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16,196 |
準特急
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準特急(じゅんとっきゅう)とは、日本の私鉄における列車種別の一つである。2022年12月時点では阪急電鉄のみが運行している。
略称には画像のように、「準特」が用いられている。
1959年に小田急電鉄が、特急と同一の駅に停車するが通常の特急形車両に比べて劣る車両で運行することから初めて設定した。続いて、近畿日本鉄道も1960年に設定し、車両の格差に加えて停車駅を通常の特急よりも多く設定したものの、5か月足らずで特急に統合している。小田急も本格的な特急形車両の増備を行って1963年に特急に統合したため、準特急を運行する事業者は一旦なくなった。
40年近くたった2001年、京王電鉄は、急行と通勤快速の速達化を目的に、特急と急行の中間種別として準特急を設定した。多くの電鉄会社は同等の列車種別として「快速急行」を用い、「準特急」を用いる事例は僅少である。京王が運行する準特急は、使用する車種を制限していない。2022年3月12日のダイヤ改正をもって、京王電鉄は準特急を廃止した。しかし、同年12月17日のダイヤ改正で阪急電鉄は京都本線において着席保証サービスが導入される列車を明確化するため、京都本線と神戸本線で運行していた「快速急行」を「準特急」に改称した。近畿地方(関東地方以外)での「準特急」運行は62年半ぶりとなる。
従来はすべて鉄道(民鉄)での設定であるが、2023年よりバスにも「準特急」が設定される(後述)。
英語表記は各社で異なる。
阪急電鉄では2022年12月17日に行われるダイヤ改正で、神戸本線と京都本線において従来の快速急行に代わり設定された。停車駅は改正前の快速急行と同一とし、京都本線での座席指定サービスの開始を見据えた変更となった。
停車駅は神戸本線では特急停車駅に塚口駅と六甲駅を加えたもの、京都本線では特急停車駅に西院駅と大宮駅を加えたものになっている。
小田急電鉄は、1953年から運行した料金不要の座席定員列車であるサービス急行を格上げし、1959年から1963年まで週末に特急を補完する列車として運転した。のちに設定される近鉄や京王の事例と異なり、停車駅の差異よりも特急用車両の絶対数不足と車内設備の格差によるものであった。新宿駅 - 小田原駅間が無停車で、車両はセミクロスシート車の2320形及び特急から格下げ改造された2300形を使用した。当該車両は、準特急が運行されない平日は料金不要の一般列車に充当されたが、特急にロマンスカーNSE 3100形が導入されてロマンスカーSE 3000形と合わせて増発が可能となり廃止された。
近畿日本鉄道は1960年1月20日のダイヤ変更で、主要駅に停車駅する準特急列車を設定したが、6月15日に種別を特急へ統合して準特急を廃止した。設定当時の準特急は小田急電鉄と同様に、10000系・2250系・6421系・6431系などのやや設備が劣る車両が使用された。
現在の近鉄特急は、旅客案内をはじめ一般に特急の種別を区分していないが、近鉄社内では本列車を「乙特急」、「名阪ノンストップ特急」など始発駅と終着駅間でほとんど停車しない列車を「甲特急」とそれぞれを称し、準特急が運行されていた時代はこれが特急であった。
2001年3月のダイヤ改定で、新宿駅 - 高尾山口駅間を運行していた急行(平日夕方は通勤快速)を速達化する目的で設定され、当時の特急停車駅に加え分倍河原駅・北野駅に停車した。2013年2月のダイヤ改定で高尾線の京王片倉駅・山田駅・狭間駅が停車駅に加わり、高尾線内で下位種別の急行と停車駅に逆転現象が生じた。同時に運転が再開された特急は分倍河原駅と北野駅が停車駅に加わり、京王線内の特急と準特急の停車駅に差異が無くなり、準特急は全列車が高尾山口駅発着となり、京王八王子駅発着の準特急は特急に統合されて消滅した。2015年9月のダイヤ改正で笹塚駅・千歳烏山駅が停車駅に加わり、再び京王線内で特急と停車駅差異が生じ、京王八王子駅発着の列車が復活して同時に相模原線で運転を開始した。2022年3月のダイヤ改正で笹塚駅・千歳烏山駅・京王片倉駅・山田駅・狭間駅が特急停車駅となったことで高尾線内も含め準特急と停車駅の差異が無くなり、特急と統合され廃止された。
2023年4月1日より、中国ハイウェイバスに「準特急」便が設定される予定。夜の大阪駅発津山駅行き2便が対象で、いずれも神姫バスにより運営される。従来の特急便の停車停留所に加えて、泉と福崎インターにも停車する。
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"text": "準特急(じゅんとっきゅう)とは、日本の私鉄における列車種別の一つである。2022年12月時点では阪急電鉄のみが運行している。",
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"text": "小田急電鉄は、1953年から運行した料金不要の座席定員列車であるサービス急行を格上げし、1959年から1963年まで週末に特急を補完する列車として運転した。のちに設定される近鉄や京王の事例と異なり、停車駅の差異よりも特急用車両の絶対数不足と車内設備の格差によるものであった。新宿駅 - 小田原駅間が無停車で、車両はセミクロスシート車の2320形及び特急から格下げ改造された2300形を使用した。当該車両は、準特急が運行されない平日は料金不要の一般列車に充当されたが、特急にロマンスカーNSE 3100形が導入されてロマンスカーSE 3000形と合わせて増発が可能となり廃止された。",
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"text": "2001年3月のダイヤ改定で、新宿駅 - 高尾山口駅間を運行していた急行(平日夕方は通勤快速)を速達化する目的で設定され、当時の特急停車駅に加え分倍河原駅・北野駅に停車した。2013年2月のダイヤ改定で高尾線の京王片倉駅・山田駅・狭間駅が停車駅に加わり、高尾線内で下位種別の急行と停車駅に逆転現象が生じた。同時に運転が再開された特急は分倍河原駅と北野駅が停車駅に加わり、京王線内の特急と準特急の停車駅に差異が無くなり、準特急は全列車が高尾山口駅発着となり、京王八王子駅発着の準特急は特急に統合されて消滅した。2015年9月のダイヤ改正で笹塚駅・千歳烏山駅が停車駅に加わり、再び京王線内で特急と停車駅差異が生じ、京王八王子駅発着の列車が復活して同時に相模原線で運転を開始した。2022年3月のダイヤ改正で笹塚駅・千歳烏山駅・京王片倉駅・山田駅・狭間駅が特急停車駅となったことで高尾線内も含め準特急と停車駅の差異が無くなり、特急と統合され廃止された。",
"title": "過去の運行会社"
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"text": "2023年4月1日より、中国ハイウェイバスに「準特急」便が設定される予定。夜の大阪駅発津山駅行き2便が対象で、いずれも神姫バスにより運営される。従来の特急便の停車停留所に加えて、泉と福崎インターにも停車する。",
"title": "鉄道以外の「準特急」"
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準特急(じゅんとっきゅう)とは、日本の私鉄における列車種別の一つである。2022年12月時点では阪急電鉄のみが運行している。 略称には画像のように、「準特」が用いられている。
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{{混同|特別準急}}
[[File:SSExp For Shinjuku 20220311.jpg|thumb|準特急を示す種別・行先案内板(京王)]]
'''準特急'''(じゅんとっきゅう)とは、[[日本]]の[[私鉄]]における[[列車種別]]の一つである。2022年12月時点では[[阪急電鉄]]のみが運行している。
略称には画像のように、'''「準特」'''が用いられている'''。
== 概要 ==
[[1959年]]に[[小田急電鉄]]が、特急と同一の駅に停車するが通常の[[特急形車両]]に比べて劣る車両で運行することから初めて設定した。続いて、[[近畿日本鉄道]]も[[1960年]]に設定し、車両の格差に加えて停車駅を通常の特急よりも多く設定したものの、5か月足らずで[[近鉄特急|特急]]に統合している。小田急も本格的な特急形車両の増備を行って[[1963年]]に[[小田急ロマンスカー|特急]]に統合したため、準特急を運行する事業者は一旦なくなった。
40年近くたった[[2001年]]、[[京王電鉄]]は、急行と通勤快速の速達化を目的に、特急と急行の中間種別として準特急を設定した。多くの電鉄会社は同等の列車種別として「[[快速急行]]」を用い、「準特急」を用いる事例は僅少である。京王が運行する準特急は、使用する車種を制限していない<ref>交通新聞社『トラベルMOOK 京王電鉄の世界』p 13</ref>。[[2022年]]3月12日のダイヤ改正をもって、京王電鉄は準特急を廃止した<ref name="keiopress20211210">{{Cite press release|和書|url=https://www.keio.co.jp/news/update/news_release/news_release2021/nr20211210_daiya.pdf|archiveurl=https://web.archive.org/web/20211213181936/https://www.keio.co.jp/news/update/news_release/news_release2021/nr20211210_daiya.pdf|format=PDF|language=日本語|title=2022年春 「さらに便利で快適な移動」が実現 京王線 ダイヤ改正を実施します|publisher=京王電鉄|date=2021-12-10|accessdate=2021-12-19|archivedate=2021-12-13}}</ref>。しかし、同年12月17日のダイヤ改正で[[阪急電鉄]]は京都本線において[[座席指定席|着席保証サービス]]が導入される列車を明確化するため、京都本線と神戸本線で運行していた「快速急行」を「準特急」に改称した<ref name="hankyu20221012"/>。近畿地方(関東地方以外)での「準特急」運行は62年半ぶりとなる。
従来はすべて鉄道(民鉄)での設定であるが、2023年よりバスにも「準特急」が設定される(後述)。
== 運行会社 ==
英語表記は各社で異なる。
=== 阪急電鉄 ===
{{main|阪急神戸本線#準特急|阪急京都本線#準特急}}
[[阪急電鉄]]では2022年12月17日に行われる[[ダイヤ改正]]で、[[阪急神戸本線|神戸本線]]と[[阪急京都本線|京都本線]]において従来の[[快速急行]]に代わり設定された<ref name="hankyu20221012">{{Cite web|和書|url=https://www.hankyu-hanshin.co.jp/release/docs/dd2e3f9dbc4759095b47e378f4d54e59336a79ac.pdf |title=2022年12月17日(土)初発より阪急全線(神戸線、宝塚線、京都線)でダイヤ改正を実施〜2024年に京都線で座席指定サービスを開始します〜 |access-date=2022年10月12日 |publisher=阪急電鉄株式会社}}</ref>。停車駅は改正前の快速急行と同一とし、京都本線での[[座席指定席|座席指定サービス]]の開始を見据えた変更となった。
停車駅は神戸本線では特急停車駅に[[塚口駅 (阪急)|塚口駅]]と[[六甲駅]]を加えたもの、京都本線では特急停車駅に[[西院駅]]と[[大宮駅 (京都府)|大宮駅]]を加えたものになっている<ref name="hankyu20221012"/>。
== 過去の運行会社 ==
=== 小田急電鉄 ===
{{main|小田急電鉄のダイヤ改正#準特急|小田急小田原線#準特急(サービス急行)}}
小田急電鉄は、[[1953年]]から運行した料金不要の座席定員列車であるサービス急行を格上げし、[[1959年]]から[[1963年]]まで週末に[[はこね (列車)|特急]]を補完する列車として運転した。のちに設定される近鉄や京王の事例と異なり、停車駅の差異よりも特急用車両の絶対数不足と車内設備の格差によるものであった<ref>[[電気車研究会]]『鉄道ピクトリアル』No.649 p.57</ref>。新宿駅 - [[小田原駅]]間が無停車で、車両は[[鉄道車両の座席|セミクロスシート]]車の[[小田急2320形電車|2320形]]及び特急から[[格下げ車両|格下げ改造]]された[[小田急2300形電車|2300形]]を使用した。当該車両は、準特急が運行されない平日は料金不要の一般列車に充当された<ref group="注">セミクロスシート車による有料特急列車はほかにも[[京成電鉄]]の「開運号」([[スカイライナー]]の前身)において[[1967年]]から[[1973年]]までセミクロスシート車が使用された事例がある。</ref>が、特急に[[小田急3100形電車|ロマンスカーNSE 3100形]]が導入されて[[小田急3000形電車 (初代)|ロマンスカーSE 3000形]]と合わせて増発が可能となり廃止された。
=== 近畿日本鉄道 ===
{{main|近鉄特急|近鉄特急史|1987年までの近畿日本鉄道ダイヤ変更|1988年からの近畿日本鉄道ダイヤ変更}}
近畿日本鉄道は1960年1月20日の[[1987年までの近畿日本鉄道ダイヤ変更|ダイヤ変更]]で、主要駅に停車駅する準特急列車を設定したが、6月15日に種別を特急へ統合して準特急を廃止した<ref>[[JTBパブリッシング]] 田淵仁『近鉄特急 上』p.117</ref><ref>{{Cite_journal|和書||title=近鉄の列車運転アラカルト|author=寺本光照|date=2018-12|publisher=電気車研究会|journal=鉄道ピクトリアル|number=954|page=128 - 141}}</ref><ref group="注">準特急は当初名阪1往復と阪伊・名伊各5往復で開始(『鉄道ピクトリアル』1988年12月臨時増刊号(通巻505号)、145頁)。準特急の種別名称は、旅客営業上は特急に統合され、運転上も「乙特急」に改称された。同時に従来からある速達形の特急(この当時は名阪特急のみに設定)は運転上「甲特急」と称されるようになった。なお、速達形の特急が設定されていない場合は運転上も「特急」と呼称される。ただし「しまかぜ」と「青の交響曲」では「甲特急」・「乙特急」・「特急」の区分けとは別に「観光特急」と称している。この呼称は近鉄公式ホームページでも使用されている。</ref>。設定当時の準特急は小田急電鉄と同様に、[[近鉄10000系電車|10000系]]・[[近鉄2250系電車|2250系]]・[[近鉄6421系電車|6421系]]・[[近鉄6431系電車|6431系]]などのやや設備が劣る車両が使用された。
