゲノムプロジェクト(こちらを以下HGPとする)と拮抗してしまうことから、調整を図る為にバミューダで会議が開かれることとなり、作成されたデータについては作成から24時間を基本として全て公開して全ての研究者が自由に利用できるようにするという項目を含む、[[バミューダ原則]](1996年2月)という形で合意が成された。最終的には、このような競争はプロジェクトにとって非常に良いものであったことが証明されたといえる。
ゲノムのドラフトは2000年6月に発表されたが、その詳細な情報についてはセレラ社もHGP側も翌年2月まで公表されなかった。2001年2月に、HGP側はNature誌の特別号で<ref>[http://www.nature.com/nature/journal/v409/n6822/full/409860a0.html Initial sequencing and analysis of the human genome.] Nature 409, 860-921. 2001年2月15日. </ref>、セレラ社はScience誌で<ref>[https://www.science.org/lookup/doi/10.1126/science.1058040 The Sequence of the Human Genome] Science 291, 1304-1351. 2001年2月16日. </ref>その配列に対する分析と、そのドラフトの構築に用いた手法の詳細が発表された。このゲノムのドラフトは全ゲノムのうちの約90%分の足場にはなると期待されており、そのギャップを埋めていくことで完成に近付けることになる。
各ドラフト配列は最低でも4回から5回はチェックされ、シークエンシングの完成度と精度が向上していく。ドラフト配列では約47%が高品質配列であったが、完成版では7-8重のチェックがなされ、エラー率は10,000残基中で1残基程度まで抑えられているという{{誰2|date=2016年7月}}。
ヒトゲノムプロジェクトは、数ある国際[[ゲノムプロジェクト]]の一つに過ぎず、各ゲノムプロジェクトはそれぞれの生物のシークエンシングを行っている。ヒトの[[デオキシリボ核酸|DNA]]配列の解読は確実な利益を我々にもたらす一方で、[[ハツカネズミ|マウス]]や[[ショウジョウバエ]]、[[ゼブラフィッシュ]]、[[酵母]]、[[線虫]]、また数多くの微生物や寄生虫などの[[モデル生物]]の配列解析の成果は生物学と医学の発展に重要な役割を果たすことが期待されている{{誰2|date=2016年7月}}。
==プロジェクトのゴール==
HGPの目標は30億塩基対の高品質な配列を決定するだけでなく、この巨大なデータに含まれる遺伝子を見つけることも重要である。プロジェクトの予備調査では約22,000遺伝子が存在するとされているが、この数は多くの研究者の予測よりも遥かに少ないこともあり、現在でもこの調査は進行中である。HGPのもう一つのゴールはより高速かつ効率的なDNAシークエンシング法を開発し、それを産業化に向けて技術移転することにある。
今日、ヒトの[[デオキシリボ核酸|DNA]]配列情報はデータベースに蓄積され、インターネットを介して誰でも利用することができる。ただし、これらのデータは何らかの解釈を加えなければほとんど利用価値が無いことから、これらのデータを解析する[[プログラム (コンピュータ)|コンピュータ・プログラム]]が数多く開発されている。<ref> [http://togodb.biosciencedbc.jp/togodb/view/stga_category ゲノム解析ツール リンク集] バイオサイエンスデータベースセンター NBDC (Natiolal Bioscience Database Center) 科学技術振興機構 JST </ref>
単純なDNA[[塩基配列]]の中から遺伝子の境界を特定したり、何らかの特徴を見出す作業は'''アノテーション'''と呼ばれ、[[バイオインフォマティクス]]の得意とする分野である。現在でも最高品質のアノテーションを行うには生物の専門家に頼らねばならないが、その作業には大変な時間を要する。しかし、ゲノムプロジェクトのようなハイスループットなデータ生産の現場では、それに見合うペースでのアノテーションが必要とされたことから、コンピュータプログラムが利用されるケースが多くなってきたのである。現在、アノテーションに用いられている技術として最も役立っているのは、人間の言語の統計モデルをDNA配列解析に応用したものであり、[[形式文法]]などの[[計算機科学|コンピュータ・サイエンス]]から導入した手法を利用している。
==もたらされる利益==
ゲノムデータを解釈する作業は、まだ始まったばかりである。ゲノム情報の解明は、[[医学]]や[[バイオテクノロジー]]の飛躍的な発展に貢献することが期待されている。そしてやがては[[悪性腫瘍|ガン]]や[[アルツハイマー病]]などの疾患の治療に役立つものになると思われる{{誰2|date=2016年7月}}。
例えば、ある研究者が何らかのガンについて調査していく過程で、ある遺伝子に着目したとする。この研究者は[[World Wide Web|WWW]]のヒトのゲノム・データベースを訪れることで、他の研究者がこれまでにこの遺伝子について何を調査したのか、3次構造はどうなっているのか、どのような機能があるのか、他のヒトの遺伝子との進化上での関係はどうなっているのか、酵母やマウス、ショウジョウバエと比べてどうなっているのか、有害な突然変異が起こる可能性があるか、他の遺伝子と相互作用するのか、どの組織で発現しているのか、関連する疾患は何か…などについて調査することができる。
このような得られる情報の種類は数多くあり、これは[[バイオインフォマティクス]]が注目を浴びる一因となっている。
特にゲノム学と関連して注目を集めている技術としては[[DNAマイクロアレイ|マイクロアレイ]]がある(マイクロアレイはDNAチップとも呼ばれる)。これはDNAのプローブが小さな板の上に規則的に配置されたもので、3万件以上の遺伝子について、同時にそれらのサンプル内における存在量を測定できるものである。この技術はこれからの医学・科学向けの診断用ツールとしての可能性を秘めていることから、大きな関心を集めている。また、ヒトゲノム計画の結果として今後も数多くの技術がここから派生すると見られている{{誰2|date=2016年7月}}。
生物間でのDNA配列比較分析が可能となったことで、[[進化]]の研究においては新たな道が切り開かれた。現在では進化に関わる問題は、多くの場合は[[分子生物学]]の手法によって研究を進めることができる。実に、[[リボソーム]]の出現や細胞内小器官の出現、[[胚]]発生から各種器官への発達、[[脊椎動物]]の[[免疫系]]の出現までを分子レベルで関連付けできるのである。このプロジェクトのデータによって、ヒトとその近縁の種(霊長類や哺乳類)の違いや類似性に関する問題が解明されていくであろうと期待されている{{誰2|date=2016年7月}}。
== 脚注 ==
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==関連項目==
* [[ヒトゲノム]]
* [[遺伝学]]
* [[バイオインフォマティクス]]
* [[オーダメイド医療]]
* [[1000人ゲノムプロジェクト]]
* [[DNAの日]]
* [[ブレイン・イニシアチブ|ブレインイニシアチブ]]
* [[フランシス・コリンズ]] - プロジェクトリーダー
* [[クレイグ・ヴェンター]]
== 外部リンク ==
*[http://www.ncbi.nlm.nih.gov/gene Home - gene - NCBI] - アメリカ[[国立生物工学情報センター]]の遺伝子データベース
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[[Category:ヒトゲノム計画の科学者|*]]
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西日本鉄道
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西日本鉄道株式会社(にしにっぽんてつどう、英: Nishi-Nippon Railroad Co., Ltd.、NNR)は、福岡県を基盤に鉄道、路線バスなどの運営を行う会社である。本社所在地は福岡県福岡市博多区に所在する博多センタービル。日本の大手私鉄の一つである。公共交通機関の経営以外にも国内外で幅広い事業を展開し(「国際物流事業」「その他の自社直営事業」参照)、西鉄グループの中心となる会社でもある。一般的には西鉄(にしてつ、Nishitetsu)として知られている。
なお、大阪府大阪市に本社を置き北陸・近畿・中国地方および福岡県の一部を営業エリアとする西日本旅客鉄道(JR西日本)との関連はない。
福岡県内で天神大牟田線、太宰府線、甘木線、貝塚線(旧・宮地岳線)の4つの鉄道路線、および路線バス・高速バスなどを運営するほか、国際貨物(輸出入)、不動産業、レジャーサービス業なども行っている。福岡県内に留まらず日本全国、さらには海外でも事業を行っている。
鉄道事業の通称は西鉄電車(にしてつでんしゃ)、バス事業の通称は西鉄バス(にしてつバス)である。バス事業は福岡県内を中心とした路線バスや、九州や本州の各都市を結ぶ高速バスを運行しており、その規模は日本最大級である。鉄道事業の規模も日本の民鉄業界の中でも比較的大きく、首都圏・中京圏・京阪神圏の三大都市圏以外の鉄道会社としては唯一大手私鉄の中に含まれる。日本の大手私鉄の中では唯一本州以外で鉄道事業を展開しており、営業エリアが最も西に位置している。
本線格である天神大牟田線のターミナル駅である西鉄福岡(天神)駅は、九州最大の繁華街である福岡市の天神の中心に位置している。同駅周辺には、駅ビルのソラリアターミナルビルやソラリアプラザ、西鉄天神高速バスターミナルなど西鉄グループの施設が集積している。2019年に天神ビッグバンの影響で一時的に博多駅前に移転するまでは、天神にある福岡ビルに本社を置いていた。
1908年に現在の福岡県北九州市で創業した九州電気軌道が前身 で、2018年に110周年を迎えた(傍系の博多湾鉄道汽船は1900年創業)。かつては福岡市内線や北九州線などといった路面電車も有していた が、(事実上の)全面廃止を受けて、都市間高速電車として発展を続けていた大牟田線(現・天神大牟田線)にその中心がシフトした。現在は同路線が鉄道・バス部門における大動脈を担っており、利益捻出の柱ともなっている。
グループ全体でのコーポレート・スローガンは「まちに、夢を描こう。(英語版:Connecting your dreams)」(2014年9月22日から)。
西日本鉄道は、1908年(明治41年)に設立され、1911年(明治44年)に開業した九州電気軌道(九軌)が前身である。これに先立つ1902年(明治35年)には太宰府馬車鉄道(1913年に太宰府軌道と改称、1934年九州鉄道に合併)が二日市 - 太宰府間に馬車鉄道を開業している。1910年(明治43年)には福岡市内で福博電気軌道が、翌1911年には博多電気軌道が路面電車の運行を開始。両社は後にそれぞれ東邦電力と九州水力電気に吸収されるが、1934年(昭和9年)に福博電車が双方の軌道事業を引き継いだ。一方、1924年(大正13年)には九州鉄道(九鉄、国有化された1887年設立の九州鉄道とは別)が福岡駅 - 久留米駅間で高速電車を開業(現・天神大牟田線)し、その約1か月後に博多湾鉄道汽船(湾鉄)が新博多駅(後の千鳥橋駅) - 和白駅間で現在の貝塚線にあたる路線を開業している。
1942年(昭和17年)には陸上交通事業調整法に対応するため、九州電気軌道、福博電車、九州鉄道、博多湾鉄道汽船、筑前参宮鉄道の5社が合併し、西日本鉄道が発足した。登記上は九州電気軌道(本社は小倉市砂津、現在の北九州市小倉北区)による他4社の吸収合併で、合併成立3日後の1942年9月22日に現社名に改称している。当時は太平洋戦争下であり、小倉地区への戦災を恐れて、西鉄発足と同時に本社を福岡市西新に移転し、旧九州電気軌道本社は「北九州営業局」となった。「西日本鉄道」の社名は、5社合併時の博多湾鉄道汽船社長であった太田清蔵により命名されたものである。
西鉄では創立年を自社の直接の母体会社である九州電気軌道が設立された1908年としているが、創立記念日は5社合併後、現社名に改称した9月22日としている。
コーポレートシンボルは1997年のVI導入時に制定された。グラフィックデザイナーの原田進が制作を担当している。
意匠は社名の「Nishitetsu」と方向舵に見立ててNの上下に配置された2つのフィンで構成されている。フィンは人・物・情報・文化の「出逢いの場を提供する事業」「移動を支えるネットワーク事業」という会社が目指す2要素を表し、事業展開を通して会社が躍動感と力強さをもって発展していくことを表現している。コーポレートシンボルに使用されるカラーはコーポレートカラーでもあり、限りない可能性と信頼を表す「にしてつブルー」、若々しさと輝きを表す「にしてつイエロー」、情熱と活動を表す「にしてつレッド」の三色で構成される。
なお、専ら「Nishitetsu Group」のロゴが使われているのが殆どで、「Group」が入っていないオリジナルのロゴは西日本鉄道(本体)と西鉄バス北九州だけが使用している。西鉄グループであっても亀の井バスや株式会社ニモカなどのように「Nishitetsu Group」ロゴを一切使用していない企業もある。
これの派生として、国際物流事業専用で後述の「NNR」ロゴや、一番先頭の「N」のみで表現したものもあり、後者は乗務員の制帽や、西鉄グループ関連のホームページにおける殆どのファビコンで使用されている。
社紋は1942年9月22日に制定された。西日本鉄道の「西」を車輪状に図案化し、3本のスポークが「株主の投資」「従業員の努力」「乗客の愛顧」を表していた。コーポレートシンボル制定後はあまり使われなくなったが、現在もシンボル導入以前の一部バス停や電車・バスの復刻塗装などに使用されている。
西鉄の鉄道路線は、軌間および歴史的経緯(前身会社)の違いから大牟田線系統と貝塚線系統に大別される。大牟田線系統は、軌間が1,435mmで天神大牟田線、太宰府線、甘木線の3路線から構成される。貝塚線系統は軌間が1,067mmの貝塚線のみで構成され、他の西鉄路線から孤立した状態である。
大牟田線系統の本線格にあたる路線である天神大牟田線は、九州一の繁華街である天神に直通しており、料金不要の特急・急行列車が多数行き交っている。また、天神大牟田線は福岡市中心部から福岡県南部にかけてJR九州の鹿児島本線と並走しており、一部競合関係にある。
一方で、貝塚線は都心のターミナル駅を持たないが、貝塚駅で福岡市地下鉄箱崎線と乗り換えることで都心部への結節を果たしている。貝塚線の地下鉄相互直通運転の構想はあるものの実現は難航している。
路線は全て福岡県内にあり、他県に乗り入れていない(JR鹿児島本線とは異なり西鉄天神大牟田線は筑紫野市から久留米市の途中で佐賀県を経由しない)。また、複線および単線区間はあるが複々線区間は存在しない。
路線のほとんどが福岡平野・筑紫平野上の平坦な地形にあり、地下線も地下駅もないため、日本の大手私鉄で唯一、自社路線にトンネルが全くない。廃止路線も含めると北九州線にトンネルが1か所存在していたが、このトンネルは併用軌道区間にあり、同線廃止後も道路トンネルとして現存している。
かつては北九州市内に北九州線、福岡市内に福岡市内線、大牟田市内に大牟田市内線という軌道線(路面電車)も有していた。収入は軌道線が鉄道線を上回っていたが、高速都市間電車として成長する大牟田線と対照的に利益面では悪化をたどった。自動車流入量の増加や福岡市営地下鉄や北九州モノレールなど代替輸送機関の整備に伴い全廃されている。
かつては北九州線が筑豊電気鉄道線への乗り入れ を1956年の筑豊電気鉄道開業時から北九州線が廃止される2000年まで行っていた。北九州線廃止によって他社局線との直通運転がなくなった西鉄は、2019年11月30日より相模鉄道が東日本旅客鉄道(JR東日本)との相互直通運転を開始したことに伴い、大手私鉄で唯一、他社局線との直通運転を行っていない事業者となった。
なお、三大都市圏以外で唯一の大手私鉄であることから、2022年3月31日時点では、鉄軌道営業収益は16,334(百万円)、旅客輸送人員84,144千人、1日1キロ平均旅客輸送人員(輸送密度)31,199人、旅客用車両は311 両と、大手私鉄16社の中で最も少ない数字となっている。ただし、阪神電気鉄道が新線を開業した2009年度以前は、同社より保有車両数は上回っていた。また、2013年度以前は名古屋鉄道より輸送密度は上回っていた。
近年、西鉄では鉄道事業の活性化施策としてパークアンドライドを推進している。現有路線はその大半が平坦な地形であり、駅までのアクセス手段として路線バスよりもマイカーやバイク、自転車などを用いることが便利な環境にある。これらは広大な筑紫平野では特に顕著であり、沿線の民間経営の駐車場も含めると相当数に上る。駅ロータリーが存在する駅ではキスアンドライドも通勤通学時間帯を中心に多い。西鉄では限られた社有地の範囲内で今後もパークアンドライドを推進したいとしている。
西鉄のダイヤグラム編成上の特徴として、旅客への列車案内時刻が他の鉄道会社と異なり「終着駅では秒単位を切り上げとなっている」点がある(例:ダイヤグラムの到着時刻が10時30分15秒なら、時刻表の到着時刻は10時31分と表示)。途中駅では他社と同様に秒単位を切り捨てた形で案内している。
また、天神大牟田線・太宰府線の主要駅では一般利用客向けにダイヤグラムを1部300円で販売している。この一般利用客向けダイヤグラムには甘木線は掲載されていなかったが、2021年3月13日のダイヤ改正からは掲載されている。ただし、貝塚線は従来どおりダイヤグラムの掲載はない。
2022年3月末時点の旅客輸送人キロは1,208百万人キロ、列車の最大連結両数は7両となっている。これは大手私鉄の中では最も短い。
以下の合計106.1kmの路線を営業しており、これは日本の大手私鉄16社の中では第9位、JR九州以外の九州の鉄道としては肥薩おれんじ鉄道 (116.9km) に次ぐ第2位の路線規模となっている。
路線名左の英字は駅ナンバリングに使われる路線記号
北九州線のうち、黒崎駅前 - 熊西間は、2000年の軌道法による軌道線としての北九州線全廃後も、この区間に乗り入れていた子会社の筑豊電気鉄道が鉄道事業法による第二種鉄道事業者となり、西鉄が第三種鉄道事業者として線路を保有していたが、2015年にこの第三種鉄道事業を筑豊電気鉄道へ吸収分割したため、西鉄の保有路線ではなくなっている。
いずれも国による戦時買収。
西鉄の車両は鉄道線向けに日本初のモノコック構造や高速連接車、前面展望式車両、私鉄初の中間電動車といった日本の鉄道車両史に残る先進的な技術を導入してきた。
2019年(令和元年)3月31日時点で311両(天神大牟田線用295両、貝塚線用16両)の旅客用車両を保有している。かつては気動車、蒸気機関車、電気機関車、客車、貨車も保有していたが、貨物輸送廃止や路線の国有化・廃止などにより、保有車両は1978年以降電車に統一されている。
大牟田線系統で運用を離脱した車両は一部が貝塚線に転用されているが、前述の通り軌間が異なるため、転用に際しては軌間が同じ1,067mmの西武鉄道および東急電鉄の中古台車に履き替えた上で転用されている。現在、貝塚線に在籍する全車両が大牟田線系統からの転用車両である。
西鉄の車両の形式は京成電鉄や小田急電鉄、名古屋市営地下鉄などと同様に「...系」ではなく「...形」と表記するが、西鉄での読み方は「けい」である(例:3000形→3000けい)。この読み方は西鉄以外では遠州鉄道など一部の鉄道会社で見られる特徴的な読み方である。また、旅客用車両の形式記号は名古屋鉄道や近畿日本鉄道などと同様に等級を表す「ハ」を付けずに「ク」(Tc車)、「モ」(MおよびMc車)、「サ」(T車)と呼ぶ。
鉄道線の車体寸法は13m級から19m級が混在する不統一な状態が1970年代まで長く続き、18m以上のロングシート大型車でも構造や出自の相違から2扉と3扉が混在した。標準最大長は600形(2代目)以降19.5mと長めに取っている反面、車体幅は7000形・7050形まで2,670mmの細長い車体が特徴であった。性能面では、標準軌間を利して同じく600形から強力モーターを搭載したM・T同数の経済的な編成を基本としている。
電動車の制御方式は抵抗制御および可変電圧可変周波数制御(VVVFインバータ制御)となっている。特急用である8000形の設計においては、従来の抵抗制御に代わる省エネルギーな制御方式としてチョッパ制御や界磁添加励磁制御などの導入も検討されたが、回生ブレーキの使用効果が薄いことなどから見送られたため、これらの制御方式の車両は存在していない。このため、新製車の制御方式は1990年代前期まで抵抗制御を継続し、1995年の6050形で一足飛びにVVVFインバータ制御に移行している。制御装置は長らく三菱電機製(313形の一部は日立製作所製)を使用していたが、7000形以降は東芝製を採用している。
アルミニウム合金やステンレス鋼といった軽量の合金を使った車体の導入には消極的で、2007年にオールステンレス車両の3000形が登場するまで1両も存在しておらず、これは大手私鉄の中でも最も遅かった。
車両メーカーは軌道線では系列下の九州車輌(現在は解散)ほか複数社のものが採用されていたが、鉄道線では1962年の600形以降、川崎車輌および後身の川崎車両(旧・川崎重工業車両カンパニー)に統一されている。本州にあるメーカー工場(川崎車両兵庫工場)からの新造車両の搬入は、かつては大牟田まで国鉄線を甲種輸送して行っていたが、現在ではカーフェリーにトレーラーごと積み込んで門司港まで海上輸送し、門司港から車両基地までそのまま陸送する形が取られている。
台車については過去近畿車輛、住友金属工業、日本車輌などのさまざまな形式のものが使われてきたが、最近は川崎重工業の軸梁式のものが増えている。かつては連接車(西鉄500形電車、西鉄1000形電車)等の特色のある車両が使われていた。
列車無線アンテナは、全車両上り側(ただし貝塚線は下り側) 先頭車両の運転席屋根に設置されている。
全車が廃車にはなっていないが、当該路線から完全撤退した形式も含む。
大人普通旅客運賃(小児および障害者手帳所持者は半額・10円未満切り上げ)。キロ程は1キロ未満の端数切り上げ(ただし貝塚線特例距離を除く)。鉄道駅バリアフリー料金制度による料金10円の加算を含む。2023年(令和5年)3月27日改定。
なお、鉄道旅客及び荷物営業規則第44条第2項により、天神大牟田線の西鉄福岡(天神) - 味坂駅間の各駅と甘木線の五郎丸 - 甘木駅間の各駅の相互間を乗車し、かつ西鉄久留米駅で乗り換える場合は、重複となる宮の陣 - 西鉄久留米駅間のキロ程も含めて計算することになっている。
2021年3月6日の運賃改定で、天神大牟田線・太宰府線・甘木線と貝塚線が同額になった。天神大牟田線系統と貝塚線のキロ程や運賃額の通算は行わない。
なお特例距離として貝塚線の以下の区間を利用する場合は以下のキロ程とする。
以下の場合を除いて途中下車ができる。
ただし、自動改札機を通ると切符が回収されてしまうため、途中下車の場合は有人通路を通って駅係員から下車印の押印を受ける必要がある。無人駅で途中下車する場合は、運転士または車掌に申し出る。
前述の営業規則第44条第2項により発売された乗車券については、条件を満たしていれば折り返し乗車区間(宮の陣 - 西鉄久留米駅間)となる西鉄久留米駅ならびに櫛原駅でも途中下車が可能である。
その他の割引乗車券
西日本鉄道は福岡都市圏でバス事業を展開しており、エリア内では最大の事業者として運行している。2022年(令和4年)3月31日時点の保有バス車両は1,630台である(子会社保有車両、および他社への賃貸用車両を除く)。1980年代には3,500台以上を保有していた日本最大のバス事業会社であったが、1990年代以降はバス事業の縮小や分社化が進み保有台数が大幅に減少している。
また、福岡県内間ならびに九州各地への都市間バスも多く運行しており、特に福岡市を起終点とする路線においては便数が最も多く、なかでも北九州市とを結ぶ3系統(なかたに号・ひきの号・いとうづ号)や熊本県熊本市とを結ぶ「ひのくに号」においては共同運行会社便も含め輸送人員も最大のシェアを有し、高頻度の運行がなされている。このほか、本州向け便としては東京都(新宿区)・愛知県名古屋市へも乗り入れている。かつて1980年代末期から2010年代においては関西方面・中国方面・四国方面へも乗り入れており、九州発の高速路線ではまさに九州一の路線数を擁していたが、1990年代末期より不採算路線の廃止や近郊都市との路線統合、自社便の撤退などにより多くの路線が廃止され、さらに2000年代を過ぎると格安高速バス(旧ツアーバス)の台頭や格安航空会社(LCC)による航空便の就航などによる影響、近年における深刻な乗務員不足、2020年以降の新型コロナウイルスの感染拡大など様々な理由によりほとんどの路線が廃止・撤退しており、2023年7月時点で本州方面へは前記の2路線のみとなっている。かつては九州内(鹿児島・宮崎・延岡)にも夜行便が運行されていたが、現在は廃止されている。
以前は使用する車体の殆どが傘下の西日本車体工業(西工)で設計製作されていたため外観はほぼ同一だが、エンジンおよびシャーシは国内各メーカーのものを使用していたため、バス番号の最上桁でエンジンやシャシーのメーカーを区別していた。この伝統は西日本車体工業が2010年10月に解散して各メーカーから納車されるようになった現在も続いている。
2009年度の営業損益を見てみると、鉄道事業が3,782百万円の営業黒字に対して、バス事業は2,700百万円の営業赤字(単体ベース)となっており、厳しい経営状況が続いている。経営改善の一環として、他の大手私鉄同様にバス事業の分社化を進めてきたが、本体での運営が残っているのは大手私鉄で唯一となっている。
以下に示すのは現在、西鉄本社が福岡都市圏において直接展開するバス事業についてであり、北九州都市圏など他の地域で西鉄バスと呼ばれているものは西鉄グループの分離子会社によって運行されている。福岡都市圏以外の分離子会社も含めた内容については「西鉄バス」を参照。
営業所名の右の( )内は営業所表記(○の中に漢字/平仮名1、2文字の営業所略称を表示)。
子会社および管理委託されている(子会社所属の運転士が乗務する)路線のみ運行の市町村は除く
自動車事業本部管内(福岡市内とその周辺)で135系統の路線バスを設定している(2004年11月時点。同区間でも急行・快速・特別快速と普通は別系統としている場合がある。また、行先番号が同じでも路線名が異なることがあり、反対に路線名が同じでも経由地の違いにより行先番号が異なる場合もある)。
現在は種別として、普通・快速・急行・特別快速(特快)・特急・直行などが存在している。快速運転を行う区間も全区間から停留所2つ程度まで幅広い。また、直行は必ずしも終着停留所までノンストップというわけではなく、福岡タワー方面には経路上の各停留所に停車する系統も運行されていた(後に番号変更によって消滅)。
設定系統が複雑であることから、直轄営業所の路線では、方面により行先番号のほかに行き先の方面を表す色が設定されている。ただし、深夜バスはいずれの路線も黄色表示で運行される(行先表示機が方向幕だった時代には行先番号を表示しないものもあった)。
(注)行先番号は一例
この項では臨時便扱いなど一部を除く西日本鉄道直営の路線を掲載する。
西鉄バスの路線分類には様々な見方がある。例えば、路線図では別々の路線として扱われている野方(城南)博多駅線と九大(都市高速)博多駅線は、実際の運用では「野方(都市高速)博多駅線」という同一路線として運行されている。本稿はあくまで参考とされたい。
カッコ内は主な系統のうち、原則として毎日、終日運行されている区間。
直轄営業所の路線のうち、利用者が多い・同一経路を走行する行先番号が多い路線においては、運行途中に行先番号を変更している。下表以外にも行先番号を変更する路線は多数あるが、ここでは都心部を運行する路線に限り記載する。その他の路線については各営業所の記事を参照いただきたい。
なお、下表の順路を逆方向に運転する場合や、下表の終着地より遠方に運行する場合、経路が一部異なる場合などは、従来の番号で運行する(6番、39番など)。
なお、下表において下線区間以降で経路・行先が重複する場合は番号変更を行わない。
西日本鉄道の2014年度事業計画 では、施策として「路線バスの乗り継ぎ促進による路線再編」を挙げている。以下に、2013年11月以降の事例を述べる。いずれも郊外と都心を直通する路線の途中に乗り継ぎ拠点を設けて路線を分断することで、郊外方面へは定時性の向上、都心方面へは運行本数・間隔の適正化を図るものであり、乗り継ぎ拠点でnimocaを利用してバスを乗り継いだ場合はnimocaのセンターポイントを100pt付与するサービスを実施している。
2004年10月1日より、既に一部の高速バスで実験を開始していたGPSによるバス位置情報提供システムを「バスロケーションシステム」として福岡都市圏8路線の路線バスに試験導入し、2005年4月1日から「にしてつバスナビ」として福岡都市圏全域に拡大開始し、2006年4月1日までに福岡都市圏全域が対象路線となった。このシステムでは、バスの現在位置や遅れ時間、到着予定時刻といった情報がパソコンや携帯電話と通じてリアルタイムに乗客に提供される。さらに同年11月からは福岡地区のほぼ全てのバス停にQRコードステッカーを貼付したので、携帯電話での利用がさらに簡便になった。同時にパソコン向けに提供されている時刻表のうちバス停や駅の発車時刻表がPDF形式でも提供開始され、閲覧・印刷時の効率化が行われた。
さらに2008年11月からはテレビ西日本との共同開発による、地上デジタル放送のデータ放送を使ったバスロケーションサービス(愛称「バスナビTV」)を開始した。一部のバス停には、テレビ画面形式のバス案内表示板があり、パソコンや携帯電話と同じ形式で表示される。
運賃は基本的に区間制と距離制を地域事情に応じて併用している。一般路線の初乗りは大人170円だが、福岡・北九州地区の特殊区間制運賃が適用されている区間では大人190円である。しかし、西鉄バス北九州管轄の北九州都市圏においては特殊区間制運賃適用区間が広範囲にわたっているのに対し、福岡都市圏では天神・博多駅周辺など北九州よりも比較的狭い範囲にとどまっている。整理券方式で、運賃は降車時に精算する。
なお、原油価格高騰による燃料費等コスト上昇のため、2008年4月1日から次の施策が実施された。バス運賃値上げは9年ぶりである。
上記以外の路線の運賃は据え置き。
西日本鉄道の鉄道全線・全駅と一部の西鉄グループバス路線などでICカード乗車券「nimoca」を導入している。2013年3月23日には交通系ICカード全国相互利用サービスが開始された。
2023年8月1日現在、福岡市地下鉄全線全駅と、JR九州鹿児島本線・香椎線、西鉄天神大牟田線・太宰府線の一部区間で、クレジットカード等の非接触型決済による改札乗車の実証実験が行われている。なお、事業者ごとに対応するカードブランドが異なる。また、おサイフケータイ対応スマートフォンにiDまたはQUICPayで登録されたカード等は、この実験用端末では利用できない。
西鉄の国際物流(フォワーダー)事業は国際物流事業本部が行っている。通称名はにしてつ(英:NNR Global Logistics)としている。
同本部は福岡県内ではなく東京都中央区日本橋3丁目2番5号にある毎日日本橋ビルに置かれている。また、海外には現地法人17社や駐在事務所6か所を持ち、アジア、北米、欧州を中心に拠点を置いている。日本国外では英字社名の略称である「NNR」で通っているため「Nishitetsu」ロゴは使用せず、「NNR」の専用ロゴ(上述)を使用している。買収した他社で、「NNR」を冠する社名変更を行った例もある。社員の採用についても鉄道・バス部門とは別に行っており、原則として物流部門の業務に専念する。
鉄道会社(大手私鉄)の貨物事業部門としては規模が大きく(鉄道系では近鉄エクスプレス・阪急阪神エクスプレスもフォワーダー事業大手だが、近鉄グループホールディングスと阪急阪神ホールディングスのグループ会社であり、その傘下の鉄道会社である近畿日本鉄道と阪急電鉄・阪神電気鉄道の直営ではない)、2006年度は鉄道・流通・バスの各事業を抑えて同社の最多売上高部門となり、2023年3月期決算で当部門の売上は2318億円とグループ全体の半分近くが国際物流事業での売上となっている。このため、西鉄自体が貨物利用運送事業法に基づく外資規制(外国人株主が3分の1以下となる規制)の対象となる。
1948年にパンアメリカン航空と代理店契約を結び航空営業所として設置され、1951年に航空輸送部、1978年に航空貨物事業部に改称した。1957年には西鉄・阪神・近鉄の共同出資でフォワーダー(混載会社)「ジャパン・エアカーゴ・コンソリデーターズ」(JAC)を設立したが、1983年にはJACが解散し、西鉄による単独混載事業を開始している。1985年には航空貨物のほか、海上貨物の取扱いも開始し、NVOCC事業を展開している。利用航空運送事業者(エア・フレイト・フォワーダー)としては日本通運、近鉄エクスプレス、郵船ロジスティクス、阪急阪神エクスプレスに次ぐ5位と国内屈指の事業規模である。
2008年7月1日より従来の航空貨物事業部から国際物流事業本部と改称し、日本国内の対外向けとして使用してきた「西鉄航空」の名称も「にしてつ」に改められた。
その他以下の事業を直営で行っている。あるいは行っていた。グループ企業が行っている事業については「西鉄グループ」を参照。
博多湾鉄道汽船から引き継いだ遊園地・植物園「かしいかえん」を運営していたが、2021年12月30日限りで閉園した。また、九州電気軌道時代からの直営であった到津(いとうづ)遊園を運営していたが、2000年に閉園し、北九州市に引き継がれて到津の森公園となった。
子会社の運営する施設として、太宰府天満宮との共同出資で設立された太宰府園が運営するだざいふ遊園地や、海の中道海洋生態科学館が運営するマリンワールド海の中道がある。
九州地区のほか海外(東南アジアやアメリカ合衆国)で、ビルや商業施設、ホテル、集合住宅、住宅地などを開発している。2020年4月1日付の組織改正で、都市開発事業本部から天神地区開発を担当する本部を、住宅事業本部から海外事業開発部を独立させることを公表している。街づくり事業での海外進出は2015年からで、デベロッパーにバス会社者としてのノウハウを加えて、通勤用バス運転手の育成も手掛けるなど交通渋滞対策も講じている。
九州電気軌道子会社であった九州土地興業の後身である西鉄地所(1971年に西鉄へ吸収)は小倉市(現・北九州市)の海面埋立事業を行い、西鉄の発足後もしばらくの間、沿線の宅地開発を西鉄不動産と西鉄地所の両社が西鉄を代理する形で行っている。
2013年より、縁線(えんせん)プロジェクトとして展開。
「いえすい」として飲料水宅配サービス事業を事業創造部が運営。
「西鉄」の名前を日本全国に広めたのはプロ野球とも言える。西鉄は太平洋戦争中の1943年に球団買収で西鉄軍を発足させ、日本野球連盟に参加したが、この年限りで解散している。
戦後、西鉄はプロ野球復帰を望んだが、西鉄軍は連盟に解散届を提出していたために復帰を認められなかった。そこで西鉄はアマチュア社会人野球チームを結成。1948年の第19回都市対抗野球大会では優勝を収める。社内ではこのチームを基に再びプロ野球に参戦しようという機運が盛り上がっていた。
日本野球連盟が2リーグ制へ分裂した1949年11月26日、西鉄は社会人野球チームを発展させる形で西鉄クリッパースを創設。1950年1月28日運営会社西鉄野球株式会社を設立し、パシフィック・リーグの一員として参加した。1951年には同じ福岡市(平和台球場)を本拠地としていたセントラル・リーグの西日本パイレーツを統合して西鉄ライオンズと改称し、以後1972年まで所有した。ライオンズは1956年 - 1958年の日本シリーズ3連覇を含めて5度のリーグ優勝に輝いたが、1969年に発覚した黒い霧事件で戦力・人気両面で致命的なダメージを受け、福岡市内線廃止問題も浮上したことで西鉄は1972年シーズン後に中村長芳に球団を売却する。チーム名は太平洋クラブをスポンサーとして太平洋クラブライオンズとなる。その後クラウンライターライオンズを経て1978年10月に国土計画へ売却され西武ライオンズとなり、本拠地は埼玉県所沢市に移転した。なお、西鉄野球として設立された運営会社は福岡野球株式会社・株式会社西武ライオンズと商号変更を繰り返しながらも現在まで存続している。
埼玉西武ライオンズはかつては西鉄を含めた福岡時代の成績や記録を自らの歴代記録に含んでこなかった。一例として、毎年発行されるファンブックに掲載される年表では、長年にわたり1978年の買収を球団発足とする記述がなされていた。ところが、堤義明をはじめとした西武グループ創業家一族の失脚によるグループ再編を受け、2008年1月末から球団公式サイト内の年表では福岡時代についても記述するようになっただけでなく、同年は西鉄創業100周年事業と西武球団としての30周年事業とが重なったこともあり、「ライオンズ・クラシック」と題して西鉄時代のユニフォームを復刻して試合で着用するイベントを行った。これに合わせて球団公式サイトでは福岡時代の歴史を大きく取り上げる など、これまでの姿勢を大きく転換した。このイベントには西鉄も後援企業として参加したほか、地元福岡では福岡三越とともに「よみがえる西鉄ライオンズ」と題した記念イベントを開催し、独自の記念グッズも販売した。その後、西鉄の他に福岡野球が経営していたころや、戦前の西鉄軍の前身で、奇しくも西武の源流企業(現在の西武新宿線の前身)が経営に関与していた東京セネタースについても取り上げた企画を行っている。
現在はかつてのライバル球団・南海ホークスの後身である福岡ソフトバンクホークスを地元企業として後援し、2017年から同球団に復帰した川﨑宗則選手(アメリカ在住時はメジャーリーグ「シカゴ・カブス」所属)を西鉄電車イメージキャラクターに起用していた。川﨑は西鉄のCMやポスター(電車が主だが、同社の別事業にも一部出演)に出演し、西鉄福岡(天神)駅の一日駅長を務めたこともある。
前身会社の関係人物を含む。
代数は九軌より数える。カッコ内は在任期間。
西鉄では以前に大分県への近鉄グループの進出を巡り、一時期近畿日本鉄道と対立していたことがあったが、現在は小康状態となっている。
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"text": "西日本鉄道株式会社(にしにっぽんてつどう、英: Nishi-Nippon Railroad Co., Ltd.、NNR)は、福岡県を基盤に鉄道、路線バスなどの運営を行う会社である。本社所在地は福岡県福岡市博多区に所在する博多センタービル。日本の大手私鉄の一つである。公共交通機関の経営以外にも国内外で幅広い事業を展開し(「国際物流事業」「その他の自社直営事業」参照)、西鉄グループの中心となる会社でもある。一般的には西鉄(にしてつ、Nishitetsu)として知られている。",
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"text": "なお、大阪府大阪市に本社を置き北陸・近畿・中国地方および福岡県の一部を営業エリアとする西日本旅客鉄道(JR西日本)との関連はない。",
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"text": "福岡県内で天神大牟田線、太宰府線、甘木線、貝塚線(旧・宮地岳線)の4つの鉄道路線、および路線バス・高速バスなどを運営するほか、国際貨物(輸出入)、不動産業、レジャーサービス業なども行っている。福岡県内に留まらず日本全国、さらには海外でも事業を行っている。",
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"text": "鉄道事業の通称は西鉄電車(にしてつでんしゃ)、バス事業の通称は西鉄バス(にしてつバス)である。バス事業は福岡県内を中心とした路線バスや、九州や本州の各都市を結ぶ高速バスを運行しており、その規模は日本最大級である。鉄道事業の規模も日本の民鉄業界の中でも比較的大きく、首都圏・中京圏・京阪神圏の三大都市圏以外の鉄道会社としては唯一大手私鉄の中に含まれる。日本の大手私鉄の中では唯一本州以外で鉄道事業を展開しており、営業エリアが最も西に位置している。",
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"text": "本線格である天神大牟田線のターミナル駅である西鉄福岡(天神)駅は、九州最大の繁華街である福岡市の天神の中心に位置している。同駅周辺には、駅ビルのソラリアターミナルビルやソラリアプラザ、西鉄天神高速バスターミナルなど西鉄グループの施設が集積している。2019年に天神ビッグバンの影響で一時的に博多駅前に移転するまでは、天神にある福岡ビルに本社を置いていた。",
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"text": "1908年に現在の福岡県北九州市で創業した九州電気軌道が前身 で、2018年に110周年を迎えた(傍系の博多湾鉄道汽船は1900年創業)。かつては福岡市内線や北九州線などといった路面電車も有していた が、(事実上の)全面廃止を受けて、都市間高速電車として発展を続けていた大牟田線(現・天神大牟田線)にその中心がシフトした。現在は同路線が鉄道・バス部門における大動脈を担っており、利益捻出の柱ともなっている。",
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"text": "グループ全体でのコーポレート・スローガンは「まちに、夢を描こう。(英語版:Connecting your dreams)」(2014年9月22日から)。",
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"text": "西日本鉄道は、1908年(明治41年)に設立され、1911年(明治44年)に開業した九州電気軌道(九軌)が前身である。これに先立つ1902年(明治35年)には太宰府馬車鉄道(1913年に太宰府軌道と改称、1934年九州鉄道に合併)が二日市 - 太宰府間に馬車鉄道を開業している。1910年(明治43年)には福岡市内で福博電気軌道が、翌1911年には博多電気軌道が路面電車の運行を開始。両社は後にそれぞれ東邦電力と九州水力電気に吸収されるが、1934年(昭和9年)に福博電車が双方の軌道事業を引き継いだ。一方、1924年(大正13年)には九州鉄道(九鉄、国有化された1887年設立の九州鉄道とは別)が福岡駅 - 久留米駅間で高速電車を開業(現・天神大牟田線)し、その約1か月後に博多湾鉄道汽船(湾鉄)が新博多駅(後の千鳥橋駅) - 和白駅間で現在の貝塚線にあたる路線を開業している。",
"title": "歴史"
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"text": "1942年(昭和17年)には陸上交通事業調整法に対応するため、九州電気軌道、福博電車、九州鉄道、博多湾鉄道汽船、筑前参宮鉄道の5社が合併し、西日本鉄道が発足した。登記上は九州電気軌道(本社は小倉市砂津、現在の北九州市小倉北区)による他4社の吸収合併で、合併成立3日後の1942年9月22日に現社名に改称している。当時は太平洋戦争下であり、小倉地区への戦災を恐れて、西鉄発足と同時に本社を福岡市西新に移転し、旧九州電気軌道本社は「北九州営業局」となった。「西日本鉄道」の社名は、5社合併時の博多湾鉄道汽船社長であった太田清蔵により命名されたものである。",
"title": "歴史"
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"text": "西鉄では創立年を自社の直接の母体会社である九州電気軌道が設立された1908年としているが、創立記念日は5社合併後、現社名に改称した9月22日としている。",
"title": "歴史"
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"text": "コーポレートシンボルは1997年のVI導入時に制定された。グラフィックデザイナーの原田進が制作を担当している。",
"title": "コーポレートシンボル・社紋"
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"text": "意匠は社名の「Nishitetsu」と方向舵に見立ててNの上下に配置された2つのフィンで構成されている。フィンは人・物・情報・文化の「出逢いの場を提供する事業」「移動を支えるネットワーク事業」という会社が目指す2要素を表し、事業展開を通して会社が躍動感と力強さをもって発展していくことを表現している。コーポレートシンボルに使用されるカラーはコーポレートカラーでもあり、限りない可能性と信頼を表す「にしてつブルー」、若々しさと輝きを表す「にしてつイエロー」、情熱と活動を表す「にしてつレッド」の三色で構成される。",
"title": "コーポレートシンボル・社紋"
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"text": "なお、専ら「Nishitetsu Group」のロゴが使われているのが殆どで、「Group」が入っていないオリジナルのロゴは西日本鉄道(本体)と西鉄バス北九州だけが使用している。西鉄グループであっても亀の井バスや株式会社ニモカなどのように「Nishitetsu Group」ロゴを一切使用していない企業もある。",
"title": "コーポレートシンボル・社紋"
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"text": "これの派生として、国際物流事業専用で後述の「NNR」ロゴや、一番先頭の「N」のみで表現したものもあり、後者は乗務員の制帽や、西鉄グループ関連のホームページにおける殆どのファビコンで使用されている。",
"title": "コーポレートシンボル・社紋"
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"text": "社紋は1942年9月22日に制定された。西日本鉄道の「西」を車輪状に図案化し、3本のスポークが「株主の投資」「従業員の努力」「乗客の愛顧」を表していた。コーポレートシンボル制定後はあまり使われなくなったが、現在もシンボル導入以前の一部バス停や電車・バスの復刻塗装などに使用されている。",
"title": "コーポレートシンボル・社紋"
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"text": "西鉄の鉄道路線は、軌間および歴史的経緯(前身会社)の違いから大牟田線系統と貝塚線系統に大別される。大牟田線系統は、軌間が1,435mmで天神大牟田線、太宰府線、甘木線の3路線から構成される。貝塚線系統は軌間が1,067mmの貝塚線のみで構成され、他の西鉄路線から孤立した状態である。",
"title": "鉄道事業"
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"text": "大牟田線系統の本線格にあたる路線である天神大牟田線は、九州一の繁華街である天神に直通しており、料金不要の特急・急行列車が多数行き交っている。また、天神大牟田線は福岡市中心部から福岡県南部にかけてJR九州の鹿児島本線と並走しており、一部競合関係にある。",
"title": "鉄道事業"
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"text": "一方で、貝塚線は都心のターミナル駅を持たないが、貝塚駅で福岡市地下鉄箱崎線と乗り換えることで都心部への結節を果たしている。貝塚線の地下鉄相互直通運転の構想はあるものの実現は難航している。",
"title": "鉄道事業"
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"text": "路線は全て福岡県内にあり、他県に乗り入れていない(JR鹿児島本線とは異なり西鉄天神大牟田線は筑紫野市から久留米市の途中で佐賀県を経由しない)。また、複線および単線区間はあるが複々線区間は存在しない。",
"title": "鉄道事業"
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"text": "路線のほとんどが福岡平野・筑紫平野上の平坦な地形にあり、地下線も地下駅もないため、日本の大手私鉄で唯一、自社路線にトンネルが全くない。廃止路線も含めると北九州線にトンネルが1か所存在していたが、このトンネルは併用軌道区間にあり、同線廃止後も道路トンネルとして現存している。",
"title": "鉄道事業"
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"text": "かつては北九州市内に北九州線、福岡市内に福岡市内線、大牟田市内に大牟田市内線という軌道線(路面電車)も有していた。収入は軌道線が鉄道線を上回っていたが、高速都市間電車として成長する大牟田線と対照的に利益面では悪化をたどった。自動車流入量の増加や福岡市営地下鉄や北九州モノレールなど代替輸送機関の整備に伴い全廃されている。",
"title": "鉄道事業"
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"text": "かつては北九州線が筑豊電気鉄道線への乗り入れ を1956年の筑豊電気鉄道開業時から北九州線が廃止される2000年まで行っていた。北九州線廃止によって他社局線との直通運転がなくなった西鉄は、2019年11月30日より相模鉄道が東日本旅客鉄道(JR東日本)との相互直通運転を開始したことに伴い、大手私鉄で唯一、他社局線との直通運転を行っていない事業者となった。",
"title": "鉄道事業"
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"text": "なお、三大都市圏以外で唯一の大手私鉄であることから、2022年3月31日時点では、鉄軌道営業収益は16,334(百万円)、旅客輸送人員84,144千人、1日1キロ平均旅客輸送人員(輸送密度)31,199人、旅客用車両は311 両と、大手私鉄16社の中で最も少ない数字となっている。ただし、阪神電気鉄道が新線を開業した2009年度以前は、同社より保有車両数は上回っていた。また、2013年度以前は名古屋鉄道より輸送密度は上回っていた。",
"title": "鉄道事業"
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{
"paragraph_id": 23,
"tag": "p",
"text": "近年、西鉄では鉄道事業の活性化施策としてパークアンドライドを推進している。現有路線はその大半が平坦な地形であり、駅までのアクセス手段として路線バスよりもマイカーやバイク、自転車などを用いることが便利な環境にある。これらは広大な筑紫平野では特に顕著であり、沿線の民間経営の駐車場も含めると相当数に上る。駅ロータリーが存在する駅ではキスアンドライドも通勤通学時間帯を中心に多い。西鉄では限られた社有地の範囲内で今後もパークアンドライドを推進したいとしている。",
"title": "鉄道事業"
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{
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"text": "西鉄のダイヤグラム編成上の特徴として、旅客への列車案内時刻が他の鉄道会社と異なり「終着駅では秒単位を切り上げとなっている」点がある(例:ダイヤグラムの到着時刻が10時30分15秒なら、時刻表の到着時刻は10時31分と表示)。途中駅では他社と同様に秒単位を切り捨てた形で案内している。",
"title": "鉄道事業"
},
{
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"tag": "p",
"text": "また、天神大牟田線・太宰府線の主要駅では一般利用客向けにダイヤグラムを1部300円で販売している。この一般利用客向けダイヤグラムには甘木線は掲載されていなかったが、2021年3月13日のダイヤ改正からは掲載されている。ただし、貝塚線は従来どおりダイヤグラムの掲載はない。",
"title": "鉄道事業"
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{
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"tag": "p",
"text": "2022年3月末時点の旅客輸送人キロは1,208百万人キロ、列車の最大連結両数は7両となっている。これは大手私鉄の中では最も短い。",
"title": "鉄道事業"
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"text": "以下の合計106.1kmの路線を営業しており、これは日本の大手私鉄16社の中では第9位、JR九州以外の九州の鉄道としては肥薩おれんじ鉄道 (116.9km) に次ぐ第2位の路線規模となっている。",
"title": "鉄道事業"
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"paragraph_id": 28,
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"text": "路線名左の英字は駅ナンバリングに使われる路線記号",
"title": "鉄道事業"
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"paragraph_id": 29,
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"text": "北九州線のうち、黒崎駅前 - 熊西間は、2000年の軌道法による軌道線としての北九州線全廃後も、この区間に乗り入れていた子会社の筑豊電気鉄道が鉄道事業法による第二種鉄道事業者となり、西鉄が第三種鉄道事業者として線路を保有していたが、2015年にこの第三種鉄道事業を筑豊電気鉄道へ吸収分割したため、西鉄の保有路線ではなくなっている。",
"title": "鉄道事業"
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"paragraph_id": 30,
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"text": "いずれも国による戦時買収。",
"title": "鉄道事業"
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"paragraph_id": 31,
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"text": "西鉄の車両は鉄道線向けに日本初のモノコック構造や高速連接車、前面展望式車両、私鉄初の中間電動車といった日本の鉄道車両史に残る先進的な技術を導入してきた。",
"title": "鉄道事業"
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{
"paragraph_id": 32,
"tag": "p",
"text": "2019年(令和元年)3月31日時点で311両(天神大牟田線用295両、貝塚線用16両)の旅客用車両を保有している。かつては気動車、蒸気機関車、電気機関車、客車、貨車も保有していたが、貨物輸送廃止や路線の国有化・廃止などにより、保有車両は1978年以降電車に統一されている。",
"title": "鉄道事業"
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"paragraph_id": 33,
"tag": "p",
"text": "大牟田線系統で運用を離脱した車両は一部が貝塚線に転用されているが、前述の通り軌間が異なるため、転用に際しては軌間が同じ1,067mmの西武鉄道および東急電鉄の中古台車に履き替えた上で転用されている。現在、貝塚線に在籍する全車両が大牟田線系統からの転用車両である。",
"title": "鉄道事業"
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{
"paragraph_id": 34,
"tag": "p",
"text": "西鉄の車両の形式は京成電鉄や小田急電鉄、名古屋市営地下鉄などと同様に「...系」ではなく「...形」と表記するが、西鉄での読み方は「けい」である(例:3000形→3000けい)。この読み方は西鉄以外では遠州鉄道など一部の鉄道会社で見られる特徴的な読み方である。また、旅客用車両の形式記号は名古屋鉄道や近畿日本鉄道などと同様に等級を表す「ハ」を付けずに「ク」(Tc車)、「モ」(MおよびMc車)、「サ」(T車)と呼ぶ。",
"title": "鉄道事業"
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"paragraph_id": 35,
"tag": "p",
"text": "鉄道線の車体寸法は13m級から19m級が混在する不統一な状態が1970年代まで長く続き、18m以上のロングシート大型車でも構造や出自の相違から2扉と3扉が混在した。標準最大長は600形(2代目)以降19.5mと長めに取っている反面、車体幅は7000形・7050形まで2,670mmの細長い車体が特徴であった。性能面では、標準軌間を利して同じく600形から強力モーターを搭載したM・T同数の経済的な編成を基本としている。",
"title": "鉄道事業"
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"paragraph_id": 36,
"tag": "p",
"text": "電動車の制御方式は抵抗制御および可変電圧可変周波数制御(VVVFインバータ制御)となっている。特急用である8000形の設計においては、従来の抵抗制御に代わる省エネルギーな制御方式としてチョッパ制御や界磁添加励磁制御などの導入も検討されたが、回生ブレーキの使用効果が薄いことなどから見送られたため、これらの制御方式の車両は存在していない。このため、新製車の制御方式は1990年代前期まで抵抗制御を継続し、1995年の6050形で一足飛びにVVVFインバータ制御に移行している。制御装置は長らく三菱電機製(313形の一部は日立製作所製)を使用していたが、7000形以降は東芝製を採用している。",
"title": "鉄道事業"
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"paragraph_id": 37,
"tag": "p",
"text": "アルミニウム合金やステンレス鋼といった軽量の合金を使った車体の導入には消極的で、2007年にオールステンレス車両の3000形が登場するまで1両も存在しておらず、これは大手私鉄の中でも最も遅かった。",
"title": "鉄道事業"
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"paragraph_id": 38,
"tag": "p",
"text": "車両メーカーは軌道線では系列下の九州車輌(現在は解散)ほか複数社のものが採用されていたが、鉄道線では1962年の600形以降、川崎車輌および後身の川崎車両(旧・川崎重工業車両カンパニー)に統一されている。本州にあるメーカー工場(川崎車両兵庫工場)からの新造車両の搬入は、かつては大牟田まで国鉄線を甲種輸送して行っていたが、現在ではカーフェリーにトレーラーごと積み込んで門司港まで海上輸送し、門司港から車両基地までそのまま陸送する形が取られている。",
"title": "鉄道事業"
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"text": "台車については過去近畿車輛、住友金属工業、日本車輌などのさまざまな形式のものが使われてきたが、最近は川崎重工業の軸梁式のものが増えている。かつては連接車(西鉄500形電車、西鉄1000形電車)等の特色のある車両が使われていた。",
"title": "鉄道事業"
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{
"paragraph_id": 40,
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"text": "列車無線アンテナは、全車両上り側(ただし貝塚線は下り側) 先頭車両の運転席屋根に設置されている。",
"title": "鉄道事業"
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"paragraph_id": 41,
"tag": "p",
"text": "全車が廃車にはなっていないが、当該路線から完全撤退した形式も含む。",
"title": "鉄道事業"
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{
"paragraph_id": 42,
"tag": "p",
"text": "大人普通旅客運賃(小児および障害者手帳所持者は半額・10円未満切り上げ)。キロ程は1キロ未満の端数切り上げ(ただし貝塚線特例距離を除く)。鉄道駅バリアフリー料金制度による料金10円の加算を含む。2023年(令和5年)3月27日改定。",
"title": "鉄道事業"
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{
"paragraph_id": 43,
"tag": "p",
"text": "なお、鉄道旅客及び荷物営業規則第44条第2項により、天神大牟田線の西鉄福岡(天神) - 味坂駅間の各駅と甘木線の五郎丸 - 甘木駅間の各駅の相互間を乗車し、かつ西鉄久留米駅で乗り換える場合は、重複となる宮の陣 - 西鉄久留米駅間のキロ程も含めて計算することになっている。",
"title": "鉄道事業"
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{
"paragraph_id": 44,
"tag": "p",
"text": "2021年3月6日の運賃改定で、天神大牟田線・太宰府線・甘木線と貝塚線が同額になった。天神大牟田線系統と貝塚線のキロ程や運賃額の通算は行わない。",
"title": "鉄道事業"
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{
"paragraph_id": 45,
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"text": "なお特例距離として貝塚線の以下の区間を利用する場合は以下のキロ程とする。",
"title": "鉄道事業"
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"paragraph_id": 46,
"tag": "p",
"text": "以下の場合を除いて途中下車ができる。",
"title": "鉄道事業"
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"paragraph_id": 47,
"tag": "p",
"text": "ただし、自動改札機を通ると切符が回収されてしまうため、途中下車の場合は有人通路を通って駅係員から下車印の押印を受ける必要がある。無人駅で途中下車する場合は、運転士または車掌に申し出る。",
"title": "鉄道事業"
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"paragraph_id": 48,
"tag": "p",
"text": "前述の営業規則第44条第2項により発売された乗車券については、条件を満たしていれば折り返し乗車区間(宮の陣 - 西鉄久留米駅間)となる西鉄久留米駅ならびに櫛原駅でも途中下車が可能である。",
"title": "鉄道事業"
},
{
"paragraph_id": 49,
"tag": "p",
"text": "その他の割引乗車券",
"title": "鉄道事業"
},
{
"paragraph_id": 50,
"tag": "p",
"text": "西日本鉄道は福岡都市圏でバス事業を展開しており、エリア内では最大の事業者として運行している。2022年(令和4年)3月31日時点の保有バス車両は1,630台である(子会社保有車両、および他社への賃貸用車両を除く)。1980年代には3,500台以上を保有していた日本最大のバス事業会社であったが、1990年代以降はバス事業の縮小や分社化が進み保有台数が大幅に減少している。",
"title": "バス事業"
},
{
"paragraph_id": 51,
"tag": "p",
"text": "また、福岡県内間ならびに九州各地への都市間バスも多く運行しており、特に福岡市を起終点とする路線においては便数が最も多く、なかでも北九州市とを結ぶ3系統(なかたに号・ひきの号・いとうづ号)や熊本県熊本市とを結ぶ「ひのくに号」においては共同運行会社便も含め輸送人員も最大のシェアを有し、高頻度の運行がなされている。このほか、本州向け便としては東京都(新宿区)・愛知県名古屋市へも乗り入れている。かつて1980年代末期から2010年代においては関西方面・中国方面・四国方面へも乗り入れており、九州発の高速路線ではまさに九州一の路線数を擁していたが、1990年代末期より不採算路線の廃止や近郊都市との路線統合、自社便の撤退などにより多くの路線が廃止され、さらに2000年代を過ぎると格安高速バス(旧ツアーバス)の台頭や格安航空会社(LCC)による航空便の就航などによる影響、近年における深刻な乗務員不足、2020年以降の新型コロナウイルスの感染拡大など様々な理由によりほとんどの路線が廃止・撤退しており、2023年7月時点で本州方面へは前記の2路線のみとなっている。かつては九州内(鹿児島・宮崎・延岡)にも夜行便が運行されていたが、現在は廃止されている。",
"title": "バス事業"
},
{
"paragraph_id": 52,
"tag": "p",
"text": "以前は使用する車体の殆どが傘下の西日本車体工業(西工)で設計製作されていたため外観はほぼ同一だが、エンジンおよびシャーシは国内各メーカーのものを使用していたため、バス番号の最上桁でエンジンやシャシーのメーカーを区別していた。この伝統は西日本車体工業が2010年10月に解散して各メーカーから納車されるようになった現在も続いている。",
"title": "バス事業"
},
{
"paragraph_id": 53,
"tag": "p",
"text": "2009年度の営業損益を見てみると、鉄道事業が3,782百万円の営業黒字に対して、バス事業は2,700百万円の営業赤字(単体ベース)となっており、厳しい経営状況が続いている。経営改善の一環として、他の大手私鉄同様にバス事業の分社化を進めてきたが、本体での運営が残っているのは大手私鉄で唯一となっている。",
"title": "バス事業"
},
{
"paragraph_id": 54,
"tag": "p",
"text": "以下に示すのは現在、西鉄本社が福岡都市圏において直接展開するバス事業についてであり、北九州都市圏など他の地域で西鉄バスと呼ばれているものは西鉄グループの分離子会社によって運行されている。福岡都市圏以外の分離子会社も含めた内容については「西鉄バス」を参照。",
"title": "バス事業"
},
{
"paragraph_id": 55,
"tag": "p",
"text": "営業所名の右の( )内は営業所表記(○の中に漢字/平仮名1、2文字の営業所略称を表示)。",
"title": "バス事業"
},
{
"paragraph_id": 56,
"tag": "p",
"text": "子会社および管理委託されている(子会社所属の運転士が乗務する)路線のみ運行の市町村は除く",
"title": "バス事業"
},
{
"paragraph_id": 57,
"tag": "p",
"text": "自動車事業本部管内(福岡市内とその周辺)で135系統の路線バスを設定している(2004年11月時点。同区間でも急行・快速・特別快速と普通は別系統としている場合がある。また、行先番号が同じでも路線名が異なることがあり、反対に路線名が同じでも経由地の違いにより行先番号が異なる場合もある)。",
"title": "バス事業"
},
{
"paragraph_id": 58,
"tag": "p",
"text": "現在は種別として、普通・快速・急行・特別快速(特快)・特急・直行などが存在している。快速運転を行う区間も全区間から停留所2つ程度まで幅広い。また、直行は必ずしも終着停留所までノンストップというわけではなく、福岡タワー方面には経路上の各停留所に停車する系統も運行されていた(後に番号変更によって消滅)。",
"title": "バス事業"
},
{
"paragraph_id": 59,
"tag": "p",
"text": "設定系統が複雑であることから、直轄営業所の路線では、方面により行先番号のほかに行き先の方面を表す色が設定されている。ただし、深夜バスはいずれの路線も黄色表示で運行される(行先表示機が方向幕だった時代には行先番号を表示しないものもあった)。",
"title": "バス事業"
},
{
"paragraph_id": 60,
"tag": "p",
"text": "(注)行先番号は一例",
"title": "バス事業"
},
{
"paragraph_id": 61,
"tag": "p",
"text": "この項では臨時便扱いなど一部を除く西日本鉄道直営の路線を掲載する。",
"title": "バス事業"
},
{
"paragraph_id": 62,
"tag": "p",
"text": "西鉄バスの路線分類には様々な見方がある。例えば、路線図では別々の路線として扱われている野方(城南)博多駅線と九大(都市高速)博多駅線は、実際の運用では「野方(都市高速)博多駅線」という同一路線として運行されている。本稿はあくまで参考とされたい。",
"title": "バス事業"
},
{
"paragraph_id": 63,
"tag": "p",
"text": "カッコ内は主な系統のうち、原則として毎日、終日運行されている区間。",
"title": "バス事業"
},
{
"paragraph_id": 64,
"tag": "p",
"text": "直轄営業所の路線のうち、利用者が多い・同一経路を走行する行先番号が多い路線においては、運行途中に行先番号を変更している。下表以外にも行先番号を変更する路線は多数あるが、ここでは都心部を運行する路線に限り記載する。その他の路線については各営業所の記事を参照いただきたい。",
"title": "バス事業"
},
{
"paragraph_id": 65,
"tag": "p",
"text": "なお、下表の順路を逆方向に運転する場合や、下表の終着地より遠方に運行する場合、経路が一部異なる場合などは、従来の番号で運行する(6番、39番など)。",
"title": "バス事業"
},
{
"paragraph_id": 66,
"tag": "p",
"text": "なお、下表において下線区間以降で経路・行先が重複する場合は番号変更を行わない。",
"title": "バス事業"
},
{
"paragraph_id": 67,
"tag": "p",
"text": "西日本鉄道の2014年度事業計画 では、施策として「路線バスの乗り継ぎ促進による路線再編」を挙げている。以下に、2013年11月以降の事例を述べる。いずれも郊外と都心を直通する路線の途中に乗り継ぎ拠点を設けて路線を分断することで、郊外方面へは定時性の向上、都心方面へは運行本数・間隔の適正化を図るものであり、乗り継ぎ拠点でnimocaを利用してバスを乗り継いだ場合はnimocaのセンターポイントを100pt付与するサービスを実施している。",
"title": "バス事業"
},
{
"paragraph_id": 68,
"tag": "p",
"text": "2004年10月1日より、既に一部の高速バスで実験を開始していたGPSによるバス位置情報提供システムを「バスロケーションシステム」として福岡都市圏8路線の路線バスに試験導入し、2005年4月1日から「にしてつバスナビ」として福岡都市圏全域に拡大開始し、2006年4月1日までに福岡都市圏全域が対象路線となった。このシステムでは、バスの現在位置や遅れ時間、到着予定時刻といった情報がパソコンや携帯電話と通じてリアルタイムに乗客に提供される。さらに同年11月からは福岡地区のほぼ全てのバス停にQRコードステッカーを貼付したので、携帯電話での利用がさらに簡便になった。同時にパソコン向けに提供されている時刻表のうちバス停や駅の発車時刻表がPDF形式でも提供開始され、閲覧・印刷時の効率化が行われた。",
"title": "バス事業"
},
{
"paragraph_id": 69,
"tag": "p",
"text": "さらに2008年11月からはテレビ西日本との共同開発による、地上デジタル放送のデータ放送を使ったバスロケーションサービス(愛称「バスナビTV」)を開始した。一部のバス停には、テレビ画面形式のバス案内表示板があり、パソコンや携帯電話と同じ形式で表示される。",
"title": "バス事業"
},
{
"paragraph_id": 70,
"tag": "p",
"text": "運賃は基本的に区間制と距離制を地域事情に応じて併用している。一般路線の初乗りは大人170円だが、福岡・北九州地区の特殊区間制運賃が適用されている区間では大人190円である。しかし、西鉄バス北九州管轄の北九州都市圏においては特殊区間制運賃適用区間が広範囲にわたっているのに対し、福岡都市圏では天神・博多駅周辺など北九州よりも比較的狭い範囲にとどまっている。整理券方式で、運賃は降車時に精算する。",
"title": "バス事業"
},
{
"paragraph_id": 71,
"tag": "p",
"text": "なお、原油価格高騰による燃料費等コスト上昇のため、2008年4月1日から次の施策が実施された。バス運賃値上げは9年ぶりである。",
"title": "バス事業"
},
{
"paragraph_id": 72,
"tag": "p",
"text": "上記以外の路線の運賃は据え置き。",
"title": "バス事業"
},
{
"paragraph_id": 73,
"tag": "p",
"text": "西日本鉄道の鉄道全線・全駅と一部の西鉄グループバス路線などでICカード乗車券「nimoca」を導入している。2013年3月23日には交通系ICカード全国相互利用サービスが開始された。",
"title": "ICカード乗車券"
},
{
"paragraph_id": 74,
"tag": "p",
"text": "2023年8月1日現在、福岡市地下鉄全線全駅と、JR九州鹿児島本線・香椎線、西鉄天神大牟田線・太宰府線の一部区間で、クレジットカード等の非接触型決済による改札乗車の実証実験が行われている。なお、事業者ごとに対応するカードブランドが異なる。また、おサイフケータイ対応スマートフォンにiDまたはQUICPayで登録されたカード等は、この実験用端末では利用できない。",
"title": "ICカード乗車券"
},
{
"paragraph_id": 75,
"tag": "p",
"text": "西鉄の国際物流(フォワーダー)事業は国際物流事業本部が行っている。通称名はにしてつ(英:NNR Global Logistics)としている。",
"title": "国際物流事業"
},
{
"paragraph_id": 76,
"tag": "p",
"text": "同本部は福岡県内ではなく東京都中央区日本橋3丁目2番5号にある毎日日本橋ビルに置かれている。また、海外には現地法人17社や駐在事務所6か所を持ち、アジア、北米、欧州を中心に拠点を置いている。日本国外では英字社名の略称である「NNR」で通っているため「Nishitetsu」ロゴは使用せず、「NNR」の専用ロゴ(上述)を使用している。買収した他社で、「NNR」を冠する社名変更を行った例もある。社員の採用についても鉄道・バス部門とは別に行っており、原則として物流部門の業務に専念する。",
"title": "国際物流事業"
},
{
"paragraph_id": 77,
"tag": "p",
"text": "鉄道会社(大手私鉄)の貨物事業部門としては規模が大きく(鉄道系では近鉄エクスプレス・阪急阪神エクスプレスもフォワーダー事業大手だが、近鉄グループホールディングスと阪急阪神ホールディングスのグループ会社であり、その傘下の鉄道会社である近畿日本鉄道と阪急電鉄・阪神電気鉄道の直営ではない)、2006年度は鉄道・流通・バスの各事業を抑えて同社の最多売上高部門となり、2023年3月期決算で当部門の売上は2318億円とグループ全体の半分近くが国際物流事業での売上となっている。このため、西鉄自体が貨物利用運送事業法に基づく外資規制(外国人株主が3分の1以下となる規制)の対象となる。",
"title": "国際物流事業"
},
{
"paragraph_id": 78,
"tag": "p",
"text": "1948年にパンアメリカン航空と代理店契約を結び航空営業所として設置され、1951年に航空輸送部、1978年に航空貨物事業部に改称した。1957年には西鉄・阪神・近鉄の共同出資でフォワーダー(混載会社)「ジャパン・エアカーゴ・コンソリデーターズ」(JAC)を設立したが、1983年にはJACが解散し、西鉄による単独混載事業を開始している。1985年には航空貨物のほか、海上貨物の取扱いも開始し、NVOCC事業を展開している。利用航空運送事業者(エア・フレイト・フォワーダー)としては日本通運、近鉄エクスプレス、郵船ロジスティクス、阪急阪神エクスプレスに次ぐ5位と国内屈指の事業規模である。",
"title": "国際物流事業"
},
{
"paragraph_id": 79,
"tag": "p",
"text": "2008年7月1日より従来の航空貨物事業部から国際物流事業本部と改称し、日本国内の対外向けとして使用してきた「西鉄航空」の名称も「にしてつ」に改められた。",
"title": "国際物流事業"
},
{
"paragraph_id": 80,
"tag": "p",
"text": "その他以下の事業を直営で行っている。あるいは行っていた。グループ企業が行っている事業については「西鉄グループ」を参照。",
"title": "その他の自社直営事業"
},
{
"paragraph_id": 81,
"tag": "p",
"text": "博多湾鉄道汽船から引き継いだ遊園地・植物園「かしいかえん」を運営していたが、2021年12月30日限りで閉園した。また、九州電気軌道時代からの直営であった到津(いとうづ)遊園を運営していたが、2000年に閉園し、北九州市に引き継がれて到津の森公園となった。",
"title": "その他の自社直営事業"
},
{
"paragraph_id": 82,
"tag": "p",
"text": "子会社の運営する施設として、太宰府天満宮との共同出資で設立された太宰府園が運営するだざいふ遊園地や、海の中道海洋生態科学館が運営するマリンワールド海の中道がある。",
"title": "その他の自社直営事業"
},
{
"paragraph_id": 83,
"tag": "p",
"text": "九州地区のほか海外(東南アジアやアメリカ合衆国)で、ビルや商業施設、ホテル、集合住宅、住宅地などを開発している。2020年4月1日付の組織改正で、都市開発事業本部から天神地区開発を担当する本部を、住宅事業本部から海外事業開発部を独立させることを公表している。街づくり事業での海外進出は2015年からで、デベロッパーにバス会社者としてのノウハウを加えて、通勤用バス運転手の育成も手掛けるなど交通渋滞対策も講じている。",
"title": "その他の自社直営事業"
},
{
"paragraph_id": 84,
"tag": "p",
"text": "九州電気軌道子会社であった九州土地興業の後身である西鉄地所(1971年に西鉄へ吸収)は小倉市(現・北九州市)の海面埋立事業を行い、西鉄の発足後もしばらくの間、沿線の宅地開発を西鉄不動産と西鉄地所の両社が西鉄を代理する形で行っている。",
"title": "その他の自社直営事業"
},
{
"paragraph_id": 85,
"tag": "p",
"text": "2013年より、縁線(えんせん)プロジェクトとして展開。",
"title": "その他の自社直営事業"
},
{
"paragraph_id": 86,
"tag": "p",
"text": "「いえすい」として飲料水宅配サービス事業を事業創造部が運営。",
"title": "その他の自社直営事業"
},
{
"paragraph_id": 87,
"tag": "p",
"text": "「西鉄」の名前を日本全国に広めたのはプロ野球とも言える。西鉄は太平洋戦争中の1943年に球団買収で西鉄軍を発足させ、日本野球連盟に参加したが、この年限りで解散している。",
"title": "その他の自社直営事業"
},
{
"paragraph_id": 88,
"tag": "p",
"text": "戦後、西鉄はプロ野球復帰を望んだが、西鉄軍は連盟に解散届を提出していたために復帰を認められなかった。そこで西鉄はアマチュア社会人野球チームを結成。1948年の第19回都市対抗野球大会では優勝を収める。社内ではこのチームを基に再びプロ野球に参戦しようという機運が盛り上がっていた。",
"title": "その他の自社直営事業"
},
{
"paragraph_id": 89,
"tag": "p",
"text": "日本野球連盟が2リーグ制へ分裂した1949年11月26日、西鉄は社会人野球チームを発展させる形で西鉄クリッパースを創設。1950年1月28日運営会社西鉄野球株式会社を設立し、パシフィック・リーグの一員として参加した。1951年には同じ福岡市(平和台球場)を本拠地としていたセントラル・リーグの西日本パイレーツを統合して西鉄ライオンズと改称し、以後1972年まで所有した。ライオンズは1956年 - 1958年の日本シリーズ3連覇を含めて5度のリーグ優勝に輝いたが、1969年に発覚した黒い霧事件で戦力・人気両面で致命的なダメージを受け、福岡市内線廃止問題も浮上したことで西鉄は1972年シーズン後に中村長芳に球団を売却する。チーム名は太平洋クラブをスポンサーとして太平洋クラブライオンズとなる。その後クラウンライターライオンズを経て1978年10月に国土計画へ売却され西武ライオンズとなり、本拠地は埼玉県所沢市に移転した。なお、西鉄野球として設立された運営会社は福岡野球株式会社・株式会社西武ライオンズと商号変更を繰り返しながらも現在まで存続している。",
"title": "その他の自社直営事業"
},
{
"paragraph_id": 90,
"tag": "p",
"text": "埼玉西武ライオンズはかつては西鉄を含めた福岡時代の成績や記録を自らの歴代記録に含んでこなかった。一例として、毎年発行されるファンブックに掲載される年表では、長年にわたり1978年の買収を球団発足とする記述がなされていた。ところが、堤義明をはじめとした西武グループ創業家一族の失脚によるグループ再編を受け、2008年1月末から球団公式サイト内の年表では福岡時代についても記述するようになっただけでなく、同年は西鉄創業100周年事業と西武球団としての30周年事業とが重なったこともあり、「ライオンズ・クラシック」と題して西鉄時代のユニフォームを復刻して試合で着用するイベントを行った。これに合わせて球団公式サイトでは福岡時代の歴史を大きく取り上げる など、これまでの姿勢を大きく転換した。このイベントには西鉄も後援企業として参加したほか、地元福岡では福岡三越とともに「よみがえる西鉄ライオンズ」と題した記念イベントを開催し、独自の記念グッズも販売した。その後、西鉄の他に福岡野球が経営していたころや、戦前の西鉄軍の前身で、奇しくも西武の源流企業(現在の西武新宿線の前身)が経営に関与していた東京セネタースについても取り上げた企画を行っている。",
"title": "その他の自社直営事業"
},
{
"paragraph_id": 91,
"tag": "p",
"text": "現在はかつてのライバル球団・南海ホークスの後身である福岡ソフトバンクホークスを地元企業として後援し、2017年から同球団に復帰した川﨑宗則選手(アメリカ在住時はメジャーリーグ「シカゴ・カブス」所属)を西鉄電車イメージキャラクターに起用していた。川﨑は西鉄のCMやポスター(電車が主だが、同社の別事業にも一部出演)に出演し、西鉄福岡(天神)駅の一日駅長を務めたこともある。",
"title": "その他の自社直営事業"
},
{
"paragraph_id": 92,
"tag": "p",
"text": "前身会社の関係人物を含む。",
"title": "西鉄に関係する人物"
},
{
"paragraph_id": 93,
"tag": "p",
"text": "代数は九軌より数える。カッコ内は在任期間。",
"title": "西鉄に関係する人物"
},
{
"paragraph_id": 94,
"tag": "p",
"text": "西鉄では以前に大分県への近鉄グループの進出を巡り、一時期近畿日本鉄道と対立していたことがあったが、現在は小康状態となっている。",
"title": "同業他社およびそのグループとの関係"
}
] |
西日本鉄道株式会社は、福岡県を基盤に鉄道、路線バスなどの運営を行う会社である。本社所在地は福岡県福岡市博多区に所在する博多センタービル。日本の大手私鉄の一つである。公共交通機関の経営以外にも国内外で幅広い事業を展開し(「国際物流事業」「その他の自社直営事業」参照)、西鉄グループの中心となる会社でもある。一般的には西鉄(にしてつ、Nishitetsu)として知られている。 なお、大阪府大阪市に本社を置き北陸・近畿・中国地方および福岡県の一部を営業エリアとする西日本旅客鉄道(JR西日本)との関連はない。
|
{{混同|西日本旅客鉄道|x1=JR西日本こと}}
{{基礎情報 会社
| 社名 = 西日本鉄道株式会社
| 英文社名 = Nishi-Nippon Railroad Co., Ltd.
| ロゴ = [[File:Nishitetsu logo vector.svg|250px|ロゴマーク]]
| 画像 =
| 画像説明 =
| 種類 = [[株式会社 (日本)|株式会社]]
| 機関設計 = [[監査等委員会設置会社]]
| 市場情報 = {{上場情報|東証プライム|9031|1949年5月16日}}{{上場情報|福証|9031|1949年6月28日}}
| 略称 = 西鉄(にしてつ)、NNR
| 国籍 = {{JPN}}
| 本社郵便番号 = 812-0011
| 本社所在地 = [[福岡県]][[福岡市]][[博多区]][[博多駅前]]三丁目5番7号<br/>博多センタービル
| 本社緯度度 = 33
| 本社緯度分 = 35
| 本社緯度秒 = 10.1
| 本社N(北緯)及びS(南緯) = N
| 本社経度度 = 130
| 本社経度分 = 24
| 本社経度秒 = 55.5
| 本社E(東経)及びW(西経) = E
| 座標右上表示 = Yes
| 本社地図国コード = JP
| 設立 = [[1908年]]([[明治]]41年)[[12月17日]]<br />([[九州電気軌道|九州電気軌道株式会社]])
| 業種 = 陸運業
| 事業内容 = [[鉄道]]事業<br />一般乗合旅客自動車運送事業<br />一般貸切旅客自動車運送事業<br />海上運送事業<br />利用運送事業<br />航空運送代理店業<br />[[通関業務|通関業]]<br />[[不動産]]の売買および賃貸業<br />[[遊園地]]・[[植物園]]等の経営<br />他
| 代表者 = [[倉富純男]]([[代表取締役]][[会長]])<br />[[林田浩一]]([[代表取締役]][[社長]])
| 資本金 = 261億5700万円<br />(2022年3月31日現在)<ref name="fy">{{Cite report |author=西日本鉄道株式会社 |date=2022-06-29 |title=第182期(2021年4月1日 - 2022年3月31日)有価証券報告書}}</ref>
| 発行済株式総数 = 7936万0186株<br />(2022年3月31日現在)<ref name="fy" /><!-- 数値を更新する際は出典を修正してください -->
| 売上高 = 連結: 4271億5900万円<br />単独: 1769億2400万円<br />(2022年3月期)<ref name="fy" /><!-- 数値を更新する際は出典を修正してください -->
| 営業利益 = 連結: 104億5100万円<br />単独: 14億8600万円<br />(2022年3月期)<ref name="fy" /><!-- 数値を更新する際は出典を修正してください -->
| 経常利益 = 連結: 139億5300万円<br />単独: 42億3500万円<br />(2022年3月期)<ref name="fy" /><!-- 数値を更新する際は出典を修正してください -->
| 純利益 = 連結: 109億2700万円<br />単独: 43億4200万円<br />(2022年3月期)<ref name="fy" /><!-- 数値を更新する際は出典を修正してください -->
| 純資産 = 連結: 1790億8400万円<br />単独: 1253億8300万円<br />(2022年3月31日現在)<ref name="fy" /><!-- 数値を更新する際は出典を修正してください -->
| 総資産 = 連結: 7345億0000万円<br />単独: 6543億1000万円<br />(2022年3月31日現在)<ref name="fy" /><!-- 数値を更新する際は出典を修正してください -->
| 従業員数 = 連結: 18,576人<br />単独: 4,600人<br />(2022年3月31日現在)<ref name="fy" /><!-- 数値を更新する際は出典を修正してください -->
| 決算期 = [[3月31日]]
| 会計監査人 = [[EY新日本有限責任監査法人]]<ref name="fy" />
| 主要株主 = [[日本マスタートラスト信託銀行]](信託口) 9.27%<br />[[福岡銀行]] 4.91%<br />[[日本生命保険]] 4.24%<br />[[西日本シティ銀行]] 3.81%<br />[[日本カストディ銀行]](信託口) 3.50%<br />[[みずほ銀行]] 2.70%<br />[[明治安田生命保険]] 2.39%<br />[[第一生命保険]] 1.90%<br />[[JPモルガン・チェース|JP MORGAN CHASE BANK 385781]] 1.28%<br />STATE STREET BANK AND TRUST COMPANY 505025 1.26%<br />(2022年3月31日現在)<ref name="fy" /><!-- 数値を更新する際は出典を修正してください -->
| 主要子会社 = 「[[西鉄グループ]]」を参照
| 関係する人物 = 「[[#西鉄に関係する人物|西鉄に関係する人物]]」を参照
| 外部リンク = https://www.nishitetsu.co.jp/
| 特記事項 =
}}
'''西日本鉄道株式会社'''(にしにっぽんてつどう、{{lang-en-short|Nishi-Nippon Railroad Co., Ltd.}}<ref>西日本鉄道株式会社 定款 第1章第1条</ref>、'''NNR''')は、[[福岡県]]を基盤に[[鉄道]]、[[路線バス]]などの運営を行う会社である。本社所在地は福岡県[[福岡市]][[博多区]]に所在する博多センタービル。日本の[[大手私鉄]]の一つである。[[公共交通機関]]の経営以外にも国内外で幅広い事業を展開し(「[[#国際物流事業|国際物流事業]]」「[[#その他の自社直営事業|その他の自社直営事業]]」参照)、[[西鉄グループ]]の中心となる会社でもある。一般的には'''西鉄'''(にしてつ、Nishitetsu)として知られている。
なお、[[大阪府]][[大阪市]]に本社を置き[[北陸地方|北陸]]・[[近畿地方|近畿]]・[[中国地方]]および福岡県の一部を営業エリアとする[[西日本旅客鉄道]](JR西日本)との関連はない<ref group="注">JR西日本は福岡県([[山陽新幹線]]、[[博多南線]])も営業エリアに含めているため、[[国鉄分割民営化]]の際は両社の混同が懸念されたことから、西鉄からJR西日本に対して紛らわしい表記をしないことなどを申し入れており、JR西日本もこれを了承している。このためだけではないが、正式社名の読みが西鉄では「にし'''にっぽん'''」と称すのに対し、JR西日本では「にし'''にほん'''」と称すという相違点がある。</ref>。
== 会社概要 ==
[[ファイル:Fukuoka Building.JPG|thumb|200px|2019年3月まで本社が入居していた[[福岡ビル]](解体済)]]
福岡県内で[[西鉄天神大牟田線|天神大牟田線]]、[[西鉄太宰府線|太宰府線]]、[[西鉄甘木線|甘木線]]、[[西鉄貝塚線|貝塚線(旧・宮地岳線)]]の4つの[[鉄道路線]]、および[[路線バス]]・[[高速バス]]などを運営するほか、国際貨物(輸出入)、[[不動産業]]、レジャーサービス業なども行っている。福岡県内に留まらず日本全国、さらには海外でも事業を行っている。<!--2021年度の連結決算では、鉄道事業の収益は全体の3.4%、バス事業は8.4%であるのに対し、[[物流業]]が42%を占めており、その大半が国際[[フォワーダー]]としての貨物事業部門に起因する特徴的な収益構造となっている<ref>{{Cite web |url=https://www.nishitetsu.co.jp/ja/ir/library/earnings/main/00/teaserItems2/0116/linkList/00/link/20220523a.pdf.pdf |title=西日本鉄道株式会社 2021年度(2022年3月期) 決算説明会 |access-date=2022年12月25日}}</ref>。-->
鉄道事業の通称は'''西鉄電車'''(にしてつでんしゃ)、バス事業の通称は'''[[西鉄バス]]'''(にしてつバス)である。バス事業は福岡県内を中心とした[[路線バス]]や、九州や本州の各都市を結ぶ[[高速バス]]を運行しており、その規模は日本最大級である。鉄道事業の規模も日本の[[私鉄|民鉄]]業界の中でも比較的大きく{{Refnest|group="注"|ただし、輸送人員は大手私鉄16社の中で最下位<ref name="oote-genkyou">{{Cite web|和書|url=https://m.mintetsu.or.jp/activity/databook/pdf/22databook_p02-05.pdf |format=PDF|title=大手民鉄の現況(2021年度) |access-date=2023-10-05 |publisher=日本民営鉄道協会}}</ref>}}、[[首都圏 (日本)|首都圏]]・[[中京圏]]・[[京阪神|京阪神圏]]の[[三大都市圏]]以外の鉄道会社としては唯一[[大手私鉄]]の中に含まれる。日本の大手私鉄の中では唯一[[本州]]以外で鉄道事業を展開しており、営業エリアが最も西に位置している。
本線格である天神大牟田線の[[ターミナル駅]]である[[西鉄福岡(天神)駅]]は、九州最大の[[繁華街]]である[[福岡市]]の[[天神 (福岡市)|天神]]の中心に位置している。同駅周辺には、[[駅ビル]]の[[ソラリアターミナルビル]]や[[ソラリアプラザ]]、[[西鉄天神高速バスターミナル]]など西鉄グループの施設が集積している。[[2019年]]に[[天神ビッグバン]]の影響で一時的に[[博多駅]]前に移転するまでは、天神にある[[福岡ビル]]に本社を置いていた。
[[1908年]]に現在の福岡県[[北九州市]]で創業した[[九州電気軌道]]が前身<ref name="hirokawa">{{Cite journal |和書|author =廣川昌哉|title =私鉄企業の地域独占形成と私鉄経営 : 西日本鉄道を例に|date =1985|publisher =経済地理学会|journal =経済地理学年報|volume =31|issue =3|doi=10.20592/jaeg.31.3_242|pages =242-252|ref = }}</ref> で、[[2018年]]に110周年を迎えた(傍系の[[博多湾鉄道汽船]]は[[1900年]]創業)。かつては[[西鉄福岡市内線|福岡市内線]]や[[西鉄北九州線|北九州線]]などといった[[路面電車]]も有していた<ref name="hirokawa" /> が、(事実上の)全面廃止を受けて、都市間高速電車として発展を続けていた大牟田線(現・天神大牟田線)にその中心がシフトした。現在は同路線が鉄道・バス部門における大動脈を担っており、利益捻出の柱ともなっている。
グループ全体でのコーポレート・スローガンは「'''まちに、夢を描こう。'''(英語版:'''Connecting your dreams''')」(2014年9月22日から<ref>{{PDFlink|[https://www.nishitetsu.co.jp/release/2014/14_086.pdf にしてつグループ 新企業メッセージ「まちに、夢を描こう。」制定]}} - 西日本鉄道(2014年9月16日)2014年9月22日閲覧。</ref>)。
== 歴史 ==
西日本鉄道は、[[1908年]]([[明治]]41年)に設立され、[[1911年]](明治44年)に開業した[[九州電気軌道]](九軌)が前身である<ref name="hirokawa"/>。これに先立つ[[1902年]](明治35年)には太宰府馬車鉄道(1913年に太宰府軌道と改称、1934年[[九州鉄道 (2代)|九州鉄道]]に合併)が[[西鉄二日市駅|二日市]] - [[太宰府駅|太宰府]]間に[[馬車鉄道]]を開業している。[[1910年]](明治43年)には福岡市内で[[福博電気軌道]]が、翌1911年には[[博多電気軌道]]が路面電車の運行を開始<ref name="hirokawa"/>。両社は後にそれぞれ[[東邦電力]]と[[九州水力電気]]に吸収されるが、[[1934年]]([[昭和]]9年)に[[西鉄福岡市内線|福博電車]]が双方の軌道事業を引き継いだ<ref name="hirokawa"/>。一方、[[1924年]]([[大正]]13年)には[[九州鉄道 (2代)|九州鉄道]](九鉄、国有化された1887年設立の[[九州鉄道]]とは別)が[[西鉄福岡(天神)駅|福岡駅]] - [[西鉄久留米駅|久留米駅]]間で高速電車を開業(現・天神大牟田線)し<ref name="hirokawa"/>、その約1か月後に[[博多湾鉄道汽船]](湾鉄)が[[西鉄博多駅|新博多駅]](後の千鳥橋駅) - [[和白駅]]間で現在の貝塚線にあたる路線を開業している。
[[1942年]](昭和17年)には[[陸上交通事業調整法]]に対応するため、九州電気軌道、福博電車、九州鉄道、博多湾鉄道汽船、[[筑前参宮鉄道]]の5社が合併し、西日本鉄道が発足した<ref name="hirokawa"/>。[[登記]]上は九州電気軌道(本社は[[小倉市]][[砂津]]、現在の[[北九州市]][[小倉北区]])による他4社の吸収合併で、合併成立3日後の1942年9月22日に現社名に改称している<ref name="hirokawa"/>。当時は[[太平洋戦争]]下であり、小倉地区への[[戦災]]を恐れて、西鉄発足と同時に本社を福岡市[[西新]]に移転し、旧九州電気軌道本社は「北九州営業局」となった。「西日本鉄道」の社名は、5社合併時の博多湾鉄道汽船社長であった[[太田清蔵 (4代目)|太田清蔵]]により命名されたものである。
西鉄では創立年を自社の直接の母体会社である九州電気軌道が設立された1908年としているが、創立記念日は5社合併後、現社名に改称した9月22日としている。
=== 年表 ===
<!--''バス部門の分離譲渡の歴史については[[西鉄バス]]を参照''-->
* [[1942年]]([[昭和]]17年)
** [[9月19日]] - 九州電気軌道が福博電車、九州鉄道、博多湾鉄道汽船、筑前参宮鉄道を合併<ref name="hirokawa"/>。
** [[9月22日]] - 西日本鉄道に社名変更。社紋制定<ref name="RJ158-137"/>。これまで関係各社が保有していた各路線の名称は以下のように定められた。
*** 九州電気軌道 → [[西鉄北九州線|北九州線]]
*** 福博電車 → [[西鉄福岡市内線|福岡市内線]]
*** 九州鉄道
**** [[西鉄天神大牟田線|大牟田線]]、[[西鉄太宰府線|太宰府線]]、[[西鉄甘木線|三井線]]、[[西鉄大川線|大川線]]、[[西鉄大川線|上久留米線]]、[[西鉄大牟田市内線|大牟田市内線]] → いずれも九州鉄道時代の呼称を踏襲
*** 博多湾鉄道汽船
**** 貝塚線(新博多駅 - 宮地岳駅間) → [[西鉄貝塚線|宮地岳線]]
**** 西戸崎駅 - 宇美駅間、酒殿駅 - 志免駅間 → [[香椎線|糟屋線]]
*** 筑前参宮鉄道 → [[勝田線|宇美線]]
* [[1943年]](昭和18年)
** [[プロ野球]]球団「大洋軍」を買収して「[[西鉄軍]]」発足(同年シーズン終了後に解散)。
** 日本初の高速連接車・前面展望型電車[[西鉄500形電車 (鉄道)|500形]]が運転開始。
* 1943年(昭和18年) - [[1944年]](昭和19年) - 福岡県内のバス事業者各社を買収。
* 1944年(昭和19年)[[5月1日]] - 糟屋線と宇美線が戦時体制により[[戦時買収私鉄|国有化]]され、糟屋線は[[日本国有鉄道|国鉄]][[香椎線]]に、宇美線は国鉄[[勝田線]]となる<ref>[{{NDLDC|2961684/7}} 「運輸通信省告示第184・185号」『官報』1944年4月26日]([[国立国会図書館]]デジタルコレクション)</ref>。
* [[1945年]](昭和20年)
** [[1月15日]] - 本社を福岡市大名町1番地に移転。
** [[6月19日]] - [[福岡大空襲]]により本社焼失。
* [[1948年]](昭和23年)
** [[7月15日]] - 三井線の一部区間を休止([[1952年]]廃止)し、甘木線と福島線に分断。上久留米線を休止([[1951年]]廃止)。
** [[11月5日]] - [[パンアメリカン航空]]と代理店契約を結び航空貨物事業本部を設置、航空貨物事業を開始。
* [[1949年]](昭和24年) - プロ野球球団「[[埼玉西武ライオンズ|西鉄クリッパース]]」(会社名:西鉄野球株式会社)発足、[[パシフィック・リーグ|パ・リーグ]]に加盟。
* [[1950年]](昭和25年)
** [[1月6日]] - 本社新社屋落成。
** [[3月6日]] - 貸切バス事業開始。
* [[1951年]](昭和26年)
** 私鉄初の中間電動車を持つ[[西鉄600形電車 (鉄道・初代)|600形(初代)]]が運転開始。
** 西鉄クリッパースが[[西日本パイレーツ]]と合併、「西鉄ライオンズ」となる。
** [[7月1日]] - 宮地岳線宮地岳駅 - [[津屋崎駅]]間が延伸開業。同時に宮地岳駅移転。
** [[9月25日]] - 大川線を休止([[1966年]]廃止)。
* [[1952年]](昭和27年)
** 日本初の[[モノコック]]鉄道車両である[[西鉄313形電車|313形]]運転開始。
** 1月6日 - 大牟田市内線を休止([[1954年]]廃止)。
* [[1957年]](昭和32年)[[2月11日]] - 西鉄初の[[新性能電車#国鉄電車以外に対する用法|新性能車]]として[[西鉄1000形電車 (鉄道)|1000形]]運転開始。
* [[1958年]](昭和33年)[[11月27日]] - 福島線を廃止。
* [[1959年]](昭和34年)5月1日 - 大牟田線で特別料金不要の[[西鉄特急|特急]]を運行開始。
* [[1961年]](昭和36年)[[12月28日]] - [[西鉄福岡(天神)駅|西鉄福岡駅]]に[[自動券売機]]を設置。
* [[1962年]](昭和37年)
** [[4月27日]] - [[福岡ビル]]内に本社を移転。
** 9月25日 - 大牟田線で新[[西鉄600形電車 (鉄道・2代)|600形]]通勤電車の運転開始。
* [[1969年]](昭和44年)[[6月25日]] - [[日本民営鉄道協会]](民鉄協)を脱退。
* [[1972年]](昭和47年)
** [[10月28日]] - シーズン終了後、西鉄ライオンズを[[中村長芳]]([[福岡野球]])に売却。
** [[12月11日]] - 西鉄初の冷房車[[西鉄700形電車|700形]]通勤電車運転開始。
** [[12月16日]] - 大牟田線全線に[[自動列車停止装置]](ATS)完備。
* [[1973年]](昭和48年)
** [[1月5日]] - 福岡市内線の吉塚線(吉塚駅前 - 千代町間)が廃止。
** [[5月10日]] - 大牟田線で[[西鉄2000形電車|2000形]]特急電車運転開始。翌年九州初の[[鉄道友の会]]「[[ローレル賞]]」受賞。
** [[11月17日]] - [[九州自動車道]][[鳥栖ジャンクション|鳥栖]] - [[南関インターチェンジ|南関]]間開通に伴い、福岡市 - [[熊本市]]間の都市間高速バス「ひのくに」を[[高速道路]]経由に変更(西鉄初の高速バス)。
* [[1975年]](昭和50年)
** [[10月10日]] - 大牟田線で[[西鉄5000形電車|5000形]]通勤電車運転開始。
** [[11月2日]] - [[福岡市交通局|福岡市営地下鉄]]の建設工事に伴い、福岡市内線の貫線(九大前 - 姪浜間)、城南線(西新 - 渡辺通1丁目間)、呉服町線(呉服町 - 祇園町間)が廃止。
* [[1978年]](昭和53年)3月3日 - 高架化の完成した[[西鉄平尾駅|平尾駅]] - [[大橋駅 (福岡県)|大橋駅]]間で西鉄初の[[軌条#ロングレール|ロングレール]]を採用。
* [[1979年]](昭和54年)2月11日 - 福岡市内線の循環線と貝塚線が廃止。これにより福岡市内線は全線廃止に。
* [[1980年]](昭和55年)[[11月1日]] - 北九州線の路線の一つである北方線が廃止。
* [[1982年]](昭和57年)[[8月1日]] - 民鉄協に復帰。
* [[1983年]](昭和58年)
** [[3月24日]] - 福岡 - 大阪([[大阪梅田駅 (阪急)|阪急梅田駅]])間に夜行高速バス「[[ムーンライト号 (高速バス)|ムーンライト号]]」を運行開始([[阪急バス]]との共同運行)。
** [[8月3日]] - 鉄道運賃改定を実施(改定率は普通12.5%、通勤18.8%、通学17.9%)
* [[1985年]](昭和60年) - 西鉄福岡駅ターミナルプロジェクト(天神ソラリア計画)開始。
** [[10月23日]] - 新キャッチフレーズ「'''今日も笑顔とまごころで'''」制定。
* [[1986年]](昭和61年)
** [[2月5日]] - 鉄道運賃改定を実施(改定率は普通11.3%、通勤14.8%、通学15.3%)。
** [[9月6日]] - 地平区間としては西鉄初のロングレールが大牟田線[[春日原駅]] - [[白木原駅]]間で完成。
* [[1987年]](昭和62年)
** [[3月25日]] - 大牟田線に新種別「[[直行 (列車)|直行]]」が登場。
** 10月1日 - 主要駅に[[自動改札機]]を導入。
* 1989年([[平成]]元年)
** [[3月10日]] - 大牟田線で[[西鉄8000形電車|8000形]]特急電車運転開始。
** 福岡市で開催された[[アジア太平洋博覧会]]会場内において日本初の[[ガイドウェイバス]]を運行開始(同博覧会終了と同時に終了)。
** 3月24日 - 天神ソラリア計画第1期の「[[ソラリアプラザ|ソラリアプラザビル]]」が営業開始。
** [[4月25日]] - 大牟田線の全車両(事業用および保存車両を除く)の冷房化・高性能化が完了。
* [[1990年]](平成2年)10月14日 - 京王帝都電鉄(現・[[京王電鉄]])と共同で福岡 - 東京([[新宿高速バスターミナル|新宿]])間に日本最長距離の高速バス「[[はかた号]]」を運行開始(後に京王は撤退)。
* [[1991年]](平成3年)[[7月22日]] - 宮地岳線の全車両の冷房化が完了。
* [[1993年]](平成5年)
** [[4月18日]] - 博多湾クルージングシップ「[[マリエラ]]」運航開始(2007年(平成19年)5月1日に西鉄シティホテルに移管)。
** [[5月17日]] - 西鉄初の4扉車両[[西鉄6000形電車|6000形]]通勤電車が大牟田線で運転開始。
** [[7月3日]] - 鉄道運賃改定を実施(改定率は普通13.3%、通勤22.7%、通学16.6%)。
** 9月22日 - 企業理念、社内スローガン「'''私の顔が、会社の顔です'''」、社外向け企業メッセージ「'''人へ、社会へ、あしたへ動く―'''」を制定<ref>『西日本鉄道 創立90周年記念 21世紀への飛躍』p.72</ref>。
* [[1995年]](平成7年)
** [[2月23日]] - 西鉄初の[[可変電圧可変周波数制御|VVVFインバータ制御]]車両、[[西鉄6000形電車|6050形]]通勤電車が大牟田線で運転開始。
** 3月25日 - 大牟田線[[薬院駅]]の高架化完成に伴い同駅に全ての列車が停車。
* [[1996年]](平成8年)[[3月8日]] - 西鉄福岡駅に自動継続定期券発売機導入。
* [[1997年]](平成9年)
** [[1月1日]] - VI([[コーポレートアイデンティティ|ビジュアル・アイデンティティ]])導入。コーポレートシンボル制定。
** 7月1日 - 鉄道運賃改定を実施(改定率は普通15.4%、通勤19.7%、通学18.4%)。
** [[9月27日]] - 西鉄福岡駅の改良工事が完成。
** [[9月29日]] - 天神ソラリア計画第2期の「[[ソラリアターミナルビル]]」が竣工。
* [[1998年]](平成10年)[[4月23日]] - 西鉄天神バスセンターが全面完成。これにより天神ソラリア計画の第2期として計画され、西鉄福岡駅、西鉄天神バスセンターおよび[[福岡三越]]が入った「ソラリアターミナルビル」が全面完成。
* [[1999年]](平成11年)
** [[4月1日]] - [[福岡市交通局]]との共通[[プリペイドカード]]「[[よかネットカード]]」を導入。
** [[4月24日]] - 天神ソラリア計画第3期の「[[ソラリアステージビル]]」が竣工。これにより西鉄福岡駅ターミナルプロジェクト(天神ソラリア計画)が完了。
** 7月1日 - 福岡[[都心]]部([[天神 (福岡市)|天神]] - [[博多駅]]間各ルート)のバス運賃を100円に値下げ。同時に都心部を循環する100円循環バスを運行開始。
* [[2000年]](平成12年)
** 4月1日 - 駅業務を子会社の[[西鉄ステーションサービス]]に委託開始。「駅から・駅まで100円バス」開始、主要駅最寄りバス停とそこから約1[[キロメートル|km]]以内のバス停との間の運賃が100円に値下げされる。
** [[5月3日]] - [[西鉄バスジャック事件]]発生。
** [[11月26日]] - 北九州線が[[熊西駅]] - [[黒崎駅|黒崎駅前駅]]間を除いて全線廃止。熊西駅 - 黒崎駅前駅間は子会社の[[筑豊電気鉄道]]運営に関わる法の関係で第三種[[鉄道事業者]]として形式的に残したもので、事実上は全廃である。<!-- 11月25日最終営業日 参照:https://www.nishitetsu.co.jp/nnr/museum/kitakyushu/ -->
* [[2001年]](平成13年)
** 1月1日 - 大牟田線を天神大牟田線に、西鉄福岡駅を西鉄福岡(天神)駅に改称<ref name="RJ414">{{Cite journal ja-jp |year=2001 |month=04 |title=RAILWAY TOPICS - 西鉄がダイヤ改正 快速急行を新設 |journal=[[鉄道ジャーナル]] |serial= 通巻414号 |page= 95 |publisher=[[鉄道ジャーナル社]] }}</ref>。
** [[1月20日]] - 天神大牟田線に[[快速急行]]を新設<ref name="RJ414"/>。
** [[2月17日]] - 天神大牟田線で[[西鉄7000形電車|7000形]]通勤電車運転開始。
* [[2002年]](平成14年)
** 3月<!--?日--> - 駅を拠点としたウォーキングイベント「レールあんどハイク」開始。
** 5月1日 - 北九州営業局を[[西鉄バス北九州]]として分社。北九州地区における本社直轄拠点が消滅した。
* [[2003年]](平成15年)12月 - 天神大牟田線で[[西鉄7000形電車|7050形]]通勤電車運転開始。
* [[2005年]](平成17年)[[3月1日]] - [[SUNQパス]]発売開始。
* [[2006年]](平成18年)
** 3月25日 - 西鉄初のステンレス車両[[西鉄3000形電車|3000形]]電車が天神大牟田線で運転開始。翌年[[鉄道友の会]]「[[ローレル賞]]」受賞。
** 4月1日 - SUNQパスの対応範囲が全ての九州島内高速バスおよび路線バスに拡大。
* [[2007年]](平成19年)
** 4月1日 - 宮地岳線の[[西鉄新宮駅]] - 津屋崎駅間を廃止、同時に宮地岳線を貝塚線に改称。
** [[7月21日]] - 戦後初の女性[[車掌]]が誕生。
** 8月1日 - 鉄道車両の前部標識灯([[前照灯|ヘッドライト]])の[[昼間点灯|終日点灯]]を開始(ただし、JRや東武鉄道など他の大手民鉄とは異なり、夜間を除いて後部標識灯([[尾灯#鉄道車両|尾灯]])の点灯はほとんどされていない)。
* [[2008年]](平成20年)
** 西鉄の会社登記上の直接の前身である九州電気軌道の設立100周年を記念して、西鉄100周年事業を開始。
** [[3月27日]] - 鉄道各路線で緊急地震速報システムを運用開始
** [[5月18日]] - 非接触型[[乗車カード#ICカード乗車券|ICカード乗車券]]「[[nimoca]]」を導入。
** [[6月9日]] - 西鉄バスの新デザインバスを52台導入し、運行を開始。
** 7月1日 - 鉄道沿線の活性化・沿線価値向上に向けた専門部署「まちづくり推進室」を新設。
** 9月22日 - [[福岡シティループバス「ぐりーん」]]運行開始。
* [[2010年]](平成22年)
** [[3月13日]] - nimocaと、[[九州旅客鉄道|JR九州]]の[[SUGOCA]]、[[福岡市交通局|福岡市地下鉄]]の[[はやかけん]]、[[東日本旅客鉄道|JR東日本]]・[[東京モノレール]]・[[東京臨海高速鉄道]]他の[[Suica]]との相互利用を開始。
** 3月27日 - 天神大牟田線の列車種別の整理・統合を実施。直行・快速急行を急行に格下げし、両種別が消滅。
** [[3月31日]] - 「よかネットカード」販売終了(使用は2011年10月31日で終了)。
** [[10月17日]] - 天神大牟田線で2000形電車の運用終了。
** [[12月21日]] - [[クレジットカード]]による[[定期乗車券|定期券]]・高速バス乗車券等の購入に対応(ただし、当面対応カードはクレジットnimoca(JCB)、JMB nimoca、arecore nimocaの3カードのみ。また、[[雑餉隈駅|雑餉隈]]・[[西鉄小郡駅|小郡]]・[[貝塚駅 (福岡県)|貝塚]]各駅および電車地下鉄連絡定期券は2011年3月中旬頃から対応)<ref>{{Cite web|和書
|date=2009-12-16|url=https://www.nishitetsu.co.jp/release/2010/10_139.pdf|title=クレジットカードで定期券などの購入が可能に!|format=PDF|publisher=西日本鉄道|accessdate=2010年12月18日}}</ref>。
* [[2011年]](平成23年)
** [[6月17日]] - 天神大牟田線を走行中の車内で火花が起こるトラブルが発生<ref>[https://www.nishitetsu.co.jp/1106.htm 本年6月17日の天神大牟田線車両トラブルに関するお詫び]{{リンク切れ|date=2020年3月}}</ref>。
** [[10月7日]] - 株式会社[[あんくるふじや]]の株式を創業家など3名から取得して同社を買収<ref>{{Cite web|和書|date=2011-09-22|url=https://www.nishitetsu.co.jp/release/2011/11_089.pdf|title=株式会社あんくるふじやの株式の取得(子会社化)に関するお知らせ|format=PDF|publisher=西日本鉄道|accessdate=2011年9月23日}}</ref>。
** 10月中旬 - 電車教習所に3000形ベースの「[[鉄道シミュレーター|運転シミュレータ]]」を導入<ref>{{Cite web|和書|date=2011-9-30|url=https://www.nishitetsu.co.jp/release/2011/11_094.pdf|title=西鉄電車教習所に新型「運転シミュレータ」を導入|format=PDF|publisher=西日本鉄道|accessdate=2011年9月29日}}</ref>。
* [[2012年]](平成24年)
** 1月1日 - 完全子会社の株式会社[[福岡スポーツセンター]]を吸収合併<ref>{{Cite web|和書|date=2011-08-04|url=https://www.nishitetsu.co.jp/corporate/ir/briefing/110804_02.pdf|title=子会社の吸収合併(簡易合併・略式合併)に関するお知らせ|format=PDF|publisher=西日本鉄道|accessdate=2011年8月6日}}</ref>。
** 3月24日 - [[FUKUOKA OPEN TOP BUS]]運行開始<ref>{{Cite web|和書|date=2012-03-05|url=http://www01.nishitetsu.co.jp/release/2011/11_180.pdf|title=市内観光2階建てオープンバス 「FUKUOKA OPEN TOP BUS」コース・料金決定|format=PDF|publisher=西日本鉄道|accessdate=2012年3月28日}}</ref>
** [[8月16日]] - [[日本プロサッカーリーグ|Jリーグ]]「[[アビスパ福岡]]」のユニフォームスポンサー(胸)に就任<ref>{{Cite web|和書|date=2012-08-16|url=https://www.avispa.co.jp/news/release_2012_212.html|title=『西鉄グループ』様 ユニフォーム胸スポンサー決定のお知らせ|publisher=アビスパ福岡 公式サイト|accessdate=2013年1月13日}}</ref>
* [[2013年]](平成25年)
** [[3月23日]] - [[Kitaca]]、[[PASMO]]、[[manaca]]、[[TOICA]]、[[ICOCA]]、[[PiTaPa]]が[[交通系ICカード全国相互利用サービス]]開始によって利用可能になる。
** [[9月4日]] - 株式会社[[マルキョウ]]との資本・業務提携を発表<ref>{{PDFlink|[https://www.nishitetsu.co.jp/corporate/ir/briefing/130904.pdf 株式会社マルキョウとの資本・業務提携に向けた基本合意書締結に関するお知らせ]}} - 西日本鉄道株式会社、2013年9月7日閲覧。</ref>。
** [[12月22日]] - [[ホームページ]]をリニューアル。新たに、電車・バスの時刻検索やグループの商品・サービス情報等を紹介する「西鉄くらしネット」を新設。従来のページは会社情報等のページに移行<ref>{{Cite web|和書|date=2013-12-20|url=https://www.nishitetsu.co.jp/release/2013/13_139.pdf|title=にしてつグループホームページを大リニューアル 「西鉄くらしネット」新登場!|format=PDF|publisher=西日本鉄道|accessdate=2013年12月24日}}</ref>。また、同日より[[モバイルアプリケーション|スマートフォンアプリ]]「にしてつバスナビ」を提供開始<ref>{{Cite web|和書|date=2013-12-17|url=https://www.nishitetsu.co.jp/release/2013/13_132.pdf|title=「にしてつバスナビ」スマートフォン専用アプリ 12月22日から無料配信します!|format=PDF|publisher=西日本鉄道|accessdate=2013年12月24日}}</ref>。
* [[2014年]](平成26年)
** [[3月22日]] - 天神大牟田線・太宰府線で8000形を使用した太宰府観光列車「旅人」運転開始<ref>[https://rail.hobidas.com/rmn/archives/2014/03/post_1162.html 【西鉄】太宰府観光列車"旅人"運行開始] - 鉄道ホビダス RMニュース、2014年3月25日</ref><ref>[https://railf.jp/news/2014/03/23/143000.html 西鉄 太宰府観光列車「旅人」運転開始] - [[鉄道ファン (雑誌)|鉄道ファン]]・railf.jp 鉄道ニュース、2014年3月23日</ref>。
** 4月 - 天神大牟田線で戦後初めての女性[[運転士]]が乗務開始<ref>{{Cite web|和書|date=2014-03-27 |url=http://qbiz.jp/article/34442/1/ |title=西鉄電車に初の女性運転士 |website=[[西日本新聞]]経済電子版 |publisher=西日本新聞社 |accessdate=2020-03-09 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20141010032558/http://qbiz.jp/article/34442/1/ |archivedate=2014-10-10}}</ref>。
** 9月22日 - 現行コーポレートメッセージ「'''まちに、夢を描こう。'''」「'''Connecting your dreams'''」を制定。
* [[2015年]](平成27年)
** 3月1日 - [[会社分割]]([[簡易組織再編行為|簡易吸収分割]])方式により、西鉄が保有する黒崎駅前 - 熊西間の鉄道事業および資産を子会社の筑豊電気鉄道へ承継<ref name="nishitetsu20141218">{{Cite press release|和書|url=https://www.nishitetsu.co.jp/pdf/ir/briefing/141218.pdf|format=PDF|title=完全子会社との会社分割(簡易吸収分割)に関するお知らせ|publisher=西日本鉄道|date=2014-12-18|accessdate=2015-01-27}}</ref>。同時に西鉄が保有する同区間の[[鉄道事業者#第三種鉄道事業|第三種鉄道事業]]は廃止となった。
** 3月24日 - [[阪急不動産]]と共同で初の海外マンション分譲事業に参入を発表<ref name="floraanhdao">{{Cite web|和書|date=2015-3-24|url=https://www.nishitetsu.co.jp/release/2014/14_204.pdf|title=西日本鉄道(株)・阪急不動産(株)海外でのマンション分譲事業に初進出-ベトナム・ホーチミンの分譲マンション開発プロジェクトに参画します-|format=PDF|publisher=西日本鉄道・阪急不動産|accessdate=2015年3月24日}}</ref>。
** [[6月30日]] - 西鉄グループ共通[[商品券]]「西鉄ギフト券」の取扱いを終了<ref>{{PDFlink|[https://www.nishitetsu.co.jp/release/2014/14_211.pdf 「西鉄ギフト券」お取り扱いの終了について]}} - 西鉄公式ウェブサイト、2015年4月1日閲覧。</ref><ref group="注">発行は1999年(平成11年)3月に終了している。</ref>。
** 7月1日 - [[福岡西鉄タクシー]]を存続会社として[[北九西鉄タクシー|北九]]・[[久留米西鉄タクシー|久留米]]・[[柳川西鉄タクシー|柳川]]の西鉄タクシー3社を[[合併 (企業)#吸収合併・新設合併|吸収合併]]。福岡西鉄タクシーは[[持株会社|中間持株会社]]「西鉄タクシーホールディングス」となり事業子会社4社を会社分割の方式で新設した<ref>{{PDFlink|[https://www.nishitetsu.co.jp/release/2014/14_210.pdf 西鉄グループ タクシー4会社の会社分割および中間持株会社設立に関するお知らせ]}} - 西鉄公式ウェブサイト、2015年4月1日閲覧。</ref>。
** [[10月4日]] - 天神大牟田線で8000形を使用した柳川観光列車「水都」運転開始<ref>{{Cite press release|和書|title=柳川観光列車『水都』いよいよ出発! |publisher=西日本鉄道 |date=2015-09-25 |url=https://www.nishitetsu.co.jp/release/2015/15_081.pdf |format=PDF |accessdate=2018-05-30}}</ref>。
* [[2016年]](平成28年)[[4月11日]] - 西鉄が保有するビルの空き区画の有効活用として、西鉄と[[福岡移住計画]]の2社共同事業による、人材交流スペース「HOOD天神」が開設<ref>{{Cite press release|和書|title=天神地区に新たな人材交流スペース「HOOD天神」平成28年4月11日オープン |publisher=西日本鉄道 |date=2016-03-14 |url=https://www.nishitetsu.co.jp/release/2015/15_168.pdf |format=PDF |accessdate=2018-05-30}}</ref><ref>{{Cite web|和書|title=天神地区に新たな人材交流スペース「HOOD天神」が始まります|url=https://hood-tenjin.com/2016/03/15/hood-tenjin-release/|publisher=HOOD天神|date=2016-03-15|accessdate=2020-11-09|language=ja}}</ref>。
* [[2017年]](平成29年)
** [[2月1日]] - 全線全駅に[[駅ナンバリング]]を導入<ref name="eki number">{{Cite web|和書|date=2017-1-24|url=https://www.nishitetsu.co.jp/release/2017/16_097.pdf|title=西鉄電車の全駅に駅ナンバリングを導入します!|format=PDF|publisher=西日本鉄道|accessdate=2017年1月25日}}</ref>。これにより全ての大手私鉄で駅ナンバリングが導入された。
** [[3月20日]] - 天神大牟田線・太宰府線で[[西鉄9000形電車|9000形]]通勤電車の営業運転開始<ref name="9000kei">{{Cite web|和書|date=2017-2-10|url=https://www.nishitetsu.co.jp/release/2017/16_111.pdf|title=新型車両「9000形」 運行開始と試乗会の実施について|format=PDF|publisher=西日本鉄道|accessdate=2017年2月11日}}</ref>。
** 3月31日 - 福岡 - [[近畿地方]]を結ぶ夜行高速バス「ムーンライト号」休止<ref>{{PDFlink|[https://www.nishitetsu.co.jp/release/2016/16_125.pdf 福岡・北九州〜神戸・ユニバーサル・スタジオ・ジャパン® ・大阪・京都線(ムーンライト号) の運行休止について]}} - 西日本鉄道、2017年2月23日日</ref>。
** 4月1日 - 鉄道全線(筑豊電気鉄道含む)、一般路線バス及び高速バスの一部で[[精神障害者保健福祉手帳]]所持者を対象とした割引制度の適用開始<ref>{{PDFlink|[https://www.nishitetsu.co.jp/release/2017/16_126.pdf 精神障がい者割引の導入について]}} - 西日本鉄道、2017年2月24日</ref>。それまでは[[身体障害者手帳]]及び[[療育手帳]]の所持者(付き添い人は一部のみ割引対象)のみが対象であった。nimoca障がい者カードも発行の対象を拡大する。大手私鉄では初の試み。
** 7月1日 - 西鉄タクシーホールディングスを吸収合併<ref>{{Cite press release|和書|title=完全子会社の吸収合併(簡易合併・略式合併)に関するお知らせ |publisher=西日本鉄道 |date=2017-04-13 |url=https://www.nishitetsu.co.jp/pdf/ir/briefing/170413.pdf |format=PDF |accessdate=2018-10-04}}</ref>。
** 7月22日 - 天神大牟田線で3000形を使用した二代目「水都」運転開始。同日より同車内及び一部駅で無料[[公衆無線LAN]]「Nishitetsu Train Free Wi-Fi」サービスを開始<ref>{{PDFlink|[https://www.nishitetsu.co.jp/release/2017/17_062.pdf 「Nishitetsu Train Free Wi-Fi」導入について]}} - 西日本鉄道 2017年6月3日(2017年7月22日閲覧)</ref>。
** [[9月16日]] - 天神大牟田線・太宰府線で3000形を使用した二代目「旅人」運転開始。
** 10月15日 - 天神大牟田線で8000形電車の運行終了。
* [[2018年]](平成30年) [[ファイル:Limited Express for Omuta Station at Nishitetsu-Fukuoka (Tenjin) Station 3.jpg|thumb|110周年記念ラッピング電車]]
** 西鉄の会社登記上の直接の前身である九州電気軌道の設立110周年を記念して、西鉄110周年事業を開始。
** [[3月17日]] - 人員不足により100 円循環バスの見直しと最終バス運行時刻繰り上げを実施。
** [[5月11日]] - 商業施設「[[大橋駅 (福岡県)#駅構造|大橋西鉄名店街]]」第1期リニューアルオープン。
** 8月3日 - 「[[天神コア]]」及び「福岡ビル」の一体建て替えを発表。2019年4月からの福岡ビル取り壊しに伴い、2019年3月末で本社を博多区の博多センタービルへ移転させることも発表<ref>{{PDFlink|[https://www.nishitetsu.co.jp/release/2018/18_076.pdf 「福ビル街区建替プロジェクト」第1期事業の計画について]}} - 西日本鉄道 2018年8月3日(2018年8月4日閲覧)</ref>。
** [[10月18日]] - 海上物流事業を手掛ける[[フランス]]企業「GLOBAL STAR INTERNATIONAL SSR」を買収して、子会社「NNR GLOBAL LOGISTICS FRANCE SAS」を設立したと発表<ref name="SAS">[https://www.nikkan.co.jp/articles/view/00492685 ◆仏物流GSI買収]『[[日刊工業新聞]]』2018年10月19日(3面)2019年4月17日閲覧。</ref>。
** 11月1日 - [[トヨタ自動車]]と共同でマルチモーダルモビリティサービス「my route」の実証実験を福岡市内で開始(2018年11月から当初2019年3月までのところ、2019年8月まで延長後2019年内まで再延長)<ref>{{PDFlink|[https://www.nishitetsu.co.jp/release/2018/18_115.pdf 西鉄とトヨタ、福岡市でマルチモーダルモビリティサービス「my route」の実証実験を開始]}} - 西日本鉄道・トヨタ自動車 2018年10月31日(2018年11月2日閲覧)</ref>。
* [[2019年]](平成31年・[[令和]]元年)
** [[1月28日]] - [[太宰府天満宮]]付近での[[古民家]]宿泊事業の開始を発表([[福岡銀行]]と協力)<ref>[https://www.nikkei.com/article/DGXMZO40428610U9A120C1LX0000/ 「西鉄、太宰府で古民家宿泊事業 倉富社長の続投発表」][[日本経済新聞]]ニュースサイト(2019年1月24日)2019年3月31日閲覧。</ref>。7月29日に施設名称を「HOTEL CULTIA DAZAIFU」、開業日を2019年10月4日と決定した<ref>{{PDFlink|[https://www.nishitetsu.co.jp/release/2019/19_057.pdf 太宰府古民家宿泊施設「HOTEL CULTIA DAZAIFU」10月4日営業開始]}} - 西日本鉄道 2019年7月29日(2019年7月30日閲覧)</ref>。
** [[2月28日]] - 西鉄福岡(天神)駅で[[ホームドア]]の実証実験を開始<ref>{{PDFlink|[https://www.nishitetsu.co.jp/release/2018/18_164.pdf 西鉄福岡(天神)駅 ホームドア実証実験の開始について]}} - 西日本鉄道 2019年02月14日(2019年2月18日閲覧)</ref>。
** [[3月11日]] - 同日より、本社機能を順次博多センタービルに移転。4月1日には、全事業部及び関連会社で移転先での業務を開始する<ref>{{PDFlink|[https://www.nishitetsu.co.jp/release/2018/18_166.pdf 西鉄本社事務所の移転に関するお知らせ]}} - 西日本鉄道 2019年02月15日(2019年2月18日閲覧)</ref>。
** 3月23日 - ダイヤ改正と同時に、天神大牟田線・太宰府線で観光列車「[[西鉄6000形電車#THE RAIL KITCHEN CHIKUGO|THE RAIL KITCHEN CHIKUGO]]」運行開始。
** [[4月26日]] - 大橋西鉄名店街リニューアル完了と同時に、名称を「RAIRIA Ohashi(レイリア大橋)」と変更<ref>{{PDFlink|[https://www.nishitetsu.co.jp/release/2018/18_187.pdf 「大橋西鉄名店街」は「RAIRIA Ohashi」として生まれ変わります!]}} - 西日本鉄道 2019年03月12日(2019年3月22日閲覧)</ref>。今後、西鉄沿線の他の施設においても同名称 (RAIRIA) へ変更予定。
** [[10月]] - 上質かつ特別なバスツアーブランド「GRANDAYS」を始動、同ツアー用のラグジュアリーバスを導入<ref>{{PDFlink|[https://www.nishitetsu.co.jp/release/2019/19_053.pdf 今秋、上質かつ特別なバスツアーブランド『GRANDAYS』始動 西鉄史上最高級のラグジュアリーバス導入!]}} - 西日本鉄道 2019年7月25日(2019年7月30日閲覧)</ref>。
** 11月28日 - 実証実験としてトヨタ自動車と共同で行っていた「my route」を本格実施に移行。同日より[[北九州市]]もエリアに加えられ、同時に九州旅客鉄道(JR九州)が参画<ref>[https://global.toyota/jp/newsroom/corporate/30632540.html トヨタと西鉄、マルチモーダルモビリティサービス「my route」を福岡市・北九州市で本格実施] - トヨタ自動車・西日本鉄道・九州旅客鉄道 2019年11月27日(2019年11月28日閲覧)</ref>。
* [[2020年]](令和2年)
** [[10月1日]] - 駅業務に集中管理方式([[駅集中管理システム]])の試行導入。[[無人駅]]を従来比4割増の24駅に増やす<ref>「[https://www.nikkei.com/article/DGXMZO63185590Y0A820C2LX0000/ 西鉄、無人駅3分の1に拡大 遠隔管理し効率化]」日本経済新聞ニュースサイト(2020年8月28日)2020年9月6日閲覧</ref><ref>{{Cite press release|和書|format=PDF|url=https://www.nishitetsu.co.jp/release/2020/20_034.pdf|title= 西鉄天神大牟田線(三潴〜西鉄銀水間)および甘木線 駅管理体制の見直し 駅業務を集中管理方式に変更し、駅係員は定期的に各駅を巡回します。|publisher=西日本鉄道|date=2020-08-29|accessdate=202-09-20}}</ref>。
** [[10月14日]] - [[LINE Fukuoka]]を発起人に、西鉄を含む9社(JR九州、[[グッデイ (ホームセンター)|嘉穂無線ホールディングス]]、[[西部ガス]]、[[西日本シティ銀行]]、[[福岡銀行]]、[[福岡国際空港]]、[[福岡地所]])とオブザーバーの福岡市で「Fukuoka Smart City Community」を発足<ref>{{PDFlink|[https://www.nishitetsu.co.jp/release/2020/20_060.pdf Fukuoka Smart City Community発足 異業種9社で強固な協力体制を構築し、福岡市のスマートシティ化の加速を目指す]}} - Fukuoka Smart City Community 2020年10月14日(2020年10月14日閲覧)</ref>。
* [[2021年]](令和3年)
** [[3月6日]] - 鉄道運賃を値上げ(天神大牟田線:7 km - 17 km、貝塚線:4km以上の区間が対象)<ref name="nnr20210129">{{Cite press release|和書|format=PDF|url=https://www.nishitetsu.co.jp/release/2020/20_094.pdf|title=鉄道運賃(天神大牟田線・貝塚線)の変更(値上げ)について|publisher=西日本鉄道|date=2021-01-29|accessdate=2021-01-29}}</ref>
** [[3月13日]] - 天神大牟田線ダイヤ改正。終電繰上げ、土曜ダイヤの新設、平日日中の特急を急行に格下げするなど、[[日本における2019年コロナウイルス感染症の流行状況|新型コロナウイルス感染症流行]]の影響による利用減を反映した減便を行う<ref>{{Cite press release|和書|format=PDF|url=https://www.nishitetsu.co.jp/release/2020/20_093.pdf|title=2021 年3 月13 日(土) 天神大牟田線ダイヤ改正|publisher=西日本鉄道|date=2021-01-29|accessdate=2021-01-29}}</ref>。
** [[3月31日]] - 電車・バスの利用に応じて付与する[[nimoca#ポイント|nimoca乗車ポイント]]を終了<ref>{{Cite press release|和書|format=PDF|url=https://www.nishitetsu.co.jp/release/2020/20_100.pdf|title=鉄道・バス nimoca 乗車ポイントサービス終了について|publisher=西日本鉄道|date=2021-02-18|accessdate=2021-02-19}}</ref>。
** [[4月1日]] - 2020年10月1日より試行実施している集中管理方式について、本格運用を開始<ref>{{Cite press release|和書|format=PDF|url=https://www.nishitetsu.co.jp/release/2020/20_111.pdf|title=西鉄天神大牟田線(三潴~西鉄銀水間)および甘木線の駅管理体制集中管理方式の本格運用開始|publisher=西日本鉄道|date=2021-03-19|accessdate=2021-07-27}}</ref>。
** [[7月31日]] - 回数乗車券の発売を終了<ref name="kaisuuhaisi">{{Cite press release|和書|format=PDF|url=https://www.nishitetsu.co.jp/release/2021/21_015.pdf|title=西鉄電車における回数乗車券の発売終了について|publisher=西日本鉄道|date=2021-06-17|accessdate=2021-07-27}}</ref>。
** [[12月30日]] - 運営する[[遊園地]]「[[西鉄香椎花園]](かしいかえんシルバニアガーデン)」の営業が終了<ref name="press20210325">{{Cite press release|和書|url=https://www.nishitetsu.co.jp/release/2020/20_114.pdf|archiveurl=https://web.archive.org/web/20210325125919/http://www.nishitetsu.co.jp/release/2020/20_114.pdf|format=PDF|language=日本語|title=「かしいかえん シルバニアガーデン」の閉園について|publisher=西日本鉄道広報部広報課|date=2021-03-25|accessdate=2021-03-25|archivedate=2021-03-25}}</ref>。
* [[2022年]](令和4年)
** 3月31日 - 子会社の西鉄興業が運営する[[ボウリング]]場「西新パレスボウル」の営業が終了<ref>{{Cite web|和書|title=【速報】西新パレスボウル、来年3月末終了 コロナ禍で利用者減|url=https://www.nishinippon.co.jp/item/n/738048/|website=西日本新聞ニュース|date=2021-05-13|access-date=2021-05-13|language=ja}}</ref>。西鉄興業は翌4月1日に西鉄ウェルネスへ社名を変更。
** 6月- 台湾の電気バスメーカーRACと共同でディーゼルエンジンの中古バスを[[電動バス|電気バス]]に改造する技術を開発し、北九州市で試験運行<ref>{{Cite web|和書|title=西鉄が保有バス2割をEV化へ 中古車両を改造、新車より安価に |url=https://mainichi.jp/articles/20221019/k00/00m/020/199000c |website=毎日新聞 |date=2022-10-19| access-date=2022-10-19 |language=ja}}</ref>。
** 8月28日 - 天神大牟田線ダイヤ改正。連続立体交差事業区間([[雑餉隈駅]]から[[下大利駅]]間)を高架切替<ref>{{Cite press release|和書|format=PDF|url=https://www.nishitetsu.co.jp/ja/news/news20220705103015/main/0/link/22_027.pdf|title=2022 年8 月28 日(日) 天神大牟田線ダイヤ改正|publisher=西日本鉄道|date=2022-07-05|accessdate=2022-07-05}}</ref>。
== コーポレートシンボル・社紋 ==
コーポレートシンボルは1997年のVI導入時に制定された。グラフィックデザイナーの[[原田進]]が制作を担当している。
意匠は社名の「Nishitetsu」と方向舵に見立ててNの上下に配置された2つのフィンで構成されている。フィンは人・物・情報・文化の「出逢いの場を提供する事業」「移動を支えるネットワーク事業」という会社が目指す2要素を表し、事業展開を通して会社が躍動感と力強さをもって発展していくことを表現している<ref>{{Cite book|和書|author=西日本鉄道株式会社100年史編纂委員会(編)|year=2008|title=西日本鉄道百年史|publisher=西日本鉄道|pages=前付}}</ref>。コーポレートシンボルに使用されるカラーはコーポレートカラーでもあり、限りない可能性と信頼を表す「にしてつブルー」、若々しさと輝きを表す「にしてつイエロー」、情熱と活動を表す「にしてつレッド」の三色で構成される<ref>{{Cite book|和書|author=西日本鉄道株式会社100年史編纂委員会(編)|year=2008|title=西日本鉄道百年史|publisher=西日本鉄道|pages=346}}</ref>。
なお、専ら「Nishitetsu Group」のロゴが使われているのが殆どで、「Group」が入っていないオリジナルのロゴは西日本鉄道(本体)と[[西鉄バス北九州]]だけが使用している{{efn2|西鉄グループ全体の[[コマーシャルメッセージ|テレビCM]]や紙[[メディア (媒体)|媒体]]の[[広告]]物は、[[西鉄エージェンシー]]の自社広告としての扱い。}}。西鉄グループであっても亀の井バスや株式会社ニモカなどのように「Nishitetsu Group」ロゴを一切使用していない企業もある。
これの派生として、国際物流事業専用で後述の「NNR」ロゴや、一番先頭の「[[N]]」のみで表現したものもあり、後者は[[乗務員]]の[[制帽]]や、西鉄グループ関連の[[ホームページ]]における殆どの[[favicon|ファビコン]]で使用されている。
社紋は1942年9月22日に制定された。西日本鉄道の「西」を車輪状に図案化し、3本の[[スポーク]]が「株主の投資」「従業員の努力」「乗客の愛顧」を表していた<ref name="RJ158-137">{{Cite journal|和書|title=ズームレンズ 民鉄の社章(下) |journal=鉄道ジャーナル |volume=158 |date= 1980-04|publisher=鉄道ジャーナル社 |page=137}}</ref>。コーポレートシンボル制定後はあまり使われなくなったが、現在もシンボル導入以前の一部バス停や電車・バスの[[復刻]]塗装などに使用されている。
<gallery widths="150">
Nishitetsu logo vector.svg|コーポレートシンボル
NNR logo.svg|「NNR」ロゴ
Nishitetsu Old Logo.svg|社紋
</gallery>
== 鉄道事業 ==
[[File:Nishi-Nippon Railroad Linemap.svg|200px|thumb|right|路線図(クリックで拡大)]]
<!-- ここに画像を並べると表がつぶれるので、他章に移動 -->
西鉄の鉄道路線は、[[軌間]]および歴史的経緯(前身会社)の違いから大牟田線系統と貝塚線系統に大別される。大牟田線系統は、軌間が1,435mmで[[西鉄天神大牟田線|天神大牟田線]]、[[西鉄太宰府線|太宰府線]]、[[西鉄甘木線|甘木線]]の3路線から構成される。貝塚線系統は軌間が1,067mmの[[西鉄貝塚線|貝塚線]]のみで構成され、他の西鉄路線から孤立した状態である<ref group="注">前身会社の歴史的経緯による路線系統(路線群)の軌間の違いは、他の大手私鉄では[[京王電鉄]]や[[近畿日本鉄道]]にも当てはまる点があるが、貝塚線はそれらと異なり他の西鉄路線との接続駅もない。</ref>。
大牟田線系統の本線格にあたる路線である天神大牟田線は、九州一の[[繁華街]]である[[天神 (福岡市)|天神]]に直通しており、料金不要の特急・急行列車が多数行き交っている。また、天神大牟田線は福岡市中心部から福岡県南部にかけてJR九州の[[鹿児島本線]]と並走しており、一部競合関係にある。
一方で、貝塚線は都心の[[ターミナル駅]]を持たないが、貝塚駅で[[福岡市地下鉄箱崎線]]と乗り換えることで都心部への[[交通結節点|結節]]を果たしている。貝塚線の地下鉄相互[[直通運転]]の構想はあるものの実現は難航している。
路線は全て福岡県内にあり<ref group="注">日本の大手私鉄では[[相模鉄道]]も1県内(神奈川県内)にしか自社路線がない。</ref>、他県に乗り入れていない(JR鹿児島本線とは異なり西鉄天神大牟田線は[[筑紫野市]]から[[久留米市]]の途中で[[佐賀県]]を経由しない<ref group="注">[[味坂駅]]-[[宮の陣駅]]間において、県境までおよそ80mまで接近するが、佐賀県には入らない。</ref>)。また、[[複線]]および[[単線]]区間はあるが[[複々線]]区間は存在しない<ref group="注">日本の大手私鉄では相模鉄道も複々線区間がない。</ref>。
路線のほとんどが[[福岡平野]]・[[筑紫平野]]上の平坦な地形にあり、地下線も地下駅もないため<ref group="注">日本の大手私鉄では、[[南海電気鉄道]]も地下駅が存在しない(ただし2031年春開業予定の[[なにわ筋線]]に地下駅ができる)。</ref>、日本の大手私鉄で唯一、自社路線に[[トンネル]]が全くない。廃止路線も含めると北九州線にトンネルが1か所存在していたが、このトンネルは[[併用軌道]]区間にあり、同線廃止後も道路トンネルとして現存している。
かつては[[北九州市]]内に[[西鉄北九州線|北九州線]]、[[福岡市]]内に[[西鉄福岡市内線|福岡市内線]]、[[大牟田市]]内に[[西鉄大牟田市内線|大牟田市内線]]という軌道線([[路面電車]])も有していた。収入は軌道線が鉄道線を上回っていたが、高速都市間電車として成長する大牟田線と対照的に利益面では悪化をたどった。自動車流入量の増加や[[福岡市交通局|福岡市営地下鉄]]や[[北九州高速鉄道|北九州モノレール]]など代替輸送機関の整備に伴い全廃されている{{Refnest|group="注"|北九州線の軌道事業全線廃止後に黒崎駅前 - 熊西間の鉄道事業及び資産のみ残っていたが、後に[[筑豊電気鉄道]]へ全て承継された<ref name="nishitetsu20141218" />。}}。
かつては北九州線が[[筑豊電気鉄道線]]への乗り入れ<ref group="注">筑豊電気鉄道が自社車両を保有した[[1976年]]からは同社の車両も北九州線に乗り入れる相互直通運転となっていた。</ref> を[[1956年]]の筑豊電気鉄道開業時から北九州線が廃止される[[2000年]]まで行っていた。北九州線廃止によって他社局線との直通運転がなくなった西鉄は、2019年11月30日より[[相模鉄道]]が[[東日本旅客鉄道]](JR東日本)との相互直通運転を開始したことに伴い、大手私鉄で唯一、他社局線との直通運転を行っていない事業者となった<ref group="注">他社局線からの乗り入れ車両がないという条件であれば、[[京阪電気鉄道]]も該当する。</ref>。
なお、[[三大都市圏]]以外で唯一の大手私鉄であることから、[[2022年]][[3月31日]]時点では、鉄軌道営業収益は16,334(百万円)、旅客輸送人員84,144千人、1日1キロ平均旅客輸送人員([[輸送密度]])31,199人、旅客用車両は311 両と、大手私鉄16社の中で最も少ない数字となっている<ref name="oote-genkyou" />。ただし、[[阪神電気鉄道]]が[[阪神なんば線|新線]]を開業した[[2009年]]度以前は、同社より保有車両数は上回っていた<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.mintetsu.or.jp/activity/databook/pdf/09databook_p02-03.pdf |title=大手民鉄データブック「大手民鉄の素顔」(2009年度版)|publisher=日本民営鉄道協会 |accessdate=2016-07-26}}</ref>。また、2013年度以前は[[名古屋鉄道]]より輸送密度は上回っていた<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.mintetsu.or.jp/activity/databook/pdf/13databook_p02-03.pdf |title=大手民鉄データブック「大手民鉄の素顔」(2013年度版)|publisher=日本民営鉄道協会 |accessdate=2018-01-02}}</ref>。
近年、西鉄では鉄道事業の活性化施策として[[パークアンドライド]]を推進している<ref group="注">大手私鉄他社でパークアンドライドを推進している例は[[中京圏]]を地盤とする[[名古屋鉄道]]がある。</ref>。現有路線はその大半が平坦な地形であり、駅までのアクセス手段として路線バスよりもマイカーやバイク、自転車などを用いることが便利な環境にある。これらは広大な筑紫平野では特に顕著であり、沿線の民間経営の[[駐車場]]も含めると相当数に上る。駅ロータリーが存在する駅では[[キスアンドライド]]も通勤通学時間帯を中心に多い。西鉄では限られた社有地の範囲内で今後もパークアンドライドを推進したいとしている<ref group="注">利用者の料金負担軽減のため行政が主体となって駐車場用地を提供することでマイカーから鉄道へのシフトを推進する自治体もある([[大木町]])。</ref>。
西鉄の[[ダイヤグラム]]編成上の特徴として、旅客への列車案内時刻が他の鉄道会社と異なり「終着駅では[[秒]]単位を切り上げとなっている」点がある(例:ダイヤグラムの到着時刻が10時30分15秒なら、時刻表の到着時刻は10時31分と表示)。途中駅では他社と同様に秒単位を切り捨てた形で案内している。
また、天神大牟田線・太宰府線の主要駅では一般利用客向けにダイヤグラムを1部300円で販売している。この一般利用客向けダイヤグラムには甘木線は掲載されていなかったが、2021年3月13日のダイヤ改正からは掲載されている。ただし、貝塚線は従来どおりダイヤグラムの掲載はない。
2022年3月末時点の旅客輸送人キロは1,208百万人キロ<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.mintetsu.or.jp/corporates/nishitetsu/index.html |title=民鉄各社紹介 西日本鉄道株式会社 |access-date=2022-12-10 |publisher=日本民営鉄道協会 |archive-url=https://web.archive.org/web/20220929141237/https://www.mintetsu.or.jp/corporates/nishitetsu/index.html |archive-date=2022-09-29}}</ref>、列車の最大連結両数は7両となっている<ref group="注">2010年のダイヤ改正まで最大8両の編成が存在したが、主に朝ラッシュ時の上り方面の列車2本のみの編成であり、それ以前からも基本は最大7両編成の運行であった。</ref>。これは大手私鉄の中では最も短い<ref group="注">[[京成電鉄|京成]]・[[名古屋鉄道|名鉄]]・[[南海電気鉄道|南海]]・[[京阪電気鉄道|京阪]]は最長8両、京急は最長12両、その他の大手私鉄各社は最長10両である。</ref>。
=== 路線 ===
==== 現有路線 ====
以下の合計106.1kmの路線を営業しており、これは日本の大手私鉄16社の中では第9位、JR九州以外の九州の鉄道としては[[肥薩おれんじ鉄道]] (116.9km) に次ぐ第2位の路線規模となっている。<!--なお、[[2004年]](平成16年)[[3月13日]]の[[鹿児島本線]][[八代駅]] - [[川内駅 (鹿児島県)|川内駅]]間経営分離に伴う[[肥薩おれんじ鉄道]]の発足まで、JR九州以外の九州の鉄道としては営業距離第1位であった。-->
路線名左の英字は[[駅ナンバリング]]に使われる路線記号
* {{西鉄駅番号|T}} [[西鉄天神大牟田線|天神大牟田線]]([[西鉄福岡(天神)駅]] - [[大牟田駅]]間:74.8 km)
* {{西鉄駅番号|D}} [[西鉄太宰府線|太宰府線]]([[西鉄二日市駅]] - [[太宰府駅]]間:2.4 km)
* {{西鉄駅番号|A}} [[西鉄甘木線|甘木線]]([[宮の陣駅]] - [[甘木駅]]間:17.9 km)
* {{西鉄駅番号|NK}} [[西鉄貝塚線|貝塚線]]([[貝塚駅 (福岡県)|貝塚駅]] - [[西鉄新宮駅]]間:11.0 km)
<!-- 黒崎駅前 - 熊西間の件は廃止路線の節に記述-->
==== 廃止路線 ====
* [[西鉄北九州線|北九州線]] <!-- (北方線など各線含む)-->
* [[西鉄福岡市内線|福岡市内線]] <!--(各線含む)-->
* [[西鉄大牟田市内線|大牟田市内線]]
* [[西鉄福島線|福島線]](福島駅 - 宮の陣駅間)
* [[西鉄大川線|大川線]]([[大善寺駅]] - 西鉄大川駅間)
* [[西鉄上久留米線|上久留米線]]([[津福駅]] - [[上久留米駅]]間)
* [[西鉄貝塚線|宮地岳線]](西鉄新宮駅 - [[津屋崎駅]]間)
北九州線のうち、黒崎駅前 - 熊西間は、2000年の[[軌道法]]による軌道線としての北九州線全廃後も、この区間に乗り入れていた子会社の[[筑豊電気鉄道]]が[[鉄道事業法]]による[[鉄道事業者#第二種鉄道事業|第二種鉄道事業者]]となり、西鉄が[[鉄道事業者#第三種鉄道事業|第三種鉄道事業者]]として線路を保有していたが、2015年にこの第三種鉄道事業を筑豊電気鉄道へ吸収分割したため<ref name="nishitetsu20141218" />、西鉄の保有路線ではなくなっている。
==== 未成線 ====
* [[西鉄雑餉隈線|雑餉隈線]](雑餉隈 - 博多間)
==== 譲渡路線 ====
いずれも国による[[戦時買収私鉄|戦時買収]]。
* 糟屋線([[西戸崎駅]] - [[宇美駅]]間、[[酒殿駅]] - [[志免駅]]間) - 現・[[香椎線]](酒殿駅 - 志免駅間は貨物線で1985年廃止)
* 宇美線([[吉塚駅]] - [[筑前勝田駅]]間) - 後の[[勝田線]](1985年廃止)
=== 利用客数上位20駅 ===
{| class="wikitable" style="font-size:90%; width:75em"
|+西鉄電車(天神大牟田線・太宰府線・甘木線・貝塚線)の1日平均利用客数順位(2022年度・ベスト20)<ref>[https://www.nishitetsu.co.jp/group/enterprise_1.html 鉄道事業|企業・グループ情報《西鉄について》] 2022年度 駅別乗降人員</ref>
|-
!順位!!駅名!!所在地!!利用客数!!備考
|-
|1||[[西鉄福岡(天神)駅]]||[[福岡市]][[中央区 (福岡市)|中央区]]
|style="text-align:right;"|109,641人||[[西鉄天神大牟田線|天神大牟田線]]の起点・[[福岡市地下鉄空港線]]([[天神駅]])、及び[[福岡市地下鉄七隈線]]([[天神南駅]])との乗換駅
|-
|2||[[大橋駅 (福岡県)|大橋駅]]||福岡市[[南区 (福岡市)|南区]]
|style="text-align:right;"|37,294人||特急停車駅
|-
|3||[[薬院駅]]||福岡市中央区
|style="text-align:right;"|35,012人||特急停車駅・福岡市地下鉄七隈線との乗換駅
|-
|4||[[西鉄久留米駅]]||[[久留米市]]
|style="text-align:right;"|28,355人||特急停車駅
|-
|5||[[井尻駅]]||福岡市南区
|style="text-align:right;"|20,625人||普通のみ停車
|-
|6||[[春日原駅]]||[[春日市]]
|style="text-align:right;"|20,274人||急行停車駅
|-
|7||[[高宮駅 (福岡県)|高宮駅]]||福岡市南区
|style="text-align:right;"|18,514人||普通のみ停車
|-
|8||[[西鉄二日市駅]]||[[筑紫野市]]
|style="text-align:right;"|16,904人||特急停車駅・[[西鉄太宰府線|太宰府線]]との分岐駅
|-
|9||[[貝塚駅 (福岡県)|貝塚駅]]||福岡市[[東区 (福岡市)|東区]]
|style="text-align:right;"|16,071人||[[西鉄貝塚線|貝塚線]]の起点・[[福岡市地下鉄箱崎線]]との乗換駅
|-
|10||[[雑餉隈駅]]||福岡市[[博多区]]
|style="text-align:right;"|14,203人||普通のみ停車
|-
|11||[[下大利駅]]||[[大野城市]]
|style="text-align:right;"|14,148人||急行停車駅
|-
|12||[[西鉄平尾駅]]||福岡市中央区
|style="text-align:right;"|12,541人||普通のみ停車
|-
|13||[[朝倉街道駅]]||筑紫野市
|style="text-align:right;"|11,853人||急行停車駅
|-
|14||[[太宰府駅]]||[[太宰府市]]
|style="text-align:right;"|11,658人||太宰府線の終点
|-
|15||[[西鉄柳川駅]]||[[柳川市]]
|style="text-align:right;"|10,072人||特急停車駅
|-
|16||[[西鉄小郡駅]]||[[小郡市]]
|style="text-align:right;"|9,236人||急行停車駅・[[甘木鉄道甘木線]]([[小郡駅]])との乗換駅
|-
|17||[[白木原駅]]||大野城市
|style="text-align:right;"|8,973人||普通のみ停車
|-
|18||[[大牟田駅]]||[[大牟田市]]
|style="text-align:right;"|7,856人||天神大牟田線の終点・[[鹿児島本線|JR鹿児島本線]]との乗換駅
|-
|19||[[花畑駅]]||久留米市
|style="text-align:right;"|7,370人||特急停車駅
|-
|20||[[筑紫駅]]||筑紫野市
|style="text-align:right;"|7,006人||急行停車駅
|}
; 参考
:* 特急停車駅のうち、上表に掲載されていない駅の利用者数は、新栄町駅が3,365人、大善寺駅が2,973人。また、急行停車駅で最も少ないのは宮の陣駅で、2,066人。乗換駅では、特急や急行が停車しても改札を出入りする人数が少ないため、統計上の利用客数が低いものになっていることに留意されたい。
:** 大善寺駅自体の利用客は少ないものの、この駅で特急・急行と普通が[[緩急接続]]し、同駅 - 西鉄柳川間の特急通過駅から乗り換える利用客が多い。<!--また久留米市城島町方面のバスとの接続も大善寺駅で行っている。-->宮の陣駅に関しても、甘木線と天神大牟田線の急行が接続している。
:* 薬院駅は元々[[普通列車]]しか停車しない駅であったが、全列車が停車するようになったのは[[1995年]]のダイヤ改正時からである。これは福岡(天神)駅の工事がきっかけで、混雑を緩和して乗客を分散させる狙いがあった(ただし、それ以前にも朝の上り列車は全停車していた)。これにより、福岡(天神)駅の利用者数は減少したが、近年は増加傾向にある。
:* 花畑駅も薬院駅同様、元々は普通列車しか停車しない駅であった。しかし[[2004年]]の高架化の際、周辺の再開発事業との関連もあり、久留米市の要望で特急停車駅になった。また、これにより花畑駅の利用者は大幅に増えたが、その分、西鉄久留米駅の利用者が減少傾向にある。
:* 西鉄久留米駅は長期に亘り福岡(天神)駅に次いで第2位の利用者数であった。しかし、利用者数の減少と花畑駅への分散化が進み、さらに福岡市内の利用者が増えたため、2012年度のランキングから第3位に。そして、2013年度のランキングから第4位に順位が下がった。
:* 2020年度は、新型コロナウイルス感染症流行の影響により、大幅に利用客数が減った。また、駅によって影響の度合いが多少差があり、前年度2位の薬院駅と同3位の大橋駅の順位が入れ替わっている。
=== 車両 ===
西鉄の車両は鉄道線向けに日本初の[[モノコック]]構造や高速[[連接台車|連接車]]、前面展望式車両、私鉄初の中間電動車といった日本の鉄道車両史に残る先進的な技術を導入してきた。
[[2019年]]([[令和]]元年)[[3月31日]]時点で311両(天神大牟田線用295両、貝塚線用16両)の旅客用車両を保有している<ref>[https://www.nishitetsu.co.jp/group/enterprise_1.html 鉄道事業] - 企業・グループ情報《西鉄について》:にしてつグループホームページ、2020年9月7日閲覧</ref>。かつては[[気動車]]、[[蒸気機関車]]、[[電気機関車]]、[[客車]]、[[貨車]]も保有していたが、貨物輸送廃止や路線の国有化・廃止などにより、保有車両は[[1978年]]以降[[電車]]に統一されている。
大牟田線系統で運用を離脱した車両は一部が貝塚線に転用されているが、前述の通り軌間が異なるため、転用に際しては軌間が同じ1,067mmの[[西武鉄道]]および[[東急電鉄]]の中古[[鉄道車両の台車|台車]]に履き替えた上で転用されている。現在、貝塚線に在籍する全車両が大牟田線系統からの転用車両である。
西鉄の車両の形式は[[京成電鉄]]や[[小田急電鉄]]、[[名古屋市営地下鉄]]などと同様に「…系」ではなく「…形」と表記する{{要出典範囲|が、西鉄での読み方は「けい」である(例:3000形→3000けい)|date=2019-08-14}}。この読み方は西鉄以外では[[遠州鉄道]]など一部の鉄道会社で見られる特徴的な読み方である。また、旅客用車両の形式記号は[[名古屋鉄道]]や[[近畿日本鉄道]]などと同様に[[等級 (鉄道車両)|等級]]を表す「ハ」を付けずに「ク」([[制御車|Tc車]])、「モ」([[動力車|M]]および[[制御車|Mc]]車)、「サ」([[付随車|T車]])と呼ぶ。
鉄道線の車体寸法は13[[メートル|m]]級から19m級が混在する不統一な状態が1970年代まで長く続き、18m以上の[[鉄道車両の座席#ロングシート(縦座席)|ロングシート]]大型車でも構造や出自の相違から2扉と3扉が混在した。標準最大長は600形(2代目)以降19.5mと長めに取っている反面、車体幅は7000形・7050形まで2,670mmの細長い車体が特徴であった。性能面では、標準軌間を利して同じく600形から強力モーターを搭載したM・T同数の経済的な編成を基本としている。
電動車の制御方式は[[抵抗制御]]および[[可変電圧可変周波数制御]]([[VVVFインバータ制御]])となっている。特急用である8000形の設計においては、従来の抵抗制御に代わる省エネルギーな制御方式として[[チョッパ制御]]や[[界磁添加励磁制御]]などの導入も検討されたが、[[回生ブレーキ]]の使用効果が薄いことなどから見送られたため、これらの制御方式の車両は存在していない<ref group="注">チョッパ制御を導入しなかった大手私鉄は、西鉄以外では[[相模鉄道]]・[[京阪電気鉄道]]の例がある。</ref>。このため、新製車の制御方式は1990年代前期まで抵抗制御を継続し、1995年の6050形で一足飛びにVVVFインバータ制御に移行している。制御装置は長らく[[三菱電機]]製(313形の一部は[[日立製作所]]製)を使用していたが、7000形以降は[[東芝]]製を採用している。
[[アルミニウム合金]]や[[ステンレス鋼]]といった軽量の合金を使った車体の導入には消極的で、2007年に[[オールステンレス車両]]の3000形が登場するまで1両も存在しておらず、これは大手私鉄の中でも最も遅かった。
車両メーカーは軌道線では系列下の[[九州車輌]](現在は解散)ほか複数社のものが採用されていたが、鉄道線では1962年の600形以降、川崎車輌および後身の[[川崎車両]](旧・[[川崎重工業]]車両カンパニー)に統一されている。本州にあるメーカー工場(川崎車両兵庫工場)からの新造車両の搬入は、かつては大牟田まで国鉄線を[[車両輸送|甲種輸送]]して行っていたが、現在では[[カーフェリー]]に[[牽引自動車|トレーラー]]ごと積み込んで[[北九州港|門司港]]まで海上輸送し、門司港から[[車両基地]]までそのまま陸送する形が取られている。
[[鉄道車両の台車|台車]]については過去[[近畿車輛]]、[[住友金属工業]]、[[日本車輌]]などのさまざまな形式のものが使われてきたが、最近は川崎重工業の軸梁式のものが増えている。かつては連接車([[西鉄500形電車 (鉄道)|西鉄500形電車]]、[[西鉄1000形電車 (軌道)|西鉄1000形電車]])等の特色のある車両が使われていた。
[[列車無線アンテナ]]は、全車両上り側(ただし貝塚線は下り側)<ref group="注">天神大牟田線は福岡(天神)側、太宰府線は太宰府側、甘木線は甘木側、貝塚線は貝塚側に付いている。</ref> 先頭車両の運転席屋根に設置されている。
<gallery>
ファイル:Nishitetsutrain antenna.jpg|福岡天神方面にのみ取り付けられている西鉄電車の[[列車無線アンテナ]](写真内赤丸の箇所)。写真の車両は[[西鉄5000形電車|5000形]]。
</gallery>
==== 現有車両 ====
===== 天神大牟田線・太宰府線・甘木線 =====
{| class="wikitable" style="font-size:100%"
|-
! 系列
! 画像
|-
| [[西鉄3000形電車|3000形]]
| [[File:Nishi-Nippon Railroad - Series 3000 - 01.JPG|200x200px]]
|-
| [[西鉄5000形電車|5000形]]
| [[File:Nishitetsu Series5000-5126.jpg|200x200px]]
|-
| [[西鉄6000形電車|6000形]]
| [[File:Nishitetsu Series6000-6002.jpg|200x200px]]
|-
| 6050形
| [[File:Nishitetsu Series6050-6055.jpg|200x200px]]
|-
| [[西鉄7000形電車|7000形]]
| [[File:Nishinippon Railroad Series 7000 EMU.jpg|200x200px]]
|-
| 7050形
| [[File:Nishitetsu EMU 7153F.jpg|200x200px]]
|-
| [[西鉄9000形電車|9000形]]
| [[File:Nishitetsu Series9000-9007.jpg|200x200px]]
|-
| [[西鉄5000形電車#911編成|911F]](救援車)
| [[File:Nishitetsu-911.jpg|200x200px]]
|}
===== 貝塚線 =====
{| class="wikitable" style="font-size:100%"
|-
! 系列
! 画像
|-
| [[西鉄600形電車 (鉄道・2代)|600形]]
| [[File:Nishi-Nippon-Railroad-600.JPG|200x200px]]
|}
==== すでに廃車になった車両 ====
全車が廃車にはなっていないが、当該路線から完全撤退した形式も含む。
===== 天神大牟田線(大牟田線)・太宰府線・甘木線 =====
* [[九州鉄道1形電車|1形]]
* [[九州鉄道1形電車|50形]]
* [[九州鉄道17形電車|10形]]
* [[西鉄20形電車|20形]](→宮地岳線120形)
* [[九州鉄道100形電車|100形]]
* [[九州鉄道20形電車|200形]]
* [[九州鉄道300形電車|301形]]
* [[西鉄300形電車 (鉄道)|303形・308形(→宮地岳線・貝塚線300形)]]
* [[西鉄313形電車|313形(→宮地岳線・貝塚線313形)]]
* [[西鉄500形電車 (鉄道)|500形]]
* [[西鉄600形電車 (鉄道・初代)|600形(初代)]]
* [[西鉄600形電車 (鉄道・2代)|600形(2代)(→宮地岳線・貝塚線600形)]]
* [[西鉄700形電車|700形]]
* [[西鉄1000形電車 (鉄道)|1000形]]
* [[西鉄1300形電車|1300形]]
* [[西鉄2000形電車|2000形]]
* [[西鉄8000形電車|8000形]]
* [[西鉄大牟田線の貨物用電車|モワ800形(→モエ800形)]]
* [[西鉄大牟田線の貨物用電車|モト900形]]
* [[西鉄600形電車 (鉄道・2代)#モエ901・クエ902|クエ902-モエ901(→貝塚線600形)]]
===== 大川線 =====
* [[西鉄9形蒸気機関車|9形蒸気機関車]]
===== 貝塚線(宮地岳線) =====
* [[博多湾鉄道汽船デハ1形電車|1形(1・2・4 - 9)]]
* [[博多湾鉄道汽船コハフ1形客車|1形(3)]]
* [[博多湾鉄道汽船デハ10形電車|10形(11・12・15)]]
* [[博多湾鉄道汽船コハフ1形客車|10形(13)]]
* [[博多湾鉄道汽船デハ1形電車|10形(14)]]
* [[博多湾鉄道汽船コハフ1形客車|50形(51 - 54)]]
* [[西鉄50形電車|50形(55 - 63)]]
* [[西鉄20形電車|120形]]
* [[西鉄300形電車 (鉄道)|300形]]
* [[西鉄313形電車|313形]]
* [[西鉄ED200形電気機関車|ED200形電気機関車]]
===== 北九州線 =====
* [[九州電気軌道1形電車|1形・35形]](→福岡市内線100形)
* [[九州電気軌道66形電車|66形]]
* [[九州電気軌道100形電車|100形]]
* [[九州電気軌道200形電車|200形]]
* [[小倉電気軌道の電車|300形(初代)]]
* [[西鉄300形電車 (軌道)|300形(2代目)]]
* [[西鉄321形電車|321形]]
* [[西鉄323形電車|323形]]
* [[西鉄331形電車|331形]]
* [[西鉄500形電車 (軌道)|500形]]
* [[西鉄500形電車 (軌道)|561形]]
* [[西鉄600形電車 (軌道)|600形]]
* [[西鉄1000形電車 (軌道)|1000形]]
===== 福岡市内線 =====
* 4輪単車
* [[九州電気軌道66形電車|66形]](→北九州線66形)
* [[九州電気軌道1形電車|100形]]
* [[西鉄200形電車 (軌道)|200形]]
* [[西鉄300形電車 (軌道)|300形]](→北九州線300形 (2代目))
* [[西鉄500形電車 (軌道)|500形]]
* [[西鉄500形電車 (軌道)|551形]]
* [[西鉄500形電車 (軌道)|561形]](→北九州線561形)
* [[西鉄1000形電車 (軌道)|1000形]]
* [[西鉄築港線の電気機関車|800形・1000形電気機関車]]
===== 大牟田市内線・福島線 =====
* [[大牟田電気軌道1形電車|4輪単車 1 - 12・21]]
* [[西鉄200形電車 (軌道)|200形]](→福岡市内線200形)
<gallery>
ファイル:Nisitetu200-5.jpg|200形
ファイル:Nishitetsu305F.jpg|300形
ファイル:Nnr365-315.jpg|313形
ファイル:Nishitetsu700-1.jpg|700形
ファイル:Nishitetsu1101F.jpg|1000形
ファイル:Nishitetsu EMU 2051F.jpg|2000形
ファイル:Nishi-Nippon Railroad - Series 8000 - 01.JPG|8000形
</gallery>
=== 車両基地・乗務員区所など ===
==== 車両基地 ====
===== 現在の車両基地 =====
* [[筑紫車両基地]]
* [[柳川車両基地]]
* [[多々良車両基地]]
===== 過去に存在した車両基地 =====
* [[二日市車両基地]](筑紫車両基地へ移転)
==== 乗務員区所 ====
* 天神大牟田線・太宰府線・甘木線
** 筑紫乗務所
** 柳川乗務所
* 貝塚線
** 貝塚電車営業所
===== 過去に存在した乗務員区所 =====
* 天神大牟田線・太宰府線・甘木線
** 福岡乗務所
** 花畑乗務所
==== 研修センター ====
* 電車教習所(福岡県[[久留米市]]宮の陣5丁目5番11号)
=== 運賃 ===
大人普通旅客運賃(小児および[[障害者手帳]]所持者<ref group="注">[[身体障害者手帳]]・[[療育手帳]]の2種類。[[精神障害者保健福祉手帳]]は2017年4月1日より適用。</ref>は半額・10円未満切り上げ)。キロ程は1キロ未満の端数切り上げ(ただし貝塚線特例距離を除く)。[[鉄道駅バリアフリー料金制度]]による料金10円の加算を含む。2023年(令和5年)3月27日改定<ref>{{Cite web|和書|title=西鉄電車における「鉄道駅バリアフリー料金制度」の活用について |publisher=西日本鉄道 |url=https://www.nishitetsu.jp//train/kippu/barrier-free/ |accessdate=2023-03-30}}</ref>。
なお、鉄道旅客及び荷物営業規則第44条第2項により、天神大牟田線の西鉄福岡(天神) - 味坂駅間の各駅と甘木線の五郎丸 - 甘木駅間の各駅の相互間を乗車し、かつ西鉄久留米駅で乗り換える場合は、重複となる宮の陣 - 西鉄久留米駅間のキロ程も含めて計算することになっている。
2021年3月6日の運賃改定<ref name="nnr20210129" />で、天神大牟田線・太宰府線・甘木線と貝塚線が同額になった。天神大牟田線系統と貝塚線のキロ程や運賃額の通算は行わない。
: {| class=wikitable border="1" style="text-align: center"
!style="width:5em;"|キロ程!!運賃(円)!!style="width:5em;"|キロ程!!運賃(円)
|-
|初乗り3km||170||37 - 41||640
|-
|4 - 6||220||42 - 46||690
|-
|7 - 9||270||47 - 51||740
|-
|10 - 13||320||52 - 56||810
|-
|14 - 17||370||57 - 61||870
|-
|18 - 21||420||62 - 66||930
|-
|22 - 26||470||67 - 71||1,000
|-
|27 - 31||530||72 - 75||1,050
|-
|32 - 36||580||colspan=2|
|}
なお特例距離として貝塚線の以下の区間を利用する場合は以下のキロ程とする<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nishitetsu.jp/userfiles/page_contents/a4a16948c6d595716243d5c5da7cfc61.pdf |format=PDF |title=西日本鉄道営業キロ程表 |access-date=2023/7/8 |publisher=西日本鉄道}}</ref>。
* 名島 - 千早間:1.1km→1キロ
* 香椎宮前 - 唐の原間:3.1km→3キロ
* 香椎宮前 - 和白間:4.2km→4キロ
* 貝塚 - 唐の原間:6.1km→6キロ
==== 途中下車 ====
以下の場合を除いて[[途中下車]]ができる。
* 普通乗車券で17km以内の区間を利用する場合。
* 利用する区間の普通運賃が同額の駅。
* [[nimoca]](およびnimocaと相互利用可能なICカード)を利用する場合。
* [[回数乗車券]](普通回数券・パルチケット6)を利用する場合。
ただし、[[自動改札機]]を通ると切符が回収されてしまうため、途中下車の場合は有人通路を通って駅係員から下車印の押印を受ける必要がある。無人駅で途中下車する場合は、運転士または[[車掌]]に申し出る。
前述の営業規則第44条第2項により発売された乗車券については、条件を満たしていれば折り返し乗車区間(宮の陣 - 西鉄久留米駅間)となる西鉄久留米駅ならびに櫛原駅でも途中下車が可能である。
==== 割引乗車券 ====
; FUKUOKA 1DAY PASS
: 2011年2月10日から発売されている、西鉄電車の指定区間と西鉄バスの指定エリア(特急・高速・[[コミュニティバス]]や、その他一部の路線・区間を除く)で使用できる一日フリー乗車券。有効期間は発売期間と同一。なお、スクラッチ式券面での販売で、自動改札機は使用できない。なお、有効期限を過ぎると無効(払い戻し不可)となる。
:* 2011年2月10日から2012年2月9日発売分は、電車が天神大牟田線の西鉄福岡(天神)駅 - 西鉄久留米駅間と太宰府線全線、西鉄バスの[[#バス事業|福岡]]・[[西鉄バス久留米|久留米]]・[[西鉄バス佐賀|佐賀]]・[[西鉄バス筑豊|筑豊]]地区で利用可能。[[福岡シティループバス「ぐりーん」]]には乗車できない。価格は1,500円であった。
:* 2012年2月10日から2013年2月9日発売分は、利用範囲に上記に加え天神大牟田線の西鉄久留米駅 - [[西鉄柳川駅]]間と甘木線全線、福岡シティループバス「ぐりーん」が加わっている。価格は2,000円に改定されている<ref>{{PDFlink|[https://www.nishitetsu.co.jp/release/2011/11_166.pdf にしてつ電車・バス共通1日フリー乗車券 FUKUOKA 1DAY PASS リニューアル]}} - 西日本鉄道ニュースリリース、2012年2月1日</ref>。
:* 2013年2月10日からは通年販売になり、販売箇所拡大とパス提示によるスポットでの特典が追加されている。利用可能エリアは2月9日まで発売の物に準じる<ref>{{PDFlink|[https://www.nishitetsu.co.jp/release/2012/12_159.pdf にしてつ電車・バス共通1日フリー乗車券『FUKUOKA 1DAY PASS』通年販売を開始いたします!(PDF)]}} - 西日本鉄道ニュースリリース、2013年2月1日</ref>。
:
; FUKUOKA TOURIST CITY PASS
: 福岡市内で運行する4事業者(西鉄、JR九州、[[福岡市交通局]]、[[昭和自動車]])の路線が乗り放題になる、外国人旅行者向け一日乗車券。2012年9月30日より発売。西鉄天神大牟田線を除く1日800円と天神大牟田線の福岡(天神)駅 - 二日市駅間と太宰府線の二日市駅 - 太宰府駅間まで乗り放題の1日1300円の2タイプがある。それ以外は対象エリアは共通で、西鉄バスは福岡都心フリーエリア(福岡空港での乗降、福岡シティループバス「ぐりーん」含む)、JR九州が[[竹下駅]] - [[香椎駅]]間と香椎駅 - [[海ノ中道駅]]間、福岡市交通局は地下鉄(空港線・箱崎線・七隈線)全線、昭和自動車が[[姪浜駅]]から[[マリノアシティ福岡]]間。無記名のスクラッチ式だが、購入時に[[パスポート]]の提示が必要<ref>{{Cite web|和書
|date=2012-08-28
|url=https://www.nishitetsu.co.jp/release/2012/12_071.pdf
|title=外国人旅行者を対象とした福岡市内公共交通1日フリー乗車券「FUKUOKA TOURIST CITY PASS」を発行します!
|format=PDF
|publisher=西日本鉄道
|accessdate=2012年10月25日
}}</ref>。当初は1年間の限定発売だったが、2013年10月1日からは本格発売に移行。
; 福岡都心ダブルパス
: 天神大牟田線の福岡(天神)駅から[[高宮駅 (福岡県)|高宮駅]]間と福岡都心フリーエリア内での一般路線バス全線が乗り放題の定期券。1か月券で12,000円、3か月券で34,200円、6か月券で68,000円と通常の定期(福岡(天神)駅 - 高宮駅間の普通定期とバス都心フリー定期券)に比べて約24 - 25%得になる。2014年3月31日までの限定発売<ref>{{PDFlink|[https://www.nishitetsu.co.jp/release/2013/13_082.pdf 西鉄電車・バス 福岡都心部乗り放題定期券「福岡都心ダブルパス」発売(PDF)]}} - 西日本鉄道ニュースリリース、2013年9月12日</ref> だったが、その後2015年3月31日まで発売期間が延長された<ref>{{PDFlink|[https://www.nishitetsu.co.jp/release/2013/oshirase/140314_daburupasu.pdf 福岡都心ダブルパス 発売・通用期間を延長します!(PDF)]}} - 西日本鉄道ニュースリリース、2014年3月14日</ref>。
; ラーメンはしごきっぷ
: 2019年10月1日から発売。[[KADOKAWA]]『ラーメンWalker九州』とコラボした乗車券<ref>{{Cite web|和書
|date=2019-09-19
|url=https://www.nishitetsu.co.jp/release/2019/19_082.pdf
|title=西鉄電車に乗ってラーメンを食べに行こう!『ラーメンはしごきっぷ』販売!