現在の近鉄特急は、旅客案内をはじめ一般に特急の種別を区分していないが<ref>[http://www.kintetsu.co.jp/railway/rosen/A50004.html#osaka 路線図(大阪線・山田線・鳥羽線・志摩線・信貴線・西信貴ケーブル)] - 近畿日本鉄道</ref><ref>[http://www.kintetsu.co.jp/railway/rosen/A50006.html#nagoya 路線図(名古屋線・湯の山線・鈴鹿線)] - 近畿日本鉄道</ref>、近鉄社内では本列車を「乙特急」<ref name="RJ433">鉄道ジャーナル社『[[鉄道ジャーナル]]』No.433 p.31</ref>、「名阪ノンストップ特急」など始発駅と終着駅間でほとんど停車しない列車を「甲特急」とそれぞれを称し<ref name="RJ433" />{{refnest|group="注"|2021年現在の旅客案内上では名阪特急では速達形の列車(甲特急)を「停車駅の少ない名阪特急」、乙特急を「主要駅に停車する名阪特急」と称している<ref>{{Cite press release|和書|title=大阪難波駅・近鉄名古屋駅毎時0分発の名阪特急をすべて「ひのとり」で運転します|publisher=近畿日本鉄道|date=2021-1-8|url=https://www.kintetsu.co.jp/all_news/news_info/hinotoriul.pdf|format=PDF|accessdate=2021-1-8|archiveurl=https://web.archive.org/web/20210307063502/https://www.kintetsu.co.jp/all_news/news_info/hinotoriul.pdf|archivedate=2021-3-7}}</ref>。}}、準特急が運行されていた時代はこれが'''特急'''であった。
=== 京王電鉄 ===
{{main|京王線#準特急|京王高尾線#準特急|京王相模原線#準特急}}
2001年3月のダイヤ改定で、[[新宿駅]] - [[高尾山口駅]]間を運行していた急行(平日夕方は[[列車種別#通勤種別|通勤快速]])を速達化する目的で設定され<ref>[https://web.archive.org/web/20010408113538/http://www.keio.co.jp/news/newsr/index_010223.htm 3月27日(火) 京王線・井の頭線 ダイヤ改正]([[インターネットアーカイブ]]) - 京王電鉄ニュースリリース 2001年2月22日</ref>、当時の特急停車駅<ref group="注">[[明大前駅]]・[[調布駅]]・[[府中駅 (東京都)|府中駅]]・[[聖蹟桜ヶ丘駅]]・[[高幡不動駅]]・(以下高尾線)[[めじろ台駅]]・[[高尾駅 (東京都)|高尾駅]]。1963年の運転開始から下記の2013年ダイヤ改定まで一度も定期列車の停車駅変更が無かった。</ref>に加え[[分倍河原駅]]・[[北野駅 (東京都)|北野駅]]に停車した。2013年2月のダイヤ改定で[[京王高尾線|高尾線]]の[[京王片倉駅]]・[[山田駅 (東京都)|山田駅]]・[[狭間駅]]が停車駅に加わり、高尾線内で下位種別の急行と停車駅に逆転現象が生じた。同時に運転が再開された特急は分倍河原駅と北野駅が停車駅に加わり、[[京王線]]内の特急と準特急の停車駅に差異が無くなり、準特急は全列車が高尾山口駅発着となり、[[京王八王子駅]]発着の準特急は特急に統合されて消滅した<ref>[http://www.keio.co.jp/press/news/1302/spc01.html 京王ニュース2013年2月 No.697]</ref>。2015年9月のダイヤ改正で[[笹塚駅]]・[[千歳烏山駅]]が停車駅に加わり、再び京王線内で特急と停車駅差異が生じ、京王八王子駅発着の列車が復活して同時に相模原線で運転を開始した<ref name="keio2015">{{PDFlink|[http://www.keio.co.jp/news/update/news_release/news_release2015/nr150826_timetable20150925.pdf 9月25日(金)に 京王線・井の頭線のダイヤ改正を実施します ~都心方面へのアクセス強化など利便性向上を図ります~]}} - 京王電鉄、2015年8月26日、2015年8月26日閲覧。</ref>。2022年3月のダイヤ改正で笹塚駅・千歳烏山駅・京王片倉駅・山田駅・狭間駅が特急停車駅となったことで高尾線内も含め準特急と停車駅の差異が無くなり、特急と統合され廃止された<ref name="keiopress20211210" />。
{{Vertical_images_list
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|1=Keio Series8000.jpg
|2=相模原線の準特急運用に就く8000系
<br />2017年 稲城
}}
{{-}}
== 鉄道以外の「準特急」 ==
2023年4月1日より、[[中国ハイウェイバス]]に「準特急」便が設定される予定<ref>{{Cite web|和書|url=https://shinkibus.co.jp/sys/frames/view/1706 |title=2023年4月1日(土) 中国ハイウェイバスダイヤ改正について |access-date=2023年2月17日 |publisher=神姫バス株式会社}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://shinkibus.co.jp/sysfiles/wtn/1706/highway202304.pdf |title=2023 年 4 月 1 日 中国ハイウェイバス ダイヤ改正について |access-date=2023年2月17日 |publisher=神姫バス株式会社}}</ref>。夜の[[大阪駅]]発[[津山駅]]行き2便が対象で、いずれも[[神姫バス]]により運営される。従来の特急便の停車停留所に加えて、泉と[[福崎インターチェンジ|福崎インター]]にも停車する。
== 参考文献 ==
*交通新聞社 トラベルMOOK『京王電鉄の世界』
*PHP研究所『京王電鉄のひみつ』
*交友社『鉄道ファン』2007年10月号 特集「列車種別バラエティ」
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Reflist|group="注"}}
=== 出典 ===
{{Reflist|2}}
== 関連項目 ==
* [[遜色急行]] - 小田急や近鉄の準特急と同様に通常の優等列車用車両よりランクが劣る車両を使用した優等列車の事例として。
* [[山陽電気鉄道本線#S特急|S特急]] - [[山陽電気鉄道]]において運行されている特急(料金不要)の下位種別で、特急に比べると停車駅が多いのは京王の準特急と同様。
* [[高速 (列車)]] - [[名古屋鉄道|名鉄]]や近鉄で現在の快速急行と別に、特急を補完する列車として設定されていた種別。[[名鉄特急#高速]]も参照のこと。
* [[列車種別#特急に類する列車種別]]
* [[特別急行列車#私鉄における特急のバリエーション]]
{{日本における列車種別一覧}}
{{DEFAULTSORT:しゆんとつきゆう}}
[[Category:列車種別]]
[[Category:日本の特急列車|*]]
[[Category:阪急電鉄|種しゆんとつきゆう]]
[[Category:京王グループの歴史|種しゆんとつきゆう]]
[[Category:小田急グループの歴史|種しゆんとつきゆう]]
[[Category:近鉄グループの歴史|種しゆんとつきゆう]]
|
2003-09-11T04:58:22Z
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2023-11-27T16:18:04Z
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"Template:Refnest",
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"Template:日本における列車種別一覧"
] |
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BA%96%E7%89%B9%E6%80%A5
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16,197 |
急行券
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急行券(きゅうこうけん)とは、鉄道の運賃において、優等列車に区分される急行列車を利用する場合、乗車券とともに必要となる急行料金の券である。
日本の鉄道において、JRなどの料金体系では、乗車区間に対する運賃に、さらに列車の種別に応じた料金(急行であれば急行料金)を別途支払う必要があり、急行料金は急行券の購入として支払う体系がとられている。乗車の対価である「乗車券」に対し、到達時間の短縮や特別な客室など追加的なサービスの対価として購入する「料金券」の一種である。
なお、ヨーロッパの鉄道では営業上や輸送上の違いに応じて個々の列車単位で料金設定を行う包括運賃制度が一般的になっており、乗車区間に対する運賃に別に料金を加算する料金体系をとっていない。包括運賃は国際的な高速鉄道から採用されるようになり、ユーロスターやタリスでは最初から包括運賃を採用している。その代表例とされるユーロスターでは乗車券のみで包括運賃のため内訳の記載もなく料金が記載されているのみである。韓国、台湾、中国でも包括運賃と同じ考え方の料金体系が設定されており、中国の和諧号でも乗車券のみで包括運賃のため内訳は記載されていない。
JR線では旅客営業規則上、「急行列車」とは普通急行列車(いわゆる急行)と特別急行列車(いわゆる特急)の総称であり、「急行券」についてもそれに準ずるが、一般に「急行券」と呼称する場合は、前者に通用する「普通急行券」を指す。以下、これを踏まえ次のような用語法により述べる。
急行券の購入により、急行列車の普通車自由席を利用できる。急行券には座席指定の効力はない。急行列車の普通車指定席を利用する場合は、急行券に加え指定席券を別途購入する必要がある。
2016年以降、急行列車は臨時列車のみのため(こちらも参照)、急行券の発売は当該列車が運行され乗車する場合に限定される。
またかつては、旧宇高連絡船に存在したホバークラフトや高速艇による急行便に乗船する時に必要な連絡船急行券や、「急行」を称したバスを運行していた白棚線など国鉄バスの一部路線ではバス急行券も存在した。ともに座席指定ではないが、便名を指定してみどりの窓口で発売されていた。
東日本旅客鉄道(JR東日本)旅客営業規則による大人の普通急行料金を示す(2019年10月1日改定)。ただし、金額は例外を除き、JR各社で共通している。小児は半額。なお10円未満の端数が出た場合は切り捨てる。
ただし、以下の場合にはこの料金を使用せず、特に定めた金額となる。下記の区間においては、自由席特急料金が急行料金よりも安価に設定されているためであり、この場合急行料金と特急料金は同額となる。
乗り継ぎ料金制度により、新幹線・青森・函館各駅および四国の特急・急行との乗継割引を利用できる。
乗車した急行列車が2時間以上遅延した場合、急行料金については全額が払い戻しされる(旅客営業規則第289条2項)。
特別急行列車(特急)は制度開始当初から、営業政策上、全車指定席での運転を行ってきた。その後全国的な特急列車の増発にあわせて自由席の設備が設けられるようになったが、自由席の利用については従来の特別急行券の料額から座席指定券相当額を差し引いた料額で「自由席特急券」を発売することとなった。これは急行料金制度の経緯と逆であるが、この差異が顕著に表れるのが列車遅延時の取り扱いである。
旅客営業規則第289条2項により、規則上の急行列車が2時間以上遅延した場合、規則上の急行券は全額払い戻しとなるが、急行列車と特急列車とでは次のように扱いが異なる。
このほか、指定券を購入した列車に乗り遅れた場合の取り扱いも異なる。
JR線以外では、「急行」の種別は乗車券のみで利用できる速達列車の一種(JR線の快速列車(普通列車)相当)であることが多いが、事業者によっては急行料金を定めている所もある(「急行列車#私鉄・第三セクター鉄道の急行列車」を参照)。
また、紙以外に印刷した特殊な形状として、えちごトキめき鉄道が2023年、Tシャツに印刷した急行券を販売した。
|
[
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"text": "急行券(きゅうこうけん)とは、鉄道の運賃において、優等列車に区分される急行列車を利用する場合、乗車券とともに必要となる急行料金の券である。",
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"text": "日本の鉄道において、JRなどの料金体系では、乗車区間に対する運賃に、さらに列車の種別に応じた料金(急行であれば急行料金)を別途支払う必要があり、急行料金は急行券の購入として支払う体系がとられている。乗車の対価である「乗車券」に対し、到達時間の短縮や特別な客室など追加的なサービスの対価として購入する「料金券」の一種である。",
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"text": "なお、ヨーロッパの鉄道では営業上や輸送上の違いに応じて個々の列車単位で料金設定を行う包括運賃制度が一般的になっており、乗車区間に対する運賃に別に料金を加算する料金体系をとっていない。包括運賃は国際的な高速鉄道から採用されるようになり、ユーロスターやタリスでは最初から包括運賃を採用している。その代表例とされるユーロスターでは乗車券のみで包括運賃のため内訳の記載もなく料金が記載されているのみである。韓国、台湾、中国でも包括運賃と同じ考え方の料金体系が設定されており、中国の和諧号でも乗車券のみで包括運賃のため内訳は記載されていない。",
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"text": "JR線では旅客営業規則上、「急行列車」とは普通急行列車(いわゆる急行)と特別急行列車(いわゆる特急)の総称であり、「急行券」についてもそれに準ずるが、一般に「急行券」と呼称する場合は、前者に通用する「普通急行券」を指す。以下、これを踏まえ次のような用語法により述べる。",
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"text": "急行券の購入により、急行列車の普通車自由席を利用できる。急行券には座席指定の効力はない。急行列車の普通車指定席を利用する場合は、急行券に加え指定席券を別途購入する必要がある。",
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"text": "2016年以降、急行列車は臨時列車のみのため(こちらも参照)、急行券の発売は当該列車が運行され乗車する場合に限定される。",
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"text": "またかつては、旧宇高連絡船に存在したホバークラフトや高速艇による急行便に乗船する時に必要な連絡船急行券や、「急行」を称したバスを運行していた白棚線など国鉄バスの一部路線ではバス急行券も存在した。ともに座席指定ではないが、便名を指定してみどりの窓口で発売されていた。",
"title": "日本の鉄道急行料金"
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"text": "東日本旅客鉄道(JR東日本)旅客営業規則による大人の普通急行料金を示す(2019年10月1日改定)。ただし、金額は例外を除き、JR各社で共通している。小児は半額。なお10円未満の端数が出た場合は切り捨てる。",
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"text": "ただし、以下の場合にはこの料金を使用せず、特に定めた金額となる。下記の区間においては、自由席特急料金が急行料金よりも安価に設定されているためであり、この場合急行料金と特急料金は同額となる。",
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"text": "特別急行列車(特急)は制度開始当初から、営業政策上、全車指定席での運転を行ってきた。その後全国的な特急列車の増発にあわせて自由席の設備が設けられるようになったが、自由席の利用については従来の特別急行券の料額から座席指定券相当額を差し引いた料額で「自由席特急券」を発売することとなった。これは急行料金制度の経緯と逆であるが、この差異が顕著に表れるのが列車遅延時の取り扱いである。",
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"text": "旅客営業規則第289条2項により、規則上の急行列車が2時間以上遅延した場合、規則上の急行券は全額払い戻しとなるが、急行列車と特急列車とでは次のように扱いが異なる。",
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"text": "また、紙以外に印刷した特殊な形状として、えちごトキめき鉄道が2023年、Tシャツに印刷した急行券を販売した。",
"title": "日本の鉄道急行料金"
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急行券(きゅうこうけん)とは、鉄道の運賃において、優等列車に区分される急行列車を利用する場合、乗車券とともに必要となる急行料金の券である。
|
'''急行券'''(きゅうこうけん)とは、[[鉄道]]の[[運賃]]において、[[優等列車]]に区分される[[急行列車]]を利用する場合、[[乗車券]]とともに必要となる急行料金の券である。
==概要==
[[日本の鉄道]]において、[[JR]]などの料金体系では、乗車区間に対する運賃に、さらに列車の種別に応じた料金(急行であれば急行料金)を別途支払う必要があり、急行料金は急行券の購入として支払う体系がとられている<ref>JTBの交通ムック『新幹線と世界のライバル』(JTBパブリッシング、2012年)124頁</ref>。乗車の対価である「乗車券」に対し、到達時間の短縮や特別な客室など追加的なサービスの対価として購入する「'''料金券'''」の一種である。
なお、[[ヨーロッパ]]の鉄道では営業上や輸送上の違いに応じて個々の列車単位で料金設定を行う包括運賃制度が一般的になっており、乗車区間に対する運賃に別に料金を加算する料金体系をとっていない<ref>JTBの交通ムック『新幹線と世界のライバル』(JTBパブリッシング、2012年)128頁</ref>。包括運賃は国際的な[[高速鉄道]]から採用されるようになり、[[ユーロスター]]や[[タリス]]では最初から包括運賃を採用している<ref name="JTB129" />。その代表例とされるユーロスターでは乗車券のみで包括運賃のため内訳の記載もなく料金が記載されているのみである<ref name="JTB129">JTBの交通ムック『新幹線と世界のライバル』(JTBパブリッシング、2012年)129頁</ref>。[[大韓民国の鉄道|韓国]]、[[台湾の鉄道|台湾]]、[[中華人民共和国の鉄道|中国]]でも包括運賃と同じ考え方の料金体系が設定されており、中国の[[和諧号]]でも乗車券のみで包括運賃のため内訳は記載されていない<ref name="JTB129" />。
== 日本の鉄道急行料金 ==
[[ファイル:ExpressTickets-JR.jpg|thumb|right|250px|JRにおける急行券の例。単独の急行券では座席を指定しない(左)ため、しばしば指定席券と同一券片で発行される(右)。]]
[[ファイル:Ticket MARS105 Express Yukemuri2.jpg|thumb|right|250px|[[日本国有鉄道|日本の国鉄]]時代に[[マルス (システム)|マルス]]で発行された急行券の例。指定席券と同一券片で発行されたもの。]]
[[File:JNRきっぷ Express ticket_301km.jpg|thumb|right|250px|日本の国鉄が発行した[[硬券]]の急行券。赤いラインが2本入っていた。]]
[[File:JNRきっぷ Ideyu Semi-Express ticket.jpg|thumb|right|250px|日本の国鉄時代、[[準急列車]]にも準急行券を必要とした。赤いラインが1本入っていた。]]
[[ファイル:JNR Express ticket 1966.jpg|thumb|right|250px|国鉄時代の急行券([[日本交通公社]]発行)]]
===JR線===
[[JR線]]では[[旅客営業規則]]上、「'''急行列車'''」とは普通急行列車(いわゆる急行)と[[特別急行列車]](いわゆる特急)の総称であり、「急行券」についてもそれに準ずるが、一般に「急行券」と呼称する場合は、前者に通用する「'''普通急行券'''」を指す。以下、これを踏まえ次のような用語法により述べる。
* '''急行列車'''または'''急行''' - 普通急行列車を指す。
** '''急行券''' - 普通急行券を指す。
* '''規則上の急行列車''' - 普通急行列車および特別急行列車の総称とする。
** '''規則上の急行券''' - 普通急行券(急行券)および[[特別急行券]](特急券)の総称とする。
急行券の購入により、急行列車の[[普通車 (鉄道車両)|普通車]][[自由席]]を利用できる。急行券には座席指定の効力はない。急行列車の普通車[[座席指定席|指定席]]を利用する場合は、急行券に加え指定席券を別途購入する必要がある。
* JR線の場合、規則上の急行列車は「目的地まで普通列車に優先して運送する[[列車]]」という位置づけであり、より速く旅行することの対価として料金を定めるものである。このうち急行列車は、営業政策の歴史上、自由席を主体として編成されたものであったことから、指定席券は追加的に別途発売されるものとなった。そのため、かつてはいわゆる「繁忙期」に[[始発駅]]においては[[乗車整理券]]を発行していたことがあった。
* かつて準急行列車(準急)が運転されていた時代には'''準急行券'''が発売されたが、当初は急行券に比べ安価に設定されていた。これは、車両設備を急行列車より簡易なものと位置付けたことによるが、後に[[国鉄153系電車|153系電車]]や[[国鉄キハ55系気動車|キハ55系気動車]]のように急行列車同等の車両設備を持つ車両で運転されるようになったこと、および料金制度の簡略化のため、制度末期には100kmまでの設定となり、のちに廃止された(「[[準急列車]]」を参照)。
* [[函館本線]]を運行していた急行「[[ニセコライナー#戦後、小樽駅経由の特急の運転開始まで|アカシヤ]]」では、運行区間の一部を急行から準急に格下げするという列車があったが、当該列車の種別の異なる区間を通して乗車する場合には「急行・準急券」という結合した料金券を発行したとされる。
* [[身体障害|第1種身体障害者]]および[[知的障害|第1種知的障害者]]が介護者とともに普通急行列車に乗車する場合は、割引が適用される<ref>[http://www.jreast.co.jp/reg_hc1/index.html 身体障害者旅客運賃割引規則 第4条2項] JR東日本公式サイト</ref><ref>[http://www.jreast.co.jp/reg_hc2/index.html 知的障害者旅客運賃割引規則 第4条2項] JR東日本公式サイト</ref>。
2016年以降、急行列車は[[臨時列車]]のみのため([[急行列車#臨時急行列車|こちら]]も参照)、急行券の発売は当該列車が運行され乗車する場合に限定される。
またかつては、旧[[宇高連絡船]]に存在した[[ホバークラフト]]や[[高速船|高速艇]]による急行便に乗船する時に必要な'''連絡船急行券'''や、「急行」を称したバスを運行していた[[白棚線]]など[[国鉄バス]]の一部路線では'''バス急行券'''も存在した。ともに座席指定ではないが、便名を指定して[[みどりの窓口]]で発売されていた。
==== 料金と効力 ====
* JR線の急行料金は、利用する[[営業キロ]]([[営業キロ#換算キロ・擬制キロ・運賃計算キロ|運賃計算キロ等]]ではない)に応じて設定される。
** 前述の通り、急行列車の普通車の指定席を利用する場合は、あわせて[[座席指定券]](指定席券)を購入する。
** 同じく[[グリーン車]]を利用する場合には急行列車用[[グリーン券]]、[[寝台車 (鉄道)|寝台車]]を利用する場合には[[寝台券]]が別に必要となる(指定席券は不要)。
** 急行列車の指定券・グリーン券・寝台券は、急行券と同時に申し込むか、当該乗車に有効な急行券を提示した場合に限って購入できる。
* 急行券の有効期限は指定日当日のみである<ref>2014年3月31日までは有効期間開始日から2日間であった。{{pdf|http://www.jreast.co.jp/press/2013/20131208.pdf}}</ref>。1個の急行列車に1枚が(乗り換えごとに1枚が)必要となる。
** ただし、2つの急行列車が一部区間で併結される場合で、併結運転されている間に一方から他方に乗り換える場合は、通しの1枚の急行券で乗車できる。2016年時点ではこの規定が適用される定期急行列車はないが、かつては存在した。
** また、'''全車座席指定'''の急行列車が満席になった場合は、全車座席指定の特別急行列車が満席になった場合と同様、通常の急行券と同額で発売枚数が定められている'''立席急行券'''が発売されることがある。[[特別急行券#立席特急券|立席特急券]]の項も参照されたい。ただし2016年以降、定期列車で全車座席指定の急行列車はない。
* 急行券と、同時に使用する指定席券・グリーン券・寝台券を一度に購入する場合は、両券をあわせて一枚の券片として('''一葉式'''という)発行されることがある。
** この場合、指定の列車に乗り遅れた場合は、指定席券部分を放棄し、単独の急行券として、券面区間および同一の営業キロ地帯の最も遠い駅まで利用することができる(旅客営業規則第172条4項)。有効期間は単独の急行券と同様であり、指定席券が必要な場合は指定席券のみを新たに購入する。
** このような料金券の払い戻しは必ず急行券、指定席券の両方ともに行う。指定席券が使用開始前で有効である場合は、一葉に指定席券の払い戻し手数料のみを適用し、急行券については手数料を徴収しない(同規則第272条4項)。
====金額====
[[東日本旅客鉄道]](JR東日本)旅客営業規則による大人の普通急行料金を示す(2019年10月1日改定)。ただし、金額は例外を除き、JR各社で共通している。小児は半額。なお10円未満の端数が出た場合は切り捨てる。
{| class="wikitable"
|-
! 50kmまで !! 100kmまで !! 150kmまで !! 200kmまで !! 201km以上
|-
| 560円 || 760円 || 1,000円 || 1,100円 || 1,320円
|}
ただし、以下の場合にはこの料金を使用せず、特に定めた金額となる。下記の区間においては、自由席特急料金が急行料金よりも安価に設定されているためであり、この場合急行料金と特急料金は同額となる。
* 東日本旅客鉄道管内で[[特別急行券|B特急料金区間]]相互のみの利用の場合
** 50kmまで : 520円
* [[東海旅客鉄道]](JR東海)管内で[[特別急行券#特定特急券|特定特急券設定区間]]相互のみの利用の場合
*: 「きっぷのルール」には記載されていないが、当該区間で臨時急行列車が運転される際に時刻表の注記で確認することができる。
** 30kmまで : 330円
===== 乗継割引 =====
[[乗り継ぎ料金制度]]により、[[乗り継ぎ料金制度#新幹線と在来線|新幹線]]・[[乗り継ぎ料金制度#本州と北海道|青森・函館各駅]]および[[乗り継ぎ料金制度#特急「サンライズ瀬戸」とJR四国の特急|四国の特急・急行]]との乗継割引を利用できる。
==== 列車遅延時の取り扱い ====
[[画像:H-modosi.jpg|thumb|250px|遅延したため「遅払証」の文字が印刷された切符]]
乗車した急行列車が2時間以上遅延した場合、急行料金については全額が払い戻しされる(旅客営業規則第289条2項)。
* 急行列車の指定席を利用したが、当該列車が遅延による払い戻しの対象となった場合、払い戻しは急行料金についてのみ行われる(後述)。
* このほか、乗車駅において、目的地における2時間以上の遅延が発生しても払い戻しを行わない特約により割引急行券を発売する「遅れ承知」の取り扱いも行われる。この場合の急行料金は通常料額の5割引となる([[特別急行券#特殊販売について|特別急行券の項]]も参照されたい)。
==== 特別急行券との差異 ====
特別急行列車(特急)は制度開始当初から、営業政策上、全車指定席での運転を行ってきた。その後全国的な特急列車の増発にあわせて自由席の設備が設けられるようになったが、自由席の利用については従来の特別急行券の料額から座席指定券相当額を差し引いた料額で「自由席特急券」を発売することとなった。これは急行料金制度の経緯と逆であるが、この差異が顕著に表れるのが列車遅延時の取り扱いである。
旅客営業規則第289条2項により、規則上の急行列車が2時間以上遅延した場合、規則上の急行券は全額払い戻しとなるが、急行列車と特急列車とでは次のように扱いが異なる。
{|class="wikitable" style="font-size:small"
|-
!
!取り扱い
!備考
|-
|急行
|「急行券」「指定席券」がそれぞれ別々のサービスの対価として扱われ、「より速い旅行の対価」たる「急行券」のみが払戻の対象となる。
|先述の「遅れ承知」により発売される規則上の急行券についても同様であり、急行列車の指定席券については割引対象とならない<ref>この取り扱いは「遅延した列車を目的駅まで利用した時の払い戻し」の場合であり、遅延による「旅行取りやめ」や「出発駅引き返し」等の場合は指定席券・乗車券も含め全ての乗車券類が払い戻しの対象となる(旅客営業規則第282条)。</ref>。
|-
|特急
|最初から「指定席特急券」「自由席特急券」ともに、全額が「特別急行料金」に位置づけられる。このため、全額が「より速い旅行の対価」として遅延払い戻しの対象となる<ref>ただし、新幹線並行路線で新幹線に振り替え乗車した場合は対象外となる(「[[特別急行券#特殊販売について]]」も参照)。</ref>。
|
|-
|}
このほか、指定券を購入した列車に乗り遅れた場合の取り扱いも異なる。
{|class="wikitable" style="font-size:small"
|-
!