|format=PDF
|publisher=西日本鉄道
|accessdate=2019年9月29日
}}</ref> で、出発駅から福岡(天神)駅の往復きっぷ(福岡(天神)駅 - 大橋駅間は乗り降り自由)の福岡版と、出発駅から久留米駅の往復きっぷ(久留米駅 - [[花畑駅]]間は乗り降り自由)の2種がある。共に、指定店舗で使えるラーメン2杯券が付く。福岡版は井尻駅 - 大牟田駅、久留米版は久留米・花畑・無人駅を除く各駅で発売。なお、きっぷを購入する度にスタンプが1個押され、10個貯まると西鉄特製[[丼鉢|どんぶり]]がプレゼントされる。
; 福岡(天神)⇔太宰府1日フリー乗車券
: トヨタ自動車のマルチモーダルモビリティサービスである「my route」[[モバイルアプリケーション|アプリ]]から購入して使用する。購入当日の天神大牟田線福岡(天神)駅 - 二日市駅間及び太宰府線(二日市駅 - 太宰府駅)が乗り放題となる。
その他の割引乗車券
* [[柳川市|柳川]]特盛きっぷ(西鉄電車乗車券、柳川観光開発川下り乗船券、指定店食事券)
* 太宰府・柳川観光きっぷ(西鉄電車乗車券、柳川観光開発川下り乗船券)
* 湯ったり柳川きっぷ(西鉄電車乗車券、柳川観光開発川下り乗船券、「かんぽの里柳川」入浴券)
* 太宰府散策きっぷ(西鉄電車乗車券、「かさの家」抹茶セット券)
* 九州国立博物館きっぷ(西鉄電車乗車券、[[九州国立博物館]]観覧券)
* 福北きっぷ(西鉄電車乗車券、高速バス「[[福岡 - 北九州線|なかたに号」「ひきの号」「いとうづ号]]」乗車券)
* ゴルフ割引きっぷ(西鉄電車乗車券、大牟田西鉄タクシー乗車券、有明カントリークラブプレイ券)
* 鳥栖プレミアム・アウトレットきっぷ(西鉄電車乗車券、西鉄バス佐賀往復乗車券、[[鳥栖プレミアム・アウトレット]]割引クーポン引換券)
* [[島原半島]]フリーきっぷ(西鉄電車乗車券、西鉄バス大牟田往復乗車券、[[島原鉄道]]高速船乗船券、[[島原鉄道線]]・島鉄バスフリー乗車券)
* グリーンランドクーポン(西鉄電車乗車券、西鉄バス大牟田往復乗車券、[[グリーンランド (遊園地)|グリーンランド]]入園券)
* キリンガーデンクーポン(西鉄電車乗車券、[[甘木鉄道甘木線|甘木鉄道]]往復乗車券、キリンビアファーム食事割引券・生ビール試飲券)
* 天神 選べるスイーツセットきっぷ(西鉄電車乗車券、スイーツセット券(提携12店舗のうち1店選択)、特定店舗でのお買い物10%割引券)
* 太宰府和膳きっぷ(西鉄電車乗車券、指定店(5店舗のうち1店選択)食事券、おみやげ)
* 湯ったりグルメ筑紫野温泉きっぷ(西鉄電車乗車券、筑紫野温泉アマンディ入浴券・オリジナル料理、ミニタオル)
* [[西鉄甘木線#企画乗車券|あまぎぐるりんフリーきっぷ]](西鉄電車乗車券、天神大牟田線[[西鉄小郡駅]] - 宮の陣駅間および[[甘木鉄道甘木線|甘木鉄道]][[小郡駅]]〈2017年4月1日から[[基山駅]]〉 - 甘木駅間のフリー乗車券)
* [[明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業#エリア7 三池|世界遺産大牟田]]散策きっぷ(西鉄電車乗車券、大牟田観光プラザ・飲食店舗・タクシーで利用可能な500円券3枚、特典クーポン)
* 久留米 花と美術館散策きっぷ(西鉄電車乗車券、久留米駅 - 文化センター前西鉄バス往復乗車券、[[久留米市美術館]]入館券、美術館内カフェ&ギャラリーショップ 楽水亭[[抹茶]]セットor[[紅茶]]引換券)
* くるくる久留米きっぷ(西鉄電車乗車券、久留米くるくるチケット2枚分引換券)
===== 発売を終了した割引乗車券など =====
; パルカード40
: 西鉄福岡(天神)駅 - 西鉄二日市駅間の任意区間に設定。回数券であるが[[乗車カード#磁気カード乗車券|磁気カード]]となっており、同一運賃区間を40回乗車することができる。有効期間1か月。発売額は150円区間用が4,800円(32回分)、200円 - 330円区間用が30回分の価格。
: 2001年1月20日から1年間の試行発売期間を経て本格発売開始されたが、[[nimoca]]導入に伴い2008年9月30日限りで発売終了。nimocaではポイントが付与されるが、割引率ではパルカードに及ばない。
; [[よかネットカード]]
: [[乗車カード|SFカード]]。[[福岡市交通局|福岡市地下鉄]]や西鉄バスでも利用可能。3,000円券では200円、5,000円券では500円のプレミアが付く。2010年3月31日限りで発売とバスでの取り扱いを終了。2011年10月31日限りで西鉄および福岡市地下鉄での取り扱い終了。
; コロプラ☆西鉄電車フリーきっぷ
: 西鉄天神大牟田線全線(太宰府線・甘木線含む)と貝塚線の全線が乗り放題になり、さらに位置情報ゲーム『[[コロニーな生活]]』で使えるオリジナルの「乗り物コロカ(西鉄3000形)」がセットになったもの。価格は2,500円。2013年4月11日から2014年3月31日までの限定発売<ref>{{PDFlink|[https://www.nishitetsu.co.jp/release/2013/13_001.pdf 「コロプラ×西鉄電車・バス 乗り放題きっぷ」を発売します!]}} - 西日本鉄道ニュースリリース、2013年4月4日</ref>。
; 福岡謎解きトレイン<ref>{{PDFlink|[https://www.nishitetsu.co.jp/release/2016/16_013.pdf 西鉄電車×SCRAP フィールド型リアル脱出ゲーム「福岡謎解きトレイン」開催決定!]}} - 西日本鉄道、2016年5月20日</ref>
: 2016年7月22日から10月10日まで開催される[[SCRAP]]主催の体感型謎解きイベント[[リアル脱出ゲーム]]『福岡謎解きトレイン』の期間中、謎解きキットをセットにした天神大牟田線専用の1日乗車券を発売した(大人用のみ)。1日乗車券は開催期間のうち1日限り有効だが、謎解きキットは開催期間中に限り何度でも使用できる<ref group="注">[[西鉄イン]]福岡天神では謎解きキットをセットにした天神大牟田線専用1日券をセットにした宿泊プランを開催期間中に販売している。</ref>。
; [[パルチケット6]]
: 6枚綴りの回数券で、発売額は5枚分の運賃(≒16.7%割引)である。西鉄福岡(天神)駅か西鉄久留米駅を発着駅とする区間のみに設定されていた(もう一方の発着駅は天神大牟田線・甘木線・太宰府線の任意の駅)。券面には「パル6」と印字される。
: 1997年7月1日の運賃改定と同時に発売開始されたが、交通系ICカードの普及等を理由に、2020年9月30日で発売を終了した。
; [[回数乗車券|回数券]]
: [[ファイル:Nishi-Nippon Railroad Railway Coupon.png|thumb|回数券の例<br />上がパルチケット6、下が普通回数券]]
: 11枚綴りで10枚分の運賃を発売額とする。各駅相互間に設定されていた。ポストコロナ社会においても持続的な公共交通サービスを提供するため、2021年7月31日限りで発売終了(発売済みのものは、有効期間内は使用可能)<ref name="kaisuuhaisi" />。障がい者割引の普通回数乗車券は引き続き発売。
: 各駅に設置の券売機で購入できた。発売日から3か月間有効。区間内利用(例:西鉄福岡(天神)駅 - [[朝倉街道駅]]の回数券で[[薬院駅]] - [[紫駅]]を乗車)も可能だが、未乗車区間に対してその券片は無効となる。額面式ではなく区間式となっているため、運賃が同額となる駅までの乗り越しでも、乗り越した区間の普通運賃が必要。
==== 連絡運輸 ====
; JR鹿児島本線連絡運輸
: JR九州との[[連絡運輸]]制度は、2014年4月をもって廃止となった。
: 廃止時点では、天神大牟田線の[[西鉄福岡(天神)駅]]、[[西鉄二日市駅]]、[[西鉄久留米駅]]、[[西鉄柳川駅]]および太宰府線[[太宰府駅]] と、JR[[鹿児島本線]][[熊本駅]] - [[荒尾駅 (熊本県)|荒尾駅]]間の各駅相互間が対象であった。乗り継ぎ駅は[[大牟田駅]]に限る。かつては熊本駅 - [[鹿児島中央駅]]間や[[三角線]]も連絡運輸の対象だったが、[[九州新幹線]]の開業によって連絡運輸区間が熊本駅までに短縮された。相互区間通しの乗車券を購入すると、JRの乗車区間が100km以下の場合でも相互区間の通算キロで101kmを超えていれば有効期限が2日となり、途中下車ができた。西鉄側は自動券売機、JR側は窓口で[[マルス (システム)|マルス端末]]による発売である。なお、西鉄発行の切符は西鉄・JR双方の自動改札機に対応しているが、JR発行の切符は西鉄の自動改札機に対応していない。運賃は西鉄、JRの運賃の合算額である。
; 福岡市営地下鉄線連絡運輸
: 天神大牟田線・太宰府線・甘木線は定期券のみ、貝塚線では普通乗車券と定期券の両方が対象である。貝塚線3区( - [[三苫駅]])と地下鉄線3区( - [[藤崎駅 (福岡県)|藤崎駅]]・[[福岡空港駅]]・[[茶山駅 (福岡県)|茶山駅]])を乗り継ぐ場合、乗り継ぎ割引制度が適用される。割引額は双方2区までが60円、3区までが20円(普通運賃の場合)である。なお、[[福岡市営地下鉄箱崎線|箱崎線]]・[[福岡市営地下鉄空港線|空港線]][[天神駅]]と[[福岡市営地下鉄七隈線|七隈線]][[天神南駅]]は別駅扱いだが、七隈線博多駅延伸開業までは特例として別改札の同一駅扱いとなっていた。その場合には乗り換を2時間以内に行う必要があった(定期券を除く)。延伸開業と共に、開業時点で有効な定期券を除きこの取り扱いは廃止され、完全な別駅扱いとなり初乗り運賃が加算される。
; 島原(高速船)連絡運輸
: 天神大牟田線の西鉄福岡(天神)駅、薬院駅、西鉄二日市駅、西鉄久留米駅、花畑駅、西鉄柳川駅で発売している。片道のみの発売。
=== ソフト・サービス面での特徴 ===
* 近年、旅客サービスや駅設備などに関する[[アンケート]]を年に1回程度実施している。
* 各駅の窓口において、全線・全列車の時刻が掲載された有料版[[時刻表]]の販売が行われていたが、2017年8月26日のダイヤ改正をもって終了した。また、各駅で駅別の時刻表の配布を行っていたが、2021年3月13日のダイヤ改正を機に廃止された。
* 現行ダイヤの[[ダイヤグラム]]の縮刷版が、一般向けに提供されている。長年、天神大牟田線・太宰府線のダイヤが掲載されたものを駅窓口で無料配布していたが、2021年3月13日のダイヤ改正より、甘木線のダイヤも掲載した形で1部200円で販売されている<ref>{{Cite news |和書 |title=西鉄ダイヤグラム時刻表、ひそかな人気 4駅で販売中 |newspaper=西日本新聞 |date=2021-04-07 |url=https://www.nishinippon.co.jp/item/n/719503/ |publisher=西日本新聞社 |accessdate=2021-04-11}}</ref>。
* 駅の案内・サインは貝塚線では[[ユニバーサルデザイン]]の[[ピクトグラム]]を導入している一方で、天神大牟田線では導入されておらず、独特のサインが使われている。ほぼ全駅で4か国語([[日本語]]・[[中国語]]・[[朝鮮語|韓国語]]・[[英語]])の表記が行われている。
* 多くの駅のホームには、ドアの数のみが書かれた乗車位置案内が存在しており、放送などで案内されるドア数に沿って並ぶことになっている。
* 車内自動放送は比較的早い時期から導入されており、現在は車掌が乗務する天神大牟田線の[[普通列車]](ただし一部の[[急行列車|急行]]に例外あり)以外で導入されている。
* 6000形・6050形・7000形・7050形・3000形・9000形は自動音声合成案内装置を装備している。
** 2000年頃まで、8000形で運行される特急は車内放送の際に福岡県出身・ゆかりのアーティストの曲をオルゴールで流していた。詳細は「[[西鉄8000形電車#車内チャイムとして使用された曲|西鉄8000形電車]]」の項目を参照。
* [[発光ダイオード|LED]]表示器は駅の旅客案内設備としては1990年代の早い段階で導入が行われている。車両の行先表示に関しては長らく従来の幕式方向幕が使われ続けていたが、[[2017年]][[3月20日]]より営業運転が開始された[[西鉄9000形電車|9000形電車]]で、初めてフルカラー式LED車両となった<ref name="nishitetsu20160204">{{Cite press release|和書|url=https://www.nishitetsu.co.jp/release/2015/15_142.pdf |title=平成29年3月 天神大牟田線に新型車両「9000形」導入します! |format=PDF |publisher=西日本鉄道 |date=2016-02-04 |accessdate=2016-02-05}}</ref>。
* [[駅名標]]では、かつては正式名称に「西鉄」を冠する駅で「西鉄」を省略した駅名(例:西鉄二日市駅は「二日市」)を表記していたが、駅ナンバリングの導入による駅名標の更新の際に、小さい文字で「西鉄」を冠するように変更されている(例:<small>西鉄</small>二日市)。
== バス事業 ==
{{右|
[[ファイル:Nnr-hakata-0001-20200714-601.jpg|300px|none|thumb|夜行高速バス「はかた号」]]
[[ファイル:Nnr-zondag-4873.jpg|300px|none|thumb|夜行高速バス「どんたく号」]]
[[ファイル:Phoenix nnr fukuoka200ka2301.jpg|300px|none|thumb|昼行高速バス「フェニックス号」]]
[[ファイル:Nishitetsu bus37.jpg|300px|none|thumb|昼行高速バス「桜島号」(新塗装)<br />将来的に西鉄の昼行高速バス用車両全車をこの塗装に変更予定]]
[[ファイル:Nishi-Nippon Railroad - 9876.JPG|300px|none|thumb|一般路線バス(新塗装)]]
[[ファイル:Nishi-Nippon Railroad - 9669.JPG|300px|none|thumb|一般路線バス([[1975年]]採用の旧塗装)]]
[[ファイル:Nishitetsu bus 9375.jpg|300px|none|thumb|一般路線バス([[1950年代]]から1975年までの塗装、創立110周年記念復刻車)]]
}}
西日本鉄道は[[福岡都市圏]]でバス事業を展開しており、エリア内では最大の事業者として運行している。2022年(令和4年)3月31日時点の保有バス車両は1,630台である(子会社保有車両、および他社への賃貸用車両を除く)<ref name="fy" />。1980年代には3,500台以上を保有していた日本最大のバス事業会社であったが、1990年代以降はバス事業の縮小や分社化が進み保有台数が大幅に減少している。
また、福岡県内間ならびに九州各地への都市間バスも多く運行しており、特に福岡市を起終点とする路線においては便数が最も多く、なかでも[[北九州市]]とを結ぶ3系統([[福岡 - 北九州線|なかたに号・ひきの号・いとうづ号]])や[[熊本県]][[熊本市]]とを結ぶ「[[ひのくに号]]」においては共同運行会社便も含め輸送人員も最大のシェアを有し、高頻度の運行がなされている。このほか、本州向け便としては[[東京都]]([[新宿区]])・[[愛知県]][[名古屋市]]へも乗り入れている。かつて1980年代末期から2010年代においては関西方面・中国方面・四国方面へも乗り入れており、九州発の高速路線ではまさに九州一の路線数を擁していたが、1990年代末期より不採算路線の廃止や近郊都市との路線統合、自社便の撤退などにより多くの路線が廃止され、さらに2000年代を過ぎると格安高速バス(旧[[ツアーバス]])の台頭や[[格安航空会社]](LCC)による航空便の就航などによる影響、近年における深刻な乗務員不足、2020年以降の新型コロナウイルスの感染拡大など様々な理由によりほとんどの路線が廃止・撤退しており、2023年7月時点で本州方面へは前記の2路線のみとなっている。かつては九州内(鹿児島・[[宮崎市|宮崎]]・[[延岡市|延岡]])にも夜行便が運行されていたが、現在は廃止されている。
以前は使用する車体の殆どが傘下の[[西日本車体工業]](西工)で設計製作されていたため外観はほぼ同一だが、エンジンおよび[[シャシ (自動車)|シャーシ]]は国内各メーカーのものを使用していたため、バス番号の最上桁でエンジンやシャシーのメーカーを区別していた。この伝統は[[西日本車体工業]]が2010年10月に解散して各メーカーから納車されるようになった現在も続いている。
[[2009年]]度の営業損益を見てみると、鉄道事業が3,782百万円の営業黒字に対して、バス事業は2,700百万円の営業赤字(単体ベース)となっており<ref>{{PDFlink|[https://www.nishitetsu.co.jp/corporate/ir/bspl/169.pdf 第169期損益計算書]}}</ref>、厳しい経営状況が続いている。経営改善の一環として、他の大手私鉄同様にバス事業の分社化を進めてきたが、本体での運営が残っているのは大手私鉄で唯一となっている。
以下に示すのは現在、西鉄本社が福岡都市圏において直接展開するバス事業についてであり、[[北九州都市圏]]など他の地域で西鉄バスと呼ばれているものは西鉄グループの分離子会社によって運行されている。福岡都市圏以外の分離子会社も含めた内容については「[[西鉄バス]]」を参照。<!--西鉄本体以外のバス事業については西鉄バスの項へお願いします。-->
=== 営業所一覧 ===
営業所名の右の( )内は営業所表記(○の中に漢字/平仮名1、2文字の営業所略称を表示)。
* ''所在地と最寄停留所は当該記事を参照''
==== 自動車事業本部管理営業所 ====
==== 東営業課 ====
* [[西日本鉄道博多自動車営業所|博多自動車営業所]](○博) - 主幹
* [[西日本鉄道吉塚自動車営業所|吉塚自動車営業所]](○吉塚)
* [[西日本鉄道土井自動車営業所|土井自動車営業所]](○土)
* [[西日本鉄道アイランドシティ自動車営業所|アイランドシティ自動車営業所]](○ア)-新宮・香椎浜の両営業所を統合して2019年3月16日に開設<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.nishitetsu.co.jp/release/2018/18_182.pdf|title=西日本鉄道2019年3月6日付ニュースリリース『アイランドシティ自動車営業所3月16日(土)開業!』|work=|author=西日本鉄道総務広報部|publisher=西日本鉄道|accessdate=2019-04-16}}</ref>
** [[西日本鉄道新宮自動車営業所|新宮自動車営業所]](○新)-アイランドシティ自動車営業所開設に伴い廃止
** [[西日本鉄道香椎浜自動車営業所|香椎浜自動車営業所]](○香)-アイランドシティ自動車営業所開設に伴い、営業所機能を廃止し『香椎浜車庫』に格下げ
* [[西日本鉄道宇美自動車営業所|宇美自動車営業所]](○宇)
<!--* [[西日本鉄道宇美自動車営業所|宇美自動車営業所桜ヶ丘車庫、早見車庫]](○宇)-->
* 福岡空港営業所(○空) - 空港内輸送(ランプバス)の運行を担当。
* [[西日本鉄道福岡高速自動車営業所|福岡高速自動車営業所]](○高) - 2019年4月より[[西鉄高速バス]]解散に伴い新設<ref group="注">1990円3月から西鉄高速バス発足までの期間にも西鉄本体の営業所として存在した。西鉄高速バスに分社化後、西鉄本体の営業所としては事実上廃止されたが、西鉄本体より西鉄高速バスに運行業務を管理委託されていた一部の路線に関しては、運営ならびに車両の所有はあくまで西鉄本体であるため、車両の所属先としての名義上は「福岡高速自動車営業所」の名称を用いていた。</ref>。同社が運行していた福岡発着の直営路線・管理委託路線を継承
==== 西営業課 ====
* [[西日本鉄道壱岐自動車営業所|壱岐自動車営業所]](○壱) - 主幹
* [[西日本鉄道早良自動車営業所|早良自動車営業所]](○早)
* [[西日本鉄道金武自動車営業所|金武自動車営業所]](○武)
* [[西日本鉄道愛宕浜自動車営業所|愛宕浜自動車営業所]](○愛)
* [[西日本鉄道百道浜自動車営業所|百道浜自動車営業所]](○も)
==== 南営業課 ====
* [[西日本鉄道桧原自動車営業所|桧原自動車営業所]](○桧) - 主幹
* [[西日本鉄道柏原自動車営業所|柏原自動車営業所]](○柏)
* [[西日本鉄道片江自動車営業所|片江自動車営業所]](○片)
* [[西日本鉄道那珂川自動車営業所|那珂川自動車営業所]](○那)
* [[西日本鉄道竹下自動車営業所|竹下自動車営業所]] (○竹) - 2020年3月21日に[[西日本鉄道雑餉隈自動車営業所|雑餉隈自動車営業所]]が移転して新設。
==== 主なバスターミナル ====
* [[西鉄天神高速バスターミナル]](福岡市[[中央区 (福岡市)|中央区]])
* [[博多バスターミナル]](福岡市[[博多区]]) - 博多バスターミナル株式会社運営
* [[福岡空港]] 第二・第三ターミナル(同上)
* [[ベイサイドプレイス博多埠頭|博多ふ頭]](同上)
* [[博多港|博多港国際ターミナル(中央ふ頭)]](同上)
* [[藤崎バス乗継ターミナル]](福岡市[[早良区]])
* [[姪浜駅]]北口・南口(福岡市[[西区 (福岡市)|西区]])
* [[橋本駅 (福岡県)|橋本駅]](同上)
* [[西鉄香椎駅]]前・[[香椎]](福岡市[[東区 (福岡市)|東区]])
* 西鉄[[大橋駅 (福岡県)|大橋駅]](福岡市[[南区 (福岡市)|南区]])
* 西鉄[[春日原駅]]([[春日市]])
* [[博多南駅]]([[那珂川市]])
==== 運行している市町村 ====
子会社および管理委託されている(子会社所属の運転士が乗務する)路線のみ運行の市町村は除く
* 福岡市(全区)
* 春日市
* [[大野城市]](市北部の一部地域のみ)
* 那珂川市
* [[糟屋郡]](全町)
=== 研修センター ===
* 西鉄自動車教習所(福岡県大野城市山田3丁目12番15号)
=== 路線バス ===
自動車事業本部管内(福岡市内とその周辺)で135系統の路線バスを設定している([[2004年]][[11月]]時点。同区間でも急行・快速・特別快速と普通は別系統としている場合がある。また、行先番号が同じでも路線名が異なることがあり、反対に路線名が同じでも経由地の違いにより行先番号が異なる場合もある)。
現在は種別として、普通・快速・急行・特別快速(特快)・特急・直行などが存在している。快速運転を行う区間も全区間から停留所2つ程度まで幅広い。また、直行は必ずしも終着停留所までノンストップというわけではなく、[[福岡タワー]]方面には経路上の各停留所に停車する系統も運行されていた(後に番号変更によって消滅)。
設定系統が複雑であることから、直轄営業所の路線では、方面により行先番号のほかに行き先の方面を表す色が設定されている。ただし、深夜バスはいずれの路線も黄色表示で運行される(行先表示機が[[方向幕]]だった時代には行先番号を表示しないものもあった)。
{| class="wikitable"
|-
!方向幕<br />表示
!LED色幕<br />表示
!方面
|-
|style="background:deepskyblue; color:#fff; text-align:center;"|1
|style="background:deepskyblue"|
|天神・博多駅 → 西部(主に城南区西部・早良区・西区)方面
|-
|style="background:orangered; color:#fff; text-align:center;"|12
|style="background:orangered"|
|天神・博多駅 → 南西部(主に中央区南部・[[城南区]]東部・南区西部)方面
|-
|style="background:limegreen; color:#fff; text-align:center;"|4
|style="background:limegreen"|
|天神・博多駅 → 南部(主に南区東部・博多区南部・那珂川市・春日市)方面
|-
|style="background:brown; color:#fff; text-align:center;"|3
|style="background:brown"|
|天神・博多駅 → 東南部(主に東区南東部・糟屋郡)方面
|-
|style="background:yellow; text-align:center;"|22
|style="background:yellow"|
|天神・博多駅 → 東部・北部(主に東区)方面<br/>深夜バス
|-
|style="color:blue; text-align:center;"|1
|style="background:black"|
|各地 → 天神・博多駅方面
|-
|style="text-align:center;"|-
|
|各地(天神・博多駅以外) → 近郊駅([[大橋駅 (福岡県)|大橋駅]]・[[姪浜駅]]・[[福岡空港]]等)方面
|}
(注)行先番号は一例
==== 路線一覧 ====
{{Main2|[[#営業所一覧|各営業所]]の記事も}}
この項では臨時便扱いなど一部を除く西日本鉄道直営の路線を掲載する。
西鉄バスの路線分類には様々な見方がある。例えば、路線図では別々の路線として扱われている野方(城南)博多駅線と九大(都市高速)博多駅線は、実際の運用では「野方(都市高速)博多駅線」という同一路線として運行されている。本稿はあくまで参考とされたい。
カッコ内は主な系統のうち、原則として毎日、終日運行されている区間。
* {{Color|deepskyblue|■}} 姪浜フィーダー線(1・1-5の一部 野方 - 姪浜駅 - 藤崎 - [[国立病院機構九州医療センター|九州医療センター]]、1番の一部 [[壱岐丘中学校]] - 野方 - 橋本 - 姪浜駅、1-4 野方 - 橋本駅 - 都橋 - 姪浜駅、1-5の一部 壱岐丘中学校 - 野方 - 拾六町団地 - 姪浜駅、1-6 野方 - ウエストヒルズ - 宮の前団地 - 姪浜駅)
* {{Color|deepskyblue|■}} 金武線(2番 金武営業所 - 四箇田団地 - 藤崎 - [[大濠公園]] - 昭和通 - 天神、2-3 野方 - 室住団地 - 藤崎 - 大濠公園 - 昭和通 - 天神、306番 四箇田団地 - 藤崎 - 福岡タワー - 都市高速 - 博多駅)
* {{Color|deepskyblue|■}} 脇山線(3番 [[福岡県立早良高等学校|早良高校]]/陽光台/さわら台団地 - 早良営業所 - [[西新]] - 大濠公園 - 明治通 - 天神 - 博多駅)
* {{Color|deepskyblue|■}} 脇山支線(3番 早良営業所 - 椎原)
* {{Color|black|■}} 博多駅〜西新線(6番 博多駅 - 国体道路 - 西新 - 福岡タワー南口、6-1 博多駅 - 国体道路 - 大濠公園南 - 今川西町公園 - 福岡タワー)
* {{Color|deepskyblue|■}} 昭代〜天神線(7番 姪浜駅 - 昭代 - 国体道路 - 天神)
* {{Color|deepskyblue|■}} むろみ団地〜西新線(8番 室住団地 - 室見団地 - 藤崎)
* {{Color|deepskyblue|■}} 西新(城南)九大線(9番 [[マリノアシティ福岡|マリノアシティ]]/能古渡船場 - 藤崎 - 西新 - 城南線 - 博多駅 - 箱崎三丁目、15番 福岡タワー - 西新 - 城南線 - 博多駅)
* {{Color|deepskyblue|■}} 昭代(城南)博多駅線(11番 藤崎 - 昭代 - 城南線 - 博多駅 - 中央ふ頭)
* {{Color|deepskyblue|■}} 茶山線(140番 片江営業所 - [[福岡大学病院|福大病院]] - 茶山 - 明治通 - 天神 - 博多駅)
* {{Color|deepskyblue|■}} 早良(城南)博多駅線(17番 早良高校/陽光台 - 早良営業所 - 城南線 - 博多駅 - 扇町)
* {{Color|deepskyblue|■}} 金武(城南)博多駅線(19番 金武営業所 - 四箇田団地 - 城南線 - 博多駅 - 中央ふ頭)
* {{Color|deepskyblue|■}} タワー(天神)貝塚線(20番 福岡タワー - 今川西町公園 - 城南線 - 天神 - 貝塚駅)
* {{Color|black|■}} 長浜線(68番 福浜 - 天神 - 博多駅)
* {{Color|deepskyblue|■}} 野方(城南)博多駅線(214番 野方 - 城南線 - 博多駅)
* {{Color|deepskyblue|■}} 荒江線(200番 さわら台団地 - 早良営業所 - 国体道路 - 天神/博多駅)
* {{Color|deepskyblue|■}} 三軒屋線(201番 金武営業所 - 四箇田団地 - 国体道路 - 博多駅)
* {{Color|deepskyblue|■}} 室住線(202番 原北中学校 - 国体道路 - 博多駅、203番 野方 - 室住団地 - 国体道路 - 博多駅、503番 野方 - 室住団地 - 都市高速 - 天神 - 博多駅)
* {{Color|deepskyblue|■}} 福重(都市高速)線(204・205・206・208・504・505・525番 野方 - 国体道路 - 天神 - 都市高速 - 野方/壱岐丘中学校)
* {{Color|deepskyblue|■}} 賀茂〜藤崎線(2-9 賀茂駅 - 藤崎)
* {{Color|deepskyblue|■}} シーサイドももち線(301・302・312番 能古渡船場 - 都市高速 - 博多駅、333番 マリノアシティ - 都市高速 - 博多駅、98番 能古渡船場 - 姪浜駅)
* 能古島内線(龍の宮 - 渡船場前 - アイランドパーク)
* {{Color|deepskyblue|■}} 下山門(都市高速)線(506・526番 野方 - 生松台 - ウエストヒルズ - 都市高速 - 天神 - 博多駅)
* {{Color|deepskyblue|■}} 九大(都市高速)博多駅線(K [[九州大学#伊都地区|九大伊都キャンパス]] - 都市高速 - 天神 - 博多駅)
* {{Color|orangered|■}} 福大線(12番 片江営業所 - [[福岡大学|福大]]前 - 田島 - 天神 - 博多駅/吉塚営業所)
* {{Color|orangered|■}} 油山線(13番 片江営業所/桧原営業所 - [[油山観光道路]] - 明治通 - 天神 - 博多駅/吉塚営業所)
* {{Color|orangered|■}} 油山(快速)博多駅線(113番 片江営業所/桧原営業所 - 油山観光道路 - 国体道路 - 博多駅)
* {{Color|orangered|■}} 片江(城南)博多駅線(16番 片江営業所 - 福大前 - 油山観光道路 - 城南線 - 博多駅)
* {{Color|orangered|■}} 野間(城南)博多駅線(50番 桧原営業所 - 皿山 - 野間四角 - 高宮駅 - 城南線 - 博多駅)
* {{Color|orangered|■}} 野間(皿山)線(51番 柏原営業所/桧原営業所 - 皿山 - 野間四角 - 高宮駅 - 天神 - 九大病院/吉塚営業所)
* {{Color|orangered|■}} 野間(長住)線(52 柏原営業所/桧原営業所 - 長住六丁目 - 野間四角 - 高宮駅 - 天神 - 吉塚営業所、52-1 桧原営業所 - 長住六丁目 - 寺塚 - 野間四角 - 高宮駅 - 天神)
* {{Color|orangered|■}} 野間(快速)線 (151・152番 柏原営業所/桧原営業所 - 野間四角 - 日赤通 - 天神 - 中央ふ頭/福岡タワー)
* {{Color|orangered|■}} 長住〜天神線(55番 桧原営業所 - 長住六丁目 - 寺塚 - 平和二丁目 - 天神 - 那の津四丁目)
* {{Color|orangered|■}} 小笹・小笹団地線(56・57番 柏原営業所/桧原営業所 - 小笹団地 - 城南線 - 天神 - 博多駅)
* {{Color|orangered|■}} 桧原(城南)博多駅線(58番 桧原営業所 - 小笹団地 - 城南線 - 住吉 - 博多駅)
* {{Color|deepskyblue|■}} 小笹〜天神線(54-1 福岡タワー - 西新 - 小笹 - 平尾 - 城南線 - 天神 - 吉塚営業所/箱崎三丁目)
* {{Color|orangered|■}} 屋形原線(61番 那珂川営業所/九州がんセンター - 野間四角 - 日赤通 - 天神 - 那の津四丁目/福浜/箱崎三丁目、161番 老司団地 - 野間四角 - 日赤通 - 天神 - 博多ふ頭/箱崎三丁目)
* {{Color|orangered|■}} 片江(長住)博多駅線(64番 福大病院 - 片江営業所 - 長住 - 野間四角 - 那の川 - 博多駅)
* {{Color|orangered|■}} 長住〜博多駅線(65・67番 柏原営業所/桧原営業所 - 長住六丁目 - 野間四角 - 那の川 - 博多駅)
* {{Color|orangered|■}} 桧原(小笹)博多駅線(69番 桧原営業所 - 小笹 - 那の川 - 博多駅、{{Color|deepskyblue|■}} 69-1 藤崎 - 小笹 - 那の川 - 博多駅)
* {{Color|orangered|■}} 長住〜藤崎線(96番 桧原営業所 - 長住六丁目 - 油山観光道路 - 藤崎)
* {{Color|orangered|■}} 福大病院(外環状)大橋線(外環1番 福大病院 - 外環状道路 - 大橋駅)
* 長丘〜高宮循環バス
* {{Color|limegreen|■}} 板付団地線(40番・40L番 板付七丁目 - 筑紫通 - 博多駅)
* {{Color|limegreen|■}} 板付線(41番 イオン大野城/雑餉隈車庫 - 新屋 - 板付 - 博多駅)
* {{Color|limegreen|■}} 諸岡線(44・45番 雑餉隈車庫 - 諸岡 - 筑紫通 - 博多駅)
* {{Color|limegreen|■}} 竹下線(46・46-1 井尻六ツ角 - 竹下 - 博多駅 - 天神 - 博多ふ頭)
* {{Color|limegreen|■}} 大橋〜福翔線(47・48・48-1 那珂川営業所/老司団地/レークヒルズ野多目 - 大橋駅 - 美野島 - 博多駅 - 博多ふ頭、60番 大橋駅 - きよみ通 - 博多駅、63番 大橋駅 - 美野島 - 天神 - 博多ふ頭)
* {{Color|limegreen|■}} 渡辺通幹線線(W1 大橋駅 - 日赤通 - 天神 - 福岡タワー、W3 大橋駅 - 日赤通 - 天神 - 那の津四丁目){{Color|pink|■}} ピンク色の専用ノンステップ車で運行
* {{Color|limegreen|■}} 那珂川フィーダー線(7番 東若久 - 大橋駅、49番 博多南駅 - 弥永団地 - 大橋駅、62番 市の瀬 - 那珂川営業所 - 大橋駅、62-1 コットンヒルズ那珂川ハイツ南 - 那珂川ハイツ - 大橋駅)
* {{Color|yellow|■}} 志賀島線(21番 天神 - 香椎 - [[福岡市雁の巣レクリエーションセンター球技場|雁の巣レクレーションセンター]]、21A・210番 天神 - 都市高速 - 奈多 - 雁の巣レクレーションセンター - アイランドシティ - 都市高速 - 天神)
* {{Color|yellow|■}} 新八田線(4番 土井営業所 - 八田団地 - 千早駅 - 天神、24C 土井営業所 - 八田団地 - 都市高速 - 天神)
* {{Color|yellow|■}} 香椎浜〜天神線(22番 西鉄香椎 - 香椎浜車庫 - 城浜団地 - 名島 - 天神 - 昭和通 - 大濠公園、22N アイランドシティ照葉/香椎浜車庫 - 城浜団地 - 都市高速 - 天神 - 昭和通 - 大濠公園)
* {{Color|yellow|■}} 香椎線 (23番 三苫駅/大蔵・高美台 - 香椎 - 天神 - 昭和通 - 大濠公園)
* {{Color|yellow|■}} 下原〜天神線(23番 下原 - 香椎 - 天神 - 昭和通 - 大濠公園、23B 下原 - 都市高速 - 天神 - 昭和通 - 大濠公園、無番 香椎花園 - 香椎 - 千早駅)
* {{Color|yellow|■}} みどりが丘線(27B・27N みどりが丘団地 - 都市高速 - 天神 - 昭和通 - 大濠公園)
* {{Color|yellow|■}} 青葉台線(28B 土井団地 - 青葉台入口 - 都市高速 - 天神 - 昭和通 - 大濠公園)
* {{Color|yellow|■}} 香椎浜〜博多駅線(29番 アイランドシティ照葉/西鉄香椎 - 城浜団地 - 名島 - 博多駅)
* {{Color|yellow|■}} 新宮(急行)福岡線(急行 [[新宮中央駅]] - 高美台 - 都市高速 - 天神)
* {{Color|brown|■}} 多々良・八田線(71番 月見町 - 天神 - 明治通 - 大濠公園、72C みどりが丘団地 - 土井団地 - 土井営業所 - 都市高速 - 天神、77・78番 みどりが丘団地入口 - 土井営業所 - 天神 - 明治通 - 大濠公園)
* {{Color|brown|■}} 土井団地〜博多駅線(73番 土井団地 - 流通センター - 博多駅)
* {{Color|brown|■}} 宇美線(30番 [[イオンモール福岡]] - 博多駅 - 天神 - 昭和通 - 大濠公園、32・34番 原田橋/極楽寺 - 志免 - 天神 - 昭和通 - 大濠公園、33番 障子岳 - 上宇美 - 志免 - 博多駅)
* {{Color|brown|■}} 須恵線(36番 宇美営業所 - 須恵 - 天神)
* {{Color|brown|■}} 坂瀬線(39番 上宇美 - ひばりが丘 - 桜丘 - 福岡空港 - 博多駅、370・390番 上宇美 - 都市高速 - 天神)
==== 都心部の統一行先番号 ====
直轄営業所の路線のうち、利用者が多い・同一経路を走行する行先番号が多い路線においては、運行途中に行先番号を変更している。下表以外にも行先番号を変更する路線は多数あるが、ここでは都心部を運行する路線に限り記載する。その他の路線については各営業所の記事を参照いただきたい。
なお、下表の順路を逆方向に運転する場合や、下表の終着地より遠方に運行する場合、経路が一部異なる場合などは、従来の番号で運行する(6番、39番など)。
なお、下表において下線区間以降で経路・行先が重複する場合は番号変更を行わない。
{| class="wikitable"
|+ 都心部の統一行先番号
! colspan="2"| 統一後の<br/>行先番号
! 概要 !! 経路<br/><small>(実際にその番号で走行する区間のみ記載)</small> !!統一時のバス停/統一前の行先番号
|-
| 1<br/>快速1(千代町まで)<br/>
| style="background-color: black;"|
| 天神→明治通り→'''[[福岡県庁|県庁]]方面'''<br/><small>※ただし郊外向け路線など例外あり</small>
|
→<u>大名二丁目→天神→呉服町→県庁前→吉塚駅前→吉塚営業所</u><br/>
→<u>大名二丁目→天神→呉服町→県庁前→九大病院</u><br/>
→渡辺通一丁目→<u>天神→呉服町→県庁前→吉塚駅前→吉塚営業所</u><br/>
→渡辺通一丁目→<u>天神→呉服町→県庁前→箱崎三丁目</u><br/>
→警固一丁目→<u>天神→呉服町→県庁前→吉塚駅前→吉塚営業所</u><br/>
|
大名二丁目/12・13・51・52(西鉄グランドホテル前/快速12・快速13)<br/>
大名二丁目/51<br/>
[[西鉄天神高速バスターミナル|天神高速バスターミナル]]前/54・54-1・59<br/>
天神高速バスターミナル前/54・54-1・59・61・快速161<br/>
天神高速バスターミナル前/7<br/>
|-
| 3<br/>快速3(博多駅まで)<br/>
| style="background-color: black;"|
| 天神→'''明治通り'''→博多駅
|→<u>大名二丁目→天神→呉服町→博多駅</u><br/>
|大名二丁目/3・快速3・12・13・56・57・快速57-1・140<br/>
|-
| 5
| style="background-color: black;"|
|天神→'''渡辺通り'''→住吉通り→博多駅
|→<u>那の津口(ボートレース福岡入口)→天神→渡辺通一丁目→博多駅</u><br/><small>※ただし、九大急行・天神コア前始発の急行は変更は行わない</small>
|那の津口(ボートレース福岡入口)/300・301・302・304・305・333
|-
|8<br/>快速8(博多駅まで)<br/>
|style="background-color: black;"|
|rowspan="2"|天神→'''国体道路'''→祇園町→博多駅<br/>
|→<u>六本松→天神→[[キャナルシティ博多]]前→祇園町→博多駅</u><br/>
|六本松/113・快速113・200・快速200・201・特快201・202・203・特快203・204・208<br/>
|-
| 68
|style="background-color: black;"|
|→<u>那の津口(ボートレース福岡入口)→天神→キャナルシティ博多前→祇園町→博多駅</u>
|那の津口(ボートレース福岡入口)/68・503・506・526<br/>
|-
| 80
| style="background-color: black;"|
|天神→'''中央ふ頭クルーズセンター'''
|→<u>天神→市民会館南口→国際センターサンパレス前→国際会議場サンパレス前→[[マリンメッセ福岡|マリンメッセ]]前→中央ふ頭→中央ふ頭クルーズセンター</u>
|天神ソラリアステージ前/快速151・快速152
|-
| 88<br/>快速88(博多駅まで)<br/>
| style="background-color: black;"|
|薬院駅前→博多駅→'''中央ふ頭'''
|→<u>薬院駅前→駅前四丁目→博多駅→蔵本→国際会議場サンパレス前→マリンメッセ前→中央ふ頭</u>
|薬院駅前/11・19・快速19・50
|-
| 90
| style="background-color: black;"|
|天神→'''博多ふ頭'''
|→<u>天神→市民会館南口→博多ふ頭(ベイサイドプレイス)</u>
|天神ソラリアステージ前/46・46-1・46L・63・快速63・快速161
|-
| 99
| style="background-color: black;"|
|駅前四丁目→博多駅→'''博多ふ頭'''
|→<u>駅前四丁目→博多駅→蔵本→国際センターサンパレス前→博多ふ頭(ベイサイドプレイス)</u>
|駅前四丁目/47・48・48-1
|-
| W3<br/>快速W3
| style="background-color: black;"|
|'''天神'''→那の津四丁目
|
<u>→渡辺通一丁目→天神→那の津四丁目</u><br/>
→警固一丁目→<u>天神→那の津四丁目</u><br/>
|
清水町/W3・61・快速161(那の川/55)<br/>
天神高速バスターミナル前/7・14・204・205・206・208
|-
|rowspan="2"| W1<br/>快速W1
!rowspan="2" style="background-color: deepskyblue;"|
|rowspan="2"|'''天神'''→都市高速'''西公園ランプ'''→福岡タワー・藤崎<br/>
|
→<u>渡辺通一丁目→天神→《都市高速》→[[福岡ドーム|PayPayドーム]]前→福岡タワー(TNC放送会館)</u><br/>
→警固一丁目→<u>天神→《都市高速》→PayPayドーム前→福岡タワー(TNC放送会館)</u><br/>
|
清水町/W1・快速151・快速152(渡辺通一丁目/305)<br/>
天神高速バスターミナル前/200(荒江四角/201)・快速200・204<br/>
|-
|
→<u>渡辺通一丁目→天神→《都市高速》→PayPayドーム前→福岡タワー南口→藤崎</u><br/>
→警固一丁目→<u>天神→《都市高速》→PayPayドーム前→福岡タワー南口→藤崎</u><br/>
|
渡辺通一丁目/W1・305<br/>
天神高速バスターミナル前/200(荒江四角/204)<br/>
|-
|rowspan="2"| 306
|rowspan="2" style="background-color: deepskyblue;"|
|rowspan="2"|博多駅→都市高速'''西公園ランプ'''→福岡タワー・藤崎・歯科大病院・四箇田団地・金武営業所 ||→<u>博多駅→呉服町→《都市高速》→PayPayドーム前→福岡タワー(TNC放送会館)</u>
|博多バスターミナル/139・快速139・306
|-
|
<u>博多駅→呉服町→《都市高速》→PayPayドーム前→福岡タワー南口→藤崎→歯科大病院</u><br/>
<u>博多駅→呉服町→《都市高速》→PayPayドーム前→福岡タワー南口→藤崎→四箇田団地→金武営業所</u><br/>
|博多バスターミナル/306
|-
|rowspan="2"| W2
|rowspan="2" style="background-color: deepskyblue;"|
|rowspan="2"|'''天神'''→都市高速'''百道ランプ'''→福岡タワー・藤崎
|
→<u>渡辺通一丁目→天神→《都市高速》→福岡タワー(TNC放送会館)</u><br/>
→警固一丁目→<u>天神→《都市高速》→福岡タワー(TNC放送会館)</u><br/>
|
渡辺通一丁目/W2・307(博多駅/44)<br/>
天神高速バスターミナル前/201<br/>
|-
|
→<u>渡辺通一丁目→天神→《都市高速》→福岡タワー南口→藤崎</u><br/>
→警固一丁目→<u>天神→《都市高速》→福岡タワー南口→藤崎</u><br/>
→法務局前→<u>天神→《都市高速》→福岡タワー南口→藤崎</u><br/>
|
渡辺通一丁目/W2・307<br/>
天神高速バスターミナル前/201<br/>
天神北/快速2-1<br/>
|}
==== 乗り継ぎ促進策 ====
西日本鉄道の2014年度事業計画<ref>{{PDFlink|[https://www.nishitetsu.co.jp/pdf/ir/briefing/140519_02.pdf 2014年度事業計画]}} - 西日本鉄道</ref> では、施策として「路線バスの乗り継ぎ促進による路線再編」を挙げている。以下に、[[2013年]][[11月]]以降の事例を述べる。いずれも[[郊外]]と都心を直通する路線の途中に乗り継ぎ拠点を設けて路線を分断することで、郊外方面へは定時性の向上、都心方面へは運行本数・間隔の適正化を図るものであり、乗り継ぎ拠点でnimocaを利用してバスを乗り継いだ場合はnimocaのセンターポイントを100pt付与するサービスを実施している。
; 西鉄[[大橋駅 (福岡県)|大橋駅]]を乗り継ぎ拠点とする路線再編<ref>{{Cite press release |title= 『西鉄大橋駅』を乗り継ぎ拠点とした路線編成 |publisher=西日本鉄道 |date=2013-10-18 |url=https://www.nishitetsu.co.jp/release/2013/13_101.pdf |language=ja |access-date=2023-11-15 |archive-url= https://web.archive.org/web/20220812101206/https://www.nishitetsu.co.jp/release/2013/13_101.pdf |archive-date=2022-08-12}}</ref>
: 2013年[[11月2日]]実施。従来、62・62-1・162番(那珂川幹線)や49番(弥永 - 天神線)のバスが那珂川地区や弥永団地地区から天神方面へ直通していたが、これを西鉄大橋駅で分断し、郊外方面を那珂川フィーダー線として、都心方面を「渡辺通幹線バス」として再編。「渡辺通幹線バス」は、従来系統の都心区間とシーサイドタワー線の305番を統合して渡辺通一丁目 - 那の津口間の本数を適正化するものであり、分かりやすい行先番号(Wなど)やピンク色の専用ノンステップバスの導入も行われている<ref>{{Cite press release |title= 渡辺通幹線バス 12月9日 装い新たに『新デザインバス』運行開始 |publisher=西日本鉄道 |date=2013-12-09 |url= http://www.nishitetsu.co.jp/release/2013/13_124.pdf |language=ja |access-date=2014-11-07 |archive-url= https://web.archive.org/web/20220718014236/http://www.nishitetsu.co.jp/release/2013/13_124.pdf |archive-date=2022-07-18}}</ref>。なお、一部の便は従来通り郊外から都心まで直通している。
: これにより、[[渡辺通り]]の天神 - 渡辺通一丁目間が1日あたり128便、[[住吉通り]]の博多駅 - 渡辺通一丁目間が同164便削減され、都心部の渋滞緩和を図っている<ref name="kouritsuka">{{Cite web|和書|url= http://www.city.fukuoka.lg.jp/data/open/cnt/3/41824/1/bessi4busunkoukouritsuka.pdf |title= バス運行の効率化に向けて |publisher=福岡市 |accessdate=2016-04-11 |archive-url= https://web.archive.org/web/20160421225015/http://www.city.fukuoka.lg.jp/data/open/cnt/3/41824/1/bessi4busunkoukouritsuka.pdf |archive-date=2016-04-21}}</ref>。
; [[藤崎バス乗継ターミナル]]を乗り継ぎ拠点とする路線再編<ref>{{Cite press release |title=「藤崎バスターミナル」を活用したダイヤ改正 |publisher=西日本鉄道 |date=2014-10-17 |url=https://www.nishitetsu.co.jp/release/2014/14_107.pdf |language=ja |access-date=2023-11-15 |archive-url= https://web.archive.org/web/20220815104000/https://www.nishitetsu.co.jp/release/2014/14_107.pdf |archive-date=2022-08-15}}</ref>
: [[2014年]][[11月1日]]実施。従来、2・2-3番(金武線)が四箇田団地・室住団地地区から昭和通り経由で天神・博多駅方面へ直通していたが、一部の便を藤崎で分断し、さらに博多駅直通系統が廃止された。また、2番の支線である九州医療センター系統は博多駅直通系統の代替も兼ねて306番(シーサイドタワー線)と統合されており、藤崎 - 九州医療センター間の本数も調整された。また、藤崎 - 大濠公園 - 昭和通り - 天神 - 蔵本間に関しては22・22N番(香椎浜 - 天神線)の延伸も行われ、福岡市の西部エリアと東部エリアの間のアクセス向上を図っている。なお、大濠公園 - 昭和通り - 天神 - 蔵本 - 博多駅間の本数減少については、39・39B番(坂瀬線)の一部を大濠公園まで延伸するという形で対応されている。
: これにより、[[昭和通り (福岡市)|昭和通り]]の天神 - 蔵本間が1日あたり113便、[[大博通り]]の博多駅 - 蔵本間が同117便削減され、都心部の渋滞緩和を図っている<ref name="kouritsuka" />。
: しかし、新型コロナウイルス感染症流行に伴う経営逼迫や運転士不足により、22・22N番(香椎浜 - 天神線)は藤崎 - 大濠公園が短縮、39・39B番(坂瀬線)も大濠公園 - 博多駅が短縮となり、2番の博多駅直通系統廃止・306番との統合を除けば路線再編前の運行形態に逆戻りした。
=== バスロケーションシステム ===
[[2004年]]10月1日より、既に一部の高速バスで実験を開始していた[[グローバル・ポジショニング・システム|GPS]]によるバス位置情報提供システムを「[[バスロケーションシステム]]」として福岡都市圏8路線の路線バスに試験導入し、[[2005年]]4月1日から「にしてつバスナビ」として福岡都市圏全域に拡大開始し、[[2006年]]4月1日までに福岡都市圏全域が対象路線となった。このシステムでは、バスの現在位置や遅れ時間、到着予定時刻といった情報がパソコンや携帯電話と通じてリアルタイムに乗客に提供される。さらに同年11月からは福岡地区のほぼ全てのバス停<ref group="注">約1,500か所。これはバス停名ベースであり、標柱総数は約3,500とのこと。</ref>に[[QRコード]]ステッカーを貼付したので、携帯電話での利用がさらに簡便になった。同時にパソコン向けに提供されている時刻表のうちバス停や駅の発車時刻表が[[Portable Document Format|PDF]]形式でも提供開始され、閲覧・印刷時の効率化が行われた。
さらに2008年11月からは[[テレビ西日本]]との共同開発による、[[日本の地上デジタルテレビ放送|地上デジタル放送]]の[[日本の地上デジタルテレビ放送#データ放送|データ放送]]を使ったバスロケーションサービス(愛称「バスナビTV」)を開始した。一部のバス停には、テレビ画面形式のバス案内表示板があり、パソコンや携帯電話と同じ形式で表示される。
=== 運賃・乗車券 ===
{{Main2|電車・バスとも利用できる割引乗車券は鉄道事業の「[[#割引乗車券]]」の節も}}
運賃は基本的に区間制と距離制を地域事情に応じて併用している。一般路線の初乗りは大人170円だが、福岡・北九州地区の特殊区間制運賃が適用されている区間では大人190円である。しかし、西鉄バス北九州管轄の北九州都市圏においては特殊区間制運賃適用区間が広範囲にわたっているのに対し、福岡都市圏では天神・博多駅周辺など北九州よりも比較的狭い範囲にとどまっている。[[乗車整理券|整理券]]方式で、運賃は降車時に精算する。
; プリペイドカード(回数乗車券)
: ''詳細は当該記事参照''
:* [[バスカード (西鉄バス)|バスカード]](西鉄バス) - 2009年度で廃止
:* [[よかネットカード]](西鉄電車・バスと[[福岡市交通局|福岡市地下鉄]]で利用可) - 2009年度限りでバスでの利用を廃止
: 運賃割引サービスとしてバスカードと[[よかネットカード]]によるバス乗り継ぎ割引、バス運賃100円エリア(福岡都心の指定エリアおよび特定の[[鉄道駅]]より1km圏内)、福岡都心100円循環バスなどがある。
; 定期乗車券
: 通常の[[定期乗車券|定期券]]に加えて、乗り放題定期券として10時から17時の間に福岡市近郊9市3郡が乗り放題の「[[ひるパス]]」(6,000円/1か月、15,000円/3か月)、利用時間を23時までに拡大した「ひるパスロング」(9,000円/1か月、24,000円/3か月)、学生向け乗り放題定期券「[[エコルカード]]」、65歳以上専用で一般路線バスが乗り放題・一部高速バス路線が半額の「[[グランドパス65 (西鉄バス)|グランドパス65]]」(6,000円/1か月、13,000円/3か月、23,000円/6か月、42,000円/1年)、土日祝日のみ利用可能で一般路線バスが乗り放題・一部高速バス路線が半額の「ホリデーアクトパス」(12,000円/6か月)がある。
なお、[[原油価格]]高騰による燃料費等コスト上昇のため、[[2008年]]4月1日から次の施策が実施された。バス運賃値上げは9年ぶりである。
* 大人片道1,000円もしくは1,500円で運行している一部の高速バス路線において大人現金運賃を100円または200円値上げ
* 都市高速経由の2路線において一部区間の運賃を値上げ
* 「エコルカード」「グランドパス65」の値上げ
* 一部の高速・特急バス運賃が半額となる「[[グランドパス65 (西鉄バス)|スーパーグランドパス65]]」を廃止、代わりに「グランドパス」全種類に一部高速路線運賃半額割引を適用
上記以外の路線の運賃は据え置き。
== ICカード乗車券 ==
{{See also|nimoca}}
西日本鉄道の鉄道全線・全駅と一部の西鉄グループバス路線などで[[ICカード#日本の鉄道|ICカード乗車券]]「[[nimoca]]」を導入している。2013年3月23日には[[交通系ICカード全国相互利用サービス]]が開始された。
2023年8月1日現在、[[福岡市地下鉄]]全線全駅と、JR九州[[鹿児島本線]]・[[香椎線]]<ref group="注">鹿児島本線[[門司港駅]] - [[久留米駅]]の各駅と香椎線[[海ノ中道駅]](一部の駅では一部の改札口限定)。</ref>、西鉄[[西鉄天神大牟田線|天神大牟田線]]・[[西鉄太宰府線|太宰府線]]<ref group="注">[[西鉄福岡(天神)駅]]、[[薬院駅]]、[[大橋駅 (福岡県)|大橋駅]]、[[西鉄二日市駅]]、[[太宰府駅]]、[[西鉄久留米駅]]、[[西鉄柳川駅]]の7駅だけで対応する(一部の駅では一部の改札口限定)。非対応の駅では乗降できない。</ref>の一部区間で、[[クレジットカード]]等の[[非接触型決済]]<ref group="注">種別としては「EMVコンタクトレス決済方式」(NFC-A/B方式)である。従来の[[Suica]]等の[[交通系ICカード全国相互利用サービス|交通系ICカード]]は、「[[FeliCa]]方式」(NFC-F)であり、対応と仕組みが異なる。[[スマートフォン]]は、一方または両方に対応するものがある。</ref>による改札乗車の実証実験が行われている。なお、事業者ごとに対応するカードブランドが異なる。また、[[おサイフケータイ]]対応[[スマートフォン]]に[[ID (クレジット決済サービス)|iD]]または[[QUICPay]]で登録されたカード等は、この実験用端末では利用できない。<ref>{{Cite web|和書|title=JR九州、クレカタッチ決済改札の実証を24年3月まで延長 |url=https://www.watch.impress.co.jp/docs/news/1488275.html |website=Impress Watch |date=2023-03-24 |access-date=2023-03-29 |language=ja |last=株式会社インプレス}}</ref><ref>{{Cite web|和書|title=Visaのタッチ決済とSuica一体の自動改札。福岡市営地下鉄で実証 |url=https://www.watch.impress.co.jp/docs/news/1411378.html |website=Impress Watch |date=2022-05-24 |access-date=2023-03-29 |language=ja |last=株式会社インプレス}}</ref><ref>{{Cite web|和書|title=福岡市地下鉄 |url=https://subway.city.fukuoka.lg.jp/ |website=福岡市地下鉄のホームページ |access-date=2023-03-29}}</ref><ref>{{Cite press release |title=⻄日本鉄道の一部区間で タッチ決済を活用した実証実験を2024年3月末まで延⻑ |publisher=西日本鉄道 |date=2023-03-30 |url=https://www.nishitetsu.co.jp/ja/news/news-20230330-1/main/0/link/22_104.pdf |language=ja |access-date=2023-06-27}}</ref>
== 国際物流事業 ==
西鉄の国際物流([[フォワーダー]])事業は国際物流事業本部が行っている。通称名は'''にしてつ'''(英:''NNR Global Logistics'')としている。
同本部は福岡県内ではなく[[東京都]][[中央区 (東京都)|中央区]][[日本橋 (東京都中央区)|日本橋]]3丁目2番5号にある毎日日本橋ビルに置かれている。また、海外には現地法人17社や駐在事務所6か所を持ち、[[アジア]]、[[北アメリカ|北米]]、[[ヨーロッパ|欧州]]を中心に拠点を置いている。日本国外では英字社名の略称である「NNR」で通っているため「Nishitetsu」ロゴは使用せず、「NNR」の専用ロゴ([[#コーポレートシンボル・社紋|上述]])を使用している。買収した他社で、「NNR」を冠する社名変更を行った例もある<ref name="SAS"/>。社員の採用についても鉄道・バス部門とは別に行っており、原則として物流部門の業務に専念する<ref name="yomi230512">{{cite news |url= https://www.yomiuri.co.jp/local/kyushu/news/20230512-OYTNT50071/ |title=西鉄の稼ぎ頭は鉄道やバスではなかった…本部は東京、採用も別「まるで別会社」|author=松本晋太郎 | newspaper=読売新聞オンライン |publisher=読売新聞東京本社 |date=2023-05-12 |accessdate=2023-06-27}}</ref>。
鉄道会社(大手私鉄)の貨物事業部門としては規模が大きく(鉄道系では[[近鉄エクスプレス]]・[[阪急阪神エクスプレス]]もフォワーダー事業大手だが、[[近鉄グループホールディングス]]と[[阪急阪神ホールディングス]]のグループ会社であり、その傘下の鉄道会社である[[近畿日本鉄道]]と[[阪急電鉄]]・[[阪神電気鉄道]]の直営ではない)、2006年度は鉄道・流通・バスの各事業を抑えて同社の最多売上高部門となり、2023年3月期決算で当部門の売上は2318億円とグループ全体の半分近くが国際物流事業での売上となっている<ref name="yomi230512"/>。このため、西鉄自体が[[貨物利用運送事業法]]に基づく[[外資規制]](外国人株主が3分の1以下となる規制)の対象となる。
1948年に[[パンアメリカン航空]]と代理店契約を結び航空営業所として設置され、1951年に航空輸送部、1978年に航空貨物事業部に改称した。1957年には西鉄・[[阪神電気鉄道|阪神]]・[[近畿日本鉄道|近鉄]]の共同出資で[[フォワーダー]](混載会社)「ジャパン・エアカーゴ・コンソリデーターズ」(JAC)を設立したが、1983年にはJACが解散し、西鉄による単独混載事業を開始している。1985年には航空貨物のほか、海上貨物の取扱いも開始し、[[非船舶運航業者|NVOCC]]事業を展開している。利用航空運送事業者(エア・フレイト・フォワーダー)としては[[日本通運]]、[[近鉄エクスプレス]]、[[郵船ロジスティクス]]、[[阪急阪神エクスプレス]]に次ぐ5位と国内屈指の事業規模である。
2008年7月1日より従来の航空貨物事業部から国際物流事業本部と改称し、日本国内の対外向けとして使用してきた「西鉄航空」の名称も「にしてつ」に改められた。
== その他の自社直営事業 ==
その他以下の事業を直営で行っている。あるいは行っていた。グループ企業が行っている事業については「[[西鉄グループ]]」を参照。
=== 遊園地・動植物園事業 ===
博多湾鉄道汽船から引き継いだ[[遊園地]]・[[植物園]]「[[西鉄香椎花園|かしいかえん]]」を運営していたが、2021年12月30日限りで閉園した。また、九州電気軌道時代からの直営であった到津(いとうづ)遊園を運営していたが、2000年に閉園し、北九州市に引き継がれて[[到津の森公園]]となった。
子会社の運営する施設として、[[太宰府天満宮]]との共同出資で設立された太宰府園が運営する[[だざいふ遊園地]]や、海の中道海洋生態科学館が運営する[[マリンワールド海の中道]]がある。
=== 不動産事業 ===
九州地区のほか海外([[東南アジア]]や[[アメリカ合衆国]])で、ビルや商業施設、ホテル、集合住宅、住宅地などを開発している。2020年4月1日付の組織改正で、都市開発事業本部から天神地区開発を担当する本部を、住宅事業本部から海外事業開発部を独立させることを公表している<ref>[https://www.nikkei.com/article/DGXMZO55836510Z10C20A2LX0000/ 「西鉄、福岡・天神再開発で専門部署 4月発足へ」]『日本経済新聞』電子版2020年2月20日(2020年3月9日閲覧)</ref>。街づくり事業での海外進出は2015年からで、[[デベロッパー]]にバス会社者としてのノウハウを加えて、通勤用バス運転手の育成も手掛けるなど[[交通渋滞]]対策も講じている<ref>「[https://www.nikkei.com/article/DGXZQOJC122BW0S3A610C2000000/ 西鉄、海外で街づくり拡大 バス事業の視点強み]」『[[日経産業新聞]]』2023年6月26日ライフ面</ref>。
==== 賃貸事業 ====
* [[福岡ビル]] - 西鉄本社および店舗などが入居する商業ビル
* [[天神コア]] - 商業ビル
* [[ソラリアプラザ]] - 商業ビル
* [[ソラリアターミナルビル]]
* [[ソラリアステージ]]
* 西鉄名店街 - 天神大牟田線の駅構内に展開している。
** レイリア大橋 - [[大橋駅 (福岡県)|大橋駅]]高架下、旧・大橋西鉄名店街
** 高宮西鉄名店街 - [[高宮駅 (福岡県)|高宮駅]]高架下
** 柳川西鉄名店街 - [[西鉄柳川駅]]前通路
** [[エマックス・クルメ]] - 旧・久留米西鉄名店街
*: かつては[[新栄町駅 (福岡県)|新栄町駅]]にエマックス・オオムタ(旧・大牟田西鉄名店街)、[[飯塚バスセンター]]にエマックス・イイヅカ(旧・飯塚西鉄名店街)、[[後藤寺バスセンター]]にターミナル会館(映画館など)を併設していたが、いずれも閉店している。
* レンタルオフィス天神
* [[チャチャタウン小倉]] - 旧・西鉄北九州線砂津車庫跡地に建設された[[複合商業施設]]
* ラクレイス西新 - 旧・西新自動車営業所跡地に建設された商業ビル兼賃貸マンション
* シップスガーデン - 水上公園内のカフェとレストランからなる複合施設。
* [[博多国際展示場|博多国際展示場&カンファレンスセンター]] - 博多駅と福岡空港の間に建設された大型展示場。
==== 分譲事業 ====
===== マンション =====
* サンリヤン - 分譲マンション。[[JR西日本不動産開発]]との共同のブランド(ジェイグランサンリヤン<ref>[https://j-m-s.jp/ ジェイグラン南福岡サンリヤン公式|JR西日本不動産開発|西日本鉄道]</ref>)もある。
* サンカルナ博多の森 - シニアマンション
* エコノア - リノベーションマンション<ref>{{Cite web|和書
|date=2009-09-04
|url=https://www.nishitetsu.co.jp/release/2009/09_084.pdf
|title=西鉄の住宅資源リノベーションプロジェクト「エコノア」の展開について
|format=PDF
|publisher=西日本鉄道
|accessdate=2009年9月20日
}}</ref>
* MarkS city - 九州旅客鉄道との共同によるマンションブランド。MはJR九州のMJRを、Sは西鉄のサンリヤンを指す。<ref>{{Cite web|和書
|date=2011-07-08
|url=https://www.nishitetsu.co.jp/release/2011/11_045.pdf
|title=「MarkS city the大江」 プロジェクト始動
|format=PDF
|publisher=西日本鉄道・九州旅客鉄道(共同発表)
|accessdate=2012年1月6日
}}</ref>
* サンリベラ - 1棟リノベーションマンション<ref>{{Cite web|和書
|date=2012-06-07
|url=https://www.nishitetsu.co.jp/release/2012/12_024.pdf
|title=1棟リノベーションシリーズ第1弾「西鉄サンリベラ・プライム 天神大名レジデンス」
|format=PDF
|publisher=西日本鉄道
|accessdate=2012年6月7日
}}</ref>
* The Sun'S - [[穴吹工務店]]との共同によるマンションブランド。<ref>{{Cite web|和書
|date=2013-02-13
|url=https://www.nishitetsu.co.jp/release/2012/12_164.pdf
|title=西鉄×穴吹工務店 初の共同分譲マンション「ザ・サンズ千早駅前」を建設します (PDF)
|format=PDF
|publisher=西日本鉄道・穴吹工務店(共同発表)
|accessdate=2013年2月14日
}}</ref>
* FLORA - [[ベトナム]]での[[阪急阪神不動産]](旧:阪急不動産)との共同によるマンションブランド。2015年のFLORA ANH DAO<ref name="floraanhdao" /> を皮切りに、2018年3月までに4件のプロジェクト(フジレジデンス、キキョウレジデンス、アカリシティ)を手がけている<ref>{{Cite web|和書
|date=2018-04-20
|url=https://www.nishitetsu.co.jp/release/2018/18_006.pdf
|title=西日本鉄道(株)・阪急阪神不動産(株)ベトナムでの大規模住宅分譲プロジェクト 「AKARI CITY」始動 -交通利便性に優れた場所で4,600戸超の分譲マンションを開発-
|format=PDF
|publisher=西日本鉄道・阪急阪神不動産(共同発表)
|accessdate=2018年4月23日
}}</ref>。
* BLANTON - 首都圏向け自社開発マンションブランド。<ref>{{Cite web|和書
|date=2016-09-08
|url=https://www.nishitetsu.co.jp/release/2016/16_062.pdf
|title=首都圏での事業強化について
|format=PDF
|publisher=西日本鉄道
|accessdate=2016年9月9日
}}</ref>
===== 分譲団地の開発例 =====
[[九州電気軌道]]子会社であった九州土地興業の後身である西鉄地所(1971年に西鉄へ吸収)は小倉市(現・北九州市)の[[埋立地|海面埋立事業]]を行い、西鉄の発足後もしばらくの間、沿線の宅地開発を[[西鉄不動産]]と西鉄地所の両社が西鉄を代理する形で行っている。
{| class="wikitable sortable mw-collapsible mw-collapsed"
|-
!colspan=4|西鉄が開発した分譲団地の一覧
|-
!名称
!場所
!開発年
!備考
|-
|<!--名称 -->花見団地
|<!--場所 -->福岡県[[古賀市]]:西鉄沿線
|<!--開発年 -->1966年(昭和41年)
|<!--備考 -->西鉄地所事業局開発部(現・西鉄ホーム)
|-
|<!--名称 -->鎧坂団地
|<!--場所 -->福岡県福岡市東区:西鉄沿線
|<!--開発年 -->1966年(昭和41年)
|<!--備考 -->西鉄地所事業局開発部
|-
|<!--名称 -->南ヶ丘団地
|<!--場所 -->福岡県大野城市:西鉄沿線
|<!--開発年 -->1968年(昭和43年)
|<!--備考 -->
|-
|<!--名称 -->福智台団地
|<!--場所 -->福岡県[[直方市]]感田:西鉄沿線
|<!--開発年 -->1970年(昭和45年)
|<!--備考 -->西鉄地所・西鉄
|-
|<!--名称 -->那珂川ハイツ
|<!--場所 -->福岡県[[那珂川市]]:西鉄沿線
|<!--開発年 -->
|<!--備考 -->西鉄
|-
|<!--名称 -->月の浦ニュータウン
|<!--場所 -->福岡県大野城市:西鉄沿線
|<!--開発年 -->
|<!--備考 -->西鉄
|-
|<!--名称 -->三苫団地
|<!--場所 -->福岡県福岡市東区:西鉄沿線
|<!--開発年 -->1972年(昭和47年)
|<!--備考 -->西鉄グループ
|-
|<!--名称 -->河桃団地
|<!--場所 -->福岡県北九州市八幡西区:西鉄沿線
|<!--開発年 -->1972年(昭和47年)
|<!--備考 -->西鉄グループ
|-
|<!--名称 -->平野ハイツ
|<!--場所 -->福岡県大野城市:西鉄沿線
|<!--開発年 -->1973年(昭和48年)
|<!--備考 -->西鉄グループ
|-
|<!--名称 -->春日原団地
|<!--場所 -->福岡県:西鉄沿線
|<!--開発年 -->1972年(昭和47年)
|<!--備考 -->西鉄グループ
|-
|<!--名称 -->[[福間駅]]前団地
|<!--場所 -->福岡県[[福津市]]:西鉄沿線
|<!--開発年 -->1974年(昭和49年)
|<!--備考 -->西鉄グループ
|-
|<!--名称 -->ちくし台団地
|<!--場所 -->福岡県[[筑紫野市]]:西鉄沿線
|<!--開発年 -->1975年(昭和50年)
|<!--備考 -->西鉄グループ
|-
|<!--名称 -->光吉台団地
|<!--場所 -->大分県大分市
|<!--開発年 -->1975年(昭和50年)
|<!--備考 -->西鉄グループ
|-
|<!--名称 -->ながら野団地
|<!--場所 -->福岡県福岡市[[西区 (福岡市)|西区]]:西鉄沿線
|<!--開発年 -->1977年(昭和52年)
|<!--備考 -->西鉄グループ
|-
|<!--名称 -->名島横町団地
|<!--場所 -->福岡県福岡市東区名島:西鉄沿線
|<!--開発年 -->1977年(昭和52年)
|<!--備考 -->西鉄グループ
|-
|<!--名称 -->サニーヴィラ笹原南
|<!--場所 -->福岡市博多区三筑
|<!--開発年 -->
|<!--備考 -->
|-
|<!--名称 -->名島団地
|<!--場所 -->福岡市東区名島
|<!--開発年 -->1968年(昭和43年)
|<!--備考 -->
|-
|<!--名称 -->下大利商店街団地
|<!--場所 -->福岡県大野城市
|<!--開発年 -->1968年(昭和43年)
|<!--備考 -->
|-
|<!--名称 -->新栄町駅前団地
|<!--場所 -->福岡県大牟田市新栄町 [[新栄町駅 (福岡県)|新栄町駅]]
|<!--開発年 -->1969年(昭和44年)
|<!--備考 -->
|-
|<!--名称 -->岡垣団地
|<!--場所 -->福岡県[[遠賀郡]][[岡垣町]]
|<!--開発年 -->1969年(昭和44年)
|<!--備考 -->
|-
|<!--名称 -->春日北町団地
|<!--場所 -->福岡県春日市春日原北町
|<!--開発年 -->1969年(昭和44年)
|<!--備考 -->
|-
|<!--名称 -->西鉄ときわ台団地
|<!--場所 -->福岡県北九州市
|<!--開発年 -->1969年(昭和44年)
|<!--備考 -->
|-
|<!--名称 -->桜台団地
|<!--場所 -->福岡県筑紫野市桜台 [[桜台駅 (福岡県)|桜台駅]]
|<!--開発年 -->1971年(昭和46年)
|<!--備考 -->西鉄グループ
|-
|<!--名称 -->朝倉街道団地
|<!--場所 -->福岡県筑紫野市 [[朝倉街道駅]]
|<!--開発年 -->1971年(昭和46年)
|<!--備考 -->西鉄グループ
|-
|<!--名称 -->西鉄緑が丘団地
|<!--場所 -->福岡県直方市
|<!--開発年 -->1980年(昭和55年)
|<!--備考 -->
|-
|<!--名称 -->さわら台団地
|<!--場所 -->福岡市早良区
|<!--開発年 -->1982年(昭和57年)
|<!--備考 -->
|-
|<!--名称 -->鶴見が丘団地
|<!--場所 -->[[大分県]][[別府市]]小倉
|<!--開発年 -->1982年(昭和57年)
|<!--備考 -->
|-
|<!--名称 -->[[小波瀬西工大前駅|おばせ駅]]前団地
|<!--場所 -->
|<!--開発年 -->1982年(昭和57年)
|<!--備考 -->
|-
|<!--名称 -->サニーヴィラ飯倉
|<!--場所 -->福岡市早良区飯倉
|<!--開発年 -->2000年(平成12年)
|<!--備考 -->
|-
|<!--名称 -->サニーヴィラ飯倉II
|<!--場所 -->福岡市早良区飯倉
|<!--開発年 -->2005年(平成17年)
|<!--備考 -->
|-
|<!--名称 -->サニーヴィラ美和台
|<!--場所 -->福岡市東区美和台 [[福工大前駅]]
|<!--開発年 -->2006年(平成18年)
|<!--備考 -->
|-
|<!--名称 -->サニーヴィラ桧原
|<!--場所 -->福岡市南区桧原
|<!--開発年 -->2002年(平成14年)
|<!--備考 -->
|-
|<!--名称 -->サニーヴィラ桧原II
|<!--場所 -->福岡市南区桧原
|<!--開発年 -->2003年(平成15年)
|<!--備考 -->
|-
|<!--名称 -->サニーヴィラ平和
|<!--場所 -->
|<!--開発年 -->2008年(平成20年)
|<!--備考 -->
|-
|<!--名称 -->サニーヴィラ霧ヶ丘
|<!--場所 -->
|<!--開発年 -->2007年(平成19年)
|<!--備考 -->
|-
|<!--名称 -->サニーヴィラ名島
|<!--場所 -->福岡市東区名島
|<!--開発年 -->2004年(平成16年)
|<!--備考 -->
|-
|<!--名称 -->サニーヴィラ野方台
|<!--場所 -->福岡市西区野方
|<!--開発年 -->2001年(平成13年)
|<!--備考 -->
|-
|<!--名称 -->サニーヴィラ野方二丁目
|<!--場所 -->福岡市西区野方
|<!--開発年 -->2006年(平成18年)
|<!--備考 -->
|-
|<!--名称 -->サニーヴィラ有田
|<!--場所 -->福岡市早良区有田1丁目
|<!--開発年 -->
|<!--備考 -->
|-
|<!--名称 -->コットンヒルズ月の浦
|<!--場所 -->福岡県大野城市月の浦5丁目
|<!--開発年 -->
|<!--備考 -->
|-
|<!--名称 -->コットンヒルズ那珂川ガーデンシティ
|<!--場所 -->福岡県那珂川市[[大字]]安徳[[小字|字]]大塚
|<!--開発年 -->
|<!--備考 -->
|-
|<!--名称 -->コットンヒルズ太宰府南
|<!--場所 -->福岡県太宰府市高雄
|<!--開発年 -->
|<!--備考 -->
|-
|<!--名称 -->コットンヒルズ桧原公園通り
|<!--場所 -->福岡市南区桧原4丁目
|<!--開発年 -->
|<!--備考 -->
|-
|<!--名称 -->サニーヴィラ野中町
|<!--場所 -->福岡県:西鉄沿線
|<!--開発年 -->2006年(平成18年)
|<!--備考 -->西鉄グループ
|-
|<!--名称 -->サニーヴィラ八田
|<!--場所 -->福岡県:西鉄沿線
|<!--開発年 -->2006年(平成18年)
|<!--備考 -->西鉄グループ
|-
|<!--名称 -->サニーヴィラ小倉中島
|<!--場所 -->福岡県:西鉄沿線
|<!--開発年 -->2006年(平成18年)
|<!--備考 -->西鉄グループ
|-
|<!--名称 -->千代ニュータウン
|<!--場所 -->福岡県北九州市[[八幡西区]]千代
|<!--開発年 -->2006年:第1期、<br>2007年:第2期・第3期
|<!--備考 -->
|-
|<!--名称 -->サニーヴィラ高取南
|<!--場所 -->福岡市早良区昭代
|<!--開発年 -->
|<!--備考 -->
|-
|<!--名称 -->サニーヴィラ荒江3丁目
|<!--場所 -->福岡市早良区荒江3丁目
|<!--開発年 -->
|<!--備考 -->
|-
|<!--名称 -->サニーヴィラ西新南II
|<!--場所 -->福岡市早良区荒江2丁目
|<!--開発年 -->
|<!--備考 -->
|-
|<!--名称 -->サニーヴィラ有田
|<!--場所 -->福岡市早良区有田
|<!--開発年 -->
|<!--備考 -->
|-
|<!--名称 -->サニーヴィラソシエ八田
|<!--場所 -->福岡市東区八田
|<!--開発年 -->
|<!--備考 -->
|-
|<!--名称 -->サニーヴィラ地行
|<!--場所 -->福岡市中央区地行
|<!--開発年 -->
|<!--備考 -->
|-
|<!--名称 -->サニーヴィラ古賀天神
|<!--場所 -->福岡県古賀市天神1丁目
|<!--開発年 -->
|<!--備考 -->
|-
|<!--名称 -->サニーヴィラ平和IIプレステージ
|<!--場所 -->福岡市南区平和
|<!--開発年 -->
|<!--備考 -->
|-
|<!--名称 -->サニーヴィラ片江中央公園
|<!--場所 -->福岡市城南区南片江
|<!--開発年 -->
|<!--備考 -->
|-
|<!--名称 -->西鉄サニーヴィラ板付7丁目RiverSide
|<!--場所 -->福岡市博多区板付
|<!--開発年 -->
|<!--備考 -->
|-
|<!--名称 -->玄海ニュータウン
|<!--場所 -->福岡県[[宗像市]]
|<!--開発年 -->1983年(昭和58年)
|<!--備考 -->
|-
|<!--名称 -->佐世保大岳台団地
|<!--場所 -->
|<!--開発年 -->1985年(昭和60年)
|<!--備考 -->
|-
|<!--名称 -->まなづる台
|<!--場所 -->福岡県北九州市小倉北区真鶴
|<!--開発年 -->1987年(昭和62年)
|<!--備考 -->
|-
|<!--名称 -->牧山台団地
|<!--場所 -->福岡県北九州市[[戸畑区]]牧山
|<!--開発年 -->1987年、<br>1992年:2次
|<!--備考 -->
|-
|<!--名称 -->[[筑紫駅|ちくし駅]]前団地
|<!--場所 -->
|<!--開発年 -->1988年(昭和63年)
|<!--備考 -->
|-
|<!--名称 -->みずま団地
|<!--場所 -->福岡県[[三潴町]]
|<!--開発年 -->1992年(平成4年)
|<!--備考 -->
|-
|<!--名称 -->[[直方駅]]前
|<!--場所 -->福岡県直方市大字山部字側筒谷
|<!--開発年 -->
|<!--備考 -->
|-
|<!--名称 -->ウェリスパーク新宮杜の宮
|<!--場所 -->福岡県糟屋郡[[新宮町]]杜の宮
|<!--開発年 -->2008年:第1期
|<!--備考 -->
|-
|<!--名称 -->弥生が丘
|<!--場所 -->福岡県北九州市[[小倉南区]]貫弥生が丘
|<!--開発年 -->1989年(平成元年)
|<!--備考 -->
|-
|<!--名称 -->弥生が丘グリーンステージ コットンヒルズ
|<!--場所 -->福岡県北九州市小倉南区貫弥生が丘3丁目
|<!--開発年 -->2003年(平成15年)
|<!--備考 -->
|-
|<!--名称 -->サニーヴィラ弥生が丘
|<!--場所 -->
|<!--開発年 -->2007年(平成19年)
|<!--備考 -->
|-
|<!--名称 -->サニーヴィラ[[陣原駅]]前II
|<!--場所 -->福岡県北九州市八幡西区陣原3丁目
|<!--開発年 -->
|<!--備考 -->
|-
|<!--名称 -->サニーヴィラ本城
|<!--場所 -->福岡県北九州市八幡西区本城東
|<!--開発年 -->
|<!--備考 -->
|-
|<!--名称 -->サニーヴィラ荒尾緑ヶ丘
|<!--場所 -->熊本県[[荒尾市]]荒尾字上府本道
|<!--開発年 -->
|<!--備考 -->
|-
|<!--名称 -->サニーヴィラあさひ野
|<!--場所 -->
|<!--開発年 -->2006年(平成18年)
|<!--備考 -->
|-
|<!--名称 -->サニーヴィラおおみぞ
|<!--場所 -->福岡県三潴郡[[大木町]]
|<!--開発年 -->1996年(平成8年)
|<!--備考 -->
|-
|<!--名称 -->サニーヴィラ芦屋海岸
|<!--場所 -->
|<!--開発年 -->2006年(平成18年)
|<!--備考 -->
|-
|<!--名称 -->サニーヴィラ井堀
|<!--場所 -->福岡県北九州市小倉北区井堀
|<!--開発年 -->2002年(平成14年)
|<!--備考 -->
|-
|<!--名称 -->サニーヴィラ井堀II
|<!--場所 -->
|<!--開発年 -->2006年:第1期、<br>2007年:第2期
|<!--備考 -->
|-
|<!--名称 -->サニーヴィラ横隈
|<!--場所 -->福岡県小郡市横隈
|<!--開発年 -->2007年:第1期
|<!--備考 -->
|-
|<!--名称 -->サニーヴィラ横浜
|<!--場所 -->
|<!--開発年 -->2006年(平成18年)
|<!--備考 -->
|-
|<!--名称 -->サニーヴィラ王塚台北
|<!--場所 -->[[兵庫県]][[神戸市]]西区
|<!--開発年 -->2004年(平成16年)
|<!--備考 -->
|-
|<!--名称 -->サニーヴィラ[[下曽根駅]]南
|<!--場所 -->
|<!--開発年 -->2002年(平成14年)
|<!--備考 -->
|-
|<!--名称 -->サニーヴィラ[[下大利駅]]東
|<!--場所 -->
|<!--開発年 -->2000年(平成12年)
|<!--備考 -->
|-
|<!--名称 -->サニーヴィラ干隈
|<!--場所 -->福岡市城南区干隈
|<!--開発年 -->2004年(平成16年)
|<!--備考 -->
|-
|<!--名称 -->サニーヴィラ観世音寺
|<!--場所 -->福岡県太宰府市観世音寺
|<!--開発年 -->2007年(平成19年)
|<!--備考 -->
|-
|<!--名称 -->サニーヴィラ雁ノ巣
|<!--場所 -->福岡市東区
|<!--開発年 -->2007年(平成19年)
|<!--備考 -->
|-
|<!--名称 -->サニーヴィラ吉志
|<!--場所 -->福岡県北九州市門司区吉志
|<!--開発年 -->2001年(平成13年)
|<!--備考 -->
|-
|<!--名称 -->サニーヴィラ吉松東
|<!--場所 -->
|<!--開発年 -->2007年(平成19年)
|<!--備考 -->
|-
|<!--名称 -->サニーヴィラ穴生公園
|<!--場所 -->福岡県北九州市八幡西区
|<!--開発年 -->2007年(平成19年)
|<!--備考 -->
|-
|<!--名称 -->サニーヴィラ月の浦東
|<!--場所 -->福岡県大野城市月の浦
|<!--開発年 -->2002年(平成14年)
|<!--備考 -->
|-
|<!--名称 -->サニーヴィラ月の浦小学校前
|<!--場所 -->福岡県大野城市月の浦
|<!--開発年 -->
|<!--備考 -->
|-
|<!--名称 -->サニーヴィラ原
|<!--場所 -->
|<!--開発年 -->2006年(平成18年)
|<!--備考 -->
|-
|<!--名称 -->サニーヴィラ原II
|<!--場所 -->
|<!--開発年 -->2006年(平成18年)
|<!--備考 -->
|-
|<!--名称 -->サニーヴィラ原町二丁目
|<!--場所 -->
|<!--開発年 -->2006年(平成18年)
|<!--備考 -->
|-
|<!--名称 -->サニーヴィラ原町別院
|<!--場所 -->
|<!--開発年 -->2004年(平成16年)
|<!--備考 -->
|-
|<!--名称 -->サニーヴィラ戸畑[[九州工大前駅|九工大駅]]前
|<!--場所 -->
|<!--開発年 -->2004年(平成16年)
|<!--備考 -->
|-
|<!--名称 -->サニーヴィラ戸畑浅生
|<!--場所 -->
|<!--開発年 -->2007年(平成19年)
|<!--備考 -->
|-
|<!--名称 -->サニーヴィラ戸畑牧山
|<!--場所 -->
|<!--開発年 -->2004年(平成16年)
|<!--備考 -->
|-
|<!--名称 -->サニーヴィラ向佐野
|<!--場所 -->
|<!--開発年 -->2006年(平成18年)
|<!--備考 -->
|-
|<!--名称 -->サニーヴィラ荒江
|<!--場所 -->福岡市早良区荒江
|<!--開発年 -->2007年(平成19年)
|<!--備考 -->
|-
|<!--名称 -->サニーヴィラ香椎
|<!--場所 -->福岡市東区
|<!--開発年 -->2001年(平成13年)
|<!--備考 -->
|-
|<!--名称 -->サニーヴィラ香椎ヶ丘
|<!--場所 -->福岡市東区
|<!--開発年 -->2006年(平成18年)
|<!--備考 -->
|-
|<!--名称 -->サニーヴィラ高宮
|<!--場所 -->福岡市南区高宮
|<!--開発年 -->2003年(平成15年)
|<!--備考 -->
|-
|<!--名称 -->サニーヴィラ高宮II
|<!--場所 -->福岡市南区高宮
|<!--開発年 -->2006年(平成18年)
|<!--備考 -->
|-
|<!--名称 -->サニーヴィラ高須西
|<!--場所 -->
|<!--開発年 -->2000年(平成12年)
|<!--備考 -->
|-
|<!--名称 -->サニーヴィラ国分
|<!--場所 -->
|<!--開発年 -->2001年(平成13年)
|<!--備考 -->
|-
|<!--名称 -->サニーヴィラ宰府
|<!--場所 -->福岡県太宰府市宰府
|<!--開発年 -->2006年(平成18年)
|<!--備考 -->
|-
|<!--名称 -->サニーヴィラ桜坂
|<!--場所 -->福岡市中央区桜坂
|<!--開発年 -->2000年(平成12年)
|<!--備考 -->
|-
|<!--名称 -->サニーヴィラ笹丘
|<!--場所 -->福岡市中央区笹丘
|<!--開発年 -->2003年(平成15年)
|<!--備考 -->
|-
|<!--名称 -->サニーヴィラ雑餉隈
|<!--場所 -->
|<!--開発年 -->2002年(平成14年)
|<!--備考 -->
|-
|<!--名称 -->サニーヴィラ三苫
|<!--場所 -->福岡市東区三苫
|<!--開発年 -->2003年(平成15年)
|<!--備考 -->
|-
|<!--名称 -->サニーヴィラ市崎
|<!--場所 -->福岡市中央区市崎
|<!--開発年 -->2006年(平成18年)
|<!--備考 -->
|-
|<!--名称 -->サニーヴィラ若久
|<!--場所 -->福岡市南区若久
|<!--開発年 -->2006年(平成18年)
|<!--備考 -->
|-
|<!--名称 -->サニーヴィラ若松二島
|<!--場所 -->
|<!--開発年 -->2007年(平成19年)
|<!--備考 -->
|-
|<!--名称 -->サニーヴィラ重住
|<!--場所 -->
|<!--開発年 -->2007年(平成19年)
|<!--備考 -->
|-
|<!--名称 -->サニーヴィラ春日原
|<!--場所 -->福岡県春日市
|<!--開発年 -->2006年(平成18年)
|<!--備考 -->
|-
|<!--名称 -->サニーヴィラ春日原南町
|<!--場所 -->福岡県春日市
|<!--開発年 -->2008年(平成20年)
|<!--備考 -->
|-
|<!--名称 -->サニーヴィラ春日原北町一丁目
|<!--場所 -->福岡県春日市
|<!--開発年 -->2007年(平成19年)
|<!--備考 -->
|-
|<!--名称 -->サニーヴィラ諸岡
|<!--場所 -->福岡市博多区諸岡
|<!--開発年 -->2006年(平成18年)
|<!--備考 -->
|-
|<!--名称 -->サニーヴィラ小郡
|<!--場所 -->福岡県小郡市
|<!--開発年 -->2006年(平成18年)
|<!--備考 -->
|-
|<!--名称 -->サニーヴィラ[[小郡駅]]南
|<!--場所 -->福岡県小郡市
|<!--開発年 -->2008年(平成20年):第1期
|<!--備考 -->
|-
|<!--名称 -->サニーヴィラ小倉赤坂
|<!--場所 -->
|<!--開発年 -->2002年(平成14年)
|<!--備考 -->
|-
|<!--名称 -->サニーヴィラ小倉中島
|<!--場所 -->
|<!--開発年 -->2006年(平成18年):第1期、<br>2007年(平成19年):第2期
|<!--備考 -->
|-
|<!--名称 -->サニーヴィラ昇町
|<!--場所 -->福岡県春日市昇町
|<!--開発年 -->2006年(平成18年)
|<!--備考 -->
|-
|<!--名称 -->サニーヴィラ松田
|<!--場所 -->
|<!--開発年 -->2007年(平成19年)
|<!--備考 -->
|-
|<!--名称 -->サニーヴィラ諏訪野
|<!--場所 -->福岡県久留米市諏訪野町字屋敷
|<!--開発年 -->2006年(平成18年)
|<!--備考 -->
|-
|<!--名称 -->サニーヴィラ瑞穂
|<!--場所 -->
|<!--開発年 -->2005年(平成17年)
|<!--備考 -->
|-
|<!--名称 -->サニーヴィラ星が丘
|<!--場所 -->
|<!--開発年 -->2007年(平成19年)
|<!--備考 -->
|-
|<!--名称 -->サニーヴィラ西町
|<!--場所 -->
|<!--開発年 -->2006年(平成18年)
|<!--備考 -->
|-
|<!--名称 -->サニーヴィラ西町II
|<!--場所 -->
|<!--開発年 -->2008年(平成20年)
|<!--備考 -->
|-
|<!--名称 -->サニーヴィラ西長住
|<!--場所 -->福岡市南区
|<!--開発年 -->2005年(平成17年)
|<!--備考 -->
|-
|<!--名称 -->サニーヴィラ青山南
|<!--場所 -->
|<!--開発年 -->2006年(平成18年):第1期、<br>2007年(平成19年):第2期
|<!--備考 -->
|-
|<!--名称 -->サニーヴィラ青葉
|<!--場所 -->
|<!--開発年 -->2000年(平成12年)
|<!--備考 -->
|-
|<!--名称 -->サニーヴィラ青葉II
|<!--場所 -->
|<!--開発年 -->2007年(平成19年)
|<!--備考 -->
|-
|<!--名称 -->サニーヴィラ青葉台
|<!--場所 -->
|<!--開発年 -->1999年(平成11年)
|<!--備考 -->
|-
|<!--名称 -->サニーヴィラ[[折尾駅]]前
|<!--場所 -->福岡県北九州市八幡西区
|<!--開発年 -->2006年(平成18年)
|<!--備考 -->
|-
|<!--名称 -->サニーヴィラ折尾駅前II
|<!--場所 -->福岡県北九州市八幡西区
|<!--開発年 -->2006年(平成18年)
|<!--備考 -->
|-
|<!--名称 -->サニーヴィラ多賀
|<!--場所 -->
|<!--開発年 -->2007年(平成19年)
|<!--備考 -->
|-
|<!--名称 -->サニーヴィラ[[太宰府駅]]前
|<!--場所 -->福岡県太宰府市
|<!--開発年 -->2004年(平成16年)
|<!--備考 -->
|-
|<!--名称 -->サニーヴィラ大手町
|<!--場所 -->
|<!--開発年 -->2004年(平成16年)
|<!--備考 -->
|-
|<!--名称 -->サニーヴィラ大門
|<!--場所 -->
|<!--開発年 -->2003年(平成15年)
|<!--備考 -->
|-
|<!--名称 -->サニーヴィラ大野城中央
|<!--場所 -->福岡県大野城市
|<!--開発年 -->2007年(平成19年)
|<!--備考 -->
|-
|<!--名称 -->サニーヴィラ竹末
|<!--場所 -->
|<!--開発年 -->2005年(平成17年)
|<!--備考 -->
|-
|<!--名称 -->サニーヴィラ筑紫丘
|<!--場所 -->
|<!--開発年 -->2007年(平成19年)
|<!--備考 -->
|-
|<!--名称 -->サニーヴィラ長住
|<!--場所 -->福岡市南区
|<!--開発年 -->2007年(平成19年)
|<!--備考 -->
|-
|<!--名称 -->サニーヴィラ通古賀
|<!--場所 -->福岡県太宰府市
|<!--開発年 -->2007年(平成19年)
|<!--備考 -->
|-
|<!--名称 -->サニーヴィラ鶴田
|<!--場所 -->福岡市南区
|<!--開発年 -->2007年(平成19年)
|<!--備考 -->
|-
|<!--名称 -->サニーヴィラ東鳴水
|<!--場所 -->
|<!--開発年 -->2008年(平成20年)
|<!--備考 -->
|-
|<!--名称 -->サニーヴィラ湯野原
|<!--場所 -->
|<!--開発年 -->2007年(平成19年):第1期・第2期、<br>2008年(平成20年):第3期
|<!--備考 -->
|-
|<!--名称 -->サニーヴィラ二日市(杉塚)
|<!--場所 -->福岡県筑紫野市二日市
|<!--開発年 -->2003年(平成15年)
|<!--備考 -->
|-
|<!--名称 -->サニーヴィラ二日市西
|<!--場所 -->福岡県筑紫野市二日市西
|<!--開発年 -->
|<!--備考 -->
|-
|<!--名称 -->サニーヴィラ日明
|<!--場所 -->
|<!--開発年 -->2003年(平成15年)
|<!--備考 -->
|-
|<!--名称 -->サニーヴィラ白木原
|<!--場所 -->福岡県大野城市
|<!--開発年 -->2004年(平成16年)
|<!--備考 -->
|-
|<!--名称 -->サニーヴィラ[[白木原駅]]前
|<!--場所 -->福岡県大野城市
|<!--開発年 -->2007年(平成19年)
|<!--備考 -->
|-
|<!--名称 -->サニーヴィラ八女
|<!--場所 -->福岡県[[八女市]]
|<!--開発年 -->2000年(平成12年)
|<!--備考 -->
|-
|<!--名称 -->サニーヴィラ[[八幡駅 (福岡県)|八幡駅]]前
|<!--場所 -->福岡県北九州市八幡東区
|<!--開発年 -->2006年(平成18年)
|<!--備考 -->
|-
|<!--名称 -->サニーヴィラ徳力嵐山口
|<!--場所 -->福岡県北九州市小倉南区南方五丁目
|<!--開発年 -->
|<!--備考 -->
|-
|<!--名称 -->美鈴の杜
|<!--場所 -->福岡県小郡市美鈴の杜一丁目
|<!--開発年 -->2008年(平成20年)
|<!--備考 -->
|-
|<!--名称 -->美鈴が丘
|<!--場所 -->福岡県小郡市美鈴が丘2丁目
|<!--開発年 -->1995年(平成7年)
|<!--備考 -->
|-
|<!--名称 -->三国が丘
|<!--場所 -->福岡県小郡市三国が丘1丁目
|<!--開発年 -->
|<!--備考 -->
|-
|<!--名称 -->弥生が丘グリーンステージ コットンヒルズ
|<!--場所 -->福岡県北九州市小倉南区貫弥生が丘3丁目
|<!--開発年 -->
|<!--備考 -->
|-
|<!--名称 -->上の原
|<!--場所 -->福岡県北九州市八幡西区
|<!--開発年 -->2006年(平成18年):第1期、<br>2007年(平成19年):第2期、<br>2007年(平成19年):第3期、<br>2008年(平成20年):第4期
|<!--備考 -->
|-
|<!--名称 -->西鉄星が丘
|<!--場所 -->福岡県北九州市八幡西区
|<!--開発年 -->2006年(平成18年)
|<!--備考 -->
|-
|<!--名称 -->リビオ桃園第1期
|<!--場所 -->福岡県北九州市八幡東区桃園
|<!--開発年 -->2007年(平成19年)
|<!--備考 -->
|-
|<!--名称 -->サニーヴィラ合川町
|<!--場所 -->福岡県久留米市合川町字葉山
|<!--開発年 -->
|<!--備考 -->
|-
|<!--名称 -->サニーヴィラ津福今町
|<!--場所 -->福岡県久留米市津福今町字西浦
|<!--開発年 -->
|<!--備考 -->
|-
|<!--名称 -->西鉄大里本町
|<!--場所 -->福岡県北九州市[[門司区]]
|<!--開発年 -->2007年(平成19年)
|<!--備考 -->
|-
|<!--名称 -->パークサイド月の浦
|<!--場所 -->福岡県大野城市月の浦
|<!--開発年 -->2000年(平成12年)
|<!--備考 -->
|-
|<!--名称 -->パークプレイス大分公園通り
|<!--場所 -->[[大分市]]公園通り5丁目
|<!--開発年 -->
|<!--備考 -->
|-
|<!--名称 -->パルク長府浜浦台
|<!--場所 -->山口県下関市
|<!--開発年 -->2007年(平成19年):第1期
|<!--備考 -->
|-
|<!--名称 -->花美坂
|<!--場所 -->福岡県遠賀郡[[芦屋町]]
|<!--開発年 -->2001年(平成13年)
|<!--備考 -->
|-
|<!--名称 -->桜美台
|<!--場所 -->福岡県宗像市
|<!--開発年 -->1999年(平成11年)
|<!--備考 -->
|-
|<!--名称 -->ガーデンヒルズ美しが丘
|<!--場所 -->福岡県筑紫野市美しが丘南
|<!--開発年 -->
|<!--備考 -->
|}
=== 保育園事業 ===
* にしてつ[[保育園]]「ピコラン」
=== 生活支援サービス事業 ===
* ベンリーにしてつ - [[ベンリーコーポレーション]]のフランチャイズ<ref>{{Cite web|和書
|date=2013-05-16
|url=https://www.nishitetsu.co.jp/release/2013/13_015.pdf
|title=5月23日(木)「ベンリーにしてつ大橋店」オープン! (PDF)
|format=PDF
|publisher=西日本鉄道
|accessdate=2013年5月16日
}}</ref>。
* [[コンビニエンスストア]]「NP Smile」(駅売店・[[エキナカ]]での自社コンビニ)
=== 農業関連分野(6次産業) ===
2013年より、縁線(えんせん)プロジェクトとして展開<ref>{{Cite web|和書
|date=2013-06-07
|url=https://www.nishitetsu.co.jp/release/2013/13_026.pdf
|title=「農業関連分野」への新規参入について (PDF)
|format=PDF
|publisher=西日本鉄道
|accessdate=2013年6月10日
}}</ref>。
=== 飲料水宅配サービス事業 ===
「いえすい」として飲料水宅配サービス事業を事業創造部が運営<ref>{{Cite web|和書
|date=2014-01-30
|url=https://www.nishitetsu.co.jp/release/2013/13_152.pdf
|title=「飲料水宅配サービス事業」へ参入します
|format=PDF
|publisher=西日本鉄道
|accessdate=2014年2月22日
}}</ref>。
=== 過去の事業 ===
==== ウェディングプロデュース事業 ====
* オーダーメイドウェディングサロン「フォセット」([[博多リバレイン]][[イニミニマニモ]]B1)
=== 野球との関係 ===
「西鉄」の名前を日本全国に広めたのは[[日本プロ野球|プロ野球]]とも言える。西鉄は太平洋戦争中の[[1943年]]に球団買収で[[西鉄軍]]を発足させ、[[日本野球連盟 (プロ野球)|日本野球連盟]]に参加したが、この年限りで解散している。
戦後、西鉄はプロ野球復帰を望んだが、西鉄軍は連盟に解散届を提出していたために復帰を認められなかった。そこで西鉄はアマチュア社会人野球チームを結成。[[1948年]]の第19回[[都市対抗野球大会]]では優勝を収める。社内ではこのチームを基に再びプロ野球に参戦しようという機運が盛り上がっていた。
日本野球連盟が[[プロ野球再編問題 (1949年)|2リーグ制]]へ分裂した[[1949年]][[11月26日]]、西鉄は社会人野球チームを発展させる形で'''西鉄クリッパース'''を創設<ref>[https://www.ncbank.co.jp/chiiki_shakaikoken/furusato_rekishi/hakata/077/10.html 西日本シティ銀行「博多に強くなろう」中島国彦氏談]</ref>。[[1950年]][[1月28日]]運営会社[[西鉄グループ#西鉄グループを離脱した会社|西鉄野球株式会社]]を設立し、[[パシフィック・リーグ]]の一員として参加した。[[1951年]]には同じ福岡市([[平和台野球場|平和台球場]])を本拠地としていた[[セントラル・リーグ]]の[[西日本パイレーツ]]を統合して'''西鉄ライオンズ'''と改称し、以後[[1972年]]まで所有した。ライオンズは[[1956年]] - [[1958年]]の[[日本選手権シリーズ|日本シリーズ]]3連覇を含めて5度のリーグ優勝に輝いたが、[[1969年]]に発覚した[[黒い霧事件 (日本プロ野球)|黒い霧事件]]で戦力・人気両面で致命的なダメージを受け、福岡市内線廃止問題も浮上したことで西鉄は1972年シーズン後に[[中村長芳]]に球団を売却する。チーム名は[[太平洋クラブ]]をスポンサーとして太平洋クラブライオンズとなる。その後クラウンライターライオンズを経て[[1978年]]10月に[[コクド|国土計画]]へ売却され西武ライオンズとなり、本拠地は[[埼玉県]][[所沢市]]に移転した。なお、西鉄野球として設立された運営会社は[[福岡野球|福岡野球株式会社]]・[[埼玉西武ライオンズ|株式会社西武ライオンズ]]と[[商号]]変更を繰り返しながらも現在まで存続している。
埼玉西武ライオンズはかつては西鉄を含めた福岡時代の成績や記録を自らの歴代記録に含んでこなかった。一例として、毎年発行されるファンブックに掲載される年表では、長年にわたり1978年の買収を球団発足とする記述がなされていた。ところが、[[堤義明]]をはじめとした[[西武グループ]]創業家一族の失脚によるグループ再編を受け、[[2008年]]1月末から球団公式サイト内の年表では福岡時代についても記述するようになっただけでなく、同年は西鉄創業100周年事業と西武球団としての30周年事業とが重なったこともあり、「[[ライオンズ・クラシック]]」と題して西鉄時代のユニフォームを復刻して試合で着用するイベントを行った。これに合わせて球団公式サイトでは福岡時代の歴史を大きく取り上げる<ref>[https://www.seibulions.jp/expansion/history/lions_classic/history.php 栄光の歴史「伝説の西鉄ライオンズ」]</ref> など、これまでの姿勢を大きく転換した。このイベントには西鉄も後援企業として参加したほか、地元福岡では[[福岡三越]]とともに「よみがえる西鉄ライオンズ」と題した記念イベントを開催<ref>{{Cite web|和書
|date=2008-09-02
|url=https://www.nishitetsu.co.jp/release/2008/08_67.pdf
|title=西鉄創立100周年記念イベント「よみがえる西鉄ライオンズ」開催
|format=PDF
|publisher=西日本鉄道
|accessdate=2009年12月31日
}}</ref>し、独自の記念グッズも販売した。その後、西鉄の他に[[福岡野球]]が経営していたころや、戦前の西鉄軍の前身で、奇しくも西武の源流企業(現在の西武新宿線の前身)が経営に関与していた[[東京セネタース]]についても取り上げた企画を行っている。
現在はかつてのライバル球団・南海ホークスの後身である[[福岡ソフトバンクホークス]]を地元企業として後援し、2017年から同球団に復帰した[[川﨑宗則]]選手([[アメリカ合衆国|アメリカ]]在住時は[[メジャーリーグベースボール|メジャーリーグ]]「[[シカゴ・カブス]]」所属)を西鉄電車イメージキャラクターに起用していた。川﨑は西鉄の[[コマーシャルメッセージ|CM]]やポスター(電車が主だが、同社の別事業にも一部出演)に出演し、西鉄福岡(天神)駅の一日駅長を務めたこともある。
== 西鉄に関係する人物 ==
前身会社の関係人物を含む。
* [[松方幸次郎]] - [[九州電気軌道]](九軌)の設立に関係、同社初代社長。
* [[大田黒重五郎]] - 九軌社長。
* [[麻生太吉]] - 九軌[[取締役]]。
* [[村上巧児]] - 九軌社長、西鉄成立後の初代社長。
* [[福澤桃介]] - [[福博電気軌道]]の設立に関係、同社初代社長。
* [[松永安左エ門]] - 福博電気軌道および[[九州鉄道 (2代)|九州鉄道]](九鉄)の設立に関係。
* [[伊丹弥太郎]] - [[九州電灯鉄道]]社長、九鉄初代社長。
* [[渡辺與八郎]] - [[博多電気軌道]]を設立(「[[渡辺通り]]」の名称の由来となっている)。
* [[太田清蔵 (4代目)|太田清蔵]] - [[博多湾鉄道汽船]]社長。「西日本鉄道」の名付け親。
* [[安恒良一]] - 元西鉄[[労働組合|労組]]幹部、[[国会議員|参議院議員]]。
* [[渕上貞雄]] - 元西鉄労組幹部、参議院議員。
=== 歴代社長 ===
{{see also|九州電気軌道#歴代社長}}
代数は九軌より数える。カッコ内は在任期間<ref>『にしてつ100年の歩み』(西日本鉄道 2008年発行)より。</ref>。
* 初代:[[松方幸次郎]](1908年12月11日 - 1930年6月27日)
* 2代:[[松本枩蔵]](1930年6月27日 - 同年10月8日):松方の妹婿。株譲渡により辞任後[[九州電気軌道不正手形事件]]発覚。
* 3代:[[大田黒重五郎]](1930年10月8日 - 1935年6月25日)
* 4代:[[村上巧児]](1935年7月15日 - 1945年11月26日):西鉄設立
* 5代:[[野中春三]](1945年11月26日 - 1951年11月27日)
* 6代:[[木村重吉]](1951年11月27日 - 1959年11月27日)
* 7代:野中春三(1959年11月27日 - 1960年6月6日、再任)
* 8代:[[宮田又三郎]] (1960年6月14日 - 1963年11月27日)
* 9代:[[楠根宗生]](1963年11月27日 - 1970年5月27日)
* 10代:[[吉本弘次]](1970年5月27日 - 1981年6月27日)
* 11代:[[木本元敬]](1981年6月27日 - 1985年6月28日)
* 12代:[[大屋麗之助]](1985年6月28日 - 1991年6月27日)
* 13代:[[橋本尚行]](1991年6月27日 - 1997年6月27日)
* 14代:[[明石博義]](1997年6月27日 - 2003年6月27日)
* 15代:[[長尾亜夫]](2003年6月27日 - 2008年6月27日)
* 16代:[[竹島和幸]](2008年6月27日 - 2013年6月27日)
* 17代:[[倉富純男]](2013年6月27日 - 2021年3月31日):前社長、現会長
* 18代:[[林田浩一]](2021年4月1日 - )<ref>{{Cite news|title=西日本鉄道、新社長に林田浩一氏 倉富純男氏は会長に|newspaper=朝日新聞|publisher=朝日新聞社|date=2021-01-21|url=https://www.asahi.com/articles/ASP1P54GQP1PTIPE012.html|accessdate=2021-04-12}}</ref>:現社長
== 主な西鉄グループ企業 ==
{{See|西鉄グループ}}
== 同業他社およびそのグループとの関係 ==
西鉄では以前に大分県への[[近鉄グループ]]の進出を巡り、一時期[[近畿日本鉄道]]と対立していたことがあったが、現在は小康状態となっている。
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Reflist|group="注"}}
=== 出典 ===
{{Reflist|2}}
== 関連項目 ==
* [[エア・フレイト・フォワーダー]]
* [[航空貨物カルテル]]
* [[埼玉西武ライオンズ|西鉄ライオンズ]]
== 外部リンク ==
{{Multimedia|西日本鉄道の画像}}
{{Commonscat|Nishi-Nippon Railroad}}
* [https://www.nishitetsu.co.jp/ 西日本鉄道株式会社]
* [https://www.nishitetsu.co.jp/ 西鉄グループ]
* [https://www.nnr.co.jp/global_logistics/ 西日本鉄道株式会社 国際物流事業本部]
* [https://tenjinsite.jp/ 天神サイト]
* {{Facebook|nishitetsu.jp}}
* {{Instagram|nishi_nippon_railroad}}
{{西鉄グループ}}
{{大手私鉄}}
{{旅名人九州満喫きっぷ}}
{{SUNQPASS}}
{{楽バス}}
{{西鉄福岡(天神)駅}}
{{都市対抗野球大会優勝チーム}}
{{Normdaten}}
{{デフォルトソート:にしにつほんてつとう}}
[[Category:西日本鉄道|*]]
[[Category:大手私鉄・準大手私鉄]]
[[Category:日本の鉄道事業者]]
[[Category:かつて存在した日本の軌道事業者]]
[[Category:九州地方の乗合バス事業者]]
[[Category:国有化された日本の鉄道事業者]]<!-- 一部の路線が -->
[[Category:福岡県の交通]]
[[Category:博多区の企業]]
[[Category:東証プライム上場企業]]
[[Category:福証上場企業]]
[[Category:1949年上場の企業]]
[[Category:都市対抗野球優勝チーム]]
[[Category:西鉄ライオンズ]]
[[Category:1908年設立の企業]]
[[Category:日本の倉庫・運輸関連業者]]
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2003-08-31T17:16:07Z
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札幌市の交通
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札幌市の交通(さっぽろしのこうつう)については、札幌市にある交通機関についての項目。
IC乗車カードはJR北海道が導入している「Kitaca」、札幌市交通局が導入している「SAPICA」があるが、KitacaがSAPICAエリア(一部を除く)で片利用できるサービスのため、注意が必要である。
また、1日乗車券や高齢者の社会参加を促進するための「敬老優待乗車証」や、障がい者交通費助成として「福祉乗車証」などを発行している。
1992年(平成4年)から札幌市内の地下鉄・市電・バスで利用できる乗車カードとして「共通ウィズユーカード」を発売していたが、2015年(平成27年)3月31日をもって利用終了となった。
中央駅は札幌駅
中央駅は大通駅
「札幌市路面電車活用計画」として路面電車のまちづくりへの活用に向けた取組みが進行中。
乗車方法は後乗り前降り後払い方式で、運賃は原則として整理券による区間制であり、手稲区・南区・清田区の一部が完全に対キロ区間制運賃となっている他は210円/240円の2区による区間制運賃(2014年4月1日現在)となっており、210円運賃のみの路線では整理券を発行しない場合がある。
1930年(昭和5年)運行開始の札幌市営バスは1990年代後半から段階的に民営バスへの事業移管を開始し、2003年(平成15年)4月には藻岩営業所と琴似営業所所管の28路線を、2004年(平成16年)4月には東営業所、新川営業所所管の18路線を移管して事業を廃止した。
札幌市では冬期間に長期の遅れが見られるため、仙台市や福岡市のような都心集中型のバスダイヤとはなっておらず、都心部へのアクセスは一部の路線を除き地下鉄駅での乗継を前提としている。
札幌市内で路線バスを運行するのは以下の事業者。
札幌駅周辺から北海道内の各都市への高速バス、新千歳空港への連絡バス、観光地などへのシャトルバスが発着している。
市内の北1条橋(大通東1交差点・北1西1交差点)が国道5号の終点。北1西3交差点(= 北1西4交差点)は、国道12号( - 旭川市)、国道36号( - 室蘭市)、国道230号( - せたな町)が集まる3国道の起点となっている。
「札幌市略年表」・「道路建設の歴史」参照。
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札幌市の交通(さっぽろしのこうつう)については、札幌市にある交通機関についての項目。
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[[File:Sapporo station minamigutimae.JPG|thumb|300px|札幌駅南口と札幌駅バスターミナル(2011年3月)]]
[[File:SapporoEkiKita2004-4.jpg|thumb|300px|札幌駅北口(2004年4月)]]
'''札幌市の交通'''(さっぽろしのこうつう)については、[[札幌市]]にある交通機関についての項目。
== 乗車券 ==
IC乗車カードはJR北海道が導入している「[[Kitaca]]」、札幌市交通局が導入している「[[SAPICA]]」があるが、KitacaがSAPICAエリア(一部を除く)で片利用できるサービスのため、注意が必要である<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.jrhokkaido.co.jp/kitaca/02area.html |title=利用可能エリア |publisher=北海道旅客鉄道 |accessdate=2014-12-04}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.sapica.jp/about/area.html |title=SAPICAの利用可能エリア |publisher=札幌総合情報センター |accessdate=2014-12-04}}</ref>。
また、1日乗車券や高齢者の社会参加を促進するための「[[敬老優待乗車証]]」や、障がい者交通費助成として「福祉乗車証」などを発行している<ref>{{Cite web|和書|url= http://www.city.sapporo.jp/st/josyaken/card.html |title=乗車券のご案内 |publisher=札幌市 |accessdate=2015-01-10}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url= http://www.city.sapporo.jp/shogaifukushi/kotsuhi/ |title=障がい者交通費助成 |publisher=札幌市 |accessdate=2015-01-10}}</ref>。
1992年(平成4年)から札幌市内の地下鉄・市電・バスで利用できる[[乗車カード]]として「[[共通ウィズユーカード]]」を発売していたが、2015年(平成27年)3月31日をもって利用終了となった<ref>{{Cite web|和書|url= http://www.city.sapporo.jp/st/hatubaiteisi.html |title=共通ウィズユーカード等の発売終了・利用終了について |publisher=札幌市 |accessdate=2015-01-10}}</ref>。
== 交通機関 ==
=== JR ===
[[画像:Sapporo-shinai.PNG|thumb|300px|札幌市内におけるJR線路線図]]
中央駅は'''[[札幌駅]]'''
* [[北海道旅客鉄道|北海道旅客鉄道(JR北海道)]]([[File:JR area SATSU.png|15px]] [[特定都区市内]])
** {{Color|#ed1c23|■}}'''[[函館本線]]'''<small>( - [[ほしみ駅]] - [[星置駅]] - [[稲穂駅]] - [[手稲駅]] - [[稲積公園駅]] - [[発寒駅]] - [[発寒中央駅]] - [[琴似駅 (JR北海道)|琴似駅]] - [[桑園駅]] - 札幌駅)</small>
*: 臨時列車を除く全列車が普通列車(快速・区間快速を含む)である。札幌駅以東への直通が基本となっており、小樽駅 - 岩見沢駅・苫小牧駅で一体の運転系統となっている。
** {{Color|#f7931d|■}}'''函館本線'''<small>(札幌駅 - [[苗穂駅]] - [[白石駅 (JR北海道)|白石駅]] - ([[日本貨物鉄道北海道支社|JR貨物]] [[札幌貨物ターミナル駅]]) - [[厚別駅]] - [[森林公園駅 (北海道)|森林公園駅]] - )</small>
*: 優等列車は札幌駅を起点として旭川方面へ運行している。普通列車(区間快速を含む)は小樽駅 - 岩見沢駅間で一体の運転系統となっている。
** {{Color|#0072bc|■}}'''[[千歳線]]'''<small>(札幌駅 - 苗穂駅 - 白石駅 - [[平和駅]]- (JR貨物 札幌貨物ターミナル駅) - [[新札幌駅]] - [[上野幌駅]] - )</small>
*: 札幌駅 - 白石駅間は函館本線であるが、列車運行上は当該区間も千歳線と案内される。優等列車は札幌駅を起点として帯広・釧路・室蘭・函館方面へ多数運行している。普通列車(快速を含む)は小樽駅 - 苫小牧駅間で一体の運転系統となっている。
** {{Color|#00a54f|■}}'''[[札沼線|学園都市線(正式名称:札沼線)]]'''<small>(札幌駅 - 桑園駅 - [[八軒駅]] - [[新川駅 (北海道)|新川駅]] - [[新琴似駅]] - [[太平駅]] - [[百合が原駅]] - [[篠路駅]] - [[拓北駅]] - [[あいの里教育大駅]] - [[あいの里公園駅]] - )</small>
*: 札幌駅 - 桑園駅間は函館本線であるが、列車運行上は当該区間も学園都市線と案内される。学園都市線は愛称であり、正式な路線名は札沼線である。全列車普通列車で、1日1本の千歳線直通列車を除くすべての列車が線内のみの運転である。
{{Clear}}
=== 地下鉄 ===
[[ファイル:Sapporo subway map.gif|thumb|300px|札幌市営地下鉄路線図]]
中央駅は'''[[大通駅]]'''
* [[札幌市交通局]]
** [[File:Subway SapporoNamboku.svg|15px|札幌市営地下鉄南北線|link=札幌市営地下鉄南北線]]'''[[札幌市営地下鉄南北線|南北線]]'''<small>([[麻生駅]] - [[北34条駅]] [[北24条駅]] - [[北18条駅]] - [[北12条駅]] - [[さっぽろ駅]] - 大通駅 - [[すすきの駅]] - [[中島公園駅]] - [[幌平橋駅]] - [[中の島駅]] - [[平岸駅 (札幌市)|平岸駅]] - [[南平岸駅]] - [[澄川駅]] - [[自衛隊前駅]] - [[真駒内駅]])</small>
** [[File:Subway SapporoTozai.svg|15px|札幌市営地下鉄東西線|link=札幌市営地下鉄東西線]]'''[[札幌市営地下鉄東西線|東西線]]'''<small>([[宮の沢駅]] - [[発寒南駅]] - [[琴似駅 (札幌市営地下鉄)|琴似駅]] - [[二十四軒駅]] - [[西28丁目駅]] - [[円山公園駅]] - [[西18丁目駅]] - [[西11丁目駅]] - 大通駅 - [[バスセンター前駅]] - [[菊水駅]] - [[東札幌駅]] - [[白石駅 (札幌市営地下鉄)|白石駅]] - [[南郷7丁目駅]] - [[南郷13丁目駅]] - [[南郷18丁目駅]] - [[大谷地駅]] - [[ひばりが丘駅]] - [[新さっぽろ駅]])</small>
** [[File:Subway SapporoToho.svg|15px|札幌市営地下鉄東豊線|link=札幌市営地下鉄東豊線]]'''[[札幌市営地下鉄東豊線|東豊線]]'''<small>([[栄町駅 (札幌市)|栄町駅]] - [[新道東駅]] - [[元町駅 (北海道)|元町駅]] - [[環状通東駅]] - [[東区役所前駅]] - [[北13条東駅]] - さっぽろ駅 - 大通駅 - [[豊水すすきの駅]] - [[学園前駅 (北海道)|学園前駅]] - [[豊平公園駅]] - [[美園駅]] - [[月寒中央駅]] - [[福住駅]])</small>
{{Main|札幌市営地下鉄}}
{{Clear}}
=== 路面電車 ===
[[File:Sapporo Streetcar map ja.png|thumb|300px]]
「札幌市路面電車活用計画」として[[路面電車]]のまちづくりへの活用に向けた取組みが進行中<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.city.sapporo.jp/sogokotsu/shisaku/romen/public.html |title=札幌市路面電車活用計画 |publisher=札幌市 |accessdate=2015-01-10}}</ref>。
* [[札幌市交通事業振興公社]]
** <small>SC01 [[西4丁目停留場]] - SC02 [[西8丁目停留場]] - SC03 [[中央区役所前停留場]] - SC04 [[西15丁目停留場]] - SC05 [[西線6条停留場]] - SC06 [[西線9条旭山公園通停留場]] - SC07 [[西線11条停留場]] - SC08 [[西線14条停留場]] - SC09 [[西線16条停留場]] - SC10 [[ロープウェイ入口停留場]] - SC11 [[電車事業所前停留場]] - SC12 [[中央図書館前停留場]] - SC13 [[石山通停留場]] - SC14 [[東屯田通停留場]] - SC15 [[幌南小学校前停留場]] - SC16 [[山鼻19条停留場]] - SC17 [[静修学園前停留場]] - SC18 [[行啓通停留場]] - SC19 [[中島公園通停留場]] - SC20 [[山鼻9条停留場]] - SC21 [[東本願寺前停留場]] - SC22 [[資生館小学校前停留場]](西創成) - SC23 [[すすきの駅|すすきの停留場]] - SC24 [[狸小路停留場]]</small>
{{Main|札幌市電}}
{{Clear}}
=== 索道・鋼索鉄道 ===
* 札幌振興公社(昔は、札幌市交通局が管轄していた。)
** 札幌もいわ山ロープウェイ<small>(山麓駅 - 中腹駅)</small><ref name="もいわ山ロープウェイ">{{Cite web|和書|url=http://moiwa.sapporo-dc.co.jp/ |title=札幌もいわ山ロープウェイ |work=札幌もいわ山ロープウェイ山麓事務所 |publisher=札幌振興公社 |accessdate=2015-01-10}}</ref>
** もーりすカー<small>(中腹駅 - 山頂駅)</small><ref name="もいわ山ロープウェイ"/>
=== バス ===
[[File:ESTA JR Sapporo Sta01n3200.jpg|thumb|300px|札幌エスタ(1階に札幌駅バスターミナルがある)(2009年10月)]]
乗車方法は後乗り前降り後払い方式で、運賃は原則として整理券による区間制であり、[[手稲区]]・[[南区 (札幌市)|南区]]・[[清田区]]の一部が完全に対キロ区間制運賃となっている他は210円/240円の2区による区間制運賃(2014年4月1日現在)となっており、210円運賃のみの路線では整理券を発行しない場合がある。
1930年(昭和5年)運行開始の[[札幌市営バス]]は1990年代後半から段階的に民営バスへの事業移管を開始し、2003年(平成15年)4月には藻岩営業所と琴似営業所所管の28路線を、2004年(平成16年)4月には東営業所、新川営業所所管の18路線を移管して事業を廃止した。
札幌市では冬期間に長期の遅れが見られるため、仙台市や福岡市のような都心集中型のバスダイヤとはなっておらず、都心部へのアクセスは一部の路線を除き地下鉄駅での乗継を前提としている。
; 路線バス
札幌市内で路線バスを運行するのは以下の事業者。
{{Columns-list|2|
: [[北海道中央バス]]
: [[ジェイ・アール北海道バス]]
: [[じょうてつ]](じょうてつバス)
: [[夕張鉄道]](夕鉄バス)
: [[道南バス]]
: [[札幌ばんけい]](ばんけいバス)
}}
; 都市間バス
札幌駅周辺から北海道内の各都市への[[高速バス]]、[[新千歳空港]]への連絡バス、[[観光地]]などへの[[シャトルバス]]が発着している。
; バスターミナル
{{Columns-list|3|
: [[札幌駅バスターミナル]]
: [[北海道中央バス札幌ターミナル]]
: 大通バスターミナル
: [[琴似バスターミナル]]
: [[啓明バスターミナル]]
: [[麻生バスターミナル]]
: [[福住バスターミナル]]
: 真駒内バス発着場
: [[宮の沢バスターミナル]]
: [[大谷地バスターミナル]]
: [[新札幌バスターミナル]]
}}
=== タクシー ===
: 北海道ハイヤー協会加盟事業者による普通車の初乗り上限運賃は、距離制(1.6km)が670円、時間制(30分)が2,830円となっている<ref>{{Cite web|和書|url=http://hokuhakyo.or.jp/fare/ |title=運賃について |publisher=北海道ハイヤー協会 |accessdate=2014-12-03}}</ref>。
=== 空港 ===
[[File:Okadama airport01.JPG|thumb|300px|札幌丘珠空港(2010年3月)]]
* [[札幌飛行場|札幌丘珠空港]]
** [[日本航空]](JAL)<ref>運航は[[北海道エアシステム]]</ref>
*** [[利尻空港]]
*** [[女満別空港]]<ref>https://www.info.hac-air.co.jp/wp-content/uploads/2020/09/mmb_compressed.pdf</ref>
*** [[釧路空港]]
*** [[函館空港]]
*** [[奥尻空港]]<ref>https://www.info.hac-air.co.jp/wp-content/uploads/2021/06/ilovepdf_merged.pdf</ref><ref>https://www.info.hac-air.co.jp/wp-content/uploads/2021/08/HACPRESSRELEASE_21008.pdf</ref>
*** [[三沢空港]]
** [[フジドリームエアラインズ]](FDA)<ref>[[日本航空]](JAL)とコードシェア</ref>
*** [[静岡空港]](夏ダイヤ期間運航)
*** [[松本空港]](夏ダイヤ期間運航)
* [[新千歳空港]](所在地は[[千歳市]]と[[苫小牧市]]にまたがるものの、空港アナウンス上は分かりやすくするために 札幌/新千歳空港とも言われたり、札幌/新千歳などと表記されることもある。)
** [[JR北海道]]の[[エアポート (列車)|快速エアポート]]、各バス会社の空港連絡バスで接続している。
{{Clear}}
== 道路 ==
=== 高速道路 ===
[[File:Sapporo JCT.svg|thumb|300px|札幌JCTの経路図]]
* [[東日本高速道路北海道支社]]
** {{Ja Exp Route Sign|E5}} [[道央自動車道]]([[北海道縦貫自動車道]])
***(1)[[札幌インターチェンジ|札幌IC/TB]] - [[札幌ジャンクション|札幌JCT]] - (1)[[北郷インターチェンジ|北郷IC]] - (2)[[大谷地インターチェンジ|大谷地IC]] - (2-1)[[札幌南インターチェンジ|札幌南IC/TB]]
** {{Ja Exp Route Sign|E5A}} [[札樽自動車道]]([[北海道横断自動車道]])
***(1)[[雁来インターチェンジ|雁来IC]] - (2)[[伏古インターチェンジ|伏古IC]] - (3、4)[[札幌北インターチェンジ|札幌北IC]] - (5)[[新川インターチェンジ|新川IC]] - (6)[[札幌西インターチェンジ|札幌西IC/TB]] - (7)[[手稲インターチェンジ|手稲IC]] - [[金山パーキングエリア|金山PA]]
=== 一般国道 ===
市内の北1条橋(大通東1交差点・北1西1交差点)が国道5号の終点。北1西3交差点(= 北1西4交差点)は、国道12号( - 旭川市)、国道36号( - 室蘭市)、国道230号( - せたな町)が集まる3国道の起点となっている<ref>{{Cite book|和書|author=佐藤健太郎|authorlink=佐藤健太郎 (フリーライター)|year=2014|title=ふしぎな国道|publisher=[[講談社]]|series=講談社現代新書|page=43|chapter=国道の名所を行く|isbn=978-4-06-288282-8}}</ref>。
{{Columns-list|2|
* [[File:Japanese National Route Sign 0005.svg|20px]][[国道5号]]
* [[File:Japanese National Route Sign 0012.svg|20px]][[国道12号]]
* [[File:Japanese National Route Sign 0036.svg|20px]][[国道36号]]
* [[File:Japanese National Route Sign 0230.svg|20px]][[国道230号]]
* [[File:Japanese National Route Sign 0231.svg|20px]][[国道231号]]
* [[File:Japanese National Route Sign 0274.svg|20px]][[国道274号]]
* [[File:Japanese National Route Sign 0275.svg|20px]][[国道275号]]
* [[File:Japanese National Route Sign 0337.svg|20px]][[国道337号]]
* [[File:Japanese National Route Sign 0453.svg|20px]][[国道453号]]
}}
=== 主要道道 ===
{{Columns-list|2|
* [[北海道道1号小樽定山渓線]]
* [[北海道道3号札幌夕張線]]
* [[北海道道18号札幌停車場線]]
* [[北海道道44号石狩手稲線]]
* [[北海道道82号西野真駒内清田線]]
* [[北海道道89号札幌環状線]]
* [[北海道道95号京極定山渓線]]
* [[北海道道112号札幌当別線]]
* [[北海道道124号宮の沢北一条線]]
* [[北海道道125号前田新川線]]
* [[北海道道128号札幌北広島環状線]]
}}
=== 一般道道 ===
{{Columns-list|2|
* [[北海道道225号小樽石狩線]]
* [[北海道道273号花畔札幌線]]
* [[北海道道276号琴似停車場線]]
* [[北海道道277号琴似停車場新琴似線]]
* [[北海道道325号厚別停車場線]]
* [[北海道道326号桑園停車場線]]
* [[北海道道341号真駒内御料札幌線]]
* [[北海道道368号白石停車場線]]
* [[北海道道431号丘珠空港線]]
* [[北海道道452号下手稲札幌線]]
* [[北海道道453号西野白石線]]
* [[北海道道508号矢臼場札幌線]]
* [[北海道道526号東札幌停車場線]]
* [[北海道道626号東雁来江別線]]
* [[北海道道814号滝野上野幌自転車道線]]
* [[北海道道864号大麻東雁来線]]
* [[北海道道865号樽川篠路線]]
* [[北海道道1053号真駒内茨戸東雁来自転車道線]]
* [[北海道道1137号丘珠空港東線]]
* [[北海道道1138号厚別平岡線]]
* [[北海道道1147号大曲工業団地美しが丘線]]
* [[北海道道1148号札幌恵庭自転車道線]]
}}
=== 主要市道 ===
{{Columns-list|2|
* 札幌市主要市道9900号真駒内篠路線
* 札幌市主要市道9901号旭山公園米里線
* 札幌市主要市道9902号南19条宮の沢線
* 札幌市主要市道9903号羊ケ丘線
* 札幌市主要市道9904号厚別東北郷線
* 札幌市主要市道9905号手稲インター線
}}
=== 有料道路 ===
* [[藻岩山観光自動車道]]
== 年表 ==
[[File:Toyohiragawa Bridge of Horonai Railway.JPG|thumb|258px|官営幌内鉄道の豊平川鉄橋(明治時代)]]
[[File:Sapporo Station in Taisho era.JPG|thumb|258px|大正時代の札幌駅]]
[[File:Odori Park in Sapporo 1936.jpg|thumb|258px|1936年の大通公園]]
[[File:Sapporo City Tram TypeA820 A821+A822.jpg|thumb|258px|札幌駅前を通過する札幌市電A820型(1971年3月)]]
[[File:JRH Sapporo Station 19910301.jpg|thumb|258px|札幌駅(1991年3月)]]
[[File:Sapporo Underground Pedestrian Space Station Road01s3.jpg|thumb|258px|札幌駅前地下歩行空間(2011年11月)]]
「札幌市略年表」・「道路建設の歴史」参照<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.city.sapporo.jp/toukei/kanko/documents/4-2.pdf |title=札幌市略年表 |format=PDF |work=札幌市政概要平成26年版 |publisher=札幌市 |accessdate=2014-12-14}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=http://www.city.sapporo.jp/kensetsu/stn/doroshiryo/rekishi_nenpyo.html |title=道路建設の歴史 - 年表 |publisher=札幌市 |accessdate=2014-12-14}}</ref>。
* [[1857年]](安政4年) : [[箱館奉行]]によって札幌越新道の開削が始まる。
* [[1871年]](明治4年) : [[本願寺道路]]([[平岸 (札幌市)|平岸]]~伊達村尾去別、後の虻田道路、現在の[[国道230号]])が完成。佐宇勢以橋(現在の[[創成橋]])・[[豊平橋]]・回春橋(現在の[[月見橋]])架設。
* [[1872年]](明治5年) : 白石道路(札幌~[[白石村 (北海道)|白石]]、現在の[[国道12号]]の一部)が完成。
* [[1873年]](明治6年) : 札幌越新道を前身とする[[札幌本道]](函館~札幌)が完成。小樽~[[銭函]]~札幌間道路(後の札樽国道、現在の[[国道5号]]の一部)完成。
* [[1880年]](明治13年) : [[官営幌内鉄道]](札幌 - [[手宮駅|手宮]])開業(後の[[手宮線]]。現在の[[函館本線]])、札幌仮停車場(現在の[[札幌駅]])設置<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.city.sapporo.jp/chuo/gaiyo/history/documents/3-10.pdf |title=札幌駅 |format=PDF |work=歴史の散歩道 |publisher=札幌市中央区 |accessdate=2015-01-10}}</ref>。
* [[1882年]](明治15年) : 官営幌内鉄道(札幌 - 幌内)開通。
* [[1890年]](明治23年) : 江別道路(札幌~江別、現在の国道12号の一部)が完成。[[東橋 (札幌市)|東橋]]架設。
* [[1894年]](明治27年) : 虻田道路(札幌~[[定山渓]]~虻田、現在の国道230号)が完成。
* [[1909年]](明治42年) : [[札幌石材馬車鉄道]]([[札幌市電]]の前身)開業(1918年廃止)。鉄道院北海道鉄道管理局札幌工場(現在の[[北海道旅客鉄道苗穂工場]])開庁。
* [[1911年]](明治44年) : 札北馬車軌道(後の[[札幌軌道]])が馬車鉄道を開業(1935年営業廃止)。大通防火帯に公園設備が加えられ、大通逍遥地(現在の[[大通公園]])完成。
* [[1918年]](大正7年) : 札幌電気軌道(現在の札幌市電)運行開始。[[定山渓鉄道線]](白石 - 定山渓)開通(1969年廃止)。
* [[1922年]](大正11年) : [[軽石軌道]]開業(1940年廃止)。
* [[1923年]](大正12年) : 一条橋(現在の[[一条大橋]])架設。
* [[1925年]](大正15年) : [[北海道鉄道 (2代)|北海道鐵道]]札幌線([[苗穂駅]] - [[沼ノ端駅]])開業(現在の[[千歳線]])。
* [[1927年]](昭和2年) : [[幌平橋]]架設。
* [[1929年]](昭和4年) : [[札幌温泉電気軌道]]開業(1933年営業休止)
* [[1930年]](昭和5年) : [[札幌市営バス]]運行開始(2004年事業譲渡)
* [[1932年]](昭和7年) : 定山渓~小樽間道路(現在の[[北海道道1号小樽定山渓線]])開通。
* [[1934年]](昭和9年): ([[桑園駅]] - 石狩当別駅(現・[[当別駅]]))開業(現在の[[札沼線]])。札樽国道(現在の国道5号の一部)の全面改修工事完成<ref>『札樽国道物語』北海道道路史調査会、76頁。</ref>。
* 札樽間の[[鉄道省]]営バス(現在の[[ジェイ・アール北海道バス]][[札樽線 (ジェイ・アール北海道バス)|札樽線]])の運営開始<ref>『札樽国道物語』北海道道路史調査会、84頁。</ref>。
* [[1944年]](昭和19年) : [[札幌飛行場]](丘珠空港)完成。
* [[1953年]](昭和28年) : 札幌~千歳間弾丸道路(現在の[[国道36号]])完成。
* [[1955年]](昭和30年) : [[藻岩山観光自動車道]]営業開始。
* [[1958年]](昭和33年) : 藻岩山ロープウェイ運転開始。
* [[1962年]](昭和37年) : [[スパイクタイヤ]]の使用始まる。
* [[1969年]](昭和44年) : [[国道230号]](定山渓~[[中山峠 (国道230号)|中山峠]])の新ルート全面開通。
* [[1971年]](昭和45年) : [[さっぽろ地下街]](オーロラタウン・ポールタウン)開業。[[国道231号]](創成川沿道路)完成。[[札幌新道]](宮の沢~北34東1)完成。札幌小樽道路(現在の[[札樽自動車道]])の札幌~小樽間開通([[暫定2車線]])。[[札幌市営地下鉄南北線]]([[北24条駅]] - [[真駒内駅]])開業。
* [[1974年]](昭和49年) : 札樽自動車道(札幌~小樽)4車線化。
* [[1975年]](昭和50年) : 札幌新道(北34条東1 - 東雁来町)完成。
* [[1976年]](昭和51年) : [[札幌市営地下鉄東西線]]([[琴似駅 (札幌市営地下鉄)|琴似駅]] - [[白石駅 (札幌市営地下鉄)|白石駅]])開業。
* [[1977年]](昭和52年) : 国道230号石山バイパス完成。
* [[1978年]](昭和53年) : 札幌市営地下鉄南北線(北24条駅 - [[麻生駅]])開業。[[定山渓大橋]]開通。
* [[1979年]](昭和54年) : [[道央自動車道]]([[札幌南インターチェンジ|札幌南IC]]~[[北広島インターチェンジ|北広島IC]])開通。
* [[1981年]](昭和56年) : 札幌新道国道区間(宮の沢 - 上野幌3条)全線開通。国道231号(札幌~留萌)全線開通。国道275号雁来バイパス完成。
* [[1982年]](昭和57年) : 札幌市営地下鉄東西線(白石駅 - [[新さっぽろ駅]])開業。
* [[1983年]](昭和58年) : 道央道([[札幌インターチェンジ|札幌IC]]~[[岩見沢インターチェンジ|岩見沢IC]])開通。
* [[1985年]](昭和60年) : 道央道(札幌IC~札幌南IC)開通。
* [[1986年]](昭和61年) : [[水穂大橋]]完成。
* [[1987年]](昭和62年) : スパイクタイヤ使用規制条例制定。
* [[1988年]](昭和63年) : [[札幌市営地下鉄東豊線]]([[栄町駅 (札幌市)|栄町駅]] - [[豊水すすきの駅]])開業。鉄道高架開通。[[北海道道112号札幌当別線]]([[札幌大橋]]~市道中野街道線間)開通。
* [[1990年]](平成2年) : [[羊ケ丘通]]全線開通。
* [[1991年]](平成3年) : [[ミュンヘン大橋]]開通。
* [[1992年]](平成4年) : [[札幌西インターチェンジ|札幌西IC]]~[[札幌ジャンクション|札幌JCT]]間が開通し、道央道と札樽道が接続。
* [[1993年]](平成5年) : 北1条通全線開通。
* [[1994年]](平成6年) : [[前田森林公園橋]]開通。札幌市営地下鉄東豊線(豊水すすきの駅 - [[福住駅]])開業。
* [[1998年]](平成10年) : 札幌駅北口広場完成。新川通全線開通。
* [[1999年]](平成11年) : 札幌市営地下鉄東西線(琴似駅 - [[宮の沢駅]])開業。札幌新道(上野幌3条 - 大曲通)開通。札沼線(学園都市線)高架開通。真駒内石山線(八剣山トンネル)開通。
* [[2001年]](平成13年) : [[環状通エルムトンネル]]開通。
* [[2004年]](平成16年) : [[平和大橋 (札幌市)|平和大橋]]開通。
* [[2009年]](平成21年) : 創成川通アンダーパス連続化完成(創成トンネル開通)。
* [[2011年]](平成23年) : [[札幌駅前通地下歩行空間]](チ・カ・ホ)開通<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.sapporo-chikamichi.jp/ |title=チ・カ・ホ 札幌駅前通地下広場 |publisher=札幌駅前通まちづくり |accessdate=2014-12-31}}</ref>。
* [[2015年]](平成27年) : 札幌新道市道区間(上野幌3条 - 厚別東通)全線開通<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.city.sapporo.jp/kensetsu/stn/news/documents/sindoukaitu1.pdf |title=「札幌新道」全面開通のお知らせ |format=PDF |publisher=札幌市 |date=2015-03-31 |accessdate=2015-09-15}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=http://www.pref.hokkaido.lg.jp/kn/ksk/ksgs/ninaitesuishinkyo/h27.1.shiryo10.pdf |title=札幌新道開通イベント(実施報告) |format=PDF |publisher=札幌市 |date=2015-06-10 |accessdate=2015-11-30}}</ref>。札幌市電がループ([[放射線・環状線|環状線]])化<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.city.sapporo.jp/st/shiden/shiden_loop.html |title=市電のループ化開業に関するお知らせ |publisher=札幌市 |accessdate=2015-12-27}}</ref><ref>{{Cite news |url=http://sapporo.keizai.biz/headline/2391/ |title=札幌の市電がつながり環状運転開始 全長9キロメートル |date=2015-12-21 |newspaper=札幌経済新聞 |publisher=ノースユナイテッド |accessdate=2015-12-27}}</ref>。
== 脚注 ==
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== 関連項目 ==
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* {{Prefix|札幌}}
* [[札幌市内の通り]]
== 外部リンク ==
* [http://ekibus.city.sapporo.jp/ さっぽろえきバスnavi | 札幌周辺公共交通案内]
* [http://www.hokkaido-bus-kyokai.jp/ 北海道バス協会]
* [http://hokuhakyo.or.jp/ 北海道ハイヤー協会]
* [http://www.okadama-airport.co.jp/ 札幌丘珠空港]
* [http://www.new-chitose-airport.jp/ja/ 新千歳空港ターミナルビル]
* [http://www.driveplaza.com/ ドラぷら | 全国高速料金・ルート検索、渋滞、サービスエリア情報]
* [http://northern-road.jp/navi/ 北海道道路情報総合案内サイト「北の道ナビ」]
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[[Category:札幌市の交通|*]]
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アメリカ国立生物工学情報センター
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アメリカ国立生物工学情報センター(あめりかこくりつ せいぶつこうがくじょうほうセンター、英: National Center for Biotechnology Information、NCBI)は、アメリカ合衆国の国立衛生研究所 (NIH) の下の国立医学図書館 (National Library of Medicine; NLM) の一部門として 1988年11月4日に設立された機関。本部はワシントンD.C.近郊のメリーランド州ベセスダ。
NCBIは、バイオテクノロジーや分子生物学に関連する一連のデータベースの構築及び運営、そして研究に用いられるソフトウェアの開発を行っており、バイオインフォマティクスにおける重要なリソースとなっている。主要なデータベースには、DNA配列データベースであるGenBankや、生物医学文献の書誌データベースであるPubMed、一塩基多型 (SNP) のデータベースである dbSNP、ESTのデータベースである dbEST、文献データベース MEDLINE、そしてNCBI Epigenomicsなどが含まれる。また、各研究者が発表したゲノムデータの再アノテーションをNCBIで独自に行っており、その結果をRefseqとして公開している。これらのデータベースはすべて、Entrez検索エンジンを通じてオンラインで利用でき、公開されているデータは基本的に無償で利用できる。また、BLASTによる相同性検索サービスの提供も行っている。
NCBIは、BLAST配列アラインメントプログラムの作者の一人でもあるデヴィッド・リップマン(David Lipman)によって率いられていた。彼はまた、Stephen Altschul (別のBLAST共著者)、David Landsman、Eugene Koonin、John Wilbur、Teresa Przytycka、およびZhiyong Luが率いるグループを含む、学内研究プログラムも率いていた。リップマンは2017年5月にポストから身を引いた。
NCBIは1992年以来、GenBank DNA配列データベースを管理運営している。GenBankは、欧州分子生物学研究所 EMBL)や日本DNAデータバンク (DDBJ)のデータベース、そして一部の個々のラボと連携している。
1992年以来、NCBIはGenBankに加えて、他のデータベースも提供しており、Gene、Online Mendelian Inheritance in Man、分子モデリングデータベース(the Molecular Modeling Database)(3Dタンパク質構造)、dbSNP(一塩基多型のデータベース)、リファレンス配列コレクション(the Reference Sequence Collection)、ヒトゲノムマップ、分類ブラウザー、アメリカ国立癌研究所による癌ゲノム解剖プロジェクト( the Cancer Genome Anatomy Project)、などを提供している。NCBIでは、生物の各系統に一意の識別子(分類ID番号)を割り当てている。
NCBIには、WWWやFTPで使用できるソフトウェアツールがある。たとえば、配列類似性検索プログラムであるBLASTは、GenBank DNAデータベースに対する配列比較を15秒未満で行うことができる。
NCBI Bookshelfは、生物医学の書籍に自由にオンライン上からアクセスとダウンロードができる書籍コレクションである。書籍コレクションには、分子生物学、生化学、細胞生物学、遺伝学、微生物学、分子および細胞の視点から見た病状、研究方法、ウイルス学、などの幅広いトピックをカバーしている。一部の書籍については、以前に発行された書籍のオンライン版を収納しているが、Coffee Breakなどの他の書籍はNCBIスタッフが作成および編集している。書籍コレクションは、ピアレビューされた出版論文の要旨をコレクションしているEntrez PubMedリポジトリを補完するものであり、進化する研究分野に関する確立された展望と、報告された研究のさまざまな個々の部分を整理できるコンテキストを提供している。
BLASTは、DNAの塩基配列やタンパク質のアミノ酸配列について、配列間の類似性を計算するために使用されるアルゴリズムである。同じ生物内または異なる生物内のクエリシーケンスに類似したシーケンスを見つける際に、BLASTは強力なツールである。NCBIではブラウザー上で実行できるBLASTサービスを展開しており、サーバー上でNCBIデータベースからクエリシーケンスを検索することで、任意のフォーマットで検索結果を取得することができる。BLASTへの入力シーケンスは、ほとんどがFASTAまたはGenbank形式であるが、出力はHTML(デフォルト)、XML、プレーンテキストなどのさまざまな形式で配信できる。NCBI BLASTの結果は、検出されたすべてのヒット、スコアリング関連データを持つヒットのシーケンスIDのテーブル、対象のシーケンスのアラインメント、およびこれらの類似のBLASTスコアで受信したヒットとともにグラフ形式で表示される。
Entrez Global Query Cross-Database Search Systemは、塩基配列、タンパク質アミノ酸配列、タンパク質の構造、PubMed、分類法、完全ゲノム、OMIM、といった主要なNCBI上のデータベース対して使用される、データインデックスの作成・検索システムである。1991年にEntrezの最初のバージョンが配布された。これは、PDBおよびGenBankのヌクレオチド配列、SWISS-PROTのタンパク質配列、翻訳されたGenBank、PIR、PRF、PDB、および関連する抄録とPubMedの引用から構成されている。Entrezは、異なるソースやデータベース、フォーマットに由来するデータを、統一的・効率的に取得できるように設計された情報モデルと検索システムを備えている。
Geneデータベースは、遺伝子に関する情報を特徴付けて整理するために、NCBIで実装されている。配列情報、タンパク質機能、構造、ゲノム上の位置、発現、および配列類似性に関する情報を蒐集している。一意のGeneIDが各遺伝子レコードに割り当てられており、改訂の経歴をたどることができる。既知または予測された遺伝子のレコードがここで確立され、マップ位置やヌクレオチド配列によって画定されている。Geneには、NCBIの他のデータベースとの統合の改善、分類範囲の拡大、Entrezシステムによって提供されるクエリと検索の拡張オプションなど、前身のLocusLinkに比べていくつかの利点がある。
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アメリカ国立生物工学情報センターは、アメリカ合衆国の国立衛生研究所 (NIH) の下の国立医学図書館 の一部門として 1988年11月4日に設立された機関。本部はワシントンD.C.近郊のメリーランド州ベセスダ。
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'''アメリカ国立生物工学情報センター'''(あめりかこくりつ せいぶつこうがくじょうほうセンター、{{Lang-en-short|National Center for Biotechnology Information}}、'''NCBI''')は、[[アメリカ合衆国]]の[[アメリカ国立衛生研究所|国立衛生研究所]] (NIH) の下の[[アメリカ国立医学図書館|国立医学図書館]] (National Library of Medicine; NLM) の一部門として [[1988年]][[11月4日]]に設立された[[機関 (法)|機関]]。本部は[[ワシントンD.C.]]近郊の[[メリーランド州]][[ベセスダ (メリーランド州)|ベセスダ]]。
== 概要 ==
NCBIは、[[生物工学|バイオテクノロジー]]や[[分子生物学]]に関連する一連のデータベースの構築及び運営、そして研究に用いられる[[ソフトウェア]]の開発を行っており、バイオインフォマティクスにおける重要なリソースとなっている。主要なデータベースには、DNA[[配列データベース]]である[[GenBank]]や、生物医学文献の書誌データベースである[[PubMed]]、[[一塩基多型]] (SNP) のデータベースである dbSNP、[[発現配列タグ|EST]]のデータベースである dbEST、文献データベース [[MEDLINE]]、そして[[NCBIエピゲノミクス|NCBI Epigenomics]]などが含まれる。また、各研究者が発表したゲノムデータの再アノテーションをNCBIで独自に行っており、その結果を[[Refseq]]として公開している。これらのデータベースはすべて、[[Entrez]]検索エンジンを通じてオンラインで利用でき、公開されているデータは基本的に無償で利用できる。また、[[BLAST]]による[[相同|相同性]]検索サービスの提供も行っている。
NCBIは、[[BLAST]]配列アラインメントプログラムの作者の一人でもあるデヴィッド・リップマン([[:en:David_Lipman|David Lipman]])によって率いられていた<ref name="LipmanDirNCBI.NYT">{{Cite news|newspaper=[[The New York Times]]|title=Research Institute Posts Gene Data on Internet|url=https://www.nytimes.com/library/cyber/week/062697gene.html|date=June 26, 1997}}</ref><ref name="SciWatch">{{Cite web|url=https://web.archive.org/web/20071007132448/http://www.sciencewatch.com/july-aug2000/sw_july-aug2000_page3.htm|title=Sense from Sequences: Stephen F. Altschul on Bettering BLAST|year=2000|accessdate=2019-07-16}}</ref>。彼はまた、Stephen Altschul (別の[[BLAST]]共著者)、David Landsman、Eugene Koonin、John Wilbur、Teresa Przytycka、およびZhiyong Luが率いるグループを含む、学内研究プログラムも率いていた。リップマンは2017年5月にポストから身を引いた<ref>{{Cite web|url=https://www.nlm.nih.gov/news/nlm_announces_departure_of_ncbi_director_david_lipman.html|title=National Library of Medicine Announces Departure of NCBI Director Dr. David Lipman|website=www.nlm.nih.gov|accessdate=2017-05-06}}</ref>。
== GenBank ==
NCBIは1992年以来、GenBank [[デオキシリボ核酸|DNA]][[生物学データベース|配列データベース]]を管理運営している<ref name="auto">{{Cite web|url=https://www.ncbi.nlm.nih.gov/books/NBK21105/|title=GenBank: The Nucleotide Sequence Database|first=Ilene|author=Mizrachi|date=22 August 2007|publisher=National Center for Biotechnology Information (US)|accessdate=2017-05-14}}</ref>。GenBankは、[[欧州分子生物学研究所]] EMBL)や[[DDBJ|日本DNAデータバンク]] (DDBJ)のデータベース、そして一部の個々のラボと連携している<ref name="auto" />。
1992年以来、NCBIはGenBankに加えて、他のデータベースも提供しており、[[遺伝子(データベース)|Gene]]、[[:en:Online_Mendelian_Inheritance_in_Man|Online Mendelian Inheritance in Man]]、分子モデリングデータベース(the Molecular Modeling Database)(3Dタンパク質構造)、[[dbSNP]]([[一塩基多型]]のデータベース)、リファレンス配列コレクション(the Reference Sequence Collection)、[[ヒトゲノム]]マップ、[[分類学|分類]]ブラウザー、アメリカ国立癌研究所による癌ゲノム解剖プロジェクト( the Cancer Genome Anatomy Project)、などを提供している。NCBIでは、生物の各系統に一意の識別子(分類ID番号)を割り当てている<ref>{{Cite web|url=https://www.ncbi.nlm.nih.gov/taxonomy|title=Home - Taxonomy - NCBI|website=www.ncbi.nlm.nih.gov|accessdate=2017-10-28}}</ref>。
NCBIには、[[World Wide Web|WWW]]やFTPで使用できるソフトウェアツールがある。たとえば、配列類似性検索プログラムである[[BLAST]]は、GenBank DNAデータベースに対する配列比較を15秒未満で行うことができる。
== NCBI Bookshelf ==
NCBI Bookshelfは、生物医学の書籍に自由にオンライン上からアクセスとダウンロードができる書籍コレクションである<ref>{{Cite web|author=USA|url=https://www.ncbi.nlm.nih.gov/books|title=Home - Books - NCBI|publisher=Ncbi.nlm.nih.gov|date=2019-05-06|accessdate=2019-06-12}}</ref>。書籍コレクションには、[[分子生物学]]、[[生化学]]、[[細胞生物学]]、[[遺伝学]]、[[微生物学]]、分子および細胞の視点から見た病状、研究方法、[[ウイルス学]]、などの幅広いトピックをカバーしている。一部の書籍については、以前に発行された書籍のオンライン版を収納しているが、[[コーヒーブレイク(本)|Coffee Break]]などの他の書籍はNCBIスタッフが作成および編集している。書籍コレクションは、ピアレビューされた出版論文の要旨をコレクションしている[[PubMed|Entrez PubMed]]リポジトリを補完するものであり、進化する研究分野に関する確立された展望と、報告された研究のさまざまな個々の部分を整理できるコンテキストを提供している{{要出典|date=January 2013}}。
== ローカルアライメント検索ツール(BLAST) ==
[[BLAST]]は、[[デオキシリボ核酸|DNA]]の塩基配列やタンパク質のアミノ酸配列について、配列間の類似性を計算するために使用されるアルゴリズムである<ref>{{Cite journal|last=Altschul Stephen|last2=Gish Warren|last3=Miller Webb|last4=Myers Eugene|last5=Lipman David|year=1990|title=Basic local alignment search tool|url=|journal=Journal of Molecular Biology|volume=215|issue=3|pages=403–410|DOI=10.1016/s0022-2836(05)80360-2|PMID=2231712}}</ref>。同じ生物内または異なる生物内のクエリシーケンスに類似したシーケンスを見つける際に、BLASTは強力なツールである。NCBIではブラウザー上で実行できるBLASTサービスを展開しており、サーバー上でNCBIデータベースからクエリシーケンスを検索することで、任意のフォーマットで検索結果を取得することができる。BLASTへの入力シーケンスは、ほとんどがFASTAまたはGenbank形式であるが、出力はHTML(デフォルト)、XML、プレーンテキストなどのさまざまな形式で配信できる。NCBI BLASTの結果は、検出されたすべてのヒット、スコアリング関連データを持つヒットのシーケンスIDのテーブル、対象のシーケンスのアラインメント、およびこれらの類似のBLASTスコアで受信したヒットとともにグラフ形式で表示される<ref>Madden T. (2002). The NCBI handbook, 2nd edition, Chapter 16, The BLAST Sequence Analysis Tool</ref>。
== Entrez ==
[[Entrez]] Global Query Cross-Database Search Systemは、塩基配列、タンパク質アミノ酸配列、タンパク質の構造、PubMed、分類法、完全ゲノム、[[OMIM]]、といった主要なNCBI上のデータベース対して使用される、データインデックスの作成・検索システムである<ref>NCBI Resource Coordinators (2012). "Database resources of the National Center for Biotechnology Information". Nucleic Acids Research 41 (Database issue): D8–D20.</ref>。1991年にEntrezの最初のバージョンが配布された。これは、[[蛋白質構造データバンク|PDB]]および[[GenBank]]のヌクレオチド配列、SWISS-PROTのタンパク質配列、翻訳されたGenBank、PIR、PRF、PDB、および関連する抄録とPubMedの引用から構成されている。Entrezは、異なるソースやデータベース、フォーマットに由来するデータを、統一的・効率的に取得できるように設計された情報モデルと検索システムを備えている<ref>Ostell J. (2002). The NCBI handbook, 2nd edition, Chapter 15, The Entrez Search and Retrieval System</ref>。
== Gene ==
Geneデータベースは、遺伝子に関する情報を特徴付けて整理するために、NCBIで実装されている。配列情報、タンパク質機能、構造、ゲノム上の位置、発現、および配列類似性に関する情報を蒐集している。一意のGeneIDが各遺伝子レコードに割り当てられており、改訂の経歴をたどることができる。既知または予測された[[遺伝子]]のレコードがここで確立され、マップ位置やヌクレオチド配列によって画定されている。Geneには、NCBIの他のデータベースとの統合の改善、分類範囲の拡大、Entrezシステムによって提供されるクエリと検索の拡張オプションなど、前身のLocusLinkに比べていくつかの利点がある<ref>Maglott D. Pruitt K. & Tatusova T. (2005). The NCBI handbook, 2nd edition, Chapter 19, Gene: A Directory of Genes</ref>。
== Protein ==
Proteinデータベースは、NCBIリファレンスシーケンス(RefSeq)プロジェクト、GenBank、PDB、UniProtKB / SWISS-Protなどのさまざまなリソースから派生した個々のタンパク質シーケンスのテキストレコードを維持している。タンパク質レコードは、FASTAや[[Extensible Markup Language|XML]]を含むさまざまな形式で存在し、他のNCBIリソースにリンクされている。タンパク質は、遺伝子、DNA / RNA配列、生物学的経路、発現と変動のデータ、文献などのデータと関連付けられているほか、BLASTで計算された各配列と類似なタンパク質に関する情報も提供します。NCBIの構造データベースには、NCBIによってインポートされた、PDBで実験的に決定された構造の3D座標セットが含まれている。タンパク質の保存ドメインに関するデータベース([[保存されたドメインデータベース|CDD]])には、タンパク質配列内の高度に保存されたドメインを特徴付けるシーケンスプロファイルが含まれている。また、SMARTや[[プファム|Pfam]]などの外部リソースからのレコードもある。BLASTに基づく配列間最大アラインメント情報を利用して作成されたタンパク質配列クラスター化をデータベース化した、Protein Clustersデータベースも存在する<ref>Sayers E. (2013). The NCBI handbook, 2nd edition, NCBI Protein Resources</ref>。
== Pubchem ==
NCBIの[[PubChem]]データベースは、分子と生物学的アッセイに関する情報を纏めたデータベースである。PubChemは、[[Entrez]]情報検索システムによってアクセスと検索ができる<ref>Wang Y. & Bryant S H. (2014). The NCBI handbook, 2nd edition, NCBI PubChem BioAssay Database</ref>。
== 画像 ==
<gallery>
Lister Hill Center at the NIH campus, October 9, 2008.jpg|NCBIが入居しているリスターヒル・センター(Lister Hill Center)。
United States National Library of Medicine 1999.jpg|奥の建物がNCBIが入居しているリスターヒル・センター。手前の低い建物は[[アメリカ国立医学図書館|米国立医学図書館]] (NLM)
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== 脚注 ==
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== 関連項目 ==
* [[欧州バイオインフォマティクス研究所]]
* [[日本DNAデータバンク]]
== 外部リンク ==
* {{Official website|https://www.ncbi.nlm.nih.gov/}}
* [https://www.nlm.nih.gov/ 国立医学図書館]
* [https://www.nih.gov/ 国立衛生研究所]
{{Normdaten}}
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[[Category:米国立生物工学情報センター|*]]
[[Category:アメリカ合衆国の行政]]
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クラーク像
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クラーク像(クラークぞう)は、ウィリアム・スミス・クラークの像である。北海道大学構内の「ウィリアム.S.クラーク胸像」、さっぽろ羊ヶ丘展望台の「丘の上のクラーク」の2つが著名。本記事では、それ以外の像についても記述する。
正式名称は「ウィリアム.S.クラーク胸像」、「W.S.クラーク胸像」とも略される。北海道大学構内、中央ローン北西角(古河記念講堂前)に設置されている。
初代の像は田嶼碩朗の制作で1926年(大正15年)5月14日に建立されたが、太平洋戦争中の1943年(昭和18年)6月に、金属類回収令によって供出された。
現存するのは二代目の像である。田嶼が1946年(昭和21年)に死去した後、田嶼が制作した石膏原型(2016年現在、札幌独立キリスト教会に保存されている)を使用し、加藤顕清の監修で再鋳造して、1948年(昭和23年)10月に建立したもの。
二代目像は、背面に田嶼の名が刻されているにもかかわらず、加藤が「制作」した像であると長年にわたって誤伝されてきた。
札幌芸術の森美術館・副館長の吉崎元章は、現存する石膏原型を田嶼が作る過程で撮影された「粘土状態のクラーク像」の写真を検討し、現存する二代目像と形状が同じであることから、二代目像の制作者は田嶼のみをクレジットするのが妥当であると述べている。
正式名称は「丘の上のクラーク」。北海道札幌市豊平区羊ヶ丘のさっぽろ羊ヶ丘展望台(1959年)に所在。
設置以前は単にクラーク像と言えば大正時代から存在する上述の胸像が有名であり観光客も多く訪れていたが、大学構内にある胸像であり学生の学業に支障を来たしたことから大学側が北海道大学構内への観光目的での車両の入構を禁止したことを契機とし、またクラーク来道(北海道大学創基)100周年、アメリカ合衆国建国200周年に合わせて1976年に坂坦道が作成した。右手を挙げるポーズは「遙か彼方にある永遠の真理」を指しており、「(そこに向かい)大志を抱け (Boys, Be Ambitious)」の思いが込められている。
設置後初となる修復と再塗装が行われ、2023年(令和5年)4月16日に除幕式が行われる。
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クラーク像(クラークぞう)は、ウィリアム・スミス・クラークの像である。北海道大学構内の「ウィリアム.S.クラーク胸像」、さっぽろ羊ヶ丘展望台の「丘の上のクラーク」の2つが著名。本記事では、それ以外の像についても記述する。
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'''クラーク像'''(クラークぞう)は、[[ウィリアム・スミス・クラーク]]の[[像]]である。[[北海道大学]]構内の「ウィリアム.S.クラーク胸像」、[[さっぽろ羊ヶ丘展望台]]の「丘の上のクラーク」の2つが著名。本記事では、それ以外の像についても記述する。
== 現存像 ==
=== ウィリアム.S.クラーク胸像 ===
[[ファイル:WSClarkStatueHokkaido.jpg|thumb|200px|北海道大学(古河記念講堂前)のクラーク胸像]]
正式名称は「ウィリアム.S.クラーク胸像<ref>{{Cite web|url=http://www.city.sapporo.jp/kitaku/syoukai/rekishi/88sen/01_11.html|title=11.ウィリアム・S・クラーク像|accessdate=2016-10-14|date=2016-3-31|publisher=[[北区 (札幌市) |札幌市北区役所]]}}</ref>」、「W.S.クラーク胸像<ref>{{Cite web|url=http://www.artpark.or.jp/sansaku/artist/tajimasekirou/no1.html|title=W.S.クラーク胸像|publisher=[[札幌芸術の森美術館]]|accessdate=2016-10-14}}</ref>」とも略される。北海道大学構内、中央ローン北西角([[古河記念講堂]]前)に設置されている<ref>{{Cite web|url=https://www.hokudai.ac.jp/sub/inquiry/faq.html#q9|title=Q.クラーク博士について|publisher=[[北海道大学]]|accessdate=2016-10-14}}</ref><ref name=hokudai>{{Cite web | url = http://museum-sv.museum.hokudai.ac.jp/activity/ecocampus/ecoCampus2005.pdf |archiveurl=https://web.archive.org/web/20161014063111/http://museum-sv.museum.hokudai.ac.jp/activity/ecocampus/ecoCampus2005.pdf |archivedate=2016-10-14 |deadlinkdate= 2021-01-24 |title = 改訂版 北大エコキャンパス読本 -植物編 付・鳥類リスト- |publisher = [[北海道大学総合博物館]] |date = 2005 |accessdate = 2016-10-14 |format = PDF |page = 2 }}</ref>。
初代の像は[[田嶼碩朗]]の制作で1926年(大正15年)5月14日に建立されたが<ref name="hokudaisougou1">{{Cite web|url=http://www.museum.hokudai.ac.jp/wp-content/uploads/2016/06/vnews20.pdf|title=ボランティア・ニュース No.20 2011.3|accessdate=2016-10-13|date=2011-3|format=PDF|publisher=[[北海道大学総合博物館]]|page=2}}</ref>、[[太平洋戦争]]中の1943年(昭和18年)6月に<ref name="hokudaitosho1">{{Cite web|url=https://www.lib.hokudai.ac.jp/collections/clark/related-bibliography/#16|title=W. S. クラーク博士関係文献目録 北大時報 No.383 昭和61(1986)2月|publisher=[[北海道大学附属図書館]]|date=1986-2|accessdate=2016-10-13}}</ref>、[[金属類回収令]]によって供出された<ref name="hokudaitosho1"/>。
現存するのは二代目の像である。田嶼が1946年(昭和21年)に死去した後、[[田嶼碩朗|田嶼]]が制作した石膏原型(2016年現在、[[札幌独立キリスト教会]]に保存されている)を使用し<ref>『札幌の彫刻』279頁</ref><ref name=":0">『彫刻家 田嶼碩朗』291-292頁</ref><ref name="tokachi20160309">{{Cite news|title=北大クラーク像は亡父の作品 末娘が真相究明し著書に 帯広|newspaper=[[十勝毎日新聞]]|date=2016-3-9|url=http://www.tokachi.co.jp/news/201603/20160309-0023179.php|publisher=|archiveurl=https://web.archive.org/web/20161013144544/http://www.tokachi.co.jp/news/201603/20160309-0023179.php|archivedate=2016-10-13}}</ref>、[[加藤顕清]]の監修で再鋳造して<ref name=":0" /><ref name="tokachi20160309" />、1948年(昭和23年)10月に建立したもの<ref name="hokudaisougou1" />。
二代目像は、背面に田嶼の名が刻されている<ref>『彫刻家 田嶼碩朗』55頁</ref><ref group="注釈">"I IX II V BY SEKIRO TAJIMA" という文字が彫られている。"I IX II V" は[[ローマ数字]]で制作年の「1925」を表したものと考えられるが、ローマ数字ではそのような[[位取り記数法]]を用いず、正しくは MCMXXV とすべきところである。</ref>にもかかわらず、加藤が「制作」した像であると長年にわたって誤伝されてきた<ref name=mainichi20160123>{{Cite news|url=http://mainichi.jp/articles/20160123/ddl/k01/040/091000c|title=『彫刻家 田嶼碩朗』 /北海道|newspaper=[[毎日新聞|毎日新聞地方版]]|date=2016-1-23}}</ref><ref group="注釈">『札幌の碑』93頁、[https://adeac.jp/sapporo-lib/viewer/direct/s825/?pagecode=17 『新札幌市史 第8巻2』323頁]などに「加藤顕清(の)制作」と記されている。</ref>。
[[札幌芸術の森美術館]]・副館長の吉崎元章は、現存する石膏原型を田嶼が作る過程で撮影された「粘土状態のクラーク像」の写真を検討し、現存する二代目像と形状が同じであることから、二代目像の制作者は[[田嶼碩朗|田嶼]]のみをクレジットするのが妥当であると述べている<ref>『彫刻家 田嶼碩朗』304-306頁</ref><ref name="tokachi20160309" />。
=== 丘の上のクラーク ===
[[ファイル:クラーク先生.jpg|thumb|200px|さっぽろ羊ヶ丘展望台の全身像「丘の上のクラーク」]]
正式名称は「丘の上のクラーク」<ref name=sansaku>{{Cite web|url=http://www.artpark.or.jp/sansaku/gallery/sculpture/frontier/no6.html|title=丘の上のクラーク|publisher=[[札幌芸術の森美術館]]|accessdate=2016-10-14}}</ref>。北海道[[札幌市]][[豊平区]][[羊ヶ丘]]の[[さっぽろ羊ヶ丘展望台]](1959年<ref>{{Cite web | url = https://www.keioplaza-sapporo.co.jp/facilities/sightseeing/ |archiveurl=https://web.archive.org/web/20181123152158/https://www.keioplaza-sapporo.co.jp/facilities/sightseeing/ |archivedate=2018-11-23 |deadlinkdate= 2021-01-24 |title = HOTEL GUIDE 観光案内 |website = [[京王プラザホテル]]札幌 | accessdate = 2016-10-14}}中段「さっぽろ羊が丘展望台」の項。</ref>)に所在。
設置以前は単にクラーク像と言えば大正時代から存在する[[#ウィリアム.S.クラーク胸像|上述の胸像]]が有名であり観光客も多く訪れていたが、大学構内にある胸像であり学生の学業に支障を来たしたことから大学側が北海道大学構内への観光目的での車両の入構を禁止したことを契機とし、またクラーク来道(北海道大学創基)100周年、アメリカ合衆国建国200周年に合わせて1976年に[[坂坦道]]が作成した{{R|sansaku}}<ref name=tenboudai>{{Cite web | url = http://www.hitsujigaoka.jp/amusements/clark.html |archiveurl=https://web.archive.org/web/20170508004827/http://www.hitsujigaoka.jp:80/amusements/clark.html |archivedate=2017-05-08 |deadlinkdate= 2021-01-24 |title = クラーク博士像 |website = [[さっぽろ羊ヶ丘展望台]] | accessdate = 2016-10-14}}</ref>。右手を挙げるポーズは「遙か彼方にある永遠の真理」を指しており、「(そこに向かい)大志を抱け (Boys, Be Ambitious)」の思いが込められている{{R|tenboudai}}。
設置後初となる修復と再塗装が行われ、[[2023年]](令和5年)[[4月16日]]に除幕式が行われる<ref>{{Cite web|url=https://www.hokkaido-np.co.jp/article/832407/|title=Jクラーク像 初のお色直し 札幌・羊ケ丘展望台 名言記念日の16日除幕|accessdate=2023年4月14日|publisher=北海道新聞}}</ref>。
=== その他のクラーク像 ===
; 北海道大学構内
* 大学本部の大会議室に設置される胸像{{R|trabel}}。石膏製。
* クラーク会館2階のロビーに設置される胸像<ref name=trabel>{{Cite web|url=http://guide.travel.co.jp/article/7558/|title=”クラーク像”が何体も!実は聖地?「北海道大学」を巡って大志を抱け!|publisher=トラベルjp|date=2016-10-13|accessdate=2016-10-14}}{{信頼性要検証|date=2016年10月}}</ref>。
* 保健管理センターに設置される胸像{{R|trabel}}。
* 附属図書館北方資料室で保管される胸像{{R|trabel}}。
* [[北海道大学植物園]]内の[[宮部金吾記念館]]にある胸像<ref>{{Cite web | url = https://www.hokudai.ac.jp/fsc/bg/07303miyabe.html |archiveurl=https://web.archive.org/web/20161014063415/https://www.hokudai.ac.jp/fsc/bg/07303miyabe.html |archivedate=2016-10-14 |deadlinkdate= 2021-01-24 |title = 宮部金吾記念館 |website = [[北海道大学]] | accessdate = 2016-10-14}}</ref>。
; その他
* [[札幌独立キリスト教会]]に2013年に設置された胸像。ブロンズ像。北大構内の「ウィリアム.S.クラーク胸像」の石膏原型(田嶼碩朗が制作。2016年現在も同教会に保存されている)を用いて鋳造したもの。<ref name="tokachi20160309" />
* 北海道大学が[[マサチューセッツ大学]]に寄贈した胸像。
* 横顔が彫られた[[レリーフ]]が取り付けられている、高さ6メートルの[[北海道]][[北広島市]]にある[[旧島松駅逓所]]のクラーク記念碑<ref name=asahi20131209>{{Cite web | url = http://www.asahi.com/area/hokkaido/articles/MTW20131209011000001.html |archiveurl=https://web.archive.org/web/20161014062022/http://www.asahi.com/area/hokkaido/articles/MTW20131209011000001.html |archivedate=2016-10-14 |deadlinkdate= 2021-01-24 |title = 島松駅 |publisher = [[朝日新聞]] |website = 朝日新聞デジタル |date = 2013-12-03 }}</ref><ref name=kitahiro>{{Cite web|url=http://www.cs.city.kitahiroshima.hokkaido.jp/sightseeing/view/401_4/|title=クラーク博士記念碑|publisher=北広島市役所|accessdate=2016-10-14|deadlinkdate=2021-01-24}}</ref>。1950年(昭和25年)建立{{R|asahi20131209}}。
*[[札幌市時計台]]2階に設置されている像。2017年建立<ref>{{Cite web |title=札幌市時計台:クラーク像設置 新たな呼び物に /北海道 |url=https://mainichi.jp/articles/20171017/ddl/k01/040/019000c |website=毎日新聞 |accessdate=2022-04-12 |language=ja |date=2017-10-17}}</ref>。
== 脚注 ==
=== 注釈 ===
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=== 出典 ===
{{Reflist|2}}
== 参考文献 ==
* 札幌市教育委員会 編『札幌の彫刻』[[さっぽろ文庫]]21、札幌市、1982年6月。
* 札幌市教育委員会 編『札幌の碑』[[さっぽろ文庫]]45、札幌市、1988年6月。
* {{Cite book|和書|author=青木由直|authorlink=青木由直|date=2009-6|title=札幌の秘境|publisher=[[北海道新聞社|北海道新聞社出版局]]|isbn=978-4894535077|page=54}}
*山崎貞子『彫刻家 田嶼碩朗』共同文化社、2016年1月、ISBN 978-4877392772。
== 関連項目 ==
*[[クラークコイン]]
== 外部リンク ==
*[http://www.hokudai.ac.jp/bureau/info-j/zotohi/zo/zo.html クラーク博士像(北海道大学)]
*[http://www.hokudai.ac.jp/fsc/bg/muse/2008/2008_miyabe.html 宮部金吾記念館(北海道大学)]
*[http://www.hitsujigaoka.jp/amusements/clark.html クラーク博士像(さっぽろ羊ヶ丘展望台)]
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[[Category:日本の銅像]]
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[[Category:ウィリアム・スミス・クラーク]]
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札幌国際プラザ
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公益財団法人札幌国際プラザ(こうえきざいだんほうじんさっぽろこくさいプラザ)は、札幌市で開催されるコンベンション事業の推進、国際交流の促進を目的とした団体。
公益財団法人札幌国際プラザは1991年(平成3年)7月31日に北海道運輸局と北海道の許可を受け、設立された公益法人である。 北海道知事の認定を受け、2011年(平成23年)4月1日に公益財団法人へ移行した。
国際都市札幌の実現を目ざし、札幌の有する歴史、文化、風土その他の地域特性を生かした多様な交流の振興を図るとともに、多文化共生を推進し、もって地域の発展と世界の平和に寄与することを目的とする。
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公益財団法人札幌国際プラザ(こうえきざいだんほうじんさっぽろこくさいプラザ)は、札幌市で開催されるコンベンション事業の推進、国際交流の促進を目的とした団体。
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'''公益財団法人札幌国際プラザ'''(こうえきざいだんほうじんさっぽろこくさいプラザ)は、[[札幌市]]で開催されるコンベンション事業の推進、国際交流の促進を目的とした団体。
== 目的と主要業務 ==
[[公益財団法人]]札幌国際プラザは[[1991年]]([[平成]]3年)7月31日に北海道[[運輸局]]と[[北海道]]の許可を受け、設立された[[公益法人]]である。
北海道知事の認定を受け、[[2011年]](平成23年)4月1日に公益財団法人へ移行した。
===目的===
国際都市札幌の実現を目ざし、札幌の有する[[歴史]]、[[文化_(代表的なトピック)|文化]]、[[風土]]その他の地域特性を生かした多様な交流の振興を図るとともに、[[多文化共生]]を推進し、もって地域の発展と世界の平和に寄与することを目的とする。
===主要業務===
# 多様な国際交流や国際協力の促進
# 異なる文化を理解し、共生する街づくりの推進
# 国際的な人材の育成
# 国際都市札幌の魅力の発信
# その他この法人の目的を達成するために必要な事業
== 沿革 ==
*[[1987年]]6月17日 [[任意団体]]札幌国際交流プラザ運営委員会設立
*1987年6月23日 中央区北1条西3丁目札幌MNビル3階に札幌国際交流プラザ開設
*[[1989年]]9月1日 国際情報コーナーをライラックパセオ([[北海道旅客鉄道|JR]][[札幌駅]]構内)に開設
*[[1990年]]1月23日 [[自治省]](現[[総務省]])より[[地域国際化協会]]として認定を受ける
*1990年7月27日 札幌天神山国際ハウスを[[札幌市]]より受託管理開始 (2008年3月31日閉館により事業終了)
*[[1991年]]7月31日 北海道[[運輸局]]、北海道より[[財団法人]]設立の許可を受け「財団法人札幌国際プラザ」設立
*[[1992年]]2月1日 札幌MNビル1階にプラザi開設
*1992年7月1日 プラザiが国際観光振興会(現[[国際観光振興機構]])の「i案内所」の指定を受ける
*[[1994年]]2月8日 [[ジェトロ]]との連携事業として「北海道輸入促進センター」を開設(2003年事業終了)
*[[1996年]]4月14日 世界貿易センター連合(WTCA)に加盟(2005年1月28日退会)
*1996年10月1日 世界貿易センター・サッポロ(WTCサッポロ)開設(2005年3月31日事業終了)
*[[2002年]]4月1日 国際情報コーナーを[[札幌ステラプレイス]]内に移転、「i案内所」の指定を受ける。
*[[2003年]]4月1日 さっぽろフィルムコミッション開設 (2010年3月31日事業終了)
*2003年6月1日 [[札幌コンベンションセンター]]開業に伴う管理業務受託開始(2006年3月31日受託終了)
*[[2005年]]4月1日 プラザiを札幌MNビル1階から3階に移転し、交流サロンと統合。国際情報コーナーをビジターズインフォに名称変更(2007年1月31日閉館)
*[[2011年]]4月1日 公益財団法人に移行
*[[2017年]]6月 開設30周年
*[[2021年]]7月 法人設立30周年
== 関連団体 ==
*札幌[[姉妹都市]]協会[http://plaza-sapporo.or.jp/citizen_j/sister_cities/sister_cities.html]
== 脚注 ==
<references />
== 外部リンク ==
*[https://www.plaza-sapporo.or.jp (公財)札幌国際プラザ]
*{{Facebook|sicpf}}
*{{Twitter|plaza_sapporo}}
*{{Instagram|sicpf}}
*{{YouTube|channel=UCQE3kduSIvGGKIVNZmc0_WQ|札幌国際プラザ}}
{{Normdaten}}
{{DEFAULTSORT:さつほろこくさいふらさ}}
[[Category:公益財団法人 (北海道知事認定)]]
[[Category:中央区 (札幌市)]]
[[Category:国際交流]]
[[Category:日本の観光]]
[[Category:1991年設立の組織]]
[[Category:1987年開業の施設]]
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田中耕一
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田中 耕一(たなか こういち、1959年〈昭和34年〉8月3日 - )は、日本の化学者、技術者。ソフトレーザーによる質量分析技術の開発によりノーベル化学賞受賞。株式会社島津製作所シニアフェロー、田中耕一記念質量分析研究所所長、田中最先端研究所所長。東京大学医科学研究所客員教授などにも就任している。東北大学名誉博士。文化功労者、文化勲章受章者、日本学士院会員。
学位は工学士(東北大学・1983年)であり、学士で唯一のノーベル化学賞受賞者。ノーベル賞を受賞して以降も、血液一滴で病気の早期発見ができる技術の実用化に向けて活躍中である。
1959年(昭和34年)に富山県富山市に生まれる。富山市立八人町小学校(現・富山市立芝園小学校)において、4 - 6年次の担任である澤柿教誠から将来の基礎を育む理科教育を受ける。富山市立芝園中学校、富山県立富山中部高等学校卒業。
東北大学工学部電気工学科に入学する。入学時に取り寄せた戸籍抄本で自身が養子であることを知り、そのショックも手伝って教養課程在籍時にいくつかの単位を取得できず1年間の留年生活を送った。しかし、前倒しで専門の勉強に励んだため、卒業する頃には学科で上位1割の成績になっていた。卒業研究の指導教官は安達三郎(現・東北大学名誉教授)で、電磁波やアンテナ工学を専攻した。大学時代のその他の活動については公にはあまり情報がないが、1年生から、東北大学生活協同組合学生組織委員会に所属して、組合員の組織活動、情報宣伝、文化レクリエーション活動などを行った(その当時の記録も残されている)。大学卒業後は大学院に進学せずソニーの入社試験を受けるも不合格。最初の面接失敗後に相談した安達の勧めで京都の島津製作所の入社試験を受け合格した。1983年3月東北大学卒業。
同1983年4月に島津製作所入社した後は技術研究本部中央研究所に配属され化学分野の技術研究に従事する。1985年(昭和60年)にタンパク質などの質量分析を行う「ソフトレーザー脱着法」を開発。この研究開発が後のノーベル化学賞受賞に繋がる。20回以上の見合いの後、1995年に富山の同じ高校出身の女性と見合い結婚する。英国クレイトスグループ、島津リサーチラボ出向を経て、2002年(平成14年)に島津製作所ライフサイエンス研究所主任。
2002年ノーベル化学賞受賞。受賞理由は「生体高分子の同定および構造解析のための手法の開発」。同年(平成14年)文化勲章受章、文化功労者となる。富山県名誉県民、京都市名誉市民、東北大学名誉博士などの称号も贈られた。受賞当時は島津製作所に勤める会社員であり、「現役サラリーマン初のノーベル賞受賞」として日本国内で大きな話題となった。その後、同社のフェロー、田中耕一記念質量分析研究所所長に就任。
ノーベル賞受賞後は多くの講演やインタビューに答え、著書も出版した。日本学士院会員や京都大学等の客員教授等にも就任。研究開発の経緯やエンジニアとしての持論を語り、多くの人々に影響を与えた。
2009年からFIRSTプログラム(最先端研究開発支援プログラム)プログラム「次世代質量分析システム開発と創薬・診断への貢献」に採択され、中心研究者として活躍。2013年の講演では「血液1滴から病気を早期発見できるようにするのが、私の実現可能な夢だ」と語っている。2011年には島津製作所の田中最先端研究所所長も兼任し、2013年には同社シニアフェローとなる。
タンパク質を質量分析にかける場合、タンパク質を気化させ、かつイオン化させる必要がある。しかし、タンパク質は気化しにくい物質であるため、イオン化の際は高エネルギーが必要である。しかし、高エネルギーを掛けるとタンパク質は気化ではなく分解してしまうため、特に高分子量のタンパク質をイオン化することは困難であった。
そこで、グリセロールとコバルトの混合物(マトリックス。(en) matrix)を熱エネルギー緩衝材として使用したところ、レーザーによりタンパク質を気化、検出することに世界で初めて成功した。なお「間違えて」グリセロールとコバルトを混ぜてしまい、「どうせ捨てるのも何だし」と実験したところ、見事に成功した。この「レーザーイオン化質量分析計用試料作成方法」は、1985年(昭和60年)に特許申請された。
現在、生命科学分野で広く利用されている「MALDI-TOF MS」は、田中らの発表とほぼ同時期にドイツ人化学者のフランツ・ヒレンカンプ (Franz Hillenkamp) とミヒャエル・カラス (Michael Karas) により発表された方法である。MALDI-TOF MS は、低分子化合物をマトリックスとして用いる点が田中らの方法と異なっており、より高感度にタンパク質を解析することができる。
上記の功績が評価され、田中の開発した方法を「ソフトレーザー脱離イオン化法」として、ノーベル化学賞を2002年に受賞する。貢献度は4分の1であった。
なお、ノーベル賞受賞決定にあたり、何故ヒレンカンプやカラスではないのかという疑問の声が上がり、田中自身も自分が受賞するのを信じられなかった原因に挙げている。経緯として、英語論文発表はヒレンカンプとカラスが早かったが、2人はそれ以前に田中が日本で行った学会発表を参考にしたと書いてあったため、田中の貢献が先と認められた。
体内では、侵入した抗原(タンパク質)と結合して抗体(免疫物質)が作られる。抗体はY字形をしており、2本の腕のうち1本で抗原と結合する。この構造を人工的に改変し、根本部分にポリエチレングリコールという弾力性を有する高分子化合物を挿入した。抗体の腕はこれをバネのようにして動き、2本同時に抗原と結合できるようにした。アルツハイマー病に関係する蛋白質の断片に対して実験したところ、通常の抗体より100倍以上強力に抗原をつかまえることができた。
その後、糖鎖の状態を簡単に分析できるようになり、ペプチドを選別することなくごく微量の混合物の状態から糖鎖の状態を調べられるようになる。1mLの血液からアルツハイマー病の原因となる蛋白質を検出することに成功。未知の関連物質を8種類見つけることにもつながった。この技術はアルツハイマー病や前立腺がん等、様々な病気の早期発見に貢献することが期待されている。
2002年にノーベル賞を受賞したが、当初の技術は医療に役立つには感度が十分ではなかった。2009年からFIRSTプログラム「次世代質量分析システム開発と創薬・診断への貢献」に採択され、5年間で約40億円の研究費を得て実用化に向けて大きく動き出した。約60人の体制で研究開発に取り組み、1年程で画期的な分析手法を開発、感度を最高1万倍にまで高めることに成功した。
2011年11月の取材では「病気の早期診断や、抗体を用いた薬開発に結びつく技術」と答え、成果を2011年11月11日には日本学士院発行の英文ジャーナルの電子版に発表。2012年8月23日には、田中が客員教授を務める東京大学医科学研究所教授の清木元治らと、米科学誌プロス・ワンに発表した。
2014年には血液からアルツハイマー病の原因物質を検出できる段階に達しており。2014年4月からは、新たな態勢で実用化を目指している。
会社で電話により受賞の報が伝えられたとき、「Nobel」「Congratulation」という単語を聞きながらも似たような海外の賞と思ったり、同僚による「ドッキリ」(ドッキリカメラの意)と思っていたりしていた。その後会社の隔離室に移動させられ、午後9時から報道陣が大挙して押し寄せた会見に臨むことになった。急な話だったので、背広の用意もヒゲを剃ることもできなかった。なお、普段から白髪を染めていたが、受賞発表の1週間程前に理髪店で染め直していた。
田中は鉄道好きで、電車(京福電鉄嵐山線(嵐電))の運転席を眺めながら通勤することを日課としていたが、その晩は家に帰れず、タクシーでホテルに向かった。受賞を実感したのは翌日の新聞で自分の顔を見てからと語っている。また、ノーベル賞受賞後の出張時には、島津製作所からの出張費の関係で乗車できなかった500系新幹線のグリーン車に乗れて嬉しいと記者団に答えた。
多くの講演やインタビューを受け、研究や技術者としてのあり方について自身の経験と持論を語った。内閣府の総合科学技術会議にも参加し、日本の科学政策に影響を与える存在にまでなっている。なお、ノーベル賞の授賞式の後は単独でマスメディアに出ることはほとんどなかったが、2010年(平成22年)10月6日に鈴木章・根岸英一のノーベル化学賞受賞が決まった際には勤務先で会見に応じ、発表の生中継を見ていたことを明かした上で、「受賞から8年経ち、次々と受賞者が出てきて、私自身、肩の荷を下ろすことができるのかと思う」と述べた。
ノーベル賞受賞時、田中耕一の七三分けの髪型に作業服という外見、一介のサラリーマンでお見合い結婚という経歴、穏やかで朴訥とした言動は非常に多くの日本人の共感を呼んだ。この年はNHK から紅白歌合戦に審査員として出演依頼されたが「私は芸能人でも博士でもありません。」と辞退した。
一介のサラリーマンがノーベル賞という世界最高権威を授賞したこともさることながら、職人気質で謙虚な人間性も好意的に受け止められた。温厚な人柄で「善人の代名詞」とまでマスメディアは持ち上げたが、連日連夜の記者の追いかけと、一人歩きする聖人のようなイメージに悩んだと打ち明けている。
高輝度青色発光ダイオードを発明した中村修二と日亜化学工業の訴訟については、田中耕一が引き合いに出されて、中村修二は貪欲であるという非難がなされたが、これについて田中耕一は、「自分の発明は会社の売り上げにあまり貢献しなかった」と状況が全く違うとして、中村を擁護する発言をした。なお、島津製作所からの特許報酬自体は1万円程度であったが、技術貢献に対する社内表彰はあり数十万円相当の報酬は受けた。
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田中 耕一は、日本の化学者、技術者。ソフトレーザーによる質量分析技術の開発によりノーベル化学賞受賞。株式会社島津製作所シニアフェロー、田中耕一記念質量分析研究所所長、田中最先端研究所所長。東京大学医科学研究所客員教授などにも就任している。東北大学名誉博士。文化功労者、文化勲章受章者、日本学士院会員。 学位は工学士(東北大学・1983年)であり、学士で唯一のノーベル化学賞受賞者。ノーベル賞を受賞して以降も、血液一滴で病気の早期発見ができる技術の実用化に向けて活躍中である。
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{{別人|田中紘一}}
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'''田中 耕一'''(たなか こういち、[[1959年]]〈[[昭和]]34年〉[[8月3日]] - )は、[[日本]]の[[化学者]]、[[技術者]]。ソフトレーザーによる[[質量分析]]技術の開発により[[ノーベル化学賞]]受賞。株式会社[[島津製作所]][[フェロー|シニアフェロー]]、田中耕一記念質量分析研究所所長、田中最先端研究所所長。[[東京大学医科学研究所]][[客員教授]]などにも就任している。[[東北大学]][[名誉博士]]。[[文化功労者]]、[[文化勲章]]受章者、[[日本学士院]]会員。
[[学位]]は[[学士(工学)|工学士]]([[東北大学]]・[[1983年]])であり、[[学士]]で唯一の[[ノーベル化学賞]]受賞者。ノーベル賞を受賞して以降も、血液一滴で病気の早期発見ができる技術の実用化に向けて活躍中である。
== 来歴・人物 ==
=== 幼少期 - 学生時代 ===
1959年(昭和34年)に[[富山県]][[富山市]]に生まれる。<!--[[学校法人]]本願寺学園徳風[[幼稚園]]、-->富山市立八人町小学校(現・[[富山市立芝園小学校]])において、4 - 6年次の担任である澤柿教誠から将来の基礎を育む理科教育を受ける{{Sfn|生涯最高の失敗|2003|p=24-25}}。[[富山市立芝園中学校]]、[[富山県立富山中部高等学校]]卒業。
[[東北大学]][[東北大学大学院工学研究科・工学部|工学部]]電気工学科に入学する。入学時に取り寄せた[[戸籍抄本]]で自身が[[養子]]であることを知り、そのショックも手伝って教養課程在籍時にいくつかの単位を取得できず1年間の留年生活を送った{{Sfn|生涯最高の失敗|2003|p=34-36}}。しかし、前倒しで専門の勉強に励んだため、卒業する頃には学科で上位1割の成績になっていた{{Sfn|生涯最高の失敗|2003|p=37-38}}。卒業研究の指導教官は安達三郎(現・東北大学名誉教授)で、[[電磁波]]や[[アンテナ]]工学を専攻した。大学時代のその他の活動については公にはあまり情報がないが、1年生から、東北[[大学生協|大学生活協同組合]]学生組織委員会に所属して、組合員の組織活動、情報宣伝、文化レクリエーション活動などを行った(その当時の記録も残されている)。大学卒業後は大学院に進学せず[[ソニー]]の入社試験を受けるも不合格。最初の[[面接]]失敗後に相談した安達の勧めで[[京都]]の[[島津製作所]]の入社試験を受け合格した。1983年3月東北大学卒業。
=== 島津製作所時代 ===
[[画像:Masatoshi Koshiba Junichiro Koizumi and Koichi Tanaka 20021011.jpg|200px|thumb|left|2002年10月11日、[[総理大臣官邸]]にて[[東京大学]]名誉教授[[小柴昌俊]](左)、[[内閣総理大臣]][[小泉純一郎]](中央)と]]
同1983年4月に島津製作所入社した後は技術研究本部中央研究所に配属され化学分野の技術研究に従事する。1985年(昭和60年)に[[タンパク質]]などの質量分析を行う「ソフトレーザー脱着法」を開発。この研究開発が後のノーベル化学賞受賞に繋がる。20回以上の[[見合い]]の後{{Sfn|生涯最高の失敗|2003|p=168}}、1995年に富山の同じ高校出身の女性{{Sfn|生涯最高の失敗|2003|p=211}}と見合い結婚する<ref>読売新聞2002年10月10日</ref><!--<ref>夫妻の間に子はいない。</ref>-->。[[イギリス|英国]]クレイトスグループ、島津リサーチラボ出向を経て、2002年(平成14年)に島津製作所ライフサイエンス研究所主任。
2002年<!--ノーベル賞は日本のものではないので和暦は不要 -->[[ノーベル化学賞]]受賞。受賞理由は「生体[[高分子]]の同定および構造解析のための手法の開発」。同年(平成14年)[[文化勲章]]受章、[[文化功労者]]となる。富山県[[名誉県民]]、京都市名誉市民、[[東北大学]][[名誉博士]]などの[[称号]]も贈られた。受賞当時は島津製作所に勤める[[会社員]]であり、「現役サラリーマン初のノーベル賞受賞」として日本国内で大きな話題となった。その後、同社のフェロー、田中耕一記念質量分析研究所所長に就任。
=== ノーベル賞受賞後の活躍 ===
[[ファイル:Koichi Tanaka 2003.jpg|サムネイル|『[[小泉内閣メールマガジン]]』寄稿に際して[[内閣官房]]により公表された肖像写真]]
ノーベル賞受賞後は多くの講演やインタビューに答え、著書も出版した。日本学士院会員や[[京都大学]]等の客員教授等にも就任。研究開発の経緯やエンジニアとしての持論を語り、多くの人々に影響を与えた。
2009年からFIRSTプログラム(最先端研究開発支援プログラム<ref>[https://www.jsps.go.jp/j-first/ 日本学術振興会「最先端研究開発支援プログラム」]</ref>)プログラム「次世代質量分析システム開発と創薬・診断への貢献」に採択され、中心研究者として活躍。2013年の講演では「血液1滴から病気を早期発見できるようにするのが、私の実現可能な夢だ」と語っている<ref name=chuunichi2013/>。2011年には島津製作所の田中最先端研究所所長も兼任し、2013年には同社シニアフェローとなる。
== レーザーイオン化質量分析技術 ==
=== 概要と経緯 ===
[[タンパク質]]を[[質量分析]]にかける場合、タンパク質を気化させ、かつ[[イオン化]]させる必要がある。しかし、タンパク質は気化しにくい物質であるため、イオン化の際は高エネルギーが必要である。しかし、高エネルギーを掛けるとタンパク質は気化ではなく分解してしまうため、特に高分子量のタンパク質をイオン化することは困難であった。
そこで、[[グリセリン|グリセロール]]と[[コバルト]]の混合物(マトリックス。[[:en:Matrix (mass spectrometry)|(en) matrix]])を熱エネルギー緩衝材として使用したところ、[[レーザー]]によりタンパク質を[[気化]]、検出することに世界で初めて成功した。なお「間違えて」グリセロールとコバルトを混ぜてしまい、「どうせ捨てるのも何だし」と実験したところ、見事に成功した{{Sfn|国立科学博物館||p=2}}。この「レーザーイオン化質量分析計用試料作成方法」は、1985年(昭和60年)に[[特許]]申請された。
現在、生命科学分野で広く利用されている「[[MALDI-TOF MS]]」は、田中らの発表とほぼ同時期に[[ドイツ]]人化学者のフランツ・ヒレンカンプ ([[w:Franz Hillenkamp|Franz Hillenkamp]]) とミヒャエル・カラス ([[w:Michael Karas|Michael Karas]]) により発表された方法である。MALDI-TOF MS は、低分子化合物をマトリックスとして用いる点が田中らの方法と異なっており、より高感度にタンパク質を解析することができる。
=== 評価とノーベル賞受賞 ===
上記の功績が評価され、田中の開発した方法を「ソフトレーザー脱離イオン化法」として、[[ノーベル化学賞]]を2002年に受賞する。貢献度は4分の1であった。
* [[ジョン・フェン|John B. Fenn]] (Prize share: 1/4)「for their development of soft desorption ionisation methods for mass spectrometric analyses of biological macromolecules」{{Sfn|Nobelprize.org|2002}}
*Koichi Tanaka (Prize share: 1/4)「for their development of soft desorption ionisation methods for mass spectrometric analyses of biological macromolecules」{{Sfn|Nobelprize.org|2002}}
* [[クルト・ヴュートリッヒ|Kurt Wüthrich]] (Prize share: 1/2)「for his development of nuclear magnetic resonance spectroscopy for determining the three-dimensional structure of biological macromolecules in solution」{{Sfn|Nobelprize.org|2002}}
なお、ノーベル賞受賞決定にあたり、何故ヒレンカンプやカラスではないのかという疑問の声が上がり、田中自身も自分が受賞するのを信じられなかった原因に挙げている{{Sfn|生涯最高の失敗|2003|p=61-62}}。経緯として、英語論文発表はヒレンカンプとカラスが早かったが、2人はそれ以前に田中が日本で行った学会発表を参考にしたと書いてあったため<ref>{{Cite report
|author = J. Handley, C. M. Harris
|title = GREAT IDEAS of a DECADE
|url = http://pubs.acs.org/doi/pdf/10.1021/ac012642q
|format = PDF
|accessdate = 2018-01-15
}}</ref>、田中の貢献が先と認められた{{Sfn|生涯最高の失敗|2003|p=62-65}}。
== 血液一滴で病気を早期発見する技術 ==
=== 原理や技術の概要 ===
体内では、侵入した抗原([[タンパク質]])と結合して[[抗体]](免疫物質)が作られる。抗体はY字形をしており、2本の腕のうち1本で抗原と結合する。この構造を人工的に改変し、根本部分に[[ポリエチレングリコール]]という弾力性を有する[[高分子化合物]]を挿入した。抗体の腕はこれをバネのようにして動き、2本同時に抗原と結合できるようにした。[[アルツハイマー病]]に関係する蛋白質の断片に対して実験したところ、通常の抗体より100倍以上強力に[[抗原]]をつかまえることができた<ref name=yomiuri2011>{{Cite news
|title = 血液一滴で病気診断…あの田中耕一さんらが成功
|date = 2011-11-09
|newspaper = 読売新聞
}}</ref>。
<!--蛋白質の表面に付着して機能を制御する鎖状の物質-->
その後、[[糖鎖]]の状態を簡単に分析できるようになり、[[ペプチド]]を選別することなくごく微量の混合物の状態から糖鎖の状態を調べられるようになる<ref name=jiji2012>{{Cite news
|url = http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120823-00000014-jij-soci
|title = がん早期診断に応用も=「糖鎖」簡単な分析法―ノーベル賞の田中さんら開発
|publisher = 時事通信
|date = 2012-08-23
|accessdate = 2014-06-29
}}</ref>。1mLの血液からアルツハイマー病の原因となる蛋白質を検出することに成功。未知の関連物質を8種類見つけることにもつながった{{Sfn|佐藤建仁|2014}}<ref name=chuunichi2013>{{Cite news
|author = 豊田直也
|url = http://iryou.chunichi.co.jp/article/detail/20130902132229674
|title = ノーベル賞・田中耕一さん 「病気早期発見 私の夢」
|date = 2013-08-31
|newspaper = 北陸中日新聞
|accessdate = 2014-06-29
}}</ref>。この技術はアルツハイマー病や[[前立腺癌|前立腺がん]]等、様々な病気の早期発見に貢献することが期待されている<ref name=jiji2012/>。
=== 研究開発の経過 ===
2002年にノーベル賞を受賞したが、当初の技術は医療に役立つには感度が十分ではなかった{{Sfn|佐藤建仁|2014}}。2009年からFIRSTプログラム「次世代質量分析システム開発と創薬・診断への貢献」{{Sfn|FIRSTプログラム紹介| }}に採択され、5年間で約40億円の研究費を得て実用化に向けて大きく動き出した。約60人の体制で研究開発に取り組み、1年程で画期的な分析手法を開発、感度を最高1万倍にまで高めることに成功した{{Sfn|佐藤建仁|2014}}。
2011年11月の取材では「病気の早期診断や、抗体を用いた薬開発に結びつく技術」と答え、成果を2011年11月11日には日本学士院発行の英文ジャーナルの電子版に発表<ref name=yomiuri2011/>。2012年8月23日には、田中が客員教授を務める[[東京大学医科学研究所]]教授の清木元治らと、米科学誌プロス・ワンに発表した<ref name=jiji2012/>。
2014年には血液から[[アルツハイマー病]]の原因物質を検出できる段階に達しており{{Sfn|佐藤建仁|2014}}<ref name=chuunichi2013/>。2014年4月からは、新たな態勢で実用化を目指している{{Sfn|佐藤建仁|2014}}。
== ノーベル賞受賞の影響 ==
=== 受賞に伴う騒動と余波 ===
会社で電話により受賞の報が伝えられたとき、「Nobel」「Congratulation」という単語を聞きながらも似たような海外の賞と思ったり、同僚による「ドッキリ」([[ドッキリ|ドッキリカメラ]]の意)と思っていたりしていた{{Sfn|生涯最高の失敗|2003|p=13}}。その後会社の隔離室に移動させられ、午後9時から報道陣が大挙して押し寄せた会見に臨むことになった。急な話だったので、背広の用意もヒゲを剃ることもできなかった{{Sfn|生涯最高の失敗|2003|p=15-16}}。なお、普段から白髪を染めていたが<ref>{{Cite journal|和書
|author = 田中裕子
|title = タクシーのラジオで聞いたビッグニュース わが家のノーベル賞騒動記
|journal = 婦人公論
|volume = 87
|number = 22
|pages = 70-73
|date = 2002-11-22
|naid = 40005473801
}}</ref>、受賞発表の1週間程前に理髪店で染め直していた{{Sfn|生涯最高の失敗|2003|p=16}}。
田中は[[鉄道ファン|鉄道好き]]で、電車([[京福電気鉄道嵐山本線|京福電鉄嵐山線(嵐電)]])の[[鉄道ファン#旅行・乗車|運転席を眺めながら]]通勤することを日課としていたが{{Sfn|生涯最高の失敗|2003|p=12}}、その晩は家に帰れず、タクシーでホテルに向かった{{Sfn|生涯最高の失敗|2003|p=17}}。受賞を実感したのは翌日の新聞で自分の顔を見てからと語っている{{Sfn|生涯最高の失敗|2003|p=18}}。また、ノーベル賞受賞後の出張時には、島津製作所からの出張費の関係で乗車できなかった[[新幹線500系電車|500系新幹線]]の[[グリーン車]]に乗れて嬉しいと記者団に答えた{{Sfn|生涯最高の失敗|2003|p=169}}。<!--
受賞に先立ち、1983年(昭和58年)に卒業した出身校の[[東北大学]]から2002年(平成14年)10月31日に名誉博士号が授与されたが、田中は自分は職人的科学者であるとして、ノーベル賞授賞式会場でも敬称にドクターではなく、ミスターを使うよう申し出たという経緯がある。
田中は現場にいることを好んだため、昇進の話をたびたび拒み<ref>[[総合職]]であるため昇進するには営業など様々な部署を経験する必要があった。</ref>、ノーベル賞受賞時も島津製作所においては年齢的に不相応な主任という職にいた。しかし同賞受賞に伴い会社の業績に多大な功績を与えたため、島津製作所は特例で待遇を上げ、研究現場に留まれる「[[フェロー]]」という職位を新たに創設した。この時にも、会社は田中を取締役待遇フェローに遇しようとしたが、「急に待遇が上がるのは好ましくない」と田中が拒んだため、しばらくの間、部長待遇のフェローとなったという話もある(2003年1月より[[役員 (会社)#執行役員|執行役員]]待遇)。-->
多くの講演やインタビューを受け、研究や技術者としてのあり方について自身の経験と持論を語った{{Sfn|生涯最高の失敗|2003}}{{Sfn|メカライフな人々|2006}}。内閣府の[[総合科学技術会議]]にも参加し、日本の科学政策に影響を与える存在にまでなっている。なお、ノーベル賞の授賞式の後は単独でマスメディアに出ることはほとんどなかったが、2010年(平成22年)10月6日に[[鈴木章]]・[[根岸英一]]のノーベル化学賞受賞が決まった際には勤務先で会見に応じ、発表の生中継を見ていたことを明かした上で、「受賞から8年経ち、次々と受賞者が出てきて、私自身、肩の荷を下ろすことができるのかと思う」と述べた<ref>[http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2010100600917 時事通信2010年10月6日]{{リンク切れ|date=2014年7月}}</ref><ref>[https://news.ntv.co.jp/category/society/168234 ノーベル賞受賞の2人を歴代受賞者が祝福] - 日テレNEWs24(2010年10月7日)</ref>。
=== 田中耕一とマスメディア ===
ノーベル賞受賞時、田中耕一の[[七三分け]]の髪型に作業服という外見、一介のサラリーマンでお見合い結婚という経歴、穏やかで朴訥とした言動は非常に多くの日本人の共感を呼んだ。この年はNHK から[[第53回NHK紅白歌合戦|紅白歌合戦]]に審査員として出演依頼されたが「私は芸能人でも博士でもありません。」と辞退した<ref name=sponichi2002/>。
一介のサラリーマンがノーベル賞という世界最高権威を授賞したこともさることながら、職人気質で謙虚な人間性も好意的に受け止められた。温厚な人柄で「善人の代名詞」とまでマスメディアは持ち上げたが、連日連夜の記者の追いかけと、一人歩きする聖人のようなイメージに悩んだと打ち明けている{{Sfn|生涯最高の失敗|2003|p=3-4}}。
[[発光ダイオード#青色発光ダイオード|高輝度青色発光ダイオード]]を発明した[[中村修二]]と[[日亜化学工業]]の訴訟については、田中耕一が引き合いに出されて、中村修二は貪欲であるという非難がなされたが{{要出典|date=2017-04-04}}、これについて田中耕一は、「自分の発明は会社の売り上げにあまり貢献しなかった」と状況が全く違うとして、中村を擁護する発言をした<ref name="矢嶋英敏へのインタビュー(朝日新聞2002年11月23日)等">[[矢嶋英敏]]へのインタビュー(朝日新聞2002年11月23日)等</ref>。なお、[[島津製作所]]からの特許報酬自体は1万円程度であった<ref name="矢嶋英敏へのインタビュー(朝日新聞2002年11月23日)等"/>が、技術貢献に対する社内表彰はあり数十万円相当の報酬は受けた{{Sfn|生涯最高の失敗|2003|p=51}}。
== 経歴 ==
=== 略歴 ===
* 1959年(昭和34年)8月3日 - 富山県富山市生まれ
* 1978年(昭和53年)3月 - 東北大学[[工学部]]入学。[[ドイツ語]]の単位を落として1年留年
* 1983年(昭和58年)3月 - 東北大学工学部電気工学科卒業、[[学士(工学)|工学士]]
* 1983年(昭和58年)4月 - 株式会社[[島津製作所]]入社
* 1992年(平成4年)1月 - [[イギリス]]、クレイトスグループ[[出向]]
* 1995年(平成7年)5月 - 富山県出身の女性と見合い結婚
* 1997年(平成9年)12月 - イギリス、シマヅ・リサーチ・ラボラトリー・ヨーロッパ出向
* 1999年(平成11年)12月 - イギリス、クラトスグループ出向
* 2002年(平成14年)
** 10月 - [[ノーベル化学賞]]受賞
** 11月1日 - 島津製作所 フェロー(部長待遇)就任
* 2003年(平成15年)1月 - 田中耕一記念質量分析研究所長(執行役員待遇)就任
* 2009年(平成21年)6月 - 東京大学医科学研究所客員教授(疾患プロテオミクスラボラトリー顧問)
* 2010年(平成22年)3月 - 田中最先端研究所 所長(兼任)<ref name=first_tanaka>{{Cite web|和書|url= http://www.first-ms3d.jp/message/tanaka/247.html |title=田中耕一(中心研究者/島津製作所 田中最先端研究所 所長)|work=次世代質量分析システム開発と創薬・診断への貢献|publisher=FIRSTプログラム|accessdate=2014-08-27}}</ref>
* 2012年(平成24年)6月 - 島津製作所 シニアフェロー就任<ref name=first_tanaka/>
=== 兼任 ===
* [[愛媛大学]] 無細胞生命科学工学研究センター
* [[筑波大学]] 先端学際領域研究センター
* [[京都大学]] 国際融合創造センター( - 2008年(平成20年)3月)
* [[東北大学]][[大学院]]工学研究科(2013年(平成25年)11月の時点)<ref name=first_tanaka/>
* [[東京大学医科学研究所]](2009年(平成21年)6月 - )<ref name=first_tanaka/>
* 日本学術会議 連携会員
* 文科省 科学技術・学術審議会 臨時委員
* 2005年(平成17年)5月 - とやま科学技術大使
* 2006年(平成18年)12月12日 - [[日本学士院会員]]
* 2011年(平成23年)12月 - [[東京電力福島原子力発電所事故調査委員会]](国会事故調)委員
=== 受賞・栄典 ===
[[画像:Masatoshi Koshiba Koichi Tanaka and Junichiro Koizumi 20030207.jpg|200px|thumb|2003年2月7日、[[総理大臣官邸]]にて[[東京大学]]名誉教授[[小柴昌俊]](左)と共に[[内閣総理大臣]][[小泉純一郎]](右)から内閣総理大臣感謝状を受領]]
* 1989年(平成元年)5月 - 日本質量分析学会 奨励賞
* 2002年(平成14年)11月 - [[文化勲章]]<ref name="mext">{{WAP|pid=286184|url=www.mext.go.jp/b_menu/houdou/18/10/06102302/003.htm|title=平成14年度 文化功労者及び文化勲章受章者(五十音順)−文部科学省|date=2009-10-25}}</ref>
* 2002年 (平成14年)12月 - [[ノーベル化学賞]]
* 2002年(平成14年) - [[文化功労者]]<ref name="mext"/>
* 2002年(平成14年) - [[東北大学の人物一覧#名誉博士|東北大学名誉博士]]
* 2003年(平成15年)3月 - 富山県名誉県民<ref>{{Cite web|和書|title=富山県の顕彰・表彰制度|website=富山県|url=https://www.pref.toyama.jp/1000/kensei/kenseiunei/kensei/gaiyou/kj00016339.html|accessdate=2022-08-02}}</ref>
* 2003年(平成15年) - 日本質量分析学会 特別賞<ref name=first_tanaka/>
== 著作 ==
=== 著書 ===
*{{Cite book|和書|author=田中耕一|title=生涯最高の失敗|publisher=朝日新聞社|date=2003-09-25|isbn=4-02-259836-0|ref={{Sfnref|生涯最高の失敗|2003}} }}
=== 主な解説 ===
* {{Cite journal|和書|title=マトリックス支援レーザー脱離イオン化質量分析法|author=田中耕一|journal=ぶんせき|volume=256|pages=253-261|date=1996-04-05|naid=10001778161}}
* {{Cite journal|和書|title=良いスペクトルを得るために MALDI-TOFMS|author=田中耕一|journal=質量分析|volume=45|number=1|pages=113-121|date=1997-02-01|naid=10016280870}}
* {{Cite journal|和書|title=私のノーベル賞くたくた日記|author=田中耕一|journal=[[文藝春秋 (雑誌)|文藝春秋]]|volume=81|number=2|date=2003-02|pages=112-124|naid=40005620427|ref={{Sfnref|私のノーベル賞くたくた日記|2003}} }}
* {{Cite book|title=LES PRIX NOBEL|publisher=Almqvist & Wiksell International (AWI)
|date=2003-10}}{{en icon}}
* {{Cite journal|和書|title=たんぱく質が壊れずに飛び出した!! ソフトレーザー脱離イオン化質量分析計開発の経緯|author=吉田多見男|author2=田中耕一|author3=井戸豊、秋田智史、吉田佳一|應用物理|volume=72|number=8|pages=999-1003|date=2003-08-10|naid=10011629142}}
*{{Cite press release|和書|author=田中耕一|title=質量分析:異分野と若手の力が活きている|url= http://www.first-ms3d.jp/files/140301_First_tanaka.pdf |date=2014-03-03}}
=== 主な論文 ===
* 「質量分析」『日本質量分析学会』 1997年 45巻 1号 p.113-121
* {{Cite journal|title=Detection of High Mass Molecules by Laser Desorption Time-of-Flight Mass Spectrometry|author=Koichi Tanaka,Yutaka Ido,Satoshi Akita,Yoshikazu Yoshida and Tamio Yoshida|journal=SECOND JAPAN-CHINA JOINT SYMPOSIUM ON MASS SPECTROMETRY ABSTRACT|date=1987|}}
* 吉田佳一、田中耕一、井戸豊、秋田智史、吉田多見男、[https://doi.org/10.5702/massspec.36.49 傾斜電界型イオンリフレクタによるTOF質量分析計の分解能の改善] Journal of the Mass Spectrometry Society of Japan. 1988年 36巻 2号 p.49-58, {{doi|10.5702/massspec.36.49}}
* {{Cite journal|和書|title=レーザー脱離TOF質量分析法による高質量分子イオンの検出|url=https://doi.org/10.5702/massspec.36.59|author=吉田多見男|author2=田中耕一|author3=井戸豊、秋田智史、吉田佳一|journal=質量分析|volume=36|number=2|pages=59‐69|date=1988|doi=10.5702/massspec.36.59}}
* Koichi Tanaka, Hiroaki Waki, Yutaka Ido, Satoshi Akita, Yoshikazu Yoshida, Tamio Yoshida, T. Matsuo. "Protein and polymer analyses up to m/z 100 000 by laser ionization time‐of‐flight mass spectrometry". Rapid Communications in Mass Spectrometry. August 1988, {{doi|10.1002/rcm.1290020802}}
<!--Detection of high mass molecular ions by laser desorption time‐of‐flight mass spectrometry-->
* {{Cite journal|title=Protein and polymer analyses up to m/z 100000 by laser ionization time-of flight mass spectrometry|author=Tanaka, K., Waki, H., Ido, Y., Akita, S., Yoshida, Y. and Yoshida, T.|journal=Rapid Commun.Mass Spectrom.|volume=2|date=1988|pages=151-153|}}
* Bunseki (1996), (4), 253-61 CODEN: BUNSD3; {{issn|0386-2178}}. Japanese.