!取り扱い
!別の列車を指定席で利用したい場合
|-
|急行
|指定席券は無効となるが、急行券自体の効力には影響しないため、有効期間中に発車する券面区間の列車の自由席に乗車できる。
|指定席券のみを再度購入すれば足りる。
|-
|特急
|乗り遅れ当日中に発車する券面区間の列車の自由席に乗車できる<ref>新幹線(指定席)特急券については新幹線列車の自由席となる。</ref><ref>全席指定席の列車でも後続列車への乗車を認めている場合がある(「[[特別急行券#特急券(指定席)]]」を参照)。</ref>。これは、当該制度が「乗り遅れた旅客の救済措置」と位置づけられ、特急券自体が「無効券」として扱われるためである。なお、自由席料金との差額の払い戻しは請求できない。
|あらためて指定席特急券を購入する必要がある。なお、乗り遅れで使用しなかった特急券の払い戻しは請求できない。
|-
|}
===JR線以外===
[[ファイル:Private_railway_express_tickets.jpg|thumb|right|300px|私鉄における急行券の例。なお、右側の「[[きりふり#南会津|南会津]]」号は現在は廃止され、[[会津鉄道]]と直通運転する[[東武鉄道]]の有料急行列車は特急に格上げされている。また、左上の[[秩父鉄道]]の急行(「[[秩父路]]」号)は、2022年3月12日から2023年3月31日まで料金不要となっていた。]]
JR線以外では、「急行」の種別は乗車券のみで利用できる[[急行列車#料金不要の「急行」|速達列車]]の一種(JR線の[[快速列車]](普通列車)相当)であることが多いが、事業者によっては急行料金を定めている所もある(「[[急行列車#私鉄・第三セクター鉄道の急行列車]]」を参照)。
また、紙以外に印刷した特殊な形状として、[[えちごトキめき鉄道]]が2023年、[[Tシャツ]]に印刷した急行券を販売した<ref>[https://www.echigo-tokimeki.co.jp/information/detail?id=1901 夏休み!急行券Tシャツを発売します!]えちごトキめき鉄道お知らせ(2023年6月9日)2023年9月2日閲覧</ref>。
{{-}}
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
{{Reflist}}
==関連項目==
*[[特別急行券]](特急券)
*[[グリーン券]]
*[[寝台券]]
*[[座席指定券]]
*[[乗車整理券]]
*[[ビジネスクラス]]
*[[ファーストクラス]]
==外部リンク==
* [http://www.jreast.co.jp/kippu/13.html きっぷに関するご案内 急行券] - JR東日本
{{DEFAULTSORT:きゆうこうけん}}
[[Category:鉄道運賃と切符]]
|
2003-09-11T05:07:13Z
|
2023-11-11T07:28:49Z
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[
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"Template:Reflist",
"Template:Pdf"
] |
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%80%A5%E8%A1%8C%E5%88%B8
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16,198 |
十条駅 (東京都)
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十条駅(じゅうじょうえき)は、東京都北区上十条一丁目にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)の駅である。駅番号はJA 14。
当駅を通る路線は、線路名称上は赤羽線であるが、運転系統上は埼京線として案内される。特定都区市内制度における「東京都区内」に属する。
埼京線内で唯一の相対式ホーム2面2線を有する地上駅で、それぞれのホームに改札口(北改札・南改札)がある。南改札にはお客さまサポートコールシステムが導入されており、終日インターホンによる案内となる。また、それぞれのホームを連絡する跨線橋がある。ホームは両端の踏切(いずれも公道)に挟まれている。
自動券売機、多機能券売機、指定席券売機、自動改札機が設置されている。下りホームには待合室、トイレがある。多機能トイレを併設している。
(出典:JR東日本:駅構内図)
上下線で日本電音製の発車メロディを使用している。
2022年(令和4年)度の1日平均乗車人員は32,107人である。他路線との接続が無い駅としては、埼京線内最多である。
近年の1日平均乗車人員の推移は下表の通り。
西口駅前では十条駅西口地区第一種市街地再開発事業が都市計画決定されており、2024年完成予定の37階建超高層マンションが2021年3月に着工した。
西口駅前から北に伸びる商店街の十条銀座は約200軒の商店で構成されていて、東京都北区で最大規模の商店街である。
駅西方には帝京大学板橋キャンパスおよび帝京大学医学部附属病院、帝京中学校・高等学校など帝京大学グループの施設建物がある。駅南口から線路沿いに板橋方面に向かうと東京家政大学がある。
駅北東に東京都内では2館だけとなった、大衆演劇専用小劇場といわれる篠原演芸場がある。(当駅と東十条駅のほぼ中間。もう1館は浅草木馬館)
前述のとおり、駅のホームは踏切に挟まれる形で設置されており、慢性的に混雑している埼京線の車両数を増やせない一つの原因ともなっている。踏切は一方が線路を挟んで立地する別の商店街同士(十条銀座と十条中央商店街(演芸場通り))を結ぶ道路、もう一方が都道455号本郷赤羽線のものである。
国際興業バスが運行。
十条駅周辺にて、連続立体交差事業(鉄道高架化)の事業化を進める計画がある。そもそもこれは1976年(昭和51年)に東北新幹線開業に伴い通勤新線を建設するのに伴い赤羽線の輸送力増強が必要となったことから、北区が計画に同意するに当たり1983年(昭和58年)9月28日に十条駅を地下化、赤羽駅を高架化することで合意していた。
その後赤羽駅は全線で高架化されたが、一方で十条駅に関しては計画が変更され、赤羽駅と同じく高架化を行う事となった。2016年9月23日には高架建設を前提に「環境影響評価書案」を、2017年2月21日には「環境影響評価書案に係る見解書」を、同年10月31日には「環境影響評価書」を東京都知事に提出するなど手続きを進め、東京都は、2020年3月3日に国土交通省から都市計画事業の認可を取得した。2030年度完成予定。
工事施行方式は、まず東側に用地を確保し、そこに上り線を仮線として移設し、ついで上り線跡地に下り線を移設し、下り線跡地に単線の高架(下り線)を設置する。更に下り仮線跡地(旧上り線)に上り線の高架を設置する方式がとられることになっている。
|
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"paragraph_id": 6,
"tag": "p",
"text": "2022年(令和4年)度の1日平均乗車人員は32,107人である。他路線との接続が無い駅としては、埼京線内最多である。",
"title": "利用状況"
},
{
"paragraph_id": 7,
"tag": "p",
"text": "近年の1日平均乗車人員の推移は下表の通り。",
"title": "利用状況"
},
{
"paragraph_id": 8,
"tag": "p",
"text": "西口駅前では十条駅西口地区第一種市街地再開発事業が都市計画決定されており、2024年完成予定の37階建超高層マンションが2021年3月に着工した。",
"title": "駅周辺"
},
{
"paragraph_id": 9,
"tag": "p",
"text": "西口駅前から北に伸びる商店街の十条銀座は約200軒の商店で構成されていて、東京都北区で最大規模の商店街である。",
"title": "駅周辺"
},
{
"paragraph_id": 10,
"tag": "p",
"text": "駅西方には帝京大学板橋キャンパスおよび帝京大学医学部附属病院、帝京中学校・高等学校など帝京大学グループの施設建物がある。駅南口から線路沿いに板橋方面に向かうと東京家政大学がある。",
"title": "駅周辺"
},
{
"paragraph_id": 11,
"tag": "p",
"text": "駅北東に東京都内では2館だけとなった、大衆演劇専用小劇場といわれる篠原演芸場がある。(当駅と東十条駅のほぼ中間。もう1館は浅草木馬館)",
"title": "駅周辺"
},
{
"paragraph_id": 12,
"tag": "p",
"text": "前述のとおり、駅のホームは踏切に挟まれる形で設置されており、慢性的に混雑している埼京線の車両数を増やせない一つの原因ともなっている。踏切は一方が線路を挟んで立地する別の商店街同士(十条銀座と十条中央商店街(演芸場通り))を結ぶ道路、もう一方が都道455号本郷赤羽線のものである。",
"title": "駅周辺"
},
{
"paragraph_id": 13,
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"text": "国際興業バスが運行。",
"title": "バス路線"
},
{
"paragraph_id": 14,
"tag": "p",
"text": "十条駅周辺にて、連続立体交差事業(鉄道高架化)の事業化を進める計画がある。そもそもこれは1976年(昭和51年)に東北新幹線開業に伴い通勤新線を建設するのに伴い赤羽線の輸送力増強が必要となったことから、北区が計画に同意するに当たり1983年(昭和58年)9月28日に十条駅を地下化、赤羽駅を高架化することで合意していた。",
"title": "連続立体交差事業"
},
{
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"tag": "p",
"text": "その後赤羽駅は全線で高架化されたが、一方で十条駅に関しては計画が変更され、赤羽駅と同じく高架化を行う事となった。2016年9月23日には高架建設を前提に「環境影響評価書案」を、2017年2月21日には「環境影響評価書案に係る見解書」を、同年10月31日には「環境影響評価書」を東京都知事に提出するなど手続きを進め、東京都は、2020年3月3日に国土交通省から都市計画事業の認可を取得した。2030年度完成予定。",
"title": "連続立体交差事業"
},
{
"paragraph_id": 16,
"tag": "p",
"text": "工事施行方式は、まず東側に用地を確保し、そこに上り線を仮線として移設し、ついで上り線跡地に下り線を移設し、下り線跡地に単線の高架(下り線)を設置する。更に下り仮線跡地(旧上り線)に上り線の高架を設置する方式がとられることになっている。",
"title": "連続立体交差事業"
}
] |
十条駅(じゅうじょうえき)は、東京都北区上十条一丁目にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)の駅である。駅番号はJA 14。 当駅を通る路線は、線路名称上は赤羽線であるが、運転系統上は埼京線として案内される。特定都区市内制度における「東京都区内」に属する。
|
{{駅情報
|社色 = green
|文字色 =
|駅名 = 十条駅
|画像 = Jujo Station (Tokyo).JPG
|pxl = 300
|画像説明 = 北口(2010年5月)
|地図= {{Infobox mapframe|zoom=15|frame-width=300|type=point|marker=rail|coord={{coord|35|45|37|N|139|43|20|E}}}}
|よみがな = じゅうじょう
|ローマ字 = Jūjō
|前の駅 = JA 13 [[板橋駅|板橋]]
|駅間A = 1.7
|駅間B = 2.0
|次の駅 = [[赤羽駅|赤羽]] JA 15
|電報略号 = シウ
|駅番号 = {{駅番号r|JA|14|#00ac9a|1}}
|所属事業者 = [[東日本旅客鉄道]](JR東日本)
|所属路線 = {{color|#00ac9a|■}}[[埼京線]]<br />(線路名称上は[[赤羽線]]){{Refnest|group="*"|[[1972年]]7月までは、線路名称上は山手線。}}
|キロ程 = 3.5 km([[池袋駅|池袋]]起点)<br />[[大崎駅|大崎]]から16.9
|起点駅 =
|所在地 = [[東京都]][[北区 (東京都)|北区]][[上十条]]一丁目12-10
|座標 = {{ウィキ座標2段度分秒|35|45|37|N|139|43|20|E|region:JP_type:railwaystation|display=inline,title}}
|駅構造 = [[地上駅]]
|ホーム = 2面2線
|開業年月日 = [[1910年]]([[明治]]43年)[[11月1日]]
|廃止年月日 =
|乗車人員 = 32,107
|統計年度 = 2022年
|乗換 =
|備考 = {{Plainlist|
* [[日本の鉄道駅#直営駅|直営駅]]
* [[駅集中管理システム|お客さまサポートコールシステム]]導入駅{{Refnest|group="*"|南改札に導入<ref name="StationCd=834_230911" />。}}<ref name="StationCd=834_230911" />
* [[File:JR area KU.svg|15px|区]] [[特定都区市内|東京都区内]]駅}}
|備考全幅 = {{Reflist|group="*"}}
}}
[[ファイル:Tokyo-Jujo-Sta-S.JPG|thumb|南口(2015年11月)]]
'''十条駅'''(じゅうじょうえき)は、[[東京都]][[北区 (東京都)|北区]][[上十条]]一丁目にある、[[東日本旅客鉄道]](JR東日本)の駅である。[[駅ナンバリング|駅番号]]は'''JA 14'''。
当駅を通る路線は、線路名称上は[[赤羽線]]であるが、運転系統上は[[埼京線]]として案内される。<!-- ここまでの記述の仕方については[[Wikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト 鉄道/駅/営業案内路線名と異なる表記について]]の議論を参照 -->[[特定都区市内]]制度における「[[特定都区市内#設定区域一覧|東京都区内]]」に属する。
== 歴史 ==
* [[1905年]]([[明治]]38年)[[6月10日]]:[[日本鉄道]]の十条駅(初代・貨物駅)が開業する。
** この初代の駅は、[[東京砲兵工廠]]が発送・到着する貨物を取り扱っていた。
* [[1906年]](明治39年)[[2月7日]]:初代の駅が廃止される。
* [[1910年]](明治43年)[[11月1日]]:[[鉄道省|鉄道院]]の駅として2代目の駅が開業する。旅客営業のみで、[[山手線]]所属であった。
* [[1949年]]([[昭和]]24年)[[6月1日]]:[[日本国有鉄道]]発足。
* [[1972年]](昭和47年)[[7月15日]]:[[赤羽線]]所属に変更される。
* [[1985年]](昭和60年)[[9月30日]]:[[埼京線]]の運行を開始する。
* [[1987年]](昭和62年)[[4月1日]]:[[国鉄分割民営化]]に伴い、東日本旅客鉄道(JR東日本)の駅(赤羽線所属)となる。
* [[1992年]]([[平成]]4年)[[12月18日]]:[[自動改札機]]を設置<ref>{{Cite book|和書 |date=1993-07-01 |title=JR気動車客車編成表 '93年版 |chapter=JR年表 |page=183 |publisher=ジェー・アール・アール |ISBN=4-88283-114-7}}</ref>。
* [[2001年]](平成13年)[[11月18日]]:[[ICカード]]「[[Suica]]」の利用が可能となる<ref group="広報">{{Cite web|和書|url=https://www.jreast.co.jp/press/2001_1/20010904/suica.pdf|archiveurl=https://web.archive.org/web/20190727044949/https://www.jreast.co.jp/press/2001_1/20010904/suica.pdf|title=Suicaご利用可能エリアマップ(2001年11月18日当初)|format=PDF|language=日本語|archivedate=2019-07-27|accessdate=2020-04-23|publisher=東日本旅客鉄道}}</ref>。
* [[2011年]](平成23年)[[10月31日]]:[[みどりの窓口]]の営業を終了。
* [[2020年]]([[令和]]2年)[[3月3日]]:連続立体交差事業に着手<ref name="認可">{{Cite press release|和書|url=https://www.metro.tokyo.lg.jp/tosei/hodohappyo/press/2020/03/03/06.html|archiveurl=https://web.archive.org/web/20200303152203/https://www.metro.tokyo.lg.jp/tosei/hodohappyo/press/2020/03/03/06.html|language=日本語|title=JR埼京線の連続立体交差事業に着手します 十条駅付近の6箇所の踏切を除却します|publisher=東京都建設局|date=2020-03-03|accessdate=2020-03-03|archivedate=2020-03-03}}</ref>。
== 駅構造 ==
埼京線内で唯一の[[相対式ホーム]]2面2線を有する<ref group="注釈">直通先を含めた場合は、[[川越線]]の[[日進駅 (埼玉県)|日進駅]]・[[西大宮駅]]・[[指扇駅]]、[[東京臨海高速鉄道りんかい線]]の[[東雲駅 (東京都)|東雲駅]]も相対式である。</ref>[[地上駅]]で、それぞれのホームに改札口(北改札・南改札)がある。南改札には[[駅集中管理システム|お客さまサポートコールシステム]]が導入されており、終日インターホンによる案内となる<ref name="StationCd=834_230911">{{Cite web|和書|url=https://www.jreast.co.jp/estation/station/info.aspx?StationCd=834|title=駅の情報(十条駅):JR東日本|publisher=東日本旅客鉄道|accessdate=2023-09-11|archiveurl=https://web.archive.org/web/20230911132641/https://www.jreast.co.jp/estation/station/info.aspx?StationCd=834|archivedate=2023-09-11}}</ref>。また、それぞれのホームを連絡する[[跨線橋]]がある。ホームは両端の踏切(いずれも公道)に挟まれている。
[[自動券売機]]、多機能券売機<ref name="StationCd=834_230911" />、[[指定席券売機]]<ref name="StationCd=834_230911" />、自動改札機が設置されている。下りホームには待合室、トイレがある。[[多機能トイレ]]を併設している。
=== のりば ===
{|class="wikitable"
!番線<!-- 事業者側による呼称 -->!!路線!!方向!!行先
|-
! rowspan="2" |1
| rowspan="4" |[[File:JR JA line symbol.svg|15px|JA]] 埼京線
| style="text-align:center"|北行
| rowspan="2" |[[赤羽駅|赤羽]]・[[武蔵浦和駅|武蔵浦和]]・[[大宮駅 (埼玉県)|大宮]]・[[川越駅|川越]]方面
|-
| style="text-align:center"|下り
|-
! rowspan="2" |2
| style="text-align:center" |南行
| rowspan="2" |[[池袋駅|池袋]]・[[新宿駅|新宿]]・[[大崎駅|大崎]]・[[東京臨海高速鉄道りんかい線|りんかい線]]・[[相鉄・JR直通線|相鉄線]]方面
|-
| style="text-align:center" |上り
|}
(出典:[https://www.jreast.co.jp/estation/stations/834.html JR東日本:駅構内図])
<gallery widths="180" style="font-size:90%;">
JR East Jūjō Station North Gate 20230129.jpg|北改札(2023年1月)
JR East Jūjō Station South Gate 20230129.jpg|南改札(2023年1月)
JR East Jūjō Station North Exit Ticket Counter.jpg|切符売り場(2023年1月)
JR East Jūjō Station Platform 20230205.jpg|ホーム(2023年2月)
</gallery>
=== 発車メロディ ===
上下線で[[日本電音]]製の発車メロディを使用している。
{|border="1" cellspacing="0" cellpadding="3" frame="hsides" rules="rows"
!1
|[[File:JR JA line symbol.svg|15px|JK]]
|せせらぎ
|-
!2
|[[File:JR JA line symbol.svg|15px|JK]]
|高原
|}
=== 特記事項 ===
* あずみ跡地には、これまで改札脇にあった[[NewDays]]が移転し、2014年8月29日に開店した。
<!-- * 前述の駅構造のため、当駅は埼京線内で唯一、全電車の進行方向左側のドアが開閉する駅<ref group="注釈">大崎・新宿・池袋・武蔵浦和・大宮の各駅は電車によって開閉する側が異なり、それ以外の全駅で全電車の進行方向右側のドアが開閉する。逆に直通先の川越線内では[[川越駅]]・[[南古谷駅]](一部列車のみ)を除いて左側が開閉する駅であり、同じく直通先のりんかい線内では[[東雲駅 (東京都)|東雲駅]]において全電車左側が開閉し、[[相鉄・JR直通線]]ではJR線内だけでも[[西大井駅]]・[[羽沢横浜国大駅]]が左側開閉となる。</ref>である。 -->
== 利用状況 ==
[[2022年]](令和4年)度の1日平均[[乗降人員#乗車人員|'''乗車'''人員]]は'''32,107人'''である。他路線との接続が無い駅としては、[[埼京線]]内最多である。
近年の1日平均'''乗車'''人員の推移は下表の通り。
<!--東京都統計年鑑を出典にしている数値については、元データが1,000人単位で掲載されているため、*1000/365 (or 366) で計算してあります-->
{|class="wikitable" style="text-align:right; font-size:85%;"
|+年度別1日平均乗車人員<ref group="統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/tn-index.htm 東京都統計年鑑] - 東京都</ref>
!年度
!1日平均<br />乗車人員
!出典
|-
|1990年(平成{{0}}2年)
|32,458
|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1990/tn90qyti0510u.htm 東京都統計年鑑(平成2年)]</ref>
|-
|1991年(平成{{0}}3年)
|32,508
|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1991/tn91qyti0510u.htm 東京都統計年鑑(平成3年)]</ref>
|-
|1992年(平成{{0}}4年)
|32,827
|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1992/TOBB510P.HTM 東京都統計年鑑(平成4年)]</ref>
|-
|1993年(平成{{0}}5年)
|32,800
|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1993/TOBB510Q.HTM 東京都統計年鑑(平成5年)]</ref>
|-
|1994年(平成{{0}}6年)
|32,258
|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1994/TOBB510R.HTM 東京都統計年鑑(平成6年)]</ref>
|-
|1995年(平成{{0}}7年)
|32,104
|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1995/TOBB510S.HTM 東京都統計年鑑(平成7年)]</ref>
|-
|1996年(平成{{0}}8年)
|32,337
|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1996/TOBB510T.HTM 東京都統計年鑑(平成8年)]</ref>
|-
|1997年(平成{{0}}9年)
|31,847
|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1997/TOBB510U.HTM 東京都統計年鑑(平成9年)]</ref>
|-
|1998年(平成10年)
|31,956
|<ref group="*">{{PDFlink|[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1998/TOBB510J.PDF 東京都統計年鑑(平成10年)]}}</ref>
|-
|1999年(平成11年)
|31,284
|<ref group="*">{{PDFlink|[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1999/TOBB510K.PDF 東京都統計年鑑(平成11年)]}}</ref>
|-
|2000年(平成12年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2000_01.html 各駅の乗車人員(2000年度)] - JR東日本</ref>30,764
|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2000/00qyti0510u.htm 東京都統計年鑑(平成12年)]</ref>
|-
|2001年(平成13年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2001_01.html 各駅の乗車人員(2001年度)] - JR東日本</ref>30,456
|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2001/01qyti0510u.htm 東京都統計年鑑(平成13年)]</ref>
|-
|2002年(平成14年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2002_01.html 各駅の乗車人員(2002年度)] - JR東日本</ref>30,454
|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2002/tn02qyti0510u.htm 東京都統計年鑑(平成14年)]</ref>
|-
|2003年(平成15年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2003_01.html 各駅の乗車人員(2003年度)] - JR東日本</ref>30,559
|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2003/tn03qyti0510u.htm 東京都統計年鑑(平成15年)]</ref>
|-
|2004年(平成16年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2004_01.html 各駅の乗車人員(2004年度)] - JR東日本</ref>30,561
|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2004/tn04qyti0510u.htm 東京都統計年鑑(平成16年)]</ref>
|-
|2005年(平成17年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2005_01.html 各駅の乗車人員(2005年度)] - JR東日本</ref>30,517
|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2005/tn05qyti0510u.htm 東京都統計年鑑(平成17年)]</ref>
|-
|2006年(平成18年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2006_01.html 各駅の乗車人員(2006年度)] - JR東日本</ref>31,379
|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2006/tn06qyti0510u.htm 東京都統計年鑑(平成18年)]</ref>
|-
|2007年(平成19年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2007_01.html 各駅の乗車人員(2007年度)] - JR東日本</ref>32,643
|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2007/tn07qyti0510u.htm 東京都統計年鑑(平成19年)]</ref>
|-
|2008年(平成20年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2008_01.html 各駅の乗車人員(2008年度)] - JR東日本</ref>33,446
|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2008/tn08qyti0510u.htm 東京都統計年鑑(平成20年)]</ref>
|-
|2009年(平成21年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2009_01.html 各駅の乗車人員(2009年度)] - JR東日本</ref>33,882
|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2009/tn09q3i004.htm 東京都統計年鑑(平成21年)]</ref>
|-
|2010年(平成22年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2010_01.html 各駅の乗車人員(2010年度)] - JR東日本</ref>34,134
|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2010/tn10q3i004.htm 東京都統計年鑑(平成22年)]</ref>
|-
|2011年(平成23年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2011_01.html 各駅の乗車人員(2011年度)] - JR東日本</ref>34,044
|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2011/tn11q3i004.htm 東京都統計年鑑(平成23年)]</ref>
|-
|2012年(平成24年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2012_01.html 各駅の乗車人員(2012年度)] - JR東日本</ref>35,285
|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2012/tn12q3i004.htm 東京都統計年鑑(平成24年)]</ref>
|-
|2013年(平成25年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2013_01.html 各駅の乗車人員(2013年度)] - JR東日本</ref>35,943
|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2013/tn13q3i004.htm 東京都統計年鑑(平成25年)]</ref>
|-
|2014年(平成26年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2014_01.html 各駅の乗車人員(2014年度)] - JR東日本</ref>35,162