=== 主な特許 ===
* 特許1769145(特許出願 昭60-183298、特許公開 昭62-043562、特許公告 平04-050982)発明者:吉田多見男、田中耕一、出願日:1985年8月21日<ref>{{Cite journal |和書|title=マトリックス支援レーザー脱離イオン化質量分析法 (MALDI-TOFMS)の開発とその歴史について|author=渡邉俊宏 |url=https://doi.org/10.24561/00014929 |doi=10.24561/00014929 |accessdate=2014-07-02}}</ref>)
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
{{Reflist|2|refs=
<ref name=sponichi2002>{{Cite web|和書
|url = http://www.sponichi.co.jp/entertainment/kiji/2002/12/26/02.html
|title = 田中さんは辞退…紅白審査員発表
|publisher = スポニチアネックス
|date = 2002-12-26
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|archivedate = 2003-02-03
|accessdate = 2014-06-28
}}</ref>
}}
== 参考文献 ==
* {{Cite journal|和書|title=ノーベル化学賞 田中耕一 島津製作所ライフサイエンス研究所主任 小さな発見にひそむ大きな重み|journal=[[日経サイエンス]]|date=2002-12|url= http://www.nikkei-science.com/page/magazine/0212/tanaka.html |accessdate=2014-07-02}}
* {{Cite journal|和書|title=第3章 田中耕一フェローの軌跡 そして、新たなる挑戦|journal=Newton別冊「タンパク質がわかる本」|publisher=[[ニュートン (雑誌)|ニュートンプレス]]|date=2003-10-01|url= https://web.archive.org/web/20130807153146/http://newtonpress.co.jp/newton/bessatu/index.html }}
* {{Cite journal|和書|title=夫は作業服の似合う技術者に戻りました わが家のノーベル賞騒動、その後|author=田中裕子|journal=婦人公論|volume=88|number=23|pages=152-154|date=2003-12-07|naid=40006005906}}
* {{Cite journal|和書|title=INCHEM TOKYO 2003 その他3展示会共同開催 特別講演(抜粋) - ソフトレーザー脱離イオン化法の起源と発展|journal=化学工学|volume=68|number=2|pages=116-117|date=2004-02-05|naid=10013443062}}
* {{Cite journal|和書|title=メカライフな人々No.13 株式会社島津製作所 フェロー 田中耕一 氏|url= http://www.jsme.or.jp/mechalife/jp/student/interview/0603.pdf |author=メカライフ編集委員会学生委員インタビュー|日本機械学会誌|volume=109|number=1048|pages=198-201|date=2006-03-05|naid=110004659084|format=PDF|accessdate=2014-06-29|ref={{Sfnref|メカライフな人々|2006}} }}
* {{Cite news|title=「血液一滴で診断」近づく夢 田中耕一さん、実用化挑む|author=佐藤建仁|date=2014-04-03|newspaper=朝日新聞デジタル|url= https://web.archive.org/web/20140501060834/http://www.asahi.com/articles/ASG350BYNG34PLBJ007.html |accessdate=2014-06-28|ref=harv}}
*「ノーベル賞に輝いたエンジニア、田中耕一」([http://www.perikansha.co.jp/Search.cgi?mode=SHOW&code=1000001599 『技術者という生き方―発見!しごと偉人』][[上山明博]]、ぺりかん社、2012年)
*「田中耕一」([https://www.amazon.co.jp/dp/B00KBK4S34 『ニッポン発明物語』][[上山明博]]、Kindle版、2014年)
== 関連項目 ==
* [[東北大学]]、[[電気工学]]、[[電磁波]]
* [[島津製作所]]、[[高分子]]、[[蛋白質]]、[[アルツハイマー病]]、[[癌]]
* [[ノーベル賞]]、[[ノーベル化学賞]]、[[日本人のノーベル賞受賞者]]
== 外部リンク ==
* {{Cite web|和書|url=https://www.shimadzu.co.jp/aboutus/ms_r/ |title=田中耕一記念質量分析研究所|publisher=[[島津製作所]]|accessdate=2014-06-29}}
**{{Cite web|和書|url=https://www.shimadzu.co.jp/aboutus/ms_r/nobel/profile.html |title=略歴|publisher=田中耕一ノーベル賞関連情報|accessdate=2014-06-29}}
**{{Cite web|和書|url=https://www.shimadzu.co.jp/aboutus/ms_r/nobel/research.html |title=当社研究員 田中耕一の製品開発軌跡|publisher=田中耕一ノーベル賞関連情報|accessdate=2014-06-29}}
* {{Cite web|和書|url=https://www.japan-acad.go.jp/japanese/members/5/tanaka_koichi.html |title=会員個人情報(第5分科)田中耕一|publisher=日本学士院|accessdate=2014-06-29}}
;血液一滴で病気を早期診断
* {{Cite web|和書|title=最先端研究開発支援プログラム「次世代質量分析システム開発と創薬・診断への貢献」|url= https://www.shimadzu.co.jp/aboutus/ms_r/archive.html |publisher=FIRSTプログラム|accessdate=2014-06-29}}
;ノーベル賞関連
* {{Cite web|url=http://www.nobelprize.org/nobel_prizes/chemistry/laureates/2002/|title=The Nobel Prize in Chemistry 2002|publisher=Nobelprize.org|accessdate=2014-06-29|ref={{Sfnref|Nobelprize.org|2002}} }}{{en icon}}
* {{Cite web|和書|url=https://www.shimadzu.co.jp/aboutus/ms_r/nobel/index.html|title=田中耕一 ノーベル賞受賞関連情報|publisher=[[島津製作所]]|accessdate=2014-07-02}}
* {{Cite web|和書|url=https://www.kahaku.go.jp/exhibitions/tour/nobel/tanaka/p1.html|title=科学系ノーベル賞日本人受賞者9人の偉業「2002年田中耕一ノーベル化学賞」|publisher=[[国立科学博物館]]|accessdate=2014-06-29|ref={{Sfnref|国立科学博物館| }} }}
* {{NHK放送史|D0009030312_00000|小柴さん・田中さんノーベル賞受賞}}
;取材・講演動画
* {{Cite web|和書|url=https://www.youtube.com/watch?v=DW2x7qIUENs |title=サイエンスのこ・れ・か・ら(3) 田中耕一 島津製作所フェロー|date=2014-02-16|author=[[科学技術振興機構|jstsciencechannel]]|publisher=[[YouTube]]|accessdate=2014-08-27}}(2002年制作)
* {{Cite web|和書|url=https://www.youtube.com/watch?v=A5JlnjOFWnY |title=吾輩はノーベルである(4) 田中耕一 江崎玲於奈~企業研究者として社会に貢献~|date=2014-04-22|author=jstsciencechannel|publisher=YouTube|accessdate=2014-08-27}} (2009年制作)
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マイクロサテライト
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マイクロサテライト(microsatellite)は、細胞核やオルガネラのゲノム上に存在する反復配列で、とくに数塩基の単位配列の繰り返しからなるものである。縦列型反復配列(short tandem repeat; STR)あるいは単純反復配列(simple sequence repeat; SSR)とも呼ばれる。繰り返し回数が多くなると遺伝子もしくはその産物であるタンパク質が不安定になりやすく、疾患の原因となるものも存在する。ゲノム中に広く散在しており、普通は中立で共優性を示すことから、集団遺伝学やDNA鑑定のための遺伝マーカーとして利用されている。
繰り返しの単位は通常2から4塩基程度の単純なものが多く、数回から多くて100回ほど繰り返す場合もある。よくある例としてはシトシン(C)とアデニン(A)が交互に繰り返すCAリピートがある。CAリピートはヒトなどのゲノム中には極めて頻繁に見られ、数千塩基あたり1つという高頻度に存在する。10回以上繰り返すようなマーカーは、種間や種内での多型として高頻度に存在している。
マイクロサテライトではゲノム中の他の中立的な領域と比べて変異速度が増大しており、これが多様性の源になっている。変異が速い理由は、DNA複製の際にDNA二本鎖上で複製のずれが起きるためだと説明されることが多い。細胞核においては複製ずれによる誤りは校正機構によって訂正されるが、しかしこれをすり抜けてしまう場合もある。反復単位の長さや揺らぎ、反復回数、また該当領域の転写頻度などが変異の速度に影響する。また減数分裂時の組換えに際して反復回数の変異が生じることもある。変異などによってマイクロサテライトが中断されると、多型は少なくなる。
繰り返し回数の多いものは突然変異を蓄積しやすく、そのような繰り返し回数の異常が疾患(脆弱X症候群、ハンチントン病など)の原因となるものも存在する。
繰り返し回数はアリル(対立遺伝子・ここでは同座位で対立する遺伝マーカーのこと)間で変化しうるので、ひとつのマイクロサテライト座位には繰り返し回数の異なる多数のアリルが存在していることが多い。これはひとつの家系(血統)の中でも充分に多様なため、それぞれのアリルがどの祖先に由来するかを決定できる場合も多い。 マイクロサテライトはゲノム中のコード領域、非コード領域に広く散在していることから、SNPと同様に多型マーカーとして利用されることもある。マイクロサテライトは親子解析、集団遺伝学、連鎖地図の作製などに有用である。 マイクロサテライトを多型マーカーとして用いる場合は、単位配列の繰り返し回数が遺伝子型とみなされる。またゲノム中に普遍的に存在することから、染色体規模の重複や欠失を探す手段としても用いられている。 またこの類の遺伝マーカーの中では唯一、アリル同士の近縁性を評価することができる。
近傍に設計されたプライマーを使ったPCRで増幅することでマイクロサテライトを同定することができる。これにより、わずかなDNAからでも特定のマイクロサテライトを増幅し、電気泳動によって可視化することができる。マイクロサテライト座位はゲノム中に広く散在しており、また必要なのはPCRで増幅する部位だけなので、劣化しかけのDNAからでも増幅することができる。PCR技術は広く普及しており、マイクロサテライトを増幅するプライマーを使うのは簡単であるが、しかし正しく機能するプライマーを開発するのは退屈で費用を要する工程となる場合が多い。
ゲノム中の特定の領域(例えばある遺伝子の特定のエキソンなど)にあるマイクロサテライトを検出する場合には、プライマーを直接設計することができる。まずゲノムDNA配列から目やrepeat maskerのようなソフトウェアを使ってマイクロサテライトを探す。ランダムな挿入が入っているような不適切なものは除外し、マイクロサテライトの候補が決まれば、それを挟むようにしてPCR反応に用いるプライマーを設計することができる。
不特定のマイクロサテライトを利用しようとする場合には、対象生物のDNAからランダムな断片をクローニングしてプライマーを開発する。まずDNA断片をプラスミドやファージベクターに挿入して大腸菌に導入する。生じたコロニーを蛍光色素などで標識した繰り返し配列とハイブリダイズさせてスクリーニングする。陽性となったクローンからDNAを得てシークエンシングし、マイクロサテライト領域を挟むようなプライマーを設計する。この場合スクリーニングに用いる繰り返し配列を予測しなければいけないし、ランダムに得られたプライマーは有意義なほどの多型を示さないこともあるので、研究者による試行錯誤が必要となる。
PCR反応の初期に複製ずれが起きると、間違った長さのマイクロサテライトが増幅される場合がある。
ISSR(Inter-Simple Sequence Repeat)とは、ゲノム中でマイクロサテライトに挟まれた領域を示す語である。隣合う2つのマイクロサテライト配列をPCRのプライマーに使うことで、挟まれた領域を増幅することができる。 伸長反応の時間を制限して長すぎるDNAが増幅されないようにすることで、短いが様々な長さのDNAの混合物が増幅される。
こうして増幅されたDNA断片はDNAフィンガープリンティングに使うことができる。ISSR領域は保存的かもしれないしそうでないかもしれないため、この手法は個体の識別にはむいていない。むしろ系統地理学的解析や種の識別に向いている。多型性はマイクロサテライトそのものよりも小さいが、それでも個々の遺伝子配列よりは大きい。
マイクロサテライトは遺伝マーカーとして有用であるが、万能ではない。
マイクロサテライトがPCRで増幅されない、ヌルアリル(null allele; 無効対立遺伝子)が出現することがある。ヌルアリルの原因はいろいろ考えられる。マイクロサテライトの近傍領域に配列変異があり、これによってプライマー(特に3'端側)がうまくアニーリングせず増幅が起きなくなることがある。あるいは競合的PCRによって特定の繰り返し回数のアリルだけが偏って増幅され、これによってヘテロ接合の個体が見かけ上ホモ接合と判断される(partial null)ことがある。ヌルアリルはマイクロサテライトのアリル頻度の解釈を複雑にし、誤った結論に導く危険性がある。交配にともなう確率論的な選択によりアリル頻度は変わり得る(遺伝的浮動)が、それはヌルアリルによる効果と非常に良く似ている。どちらの場合もハーディー・ワインベルクの法則による推定よりもホモ接合体頻度が高くなる。ヌルアリルは技術的な問題にすぎないが、遺伝的浮動は現実の生物集団が示す現象(集団が小さい・任意交配していないなど)であるので、ホモ接合体頻度が推定より高い場合にはどちらが原因なのかを判別することが非常に重要になってくる。
特定の生物種に対して開発されたマイクロサテライトマーカーは近縁種に適用できることが多いが、実際にうまく増幅できる座位の割合は遺伝的距離が離れるにしたがって減少していく。そのためマイクロサテライトを種間比較に用いようとする場合、元々プライマーが開発された種から遠ざかるほど、ヌルアリルの影響を受けやすくなる。
マイクロサテライトにおける変異には偏りがある。繰り返し回数の多いアリルほど塩基数が多く、したがってDNA複製のときに変異が入りやすいのである。また繰り返し回数の少ないアリルは回数が増えやすく、多いアリルは減りやすい。繰り返し回数には限りがあるためである。この制約はすでに確かめられているが、取り得る値は決定できていない。もしアリル間で繰り返し回数に大きな差があると、減数分裂時の組替えに際して不安定になる。
腫瘍細胞ではDNA複製の制御が損なわれており、マイクロサテライトは有糸分裂のたびに非常に高い頻度で増えたり減ったりする。それゆえ、腫瘍細胞はもとの組織とは異なるフィンガープリントを示す可能性がある。
科学捜査の領域では通常STRと呼ばれ、個人のDNA型を決定するのに用いられる。STR解析は1990年代半ば以降普及してきた比較的新しい技術である。現在用いられているSTRは4または5塩基の繰り返しであり、理想的ではない状況で分解されかかった試料からでも充分に頑強でエラーのないデータを得ることができる。これより短いと詰まったり偏った増幅が起きて人為産物が生じやすい。ハンチントン病のように3塩基繰り返しに関連した遺伝病もある。より長い繰り返しだと自然分解の影響を受けやすく、短い配列と同じようにはPCRで増幅されないだろう。
問題となっている法医学試料の細胞から核DNAを抽出し、そこから特定の多型領域をPCRで増幅して行われる。増幅された配列はゲル電気泳動やキャピラリー電気泳動で分離され、これにより分析者は問題のSTR配列が何回繰り返しているかを判断する。ゲル電気泳動で分離した場合、DNAは銀染色(分離能は高くないが安価で安全)もしくは臭化エチジウム(安価で感度が良いがやや危険性がある)やその他の蛍光色素(高感度で安全だが高価)などで染色して可視化する。STR断片をキャピラリー電気泳動で分離する装置も蛍光色素を利用しており非常に効果が高い。
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"text": "繰り返し回数はアリル(対立遺伝子・ここでは同座位で対立する遺伝マーカーのこと)間で変化しうるので、ひとつのマイクロサテライト座位には繰り返し回数の異なる多数のアリルが存在していることが多い。これはひとつの家系(血統)の中でも充分に多様なため、それぞれのアリルがどの祖先に由来するかを決定できる場合も多い。 マイクロサテライトはゲノム中のコード領域、非コード領域に広く散在していることから、SNPと同様に多型マーカーとして利用されることもある。マイクロサテライトは親子解析、集団遺伝学、連鎖地図の作製などに有用である。 マイクロサテライトを多型マーカーとして用いる場合は、単位配列の繰り返し回数が遺伝子型とみなされる。またゲノム中に普遍的に存在することから、染色体規模の重複や欠失を探す手段としても用いられている。 またこの類の遺伝マーカーの中では唯一、アリル同士の近縁性を評価することができる。",
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"text": "近傍に設計されたプライマーを使ったPCRで増幅することでマイクロサテライトを同定することができる。これにより、わずかなDNAからでも特定のマイクロサテライトを増幅し、電気泳動によって可視化することができる。マイクロサテライト座位はゲノム中に広く散在しており、また必要なのはPCRで増幅する部位だけなので、劣化しかけのDNAからでも増幅することができる。PCR技術は広く普及しており、マイクロサテライトを増幅するプライマーを使うのは簡単であるが、しかし正しく機能するプライマーを開発するのは退屈で費用を要する工程となる場合が多い。",
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"text": "ゲノム中の特定の領域(例えばある遺伝子の特定のエキソンなど)にあるマイクロサテライトを検出する場合には、プライマーを直接設計することができる。まずゲノムDNA配列から目やrepeat maskerのようなソフトウェアを使ってマイクロサテライトを探す。ランダムな挿入が入っているような不適切なものは除外し、マイクロサテライトの候補が決まれば、それを挟むようにしてPCR反応に用いるプライマーを設計することができる。",
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"text": "ISSR(Inter-Simple Sequence Repeat)とは、ゲノム中でマイクロサテライトに挟まれた領域を示す語である。隣合う2つのマイクロサテライト配列をPCRのプライマーに使うことで、挟まれた領域を増幅することができる。 伸長反応の時間を制限して長すぎるDNAが増幅されないようにすることで、短いが様々な長さのDNAの混合物が増幅される。",
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"text": "こうして増幅されたDNA断片はDNAフィンガープリンティングに使うことができる。ISSR領域は保存的かもしれないしそうでないかもしれないため、この手法は個体の識別にはむいていない。むしろ系統地理学的解析や種の識別に向いている。多型性はマイクロサテライトそのものよりも小さいが、それでも個々の遺伝子配列よりは大きい。",
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"text": "特定の生物種に対して開発されたマイクロサテライトマーカーは近縁種に適用できることが多いが、実際にうまく増幅できる座位の割合は遺伝的距離が離れるにしたがって減少していく。そのためマイクロサテライトを種間比較に用いようとする場合、元々プライマーが開発された種から遠ざかるほど、ヌルアリルの影響を受けやすくなる。",
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"text": "マイクロサテライトにおける変異には偏りがある。繰り返し回数の多いアリルほど塩基数が多く、したがってDNA複製のときに変異が入りやすいのである。また繰り返し回数の少ないアリルは回数が増えやすく、多いアリルは減りやすい。繰り返し回数には限りがあるためである。この制約はすでに確かめられているが、取り得る値は決定できていない。もしアリル間で繰り返し回数に大きな差があると、減数分裂時の組替えに際して不安定になる。",
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"text": "腫瘍細胞ではDNA複製の制御が損なわれており、マイクロサテライトは有糸分裂のたびに非常に高い頻度で増えたり減ったりする。それゆえ、腫瘍細胞はもとの組織とは異なるフィンガープリントを示す可能性がある。",
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"text": "科学捜査の領域では通常STRと呼ばれ、個人のDNA型を決定するのに用いられる。STR解析は1990年代半ば以降普及してきた比較的新しい技術である。現在用いられているSTRは4または5塩基の繰り返しであり、理想的ではない状況で分解されかかった試料からでも充分に頑強でエラーのないデータを得ることができる。これより短いと詰まったり偏った増幅が起きて人為産物が生じやすい。ハンチントン病のように3塩基繰り返しに関連した遺伝病もある。より長い繰り返しだと自然分解の影響を受けやすく、短い配列と同じようにはPCRで増幅されないだろう。",
"title": "応用"
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"text": "問題となっている法医学試料の細胞から核DNAを抽出し、そこから特定の多型領域をPCRで増幅して行われる。増幅された配列はゲル電気泳動やキャピラリー電気泳動で分離され、これにより分析者は問題のSTR配列が何回繰り返しているかを判断する。ゲル電気泳動で分離した場合、DNAは銀染色(分離能は高くないが安価で安全)もしくは臭化エチジウム(安価で感度が良いがやや危険性がある)やその他の蛍光色素(高感度で安全だが高価)などで染色して可視化する。STR断片をキャピラリー電気泳動で分離する装置も蛍光色素を利用しており非常に効果が高い。",
"title": "応用"
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] |
マイクロサテライト(microsatellite)は、細胞核やオルガネラのゲノム上に存在する反復配列で、とくに数塩基の単位配列の繰り返しからなるものである。縦列型反復配列とも呼ばれる。繰り返し回数が多くなると遺伝子もしくはその産物であるタンパク質が不安定になりやすく、疾患の原因となるものも存在する。ゲノム中に広く散在しており、普通は中立で共優性を示すことから、集団遺伝学やDNA鑑定のための遺伝マーカーとして利用されている。
|
'''マイクロサテライト'''(microsatellite)は、[[細胞核]]や[[オルガネラ]]の[[ゲノム]]上に存在する[[反復配列]]で、とくに数塩基の単位配列の繰り返しからなるものである。'''縦列型反復配列'''(short tandem repeat; STR)あるいは'''単純反復配列'''(simple sequence repeat; SSR)とも呼ばれる。繰り返し回数が多くなると遺伝子もしくはその産物であるタンパク質が不安定になりやすく、疾患の原因となるものも存在する。ゲノム中に広く散在しており、普通は[[中立進化説|中立]]で[[共優性]]を示すことから、[[集団遺伝学]]や[[DNA鑑定]]のための[[遺伝マーカー]]として利用されている<ref>{{Cite journal|last=Richard|first=Guy-Franck|last2=Kerrest|first2=Alix|last3=Dujon|first3=Bernard|date=December 2008|title=Comparative genomics and molecular dynamics of DNA repeats in eukaryotes|url=https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/19052325|journal=Microbiology and molecular biology reviews: MMBR|volume=72|issue=4|pages=686–727|doi=10.1128/MMBR.00011-08|issn=1098-5557|pmid=19052325|pmc=2593564}}</ref>。
==性質==
繰り返しの単位は通常2から4塩基程度の単純なものが多く、数回から多くて100回ほど繰り返す場合もある。よくある例としては[[シトシン]](C)と[[アデニン]](A)が交互に繰り返すCAリピートがある。CAリピートは[[ヒト]]などのゲノム中には極めて頻繁に見られ、数千塩基あたり1つという高頻度に存在する。10回以上繰り返すようなマーカーは、種間や種内での[[多型]]として高頻度に存在している<ref name="Queller">{{cite journal | author=Queller, D.C., Strassman,,J.E. & Hughes, C.R. | year=1993 | title=Microsatellites and Kinship | journal=Trends in Ecology and Evolution|volume=8|pages=285 – 288}}</ref>。
マイクロサテライトではゲノム中の他の中立的な領域と比べて[[変異]]速度が増大しており、これが多様性の源になっている。変異が速い理由は、[[DNA複製]]の際にDNA二本鎖上で複製のずれが起きるためだと説明されることが多い。細胞核においては複製ずれによる誤りは校正機構によって訂正されるが、しかしこれをすり抜けてしまう場合もある。反復単位の長さや揺らぎ、反復回数、また該当領域の[[転写 (生物学)|転写]]頻度などが変異の速度に影響する。また[[減数分裂]]時の[[遺伝的組換え|組換え]]に際して反復回数の変異が生じることもある<ref name="Blouin">{{cite journal | author= Blouin, M.S., Parsons, M., Lacaille, V. & Lotz, S. | year=1996 | title=Use of microsatellite loci to classify individuals by relatedness | journal=Molecular Ecology|volume=5|pages=393 - 401}}</ref>。変異などによってマイクロサテライトが中断されると、多型は少なくなる。
繰り返し回数の多いものは[[突然変異]]を蓄積しやすく、そのような繰り返し回数の異常が疾患([[脆弱X症候群]]、[[ハンチントン病]]など)の原因となるものも存在する。
==応用==
繰り返し回数はアリル([[対立遺伝子]]・ここでは同座位で対立する遺伝マーカーのこと)間で変化しうるので、ひとつのマイクロサテライト座位には繰り返し回数の異なる多数のアリルが存在していることが多い。これはひとつの[[家系]](血統)の中でも充分に多様なため、それぞれのアリルがどの祖先に由来するかを決定できる場合も多い。
マイクロサテライトはゲノム中のコード領域、非コード領域に広く散在していることから、[[一塩基多型|SNP]]と同様に[[遺伝子マーカー|多型マーカー]]として利用されることもある。マイクロサテライトは親子解析、集団遺伝学、連鎖地図の作製などに有用である。
マイクロサテライトを多型マーカーとして用いる場合は、単位配列の繰り返し回数が[[遺伝子型]]とみなされる。またゲノム中に普遍的に存在することから、染色体規模の[[重複]]や[[欠失]]を探す手段としても用いられている。
またこの類の遺伝マーカーの中では唯一、アリル同士の近縁性を評価することができる<ref name="Goldstein">{{cite journal | author= D. B. Goldstein, A. R. Linares, L. L. Cavalli-Sforza, and M. W. Feldman | year=1995 | title=An Evaluation of Genetic Distances for Use With Microsatellite Loci | journal=Genetics | volume=139 | pages=463-471}}</ref>。
===PCRによる増幅===
近傍に設計された[[プライマー]]を使った[[ポリメラーゼ連鎖反応|PCR]]で増幅することでマイクロサテライトを同定することができる。これにより、わずかなDNAからでも特定のマイクロサテライトを増幅し、電気泳動によって可視化することができる<ref name="Griffiths">{{cite book| author= Griffiths, A.J.F., Miller, J.F., Suzuki, D.T., Lewontin, R.C. & Gelbart, W.M. | year=1996 | title=Introduction to Genetic Analysis, 5th Edition. W.H. Freeman, New York}}</ref>。マイクロサテライト座位はゲノム中に広く散在しており、また必要なのはPCRで増幅する部位だけなので、劣化しかけのDNAからでも増幅することができる。PCR技術は広く普及しており、マイクロサテライトを増幅するプライマーを使うのは簡単であるが、しかし正しく機能するプライマーを開発するのは退屈で費用を要する工程となる場合が多い。
ゲノム中の特定の領域(例えばある遺伝子の特定のエキソンなど)にあるマイクロサテライトを検出する場合には、プライマーを直接設計することができる。まずゲノムDNA配列から目や[http://www.repeatmasker.org repeat masker]のようなソフトウェアを使ってマイクロサテライトを探す。ランダムな挿入が入っているような不適切なものは除外し、マイクロサテライトの候補が決まれば、それを挟むようにしてPCR反応に用いるプライマーを設計することができる。
不特定のマイクロサテライトを利用しようとする場合には、対象生物のDNAからランダムな断片を[[クローニング]]してプライマーを開発する。まずDNA断片を[[プラスミド]]や[[ファージ]]ベクターに挿入して[[大腸菌]]に導入する。生じたコロニーを蛍光色素などで標識した繰り返し配列とハイブリダイズさせてスクリーニングする。陽性となったクローンからDNAを得て[[シークエンシング]]し、マイクロサテライト領域を挟むようなプライマーを設計する。この場合スクリーニングに用いる繰り返し配列を予測しなければいけないし、ランダムに得られたプライマーは有意義なほどの多型を示さないこともあるので、研究者による試行錯誤が必要となる<ref name="Queller"/><ref name="Jarne">{{cite journal | author= Jarne, P. & Lagoda, P.J.L. | year=1996 | title=Microsatellites, from molecules to populations and back | journal=Trends in Ecology and Evolution | volume=11 | pages=424 – 429}}</ref>。
PCR反応の初期に複製ずれが起きると、間違った長さのマイクロサテライトが増幅される場合がある。
===ISSR-PCR===
'''ISSR'''(Inter-Simple Sequence Repeat)とは、ゲノム中でマイクロサテライトに挟まれた領域を示す語である。隣合う2つのマイクロサテライト配列をPCRのプライマーに使うことで、挟まれた領域を増幅することができる<ref>{{cite journal | author= Gupta, M. et al. | year=1994 | title=Amplification of DNA markers from evolutionarily diverse genomes using single primers of simple-sequence repeats. | journal=Theoretical and Applied Genetics | volume=89 | issue = 7-8 | pages=998-1006 |doi=10.1007/BF00224530}}</ref>。
伸長反応の時間を制限して長すぎるDNAが増幅されないようにすることで、短いが様々な長さのDNAの混合物が増幅される。
こうして増幅されたDNA断片はDNAフィンガープリンティングに使うことができる。ISSR領域は保存的かもしれないしそうでないかもしれないため、この手法は個体の識別にはむいていない。むしろ系統地理学的解析や種の識別に向いている。多型性はマイクロサテライトそのものよりも小さいが、それでも個々の遺伝子配列よりは大きい。
ISSR領域にプライマーを設計しその間の配列を読む[[MIG-seq]]も存在する。<ref>{{Cite web |url=https://jp.illumina.com/content/dam/illumina-marketing/apac/japan/documents/pdf/webinar/professional-webinar-migseq-180905.pdf |title=MIG-seq法: 次世代シーケンサーを用いた 手軽なゲノムワイド塩基配列分析 |access-date=2023年12月18日 |publisher=イルミナ株式会社}}</ref><ref>{{Cite journal|author=佐藤淳, & 木下豪太|year=2020|title=次世代シークエンス時代における哺乳類学~ 初学者への誘い~|journal=哺乳類科学|volume=60(2)|page=307-319}}</ref>
===制約===
マイクロサテライトは遺伝マーカーとして有用であるが、万能ではない。
マイクロサテライトがPCRで増幅されない、ヌルアリル(null allele; 無効対立遺伝子)が出現することがある<ref name="Jarne"/><ref name="Dakin">{{cite journal | author= Dakin, E.E. & Avise, J.C. | year=2004 | title=Microsatellite null alleles in parentage analysis | journal=Heredity |volume=93|pages=504 – 509}}</ref>。ヌルアリルの原因はいろいろ考えられる。マイクロサテライトの近傍領域に配列変異があり、これによってプライマー(特に3'端側)がうまくアニーリングせず増幅が起きなくなることがある。あるいは競合的PCRによって特定の繰り返し回数のアリルだけが偏って増幅され、これによって[[ヘテロ接合]]の個体が見かけ上ホモ接合と判断される(partial null)ことがある。ヌルアリルはマイクロサテライトのアリル頻度の解釈を複雑にし、誤った結論に導く危険性がある。交配にともなう確率論的な選択によりアリル頻度は変わり得る([[遺伝的浮動]])が、それはヌルアリルによる効果と非常に良く似ている。どちらの場合も[[ハーディー・ワインベルクの法則]]による推定よりもホモ接合体頻度が高くなる。ヌルアリルは技術的な問題にすぎないが、遺伝的浮動は現実の生物集団が示す現象(集団が小さい・任意交配していないなど)であるので、ホモ接合体頻度が推定より高い場合にはどちらが原因なのかを判別することが非常に重要になってくる。
特定の生物種に対して開発されたマイクロサテライトマーカーは近縁種に適用できることが多いが、実際にうまく増幅できる座位の割合は[[遺伝的距離]]が離れるにしたがって減少していく<ref name="Jarne"/>。そのためマイクロサテライトを種間比較に用いようとする場合、元々プライマーが開発された種から遠ざかるほど、ヌルアリルの影響を受けやすくなる。
マイクロサテライトにおける変異には偏りがある。繰り返し回数の多いアリルほど塩基数が多く、したがってDNA複製のときに変異が入りやすいのである。また繰り返し回数の少ないアリルは回数が増えやすく、多いアリルは減りやすい。繰り返し回数には限りがあるためである。この制約はすでに確かめられているが、取り得る値は決定できていない。もしアリル間で繰り返し回数に大きな差があると、減数分裂時の組替えに際して不安定になる<ref name="Jarne"/>。
[[腫瘍]]細胞ではDNA複製の制御が損なわれており、マイクロサテライトは有糸分裂のたびに非常に高い頻度で増えたり減ったりする。それゆえ、腫瘍細胞はもとの組織とは異なるフィンガープリントを示す可能性がある。
===科学捜査===
[[科学捜査]]の領域では通常STRと呼ばれ、個人のDNA型を決定するのに用いられる。STR解析は1990年代半ば以降普及してきた比較的新しい技術である。現在用いられているSTRは4または5塩基の繰り返しであり、理想的ではない状況で分解されかかった試料からでも充分に頑強でエラーのないデータを得ることができる。これより短いと詰まったり偏った増幅が起きて人為産物が生じやすい。[[ハンチントン病]]のように3塩基繰り返しに関連した遺伝病もある。より長い繰り返しだと自然分解の影響を受けやすく、短い配列と同じようにはPCRで増幅されないだろう。
問題となっている法医学試料の細胞から核DNAを抽出し、そこから特定の多型領域をPCRで増幅して行われる。増幅された配列は[[ゲル電気泳動]]や[[キャピラリー電気泳動]]で分離され、これにより分析者は問題のSTR配列が何回繰り返しているかを判断する。ゲル電気泳動で分離した場合、DNAは[[銀染色]](分離能は高くないが安価で安全)もしくは[[臭化エチジウム]](安価で感度が良いがやや危険性がある)やその他の[[蛍光色素]](高感度で安全だが高価)などで染色して可視化する。STR断片をキャピラリー電気泳動で分離する装置も蛍光色素を利用しており非常に効果が高い。
==関連項目==
*[[サテライトDNA]]
*[[ミニサテライト]]
*[[遺伝マーカー]]
*[[トランスポゾン]]
*[[ジャンクDNA]]
*[[マイクロサテライト不安定性]]
*[[三塩基反復病]]
==参考文献==
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==外部リンク==
* [http://www.bio.davidson.edu/COURSES/genomics/method/microsatellite.html Microsatellite DNA Methodology]
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[[Category:反復DNA配列]]
[[Category:遺伝学]]
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14,671 |
MRNA前駆体
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mRNA前駆体(エムアールエヌエーぜんくたい)は、スプライシングなどのさまざまな加工を受けて成熟した mRNA になる前の RNA 分子。
一般に真核生物では、タンパク質をコードする遺伝子の多くがイントロンを持つ。これらの遺伝子は細胞核内でRNAに転写され一次転写産物となる。これはヘテロ核 RNA (hnRNA) とも呼ばれる。その後5' 末端へメチル化されたグアノシンが付加する5'キャップ、RNAスプライシングによるイントロンの除去、3' 末端に多数が数珠状に連なったアデニル酸が付加するポリA尾部といった装飾を経て、成熟mRNAとなる。このようにして出来た mRNA は核外に輸送され翻訳される。
一方で酵母や植物のミトコンドリア、葉緑体のゲノムにも、タンパク質をコードする遺伝子に自己スプライシングイントロンを持つ物があり、これらの一次転写産物も mRNA 前駆体の一種である。
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mRNA前駆体(エムアールエヌエーぜんくたい)は、スプライシングなどのさまざまな加工を受けて成熟した mRNA になる前の RNA 分子。 一般に真核生物では、タンパク質をコードする遺伝子の多くがイントロンを持つ。これらの遺伝子は細胞核内でRNAに転写され一次転写産物となる。これはヘテロ核 RNA (hnRNA) とも呼ばれる。その後5' 末端へメチル化されたグアノシンが付加する5'キャップ、RNAスプライシングによるイントロンの除去、3' 末端に多数が数珠状に連なったアデニル酸が付加するポリA尾部といった装飾を経て、成熟mRNAとなる。このようにして出来た mRNA は核外に輸送され翻訳される。 一方で酵母や植物のミトコンドリア、葉緑体のゲノムにも、タンパク質をコードする遺伝子に自己スプライシングイントロンを持つ物があり、これらの一次転写産物も mRNA 前駆体の一種である。
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{{小文字}}
'''mRNA前駆体'''(エムアールエヌエーぜんくたい)は、[[pre-mRNAスプライシング|スプライシング]]などのさまざまな加工を受けて成熟した [[伝令RNA|mRNA]] になる前の [[リボ核酸|RNA]] 分子。
一般に[[真核生物]]では、[[タンパク質]]をコードする[[遺伝子]]の多くが[[イントロン]]を持つ。これらの遺伝子は[[細胞核]]内でRNAに[[転写 (生物学)|転写]]され[[一次転写産物]]となる。これはヘテロ核 RNA (hnRNA) とも呼ばれる。その後5' 末端へメチル化された[[グアノシン]]が付加する[[5'キャップ]]、RNAスプライシングによるイントロンの除去、3' 末端に多数が数珠状に連なった[[アデニル酸]]が付加する[[ポリアデニル化|ポリA尾部]]といった装飾を経て、成熟mRNAとなる。このようにして出来た mRNA は核外に輸送され[[翻訳 (生物学)|翻訳]]される。
一方で[[酵母]]や[[植物]]の[[ミトコンドリア]]、[[葉緑体]]の[[ゲノム]]にも、タンパク質をコードする遺伝子に[[自己スプライシング]]イントロンを持つ物があり、これらの一次転写産物も mRNA 前駆体の一種である。
DNA
EEEEEEEEEEEiiiiiiiiiiiiEEEEEEEEEEEEE
EEEEEEEEEEEiiiiiiiiiiiiEEEEEEEEEEEEE
転写 ↓
mRNA前駆体
EEEEEEEEEEEiiiiiiiiiiiiEEEEEEEEEEEEE
プロセシング ↓
mRNA
CEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEAAAAAAAAA
核外への輸送・翻訳 ↓
タンパク質
XXXXXXXXXX
E:[[エクソン]] i:イントロン C:キャップ構造 AAAAA: ポリA尾部 X:アミノ酸
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[[Category:リボ核酸]]
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14,675 |
谷町線
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谷町線(たにまちせん)とは鉄道路線の名称である。
|
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"text": "谷町線(たにまちせん)とは鉄道路線の名称である。",
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}
] |
谷町線(たにまちせん)とは鉄道路線の名称である。 Osaka Metro谷町線
大阪市電谷町線
|
'''谷町線'''(たにまちせん)とは[[鉄道]]路線の名称である。
*[[Osaka Metro谷町線]]
*[[大阪市電谷町線]]
{{曖昧さ回避}}
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"Template:曖昧さ回避"
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B0%B7%E7%94%BA%E7%B7%9A
|
14,682 |
電界効果トランジスタ
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電界効果トランジスタ(でんかいこうかトランジスタ、Field effect transistor, FET)は、半導体の内部に生じる電界によって電流を制御する方式のトランジスタである。
微細かつ平面的なものを大量に製造する技術が確立されており、集積回路に搭載されている半導体素子としては最も一般的である。一般的なスマートフォンやパーソナルコンピュータに搭載されているCPUには、1億個以上のFETが組み込まれている。
この記事では主にSiなどの無機半導体によるものについて述べる。有機半導体を用いたものについては有機電界効果トランジスタを参照。
FETは、ゲート電極に電圧を加えることでチャネル領域に生じる電界によって電子または正孔の密度を制御し、ソース・ドレイン電極間の電流を制御するトランジスタである。トランジスタの動作原理には大きく分けて二つの方式があり、電子と正孔の2種類のキャリアの働きによるバイポーラトランジスタに対して、FETはいずれか1種類のキャリアだけを用いるため、ユニポーラトランジスタと呼ばれる。 FETは、制御点であるゲートへの電圧駆動で動作する。対してバイポーラトランジスタはベースに対する電流駆動である。
製作方法と構造での主な種類として、接合型FET(ジャンクションFET, JFET,J-FET)とMOSFETに大別される。さらにゲート電極に金属素材を用いたMESFETがある。 チャネルの種類による分類でn型とp型が存在する。
FETには主な3種類の端子「ゲート」「ソース」「ドレイン」がある。ジャンクションFETは通常、以上の3端子のみを持つ。
MOSFETでは「ゲート」「ソース」「ドレイン」「バックゲート/バルク/サブストレート/ボディ(半導体チップ基板で呼称が一定していない)」の4端子で構成される。チャネルの種類によりp型チャネルの PMOSとn型チャネルのNMOSの2種類がある。MOSFETが個別にパッケージされたディスクリート部品では4端子が別々に出ているものも少数存在するが、一般的にはソースとバックゲートを内部で直結した3端子になっており、回路図記号はその構造を反映してバックゲートが省略されることもある。
特殊なものとしては、1つのチャネルに複数のゲートがあるマルチゲート(2つならダブルゲート)のFET(マルチゲート素子も参照)や、2つのFETを組み合わせたデュアルFETがある(バイポーラのトランジスタと同様、同一のシリコンチップに作り込んであって特性が揃っている、というものもあれば、単に同一のパッケージ内に2個入っているだけのものもある)。
高耐圧パワーMOSFETなど特殊なFETの品種を除いて、通常のFETはソースとドレインは対称構造であるため物理的な違いはなく、電流を流す向きにより便宜的にソースとドレインとしている。p型チャネルは高電位側がソース/低電位側がドレイン、n型チャネルは高電位側がドレイン/低電位側がソースとなる。ただし前述のようにディスクリートの3端子のMOSFETはソースとバックゲートが内部で直結されているため、ソースとドレインは逆にできない。
構造上、MOSFETのバックゲートとソースおよびドレインの間にはpn接合があり、寄生ダイオードと呼ぶ。MOSFETの回路図記号の中央に書かれることがある矢印は、この寄生ダイオードの順方向バイアスを示している(横に別に大きく描くこともある)。パワーMOSFETで誘導性負荷やモータを駆動する際、オフ時の過渡的な逆起電力を逃すためのフリーホイールダイオードとして働かせるようにすると有用である。寄生ダイオードを通してバックゲートから電流が流れないようにするため電位がp型チャネルではバックゲート≧ソース≧ドレイン、n型チャネルではドレイン≧ソース≧バックゲートになるように接続する。つまり、ドレイン・ソース間の電流は、矢印と反対方向に流れる。
FETのドレイン・ソース間に流れる電流が通過する領域をチャネルという。半導体にn型とp型が存在するのと同様、チャネルにはn型チャネルとp型チャネルの2種類が存在する。n型チャネルでは負電荷 (negative charge) を帯びた電子が、p型チャネルでは正電荷 (positive charge) を帯びた正孔がキャリアとなる。ゲート電圧によりチャネルに生じる電界がキャリアを集め、もしくは斥けることでキャリア濃度が変化し、したがって抵抗率が変化する。ここで、チャネルの型はFETの動作領域において導電に寄与するキャリアのタイプに基いて決まるものであり、実際のチャネルを構成する半導体のn型・p型と一致しない場合がある点に注意が必要である。実際に、HEMTではチャネル部分の半導体はi型であり、MOSFETでは、n型チャネルの場合、p型の半導体中の反転層を電子が流れることになる。このチャネルの型を示すため、FETのタイプの前にnやpの文字をつけて表すこともある(例えば、NMOS、PMOS)。
なお、一般に使用されるCMOS(相補型MOS、Complemetary MOS の略)は、NMOSとPMOSを組み合わせた構造であることを示し、CMOSと呼ばれるMOSのタイプがあるわけではない。
(MOSFETについてはそちらの記事を参照のこと)
接合型 FET は通常ゲート端子がドレイン・ソース両端子よりも低い電圧で用いる。このときゲート端子は高インピーダンスでほとんど電流を流さない。よって考えるべき電流はドレインからソースへ流れる電流 iDS のみである。 ソース電圧を基準に取り、ゲート電圧を vGS (≤ 0)、ドレイン電圧を vDS と表せば、iDS はこれらの関数としてモデル化される。 ただし以下では vDS ≥ 0 とする。
この関数は、定義域をオーム領域(ohmic region, または線型領域)、飽和領域 (saturation region)、ピンチオフ領域 (pinch-off region) という3つの領域に分割する。ピンチオフ領域はゲート電圧がピンチオフ電圧 (pinch-off voltage) Vp とよばれる負の決まった電圧以下の領域である。この領域では電界によりチャネルにキャリアが存在しなくなり(空乏層)、ドレイン–ソース間に電流は流れない。すなわち、
である。 ピンチオフ電圧は FET の種類により異なるがおよそ Vp ≈ −3 V とされる。
飽和領域は、ゲート電圧がピンチオフ電圧よりも大きく、かつドレイン電圧がピンチオフ電圧からみたゲート電圧よりも大きな領域であり、ここでは実質的にドレイン–ソース電流はゲート電圧のみの関数である。すなわち、電流はドレイン電圧によらず一定である。ゲート電圧に関してはピンチオフ電圧から測って理想的には 2 乗の特性をもち、式では、
と表される。ただし、IDSS はドレイン飽和電流 (drain saturation current) とよばれる正の電流値で vGS = 0 であるときに流れるドレイン–ソース電流に相当する。このドレイン飽和電流は種類によっても個々の FET によってもかなりのばらつきがある。
これに対して、残りのオーム領域ではドレイン電圧が一定であればドレイン–ソース電流はゲート電圧とともに 1 次でしか増加しない。 一方、ドレイン電圧に関してはそれが 0 のときドレイン–ソース電流が 0 となり、ドレイン電圧とともに上に凸の 2 次曲線を描いて非線型で増加する。モデル上は飽和領域でのゲート電圧の上昇に関する電流の増加と、オーム領域でのドレイン電圧の減少に関する電流の減少は、符号を逆にして 2 乗のオーダーでまったく同じである。すなわち、
となる。
飽和領域は主として増幅用途に用いられるが、オーム領域は特に電圧制御抵抗 (voltage-controlled resistor) として用いることができる。 すなわち、このモデルの特性に基づけば、ゲート端子とゲート端子への入力 x、およびゲート端子とドレイン端子間に同じ大きさの抵抗をつなぎ、ゲート電圧を入力とドレイン電圧とのちょうど中間の電圧 vGS = (x + vDS) / 2 とすることによって、オーム領域での特性を線型化でき、次のように電圧の積に比例した電流を得ることができる。
ただしこれは vDS ≥ 0 のオーム領域でのみ成立する補正であることに注意する必要がある。
電界効果トランジスタ(FET)はその電気的特性から、スイッチング素子や増幅素子として利用される。特にMOSFETでは消費電力を小さくできることに加え、構造が平面的であるため、バイポーラトランジスタと比較して製造や集積化が容易である。そのため集積回路では必要不可欠な素子となっている。デジタル回路では論理回路の基本素子として演算処理装置、記憶素子として使用され、アナログ回路では無線LAN等に代表される通信分野のトランシーバーにおいて、送受信に使用される各種回路(LNA(英語版)、フィルタ、ミキサ等)として使用され、アナログスイッチや電子ボリュームなどにも応用される。極超短波以上ではシリコンよりもキャリアの移動度が高いヒ化ガリウム (GaAs) のような化合物半導体などを用いた電界効果トランジスタ(FET)が用いられている。
この他、接合型FETには電気的特性が真空管にかなり近いという特徴があるため、初期の接合型FETには、小型化に逆行してあえて真空管と同じサイズと形状のパッケージを採用して、真空管を使った回路の設計変更を回避するという使用法があった。
電界効果トランジスタ(FET)の飽和領域動作では「ゲート電圧が一定であればドレイン電流が一定」であるため、回路に直列に接続してある程度以上の電圧が加わるようにしておけば、常に一定の電流が流れる定電流素子として使うことができる。これを利用する、JFETのゲートをソースと直結し2端子化して定電流ダイオードと称した部品がある。順方向の使用で定電流の性能を発揮し、発光ダイオードの電流制限などに利用されている。ダイオードの名で、パッケージもダイオードと同じものを使っているが、本来のダイオードとは構造は全く異なり,逆方向の電流を制限する整流作用もない。
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"text": "電界効果トランジスタ(でんかいこうかトランジスタ、Field effect transistor, FET)は、半導体の内部に生じる電界によって電流を制御する方式のトランジスタである。",
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"text": "微細かつ平面的なものを大量に製造する技術が確立されており、集積回路に搭載されている半導体素子としては最も一般的である。一般的なスマートフォンやパーソナルコンピュータに搭載されているCPUには、1億個以上のFETが組み込まれている。",
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"text": "この記事では主にSiなどの無機半導体によるものについて述べる。有機半導体を用いたものについては有機電界効果トランジスタを参照。",
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"text": "FETは、ゲート電極に電圧を加えることでチャネル領域に生じる電界によって電子または正孔の密度を制御し、ソース・ドレイン電極間の電流を制御するトランジスタである。トランジスタの動作原理には大きく分けて二つの方式があり、電子と正孔の2種類のキャリアの働きによるバイポーラトランジスタに対して、FETはいずれか1種類のキャリアだけを用いるため、ユニポーラトランジスタと呼ばれる。 FETは、制御点であるゲートへの電圧駆動で動作する。対してバイポーラトランジスタはベースに対する電流駆動である。",
"title": "概要"
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"text": "製作方法と構造での主な種類として、接合型FET(ジャンクションFET, JFET,J-FET)とMOSFETに大別される。さらにゲート電極に金属素材を用いたMESFETがある。 チャネルの種類による分類でn型とp型が存在する。",
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"text": "FETには主な3種類の端子「ゲート」「ソース」「ドレイン」がある。ジャンクションFETは通常、以上の3端子のみを持つ。",
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"text": "MOSFETでは「ゲート」「ソース」「ドレイン」「バックゲート/バルク/サブストレート/ボディ(半導体チップ基板で呼称が一定していない)」の4端子で構成される。チャネルの種類によりp型チャネルの PMOSとn型チャネルのNMOSの2種類がある。MOSFETが個別にパッケージされたディスクリート部品では4端子が別々に出ているものも少数存在するが、一般的にはソースとバックゲートを内部で直結した3端子になっており、回路図記号はその構造を反映してバックゲートが省略されることもある。",
"title": "概要"
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"text": "特殊なものとしては、1つのチャネルに複数のゲートがあるマルチゲート(2つならダブルゲート)のFET(マルチゲート素子も参照)や、2つのFETを組み合わせたデュアルFETがある(バイポーラのトランジスタと同様、同一のシリコンチップに作り込んであって特性が揃っている、というものもあれば、単に同一のパッケージ内に2個入っているだけのものもある)。",
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"text": "高耐圧パワーMOSFETなど特殊なFETの品種を除いて、通常のFETはソースとドレインは対称構造であるため物理的な違いはなく、電流を流す向きにより便宜的にソースとドレインとしている。p型チャネルは高電位側がソース/低電位側がドレイン、n型チャネルは高電位側がドレイン/低電位側がソースとなる。ただし前述のようにディスクリートの3端子のMOSFETはソースとバックゲートが内部で直結されているため、ソースとドレインは逆にできない。",
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"text": "構造上、MOSFETのバックゲートとソースおよびドレインの間にはpn接合があり、寄生ダイオードと呼ぶ。MOSFETの回路図記号の中央に書かれることがある矢印は、この寄生ダイオードの順方向バイアスを示している(横に別に大きく描くこともある)。パワーMOSFETで誘導性負荷やモータを駆動する際、オフ時の過渡的な逆起電力を逃すためのフリーホイールダイオードとして働かせるようにすると有用である。寄生ダイオードを通してバックゲートから電流が流れないようにするため電位がp型チャネルではバックゲート≧ソース≧ドレイン、n型チャネルではドレイン≧ソース≧バックゲートになるように接続する。つまり、ドレイン・ソース間の電流は、矢印と反対方向に流れる。",
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"text": "FETのドレイン・ソース間に流れる電流が通過する領域をチャネルという。半導体にn型とp型が存在するのと同様、チャネルにはn型チャネルとp型チャネルの2種類が存在する。n型チャネルでは負電荷 (negative charge) を帯びた電子が、p型チャネルでは正電荷 (positive charge) を帯びた正孔がキャリアとなる。ゲート電圧によりチャネルに生じる電界がキャリアを集め、もしくは斥けることでキャリア濃度が変化し、したがって抵抗率が変化する。ここで、チャネルの型はFETの動作領域において導電に寄与するキャリアのタイプに基いて決まるものであり、実際のチャネルを構成する半導体のn型・p型と一致しない場合がある点に注意が必要である。実際に、HEMTではチャネル部分の半導体はi型であり、MOSFETでは、n型チャネルの場合、p型の半導体中の反転層を電子が流れることになる。このチャネルの型を示すため、FETのタイプの前にnやpの文字をつけて表すこともある(例えば、NMOS、PMOS)。",
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"text": "なお、一般に使用されるCMOS(相補型MOS、Complemetary MOS の略)は、NMOSとPMOSを組み合わせた構造であることを示し、CMOSと呼ばれるMOSのタイプがあるわけではない。",
"title": "概要"
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"text": "接合型 FET は通常ゲート端子がドレイン・ソース両端子よりも低い電圧で用いる。このときゲート端子は高インピーダンスでほとんど電流を流さない。よって考えるべき電流はドレインからソースへ流れる電流 iDS のみである。 ソース電圧を基準に取り、ゲート電圧を vGS (≤ 0)、ドレイン電圧を vDS と表せば、iDS はこれらの関数としてモデル化される。 ただし以下では vDS ≥ 0 とする。",
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"text": "この関数は、定義域をオーム領域(ohmic region, または線型領域)、飽和領域 (saturation region)、ピンチオフ領域 (pinch-off region) という3つの領域に分割する。ピンチオフ領域はゲート電圧がピンチオフ電圧 (pinch-off voltage) Vp とよばれる負の決まった電圧以下の領域である。この領域では電界によりチャネルにキャリアが存在しなくなり(空乏層)、ドレイン–ソース間に電流は流れない。すなわち、",
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"text": "である。 ピンチオフ電圧は FET の種類により異なるがおよそ Vp ≈ −3 V とされる。",
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"text": "飽和領域は、ゲート電圧がピンチオフ電圧よりも大きく、かつドレイン電圧がピンチオフ電圧からみたゲート電圧よりも大きな領域であり、ここでは実質的にドレイン–ソース電流はゲート電圧のみの関数である。すなわち、電流はドレイン電圧によらず一定である。ゲート電圧に関してはピンチオフ電圧から測って理想的には 2 乗の特性をもち、式では、",
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"text": "これに対して、残りのオーム領域ではドレイン電圧が一定であればドレイン–ソース電流はゲート電圧とともに 1 次でしか増加しない。 一方、ドレイン電圧に関してはそれが 0 のときドレイン–ソース電流が 0 となり、ドレイン電圧とともに上に凸の 2 次曲線を描いて非線型で増加する。モデル上は飽和領域でのゲート電圧の上昇に関する電流の増加と、オーム領域でのドレイン電圧の減少に関する電流の減少は、符号を逆にして 2 乗のオーダーでまったく同じである。すなわち、",
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"text": "となる。",
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"text": "飽和領域は主として増幅用途に用いられるが、オーム領域は特に電圧制御抵抗 (voltage-controlled resistor) として用いることができる。 すなわち、このモデルの特性に基づけば、ゲート端子とゲート端子への入力 x、およびゲート端子とドレイン端子間に同じ大きさの抵抗をつなぎ、ゲート電圧を入力とドレイン電圧とのちょうど中間の電圧 vGS = (x + vDS) / 2 とすることによって、オーム領域での特性を線型化でき、次のように電圧の積に比例した電流を得ることができる。",
"title": "n型チャネル接合型FETのモデル"
},
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"text": "ただしこれは vDS ≥ 0 のオーム領域でのみ成立する補正であることに注意する必要がある。",
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"text": "電界効果トランジスタ(FET)はその電気的特性から、スイッチング素子や増幅素子として利用される。特にMOSFETでは消費電力を小さくできることに加え、構造が平面的であるため、バイポーラトランジスタと比較して製造や集積化が容易である。そのため集積回路では必要不可欠な素子となっている。デジタル回路では論理回路の基本素子として演算処理装置、記憶素子として使用され、アナログ回路では無線LAN等に代表される通信分野のトランシーバーにおいて、送受信に使用される各種回路(LNA(英語版)、フィルタ、ミキサ等)として使用され、アナログスイッチや電子ボリュームなどにも応用される。極超短波以上ではシリコンよりもキャリアの移動度が高いヒ化ガリウム (GaAs) のような化合物半導体などを用いた電界効果トランジスタ(FET)が用いられている。",
"title": "用途"
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"text": "この他、接合型FETには電気的特性が真空管にかなり近いという特徴があるため、初期の接合型FETには、小型化に逆行してあえて真空管と同じサイズと形状のパッケージを採用して、真空管を使った回路の設計変更を回避するという使用法があった。",
"title": "用途"
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"paragraph_id": 24,
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"text": "電界効果トランジスタ(FET)の飽和領域動作では「ゲート電圧が一定であればドレイン電流が一定」であるため、回路に直列に接続してある程度以上の電圧が加わるようにしておけば、常に一定の電流が流れる定電流素子として使うことができる。これを利用する、JFETのゲートをソースと直結し2端子化して定電流ダイオードと称した部品がある。順方向の使用で定電流の性能を発揮し、発光ダイオードの電流制限などに利用されている。ダイオードの名で、パッケージもダイオードと同じものを使っているが、本来のダイオードとは構造は全く異なり,逆方向の電流を制限する整流作用もない。",
"title": "用途"
}
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電界効果トランジスタは、半導体の内部に生じる電界によって電流を制御する方式のトランジスタである。 微細かつ平面的なものを大量に製造する技術が確立されており、集積回路に搭載されている半導体素子としては最も一般的である。一般的なスマートフォンやパーソナルコンピュータに搭載されているCPUには、1億個以上のFETが組み込まれている。 この記事では主にSiなどの無機半導体によるものについて述べる。有機半導体を用いたものについては有機電界効果トランジスタを参照。
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[[ファイル:D2PAK.JPG|代替文=|サムネイル|186x186ピクセル|[[パッケージ (電子部品)|パッケージ]] された[[MOSFET]]の一例]]
'''電界効果トランジスタ'''(でんかいこうかトランジスタ、{{Lang|en|'''Field effect transistor'''}}, '''FET''')は、[[半導体]]の内部に生じる[[電界]]によって[[電流]]を制御する方式の[[トランジスタ]]である。
微細かつ平面的なものを大量に製造する技術が確立されており、[[集積回路]]に搭載されている[[半導体素子]]としては最も一般的である。一般的な[[スマートフォン]]や[[パーソナルコンピュータ]]に搭載されている[[CPU]]には、1億個以上のFETが組み込まれている。
この記事では主にSiなどの無機半導体によるものについて述べる。[[有機半導体]]を用いたものについては[[有機電界効果トランジスタ]]を参照。
== 概要 ==
FETは、ゲート[[電極]]に[[電圧]]を加えることで[[#チャネル|チャネル]]領域に生じる[[電界]]によって[[電子]]または[[正孔]]の密度を制御し、ソース・ドレイン電極間の電流を制御する[[トランジスタ]]である。トランジスタの動作原理には大きく分けて二つの方式があり、電子と正孔の2種類の[[電荷担体|キャリア]]の働きによる[[バイポーラトランジスタ]]に対して、FETはいずれか1種類のキャリアだけを用いるため、ユニポーラトランジスタと呼ばれる。
FETは、制御点であるゲートへの電圧駆動で動作する。対してバイポーラトランジスタはベースに対する電流駆動である。
製作方法と構造での主な種類として、接合型FET(ジャンクションFET, JFET,J-FET)と[[MOSFET]]に大別される。さらにゲート電極に金属素材を用いた[[MESFET]]がある。
チャネルの種類による分類でn型とp型が存在する。
=== 端子 ===
[[File:Jfet.png|thumb|P型チャネルJFET模式図]]
FETには主な3種類の端子「'''ゲート'''」「'''ソース'''」「'''ドレイン'''」がある。ジャンクションFETは通常、以上の3端子のみを持つ。
[[File:Lateral mosfet japanese.png|thumb|N型チャネルMOSFET模式図]]
[[MOSFET]]では「'''ゲート'''」「'''ソース'''」「'''ドレイン'''」「'''バックゲート/バルク/サブストレート/ボディ'''(半導体チップ基板で呼称が一定していない)」の4端子で構成される。チャネルの種類によりp型チャネルの PMOSとn型チャネルのNMOSの2種類がある。MOSFETが個別に[[パッケージ (電子部品)|パッケージ]]されたディスクリート部品では4端子が別々に出ているものも少数存在するが、一般的にはソースとバックゲートを内部で直結した3端子になっており、回路図記号はその構造を反映してバックゲートが省略されることもある。
特殊なものとしては、1つのチャネルに複数のゲートがあるマルチゲート(2つならダブルゲート)のFET([[マルチゲート素子]]も参照)や、2つのFETを組み合わせたデュアルFETがある(バイポーラのトランジスタと同様、同一のシリコンチップに作り込んであって特性が揃っている、というものもあれば、単に同一のパッケージ内に2個入っているだけのものもある)。
=== 構造 ===
高耐圧[[パワーMOSFET]]など特殊なFETの品種を除いて、通常のFETはソースとドレインは対称構造であるため物理的な違いはなく、電流を流す向きにより便宜的にソースとドレインとしている。p型チャネルは高電位側がソース/低電位側がドレイン、n型チャネルは高電位側がドレイン/低電位側がソースとなる。ただし前述のようにディスクリートの3端子のMOSFETはソースとバックゲートが内部で直結されているため、ソースとドレインは逆にできない。
[[File:E-MOSFET1.jpg|thumb|エンハンスメントモードのn型チャネルMOSFET回路図記号]]
構造上、MOSFETのバックゲートとソースおよびドレインの間には[[pn接合]]があり、寄生ダイオードと呼ぶ。MOSFETの[[回路図]]記号の中央に書かれることがある矢印は、この寄生ダイオードの順方向バイアスを示している(横に別に大きく描くこともある)。パワーMOSFETで誘導性負荷やモータを駆動する際、オフ時の過渡的な逆起電力を逃すためのフリーホイールダイオードとして働かせるようにすると有用である。寄生ダイオードを通してバックゲートから電流が流れないようにするため電位がp型チャネルではバックゲート≧ソース≧ドレイン、n型チャネルではドレイン≧ソース≧バックゲートになるように接続する。つまり、ドレイン・ソース間の電流は、矢印と反対方向に流れる。
=== チャネル ===
FETのドレイン・ソース間に流れる電流が通過する領域をチャネルという。半導体にn型とp型が存在するのと同様、チャネルにはn型チャネルとp型チャネルの2種類が存在する。n型チャネルでは負電荷 ({{Lang|en|'''n'''egative charge}}) を帯びた電子が、p型チャネルでは正電荷 ({{Lang|en|'''p'''ositive charge}}) を帯びた正孔がキャリアとなる。ゲート電圧によりチャネルに生じる電界がキャリアを集め、もしくは斥けることでキャリア濃度が変化し、したがって抵抗率が変化する。ここで、チャネルの型はFETの動作領域において導電に寄与するキャリアのタイプに基いて決まるものであり、実際のチャネルを構成する半導体のn型・p型と一致しない場合がある点に注意が必要である。実際に、[[高電子移動度トランジスタ|HEMT]]ではチャネル部分の半導体は[[真性半導体|i型]]であり、[[MOSFET]]では、n型チャネルの場合、p型の半導体中の反転層を電子が流れることになる。このチャネルの型を示すため、FETのタイプの前にnやpの文字をつけて表すこともある(例えば、NMOS、PMOS)。
なお、一般に使用される[[CMOS]](相補型MOS、{{Lang|en|Complemetary MOS}} の略)は、NMOSとPMOSを組み合わせた構造であることを示し、CMOSと呼ばれるMOSのタイプがあるわけではない。
== 分類 ==
=== ゲート電圧とドレイン電流の関係による分類 ===
;エンハンスメントモード ({{Lang|en|enhancement mode}}) 動作 = ノーマリーオフ ({{Lang|en|normally off}})
:ゲート電圧をかけないときはチャネルが存在せずドレイン電流が流れないもの。入力が電流か電圧かの違いがあるが、バイポーラトランジスタの動作特性に似ている。MOSFETのほとんどはこちら。回路図記号では、縦棒を区切ってノーマリーオフであることを表現する。
;ディプリーションモード ({{Lang|en|depletion mode}}) 動作 = ノーマリーオン ({{Lang|en|normally on}})
:ゲート電圧をかけないときもチャネルが存在しドレイン電流が流れるもの。逆電圧(ピンチオフ電圧)が掛かると電流が止まる。[[真空管]]の動作特性に似ている。JFETは全てこちら。ディスクリートのMOSFETでは、広く市販されているものでは極く一部の高周波小信号用の品種のみ。また、集積回路技術で[[CMOS]]が一般的になる以前に、NMOS方式の一種の[[HMOS|depletion-load NMOS]]のVdd側に使う、という用法があり、[[Z80]]など8ビット時代、ないし16ビット時代の初期の[[マイクロプロセッサ]]のいくつかのオリジナル版はそれのことがある。
;ゼロスレッショルド
:以上の2種類の動作のちょうど中間で、ほぼ0V付近に閾値電圧があるように製造時に調整されたMOSFET。閾値電圧は製造バラツキが比較的大きいため、従来はそのような市販製品は無かったが、近年の技術開発により市販されるようになった。
=== ゲート接合部の構造による分類 ===
;[[MOSFET]](MOS = {{Lang|en|Metal-Oxide-Semiconductor}}、金属-酸化物-半導体)
: ゲート金属電極の下の半導体部分表面が酸化膜による絶縁膜になっている。現在の集積回路の主流となっている。特にP/N両型を相補的に利用する[[CMOS]]型が多用されている。
;接合形({{Lang|en|Junction FET}}, JFET)
: ゲート部分が[[pn接合]]になっている。
;金属半導体形({{Lang|en|Metal Semiconductor FET}}, [[MESFET]])
: ゲート部分が金属電極と半導体の直接接合([[ショットキー接合]])になっているもの。
== n型チャネル接合型FETのモデル ==
[[ファイル:Junction-type FET Structural drawing.png|サムネイル|n型チャネル接合型fetの構造図]]
([[MOSFET]]についてはそちらの記事を参照のこと)
接合型 FET は通常ゲート端子がドレイン・ソース両端子よりも低い電圧で用いる。このときゲート端子は高インピーダンスでほとんど電流を流さない。よって考えるべき電流はドレインからソースへ流れる電流 {{Math|''i''<sub>DS</sub>}} のみである。 ソース電圧を基準に取り、ゲート電圧を {{Math|''v''<sub>GS</sub> (≤ 0)}}、ドレイン電圧を {{Math|''v''<sub>DS</sub>}} と表せば、{{Math|''i''<sub>DS</sub>}} はこれらの関数としてモデル化される。 ただし以下では {{Math|''v''<sub>DS</sub> ≥ 0}} とする。
[[ファイル:JFET n-channel en.svg|サムネイル|n型チャネル接合型FETの電圧−電流特性グラフ。接合型FETはディプリーションモードしかないので、V<sub>GS</sub> ≦ 0である。]]
この関数は、定義域を'''オーム領域'''({{Lang|en|ohmic region}}, または'''線型領域''')、'''飽和領域''' ({{Lang|en|saturation region}})、'''ピンチオフ領域''' ({{Lang|en|pinch-off region}}) という3つの領域に分割する。ピンチオフ領域はゲート電圧が'''ピンチオフ電圧''' ({{Lang|en|pinch-off voltage}}) {{Math|''V''<sub>p</sub>}} とよばれる負の決まった電圧以下の領域である。この領域では電界によりチャネルにキャリアが存在しなくなり([[空乏層]])、ドレイン–ソース間に電流は流れない。すなわち、
: <math>i_\mathrm{DS} = 0 \qquad (v_\mathrm{GS} \leq V_\mathrm p < 0)</math>
である。 ピンチオフ電圧は FET の種類により異なるがおよそ {{Math|''V''<sub>p</sub> ≈ −3 V}} とされる。
飽和領域は、ゲート電圧がピンチオフ電圧よりも大きく、かつドレイン電圧がピンチオフ電圧からみたゲート電圧よりも大きな領域であり、ここでは実質的にドレイン–ソース電流はゲート電圧のみの関数である。すなわち、電流はドレイン電圧によらず一定である。ゲート電圧に関してはピンチオフ電圧から測って理想的には 2 乗の特性をもち、式では、
: <math>i_\mathrm{DS} = \frac{I_\mathrm{DSS}}{V_\mathrm p^2} (v_\mathrm{GS} - V_\mathrm p)^2 \qquad (V_\mathrm p \leq v_\mathrm{GS} \leq 0,\; v_\mathrm{GS} - V_\mathrm p \leq v_\mathrm{DS})</math>
と表される。ただし、{{Math|''I''<sub>DSS</sub>}} は'''ドレイン飽和電流''' ({{Lang|en|drain saturation current}}) とよばれる正の電流値で {{Math|1=''v''<sub>GS</sub> = 0}} であるときに流れるドレイン–ソース電流に相当する。このドレイン飽和電流は種類によっても個々の FET によってもかなりのばらつきがある。
これに対して、残りのオーム領域ではドレイン電圧が一定であればドレイン–ソース電流はゲート電圧とともに 1 次でしか増加しない。 一方、ドレイン電圧に関してはそれが 0 のときドレイン–ソース電流が 0 となり、ドレイン電圧とともに上に凸の 2 次曲線を描いて非線型で増加する。モデル上は飽和領域でのゲート電圧の上昇に関する電流の増加と、オーム領域でのドレイン電圧の減少に関する電流の減少は、符号を逆にして 2 乗のオーダーでまったく同じである。すなわち、
: <math>i_\mathrm{DS} = \frac{I_\mathrm{DSS}}{V_\mathrm p^2} \{2(v_\mathrm{GS} - V_\mathrm p) v_\mathrm{DS} - v_\mathrm{DS}^2\} \quad (V_\mathrm p \leq v_\mathrm{GS} \leq 0,\; 0 \leq v_\mathrm{DS} \leq v_\mathrm{GS} - V_\mathrm p)</math>
となる。
飽和領域は主として増幅用途に用いられるが、オーム領域は特に'''電圧制御抵抗''' ({{Lang|en|voltage-controlled resistor}}) として用いることができる。 すなわち、このモデルの特性に基づけば、ゲート端子とゲート端子への入力 {{Mvar|x}}、およびゲート端子とドレイン端子間に同じ大きさの抵抗をつなぎ、ゲート電圧を入力とドレイン電圧とのちょうど中間の電圧 {{Math|1=''v''<sub>GS</sub> = (''x'' + ''v''<sub>DS</sub>) / 2}} とすることによって、オーム領域での特性を線型化でき、次のように電圧の積に比例した電流を得ることができる。
: <math>i_\mathrm{DS} = \frac{I_\mathrm{DSS}}{V_\mathrm p^2} (x - 2 V_\mathrm p) v_\mathrm{DS}</math>  (オーム領域)
ただしこれは {{Math|''v''<sub>DS</sub> ≥ 0}} のオーム領域でのみ成立する補正であることに注意する必要がある。
== 用途 ==
電界効果トランジスタ(FET)はその電気的特性から、スイッチング素子や増幅素子として利用される。特にMOSFETでは消費電力を小さくできることに加え、構造が平面的であるため、[[バイポーラトランジスタ]]と比較して製造や集積化が容易である。そのため[[集積回路]]では必要不可欠な素子となっている。[[デジタル回路]]では[[論理回路]]の基本素子として演算処理装置、記憶素子として使用され、[[アナログ回路]]では[[無線LAN]]等に代表される通信分野の[[トランシーバ (ネットワーク機器)|トランシーバー]]において、送受信に使用される各種回路({{仮リンク|低ノイズ増幅器|en|Low noise amplifier|label=LNA}}、[[フィルタ回路|フィルタ]]、[[混合器 (ヘテロダイン)|ミキサ]]等)として使用され、[[アナログスイッチ]]や電子ボリュームなどにも応用される。[[極超短波]]以上では[[ケイ素|シリコン]]よりも[[半導体#半導体の型|キャリア]]の[[電子移動度|移動度]]が高い[[ヒ化ガリウム]] (GaAs) のような化合物半導体などを用いた電界効果トランジスタ(FET)が用いられている。
この他、接合型FETには電気的特性が真空管にかなり近いという特徴があるため、初期の接合型FETには、小型化に逆行してあえて真空管と同じサイズと形状のパッケージを採用して、真空管を使った回路の設計変更を回避するという使用法があった。
=== 定電流ダイオードとして ===
電界効果トランジスタ(FET)の飽和領域動作では「ゲート電圧が一定であればドレイン電流が一定」であるため、回路に[[直列回路と並列回路|直列]]に接続してある程度以上の電圧が加わるようにしておけば、常に一定の電流が流れる定電流素子として使うことができる。これを利用する、JFETのゲートをソースと直結し2端子化して'''定電流ダイオード'''と称した部品がある。順方向の使用で定電流の性能を発揮し、[[発光ダイオード]]の電流制限などに利用されている。[[ダイオード]]の名で、パッケージもダイオードと同じものを使っているが、本来のダイオードとは構造は全く異なり,逆方向の電流を制限する整流作用もない。
== 参考文献 ==
{{参照方法|date=2016年6月|section=1}}
{{Refbegin|2}}
* 最新FET(電界効果トランジスタ)規格表 各年度版(CQ出版社) - 1968年版(初版)から1986年版までは個別特性図が付いていた。1987年版から個別特性図ははずされた。1994年版から初期のFETの規格が外された。
*{{Cite book|author= S. M. Sze, |authorlink=サイモン・ジィー|title=Semiconductor devices, physics and technology |publisher=John Wiley & Sons |location=New York |year=1985 }}
*{{Cite book|和書|author=S.M.ジィー |authorlink=サイモン・ジィー|year=2004 |title=半導体デバイス―基礎理論とプロセス技術 |edition=第2版 |publisher=産業図書 |isbn=4782855508 |ref=harv }}
{{Refend}}
== 関連項目 ==
* [[IGBT]]
* [[グラフェン電界効果トランジスタ]]
{{Commonscat|Field-effect Transistors}}
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[[Category:電子部品]]
[[Category:トランジスタ]]
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関東地方の道路一覧
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関東地方の道路一覧(かんとうちほうのどうろいちらん) は、関東地方の道路を関東地方内の地域別に分けた一覧である。
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関東地方の道路一覧(かんとうちほうのどうろいちらん) は、関東地方の道路を関東地方内の地域別に分けた一覧である。
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'''関東地方の道路一覧'''(かんとうちほうのどうろいちらん) は、[[関東地方]]の[[道路]]を関東地方内の地域別に分けた一覧である。
== 解説 ==
* 「超広域」とは、その地域を走り、なおかつ他の地域にまたがって走る道路である。<!-- 詳細は、その地域を含んだ親の地域の「広域」に同じ道路名を見つけることが出来る。 -->
* 「広域」とは、その地域内の複数の部分にまたがった道路である。地域内で完結している。
* 「未区分」は、地域内の区分が編集されていない。判明した場合は対応の地域へ移動すること。
== 超広域 ==
* {{Ja Exp Route Sign|E4}} [[東北自動車道]](川口JCT - 青森)
* {{Ja Exp Route Sign|E17}} [[関越自動車道]](練馬 - 長岡JCT)
* {{Ja Exp Route Sign|E18}} [[上信越自動車道]](藤岡JCT - 上越JCT)
* {{Ja Exp Route Sign|E6}} [[常磐自動車道]](三郷JCT - 亘理)
* {{Ja Exp Route Sign|E20}} / {{Ja Exp Route Sign|E19}} / {{Ja Exp Route Sign|E68}} / ( {{Ja Exp Route Sign|E52}} ) [[中央自動車道]](高井戸 - 小牧JCT、大月JCT - 河口湖)
* {{Ja Exp Route Sign|E1}} [[東名高速道路]](東京 - 小牧)
* {{Ja Exp Route Sign|E1A}} / {{Ja Exp Route Sign|E52}} / {{Ja Exp Route Sign|E69}} [[新東名高速道路]](海老名南JCT - 新秦野IC、新御殿場IC - 豊田東JCT・他は建設中)
* [[国道1号]]([[東京都]][[中央区 (東京都)|中央区]] - [[大阪府]][[大阪市]])
* [[国道4号]](東京都中央区 - [[青森県]][[青森市]])
* [[国道6号]](東京都中央区 - [[宮城県]][[仙台市]])
* [[国道17号]](東京都中央区 - [[新潟県]][[新潟市]])
* [[国道18号]]([[群馬県]][[高崎市]] - 新潟県[[上越市]])
* [[国道20号]](東京都中央区 - [[長野県]][[塩尻市]])
* [[国道118号]]([[茨城県]][[水戸市]] - [[福島県]][[会津若松市]])
* [[国道121号]]([[山形県]][[米沢市]] - [[栃木県]][[芳賀郡]][[益子町]])
* [[国道135号]]([[静岡県]][[下田市]] - [[神奈川県]][[小田原市]])
* [[国道139号]](静岡県[[富士市]] - 東京都[[西多摩郡]][[奥多摩町]])
* [[国道140号]]([[埼玉県]][[熊谷市]] - [[山梨県]][[南巨摩郡]][[富士川町]])
* [[国道144号]](群馬県[[吾妻郡]][[長野原町]] - 長野県[[上田市]])
* [[国道146号]](群馬県吾妻郡長野原町 - 長野県[[北佐久郡]][[軽井沢町]])
* [[国道246号]](東京都[[千代田区]] - 静岡県[[沼津市]])
* [[国道254号]](東京都[[文京区]] - 長野県[[松本市]])
* [[国道291号]](群馬県[[前橋市]] - 新潟県[[柏崎市]])
* [[国道292号]](群馬県吾妻郡長野原町 - 新潟県[[妙高市]])
* [[国道294号]]([[千葉県]][[柏市]] - 福島県[[会津若松市]])
* [[国道299号]](長野県[[茅野市]] - 埼玉県[[入間市]])
* [[国道349号]](茨城県水戸市 - 宮城県[[柴田郡]][[柴田町]])
* [[国道352号]](新潟県[[柏崎市]] - 栃木県[[河内郡]][[上三川町]])
* [[国道353号]](群馬県[[桐生市]] - 新潟県柏崎市)
* [[国道400号]](茨城県水戸市 - 福島県[[耶麻郡]][[西会津町]])
* [[国道401号]](福島県会津若松市 - 群馬県[[沼田市]])
* [[国道405号]](群馬県吾妻郡[[中之条町]] - 新潟県[[上越市]])
* [[国道406号]](長野県[[大町市]] - 群馬県高崎市)
* [[国道411号]](東京都[[八王子市]] - 山梨県[[甲府市]])
* [[国道413号]](山梨県[[富士吉田市]] - [[神奈川県]][[相模原市]])
* [[国道462号]](長野県[[佐久市]] - 群馬県[[伊勢崎市]])
== 広域 ==
* {{Ja Exp Route Sign|C3}} [[東京外環自動車道]](大泉JCT - 高谷JCT)
* {{Ja Exp Route Sign|E51}} [[東関東自動車道]](高谷JCT - 潮来、鉾田 - 茨城町JCT)
* {{Ja Exp Route Sign|E50}} [[北関東自動車道]](高崎JCT - ひたちなか)
* {{Ja Exp Route Sign|C4}} / {{Ja Exp Route Sign|E66}} [[首都圏中央連絡自動車道]]([[国道468号]])
* [[国道14号]](東京都中央区 - 千葉県[[千葉市]])([[京葉道路]])
* [[国道15号]](東京都中央区 - 神奈川県横浜市)
* [[国道16号]](神奈川県横浜市 - 千葉県富津市)
* [[国道50号]](群馬県[[前橋市]] - 茨城県[[水戸市]])
* [[国道51号]](千葉県千葉市 - 茨城県水戸市)
* [[国道120号]](栃木県[[日光市]] - 群馬県沼田市)
* [[国道122号]](栃木県日光市 - 東京都[[豊島区]])
* [[国道123号]](栃木県[[宇都宮市]] - 茨城県水戸市)
* [[国道124号]](千葉県[[銚子市]] - 茨城県水戸市)
* [[国道125号]](千葉県[[香取市]] - 埼玉県熊谷市)
* [[国道293号]](茨城県[[日立市]] - 栃木県[[足利市]])
* [[国道298号]](埼玉県[[和光市]] - 千葉県[[市川市]])
* [[国道354号]](群馬県高崎市 - 茨城県[[鉾田市]])
* [[国道355号]](千葉県香取市 - 茨城県[[笠間市]])
* [[国道357号]](千葉県千葉市 - 神奈川県[[横須賀市]])
* [[国道407号]](栃木県足利市 - 埼玉県[[入間市]])
* [[国道408号]](千葉県[[成田市]] - 栃木県[[塩谷郡]][[高根沢町]])
* [[国道409号]](神奈川県川崎市 - 千葉県成田市)([[東京湾アクアライン]])
* [[国道461号]](栃木県[[日光市]] - 茨城県[[日立市]])
* [[国道466号]](東京都[[世田谷区]] - 神奈川県横浜市)([[第三京浜]])
* [[国道468号]](神奈川県横浜市 - 千葉県[[木更津市]])
* [[ファイル:Shuto Urban Expwy Sign B.svg|24px]] [[首都高速湾岸線]] (B)(並木 - 高谷JCT)
<!--
== 未分類 ==
-->
== 茨城県 ==
===広域===
* [[国道245号]](茨城県水戸市 - 茨城県日立市)
* {{Ja Exp Route Sign|E50}}[[東水戸道路]]
=== 県道 ===
* [[茨城県の県道一覧]]
=== 日立市 ===
* [[日立有料道路]](県道66号)
=== つくば市 ===
* [[筑波スカイライン]]
=== ひたちなか市 ===
* {{Ja Exp Route Sign|E50}} [[常陸那珂有料道路]]
=== 常総市 ===
* [[水海道有料道路]]
== 栃木県 ==
=== 広域 ===
* [[国道119号]](栃木県日光市 - 栃木県宇都宮市)([[日光宇都宮道路]])
=== 県道 ===
* [[栃木県の県道一覧]]
=== 有料道路 ===
* {{Ja Exp Route Sign|E81}} [[日光宇都宮道路]]
== 群馬県 ==
=== 広域 ===
* [[国道145号]](群馬県[[吾妻郡]][[長野原町]] - 群馬県沼田市)
=== 県道 ===
* [[群馬県の県道一覧]]
=== 嬬恋村 ===
* [[万座ハイウェー]](群馬県吾妻郡[[嬬恋村]])
* [[鬼押ハイウェー]](群馬県吾妻郡嬬恋村<一部、長野県[[北佐久郡]][[軽井沢町]]>)
== 埼玉県 ==
=== 広域 ===
* [[国道463号]](埼玉県[[越谷市]] - 埼玉県入間市)
* [[熊谷東松山道路]](埼玉県熊谷市 - 埼玉県比企郡滑川町)
* [[皆野寄居バイパス]](埼玉県[[大里郡]][[寄居町]] - 埼玉県[[秩父郡]][[皆野町]])
=== 県道 ===
* [[埼玉県の県道一覧]]
=== さいたま市 ===
* [[ファイル:Shuto Urban Expwy Sign S2.svg|24px]] [[首都高速埼玉新都心線]] (S2)(与野JCT - さいたま見沼)
* [[ファイル:Shuto Urban Expwy Sign S5.svg|24px]] [[首都高速埼玉大宮線]] (S5)(美女木JCT - 与野JCT)
== 千葉県 ==
=== 広域 ===
* {{Ja Exp Route Sign|E14}} [[館山自動車道]](蘇我 - 君津)
* {{Ja Exp Route Sign|E14}} [[富津館山道路]](君津 - [[南房総市]])
* [[東総有料道路]]
* [[九十九里有料道路]]
* [[房総スカイライン]]
* [[国道16号]]{{Ja Exp Route Sign|E14}} [[京葉道路]]
* [[国道126号]](千葉県銚子市 - 千葉県千葉市)([[千葉東金道路]])
* [[国道127号]](千葉県[[館山市]] - 千葉県木更津市)([[富津館山道路]])
* [[国道128号]](千葉県館山市 - 千葉県千葉市)
* [[国道296号]](千葉県[[匝瑳市]] - 千葉県[[船橋市]])
* [[国道297号]](千葉県館山市 - 千葉県[[市原市]])
* [[国道356号]](千葉県銚子市 - 千葉県[[我孫子市]])
* [[国道410号]](千葉県館山市 - 千葉県木更津市)
* [[国道464号]](千葉県[[松戸市]] - 千葉県成田市)
* [[国道465号]](千葉県[[茂原市]] - 千葉県富津市)
=== 県道 ===
* [[千葉県の県道一覧]]
=== 千葉市 ===
*{{Ja Exp Route Sign|E82}} [[千葉東金道路]](千葉 - 東金)
* [[千葉外房有料道路]](千葉 - 茂原)
=== 成田市 ===
* {{Ja Exp Route Sign|E65}} [[新空港自動車道]](成田 - 新空港)
* [[国道295号]](千葉県[[成田国際空港]] - 千葉県成田市)
== 東京都 ==
<!--
=== 広域 ===
-->
=== 都道 ===
* [[東京都の都道一覧]]
=== 都道(首都高速道路) ===
* [[ファイル:Shuto Urban Expwy Sign C1.svg|24px]] [[首都高速都心環状線]] (C1)
* [[ファイル:Shuto Urban Expwy Sign C2.svg|24px]] [[首都高速中央環状線]] (C2)(板橋JCT - 葛西JCT)
* [[ファイル:Shuto Urban Expwy Sign 1-Ueno.svg|24px]] [[首都高速1号上野線]](江戸橋JCT - 入谷)
* [[ファイル:Shuto Urban Expwy Sign 1-Haneda.svg|24px]] [[首都高速1号羽田線]](浜崎橋JCT - 羽田)
* [[ファイル:Shuto Urban Expwy Sign 0002.svg|24px]] [[首都高速2号目黒線]](一ノ橋JCT - 戸越)
* [[ファイル:Shuto Urban Expwy Sign 0003.svg|24px]] [[首都高速3号渋谷線]](谷町JCT - T用賀)
* [[ファイル:Shuto Urban Expwy Sign 0004.svg|24px]] [[首都高速4号新宿線]](三宅坂JCT - 高井戸)
* [[ファイル:Shuto Urban Expwy Sign 0005.svg|24px]] [[首都高速5号池袋線]](竹橋JCT - 美女木JCT)(一部埼玉県道)
* [[ファイル:Shuto Urban Expwy Sign 6-Mukojima.svg|24px]] [[首都高速6号向島線]](江戸橋JCT - 堀切JCT)
* [[ファイル:Shuto Urban Expwy Sign 6-Misato.svg|24px]] [[首都高速6号三郷線]](小菅JCT - 三郷JCT)
* [[ファイル:Shuto Urban Expwy Sign 0007.svg|24px]] [[首都高速7号小松川線]](両国JCT - 谷河内)
* [[ファイル:Shuto Urban Expwy Sign 0009.svg|24px]] [[首都高速9号深川線]](箱崎JCT - 辰巳JCT)
* [[ファイル:Shuto Urban Expwy Sign 0010.svg|24px]] [[首都高速10号晴海線]](東雲JCT - 豊洲)
* [[ファイル:Shuto Urban Expwy Sign 0011.svg|24px]] [[首都高速11号台場線]](芝浦JCT - 有明JCT)
* [[ファイル:Shuto Urban Expwy Sign S1.svg|24px]] [[首都高速川口線]] (S1)(江北 - 川口JCT)
* [[ファイル:Shuto Urban Expwy Sign Y.svg|24px]] [[首都高速八重洲線]] (Y)(神田橋JCT - 汐留JCT)
* [[ファイル:Shuto Urban Expwy Sign B.svg|24px]] [[首都高速道路湾岸分岐線]](昭和島JCT - 東海JCT)
* [[東京高速道路]] (KK線)(汐留JCT - 京橋JCT)
=== 港区 ===
* [[国道130号]](東京都[[東京港]] - 東京都港区芝一丁目)
=== 大田区 ===
* [[国道131号]](東京都[[東京国際空港|羽田空港]] - 東京都大田区大森東二丁目)
== 神奈川県 ==
=== 広域 ===
* [[国道129号]](神奈川県[[平塚市]] - 神奈川県相模原市)
* [[国道134号]](神奈川県横須賀市 - 神奈川県[[中郡]][[大磯町]])
* [[国道255号]](神奈川県[[足柄上郡]][[松田町]] - 神奈川県小田原市)
* [[国道271号]](神奈川県小田原市 - 神奈川県[[厚木市]])([[小田原厚木道路]])
* [[国道412号]](神奈川県平塚市 - 神奈川県相模原市藤野町)
* [[国道467号]](神奈川県[[大和市]] - 神奈川県[[藤沢市]])
* [[国道16号]]{{Ja Exp Route Sign|E16}} [[横浜横須賀道路]]
* [[逗葉新道]]
* [[箱根ターンパイク]]大観山線(神奈川県小田原市 - 神奈川県[[足柄下郡]][[湯河原町]])
* [[箱根ターンパイク]]十国線(神奈川県足柄下郡[[箱根町]] - 神奈川県足柄下郡湯河原町)
=== 県道 ===
* [[神奈川県の県道一覧]]
=== 横浜市 ===
* [[国道133号]](神奈川県[[横浜港]] - 神奈川県横浜市[[中区 (横浜市)|中区]]桜木町)
* [[ファイル:Shuto Urban Expwy Sign K1.svg|24px]] [[首都高速神奈川1号横羽線]] (K1)(羽田 - 石川町JCT)
* [[ファイル:Shuto Urban Expwy Sign K2.svg|24px]] [[首都高速神奈川2号三ツ沢線]] (K2)(金港JCT - 三ツ沢)
* [[ファイル:Shuto Urban Expwy Sign K3.svg|24px]] [[首都高速神奈川3号狩場線]] (K3)(本牧JCT - 狩場)
* [[ファイル:Shuto Urban Expwy Sign K5.svg|24px]] [[首都高速神奈川5号大黒線]] (K5)(生麦JCT - 大黒JCT)
* [[ファイル:Shuto Urban Expwy Sign K7.svg|24px]] [[首都高速神奈川7号横浜北線]] (K7)(生麦JCT - 横浜港北JCT)
* [[ファイル:Shuto Urban Expwy Sign K7 (NW).png|24px]] [[首都高速神奈川7号横浜北西線]] (K7)(横浜青葉JCT - 横浜港北JCT)
* [[国道1号]]{{Ja Exp Route Sign|E83}} [[横浜新道]]
* [[国道16号]][[保土ヶ谷バイパス]]
* 3環状10放射
** [[環状2号線 (横浜市)|環状2号線]]
** [[環状3号線 (横浜市)|環状3号線]]
** [[環状4号線 (横浜市)|環状4号線]]
** [[横浜藤沢線|都市計画道路横浜藤沢線]]
** 都市計画道路羽沢池辺線
** [[山下長津田線|都市計画道路山下長津田線]]
** [[神奈川県道21号横浜鎌倉線]]([[鎌倉街道]])
** [[桂町戸塚遠藤線|都市計画道路桂町戸塚遠藤線]]
** [[神奈川県道22号横浜伊勢原線]]([[用田バイパス]]、[[長後街道]])
** [[神奈川県道102号荏田綱島線#都市計画道路日吉元石川線|都市計画道路日吉元石川線]]([[神奈川県道102号荏田綱島線]]の全線・[[神奈川県道13号横浜生田線]]の一部を含む)
** [[神奈川県道12号横浜上麻生線]]
** 都市計画道路横浜逗子線([[笹下釜利谷道路]]の一部を含む)
** 都市計画道路権太坂和泉線([[神奈川県道218号弥生台桜木町線]]の一部を含む)
=== 川崎市 ===
* [[国道132号]](神奈川県[[川崎港]] - 神奈川県川崎市[[川崎区]]宮前町)
* [[首都高速神奈川6号川崎線]] (K6)(殿町 - 川崎浮島JCT)
=== 湯河原町 ===
* [[湯河原パークウェイ]](神奈川県足柄下郡湯河原町)
== 関連項目 ==
* [[日本の道路一覧]]
* [[道路]]
* [[高速自動車国道]]
* [[一般国道]]
{{都道府県道}}
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[[Category:関東地方の道路|*いちらん]]
[[Category:日本の道路一覧|+03]]
[[Category:関東地方の一覧|とうろ]]
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"Template:都道府県道"
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東北地方の道路一覧
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東北地方の道路一覧(とうほくちほうのどうろいちらん)は、東北地方の道路を東北地方内の地域別に分けた一覧である。
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東北地方の道路一覧(とうほくちほうのどうろいちらん)は、東北地方の道路を東北地方内の地域別に分けた一覧である。
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'''東北地方の道路一覧'''(とうほくちほうのどうろいちらん)は、[[東北地方]]の道路を東北地方内の地域別に分けた一覧である。
== 解説 ==
*「超広域」とは、その地域を走り、なおかつ他の地域にまたがって走る道路である。<!-- 詳細は、その地域を含んだ親の地域の「広域」に同じ道路名を見つけることが出来る。-->
*「広域」とは、その地域内の複数の部分にまたがった道路である。地域内で完結している。
*「未区分」は、地域内の区分が編集されていない。判明した場合は対応の地域へ移動すること。
== 超広域 ==
* {{Ja Exp Route Sign|E4}} [[東北自動車道]](川口JCT - 青森)
* {{Ja Exp Route Sign|E49}} [[磐越自動車道]](いわきJCT - 新潟中央)
* {{Ja Exp Route Sign|E7}} [[日本海東北自動車道]](新潟中央JCT - 朝日まほろば、あつみ温泉 - 遊佐比子、象潟 - 河辺JCT)
* {{Ja Exp Route Sign|E6}} [[常磐自動車道]](三郷 - 亘理)
* [[国道4号]]([[東京都]][[中央区 (東京都)|中央区]] - [[青森県]][[青森市]])
* [[国道6号]](東京都中央区 - [[宮城県]][[仙台市]])
* [[国道7号]]([[新潟県]][[新潟市]] - 青森県青森市)
* [[国道49号]]([[福島県]][[いわき市]] - 新潟県新潟市)
* [[国道113号]](新潟県新潟市 - 福島県[[相馬市]])
* [[国道118号]]([[茨城県]][[水戸市]] - 福島県[[会津若松市]])
* [[国道121号]]([[山形県]][[米沢市]] - [[栃木県]][[芳賀郡]][[益子町]])
** [[大峠道路]](福島県[[喜多方市]] - 山形県米沢市)
* [[国道252号]](新潟県[[柏崎市]] - 福島県会津若松市)
* [[国道279号]]([[北海道]][[函館市]] - 青森県[[上北郡]][[野辺地町]])
* [[国道280号]](青森県青森市 - 北海道函館市)
* [[国道289号]](新潟県新潟市 - 福島県いわき市)
* [[国道294号]](千葉県柏市 - 福島県会津若松市)
* [[国道338号]](北海道函館市 - 青森県上北郡[[おいらせ町]])
* [[国道345号]](新潟県新潟市 - 山形県[[飽海郡]][[遊佐町]])
* [[国道349号]](茨城県水戸市 - 宮城県[[柴田郡]][[柴田町]])
* [[国道400号]](茨城県水戸市 - 福島県耶麻郡西会津町)
* [[国道401号]](福島県会津若松市 - [[群馬県]][[沼田市]])
* [[国道459号]](新潟県新潟市 - 福島県[[双葉郡]][[浪江町]])
== 広域 ==
* {{Ja Exp Route Sign|E4A}} [[八戸自動車道]](安代JCT - 八戸北)
* {{Ja Exp Route Sign|E46}} / {{Ja Exp Route Sign|E7}} [[秋田自動車道]](北上JCT - 二ツ井白神)
** 河辺JCT - 二ツ井白神間は {{Ja Exp Route Sign|E7}} [[日本海沿岸東北自動車道]]との重複区間。
* {{Ja Exp Route Sign|E6}} / {{Ja Exp Route Sign|E45}} [[三陸沿岸道路]](仙台港北 - 八戸JCT)
* {{Ja Exp Route Sign|E48}} [[山形自動車道]](村田JCT - 月山、湯殿山 - 鶴岡JCT)
* {{Ja Exp Route Sign|E13}} [[東北中央自動車道]](福島JCT - 東根北)
* [[青岩バイパス]]([[岩手県]][[二戸市]] - 青森県[[三戸郡]][[三戸町]])
* [[国道13号]](福島県福島市 - [[秋田県]][[秋田市]])
* [[国道45号]](宮城県仙台市 - 青森県[[青森市]])
* [[国道46号]](岩手県[[盛岡市]] - 秋田県秋田市)
* [[国道47号]](宮城県仙台市 - 山形県[[酒田市]])
* [[国道48号]](宮城県仙台市 - 山形県[[山形市]])
* [[国道101号]](青森県青森市 - 秋田県秋田市)
* [[国道103号]](青森県青森市 - 秋田県[[大館市]])
* [[国道104号]](青森県[[八戸市]] - 秋田県大館市)
* [[国道107号]](岩手県[[大船渡市]] - 秋田県[[由利本荘市]])
* [[国道108号]](宮城県石巻市 - 秋田県由利本荘市)
** [[鬼首道路]](宮城県[[大崎市]] - 秋田県[[湯沢市]])
* [[国道108号|国道109号]](欠番)
* [[国道48号|国道110号]](欠番)
* [[国道45号|国道111号]](欠番)
* [[国道282号]](岩手県盛岡市 - 青森県[[平川市]])
* [[国道286号]](宮城県仙台市 - 山形県山形市)
* [[国道340号]](岩手県[[陸前高田市]] - 青森県八戸市)
* [[国道342号]](秋田県[[横手市]] - 宮城県[[登米市]])
* [[国道344号]](秋田県湯沢市 - 山形県酒田市)
* [[国道347号]](山形県[[寒河江市]] - 宮城県大崎市)
* [[国道397号]](岩手県大船渡市 - 秋田県横手市)
* [[国道398号]](宮城県[[石巻市]] - 秋田県由利本荘市)
* [[国道399号]](福島県いわき市 - 山形県[[南陽市]])
* [[国道456号]](岩手県盛岡市 - 宮城県[[気仙沼市]])
* [[国道457号]](岩手県[[一関市]] - 宮城県[[白石市]])
== 青森県 ==
* {{Ja Exp Route Sign|E4A}} [[青森自動車道]](青森 - 青森東)
* {{Ja Exp Route Sign|E4A}} [[上北自動車道]]
** 上北道路(六戸JCT - 上北)
** 上北天間林道路(上北 - 七戸)
* {{Ja Exp Route Sign|E4A}} [[百石道路]](八戸北 - 下田百石)
* {{Ja Exp Route Sign|E4A}} [[みちのく有料道路]](上北郡[[七戸町]]天間林 - 青森市滝沢)
* {{Ja Exp Route Sign|E4A}} [[第二みちのく有料道路]](下田百石 - 六戸出入口)
* {{Ja Exp Route Sign|E64}} [[津軽自動車道]]
** 浪岡五所川原道路(浪岡 - 五所川原北)
** [[五所川原西バイパス]](五所川原北 - つがる柏)
** 鰺ヶ沢道路([[西津軽郡]][[鰺ヶ沢町]] - 鰺ヶ沢)
* {{Ja Exp Route Sign|E45}} [[三陸沿岸道路]]
**[[八戸久慈自動車道|八戸・久慈自動車道]]
*** 八戸南環状道路(八戸JCT - 八戸南)
*** 八戸南道路(八戸南 - 階上)
* [[下北半島縦貫道路]](通称:下北道)(横浜吹越 - 野辺地)
* [[国道102号]]([[弘前市]] - [[十和田市]])
* [[国道339号]](弘前市 - [[東津軽郡]][[外ヶ浜町]]三厩)
* [[国道394号]]([[むつ市]] - 弘前市)
* [[国道454号]](八戸市 - [[南津軽郡]][[大鰐町]])
=== 県道 ===
* [[青森県の県道一覧]]
=== 市町村道 ===
==== 弘前市 ====
* 岩木川右岸環状線(通称:弘前西バイパス)
==== 五所川原市 ====
* 大町寺町線
* 岩木町飯詰線
* 湊寺町線
==== 黒石市 ====
* 道前町野添線(通称:こみせ通り)
==== 十和田市 ====
* 官庁街通り線(通称:十和田市官庁街通り)
==== 藤崎町 ====
* 高瀬真那板縁線
==== 鶴田町 ====
* 役場通り線
=== バイパス道路 ===
* [[青森環状道路]](青森市)
* [[青森空港有料道路]](青森市)
* [[青森西バイパス]](青森市)
* [[青森東バイパス]](青森市)
* [[鰺ヶ沢バイパス]]([[西津軽郡]][[鰺ヶ沢町]])
* [[今別バイパス]](東津軽郡[[今別町]])
* [[内真部バイパス]](青森市)
* [[宇樽部バイパス]](十和田市)
* [[奥入瀬バイパス]](十和田市)
* [[大畑バイパス (青森県)|大畑バイパス]](むつ市)
* [[大鰐バイパス]](南津軽郡大鰐町)
* [[木造バイパス]]([[つがる市]])
* [[黒石バイパス]]([[黒石市]] - 弘前市)
* 五戸バイパス(三戸郡[[五戸町]])
* [[三戸バイパス]](三戸郡三戸町 - [[南部町 (青森県)|南部町]])
* [[七戸バイパス]](上北郡七戸町)
* [[高田バイパス (青森県)|高田バイパス]](青森市)
* [[田子バイパス (青森県)|田子バイパス]](三戸郡[[田子町]])
* [[土屋バイパス]](東津軽郡[[平内町]] - 青森市)
* [[常盤バイパス]](南津軽郡[[藤崎町]] - 青森市)
* [[十和田バイパス]](十和田市)
* [[浪岡バイパス]](青森市)
* 野辺地バイパス(上北郡野辺地町・国道4号)
* 野辺地バイパス(上北郡野辺地町・国道279号)
* [[八戸バイパス|八戸バイパス・八戸北バイパス]](八戸市)
* [[弘前バイパス]](弘前市)
* [[三沢バイパス]](三沢市)
* {{Ja Exp Route Sign|E4A}} [[みちのく有料道路]](上北郡七戸町 - 青森市)
* [[むつバイパス]]([[むつ市]])
* [[横内バイパス]](青森市)
* [[六戸バイパス]](上北郡六戸町)
* [[六ヶ所バイパス]](上北郡[[六ヶ所村]])
== 岩手県 ==
* {{Ja Exp Route Sign|E46}} [[釜石自動車道]](花巻JCT - 遠野)
** 遠野道路(遠野 - 遠野住田)
** [[仙人峠道路]](遠野住田 - 釜石仙人峠)
** 釜石道路(釜石仙人峠 - 釜石JCT)
* {{Ja Exp Route Sign|E45}} [[三陸沿岸道路]]
**[[三陸縦貫自動車道]]
*** [[三陸縦貫自動車道#唐桑高田道路|唐桑高田道路]](唐桑小原木 - 陸前高田)
*** [[三陸縦貫自動車道#高田道路|高田道路]](陸前高田 - 大船渡碁石海岸)
*** [[三陸縦貫自動車道#大船渡三陸道路|大船渡三陸道路]](大船渡碁石海岸 - 三陸)
*** [[三陸縦貫自動車道#吉浜道路|吉浜道路]](三陸 - 吉浜)
*** [[三陸縦貫自動車道#吉浜釜石道路|吉浜釜石道路]](吉浜 - 釜石JCT)
*** [[三陸縦貫自動車道#釜石山田道路|釜石山田道路]](釜石JCT - 山田南)
*** [[三陸縦貫自動車道#山田道路|山田道路]](山田南 - 山田)
*** [[三陸縦貫自動車道#山田宮古道路|山田宮古道路]](山田 - 宮古南)
*** [[三陸縦貫自動車道#宮古道路|宮古道路]](宮古南 - 宮古中央)
*** [[三陸縦貫自動車道#宮古田老道路|宮古田老道路]](田老真崎海岸 - 田老北)
**[[三陸北縦貫道路]]
*** [[三陸北縦貫道路#田老岩泉道路|田老岩泉道路]](田老北 - 岩泉龍泉洞)
*** [[三陸北縦貫道路#岩泉道路|岩泉道路]](岩泉龍泉洞 - [[下閉伊郡]][[田野畑村]]大芦)
*** [[三陸北縦貫道路#田野畑道路|田野畑道路]](下閉伊郡田野畑村大芦 - 同村田野畑)
*** [[三陸北縦貫道路#尾肝要道路|尾肝要道路]](下閉伊郡田野畑村田野畑 - 同村尾肝要)
*** [[三陸北縦貫道路#尾肝要普代道路|尾肝要普代道路]](下閉伊郡田野畑村尾肝要 - 下閉伊郡[[普代村]]第11地割)
*** [[三陸北縦貫道路#普代道路|普代道路]](下閉伊郡普代村第11地割 - 同村第16地割)
**[[八戸久慈自動車道|八戸・久慈自動車道]]
*** [[八戸久慈自動車道#洋野階上道路|洋野階上道路]](階上 - 侍浜)
*** [[八戸久慈自動車道#久慈北道路|久慈北道路]](侍浜 - 久慈北)
*** [[八戸久慈自動車道#久慈道路|久慈道路]](久慈北 - 久慈)
* [[国道106号]]([[宮古市]] - 盛岡市)
* [[国道281号]](盛岡市 - [[久慈市]])
* [[国道283号]](釜石市 - 花巻市)
* [[国道284号]](陸前高田市 - 一関市)
* [[国道343号]](陸前高田市 - [[奥州市]])
* [[国道395号]](久慈市 - [[二戸市]])
* [[国道396号]]([[遠野市]] - 盛岡市)
* [[国道455号]](盛岡市 - [[下閉伊郡]][[岩泉町]])
=== 県道 ===
* [[岩手県の県道一覧]]
=== 市町村道 ===
==== 広域 ====
* [[志和稲荷街道|滝沢市道・盛岡市道・矢巾町道・紫波町道西部開拓線]]
* 矢巾町道・雫石町道南昌トンネル線
* 盛岡市道・滝沢市道渋民停車場一本木線
* 盛岡市道・滝沢市道鍋屋敷・葉の木沢・砂込線
==== 盛岡市 ====
* [[大通・菜園|映画館通り]]
* [[大通・菜園|大通]]
* 菜園通り(公園通り)
* 八幡町通り
* 本町通り
* 南大通
* 盛岡市道青山停車場線
* 盛岡市道岩手飯岡停車場線
* 盛岡市道岩山線
* [[盛岡市道上田深沢線]](黒石野通り)
* [[盛岡市道開運橋向中野線]](盛南大橋通り)
* 盛岡市道北山梨木町線
* [[盛岡市道黒石野門前寺線]]
* 盛岡市道四十四田東黒石野線
* 盛岡市道下厨川稲荷町線
* 盛岡市道箱清水一丁目・厨川一丁目1号線
* [[盛岡市道向中野東仙北線]]
* 盛岡市道盛岡競馬場線
* 盛岡市道松園中央線
==== 雫石町 ====
* 雫石町道雫石環状線
==== 滝沢市 ====
* 滝沢市道姥屋敷線
* [[巣子駅|滝沢市道巣子停車場線]]
=== バイパス道路 ===
* [[赤羽根バイパス (岩手県)|赤羽根バイパス]](遠野市 - 気仙郡住田町)
* [[安家バイパス]](下閉伊郡岩泉町)
* [[石鳥谷バイパス]](花巻市)
* [[一関バイパス]](一関市 - [[西磐井郡]][[平泉町]])
* [[一戸バイパス]]([[二戸郡]][[一戸町]])
* [[一本木バイパス]]([[滝沢市]])
* [[岩手川口バイパス]]([[岩手郡]][[岩手町]])
* [[江繋バイパス]](宮古市)
* [[江釣子バイパス]](北上市)
* [[大釜バイパス]](滝沢市)
* [[大槌バイパス]]([[上閉伊郡]][[大槌町]])
* [[大野バイパス (岩手県)|大野バイパス]](九戸郡洋野町)
* [[大迫バイパス]](花巻市)
* [[乙部バイパス]](盛岡市 - 紫波郡紫波町)
* [[大船渡三陸道路]]([[大船渡市]])
* [[金ケ崎バイパス]]([[胆沢郡]][[金ケ崎町]] - 奥州市)
* [[釜石バイパス]](釜石市)
* [[刈屋バイパス]](宮古市)
* [[軽米バイパス]]([[九戸郡]][[軽米町]])
* 川井バイパス(久慈市)
* [[観音林バイパス]](九戸郡軽米町)
* [[北上バイパス]](北上市)
* [[北山バイパス]](盛岡市)
* [[金田一バイパス]](二戸市)
* [[久慈バイパス]]・[[八戸久慈自動車道#久慈道路|久慈道路]](久慈市)
* 葛巻バイパス(岩手郡[[葛巻町]])
* [[厳美バイパス]](一関市)
* [[小軽米バイパス]](九戸郡軽米町)
* [[小峠バイパス]](遠野市)
* [[小川バイパス (岩手県)|小川バイパス]](下閉伊郡岩泉町)
* [[小鳥谷バイパス]](二戸郡一戸町)
* [[御返地バイパス]](二戸市)
* [[衣川バイパス]](奥州市)
* [[笹間バイパス]](花巻市 - [[北上市]])
* [[猿沢バイパス]](一関市)
* [[雫石バイパス]](岩手郡[[雫石町]])
* [[渋民バイパス]](盛岡市)
* [[浄法寺バイパス]](二戸市)
* [[関口バイパス (岩手県)|関口バイパス]](花巻市)
* [[仙人峠道路]](遠野市 - 釜石市)
** [[上郷道路]](遠野市)
* [[千厩バイパス]](一関市)
* [[達曽部道路]](宮古市)
* [[達曽部バイパス]](遠野市)
* [[種市バイパス]](九戸郡[[洋野町]])
* [[土沢バイパス]](花巻市)
* [[遠野バイパス]](遠野市)
* [[都南川目道路]](盛岡市)
* [[西根バイパス (岩手県)|西根バイパス]]([[八幡平市]])
* [[二戸バイパス]](二戸市)
* [[沼宮内バイパス]](岩手郡岩手町)
* [[橋場バイパス]](岩手郡雫石町)
* [[花泉バイパス]](一関市)
* [[花巻東バイパス]](花巻市)
* [[早坂峠道路]](盛岡市 - 下閉伊郡岩泉町)
* [[日詰バイパス]]([[紫波郡]][[紫波町]])
* [[平泉バイパス]]([[西磐井郡]][[平泉町]])
* [[二又バイパス]](陸前高田市)
* 蛇口バイパス(九戸郡軽米町)
* [[前沢バイパス]](奥州市)
* [[水沢バイパス]](奥州市)
* [[水沢東バイパス]](奥州市)
* [[宮古バイパス]](宮古市)
* [[宮古北バイパス]](宮古市)
* 室根バイパス(未開通 一関市)
* [[茂市バイパス]](宮古市)
* [[盛岡バイパス]](盛岡市)
* [[盛岡西バイパス]](盛岡市)
* [[簗川道路]](盛岡市)
* [[矢作バイパス]](陸前高田市)
* [[山田道路]](下閉伊郡[[山田町]])
* 湯本バイパス([[和賀郡]][[西和賀町]])
* [[横川目バイパス]](北上市)
* [[陸前高田バイパス]](陸前高田市)
* [[分レバイパス]](滝沢市)
== 宮城県 ==
* [[国道346号]](仙台市 - [[気仙沼市]])
* [[仙南広域農道]]([[白石市]] - [[柴田郡]][[川崎町 (宮城県)|川崎町]])
*{{Ja Exp Route Sign|E48}} [[仙台南部道路]](仙台南 - 仙台若林JCT)
* {{Ja Exp Route Sign|E6}} [[仙台東部道路]](仙台港北 - 亘理)
* {{Ja Exp Route Sign|E6}} [[仙台北部道路]](利府JCT - 富谷)
=== 県道 ===
* [[宮城県の県道一覧]]
=== 仙台市 ===
<!--通り名には原則、○○通りとリンクしましょう。-->
* 「[[愛称命名道路 (仙台市)|愛称命名道路]]」「[[仙台市の歴史的町名活用道路一覧]]」参照。
=== 市町村道 ===
* 中里バイパス(石巻市)
* [[牧山道路]](石巻市)
=== バイパス道路 ===
* 赤石バイパス(仙台市太白区)
* [[愛子バイパス]](仙台市[[青葉区 (仙台市)|青葉区]])
** [[仙台西道路]](仙台市青葉区)
* [[有壁バイパス]](栗原市)
* 岩切バイパス(仙台市[[宮城野区]] - [[塩竈市]])
* [[岩出山バイパス]](大崎市)
* [[岩沼バイパス]]([[岩沼市]])
* 生出バイパス(仙台市太白区)
* 鹿島台バイパス(大崎市)
* 仮屋バイパス([[登米市]])
* 川崎バイパス(柴田郡[[川崎町 (宮城県)|川崎町]])
* [[川渡バイパス]](大崎市)
* [[金成バイパス]](栗原市)
* [[気仙沼バイパス]](気仙沼市)
* [[本吉バイパス]](気仙沼市)
* [[小牛田バイパス]]([[遠田郡]][[美里町 (宮城県)|美里町]])
* [[三本木バイパス]](大崎市)
* [[柴田バイパス]]・[[大河原バイパス]]([[柴田郡]][[柴田町]] - [[大河原町]])
* [[白石バイパス]]([[白石市]])
* [[仙台バイパス]]([[名取市]] - 仙台市[[泉区 (仙台市)|泉区]])
* 高城バイパス([[宮城郡]][[松島町]])
* [[高清水バイパス]]([[栗原市]])
* [[築館バイパス]](栗原市)
* 津山バイパス(登米市)
* [[富谷バイパス]]([[富谷市]])
* [[根白石バイパス]](仙台市泉区)
* [[古川バイパス (宮城県)|古川バイパス]](大崎市)
* 蛇田バイパス(石巻市)
* 村田バイパス(柴田郡[[村田町]])
* [[利府バイパス]](宮城郡[[利府町]])
* [[涌谷バイパス]](遠田郡[[涌谷町]])
* [[亘理バイパス]]([[亘理郡]][[亘理町]])
== 秋田県 ==
* {{Ja Exp Route Sign|E7}} [[琴丘能代道路]]([[秋田自動車道]]・国道7号)(琴丘森岳 - 二ツ井白神)
* {{Ja Exp Route Sign|E7}} [[二ツ井今泉道路]]([[日本海沿岸東北自動車道]])(能代市二ツ井町小繋 - 北秋田市今泉)
* {{Ja Exp Route Sign|E7}} [[鷹巣大館道路]](日本海沿岸東北自動車道)(北秋田市脇神 - 大館市櫃崎)
* {{Ja Exp Route Sign|E7}} [[大館西道路]](秋田自動車道・国道7号)(二井田真中 - [[釈迦内パーキングエリア|釈迦内PA]])
* [[国道105号]](由利本荘市 - [[北秋田市]])
* [[国道285号]](秋田市 - [[鹿角市]])
* [[国道341号]](鹿角市 - 由利本荘市)
=== バイパス道路 ===
* [[秋田北バイパス]](秋田市)
* [[秋田中央道路]](秋田市)
* [[秋田南バイパス]](秋田市)
* [[大館バイパス]](大館市)
* [[大館南バイパス]](大館市)
* [[大曲バイパス]]([[大仙市]])
* [[大曲西道路]](大仙市)
* [[大湯道路]](湯沢市)
* [[角館バイパス]]([[仙北市]])
* [[鹿角八幡平バイパス]](鹿角市)
* [[刈和野バイパス]](大仙市)
* [[葛原バイパス]](鹿角市 - 大館市)
* [[金浦バイパス]]([[にかほ市]])
* [[十文字バイパス]](横手市)
* [[昭和バイパス]]([[潟上市]] - [[南秋田郡]][[井川町]])
* [[鷹巣バイパス]](北秋田市)
* [[錦木バイパス]](鹿角市)
* [[能代バイパス]]([[能代市]])
* [[能代南バイパス]](能代市)
* [[二ツ井バイパス]](能代市)
* [[横手バイパス]](横手市)
* [[横堀バイパス]](湯沢市)
=== 県道 ===
* [[秋田県の県道一覧]]
=== 秋田市 ===
* [[秋田市道路愛称名|秋田市の愛称命名道路]]([[1983年]]制定、国道や都市計画道路も含む<ref>{{Cite web|和書|title=都市景観 - 道路愛称 |url=https://www.city.akita.lg.jp/shisei/machizukuri/1011485/1007502/1007973.html |website=秋田市公式サイト |access-date=2022-09-13 |language=ja}}</ref>)
== 山形県 ==
* [[国道112号]](山形市 - 酒田市)
* [[国道287号]](米沢市 - [[東根市]])
* [[国道348号]]([[長井市]] - 山形市)
* [[国道458号]]([[新庄市]] - [[上山市]])
*{{Ja Exp Route Sign|E13}} [[東北中央自動車道]]
**[[米沢南陽道路]](米沢市 - 南陽市)
**[[尾花沢新庄道路]](尾花沢市 - 新庄市)
** [[新庄北道路]](新庄市)
** [[泉田道路]](新庄市)
** [[主寝坂道路]]([[最上郡]][[金山町 (山形県)|金山町]] - 最上郡[[真室川町]])
=== 県道 ===
* [[山形県の県道一覧]]
=== バイパス ===
* [[米沢バイパス]](米沢市)
* [[舘山バイパス]](米沢市)
* [[上山バイパス]](上山市)
* [[山形バイパス]](上山市 - [[天童市]])
* [[山形北バイパス]](天童市 - [[尾花沢市]])
* [[鼠ヶ関バイパス]]([[鶴岡市]])
* [[鶴岡バイパス]](鶴岡市)
* [[三川バイパス]]([[東田川郡]][[三川町]])
* [[酒田バイパス]](酒田市)
* [[吹浦バイパス]]([[飽海郡]][[遊佐町]])
* [[亀割バイパス (山形県)|亀割バイパス]](最上郡[[舟形町]] - 新庄市)
* [[新庄酒田道路#新庄南バイパス|新庄南バイパス]](新庄市)
* [[新庄酒田道路#新庄古口道路|新庄古口道路]](新庄市 - 最上郡[[戸沢村]])
* [[寒河江バイパス]]([[東村山郡]][[中山町]] - 寒河江市)
* [[月山道路]]([[西村山郡]][[西川町]] - 鶴岡市)
* [[鶴岡東バイパス]](鶴岡市)
* [[鶴岡南バイパス]](鶴岡市)
* [[舘山バイパス]](米沢市)
* [[長井バイパス]]([[長井市]])
* [[畔藤バイパス]]([[西置賜郡]][[白鷹町]])
* [[和合バイパス]](西村山郡[[朝日町 (山形県)|朝日町]])
* [[左沢バイパス]](西村山郡[[大江町]])
== 福島県 ==
* [[国道114号]](福島市 - 双葉郡浪江町)
* [[国道115号]](相馬市 - [[耶麻郡]][[猪苗代町]])
* [[国道288号]]([[郡山市]] - 双葉郡[[双葉町]])
* [[福島県道42号矢吹小野線]][[あぶくま高原道路]]([[西白河郡]][[矢吹町]] - [[田村郡]][[小野町]])
* [[小名浜道路]]
*{{Ja Exp Route Sign|E80}} [[あぶくま高原道路]](西白河郡矢吹町 - 田村郡小野町)
=== 県道 ===
* [[福島県の県道一覧]]
=== 市道 ===
==== 福島市 ====
* [[レンガ通り]]
* [[県庁通り (福島市)|県庁通り]]
* [[文化通り (福島市)|文化通り]]
* [[並木通り (福島市)|並木通り]]
* [[吾妻通り]]
* [[万世町通り]]
* [[中央通り (福島市)|中央通り]]・[[北裡通り]]
* [[パセオ470]]
* 金谷川スカイライン
* [[福島市道南町浅川線]](旧国道4号)
* [[福島市道鎌田笹谷線]](農免道路)
* [[福島市道北沢又丸子線]](福商通り)
==== 郡山市 ====
* [[内環状線 (郡山市)|内環状線]]
* [[うねめ通り]]
* [[郡山インター線]]
* [[郡山南インター線]]
* [[コスモス通り (郡山市)|コスモス通り]]
* [[さくら通り (郡山市)|さくら通り]]
* [[静御前通り]](郡女通り)
* [[昭和通り (郡山市)|昭和通り]]
* [[東部幹線 (郡山市)|東部幹線]]
* [[なかまち夢通り]]
* [[美術館通り (郡山市)|美術館通り]]
* [[日の出通り (郡山市)|日の出通り]]
* [[フロンティア通り (郡山市)|フロンティア通り]]
* [[文化通り (郡山市)|文化通り]]
==== いわき市 ====
* レンガ通り
* [[いわき市道内郷平線]]
* 北好間菱川線(旧49号)
* 銀座通り
=== バイパス ===
* [[あさか野バイパス]](郡山バイパス 郡山市)
* [[熱海バイパス]](郡山市)
* [[荒井バイパス]](福島市)
* [[飯坂バイパス]](福島市)
* [[猪苗代バイパス]](耶麻郡猪苗代町)
* [[いわき水石トンネル]](北好間防災)([[いわき市]])
* [[いわき三和トンネル]](いわき市)
* [[小沼崎バイパス]](南会津郡下郷町)
* [[国道349号#バイパス|掛田バイパス]]([[伊達市 (福島県)|伊達市]])
* [[甲子道路]]([[南会津郡]][[下郷町]] - 西白河郡[[西郷村]])
* [[金曲バイパス]](耶麻郡猪苗代町)
* [[川俣バイパス]]([[伊達郡]][[川俣町]])
* [[喜多方バイパス]]([[喜多方市]])
* [[北町バイパス]](福島市)
* [[桑折バイパス]](伊達郡[[桑折町]])
* [[郡山東バイパス]](郡山市)
* [[国道114号#バイパス|小綱木バイパス]](伊達郡川俣町)
* [[福島県道16号喜多方西会津線#バイパス|小舟寺バイパス]](喜多方市)
* [[駒止バイパス]](南会津郡[[南会津町]])
* [[坂本バイパス]]([[河沼郡]][[会津坂下町]])
* [[鮫川バイパス]]([[東白川郡]][[鮫川村]])
* [[常磐バイパス]](いわき市)
* [[白河バイパス]]([[白河市]])
* [[須賀川バイパス]](岩瀬郡鏡石町 - 須賀川市)
* [[国道400号#バイパス|杉峠バイパス]]([[大沼郡]][[三島町]] - 河沼郡会津坂下町)
* [[相馬バイパス|国道6号相馬バイパス]](相馬市 - 相馬郡新地町)
* [[相馬バイパス (国道113号)|国道113号相馬バイパス]](相馬郡新地町 - 相馬市)
* [[相馬南バイパス]](相馬市)
* [[滝沢バイパス]]([[会津若松市]])
* [[田島バイパス (国道289号)|国道289号田島バイパス]](南会津郡南会津町)
* [[田島バイパス (国道400号)|国道400号田島バイパス]](南会津郡南会津町)
* [[棚倉バイパス]](東白川郡[[棚倉町]])
* [[国道349号#バイパス|月舘バイパス]](伊達市)
* [[国道399号#バイパス|津島バイパス]](双葉郡浪江町)
* [[土湯バイパス]](福島市 - 耶麻郡猪苗代町)
* [[国道399号#バイパス|手古岡バイパス]](双葉郡[[川内村]])
* [[塔寺バイパス]](河沼郡会津坂下町)
* [[中島バイパス]](いわき市)
* [[荷路夫バイパス]](いわき市)
* [[二本松バイパス]]([[二本松市]])
* [[久之浜バイパス]](いわき市)
* [[福島県道131号下郷会津本郷線#バイパス|氷玉バイパス]](南会津郡[[下郷町]] - [[大沼郡]][[会津美里町]])
* [[福島西道路]](福島市)
* [[福島西バイパス]](福島市)
* [[福島南バイパス]](二本松市 - 福島市)
* [[富久山バイパス]](郡山市)
* [[船引バイパス|国道288号船引バイパス]]([[田村市]])
* [[船引バイパス|国道349号船引バイパス]](田村市)
* [[福島県道37号白河羽鳥線#バイパス|真名子バイパス]](西白河郡西郷村 - [[岩瀬郡]][[天栄村]])
* [[三春バイパス]](田村郡[[三春町]])
* [[三春西バイパス]](田村郡三春町)
* [[国道459号#バイパス|宮古バイパス]](喜多方市)
* [[都路バイパス]](田村市)
* [[御代田バイパス]](伊達市)
* [[福島県道365号赤留塔寺線#バイパス|八木沢バイパス]](大沼郡会津美里町)
* [[梁川バイパス]](伊達市)
* [[湯野上バイパス]](南会津郡下郷町)
* [[若松西バイパス]](会津若松市)
* [[渡利バイパス]](福島市)
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
{{Reflist}}
== 関連項目 ==
* [[日本の道路一覧]]
* [[日本の橋一覧]]
* [[道路]]
* [[高速自動車国道]]
* [[一般国道]]
* [[バイパス道路]]
{{都道府県道}}
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[[Category:東北地方の一覧|とうろ]]
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北海道地方の道路一覧
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北海道地方の道路一覧(ほっかいどうちほうのどうろいちらん)は、北海道にある道路(高規格幹線道路・地域高規格道路・一般国道・バイパス道路など)の一覧。
※カッコ内は起点 - 終点。峠やバイパス道路はリンクがあるものを記載。
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北海道地方の道路一覧(ほっかいどうちほうのどうろいちらん)は、北海道にある道路(高規格幹線道路・地域高規格道路・一般国道・バイパス道路など)の一覧。
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[[File:Route38 Memuro.JPG|thumb|国道38号(河西郡芽室町)(2009年8月)]]
'''北海道地方の道路一覧'''(ほっかいどうちほうのどうろいちらん)は、[[北海道]]にある[[道路]]([[高規格幹線道路]]・[[地域高規格道路]]・[[一般国道]]・[[バイパス道路]]など)の一覧。
== 高規格幹線道路 ==
=== 高速自動車国道(A路線) ===
* {{Ja Exp Route Sign|E5}} [[道央自動車道]](道央道)
** [[大沼公園インターチェンジ|大沼公園IC]] - [[札幌ジャンクション|札幌JCT]]
** [[札幌インターチェンジ|札幌IC]]/JCT - [[士別剣淵インターチェンジ|士別剣淵IC]]
* {{Ja Exp Route Sign|E5A}} [[札樽自動車道]](札樽道):[[小樽インターチェンジ|小樽IC]] - 札幌JCT
* [[道東自動車道]](道東道)
** {{Ja Exp Route Sign|E38}} 釧路線:[[千歳恵庭ジャンクション|千歳恵庭JCT]] - [[本別インターチェンジ|本別IC]]
** {{Ja Exp Route Sign|E38}} / {{Ja Exp Route Sign|E61}} 北見線:千歳恵庭JCT - [[足寄インターチェンジ|足寄IC]]
=== 国土開発幹線自動車道 ===
* {{Ja Exp Route Sign|E5}} [[北海道縦貫自動車道]]函館名寄線([[函館市]] - [[名寄市]])
* [[北海道横断自動車道]]
** 根室線([[寿都郡]][[黒松内町]] - [[根室市]])
*** {{Ja Exp Route Sign|E5A}} [[後志自動車道]]:[[余市インターチェンジ|余市IC]] - [[小樽ジャンクション|小樽JCT]]
** 網走線(寿都郡黒松内町 - [[網走市]])
*** {{Ja Exp Route Sign|E5A}} 後志自動車道:余市IC - 小樽JCT
=== 新直轄方式 ===
* {{Ja Exp Route Sign|E5}} [[北海道縦貫自動車道]]函館名寄線:{{事業中|[[七飯インターチェンジ|七飯IC]] - 大沼公園IC}}、{{事業中|士別剣淵IC - [[名寄インターチェンジ|名寄IC]]}}
* [[北海道横断自動車道]]
** {{Ja Exp Route Sign|E38}} 黒松内釧路線:本別IC - [[阿寒インターチェンジ|阿寒IC]]、{{事業中|阿寒IC - [[釧路西インターチェンジ|釧路西IC]]}}
** {{Ja Exp Route Sign|E61}} 黒松内北見線([[十勝オホーツク自動車道]]):{{事業中|[[足寄インターチェンジ|足寄IC]] - [[陸別小利別インターチェンジ|陸別小利別IC]]}}、陸別小利別IC - [[北見西インターチェンジ|北見西IC]]
=== 高速自動車国道に並行する一般国道自動車専用道路(A'路線)===
* {{Ja Exp Route Sign|E5}} [[北海道縦貫自動車道]]に並行する路線:[[函館新道]]{{Sfn|一般国道5号 函館新道}}、[[名寄美深道路]]、{{事業中|[[音威子府バイパス]]}}{{Sfn|音威子府バイパス}}、[[幌富バイパス]]、[[豊富バイパス]]
* [[北海道横断自動車道]]に並行する路線
** {{Ja Exp Route Sign|E5A}} / {{Ja Exp Route Sign|E38}} / {{Ja Exp Route Sign|E44}} 根室線:[[黒松内新道]]{{Sfn|一般国道5号 黒松内新道}}、{{事業中|[[倶知安余市道路]]}}、[[釧路外環状道路]]{{Sfn|釧路外環状道路}}、{{事業中|[[尾幌糸魚沢道路]]}}、[[根室道路]]{{Sfn|根室道路}}
** {{Ja Exp Route Sign|E5A}} / {{Ja Exp Route Sign|E61}} 網走線:黒松内新道{{Sfn|一般国道5号 黒松内新道}}、{{事業中|倶知安余市道路}}、[[北見道路]]、{{事業中|[[端野高野道路]]}}、[[美幌バイパス]]
=== 国土交通大臣指定に基づく高規格幹線道路(一般国道の自動車専用道路)(B路線) ===
* {{Ja Exp Route Sign|E59}} [[函館江差自動車道]]:[[函館インターチェンジ|函館IC/JCT]] - [[木古内インターチェンジ|木古内IC]]
* {{Ja Exp Route Sign|E63}} [[日高自動車道]]:[[苫小牧東インターチェンジ|苫小牧東JCT/TB]] - [[日高厚賀インターチェンジ|日高厚賀IC]]、{{事業中|日高厚賀IC - [[静内インターチェンジ|静内IC]](仮称)}}
* {{Ja Exp Route Sign|E62}} [[深川留萌自動車道]]{{Sfn|深川留萌自動車道}}:[[深川ジャンクション|深川JCT]][[深川西本線料金所|/TB]] - [[留萌インターチェンジ|留萌IC]]
* {{Ja Exp Route Sign|E39}} [[旭川紋別自動車道]]:[[比布ジャンクション|比布JCT/TB]] - [[遠軽インターチェンジ|遠軽IC]]、{{事業中|遠軽IC - 上湧別IC}}
* {{Ja Exp Route Sign|E60}} [[帯広広尾自動車道]]{{Sfn|帯広・広尾自動車道}}:[[帯広ジャンクション|帯広JCT/TB]] - [[忠類大樹インターチェンジ|忠類大樹IC]]、{{事業中|忠類大樹IC - [[豊似インターチェンジ|豊似IC]](仮称)}}
=== 地域高規格道路 ===
* [[函館新外環状道路]]{{Sfn|函館新外環状道路}}
** 空港道路:函館IC/JCT - [[函館空港インターチェンジ|函館空港IC]]
* {{事業中|[[松前半島道路]]|計画}}
* [[渡島半島横断道路]]
** 国縫道路
** 花石道路
* [[道央圏連絡道路]]{{Sfn|道央圏連絡道路}}
** 新千歳空港関連
** 泉郷道路
** {{事業中|長沼南幌道路}}
** {{事業中|中樹林道路}}
** 美原バイパス・美原道路
** 当別バイパス
** 石狩市生振 - 小樽市銭函
* [[旭川十勝道路]]
** 旭川東神楽道路
** {{事業中|[[富良野北道路]]}}
** [[富良野道路]]:[[北の峰インターチェンジ|北の峰IC]] - [[布部インターチェンジ|布部IC]]
* [[遠軽北見道路]]
** {{事業中|[[生田原道路]]}}
** [[旭峠道路]]
* [[帯広空港道路]]
* [[釧路中標津道路]]
** 上別保道路
** 阿歴内道路(一部供用)
** 春別道路
* {{事業中|[[根室中標津道路]]|計画}}
==== 候補路線 ====
* {{事業中|[[札幌南環状道路]]|計画}}
* {{事業中|[[帯広圏連絡道路]]|計画}}
* {{事業中|[[道東縦貫道路]]|計画}}
== 一般国道 ==
※カッコ内は起点 - 終点。峠やバイパス道路はリンクがあるものを記載。
=== 旧一級国道 ===
* [[国道5号]](函館市 - [[札幌市]][[中央区 (札幌市)|中央区]])
** [[森バイパス (北海道)|森バイパス]] - [[八雲バイパス]] - [[長万部バイパス]] - [[稲穂峠]] - [[長橋バイパス]] - [[札幌新道]]
* [[国道12号]](札幌市中央区 - [[旭川市]])
** [[岩見沢バイパス]] - [[滝川バイパス]] - [[旭川新道]]
* [[国道36号]](札幌市中央区 - [[室蘭市]])
** [[恵庭バイパス]] - [[白老バイパス]] - [[幌別バイパス]] - [[室蘭新道]]
* [[国道37号]]([[山越郡]][[長万部町]] - 室蘭市)
** [[静狩峠]]・[[礼文華峠]] - [[白鳥新道]]
* [[国道38号]]([[滝川市]] - [[釧路市]])
** [[富良野道路]] - [[狩勝峠]] - [[釧路新道]]{{Sfn|釧路新道}}
* [[国道39号]](旭川市 - 網走市)
** [[石北峠]]
* [[国道40号]](旭川市 - [[稚内市]])
** [[旭川常盤ロータリー]] - [[塩狩峠]]
* [[国道44号]](釧路市 - [[根室市]])
=== 旧二級国道 ===
* [[国道227号]](函館市 - [[檜山郡]][[江差町]])
* [[国道228号]](函館市 - 檜山郡江差町)
* [[国道229号]]([[小樽市]] - 檜山郡江差町)
* [[国道230号]](札幌市中央区 - [[久遠郡]][[せたな町]])
** [[中山峠 (国道230号)|中山峠]] - [[渡島半島横断道路]]
* [[国道231号]](札幌市[[北区 (札幌市)|北区]] - [[留萌市]])
* [[国道232号]](稚内市 - 留萌市)
* [[国道233号]](旭川市 - 留萌市)
* [[国道234号]]([[岩見沢市]] - [[苫小牧市]])
* [[国道235号]](室蘭市 - [[浦河郡]][[浦河町]])
* [[国道236号]]([[帯広市]] - 浦河郡浦河町)
** 野塚峠([[野塚トンネル]])
* [[国道237号]](旭川市 - 浦河郡浦河町)
* [[国道238号]](網走市 - 稚内市)
* [[国道239号]](網走市 - 留萌市)
* [[国道240号]](釧路市 - 網走市)
* [[国道241号]]([[川上郡]][[弟子屈町]] - 帯広市)
** [[帯広北バイパス]]
* [[国道242号]](網走市 - 帯広市)
* [[国道243号]](網走市 - 根室市)
** [[美幌峠]]
* [[国道244号]](網走市 - 根室市)
** [[根北峠]]
=== その他一般国道 ===
* [[国道272号]](釧路市 - [[標津郡]][[標津町]])
** [[釧路中標津道路]]
* [[国道273号]](帯広市 - [[紋別市]])
** [[三国峠 (北海道)|三国峠]]
* [[国道274号]](札幌市[[東区 (札幌市)|東区]]- 川上郡[[標茶町]])※未開通区間あり
** [[札幌新道]] - [[日勝峠]]
* [[国道275号]](札幌市中央区 - [[枝幸郡]][[浜頓別町]])
* [[国道276号]](檜山郡江差町 - 苫小牧市)
* [[国道277号]](檜山郡江差町 - [[二海郡]][[八雲町]])
* [[国道278号]](函館市 - [[茅部郡]][[森町 (北海道)|森町]])
* [[国道279号]](函館市 - [[青森県]][[上北郡]][[野辺地町]])※[[海上国道]]
* [[国道280号]](青森県[[青森市]] - 函館市)※海上国道
* [[国道333号]](旭川市 - [[北見市]])
** [[北見峠]] - [[遠軽北見道路]]
* [[国道334号]]([[目梨郡]][[羅臼町]] - [[網走郡]][[美幌町]])
** [[知床峠]]
* [[国道335号]](目梨郡羅臼町 - [[標津郡]][[標津町]])
* [[国道336号]](浦河郡浦河町 - 釧路市)
* [[国道337号]]([[千歳市]] - 小樽市)
** [[道央圏連絡道路]]
* [[国道338号]](函館市 - 青森県上北郡[[おいらせ町]])※海上国道
* [[国道391号]](釧路市 - 網走市)
* [[国道392号]](釧路市 - [[中川郡 (十勝国)|中川郡]][[本別町]])
* [[国道393号]](小樽市 - [[虻田郡]][[倶知安町]])
** [[毛無峠 (北海道)|毛無峠]]
* 国道450号(旭川市 - 紋別市)※全線が[[旭川紋別自動車道]]区間
* [[国道451号]](留萌市 - 滝川市)
* [[国道452号]]([[夕張市]] - 旭川市) ※未開通区間あり
* [[国道453号]](札幌市[[豊平区]] - [[伊達市 (北海道)|伊達市]])
== 道道 ==
{{Main|北海道の道道一覧}}
== その他 ==
=== 有料道路 ===
* [[藻岩山観光自動車道]](札幌市)
=== 農道 ===
{{Main|日本の農道一覧}}
* [[北後志東部広域農道]](小樽市 - [[余市郡]][[仁木町]])
* [[空知南部広域農道]]([[江別市]] - 岩見沢市)
=== 林道 ===
{{Main|日本の林道一覧}}
* [[幾春別林道]]([[三笠市]])
* [[礼文林道]]([[礼文郡]][[礼文町]])
* [[林道滝雄・厚和線]]([[紋別郡]][[遠軽町]] - 北見市区間のみ完成)
* [[道東林道]]([[十勝郡]][[浦幌町]] - [[白糠郡]][[白糠町]])
=== 通り ===
{{Main|札幌市内の通り}}
=== 愛称 ===
* [[日本海追分ソーランライン]](函館市 - 小樽市)
* [[日本海オロロンライン]](小樽市 - 稚内市)
* [[ロマンティック街道 (旭川市)|ロマンティック街道]](旭川市)
* [[北海道ガーデン街道]](上川 - 富良野 - 十勝)
=== シーニックバイウェイ ===
{{Main|シーニックバイウェイ}}
* 函館・大沼・噴火湾ルート{{Sfn|シーニックバイウェイ北海道}}
* 支笏洞爺ニセコルート(ニセコ羊蹄エリア、ウエルカム北海道エリア、洞爺湖エリア){{Sfn|シーニックバイウェイ北海道}}
* 札幌シーニックバイウェイ藻岩山麓・定山渓ルート{{Sfn|シーニックバイウェイ北海道}}
* 大雪・富良野ルート{{Sfn|シーニックバイウェイ北海道}}
* 萌える天北オロロンルート{{Sfn|シーニックバイウェイ北海道}}
* 宗谷シーニックバイウェイ(サロベツリフレッシュロード、サロベツナチュラルロード、宗谷サンセットロード、宗谷ウエルカムロード、宗谷ヒストリーロード、宗谷周氷河ロード、オホーツクホタテロード、サルフツビレッジロード、北の浮島航路、利尻ファンタスティックロード、れぶんアツモリロード){{Sfn|シーニックバイウェイ北海道}}
* 東オホーツクシーニックバイウェイ(知床・流氷ステージ、知床・田園ステージ、知床・山岳ステージ){{Sfn|シーニックバイウェイ北海道}}
* 十勝平野・山麓ルート{{Sfn|シーニックバイウェイ北海道}}
* トカプチ雄大空間{{Sfn|シーニックバイウェイ北海道}}
* 南十勝夢街道{{Sfn|シーニックバイウェイ北海道}}
* 釧路湿原・阿寒・摩周シーニックバイウェイ(弟子屈エリア、阿寒湖エリア、中標津エリア、釧路湿原エリア){{Sfn|シーニックバイウェイ北海道}}
=== フットパス ===
{{Main|イギリスの通行権}}
* [[根室フットパス]](厚床パス、初田牛パス、別当賀パス)
=== ナショナルサイクルルート ===
{{Main|ナショナルサイクルルート}}
* [[トカプチ400]]
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Reflist}}
=== 出典 ===
* {{Cite web|和書|url=https://www.hkd.mlit.go.jp/hk/douro/eqp9bq00000009sp.html |title=一般国道5号 函館新道 |publisher=函館開発建設部 |accessdate=2017-05-01 |ref={{SfnRef|一般国道5号 函館新道}}}}
* {{Cite web|和書|url=https://www.hkd.mlit.go.jp/as/douro_keikaku/vkvvn80000000or0.html |title=音威子府バイパス |publisher=旭川開発建設部 |accessdate=2017-05-01 |ref={{SfnRef|音威子府バイパス}}}}
* {{Cite web|和書|url=https://www.hkd.mlit.go.jp/ot/vu2tjq00000012lk-att/vu2tjq00000015gw.pdf |title=一般国道5号 黒松内新道 |format=PDF |publisher=小樽開発建設部 |accessdate=2017-05-01 |ref={{SfnRef|一般国道5号 黒松内新道}}}}
* {{Cite web|和書|url=http://www.hkd.mlit.go.jp/ks/douro_keikaku/qgmend000000040a-att/qgmend0000006t1z.pdf |title=釧路外環状道路 |format=PDF |publisher=釧路開発建設部 |accessdate=2017-05-01 |ref={{SfnRef|釧路外環状道路}}}}
* {{Cite web|和書|url=http://www.hkd.mlit.go.jp/ks/douro_keikaku/qgmend000000040a-att/qgmend0000006t25.pdf |title=根室道路 |format=PDF |publisher=釧路開発建設部 |accessdate=2017-05-01 |ref={{SfnRef|根室道路}}}}
* {{Cite web|和書|url=https://www.hkd.mlit.go.jp/rm/douro_keikaku/f6h4sv0000000e48.html |title=高規格幹線道路 深川留萌自動車道 |publisher=留萌開発建設部 |accessdate=2017-05-01 |ref={{SfnRef|深川留萌自動車道}}}}
* {{Cite web|和書|url=https://www.hkd.mlit.go.jp/ob/douro_keikaku/douro/fns6al0000004x4m.html |title=帯広・広尾自動車道 |publisher=帯広開発建設部 |accessdate=2017-05-01 |ref={{SfnRef|帯広・広尾自動車道}}}}
* {{Cite web|和書|url=https://www.hkd.mlit.go.jp/hk/douro/eqp9bq0000000b45.html |title=地域高規格道路 函館新外環状道路 |publisher=函館開発建設部 |accessdate=2017-05-01 |ref={{SfnRef|函館新外環状道路}}}}
* {{Cite web|和書|url=https://www.hkd.mlit.go.jp/sp/douro_keikaku/e9fjd600000019q2-att/gburoi0000003kpt.pdf |title=道央圏連絡道路(一般国道337号) |format=PDF |publisher=札幌開発建設部 |accessdate=2017-05-01 |ref={{SfnRef|道央圏連絡道路}}}}
* {{Cite web|和書|url=http://www.hkd.mlit.go.jp/ks/douro_keikaku/qgmend000000040a-att/qgmend0000006t2f.pdf |title=釧路新道 |format=PDF |publisher=釧路開発建設部 |accessdate=2017-05-01 |ref={{SfnRef|釧路新道}}}}
* {{Cite web|和書|url=http://www.scenicbyway.jp/ |title=シーニックバイウェイ北海道【日本風景街道】 |publisher=シーニックバイウェイ支援センター |accessdate=2015-07-01 |ref={{SfnRef|シーニックバイウェイ北海道}}}}
== 関連項目 ==
{{Commonscat|Roads in Hokkaido|北海道の道路}}
* [[北海道 (令制)#道路]]
* [[北海道の地方費道一覧]]
* [[日本の道路一覧]]
== 外部リンク ==
* [https://www.e-nexco.co.jp/ NEXCO 東日本]
* [http://northern-road.jp/navi/ 北海道道路情報総合案内サイト 北の道ナビ]
* [https://www.hkd.mlit.go.jp 国土交通省 北海道開発局]
{{北海道道}}
{{都道府県道}}
{{DEFAULTSORT:ほつかいとうのとうろ}}
[[Category:日本の道路一覧|+01]]
[[Category:北海道の道路|*一覧]]
[[Category:北海道の一覧|とうろ]]
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マーストリヒト条約
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マーストリヒト条約(マーストリヒトじょうやく)は、欧州連合の創設を定めた条約。1991年12月9日、欧州諸共同体加盟国間での協議がまとまり、1992年2月7日調印、1993年11月1日にドロール委員会の下で発効した。協議は通貨統合と政治統合の分野について行われた。本条約の正式名称は欧州連合条約であり、その後の条約で修正が加えられた。条約名は調印されたオランダのマーストリヒトにちなむ。
附帯議定書では単一通貨ユーロの創設と3つの柱構造(欧州共同体の柱、共通外交・安全保障政策の柱、司法・内務協力の柱)の導入が規定された。共通外交・安全保障政策は欧州政治協力に基づくものであるが、本条約で欧州連合の柱構造に取り入れられ、さらにその枠組みは拡大された。司法・内務協力は警察機関、刑事司法、民事事件や難民・移民問題についての協力について扱われる分野であった。その後、アムステルダム条約によって司法・内務協力から難民・移民問題などを欧州共同体の柱に移管し、残った分野について警察・刑事司法協力に改められた。この3つの柱構造はリスボン条約の発効により廃止された。
元来、欧州経済共同体はおもに経済や社会、通商に関する機関であった。欧州委員会や欧州司法裁判所はともに、その構成員が加盟国政府によって任命されるものではあるが、業務については各国政府から独立しており、欧州諸共同体の枠組み内においては多くの権限が与えられていた。また欧州議会は欧州諸共同体加盟国に居住する市民の直接選挙で選ばれているが、同様にある程度の独立した権限を有していた。各国政府は閣僚理事会において強大な権限を保持していたが、1980年代半ば以降、表決にあたっては特定多数決方式を採用しており、およそ71%の事案が特定多数方式で表決されていた。欧州のこのようなシステムを共同体の秩序、あるいは超国家性と言われ、欧州経済共同体の諸機関は加盟国政府の権限行使による直接的なコントロールは受けず、その一方で加盟国政府はEC諸機関が反対する決定を多数決によって強制することができるものである。
以前より欧州諸共同体には外交政策や軍事、刑事分野についても関与することが望まれていた。しかし、加盟国の多くはこれらの分野に欧州諸共同体のメカニズムで携わるのは慎重であるべきだとしており、またこのような分野については、欧州諸共同体の執行機関よりも各国政府のほうに強い権限を保持させておかなければならないと考えていた。すなわち、超国家的に扱うのではなく、あくまで政府間協議の下で判断されるべきというものである。その一方で一部には、これまで欧州経済共同体の枠組みで扱われてきた経済分野に関する諸機関(欧州委員会、欧州司法裁判所、欧州議会)の超国家的で独立した権限が脅かされると警戒した加盟国もあった。このような流れの中で、従来のECの経済分野に関する権限とは分離しておく狙いで、欧州共同体の柱に、外交・軍事分野の柱と刑事司法分野の柱を並立させて、3本柱構造を構築したのである。
またマーストリヒト条約ではオンブズマン制度を新設した。
批准過程においてマーストリヒト条約は3か国で困難に直面した。まず、デンマークは1992年6月2日に国民投票を実施し、およそ50,000票差で批准を拒否する結果となった。この結果の影響はフランスにおける国民投票にも波及し、51.05% が賛成票を投じ、僅差で反対票を上回り批准にこぎつけた。その後デンマークについて、4つの例外条項をもうけたエディンバラ議定書を付すことで、1993年5月18日に批准することができた。
このほかイギリスでは庶民院において、マーストリヒト条約の社会政策条項に関するオプト・アウト(免除規定)を野党・労働党や自由民主党が反対、また与党・保守党内でも条約自体に懐疑的な議員が反対に回るなどして批准が否決された。保守党内の庶民院の造反議員の数は半数を超えるものであり、これによってジョン・メージャー政権は議会の信任を失った。
当時の英国首相ジョン・メージャーはマーストリヒト条約の社会政策条項に反対していた。メージャーが市場原理主義を支持しており政府による介入・規制を嫌っていたからである。メージャーは、社会条項が企業のコストを上げるとし、英国は社会政策条項からオプトアウトするべきと考えていた。反EU派の保守党議員も社会政策条項を嫌っていたがそれ以上にマーストリヒト条約を嫌っていた。それら反EUの保守党議員らは、もし彼らが社会政策条項をメージャーに飲ませればメージャーがマーストリヒト条約を拒絶もしくはその批准を遅らせるだろうと考えていた。
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マーストリヒト条約(マーストリヒトじょうやく)は、欧州連合の創設を定めた条約。1991年12月9日、欧州諸共同体加盟国間での協議がまとまり、1992年2月7日調印、1993年11月1日にドロール委員会の下で発効した。協議は通貨統合と政治統合の分野について行われた。本条約の正式名称は欧州連合条約であり、その後の条約で修正が加えられた。条約名は調印されたオランダのマーストリヒトにちなむ。 附帯議定書では単一通貨ユーロの創設と3つの柱構造(欧州共同体の柱、共通外交・安全保障政策の柱、司法・内務協力の柱)の導入が規定された。共通外交・安全保障政策は欧州政治協力に基づくものであるが、本条約で欧州連合の柱構造に取り入れられ、さらにその枠組みは拡大された。司法・内務協力は警察機関、刑事司法、民事事件や難民・移民問題についての協力について扱われる分野であった。その後、アムステルダム条約によって司法・内務協力から難民・移民問題などを欧州共同体の柱に移管し、残った分野について警察・刑事司法協力に改められた。この3つの柱構造はリスボン条約の発効により廃止された。
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'''マーストリヒト条約'''(マーストリヒトじょうやく)は、[[欧州連合]]の創設を定めた[[条約]]。[[1991年]][[12月9日]]、[[欧州諸共同体]][[欧州連合加盟国|加盟国]]間での協議がまとまり、[[1992年]][[2月7日]]調印、[[1993年]][[11月1日]]に[[ドロール委員会]]の下で発効した。協議は[[欧州連合の経済通貨統合|通貨統合]]と政治統合の分野について行われた。本条約の正式名称は'''欧州連合条約'''であり、その後の条約で修正が加えられた。条約名は調印された[[オランダ]]の[[マーストリヒト]]にちなむ。
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== 内容 ==
元来、[[欧州経済共同体]]はおもに経済や社会、通商に関する機関であった。[[欧州委員会]]や[[欧州司法裁判所]]はともに、その構成員が加盟国政府によって任命されるものではあるが、業務については各国政府から独立しており、欧州諸共同体の枠組み内においては多くの権限が与えられていた。また[[欧州議会]]は欧州諸共同体加盟国に居住する市民の直接選挙で選ばれているが、同様にある程度の独立した権限を有していた。各国政府は[[欧州連合理事会|閣僚理事会]]において強大な権限を保持していたが、1980年代半ば以降、表決にあたっては[[特定多数決方式]]を採用しており、およそ71%の事案が特定多数方式で表決されていた。欧州のこのようなシステムを共同体の秩序、あるいは[[スープラナショナリズム|超国家性]]と言われ、欧州経済共同体の諸機関は加盟国政府の権限行使による直接的なコントロールは受けず、その一方で加盟国政府はEC諸機関が反対する決定を多数決によって強制することができるものである。
以前より欧州諸共同体には[[外交]]政策や[[軍事]]、刑事分野についても関与することが望まれていた。しかし、加盟国の多くはこれらの分野に欧州諸共同体のメカニズムで携わるのは慎重であるべきだとしており、またこのような分野については、欧州諸共同体の執行機関よりも各国政府のほうに強い権限を保持させておかなければならないと考えていた。すなわち、超国家的に扱うのではなく、あくまで政府間協議の下で判断されるべきというものである。その一方で一部には、これまで欧州経済共同体の枠組みで扱われてきた経済分野に関する諸機関(欧州委員会、欧州司法裁判所、欧州議会)の超国家的で独立した権限が脅かされると警戒した加盟国もあった。このような流れの中で、従来のECの経済分野に関する権限とは分離しておく狙いで、欧州共同体の柱に、外交・軍事分野の柱と刑事司法分野の柱を並立させて、3本柱構造を構築したのである。
またマーストリヒト条約では[[オンブズマン]]制度を新設した。
==批准==
批准過程においてマーストリヒト条約は3か国で困難に直面した。まず、[[デンマーク]]は1992年[[6月2日]]に[[国民投票]]を実施し、およそ50,000票差で批准を拒否する結果となった。この結果の影響は[[フランス]]における国民投票にも波及し、51.05% が賛成票を投じ、僅差で反対票を上回り批准にこぎつけた。その後デンマークについて、4つの例外条項をもうけた[[エディンバラ議定書]]を付すことで、1993年[[5月18日]]に批准することができた。
このほか[[イギリス]]では[[庶民院 (イギリス)|庶民院]]において、マーストリヒト条約の社会政策条項に関するオプト・アウト(免除規定)を野党・[[労働党 (イギリス)|労働党]]や[[自由民主党 (イギリス)|自由民主党]]が反対、また与党・[[保守党 (イギリス)|保守党]]内でも条約自体に懐疑的な議員が反対に回るなどして批准が否決された。保守党内の庶民院の造反議員の数は半数を超えるものであり、これによって[[ジョン・メージャー]]政権は議会の信任を失った。
当時の英国首相[[ジョン・メージャー]]はマーストリヒト条約の社会政策条項に反対していた。メージャーが[[市場原理主義]]を支持しており政府による介入・規制を嫌っていたからである。メージャーは、社会条項が企業のコストを上げるとし、英国は社会政策条項からオプトアウトするべきと考えていた。反EU派の保守党議員も社会政策条項を嫌っていたがそれ以上にマーストリヒト条約を嫌っていた。それら反EUの保守党議員らは、もし彼らが社会政策条項をメージャーに飲ませればメージャーがマーストリヒト条約を拒絶もしくはその批准を遅らせるだろうと考えていた<ref>[http://www.independent.co.uk/news/uk/politics/treaty-tightrope-the-social-chapter-what-it-is-and-why-conservatives-hate-it-1486124.html Treaty Tightrope: The Social Chapter: what it is and why Conservatives hate it] R. Williams, The Independent, 20 Jul 1993</ref>。
==出典==
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==関連項目==
* [[アムステルダム条約]]
* [[ニース条約]]
* [[欧州憲法条約]]
* [[リスボン条約]]
* [[3つの柱 (EU)]]
* [[欧州懐疑主義]]
==外部リンク==
* [http://eur-lex.europa.eu/LexUriServ/LexUriServ.do?uri=OJ:C:2008:115:0001:01:EN:HTML TConsolidated versions of the Treaty on European Union and the Treaty on the Functioning of the European Union](Eur-Lex、リスボン条約発効以降){{en icon}}
** [http://eur-lex.europa.eu/en/treaties/dat/11992M/htm/11992M.html Treaty on European Union](1992年署名時、英語)
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南北問題
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南北問題(なんぼくもんだい、英語: North–South divide、Global North and Global South)という訳語が充てられている概念は、1960年代に入って指摘された、地球規模で起きている先進資本国と発展途上国の間に経済格差が存在しているという問題、およびその問題を解決するという、人類全体に課せられた課題のことである。地球規模の視野でみると、豊かな国々が世界地図上の北側に、貧しい国々が南側に偏っていることからそれぞれ、英語では通常グローバル・ノース、グローバル・サウス(Global North and Global South。直訳では地球的北、地球的南)と呼ばれる。日本人には英語表現が長すぎると感じられるせいなのか、表題などでは「南北問題」という短い訳語が選ばれる。だが文章中では「南北間の経済格差」と分かりやすく訳すことが多い。
「南北問題」という用語の概念は、イギリスのロイズ銀行会長職にあったオリヴァー・フランクスが、1959年にアメリカ合衆国で行なった講演「新しい国際均衡―西欧世界への挑戦」に端を発するものである。フランクスは、イデオロギーと軍事の対立である東西問題に比肩する重要課題として、地球上の北側に位置する先進工業国(Industrial Countries)と南側に位置する開発途上国(Developing Countries、発展途上国ともいう)における問題提起を行うとともに、世界のバランスの中心が西ヨーロッパから新たに発展しつつある国々に移るであろうと述べた。
19世紀末に、世界経済が成立し国際分業が広まると、農業国や工業国への分化が起きた。植民地は、宗主国によりモノカルチャー経済へと転換されるケースが多く、著しい特化が進展した。特にアフリカ大陸においては、列強による領土分割によって、ほぼ強制的に資源の供給国としての役割を担わされた。
第二次世界大戦終結から間もない頃は、農業によって経済を成り立たせている国も多く、そういった国の所得水準は工業国に比べ際立って低いわけではなかった。むしろ、商品作物の輸出などにより高い所得水準を実現している国もあった。
技術革新の進展などにより安価な代替商品が生まれたことから、いくつかの農産品は需要の減退に見舞われた(例:バングラデシュのジュートなど)。また、緑の革命や競争力のある工業国の農産業による輸出攻勢(アメリカやフランス)により、農産品の相対価格は著しく低迷。工業品輸出により発展を遂げる日本や西ドイツとの格差は次第に広がった。一旦、特化した経済は社会構造も特化しているため容易に転換できず、長期間にわたって格差が固定化されることとなった。
開発途上国の経済開発促進と南北問題の経済格差是正のために、1962年には初の第三世界出身の国連事務総長となったウ・タントの主導で国際連合貿易開発会議 (UNCTAD)設立が決定され、1964年に開催された第1回UNCTAD総会(ジュネーブ)を経て、非同盟諸国を中心に開発途上国を集めた77ヶ国グループ(G77)が結成された。なお、開発途上国という用語が「後進国」「低開発国」に代わって一般に使用されるようになったのはUNCTAD設立以降のことである。
また、UNCTADを含め、この時期に国際援助に関連する組織や法案が各国で設立されている。
発展途上国の多くは資本輸入により工業化を試みた。しかし、国内市場の狭さ、国際競争力を欠いたことなどから失敗する国が多く、貿易赤字と対外債務を増加させる結果となる。その中でも東アジアの韓国・台湾・マレーシアや、中南米のメキシコ・ブラジルなどは一定の工業化を成功させた。
1970年9月に開催された第25回国際連合総会では、1960年代の「国連開発の十年」を総括すると共に、「第2次国連開発の十年」の決議が採択された。この決議では、先進国のODAがGNPの0.7%となるように定められた。ODAに対し、具体的な国際目標が導入されたのは初めてであり、また決議の特徴である。
1973年に始まった第四次中東戦争から第1次石油ショックが発生する。原油価格の高騰は不況を招きかねなかったが、産油国をはじめ、天然資源を保有する発展途上国にとっては、自国が保有する天然資源が国際社会における交渉力となるという認識が強まり、自国の天然資源を先進諸国の資本の支配から取り戻し、自国主権の下での開発を目指す資源ナショナリズムが盛んになった。この一方で、工業化の途上にあった他の途上国の中には、この石油ショックにより重い対外債務負担を負う国も現れた。
1974年4月には国連資源特別総会において強まる資源ナショナリズムを背景に、「新国際経済秩序樹立に関する宣言(Declaration for the Establishment of a New International Economic Order)」(新国際経済秩序 (NIEO)新国際経済秩序)が採択され、同年秋の第29回国際連合総会で、この宣言の内容を具体化した「諸国家の経済権利義務憲章(国際連合総会決議3281)」が採択される。
1980年に第35回国際連合総会において「第3次国連開発の十年」が採択され、1981年にはメキシコのカンクンでアメリカ合衆国・日本・西ドイツなど先進国とインド・中華人民共和国・ブラジルなど発展途上国の首脳が集まって初の南北サミット(英語版)が開催された。1980年代は、1970年代の主に国際機関と外国の政府に対する重債務によってアフリカや中南米の国々は、元利返済に苦しみ、ハイパーインフレーションなどが発生し国民経済は混乱した。
その後、石油産出国や新興工業国(NIESやBRICsなど)は所得が向上していった一方、最貧国は停滞あるいは衰退したことから、中進国との格差が増大する南南問題が起こった。環境問題が国際的な課題として捉えられるようになってからは、環境対策を求める先進国と、開発優先志向が強い途上国との間で利害が対立している。
1990年に第46回国際連合総会において「第4次国連開発の十年」が採択される。東西冷戦時代には、発展途上国への援助は自陣営につなぎとめておく手段の一つでもあったが、冷戦終結に伴い、このような援助の構造は過去のものとなり、これまでとは違った非軍事的な面を含むさまざまな考え方や開発、援助の形態が提唱され、各種の国際会議が世界各地で開催されるようになった。しかしながら、1990年代のODAは急減し、2002年メキシコのモンテレイで開かれた国連開発資金国際会議では、ODA増額が合意されることになる。
地球規模での南北問題と同様の意味合いで、比較的狭い地域における経済格差も南北問題と呼ばれることがある。
イタリアにおいては早期に王国領へと併合されたミラノ・ジェノヴァ・トリノを中心とする北部が重工業地域(北イタリア)として発展しているのに対し、南部(南イタリア)は一次産業を中心としているが故に生じている経済格差が問題となっている。1960年代のバノーニ計画によってターラント製鉄所やアウトストラーダが建設されるなど、南部での重工業発展と社会基盤の整備が図られある程度の改善は見られたが、根本的な解決に至ってはおらず、南部の失業率は北部の4倍とも言われている。その為、古くから農民層を中心にドイツなど他国へ出稼ぎや移民に向かう者が多く、一種のコロニーを形成している。
一方、本来南部が収めるべき分の税金を負担する格好になっている北部では、不況に伴い南部に税金を吸い上げられているとの批判が強まり、同盟のような南北の分離を唱える勢力を生み出しているただし、同盟を支持する人々が必ずしも国家の分離を望んでいる訳ではなく、南部への批判票としての意味合いが強いことに留意する必要がある。
しかし近年ではマフィアの衰退や電子・情報産業などの先進工業の成長により、半導体メーカーのSTMicroelectronics社や鉄道関連企業のメリディオリ・メッカニカ社など南部経済は好転に向かっているとの声もある。事実、南部の失業率も改善傾向にあり、北部との失業率も3倍程度(中部と比べた場合は2倍程度)に低下し、批判の多かった大規模投資による南部開発計画もプロディ政権下で改められ、現在は「第三のイタリア」を参考にした新たな経済作りが進められている。前述の北部同盟も攻撃対象を南部から不法移民へと切り替え、先の総選挙ではイタリア南部で党勢を伸ばすという逆転現象が起きるなど、イタリアの南北格差は新たな局面に入りつつある。
伝統的に南仏と北仏の対立構図が存在する。
グレートブリテン島を国土の主要部とする英国においては、首都ロンドンを始めバーミンガム、オックスフォード、ケンブリッジなど、大都市や豊かな地域は島の南部に多い。一方で、かつての産業革命時代に製造業などで隆盛を誇ったイングランド北部のマンチェスター、リヴァプール、リーズ、ニューカッスルや、スコットランドの最大都市グラスゴーなど英国北部は、1960年代〜80年代の英国病と呼ばれた経済低迷の中で急速に衰退した。その後マーガレット・サッチャー政権時代に英国経済の基幹が金融業へとシフトする中で英国の富はロンドンへ集中したため、21世紀以降英国の南北格差はさらに拡大している。
第二次世界大戦の終結に伴い日本の統治下から外れた朝鮮半島では、北側に朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)、南側に大韓民国(韓国)と2つの政権が樹立し、分断国家となった。両陣営が争った朝鮮戦争は東西冷戦の代理戦争と化し、休戦こそしたものの、正式には終戦がなされないまま21世紀に至っている。政治的・経済的にも、漢江の奇跡と呼ばれる経済成長を果たし、民主化もなされた韓国に対し、金一族による世襲が続き、経済的にも疲弊している北朝鮮と大きな差異がある。
また韓国単体で見た場合には、国土の北部に位置し総人口の51%が居住する首都ソウルとその周辺(首都圏)に大企業の本社・一流大学などの大半が集中する極端なソウル一極集中が起こっており、反対に慶尚道、全羅道などの韓国南部は北部に比べ経済活動に乏しく、発展度でも立ち遅れている。
台湾の人口は西海岸側に集中しているが、それでも政治・経済・報道の要衝である台北市および周辺部の台北都市圏を擁する北部と、高雄市や台南市といった大都市を抱える南部では産業構造の違いによる求人格差、所得格差は他の国ほどではないが国内で深刻化している。北部を地盤とする中国国民党と南部を地盤とする民主進歩党の覇権争いを起因とした政治的要素がこれを増幅している見方もある。当初は階級間格差を指すインターネットスラングである「天龍人/天龍国」も台北人/台北市を揶揄するものと拡大・変容し、地域格差をも内包する意味が色濃くなっている。
中国の歴史には、北方と南方と呼ばれる二地域の対立が度々形成されてきた(zh:中国南方与北方を参照)。両者は気候や産業、文化が大きく異なり、多くの中国人の自己認識にも南北間には区別がある。
江蘇省、安徽省、湖北省、重慶市、四川省、チベット自治区以南を南方とした場合、中華人民共和国建国から1970年代頃までは南北両者の経済力は拮抗していたが、その後徐々に南方が優勢になり始め、2019年時点では南方が北方の約1.8倍の経済力となっている。
首都東京(関東圏)をはじめ名古屋、京阪神、福岡など、日本の人口は太平洋ベルトと呼ばれる列島の南部に集中し、日本の大企業の本社もその大半がこの地域に所在する。一方で、太平洋ベルトから外れた北海道、東北地方(北日本)は少子化・人口減少が日本国内で最も激しい地域であり、新潟県(かつては日本一人口が多い県だった)、山陰地方などの日本海側地域も人口の流出、過疎化が顕著である。ただし、日本は国土の形状の関係から2分割する場合は南北よりも東西の区切りが用いられることが多く、「南北格差」という取り上げ方がされることは少ない。
中国山地を挟み、北部が山陰、南部が山陽と分けられる中国地方では、新幹線が通り、瀬戸内工業地域があり、500万弱の人口を擁する山陽に対し、100万強の人口を擁し、過疎化が著しい山陰に激しい経済格差が生まれている。また中国山地に挟まれているために、東西に比べ、南北を繋ぐ鉄道や道路が少なく、経済交流も少ない。
関東地方でも特に茨城県における南北問題が近年、注目を集めている。東京通勤圏内にあり、つくばエクスプレス開業で人口増加が続くつくば市・守谷市などの県南地域と高齢・過疎化が進む県北部の間の格差は年々拡大しており、速やかな対応策が求められている。
三重県は南北に長く、南北において、人口・高齢化率や産業の集積状況が大きく異なる。三重県の北部においては、中京圏や近畿圏と比較的近距離であることから、産業や人口が集積している一方で、南部においては、豊かな自然・歴史・文化資源はあるものの、道路網や鉄道網等の基盤が弱いことから、それらを地域活力に十分結びつけられずに、地域経済・社会の存立基盤が脆弱化している。地域経済でのウェイトが高い農林水産業、中部・近畿圏からの集客が重きをなす観光を取り巻く環境も厳しい現状がある。このような問題は同じ東海地方においては、三重県程ではないが南部に多くの人口を抱え北部の大半を山岳地帯が占める岐阜県でも共通問題となっている。
府庁所在地である京都市への人口集中率が約55%と、東京都(旧東京府)以外の道府県では第一位である。京都府は南北に細長く、南部(旧山城国)と北・中部(旧丹波国、旧丹後国)との格差が大きく、南部と北部では異なる地域を形成している。
戦後の経済成長において、南部はいち早く発展したのに対して、北部は取り残される傾向にあった。近年では、高速道路(京都縦貫自動車道など)建設や山陰本線複線電化工事が施工されるなど、南北格差の是正が図られている。また、旧丹波国域のうち1965年頃から亀岡市及び旧園部町、旧八木町など南丹地区は京都市や大阪府との結びつきが強くなり、行政では京都府を南北のみで区分する場合は、船井郡以南を南部とする(ただし、行政では亀岡市及び南丹市、船井郡京丹波町を中部と区分する場合が多い)。
同様のことは、同じ近畿地方においては人口の大部分が北部に集中する奈良県・和歌山県、南部に人口の集中する兵庫県においてもいえる。
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"text": "南北問題(なんぼくもんだい、英語: North–South divide、Global North and Global South)という訳語が充てられている概念は、1960年代に入って指摘された、地球規模で起きている先進資本国と発展途上国の間に経済格差が存在しているという問題、およびその問題を解決するという、人類全体に課せられた課題のことである。地球規模の視野でみると、豊かな国々が世界地図上の北側に、貧しい国々が南側に偏っていることからそれぞれ、英語では通常グローバル・ノース、グローバル・サウス(Global North and Global South。直訳では地球的北、地球的南)と呼ばれる。日本人には英語表現が長すぎると感じられるせいなのか、表題などでは「南北問題」という短い訳語が選ばれる。だが文章中では「南北間の経済格差」と分かりやすく訳すことが多い。",
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"text": "「南北問題」という用語の概念は、イギリスのロイズ銀行会長職にあったオリヴァー・フランクスが、1959年にアメリカ合衆国で行なった講演「新しい国際均衡―西欧世界への挑戦」に端を発するものである。フランクスは、イデオロギーと軍事の対立である東西問題に比肩する重要課題として、地球上の北側に位置する先進工業国(Industrial Countries)と南側に位置する開発途上国(Developing Countries、発展途上国ともいう)における問題提起を行うとともに、世界のバランスの中心が西ヨーロッパから新たに発展しつつある国々に移るであろうと述べた。",
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"text": "19世紀末に、世界経済が成立し国際分業が広まると、農業国や工業国への分化が起きた。植民地は、宗主国によりモノカルチャー経済へと転換されるケースが多く、著しい特化が進展した。特にアフリカ大陸においては、列強による領土分割によって、ほぼ強制的に資源の供給国としての役割を担わされた。",
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"text": "第二次世界大戦終結から間もない頃は、農業によって経済を成り立たせている国も多く、そういった国の所得水準は工業国に比べ際立って低いわけではなかった。むしろ、商品作物の輸出などにより高い所得水準を実現している国もあった。",
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"text": "技術革新の進展などにより安価な代替商品が生まれたことから、いくつかの農産品は需要の減退に見舞われた(例:バングラデシュのジュートなど)。また、緑の革命や競争力のある工業国の農産業による輸出攻勢(アメリカやフランス)により、農産品の相対価格は著しく低迷。工業品輸出により発展を遂げる日本や西ドイツとの格差は次第に広がった。一旦、特化した経済は社会構造も特化しているため容易に転換できず、長期間にわたって格差が固定化されることとなった。",
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"text": "開発途上国の経済開発促進と南北問題の経済格差是正のために、1962年には初の第三世界出身の国連事務総長となったウ・タントの主導で国際連合貿易開発会議 (UNCTAD)設立が決定され、1964年に開催された第1回UNCTAD総会(ジュネーブ)を経て、非同盟諸国を中心に開発途上国を集めた77ヶ国グループ(G77)が結成された。なお、開発途上国という用語が「後進国」「低開発国」に代わって一般に使用されるようになったのはUNCTAD設立以降のことである。",
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"text": "また、UNCTADを含め、この時期に国際援助に関連する組織や法案が各国で設立されている。",
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"text": "発展途上国の多くは資本輸入により工業化を試みた。しかし、国内市場の狭さ、国際競争力を欠いたことなどから失敗する国が多く、貿易赤字と対外債務を増加させる結果となる。その中でも東アジアの韓国・台湾・マレーシアや、中南米のメキシコ・ブラジルなどは一定の工業化を成功させた。",
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"text": "1970年9月に開催された第25回国際連合総会では、1960年代の「国連開発の十年」を総括すると共に、「第2次国連開発の十年」の決議が採択された。この決議では、先進国のODAがGNPの0.7%となるように定められた。ODAに対し、具体的な国際目標が導入されたのは初めてであり、また決議の特徴である。",
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"text": "1973年に始まった第四次中東戦争から第1次石油ショックが発生する。原油価格の高騰は不況を招きかねなかったが、産油国をはじめ、天然資源を保有する発展途上国にとっては、自国が保有する天然資源が国際社会における交渉力となるという認識が強まり、自国の天然資源を先進諸国の資本の支配から取り戻し、自国主権の下での開発を目指す資源ナショナリズムが盛んになった。この一方で、工業化の途上にあった他の途上国の中には、この石油ショックにより重い対外債務負担を負う国も現れた。",
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"text": "1974年4月には国連資源特別総会において強まる資源ナショナリズムを背景に、「新国際経済秩序樹立に関する宣言(Declaration for the Establishment of a New International Economic Order)」(新国際経済秩序 (NIEO)新国際経済秩序)が採択され、同年秋の第29回国際連合総会で、この宣言の内容を具体化した「諸国家の経済権利義務憲章(国際連合総会決議3281)」が採択される。",
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"text": "1980年に第35回国際連合総会において「第3次国連開発の十年」が採択され、1981年にはメキシコのカンクンでアメリカ合衆国・日本・西ドイツなど先進国とインド・中華人民共和国・ブラジルなど発展途上国の首脳が集まって初の南北サミット(英語版)が開催された。1980年代は、1970年代の主に国際機関と外国の政府に対する重債務によってアフリカや中南米の国々は、元利返済に苦しみ、ハイパーインフレーションなどが発生し国民経済は混乱した。",
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"text": "その後、石油産出国や新興工業国(NIESやBRICsなど)は所得が向上していった一方、最貧国は停滞あるいは衰退したことから、中進国との格差が増大する南南問題が起こった。環境問題が国際的な課題として捉えられるようになってからは、環境対策を求める先進国と、開発優先志向が強い途上国との間で利害が対立している。",
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"text": "1990年に第46回国際連合総会において「第4次国連開発の十年」が採択される。東西冷戦時代には、発展途上国への援助は自陣営につなぎとめておく手段の一つでもあったが、冷戦終結に伴い、このような援助の構造は過去のものとなり、これまでとは違った非軍事的な面を含むさまざまな考え方や開発、援助の形態が提唱され、各種の国際会議が世界各地で開催されるようになった。しかしながら、1990年代のODAは急減し、2002年メキシコのモンテレイで開かれた国連開発資金国際会議では、ODA増額が合意されることになる。",
"title": "概要"
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"text": "地球規模での南北問題と同様の意味合いで、比較的狭い地域における経済格差も南北問題と呼ばれることがある。",
"title": "地域レベルでの南北問題"
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"text": "イタリアにおいては早期に王国領へと併合されたミラノ・ジェノヴァ・トリノを中心とする北部が重工業地域(北イタリア)として発展しているのに対し、南部(南イタリア)は一次産業を中心としているが故に生じている経済格差が問題となっている。1960年代のバノーニ計画によってターラント製鉄所やアウトストラーダが建設されるなど、南部での重工業発展と社会基盤の整備が図られある程度の改善は見られたが、根本的な解決に至ってはおらず、南部の失業率は北部の4倍とも言われている。その為、古くから農民層を中心にドイツなど他国へ出稼ぎや移民に向かう者が多く、一種のコロニーを形成している。",
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"text": "一方、本来南部が収めるべき分の税金を負担する格好になっている北部では、不況に伴い南部に税金を吸い上げられているとの批判が強まり、同盟のような南北の分離を唱える勢力を生み出しているただし、同盟を支持する人々が必ずしも国家の分離を望んでいる訳ではなく、南部への批判票としての意味合いが強いことに留意する必要がある。",
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"text": "しかし近年ではマフィアの衰退や電子・情報産業などの先進工業の成長により、半導体メーカーのSTMicroelectronics社や鉄道関連企業のメリディオリ・メッカニカ社など南部経済は好転に向かっているとの声もある。事実、南部の失業率も改善傾向にあり、北部との失業率も3倍程度(中部と比べた場合は2倍程度)に低下し、批判の多かった大規模投資による南部開発計画もプロディ政権下で改められ、現在は「第三のイタリア」を参考にした新たな経済作りが進められている。前述の北部同盟も攻撃対象を南部から不法移民へと切り替え、先の総選挙ではイタリア南部で党勢を伸ばすという逆転現象が起きるなど、イタリアの南北格差は新たな局面に入りつつある。",
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"text": "伝統的に南仏と北仏の対立構図が存在する。",
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"text": "グレートブリテン島を国土の主要部とする英国においては、首都ロンドンを始めバーミンガム、オックスフォード、ケンブリッジなど、大都市や豊かな地域は島の南部に多い。一方で、かつての産業革命時代に製造業などで隆盛を誇ったイングランド北部のマンチェスター、リヴァプール、リーズ、ニューカッスルや、スコットランドの最大都市グラスゴーなど英国北部は、1960年代〜80年代の英国病と呼ばれた経済低迷の中で急速に衰退した。その後マーガレット・サッチャー政権時代に英国経済の基幹が金融業へとシフトする中で英国の富はロンドンへ集中したため、21世紀以降英国の南北格差はさらに拡大している。",
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"text": "第二次世界大戦の終結に伴い日本の統治下から外れた朝鮮半島では、北側に朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)、南側に大韓民国(韓国)と2つの政権が樹立し、分断国家となった。両陣営が争った朝鮮戦争は東西冷戦の代理戦争と化し、休戦こそしたものの、正式には終戦がなされないまま21世紀に至っている。政治的・経済的にも、漢江の奇跡と呼ばれる経済成長を果たし、民主化もなされた韓国に対し、金一族による世襲が続き、経済的にも疲弊している北朝鮮と大きな差異がある。",
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"text": "また韓国単体で見た場合には、国土の北部に位置し総人口の51%が居住する首都ソウルとその周辺(首都圏)に大企業の本社・一流大学などの大半が集中する極端なソウル一極集中が起こっており、反対に慶尚道、全羅道などの韓国南部は北部に比べ経済活動に乏しく、発展度でも立ち遅れている。",
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"text": "台湾の人口は西海岸側に集中しているが、それでも政治・経済・報道の要衝である台北市および周辺部の台北都市圏を擁する北部と、高雄市や台南市といった大都市を抱える南部では産業構造の違いによる求人格差、所得格差は他の国ほどではないが国内で深刻化している。北部を地盤とする中国国民党と南部を地盤とする民主進歩党の覇権争いを起因とした政治的要素がこれを増幅している見方もある。当初は階級間格差を指すインターネットスラングである「天龍人/天龍国」も台北人/台北市を揶揄するものと拡大・変容し、地域格差をも内包する意味が色濃くなっている。",
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"text": "中国の歴史には、北方と南方と呼ばれる二地域の対立が度々形成されてきた(zh:中国南方与北方を参照)。両者は気候や産業、文化が大きく異なり、多くの中国人の自己認識にも南北間には区別がある。",
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"text": "江蘇省、安徽省、湖北省、重慶市、四川省、チベット自治区以南を南方とした場合、中華人民共和国建国から1970年代頃までは南北両者の経済力は拮抗していたが、その後徐々に南方が優勢になり始め、2019年時点では南方が北方の約1.8倍の経済力となっている。",
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"text": "首都東京(関東圏)をはじめ名古屋、京阪神、福岡など、日本の人口は太平洋ベルトと呼ばれる列島の南部に集中し、日本の大企業の本社もその大半がこの地域に所在する。一方で、太平洋ベルトから外れた北海道、東北地方(北日本)は少子化・人口減少が日本国内で最も激しい地域であり、新潟県(かつては日本一人口が多い県だった)、山陰地方などの日本海側地域も人口の流出、過疎化が顕著である。ただし、日本は国土の形状の関係から2分割する場合は南北よりも東西の区切りが用いられることが多く、「南北格差」という取り上げ方がされることは少ない。",
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"text": "中国山地を挟み、北部が山陰、南部が山陽と分けられる中国地方では、新幹線が通り、瀬戸内工業地域があり、500万弱の人口を擁する山陽に対し、100万強の人口を擁し、過疎化が著しい山陰に激しい経済格差が生まれている。また中国山地に挟まれているために、東西に比べ、南北を繋ぐ鉄道や道路が少なく、経済交流も少ない。",
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"text": "関東地方でも特に茨城県における南北問題が近年、注目を集めている。東京通勤圏内にあり、つくばエクスプレス開業で人口増加が続くつくば市・守谷市などの県南地域と高齢・過疎化が進む県北部の間の格差は年々拡大しており、速やかな対応策が求められている。",
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"text": "三重県は南北に長く、南北において、人口・高齢化率や産業の集積状況が大きく異なる。三重県の北部においては、中京圏や近畿圏と比較的近距離であることから、産業や人口が集積している一方で、南部においては、豊かな自然・歴史・文化資源はあるものの、道路網や鉄道網等の基盤が弱いことから、それらを地域活力に十分結びつけられずに、地域経済・社会の存立基盤が脆弱化している。地域経済でのウェイトが高い農林水産業、中部・近畿圏からの集客が重きをなす観光を取り巻く環境も厳しい現状がある。このような問題は同じ東海地方においては、三重県程ではないが南部に多くの人口を抱え北部の大半を山岳地帯が占める岐阜県でも共通問題となっている。",
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"text": "府庁所在地である京都市への人口集中率が約55%と、東京都(旧東京府)以外の道府県では第一位である。京都府は南北に細長く、南部(旧山城国)と北・中部(旧丹波国、旧丹後国)との格差が大きく、南部と北部では異なる地域を形成している。",
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"text": "戦後の経済成長において、南部はいち早く発展したのに対して、北部は取り残される傾向にあった。近年では、高速道路(京都縦貫自動車道など)建設や山陰本線複線電化工事が施工されるなど、南北格差の是正が図られている。また、旧丹波国域のうち1965年頃から亀岡市及び旧園部町、旧八木町など南丹地区は京都市や大阪府との結びつきが強くなり、行政では京都府を南北のみで区分する場合は、船井郡以南を南部とする(ただし、行政では亀岡市及び南丹市、船井郡京丹波町を中部と区分する場合が多い)。",
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"text": "同様のことは、同じ近畿地方においては人口の大部分が北部に集中する奈良県・和歌山県、南部に人口の集中する兵庫県においてもいえる。",
"title": "地域レベルでの南北問題"
}
] |
南北問題という訳語が充てられている概念は、1960年代に入って指摘された、地球規模で起きている先進資本国と発展途上国の間に経済格差が存在しているという問題、およびその問題を解決するという、人類全体に課せられた課題のことである。地球規模の視野でみると、豊かな国々が世界地図上の北側に、貧しい国々が南側に偏っていることからそれぞれ、英語では通常グローバル・ノース、グローバル・サウスと呼ばれる。日本人には英語表現が長すぎると感じられるせいなのか、表題などでは「南北問題」という短い訳語が選ばれる。だが文章中では「南北間の経済格差」と分かりやすく訳すことが多い。
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{{出典の明記|date=2009年6月}}
[[File:Global North and Global South.svg|thumb|350px|グローバル・ノースとグローバル・サウスと言う場合の一般的な図示。青が北、赤が南。赤側が危機的な状況にある。]]
[[File:Average GDP PPP per capita 2010.svg|thumb|350px|別の、より細やかな分析の図。[[各国の一人当たり実質GDPリスト|一人当たり実質GDP]]が、地球全体の一人当たりGDP{{efn2|数字は国際通貨基金 IMF資料による。2010年時点では平均は1万700米ドルだった。}}よりも高いか低いかによって色分けした図。<br />
*青 - 世界のGDP(PPP)を超える<br />*オレンジ - 世界GDP(PPP)を下回る]]
'''南北問題'''(なんぼくもんだい、{{Lang-en|North–South divide、Global North and Global South}})という訳語が充てられている概念は、[[1960年代]]に入って指摘された、地球規模で起きている[[先進国|先進資本国]]と[[開発途上国|発展途上国]]の間に[[貧富の差|経済格差]]が存在しているという問題、およびその問題を解決するという、人類全体に課せられた課題のことである。地球規模の視野でみると、豊かな国々が世界地図上の北側に、貧しい国々が南側に偏っていることからそれぞれ、英語では通常'''グローバル・ノース'''、'''グローバル・サウス'''(Global North and Global South。直訳では地球的北、地球的南)と呼ばれる。日本人には英語表現が長すぎると感じられるせいなのか、表題などでは「南北問題」という短い訳語が選ばれる{{efn2|一例。外務省経済局、外務省経済協力局、外務省国際連合局『低開発国貿易と援助問題 : いわゆる南北問題の解明』日本国際問題研究所〈国際問題シリーズ35〉、1964年、{{ncid|BN09188656}}。}}。だが文章中では「南北間の経済格差」<ref>{{Cite web|和書|title=南北問題における社会経済的指標の検討-永続可能な発展の視点から- |url=https://kaken.nii.ac.jp/grant/KAKENHI-PROJECT-05207202/ |website=KAKEN |access-date=2022-10-03}}</ref><ref>「『連続成長』でも韓国に水をあけられる北朝鮮経済」(The headline/にゅーす最前線 World View いんさいど・あじあ )『東洋経済新報』第7巻第27号、2000年(平成12年)、{{OCLC|8142950486}}。[https://japanknowledge.com/lib/display/?lid=91307V200306210P0021#B0011 ジャパンナレッジ](有償)</ref>と分かりやすく訳す{{要検証範囲|ことが多い|date=2022年10月}}。
== 概要 ==
「南北問題」という用語の概念は、[[イギリス]]の[[ロイズTSB|ロイズ銀行]][[会長]]職にあった[[オリヴァー・フランクス]]が、[[1959年]]に[[アメリカ合衆国]]で行なった講演「新しい国際均衡―西欧世界への挑戦」に端を発するものである<ref>Oliver Franks, "The New International Balance: Challenge to the Western World". ''[[:En:Saturday Review (U.S. magazine)|Saturday Review]]'', January 16, 1960, p.20-25.</ref>。フランクスは、[[イデオロギー]]と軍事の対立である東西問題に比肩する重要課題として、地球上の北側に位置する[[先進工業国]](Industrial Countries)と南側に位置する[[開発途上国]](Developing Countries、発展途上国ともいう)における問題提起を行うとともに、世界のバランスの中心が西ヨーロッパから新たに発展しつつある国々に移るであろうと述べた。
=== 指摘以前の経緯 ===
19世紀末に、[[世界経済]]が成立し[[国際分業]]が広まると、[[農業国]]や[[工業国]]への分化が起きた。[[植民地]]は、[[宗主国]]により[[モノカルチャー経済]]へと転換されるケースが多く、著しい特化が進展した。特に[[アフリカ大陸]]においては、列強による[[アフリカ分割|領土分割]]によって、ほぼ強制的に資源の供給国としての役割を担わされた。
[[第二次世界大戦]]終結から間もない頃は、農業によって経済を成り立たせている国も多く、そういった国の所得水準は工業国に比べ際立って低いわけではなかった。むしろ、[[商品作物]]の輸出などにより高い所得水準を実現している国もあった。
[[技術革新]]の進展などにより安価な代替商品が生まれたことから、いくつかの農産品は需要の減退に見舞われた(例:[[バングラデシュ]]の[[ジュート]]など){{要出典|date=2022年10月}}。また、[[緑の革命]]や競争力のある工業国の農産業による輸出攻勢(アメリカやフランス)により、農産品の相対価格は著しく低迷{{要出典|date=2022年10月}}。工業品輸出により発展を遂げる日本や西ドイツとの格差は次第に広がった。一旦、特化した経済は社会構造も特化しているため容易に転換できず、長期間にわたって格差が固定化されることとなった{{要出典|date=2022年10月}}。
=== 国際的な取り組み ===
==== 1960年代 ====
開発途上国の経済開発促進と南北問題の経済格差是正のために、[[1962年]]には初の[[第三世界]]出身の[[国連事務総長]]となった[[ウ・タント]]の主導で[[国際連合貿易開発会議|国際連合貿易開発会議 (UNCTAD)]]設立が決定され{{要出典|date=2022年10月}}、[[1964年]]に開催された第1回UNCTAD総会([[ジュネーブ]])を経て、[[非同盟]]諸国を中心に開発途上国を集めた[[77ヶ国グループ]](G77)が結成された{{要出典|date=2022年10月}}。なお、開発途上国という用語が「後進国」「低開発国」に代わって一般に使用されるようになったのはUNCTAD設立以降のことである{{要出典|date=2022年10月}}。
また、UNCTADを含め、この時期に[[国際援助]]に関連する組織や法案が各国で設立されている。
;アメリカ合衆国
:*{{仮リンク|対外援助法 (アメリカ)|en|Foreign Assistance Act|label=対外援助法}} 1961年
:*[[アメリカ合衆国国際開発庁]] 1961年
;[[フランス]]
:*{{仮リンク|経済協力中央金庫 (フランス)|fr|Caisse centrale de coopération économique|label=経済協力中央金庫}} 1958年
;日本
:*[[海外経済協力基金]] 1961年
;イギリス
:*{{仮リンク|海外開発省 (イギリス)|en|Ministry of Overseas Development|label=海外開発省}} 1964年
;国際組織
:*国際連合貿易開発会議 1961年
:*[[経済協力開発機構]] 1961年改組設立
:*[[国際連合開発計画]] 1965年
:*[[国際連合工業開発機関]] 1967年{{Efn2|国連総会の補助機関として発足。}}
[[発展途上国]]の多くは[[資本]]輸入により[[工業化]]を試みた。しかし、国内市場の狭さ、国際競争力を欠いたことなどから失敗する国が多く、貿易赤字と対外債務を増加させる結果となる。その中でも東アジアの[[大韓民国|韓国]]・[[台湾]]・[[シンガポール]]や、中南米の[[メキシコ]]・[[ブラジル]]などは一定の工業化を成功させた{{要出典|date=2022年10月}}。
==== 1970年代 ====
1970年9月に開催された[[第25回国際連合総会]]では、1960年代の「[[国連開発の十年]]」を総括すると共に、「第2次国連開発の十年」の決議が採択された。この決議では、先進国の[[政府開発援助|ODA]]が[[国民総生産|GNP]]の0.7%となるように定められた。ODAに対し、具体的な国際目標が導入されたのは初めてであり、また決議の特徴である。
1973年に始まった[[第四次中東戦争]]から[[オイルショック#第1次|第1次石油ショック]]が発生する。原油価格の高騰は不況を招きかねなかったが、[[産油国]]をはじめ、天然資源を保有する発展途上国にとっては、自国が保有する天然資源が国際社会における交渉力となるという認識が強まり、自国の天然資源を先進諸国の資本の支配から取り戻し、自国主権の下での開発を目指す[[資源ナショナリズム]]が盛んになった。この一方で、工業化の途上にあった他の途上国の中には、この石油ショックにより重い対外[[債務]]負担を負う国も現れた。
1974年4月には国連資源特別総会において強まる資源ナショナリズムを背景に、「新国際経済秩序樹立に関する宣言(Declaration for the Establishment of a New International Economic Order)」([[新国際経済秩序|新国際経済秩序 (NIEO)]][[新国際経済秩序]])が採択され{{要出典|date=2022年10月}}、同年秋の[[第29回国際連合総会]]で、この宣言の内容を具体化した「諸国家の経済権利義務憲章(国際連合総会決議3281)」が採択される{{要出典|date=2022年10月}}。
==== 1980年代 ====
1980年に[[第35回国際連合総会]]において「第3次国連開発の十年」が採択され、1981年にはメキシコの[[カンクン]]で[[アメリカ合衆国]]・[[日本]]・[[西ドイツ]]など[[先進国]]と[[インド]]・[[中華人民共和国]]・[[ブラジル]]など[[発展途上国]]の首脳が集まって初の{{仮リンク|南北サミット|en|North–South Summit}}が開催された{{要出典|date=2022年10月}}。1980年代は、1970年代の主に国際機関と外国の政府に対する重債務によってアフリカや中南米の国々は、元利返済に苦しみ、[[ハイパーインフレーション]]などが発生し[[国民経済]]は混乱した。
{{see|経済開発#国際開発論における経済開発}}
その後、[[石油輸出国機構|石油産出国]]や新興工業国([[新興工業経済地域|NIES]]や[[BRICs]]など)は所得が向上していった一方、[[後発開発途上国|最貧国]]は停滞あるいは衰退したことから、中進国との格差が増大する[[南南問題]]が起こった。[[環境問題]]が国際的な課題として捉えられるようになってからは、環境対策を求める先進国と、開発優先志向が強い途上国との間で利害が対立している。
==== 1990年代 ====
1990年に[[第46回国際連合総会]]において「第4次国連開発の十年」が採択される{{要出典|date=2022年10月}}。[[東西冷戦]]時代には、発展途上国への援助は自陣営につなぎとめておく手段の一つでもあったが、冷戦終結に伴い、このような援助の構造は過去のものとなり、これまでとは違った非軍事的な面を含むさまざまな考え方や開発、援助の形態が提唱され、各種の国際会議が世界各地で開催されるようになった。しかしながら、1990年代のODAは急減し、2002年[[メキシコ]]の[[モンテレイ (メキシコ)|モンテレイ]]で開かれた国連開発資金国際会議では、ODA増額が合意される{{要出典|date=2022年10月}}ことになる。
<!-- 本記事は電球使用の数を言っているのではないので、画像が非常に不適切。
[[Image:Earth's City Lights by DMSP, 1994-1995 (large).jpg|thumb|350px|[[防衛気象衛星計画|DMSP]]からのデータによる宇宙から見た夜の地球の様子。地図の北側にある[[東アジア]]、[[ヨーロッパ]]、[[北米]]などが明るいのに対し、南側の[[アフリカ]]や[[南米]]が暗いことが分かる。]] -->
== 地域レベルでの南北問題 ==
地球規模での南北問題と同様の意味合いで、比較的狭い地域における経済格差も南北問題と呼ばれることがある。
=== イタリア ===
{{See|同盟 (イタリア)|第三のイタリア}}
[[イタリア]]においては早期に王国領へと併合された[[ミラノ]]・[[ジェノヴァ]]・[[トリノ]]を中心とする北部が重工業地域([[北イタリア]])として発展しているのに対し、南部([[南イタリア]])は一次産業を中心としているが故に生じている経済格差が問題となっている{{要出典|date=2022年10月}}。1960年代の[[バノーニ計画]]によって[[ターラント]]製鉄所や[[アウトストラーダ]]が建設されるなど、南部での重工業発展と社会基盤の整備が図られある程度の改善は見られたが、根本的な解決に至ってはおらず、南部の失業率は北部の4倍とも言われている{{要出典|date=2022年10月}}。その為、古くから農民層を中心に[[ドイツ]]など他国へ出稼ぎや移民に向かう者が多く、一種の[[コロニー]]を形成している{{Efn2|詳細は「[[イタリア語]]」の章を参照。}}。
一方、本来南部が収めるべき分の税金を負担する格好になっている北部では、不況に伴い南部に税金を吸い上げられているとの批判が強まり、[[同盟 (イタリア)|同盟]]のような南北の分離を唱える勢力{{Efn2|こうした民族的問題でなく、経済的問題から分離を主張する政党は過去にあまり例は無い。}}を生み出している{{要出典|date=2022年10月}}ただし、同盟を支持する人々が必ずしも国家の分離を望んでいる訳ではなく、南部への批判票としての意味合いが強いことに留意する必要がある。
しかし近年では[[マフィア]]の衰退や[[電子]]・[[情報]]産業などの先進工業の成長により、[[半導体]]メーカーの[[STMicroelectronics]]社や[[鉄道]]関連企業の[[MerMec|メリディオリ・メッカニカ]]社など南部経済は好転に向かっているとの声もある。事実、南部の[[失業率]]も改善傾向にあり、北部との失業率も3倍程度(中部と比べた場合は2倍程度)に低下し、批判の多かった大規模投資による南部開発計画もプロディ政権下で改められ、現在{{いつ|date=2022年10月}}は「[[第三のイタリア]]」を参考にした新たな経済作りが進められている{{要出典|date=2022年10月}}。前述の北部同盟も攻撃対象を南部から[[不法滞在|不法移民]]へと切り替え、{{いつ範囲|先の総選挙ではイタリア南部で党勢を伸ばす|date=2022年10月}}という逆転現象が起きるなど、イタリアの南北格差は新たな局面に入りつつある{{要出典|date=2022年10月}}。
=== フランス ===
{{See|オクシタニア}}
伝統的に南仏と北仏の対立構図が存在する。
=== イギリス ===
[[グレートブリテン島]]を国土の主要部とする[[英国]]においては、首都[[ロンドン]]を始め[[バーミンガム]]、[[オックスフォード]]、[[ケンブリッジ]]など、大都市や豊かな地域は島の南部に多い。一方で、かつての[[産業革命]]時代に[[製造業]]などで隆盛を誇った[[イングランド]]北部の[[マンチェスター]]、[[リヴァプール]]、[[リーズ]]、[[ニューカッスル・アポン・タイン|ニューカッスル]]や、[[スコットランド]]の最大都市[[グラスゴー]]など英国北部は、1960年代〜80年代の[[英国病]]と呼ばれた経済低迷の中で急速に衰退した。その後[[マーガレット・サッチャー]]政権時代に英国経済の基幹が[[金融業]]へとシフトする中で英国の富はロンドンへ集中したため、21世紀以降英国の南北格差はさらに拡大している。
=== 朝鮮 ===
{{see|朝鮮戦争|朝鮮統一問題}}
[[第二次世界大戦]]の終結に伴い[[日本統治時代の朝鮮|日本の統治下]]から外れた[[朝鮮半島]]では、北側に[[朝鮮民主主義人民共和国]](北朝鮮)、南側に[[大韓民国]](韓国)と2つの政権が樹立し、[[分断国家]]となった。両陣営が争った[[朝鮮戦争]]は東西[[冷戦]]の[[代理戦争]]と化し、[[朝鮮戦争休戦協定|休戦]]こそしたものの、正式には終戦がなされないまま21世紀に至っている。政治的・経済的にも、[[漢江の奇跡]]と呼ばれる経済成長を果たし、[[民主化宣言|民主化]]もなされた韓国に対し、金一族による[[世襲]]が続き、経済的にも疲弊している北朝鮮と大きな差異がある。
また韓国単体で見た場合には、国土の北部に位置し総人口の51%が居住する首都[[ソウル特別市|ソウル]]とその周辺([[首都圏 (韓国)|首都圏]])に大企業の本社・一流大学などの大半が集中する極端なソウル一極集中が起こっており、反対に[[慶尚道]]、[[全羅道]]などの韓国南部は北部に比べ経済活動に乏しく、発展度でも立ち遅れている。
=== 台湾 ===
{{Main|重北軽南}}
[[台湾]]の人口は西海岸側に集中しているが、それでも政治・経済・報道の要衝である[[台北市]]および周辺部の[[台北都市圏]]を擁する北部と、[[高雄市]]や[[台南市]]といった大都市を抱える南部では産業構造の違いによる求人格差、所得格差は他の国ほどではないが国内で深刻化している。北部を地盤とする[[中国国民党]]と南部を地盤とする[[民主進歩党]]の覇権争いを起因とした政治的要素がこれを増幅している見方もある<ref>[https://www.ys-consulting.com.tw/news/6386.html 広がる南北格差、新政権の課題に]2008年3月26日,ワイズニュース</ref>。当初は階級間格差を指す[[インターネットスラング]]である「[[天龍人 (ネット用語)|天龍人/天龍国]]」も台北人/台北市を揶揄するものと拡大・変容し、地域格差をも内包する意味が色濃くなっている。
=== 中華人民共和国 ===
{{Multiple image
| image1 = China Köppen zh-TW.svg
| caption1 = 中国の気候([[ケッペンの気候区分]])。北部は主に[[亜寒帯]]、南部は[[温帯]]に属している。
| image2 = China's Zero degrees line in January.svg
| caption2 = 中国の1月の平均気温(摂氏)。北部(青)が0度以下、南部(赤)が0度以上。
| header = 中国における南北の気候差
}}
[[中国の歴史]]には、北方と南方と呼ばれる二地域の対立が度々形成されてきた([[:zh:中国南方与北方]]を参照)。両者は気候や産業、文化が大きく異なり、多くの中国人の自己認識にも南北間には区別がある。
[[江蘇省]]、[[安徽省]]、[[湖北省]]、[[重慶市]]、[[四川省]]、[[チベット自治区]]以南を南方とした場合、[[中華人民共和国]]建国から1970年代頃までは南北両者の経済力は拮抗していたが、その後徐々に南方が優勢になり始め、2019年時点では南方が北方の約1.8倍の経済力となっている<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nikkei.com/article/DGXMZO60627460S0A620C2000000/ |title=中国、広がる「南北格差」の深刻度 |work=日本経済新聞 |date=2020-06-25 |accessdate=2023-09-07}}</ref>。
=== 日本 ===
首都[[東京]](関東圏)をはじめ[[名古屋市|名古屋]]、[[京阪神]]、[[福岡県|福岡]]など、[[日本]]の人口は[[太平洋ベルト]]と呼ばれる列島の南部に集中し、日本の大企業の本社もその大半がこの地域に所在する。一方で、太平洋ベルトから外れた[[北海道]]、[[東北地方]]([[北日本]])は[[少子化]]・[[人口減少]]が日本国内で最も激しい地域であり、[[新潟県]](かつては日本一人口が多い県だった)、[[山陰地方]]などの日本海側地域も人口の流出、過疎化が顕著である。ただし、日本は国土の形状の関係から2分割する場合は南北よりも東西の区切りが用いられることが多く、「南北格差」という取り上げ方がされることは少ない。
==== 中国地方 ====
[[中国山地]]を挟み、北部が山陰、南部が山陽と分けられる中国地方では、新幹線が通り、[[瀬戸内工業地域]]があり、500万弱の人口を擁する山陽に対し、100万強の人口を擁し、過疎化が著しい山陰に激しい経済格差が生まれている。また中国山地に挟まれているために、東西に比べ、南北を繋ぐ鉄道や道路が少なく、経済交流も少ない。
==== 茨城県 ====
{{main|茨城県#地域的特徴}}
[[関東地方]]でも特に[[茨城県]]における南北問題が近年、注目を集めている。東京通勤圏内にあり、[[首都圏新都市鉄道つくばエクスプレス|つくばエクスプレス]]開業で人口増加が続く[[つくば市]]・[[守谷市]]などの[[茨城県南地域|県南地域]]と高齢・過疎化が進む県北部の間の格差は年々拡大しており、速やかな対応策が求められている。
==== 三重県・岐阜県 ====
{{see|東紀州}}
[[三重県]]は南北に長く、南北において、[[人口]]・[[高齢化率]]や[[産業]]の集積状況が大きく異なる。三重県の北部においては、[[中京圏]]や[[近畿圏]]と比較的近距離であることから、[[産業]]や[[人口]]が集積している一方で、南部においては、豊かな自然・歴史・文化資源はあるものの、道路網や鉄道網等の基盤が弱いことから、それらを地域活力に十分結びつけられずに、地域経済・社会の存立基盤が脆弱化している。地域経済でのウェイトが高い農林水産業、中部・近畿圏からの集客が重きをなす[[観光]]を取り巻く環境も厳しい現状がある<ref>寺口瑞生(2003)「過疎からのブレークスルー-観光と環境を取り入れた地域づくり-」『観光と環境の社会学』(古川彰・松田素二 編、[[新曜社]]〈シリーズ環境社会学4〉、2003年8月25日、298pp. {{ISBN2|4-7885-0867-2}}):246ページ</ref>。このような問題は同じ[[東海地方]]においては、三重県程ではないが南部に多くの人口を抱え北部の大半を山岳地帯が占める[[岐阜県]]でも共通問題となっている。
==== 京都府 ====
{{main|京都府#南北問題}}
府庁所在地である[[京都市]]への人口集中率が約55%と、[[東京都]](旧[[東京府]])以外の道府県では第一位である。京都府は南北に細長く、南部(旧[[山城国]])と北・中部(旧[[丹波国]]、旧[[丹後国]])との格差が大きく、南部と北部では異なる地域を形成している。
戦後の[[経済成長]]において、南部はいち早く発展したのに対して、北部は取り残される傾向にあった。近年では、高速道路([[京都縦貫自動車道]]など)建設や[[山陰本線]]複線電化工事が施工されるなど、南北格差の是正が図られている。また、旧丹波国域のうち[[1965年]]頃から[[亀岡市]]及び旧[[園部町]]、旧[[八木町 (京都府)|八木町]]など[[南丹]]地区は[[京都市]]や[[大阪府]]との結びつきが強くなり、行政では京都府を南北のみで区分する場合は、[[船井郡]]以南を南部とする(ただし、行政では亀岡市及び[[南丹市]]、船井郡[[京丹波町]]を中部と区分する場合が多い)。
同様のことは、同じ[[近畿地方]]においては人口の大部分が北部に集中する[[奈良県]]・[[和歌山県]]、南部に人口の集中する[[兵庫県]]においてもいえる。