|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2014/tn14q3i004.htm 東京都統計年鑑(平成26年)]</ref>
|-
|2015年(平成27年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2015_01.html 各駅の乗車人員(2015年度)] - JR東日本</ref>35,901
|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2015/tn15q3i004.htm 東京都統計年鑑(平成27年)]</ref>
|-
|2016年(平成28年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2016_01.html 各駅の乗車人員(2016年度)] - JR東日本</ref>36,594
|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2016/tn16q3i004.htm 東京都統計年鑑(平成28年)]</ref>
|-
|2017年(平成29年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2017_01.html 各駅の乗車人員(2017年度)] - JR東日本</ref>36,991
|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2017/tn17q3i004.htm 東京都統計年鑑(平成29年)]</ref>
|-
|2018年(平成30年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2018_01.html 各駅の乗車人員(2018年度)] - JR東日本</ref>37,110
|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2018/tn18q3i004.htm 東京都統計年鑑(平成30年)]</ref>
|-
|2019年(令和元年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2019_01.html 各駅の乗車人員(2019年度)] - JR東日本</ref>36,429
|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2019/tn19q3i004.htm 東京都統計年鑑(平成31年・令和元年)]</ref>
|-
|2020年(令和{{0}}2年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2020_01.html 各駅の乗車人員(2020年度)] - JR東日本</ref>23,855
|
|-
|2021年(令和{{0}}3年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2021_01.html 各駅の乗車人員(2021年度)] - JR東日本</ref>28,714
|
|-
|2022年(令和{{0}}4年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2022_01.html 各駅の乗車人員(2022年度)] - JR東日本</ref>32,107
|
|}
== 駅周辺 ==
[[ファイル:Jujo Ginza Shopping District.JPG|thumb|駅側より十条銀座のアーケード入口を望む]]
西口駅前では十条駅西口地区第一種市街地再開発事業が都市計画決定されており、2024年完成予定の37階建[[超高層マンション]]が2021年3月に着工した<ref>「[https://www.zaikei.co.jp/article/20211122/648628.html 東京・十条駅のタワマン・商業一体再開発、名称が「J&TERRACE」「J&MALL」に]」『[[財経新聞]]』(2021年11月22日)。2022年3月11日閲覧。</ref><ref>「[https://www.fashionsnap.com/article/2021-11-22/jujo-jand/ 北区初30階超の駅前複合施設、名称が「J& TERRACE」と「J& MALL」に決定]」2021年11月22日、FASHIONSNAP.COM, RECO ORLANDO inc. 2022年3月11日閲覧。</ref>。
西口駅前から北に伸びる商店街の[[十条銀座]]は約200軒の商店で構成されていて、東京都北区で最大規模の商店街である<ref name="北区地域振興部">[http://www.kanko.city.kita.tokyo.jp/spot/302-2/ 十条銀座商店街・十条富士見商店街] 北区地域振興部観光振興担当。2022年3月11日閲覧。</ref>。
駅西方には[[帝京大学]]板橋キャンパスおよび[[帝京大学医学部附属病院]]、[[帝京中学校・高等学校]]など帝京大学グループの施設建物がある。駅南口から線路沿いに板橋方面に向かうと[[東京家政大学]]がある。
駅北東に東京都内では2館だけとなった、大衆演劇専用小劇場といわれる[[篠原演芸場]]がある。(当駅と東十条駅のほぼ中間。もう1館は[[浅草木馬館]])
前述のとおり、駅のホームは踏切に挟まれる形で設置されており、慢性的に混雑している埼京線の車両数を増やせない一つの原因ともなっている。踏切は一方が線路を挟んで立地する別の商店街同士(十条銀座と十条中央商店街(演芸場通り))を結ぶ道路、もう一方が[[東京都道455号本郷赤羽線|都道455号本郷赤羽線]]のものである。
{{columns-list|2|
* JR[[京浜東北線]] [[東十条駅]](駅北東側の十条中央商店街(演芸場通り)を経由して徒歩8分前後)
* [[東京都北区立中央公園]]
* [[北区立中央図書館]]
* [[国立西が丘サッカー場]]([[命名権]]により「味の素フィールド西が丘」と呼称している)
* [[陸上自衛隊]][[十条駐屯地]]
* [[東京成徳大学]]・[[東京成徳短期大学]]
* [[東京都立赤羽北桜高等学校]](2021年4月に[[東京都立赤羽商業高等学校]]を再編)
* [[東京朝鮮中高級学校]]
* [[東日本電信電話|NTT]]十条ビル
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== バス路線 ==
<!--バス路線の記述は[[プロジェクト:鉄道#バス路線の記述法]]に基づき、必要最小限の情報に留めています。特に経由地については、[[プロジェクト:鉄道#バス路線の記述法]]の観点から、記載しないでください。-->
[[国際興業バス]]が運行。
* [[国際興業バス赤羽営業所#赤羽駅西口 - 西が丘 - 王子駅線|王23]]:[[王子駅]] / [[国際興業バス赤羽営業所|赤羽車庫]]
* 赤50:王子駅 / 赤羽駅西口
== 連続立体交差事業 ==
十条駅周辺にて、[[連続立体交差事業]](鉄道高架化)の事業化を進める計画がある。そもそもこれは1976年(昭和51年)に東北新幹線開業に伴い通勤新線を建設するのに伴い赤羽線の輸送力増強が必要となったことから、北区が計画に同意するに当たり1983年(昭和58年)9月28日に十条駅を地下化、赤羽駅を高架化することで合意していた<ref>赤羽駅付近連続立体交差化及び十条駅付近地下化促進に関する決議 北区議会 1983年9月28日決議。</ref>。
その後赤羽駅は全線で高架化されたが、一方で十条駅に関しては計画が変更され、赤羽駅と同じく高架化を行う事となった<ref>{{Cite web|和書|date=2020-03-15 |url=https://news.mynavi.jp/article/railwaynews-216/ |title=JR埼京線十条駅付近を高架化へ - 国鉄時代には地下化構想も |website=マイナビニュース |publisher=マイナビ |accessdate=2020-12-03 }}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.toshiseibi.metro.tokyo.lg.jp/kiban/pamphlet/pdf/pamphlet_26.pdf|archiveurl=https://web.archive.org/web/20201119060717/https://www.toshiseibi.metro.tokyo.lg.jp/kiban/pamphlet/pdf/pamphlet_26.pdf|title=東日本旅客鉃道赤羽線(埼京線)十条駅付近の連続立体交差化計画および関連する道路計画について|archivedate=2020-11-19|accessdate=2020-11-19|publisher=東京都/北区/東日本旅客鉄道|format=PDF|language=日本語}}</ref>。[[2016年]][[9月23日]]には高架建設を前提に「[[環境アセスメント|環境影響評価書]]案」を<ref>{{Cite press release|和書|url=https://www.metro.tokyo.lg.jp/tosei/hodohappyo/press/2016/09/23/05.html|archiveurl=https://web.archive.org/web/20200404203223/https://www.metro.tokyo.lg.jp/tosei/hodohappyo/press/2016/09/23/05.html|language=日本語|title=東日本旅客鉃道赤羽線(十条駅付近)連続立体交差事業の環境影響評価書案を提出しました|publisher=東京都都市整備局|date=2016-09-23|accessdate=2021-03-06|archivedate=2020-04-04}}</ref>、[[2017年]][[2月21日]]には「環境影響評価書案に係る見解書」を<ref>{{Cite press release|和書|url=https://www.metro.tokyo.lg.jp/tosei/hodohappyo/press/2017/02/21/06.html|archiveurl=https://web.archive.org/web/20200405092312/https://www.metro.tokyo.lg.jp/tosei/hodohappyo/press/2017/02/21/06.html|language=日本語|title=東日本旅客鉄道赤羽線(十条駅付近)連続立体交差事業の環境影響評価書案に係る見解書を提出しました|publisher=東京都都市整備局/建設局|date=2017-02-21|accessdate=2021-03-06|archivedate=2020-04-05}}</ref>、同年[[10月31日]]には「環境影響評価書」を[[東京都知事]]に提出するなど手続きを進め<ref>{{Cite press release|和書|url=https://www.metro.tokyo.lg.jp/tosei/hodohappyo/press/2017/10/31/02.html|archiveurl=https://web.archive.org/web/20200405121429/https://www.metro.tokyo.lg.jp/tosei/hodohappyo/press/2017/10/31/02.html|language=日本語|title=東日本旅客鉄道赤羽線(十条駅付近)連続立体交差事業の環境影響評価書を提出しました|publisher=東京都都市整備局/建設局|date=2017-10-31|accessdate=2021-03-06|archivedate=2020-04-05}}</ref>、東京都は、2020年3月3日に国土交通省から都市計画事業の認可を取得した<ref name="認可" />。2030年度完成予定<ref name="認可" />。
工事施行方式は、まず東側に用地を確保し、そこに上り線を仮線として移設し、ついで上り線跡地に下り線を移設し、下り線跡地に単線の高架(下り線)を設置する。更に下り仮線跡地(旧上り線)に上り線の高架を設置する方式がとられることになっている<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.toshiseibi.metro.tokyo.lg.jp/kiban/pamphlet/pdf/pamphlet_39.pdf|archiveurl=https://web.archive.org/web/20201119061157/https://www.toshiseibi.metro.tokyo.lg.jp/kiban/pamphlet/pdf/pamphlet_39.pdf|title=都市高速鉄道東日本旅客鉄道赤羽線(埼京線)十条駅付近 連続立体交差化計画の都市計画案および環境影響評価書案のあらまし 関連する道路の都市計画案等|archivedate=2020-11-19|accessdate=2020-11-19|publisher=東京都/北区/東日本旅客鉄道|format=PDF|language=日本語}}</ref>。
== 隣の駅 ==
; 東日本旅客鉄道(JR東日本)
: [[ファイル:JR JA line symbol.svg|15px|JA]] 埼京線
:: {{Color|#ff0066|■}}通勤快速・{{Color|#0099ff|■}}快速・{{Color|#00ac9a|■}}各駅停車
::: [[板橋駅]] (JA 13) - '''十条駅 (JA 14)''' - [[赤羽駅]] (JA 15)
== 脚注 ==
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=== 記事本文 ===
==== 注釈 ====
{{Reflist|group="注釈"}}
==== 出典 ====
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===== 広報資料・プレスリリースなど一次資料 =====
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=== 利用状況 ===
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; JR東日本の2000年度以降の乗車人員
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; 東京都統計年鑑
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== 関連項目 ==
{{Commonscat|Jūjō Station (Tokyo)}}
* [[日本の鉄道駅一覧]]
== 外部リンク ==
* {{外部リンク/JR東日本駅|filename=834|name=十条}}
{{埼京線}}
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[[Category:東京都北区の鉄道駅]]
[[Category:日本の鉄道駅 し|ゆうしよう]]
[[Category:日本鉄道の鉄道駅]]
[[Category:東日本旅客鉄道の鉄道駅]]
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[[Category:1910年開業の鉄道駅]]
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なぞなぞ
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なぞなぞ(謎謎、なぞ)は、問いかけに対して、とんちを利かせた答えを要求する言葉遊びを用いたクイズである。ただし普通のクイズとは違って正解は事実に基づくものではなく、言葉の意味をこじつけた駄洒落・洒落が多い。韻を踏んでいたり、何かに見立てられたりする。転じて、言葉によって婉曲的にわからせる事についてもなぞなぞという。
奈良時代に編纂された万葉集には、「戯書」と呼ばれる万葉仮名を使った強引な当て字による言語表現があり、なぞなぞに通じる遊び心を酌み取ることができる。 日本で最初になぞなぞを始めたとされるのは、嵯峨天皇の「『子子子子子子子子子子子子』を読め」と言われている。