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Notelist2}}
=== 出典 ===
{{Reflist|30em}}
== 参考文献 ==
{{参照方法|date=2022年10月3日 (月) 11:20 (UTC)|section=1}}
* {{Cite book|和書|authorlink=田中治彦 (教育学者)|author=田中治彦|title=南北問題と開発教育-地球市民として生きるために|publisher=[[亜紀書房]]|year=1994|isbn=9784750594200}}
== 関連項目 ==
{{div col ||15em}}<!-- 画面の幅に応じて15em単位で段組み -->
* [[先進国]]
* [[開発途上国|発展途上国]]
* [[北北問題]]
* [[南南問題]]
* [[南下政策]]
* [[南進論]]
* [[新興工業経済地域|中進国]](新興工業国)
* [[後発開発途上国|最貧国]](後発開発途上国)
* [[BRICS]]
* [[救命ボートの倫理]] - 60人乗りの救命艇には既に50人が乗っている。しかし海では100人がもがいている。どうするか。
{{div col end}}
{{Normdaten}}
{{DEFAULTSORT:なんほくもんたい}}
[[Category:国際関係]]
[[Category:国際経済]]
[[Category:経済的不平等]]
[[Category:20世紀の世界史]]
[[Category:20世紀の経済]]
[[Category:経済史]]
[[Category:経済地理学]]
[[Category:グローバル化の問題]]
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累積債務問題
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累積債務問題(るいせきさいむもんだい)とは、ブラジル・メキシコ・フィリピンなどの中所得国が1980年代に、世界的な景気停滞と商品価格低下に加えてアメリカの高金利政策などの影響を受けて、増加した金利負担で対外債務の返済が困難となった問題のこと。
これらの国々は1970年代後半には、一次産品の高価格化と豊富な産油国の資金を背景に、先進国から大規模な借り入れを行い、工業化により高い経済成長率を示していた。
しかし、1970年代末からアメリカでインフレ退治を目的にした金融政策で金利が異常に高まったため、諸国が輸出対価で利払いを行うという構図を破綻させた。これは、アメリカ自身が資本輸入国となり諸国の成長パターンとの競合が発生したことが根本的な要因である。
累積債務問題が深刻化してからは、債務の削減、債務返済の繰り延べ(リスケジューリング)、債務国への新規貸付などの救済策がとられて危機は一応回避されたが、アフリカや中南米諸国を中心に債務返済に苦しんでいる国は多い。
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{{出典の明記|date=2023年12月}}
'''累積債務問題'''(るいせきさいむもんだい)とは、[[ブラジル]]・[[メキシコ]]・[[フィリピン]]などの中所得国が[[1980年代]]に、世界的な景気停滞と商品価格低下に加えて[[アメリカ合衆国|アメリカ]]の高金利政策などの影響を受けて、増加した金利負担で対外債務の返済が困難となった問題のこと。
これらの国々は[[1970年代]]後半には、一次産品の高価格化と豊富な産油国の資金を背景に、先進国から大規模な借り入れを行い、[[工業化]]により高い[[経済成長率]]を示していた。
しかし、1970年代末からアメリカでインフレ退治を目的にした[[金融政策]]で金利が異常に高まったため、諸国が輸出対価で利払いを行うという構図を破綻させた。これは、アメリカ自身が資本輸入国となり諸国の成長パターンとの競合が発生したことが根本的な要因である。
累積債務問題が深刻化してからは、債務の削減、債務返済の繰り延べ(リスケジューリング)、債務国への新規貸付などの救済策がとられて危機は一応回避されたが、[[アフリカ]]や[[ラテンアメリカ|中南米]]諸国を中心に債務返済に苦しんでいる国は多い。
==関連項目==
*[[パリクラブ]] - 債権国と債務国による非公式な返済の繰り延べ会合
*[[ロンドンクラブ]] - 債務国と民間金融機関による非公式な返済の繰り延べ会合
*[[借金漬け外交]]
{{経済成長論}}
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[[category:国際経済]]
[[Category:1980年代の経済]]
[[Category:債務]]
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"Template:経済成長論"
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中部地方の道路一覧
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中部地方の道路一覧(ちゅうぶちほうのどうろいちらん)は、中部地方の道路を中部地方内の地域別に分けた一覧である。
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中部地方の道路一覧(ちゅうぶちほうのどうろいちらん)は、中部地方の道路を中部地方内の地域別に分けた一覧である。
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'''中部地方の道路一覧'''(ちゅうぶちほうのどうろいちらん)は、[[中部地方]]の道路を中部地方内の地域別に分けた一覧である。 <!-- この一覧では山梨県を中部地方に含めて分類している-->
== 解説 ==
*「超広域」とは、その地域を走り、なおかつ他の地域にまたがって走る道路である。<!-- 詳細は、その地域を含んだ親の地域の「広域」に同じ道路名を見つけることが出来る。-->
*「広域」とは、その地域内の複数の部分にまたがった道路である。地域内で完結している。
*「未区分」は、地域内の区分が編集されていないものである。判明した場合は対応の地域へ移動すること。
== 超広域 ==
* {{Ja Exp Route Sign|E49}} [[磐越自動車道]](いわきJCT - 新潟中央IC)
* {{Ja Exp Route Sign|E7}} [[日本海東北自動車道]](新潟中央JCT - 朝日まほろばIC、あつみ温泉IC - 酒田みなとIC、象潟IC - 河辺JCTは開通済み、他区間は'''建設中''')
* {{Ja Exp Route Sign|E8}} [[北陸自動車道]](新潟中央JCT - 米原JCT)
* {{Ja Exp Route Sign|E17}} [[関越自動車道]](練馬IC - 長岡JCT)
* {{Ja Exp Route Sign|E18}} [[上信越自動車道]](藤岡JCT - 上越JCT)
* {{Ja Exp Route Sign|E19}}/{{Ja Exp Route Sign|E20}}/{{Ja Exp Route Sign|E68}} [[中央自動車道]](高井戸IC - 大月JCT - 小牧JCT、大月JCT - 河口湖IC)
* {{Ja Exp Route Sign|E1}} [[東名高速道路]](東京IC - 小牧IC)
* {{Ja Exp Route Sign|E1A}} [[新東名高速道路]](海老名南JCT - 新秦野IC、新御殿場IC - 豊田東JCTは開通済み、新秦野IC - 新御殿場ICは'''建設中''')
* {{Ja Exp Route Sign|E1}} [[名神高速道路]](小牧IC - 西宮IC)
* {{Ja Exp Route Sign|E1A}} [[伊勢湾岸自動車道]](豊田東JCT - 四日市JCT)
* {{Ja Exp Route Sign|E23}} [[東名阪自動車道]](名古屋西JCT - 伊勢関IC)
* {{Ja Exp Route Sign|E27}} [[舞鶴若狭自動車道]](吉川JCT - 敦賀JCT)
* [[国道1号]](東京都中央区 - 大阪府大阪市)
* [[国道7号]](新潟県新潟市 - 青森県青森市)
* [[国道8号]](新潟県新潟市 - 京都府京都市)
* [[国道17号]](東京都中央区 - 新潟県新潟市)
* [[国道18号]](群馬県高崎市 - 新潟県上越市)
* [[国道20号]](東京都中央区 - 長野県塩尻市)
* [[国道21号]](岐阜県瑞浪市 - 滋賀県米原市)
* [[国道23号]](愛知県豊橋市 - 三重県伊勢市)([[名四バイパス|名四国道]])
* [[国道27号]](福井県敦賀市 - 京都府船井郡京丹波町)
* [[国道42号]](静岡県浜松市 - 和歌山県和歌山市)
* [[国道49号]](福島県いわき市 - 新潟県新潟市)
* [[国道113号]](新潟県新潟市 - 福島県相馬市)
* [[国道135号]](静岡県下田市 - 神奈川県小田原市)
* [[国道138号]](山梨県富士吉田市 - 神奈川県小田原市)
* [[国道139号]](静岡県富士市 - 東京都西多摩郡奥多摩町)
* [[国道140号]](埼玉県熊谷市 - 山梨県南巨摩郡富士川町)
* [[国道144号]](群馬県吾妻郡長野原町 - 長野県上田市)
* [[国道146号]](群馬県吾妻郡長野原町 - 長野県北佐久郡軽井沢町)
* [[国道161号]](福井県敦賀市 - 滋賀県大津市)
* [[国道162号]](京都府京都市 - 福井県敦賀市)
* [[国道246号]](東京都千代田区 - 静岡県沼津市)
* [[国道252号]](新潟県柏崎市 - 福島県会津若松市)
* [[国道254号]](東京都文京区 - 長野県松本市)
* [[国道258号]](岐阜県大垣市 - 三重県桑名市)
* [[国道259号]](三重県鳥羽市 - 愛知県豊橋市)
* [[国道289号]](新潟県新潟市 - 福島県いわき市)
* [[国道291号]](群馬県前橋市 - 新潟県柏崎市)
* [[国道292号]](群馬県吾妻郡長野原町 - 新潟県妙高市)
* [[国道299号]](長野県茅野市 - 埼玉県入間市)
* [[国道303号]](岐阜県岐阜市 - 福井県三方上中郡若狭町)<!-- ※滋賀県を通過 -->
* [[国道345号]](新潟県新潟市 - 山形県飽海郡遊佐町)
* [[国道352号]](新潟県柏崎市 - 栃木県河内郡上三川町)
* [[国道353号]](群馬県桐生市 - 新潟県柏崎市)
* [[国道365号]](石川県加賀市 - 三重県四日市市)
* [[国道367号]](京都府京都市 - 福井県三方上中郡若狭町)
* [[国道405号]](群馬県吾妻郡中之条町 - 新潟県上越市)
* [[国道406号]](長野県大町市 - 群馬県高崎市)
* [[国道411号]](東京都八王子市 - 山梨県甲府市)
* [[国道413号]](山梨県富士吉田市 - 神奈川県相模原市)
* [[国道459号]](新潟県新潟市 - 福島県双葉郡浪江町)
* [[国道462号]](長野県佐久市 - 群馬県伊勢崎市)
* [[国道475号]](愛知県豊田市 - 三重県四日市市)
== 広域 ==
* {{Ja Exp Route Sign|E41}} [[東海北陸自動車道]](一宮JCT - 小矢部砺波JCT)
* {{Ja Exp Route Sign|E52}} [[中部横断自動車道]](新清水JCT - 双葉JCT、八千穂高原IC - 佐久小諸JCTは開通済み、長坂JCT - 八千穂高原ICは計画中)
* {{Ja Exp Route Sign|E67}} [[中部縦貫自動車道]](中ノ湯IC - 平湯IC、高山IC - 飛騨清見IC -(東海北陸自動車道と重複) - 白鳥IC - 油坂峠出入口、勝原IC - 福井北IC/JCTは開通済み。松本JCT - 波田IC、丹生川IC - 高山IC、油坂峠出入口 - 勝原ICは'''建設中'''。)
* {{Ja Exp Route Sign|E41}} [[能越自動車道]](小矢部砺波JCT - 灘浦IC、七尾大泊IC - 七尾城山IC、田鶴浜IC - のと里山空港ICは開通済み。その他は建設・計画中。)
* {{Ja Exp Route Sign|E69}} [[三遠南信自動車道]](飯田山本IC - 飯田上久堅・喬木富田IC、喬木IC - 程野IC、佐久間川合IC - 東栄IC、鳳来峡IC - 浜松いなさJCTは開通済み。飯田上久堅・喬木富田IC - 喬木IC、程野IC - 佐久間川合IC、東栄IC - 鳳来峡ICは'''建設中''')
* {{Ja Exp Route Sign|C3}} [[東海環状自動車道]](豊田東JCT - 山県IC、大野神戸IC - 養老IC、大安IC - 新四日市JCTは開通済み。山県IC - 大野神戸IC、養老IC - 大安ICは'''建設中''')
* [[国道19号]](愛知県名古屋市 - 長野県長野市)
* [[国道22号]](愛知県名古屋市 - 岐阜県岐阜市)
* [[国道41号]](愛知県名古屋市 - 富山県富山市)
* [[国道52号]](静岡県静岡市 - 山梨県甲府市)
* [[国道117号]](長野県長野市 - 新潟県小千谷市)
* [[国道141号]](山梨県韮崎市 - 長野県上田市)
* [[国道148号]](長野県大町市 - 新潟県糸魚川市)
* [[国道151号]](長野県飯田市 - 愛知県豊橋市)
* [[国道152号]](長野県上田市 - 静岡県浜松市)
* [[国道153号]](愛知県名古屋市 - 長野県塩尻市)
* [[国道156号]](岐阜県岐阜市 - 富山県高岡市)
* [[国道157号]](石川県金沢市 - 岐阜県岐阜市)
* [[国道158号]](福井県福井市 - 長野県松本市)
* [[国道160号]](石川県七尾市 - 富山県高岡市)
* [[国道248号]](愛知県蒲郡市 - 岐阜県岐阜市)
* [[国道256号]](岐阜県岐阜市 - 長野県飯田市)
* [[国道257号]](静岡県浜松市 - 岐阜県高山市)
* [[国道301号]](静岡県浜松市 - 愛知県豊田市)
* [[国道304号]](石川県金沢市 - 富山県南砺市)
* [[国道305号]](石川県金沢市 - 福井県南条郡南越前町)
* [[国道359号]](富山県富山市 - 石川県金沢市)
* [[国道360号]](富山県富山市 - 石川県小松市)
* [[国道361号]](岐阜県高山市 - 長野県伊那市)
* [[国道362号]](愛知県豊川市 - 静岡県静岡市)
* [[国道363号]](愛知県名古屋市 - 岐阜県中津川市)
* [[国道364号]](福井県大野市 - 石川県加賀市)
* [[国道403号]](新潟県新潟市 - 長野県松本市)
* [[国道415号]](石川県羽咋市 - 富山県富山市)
* [[国道416号]](福井県福井市 - 石川県小松市)
* [[国道417号]](岐阜県大垣市 - 福井県南条郡南越前町)
* [[国道418号]](福井県大野市 - 長野県飯田市)
* [[国道419号]](岐阜県瑞浪市 - 愛知県高浜市)
* [[国道469号]](静岡県御殿場市 - 山梨県南巨摩郡南部町)
* [[国道470号]](石川県輪島市 - 富山県砺波市)
* [[国道471号]](石川県羽咋市 - 岐阜県高山市)
* [[国道472号]](富山県新湊市 - 岐阜県郡上市)
* [[国道473号]](愛知県蒲郡市 - 静岡県牧之原市)
* [[国道474号]](長野県飯田市 - 静岡県浜松市)
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== 未分類 ==
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== 新潟県 ==
* [[国道116号]](新潟県柏崎市 - 新潟県新潟市)
* [[国道253号]](新潟県上越市 - 新潟県南魚沼市)
* [[国道290号]](新潟県村上市 - 新潟県魚沼市)
* [[国道350号]](新潟県新潟市 - 新潟県上越市)
* [[国道351号]](新潟県長岡市 - 新潟県小千谷市)
* [[国道402号]](新潟県柏崎市 - 新潟県新潟市)
* [[国道404号]](新潟県長岡市 - 新潟県上越市)
* [[国道460号]](新潟県新発田市 - 新潟県柏崎市)
* [[新潟東西道路]](新潟県新潟市)
* [[新潟南北道路]](新潟県新潟市)
* [[長岡東西道路]](新潟県長岡市)
* [[上越魚沼地域振興快速道路]](新潟県上越市 - 新潟県南魚沼市)
=== 県道 ===
* [[新潟県の県道一覧]]
=== 農道 ===
* [[西蒲原広域農道]]
=== バイパスなど ===
* [[新潟市内のバイパス網]]
** [[新潟バイパス]](新潟西バイパス、新新バイパス)
** [[栗ノ木バイパス]]
** [[亀田バイパス]](横雲バイパス、阿賀野バイパス)
** [[新津バイパス]](新津南バイパス、小須戸田上バイパス、三条北バイパス)
** [[巻バイパス]]
** [[白根バイパス]]
* [[鵜渡路バイパス]]
* [[村上バイパス]]
* [[乙バイパス]]
* [[荒川道路]]
* [[中条黒川バイパス]]
* [[新発田バイパス]]
* [[新発田南バイパス]]
* [[揚川改良]]
* [[津川バイパス]]
* [[国道8号大野道路改良]]
* [[国道8号白根道路改良]]
* [[見附バイパス]]
* [[長岡東バイパス]]
* [[長岡バイパス]]
* [[左岸バイパス]]
* [[小千谷バイパス]]
* [[西小千谷バイパス]]
* [[浦佐バイパス]]
* [[五日町バイパス]]
* [[六日町バイパス]]
* [[二居道路]]
* [[大白倉バイパス]]
* [[柏崎バイパス]]
* [[直江津バイパス]]
* [[上新バイパス]]
* [[糸魚川東バイパス]]
* [[糸魚川バイパス]]
== 富山県 ==
=== 県道 ===
* [[富山県の県道一覧]]
== 石川県 ==
* [[国道159号]](石川県七尾市 - 石川県金沢市)
* [[国道249号]](石川県七尾市 - 石川県金沢市)
* [[月浦白尾インターチェンジ連絡道路]](石川県かほく市 - 石川県金沢市)
* [[金沢東部環状道路]](石川県金沢市)
* [[金沢外環状道路]](石川県金沢市 - 石川県白山市)
* {{Ja Exp Route Sign|E86}}/{{Ja Exp Route Sign|E41}} [[のと里山海道]](石川県金沢市 - 石川県鳳珠郡穴水町)
* [[白山白川郷ホワイトロード]](石川県白山市 - 岐阜県大野郡白川村)
* [[千里浜なぎさドライブウェイ]](石川県羽咋郡宝達志水町 - 石川県羽咋市)
=== 県道 ===
* [[石川県の県道一覧]]
=== 金沢市 ===
* [[金沢市内の通り]]
== 福井県 ==
* [[国道476号]](福井県大野市 - 福井県敦賀市)
<!--以下、2022年10月無料化
* [[法恩寺山有料道路]](福井県勝山市)
* [[三方五湖レインボーライン]](福井県三方郡美浜町 - 福井県三方上中郡若狭町)-->
=== 県道 ===
* [[福井県の県道一覧]]
=== 農道 ===
* [[丹南広域農道]](福井県福井市 - 福井県越前市)
* [[若狭広域農道|若狭梅街道]](福井県三方郡美浜町 - 福井県三方上中郡若狭町)
* [[若狭西部広域農道|若狭西街道]](福井県小浜市 - 福井県大飯郡高浜町)
=== 林道 ===
* [[広域基幹林道栃木山中線]]
=== バイパスなど ===
* [[福井バイパス]](福井県あわら市 - 福井県越前市)
* [[敦賀バイパス]](福井県敦賀市)
* [[金山バイパス]](福井県敦賀市 - 福井県三方郡美浜町)
* [[美浜東バイパス]](福井県三方郡美浜町)
* [[大野バイパス (福井県)|大野バイパス]](福井県大野市)
== 山梨県 ==
* [[国道137号]](山梨県富士吉田市 - 山梨県笛吹市)
* [[国道300号]](山梨県富士吉田市 - 山梨県南巨摩郡身延町)
* [[国道358号]](山梨県南都留郡富士河口湖町 - 山梨県甲府市)
=== 県道 ===
* [[山梨県の県道一覧]]
=== 地域高規格道路 ===
* [[新山梨環状道路]]
* [[西関東連絡道路]]
** [[雁坂トンネル有料道路]]
** [[甲府山梨道路]]
=== バイパスなど ===
* [[大月バイパス]](山梨県大月市)
* [[都留バイパス]](山梨県都留市)
* [[富士見バイパス]](山梨県富士吉田市)
* [[勝沼バイパス]](山梨県甲州市 - 山梨県笛吹市)
* [[甲府バイパス]](山梨県笛吹市 - 山梨県甲斐市)
* [[竜王バイパス]](山梨県甲斐市)
* [[韮崎バイパス]](山梨県韮崎市)
* [[国道141号#バイパス|箕輪バイパス]](山梨県北杜市)
* [[甲西道路]](山梨県南巨摩郡鰍沢町 - 山梨県甲斐市)
* [[西島バイパス]](山梨県南巨摩郡身延町)
* [[身延バイパス]](山梨県南巨摩郡身延町)
* [[南部バイパス (山梨県)|南部バイパス]](山梨県南巨摩郡南部町)
=== 甲府市 ===
* [[平和通り (甲府市)|平和通り]]
* [[アルプス通り]]
== 長野県 ==
=== 広域 ===
* {{Ja Exp Route Sign|E19}} [[長野自動車道]](岡谷JCT - 更埴JCT)
* [[国道142号]](長野県北佐久郡軽井沢町 - 長野県諏訪郡下諏訪町)
* [[国道143号]](長野県松本市 - 長野県上田市)
* [[国道147号]](長野県大町市 - 長野県松本市)
=== 県道 ===
* [[長野県の県道一覧]]
=== 長野市 ===
* [[長野南バイパス]]
* [[篠ノ井バイパス]]
* [[長野東バイパス]]
* [[県庁通り (長野県)|県庁通り]]
* [[昭和通り (長野市)|昭和通り]]
=== バイパスなど ===
* [[妙高野尻バイパス]](長野県上水内郡信濃町 - 新潟県妙高市)
* [[野尻バイパス]](長野県上水内郡信濃町)
* [[長野バイパス]](長野県長野市 - 長野県上水内郡飯綱町)
* [[坂城更埴バイパス]](長野県千曲市)
* [[上田坂城バイパス]](長野県上田市 - 長野県埴科郡坂城町)
* [[上田バイパス]](長野県東御市 - 長野県上田市)
* [[小諸バイパス]](長野県小諸市)
* [[軽井沢バイパス]](長野県北佐久郡軽井沢町)
* [[平賀バイパス]](長野県佐久市)
* [[臼田野沢バイパス]](長野県佐久市)
* [[本郷バイパス (長野県)|本郷バイパス]](長野県南佐久郡佐久穂町)
* [[坂室バイパス]](長野県茅野市)
* [[諏訪バイパス]](長野県茅野市 - 長野県岡谷市)
* [[下諏訪岡谷バイパス]](長野県諏訪郡下諏訪町 - 長野県岡谷市)
* [[塩尻バイパス]](長野県塩尻市)
* [[飯田バイパス]](長野県飯田市)
* [[箕輪バイパス (長野県)|箕輪バイパス]](長野県上伊那郡箕輪町)
* [[伊南バイパス]](長野県上伊那郡飯島町 - 駒ヶ根市)
* [[高遠バイパス]](長野県伊那市高遠町)
* [[伊那バイパス]](長野県伊那市 - 長野県上伊那郡箕輪町)
* [[松本バイパス]](長野県松本市)
=== 農道 ===
*[[伊那中部広域農道]](中央アルプス花の道)
*[[伊那南部広域農道]](南信州フルーツライン)
*[[伊那西部広域農道]]
*[[東山山麓広域農道]]
*[[須高広域農道]](北信濃くだもの街道)
*[[浅間山麓広域農道]](浅間サンライン)
*[[上水内北部広域農道]](北信五岳道路)
*[[安曇広域農道]]
*[[松塩広域農道]](アルプスグリーン道路)
*[[千曲川左岸広域農道]](千曲ビューライン)
*[[八ヶ岳西麓広域農道]](八ヶ岳エコーライン)
== 岐阜県 ==
=== 県道 ===
* [[岐阜県の県道一覧]]
=== バイパス ===
* [[多治見バイパス]](国道19号、[[多治見市]])
* [[土岐バイパス]](国道19号、[[土岐市]])
* [[瑞浪バイパス]](国道19号、[[瑞浪市]])
* [[恵那バイパス]](国道19号、[[恵那市]])
* [[中津川バイパス]](国道19号、[[中津川市]])
* [[鵜沼バイパス]](国道21号、[[各務原市]])
* [[那加バイパス]](国道21号、各務原市)
* [[岐大バイパス]](国道21号、[[岐阜市]] - [[不破郡]][[垂井町]])
* [[関ヶ原バイパス]](国道21号、不破郡垂井町 - 同郡[[関ケ原町]])
* [[美濃加茂バイパス]](国道41号、[[美濃加茂市]] - [[加茂郡]][[川辺町]])
* [[岐阜東バイパス]](国道156号〔一部国道248号重複〕、[[羽島郡]][[岐南町]] - 岐阜市)
* [[可児バイパス]](国道248号、[[可児市]])
* [[高富バイパス]](国道256号、[[山県市]])
* [[徳山バイパス]](国道417号、[[揖斐郡]][[揖斐川町]])
== 静岡県 ==
=== 広域 ===
* {{Ja Exp Route Sign|E70}} [[伊豆縦貫自動車道]](沼津岡宮IC - 函南塚本IC、大仁中央IC - 月ケ瀬IC)
* [[国道136号]](静岡県下田市 - 静岡県三島市)
* [[国道150号]](静岡県静岡市清水区 - 静岡県浜松市)
* [[国道414号]](静岡県下田市 - 静岡県沼津市)
=== 県道 ===
* [[静岡県の県道一覧]]
=== 静岡市 ===
* [[国道149号]](清水区清水港 - 清水区大和町)
=== 浜松市 ===
* [[静岡県道65号浜松環状線]](西区坪井町 - 東区安新町)
== 愛知県 ==
=== 広域 ===
* [[国道1号]](愛知県豊橋市 - 愛知県弥富市)
* [[国道19号]](愛知県春日井市 - 愛知県名古屋市)
* [[国道22号]](愛知県名古屋市中区 - 愛知県一宮市)
* [[国道23号]](愛知県豊橋市 - 愛知県弥富市)
* [[国道41号]](愛知県名古屋市中区 - 愛知県犬山市)
* [[国道42号]](愛知県豊橋市 - 愛知県田原市)
*[[国道151号]](愛知県豊橋市‐愛知県北設楽郡豊根村)
* [[国道153号]](愛知県豊田市 - 愛知県豊田市)
* [[国道154号]](愛知県名古屋市港区 - 愛知県名古屋市港区)
* [[国道155号]](愛知県常滑市 - 愛知県弥富市)
* [[国道247号]](愛知県名古屋市熱田区 - 愛知県豊橋市)
* [[国道257号]](愛知県新城市 - 愛知県豊田市)
* [[国道259号]](愛知県豊橋市 - 愛知県田原市)
* [[国道301号]](愛知県豊田市 - 愛知県新城市)
* [[国道302号]](愛知県名古屋市中川区 - 愛知県名古屋市中川区)
* [[国道362号]](愛知県豊川市 - 愛知県豊橋市)
* [[国道363号]](愛知県名古屋市名東区 - 愛知県瀬戸市)
* [[国道366号]](愛知県半田市 - 愛知県名古屋市緑区)
* [[国道419号]](愛知県豊田市 - 愛知県高浜市)
* [[国道420号]](愛知県豊田市 - 愛知県新城市)
* [[国道473号]](愛知県北設楽郡東栄町 - 愛知県蒲郡市)
* [[国道474号]](愛知県北設楽郡東栄町 - 愛知県新城市)※一部建設中
* [[国道475号]](愛知県豊田市 - 愛知県瀬戸市)
* {{Ja Exp Route Sign|C2}} [[名古屋第二環状自動車道]](名古屋南JCT - 飛島JCT、名古屋IC - 上社JCT)
* {{Ja Exp Route Sign|E87}} [[知多半島道路]](大高出入口 - 半田IC)
* [[南知多道路]](半田IC - 豊丘IC)
* {{Ja Exp Route Sign|E87}} [[知多横断道路]](半田中央IC/JCT - りんくうIC)
* {{Ja Exp Route Sign|E87}} [[中部国際空港連絡道路]](りんくうIC - 中部国際空港IC)
* [[衣浦豊田道路]](愛知県知立市 - 生駒IC)
* [[名古屋高速道路]](都心環状線、1号楠線、2号東山線、3号大高線、4号東海線、5号万場線、6号清須線、11号小牧線、16号一宮線)
* [[名古屋瀬戸道路]](日進JCT - 長久手IC)東名高速道路と接続
* [[猿投グリーンロード]](八草IC - 力石IC)
=== 県道 ===
* [[愛知県の県道一覧]]
=== 名古屋市 ===
* [[国道154号]](愛知県名古屋港 - 愛知県名古屋市熱田区)
* [[名古屋市道名古屋環状線]]
* [[名古屋環状2号線]]
* [[名古屋市道堀田高岳線]](空港線)
* [[名古屋市道江川線]]
* [[名古屋市道東海橋線]]
* [[名古屋市道山王線]](山王通)
* [[錦通 (名古屋市)|錦通]]
* [[桜通 (名古屋市)|桜通]]
* [[久屋大通]]
* [[広小路通 (名古屋市)|広小路通]]
* [[若宮大通]]
* [[大津通]]
* [[名駅通]]
* [[東山通 (名古屋市)|東山通]]
* [[外堀通 (名古屋市)|外堀通]]
* [[女子大小路]]
* [[伏見通]]
* [[前津通]]
== 関連項目 ==
* [[日本の道路一覧]]
* [[日本の高速道路一覧]]
* [[地域高規格道路一覧]]
* [[道路]]
* [[高速自動車国道]]
* [[一般国道]]
{{都道府県道}}
{{DEFAULTSORT:ちゆうふちほうのとうろいちらん}}
[[Category:中部地方の道路|*いちらん]]
[[Category:日本の道路一覧|+04]]
[[Category:中部地方の一覧|とうろ]]
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近畿地方の道路一覧
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近畿地方の道路一覧 (きんきちほうのどうろいちらん) は、近畿地方の道路を近畿地方内の地域別に分けた一覧である。
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近畿地方の道路一覧 (きんきちほうのどうろいちらん) は、近畿地方の道路を近畿地方内の地域別に分けた一覧である。
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'''近畿地方の道路一覧''' (きんきちほうのどうろいちらん) は、[[近畿地方]]の[[道路]]を近畿地方内の地域別に分けた一覧である。
== 解説 ==
*「超広域」とは、その地域を走り、なおかつ他の地域にまたがって走る道路である。<!-- 詳細は、その地域を含んだ親の地域の「広域」に同じ道路名を見つけることが出来る。-->
*「広域」とは、その地域内の複数の部分にまたがった道路であり、地域内で完結している。
*「未区分」は、地域内の区分が編集されていない。判明した場合は対応の地域へ移動すること。
== 超広域 ==
* {{Ja Exp Route Sign|E1}} [[名神高速道路]](小牧 - 西宮)
* {{Ja Exp Route Sign|E1A}} [[伊勢湾岸自動車道]](豊田東JCT - 四日市JCT)
* {{Ja Exp Route Sign|E27}} [[舞鶴若狭自動車道]](吉川JCT - 敦賀)
* {{Ja Exp Route Sign|E2A}} [[中国自動車道]](吹田JCT - 下関)
* {{Ja Exp Route Sign|E2}} [[山陽自動車道]](神戸JCT - 下関)
* {{Ja Exp Route Sign|E29}} [[鳥取自動車道]](佐用JCT - 鳥取)
* {{Ja Exp Route Sign|E8}} [[北陸自動車道]](新潟中央JCT - 米原JCT)
* {{Ja Exp Route Sign|E28}} [[神戸淡路鳴門自動車道]](神戸西 - 鳴門)
* {{Ja Exp Route Sign|E9}} [[山陰近畿自動車道]](鳥取 - 宮津天橋立)
* [[伊吹山ドライブウェイ]](関ヶ原 - 米原)
* [[国道1号]]([[東京都]][[中央区 (東京都)|中央区]] - [[大阪府]][[大阪市]])
* [[国道2号]](大阪府大阪市 - [[福岡県]][[北九州市]])
* [[国道8号]]([[新潟県]][[新潟市]] - [[京都府]][[京都市]])
* [[国道9号]](京都府京都市 - [[山口県]][[下関市]])
* [[国道21号]]([[岐阜県]][[瑞浪市]] - [[滋賀県]][[米原市]])
* [[国道23号]]([[愛知県]][[豊橋市]] - [[三重県]][[伊勢市]])([[名四国道]])
* [[国道27号]]([[福井県]][[敦賀市]] - 京都府[[船井郡]][[京丹波町]])
* [[国道28号]]([[兵庫県]][[神戸市]] - [[徳島県]][[徳島市]])
* [[国道29号]](兵庫県[[姫路市]] - [[鳥取県]][[鳥取市]])
* [[国道42号]]([[静岡県]][[浜松市]] - [[和歌山県]][[和歌山市]])
* [[国道161号]](福井県敦賀市 - 滋賀県[[大津市]])
* [[国道162号]](京都府京都市 - 福井県敦賀市)
* [[国道178号]](京都府[[舞鶴市]] - [[鳥取県]][[岩美郡]][[岩美町]])
* [[国道179号]](兵庫県姫路市 - 鳥取県[[東伯郡]][[湯梨浜町]])
* [[国道250号]](兵庫県神戸市 - [[岡山県]][[岡山市]])
* [[国道258号]](岐阜県[[大垣市]] - 三重県[[桑名市]])
* [[国道259号]](三重県鳥羽市 - 愛知県豊橋市)
* [[国道303号]](岐阜県[[岐阜市]] - 福井県[[三方上中郡]][[若狭町]])<!--※滋賀県を通過-->
* [[国道365号]]([[石川県]][[加賀市]] - 三重県[[四日市市]])
* [[国道367号]](京都府京都市 - 福井県三方上中郡若狭町)
* [[国道373号]](兵庫県[[赤穂市]] - 鳥取県[[鳥取市]])
* [[国道429号]](岡山県[[倉敷市]] - 京都府[[福知山市]])
* [[国道436号]](兵庫県姫路市 - [[香川県]][[高松市]])
* [[国道475号]](愛知県[[豊田市]] - 三重県四日市市)
* [[国道482号]](京都府[[宮津市]] - 鳥取県[[米子市]])
== 広域 ==
* {{Ja Exp Route Sign|E1A}} [[新名神高速道路]](四日市JCT - 神戸JCT)
* {{Ja Exp Route Sign|E23}} [[東名阪自動車道]](名古屋西JCT - 伊勢関JCT)
* {{Ja Exp Route Sign|E25}} [[名阪国道]](亀山 - 天理)
* {{Ja Exp Route Sign|E25}} [[西名阪自動車道]](天理 - 松原JCT)
* [[阪神高速道路]]
* {{Ja Exp Route Sign|E26}}/{{Ja Exp Route Sign|E42}} [[阪和自動車道]](松原JCT - 有田、御坊 - 南紀田辺)
* [[琵琶湖西縦貫道路]](京都東 - 木ノ本)
* {{Ja Exp Route Sign|E24}} [[京奈和自動車道]]
* {{Ja Exp Route Sign|E88}} [[京滋バイパス]](瀬田東 - 大山崎JCT)
* [[鈴鹿峠バイパス]]
* [[五条バイパス]]
* {{Ja Exp Route Sign|E89}} [[第二京阪道路]]
* [[枚方バイパス]]
* [[信貴生駒スカイライン]]
* [[阪奈道路]]
* {{Ja Exp Route Sign|E92}} [[第二阪奈道路]]
* {{Ja Exp Route Sign|E91}} [[南阪奈道路]]
* [[中和幹線]]
* [[第二阪和国道]]
* [[大阪橋本道路]]
* [[五條新宮道路]]
* [[国道24号]](京都府京都市 - 和歌山県和歌山市)
* [[国道25号]](三重県四日市市 - 大阪府大阪市)
* [[国道26号]](大阪府大阪市 - 和歌山県和歌山市)
* [[国道43号]](大阪府大阪市 - 兵庫県神戸市)
* [[国道163号]](大阪府大阪市 - 三重県[[津市]])
* [[国道165号]](大阪府大阪市 - 三重県津市)
* [[国道166号]](大阪府[[羽曳野市]] - 三重県[[松阪市]])
* [[国道168号]](和歌山県[[新宮市]] - 大阪府[[枚方市]])
* [[国道169号]]([[奈良県]][[奈良市]] - 和歌山県新宮市)
* [[国道171号]](京都府京都市 - 兵庫県神戸市)
* [[国道173号]](大阪府[[池田市]] - 京都府[[綾部市]])
* [[国道175号]](兵庫県[[明石市]] - 京都府舞鶴市)
* [[国道176号]](京都府宮津市 - 大阪府大阪市)
* [[国道306号]](三重県津市 - 滋賀県[[彦根市]])
* [[国道307号]](滋賀県彦根市 - 大阪府枚方市)
* [[国道308号]](大阪府大阪市 - 奈良県奈良市)
* [[国道309号]](三重県[[熊野市]] - 大阪府大阪市)
* [[国道310号]](大阪府[[堺市]] - 奈良県[[五條市]])
* [[国道311号]](三重県[[尾鷲市]] - 和歌山県[[西牟婁郡]][[上富田町]])
* [[国道312号]](京都府宮津市 - 兵庫県姫路市)
*[[国道368号]](三重県[[伊賀市]] - 奈良県[[宇陀郡]][[御杖村]] - 三重県松阪市)
* [[国道369号]](奈良県奈良市 - 三重県松阪市)
* [[国道370号]](和歌山県[[海南市]] - 奈良県奈良市)
* [[国道371号]](大阪府[[河内長野市]] - 和歌山県[[東牟婁郡]][[串本町]])
* [[国道372号]](京都府[[亀岡市]] - 兵庫県姫路市)
* [[国道421号]](三重県桑名市 - 滋賀県[[近江八幡市]])
* [[国道422号]](滋賀県大津市 - 三重県[[北牟婁郡]][[紀北町]])
* [[国道423号]](大阪府大阪市 - 京都府亀岡市)
* [[国道425号]](三重県尾鷲市 - 和歌山県[[御坊市]])
* [[国道426号]](兵庫県[[豊岡市]] - 京都府福知山市)
* [[国道477号]](三重県四日市市 - 大阪府池田市)
* [[国道480号]](大阪府[[泉大津市]] - 和歌山県[[高野山]] - 和歌山県[[有田市]])
== 三重県 ==
=== 広域 ===
* {{Ja Exp Route Sign|E23}} [[伊勢自動車道]](伊勢関 - 伊勢)
* {{Ja Exp Route Sign|E42}} [[紀勢自動車道]](勢和多気JCT - 尾鷲北IC)
* {{Ja Exp Route Sign|E42}} [[熊野尾鷲道路]](尾鷲北IC - 熊野大泊IC)
* [[国道167号]](三重県[[志摩市]]阿児町 - 三重県伊勢市)
* [[国道260号]](三重県志摩市阿児町 - 三重県北牟婁郡紀北町)
=== 県道 ===
* [[三重県の県道一覧]]
=== 津市 ===
* [[近鉄道路]](津市万町 - 津市藤方)
* [[フェニックス通り (三重県津市)|フェニックス通り]](津市中央 - 津市なぎさまち)
=== 四日市市 ===
* [[国道164号]](三重県[[四日市港]] - 三重県四日市市諏訪町)
=== バイパス ===
* [[亀山バイパス]](国道1号・国道25号、亀山市)
* [[関バイパス (三重県)|関バイパス]](国道1号、[[亀山市]])
* [[中勢バイパス]](国道23号線、津市)
* [[国道42号#一般道路|松阪多気バイパス]](国道42号、松阪市 - 多気郡多気町)
* [[国道42号#一般道路|紀宝バイパス]](国道42号、紀宝町)
* [[南河路バイパス]](国道163号、津市)
* [[長野峠バイパス]](国道163号、津市 - 伊賀市)
* [[久居バイパス]](国道165号、津市[[高茶屋]] - 津市久居中町)
* [[上野名張バイパス]](国道368号、伊賀市- [[名張市]])
== 滋賀県 ==
=== 広域 ===
* [[近江大橋]]
* [[琵琶湖大橋]]
* [[甲賀湖南道路]]
* [[日野水口有料道路|日野水口グリーンバイパス]]
* [[奥琵琶湖パークウェイ]]
=== 県道 ===
* [[滋賀県の県道一覧]]
=== 大津市 ===
* [[比叡山ドライブウェイ]]
* [[途中トンネル]]
== 京都府 ==
=== 広域 ===
* {{Ja Exp Route Sign|E9}} [[京都縦貫自動車道]]
* [[国道478号]](京都府宮津市 - 京都府[[久世郡]][[久御山町]])
=== 府道 ===
* [[京都府の府道一覧]]
=== 京都市 ===
* [[京都高速道路]]([[新十条通]])
* [[嵐山高雄パークウェイ]]
=== 舞鶴市 ===
* [[国道177号]](京都府[[舞鶴港]] - 京都府舞鶴市字魚屋)
== 大阪府 ==
=== 広域 ===
* {{Ja Exp Route Sign|E26}} [[近畿自動車道]](松原JCT - 吹田JCT)
* [[新御堂筋]]
* {{Ja Exp Route Sign|E90}} [[堺泉北道路]]
* [[鳥飼仁和寺大橋]]
* [[鳥飼大橋]]
* [[国道170号]](大阪府[[高槻市]] - 大阪府[[泉佐野市]])
* [[国道479号]](大阪府[[豊中市]] - 大阪府大阪市[[住之江区]])
=== 府道 ===
* [[大阪府の府道一覧]]
=== 大阪市 ===
* [[なみはや大橋]]
* [[菅原城北大橋]]
* [[大阪港咲洲トンネル]]
* [[国道172号]](大阪府[[大阪港]] - 大阪府大阪市[[中央区 (大阪市)|中央区]])
=== 箕面市 ===
* [[箕面有料道路]]
=== 池田市 ===
* [[五月山ドライブウェイ]]
=== 泉佐野市 ===
* {{Ja Exp Route Sign|E71}} [[関西空港自動車道]](泉佐野JCT - りんくうJCT)
* [[国道481号]](大阪府[[関西国際空港]] - 大阪府泉佐野市[[上之郷 (泉佐野市)|上之郷]])
== 兵庫県 ==
=== 広域 ===
* [[西神自動車道]](垂水JCT・IC - 三木JCT)
* {{Ja Exp Route Sign|E29}} [[播磨自動車道]](播磨JCT - 宍粟JCT)
* {{Ja Exp Route Sign|E72}} [[北近畿豊岡自動車道]]
* {{Ja Exp Route Sign|E95}} [[播但連絡道路]]
* {{Ja Exp Route Sign|E93}} [[第二神明道路]]
* [[神戸西バイパス]]({{Ja Exp Route Sign|E94}} 第二神明北線)
* [[加古川バイパス]]
* [[姫路バイパス]]
* [[太子竜野バイパス]]
* [[東播磨南北道路]]
* [[明姫幹線]]
* [[国道427号]](兵庫県明石市 - 兵庫県[[朝来郡]][[山東町 (兵庫県)|山東町]])
* [[国道428号]](兵庫県神戸市 - 兵庫県[[三木市]])
* [[国道483号]](兵庫県豊岡市 - 兵庫県[[氷上郡]][[春日町 (兵庫県)|春日町]])
* [[芦有ドライブウェイ]]
* [[山手幹線 (兵庫県)|山手幹線]](兵庫県[[尼崎市]] - 兵庫県神戸市)
* [[第二但馬海岸道路]](兵庫県[[豊岡市]] - 兵庫県[[香美町]])
=== 県道 ===
* [[兵庫県の県道一覧]]
=== 神戸市 ===
* [[国道174号]](兵庫県[[神戸港]] - 兵庫県神戸市中央区)
* [[六甲北有料道路]]
* [[六甲山トンネル]]
* [[神戸市道夢野白川線|市道夢野白川線]](旧西神戸有料道路)
* [[山麓バイパス]]
* [[浜手バイパス]]
* [[阪神高速32号新神戸トンネル]]
* [[ハーバーハイウェイ]]
* [[神戸大橋]]
* [[摩耶大橋]]
* [[表六甲ドライブウェイ]]
* [[裏六甲ドライブウェイ]]
* [[奥摩耶ドライブウェイ]]
* [[有馬街道]]
=== 姫路市 ===
* [[姫路西バイパス]]
* [[姫路北バイパス]]
=== 西宮市 ===
* [[西宮北道路]]
=== 豊岡市 ===
* [[但馬海岸道路]]
=== 南あわじ市 ===
* [[うずしおライン]]
== 奈良県 ==
=== 県道 ===
* [[奈良県の県道一覧]]
=== 奈良市 ===
* [[奈良奥山ドライブウェイ]]
== 和歌山県 ==
=== 広域 ===
* {{Ja Exp Route Sign|E42}} [[湯浅御坊道路]](有田IC - 御坊IC)
* {{Ja Exp Route Sign|E42}} [[紀勢自動車道]](南紀田辺IC - すさみ南IC)
* {{Ja Exp Route Sign|E42}} [[那智勝浦新宮道路]](新宮市三輪崎 - 市屋)
* [[高野龍神スカイライン]]
* [[国道424号]](和歌山県[[田辺市]] - 和歌山県[[紀の川市]])
=== 県道 ===
* [[和歌山県の県道一覧]]
=== 和歌山市 ===
* [[紀の川河口大橋]]
=== 那智勝浦町 ===
* [[那智山スカイライン]]
<!--
== 未分類 ==
-->
== 関連項目 ==
* [[日本の道路一覧]]
* [[日本の高速道路一覧]]
* [[道路]]
* [[高速自動車国道]]
* [[一般国道]]
{{都道府県道}}
{{デフォルトソート:きんきちほうのとうろいちらん}}
[[Category:近畿地方の道路|*]]
[[Category:日本の道路一覧|+05]]
[[Category:近畿地方の一覧|とうろ]]
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|
14,703 |
51
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51(五十一、ごじゅういち、いそひと、いそじあまりひとつ)は自然数、また整数において、50の次で52の前の数である。
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51(五十一、ごじゅういち、いそひと、いそじあまりひとつ)は自然数、また整数において、50の次で52の前の数である。
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{{otheruses|整数の51|トランプゲームの51|51 (トランプゲーム)}}
{{整数|Decomposition=3 × 17}}
'''51'''('''五十一'''、ごじゅういち、いそひと、いそじあまりひとつ)は[[自然数]]、また[[整数]]において、[[50]]の次で[[52]]の前の数である。
== 性質 ==
*51は[[合成数]]であり、正の[[約数]]は [[1]], [[3]], [[17]], 51 である。
**[[約数]]の和は[[72]] 。
*{{sfrac|1|51}} = 0.{{underline|0196078431372549}}… (下線部は[[循環節]]で長さは16)
**[[逆数]]が[[循環小数]]になる数で[[循環節]]が16になる3番目の数である。1つ前は[[34]]、次は[[68]]。
*6番目の[[五角数]] ( 51 = 6 × (3 × 6 − 1)/2 ) である。1つ前は[[35]]、次は[[70]]。
** 51 = 6 + 7 + 8 + 9 + 10 + 11
* 51 = 3 × 17
**18番目の[[半素数]]である。1つ前は[[49]]、次は[[55]]。
** ''n'' = 1 のときの 17 × 3{{sup|''n''}} の値とみたとき1つ前は[[3]]、次は[[153]]。({{OEIS|A258598}})
* 51{{sup|3}} = 132651 になり下2桁が51になる。''n'' と ''n''{{sup|3}} の下2桁が同じになる5番目の数である。1つ前は[[49]]、次は[[75]]。
**この性質をもつ数は偶数乗においても下2桁が等しくなる。
**:例.51{{sup|2}} = 26{{underline|01}}、51{{sup|4}} = 67652{{underline|01}}
** この性質をもつ2桁の数字列は、他に00, 01, [[24]], [[25]], [[49]], [[75]], [[76]], [[99]]がある。({{OEIS|A008856}})
*[[正五十一角形]]は、[[定規とコンパスによる作図|定規とコンパスのみで作図]]できる18番目の[[正多角形]]である。1つ前は正[[48|四十八]]角形、次は正[[60|六十]]角形。({{OEIS|A003401}})
**奇数正多角形では5番目の[[正多角形]]である。1つ前は[[正十七角形]]、次は[[85|正八十五]]角形。
* 51, [[52]], [[53]]の3連続整数の3辺でできる三角形の面積が整数(1170)となる3番目の組である。1つ前は[[13]], [[14]], [[15]]、次は[[193]], [[194]], [[195]]。
* 各位の和([[数字和]])が6になる6番目の数である。1つ前は[[42]]、次は[[60]]。
**各位の和([[数字和]])が ''n'' になる ''n'' 番目の数である。1つ前は[[41]]、次は[[61]]。
* 各位の積が5になる3番目の数である。1つ前は[[15]]、次は[[115]]。({{OEIS|A199985}})
*51 = 1{{sup|2}} + 1{{sup|2}} + 7{{sup|2}} = 1{{sup|2}} + 5{{sup|2}} + 5{{sup|2}}
** 3つの[[平方数]]の和2通りで表せる5番目の数である。1つ前は[[41]]、次は[[57]]。({{OEIS|A025322}})
** 51 = 7{{sup|2}} + 2
*** ''n'' = 2 のときの 7{{sup|''n''}} + ''n'' の値とみたとき1つ前は[[8]]、次は[[346]]。({{OEIS|A226199}})
* 14番目の[[幸運数]]である。1つ前は49、次は[[63]]。
** [[累乗数]]はもちろん1にもなり得ない10番目の幸運数である。1つ前は43、次は63。
== その他 51 に関連すること ==
*'''51 × 単位'''
**(51{{sfrac|3|7}})[[度 (角度)|°]] = {{sfrac|2|7}} [[円周率|{{π}}]]([[ラジアン]])= {{sfrac|4|7}} [[直角|R]] である。これは {{sfrac|1|7}}周、すなわち[[正七角形]]の[[中心角]]であり、すなわちその[[外角]]である。
**[[英仏海峡トンネル]]は、総延長距離51km(50.45 km、海底部37.9 km)
*'''51番目のもの'''
**元[[プロ野球選手]][[イチロー]]の背番号は51。([[ニューヨークヤンキース]]在籍時は31)
**第51[[原子番号|番元素]]は[[アンチモン]] (Sb)。
**第51代[[天皇]]は[[平城天皇]]である。
**[[日本]]の第51代[[内閣総理大臣]]は[[吉田茂]]である。
**[[大相撲]]の第51代[[横綱]]は[[玉の海正洋]]である。
**第51代[[教皇|ローマ教皇]]は[[シンマクス (ローマ教皇)|シンマクス]](在位:[[498年]][[11月24日]]~[[514年]][[7月19日]])である。
**[[易占]]の[[六十四卦]]で第51番目の卦は、[[周易下経三十四卦の一覧#震|震為雷]]。
**[[クルアーン]]における第51番目の[[スーラ (クルアーン)|スーラ]]は[[撒き散らすもの (クルアーン)|撒き散らすもの]]である。
**[[アメリカ合衆国51番目の州]]はまだ存在しないが、将来誕生するかもしれない。
**[[年始]]から51日目は[[2月20日]]。
*[[51 (トランプゲーム)|51]] は、[[トランプ]]ゲームの一つ。
*[[国鉄D51形蒸気機関車]]:日本の旧国鉄で最も多く製造された[[蒸気機関車]]。
*[[D-51]](男声デュオ)
*[[国鉄51系電車]]
*『51%』 [[UVERworld]]の楽曲、2ndアルバム[[BUGRIGHT]]収録。数字を含めて英語読みである。
*[[エリア51]]
*『[[彼女を守る51の方法]]』は、[[古屋兎丸]]による日本の[[漫画]]作品。
== 関連項目 ==
{{数字2桁|5|- [[昭和51年]]}}
*[[5月1日]]
{{自然数}}
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https://ja.wikipedia.org/wiki/51
|
14,704 |
52
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52(五十二、ごじゅうに、いそふた、いそじあまりふたつ)は自然数、また整数において、51の次で53の前の数である。
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52(五十二、ごじゅうに、いそふた、いそじあまりふたつ)は自然数、また整数において、51の次で53の前の数である。
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{{整数|Decomposition=2{{sup|2}} × 13}}
'''52'''('''五十二'''、ごじゅうに、いそふた、いそじあまりふたつ)は[[自然数]]、また[[整数]]において、[[51]]の次で[[53]]の前の数である。
== 性質 ==
* 52 は[[合成数]]であり、正の[[約数]]は [[1]], [[2]], [[4]], [[13]], [[26]], 52 である。
**[[約数の和]]は[[98]] 。
***このうち52を除いた約数の和は[[46]]となり、[[不足数]]である。
*** [[約数関数]]から導き出される数列 <math>a_n=\sigma(a_{n-1})</math> はその初期値によって異なる数列になる。異なる数列になる10番目の初期値(最小の値)を表す数である。1つ前は[[50]]、次は[[66]]。(ただし1を除く)({{OEIS|A257348}})
*5番目の[[ベル数]]である。1つ前は[[15]]、次は[[203]]。
*{{sfrac|1|52}} = 0.01{{underline|923076}}… (下線部は[[循環節]]で長さは6)
**[[逆数]]が[[循環小数]]になる数で[[循環節]]が6になる10番目の数である。1つ前は[[42]]、次は[[56]]。
*[[各位の和]]が7になる6番目の数である。1つ前は[[43]]、次は[[61]]。
* 各位の積が10になる2番目の数である。1つ前は[[25]]、次は[[125]]。({{OEIS|A199990}})
* 52 = 4{{sup|2}} + 6{{sup|2}}
** 異なる2つの[[平方数]]の和で表せる15番目の数である。1つ前は[[50]]、次は[[53]]。({{OEIS|A004431}})
** ''n'' = 2 のときの 4{{sup|''n''}} + 6{{sup|''n''}} の値とみたとき1つ前は[[10]]、次は[[280]]。({{OEIS|A074612}})
*52 = 1{{sup|2}} + 1{{sup|2}} + 1{{sup|2}} + 7{{sup|2}} = 1{{sup|2}} + 1{{sup|2}} + 5{{sup|2}} + 5{{sup|2}} = 2{{sup|2}} + 4{{sup|2}} + 4{{sup|2}} + 4{{sup|2}} = 3{{sup|2}} + 3{{sup|2}} + 3{{sup|2}} + 5{{sup|2}}
**4つの[[平方数]]の和4通りで表せる最小の数である。次は[[58]]。({{OEIS|A025360}})
***4つの[[平方数]]の和 ''n'' 通りで表せる最小の数である。1つ前の3通りは[[28]]、次の5通りは[[82]]。({{OEIS|A025416}})
* 52 = 2{{sup|2}} × 13
** ''n'' = 2 のときの 13 × 2{{sup|''n''}} の値とみたとき1つ前は[[26]]、次は[[104]]。({{OEIS|A005029}})
**2つの異なる[[素因数]]の積で ''p''{{sup|2}} × ''q'' の形で表せる8番目の数である。1つ前は[[50]]、次は[[63]]。({{OEIS|A054753}})
** 52 = 4 × 13
*** ''n'' = 4 のときの ''n''{{sup|3}} − ''n''{{sup|2}} + ''n'' の値とみたとき1つ前は[[21]]、次は[[105]]。({{OEIS|A069778}})
*** 52 = 1 × (1 + 3) × (1 + 3 + 9)
**** 初項 1、公比 3 の[[等比数列]]の和の[[総乗]]とみたとき1つ前は[[4]]、次は2080。({{OEIS|A015001}})
* 52 = 2{{sup|6}} − 2 × 6
** ''n'' = 6 のときの 2{{sup|''n''}} − 2''n'' の値とみたとき1つ前は[[22]]、次は[[114]]。({{OEIS|A005803}})
== その他 52 に関連すること ==
*[[ジョーカー (トランプ)|ジョーカー]]を除いた[[トランプ]]の枚数は52枚。
*'''五十二位''':[[仏教]]で覚りには52の位があるといわれる。最高位の第五十二段を仏覚という。
*[[原子番号]] 52 の元素は[[テルル]] (Te)。
* 1[[年]]は52[[週]]からなる。(より正確には52週と1.25[[日]])
** [[:en:52 Weeks Make A Year]] - [[東ドイツ]]の[[ドラマ映画]]([[1955年]])
*[[年始]]から数えて52日目は[[2月21日]]。
*[[B-52 (航空機)|B-52]] はアメリカの[[爆撃機]]。
*[[B-52's]]:[[アメリカ合衆国|アメリカ]]の[[ロックバンド]]。上記 B-52 から名を採った。
*[[任天堂]]の[[家庭用ゲーム機]]、[[ファミリーコンピュータ]]で画面に発色できる[[色]]数は52色。
*第52代[[天皇]]は[[嵯峨天皇]]である。
*[[日本]]の第52代[[内閣総理大臣]]は[[鳩山一郎]]である。
*[[大相撲]]の第52代[[横綱]]は[[北の富士勝昭]]である。
*第52代[[教皇|ローマ教皇]]は[[ホルミスダス (ローマ教皇)|ホルミスダス]](在位:[[514年]][[7月20日]] - [[523年]][[8月6日]])である。
*[[易占]]の[[六十四卦]]で第52番目の卦は、[[周易下経三十四卦の一覧#艮|艮為山]]。
*[[クルアーン]]における第52番目の[[スーラ (クルアーン)|スーラ]]は[[山 (クルアーン)|山]]である。
*[[グランドピアノ]]の白鍵の数。
*[[香道]]の楽しみ方の一つである源氏香において、聞いた香の異同を五本の縦線を横線で結んでグループ化して表す[[香の図]]は、全部で 52(5番目の[[ベル数]])種類の図柄がある。
*[[52ヘルツの鯨]]は世界でもっとも孤独とされる[[鯨]]。
== 関連項目 ==
{{数字2桁|5|- [[昭和52年]]}}
{{自然数}}
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2003-09-01T11:46:21Z
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https://ja.wikipedia.org/wiki/52
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14,706 |
Apple
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Apple Inc.(アップル)は、アメリカ合衆国の多国籍テクノロジー企業である。カリフォルニア州クパチーノに本社を置く。デジタル家庭電化製品、ソフトウェア、オンラインサービスの開発・販売を行っている。
ハードウェア製品としては、iPhone、iPad、Mac、Apple Watch、HomePod、AirPodsなどの開発および販売を行なっている。ソフトウェア製品としてはApple Music、Apple TV+、Apple Arcade、 Apple Fitness+、Apple Podcast、Apple Books、App Store、iTunesなど広範囲のデジタルコンテンツ販売などを行っている。また、iCloud、iCloud+などのクラウドサービスも提供している。
Appleの全世界での年間収益は、2020年度には2745億ドルとなった。Appleは売上高で世界最大のテクノロジー企業であり、2021年現在で世界で最も価値のある企業である。販売台数で世界第4位のパソコンメーカーとなっており、2021年のスマートフォン市場では、出荷台数第2位、売り上げシェア第1位となっている。2022年1月、Appleは全世界の上場企業として初めて時価総額3兆ドルを超えた企業となった。また2022年5月11日時点での時価総額は約307兆円で世界2位。Appleは、2022年末時点で16万4000人の正社員を雇用し、26か国に526の直営店を展開している。また、同時期のApple製品利用台数は全世界で16億5000万台以上であり、2021年8.5%のシェアであったMacの出荷台数は2,895万台以上と1年間で28%増加し、史上最高であった。
Apple Inc.は1976年4月1日、スティーブ・ジョブズとスティーブ・ウォズニアック、およびロナルド・ウェイン(英語版)の3名により創業された。創業時の名称は"Apple Computer Company"であり、ウォズニアックが開発したコンピュータ「Apple I」を販売するためのパートナーシップであった。1977年1月には"Apple Computer, Inc."(アップルコンピュータ)として法人化し、その後「Apple II」をはじめとするコンピュータの販売が急速に拡大した。
1980年代には、1984年発売の初代「Macintosh」に代表されるように、革新的なグラフィカルユーザインタフェース(GUI)を採用したコンピュータを次々と開発した。Macintoshは当初成功していたが、IBMのシェアを追い抜くことはできず、ジョブズは経営陣や取締役会との関係が悪化し、1985年にMacintosh部門から解任されAppleを離れた。同年にはウォズニアックも円満にAppleを退社した。その後、ジョブズはAppleの一部の同僚を連れてNeXT社を設立した。
1990年代に入り、パソコンの市場が拡大・発展していく中で、AppleはインテルのCPUにマイクロソフトのWindowsを搭載(Wintel連合)した低価格帯の製品に押され、シェアを失っていった。取締役会はギル・アメリオをCEOとして起用し、レイオフ、経営陣のリストラ、製品の絞り込みなど、財政的に問題を抱えた会社を立て直そうとした。アメリオは失敗したOS戦略を解決しようと、1996年12月にAppleがNeXTを買収、ジョブズを呼び戻した。
ジョブズは1997年9月に暫定CEOに就任した。Appleは「Think different」キャンペーンを展開し、iMacの販売で黒字化を達成した。2001年にはiPodの発売、直営店のApple Store開店など、Appleブランドを再構築した。2007年にはデジタル家庭電化製品への注力を反映させ、社名を「Apple」に変更した。また、同年にiPhoneを発売し、高い評価と経済的成功を収めた。2011年8月、ジョブズは健康上の理由でCEOを辞任し、ティム・クックがCEOに就任した。その2か月後、ジョブズは死去した。
スコット・ギャロウェイの著書『The Four: The Hidden DNA of Amazon, Apple, Facebook, and Google』の翻訳本に日本独自でつけられたタイトル『the four GAFA 四騎士が創り変えた世界』から、GAFAという呼称でまとめて呼ばれ、Amazon、Facebook、Googleとともに世界的な巨大企業のひとつであるとの認識が広がっている。
1975年、大学を中退しアタリの技術者として働いていたスティーブ・ジョブズと、その友人でヒューレット・パッカード(HP)に勤務していたスティーブ・ウォズニアックは、シリコンバレーのコンピュータマニアによる「ホームブリュー・コンピュータ・クラブ(HCC)」の会合に頻繁に参加していた。ウォズニアックは、HCC内で高く評価されていたマイクロプロセッサであるIntel 8080の代わりに、安価なMOS 6502を処理装置とするコンピュータの自作を開始し、1976年3月までにApple Iの原型となるコンピュータを独力で完成させた。ウォズニアック自身はこのコンピュータの回路図をHCCにて無料配布することを望んでいたが、ジョブズはその商業的可能性に興味を抱き、このコンピュータを利用してビジネスを始めるべきだと訴えた。2人は当初、それぞれの勤務先であるHPとアタリに製品化を提案したが却下されたため、自ら起業して基板(プリント配線板)の製造・販売を行うことにした。
1976年4月1日、ジョブズとウォズニアックにロナルド・ウェイン(英語版)を加えた3人は、共同で「Apple Computer Company(アップルコンピュータ・カンパニー)」を創業した。アタリで製図工として働いていたウェインは、株式の10パーセントを持つことを条件としてジョブズに誘われ会社に加わった(ジョブズとウォズニアックはそれぞれ45パーセントの株式を所持した)。ウェインはApple社の最初の製品であるApple Iのマニュアルを作成したほか、リンゴの木とアイザック・ニュートンが描かれた最初期のロゴマークをデザインした。1977年、スティーブ・ジョブズからの依頼により、ロブ・ジャノフ(英語版)が欠けたリンゴのロゴマークをデザインした。
個人以外の販路を求めたジョブズは、マウンテンビューのコンピュータ店「バイトショップ(Byte Shop)」の経営者ポール・テレル(英語版)にApple Iを売り込んだ。強い興味を持ったテレルはすぐにApple Iを50台注文し、納品時に1台につき500ドル(合計2万5000ドル)を現金で支払うと約束したが、テレルが注文したのはApple Iのプリント配線板ではなく、パーツがすべて装着済みの完成品だった。手持ちの資金では必要な数の部品が購入できなかったため、ジョブズらは部品サプライヤーを説得して30日間の支払猶予つきでパーツを購入し、懸命な作業で29日後には50台のApple Iを完成させ、テレルの店に納品して約束の代金を受け取った。
Apple Iは1976年7月から希望小売価格666.66ドルで市販され、最終的に約200台が製造された。創業者の1人であったウェインは、ジョブズの野心的な経営方針に不安を抱いたため、800ドルを受け取って所有する株を放棄し、1976年4月12日にAppleを自主退社した。
テレルとの取引で手応えを得たジョブズは事業拡大を望み、そのために多額の資金が必要となった。ジョブズはセコイア・キャピタルの創業者ドン・バレンタインに会って融資を求めたが、バレンタインはApple Computerへの投資に興味を持たず、代わりに自分の元部下で、個人投資家として財を成していたマイク・マークラを紹介した。マークラはジョブズの野心とウォズニアックの技術的才能に心を動かされ、1976年11月からAppleに加わった。マークラは自分の個人的資産から9万2000ドルを投資したほか、バンク・オブ・アメリカから25万ドルの信用供与を確保した。
1977年1月3日に法人化され、Apple Computerとなった。マークラはAppleの成長には経験豊富な経営者が不可欠と考え、ナショナル セミコンダクターから元同僚のマイケル・スコット(英語版)を引き抜いて初代社長兼CEOの座につけた。スコットは1977年2月からAppleでの仕事を始め、社員番号を入れた社員証を発行するなど、会社をより組織的にするための施策を実行した。他方、ウォズニアックはApple Iの改良を着々と進めており、1976年8月末の時点で後継機となる「Apple II」のプロトタイプを完成させていた。
Apple IIは1977年4月16日にウェスト・コースト・コンピュータ・フェアで発表され、小売価格1,298ドルで発売された。Apple IIの販売は当初から好調だったが、1978年7月に発売された専用フロッピーディスクドライブ「Disk II(英語版)」と、1979年10月に発売された専用の表計算ソフト「VisiCalc」が大ヒットを記録し、Apple IIの販売台数が大幅に増加した。1980年には設置台数で10万台、1984年には設置ベースで200万台を超え、Appleに大きな利益をもたらした。
1980年12月12日、Apple Computerは新規株式公開(IPO)を行い、1956年に自動車会社フォードが行ったIPO以来となる記録的規模の資金調達を果たした。このIPOにより、ジョブズは約2億5600万ドルの個人資産を手に入れた。
株式公開に先立つ1980年5月、Appleはビジネス向けに特化されたApple IIIを発表し、巨大企業IBMに商用コンピュータ市場で挑戦を仕掛けたが、4,340–7,800ドルという価格設定の高さと、ハードウェアの設計上の欠陥がわざわいし、Apple IIIは極度の販売不振に陥っていた。他方、IBMは1981年8月にIBM PCを発表してパーソナルコンピュータ市場へ参入し、AppleとIBMの競争は激化した。
ジョブズは1979年12月にゼロックスのパロアルト研究所(PARC)を見学しており、そこで見たマウスによって操作される先進的なグラフィカルユーザインタフェース(GUI)に強い印象を受けた。ジョブズは当時Appleで開発中だった次世代コンピュータ「Lisa(リサ)」にPARCで目にしたようなGUIを実装することを決意し、設計への介入を強めたが、Lisaプロジェクトはジョブズの過剰な介入によって混迷することとなり、ジョブズはスコットら経営陣の判断で1980年9月にLisaの開発チームから外された。
1981年、ジョブズとの対立を深めたスコットは社長兼CEOを辞任することとなり、同年7月にはAppleを去った。1981年3月からはマークラが暫定的にCEOとなっていたが、ジョブズはスコットの後任としてマーケティングに優れた経営者を連れてくる必要に迫られた。1983年、ジョブズはペプシコーラからジョン・スカリーを引き抜いてAppleの新CEOに就けたが、スカリーを説得する際にジョブズが用いた「このまま一生、砂糖水を売り続ける気なのか?世界を変えるチャンスに賭けてみる気はないのか?」というフレーズはのちに有名となった。他方、開発の遅れたLisaは1983年1月にようやく発売された。Apple IIIの販売不振が続き、主力製品であるApple IIも次第にIBM PCにシェアを奪われる中で、GUIやマウスなど革新的機能を備えるLisaへのAppleの期待は大きかったが、9,995ドルという極端な高価格とソフトウェア互換性の欠如がユーザーを遠ざける結果となり、LIsaはApple IIIと同じく商業的な失敗作に終わった。
1980年秋にLisaの開発チームから外された後、ジョブズはジェフ・ラスキンが立ち上げた新型コンピュータ「Macintosh(マッキントッシュ)」のプロジェクトに参画した。Macintoshの開発は1979年9月に始まり、1,000ドル程度の安価な一般向けコンピュータというコンセプトの元で進められていたが、ジョブズはLisaに匹敵するGUIを持つ高性能なマシンへの方向転換を主張し、性能よりも価格の抑制を重視するラスキンとは激しく対立した。最終的に、ラスキンはジョブズとの争いに敗れて1981年1月にプロジェクトのリーダーを降りることとなり、1982年3月にはAppleを去った。Lisaプロジェクトに強い対抗心を抱いていたジョブズは、Macintoshの開発をApple本社とは独立したプロジェクトとして推し進め、「海軍に入るより、海賊であれ(It's better to be a pirate than to join the navy)」などと説いて開発メンバーの連帯感と反骨精神を鼓舞した。
長い開発期間を経て、Macintoshは1984年1月24日に発売された。2日前の1月22日には、第18回スーパーボウルの放送でリドリー・スコットによる有名なテレビCM『1984』がオンエアされており、Macintoshには大きな注目が集まった。AppleによってThe computer for the rest of usとして打ち出されたMacintoshは、一般向けPCとしては初めてマウス操作によるGUIを搭載しており、当初はメディアからの称賛を浴び、1984年4月末の時点で5万台を売り上げるなど販売も非常に好調だった。しかし、2,495ドルという価格が一般向けPCとしては高額であったことと、対応ソフトの不足がわざわいし、発売から数カ月が過ぎるとMacintoshの販売は停滞し始め、開発担当者であるジョブズとスカリーらApple経営陣との関係も悪化した。
スカリーはジョブズをMacintosh部門から降ろすことを決定し、1985年4月には取締役会から全会一致の承認を得た。この決定に反発したジョブズは、スカリーが中国に出張する隙に彼を解任することを画策したが、スカリーはフランス法人のトップであるジャン=ルイ・ガセーから事前にジョブズの計画について知らされ、出張をキャンセルし重役会議でジョブズと対峙した。会議では、その場に居たAppleの重役の全員がスカリーへの支持を表明し、その後取締役会もスカリーへの支持を表明したため、ジョブズは1985年5月31日に全ての業務から外され、何の実権も持たない会長職を与えられた。
1985年9月、ジョブズは当時所有していたAppleの株を1株だけ残して約650万株をすべて売却し、NeXT社を創立した。それと同時にスカリー宛てに郵送で辞職願を提出し、会長職も辞任した。2010年の記事で、スカリーは一番後悔していることとして、ジョブズを辞任に追い込んだことを挙げている。ウォズニアックもまた、別の事業を始めるため1985年前半に(ジョブズよりも先に)Appleを離れていた。その際、ウォズニアックはAppleがApple II部門を冷遇してきたことへの不満を表明し、会社が「過去5年間ずっと間違った方向に進んでいる」と述べた。
ジョブズとウォズニアックが去った1985年、AppleはMacintosh向けにキヤノンと共同開発したレーザープリンターであり、出資先のアドビシステムズ(現・アドビ)が開発したPostScriptを搭載したLaserWriterを発売し、コンピュータ上で描いた文字や絵を出力する際にドットの粗いディザを表示させることなく、きれいなアウトラインで出力することを可能にした。また、アルダス社(現・アドビ)の開発したPageMakerとMacintosh、レーザーライターを組み合わせることで、DTPという市場を創造した。精巧なタイポグラフィ機能を備えていたMacintoshは、DTP用コンピュータとして圧倒的な人気を博し、Appleは初期のDTP市場を事実上独占することに成功した。
ジョブズに代わってMacintosh部門のトップに立ったガセーは、55パーセントの利益率という目標を意味する「55か死か(fifty-five or die)」というスローガンを掲げてMacintosh製品の値上げを実行し、1980年代後半のAppleで高価格・高利益率路線を推し進めた。高価格で販売された「Macintosh II」などの新型モデルは高い利益率を提供し、DTP市場での人気を背景に当初は売上高にも減少は見られなかった。さらに、Appleは外部のソフト会社にMac用のソフト開発を説得する職種であるエバンジェリスト(宣伝部)を作り、ガイ・カワサキらを任命した。
スカリーは、Macintosh以外にAppleの柱となる製品が必要だと感じていた。スカリーはコンピュータの未来像としてKnowledge Navigatorというものを描いていた。これは、コンピュータがユーザの優秀な秘書をこなし、言葉や簡単なリモコン操作のみで自由自在に操れるというもので、この後の予定を教えてくれたり、電話を取り次いだり家にいながら会議を行ったりすることができる。Appleは、ナレッジ・ナビゲータを仮想ではない近未来のコンピュータとして提案した。
一方、スティーブ・サコマンはガセーの許可を受け1987年ごろにはNewtonと呼ばれる次世代コンピュータ開発のプロジェクトを開始していた。スカリーはこのNewtonに自身のナレッジ・ナビゲータを感じ取り、開発に力を入れるようになっていった。
1990年、スカリーはMac OS互換機(後述)およびニュートンの方向性をめぐってガセーと対立することとなる。ガセーを辞職させたあとサコマンも辞任し、スカリー自身は技術者でないにもかかわらずAppleのCTO (最高技術責任者)に着任した。ラリー・テスラーがNewton開発責任者となり携帯情報端末へと方向転換を行って、1992年、CPU にARMを採用し、スタイラスによる手書き認識などを実現したPDA、Newton MessagePadを発表した。
初代MessagePadはシャープと共同開発され、シャープにとってはのちのザウルスのヒットへとつながることとなる。世界初のPersonal Digital Assistant(PDA)という概念とともに発表されたMessagePadはNewton OSという独創的なOSを採用し、ペンデバイスで入力した文字をそのままテキスト文書として保存できることが特徴だった。それ以外にもフリーハンドで書いた文字や絵を保存する作業をせずに電源を落としても、電源投入後にはそのままの文字や絵を表示させることができ、紙のメモ帳にとって変わる新しいコンピュータの方向性を示したものといえる。しかし、ビジネスとしては失敗した。
Newtonと並行して、General Magicがマーク・ポラットをCEOとしてビル・アトキンソン、アンディ・ハーツフェルドが共同設立者となり、Appleの子会社として立ち上げられた。General Magicは、Knowledge Navigatorを具現化することを目論んだLooking Glass(野心的な小型携帯情報端末Personal Intelligent Communicator、PIC)プロジェクトが1990年、Appleからの出資に加え、AT&T、松下電器産業、モトローラ、NTT、フィリップス、ソニーの出資や提携を得てスピンアウトした会社である。出資提携先にはCable&Wireless、France Telecom、富士通、三菱電機、Northern Telecom、サンヨー、沖電気、東芝が加わった、1994年にソニーからMagic Linkが発売されたが、携帯情報端末としてのビジネス化は失敗して方向転換した。結果、Appleなどの持ち株は売却され、その後、破綻して知的財産はポール・アレンを筆頭とした複数の会社に取得された。Google幹部を経て米CTOを務めたミーガン・スミス、Androidを開発したアンディ・ルービンや後のApple幹部であるトニー・ファデル、ケビン・リンチ、ジョン・ジャナンドレアも在籍していた。
ジョブズがAppleを去ったのに前後して、1985年6月25日にスカリーとハード担当責任者であったガセー宛に、マイクロソフトのビル・ゲイツから「AT&Tやヒューレット・パッカード、ソニーなど有力メーカーにMacintoshのOSをライセンスするべきで、ゲイツ自身もその手助けを惜しまない」という内容の手紙が送られた。ゲイツは自社でのOS開発凍結も考えていたほど本気だったようだ。
スカリーはOSライセンスの可能性について調査を指示したが、ガセーを筆頭にした技術陣からの猛反対を受けてこの提案は闇に葬られた。
その後、パソコン用の16ビットCPUは逐次32ビットに移行していく。Appleの採用したモトローラ系ではMC68000、MC68020、MC68030、MC68040と推移していく。モトローラのCPUは最初のMC68000から、32ビットへ容易に移行できるように設計されていた。
Appleはライセンス違反をしているとして、マイクロソフトに対してGUIに対する対価を求めて裁判を起こす。ジョブズが復帰(後述)する頃まで裁判は長引き、その時点ではAppleに対して不利な裁定が下ることになる。しかしその数年前、ゼロックスがAppleに対して同様の裁判を起こし、ゼロックスに対して不利な裁定が下っていることもあり、熱心なマッキントッシュ・ユーザは複雑な心情を抱いていた。
AppleはマイクロソフトのMicrosoft Windowsに対して市場競争を模索する。これより68000系以外のCPUアーキテクチャへの移行である。その1つx86系への移植プロジェクトであるスタートレックが、1992年ごろにノベルの協力を得て開始される。しかし計画は後述のPowerPCに専念するため中断され、日の目を見ることはなかった。
1992年、スカリーはIBMと交渉し、同年AppleはIBMとモトローラと組んで新しいパーソナルコンピュータのプラットフォーム開発を発表した。IBM PCとマッキントッシュの経緯から、この共同開発発表は西海岸と東海岸の巨頭同士の歴史的和解とも言われた。
新しいPCは、CPUにRISCチップであるPowerPC、OSとしてTaligent(開発コード:Pink)、アプリケーションとしてマルチメディア開発ツール「カライダ」(開発言語ScriptX)からなる予定であった。
技術者が休暇中に趣味で作り上げた68000系エミュレータの出来がよく、またTaligentの開発は困難をきわめたため、1994年、PowerPCと68LC040エミュレータを搭載し、従来の68000系のバイナリプログラムの動作も可能なPower Macintoshシリーズを発表する。それまでの上位機種であったQuadraをベースにしており、メモリに72pinSIMM、拡張スロットバスにNuBusを採用するなど、ハードウェアの互換性も計られていた。しかし当時のMac OS(System 7.1.1や7.5.2)はバグが多く、たびたびエラーやフリーズを起こし、快適さと相反する不安定さも兼ね備えていた事実は否定出来ない。Mac OS 7.6までにはその不安定さは解消され、その後しだいに信頼性は向上したが、Mac OS 9.2.2に至るまで100パーセントのPowerPCコードで作られたOSとはならず、メモリ保護もない脆弱さもそのままであった。これらの問題が完全に解消されたシステムは2001年のMac OS Xの登場まで待たねばならなかった。
1994年にAppleは、モトローラ、IBMなどにMacintoshのライセンスを与え、互換機ライセンスを開始する。1995年にPower Computing(英語版)とパイオニアが初のMac OS互換機を発表すると、akia、UMAX、ラディウスなどが続々と参入した。しかし、PC/AT互換機からの市場奪還は進まず、互換機がMacintoshのシェアを浸食するという結果となった。
1995年後半になると、マイクロソフトはWindows 95を販売開始する。Windows 95は、Macintoshに似たGUIを搭載し、従来のMS-DOS上のWindows 3.1ではなし得なかったデスクトップ環境とフォルダ管理のGUI化を果たした。様々な面でDOSのしがらみを依然として引きずっていたWindows 95ではあるが、操作性が3.1以前に比べて大幅に向上したことにより爆発的にヒットし、次期OSであるCoplandの開発に手間取っていたMacintoshの深刻な脅威となった。
のちに公表されることとなるが、サン・マイクロシステムズとは1988年ごろから合併交渉を行っていた。1990年には、ほぼ合意に達していたが、AppleがIBMとモトローラとの提携を発表したことで白紙に戻ってしまった。その後もAT&Tやコダックと交渉を行うが企業風土の違いでまとまることはなかった。
Newtonや政治(スカリーはビル・クリントンの大統領選挙応援に力を入れていた)など、Macintoshに力を注いでいないスカリーの行為に、Appleの取締役会は不信の目を向けるようになった。1993年に業績が大幅に悪化すると、1993年6月18日、ストックオプションなど約1000万ドル相当の退職慰労金を手にスカリーはCEOを退任し、Appleのヨーロッパ市場で功績を上げていたマイケル・スピンドラーが新たなCEOに就任する。スピンドラーの仕事は、Apple本社を高く売ることだったとも言われている。
1994年は低価格MacintoshのPerformaシリーズを増産してクリスマスシーズンを迎えたが、スピンドラーはこの需要予測を大きく外すこととなる。リサーチ部門とセールス部門、さらには開発部門までもがそれぞれ大きく対立していたことと、市場ではPower Macintoshなどのハイスペックマシンの需要が高かったにもかかわらず、ロースペックで利益率の悪いPerformaの在庫が日に日に増えていき、需要の高いPower MacintoshやPowerBookが品薄状態で、生産がまったくもって追いついていないと言う最悪の結果となった。
当時のAppleは内部のいざこざがあまりにも多く、悲惨な状態であった。需要予測を外したうえに、スピンドラーの指示を誤解したセールス部門は、ただでさえ利益率の悪いPerformaを赤字でばらまいて売りさばいてしまった。それ以外にもさまざまな要因が重なり、この四半期で赤字は8000万ドルに達した。
そのころ(1995年)Appleはキヤノンと1株54ドル50セントでの買収交渉を行うが、キヤノンの社長が急死したことも重なり、最終的には実現することはなかった。そしてAppleは再びIBMと交渉の場を持つが、IBMはロータス社を買収しサービスビジネスに会社を方向転換の最中で、Apple買収にはお世辞にも前向きな姿勢とは言えなかった。そのうえ、IBMはどんな買収交渉であっても、結論を出すまでに途方もない時間をかけることが通例で、交渉に入ってもまったく音沙汰がないということが多い企業である。どんな形であってもAppleを売り出したい取締役たちは、そのあまりにも遅いIBMの動きだけに目をとらわれてしまい、実際のIBMの過去の動向にはまったく気付いていなかった。最終的にはIBMとの交渉は決裂してしまい、その後にはフィリップスと1株36ドルで交渉を行うが、フィリップスの役員会であっさりと否決されてしまう。
1996年1月23日の株主総会で、Apple再建策としてマック互換機ライセンスビジネスの加速と人員削減による提案を行うが、株主から辛辣な言葉を浴びせられる。総会後の取締役会でサン・マイクロシステムズのスコット・マクネリも参加し、最後の買収交渉(1988年時とは異なりAppleが吸収される立場)が行われた。マクネリはApple1株につき23ドルを譲らず、買収交渉は頓挫。その後の取締役会で、スピンドラーは責任を取らされる形でCEOの座を下ろされた。
マイク・マークラを筆頭とするAppleの取締役会はスピンドラーの後任として、かつて倒産寸前だったナショナルセミコンダクターを再建し、Appleの社外取締役にも就任していたギル・アメリオをCEOの座につけた。アメリオはのちに、「(アメリオを除く)当時の取締役の全員がAppleをどこに売り渡すかということしか考えておらず、Appleを再建することはみじんも考えていなかった」と語っている。大のMacintoshファンでもあったアメリオは、Appleを売ることしか考えていなかった取締役のほとんどに失望を覚え、Apple再建の道標となるべく一歩を踏み出した。
MacintoshのOSは、1984年の出荷以降、System 7まで大幅に強化改良されたものの、基本的な部分はほとんど進化していなかった。1990年代に入ると、マルチメディアやネットワークの時代を迎え、従来はミニコンや大型汎用機のOSの機能であったマルチタスク(プリエンプティブマルチタスク)、メモリプロテクション(メモリ保護)、仮想メモリ、ネットワーク機能を備えた“モダンOS”が、次世代のパソコン用OSに必要だと考えられるようになった。
Apple社内で未来志向の“オブジェクト指向OS”として計画された“Pink”は、最終的にIBMと共同で別会社Taligentを設立して開発が進められたが、要求仕様だけが膨らみ続け、道半ばで頓挫した。Pink OSの反省からやり直された新OSが1994年に発表された「Copland」で、System 7.x系と互換性を持たせつつ、革新的なGUI、暫定的なマルチタスク機能と暫定的に改良されたメモリ管理機能を提供し、メモリ4MBのMac Plusでも動作するほどコンパクトというふれこみであったが、その開発は難航し、公開の延期を繰り返した。
1996年7月、新たにAppleの最高技術責任者(CTO)となったエレン・ハンコックは、Coplandが完成する見込みがないと判断を下し、開発の中止を命じた。Appleは次期Mac OSとなる新たなOSを外部から調達することを決定し、候補としてマイクロソフトのWindows NT、サン・マイクロシステムズのSolaris、IBMのOS/2、BeのBeOSなどを挙げて調査と交渉を行った。なかでもBeOSこそ本命と噂されていた。1996年中ごろには、BeとAppleの買収交渉が本格的に始まった。ガセーは1億ドルを要求したが、Appleは5000万ドルと見積もっていた。アメリオはこのBeOSに高い関心を寄せていたが、BeOSは未完成でAPIが整備されておらず、BeOSを買収したとしてもMac OSとして出荷できるようになるまでには数億ドルの投資と、数年にもわたる歳月が必要だと見積もられていた。なかなかBeOSの売り込みが進まないBe社は、Mac互換機メーカーだったパワーコンピューティングにBeOS開発版である「BeOS PreviewRelease」をライセンスするなど、挑発的とも取れる行為をするようになった。
1996年の11月ごろ、公表されてはいなかったが、NeXTはハードウェアから撤退し創業以来初の黒字となっていたものの経営状態は良好とはいえず、スティーブ・ジョブズはNeXTを売却する目論見の元、IPOを計画していた。同時期にAppleが次期OSを外部に求めているという話を知ったNeXTのプロダクトマネージャであったジョン・ランドアーはセールス担当副社長のミッチ・マンディッチから支持を取付け、彼から指示されたチャンネルマーケティングマネージャのギャレット・ライス は、最初はジョブズに何も言わずAppleに電話してエレン・ハンコックに打診。折り返しの連絡を受け、その数日後の11月26日に、NeXTにAppleのエンジニアが派遣されて会議を行った正にその日、ジョブズはApple役員とハンコックに対してOPENSTEPとNEXTSTEPを売り込んだ。ジョブズは12月上旬に、1985年以来初めてApple社内に入り、アメリオら首脳陣と話し合った。12月10日にはBeOSとOPENSTEPの比較プレゼンテーションがあったが、勝利を確信していたガセーがほとんど事前準備をしていなかったのに対し、周到に準備をしたジョブズがカリスマ的なプレゼンテーションを展開し、ガセーは敗れ去った。12月20日にAppleがNeXTを4億ドルで買収することを発表し、次期OSの基盤技術としてOPENSTEPを採用すると発表した。
1997年2月に正式にNeXT買収が成立し、アメリオの要請もありジョブズとウォズニアクはAppleに非常勤顧問という形で復帰した(同時に、NeXTのセールス担当副社長ミッチ・マンディッチ、ソフトウェア技術担当副社長アビー・テバニアン ハードウェア技術担当副社長ジョン・ルビンスタインが重役としてAppleに加わる)。このとき、アメリオからプレゼントされた20周年記念Macintosh(Spartacus)を窓から投げ捨てたという噂がまことしやかに囁かれた(ちなみにウォズにもこの記念すべきMacintoshがプレゼントされた)。
Appleに復帰したジョブズは、同年6月には一度はAppleの先行きを悲観し株式を手放したが、経営混乱の責任を取るよう取締役を巻き込み、アメリオを追いつめる。同年7月9日にアメリオとハンコックが辞任に追い込まれたあとは、執行副社長兼CFOのフレッド・D・アンダーソンが短期間を暫定的に経営を行い、その間にジョブズは復権していった。アメリオの辞任にともない、取締役会はジョブズにCEO就任を要請したが、ピクサーCEOとして多忙であることを理由に彼はこれを拒否して「責任がそれほど大きくない一時的なことであれば構わない」と言い、1997年9月には暫定CEOに就任した。
一方、アメリオによるリストラは、このころようやく成果を上げ始めていた。膨れ上がった研究開発費や一般管理費は大鉈をふるわれ、経費4億ドルと従業員4,100人が削減されていた。複雑になっていたMacのラインナップもPerformaを止めるなどで整理されつつあった。低迷を続けていたNewton事業を別会社に分離し、Apple本体はMacintoshに集中できるようになった。ジョブズが暫定CEOになった時点での赤字は10億4000万ドルで、大胆な業務縮小やリストラなどを強行しなければ、一時はあと90日で倒産という間際であった。(当時は約10,200名の従業員で、売り上げ年間71億ドル)
ジョブズは、その思惑通りに事を進めていくなかで、士気を上げるため従業員のストックオプションの引き下げを取締役会に提案した。しかし、取締役会がこれを否定すると、ジョブズは取締役全員に辞任を迫った。結局、マイク・マークラを含む取締役陣は、そのほとんどが辞任することとなる。代わりに、オラクルのラリー・エリソン、インテュイットのビル・キャンベルらを社外取締役に迎え入れ、取締役会はほぼジョブズ寄りのメンバーに再構成された。
これに前後し、CFOのフレッド・D・アンダーソンを除いて、1997年中にCEOやCTO以外にも、ATG閉鎖やイメージング部門などの事業整理とともに、多数の幹部がAppleから離職した。
COO兼セールス担当EVPのマルコ・ランディ、COOのジョージ・スカリス、マーケティング担当SVPのサジーブ・チャヒル、マーケティング担当SVPのゲリーノ・デ・ルーカ、ソフトウェア担当SVPのアイク・ナッシ、デベロッパーリレーションズ担当VPハイディー・ローゼン、セールス担当SVPのジョン・フロイサンド、Power Macintosh担当SVPフレッド・フォーサイス、チーフエヴァンジャリスト/Appleフェローのガイ・カワサキ、ATG担当VPのドナルド・ノーマン、ATG解散後のテクノロジーグループで短期間のVPだったリチャード・ルファーブル、研究開発担当VP兼チーフサイエンティストのラリー・テスラー、Appleフェローのアラン・ケイなど。
ジョブズは同年8月、マイクロソフトと特許のクロスライセンスおよび業務提携を結んだ(アメリオがビル・ゲイツと長らく交渉してきた中で頓挫した内容であった)。AppleはNetscape Navigatorに代わりInternet Explorerを標準ウェブブラウザとしてバンドルすることと引き換えに、マイクロソフトはMicrosoft OfficeをMacintosh用により一層最適化させ、さらにMacintosh版とウィンドウズ版を同時リリースするということである。さらにマイクロソフトはAppleに対し1億5000万ドルの出資(議決権のない株式を発行)を行った。そしてボストンで行われた1997年のMacworld Conference & Expoでは、ジョブズの基調講演の最中に衛星愛中継でゲイツがスクリーン中に登場し、それらの提携を発表することとなる。歴史的和解とも取れるこのコンピュータ業界の大物同士の両者の演出は、発表された提携内容よりも話題性の方が大きく報道され、関心の深い者にはよくも悪くも波紋を呼ぶ結果となった。
1997年9月にリリースされた「Mac OS 8」は久々の大ヒットとなり、Macユーザーの間に広く受け入れられた。Coplandプロジェクトやその次のGershwinのコンセプトさえも遥かにしのぐNeXTのOS技術を手に入れたことで、Mac OSの漸進的改良を進めるという開発方針が順調に進み、1998年にはMac OS 8.1をはさんでMac OS 8.5、1999年にはMac OS 8.6、Mac OS 9と、メジャーアップデートとマイナーアップデートが交互に半年ごとにリリースされた。これらはアメリオ/ハンコックによるプランをジョブズ/テバニアンが踏襲したものである。
かねてから開発が進んでいたPowerPCの新たな製品としては、低価格ながら従来のハイエンドチップを上回る性能を持つPowerPC G3を発表。モトローラとIBM、Appleの共同開発で進められたこの次世代チップは、新たなMacに搭載され、Power Macintosh G3として発売される。またG3の発表と並行して「赤字の元凶で共食い競争でしかない」とされたMacintosh互換機メーカへのMac OSライセンスを順次停止していくことも決定した。そのうちの1社であるパワーコンピューティング社を買収し、Apple自身がオンライン直販を行うことを決める。これがのちにApple Online Storeとして展開していくこととなる。
1997年11月には、分離されたNewton事業をAppleに戻す形で清算した。同じころ、Appleは“Think different” キャンペーンを大々的に開始する。この“Think different.”では各界の偉人・著名人をCMに起用し、Apple自身のイメージ転換戦略が計られた。
1998年、PowerBook G3を発表。複雑な曲線を多用した斬新なデザインは従来のPowerBookと一線を画すものであり、ジョブズの製品に対する美意識が現れた初めての製品としてMacユーザーの関心を呼んだ。同時期にAppleのソフトウェア部門の別子会社であったクラリスをファイルメーカー社と改名し、FileMakerの開発・販売に専念させ、クラリスワークスに代表されるその他のアプリケーションの開発・販売権をAppleに戻す決定もなされる。
2000年1月、ジョブズが復帰し業績を挙げた結果、2年半でAppleの市場価値が20億ドルから160億ドルへ急上昇した功績で、ジョブズには1000万株のストックオプションとビジネスジェット機ガルフストリームVの提供がAppleの取締役会により決定された。
ジョブズは1998年5月に、Worldwide Developers ConferenceでiMacを発表する。このiMacはポリカーボネイト素材をベースに半透明(トランスルーセント)筐体を採用した製品であった。このデザインの視覚的な訴求力と、ボンダイブルーなる青緑のカラーリングにマスコミはこぞって賞賛を送ることになる(デザイン界では意見は二分されたが、日本ではグッドデザイン賞を受賞した(1998年))。iMacの存在意義はそれだけでなく、単純明快なコンピュータであることを示すべく、それまでのSCSIインターフェースやRS-422シリアルポート、ADBなどを廃止し、当時のPC/AT互換機で採用が始まっていたUSBを新たに全面的に採用した。
さらに、ベージュや白だったコンピュータ業界を否定するようにトランスルーセントデザインを採用することで、ジョブズはこのiMacにも似合う周辺機器が開発されることを見越しており、サードパーティー各社はこぞって新製品や現行品の改訂版として同様の半透明素材を採用した製品を発表した。AppleはのちにこのiMacの改訂を行い、5色になったiMacは“Candy”と名付けられ、色名も「ブルーベリー」、「タンジェリン」、「ストロベリー」、「グレープ」、「ライム」の名称が与えられる。その後もカラーテーマを替えて人目を惹き、それに付随するようにiMac DVではスロットローディングタイプのDVD-ROMドライブを採用したり、Power Macintoshにしか与えられていなかったFireWireポートを採用したりすることでヒットを続け、iMacはAppleに久しぶりの大きな売り上げをもたらした。
iMacの特徴はそれだけでなく、初代Macintoshから続くコンパクトマックの特徴であった〈取っ手〉を復活させ、発表時にはiMacの画面に“hello (again)”と表示させていたことも、Appleの原点回帰を印象づける結果となった(初代Macintoshの発表時、その画面に“hello”と表示されていたことをふまえている)。
2017年6月6日、WWDC 2017にて、Mac史上最高性能を誇り、コントローラとしてApple T2チップを搭載した新アーキテクチャのiMac Proを発表。同年12月に発売開始。
Rhapsody(Mac OS X Server 1.0の前身の開発コード名)がサードパーティに受け入れられないと判断すると、Mac OSで用意されているAPIのうち、使用頻度の高い命令を抽出し、いくつかの新機能を加えたAPI CarbonをRhapsodyに統合した新OS、Mac OS Xへの移行が宣言される。Rhapsodyは暫定的にMac OS X Server 1.0としてリリースされ、PCIバスを持つPower Macintosh G3で動作した。
2000年9月13日には、Mac OS Xの初の公開版であるMac OS X Public Betaを発表、日本国内では3,500円で提供された。新たにAquaを採用し、Mac OS X Server 1.0ともMac OSともまったく異なる新しい外観を持っていた。
2001年3月24日、Mac OS X初の公式リリースであるMac OS X v10.0(Cheetah)が発売される。G3以降のMacを動作対象にしており、OPENSTEPで評価が高かった開発環境(Interface Builder・Project Builder)が標準で付属していた。Aquaは「Macらしさ」を重視して大きく改良されていたが、Mac OS 9にあった機能が多く省かれており、動作が非常に遅いという欠点があった。時を同じくしてAppleは、Macを核にさまざまなデジタル機器を連携させる「Digital Hub」という構想を打ち出した。
2001年9月25日、Mac OS X v10.1(Puma)を公式リリース、Mac OS X v10.0の登場からわずか7か月での発売だった。10.0からの無償アップグレードサービスが行われる。動作速度の問題が改善されたほか、10.0に欠けていたさまざまな機能が追加され、実用的に使える初めてのバージョンとなった。マイクロソフト、アドビなどから少しずつ対応ソフトがリリースされ始め、先進的ユーザから受け入れられる。
2002年8月24日、Mac OS X v10.2 Jaguarがリリース。動作速度がより向上し、細かい部分の使い勝手に多くの改良が施された。事実上、このバージョンが現在に続くMac OS Xの完成型と言える。このバージョンからMac OS Xのみが起動する(Mac OS 9をサポートしない)Power Mac G4, iMac G4, PowerBook G4, iBookが販売された。
2003年10月24日、Mac OS X v10.3 Pantherが発売された。 iPodの売れ行きの好調さ、デジタルカメラやデジタルビデオカメラ、無線LAN環境の普及により、パソコンの「Digital Hub」化の流れが定着した。Mac OS Xでも大手印刷会社への入稿受け入れが整ったため、遅れていたデザイン、出版分野への導入が徐々に進み始める。またライセンス使用料の追加がないクライアント無制限のMac OS X Server搭載の1UサーバXserve導入とディスクレスNetBoot機能が評価され、東京大学、東京女子大学に大量導入された。
2005年4月29日、Mac OS X v10.4 Tiger発売。システム内部が大きく進化した。セキュリティ機能が充実し、あおぞら銀行、神戸大学にNetBoot端末としてiMac G5が大量導入された。単体リリースはないが、このバージョンより、Mac OS XをIntel対応化した。
2007年10月26日にMac OS X v10.5 Leopardがリリース。300以上にも及ぶ新機能が搭載された。iPhoneのソフトウェア開発を優先させるため当初の予定から発売が延期された。
2009年8月28日、Mac OS X v10.6 Snow Leopardが発売され、Intel Macのみをサポートした初のバージョンとなった。Finder・QuickTimeがCocoa APIで全面的に作り直されるなどシステム全般にわたるブラッシュアップが行われるメジャーアップデートながら、シングルユーザライセンスは米国で29ドル、日本では3,300円と低価格で提供された。
2010年10月21日、Mac OS X Lion発表。Exposé・Dashboard・Spacesの各機能に統合されたアクセスを提供する“Mission Control”を搭載するほか、ソフトウェア販売サービス“Mac App Store”やフルスクリーンのウィンドウ表示、ランチャー“LaunchPad”などiOSに由来する機能を搭載。Mac OS X v10.5 Leopard以来の大幅な機能とインターフェイスの刷新となる。2011年2月24日には、公式サイトにさらなる新機能の説明が追加された。LaunchPadやAirdropなどを含む250を越える新機能を追加し、64ビットマルチコアCPU(Intel Core 2 Duo以降)のみをサポートする。7月20日にMac App Storeでダウンロード販売を開始した。8月17日には、USBメモリ版も発売された。
2012年2月16日、OS X Mountain Lion発表。メッセージやリマインダー、AirPlayをはじめとする100を越える新機能を追加。このリリースより、製品名から “Mac” が外され、単に “OS X” と呼ばれるようになった。
2013年6月10日、OS X Mavericks発表。このバージョンから無償提供になり、マップやiBooksなど200以上の機能が追加。このバージョンから実在の地名が使用される。
2014年6月2日、OS X Yosemite発表。iOS 8やiCloudとの緊密な連携を実現させている。
2015年6月9日、OS X El Capitan発表。UIにSplit View、グラフィックシステムにiOS同様の高速化を図るMetalを導入した他、日本語入力システムやフォントの充実など日本語環境を強化している。
2016年6月13日、macOS Sierra発表。このバージョンから、iOS、tvOS、watchOSに合わせた “macOS” という名称に変更された。MacでもSiriが利用可能になったほか、Apple Watchを使用したMacのロック解除、 ストレージの最適化機能などを導入した。
2017年6月5日、macOS High Sierra発表。Apple File SystemやHigh Efficiency Video Coding、High Efficiency Image File Formatなどを導入。
2018年6月4日、macOS Mojave発表。ダークモードの追加や、Mac App Storeの大幅なリニューアルなどを導入した。
2019年6月3日、macOS Catalina発表。同時に発表されたiPadOSとの連携や、iOS 12から搭載されたスクリーンタイムの追加、iTunesの廃止などを実施した。
2020年6月22日、初のオンライン開催となったWWDCにおいてmacOS Big Surが発表され、macOS バージョン11.0.1として、同年11月12日にリリースされた。
2021年6月7日、オンラインで行われたWWDC21でmacOS Monterey発表。AirPlayやFaceTimeの強化、「集中モード」などを導入。
2022年6月6日、オンラインで行われたWWDC22にてmacOS Venturaが発表された。iPhoneをMacのウェブカメラとして使用できる「連携カメラ」、ステージマネージャなどを導入、Metal 3によってゲームが高速化される予定である。
ジョブズは当時、iPodの開発者に「電源ボタンはなくせ」「3タッチ以内に全ての曲にたどり着けるようにしろ」などのジョブズらしい厳しい注文を大量にし、iPodを極力使いやすく、わかりやすい機器にしようとしていた。
その結果2001年、それまで主流だったフラッシュメモリ型とは一線を画す、大容量ハードディスクドライブ型携帯音楽プレイヤー『iPod』を発売。当初は価格の高さにより売れ行きを疑問視する声が少なくなかったが、ジョブズの注文による直感的な高い操作性と、管理ソフトiTunesとの抜群の連携機能もあり、徐々に売上を伸ばす。
当初はMac版しかなかったiPodであるが、のちにWindows版のiPodも発売される。その後、Windows用/Mac用といった区分けはされなくなり、Windows向けiTunesが提供されたころからヒット商品となる。そして廉価版ともいえるiPod miniを登場させたことで、爆発的にヒットする。
さらに2003年には、音楽配信サイトのiTunes Music Store(現在のiTunes Store)を開始。2004年には、iPodをヒューレット・パッカードにライセンスするなど、携帯音楽市場で、米国を中心に独占的な地位を確保するに至り、既存の音楽産業の構造を根本から変え、タワーレコードやHMVといった音楽CDショップが破産、米国の街中から姿を消した。
日本でも、ソニーのウォークマンを圧倒し、2003年以降一貫してデジタル携帯音楽プレーヤーのシェア1位となる。iPod miniの後継モデルとしてiPod nano、また「シャッフル再生」というコンセプトをメインに据えることにより、低価格化とより一層の小型化を実現したフラッシュメモリ型のiPod shuffleも発売され、人気を博した。
iTunes Music Storeは日本においては、2005年8月4日より開始された。登録楽曲数100万曲、1曲150円か200円という低価格で始まり、開始よりわずか4日で100万曲ダウンロードを達成する。ポッドキャストと呼ばれる新しいデジタル配信媒体を構想し、テレビよりも技術革新が進まないラジオのデジタル化に革新をもたらすことが期待されている。
iPodが登場した当初は、現状のような大成功を収めると思っている関係者が多かったわけではない。初期には価格の高さ、利用にはパソコンが必須となるコンセプトが理解されなかったことにより、懐疑的な意見が多くあった。しかし2001年前後にAppleが提唱していたコンセプト「デジタルハブ」(多くのデジタル機器の中心にパソコンを据えるというコンセプト)構想が時宜を得て、iPodは携帯型音楽プレイヤーの代名詞となった。
2007年1月9日、Appleは新製品iPhoneを発表し、スマートフォン市場へ進出した。同年6月29日米国で発売。iPhoneは高機能携帯電話+iPod+インターネット端末と発表され、マルチタッチスクリーンなど先進的でユニークなデザインが話題を呼び、世界的な話題となった。
当初よりiPhoneのOSはMac OS Xベースであるとされ、2008年6月にはOS X iPhone SDKが公開される(名称は“iPhone OS”、“iOS”と変遷)。2008年6月9日には、第三世代通信規格のUMTS、高速通信のHSDPAやA-GPSに対応したiPhone 3Gが発表された。この機種より日本でも発売されている。
その後も年1回のペースで改良を重ね、ブランド、売上において同社の主力製品となっている。
iPhoneの販売店での取り扱いに際してルールが設けられており、その中でも特質すべきは、コストはかかっても妥協しない、ブランド力を高める展示方法である。具体的には、最新のiPhoneとAndroidスマートフォンを横に並べ、性能や機能を比べるといった展示がNGであるというような、「iPhoneは他メーカーの製品と並べてはいけない」という決まりがある。ほかには、掲示できるポスターや展示の装飾、プライスカードまでも専用のものを使うようにいわれており、これらの決まりを守れないと、その店舗でのiPhoneの取り扱いを停止される。これはAppleの重要なマーケティング戦略、ブランドエクィティと密接に関係しており、強みを活かす姿勢である。
2010年1月28日、Appleは新製品iPadを発表し、タブレット分野に進出した。製品発表会において、スティーブジョブズはiPhoneとMacBookの間となるものと位置づけていると語った。また、米国内で発売される当端末にはiBooksが搭載され、iBookStoreを開設し電子書籍分野にも進出することを発表した。
2012年10月24日の製品発表会で手のひらサイズに小型化したiPad miniを発表。同時に、iBooksとiBooks Authorのバージョンアップを発表し、教育現場におけるiPad活用をアピールした。
iOS 12まではiPhoneと同じオペレーティングシステムを採用しており、多くのソフトウェアはiPhoneと互換性がある。2019年6月3日のWWDC 2019で、macOS Catalinaとともに、iPad専用のiOSベースのオペレーティングシステムとして、iPadOSが発表された。
2011年1月18日、ジョブズが病気を理由に休職することが発表された。日常業務は前回(2009年前半)同様ティム・クックCOO(最高執行責任者)に任せるが、CEOにはとどまり、大きな戦略的決定には関与するとしている。
2011年8月24日、取締役会に辞表を提出してCEOを辞任。取締役会の承認を受けて会長職へつく。ジョブズが会長就任後、CEOは当時COOのティム・クックが後を継いだ。
ジョブズがCEOを退任する8月には、Appleは時価総額で世界トップだったエクソンモービルを抜き、世界最大の企業となっていた。
2011年10月5日、スティーブ・ジョブズ死去。56歳没。同日同社の公式サイトでは、すべての言語のTOPページにジョブズのモノクロ写真が掲載され追悼を行った。
Appleは2011年8月に株式の時価総額で世界最大企業となった後、2018年8月2日に民間企業として世界で初めて時価総額1兆ドルに到達した。その後も業績を伸ばし続けた結果、2020年8月19日に時価総額2兆ドルを超え、2022年1月3日に世界で初めて時価総額3兆ドルを超えた。
2014年以降、AppleはIBMとのパートナーシップを結んだことを皮切りに、法人向けのサービスや異業種との提携を相次いで発表。一般消費者向けと法人向けの両市場で拡大を図る米Googleや米Microsoftへの対抗を意識し、法人向けビジネスのシェア拡大を推進している。2015年には米ビジネスコンサルティング大手デロイトとの法人向け販売の強化、2016年にはドイツの大手ソフトウェア企業SAPと組んで法人向けクラウドサービスへの参入や人工知能の業務への活用、米通信機器大手シスコシステムズの製品と連携可能にする、2017年には多国籍コンサルティングファームのアクセンチュアとパートナーシップを結ぶなど、法人市場におけるシェア拡大に取り組んでいる。
Appleは、2004年から同社の使命として環境のページを運用してきたが、2014年に環境への取り組み担当VPとしてリサ・ジャクソンを採用し、環境に対する取組みを加速させる。2018年に自社施設の再生可能エネルギー利用率100%を達成したのち、取引先企業を含めた100%を目指し再生可能エネルギーの利用(RE100プロジェクト参加)とリサイクルを促進している。米国内では、ノースカロライナ州、オレゴン州、ネバダ州、アリゾナ州、カリフォルニア州で、大規模な太陽光発電など再生可能エネルギー事業へ投資している。また、中国での太陽光発電事業を支援・促進し、デンマークのデータセンターは再生可能エネルギーだけを利用する。
Appleは製品のリサイクルを積極的に行い、リサイクル素材利用を推進している。
2009年から手掛けられ2011年にスティーブ・ジョブズ前CEOの元で公表され進められていた新本社Apple Campus 2(当時)について、2017年2月に同年4月より6か月をかけて移転が行われること、名称はApple Parkと発表した。2018年2月16日に本社所在地住所もApple Park (One Apple Park Way, Cupertino, CA 95014)へ変更された。
1993年から2017年までApple Campus (1 Infinite Loop, Cupertino, CA 95014)が本社所在地であった。2023年現在も開発拠点として健在であり、元々のThe Company Storeは、2015年9月19日からApple StoreのApple Infinite Loopとして生まれ変わって営業を続けている。
以前からテキサス州オースティンには、サポートやトレーニングなどを担当するオペレーションセンターがあった。2022年までには10億ドルを掛けて拡張したキャンパスで、新たに15,000人を雇用する開発、サポートの一大拠点となる。
2018年、Apple Parkの北側、約7kmの地点、サニーベールに建設されたAppleのカリフォルニア州第3拠点。
本社のあるクパチーノ市内、Apple Parkから南西5kmほど、2011年から賃貸していた10棟のビルと敷地を2022年12月に買い取った、研究拠点の一つ。
サンディエゴ郊外に新たにキャンパスを購入し、新たに5,000人を雇用する開発拠点を予定していると2022年7月に報じられた。
2021年からノースカロライナ州リサーチ・トライアングル・パークに、10億ドル投資して新しいキャンパスを作り、2023年より3000以上のポジションで雇用する予定。
カリフォルニア州アーバインにある無線チップの開発拠点。
2015年から、ドイツのバイエルンデザインセンター(Bavarian Design Center )で350人以上のエンジニアが電源管理ユニットチップなどの半導体の開発に携わっている。
2019年から、ドイツのナーベルンに半導体開発拠点を設置している。
2021年3月10日、Appleは、既に40カ国から1500人のエンジニアが開発に携わっているドイツのミュンヘン中心部の拠点に、3年間で10億ユーロ以上を投資して欧州シリコンデザインセンター(European Silicon Design Center in Munich)を開設することを発表した。2023年3月2日には、さらに追加で10億ユーロの投資による、M2 Pro, M2 Maxを開発した欧州シリコンデザインセンターの拡張を発表した。
Appleでは、Anobit Technologies, Prime Sense, RealFace, LinX, Cameraiなどイスラエル企業を買収し、2000人を超えるエンジニアがソフトウェアとハードウェアを開発している。Apple M1もイスラエルの下記R&D拠点で開発された。
Appleの100%再生可能エネルギーで稼働しているデータセンターは米国内外に存在している。
米国内では下記の箇所にある。
さらにアイオワ州Waukeeで建設し、2020年稼働開始目標であったが、大幅に遅れ2027年開始を目標とされている。また米国外ではデンマークViborgで稼働中である。なお、デンマークAabenraaでの計画は2019年6月に、アイルランドAthenryでの計画は2018年5月にキャンセルしている。またAppleはAWS、Google Cloud、Microsoft Azureをはじめとする他社のデータセンターも利用しており、中国においてはGuizhou Cloud Big Data Industrial Developmentのデータセンターを利用してきたが、貴州省に最初の自社データセンターを建設し2021年5月より稼働させている他、第2データセンターが内モンゴル自治区ウランチャブ市に建設される。
Appleはコンテンツデリバリネットワークとして、1999年からアカマイやLevel 3を中心に利用していたが、2014年から自社CDNの運用を開始、併用している。
初代Macintoshには、CPUとして当時のモトローラによる68000シリーズが利用されていた。モジュール構造で拡張バスNuBusを採用したMacintosh IIからはMC68020など、32ビットCPUを利用するようになった。1992年にIBMとモトローラとの提携したことにより1994年からPowerPCを採用したPower Macintoshシリーズを発売する。当初のPower Macintosh 6100、7100、8100シリーズはNuBusアーキテクチャを引き継いでいたが、1995年夏にはPower Macintosh 7500、8500、9500シリーズよりPCIアーキテクチャに刷新される。PReP、CHRPといった計画の破棄を経てもPower Macintosh G3、Power Mac G4、G5と順調に見えたPowerPCを採用したMacは、約束の速度(PowerPC G5で3 GHz)や省電力版のPowerPC G5が開発されずPowerBook G5が出せないことで、2006年に終焉を迎えIntel X86へと移行し、手始めにiMacやMacBook ProにCore Duoが採用される。2020年6月、Macの大きな飛躍を果たすとしてAppleシリコンへの移行が発表される。同年11月には、ARMv8.6ベースのApple M1を搭載したMacBook Air、MacBook Pro、Mac miniがリリースされた。
「beats by dr.dre」ブランドの製品はビーツ・エレクトロニクスを参照
1976年4月1日の創業時の社名は“Apple Computer Company”(アップルコンピュータ・カンパニー)であった。1977年1月3日に法人化されて以降は30年にわたり“Apple Computer, Inc.”を名乗っていたが、2007年1月9日(PST)に主力事業の変化を反映させ、現社名の“Apple Inc.”に改称した。
“Apple Computer”という社名の由来については諸説が存在しているが、ジョブズ本人の弁によれば、この名前は当時果実食主義を実践していた自分がリンゴ園から帰ってきた直後に思いついたものであり、言葉の響きとして「楽しげで、元気がよく、威圧的でない」と考えて採用したのだという。一方のウォズニアックは、この社名はジョブズが提案してきたもので真意は不明だとしたうえで、「彼は音楽を好んだので、アップル・レコード(ビートルズのレコード会社)から思いついたのかもしれない」と述べている。
Appleにとって最初のロゴマークは創業者の1人であるロナルド・ウェイン(英語版)がデザインしたもので、リンゴの木に寄りかかって本を読んでいるアイザック・ニュートンを描いていた。しかしこれでは堅苦しいと考えたスティーブ・ジョブズは、1977年にレジス・マッケンナ社のアートディレクター、ロブ・ジャノフに新しいロゴマークのデザインを依頼する。最初はモノクロだったが、ジョブズがApple IIのカラー出力を印象づけるためカラー化を指示し、6色の横縞が追加された。横縞のないモノクロのロゴも、マニュアル、製品包装などの白黒の印刷物に引き続き使用された。
1985年、芸術家でポップアートの旗手として有名なアンディ・ウォーホルは、Appleとのコラボレーションにより6色AppleのMacintoshロゴマークをモチーフにした作品「APPLE」を発表。晩年の代表作である。
1997年にジョブズが暫定CEOとしてAppleに復帰すると、黒のボディに白抜きの大きなAppleロゴを大胆にあしらったPowerBook G3を発表。続いて1998年に発表されたiMacでは、従来のApple製品に長らく採用されていた6色に塗りわけられたロゴは外装には使われず、立体的にデザインされた単色ロゴを採用し、新生Appleを人々に強く印象づけた。1999年以降は、6色ロゴはまったく使われなくなり、単色のロゴが使用されている。
その後、2017年に公開されたiOS 11では、端末内にあるデフォルトの壁紙の中に、上記の6色ロゴと同じ配色の斜め線が施された壁紙が7種類用意されている。
また、2021年に公開された24インチiMacのcmでは、最後のアップルロゴが6色になっている。
なお、ロゴが6色だった時代から、Apple製品にはステッカーが同梱されている。
コンピュータ企業には多い傾向だが、特にいわゆるWintelに対して挑戦的なCMを製作する。IBMがパソコン業界に参入したときは「Welcome!」と出迎え、ファイル名が8.3形式の文字の制限が緩和されたMicrosoft Windows 95の発売に対し、広告で『C:\ONGRTLNS.W95』(「congratulations Windows 95」を8.3形式で無理矢理表現したもの)と皮肉った祝辞を送り、発熱量の多いインテルチップが高温で燃えるようなCMも作っていた。
そんなAppleのCMで、とりわけ話題になったものがある。それは、1984年のスーパーボウルの試合中に放送された「1984」である。内容は、「1984年1月24日、Apple ComputerはMacintoshを発表いたします。そして我々は、1984年が『1984年』に描かれているような年にならないということをお目にかけましょう...」というものであった。このCMは、映画「エイリアン」や「ブレードランナー」、「ブラック・レイン」などを手がけた監督・リドリー・スコットによるもので、ビッグ・ブラザーなる独裁者をIBMに見立てており、闇を支配する独裁者を打ち砕くという内容だった。センセーショーナルなこのCMは、数々の賞を総なめにした。このCMは、スーパーボウルで1度だけ放映されたものだが、実際には、その話題性から放映後、ニュースなどで繰り返し流されることになり、結果的にAppleはCM料を払わずに宣伝していたことになる。なお、のちに期間限定で蘇っており、同CM中では独裁者を打ち砕く女性がiPodを身につけている。
2006年より、アメリカ合衆国およびヨーロッパで、“I'm a Mac”、“I'm a PC”の台詞から始まるGet a Macと呼ばれるCMを放映していた。それには、カジュアルな服装のMac役のジャスティン・ロングと背広にネクタイのPC役のジョン・ホッジマン(英語版)との2人のショートコント仕立てで、Microsoft Windowsとの比較広告を行っていたもので60編以上ある。ほかの国では、基本的に米国版(フランス・ドイツ・イタリアでは各言語に吹き替えられている)を流していたが、日本とイギリスでは別制作のCMを放映した。日本ではコンセプトを継承しつつ、お笑い芸人ラーメンズ(Macが小林賢太郎、PCが片桐仁)を起用したものとなり、内容は基本的に米国版を踏襲している。このCMは米国版のうちの十数編のみのローカライズであるが、いずれもPCのコンピュータウイルスに対する脅威(Macではウイルスがないような表現をしている)、マルチメディアへの弱みを皮肉る内容である。
Appleによって運営されている直営の販売店および技術サポート拠点。2018年8月現在、世界24か国に500店舗以上がある。日本には10店舗が出店されている。
2016年、Appleは各店舗の名称から“Store”表記を削除し、単に“Apple”とした。
iPhone・iPadを例として挙げた場合、基本的にキャリアショップでの修理受付は行っていない(一部の直営店舗を除く)。
その代わり、Apple製品の正規サポートについて、直営店舗Apple Store内にある修理受付の「Genius Bar」、Appleリペアセンターへの送付、Appleと契約している「Apple正規サービスプロバイダ」で行っている。
「Apple正規サービスプロバイダ」については、修理を担当するスタッフが認定資格を取得していること、Appleが要求する店舗が用意できるなどの基準を満たしており、Appleの保証を使って修理することができる。料金については、運営する事業者により異なっている。
また、製造終了から5年以上7年未満の製品を「ビンテージ製品」とし、一部の国を除いてサポートを終了。7年以上の製品を「オブソリート製品」として、すべての技術サポートを終了している。
Apple Japan合同会社(英: Apple Japan, Inc.)は、Appleの日本法人である。2011年に、有限会社アップルジャパンホールディングスから改称した。
当初の日本法人は、1983年6月21日にアップルコンピュータジャパン株式会社として設立され、その後1992年2月にアップルコンピュータ株式会社に、さらに2007年3月1日にアップルジャパン株式会社へと商号変更された。
2011年10月30日に、アップルジャパン株式会社はApple Japan合同会社を存続会社として吸収合併されて消滅し、現行の体制となった。
設立当初は、赤坂ツインタワービル本館に入居していた。1992年2月から1996年10月までの所在地は東京都渋谷区千駄ヶ谷。同年11月以降2013年4月までは東京オペラシティタワーに本社を置く。2013年5月7日以降、六本木ヒルズ森タワーに本社を置いている。
JDCが重点的に取り組んでいることとして、アナログおよびミックスド・シグナル半導体デバイスの設計が挙げられている。
日本での開発拠点として、2015年度に横浜市・みなとみらい地区の横浜アイマークプレイス内に「テクニカル・デベロップメント・センター(TDC)」を設置した。
2016年12月には横浜市綱島のTsunashima サスティナブル・スマートタウン内に、本格的な研究開発施設となる「Apple YTC(横浜テクノロジーセンター)」が完成している。 YTCが重点的に取り組んでいることとして、カメラ用光学系、光学コーティング技術、プロセス開発、ディスプレイパネル技術などの開発が挙げられている。
日本法人設立前のApple II 時代は代理店は数社あり、文京区本郷にあるESDラボラトリが最大手で、BMCインタナショナルなどが日本語マニュアルなどを作成して販売していた。日本語版Apple II であるj-plusを投入する際に、Apple本社は両社を切り、東レを総代理店とした。
数年後、東レからアップルコンピュータジャパン設立委員会に移管し、日本法人が設立されるまで、キヤノンの子会社であるキヤノン販売(現・キヤノンマーケティングジャパン)がほぼ総代理店を務めていた。
日本法人設立後も、キヤノン販売(ゼロワンショップ)でのMacintosh独占販売はしばらく続いたが、一般消費者向け量販シリーズであるPerfomaシリーズ発売の1993年ごろに大手家電量販店に販路を拡大、Macintoshの販売はこちらが主体となり、キヤノン販売は2002年ごろまでにApple製品を含む一般向けコンピュータ販売事業(ゼロワンショップ)から撤退した。
1999年12月7日、AppleはiMacやiBookの販売価格を小売店に指示したという独占禁止法の違反容疑で公正取引委員会から立ち入り調査を受け、2000年10月3日には独占禁止法違反の疑いで警告を受けている。
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"text": "Apple Inc.(アップル)は、アメリカ合衆国の多国籍テクノロジー企業である。カリフォルニア州クパチーノに本社を置く。デジタル家庭電化製品、ソフトウェア、オンラインサービスの開発・販売を行っている。",
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"text": "ハードウェア製品としては、iPhone、iPad、Mac、Apple Watch、HomePod、AirPodsなどの開発および販売を行なっている。ソフトウェア製品としてはApple Music、Apple TV+、Apple Arcade、 Apple Fitness+、Apple Podcast、Apple Books、App Store、iTunesなど広範囲のデジタルコンテンツ販売などを行っている。また、iCloud、iCloud+などのクラウドサービスも提供している。",
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"text": "Appleの全世界での年間収益は、2020年度には2745億ドルとなった。Appleは売上高で世界最大のテクノロジー企業であり、2021年現在で世界で最も価値のある企業である。販売台数で世界第4位のパソコンメーカーとなっており、2021年のスマートフォン市場では、出荷台数第2位、売り上げシェア第1位となっている。2022年1月、Appleは全世界の上場企業として初めて時価総額3兆ドルを超えた企業となった。また2022年5月11日時点での時価総額は約307兆円で世界2位。Appleは、2022年末時点で16万4000人の正社員を雇用し、26か国に526の直営店を展開している。また、同時期のApple製品利用台数は全世界で16億5000万台以上であり、2021年8.5%のシェアであったMacの出荷台数は2,895万台以上と1年間で28%増加し、史上最高であった。",
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"text": "Apple Inc.は1976年4月1日、スティーブ・ジョブズとスティーブ・ウォズニアック、およびロナルド・ウェイン(英語版)の3名により創業された。創業時の名称は\"Apple Computer Company\"であり、ウォズニアックが開発したコンピュータ「Apple I」を販売するためのパートナーシップであった。1977年1月には\"Apple Computer, Inc.\"(アップルコンピュータ)として法人化し、その後「Apple II」をはじめとするコンピュータの販売が急速に拡大した。",
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"text": "1980年代には、1984年発売の初代「Macintosh」に代表されるように、革新的なグラフィカルユーザインタフェース(GUI)を採用したコンピュータを次々と開発した。Macintoshは当初成功していたが、IBMのシェアを追い抜くことはできず、ジョブズは経営陣や取締役会との関係が悪化し、1985年にMacintosh部門から解任されAppleを離れた。同年にはウォズニアックも円満にAppleを退社した。その後、ジョブズはAppleの一部の同僚を連れてNeXT社を設立した。",
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"text": "1990年代に入り、パソコンの市場が拡大・発展していく中で、AppleはインテルのCPUにマイクロソフトのWindowsを搭載(Wintel連合)した低価格帯の製品に押され、シェアを失っていった。取締役会はギル・アメリオをCEOとして起用し、レイオフ、経営陣のリストラ、製品の絞り込みなど、財政的に問題を抱えた会社を立て直そうとした。アメリオは失敗したOS戦略を解決しようと、1996年12月にAppleがNeXTを買収、ジョブズを呼び戻した。",
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"text": "ジョブズは1997年9月に暫定CEOに就任した。Appleは「Think different」キャンペーンを展開し、iMacの販売で黒字化を達成した。2001年にはiPodの発売、直営店のApple Store開店など、Appleブランドを再構築した。2007年にはデジタル家庭電化製品への注力を反映させ、社名を「Apple」に変更した。また、同年にiPhoneを発売し、高い評価と経済的成功を収めた。2011年8月、ジョブズは健康上の理由でCEOを辞任し、ティム・クックがCEOに就任した。その2か月後、ジョブズは死去した。",
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"text": "スコット・ギャロウェイの著書『The Four: The Hidden DNA of Amazon, Apple, Facebook, and Google』の翻訳本に日本独自でつけられたタイトル『the four GAFA 四騎士が創り変えた世界』から、GAFAという呼称でまとめて呼ばれ、Amazon、Facebook、Googleとともに世界的な巨大企業のひとつであるとの認識が広がっている。",
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"text": "1975年、大学を中退しアタリの技術者として働いていたスティーブ・ジョブズと、その友人でヒューレット・パッカード(HP)に勤務していたスティーブ・ウォズニアックは、シリコンバレーのコンピュータマニアによる「ホームブリュー・コンピュータ・クラブ(HCC)」の会合に頻繁に参加していた。ウォズニアックは、HCC内で高く評価されていたマイクロプロセッサであるIntel 8080の代わりに、安価なMOS 6502を処理装置とするコンピュータの自作を開始し、1976年3月までにApple Iの原型となるコンピュータを独力で完成させた。ウォズニアック自身はこのコンピュータの回路図をHCCにて無料配布することを望んでいたが、ジョブズはその商業的可能性に興味を抱き、このコンピュータを利用してビジネスを始めるべきだと訴えた。2人は当初、それぞれの勤務先であるHPとアタリに製品化を提案したが却下されたため、自ら起業して基板(プリント配線板)の製造・販売を行うことにした。",
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"text": "1976年4月1日、ジョブズとウォズニアックにロナルド・ウェイン(英語版)を加えた3人は、共同で「Apple Computer Company(アップルコンピュータ・カンパニー)」を創業した。アタリで製図工として働いていたウェインは、株式の10パーセントを持つことを条件としてジョブズに誘われ会社に加わった(ジョブズとウォズニアックはそれぞれ45パーセントの株式を所持した)。ウェインはApple社の最初の製品であるApple Iのマニュアルを作成したほか、リンゴの木とアイザック・ニュートンが描かれた最初期のロゴマークをデザインした。1977年、スティーブ・ジョブズからの依頼により、ロブ・ジャノフ(英語版)が欠けたリンゴのロゴマークをデザインした。",
"title": "歴史"
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{
"paragraph_id": 11,
"tag": "p",
"text": "個人以外の販路を求めたジョブズは、マウンテンビューのコンピュータ店「バイトショップ(Byte Shop)」の経営者ポール・テレル(英語版)にApple Iを売り込んだ。強い興味を持ったテレルはすぐにApple Iを50台注文し、納品時に1台につき500ドル(合計2万5000ドル)を現金で支払うと約束したが、テレルが注文したのはApple Iのプリント配線板ではなく、パーツがすべて装着済みの完成品だった。手持ちの資金では必要な数の部品が購入できなかったため、ジョブズらは部品サプライヤーを説得して30日間の支払猶予つきでパーツを購入し、懸命な作業で29日後には50台のApple Iを完成させ、テレルの店に納品して約束の代金を受け取った。",
"title": "歴史"
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{
"paragraph_id": 12,
"tag": "p",
"text": "Apple Iは1976年7月から希望小売価格666.66ドルで市販され、最終的に約200台が製造された。創業者の1人であったウェインは、ジョブズの野心的な経営方針に不安を抱いたため、800ドルを受け取って所有する株を放棄し、1976年4月12日にAppleを自主退社した。",
"title": "歴史"
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"paragraph_id": 13,
"tag": "p",
"text": "テレルとの取引で手応えを得たジョブズは事業拡大を望み、そのために多額の資金が必要となった。ジョブズはセコイア・キャピタルの創業者ドン・バレンタインに会って融資を求めたが、バレンタインはApple Computerへの投資に興味を持たず、代わりに自分の元部下で、個人投資家として財を成していたマイク・マークラを紹介した。マークラはジョブズの野心とウォズニアックの技術的才能に心を動かされ、1976年11月からAppleに加わった。マークラは自分の個人的資産から9万2000ドルを投資したほか、バンク・オブ・アメリカから25万ドルの信用供与を確保した。",
"title": "歴史"
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{
"paragraph_id": 14,
"tag": "p",
"text": "1977年1月3日に法人化され、Apple Computerとなった。マークラはAppleの成長には経験豊富な経営者が不可欠と考え、ナショナル セミコンダクターから元同僚のマイケル・スコット(英語版)を引き抜いて初代社長兼CEOの座につけた。スコットは1977年2月からAppleでの仕事を始め、社員番号を入れた社員証を発行するなど、会社をより組織的にするための施策を実行した。他方、ウォズニアックはApple Iの改良を着々と進めており、1976年8月末の時点で後継機となる「Apple II」のプロトタイプを完成させていた。",
"title": "歴史"
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{
"paragraph_id": 15,
"tag": "p",
"text": "Apple IIは1977年4月16日にウェスト・コースト・コンピュータ・フェアで発表され、小売価格1,298ドルで発売された。Apple IIの販売は当初から好調だったが、1978年7月に発売された専用フロッピーディスクドライブ「Disk II(英語版)」と、1979年10月に発売された専用の表計算ソフト「VisiCalc」が大ヒットを記録し、Apple IIの販売台数が大幅に増加した。1980年には設置台数で10万台、1984年には設置ベースで200万台を超え、Appleに大きな利益をもたらした。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 16,
"tag": "p",
"text": "1980年12月12日、Apple Computerは新規株式公開(IPO)を行い、1956年に自動車会社フォードが行ったIPO以来となる記録的規模の資金調達を果たした。このIPOにより、ジョブズは約2億5600万ドルの個人資産を手に入れた。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 17,
"tag": "p",
"text": "株式公開に先立つ1980年5月、Appleはビジネス向けに特化されたApple IIIを発表し、巨大企業IBMに商用コンピュータ市場で挑戦を仕掛けたが、4,340–7,800ドルという価格設定の高さと、ハードウェアの設計上の欠陥がわざわいし、Apple IIIは極度の販売不振に陥っていた。他方、IBMは1981年8月にIBM PCを発表してパーソナルコンピュータ市場へ参入し、AppleとIBMの競争は激化した。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 18,
"tag": "p",
"text": "ジョブズは1979年12月にゼロックスのパロアルト研究所(PARC)を見学しており、そこで見たマウスによって操作される先進的なグラフィカルユーザインタフェース(GUI)に強い印象を受けた。ジョブズは当時Appleで開発中だった次世代コンピュータ「Lisa(リサ)」にPARCで目にしたようなGUIを実装することを決意し、設計への介入を強めたが、Lisaプロジェクトはジョブズの過剰な介入によって混迷することとなり、ジョブズはスコットら経営陣の判断で1980年9月にLisaの開発チームから外された。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 19,
"tag": "p",
"text": "1981年、ジョブズとの対立を深めたスコットは社長兼CEOを辞任することとなり、同年7月にはAppleを去った。1981年3月からはマークラが暫定的にCEOとなっていたが、ジョブズはスコットの後任としてマーケティングに優れた経営者を連れてくる必要に迫られた。1983年、ジョブズはペプシコーラからジョン・スカリーを引き抜いてAppleの新CEOに就けたが、スカリーを説得する際にジョブズが用いた「このまま一生、砂糖水を売り続ける気なのか?世界を変えるチャンスに賭けてみる気はないのか?」というフレーズはのちに有名となった。他方、開発の遅れたLisaは1983年1月にようやく発売された。Apple IIIの販売不振が続き、主力製品であるApple IIも次第にIBM PCにシェアを奪われる中で、GUIやマウスなど革新的機能を備えるLisaへのAppleの期待は大きかったが、9,995ドルという極端な高価格とソフトウェア互換性の欠如がユーザーを遠ざける結果となり、LIsaはApple IIIと同じく商業的な失敗作に終わった。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 20,
"tag": "p",
"text": "1980年秋にLisaの開発チームから外された後、ジョブズはジェフ・ラスキンが立ち上げた新型コンピュータ「Macintosh(マッキントッシュ)」のプロジェクトに参画した。Macintoshの開発は1979年9月に始まり、1,000ドル程度の安価な一般向けコンピュータというコンセプトの元で進められていたが、ジョブズはLisaに匹敵するGUIを持つ高性能なマシンへの方向転換を主張し、性能よりも価格の抑制を重視するラスキンとは激しく対立した。最終的に、ラスキンはジョブズとの争いに敗れて1981年1月にプロジェクトのリーダーを降りることとなり、1982年3月にはAppleを去った。Lisaプロジェクトに強い対抗心を抱いていたジョブズは、Macintoshの開発をApple本社とは独立したプロジェクトとして推し進め、「海軍に入るより、海賊であれ(It's better to be a pirate than to join the navy)」などと説いて開発メンバーの連帯感と反骨精神を鼓舞した。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 21,
"tag": "p",
"text": "長い開発期間を経て、Macintoshは1984年1月24日に発売された。2日前の1月22日には、第18回スーパーボウルの放送でリドリー・スコットによる有名なテレビCM『1984』がオンエアされており、Macintoshには大きな注目が集まった。AppleによってThe computer for the rest of usとして打ち出されたMacintoshは、一般向けPCとしては初めてマウス操作によるGUIを搭載しており、当初はメディアからの称賛を浴び、1984年4月末の時点で5万台を売り上げるなど販売も非常に好調だった。しかし、2,495ドルという価格が一般向けPCとしては高額であったことと、対応ソフトの不足がわざわいし、発売から数カ月が過ぎるとMacintoshの販売は停滞し始め、開発担当者であるジョブズとスカリーらApple経営陣との関係も悪化した。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 22,
"tag": "p",
"text": "スカリーはジョブズをMacintosh部門から降ろすことを決定し、1985年4月には取締役会から全会一致の承認を得た。この決定に反発したジョブズは、スカリーが中国に出張する隙に彼を解任することを画策したが、スカリーはフランス法人のトップであるジャン=ルイ・ガセーから事前にジョブズの計画について知らされ、出張をキャンセルし重役会議でジョブズと対峙した。会議では、その場に居たAppleの重役の全員がスカリーへの支持を表明し、その後取締役会もスカリーへの支持を表明したため、ジョブズは1985年5月31日に全ての業務から外され、何の実権も持たない会長職を与えられた。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 23,
"tag": "p",
"text": "1985年9月、ジョブズは当時所有していたAppleの株を1株だけ残して約650万株をすべて売却し、NeXT社を創立した。それと同時にスカリー宛てに郵送で辞職願を提出し、会長職も辞任した。2010年の記事で、スカリーは一番後悔していることとして、ジョブズを辞任に追い込んだことを挙げている。ウォズニアックもまた、別の事業を始めるため1985年前半に(ジョブズよりも先に)Appleを離れていた。その際、ウォズニアックはAppleがApple II部門を冷遇してきたことへの不満を表明し、会社が「過去5年間ずっと間違った方向に進んでいる」と述べた。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 24,
"tag": "p",
"text": "ジョブズとウォズニアックが去った1985年、AppleはMacintosh向けにキヤノンと共同開発したレーザープリンターであり、出資先のアドビシステムズ(現・アドビ)が開発したPostScriptを搭載したLaserWriterを発売し、コンピュータ上で描いた文字や絵を出力する際にドットの粗いディザを表示させることなく、きれいなアウトラインで出力することを可能にした。また、アルダス社(現・アドビ)の開発したPageMakerとMacintosh、レーザーライターを組み合わせることで、DTPという市場を創造した。精巧なタイポグラフィ機能を備えていたMacintoshは、DTP用コンピュータとして圧倒的な人気を博し、Appleは初期のDTP市場を事実上独占することに成功した。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 25,
"tag": "p",
"text": "ジョブズに代わってMacintosh部門のトップに立ったガセーは、55パーセントの利益率という目標を意味する「55か死か(fifty-five or die)」というスローガンを掲げてMacintosh製品の値上げを実行し、1980年代後半のAppleで高価格・高利益率路線を推し進めた。高価格で販売された「Macintosh II」などの新型モデルは高い利益率を提供し、DTP市場での人気を背景に当初は売上高にも減少は見られなかった。さらに、Appleは外部のソフト会社にMac用のソフト開発を説得する職種であるエバンジェリスト(宣伝部)を作り、ガイ・カワサキらを任命した。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 26,
"tag": "p",
"text": "スカリーは、Macintosh以外にAppleの柱となる製品が必要だと感じていた。スカリーはコンピュータの未来像としてKnowledge Navigatorというものを描いていた。これは、コンピュータがユーザの優秀な秘書をこなし、言葉や簡単なリモコン操作のみで自由自在に操れるというもので、この後の予定を教えてくれたり、電話を取り次いだり家にいながら会議を行ったりすることができる。Appleは、ナレッジ・ナビゲータを仮想ではない近未来のコンピュータとして提案した。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 27,
"tag": "p",
"text": "一方、スティーブ・サコマンはガセーの許可を受け1987年ごろにはNewtonと呼ばれる次世代コンピュータ開発のプロジェクトを開始していた。スカリーはこのNewtonに自身のナレッジ・ナビゲータを感じ取り、開発に力を入れるようになっていった。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 28,
"tag": "p",
"text": "1990年、スカリーはMac OS互換機(後述)およびニュートンの方向性をめぐってガセーと対立することとなる。ガセーを辞職させたあとサコマンも辞任し、スカリー自身は技術者でないにもかかわらずAppleのCTO (最高技術責任者)に着任した。ラリー・テスラーがNewton開発責任者となり携帯情報端末へと方向転換を行って、1992年、CPU にARMを採用し、スタイラスによる手書き認識などを実現したPDA、Newton MessagePadを発表した。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 29,
"tag": "p",
"text": "初代MessagePadはシャープと共同開発され、シャープにとってはのちのザウルスのヒットへとつながることとなる。世界初のPersonal Digital Assistant(PDA)という概念とともに発表されたMessagePadはNewton OSという独創的なOSを採用し、ペンデバイスで入力した文字をそのままテキスト文書として保存できることが特徴だった。それ以外にもフリーハンドで書いた文字や絵を保存する作業をせずに電源を落としても、電源投入後にはそのままの文字や絵を表示させることができ、紙のメモ帳にとって変わる新しいコンピュータの方向性を示したものといえる。しかし、ビジネスとしては失敗した。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 30,
"tag": "p",
"text": "Newtonと並行して、General Magicがマーク・ポラットをCEOとしてビル・アトキンソン、アンディ・ハーツフェルドが共同設立者となり、Appleの子会社として立ち上げられた。General Magicは、Knowledge Navigatorを具現化することを目論んだLooking Glass(野心的な小型携帯情報端末Personal Intelligent Communicator、PIC)プロジェクトが1990年、Appleからの出資に加え、AT&T、松下電器産業、モトローラ、NTT、フィリップス、ソニーの出資や提携を得てスピンアウトした会社である。出資提携先にはCable&Wireless、France Telecom、富士通、三菱電機、Northern Telecom、サンヨー、沖電気、東芝が加わった、1994年にソニーからMagic Linkが発売されたが、携帯情報端末としてのビジネス化は失敗して方向転換した。結果、Appleなどの持ち株は売却され、その後、破綻して知的財産はポール・アレンを筆頭とした複数の会社に取得された。Google幹部を経て米CTOを務めたミーガン・スミス、Androidを開発したアンディ・ルービンや後のApple幹部であるトニー・ファデル、ケビン・リンチ、ジョン・ジャナンドレアも在籍していた。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 31,
"tag": "p",
"text": "ジョブズがAppleを去ったのに前後して、1985年6月25日にスカリーとハード担当責任者であったガセー宛に、マイクロソフトのビル・ゲイツから「AT&Tやヒューレット・パッカード、ソニーなど有力メーカーにMacintoshのOSをライセンスするべきで、ゲイツ自身もその手助けを惜しまない」という内容の手紙が送られた。ゲイツは自社でのOS開発凍結も考えていたほど本気だったようだ。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 32,
"tag": "p",
"text": "スカリーはOSライセンスの可能性について調査を指示したが、ガセーを筆頭にした技術陣からの猛反対を受けてこの提案は闇に葬られた。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 33,
"tag": "p",
"text": "その後、パソコン用の16ビットCPUは逐次32ビットに移行していく。Appleの採用したモトローラ系ではMC68000、MC68020、MC68030、MC68040と推移していく。モトローラのCPUは最初のMC68000から、32ビットへ容易に移行できるように設計されていた。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 34,
"tag": "p",
"text": "Appleはライセンス違反をしているとして、マイクロソフトに対してGUIに対する対価を求めて裁判を起こす。ジョブズが復帰(後述)する頃まで裁判は長引き、その時点ではAppleに対して不利な裁定が下ることになる。しかしその数年前、ゼロックスがAppleに対して同様の裁判を起こし、ゼロックスに対して不利な裁定が下っていることもあり、熱心なマッキントッシュ・ユーザは複雑な心情を抱いていた。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 35,
"tag": "p",
"text": "AppleはマイクロソフトのMicrosoft Windowsに対して市場競争を模索する。これより68000系以外のCPUアーキテクチャへの移行である。その1つx86系への移植プロジェクトであるスタートレックが、1992年ごろにノベルの協力を得て開始される。しかし計画は後述のPowerPCに専念するため中断され、日の目を見ることはなかった。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 36,
"tag": "p",
"text": "1992年、スカリーはIBMと交渉し、同年AppleはIBMとモトローラと組んで新しいパーソナルコンピュータのプラットフォーム開発を発表した。IBM PCとマッキントッシュの経緯から、この共同開発発表は西海岸と東海岸の巨頭同士の歴史的和解とも言われた。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 37,
"tag": "p",
"text": "新しいPCは、CPUにRISCチップであるPowerPC、OSとしてTaligent(開発コード:Pink)、アプリケーションとしてマルチメディア開発ツール「カライダ」(開発言語ScriptX)からなる予定であった。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 38,
"tag": "p",
"text": "技術者が休暇中に趣味で作り上げた68000系エミュレータの出来がよく、またTaligentの開発は困難をきわめたため、1994年、PowerPCと68LC040エミュレータを搭載し、従来の68000系のバイナリプログラムの動作も可能なPower Macintoshシリーズを発表する。それまでの上位機種であったQuadraをベースにしており、メモリに72pinSIMM、拡張スロットバスにNuBusを採用するなど、ハードウェアの互換性も計られていた。しかし当時のMac OS(System 7.1.1や7.5.2)はバグが多く、たびたびエラーやフリーズを起こし、快適さと相反する不安定さも兼ね備えていた事実は否定出来ない。Mac OS 7.6までにはその不安定さは解消され、その後しだいに信頼性は向上したが、Mac OS 9.2.2に至るまで100パーセントのPowerPCコードで作られたOSとはならず、メモリ保護もない脆弱さもそのままであった。これらの問題が完全に解消されたシステムは2001年のMac OS Xの登場まで待たねばならなかった。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 39,
"tag": "p",
"text": "1994年にAppleは、モトローラ、IBMなどにMacintoshのライセンスを与え、互換機ライセンスを開始する。1995年にPower Computing(英語版)とパイオニアが初のMac OS互換機を発表すると、akia、UMAX、ラディウスなどが続々と参入した。しかし、PC/AT互換機からの市場奪還は進まず、互換機がMacintoshのシェアを浸食するという結果となった。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 40,
"tag": "p",
"text": "1995年後半になると、マイクロソフトはWindows 95を販売開始する。Windows 95は、Macintoshに似たGUIを搭載し、従来のMS-DOS上のWindows 3.1ではなし得なかったデスクトップ環境とフォルダ管理のGUI化を果たした。様々な面でDOSのしがらみを依然として引きずっていたWindows 95ではあるが、操作性が3.1以前に比べて大幅に向上したことにより爆発的にヒットし、次期OSであるCoplandの開発に手間取っていたMacintoshの深刻な脅威となった。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 41,
"tag": "p",
"text": "のちに公表されることとなるが、サン・マイクロシステムズとは1988年ごろから合併交渉を行っていた。1990年には、ほぼ合意に達していたが、AppleがIBMとモトローラとの提携を発表したことで白紙に戻ってしまった。その後もAT&Tやコダックと交渉を行うが企業風土の違いでまとまることはなかった。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 42,
"tag": "p",
"text": "Newtonや政治(スカリーはビル・クリントンの大統領選挙応援に力を入れていた)など、Macintoshに力を注いでいないスカリーの行為に、Appleの取締役会は不信の目を向けるようになった。1993年に業績が大幅に悪化すると、1993年6月18日、ストックオプションなど約1000万ドル相当の退職慰労金を手にスカリーはCEOを退任し、Appleのヨーロッパ市場で功績を上げていたマイケル・スピンドラーが新たなCEOに就任する。スピンドラーの仕事は、Apple本社を高く売ることだったとも言われている。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 43,
"tag": "p",
"text": "1994年は低価格MacintoshのPerformaシリーズを増産してクリスマスシーズンを迎えたが、スピンドラーはこの需要予測を大きく外すこととなる。リサーチ部門とセールス部門、さらには開発部門までもがそれぞれ大きく対立していたことと、市場ではPower Macintoshなどのハイスペックマシンの需要が高かったにもかかわらず、ロースペックで利益率の悪いPerformaの在庫が日に日に増えていき、需要の高いPower MacintoshやPowerBookが品薄状態で、生産がまったくもって追いついていないと言う最悪の結果となった。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 44,
"tag": "p",
"text": "当時のAppleは内部のいざこざがあまりにも多く、悲惨な状態であった。需要予測を外したうえに、スピンドラーの指示を誤解したセールス部門は、ただでさえ利益率の悪いPerformaを赤字でばらまいて売りさばいてしまった。それ以外にもさまざまな要因が重なり、この四半期で赤字は8000万ドルに達した。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 45,
"tag": "p",
"text": "そのころ(1995年)Appleはキヤノンと1株54ドル50セントでの買収交渉を行うが、キヤノンの社長が急死したことも重なり、最終的には実現することはなかった。そしてAppleは再びIBMと交渉の場を持つが、IBMはロータス社を買収しサービスビジネスに会社を方向転換の最中で、Apple買収にはお世辞にも前向きな姿勢とは言えなかった。そのうえ、IBMはどんな買収交渉であっても、結論を出すまでに途方もない時間をかけることが通例で、交渉に入ってもまったく音沙汰がないということが多い企業である。どんな形であってもAppleを売り出したい取締役たちは、そのあまりにも遅いIBMの動きだけに目をとらわれてしまい、実際のIBMの過去の動向にはまったく気付いていなかった。最終的にはIBMとの交渉は決裂してしまい、その後にはフィリップスと1株36ドルで交渉を行うが、フィリップスの役員会であっさりと否決されてしまう。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 46,
"tag": "p",
"text": "1996年1月23日の株主総会で、Apple再建策としてマック互換機ライセンスビジネスの加速と人員削減による提案を行うが、株主から辛辣な言葉を浴びせられる。総会後の取締役会でサン・マイクロシステムズのスコット・マクネリも参加し、最後の買収交渉(1988年時とは異なりAppleが吸収される立場)が行われた。マクネリはApple1株につき23ドルを譲らず、買収交渉は頓挫。その後の取締役会で、スピンドラーは責任を取らされる形でCEOの座を下ろされた。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 47,
"tag": "p",
"text": "マイク・マークラを筆頭とするAppleの取締役会はスピンドラーの後任として、かつて倒産寸前だったナショナルセミコンダクターを再建し、Appleの社外取締役にも就任していたギル・アメリオをCEOの座につけた。アメリオはのちに、「(アメリオを除く)当時の取締役の全員がAppleをどこに売り渡すかということしか考えておらず、Appleを再建することはみじんも考えていなかった」と語っている。大のMacintoshファンでもあったアメリオは、Appleを売ることしか考えていなかった取締役のほとんどに失望を覚え、Apple再建の道標となるべく一歩を踏み出した。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 48,
"tag": "p",
"text": "MacintoshのOSは、1984年の出荷以降、System 7まで大幅に強化改良されたものの、基本的な部分はほとんど進化していなかった。1990年代に入ると、マルチメディアやネットワークの時代を迎え、従来はミニコンや大型汎用機のOSの機能であったマルチタスク(プリエンプティブマルチタスク)、メモリプロテクション(メモリ保護)、仮想メモリ、ネットワーク機能を備えた“モダンOS”が、次世代のパソコン用OSに必要だと考えられるようになった。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 49,
"tag": "p",
"text": "Apple社内で未来志向の“オブジェクト指向OS”として計画された“Pink”は、最終的にIBMと共同で別会社Taligentを設立して開発が進められたが、要求仕様だけが膨らみ続け、道半ばで頓挫した。Pink OSの反省からやり直された新OSが1994年に発表された「Copland」で、System 7.x系と互換性を持たせつつ、革新的なGUI、暫定的なマルチタスク機能と暫定的に改良されたメモリ管理機能を提供し、メモリ4MBのMac Plusでも動作するほどコンパクトというふれこみであったが、その開発は難航し、公開の延期を繰り返した。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 50,
"tag": "p",
"text": "1996年7月、新たにAppleの最高技術責任者(CTO)となったエレン・ハンコックは、Coplandが完成する見込みがないと判断を下し、開発の中止を命じた。Appleは次期Mac OSとなる新たなOSを外部から調達することを決定し、候補としてマイクロソフトのWindows NT、サン・マイクロシステムズのSolaris、IBMのOS/2、BeのBeOSなどを挙げて調査と交渉を行った。なかでもBeOSこそ本命と噂されていた。1996年中ごろには、BeとAppleの買収交渉が本格的に始まった。ガセーは1億ドルを要求したが、Appleは5000万ドルと見積もっていた。アメリオはこのBeOSに高い関心を寄せていたが、BeOSは未完成でAPIが整備されておらず、BeOSを買収したとしてもMac OSとして出荷できるようになるまでには数億ドルの投資と、数年にもわたる歳月が必要だと見積もられていた。なかなかBeOSの売り込みが進まないBe社は、Mac互換機メーカーだったパワーコンピューティングにBeOS開発版である「BeOS PreviewRelease」をライセンスするなど、挑発的とも取れる行為をするようになった。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 51,
"tag": "p",
"text": "1996年の11月ごろ、公表されてはいなかったが、NeXTはハードウェアから撤退し創業以来初の黒字となっていたものの経営状態は良好とはいえず、スティーブ・ジョブズはNeXTを売却する目論見の元、IPOを計画していた。同時期にAppleが次期OSを外部に求めているという話を知ったNeXTのプロダクトマネージャであったジョン・ランドアーはセールス担当副社長のミッチ・マンディッチから支持を取付け、彼から指示されたチャンネルマーケティングマネージャのギャレット・ライス は、最初はジョブズに何も言わずAppleに電話してエレン・ハンコックに打診。折り返しの連絡を受け、その数日後の11月26日に、NeXTにAppleのエンジニアが派遣されて会議を行った正にその日、ジョブズはApple役員とハンコックに対してOPENSTEPとNEXTSTEPを売り込んだ。ジョブズは12月上旬に、1985年以来初めてApple社内に入り、アメリオら首脳陣と話し合った。12月10日にはBeOSとOPENSTEPの比較プレゼンテーションがあったが、勝利を確信していたガセーがほとんど事前準備をしていなかったのに対し、周到に準備をしたジョブズがカリスマ的なプレゼンテーションを展開し、ガセーは敗れ去った。12月20日にAppleがNeXTを4億ドルで買収することを発表し、次期OSの基盤技術としてOPENSTEPを採用すると発表した。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 52,
"tag": "p",
"text": "1997年2月に正式にNeXT買収が成立し、アメリオの要請もありジョブズとウォズニアクはAppleに非常勤顧問という形で復帰した(同時に、NeXTのセールス担当副社長ミッチ・マンディッチ、ソフトウェア技術担当副社長アビー・テバニアン ハードウェア技術担当副社長ジョン・ルビンスタインが重役としてAppleに加わる)。このとき、アメリオからプレゼントされた20周年記念Macintosh(Spartacus)を窓から投げ捨てたという噂がまことしやかに囁かれた(ちなみにウォズにもこの記念すべきMacintoshがプレゼントされた)。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 53,
"tag": "p",
"text": "Appleに復帰したジョブズは、同年6月には一度はAppleの先行きを悲観し株式を手放したが、経営混乱の責任を取るよう取締役を巻き込み、アメリオを追いつめる。同年7月9日にアメリオとハンコックが辞任に追い込まれたあとは、執行副社長兼CFOのフレッド・D・アンダーソンが短期間を暫定的に経営を行い、その間にジョブズは復権していった。アメリオの辞任にともない、取締役会はジョブズにCEO就任を要請したが、ピクサーCEOとして多忙であることを理由に彼はこれを拒否して「責任がそれほど大きくない一時的なことであれば構わない」と言い、1997年9月には暫定CEOに就任した。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 54,
"tag": "p",
"text": "一方、アメリオによるリストラは、このころようやく成果を上げ始めていた。膨れ上がった研究開発費や一般管理費は大鉈をふるわれ、経費4億ドルと従業員4,100人が削減されていた。複雑になっていたMacのラインナップもPerformaを止めるなどで整理されつつあった。低迷を続けていたNewton事業を別会社に分離し、Apple本体はMacintoshに集中できるようになった。ジョブズが暫定CEOになった時点での赤字は10億4000万ドルで、大胆な業務縮小やリストラなどを強行しなければ、一時はあと90日で倒産という間際であった。(当時は約10,200名の従業員で、売り上げ年間71億ドル)",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 55,
"tag": "p",
"text": "ジョブズは、その思惑通りに事を進めていくなかで、士気を上げるため従業員のストックオプションの引き下げを取締役会に提案した。しかし、取締役会がこれを否定すると、ジョブズは取締役全員に辞任を迫った。結局、マイク・マークラを含む取締役陣は、そのほとんどが辞任することとなる。代わりに、オラクルのラリー・エリソン、インテュイットのビル・キャンベルらを社外取締役に迎え入れ、取締役会はほぼジョブズ寄りのメンバーに再構成された。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 56,
"tag": "p",
"text": "これに前後し、CFOのフレッド・D・アンダーソンを除いて、1997年中にCEOやCTO以外にも、ATG閉鎖やイメージング部門などの事業整理とともに、多数の幹部がAppleから離職した。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 57,
"tag": "p",
"text": "COO兼セールス担当EVPのマルコ・ランディ、COOのジョージ・スカリス、マーケティング担当SVPのサジーブ・チャヒル、マーケティング担当SVPのゲリーノ・デ・ルーカ、ソフトウェア担当SVPのアイク・ナッシ、デベロッパーリレーションズ担当VPハイディー・ローゼン、セールス担当SVPのジョン・フロイサンド、Power Macintosh担当SVPフレッド・フォーサイス、チーフエヴァンジャリスト/Appleフェローのガイ・カワサキ、ATG担当VPのドナルド・ノーマン、ATG解散後のテクノロジーグループで短期間のVPだったリチャード・ルファーブル、研究開発担当VP兼チーフサイエンティストのラリー・テスラー、Appleフェローのアラン・ケイなど。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 58,
"tag": "p",
"text": "ジョブズは同年8月、マイクロソフトと特許のクロスライセンスおよび業務提携を結んだ(アメリオがビル・ゲイツと長らく交渉してきた中で頓挫した内容であった)。AppleはNetscape Navigatorに代わりInternet Explorerを標準ウェブブラウザとしてバンドルすることと引き換えに、マイクロソフトはMicrosoft OfficeをMacintosh用により一層最適化させ、さらにMacintosh版とウィンドウズ版を同時リリースするということである。さらにマイクロソフトはAppleに対し1億5000万ドルの出資(議決権のない株式を発行)を行った。そしてボストンで行われた1997年のMacworld Conference & Expoでは、ジョブズの基調講演の最中に衛星愛中継でゲイツがスクリーン中に登場し、それらの提携を発表することとなる。歴史的和解とも取れるこのコンピュータ業界の大物同士の両者の演出は、発表された提携内容よりも話題性の方が大きく報道され、関心の深い者にはよくも悪くも波紋を呼ぶ結果となった。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 59,
"tag": "p",
"text": "1997年9月にリリースされた「Mac OS 8」は久々の大ヒットとなり、Macユーザーの間に広く受け入れられた。Coplandプロジェクトやその次のGershwinのコンセプトさえも遥かにしのぐNeXTのOS技術を手に入れたことで、Mac OSの漸進的改良を進めるという開発方針が順調に進み、1998年にはMac OS 8.1をはさんでMac OS 8.5、1999年にはMac OS 8.6、Mac OS 9と、メジャーアップデートとマイナーアップデートが交互に半年ごとにリリースされた。これらはアメリオ/ハンコックによるプランをジョブズ/テバニアンが踏襲したものである。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 60,
"tag": "p",
"text": "かねてから開発が進んでいたPowerPCの新たな製品としては、低価格ながら従来のハイエンドチップを上回る性能を持つPowerPC G3を発表。モトローラとIBM、Appleの共同開発で進められたこの次世代チップは、新たなMacに搭載され、Power Macintosh G3として発売される。またG3の発表と並行して「赤字の元凶で共食い競争でしかない」とされたMacintosh互換機メーカへのMac OSライセンスを順次停止していくことも決定した。そのうちの1社であるパワーコンピューティング社を買収し、Apple自身がオンライン直販を行うことを決める。これがのちにApple Online Storeとして展開していくこととなる。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 61,
"tag": "p",
"text": "1997年11月には、分離されたNewton事業をAppleに戻す形で清算した。同じころ、Appleは“Think different” キャンペーンを大々的に開始する。この“Think different.”では各界の偉人・著名人をCMに起用し、Apple自身のイメージ転換戦略が計られた。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 62,
"tag": "p",
"text": "1998年、PowerBook G3を発表。複雑な曲線を多用した斬新なデザインは従来のPowerBookと一線を画すものであり、ジョブズの製品に対する美意識が現れた初めての製品としてMacユーザーの関心を呼んだ。同時期にAppleのソフトウェア部門の別子会社であったクラリスをファイルメーカー社と改名し、FileMakerの開発・販売に専念させ、クラリスワークスに代表されるその他のアプリケーションの開発・販売権をAppleに戻す決定もなされる。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 63,
"tag": "p",
"text": "2000年1月、ジョブズが復帰し業績を挙げた結果、2年半でAppleの市場価値が20億ドルから160億ドルへ急上昇した功績で、ジョブズには1000万株のストックオプションとビジネスジェット機ガルフストリームVの提供がAppleの取締役会により決定された。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 64,
"tag": "p",
"text": "ジョブズは1998年5月に、Worldwide Developers ConferenceでiMacを発表する。このiMacはポリカーボネイト素材をベースに半透明(トランスルーセント)筐体を採用した製品であった。このデザインの視覚的な訴求力と、ボンダイブルーなる青緑のカラーリングにマスコミはこぞって賞賛を送ることになる(デザイン界では意見は二分されたが、日本ではグッドデザイン賞を受賞した(1998年))。iMacの存在意義はそれだけでなく、単純明快なコンピュータであることを示すべく、それまでのSCSIインターフェースやRS-422シリアルポート、ADBなどを廃止し、当時のPC/AT互換機で採用が始まっていたUSBを新たに全面的に採用した。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 65,
"tag": "p",
"text": "さらに、ベージュや白だったコンピュータ業界を否定するようにトランスルーセントデザインを採用することで、ジョブズはこのiMacにも似合う周辺機器が開発されることを見越しており、サードパーティー各社はこぞって新製品や現行品の改訂版として同様の半透明素材を採用した製品を発表した。AppleはのちにこのiMacの改訂を行い、5色になったiMacは“Candy”と名付けられ、色名も「ブルーベリー」、「タンジェリン」、「ストロベリー」、「グレープ」、「ライム」の名称が与えられる。その後もカラーテーマを替えて人目を惹き、それに付随するようにiMac DVではスロットローディングタイプのDVD-ROMドライブを採用したり、Power Macintoshにしか与えられていなかったFireWireポートを採用したりすることでヒットを続け、iMacはAppleに久しぶりの大きな売り上げをもたらした。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 66,
"tag": "p",
"text": "iMacの特徴はそれだけでなく、初代Macintoshから続くコンパクトマックの特徴であった〈取っ手〉を復活させ、発表時にはiMacの画面に“hello (again)”と表示させていたことも、Appleの原点回帰を印象づける結果となった(初代Macintoshの発表時、その画面に“hello”と表示されていたことをふまえている)。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 67,
"tag": "p",
"text": "2017年6月6日、WWDC 2017にて、Mac史上最高性能を誇り、コントローラとしてApple T2チップを搭載した新アーキテクチャのiMac Proを発表。同年12月に発売開始。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 68,
"tag": "p",
"text": "Rhapsody(Mac OS X Server 1.0の前身の開発コード名)がサードパーティに受け入れられないと判断すると、Mac OSで用意されているAPIのうち、使用頻度の高い命令を抽出し、いくつかの新機能を加えたAPI CarbonをRhapsodyに統合した新OS、Mac OS Xへの移行が宣言される。Rhapsodyは暫定的にMac OS X Server 1.0としてリリースされ、PCIバスを持つPower Macintosh G3で動作した。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 69,
"tag": "p",
"text": "2000年9月13日には、Mac OS Xの初の公開版であるMac OS X Public Betaを発表、日本国内では3,500円で提供された。新たにAquaを採用し、Mac OS X Server 1.0ともMac OSともまったく異なる新しい外観を持っていた。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 70,
"tag": "p",
"text": "2001年3月24日、Mac OS X初の公式リリースであるMac OS X v10.0(Cheetah)が発売される。G3以降のMacを動作対象にしており、OPENSTEPで評価が高かった開発環境(Interface Builder・Project Builder)が標準で付属していた。Aquaは「Macらしさ」を重視して大きく改良されていたが、Mac OS 9にあった機能が多く省かれており、動作が非常に遅いという欠点があった。時を同じくしてAppleは、Macを核にさまざまなデジタル機器を連携させる「Digital Hub」という構想を打ち出した。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 71,
"tag": "p",
"text": "2001年9月25日、Mac OS X v10.1(Puma)を公式リリース、Mac OS X v10.0の登場からわずか7か月での発売だった。10.0からの無償アップグレードサービスが行われる。動作速度の問題が改善されたほか、10.0に欠けていたさまざまな機能が追加され、実用的に使える初めてのバージョンとなった。マイクロソフト、アドビなどから少しずつ対応ソフトがリリースされ始め、先進的ユーザから受け入れられる。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 72,
"tag": "p",
"text": "2002年8月24日、Mac OS X v10.2 Jaguarがリリース。動作速度がより向上し、細かい部分の使い勝手に多くの改良が施された。事実上、このバージョンが現在に続くMac OS Xの完成型と言える。このバージョンからMac OS Xのみが起動する(Mac OS 9をサポートしない)Power Mac G4, iMac G4, PowerBook G4, iBookが販売された。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 73,
"tag": "p",
"text": "2003年10月24日、Mac OS X v10.3 Pantherが発売された。 iPodの売れ行きの好調さ、デジタルカメラやデジタルビデオカメラ、無線LAN環境の普及により、パソコンの「Digital Hub」化の流れが定着した。Mac OS Xでも大手印刷会社への入稿受け入れが整ったため、遅れていたデザイン、出版分野への導入が徐々に進み始める。またライセンス使用料の追加がないクライアント無制限のMac OS X Server搭載の1UサーバXserve導入とディスクレスNetBoot機能が評価され、東京大学、東京女子大学に大量導入された。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 74,
"tag": "p",
"text": "2005年4月29日、Mac OS X v10.4 Tiger発売。システム内部が大きく進化した。セキュリティ機能が充実し、あおぞら銀行、神戸大学にNetBoot端末としてiMac G5が大量導入された。単体リリースはないが、このバージョンより、Mac OS XをIntel対応化した。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 75,
"tag": "p",
"text": "2007年10月26日にMac OS X v10.5 Leopardがリリース。300以上にも及ぶ新機能が搭載された。iPhoneのソフトウェア開発を優先させるため当初の予定から発売が延期された。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 76,
"tag": "p",
"text": "2009年8月28日、Mac OS X v10.6 Snow Leopardが発売され、Intel Macのみをサポートした初のバージョンとなった。Finder・QuickTimeがCocoa APIで全面的に作り直されるなどシステム全般にわたるブラッシュアップが行われるメジャーアップデートながら、シングルユーザライセンスは米国で29ドル、日本では3,300円と低価格で提供された。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 77,
"tag": "p",
"text": "2010年10月21日、Mac OS X Lion発表。Exposé・Dashboard・Spacesの各機能に統合されたアクセスを提供する“Mission Control”を搭載するほか、ソフトウェア販売サービス“Mac App Store”やフルスクリーンのウィンドウ表示、ランチャー“LaunchPad”などiOSに由来する機能を搭載。Mac OS X v10.5 Leopard以来の大幅な機能とインターフェイスの刷新となる。2011年2月24日には、公式サイトにさらなる新機能の説明が追加された。LaunchPadやAirdropなどを含む250を越える新機能を追加し、64ビットマルチコアCPU(Intel Core 2 Duo以降)のみをサポートする。7月20日にMac App Storeでダウンロード販売を開始した。8月17日には、USBメモリ版も発売された。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 78,
"tag": "p",
"text": "2012年2月16日、OS X Mountain Lion発表。メッセージやリマインダー、AirPlayをはじめとする100を越える新機能を追加。このリリースより、製品名から “Mac” が外され、単に “OS X” と呼ばれるようになった。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 79,
"tag": "p",
"text": "2013年6月10日、OS X Mavericks発表。このバージョンから無償提供になり、マップやiBooksなど200以上の機能が追加。このバージョンから実在の地名が使用される。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 80,
"tag": "p",
"text": "2014年6月2日、OS X Yosemite発表。iOS 8やiCloudとの緊密な連携を実現させている。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 81,
"tag": "p",
"text": "2015年6月9日、OS X El Capitan発表。UIにSplit View、グラフィックシステムにiOS同様の高速化を図るMetalを導入した他、日本語入力システムやフォントの充実など日本語環境を強化している。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 82,
"tag": "p",
"text": "2016年6月13日、macOS Sierra発表。このバージョンから、iOS、tvOS、watchOSに合わせた “macOS” という名称に変更された。MacでもSiriが利用可能になったほか、Apple Watchを使用したMacのロック解除、 ストレージの最適化機能などを導入した。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 83,
"tag": "p",
"text": "2017年6月5日、macOS High Sierra発表。Apple File SystemやHigh Efficiency Video Coding、High Efficiency Image File Formatなどを導入。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 84,
"tag": "p",
"text": "2018年6月4日、macOS Mojave発表。ダークモードの追加や、Mac App Storeの大幅なリニューアルなどを導入した。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 85,
"tag": "p",
"text": "2019年6月3日、macOS Catalina発表。同時に発表されたiPadOSとの連携や、iOS 12から搭載されたスクリーンタイムの追加、iTunesの廃止などを実施した。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 86,
"tag": "p",
"text": "2020年6月22日、初のオンライン開催となったWWDCにおいてmacOS Big Surが発表され、macOS バージョン11.0.1として、同年11月12日にリリースされた。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 87,
"tag": "p",
"text": "2021年6月7日、オンラインで行われたWWDC21でmacOS Monterey発表。AirPlayやFaceTimeの強化、「集中モード」などを導入。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 88,
"tag": "p",
"text": "2022年6月6日、オンラインで行われたWWDC22にてmacOS Venturaが発表された。iPhoneをMacのウェブカメラとして使用できる「連携カメラ」、ステージマネージャなどを導入、Metal 3によってゲームが高速化される予定である。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 89,
"tag": "p",
"text": "ジョブズは当時、iPodの開発者に「電源ボタンはなくせ」「3タッチ以内に全ての曲にたどり着けるようにしろ」などのジョブズらしい厳しい注文を大量にし、iPodを極力使いやすく、わかりやすい機器にしようとしていた。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 90,
"tag": "p",
"text": "その結果2001年、それまで主流だったフラッシュメモリ型とは一線を画す、大容量ハードディスクドライブ型携帯音楽プレイヤー『iPod』を発売。当初は価格の高さにより売れ行きを疑問視する声が少なくなかったが、ジョブズの注文による直感的な高い操作性と、管理ソフトiTunesとの抜群の連携機能もあり、徐々に売上を伸ばす。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 91,
"tag": "p",
"text": "当初はMac版しかなかったiPodであるが、のちにWindows版のiPodも発売される。その後、Windows用/Mac用といった区分けはされなくなり、Windows向けiTunesが提供されたころからヒット商品となる。そして廉価版ともいえるiPod miniを登場させたことで、爆発的にヒットする。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 92,
"tag": "p",
"text": "さらに2003年には、音楽配信サイトのiTunes Music Store(現在のiTunes Store)を開始。2004年には、iPodをヒューレット・パッカードにライセンスするなど、携帯音楽市場で、米国を中心に独占的な地位を確保するに至り、既存の音楽産業の構造を根本から変え、タワーレコードやHMVといった音楽CDショップが破産、米国の街中から姿を消した。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 93,
"tag": "p",
"text": "日本でも、ソニーのウォークマンを圧倒し、2003年以降一貫してデジタル携帯音楽プレーヤーのシェア1位となる。iPod miniの後継モデルとしてiPod nano、また「シャッフル再生」というコンセプトをメインに据えることにより、低価格化とより一層の小型化を実現したフラッシュメモリ型のiPod shuffleも発売され、人気を博した。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 94,
"tag": "p",
"text": "iTunes Music Storeは日本においては、2005年8月4日より開始された。登録楽曲数100万曲、1曲150円か200円という低価格で始まり、開始よりわずか4日で100万曲ダウンロードを達成する。ポッドキャストと呼ばれる新しいデジタル配信媒体を構想し、テレビよりも技術革新が進まないラジオのデジタル化に革新をもたらすことが期待されている。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 95,
"tag": "p",
"text": "iPodが登場した当初は、現状のような大成功を収めると思っている関係者が多かったわけではない。初期には価格の高さ、利用にはパソコンが必須となるコンセプトが理解されなかったことにより、懐疑的な意見が多くあった。しかし2001年前後にAppleが提唱していたコンセプト「デジタルハブ」(多くのデジタル機器の中心にパソコンを据えるというコンセプト)構想が時宜を得て、iPodは携帯型音楽プレイヤーの代名詞となった。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 96,
"tag": "p",
"text": "2007年1月9日、Appleは新製品iPhoneを発表し、スマートフォン市場へ進出した。同年6月29日米国で発売。iPhoneは高機能携帯電話+iPod+インターネット端末と発表され、マルチタッチスクリーンなど先進的でユニークなデザインが話題を呼び、世界的な話題となった。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 97,
"tag": "p",
"text": "当初よりiPhoneのOSはMac OS Xベースであるとされ、2008年6月にはOS X iPhone SDKが公開される(名称は“iPhone OS”、“iOS”と変遷)。2008年6月9日には、第三世代通信規格のUMTS、高速通信のHSDPAやA-GPSに対応したiPhone 3Gが発表された。この機種より日本でも発売されている。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 98,
"tag": "p",
"text": "その後も年1回のペースで改良を重ね、ブランド、売上において同社の主力製品となっている。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 99,
"tag": "p",
"text": "iPhoneの販売店での取り扱いに際してルールが設けられており、その中でも特質すべきは、コストはかかっても妥協しない、ブランド力を高める展示方法である。具体的には、最新のiPhoneとAndroidスマートフォンを横に並べ、性能や機能を比べるといった展示がNGであるというような、「iPhoneは他メーカーの製品と並べてはいけない」という決まりがある。ほかには、掲示できるポスターや展示の装飾、プライスカードまでも専用のものを使うようにいわれており、これらの決まりを守れないと、その店舗でのiPhoneの取り扱いを停止される。これはAppleの重要なマーケティング戦略、ブランドエクィティと密接に関係しており、強みを活かす姿勢である。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 100,
"tag": "p",
"text": "2010年1月28日、Appleは新製品iPadを発表し、タブレット分野に進出した。製品発表会において、スティーブジョブズはiPhoneとMacBookの間となるものと位置づけていると語った。また、米国内で発売される当端末にはiBooksが搭載され、iBookStoreを開設し電子書籍分野にも進出することを発表した。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 101,
"tag": "p",
"text": "2012年10月24日の製品発表会で手のひらサイズに小型化したiPad miniを発表。同時に、iBooksとiBooks Authorのバージョンアップを発表し、教育現場におけるiPad活用をアピールした。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 102,
"tag": "p",
"text": "iOS 12まではiPhoneと同じオペレーティングシステムを採用しており、多くのソフトウェアはiPhoneと互換性がある。2019年6月3日のWWDC 2019で、macOS Catalinaとともに、iPad専用のiOSベースのオペレーティングシステムとして、iPadOSが発表された。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 103,
"tag": "p",
"text": "2011年1月18日、ジョブズが病気を理由に休職することが発表された。日常業務は前回(2009年前半)同様ティム・クックCOO(最高執行責任者)に任せるが、CEOにはとどまり、大きな戦略的決定には関与するとしている。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 104,
"tag": "p",
"text": "2011年8月24日、取締役会に辞表を提出してCEOを辞任。取締役会の承認を受けて会長職へつく。ジョブズが会長就任後、CEOは当時COOのティム・クックが後を継いだ。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 105,
"tag": "p",
"text": "ジョブズがCEOを退任する8月には、Appleは時価総額で世界トップだったエクソンモービルを抜き、世界最大の企業となっていた。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 106,
"tag": "p",
"text": "2011年10月5日、スティーブ・ジョブズ死去。56歳没。同日同社の公式サイトでは、すべての言語のTOPページにジョブズのモノクロ写真が掲載され追悼を行った。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 107,
"tag": "p",
"text": "Appleは2011年8月に株式の時価総額で世界最大企業となった後、2018年8月2日に民間企業として世界で初めて時価総額1兆ドルに到達した。その後も業績を伸ばし続けた結果、2020年8月19日に時価総額2兆ドルを超え、2022年1月3日に世界で初めて時価総額3兆ドルを超えた。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 108,
"tag": "p",
"text": "2014年以降、AppleはIBMとのパートナーシップを結んだことを皮切りに、法人向けのサービスや異業種との提携を相次いで発表。一般消費者向けと法人向けの両市場で拡大を図る米Googleや米Microsoftへの対抗を意識し、法人向けビジネスのシェア拡大を推進している。2015年には米ビジネスコンサルティング大手デロイトとの法人向け販売の強化、2016年にはドイツの大手ソフトウェア企業SAPと組んで法人向けクラウドサービスへの参入や人工知能の業務への活用、米通信機器大手シスコシステムズの製品と連携可能にする、2017年には多国籍コンサルティングファームのアクセンチュアとパートナーシップを結ぶなど、法人市場におけるシェア拡大に取り組んでいる。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 109,
"tag": "p",
"text": "Appleは、2004年から同社の使命として環境のページを運用してきたが、2014年に環境への取り組み担当VPとしてリサ・ジャクソンを採用し、環境に対する取組みを加速させる。2018年に自社施設の再生可能エネルギー利用率100%を達成したのち、取引先企業を含めた100%を目指し再生可能エネルギーの利用(RE100プロジェクト参加)とリサイクルを促進している。米国内では、ノースカロライナ州、オレゴン州、ネバダ州、アリゾナ州、カリフォルニア州で、大規模な太陽光発電など再生可能エネルギー事業へ投資している。また、中国での太陽光発電事業を支援・促進し、デンマークのデータセンターは再生可能エネルギーだけを利用する。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 110,
"tag": "p",
"text": "Appleは製品のリサイクルを積極的に行い、リサイクル素材利用を推進している。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 111,
"tag": "p",
"text": "2009年から手掛けられ2011年にスティーブ・ジョブズ前CEOの元で公表され進められていた新本社Apple Campus 2(当時)について、2017年2月に同年4月より6か月をかけて移転が行われること、名称はApple Parkと発表した。2018年2月16日に本社所在地住所もApple Park (One Apple Park Way, Cupertino, CA 95014)へ変更された。",
"title": "本社と主な拠点"
},
{
"paragraph_id": 112,
"tag": "p",
"text": "1993年から2017年までApple Campus (1 Infinite Loop, Cupertino, CA 95014)が本社所在地であった。2023年現在も開発拠点として健在であり、元々のThe Company Storeは、2015年9月19日からApple StoreのApple Infinite Loopとして生まれ変わって営業を続けている。",
"title": "本社と主な拠点"
},
{
"paragraph_id": 113,
"tag": "p",
"text": "以前からテキサス州オースティンには、サポートやトレーニングなどを担当するオペレーションセンターがあった。2022年までには10億ドルを掛けて拡張したキャンパスで、新たに15,000人を雇用する開発、サポートの一大拠点となる。",
"title": "本社と主な拠点"
},
{
"paragraph_id": 114,
"tag": "p",
"text": "2018年、Apple Parkの北側、約7kmの地点、サニーベールに建設されたAppleのカリフォルニア州第3拠点。",
"title": "本社と主な拠点"
},
{
"paragraph_id": 115,
"tag": "p",
"text": "本社のあるクパチーノ市内、Apple Parkから南西5kmほど、2011年から賃貸していた10棟のビルと敷地を2022年12月に買い取った、研究拠点の一つ。",
"title": "本社と主な拠点"
},
{
"paragraph_id": 116,
"tag": "p",
"text": "サンディエゴ郊外に新たにキャンパスを購入し、新たに5,000人を雇用する開発拠点を予定していると2022年7月に報じられた。",
"title": "本社と主な拠点"
},
{
"paragraph_id": 117,
"tag": "p",
"text": "2021年からノースカロライナ州リサーチ・トライアングル・パークに、10億ドル投資して新しいキャンパスを作り、2023年より3000以上のポジションで雇用する予定。",
"title": "本社と主な拠点"
},
{
"paragraph_id": 118,
"tag": "p",
"text": "カリフォルニア州アーバインにある無線チップの開発拠点。",
"title": "本社と主な拠点"
},
{
"paragraph_id": 119,
"tag": "p",
"text": "2015年から、ドイツのバイエルンデザインセンター(Bavarian Design Center )で350人以上のエンジニアが電源管理ユニットチップなどの半導体の開発に携わっている。",
"title": "本社と主な拠点"
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{
"paragraph_id": 120,
"tag": "p",
"text": "2019年から、ドイツのナーベルンに半導体開発拠点を設置している。",
"title": "本社と主な拠点"
},
{
"paragraph_id": 121,
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"text": "2021年3月10日、Appleは、既に40カ国から1500人のエンジニアが開発に携わっているドイツのミュンヘン中心部の拠点に、3年間で10億ユーロ以上を投資して欧州シリコンデザインセンター(European Silicon Design Center in Munich)を開設することを発表した。2023年3月2日には、さらに追加で10億ユーロの投資による、M2 Pro, M2 Maxを開発した欧州シリコンデザインセンターの拡張を発表した。",
"title": "本社と主な拠点"
},
{
"paragraph_id": 122,
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"text": "Appleでは、Anobit Technologies, Prime Sense, RealFace, LinX, Cameraiなどイスラエル企業を買収し、2000人を超えるエンジニアがソフトウェアとハードウェアを開発している。Apple M1もイスラエルの下記R&D拠点で開発された。",
"title": "本社と主な拠点"
},
{
"paragraph_id": 123,
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"text": "Appleの100%再生可能エネルギーで稼働しているデータセンターは米国内外に存在している。",
"title": "本社と主な拠点"
},
{
"paragraph_id": 124,
"tag": "p",
"text": "米国内では下記の箇所にある。",
"title": "本社と主な拠点"
},
{
"paragraph_id": 125,
"tag": "p",
"text": "さらにアイオワ州Waukeeで建設し、2020年稼働開始目標であったが、大幅に遅れ2027年開始を目標とされている。また米国外ではデンマークViborgで稼働中である。なお、デンマークAabenraaでの計画は2019年6月に、アイルランドAthenryでの計画は2018年5月にキャンセルしている。またAppleはAWS、Google Cloud、Microsoft Azureをはじめとする他社のデータセンターも利用しており、中国においてはGuizhou Cloud Big Data Industrial Developmentのデータセンターを利用してきたが、貴州省に最初の自社データセンターを建設し2021年5月より稼働させている他、第2データセンターが内モンゴル自治区ウランチャブ市に建設される。",
"title": "本社と主な拠点"
},
{
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"text": "Appleはコンテンツデリバリネットワークとして、1999年からアカマイやLevel 3を中心に利用していたが、2014年から自社CDNの運用を開始、併用している。",
"title": "本社と主な拠点"
},
{
"paragraph_id": 127,
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"text": "初代Macintoshには、CPUとして当時のモトローラによる68000シリーズが利用されていた。モジュール構造で拡張バスNuBusを採用したMacintosh IIからはMC68020など、32ビットCPUを利用するようになった。1992年にIBMとモトローラとの提携したことにより1994年からPowerPCを採用したPower Macintoshシリーズを発売する。当初のPower Macintosh 6100、7100、8100シリーズはNuBusアーキテクチャを引き継いでいたが、1995年夏にはPower Macintosh 7500、8500、9500シリーズよりPCIアーキテクチャに刷新される。PReP、CHRPといった計画の破棄を経てもPower Macintosh G3、Power Mac G4、G5と順調に見えたPowerPCを採用したMacは、約束の速度(PowerPC G5で3 GHz)や省電力版のPowerPC G5が開発されずPowerBook G5が出せないことで、2006年に終焉を迎えIntel X86へと移行し、手始めにiMacやMacBook ProにCore Duoが採用される。2020年6月、Macの大きな飛躍を果たすとしてAppleシリコンへの移行が発表される。同年11月には、ARMv8.6ベースのApple M1を搭載したMacBook Air、MacBook Pro、Mac miniがリリースされた。",
"title": "Macハードウェアの変遷"
},
{
"paragraph_id": 128,
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"text": "「beats by dr.dre」ブランドの製品はビーツ・エレクトロニクスを参照",
"title": "製品・事業"
},
{
"paragraph_id": 129,
"tag": "p",
"text": "1976年4月1日の創業時の社名は“Apple Computer Company”(アップルコンピュータ・カンパニー)であった。1977年1月3日に法人化されて以降は30年にわたり“Apple Computer, Inc.”を名乗っていたが、2007年1月9日(PST)に主力事業の変化を反映させ、現社名の“Apple Inc.”に改称した。",
"title": "社名とロゴマーク"
},
{
"paragraph_id": 130,
"tag": "p",
"text": "“Apple Computer”という社名の由来については諸説が存在しているが、ジョブズ本人の弁によれば、この名前は当時果実食主義を実践していた自分がリンゴ園から帰ってきた直後に思いついたものであり、言葉の響きとして「楽しげで、元気がよく、威圧的でない」と考えて採用したのだという。一方のウォズニアックは、この社名はジョブズが提案してきたもので真意は不明だとしたうえで、「彼は音楽を好んだので、アップル・レコード(ビートルズのレコード会社)から思いついたのかもしれない」と述べている。",
"title": "社名とロゴマーク"
},
{
"paragraph_id": 131,
"tag": "p",
"text": "Appleにとって最初のロゴマークは創業者の1人であるロナルド・ウェイン(英語版)がデザインしたもので、リンゴの木に寄りかかって本を読んでいるアイザック・ニュートンを描いていた。しかしこれでは堅苦しいと考えたスティーブ・ジョブズは、1977年にレジス・マッケンナ社のアートディレクター、ロブ・ジャノフに新しいロゴマークのデザインを依頼する。最初はモノクロだったが、ジョブズがApple IIのカラー出力を印象づけるためカラー化を指示し、6色の横縞が追加された。横縞のないモノクロのロゴも、マニュアル、製品包装などの白黒の印刷物に引き続き使用された。",
"title": "社名とロゴマーク"
},
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"paragraph_id": 132,
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"text": "1985年、芸術家でポップアートの旗手として有名なアンディ・ウォーホルは、Appleとのコラボレーションにより6色AppleのMacintoshロゴマークをモチーフにした作品「APPLE」を発表。晩年の代表作である。",
"title": "社名とロゴマーク"
},
{
"paragraph_id": 133,
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"text": "1997年にジョブズが暫定CEOとしてAppleに復帰すると、黒のボディに白抜きの大きなAppleロゴを大胆にあしらったPowerBook G3を発表。続いて1998年に発表されたiMacでは、従来のApple製品に長らく採用されていた6色に塗りわけられたロゴは外装には使われず、立体的にデザインされた単色ロゴを採用し、新生Appleを人々に強く印象づけた。1999年以降は、6色ロゴはまったく使われなくなり、単色のロゴが使用されている。",
"title": "社名とロゴマーク"
},
{
"paragraph_id": 134,
"tag": "p",
"text": "その後、2017年に公開されたiOS 11では、端末内にあるデフォルトの壁紙の中に、上記の6色ロゴと同じ配色の斜め線が施された壁紙が7種類用意されている。",
"title": "社名とロゴマーク"
},
{
"paragraph_id": 135,
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"text": "また、2021年に公開された24インチiMacのcmでは、最後のアップルロゴが6色になっている。",
"title": "社名とロゴマーク"
},
{
"paragraph_id": 136,
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"text": "なお、ロゴが6色だった時代から、Apple製品にはステッカーが同梱されている。",
"title": "社名とロゴマーク"
},
{
"paragraph_id": 137,
"tag": "p",
"text": "コンピュータ企業には多い傾向だが、特にいわゆるWintelに対して挑戦的なCMを製作する。IBMがパソコン業界に参入したときは「Welcome!」と出迎え、ファイル名が8.3形式の文字の制限が緩和されたMicrosoft Windows 95の発売に対し、広告で『C:\\ONGRTLNS.W95』(「congratulations Windows 95」を8.3形式で無理矢理表現したもの)と皮肉った祝辞を送り、発熱量の多いインテルチップが高温で燃えるようなCMも作っていた。",
"title": "CM"
},
{
"paragraph_id": 138,
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"text": "そんなAppleのCMで、とりわけ話題になったものがある。それは、1984年のスーパーボウルの試合中に放送された「1984」である。内容は、「1984年1月24日、Apple ComputerはMacintoshを発表いたします。そして我々は、1984年が『1984年』に描かれているような年にならないということをお目にかけましょう...」というものであった。このCMは、映画「エイリアン」や「ブレードランナー」、「ブラック・レイン」などを手がけた監督・リドリー・スコットによるもので、ビッグ・ブラザーなる独裁者をIBMに見立てており、闇を支配する独裁者を打ち砕くという内容だった。センセーショーナルなこのCMは、数々の賞を総なめにした。このCMは、スーパーボウルで1度だけ放映されたものだが、実際には、その話題性から放映後、ニュースなどで繰り返し流されることになり、結果的にAppleはCM料を払わずに宣伝していたことになる。なお、のちに期間限定で蘇っており、同CM中では独裁者を打ち砕く女性がiPodを身につけている。",
"title": "CM"
},
{
"paragraph_id": 139,
"tag": "p",
"text": "2006年より、アメリカ合衆国およびヨーロッパで、“I'm a Mac”、“I'm a PC”の台詞から始まるGet a Macと呼ばれるCMを放映していた。それには、カジュアルな服装のMac役のジャスティン・ロングと背広にネクタイのPC役のジョン・ホッジマン(英語版)との2人のショートコント仕立てで、Microsoft Windowsとの比較広告を行っていたもので60編以上ある。ほかの国では、基本的に米国版(フランス・ドイツ・イタリアでは各言語に吹き替えられている)を流していたが、日本とイギリスでは別制作のCMを放映した。日本ではコンセプトを継承しつつ、お笑い芸人ラーメンズ(Macが小林賢太郎、PCが片桐仁)を起用したものとなり、内容は基本的に米国版を踏襲している。このCMは米国版のうちの十数編のみのローカライズであるが、いずれもPCのコンピュータウイルスに対する脅威(Macではウイルスがないような表現をしている)、マルチメディアへの弱みを皮肉る内容である。",
"title": "CM"
},
{
"paragraph_id": 140,
"tag": "p",
"text": "Appleによって運営されている直営の販売店および技術サポート拠点。2018年8月現在、世界24か国に500店舗以上がある。日本には10店舗が出店されている。",
"title": "Apple Store"
},
{
"paragraph_id": 141,
"tag": "p",
"text": "2016年、Appleは各店舗の名称から“Store”表記を削除し、単に“Apple”とした。",
"title": "Apple Store"
},
{
"paragraph_id": 142,
"tag": "p",
"text": "iPhone・iPadを例として挙げた場合、基本的にキャリアショップでの修理受付は行っていない(一部の直営店舗を除く)。",
"title": "サポート"
},
{
"paragraph_id": 143,
"tag": "p",
"text": "その代わり、Apple製品の正規サポートについて、直営店舗Apple Store内にある修理受付の「Genius Bar」、Appleリペアセンターへの送付、Appleと契約している「Apple正規サービスプロバイダ」で行っている。",
"title": "サポート"
},
{
"paragraph_id": 144,
"tag": "p",
"text": "「Apple正規サービスプロバイダ」については、修理を担当するスタッフが認定資格を取得していること、Appleが要求する店舗が用意できるなどの基準を満たしており、Appleの保証を使って修理することができる。料金については、運営する事業者により異なっている。",
"title": "サポート"
},
{
"paragraph_id": 145,
"tag": "p",
"text": "また、製造終了から5年以上7年未満の製品を「ビンテージ製品」とし、一部の国を除いてサポートを終了。7年以上の製品を「オブソリート製品」として、すべての技術サポートを終了している。",
"title": "サポート"
},
{
"paragraph_id": 146,
"tag": "p",
"text": "Apple Japan合同会社(英: Apple Japan, Inc.)は、Appleの日本法人である。2011年に、有限会社アップルジャパンホールディングスから改称した。",
"title": "Apple Japan合同会社"
},
{
"paragraph_id": 147,
"tag": "p",
"text": "当初の日本法人は、1983年6月21日にアップルコンピュータジャパン株式会社として設立され、その後1992年2月にアップルコンピュータ株式会社に、さらに2007年3月1日にアップルジャパン株式会社へと商号変更された。",
"title": "Apple Japan合同会社"
},
{
"paragraph_id": 148,
"tag": "p",
"text": "2011年10月30日に、アップルジャパン株式会社はApple Japan合同会社を存続会社として吸収合併されて消滅し、現行の体制となった。",
"title": "Apple Japan合同会社"
},
{
"paragraph_id": 149,
"tag": "p",
"text": "設立当初は、赤坂ツインタワービル本館に入居していた。1992年2月から1996年10月までの所在地は東京都渋谷区千駄ヶ谷。同年11月以降2013年4月までは東京オペラシティタワーに本社を置く。2013年5月7日以降、六本木ヒルズ森タワーに本社を置いている。",
"title": "Apple Japan合同会社"
},
{
"paragraph_id": 150,
"tag": "p",
"text": "JDCが重点的に取り組んでいることとして、アナログおよびミックスド・シグナル半導体デバイスの設計が挙げられている。",
"title": "Apple Japan合同会社"
},
{
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"tag": "p",
"text": "日本での開発拠点として、2015年度に横浜市・みなとみらい地区の横浜アイマークプレイス内に「テクニカル・デベロップメント・センター(TDC)」を設置した。",
"title": "Apple Japan合同会社"
},
{
"paragraph_id": 152,
"tag": "p",
"text": "2016年12月には横浜市綱島のTsunashima サスティナブル・スマートタウン内に、本格的な研究開発施設となる「Apple YTC(横浜テクノロジーセンター)」が完成している。 YTCが重点的に取り組んでいることとして、カメラ用光学系、光学コーティング技術、プロセス開発、ディスプレイパネル技術などの開発が挙げられている。",
"title": "Apple Japan合同会社"
},
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"tag": "p",
"text": "",
"title": "Apple Japan合同会社"
},
{
"paragraph_id": 154,
"tag": "p",
"text": "日本法人設立前のApple II 時代は代理店は数社あり、文京区本郷にあるESDラボラトリが最大手で、BMCインタナショナルなどが日本語マニュアルなどを作成して販売していた。日本語版Apple II であるj-plusを投入する際に、Apple本社は両社を切り、東レを総代理店とした。",
"title": "Apple Japan合同会社"
},
{
"paragraph_id": 155,
"tag": "p",
"text": "数年後、東レからアップルコンピュータジャパン設立委員会に移管し、日本法人が設立されるまで、キヤノンの子会社であるキヤノン販売(現・キヤノンマーケティングジャパン)がほぼ総代理店を務めていた。",
"title": "Apple Japan合同会社"
},
{
"paragraph_id": 156,
"tag": "p",
"text": "日本法人設立後も、キヤノン販売(ゼロワンショップ)でのMacintosh独占販売はしばらく続いたが、一般消費者向け量販シリーズであるPerfomaシリーズ発売の1993年ごろに大手家電量販店に販路を拡大、Macintoshの販売はこちらが主体となり、キヤノン販売は2002年ごろまでにApple製品を含む一般向けコンピュータ販売事業(ゼロワンショップ)から撤退した。",
"title": "Apple Japan合同会社"
},
{
"paragraph_id": 157,
"tag": "p",
"text": "1999年12月7日、AppleはiMacやiBookの販売価格を小売店に指示したという独占禁止法の違反容疑で公正取引委員会から立ち入り調査を受け、2000年10月3日には独占禁止法違反の疑いで警告を受けている。",
"title": "Apple Japan合同会社"
}
] |
Apple Inc.(アップル)は、アメリカ合衆国の多国籍テクノロジー企業である。カリフォルニア州クパチーノに本社を置く。デジタル家庭電化製品、ソフトウェア、オンラインサービスの開発・販売を行っている。 ハードウェア製品としては、iPhone、iPad、Mac、Apple Watch、HomePod、AirPodsなどの開発および販売を行なっている。ソフトウェア製品としてはApple Music、Apple TV+、Apple Arcade、 Apple Fitness+、Apple Podcast、Apple Books、App Store、iTunesなど広範囲のデジタルコンテンツ販売などを行っている。また、iCloud、iCloud+などのクラウドサービスも提供している。 Appleの全世界での年間収益は、2020年度には2745億ドルとなった。Appleは売上高で世界最大のテクノロジー企業であり、2021年現在で世界で最も価値のある企業である。販売台数で世界第4位のパソコンメーカーとなっており、2021年のスマートフォン市場では、出荷台数第2位、売り上げシェア第1位となっている。2022年1月、Appleは全世界の上場企業として初めて時価総額3兆ドルを超えた企業となった。また2022年5月11日時点での時価総額は約307兆円で世界2位。Appleは、2022年末時点で16万4000人の正社員を雇用し、26か国に526の直営店を展開している。また、同時期のApple製品利用台数は全世界で16億5000万台以上であり、2021年8.5%のシェアであったMacの出荷台数は2,895万台以上と1年間で28%増加し、史上最高であった。
|
{{pp-vandalism|small=yes}}
{{Otheruses|アメリカ合衆国の多国籍テクノロジー企業|その他|アップル}}
{{基礎情報 会社
| 社名 = Apple Inc.
| 英文社名 =
| ロゴ = [[ファイル:Apple logo black.svg|80px]]
| 画像 = [[ファイル:Apple park cupertino 2019.jpg|250px]]
| 画像説明 = カリフォルニア州クパチーノの[[Apple Park]]
| 種類 = [[株式会社]]
| 市場情報 = {{上場情報|NASDAQ|AAPL|1980年12月12日}}
| 国籍 = {{USA}}
| 本社所在地 = {{flag|California}} [[クパチーノ (カリフォルニア州)|クパチーノ市]]<span style="display: block;">アップル・パーク・ウェイ1番地{{inline block|([[Apple Park]])}}</span>{{Small|{{coord|37|20|06|N|122|0|32|W|region:US|display=inline,title}}}}
| 設立 = [[1976年]][[4月1日]]
| 業種 = 3650
| 事業内容 = [[デジタル家庭電化製品]]および[[ソフトウェア]]の開発・販売等
| 代表者 = {{Plainlist|*[[アーサー・レビンソン]][[会長]]
* [[ティム・クック]][[最高経営責任者|CEO]]
}}
| 売上高 = {{increase}} 3658.17億米ドル(2021)<ref name="SEC filing">{{Cite web |url= https://investor.apple.com/sec-filings/sec-filings-details/default.aspx?FilingId=15311311 |title=Form 10-K For the Fiscal Year Ended September 25, 2021 |publisher= Apple Inc. |date= 2021-10-29 |access-date= 2021-12-08}}</ref><!-- Revenue = 売上高(営業収益とほぼ同じ意味) -->
| 営業利益 = {{increase}} 1089.49億米ドル(2021)<ref name="SEC filing" /><!-- Operating income = 営業利益 -->
| 純利益 = {{increase}} 946.80億米ドル(2021)<ref name="SEC filing" /><!-- Net income = 純利益 -->
| 総資産 = {{increase}} 3510.02億米ドル(2021)<ref name="SEC filing" /><!-- Total assets = 総資産 -->
| 純資産 = {{decrease}} 630.90億米ドル(2021)<ref name="SEC filing" /><!-- Total equity = 純資産、自己資本、正味財産 -->
| 従業員数 = 164,000人(2022年末時点)<ref>[https://www.statista.com/statistics/273439/number-of-employees-of-apple-since-2005/ Apple's number of employees in the fiscal years 2005 to 2022 (in 1,000s)]</ref>
| 支店舗数 = 526店舗(2023年8月時点)<ref>[https://www.apple.com/jp/retail/storelist/ ストア一覧 - Apple Store - Apple(日本)]</ref>
| 決算期 = 9月30日
| 主要株主 = {{Indented plainlist|*[[バンガード・グループ]](8.34%)<ref>[https://finance.yahoo.com/quote/AAPL/holders/ Apple Inc. (AAPL) Major Holders]</ref>
*[[ブラックロック]](6.65%)
*[[バークシャー・ハサウェイ]]([[ウォーレン・バフェット]])(5.86%)
*State Street Global Advisors (3.70%)
* [[ローレン・パウエル・ジョブズ]] 1億5400万株(個人筆頭株主)}}
* アーサー・レビンソン 4588万株(個人2位株主)
* ティム・クック 3280万株
| 主要子会社 = {{Plainlist|* [[クラリス (企業)|クラリス]]
* [[ビーツ・エレクトロニクス]]
* [[:en:Braeburn Capital|Braeburn Capital]]
}}
| 関係する人物 = {{Indented plainlist|*[[スティーブ・ジョブズ]]([[創業者|共同創業者]]、第6代[[CEO]]、元[[会長]])
* [[スティーブ・ウォズニアック]](共同創業者)
* {{仮リンク|ジェフ・ウィリアムズ (Apple)|label=ジェフ・ウィリアムズ|en|Jeff Williams (Apple)}}[[最高執行責任者|COO]]
* [[ジョナサン・アイブ]](元チーフ・デザイン・オフィサー)
* [[アンジェラ・アーレンツ]](元小売・オンラインストア担当上級副社長)
* [[フィリップ・シラー]](Appleフェロー)
* [[クレイグ・フェデリギ]](ソフトウェア担当上級副社長)
* [[スコット・フォーストール]](元[[iOS]]担当上級副社長)
* [[トニー・ファデル]](元iPod担当上級副社長)
* [[ダン・リッキオ]](元ハードウェア担当上級副社長)
* [[ジョン・ジャナンドレア]](機械学習・人工知能戦略担当上級副社長)
* [[アル・ゴア]]([[社外取締役]])
* [[ウィリアム・キャンベル (経営者)|ビル・キャンベル]](元社外取締役)
}}
| 外部リンク = {{URL|https://www.apple.com/jp/}}
| 特記事項 =
}}{{After float}}
'''Apple Inc.'''(アップル)は、[[アメリカ合衆国]]の[[多国籍企業|多国籍]]テクノロジー企業である。[[カリフォルニア州]][[クパチーノ (カリフォルニア州)|クパチーノ]]に本社を置く。[[デジタル家庭電化製品]]、[[ソフトウェア]]、オンラインサービスの開発・販売を行っている。
[[ハードウェア]]製品としては、[[iPhone]]、[[iPad]]、[[Macintosh|Mac]]、[[Apple Watch]]、[[HomePod]]、[[AirPods]]などの開発および販売を行なっている。[[ソフトウェア]]製品としては[[Apple Music]]、[[Apple TV+]]、[[Apple Arcade]]、 Apple Fitness+、Apple Podcast、[[Apple Books]]、[[App Store]]、[[iTunes]]など広範囲の[[デジタルコンテンツ]]販売などを行っている。また、[[iCloud]]、iCloud+などの[[クラウドサービス]]も提供している<ref>{{Cite web|和書|title=Appleとは - IT用語辞典|url=https://e-words.jp/w/Apple.html|website=IT用語辞典 e-Words|accessdate=2021-05-25|language=ja|publisher=株式会社インセプト}}</ref>。
Appleの全世界での年間収益は、2020年度には2745億[[アメリカ合衆国ドル|ドル]]となった<ref>{{Cite web|和書|title=アップル通期決算「コロナ禍でも売上増」…iPhone以外全カテゴリーが成長。一方、中国急減の懸念も|url=https://www.businessinsider.jp/post-223241|date=2020-10-30|accessdate=2021-05-25|language=ja|first=伊藤|last=有|publisher=[[ビジネスインサイダー]]}}</ref>。Appleは売上高で世界最大のテクノロジー企業であり<ref>{{Cite web|和書|title=「世界最大の技術企業」になったApple社、その10年|url=https://wired.jp/2010/05/27/「世界最大の技術企業」になったapple社、その10年/|accessdate=2021-05-25|language=ja|publisher=[[WIRED (雑誌)|WIRED]]}}</ref>、[[2021年]]現在で世界で最も価値のある企業である<ref>{{Cite web|title=New Brand Finance Report Sees Apple Reclaim Position as World's Most Valuable Brand while US Airlines lose US$12 bn in Brand Value|url=https://www.prnewswire.com/news-releases/new-brand-finance-report-sees-apple-reclaim-position-as-worlds-most-valuable-brand-while-us-airlines-lose-us12-bn-in-brand-value-301215554.html|website=PR Newswire|accessdate=2021-05-25|language=en|first=Brand|last=Finance|publisher=Cision}}</ref>。販売台数で世界第4位のパソコンメーカーとなっており<ref>{{Cite web|title=Gartner Says Worldwide PC Shipments Grew 10.7% in Fourth Quarter of 2020 and 4.8% for the Year|url=https://www.gartner.com/en/newsroom/press-releases/2021-01-11-gartner-says-worldwide-pc-shipments-grew-10-point-7-percent-in-the-fourth-quarter-of-2020-and-4-point-8-percent-for-the-year|accessdate=2021-05-20|language=en|publisher=Gartner}}</ref>、2021年のスマートフォン市場では、出荷台数第2位、売り上げシェア第1位となっている<ref>{{Cite web| title= Global Smartphone Market Share: By Quarter |url=https://www.counterpointresearch.com/global-smartphone-share/|accessdate=2022-02-08|language=en|publisher=Gartner}}</ref><ref>{{Cite web| title= Global Smartphone Revenue Hits Record ~$450 Billion in 2021; Apple Captures Highest Ever Share in Q4 2021 |url=https://www.counterpointresearch.com/global-smartphone-revenue-hits-record-450-billion-2021-apple-captures-highest-ever-share-q4-2021/|accessdate=2022-02-25|language=en|publisher=Gartner}}</ref>。[[2018年|2022年]]1月、Appleは全世界の上場企業として初めて[[時価総額]]3兆ドルを超えた企業となった<ref>{{Cite web|和書|title=Apple's Market Cap Briefly Tops $3 Trillion After Relentless Rally |url=https://www.bloomberg.com/news/articles/2022-01-03/apple-value-briefly-tops-3-trillion-after-relentless-rally |date=2022-01-03 |accessdate=2022-01-03 |language=ja |publisher=[[ブルームバーグ (企業)|Bloomberg]]}}</ref>。また2022年5月11日時点での時価総額は約307兆円で世界2位<ref>{{Cite web|和書|title=サウジアラムコ、時価総額世界一に アップル抜く |url=https://www.afpbb.com/articles/-/3404479 |website=www.afpbb.com |access-date=2022-05-12 |language=ja}}</ref>。Appleは、2022年末時点で16万4000人の正社員を雇用し、26か国に526の直営店を展開している<ref>{{Cite web|和書|title=お近くのApple Store - ストア一覧 - Apple|url=https://www.apple.com/jp/retail/storelist/|accessdate=2021-05-20|language=ja-JP|publisher=Apple(日本)}}</ref>。また、同時期のApple製品利用台数は全世界で16億5000万台以上であり<ref>{{Cite web|title=Apple Now Has Over 1 Billion Active iPhones Worldwide, 1.65 Billion Total Devices|url=https://www.macrumors.com/2021/01/27/apple-active-devices-worldwide-january-2021/|accessdate=2021-05-20|language=en|publisher=MacRumors}}</ref><ref>{{Cite web|和書|title=アップル売上高過去最高を更新、初の1000億ドル超え、FBは2桁増収増益「アップルが最大のライバル」(小久保重信) - Yahoo!ニュース|url=https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/7bf0d5ae6c9e25735fdbe3e4bcf5ae2a4cfc94f7|website=Yahoo!ニュース 個人|accessdate=2021-05-20|language=ja}}</ref>、2021年8.5%のシェアであったMacの出荷台数は2,895万台以上と1年間で28%増加し、史上最高であった<ref>{{Cite web |title=Canalys Newsroom - Global PC shipments pass 340 million in 2021 and 2022 is set to be even stronger |url=https://canalys.com/newsroom/global-pc-market-Q4-2021 |website=canalys.com |access-date=2022-07-14 |language=en}}</ref>。
{{TOC limit|3}}
== 沿革 ==
[[ファイル:Apple Headquarters in Cupertino.jpg|thumb|[[Apple Campus]](旧本社)]]
Apple Inc.は[[1976年]][[4月1日]]、[[スティーブ・ジョブズ]]と[[スティーブ・ウォズニアック]]、および{{ill2|ロナルド・ウェイン|en|Ronald Wayne}}の3名により創業された{{Sfn|Linzmayer|2004|pages=6–8}}<ref name=TIME>{{Cite web|title=Here’s What Happened to Apple’s Third Co-Founder
|url=http://time.com/4274501/heres-what-happened-to-apples-third-co-founder/|website=[[タイム (雑誌)|TIME.com]]|date=2016-04-01|accessdate=2022-08-21}}</ref>{{#tag:ref|ロナルド・ウェインは創業から12日以内に自分の持ち株をジョブズとウォズニアックに売り戻し、会社を離れた<ref>{{Cite web|title=The unluckiest man in the world: Meet the forgotten Apple founder who missed out on $35 BILLION after selling his shares for $800 in 1976|url=https://www.dailymail.co.uk/news/article-2388674/The-unluckiest-man-world-Meet-Ron-Wayne-Apple-Incs-forgotten-founder.html|date=2013-08-10|accessdate=2021-05-20|first=James|last=Desborough|publisher=[[デイリー・メール]]}}</ref><ref name=":3">{{Cite web|和書|title=初期の成功、次なる野望、混乱、追放劇、さらなる混乱、驚きの復活劇……時価総額1兆ドル、アップルの波乱万丈|url=https://www.businessinsider.jp/post-172566|date=2018-08-07|accessdate=2021-05-25|language=ja|first=Matt|last=Weinberger|publisher=[[ビジネスインサイダー]]}}</ref>。|group="注釈"}}。創業時の名称は"Apple Computer Company"であり、ウォズニアックが開発したコンピュータ「[[Apple I]]」を販売するための[[パートナーシップ]]であった{{Sfn|Linzmayer|2004|pages=6–8}}<ref name=TIME/>{{#tag:ref|Appleが創業した場所としてジョブズの自宅ガレージがしばしば言及されるが、ウォズニアックによればガレージは実際には創業の地ではなく、製造したコンピュータの動作確認や納品のために使用されていた<ref>{{Cite web|和書|title=成功はガレージから始まる…5つの巨大テック企業が生まれた場所を見てみよう|url=https://www.businessinsider.jp/post-210598|date=2020-05-10|accessdate=2021-05-25|language=ja|first=Mary|last=Meisenzahl|publisher=[[ビジネスインサイダー]]}}</ref><ref>{{Cite web|和書|title=アップルはガレージで創業した...わけではない?|url=https://www.gizmodo.jp/2014/12/post_16070.html|date=2014-12-09|accessdate=2021-05-25|language=ja|first=mediagene|last=Inc|publisher=[[ギズモード・ジャパン]]}}</ref>。|group="注釈"}}。[[1977年]]1月には"Apple Computer, Inc."(アップルコンピュータ)として法人化し、その後「[[Apple II]]」をはじめとするコンピュータの販売が急速に拡大した{{sfn|Linzmayer|2004|pages=13–15}}。
1980年代には、[[1984年]]発売の初代「[[Macintosh 128K|Macintosh]]」に代表されるように、革新的な[[グラフィカルユーザインタフェース]](GUI)を採用したコンピュータを次々と開発した。Macintoshは当初成功していたが、IBMのシェアを追い抜くことはできず、ジョブズは経営陣や取締役会との関係が悪化し、[[1985年]]にMacintosh部門から解任されAppleを離れた<ref name=":3" /><ref name=":4">{{Cite news|title=米アップルのジョブズ氏死去、類まれな才能で業界を革新|url=https://jp.reuters.com/article/idJPJAPAN-23503520111006|work=[[Reuters]]|date=2011-10-06|accessdate=2021-05-25|language=ja}}</ref>。同年にはウォズニアックも円満にAppleを退社した<ref>{{Cite web|url=http://woz.org/letters/never-left-apple/|title=I Never Left Apple {{!}} Officially Woz: Officially Woz|accessdate=2020-05-20|publisher=[[スティーブ・ウォズニアック]]}}</ref>。その後、ジョブズはAppleの一部の同僚を連れて[[NeXT]]社を設立した<ref>{{Cite book|title=InfoWorld|url=https://books.google.com/books?id=zC4EAAAAMBAJ&pg=PA35|publisher=InfoWorld Media Group, Inc.|date=1985-04-15|language=en|first=InfoWorld Media Group|last=Inc}}</ref>。
1990年代に入り、[[パソコン]]の市場が拡大・発展していく中で、Appleは[[インテル]]のCPUに[[マイクロソフト]]の[[Microsoft Windows|Windows]]を搭載([[Wintel|Wintel連合]])した低価格帯の製品に押され、シェアを失っていった<ref>{{Cite web|和書|title=WindowsとMacのシェア、27年間の推移を比較したデータが話題に|url=https://news.mynavi.jp/article/20120710-a043/|date=2012-07-10|accessdate=2021-05-25|language=ja|publisher=[[マイナビニュース]]}}</ref>。取締役会は[[ギル・アメリオ]]をCEOとして起用し、[[レイオフ]]、経営陣の[[リストラ]]、製品の絞り込みなど、財政的に問題を抱えた会社を立て直そうとした。アメリオは失敗したOS戦略を解決しようと、[[1997年|1996年12月]]にAppleがNeXTを買収、ジョブズを呼び戻した<ref name=":4" />。
ジョブズは[[1997年]][[9月]]に暫定CEOに就任した<ref name=":4" />。Appleは「[[Think different]]」キャンペーンを展開し、[[iMac]]の販売で黒字化を達成した<ref>{{Cite web|和書|title=アップル、『iMac』で黒字|url=https://wired.jp/1998/10/13/アップル、『imac』で黒字/|accessdate=2021-05-25|language=ja|publisher=[[WIRED (雑誌)|WIRED]]}}</ref><ref>{{Cite web|和書|title=アップルが再び黒字に|url=https://wired.jp/2001/04/19/アップルが再び黒字に/|accessdate=2021-05-25|language=ja|publisher=[[WIRED (雑誌)|WIRED]]}}</ref>。[[2001年]]には[[iPod]]の発売、直営店の[[Apple Store]]開店など、Appleブランドを再構築した<ref>{{Cite web|和書|title=iPod誕生秘話、開発担当者が語る|url=https://wired.jp/2004/07/22/開発担当者が語る『ipod』誕生秘話/|website=WIRED.jp|accessdate=2021-05-25|language=ja}}</ref><ref>{{Cite web|和書|title=アップルの「App Store」が10年で成し遂げた5つの改革|url=https://japan.cnet.com/article/35122463/|date=2018-07-18|accessdate=2021-05-25|language=ja|publisher=[[CNET Japan]]}}</ref>。[[2007年]]には[[デジタル家庭電化製品]]への注力を反映させ<ref name="名前なし-1">[[原丈人]]2007『21世紀の国富論』</ref>、社名を「Apple」に変更した<ref>{{Cite web|和書|url=https://jp.reuters.com/article/domesticFunds/idJPnTK304156320070110|title=米アップルコンピュータ、社名をアップルに変更へ|publisher=[[ロイター]]|date=2007-01-10|accessdate=2007年9月25日}}</ref>。また、同年に[[iPhone]]を発売し、高い評価と経済的成功を収めた<ref>{{Cite web|和書|title=iPhoneは世界をどう変えたのか? その12年の歴史を振り返る|url=https://wired.jp/2019/09/08/wired-guide-to-the-iphone/|accessdate=2021-05-25|language=ja|publisher=[[WIRED (雑誌)|WIRED]]}}</ref><ref>{{Cite news|title=iphoneはなぜ成功したのか? アップル社ならではの経営戦略|newspaper=ビーカイブ|date=2013-5-24|url=http://b-chive.com/iphone-why-did-they-succeed/|access-date=2022-9-3|archive-url=https://web.archive.org/web/20161012093838/http://b-chive.com/iphone-why-did-they-succeed/|archive-date=2016-10-12|publisher=株式会社ブクペ}}</ref><ref>{{Cite web|和書|title=iPhoneが成功した3つの理由、もしアップルが自ら製造していたら?|url=https://diamond.jp/articles/-/198264|accessdate=2021-05-25|language=ja|publisher=[[週刊ダイヤモンド]]}}</ref>。[[2011年]]8月、ジョブズは健康上の理由でCEOを辞任し、[[ティム・クック]]がCEOに就任した<ref>{{Cite web|和書|title=Appleジョブズ氏辞任、新CEOはティム・クック氏に:ジョブズからの手紙|url=http://www.pronews.jp/news/20110825154010197.html|accessdate=2021-05-20|publisher=PRONEWS : デジタル映像制作Webマガジン}}</ref>。その2か月後、ジョブズは死去した<ref>{{Cite web|和書|title=ジョブズ氏の公式死因発表、死亡証明書の職業は「起業家」|url=https://www.afpbb.com/articles/-/2834164|accessdate=2021-05-20|language=ja|publisher=[[AFP通信]]}}</ref>。
スコット・ギャロウェイの著書『{{Lang|en|The Four: The Hidden DNA of Amazon, Apple, Facebook, and Google}}』<ref>{{Cite web|title=The Four Book|url=http://www.thefourbook.com/|website=www.thefourbook.com|accessdate=2019-02-28}}</ref>の翻訳本に日本独自でつけられたタイトル『the four GAFA 四騎士が創り変えた世界』から、GAFAという呼称でまとめて呼ばれ、[[Amazon.com|Amazon]]、[[Facebook]]、[[Alphabet|Google]]とともに世界的な巨大企業のひとつであるとの認識が広がっている<ref>[https://kotobank.jp/word/GAFA-1999733#E3.83.87.E3.82.B8.E3.82.BF.E3.83.AB.E5.A4.A7.E8.BE.9E.E6.B3.89 ガーファ【GAFA】 - デジタル大辞泉] [[コトバンク]]. 2018年12月27日閲覧。</ref><ref>[https://kotobank.jp/word/GAFA-1999733#E7.9F.A5.E6.81.B5.E8.94.B5 GAFA - 知恵蔵] [[コトバンク]]. 2018年12月27日閲覧。</ref><ref>[https://www.accenture.com/us-en/insight-digital-banking-beyond-everyday-bank GAFA Approach to Digital Banking Transformation] [[アクセンチュア|Accenture]]. 2018年12月27日閲覧。</ref><ref>{{Cite web|url=https://www.barrons.com/articles/ranking-the-big-four-internet-stocks-google-is-no-1-apple-comes-in-last-1503412102|title=Ranking The Big Four Tech Stocks: Google Is No. 1, Apple Comes In Last|last=Rivas|first=Teresa|website=www.barrons.com|language=en|accessdate=February 22, 2019}}</ref><ref>{{Cite web|url=https://www.bloomberg.com/opinion/articles/2017-10-31/the-big-four-of-technology|title=The Big Four of Technology|last=Ritholtz|first=Barry|date=October 31, 2017|website=bloomberg.com|language=en|accessdate=February 22, 2019}}</ref>。
== 歴史 ==
{{Main|Appleの歴史}}
=== 創業とApple I ===
[[ファイル:Apple 1 Woz 1976 at CHM.agr cropped.jpg|thumb|250px|[[コンピュータ歴史博物館]]に展示される[[Apple I]]。Apple Iはむき出しの[[マザーボード]]として販売され、使用するには購入者がキーボードやモニタを用意する必要があった。]]
[[1975年]]、大学を中退し[[アタリ (企業)|アタリ]]の技術者として働いていたスティーブ・ジョブズと、その友人で[[ヒューレット・パッカード]](HP)に勤務していたスティーブ・ウォズニアックは、シリコンバレーのコンピュータマニアによる「[[ホームブリュー・コンピュータ・クラブ]](HCC)」の会合に頻繁に参加していた{{sfn|O'Grady|2009|p=4}}{{sfn|Linzmayer |2004|pp=2-4}}。ウォズニアックは、HCC内で高く評価されていたマイクロプロセッサである[[Intel 8080]]の代わりに、安価な[[MOS 6502]]を処理装置とするコンピュータの自作を開始し、[[1976年]]3月までに[[Apple I]]の原型となるコンピュータを独力で完成させた{{sfn|Linzmayer|2004|pp=4-5}}。ウォズニアック自身はこのコンピュータの[[回路図]]をHCCにて無料配布することを望んでいたが、ジョブズはその商業的可能性に興味を抱き、このコンピュータを利用してビジネスを始めるべきだと訴えた{{sfn|Isaacson|2015|pages=60–62}}{{sfn|Linzmayer|2004|pages=5–6}}{{sfn|シュレンダー|テッツェリ|2016a|pages=50–52}}。2人は当初、それぞれの勤務先であるHPとアタリに製品化を提案したが却下されたため、自ら起業して基板([[プリント基板|プリント配線板]])の製造・販売を行うことにした{{sfn|Linzmayer|2004|pages=5–6}}。
1976年4月1日、ジョブズとウォズニアックに{{ill2|ロナルド・ウェイン|en|Ronald Wayne}}を加えた3人は、共同で「'''Apple Computer Company(アップルコンピュータ・カンパニー)'''」を創業した<ref name=ACC>{{cite news |first=Rhiannon |last=Williams |title=Apple celebrates 39th year on April 1 |url= https://www.telegraph.co.uk/technology/apple/11507451/Apple-celebrates-39th-year-on-April-1.html |website=[[The Daily Telegraph|The Telegraph]] |publisher=[[Telegraph Media Group]] |date=April 1, 2015 |accessdate=June 30, 2019}}</ref>。アタリで[[製図工]]として働いていたウェインは、株式の10パーセントを持つことを条件としてジョブズに誘われ会社に加わった(ジョブズとウォズニアックはそれぞれ45パーセントの株式を所持した){{sfn|Linzmayer|2004|pages=5-6}}。ウェインはApple社の最初の製品であるApple Iのマニュアルを作成したほか<ref name=ACC/>、リンゴの木と[[アイザック・ニュートン]]が描かれた最初期のロゴマークをデザインした{{sfn|Linzmayer|2004|pages=5-6}}。1977年、スティーブ・ジョブズからの依頼により、{{ill2|ロブ・ジャノフ|en|Rob_Janoff}}が欠けたリンゴのロゴマークをデザインした<ref>{{Cite web|title=Apple Logo Story|url=https://robjanoff.com/applelogo/|website=Robjanoff.com|date=2018-03-22|accessdate=2020-09-09|language=en-US}}</ref>。
個人以外の販路を求めたジョブズは、[[マウンテンビュー]]のコンピュータ店「バイトショップ(Byte Shop)」の経営者{{仮リンク|ポール・テレル|en|Paul Terrell}}にApple Iを売り込んだ{{sfn|Swaine|2014|p=337}}。強い興味を持ったテレルはすぐにApple Iを50台注文し、納品時に1台につき500ドル(合計2万5000ドル)を現金で支払うと約束したが、テレルが注文したのはApple Iのプリント配線板ではなく、パーツがすべて装着済みの完成品だった{{sfn|Linzmayer|2004|page=7}}。手持ちの資金では必要な数の部品が購入できなかったため、ジョブズらは部品サプライヤーを説得して30日間の支払猶予つきでパーツを購入し、懸命な作業で29日後には50台のApple Iを完成させ、テレルの店に納品して約束の代金を受け取った{{sfn|Swaine|2014|pages=337–338}}{{#tag:ref|ジョブズらが「完成品」として納品した50台のApple Ⅰは、必要なパーツがプリント配線板に装着されたマザーボードだけの状態であり、テレルが「完成品」として想定していた筐体やモニタ、キーボードなどを持つコンピュータとはかけ離れたものだった<ref name=LZ8>Linzmayer 2004, p. 8</ref>。テレルはそれでも約束の代金を支払い、ジョブズらはその代金を使って期限内にパーツ代の支払いを完了した<ref name=LZ8/>。|group="注釈"}}。
Apple Iは1976年7月から[[希望小売価格]]666.66ドルで市販され、最終的に約200台が製造された<ref>{{cite news |url= http://news.bbc.co.uk/2/hi/technology/7091190.stm |work=BBC News |title=Building the digital age |accessdate=July 1, 2019 |date=November 15, 2007}}</ref>{{sfn|Linzmayer|2004|page=7}}。創業者の1人であったウェインは、ジョブズの野心的な経営方針に不安を抱いたため、800ドルを受け取って所有する株を放棄し、1976年4月12日にAppleを自主退社した{{sfn|Linzmayer|2004|page=7}}。
=== 法人化とApple II ===
[[ファイル:Apple II Plus cropped.jpg|thumb|250px|1979年6月に登場した[[Apple II]] Plus。同年10月に発売された[[Apple II]]専用[[表計算ソフト]]「[[VisiCalc]]」の大ヒットは販売を大幅に増加させた{{sfn|Linzmayer|2004|pages=13–15}}。]]{{After float}}
テレルとの取引で手応えを得たジョブズは事業拡大を望み、そのために多額の資金が必要となった<ref name="LZ8" />。ジョブズは[[セコイア・キャピタル]]の創業者[[ドン・バレンタイン]]に会って融資を求めたが、バレンタインはApple Computerへの投資に興味を持たず、代わりに自分の元部下で、個人投資家として財を成していた[[マイク・マークラ]]を紹介した{{sfn|Linzmayer|2004|page=9}}。マークラはジョブズの野心とウォズニアックの技術的才能に心を動かされ、1976年11月からAppleに加わった{{sfn|Linzmayer|2004|page=10}}。マークラは自分の個人的資産から9万2000ドルを投資したほか、[[バンク・オブ・アメリカ]]から25万ドルの[[信用供与]]を確保した{{sfn|Linzmayer|2004|page=10}}。
1977年1月3日に[[法人]]化され、'''Apple Computer'''となった{{sfn|Linzmayer|2004|page=10}}。マークラはAppleの成長には経験豊富な経営者が不可欠と考え、[[ナショナル セミコンダクター]]から元同僚の{{ill2|マイケル・スコット (アップル)|en|Michael Scott (Apple)|label=マイケル・スコット}}を引き抜いて初代社長兼[[CEO]]の座につけた{{sfn|Linzmayer|2004|page=11}}。スコットは1977年2月からAppleでの仕事を始め、社員番号を入れた社員証を発行するなど、会社をより組織的にするための施策を実行した{{sfn|Linzmayer|2004|page=11}}{{#tag:ref|社員番号1は、ウォズニアックに与えられたが、ジョブズはこれをスコットに抗議する。しかし、社員番号1を与えればジョブズの放漫が増すと考えたスコットはこれを拒んだ。ジョブズは結局、社員番号0(振込先の銀行が0番に対応していなかったので実務上は2)を手に入れることで妥協した。ちなみにマークラが3番、スコットが7番の社員番号であった(スコットは5番目の社員であったが、社員の増加を見込んで好きな数字を選んだ)|group="注釈"}}。他方、ウォズニアックはApple Iの改良を着々と進めており、1976年8月末の時点で後継機となる「Apple II」のプロトタイプを完成させていた{{sfn|Linzmayer|2004|page=9}}。
[[Apple II]]は1977年4月16日に[[ウェスト・コースト・コンピュータ・フェア]]で発表され、小売価格1,298ドルで発売された{{sfn|O'Grady|2009|page=3}}{{sfn|Linzmayer|2004|page=12}}{{#tag:ref|Apple II発売に際してApple Iを回収、無償交換キャンペーンでバージョンアップ対応したため現存するApple Iは少ない。|group="注釈"}}。Apple IIの販売は当初から好調だったが、1978年7月に発売された専用[[フロッピーディスク]]ドライブ「{{ill2|Disk II|en|Disk II}}」と、1979年10月に発売された専用の[[表計算ソフト]]「[[VisiCalc]]」が大ヒットを記録し、Apple IIの販売台数が大幅に増加した{{sfn|Linzmayer|2004|pages=13–15}}。{{要出典範囲|1980年には設置台数で10万台、1984年には設置ベースで200万台を超え、Appleに大きな利益をもたらした。|date=2021年6月}}
=== 株式公開とApple III・Lisa ===
{{multiple image
| align = right
| direction = horizontal
| width = 180
| image1 = Apple3.jpg
| caption1 = 1980年に発売された[[Apple III]]。純正モニタの{{ill2|Apple Monitor III|en|Apple Monitor III}}を上に載せている。
| image2 = Apple_Lisa.jpg
| caption2 = 1983年に発売された[[Lisa (コンピュータ)|Lisa]]。当時としては先進的な機能を装備していたが、価格の高さから商業的には失敗した。
}}{{After float}}
[[1980年]]12月12日、Apple Computerは新規[[株式公開]](IPO)を行い、1956年に自動車会社[[フォード・モーター|フォード]]が行ったIPO以来となる記録的規模の資金調達を果たした{{sfn|Dormehl|2012|p=137}}{{sfn|O'Grady|2009|page=6}}。このIPOにより、ジョブズは約2億5600万ドルの個人資産を手に入れた{{sfn|シュレンダー|テッツェリ|2016a|p=104}}。
株式公開に先立つ1980年5月、Appleはビジネス向けに特化された[[Apple III]]を発表し、巨大企業[[IBM]]に商用コンピュータ市場で挑戦を仕掛けたが、4,340–7,800ドルという価格設定の高さと、ハードウェアの設計上の欠陥がわざわいし、Apple IIIは極度の販売不振に陥っていた{{sfn|O'Grady|2009|page=6}}{{#tag:ref|1985年の生産終了時点でApple IIIの合計販売台数は約6万5000台に過ぎなかった{{sfn|O'Grady|2009|page=7}}。|group="注釈"}}。他方、IBMは1981年8月に[[IBM PC]]を発表して[[パーソナルコンピュータ]]市場へ参入し、AppleとIBMの競争は激化した{{sfn|Linzmayer|2004|page=67}}{{#tag:ref|IBM PCの発売に際して、Appleは[[ウォール・ストリート・ジャーナル]]に“'''Welcome, IBM. Seriously'''”と題する全面広告を出してIBMを挑発した{{sfn|Linzmayer|2004|page=68}}{{sfn|Swaine|2014|pages=434}}。|group="注釈"}}。
ジョブズは[[1979年]]12月に[[ゼロックス]]の[[パロアルト研究所|パロアルト研究所(PARC)]]を見学しており{{#tag:ref|この見学はIPO前にApple株を[[ゼロックス]]に売却することの交換条件としてApple側が要求したものだった{{sfn|O'Grady|2009|page=7}}。|group="注釈"}}、そこで見た[[マウス (コンピュータ)|マウス]]によって操作される先進的な[[グラフィカルユーザインタフェース|グラフィカルユーザインタフェース(GUI)]]に強い印象を受けた{{sfn|O'Grady|2009|page=7}}。ジョブズは当時Appleで開発中だった次世代コンピュータ「[[Lisa (コンピュータ)|Lisa]](リサ){{#tag:ref|Lisaの名前は、ジョブズが当時交際していた女性との非嫡出子の名前からとったとされているが、ジョブズ本人はその娘の名前からとったことは認めていない。|group="注釈"}}」にPARCで目にしたようなGUIを実装することを決意し、設計への介入を強めたが、Lisaプロジェクトはジョブズの過剰な介入によって混迷することとなり、ジョブズはスコットら経営陣の判断で1980年9月にLisaの開発チームから外された{{sfn|Isaacson|2015|p=110}}{{sfn|Dormehl|2012|page=180}}{{sfn|O'Grady|2009|page=70}}。
1981年、ジョブズとの対立を深めたスコットは社長兼[[最高経営責任者|CEO]]を辞任することとなり、同年7月にはAppleを去った{{sfn|Linzmayer|2004|pages=15–16}}。1981年3月からはマークラが暫定的に[[CEO]]となっていたが{{sfn|Linzmayer|2004|pages=15–16}}、ジョブズはスコットの後任として[[マーケティング]]に優れた経営者を連れてくる必要に迫られた。1983年、ジョブズは[[ペプシコーラ]]から[[ジョン・スカリー]]を引き抜いてAppleの新[[最高経営責任者|CEO]]に就けたが、スカリーを説得する際にジョブズが用いた「''このまま一生、砂糖水を売り続ける気なのか?世界を変えるチャンスに賭けてみる気はないのか?''」というフレーズはのちに有名となった{{sfn|シュレンダー|テッツェリ|2016a|pages=122–123}}。他方、開発の遅れたLisaは[[1983年]]1月にようやく発売された{{sfn|O'Grady|2009|page=70}}。Apple IIIの販売不振が続き、主力製品であるApple IIも次第にIBM PCにシェアを奪われる中で、GUIやマウスなど革新的機能を備えるLisaへのAppleの期待は大きかったが、9,995ドルという極端な高価格と[[互換性|ソフトウェア互換性]]の欠如がユーザーを遠ざける結果となり、LIsaはApple IIIと同じく商業的な失敗作に終わった{{sfn|Linzmayer|2004|page=68}}{{sfn|O'Grady|2009|page=72}}。
=== Macintoshの発表 ===
[[ファイル:Macintosh 128k transparency.png|thumb|200px|1984年に発売された初代[[Macintosh 128K|Macintosh]]。]]{{After float}}
1980年秋にLisaの開発チームから外された後、ジョブズは[[ジェフ・ラスキン]]が立ち上げた新型コンピュータ「Macintosh(マッキントッシュ)」のプロジェクトに参画した{{sfn|Isaacson|2015|pages=109–112}}{{sfn|シュレンダー|テッツェリ|2016a|pages=122–126}}{{#tag:ref|Macintoshという名称は、ラスキンが好んだリンゴの品種McIntosh(マッキントッシュ)に由来する。{{ill2|マッキントッシュ (リンゴの品種)|en|McIntosh (apple)|label=McIntosh}}は北米ではポピュラーな小型の[[リンゴ]]の品種である(和名は「旭」)。|group="注釈"}}。Macintoshの開発は1979年9月に始まり、1,000ドル程度の安価な一般向けコンピュータというコンセプトの元で進められていたが、ジョブズはLisaに匹敵するGUIを持つ高性能なマシンへの方向転換を主張し、性能よりも価格の抑制を重視するラスキンとは激しく対立した{{sfn|Isaacson|2015|pages=109–112}}{{sfn|O'Grady|2009|pages=8-9}}。最終的に、ラスキンはジョブズとの争いに敗れて1981年1月にプロジェクトのリーダーを降りることとなり、1982年3月にはAppleを去った{{sfn|Isaacson|2015|pages=109–112}}{{sfn|O'Grady|2009|pages=8-9}}{{#tag:ref|Macintoshの発売後、マークラはジョブズに干される形でAppleを去ったラスキンに対し、敬意を表する形でMacintoshを送ったが、ラスキンがどういった感情を抱いたかは不明である。|group="注釈"}}。Lisaプロジェクトに強い対抗心を抱いていたジョブズは、Macintoshの開発をApple本社とは独立したプロジェクトとして推し進め、「''海軍に入るより、海賊であれ(It's better to be a pirate than to join the navy)''」などと説いて開発メンバーの連帯感と反骨精神を鼓舞した{{sfn|Isaacson|2015|pages=109–112}}{{sfn|シュレンダー|テッツェリ|2016a|pages=122-126}}{{#tag:ref|この精神のシンボルとして、Macintoshプロジェクトが行われていたビルの屋上には[[ドクロマーク]]の[[海賊旗]]が掲げられた{{sfn|シュレンダー|テッツェリ|2016a|pages=122-126}}。|group="注釈"}}。
長い開発期間を経て、Macintoshは[[1984年]]1月24日に発売された{{sfn|O'Grady|2009|pages=10–12}}。2日前の1月22日には、[[第18回スーパーボウル]]の放送で[[リドリー・スコット]]による有名なテレビCM『'''[[1984 (広告)|1984]]'''』がオンエアされており、Macintoshには大きな注目が集まった<ref>{{cite news |first=Kevin |last=Maney |title=Apple's '1984' Super Bowl commercial still stands as watershed event |url= https://usatoday30.usatoday.com/tech/columnist/kevinmaney/2004-01-28-maney_x.htm |work=[[USA Today]] |date=January 28, 2004 |accessdate= July 18, 2019}}</ref>{{sfn|シュレンダー|テッツェリ|2016a|pages=130–132}}。Appleによって''The computer for the rest of us''として打ち出されたMacintoshは<ref>{{Citation|title=Apple Macintosh Is The Computer For The Rest Of Us Commercial|url=https://archive.org/details/Apple_Macintosh_Is_The_Computer_For_The_Rest_Of_Us_Commercial|date=1984|accessdate=2019-02-24}}</ref>、一般向けPCとしては初めてマウス操作によるGUIを搭載しており、当初はメディアからの称賛を浴び、1984年4月末の時点で5万台を売り上げるなど販売も非常に好調だった<ref>{{cite news | url=https://www.nytimes.com/1984/04/24/business/apple-is-banking-on-new-portable-the-iic-computer.html | title=Apple is Banking on New Portable: The IIc Computer | work=The New York Times | date=1984-04-24 | accessdate=18 July 2019 | author=Hayes, Thomas C.}}</ref>{{sfn|Swaine|2014|pages=442-443}}。しかし、2,495ドルという価格が一般向けPCとしては高額であったことと、対応ソフトの不足がわざわいし{{#tag:ref|Apple IIとの互換性はまったくなく、当然対応するサードパーティーのソフトもほとんどなかった。|group="注釈"}}、発売から数カ月が過ぎるとMacintoshの販売は停滞し始め、開発担当者であるジョブズとスカリーらApple経営陣との関係も悪化した<ref>{{Cite book |ref={{harvid|Hertzfeld|2005}}|first=Andy |last=Hertzfeld |year=2005 |title=Revolution in The Valley: The Insanely Great Story of How the Mac Was Made |publisher=O'Reilly Media |isbn=9780596007195}} p. 195</ref>{{sfn|Swaine|2014|pages=442-443}}{{sfn|シュレンダー|テッツェリ|2016a|pages=134–144}}。
スカリーはジョブズをMacintosh部門から降ろすことを決定し、1985年4月には取締役会から全会一致の承認を得た{{sfn|シュレンダー|テッツェリ|2016a|pages=140–152}}。この決定に反発したジョブズは、スカリーが中国に出張する隙に彼を解任することを画策したが、スカリーはフランス法人のトップである[[ジャン=ルイ・ガセー]]から事前にジョブズの計画について知らされ、出張をキャンセルし重役会議でジョブズと対峙した{{sfn|シュレンダー|テッツェリ|2016a|pages=140–152}}{{sfn|Linzmayer |2004|page=143}}。会議では、その場に居たAppleの重役の全員がスカリーへの支持を表明し、その後取締役会もスカリーへの支持を表明したため、ジョブズは1985年5月31日に全ての業務から外され、何の実権も持たない会長職を与えられた{{sfn|シュレンダー|テッツェリ|2016a|pages=140–152}}{{sfn|O'Grady|2009|pages=10–11}}。
=== ジョブズとウォズニアックの離脱 ===
1985年9月、ジョブズは当時所有していたAppleの株を1株だけ残して約650万株をすべて売却し、[[NeXT]]社を創立した。それと同時にスカリー宛てに郵送で辞職願を提出し、会長職も辞任した。[[2010年]]の記事で、スカリーは一番後悔していることとして、ジョブズを辞任に追い込んだことを挙げている<ref>{{Cite news|title=John Sculley on Why He Fired Steve Jobs|date=2010-06-06|last=Weber|first=Thomas E.|url=https://www.thedailybeast.com/articles/2010/06/06/why-i-fired-steve-jobs|accessdate=2018-09-04|language=en|work=The Daily Beast}}</ref>。ウォズニアックもまた、別の事業を始めるため1985年前半に(ジョブズよりも先に)Appleを離れていた。その際、ウォズニアックはAppleがApple II部門を冷遇してきたことへの不満を表明し、会社が「過去5年間ずっと間違った方向に進んでいる」と述べた<ref name="rice19850415">{{cite news |url= https://books.google.com/books?id=zC4EAAAAMBAJ&lpg=PA13&pg=PA35 |title= Unrecognized Apple II Employees Exit |work=[[InfoWorld]] |date= April 15, 1985 |accessdate= November 6, 2017 |last= Rice |first= Valerie |page= 35 }}</ref><ref name="wozemployee">{{Cite news |url= http://woz.org/letters/never-left-apple/ |title= I Never Left Apple |date= January 3, 2018 |work= Officially Woz |access-date= October 2, 2018 |language= en-US }}</ref><ref>{{cite news |url= http://www.cnn.com/video/?/video/bestoftv/2011/08/25/exp.piers.wozniak.jobs.reaction.cnn |work=[[CNN (アメリカの放送局)|CNN]] |title= CNN.com Video }}</ref>。
ジョブズとウォズニアックが去った1985年、AppleはMacintosh向けに[[キヤノン]]と共同開発した[[レーザープリンター]]であり、出資先のアドビシステムズ(現・[[アドビ]])が開発した[[PostScript]]を搭載した[[LaserWriter]]を発売し<ref>{{Cite web|和書|url=https://book.mynavi.jp/macfan/detail_summary/id=49825|title=アドビの今とクリエイティブ、そのすべて。|accessdate=2021/05/11}}</ref><ref>{{Cite web|和書|title=アドビの創立者 - @IT自分戦略研究所|url=https://jibun.atmarkit.co.jp/ljibun01/rensai/gyoukai/018/02.html|website=jibun.atmarkit.co.jp|accessdate=2021-05-11}}</ref>、コンピュータ上で描いた文字や絵を出力する際にドットの粗い[[ディザ]]を表示させることなく、きれいな[[ベクター画像|アウトライン]]で出力することを可能にした。また、[[アルダス]]社(現・アドビ)の開発した[[PageMaker]]とMacintosh、レーザーライターを組み合わせることで、[[DTP]]という市場を創造した<ref name=":0">{{Cite web|和書|title=印刷と出版を変革したPostScript(前編) {{!}} 大塚商会|url=https://www.otsuka-shokai.co.jp/media/it-history/chapter001/postscript-1.html|website=www.otsuka-shokai.co.jp|accessdate=2019-02-24|language=ja}}</ref>。精巧な[[タイポグラフィ]]機能を備えていたMacintoshは、DTP用コンピュータとして圧倒的な人気を博し、Appleは初期のDTP市場を事実上独占することに成功した{{sfn|Swaine|2014|pages=359–363}}{{#tag:ref|現在でもDTP用途ではMacintoshが多用されているのは、この2つの製品による革命とPostScriptの採用<ref name=":0" />、高価ではあったが[[グラフィック]]処理にも耐えうる[[モトローラ]]製[[CPU]]の採用に起因していると言える。|group="注釈"}}。
ジョブズに代わってMacintosh部門のトップに立ったガセーは、55パーセントの利益率という目標を意味する「55か死か(fifty-five or die)」というスローガンを掲げてMacintosh製品の値上げを実行し、1980年代後半のAppleで高価格・高利益率路線を推し進めた{{sfn|Dormehl|2012|page=295}}{{sfn|Carlton|1997|pages=79–80}}。高価格で販売された「[[Macintosh II]]」などの新型モデルは高い利益率を提供し、DTP市場での人気を背景に当初は売上高にも減少は見られなかった{{sfn|Swaine|2014|pages=359–363}}。さらに、Appleは外部のソフト会社にMac用のソフト開発を説得する職種である[[エバンジェリスト]](宣伝部)を作り、[[ガイ・カワサキ]]らを任命した。
=== Newton ===
[[ファイル:Apple Newton and iPhone.jpg|thumb|200px|[[Apple Newton|Newton]] MessagePad 2100(左)と初代iPhone(右)]]{{After float}}
スカリーは、Macintosh以外にAppleの柱となる製品が必要だと感じていた。スカリーはコンピュータの未来像として[[:en:Knowledge Navigator|Knowledge Navigator]]というものを描いていた。これは、コンピュータがユーザの優秀な秘書をこなし、言葉や簡単なリモコン操作のみで自由自在に操れるというもので、この後の予定を教えてくれたり、電話を取り次いだり家にいながら会議を行ったりすることができる。Appleは、ナレッジ・ナビゲータを仮想ではない近未来のコンピュータとして提案した。
一方、[[スティーブ・サコマン]]はガセーの許可を受け1987年ごろには[[Apple Newton|Newton]]と呼ばれる次世代コンピュータ開発のプロジェクトを開始していた。スカリーはこのNewtonに自身のナレッジ・ナビゲータを感じ取り、開発に力を入れるようになっていった。
[[1990年]]、スカリーは[[Mac OS]]互換機(後述)およびニュートンの方向性をめぐってガセーと対立することとなる。ガセーを辞職させたあとサコマンも辞任し、スカリー自身は技術者でないにもかかわらずAppleの[[最高技術責任者|CTO]] (最高技術責任者)に着任した。[[ラリー・テスラー]]がNewton開発責任者となり携帯情報端末へと方向転換を行って、[[1992年]]、CPU に[[ARMアーキテクチャ|ARM]]を採用し、[[スタイラス]]による手書き認識などを実現した[[携帯情報端末|PDA]]、[[MessagePad|Newton MessagePad]]を発表した。
初代MessagePadは[[シャープ]]と共同開発され<ref>{{Cite web|和書|title=Mobile:ガリレオ【がりれお】|url=https://www.itmedia.co.jp/mobile/keywords/0202/04/n_keyword2.html|website=www.itmedia.co.jp|accessdate=2019-02-07}}</ref>、シャープにとってはのちの[[ザウルス]]のヒットへとつながることとなる。世界初のPersonal Digital Assistant(PDA)という概念とともに発表されたMessagePadはNewton OSという独創的なOSを採用し、ペンデバイスで入力した文字をそのままテキスト文書として保存できることが特徴だった。それ以外にもフリーハンドで書いた文字や絵を保存する作業をせずに電源を落としても、電源投入後にはそのままの文字や絵を表示させることができ、紙のメモ帳にとって変わる新しいコンピュータの方向性を示したものといえる。しかし、ビジネスとしては失敗した。
=== General Magic ===
Newtonと並行して、[[General Magic]]が[[マーク・ポラット]]をCEOとして[[ビル・アトキンソン]]、[[アンディ・ハーツフェルド]]が共同設立者となり、Appleの子会社として立ち上げられた。General Magicは、Knowledge Navigatorを具現化することを目論んだ''Looking Glass''(野心的な小型携帯情報端末Personal Intelligent Communicator、PIC)プロジェクトが1990年、Appleからの出資に加え、[[AT&T]]、[[松下電器産業]]、[[モトローラ]]、[[日本電信電話|NTT]]、[[フィリップス]]、[[ソニー]]の出資や提携を得てスピンアウトした会社である<ref name=":5">{{Cite web|和書|title=業界に痕跡を残して消えたメーカー 最先端PDAに時代がついてこなかった不運のGeneral Magic (1/4)|url=https://ascii.jp/elem/000/001/546/1546253/|website=ASCII.jp|accessdate=2021-06-22|language=ja|last=ASCII}}</ref><ref>{{Cite web|和書|title=NTT 情報通信用語集|url=https://www.ntt-review.jp/yougo/word.php?word_id=756|website=www.ntt-review.jp|accessdate=2021-06-11}}</ref>。出資提携先にはCable&Wireless、France Telecom、[[富士通]]、[[三菱電機]]、Northern Telecom、[[三洋電機|サンヨー]]、[[沖電気工業|沖電気]]、[[東芝]]が加わった<ref name=":5" />、1994年にソニーからMagic Linkが発売されたが、携帯情報端末としてのビジネス化は失敗して方向転換した<ref>{{Cite web|title=General Magic Home Page|url=https://web.archive.org/web/19970327040944/http://www.genmagic.com/|website=web.archive.org|date=1997-03-27|accessdate=2021-06-11}}</ref>。結果、Appleなどの持ち株は売却され、その後、破綻して知的財産は[[ポール・アレン]]を筆頭とした複数の会社に取得された<ref>{{Cite web|和書|title=Japan.internet.com Webファイナンス - General Magic、破産法第11条適用を申請|url=https://web.archive.org/web/20021231165430/http://japan.internet.com/finanews/20021216/12.html|website=web.archive.org|date=2002-12-31|accessdate=2021-06-11}}</ref>。Google幹部を経て米[[最高技術責任者|CTO]]を務めた[[ミーガン・スミス]]、[[Android (オペレーティングシステム)|Android]]を開発した[[アンディ・ルービン]]や後のApple幹部である[[トニー・ファデル]]、ケビン・リンチ、[[ジョン・ジャナンドレア]]も在籍していた<ref>{{Cite web|和書|title=映画『GENERAL MAGIC』公式サイト|url=https://general-magic.jp/|website=映画『GENERAL MAGIC』公式サイト|accessdate=2021-06-27|language=ja}}</ref>。
=== 業績低迷期とMacintosh互換機 ===
{{出典の明記|date=2019年7月|section=1}}
ジョブズがAppleを去ったのに前後して、1985年6月25日にスカリーとハード担当責任者であったガセー宛に、[[マイクロソフト]]の[[ビル・ゲイツ]]から「[[AT&T]]や[[ヒューレット・パッカード]]、[[ソニー]]など有力メーカーにMacintoshのOSを[[ライセンス]]するべきで、ゲイツ自身もその手助けを惜しまない」という内容の手紙が送られた。ゲイツは自社でのOS開発凍結も考えていたほど本気だったようだ。
スカリーは[[オペレーティングシステム|OS]]ライセンスの可能性について調査を指示したが、ガセーを筆頭にした技術陣からの猛反対を受けてこの提案は闇に葬られた。
その後、パソコン用の[[16ビット]]CPUは逐次[[32ビット]]に移行していく。Appleの採用した[[モトローラ]]系では[[MC68000]]、[[MC68020]]、[[MC68030]]、[[MC68040]]と推移していく。モトローラのCPUは最初のMC68000から、32ビットへ容易に移行できるように設計されていた。
Appleはライセンス違反をしているとして、マイクロソフトに対してGUIに対する対価を求めて裁判を起こす。ジョブズが復帰(後述)する頃まで裁判は長引き、その時点ではAppleに対して不利な裁定が下ることになる。しかしその数年前、ゼロックスがAppleに対して同様の裁判を起こし、ゼロックスに対して不利な裁定が下っていることもあり、熱心なマッキントッシュ・ユーザは複雑な心情を抱いていた。
Appleはマイクロソフトの[[Microsoft Windows]]に対して市場競争を模索する。これより68000系以外のCPU[[コンピュータ・アーキテクチャ|アーキテクチャ]]への移行である。その1つ[[x86]]系への移植プロジェクトである'''スタートレック'''が、1992年ごろに[[ノベル (企業)|ノベル]]の協力を得て開始される。しかし計画は後述のPowerPCに専念するため中断され、日の目を見ることはなかった。
1992年、スカリーはIBMと交渉し、同年AppleはIBMとモトローラと組んで新しいパーソナルコンピュータのプラットフォーム開発を発表した。IBM PCとマッキントッシュの経緯から、この共同開発発表は西海岸と東海岸の巨頭同士の歴史的和解とも言われた。
新しい[[パーソナルコンピュータ|PC]]は、[[CPU]]に[[RISC]]チップである[[PowerPC]]、[[オペレーティングシステム|OS]]として[[Taligent]](開発コード:Pink)、アプリケーションとしてマルチメディア開発ツール「[[Kaleida Labs|カライダ]]」(開発言語ScriptX)からなる予定であった。
[[ファイル:Power Mac 6100 60.jpg|thumb|200px|初期のPower Macintoshとなった[[Power Macintosh 6100]]]]{{After float}}
技術者が休暇中に趣味で作り上げた68000系[[エミュレータ]]の出来がよく、またTaligentの開発は困難をきわめたため、[[1994年]]、PowerPCと[[MC68040|68LC040]]エミュレータを搭載し、従来の68000系のバイナリプログラムの動作も可能な[[Power Macintosh]]シリーズを発表する。それまでの上位機種であった[[Quadra]]をベースにしており、[[メモリ]]に72pin[[SIMM]]、拡張スロットバスに[[NuBus]]を採用するなど、ハードウェアの互換性も計られていた。しかし当時のMac OS(System 7.1.1や7.5.2)はバグが多く、たびたびエラーやフリーズを起こし、快適さと相反する不安定さも兼ね備えていた事実は否定出来ない。Mac OS 7.6までにはその不安定さは解消され、その後しだいに信頼性は向上したが、Mac OS 9.2.2に至るまで100パーセントのPowerPCコードで作られた[[オペレーティングシステム|OS]]とはならず、メモリ保護もない脆弱さもそのままであった。これらの問題が完全に解消されたシステムは2001年の[[Mac OS X]]の登場まで待たねばならなかった。
1994年にAppleは、モトローラ、IBMなどにMacintoshのライセンスを与え、互換機ライセンスを開始する。1995年に{{仮リンク|Power Computing|en|Power Computing Corporation}}と[[パイオニア]]が初の[[Mac OS互換機]]を発表すると、[[アキア|akia]]、UMAX、ラディウスなどが続々と参入した。しかし、[[PC/AT互換機]]からの市場奪還は進まず、互換機がMacintoshのシェアを浸食するという結果となった。
1995年後半になると、マイクロソフトは[[Windows 95]]を販売開始する。Windows 95は、Macintoshに似たGUIを搭載し、従来の[[MS-DOS]]上の[[Windows 3.1]]ではなし得なかった[[デスクトップ環境]]と[[ディレクトリ|フォルダ]]管理のGUI化を果たした。様々な面でDOSのしがらみを依然として引きずっていたWindows 95ではあるが、操作性が3.1以前に比べて大幅に向上したことにより爆発的にヒットし、次期OSである[[Copland]]の開発に手間取っていたMacintoshの深刻な脅威となった。
=== Apple売却交渉 ===
{{出典の明記|date=2019年7月|section=1}}
のちに公表されることとなるが、[[サン・マイクロシステムズ]]とは1988年ごろから合併交渉を行っていた。1990年には、ほぼ合意に達していたが、AppleがIBMとモトローラとの提携を発表したことで白紙に戻ってしまった。その後もAT&Tや[[コダック]]と交渉を行うが企業風土の違いでまとまることはなかった。
Newtonや政治(スカリーは[[ビル・クリントン]]の大統領選挙応援に力を入れていた)など、Macintoshに力を注いでいないスカリーの行為に、Appleの取締役会は不信の目を向けるようになった。[[1993年]]に業績が大幅に悪化すると、1993年6月18日、ストックオプションなど約1000万ドル相当の退職慰労金を手にスカリーはCEOを退任し、Appleのヨーロッパ市場で功績を上げていた[[マイケル・スピンドラー]]が新たなCEOに就任する。スピンドラーの仕事は、Apple本社を高く売ることだったとも言われている。
1994年は低価格Macintoshの[[Performa]]シリーズを増産してクリスマスシーズンを迎えたが、スピンドラーはこの需要予測を大きく外すこととなる。リサーチ部門とセールス部門、さらには開発部門までもがそれぞれ大きく対立していたことと、市場ではPower Macintoshなどのハイスペックマシンの需要が高かったにもかかわらず、ロースペックで利益率の悪いPerformaの在庫が日に日に増えていき、需要の高いPower Macintoshや[[PowerBook]]が品薄状態で、生産がまったくもって追いついていないと言う最悪の結果となった。
当時のAppleは内部のいざこざがあまりにも多く、悲惨な状態であった。需要予測を外したうえに、スピンドラーの指示を誤解したセールス部門は、ただでさえ利益率の悪いPerformaを赤字でばらまいて売りさばいてしまった。それ以外にもさまざまな要因が重なり、この四半期で赤字は8000万ドルに達した。
そのころ(1995年)Appleはキヤノンと1株54ドル50セントでの買収交渉を行うが、キヤノンの社長が急死したことも重なり、最終的には実現することはなかった。そしてAppleは再びIBMと交渉の場を持つが、IBMはロータス社を買収しサービスビジネスに会社を方向転換の最中で、Apple買収にはお世辞にも前向きな姿勢とは言えなかった。そのうえ、IBMはどんな買収交渉であっても、結論を出すまでに途方もない時間をかけることが通例で、交渉に入ってもまったく音沙汰がないということが多い企業である。どんな形であってもAppleを売り出したい取締役たちは、そのあまりにも遅いIBMの動きだけに目をとらわれてしまい、実際のIBMの過去の動向にはまったく気付いていなかった。最終的にはIBMとの交渉は決裂してしまい、その後には[[フィリップス]]と1株36ドルで交渉を行うが、フィリップスの役員会であっさりと否決されてしまう。
1996年1月23日の株主総会で、Apple再建策としてマック互換機ライセンスビジネスの加速と人員削減による提案を行うが、株主から辛辣な言葉を浴びせられる。総会後の取締役会でサン・マイクロシステムズの[[スコット・マクネリ]]も参加し、最後の買収交渉(1988年時とは異なりAppleが吸収される立場)が行われた。マクネリはApple1株につき23ドルを譲らず、買収交渉は頓挫。その後の取締役会で、スピンドラーは責任を取らされる形でCEOの座を下ろされた。
マイク・マークラを筆頭とするAppleの取締役会はスピンドラーの後任として、かつて倒産寸前だったナショナルセミコンダクターを再建し、Appleの[[社外取締役]]にも就任していたギル・アメリオをCEOの座につけた。アメリオはのちに、「(アメリオを除く)当時の取締役の全員がAppleをどこに売り渡すかということしか考えておらず、Appleを再建することはみじんも考えていなかった」と語っている。大のMacintoshファンでもあったアメリオは、Appleを売ることしか考えていなかった取締役のほとんどに失望を覚え、Apple再建の道標となるべく一歩を踏み出した。
=== OS開発の失敗・NeXT買収 ===
{{出典の明記|date=2019年7月|section=1}}
{{see also|Copland}}
Macintoshの[[オペレーティングシステム|OS]]は、1984年の出荷以降、System 7まで大幅に強化改良されたものの、基本的な部分はほとんど進化していなかった。1990年代に入ると、マルチメディアやネットワークの時代を迎え、従来はミニコンや大型汎用機の[[オペレーティングシステム|OS]]の機能であったマルチタスク(プリエンプティブマルチタスク)、メモリプロテクション(メモリ保護)、仮想メモリ、ネットワーク機能を備えた“モダンOS”が、次世代のパソコン用[[オペレーティングシステム|OS]]に必要だと考えられるようになった。
Apple社内で未来志向の“オブジェクト指向OS”として計画された“Pink”は、最終的にIBMと共同で別会社[[Taligent]]を設立して開発が進められた<ref>{{Cite web|title=Taligent Company History|url=http://wildcrest.com/Potel/Portfolio/InsideTaligentTechnology/WW87.htm|website=wildcrest.com|accessdate=2021-04-04}}</ref>が、要求仕様だけが膨らみ続け、道半ばで頓挫した。Pink OSの反省からやり直された新OSが1994年に発表された「Copland」で、System 7.x系と互換性を持たせつつ、革新的なGUI、暫定的なマルチタスク機能と暫定的に改良されたメモリ管理機能を提供し、メモリ4MBのMac Plusでも動作するほどコンパクトというふれこみであったが、その開発は難航し、公開の延期を繰り返した。
1996年7月、新たにAppleの[[最高技術責任者]](CTO)となった[[エレン・ハンコック]]は、Coplandが完成する見込みがないと判断を下し、開発の中止を命じた。Appleは次期Mac OSとなる新たな[[オペレーティングシステム|OS]]を外部から調達することを決定し、候補として[[マイクロソフト]]の[[Microsoft Windows NT|Windows NT]]、[[サン・マイクロシステムズ]]の[[Solaris]]、IBMの[[OS/2]]、[[Be (企業)|Be]]の[[BeOS]]などを挙げて調査と交渉を行った。なかでもBeOSこそ本命と噂されていた<ref>{{Cite web|和書|title=業界に痕跡を残して消えたメーカー Power MacintoshのOSになれなかった悲劇のBe (3/3)|url=https://ascii.jp/elem/000/001/542/1542094/|website=ASCII.jp|accessdate=2021-02-23|language=ja|last=ASCII}}</ref><ref>{{Cite web|和書|title=後藤弘茂のWeekly海外ニュース はたしてNEXTSTEPはMac OSのカンフル剤となるか 追いつめられたAppleのNeXTステップ|url=https://pc.watch.impress.co.jp/docs/article/961224/kaigai01.htm|website=pc.watch.impress.co.jp|accessdate=2021-02-23}}</ref>。1996年中ごろには、BeとAppleの買収交渉が本格的に始まった。ガセーは1億ドルを要求したが、Appleは5000万ドルと見積もっていた。アメリオはこのBeOSに高い関心を寄せていたが、BeOSは未完成でAPIが整備されておらず、BeOSを買収したとしてもMac OSとして出荷できるようになるまでには数億ドルの投資と、数年にもわたる歳月が必要だと見積もられていた。なかなかBeOSの売り込みが進まないBe社は、Mac互換機メーカーだったパワーコンピューティングにBeOS開発版である「BeOS PreviewRelease」をライセンスするなど、挑発的とも取れる行為をするようになった。
1996年の11月ごろ、公表されてはいなかったが、NeXTはハードウェアから撤退し創業以来初の黒字となっていたものの経営状態は良好とはいえず、スティーブ・ジョブズはNeXTを売却する目論見の元、[[株式公開#新規株式公開(IPO)|IPO]]を計画していた<ref>{{Cite web|title=NeXT: Steve Jobs’ dot com IPO that Never Happened|url=https://computerhistory.org/blog/next-steve-jobs-dot-com-ipo-that-never-happened/|website=CHM|date=2017-02-07|accessdate=2021-02-23|language=en}}</ref>。同時期にAppleが次期OSを外部に求めているという話を知ったNeXTのプロダクトマネージャであったジョン・ランドアーはセールス担当副社長のミッチ・マンディッチ<ref>{{Cite web|title=Apple - Bios - Mitch Mandich|url=https://web.archive.org/web/19980509055446/http://www.apple.com/pr/bios/mandich.html|website=web.archive.org|date=1998-05-09|accessdate=2021-04-04}}</ref>から支持を取付け、彼から指示されたチャンネルマーケティングマネージャのギャレット・ライス は、最初はジョブズに何も言わずAppleに電話してエレン・ハンコックに打診<ref name=":1">{{Cite web|title=Why Apple Sees Next as a Match Made in Heaven|url=https://web.archive.org/web/20050304180011/partners.nytimes.com/library/cyber/week/1223apple.html|website=web.archive.org|accessdate=2021-04-04}}</ref><ref name=":2">{{Cite web|title=Behind the scenes story|url=https://web.archive.org/web/19970111165507/http://www.sjmercury.com/business/jobs/main1221.htm|website=web.archive.org|date=1997-01-11|accessdate=2021-04-04}}</ref>。折り返しの連絡を受け、その数日後の11月26日に、NeXTにAppleのエンジニアが派遣されて会議を行った正にその日、ジョブズはApple役員とハンコックに対して[[OPENSTEP]]と[[NEXTSTEP]]を売り込んだ<ref name=":1" /><ref name=":2" />。ジョブズは12月上旬に、1985年以来初めてApple社内に入り、アメリオら首脳陣と話し合った。12月10日にはBeOSとOPENSTEPの比較プレゼンテーションがあったが、勝利を確信していたガセーがほとんど事前準備をしていなかったのに対し、周到に準備をしたジョブズがカリスマ的なプレゼンテーションを展開し、ガセーは敗れ去った。12月20日にAppleがNeXTを4億ドルで買収することを発表し、次期OSの基盤技術としてOPENSTEPを採用すると発表した<ref>{{Cite web|和書|date=1996-12-21|url=https://pc.watch.impress.co.jp/docs/article/961221/apple.htm|title=米Apple、4億ドルで米NeXT Softwareを買収、ジョブズ氏も古巣に復帰|publisher=PC Watch|accessdate=2012-05-09}}</ref>。
=== ジョブズの復帰 ===
[[ファイル:Twentieth Anniversary Macintosh.jpg|thumb|200px|20周年記念Macintosh([[Twentieth Anniversary Macintosh]])]]{{After float}}
1997年2月に正式にNeXT買収が成立し、アメリオの要請もありジョブズとウォズニアクはAppleに非常勤顧問という形で復帰した(同時に、NeXTのセールス担当副社長ミッチ・マンディッチ、ソフトウェア技術担当副社長[[アビー・テバニアン]] ハードウェア技術担当副社長[[ジョン・ルビンスタイン]]が重役としてAppleに加わる<ref>[https://investor.apple.com/secfiling.cfm?filingid=320193-96-27&cik=320193 Acquisition Brings New Talent to Apple]</ref>)<ref>{{Cite web|和書|title=米Apple社、新体制を発表 |url=https://pc.watch.impress.co.jp/docs/article/970205/apple.htm |website=pc.watch.impress.co.jp |access-date=2022-08-18 |quote=アップルの設立者の一人がウォズニアク(Steve Wozniak)がジョブズとともに顧問となり、経営委員会に加わることを明らかにした。}}</ref>。このとき、アメリオからプレゼントされた[[Twentieth Anniversary Macintosh|20周年記念Macintosh]](Spartacus)を窓から投げ捨てたという噂がまことしやかに囁かれた(ちなみにウォズにもこの記念すべきMacintoshがプレゼントされた)。
Appleに復帰したジョブズは、同年6月には一度はAppleの先行きを悲観し株式を手放したが、経営混乱の責任を取るよう取締役を巻き込み、アメリオを追いつめる。同年7月9日にアメリオとハンコックが辞任に追い込まれた<ref>{{Cite web|和書|title=後藤弘茂のWeekly海外ニュース|url=https://pc.watch.impress.co.jp/docs/article/970710/kaigai02.htm|website=pc.watch.impress.co.jp|accessdate=2019-05-02}}</ref><ref>{{Cite web|和書|title=米Apple ComputerのCEOアメリオ氏辞任|url=https://pc.watch.impress.co.jp/docs/article/970710/apple.htm|website=pc.watch.impress.co.jp|accessdate=2021-05-11}}</ref>あとは、執行副社長兼[[最高財務責任者|CFO]]の[[フレッド・D・アンダーソン]]が短期間を暫定的に経営を行い<ref>{{Cite news|title=Apple’s CEO Is Ousted as Steve Jobs’ Role Expands|date=July 10, 1997|url=http://articles.latimes.com/1997/jul/10/news/mn-11353|publisher=Los Angeles Times}}</ref><ref>{{Cite web|和書|title=米Apple ComputerのCEOアメリオ氏辞任|url=https://pc.watch.impress.co.jp/docs/article/970710/apple.htm|website=pc.watch.impress.co.jp|accessdate=2019-05-02}}</ref><ref>{{Cite web|title=Apple Board Announces the Resignation of Chairman Gil Amelio|url=https://web.archive.org/web/19990117025136/http://product.info.apple.com/pr/press.releases/1997/q4/970709.pr.rel.amelio.html|website=web.archive.org|date=1999-01-17|accessdate=2019-05-02}}</ref>、その間にジョブズは復権していった。アメリオの辞任にともない、取締役会はジョブズにCEO就任を要請したが、[[ピクサー・アニメーション・スタジオ|ピクサー]]CEOとして多忙であることを理由に彼はこれを拒否して「責任がそれほど大きくない一時的なことであれば構わない」と言い、1997年9月には暫定CEOに就任した<ref>{{Cite web|title=Apple Names Steve Jobs Interim CEO|url=https://web.archive.org/web/19990429141859/http://product.info.apple.com/pr/press.releases/1997/q4/970916.pr.rel.jobs.html|website=web.archive.org|date=1999-04-29|accessdate=2019-05-02}}</ref>。
一方、アメリオによるリストラ<ref>[https://pc.watch.impress.co.jp/docs/article/970317/apple.htm OpenDoc、Cyberdogの開発中止 2,700人をレイオフ 米Apple社、リストラプランを公開。一部技術開発の停止も] PC Watch(1997年3月14日)</ref>は、このころようやく成果を上げ始めていた。膨れ上がった研究開発費や一般管理費は大鉈をふるわれ、経費4億ドルと従業員4,100人が削減されていた<ref>[https://www.itmedia.co.jp/news/articles/0702/16/news009_3.html スティーブ・ジョブズがAppleを葬った日 (3/3)] ITmedia(2007年02月16日)</ref>。複雑になっていたMacのラインナップもPerformaを止めるなどで整理されつつあった。低迷を続けていたNewton事業を別会社に分離し、Apple本体はMacintoshに集中できるようになった。ジョブズが暫定CEOになった時点での赤字は10億4000万ドルで、大胆な業務縮小やリストラなどを強行しなければ、一時はあと90日で倒産という間際であった。(当時は約10,200名の従業員で、売り上げ年間71億ドル<ref>{{Cite web|和書|title=会社概要 |url=https://web.archive.org/web/19971221084555/http://about.apple.co.jp:80/hr/doc/overview.html |website=web.archive.org |date=1997-12-21 |accessdate=2022-03-02}}</ref>)
ジョブズは、その思惑通りに事を進めていくなかで、士気を上げるため従業員の[[ストックオプション]]の引き下げを取締役会に提案した。しかし、取締役会がこれを否定すると、ジョブズは取締役全員に辞任を迫った。結局、マイク・マークラを含む取締役陣は、そのほとんどが辞任することとなる。代わりに、[[オラクル (企業)|オラクル]]の[[ラリー・エリソン]]、インテュイットの[[ウィリアム・キャンベル (経営者)|ビル・キャンベル]]らを社外取締役に迎え入れ、取締役会はほぼジョブズ寄りのメンバーに再構成された<ref>{{Cite web|title=The Mac Observer: Jobs Announce New Board, Microsoft Partnership|url=https://www.macobserver.com/features/macworld/articles/jobs1.shtml|website=www.macobserver.com|accessdate=2020-01-21}}</ref>。
これに前後し、CFOのフレッド・D・アンダーソンを除いて、1997年中にCEOやCTO以外にも、[[Apple Advanced Technology Group|ATG]]閉鎖やイメージング部門などの事業整理とともに、多数の幹部がAppleから離職した。
{{Indent|COO兼セールス担当EVPのマルコ・ランディ、COOのジョージ・スカリス、マーケティング担当SVPのサジーブ・チャヒル、マーケティング担当SVPのゲリーノ・デ・ルーカ、ソフトウェア担当SVPの[[アイク・ナッシ]]、デベロッパーリレーションズ担当VPハイディー・ローゼン、セールス担当SVPのジョン・フロイサンド、Power Macintosh担当SVPフレッド・フォーサイス、チーフエヴァンジャリスト/Appleフェローの[[ガイ・カワサキ]]、ATG担当VPの[[ドナルド・ノーマン]]、ATG解散後のテクノロジーグループで短期間のVPだったリチャード・ルファーブル、研究開発担当VP兼チーフサイエンティストの[[ラリー・テスラー]]、Appleフェローの[[アラン・ケイ]]など<ref>[https://www.cnet.com/news/landi-latest-to-go-at-apple/ Landi latest to go at Apple] CNET(1997年2月19日)</ref><ref>[https://www.cnet.com/news/amelios-right-hand-man-quits/ Amelio's right-hand man quits] CNET(1997年5月20日)</ref><ref>[https://www.cnet.com/news/apple-exodus-continues-as-de-luca-departs/ Apple exodus continues as De Luca departs] CNET(1997年9月17日)</ref>。}}
ジョブズは同年8月、マイクロソフトと特許のクロスライセンスおよび業務提携を結んだ<ref>{{Cite web|和書|date=1997-08-07|url=https://pc.watch.impress.co.jp/docs/article/970807/applems.htm|title=Microsoft、Appleに1億5千万ドルを投資、共同開発も|publisher=PC Watch|accessdate=2012-08-30}}</ref>(アメリオがビル・ゲイツと長らく交渉してきた中で頓挫した内容であった)。Appleは[[Netscape Navigator (ネットスケープコミュニケーションズ)|Netscape Navigator]]に代わり[[Internet Explorer]]を標準ウェブブラウザとしてバンドルすることと引き換えに、マイクロソフトは[[Microsoft Office]]をMacintosh用により一層最適化させ、さらにMacintosh版とウィンドウズ版を同時リリースするということである。さらにマイクロソフトはAppleに対し1億5000万ドルの出資(議決権のない株式を発行)を行った<ref>{{Cite web|和書|url=https://web.archive.org/web/19980220080616/http://news.apple.co.jp/applenews/970807microsoft.html|title=マイクロソフトとアップル、広範な製品・技術開発契約を締結|accessdate=2018-08-13|date=1998-02-20}}</ref>。そしてボストンで行われた1997年の[[Macworld Conference & Expo]]では、ジョブズの基調講演の最中に衛星愛中継でゲイツがスクリーン中に登場し、それらの提携を発表することとなる。歴史的和解とも取れるこのコンピュータ業界の大物同士の両者の演出は、発表された提携内容よりも話題性の方が大きく報道され、関心の深い者にはよくも悪くも波紋を呼ぶ結果となった<ref>{{Cite news|title=アップルの歴史を変えたキーノートスピーチ|last=ASCII|url=https://ascii.jp/elem/000/000/640/640566/|accessdate=2018-08-13|language=ja-JP|work=ASCII.jp}}</ref>。
1997年9月にリリースされた「[[Mac OS 8]]」<ref>{{Cite web|和書|title=アップル、「Mac OS 8」を発表|url=https://web.archive.org/web/19980128090817/http://news.apple.co.jp/product/970901macos8.html|website=web.archive.org|date=1998-01-28|accessdate=2021-05-11}}</ref>は久々の大ヒットとなり、Macユーザーの間に広く受け入れられた。Coplandプロジェクトやその次のGershwinのコンセプトさえも遥かにしのぐNeXTのOS技術を手に入れたことで、Mac OSの漸進的改良を進めるという開発方針が順調に進み、[[1998年]]にはMac OS 8.1をはさんでMac OS 8.5、[[1999年]]にはMac OS 8.6、Mac OS 9と、メジャーアップデートとマイナーアップデートが交互に半年ごとにリリースされた。これらはアメリオ/ハンコックによるプラン<ref>[https://web.archive.org/web/19961109214941/http://macos.apple.com/macos/strategy.html Mac OS Release Strategy] MacWorld Boston 1996 (1996年8月8日)</ref>をジョブズ/テバニアンが踏襲したものである。
かねてから開発が進んでいたPowerPCの新たな製品としては、低価格ながら従来のハイエンドチップを上回る性能を持つPowerPC G3を発表。モトローラとIBM、Appleの共同開発で進められたこの次世代チップは、新たなMacに搭載され、[[Power Macintosh|Power Macintosh G3]]として発売される<ref>{{Cite web|和書|url=https://pc.watch.impress.co.jp/docs/article/971203/apple.htm|title=アップル、G3プロセッサ搭載のMacintosh|accessdate=2018-08-13|website=pc.watch.impress.co.jp}}</ref>。またG3の発表と並行して「赤字の元凶で共食い競争でしかない」とされたMacintosh互換機メーカへのMac OSライセンスを順次停止していくことも決定した。そのうちの1社であるパワーコンピューティング社を買収し<ref>{{Cite web|和書|date=1997-09-03|url=https://pc.watch.impress.co.jp/docs/article/970903/apple.htm|title=Apple、Macintosh互換機メーカーPower Computing社を事実上買収|publisher=PC Watch|accessdate=2012-08-30}}</ref>、Apple自身がオンライン直販を行うことを決める。これがのちにApple Online Storeとして展開していくこととなる。
1997年11月には、分離されたNewton事業をAppleに戻す形で清算した。同じころ、Appleは“[[Think different]]” キャンペーンを大々的に開始する。この“Think different.”では各界の偉人・著名人をCMに起用し、Apple自身のイメージ転換戦略が計られた。
1998年、[[PowerBook G3]]を発表。複雑な曲線を多用した斬新なデザインは従来のPowerBookと一線を画すものであり、ジョブズの製品に対する美意識が現れた初めての製品としてMacユーザーの関心を呼んだ。同時期にAppleのソフトウェア部門の別子会社であったクラリスをファイルメーカー社と改名し、[[FileMaker]]の開発・販売に専念させ、[[クラリスワークス]]に代表されるその他のアプリケーションの開発・販売権をAppleに戻す決定もなされる。
2000年1月、ジョブズが復帰し業績を挙げた結果、2年半でAppleの市場価値が20億ドルから160億ドルへ急上昇した功績で、ジョブズには1000万株のストックオプションとビジネスジェット機[[ガルフストリーム V|ガルフストリームV]]の提供がAppleの取締役会により決定された<ref>{{Cite web|和書|title=アップル取締役会、CEOへの報酬を発表|url=https://www.apple.com/jp/newsroom/2000/01/19Apple-Board-of-Directors-Announces-CEO-Compensation/|website=Apple Newsroom (日本)|accessdate=2021-06-22|language=ja-JP}}</ref><ref>{{Cite web|和書|title=ジョブズCEOへの報酬は高すぎる?|url=https://wired.jp/2000/01/24/ジョブズceoへの報酬は高すぎる?/|website=WIRED.jp|accessdate=2021-06-22|language=ja}}</ref>。
=== iMac ===
{{Main|iMac}}
[[ファイル:IMac Bondi Blue.jpg|thumb|200px|ボディーカラーに独自に名付けたボンダイブルーを採用した初代[[iMac]]]]{{After float}}
ジョブズは1998年5月に、[[Worldwide Developers Conference]]で[[iMac]]を発表する。このiMacはポリカーボネイト素材をベースに半透明(トランスルーセント)筐体を採用した製品であった。このデザインの視覚的な訴求力と、ボンダイブルーなる青緑のカラーリングにマスコミはこぞって賞賛を送ることになる(デザイン界では意見は二分されたが、日本では[[グッドデザイン賞]]を受賞した(1998年)<ref>[https://www.g-mark.org/award/describe/24340?token=UKJ8hPx5XC 受賞対象名 - パーソナルコンピューター {{Nowiki|[iMac]}}] GOOD DESIGN AWARD</ref>)。iMacの存在意義はそれだけでなく、単純明快なコンピュータであることを示すべく、それまでの[[SCSI]][[インタフェース (情報技術)|インターフェース]]や[[EIA-422|RS-422]][[シリアルポート]]、[[Apple Desktop Bus|ADB]]などを廃止し、当時のPC/AT互換機で採用が始まっていた[[USB]]を新たに全面的に採用した。
さらに、ベージュや白だったコンピュータ業界を否定するように[[トランスルーセント]]デザインを採用することで、ジョブズはこのiMacにも似合う[[周辺機器]]が開発されることを見越しており、[[サードパーティー]]各社はこぞって新製品や現行品の改訂版として同様の半透明素材を採用した製品を発表した。AppleはのちにこのiMacの改訂を行い、5色になったiMacは“Candy”と名付けられ、色名も「ブルーベリー」、「タンジェリン」、「ストロベリー」、「グレープ」、「ライム」の名称が与えられる。その後もカラーテーマを替えて人目を惹き、それに付随するようにiMac DVではスロットローディングタイプの[[DVD-ROM]]ドライブを採用したり、Power Macintoshにしか与えられていなかった[[IEEE 1394|FireWire]]ポートを採用したりすることでヒットを続け、iMacはAppleに久しぶりの大きな売り上げをもたらした。
iMacの特徴はそれだけでなく、初代Macintoshから続くコンパクトマックの特徴であった〈取っ手〉を復活させ、発表時にはiMacの画面に“hello (again)”と表示させていた<ref>[https://bits.blogs.nytimes.com/2014/09/09/with-apple-watch-a-naming-tradition-ends/ With Apple Watch, a Naming Tradition Ends]</ref>ことも、Appleの原点回帰を印象づける結果となった(初代Macintoshの発表時、その画面に“hello”と表示されていたことをふまえている)。
2017年6月6日、[[Worldwide Developers Conference|WWDC]] [[2017]]にて、[[Macintosh|Mac]]史上最高性能を誇り、コントローラとして'''Apple T2'''チップを搭載した新アーキテクチャ<ref>{{Cite web|和書|url=https://book.mynavi.jp/macfan/detail_summary/id=89096|title=iMac Proの「Apple T2」から未来を考察する{{!}}Mac Fan|accessdate=2018-08-13|website=book.mynavi.jp|language=ja}}</ref>の'''iMac Pro'''を発表<ref>{{Cite web|和書|url=https://book.mynavi.jp/macfan/detail_summary/id=89096|title=iMac Proの「Apple T2」から未来を考察する{{!}}Mac Fan|accessdate=2018-08-13|website=book.mynavi.jp|language=ja}}</ref>。同年12月に発売開始<ref>{{Cite news|title=アップル新型iMac Proが達成した巨大な進化、動画編集も爆速化|date=2018-01-04|url=https://forbesjapan.com/articles/detail/19187|accessdate=2018-08-13|language=ja-JP|work=Forbes JAPAN(フォーブス ジャパン)}}</ref>。
=== Mac OS X(後にOS Xに改称、現・macOS) ===
{{Main|macOS}}
[[Mac OS X Server 1.0|Rhapsody]](Mac OS X Server 1.0の前身の[[開発コード]]名)がサードパーティに受け入れられないと判断すると、Mac OSで用意されている[[アプリケーションプログラミングインタフェース|API]]のうち、使用頻度の高い命令を抽出し、いくつかの新機能を加えたAPI [[Carbon (API)|Carbon]]をRhapsodyに統合した新[[オペレーティングシステム|OS]]、'''[[Mac OS X]]'''への移行が宣言される。Rhapsodyは暫定的に[[Mac OS X Server 1.0]]としてリリースされ、PCIバスを持つPower Macintosh G3で動作した。
2000年9月13日には、Mac OS Xの初の公開版であるMac OS X Public Betaを発表、日本国内では3,500円で提供された。新たに[[Aqua (コンピュータ)|Aqua]]を採用し、Mac OS X Server 1.0ともMac OSともまったく異なる新しい外観を持っていた。
2001年3月24日、Mac OS X初の公式リリースである[[Mac OS X v10.0]](Cheetah)が発売される。G3以降のMacを動作対象にしており、OPENSTEPで評価が高かった開発環境(Interface Builder・Project Builder)が標準で付属していた。Aquaは「Macらしさ」を重視して大きく改良されていたが、Mac OS 9にあった機能が多く省かれており、動作が非常に遅いという欠点があった。時を同じくしてAppleは、Macを核にさまざまなデジタル機器を連携させる「Digital Hub」という構想を打ち出した。
2001年9月25日、[[Mac OS X v10.1]](Puma)を公式リリース、Mac OS X v10.0の登場からわずか7か月での発売だった。10.0からの無償アップグレードサービスが行われる。動作速度の問題が改善されたほか、10.0に欠けていたさまざまな機能が追加され、実用的に使える初めてのバージョンとなった。マイクロソフト、アドビなどから少しずつ対応ソフトがリリースされ始め、先進的ユーザから受け入れられる。
2002年8月24日、[[Mac OS X v10.2]] Jaguarがリリース。動作速度がより向上し、細かい部分の使い勝手に多くの改良が施された。事実上、このバージョンが現在に続くMac OS Xの完成型と言える。このバージョンからMac OS Xのみが起動する(Mac OS 9をサポートしない)Power Mac G4, iMac G4, PowerBook G4, iBookが販売された。
2003年10月24日、[[Mac OS X v10.3|Mac OS X v10.3 Panther]]が発売された。 iPodの売れ行きの好調さ、デジタルカメラやデジタルビデオカメラ、無線LAN環境の普及により、パソコンの「Digital Hub」化の流れが定着した。Mac OS Xでも大手[[印刷会社]]への入稿受け入れが整ったため、遅れていた[[デザイン]]、[[出版]]分野への導入が徐々に進み始める。またライセンス使用料の追加がないクライアント無制限のMac OS X Server搭載の1Uサーバ[[Xserve]]導入とディスクレス[[NetBoot]]機能が評価され、[[東京大学情報基盤センター|東京大学]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.apple.com/jp/education/profiles/tokyo-univ/|title=東京大学:iMacとXserveが選択される理由|publisher=Apple.Inc|accessdate=2012年3月3日 |deadlinkdate=2021-03-02 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20100129020057/https://www.apple.com/jp/education/profiles/tokyo-univ/ |archivedate=2010-01-29}}</ref>、[[東京女子大学]]に大量導入された。
2005年4月29日、[[Mac OS X v10.4|Mac OS X v10.4 Tiger]]発売。システム内部が大きく進化した。セキュリティ機能が充実し、[[あおぞら銀行]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://enterprise.watch.impress.co.jp/cda/special/2005/10/21/6351.html|title=あおぞら銀行が業務クライアントをMacに移行、その理由とは?|work=Enterprise Watch|date=2005-10-21|accessdate=2007年9月25日}}</ref>、[[神戸大学]]にNetBoot端末として[[IMac#iMac G5|iMac G5]]が大量導入された<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.apple.com/jp/education/profiles/kobe/|title=神戸大学学術情報基盤センター 1215台のMacをNetBootで管理 国内最大規模の情報教育システム|publisher=Apple.Inc|accessdate=2007年9月25日}}</ref>。単体リリースはないが、このバージョンより、Mac OS XをIntel対応化した。
2007年10月26日に[[Mac OS X v10.5 Leopard]]がリリース。300以上にも及ぶ新機能が搭載された。iPhoneのソフトウェア開発を優先させるため当初の予定から発売が延期された。
2009年8月28日、[[Mac OS X v10.6|Mac OS X v10.6 Snow Leopard]]が発売され、[[Intel Mac]]のみをサポートした初のバージョンとなった。Finder・QuickTimeがCocoa APIで全面的に作り直されるなどシステム全般にわたるブラッシュアップが行われるメジャーアップデートながら、シングルユーザライセンスは米国で29ドル、日本では3,300円と低価格で提供された。
2010年10月21日、[[Mac OS X Lion]]発表。Exposé・Dashboard・Spacesの各機能に統合されたアクセスを提供する“Mission Control”を搭載するほか、ソフトウェア販売サービス“Mac App Store”やフルスクリーンのウィンドウ表示、ランチャー“LaunchPad”などiOSに由来する機能を搭載。Mac OS X v10.5 Leopard以来の大幅な機能とインターフェイスの刷新となる。2011年2月24日には、公式サイトにさらなる新機能の説明が追加された。LaunchPadやAirdropなどを含む250を越える新機能を追加し、[[64ビット]][[マルチコア]]CPU([[Intel Core 2]] Duo以降)のみをサポートする。7月20日にMac App Storeでダウンロード販売を開始した。8月17日には、[[USBメモリ]]版も発売された。
2012年2月16日、[[OS X Mountain Lion]]発表。メッセージやリマインダー、[[AirPlay]]をはじめとする100を越える新機能を追加<ref>[https://www.apple.com/jp/pr/library/2012/02/16Apple-Releases-OS-X-Mountain-Lion-Developer-Preview-with-Over-100-New-Features.html Apple、100以上の新機能を搭載したOS X Mountain Lionのデベロッパプレビューをリリース]</ref>。このリリースより、製品名から “Mac” が外され、単に “OS X” と呼ばれるようになった。
2013年6月10日、[[OS X Mavericks]]発表。このバージョンから無償提供になり、マップや[[iBooks]]など200以上の機能が追加。このバージョンから実在の地名が使用される。
2014年6月2日、[[OS X Yosemite]]発表。iOS 8やiCloudとの緊密な連携を実現させている。
2015年6月9日、[[OS X El Capitan]]発表。UIにSplit View、グラフィックシステムにiOS同様の高速化を図る[[Metal (API)|Metal]]を導入した他、[[日本語入力システム]]やフォントの充実など日本語環境を強化している。
2016年6月13日、[[macOS Sierra]]発表。このバージョンから、iOS、tvOS、watchOSに合わせた “macOS” という名称に変更された。MacでもSiriが利用可能になったほか、Apple Watchを使用したMacのロック解除、 ストレージの最適化機能などを導入した。
2017年6月5日、[[macOS High Sierra]]発表<ref>[https://www.apple.com/jp/newsroom/2017/06/macos-high-sierra-delivers-advanced-technologies-for-storage-video-and-graphics/ macOS High Sierra、先進のテクノロジーをストレージ、動画、グラフィックスに]</ref>。[[Apple File System]]や[[H.265|High Efficiency Video Coding]]、High Efficiency Image File Formatなどを導入。
2018年6月4日、[[macOS Mojave]]発表。ダークモードの追加や、[[Mac App Store]]の大幅なリニューアルなどを導入した。
2019年6月3日、[[macOS Catalina]]発表。同時に発表された[[iPadOS]]との連携や、[[iOS 12]]から搭載されたスクリーンタイムの追加、[[iTunes]]の廃止などを実施した。
2020年6月22日、初のオンライン開催となった[[Worldwide Developers Conference|WWDC]]において[[macOS Big Sur]]が発表され、macOS バージョン11.0.1として、同年11月12日にリリースされた。
2021年6月7日、オンラインで行われたWWDC21で[[macOS Monterey]]発表。[[AirPlay]]や[[FaceTime]]の強化、「[[IOS 15#集中モード|集中モード]]」などを導入。
2022年6月6日、オンラインで行われたWWDC22にて[[macOS Ventura]]が発表された。iPhoneをMacのウェブカメラとして使用できる「連携カメラ」、ステージマネージャなどを導入、Metal 3によってゲームが高速化される予定である。
=== iPod ===
{{Main|iPod}}
[[ファイル:Ipod 1G.png|thumb|200px|初代[[iPod]]。大容量のハードディスクドライブを搭載することにより、ディスクを入れ替えることなく多くの音楽を蓄積することができるようになった。]]ジョブズは当時、iPodの開発者に「電源ボタンはなくせ」「3タッチ以内に全ての曲にたどり着けるようにしろ」などのジョブズらしい厳しい注文を大量にし、iPodを極力使いやすく、わかりやすい機器にしようとしていた。{{After float}}
その結果2001年、それまで主流だった[[フラッシュメモリ]]型とは一線を画す、大容量[[ハードディスクドライブ]]型携帯音楽プレイヤー『iPod』を発売。当初は価格の高さにより売れ行きを疑問視する声が少なくなかったが、ジョブズの注文による直感的な高い操作性と、管理ソフトiTunesとの抜群の連携機能もあり、徐々に売上を伸ばす。
当初はMac版しかなかったiPodであるが、のちにWindows版のiPodも発売される。その後、Windows用/Mac用といった区分けはされなくなり、Windows向けiTunesが提供されたころからヒット商品となる。そして廉価版ともいえる[[iPod mini]]を登場させたことで、爆発的にヒットする。
さらに2003年には、[[音楽配信]]サイトのiTunes Music Store(現在のiTunes Store)を開始。[[2004年]]には、iPodをヒューレット・パッカードにライセンスするなど、携帯音楽市場で、米国を中心に独占的な地位を確保するに至り、既存の音楽産業の構造を根本から変え、[[タワーレコード]]や[[HMV]]といった音楽CDショップが破産、米国の街中から姿を消した。
[[日本]]でも、[[ソニー]]の[[ウォークマン]]を圧倒し、2003年以降一貫してデジタル[[携帯音楽プレーヤー]]のシェア1位となる。iPod miniの後継モデルとして[[iPod nano]]、また「シャッフル再生」というコンセプトをメインに据えることにより、低価格化とより一層の小型化を実現したフラッシュメモリ型の[[iPod shuffle]]も発売され、人気を博した。
iTunes Music Storeは日本においては、2005年8月4日より開始された。登録楽曲数100万曲、1曲150円か200円という低価格で始まり、開始よりわずか4日で100万曲ダウンロードを達成する。ポッドキャストと呼ばれる新しいデジタル配信媒体を構想し、テレビよりも技術革新が進まないラジオのデジタル化に革新をもたらすことが期待されている。
iPodが登場した当初は、現状のような大成功を収めると思っている関係者が多かったわけではない。初期には価格の高さ、利用にはパソコンが必須となるコンセプトが理解されなかったことにより、懐疑的な意見が多くあった。しかし2001年前後にAppleが提唱していたコンセプト「デジタルハブ」(多くのデジタル機器の中心にパソコンを据えるというコンセプト)構想が時宜を得て、iPodは携帯型音楽プレイヤーの代名詞となった。
=== iPhone ===
{{Main|iPhone}}
[[ファイル:Original iPhone docked.jpg|thumb|200px|[[iPhone (初代)|初代iPhone]]]]{{After float}}
2007年1月9日、Appleは新製品iPhoneを発表し、スマートフォン市場へ進出した。同年6月29日米国で発売。iPhoneは高機能携帯電話+iPod+インターネット端末と発表され、マルチタッチスクリーンなど先進的でユニークなデザインが話題を呼び、世界的な話題となった。
当初よりiPhoneのOSはMac OS Xベースであるとされ、2008年6月には[[iOS|OS X iPhone]] [[ソフトウェア開発キット|SDK]]が公開される<ref>{{Cite news|title=What's Coming at WWDC: New iPhone, New Apps and Snow Leopard|url=https://www.wired.com/2008/06/wwdc-2008/|work=Wired|date=2008-06-06|accessdate=2019-02-07|issn=1059-1028|first=Charlie|last=Sorrel}}</ref>(名称は“iPhone OS”、“[[iOS]]”と変遷)。2008年6月9日には、[[第三世代携帯電話|第三世代通信規格]]の[[W-CDMA|UMTS]]、高速通信の[[HSDPA]]や[[グローバル・ポジショニング・システム|A-GPS]]に対応した[[iPhone 3G]]が発表された。この機種より日本でも発売されている。
その後も年1回のペースで改良を重ね、ブランド、売上において同社の主力製品となっている。
iPhoneの販売店での取り扱いに際してルールが設けられており、その中でも特質すべきは、コストはかかっても妥協しない、ブランド力を高める展示方法である<ref name=":9">{{Cite web|和書|title=第7回 iPhoneブランドを高めた緻密なアップルの戦略 |url=https://xtech.nikkei.com/it/article/COLUMN/20070904/281161/ |website=日経クロステック(xTECH) |access-date=2022-07-27 |language=ja |last=日経クロステック(xTECH)}}</ref>。{{要出典範囲|具体的には、最新のiPhoneとAndroidスマートフォンを横に並べ、性能や機能を比べるといった展示がNGであるというような、「iPhoneは他メーカーの製品と並べてはいけない」という決まりがある。|date=2022年7月}}ほかには、掲示できるポスターや展示の装飾、プライスカードまでも専用のものを使うようにいわれており、これらの決まりを守れないと、その店舗でのiPhoneの取り扱いを停止される<ref name="agreement" />。これはAppleの重要なマーケティング戦略、ブランドエクィティと密接に関係しており、強みを活かす姿勢である<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.komazawa-u.ac.jp/~kobamasa/seminar/sm08/sma308/seminarists2008/kojima/seminar/sotsuron_kojima.pdf |title=アップルインコーポレイテッドの戦略 |access-date=2022/07/27 |publisher=駒澤大学 |author=小島 美加}}</ref><ref name=":9" />。
=== iPad ===
{{Main|iPad}}
[[ファイル:Apple iPad.jpg|thumb|200px|[[iPad]]]]{{After float}}
2010年1月28日、Appleは新製品iPadを発表し、[[タブレット (コンピュータ)|タブレット]]分野に進出した。製品発表会において、スティーブジョブズはiPhoneとMacBookの間となるものと位置づけていると語った。また、米国内で発売される当端末には[[Apple Books|iBooks]]が搭載され、[[Apple Books#Apple Books Store|iBookStore]]を開設し電子書籍分野にも進出することを発表した。
2012年10月24日の製品発表会で手のひらサイズに小型化した[[iPad mini]]を発表。同時に、iBooksとiBooks Authorのバージョンアップを発表し、教育現場におけるiPad活用をアピールした<ref name="ipad">{{Cite web|和書|url=https://www.apple.com/jp/apple-events/october-2012/|title=アップル - スペシャルイベント|publisher='''アップル'''|date=October 24, 2012|accessdate=October 24, 2012}}</ref>。
[[iOS 12]]まではiPhoneと同じオペレーティングシステムを採用しており、多くのソフトウェアはiPhoneと互換性がある。[[2019年]]6月3日の[[WWDC]] 2019で、[[macOS Catalina]]とともに、iPad専用のiOSベースの[[オペレーティングシステム]]として、[[iPadOS]]が発表された。
=== ジョブズ退任と死去 ===
2011年1月18日、ジョブズが病気を理由に休職することが発表された。日常業務は前回(2009年前半)同様ティム・クック[[最高執行責任者|COO]](最高執行責任者)に任せるが、[[CEO]]にはとどまり、大きな戦略的決定には関与するとしている。
2011年8月24日、取締役会に辞表を提出してCEOを辞任。取締役会の承認を受けて会長職へつく。ジョブズが会長就任後、CEOは当時COOのティム・クックが後を継いだ。
ジョブズがCEOを退任する8月には、Appleは時価総額で世界トップだった[[エクソンモービル]]を抜き、世界最大の企業となっていた。
2011年10月5日、スティーブ・ジョブズ死去。56歳没。同日同社の公式サイトでは、すべての言語のTOPページにジョブズのモノクロ写真が掲載され追悼を行った。
=== 3兆ドル企業 ===
Appleは2011年8月に株式の時価総額で世界最大企業となった後、2018年8月2日に民間企業として世界で初めて時価総額1兆ドルに到達した<ref>{{Cite news|title=アップル、時価総額が初の1兆ドル超え 世界初|url=https://www.bbc.com/japanese/45054721|work=BBCニュース|accessdate=2020-09-24|language=ja}}</ref>。その後も業績を伸ばし続けた結果、2020年8月19日に時価総額2兆ドルを超え<ref>{{Cite news|title=米アップル、時価総額が2兆ドルを突破 米民間企業で初|url=https://www.bbc.com/japanese/53844098|work=BBCニュース|accessdate=2020-09-24|language=ja}}</ref><ref>{{Cite web|title=Investing in Apple Stock (AAPL)|url=https://www.investopedia.com/apple-stock-aapl-5075819|website=Investopedia|accessdate=2020-09-24|language=en|first=Matthew|last=Johnston}}</ref>、2022年1月3日に世界で初めて時価総額3兆ドルを超えた<ref>{{Cite web|和書|title=アップルの時価、一時3兆ドル 世界初、デジタル化に成長期待 | 共同通信|url=https://web.archive.org/web/20220103192944/https://nordot.app/850816129075642368|website=共同通信|date=2022-01-04|accessdate=2022-01-04|language=ja-JP|last=共同通信}}</ref>。
=== 法人向けビジネスの拡充と異業種提携 ===
2014年以降、AppleはIBMとのパートナーシップを結んだ<ref>{{Cite web|和書|title=AppleとIBM、企業のモバイルを一変させるグローバルなパートナーシップを締結|url=https://www.apple.com/jp/newsroom/2014/07/15Apple-and-IBM-Forge-Global-Partnership-to-Transform-Enterprise-Mobility/|website=Apple Newsroom (日本)|accessdate=2021-06-06|language=ja-JP}}</ref><ref>{{Cite web|title=IBM Apple Partnership|url=https://www.ibm.com/services/apple-services|website=www.ibm.com|accessdate=2021-06-06|language=en-us}}</ref><ref>{{Cite web|和書|title=AppleとIBMが全面提携で業界激震|url=https://www.huffingtonpost.jp/techcrunch-japan/appleibm_b_5589693.html|website=ハフポスト|date=2014-07-15|accessdate=2021-06-06|language=ja}}</ref>ことを皮切りに、法人向けのサービスや異業種との提携を相次いで発表。一般消費者向けと法人向けの両市場で拡大を図る米Googleや米Microsoftへの対抗を意識し、法人向けビジネスのシェア拡大を推進している。2015年には米ビジネスコンサルティング大手[[デロイト トウシュ トーマツ|デロイト]]との法人向け販売の強化<ref>[https://jp.wsj.com/articles/SB12281053434115554903104582342771174567692 アップル、デロイトと組み企業向け販売強化]
</ref>、2016年にはドイツの大手ソフトウェア企業[[SAP (企業)|SAP]]と組んで法人向け[[クラウドサービス]]への参入や[[人工知能]]の業務への活用<ref>[https://www.nikkei.com/article/DGXLASGM06H39_X00C16A5000000/ 米アップル、独SAPと提携 法人向けクラウドサービス開発]</ref>、米通信機器大手[[シスコシステムズ]]の製品と連携可能にする<ref>[https://japan.cnet.com/article/35069708/ アップルとシスコ、提携を発表--法人向けにiOSデバイス普及強化へ]
</ref>、2017年には多国籍[[コンサルティング|コンサルティングファーム]]の[[アクセンチュア]]とパートナーシップを結ぶ<ref>{{Cite web|和書|title=Appleとアクセンチュア、iOSの ためのビジネスソリューション の開発で協力|url=https://www.apple.com/jp/newsroom/2017/08/apple-and-accenture-partner-to-create-ios-business-solutions/|website=Apple Newsroom (日本)|accessdate=2022-01-04|language=ja-JP}}</ref><ref>{{Cite web|和書|title=Appleとアクセンチュア、iOS用のためのビジネスソリューションの開発で協力|url=https://newsroom.accenture.jp/jp/news/release-20170830.htm|website=newsroom.accenture.jp|accessdate=2022-01-04|language=ja}}</ref>など、法人市場におけるシェア拡大に取り組んでいる。
=== 環境への取組みと太陽光発電事業 ===
Appleは、2004年から同社の使命として環境のページを運用してきたが<ref>[https://web.archive.org/web/20041206172035/http://www.apple.com/jp/environment/policy/ アップルと環境] Wayback Machine 2004年12月6日</ref>、2014年に環境への取り組み担当VPとしてリサ・ジャクソンを採用し<ref>[https://www.itmedia.co.jp/news/articles/1408/18/news059.html Apple、幹部紹介ページに女性2人を含む副社長5人を追加(ダイバーシティのアピールか)] ITmedia 2014年08月18日</ref>、環境に対する取組みを加速させる。2018年に自社施設の[[再生可能エネルギー]]利用率100%を達成した<ref name=":8">{{Cite web|和書|title=Apple、 再生可能エネルギーで 世界的に自社の電力を100%調達|url=https://www.apple.com/jp/newsroom/2018/04/apple-now-globally-powered-by-100-percent-renewable-energy/|website=Apple Newsroom (日本)|accessdate=2022-01-04|language=ja-JP}}</ref>のち、取引先企業を含めた100%を目指し再生可能エネルギーの利用([[RE100プロジェクト]]参加<ref>[https://xtech.nikkei.com/dm/atcl/news/16/092304212/ アップルが「RE100」加盟、サプライヤーにも再エネ100%の動き] 日経テクノロジー 2016年9月23日</ref>)とリサイクルを促進している<ref>{{Cite web|和書|title=Apple、再エネ100%表明の取引先175社に 日本の20社も|url=https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGN2656C0W1A021C2000000/|website=日本経済新聞|date=2021-10-28|accessdate=2022-01-04|language=ja}}</ref><ref>[https://www.apple.com/jp/environment/ 地球にふさわしい、最高のアイデアを。] アップル</ref><ref>{{Cite web|和書|title=Apple、世界各地でサプライヤーが再生可能エネルギーの利用を大幅に加速できるよう支援 |url=https://www.apple.com/jp/newsroom/2022/04/apple-helps-suppliers-rapidly-accelerate-renewable-energy-use-around-the-world/ |website=Apple Newsroom (日本) |access-date=2022-08-01 |language=ja-JP}}</ref>。米国内では、ノースカロライナ州、オレゴン州、ネバダ州、アリゾナ州<ref>[https://xtech.nikkei.com/dm/atcl/news/16/092304212/?SS=imgview&FD=1439982867 アップル社がアリゾナ州メサに建設した50MWメガソーラー] 日経テクノロジー 2016年9月23日</ref>、カリフォルニア州<ref>[https://xtech.nikkei.com/dm/article/NEWS/20150214/404140/ 米アップル、280MWのメガソーラーから電力購入、総額8億4800万米ドルの電力購入契約を締結] 日経テクノロジー 2015年2月14日</ref>で、大規模な[[太陽光発電]]など再生可能エネルギー事業へ投資している<ref>[http://wired.jp/2013/03/25/apple-data-centers/ アップルのデータセンター「再生エネルギー100%」に] Wired 2013年03月27日</ref><ref>[https://www.itmedia.co.jp/smartjapan/articles/1303/27/news018.html アップルがエネルギー戦略を加速、再生可能エネルギーの利用率75%に到達] ITmedia 2013年03月27日</ref><ref>[https://inhabitat.com/apple-announces-plans-for-2b-solar-powered-command-center/ Apple announces plans for $2 billion solar-powered “command center”]</ref><ref>[https://www.itmedia.co.jp/smartjapan/articles/1502/13/news033.html 太陽光の電力に1000億円を投入、アップルが25年契約で調達] ITmedia 2015年02月13日</ref>。また、中国での太陽光発電事業を支援・促進し<ref name=":8" /><ref>[https://xtech.nikkei.com/dm/article/NEWS/20150421/415202/ アップルが40MW分の営農型メガソーラー、発電と牧草栽培] 日経テクノロジー 2015年4月21日</ref><ref>[https://jp.reuters.com/article/apple-renewables-china-idJPL3N12M1AS20151022 米アップル、中国で太陽光発電事業を拡大] ロイター 2015年10月22日</ref>、デンマークのデータセンターは再生可能エネルギーだけを利用する<ref name=":8" /><ref>[https://wired.jp/2015/02/25/apple-renewable-europe-investment/ アップル、2,000億円超の「エコ」なデータセンターを欧州に設立] Wired 2015年2月25日</ref>。
==== リサイクルの拡大 ====
Appleは製品のリサイクルを積極的に行い、リサイクル素材利用を推進している<ref>{{Cite web|和書|title=リサイクルプログラム |url=https://www.apple.com/jp/recycling/ |website=Apple(日本) |access-date=2023-06-20 |language=ja-JP}}</ref><ref>{{Cite journal|date=2017-04-01|url=https://doi.org/10.52926/jpmjtm17f7|doi=10.52926/jpmjtm17f7}}</ref>。
== 本社と主な拠点 ==
=== Apple Park ===
2009年から手掛けられ2011年にスティーブ・ジョブズ前CEOの元で公表され進められていた新本社Apple Campus 2(当時)について<ref>{{Cite news|title=Apple’s New Campus: An Exclusive Look Inside the Mothership|url=https://www.wired.com/2017/05/apple-park-new-silicon-valley-campus/|work=Wired|date=2017-05-16|access-date=2022-08-01|issn=1059-1028|language=en-US|first=Steven|last=Levy}}</ref>、2017年2月に同年4月より6か月をかけて移転が行われること、名称は[[Apple Park]]と発表した<ref>『[http://oneboxworld.com/articles/apple-park-open-in-april-2017-2 Appleの新本社アップル・パークを写真と映像で紹介]』 2017年2月28日 [[Onebox News]]</ref>。2018年2月16日に本社所在地住所もApple Park (One Apple Park Way, Cupertino, CA 95014)へ変更された<ref>{{Cite news|url=https://www.gizmodo.jp/2018/02/apple-park-registered-as-hq.html|title=Apple本社、住所登録をApple Parkに移動する|newspaper=ギズモード・ジャパン|publisher=ギズモード|date=2018-02-19|accessdate=2018-03-23}}</ref><ref>{{Cite web|title=Apple marks completion of new campus with first corporate address change since 1993|url=https://9to5mac.com/2018/02/16/apple-new-campus-corporate-address-one-apple-park-way/|website=9to5Mac|date=2018-02-17|accessdate=2021-06-06|language=en-US|first=Michael|last=Steeber}}</ref>。
==== Apple Campus ====
[[ファイル:AppleCampusInfiniteLoop.png|サムネイル|前本社所在地、2023年現在も開発拠点エリアである]]
[[ファイル:Apple Valley Green One.jpg|代替文=2000年ごろの本社キャンパス|サムネイル|2000年ごろの本社キャンパス]]
1993年から2017年まで[[Apple Campus]] (1 Infinite Loop, Cupertino, CA 95014)が本社所在地であった。2023年現在も開発拠点として健在であり、元々のThe Company Store<ref>{{Cite web|title=Apple Company Store|url=https://www.sanjose.org/listings/apple-company-store|website=San Jose|accessdate=2021-06-06|language=en}}</ref><ref>{{Cite web|title=Apple Retail Store - Infinite Loop|url=https://web.archive.org/web/20150917082149/https://www.apple.com/retail/applestore-infiniteloop/|website=web.archive.org|date=2015-09-17|accessdate=2021-06-06}}</ref>は、2015年9月19日からApple Storeの''Apple Infinite Loop''として生まれ変わって営業を続けている<ref>{{Cite web|title=Jony Ive-designed Apple company store at 1 Infinite Loop re-opens Saturday, possibly with big changes|url=https://9to5mac.com/2015/09/15/apple-company-store-1-infinite-loop/|website=9to5Mac|date=2015-09-15|accessdate=2021-06-06|language=en-US|first=Ben|last=Lovejoy}}</ref><ref>{{Cite web|title=Infinite Loop - Apple Store|url=https://www.apple.com/retail/infiniteloop/|website=Apple|accessdate=2021-06-06|language=en-US}}</ref>。
==== Apple Austin Campus ====
以前からテキサス州[[オースティン (テキサス州)|オースティン]]には、サポートやトレーニングなどを担当するオペレーションセンターがあった<ref>{{Cite web|title=Apple’s Austin Offices & Headquarters: History, Details & Predictions|url=https://aquilacommercial.com/learning-center/apple-austin-offices-headquarters-history-details-predictions/|website=AQUILA Commercial|date=2019-02-26|accessdate=2021-06-06|language=en-US}}</ref><ref>{{Cite web|title=New Apple complex on Parmer Lane could be complete by end of 2014|url=https://communityimpact.com/austin/news/2014/01/27/new-apple-complex-on-parmer-lane-could-be-complete-by-end-of-2014-2/|website=impact|date=2014-01-27|accessdate=2021-06-06|language=English|first=Lyndsey|last=Taylor}}</ref>。2022年までには10億ドルを掛けて拡張したキャンパスで、新たに15,000人を雇用する開発、サポートの一大拠点となる<ref>{{Cite web|title=Apple expands in Austin|url=https://www.apple.com/newsroom/2019/11/apple-expands-in-austin/|website=Apple Newsroom|accessdate=2021-06-06|language=en-US}}</ref><ref>{{Cite web|title=Apple commits $430 billion in US investments over five years|url=https://www.apple.com/newsroom/2021/04/apple-commits-430-billion-in-us-investments-over-five-years/|website=Apple Newsroom|accessdate=2021-06-06|language=en-US}}</ref>。
==== Wolfe Campus ====
2018年、Apple Parkの北側、約7kmの地点、[[サニーベール]]に建設されたAppleのカリフォルニア州第3拠点<ref>{{Cite web |title=Apple's third large California campus is already built |url=https://appleinsider.com/articles/18/03/19/apples-third-large-california-campus-is-already-built |website=AppleInsider |access-date=2022-10-24 |language=en}}</ref>。
==== Results Way Campus ====
本社のあるクパチーノ市内、Apple Parkから南西5kmほど、2011年から賃貸していた10棟のビルと敷地を2022年12月に買い取った、研究拠点の一つ<ref>{{Cite web |title=Apple buys big Cupertino tech campus it has occupied for more than a decade |url=https://www.mercurynews.com/2023/01/05/apple-buy-sell-cupertino-office-tech-campus-real-estate-develop |website=Silicon Valley |date=2023-01-05 |access-date=2023-01-06 |language=en-US}}</ref>。
==== Rancho Vista Corporate Center ====
[[サンディエゴ]]郊外に新たにキャンパスを購入し、新たに5,000人を雇用する開発拠点を予定していると2022年7月に報じられた<ref>{{Cite web |title=Apple buys new campus for $445 million for vast San Diego expansion |url=https://appleinsider.com/articles/22/07/27/apple-buys-new-campus-for-445-million-for-vast-san-diego-expansion |website=AppleInsider |access-date=2022-07-29 |language=en}}</ref>。
==== Research Triangle Park ====
2021年から[[ノースカロライナ州]][[リサーチ・トライアングル・パーク]]に、10億ドル投資して新しいキャンパスを作り、2023年より3000以上のポジションで雇用する予定<ref>{{Cite web |title=North Carolina: Apple Picks Research Triangle Park for $1B Campus |url=https://businessfacilities.com/2021/06/north-carolina-apple-picks-research-triangle-park-for-1b-campus/ |website=Business Facilities |date=2021-06-28 |access-date=2022-07-29 |language=en-US |first=B. F. |last=Staff}}</ref>。
==== Spectrum Terrace Office ====
[[アーバイン (カリフォルニア州)|カリフォルニア州アーバイン]]にある無線チップの開発拠点<ref>{{Cite web |title=Apple’s Wireless Unit Takes Shape in Irvine |url=https://www.ocbj.com/news/weekly-news/apples-wireless-unit-takes-shape-irvine/ |website=Orange County Business Journal |date=2022-04-18 |access-date=2023-08-01 |language=en-US |first=Katie |last=Murar}}</ref><ref>{{Cite web |title=Apple Takes More Space at Spectrum Terrace |url=https://www.ocbj.com/real-estate/apple-takes-more-space-at-spectrum-terrace/ |website=Orange County Business Journal |date=2023-07-24 |access-date=2023-08-01 |language=en-US |first=Sonia |last=Chung}}</ref>。
=== バイエルンデザインセンター ===
2015年から、ドイツの[[バイエルン州|バイエルン]]デザインセンター(Bavarian Design Center )で350人以上のエンジニアが電源管理ユニットチップなどの半導体の開発に携わっている<ref name=":11">{{Cite web|和書|title=アップル、独ミュンヘンに5Gチップ設計センター |url=https://k-tai.watch.impress.co.jp/docs/news/1311410.html |website=ケータイ Watch |date=2021-03-11 |access-date=2023-06-03 |language=ja |last=株式会社インプレス}}</ref>。
=== ナーベルン半導体開発拠点 ===
2019年から、ドイツのナーベルンに半導体開発拠点を設置している<ref name=":11" />。
=== ミュンヘン欧州シリコンデザインセンター ===
2021年3月10日、Appleは、既に40カ国から1500人のエンジニアが開発に携わっているドイツのミュンヘン中心部の拠点に、3年間で10億ユーロ以上を投資して欧州シリコンデザインセンター(European Silicon Design Center in Munich)を開設することを発表した<ref name=":11" /><ref>{{Cite web |title=Apple to invest over 1 billion euros in Germany with new Munich campus |url=https://www.apple.com/uk/newsroom/2021/03/apple-to-invest-over-1-billion-euros-in-germany-with-new-munich-campus/ |website=Apple Newsroom (United Kingdom) |access-date=2023-06-03 |language=en-GB}}</ref>。2023年3月2日には、さらに追加で10億ユーロの投資による、[[Apple M2 Pro|M2 Pro]], [[Apple M2 Max|M2 Max]]を開発した欧州シリコンデザインセンターの拡張を発表した<ref>{{Cite web |title=Apple accelerates investment in Germany to expand Silicon Design Centre |url=https://www.apple.com/uk/newsroom/2023/03/apple-accelerates-investment-in-germany-to-expand-silicon-design-center/ |website=Apple Newsroom (United Kingdom) |access-date=2023-06-03 |language=en-GB}}</ref>。
=== イスラエル ===
Appleでは、Anobit Technologies, Prime Sense, RealFace, LinX, Cameraiなどイスラエル企業を買収し<ref>{{Cite web |title=Apple secretly acquired Israeli photography startup Camerai |url=https://www.calcalistech.com/ctech/articles/0,7340,L-3845818,00.html |website=CTECH - www.calcalistech.com |date=2020-08-20 |access-date=2023-07-02}}</ref>、2000人を超えるエンジニアがソフトウェアとハードウェアを開発している<ref name=":12">{{Cite web|和書|title=東京より人口が少ないイスラエルに、アップルが拠点を構える理由 |url=https://www.itmedia.co.jp/business/articles/2208/31/news024.html |website=ITmedia ビジネスオンライン |access-date=2023-07-02 |language=ja}}</ref>。[[Apple M1]]もイスラエルの下記R&D拠点で開発された<ref name=":12" />。
* [[ヘルツリーヤ]]<ref>{{Cite web|和書|title=ヘルツリーヤ, Tel Aviv District, イスラエル - 採用情報 (日本) |url=https://jobs.apple.com/ja-jp/search?location=herzliya-HEZ |website=jobs.apple.com |access-date=2023-07-02 |language=ja-JP}}</ref>
* [[ハイファ]]<ref>{{Cite web|和書|title=ハイファ, Haifa District, イスラエル - 採用情報 (日本) |url=https://jobs.apple.com/ja-jp/search?location=haifa-HFA |website=jobs.apple.com |access-date=2023-07-02 |language=ja-JP}}</ref>
* [[エルサレム]]<ref>{{Cite web|和書|title=Jerusalem, Jerusalem District, イスラエル - 採用情報 (日本) |url=https://jobs.apple.com/ja-jp/search?location=jerusalem-JRSM |website=jobs.apple.com |access-date=2023-07-02 |language=ja-JP}}</ref>
=== データセンター ===
Appleの100%[[再生可能エネルギー]]で稼働している[[データセンター]]は米国内外に存在している。
米国内では下記の箇所にある。
* [[ノースカロライナ州]]メイデン<ref>{{Cite web|title=Apple Maiden North Carolina Data Center|url=https://baxtel.com/data-center/apple-maiden-north-carolina|website=baxtel.com|accessdate=2019-09-24|language=en|last=Baxtel}}</ref>
* カリフォルニア州ニューアーク<ref>{{Cite web|title=Apple Newark CA Data Center|url=https://baxtel.com/data-center/apple-newark-ca|website=baxtel.com|accessdate=2019-09-24|language=en|last=Baxtel}}</ref>
* [[プラインビル (オレゴン州)|オレゴン州プラインビル]]<ref>{{Cite web|title=Apple Prineville Data Center|url=https://baxtel.com/data-center/apple-prineville|website=baxtel.com|accessdate=2019-09-24|language=en|last=Baxtel}}</ref>
* [[リノ (ネバダ州)|ネバダ州リノ]]<ref>{{Cite web|title=Apple CEO Tim Cook makes surprise visit for Reno facility groundbreaking|url=https://www.rgj.com/story/money/business/2018/01/17/apple-ceo-tim-cook-makes-surprise-visit-reno-facility-groundbreaking/1040598001/|website=Reno Gazette Journal|accessdate=2019-09-24|language=en}}</ref>
* [[メサ (アリゾナ州)|アリゾナ州メサ]]<ref>{{Cite web|title=Apple Mesa Data Center|url=https://baxtel.com/data-center/apple-mesa|website=baxtel.com|accessdate=2019-09-24|language=en|last=Baxtel}}</ref>
さらに[[ウォルナット郡区 (アイオワ州ダラス郡)|アイオワ州Waukee]]で建設し、2020年稼働開始目標であったが<ref>{{Cite web|和書|title=Apple、次のデータセンターはアイオワ州に建設予定|url=https://www.apple.com/jp/newsroom/2017/08/apples-next-us-data-center-will-be-built-in-iowa/|website=Apple Newsroom|accessdate=2019-09-24|language=ja-JP}}</ref><ref>{{Cite web|title=Apple Waukee IA Data Center|url=https://baxtel.com/data-center/apple-waukee-ia|website=baxtel.com|accessdate=2019-09-24|language=en|last=Baxtel}}</ref>、大幅に遅れ2027年開始を目標とされている<ref>{{Cite web|title=Apple’s long-delayed Iowa data center still in the planning stage|url=https://www.datacenterdynamics.com/en/news/apples-long-delayed-iowa-data-center-still-in-the-planning-stage/|website=www.datacenterdynamics.com|accessdate=2021-05-28|language=en}}</ref>。また米国外では[[デンマーク]]Viborgで稼働中である。なお、デンマークAabenraaでの計画は2019年6月に<ref>{{Cite web|title=Apple cancels $921m second Danish data center, puts land up for sale|url=https://www.datacenterdynamics.com/news/apple-cancels-921m-second-danish-data-center-puts-land-sale/|website=www.datacenterdynamics.com|accessdate=2019-09-24|language=en}}</ref>、アイルランドAthenryでの計画<ref>{{Cite web|和書|url=https://images.apple.com/jp/environment/pdf/Apple_Environmental_Responsibility_Report_2017.pdf|title=Environmental Responsibility Report, 2017 Progress Report, Covering Fiscal Year 2016|accessdate=2018-04-05|publisher=Apple}}</ref>は2018年5月にキャンセルしている<ref>{{Cite news|title=Apple scraps Galway data centre plans|date=2018-05-10|url=https://www.bbc.com/news/world-europe-44069348|accessdate=2018-10-21|language=en-GB|work=BBC News}}</ref>。またAppleは[[Amazon Web Services|AWS]]、[[Google Cloud Platform|Google Cloud]]、[[Microsoft Azure]]をはじめとする他社のデータセンターも利用しており<ref>{{Cite news|title=アップル、「iCloud」の「Google Cloud」利用を認める--「Azure」から変更か|date=2018-02-27|url=https://japan.zdnet.com/article/35115294/|accessdate=2018-04-05|language=ja|work=ZDNet Japan}}</ref>、中国においてはGuizhou Cloud Big Data Industrial Developmentのデータセンターを利用<ref>{{Cite news|title=中国における iCloud について|url=https://support.apple.com/ja-jp/HT208351|accessdate=2018-10-21|language=ja-JP|work=Apple Support}}</ref><ref>{{Cite news|title=Apple hands Chinese iCloud to Guizhou-Cloud Big Data Industry|url=https://www.theregister.co.uk/2018/01/11/icloud_china_goes_to_china/|accessdate=2018-10-21|language=en}}</ref>してきたが、[[貴州省]]に最初の自社データセンターを建設し2021年5月より稼働させている<ref>{{Cite web|title=First Apple data center in China officially commences operations|url=https://appleinsider.com/articles/21/05/27/first-apple-data-center-in-china-officially-commences-operations|website=AppleInsider|accessdate=2021-05-28|language=en}}</ref><ref>{{Cite web|和書|title=米アップルの拠点、中国で稼働 データ巡り政府と妥協も | 共同通信|url=https://this.kiji.is/770996302829027328?c=39546741839462401|website=共同通信|date=2021-05-28|accessdate=2021-05-28|language=ja|last=共同通信}}</ref>他、第2データセンターが内モンゴル自治区ウランチャブ市に建設される<ref>{{Cite news|title=Apple to build a second data center in China: Xinhua|url=https://www.reuters.com/article/us-apple-datacenter-idUSKBN1FQ2E6|work=Reuters|date=2018-02-06|accessdate=2021-05-28|language=en|first=Reuters|last=Staff}}</ref>。
==== コンテンツデリバリネットワーク ====
Appleは[[コンテンツデリバリネットワーク]]として、1999年から[[アカマイ・テクノロジーズ|アカマイ]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://blogs.akamai.com/jp/2013/02/post-1.html|title=アカマイの歴史 - Akamai Japan Blog|accessdate=2018-04-05|website=blogs.akamai.com|language=ja-JP}}</ref>や[[Level 3 Communications|Level 3]]を中心に利用していたが、2014年から自社CDNの運用を開始、併用している<ref>{{Cite news|title=アップル、独自のコンテンツ配信ネットワーク(CDN)運用を開始 - WirelessWire News(ワイヤレスワイヤーニュース)|url=https://wirelesswire.jp/2014/08/16648/|accessdate=2018-04-05|website=WirelessWire News(ワイヤレスワイヤーニュース)|language=ja}}</ref>。
== Macハードウェアの変遷 ==
=== Macアーキテクチャの変遷 ===
初代Macintoshには、CPUとして当時のモトローラによる68000シリーズが利用されていた。モジュール構造で拡張バス[[NuBus]]を採用したMacintosh IIからはMC68020など、32ビットCPUを利用するようになった。1992年にIBMとモトローラとの提携したことにより1994年からPowerPCを採用したPower Macintoshシリーズを発売する。当初の[[Power Macintosh 6100]]、7100、8100シリーズはNuBusアーキテクチャを引き継いでいたが、1995年夏にはPower Macintosh 7500、[[Power Macintosh 8500|8500]]、9500シリーズよりPCIアーキテクチャに刷新される。[[PReP]]、[[CHRP]]といった計画の破棄を経てもPower Macintosh G3、Power Mac G4、G5と順調に見えたPowerPCを採用したMacは、約束の速度(PowerPC G5で3 GHz)や省電力版のPowerPC G5が開発されずPowerBook G5が出せないことで<ref>{{Cite web|和書|title=スティーブ・ジョブズCEO基調講演詳報|url=https://pc.watch.impress.co.jp/docs/2005/0607/apple3.htm|website=pc.watch.impress.co.jp|accessdate=2020-11-19}}</ref>、2006年に終焉を迎えIntel [[X86]]へと移行し<ref>{{Cite web|和書|title=アップル、2006年よりインテル製マイクロプロセッサを採用|url=https://www.apple.com/jp/newsroom/2005/06/06Apple-to-Use-Intel-Microprocessors-Beginning-in-2006/|website=Apple Newsroom|accessdate=2020-11-19|language=ja-JP}}</ref>、手始めにiMacやMacBook ProにCore Duoが採用される<ref>{{Cite web|和書|title=アップル、インテル Core Duo プロセッサ搭載の新しいiMacを発表|url=https://www.apple.com/jp/newsroom/2006/01/10Apple-Unveils-New-iMac-with-Intel-Core-Duo-Processor/|website=Apple Newsroom|accessdate=2020-11-19|language=ja-JP}}</ref><ref>{{Cite web|和書|title=アップル、MacBook Proを発表|url=https://www.apple.com/jp/newsroom/2006/01/10Apple-Introduces-MacBook-Pro/|website=Apple Newsroom|accessdate=2020-11-19|language=ja-JP}}</ref>。2020年6月、Macの大きな飛躍を果たすとして[[Appleシリコン]]への移行が発表される<ref>{{Cite web|和書|title=Apple、MacにAppleシリコンを搭載することを発表|url=https://www.apple.com/jp/newsroom/2020/06/apple-announces-mac-transition-to-apple-silicon/|website=Apple Newsroom|accessdate=2020-11-19|language=ja-JP}}</ref>。同年11月には、ARMv8.6ベースの[[Apple M1]]を搭載したMacBook Air、MacBook Pro、Mac miniがリリースされた<ref>{{Cite web|和書|title=次世代のMacを発表|url=https://www.apple.com/jp/newsroom/2020/11/introducing-the-next-generation-of-mac/|website=Apple Newsroom|accessdate=2020-11-19|language=ja-JP}}</ref>。
==== MacのCPUアーキテクチャの変遷 ====
* 1984年 16ビット [[MC68000]]、初代[[Macintosh 128K|Macintosh]]<ref>{{Cite web|和書|title=Macintosh 128K: Technical Specifications|url=https://support.apple.com/kb/SP186?locale=ja_JP|website=support.apple.com|accessdate=2020-11-24}}</ref>
* 1987年 32ビット [[MC68020]]、[[Macintosh II]]<ref>{{Cite web|和書|title=Macintosh II: Technical Specifications|url=https://support.apple.com/kb/sp193?locale=ja_JP|website=support.apple.com|accessdate=2020-11-24}}</ref>
* 1988年 32ビット [[MC68030]]、[[Macintosh IIx]]
* 1989年 32ビット [[MC68030]]、[[Macintosh SE/30]]、[[Macintosh IIcx]]、[[Macintosh IIci]]、[[Macintosh IIfx]]
* 1994年 32ビット IBM/Motorola [[PowerPC 601]]、[[Power Macintosh 6100]]<ref>{{Cite web|和書|title=Power Macintosh 6100/60|url=https://support.apple.com/kb/SP312?locale=ja_JP|website=www.apple.com|accessdate=2020-11-24|publisher=}}</ref>、7100<ref>{{Cite web|和書|title=Power Macintosh 7100/66|url=https://support.apple.com/kb/SP336?locale=ja_JP|website=www.apple.com|accessdate=2020-11-24|publisher=}}</ref>、8100<ref>{{Cite web|和書|title=Power Macintosh 8100/80: Technical Specifications|url=https://support.apple.com/kb/SP374?locale=ja_JP|website=support.apple.com|accessdate=2020-11-24}}</ref>
* 2003年 64ビット IBM [[PowerPC 970]]<ref>{{Cite web|和書|title=アップルとIBMがPowerPC G5プロセッサを発表|url=https://www.apple.com/jp/newsroom/2003/06/23Apple-and-IBM-Introduce-the-PowerPC-G5-Processor/|website=Apple Newsroom|accessdate=2020-11-24|language=ja-JP}}</ref>、[[Power Mac G5]]<ref>{{Cite web|和書|title=アップル、世界最速のパーソナルコンピュータ、Power Mac G5を発表|url=https://www.apple.com/jp/newsroom/2003/06/23Apple-Unleashes-the-Worlds-Fastest-Personal-Computer-the-Power-Mac-G5/|website=Apple Newsroom|accessdate=2020-11-24|language=ja-JP}}</ref>
* 2006年1月 32ビット Intel [[Intel Core|Core Duo]]、[[MacBook Pro]]<ref>{{Cite web|和書|title=アップル、MacBook Proを発表|url=https://www.apple.com/jp/newsroom/2006/01/10Apple-Introduces-MacBook-Pro/|website=Apple Newsroom|accessdate=2020-11-24|language=ja-JP}}</ref>、[[IMac (インテルベース)|iMac]]<ref>{{Cite web|和書|title=アップル、インテル Core Duo プロセッサ搭載の新しいiMacを発表|url=https://www.apple.com/jp/newsroom/2006/01/10Apple-Unveils-New-iMac-with-Intel-Core-Duo-Processor/|website=Apple Newsroom|accessdate=2020-11-24|language=ja-JP}}</ref>
* 2006年9月 64ビット Intel [[Intel Core 2|Core 2 Duo]]、iMac<ref>{{Cite web|和書|title=アップルのiMac、全機種にIntel Core 2 Duoプロセッサを搭載|url=https://www.apple.com/jp/newsroom/2006/09/06Apple-iMac-Line-Now-Features-Intel-Core-2-Duo-Processors-In-Every-Model/|website=Apple Newsroom|accessdate=2020-11-24|language=ja-JP}}</ref>
* 2020年 64ビット [[Apple M1]]<ref>{{Cite web|和書|title=Apple、M1チップを発表|url=https://www.apple.com/jp/newsroom/2020/11/apple-unleashes-m1/|website=Apple Newsroom|accessdate=2020-11-24|language=ja-JP}}</ref>、[[MacBook Air]]、MacBook Pro、Mac mini<ref>{{Cite web|和書|title=次世代のMacを発表|url=https://www.apple.com/jp/newsroom/2020/11/introducing-the-next-generation-of-mac/|website=Apple Newsroom|accessdate=2020-11-24|language=ja-JP}}</ref>
==== 拡張バスの変遷 ====
* 1987年 NuBus: Macintosh II
* 1991年 NuBus 90: [[Macintosh Quadra 700]]<ref>Macintosh Quadra 700 Developer Note参照</ref>、900
* 1995年 [[PCIバス|PCI]]: Power Macintosh 7500、[[Power Macintosh 8500|8500]]、9500
* 1999年 [[Accelerated Graphics Port|AGP]]: Power Mac G4 (AGP)
* 2003年 [[PCI-X]]: Power Mac G5
* 2005年 [[PCI Express]]: Power Mac G5 (Late 2005)
** 2006年 PCI Express 2.0: Mac Pro (Mid 2006)
** 2019年 PCI Express 3.0: Mac Pro (2019)
** 2023年 PCI Express 4.0: Mac Pro (2023)
== 歴代CEO ==
{| class="wikitable"
|-
!
!氏名
!在任期間
|-
! 初代
|マイケル・スコット
|[[1977年]] - [[1981年]]
|-
! 2代
|[[マイク・マークラ]]
|1981年 - [[1983年]]
|-
! 3代
|[[ジョン・スカリー]]
|1983年 - [[1993年]]
|-
! 4代
|[[マイケル・スピンドラー]]
|1993年 - [[1996年]]
|-
! 5代
|[[ギル・アメリオ]]
|1996年 - [[1997年]]
|-
! 6代
|[[スティーブ・ジョブズ]]
|{{Ubl|1997年 - [[2000年]](暫定)|2000年 - [[2011年]]}}
|-
! 7代
|[[ティム・クック]]
|2011年 -
|-
|}
== 製品・事業 ==
「beats by dr.dre」ブランドの製品は[[ビーツ・エレクトロニクス]]を参照
=== ハードウェア ===
{{ul
| '''[[Mac (コンピュータ)|Mac]]'''([[パーソナルコンピュータ]]){{col-list|15em|
* [[iMac (Appleシリコンベース)|iMac]]
* [[Mac mini]]
* [[Mac Studio]]
* [[Mac Pro]]
* [[MacBook Air]]
* [[MacBook Pro]]
}}
'''ディスプレイ'''{{col-list|15em|
* [[Apple Studio Display|Studio Display]]
* [[Apple Pro Display XDR|Pro Display XDR]]
}}
| '''[[iPhone]]'''([[スマートフォン]]){{col-list|15em|
* [[iPhone 15]]
* [[iPhone 15 Plus]]
* [[iPhone 15 Pro]]
* [[iPhone 15 Pro Max]]
* [[iPhone 14]]
* [[iPhone 14|iPhone 14 Plus]]
* [[iPhone 13]]
* [[iPhone SE (第3世代)|iPhone SE]]
}}
| '''[[iPad]]'''([[タブレット (コンピュータ)|タブレット]]){{col-list|15em|
* [[iPad (第9世代)]]
* [[iPad (第10世代)]]
* [[iPad mini (第6世代)]]
* [[iPad Air (第4世代)]]
* [[iPad Pro (第6世代)]]
}}
| '''[[Apple Watch]]'''([[スマートウォッチ]]){{col-list|15em|
* Apple Watch Series 9
* Apple Watch Ultra 2
* Apple Watch SE
}}
| '''[[Apple TV|Apple TV 4K]]'''([[セットトップボックス]])
| '''[[HomePod]]'''([[スマートスピーカー]])
* HomePod (第2世代)
* HomePod mini| '''アクセサリ'''{{col-list|15em|
* [[Magic Mouse]]
* [[Magic Trackpad]]
* [[Apple Keyboard|Magic Keyboard]]
* [[Apple Pencil]]
* [[AirTag]]
}}
'''ヘッドフォン'''{{col-list|15em|
* [[AirPods]]
* [[AirPods#AirPods Pro|AirPods Pro]]
* [[AirPods Max]]
* [[EarPods]]
}}| '''[[Apple Vision Pro]]'''([[空間コンピューティング|空間コンピュータ]])}}
=== ソフトウェア・サービス ===
{{ul
| '''[[アプリケーション]]'''{{col-list|20em|
* [[iTunes]]
* [[Safari]]
* 写真
* [[iMovie]]
* [[GarageBand]]
* [[iWork]]
** [[Keynote]]
** [[Pages]]
** [[Numbers (ソフトウェア)|Numbers]]
* [[Final Cut Pro]]
* [[Logic Pro]]
* [[Motion]]
* [[Compressor]]
* [[MainStage]]
* [[Apple Books]]
* iBooks Author
* [[Xcode]]
* [[Swift Playgrounds]]
* [[Apple Remote Desktop]]
* [[Apple Configurator]]
* Move to iOS(Androidアプリ)
}}
| '''[[オペレーティングシステム]]'''{{col-list|20em|
* [[macOS]](パーソナルコンピュータ)
* [[iOS]]([[モバイルオペレーティングシステム|モバイル]])
* [[iPadOS]](タブレット)
* [[watchOS]](スマートウォッチ)
* [[tvOS]](セットトップボックス)
* [[visionOS]]([[空間コンピューティング|空間コンピュータ]])
}}
| '''サービス'''{{col-list|15em|
* [[iTunes Store]]
* [[App Store]]
* [[Mac App Store]]
* [[iBooks Store]]
* [[iCloud]]
* [[Apple Pay]]
* [[Apple Card]]
* [[Apple Music]]
* [[Apple Arcade]]
* [[Apple TV+]]
* [[Apple Fitness+]]
* {{ill2|Apple News|en|Apple News}}
* [[Apple One]]
* [[Apple Business Manager]]<ref>[https://business.apple.com]</ref>
* [[Apple School Manager]]<ref>[https://school.apple.com]</ref>
* {{ill2|AppleCare|en|AppleCare}}
}}
| '''[[プログラミング言語]]'''{{col-list|15em|
* [[Swift (プログラミング言語)|Swift]]
* [[Objective-C]]
}}
}}
=== 過去の製品・事業 ===
{{ul
| '''ハードウェア'''{{ul
| デスクトップ
* [[Apple I]] - [[Apple II]] - [[Apple III]] - [[Lisa (コンピュータ)|Lisa]] - [[Macintosh XL]]
* [[Macintosh 128K|Macintosh]] - [[Macintosh Plus]] - [[Macintosh SE]] - [[Macintosh Classic]] - {{ill2|Macintosh Classic II|en|Macintosh Classic II}} - [[Macintosh Color Classic]] - [[Macintosh Color Classic II]]
* [[Macintosh II]] - [[Macintosh IIx]] - [[Macintosh IIcx]] - [[Macintosh IIci]] - [[Macintosh IIfx]] - [[Macintosh IIsi]] - {{ill2|Macintosh IIvi|en|Macintosh IIvi}} - {{ill2|Macintosh IIvx|en|Macintosh IIvx}}
* [[Macintosh LC]] - [[Macintosh LC II]] - [[Macintosh LC III]] - [[Macintosh LC 475]]
* [[Performa]]
* [[Macintosh Quadra]] - [[Macintosh Quadra 700]] - [[Macintosh Quadra 900]] - [[Macintosh Quadra 950]]
* {{ill2|Macintosh Centris|en|Macintosh Centris}}
* [[Power Macintosh]]- [[Power Macintosh G3 (Blue & White)]]
* [[Power Mac]] - [[Power Mac G4]] - [[Power Mac G4 Cube]] - [[Power Mac G5]]
* [[eMac]]
* [[20th Anniversary Macintosh]]
* [[iMac]] - iMac DV - iMac G4 - [[iMac G5]] - [[iMac Pro]] - [[iMac (インテルベース)]]
| ラップトップ(ノートブック型){{ul
| [[Macintosh Portable]]
| [[PowerBook]]{{col-list|15em|
* [[PowerBook 140|PowerBook 140, 145B]]
* [[PowerBook 170]]
* [[PowerBook 160|PowerBook 160, 165]]
* [[PowerBook 180|PowerBook 180, 180c]]
* [[PowerBook 150]]
* [[PowerBook 190]]
* [[PowerBook 5300]]
* [[PowerBook 1400]]
* [[PowerBook 3400c]]
* [[PowerBook 2400c]]
* [[PowerBook G3]]
* [[PowerBook G4]]
}}
| [[PowerBook Duo]]{{col-list|15em|
* PowerBook Duo 210, 230
* PowerBook Duo 250, 270c
* PowerBook Duo 280, 280c
* PowerBook Duo 2300c
}}
| [[iBook]]{{col-list|15em|
* iBook (Dual USB)
* iBook (Opaque White)
* iBook G4
}}
| [[MacBook]]
* [[MacBook (2015-2017)]]
}}
| [[ピピンアットマーク|PiPPiN]] - Power Macintoshをベースとし、CD-ROMドライブのみを搭載したAppleが開発し[[バンダイ|バンダイ・デジタル・エンタテイメント]]が販売していたマルチメディア端末。白い筐体のPiPPiN ATMARK、グレーの筐体のPiPPiN@WORLDがあった
| サーバー{{col-list|15em|
* [[Xserve]]
*Mac Pro Server
*Mac mini server
*[[Apple Workgroup Server]]
*[[Macintosh Server]]
*{{ill2|Apple Network Server|en|Apple Network Server}}
}}
| [[Apple Newton]]{{col-list|15em|
* [[MessagePad]]
*MessagePad 100
*MessagePad 110
*MessagePad 120
*MessagePad 130
*[[eMate 300|eMate]]
*MessagePad 2000
*MessagePad 2100
}}
| [[iPod]]{{col-list|15em|
* [[iPod]]
*[[iPod mini]]
*[[iPod shuffle]]
*[[iPod nano]]
*[[IPod classic|iPod Classic]]
* [[iPod touch]]
}}
| [[iPhone]]{{col-list|15em|
* [[IPhone (初代)|iPhone]]
*[[iPhone 3G]]
*[[iPhone 3GS]]
*[[iPhone 4]]
*[[iPhone 4S]]
*[[iPhone 5]]
*[[iPhone 5c]]
*[[iPhone 5s]]
*[[iPhone 6]]
*[[iPhone 6 Plus]]
*[[iPhone 6s]]
*[[iPhone 6s Plus]]
*[[iPhone SE (第1世代)]]
*[[iPhone 7]]
*[[iPhone 7 Plus]]
*[[iPhone 8]]
*[[iPhone 8 Plus]]
*[[iPhone X]]
*[[iPhone XR]]
*[[iPhone XS]]
*[[iPhone XS Max]]
*[[iPhone SE (第2世代)]]
*[[iPhone 11 Pro]]
*[[iPhone 11 Pro Max]]
*[[iPhone 12]]
*[[iPhone 12 Pro]]
*[[iPhone 12 Pro|iPhone 12 Pro Max]]
*[[iPhone 12 mini]]
*[[iPhone 13 Pro]]
*[[iPhone 13 Pro|iPhone 13 Pro Max]]
}}
*[[iPhone 13 mini]]
| [[Apple Watch]]{{col-list|15em|
* Apple Watch(第1世代)
*Apple Watch Series 1
*Apple Watch Series 2
*[[Apple Watch Series 4]]
*[[Apple Watch Series 5]]
*[[Apple Watch Series 6]]
*[[Apple Watch Series 7]]
*[[Apple Watch Series 8]]
*[[Apple Watch Ultra]]
}}
| モニター{{col-list|20em|
*[[Apple Cinema Display]]
*[[Apple Thunderbolt Display]]
}}
| プリンター{{col-list|15em|
* [[LaserWriter]]
*[[Color StyleWriter]]
*{{ill2|ImageWriter|en|ImageWriter}}
}}
| その他周辺機器{{col-list|20em|
* {{ill2|Apple OneScanner|en|Apple OneScanner}}
*[[Apple QuickTake]] 100, 150, 200
*[[iPod Hi-Fi]]
*[[iSight]]
*[[Xserve RAID]]
*[[Apple Battery Charger]]
*[[AirMac|AirMac Extremeベースステーション]]
*[[Time Capsule]]
*[[HomePod|HomePod (2018)]]
}}
}}
| '''ソフトウェア'''{{col-list|40em|
* [[Aperture]]
* [[AppleShare]]
* [[AppleWorks]]
* iPhone Configuration Utility
* QuickTime Pro
* QuickTime Streaming Server - Darwin Streaming Server
* QuickTime Broadcaster
* [[Shake]] - [[クロマキー]]の高度な[[キーイング]]が可能な映像編集ソフト。
* [[WebObjects]] - 世界初の[[Webアプリケーションサーバ]]
* [[Final Cut Studio]]
** [[DVD Studio Pro]] - プロフェッショナル向けDVDオーサリング環境
** [[Soundtrack Pro]] - プロフェッショナル向けサウンドトラック編集環境
** [[Color (ソフトウェア)|Color]] - カラーコレクションツール
* [[Final Cut Server]] - プロフェッショナル向けデジタルアセット管理環境
* [[iPhoto]]
* [[Logic Express]]
* [[Logic Studio]]
* [[Macintosh Application Environment]] - UNIX向けClassic Mac OS環境(漢字Talk 7.5.3までを動かす)
* {{仮リンク|Macintosh Programmer's Workshop|en|Macintosh Programmer's Workshop}} - Classic Mac OS向け開発環境
}}
| '''サービス'''{{col-list|25em|
* AppleLink - 開発者向けパソコン通信
* eWorld - 一般向けパソコン通信
* [[MobileMe|iTools, .Mac, MobileMe]] - クラウドサービス
* [[iDisk]] - クラウドストレージ
* [[iTunes Ping]]
* [[iAd]]
}}
| '''オペレーティングシステム'''{{col-list|25em|
* [[Mac OS X Server 1.0]]
* [[macOS Server]]([[サーバ]])
* [[漢字Talk]]([[Classic Mac OS|System 3-7]]までの日本語ローカライズ版)
* [[Mac OS 8]]
* [[Mac OS 9]]
* [[A/UX]]
* [[MkLinux]]
}}
| '''プログラミング言語'''
* [[Dylan]]
}}
== 社名とロゴマーク ==
{{multiple image
| align = right
| direction = vertical
| width = 100
| image1 = Apple first logo.png
| caption1 = 1976年から1977年にかけて使われたロゴ
| image2 = Apple Computer Logo rainbow.svg
| caption2 = 1976年から1998年まで使われたロゴ
| image3 = Apple_logo_black.svg
| caption3 = 2003年以降使われている現行ロゴ
}}{{After float}}
=== 社名 ===
1976年4月1日の創業時の社名は“Apple Computer Company”(アップルコンピュータ・カンパニー)であった<ref name=ACC/>。1977年1月3日に法人化されて以降は30年にわたり“Apple Computer, Inc.”を名乗っていたが、2007年1月9日([[太平洋標準時|PST]])に主力事業の変化を反映させ<ref name="名前なし-1"/>、現社名の{{lang|en|“Apple Inc.”}}に改称した<ref>{{Cite web|和書|url=https://jp.reuters.com/article/domesticFunds/idJPnTK304156320070110|title=米アップルコンピュータ、社名をアップルに変更へ|publisher=[[ロイター]]|date=2007-01-10|accessdate=2007年9月25日 }}</ref>。
“Apple Computer”という社名の由来については諸説が存在しているが{{sfn|O'Grady|2009|page=4}}、ジョブズ本人の弁によれば、この名前は当時[[果実食主義]]を実践していた自分が[[リンゴ]]園から帰ってきた直後に思いついたものであり、言葉の響きとして「楽しげで、元気がよく、威圧的でない」と考えて採用したのだという<ref>{{cite news |title=Steve Jobs bio says Apple CEO abhorred 'corrupt' execs |url=https://www.cbc.ca/news/science/steve-jobs-chose-herbal-medicine-delayed-cancer-surgery-1.1124855 |accessdate=June 30, 2019 |publisher=CBC News |date=October 20, 2011|quote=Jobs told Isaacson that he tried various diets, including one of fruits and vegetables. On the naming of Apple, he said he was "on one of my fruitarian diets." He said he had just come back from an apple farm, and thought the name sounded "fun, spirited and not intimidating."}}</ref>。一方のウォズニアックは、この社名はジョブズが提案してきたもので真意は不明だとしたうえで、「彼は音楽を好んだので、[[アップル・レコード]]([[ビートルズ]]のレコード会社)から思いついたのかもしれない」と述べている{{sfn|Linzmayer|2004|page=6}}。
=== ロゴ ===
Appleにとって最初の[[ロゴマーク]]は創業者の1人である{{ill2|ロナルド・ウェイン|en|Ronald Wayne}}がデザインしたもので、リンゴの木に寄りかかって本を読んでいる[[アイザック・ニュートン]]を描いていた{{sfn|Linzmayer|2004|pages=5-6}}。しかしこれでは堅苦しいと考えた[[スティーブ・ジョブズ]]は、1977年に[[レジス・マッケンナ|レジス・マッケンナ社]]のアートディレクター、ロブ・ジャノフに新しい[[ロゴマーク]]のデザインを依頼する。最初はモノクロだったが、ジョブズがApple IIのカラー出力を印象づけるためカラー化を指示し、6色の横縞が追加された。横縞のないモノクロのロゴも、マニュアル、製品包装などの白黒の印刷物に引き続き使用された。
[[1985年]]、[[芸術家]]で[[ポップアート]]の旗手として有名な[[アンディ・ウォーホル]]は、Appleとの[[コラボレーション]]により6色AppleのMacintoshロゴマークをモチーフにした作品「APPLE」を発表。晩年の代表作である。
1997年にジョブズが暫定CEOとしてAppleに復帰すると、黒のボディに白抜きの大きなAppleロゴを大胆にあしらったPowerBook G3を発表。続いて1998年に発表されたiMacでは、従来のApple製品に長らく採用されていた6色に塗りわけられたロゴは外装には使われず、立体的にデザインされた単色ロゴを採用し、新生Appleを人々に強く印象づけた。1999年以降は、6色ロゴはまったく使われなくなり、単色のロゴが使用されている。
その後、[[2017年]]に公開された[[iOS 11]]では、端末内にある[[デフォルト (コンピュータ)|デフォルト]]の壁紙の中に、上記の6色ロゴと同じ配色の斜め線が施された壁紙が7種類用意されている。
また、[[2021年]]に公開された[[IMac (Appleシリコンベース)|24インチiMac]]の[[CM|cm]]では、最後のアップルロゴが6色になっている。
なお、ロゴが6色だった時代から、Apple製品にはステッカーが同梱されている。
== CM ==
{{出典の明記|date=2021年2月|section=1}}
{{百科事典的でない|date=2021年2月|section=1}}
コンピュータ企業には多い傾向だが、特にいわゆる[[Wintel]]に対して挑戦的なCMを製作する。[[IBM]]がパソコン業界に参入したときは「Welcome!」と出迎え、ファイル名が[[File Allocation Table|8.3形式]]の文字の制限が緩和された[[Microsoft Windows 95]]の発売に対し、広告で『C:{{Backslash}}ONGRTLNS.W95』(「congratulations Windows 95」を8.3形式で無理矢理表現したもの)と皮肉った祝辞を送り、発熱量の多い[[インテル]]チップが高温で燃えるようなCMも作っていた。
そんなAppleのCMで、とりわけ話題になったものがある。それは、[[1984年]]のスーパーボウルの試合中に放送された「'''[[1984 (広告)|1984]]'''」である。内容は、「1984年1月24日、Apple ComputerはMacintoshを発表いたします。そして我々は、1984年が『[[1984年 (小説)|1984年]]』に描かれているような年にならないということをお目にかけましょう…」というものであった。このCMは、映画「[[エイリアン (映画)|エイリアン]]」や「[[ブレードランナー]]」、「[[ブラック・レイン]]」などを手がけた監督・[[リドリー・スコット]]によるもので、[[ビッグ・ブラザー]]なる独裁者を[[IBM]]に見立てており、闇を支配する[[独裁者]]を打ち砕くという内容だった。センセーショーナルなこのCMは、数々の賞を総なめにした。このCMは、スーパーボウルで1度だけ放映されたものだが、実際には、その話題性から放映後、ニュースなどで繰り返し流されることになり、結果的にAppleはCM料を払わずに宣伝していたことになる。なお、のちに期間限定で蘇っており、同CM中では独裁者を打ち砕く女性が[[iPod]]を身につけている<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.apple.com/jp/articles/backnumber/html/enewsj_0058html.html|title=Apple eNews/ January 20, 2004 - Quicktime What's On 伝説のCM「1984」が復活|date=2004-01-20|publisher=Apple|accessdate=2007年9月25日 }}</ref>。
2006年より、[[アメリカ合衆国]]および[[ヨーロッパ]]で、“I'm a Mac”、“I'm a PC”の台詞から始まる[[Get a Mac]]と呼ばれるCMを放映していた。それには、カジュアルな服装のMac役の[[ジャスティン・ロング]]と背広にネクタイのPC役の{{ill2|ジョン・ホッジマン|en|John Hodgman}}との2人のショートコント仕立てで、[[Microsoft Windows]]との[[比較広告]]を行っていたもので60編以上ある。ほかの国では、基本的に米国版(フランス・ドイツ・イタリアでは各言語に吹き替えられている)を流していたが、[[日本]]と[[イギリス]]では別制作のCMを放映した<ref>{{cite web|url=https://www.apple.com/uk/getamac/ads/|title=Apple (UK and Ireland) - Get a Mac - Watch The New Ads|publisher=Apple.Inc|accessdate=2007年9月25日 }}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.apple.co.jp/getamac/ads/|title=Apple - Macをはじめよう - TV CM|publisher=Apple.Inc|accessdate=2007年9月25日 }}</ref>。日本ではコンセプトを継承しつつ、お笑い芸人[[ラーメンズ]](Macが[[小林賢太郎]]、PCが[[片桐仁]])を起用したものとなり、内容は基本的に米国版を踏襲している。このCMは米国版のうちの十数編のみのローカライズであるが、いずれもPCの[[コンピュータウイルス]]に対する脅威(Macではウイルスがないような表現をしている)、マルチメディアへの弱みを皮肉る内容である。
== Apple Store ==
{{Main|Apple Store}}
Appleによって運営されている直営の販売店および技術サポート拠点。2018年8月現在、世界24か国に500店舗以上がある<ref>[https://www.apple.com/jp/retail/storelist/ Apple - Apple Store - ストア一覧]</ref>。日本には10店舗が出店されている。
2016年、Appleは各店舗の名称から“Store”表記を削除し、単に“Apple”とした。
== サポート ==
[[iPhone]]・[[iPad]]を例として挙げた場合、基本的に[[キャリアショップ]]での修理受付は行っていない<ref>[https://www.itmedia.co.jp/mobile/articles/1603/24/news070.html キャリアショップでは“受付不可”!? 「iPhone」のサポートあれこれ (1/2)] - ITmedia 2016年3月24日</ref>(一部の直営店舗を除く<ref>[https://web.archive.org/web/20201029054853/https://japanese.engadget.com/jp-2016-06-01-au-iphone-ipad-au-shinjuku.html auがiPhoneとiPadの店頭修理サービスを開始。au SHINJUKUにて本体やバッテリーの即日交換が可能に] - engadget 2016年6月1日</ref>)。
その代わり、Apple製品の正規サポートについて、直営店舗[[Apple Store]]内にある修理受付の「Genius Bar」、Appleリペアセンターへの送付、Appleと契約している「Apple正規サービスプロバイダ」で行っている<ref>[https://www.apple.com/jp/retail/geniusbar/ Genius Barの予約とAppleサポートのオプション] - Apple(日本)</ref>。
「Apple正規サービスプロバイダ」については、修理を担当するスタッフが認定資格<ref>{{Cite news|title=AppleCare サービス認定資格について|url=https://support.apple.com/ja-jp/HT205332|accessdate=2018-08-28|language=ja-JP|work=Apple Support}}</ref>を取得していること、Appleが要求する店舗が用意できるなどの基準を満たしており、Appleの保証を使って修理することができる。料金については、運営する事業者により異なっている<ref>[https://xtrend.nikkei.com/atcl/trn/pickup/20150309/1063035/?P=4&rt=nocnt iPhone修理の細かすぎるまとめ 6/6 Plusの画面修理や5のボタン修理はアップル本体のほうが安かった(4/8) 【身近な正規サービス】全国でアップル本体と同等の修理が受けられる] - 日経トレンディ 2015年3月17日</ref>。
また、製造終了から5年以上7年未満の製品を「ビンテージ製品」とし、一部の国を除いてサポートを終了。7年以上の製品を「オブソリート製品」として、すべての技術サポートを終了している<ref>[https://support.apple.com/ja-jp/HT201624 ビンテージ製品とオブソリート製品] - Apple サポート</ref>。
== Apple Japan合同会社 ==
{{基礎情報 会社
| 社名 = Apple Japan合同会社
| 英文社名 = Apple Japan, Inc.