平安時代にはなぞなぞは「なぞなぞ物語」と呼ばれており、貴族のあいだでは歌合から派生した「なぞなぞ合(あわせ)」が行われた。なぞなぞ合は左右に分かれて互いに和歌の知識を婉曲に問うもので、返答も答えを含めた和歌を詠むことで行われた。鎌倉時代に入るとなぞなぞ物語は「なぞなぞ」「なぞたて」と呼ばれるようになり、質問は和歌より盛んになった連歌の技法である賦物の影響を受けるようになった。中御門宣胤の日記『宣胤卿記』には当時のなぞなぞが収録され、宣胤が謎連歌を自作した記事が残されている。
室町時代には宮中以外でも、文芸好きの僧侶や侍によってなぞなぞが楽しまれるようになり、後柏原天皇・後奈良天皇真筆と言われる宸翰本『なぞたて』など、なぞなぞ集が作られるようになった。しかし、江戸時代に入るとなぞなぞは大衆化・演芸化し、連歌の流れをくむなぞなぞは埋没してしまった。
江戸時代より伝承されているなぞなぞには、「なーんだ」「なんでしょう」などで問いかける二段謎と、今日でも寄席芸のひとつである都々逸や大喜利のなぞかけとして創作されている「○○とかけて、△△と解く、その心は」という三段謎がある。問い・答え・答えの解説から成る三段謎は、江戸時代初期の歌舞伎踊りの歌詞に見られるように演芸・話芸などの興業や、なぞなぞ本として盛んに出版された。
現代の日本では、最後の「何だ」という文句を「なーーんだ」と節をつけて歌うように語る事が多い。
なお、なぞなぞの一種である「絵解きなぞなぞ」の起源は、平安時代から江戸時代初期にかけて完成された「判じ物」(はんじもの)(※判じ絵、語り絵、絵考(絵考え)などとも呼ばれる)にある。
フェキオン山のスフィンクスが通りかかる人間に問いかけたという「朝は四本足、昼は二本足、夕は三本足。この生き物は何か?」というなぞなぞは世界的に有名である。答えられなかった者はスフィンクスに食い殺されたそうだが、ある旅人(オイディプス)が正解を答えるとスフィンクスは崖から身を投げたという。このなぞなぞの答えは「人間」。赤ん坊の頃は四つん這い、やがて二本足で立つようになるが、老人になると杖を突くので三本足になる、というわけである。
このなぞなぞでの「朝」「昼」「夜」は人間の一生を一日に例えた比喩的表現である。一部の間では「朝も昼も夜も赤ん坊は4本足、その後は2本足、その後は3本足」という解釈も出てきている。同型のなぞなぞでは「最初は4本、次は2本、最後は3本」となっている場合が多い。
問題1「上は洪水、下は大火事、これな~んだ?」
問題2「パンはパンでも食べられないパンは、なぁに?」
問題3「パンはパンでも、空を飛ぶパンはな~んだ?」
以上 なぞなぞが存在したクイズ番組。
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なぞなぞ(謎謎、なぞ)は、問いかけに対して、とんちを利かせた答えを要求する言葉遊びを用いたクイズである。ただし普通のクイズとは違って正解は事実に基づくものではなく、言葉の意味をこじつけた駄洒落・洒落が多い。韻を踏んでいたり、何かに見立てられたりする。転じて、言葉によって婉曲的にわからせる事についてもなぞなぞという。
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{{Otheruses|[[クイズ]]の一種|[[グリム童話]]の[[KHM 22]]のお話|なぞなぞ (グリム童話)}}
{{複数の問題
|出典の明記=2012-1
|独自研究=2012-1
}}
'''なぞなぞ'''(謎謎、なぞ)は、問いかけに対して、[[とんち]]を利かせた答えを要求する[[言葉遊び]]を用いた[[クイズ]]である。ただし普通の[[クイズ]]とは違って正解は事実に基づくものではなく、[[言葉]]の[[意味]]をこじつけた[[駄洒落]]・[[洒落]]が多い。[[韻文|韻]]を踏んでいたり、何かに[[見立て]]られたりする{{sfn|小堀|2007|pp=104-117}}。転じて、言葉によって婉曲的にわからせる事についても'''なぞなぞ'''という。
== 日本のなぞなぞ ==
[[奈良時代]]に編纂された[[万葉集]]には、「戯書」と呼ばれる[[万葉仮名]]を使った強引な当て字による言語表現があり、なぞなぞに通じる遊び心を酌み取ることができる{{sfn|小堀|2007|pp=104-117}}。
{{要出典範囲|日本で最初になぞなぞを始めたとされるのは、[[嵯峨天皇]]の「『[[子子子子子子子子子子子子]]』を読め」と言われている|date=2014年9月}}。
[[平安時代]]にはなぞなぞは「なぞなぞ物語」と呼ばれており、貴族のあいだでは[[歌合]]から派生した「なぞなぞ合(あわせ)」が行われた。なぞなぞ合は左右に分かれて互いに[[和歌]]の知識を婉曲に問うもので、返答も答えを含めた和歌を詠むことで行われた。[[鎌倉時代]]に入るとなぞなぞ物語は「なぞなぞ」「なぞたて」と呼ばれるようになり、質問は和歌より盛んになった[[連歌]]の技法である賦物の影響を受けるようになった{{sfn|小堀|2007|pp=104-117}}。[[中御門宣胤]]の日記『[[宣胤卿記]]』には当時のなぞなぞが収録され、宣胤が謎連歌を自作した記事が残されている。
[[室町時代]]には宮中以外でも、文芸好きの僧侶や侍によってなぞなぞが楽しまれるようになり、[[後柏原天皇]]・[[後奈良天皇]]真筆と言われる宸翰本『なぞたて』など、なぞなぞ集が作られるようになった。しかし、[[江戸時代]]に入るとなぞなぞは大衆化・演芸化し、連歌の流れをくむなぞなぞは埋没してしまった{{sfn|小堀|2007|pp=104-117}}。
江戸時代より伝承されているなぞなぞには、「なーんだ」「なんでしょう」などで問いかける二段謎と、今日でも[[寄席]]芸のひとつである[[都々逸]]や[[大喜利]]の[[なぞかけ]]として創作されている「○○とかけて、△△と解く、その心は」という三段謎がある。問い・答え・答えの解説から成る三段謎は、江戸時代初期の[[歌舞伎踊り]]の歌詞に見られるように演芸・話芸などの興業や、なぞなぞ本として盛んに出版された{{sfn|小堀|2007|pp=104-117}}。
現代の日本では、最後の「何だ」という文句を「なーーんだ」と節をつけて歌うように語る事が多い。
なお、なぞなぞの一種である「絵解きなぞなぞ」の起源は、平安時代から江戸時代初期にかけて完成された「判じ物」(はんじもの)(※判じ絵、語り絵、絵考(絵考え)などとも呼ばれる)にある。
== スフィンクスのなぞなぞ(ギリシャ神話より) ==
フェキオン山の[[スフィンクス]]が通りかかる人間に問いかけたという「朝は四本足、昼は二本足、夕は三本足。この生き物は何か?」というなぞなぞは世界的に有名である。答えられなかった者はスフィンクスに食い殺されたそうだが、ある旅人([[オイディプス]])が正解を答えるとスフィンクスは崖から身を投げたという。このなぞなぞの答えは「人間」。赤ん坊の頃は四つん這い、やがて二本足で立つようになるが、老人になると杖を突くので三本足になる、というわけである。
このなぞなぞでの「朝」「昼」「夜」は人間の一生を一日に例えた比喩的表現である。一部の間では「朝も昼も夜も赤ん坊は4本足、その後は2本足、その後は3本足」という解釈も出てきている。同型のなぞなぞでは「最初は4本、次は2本、最後は3本」となっている場合が多い。
==なぞなぞの例==
問題1「上は洪水、下は大火事、これな~んだ?」
:答え:「お風呂」
問題2「パンはパンでも食べられないパンは、なぁに?」
:答え:「フライパン」
問題3「パンはパンでも、空を飛ぶパンはな~んだ?」
:答え:「ピーターパン」
== なぞなぞに関するテレビ番組 ==
=== クイズ番組 ===
*[[お笑い頭の体操]]([[TBSテレビ|TBS]]系列)
*[[文珍なぞなぞランド|文珍・頭の新体操→文珍なぞなぞランド]]([[朝日放送テレビ|朝日放送]]制作・[[テレビ朝日]]系列)
*[[マジカル頭脳パワー!!]]([[日本テレビ放送網|日本テレビ]]系列)
*[[サルヂエ]]([[中京テレビ放送|中京テレビ]]制作・日本テレビ系列)
*[[脳内エステ IQサプリ]]([[フジテレビジョン|フジテレビ]]系列)
以上 なぞなぞが存在したクイズ番組。
=== テレビアニメ ===
*[[コボちゃん]]([[讀賣テレビ放送|よみうりテレビ]]制作・日本テレビ系列)
::毎回ラストに「コボなぞ」というコーナーが有り、コボちゃん一家がなぞなぞを出していた。そしてその答えは、次回放送分の「コボなぞこたえだよ」で発表していた(レギュラー放送最終回ではその場で発表)。
=== その他 ===
*[[秘密戦隊ゴレンジャー]]
*:毎回、キレンジャーこと大岩大太と加藤太郎少年がやるなぞなぞが名物。時によっては、敵組織「黒十字軍」の戦闘員ゾルダーもやる事が有った。また中期の次回予告では、ナレーターの[[大平透]]が視聴者相手のなぞなぞを出して、「『ゴレンジャー』を見て、なぞなぞ博士になろう!」(あるいは「なぞなぞに強くなろう!」)と締めた。
*[[一休さん・喝!]]([[テレビ東京]]系列)
*:毎回ラストに、視聴者から投稿されたなぞなぞを、一休さん([[柳沢慎吾]])が答えるコーナーが有った。
*[[バリキン7 賢者の戦略]](TBS系列)
*:「魔王軍」の一人に、なぞなぞの得意な「半魚人の半ちゃん」がおり、毎回「バリキン軍」になぞなぞを出していた。また番組ラストには、半ちゃんが視聴者への投稿なぞなぞを出していた。
*[[超特急ファミリーマッチ]]([[東海テレビ放送|東海テレビ]]制作・フジテレビ系列)
*:番組ラストに、視聴者への投稿クイズ「宿題クイズ」として、なぞなぞを出していた。
*[[ポケモンゲット☆TV]](テレビ東京系列)
*:番組内の「ポケテレチャレンジ」の1コーナーとして、ポケモンが問題文中に登場するなぞなぞ「ポケナゾ」が出題されている。その日の出演者全員が正解できれば、抽選で視聴者1名にポケモン関連の商品が当たる。
*[[みんなのニュース]](フジテレビ系列)
*:2015年9月28日放送分から2016年4月1日放送分まで、毎回エンディングでキャスターたちがなぞなぞを出す「みんなのなぞなぞ。」が放送された。
== なぞなぞに関するラジオ番組 ==
*[[伊集院光_深夜の馬鹿力のコーナー#.E7.8F.BE.E5.9C.A8|ちびっこなぞなぞコーナー]] ([[TBSラジオ]])
*:[[伊集院光]]によるラジオ番組「[[伊集院光_深夜の馬鹿力|深夜の馬鹿力]]」の中のコーナー。2012年1月23日(第848回)-2013年4月1日(第910回)
== なぞなぞを題材にした作品 ==
=== 書籍 ===
* 『ことば遊び』 [[鈴木棠三]]([[講談社学術文庫]] 1975年)
* 『なぞの研究』 鈴木棠三(講談社学術文庫 1981年)
* 『日本語のしゃれ』 鈴木棠三(講談社学術文庫 1979年)
* 『ことば遊びの文学史』 [[小野恭靖]]([[新典社]] 1999年)
* 『ことば遊びの世界』 小野恭靖(新典社 2005年)
* 『ことば遊びへの招待』 小野恭靖([[新典社新書]] 2008年)
=== ウェブサイト ===
* 『[https://nazo-quiz.com/ なぞなぞクイズ]』
* 『[https://nazo-quiz.com/kids/ なぞなぞようちえん]』
== 脚注 ==
{{Reflist}}
== 参考文献 ==
*{{Cite book ja-jp |和書 |author = 小堀光夫 |title = うたう |year = 2007 |chapter = なぞなぞの歴史 |publisher = 三弥井書店 |series = シリーズ ことばの世界 | volume = 4 |editor = 日本口承文芸学会 |isbn = 9784838231591 |ref = harv }}
== 関連項目 ==
*[[あるなしクイズ]]
*[[怪人ゾナー]]
*[[なぞかけ]]
*[[判じ物]]
*[[駄洒落]]
*[[ツビレグ ツブレグ マーチ]] - なぞなぞをモチーフにした楽曲。『[[みんなのうた]]』で放送。
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京王高尾線
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高尾線(たかおせん)は、東京都八王子市の北野駅と同市の高尾山口駅を結ぶ、京王電鉄の鉄道路線である。駅ナンバリングで使われる路線記号はKO。
世界有数の登山客数を誇る高尾山へのアクセス路線であり、他にも北野駅 - 高尾駅間では沿線に広がる住宅街の住民の通勤・通学路線となっている。ほとんどの列車は北野駅から京王線に直通して新宿駅まで至る。京王電鉄の営業路線において、唯一の複線と単線との切り替え区間を有する路線である。
高尾線の実質的な起源は、関東地方初の皇室墓地である多摩御陵(武蔵陵墓地)への参拝路線として1931年(昭和6年)に開業した「御陵線」である。
御陵線は、路線免許が当時の東八王子駅(現・京王八王子駅)の所在地である明神町からになっている通り、当初は東八王子駅を高架化して、府立第四高等女学校(現東京都立南多摩中等教育学校)の西側で甲州街道をまたぎ、浅川に沿って八王子市街地北部と同市横川町付近を経由し、多摩御陵付近へ京王線を延伸するルート(北回り案)で、参拝者の移動手段だけでなく八王子市街地の乗客を取り込むことをもくろんでいた。
しかし市街地が路線で分断されるとの理由で八王子市議会が反対、また用地買収も進まなかったために、急遽北野駅から分岐して片倉を経由し、国鉄中央本線と甲州街道を高架でオーバークロスして、多摩御陵付近へ至るルート(南回り案)をとった。当時八王子市の南西部は人家も少なく、結果的に京王が大東急に合併された後、第二次世界大戦末期の1945年(昭和20年)1月に不要不急線として御陵線は休止された。
第二次世界大戦後、1950年代からの日本経済の復興に伴い、東京を中心とする首都圏への人口、産業の集中が進んだことを受け、政府は東京都を中心に、その周辺7県の地域を一体とした広域的かつ総合的な首都圏整備を進めるため、1956年(昭和31年)4月に首都圏整備法を制定した。この法律により工業都市の指定を受けた八王子市は、1950年代後半からは「織物の街」から工業都市として発展がはじまった。御陵線当時人口の少なかった八王子市南西部も人口が増加し、恵まれた環境を求めた各種学校、特に都心のキャンパスが手狭になった上に工場等制限法で近隣での拡張が困難になった、大学の移転も見られるようになった。
大東急から1948年(昭和23年)に独立した京王帝都電鉄は、京王線について既存路線の乗客急増に合わせて車両大型化や架線電圧の1,500 V昇圧など、高速電車への脱皮を進める傍ら、路線価値を高める努力や、路線自体を拡大して周辺住民の取り込みを図っていた。そして1962年(昭和37年)9月から、休止期限が迫る御陵線について活用の検討を始めた。御陵線の線路敷は、休止から20年ほどの期間が経っているとはいえ、用地は京王帝都電鉄の社有地として管理されていた。
といった状況から、京王は通勤・通学路線だけでなく行楽の足としての新線「高尾線」として、御陵線のうち北野 - 山田間を改修・複線化の上で復活させ、山田から先は高尾山まで新たに路線を敷設して建設すること、更に途中駅のめじろ台駅に自社の住宅団地を開発することを決め、着工からわずか1年9か月で全線開業させた。
全線が東京都八王子市内を走行する。
高架2面4線の北野駅を発車するとすぐに国道16号八王子バイパスと交差し、京王線を右に分けて直進する。さらにJR東日本の横浜線と交差すると築堤上を走る。その先で国道16号(東京環状)と交差して京王片倉駅へ。切通しに入る辺りで高尾線唯一の踏切を通過し、さらに切通しを行くと山田駅。同駅を発車すると御陵線の廃線跡を右に分けて切り通しを走る。山田駅から約600 mの地点(北野起点3 k760m地点)までが御陵線の復活区間で、以西は新規に建設された区間となる。20年間の休止期間に、御陵線の線路敷には地元住民が多数の横断路を造っており、高尾線復活時には極力除くこととしたが、1か所の踏切が残存した。新線建設部は、道路とはすべて立体交差である。
集合住宅が両側に見えてくると、間もなく現在は2面2線のめじろ台駅に到着する。(開業時は津久井湖方面の延伸計画があり、待避線をもつ2面4線のホームだった。後年、車両の長編成化に伴って待避線は廃止された。)
めじろ台駅を発車するとしばらく切り通しを抜け、狭間駅に到着する。発車すると高架に入り勾配を下っていく。右側にJR中央線を見るとS字カーブを描き、1面2線の高尾駅に到着する。
高尾駅を発車すると複線から単線になり、高架からトンネル(高尾第1隧道、延長331 m)に入る。トンネルを出ると山の迫る風景となる。緩いS字カーブを描いて再びトンネル(高尾第2隧道、延長118 m)へ入り、抜けるとトラス橋(高尾第5架道橋・延長64 m)で国道20号を渡り、高架1面2線の高尾山口駅に到着する。
2022年3月12日現在のダイヤで、高尾線内で定期列車として設定されているのはMt.TAKAO号、特急、急行、快速、各駅停車の5種別である。京王電鉄の路線図ではこれに加えて区間急行の記載があるが、高尾線内での定期列車の設定はない。一部の各駅停車が北野駅 - 高尾山口駅間の線内運行となる以外は京王線新宿方面または都営新宿線へ直通運転を行っている(都営新宿線への直通運転は、平日2本・休日1本で上りのみ)。