| ロゴ = [[ファイル:Apple logo black.svg|80px]]
| 画像 = [[File:Mori Tower - Roppongi, Tokyo, Japan - DSC06760.JPG|250px]]
| 画像説明 = Apple Japan合同会社が入居する[[六本木ヒルズ森タワー]]
| 種類 = [[合同会社]]
| 市場情報 =
| 略称 =
| 国籍 = {{JPN}}
| 本社郵便番号 = 106-6140
| 本社所在地 = [[東京都]][[港区 (東京都)|港区]][[六本木]]6丁目10番1号[[六本木ヒルズ森タワー]]<ref>[https://www.apple.com/jp/contact/ Apple Japan 所在地]</ref>
| 設立 = [[2011年]][[10月30日]]
| 業種 = 5250
| 法人番号 = 3011103003992
| 統一金融機関コード =
| SWIFTコード =
| 事業内容 = Apple Inc.の[[コンピュータ]]、ソフトウェア、周辺機器製品などの日本への輸入
| 代表者 = 秋間亮<ref>[https://www.apple.com/jp/shop/open/salespolicies]</ref>(業務責任者 [[社長]])
| 資本金 =
| 売上高 =
| 営業利益 =
| 純利益 =
| 純資産 =
| 総資産 =
| 従業員数 = 4,000名<ref>[https://www.apple.com/jp/job-creation/]</ref>
| 決算期 =
| 主要株主 =
| 主要子会社 =
| 関係する人物 =
| 外部リンク = {{URL|https://www.apple.com/jp/}}
| 特記事項 = 有限会社アップルジャパンホールディングスとして設立。2011年に合同会社へ組織変更。2011年10月30日にアップルジャパン株式会社を吸収合併。
}}{{After float}}Apple Japan[[合同会社]]({{Lang-en-short|Apple Japan, Inc.}})は、Appleの日本法人である。2011年に、[[有限会社]]アップルジャパンホールディングスから改称した<ref>2011年(平成23年)6月20日『[[官報]]』第5579号31ページ「組織変更公告」</ref>。
当初の日本法人は、1983年6月21日に'''アップルコンピュータジャパン[[株式会社]]'''として設立され、その後1992年[[2月]]に'''アップルコンピュータ株式会社'''<!-- https://www.apple.com/jp/prweb/info/1992to1993.html 参照 -->に、さらに2007年3月1日に'''アップルジャパン株式会社'''へと商号変更された。
2011年10月30日に、アップルジャパン株式会社はApple Japan合同会社を存続会社として吸収合併されて消滅し<ref>2011年(平成23年)8月18日『官報』第5621号31ページ「合併公告」</ref>、現行の体制となった。
設立当初は、[[赤坂ツインタワー]]ビル本館に入居していた<ref>{{Cite |和書 |author= |title=ASCII 1983年7月号 |volume=7 |issue=7 |publisher=株式会社アスキー出版 |date=1983-7-1 |isbn= |page=87 }}</ref>。1992年2月から1996年10月までの所在地は東京都[[渋谷区]][[千駄ヶ谷]]。同年11月以降2013年4月までは[[東京オペラシティタワー]]に本社を置く<ref>{{Cite web|和書|date=1996-10-4|url=https://pc.watch.impress.co.jp/docs/article/961004/apple.htm|title=アップル、東京オペラシティに本社移転|publisher=PC Watch|accessdate=2012-05-09}}</ref>。2013年5月7日以降、六本木ヒルズ森タワーに本社を置いている<ref>[https://www.gizmodo.jp/2013/04/apple_japan.html Apple Japanが六本木ヒルズへお引越しするみたい]</ref>{{Efn|このため、Appleの日本法人(現在のApple Japan合同会社)は21年3ヶ月ぶりに[[東京都]][[港区 (東京都)|港区]]が本社となっている。}}。
=== ジャパンデザインセンター ===
JDCが重点的に取り組んでいることとして、アナログおよびミックスド・シグナル半導体デバイスの設計が挙げられている<ref name=":10">{{Cite web|和書|title=エンジニア - 採用情報 - Apple (日本) |url=http://www.apple.com/jobs/jp/apple_recruit_engineer/index.html |website=Apple |access-date=2023-05-29 |language=ja}}</ref>。
=== テクニカルデベロップメントセンター ===
日本での開発拠点として、2015年度<!--同年春以降、遅くとも2016年2月までに-->に[[横浜市]]・[[みなとみらい地区]]の[[横浜アイマークプレイス]]内に「テクニカル・デベロップメント・センター(TDC)」を設置した<ref>[https://www.nikkei.com/article/DGXLASDZ09HQF_Z01C14A2TJ2000/ アップル、横浜に開発拠点 日本の技術取り込み](日本経済新聞 2014年12月9日{{Small|〈[https://megalodon.jp/2014-1220-2010-45/www.nikkei.com/article/DGXLASDZ09HQF_Z01C14A2TJ2000/ 同年12月20日付のウェブ魚拓キャッシュ]〉}})</ref><!--<ref>[https://www.hamakei.com/photoflash/1685/ 横浜市の林市長がアップル社のみなとみらい進出についてコメント](ヨコハマ経済新聞 2014年12月10日)</ref>--><ref>[https://nfm.nikkeibp.co.jp/atcl/fb/news/20150114/688789/ 【テナント】横浜アイマークプレイスに開発拠点、アップル](日経不動産マーケット情報 2015年1月19日)</ref><ref>[http://www.kanaloco.jp/article/72862 米アップルの研究開発拠点 横浜・MM21の「アイマークプレイス」に](神奈川新聞:カナロコ 2014年12月27日{{Small|〈[https://megalodon.jp/2015-0707-1931-24/www.kanaloco.jp/article/72862 2015年7月7日付のウェブ魚拓キャッシュ]〉}})</ref><ref name="macotakara160227">[http://www.macotakara.jp/blog/news/entry-29344.html Appleのテクニカル・デベロップメント・センター、横浜アイマークプレイスにて稼働中](Macお宝鑑定団Blog[羅針盤] 2016年2月27日)</ref><ref>[https://doda.jp/z/job/3001164000/ Apple Japan合同会社への転職・求人情報](転職情報サイト「[[DODA]]」 ''2017年1月23日閲覧{{Small|〈[https://megalodon.jp/2017-0123-1100-06/https://doda.jp:443/z/job/3001164000/ 同日付のウェブ魚拓キャッシュ]〉}}'') {{Small|※2016年のエンジニア募集(2月6日に合同転職面談会開催)で、勤務地に「横浜みなとみらいアイマークプレース」とある。}}</ref>。
=== 横浜テクノロジーセンター ===
2016年12月には横浜市[[綱島]]の[[Tsunashima サスティナブル・スマートタウン]]内に、本格的な研究開発施設となる「'''Apple YTC'''(横浜テクノロジーセンター)」<ref group="注釈">完成以前には「'''綱島テクニカル・デベロップメント・センター'''(綱島TDC)」とも呼ばれていた。</ref>が完成している<ref>[https://news.mynavi.jp/article/20150325-a491/ 米Apple、横浜のパナソニック工場跡地に研究開発拠点を建設 - 2016年に完成] - マイナビニュース 2015年3月25日</ref><ref>[https://dot.asahi.com/articles/-/22422 アップルがアジア拠点に選んだ、昭和の温泉地「横浜綱島」の驚愕] - ASAhIパソコン Online - 2015年12月19日</ref><ref>[https://www.hamakei.com/photoflash/3049/ 綱島東の「Appleテクニカル・デベロップメント・センター」は12月中に完成](ヨコハマ経済新聞 2016年10月14日)</ref><ref>[https://hiyosi.net/2017/01/20/tsunashima_tdc-2/ 米アップル研究所「綱島TDC」稼働は年度内? 官房長官の視察で相次ぎ報道](横浜日吉新聞 2017年1月20日)</ref><ref>[https://hiyosi.net/2017/02/15/tsunashima_ytc/ 綱島の米アップル研究所は「横浜テクノロジーセンター」という名称か](横浜日吉新聞 2017年2月15日)</ref><ref>[https://iphone-mania.jp/news-174097/ 【取材】横浜のApple研究開発施設「Apple YTC」は今](iPhone Mania 2017年7月3日)</ref>。
YTCが重点的に取り組んでいることとして、カメラ用光学系、光学コーティング技術、プロセス開発、ディスプレイパネル技術などの開発が挙げられている<ref name=":10" />。
日本法人設立前のApple II 時代は代理店は数社あり、[[文京区]][[本郷 (文京区)|本郷]]にあるESDラボラトリが最大手で、[[BMCインタナショナル]]などが日本語マニュアルなどを作成して販売していた。日本語版Apple II であるj-plusを投入する際に、Apple本社は両社を切り、[[東レ]]を総代理店とした。
数年後、東レからアップルコンピュータジャパン設立委員会に移管し、日本法人が設立されるまで、[[キヤノン]]の子会社であるキヤノン販売(現・[[キヤノンマーケティングジャパン]])がほぼ総代理店を務めていた。
日本法人設立後も、キヤノン販売(ゼロワンショップ)でのMacintosh独占販売はしばらく続いたが、一般消費者向け量販シリーズであるPerfomaシリーズ発売の1993年ごろに大手[[家電量販店]]に販路を拡大、Macintoshの販売はこちらが主体となり、キヤノン販売は2002年ごろまでにApple製品を含む一般向けコンピュータ販売事業(ゼロワンショップ)から撤退した。
1999年12月7日、AppleはiMacやiBookの販売価格を小売店に指示したという[[独占禁止法]]の違反容疑で[[公正取引委員会]]から立ち入り調査<ref>{{Cite web|和書|url=https://pc.watch.impress.co.jp/docs/article/991207/apple.htm|title=公取委、アップルコンピュータに立ち入り調査|publisher=PC Watch|date=1999-15-07|accessdate=2007年9月25日 }}</ref>を受け、2000年10月3日には独占禁止法違反の疑いで警告<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.itmedia.co.jp/news/0010/03/apple.html|title=公取委,独禁法違反の疑いでアップルに警告|work=ITmedia News|date=2000-10-03|accessdate=2007年9月25日 }}</ref>を受けている。
=== 歴代社長 ===
* 1983.6 - 1985 福島正也<ref>[https://www.1101.com/head/2003-10-02.html もってけドロボー!斉藤由多加の「頭のなか」。]</ref>
* 1985 - 1989 ロバート・コーリー<ref>『林檎の樹の下で』斎藤由多加</ref>
* 1989.3 - 1994.7 武内重親<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.itmedia.co.jp/enterprise/articles/0709/07/news014.html|title=アップルジャパンの流通を改革した「サムライ」たち|work=ITmedia アンタープライズ|accessdate=2008年7月27日 }}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.apple.com/jp/prweb/info/1989to1991.html|title=アップル - PRWeb - 会社情報 - アップルの歴史(1989 - 1991年)|work=Apple Japan Press Info|accessdate = 2012-03-10|archiveurl = https://web.archive.org/web/20110330100613/https://www.apple.com/jp/prweb/info/1989to1991.html|archivedate = 2011-03-30 }}</ref>
* 1994.7 - 1995.7 三田聖二<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.apple.com/jp/prweb/info/1994.html|title=アップル - PRWeb - 会社情報 - アップルの歴史(1994年)|work=Apple Japan Press Info|accessdate = 2012-03-10|archiveurl = https://web.archive.org/web/20110330100615/https://www.apple.com/jp/prweb/info/1994.html|archivedate = 2011-03-30 }}</ref>
* 1995.7 - 1997.4 ジョン・フロイサンド<ref>[https://pc.watch.impress.co.jp/docs/article/960610/apple.htm ジョン・フロイサンド代表取締役会長が引き続き代表権を持つ アップル日本法人の社長に志賀徹也氏が就任]</ref><ref>[https://pc.watch.impress.co.jp/docs/article/960913/apple.htm アップル社長の志賀氏に代表権]</ref>(代表取締役会長)
* 1996.6 - 1997.4 志賀徹也<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.apple.com/jp/prweb/info/1996.html|title=アップル - PRWeb - 会社情報 - アップルの歴史(1996年)|work=Apple Japan Press Info|accessdate = 2012-03-10|archiveurl = https://web.archive.org/web/20110330100616/https://www.apple.com/jp/prweb/info/1996.html|archivedate = 2011-03-30 }}</ref>
* 1997.4 - 2004.2 [[原田泳幸]]<ref>{{Cite web|和書|date=1997-04-11|url=https://pc.watch.impress.co.jp/docs/article/960610/apple.htm|title=アップルコンピュータ、志賀社長退陣。後継は原田米本社副社長|publisher=PC Watch|accessdate=2012-08-28}}</ref>
* 2004年10月より以下の2人が就任(代表取締役はティム・クック<ref>{{Cite web |title=アップルコンピュータ株式会社 (Apple Japan, Inc.)概要 |url=https://web.archive.org/web/20050203032049/http://www.apple.com/jp/employment/overview.html |website=web.archive.org |date=2005-02-03 |access-date=2023-12-24}}</ref>)
** 2004.10 - 2006.7 [[前刀禎明]]マーケティング担当(米Vice President兼任)
** 2004.10 - 2009.9 [[山元賢治]]セールス担当(米Vice President兼任)前職は[[日本オラクル]]の取締役であった。
* 2009.10 - 2010.2 ジェニファー・ベーリー<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.apple.com/jp/internetservices/terms/membership_terms.html|title=アプリケーションサービスに基づく使用条件|accessdate=2010年1月26日 }}</ref>(現・Vice President of Apple Pay)
* 2010.3 - 2014.5 ダグラス・ベック(現・Vice President, North America and Northeast Asia Sales<ref>[https://www.wsj.com/articles/BL-DGB-34967 Apple’s North American Sales Head Leaving]</ref>)
* 2014.5 - 2018.9 ダニエル・ディチーコ 元BMG Japanの代表取締役社長、コーチジャパンCEO<ref>[http://adv.yomiuri.co.jp/ojo/column/fashion/201206fashion.html 革新と変化繰り返し、「コーチらしさ」を追求 日本でのシェアさらに獲得をコーチ・ジャパン 社長 兼 最高経営責任者 ダニエル・ディチーコ 氏]</ref><ref>{{Cite web|和書 |title=返品・返金 - ショッピングのサポート |url=https://web.archive.org/web/20150723032433/http://www.apple.com/jp/shop/browse/open/salespolicies |website=Apple(日本) |accessdate=2023-12-24 |language=ja-JP |publisher= |archiveurl=https://web.archive.org/web/20180928010328/https://www.apple.com/jp/shop/help/returns_refund |archivedate=2015-07-23}}</ref>
*2018.10 - 秋間亮<ref>{{Cite web|和書|title=返品・返金 - ショッピングのサポート|url=https://www.apple.com/jp/shop/help/returns_refund#salespolicy|website=Apple(日本)|accessdate=2020-08-20|language=ja-JP|publisher= |archiveurl=https://web.archive.org/web/20181005004250/https://www.apple.com/jp/shop/help/returns_refund |archivedate=2018-10-05}}</ref><ref>{{Cite web |title=2023年秋の「TOMO-KINキャリア・トーク」で人脈を広げる |url=https://usjapantomodachi.org/ja/2023/11/38251/ |website=TOMODACHI |date=2023-11-23 |access-date=2023-12-24 |language=ja |quote=ゲストスピーカーとしてApple Japan 合同会社 代表取締役社長 秋間亮氏をお招きしました。}}</ref>
=== 取扱店 ===
; Apple Shop
: Apple Japanはこれまで米国法人直営のApple Storeが展開してきた全ラインアップの展示・販売方法のスタイルを継承した店舗を、家電量販店の[[ビックカメラ]]有楽町店本館5階にオープンさせた。今後も家電量販店内への出店を進める予定。Apple Shopに立つAppleスタッフとして<ref>[https://www.apple.com/jp/reseller/appleshop/ Apple Shop]</ref>店頭販売スペースのレイアウトや商品知識など、直接のガイドラインの指導が行われApple Solutions Consultantが専任スタッフとして常駐している。
; Apple Value Added Reseller
: Appleと、システム構築を含めたApple製品のソリューション販売を行う契約を結んでいる正規代理店。
: 法人・公共機関向けの導入は[https://www.apple.com/jp/business/contact/var/ Apple Business VAR]が担当する。また教育機関向けには、日本では[https://www.apple.com/jp/education/contact/var/ Apple Education VAR]プログラムが展開されている。
; Apple Consultant Network
: Apple Consultants Networkは、[[Apple認定資格プログラム|Apple認定資格]]を取得している[[プロフェッショナル]]が在籍するITソリューションやITコンサルタントの法人がメンバーの枠組み<ref>[https://consultants.apple.com/jp/ Apple Consultants Network]</ref>。
== 騒動・不祥事 ==
=== アップル対アップル訴訟 ===
{{main|アップル対アップル訴訟}}
: [[ビートルズ]]が所有した[[アップル・コア]]と「Apple」の名称およびロゴの使用をめぐって裁判で争ったことがあり、Apple Computerが音楽事業を行わないことで和解していたが、iPodやiTunesの登場によって契約違反として再度訴訟問題となった。この問題は2007年に、Apple Inc.が[[アップル・コア]]に5億ドルを支払って「Apple」に関連する商標権を保有し、[[アップル・コア]]がライセンスを得て使用することで最終的に和解した<ref>[[ウォルター・アイザックソン]]、2011、『[[スティーブ・ジョブズ (書籍)|スティーブ・ジョブズ]]』下、 講談社 212.</ref>。
=== 電子書籍の価格操作で独禁法違反 ===
: 2013年7月に米連邦地裁は、Appleが[[電子書籍]]の価格をつり上げるために出版大手5社と共謀したと認定、独禁法違反であると判決を下した。大手出版社やAppleと交わしている電子書籍のエージェンシーモデル価格契約を違法であると[[アメリカ合衆国司法省]]が2012年5月に告発した裁判で、Appleに有罪判決が下った。本裁判を担当したマンハッタン連邦地裁のデニス・コート判事の判決文によると、「2009 - 2010年当時の状況に絞って考えると、[[Amazon.com]]の独占に対抗するために、Appleや大手出版社が価格を引き上げようとした動機は理解できるが、その行為自体は法的に正当化されるものではない」と判決理由を明らかにしている<ref>{{Cite news|title=米司法省の電子書籍エージェンシー・モデル訴訟、ニューヨーク連邦地裁Denise Cote判事「Apple社は有罪」|newspaper=[[hon.jp]]|date=2013-7-11|url=https://hon.jp/news/1.0/0/4551/|access-date=2022-9-3}}</ref><ref>{{Cite news|title=米アップル、電子書籍販売で反トラスト法違反=連邦地裁|newspaper=ロイター通信|date=2013-7-11|url=https://jp.reuters.com/article/idJPTJE96901220130710/|access-date=2022-9-3}}</ref>。
: 2014年4月に、Appleが電子書籍の分野で、大手出版社5社と価格[[カルテル]]を結んでいたとして33州・領土の検事総長らが提起した訴訟について、米連邦裁判所のデニス・コート判事は、Apple側の訴訟の取り下げ請求を棄却した。今回の判断により、検事総長らは損害賠償請求を進められることになった。コート判事は7月、Appleが電子書籍の価格をつり上げるため、2009年 - 2010年に出版社と共謀し、公正な競争が阻害されたとの判断を下した。Appleは州当局が損害賠償を請求する法的根拠はないと主張。判事はこうしたAppleの主張を退けた<ref>{{Cite news|title=電子書籍の価格操作訴訟、アップルの取下げ請求を地裁判事が棄却|newspaper=ロイター通信|date=2014-4-16|url=https://jp.reuters.com/article/topNews/idJPTYEA3F04S20140416/|access-date=2022-9-3}}</ref>。
=== スイス連邦鉄道の時計デザイン盗用問題(和解) ===
: Appleのモバイル端末向け[[オペレーティングシステム|OS]]のiOS 6に搭載される時計ウィジェットアプリが、[[スイス鉄道時計|スイス連邦鉄道の時計]]のデザインを盗用しているとして<ref>[https://www.blick.ch/wirtschaft/fuers-ipad-apple-klaut-bahnhofs-uhr-der-sbb-id2040821.html Fürs iPadApple klaut Bahnhofs-Uhr der SBB]</ref>、[[スイス連邦鉄道]]がAppleを相手に法的措置に踏み切った。Appleはスイス連邦鉄道に対し、ライセンス料として2000万スイスフラン(約16億7000万円)を支払うことで和解した<ref>[https://gigazine.net/news/20121112-apple-swiss-rail-clock/ Appleがスイス連邦鉄道時計のデザインを盗用した件で約17億円を支払いへ]</ref>。
=== 島野製作所との訴訟(Apple勝訴) ===
: MacBook、MacBook Proに使われていた[[MagSafe]]の[[ポゴピン]]に関して<ref>{{Cite web|和書|title=「島野製作所 vs アップル」に学ぶ、特許を盗んだと言われないための注意点|url=https://japan.cnet.com/article/35070260/|website=CNET Japan|date=2015-09-11|accessdate=2020-11-15|language=ja}}</ref>、Appleの日本における[[請負#下請負|下請]]会社のひとつである[[島野製作所]]が、[[2012年]]にAppleから増産を指示され、これを受ける形で設備投資を行ったものの、直後に取引を急減させられたうえ、納入価格を半額にするよう要求され、さらに約1459万ドルのリベートも支払うよう求められた。同社はこれらについて、不当取引であるとして[[東京地方裁判所]]に100億円の[[損害賠償]]を求め提訴。この訴訟に関連して、「両社間の紛争はアメリカの裁判所で解決する」と両社が合意していたことの有効性についての中間判決が2016年2月15日に同地裁で言い渡され、「合意が成立する法的条件を満たしておらず無効」として、日本国内で審理することが決まった<ref>[https://www.sankei.com/article/20160216-VMPHZOEK7FIDJDBORWSYDXDNLI/ 米アップル社のお手盛り契約にNO! 荒川区の下請け部品メーカーの損賠訴訟を東京地裁で審理へ] 産経新聞 2016年2月16日</ref>。 2016年3月18日、Appleを訴えていた島野製作所が請求を棄却され敗訴した<ref>[https://www.nikkei.com/article/DGXLASDG17HCX_Y6A310C1CR0000/ 島野製作所がアップルに敗訴 特許権侵害巡り、東京地裁 ] - 日本経済新聞</ref>。その後、島野製作所は控訴した<ref>[https://www.sankei.com/article/20160401-MWJEKIEUKBNFHC3NENURE42NQI/ アップルに敗訴の島野製作所が控訴] - 産経ニュース</ref>が、島野製作所の特許は無効との判断が示され<ref>{{Cite web|和書|title=アップルと戦う島野製作所、特許無効により厳しい状況に(栗原潔) - Yahoo!ニュース|url=https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/39a83d97d24232cc74dc49d9ec4fd660344f81be|website=Yahoo!ニュース 個人|accessdate=2019-02-28|language=ja}}</ref>、棄却された<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/701/086701_hanrei.pdf|title=特許庁が無効2015-800030号事件について平成28年8月16日にした審決を取り消す。|accessdate=2019年2月28日|publisher=}}</ref>。
=== 子会社の源泉徴収漏れ ===
: Appleの子会社であるiTunes株式会社が、[[東京国税局]]から[[所得税]]の[[源泉徴収]]漏れを指摘され、約120億円を[[追徴]]課税されていたことが、[[2016年]][[9月]]に判明した。音楽・映像の配信事業において、[[アイルランド]]のグループ企業に資金移転し、[[タックス・ヘイヴン]]での利益の一部について、源泉[[所得税]]を納める必要のある「配信事業でのソフトウェア使用料」に相当すると判断された<ref>[https://mainichi.jp/articles/20160916/dde/001/020/083000c アップル子会社 音楽配信巡り追徴 120億円納付 利益、アイルランド子会社に 国税指摘] 毎日新聞 2016年9月16日</ref>。
; iPhone販売契約における独禁法違反の疑い
: 2018年7月11日、[[公正取引委員会]]の報告書によって、Appleが[[NTTドコモ]]・[[KDDI]]([[au (携帯電話)|au]])・[[ソフトバンク]](※以下、[[移動体通信事業者|キャリア]]3社)それぞれと、[[iPhone]]販売方針に関する「iPhoneアグリーメント」と呼ばれる契約を結んでいたことが発覚した。Appleに[[私的独占の禁止及び公正取引の確保に関する法律|独占禁止法]]違反の疑いがあるとして、2016年10月から公正取引委員会による調査が行われたことにより、この契約が明るみに出た。この契約によりAppleは、本来、キャリア3社が毎月の通信料の引き下げに充てるはずの資金を、iPhoneの割り引きに充てるように義務づけていた<ref name="biglobe">{{Cite news|title=Appleは大手3キャリアと「iPhone Agreement」なる契約をかわしていたことが判明|newspaper=GIZMODO|date=2018-7-12|url=https://www.gizmodo.jp/2018/07/apple-japan-iphone-agreement.html|accessdate=2022-9-3|author=小暮ひさのり}}</ref><ref name="nikkei">{{Cite news |title=公取委、iPhoneの高い通信料を問題視 |newspaper=[[日本経済新聞]] |date=2018-07-11 |url=https://www.nikkei.com/article/DGXMZO32872530R10C18A7EA1000/?s=1 |accessdate=2018-07-14 }}</ref><ref name="watch">{{Cite news |title=Appleに独禁法違反の疑い、審査中にキャリアとの契約改定で調査は終了 |newspaper=[[ケータイ Watch]] |date=2018-07-11 |url=https://k-tai.watch.impress.co.jp/docs/news/1132386.html |accessdate=2018-07-14 }}</ref>。
: 独占禁止法は、取引相手のビジネスを不当に縛る行為を禁じており、公正取引委員会は、「iPhoneアグリーメント」が壁になり、キャリア3社が月々の通信料が安いプランを消費者に提供できない状態が続いたことが問題だと指摘した。これらの問題を受けて、Appleがキャリア3社との契約を改定するとの申し出をしたことにより、公正取引委員会による調査は終了した<ref name="biglobe"/><ref name="nikkei"/><ref name="watch"/>。
: iPhoneを取り扱う店舗には、「数か月ごとに訪れる締め日までに一定台数のiPhoneを販売できなければiPhoneを取り扱えなくなる」というような、iPhoneの販売ノルマが課されているケースがある。このノルマが、Appleとキャリアとの間で結ばれている「iPhoneアグリーメント」が理由なのか、キャリアと代理店の間で独自に設けられたものなのかは定かではないものの、販売現場がiPhoneの販売台数を追いかけなければならない状況にある<ref name="agreement">{{Cite news |title=「iPhone売らないとヤバい」――元店員が振り返る、重い「販売ノルマ」 |newspaper=[[ITmedia]] |date=2018-09-03 |url=https://www.itmedia.co.jp/mobile/articles/1809/03/news042.html |accessdate=2018-09-14 }}</ref>。
=== iPhoneの地図アプリにおける竹島表記問題 ===
: 2018年8月29日、iPhoneのマップでの'''[[竹島 (島根県)|竹島]]'''表記を、日本語設定以外ではすべて'''[[竹島 (島根県)|独島]]'''表記に一本化されていることが明らかになった。現在、iPhoneの言語設定で「日本語」を選んだ場合は'''竹島'''と表記されるが、「English」など日本語以外の設定ではすべて'''独島'''と表記され、'''竹島'''は完全に削除される形となった<ref>{{Cite news|title=米AppleがiPhone地図から「竹島」を削除 韓国では政府に不満も|newspaper=[[Record China]]|date=2018-8-29|url=https://www.recordchina.co.jp/b638869-s0-c30-d0058.html|accessdate=2022-9-3|author=堂本}}</ref><ref>{{Cite news |title=Apple社、地図で”日本語設定”以外が全部「独島」表記が物議に…iPhoneシェア世界一の国内で不買運動も | 世の中を見渡すニュースサイト |newspaper=New's vision |date=2018-09-04 |url=https://news-vision.jp/article/188952/ |accessdate=2018-09-14 }}</ref><ref group="注釈">ちなみに、現在のGoogleマップでは、英語版は'''竹島'''の表記を採用している。</ref>。
=== アメリカ国家安全保障局への協力 ===
[[画像:Prism slide 5.jpg|thumb|画像右上部:Apple 2012年10月追加 とある]]
: [[2013年]]6月の[[エドワード・スノーデン]]の内部告発に始まる[[アメリカ国家安全保障局]](NSA)の一連の騒動によって流出した内部資料から、{{要出典範囲|AppleがNSAの運用する極秘の監視プログラムPRISMに対して2012年より協力していることが明らかになった。|date=2020年9月}}
: {{要出典範囲|米マイクロソフトや米Googleをはじめとする他の協力企業と比較すると数年ほど遅れて協力しているが、その理由は故スティーブ・ジョブズ元CEOが生前NSAへの協力をかたくなに拒んでいたからであるとされる。|date=2020年9月}}
=== Epic Gamesからの訴訟 ===
{{See|Epic Games対Apple訴訟}}
: [[2020年]][[8月]]、[[Epic Games]]の規約違反を受けて、Apple、[[Google]]はそれぞれ[[App Store]]、[[Google Play]]から[[Fortnite]]を削除した。
: その後[[Epic Games]]はApple、Googleに対し訴訟を起こした<ref>{{Cite web|和書|title=Epic Games、Appleに対し訴訟を提起―課金法巡る『フォートナイト』App Store削除受け「反競争的な拘束と独占的慣行を使用している」|url=https://www.gamespark.jp/article/2020/08/14/101281.html|accessdate=2020-08-14}}</ref><ref>{{Cite web|和書|title=Epic Games、続いてGoogleへも訴訟提起―手数料巡る『フォートナイト』ストア削除問題|url=https://www.gamespark.jp/article/2020/08/14/101284.html|accessdate=2020-08-14}}</ref>。しかし、判決はAppleの主張が妥当であると認められ、Epic Gamesの開発者アカウントは削除された<ref>{{Cite web|和書|title=AppleがEpicの開発者アカウントを停止、「Fortnite」再ダウンロード不可能に|url=https://news.mynavi.jp/article/20200829-1257293/|website=マイナビニュース|date=2020-08-29|accessdate=2020-09-04|language=ja}}</ref>。
=== 「ウイグル人強制労働防止法」に反対するロビー活動 ===
: 2020年11月、Appleは、[[中華人民共和国]]による[[新疆ウイグル自治区]]でのウイグル人への拷問や監視下による強制労働で作られた製品の取引を禁止するアメリカの「ウイグル人強制労働防止法案」に対し、その条項を緩和させるための[[ロビー活動]]を行っていると報道された<ref>[https://www.washingtonpost.com/technology/2020/11/20/apple-uighur/ Apple is lobbying against a bill aimed at stopping forced labor in China]ワシントン・ポスト</ref><ref>[https://gigazine.net/news/20201130-apple-lobbying-uighur-forced-labor/ Appleは「ウイグル人強制労働防止法」に反対するロビー活動を展開している]GIGAZINE</ref>が、内容が事実と異なり「Appleは強制労働を許容しない」「ウイグル人労働を使用していないことを確認した」とAppleの広報担当ジョシュ・ローゼンストックが反論している<ref>{{Cite news|title=Apple’s longtime supplier accused of using forced labor in China|url=https://www.washingtonpost.com/technology/2020/12/29/lens-technology-apple-uighur/|work=Washington Post|accessdate=2021-01-26|issn=0190-8286|language=en-US|first=Reed|last=Albergotti}}</ref>。
=== 住宅火災に対する日本法人の損害賠償責任を求める裁判 ===
: 2019年秋に[[愛知県]]で2階建ての住宅が全焼する火災が発生し、就寝していた住人夫婦が[[熱傷#気道熱傷・気道損傷|気道熱傷]]により死亡した<ref name="asahi210225">{{Cite news|title=「iPhone発火で2人死亡」アップル日本法人を提訴|newspaper=朝日新聞デジタル|date=2021-02-25|url=https://www.asahi.com/articles/ASP2T627YP2TOIPE007.html|accessdate=2021-02-25}}</ref><ref name="yomiuri210225">{{Cite news|title=「iPhone発火で家全焼」、遺族がアップルジャパンを提訴|newspaper=読売新聞オンライン|date=2021-02-25|url=https://www.yomiuri.co.jp/national/20210225-OYT1T50216/|accessdate=2021-02-25}}</ref><ref name="itmedia210225">{{Cite news|title=iPhone XR発火で夫婦が死亡したとして、遺族がアップルジャパンを提訴|newspaper=ITmedia NEWS|date=2021-02-25|url=https://www.itmedia.co.jp/news/articles/2102/25/news156.html|accessdate=2021-02-25}}</ref>。死亡した女性は火事の約2週間前に[[iPhone XR]]を購入して1週間ほど使用しており、火元とされる1階リビング中央の火燵テーブルの下には純正の充電器に繋がれたiPhoneが置かれていた<ref name="asahi210225"/><ref name="yomiuri210225"/><ref name="itmedia210225"/>。また、炬燵に布団は掛けられておらず、電源を切ってコンセントが抜かれた状態だった<ref name="asahi210225"/><ref name="yomiuri210225"/><ref name="itmedia210225"/>。これに関して、消防による調査報告書では「特定に至らず不明」としながらも「携帯電話機からの出火の可能性が考えられる」と指摘されていた<ref name="asahi210225"/><ref name="yomiuri210225"/><ref name="itmedia210225"/>。
: その後、2021年2月25日に遺族の男性が[[製造物責任法]]による約1億4400万円の損害賠償を求めてApple Japanを提訴した<ref name="asahi210225"/><ref name="yomiuri210225"/><ref name="itmedia210225"/>。
=== App Storeでの手数料に関する独禁法違反の疑い(審査終了) ===
: Appleが運営している[[App Store]]内において、音楽や電子書籍、動画などを販売している業者に対して、Appleが独自の課金システムで30%の手数料を課しており、多くの業者はその手数料分を料金に上乗せしているため、ユーザーは通常よりも高い料金を払い続けているという状態となっていた。これを問題視した日本の公正取引委員会は2016年10月から独占禁止法違反の疑いで審査を行っていた<ref name=":6">{{Cite web|和書|title=米アップルがアプリ規定変更、公取委による審査終了へ|url=https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2021-09-02/QYS6USDWRGG101|website=Bloomberg.com|accessdate=2021-09-03|date=2021-09-02}}</ref><ref name=":7">{{Cite web|和書|title=アップルを公取委が独禁法違反で審査、外部決済が通知可能に|url=https://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye4350938.html|website=TBS NEWS|accessdate=2021-09-03|date=2021-09-02}}</ref>。
:2021年9月、Appleは公正取引委員会に対し、改善措置を実施すると申し出て、その後2022年3月までにApp Store以外での外部決済方法について、アプリ内でユーザーに通知することが出来るようにすることを発表した。これを受けて、公正取引委員会は「独占禁止法の懸念は払拭される」と判断し、審査を終了した<ref>{{Cite web|和書|title=(令和3年9月2日)アップル・インクに対する独占禁止法違反被疑事件の処理について:公正取引委員会 |url=https://www.jftc.go.jp/houdou/pressrelease/2021/sep/210902.html |website=www.jftc.go.jp |access-date=2022-07-27}}</ref><ref name=":6" /><ref name=":7" />。なお、この措置は日本だけでなく、全世界で適用される<ref>{{Cite web|和書|title=アップル、アプリ規定変更 公取委の調査終了と発表 開発業者の手数料回避容認|url=https://www.sankei.com/article/20210902-F4PXBUNAW5ODNGHTHRDUJX76LU/|website=産経新聞|date=2021-09-02|accessdate=2021-09-03}}</ref>。
=== Apple StoreにおけるiPhone転売行為に対する追徴課税 ===
: 海外との価格差を利用して、訪日客がAppleが運営している日本国内の[[Apple Store]]において、転売目的で大量のiPhoneを購入し、同商品を免税品扱いとして、不正に[[消費税]]の還付を受けていたとして、東京国税局はAppleの日本法人に対して、消費税約140億円の[[附帯税|追徴課税]]を行ったことを2022年12月に明らかにした<ref>{{Cite web|和書|title=世界で目立つ日本の安さ・新品より高額な中古…アイフォーン高値転売、アップル追徴 |url=https://www.yomiuri.co.jp/national/20221227-OYT1T50024/ |website=読売新聞 |date=2022-12-27 |access-date=2022-12-27 |author=浅見徹}}</ref><ref>{{Cite web|和書|title=アップルジャパンに追徴課税140億円 iPhone免税...転売目的か |url=https://www.fnn.jp/articles/-/464605 |website=FNNプライムオンライン |access-date=2022-12-27 |author=フジテレビ |date=2022-12-27}}</ref><ref>{{Cite web|和書|title=アップル日本法人に140億円の追徴課税 消費税免税販売と認めず |url=https://www3.nhk.or.jp/news/html/20221227/k10013935721000.html |website=NHKニュース |access-date=2022-12-27 |author=日本放送協会 |date=2022-12-27}}</ref>。
=== Lightningの採用によるUSB Type-CへのiPhone本体での非対応と欧州委員会との対立 ===
: Appleはかねてから自社規格端子である[[Lightning (インターフェイス)|Lightning]]をiPhoneなどの製品に採用し普及したため、後にAppleが策定に積極関与し<ref>{{Cite web|和書|title=「USB Type-C」に肩入れするアップル--Thunderbolt、Lightningは「引退」か |url=https://japan.zdnet.com/article/35058835/ |website=ZDNet Japan |date=2015-01-11 |access-date=2023-07-04 |language=ja}}</ref>国際的な[[デファクトスタンダード]]となった[[USB Type-C]]をiPhone本体に搭載していない(iPadやMacBookはUSB-Cを採用)<ref name="ITmedia211025">[https://www.itmedia.co.jp/news/articles/2110/25/news119.html Lightning狙い撃ちな「USB Type-C法案」 EUとAppleそれぞれの思惑] - ITmedia(2021年10月25日)、2023年3月19日閲覧</ref><ref name="ITmedia211001">[https://www.itmedia.co.jp/mobile/articles/2110/01/news061.html 欧州委員会がスマホ充電端子を「USB Type-C」に統一へ――アップルはLightningを辞めるのか。それともMagsafeにシフト?] - ITmedia(2021年10月1日)、2023年3月19日閲覧</ref>。これに対し[[欧州委員会]]は、「他社製品との買い替え時に互換性のない充電器が廃棄され、環境問題が生じる」としてUSB Type-C搭載をAppleに求め、両者が合意しApple製品に同梱される充電器はUSB Type-Cへと変更されたが、本体端子はLightingが残された<ref name="ITmedia211001"/>。
: その後2021年9月、欧州委員会は「電子機器類の充電方法はUSB Type-Cに限る」とする「無線機器指令」の改正指令案「[[指令 (EU) 2022/2380]]」を[[欧州議会]]に提出し、2022年6月7日に可決された。この指令は2024年秋までに施行されることとなっており、施行後はEU域内においてUSB Type-Cに対応しない全ての携帯電子機器(スマートフォンやタブレット端末、カメラ、携帯ゲーム機など)の新規流通が禁止されるほか、ノートパソコンに関しても施行後40か月以内の移行期間を経て指令の対象となる<ref name="JETRO2021">{{Cite web|和書|url=https://www.jetro.go.jp/biznews/2021/09/aa0c6cfbfed2b3f3.html|title=欧州委、スマートフォンなどの充電ポートを「USBタイプC」に統一する指令案を発表|publisher=日本貿易振興機構|date=2021-09-28|accessdate=2023-09-15}}</ref><ref name="ITmedia220608">[https://www.itmedia.co.jp/news/articles/2206/08/news065.html 欧州、スマホなどが対象の“USB Type-C統一法”を2024年秋施行へ] - ITmedia(2022年6月8日)、2023年3月19日閲覧</ref>。
: これに対しAppleは「1種類のコネクターのみを義務付ける厳格な規制はイノベーションを抑制し、欧州や世界中の消費者に害を及ぼすことを懸念している」とする声明を[[BBC]]などに送って反対する構えを見せ<ref name="ITmedia211025"/>、専門家の間では「無線給電に一本化して意地でもUSB Type-Cに対応しないのではないか」との観測も流れたが<ref name="ITmedia211001"/>、最終的に2022年10月、マーケティング担当上級副社長グレッグ・ジョズウィアックは指令に対し「当然、従わなければなりません」としてUSB Type-Cへの対応を進めると表明した<ref name="GIGAZINE221027">[https://gigazine.net/news/20221027-iphone-usb-type-c-lightning/ ついにiPhoneにUSB-C搭載か、EUのUSB-C義務化についてApple幹部が「従わなければならない」と発言] GIGAZINE(2022年10月27日)、2023年3月19日閲覧</ref>。ただ、ジョズウィアックは続けて「政府は、これほどまでに規範的でない方が環境にもユーザにもよいアプローチになったと考えています」として欧州委員会の対応に不快感を示すと共にUSB Type-Cへの対応が苦渋の決断であるとした<ref>{{Cite web |title=Apple confirms the iPhone is getting USB-C |url=https://www.theverge.com/2022/10/26/23423977/iphone-usb-c-eu-law-joswiak-confirms-compliance-lightning |website=The Verge |date=2022-10-26 |access-date=2023-07-04 |language=en-US |first=Mitchell |last=Clark}}</ref>。
: 最終的に、iPhone 15シリーズで充電ポートがUSB Type-Cに変更されることとなった<ref>{{Cite web |title=Apple、iPhone 15とiPhone 15 Plusを発表 |url=https://www.apple.com/jp/newsroom/2023/09/apple-debuts-iphone-15-and-iphone-15-plus/ |website=Apple Newsroom (日本) |access-date=2023-10-11 |language=ja-JP}}</ref><ref>{{Cite web |title=Apple、iPhone 15 ProとiPhone 15 Pro Maxを発表 |url=https://www.apple.com/jp/newsroom/2023/09/apple-unveils-iphone-15-pro-and-iphone-15-pro-max/ |website=Apple Newsroom (日本) |access-date=2023-10-11 |language=ja-JP}}</ref>。
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
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=== 出典 ===
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== 参考文献 ==
* {{Cite book|first=Owen W. |last=Linzmayer |year=2004 |title=Apple Confidential 2.0: The Definitive History of the World's Most Colorful Company |publisher=No Starch Press |isbn=9781593270100|ref=harv}}
** {{Cite book|和書
|first=オーウェン・W|last=リンツメイヤー|coauthors=林信行|others=武舎広幸、武舎るみ|year=2006a|title=アップル・コンフィデンシャル2.5J|volume=上|publisher=アスペクト|isbn=978-4757212541|ref=harv}}
** {{Cite book|和書
|first=オーウェン・W|last=リンツメイヤー|coauthors=林信行|others=武舎広幸、武舎るみ|year=2006b|title=アップル・コンフィデンシャル2.5J|volume=下|publisher=アスペクト|isbn=978-4757212558|ref=harv}}
* {{Cite book |first=Jason D. |last=O'Grady |year=2009 |title=Apple Inc. |publisher=ABC-CLIO |isbn=9780313362446|ref=harv}}
* {{Cite book |first=Luke |last=Dormehl |year=2012 |title=The Apple Revolution: Steve Jobs, the Counterculture and How the Crazy Ones Took over the World |publisher=Random House |isbn=9781448131365|ref=harv}}
* {{Cite book|first=Michael |last=Swaine |year=2014 |title=Fire in the Valley: The Birth and Death of the Personal Computer |publisher=Pragmatic Bookshelf |isbn=9781680503524|ref=harv}}
* {{Cite book|first=Walter |last=Isaacson |year=2015 |title=Steve Jobs |publisher=Simon and Schuster |isbn=9781501127625|ref=harv}}
* {{Cite book |和書 |first1=ブレント|last1=シュレンダー|first2=リック|last2=テッツェリ |translator=[[井口耕二]] |title=スティーブ・ジョブズ 無謀な男が真のリーダーになるまで|volume=上 |date=2016-09-23 |publisher=[[日本経済新聞出版社]]|isbn=978-4532321000|ref=harv|year=2016a}}
* {{Cite book|和書
|first1=ブレント|last1=シュレンダー|first2=リック|last2=テッツェリ|translator= 井口耕二
|title=[[スティーブ・ジョブズ 無謀な男が真のリーダーになるまで]]|volume=下
|publisher=[[日本経済新聞出版社]]
|year=2016b|isbn=978-4532321017|rev=harv
}}
== 関連項目 ==
* [[Appleの合併・買収リスト]]
* [[Apple認定資格プログラム]]
* [[Apple User Group]]
* [[TBWA/CHIAT/DAY|TBWA{{Backslash}}CHIAT{{Backslash}}DAY]]([[広告代理店|担当広告代理店]])
* [[TBWA/HAKUHODO|TBWA{{Backslash}}JAPAN]](TBWAワールドワイドの日本法人)
* [[パロアルト研究所]]
*[[福田尚久]]
== 外部リンク ==
* [https://www.apple.com/ Apple]{{en icon}}
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開成高等学校 (曖昧さ回避)
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開成高等学校(かいせいこうとうがっこう)は、東京都荒川区に所在する私立高等学校で、開成中学校と接続する併設型中高一貫教育校である。
また、開成高等学校は、次の高等学校のいずれかを指す場合がある。
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開成高等学校(かいせいこうとうがっこう)は、東京都荒川区に所在する私立高等学校で、開成中学校と接続する併設型中高一貫教育校である。 また、開成高等学校は、次の高等学校のいずれかを指す場合がある。
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'''[[開成中学校・高等学校|開成高等学校]]'''(かいせいこうとうがっこう)は、[[東京都]][[荒川区]]に所在する[[私立学校|私立]][[高等学校]]で、開成中学校と接続する併設型[[中高一貫教育校]]である。
また、'''開成高等学校'''は、次の高等学校のいずれかを指す場合がある。
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北海道|
* [[北海道札幌開成高等学校]] - [[北海道]][[札幌市]][[東区_(札幌市)|東区]]に所在する[[市立札幌開成中等教育学校]]に転換された[[公立学校|公立]]高等学校|
福島県|
* [[福島県立あさか開成高等学校]] - [[福島県]][[郡山市]]に所在する公立高等学校|
茨城県|
* [[つくば開成高等学校]] - [[茨城県]][[牛久市]]に本校が所在する私立高等学校|
埼玉県|
* [[大宮開成中学・高等学校|大宮開成高等学校]] - [[埼玉県]][[さいたま市]][[大宮区]]に所在する私立高等学校であり、大宮開成中学校と接続する併設型中高一貫教育校|
千葉県|
* 文理開成高等学校 - [[千葉県]][[鴨川市]]に所在する[[鴨川令徳高等学校]]の前身の私立高等学校|
神奈川県|
* [[逗子開成中学校・高等学校|逗子開成高等学校]] - [[神奈川県]][[逗子市]]に所在する私立高等学校であり、逗子開成中学校と接続する併設型中高一貫教育校{{Efn|「開成」が校名に付く学校は複数あるが、東京と神奈川・逗子の学校間に関連がある以外は、各校間に特別な関連はない。}}|
京都府|
* [[京都つくば開成高等学校]] - [[京都府]][[京都市]][[下京区]]に所在する私立高等学校|
大阪府|
* [[大阪つくば開成高等学校]] - [[大阪府]][[大阪市]][[北区 (大阪市)|北区]]に所在する私立高等学校
}}
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Notelist}}
== 関連項目 ==
* [[開成小学校]]
* [[開成中学校]]
* [[つくば開成学園高等学校]] - [[長野県]][[上伊那郡]][[辰野町]]に本校が所在する私立高等学校
* [[つくば開成福岡高等学校]] - [[福岡県]][[福岡市]][[中央区 (福岡市)|中央区]]に所在する私立高等学校
* [[つくば開成国際高等学校]] - [[沖縄県]][[那覇市]]に本校が所在する私立高等学校
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[[Category:日本の公立高等学校]]
[[Category:日本の私立高等学校]]
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"Template:学校名の曖昧さ回避"
] |
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%96%8B%E6%88%90%E9%AB%98%E7%AD%89%E5%AD%A6%E6%A0%A1_(%E6%9B%96%E6%98%A7%E3%81%95%E5%9B%9E%E9%81%BF)
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アガサ・クリスティ
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アガサ・メアリ・クラリッサ・クリスティ(Dame Agatha Mary Clarissa Christie、DBE、旧姓:ミラー(Miller)、1890年9月15日 - 1976年1月12日)は、イギリスの推理作家。66冊の探偵小説と14冊の短編集で知られ、発表された小説の多くは世界的なベストセラーとなり「ミステリーの女王」と呼ばれた。特に架空の探偵エルキュール・ポアロと ミス・マープルを主人公とする小説で有名である。メアリ・ウェストマコット(Mary Westmacott)名義の小説が6作品ある。
1971年、大英勲章第2位(DBE)に叙され「デイム・アガサ」となる。英国推理作家のクラブであるディテクションクラブの第4代会長。
ユネスコのインデックス・トランスラチオヌムによると、最も翻訳された作家(英語版)である。小説『そして誰もいなくなった』は、約1億部を売り上げ、史上最も売れた本の一つである。戯曲『ねずみとり』は、演劇史上最長のロングラン記録を持っている。1952年11月25日にウエストエンドのアンバサダー・シアターで開幕し、2018年9月までに27,500回以上上演された。2020年3月にロンドンで新型コロナウイルス感染症流行のロックダウンのため一時休演し、2021年5月に再演した。
日本語表記は「クリスティ」と「クリスティー」がある。
1890年、資産家の父フレデリック・アルヴァ・ミラー(1846年 - 1901年)と母クララ・ベーマー(1854年 - 1926年、イギリス陸軍士官の娘)の次女としてイギリス南西部のデヴォンシャーに生まれる。3人姉弟の末っ子で、10歳近く年の離れた姉と兄がいた。しかし姉マーガレット(1879年 - 1950年)は寄宿学校におり、長兄モンタント(1880年 - 1929年)はパブリックスクールを退校して軍に入隊していたために幼少期を共にする機会が少なく、もっぱら両親や使用人たちと過ごした。
父フレデリックはアメリカ人の事業家だったが商才に乏しく、祖父の残した遺産を投資家に預けて、自身は働かずに暮らしていた。母クララは父の従妹で、少々変わった価値観を持つ「変わり者」として知られていた。母の性格はアガサや家族の運命に少なからず影響を与えたが、フレデリックは奔放な妻を生涯愛し続け、アガサも母を尊敬し続けた。
少女時代のアガサは兄や姉のように正規の学校で学ぶことを禁じられ、母から直接教育を受けた。母クララの教育に対する風変わりな信念は大きな影響を幼いアガサに与えた。例えばクララは「7歳になるまでは字が書けない方が良い」と信じており、アガサに字を教えなかった。それによりアガサは世間一般の子供より識字が遅く、父がこっそり手紙を書く手伝いをさせるまで満足に文字を書けなかった。変則的な教育は、字を覚えた後も独特の癖をアガサに残してしまい、現存している子供時代の手紙はスペルミスが非常に多い。
同年代の子供がパブリックスクールで教育を受けている間も、アガサは学校に入学することを許されなかった。同年代の友人のいないアガサは使用人やメイドと遊んだり、家の庭園で空想上の友人との一人遊びをしたりして過ごし、内気な少女に育っていった。一方で、父の書斎で様々な書籍を読みふけって過ごし、様々な事象に対する幅広い知識を得て、教養を深めることが出来た。
また、ある事情により一家が短期間フランスに移住した時、礼儀作法を教える私学校に入って演劇や音楽を学んだ。16歳のときにはオペラ歌手を目指してパリの音楽学校に入学したが、すぐに退学した。結局、母は最後まで正規の教育を受けることは許さなかったが、アガサ自身は自らが受けた教育について誇りを持っていたという。
父の破産と病死(1901年11月 死因は肺炎と腎臓病)、自身の結婚と離婚など様々な出来事を乗り越えながらも、アガサは小説家として執筆活動を続けていった。
1909年、自身初の長編小説『砂漠の雪』を書き、作家イーデン・フィルポッツの指導を受ける。私生活では1914年にアーチボルド・クリスティ大尉(1889年 - 1962年)と結婚し、1919年に娘ロザリンド・ヒックス(英語版)(1919年 - 2004年)を出産する。第一次世界大戦中には薬剤師の助手として勤務し、そこで毒薬の知識を得る。
1920年、数々の出版社で不採用にされたのち、ようやく『スタイルズ荘の怪事件』を出版し、ミステリー作家としてデビューする。1926年に発表した『アクロイド殺し』における大胆なトリックと意外な真犯人を巡って、フェアかアンフェアかの大論争がミステリ・ファンの間で起き、一躍有名となる。また、この年には母が死去しており、アガサは謎の失踪事件を起こす。
アガサ・クリスティ失踪事件とは、ロンドン近郊の田園都市サニングデールに住んでいたアガサ・クリスティ(当時36歳)が1926年12月3日、自宅を出たまま行方不明となった事件を指す。警察は自身の失踪として探す一方、事件に巻き込まれた可能性も視野に入れて捜査をした。後述のように、アガサと夫のアーチボルドは問題を抱えていたことからアーチボルドの犯行という推測も出た。
有名人の失踪、複雑な背景は結果として新聞の興味を掻き立て、報道により事件を知った大衆から多数の目撃情報が寄せられた。その検証のために大勢の人間が動いた。捜査機関を含む関係筋から動員されたのは、延べ人数で数千人に及んだとされる。マスコミの盛り上がりによりドロシー・L・セイヤーズやアーサー・コナン・ドイルもコメントを出した。
11日後、保養地のホテルに別人名義(夫の愛人Nancy Neeleの名からテレサ・ニールの名)で宿泊していた彼女が家族の確認の上で保護されることで決着した。そのため、Agatha Eleven Missingと呼ばれる。
当時のアガサは、ロンドンの金融街で働いていた夫のアーチボルド、一人娘のロザリンド(当時7歳)と田舎の大邸宅で暮らしていた。休日にはアーチボルドはゴルフに熱中していたが、アガサはゴルフをしなかった。家事はメイドを雇い、執筆の仕事では秘書のシャーロットを住まわせていた(シャーロットはアガサの信頼を得て、長く彼女の側で勤めることになる)。
キャリアにおいては、『アクロイド殺し』(1926年)によりベストセラー作家の仲間入りを果たす一方で、事件の前には最愛の母親を亡くし、また夫には恋人がいた事実に傷つけられていた。事件の起きた日、アガサは住み込みのメイドに行き先は告げずに外出すると伝え、当時は珍しかった自動車を自ら運転して一人で出かけている。その際に彼女は秘書のシャーロットと夫に手紙を残している。
なぜ失踪したのかについては諸説あり、伝記作家の間でもこの件については、心身が耗弱していた、意図的な行動であった等、意見が分かれているが、自伝では事件について触れていない。しかし、事件の結果としてマスコミや世間の好奇の対象とされたアガサが心に傷を負った点、そしてこれ以降の彼女の内面世界が徐々に変化を見せた点に関しては諸説一致している。
この失踪事件を題材に、独自の解釈でアガサ・クリスティをめぐる人間模様を描いた映画『アガサ 愛の失踪事件』が1979年に公開された。
1928年にアーチボルドと離婚するが、1930年の中東旅行で出会った、14歳年下の考古学者のマックス・マローワン(1904年5月6日 - 1978年8月19日)とその年の9月11日に再婚する。この結婚について「クリスティはなぜ彼と結婚したかと問われて『だって考古学者なら、古いものほど価値を見出してくれるから』と答えた」という逸話がある。一説によるとそれは誰かが流した心ないジョークで、アガサはジョークの作者を殺してやるといきまいていたとも言われるが(ハヤカワ・ミステリの解説より)、孫のマシュー・プリチャードはアガサ自身が冗談めかしてこのように語ったとしている(『オリエント急行殺人事件』DVD特典インタビューより)。
1943年に『カーテン』および『スリーピング・マーダー』を執筆。死後出版の契約を結ぶ。私生活では孫マシュー・プリチャードが誕生している。
1973年に『運命の裏木戸(英語版)』を発表。これが最後に執筆されたミステリー作品となった。
1976年1月12日、静養先のイギリス、ウォリングフォードの自宅で、高齢のため風邪をこじらせ死去(満85歳没)。死後『スリーピング・マーダー』が発表される。遺骸は、イギリスのチョルシーにあるセント・メアリ教会の墓地に埋葬された。
1920年のデビューから85歳で亡くなるまで長編小説66作、中短編を156作、戯曲15作、メアリ・ウェストマコット (Mary Westmacott) 名義の小説6作、アガサ・クリスティ・マローワン名義の作品2作、その他3作を執筆。ほとんどが生前に発表されている。中でも『アクロイド殺し』(1926年)・『オリエント急行の殺人』(1934年)・『ABC殺人事件』(1936年)・『そして誰もいなくなった』(1939年)等は世紀をまたいで版を重ねており、世界的知名度も高い。また生前中に刊行されなかった作品や死後に見つかった未発表作、小説作品の戯曲化、あるいはその逆など細かい物を含めればまだ数点増える。
推理の謎解きをするエルキュール・ポアロ、ミス・マープル、トミーとタペンスといった名探偵の産みの親でもある。
1920年に発表された処女作『スタイルズ荘の怪事件』で初登場した、探偵エルキュール・ポアロは、長編33作と50以上の短編に登場する。しかしアガサは、長年の間にポアロに愛想を尽かしてしまう。1930年代の終わりには、アガサは日記にポアロを「我慢できない」と書き、1960年代には「自分勝手な変人」だと感じていた。
ミス・ジェーン・マープルは、1927年12月から発表された一連の短編(短編集『火曜クラブ』に収録)で登場する。マープルは上品な年配の独身女性で、イギリスの村の生活になぞらえて事件を解決する。「ミス・マープルは決して私の祖母を描いたものではありません。彼女は私の祖母よりもずっと気難しく、オールド・ミス的でした」とアガサは語っているが、彼女の自伝は、この架空の人物とアガサの継祖母マーガレット・ミラー(「グラニーおばさん」)および彼女の「イーリング取り巻き」達との間にしっかりした関係があるとしている。マープルもミラーも、「誰に対しても、何に対しても、常に最悪の事態を想定し、それが恐ろしいほどの正確さで、たいてい正しいことが証明されるのである」。マープルは12の長編と20の短編に登場する。
第二次世界大戦中、アガサはポアロとミス・マープルをそれぞれ主人公とする『カーテン』と『スリーピング・マーダー』という2つの小説を書いた。この2冊の本は銀行の金庫に封印され、彼女は娘とその夫に贈与証書によって著作権を譲り渡し、それぞれに一種の保険をかけたのである。アガサは1974年に心臓発作と深刻な転倒に見舞われ、その後執筆することができなくなった。彼女の娘は1975年に『カーテン』の出版を許可し、『スリーピング・マーダー』はアガサの死後1976年に出版された。これらの出版は、1974年の映画版『オリエント急行殺人事件』の成功に続くものであった。
『カーテン』の出版直前、ポアロはニューヨークタイムズ紙に訃報を載せた最初の架空の人物となり、1975年8月6日の1面に掲載された 。
アガサはポアロとミス・マープルが同時に登場する小説を書いたことはない。2008年に発見・公開された録音で、アガサはその理由を明かしている。「エルキュール・ポアロは完全なエゴイストで、年配の独身女性に仕事を教わったり、提案されたりするのは好きではない。プロの探偵であるエルキュール・ポアロは、ミス・マープルの世界ではまったくくつろげないだろう」。
2013年、クリスティ家はイギリスの作家ソフィー・ハナ(英語版)が書いた新しいポアロもの『The Monogram Murders』(モノグラム殺人事件)の公開を支援した。ハナはその後、2016年に『Closed Casket』(閉じた棺)、2018年に『The Mystery of Three Quarters』(スリークォーターの謎)、2020年に『The Killings at Kingfisher Hill』(キングフィッシャーヒルの殺人)の3つのポアロものを出版した。
ポアロとマープルに加えて、アガサは素人探偵トミーとタペンス(トマス・ベレスフォードとその妻プルーデンス・タペンス(旧姓カウリー))を創作し、1922年から1974年の間に4冊の小説と1冊の短編集に登場させている。他の探偵とは異なり、ベレスフォード夫妻は『秘密機関』で登場した時点ではまだ20代前半であり、作者と同じように年を取ることができた。アガサは、彼らの物語を軽いタッチで扱い、批評家たちがこぞって賞賛するような「ダッシュと勢い」を与えた。彼らの最後の冒険である『運命の裏木戸』はアガサの最後の小説となった。
ハーリ・クィンは、アガサの架空の探偵の中で「最も異例な存在」であった。アガサが「ハーレクイン・ナード(英語版)」(イギリスの喜劇のジャンル)の人物に愛着を抱いていたこともあり、半超能力者のクィンはいつもサタースウェイトという年老いた凡人と行動を共にする。この二人は14の短編に登場し、そのうちの12編は1930年に短編集『謎のクィン氏』に収録された。マローワンは、これらの物語を「空想的な脈絡のある検出、おとぎ話に触れる、アガサの特異な想像力の自然な産物」と評した。また、サタースウェイトは小説『三幕の殺人』や短編集『死人の鏡』にも登場するが、これらはいずれもポアロが主人公である。
また、あまり知られていないキャラクターとして、退職した公務員で、型破りな方法で不幸な人々を援助するパーカー・パインがいる。彼が登場する短編集『パーカー・パイン登場』(1934年)は、「アガサ・クリスティの愉快で風刺的な自画像」であるアリアドネ・オリヴァ(オリヴァ夫人)が登場する『退屈している軍人の事件』で最もよく記憶されている。その後数十年にわたりオリヴァは7つの小説に再登場する。そのほとんどで、彼女はポアロに意見を述べる役割を担っている。
1928年、マイケル・モートンは『アクロイド殺し』を『アリバイ』というタイトルで舞台化した。この作品はそれなりに上演されたが、アガサは自分の作品に加えられた変更を嫌い、将来的には自分で劇場のために書くことにする。最初の舞台作品は『ブラック・コーヒー』で、1930年末にウェストエンドで公開され、好評を博した。1943年に『そして誰もいなくなった』、1945年に『死との約束』、1951年に『ホロー荘の殺人』を発表した。
1950年代には、「演劇は...アガサの関心の多くを占めていた」。彼女は次に、ラジオの短編劇を『ねずみとり』に改作し、1952年にピーター・サンダースの演出でリチャード・アッテンボローがオリジナルのトロッター部長を演じてウェストエンドで初演された。この作品に対する彼女の期待は高くはなく、8か月以上は上演されないだろうと考えていた。『ねずみとり』は、2018年9月に27,500回目の公演を行い、世界で最も長く上演されている演劇として演劇の歴史に長く刻まれている。新型コロナウイルスの流行によりイギリスのすべての劇場が閉鎖した2020年3月に一時的に閉演し、2021年5月17日に再オープンした。
1953年に発表した『検察側の証人』は、ブロードウェイ公演で1954年のニューヨーク演劇批評家協会の最優秀外国作品賞を受賞し、アガサはアメリカ探偵作家クラブのエドガー賞を受賞した。女優マーガレット・ロックウッドの依頼で書いたオリジナル作品『蜘蛛の巣』は、1954年にウェストエンドで初演され、これもヒットとなった。アガサはロンドンで3本の戯曲を同時に上演した最初の女性劇作家となった。『ねずみとり』、『検察側の証人』、『蜘蛛の巣』である。彼女は「劇は本よりもずっと書きやすい。なぜなら、心の目で見ることができるし、本の中でひどく詰まって、何が起こっているのかに取りかかるのを止めてしまうような、あらゆる描写に妨げられることがないからだ」と述べた。娘に宛てた手紙の中で、アガサは劇作家であることは「とても楽しい!」と述べている。
アガサはメアリー・ウェストマコットというペンネームで6冊の小説を発表した。このペンネームは、彼女に「最も私的で貴重な想像の庭」を自由に探索させるものだった。これらの本は、一般的に彼女の探偵小説やスリラー小説よりも良い評価を受けた。1930年に出版された最初の『愛の旋律(英語: Giant's Bread)』について、ニューヨーク・タイムズの批評家は、「...彼女の本は、現在の小説の平均をはるかに超えており、実際、『良い本』の分類の下に十分に来る。そして、その称号を名乗れるのは、満足のいく小説だけである。」と書いている。「メアリー・ウェストマコット」が有名な作家のペンネームであることは当初から公表されていたが、ペンネームの背後にある正体は秘密にされていた。『愛の旋律』のブックカバーには、著者が以前に「本名で...半ダースの本を書き、それぞれ売上3万部を超えている」と記載されている(これは間違いではないのだが、控えめな表現でアガサの正体を隠している。『愛の旋律』の出版までに、アガサは10冊の小説と2冊の短編集を出版しており、いずれも3万部をかなり超えていた。)。ウェストマコット名義の最初の4作を執筆したのがアガサであることを1949年にジャーナリストによって明らかにされた後も、彼女は1956年までにさらに2作を執筆した。
他のウェストマコット名義の作品は、『未完の肖像(英語: Unfinished Portrait)』(1934)、『春にして君を離れ』(1944)、『暗い抱擁』(1948)、『娘は娘(英語: A Daughter's a Daughter)』(1952)、『愛の重さ』(1956)である。
アガサはノンフィクションをほとんど発表していない。考古学の発掘作業を描いた『さあ、あなたの暮らしぶりを話して』は、マローワンとの生活から描かれたものである。『The Grand Tour: Around the World with the Queen of Mystery』は1922年に南アフリカ、オーストラリア、ニュージーランド、カナダを含む大英帝国を旅行した際の書簡を集めたものである。彼女の死後1977年に出版された『アガサ・クリスティー自伝』は、1978年のエドガー賞で最優秀批評家・伝記作品賞を受賞した。
アガサの推理小説は旅から生まれた(とりわけ離婚後のオリエント急行でのイスタンブールやバグダードへの一人旅は大きな影響を与えたといわれている)。
アガサの推理小説の魅力は、殺人のトリックの奇抜さと併せ、旅から得た様々な知識が背景描写に使われていることとされる。オリエント急行でのイスタンブール行きは、38歳の離婚後、友人の家に招待されたときに聞いた話がきっかけとなった。1928年10月のことである。
初期の作品は、『ビッグ4』や『秘密機関』など国際情勢をテーマにした作品があったり、ドイツや日本が関係する作品があったりするなど国際情勢に関する話が多い。冷戦時代はソ連のスパイも話題に上っている。
そのファンからなるアガサ・クリスティ協会によると、彼女の作品は英語圏を越えて、全世界で10億部以上出版されている。聖書とシェイクスピアの次によく読まれているという説もあり、ユネスコの文化統計年鑑(1993年)では「最高頻度で翻訳された著者」のトップに位置している。ギネスブックは「史上最高のベストセラー作家」に認定している。日本でも早くから紹介され、早川書房はクリスティー文庫としてほぼ全ての作品を翻訳している。
アガサが作品を発表した20世紀初めのイギリスは、保守的な風潮が世間に残っており、トリックに対するフェア・アンフェア論争が起こったり、犯人の正体がモラルの面から批判の的になったりするなど是非が論じられていた。同時にラジオや映画といったメディアが発達していたことで、作品が広く知られることにもつながった。アガサは人見知りの傾向を持ち、失踪事件(1926年)でマスコミの餌食とされたこともあり、意識的に表舞台から離れるようになったが、これが神秘的なミステリーの女王伝説につながっていった面がある。
探偵小説の黄金時代(英語版)を築いた中で、アガサ・クリスティを含めて、ナイオ・マーシュ、マージェリー・アリンガム、ドロシー・L・セイヤーズの4人は、queens of crime と称される。
アガサ・クリスティとイギリス空軍士官(のちに法廷弁護士)アーチボルド・クリスティ(英語版)との間にできた一人娘ロザリンド・ヒックス(英語版)は、『娘は娘(英語版)』に登場する主人公のモデルで著作権を相続しているが、母と娘の関係・自身のプライベート・母の再婚など複雑な思いが投影される『娘は娘』の劇場化などに積極的になれなかった。
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"text": "アガサ・メアリ・クラリッサ・クリスティ(Dame Agatha Mary Clarissa Christie、DBE、旧姓:ミラー(Miller)、1890年9月15日 - 1976年1月12日)は、イギリスの推理作家。66冊の探偵小説と14冊の短編集で知られ、発表された小説の多くは世界的なベストセラーとなり「ミステリーの女王」と呼ばれた。特に架空の探偵エルキュール・ポアロと ミス・マープルを主人公とする小説で有名である。メアリ・ウェストマコット(Mary Westmacott)名義の小説が6作品ある。",
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"text": "1971年、大英勲章第2位(DBE)に叙され「デイム・アガサ」となる。英国推理作家のクラブであるディテクションクラブの第4代会長。",
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"text": "ユネスコのインデックス・トランスラチオヌムによると、最も翻訳された作家(英語版)である。小説『そして誰もいなくなった』は、約1億部を売り上げ、史上最も売れた本の一つである。戯曲『ねずみとり』は、演劇史上最長のロングラン記録を持っている。1952年11月25日にウエストエンドのアンバサダー・シアターで開幕し、2018年9月までに27,500回以上上演された。2020年3月にロンドンで新型コロナウイルス感染症流行のロックダウンのため一時休演し、2021年5月に再演した。",
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"text": "日本語表記は「クリスティ」と「クリスティー」がある。",
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"text": "1890年、資産家の父フレデリック・アルヴァ・ミラー(1846年 - 1901年)と母クララ・ベーマー(1854年 - 1926年、イギリス陸軍士官の娘)の次女としてイギリス南西部のデヴォンシャーに生まれる。3人姉弟の末っ子で、10歳近く年の離れた姉と兄がいた。しかし姉マーガレット(1879年 - 1950年)は寄宿学校におり、長兄モンタント(1880年 - 1929年)はパブリックスクールを退校して軍に入隊していたために幼少期を共にする機会が少なく、もっぱら両親や使用人たちと過ごした。",
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"text": "父フレデリックはアメリカ人の事業家だったが商才に乏しく、祖父の残した遺産を投資家に預けて、自身は働かずに暮らしていた。母クララは父の従妹で、少々変わった価値観を持つ「変わり者」として知られていた。母の性格はアガサや家族の運命に少なからず影響を与えたが、フレデリックは奔放な妻を生涯愛し続け、アガサも母を尊敬し続けた。",
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"text": "少女時代のアガサは兄や姉のように正規の学校で学ぶことを禁じられ、母から直接教育を受けた。母クララの教育に対する風変わりな信念は大きな影響を幼いアガサに与えた。例えばクララは「7歳になるまでは字が書けない方が良い」と信じており、アガサに字を教えなかった。それによりアガサは世間一般の子供より識字が遅く、父がこっそり手紙を書く手伝いをさせるまで満足に文字を書けなかった。変則的な教育は、字を覚えた後も独特の癖をアガサに残してしまい、現存している子供時代の手紙はスペルミスが非常に多い。",
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"text": "同年代の子供がパブリックスクールで教育を受けている間も、アガサは学校に入学することを許されなかった。同年代の友人のいないアガサは使用人やメイドと遊んだり、家の庭園で空想上の友人との一人遊びをしたりして過ごし、内気な少女に育っていった。一方で、父の書斎で様々な書籍を読みふけって過ごし、様々な事象に対する幅広い知識を得て、教養を深めることが出来た。",
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"text": "また、ある事情により一家が短期間フランスに移住した時、礼儀作法を教える私学校に入って演劇や音楽を学んだ。16歳のときにはオペラ歌手を目指してパリの音楽学校に入学したが、すぐに退学した。結局、母は最後まで正規の教育を受けることは許さなかったが、アガサ自身は自らが受けた教育について誇りを持っていたという。",
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"text": "父の破産と病死(1901年11月 死因は肺炎と腎臓病)、自身の結婚と離婚など様々な出来事を乗り越えながらも、アガサは小説家として執筆活動を続けていった。",
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"text": "1909年、自身初の長編小説『砂漠の雪』を書き、作家イーデン・フィルポッツの指導を受ける。私生活では1914年にアーチボルド・クリスティ大尉(1889年 - 1962年)と結婚し、1919年に娘ロザリンド・ヒックス(英語版)(1919年 - 2004年)を出産する。第一次世界大戦中には薬剤師の助手として勤務し、そこで毒薬の知識を得る。",
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"text": "1920年、数々の出版社で不採用にされたのち、ようやく『スタイルズ荘の怪事件』を出版し、ミステリー作家としてデビューする。1926年に発表した『アクロイド殺し』における大胆なトリックと意外な真犯人を巡って、フェアかアンフェアかの大論争がミステリ・ファンの間で起き、一躍有名となる。また、この年には母が死去しており、アガサは謎の失踪事件を起こす。",
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"text": "アガサ・クリスティ失踪事件とは、ロンドン近郊の田園都市サニングデールに住んでいたアガサ・クリスティ(当時36歳)が1926年12月3日、自宅を出たまま行方不明となった事件を指す。警察は自身の失踪として探す一方、事件に巻き込まれた可能性も視野に入れて捜査をした。後述のように、アガサと夫のアーチボルドは問題を抱えていたことからアーチボルドの犯行という推測も出た。",
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"text": "有名人の失踪、複雑な背景は結果として新聞の興味を掻き立て、報道により事件を知った大衆から多数の目撃情報が寄せられた。その検証のために大勢の人間が動いた。捜査機関を含む関係筋から動員されたのは、延べ人数で数千人に及んだとされる。マスコミの盛り上がりによりドロシー・L・セイヤーズやアーサー・コナン・ドイルもコメントを出した。",
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"text": "11日後、保養地のホテルに別人名義(夫の愛人Nancy Neeleの名からテレサ・ニールの名)で宿泊していた彼女が家族の確認の上で保護されることで決着した。そのため、Agatha Eleven Missingと呼ばれる。",
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"text": "当時のアガサは、ロンドンの金融街で働いていた夫のアーチボルド、一人娘のロザリンド(当時7歳)と田舎の大邸宅で暮らしていた。休日にはアーチボルドはゴルフに熱中していたが、アガサはゴルフをしなかった。家事はメイドを雇い、執筆の仕事では秘書のシャーロットを住まわせていた(シャーロットはアガサの信頼を得て、長く彼女の側で勤めることになる)。",
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"text": "キャリアにおいては、『アクロイド殺し』(1926年)によりベストセラー作家の仲間入りを果たす一方で、事件の前には最愛の母親を亡くし、また夫には恋人がいた事実に傷つけられていた。事件の起きた日、アガサは住み込みのメイドに行き先は告げずに外出すると伝え、当時は珍しかった自動車を自ら運転して一人で出かけている。その際に彼女は秘書のシャーロットと夫に手紙を残している。",
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"text": "なぜ失踪したのかについては諸説あり、伝記作家の間でもこの件については、心身が耗弱していた、意図的な行動であった等、意見が分かれているが、自伝では事件について触れていない。しかし、事件の結果としてマスコミや世間の好奇の対象とされたアガサが心に傷を負った点、そしてこれ以降の彼女の内面世界が徐々に変化を見せた点に関しては諸説一致している。",
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"text": "この失踪事件を題材に、独自の解釈でアガサ・クリスティをめぐる人間模様を描いた映画『アガサ 愛の失踪事件』が1979年に公開された。",
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"text": "1928年にアーチボルドと離婚するが、1930年の中東旅行で出会った、14歳年下の考古学者のマックス・マローワン(1904年5月6日 - 1978年8月19日)とその年の9月11日に再婚する。この結婚について「クリスティはなぜ彼と結婚したかと問われて『だって考古学者なら、古いものほど価値を見出してくれるから』と答えた」という逸話がある。一説によるとそれは誰かが流した心ないジョークで、アガサはジョークの作者を殺してやるといきまいていたとも言われるが(ハヤカワ・ミステリの解説より)、孫のマシュー・プリチャードはアガサ自身が冗談めかしてこのように語ったとしている(『オリエント急行殺人事件』DVD特典インタビューより)。",
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"text": "1943年に『カーテン』および『スリーピング・マーダー』を執筆。死後出版の契約を結ぶ。私生活では孫マシュー・プリチャードが誕生している。",
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"text": "1973年に『運命の裏木戸(英語版)』を発表。これが最後に執筆されたミステリー作品となった。",
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"text": "1976年1月12日、静養先のイギリス、ウォリングフォードの自宅で、高齢のため風邪をこじらせ死去(満85歳没)。死後『スリーピング・マーダー』が発表される。遺骸は、イギリスのチョルシーにあるセント・メアリ教会の墓地に埋葬された。",
"title": "生涯"
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"text": "1920年のデビューから85歳で亡くなるまで長編小説66作、中短編を156作、戯曲15作、メアリ・ウェストマコット (Mary Westmacott) 名義の小説6作、アガサ・クリスティ・マローワン名義の作品2作、その他3作を執筆。ほとんどが生前に発表されている。中でも『アクロイド殺し』(1926年)・『オリエント急行の殺人』(1934年)・『ABC殺人事件』(1936年)・『そして誰もいなくなった』(1939年)等は世紀をまたいで版を重ねており、世界的知名度も高い。また生前中に刊行されなかった作品や死後に見つかった未発表作、小説作品の戯曲化、あるいはその逆など細かい物を含めればまだ数点増える。",
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"text": "推理の謎解きをするエルキュール・ポアロ、ミス・マープル、トミーとタペンスといった名探偵の産みの親でもある。",
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"text": "1920年に発表された処女作『スタイルズ荘の怪事件』で初登場した、探偵エルキュール・ポアロは、長編33作と50以上の短編に登場する。しかしアガサは、長年の間にポアロに愛想を尽かしてしまう。1930年代の終わりには、アガサは日記にポアロを「我慢できない」と書き、1960年代には「自分勝手な変人」だと感じていた。",
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"text": "ミス・ジェーン・マープルは、1927年12月から発表された一連の短編(短編集『火曜クラブ』に収録)で登場する。マープルは上品な年配の独身女性で、イギリスの村の生活になぞらえて事件を解決する。「ミス・マープルは決して私の祖母を描いたものではありません。彼女は私の祖母よりもずっと気難しく、オールド・ミス的でした」とアガサは語っているが、彼女の自伝は、この架空の人物とアガサの継祖母マーガレット・ミラー(「グラニーおばさん」)および彼女の「イーリング取り巻き」達との間にしっかりした関係があるとしている。マープルもミラーも、「誰に対しても、何に対しても、常に最悪の事態を想定し、それが恐ろしいほどの正確さで、たいてい正しいことが証明されるのである」。マープルは12の長編と20の短編に登場する。",
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"text": "第二次世界大戦中、アガサはポアロとミス・マープルをそれぞれ主人公とする『カーテン』と『スリーピング・マーダー』という2つの小説を書いた。この2冊の本は銀行の金庫に封印され、彼女は娘とその夫に贈与証書によって著作権を譲り渡し、それぞれに一種の保険をかけたのである。アガサは1974年に心臓発作と深刻な転倒に見舞われ、その後執筆することができなくなった。彼女の娘は1975年に『カーテン』の出版を許可し、『スリーピング・マーダー』はアガサの死後1976年に出版された。これらの出版は、1974年の映画版『オリエント急行殺人事件』の成功に続くものであった。",
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"text": "アガサはメアリー・ウェストマコットというペンネームで6冊の小説を発表した。このペンネームは、彼女に「最も私的で貴重な想像の庭」を自由に探索させるものだった。これらの本は、一般的に彼女の探偵小説やスリラー小説よりも良い評価を受けた。1930年に出版された最初の『愛の旋律(英語: Giant's Bread)』について、ニューヨーク・タイムズの批評家は、「...彼女の本は、現在の小説の平均をはるかに超えており、実際、『良い本』の分類の下に十分に来る。そして、その称号を名乗れるのは、満足のいく小説だけである。」と書いている。「メアリー・ウェストマコット」が有名な作家のペンネームであることは当初から公表されていたが、ペンネームの背後にある正体は秘密にされていた。『愛の旋律』のブックカバーには、著者が以前に「本名で...半ダースの本を書き、それぞれ売上3万部を超えている」と記載されている(これは間違いではないのだが、控えめな表現でアガサの正体を隠している。『愛の旋律』の出版までに、アガサは10冊の小説と2冊の短編集を出版しており、いずれも3万部をかなり超えていた。)。ウェストマコット名義の最初の4作を執筆したのがアガサであることを1949年にジャーナリストによって明らかにされた後も、彼女は1956年までにさらに2作を執筆した。",
"title": "作品"
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"text": "他のウェストマコット名義の作品は、『未完の肖像(英語: Unfinished Portrait)』(1934)、『春にして君を離れ』(1944)、『暗い抱擁』(1948)、『娘は娘(英語: A Daughter's a Daughter)』(1952)、『愛の重さ』(1956)である。",
"title": "作品"
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"text": "アガサはノンフィクションをほとんど発表していない。考古学の発掘作業を描いた『さあ、あなたの暮らしぶりを話して』は、マローワンとの生活から描かれたものである。『The Grand Tour: Around the World with the Queen of Mystery』は1922年に南アフリカ、オーストラリア、ニュージーランド、カナダを含む大英帝国を旅行した際の書簡を集めたものである。彼女の死後1977年に出版された『アガサ・クリスティー自伝』は、1978年のエドガー賞で最優秀批評家・伝記作品賞を受賞した。",
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"text": "アガサの推理小説は旅から生まれた(とりわけ離婚後のオリエント急行でのイスタンブールやバグダードへの一人旅は大きな影響を与えたといわれている)。",
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"text": "アガサの推理小説の魅力は、殺人のトリックの奇抜さと併せ、旅から得た様々な知識が背景描写に使われていることとされる。オリエント急行でのイスタンブール行きは、38歳の離婚後、友人の家に招待されたときに聞いた話がきっかけとなった。1928年10月のことである。",
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"text": "初期の作品は、『ビッグ4』や『秘密機関』など国際情勢をテーマにした作品があったり、ドイツや日本が関係する作品があったりするなど国際情勢に関する話が多い。冷戦時代はソ連のスパイも話題に上っている。",
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"text": "そのファンからなるアガサ・クリスティ協会によると、彼女の作品は英語圏を越えて、全世界で10億部以上出版されている。聖書とシェイクスピアの次によく読まれているという説もあり、ユネスコの文化統計年鑑(1993年)では「最高頻度で翻訳された著者」のトップに位置している。ギネスブックは「史上最高のベストセラー作家」に認定している。日本でも早くから紹介され、早川書房はクリスティー文庫としてほぼ全ての作品を翻訳している。",
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"text": "アガサが作品を発表した20世紀初めのイギリスは、保守的な風潮が世間に残っており、トリックに対するフェア・アンフェア論争が起こったり、犯人の正体がモラルの面から批判の的になったりするなど是非が論じられていた。同時にラジオや映画といったメディアが発達していたことで、作品が広く知られることにもつながった。アガサは人見知りの傾向を持ち、失踪事件(1926年)でマスコミの餌食とされたこともあり、意識的に表舞台から離れるようになったが、これが神秘的なミステリーの女王伝説につながっていった面がある。",
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"text": "探偵小説の黄金時代(英語版)を築いた中で、アガサ・クリスティを含めて、ナイオ・マーシュ、マージェリー・アリンガム、ドロシー・L・セイヤーズの4人は、queens of crime と称される。",
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"text": "アガサ・クリスティとイギリス空軍士官(のちに法廷弁護士)アーチボルド・クリスティ(英語版)との間にできた一人娘ロザリンド・ヒックス(英語版)は、『娘は娘(英語版)』に登場する主人公のモデルで著作権を相続しているが、母と娘の関係・自身のプライベート・母の再婚など複雑な思いが投影される『娘は娘』の劇場化などに積極的になれなかった。",
"title": "関連人物"
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] |
アガサ・メアリ・クラリッサ・クリスティは、イギリスの推理作家。66冊の探偵小説と14冊の短編集で知られ、発表された小説の多くは世界的なベストセラーとなり「ミステリーの女王」と呼ばれた。特に架空の探偵エルキュール・ポアロと ミス・マープルを主人公とする小説で有名である。メアリ・ウェストマコット名義の小説が6作品ある。 1971年、大英勲章第2位(DBE)に叙され「デイム・アガサ」となる。英国推理作家のクラブであるディテクションクラブの第4代会長。 ユネスコのインデックス・トランスラチオヌムによると、最も翻訳された作家である。小説『そして誰もいなくなった』は、約1億部を売り上げ、史上最も売れた本の一つである。戯曲『ねずみとり』は、演劇史上最長のロングラン記録を持っている。1952年11月25日にウエストエンドのアンバサダー・シアターで開幕し、2018年9月までに27,500回以上上演された。2020年3月にロンドンで新型コロナウイルス感染症流行のロックダウンのため一時休演し、2021年5月に再演した。 日本語表記は「クリスティ」と「クリスティー」がある。
|
{{Infobox 作家
| name = アガサ・クリスティ<br />Agatha Christie<br />[[大英帝国勲章|DBE]]
| image = Agatha Christie plaque -Torre Abbey.jpg
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| caption = アガサ・クリスティ
| pseudonym = メアリ・ウェストマコット(Mary Westmacott、別名義)
| birth_name = アガサ・メアリ・クラリッサ・ミラー(Agatha Mary Clarissa Miller)
| birth_date = [[1890年]][[9月15日]]
| birth_place = {{GBR}}、[[デヴォン]]州[[トーキー (イングランド)|トーキー]]
| death_date = {{死亡年月日と没年齢|1890|9|15|1976|1|12}}
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* [[マックス・マローワン]](1930年 - 1976年)
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| influenced =
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}}
'''アガサ・メアリ・クラリッサ・クリスティ'''([[ナイト|Dame]] Agatha Mary Clarissa Christie、[[大英帝国勲章|DBE]]、旧姓:ミラー(Miller)、[[1890年]][[9月15日]]<ref>[[数藤康雄]]・編『アガサ・クリスティー百科事典』([[ハヤカワ文庫]])、「アガサ・クリスティー年譜」p.412。</ref> - [[1976年]][[1月12日]]<ref>数藤康雄・編『アガサ・クリスティー百科事典』(ハヤカワ文庫)、「アガサ・クリスティー年譜」p.422。</ref>)は、[[イギリス]]の[[推理作家]]。66冊の探偵小説と14冊の短編集で知られ、発表された小説の多くは世界的なベストセラーとなり「'''ミステリーの女王'''」と呼ばれた。特に架空の探偵[[エルキュール・ポアロ]]と [[ミス・マープル]]を主人公とする小説で有名である。'''メアリ・ウェストマコット'''(Mary Westmacott)名義の小説が6作品ある。
1971年、大英勲章第2位([[DBE]])に叙され「'''[[デイム]]・アガサ'''」となる。英国推理作家のクラブである[[ディテクションクラブ]]の第4代会長。
[[国際連合教育科学文化機関|ユネスコ]]の[[インデックス・トランスラチオヌム]]によると、{{仮リンク|最も翻訳された作家|en|List of most translated individual authors}}である。小説『[[そして誰もいなくなった]]』は、約1億部を売り上げ、史上最も売れた本の一つである。戯曲『''[[ねずみとり (アガサ・クリスティ)|ねずみとり]]』''は、演劇史上最長のロングラン記録を持っている。1952年11月25日に[[ウエスト・エンド (ロンドン)|ウエストエンド]]のアンバサダー・シアターで開幕し、2018年9月までに27,500回以上上演された。2020年3月にロンドンで[[新型コロナウイルス感染症の世界的流行 (2019年-)|新型コロナウイルス感染症流行]]の[[ロックダウン (政策)|ロックダウン]]のため一時休演し、2021年5月に再演した。
日本語表記は「クリスティ」と「クリスティー」がある{{refnest|group="注釈"|早川書房においてはクリスティー表記で統一しているため、[[アガサ・クリスティー賞]]、[[ハヤカワ文庫#その他のサブレーベル|クリスティー文庫]]という表記になっている。かつては「クリスティ」「クリスティー」以外に「クリスチィ」「クリスチイ」「クリスチー」と表記されていたことがある。[[創元推理文庫]]の旧版では「クリスチィ」、[[平凡社]]の『世界探偵小説全集』では「クリスチイ」<ref>[https://ci.nii.ac.jp/ncid/BA84134149 CiNii 図書 - アクロイド殺し]</ref>と表記されており、東都書房からは『世界推理小説大系 13 クリスチー』(1962年)が出版されていた。[[江戸川乱歩]]の「クリスチー略伝」<ref>『別冊宝石55号』「世界探偵小説全集第18巻 アガサ・クリスティ篇(第二集)」(1956年)に所収。</ref>や[[横溝正史]]の「クリスチー礼賛」という[[エッセイ]]<ref>[[角川文庫]]『横溝正史読本』に所収。</ref>もある。}}。
== 生涯 ==
=== 生い立ち ===
[[1890年]]、資産家の父フレデリック・アルヴァ・ミラー([[1846年]] - [[1901年]])と母クララ・ベーマー([[1854年]] - [[1926年]]、イギリス陸軍士官の娘)の次女としてイギリス南西部の[[デヴォンシャー]]に生まれる。3人姉弟の末っ子で、10歳近く年の離れた姉と兄がいた。しかし姉マーガレット([[1879年]] - [[1950年]])は寄宿学校におり、長兄モンタント([[1880年]] - [[1929年]])は[[パブリックスクール]]を退校して軍に入隊していたために幼少期を共にする機会が少なく、もっぱら両親や使用人たちと過ごした。
父フレデリックは[[アメリカ人]]の事業家だったが商才に乏しく、祖父の残した遺産を投資家に預けて、自身は働かずに暮らしていた。母クララは父の従妹で、少々変わった価値観を持つ「変わり者」として知られていた。母の性格はアガサや家族の運命に少なからず影響を与えたが、フレデリックは奔放な妻を生涯愛し続け、アガサも母を尊敬し続けた。
[[ファイル:Agatha Christie as a child No 1.jpg|thumb|180px|少女の頃のアガサ]]
=== 少女時代 ===
少女時代のアガサは兄や姉のように正規の学校で学ぶことを禁じられ、母から直接教育を受けた。母クララの教育に対する風変わりな信念は大きな影響を幼いアガサに与えた。例えばクララは「7歳になるまでは字が書けない方が良い」と信じており、アガサに字を教えなかった。それによりアガサは世間一般の子供より識字が遅く、父がこっそり手紙を書く手伝いをさせるまで満足に文字を書けなかった。変則的な教育は、字を覚えた後も独特の癖をアガサに残してしまい、現存している子供時代の手紙はスペルミスが非常に多い。
同年代の子供がパブリックスクールで教育を受けている間も、アガサは学校に入学することを許されなかった。同年代の友人のいないアガサは使用人やメイドと遊んだり、家の庭園で[[イマジナリーフレンド|空想上の友人]]との一人遊びをしたりして過ごし、内気な少女に育っていった。一方で、父の書斎で様々な書籍を読みふけって過ごし、様々な事象に対する幅広い知識を得て、教養を深めることが出来た。
また、ある事情により一家が短期間フランスに移住した時、礼儀作法を教える私学校に入って演劇や音楽を学んだ。16歳のときには[[オペラ]]歌手を目指して[[パリ]]の[[音楽学校]]に入学したが、すぐに退学した<ref>{{Cite book |和書 |year = 1975 |month = 5 |title = [[オリエント急行殺人事件 (1974年の映画)]] 劇場版パンフレット |page = 5 |publisher = [[東宝]]株式会社事業部}}</ref>。結局、母は最後まで正規の教育を受けることは許さなかったが、アガサ自身は自らが受けた教育について誇りを持っていたという。
=== 小説家へ ===
父の破産と病死(1901年11月 死因は肺炎と腎臓病)<ref>[[死亡診断書|Death Certificate]]. {{ill2|イングランドおよびウェールズ総合登記所|en|General Register Office for England and Wales}}, 1901 December Quarter, Brentford, volume 3A, p. 71. ("Cause of Death. [[ブライト病|Bright's disease]], chronic. [[肺炎|Pneumonia]]. Coma and heart failure.")</ref>、自身の結婚と離婚など様々な出来事を乗り越えながらも、アガサは小説家として執筆活動を続けていった。
[[1909年]]、自身初の長編小説『砂漠の雪』を書き、作家[[イーデン・フィルポッツ]]の指導を受ける。私生活では[[1914年]]に[[アーチボルド・クリスティ]]大尉([[1889年]] - [[1962年]])と結婚し、[[1919年]]に娘{{ill2|ロザリンド・ヒックス|en|Rosalind Hicks|redirect=1}}(1919年 - [[2004年]])を出産する。[[第一次世界大戦]]中には薬剤師の助手として勤務し、そこで毒薬の知識を得る。
[[1920年]]、数々の出版社で不採用にされたのち、ようやく『[[スタイルズ荘の怪事件]]』を出版し、ミステリー作家としてデビューする。[[1926年]]に発表した『[[アクロイド殺し]]』における大胆なトリックと意外な真犯人を巡って、フェアかアンフェアかの大論争がミステリ・ファンの間で起き、一躍有名となる。また、この年には母が死去しており、アガサは謎の失踪事件を起こす。
=== 失踪事件 ===
[[File:Christie at Hydro.jpg|thumb|{{ill2|デーリー・ヘラルド (イギリス新聞紙)|en|Daily Herald (UK newspaper)|label=デーリー・ヘラルド}}は、1926年12月15日の紙面にて、ヨークシャーの{{ill2|オールドスワンホテル|en|Old Swan Hotel|label=Swan Hydropathic Hotel}}で発見されたことを伝えた。]]
アガサ・クリスティ失踪事件とは、ロンドン近郊の田園都市サニングデールに住んでいたアガサ・クリスティ(当時36歳)が1926年12月3日、自宅を出たまま行方不明となった事件を指す。警察は自身の失踪として探す一方、事件に巻き込まれた可能性も視野に入れて捜査をした。後述のように、アガサと夫のアーチボルドは問題を抱えていたことからアーチボルドの犯行という推測も出た。
有名人の失踪、複雑な背景は結果として新聞の興味を掻き立て、報道により事件を知った大衆から多数の目撃情報が寄せられた。その検証のために大勢の人間が動いた。捜査機関を含む関係筋から動員されたのは、延べ人数で数千人に及んだとされる。マスコミの盛り上がりにより[[ドロシー・L・セイヤーズ]]や[[アーサー・コナン・ドイル]]もコメントを出した。
11日後、保養地のホテルに別人名義(夫の愛人Nancy Neeleの名からテレサ・ニールの名)で宿泊していた彼女が家族の確認の上で保護されることで決着した。そのため、Agatha Eleven Missingと呼ばれる。
当時のアガサは、ロンドンの金融街で働いていた夫のアーチボルド、一人娘のロザリンド(当時7歳)と田舎の大邸宅で暮らしていた。休日にはアーチボルドはゴルフに熱中していたが、アガサはゴルフをしなかった。家事はメイドを雇い、執筆の仕事では秘書のシャーロットを住まわせていた(シャーロットはアガサの信頼を得て、長く彼女の側で勤めることになる)。
キャリアにおいては、『アクロイド殺し』(1926年)によりベストセラー作家の仲間入りを果たす一方で、事件の前には最愛の母親を亡くし、また夫には恋人がいた事実に傷つけられていた。事件の起きた日、アガサは住み込みのメイドに行き先は告げずに外出すると伝え、当時は珍しかった自動車を自ら運転して一人で出かけている。その際に彼女は秘書のシャーロットと夫に手紙を残している。
なぜ失踪したのかについては諸説あり、伝記作家の間でもこの件については、心身が耗弱していた、意図的な行動であった等、意見が分かれているが、自伝では事件について触れていない。しかし、事件の結果としてマスコミや世間の好奇の対象とされたアガサが心に傷を負った点、そしてこれ以降の彼女の内面世界が徐々に変化を見せた点に関しては諸説一致している。
この失踪事件を題材に、独自の解釈でアガサ・クリスティをめぐる人間模様を描いた映画『[[アガサ 愛の失踪事件]]』が[[1979年]]に公開された。
=== 再婚とその後の人生 ===
[[1928年]]にアーチボルドと離婚するが、[[1930年]]の[[中東]]旅行で出会った、14歳年下の考古学者の[[マックス・マローワン]]([[1904年]]5月6日 - [[1978年]]8月19日)とその年の[[9月11日]]に再婚する。この結婚について「クリスティはなぜ彼と結婚したかと問われて『だって考古学者なら、古いものほど価値を見出してくれるから』と答えた」という逸話がある。一説によるとそれは誰かが流した心ないジョークで、アガサはジョークの作者を殺してやるといきまいていたとも言われるが(ハヤカワ・ミステリの解説より)、孫のマシュー・プリチャードはアガサ自身が冗談めかしてこのように語ったとしている(『オリエント急行殺人事件』DVD特典インタビューより)。
[[1943年]]に『[[カーテン (推理小説)|カーテン]]』および『[[スリーピング・マーダー]]』を執筆。死後出版の契約を結ぶ。私生活では孫[[マシュー・プリチャード]]が誕生している。
[[1973年]]に『{{仮リンク|運命の裏木戸|en|Postern of Fate}}』を発表。これが最後に執筆されたミステリー作品となった。
=== 死去 ===
[[ファイル:Agatha christie's grave.jpg|thumb|190px|アガサ・クリスティの墓標<br />[[オックスフォードシャー]]のチョルシーにあるセント・メアリ教会にて。]]
1976年1月12日、静養先のイギリス、ウォリングフォードの自宅で、高齢のため風邪をこじらせ死去(満85歳没)。死後『スリーピング・マーダー』が発表される。遺骸は、イギリスのチョルシーにあるセント・メアリ教会の墓地に埋葬された。
=== 略歴 ===
[[File:Greenway - the holiday home of Agatha Christie - geograph.org.uk - 1447267.jpg|thumb|200px|グリーンウェイ・ハウス]]
* [[1890年]]9月15日 イギリスの保養地[[デヴォン|デヴォンシャー]]の[[トーキー (イングランド)|トーキー]]にて、フレデリック・アルヴァ・ミラーと妻クララの次女、アガサ・メアリ・クラリッサ・ミラーとして生まれる。正規の学校教育は受けず母から教育を受ける。
* [[1901年]] 父が死去。この頃から詩や短編小説を投稿し始める。なお、詩や小説を書くことになった理由は、[[インフルエンザ]]にかかった際、読む本がなかったからだという。
* [[1909年]] 自身初の長編小説『砂漠の雪』を書き、作家[[イーデン・フィルポッツ]]の指導を受ける。
* [[1914年]] [[アーチボルド・クリスティ]]大尉と結婚。[[第一次世界大戦]]中には薬剤師の助手として勤務し、そこで毒薬の知識を得る。
* [[1919年]] 娘ロザリンド・ヒックスが誕生。
* [[1920年]] 数々の出版社で不採用にされたのち、ようやく『[[スタイルズ荘の怪事件]]』を出版、ミステリー作家としてデビューする。
* [[1924年]] 『[[茶色の服の男]]』で初めてまとまった収入を得る。サニングデールに家を買い「スタイルズ荘」と命名する。
* [[1926年]] 『[[アクロイド殺し]]』を発表。大胆なトリックと意外な真犯人をめぐって、フェアかアンフェアかの大論争がミステリー・ファンの間で起き、一躍有名に。また、母が死去する。この年アガサは[[#失踪事件|謎の失踪事件]]を起こす。
* [[1927年]] スタイルズ荘を売却する。
* [[1928年]] アーチボルドと離婚。アーチボルドは愛人と再婚。
* [[1930年]] [[中東]]に旅行した折に、14歳年下の考古学者の[[マックス・マローワン]](1904年5月6日 - 1978年8月19日)と出会い、[[9月11日]]再婚する。
* [[1933年]] 夫とともに[[エジプト]]へ旅行。道中で乗船した[[ナイル川]]の[[クルーズ船]]に触発され、旅行から4年後に『ナイルに死す』を上梓<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.afpbb.com/articles/-/3329025?cx_part=search |title=クリスティの「ナイルに死す」生んだクルーズ船、コロナ禍でも人気健在 |publisher=AFP |date=2021-02-07 |accessdate=2022-06-03}}</ref>。
* [[1938年]] グリーンウェイの別荘を購入。以後、毎年夏の休暇をここで過ごす。
* [[1943年]] 『[[カーテン (推理小説)|カーテン]]』および『[[スリーピング・マーダー]]』を執筆。死後出版の契約を結ぶ。孫[[マシュー・プリチャード]]が誕生。
* [[1952年]] 書き下ろしの戯曲『[[ねずみとり (アガサ・クリスティ)|ねずみとり]]』の世界最長ロングラン公演(1952年11月25日 - )始まる。
* [[1955年]] [[MWA賞]]巨匠賞 受賞。
* [[1956年]] [[大英帝国勲章|大英勲章]]第3位([[CBE勲章|CBE]])叙勲。
* [[1971年]] 大英勲章第2位([[DBE]])叙勲。
* [[1973年]] 『{{仮リンク|運命の裏木戸|en|Postern of Fate}}』を発表。最後に執筆されたミステリ作品となる。
* [[1975年]] 『カーテン』の発表を許可する。
* [[1976年]]1月12日 高齢のため風邪をこじらせ静養先のイギリス、ウォリングフォードの自宅で死去。死後『スリーピング・マーダー』が発表される。遺骸は、イギリスのチョルシーにあるセント・メアリ教会の墓地に埋葬された。
* [[2009年]]には『犬のボール』など未発表短編2篇が発見され、創作ノート『アガサ・クリスティの秘密ノート(上・下)』とともに公刊された。
== 作品 ==
{{main|アガサ・クリスティの著作一覧}}[[1920年]]のデビューから85歳で亡くなるまで長編小説66作、中短編を156作、戯曲15作、メアリ・ウェストマコット (Mary Westmacott) 名義の小説6作、アガサ・クリスティ・マローワン名義の作品2作、その他3作を執筆。ほとんどが生前に発表されている。中でも『[[アクロイド殺し]]』(1926年)・『[[オリエント急行の殺人]]』(1934年)・『[[ABC殺人事件]]』(1936年)・『[[そして誰もいなくなった]]』(1939年)等は世紀をまたいで版を重ねており、世界的知名度も高い。また生前中に刊行されなかった作品や死後に見つかった未発表作、小説作品の戯曲化、あるいはその逆など細かい物を含めればまだ数点増える<ref group="注釈">ほかに、[[アガサ・クリスティの著作一覧|クリスティ著]]ではないが、クリスティ財団が公認した[[エルキュール・ポアロ|ポアロ]]ものの長編『モノグラム殺人事件』 -The Monogram Murder、『閉じられた棺』 -Closed Casket(ソフィー・ハナ作)が、早川書房([[早川文庫|クリスティー文庫]])から刊行されている。</ref>。
推理の謎解きをする[[エルキュール・ポアロ]]、[[ミス・マープル]]、[[トミーとタペンス]]といった[[名探偵]]の産みの親でもある。
=== 小説 ===
==== エルキュール・ポアロとミス・マープル ====
1920年に発表された処女作『''[[スタイルズ荘の怪事件]]''』で初登場した、探偵[[エルキュール・ポアロ]]は、長編33作と50以上の短編に登場する。しかしアガサは、長年の間にポアロに愛想を尽かしてしまう。1930年代の終わりには、アガサは日記にポアロを「我慢できない」と書き、1960年代には「自分勝手な変人」だと感じていた<ref name=":19">{{cite book |last=Gross |first=John |url=https://archive.org/details/newoxfordbooklit00gros_551 |title=The New Oxford Book of Literary Anecdotes |publisher=[[Oxford University Press]] |year=2006 |isbn=978-0199543410 |page=[https://archive.org/details/newoxfordbooklit00gros_551/page/n281 267] |url-access=limited}}</ref>。
[[ミス・マープル|ミス・ジェーン・マープル]]は、1927年12月から発表された一連の短編(短編集『[[火曜クラブ]]』に収録)で登場する<ref name="thompson">{{Citation |last=Thompson |first=Laura |title=Agatha Christie: An English Mystery |year=2008 |place=London |publisher=[[Headline Publishing Group|Headline Review]] |isbn=978-0-7553-1488-1}}</ref>。マープルは上品な年配の独身女性で、イギリスの村の生活になぞらえて事件を解決する<ref name=":16">{{cite book |last=Osborne |first=Charles |title=The Life and Crimes of Agatha Christie: A Biographical Companion to the Works of Agatha Christie |publisher=[[St. Martin's Press]] |year=2001 |isbn=0-312-28130-7 |location=New York City}}</ref>。「ミス・マープルは決して私の祖母を描いたものではありません。彼女は私の祖母よりもずっと気難しく、オールド・ミス的でした」とアガサは語っているが、彼女の自伝は、この架空の人物とアガサの継祖母マーガレット・ミラー(「グラニーおばさん」)および彼女の「イーリング取り巻き」達との間にしっかりした関係があるとしている<ref name="Auto1993">{{cite book |last=Christie |first=Agatha |url=https://archive.org/details/agathachristieau00chri |title=Agatha Christie: An Autobiography |publisher=[[Dodd, Mead & Co.|Dodd, Mead & Company]] |year=1977 |isbn=0-396-07516-9 |location=New York City |url-access=registration}}</ref><ref name="BBCdustyClues">{{cite news |last=Mills |first=Selina |date=15 September 2008 |title=Dusty clues to Christie unearthed |work=[[BBC News]] |url=http://news.bbc.co.uk/today/hi/today/newsid_7612000/7612534.stm |access-date=29 April 2020 |archive-date=28 March 2012 |archive-url=https://web.archive.org/web/20120328000220/http://news.bbc.co.uk/today/hi/today/newsid_7612000/7612534.stm |url-status=live }}</ref>。マープルもミラーも、「誰に対しても、何に対しても、常に最悪の事態を想定し、それが恐ろしいほどの正確さで、たいてい正しいことが証明されるのである」<ref name="Auto1993"/>。マープルは12の長編と20の短編に登場する。
第二次世界大戦中、アガサはポアロとミス・マープルをそれぞれ主人公とする『[[カーテン (推理小説)|カーテン]]』と『[[スリーピング・マーダー]]』という2つの小説を書いた。この2冊の本は銀行の金庫に封印され、彼女は娘とその夫に贈与証書によって著作権を譲り渡し、それぞれに一種の保険をかけたのである<ref name="thompson"/><ref name=":16"/>。アガサは1974年に心臓発作と深刻な転倒に見舞われ、その後執筆することができなくなった<ref name="Morgan1984">{{cite book |last=Morgan |first=Janet P. |url=https://books.google.com/books?id=w4paAAAAMAAJ |title=Agatha Christie: A Biography |date=1984 |publisher=[[HarperCollins]] |isbn=978-0-00-216330-9 |location=London |access-date=25 May 2020 |archive-date=12 May 2021 |archive-url=https://web.archive.org/web/20210512060208/https://books.google.com/books?id=w4paAAAAMAAJ |url-status=live }}</ref>。彼女の娘は1975年に『カーテン』の出版を許可し<ref name="Morgan1984"/>、『スリーピング・マーダー』はアガサの死後1976年に出版された<ref name=":16"/>。これらの出版は、1974年の映画版『[[オリエント急行殺人事件 (1974年の映画)|オリエント急行殺人事件]]』の成功に続くものであった<ref name="Auto1993"/><ref>{{cite web |url=https://mainecrimewriters.com/2018/01/25/dame-agatha-and-her-orient-express/ |title=Dame Agatha and Her Orient Express |last=Vaughan |first=Susan |date=25 January 2018 |website=Maine Crime Writers |access-date=20 March 2019 |archive-date=13 June 2018 |archive-url=https://web.archive.org/web/20180613072515/https://mainecrimewriters.com/2018/01/25/dame-agatha-and-her-orient-express/ |url-status=live }}</ref>。
『カーテン』の出版直前、ポアロは[[ニューヨークタイムズ]]紙に訃報を載せた最初の架空の人物となり、1975年8月6日の1面に掲載された<ref>{{cite web |url=http://www.poirot.us/obituary.php |title=Poirot's Obituary |last=Hobbs |first=JD |date=6 August 1975 |publisher=Poirot |access-date=11 April 2020 |place=US |archive-date=1 May 2020 |archive-url=https://web.archive.org/web/20200501223503/http://www.poirot.us/obituary.php |url-status=live }}</ref>
<ref>{{cite web |url=https://www.nytimes.com/1975/08/06/archives/hercule-poirot-is-dead-famed-belgian-detective-hercule-poirot-the.html |title=Hercule Poirot Is Dead; Famed Belgian Detective |last=Lask |first=Thomas |date=6 August 1975 |work=[[The New York Times]] |access-date=16 October 2020 |place=US |archive-date=7 November 2017 |archive-url=https://web.archive.org/web/20171107112341/http://www.nytimes.com/1975/08/06/archives/hercule-poirot-is-dead-famed-belgian-detective-hercule-poirot-the.html |url-status=live }}</ref>。
アガサはポアロとミス・マープルが同時に登場する小説を書いたことはない<ref name=":16"/>。2008年に発見・公開された録音で、アガサはその理由を明かしている。「エルキュール・ポアロは完全なエゴイストで、年配の独身女性に仕事を教わったり、提案されたりするのは好きではない。プロの探偵であるエルキュール・ポアロは、ミス・マープルの世界ではまったくくつろげないだろう」<ref name="BBCdustyClues"/>。
2013年、クリスティ家はイギリスの作家{{仮リンク|ソフィー・ハナ|en|Sophie Hannah}}が書いた新しいポアロもの『The Monogram Murders』(モノグラム殺人事件)の公開を支援した<ref>{{cite web |url=http://www.agathachristie.com/the-monogram-murders |title=The Monogram Murders |publisher=Agatha Christie.com |access-date=11 April 2015 |url-status=dead |archive-url=https://web.archive.org/web/20150403183934/http://www.agathachristie.com/the-monogram-murders/ |archive-date=3 April 2015}}</ref>。ハナはその後、2016年に『Closed Casket』(閉じた棺)、2018年に『The Mystery of Three Quarters』(スリークォーターの謎)<ref name=":7">{{cite web |url=https://www.agathachristie.com/news/2016/an-interview-with-sophie-hannah |title=An interview with Sophie Hannah |website=The Home of Agatha Christie |language=en-US |access-date=29 April 2020 |archive-date=31 August 2019 |archive-url=https://web.archive.org/web/20190831125357/https://www.agathachristie.com/news/2016/an-interview-with-sophie-hannah |url-status=live }}</ref><ref>{{cite web |date=2020 |title=The Mystery of Three Quarters |url=https://www.harpercollins.com/9780062792341/the-mystery-of-three-quarters/ |access-date=29 April 2020 |website=[[HarperCollins]] Publishers |archive-date=13 August 2018 |archive-url=https://web.archive.org/web/20180813045824/http://www.harpercollins.com/9780062792341/the-mystery-of-three-quarters/ |url-status=live }}</ref>、2020年に『The Killings at Kingfisher Hill』(キングフィッシャーヒルの殺人)の3つのポアロものを出版した。
==== その他の探偵 ====
ポアロとマープルに加えて、アガサは素人探偵[[トミーとタペンス]](トマス・ベレスフォードとその妻プルーデンス・タペンス''(旧姓''カウリー))を創作し、1922年から1974年の間に4冊の小説と1冊の短編集に登場させている。他の探偵とは異なり、ベレスフォード夫妻は『''[[秘密機関]]''』で登場した時点ではまだ20代前半であり、作者と同じように年を取ることができた<ref name=":16"/>。アガサは、彼らの物語を軽いタッチで扱い、批評家たちがこぞって賞賛するような「ダッシュと勢い」を与えた<ref name=":17">{{cite book |last1=Fitzgibbon |first1=Russell H. |url=https://archive.org/details/agathachristieco00fitz |title=The Agatha Christie Companion |publisher=The Bowling Green State University Popular Press |year=1980 |location=Bowling Green, Ohio |url-access=registration}}</ref>。彼らの最後の冒険である『''運命の裏木戸''』はアガサの最後の小説となった<ref name="thompson"/>。
[[ハーリ・クィン]]は、アガサの架空の探偵の中で「最も異例な存在」であった<ref name=":17"/>。アガサが「{{仮リンク|ハーレクイン・ナード|en|Harlequinade}}」(イギリスの喜劇のジャンル)の人物に愛着を抱いていたこともあり、半超能力者のクィンはいつも[[サタースウェイト]]という年老いた凡人と行動を共にする。この二人は14の短編に登場し、そのうちの12編は1930年に短編集『''[[謎のクィン氏]]''』に収録された<ref name=":16"/>。マローワンは、これらの物語を「空想的な脈絡のある検出、おとぎ話に触れる、アガサの特異な想像力の自然な産物」と評した<ref name=":16"/>。また、サタースウェイトは小説『''[[三幕の殺人]]''』や短編集『[[死人の鏡]]』にも登場するが、これらはいずれもポアロが主人公である<ref name=":16"/>。
また、あまり知られていないキャラクターとして、退職した公務員で、型破りな方法で不幸な人々を援助する[[パーカー・パイン]]がいる<ref name=":16"/>。彼が登場する短編集『''[[パーカー・パイン登場]]''』(1934年)は、「アガサ・クリスティの愉快で風刺的な自画像」であるアリアドネ・オリヴァ(オリヴァ夫人)が登場する『退屈している軍人の事件』で最もよく記憶されている。その後数十年にわたりオリヴァは7つの小説に再登場する。そのほとんどで、彼女はポアロに意見を述べる役割を担っている<ref name=":16"/>。
=== 戯曲 ===
1928年、マイケル・モートンは『[[アクロイド殺し]]』を『アリバイ』というタイトルで舞台化した<ref name="Morgan1984"/>。この作品はそれなりに上演されたが、アガサは自分の作品に加えられた変更を嫌い、将来的には自分で劇場のために書くことにする。最初の舞台作品は『''[[ブラック・コーヒー]]''』で、1930年末に[[ウェスト・エンド・シアター|ウェストエンド]]で公開され、好評を博した<ref>Thompson, Laura (2008), ''Agatha Christie: An English Mystery'', London: Headline Review, p. 277, 301. ISBN 978-0-7553-1488-1</ref>。1943年に『''[[そして誰もいなくなった (戯曲)|そして誰もいなくなった]]''』、1945年に『''[[死との約束]]''』、1951年に『''[[ホロー荘の殺人]]''』を発表した<ref name="Morgan1984"/>。
1950年代には、「演劇は...アガサの関心の多くを占めていた」<ref>Thompson, Laura (2008), ''Agatha Christie: An English Mystery'', London: Headline Review, p. 360. ISBN 978-0-7553-1488-1</ref>。彼女は次に、ラジオの短編劇を『''[[ねずみとり (アガサ・クリスティ)|ねずみとり]]''』に改作し、1952年にピーター・サンダースの演出で[[リチャード・アッテンボロー]]がオリジナルのトロッター部長を演じてウェストエンドで初演された<ref name="Mousetrap record"/>。この作品に対する彼女の期待は高くはなく、8か月以上は上演されないだろうと考えていた<ref name="Auto1993"/>。『''ねずみとり''』は、2018年9月に27,500回目の公演を行い、世界で最も長く上演されている演劇として演劇の歴史に長く刻まれている<ref name="Mousetrap record">{{cite news |last=Moss |first=Stephen |date=21 November 2012 |title=The Mousetrap at 60: Why is this the world's longest-running play? |work=[[The Guardian]] |url=https://www.theguardian.com/stage/2012/nov/20/mousetrap-60-years-agatha-christie |access-date=8 April 2020 |archive-date=10 August 2020 |archive-url=https://web.archive.org/web/20200810022443/https://www.theguardian.com/stage/2012/nov/20/mousetrap-60-years-agatha-christie |url-status=live }}</ref><ref>{{cite news |last=Brantley |first=Ben |date=26 January 2012 |title=London Theater Journal: Comfortably Mousetrapped |work=[[The New York Times]] |url=http://artsbeat.blogs.nytimes.com/2012/01/26/london-theater-journal-comfortably-mousetrapped/ |access-date=26 January 2012 |archive-date=30 September 2019 |archive-url=https://web.archive.org/web/20190930221446/https://artsbeat.blogs.nytimes.com/2012/01/26/london-theater-journal-comfortably-mousetrapped/ |url-status=live }}</ref><ref>[https://www.the-mousetrap.co.uk/Online ''The Mousetrap'' website] {{Webarchive |url=https://web.archive.org/web/20150623162102/https://www.the-mousetrap.co.uk/Online/|date=23 June 2015}}, the-mousetrap.co.uk. Retrieved 2 June 2015.</ref><ref>{{cite web |url=https://uk.the-mousetrap.co.uk/the-history/ |title=The History |website=The Mousetrap |language=en-GB |access-date=25 April 2020 |archive-date=19 January 2019 |archive-url=https://web.archive.org/web/20190119121315/https://uk.the-mousetrap.co.uk/the-history/ |url-status=live }}</ref>。[[新型コロナウイルス感染症 (2019年)|新型コロナウイルス]]の流行によりイギリスのすべての劇場が閉鎖した2020年3月に一時的に閉演し<ref>{{cite web |date=17 March 2020 |title=The West End and UK Theatre venues shut down until further notice due to coronavirus |url=https://www.londontheatredirect.com/news/the-west-end-and-uk-theatre-venues-shut-down-until-further-notice-due-to-coronavirus |access-date=5 May 2020 |website=[[London Theatre Direct]] |language=en |archive-date=8 May 2020 |archive-url=https://web.archive.org/web/20200508232524/https://www.londontheatredirect.com/news/the-west-end-and-uk-theatre-venues-shut-down-until-further-notice-due-to-coronavirus |url-status=live }}</ref><ref>{{cite web |date=22 April 2020 |title=The London theatres that are closed due to coronavirus |url=https://www.standard.co.uk/go/london/theatre/london-theatres-west-end-closed-coronavirus-a4388676.html |access-date=5 May 2020 |website=[[Evening Standard]] |language=en |archive-date=19 April 2020 |archive-url=https://web.archive.org/web/20200419211926/https://www.standard.co.uk/go/london/theatre/london-theatres-west-end-closed-coronavirus-a4388676.html |url-status=live }}</ref>、2021年5月17日に再オープンした<ref>{{cite web |last1=Lawson |first1=Mark |title=The case of the Covid-compliant murder: how The Mousetrap is snapping back to life |url=https://www.theguardian.com/stage/2021/may/05/case-covid-compliant-mousetrap-snapping-back-agatha-christie-whodunnit |newspaper=The Guardian |location=London |access-date=20 July 2022 |language=en |date=5 May 2021}}</ref>。
1953年に発表した『''[[検察側の証人]]''』は、[[ブロードウェイ・シアター|ブロードウェイ]]公演で1954年のニューヨーク演劇批評家協会の最優秀外国作品賞を受賞し、アガサは[[アメリカ探偵作家クラブ]]の[[エドガー賞 長編賞|エドガー賞]]を受賞した<ref name="Morgan1984"/><ref name=":12">{{cite book |last=Curran |first=John |title=Agatha Christie: Murder in the Making |publisher=[[HarperCollins]] |year=2011 |isbn=978-0062065445 |location=London}}</ref>。女優[[マーガレット・ロックウッド]]の依頼で書いたオリジナル作品『''[[蜘蛛の巣 (アガサ・クリスティ)|蜘蛛の巣]]''』は、1954年にウェストエンドで初演され、これもヒットとなった<ref name="Morgan1984"/>。アガサはロンドンで3本の戯曲を同時に上演した最初の女性劇作家となった。『''ねずみとり''』、『''検察側の証人''』、『''蜘蛛の巣''』である<ref>{{cite news |title=Everyone loves an old-fashioned murder mystery |url=https://www.thehindu.com/entertainment/theatre/everyone-loves-an-old-fashioned-murder-mystery/article25664054.ece |newspaper=The Hindu |date=4 December 2018 |access-date=29 August 2020 |last1=Phukan |first1=Vikram |archive-date=20 May 2021 |archive-url=https://web.archive.org/web/20210520060606/https://www.thehindu.com/entertainment/theatre/everyone-loves-an-old-fashioned-murder-mystery/article25664054.ece |url-status=live }}</ref>。彼女は「劇は本よりもずっと''書き''やすい。なぜなら、心の目で''見る''ことができるし、本の中でひどく詰まって、何が起こっているのかに取りかかるのを止めてしまうような、あらゆる描写に妨げられることがないからだ」と述べた<ref name="Auto1993"/>。娘に宛てた手紙の中で、アガサは劇作家であることは「とても楽しい!」と述べている<ref name="thompson"/>。
=== メアリー・ウェストマコット名義の作品 ===
アガサはメアリー・ウェストマコットというペンネームで6冊の小説を発表した。このペンネームは、彼女に「最も私的で貴重な想像の庭」を自由に探索させるものだった<ref name="thompson"/><ref name=":16"/>。これらの本は、一般的に彼女の探偵小説やスリラー小説よりも良い評価を受けた<ref name="thompson"/>。1930年に出版された最初の『{{日本語版にない記事リンク|愛の旋律 (小説)|label=愛の旋律|en|Giant's Bread}}』について、[[ニューヨーク・タイムズ]]の批評家は、「...彼女の本は、現在の小説の平均をはるかに超えており、実際、『良い本』の分類の下に十分に来る。そして、その称号を名乗れるのは、満足のいく小説だけである。」と書いている<ref>{{cite news |date=17 August 1930 |title=Book Review |page=7 |work=[[The New York Times]]}}</ref>。「メアリー・ウェストマコット」が有名な作家のペンネームであることは当初から公表されていたが、ペンネームの背後にある正体は秘密にされていた。『''愛の旋律''』のブックカバーには、著者が以前に「本名で...半ダースの本を書き、それぞれ売上3万部を超えている」と記載されている(これは間違いではないのだが、控えめな表現でアガサの正体を隠している。『''愛の旋律''』の出版までに、アガサは10冊の小説と2冊の短編集を出版しており、いずれも3万部をかなり超えていた。)。ウェストマコット名義の最初の4作を執筆したのがアガサであることを1949年にジャーナリストによって明らかにされた後も、彼女は1956年までにさらに2作を執筆した<ref name="thompson"/>。
他のウェストマコット名義の作品は、『{{日本語版にない記事リンク|未完の肖像 (小説)|label=未完の肖像|en|Unfinished Portrait (novel)|interwikilabel=Unfinished Portrait}}』(1934)、『[[春にして君を離れ]]』(1944)、『暗い抱擁』(1948)、『{{日本語版にない記事リンク|娘は娘 (小説)|label=娘は娘|en|A Daughter's a Daughter}}』(1952)、『愛の重さ』(1956)である。
=== ノンフィクション ===
アガサは[[ノンフィクション]]をほとんど発表していない。[[考古学]]の発掘作業を描いた『さあ、あなたの暮らしぶりを話して』<ref>アガサ・クリスティ『さあ、あなたの暮らしぶりを話して』早川書房〈クリスティー文庫〉、2004年8月18日</ref>は、マローワンとの生活から描かれたものである。『''The Grand Tour: Around the World with the Queen of Mystery』''は1922年に南アフリカ、オーストラリア、ニュージーランド、カナダを含む大英帝国を旅行した''際の''書簡を集めたものである。彼女の死後1977年に出版された『アガサ・クリスティー自伝』<ref>アガサ・クリスティ『アガサ・クリスティー自伝』(上・下)早川書房〈クリスティー文庫〉、2004年10月15日</ref>は、1978年のエドガー賞で最優秀批評家・伝記作品賞を受賞した<ref name=":14">{{cite web |url=http://theedgars.com/awards/ |title=Edgars Database – Search the Edgars Database |website=The Edgars |access-date=29 April 2020 |archive-date=28 March 2019 |archive-url=https://web.archive.org/web/20190328055509/http://theedgars.com/awards/ |url-status=live }}</ref>。
== 作品評 ==
{{出典の明記|date=2022年8月|section=1}}
アガサの推理小説は旅から生まれた(とりわけ離婚後の[[オリエント急行]]での[[イスタンブール]]や[[バグダード]]への一人旅は大きな影響を与えたといわれている)。
アガサの推理小説の魅力は、殺人のトリックの奇抜さと併せ、旅から得た様々な知識が背景描写に使われていることとされる。オリエント急行でのイスタンブール行きは、38歳の離婚後、友人の家に招待されたときに聞いた話がきっかけとなった。1928年10月のことである。
初期の作品は、『[[ビッグ4]]』や『[[秘密機関]]』など国際情勢をテーマにした作品があったり、ドイツや日本が関係する作品があったりするなど国際情勢に関する話が多い。[[冷戦]]時代は[[ソ連]]のスパイも話題に上っている。
そのファンからなるアガサ・クリスティ協会によると、彼女の作品は[[英語圏]]を越えて、全世界で10億部以上出版されている。[[聖書]]と[[ウィリアム・シェイクスピア|シェイクスピア]]の次によく読まれているという説もあり、[[ユネスコ]]の文化統計年鑑(1993年)では「最高頻度で翻訳された著者」のトップに位置している。[[ギネス・ワールド・レコーズ|ギネスブック]]は「史上最高の[[ベストセラー]]作家」に認定している。日本でも早くから紹介され、[[早川書房]]はクリスティー文庫としてほぼ全ての作品を翻訳している。
アガサが作品を発表した20世紀初めのイギリスは、保守的な風潮が世間に残っており、トリックに対するフェア・アンフェア論争が起こったり、犯人の正体がモラルの面から批判の的になったりするなど是非が論じられていた。同時にラジオや映画といったメディアが発達していたことで、作品が広く知られることにもつながった。アガサは人見知りの傾向を持ち、失踪事件(1926年)でマスコミの餌食とされたこともあり、意識的に表舞台から離れるようになったが、これが神秘的なミステリーの女王伝説につながっていった面がある。
== 作品に登場する主な探偵 ==
* [[エルキュール・ポアロ]](相棒として[[アーサー・ヘイスティングズ]]、協力関係者として[[ジェームス・ハロルド・ジャップ]])
* [[ミス・マープル|ミス・ジェーン・マープル]]
* [[パーカー・パイン]]
* [[ハーリ・クィン]](レギュラーとして[[サタースウェイト]])
* [[バトル警視]]
* [[トミーとタペンス]]
== 関連人物 ==
{{ill2|探偵小説の黄金時代|en|Golden Age of Detective Fiction}}を築いた中で、アガサ・クリスティを含めて、[[ナイオ・マーシュ]]、[[マージェリー・アリンガム]]、[[ドロシー・L・セイヤーズ]]の4人は、queens of crime と称される<ref>{{Cite journal |last=Kaplan |first=Cora |editor-last=Joannou |editor-first=Maroula |date=2013 |title=‘Queens of Crime’: The ‘Golden Age’ of Crime Fiction |url=http://link.springer.com/10.1057/9781137292179_9 |pages=144–157 |publisher=Palgrave Macmillan UK |location=London |language=en |doi=10.1057/9781137292179_9 |isbn=978-1-349-32858-1}}</ref>。
アガサ・クリスティとイギリス空軍士官(のちに法廷弁護士){{ill2|アーチボルド・クリスティ|en|Archie Christie}}との間にできた一人娘{{ill2|ロザリンド・ヒックス|en|Rosalind Hicks|redirect=1}}は、『{{ill2|娘は娘|en|A Daughter's a Daughter}}』に登場する主人公のモデルで著作権を相続しているが、母と娘の関係・自身のプライベート・母の再婚など複雑な思いが投影される『娘は娘』の劇場化などに積極的になれなかった<ref>{{Cite web |url=https://www.independent.co.uk/arts-entertainment/theatre-dance/news/solved-the-mystery-of-forgotten-christie-play-1835027.html |title=Solved: The mystery of forgotten Christie play |access-date=2023-08-30 |date=2009-12-06 |website=The Independent |language=en}}</ref>。
== 脚注 ==
=== 注釈 ===
{{reflist|group="注釈"}}
=== 出典 ===
{{reflist}}
== 関連項目 ==
{{Wikisourcelang|en|Author:Agatha Christie|アガサ・クリスティの著作}}
{{Commonscat|Agatha Christie}}
* [[アガサ・クリスティー賞]] - アガサ・クリスティの生誕120周年を記念して創設された新人賞。株式会社早川書房ほか主宰。
* [[アガサ賞]] - アガサ・クリスティに敬意を表して創設された文学賞。アメリカ合衆国の推理小説ファン団体マリス・ドメスティック主宰。
* [[延原謙]] - クリスティ作品の最初期の日本語翻訳者(1925年)
* [[久里子亭]] - [[市川崑]]と[[和田夏十]]、または市川と[[日高真也]]との脚本執筆の際に使用されたペンネーム。市川が敬愛するクリスティの名前に由来する。
* [[山村美紗]] - 日本のアガサ・クリスティと称えられている。
* [[阿笠博士]] - 『[[名探偵コナン]]』の登場人物。クリスティの名前に由来する。
* [[ファーマシー・テクニシャン]]
* [[あがさクリスマス]](増子勝)-息子たちが愛するアガサ・クリスティに敬意を表して名前をもじって日本の古典研究者として活動している。
== 外部リンク ==
* [https://www.all-about-agatha-christie.com/ All About Agatha Christie]
* [https://web.archive.org/web/20040214020620/http://www.hayakawa-online.co.jp/christie/ アガサクリスティ日本オフィシャルサイト](リンク切れ)
* [https://www.agathachristielimited.com/ 全世界でのライセンス管理会社「Agatha Christie Limited」]
* [http://timo.co.jp/index.html 日本国内のライセンス管理代理店「ティモ アソシエイツ」]
* [https://www.agathachristie.com/ Agatha Christie: The Official Online Home]
* [http://www.deliciousdeath.com/ Delicious Death]
{{アガサ・クリスティ}}
{{ディテクションクラブ会長}}
{{DEFAULTSORT:くりすてい あかさ}}
[[Category:アガサ・クリスティ|*]]
[[Category:20世紀イングランドの小説家]]
[[Category:20世紀イギリスの女性著作家]]
[[Category:イングランドの女性小説家]]
[[Category:イギリスの女性推理作家]]
[[Category:イングランドの推理作家]]
[[Category:イングランドの女性劇作家]]
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14,711 |
辺境自警隊
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『辺境自警隊』(へんきょうじけいたい)とは、幻超二のファンタジー漫画作品。著者が20歳ぐらいの時に描かれた。
勇者レオンらが魔王ノウエルの復活を阻んでから25年。地獄の三姉妹「GORGON」によって再び魔王の眠りがさまされようとしていた。そこへ、辺境自警隊派出所13号勤務・未熟な(ヘッポコ)隊員であるハーフエルフのミレアとワータイガーのバームらが、なぜかその復活を止めるために封印の解かれた場所へ向かう。
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『辺境自警隊』(へんきょうじけいたい)とは、幻超二のファンタジー漫画作品。著者が20歳ぐらいの時に描かれた。 勇者レオンらが魔王ノウエルの復活を阻んでから25年。地獄の三姉妹「GORGON」によって再び魔王の眠りがさまされようとしていた。そこへ、辺境自警隊派出所13号勤務・未熟な(ヘッポコ)隊員であるハーフエルフのミレアとワータイガーのバームらが、なぜかその復活を止めるために封印の解かれた場所へ向かう。
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『'''辺境自警隊'''』(へんきょうじけいたい)とは、[[幻超二]]のファンタジー[[漫画]]作品。著者が20歳ぐらいの時に描かれた。
勇者レオンらが魔王ノウエルの復活を阻んでから25年。地獄の三姉妹「GORGON」によって再び魔王の眠りがさまされようとしていた。そこへ、辺境自警隊派出所13号勤務・未熟な(ヘッポコ)隊員であるハーフエルフのミレアとワータイガーのバームらが、なぜかその復活を止めるために封印の解かれた場所へ向かう。
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紀元前31年
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紀元前31年(きげんぜん31ねん)。
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紀元前31年(きげんぜん31ねん)。
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'''紀元前31年'''(きげんぜん31ねん)。
== 他の紀年法 ==
{{他の紀年法}}
* [[干支]] : [[庚寅]]
* [[元号一覧 (日本)|日本]]
** [[崇神天皇]]67年
** [[皇紀]]630年
* [[元号一覧 (中国)|中国]]
** [[前漢]] : [[建始 (漢)|建始]]2年
* [[元号一覧 (朝鮮)|朝鮮]]
** [[高句麗]] : [[東明聖王]]7年
** [[新羅]] : [[赫居世居西干|赫居世]]27年
** [[檀君紀元|檀紀]]2303年
* [[仏滅紀元]] : 513年
* [[ユダヤ暦]] : 3730年 - 3731年
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== できごと ==
=== ローマ ===
* [[アウグストゥス]]が3度目の[[執政官]]になった。もう1人は[[マルクス・ウァレリウス・メッサッラ・コルウィヌス]]だった。
* 9月2日 - ギリシア西岸で、[[アウグストゥス]]の軍が[[マルクス・アントニウス]]と[[クレオパトラ7世]]の軍を破った([[アクティウムの海戦]])。
* [[マサダ要塞]]の建築が完了した。
=== 芸術 ===
* [[ヘレニズム]]期が終わった。
== 誕生 ==
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== 死去 ==
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== 脚注 ==
'''注釈'''
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'''出典'''
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<!-- == 参考文献 == -->
== 関連項目 ==
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* [[年の一覧]]
* [[年表]]
* [[年表一覧]]
<!-- == 外部リンク == -->
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ジャン=ピエール・ジュネ
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ジャン=ピエール・ジュネ(Jean-Pierre Jeunet, 1953年9月3日 - )は、フランスの映画監督、脚本家。
友人の映画監督マルク・キャロと組んで「ジュネ&キャロ」として短編映画などを手掛け、10分間の短編アニメ『回転木馬』は第6回(1980年度)セザール賞の短編(アニメーション)賞に輝いた。
単独で監督した1989年の短編映画『僕の好きなこと、嫌いなこと』ではドミニク・ピノンを起用し、この作品で第16回(1990年度)セザール賞の短編(劇映画)賞を受賞した。
1991年にはキャロと共同で長編映画『デリカテッセン』を監督。核戦争後のパリの肉屋を舞台とした騒動をドミニク・ピノン主演でブラックユーモアたっぷりに描き、フランスで大ヒット。第17回(1991年度)セザール賞で、ジュネはキャロらと脚本賞と新人監督作品賞を受賞し、この作品は全部で4部門受賞した。
1995年にはキャロと共同で『ロスト・チルドレン』を発表し、ロン・パールマンを主演に起用した。第21回(1995年度)セザール賞にこの作品は3部門ノミネートし、そのうち美術賞を受賞した。
1997年、『エイリアン4』の監督に起用され、ハリウッドデビューとなり、これが初めての続編ものとなる。
その後フランスへ戻り、2001年に『アメリ』を発表し、オドレイ・トトゥ主演のこの作品は世界的なヒットとなる。日本でも映画に登場するデザートのクレームブリュレが流行するなど社会現象となった。第27回(2001年度)セザール賞で、ジュネは作品賞と監督賞を受賞し、この作品は全部で4部門受賞した。また、第74回(2001年度)アカデミー賞では、ジュネは脚本賞にノミネートされ、この作品は全部で5部門ノミネートされた。
2004年に再びオドレイ・トトゥ主演で『ロング・エンゲージメント』を発表。第30回(2004年度)セザール賞で、ジュネは作品・監督・脚本でノミネートし、この作品は全部で5部門受賞した。また、第77回(2004年度)アカデミー賞では、撮影賞と美術賞にノミネートされた。
2009年にダニー・ブーン主演の『ミックマック』を発表。日本では、フランス映画祭2010でオープニング作品として上映され、2010年9月に公開された。
ジュネの作品の特徴は、独特の世界観とブラックユーモアである。また全作品に出演している常連・ドミニク・ピノンをはじめ、オドレイ・トトゥ、ロン・パールマン、ヨランド・モロー、アンドレ・デュソリエなど個性派俳優が多数出演し、作品世界を独特なものにしている。
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ジャン=ピエール・ジュネは、フランスの映画監督、脚本家。
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| 主な作品 = 『[[デリカテッセン (映画)|デリカテッセン]]』<br />『[[エイリアン4]]』<br />『[[アメリ]]』<br />『[[ロング・エンゲージメント]]』<br />『[[天才スピヴェット]]』
| 東京国際映画祭 = '''東京ゴールド賞'''<br>[[1991年]]『[[デリカテッセン (映画)|デリカテッセン]]』
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| 英国アカデミー賞 = '''[[英国アカデミー賞 オリジナル脚本賞|オリジナル脚本賞]]'''<br />[[2001年]]『アメリ』
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| ゴヤ賞 = '''ヨーロッパ映画賞'''<br />[[2001年]]『アメリ』
| ヨーロッパ映画賞 = '''[[ヨーロッパ映画賞 監督賞|監督賞]]'''<br />2001年『[[アメリ]]』
| その他の賞 = '''[[カンザスシティ映画批評家協会賞 外国語映画賞|カンザスシティ映画批評家協会賞<br />外国語映画賞]]'''<br />[[2001年]]『アメリ』<br />[[2004年]]『[[ロング・エンゲージメント]]』
| 備考 = [[第19回東京国際映画祭]] 審査委員長(2006年)
}}
'''ジャン=ピエール・ジュネ'''({{fr|Jean-Pierre Jeunet}}, [[1953年]][[9月3日]] - )は、[[フランス]]の[[映画監督]]、[[脚本家]]。
== 来歴 ==
友人の映画監督[[マルク・キャロ]]と組んで「ジュネ&キャロ」として短編映画などを手掛け、10分間の[[短編映画|短編]][[アニメーション|アニメ]]『回転木馬』は第6回([[1980年]]度)[[セザール賞]]の短編(アニメーション)賞に輝いた。
単独で監督した[[1989年]]の短編映画『僕の好きなこと、嫌いなこと』では[[ドミニク・ピノン]]を起用し、この作品で第16回([[1990年]]度)セザール賞の短編(劇映画)賞を受賞した。
[[1991年]]にはキャロと共同で長編映画『[[デリカテッセン (映画)|デリカテッセン]]』を監督。[[核戦争]]後の[[パリ]]の肉屋を舞台とした騒動をドミニク・ピノン主演でブラックユーモアたっぷりに描き、フランスで大ヒット。第17回(1991年度)セザール賞で、ジュネはキャロらと脚本賞と新人監督作品賞を受賞し、この作品は全部で4部門受賞した。
[[1995年]]にはキャロと共同で『[[ロスト・チルドレン]]』を発表し、[[ロン・パールマン]]を主演に起用した。第21回(1995年度)セザール賞にこの作品は3部門ノミネートし、そのうち美術賞を受賞した。
[[1997年]]、『[[エイリアン4]]』の監督に起用され、[[ハリウッド]]デビューとなり、これが初めての続編ものとなる。
その後フランスへ戻り、[[2001年]]に『[[アメリ]]』を発表し、[[オドレイ・トトゥ]]主演のこの作品は世界的なヒットとなる。日本でも映画に登場するデザートの[[クレームブリュレ]]が流行するなど社会現象となった。第27回(2001年度)セザール賞で、ジュネは作品賞と監督賞を受賞し、この作品は全部で4部門受賞した。また、[[第74回アカデミー賞|第74回(2001年度)アカデミー賞]]では、ジュネは[[アカデミー脚本賞|脚本賞]]にノミネートされ、この作品は全部で5部門ノミネートされた。
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[[2009年]]に[[ダニー・ブーン]]主演の『ミックマック』を発表。日本では、[[フランス映画祭 (横浜)|フランス映画祭2010]]でオープニング作品として上映され、2010年9月に公開された。
ジュネの作品の特徴は、独特の世界観とブラックユーモアである。また全作品に出演している常連・[[ドミニク・ピノン]]をはじめ、[[オドレイ・トトゥ]]、[[ロン・パールマン]]、[[ヨランド・モロー]]、[[アンドレ・デュソリエ]]など個性派俳優が多数出演し、作品世界を独特なものにしている。
== 主な作品 ==
=== 短編 ===
* 回転木馬 ''Le Manège'' (1980年) - マルク・キャロと共同監督、アニメーション
* 最後の突風の砦 ''[[:fr:Le Bunker de la dernière rafale|Le Bunker de la dernière rafale]]'' (1981年) - マルク・キャロと共同監督・出演ほか
* ビリー・ブラッコに休息なし ''Pas de repos pour Billy Brakko'' (1980年) - アニメーション
* 僕の好きなこと、嫌いなこと ''[[:fr:Foutaises|Foutaises]]'' (1989年)
=== 長編 ===
* 『[[デリカテッセン (映画)|デリカテッセン]]』 ''[[:fr:Delicatessen|Delicatessen]]'' (1991年) - マルク・キャロとの共同監督
* 『[[ロスト・チルドレン]]』 ''[[:fr:La Cité des enfants perdus|La Cité des enfants perdus]]'' (1995年) - マルク・キャロとの共同監督
* 『[[エイリアン4]]』 ''[[w:Alien: Resurrection|Alien: Resurrection]]'' (1997年)
* 『[[アメリ]]』 ''[[:fr:Le Fabuleux Destin d'Amélie Poulain|Le Fabuleux Destin d'Amélie Poulain]]'' (2001年)
* 『[[ロング・エンゲージメント]]』 ''[[:fr:Un long dimanche de fiançailles (film)|Un long dimanche de fiançailles]]'' (2004年)
* 『[[ミックマック (映画)|ミックマック]]』 ''[[:fr:Micmacs à tire-larigot|Micmacs à tire-larigot]]'' (2009年)
* 『[[天才スピヴェット]]』 ''[[:fr:L'Extravagant Voyage du jeune et prodigieux T. S. Spivet (film)|L'Extravagant Voyage du jeune et prodigieux T. S. Spivet]]'' (2013年)
* 『[[ビッグバグ]]』 [[Big Bug]] (2022年)
== 関連項目 ==
*[[フランスの映画]]
== 脚注 ==
{{Reflist}}
== 外部リンク ==
{{Commonscat|Jean-Pierre Jeunet}}
* {{Official website|http://www.jpjeunet.com/}} {{fr icon}}{{en icon}}
* {{allcinema name|23929|ジャン=ピエール・ジュネ}}
* {{Kinejun name|138862|ジャン=ピエール・ジュネ}}
* {{IMDb name|0000466|Jean-Pierre Jeunet}}
{{ジャン=ピエール・ジュネ}}
{{Normdaten}}
{{DEFAULTSORT:しゆね しやん ひええる}}
[[Category:フランスの映画監督]]
[[Category:フランスのアニメーション監督]]
[[Category:フランスの脚本家]]
[[Category:1953年生]]
[[Category:存命人物]]
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14,729 |
相補的DNA
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相補的DNA(そうほてきDNA、complementary DNA)は、mRNA から逆転写酵素を用いた逆転写反応によって合成された二本鎖 DNA。一般には「相補的」を意味する英語、complementary の頭文字をとって、cDNA と省略される。遺伝子の上でタンパク質に翻訳される領域の配列が開始コドンから終止コドンまで一続きに含まれているため、タンパク質の一次構造(アミノ酸配列)を解明する出発点として、また人工的にタンパク質を発現させる目的でも単離される。
ヒトを始めとする真核生物では、遺伝子はゲノム上にコードされているものの、多くはそこから転写された mRNA前駆体がスプライシングを受けてイントロンが除去されるまでは蛋白質に翻訳されない情報も含んでいる。 そこで、スプライシング済みの成熟mRNA から cDNA を合成すればイントロンを含まない状態の遺伝子(塩基配列)を知ることができることから、遺伝子のクローニングに広く利用されている。
また、mRNA はスプライシング以外にも RNAエディティングという加工が起こるため、対応するゲノムDNA と cDNA の比較を行うことによって、エディティングサイトの特定が可能となる。
cDNA合成を逆転写酵素によって行ったのち、
といった解析が行われる。
cDNA の合成には、(1) 全RNA(リボソームRNA、mRNAを含む)、または (2) polyA-RNA(mRNA)を鋳型とする方法がある。
また、逆転写酵素の反応開始には、RNA上に反応の開始となるプライマーをアニールさせ、3'から5’方向にcDNAを合成する必要がある。プライマーには、
といった方法がある。
cDNAの合成に用いられる逆転写酵素の種類としては、AMV(トリmyeloblastosisウイルス)、あるいは MoMuLV(モロニーマウス白血病ウイルス)由来の酵素が用いられることが多い。従来は、AMV由来の酵素が熱安定性が高かったため、mRNA の高次構造の存在を回避する手段として用いられていたが、近年、MoMuLV由来酵素の改良が進み、熱安定性の高い変異型酵素が市販されるようになったので、多くの研究者によって利用されている。なお、ある種の熱耐性型 DNAポリメラーゼ(PCR に用いられる)には、RNA を鋳型としてDNAを合成する逆転写酵素活性を有するものがあり、それを利用する方法もある。
逆転写酵素反応は、mRNA が高次構造を取った場合に伸長しない。また、5'側から cDNA の相補鎖(mRNA と同じ方向をした DNA鎖)を作る際に、5'側にできるヘアピン構造を利用するため、本当の 5'末端が失われる。前者の解決法には、mRNA の熱変性や、上記に記載した高温度での逆転写反応が利用される。後者の解決法には、ピロリン酸ホスファターゼを利用した方法などがあり、理化学研究所の完全長cDNA塩基配列決定プロジェクトで利用されている cDNAライブラリーは、このような方法で作製されたものである。
EST とは expressed sequence tag の略であり、遺伝子転写産物 (RNA) の一部(普通5'末端か3'末端)に当たる短い配列で、転写産物の“目印”として使われる。cDNAライブラリーからランダムに多数のクローンを選び、それから簡単なシークエンシングによって長さ 500 - 800ヌクレオチド程度の配列を決定したものが EST であり、それらをまとめてデータベースを作製し利用する。まとめる方法としては ESTクラスタリングという手法が用いられる。特定の遺伝子の解析から断片的な配列が判明した場合、ESTデータベースからそれに対応する EST を探索し、これを手がかりにして段階的に RNA 全体の配列を得ることができる。現在はゲノムプロジェクトの補助的技術(あるいは ESTプロジェクト)として盛んに用いられている。また EST は DNAマイクロアレイ用のプローブとして用いることもできる。最近では初めから完全長cDNA(RNA全長に相当する cDNA)を得て解析する技術も進歩しつつあるが、EST は依然として遺伝子解析における有用な技術である。
Functional Annotation of Mouse for the RIKEN full-length cDNA clones
http://fantom.gsc.riken.jp/jp/
FANTOMは、理化学研究所のマウスゲノム百科事典プロジェクトで収集された完全長cDNAのアノテーション(機能注釈)を行うことを目的に、林崎良英博士が中心となり2000年に結成された国際研究コンソーシアムです。その役割はトランスクリプトーム解析の分野を軸に発展・拡大してきました。また、プロジェクトの研究対象は、ゲノムの転写産物という「要素」の理解から、転写制御ネットワークという「システム」つまり「生命体のシステム」の理解へ、より高次の階層に向けて着実に進められています。
GeneChips
遺伝子解析法 SAGE は(Serial Analysis of Gene Expression)から英語の頭字語をとった略称。遺伝子転写産物 (RNA) を逆転写した相補的DNA(cDNA)の一部(10-20bp)を識別用配列(5-10bp?)をはさんで直列に連結したものをDNAシーケンサーで読み取ることにより、多くの転写産物の発現量を調べることができる。相補的DNAの一部を網羅的にシーケンシングする手法としては、SAGE法を改良したSuperSAGE, オリゴキャップ法と併用したCAGE、MPSS, HiCEP等がある。
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"text": "FANTOMは、理化学研究所のマウスゲノム百科事典プロジェクトで収集された完全長cDNAのアノテーション(機能注釈)を行うことを目的に、林崎良英博士が中心となり2000年に結成された国際研究コンソーシアムです。その役割はトランスクリプトーム解析の分野を軸に発展・拡大してきました。また、プロジェクトの研究対象は、ゲノムの転写産物という「要素」の理解から、転写制御ネットワークという「システム」つまり「生命体のシステム」の理解へ、より高次の階層に向けて着実に進められています。",
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"text": "遺伝子解析法 SAGE は(Serial Analysis of Gene Expression)から英語の頭字語をとった略称。遺伝子転写産物 (RNA) を逆転写した相補的DNA(cDNA)の一部(10-20bp)を識別用配列(5-10bp?)をはさんで直列に連結したものをDNAシーケンサーで読み取ることにより、多くの転写産物の発現量を調べることができる。相補的DNAの一部を網羅的にシーケンシングする手法としては、SAGE法を改良したSuperSAGE, オリゴキャップ法と併用したCAGE、MPSS, HiCEP等がある。",
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] |
相補的DNAは、mRNA から逆転写酵素を用いた逆転写反応によって合成された二本鎖 DNA。一般には「相補的」を意味する英語、complementary の頭文字をとって、cDNA と省略される。遺伝子の上でタンパク質に翻訳される領域の配列が開始コドンから終止コドンまで一続きに含まれているため、タンパク質の一次構造(アミノ酸配列)を解明する出発点として、また人工的にタンパク質を発現させる目的でも単離される。 ヒトを始めとする真核生物では、遺伝子はゲノム上にコードされているものの、多くはそこから転写された mRNA前駆体がスプライシングを受けてイントロンが除去されるまでは蛋白質に翻訳されない情報も含んでいる。
そこで、スプライシング済みの成熟mRNA から cDNA を合成すればイントロンを含まない状態の遺伝子(塩基配列)を知ることができることから、遺伝子のクローニングに広く利用されている。 また、mRNA はスプライシング以外にも RNAエディティングという加工が起こるため、対応するゲノムDNA と cDNA の比較を行うことによって、エディティングサイトの特定が可能となる。 cDNA合成を逆転写酵素によって行ったのち、 λファージベクターやプラスミドにクローニングし、cDNAライブラリーを作製。標識プロープや抗体などにより cDNA ライブラリーをスクリーニングして、特定遺伝子の cDNA を単離する。
PCR法により、既知の塩基配列の情報をもとに、特定配列を増幅する(RT-PCRという)。それを直接解析するか、プラスミド等にクローニングした後、解析を行う。この方法を工夫して、未知の 5'側配列、3'側配列を増幅するのに、RACE法(Rapid Amplification of cDNA end) と呼ばれる cDNA増幅法がある。
サブトラクション法などによって、未知であるが、遺伝子発現量に差がある cDNA のみを増幅し、それを単離する。 といった解析が行われる。
|
'''相補的DNA'''(そうほてきDNA、complementary DNA)は、[[伝令RNA|mRNA]] から[[逆転写酵素]]を用いた逆転写反応によって合成された二本鎖 [[デオキシリボ核酸|DNA]]。一般には「[[相補性 (分子生物学)|相補的]]」を意味する英語、complementary の頭文字をとって、'''cDNA''' と省略される。遺伝子の上でタンパク質に翻訳される領域の配列が開始コドンから終止コドンまで一続きに含まれているため、タンパク質の一次構造(アミノ酸配列)を解明する出発点として、また人工的にタンパク質を発現させる目的でも単離される。
ヒトを始めとする[[真核生物]]では、[[遺伝子]]は[[ゲノム]]上にコードされているものの、多くはそこから[[転写]]された [[mRNA前駆体]]が[[スプライシング]]を受けて[[イントロン]]が除去されるまでは[[蛋白質]]に翻訳されない情報も含んでいる。
そこで、スプライシング済みの成熟[[mRNA]] から cDNA を合成すればイントロンを含まない状態の遺伝子(塩基配列)を知ることができることから、遺伝子の[[クローニング]]に広く利用されている。
また、[[伝令RNA|mRNA]] はスプライシング以外にも [[RNAエディティング]]という加工が起こるため、対応する[[ゲノム]]DNA と cDNA の比較を行うことによって、エディティングサイトの特定が可能となる。
cDNA合成を逆転写酵素によって行ったのち、
# λ[[ファージベクター]]や[[プラスミド]]に[[クローニング]]し、[[cDNAライブラリー]]を作製。標識プロープや抗体などにより cDNA ライブラリーを[[スクリーニング (生物学)|スクリーニング]]して、特定遺伝子の cDNA を単離する。
# [[ポリメラーゼ連鎖反応|PCR]]法により、既知の塩基配列の情報をもとに、特定配列を増幅する([[逆転写ポリメラーゼ連鎖反応|RT-PCR]]という)。それを直接解析するか、[[プラスミド]]等にクローニングした後、解析を行う。この方法を工夫して、未知の 5'側配列、3'側配列を増幅するのに、RACE法(Rapid Amplification of cDNA end) と呼ばれる cDNA増幅法がある。
# [[サブトラクション]]法などによって、未知であるが、遺伝子発現量に差がある cDNA のみを増幅し、それを単離する。
といった解析が行われる。
==cDNAの合成法==
cDNA の合成には、(1) 全RNA(リボソームRNA、mRNAを含む)、または (2) polyA-RNA(mRNA)を鋳型とする方法がある。
また、[[逆転写酵素]]の反応開始には、RNA上に反応の開始となる[[プライマー (生物)|プライマー]]を[[ハイブリダイゼーション|アニール]]させ、3'から5’方向にcDNAを合成する必要がある。プライマーには、
# polyA構造を狙ったオリゴdTプライマーにより mRNA の 3'側から選択的に cDNA を作る。
# 既知の cDNA配列に特異的な遺伝子特異的なプライマーを用いる。
# ランダムプライマー(通常、6塩基から8塩基程度の長さのものが使われる)を用いて、mRNA のすべての領域から cDNA合成を開始させる。
といった方法がある。
cDNAの合成に用いられる逆転写酵素の種類としては、AMV(トリmyeloblastosisウイルス)、あるいは MoMuLV(モロニーマウス白血病ウイルス)由来の[[酵素]]が用いられることが多い。従来は、AMV由来の酵素が熱安定性が高かったため、mRNA の高次構造の存在を回避する手段として用いられていたが、近年、MoMuLV由来酵素の改良が進み、熱安定性の高い変異型酵素が市販されるようになったので、多くの研究者によって利用されている。なお、ある種の熱耐性型 DNAポリメラーゼ([[ポリメラーゼ連鎖反応|PCR]] に用いられる)には、RNA を鋳型としてDNAを合成する逆転写酵素活性を有するものがあり、それを利用する方法もある。
逆転写酵素反応は、mRNA が高次構造を取った場合に伸長しない。また、5'側から cDNA の相補鎖(mRNA と同じ方向をした DNA鎖)を作る際に、5'側にできるヘアピン構造を利用するため、本当の 5'末端が失われる。前者の解決法には、mRNA の熱変性や、上記に記載した高温度での逆転写反応が利用される。後者の解決法には、ピロリン酸ホスファターゼを利用した方法などがあり、[[理化学研究所]]の[[完全長cDNA塩基配列決定プロジェクト]]で利用されている cDNAライブラリーは、このような方法で作製されたものである。
==EST==
{{Main|発現配列タグ}}
'''EST''' とは expressed sequence tag の略であり、遺伝子転写産物 (RNA) の一部(普通5'末端か3'末端)に当たる短い配列で、転写産物の“目印”として使われる。cDNAライブラリーからランダムに多数のクローンを選び、それから簡単なシークエンシングによって長さ 500 - 800[[ヌクレオチド]]程度の配列を決定したものが EST であり、それらをまとめて[[データベース]]を作製し利用する。まとめる方法としては [[ESTクラスタリング]]という手法が用いられる。特定の遺伝子の解析から断片的な配列が判明した場合、ESTデータベースからそれに対応する EST を探索し、これを手がかりにして段階的に RNA 全体の配列を得ることができる。現在は[[ゲノムプロジェクト]]の補助的技術(あるいは ESTプロジェクト)として盛んに用いられている。また EST は [[DNAマイクロアレイ]]用のプローブとして用いることもできる。最近では初めから完全長cDNA(RNA全長に相当する cDNA)を得て解析する技術も進歩しつつあるが、EST は依然として遺伝子解析における有用な技術である。
==FANTOM==
Functional Annotation of Mouse for the RIKEN full-length cDNA clones
http://fantom.gsc.riken.jp/jp/
FANTOMは、理化学研究所のマウスゲノム百科事典プロジェクトで収集された完全長cDNAのアノテーション(機能注釈)を行うことを目的に、林崎良英博士が中心となり2000年に結成された国際研究コンソーシアムです。その役割はトランスクリプトーム解析の分野を軸に発展・拡大してきました。また、プロジェクトの研究対象は、ゲノムの転写産物という「要素」の理解から、転写制御ネットワークという「システム」つまり「生命体のシステム」の理解へ、より高次の階層に向けて着実に進められています。
==マイクロアレイ==
{{See|DNAマイクロアレイ}}
GeneChips
==SAGE==
遺伝子解析法 SAGE は(Serial Analysis of Gene Expression)から英語の[[頭字語]]をとった略称。遺伝子転写産物 (RNA) を逆転写した相補的DNA(cDNA)の一部(10-20bp)を識別用配列(5-10bp?)をはさんで直列に連結したものをDNAシーケンサーで読み取ることにより、多くの転写産物の発現量を調べることができる。相補的DNAの一部を網羅的にシーケンシングする手法としては、SAGE法を改良したSuperSAGE, オリゴキャップ法と併用したCAGE、MPSS, HiCEP等がある。
{{Main|SAGE法}}
==外部リンク==
[http://www.ncbi.nlm.nih.gov/books/bv.fcgi?rid=handbook.section.858 The NCBI Handbook, Part 3, Chapter 21]
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14,730 |
FET
|
FET
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FET 電界効果トランジスタ。 - 増幅作用を持つ半導体素子であるトランジスタの一種。他にバイポーラトランジスタがある。前者は電圧駆動型で後者は電流駆動型である。
電界放出ディスプレイの開発を進めていたエフ・イー・テクノロジーズ。
カーアクセサリー等を取り扱う株式会社エフイーティー。
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'''FET'''
* [[電界効果トランジスタ]] (Field effect transistor)。 - 増幅作用を持つ半導体素子であるトランジスタの一種。他に[[バイポーラトランジスタ]]がある。前者は電圧駆動型で後者は電流駆動型である。
* [[電界放出ディスプレイ]]の開発を進めていた[[エフ・イー・テクノロジーズ]]。
* カーアクセサリー等を取り扱う株式会社[[エフイーティー]]。
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14,732 |
門徒
|
門徒(もんと)とは、一門のともがらのことを指す呼び方である。ことに同じ門流に属して信仰を共にする人びとのことを言う。後には一寺に属する檀徒のことを言うこともある。 ことに浄土真宗の檀徒・信者を「門徒」と呼ぶことが一般的であり、他宗派の檀徒を門徒と呼ぶことは少ない。このことで、「浄土真宗」を門徒宗と呼ぶこともある。
○○地方の門徒を「○○門徒」と、地域単位で用いられる場合もある。(例...三河門徒・安芸門徒など)
中世の文献では、師匠となる僧に師事する弟子たちを指して門徒と呼ぶ用例が多い。弟子である門徒に対して師匠となる僧は「知識」と呼ばれた。知識と門徒は単に教える教えられるという以上に、社会的に認められた保護者と絶対的な従属者の関係にあった。初期の時宗では門徒は教祖一遍に身命を捧げることが求められ、門徒集団から離脱することは「阿弥陀如来の請願からも除外され地獄に落ちる」行為とされた。
門徒は知識と個別に従属するわけではなく、集団として宗門を構成した。浄土真宗では門徒の自立性が強く、その全体会議の決定は師匠の支配力を抑制しえるほどの機能を持っていた。戦国期の本願寺教団の門徒の大半は俗人であり、近世に広汎に見られる僧と門徒を棲み分ける寺檀関係はこの時期から発展した。
門徒になる人々には、自発的な信仰心の高まりから僧を志す者が多かったが、敗北した武士が助命の条件として出家する場合など、窮余の選択の結果として門徒となる者も少なからず見られる。
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"text": "中世の文献では、師匠となる僧に師事する弟子たちを指して門徒と呼ぶ用例が多い。弟子である門徒に対して師匠となる僧は「知識」と呼ばれた。知識と門徒は単に教える教えられるという以上に、社会的に認められた保護者と絶対的な従属者の関係にあった。初期の時宗では門徒は教祖一遍に身命を捧げることが求められ、門徒集団から離脱することは「阿弥陀如来の請願からも除外され地獄に落ちる」行為とされた。",
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"text": "門徒になる人々には、自発的な信仰心の高まりから僧を志す者が多かったが、敗北した武士が助命の条件として出家する場合など、窮余の選択の結果として門徒となる者も少なからず見られる。",
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] |
門徒(もんと)とは、一門のともがらのことを指す呼び方である。ことに同じ門流に属して信仰を共にする人びとのことを言う。後には一寺に属する檀徒のことを言うこともある。
ことに浄土真宗の檀徒・信者を「門徒」と呼ぶことが一般的であり、他宗派の檀徒を門徒と呼ぶことは少ない。このことで、「浄土真宗」を門徒宗と呼ぶこともある。 ○○地方の門徒を「○○門徒」と、地域単位で用いられる場合もある。(例…三河門徒・安芸門徒など) 親鸞の和讃(『高僧和讃』)…「門徒につねにみせしめき」
覚如の『報恩講式』…「恒に門徒に語りて曰く」
蓮如の『御文』(『御文章』)…「よく信心決定したまはば、その末末の門徒までも、ことごとく今度の一大事の往生をとぐべきなり」 中世の文献では、師匠となる僧に師事する弟子たちを指して門徒と呼ぶ用例が多い。弟子である門徒に対して師匠となる僧は「知識」と呼ばれた。知識と門徒は単に教える教えられるという以上に、社会的に認められた保護者と絶対的な従属者の関係にあった。初期の時宗では門徒は教祖一遍に身命を捧げることが求められ、門徒集団から離脱することは「阿弥陀如来の請願からも除外され地獄に落ちる」行為とされた。 門徒は知識と個別に従属するわけではなく、集団として宗門を構成した。浄土真宗では門徒の自立性が強く、その全体会議の決定は師匠の支配力を抑制しえるほどの機能を持っていた。戦国期の本願寺教団の門徒の大半は俗人であり、近世に広汎に見られる僧と門徒を棲み分ける寺檀関係はこの時期から発展した。 門徒になる人々には、自発的な信仰心の高まりから僧を志す者が多かったが、敗北した武士が助命の条件として出家する場合など、窮余の選択の結果として門徒となる者も少なからず見られる。
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'''門徒'''(もんと)とは、一門のともがらのことを指す呼び方である。ことに同じ門流に属して信仰を共にする人びとのことを言う。後には一寺に属する[[檀徒]]のことを言うこともある。
ことに[[浄土真宗]]の檀徒・信者を「門徒」と呼ぶことが一般的であり、他宗派の檀徒を門徒と呼ぶことは少ない。このことで、「浄土真宗」を[[門徒宗]]と呼ぶこともある。
○○地方の門徒を「○○門徒」と、地域単位で用いられる場合もある。(例…[[三河国|三河]]門徒・[[安芸国|安芸]]門徒など)
* [[親鸞]]の和讃(『''高僧和讃''』)…「門徒につねにみせしめき」
* [[覚如]]の『''報恩講式''』…「恒に門徒に語りて曰く」
* [[蓮如]]の『''[[御文]]''』(『''御文章''』)…「よく信心決定したまはば、その末末の門徒までも、ことごとく今度の一大事の往生をとぐべきなり」
中世の文献では、師匠となる[[僧侶|僧]]に師事する弟子たちを指して門徒と呼ぶ用例が多い。弟子である門徒に対して師匠となる僧は「[[知識 (仏教)|知識]]」と呼ばれた。知識と門徒は単に教える教えられるという以上に、社会的に認められた保護者と絶対的な従属者の関係にあった。初期の[[時宗]]では門徒は教祖[[一遍]]に身命を捧げることが求められ、門徒集団から離脱することは「阿弥陀如来の請願からも除外され地獄に落ちる」行為とされた{{sfn|神田|2006|pp=43-50}}。
門徒は知識と個別に従属するわけではなく、集団として宗門を構成した。浄土真宗では門徒の自立性が強く、その全体会議の決定は師匠の支配力を抑制しえるほどの機能を持っていた{{sfn|神田|2006|pp=43-50}}。戦国期の[[浄土真宗本願寺派|本願寺教団]]の門徒の大半は俗人であり、近世に広汎に見られる僧と門徒を棲み分ける寺檀関係はこの時期から発展した。
門徒になる人々には、自発的な信仰心の高まりから僧を志す者が多かったが、敗北した武士が助命の条件として出家する場合など、窮余の選択の結果として門徒となる者も少なからず見られる{{sfn|神田|2006|pp=43-50}}。
== 脚注 ==
{{Reflist}}
== 参考文献 ==
* {{Cite book ja-jp|和書 |author = [[神田千里]] |title = 結衆・結社の日本史 |year = 2006 |chapter = 門徒と道場 |series = 結社の世界史 |publisher = 山川出版社 |editor = [[福田アジオ]] |isbn = 4634444100 |ref = harv }}
== 関連項目 ==
*[[門徒物知らず]]
*[[一向一揆]]
{{Buddhism2}}
{{DEFAULTSORT:もんと}}
[[Category:真宗関連の人物]]
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2018-08-22T12:31:22Z
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%96%80%E5%BE%92
|
14,733 |
スンナ派
|
スンナ派(アラビア語: أهل السنة (والجماعة) 、ラテン文字転写:Ahl as-Sunnah (wa’l-Jamā‘ah))、あるいはスンニ派は、イスラム教(イスラーム)の二大宗派のひとつとされる。他のひとつはシーア派である。イスラームの各宗派間では、最大の勢力、多数派を形成する。2009年のピュー研究所の調査では、世界のイスラム教徒15億7000万人のうち、スンナ派の信者は87%から90%を占め、約14億人ほどの信徒を持つとされる。
アラビア語では教義的に「スンナとジャマーアの徒」 أهل السنة و الجماعة Ahl al-Sunnah wa al-Jamā‘ah (または単に「スンナの徒」 أهل السنة Ahl al-Sunnah)というが、「預言者ムハンマドの時代から積み重ねられた『慣行』(al-Sunnah スンナ)および正統なる『(イスラーム)共同体』(al-Jamā‘ah ジャマーア)に従う・護持する人々」というほどの意味で、アラビア語ではさらにこれを略して「スンナに従う人」を意味する「スンニー( سني Sunnī)」とも呼ばれる。「スンニー」の音写をそのまま遣う他言語からの影響により、日本語ではスンニ派の使用も多い。
日本語訳では「派」と表記されるが、分派や宗派という意味合いがある訳ではない。預言者ムハンマド没後の初期イスラーム時代、ハワーリジュ派やシーア派などの分派活動に対して、イスラーム共同体の団結と共同体におけるコンセンサス形成を重視し、結果多数派を形成するに至ったものである。「スンナとジャマーア」という語彙が示す通り、この名称は預言者ムハンマドに由来する慣行(スンナ)と同じく預言者ムハンマド以来の共同体(ジャマーア)こそがイスラーム共同体の「最大公約数」であり、かつまたそうあるべきである、との認識に基づいた呼称(自称)である。
ハワーリジュ派とのあるいはシーア派との抗争の例に見られるように、これらの自称他称はイスラーム共同体の「あり方」に関わる問題であって、イスラームの宗教的根幹である神の唯一性(タウヒード)や聖典『クルアーン』そのものといった信仰箇条については、スンナ派やシーア派等では目立った相違はない。
なお、ハディースの権威そのものを否定する流れとしては、クルアーン主義という思想も存在する。
スンナ派はほとんどのイスラム教国において圧倒的多数派を占めており、シーア派が多数を占めるのはイラン・アゼルバイジャン・バーレーン・イラクの4カ国のみである。また、この4カ国でも、イランを除く3カ国には3割程度のスンナ派住民が存在する。
第三代正統カリフであるウスマーン・イブン・アッファーンが656年に暗殺されると、第四代カリフであるアリー・イブン=アビー=ターリブと、ウスマーンを出したウマイヤ家のムアーウィヤが激しく対立した。この過程で、預言者の後継者(ハリーファ(カリフ))を誰にするかという問題において、ムハンマドの従兄弟かつ娘婿であるアリーとその子孫のみがイマームとして後継者の権利を持つと主張した一派がシーア・アリー(「アリーの党派」の意。この党派は後に略されて「シーア」、すなわちシーア派となる))として分離した。これに対し、大多数のムスリムはムアーウィヤのカリフ就任を認め、ウマイヤ朝の成立も容認した。この派閥がスンナ派の起源である。スンナ派はシーア派と異なり、アブー・バクル、ウマル、ウスマーンのアリーに先立つ三人のカリフをも正統カリフとして認めた。
スンナ派は、イマームの指導を重視するシーア派に対して、預言者の言行(ハディース)を通じてスンナの解釈を行うことで預言者の意思を体現しようとする。さらにイスラーム法学者の議論を通じて、コーラン(クルアーン)、慣行(スンナ)、合意(イジュマー)、類推(キヤース)の四つの方法を四法源として重視するに至った。イスラム共同体(ウンマ)の間の「合意」を重視する点がシーア派と比較した場合のスンナ派の大きな特徴である。四法源から導き出されたスンナ派のイスラム法学は法源の扱い方の違い、解釈の違いによってさらに四つのイスラム法学派(ハナフィー学派・シャーフィイー学派・マーリク学派・ハンバル学派)に分かれている。これらの法学派は10世紀頃までには成立した。スンナ派の信徒はいずれかの法学派に属し、それによって生活を律する。この4学派はいずれも正統なものとして認められている。また、神学的にはアシュアリー派とマートゥリーディー派で述べられる信仰箇条をイスラームの正統的信条とする(ただし、ワッハーブ派ではこの二派は異端とされる)。
歴史的に見て、イスラム世界の中心部に興亡したイスラム王朝はウマイヤ朝・アッバース朝を始めとして多くがスンナ派に属する。上記のように、イスラーム最初の世襲王朝であるウマイヤ朝は成立の経緯からしてスンナ派であった。やがてウマイヤ朝に対する不満が高まると、アッバース家がシーア派の力を借りて750年にアッバース革命を起こしアッバース朝を成立させたものの、建国後アッバース朝はシーア派と敵対し、スンナ派が主流を占める状況は変わらなかった。やがてアッバース朝の力が衰えると各地方に王朝が分立するようになり、946年にはそのひとつであるシーア派のブワイフ朝がバグダッドに入城し、スンナ派であるアッバース朝のカリフから統治の実権を奪ったものの、カリフそのものは残存した。この時期には北アフリカ・エジプトに同じくシーア派のファーティマ朝も存在していた。1055年にはスンナ派のセルジューク朝がブワイフ朝を逐ってバグダッドに入ったものの、カリフに実権は戻らなかった。やがて1258年にはモンゴル帝国によってアッバース朝が滅ぼされるものの、1261年にはカイロのマムルーク朝のもとでアッバース朝のスンナ派カリフが新たに即位し、実権はないものの1517年にマムルーク朝がオスマン朝に滅ぼされるまで続いた。その後もサファヴィー朝のようなシーア派を奉ずる強大な王朝が興ると対抗して・オスマン朝の中でスンナ派擁護の動きが強くなることもあった。
スンナ派イスラームの拡大においては、イスラーム神秘主義者(スーフィー)の力が大きいと言われる。北アフリカ(マグリブ)では聖者崇拝が盛んであるし、トルコや中央アジアでは革命により公的に禁止されたものの歴史的には神秘主義教団(タリーカ)が大いに栄えた。エジプトやインド・パキスタンでは現在もタリーカが社会的に強い影響力を持つ。同地域では聖人崇敬や聖廟も見られるが、他学派からは偶像崇拝とみなされる傾向が強いため、シーア派に比べると少数に留まる。
このようにして広範な地域に広がったスンナ派は、スンナ派と一口に言っても、例えば東南アジアの国インドネシア・ジャワ島のスンナ派と中央アジアの国ウズベキスタンのスンナ派と、西アフリカの国マリ共和国のスンナ派の間で実態に違いが見られる。ジャワにはジャワ神秘主義があるし、ドゥクンと呼ばれる一種の黒魔術師すら認められる。シーア派が教理によって多様化したのと異なり、多様な地域に根付き土着化したことで多様な宗派を形成するようになった。
しかし、歴史的にスンナ派内部では、自らの多様性に対し、預言者の時代を見習い(見直し)、“退廃した”社会をただそう、より“正しい”社会になろう、という復古改革運動がしばしば見られる。 特に近代に至ってサウジアラビアでワッハーブ派の改革運動が生まれ、その影響を受けてコーラン・スンナの規定を厳格に適用することで多様性・土俗性を廃そうとするイスラム原理主義と通称される初期イスラーム復古運動へとスンナ派ムスリムの一部は現在も進みつつある。 特に近代のスンナ派の復古運動は時に反帝国主義・反共産主義・反ユダヤ主義・反米などの意識と結びつき、無視できない潮流となっている。
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"text": "スンナ派(アラビア語: أهل السنة (والجماعة) 、ラテン文字転写:Ahl as-Sunnah (wa’l-Jamā‘ah))、あるいはスンニ派は、イスラム教(イスラーム)の二大宗派のひとつとされる。他のひとつはシーア派である。イスラームの各宗派間では、最大の勢力、多数派を形成する。2009年のピュー研究所の調査では、世界のイスラム教徒15億7000万人のうち、スンナ派の信者は87%から90%を占め、約14億人ほどの信徒を持つとされる。",
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"text": "アラビア語では教義的に「スンナとジャマーアの徒」 أهل السنة و الجماعة Ahl al-Sunnah wa al-Jamā‘ah (または単に「スンナの徒」 أهل السنة Ahl al-Sunnah)というが、「預言者ムハンマドの時代から積み重ねられた『慣行』(al-Sunnah スンナ)および正統なる『(イスラーム)共同体』(al-Jamā‘ah ジャマーア)に従う・護持する人々」というほどの意味で、アラビア語ではさらにこれを略して「スンナに従う人」を意味する「スンニー( سني Sunnī)」とも呼ばれる。「スンニー」の音写をそのまま遣う他言語からの影響により、日本語ではスンニ派の使用も多い。",
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"text": "日本語訳では「派」と表記されるが、分派や宗派という意味合いがある訳ではない。預言者ムハンマド没後の初期イスラーム時代、ハワーリジュ派やシーア派などの分派活動に対して、イスラーム共同体の団結と共同体におけるコンセンサス形成を重視し、結果多数派を形成するに至ったものである。「スンナとジャマーア」という語彙が示す通り、この名称は預言者ムハンマドに由来する慣行(スンナ)と同じく預言者ムハンマド以来の共同体(ジャマーア)こそがイスラーム共同体の「最大公約数」であり、かつまたそうあるべきである、との認識に基づいた呼称(自称)である。",
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"text": "ハワーリジュ派とのあるいはシーア派との抗争の例に見られるように、これらの自称他称はイスラーム共同体の「あり方」に関わる問題であって、イスラームの宗教的根幹である神の唯一性(タウヒード)や聖典『クルアーン』そのものといった信仰箇条については、スンナ派やシーア派等では目立った相違はない。",
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"text": "スンナ派はほとんどのイスラム教国において圧倒的多数派を占めており、シーア派が多数を占めるのはイラン・アゼルバイジャン・バーレーン・イラクの4カ国のみである。また、この4カ国でも、イランを除く3カ国には3割程度のスンナ派住民が存在する。",
"title": "現況"
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"text": "第三代正統カリフであるウスマーン・イブン・アッファーンが656年に暗殺されると、第四代カリフであるアリー・イブン=アビー=ターリブと、ウスマーンを出したウマイヤ家のムアーウィヤが激しく対立した。この過程で、預言者の後継者(ハリーファ(カリフ))を誰にするかという問題において、ムハンマドの従兄弟かつ娘婿であるアリーとその子孫のみがイマームとして後継者の権利を持つと主張した一派がシーア・アリー(「アリーの党派」の意。この党派は後に略されて「シーア」、すなわちシーア派となる))として分離した。これに対し、大多数のムスリムはムアーウィヤのカリフ就任を認め、ウマイヤ朝の成立も容認した。この派閥がスンナ派の起源である。スンナ派はシーア派と異なり、アブー・バクル、ウマル、ウスマーンのアリーに先立つ三人のカリフをも正統カリフとして認めた。",
"title": "起源"
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{
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"text": "スンナ派は、イマームの指導を重視するシーア派に対して、預言者の言行(ハディース)を通じてスンナの解釈を行うことで預言者の意思を体現しようとする。さらにイスラーム法学者の議論を通じて、コーラン(クルアーン)、慣行(スンナ)、合意(イジュマー)、類推(キヤース)の四つの方法を四法源として重視するに至った。イスラム共同体(ウンマ)の間の「合意」を重視する点がシーア派と比較した場合のスンナ派の大きな特徴である。四法源から導き出されたスンナ派のイスラム法学は法源の扱い方の違い、解釈の違いによってさらに四つのイスラム法学派(ハナフィー学派・シャーフィイー学派・マーリク学派・ハンバル学派)に分かれている。これらの法学派は10世紀頃までには成立した。スンナ派の信徒はいずれかの法学派に属し、それによって生活を律する。この4学派はいずれも正統なものとして認められている。また、神学的にはアシュアリー派とマートゥリーディー派で述べられる信仰箇条をイスラームの正統的信条とする(ただし、ワッハーブ派ではこの二派は異端とされる)。",
"title": "四法源"
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"text": "歴史的に見て、イスラム世界の中心部に興亡したイスラム王朝はウマイヤ朝・アッバース朝を始めとして多くがスンナ派に属する。上記のように、イスラーム最初の世襲王朝であるウマイヤ朝は成立の経緯からしてスンナ派であった。やがてウマイヤ朝に対する不満が高まると、アッバース家がシーア派の力を借りて750年にアッバース革命を起こしアッバース朝を成立させたものの、建国後アッバース朝はシーア派と敵対し、スンナ派が主流を占める状況は変わらなかった。やがてアッバース朝の力が衰えると各地方に王朝が分立するようになり、946年にはそのひとつであるシーア派のブワイフ朝がバグダッドに入城し、スンナ派であるアッバース朝のカリフから統治の実権を奪ったものの、カリフそのものは残存した。この時期には北アフリカ・エジプトに同じくシーア派のファーティマ朝も存在していた。1055年にはスンナ派のセルジューク朝がブワイフ朝を逐ってバグダッドに入ったものの、カリフに実権は戻らなかった。やがて1258年にはモンゴル帝国によってアッバース朝が滅ぼされるものの、1261年にはカイロのマムルーク朝のもとでアッバース朝のスンナ派カリフが新たに即位し、実権はないものの1517年にマムルーク朝がオスマン朝に滅ぼされるまで続いた。その後もサファヴィー朝のようなシーア派を奉ずる強大な王朝が興ると対抗して・オスマン朝の中でスンナ派擁護の動きが強くなることもあった。",
"title": "王朝"
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{
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"text": "スンナ派イスラームの拡大においては、イスラーム神秘主義者(スーフィー)の力が大きいと言われる。北アフリカ(マグリブ)では聖者崇拝が盛んであるし、トルコや中央アジアでは革命により公的に禁止されたものの歴史的には神秘主義教団(タリーカ)が大いに栄えた。エジプトやインド・パキスタンでは現在もタリーカが社会的に強い影響力を持つ。同地域では聖人崇敬や聖廟も見られるが、他学派からは偶像崇拝とみなされる傾向が強いため、シーア派に比べると少数に留まる。",
"title": "神秘主義"
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"text": "このようにして広範な地域に広がったスンナ派は、スンナ派と一口に言っても、例えば東南アジアの国インドネシア・ジャワ島のスンナ派と中央アジアの国ウズベキスタンのスンナ派と、西アフリカの国マリ共和国のスンナ派の間で実態に違いが見られる。ジャワにはジャワ神秘主義があるし、ドゥクンと呼ばれる一種の黒魔術師すら認められる。シーア派が教理によって多様化したのと異なり、多様な地域に根付き土着化したことで多様な宗派を形成するようになった。",
"title": "各地における土着化"
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"text": "しかし、歴史的にスンナ派内部では、自らの多様性に対し、預言者の時代を見習い(見直し)、“退廃した”社会をただそう、より“正しい”社会になろう、という復古改革運動がしばしば見られる。 特に近代に至ってサウジアラビアでワッハーブ派の改革運動が生まれ、その影響を受けてコーラン・スンナの規定を厳格に適用することで多様性・土俗性を廃そうとするイスラム原理主義と通称される初期イスラーム復古運動へとスンナ派ムスリムの一部は現在も進みつつある。 特に近代のスンナ派の復古運動は時に反帝国主義・反共産主義・反ユダヤ主義・反米などの意識と結びつき、無視できない潮流となっている。",
"title": "各地における土着化"
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スンナ派、あるいはスンニ派は、イスラム教(イスラーム)の二大宗派のひとつとされる。他のひとつはシーア派である。イスラームの各宗派間では、最大の勢力、多数派を形成する。2009年のピュー研究所の調査では、世界のイスラム教徒15億7000万人のうち、スンナ派の信者は87%から90%を占め、約14億人ほどの信徒を持つとされる。
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[[ファイル:Ahlul Sunnah.png|thumbnail|253x253ピクセル]]
{{Islam}}
'''スンナ派'''({{lang-ar|أهل السنة (والجماعة)}} 、[[ラテン文字転写]]:Ahl as-Sunnah (wa’l-Jamā‘ah))、あるいは'''スンニ派'''は、[[イスラム教]]の二大[[宗派]]のひとつとされる。他のひとつは[[シーア派]]である。イスラームの各宗派間では、最大の勢力、多数派を形成する。[[2009年]]の[[ピュー研究所]]の調査では、世界のイスラム教徒15億7000万人のうち、スンナ派の信者は87%から90%を占め<ref name="Pew">{{Cite web|url= https://www.pewforum.org/2009/10/07/mapping-the-global-muslim-population/ |title= Mapping the Global Muslim Population |publisher= Pew Research Center |date= 2009-10-07 |accessdate= 2021-02-27 }}</ref>、約14億人ほどの信徒を持つとされる。
== 名称 ==
アラビア語では教義的に「スンナとジャマーアの徒」{{sfn|イスラームの歴史1|p=121}} {{lang|ar|أهل السنة و الجماعة}} Ahl al-Sunnah wa al-Jamā‘ah (または単に「スンナの徒」 {{lang|ar|أهل السنة}} Ahl al-Sunnah)というが、「[[預言者]][[ムハンマド・イブン=アブドゥッラーフ|ムハンマド]]の時代から積み重ねられた『慣行』(al-Sunnah [[スンナ]])および正統なる『[[イスラム共同体|(イスラーム)共同体]]』(al-Jamā‘ah ジャマーア)に従う・護持する人々」というほどの意味で、[[アラビア語]]ではさらにこれを略して「スンナに従う人」を意味する「スンニー( {{lang|ar|'''سني'''}} Sunnī)」{{Refnest|group="注"|「スンニー」はアラビア語で範例を意味する語「スンナ」の形容詞形<ref>[[鎌田繁]]「[https://kotobank.jp/word/%E3%82%B9%E3%83%B3%E3%83%8B%E3%83%BC%E6%B4%BE-85436#E6.97.A5.E6.9C.AC.E5.A4.A7.E7.99.BE.E7.A7.91.E5.85.A8.E6.9B.B8.28.E3.83.8B.E3.83.83.E3.83.9D.E3.83.8B.E3.82.AB.29 スンニー派]」『[[日本大百科全書]](ニッポニカ)』[[小学館]]、[[コトバンク]]</ref>。}}とも呼ばれる。「スンニー」の音写をそのまま遣う他言語からの影響により、日本語では'''スンニ派'''の使用も多い。
日本語訳では「派」と表記されるが、分派や宗派という意味合いがある訳ではない。預言者ムハンマド没後の初期イスラーム時代、[[ハワーリジュ派]]や[[シーア派]]などの分派活動に対して、イスラーム共同体の団結と共同体におけるコンセンサス形成を重視し、結果多数派を形成するに至ったものである。「スンナとジャマーア」という語彙が示す通り、この名称は預言者ムハンマドに由来する慣行(スンナ)と同じく預言者ムハンマド以来の共同体(ジャマーア)こそがイスラーム共同体の「最大公約数」であり、かつまたそうあるべきである、との認識に基づいた呼称(自称)である。
ハワーリジュ派とのあるいはシーア派との抗争の例に見られるように、これらの自称他称はイスラーム共同体の「あり方」に関わる問題であって、イスラームの宗教的根幹である神の唯一性([[タウヒード]])や聖典『[[クルアーン]]』そのものといった信仰箇条については、スンナ派やシーア派等では目立った相違はない<ref>[[小杉泰]]「スンナ派」『岩波イスラーム辞典』[[岩波書店]]、2002年、p500</ref>。
なお、ハディースの権威そのものを否定する流れとしては、[[クルアーン主義]]という思想も存在する。
== 現況 ==
スンナ派はほとんどのイスラム教国において圧倒的多数派を占めており、シーア派が多数を占めるのは[[イラン]]・[[アゼルバイジャン]]・[[バーレーン]]・[[イラク]]の4カ国のみである<ref name="Pew"/>。また、この4カ国でも、イランを除く3カ国には3割程度のスンナ派住民が存在する。
== 起源 ==
第三代[[正統カリフ]]である[[ウスマーン・イブン・アッファーン]]が[[656年]]に暗殺されると、第四代カリフである[[アリー・イブン=アビー=ターリブ]]と、ウスマーンを出した[[ウマイヤ家]]の[[ムアーウィヤ]]が激しく対立した。この過程で、預言者の後継者(ハリーファ([[カリフ]]))を誰にするかという問題において、ムハンマドの従兄弟かつ娘婿であるアリーとその子孫のみが[[イマーム]]として後継者の権利を持つと主張した一派がシーア・アリー(「アリーの党派」の意。この党派は後に略されて「シーア」、すなわち[[シーア派]]となる))として分離した。これに対し、大多数の[[ムスリム]]はムアーウィヤの[[カリフ]]就任を認め、[[ウマイヤ朝]]の成立も容認した。この派閥がスンナ派の起源である{{sfn|イスラームの歴史1|p=122}}。スンナ派はシーア派と異なり、[[アブー・バクル]]、[[ウマル・イブン・ハッターブ|ウマル]]、[[ウスマーン・イブン・アッファーン|ウスマーン]]のアリーに先立つ三人の[[カリフ]]をも[[正統カリフ]]として認めた。
== 四法源 ==
スンナ派は、イマームの指導を重視するシーア派に対して、預言者の言行([[ハディース]])を通じてスンナの解釈を行うことで預言者の意思を体現しようとする。さらに[[イスラーム法学者]]の議論を通じて、コーラン([[クルアーン]])、慣行(スンナ)、合意(イジュマー)、類推(キヤース)の四つの方法を四法源として重視するに至った。[[イスラム共同体]]([[ウンマ (イスラム)|ウンマ]])の間の「合意」を重視する点がシーア派と比較した場合のスンナ派の大きな特徴である。四法源から導き出されたスンナ派の[[イスラム法学]]は法源の扱い方の違い、解釈の違いによってさらに四つの[[イスラム法学派]]([[ハナフィー学派]]・[[シャーフィイー学派]]・[[マーリク学派]]・[[ハンバル学派]])に分かれている。これらの法学派は10世紀頃までには成立した{{sfn|イスラームの歴史1|p=110}}。スンナ派の信徒はいずれかの法学派に属し、それによって生活を律する。この4学派はいずれも正統なものとして認められている。また、神学的には[[アシュアリー派]]と[[マートゥリーディー派]]で述べられる信仰箇条をイスラームの正統的信条とする(ただし、ワッハーブ派ではこの二派は異端とされる)。
== 王朝 ==
歴史的に見て、[[イスラム世界]]の中心部に興亡した[[イスラム王朝]]は[[ウマイヤ朝]]・[[アッバース朝]]を始めとして多くがスンナ派に属する。上記のように、イスラーム最初の世襲王朝であるウマイヤ朝は成立の経緯からしてスンナ派であった。やがてウマイヤ朝に対する不満が高まると、アッバース家がシーア派の力を借りて[[750年]]に[[アッバース革命]]を起こしアッバース朝を成立させたものの、建国後アッバース朝はシーア派と敵対し、スンナ派が主流を占める状況は変わらなかった{{sfn|イスラームの歴史1|pp=125-126}}。やがてアッバース朝の力が衰えると各地方に王朝が分立するようになり、946年にはそのひとつであるシーア派の[[ブワイフ朝]]が[[バグダッド]]に入城し、スンナ派であるアッバース朝のカリフから統治の実権を奪ったものの、カリフそのものは残存した{{sfn|イスラームの歴史1|p=140}}。この時期には北アフリカ・エジプトに同じくシーア派の[[ファーティマ朝]]も存在していた。[[1055年]]にはスンナ派の[[セルジューク朝]]がブワイフ朝を逐ってバグダッドに入ったものの、カリフに実権は戻らなかった。やがて[[1258年]]には[[モンゴル帝国]]によってアッバース朝が滅ぼされるものの{{sfn|イスラームの歴史1|pp=144-145}}、[[1261年]]には[[カイロ]]の[[マムルーク朝]]のもとでアッバース朝のスンナ派カリフが新たに即位し、実権はないものの[[1517年]]にマムルーク朝がオスマン朝に滅ぼされるまで続いた{{sfn|イスラームの歴史1|pp=148-149}}。その後も[[サファヴィー朝]]のような[[シーア派]]を奉ずる強大な王朝が興ると対抗して・[[オスマン帝国|オスマン朝]]の中でスンナ派擁護の動きが強くなることもあった。
== 神秘主義 ==
スンナ派イスラームの拡大においては、イスラーム神秘主義者([[スーフィー]])の力が大きいと言われる。[[北アフリカ]]([[マグリブ]])では聖者崇拝が盛んであるし、[[トルコ]]や[[中央アジア]]では革命により公的に禁止されたものの歴史的には神秘主義教団([[タリーカ]])が大いに栄えた。[[エジプト]]や[[インド]]・[[パキスタン]]では現在もタリーカが社会的に強い影響力を持つ。同地域では[[聖人]]崇敬や[[聖廟]]も見られるが、他学派からは偶像崇拝とみなされる傾向が強いため、シーア派に比べると少数に留まる。
== 各地における土着化 ==
このようにして広範な地域に広がったスンナ派は、スンナ派と一口に言っても、例えば[[東南アジア]]の国[[インドネシア]]・[[ジャワ島]]のスンナ派と中央アジアの国[[ウズベキスタン]]のスンナ派と、[[西アフリカ]]の国[[マリ共和国]]のスンナ派の間で実態に違いが見られる。ジャワにはジャワ[[神秘主義]]があるし、ドゥクンと呼ばれる一種の[[黒魔術師]]すら認められる。シーア派が教理によって多様化したのと異なり、多様な地域に根付き土着化したことで多様な宗派を形成するようになった。
=== 復古改革運動 ===
しかし、歴史的にスンナ派内部では、自らの多様性に対し、預言者の時代を見習い(見直し)、“退廃した”社会をただそう、より“正しい”社会になろう、という復古改革運動がしばしば見られる。
特に[[近代]]に至って[[サウジアラビア]]で[[ワッハーブ派]]の改革運動が生まれ、その影響を受けてコーラン・スンナの規定を厳格に適用することで多様性・土俗性を廃そうとする[[イスラム原理主義]]と通称される初期イスラーム復古運動へとスンナ派[[ムスリム]]の一部は現在も進みつつある。
特に近代のスンナ派の復古運動は時に[[反帝国主義]]・[[反共産主義]]・[[反ユダヤ主義]]・[[反米]]などの意識と結びつき、無視できない潮流となっている。
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Reflist|group="注"}}
=== 出典 ===
{{Reflist}}
== 参考文献 ==
* {{Cite book|和書
|author = 佐藤次高編
|year = 2010-06-10
|title = イスラームの歴史1 イスラームの創始と展開
|series = 宗教の世界史11
|publisher = [[山川出版社]]
|isbn = 4-403-61051-X
|ref = {{SfnRef|イスラームの歴史1}}
}}
==関連項目==
{{ウィキポータルリンク|イスラーム|[[画像:P islam.svg|34px|Portal:イスラーム]]}}
* [[シーア派]]
* [[サラフィー主義]]
*[[クルアーン主義]]
== 外部リンク ==
* {{Kotobank}}
{{Normdaten}}
{{DEFAULTSORT:すんなは}}
[[Category:スンナ派|*]]
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2003-09-02T02:33:52Z
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2023-12-31T11:02:28Z
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%B3%E3%83%8A%E6%B4%BE
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14,734 |
中国地方の道路一覧
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中国地方の道路一覧(ちゅうごくちほうのどうろいちらん)は、中国地方の道路を中国地方内の地域別に分けた一覧である。
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中国地方の道路一覧(ちゅうごくちほうのどうろいちらん)は、中国地方の道路を中国地方内の地域別に分けた一覧である。
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'''中国地方の道路一覧'''(ちゅうごくちほうのどうろいちらん)は、[[中国地方]]の[[道路]]を中国地方内の地域別に分けた一覧である。
== 解説 ==
*「超広域」とは、その地域を走り、なおかつ他の地域にまたがって走る道路である。<!-- 詳細は、その地域を含んだ親の地域の「広域」に同じ道路名を見つけることが出来る。-->
*「広域」とは、その地域内の複数の部分にまたがった道路である。地域内で完結している。
*「未区分」は、地域内の区分が編集されていないものである。判明した場合は対応の地域へ移動すること。
== 超広域 ==
* {{Ja Exp Route Sign|E2A}} [[中国自動車道]]([[吹田ジャンクション|吹田JCT]] - [[下関インターチェンジ|下関IC]])
* {{Ja Exp Route Sign|E2}} [[山陽自動車道]]([[神戸ジャンクション|神戸JCT]] - [[山口ジャンクション|山口JCT]]、[[宇部ジャンクション|宇部JCT]] - [[下関ジャンクション|下関JCT]]、[[倉敷ジャンクション|倉敷JCT]] - [[早島インターチェンジ|早島IC]])
* {{Ja Exp Route Sign|E29}} [[鳥取自動車道]]([[西粟倉インターチェンジ|西粟倉IC]] - [[坂根インターチェンジ|坂根IC]]、[[駒帰インターチェンジ|駒帰IC]] - [[智頭南インターチェンジ|智頭南IC]])
* {{Ja Exp Route Sign|E30}} [[瀬戸中央自動車道]](早島IC - [[坂出インターチェンジ|坂出IC]])
* {{Ja Exp Route Sign|E76}} [[西瀬戸自動車道]]([[西瀬戸尾道インターチェンジ|西瀬戸尾道IC]] - [[今治インターチェンジ|今治IC]])
* {{Ja Exp Route Sign|E2A}} [[関門橋]](下関IC - [[門司インターチェンジ|門司IC]])
* [[国道2号]]([[大阪府]][[大阪市]] - [[福岡県]][[北九州市]])
* [[国道9号]]([[京都府]][[京都市]] - [[山口県]][[下関市]])
* [[国道29号]]([[兵庫県]][[姫路市]] - [[鳥取県]][[鳥取市]])
* [[国道30号]]([[岡山県]][[岡山市]] - [[香川県]][[高松市]])
* [[国道178号]](京都府[[舞鶴市]] - 鳥取県[[岩美郡]][[岩美町]])
* [[国道179号]](兵庫県姫路市 - 鳥取県[[東伯郡]][[湯梨浜町]])
* [[国道250号]](兵庫県[[神戸市]] - 岡山県岡山市)
* [[国道317号]]([[愛媛県]][[松山市]] - [[広島県]][[尾道市]])
* [[国道373号]](兵庫県[[赤穂市]] - 鳥取県鳥取市)
* [[国道429号]](岡山県[[倉敷市]] - 京都府[[福知山市]])
* [[国道436号]](兵庫県姫路市 - 香川県高松市)
* [[国道437号]](愛媛県松山市 - 山口県[[岩国市]])
* [[国道482号]](京都府[[宮津市]] - 鳥取県[[米子市]])
== 広域 ==
* {{Ja Exp Route Sign|E73}} [[岡山自動車道]]([[岡山ジャンクション|岡山JCT]] - [[北房ジャンクション|北房JCT]])
*[[北条湯原道路]]([[北条インターチェンジ|北条IC]] - [[倉吉西インターチェンジ|倉吉西IC]])
* {{Ja Exp Route Sign|E73}} [[米子自動車道]]([[落合ジャンクション|落合JCT]] - [[米子ジャンクション|米子JCT]])
*[[江府三次道路]]
* {{Ja Exp Route Sign|E54}} [[松江自動車道]]([[三次東ジャンクション|三次東JCT]] - [[宍道ジャンクション|宍道JCT]])
* {{Ja Exp Route Sign|E74}} [[広島自動車道]]([[広島ジャンクション|広島JCT]] - [[広島北ジャンクション|広島北JCT]])
* {{Ja Exp Route Sign|E74}} [[浜田自動車道]]([[千代田ジャンクション|千代田JCT]] - [[浜田インターチェンジ|浜田IC]])
* {{Ja Exp Route Sign|E9}}/{{Ja Exp Route Sign|E74}} [[山陰自動車道]]([[青谷インターチェンジ|青谷IC]] - [[はわいインターチェンジ|はわいIC]]、[[大栄東伯インターチェンジ|大栄東伯IC]] - [[赤碕中山インターチェンジ|赤碕中山IC]]、[[名和インターチェンジ|名和IC]] - [[出雲インターチェンジ|出雲IC]]、[[江津インターチェンジ|江津IC]] - [[原井インターチェンジ|原井IC]]、[[遠田インターチェンジ|遠田IC]] - [[久城インターチェンジ|久城IC]]、[[高津インターチェンジ|高津IC]] - [[須子インターチェンジ|須子IC]]、[[萩インターチェンジ|萩IC]] - [[三隅インターチェンジ|三隅IC]])
* [[中国横断自動車道]]
* [[岩国・大竹道路]]
* [[国道53号]](岡山県岡山市 - 鳥取県鳥取市)
* [[国道54号]](広島県広島市 - 島根県松江市)
* [[国道180号]](岡山県岡山市 - 島根県松江市)
* [[国道181号]](岡山県津山市 - 鳥取県米子市)
* [[国道182号]](岡山県新見市 - 広島県福山市)
* [[国道183号]](広島県広島市 - 鳥取県米子市)
* [[国道184号]](島根県出雲市 - 広島県尾道市)
* [[国道186号]](島根県江津市 - 広島県大竹市)
* [[国道187号]](山口県岩国市 - 島根県益田市)
* [[国道191号]](山口県下関市 - 広島県広島市)
* [[国道261号]](広島県広島市 - 島根県江津市)
* [[国道313号]](広島県福山市 - 鳥取県東伯郡北栄町)
* [[国道314号]](広島県福山市 - 島根県雲南市)
* [[国道375号]](広島県呉市 - 島根県大田市)
* [[国道431号]](島根県出雲市 - 鳥取県米子市)
* [[国道432号]](広島県竹原市 - 島根県松江市)
* [[国道434号]](山口県周南市 - 広島県三次市)
* [[国道486号]](岡山県総社市 - 広島県東広島市)
* [[国道488号]](島根県益田市 - 広島県廿日市市)
== 鳥取県 ==
* [[鳥取環状道路]]
=== 県道 ===
* [[鳥取県の県道一覧]]
== 島根県 ==
* [[国道485号]](島根県隠岐郡隠岐の島町 - 島根県松江市)
=== 県道 ===
* [[島根県の県道一覧]]
== 岡山県 ==
* {{Ja Exp Route Sign|E73}} [[岡山自動車道]]
* [[美作岡山道路]]
* [[国道374号]](岡山県備前市 - 岡山県津山市)
* [[国道430号]](岡山県倉敷市 - 岡山県玉野市)
* [[国道484号]](岡山県備前市 - 岡山県高梁市)
* [[岡山ブルーライン]]
=== 県道 ===
* [[岡山県の県道一覧]]
== 広島県 ==
=== 広域 ===
* {{Ja Exp Route Sign|E76}} [[尾道福山自動車道]]
* {{Ja Exp Route Sign|E54}} [[尾道自動車道]]
* {{Ja Exp Route Sign|E75}} [[東広島呉自動車道]]
* [[東広島高田道路]]
* [[広島南道路]]
* [[東広島廿日市道路]]
* {{Ja Exp Route Sign|E31}} [[広島呉道路]](クレアライン)
* [[岩国大竹道路]]
* [[国道31号]](広島県安芸郡海田町 - 広島県呉市)
* [[国道185号]](広島県呉市 - 広島県三原市)
* [[国道433号]](広島県大竹市 - 広島県三次市)
* [[国道487号]](広島県呉市 - 広島県広島市)
=== 県道 ===
* [[広島県の県道一覧]]
=== 広島市 ===
* [[広島高速1号線]](安芸府中道路)
* [[広島高速2号線]](府中仁保道路)
* [[広島高速3号線]](広島南道路)
* [[広島高速4号線]](広島西風新都線)
* [[広島高速5号線]](東部線)
== 山口県 ==
=== 広域 ===
* [[厚狭・埴生バイパス]]
* [[阿知須バイパス]]
* [[小郡萩道路]]
* [[周南バイパス]]
* [[萩・三隅道路]]
* [[花岡拡幅]]
* [[山口宇部小野田連絡道路]]
** {{Ja Exp Route Sign|E2}} [[山口宇部道路]]
* [[国道188号]](山口県岩国市 - 山口県下松市)
* [[国道190号]](山口県山口市 - 山口県山陽小野田市)
* [[国道262号]](山口県萩市 - 山口県防府市)
* [[国道315号]](山口県周南市 - 山口県萩市)
* [[国道316号]](山口県長門市 - 山口県山陽小野田市)
* [[国道376号]](山口県山口市 - 山口県岩国市)
* [[国道435号]](山口県山口市 - 山口県下関市)
* [[国道489号]](山口県周南市 - 山口県山口市)
* [[国道490号]](山口県宇部市 - 山口県萩市)
* [[国道491号]](山口県下関市 - 山口県長門市)
* [[宇部伊佐専用道路]]
=== 県道 ===
* [[山口県の県道一覧]]
=== 宇部市 ===
* [[宇部湾岸道路]]
* [[床波バイパス]]
* [[厚東川大橋|厚東川バイパス]]
=== 岩国市 ===
* [[岩国南バイパス]]
* [[国道189号]](山口県岩国市車町三丁目 - 山口県岩国市麻里布町一丁目)
=== 下松市 ===
* [[下松バイパス]]
=== 山陽小野田市 ===
* [[小野田バイパス]]
=== 下関市 ===
* [[小月バイパス]]
* [[下関北バイパス]]
* [[彦島道路]]
=== 長門市 ===
* {{Ja Exp Route Sign|E9}} [[長門・俵山道路]]
=== 防府市 ===
* [[防府バイパス]]
=== 柳井市 ===
* [[柳井バイパス]]
=== 山口市 ===
* [[小郡改良]]
* {{Ja Exp Route Sign|E2}} [[小郡道路]]
* [[山口バイパス (山口県)|山口バイパス]]
== 関連項目 ==
* [[日本の道路一覧]]
* [[日本の高速道路一覧]]
* [[高速自動車国道]]
* [[一般国道]]
{{都道府県道}}
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[[Category:中国地方の道路|*いちらん]]
[[Category:日本の道路一覧|+06]]
[[Category:中国地方の一覧|とうろ]]
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四国地方の道路一覧
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四国地方の道路一覧(しこくちほうのどうろいちらん)は、四国地方の道路を四国地方内の地域別に分けた一覧である。
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四国地方の道路一覧(しこくちほうのどうろいちらん)は、四国地方の道路を四国地方内の地域別に分けた一覧である。
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'''四国地方の道路一覧'''(しこくちほうのどうろいちらん)は、[[四国地方]]の[[道路]]を四国地方内の地域別に分けた一覧である。
== 解説 ==
*「超広域」とは、その地域を走り、なおかつ他の地域にまたがって走る道路である。<!-- 詳細は、その地域を含んだ親の地域の「広域」に同じ道路名を見つけることが出来る。-->
*「広域」とは、その地域内の複数の部分にまたがった道路である。地域内で完結している。
*「未区分」は、地域内の区分が編集されていない。判明した場合は対応の地域へ移動すること。
== 超広域 ==
*{{Ja Exp Route Sign|E28}} [[神戸淡路鳴門自動車道]](神戸西 - 鳴門)
*{{Ja Exp Route Sign|E30}} [[瀬戸中央自動車道]](早島 - 坂出)
*{{Ja Exp Route Sign|E76}} [[西瀬戸自動車道]](西瀬戸尾道 - 今治)
*[[国道28号]]([[兵庫県]][[神戸市]] - [[徳島県]][[徳島市]])
*[[国道30号]]([[岡山県]][[岡山市]] - [[香川県]][[高松市]])
*[[国道197号]]([[高知県]][[高知市]] - [[大分県]][[大分市]])
*[[国道317号]]([[愛媛県]][[松山市]] - [[広島県]][[尾道市]])
*[[国道436号]](兵庫県[[姫路市]] - 香川県高松市)
*[[国道437号]](愛媛県松山市 - [[山口県]][[岩国市]])
*[[大崎下島広域農道]]([[広島県]][[呉市]]~[[愛媛県]][[今治市]])
=== 文化・観光指定路線 ===
*[[四国歴史文化道]]
**[[芸予諸島歴史文化道]]
== 広域 ==
* {{Ja Exp Route Sign|E11}}/{{Ja Exp Route Sign|E32}} [[徳島自動車道]]([[鳴門ジャンクション|鳴門JCT]] - [[川之江東ジャンクション|川之江東JCT]])
* {{Ja Exp Route Sign|E11}} [[高松自動車道]](鳴門 - [[川之江ジャンクション|川之江JCT]])
* {{Ja Exp Route Sign|E32}}/{{Ja Exp Route Sign|E56}} [[高知自動車道]](川之江JCT - 須崎東)
* [[四国横断自動車道]]
** [[東四国横断自動車道]]
** [[西四国縦貫自動車道]]
* [[四国縦貫自動車道]]
* {{Ja Exp Route Sign|E55}} [[阿南安芸自動車道]]
* [[高知松山自動車道]]
* [[国道11号]](徳島県徳島市 - 愛媛県松山市)
* [[国道32号]](香川県高松市 - 高知県高知市)
* [[国道33号]](高知県高知市 - 愛媛県松山市)
* [[国道55号]](徳島県徳島市 - 高知県高知市)
* [[国道56号]](高知県高知市 - 愛媛県松山市)
* [[国道192号]](愛媛県[[西条市]] - 徳島県徳島市)
* [[国道193号]](香川県高松市 - 徳島県[[海部郡 (徳島県)|海部郡]][[海陽町]])
* [[国道194号]](高知県高知市 - 愛媛県西条市)
* [[国道195号]](高知県高知市 - 徳島県徳島市)
* [[国道318号]](徳島県徳島市 - 香川県[[東かがわ市]])
* [[国道319号]](香川県[[坂出市]] - 愛媛県[[四国中央市]])
* [[国道320号]](高知県[[宿毛市]] - 愛媛県[[北宇和郡]][[鬼北町]])
* [[国道377号]](徳島県[[鳴門市]] - 香川県[[観音寺市]])
* [[国道381号]](高知県[[須崎市]] - 愛媛県[[宇和島市]])
* [[国道438号]](徳島県徳島市 - 香川県坂出市)
* [[国道439号]](徳島県徳島市 - 高知県[[四万十市]])
* [[国道440号]](愛媛県松山市 - 高知県[[高岡郡]][[檮原町]])
* [[国道441号]](愛媛県[[大洲市]] - 高知県四万十市)
* [[国道492号]](香川県高松市 - 高知県[[長岡郡]][[大豊町]])
* [[国道494号]](愛媛県松山市 - 高知県須崎市)
=== 文化・観光指定路線 ===
* [[四国八十八ヵ所]]へんろ道
* [[四国のみち]]
** [[国土交通省]]選定ルート
*** 「西南の土佐から峠を越えて南予へ。潮の香りいっぱいのみち」
*** 「瀬戸の海、燧灘を感じながら、点在する霊場をめぐる東予から中讃へのみち」
** [[環境省]]選定ルート
* [[四国歴史文化道]]
** [[阿南室戸歴史文化道]]
** [[ひうち灘歴史文化道]]
== 徳島県 ==
*{{Ja Exp Route Sign|E55}} [[徳島南部自動車道]](阿南IC - [[徳島ジャンクション|徳島JCT]]間)
*[[徳島環状道路]]
*{{Ja Exp Route Sign|E55}} [[阿南安芸自動車道]]
**[[日和佐道路]]
**[[牟岐バイパス]]
*[[眉山パークウェイ]]
*[[眉山ドライブウェイ]]
*[[津峯スカイライン]]
*[[剣山スーパー林道]]
=== 県道 ===
*[[徳島県の県道一覧]]
;うち観光向けの道路
*[[徳島県道183号亀浦港櫛木線]](鳴門スカイライン)
*[[南阿波サンライン]]
*[[祖谷渓道路]]
=== 文化・観光指定路線 ===
*[[四国のみち]] - [[国土交通省]]選定ルート
**「八十八ヵ寺めぐりが、はじまるみち」
**「緑に染まる山々から、南阿波の海と語るみち」
*[[四国歴史文化道]]
**[[阿波歴史文化道]]
**[[祖谷歴史文化道]]
*[[歴史国道]]
**[[撫養街道]]
== 香川県 ==
*[[高松東道路]](香川県[[さぬき市]] - 香川県高松市)
*[[屋島スカイウェイ]](香川県高松市)
=== 県道 ===
*[[香川県の県道一覧]]
=== 文化・観光指定路線 ===
*[[四国のみち]] - [[国土交通省]]選定ルート
**「訪ねれば歴史、巡れば自然…心の学舎のみち」
**「八十八番札所をめざすみち」
*[[四国歴史文化道]]
**[[高松歴史文化道]]
**[[金毘羅歴史文化道]]
== 愛媛県 ==
*{{Ja Exp Route Sign|E11}}/{{Ja Exp Route Sign|E56}} [[松山自動車道]](川之江JCT - [[西予宇和インターチェンジ|西予宇和IC]])
**{{Ja Exp Route Sign|E56}} [[大洲道路]]
**{{Ja Exp Route Sign|E56}} [[宇和島道路]]
*{{Ja Exp Route Sign|E76}} [[今治小松自動車道]]
**[[今治道路]]
**[[今治小松道路]]
*{{Ja Exp Route Sign|E76}} 西瀬戸自動車道
**[[大島道路]]
*[[大洲・八幡浜自動車道]]
*[[国道196号]](愛媛県松山市 - 愛媛県西条市)
*[[国道378号]](愛媛県伊予市 - 愛媛県宇和島市)
*[[国道379号]](愛媛県松山市 - 愛媛県[[喜多郡]][[内子町]])
*[[国道380号]](愛媛県[[八幡浜市]] - 愛媛県[[上浮穴郡]][[久万高原町]])
=== 県道 ===
*[[愛媛県の県道一覧]]
=== 文化・観光指定路線 ===
*[[四国のみち]] - [[国土交通省]]選定ルート
**「山と海を呼吸する、瀬戸風のみち」
**「今と昔が隣りあう。文化・歴史の南予のみち」
*[[四国歴史文化道]]
**[[松山歴史文化道]]
**[[南予歴史文化道]]
== 高知県 ==
*{{Ja Exp Route Sign|E55}} [[高知東部自動車道]]
**[[高知南国道路]]
**[[南国安芸道路]]
*{{Ja Exp Route Sign|E55}} [[阿南安芸自動車道]]
**[[北川奈半利道路]]
**[[大山道路]]
*[[国道321号]](高知県四万十市 - 高知県宿毛市)
*[[国道493号]](高知県高知市 - 高知県[[安芸郡 (高知県)|安芸郡]][[東洋町]])
=== 県道 ===
*[[高知県の県道一覧]]
=== 文化・観光道路 ===
*[[四国のみち]] - [[国土交通省]]選定ルート
**「くろしおが洗う、太陽のみち」
**「おおらかな自然と出会う、土佐のみち」
**「峠を往く。悠久の大河四万十を越える。黒潮浪漫。岬をめざすみち」
*[[四国歴史文化道]]
**[[土佐維新歴史文化道]]
**[[幡多歴史文化道]]
*[[歴史国道]]
**[[檮原街道]]
<!--
==未分類==
-->
== 関連項目 ==
*[[日本の道路一覧]]
*[[高速自動車国道]]
*[[一般国道]]
{{都道府県道}}
[[Category:四国地方の道路|*いちらん]]
[[Category:日本の道路一覧|+07]]
[[Category:四国地方の一覧|とうろ]]
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九州地方の道路一覧
|
九州・沖縄地方の道路一覧(きゅうしゅうちほうのどうろいちらん)は、九州・沖縄地方の道路を九州・沖縄地方内の地域別に分けた一覧である。
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九州・沖縄地方の道路一覧(きゅうしゅうちほうのどうろいちらん)は、九州・沖縄地方の道路を九州・沖縄地方内の地域別に分けた一覧である。
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'''九州・沖縄地方の道路一覧'''(きゅうしゅうちほうのどうろいちらん)は、[[九州地方|九州・沖縄地方]]の道路を九州・沖縄地方内の地域別に分けた一覧である。
==解説==
* 「超広域」とは、その地域を走り、なおかつ他の地域にまたがって走る道路である。<!-- 詳細は、その地域を含んだ親の地域の「広域」に同じ道路名を見つけることが出来る。-->
* 「広域」とは、その地域内の複数の部分にまたがった道路である。地域内で完結している。
* 「未区分」は、地域内の区分が編集されていない。判明した場合は対応の地域へ移動すること。
== 超広域 ==
* {{Ja Exp Route Sign|E2A}} [[関門橋]](下関 - 門司)
* [[国道2号]]([[大阪府]][[大阪市]][[北区 (大阪市)|北区]] - [[福岡県]][[北九州市]][[門司区]])
* [[国道197号]]([[高知県]][[高知市]] - [[大分県]][[大分市]])
== 広域 ==
* {{Ja Exp Route Sign|E3}} [[九州自動車道]](門司 - 鹿児島)
* {{Ja Exp Route Sign|E10}} [[宮崎自動車道]](えびのJCT - 宮崎)
** 広義では、門司 - えびのJCTは九州道・宮崎道([[九州縦貫自動車道宮崎線]])の重複区間
* {{Ja Exp Route Sign|E34}} [[長崎自動車道]](長崎 - 鳥栖JCT)
* {{Ja Exp Route Sign|E34}} [[大分自動車道]](鳥栖JCT - 日出JCT)
* {{Ja Exp Route Sign|E10}}/{{Ja Exp Route Sign|E78}} [[東九州自動車道]](北九州JCT - みやこ豊津、椎田南IC - 宇佐IC、速見 - 日出JCT、大分米良 - 北川、門川 - 清武南、日南北郷 - 日南東郷、志布志 - 隼人東)
** 加治木JCT/IC - 鹿児島間は九州道との重複区間。
* {{Ja Exp Route Sign|E35}} [[西九州自動車道]](福重JCT - 武雄JCT)
* {{Ja Exp Route Sign|E3A}} [[南九州西回り自動車道|南九州自動車道]]
* {{Ja Exp Route Sign|E77}} [[九州中央自動車道]](嘉島JCT - 山都中島西IC)
* [[国道3号]](福岡県北九州市門司区 - [[鹿児島県]][[鹿児島市]])
* [[国道10号]](福岡県北九州市門司区 - 鹿児島県鹿児島市)
* [[国道34号]]([[佐賀県]][[鳥栖市]] - [[長崎県]][[長崎市]])
* [[国道35号]](佐賀県[[武雄市]] - 長崎県[[佐世保市]])
* [[国道57号]](大分県大分市 - 長崎県長崎市)
* [[国道58号]](鹿児島県鹿児島市 - [[沖縄県]][[那覇市]])
** [[和瀬バイパス]]
* [[国道202号]](福岡県福岡市[[博多区]] - 長崎県長崎市)
* [[国道204号]](佐賀県[[唐津市]] - 長崎県佐世保市)
* [[国道207号]](佐賀県佐賀市 - 長崎県[[西彼杵郡]][[時津町]])
* [[国道208号]]([[熊本県]][[熊本市]][[中央区 (熊本市)|中央区]] - 佐賀県佐賀市)
* [[国道210号]](福岡県[[久留米市]] - 大分県大分市)
* [[国道211号]](大分県[[日田市]] - 福岡県北九州市[[八幡西区]])
* [[国道212号]](大分県[[中津市]] - 熊本県[[阿蘇市]])
* [[国道218号]](熊本県熊本市中央区 - [[宮崎県]][[延岡市]])
* [[国道219号]](熊本県熊本市中央区 - 宮崎県[[宮崎市]])
* [[国道220号]](宮崎県宮崎市 - 鹿児島県[[霧島市]])
* [[国道221号]](熊本県[[人吉市]] - 宮崎県[[都城市]])
* [[国道222号]](宮崎県[[日南市]] - 鹿児島県[[曽於市]] - 宮崎県[[都城市]])
* [[国道223号]](宮崎県[[小林市]] - 鹿児島県霧島市)
* [[国道263号]](福岡県福岡市[[城南区]] - 佐賀県佐賀市)
* [[国道264号]](佐賀県佐賀市 - 福岡県久留米市)
* [[国道265号]](宮崎県小林市 - 熊本県阿蘇市)
* [[国道267号]](熊本県人吉市 - 鹿児島県[[薩摩川内市]])
* [[国道268号]](熊本県[[水俣市]] - 宮崎県宮崎市)
* [[国道269号]](鹿児島県[[指宿市]] - 宮崎県宮崎市)
* [[国道324号]](長崎県長崎市 - 熊本県[[宇城市]])
* [[国道325号]](福岡県久留米市 - 宮崎県[[西臼杵郡]][[高千穂町]])
* [[国道326号]](宮崎県延岡市 - 大分県[[豊後大野市]])
* [[国道327号]](宮崎県[[日向市]] - 熊本県[[上益城郡]][[山都町]])
* [[国道382号]](長崎県[[対馬市]] - 佐賀県[[唐津市]])
* [[国道383号]](長崎県[[平戸市]] - 佐賀県[[伊万里市]])
* [[国道385号]](福岡県[[柳川市]] - 福岡県福岡市博多区)
* [[国道386号]](大分県日田市 - 福岡県[[筑紫野市]])
* [[国道387号]](大分県[[宇佐市]] - 熊本県熊本市)
* [[国道388号]](大分県[[佐伯市]] - 熊本県[[球磨郡]][[湯前町]])
* [[国道389号]](福岡県[[大牟田市]] - 鹿児島県[[阿久根市]])
* [[国道442号]](大分県大分市 - 福岡県[[大川市]])
* [[国道443号]](福岡県大川市 - 熊本県[[八代郡]][[氷川町]])
* [[国道444号]](長崎県[[大村市]] - 佐賀県佐賀市)
* [[国道446号]](宮崎県日向市 - 熊本県球磨郡湯前町)
* [[国道447号]](宮崎県[[えびの市]] - 鹿児島県[[出水市]])
* [[国道448号]](鹿児島県指宿市 - 宮崎県宮崎市)
* [[国道496号]](福岡県[[行橋市]] - 大分県日田市)
* [[国道497号]](福岡県福岡市 - 佐賀県[[武雄市]])
* [[国道498号]](佐賀県[[鹿島市]] - 長崎県佐世保市)
* [[国道499号]](長崎県長崎市 - 鹿児島県阿久根市)
* [[国道500号]](大分県[[別府市]] - 佐賀県[[鳥栖市]])
* [[国道501号]](福岡県大牟田市 - 熊本県[[宇土市]])
* [[国道503号]](熊本県[[阿蘇郡]][[高森町 (熊本県)|高森町]] - 宮崎県日向市)
* [[鳥栖筑紫野道路]](福岡県筑紫野市 - 佐賀県鳥栖市)
* [[三瀬トンネル有料道路|三瀬トンネル]](福岡県福岡市[[早良区]] - 佐賀県佐賀市)
* [[有明海沿岸道路]](福岡県大牟田市 - 佐賀県鹿島市)
* [[国見道路]](佐賀県伊万里市 - 長崎県佐世保市)
* [[二丈浜玉道路]](福岡県[[糸島市]] - 佐賀県唐津市)
* [[都城志布志道路]](宮崎県都城市 - 鹿児島県[[志布志市]])
== 福岡県==
=== 広域 ===
* [[国道200号]](北九州市八幡西区 - 筑紫野市)
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** [[冷水道路]](飯塚市 - 筑紫野市)
* [[国道201号]](福岡市[[東区 (福岡市)|東区]] - [[京都郡]][[苅田町]])
** [[八木山バイパス]](糟屋郡篠栗町 - 飯塚市)
** [[飯塚庄内田川バイパス]](飯塚市 - 田川市)
* [[国道209号]](大牟田市 - 久留米市)
* [[国道322号]](北九州市 - 久留米市)
* [[国道495号]](北九州市 - 福岡市)
* [[福岡高速2号線]](福岡市[[博多区]] - [[太宰府市]])
* [[福岡高速4号線]](福岡市[[東区 (福岡市)|東区]] - [[糟屋郡]][[粕屋町]] - 福岡市東区)
* {{Ja Exp Route Sign|E10}} [[東九州自動車道]]並行路線
** [[椎田道路]](行橋市 - 築上郡築上町)
* [[行橋バイパス]](京都郡苅田町 - 行橋市)
* [[田川直方バイパス]](田川市 - [[直方市]])
=== 県道 ===
* [[福岡県の県道一覧]]
=== 福岡市 ===
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=== 北九州市 ===
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* [[北九州高速3号線]]
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== 佐賀県 ==
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=== 県道 ===
* [[佐賀県の県道一覧]]
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=== 県道 ===
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=== 県道 ===
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=== 那覇市 ===
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== 未分類 ==
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== 関連項目 ==
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14,739 |
窒化物半導体
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窒化物半導体 (ちっかぶつはんどうたい) は、III-V族半導体に於いて、V族元素として窒素を用いた半導体。窒化アルミニウム(AlN)、窒化ガリウム(GaN)、窒化インジウム(InN)が代表である。窒化アルミニウムは絶縁体ではあるが、同列に論じられる。
従来の半導体に比べてバンドギャップの大きいワイドギャップ半導体であり、また ガリウム(Ga)、インジウム(In)、アルミニウム(Al) の濃度を変化させることにより、大きくバンドギャップを変化させることが出来る。そのため可視光領域のほぼ全てをカバーでき、発光材料として有望視されている。
化学的に安定しているという特徴もあり、その特徴を利用した研究や応用が行なわれている。高い絶縁破壊電圧を持つため、オン抵抗がシリコン半導体と比較すると、2桁ほど低く、従来と比べ損失の低い電子デバイス(DCDCコンバータ等)の実現が可能となり、一部の窒化物半導体(窒化アルミニウム、窒化ガリウム、窒化インジウム)は高温(500°C程度)でも安定した特性を持つため、そうした環境下で冷却することなく使用できるデバイス材料としての研究・応用などが行なわれている。。
他にも、物理的に強固である(非常に固い)こと、ヒ素などの有毒物質が用いられておらず環境負荷が低いこと、などの特長を持つ。
1980年代後半 赤﨑勇や天野浩によって、低温バッファ層、p型伝導、n型伝導性制御、pn接合LEDなど先駆的な研究成果が報告された。
1993年、日亜化学の中村修二により、GaNを用いた高輝度青色LEDが世界に先駆け発明、実用化され、窒化物ブームと言うべき事態が引き起こされた。
2004年、窒化物半導体は非常に活発に研究されており、応用物理学会などでも窒化物半導体のセッションは他に比べて数倍の規模を持つ。
2006年、HD-DVDやBlu-Rayにおける重要な半導体素子(半導体レーザー)に採用され、歩留まりを向上させるべく様々な研究が行われた。
2012年、パナソニックは窒化物半導体を利用した人工光合成システムを発表した。
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窒化物半導体 (ちっかぶつはんどうたい) は、III-V族半導体に於いて、V族元素として窒素を用いた半導体。窒化アルミニウム(AlN)、窒化ガリウム(GaN)、窒化インジウム(InN)が代表である。窒化アルミニウムは絶縁体ではあるが、同列に論じられる。
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'''窒化物半導体''' (ちっかぶつはんどうたい) は、[[III-V族半導体]]に於いて、V族[[元素]]として[[窒素]]を用いた[[半導体]]。[[窒化アルミニウム]](AlN)、[[窒化ガリウム]](GaN)、[[窒化インジウム]](InN)が代表である。窒化アルミニウムは[[絶縁体]]ではあるが、同列に論じられる。
== 概要 ==
従来の半導体に比べて[[バンドギャップ]]の大きい[[ワイドギャップ半導体]]であり<ref>{{Cite journal|和書|author=牧本俊樹 |date=2005-03 |https://journal.ntt.co.jp/backnumber2/0503/files/jn200503058.pdf |format=PDF |title=新しい窒化物半導体デバイス |journal=NTT技術ジャーナル |ISSN=09152318 |publisher=電気通信協会 |volume=17 |issue=3 |pages=58-61 |CRID=1520010379783666304}}</ref>、また [[ガリウム]](Ga)、[[インジウム]](In)、[[アルミニウム]](Al) の濃度を変化させることにより、大きくバンドギャップを変化させることが出来る。そのため[[可視光|可視光領域]]のほぼ全てをカバーでき、発光材料として有望視されている。
化学的に安定しているという特徴もあり、その特徴を利用した研究や応用が行なわれている。高い[[絶縁破壊|絶縁破壊電圧]]を持つため、オン抵抗がシリコン半導体と比較すると、2桁ほど低く<ref>{{Cite journal|和書|author=橋詰保, 谷田部然治, 佐藤威友 |date=2014 |url=https://doi.org/10.1380/jsssj.35.96 |title=窒化物半導体異種接合の界面評価と制御 |journal=表面科学 |ISSN=03885321 |publisher=日本表面科学会 |volume=35 |issue=2 |pages=96-101 |doi=10.1380/jsssj.35.96 |CRID=1390001206457921536 |accessdate=2023-08-24}}</ref>、従来と比べ損失の低い電子デバイス(DCDCコンバータ等)の実現が可能となり、一部の窒化物半導体(窒化アルミニウム、窒化ガリウム、窒化インジウム)は高温(500℃程度)でも安定した特性を持つため、そうした環境下で冷却することなく使用できるデバイス材料としての研究・応用などが行なわれている。。
他にも、物理的に強固である(非常に固い)こと、[[ヒ素]]などの有毒物質が用いられておらず環境負荷が低いこと、などの特長を持つ。
== 歴史 ==
1980年代後半 [[赤﨑勇]]や[[天野浩]]によって、低温バッファ層、[[P型半導体|p型]]伝導、[[N型半導体|n型]]伝導性制御、[[pn接合]]LEDなど先駆的な研究成果が報告された。
1993年、[[日亜化学]]の[[中村修二]]により、GaNを用いた高輝度青色LEDが世界に先駆け発明、実用化され、窒化物ブームと言うべき事態が引き起こされた。
2004年、窒化物半導体は非常に活発に研究されており、[[応用物理学会]]などでも窒化物半導体のセッションは他に比べて数倍の規模を持つ。
2006年、[[HD-DVD]]や[[Blu-ray Disc|Blu-Ray]]における重要な半導体素子([[半導体レーザー]])に採用され、[[歩留まり]]を向上させるべく様々な研究が行われた。
2012年、[[パナソニック]]は窒化物半導体を利用した[[人工光合成]]システムを発表した<ref>{{cite news |title=パナソニック、植物並みの効率の人工光合成を窒化物半導体で実現|author=日経エレクトロニクス 中道理|newspaper=日本経済新聞|date=2012-07-30|url=http://www.nikkei.com/article/DGXNASFK30032_Q2A730C1000000/|accessdate=2012-07-31}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://news.panasonic.com/jp/press/jn120730-3|title=窒化物半導体の光電極による人工光合成システムを開発|publisher=パナソニック プレスリリース|accessdate=2012-07-31}}</ref>。
== 脚注 ==
{{Reflist}}
== 関連項目 ==
* [[赤崎勇]]
== 外部リンク ==
* [https://xtech.nikkei.com/dm/article/WORD/20060707/118932/ GaN(窒化ガリウム)半導体とは 日経テクノロジー]
* 天野浩、「[https://doi.org/10.5940/jcrsj.39.202 窒化ガリウム系結晶の開発 -その歴史と展望-]」 『日本結晶学会誌』 1997年 39巻 2号 p.202-204, {{doi|10.5940/jcrsj.39.202}}
* 小林直樹, 熊倉一英, 西田敏夫 ほか、「[https://doi.org/10.11470/oubutsu1932.70.513 GaN系半導体を用いた光・電子デバイス]」 『応用物理』 2001年 70巻 5号 p.513-522, {{doi|10.11470/oubutsu1932.70.513}}
{{半導体}}
[[category:半導体|ちつかふつはんとうたい]]
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14,740 |
III-V族半導体
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III-V族半導体(さんごぞくはんどうたい)は、III族元素とV族元素を用いた半導体である。III-V族化合物半導体とも呼ぶ。代表的なIII族元素としてはアルミニウム(Al)・ガリウム(Ga)・インジウム(In)、V族元素としては窒素(N)・リン(P)・ヒ素(As)・アンチモン(Sb)がある。この他にホウ素(B)・タリウム(Tl)・ビスマス(Bi)もIII-V族半導体を構成する元素である。またV族元素として窒素を用いた窒化ガリウム(GaN)・窒化アルミニウム(AlN)・窒化インジウム(InN)などを特に窒化物半導体と呼ぶ。
代表的な半導体であるケイ素(Si)と比較して、III-V族化合物半導体はその多くが直接遷移型の半導体であるため、発光ダイオード・レーザダイオードをはじめとする発光素子に用いられる。またケイ素とはバンドギャップエネルギーが異なるため、フォトダイオードといった受光素子にも用いられる。例えば現在の赤・緑・青色などの発光ダイオードは、ほぼすべてIII-V族半導体を材料としている。また高い電子移動度を利用して、極超短波以上の増幅には、ガリウムヒ素(GaAs)を用いた電界効果トランジスタが広く使われている。
これらIII族元素とV族元素を1種類ずつ組み合わせたガリウムヒ素・リン化インジウム(InP)・窒化ガリウムといった化合物半導体を2元系混晶と呼ぶ。さらに結晶基板(ガリウムヒ素・リン化インジウム・エピタキシャル窒化ガリウムなど)の上での結晶成長により、インジウム・ガリウム・ヒ素(InGaAs)・ゲイナス(GaInNAs)といった3元系・4元系の化合物半導体も作成できる。3元以上の混晶では、その組成比によってバンドギャップエネルギー・格子定数・光学特性を連続的に変化させられる。また結晶成長の際に格子定数を一定に保ったままバンドギャップエネルギーを変化させた層を組み合わせれば、量子井戸構造などの量子効果も得られる。
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{{出典の明記|date=2021-12}}
<div style="float:right;text-align:center">
{| style="border:1px solid black; color:black;"
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| [[元素の族|'''族''']]
| [[第13族元素|13]]
| [[第14族元素|14]]
| [[第15族元素|15]]
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|-
| [[元素の周期|'''周期''']]
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| [[電子殻|殻]]
|-
| [[第2周期元素|2]]
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| style="background-color: #cccccc;"| {{Small|7}}<br />[[窒素|N]]
| L
|-
| [[第3周期元素|3]]
| style="background-color: #cccccc;"| {{Small|13}}<br />[[アルミニウム|Al]]
|
| style="background-color: #cccccc;"| {{Small|15}}<br />[[リン|P]]
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|-
| [[第4周期元素|4]]
| style="background-color: #cccccc;"| {{Small|31}}<br />[[ガリウム|Ga]]
|
| style="background-color: #cccccc;"| {{Small|33}}<br />[[ヒ素|As]]
| N
|-
| [[第5周期元素|5]]
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| style="background-color: #cccccc;"| {{Small|51}}<br />[[アンチモン|Sb]]
| O
|}
</div>
'''III-V族半導体'''(さんごぞくはんどうたい)は、[[第13族元素|III族元素]]と[[第15族元素|V族元素]]を用いた[[半導体]]である。III-V族[[化合物半導体]]とも呼ぶ。代表的なIII族元素としては[[アルミニウム]](Al)・[[ガリウム]](Ga)・[[インジウム]](In)、V族元素としては[[窒素]](N)・[[リン]](P)・[[ヒ素]](As)・[[アンチモン]](Sb)がある。この他に[[ホウ素]](B)・[[タリウム]](Tl)・[[ビスマス]](Bi)もIII-V族半導体を構成する元素である。またV族元素として窒素を用いた[[窒化ガリウム]](GaN)・[[窒化アルミニウム]](AlN)・[[窒化インジウム]](InN)などを特に[[窒化物半導体]]と呼ぶ。
代表的な半導体である[[ケイ素]](Si)と比較して、III-V族化合物半導体はその多くが[[直接遷移]]型の半導体であるため、[[発光ダイオード]]・[[半導体レーザー|レーザダイオード]]をはじめとする発光素子に用いられる。またケイ素とは[[バンドギャップ]]エネルギーが異なるため、[[フォトダイオード]]といった受光素子にも用いられる。例えば現在の赤・緑・青色などの発光ダイオードは、ほぼすべてIII-V族半導体を材料としている。また高い[[電子移動度]]を利用して、[[極超短波]]以上の増幅には、[[ヒ化ガリウム|ガリウムヒ素]](GaAs)を用いた[[電界効果トランジスタ]]が広く使われている。
これらIII族元素とV族元素を1種類ずつ組み合わせたガリウムヒ素・[[リン化インジウム]](InP)・窒化ガリウムといった化合物半導体を[[2元系混晶]]と呼ぶ。さらに結晶基板(ガリウムヒ素・リン化インジウム・[[エピタキシャル成長|エピタキシャル]]窒化ガリウムなど)の上での[[結晶成長]]により、インジウム・ガリウム・ヒ素(InGaAs)・[[ゲイナス]](GaInNAs)といった3元系・4元系の化合物半導体も作成できる。3元以上の混晶では、その組成比によってバンドギャップエネルギー・[[格子定数]]・光学特性を連続的に変化させられる。また結晶成長の際に格子定数を一定に保ったままバンドギャップエネルギーを変化させた層を組み合わせれば、[[量子井戸]]構造などの量子効果も得られる。
== 関連項目 ==
* [[II-VI族半導体]]
* [[結晶成長]]
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II-VI族半導体
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II-VI族半導体(にろくぞくはんどうたい)は、II族元素とVI族元素を用いた半導体である。II族元素(第2族元素・第12族元素)としてはマグネシウム(Mg)・亜鉛(Zn)・カドミウム(Cd)・水銀(Hg)が、VI族元素(第16族元素)としては酸素(O)・硫黄(S)・セレン(Se)・テルル(Te)をよく用いる。
これらを組み合わせて、酸化亜鉛(ZnO)・テルル化カドミウム(CdTe)・セレン化亜鉛(ZnSe)などを作製する。
II-VI族半導体はイオン結晶性が強く、固いがもろいものが多い。また、組成を変えることでバンドギャップを大きく変化させられる。可視光線や赤外線領域に相当するバンドギャップを持つ半導体は、発光素子・受光素子の材料として用いられている。
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{{出典の明記| date = 2023年5月}}
'''II-VI族半導体'''(にろくぞくはんどうたい)は、II族元素とVI族元素を用いた[[半導体]]である。II族元素([[第2族元素]]・[[第12族元素]])としては[[マグネシウム]](Mg)・[[亜鉛]](Zn)・[[カドミウム]](Cd)・[[水銀]](Hg)が、VI族元素([[第16族元素]])としては[[酸素]](O)・[[硫黄]](S)・[[セレン]](Se)・[[テルル]](Te)をよく用いる。
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== 特徴 ==
II-VI族半導体は[[イオン結晶]]性が強く、固いがもろいものが多い。また、組成を変えることで[[バンドギャップ]]を大きく変化させられる。[[可視光線]]や[[赤外線]]領域に相当するバンドギャップを持つ半導体は、発光素子・受光素子の材料として用いられている。
== 関連項目 ==
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* [[結晶成長]]
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デヴィッド・シルヴィアン
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デヴィッド・シルヴィアン(David Sylvian、本名:David Batt、1958年2月23日 - )は、英国・ケント州ベッケンハイム出身のシンガーソングライター、ミュージシャンである。
1974年、ミック・カーン、リチャード・バルビエリ、実弟のスティーヴ・ジャンセンと共にジャパンを結成。1978年、ロブ・ディーンをメンバーに加えて、アルバム『果てしなき反抗(英題:Adolescent Sex)』にてデビュー。
1982年、ジャパン解散後、ソロに転向。以降ソロ・アルバムと共に坂本龍一やロバート・フリップ等のミュージシャンとのコラボレーション作品を多数発表している。
優れたボーカリストであると同時に優れたコンポーザーでもあり、ソロに転向してからは電子音楽やアンビエントを追求。その音楽性は前衛音楽やジャズ・フュージョン、オルタナティヴ・ロックなど多岐に亘り、インストゥルメンタルも数多く手掛けるようになった。
2006年には弟ジャンセン、フランジャーで知られるケルンのダブ、電子音楽系作家であるバーント・フリードマンの3人で結成した新バンド、「ナイン・ホーセス」がデビュー。ファースト・アルバム『スノー・ボーン・ソロウ』には坂本龍一らも参加し、バンドサウンドと電子的な音作りが調和した起伏に富んだ構成となっている。
私生活では1992年にアメリカの歌手イングリッド・シャヴェイズと結婚。2女をもうけるが、2005年に離婚した。
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デヴィッド・シルヴィアンは、英国・ケント州ベッケンハイム出身のシンガーソングライター、ミュージシャンである。 1974年、ミック・カーン、リチャード・バルビエリ、実弟のスティーヴ・ジャンセンと共にジャパンを結成。1978年、ロブ・ディーンをメンバーに加えて、アルバム『果てしなき反抗』にてデビュー。 1982年、ジャパン解散後、ソロに転向。以降ソロ・アルバムと共に坂本龍一やロバート・フリップ等のミュージシャンとのコラボレーション作品を多数発表している。 優れたボーカリストであると同時に優れたコンポーザーでもあり、ソロに転向してからは電子音楽やアンビエントを追求。その音楽性は前衛音楽やジャズ・フュージョン、オルタナティヴ・ロックなど多岐に亘り、インストゥルメンタルも数多く手掛けるようになった。 2006年には弟ジャンセン、フランジャーで知られるケルンのダブ、電子音楽系作家であるバーント・フリードマンの3人で結成した新バンド、「ナイン・ホーセス」がデビュー。ファースト・アルバム『スノー・ボーン・ソロウ』には坂本龍一らも参加し、バンドサウンドと電子的な音作りが調和した起伏に富んだ構成となっている。 私生活では1992年にアメリカの歌手イングリッド・シャヴェイズと結婚。2女をもうけるが、2005年に離婚した。
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{{Infobox Musician <!--Wikipedia:ウィキプロジェクト 音楽家を参照-->
| Name = デヴィッド・シルヴィアン<br />David Sylvian
| Img =DavidSylvianNov82.JPG
| Img_capt = 1982年
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| Background = singer
| Birth_name = David Alan Batt
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| Born = {{生年月日と年齢|1958|2|23}}
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| Origin = {{flagicon|England}}[[イングランド]] [[ケント (イングランド)|ケント]] [[ベッケナム]]
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| Genre = [[ニュー・ウェイヴ (音楽)|ニュー・ウェイヴ]]<br />[[アート・ロック]]<br />[[環境音楽|アンビエント]]<br />[[現代音楽|前衛音楽]]<br />[[電子音楽]]<br />[[オルタナティヴ・ロック]]<br />[[フュージョン (音楽)|ジャズ・フュージョン]]
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| Years_active = [[1974年]] -
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| Associated_acts = [[ジャパン (バンド)|ジャパン]]<br />[[ロバート・フリップ]]<br />[[坂本龍一]]<br />[[ホルガー・シューカイ]]<br />[[:en:Rain Tree Crow|レイン・トゥリー・クロウ]]<br />[[:en:Nine Horses|ナイン・ホーセス]] etc.
| Influences =
| URL = [http://www.davidsylvian.com/ David Sylvian.com]
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[[file:Japan_band.jpg|thumb|[[ミック・カーン]](左)とデヴィッド・シルヴィアン (1979年)]]
'''デヴィッド・シルヴィアン'''('''David Sylvian'''、本名:'''David Batt'''、[[1958年]][[2月23日]] - )は、[[イギリス|英国]]・[[ケント州]][[ベッケンハイム]]出身の[[シンガーソングライター]]、[[ミュージシャン]]である。
[[1974年]]、[[ミック・カーン]]、[[リチャード・バルビエリ]]、実弟の[[スティーヴ・ジャンセン]]と共に[[ジャパン (バンド)|ジャパン]]を結成。[[1978年]]、[[ロブ・ディーン]]をメンバーに加えて、アルバム『果てしなき反抗(英題:Adolescent Sex)』にてデビュー。
[[1982年]]、ジャパン解散後、ソロに転向。以降ソロ・アルバムと共に[[坂本龍一]]や[[ロバート・フリップ]]等のミュージシャンとの[[コラボレーション]]作品を多数発表している。
優れた[[歌手|ボーカリスト]]であると同時に優れた[[作曲家|コンポーザー]]でもあり、ソロに転向してからは[[電子音楽]]や[[環境音楽|アンビエント]]を追求。その音楽性は[[現代音楽|前衛音楽]]や[[フュージョン (音楽)|ジャズ・フュージョン]]、[[オルタナティヴ・ロック]]など多岐に亘り、[[器楽曲|インストゥルメンタル]]も数多く手掛けるようになった。
[[2006年]]には弟ジャンセン、[[フランジャー]]で知られる[[ケルン]]の[[ダブ]]、[[電子音楽]]系作家である[[バーント・フリードマン]]の3人で結成した新バンド、「ナイン・ホーセス」がデビュー。ファースト・アルバム『スノー・ボーン・ソロウ』には[[坂本龍一]]らも参加し、バンドサウンドと電子的な音作りが調和した起伏に富んだ構成となっている。
私生活では[[1992年]]にアメリカの歌手[[イングリッド・シャヴェイズ]]と結婚。2女をもうけるが、[[2005年]]に離婚した。
==ディスコグラフィ==
=== ジャパン ===
{{Main|[[ジャパン (バンド)|ジャパン]]}}
===ソロ・アルバム===
*『[[ブリリアント・トゥリーズ]]』 - ''Brilliant Trees''(1984年)
*『錬金術』 - ''Alchemy: An Index of Possibilities''(1985年)
*『[[ゴーン・トゥ・アース]]』 - ''Gone to Earth''(1986年)
*『[[シークレッツ・オブ・ザ・ビーハイヴ]]』 - ''Secrets of the Beehive''(1987年)
*『デッド・ビーズ・オン・ア・ケイク』 - ''Dead Bees on a Cake''(1999年)
*『アプローチング・サイレンス』 - ''Approaching Silence''(2000年) ※インストゥルメンタル作品のベスト盤
*『エヴリシング&ナッシング』 - ''Everything and Nothing''(2000年) ※リマスター・未発表曲・新録含むベスト盤
*『カンファ』 - ''Camphor''(2002年) ※インストゥルメンタル作品のベスト盤・全曲リマスター
*『ブレミッシュ』 - ''Blemish''(2003年)
*『オンリー・ドーター〜ブレミッシュ・リミキシーズ』 - ''The Good Son vs. The Only Daughter''(2005年) ※『ブレミッシュ』のリミックス盤
*『ウェン・ラウド・ウェザー・バフィッテッド・ナオシマ』 - ''When Loud Weather Buffeted Naoshima''(2007年)
*『マナフォン』 - ''Manafon''(2009年)
*『スリープウォーカーズ』 - ''Sleepwalkers''(2010年) ※コラボレーション作品のコンピレーション
*『ダイド・イン・ザ・ウール マナフォン・ヴァリエーションズ』 - ''Died in the Wool''(2011年) ※『マナフォン』のリミックス&新録。[[藤倉大]]、ヤン・バング、エリック・オノレ参加
*『ア・ヴィクティム・オブ・スターズ1982-2012』 - ''A Victim of Stars 1982-2012'' (2012年) ※未発表曲含むベスト盤
*『いくつかの家に射し込む光』 - ''There's a Light That Enters Houses With No Other House in Sight''(2014年)
===コラボレーション===
; [[坂本龍一]](すべてシングル)
:*「バンブー・ハウス/バンブー・ミュージック」 - "Bamboo Music/Bamboo Houses"(1982年)
:*「禁じられた色彩」 - "Forbidden Colours"(1983年) ※映画『[[戦場のメリークリスマス]]』のテーマ曲「メリー・クリスマス ミスターローレンス」のトラックに、デヴィッドが歌詞・メロディーを作り、歌を乗せたボーカル・バージョン。タイトルは[[三島由紀夫]]の「[[禁色 (小説)|禁色]]」から引用<ref>「坂本龍一・全仕事」より。</ref>。1983年7月全英シングルチャート16位<ref>[http://www.umdmusic.com/default.asp?Lang=English&Chart=A&ChDay=&ChMonth=&ChYear=&ChBand=sakamoto&ChSong=Forbidden+Colours] Music Week Forbidden Colours - David Sylvian & Riuichi Sakamoto</ref>。
ボーカル・バージョン
:*「体内回帰」 - "tainaikaiki II"(1992年)
:*「[[ZERO LANDMINE]]」 (2001年) ※[[N.M.L.]]名義
:*「WORLD CITIZEN -I won't be disappointed-」 - "World Citizen -I won't be disappointed-"(2003年) ※[[J-WAVE]]のタイアップ曲
:
; [[高木正勝]](シングル)
:* "Exit / Delete Featuring David Sylvian"(2004年)
:
; [[矢野顕子]](アルバム)
:*『[[愛がなくちゃね。]]』(1982年)
:
;[[土屋昌巳]](アルバム)
:*『LIFE IN MIRRORS』(1987年)
:
; [[ホルガー・シューカイ]](アルバム)
:*『プライト&プレモニション』 - ''Plight & Premonition''(1988年)
:*『フラックス・アンド・ミュータビリティ』 - ''Flux + Mutability''(1989年)
:
; [[:en:Russell Mills (artist)|ラッセル・ミルズ]](アルバム)
:* ''Ember Glance: The Permanence of Memory''(1991年)
:
; [[ロバート・フリップ]](アルバム)
:*『[[ザ・ファースト・デイ]]』 - ''The First Day''(1993年)
:*『ダーシャン』 - ''Darshan (The Road To Graceland)''(1993年) ※EP
:*『ダメージ』 - ''Damage''(1994年) ※ライブ盤
:
; [[蓜島邦明]] (サウンドトラック)
:*『MONSTER オリジナル・サウンドトラック』(2004年) ※アニメ『[[MONSTER (漫画)|MONSTER]]』の前半期エンディング・テーマ「for the love of life」を作詞し、歌っている
:
; ナイン・ホーセス
:*『スノー・ボーン・ソロウ』 - ''Snow Borne Sorrow''(2006年) ※[[スティーナ・ノルデンスタム]]参加
:*『マネー・フォー・オール』 - ''Money for All''(2006年)
== 外部リンク ==
* [http://www.davidsylvian.com/ David Sylvian.com] - デヴィッド・シルヴィアンの公式サイト
{{Normdaten}}
{{DEFAULTSORT:しるういあん てういつと}}
[[category:イングランドのシンガーソングライター]]
[[category:イングランドのロック歌手]]
[[category:1958年生]]
[[Category:存命人物]]
[[Category:ブロムリー区出身の人物]]
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スキー選手一覧
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スキー選手一覧(スキーせんしゅいちらん)は、公式なスキー競技選手権等の参加選手を一覧にしたもの。
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スキー選手一覧(スキーせんしゅいちらん)は、公式なスキー競技選手権等の参加選手を一覧にしたもの。
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'''スキー選手一覧'''(スキーせんしゅいちらん)は、公式な[[スキー]]競技選手権等の参加選手を一覧にしたもの。
{{TOC limit}}
== アルペン ==
=== 外国人選手 ===
*[[トニー・ザイラー]]
*[[ジャン=クロード・キリー]]
*[[インゲマル・ステンマルク]]
*[[アルベルト・トンバ]]
*[[グスタヴォ・トエニ]]
*[[マーク・ジラルデリ]]
*[[フィリップ・メーア]]
*[[カール・シュランツ]]
*[[ピルミン・ツルブリッゲン]]
*[[チェーティル・アンドレ・オーモット]]
*[[ボディー・ミラー]]
*[[ベンヤミン・ライヒ]]
*[[ヤニツァ・コステリッチ]]
*[[アニヤ・パーション]]
=== 日本人選手 ===
*[[佐々木明]] 2003年[[アルペンスキー・ワールドカップ|ワールドカップ]]ウェンゲン[[回転 (スキー)|回転]]競技にて日本人最高位タイ2位獲得。日本人5人目の[[アルペンスキー・ワールドカップ#シード制度|第1シード]]。2005年3月に志賀高原で開催されたW杯2連戦で、2位表彰台および6位入賞したことで、日本人2人目の[[トップ7]]入り
*[[皆川賢太郎]] 2006年トリノ五輪回転競技で、日本勢で50年ぶりに4位入賞。W杯回転で日本人4人目の第1シード入り
*[[湯浅直樹]] 2006年トリノ五輪回転競技で7位入賞
*[[猪谷千春]] 1956年コルティナダンペッツォ五輪回転競技で、日本人初の銀メダル。これは日本人冬季五輪最初のメダルでもあった。2009年まで[[国際オリンピック委員会|IOC]]副会長。
*[[海和俊宏]] 1955年4月 [[山形県]]生まれ。1977年スイスのサン・アントンで開かれたW杯男子回転で7位に入賞。タイム差は1秒僅か。このレースをきっかけに日本人として初めてW杯で世界の第1シード入りを果たす。主な成績はW杯:1977年サン・アントン男子回転7位、1978年オーベル・スタウェン男子回転5位、1981年サン・アントン男子回転10位、世界選手権1978年ガルミッシュ・パルテンキルヘン7位、1982年シュラドミング12位、五輪:1984年サラエボ12位
*[[児玉修]] 1956年9月 [[長野県]]生まれ 1980年(当時)西ドイツのレングリースで行われたワールドカップ男子回転第2戦、日本人で初めてW杯回転競技で優勝者とのタイム差で1秒を切った。児玉選手は日本製のスキー([[小賀坂スキー]])をはいて世界を戦った。このレースで日本製のスキー板が世界に通用することを証明したレースであった。
*[[岡部哲也]] W杯で日本人2人目の第1シード入りを果たし、初めて表彰台(2位)に上った選手
*[[木村公宣]] W杯で日本人3人目の第1シード入りを果たし、日本人最初の[[トップ7]]入りを果たした名スラローマー。03年引退。98年に種目別総合・回転5位。W杯最高位は98年のスイス・ベイソナツ回転の3位。W杯の入賞回数は50回を数える。
*[[川端絵美]] 日本人女子で初めてW杯の表彰台に上った選手
== ノルディック ==
=== クロスカントリー ===
<div style="columns: 24em 4; column-rule: 2px solid #eee;">
*[[ウルポ・コルホネン]]
*[[フローデ・エスティル]]
*[[ビョルン・ダーリ]]
*[[ステファーニア・ベルモンド]]
*[[ヤーク・マエ]]
*[[ピルヨ・ムラネン]]
*[[カタジナ・ロゴヴィエツ]]
*[[石田正子]]
*[[太田渉子]]
*[[久保恒造]]
*[[駒村俊介]]
*[[近藤さつき]]
*[[出来島桃子]]
*[[長田弘幸]]
*[[夏見円]]
*[[新田佳浩]]
*[[麻生武治]]
*[[藤沢良一]]
*[[恩田祐一]]
</div>
=== スキージャンプ ===
==== アイスランド ====
*[[アリ・グドムンドソン]]
==== アメリカ合衆国 ====
<div style="columns: 24em 4; column-rule: 2px solid #eee;">
*[[アンダース・ハウゲン]]
*[[リンジー・ヴァン]]
*[[サラ・ヘンドリクソン]]
*[[ジェリー・マーティン (スキージャンプ)]]
</div>
==== イギリス ====
*[[マイケル・エドワーズ]]
==== イタリア ====
*[[ロベルト・チェコン]]
==== オーストリア ====
<div style="columns: 24em 4; column-rule: 2px solid #eee;">
*[[ダニエラ・イラシュコ=シュトルツ]]
*[[アントン・インナウアー]]
*[[ハインツ・クッティン]]
*[[アルミン・コグラー]]
*[[マルティン・コッホ]]
*[[アンドレアス・コフラー]]
*[[アンドレアス・ゴルトベルガー]]
*[[ジャクリーン・ザイフリーツベルガー]]
*[[カール・シュナーブル]]
*[[グレゴア・シュリーレンツァウアー]]
*[[ラインハルト・シュワルツェンベルガー]]
*[[フーベルト・ノイパー]]
*[[ラインホルト・バハラー]]
*[[アンドレアス・ビドヘルツル]]
*[[エルンスト・フェットーリ]]
*[[アンドレアス・フェルダー]]
*[[バルダー・プライムル]]
*[[ヨーゼフ・ブラドル]]
*[[キアラ・ヘルツル]]
*[[マルティン・ヘルバルト]]
*[[シュテファン・ホルンガッハー]]
*[[クリスティアン・モーザー]]
*[[トーマス・モルゲンシュテルン]]
*[[アロイス・リップブルガー]]
*[[オットー・レオドルター]]
*[[ウォルフガング・ロイツル]]
</div>
==== カナダ ====
*[[ホースト・ビューロー]]
*[[田中温子]]
==== スイス ====
<div style="columns: 24em 4; column-rule: 2px solid #eee;">
*[[シモン・アマン]]
*[[アンドレアス・キュッテル]]
*[[ヴァルター・シュタイナー]]
*[[シルヴァン・フライホルツ]]
*[[マルセル・レイモンド]]
</div>
==== スウェーデン ====
<div style="columns: 24em 4; column-rule: 2px solid #eee;">
*[[トーレ・エドマン]]
*[[ベンクト・エリクソン]]
*[[スヴェン・セロンイェル]]
*[[スタファン・テルベリ]]
*[[ヤン・ボークレブ]]
*[[カール・ホルムストレーム]]
</div>
==== スロベニア ====
<div style="columns: 24em 4; column-rule: 2px solid #eee;">
*[[プリモジュ・ウラガ]]
*[[ロベルト・クラニエッツ]]
*[[ペテル・ジョンタ]]
*[[マティアジュ・ズパン]]
*[[ミラン・テペシュ]]
*[[マティアジュ・デベラク]]
*[[ダミヤン・フラス]]
*[[フランチ・ペテク]]
*[[プリモジュ・ペテルカ]]
*[[ロク・ベンコビッチ]]
</div>
==== ソビエト連邦 ====
<div style="columns: 24em 4; column-rule: 2px solid #eee;">
*[[ニコライ・カメンスキー]]
*[[ガリイ・ナパルコフ]]
*[[ブラディミール・ベロソフ]]
*[[アレクセイ・ボロビチン]]
</div>
==== チェコ ====
<div style="columns: 24em 4; column-rule: 2px solid #eee;">
*[[フランチシェック・イエジュ]]
*[[トマシュ・ゴーダー]]
*[[ヤロスラフ・サカラ]]
*[[イジー・パルマ]]
*[[ルドルフ・プルケルト]]
*[[パベル・プロッツ]]
*[[イジー・マレツ]]
*[[ヤクブ・ヤンダ]]
*[[イジー・ラシュカ]]
</div>
==== ドイツ ====
<div style="columns: 24em 4; column-rule: 2px solid #eee;">
*[[ハンス=ゲオルク・アッシェンバッハ]]
*[[ハンスイェルク・イエックレ]]
*[[ミヒャエル・ウアマン]]
*[[クラウス・オストヴァルト]]
*[[トーマス・クラウザー]]
*[[ハリー・グラス]]
*[[ヘンリー・グラス ]]
*[[ウルリケ・グレッスラー]]
*[[フランツ・ケラー]]
*[[マルティン・シュミット]]
*[[ライナー・シュミット]]
*[[フーベルト・シュワルツ]]
*[[ヨッヘン・ダンネベルク]]
*[[マンフレート・デッケルト]]
*[[クリストフ・ドゥッフナー]]
*[[ディーター・トーマ]]
*[[ゲオルク・トーマ]]
*[[ミヒャエル・ノイマイアー]]
*[[イェンス・バイスフロク]]
*[[ファルコ・バイスフロク]]
*[[スヴェン・ハンナバルト]]
*[[マティアス・ブーゼ]]
*[[カリーナ・フォークト]]
*[[シュテファン・ホッケ]]
*[[トーマス・ミュラー (ノルディック複合)]]
*[[ヘルムート・レクナゲル]]
</div>
==== 日本 ====
<div style="columns: 24em 4; column-rule: 2px solid #eee;">
*[[相内富久]]
*[[会沢仁康]]
*[[青地清二]]
*[[秋元正博]]
*[[浅利正勝]]
*[[麻生武治]]
*[[安達五郎]]
*[[伊黒正次]]
*[[板垣宏志]]
*[[一戸剛]]
*[[伊藤謙司郎]]
*[[伊東大貴]]
*[[伊藤高男]]
*[[伊藤直人 (スキージャンプ)|伊藤直人]]
*[[伊藤有希]]
*[[上杉宏樹]]
*[[江遠要甫]]
*[[大森享一]]
*[[岡部孝信]]
*[[岡村創太]]
*[[小野学 (スキージャンプ)|小野学]]
*[[角田幸司]]
*[[葛西紀明]]
*[[笠間法考]]
*[[笠谷昌生]]
*[[笠谷幸生]]
*[[金子祐介]]
*[[上原子次郎]]
*[[川崎清司]]
*[[川島弘三]]
*[[川端隆普美]]
*[[菊地定夫]]
*[[金野昭次]]
*[[斉藤浩哉]]
*[[坂野幸夫]]
*[[桜井仁]]
*[[佐藤晃 (スキージャンプ)|佐藤晃]]
*[[佐藤耕一]]
*[[沢田久喜]]
*[[嶋宏大]]
*[[志村直紀]]
*[[杉山恵亮]]
*[[須田健仁]]
*[[田尾克史]]
*[[田尾敏彰]]
*[[高野鉄平]]
*[[高橋竜二]]
*[[高梨沙羅]]
*[[竹内寿]]
*[[竹内元康]]
*[[龍田峻次]]
*[[田中翔大]]
*[[田中信一 (スキージャンプ)|田中信一]]
*[[栃本翔平]]
*[[長岡勝]]
*[[中津信雄]]
*[[中村圭彦]]
*[[西方仁也]]
*[[西下和記]]
*[[西森享平]]
*[[野呂田義一]]
*[[花岡正人]]
*[[原田雅彦]]
*[[伴素彦]]
*[[東昭広]]
*[[東輝]]
*[[東和広 (スキージャンプ)|東和広]]
*[[平山友梨香]]
*[[吹田幸隆]]
*[[藤沢隆]]
*[[藤沢良一]]
*[[船木和喜]]
*[[松井直哉]]
*[[松井孝]]
*[[松橋暁]]
*[[宮平秀治]]
*[[八木弘和]]
*[[安崎直幹]]
*[[山田いずみ]]
*[[山田勝巳]]
*[[山田大起]]
*[[山田優梨菜]]
*[[湯本史寿]]
*[[吉泉賀子]]
*[[吉岡和也]]
*[[吉沢広司]]
*[[若狭繁行]]
*[[若狭実]]
*[[渡瀬あゆみ]]
*[[渡瀬弥太郎]]
*[[渡瀬雄太]]
*[[渡部龍雄]]
</div>
==== ノルウェー ====
<div style="columns: 24em 4; column-rule: 2px solid #eee;">
*[[アルフ・アンデシェン]]
*[[グンナル・アンデシェン]]
*[[ライダル・アンデシェン]]
*[[ハンス・ベック]]
*[[トミー・インゲブリクトセン]]
*[[オーレ・クリスチャン・エイドハンメル]]
*[[トラルフ・エンヤン]]
*[[ラッセ・オッテセン]]
*[[ヴェガール・オパース]]
*[[オーラヴ5世 (ノルウェー王)]]
*[[ルネ・オリュニク]]
*[[ヨン・インゲ・キョールム]]
*[[ラーシュ・グリニ]]
*[[アネッテ・サーゲン]]
*[[トルライフ・シェルデルプ]]
*[[ヨハン・セトレ]]
*[[ヤコブ・チューリン・タムス]]
*[[トルライフ・ハウグ]]
*[[コーレ・ヴァルベルグ]]
*[[オーラヴ・ハンソン]]
*[[ラーシュ・ビステル]]
*[[ハンス・ビョルンスタット]]
*[[ビョルン・ヴィルコラ]]
*[[ハンス・ヴィンヤレンゲン]]
*[[トールビョルン・ファルカンゲル]]
*[[オーレ・グンナル・フィディエステール]]
*[[ペッテル・フークステット]]
*[[トルゲイル・ブランツェ]]
*[[エスペン・ブレーデセン]]
*[[オーレ・ブレムセット]]
*[[アルンフィン・ベルクマン]]
*[[ペール・ベルゲルード]]
*[[ナルヴェ・ボンナ]]
*[[インゴルフ・モルク]]
*[[ロアル・ヨケルソイ]]
*[[クリスティアン・ヨハンソン]]
*[[エリック・ヨーンセン]]
*[[アルネ・ラルセン]]
*[[アスビョルン・ルート]]
*[[ロゲル・ルート]]
*[[シグムント・ルート]]
*[[ビルゲル・ルート]]
*[[ビヨーン・アイナール・ローモーレン]]
</div>
==== フィンランド ====
<div style="columns: 24em 4; column-rule: 2px solid #eee;">
*[[ヤンネ・アホネン]]
*[[ハッリ・オッリ]]
*[[アウリス・カラコルピ]]
*[[ユハニ・カルキネン]]
*[[ヴェイッコ・カンコネン]]
*[[タミ・キウル]]
*[[ユリア・キュッカネン]]
*[[ペンティ・コッコネン]]
*[[ヤニ・ソイニネン]]
*[[ユーコ・トルマネン]]
*[[トニ・ニエミネン]]
*[[マッチ・ニッカネン]]
*[[アリ=ペッカ・ニッコラ]]
*[[マッチ・ハウタマキ]]
*[[ヤンネ・ハッポネン]]
*[[ニロ・ハロネン]]
*[[マッティ・ピエティカイネン]]
*[[アンティ・ヒュベリネン]]
*[[ヤリ・プイッコネン]]
*[[リスト・ユシライネン]]
*[[カリ・ユリアンティラ]]
*[[トゥオモ・ユリプリ]]
*[[ライモ・ユリプリ]]
*[[タピオ・ライサネン]]
*[[ミカ・ライティネン]]
*[[リスト・ラーコネン]]
*[[ベリ=マッチ・リンドストローム]]
</div>
==== ポーランド ====
<div style="columns: 24em 4; column-rule: 2px solid #eee;">
*[[ヴォイチェフ・フォルトゥナ]]
*[[アダム・マリシュ]]
</div>
==== ユーゴスラビア ====
<div style="columns: 24em 4; column-rule: 2px solid #eee;">
*[[プリモジュ・ウラガ]]
*[[マティアジュ・ズパン]]
*[[ミラン・テペシュ]]
*[[マティアジュ・デベラク]]
*[[バシャ・バイツ]]
*[[フランチ・ペテク]]
</div>
=== ノルディック複合 ===
==== アメリカ合衆国 ====
<div style="columns: 24em 4; column-rule: 2px solid #eee;">
*[[アンダース・ハウゲン]]
*[[トッド・ロドウィック]]
</div>
==== オーストリア ====
<div style="columns: 24em 4; column-rule: 2px solid #eee;">
*[[ハンスイェルク・アッシェンヴァルト]]
*[[クラウス・オフナー]]
*[[シュテファン・クライナー]]
*[[ミヒャエル・グルーバー]]
*[[フェリックス・ゴットヴァルト]]
*[[ギュンター・サー]]
*[[マリオ・シュテヒャー]]
*[[クラウス・ズルツェンバッハ]]
*[[クリストフ・ビーラー]]
</div>
==== スイス ====
<div style="columns: 24em 4; column-rule: 2px solid #eee;">
*[[フレディ・グランツマン]]
*[[ジャン=イブ・クーンデ]]
*[[アロイス・ケーリン]]
*[[ヒッポリト・ケンプ]]
*[[アンドレアス・シャード]]
</div>
==== スウェーデン ====
<div style="columns: 24em 4; column-rule: 2px solid #eee;">
*[[スヴェン・イスラエルソン]]
*[[ベンクト・エリクソン]]
*[[エリック・エルムセーター]]
</div>
==== ドイツ ====
<div style="columns: 24em 4; column-rule: 2px solid #eee;">
*[[ロニー・アッカーマン]]
*[[イェンス・ガイザー]]
*[[ビョルン・キルヒアイゼン]]
*[[アンドレアス・クンツ]]
*[[フランツ・ケラー]]
*[[フーベルト・シュワルツ]]
*[[ゲオルク・トーマ]]
*[[コンラート・ビンクラー]]
*[[ゲオルク・ヘティヒ]]
*[[ウルバン・ヘティヒ]]
*[[マルセル・ヘーリッヒ]]
*[[ウルリヒ・ベーリンク]]
*[[ハンス=ペーター・ポール]]
*[[トーマス・ミュラー (ノルディック複合)]]
*[[カール=ハインツ・ルック]]
</div>
==== 日本 ====
<div style="columns: 24em 4; column-rule: 2px solid #eee;">
*[[麻生武治]]
*[[阿部雅司]]
*[[板垣宏志]]
*[[伊藤克彦]]
*[[江遠要甫]]
*[[大竹太志]]
*[[荻原健司]]
*[[荻原次晴]]
*[[河野孝典]]
*[[古川純一]]
*[[児玉和興]]
*[[小林範仁]]
*[[佐藤耕一]]
*[[高橋大斗]]
*[[富井彦]]
*[[萩原貴則]]
*[[藤沢隆]]
*[[藤沢良一]]
*[[三ヶ田礼一]]
*[[湊祐介]]
*[[山田勝巳]]
</div>
==== ノルウェー ====
<div style="columns: 24em 4; column-rule: 2px solid #eee;">
*[[クヌート・トーレ・アペラン]]
*[[トロント=アイナル・エルデン]]
*[[トルモト・クヌートセン]]
*[[ヨハン・グロットムスブローテン]]
*[[グンダー・グンダーセン]]
*[[トム・サントベルク]]
*[[ハルドー・スコール]]
*[[オーレ・ステネン]]
*[[スヴェレ・ステネルセン]]
*[[トラルフ・ストロムスタット]]
*[[ヨン・スネルスラット]]
*[[シモン・スロットビーク]]
*[[トルライフ・ハウグ]]
*[[オッドビョルン・ハーゲン]]
*[[ビャルテ・エンゲン・ビーク]]
*[[ビョルン・ヴィルコラ]]
*[[ハンス・ヴィンヤレンゲン]]
*[[スヴェレ・ブローダール]]
*[[ケネス・ブローテン]]
*[[オラフ・ホフスバッケン]]
*[[マグヌス・モーアン]]
*[[アルネ・ラルセン]]
*[[フレッド・ボーレ・ルンベルク]]
</div>
==== フィンランド ====
<div style="columns: 24em 4; column-rule: 2px solid #eee;">
*[[ユーコ・カルヤライネン]]
*[[アンティ・クイスマ]]
*[[アンシ・コイブランタ]]
*[[ヤッコ・タルス]]
*[[タピオ・ヌルメラ]]
*[[ヘイッキ・ハス]]
*[[マルッティ・フータラ]]
*[[ヤリ・マンティラ]]
*[[ハンヌ・マンニネン]]
*[[ラウノ・ミエッティネン]]
*[[ユッカ・ユリプリ]]
*[[サンパ・ラユネン]]
</div>
==== フランス ====
<div style="columns: 24em 4; column-rule: 2px solid #eee;">
*[[ファブリス・ギー]]
*[[シルバン・ギョーム]]
*[[ニコラ・バル]]
*[[ルドビク・ルー]]
</div>
== フリースタイル ==
=== モーグル ===
==== アメリカ合衆国 ====
<div style="columns: 24em 4; column-rule: 2px solid #eee;">
*[[ボブ・アルディハイリ]]([[w:Bob Aldighieri]])
*[[ヒラリー・インギッシュ]]([[w:Hilary Engish]])
*[[ジョン・ウィット]]([[w:John Witt]])
*[[アレックス・ウィルソン (スキー)|アレックス・ウィルソン]]([[w:Alex Wilson]])
*[[ブライオン・ウィルソン]]([[w:Bryon Wilson]])
*[[ヘイリー・ウォルフ]]([[w:Hayley Wolff]])
*[[ハンナ・カーニー]]([[w:Hannah Kearney]])
*[[ネルソン・カーマイケル]]([[w:Nelson Carmichael]])
*[[トラビス=アントン・キャブロウ]]([[w:Travis-Antone Cabral]])
*[[カイ・クチェラ]]([[w:Kay Kucera]])
*[[クーパー・シェル]]([[w:Cooper Schell]])
*[[マリー・ジョー・ティアンポ]]([[w:Mary Jo Tiampo]])
*[[エヴァン・デイビッグ]]([[w:Evan Dybvig]])
*[[スティーブ・デソビッチ]]([[w:Steve Desovich]])
*[[パトリック・デニーン]]([[w:Patrick Deneen]])
*[[トビー・ドーソン]]([[w:Toby Dawson]])
*[[エミコ・トリト]]([[w:Emiko Torito]])
*[[シャノン・バーキー]]([[w:Shannon Bahrke]])
*[[ハンナ・ハーダウェイ]]([[w:Hannah Hardaway]])
*[[アン・バテル]]([[w:Ann Battelle]])
*[[ジェレミー・コータ]]([[w:Jeremy Cota]])
*[[デービッド・バビック]]([[w:David Babic]])
*[[ブルック・バラシー]]([[w:Brooke Bllachey]])
*[[フランク・ビドア]]([[w:Frank Beddor]])
*[[ジリアン・レイチェル・フォグリ]]([[w:Jillian Rachell Vogtli]])
*[[ジェレミー・ブルーム]]([[w:Jeremy Bloom]])
*[[ガース・ヘイガー]]([[w:Garth Hager]])
*[[キャレブ・マーティン]]([[w:Caleb Martin]])
*[[チャック・マーティン]]([[w:Chuck Martin]])
*[[ヘザー・マクフィ]]([[w:Heather Mcphie]])
*[[リズ・マッキンタイア]]([[w:Liz Mcintyre]])
*[[トラビス・メイヤー]]([[w:Travis Mayer]])
*[[ジム・モーラン]]([[w:Jim Moran]])
*[[ジョニー・モズレー]]([[w:Jonny Moseley]])
*[[トラビス・ラモス]]([[w:Travis Ramos]])
*[[ミシェル・ローク]]([[w:Michelle Roark]])
*[[クレイグ・ロッドマン]]([[w:Craig Rodman]])
*[[ネイサン・ロバーツ]]([[w:Nathan Roberts]])
*[[シェリー・ロバートソン]]([[w:Shelly Robertson]])
*[[ドナ・ワインブレクト]]([[w:Donna Weinbrecht]])
*[[エリザ・オウトリム]]([[w:Eliza Outtrim]])
</div>
==== イタリア ====
<div style="columns: 24em 4; column-rule: 2px solid #eee;">
*[[ハンス・シェンク]]([[w:Hans Schenk]])
*[[デボラ・スカンジオ]]([[w:Deborah Scanzio]])
*[[シルビア・マルシャンディ]]([[w:Silvia Marciandi]])
*[[マウロ・モッチーニ]]([[w:Mauro Mottini]])
*[[ペトラ・モロダー]]([[w:Petra Moroder]])
</div>
==== オーストラリア ====
<div style="columns: 24em 4; column-rule: 2px solid #eee;">
*[[マリア・デスパス]]([[w:Maria Despas]])
*[[デイル・ベッグ=スミス]]([[w:Dale Begg-Smith]])
</div>
==== オーストリア ====
<div style="columns: 24em 4; column-rule: 2px solid #eee;">
*[[ジギー・インナウアー]]([[w:Sigi Innauer]])
*[[マルガリータ・マーブラー]]、[[w:Margarita Marbler]]
</div>
==== カザフスタン ====
<div style="columns: 24em 4; column-rule: 2px solid #eee;">
*[[ドミトリー・レイハード]]([[w:Dmitriy Reiherd]])
*[[ユリア・ガリシェワ]]([[w:Yulia Galysheva]])
</div>
==== カナダ ====
<div style="columns: 24em 4; column-rule: 2px solid #eee;">
*[[グレッグ・アサンス]]([[w:Greg Athans]])
*[[マリー=クロード・アスラン]]([[w:Marie-claude Asselin]])
*[[ビル・キーナン]]([[w:Bill Keenan]])
*[[エリサ・クリロウィッチ]]([[w:Elisa Kurylowicz]])
*[[ドミニク・ゴーチェ]]([[w:Dominic Gauthier]])
*[[ジム・シマン]]([[w:Jim Schiman]])
*[[ライアン・ジョンソン]]([[w:Ryan Johnson]])
*[[ジョン・スマート]]([[w:John Smart]])
*[[レニー・リー・スミス]]([[w:Renee Lee Smith]])
*[[ステファニー・スローン]]([[w:Stephanie Sloan]])
*[[ウォーレン・ターナー]]([[w:Warren Tanner]])
*[[リサ・ダウニング]]([[w:Lisa Downing]])
*[[ブロンウェン・トーマス]]([[w:Bronwen Thomas]])
*[[マキシム・デュフォーラポイント]]([[w:Maxime Dufour-Lapointe]])
*[[ミカエル・キングズバリ]]([[w:Mikael Kingsbury]])
*[[オードリー・ロビショウ]]([[w:Audrey Robichaud]])
*[[フィリップ・マーキス]]([[w:Philippe Marquis]])
*[[ジェニファー・ハイル]]([[w:Jennifer Heil]])
*[[ステファニー・セント・ピエール]]([[w:Stephanie St.Pierre]])
*[[アレキサンダー・ビロドウ]]([[w:Alexandre Bilodeau]])
*[[ピエール・フォゲット]]([[w:Pierre Forget]])
*[[ジャン=リュック・ブラッサール]]([[w:Jean-Luc Brassard]])
*[[タミ・ブラッドリー]]([[w:Tami Bradley]])
*[[レイチェル・ベリヴォー]]([[w:Rachel Belliveau]])
*[[ヴィンセント・マーキス]]([[w:Vincent Marquis]])
*[[リーリー・モリソン]]([[w:Leelee Morrisson]])
*[[マーク=アンドレ・モロー]]([[w:Marc-Andre Moreau]])
*[[クリスティ・リチャーズ]]([[w:Kristi Richards]])
*[[ピエール=アレキサンダー・ルソー]]([[w:Pierre-Alexandre Rousseau]])
*[[ステファン・ローション]]([[w:Stephane Rochon]])
*[[クロエ・デュフォーラポイント]]([[w:Chloe Dufour-Lapointe]])
*[[ジャスティン・デュフォーラポイント]]([[w:Justine Dufour-Lapointe]])
*[[マーク=アントン・ギャノン]]([[w:Marc-Antoine Gagnon]])
</div>
==== スイス ====
<div style="columns: 24em 4; column-rule: 2px solid #eee;">
*[[エリカ・ガリジ]]([[w:Erika Gallizzi]])
*[[コニー・キスリング]]([[w:Conny Kissling]])
*[[フランコ・ザノラニ]]([[w:Franco Zanolari]])
*[[ユルク・ビナー]]([[w:Juerg Biner]])
*[[バーナード・ブラント]]([[w:Bernard Brand]])
*[[コリン・ボドマー]]([[w:Corinne Bodmer]])
*[[ペトシュ・モーサー]]([[w:Petsch Moser]])
</div>
==== スウェーデン ====
<div style="columns: 24em 4; column-rule: 2px solid #eee;">
*[[ステファン・イングストローム]]([[w:Stefan Engstroem]])
*[[ジェニー・エイドルフ]]([[w:Jenny Eidolf]])
*[[マリア・エルフマン]]([[w:Marja Elfman]])
*[[ヘンリック・オスカーソン]]([[w:Henrik Oskarsson]])
*[[サラ・ケリン]]([[w:Sara Kjellin]])
*[[パトリック・サンドバーグ]]([[w:Patrik Sundberg]])
*[[ヨルゲン・パーヤルビ]]([[w:Jorgen Paajarvi]])
*[[ジェスパー・ビョルンルンド]]([[w:Jesper Bjoernlund]])
*[[ラッセ・ファーレン]]([[w:Lasse Fahlen]])
*[[フレデリック・フォートコード]]([[w:Fredrik Fortkord]])
*[[ジャスパー・ローンバック]]([[w:Jesper Roennback]])
</div>
==== チェコ ====
*[[ニコラ・スドバ]]([[w:Nikola Sudova]])
==== デンマーク ====
*[[アーニャ・ブルンバーグ]]([[w:Anja Bolbjerg]])
==== ドイツ ====
<div style="columns: 24em 4; column-rule: 2px solid #eee;">
*[[フランツ・ガーハマー]]([[w:Franz Garhammer]])
*[[クリスティン・ゲルグ]]([[w:Christine Gerg]])
*[[サンドラ・シュミット]]([[w:Sandra Schmitt]])
*[[ビルジット・ステイン=ケップラー]]([[w:Birgit Stein-Keppler]])
*[[タチアナ・ミッターマイヤー]]([[w:Tatjana Mittermayer]])
</div>
==== 日本 ====
<div style="columns: 24em 4; column-rule: 2px solid #eee;">
* [[伊藤みき]]
* [[上村愛子]]
* [[川村あんり]]
* [[坂本豪大]]
* [[里谷多英]]
* [[村田愛里咲]]
* [[上野修 (モーグル選手)]]
* [[附田雄剛]]
* [[西伸幸]]
* [[森徹 (スキー選手)]]
* [[山崎修]]
* [[遠藤尚]]
* [[原大智 (競輪選手)]]
* [[堀島行真]]
* [[星野純子]]
* [[中邑快青]] エアリアル世界ランク2位
</div>
==== ノルウェー ====
<div style="columns: 24em 4; column-rule: 2px solid #eee;">
*[[ハンス・エイデ・エンゲルセン]]([[w:Hans Eide Engelsen]])
*[[カーリー・トロー]]([[w:Kari Traa]])
*[[ステン・リサ・ハッテスタット]]([[w:Stine Lise Hattestad]])
*[[イングリッド・ベルトセン]]([[w:Ingrid Berntsen]])
</div>
==== フィンランド ====
<div style="columns: 24em 4; column-rule: 2px solid #eee;">
*[[ミナ・カルフ]]([[w:Minna Karhu]])
*[[マルティ・ケロクンプ]]([[w:Martti Kellokumpu]])
*[[テロ・トゥルネン]]([[w:Tero Turunen]])
*[[サミ・ムストネン]]([[w:Sami Mustonen]])
*[[ラウリ・ラッシラ]]([[w:Lauri Lassila]])
*[[ヤンネ・ラハテラ]]([[w:Janne Lahtela]])
*[[タピオ・ルースァ]]([[w:Tapio Luusua]])
*[[ミッコ・ロンカイネン]]([[w:Mikko Ronkainen]])
</div>
==== フランス ====
<div style="columns: 24em 4; column-rule: 2px solid #eee;">
*[[オリビエ・アラマン]]([[w:Olivier Allamand]])
*[[ファブリス・ウージェ]]([[w:Fabrice Ougier]])
*[[トニー・エメリー]]([[w:Thony Hemery]])
*[[キャンディス・ギルグ]]([[w:Candice Gilg]])
*[[ベルニス・グレゴア]]([[w:Berenice Gregoire]])
*[[ヨハン・グレゴワール]]([[w:Johann Gregoire]])
*[[エドガー・グロスピロン]]([[w:Edgar Grospiron]])
*[[リシャール・ゲイ]]([[w:Richard Gay]])
*[[オリヴィエ・コット]]([[w:Olivier Cotte]])
*[[ギルバート・コラス]]([[w:Guilbaut Colas]])
*[[フィリップ・ダイベル]]([[w:Philippe Deiber]])
*[[エリック・バートン]]([[w:Eric Berthon]])
*[[カトリーヌ・フレイラー]]([[w:Catherine Frarier]])
*[[フィリップ・ブロン]]([[w:Philippe Bron]])
*[[ファビアン・ベルトラン]]([[w:Fabien Bertrand]])
*[[ナノ・ポーチェ]]([[w:Nano Pourtier]])
*[[ラファエル・モノ]]([[w:Raphaelle Monod]])
*[[ステファン・ヨネ]]([[w:Stephane Yonnet]])
*[[サンドラ・ラウラ]]([[w:Sandra Laoura]])
*[[エリック・ラボウレイ]]([[w:Eric Laboureix]])
</div>
==== ロシア ====
<div style="columns: 24em 4; column-rule: 2px solid #eee;">
*[[エリザベータ・コツェフニコワ]]([[w:Elizaveta Kozhevnikova]])
*[[ルスラン・シャリフリン]]([[w:Ruslan Sharifullin]])
*[[セルゲイ・シュプレツォフ]]([[w:Sergei Schuplezow]])
*[[アレクサンドル・シュミシュラフ]]([[w:Alexandr Smyshlyaev]])
*[[エカテリーナ・ストヤロワ]]([[w:Ekaterina Stolyarova]])
*[[マリナ・チェルカソワ (スキー)|マリナ・チェルカソワ]]([[w:Marina Cherkasova]])
*[[リュドミラ・ディムチェンコ]]([[w:Ljudmila Dymchenko]])
*{{仮リンク|セルゲイ・ボルコフ (スキー選手)|en|Sergey Volkov (skier)|label=セルゲイ・ボルコフ}}
</div>
=== エアリアル ===
==== アメリカ合衆国 ====
<div style="columns: 24em 4; column-rule: 2px solid #eee;">
*[[ライアン・セント・オンジュ]]([[w:Ryan St Onge]])
*[[マリア・クインターナ]]([[w:Maria Quintana]])
*[[キップ・グリフィン]]([[w:Kip Griffin]])
*[[ニッキ・ストーン]]([[w:Nikki Stone]])
*[[ブリット・スワートレイ]]([[w:Britt Swartley]])
*[[リズ・ハイデンライク]]([[w:Liz Heidenreich]])
*[[ジョー・パック]]([[w:Joe Pack]])
*[[メランニー・パレニク]]([[w:Melanie Palenik]])
*[[アシュリー・コールドウェル]]([[w:Ashley Caldwell]])
*[[スコッティ・バーキー]]([[w:Scotty Bahrke]])
*[[デイブ・バレンティ]]([[w:Dave Valenti]])
*[[ジェレット・ピーターソン]]([[w:Jeret Peterson]])
*[[マリー・ビドア]]([[w:Mary Beddor]])
*[[クリス・フェダーセン]]([[w:Kris Feddersen]])
*[[エリック・ベルゴースト]]([[w:Eric Bergoust]])
*[[クリスティーン・ポーター]]([[w:Kristean Porter]])
*[[ラス・マグナンティ]]([[w:Russ Magnanti]])
*[[トレース・ワーシントン]]([[w:Trace Worthington]])
*[[エミリー・クック]]([[w:Emily Cook]])
*[[ディラン・ファーガソン]]([[w:Dylan Ferguson]])
</div>
==== イギリス ====
<div style="columns: 24em 4; column-rule: 2px solid #eee;">
*[[リチャード・コビング]]([[w:Richard Cobbing]])
*[[マイク・ネメスヴァリー]]([[w:Mike Nemesvary]])
</div>
==== ウクライナ ====
<div style="columns: 24em 4; column-rule: 2px solid #eee;">
*[[エンベル・アブラエフ]]([[w:Enver Ablaev]])
*[[オルガ・ヴォルコヴァ]]([[w:Olga Volkova]])
*[[スタニスワフ・クラフチュク]]([[w:Stanislav Kravchuk]])
</div>
==== ウズベキスタン ====
*[[リナ・チェルヤゾワ]]([[w:Lina Cheryazova]])
==== オーストラリア ====
<div style="columns: 24em 4; column-rule: 2px solid #eee;">
*[[エリザベス・ガードナー]]([[w:Elizabeth Gardner]])
*[[アリサ・キャンプリン]]([[w:Alisa Camplin]])
*[[ジャッキー・クーパー (スキー)|ジャッキー・クーパー]]([[w:Jacqui Cooper]])
*[[クリスティー・マーシャル]]([[w:Kirstie Marshall]])
*[[リディア・ラシラ]]([[w:Lydia Lassila]])
</div>
==== オーストリア ====
<div style="columns: 24em 4; column-rule: 2px solid #eee;">
*[[アンドレア・アマン]]([[w:Andrea Amann]])
*[[クリスティアン・ リヤベク]]([[w:Christian Rijavec]])
</div>
==== カナダ ====
<div style="columns: 24em 4; column-rule: 2px solid #eee;">
*[[ジョン・イーブス]]([[w:John Eaves]])
*[[スティーブ・オミシュル]]([[w:Steve Omischl]])
*[[キャロライン・オリヴィエ]]([[w:Caroline Olivier]])
*[[メレディス・ガードナー]]([[w:Meredith Gardner]])
*[[アンディ・キャピシック]]([[w:Andy Capicik]])
*[[クレイグ・クロウ]]([[w:Craig Clow]])
*[[ジャン・コリヴォー]]([[w:Jean Corriveau]])
*[[ウォーレン・ショールダイス]]([[w:Warren Shouldice]])
*[[コード・スペロ]]([[w:Cord Spero]])
*[[ディードラ・ディオンヌ]]([[w:Deidra Dionne]])
*[[カイル・ニッセン]]([[w:Kyle Nissen]])
*[[ヴェロニカ・バウアー]]([[w:Veronika Bauer]])
*[[ジェフ・ビーン]]([[w:Jeff Bean]])
*[[オリビエ・ロション]]([[w:Olivier Rochon]])
*[[ニコラス・フォンティーン]]([[w:Nicolas Fontaine]])
*[[アンナ・フレイサー]]([[w:Anna Fraser]])
*[[ライアン・ブレイス]]([[w:Ryan Blais]])
*[[ヴェロニカ・ブレンナー]]([[w:Veronika Brenner]])
*[[ローラリー・ボウイ]]([[w:Lauralee Bowie]])
*[[ピエール・ポーリン]]([[w:Pierre Poulin]])
*[[アラン・ラロッシュ]]([[w:Alain Laroche]])
*[[イブ・ラロッシュ]]([[w:Yves Laroche]])
*[[ドミニク・ラロッシュ]]([[w:Dominique Laroche]])
*[[フィリップ・ラロッシュ]]([[w:Philippe LaRoche]])
*[[ロイド・ラングロイス]]([[w:Lloyd Langlois]])
*[[ジョン・ロス (スキー)|ジョン・ロス]]([[w:John Ross]])
*[[ジャン=マルク・ロゾン]]([[w:Jean-Marc Rozon]])
</div>
==== スイス ====
<div style="columns: 24em 4; column-rule: 2px solid #eee;">
*[[マーティン・ウォルティ]]([[w:Martin Walti]])
*[[コレット・ブランド]]([[w:Colette Brand]])
*[[マヌエラ・ミューラー]]([[w:Manuela Mueller]])
*[[エベリネ・ルー]]([[w:Evelyne Leu]])
*[[トーマス・ランバート]]([[w:Thomas Lambert]])
*[[ミシェル・ロールバッハ]]([[w:Michele Rohrbach]])
*[[エベリン・ワース]]([[w:Eveline Wirth]])
*[[サンドロ・ワース]]([[w:Sandro Wirth]])
*[[レナート・ウルリッヒ]]([[w:Renato Ulrich]])
*[[タニャ・シェーラー]]([[w:Tanja Schaerer]])
</div>
==== スウェーデン ====
<div style="columns: 24em 4; column-rule: 2px solid #eee;">
*[[マヤ・ベルグ]]([[w:Maja Berg]])
*[[カリン・ヘルンスクーグ]]([[w:Carin Hernskog]])
*[[マリー・リンドグレーン]]([[w:Marie Lindgren]])
*[[リサロッテ・ヨハンソン]]([[w:Liselotte Johansson]])
</div>
==== チェコ ====
*[[アレシュ・バレンタ]]([[w:Ales Valenta]])
==== 中国 ====
<div style="columns: 24em 4; column-rule: 2px solid #eee;">
*[[欧暁涛]]([[w:Ou Xiaotao]])
*[[邱森]]([[w:Qiu Sen]])
*[[郭心心]]([[w:Guo Xinxin]])
*[[郭丹丹]]([[w:Guo Dandan]])
*[[趙姍姍]]([[w:Zhao Shanshan]])
*[[季小欧]]([[w:Ji Xiaoou]])
*[[賈宗洋]]([[w:Jia Zongyang]])
*[[斉広璞]]([[w:Qi Guangpu]])
*[[徐囡囡]]([[w:Xu Nannan]])
*[[徐夢桃]]([[w:Xu Mengtao]])
*[[程爽]]([[w:Cheng Shuang]])
*[[韓暁鵬]]([[w:Han Xiaopeng]])
*[[李妮娜]]([[w:Li Nina]])
*[[王嬌]]([[w:Wang Jiao]])
*[[張鑫]]([[w:Zhang Xin (skier)]])
</div>
==== ドイツ ====
<div style="columns: 24em 4; column-rule: 2px solid #eee;">
*[[エルフィー・ジムヒェン]]([[w:Elfie Simchen]])
*[[ソーニャ・ライヒャルト]]([[w:Sonja Reichart]])
</div>
==== ノルウェー ====
<div style="columns: 24em 4; column-rule: 2px solid #eee;">
*[[トール・シャイエ]]([[w:Tor Skeie]])
*[[ヒルデ・シーナヴェ・リッド]]([[w:Hilde Synnoeve Lid]])
</div>
==== フランス ====
<div style="columns: 24em 4; column-rule: 2px solid #eee;">
*[[ジャン=ダミアン・クリモネ]]([[w:Jean-Damien Climonet]])
*[[ジャン=マルク・バキン]]([[w:Jean-Marc Bacquin]])
*[[セバスチャン・フォークラス]]([[w:Sebastien Foucras]])
*[[ディディエ・メダ]]([[w:Didier Meda]])
*[[カトリーヌ・ロンバール]]([[w:Catherine Lombard]])
</div>
==== ベラルーシ ====
<div style="columns: 24em 4; column-rule: 2px solid #eee;">
*[[アントン・クシニル]]([[w:Anton Kushnir]])
*[[アレクセイ・グリチン]]([[w:Alexei Grishin]])
*[[アソリ・スリベッツ]]([[w:Assoli Slivets]])
*[[ドミトリー・ダシンスキー]]([[w:Dmitri Dashinski]])
*[[アラ・チュペール]]([[w:Alla Tsuper]])
*[[ヴァシリ・ボロビオフ]]([[w:Vassili Vorobiov]])
</div>
==== ロシア ====
<div style="columns: 24em 4; column-rule: 2px solid #eee;">
*[[ドミトリ・アルキポフ]]([[w:Dmitri Arkhipov]])
*[[ナタリア・オルコワ]]([[w:Natalia Orekhova]])
*[[パヴェル・クロトフ]]([[w:Pavel Krotov]])
*[[アレクサンドル・ミハイロフ]]([[w:Alexandre Mikhailov]])
*[[ティモファイ・スリヴェッツ]]([[w:Timofei Slivets]])
</div>
=== スキークロス ===
==== アメリカ合衆国 ====
<div style="columns: 24em 4; column-rule: 2px solid #eee;">
*[[ケーシー・パケット]]([[w:Casey Puckett]])
*[[デビン・ローガン]]([[w:Devin Logan]])
*[[トリン・イェーター・ウォレス]]([[w:Torin Yater-Wallace]])
*[[ジョン・テラー]]([[w:John Teller]])
</div>
==== イタリア ====
*[[カール・ハインツ・モリング]]([[w:Karl Heinz Molling]])
==== オーストラリア ====
*[[スコット・ネラー]]([[w:Scott Kneller]])
==== オーストリア ====
<div style="columns: 24em 4; column-rule: 2px solid #eee;">
*[[マークス・ウィットナー]]([[w:Markus Wittner]])
*[[カタリナ・グーテンゾーン]]([[w:Katharina Gutensohn]])
*[[イジドール・グリューナー]]([[w:Isidor Gruener]])
*[[シモン・スティックル]]([[w:Simon Stickl]])
*[[アンドレア・リンバッハ]]([[w:Andrea Limbacher]])
*[[トーマス・ツァンガール]]([[w:Thomas Zangerl]])
*[[カーリン・フッタリー]]([[w:Karin Huttary]])
*[[ロマン・ホーファー]]([[w:Roman Hofer]])
*[[アンドレアス・マット]]([[w:Andreas Matt]])
</div>
==== カナダ ====
<div style="columns: 24em 4; column-rule: 2px solid #eee;">
*[[アリーシャ・クライン]]([[w:Aleisha Cline]]
*[[ケルシー・サーワ]]([[w:Kelsey Serwa]])
*[[クリストファー・デルボスコ]]([[w:Christopher Delbosco]])
*[[ニック・ゾリチッチ]]([[w:Nik Zoricic]])
*[[トリスタン・ターフェル]]([[w:Tristan Tafel]])
*[[ジュリア・マレイ]]([[w:Julia Murray]])
*[[デイビー・バー]]([[w:Dabey Barr]])
*[[スタンレー・ヘイヤー]]([[w:Stanley Hayer]])
*[[アシュリー・マカイヴァー]]([[w:Ashleigh McIvor]])
*[[ブラッディ・レマン]]([[w:Brady Leman]])
*[[マリエール・トンプソン]]([[w: Marielle Thompson]])
</div>
==== スイス ====
<div style="columns: 24em 4; column-rule: 2px solid #eee;">
*[[アンドレアス・シュテフェン]]([[w:Andreas Steffen]])
*[[フランツィスカ・シュテフェン]]([[w:Franziska Steffen]])
*[[パトリック・シュミット (スキー選手)|パトリック・シュミット]]([[w:Patrick Schmid]])
*[[ミヒャエル・シュミット]]([[w:Michael Schmid]])
*[[ファニー・スミス]]([[w:Fanny Smith]])
*[[サナー・ルディ]]([[w:Sanna Lüdi]])
*[[アニック・スタウデンマン]]([[w:Annick Staudenmann]])
*[[エミリー・セラー]]([[w:Emilie Serain]])
*[[セレナ・ムルク]]([[w:Seraina Murk]])
*[[パトリック・ガッサー]]([[w:Patrick Gasser]])
*[[アレックス・フィヴァ]]([[w:Alex Fiva]])
*[[カトリーン・ミュラー]]([[w:Katrin Müller]])
</div>
==== スウェーデン ====
<div style="columns: 24em 4; column-rule: 2px solid #eee;">
*[[エリック・イリヤンス]]([[w:Eric Iljans]])
*[[マグダレーナ・イリヤンス]]([[w:Magdalena Iljans]])
*[[ジェスパー・ブルージュ]]([[w:Jesper Brugge]])
*[[アンナ・ホルムランド]]([[w:Anna Holmlund]])
*[[ラーシュ・レベン]]([[w:Lars Lewen]])
</div>
==== スロベニア ====
<div style="columns: 24em 4; column-rule: 2px solid #eee;">
*[[サーシャ・ファリック]]([[w:Saa Faric]])
*[[フィリップ・フリーザー]]([[w:Filip Flisar]])
</div>
==== チェコ ====
*[[トーマス・クラウス]]([[w:Tomas Kraus]])
==== ドイツ ====
<div style="columns: 24em 4; column-rule: 2px solid #eee;">
*[[アレクサンドル・グラウボーグル]]([[w:Alexandra Grauvogl]])
*[[ハイジ・ザッカー]]([[w:Heidi Zacher]])
*[[ダニエル・ボーナッカー]]([[w:Daniel Bohnacker]])
*[[アンナ・ヴェルネル]]([[w:Anna Woerner]])
</div>
==== 日本 ====
<div style="columns: 24em 4; column-rule: 2px solid #eee;">
*[[小林幸世]]
*[[瀧澤宏臣]]
*[[福島のり子]]
</div>
==== ノルウェー ====
<div style="columns: 24em 4; column-rule: 2px solid #eee;">
*[[オゥドゥン・グルンヴォルド]]([[w:Audun Groenvold]])
*[[マルテ・ハウィー・ジェフセン]]([[w:Marte Hoeie Gjefsen]])
*[[ヘッダ・ベルントセン]]([[w:Hedda Berntsen]])
</div>
==== フィンランド ====
*[[ユニ・ペリネン]]([[w:Jouni Pellinen]])
==== フランス ====
<div style="columns: 24em 4; column-rule: 2px solid #eee;">
*[[エナク・ガバッジオ]]([[w:Enak Gavaggio]])
*[[ザヴィエ・クーン]]([[w:Xavier Kuhn]])
*[[クリスティアン・クレティエ]]([[w:Christian Cretier]])
*[[マリオン・ジョスロン]]([[w:Marion Josserand]])
*[[ブノワ・バレンタイン]]([[w:Benoit Valentin]])
*[[バレンタイン・スクオット]]([[w:Valentine Scuotto]])
*[[オフェリー・ダビド]]([[w:Ophelie David]])
*[[テッド・ピカール]]([[w:Ted Piccard]])
*[[メリル・ブーランジェ]]([[w:Meryl Boulangeat]])
</div>
==== ベルギー ====
*[[ケイト・アーツ]]([[w:Katrien Aerts]])
=== ハーフパイプ ===
==== アメリカ合衆国 ====
<div style="columns: 24em 4; column-rule: 2px solid #eee;">
*[[アンジェリ・ヴァンラーネン]]([[w:Angeli Vanlaanen]])
*[[タッカー・パーキンス]]([[w:Tucker Perkins]])
*[[ジェニファー・ハダック]]([[w:Jennifer Hudak]])
*[[トリン・イェーター=ウォレス]]([[w:Torin Yater-Wallace]])
*[[マディー・ボーマン]]([[w:Maddie Bowman]])
*[[アーロン・ブランク]]([[w:Aaron Blunck]])
*[[ライマン・カリアー]]([[w:Lyman Currier]])
*[[クリスティー・レスキネン]]([[w:Kristi Leskinen]])
*[[デービッド・ワイズ]]([[w:David Wise]])
*[[ウィン・タイ・バリモア]]([[w:Wing Tai Barrymore]])
*[[タッカー・パーキンス]]([[w:Tucker Perkins]])
*[[サイモン・デュモン]]([[w:Simon Dumont]])
*[[アレックス・フェレーラ]]([[w:Alexander Ferreira]])
</div>
==== オーストラリア ====
*[[ダヴィーナ・ウイリアムス]]([[w:Davina Williams]])
==== カナダ ====
<div style="columns: 24em 4; column-rule: 2px solid #eee;">
*[[コーリー・ヴァニュラー]]([[w:Corey Vanular]])
*[[ミーガン・ガニング]]([[w:Megan Gunning]])
*[[ジェシカ・カミング]]([[w:Jessica Cumming]])
*[[ロサリンド・グローエンウッド]]([[w:Rosalind Groenewoud]])
*[[ジャスティン・ドーレー]]([[w:Justin Dorey]])
*[[ノア・ボーマン]]([[w:Noah Bowman]])
*[[サイモン・ダルトワ]]([[w:Simon d'Artois]])
*[[サラ・バーク]]([[w:Sarah Burke]])
*[[ジョシュ・ビビー]]([[w:Josh Bibby]])
*[[マシュー・ヘイワード]]([[w:Matthew Hayward]])
*[[マイク・ヘニティク]]([[w:Mike Henitiuk]])
*[[マイク・リドル]]([[w:Mike Riddle]])
*[[ケルティ・ハンセン]]([[w:Keltie Hansen]])
</div>
==== スウェーデン ====
*[[マルタ・アーレンステッド]]([[w:Marta Ahrenstedt]])
==== スイス ====
<div style="columns: 24em 4; column-rule: 2px solid #eee;">
*[[ミリヤム・イェーガー]]([[w:Mirjam Jaeger]])
*[[ヴージニア・ファーブレ]]([[w:Virginie Faivre]])
*[[ニルス・ローパー]]([[w:Nils Lauper]])
</div>
==== 日本 ====
<div style="columns: 24em 4; column-rule: 2px solid #eee;">
*[[上野雄大]]
*{{仮リンク|津田健太朗|en|Kentaro Tsuda}}
*[[鈴木沙織|鈴木沙織 (フリースタイルスキーヤー)]]
*[[畑中みゆき]]
*[[小野塚彩那]]
*[[三星マナミ]]
</div>
==== ノルウェー ====
<div style="columns: 24em 4; column-rule: 2px solid #eee;">
*[[グレート・エライアッセン]]([[w:Grete Eliassen]])
*[[イングリッド・ベルトセン]]([[w:Ingrid Berntsen]])
</div>
==== フィンランド ====
<div style="columns: 24em 4; column-rule: 2px solid #eee;">
*[[アンティ=ユッシ・ケンパイネン]]([[w:Antti-Jussi Kemppainen]])
*[[カーレ・レイノネン]]([[w:Kalle Leinonen]])
</div>
==== フランス ====
<div style="columns: 24em 4; column-rule: 2px solid #eee;">
*[[マリー・アンドリュー]]([[w:Marie Andrieux]])
*[[マティアス・ウェクスティン]]([[w:Mathias Wecxsteen]])
*[[ヴィンセント・エストーク]]([[w:Vincent Estorc]])
*[[アネー・カラドー]]([[w:Anais Caradeux]])
*[[ローク・コロン=バタン]]([[w:Loïc Collomb-Patton]])
*[[アナイス・カラドゥー]]([[w:Anais Caradeux]])
*[[トーマス・クリーフ]]([[w:Thomas Krief]])
*[[ヴィヴィアン・ティエリー]]([[w:Vivien Thiery]])
*[[ローラン・ファーブル]]([[w:Laurent Favre]])
*[[ザヴィエ・ベルトーニ]]([[w:Xavier Bertoni]])
*[[マリー・マルティノド]]([[w:Marie Martinod]])
*[[ケビン・ローランド]]([[w:Kevin Rolland]])
*[[ブノワ・ヴァランタン]]([[w:Benoit Valentin]])
</div>
=== スロープスタイル ===
==== アメリカ合衆国 ====
<div style="columns: 24em 4; column-rule: 2px solid #eee;">
*[[トム・ウォリッシュ]]([[w:Tom Wallisch]])
*[[ブリタ・シガニー]]([[w:Brita Sigourney]])
*[[ケリー・ハーマン]]([[w:Keri Herman]])
*[[ガス・ケンワージー]]([[w:Gus Kenworthy]])
*[[ジョス・クリステンセン]]([[w:Joss Christensen]])
*[[マット・ウォーカー]]([[w:Matt Walker]])
*[[クリストファー・レイカー]]([[w:Christopher Laker]])
*[[ウィリアム・ボーム]]([[w:William Borm]])
*[[ノア・ウォレス]]([[w:Noah Wallace]])
*[[コルビー・ウェスト]]([[w:Colby West]])
*[[ニック・ゲッパー]]([[w:Nick Goepper]])
*[[ボビー・ブラウン (フリースタイルスキーヤー)]]([[w:Bobby Brown(freestyle skier)]])
*[[マクレイ・ウィリアムズ]]([[w:McRae Williams]])
*[[アレックス・シュロピー]]([[w:Alex Schlopy]])
*[[サミー・カールソン]]([[w:Sammy Carlson]])
*[[イーサン・スワッドバーグ]]([[w:Ethan Swadburg]])
*[[ロビー・フランコ]]([[w:Robby Franco]])
</div>
==== イギリス ====
*[[ジェームズ・ウッズ (フリースタイルスキーヤー)]]([[w:James Woods (freestyle skier)]])
==== イタリア ====
<div style="columns: 24em 4; column-rule: 2px solid #eee;">
*[[マルクス・エデル]]([[w:Markus Eder]])
*[[シモーネ・カナル]]([[w:Simone Canal]])
</div>
==== オーストラリア ====
*[[ローラ・ピール]]([[w:Laura Peel]])
*[[ラス・ヘンショー]]([[w:Russ Henshaw]])
==== オーストリア ====
*[[ルカ・トリボンドー]]([[w:Luca Tribondeau]])
==== カナダ ====
<div style="columns: 24em 4; column-rule: 2px solid #eee;">
*[[カヤ・トゥルスキ]]([[w:Kaya Turski]])
*[[ヴィンセント・ガニエ]]([[w:Vincent Gagnier]])
*[[ノア・モリソン]]([[w:Noah Morrison]])
*[[エヴァン・マクイクラン]]([[w:Evan Mceachran]])
*[[ティール・ハール]]([[w:Teal Harle]])
*[[アレックス・ベルマール]]([[w:Alex Bellemare]])
*[[アレックス・ボーリー-マルシャン]]([[w:Alex Beaulieu-Marchand]])
*[[キム・ラメーア]]([[w:Kim Lamarre]])
*[[リード・マクイクラン]]([[w:Reid Mceachran]])
*[[ライリー・カルバー]]([[w:Riley Culver]])
</div>
==== スイス ====
<div style="columns: 24em 4; column-rule: 2px solid #eee;">
*[[シリル・ハンツィカー]]([[w:Cyrill Hunziker]])
*[[エリアス・アンビュール]]([[w:Elias Ambühl]])
*[[ファビアン・ベッシュ]]([[w:Fabian Boesch]])
*[[アンドリ・ラゲットリ]]([[w:Andri Ragettli]])
*[[ティル・マッティ]]([[w:Till Matti]])
*[[イーヴリン・ベント]]([[w:Eveline Bhend]])
*[[カイ・マーラー]]([[w:Kai Mahler]])
*[[ルカ・シューラー]]([[w:Luca Schuler]])
*[[ジョナス・ハンジカー]]([[w:Jonas Hunziker]])
</div>
==== スウェーデン ====
<div style="columns: 24em 4; column-rule: 2px solid #eee;">
*[[ヘンリク・ハーロウ]]([[w:Henrik Harlaut]])
*[[ジェスパー・ジェイダー]]([[w:Jesper Tjader]])
*[[オスカー・ウェスター]]([[w:Oscar Wester]])
</div>
==== チェコ ====
*[[マレク・スカラ]]([[w:Marek Skala]])
==== ドイツ ====
<div style="columns: 24em 4; column-rule: 2px solid #eee;">
*[[ベネディクト・マイアー]]([[w:Benedikt Mayr]])
*[[フローリアン・プロイス]]([[w:Florian Preuss]])
</div>
==== 日本 ====
*{{仮リンク|高尾千穂|en|Chiho Takao}}
==== ニュージーランド ====
<div style="columns: 24em 4; column-rule: 2px solid #eee;">
*[[ジョサイア・ウェルズ]]([[w:Jossi Wells]])
*[[ジャクソン・ウェルズ]]([[w:Jackson Wells]])
*[[ボー=ジェームズ・ウェルズ]]([[w:Beau-James Wells]])
</div>
==== ノルウェー ====
<div style="columns: 24em 4; column-rule: 2px solid #eee;">
*[[リン=イーダ・ムルド]]([[w:Linn-Ida Murud]])
*[[ピーケー・ハンダー]]([[w:PK Hunder]])
*[[アレクサンダー・アウルダール]]([[w:Aleksander Aurdal]])
*[[オーステン・ブラーテン]]([[w:Oystein Braaten]])
*[[アンドレアス・ホートヴェイト]]([[w:Andreas Håtveit]])
*[[フェリックス・ストリッズバーグ=ウステルッド]]([[w:Felix Stridsberg-Usterud]])
</div>
==== フィンランド ====
<div style="columns: 24em 4; column-rule: 2px solid #eee;">
*[[アンティ=ユッシ・ケンパイネン]]([[w:Antti-Jussi Kemppainen]])
*[[オッソ・ライサネン]]([[w:Otso Raisanen]])
*[[アレクシー・パティヤ]]([[w:Aleksi Patja]])
*[[アンティ・オリア]]([[w:Antti Ollila]])
*[[ラウリ・キバリ]]([[w:Lauri Kivari]])
*[[サミ・サッキネン]]([[w:Sami Sakkinen]])
</div>
==== フランス ====
<div style="columns: 24em 4; column-rule: 2px solid #eee;">
*[[キャンディッド・トベックス]]([[w:Candide Thovex]])
*[[ジェレミー・パンクラス]]([[w:Jeremy Pancras]])
*[[ジュール・ボネール]]([[w:Jules Bonnaire]])
*[[アントワーヌ・アドゥリス]]([[w:Antoine Adelisse]])
</div>
==== ロシア ====
*[[パヴェル・コルパチェフ]]([[w:Pavel Korpachev]])
=== アクロ ===
==== アメリカ合衆国 ====
<div style="columns: 24em 4; column-rule: 2px solid #eee;">
*[[イアン・エドモンドソン]]([[w:Ian Edmondson]])
*[[レーン・スピナ]]([[w:Lane Spina]])
*[[ボブ・ハワード]]([[w:Bob Howard]])
*[[ジャン・ブッチャー]]([[w:Jan Bucher]])
*[[エレン・ブリーン]]([[w:Ellen Breen]])
*[[スティーブン・ロクスベルグ]]([[w:Steven Roxberg]])
</div>
==== イタリア ====
*[[ロベルト・フランコ]]([[w:Roberto Franco]])
==== カナダ ====
*[[マイク・マクドナルド]]([[w:Mike McDonald]])
==== スイス ====
<div style="columns: 24em 4; column-rule: 2px solid #eee;">
*[[コニー・キスリング]]([[w:Conny Kissling]])
*[[ヘイニ・バウムガートナー]]([[w:Heini Baumgartner]])
*[[コンラッド・ヒルパート]]([[w:Konrad Hilpert]])
</div>
==== スウェーデン ====
*[[アニカ・ヨハンソン]]([[w:Annika Johansson]])
==== ドイツ ====
<div style="columns: 24em 4; column-rule: 2px solid #eee;">
*[[リチャード・スカブル]]([[w:Richard Schabl]])
*[[ハーマン・リートベルガー]]([[w:Hermann Reitberger]])
</div>
==== ノルウェー ====
*[[ルネ・クリスチャンセン]]([[w:Rune Kristiansen]])
==== フランス ====
<div style="columns: 24em 4; column-rule: 2px solid #eee;">
*[[ファブリス・ベッケル]]([[w:Fabrice Becker]])
*[[クリスティーヌ・ロッシ]]([[w:Christine Rossi]])
</div>
==== ロシア ====
<div style="columns: 24em 4; column-rule: 2px solid #eee;">
*[[オクサナ・クシェンコ]]([[w:Oksana Kushenko]])
*[[イェレナ・バタロワ]]([[w:Elena Batalova]])
*[[ナタリア・ラズモフスカヤ]]([[w:Natalia Razumovskaya]])
</div>
=== コンバインド ===
==== アメリカ合衆国 ====
<div style="columns: 24em 4; column-rule: 2px solid #eee;">
*[[フランク・ビドア]]([[w:Frank Beddor]])
*[[シャロン・ペツォルト]]([[w:Sharon Petzold]])
*[[デビッド・ベルミューラー]]([[w:David Belhumeur]])
*[[クリスティーン・ポーター]]([[w:Kristean Porter]])
*[[ジョニー・モズレー]]([[w:Jonny Moseley]])
*[[トレース・ワーシントン]]([[w:Trace Worthington]])
</div>
==== カナダ ====
<div style="columns: 24em 4; column-rule: 2px solid #eee;">
*[[グレッグ・アサンス]]([[w:Greg Athans]])
*[[マリー=クロード・アスラン]]([[w:Marie-Claude Asselin]])
*[[カテリーナ・クベンク]]([[w:Katherina Kubenk]])
*[[トーベン・サザーランド]]([[w:Toben Sutherland]])
*[[クリス・シンボリ]]([[w:Chris Simboli]])
*[[ステファニー・スローン]]([[w:Stephanie Sloan]])
*[[ダーシー・ダウンズ]]([[w:Dracy Downs]])
*[[メラニー・パレニク]]([[w:Melanie Palenik]])
*[[アラン・ラロッシュ]]([[w:Alain LaRoche]])
</div>
==== スイス ====
<div style="columns: 24em 4; column-rule: 2px solid #eee;">
*[[コニー・キスリング]]([[w:Conny Kissling]])
*[[マヤ・シュミッド]]([[w:Maja Schmid]])
</div>
==== フランス ====
<div style="columns: 24em 4; column-rule: 2px solid #eee;">
*[[キャシー・フェチョス]]([[w:Cathy Féchoz]])
*[[エリック・ラボウレイ]]([[w:Éric Laboureix]])
</div>
==== ロシア ====
*[[セルゲイ・シュプレツォフ]]([[w:Sergei Shupletsov]])
== フリーライド ==
*[[山木匡浩]] 1975年5月北海道生まれ。全日本スキー技術選手権出場後、2000年アラスカ Mt.マッキンリー登頂を機にフリーライドスキーへ転向。その後ロシア、アラスカ、グリーンランド、インドヒマラヤなどへのエクスペディションに成功。
{{sportspeople-stub}}
{{DEFAULTSORT:すきいせんしゆいちらん}}
[[Category:スキー選手|*いちらん]]
[[Category:スポーツ選手一覧 (競技別)|すきい]]
| null |
2022-05-01T14:47:19Z
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[
"Template:TOC limit",
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"Template:Sportspeople-stub"
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%BC%E9%81%B8%E6%89%8B%E4%B8%80%E8%A6%A7
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14,745 |
約数
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数学において整数 N の約数(やくすう、英: divisor)とは、N を割り切る整数またはそれらの集合のことである。割り切るかどうかということにおいて、符号は本質的な問題ではないため、N を正の整数(自然数)に、約数は正の数に限定して考えることも多い。自然数や整数の範囲でなく文字式や抽象代数学における整域などで「約数」と同様の意味を用いる場合は、「因数」(いんすう)、「因子」(いんし、英: factor)が使われることが多い。
整数 a が整数 N の約数であることを、記号 | を用いて a | N と表す。
約数の定義を式で表すと、「整数 a ≠ 0 が N の約数であるとは、ある整数 b をとると N = ab が成立することである」であるが、条件「a ≠ 0」を外すこともある(その場合、N = 0 のとき 0 も約数になる)。
自然数(正の整数)で考えている文章では、ことわりがなくても「約数」を前提にしていることは多い。
整数 a ≠ 0 が N の約数であるとは、「ある整数 b をとると N = ab が成立することである」であるが、条件「a ≠ 0」を外すこともある。このときは、N = 0 のときに限り 0 も約数になる。約数が無数にある整数は 0 だけである。
負の符号は本質的な問題ではないため、ここでは以下現れる数はすべて自然数とする。
どのような自然数 N に対しても、1 と自分自身 N は N の約数である。2 以上の自然数はさらに、約数の個数が 2 であるかそれより大かで分けられる。1 と自分自身以外に約数をもたない自然数を素数といい、そうでない自然数を合成数という。合成数は重複を許した2個以上の素数の積である。
例えば、
は素数であるが、12 の約数は、
より、1, 2, 3, 4, 6, 12 の6個である。
合成数の列は
例えば 60 は約数の個数が12個もあり、もれなく挙げるのはたいへんである。そこで、「a が N の約数ならば、N/a も N の約数である」ことを使うと、半分程度の労力で済む。
一般に、平方数のときに限り約数の個数は奇数になる。
一般に、約数の個数を求めるとなると、素因数分解が効果を発揮する。
素因数分解の可能性と一意性(特に一意性)は自明な定理ではない(これを算術の基本定理という)。しかし、これにより約数を式で表すことができる:
自然数 N の正の約数の個数を d(N) で表す。
上記の表で先頭の数はオンライン整数列大辞典の数列 A005179を参照。
自然数 N の正の約数の和を、約数関数 σ(N) で表す。素因数分解により、正の約数の和も式で表すことができる。
N の素因数分解を N = 235... とすると、
正の約数の和が n となる自然数 N を求めるには、初項 1 の素因数のべき和の積を既知とするところから求める必要がある。
例:正の約数の和が 60 になる自然数 N の求め方:
約数の概念は、除法の原理が定義される、整域で一般化される。ユークリッド整域などの一意分解整域、例えば可換体上の一変数多項式環 K[x] などである。
すなわち、任意の元 f に対し、f を余りなく割り切る元を f の約元(divisor)あるいは因子(factor)という。f が真の約元を持たないとき f を既約元という(素因子あるいは既約因子ともいう)。
ユークリッド整域では単元(unit, 可逆元 invertible element)倍の違いを除いて素因数分解の一意性が成り立つ。素因数分解の一意性を要求しないならば、さらに一般の可換環 R に対しても、単項イデアルの包含関係により約数の概念を拡張することができる。すなわち、a, b ∈ R に対し、単項イデアル (a) = aR, (b) = bR が (a) ⊃ (b) を満たすとき、a は b の約元(あるいは約数、因子)であるといい、a | b と表す。このとき、b は a の倍元(または倍数)であるともいう。
|
[
{
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"text": "数学において整数 N の約数(やくすう、英: divisor)とは、N を割り切る整数またはそれらの集合のことである。割り切るかどうかということにおいて、符号は本質的な問題ではないため、N を正の整数(自然数)に、約数は正の数に限定して考えることも多い。自然数や整数の範囲でなく文字式や抽象代数学における整域などで「約数」と同様の意味を用いる場合は、「因数」(いんすう)、「因子」(いんし、英: factor)が使われることが多い。",
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},
{
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"text": "整数 a が整数 N の約数であることを、記号 | を用いて a | N と表す。",
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},
{
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"text": "約数の定義を式で表すと、「整数 a ≠ 0 が N の約数であるとは、ある整数 b をとると N = ab が成立することである」であるが、条件「a ≠ 0」を外すこともある(その場合、N = 0 のとき 0 も約数になる)。",
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},
{
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"text": "自然数(正の整数)で考えている文章では、ことわりがなくても「約数」を前提にしていることは多い。",
"title": null
},
{
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"text": "整数 a ≠ 0 が N の約数であるとは、「ある整数 b をとると N = ab が成立することである」であるが、条件「a ≠ 0」を外すこともある。このときは、N = 0 のときに限り 0 も約数になる。約数が無数にある整数は 0 だけである。",
"title": "定義"
},
{
"paragraph_id": 5,
"tag": "p",
"text": "負の符号は本質的な問題ではないため、ここでは以下現れる数はすべて自然数とする。",
"title": "定義"
},
{
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"tag": "p",
"text": "どのような自然数 N に対しても、1 と自分自身 N は N の約数である。2 以上の自然数はさらに、約数の個数が 2 であるかそれより大かで分けられる。1 と自分自身以外に約数をもたない自然数を素数といい、そうでない自然数を合成数という。合成数は重複を許した2個以上の素数の積である。",
"title": "定義"
},
{
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"text": "例えば、",
"title": "定義"
},
{
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"text": "は素数であるが、12 の約数は、",
"title": "定義"
},
{
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"text": "より、1, 2, 3, 4, 6, 12 の6個である。",
"title": "定義"
},
{
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"text": "合成数の列は",
"title": "定義"
},
{
"paragraph_id": 11,
"tag": "p",
"text": "例えば 60 は約数の個数が12個もあり、もれなく挙げるのはたいへんである。そこで、「a が N の約数ならば、N/a も N の約数である」ことを使うと、半分程度の労力で済む。",
"title": "定義"
},
{
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"text": "一般に、平方数のときに限り約数の個数は奇数になる。",
"title": "定義"
},
{
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"text": "一般に、約数の個数を求めるとなると、素因数分解が効果を発揮する。",
"title": "定義"
},
{
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"text": "素因数分解の可能性と一意性(特に一意性)は自明な定理ではない(これを算術の基本定理という)。しかし、これにより約数を式で表すことができる:",
"title": "定義"
},
{
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"text": "自然数 N の正の約数の個数を d(N) で表す。",
"title": "約数の個数"
},
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"text": "上記の表で先頭の数はオンライン整数列大辞典の数列 A005179を参照。",
"title": "約数の個数"
},
{
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"text": "自然数 N の正の約数の和を、約数関数 σ(N) で表す。素因数分解により、正の約数の和も式で表すことができる。",
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},
{
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"text": "N の素因数分解を N = 235... とすると、",
"title": "約数の和"
},
{
"paragraph_id": 19,
"tag": "p",
"text": "正の約数の和が n となる自然数 N を求めるには、初項 1 の素因数のべき和の積を既知とするところから求める必要がある。",
"title": "約数の和"
},
{
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"tag": "p",
"text": "例:正の約数の和が 60 になる自然数 N の求め方:",
"title": "約数の和"
},
{
"paragraph_id": 21,
"tag": "p",
"text": "約数の概念は、除法の原理が定義される、整域で一般化される。ユークリッド整域などの一意分解整域、例えば可換体上の一変数多項式環 K[x] などである。",
"title": "一般化"
},
{
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"tag": "p",
"text": "すなわち、任意の元 f に対し、f を余りなく割り切る元を f の約元(divisor)あるいは因子(factor)という。f が真の約元を持たないとき f を既約元という(素因子あるいは既約因子ともいう)。",
"title": "一般化"
},
{
"paragraph_id": 23,
"tag": "p",
"text": "ユークリッド整域では単元(unit, 可逆元 invertible element)倍の違いを除いて素因数分解の一意性が成り立つ。素因数分解の一意性を要求しないならば、さらに一般の可換環 R に対しても、単項イデアルの包含関係により約数の概念を拡張することができる。すなわち、a, b ∈ R に対し、単項イデアル (a) = aR, (b) = bR が (a) ⊃ (b) を満たすとき、a は b の約元(あるいは約数、因子)であるといい、a | b と表す。このとき、b は a の倍元(または倍数)であるともいう。",
"title": "一般化"
}
] |
数学において整数 N の約数とは、N を割り切る整数またはそれらの集合のことである。割り切るかどうかということにおいて、符号は本質的な問題ではないため、N を正の整数(自然数)に、約数は正の数に限定して考えることも多い。自然数や整数の範囲でなく文字式や抽象代数学における整域などで「約数」と同様の意味を用いる場合は、「因数」(いんすう)、「因子」が使われることが多い。 整数 a が整数 N の約数であることを、記号 | を用いて a | N と表す。 約数の定義を式で表すと、「整数 a ≠ 0 が N の約数であるとは、ある整数 b をとると N = ab が成立することである」であるが、条件「a ≠ 0」を外すこともある。 自然数(正の整数)で考えている文章では、ことわりがなくても「約数」を前提にしていることは多い。
|
{{pp-vandalism|small=yes}}
{{脚注の不足|date=2022年2月}}
[[数学]]において[[整数]] {{mvar|N}} の'''約数'''(やくすう、{{lang-en-short|''divisor''}})とは、{{mvar|N}} を[[除法|割り切る]]整数またはそれらの[[集合]]のことである。割り切るかどうかということにおいて、[[符号]]は本質的な問題ではないため、{{mvar|N}} を正の整数([[自然数]])に、約数は正の数に限定して考えることも多い。自然数や整数の範囲でなく文字式や[[抽象代数学]]における[[整域]]などで「約数」と同様の意味を用いる場合は、「'''因数'''」(いんすう)、「'''因子'''」(いんし、{{lang-en-short|''factor''}})が使われることが多い。
整数 {{mvar|a}} が整数 {{mvar|N}} の約数であることを、記号 | を用いて {{math|''a'' {{!}} ''N''}} と表す。
約数の定義を式で表すと、「整数 {{math|''a'' ≠ 0}} が {{mvar|N}} の'''約数'''であるとは、ある整数 {{mvar|b}} をとると {{math|''N'' {{=}} ''ab''}} が成立することである」であるが、条件「{{math|''a'' ≠ 0}}」を外すこともある(その場合、{{math|''N'' {{=}} 0}} のとき {{math|0}} も約数になる)。
[[自然数]](正の整数)で考えている文章では、ことわりがなくても「約数」を前提にしていることは多い。
== 定義 ==
整数 {{math|''a'' ≠ 0}} が {{mvar|N}} の'''約数'''であるとは、「ある整数 {{mvar|b}} をとると {{math|''N'' {{=}} ''ab''}} が成立することである」であるが、条件「{{math|''a'' ≠ 0}}」を外すこともある。このときは、{{math|''N'' {{=}} 0}} のときに限り {{math|0}} も約数になる。約数が無数にある整数は {{math|0}} だけである。
負の[[符号]]は本質的な問題ではないため、ここでは以下現れる数はすべて[[自然数]]とする。
どのような自然数 {{mvar|N}} に対しても、{{math|1}} と自分自身 {{mvar|N}} は {{mvar|N}} の約数である。{{math|2}} 以上の自然数はさらに、約数の個数が {{math|2}} であるかそれより大かで分けられる。{{math|1}} と自分自身以外に約数をもたない自然数を'''[[素数]]'''といい、そうでない自然数を'''[[合成数]]'''という。合成数は重複を許した2個以上の素数の積である。
例えば、
:{{math2|[[2]], [[3]], [[5]], [[7]], [[11]], [[13]], [[17]], [[19]], [[23]], [[29]], [[31]], [[37]], [[41]], [[43]], [[47]], …}}(<!--50以下の素数、-->{{OEIS|id=A40}})
は素数であるが、{{math|12}} の約数は、
:{{math|12 ÷ 1 {{=}} 12}}
:{{math|12 ÷ 2 {{=}} 6}}
:{{math|12 ÷ 3 {{=}} 4}}
:{{math|12 ÷ 4 {{=}} 3}}
:{{math|12 ÷ 6 {{=}} 2}}
より、{{math|1, 2, 3, 4, 6, 12}} の6個である。
合成数の列は
:{{math2|[[4]], [[6]], [[8]], [[9]], [[10]], [[12]], [[14]], [[15]], [[16]], [[18]], [[20]], [[21]], [[22]], [[24]], [[25]], [[26]], [[27]], [[28]], [[30]], …}}({{OEIS|A002808}})
例えば {{math|60}} は約数の個数が12個もあり、もれなく挙げるのはたいへんである。そこで、「'''{{mvar|a}} が {{mvar|N}} の約数ならば、{{mvar|{{sfrac|N|a}}}} も {{mvar|N}} の約数である'''」ことを使うと、半分程度の労力で済む。
:{{math|60}} の約数:{{math2|[[1]], [[2]], [[3]], [[4]], [[5]], [[6]], {{sfrac|60|6}}, {{sfrac|60|5}}, {{sfrac|60|4}}, {{sfrac|60|3}}, {{sfrac|60|2}}, {{sfrac|60|1}}}}
一般に、[[平方数]]のときに限り約数の個数は[[奇数]]になる。
:{{math|36}} の約数:{{math2|1=[[1]], [[2]], [[3]], [[4]],[[6]](={{sfrac|36|6}}), {{sfrac|36|4}},{{sfrac|36|3}}, {{sfrac|36|2}}, {{sfrac|36|1}}}}
一般に、約数の個数を求めるとなると、[[素因数分解]]が効果を発揮する。
:{{mvar|N}} の素因数分解を {{math|''N'' {{=}} 2{{sup|''a''{{sub|1}}}}3{{sup|''a''{{sub|2}}}}5{{sup|''a''{{sub|3}}}}⋯}} とすると、{{mvar|N}} の約数の個数は {{math|(''a''{{sub|1}} + 1)(''a''{{sub|2}} + 1)(''a''{{sub|3}} + 1)⋯}}個
素因数分解の可能性と一意性(特に一意性)は自明な定理ではない(これを'''[[算術の基本定理]]'''という)。しかし、これにより約数を式で表すことができる:
:{{math|60 {{=}} 2{{sup|2}} × 3 × 5}} より、
:{{math|60}} の約数:{{math|2{{sup|''a''}} × 3{{sup|''b''}} × 5{{sup|''c''}} (0 ≤ ''a'' ≤ 2, 0 ≤ ''b'' ≤ 1, 0 ≤ ''c'' ≤ 1)}}
== 約数に関する定義と性質 ==
*整数 {{mvar|N}} に対して、{{math|±1, ±''N''}} を {{mvar|N}} の'''自明な約数'''という。自明でない約数を'''真の約数'''という。
*{{math|0}} の約数は、全ての({{math|0}} でない)整数である。
*自然数 {{mvar|N}} の正の約数の個数を {{math|''d''(''N'')}} で表す。これは'''[[約数関数]]''' {{math|σ{{sub|''x''}}}} の {{math|''x'' {{=}} 0}} の場合である。
:{{mvar|N}} の素因数分解を {{math|''N'' {{=}} 2{{sup|''a''{{sub|1}}}}3{{sup|''a''{{sub|2}}}}5{{sup|''a''{{sub|3}}}}⋯}} とすると、
:{{math|''d''(''N'') {{=}} (''a''{{sub|1}} + 1)(''a''{{sub|2}} + 1)(''a''{{sub|3}} + 1)⋯}}
== 約数の個数 ==
自然数 {{mvar|N}} の正の約数の個数を {{math|''d''(''N'')}} で表す。
*{{mvar|N}} の素因数分解を {{math|''N'' {{=}} 2{{sup|''a''{{sub|1}}}}3{{sup|''a''{{sub|2}}}}5{{sup|''a''{{sub|3}}}}…}} とすると、{{math|''d''(''N'') {{=}} (''a''{{sub|1}} + 1)(''a''{{sub|2}} + 1)(''a''{{sub|3}} + 1)…}}
{|class="wikitable"
!個数!!数!!概要!![[OEIS]]
|-
|{{center|1}}
|[[1]]
|
|
|-
|{{center|2}}
|[[2]], [[3]], [[5]], [[7]], [[11]], [[13]], [[17]], [[19]], [[23]], [[29]], [[31]], [[37]], [[41]], …
|[[素数]]
|{{OEIS|A000040}}
|-
|{{center|3}}
|[[4]], [[9]], [[25]], [[49]], [[121]], [[169]], [[289]], [[361]], [[529]], [[841]], …
|[[素数]]の[[自乗]]
|{{OEIS|A001248}}
|-
|{{center|4}}
|[[6]], [[8]], [[10]], [[14]], [[15]], [[21]], [[22]], [[26]], [[27]], [[33]], [[34]], [[35]], …
|[[素数]]の立方<br />{{mvar|pq}}({{mvar|p}}, {{mvar|q}} は異なる素数)
|{{OEIS|A030513}}
|-
|{{center|5}}
|[[16]], [[81]], [[625]], [[2401]], [[14641]], [[28561]], [[83521]], …
|[[素数]]の4乗
|{{OEIS|A030514}}
|-
|{{center|6}}
|[[12]], [[18]], [[20]], [[28]], [[32]], [[44]], [[45]], [[50]], [[52]], [[63]], [[68]], …
|[[素数]]の5乗<br />{{math|''pq''{{sup|2}}}}({{mvar|p}}, {{mvar|q}} は異なる素数)
|{{OEIS|A030515}}
|-
|{{center|7}}
|[[64]], [[729]], [[15625]], 117649, 1771561, …
|[[素数]]の6乗
|{{OEIS|A030516}}
|-
|{{center|8}}
|[[24]], [[30]], [[40]], [[42]], [[54]], [[56]], [[66]], [[70]], [[78]], [[88]], …
|[[素数]]の7乗<br />[[楔数]]<br />{{math|''pq''{{sup|3}}}}({{mvar|p}}, {{mvar|q}} は異なる素数)
|{{OEIS|A030626}}
|-
|{{center|9}}
|[[36]], [[100]], [[196]], [[225]], [[256]], [[441]], [[484]], [[676]], …
|[[素数]]の8乗<br />{{math|''p''{{sup|2}}''q''{{sup|2}}}}({{mvar|p}}, {{mvar|q}} は異なる素数)
|{{OEIS|A030627}}
|-
|{{center|10}}
|[[48]], [[80]], [[112]], [[162]], [[176]], [[208]], [[272]], [[304]], [[368]], …
|[[素数]]の9乗<br />{{math|''pq''{{sup|4}}}}({{mvar|p}}, {{mvar|q}} は異なる素数)
|{{OEIS|A030628}}
|-
|{{center|11}}
|[[1024]], 59049, 9765625, 282475249, …
|[[素数]]の10乗
|{{OEIS|A030629}}
|-
|{{center|12}}
|[[60]], [[72]], [[84]], [[90]], [[96]], [[108]], [[126]], [[132]], [[140]], [[150]], …
|
|{{OEIS|A030630}}
|-
|{{center|13}}
|[[4096]], 531441, 244140625, …
|[[素数]]の12乗
|{{OEIS|A030631}}
|-
|{{center|14}}
|[[192]], [[320]], [[448]], [[704]], [[832]], 1088, 1216, [[1458]], …
|[[素数]]の13乗<br />{{math|''pq''{{sup|6}}}}({{mvar|p}}, {{mvar|q}} は異なる素数)
|{{OEIS|A030632}}
|-
|{{center|15}}
|[[144]], [[324]], [[400]], [[784]], [[1936]], [[2025]], [[2500]], [[2704]], …
|[[素数]]の14乗<br />{{math|''p''{{sup|2}}''q''{{sup|4}}}}({{mvar|p}}, {{mvar|q}} は異なる素数)
|{{OEIS|A030633}}
|-
|{{center|16}}
|[[120]], [[168]], [[210]], [[216]], [[264]], [[270]], [[280]], [[312]], [[330]], …
|
|{{OEIS|A030634}}
|-
|{{center|17}}
|[[65536]], 43046721, 152587890625, …
|[[素数]]の16乗
|{{OEIS|A030635}}
|-
|{{center|18}}
|[[180]], [[252]], [[288]], [[300]], [[396]], [[450]], [[468]], [[588]], [[612]], …
|
|{{OEIS|A030636}}
|-
|{{center|19}}
|[[262144]], 387420489, 3814697265625, …
|[[素数]]の18乗
|{{OEIS|A030637}}
|-
|{{center|20}}
|[[240]], [[336]], [[432]], [[528]], [[560]], [[624]], [[648]], [[810]], [[816]], …
|
|{{OEIS|A030638}}
|-
|{{center|21}}
|[[576]], [[1600]], [[2916]], [[3136]], [[7744]], [[10816]], …
|[[素数]]の20乗<br />{{math|''p''{{sup|2}}''q''{{sup|6}}}}({{mvar|p}}, {{mvar|q}} は異なる素数)
|{{OEIS|A137484}}
|-
|{{center|22}}
|3072, 5120, 7168, 11264, 13312, 17408, …
|[[素数]]の21乗<br />{{math|''pq''{{sup|10}}}}({{mvar|p}}, {{mvar|q}} は異なる素数)
|{{OEIS|A137485}}
|-
|{{center|23}}
|4194304, 31381059609, 2384185791015625, …
|[[素数]]の22乗
|{{OEIS|A137486}}
|-
|{{center|24}}
|[[360]], [[420]], [[480]], [[504]], [[540]], [[600]], [[630]], [[660]], [[672]], …
|
|{{OEIS|A137487}}
|-
|{{center|25}}
|[[1296]], [[10000]], 38416, 50625, 194481, …
|[[素数]]の24乗<br />{{math|''p''{{sup|4}}''q''{{sup|4}}}}({{mvar|p}}, {{mvar|q}} は異なる素数)
|{{OEIS|A137488}}
|-
|{{center|26}}
|12288, 20480, 28672, 45056, 53248, 69632, …
|[[素数]]の25乗<br />{{math|''pq''{{sup|12}}}}({{mvar|p}}, {{mvar|q}} は異なる素数)
|{{OEIS|A137489}}
|-
|{{center|27}}
|[[900]], [[1764]], [[2304]], [[4356]], [[4900]], [[6084]], [[6400]], …
|
|{{OEIS|A137490}}
|-
|{{center|28}}
|[[960]], [[1344]], [[1728]], 2112, 2240, 2496, 3264, …
|
|{{OEIS|A137491}}
|-
|{{center|29}}
|268435456, 22876792454961, …
|[[素数]]の28乗
|{{OEIS|A137492}}
|-
|{{center|30}}
|[[720]], [[1008]], [[1200]], [[1584]], [[1620]], [[1872]], [[2268]], …
|
|{{OEIS|A137493}}
|-
|{{center|31}}
|1073741824, 205891132094649, …
|[[素数]]の30乗
|{{OEIS|A139571}}
|-
|{{center|32}}
|[[840]], [[1080]], [[1320]], [[1512]], 1560, [[1848]], 1890, …
|
|{{OEIS|A175742}}
|-
|{{center|33}}
|9216, 25600, 50176, 123904, …
|[[素数]]の32乗<br />{{math|''p''{{sup|2}}''q''{{sup|10}}}}({{mvar|p}}, {{mvar|q}} は異なる素数)
|{{OEIS|A175743}}
|-
|{{center|34}}
|196608, 327680, 458752, 720896, …
|[[素数]]の33乗<br />{{math|''pq''{{sup|16}}}}({{mvar|p}}, {{mvar|q}} は異なる素数)
|{{OEIS|A175744}}
|-
|{{center|35}}
|[[5184]], [[11664]], [[40000]], 153664, 250000, …
|[[素数]]の34乗<br />{{math|''p''{{sup|4}}''q''{{sup|6}}}}({{mvar|p}}, {{mvar|q}} は異なる素数)
|{{OEIS|A175745}}
|-
|{{center|36}}
|[[1260]], [[1440]], [[1800]], [[1980]], [[2016]], [[2100]], …
|
|{{OEIS|A175746}}
|-
|{{center|37}}
|68719476736, 150094635296999121, …
|[[素数]]の36乗
|{{OEIS|A139572}}
|-
|{{center|38}}
|786432, 1310720, 1835008, …
|[[素数]]の37乗<br />{{math|''pq''{{sup|18}}}}({{mvar|p}}, {{mvar|q}} は異なる素数)
|{{OEIS|A175747}}
|-
|{{center|39}}
|36864, 102400, 200704, 495616, …
|[[素数]]の38乗<br />{{math|''p''{{sup|2}}''q''{{sup|12}}}}({{mvar|p}}, {{mvar|q}} は異なる素数)
|{{OEIS|A175748}}
|-
|{{center|40}}
|[[1680]], 2160, 2640, 3024, 3120, [[3240]], …
|
|{{OEIS|A175749}}
|-
|{{center|41}}
|1099511627776, 12157665459056928801, …
|[[素数]]の40乗
|{{OEIS|A139573}}
|-
|{{center|42}}
|[[2880]], 4032, 4800, 6336, 7488, 9408, …
|
|{{OEIS|A175750}}
|-
|{{center|43}}
|4398046511104, 109418989131512359209, …
|[[素数]]の42乗
|{{OEIS|A139574}}
|-
|{{center|44}}
|15360, 21504, 27648, 33792, 35840, …
|
|{{OEIS|A175751}}
|-
|{{center|45}}
|[[3600]], [[7056]], [[8100]], 15876, 17424, 19600, …
|
|{{OEIS|A175752}}
|-
|{{center|46}}
|12582912, 20971520, 29360128, …
|[[素数]]の45乗<br />{{math|''pq''{{sup|22}}}}({{mvar|p}}, {{mvar|q}} は異なる素数)
|{{OEIS|A175753}}
|-
|{{center|47}}
|70368744177664, 8862938119652501095929, …
|[[素数]]の46乗
|{{OEIS|A139575}}
|-
|{{center|48}}
|[[2520]], 3360, 3780, 3960, 4200, [[4320]], …
|
|{{OEIS|A175754}}
|-
|{{center|49}}
|46656, [[1000000]], 7529536, 11390625, …
|[[素数]]の48乗<br />{{math|''p''{{sup|6}}''q''{{sup|6}}}}({{mvar|p}}, {{mvar|q}} は異なる素数)
|{{OEIS|A175755}}
|-
|{{center|50}}
|6480, 9072, 14256, 16848, 22032, …
|
|{{OEIS|A175756}}
|}
上記の表で先頭の数は{{OEIS|A005179}}を参照。
*正の約数の個数の列は
:{{math2|[[1]], [[2]], [[2]], [[3]], [[2]], [[4]], [[2]], [[4]], [[3]], [[4]], [[2]], [[6]], [[2]], [[4]], [[4]], [[5]], [[2]], [[6]], [[2]], [[6]], [[4]], [[4]], [[2]], [[8]], [[3]], [[4]], [[4]], [[6]], [[2]], [[8]], …}}({{OEIS|A000005}})
*正の約数の個数が奇数である自然数は[[平方数]]に限られる。
*正の約数の個数が自分自身までのどの自然数よりも大きい自然数([[252]]の倍数に多い)については[[高度合成数]]を参照。
*正の約数の個数の総和の列は
:{{math2|[[1]], [[3]], [[5]], [[8]], [[10]], [[14]], [[16]], [[20]], [[23]], [[27]], [[29]], [[35]], [[37]], [[41]], [[45]], [[50]], [[52]], [[58]], [[60]], [[66]], [[70]], [[74]], [[76]], [[84]], [[87]], [[91]], [[95]], [[101]], …}}({{OEIS|A006218}})
*正の約数の個数の総和が自身の整数倍になる数の列は
:{{math2|[[1]], [[4]], [[5]], [[15]], [[42]], [[44]], [[47]], [[121]], [[336]], [[340]], [[347]], 930, 2548, …}}({{OEIS|A050226}})
:このときの約数の個数の総和は{{OEIS|A218464}}を参照。
*約数の個数が[[三角数]]になる三角数の列は
:{{math2|[[1]], [[28]], [[45]], [[153]], [[171]], [[325]], [[496]], [[2016]], 3321, …}}({{OEIS|A116541}})
*約数の個数が三角数になる三角数で前の約数の個数を上回る数の列は
:{{math2| [[1]], [[28]], [[496]], [[2016]], 41616, 270480, …}}({{OEIS|A076172}})
*自身の約数の個数で割りきれる数は
:{{math2| [[1]], [[2]], [[8]], [[9]], [[12]], [[18]], [[24]], [[36]], [[40]], [[56]], [[60]], [[72]], [[80]], [[84]], [[88]], [[96]], [[104]], [[108]], [[128]], [[132]], [[136]], [[152]], [[156]], [[180]],…}}({{OEIS|A033950}})
== 約数の和 ==
自然数 {{mvar|N}} の正の約数の和を、'''[[約数関数]]''' {{math|σ(''N'')}} で表す。素因数分解により、正の約数の和も式で表すことができる。
{{mvar|N}} の素因数分解を {{math|''N'' {{=}} 2{{sup|''a''{{sub|1}}}}3{{sup|''a''{{sub|2}}}}5{{sup|''a''{{sub|3}}}}…}} とすると、
:<math>\begin{align}
\sigma (N) &=(1+2^1 +\cdots +2^{a_1} )(1+3^1 +\cdots +3^{a_2} )(1+5^1 +\cdots +5^{a_3} )\cdots \\
&=\frac{2^{a_1 +1} -1}{2-1} \cdot \frac{3^{a_2 +1} -1}{3 -1} \cdot \frac{5^{a_3 +1} -1}{5-1} \cdot \cdots
\end{align}</math>
*正の約数の和が奇数になる自然数は、平方数と平方数の2倍のみである。これは平方数の約数の個数が奇数個になることと偶数の素数が {{math|[[2]]}} しかないからである。
:{{math2|[[1]], [[2]], [[4]], [[8]], [[9]], [[16]], [[18]], [[25]], [[32]], [[36]], [[49]], [[50]], [[64]], [[72]], [[81]], [[98]], [[100]], [[121]], [[128]], [[144]], …}}({{OEIS|A028982}})
:奇数になる正の約数の和の列は {{math2|[[1]], [[3]], [[7]], [[13]], [[15]], [[31]], [[39]], [[57]], [[63]], [[91]], [[93]], [[121]], [[127]], [[133]], [[171]],…}}({{OEIS|A060657}})
*正の約数の和が[[素数]]になる自然数は{{math|[[2]], [[4]], [[9]], [[16]], [[25]], [[64]], [[289]], [[729]], [[1681]], [[2401]],…}}である。({{OEIS|A023194}})
:{{math|[[2]]}} 以外は平方数である。これらの数の正の平方根は {{math2|[[2]], [[3]], [[4]], [[5]], [[8]], [[17]], [[27]], …}}である。({{OEIS|A055638}})
:[[素数]]になる約数の和の列は {{math|[[3]], [[7]], [[13]], [[31]], [[127]], [[307]], [[1093]], 1723, 2801,…}}である。({{OEIS|A023195}})
*自然数 {{math|''n'', ''d''}} に対し、
:{{math|σ(''N'')/''N'' {{=}} ''n''/''d''}}
:を満たす奇数の自然数 {{mvar|N}} が {{mvar|k}} 個の相異なる素因数を持つとき、
:{{math|''N'' < (''d'' + 1){{sup|4{{sup|''k''}}}}}}
:が成り立つ。(Nielsen, 2003)
=== 約数の和の一覧 ===
*正の約数の和の列は {{math|[[1]], [[3]], [[4]] ,[[6]], [[7]], [[8]], [[12]], [[13]], [[14]], [[15]], [[18]], [[20]], [[24]], …}}({{OEIS|A002191}})
*各数列における正の約数の和は以下の[[オンライン整数列大辞典]]を参照。
{|class="wikitable" style="text-align:center"
!数!!約数の和 ([[OEIS]])!!数!!約数の和 ([[OEIS]])
|-
![[自然数]]
|{{OEIS|A000203}}
![[フィボナッチ数]]
|{{OEIS|A063477}}
|-
![[素数]]
|{{OEIS|A008864}}
![[三角数]]
|{{OEIS|A074285}}
|-
![[平方数]]
|{{OEIS|A065764}}
![[立方数]]
|{{OEIS|A065764}}
|-
![[完全数]]
|{{OEIS|A139256}}
![[倍積完全数]]
|{{OEIS|A081756}}
|-
![[階乗数]]
|{{OEIS|A062569}}
![[高度合成数]]
|{{OEIS|A007626}}
|-
![[矩形数]]
|{{OEIS|A083539}}
![[楔数]]
|{{OEIS|A271329}}
|-
!{{mvar|n{{sup|n}}}}
|{{OEIS|A062727}}
![[五角数]]
|{{OEIS|A117948}}
|-
![[回文数]]
|{{OEIS|A076887}}
![[リュカ数]]
|{{OEIS|A272439}}
|}
*正の約数の和に等しくなる自然数の個数が自身までの自然数より大きくなる自然数がある。
:{|class="wikitable" style="text-align:center"
!個数!!約数の和!!数
|-
!1
|{{math|[[1]]}}||{{math|[[1]]}}
|-
!2
|{{math|[[12]]}}||{{math|[[6]], [[11]]}}
|-
!3
|{{math|[[24]]}}||{{math|[[14]], [[15]], [[23]]}}
|-
!5
|{{math|[[72]]}}||{{math|[[30]], [[46]], [[51]], [[55]], [[71]]}}
|-
!6
|{{math|[[168]]}}||{{math|[[60]], [[78]], [[92]], [[123]], [[143]], [[167]]}}
|-
!7
|{{math|[[240]]}}||{{math|[[114]], [[135]], [[158]], [[177]], [[203]], [[209]], [[239]]}}
|}
*正の約数の和に等しくなる自然数が2個以上ある自然数の列は {{math2|[[12]], [[18]], [[24]], [[31]], [[32]], [[42]], [[48]], [[54]], [[56]], [[60]], [[72]], [[80]], …}}({{OEIS|A159886}})
:{|class="wikitable"
!style="white-space:nowrap"|約数の和<br>になる個数!!数!!参照
|-
!1
|{{math2|[[1]], [[3]], [[4]], [[6]], [[7]], [[8]], [[13]], [[14]], [[15]], [[20]], [[28]], [[30]], [[36]], [[38]], [[39]], [[40]], [[44]], [[57]], …}}||{{OEIS|A007370}}
|-
!2
|{{math2|[[12]], [[18]], [[31]], [[32]], [[54]], [[56]], [[80]], [[98]], [[104]], [[108]], [[114]], [[124]], [[126]], [[128]], [[132]], [[140]], [[152]], [[156]],…}}||{{OEIS|A007371}}
|-
!3
|{{math2|[[24]], [[42]], [[48]], [[60]], [[84]], [[90]], [[224]], [[228]], [[234]], [[248]], [[270]], [[294]], [[324]], [[450]], [[468]], [[528]],…}}||{{OEIS|A007372}}
|-
!4
|{{math2|[[96]], [[120]], [[180]], [[312]], [[372]], [[420]], [[434]], [[456]], [[540]], [[546]], [[560]], [[624]], [[702]], [[728]], [[798]], [[816]], [[930]], 1064, …}}||{{OEIS|A060660}}
|-
!5
|{{math2|[[72]], [[144]], [[192]], [[216]], [[588]], [[600]], [[648]], [[792]], [[936]], [[992]], [[1056]], …}}||{{OEIS|A060661}}
|-
!6
|{{math2| [[168]], [[252]], [[288]], [[384]], [[768]], [[1248]], [[1584]], …}}||{{OEIS|A060662}}
|-
!7
|{{math2|[[240]], [[684]], [[744]], [[912]], [[1092]], [[1176]], [[1200]], 1368, …}}||{{OEIS|A060663}}
|-
!8
|{{math2|[[336]], [[432]], [[672]], [[756]], [[840]], [[1536]], [[1620]], [[1764]], …}}||{{OEIS|A060664}}
|-
!9
|{{math2|[[360]], [[480]], 1488, [[1800]], [[1824]], [[2184]], …}}||{{OEIS|A060665}}
|-
!10
|{{math2|[[504]], [[864]], [[960]], [[1152]], [[1260]], [[2400]], [[3276]], 3888, 4992, …}}||{{OEIS|A060666}}
|-
!11
|{{math2|[[576]], [[1296]], 2976, 3168, 3648, …}}||{{OEIS|A060678}}
|-
!12
|{{math2|[[1512]], [[1872]], [[2352]], 3192, [[3780]], [[4104]], 4560, …}}||{{OEIS|A060676}}
|-
!13
|{{math2|[[1080]], [[1344]], [[3240]], 4680, 5400, 5796,…}}||
|-
!14
|{{math2|[[1008]], [[1680]], [[1728]], [[2688]], 3120, 3864,…}}||
|-
!15
|{{math2|[[720]], [[1920]], 2592, 4896,…}}||
|-
!16
|{{math2|[[2304]], 2736, 4368, 6240, 7920,…}}||
|-
!17
|{{math2|[[3600]], 4800, 6384, 9120, 9504, [[9600]], 14904,…}}||
|-
!18
|{{math2|5376, 5616, 7440, [[7776]], 9408,…}}||
|-
!19
|{{math2|[[2520]], 3456, 5472, 6552, 8208, 8736,…}}||
|-
!20
|{{math2|[[2160]], 7680, 8400,…}}||
|-
!21
|{{math2|[[1440]], [[2016]], [[5184]],…}}||
|-
!24
|{{math2|[[3360]], 4968,…}}||
|-
!26
|{{math2|[[3024]], [[5292]],…}}||
|-
!27
|{{math2|[[7056]], 7200, [[7560]], 9072,…}}||
|-
!29
|{{math2|[[2880]], 11904,…}}||
|-
!33
|{{math2|[[5040]], 17064,…}}||
|-
!35
|{{math2|[[4320]], 18900,…}}||
|-
!37
|{{math2|5760, 24000,…}}||
|-
!58
|{{math2|[[10080]], 32400,…}}||
|-
!59
|{{math2|[[15120]], 36864,…}}||
|}
:*上記の表で先頭の数は{{OEIS|A007368}}を参照
*正の約数の和が[[完全数]]になる自然数の列は {{math2|[[5]] ([[6]]), [[12]] ([[28]]) , [[427]] ([[496]]), 10924032 (33550336), …}}({{OEIS|A146542}})
*正の約数の和が[[倍積完全数]]になる自然数の列は {{math2|[[1]], [[5]], [[12]], [[54]], [[56]], [[87]], [[95]], [[276]], [[308]], [[427]], …}}({{OEIS|A066961}})
*正の約数の和が[[三角数]]になる自然数の列は {{math2|[[1]], [[2]], [[5]], [[8]], [[12]], [[22]], [[36]], [[45]], [[54]], [[56]], [[87]], [[95]], [[98]], [[104]], …}}({{OEIS|A045746}})
*正の約数の和が[[平方数]]になる数の列は {{math2|[[1]], [[3]], [[22]], [[66]], [[70]], [[81]], [[94]], [[115]], [[119]], [[170]], [[210]], …}}({{OEIS|A006532}})
*正の約数の和が[[立方数]]になる数の列は {{math2|[[1]], [[7]], [[102]], [[110]], [[142]], [[159]], [[187]], [[381]], [[690]], [[714]], …}}({{OEIS|A020477}})
=== 約数の和から元の自然数の求め方 ===
正の約数の和が {{mvar|n}} となる自然数 {{mvar|N}} を求めるには、初項 {{math|1}} の素因数のべき和の積を既知とするところから求める必要がある。
:初項 {{math|1}} の素数のべき和の列は {{math2|[[1]], [[3]], [[4]], [[6]], [[7]], [[8]], [[12]], [[13]], [[14]], [[15]], [[18]], [[20]], [[24]], [[30]], …}}({{OEIS|A108348}})
例:正の約数の和が {{math|60}} になる自然数 {{mvar|N}} の求め方:
:{{math2|60 {{=}} 1 × 60 {{=}} 2 × 30 {{=}} 3 × 20 {{=}} 4 × 15 {{=}} 5 × 12 {{=}} 6 × 10 {{=}} 2 × 3 × 10 {{=}} 2 × 5 × 6 {{=}} 3 × 4 × 5 {{=}} 2 × 2 × 3 × 5}}
:これらのうち初項 {{math|1}} の素数のべき和の積になっているのは
:① {{math|1 × 60}} ② {{math|3 × 20}} ③ {{math|4 × 15}}
:の3通りである。
:① {{math|σ(''N'') {{=}} 1 × (1 + 59{{sup|1}})}} → {{math|''N'' {{=}} 1 × 59 {{=}} 59}}
:② {{math|σ(''N'') {{=}} (1 + 2{{sup|1}}) × (1 + 19{{sup|1}})}} → {{math|''N'' {{=}} 2 × 19 {{=}} 38}}
:③ {{math|σ(''N'') {{=}} (1 + 3{{sup|1}}) × (1 + 2{{sup|1}} + 2{{sup|2}} + 2{{sup|3}})}} → {{math|''N'' {{=}} 3 × 2{{sup|3}} {{=}} 24}}
:(ただし因数が {{math|[[31]]}} または {{math|8191}} のときは、初項 {{math|1}} の素数のべき和の表示が一意でなく、2通りなので、答えが複数求まる。
::{{math|31 {{=}} 1 + 2{{sup|1}} + 2{{sup|2}} + 2{{sup|3}} + 2{{sup|4}} {{=}} 1 + 5{{sup|1}} + 5{{sup|2}}}}
::{{math|8191 {{=}} 1 + 2{{sup|1}} + 2{{sup|2}} + … + 2{{sup|12}} {{=}} 1 + 90{{sup|1}} + 90{{sup|2}}}}
=== 約数の和の総和 ===
*正の約数の和の総和の列は {{math2|[[1]], [[4]], [[8]], [[15]], [[21]], [[33]], [[41]], [[56]], [[69]], [[87]], [[99]], [[127]], [[141]], [[165]], [[189]], …}}({{OEIS|A024916}})
**正の約数の和の総和が自身の整数倍になる自然数の列は {{math2|[[1]], [[2]], [[8]], [[11]], [[17]], [[63]], [[180]], [[259]], 818, 2161, …}}({{OEIS|A056550}})
**:このときの約数の和の総和の列は {{OEIS|A168133}} を、何倍になるかは {{OEIS|A168132}} を参照。
**正の約数の和の総和が自身の正の約数の和の整数倍になる自然数の列は {{math2|[[1]], [[3]], [[29]], [[365]], [[1225]], 81595, …}}({{OEIS|A168127}})、このときの約数の和の総和は {{OEIS|A168130}} を、何倍になるかは {{OEIS|A168128}} を参照。
=== その他 ===
*正の約数の和がそれまでより大きい自然数を[[高度過剰数]]という。[[約数関数]]で表すと {{math|''k'' < ''N''}} のとき {{math|σ(''k'') < σ(''N'')}} となる {{mvar|N}} のことである。
:{{math2|[[1]], [[2]], [[3]], [[4]], [[6]], [[8]], [[10]], [[12]], [[16]], [[18]], [[20]], [[24]], [[30]], [[36]], [[42]], [[48]], [[60]], [[72]], [[84]], [[90]], [[96]], [[108]], [[120]], [[126]], …}}({{OEIS|A002093}})
*連続する2つの整数で正の約数の和が等しくなる2数がある。約数関数で表すと {{math|σ(''N'') {{=}} σ(''N'' + 1)}} となる {{mvar|N}} のことである。
:小さい方の数の列は {{math2|[[14]], [[206]], 957, 1334, 1364, 1634, …}}({{OEIS|A002961}})
:大きい方の数は{{OEIS|A231546}}を参照、約数の和の列は{{OEIS|A053215}}を参照。
*正の約数の和にならない自然数の列は
:{{math2|[[2]], [[5]], [[9]], [[10]], [[11]], [[16]], [[17]], [[19]], [[21]], [[22]], [[23]], [[25]], [[26]], [[27]], [[29]], [[33]], [[34]], [[35]], [[37]], [[41]], [[43]], [[45]], [[46]], [[47]], [[49]], [[50]], …}}({{OEIS|A007369}})
*''N'' で <math>\sigma^m(n)=N~(m\geqq 1)</math> を満たす ''n'' が何個あるかの数列については、{{OEIS|A241954}}を参照。
== 未解決問題 ==
*正の約数の総和が素数になる自然数は無数に存在するか。
*2個以上の正の約数の総和になる奇数は無数に存在するか。
*2個以上連続で正の約数の総和になる自然数の組は無数に存在するか。
*連続して正の約数の和にならない数の組の最大個数は何個連続か。
== 一般化 ==
約数の概念は、[[除法の原理]]が定義される、[[整域]]で一般化される。[[ユークリッド環|ユークリッド整域]]などの[[一意分解整域]]、例えば[[可換体]]上の一変数[[多項式環]] {{math|''K''[''x'']}} などである。
すなわち、任意の元 {{mvar|f}} に対し、{{mvar|f}} を余りなく割り切る元を {{mvar|f}} の'''約元'''(divisor)あるいは'''因子'''(factor)という。{{mvar|f}} が真の約元を持たないとき {{mvar|f}} を'''既約元'''という('''素因子'''あるいは'''既約因子'''ともいう)。
ユークリッド整域では単元(unit, 可逆元 invertible element)倍の違いを除いて素因数分解の一意性が成り立つ。素因数分解の一意性を要求しないならば、さらに一般の[[可換環]] {{mvar|R}} に対しても、単項イデアルの包含関係により約数の概念を拡張することができる。すなわち、{{math|''a'', ''b'' ∈ ''R''}} に対し、単項イデアル {{math|(''a'') {{=}} ''aR'',}} {{math|(''b'') {{=}} ''bR''}} が {{math|(''a'') ⊃ (''b'')}} を満たすとき、{{mvar|a}} は {{mvar|b}} の約元(あるいは約数、因子)であるといい、{{math|''a'' {{!}} ''b''}} と表す<ref>{{citation
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}}</ref>。このとき、{{mvar|b}} は {{mvar|a}} の倍元(または倍数)であるともいう。
== 参考文献 ==
{{Reflist}}
== 関連項目 ==
*[[倍数]]
*[[公約数]]、[[最大公約数]]
*[[素因数分解]]
*[[約数関数]]
*[[友愛数]]、[[婚約数]]、[[社交数]]、[[拡大友愛数]]
*[[完全数]]
*[[アリコット数列]]
== 外部リンク ==
* {{MathWorld|urlname=Divisor|title=Divisor}}
* {{SpringerEOM|urlname=Divisor_(of_an_integer_or_of_a_polynomial)|title=Divisor (of an integer or of a polynomial)}}
{{DEFAULTSORT:やくすう}}
[[Category:除法]]
[[Category:初等整数論]]
[[Category:整数の類]]
[[Category:数学に関する記事]]
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公案
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公案(こうあん)
公案(こうあん)とは、禅宗における問答、または問題をいう。禅宗で修行僧が参究する課題である。すぐれた禅者の言葉、動作などを記録して、坐禅しようとする者に与え、悟りを得る対象とするもので、臨済宗では1千7百則とも言われる。唐末の禅僧睦州道蹤(ぼくしゅうどうしょう, 780年〜877年)が、ある参問者に答えて「現成公案、你に三十棒を放す」(即決裁判で、三十棒を与えるところを、特に猶予してやる)と言ったことに由来し、師が弟子を試み、または評価する意味の禅語。
法身、機関、言詮、難透などに大別されるが、その他に様々な課題がある。内容はいわゆる禅問答であって、にわかに要領を得ず、解答があるかすら不明なものである。有名な公案として「隻手の声」、「狗子仏性」、「祖師西来意」などがある。
例: 両手を叩くと音がする。では片手の音とはなんだろう。(隻手の声)
公案を通じて、禅の修行者に「東洋的無」を体験させようとしたのは、宋代の五祖法演禅師からで、このころに公案禅(看話禅)が確立しており、公案は「五祖下の暗号密令」と言われることもある。
なお、「公案」の語は、転じて芸道の思案・工夫の意味にも用いられ、世阿弥は能楽論書中に好んで使用している。
禅道修行を志した雲水は、一般に参禅のしきたりを踏んだうえで一人の師につき、各地にある専門道場と呼ばれる養成寺院に入門し、与えられた公案に取り組むことになる。公案は、師家(老師)から雲水が悟りの境地へと進んで行くために手助けとして課す問題であり、悟りの境地に達していない人には容易に理解し難い難問だが、屁理屈や詭弁が述べられているわけではなく、頓知や謎かけとも異なる。
数年間の修行中は僧堂で坐禅をしたり、寺の業務に従事しながら毎日、多い時には日に数度も、老師のもとに呼び出され、回答を求められる。思考の限りを尽くしてもそのたび老師に追い返され、なおも回答の提出を求められて懊悩する日々の生活は、きわめて厳しい。
公案をひとつひとつ解いて悟りへと至る禅を看話禅と呼び、臨済宗、黄檗宗、韓国の曹渓宗が看話禅に属する。これに対し、公案を用いずにひたすら坐禅をして(只管打坐)悟りを開いていく禅を黙照禅といい、黙照禅は曹洞宗の特徴となっている。
近世には一定の数の公案を解かないと住職になれない等、法臘(年数)の他に僧侶としての修業度を表す基準ともなった。
禅宗の問答は、時と所を異にして第三者のコメントがつくのが常で、始めに何も答えられなかった僧に代る代語や、答えても不十分なものには別の立場から答えて見せる別語など、第2次第3次の問答を生み出し、最初の問答を本則または古則、話頭、話則などとして参禅工夫する、公案禅または看話禅の時代となる。
宋代は、一般士大夫の間にそうした看話禅への関心が高まって、古則を集めた挙古、韻文の頌をつける頌古、散文のコメントを集めた拈古など、数々の公案集が存在した。『碧巌録』(宋代の禅僧の圜悟克勤が雪竇重顕の頌古百則を講じたもの)や、『無門関』(南宋の無門慧開が五十則の公案に評唱および頌をつけたもの)が代表的である。
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公案(こうあん) 中国で、古代から近世までの役所が発行した文書。調書・裁判記録・判例など。唐代の通語「公府の案牘(あんとく)」に由来する。
禅宗において雲水が修行するための課題として、老師(師匠)から与えられる問題である。この項目で記述する。 公案(こうあん)とは、禅宗における問答、または問題をいう。禅宗で修行僧が参究する課題である。すぐれた禅者の言葉、動作などを記録して、坐禅しようとする者に与え、悟りを得る対象とするもので、臨済宗では1千7百則とも言われる。唐末の禅僧睦州道蹤、你(なんじ)に三十棒を放す」(即決裁判で、三十棒を与えるところを、特に猶予してやる)と言ったことに由来し、師が弟子を試み、または評価する意味の禅語。 法身、機関、言詮、難透などに大別されるが、その他に様々な課題がある。内容はいわゆる禅問答であって、にわかに要領を得ず、解答があるかすら不明なものである。有名な公案として「隻手の声」、「狗子仏性」、「祖師西来意」などがある。 例: 両手を叩くと音がする。では片手の音とはなんだろう。(隻手の声) 公案を通じて、禅の修行者に「東洋的無」を体験させようとしたのは、宋代の五祖法演禅師からで、このころに公案禅(看話禅)が確立しており、公案は「五祖下の暗号密令」と言われることもある。 なお、「公案」の語は、転じて芸道の思案・工夫の意味にも用いられ、世阿弥は能楽論書中に好んで使用している。
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'''公案'''(こうあん)
#[[中国]]で、[[古代]]から[[近世]]までの役所が発行した文書。[[調書]]・[[裁判]]記録・[[判例]]など。[[唐|唐代]]の通語「公府の{{ruby|案牘|あんとく}}」に由来する<ref name="名前なし-1">{{kotobank|公案|百科事典マイペディア}}</ref>。
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'''公案'''(こうあん)とは、[[禅宗]]における問答、または[[問題]]をいう{{sfn|岩波仏教辞典|1989|p=247}}。禅宗で修行僧が参究する課題である。すぐれた[[禅那|禅]]者の言葉、動作などを記録して、[[坐禅]]しようとする者に与え、悟りを得る対象とするもので、[[臨済宗]]では1千7百則とも言われる<ref name="名前なし-1"/>。[[唐]]末の[[禅僧]][[睦州道蹤]](ぼくしゅうどうしょう, [[780年]]〜[[877年]])が、ある参問者に答えて「{{ruby|現成公案|げんじょうこうあん}}、{{ruby|你|なんじ}}に三十棒を放す」(即決裁判で、三十棒を与えるところを、特に猶予してやる)と言ったことに由来し、師が[[弟子]]を試み、または[[評価]]する意味の禅語{{sfn|岩波仏教辞典|1989|p=247}}。
法身、機関、言詮、難透などに大別されるが、その他に様々な課題がある。内容はいわゆる禅問答であって、にわかに要領を得ず、解答があるかすら不明なものである。有名な公案として「[[隻手の声]]」、「[[狗子仏性]]」、「[[祖師西来意]]」などがある。
例: 両手を叩くと音がする。では片手の音とはなんだろう。(隻手の声)
公案を通じて、禅の修行者に「東洋的無」を体験させようとしたのは、[[宋 (王朝)|宋]]代の[[五祖法演]]禅師からで、このころに[[公案禅]]([[看話禅]])が確立しており、公案は「五祖下の暗号密令」と言われることもある{{sfn|秋月|2002|p=34}}。
なお、「公案」の語は、転じて[[芸道]]の[[思案]]・工夫の意味にも用いられ、[[世阿弥]]は[[能楽]]論書中に好んで使用している{{sfn|岩波仏教辞典|1989|p=247}}。
== 公案を用いた禅道修行と看話禅 ==
禅道修行を志した[[雲水]]は、一般に[[参禅]]のしきたりを踏んだうえで一人の師につき{{sfn|星野・安永|2009|p=198}}、各地にある[[専門道場]]と呼ばれる養成[[寺院]]に[[入門]]し、与えられた公案に取り組むことになる。公案は、[[師家]]([[老師]])から雲水が悟りの境地へと進んで行くために手助けとして課す問題であり、悟りの境地に達していない人には容易に理解し難い難問だが、[[屁理屈]]や[[詭弁]]が述べられているわけではなく、[[頓知]]や[[謎かけ]]とも異なる{{sfn|星野・安永|2009|p=198}}。
数年間の修行中は[[僧堂]]で[[坐禅]]をしたり、寺の業務に従事しながら毎日、多い時には日に数度も、[[老師]]のもとに呼び出され、[[回答]]を求められる。思考の限りを尽くしてもそのたび老師に追い返され、なおも回答の提出を求められて懊悩する日々の生活は、きわめて厳しい。
公案をひとつひとつ解いて悟りへと至る禅{{sfn|星野・安永|2009|p=198}}を[[看話禅]]と呼び、[[臨済宗]]、[[黄檗宗]]、韓国の[[曹渓宗]]が[[看話禅]]に属する。これに対し、公案を用いずにひたすら坐禅をして([[只管打坐]])悟りを開いていく禅を[[黙照禅]]といい、黙照禅は[[曹洞宗]]の特徴となっている{{sfn|星野・安永|2009|p=198}}。
近世には一定の数の公案を解かないと[[住職]]になれない等、[[法臘]](年数)の他に[[僧侶]]としての修業度を表す基準ともなった。
== 公案の構成 ==
[[禅宗]]の問答は、時と所を異にして[[第三者]]のコメントがつくのが常で、始めに何も答えられなかった僧に代る'''{{ruby|代語|だいご}}'''や、答えても不十分なものには別の立場から答えて見せる'''{{ruby|別語|べつご}}'''など、第2次第3次の問答を生み出し、最初の問答を'''{{ruby|本則|ほんそく}}'''または'''{{ruby|古則|こそく}}'''、'''{{ruby|話頭|わとう}}'''、'''{{ruby|話則|わそく}}'''などとして[[参禅]]工夫する、[[公案禅]]または[[看話禅]]の時代となる{{sfn|岩波仏教辞典|1989|p=247}}。
[[宋 (王朝)|宋]]代は、一般[[士大夫]]の間にそうした看話禅への関心が高まって、古則を集めた'''{{ruby|挙古|きょこ}}'''、韻文の頌をつける'''{{ruby|頌古|じゅこ}}'''、散文のコメントを集めた'''{{ruby|拈古|ねんこ}}'''など、数々の公案集が存在した{{sfn|岩波仏教辞典|1989|p=247}}。『[[碧巌録]]』([[宋 (王朝)|宋]]代の[[禅僧]]の{{ruby|[[圜悟克勤]]|えんごこくごん}}が{{ruby|[[雪竇重顕]]|せっちょうじゅうけん}}の頌古百則を講じたもの)や、『[[無門関]]』([[南宋]]の[[無門慧開]]が五十則の公案に[[評唱]]および[[頌]]をつけたもの)が代表的である{{sfn|岩波仏教辞典|1989|p=247}}。
== 主な公案集 ==
*『[[無門関]]』
*『[[碧巌録]]』
*『[[従容録]]』
== 出典 ==
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== 参考文献 ==
*{{Cite book |和書 |author=中村元他|authorlink=中村元 |year=1989 |title=岩波仏教辞典 |publisher=岩波書店 |isbn=4-00-080072-8 |ref={{SfnRef|岩波仏教辞典|1989}} }}
*{{Cite book|和書|author = 星野和子(著)、安永祖堂(監修)|year = 2009|title = 一からはじめる禅|publisher = ダイヤモンド社|isbn = 978-4-478-91027-6|ref = {{SfnRef|星野・安永|2009}} }}
*{{Cite book|和書|author= 秋月龍珉|authorlink=秋月龍珉|year = 2002|title = 無門関を読む|publisher = 講談社学術文庫|ref = {{SfnRef|秋月|2002}} }}
== 関連項目 ==
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スクーバダイビング
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スクーバダイビング / スキューバダイビング(英: scuba diving)は、スキューバ/スクーバ(自給気式水中呼吸装置、水中肺、en)を身に着けて行うダイビング(潜水)。
これに対して息を止めて行う潜水をフリーダイビング、地上からホースで空気を供給する潜水を送気式潜水(フーカー潜水)と呼ぶ。日本にはアメリカのアクアラング社 (Aqua Lung) が紹介し、一時期は社名「アクアラング (Aqua-lung) 」がスキューバダイビングの意味で使われることも多かった(cf. アクアラング)。
なお、本記事では特に断らない限り、「ダイビング」を「スキューバダイビング」の意味で使用する。
スクーバとは、英語の Self Contained Underwater Breathing Apparatus のアクロニムである SCUBA の片仮名表記であり、1943年にジャック=イヴ・クストーとエミール・ガニオン(英語版)の共同で空気などの呼吸ガスを携行する方式の潜水器具を発明。自給式水中呼吸装置とも訳される。英語の SCUBA は、本来潜水器具を指す名詞であるが、現在では、この方式の器具を用いて行う潜水活動をもスクーバといい、また形容詞的語としてもよく使われる。
スクーバダイビングは、海洋工事、水難救助、軍事などの職業的活動としても行われるが、一般にはレジャーダイビングを示すことが多い。
記事冒頭にあるように、日本では「スクーバダイビング」と「スキューバダイビング」の2つの呼称がある。「スクーバ」は英語風の発音を、「スキューバ」はヨーロッパ風の発音をもとにしている。
業界団体である日本スクーバ協会は2012年11月に業界用語の統一化に関する指針を示し、この中で「スクーバ協会という名でもあることから」として「スクーバダイビング」にすべきとしている。
一方で、2019年時点でのGoogle 検索の結果では、「スキューバ」のヒット数が「スクーバ」を大きく上回っており、世間一般的には「スキューバ」が浸透しているとみられている。
深度が大きくなるほど、緊急時の浮上が難しくなり、窒素酔いや減圧症の危険性も高くなる。そのため、米海軍潜水教範では、通常の潜水可能深度を40メートルとしている。ただし、ごく初心者が潜る場合は10 - 20メートル前後に設定しておいたほうが安全である。スクーバ・タンクの容量は通常8 - 14リットル(10リットルタンクが最多)ほどであり、始めに通常150 - 200気圧程度(約1.8 - 3.6キログラム)の圧縮空気を詰める。アマチュアダイバーの場合、通常はスクーバ・タンクを1本だけ使うため、この空気が無くなるまでの時間が一つの目安となる。深度が浅い場合には1時間程度であり、深くなるほど呼吸に使われる空気の圧が上がり、時間が短くなる。一般的に、潜水可能時間はダイバー個人の水面空気消費率(1気圧環境、すなわち水面における1分間あたりの空気消費量)から、タンク容量×利用可能圧÷(1+平均潜水深度÷10)÷水面空気消費率の計算により見積もられる。例えば容量12リットルのタンクを使用し、150気圧の空気を使用可能で、潜水中の平均深度15メートル、ダイバーの水面空気消費率が12リットルの場合、12×150÷(1+15÷10)÷12=60分になる。なお、通常のレクリエーショナルダイビングにおける水面空気消費率は、上級ダイバーで10 - 14リットル/分程度(小柄なダイバーでは8リットル/分程度になる場合もある)、初級ダイバーで20 - 30リットル/分程度である。すなわち、同じ上記の条件でも24 - 90分と、ダイバーによって潜水可能時間には大きな差が生じる。なお、実際の空気消費量は、体調、水温、水の流れや、水中における運動度合い等の諸条件によって変化するため、個々の潜水における実際の潜水可能時間が、上記の式で算出された潜水可能時間と乖離することも多い。
また、一般的には水圧が高くなるほど減圧症の危険が高くなるため、減圧停止を行わないレクリエーショナルダイビングの場合には、深度10メートルで3時間半程度、深度20メートルで45分程度、深度40メートルで9分程度を超えて潜水してはならない。先に挙げた限界時間近くまで潜水していた場合には、地上で3時間程度の休憩が必要となる。もっともこの制約は、減圧に関する教育・訓練を受けた職業ダイバーやテクニカルダイバーには適用されず、実際これらのダイバーによっては、上記の限界時間を越えた減圧潜水もごく日常的に行われている。しかし、職業ダイバーでも、減圧潜水を頻繁に行っているダイバーは稀で、通常は浅場での作業が中心である。 レクリエーショナルダイバーは減圧停止を行うことを前提とした「減圧潜水」を行ってはならない。
日本の法律では業務以外の目的でスクーバダイビングをするのに資格は必要ないが、レジャーダイビングを行う上で潜水器材のレンタルを含むダイビング関連サービスを受けるためにはほとんどの場合Cカードの提示が必要であることから、Cカードを取得しなければ事実上スクーバダイビングをすることはできない。(ただし、Cカード認定インストラクターが同行する体験ダイビングやCカード取得のための講習では必要ない)Cカードに関しては後述する。
一方、スクーバダイビングは、器材に頼るレジャーであり、器材選択は安全管理の基本にもなる。
本項では、主要な器材と機能のみ列挙する。より詳しい内容は別項「ダイビング器材」を参照。
これら器材はレンタルもされているし、購入することもできる。なお、レクリエーショナルダイバーの場合、スクーバ・タンクは、重量があり運搬が大変なこと、また保管・運搬に法規制を受ける関係から、購入せずにその都度レンタルするケースが多い。 スクーバ・タンクはが、酸素濃度を増やした(窒素濃度を減らした)「エンリッチド・エア;ナイトロックス」を使うこともある。 空気潜水よりも最大深度が厳しく制限されるが、レクリエーションダイバーが最も頻繁に潜る深度である10 - 30メートルを少し超える辺りの深度で無減圧限界時間を伸ばすことができる。また、空気潜水と同等のプロフィールで潜水した場合、減圧症の罹患率を下げる効果があると考えられている。 特に深く潜る場合にはヘリオックスガス(酸素・ヘリウム混合ガス)やトライミックスガス(酸素・窒素・ヘリウム混合ガス)を用いることもあり、何れも酸素濃度は空気よりも低く設定する(深く潜るほど、酸素濃度は低くしなければいけない)。 当然のことながら、空気(中層用)やエンリッチド・エア;ナイトロックス(浅場用)を含む数本のタンクを携行することが必要となり、加速減圧(体内窒素の急速な放出)の為に純酸素を携行する場合もある。最近ではリブリーザーを用いるダイバーも徐々に増えている。
講習費用の内訳は一概には言えないが、指導団体が提供する教材や申請代、現地の施設使用料、現地で借りるスクーバタンク代、インストラクターに払うレッスン代(講習費)などがあり、その他にお店や海までの交通費、宿泊する場合は宿泊代などが挙げられる。 お店によっては、ダイビングスポットへの旅行の費用や交通費、宿泊代などが含まれている場合もあるが、これは旅行業法上の様々な問題もある。 バブル期には12 - 15万円程度が標準とされていたオープンウォーターダイバーコース(教育機関により名称は異なる)の総費用は、近年では都市型ショップの場合、6 - 9万円程度、海沿いの現地サービス(交通費・宿泊費別途必要)の場合、4 - 7万円程度が平均的である。 ダイビング器材はレンタルが可能である。ただし、可能な限り体に合った器材を使った方が安全という考えや、講習終了後のダイビングでも常に同一の器材を使用した方が安全という考えから、一部、あるいは全部の器材の購入を講習の条件としたり、条件とはしないまでも推奨するスクールもある。
港湾、河川等を除いて、法律上は潜水の実施に許可を要さない水域が多々ある。しかし、基本的に潜水の対象となるのは観察や鑑賞の対象となる水棲生物が多く棲息する水域であり、このような水域での潜水は、あらかじめ同意を得ない限り、これら生物の採取で生計を立てている漁業関係者とのトラブル発生や、また密漁容疑での取調べ対象になる可能性も高い。このような背景から、日本では、沖縄県等の一部地域を除いては、個人・当該地域外のダイビングツアー・ダイビングスクール催行業者にかかわらず、地域の漁業協同組合と良好な関係を構築している、あるいは漁業協同組合が経営している、いわゆる「現地サービス」と呼ばれる業者を介して潜水を実施することが大半である。かつては、ダイバーは漁場を荒らす厄介者として忌避される傾向が強かったが、現在では、密漁を行う者はダイバーのごく一部であることが広く認知されるようになったこと、またサービスの利用のみならず、食事、宿泊等の消費で地域経済の活性化につながるとの認識が広がったことから、積極的なダイバーの受け入れに方針転換した地域も多くなってきている。
スクーバダイビングを行う上で重要な基本技術には、呼吸、中性浮力、圧平衡などがある。初級クラスで習得すべきその他の技術としては、緊急浮上、安全停止、器材の脱着(水面・水中での脱着を含む)等がある。
ダイビングでは深くゆっくりとした呼吸が必要である。浅い呼吸では、空気のほとんどが肺に届かないため、空気が無駄に消費される。また、呼吸方法は、次に説明する中性浮力の調整や、呼吸器の保護にも重要となる。
水中で楽に移動するためには、器材を含めた体の平均比重を水の比重と合わせる必要がある。こうすることで、体は浮くことも沈むこともなくなるので、静止するために運動することは必要なくなり、また最小限のエネルギー消費で移動することが可能となる。
中性浮力の調整は、体につけた浮力調整器具(BCD)で行う。BCDから空気を抜くと体はゆっくりと水に沈んでいき、BCDに適度に空気を入れると中性浮力を保つことができる。
浮上はフィンキックで行い、浮上途中で体積(浮力)が増して来るBCD内部の空気を適宜排気しなければならない。それを怠ると急浮上の原因となる。
ドライスーツを着用している場合には、水中ではBCDには給気せずスーツ内に給気することによって中性浮力が保たれ、浮上中には排気バルブを上に向けていさえすれば、膨らんだ空気は自動的に排気され、急浮上する心配は無い。
全てのスクーバ器材を体に付けた状態でも、主として保護スーツの浮力の為、ほとんどの場合ダイバーは沈むことが出来ない。そのため、腰のベルトなどに数キログラムのウェイト(錘)を付ける。錘は地上で装着しておき、水中で調整することは通常はないが、必要量の見積もりが過小であった場合、水底から拾った石を携行して調整手段としたり、また初心者ダイバーの場合には、引率しているガイドやインストラクターが、あらかじめ過剰に携行していた錘を水中で貸し与えるような場合もある。
スクーバダイビングで使う浮力調整器具はBCD (Buoyancy Control Device) と呼ばれる。詳細については当該記事を参照のこと。また、最終的な微調整は、肺が大きくなると浮き、小さくなると沈むことを利用し呼吸で行う。
体には耳内、肺、頭部などに空間があり、水圧に応じて意図的に圧力を調整しなければ、激痛となり、場合によっては重大な障害が生じることがある。 しかし、ほとんどの人は航空機搭乗、高所移動などで圧平衡を経験済みであり、潜水の場合も無理せず行なえば容易で、恐れるには値しない。
耳内の圧調整は耳抜きで行う。つまり、鼻をつまんだ状態で息を吹き込む。深度を変えるごとにこまめの耳抜きが必要である。もし鼻炎などの理由で耳管が塞がっている場合には、耳抜きが困難となりダイビングの妨げとなる。肺内の圧調整は呼吸で十分であるが、後述の通り、たとえ短時間であっても呼吸を止めてはいけない。特に浮上中に息を止めることはたとえ一瞬であっても非常に危険である。
上述したとおり、レクリエーショナルダイビングは無減圧限界時間の範囲内で実施することが大前提である。しかし、無減圧限界時間は減圧症の罹患確率をゼロにするものではなく、ある確率で減圧症に罹患することは避けられない。この確率を最小限にするため、浮上中、ある程度の時間一定深度に滞在し、体内の窒素をある程度排泄することが行われ、これを安全停止という。通常は深度5メートルに3分間滞在する。万が一無減圧限界時間を越えて潜水してしまった場合、ダイビングコンピュータを携行していればその指示に従えばよいが、ダイビングコンピュータを携行していない場合には緊急減圧という手順を行う(補足を下記に記す)。これは、深度5メートルにタンク内の空気が残っている限り長く滞在するもので、これによって体内の窒素をできる限り排泄する。緊急減圧を実施した場合は、減圧症に罹患した兆候がないか、潜水終了後24時間にわたって注意深く観察する必要がある。
減圧停止を前提としたダイビングを行なわないことが決まりのレクリエーションダイバーにとって、減圧停止の必要が生じる場合のほとんどはダイブコンピューターに減圧停止指示が表示されたときで、タンク内の空気(ガス)残量の多寡に拘わらず指示された時間及び指示された深度で停止する必要がある。空気(ガス)が足らない場合にはボートからレギュ付きタンクを下ろして貰って減圧停止を続けるべきであるが最悪の場合、一旦船に上がって急いで自分でタンクを付け替えて再度指示された深度に戻ることになる。 一旦上がった際に体の異常を僅かでも感じたら再び潜るのは止め、医療機関に向かう必要がある。
陸地から水に入る方法。
海や湖などに楽しみで潜る行為を指し、ファンダイブともいう。
一般に、次の範囲内で潜水することが強く推奨される。
一般向けのレクリエーショナルダイビングに関するサービスはダイビングショップが行っており、Cカードの発行も行っている。ダイビングポイントに比較的近い店舗と、比較的遠方にある都市部などに立地する店舗に大別され、前者は主に現地の特定のポイントを、後者は複数のポイントを案内している。
一般的なレクリエーショナルダイビングの限界を超えた領域、すなわち
などに、より安全に到達・帰還できるよう装備や手順を体系化した非職業的ダイビングを指す。全てのレジャーダイビングにおける安全管理の基礎を担う。詳しくはテクニカルダイビングの項参照。
商業潜水ともいう。営利を目的とした作業潜水や調査潜水などを示すが、レクリエーショナルダイビングを行うダイバーへのガイドや講習については、団体により見解が異なる。
Cカード(C-card)とは、ダイビング指導団体が、直接、またはフランチャイズを通じて実施する技能講習を終了した者に対し発行する技能認定(Certification)カードである。ダイビング指導団体は、ほとんどの場合民間の営利企業(欧州等の一部地域には、非営利や公的な指導団体も存在する)であり、少なくとも日本では免許証と違いCカードを所持しないでスクーバ・ダイビングを行うことが法的に禁止されているといった類のものではない。しかしながら、適切な知識・技量を有さない者がスクーバダイビングを行った場合、致死傷事故が発生する可能性が非常に高いことは容易に推定できることから、これらの者にサービスを提供してスクーバダイビングが行われた結果事故が発生した場合、事故を予見できたのに適切な対応(サービスの提供拒否など)を取らなかったとして刑法の業務上過失致死傷罪(211条)などの刑事責任や民法上の不法行為責任を問われる可能性が高い。このようなリスクを回避するため、レジャーダイバーにサービスを提供する者はそのほとんどがCカードの提示を求めており、これを所持せずにダイビングを行うことは事実上困難と言ってよく、その意味では許可証的な性質を有するものと言えなくもない。また海外ではCカードを所持しない者のスクーバダイビングを法的に禁止していたり(オーストラリア)、Cカードを所持しないものに対するスクーバ・ダイビング器材の販売や貸与を禁止している(欧州)例もある。
Cカードにはほとんどの場合、そのスキルレベルに応じたランクが設定されていて、ダイバーとしての知識や技術、経験などを示す指標になっている。また、スキルアップの目標としての性格もある。認定団体ごとにランクの区分や呼称が異なるため、WRSTCによりRSTC基準が策定され利用されている。日本国内ではCカード協議会(正式名称レジャーダイビング認定カード普及協議会)がRSTC基準を採択しており、「エントリーレベル基準」「インストラクターレベル基準」「スーパーバイザーレベル基準」「インストラクタートレーナー基準」を示し、その採択基準の普及に努めている。現在基準また ISO 24803:2007でもレクリエーショナルダイビングスキルの認定基準が規格化されている指導団体もある。
但し、オープンウォーターダイバーがファンダイブ(講習を伴わないダイビング)で深度18メートルより深いポイントに潜ることを望む場合、アドバンスドオープンウオーターダイバーと同等の知識と経験、能力を有することが前提で、そうでない場合にはその前にアドバンスドオープンウオーターダイバーコースやディープダイバースペシャルティーコースを受けるべきである。
PADIの場合、レスキューダイバーが5種類のスペシャルティーコースを受講すれば申請可能(順不同)。
プロフェッショナルの入門レベルと捉えられがちだが、インストラクターにならずともガイドダイバーとして一流のプロを目指すことも可能である。ダイブマスターとインストラクターに上下関係はない。
指導団体とは、ダイビングの普及・ダイバーの育成を目的とする営利または非営利の団体。現在日本だけでも30あまりの団体があり、それぞれの理念に基づいてダイバーの教育、Cカードの発行を行っている。以下に主な指導団体を挙げる。(アルファベット順) 下記以外には、JUDF、KD-JAPAN、等。(詳しくはCカード協議会参照。)
潜水活動中に起こりうる危険について述べる。
圧外傷(英語版)
体内の空隙などが水圧によって押しつぶされたり引っ張られたりする現象をスクイズ(スクイーズ)という。中耳腔のスクイズによって鼓膜が破れるおそれがある。鼓膜の損傷を防ぐには圧平衡(耳抜き)という動作を行う。副鼻腔や虫歯、マスク、ドライスーツも、スクイズを起こして痛みを感じることがある。潜行するにつれて、マスク内の空気が陰圧になることで、マスクが顔に押し付けられたり、ひっぱられたりして痛みを感じる現象をマスクスクイズと呼ぶ。マスクスクイズを防ぐためには、鼻からマスク内に空気を送り込むマスクブローを行う必要がある。潜水前に飲んだ炭酸飲料の気泡により、胃腸に不快感をおよぼすこともある。
息を止めて浮上したことで起きる。深いところでは周囲の水圧と同じ圧力の空気を吸うので、息を止めた状態で浮上すると水圧の低下にともなって呼吸器内の空気の体積が大きくなり、肺が膨張して破裂に至る。これは水中で呼吸を行わないスキンダイビングとは大きく異なる点である。
スクーバダイビングで最も重要なことは、ゆっくり深く呼吸し、絶対に息を止めないことである。バディに空気を与える等の目的で、水中でセカンドステージを口から外した場合にも、口から少量の息を出し続けて、呼吸器内の昇圧を予防する必要がある。
ダイビングにおいて減圧症を発症しないためには、十分に遅い速度で浮上する必要があり、通常、潜水の分野で減圧と言えば、この目的で行う遅い浮上を示す。実際的には、浮上速度を長時間にわたってコントロールすることは非常に難しいため、一定深度で一定時間停止する、減圧停止と呼ばれる手順が用いられる。
潜水計画時において、減圧表(ダイビング・テーブル)と呼ばれる表から減圧停止を行わなくてはならない深度・時間を読み取る。現在では事前の計画をせずに、ダイビングコンピュータを装着し、その指示に従って潜水する場合が多い。ダイブコンピュータを使用する場合でも事前の潜水計画は不可欠である。
窒素の麻酔作用によるアルコール酔いに似た症状のこと。窒素中毒(nitrogen narcosis)ともいう。 空気潜水の場合、深度30メートルを越えると窒素酔いの症状が出始めるとされていて、特別な目的がある場合を除き、深度30メートルを限界深度と捉えることが望ましい。
酸素の分圧が一定範囲以上のガスを呼吸しつづけた場合に発症する可能性のある症状である。水中で酸素中毒を発症した場合は死に至る可能性が極めて高く、特殊な目的のため綿密な計画の下に行う場合以外は、決してスクーバダイビングの呼吸ガスとして純酸素を用いてはならない。時折、スクーバダイバーの携行する呼吸用ガスタンクを「酸素ボンベ」と称する場合もあるが、これはほとんどの場合誤った用語である。通常の空気潜水であっても、およそ深度45-60メートルを越えると酸素中毒の危険性が生じてくる。
アメリカのSF映画『スター・ウォーズ』シリーズに登場する悪役ダース・ベイダーの呼吸音 (Darth Vader's breathing sound) は、スクーバタンクのレギュレーターを使って呼吸することで作り出されており、この音のみで多くの人に彼のキャラクターを連想させ得る強烈なインパクトを持って知られている。アメリカ国内では音の商標(サウンドマーク)として権利登録されており、「スクーバタンクのレギュレーターを使って呼吸することで作り出される、周期的で機械的な人間の呼吸音」と定義されている。
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"text": "スクーバダイビング / スキューバダイビング(英: scuba diving)は、スキューバ/スクーバ(自給気式水中呼吸装置、水中肺、en)を身に着けて行うダイビング(潜水)。",
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"text": "これに対して息を止めて行う潜水をフリーダイビング、地上からホースで空気を供給する潜水を送気式潜水(フーカー潜水)と呼ぶ。日本にはアメリカのアクアラング社 (Aqua Lung) が紹介し、一時期は社名「アクアラング (Aqua-lung) 」がスキューバダイビングの意味で使われることも多かった(cf. アクアラング)。",
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"text": "なお、本記事では特に断らない限り、「ダイビング」を「スキューバダイビング」の意味で使用する。",
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"text": "スクーバとは、英語の Self Contained Underwater Breathing Apparatus のアクロニムである SCUBA の片仮名表記であり、1943年にジャック=イヴ・クストーとエミール・ガニオン(英語版)の共同で空気などの呼吸ガスを携行する方式の潜水器具を発明。自給式水中呼吸装置とも訳される。英語の SCUBA は、本来潜水器具を指す名詞であるが、現在では、この方式の器具を用いて行う潜水活動をもスクーバといい、また形容詞的語としてもよく使われる。",
"title": "語源・由来"
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"text": "スクーバダイビングは、海洋工事、水難救助、軍事などの職業的活動としても行われるが、一般にはレジャーダイビングを示すことが多い。",
"title": "語源・由来"
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"text": "記事冒頭にあるように、日本では「スクーバダイビング」と「スキューバダイビング」の2つの呼称がある。「スクーバ」は英語風の発音を、「スキューバ」はヨーロッパ風の発音をもとにしている。",
"title": "日本での呼称について"
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"text": "業界団体である日本スクーバ協会は2012年11月に業界用語の統一化に関する指針を示し、この中で「スクーバ協会という名でもあることから」として「スクーバダイビング」にすべきとしている。",
"title": "日本での呼称について"
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"text": "一方で、2019年時点でのGoogle 検索の結果では、「スキューバ」のヒット数が「スクーバ」を大きく上回っており、世間一般的には「スキューバ」が浸透しているとみられている。",
"title": "日本での呼称について"
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{
"paragraph_id": 8,
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"text": "深度が大きくなるほど、緊急時の浮上が難しくなり、窒素酔いや減圧症の危険性も高くなる。そのため、米海軍潜水教範では、通常の潜水可能深度を40メートルとしている。ただし、ごく初心者が潜る場合は10 - 20メートル前後に設定しておいたほうが安全である。スクーバ・タンクの容量は通常8 - 14リットル(10リットルタンクが最多)ほどであり、始めに通常150 - 200気圧程度(約1.8 - 3.6キログラム)の圧縮空気を詰める。アマチュアダイバーの場合、通常はスクーバ・タンクを1本だけ使うため、この空気が無くなるまでの時間が一つの目安となる。深度が浅い場合には1時間程度であり、深くなるほど呼吸に使われる空気の圧が上がり、時間が短くなる。一般的に、潜水可能時間はダイバー個人の水面空気消費率(1気圧環境、すなわち水面における1分間あたりの空気消費量)から、タンク容量×利用可能圧÷(1+平均潜水深度÷10)÷水面空気消費率の計算により見積もられる。例えば容量12リットルのタンクを使用し、150気圧の空気を使用可能で、潜水中の平均深度15メートル、ダイバーの水面空気消費率が12リットルの場合、12×150÷(1+15÷10)÷12=60分になる。なお、通常のレクリエーショナルダイビングにおける水面空気消費率は、上級ダイバーで10 - 14リットル/分程度(小柄なダイバーでは8リットル/分程度になる場合もある)、初級ダイバーで20 - 30リットル/分程度である。すなわち、同じ上記の条件でも24 - 90分と、ダイバーによって潜水可能時間には大きな差が生じる。なお、実際の空気消費量は、体調、水温、水の流れや、水中における運動度合い等の諸条件によって変化するため、個々の潜水における実際の潜水可能時間が、上記の式で算出された潜水可能時間と乖離することも多い。",
"title": "潜水限界"
},
{
"paragraph_id": 9,
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"text": "また、一般的には水圧が高くなるほど減圧症の危険が高くなるため、減圧停止を行わないレクリエーショナルダイビングの場合には、深度10メートルで3時間半程度、深度20メートルで45分程度、深度40メートルで9分程度を超えて潜水してはならない。先に挙げた限界時間近くまで潜水していた場合には、地上で3時間程度の休憩が必要となる。もっともこの制約は、減圧に関する教育・訓練を受けた職業ダイバーやテクニカルダイバーには適用されず、実際これらのダイバーによっては、上記の限界時間を越えた減圧潜水もごく日常的に行われている。しかし、職業ダイバーでも、減圧潜水を頻繁に行っているダイバーは稀で、通常は浅場での作業が中心である。 レクリエーショナルダイバーは減圧停止を行うことを前提とした「減圧潜水」を行ってはならない。",
"title": "潜水限界"
},
{
"paragraph_id": 10,
"tag": "p",
"text": "日本の法律では業務以外の目的でスクーバダイビングをするのに資格は必要ないが、レジャーダイビングを行う上で潜水器材のレンタルを含むダイビング関連サービスを受けるためにはほとんどの場合Cカードの提示が必要であることから、Cカードを取得しなければ事実上スクーバダイビングをすることはできない。(ただし、Cカード認定インストラクターが同行する体験ダイビングやCカード取得のための講習では必要ない)Cカードに関しては後述する。",
"title": "必要な資格と器材"
},
{
"paragraph_id": 11,
"tag": "p",
"text": "一方、スクーバダイビングは、器材に頼るレジャーであり、器材選択は安全管理の基本にもなる。",
"title": "必要な資格と器材"
},
{
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"tag": "p",
"text": "本項では、主要な器材と機能のみ列挙する。より詳しい内容は別項「ダイビング器材」を参照。",
"title": "必要な資格と器材"
},
{
"paragraph_id": 13,
"tag": "p",
"text": "これら器材はレンタルもされているし、購入することもできる。なお、レクリエーショナルダイバーの場合、スクーバ・タンクは、重量があり運搬が大変なこと、また保管・運搬に法規制を受ける関係から、購入せずにその都度レンタルするケースが多い。 スクーバ・タンクはが、酸素濃度を増やした(窒素濃度を減らした)「エンリッチド・エア;ナイトロックス」を使うこともある。 空気潜水よりも最大深度が厳しく制限されるが、レクリエーションダイバーが最も頻繁に潜る深度である10 - 30メートルを少し超える辺りの深度で無減圧限界時間を伸ばすことができる。また、空気潜水と同等のプロフィールで潜水した場合、減圧症の罹患率を下げる効果があると考えられている。 特に深く潜る場合にはヘリオックスガス(酸素・ヘリウム混合ガス)やトライミックスガス(酸素・窒素・ヘリウム混合ガス)を用いることもあり、何れも酸素濃度は空気よりも低く設定する(深く潜るほど、酸素濃度は低くしなければいけない)。 当然のことながら、空気(中層用)やエンリッチド・エア;ナイトロックス(浅場用)を含む数本のタンクを携行することが必要となり、加速減圧(体内窒素の急速な放出)の為に純酸素を携行する場合もある。最近ではリブリーザーを用いるダイバーも徐々に増えている。",
"title": "必要な資格と器材"
},
{
"paragraph_id": 14,
"tag": "p",
"text": "講習費用の内訳は一概には言えないが、指導団体が提供する教材や申請代、現地の施設使用料、現地で借りるスクーバタンク代、インストラクターに払うレッスン代(講習費)などがあり、その他にお店や海までの交通費、宿泊する場合は宿泊代などが挙げられる。 お店によっては、ダイビングスポットへの旅行の費用や交通費、宿泊代などが含まれている場合もあるが、これは旅行業法上の様々な問題もある。 バブル期には12 - 15万円程度が標準とされていたオープンウォーターダイバーコース(教育機関により名称は異なる)の総費用は、近年では都市型ショップの場合、6 - 9万円程度、海沿いの現地サービス(交通費・宿泊費別途必要)の場合、4 - 7万円程度が平均的である。 ダイビング器材はレンタルが可能である。ただし、可能な限り体に合った器材を使った方が安全という考えや、講習終了後のダイビングでも常に同一の器材を使用した方が安全という考えから、一部、あるいは全部の器材の購入を講習の条件としたり、条件とはしないまでも推奨するスクールもある。",
"title": "必要な費用"
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"paragraph_id": 15,
"tag": "p",
"text": "港湾、河川等を除いて、法律上は潜水の実施に許可を要さない水域が多々ある。しかし、基本的に潜水の対象となるのは観察や鑑賞の対象となる水棲生物が多く棲息する水域であり、このような水域での潜水は、あらかじめ同意を得ない限り、これら生物の採取で生計を立てている漁業関係者とのトラブル発生や、また密漁容疑での取調べ対象になる可能性も高い。このような背景から、日本では、沖縄県等の一部地域を除いては、個人・当該地域外のダイビングツアー・ダイビングスクール催行業者にかかわらず、地域の漁業協同組合と良好な関係を構築している、あるいは漁業協同組合が経営している、いわゆる「現地サービス」と呼ばれる業者を介して潜水を実施することが大半である。かつては、ダイバーは漁場を荒らす厄介者として忌避される傾向が強かったが、現在では、密漁を行う者はダイバーのごく一部であることが広く認知されるようになったこと、またサービスの利用のみならず、食事、宿泊等の消費で地域経済の活性化につながるとの認識が広がったことから、積極的なダイバーの受け入れに方針転換した地域も多くなってきている。",
"title": "潜水場所"
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"text": "スクーバダイビングを行う上で重要な基本技術には、呼吸、中性浮力、圧平衡などがある。初級クラスで習得すべきその他の技術としては、緊急浮上、安全停止、器材の脱着(水面・水中での脱着を含む)等がある。",
"title": "基本技術"
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{
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"tag": "p",
"text": "ダイビングでは深くゆっくりとした呼吸が必要である。浅い呼吸では、空気のほとんどが肺に届かないため、空気が無駄に消費される。また、呼吸方法は、次に説明する中性浮力の調整や、呼吸器の保護にも重要となる。",
"title": "基本技術"
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"text": "水中で楽に移動するためには、器材を含めた体の平均比重を水の比重と合わせる必要がある。こうすることで、体は浮くことも沈むこともなくなるので、静止するために運動することは必要なくなり、また最小限のエネルギー消費で移動することが可能となる。",
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"text": "中性浮力の調整は、体につけた浮力調整器具(BCD)で行う。BCDから空気を抜くと体はゆっくりと水に沈んでいき、BCDに適度に空気を入れると中性浮力を保つことができる。",
"title": "基本技術"
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"text": "浮上はフィンキックで行い、浮上途中で体積(浮力)が増して来るBCD内部の空気を適宜排気しなければならない。それを怠ると急浮上の原因となる。",
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"text": "ドライスーツを着用している場合には、水中ではBCDには給気せずスーツ内に給気することによって中性浮力が保たれ、浮上中には排気バルブを上に向けていさえすれば、膨らんだ空気は自動的に排気され、急浮上する心配は無い。",
"title": "基本技術"
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"text": "全てのスクーバ器材を体に付けた状態でも、主として保護スーツの浮力の為、ほとんどの場合ダイバーは沈むことが出来ない。そのため、腰のベルトなどに数キログラムのウェイト(錘)を付ける。錘は地上で装着しておき、水中で調整することは通常はないが、必要量の見積もりが過小であった場合、水底から拾った石を携行して調整手段としたり、また初心者ダイバーの場合には、引率しているガイドやインストラクターが、あらかじめ過剰に携行していた錘を水中で貸し与えるような場合もある。",
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"text": "スクーバダイビングで使う浮力調整器具はBCD (Buoyancy Control Device) と呼ばれる。詳細については当該記事を参照のこと。また、最終的な微調整は、肺が大きくなると浮き、小さくなると沈むことを利用し呼吸で行う。",
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"text": "体には耳内、肺、頭部などに空間があり、水圧に応じて意図的に圧力を調整しなければ、激痛となり、場合によっては重大な障害が生じることがある。 しかし、ほとんどの人は航空機搭乗、高所移動などで圧平衡を経験済みであり、潜水の場合も無理せず行なえば容易で、恐れるには値しない。",
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"text": "耳内の圧調整は耳抜きで行う。つまり、鼻をつまんだ状態で息を吹き込む。深度を変えるごとにこまめの耳抜きが必要である。もし鼻炎などの理由で耳管が塞がっている場合には、耳抜きが困難となりダイビングの妨げとなる。肺内の圧調整は呼吸で十分であるが、後述の通り、たとえ短時間であっても呼吸を止めてはいけない。特に浮上中に息を止めることはたとえ一瞬であっても非常に危険である。",
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"paragraph_id": 36,
"tag": "p",
"text": "Cカードにはほとんどの場合、そのスキルレベルに応じたランクが設定されていて、ダイバーとしての知識や技術、経験などを示す指標になっている。また、スキルアップの目標としての性格もある。認定団体ごとにランクの区分や呼称が異なるため、WRSTCによりRSTC基準が策定され利用されている。日本国内ではCカード協議会(正式名称レジャーダイビング認定カード普及協議会)がRSTC基準を採択しており、「エントリーレベル基準」「インストラクターレベル基準」「スーパーバイザーレベル基準」「インストラクタートレーナー基準」を示し、その採択基準の普及に努めている。現在基準また ISO 24803:2007でもレクリエーショナルダイビングスキルの認定基準が規格化されている指導団体もある。",
"title": "Cカード"
},
{
"paragraph_id": 37,
"tag": "p",
"text": "但し、オープンウォーターダイバーがファンダイブ(講習を伴わないダイビング)で深度18メートルより深いポイントに潜ることを望む場合、アドバンスドオープンウオーターダイバーと同等の知識と経験、能力を有することが前提で、そうでない場合にはその前にアドバンスドオープンウオーターダイバーコースやディープダイバースペシャルティーコースを受けるべきである。",
"title": "Cカード"
},
{
"paragraph_id": 38,
"tag": "p",
"text": "PADIの場合、レスキューダイバーが5種類のスペシャルティーコースを受講すれば申請可能(順不同)。",
"title": "Cカード"
},
{
"paragraph_id": 39,
"tag": "p",
"text": "プロフェッショナルの入門レベルと捉えられがちだが、インストラクターにならずともガイドダイバーとして一流のプロを目指すことも可能である。ダイブマスターとインストラクターに上下関係はない。",
"title": "Cカード"
},
{
"paragraph_id": 40,
"tag": "p",
"text": "指導団体とは、ダイビングの普及・ダイバーの育成を目的とする営利または非営利の団体。現在日本だけでも30あまりの団体があり、それぞれの理念に基づいてダイバーの教育、Cカードの発行を行っている。以下に主な指導団体を挙げる。(アルファベット順) 下記以外には、JUDF、KD-JAPAN、等。(詳しくはCカード協議会参照。)",
"title": "Cカード"
},
{
"paragraph_id": 41,
"tag": "p",
"text": "潜水活動中に起こりうる危険について述べる。",
"title": "スクーバの傷害"
},
{
"paragraph_id": 42,
"tag": "p",
"text": "圧外傷(英語版)",
"title": "スクーバの傷害"
},
{
"paragraph_id": 43,
"tag": "p",
"text": "体内の空隙などが水圧によって押しつぶされたり引っ張られたりする現象をスクイズ(スクイーズ)という。中耳腔のスクイズによって鼓膜が破れるおそれがある。鼓膜の損傷を防ぐには圧平衡(耳抜き)という動作を行う。副鼻腔や虫歯、マスク、ドライスーツも、スクイズを起こして痛みを感じることがある。潜行するにつれて、マスク内の空気が陰圧になることで、マスクが顔に押し付けられたり、ひっぱられたりして痛みを感じる現象をマスクスクイズと呼ぶ。マスクスクイズを防ぐためには、鼻からマスク内に空気を送り込むマスクブローを行う必要がある。潜水前に飲んだ炭酸飲料の気泡により、胃腸に不快感をおよぼすこともある。",
"title": "スクーバの傷害"
},
{
"paragraph_id": 44,
"tag": "p",
"text": "息を止めて浮上したことで起きる。深いところでは周囲の水圧と同じ圧力の空気を吸うので、息を止めた状態で浮上すると水圧の低下にともなって呼吸器内の空気の体積が大きくなり、肺が膨張して破裂に至る。これは水中で呼吸を行わないスキンダイビングとは大きく異なる点である。",
"title": "スクーバの傷害"
},
{
"paragraph_id": 45,
"tag": "p",
"text": "スクーバダイビングで最も重要なことは、ゆっくり深く呼吸し、絶対に息を止めないことである。バディに空気を与える等の目的で、水中でセカンドステージを口から外した場合にも、口から少量の息を出し続けて、呼吸器内の昇圧を予防する必要がある。",
"title": "スクーバの傷害"
},
{
"paragraph_id": 46,
"tag": "p",
"text": "ダイビングにおいて減圧症を発症しないためには、十分に遅い速度で浮上する必要があり、通常、潜水の分野で減圧と言えば、この目的で行う遅い浮上を示す。実際的には、浮上速度を長時間にわたってコントロールすることは非常に難しいため、一定深度で一定時間停止する、減圧停止と呼ばれる手順が用いられる。",
"title": "スクーバの傷害"
},
{
"paragraph_id": 47,
"tag": "p",
"text": "潜水計画時において、減圧表(ダイビング・テーブル)と呼ばれる表から減圧停止を行わなくてはならない深度・時間を読み取る。現在では事前の計画をせずに、ダイビングコンピュータを装着し、その指示に従って潜水する場合が多い。ダイブコンピュータを使用する場合でも事前の潜水計画は不可欠である。",
"title": "スクーバの傷害"
},
{
"paragraph_id": 48,
"tag": "p",
"text": "窒素の麻酔作用によるアルコール酔いに似た症状のこと。窒素中毒(nitrogen narcosis)ともいう。 空気潜水の場合、深度30メートルを越えると窒素酔いの症状が出始めるとされていて、特別な目的がある場合を除き、深度30メートルを限界深度と捉えることが望ましい。",
"title": "スクーバの傷害"
},
{
"paragraph_id": 49,
"tag": "p",
"text": "酸素の分圧が一定範囲以上のガスを呼吸しつづけた場合に発症する可能性のある症状である。水中で酸素中毒を発症した場合は死に至る可能性が極めて高く、特殊な目的のため綿密な計画の下に行う場合以外は、決してスクーバダイビングの呼吸ガスとして純酸素を用いてはならない。時折、スクーバダイバーの携行する呼吸用ガスタンクを「酸素ボンベ」と称する場合もあるが、これはほとんどの場合誤った用語である。通常の空気潜水であっても、およそ深度45-60メートルを越えると酸素中毒の危険性が生じてくる。",
"title": "スクーバの傷害"
},
{
"paragraph_id": 50,
"tag": "p",
"text": "アメリカのSF映画『スター・ウォーズ』シリーズに登場する悪役ダース・ベイダーの呼吸音 (Darth Vader's breathing sound) は、スクーバタンクのレギュレーターを使って呼吸することで作り出されており、この音のみで多くの人に彼のキャラクターを連想させ得る強烈なインパクトを持って知られている。アメリカ国内では音の商標(サウンドマーク)として権利登録されており、「スクーバタンクのレギュレーターを使って呼吸することで作り出される、周期的で機械的な人間の呼吸音」と定義されている。",
"title": "呼吸音"
}
] |
スクーバダイビング / スキューバダイビングは、スキューバ/スクーバ(自給気式水中呼吸装置、水中肺、en)を身に着けて行うダイビング(潜水)。 これに対して息を止めて行う潜水をフリーダイビング、地上からホースで空気を供給する潜水を送気式潜水(フーカー潜水)と呼ぶ。日本にはアメリカのアクアラング社 が紹介し、一時期は社名「アクアラング (Aqua-lung) 」がスキューバダイビングの意味で使われることも多かった。 なお、本記事では特に断らない限り、「ダイビング」を「スキューバダイビング」の意味で使用する。
|
{{Redirect|SCUBA|[[P-MODEL]]のアルバム|SCUBA (P-MODELのアルバム)}}
{{Expand English|Scuba diving|date=2023-6}}
{{複数の問題
|出典の明記 = 2018年12月5日 (水) 22:46 (UTC)
|独自研究 = 2018年12月5日 (水) 22:46 (UTC)
}}
{{multiple image |align=right |direction=vertical |header={{font color|white|scuba diving}} |header_align=center |header_background=darkblue |width=250
|image1=Buzo.jpg |caption1=シングルバックマウントダイビング<hr />シングルバックマウント、すなわち、タンク({{small|別名:シリンダー、ボンベ、ボトル}})を背中に1本だけマウントした({{small|装着した}})スタイルでの潜水。基本形。
|image2=Top view of sidemount diver DSC 0078 Photo by Pete Nawrocky.JPG |caption2={{仮リンク|サイドマウントダイビング|en|Sidemount diving}}<hr />サイドマウント、すなわち、身体の脇にタンクをマウントしたスタイルでの潜水。背中にタンク1本分の出っ張りが無いため、狭所でも機動性が低くならない。必ずではないが、タンクは2本マウントする。}}
'''スクーバダイビング''' / '''スキューバダイビング'''{{r|"kb_泉"|"kb_林"|kb_Brit|kb_MyPedia|"kb_平百"|"kb_P英和中4_scuba"}}({{lang-en-short|scuba diving}})は、スキューバ{{r|"kb_林_スキューバ"|"kb_Brit_スキューバ"|"kb_Nipp_スキューバ"|"kb_MyPedia_スキューバ"|"kb_平百_スキューバ"|"kb_日国辞_スキューバ"|"kb_P英和中4_scuba"}}/スクーバ{{r|"kb_Nipp_スキューバ"|"kb_日国辞_スキューバ"}}(自給気式水中呼吸装置{{r|"kb_Brit_スキューバ"}}、水中肺{{r|"kb_日国辞_スキューバ"}}、[[:en:Scuba set|en]])を身に着けて行うダイビング([[潜水]])。
これに対して息を止めて行う潜水を[[フリーダイビング]]、地上からホースで空気を供給する潜水を[[送気式潜水]](フーカー潜水)と呼ぶ。日本にはアメリカのアクアラング社 (Aqua Lung) が紹介し、一時期は社名「アクアラング{{enlink|Aqua-lung}}」がスキューバダイビングの意味で使われることも多かった(''cf.'' [[アクアラング]])。
なお、本記事では特に断らない限り、「ダイビング」を「スキューバダイビング」の意味で使用する。
== 語源・由来 ==
'''スクーバ'''とは、英語の {{en|'''S'''elf '''C'''ontained '''U'''nderwater '''B'''reathing '''A'''pparatus}} の[[頭字語|アクロニム]]である {{en|'''SCUBA'''}} の片仮名表記であり、[[1943年]]に[[ジャック=イヴ・クストー]]と{{仮リンク|エミール・ガニオン|en|Émile Gagnan}}の共同で空気などの呼吸ガスを携行する方式の潜水器具を発明。自給式水中呼吸装置とも訳される<ref>{{Cite book ja-jp|author = 海上保安庁救難課監修・財団法人日本海洋レジャー安全・振興協会編著|year = 2004|chapter = レジャー・スキューバ・ダイビング入門|editor2 = |title = レジャー・スキューバ・ダイビング -安全潜水のすすめ-|publisher = [[成山堂書店]]|series = |pages = 63}}</ref>。英語の {{en|SCUBA}} は、本来[[ダイビング器材|潜水器具]]を指す名詞であるが、現在では、この方式の器具を用いて行う潜水活動をもスクーバといい、また形容詞的語としてもよく使われる。
スクーバダイビングは、海洋工事、[[水難救助]]、[[軍事]]などの職業的活動としても行われるが、一般にはレジャーダイビングを示すことが多い。
== 日本での呼称について ==
記事冒頭にあるように、日本では「スクーバダイビング」と「スキューバダイビング」の2つの呼称がある。「スクーバ」は英語風の発音を、「スキューバ」はヨーロッパ風の発音をもとにしている<ref name="scubamonsters">{{Cite web|和書|url=https://scuba-monsters.com/aboutscuba/|title=Scuba DivingのScubaってどういう意味?|publisher=Scuba Monsters|accessdate=2023-3-9}}</ref>。
業界団体である[[日本スクーバ協会]]は2012年11月に業界用語の統一化に関する指針を示し、この中で「スクーバ協会という名でもあることから」として「スクーバダイビング」にすべきとしている<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.scuba.or.jp/documents/adjust_vocabulary.pdf|format=PDF|title=ダイバーの皆さまへ|publisher=日本スクーバ協会|accessdate=2023-3-9}}</ref>。
一方で、2019年時点での[[Google 検索]]の結果では、「スキューバ」のヒット数が「スクーバ」を大きく上回っており、世間一般的には「スキューバ」が浸透しているとみられる<ref name="scubamonsters" />。
== 歴史 ==
{{節stub}}
*[[1857年]](安政4年)に「ヘルメット潜水器」が日本へ輸入<ref name="example1">{{Cite journal ja-jp|journal = マリンダイビング|issue = 672号|serial = 2020年10月号|publisher = [[水中造形センター]]|pages = 46|ref = id 属性}}</ref>。民間へ広まったのは横浜消防の祖<ref>[https://www.ballet-factory.com/masudamankichi 横浜消防]</ref>と呼ばれた増田万吉(1836年 - 1902年<ref>[https://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000096301 レファレンス共同データベース]</ref>)が[[オランダ]]から10台を輸入した[[1872年]](明治5年)ごろと考えられている<ref name="example1"/>。1930年代の戦争の影響で、閉鎖循環式が開発され、のちに「リブサーバー」で、ヘルメット式のように空気を送るためにホースや船と必要とせず、泡が出ない器材へと発展した<ref name="example1"/>。1943年に世界初のレギュレーター「CG43」へと進化した<ref name="example1"/>。現在の器材メーカー「アクアラング」の誕生となる<ref name="example1"/>。
== 潜水限界 ==
深度が大きくなるほど、緊急時の浮上が難しくなり、[[窒素中毒|窒素酔い]]や[[減圧症]]の危険性も高くなる。そのため、米海軍潜水教範では、通常の潜水可能深度を40メートルとしている<ref name="池田2002" />。ただし、ごく初心者が潜る場合は10 - 20メートル前後に設定しておいたほうが安全である<ref name="池田2002">池田知純 『潜水の世界』 [[大修館書店]]、2002年、P.135。ISBN 4-469-26505-5。</ref>。スクーバ・タンクの容量は通常8 - 14リットル(10リットルタンクが最多)ほどであり、始めに通常150 - 200[[気圧]]程度<ref name=PADI-OwDM_1999>{{Harvnb|『PADI オープン・ウォーター・ダイバー・マニュアル』|1999|loc=<!--※該当箇所を示す案内でもあれば。-->}}</ref><ref name=PADI-OwDM_2008>※参照したのは{{Harvnb|『PADI オープン・ウォーター・ダイバー・マニュアル』|2008|loc=}}。{{出典無効|date=2020年2月20日|title=元の「参照したのは2008年の第11版」という出典の示し方は意味が不明です。参照した資料だけを典拠にして下さい。}}</ref>(約1.8 - 3.6キログラム)の圧縮空気を詰める。アマチュアダイバーの場合、通常はスクーバ・タンクを1本だけ使うため、この空気が無くなるまで<ref group="注">安全上の見地から、少なくとも30気圧、可能な限り50気圧程度の内圧をタンクに残した状態で潜水を終了することが強く推奨される。</ref>の時間が一つの目安となる。深度が浅い場合には1時間程度であり、深くなるほど呼吸に使われる空気の圧が上がり、時間が短くなる。一般的に、潜水可能時間はダイバー個人の水面空気消費率(1気圧環境、すなわち水面における1分間あたりの空気消費量)から、'''タンク容量×利用可能圧÷(1+平均潜水深度÷10)÷水面空気消費率'''の計算により見積もられる。例えば容量12リットルのタンクを使用し、150気圧の空気を使用可能で、潜水中の平均深度15メートル、ダイバーの水面空気消費率が12リットルの場合、12×150÷(1+15÷10)÷12=60分になる。なお、通常のレクリエーショナルダイビングにおける水面空気消費率は、上級ダイバーで10 - 14リットル/分程度(小柄なダイバーでは8リットル/分程度になる場合もある)、初級ダイバーで20 - 30リットル/分程度である。すなわち、同じ上記の条件でも24 - 90分と、ダイバーによって潜水可能時間には大きな差が生じる。なお、実際の空気消費量は、体調、水温、水の流れや、水中における運動度合い等の諸条件によって変化するため、個々の潜水における実際の潜水可能時間が、上記の式で算出された潜水可能時間と乖離することも多い。
また、一般的には水圧が高くなるほど[[減圧症]]の危険が高くなるため、減圧停止を行わないレクリエーショナルダイビングの場合には、深度10メートルで3時間半程度、深度20メートルで45分程度、深度40メートルで9分程度を超えて潜水してはならない。先に挙げた限界時間近くまで潜水していた場合には、地上で3時間程度の休憩が必要となる。もっともこの制約は、減圧に関する教育・訓練を受けた職業ダイバーやテクニカルダイバーには適用されず、実際これらのダイバーによっては、上記の限界時間を越えた減圧潜水もごく日常的に行われている。しかし、職業ダイバーでも、減圧潜水を頻繁に行っているダイバーは稀で、通常は浅場での作業が中心である。
レクリエーショナルダイバーは減圧停止を行うことを前提とした「減圧潜水」を行ってはならない。
== 必要な資格と器材 ==
[[ファイル:Divemaster-ready-to-go.jpg|thumb|200px|ダイビング器材を装備したダイバー]]
{{See also|ダイビング器材}}
日本の法律では業務以外の目的でスクーバダイビングをするのに資格は必要ない<ref group="注">業務上の目的で潜水を行う場合は、労働安全衛生法に定められた潜水士の免許が必要である。</ref>が、レジャーダイビングを行う上で潜水器材のレンタルを含むダイビング関連サービスを受けるためにはほとんどの場合[[#Cカード|Cカード]]の提示が必要であることから、Cカードを取得しなければ事実上スクーバダイビングをすることはできない。(ただし、Cカード認定インストラクターが同行する体験ダイビングやCカード取得のための講習では必要ない)Cカードに関しては後述する。
一方、スクーバダイビングは、[[ダイビング器材|器材]]に頼るレジャーであり、器材選択は安全管理の基本にもなる。
本項では、主要な器材{{r|PADI-OwDM_1999|PADI-OwDM_2008}}と機能のみ列挙する。より詳しい内容は別項「[[ダイビング器材]]」を参照。
* スクーバ・タンク - 呼吸ガス(ほとんどの場合、普通の空気)を水中に携行するための容器。スチール製又はアルミ製。
* レギュレーター - タンク内の圧力を呼吸に適した圧(周囲圧=水圧)に自動的に調整しダイバーに供給する。
* ダイビングスーツ - ダイバーを低体温と皮膚の損傷から保護する。主にウェットスーツとドライスーツに分けられる。
* BC、BCD - 水中では浮力を調節する。水面では救命具同様、プラス浮力を確保できる。
* マスク - いわゆる「水中メガネ」。水中で物を見やすくする。水泳用と違い、鼻も入る構造となっている。
* フィン - いわゆる「足ヒレ」。水面・水中での移動を容易にする。ブーツを履くタイプと素足で履くタイプがある。
* スノーケル - 水面で顔面を水につけたまま呼吸できるようにする。左側に取り付けるのが普通。
* ウェイト - ダイビングスーツによる余分の浮力を相殺し潜行を可能にする。主として着用するスーツにより必要ウェイト量が変わる。
* ウェイトベルト - ウェイトを身体に固定する。腰への負担を軽減できる製品もある。
* 残圧計 - タンク内の空気の残量を表示する。アナログが大半ではあるが、デジタル表示の製品もある。
* 深度計 - 潜水深度を表示する。現在ではあまり使われず、多くはダイブコンピューターにとって代わられている。
* コンパス - いわゆる「方位磁石」。水中で方向を表示する。一部ではあるがデジタルコンパスも市販されている。
* 時計 - 防水時計である。近年ではダイバーウォッチを着けたダイバーは稀で、ダイブコンピューターが一般的。
これら器材はレンタルもされているし、購入することもできる。なお、レクリエーショナルダイバーの場合、スクーバ・タンクは、重量があり運搬が大変なこと、また保管・運搬に法規制を受ける関係から、購入せずにその都度レンタルするケースが多い。
スクーバ・タンクはが、酸素濃度を増やした(窒素濃度を減らした)「エンリッチド・エア;ナイトロックス」を使うこともある。
空気潜水よりも最大深度が厳しく制限されるが、レクリエーションダイバーが最も頻繁に潜る深度である10 - 30メートルを少し超える辺りの深度で無減圧限界時間を伸ばすことができる。また、空気潜水と同等のプロフィールで潜水した場合、減圧症の罹患率を下げる効果があると考えられている。
特に深く潜る場合にはヘリオックスガス(酸素・ヘリウム混合ガス)やトライミックスガス(酸素・窒素・ヘリウム混合ガス)を用いることもあり、何れも酸素濃度は空気よりも低く設定する(深く潜るほど、酸素濃度は低くしなければいけない)。
当然のことながら、空気(中層用)やエンリッチド・エア;ナイトロックス(浅場用)を含む数本のタンクを携行することが必要となり、加速減圧(体内窒素の急速な放出)の為に純酸素を携行する場合もある。最近ではリブリーザーを用いるダイバーも徐々に増えている。
== 必要な費用 ==
講習費用の内訳は一概には言えないが、指導団体が提供する教材や申請代、現地の施設使用料、現地で借りるスクーバタンク代、インストラクターに払うレッスン代(講習費)などがあり、その他にお店や海までの交通費、宿泊する場合は宿泊代などが挙げられる。
お店によっては、ダイビングスポットへの旅行の費用や交通費、宿泊代などが含まれている場合もあるが、これは旅行業法上の様々な問題もある。
バブル期には12 - 15万円程度が標準とされていたオープンウォーターダイバーコース(教育機関により名称は異なる)の総費用は、近年では都市型ショップの場合、6 - 9万円程度、海沿いの現地サービス(交通費・宿泊費別途必要)の場合、4 - 7万円程度が平均的である。
ダイビング器材はレンタルが可能である。ただし、可能な限り体に合った器材を使った方が安全という考えや、講習終了後のダイビングでも常に同一の器材を使用した方が安全という考えから、一部、あるいは全部の器材の購入を講習の条件としたり、条件とはしないまでも推奨するスクールもある。
== 潜水場所 ==
[[港湾]]、[[河川]]等を除いて、法律上は潜水の実施に許可を要さない水域が多々ある。しかし、基本的に潜水の対象となるのは観察や鑑賞の対象となる水棲生物が多く棲息する水域であり、このような水域での潜水は、あらかじめ同意を得ない限り、これら生物の採取で生計を立てている[[漁業]]関係者とのトラブル発生や、また[[密漁]]容疑での[[取調べ]]対象になる可能性も高い。このような背景から、日本では、[[沖縄県]]等の一部地域を除いては、個人・当該地域外のダイビングツアー・ダイビングスクール催行業者にかかわらず、地域の[[漁業協同組合]]と良好な関係を構築している、あるいは漁業協同組合が経営している、いわゆる「現地サービス」と呼ばれる業者を介して潜水を実施することが大半である。かつては、ダイバーは漁場を荒らす厄介者として忌避される傾向が強かったが、現在では、密漁を行う者はダイバーのごく一部であることが広く認知されるようになったこと、またサービスの利用のみならず、食事、宿泊等の消費で地域経済の活性化につながるとの認識が広がったことから、積極的なダイバーの受け入れに方針転換した地域も多くなってきている。
== 基本技術 ==
スクーバダイビングを行う上で重要な基本技術には、呼吸、中性浮力、圧平衡などがある。初級クラスで習得すべきその他の技術としては、緊急浮上、安全停止、器材の脱着(水面・水中での脱着を含む)等がある。
=== 呼吸 ===
ダイビングでは深くゆっくりとした呼吸が必要である。浅い呼吸では、空気のほとんどが肺に届かないため、空気が無駄に消費される。また、呼吸方法は、次に説明する中性浮力の調整や、呼吸器の保護にも重要となる。
=== 中性浮力 ===
水中で楽に移動するためには、器材を含めた体の平均[[比重]]を水の比重と合わせる必要がある。こうすることで、体は浮くことも沈むこともなくなるので、静止するために運動することは必要なくなり、また最小限のエネルギー消費で移動することが可能となる。
中性浮力の調整は、体につけた浮力調整器具(BCD)で行う。BCDから空気を抜くと体はゆっくりと水に沈んでいき、BCDに適度に空気を入れると中性浮力を保つことができる。
浮上はフィンキックで行い、浮上途中で体積(浮力)が増して来るBCD内部の空気を適宜排気しなければならない。それを怠ると急浮上の原因となる。
ドライスーツを着用している場合には、水中ではBCDには給気せずスーツ内に給気することによって中性浮力が保たれ、浮上中には排気バルブを上に向けていさえすれば、膨らんだ空気は自動的に排気され、急浮上する心配は無い。
全てのスクーバ器材を体に付けた状態でも、主として保護スーツの浮力の為、ほとんどの場合ダイバーは沈むことが出来ない。そのため、腰のベルトなどに数キログラムのウェイト(錘)を付ける。錘は地上で装着しておき、水中で調整することは通常はないが、必要量の見積もりが過小であった場合、水底から拾った石を携行して調整手段としたり、また初心者ダイバーの場合には、引率しているガイドやインストラクターが、あらかじめ過剰に携行していた錘を水中で貸し与えるような場合もある。
スクーバダイビングで使う浮力調整器具は[[ダイビング器材#BC|BCD]] (Buoyancy Control Device) と呼ばれる。詳細については当該記事を参照のこと。また、最終的な微調整は、肺が大きくなると浮き、小さくなると沈むことを利用し呼吸で行う<ref group="注">「トリミング」という。</ref>。
=== 圧平衡 ===
[[ファイル:Compensacion.jpg|thumb|200px|マスクの上から鼻をつまんで耳抜きをするダイバー]]
体には耳内、肺、頭部などに空間があり、水圧に応じて意図的に圧力を調整しなければ、激痛となり、場合によっては重大な障害が生じることがある。
しかし、ほとんどの人は航空機搭乗、高所移動などで圧平衡を経験済みであり、潜水の場合も無理せず行なえば容易で、恐れるには値しない。
耳内の圧調整は耳抜きで行う。つまり、鼻をつまんだ状態で息を吹き込む。深度を変えるごとにこまめの耳抜きが必要である。もし鼻炎などの理由で耳管が塞がっている場合には、耳抜きが困難となりダイビングの妨げとなる。肺内の圧調整は呼吸で十分であるが、後述の通り、たとえ短時間であっても呼吸を止めてはいけない。特に浮上中に息を止めることはたとえ一瞬であっても非常に危険である。
=== 安全停止(無減圧限界時間) ===
上述したとおり、レクリエーショナルダイビングは無減圧限界時間の範囲内で実施することが大前提である。しかし、無減圧限界時間は減圧症の罹患確率をゼロにするものではなく、ある確率で減圧症に罹患することは避けられない。この確率を最小限にするため、浮上中、ある程度の時間一定深度に滞在し、体内の窒素をある程度排泄することが行われ、これを安全停止という。通常は深度5メートルに3分間滞在する。万が一無減圧限界時間を越えて潜水してしまった場合、ダイビングコンピュータを携行していればその指示に従えばよいが、ダイビングコンピュータを携行していない場合には緊急減圧という手順を行う(補足を下記に記す)。これは、深度5メートルにタンク内の空気が残っている限り長く滞在するもので、これによって体内の窒素をできる限り排泄する。緊急減圧を実施した場合は、減圧症に罹患した兆候がないか、潜水終了後24時間にわたって注意深く観察する必要がある。
==== 緊急減圧に関する補足 ====
減圧停止を前提としたダイビングを行なわないことが決まりのレクリエーションダイバーにとって、減圧停止の必要が生じる場合のほとんどはダイブコンピューターに減圧停止指示が表示されたときで、タンク内の空気(ガス)残量の多寡に拘わらず指示された時間及び指示された深度で停止する必要がある。空気(ガス)が足らない場合にはボートからレギュ付きタンクを下ろして貰って減圧停止を続けるべきであるが最悪の場合、{{要出典範囲|一旦船に上がって急いで自分でタンクを付け替えて再度指示された深度に戻ることになる。|date=2023年3月}}
一旦上がった際に体の異常を僅かでも感じたら再び潜るのは止め、医療機関に向かう必要がある。
=== エントリー ===
陸地から水に入る方法。
* ビーチエントリー - 海岸から入る方法。フィンの抵抗が大きいためある程度海に入ってからフィンを付ける、
* ジャイアントストライドエントリー - 足から飛び込む方法。片足を踏み出して、足を開いたままエントリーする。ボートや岸から。
* バックロールエントリー - 船の端に座るなどして、そのまま背中から落ち込むようにエントリーする。
== ダイビングの種類 ==
=== レクリエーショナルダイビング ===
海や湖などに楽しみで潜る行為を指し、ファンダイブともいう。
一般に、次の範囲内で潜水することが強く推奨される。
* 深度30メートル以内(特にトレーニングを受けた場合は深度40メートル以内)
* 特別な浮上手順(減圧停止)を行わなくて良い深度・潜水時間
* 直接浮上可能な場所
* 洞窟の場合、自然光の届く範囲
* 沈没船の場合、外側のみ(特にレクリエーションダイバー向けに安全対策が施された沈船を除く)
* 呼吸ガスは空気(講習を受けることでEAN40以下の[[テクニカルダイビング|ナイトロックス]])
一般向けのレクリエーショナルダイビングに関するサービスはダイビングショップが行っており、[[#Cカード|Cカード]]の発行も行っている。ダイビングポイントに比較的近い店舗と、比較的遠方にある都市部などに立地する店舗に大別され、前者は主に現地の特定のポイントを、後者は複数のポイントを案内している{{要出典|title=統合元の記事において出典皆無のため、出典の提示(およびそれに準拠した改稿)を願います。|date=2012年6月24日 (日) 11:02 (UTC)}}。
=== テクニカルダイビング ===
[[ファイル:Vad lake. 2007.03.14. Cave. Exit.jpg|thumb|200px|洞窟潜水をするダイバー]]
[[ファイル:Gland cenote.jpg|thumb|200px|ステージボトルを使用するケイブ(洞窟)ダイバー]]
一般的なレクリエーショナルダイビングの限界を超えた領域、すなわち
* 深度40メートル以深
* 減圧潜水(特別な浮上手順を要する潜水)
* [[洞窟潜水]]
* 沈没船内
などに、より安全に到達・帰還できるよう装備や手順を体系化した非職業的ダイビングを指す。全てのレジャーダイビングにおける安全管理の基礎を担う。詳しくは[[テクニカルダイビング]]の項参照。
=== コマーシャルダイビング ===
商業潜水ともいう。営利を目的とした作業潜水や調査潜水などを示すが、レクリエーショナルダイビングを行うダイバーへのガイドや講習については、団体により見解が異なる。
* [[PADI]]の見解では、日本で営利目的でのガイドや講習を行う場合は潜水士免許が必要としている{{r|"PADI_潜水士免許"}}。また、日本以外では活動する国や地域が定める資格も合わせて必要であるとしている(※ Cカードは資格の一種であり、活動する場所で他の団体の資格が必要であれば別に取得しないといけないという考え)。
== Cカード ==
Cカード(C-card)とは、ダイビング指導団体が、直接、またはフランチャイズを通じて実施する技能講習を終了した者に対し発行する技能認定(Certification)カード<ref group="注">BSAC等、欧州に本拠地を置く指導団体の場合、イギリス式英語に則り、Qカード(Qualificationカードの略)と呼ぶ場合もある。</ref>である。ダイビング指導団体は、ほとんどの場合民間の営利企業(欧州等の一部地域には、非営利や公的な指導団体も存在する)であり、少なくとも日本では免許証と違いCカードを所持しないでスクーバ・ダイビングを行うことが法的に禁止されているといった類のものではない。しかしながら、適切な知識・技量を有さない者がスクーバダイビングを行った場合、致死傷事故が発生する可能性が非常に高いことは容易に推定できることから、これらの者に[[サービス]]を提供してスクーバダイビングが行われた結果事故が発生した場合、事故を予見できたのに適切な対応(サービスの提供拒否など)を取らなかったとして[[刑法 (日本)|刑法]]の[[業務上過失致死傷罪]](211条)などの刑事責任や民法上の[[不法行為]]責任を問われる可能性が高い。このようなリスクを回避するため、レジャーダイバーにサービスを提供する者はそのほとんどがCカードの提示を求めており、これを所持せずにダイビングを行うことは事実上困難と言ってよく、その意味では許可証的な性質を有するものと言えなくもない。また海外ではCカードを所持しない者のスクーバダイビングを法的に禁止していたり(オーストラリア)、Cカードを所持しないものに対するスクーバ・ダイビング器材の販売や貸与を禁止している(欧州)例もある。
Cカードにはほとんどの場合、そのスキルレベルに応じたランクが設定されていて、ダイバーとしての知識や技術、経験などを示す指標になっている。また、スキルアップの目標としての性格もある。認定団体ごとにランクの区分や呼称が異なるため、WRSTCによりRSTC基準が策定され利用されている。日本国内では[http://www.c-card.org/index.html Cカード協議会](正式名称レジャーダイビング認定カード普及協議会)がRSTC基準を採択しており、「エントリーレベル基準」「インストラクターレベル基準」「スーパーバイザーレベル基準」「インストラクタートレーナー基準」を示し、その採択基準の普及に努めている。現在基準また ISO 24803:2007でもレクリエーショナルダイビングスキルの認定基準が規格化されている指導団体もある。
; スクーバダイバー(団体により呼び方は異なる)
: リーダーレベル(ダイブマスターあるいはインストラクター)の引率でダイビングを楽しむことができる。指導団体によっては、オープンウォーターと同等のレベルを指す場合もある。旅行日程の関係等でオープンウオーターダイバーコース受講が困難な場合などに勧められるコースである。
; オープンウオーターダイバー(団体により呼び方は異なる)
: バディーシステムを守りながら、海洋実習地と同等レベルのダイブサイトでリーダーレベルの引率無しにダイビングができる。最大潜水深度は概ね18メートル。あくまで推奨深度であり、アドバンスドオープンウオーターダイバーコースやディープダイバースペシャルティーコース等を受講しなければ深度18メートルよりも深く潜ってはいけないとか、ガイドダイバーがOWダイバーのゲストを深度18メートル以深へ連れて行ってはならない、ということではない(一部の国や地域を除く)。
但し、オープンウォーターダイバーがファンダイブ(講習を伴わないダイビング)で深度18メートルより深いポイントに潜ることを望む場合、アドバンスドオープンウオーターダイバーと同等の知識と経験、能力を有することが前提で、そうでない場合にはその前にアドバンスドオープンウオーターダイバーコースやディープダイバースペシャルティーコースを受けるべきである。
; アドバンスドオープンウオーターダイバー(団体により呼び方は異なる)
: 様々なダイビングテクニックを身につけ、海での遊び方を広げる。最大潜水深度は概ね30メートルないし40メートル。
<!--ここからのランクは一部団体限定なのでコメントアウト ; レスキューダイバー
: ダイビングでの緊急事態を予測・回避し、必要な場合にそれに対処するスキルを習得する。一見、危機回避・対処に関するスペシャルティコースのようにも捉えられるが、実質的にはアドバンスドオープンウオーターダイバーの上位資格として扱われている<ref group="注">スペシャルティコースとは異なり、アドバンスドオープンウオーターダイバーの取得が受講条件となっており、また、マスター・スクーバ・ダイバー、インストラクター資格の取得には、レスキューダイバー資格を取得していることが条件とされている。</ref>。-->
; スペシャルティ・ダイバー
: 専門的な知識を身につける。以下の記述は各団体の項目が混在している。
: [[洞窟潜水|カバーン]]、ボート、ナイト、[[テクニカルダイビング|ディープ]]、サーチ&リカバリー、[[テクニカルダイビング|エンリッチド・エア(ナイトロックス)]]、潮流ダイビング(ドリフト・カレント)、水中スクーター (DPV)、ドライスーツ、淡水ダイビング、高所ダイビング、浮力調整、マルチレベル潜水、[[テクニカルダイビング|沈船]]、[[テクニカルダイビング|アイスダイビング]]、流氷ダイビング、自然環境保護、水中写真、水中ビデオ、ナビゲーション、器材、水中生物観察、スキンダイビング、レスキュー・CPRとAED(AEDを用いた心肺蘇生法)・水中ハンティング(日本では開催されていない)
<!--これも一部団体限定のためコメントアウト; マスター・スクーバ・ダイバー
: アマチュア最高峰のランク。-->PADIの場合、レスキューダイバーが5種類のスペシャルティーコースを受講すれば申請可能(順不同)。
; [[テクニカルダイビング|テクニカル・ダイバー]]
: [[洞窟潜水|ケイブダイビング]]、沈船ダイビング、大深度潜水(40メートル超)、混合ガス潜水、[[ダイビング器材|リブリーザー]]の知識と技術を身につける。
; ダイブマスター(団体により呼び方は異なる)
: プロフェッショナルの入門レベル。プロとしての基本を身につけ、インストラクターのアシスタントとしてのほか、一定の条件を満たせば限定的な範囲でのみ、単独でも入門者を指導することができる。認定証(Cカード)を取得済みのダイバーをガイドする為には十分な資格である。
プロフェッショナルの入門レベルと捉えられがちだが、インストラクターにならずともガイドダイバーとして一流のプロを目指すことも可能である。ダイブマスターとインストラクターに上下関係はない。
; アシスタントインストラクター
: インストラクター開発コースの最初の一部として、プロとしての経験を積み、また、教育システムを習得する。
; インストラクター
: Cカード保持者の為の水中ガイドだけでなく、ノンダイバーの為の体験ダイビングやダイバー養成、Cカード保持者の為の追加講習及び一部のプロコース等が実施できる。
: インストラクターにはランクがあり、実施できる教育プログラムの範囲が異なる。最上級はコースディレクターで、インストラクター候補生を教育もしくはインストラクターのレベルアップ認定することができる。
; エグザミナー(団体により呼び方は異なる)
: インストラクターの認定試験官。
=== 主な指導団体 ===
指導団体とは、ダイビングの普及・ダイバーの育成を目的とする営利または非営利の団体。現在日本だけでも30あまりの団体があり、それぞれの理念に基づいてダイバーの教育、Cカードの発行を行っている。以下に主な指導団体を挙げる。(アルファベット順) 下記以外には、[[全日本潜水連盟|JUDF]]、[[KD-JAPAN]]、等。(詳しくはCカード協議会参照。)
; [[BSAC]] - ビーエスエーシー(British Sub-Aqua Club)
: [[1953年]]、イギリスのロンドンで発足。[[ウィリアム (プリンス・オブ・ウェールズ)|ウィリアム王子]]を総裁に戴く、世界最古の伝統を誇るダイビング教育機関。
; [[世界水中連盟|CMAS]] - クマス、シーマス(Confédération Mondiale des Activités Subaquatiques)
: [[1959年]]に設立された水中活動に関する国際[[NGO]]。設立当時は[[フランス]]に本部が置かれたが、現在は[[イタリア]]・[[ローマ]]にある。初代会長は[[ジャック=イヴ・クストー]]。日本のJCIAは、[[1985年]]にCMASへの加盟が承認された。
; [[日本潜水教師協会|JP]] - [[日本職業潜水教師協会]](Japan Professional Scuba Diving Instructors Association)
: [[1984年]]に日本で設立されたダイビング指導団体である。
; {{仮リンク|ナショナル・アソシエーション・オブ・アンダーウォーター・インストラクターズ|label=NAUI|en|National Association of Underwater Instructors}} - ナウイ(National Association of Underwater Instructors)
: [[1950年代]]初め(上記BSACよりは後と見られる)、アメリカのカリフォルニアで発足したナショナル・ダイビング・パトロールを前身とする。
; [[PADI]] - パディ(Professional Association of Diving Instructors)
: [[1966年]]にアメリカで設立。全世界のダイバーの約60%が所属しているといわれる、名実共に世界最大のダイビング教育機関。
; [[スクーバ・スクールズ・インターナショナル|SSI]] - エスエスアイ/スクーバ・スクールズ・インターナショナル(Scuba Schools International)
: [[1970年]]にアメリカで設立された指導団体。フリーのインストラクター活動は認めず、加盟店(ディーラー/ダイブセンター)に所属するインストラクターのみ認定しているのが特徴。110か国以上に提携ディーラーを約2500店舗配する。
; [[SNSI]] - エスエヌエスアイ (Scuba and Nitrox Safety International)
: [[1994年]]にイタリアで設立されたダイビング指導団体である。「SNSI」は最新のダイビングデータをもとに、より質の高いトレーニングを目指し、安全で確実にダイビングのできるダイバーを育てるべく活動している。
== ダイビング用語 ==
[[ファイル:Scuba 01.jpg|thumb|[[レギュレータ (ダイビング)|レギュレータ]]。空気の吸い口をセカンドステージと呼ぶ(黄色に着色されているものはオクトパスという緊急時に使われる予備)。ボンベと接続する部分をファーストステージ。メーターは残圧計や水圧計、まれにコンパスなどが付く。]]
{{main|en:Glossary of underwater diving terminology}}
;ログ(log)
:潜水場所、潜行日時、潜水時間、気温、水温、透明度などの環境要因などを含めた潜水の記録である。日本においては遭遇した生物等の副次的な出来事を記録することに重点が置かれることが多いが、これは必須の記載要件ではない。ログに記録されたダイビングの回数は、Cカードと共に潜水の技量を対外的に証明するものであり、非常に重要である。また、証明としての信憑性を高めるため、ダイビングのためのサービスを提供した者、あるいは一緒にダイビングした者のスタンプないしは署名をその都度得ることが多い。なお一般的に、ダイビングの回数は潜行・浮上の回数ではなく、使用したタンクの本数を基に、「1本」「2本」というように数える。時には(あまり奨励されることではないが)1本のタンクを2回に分けて使うこともあり、その場合には使用したタンクが1本であっても、経験本数としては2本(2ダイブ)という計算になる。
;バディシステム (buddy system)
:ダイビングを行うに当たって、2名以上でお互いが相手側の安全を確認し合うシステムである。単独で潜水する場合に比べ、緊急時の対応が取りやすくなるという安全対策でもある。このシステムは、潜水以外にも多くの安全対策手段として用いられている。
:ただ、バディシステムが正常に機能するためにはダイバー個々が自己管理できる自立したダイバーであることが条件で、そうでない場合には単に複数で潜っているというだけのことであり、特に緊急時にはほとんど意味を為さない。
:安全確認を行うパートナーをバディと呼ぶ。バディシステムの目的は安全性の向上だけでなく、楽しみを深める為、又、利便性の向上という側面もある。
;{{ill2|バディブリージング|en|Buddy breathing}}
:空気を供給する[[レギュレータ (ダイビング)|レギュレータ]]のセカンドステージを交互に共有する方法<ref>{{cite kotobank|バディブリージング}}</ref>。
;オクトパスブリージング(バックアップ空気源の使用)<ref>{{Cite web|和書|url=https://marinediving.com/skill/basic_skill/25_octopusbreathing/ |title=オクトパスブリージングのステップをおさらい|ダイビングスキルアップ術|スキル|Marine Diving web(マリンダイビングウェブ) |access-date=2023-06-19 |website=marinediving.com}}</ref>
:レギュレータのファーストステージから分岐しているオクトパス(黄色の予備のセカンドステージ)をバディからもらい呼吸する方法。
;緊急スイミング浮上(CESA、Controlled emergency swimming ascent、緊急スイミングアセント、コントロールされた緊急スイミングアセント)
:エア切れの際に、自力で垂直に泳いで浮上する方法<ref>{{cite kotobank|緊急スイミングアセント}}</ref>。
;緊急浮上([[:en:Emergency ascent|Emergency ascent]])
;{{ill2|ドリフトダイビング|en|Drift diving}}
:潮流に乗って移動するダイビング<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.sankei.com/article/20230619-PS45FFUGKVK2TCU2U43JPUOLNU/ |title=「強い風、潜るのに適していない」地元ダイビングショップ ドリフトダイビングか |access-date=2023-06-19 |last=INC |first=SANKEI DIGITAL |date=2023-06-19 |website=産経ニュース |language=ja}}</ref>。
== スクーバの傷害 ==
{{seealso|en:Category:Diving medicine|{{ill2|ダイビングの危険性と注意事項の一覧|en|List of diving hazards and precautions}}}}
潜水活動中に起こりうる危険について述べる。
* 以下の傷害は、スクーバに特有のものではなく、[[送気式潜水]]でも発生しうるものであるが、便宜上本稿に記載する。
{{ill2|圧外傷|en|Barotrauma}}
=== スクイズ ===
体内の空隙などが水圧によって押しつぶされたり引っ張られたりする現象をスクイズ(スクイーズ)という。[[中耳腔]]のスクイズによって[[鼓膜]]が破れるおそれがある。鼓膜の損傷を防ぐには'''圧平衡(耳抜き)'''という動作を行う。[[副鼻腔]]や[[う蝕|虫歯]]、[[ダイビング器材#マスク|マスク]]、[[ドライスーツ]]も、スクイズを起こして痛みを感じることがある。潜行するにつれて、マスク内の空気が陰圧になることで、マスクが顔に押し付けられたり、ひっぱられたりして痛みを感じる現象をマスクスクイズと呼ぶ。マスクスクイズを防ぐためには、鼻からマスク内に空気を送り込むマスクブローを行う必要がある。潜水前に飲んだ[[炭酸飲料]]の気泡により、胃腸に不快感をおよぼすこともある。
=== 肺の過膨張傷害 ===
息を止めて浮上したことで起きる。深いところでは周囲の水圧と同じ圧力の空気を吸うので、息を止めた状態で浮上すると水圧の低下にともなって呼吸器内の空気の体積が大きくなり、肺が膨張して破裂に至る。これは水中で呼吸を行わないスキンダイビングとは大きく異なる点である。
スクーバダイビングで最も重要なことは、ゆっくり深く呼吸し、絶対に息を止めないことである。バディに空気を与える等の目的で、水中でセカンドステージを口から外した場合にも、口から少量の息を出し続けて、呼吸器内の昇圧を予防する必要がある。
=== 減圧症 ===
[[ファイル:Bends2.jpg|thumb|減圧症イメージ画像]]
{{main|減圧症}}
ダイビングにおいて減圧症を発症しないためには、十分に遅い速度で浮上する必要があり、通常、潜水の分野で減圧と言えば、この目的で行う遅い浮上を示す。実際的には、浮上速度を長時間にわたってコントロールすることは非常に難しいため、一定深度で一定時間停止する、減圧停止と呼ばれる手順が用いられる。
潜水計画時において、減圧表(ダイビング・テーブル)と呼ばれる表から減圧停止を行わなくてはならない深度・時間を読み取る。現在では事前の計画をせずに、[[ダイビング器材#計器類|ダイビングコンピュータ]]を装着し、その指示に従って潜水する場合が多い。ダイブコンピュータを使用する場合でも事前の潜水計画は不可欠である。
=== 窒素酔い ===
{{main|窒素中毒}}
[[窒素]]の[[麻酔]]作用による[[酔い|アルコール酔い]]に似た症状のこと。[[窒素中毒]]([[:en:Nitrogen narcosis|nitrogen narcosis]])ともいう。
空気潜水の場合、深度30メートルを越えると窒素酔いの症状が出始めるとされていて、特別な目的がある場合を除き、深度30メートルを限界深度と捉えることが望ましい。
=== 酸素中毒 ===
{{main|酸素中毒}}
[[酸素]]の[[分圧]]が一定範囲以上のガスを呼吸しつづけた場合に発症する可能性のある症状である。水中で酸素中毒を発症した場合は死に至る可能性が極めて高く、特殊な目的のため綿密な計画の下に行う場合以外は、決してスクーバダイビングの呼吸ガスとして純酸素を用いてはならない。時折、スクーバダイバーの携行する呼吸用ガスタンクを「酸素ボンベ」と称する場合もあるが、これはほとんどの場合誤った用語である。通常の空気潜水であっても、およそ深度45-60メートルを越えると酸素中毒の危険性が生じてくる。
== 事故の種類 ==
* [[ガス]]中毒 - タンクに誤って排気ガス(一酸化炭素を含む)が混入することで起きる。排気ガスの臭いがしたり急に気分が悪くなった場合は潜水を継続してはいけない。
* エアー切れ - これを防ぐため、通常はタンク内の空気が50気圧未満にならないようにダイビングを終える。残圧計の事前点検や、潜水中のこまめな確認が重要。
* 急浮上 - 減圧症や肺の過膨張傷害の原因になる。水面に近付くほど浮上速度を遅くする必要がある。
* [[溺水]] - 器材に頼り切らず、ダイバーは最低限度の泳力(息継ぎしながらゆっくり泳げる程度)を有しなければならない。
* 低体温(ハイポサーミア) - 水温に適さない保護スーツの着用や長時間の漂流等で体温が奪われることが原因。
* ノーパニック症候群 - 素潜りの際に潜水時間を延ばす目的で潜水前に過度の深呼吸を繰り返すことにより生じる。
* [[漂流]] - 万一の漂流に備えてシグナルフロートの携帯が必要。また、ライトがあれば夜間の発見が容易になる。
* ダイバーの不注意による何らかの生物からの危害 - [[海中で人間に直接危害を与える可能性がある生物の一覧]]参照。水中では非生物以外、また、特にわからないものには触れないことが原則である。また、肌の露出を可能な限り少なくすることも重要である。
== 呼吸音 ==
{{Main|ダース・ベイダー#呼吸音}}
[[アメリカ合衆国|アメリカ]]の[[SF映画]][[スター・ウォーズシリーズ|『スター・ウォーズ』シリーズ]]に登場する[[悪役]][[ダース・ベイダー]]の呼吸音 (Darth Vader's breathing sound) は、スクーバタンクの[[圧力レギュレータ|レギュレーター]]を使って呼吸することで作り出されており、この音のみで多くの人に彼の[[キャラクター]]を連想させ得る強烈なインパクトを持って知られている。アメリカ国内では音の[[商標]](サウンドマーク)として権利登録されており、「スクーバタンクのレギュレーターを使って呼吸することで作り出される、周期的で機械的な人間の呼吸音」と定義されている。
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Reflist|group="注"}}
=== 出典 ===
{{Reflist|refs=
<ref name="kb_泉">{{Cite web|和書|author=[[小学館]]『デジタル[[大辞泉]]』|title=スキューバダイビング |url=https://kotobank.jp/word/スキューバダイビング-178391 |publisher=[[コトバンク]] |accessdate=2020-02-20 }}</ref>
<ref name="kb_林">{{Cite web|和書|author=[[三省堂]]『[[大辞林]]』第3版 |title=スキューバダイビング |url=https://kotobank.jp/word/スキューバダイビング-178391 |publisher=コトバンク |accessdate=2020-02-20 }}</ref>
<ref name=kb_Brit>{{Cite web|和書|author=『[[ブリタニカ百科事典|ブリタニカ国際大百科事典]] 小項目事典』|title=スキューバダイビング |url=https://kotobank.jp/word/スキューバダイビング-178391 |publisher=コトバンク |accessdate=2020-02-20 }}</ref>
<ref name=kb_MyPedia>{{Cite web|和書|author=[[平凡社]]『[[百科事典マイペディア]]』|title=スキューバダイビング |url=https://kotobank.jp/word/スキューバダイビング-178391 |publisher=コトバンク |accessdate=2020-02-20 }}</ref>
<ref name="kb_平百">{{Cite web|和書|author=[[日立デジタル平凡社]]『[[世界大百科事典]]』第2版 |title=スキューバダイビング |url=https://kotobank.jp/word/スキューバダイビング-178391 |publisher=コトバンク |accessdate=2020-02-20 }}</ref>
<ref name="kb_林_スキューバ">{{Cite web|和書|author=三省堂『大辞林』第3版 |title=スキューバ |url=https://kotobank.jp/word/スキューバ-83573 |publisher=コトバンク |accessdate=2020-02-20 }}</ref>
<ref name="kb_Brit_スキューバ">{{Cite web|和書|author=『ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典』|title=スキューバ |url=https://kotobank.jp/word/スキューバ-83573 |publisher=コトバンク |accessdate=2020-02-20 }}</ref>
<ref name="kb_Nipp_スキューバ">{{Cite web|和書|author=山田稔、小学館『[[日本大百科全書]](ニッポニカ)』|title=スキューバ |url=https://kotobank.jp/word/スキューバ-83573 |publisher=コトバンク |accessdate=2020-02-20 }}</ref>
<ref name="kb_MyPedia_スキューバ">{{Cite web|和書|author=平凡社『百科事典マイペディア』|title=スキューバ |url=https://kotobank.jp/word/スキューバ-83573 |publisher=コトバンク |accessdate=2020-02-20 }}</ref>
<ref name="kb_平百_スキューバ">{{Cite web|和書|author=日立デジタル平凡社『世界大百科事典』第2版 |title=スキューバ |url=https://kotobank.jp/word/スキューバ-83573 |publisher=コトバンク |accessdate=2020-02-20 }}</ref>
<ref name="kb_日国辞_スキューバ">{{Cite web|和書|author=小学館『精選版 [[日本国語大辞典]]』|title=スキューバ |url=https://kotobank.jp/word/スキューバ-83573 |publisher=コトバンク |accessdate=2020-02-20 }}</ref>
<ref name="kb_P英和中4_scuba">{{Cite web |author=小学館『[[プログレッシブ (辞典)|プログレッシブ]]英和中辞典』第4版 |title=scuba |url=https://kotobank.jp/ejword/scuba |publisher=コトバンク |accessdate=2020-02-20 }}</ref>
<ref name="PADI_潜水士免許">{{Cite web|和書|editor=財団法人 安全衛生普及センター |title=「潜水士免許」について - Go PRO |url=https://www.padi.co.jp/visitors/pro/go_pro/sensuisi.asp |publisher=[[PADI]] |website=公式ウェブサイト |accessdate=2020-02-20 }}</ref>
|2}}
== 参考文献 ==
* {{Cite book |和書 |date=1999 |title=PADI オープン・ウォーター・ダイバー・マニュアル |url=https://www.padi.co.jp/scuba-diving/padi-materials/open-water-diver/ |edition= |publisher=[[PADI]]・ジャパン |isbn= |asin=B001IL0SD4 |ref={{SfnRef|『PADI オープン・ウォーター・ダイバー・マニュアル』|1999}} }}<!--※情報が不足しています。-->
** {{Cite book |和書 |date=2008 |title=PADI オープン・ウォーター・ダイバー・マニュアル |edition=第11版 |publisher=PADI・ジャパン |isbn= |asin= |ref={{SfnRef|『PADI オープン・ウォーター・ダイバー・マニュアル』|2008}} }}<!--※情報が不足しています。-->
* [http://www.underwaterarchaeology.net/News/UNITWIN_Model_Dive_Code_20190620_JP.PDF ユネスコ水中考古学大学連携ネットワーク『安全な水中考古学ダイビング実践モデルコード』]
== 関連項目 ==
<!--{{Wiktionary|スクーバダイビング|スキューバダイビング}}※立項待ち。-->
{{Wiktionarylang|en|scuba diving}}
{{Commonscat}}
* [[潜水士]]
* [[洞窟潜水]]
* [[飽和潜水]]
* [[テクニカルダイビング]]
* [[ダイビング器材]]
* [[ジャック・マイヨール]] - [[フランス]]のフリーダイバー。
<!--
== 外部リンク ==
-->
{{スポーツ一覧}}
{{Normdaten}}
{{DEFAULTSORT:すくうはたいひんく}}
[[Category:スクーバダイビング|*]]
[[Category:海洋学]]
[[Category:潜水]]
|
2003-09-02T09:41:33Z
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波数ベクトル
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物理学における波数ベクトルとは、波動を記述するのに用いられるベクトルである。 全てのベクトルのように大きさと方向を持ち、これら両方が重要である。 その大きさは波の波数または角波数であり、波長に反比例する。 その方向は通常、波動の伝播(英語版)の方向であるが、いつもそうとは限らない(以下を参照)。
特殊相対論の文脈では、波数ベクトルは4元ベクトルとしても定義できる。
波数ベクトルには2つの一般的な定義があり、大きさが因子2πだけ異なる。 1つ目の定義は物理学などで用いられ、もう一つの定義は結晶学などで用いられる。 この記事ではそれらを「物理学の定義」と「結晶学の定義」とそれぞれ呼ぶ。
理想的な1次元の進行波は次の方程式に従う。
ここで、
この波動は+xの方向に速度(より正確には位相速度) ω / k {\displaystyle \omega /k} で進行する。
結晶学において、同じ波動はわずかに異なる方程式を用いて記述される。 1次元と3次元ではそれぞれ、
違いは、
kの方向は以下で議論する。
波数ベクトルが指す方向は「波動の伝播の方向」とは区別しなければならない。 「波動の伝播の方向」は波動のエネルギー流れの方向であり、小さな波束が動く方向、つまり群速度の方向である。 光波では、これはポインティングベクトルの方向でもある。 一方で波数ベクトルは位相速度の方向を指す。 言い換えれば波数ベクトルは、定位相の面(波面とも呼ばれる)の法線方向を指す。
無損失等方性媒質(空気や全ての気体、ガラスのようないくつかの固体など)において、波数ベクトルの方向は波動の伝播の方向と全く同じである。 媒質の損失が大きい場合、一般的に波数ベクトルは波動の伝播の方向以外の方向を指す。 波数ベクトルが波動が伝播する方向と同じである条件は、波動が均一であることであり、媒質の損失が大きいときは必ずしもそうとは限らない。 均一な波動において定位相の面は、一定振幅の面でもある。 不均一な波動では、これら2つの種類の面は方向が異なる。 波数ベクトルは常に一定位相の面と垂直である。
例えば、非対称結晶中の光波や堆積岩中の音波のように、波動が異方性媒質中を進行するとき、波数ベクトルは波動伝播の方向を必ずしも指すわけではない。
固体物理学において、結晶中の電子や正孔の「波数ベクトル」(k-ベクトルとも呼ばれる)は、その量子力学的な波動関数の波数ベクトルである。 それらの電子波は、通常のサイン波ではなく、サイン波である一種の「包絡関数(英語版)」を持ち、波数ベクトルは通常「物理学の定義」を用いてその包絡波を用いて定義される。 詳細はブロッホ波を参照。
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"text": "違いは、",
"title": "定義"
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"text": "kの方向は以下で議論する。",
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"text": "波数ベクトルが指す方向は「波動の伝播の方向」とは区別しなければならない。 「波動の伝播の方向」は波動のエネルギー流れの方向であり、小さな波束が動く方向、つまり群速度の方向である。 光波では、これはポインティングベクトルの方向でもある。 一方で波数ベクトルは位相速度の方向を指す。 言い換えれば波数ベクトルは、定位相の面(波面とも呼ばれる)の法線方向を指す。",
"title": "波数ベクトルの方向"
},
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"text": "無損失等方性媒質(空気や全ての気体、ガラスのようないくつかの固体など)において、波数ベクトルの方向は波動の伝播の方向と全く同じである。 媒質の損失が大きい場合、一般的に波数ベクトルは波動の伝播の方向以外の方向を指す。 波数ベクトルが波動が伝播する方向と同じである条件は、波動が均一であることであり、媒質の損失が大きいときは必ずしもそうとは限らない。 均一な波動において定位相の面は、一定振幅の面でもある。 不均一な波動では、これら2つの種類の面は方向が異なる。 波数ベクトルは常に一定位相の面と垂直である。",
"title": "波数ベクトルの方向"
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"text": "例えば、非対称結晶中の光波や堆積岩中の音波のように、波動が異方性媒質中を進行するとき、波数ベクトルは波動伝播の方向を必ずしも指すわけではない。",
"title": "波数ベクトルの方向"
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"text": "固体物理学において、結晶中の電子や正孔の「波数ベクトル」(k-ベクトルとも呼ばれる)は、その量子力学的な波動関数の波数ベクトルである。 それらの電子波は、通常のサイン波ではなく、サイン波である一種の「包絡関数(英語版)」を持ち、波数ベクトルは通常「物理学の定義」を用いてその包絡波を用いて定義される。 詳細はブロッホ波を参照。",
"title": "固体物理学"
}
] |
物理学における波数ベクトルとは、波動を記述するのに用いられるベクトルである。
全てのベクトルのように大きさと方向を持ち、これら両方が重要である。
その大きさは波の波数または角波数であり、波長に反比例する。
その方向は通常、波動の伝播の方向であるが、いつもそうとは限らない(以下を参照)。 特殊相対論の文脈では、波数ベクトルは4元ベクトルとしても定義できる。
|
[[物理学]]における'''波数ベクトル'''とは、[[波動]]を記述するのに用いられる[[空間ベクトル|ベクトル]]である。
全てのベクトルのように[[空間ベクトル|大きさと方向]]を持ち、これら両方が重要である。
その大きさは波の[[波数]]または[[角波数]]であり、[[波長]]に反比例する。
その方向は通常、{{ill2|波動の伝播|en|Wave propagation}}の方向であるが、いつもそうとは限らない(以下を参照)。
[[特殊相対論]]の文脈では、波数ベクトルは[[4元ベクトル]]としても定義できる。
==定義==
[[File:Sine wavelength.svg|thumb|right|サイン波の波長''λ''は図に示されるように、隣り合った頂点または谷または隣り合ったゼロ交差のような同じ[[位相]]をもつ2つの点の間で測ることができる。]]
波数ベクトルには2つの一般的な定義があり、大きさが因子2πだけ異なる。
1つ目の定義は[[物理学]]などで用いられ、もう一つの定義は[[結晶学]]などで用いられる。
<ref>Physics definition example:{{cite book| url=https://books.google.com/books?id=c60mCxGRMR8C&pg=PA288 | title= Handbook of Physics| author= Harris, Benenson, Stocker|page=288| isbn=978-0-387-95269-7| year=2002}}.Crystallography definition example: {{cite book| url=https://books.google.com/books?id=xjIGV_hPiysC&pg=PA259 | title=Modern Crystallography |author=Va?nshte?n| page=259| isbn=978-3-540-56558-1| year=1994}}</ref>
この記事ではそれらを「物理学の定義」と「結晶学の定義」とそれぞれ呼ぶ。
===物理学の定義===
理想的な1次元の進行波は次の方程式に従う。
:<math>\psi(x,t) = A \cos (k x - \omega t+\varphi)</math>
ここで、
*''x''は位置。
*''t''は時間。
*<math>\psi</math> (''x''と''t''の関数)は波を記述する攪乱(たとえば[[海洋波]]における<math>\psi</math>は水の高さであり、[[音波]]における<math>\psi</math>は[[空気圧]]である)。
*''A''は波の[[振幅]]。
*<math>\varphi</math>は「[[位相角]]」で、2つの波がお互いにどれだけ同期していないかを記述する。
*<math>\omega</math>は波の時間的な[[角周波数]]で、単位時間あたりどれだけ沢山の振動が完了するかを記述する。[[周期]]<math>T</math>と方程式<math>\omega=2\pi/T</math>によって関連している。
*<math>k</math>は波の空間的な角周波数([[波数]])であり、単位空間あたりどれだけ沢山の振動が完了するかを記述する。[[波長]]と式<math>k=2\pi/\lambda</math>によって関連している。
この波動は+xの方向に速度(より正確には[[位相速度]])<math>\omega/k</math>で進行する。
===結晶学の定義===
[[結晶学]]において、同じ波動はわずかに異なる方程式を用いて記述される。
<ref>{{cite book |url=https://books.google.com/books?id=xjIGV_hPiysC&pg=PA259|title= Modern Crystallography| page=259 |isbn=978-3-540-56558-1 |last=Va?nshte?n|first=Boris Konstantinovich |year=1994}}</ref>
1次元と3次元ではそれぞれ、
:<math>\psi(x,t) = A \cos (2 \pi (k x - \nu t)+\varphi)</math>
:<math>\psi \left({\mathbf r}, t \right) = A \cos \left(2\pi({\mathbf k} \cdot {\mathbf r} - \nu t) + \varphi \right)</math>
違いは、
*角周波数<math>\omega</math>の代わりに周波数<math>\nu</math>が用いられる。これらは<math>2\pi \nu=\omega</math>の関係にある。この記事においてこの置き換えは重要ではないが、結晶学の一般的慣習を反映している。
*波数''k''と波数ベクトル'''k'''は異なる方法で定義される。上述の物理学の定義では<math>k=|{\mathbf k}| = 2\pi/\lambda</math>であるが、一方ここでは<math>k=|{\mathbf k}| = 1/\lambda</math>である。
'''k'''の方向は以下で議論する。
==波数ベクトルの方向==
{{main|群速度}}
波数ベクトルが指す方向は「波動の伝播の方向」とは区別しなければならない。
「波動の伝播の方向」は波動のエネルギー流れの方向であり、小さな[[波束]]が動く方向、つまり[[群速度]]の方向である。
光波では、これは[[ポインティングベクトル]]の方向でもある。
一方で波数ベクトルは[[位相速度]]の方向を指す。
言い換えれば波数ベクトルは、定位相の面(波面とも呼ばれる)の[[法線]]方向を指す。
無損失[[等方性媒質]](空気や全ての気体、[[ガラス]]のようないくつかの固体など)において、波数ベクトルの方向は波動の伝播の方向と全く同じである。
媒質の損失が大きい場合、一般的に波数ベクトルは波動の伝播の方向以外の方向を指す。
波数ベクトルが波動が伝播する方向と同じである条件は、波動が均一であることであり、媒質の損失が大きいときは必ずしもそうとは限らない。
均一な波動において定位相の面は、一定振幅の面でもある。
不均一な波動では、これら2つの種類の面は方向が異なる。
波数ベクトルは常に一定位相の面と垂直である。
例えば、[[結晶光学|非対称結晶中の光波]]や[[堆積岩]]中の音波のように、波動が[[異方性媒質]]中を進行するとき、波数ベクトルは波動伝播の方向を必ずしも指すわけではない。
<ref name=fowles>{{cite book|last=Fowles|first=Grant|title=Introduction to modern optics|year=1968|publisher=Holt, Rinehart, and Winston|page=177}}</ref>
<ref name=pollard>"This effect has been explained by Musgrave (1959) who has shown that the energy of an elastic wave in an anisotropic medium will not, in general, travel along the same path as the normal to the plane wavefront...", ''Sound waves in solids'' by Pollard, 1977. [https://books.google.com/books?id=EOUNAQAAIAAJ link]</ref>
==固体物理学==
{{main|ブロッホ波}}
[[固体物理学]]において、[[結晶]]中の[[電子]]や[[正孔]]の「波数ベクトル」(k-ベクトルとも呼ばれる)は、その[[量子力学]]的な[[波動関数]]の波数ベクトルである。
それらの電子波は、通常のサイン波ではなく、サイン波である一種の「{{ill2|包絡波|en|Envelope (waves)|label=包絡関数}}」を持ち、波数ベクトルは通常「物理学の定義」を用いてその包絡波を用いて定義される。
詳細は[[ブロッホ波]]を参照。
<ref>{{cite book |author=Donald H. Menzel |title=Fundamental Formulas of Physics, Volume 2 |url=https://books.google.com/books?id=-miofZvrH2sC&pg=PA624 |page=624 |chapter=§10.5 Bloch waves |isbn=0486605965 |year=1960 |edition=Reprint of Prentice-Hall 1955 2nd |publisher=Courier-Dover }}</ref>
== 関連項目 ==
*[[平面波展開]]
*[[入射面]]
* [[逆格子ベクトル]]、[[逆格子空間]]
==引用==
{{reflist}}
==参考文献==
*{{cite book | author=Brau, Charles A. | title=Modern Problems in Classical Electrodynamics | publisher=Oxford University Press | year=2004 | isbn=0-19-514665-4}}
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[[Category:物理学]]
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素因数分解
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素因数分解 (そいんすうぶんかい、英: prime factorization) とは、ある正の整数を素数の積の形で表すことである。
素因数分解には次のような性質がある。
例えば 48 {\displaystyle 48} を素因数分解すれば、 2 4 × 3 {\displaystyle 2^{4}\times 3} となる。
インターネットでの認証等で利用されている公開鍵暗号の代表であるRSA暗号の安全性は、巨大な合成数の素因数分解を実用的な時間内に実行することが困難であることと深い関わりがあり、RSA 以外の公開鍵暗号でも素因数分解問題に基づく方式が多々あるため、素因数分解のアルゴリズムが活発に研究されている。また実際に巨大な合成数の素因数分解の計算機実験も行われている。
通常の素因数分解は、有理整数環 Z で考えるが、一般の代数体の整数環においては、素因数分解の一意性に対応する性質が成り立つとは限らない。
正の整数 N を素因数分解するための最も単純な方法は、2 から順に √N までの素数で割っていく方法(試し割り法)である。しかし、N が大きくなると、この方法では困難である。
大きな N に対しては以下のような方法がある。
整域において素因数分解(に相当する概念)を考える問題は、代数学における古典的な問題の一つである。
一般に可換環 R においては、「割り切る」という関係を単項イデアルの包含関係により定めることができる。すなわち、a, b ∈ R の生成する単項イデアル (a) = aR, (b) = bR に対し、(a) ⊃ (b) のときに a | b と書いて、a は b を割り切る、とか、a は b の約元である、とか、b は a の倍元である、などという。言い換えると、a が b を割り切るとは、b = ac を満たすような R の可逆でも 0 でもない元 c が存在することをいう。
可逆でも 0 でもない R の元が、2つの非可逆元の積として表せるとき、可約であるといい、そうでないとき既約であるという。単項イデアル (p) が自明でない素イデアルであるとき、p を素元という。素元は既約元であるが、一般に逆は成立しない。
環 R の元を既約元の積に表すことを既約元分解、素元の積に表すことを素元分解という。既約元分解が一意であるような環を素元分解整域もしくは一意分解環という(任意の元が素元の積に表せるなら、その表し方は一意である)。有理整数全体の成す環 Z や体上の多項式環 K[x] などは素元分解整域である(高校数学でいう多項式の“因数分解”とは、通常有理数体 Q 上の一変数多項式環における素元分解のことである)。これらの環はユークリッド整域にもなっているが、一般にユークリッド整域は単項イデアル整域であり、単項イデアル整域は素元分解整域になる。
素元分解整域でない例として有理数体 Q に方程式 x + 5 = 0 の根を添加した代数体 Q(√−5) の整数環 Z[√−5] で 6 を既約分解することを考えてみる。整数 Z の範囲では 2 × 3(と同値なもの)のみであるが、Z[√−5] の範囲では
と本質的に異なる2通りに既約分解される。したがって Z[√−5] は素元分解整域ではない。しかし、イデアルとしては (2), (3) や (1 ± √−5) はさらに分解できて、素イデアルの積としては一意に
と分解される。一般に、代数体の整数環はデデキント環であり、素イデアルの積に一意的に分解する。
このような考察はクンマーの理想数の理論に始まると考えられる。クンマー以降、デデキントのイデアル論などを経て代数的整数論の基盤となっている。
Cunningham Project とは、b = 2, 3, 5, 6, 7, 10, 11, 12 および多くの自然数 n に対し、b ± 1 を素因数分解しよう、というプロジェクトである。RSA チャレンジについてはRSA暗号#RSA暗号解読コンテスト を参照。
多項式時間で解かれた記録は以下である(全て量子コンピュータによる記録である。)。
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"text": "Cunningham Project とは、b = 2, 3, 5, 6, 7, 10, 11, 12 および多くの自然数 n に対し、b ± 1 を素因数分解しよう、というプロジェクトである。RSA チャレンジについてはRSA暗号#RSA暗号解読コンテスト を参照。",
"title": "素因数分解の記録"
},
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"text": "多項式時間で解かれた記録は以下である(全て量子コンピュータによる記録である。)。",
"title": "素因数分解の記録"
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] |
素因数分解 とは、ある正の整数を素数の積の形で表すことである。 素因数分解には次のような性質がある。 任意の正の整数に対して、素因数分解はただ1通りに決定する。
素因数分解の結果から、正の約数やその個数、総和などを求めることができる。 例えば 48 を素因数分解すれば、 2 4 × 3 となる。 インターネットでの認証等で利用されている公開鍵暗号の代表であるRSA暗号の安全性は、巨大な合成数の素因数分解を実用的な時間内に実行することが困難であることと深い関わりがあり、RSA 以外の公開鍵暗号でも素因数分解問題に基づく方式が多々あるため、素因数分解のアルゴリズムが活発に研究されている。また実際に巨大な合成数の素因数分解の計算機実験も行われている。 通常の素因数分解は、有理整数環 Z で考えるが、一般の代数体の整数環においては、素因数分解の一意性に対応する性質が成り立つとは限らない。
|
{{混同|因数分解}}
{{出典の明記|date=2018-12-16}}
'''素因数分解''' (そいんすうぶんかい、{{lang-en-short|''prime factorization''}}) とは、ある正の[[整数]]を[[素数]]の[[積]]の形で表すことである{{sfn|岡本|森杉|根本|永田|2022}}。
素因数分解には次のような性質がある。
*任意の正の整数に対して、[[素因数分解の一意性|素因数分解はただ1通りに決定する]]{{sfn|岡本|森杉|根本|永田|2022}}。
*素因数分解の結果から、正の[[約数]]やその個数、総和などを求めることができる。
例えば<math>48</math>を素因数分解すれば、<math>2^4\times3</math>となる。
[[インターネット]]での認証等で利用されている[[公開鍵暗号]]の代表である[[RSA暗号]]の安全性は、巨大な[[合成数]]の素因数分解を実用的な時間内に実行することが困難である<ref>https://www.imes.boj.or.jp/research/papers/japanese/kk18-b1-3.pdf 1ページ</ref>ことと深い関わりがあり、RSA 以外の公開鍵暗号でも素因数分解問題に基づく方式が多々あるため、素因数分解の[[アルゴリズム]]が活発に研究されている。また実際に巨大な合成数の素因数分解の計算機実験も行われている。
通常の素因数分解は、有理整数環 '''Z''' で考えるが、一般の[[代数体]]の[[整数環]]においては、素因数分解の一意性に対応する性質が成り立つとは限らない。{{要出典|date=2023年7月}}
== 素因数分解アルゴリズム ==
正の整数 {{mvar|N}} を素因数分解するための最も単純な方法は、{{math|2}} から順に {{math|{{sqrt|''N''}}}} までの素数で割っていく方法([[試し割り法]])である。<ref>https://fussy.web.fc2.com/algo/math11_factorization.htm</ref>しかし、{{mvar|N}} が大きくなると、この方法では困難である。
大きな {{mvar|N}} に対しては以下のような方法がある。
*{{mvar|ρ}}法([[ポラード・ロー素因数分解法]])
*{{math|''p'' − 1}} 法
*{{math|''p'' + 1}} 法
*[[連分数]]法
*[[楕円曲線]]法 (ECM, Elliptic curve method)
*複数多項式2次ふるい法 (MPQS, Multiple polynomial quadratic sieve)
*数体ふるい法 (NFS, Number field sieve)
**[[一般数体篩法|一般数体ふるい法]] (GNFS, General number field sieve)
**[[特殊数体篩法|特殊数体ふるい法]] (SNFS, Special number field sieve)
== 素元分解 ==
[[整域]]において素因数分解(に相当する概念)を考える問題は、[[代数学]]における古典的な問題の一つである。
一般に[[可換環]] {{mvar|R}} においては、「割り切る」という関係を[[単項イデアル]]の包含関係により定めることができる。すなわち、{{math|''a'', ''b'' ∈ ''R''}} の生成する単項イデアル {{math|(''a'') {{=}} ''aR''}}, {{math|(''b'') {{=}} ''bR''}} に対し、{{math|(''a'') ⊃ (''b'')}} のときに {{math|''a'' {{!}} ''b''}} と書いて、{{mvar|a}} は {{mvar|b}} を割り切る、とか、{{mvar|a}} は {{mvar|b}} の約元である、とか、{{mvar|b}} は {{mvar|a}} の倍元である、などという。言い換えると、{{mvar|a}} が {{mvar|b}} を割り切るとは、{{math|''b'' {{=}} ''ac''}} を満たすような {{mvar|R}} の[[可逆元|可逆]]でも {{math|0}} でもない元 {{mvar|c}} が存在することをいう。
可逆でも {{math|0}} でもない {{mvar|R}} の元が、2つの非可逆元の積として表せるとき、'''可約'''であるといい、そうでないとき'''[[既約元|既約]]'''であるという。単項イデアル {{math|(''p'')}} が自明でない[[素イデアル]]であるとき、{{mvar|p}} を'''[[素元]]'''という。'''素元'''は'''既約元'''であるが、一般に逆は成立しない。
=== 素元分解整域 ===
{{Main|素元分解整域}}
環 {{mvar|R}} の元を既約元の積に表すことを'''既約元分解'''、素元の積に表すことを'''素元分解'''という。既約元分解が一意であるような環を[[素元分解整域]]もしくは一意分解環という(任意の元が素元の積に表せるなら、その表し方は一意である)。有理整数全体の成す環 {{mathbf|Z}} や[[可換体|体]]上の多項式環 {{math|''K''[''x'']}} などは素元分解整域である(高校数学でいう多項式の“因数分解”とは、通常有理数体 {{mathbf|Q}} 上の一変数多項式環における素元分解のことである)。これらの環は[[ユークリッド整域]]にもなっているが、一般にユークリッド整域は[[単項イデアル整域]]であり、単項イデアル整域は素元分解整域になる。
素元分解整域でない例として有理数体 {{mathbf|Q}} に方程式 {{math|''x''{{sup|2}} + 5 {{=}} 0}} の根を添加した[[代数体]] {{math|'''Q'''({{sqrt|−5}})}} の[[整数環]] {{math|'''Z'''[{{sqrt|−5}}]}} で {{math|6}} を既約分解することを考えてみる。整数 {{mathbf|Z}} の範囲では {{math|2 × 3}}(と同値なもの)のみであるが、{{math|'''Z'''[{{sqrt|−5}}]}} の範囲では
:{{math|6 {{=}} 2 × 3 {{=}} (1 + {{sqrt|−5}})(1 − {{sqrt|−5}})}}
と本質的に異なる2通りに既約分解される。したがって {{math|'''Z'''[{{sqrt|−5}}]}} は素元分解整域ではない。しかし、イデアルとしては {{math|(2)}}, {{math|(3)}} や {{math|(1 ± {{sqrt|−5}})}} はさらに分解できて、素イデアルの積としては一意に
:{{math|(6) {{=}} (2, 1 + {{sqrt|−5}}){{sup|2}}(3, 1 + {{sqrt|−5}})(3, 1 − {{sqrt|−5}})}}
と分解される。一般に、代数体の整数環は[[デデキント環]]であり、素イデアルの積に一意的に分解する。
このような考察は[[エルンスト・クンマー|クンマー]]の[[理想数]]の理論に始まると考えられる。クンマー以降、[[リヒャルト・デーデキント|デデキント]]の[[イデアル|イデアル論]]などを経て[[代数的整数論]]の基盤となっている。
== 素因数分解の記録 ==
Cunningham Project とは、{{math2|''b'' {{=}} 2, 3, 5, 6, 7, 10, 11, 12}} および多くの自然数 {{mvar|n}} に対し、{{math|''b{{sup|n}}'' ± 1}} を素因数分解しよう、というプロジェクトである。RSA チャレンジについては[[RSA暗号#RSA暗号解読コンテスト ]]を参照。
*2005年4月:{{math|11{{sup|281}} + 1}} の約数として現れる176桁の合成数が素因数分解される({{仮リンク|一般数体ふるい法|en|General number field sieve}}、[[立教大学]]、[[日本電信電話|NTT]]、富士通研究所<!-- 、世界記録 -->)<!-- 人名に統一すべきか? -->
*2005年5月:200桁の合成数 RSA-200(RSAチャレンジ)が素因数分解される(一般数体ふるい法、Bahr、Boehm、Franke、Kleinjung<!--、世界記録 -->)[https://web.archive.org/web/20120729121111/https://www.rsa.com/rsalabs/node.asp?id=2879]
*2006年8月:{{math|10{{sup|381}} + 1}} から67桁の素数が分解される([[楕円曲線]]法、B. Dodson)
*2006年9月:{{math|7{{sup|352}} + 1}} の約数として現れる128桁の合成数が素因数分解される(一般数体ふるい法、[[情報通信研究機構]]、[[富士通]]、富士通研究所、[[FPGA|フィールドプログラマブルゲートアレイ]]および[[動的再構成|ダイナミックリコンフィギュラブルプロセッサ]]を用いた専用ハードウェアを初めて使用)
*2007年5月:{{math|2{{sup|1039}} − 1}} の約数として現れる307桁の[[合成数]]が素因数分解される(特殊数体ふるい法、NTT、ドイツのボン大学、スイス連邦工科大学との共同研究<!-- K.Aoki+J.Franke+T.Kleinjung+A.K.Lenstra+D.A.Osvik -->)
*20??年: 200桁(663ビット)
*2010年1月:232桁(768[[ビット]])(NTT、[[スイス連邦工科大学]]ローザンヌ校 (EPFL)、独[[ボン大学]]、フランス国立情報学自動制御研究所 (INRIA)、オランダ国立情報工学・数学研究所 (CWI)。一般数体ふるい法。300台PCの[[並列計算|並列計算処理]]。約3年)
=== 多項式時間で解いた記録 ===
[[多項式時間]]で解かれた記録は以下である(全て[[量子コンピュータ]]による記録である。)。
*2001年 - 15(=3×5)の分解に成功(IBM)
*2012年 - 21(=3×7)の分解に成功(ブリストル大学)
== 関連項目 ==
{{div col}}
*[[素因数]]
*[[約数]]
*[[公約数]]
*[[因数分解]]
*[[算術の基本定理]]
*[[倍数]]
*[[約数関数]]
*[[公開鍵暗号]]
*[[イデアル]]
*[[代数体]]
*[[デデキント環]]
{{div col end}}
== 脚注 ==
{{reflist}}
== 参考文献 ==
{{参照方法|date=2016年2月|section=1}}
* {{Cite book|和書 |title=コンピュータと素因子分解 |date=1999-04-01 |publisher=遊星社 |author=和田秀男 |author-link=和田秀男 |isbn=978-4795268890}}
* {{Cite book|和書 |title=素数全書 計算からのアプローチ |date=2010-09-10 |year=2010 |publisher=朝倉書店 |last=Crandall |first=Richard |isbn=978-4254111286 |last2=Pomerance |first2=Carl |author2-link=カール・ポメランス |author-link=リチャード・クランドール |translator=和田秀男}}
* {{Cite book|和書
|last1 = 山本
|first1 = 芳彦
|year = 2003
|title = 数論入門
|series = 現代数学への入門
|publisher = 岩波書店
|isbn = 4-00-006878-4
|ref = harv
}}
* {{Cite book|和書 |title=未来へ広がる数学 |date=2022-02-10 |publisher=新興出版社啓林館 |page=25 |author=岡本和夫 |author2=森杉薫 |author3=根本博 |author4=永田潤一郎 |volume=3 |isbn=978-4-402-02187-0 |ref={{sfnRef|岡本|森杉|根本|永田|2022}}}}
== 外部リンク ==
*[http://homes.cerias.purdue.edu/~ssw/cun/ Cunningham Project]
{{Normdaten}}
{{DEFAULTSORT:そいんすうふんかい}}
[[Category:素因数分解アルゴリズム|*]]
[[Category:数論アルゴリズム]]
[[Category:初等数学]]
[[Category:計算機科学の未解決問題]]
[[Category:数学に関する記事]]
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14,753 |
潜水
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潜水(せんすい)とは、水の中に完全に体を沈めることである。現在では、水中で行う活動、もしくはその手段を指すことが多い。
潜水シーンが出てくる映画。
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潜水(せんすい)とは、水の中に完全に体を沈めることである。現在では、水中で行う活動、もしくはその手段を指すことが多い。
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{{otheruses||[[Mr.Children]]の楽曲|I ♥ U}}
'''潜水'''(せんすい)とは、[[水]]の中に完全に体を沈めることである。現在では、水中で行う活動、もしくはその手段を指すことが多い。
== 潜水の方法 ==
#'''[[スキンダイビング]]''' : [[フリーダイビング]]
#'''[[スクーバダイビング]]''' : [[テクニカルダイビング]]・[[洞窟潜水]]
#'''[[送気式潜水]]''' : [[フーカー潜水]]・[[ヘルメット潜水]]
#'''大気圧潜水''' : 人が[[大気圧]]で潜水すること。大気圧潜水器と呼ばれる装置で潜水する。大気圧潜水器は水圧から人体を保護するため[[金属]]で出来ており、この装置が大きくなれば[[潜水艦]]で、より小型のものは[[潜水艇]]、個人用では[[大気圧潜水服]]である。[[減圧症]]や圧外傷、空気塞栓症等の潜水に伴う疾患がなく安全だが、他の潜水方法に比べ、身体の行動が著しく低下する。
#'''[[飽和潜水]]''' : 高圧環境への曝露下での大深度潜水を実現するための技術。
==テクニック==
* {{ill2|ナイトダイビング|en|Night diving}} - 夜間の暗闇でのダイビング
;道具
{{main|ダイビング器材}}
* [[ダイバーズウォッチ]]
* {{ill2|ダイブコンピューター|en|Dive computer}}
* {{ill2|ダイビングショット|en|Diving shot}}
* {{ill2|ダイビングシリンダー|en|Diving cylinder}}(酸素ボンベ)
* [[浮力補償装置]]
* ダイビングナイフ
* [[リブリーザー]]
* {{ill2|ダイブライト|en|Dive light}}
* [[お絵かきボード|水中ノート]]
;移動用
* {{ill2|Towboard|en|Towboard}} ‐ 水中の人が捕まってボートなどから曳航できるボード。
* [[水中スクーター]]
==潜水作業者==
[[File:Underwater oxy-arc cutting.jpg|thumb|水中での{{ill2|溶接・切断作業|en|Underwater cutting and welding}}]]
{{main|en:Category:Underwater work|en:Underwater work}}
* [[スピアフィッシング]] - 素潜りによって、銛を使用する漁法。
* [[海人]](海士)
* [[海女]]
* [[フロッグマン]] - 軍隊の水中工作員
* {{ill2|スポンジダイビング|en|Sponge diving}} ‐ スポンジを採取する潜水作業者。少なくとも古代ギリシア時代から行われている。
* {{ill2|パールハンティング|en|Pearl hunting}} ‐ 真珠の養殖技術確立まで、ダイビングによって採取が行われていた。
== 関連作品 ==
{{Notice|提示する作品は、Wikipediaのガイドライン[[Wikipedia:関連作品]]に準拠した作品であることを証明する記述も含めて記入してください。特に説明がない場合は、除去される場合があります。}}
===映画===
潜水シーンが出てくる映画。
*[[スキンダイビング]]
**エラブの海([[1960年]])
**[[チコと鮫]]([[1962年]])
**The Big Wave([[1962年]])
**少年と鮫([[1979年]])
**[[人魚伝説 (映画)|人魚伝説]]([[1984年]])
**[[グラン・ブルー (映画)|グラン・ブルー グレート・ブルー完全版]]([[1988年]])
**オーシャンメン([[2001年]])
**アクア・ブルー([[2004年]])
**[[群青 (小説) #映画|群青 愛が沈んだ海の色]]([[2009年]])
*[[スクーバダイビング]]
**ビキニの裸女([[1952年]])
**海底の黄金([[1955年]])
**島の女([[1957年]])
**[[沈黙の世界 (映画)|沈黙の世界]]([[1956年]])
**海底の挑戦者([[1960年]])
**[[007 サンダーボール作戦]]([[1965年]])
**[[海底大戦争]]([[1966年]])
**[[冒険者たち]]([[1967年]])
**[[セメントの女]]([[1968年]])
**青い海と白い鮫([[1971年]])
**[[ゴルゴ13 九竜の首]] ([[1977年]])
**THE DEEP(1977年)
**[[007 私を愛したスパイ]](1977年)
**[[エアポート'77/バミューダからの脱出]](1977年)
**[[サンバーン]]([[1979年]])
**[[黄金のパートナー]](1979年)
**[[冒険者カミカゼ -ADVENTURER KAMIKAZE-]] ([[1981年]])
**[[007 ユア・アイズ・オンリー]](1981年)
**カリブ海の秘宝([[1984年]])
**[[007 美しき獲物たち]]([[1985年]])
**[[マリリンに逢いたい]]([[1988年]])
**[[アビス]]([[1989年]])
**[[007 消されたライセンス]](1989年)
**XII-1118 / PROMISE THE MOON([[1996年]])
**[[ザ・ダイバー]]([[2000年]])
**バミューダ 呪われた財宝([[2001年]])
**[[SSU]]([[2003年]])
**[[海猿]]([[2004年]])
**DRIFT ドリフト([[2004年]])
**[[オープン・ウォーター]]([[2005年]])
**[[イントゥ・ザ・ブルー]](2005年)
**[[ライフ・アクアティック]]([[2005年]])
**[[LIMIT OF LOVE 海猿]] (2006年)
**[[フールズ・ゴールド/カリブ海に沈んだ恋の宝石]]([[2008年]])
*[[テクニカルダイビング|沈船ダイビング]]
**[[オデッセイ]]([[1988年]])
**[[彼女が水着にきがえたら]]([[1990年]])
**[[007 トゥモロー・ネバー・ダイ]]([[1997年]])
**デュカネ 小さな潜水夫([[2001年]])
*[[洞窟潜水]]
**[[ネバーセイ・ネバーアゲイン]]([[1983年]])
**[[地獄の変異]]([[2006年]][[9月30日]])
*送気式潜水
**[[爆発!海底大油田/ファイヤー・インフェルノ|ザ・ダイバー/炎の脱出]]([[1986年]])
**ダイブ・深海からの帰還([[1989年]])
**アフター・ザ・ストーム([[2000年]])
**[[ザ・ダイバー]]([[2000年]])
== 備考 ==
* 日本における記述上の生身での潜水記録としては、『[[日本書紀]]』[[允恭天皇]](5世紀代)の治世に、天皇の命で海底の[[真珠]]を取るため、[[阿波国]][[那賀郡|長邑]]出身の海人・[[男狭磯]](おさし、[[長国造]]族)という人物が60[[尋]](100[[メートル]]以上)の縄を付けて潜水し、真珠を取って浮上するも、そのまま息絶えたと記述される。
== 関連項目 ==
* [[潜水泳法]] - 競泳において、もぐったまま水中を進む泳ぎ方。
*[[潜水反応]]
*[[潜水服]]
*[[潜水鐘]]
*[[海難救助]]
*[[片岡弓八]]
*[[潜水艇]]、[[潜水艦]]、[[自律型無人潜水機]]、{{ill2|水中グライダー|en|Underwater glider}}
*[[アラフラ海]] - 日本人潜水夫数千人が出稼ぎした
*{{ill2|サマバジャウ|en|Sama-Bajau}}(バジャウ族) - 潜水を生活の一部とする海洋民族。脾臓の大型化などの進化が見られる。
=== 生体反応 ===
* {{ill2|潜水反射|en|Diving reflex}}
* {{ill2|冷水ショック|en|Cold shock response}}(コールドショック)
*[[減圧症]]
== 外部リンク ==
*[https://www.sensui.or.jp/ 一般社団法人 日本潜水協会]
*[https://www.divingmedicine.jp/ ダイビング医学]
*[http://chikyu-to-umi.com/kaito/diving.htm 我が国における潜水技術の発展] - 山田稔、[[海洋研究開発機構]](JAMSTEC)、2003年
{{Normdaten}}
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[[Category:潜水|*]]
[[Category:海洋学]]
[[Category:身体技法]]
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14,754 |
海女
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海女(あま)
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海女(あま) 海に潜り貝類や海藻を採る女性漁師。あまさん→海人、男性=海士、女性=海女
漁を職業とする女性 →韓国済州島の海女
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{{Wiktionary|海女|あま}}
'''海女(あま)'''
* 海に潜り[[貝]]類や[[海藻]]を採る女性漁師。あまさん→[[海人|海人、男性=海士、女性=海女]]
*漁を職業とする女性 →[[海女 (韓国)|韓国済州島の海女]]
== 関連項目 ==
*[[アマ]]
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[[Category:熟字訓|あま]]
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14,755 |
菅野よう子
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菅野 よう子(かんの ようこ、Yoko Kanno、1963年3月18日 - )は、日本の作曲家、編曲家、演奏家、音楽プロデューサー。宮城県仙台市出身。主にアニメ、ゲーム、CM、ドラマ、映画の音楽を手掛けている。Meow on the Bridge(音楽事務所)、Captain Duckling Records(音楽レーベル)所属。本名は菅野 洋子(読みは同じ)。チェリストの溝口肇は元夫にあたる。
即興ピアニスト・作曲家の菅野洋子とは同姓同名であるうえ宮城県出身、早稲田大学出身という経歴も似ているが別人である。
音楽との出会いは2歳の頃、親戚の家にあったピアノの前から離れない娘を見て、親がピアノを買ってくれた。幼い頃から言葉で話すよりも音で表現するほうが楽だったといい、頭に浮かぶことをメロディにして遊んでいた。小学校時代は数々のコンクールで優勝し、1974年にヤマハ・ジュニア・オリジナル・コンサート(JOC)全国大会で川上賞を受賞する。ヤマハ・ジュニア・オリジナル・コンサートの作曲コンクールの審査員をしていた芥川也寸志からアドバイスをもらう。また、知遇を得て芥川也寸志、安川加寿子にごく短い一時期作曲、ピアノを師事。ただし、音楽理論については先生について学んだというよりは、ほぼスタジオ現場で独学で身に付けた。
中学校から仙台向山高校にかけては吹奏楽部に所属し、いろいろな楽器の編曲を楽しむ。当時は文学少女で、小説家になろうと早稲田大学第一文学部に進学するが、入部した軽音楽サークルのOBの伝手で音楽業界の仕事に関わり始める。
1985年に光栄(現コーエーテクモゲームス)の歴史シミュレーションゲーム『三國志』の音楽を手がけて作曲家デビュー。以後、光栄のゲームでは「信長の野望シリーズ」や「大航海時代シリーズ」なども担当する。1986年にはバンド「てつ100%」のキーボード奏者としてレコードデビューし、同時期にはアルバイトでおニャン子クラブのバックバンドにも参加した。バンド解散後は演奏家としてレコーディングやライブに参加し、作曲家として今井美樹、小泉今日子、SMAPなどの歌手への楽曲提供・プロデュースを行う。
1991年より広告業界で多数のCMソングを作曲。手がけた作品は1000曲を超え「CMソングの女王」という呼び名もある。1998年にはCM音楽賞の最高峰ともいえる三木鶏郎広告音楽賞を受賞した。映画監督の中島哲也や石川寛とはこの分野で知り合い、テレビドラマや映画の音楽を担当している。
1994年の『マクロスプラス』よりアニメのサウンドトラック(劇伴)制作を担当。アニメ監督の河森正治や渡辺信一郎とは以後の作品でもコンビを組むことになる。日本ゴールドディスク大賞(アニメアルバム部門)を受賞した『カウボーイビバップ』ほか『∀ガンダム』、『攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX』などの音楽を担当し、『創聖のアクエリオン』『マクロスF』などのシングル・アルバムヒットも生む。また、声優の坂本真綾を9年間にわたり、音楽面でプロデュースした。
2011年3月11日の東北地方太平洋沖地震では出身地の宮城県が被災地となったが、発生翌日に応援ソング「きみでいて ぶじでいて」をYouTube上で公開し反響を呼んだ。同年の第62回NHK紅白歌合戦ではオープニングテーマ「1231」を担当。2012年にはNHK東日本大震災プロジェクトのテーマソング「花は咲く」を作曲、同年の第63回NHK紅白歌合戦ではコーラス指揮と審査員を担当。その後もNHK関連の仕事が続き、連続テレビ小説『ごちそうさん』、大河ドラマ『おんな城主 直虎』の音楽を担当する。
クラシックから民族音楽、ロック、テクノ、アイドルポップまで、古今東西の多様な音楽ジャンルの要素を巧みに取り入れる。渡辺信一郎は初めてデモテープを聴いたとき「本当にひとりの人が作ってるの?」と驚き、初対面での愛らしい印象とのギャップから、ゴーストライターがいるのではないかといぶかしがった。本人にはジャンルや自分の音楽性という意識はなく、「作品が最初から持っている音を掘り出しているみたいな感覚です」と語っている。器用貧乏と言われ傷ついた事もあるというが、「器用貧乏も10年続けるとゴールデン器用(または金の小手先)に変わる」と語っている。尊敬する音楽家として、現代音楽からポップスまで作曲した武満徹の名を挙げている。
嗜好として、ジャズやテクノのような「曲調が長くて段取りやリズムが決まっているように聴こえるもの」は途中で飽きてしまうので性に合わない。作曲する時には聴く人を飽きさせないよう工夫を盛りこむため、楽曲に濃い(高カロリー、ファットな)傾向があると自己分析している。クラブミュージックに見られる繰り返しの多いミニマルな展開や、キックの4つ打ちもあまり好きではなく、『Cowboy Bebop remixes music for freelance』のリミキサーの選定をしていた渡辺や佐藤大に対して「これは音楽じゃない」「マシンが鳴っているだけで気持ち悪い」と言い、2人から大量のクラブミュージックのレコードを聞かされたという。その後、佐藤も参加した『攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX』では作品世界を意識した結果4つ打ちを取り入れている。好きではないジャンルの一番輝くところを掴み出す力について、佐藤は「音楽的ツンデレ」と評している。
オーケストラの譜面を緻密に構成する一方、途中でいいアイデアが出たら、それまでの作業をあっさり捨てられるような自由自在さを持っている。『WOLF'S RAIN』のサントラでは、東京で録音し完成していたバンド編成のオケを、アメリカのスタジオ作業中にふと聞いた印象で、ボーカルとアコースティック・ギター一本の弾き語りに差し替えた、とボーカルのスティーブ・コンテが語っている。コンテ自身、ジャズギターの学校を卒業しているとはいえ、すでに完成したオケを破棄し、弾き語りに差し替えたことに相当驚いたという。
曲ができる時はテープを再生するように完成した形で頭の中に流れてくるといい、それを「カセットテープが落ちてくる」と表現する。打ち合わせ中に、関係者から話を聞きながらその場で作ってしまうことが多い。また、完成した曲を耳で確認しながら、別の曲の譜面を同時に書けるという。
クライアントとの打ち合わせでは、具体的な作品内容よりも依頼者の人物像から「その人が何をして欲しいのか」を感じ取るという。監督との作業について「言葉で言えない"違いの綾"を探りながら、こういうことが言いたかったんだと音で探していくのが好きなんです。翻訳に近い作業だと思います」と語っている。時には発注されていない曲を作って送る事もある。
職業作曲家としてのサウンドトラック制作を表現活動のメインに据えるスタンスのため、多作でありながら個人名義のオリジナルアルバムのリリースには積極的ではない。本人名義だった『Song to fly』も、音楽を担当した簡易フライトシミュレーションゲーム『アースウインズ』のサウンドトラックを同コンセプトの元で肉付けした構成であり、本人も「あれはゲーム音楽」と述べている。他には、代表的なCM音楽をまとめたアルバム『CMようこ』『CMようこ2』をリリースしている。
『ブレンパワード』の作曲を担当した際、総監督の富野由悠季から「男性と女性の裏に秘められた、そのレズとかホモとか、そういう危うさも含んだところでの、あの遺伝子の暗躍する感じ」という曲を作るよう注文され、どういうことなのか非常に悩んだというエピソードがある。
作曲以外にも、『カウボーイビバップ』の「3.14」や『オーバン・スターレーサーズ』の主題歌「Chance To Shine」(岩里祐穂との共作)、『おんな城主 直虎』の劇中歌「わたしが竜宮小僧だったとき」(森下佳子との共作)など、少数ではあるが作詞も手掛けている。
菅野の作品には、作詞家・ボーカルとしてGabriela Robin(ガブリエラ・ロビン)という名がしばしばクレジットされている。曲によっては、この歌手の声が明らかに菅野のものであることから、「Gabriela Robinは菅野の変名なのではないか」という推測がなされてきた。作詞者としては比較的文法などから自由な日本語、英語などを駆使して詞を綴る。変わったところではあたかも仏語であるかのように書かれた日本語詞があり(多田葵「Wo qui non coin」)、菅野はこれをハナモゲラと呼んでいる。
通常、コンサートでは坂本真綾やOrigaが代役を務めていたが、2009年7月7日のコンサート「超時空七夕ソニック」において、初めてGabriela Robinが聴衆の前で歌うことが事前に告知された。コンサートパンフレット『超時空七夕ソニック』の「Interview with Gabriela Robin」の項では、Gabriela Robinの写真として菅野の扮装姿が掲載され、コンサートのラストではRobinの歌唱曲「Moon」(『∀ガンダム』挿入歌)を、菅野自身が歌いあげた。
名前の由来は『マクロスプラス』のサントラ制作でイスラエル・フィルハーモニー管弦楽団と初めて海外録音した際、当時のイスラエル首相がイツハク・ラビンだったため。「超時空七夕ソニック」で公表した理由は「深い意味なかったのに隠してることに疲れたから(笑)」とのこと。
なお、シェリル・ノーム starring May'nの配信シングル「ゴ〜〜ジャス」(2017年)は、作詞がROBIN ROBINSON(ロビン・ロビンソン)、作編曲が菅野よう子とクレジットされている(両者の関係は不明)。
菅野のレコーディングに参加する常連ミュージシャンである今堀恒雄(ギター)、渡辺等(ベース)、佐野康夫(ドラム)、三沢またろう(パーカッション)、本田雅人(サックス)らと菅野(キーボード・ピアノ)により編成されたブルース/ジャズバンド。メンバーには「てつ100%」時代からの仲間もいる。「シートベルツ(SEATBELTS)」という名前はタクシーの「シートベルトをお締めください」という注意書きから思いついた。
『カウボーイ・ビバップ』ではTHE SEATBELTS名義でOPテーマ「Tank!」やサウンドトラックを演奏。2度のライブを行い、ライブDVD『FUTURE BLUES』(2001年)も発売された。「美人プロデューサー『Y.K』に率いられ宇宙をツアー中」という劇中設定もある。
2009年には「来地球記念盤」と銘打った『スペース バイオチャージ』を発表し、ワルシャワフィルや国内外アーティストを交えて7月7日にさいたまスーパーアリーナで「超時空七夕ソニック 次回公演は22世紀を予定しております」を開催した。
2020年7月7日午後7時7分(日本時間)より有料配信イベント「YOKO KANNO SEATBELTS オンライン七夕まつり」を開催。SEATBELTSのメンバーが11年ぶりに集結し、「Tank!」「ライオン」などのスタジオセッションを行った。
所属するCM音楽制作会社GRAND FUNKのクリエーターとともに使用する別名義。商品別にCM曲とリミックス集を収録した4枚のシングル(資生堂PERFECT ROUGE、久光製薬温熱用具、サントリーカルピスウォーター、ホンダ・プレリュード)をリリースしている。
賞歴については後述の「受賞」を参照。
『マクロスプラス』での菅野の仕事を境に、アニメサントラの潮流が変わったとしばしば指摘されている。Elements Garden代表の上松範康は高校生時代に『マクロスプラス』の音楽に出会い、アニメ業界を志したと語っている。日本のアニメソングをカヴァーしているハウスミュージシャン/プロデューサーのラスマス・フェイバーは、10代の頃『マクロスプラス』を知って以来、菅野の大ファンだと述べている。
アニメ音楽家の先輩である田中公平も「彼女の出現以降、日本のアニメがより一層世界中の注目を集めた」と語り、菅野に対して感謝を述べている。田中は菅野の音楽の変遷について、デビューから1990年代までを「センスの時代」、2005年頃までを「サウンドの時代」、それ以降を「洗練された下世話の時代」と表現する。後輩の神前暁は「同じアニメ作品にかかわるコンポーザーとして、遥か遠くに見える超えたい壁」と評している。
劇伴作曲家の澤野弘之は、菅野については「いちばん最後に影響を受けたと言える」「こんなにもいろいろなアプローチができる音楽家がいることに衝撃を受ける」などと敬意を示している。
俳優の小栗旬は『カウボーイ・ビバップ』の音楽のファンで菅野のCDをすべて持っており、監督としての初作品『シュアリー・サムデイ』の音楽を菅野に直接依頼した。
女優の長澤まさみは実写映画『ハチミツとクローバー』から菅野を知り、『海街diary』の撮影の始まりに是枝裕和監督に菅野を推薦したこともある。長澤は「五感で作品を記憶させてくれるような菅野さんの映画音楽が大好きで、いつか彼女の音楽が付いた映画に出てみたかったんです」と語っている。
LUNA SEA、X JAPANなどのギタリストSUGIZOは菅野の「10年来の大ファン」と称し、菅野との仕事に関しては「(彼女の)ヴィジョンが常にはっきりしてる」「一緒にやっているとこっちも引っ張られて全てのリスポンスが速くなる」と語っている。Perfumeの大本彩乃はアニメ『坂道のアポロン』が好きで、音楽担当の菅野については他の代表作の名を挙げて好感を示し、「菅野よう子とジャズに恋してます」などとコメントしている。
現代ジャズ/フュージョン界の第一人者で、グラミー受賞アーティストのパット・メセニーは自身のアルバムのプロモーションのインタビュー中、前後の脈絡無く唐突に菅野の楽曲に好意的なメッセージを残している。
歌手のMIKAは、世界中で一番好きなアレンジャーやプロデューサーとして彼女の名前を挙げている。
(音楽を担当した作品を除く)
500本以上の楽曲を手がけており、現在でも多くの作品が放映されている。菅野本人は1000本以上とも語っている。ただし数えた事は無いという。採用企業の中で代表的なものを以下に挙げる。
コスモ石油、日本石油、東京電力、東京メトロ、シャープ、マイクロソフト、カシオ、パイオニア、日立製作所、富士通、富士ゼロックス、富士フイルム、キヤノン、インテル、トヨタ自動車、日産自動車、本田技研工業、富士重工、ヤマハ発動機、ダイムラー・クライスラー、日本IBM、アサヒビール、キリンビール、キリンビバレッジ、サッポロビール、サントリー、コカコーラ、資生堂、ポーラ化粧品、カネボウ、コーセー、みずほ銀行、UFJ銀行、森永製菓、明治製菓、グリコ、J-PHONE→ボーダフォン、NTT DoCoMo、KDDI、ほっともっと、ミヤギテレビ、JR東海、JR東日本、ユニクロ、Google、DeNA、小田急電鉄、パナソニック、ペプシコーラ、アンファー、JT、JTB、八十二銀行、積水ハウス、ソニー
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{
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"text": "菅野 よう子(かんの ようこ、Yoko Kanno、1963年3月18日 - )は、日本の作曲家、編曲家、演奏家、音楽プロデューサー。宮城県仙台市出身。主にアニメ、ゲーム、CM、ドラマ、映画の音楽を手掛けている。Meow on the Bridge(音楽事務所)、Captain Duckling Records(音楽レーベル)所属。本名は菅野 洋子(読みは同じ)。チェリストの溝口肇は元夫にあたる。",
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"text": "即興ピアニスト・作曲家の菅野洋子とは同姓同名であるうえ宮城県出身、早稲田大学出身という経歴も似ているが別人である。",
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"text": "音楽との出会いは2歳の頃、親戚の家にあったピアノの前から離れない娘を見て、親がピアノを買ってくれた。幼い頃から言葉で話すよりも音で表現するほうが楽だったといい、頭に浮かぶことをメロディにして遊んでいた。小学校時代は数々のコンクールで優勝し、1974年にヤマハ・ジュニア・オリジナル・コンサート(JOC)全国大会で川上賞を受賞する。ヤマハ・ジュニア・オリジナル・コンサートの作曲コンクールの審査員をしていた芥川也寸志からアドバイスをもらう。また、知遇を得て芥川也寸志、安川加寿子にごく短い一時期作曲、ピアノを師事。ただし、音楽理論については先生について学んだというよりは、ほぼスタジオ現場で独学で身に付けた。",
"title": "来歴"
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"text": "中学校から仙台向山高校にかけては吹奏楽部に所属し、いろいろな楽器の編曲を楽しむ。当時は文学少女で、小説家になろうと早稲田大学第一文学部に進学するが、入部した軽音楽サークルのOBの伝手で音楽業界の仕事に関わり始める。",
"title": "来歴"
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"text": "1985年に光栄(現コーエーテクモゲームス)の歴史シミュレーションゲーム『三國志』の音楽を手がけて作曲家デビュー。以後、光栄のゲームでは「信長の野望シリーズ」や「大航海時代シリーズ」なども担当する。1986年にはバンド「てつ100%」のキーボード奏者としてレコードデビューし、同時期にはアルバイトでおニャン子クラブのバックバンドにも参加した。バンド解散後は演奏家としてレコーディングやライブに参加し、作曲家として今井美樹、小泉今日子、SMAPなどの歌手への楽曲提供・プロデュースを行う。",
"title": "来歴"
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"text": "1991年より広告業界で多数のCMソングを作曲。手がけた作品は1000曲を超え「CMソングの女王」という呼び名もある。1998年にはCM音楽賞の最高峰ともいえる三木鶏郎広告音楽賞を受賞した。映画監督の中島哲也や石川寛とはこの分野で知り合い、テレビドラマや映画の音楽を担当している。",
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"text": "1994年の『マクロスプラス』よりアニメのサウンドトラック(劇伴)制作を担当。アニメ監督の河森正治や渡辺信一郎とは以後の作品でもコンビを組むことになる。日本ゴールドディスク大賞(アニメアルバム部門)を受賞した『カウボーイビバップ』ほか『∀ガンダム』、『攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX』などの音楽を担当し、『創聖のアクエリオン』『マクロスF』などのシングル・アルバムヒットも生む。また、声優の坂本真綾を9年間にわたり、音楽面でプロデュースした。",
"title": "来歴"
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"text": "2011年3月11日の東北地方太平洋沖地震では出身地の宮城県が被災地となったが、発生翌日に応援ソング「きみでいて ぶじでいて」をYouTube上で公開し反響を呼んだ。同年の第62回NHK紅白歌合戦ではオープニングテーマ「1231」を担当。2012年にはNHK東日本大震災プロジェクトのテーマソング「花は咲く」を作曲、同年の第63回NHK紅白歌合戦ではコーラス指揮と審査員を担当。その後もNHK関連の仕事が続き、連続テレビ小説『ごちそうさん』、大河ドラマ『おんな城主 直虎』の音楽を担当する。",
"title": "来歴"
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"text": "クラシックから民族音楽、ロック、テクノ、アイドルポップまで、古今東西の多様な音楽ジャンルの要素を巧みに取り入れる。渡辺信一郎は初めてデモテープを聴いたとき「本当にひとりの人が作ってるの?」と驚き、初対面での愛らしい印象とのギャップから、ゴーストライターがいるのではないかといぶかしがった。本人にはジャンルや自分の音楽性という意識はなく、「作品が最初から持っている音を掘り出しているみたいな感覚です」と語っている。器用貧乏と言われ傷ついた事もあるというが、「器用貧乏も10年続けるとゴールデン器用(または金の小手先)に変わる」と語っている。尊敬する音楽家として、現代音楽からポップスまで作曲した武満徹の名を挙げている。",
"title": "特徴"
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"text": "嗜好として、ジャズやテクノのような「曲調が長くて段取りやリズムが決まっているように聴こえるもの」は途中で飽きてしまうので性に合わない。作曲する時には聴く人を飽きさせないよう工夫を盛りこむため、楽曲に濃い(高カロリー、ファットな)傾向があると自己分析している。クラブミュージックに見られる繰り返しの多いミニマルな展開や、キックの4つ打ちもあまり好きではなく、『Cowboy Bebop remixes music for freelance』のリミキサーの選定をしていた渡辺や佐藤大に対して「これは音楽じゃない」「マシンが鳴っているだけで気持ち悪い」と言い、2人から大量のクラブミュージックのレコードを聞かされたという。その後、佐藤も参加した『攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX』では作品世界を意識した結果4つ打ちを取り入れている。好きではないジャンルの一番輝くところを掴み出す力について、佐藤は「音楽的ツンデレ」と評している。",
"title": "特徴"
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"text": "オーケストラの譜面を緻密に構成する一方、途中でいいアイデアが出たら、それまでの作業をあっさり捨てられるような自由自在さを持っている。『WOLF'S RAIN』のサントラでは、東京で録音し完成していたバンド編成のオケを、アメリカのスタジオ作業中にふと聞いた印象で、ボーカルとアコースティック・ギター一本の弾き語りに差し替えた、とボーカルのスティーブ・コンテが語っている。コンテ自身、ジャズギターの学校を卒業しているとはいえ、すでに完成したオケを破棄し、弾き語りに差し替えたことに相当驚いたという。",
"title": "特徴"
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"text": "曲ができる時はテープを再生するように完成した形で頭の中に流れてくるといい、それを「カセットテープが落ちてくる」と表現する。打ち合わせ中に、関係者から話を聞きながらその場で作ってしまうことが多い。また、完成した曲を耳で確認しながら、別の曲の譜面を同時に書けるという。",
"title": "特徴"
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"text": "クライアントとの打ち合わせでは、具体的な作品内容よりも依頼者の人物像から「その人が何をして欲しいのか」を感じ取るという。監督との作業について「言葉で言えない\"違いの綾\"を探りながら、こういうことが言いたかったんだと音で探していくのが好きなんです。翻訳に近い作業だと思います」と語っている。時には発注されていない曲を作って送る事もある。",
"title": "特徴"
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"text": "職業作曲家としてのサウンドトラック制作を表現活動のメインに据えるスタンスのため、多作でありながら個人名義のオリジナルアルバムのリリースには積極的ではない。本人名義だった『Song to fly』も、音楽を担当した簡易フライトシミュレーションゲーム『アースウインズ』のサウンドトラックを同コンセプトの元で肉付けした構成であり、本人も「あれはゲーム音楽」と述べている。他には、代表的なCM音楽をまとめたアルバム『CMようこ』『CMようこ2』をリリースしている。",
"title": "特徴"
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"text": "『ブレンパワード』の作曲を担当した際、総監督の富野由悠季から「男性と女性の裏に秘められた、そのレズとかホモとか、そういう危うさも含んだところでの、あの遺伝子の暗躍する感じ」という曲を作るよう注文され、どういうことなのか非常に悩んだというエピソードがある。",
"title": "特徴"
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"text": "作曲以外にも、『カウボーイビバップ』の「3.14」や『オーバン・スターレーサーズ』の主題歌「Chance To Shine」(岩里祐穂との共作)、『おんな城主 直虎』の劇中歌「わたしが竜宮小僧だったとき」(森下佳子との共作)など、少数ではあるが作詞も手掛けている。",
"title": "特徴"
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"text": "菅野の作品には、作詞家・ボーカルとしてGabriela Robin(ガブリエラ・ロビン)という名がしばしばクレジットされている。曲によっては、この歌手の声が明らかに菅野のものであることから、「Gabriela Robinは菅野の変名なのではないか」という推測がなされてきた。作詞者としては比較的文法などから自由な日本語、英語などを駆使して詞を綴る。変わったところではあたかも仏語であるかのように書かれた日本語詞があり(多田葵「Wo qui non coin」)、菅野はこれをハナモゲラと呼んでいる。",
"title": "本名以外での活動"
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"text": "通常、コンサートでは坂本真綾やOrigaが代役を務めていたが、2009年7月7日のコンサート「超時空七夕ソニック」において、初めてGabriela Robinが聴衆の前で歌うことが事前に告知された。コンサートパンフレット『超時空七夕ソニック』の「Interview with Gabriela Robin」の項では、Gabriela Robinの写真として菅野の扮装姿が掲載され、コンサートのラストではRobinの歌唱曲「Moon」(『∀ガンダム』挿入歌)を、菅野自身が歌いあげた。",
"title": "本名以外での活動"
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"text": "名前の由来は『マクロスプラス』のサントラ制作でイスラエル・フィルハーモニー管弦楽団と初めて海外録音した際、当時のイスラエル首相がイツハク・ラビンだったため。「超時空七夕ソニック」で公表した理由は「深い意味なかったのに隠してることに疲れたから(笑)」とのこと。",
"title": "本名以外での活動"
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"text": "なお、シェリル・ノーム starring May'nの配信シングル「ゴ〜〜ジャス」(2017年)は、作詞がROBIN ROBINSON(ロビン・ロビンソン)、作編曲が菅野よう子とクレジットされている(両者の関係は不明)。",
"title": "本名以外での活動"
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"text": "菅野のレコーディングに参加する常連ミュージシャンである今堀恒雄(ギター)、渡辺等(ベース)、佐野康夫(ドラム)、三沢またろう(パーカッション)、本田雅人(サックス)らと菅野(キーボード・ピアノ)により編成されたブルース/ジャズバンド。メンバーには「てつ100%」時代からの仲間もいる。「シートベルツ(SEATBELTS)」という名前はタクシーの「シートベルトをお締めください」という注意書きから思いついた。",
"title": "本名以外での活動"
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"text": "『カウボーイ・ビバップ』ではTHE SEATBELTS名義でOPテーマ「Tank!」やサウンドトラックを演奏。2度のライブを行い、ライブDVD『FUTURE BLUES』(2001年)も発売された。「美人プロデューサー『Y.K』に率いられ宇宙をツアー中」という劇中設定もある。",
"title": "本名以外での活動"
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"text": "2009年には「来地球記念盤」と銘打った『スペース バイオチャージ』を発表し、ワルシャワフィルや国内外アーティストを交えて7月7日にさいたまスーパーアリーナで「超時空七夕ソニック 次回公演は22世紀を予定しております」を開催した。",
"title": "本名以外での活動"
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"text": "2020年7月7日午後7時7分(日本時間)より有料配信イベント「YOKO KANNO SEATBELTS オンライン七夕まつり」を開催。SEATBELTSのメンバーが11年ぶりに集結し、「Tank!」「ライオン」などのスタジオセッションを行った。",
"title": "本名以外での活動"
},
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"text": "所属するCM音楽制作会社GRAND FUNKのクリエーターとともに使用する別名義。商品別にCM曲とリミックス集を収録した4枚のシングル(資生堂PERFECT ROUGE、久光製薬温熱用具、サントリーカルピスウォーター、ホンダ・プレリュード)をリリースしている。",
"title": "本名以外での活動"
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"text": "賞歴については後述の「受賞」を参照。",
"title": "評価"
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"text": "『マクロスプラス』での菅野の仕事を境に、アニメサントラの潮流が変わったとしばしば指摘されている。Elements Garden代表の上松範康は高校生時代に『マクロスプラス』の音楽に出会い、アニメ業界を志したと語っている。日本のアニメソングをカヴァーしているハウスミュージシャン/プロデューサーのラスマス・フェイバーは、10代の頃『マクロスプラス』を知って以来、菅野の大ファンだと述べている。",
"title": "評価"
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"text": "アニメ音楽家の先輩である田中公平も「彼女の出現以降、日本のアニメがより一層世界中の注目を集めた」と語り、菅野に対して感謝を述べている。田中は菅野の音楽の変遷について、デビューから1990年代までを「センスの時代」、2005年頃までを「サウンドの時代」、それ以降を「洗練された下世話の時代」と表現する。後輩の神前暁は「同じアニメ作品にかかわるコンポーザーとして、遥か遠くに見える超えたい壁」と評している。",
"title": "評価"
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"tag": "p",
"text": "劇伴作曲家の澤野弘之は、菅野については「いちばん最後に影響を受けたと言える」「こんなにもいろいろなアプローチができる音楽家がいることに衝撃を受ける」などと敬意を示している。",
"title": "評価"
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"text": "俳優の小栗旬は『カウボーイ・ビバップ』の音楽のファンで菅野のCDをすべて持っており、監督としての初作品『シュアリー・サムデイ』の音楽を菅野に直接依頼した。",
"title": "評価"
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"text": "女優の長澤まさみは実写映画『ハチミツとクローバー』から菅野を知り、『海街diary』の撮影の始まりに是枝裕和監督に菅野を推薦したこともある。長澤は「五感で作品を記憶させてくれるような菅野さんの映画音楽が大好きで、いつか彼女の音楽が付いた映画に出てみたかったんです」と語っている。",
"title": "評価"
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"text": "LUNA SEA、X JAPANなどのギタリストSUGIZOは菅野の「10年来の大ファン」と称し、菅野との仕事に関しては「(彼女の)ヴィジョンが常にはっきりしてる」「一緒にやっているとこっちも引っ張られて全てのリスポンスが速くなる」と語っている。Perfumeの大本彩乃はアニメ『坂道のアポロン』が好きで、音楽担当の菅野については他の代表作の名を挙げて好感を示し、「菅野よう子とジャズに恋してます」などとコメントしている。",
"title": "評価"
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"text": "現代ジャズ/フュージョン界の第一人者で、グラミー受賞アーティストのパット・メセニーは自身のアルバムのプロモーションのインタビュー中、前後の脈絡無く唐突に菅野の楽曲に好意的なメッセージを残している。",
"title": "評価"
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"text": "歌手のMIKAは、世界中で一番好きなアレンジャーやプロデューサーとして彼女の名前を挙げている。",
"title": "評価"
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"text": "(音楽を担当した作品を除く)",
"title": "作品"
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"text": "500本以上の楽曲を手がけており、現在でも多くの作品が放映されている。菅野本人は1000本以上とも語っている。ただし数えた事は無いという。採用企業の中で代表的なものを以下に挙げる。",
"title": "作品"
},
{
"paragraph_id": 36,
"tag": "p",
"text": "コスモ石油、日本石油、東京電力、東京メトロ、シャープ、マイクロソフト、カシオ、パイオニア、日立製作所、富士通、富士ゼロックス、富士フイルム、キヤノン、インテル、トヨタ自動車、日産自動車、本田技研工業、富士重工、ヤマハ発動機、ダイムラー・クライスラー、日本IBM、アサヒビール、キリンビール、キリンビバレッジ、サッポロビール、サントリー、コカコーラ、資生堂、ポーラ化粧品、カネボウ、コーセー、みずほ銀行、UFJ銀行、森永製菓、明治製菓、グリコ、J-PHONE→ボーダフォン、NTT DoCoMo、KDDI、ほっともっと、ミヤギテレビ、JR東海、JR東日本、ユニクロ、Google、DeNA、小田急電鉄、パナソニック、ペプシコーラ、アンファー、JT、JTB、八十二銀行、積水ハウス、ソニー",
"title": "作品"
}
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菅野 よう子は、日本の作曲家、編曲家、演奏家、音楽プロデューサー。宮城県仙台市出身。主にアニメ、ゲーム、CM、ドラマ、映画の音楽を手掛けている。Meow on the Bridge(音楽事務所)、Captain Duckling Records(音楽レーベル)所属。本名は菅野 洋子(読みは同じ)。チェリストの溝口肇は元夫にあたる。 即興ピアニスト・作曲家の菅野洋子とは同姓同名であるうえ宮城県出身、早稲田大学出身という経歴も似ているが別人である。
|
{{別人|菅野祐悟}}
{{Infobox Musician <!--プロジェクト:音楽家を参照-->
| Name = {{Ruby|菅野 よう子|かんの ようこ}}
| 画像 = Yoko Kanno.jpg
| 画像説明 = 1999年
| Background = non_vocal_instrumentalist
| Birth_name = 菅野 洋子
| School_background = [[早稲田大学第一文学部]]中退<ref name="MM0907">高橋修「菅野よう子 ロングインタヴュー」『[[ミュージック・マガジン]]』2009年7月号、46頁。</ref>
| Born = {{生年月日と年齢|1963|3|18}}<ref name="AERA">{{Cite journal ja-jp |author=古川雅子 |title=現代の肖像 作曲家 菅野よう子 |journal=朝日新聞ウィークリー [[AERA]] |serial=2013年10月21日号 |publisher=朝日新聞出版 |pages=56-60 }}</ref><ref name="tetsu100">{{Cite web|和書|url=http://tetsu100.skjs.net/profile.html|title=てつ100% PROFILE|publisher=[[てつ100%]]|accessdate=2013-11-19}}</ref><br/>{{JPN}} [[宮城県]][[仙台市]]<ref name="AERA"/>
| Died =
| Origin =
| Instrument = [[ピアノ]]<br/>[[キーボード (楽器)|キーボード]]
| Genre = [[ポップ・ミュージック|ポップ]]、[[ロック (音楽)|ロック]]、[[ジャズ]]、[[クラシック音楽|クラシック]]、[[オーケストラ]]、[[電子音楽]]、[[民族音楽]]、[[ブルース]]、[[ニューエイジ・ミュージック|ニューエイジ]]、[[インストゥルメンタル]] ほか
| Occupation = [[作曲家]]<br />[[編曲家]]<br />[[音楽プロデューサー]]<br/>[[ピアニスト]]<br/>[[キーボーディスト]]<br/>[[歌手]]
| Years_active = [[1985年]] - <!-- ゲーム音楽 -->
| Label = Captain Duckling Records
| Production =[https://meow.diamonds/ Meow on the Bridge]
| Influences =
| URL = [https://yokokanno.ch/ オフィシャルサイト]
}}
'''菅野 よう子'''(かんの ようこ、Yoko Kanno、<!-- (編集用メッセージ)この人物の生年月日については左上の「ノート」をクリックして、「誕生日について」の議論を一読して下さい。 -->[[1963年]]<ref name="AERA"/>[[3月18日]]<ref name="tetsu100" /> - )は、[[日本]]の[[作曲家]]、[[編曲家]]、[[演奏家]]、[[音楽プロデューサー]]。[[宮城県]][[仙台市]]出身<ref name="AERA"/>。主に[[アニメ (日本のアニメーション作品)|アニメ]]、[[ゲーム]]、[[コマーシャルメッセージ|CM]]、[[ドラマ]]、[[映画]]の音楽を手掛けている。[https://meow.diamonds/ Meow on the Bridge](音楽事務所)、Captain Duckling Records(音楽レーベル)所属。本名は'''菅野 洋子'''(読みは同じ)。[[チェリスト]]の[[溝口肇]]は元夫にあたる。
即興ピアニスト・作曲家の菅野洋子<ref>[http://www.kilie.com/yoko/ ピアノセラピスト 菅野洋子・yoko kanno]</ref>とは[[同姓同名]]であるうえ宮城県出身、[[早稲田大学]]出身という経歴も似ているが別人である。
== 来歴 ==
音楽との出会いは2歳の頃、親戚の家にあったピアノの前から離れない娘を見て、親がピアノを買ってくれた<ref name="AERA"/>。幼い頃から言葉で話すよりも音で表現するほうが楽だったといい<ref name="KM0803">「匠の履歴書 第15回 菅野よう子」『キーボードマガジン 2008年3月号』、リットーミュージック、2008年。</ref>、頭に浮かぶことをメロディにして遊んでいた。小学校時代は数々のコンクールで優勝し、1974年にヤマハ・ジュニア・オリジナル・コンサート(JOC)全国大会で川上賞を受賞する<ref>"[http://www.yamaha-mf.or.jp/history/e-history/ijoc/ijoc3.html 3rd ヤマハ・ジュニア・オリジナル・コンサート'74]". ヤマハ音楽振興会. 2017年7月1日閲覧</ref>。ヤマハ・ジュニア・オリジナル・コンサートの作曲コンクールの審査員をしていた[[芥川也寸志]]からアドバイスをもらう<ref>[http://www.redbullmusicacademy.jp/jp/magazine/yoko-kanno-interview INTERVIEW: 菅野よう子 - Red Bull Music Academy Japan]</ref>。{{要出典範囲|また、知遇を得て芥川也寸志、[[安川加寿子]]にごく短い一時期作曲、ピアノを師事|date=2018年1月}}。ただし、音楽理論については先生について学んだというよりは、ほぼスタジオ現場で独学で身に付けた<ref>「INTERVIEW 菅野よう子」『Keyboard magazine 1999年8月号』、リットーミュージック、1999年、37頁。</ref>。
中学校から[[宮城県仙台向山高等学校|仙台向山高校]]<ref>"[http://mukaiyama.myswan.ne.jp/news_h25_art_appreciation.html 平成25年度芸術鑑賞会]". 宮城県仙台向山高等学校.(2013年)2017年7月5日閲覧。</ref>にかけては[[吹奏楽]]部に所属し、いろいろな楽器の編曲を楽しむ<ref name="KM0803"/>。当時は文学少女で、小説家になろうと[[早稲田大学第一文学部]]に進学するが<ref name="RBMA">"[http://www.redbullmusicacademy.jp/jp/magazine/yoko-kanno-interview INTERVIEW: 菅野よう子]". RED BULL MUSIC ACADEMY. 2017年7月3日閲覧。</ref>、入部した軽音楽サークルのOBの伝手で音楽業界の仕事に関わり始める。
[[1985年]]に光栄(現[[コーエーテクモゲームス]])の歴史[[シミュレーションゲーム]]『[[三國志 (ゲーム)|三國志]]』の音楽を手がけて作曲家デビュー<ref name="AERA"/>。以後、光栄のゲームでは「[[信長の野望シリーズ]]」や「[[大航海時代シリーズ]]」なども担当する。[[1986年]]にはバンド「[[てつ100%]]」の[[キーボード (楽器)|キーボード]]奏者としてレコードデビューし、同時期にはアルバイトで[[おニャン子クラブ]]のバックバンドにも参加した。バンド解散後は演奏家としてレコーディングやライブに参加し、作曲家として[[今井美樹]]、[[小泉今日子]]、[[SMAP]]などの歌手への楽曲提供・プロデュースを行う。
[[1991年]]より[[広告]]業界で多数の[[コマーシャルソング|CMソング]]を作曲。手がけた作品は1000曲を超え「CMソングの女王」という呼び名もある<ref name="AERA"/>。[[1998年]]にはCM音楽賞の最高峰ともいえる[[三木鶏郎]]広告音楽賞を受賞した<ref>"[http://www.cosmo-oil.co.jp/tvcm/seeds_of_life/index.html コスモ石油 オリジナルテーマソング「seeds of life」について]". コスモ石油. 2013年1月2日閲覧。</ref>。映画監督の[[中島哲也]]や[[石川寛]]とはこの分野で知り合い、テレビドラマや映画の音楽を担当している。
[[1994年]]の『[[マクロスプラス]]』よりアニメの[[サウンドトラック]](劇伴)制作を担当。アニメ監督の[[河森正治]]や[[渡辺信一郎 (アニメ監督)|渡辺信一郎]]とは以後の作品でもコンビを組むことになる。[[日本ゴールドディスク大賞]](アニメアルバム部門)を受賞した『[[カウボーイビバップ]]』ほか『[[∀ガンダム]]』、『[[攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX]]』などの音楽を担当し、『[[創聖のアクエリオン (曲)|創聖のアクエリオン]]』『[[マクロスF]]』などのシングル・アルバムヒットも生む。また、声優の[[坂本真綾]]を9年間にわたり、音楽面でプロデュースした。
[[2011年]]3月11日の[[東北地方太平洋沖地震]]では出身地の宮城県が被災地となったが、発生翌日に応援ソング「きみでいて ぶじでいて」を[[YouTube]]上で公開し反響を呼んだ<ref>"[https://www.cinematoday.jp/news/N0031076 『マクロスF』菅野よう子による被災地応援ソングがYouTubeで24時間約30万アクセスの大反響]". シネマトゥデイ.(2011年3月16日)2012年12月26日閲覧。</ref>。同年の[[第62回NHK紅白歌合戦]]では[[主題歌|オープニングテーマ]]「1231」を担当<ref>{{Cite news|date=2011-12-26|url=https://www.oricon.co.jp/news/2005156/full/?id=TOP1|title=【紅白】菅野よう子がオープニングテーマ書き下ろし|newspaper=ORICON STYLE|publisher=[[オリコン]]|accessdate=2011-12-27}}</ref>。[[2012年]]には[[NHK東日本大震災プロジェクト]]のテーマソング「[[花は咲く]]」を作曲、同年の[[第63回NHK紅白歌合戦]]ではコーラス指揮と審査員を担当<ref>"[https://natalie.mu/music/news/81666 紅白で菅野よう子+辻井伸行+東北タレントが復興ソング]". ナタリー.(2012年12月16日)2012年12月26日閲覧。</ref>。その後も[[日本放送協会|NHK]]関連の仕事が続き、[[連続テレビ小説]]『[[ごちそうさん (2013年のテレビドラマ)|ごちそうさん]]』、[[大河ドラマ]]『[[おんな城主 直虎]]』の音楽を担当する{{Refnest|group="注"|両作品とも脚本家の[[森下佳子]]、NHKの岡本幸江プロデューサーと組んでいる<ref>{{Cite news |title=柴咲コウ主演『おんな城主 直虎』ポスター完成 音楽は菅野よう子|url=https://www.oricon.co.jp/news/2081564/full/ |newspaper=ORICON NEWS |date=2016-11-16 |accessdate=2017-07-01}}</ref>}}。
== 年表 ==
* 1963年<ref name="AERA"/> - 宮城県仙台市で生まれる。父は[[日本文学]]の研究家、母は元看護婦、兄弟は5歳上の兄がいる。
* 1967年 - 近所のピアノ教室に通い始める。中学生クラスに入るが、教師から「もっと子供らしい曲を作りなさい」と言われる<ref name="MM0907"/>。
* 1974年 - ヤマハ・ジュニア・オリジナル・コンサート全国大会で川上賞を受賞。
* 1982年<ref name="AERA"/> - 早稲田大学入学。すぐに軽音楽サークルでアマチュア活動を始め、大学には1週間しか行っていない<ref name="MM0907"/>。
* 1985年 - PCゲーム『[[三國志 (ゲーム)|三國志]]』の音楽で職業作曲家デビュー。てつ100%のキーボードを担当し、第30回[[ヤマハポピュラーソングコンテスト]]で優秀曲賞を受賞<ref>"[http://www.yamaha-mf.or.jp/history/e-history/popcon/pop30.html 第30回 ポピュラーソングコンテスト]". ヤマハ音楽振興会. 2017年7月1日閲覧。</ref>。
* 1986年 - てつ100%のメンバーとして[[ソニー・ミュージックレコーズ|CBSソニー]]からメジャーデビュー。1989年まで活動し、菅野は作編曲も担当。
* 1991年<ref name="AERA"/> - 音楽制作会社GRAND FUNKの金橋豊彦代表に誘われ、広告音楽の仕事を始める。
* 1994年 - OVA『マクロスプラス』の音楽を制作。[[イスラエル・フィルハーモニー管弦楽団]]と自身初の海外録音。
* 1995年 - 今井美樹のアルバム『[[Love Of My Life]]』およびコンサートの音楽プロデュース。それをきっかけに知り合った作詞家[[岩里祐穂]]と、「今井美樹に似た声の」(菅野)声優[[坂本真綾]]の歌手プロデュースを手掛けるようになる。
* 1996年 - 『僕は勉強ができない』(山本泰彦監督作)より実写映画の音楽を手がける。
* 1998年 - [[Crystal Kay]]に提供した「Eternal Memories」(サントリービタミンウォーターCMソング)にて三木鶏郎広告音楽賞を受賞。
* 1999年 - 『COWBOY BEBOP オリジナルサウンドトラック』が日本ゴールドディスク大賞アニメーション・アルバム・オブ・ザ・イヤーを受賞。
* 2003年 - 『攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX』にて[[東京アニメアワード]]音楽賞を受賞。2013年までに計5回受賞。
* 2007年 - [[AKINO (歌手)|AKINO from bless4]]に提供した「[[創聖のアクエリオン (曲)|創聖のアクエリオン]]」(2005年)がCMソングとしてヒット。[[大韓民国]]で初の海外公演を行う。
* 2009年 - 7月7日に親しい音楽家たちを集め、[[さいたまスーパーアリーナ]]で「超時空七夕ソニック」を開催。最後に「[[#Gabriela Robin|Gabriela Robin]](ガブリエラ・ロビン)」として1曲歌う。
* 2012年 - NHK東日本大震災プロジェクトテーマソング「花は咲く」を作曲。
* 2013年 - NHK連続テレビ小説『ごちそうさん』の音楽を担当。アメリカ・ボルチモアで開催されたイベント「Otakon 2013」に参加し、プロジェクト「piano me」によるライブパフォーマンスを披露<ref name="natalie20130805">{{Cite web|和書|url=https://natalie.mu/music/news/96518|title=菅野よう子、ピアノの新表現に挑戦「piano me」初ライブ|accessdate=2013年8月5日|publisher=音楽ナタリー}}</ref>。プロジェクトに[[真鍋大度]]、zAk([[相対性理論 (バンド)|相対性理論]])などが参加<ref name="natalie20130805" />。同年12月中国の[[北京大学]]と[[明治大学]]が連携して開催した「第5回日本マンガ・アニメ文化先端講座」でゲスト講師を担当<ref>{{Cite news |title=北京大学で「日本マンガ・アニメ文化先端講座」を開催|url=https://www.meiji.ac.jp/nippon/info/2013/6t5h7p00000glslf.html |newspaper= |date=2014-1-22 |accessdate=2014-01-22}}</ref>。
* 2017年 - NHK大河ドラマ『おんな城主 直虎』の音楽を担当。本人認証した楽譜の販売サイト[https://meow.diamonds/ja/ Meow on the Bridge]が開設。
* 2018年 - 米国[[アカデミー賞]]を主催する[[映画芸術科学アカデミー]]の会員の一人として招待される<ref>{{Cite news |title=米国アカデミー賞 新会員に細田守、片渕須直、新海誠の3監督、菅野よう子らが挙がる|url=http://animationbusiness.info/archives/5779 |newspaper=アニメーションビジネス・ジャーナル |date=2018-6-29 |accessdate=2018-6-29}}</ref>。
* 2019年 - [[フライングドッグ]]10周年記念ライブ「[[犬フェス!|犬フェス!]]」出演をインフルエンザ発症のためキャンセル<ref>{{Cite web|和書|url=https://natalie.mu/music/news/318480|title=菅野よう子、インフルエンザで本日の「犬フェス!」出演キャンセル|accessdate=2019年2月2日|publisher=音楽ナタリー}}</ref>。同年11月「[[天皇陛下御即位をお祝いする国民祭典]]」にて奉祝曲『Ray of Water』を作曲、演奏を指揮<ref>{{Cite news |title=嵐、天皇陛下即位を祝う『国民祭典』で奉祝曲歌唱へ 櫻井翔「大変畏れ多く、身に余るお話」 |url=https://www.oricon.co.jp/news/2145090/full/?utm_source=Twitter&utm_medium=social&ref_cd=jstw003 |newspaper=ORICON NEWS |date=2019-09-24 |accessdate=2019-09-24}}</ref>。
*2020年 - [[新型コロナウイルス感染症]]による外出自粛期間にシートベルツのオンライン演奏企画「Session Starducks」を開催。7月7日、「オンライン七夕まつり」を開催。
*2021年 - 11月に米[[ロサンゼルス]]で行われる[[Netflix|実写版ドラマ]]『[[カウボーイビバップ (テレビドラマ)|カウボーイビバップ]]』のプレミアイベントに参加。
*2022年 - 公式サイトとTwitterアカウントを開設。Twitterに関しては「地球でお留守番の秘書Bがツイート」としている。
*2023年 - [[NHK総合テレビジョン|NHK総合テレビ]]「[[うたコン]]」1月31日放送回に生出演。[[May'n]]・[[中島愛]]とともにマクロスF主題歌『[[ライオン (May'n/中島愛の曲)|ライオン]]』を披露した<ref>{{Cite web|和書|title=1月31日「うたコン」May'n × 中島愛 × 菅野よう子が出演! マクロスの人気曲「ライオン」を披露! |url=https://www.nhk.or.jp/music/utacon/478773.html |website=NHK |date=2023-01-26 |accessdate=2023-02-01}}</ref><ref>{{Cite tweet|author=NHK MUSIC |user=nhk_musicjp |title=TV初!3人そろっての「#ライオン」パフォーマンス #mayn #中島愛 #菅野よう子 からメッセージをいただきました |number=1620605031463505920 |date=2023-01-31 |accessdate=2023-02-01}}</ref>。
== 特徴 ==
[[クラシック音楽|クラシック]]から[[民族音楽]]、[[ロック (音楽)|ロック]]、[[テクノ・ミュージック|テクノ]]、[[アイドル歌謡曲|アイドルポップ]]まで、古今東西の多様な音楽ジャンルの要素を巧みに取り入れる。[[渡辺信一郎 (アニメ監督)|渡辺信一郎]]は初めてデモテープを聴いたとき「本当にひとりの人が作ってるの?」と驚き<ref>「渡辺信一郎インタビュー」『コンティニュー Vol.46』、94頁。</ref>、初対面での愛らしい印象とのギャップから、[[ゴーストライター]]がいるのではないかといぶかしがった<ref>{{Cite web |title=Shinichiro Watanabe On Making ‘Cowboy Bebop’ And What He Thinks Of The Live-Action Adaptation |url=https://www.forbes.com/sites/olliebarder/2023/01/26/shinichiro-watanabe-on-making-cowboy-bebop-and-what-he-thinks-of-the-live-action-adaptation/?sh=415c3d733945 |website=Forbes |author=Ollie Barder |date=2023-01-26 |accessdate=2023-02-01}}</ref>。<!-- 出典不明 [[富野由悠季]]も「これが一人の女性の仕事なのか?」と同様の発言をした。-->本人にはジャンルや自分の音楽性という意識はなく、「作品が最初から持っている音を掘り出しているみたいな感覚です」と語っている<ref>宗像明将「菅野よう子の世界」『アニソンマガジン Vol.2』洋泉社、2009年、37頁。</ref>。器用貧乏と言われ傷ついた事もあるというが、「器用貧乏も10年続けるとゴールデン器用(または金の小手先)に変わる」と語っている<ref>{{Cite web|和書|url=http://www2u.biglobe.ne.jp/~gaspard/artist/watanabe/pr/index.html|title=アーティストPR 渡辺等|last=edition GASPARD, inc.|date=2002年|accessdate=2008-08-08|author=last=edition GASPARD, inc.}}</ref>。尊敬する音楽家として、[[現代音楽]]から[[ポピュラー音楽|ポップス]]まで作曲した[[武満徹]]の名を挙げている<ref name="bounce"/><ref>「インタビュー 菅野よう子」『[[日経エンタテインメント!]]』2008年11月号、日経BP、2008年、150頁。</ref>{{refn|group=注|武満が作曲した歌謡曲の録音現場にピアノ奏者として参加し、1度だけ本人に会ったことがある<ref>「菅野よう子辞典」『ユリイカ 詩と批評 8月号(通巻569号)』、青土社、2009年、182頁。</ref>。}}。
嗜好として、[[ジャズ]]や[[テクノ (ダンスミュージック)|テクノ]]のような「曲調が長くて段取りやリズムが決まっているように聴こえるもの」は途中で飽きてしまうので性に合わない<ref>「FlyingDog特集」『別冊オトナアニメ オトナアニメ年鑑2013』、161頁。</ref><ref>"[http://www.hotexpress.co.jp/special/kanno_special/kannoyoko_article02.html#official 菅野よう子 スペシャルインタビュー Vol.1 PAGE2]". ホットエキスプレス.(2008年) 2013年1月2日閲覧。</ref>。作曲する時には聴く人を飽きさせないよう工夫を盛りこむため、楽曲に濃い(高カロリー、ファットな)傾向があると自己分析している<ref>「FlyingDog特集」『オトナアニメ年鑑 2013』、163頁。</ref>。[[ディスコ (音楽)|クラブミュージック]]に見られる繰り返しの多いミニマルな展開や、キックの[[4つ打ち]]もあまり好きではなく、『Cowboy Bebop remixes music for freelance』の[[リミックス|リミキサー]]の選定をしていた渡辺や[[佐藤大]]に対して「これは音楽じゃない」「マシンが鳴っているだけで気持ち悪い」と言い、2人から大量のクラブミュージックのレコードを聞かされたという<ref name="Eurekap5960">佐藤大「かわいくて男気溢れるミューズ」『ユリイカ 詩と批評 特集 菅野よう子』、59-60頁。</ref>。その後、佐藤も参加した『[[攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX]]』では作品世界を意識した結果4つ打ちを取り入れている。好きではないジャンルの一番輝くところを掴み出す力について、佐藤は「音楽的[[ツンデレ]]」と評している<ref name="Eurekap5960"/>。
オーケストラの譜面を緻密に構成する一方、途中でいいアイデアが出たら、それまでの作業をあっさり捨てられるような自由自在さを持っている<ref name="AM0906">「菅野よう子 舞台裏のキセキ」『アニメージュ 2009年6月号』徳間書店、2009年、113頁。</ref>。『[[WOLF'S RAIN]]』のサントラでは、東京で録音し完成していたバンド編成のオケを、アメリカのスタジオ作業中にふと聞いた印象で、ボーカルと[[アコースティック・ギター]]一本の弾き語りに差し替えた、とボーカルの[[スティーブ・コンテ]]が語っている<ref>[http://thecontes.com/bioSteve.asp?OldNews=Yes Behind The Music: The Solo Version Of "Could You Bite The Hand?" From Wolf's Rain.] The Contes Official Web Site</ref>。コンテ自身、ジャズギターの学校を卒業しているとはいえ、すでに完成したオケを破棄し、弾き語りに差し替えたことに相当驚いたという。
曲ができる時はテープを再生するように完成した形で頭の中に流れてくるといい、それを「[[カセットテープ]]が落ちてくる」と表現する<ref name="AM0906"/>。打ち合わせ中に、関係者から話を聞きながらその場で作ってしまうことが多い<ref>"市川誠 [http://www.cdjournal.com/main/cdjpush/kanno-yoko/1000000046 菅野よう子が語る『CMようこ』! 広告音楽の面白さとは?]". CDジャーナル.com.(2007年10月9日)2012年1月3日閲覧。</ref>。また、完成した曲を耳で確認しながら、別の曲の譜面を同時に書けるという<ref name="AM0906"/>。
クライアントとの打ち合わせでは、具体的な作品内容よりも依頼者の人物像から「その人が何をして欲しいのか」を感じ取るという<ref>「菅野よう子インタビュー」『コンティニュー Vol.46』、89頁。</ref>。監督との作業について「言葉で言えない"違いの綾"を探りながら、こういうことが言いたかったんだと音で探していくのが好きなんです。翻訳に近い作業だと思います」と語っている<ref name="Mynavi">"[https://news.mynavi.jp/article/20100729-kannoyouko/2 『マクロスF』など1000曲以上を作曲 -音楽家 菅野よう子が語る作曲作法]". マイナビニュース.(2010年7月29日)2012年12月27日閲覧。</ref>。時には発注されていない曲を作って送る事もある。
職業作曲家としてのサウンドトラック制作を表現活動のメインに据えるスタンスのため、多作でありながら個人名義のオリジナルアルバムのリリースには積極的ではない<ref>"[http://www.creators-station.jp/interview/seehim/11350 インタビューあの人に会いたい!Vol.27作曲家菅野よう子氏「頭の中で音色も含めてメロディーが浮かんできてあとはそれを書き留めるだけ」]" クリエイターズステーション(2007年4月25日)</ref>。本人名義だった『Song to fly』も、音楽を担当した簡易フライトシミュレーションゲーム『アースウインズ』のサウンドトラックを同コンセプトの元で肉付けした構成であり、本人も「あれはゲーム音楽」と述べている<ref name="bounce">{{Cite web|和書|url=https://tower.jp/article/series/2005/05/26/100045920 |title=ミュージカル・ジャーニー第5回 - 作曲家菅野よう子という不思議な世界 Part 2|date=2005-05-24|accessdate=2008-08-08|author=bounce.com}}</ref>。他には、代表的なCM音楽をまとめたアルバム『CMようこ』『CMようこ2』をリリースしている。
『[[ブレンパワード]]』の作曲を担当した際、総監督の[[富野由悠季]]から「男性と女性の裏に秘められた、そのレズとかホモとか、そういう危うさも含んだところでの、あの遺伝子の暗躍する感じ」<ref>「G20 volume.9」アスキームック、2000年 </ref>という曲を作るよう注文され、どういうことなのか非常に悩んだというエピソードがある。
作曲以外にも、『[[カウボーイビバップ]]』の「3.14」や『[[オーバン・スターレーサーズ]]』の主題歌「[[Lost in Time|Chance To Shine]]」([[岩里祐穂]]との共作)、『[[おんな城主 直虎]]』の劇中歌「[[柴咲コウ|わたしが竜宮小僧だったとき]]」([[森下佳子]]との共作)など、少数ではあるが作詞も手掛けている。
== 本名以外での活動 ==
=== Gabriela Robin ===
菅野の作品には、作詞家・ボーカルとして''Gabriela Robin''(ガブリエラ・ロビン)という名がしばしばクレジットされている。曲によっては、この歌手の声が明らかに菅野のものであることから、「Gabriela Robinは菅野の変名なのではないか」という推測がなされてきた。作詞者としては比較的文法などから自由な日本語、英語などを駆使して詞を綴る。変わったところではあたかも仏語であるかのように書かれた日本語詞があり([[多田葵]]「Wo qui non coin」)、菅野はこれを[[ハナモゲラ]]と呼んでいる。
通常、コンサートでは[[坂本真綾]]や[[Origa]]が代役を務めていたが、2009年7月7日のコンサート「超時空七夕ソニック」において、初めてGabriela Robinが聴衆の前で歌うことが事前に告知された。コンサートパンフレット『超時空七夕ソニック』の「Interview with Gabriela Robin」の項では、Gabriela Robinの写真として菅野の扮装姿が掲載され、コンサートのラストではRobinの歌唱曲「Moon」(『∀ガンダム』挿入歌)を、菅野自身が歌いあげた。
名前の由来は『マクロスプラス』のサントラ制作で[[イスラエル・フィルハーモニー管弦楽団]]と初めて海外録音した際、当時の[[イスラエルの首相|イスラエル首相]]が[[イツハク・ラビン]]だったため<ref name="nenkan163">「インタビュー 菅野よう子」『オトナアニメ年鑑2013』、洋泉社、2013年、163頁。</ref>。「超時空七夕ソニック」で公表した理由は「深い意味なかったのに隠してることに疲れたから(笑)」とのこと<ref name="nenkan163"/>。
なお、[[シェリル・ノーム]] starring [[May'n]]の配信シングル「ゴ〜〜ジャス」(2017年)は、作詞が'''ROBIN ROBINSON'''(ロビン・ロビンソン)、作編曲が菅野よう子とクレジットされている<ref>"[https://animeanime.jp/article/2017/04/26/33631.html シェリル・ノームの新曲「ゴ~~ジャス」配信スタート 『マクロス』35周年プロジェクトとして復活]". アニメ!アニメ!.(2017年4月26日)2017年7月5日閲覧。</ref>(両者の関係は不明)。
=== SEATBELTS(シートベルツ) ===
菅野のレコーディングに参加する常連ミュージシャンである[[今堀恒雄]](ギター)、[[渡辺等]](ベース)、[[佐野康夫]](ドラム)、[[三沢またろう]](パーカッション)、[[本田雅人]](サックス)らと菅野(キーボード・ピアノ)により編成された[[ブルース]]/[[ジャズ]]バンド。メンバーには「てつ100%」時代からの仲間もいる。「シートベルツ(SEATBELTS)」という名前はタクシーの「[[シートベルト]]をお締めください」という注意書きから思いついた<ref>飯田一史「菅野よう子事典」『ユリイカ 詩と批評 特集 菅野よう子』、177頁。</ref>。
『カウボーイ・ビバップ』ではTHE SEATBELTS名義でOPテーマ「Tank!」やサウンドトラックを演奏。2度のライブを行い、ライブDVD『FUTURE BLUES』(2001年)も発売された。「美人プロデューサー『Y.K』に率いられ宇宙をツアー中」という劇中設定もある。
2009年には「来地球記念盤」と銘打った『[[スペース バイオチャージ]]』を発表し、ワルシャワフィルや国内外アーティストを交えて7月7日に[[さいたまスーパーアリーナ]]で「超時空七夕ソニック 次回公演は22世紀を予定しております」を開催した。
2020年7月7日午後7時7分(日本時間)より有料配信イベント「[https://starducks.me/tanabata/ YOKO KANNO SEATBELTS オンライン七夕まつり]」を開催<ref>{{Cite news |title=菅野よう子率いる「SEATBELTS」、7月7日にオンライン七夕まつり開催 |url=https://anime.eiga.com/news/111474/ |newspaper=アニメハック |date=2020-07-01 |accessdate=2020-07-17}}</ref>。SEATBELTSのメンバーが11年ぶりに集結し、「Tank!」「[[ライオン (May'n/中島愛の曲)|ライオン]]」などのスタジオセッションを行った。
=== Samply Red ===
所属するCM音楽制作会社GRAND FUNKのクリエーターとともに使用する別名義。商品別にCM曲とリミックス集を収録した4枚のシングル([[資生堂]]PERFECT ROUGE、[[久光製薬]]温熱用具、[[サントリー]][[カルピスウォーター]]、[[ホンダ・プレリュード]])をリリースしている。
== 評価 ==
賞歴については後述の「[[#受賞|受賞]]」を参照。
『マクロスプラス』での菅野の仕事を境に、アニメサントラの潮流が変わったとしばしば指摘されている<ref>飯田一史「菅野よう子事典」『ユリイカ 詩と批評 特集 菅野よう子』、191頁。</ref>。[[Elements Garden]]代表の[[上松範康]]は高校生時代に『マクロスプラス』の音楽に出会い、アニメ業界を志したと語っている<ref>「上松範康の友達になりませんか」『月刊ニュータイプ』2012年11月号 角川書店、2012年、185頁。</ref>。日本のアニメソングをカヴァーしている[[ハウス (音楽)|ハウス]]ミュージシャン/プロデューサーの[[ラスマス・フェイバー]]は、10代の頃『マクロスプラス』を知って以来、菅野の大ファンだと述べている<ref>"[https://web.archive.org/web/20090206112219/http://musicshelf.jp/playlist/846207 Rasmus Faber's favourite music from movies 美しい映画音楽への誘い]". musicshelf. 2012年12月27日閲覧。</ref>。
アニメ音楽家の先輩である[[田中公平]]も「彼女の出現以降、日本のアニメがより一層世界中の注目を集めた」と語り、菅野に対して感謝を述べている<ref name="Tanaka100803">田中公平 "[https://ameblo.jp/kenokun/entry-10608676733.html 菅野よう子さんは音楽の女神(5)最終回]". 田中公平のブログ My Quest for Beauty.(2010年8月3日)2012年12月27日閲覧。</ref>。田中は菅野の音楽の変遷について、デビューから1990年代までを「'''センスの時代'''」、2005年頃までを「'''サウンドの時代'''」、それ以降を「'''洗練された下世話の時代'''」と表現する<ref name="Tanaka100803"/>。後輩の[[神前暁]]は「同じアニメ作品にかかわるコンポーザーとして、遥か遠くに見える超えたい壁」と評している<ref>「座談会 菅野よう子を語り尽くそう」『リスアニ! vol.4.1』、ソニーマガジンズ、2011年、126頁。</ref>。
劇伴作曲家の[[澤野弘之]]は、菅野については「いちばん最後に影響を受けたと言える」「こんなにもいろいろなアプローチができる音楽家がいることに衝撃を受ける」などと敬意を示している<ref>{{Cite web|和書|url=https://cho-animedia.jp/article/2019/03/05/11195.html|title=SawanoHiroyuki[nZk]の3rdアルバム『R∃/MEMBER』をリリースー澤野弘之が明かす音楽への想い「歌謡曲と洋楽のいいところが一緒になったら面白い」【インタビュー後編】|accessdate=2019年3月5日|publisher=超!アニメディア}}</ref>。
俳優の[[小栗旬]]は『カウボーイ・ビバップ』の音楽のファンで菅野のCDをすべて持っており、監督としての初作品『[[シュアリー・サムデイ]]』の音楽を菅野に直接依頼した<ref>"[https://news.mynavi.jp/article/20100729-kannoyouko/ 『マクロスF』など1000曲以上を作曲 -音楽家 菅野よう子が語る作曲作法 (1) ]". マイナビニュース.(2012年7月29日)2012年12月27日閲覧。</ref>。
女優の[[長澤まさみ]]は実写映画『[[ハチミツとクローバー]]』から菅野を知り、『[[海街diary (映画)|海街diary]]』の撮影の始まりに[[是枝裕和]]監督に菅野を推薦したこともある<ref>"[https://web.archive.org/web/20150625051539/https://cakes.mu/posts/9825 人は、もう居ない誰かとつながりあって生きている。]". cakes.(2015年6月25日)2017年7月5日閲覧。</ref>。長澤は「五感で作品を記憶させてくれるような菅野さんの映画音楽が大好きで、いつか彼女の音楽が付いた映画に出てみたかったんです」と語っている<ref>『SWITCH Vol.33 No.6 是枝裕和の20年 "海街"へーある家族の物語』、スイッチ・パブリッシング、2015年。</ref>。
[[LUNA SEA]]、[[X JAPAN]]などのギタリスト[[SUGIZO]]は菅野の「10年来の大ファン」と称し、菅野との仕事に関しては「(彼女の)ヴィジョンが常にはっきりしてる」「一緒にやっているとこっちも引っ張られて全てのリスポンスが速くなる」と語っている<ref>{{Cite book|title=YMMプレイヤー 2019年 01月号 『SUGIZO×KenKen スペシャル対談』|date=2018年12月1日|year=2018|publisher=プレイヤー・コーポレーション}}</ref>。[[Perfume]]の[[大本彩乃]]はアニメ『[[坂道のアポロン]]』が好きで、音楽担当の菅野については他の代表作の名を挙げて好感を示し、「菅野よう子とジャズに恋してます」などとコメントしている<ref>{{Cite book|title=anan 2017/04/12[步行、台湾。] 『のっちのイチブ』|date=2017年4月5日|year=2017|publisher=マガジンハウス; 週刊版}}</ref>。
現代ジャズ/フュージョン界の第一人者で、[[グラミー賞|グラミー]]受賞アーティストの[[パット・メセニー]]は自身の[[ザ・ウェイ・アップ|アルバム]]のプロモーションのインタビュー中、前後の脈絡無く唐突に菅野の楽曲に好意的なメッセージを残している<ref>『[[週刊ヤングジャンプ]]』No.11特大号(2005年2月9日発売)内、“音楽特集「パット・メセニー」”</ref>。
歌手の[[ミーカ|MIKA]]は、世界中で一番好きなアレンジャーやプロデューサーとして彼女の名前を挙げている<ref>『[[rockin'on]]』 2007年7月号</ref>。
== 作品 ==
=== アニメ ===
==== 音楽担当 ====
* [[マクロスプラス]]([[1994年]])
* [[マクロスプラス|マクロスプラス MOVIE EDITION]]([[1995年]])
* [[MEMORIES (映画)|MEMORIES - 『彼女の想いで』]](1995年)
* [[天空のエスカフローネ]]([[1996年]]、[[溝口肇]]との共作)
* [[音響生命体ノイズマン]]([[1997年]])
* [[カウボーイビバップ]]([[1998年]])<ref>{{Cite web|和書|url=https://anime.eiga.com/program/102481/|title=カウボーイビバップ : 作品情報|publisher=アニメハック|accessdate=2020-12-03}}</ref>
* [[ブレンパワード]](1998年)
* [[∀ガンダム]]([[1999年]])
* [[天空のエスカフローネ|劇場版エスカフローネ]]([[2000年]])
* [[地球少女アルジュナ]]([[2001年]])
* [[カウボーイビバップ|カウボーイビバップ 天国の扉]](2001年)
* [[∀ガンダム|劇場版∀ガンダム]]([[2002年]])
* [[WOLF'S RAIN]]([[2003年]])<ref>{{Cite web|和書|url=https://anime.eiga.com/program/100226/|title=WOLF'S RAIN : 作品情報|publisher=アニメハック|accessdate=2020-04-21}}</ref>
* [[攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX]](2003年)
* [[攻殻機動隊 S.A.C. 2nd GIG]]([[2004年]])
* [[創聖のアクエリオン]]([[2005年]]、[[保刈久明]]との共作)<ref>{{Cite web|和書|url=https://anime.eiga.com/program/101085/|title=創聖のアクエリオン :作品情報|publisher=アニメハック|accessdate=2020-06-15}}</ref>
* [[攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX Solid State Society]]([[2006年]])
* [[DARKER THAN BLACK -黒の契約者-]]([[2007年]])
* [[創星のアクエリオン]](2007年、保刈久明との共作)<!-- 『星』で正しいので書き直さないように。追記)前後編合わせてこのタイトルなので、サブタイトルは要らない。-->
* [[ジーニアス・パーティ|Genius Party - 『BABY BLUE』]](2007年)<!-- 記事が無いので暫定的に制作会社の記事にリンク-->
* [[創聖のアクエリオン|劇場版アクエリオン]](2007年、保刈久明との共作)
* [[マクロスF]]([[2008年]])
* [[リング・オブ・ガンダム]]([[2009年]])
* [[劇場版 マクロスF|劇場版マクロスF 虚空歌姫〜イツワリノウタヒメ〜]](2009年)
* [[劇場版 マクロスF|劇場版マクロスF 恋離飛翼〜サヨナラノツバサ〜]]([[2011年]])
* [[アクエリオンEVOL]]([[2012年]]、大塚彩子との共作)
* [[坂道のアポロン]](2012年)
* [[残響のテロル]]([[2014年]])
*[[創勢のアクエリオンEVOL]]([[2015年]]、保刈久明、大塚彩子との共作)
*[[劇場短編マクロスF〜時の迷宮〜|劇場短編マクロスF ~時の迷宮~]]([[2021年]])
==== 主題歌・挿入歌 ====
(音楽を担当した作品を除く)
* [[紅の豚]]([[1992年]]) - 「[[時には昔の話を]]」([[加藤登紀子]])編曲
* [[姫ちゃんのリボン]]([[1993年]]) - 「流れ星にのって」([[大谷育江]])作編曲
* [[ぼくの地球を守って]](1993年) - 「時の記憶」(SEIKA)、「金色の時 流れて」「遥かなロンド」([[新居昭乃]])など数曲を作編曲
* [[クリスタニア#はじまりの冒険者たち レジェンド・オブ・クリスタニア(映画)|はじまりの冒険者たち レジェンド・オブ・クリスタニア]]([[1995年]]) - 「遥かな祈り」([[三重野瞳]])作曲
* [[CLAMP学園探偵団]]([[1997年]])- 「[[Gift (坂本真綾の曲)|Gift]]」([[坂本真綾]])作編曲
* [[ロードス島戦記-英雄騎士伝-]]([[1998年]]) - 「[[奇跡の海 (曲)|奇跡の海]]」(坂本真綾)作編曲
* [[マクロス ダイナマイト7]](1998年) - 「ANGEL VOICE」([[Fire Bomber|熱気バサラ]])作編曲<!-- 熱気バサラ名義だが、ディスコグラフィー等の音楽的説明はFIRE BOMBERの記事にのみあるのでそちらにリンクする。-->
* [[カードキャプターさくら]]([[1999年]]) - 「[[プラチナ (坂本真綾の曲)|プラチナ]]」(坂本真綾)作編曲
* [[地球防衛企業ダイ・ガード]](1999年) - 「走れ走れ」([[遠藤響子]])編曲、「星の木馬」([[新居昭乃]])作編曲
* [[人狼 JIN-ROH]]([[2000年]]) - 「grace Jinroh-Main Theme-omega」(Gabriela Robin名義)作詞・ボーカル
* [[ラーゼフォン]]([[2002年]]) - 「[[ヘミソフィア]]」(坂本真綾)作編曲
* [[ラーゼフォン 多元変奏曲]]([[2003年]]) - 「[[tune the rainbow]]」(坂本真綾)作編曲
* [[オーバン・スターレーサーズ]]([[2006年]]) - 「Chance To Shine」([[AKINO (歌手)|AKINO]])、「笑ってた」(スコシ)作編曲
* [[コードギアス 亡国のアキト]] (第1章 - 第3章)([[2012年]]) - 「[[モアザンワーズ]]」(坂本真綾)作編曲
* [[スペース☆ダンディ]]([[2014年]]) - 「[[X次元へようこそ/絶対ムッシュ制|X次元へようこそ]]」([[やくしまるえつこ]])編曲、「知りたい」([[泉まくら]])作曲、BGM数曲を作編曲
* [[アクエリオンロゴス]]([[2015年]]) - 「[[ヤマイダレdarlin']]」「[[夜明けのロゴス]]」([[May'n]])作編曲
* [[コードギアス 亡国のアキト]] (第4章 、最終章)(2015年)- 「アルコ」(坂本真綾)作編曲
* [[SPY×FAMILY|SPY×FAMILY Season 2]]([[2023年]]) - 「クラクラ」([[Ado]])菅野よう子×SEATBELTS名義で編曲、詞曲は[[meiyo]]
<!-- 音楽担当作品とは別に楽曲提供した作品「のみ」を記述する。-->
==== 声優として参加 ====
* [[Genius Party Beyond]] 『次元爆弾』([[2008年]]) - クウ役
=== ゲーム ===
* [[三國志 (ゲーム)|三國志]]([[1985年]])
** 「[[三國志X]]」では「三國志」からの四曲がオーケストラアレンジされて使用されている。
* [[信長の野望シリーズ]]
** [[信長の野望・全国版|全国版]]([[1986年]])
** [[信長の野望・戦国群雄伝|戦国群雄伝]]([[1988年]])
** [[信長の野望・武将風雲録|武将風雲録]]([[1990年]])
** [[信長の野望・覇王伝|覇王伝]]([[1992年]])
** [[信長の野望・天翔記|天翔記]]([[1994年]])
*** 「[[信長の野望・天下創世|天下創世]]」以降のシリーズでも、「OVERTURE 〜信長の野望〜」(全国版より)がプレオープニング曲として使用されている。
*** 同シリーズの第14作「[[信長の野望・創造]]」のテーマソング「Shine -未来へかざす火のように-」は、ボーカルを務める[[平原綾香]]が「OVERTURE 〜信長の野望〜」をモチーフに創った楽曲。
* [[蒼き狼と白き牝鹿・ジンギスカン]]([[1987年]])
* [[維新の嵐]]([[1988年]])
* [[大航海時代シリーズ]]
** [[大航海時代 (ゲーム)|大航海時代]]([[1990年]])
** [[大航海時代II]]([[1993年]])
* アースウインズ([[1997年]])
* [[マクロスプラス|マクロスプラス -GAME EDITION-]]([[2000年]])
* [[ナップルテール]](2000年)
* [[カウボーイビバップ 追憶の夜曲]]([[2005年]])
* [[ラグナロクオンラインII]] ([[2007年]])<!-- 下のcherryに記載(ゲームの音楽担当は井筒昭雄)-->
* MONSTER UNIVERSE(2023年)
=== 実写映画 ===
* [[ぼくは勉強ができない]]([[1996年]])
* 夏時間の大人たち([[1997年]])
* Beautiful Sunday([[1998年]])
* [[tokyo.sora]]([[2002年]])
* [[水の女]](2002年)
* [[下妻物語]]([[2004年]])
* [[阿修羅城の瞳]]([[2005年]])
* [[好きだ、]]([[2006年]])
* [[ハチミツとクローバー]](2006年)
* [[ソン・ガンホ|優雅な世界]]([[2007年]])
* [[シュアリー・サムデイ]]([[2010年]])
* [[ペタル ダンス]]([[2013年]])
* [[海街diary (映画)|海街diary]]([[2015年]])
===テレビドラマ===
* [[世にも奇妙な物語|世にも奇妙な物語 - 『ママ新発売』]]([[2001年]])
* [[真夜中は別の顔]]([[2002年]]) - 23時の音楽(kanno yoko feat.sakamoto maaya)
* [[X'smap〜虎とライオンと五人の男〜]]([[2004年]])
* [[父に奏でるメロディー]]([[2006年]])
* [[蒼井優×4つの嘘 カムフラージュ|蒼井優×4つの嘘 カムフラージュ - 第1章「人生って嘘みたい」]]([[2008年]])
* [[風に舞いあがるビニールシート]]([[2009年]])
* [[ごちそうさん (2013年のテレビドラマ)|ごちそうさん]]([[2013年]])
* [[おんな城主 直虎]]([[2017年]])
* [[あなたのそばで明日が笑う]]([[2021年]])
* [[NetflixオリジナルTV番組の一覧|実写版ドラマ]]『[[カウボーイビバップ (テレビドラマ)|カウボーイビバップ]]』(2021年)
* [[舞妓さんちのまかないさん]]([[2023年]])
<!-- 下のSMAPに記載(ドラマの音楽担当は川井憲次) --><!--* [[さかさまの空]]」([[2012年]]) - 『[[梅ちゃん先生]]』主題歌 -->
=== CM ===
500本以上の楽曲を手がけており、現在でも多くの作品が放映されている。菅野本人は1000本以上とも語っている。ただし数えた事は無いという。採用企業の中で代表的なものを以下に挙げる。
[[コスモ石油]]、[[新日本石油|日本石油]]、[[東京電力]]、[[東京地下鉄|東京メトロ]]、[[シャープ]]、[[マイクロソフト]]、[[カシオ計算機|カシオ]]、[[パイオニア]]、[[日立製作所]]、[[富士通]]、[[富士ゼロックス]]、[[富士フイルム]]、[[キヤノン]]、[[インテル]]、[[トヨタ自動車]]、[[日産自動車]]、[[本田技研工業]]、[[富士重工]]、[[ヤマハ発動機]]、[[ダイムラー (自動車メーカー)|ダイムラー・クライスラー]]、[[日本IBM]]、[[アサヒビール]]、[[麒麟麦酒|キリンビール]]、[[キリンビバレッジ]]、[[サッポロビール]]、[[サントリー]]、[[コカコーラ]]、[[資生堂]]、[[ポーラ (企業)|ポーラ化粧品]]、[[カネボウ化粧品|カネボウ]]、[[コーセー]]、[[みずほ銀行]]、[[三菱東京UFJ銀行|UFJ銀行]]、[[森永製菓]]、[[明治製菓]]、[[江崎グリコ|グリコ]]、[[ソフトバンクモバイル|J-PHONE→ボーダフォン]]、[[NTT DoCoMo]]、[[KDDI]]、[[ほっともっと]]、[[宮城テレビ放送|ミヤギテレビ]]、[[東海旅客鉄道|JR東海]]、[[東日本旅客鉄道|JR東日本]]、[[ユニクロ]]、[[Google]]、[[DeNA]]、[[小田急電鉄]]、[[パナソニック]]、[[ペプシコーラ]]、[[アンファー]]、[[JT]]、[[JTB]]、[[八十二銀行]]、[[積水ハウス]]、[[ソニー]]
=== 個人活動 ===
* Song to fly([[1998年]]) - 10曲中5曲はゲーム『アースウインズ』用の楽曲
* CMようこ([[2007年]]、配信限定。2008年、CDリリース) - オフィシャルテレビCM作品集
* CMようこ2([[2009年]])
* [[スペース バイオチャージ]](2009年)
* 7月のラクエン 〜Extra thanks〜(2009年)- 同年7月に行われた公演「超時空七夕ソニック 次回公演は22世紀を予定しております」で販売された「七夕ソニックチキュウ公演パンフレット」付属CDの収録曲。
* きみでいて ぶじでいて<ref>[http://www.youtube.com/watch?v=O8x6_JHDkhI YouTube - きみでいて ぶじでいて]</ref>([[2011年]][[3月12日]]) - [[東北地方太平洋沖地震]]被災者への応援曲。作詞は[[一倉宏]]。
* 1231([[2011年]]) - [[第62回NHK紅白歌合戦]]オープニングテーマ
* [[花は咲く]]([[2012年]]) - [[NHK東日本大震災プロジェクト]]「明日へ」のテーマソング<ref>[http://www.nhk-book-music.jp/tvother/nhk-17.html 「花は咲く」 東日本大震災復興支援ソング]</ref>。作詞は[[岩井俊二]]。
* Song of departure(2012年)- 同年12月に行われた[[早稲田大学グリークラブ]]第60回定期演奏会にて初演された男声四部合唱組曲。全9曲。
* MERRY SONG([[2013年]])- アートプロジェクト『[[Merry Project|MERRY PROJECT]]』のテーマソング<ref>[http://www.merryproject.com/activity/4825/ MERRY SONG for MERRY PROJECT]</ref>。作詞は[[一倉宏]]。
* ワンピ ([[2015年]])- 2013年の春にユニクロのワンピースのCMで使われた楽曲。2015年10月に配信限定でリリース。
* 奉祝曲 組曲 「Ray of Water」([[2019年]]) - [[令和]]元年11月に[[皇居前広場|皇居前]]で開催された「[[天皇陛下御即位をお祝いする国民祭典]]」で披露された奉祝曲<ref>{{Cite web|和書|url=https://natalie.mu/music/news/348727|title=嵐が天皇陛下の即位を祝う祭典に登場、菅野よう子作曲の奉祝曲を歌唱|accessdate=2019年9月24日|publisher=音楽ナタリー}}</ref>。全三部から成る組曲。
** 第一楽章 「海神」 - オーケストラ演奏。
** 第二楽章 「虹の子ども」 - [[辻井伸行]]によるピアノソロ演奏およびオーケストラの協奏。
** 第三楽章 「Journey to Harmony」 - ピアノやオーケストラの伴奏で[[嵐 (グループ)|嵐]]による歌唱。作詞は[[岡田惠和|岡田恵和]]。シングル「[[カイト (嵐の曲)|カイト]]」(2020年)のカップリング曲として収録。
* [https://starducks.me/ Session Starducks]([[2020年]]) - [[新型コロナウイルス感染症 (2019年)|新型コロナウイルス]]の影響で外出自粛が広がるなか、自宅待機中のファンのために立ち上がったスタジオセッションプロジェクト。該プロジェクトによる「Tank! Virtual Session 2020」、「Don't Bother None 2020」、「Space Lion Virtual Session 2020」、「"Real Folk Blues" for These Days」4曲は同年5月に配信限定でリリース。
* レビュー・アラベスク『シルクロード~盗賊と宝石~』([[2021年]])- 同年1月より上演される[[宝塚歌劇団]][[雪組 (宝塚歌劇)|雪組]]・[[望海風斗]]と[[真彩希帆]]の退団公演に楽曲提供<ref>{{Cite web|和書|title=菅野よう子、宝塚歌劇雪組の公演に楽曲提供|url=https://natalie.mu/music/news/403249|website=音楽ナタリー|accessdate=2021-01-04}}</ref>。作と演出は[[生田大和]]が担当。
* 水上ショー『アオと夜の虹のパレード』([[2025年]])- 同年4月に開幕する「[[2025年日本国際博覧会|2025年日本国際博覧会」]]に上演される水上ショーの音楽を担当。
=== その他 ===
* [[おニャン子クラブ]] - コンサート「卒業記念 1987 おニャン子クラブSPRINGコンサート "おニャン子Sailing夢工場"」(1987年)にキーボードで出演。同年にライブ・アルバム『[[おニャン子Sailing夢工場'87LIVE]]』が発売。
* [[門あさ美]] - アルバム『[[La Fleur Bleue]]』(1988年)にキーボードで参加。
* [[佐藤博 (ミュージシャン)|佐藤博]] - アルバム『アクア』(1988年)にキーボードで参加。ミュージック・スクエア(テレビ東京・1988年)にキーボードで出演。
* [[吉野千代乃]] - アルバム『Montage』(1988年)、『Song Bird』(1989年)、『Melanger』(1990年)に楽曲提供。
* [[溝口肇]] - アルバム『PRECIOUS』(1989年)、『日曜日の印象』(1992年)、『Aqua Color in Paris』(1995年)、『Far East~世界の車窓から~』(1998年)、『Eternal Flame』(1999年)、『Angel』(2001年)、『世界の車窓から Next Journey』(2004年)に演奏やボーカルなどで参加。他には溝口が手かけたいろんなテレビドラマのサントラに演奏で参加。
* [[中島啓江]] - アルバム『KEIKO NAKAJIMA』(1990年)に4曲提供。
* [[遊佐未森]] - 渋谷パルコ劇場で行われた「6Episodes」コンサート(1990年)において、ヴァイオリニスト[[中西俊博]]をコンサートマスターとして編成された中西俊博室内管弦楽団にピアノで参加。
* [[中西俊博]] - シングル「スキット・エクスプレス」(1991年)、アルバム『In The Pocket』(1990年)、『Walkin' in Paris』(1991年)、『You Make Me Blue』『Sailling On Strings』(1992年)、『Flappers and Philosophers』(1993年)、『TV Select』(1994)、『Fiddling in my nest』(1995年)にピアノや編曲などで参加。1990年の中西のコンサートにもピアノ・キーボードで参加している。この数年間、中西のJAZZクラブでのライブにも出現し、生ピアノだけでなく、[[Macintosh]]を[[MIDI]]楽器として併用したパフォーマンスを披露していた。
*[[KARAK (バンド)|KARAK]] - アルバム『Silent days』(1991年)、『flow』(1992年)、『七月の雪』(1998年)にキーボードで参加。
* [[Falcom Sound Team J.D.K.]] - アルバム『PERFECT COLLECTION SORCERIAN』(1991年)にピアノで参加。
* [[藤城清治]] - 影絵画集『天地創造』(1991年)のサウンドトラック『天地創造~藤城清治メルヘンコレクション』楽曲プロデュース。
* [[遠藤響子]] - シングル「祈り」(1992年)ほかを編曲。
* [[米米CLUB]] - 『ICTL no.2/K2C Produce』(1992年、テレビドラマ「[[素顔のままで (テレビドラマ)|素顔のままで]]」サウンドトラック)内の「愛してるのに (Piano Version)」を編曲。
* [[千住明]] - サントラ『[[誰かが彼女を愛してる]]〜And I love her』(1992年)、『[[機動戦士Vガンダム]] SCORE 2』(1993年)、『[[家なき子 (1994年のテレビドラマ)|家なき子]] オリジナルサウンドトラック』(1994年)に演奏で参加。
* [[木村充揮]] - シングル「アイム・ソーリー」(1992年、チオビタドリンクCM曲)を作編曲。
* [[五島良子]] - シングル「白い色は恋人の色」(1993年)を編曲。原曲は[[ベッツィ&クリス]]による同名の曲。
* [[辛島美登里]] - アルバム『Arrangement』(1993年)内の「瞳・元気~都会のひまわり~(インストゥルメンタル)」「赤わいん」2曲を編曲。
* [[須川展也]] - アルバム『ノスタルジア』(1993年)内の「ノスタルジア」「モーニング」を作編曲。アルバム『シシュポスの夢』(1994年)内の「ウィズアウト・ユー」を編曲。
* [[奥井亜紀]] - メジャーデビュー曲「銀のスプーンで」(1993年)を編曲。後に菅野が劇中音楽を担当したテレビアニメ「∀ガンダム」にてエンディングテーマ「月の繭」(2000年)など数曲の歌唱を担当。
* [[雪村いづみ]] - アルバム『[[I'm a Singer]]』(1994年)内の「この道のどこかで」「虹〜Singer〜」の2曲にピアノで参加。
* [[トルヴェール・クヮルテット]] - アルバム『My Favorite Things』(1994年)内の「Strange Grass Hopper」を作編曲。
* [[NHKスペシャル]]「[[中国〜12億人の改革開放]]」- 音楽担当。(1994年)
* [[白鳥由里]] - シングル「あたらしいくつ」(1995年)の作詞・作曲。アルバム『[[Caramel POP]]』(1995年)内の「Child Again」作詞・作曲。
* [[今井美樹]]
** アルバム『[[Love Of My Life]]』(1995年)およびコンサートのサウンドプロデュース、キーボード奏者としてのツアー参加。
** アルバム『[[Thank you (今井美樹のアルバム)|Thank you]]』(1996年)における過去曲リメイク。
** シングル「[[月夜の恋人たち]]」(2000年)のストリングス編曲。
* [[SYMPHONIC LUNA SEA II]](1995年)- 収録曲より「IN MIND」「MOTHER」2曲を編曲。
* [[保刈久明]] - ラジオ・サントラ『[[ぼくのマリー|ぼくマリ]] Radio Attack どんどんぱふぱふしゃんしゃんしゃん』(1995年)に演奏で参加。
* [[小泉今日子]] - シングル「[[オトコのコ オンナのコ]]」(1996年)を編曲。同名アルバムにて2曲作詞、8曲作曲、全曲編曲。中の「for my life」は、1999年に小泉が主演したドラマ「[[恋愛結婚の法則]](ルール)」の主題歌となってシングルとして発売されたが、編曲は[[キハラ龍太郎]]に替わった。
* [[UA (歌手)|UA]]
** 1996年の着物のCMソング「涙目の恋」作編曲。アルバム『PETIT』のデラックスエディション(2016年)に初収録。
** 同じく1996年の着物のTV CM曲「夢で逢いましょう」編曲。原曲はTV番組「[[夢であいましょう]]」主題歌として制作された[[坂本スミ子]]の同名の曲。アルバム『アメトラ』のデラックスエディション(2016年)に初収録。
* [[EPO]] - アルバム『DANCE』(1996)内の「Friends」「いとしなみだ」「海の中で泣いたなら」3曲を編曲。
* [[TBSラジオ|TBSラジオドラマ]]「[[X (漫画)|Xキャラクターファイル]]」(1996年)- サンドトラック『X CHARACTER FILE ORIGINAL SOUNDTRACK』内の「YUZURIHA」「KAREN」「SUBARU」「ARASHI」4曲を作編曲。溝口肇の曲でピアノ演奏。
* [[坂本真綾]] - 楽曲プロデュース(1996年 - 2003年)
<!-- マクロスFは音楽担当に記載 --><!-- **シングル「[[トライアングラー]]」(2008年)を作編曲。-->
** 2010年に[[上海国際博覧会|遣唐使船再現プロジェクト]]テーマソング「美しい人」を作編曲。アルバム『[[You can't catch me]]』(2011年)に収録。
** シングル「[[モアザンワーズ]]」(2012年)のカップリング「デコボコマーチ(隊列は君に続く)」を作編曲。
** アルバム『[[シングルコレクション+ ミツバチ]]』(2012年)内の「猫背」を作編曲。
* [[新居昭乃]] - アルバム『[[そらの庭]]』(1997年)内の「人間の子供」「小鳥の巣」2曲を編曲。ベストアルバム『[[空の森]]』(1997年)をプロデュース。
* [[井上陽水]] - アルバム『九段』(1998年)内の「エンジの雨」を編曲。
* [[Crystal Kay]]
** 1998年のサントリービタミンウォーターのCM曲「Eternal Memories」を作編曲。同年の三木鶏郎広告音楽賞を受賞。1999年7月に同タイトルのデビューシングルとしてリリース。
** [[味の素]]のクノールカップスープのCM曲「Good Morning Sue」を作編曲。3枚目のシングル「こみちの花」(1999)のカップリング曲として収録。
* [[宮本文昭]] - アルバム『オマージュ・オ・ブルー』(2000年)内の4曲にピアノで参加。
* [[錦織健]] - 2003年2月19日に同日発売されたシングル「Per l'eternita」(YOKO KANNO vs.Roman Police Department feat.KEN NISHIKIORI名義)とアルバム『Per l'eternita(永遠に)』(錦織健名義)内のタイトル曲(資生堂[[ピエヌ]]CM曲)を作編曲。
* [[小林桂]] - シングル「流し目プレイ☆」(2003年、資生堂ピエヌCM曲)を作編曲。
*[[山本精一]] - サントラ『[[マインド・ゲーム (アニメーション映画)|マインド・ゲーム]] オリジナル・サウンドトラック』(2004年)内の「RHAPSODY」の編曲およびピアノ演奏を担当。
* [[SMAP]]
** 2004年のドラマ『[[X'smap〜虎とライオンと五人の男〜]]』主題歌「Song of X'smap」を作曲。シングル「[[友だちへ〜Say What You Will〜]]」(2005年)のカップリング。
** アルバム『[[super.modern.artistic.performance]]』(2008年)の「Jazz」作詞・作曲。
** シングル「[[not alone 〜幸せになろうよ〜]]」(2011年)の作編曲。
** シングル「[[さかさまの空]]」(2012年、[[連続テレビ小説]]『[[梅ちゃん先生]]』主題歌)を作編曲。
** アルバム『[[GIFT of SMAP]]』(2012年)内の「gift」作曲。「Theme of gift -prologue-」「Theme of gift -epilogue-」作編曲。
** 2012年の「[[SMAP SHOP]]」限定CD「[[GIFT from SMAP]]」サウンドプロデュース。
** シングル「[[Joy!!]]」(2013年)の編曲。
* [[T.M.Revolution]] - セルフカバーアルバム『[[UNDER:COVER]]』(2006年)内の「[[THUNDERBIRD (T.M.Revolutionの曲)|THUNDERBIRD]]」の編曲。同年に行われた[[日本武道館]]でのライブにゲストピアニストとして出演。
* [[ほぼ日刊イトイ新聞|Say Hello! あのこによろしく。]](2006年) - DVD版音楽プロデュース、サウンドトラックは配信限定。
* [[湯川潮音]] - ミニアルバム『雪のワルツ』([[2007年]])内の「木漏れび」作曲。キヤノンのデジタルビデオカメラのCM曲。
* [[AKINO (歌手)|AKINO from bless4]]
** ファーストアルバム『[[Lost in Time]]』(2007年)の全曲を作編曲。
** アルバム『[[Decennia]]』(2015年)内の「[[君の神話〜アクエリオン第二章]]」を含む6曲を作編曲。
** ベストアルバム『[[your ears,our years|your ears, our years]]』(2021年)内の「[[創聖のアクエリオン (曲)|創聖のアクエリオン]]」を含む14曲を作編曲。
* [[元ちとせ]] - オムニバスアルバム『[[image7]]』(2008年)内の「恵みの雨」を作編曲。[[P&G]]のH&SシャンプーのCM曲。
* [[May'n]]
** アルバム『[[メイン☆ストリート]]』(2009年)内の「May'n☆Space」作曲。
** 2017年3月に[[マクロスシリーズ]]35周年企画の一環として発表された新曲「ゴ~~ジャス」を作編曲。2017年4月に配信限定でリリース。
* [[畠山美由紀]] - プラチナ・ギルド・インターナショナル「サンクスデイズ・プラチナ」CM曲「Timeless」(2009年)を作編曲。ベストアルバム『CHRONICLE 2001-2009』(2009年)に収録。
* [[布施明]] - [[土曜ドラマ (NHK)|NHK土曜ドラマ]]『[[風に舞いあがるビニールシート]]』(2009年)主题歌「i say,"yes"」を作編曲。アルバム『スペシャル ベスト 〜1965-2009〜』(2009年)に収録。
* [[清浦夏実]] - アルバム『[[十九色]]』(2010年)内の「アノネデモネ」を作編曲。
* [[加藤登紀子]]
** シングル「君が生まれたあの日」(2010年)を編曲。
** アルバム『登紀子 旅情歌 -風歌 KAZEUTA』(2012年)内の「風歌 KAZEUTA」を編曲。[[テレビ東京]]のドラマ『[[白虎隊〜敗れざる者たち]]』主題歌。
* [[手嶌葵]] - シングル「Because」(2010年、ネット配信)を作編曲。カップリング曲「a little because」も作編曲。
* [[イラリア・グラツィアーノ|ILA]] - アルバム『Cyber Bicci サイバー・ビッチ』(2011年)の全曲を作編曲。
* [[明坂聡美]] - シングル「明け盤」(2011年)のカップリング曲「けものおと。」を作編曲。
* [[土屋アンナ]] - シングル「[[UNCHAINED GIRL]]」(2011年)内の「Master Blaster」を作曲・プロデュース。ギターは[[MIYAVI]]が担当。オンラインゲーム「C9 (Continent of the Ninth)」のイメージソング。
* [[中島愛]]
** アルバム『[[Be With You (アルバム)|Be With You]]』(2012年)内の「金色〜君を好きになってよかった」を作曲。
** シングル「Good Job!」(2018年)のカップリング曲「ランカと Brand New Peach」を作編曲。『[[歌マクロス スマホDeカルチャー]]』一周年記念曲として使用される。
* [[フリーダ]] - ボディウォッシュ「メルサボン」のCM曲「Petitsavon」(2012年、ネット配信)を作編曲。アルバム(2013)『フォー・ユー・ラブ』日本盤のボーナストラックとして収録。
* エギル・オルセン - 2011年のユニクロCMで使用された楽曲 「She」を作編曲。2013年3月に配信限定でリリース。
* [[鈴木梨央]] - 2013年4月NHK総合にてオンエアされた楽曲「花は咲く【アニメバージョン】」を作編曲。シングル『親と子の「花は咲く」』(2013年)に収録。
* [[イル・ディーヴォ]] - 2013年9月にNHK総合にてオンエアされた楽曲「花は咲く~FLOWERS WILL BLOOM」を作編曲。アルバム『ミュージカル・アフェア』(2013年)に収録。
* [[指田郁也]] - 2014年6月に[[羽生結弦]]が実際に被災した[[アイスリンク仙台]]で披露した「花は咲く」のスペシャルプログラムで使用された曲「花は咲く〜羽生結弦Ver.〜」(2014年、ネット配信)を作編曲。
* [[APOGEE|永野亮]] - 2014年6月に公開された映画『[[果てしなき渇き|渇き]]』の挿入歌「free fall」「free fall reprise」を作曲。他BGM数曲も作編曲。DVD・BDプレミアム・エディション付属のサントラCDに収録。
* [[南壽あさ子]] - 2014年8月に放送された積水ハウスシャーメゾンCMソング「積水ハウスの歌」をリアレンジ。アルバム『Panorama』(2015年)に収録。
* [[高畑充希]] - 2014年9月にNHKの東日本大震災・復興支援キャンペーン「花は咲く 東北に咲く」の一環で制作された5分アニメで使用された曲「花は咲く」(新バージョン)を作編曲。
* [[クラムボン (バンド)|クラムボン]] - シングル「yet」(2015年)のストリングス編曲。同年に行われた[[日本武道館]]でのライブにゲスト指揮として出演。
* [[花は咲くプロジェクト]] - アルバム『ハナハサク』(2015年)全曲を作編曲。これまで菅野自身が編曲を手掛けた「花は咲く」の様々なバッションを収録。
* [[May J.]] - 2015年4月にNHK総合にてオンエアされた楽曲「花は咲く ~大好き♡東北Ver.~」を作編曲。アルバム『Futuristic』(2017年)に収録。この曲に菅野の提案で歌詞の一部を変更した。
* [[私立恵比寿中学]] - 9thシングル「[[スーパーヒーロー (曲)|スーパーヒーロー]]」(2015年)内の「ポンパラ ペコルナ パピヨッタ」を作編曲。
* [[臼澤みさき]] - 2016年1月に「NHK杯フィギュア スペシャルエキシビション」で、[[荒川静香]]・[[鈴木明子]]・[[羽生結弦]]・[[本田武史]]が披露した「花は咲く」のスペシャルプログラムで使用された曲「花は咲く~盛岡2016~」を作編曲。シングル「花は咲く~盛岡2016~」(2016年)に収録。カップリング曲「花は咲く~花は咲グ~」も作編曲。
* [[山寺宏一]]&[[水樹奈々]] - 2016年3月にNHK総合にてオンエアされた楽曲「花は咲く~アニメスター・バージョン」を作編曲。シングル「花は咲く~アニメスター・バージョン」(2016年)に収録。
* [[吉田沙保里]]・[[内村航平]]・[[福原愛]]ほか - 2017年3月にNHK総合にてオンエアされ、[[2016年リオデジャネイロオリンピック|リオデジャネイロオリンピック]]・[[リオデジャネイロパラリンピック|パラリンピック]]に参加したメダリストたち総勢55人が歌う「花は咲く~リオデジャネイロ メダリストバージョン~」を作編曲([[笹路正徳]]と共に編曲)。
* [[関ジャニ∞]] - アルバム『[[ジャム (アルバム)|ジャム]]』(2017年)内の「[[今 (関ジャニ∞の曲)|今]]」を編曲。詞曲はakira nise名義で[[星野源]]が担当。
* [[May'n]]&[[中島愛]]
**2018年1月に[[マクロスシリーズ]]35周年記念で東京スカイツリーとのコラボイベント“マクロス BLUE MOON SHOW CASE IN TOKYO SKYTREE”より発表された新曲「Good Job!」を作編曲。『[[マクロスF]]』のテレビ放送10周年を記念して企画されたシングル「Good Job!」(2018年)に収録。
**シングル「[[時の迷宮]]」(2021年)のカップリング曲「サクリファイス」を作編曲。
* [[CULEN#新しい地図|新しい地図]]([[稲垣吾郎]]・[[草彅剛]]・[[香取慎吾]]) - 2018年3月に[[駒沢オリンピック公園]]で行われたパラスポーツイベント「パラ駅伝 in TOKYO 2018」の開会式で披露された応援チャリティーソング「雨あがりのステップ」を作編曲。同月中に配信限定でリリース。同年6月30日までの売上金額のすべてが寄付され、日本財団パラリンピックサポートセンターを通じてパラスポーツの支援に充てられる。
* [[羽生結弦]]・[[高梨沙羅|髙梨沙羅]]・[[宇野昌磨]]ほか - 2018年6月にNHK総合にてオンエアされ、[[2018年平昌オリンピック|ピョンチャンオリンピック]]・[[平昌パラリンピック|パラリンピック]]に参加したアスリートたち総勢60人が歌う「花は咲く~ピョンチャンバージョン~」を作編曲。
* 怪物舞踏団([[石川さゆり]]・[[SUGIZO]]・[[KenKen]]・DJ RENA・[[にゃんごすたー]])- [[ペプシコーラ]]のブランド「ペプシ Jコーラ」のCMで使用された楽曲「百鬼夜行」(2018年)を作編曲(SUGIZOとの共作)。同年7月に世界245の国と地域で配信される。
* [[EGOIST (音楽グループ)|chelly]] - [[スクウェア・エニックス]]より2018年11月に稼働開始となるアーケードゲーム『[[星と翼のパラドクス]]』の主題歌「星と翼のパラドクス」を作編曲。作詞は[[児玉雨子]]。
* [[上白石萌歌]] - 「〈[[日本放送協会|NHK]]〉2020応援ソング プロジェクト」による応援ソングの新バージョン「[[パプリカ (曲)|パプリカ]]『上白石萌歌』バージョン」を編曲。2018年11月に放送する『[[2018年NHK杯国際フィギュアスケート競技大会|2018 NHK杯国際フィギュアスケート競技大会]]』最終日の特別プログラム「レジェンドオンアイス」で使用される。詞曲は[[米津玄師]]。
* [[石川さゆり]] - アルバム『民~Tami~』(2019年)内の「[[おてもやん]]」「[[島原の子守唄]]」2曲を編曲。
* [[六角精児]]&[[松井玲奈]] - 2019年3月にNHK総合にてオンエアされた楽曲「花は咲く~走れ!サンテツver.~」を作編曲。[[岩手県]]の[[三陸鉄道|三陸鉄道リアス線]]の開通に合わせて制作される。
* [[結城萌子]] - シングル「innocent moon」(2019年)内の「さよなら私の青春」を編曲。詞曲は[[川谷絵音]]。
* [[辻井伸行]] - 令和元年「[[天皇陛下御即位をお祝いする国民祭典]]」で披露された奉祝曲のピアノソロ・バージョン「Ray of Water[piano solo main theme]」を作編曲。2020年3月に配信限定でリリース。
* [[嵐 (グループ)|嵐]] - 嵐と13の賛同企業により2020年9月に始動した共同プロジェクト「HELLO NEW DREAM. PROJECT」の一環となるスペシャルムービーに使われた、デビュー曲「[[A・RA・SHI]]」の特別バージョン「[[A・RA・SHI]] -for dream ver.-」を編曲<ref>{{Cite web|和書|title=嵐 “新”デビュー曲で夢応援 2度目タッグ菅野よう子氏がアレンジ(スポニチアネックス)|url=https://news.yahoo.co.jp/articles/93ca7e61cc0b0b3c7c8d0a64dae187b9f73953b3|website=Yahoo!ニュース|accessdate=2020-11-03|language=ja}}</ref>。同年11月に公開。
* [[西田敏行]]・[[草彅剛]]・[[本郷奏多]]ほか - 2021年1月にNHK総合にてオンエアされた楽曲「花は咲く2021」の編曲およびピアノ演奏を担当。震災から10年に向けて制作されるバージョン。歌詞は出演者の方々が朗読で披露。
* [[ぷらそにか|葉音 -]] NTT東日本グループの企業テーマソングの1つとして使われる楽曲「[https://www.youtube.com/watch?v=Rm17XOjPn0k めぐれ]」を作編曲。2023年4月に配信限定でリリース。
== 受賞 ==
* 広告音楽大賞競技会金賞受賞
* [[三木鶏郎]]広告音楽賞(1998年) - サントリービタミンウォーター
* 第13回[[日本ゴールドディスク大賞]](1999年)アニメーション・アルバム・オブ・ザ・イヤー - COWBOY BEBOP オリジナルサウンドトラック
* [[東京国際アニメフェア|東京アニメアワード]] アニメーション・オブ・ザ・イヤー音楽賞
** 攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX (2003年)
** 攻殻機動隊 S.A.C. 2nd GIG (2004年)
** 劇場版アクエリオン(2008年)
** マクロスF(2009年)
** 坂道のアポロン、アクエリオンEVOL(2013年)
* 2008年度[[JASRAC賞]]銀賞 - [[創聖のアクエリオン (曲)|創聖のアクエリオン]]
* 第8回 大正琴音楽大賞(2014年)- 花は咲く
* [[第39回日本アカデミー賞]](2015年)優秀音楽賞 - 海街diary <ref>{{Cite web|和書|url=https://www.japan-academy-prize.jp/prizes/39.html|title=第39回日本アカデミー賞優秀賞決定! |publisher=日本アカデミー賞公式サイト|accessdate=2016-01-22}}</ref>
* [[平成アニソン大賞]](2019年)作曲賞(1989年 - 1999年) - Tank!<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.anisong-taisho.jp/heisei/ |title=平成アニソン大賞 |work=アニソン大賞 |publisher=[[ソニー・ミュージックエンタテインメント (日本)|ソニー・ミュージックエンタテインメント]] |accessdate=2019-03-08}}</ref>
* [[全日本シーエム放送連盟|ACC TOKYO CREATIVITY AWARDS]](2019年)フィルム部門・サウンドデザイン - 「[[アンファー|スカルプD メディカルミノキ5]]」CMソング「奇跡」
* [[財団法人渡辺音楽文化フォーラムプロデューサー賞渡辺晋賞|渡辺晋賞]](2020年)<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.oricon.co.jp/news/2156423/|title=『第15回 渡辺晋賞』菅野よう子、藤田晋氏らが受賞|accessdate=2020年3月2日|publisher=オリコン}}</ref>
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
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=== 出典 ===
{{Reflist|2}}
== 参考文献 ==
* 『[[キーボード・マガジン]] 1999年8月号』[[リットーミュージック]]、1999年
* 『[[ユリイカ (雑誌)|ユリイカ]] 詩と批評 2009年8月号』[[青土社]]、2009年
* 『[[ミュージック・マガジン]] 2009年7月号』ミュージックマガジン、2009年
* 『[[CONTINUE (雑誌)|CONTINUE]] Vol.46』太田出版、2009年
* 『[[オトナアニメ|別冊オトナアニメ]] オトナアニメ年鑑2013』洋泉社、2012年
* 『週刊[[AERA]] 2013年10月21日号』「現代の肖像 菅野よう子」、朝日新聞社、2013年
==関連項目==
{{commonscat|Yoko Kanno}}
* [[てつ100%]]
== 外部リンク ==
* [https://yokokanno.ch/ YOKO KANNO OFFICIAL](公式サイト)
* [https://meow.diamonds/ja/ Meow on the Bridge: YOKO's shop](本人認証した楽譜の販売サイト)
* {{Twitter|YokoKannoCH|Yoko Kanno Official}}
* {{YouTube|handle = YokoKannoCH|Yoko Kanno & SEATBELS Official}}
* [https://www.jvcmusic.co.jp/flyingdog/-/Artist/A008451.html 菅野よう子]([[フライングドッグ|FlyingDog]]のアーティストページ)
* {{allcinema name|133075}}
* {{kinejun name|128825}}
* {{imdb name|0437819}}
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応用言語学
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応用言語学(おうようげんごがく、英語:applied linguistics)とは、言語と個人・社会に関わる問題を発見し、調査し、解決策を提供する学際的な分野である。理論言語学が「言語の構造」を対象としているのに対し、応用言語学は言語に関する人間行動(=言語行動)をマクロ的に捉えている。 応用言語学に関連する学問分野として、教育学、心理学、人類学、社会学などが挙げられる。
「社会言語学」や「社会心理学」に関連した分野が多い。
など
応用言語学は、欧州および米国を起源とする。米国において応用言語学は、構造言語学からの洞察を先ずは学校教育における英語教授に、次いで第二言語教授および外国語教授に応用するという狭い範囲から始まった。言語教育への言語学の応用的手法は、陸軍専門訓練計画の礎を築いたLeonard Bloomfieldによって、最も精力的に広められた。また、1941年にミシガン大学にて英語語学研究所(English Language Institute, ELI)英語を設立したCharles C. Freisによって、1946年に一学問として認識され、1948年には、ミシガン州の研究会がLanguage Learning: A Journal of Applied Linguistics(言語学習:応用言語学ジャーナル)を発行した。
こうして言語問題への関心を主とすることによって、応用言語学は社会的責任を担う役割を維持し、次第に国際的学問へと急速な発展を遂げた。当初は「言語学を基盤とした原理および実践」と見なされ、少なくとも当該分野の外側からは、「言語学の応用」だと考えられていたが、1950年代後半の生成言語学の出現に伴い、「言語学の対象範囲の狭まりに対抗する動きの一環」として確立された。1960年代になると、「実社会における言語的課題に関わる言語学の学際的研究分野」として独自性を確立し、言語評価論、言語政策、および第二言語習得も含む分野へと拡大してゆく。1970年代には実社会における言語関連問題の解決を含む問題主導の分野になり、1990年代には批判的研究および多言語使用を含むまでに拡大し、最終的には「言語を中心的課題とする実社会上の問題の理論的及び経験的調査」へと移行した。
国際応用言語学会(International Association of Applied Linguistics)は1964年にフランスで設立され、Association Internationale de Linguistique Appliquée(AILA)として知られている。AILAは30カ国以上が加盟している応用言語学界では世界最大の国際学術会議である。
オーストラリアの応用言語学は、母語教育と移民への英語教育の応用言語学を対象としている。オーストラリアの伝統は、イギリスよりも、ヨーロッパ大陸やアメリカの影響を強く受けている。オーストラリア応用言語学会(ALAA)は、1976年8月に開催された応用言語学者の全国大会で設立された。ALAAは、ニュージーランド応用言語学協会(ALANZ)と共同で年1回の年次大会を開催している。
Canadian Association of Applied Linguistics / L'Association canadienne de linguistique appliquée (CAAL/ACLA)は、約200名の会員を擁する二ヶ国語(英語とフランス語)の学術団体である。Canadian Journal of Applied Linguisticsを発行し、年に一度の学会を開催している。
アイルランド応用言語学協会(Irish Association for Applied Linguistics/Cumann na Teangeolaíochta Feidhmí)は1975年に設立された。アイルランド語で「言語」を意味する「Teanga」という雑誌を発行している。
1982年、国際的な規模での活動を行うため、大学英語教育学会(JACET)の中に日本応用言語学会(JAAL)が設立された。1984年には国際応用言語学会(AILA)に加盟した。
ニュージーランド応用言語学協会(ALANZ)は、雑誌『New Zealand Studies in Applied Linguistics』を発行しており、2010年からはオーストラリア応用言語学協会(ALTAANZ)と年に一度の年次会議で協力している。
南部アフリカ応用言語学協会(SAALA)は1980年に設立された。現在、SAALAには『Southern African Linguistics and Applied Language Studies Journal (SAJALS)』を含む4つの出版物がある。
英国応用言語学協会(BAAL)が1967年に設立された。その目的は、「合法的な慈善的手段を用いて、言語使用、言語習得、言語教育の研究を促進し、この研究における学際的な協力を促進することにより、教育の発展を図ること」。BAALは年次大会を主催しているだけでなく、特別利益グループ(SIG)が主催する多くの小規模な大会やイベントも開催している。
アメリカ応用言語学協会(AAAL)は1977年に設立された。AAALは、通常3月または4月に米国またはカナダで年次大会を開催している。
主な分野の雑誌には、『応用言語学年報(Annual Review of Applied Linguistics)』、『応用言語学(Applied Linguistics)』、『国際応用言語学レビュー(International Review of Applied Linguistics)』、『国際応用言語学ジャーナル(International Journal of Applied Linguistics)』、『ヨーロッパ応用言語学ジャーナル』、『言語学習(Language Learning)』、『テッソル季刊誌』などがある。
この応用言語学(言語教育学)を疑問視し、多角的に捉えている学問領域に批判的応用言語学がある。現代言語学はそもそも記述的(現実的)であり、規範的(理想的)な教育と相反するにもかかわらず、言語学理論を言語教育に応用しようとしている応用言語学への批判的議論である。応用言語学の枠組みで言語教育を行うと、学習者は非政治的・非経済的な(言語が本来持っているイデオロギー性を黙殺した)環境で言語を学習することになり、言語帝国主義などを無意識かつ無批判に受け入れる社会を作り出す、という指摘もある。
応用言語学者を参照。
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"text": "英国応用言語学協会(BAAL)が1967年に設立された。その目的は、「合法的な慈善的手段を用いて、言語使用、言語習得、言語教育の研究を促進し、この研究における学際的な協力を促進することにより、教育の発展を図ること」。BAALは年次大会を主催しているだけでなく、特別利益グループ(SIG)が主催する多くの小規模な大会やイベントも開催している。",
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"text": "アメリカ応用言語学協会(AAAL)は1977年に設立された。AAALは、通常3月または4月に米国またはカナダで年次大会を開催している。",
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"text": "主な分野の雑誌には、『応用言語学年報(Annual Review of Applied Linguistics)』、『応用言語学(Applied Linguistics)』、『国際応用言語学レビュー(International Review of Applied Linguistics)』、『国際応用言語学ジャーナル(International Journal of Applied Linguistics)』、『ヨーロッパ応用言語学ジャーナル』、『言語学習(Language Learning)』、『テッソル季刊誌』などがある。",
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"text": "この応用言語学(言語教育学)を疑問視し、多角的に捉えている学問領域に批判的応用言語学がある。現代言語学はそもそも記述的(現実的)であり、規範的(理想的)な教育と相反するにもかかわらず、言語学理論を言語教育に応用しようとしている応用言語学への批判的議論である。応用言語学の枠組みで言語教育を行うと、学習者は非政治的・非経済的な(言語が本来持っているイデオロギー性を黙殺した)環境で言語を学習することになり、言語帝国主義などを無意識かつ無批判に受け入れる社会を作り出す、という指摘もある。",
"title": "批判的応用言語学"
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応用言語学とは、言語と個人・社会に関わる問題を発見し、調査し、解決策を提供する学際的な分野である。理論言語学が「言語の構造」を対象としているのに対し、応用言語学は言語に関する人間行動(=言語行動)をマクロ的に捉えている。 応用言語学に関連する学問分野として、教育学、心理学、人類学、社会学などが挙げられる。
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{{言語学}}
'''応用言語学'''(おうようげんごがく、[[英語]]:applied linguistics)とは、[[言語]]と[[個人]]・[[社会]]に関わる問題を発見し、調査し、解決策を提供する学際的な分野である<ref>筑波大学人類学類応用言語学コースHPより</ref>。[[理論言語学]]が「[[普遍文法|言語の構造]]」を対象としているのに対し、応用言語学は言語に関する人間行動(=[[言語行動]])をマクロ的に捉えている。<ref>日本語教師篠崎大司研究室HPより</ref> 応用言語学に関連する学問分野として、[[教育学]]、[[心理学]]、[[人類学]]、[[社会学]]などが挙げられる。
== 研究分野 ==
「[[社会言語学]]」や「[[社会心理学]]」に関連した分野が多い。
* [[バイリンガリズム]]、[[多言語主義]]
* [[語用論]]
* [[文体論]]
* [[異文化コミュニケーション]]
* [[翻訳学|翻訳通訳論]]
* 言語テストとリサーチ
* [[社会言語学]]
* [[言語政策]]・[[言語計画]]
* [[言語生活]]
* [[第二言語習得研究]]
*[[言語教授法研究]]
* [[談話分析]]
* [[自然言語処理]]・[[機械翻訳]]・[[コーパス言語学]]
* [[辞書学]]([[:en:Lexicography|Lexicography]])
* [[臨床言語学]]([[:en:Clinical linguistics|Clinical linguistics]])
* [[法言語学]]([[:en:Forensic linguistics|Forensic linguistics]])
* [[進化言語学]]([[:en:Evolutionary linguistics|Evolutionary linguistics]])
など
== 歴史 ==
応用言語学は、[[欧州]]および[[米国]]を起源とする。米国において応用言語学は、[[構造言語学]]からの洞察を先ずは[[学校教育]]における英語教授に、次いで第二言語教授および外国語教授に応用するという狭い範囲から始まった。言語教育への言語学の応用的手法は、陸軍専門訓練計画の礎を築いたLeonard Bloomfieldによって、最も精力的に広められた。また、[[1941年]]に[[ミシガン大学]]にて英語語学研究所(English Language Institute, ELI)英語を設立したCharles C. Freisによって、[[1946年]]に一学問として認識され、[[1948年]]には、ミシガン州の研究会がLanguage Learning: A Journal of Applied Linguistics([[言語学習 (雑誌)|言語学習:応用言語学ジャーナル]])を発行した<ref>これは、応用言語学という名称をタイトルに含む最初の定期刊行物となった。</ref>。
こうして言語問題への関心を主とすることによって、応用言語学は社会的責任を担う役割を維持し、次第に国際的学問へと急速な発展を遂げた。当初は「[[言語学]]を基盤とした原理および実践」と見なされ、少なくとも当該分野の外側からは、「言語学の応用」だと考えられていたが、[[1950年代]]後半の[[生成言語学]]の出現に伴い、「言語学の対象範囲の狭まりに対抗する動きの一環」として確立された。[[1960年代]]になると、「実社会における言語的課題に関わる言語学の学際的研究分野」として独自性を確立し、言語評価論、[[言語政策]]、および第二言語習得も含む分野へと拡大してゆく。[[1970年代]]には実社会における言語関連問題の解決を含む問題主導の分野になり、[[1990年代]]には批判的研究および多言語使用を含むまでに拡大し、最終的には「言語を中心的課題とする実社会上の問題の理論的及び経験的調査」へと移行した。
<br />
== 学術団体 ==
[[国際応用言語学会]](International Association of Applied Linguistics)は1964年にフランスで設立され、Association Internationale de Linguistique Appliquée(AILA)として知られている。AILAは30カ国以上が加盟している応用言語学界では世界最大の国際学術会議である。
=== オーストラリア ===
オーストラリアの応用言語学は、母語教育と移民への[[英語教育]]の応用言語学を対象としている。オーストラリアの伝統は、イギリスよりも、ヨーロッパ大陸やアメリカの影響を強く受けている。オーストラリア応用言語学会(ALAA)は、1976年8月に開催された応用言語学者の全国大会で設立された。ALAAは、ニュージーランド応用言語学協会(ALANZ)と共同で年1回の年次大会を開催している。
=== カナダ ===
Canadian Association of Applied Linguistics / L'Association canadienne de linguistique appliquée (CAAL/ACLA)は、約200名の会員を擁する二ヶ国語(英語とフランス語)の学術団体である。Canadian Journal of Applied Linguisticsを発行し、年に一度の学会を開催している。
=== アイルランド ===
アイルランド応用言語学協会(Irish Association for Applied Linguistics/Cumann na Teangeolaíochta Feidhmí)は1975年に設立された。アイルランド語で「言語」を意味する「Teanga」という雑誌を発行している。
=== 日本 ===
1982年、国際的な規模での活動を行うため、大学英語教育学会(JACET)の中に日本応用言語学会(JAAL)が設立された。1984年には国際応用言語学会(AILA)に加盟した。
=== ニュージーランド ===
ニュージーランド応用言語学協会(ALANZ)は、雑誌『New Zealand Studies in Applied Linguistics』を発行しており、2010年からはオーストラリア応用言語学協会(ALTAANZ)と年に一度の年次会議で協力している。
=== 南アフリカ ===
南部アフリカ応用言語学協会(SAALA)は1980年に設立された。現在、SAALAには『Southern African Linguistics and Applied Language Studies Journal (SAJALS)』を含む4つの出版物がある。
=== イギリス ===
英国応用言語学協会(BAAL)が1967年に設立された。その目的は、「合法的な慈善的手段を用いて、言語使用、言語習得、言語教育の研究を促進し、この研究における学際的な協力を促進することにより、教育の発展を図ること」。BAALは年次大会を主催しているだけでなく、特別利益グループ(SIG)が主催する多くの小規模な大会やイベントも開催している。
=== アメリカ ===
アメリカ応用言語学協会(AAAL)は1977年に設立された。AAALは、通常3月または4月に米国またはカナダで年次大会を開催している。
== ジャーナル ==
主な分野の雑誌には、『応用言語学年報(''Annual Review of Applied Linguistics'')』、『[[応用言語学 (雑誌)|応用言語学]](''Applied Linguistics'')』、『国際応用言語学レビュー(''International Review of Applied Linguistics'')』、『国際応用言語学ジャーナル(''International Journal of Applied Linguistics'')』、『ヨーロッパ応用言語学ジャーナル』、『[[言語学習 (雑誌)|言語学習]](''Language Learning'')』、『テッソル季刊誌』などがある。
== 批判的応用言語学 ==
この応用言語学(言語教育学)を疑問視し、多角的に捉えている学問領域に[[批判的応用言語学]]がある。[[言語学|現代言語学]]はそもそも'''記述的'''(現実的)であり、'''規範的'''(理想的)な[[教育]]と相反するにもかかわらず、言語学理論を言語教育に応用しようとしている応用言語学への批判的議論である。応用言語学の枠組みで言語教育を行うと、学習者は非政治的・非経済的な([[言語]]が本来持っている[[イデオロギー]]性を黙殺した)環境で言語を学習することになり、[[言語帝国主義]]などを無意識かつ無批判に受け入れる社会を作り出す、という指摘もある<ref>Pennycook (2001) 、中村 (2004)</ref>。
== 著名な研究者 ==
[[:Category:応用言語学者|応用言語学者]]を参照。
== 脚注 ==
{{Reflist}}
== 参考文献 ==
* Pennycook, Alastair (2001), ''Critical Applied Linguistics'', Lawrence Erlbaum Associates. ISBN 0-8058-3792-2
* 中村 敬 (2004)、『なぜ、「英語」が問題なのか?』、三元社
== 関連文献 ==
* Norton, Bonny & Kelleen Toohey [eds.] (2004), ''Critical Pedagogies and Language Learning'', Cambridge University Press. ISBN 0-521-53522-0
* 山内 進 (2003)、『言語教育学入門』、大修館書店。ISBN 4-469-24489-9
== 関連分野 ==
* [[社会言語学]]
* [[言語人類学]]
* [[言語政治学]]
* [[言語教育学]]
* [[言語#言語の生物学|言語生物学]]
* [[法言語学]]
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