なお、Mt.TAKAO号と急行は高尾線内に通過駅が設定されているが、高尾線内には待避設備が設置されておらず、高尾線内で先行列車を追い越すことはない。
2018年秋季に高尾山の紅葉時期に合わせて臨時列車として初めて運行され、その後2022年3月12日のダイヤ改正で通年土曜・休日に設定されることとなった。
高尾線内は各駅に停車し、すべて京王電鉄の車両で運行される。列車選別装置上では高尾線内は「各駅停車」扱いとなっている。
前身となった準特急は2001年3月27日のダイヤ改定で登場した列車種別であり、2013年2月22日のダイヤ改定以前は旧特急と同じ停車駅で、列車選別装置上では当線内は急行扱いとなっていた。2006年9月1日のダイヤ改定以降は平日の日中のみの運転で1時間に3本が運転されており、平日早朝の上り1本と土曜・休日ダイヤでは「京王線内は準特急、高尾線内は各駅停車」となる列車もあった(高尾線内では各駅停車として案内)。
2013年2月22日のダイヤ改定で、高尾線内の全ての駅が準特急の停車駅となり平日の準特急は早朝上り1本以外は特急に置き換わった。これ以降、高尾線内では準特急は土曜・休日ダイヤを中心に京王線新宿駅 - 高尾山口駅間の列車が設定されている。
2022年3月12日のダイヤ改正で旧「特急」と統合され種別名称を準特急から特急に改めた。
2023年3月11日のダイヤ改正で土休日の夜間を中心に特急が減便され、平日上り27本・下り26本、土休日上り36本・下り28本(高幡不動から各駅停車になる列車を含む)の運転となっている。
高尾線内は北野駅・めじろ台駅・高尾駅・高尾山口駅に停車する。
平日は、朝の通勤時間帯に高尾山口発京王線新宿駅行の上り列車が設定されている。土曜・休日は、午前中に高尾山口行が1本設定されている。
2001年3月27日のダイヤ改定以前は平日の日中や土曜日、行楽オフシーズンの休日における主力な優等種別となっていた。1992年秋から2000年秋までは高幡不動駅で多摩動物公園駅行きと分割・併合する急行も存在した。編成両数は、6000系を使用していた初期は5両、8000系を使用した後期は6両だった。
2022年3月12日のダイヤ改正で、特急が高尾線内各駅停車となったため、引き続き通過運転を行う急行が高尾線での事実上の最上位種別となる。また、平日下り、土休日上りの運転が休止され、都営新宿線からの直通も廃止された。
2023年3月11日のダイヤ改正で、土休日下りの列車が特急に格上げされたため、下り列車で高尾線内を通過運転する列車は「Mt.TAKAO号」のみとなった。
どちらも高尾線内は各駅に停車する。ただし前述の通り、定期列車では高尾線内での区間急行は設定されていない。
東日本大震災後、震災に伴う電力不足による2011年7月1日の節電ダイヤから運行休止となっていたが、2013年2月22日のダイヤ改定で復活した。その際、区間急行も通勤快速より改称の上で新設された。2023年3月現在、快速は平日の朝に京王線新宿発高尾山口行き2本が設定されている。2015年9月25日のダイヤ改正からは本八幡発快速高尾山口行・高尾山口発快速本八幡行も設定されていたが、2020年2月22日のダイヤ改正で廃止された。
なお、2020年10月30日のダイヤ修正までは都営新宿線本八幡駅発の区間急行高尾山口行きも4本設定されていたが、調布から各駅停車に種別変更していたため(西調布・飛田給・武蔵野台・多磨霊園にも停車)、高尾線内は各駅停車として運転されていた。深夜にも高尾山口発桜上水行の区間急行が1本設定されていた。
以前は大晦日から元日にかけて、快速による終夜運転も行われていたが、2011年12月31日の大晦日から翌2012年1月1日の元日にかけての終夜運転では快速の運転は行われなかった。
すべての駅に停車し、高尾線内で最も多く運転される種別。
ほとんどの列車が新宿駅 - 高尾山口駅間の運転である。1時間あたり3本、平日の朝夕が6本程度運行され、その多くが北野駅で京王八王子駅発着の特急や急行に接続する。
2013年2月17日までは、北野発着の高尾線の各駅停車が、北野駅 - 新宿駅間を準特急として運行の設定があった。2013年2月22日のダイヤ改定で、夕方から20時台までの上り列車と、夜間の下り列車の一部は快速に代替され、また北野駅での接続列車は特急に変更された(2013年2月22日から2015年9月24日までの間のダイヤでは京王線内の特急と準特急の停車駅は同一のため京王八王子駅発着の準特急は存在しなかった)。平日夕方には、本八幡発で、新線新宿駅 - 調布駅間区間急行、都営新宿線内と調布駅 - 高尾山口駅間が各駅停車という列車も設定された。この列車には都営地下鉄の車両と京王電鉄の車両の両方が使われ、折り返しは快速本八幡行となっていた。2020年2月22日のダイヤ改正で、夜間の快速が各駅停車へと変更され、高尾山口駅発着の一部が高尾駅発着に短縮された。また、夜間の都営新宿線直通列車が廃止された。
大晦日から元日にかけての終夜運転では、高尾山薬王院へ初詣する客への便宜を図るため、高尾駅 - 高尾山口駅間の区間列車も運転される。近年の実績としては、午前0時台と1時台に1往復ずつ運転されていることが多い。
2022年(令和4年)3月12日現在のダイヤで日中1時間あたりの運行本数は、以下のようになっている。
高尾線内は北野駅・めじろ台駅・高尾駅・高尾山口駅に停車し、すべて京王電鉄の車両で運転される。列車選別装置上では当線内は急行扱いとなっていた。
列車選別装置上の特急となっていた「特急」の高尾線内の停車駅はめじろ台駅・高尾駅・高尾山口駅で北野駅は通過していた。その後、2012年8月19日のダイヤ改定で当時唯一の運行であった土曜・休日の新宿駅 - 高尾山口駅間の1往復が準特急へ格下げとなり運行休止となった。2013年2月22日のダイヤ改定では改定以前の準特急と同様の停車駅で再び設定され、高尾線内では北野駅が停車駅に加わった。2015年9月25日のダイヤ改正以降は平日の日中を中心に運転されており、土曜・休日は1往復のみ運転されていた。
2006年春までの土曜・休日のシーズンダイヤでは新宿駅 - 京王八王子駅間の特急と高幡不動駅で分割・併合を行っていた。高尾線直通の編成は、6000系を使用していた1992年春までは下りが後5両(上りは前5両)が、8000系を使用した1992年秋以降は下りは後4両(上りは前4両)が充当されていた。
1992年春までは、新宿駅 - 高尾山口駅間を結ぶ行楽特急「高尾」号も存在した。6000系などを使用し、ヘッドマークを装着していた。
2022年3月12日のダイヤ改正で準特急と統合され準特急が特急に名称を改めたことで廃止された。
高尾駅発新宿駅着が2020年2月25日から2022年3月11日までの平日朝に1本設定されていた。
通勤快速は2001年のダイヤ改定までは通勤時間帯の主力種別だった。高尾線内は各駅に停車した。開業以来停車駅は急行と同じだったが、1992年5月28日のダイヤ改定から通過駅だった京王片倉・山田・狭間の各駅が停車駅に加わり、東府中駅以西は各駅に停車するようになった。2013年2月22日のダイヤ改定で区間急行に改称したため消滅した。
2003年以降、毎年冬季に高尾山の名物とろろそばによる観光客誘致キャンペーン「高尾山冬そばキャンペーン」が実施されている。当初は1月中旬から3月31日にかけて開催していたが、2008年以降は2月から3月上旬の週末に変更されている。また「高尾山冬そばキャンペーン」では高尾登山電鉄(京王グループ)とのタイアップも行っている。
2006年から2015年には臨時急行「高尾山冬そば号」が、大島(都営新宿線) - 新線新宿 - 高尾山口間で運行されていた。2015年2月14日の「高尾山冬そば号」では東京都交通局と共同で「乗車記念オリジナルマイ箸とミニタオルプレゼント」企画が行われ、新宿発の準特急として運用された2016年2月20日の「高尾山冬そば号」には、前年に登場した京王8000系「高尾山トレイン」が充当された。なお「高尾山トレイン」は、2015年10月27日の「京王高尾山温泉 / 極楽湯」開業の際にも特製ヘッドマークを装着して運行されていた。
元日深夜の終夜運転時には、各駅停車に加え新宿駅及び都営新宿線方面から高尾山口駅まで臨時列車が運行されている。2018年までは、新宿発の特急列車に「迎光号」、都営新宿線内発の急行列車に「迎光かがやき号」の愛称が与えられていた。2019年は「京王ライナー迎光号」が2本運転され、特急列車は運行されず、急行列車は愛称なしでの運転となった。2020年は「京王ライナー迎春号」として下り4本上り1本が運行されたほか、本八幡発の急行と新宿発の区間急行が1本ずつ運行された。
女性専用車は、平日朝7:30 - 9:30に新宿駅に到着する上り急行の進行方向先頭車両で実施している(実施区間は全区間)。
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"paragraph_id": 30,
"tag": "p",
"text": "すべての駅に停車し、高尾線内で最も多く運転される種別。",
"title": "運転"
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{
"paragraph_id": 31,
"tag": "p",
"text": "ほとんどの列車が新宿駅 - 高尾山口駅間の運転である。1時間あたり3本、平日の朝夕が6本程度運行され、その多くが北野駅で京王八王子駅発着の特急や急行に接続する。",
"title": "運転"
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"paragraph_id": 32,
"tag": "p",
"text": "2013年2月17日までは、北野発着の高尾線の各駅停車が、北野駅 - 新宿駅間を準特急として運行の設定があった。2013年2月22日のダイヤ改定で、夕方から20時台までの上り列車と、夜間の下り列車の一部は快速に代替され、また北野駅での接続列車は特急に変更された(2013年2月22日から2015年9月24日までの間のダイヤでは京王線内の特急と準特急の停車駅は同一のため京王八王子駅発着の準特急は存在しなかった)。平日夕方には、本八幡発で、新線新宿駅 - 調布駅間区間急行、都営新宿線内と調布駅 - 高尾山口駅間が各駅停車という列車も設定された。この列車には都営地下鉄の車両と京王電鉄の車両の両方が使われ、折り返しは快速本八幡行となっていた。2020年2月22日のダイヤ改正で、夜間の快速が各駅停車へと変更され、高尾山口駅発着の一部が高尾駅発着に短縮された。また、夜間の都営新宿線直通列車が廃止された。",
"title": "運転"
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"text": "大晦日から元日にかけての終夜運転では、高尾山薬王院へ初詣する客への便宜を図るため、高尾駅 - 高尾山口駅間の区間列車も運転される。近年の実績としては、午前0時台と1時台に1往復ずつ運転されていることが多い。",
"title": "運転"
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"text": "2022年(令和4年)3月12日現在のダイヤで日中1時間あたりの運行本数は、以下のようになっている。",
"title": "運転"
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"text": "高尾線内は北野駅・めじろ台駅・高尾駅・高尾山口駅に停車し、すべて京王電鉄の車両で運転される。列車選別装置上では当線内は急行扱いとなっていた。",
"title": "運転"
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"text": "列車選別装置上の特急となっていた「特急」の高尾線内の停車駅はめじろ台駅・高尾駅・高尾山口駅で北野駅は通過していた。その後、2012年8月19日のダイヤ改定で当時唯一の運行であった土曜・休日の新宿駅 - 高尾山口駅間の1往復が準特急へ格下げとなり運行休止となった。2013年2月22日のダイヤ改定では改定以前の準特急と同様の停車駅で再び設定され、高尾線内では北野駅が停車駅に加わった。2015年9月25日のダイヤ改正以降は平日の日中を中心に運転されており、土曜・休日は1往復のみ運転されていた。",
"title": "運転"
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"text": "2006年春までの土曜・休日のシーズンダイヤでは新宿駅 - 京王八王子駅間の特急と高幡不動駅で分割・併合を行っていた。高尾線直通の編成は、6000系を使用していた1992年春までは下りが後5両(上りは前5両)が、8000系を使用した1992年秋以降は下りは後4両(上りは前4両)が充当されていた。",
"title": "運転"
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"text": "1992年春までは、新宿駅 - 高尾山口駅間を結ぶ行楽特急「高尾」号も存在した。6000系などを使用し、ヘッドマークを装着していた。",
"title": "運転"
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"text": "2022年3月12日のダイヤ改正で準特急と統合され準特急が特急に名称を改めたことで廃止された。",
"title": "運転"
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"text": "高尾駅発新宿駅着が2020年2月25日から2022年3月11日までの平日朝に1本設定されていた。",
"title": "運転"
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"text": "通勤快速は2001年のダイヤ改定までは通勤時間帯の主力種別だった。高尾線内は各駅に停車した。開業以来停車駅は急行と同じだったが、1992年5月28日のダイヤ改定から通過駅だった京王片倉・山田・狭間の各駅が停車駅に加わり、東府中駅以西は各駅に停車するようになった。2013年2月22日のダイヤ改定で区間急行に改称したため消滅した。",
"title": "運転"
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"text": "2003年以降、毎年冬季に高尾山の名物とろろそばによる観光客誘致キャンペーン「高尾山冬そばキャンペーン」が実施されている。当初は1月中旬から3月31日にかけて開催していたが、2008年以降は2月から3月上旬の週末に変更されている。また「高尾山冬そばキャンペーン」では高尾登山電鉄(京王グループ)とのタイアップも行っている。",
"title": "臨時列車・観光キャンペーン"
},
{
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"text": "2006年から2015年には臨時急行「高尾山冬そば号」が、大島(都営新宿線) - 新線新宿 - 高尾山口間で運行されていた。2015年2月14日の「高尾山冬そば号」では東京都交通局と共同で「乗車記念オリジナルマイ箸とミニタオルプレゼント」企画が行われ、新宿発の準特急として運用された2016年2月20日の「高尾山冬そば号」には、前年に登場した京王8000系「高尾山トレイン」が充当された。なお「高尾山トレイン」は、2015年10月27日の「京王高尾山温泉 / 極楽湯」開業の際にも特製ヘッドマークを装着して運行されていた。",
"title": "臨時列車・観光キャンペーン"
},
{
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"tag": "p",
"text": "元日深夜の終夜運転時には、各駅停車に加え新宿駅及び都営新宿線方面から高尾山口駅まで臨時列車が運行されている。2018年までは、新宿発の特急列車に「迎光号」、都営新宿線内発の急行列車に「迎光かがやき号」の愛称が与えられていた。2019年は「京王ライナー迎光号」が2本運転され、特急列車は運行されず、急行列車は愛称なしでの運転となった。2020年は「京王ライナー迎春号」として下り4本上り1本が運行されたほか、本八幡発の急行と新宿発の区間急行が1本ずつ運行された。",
"title": "臨時列車・観光キャンペーン"
},
{
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"text": "女性専用車は、平日朝7:30 - 9:30に新宿駅に到着する上り急行の進行方向先頭車両で実施している(実施区間は全区間)。",
"title": "女性専用車"
}
] |
高尾線(たかおせん)は、東京都八王子市の北野駅と同市の高尾山口駅を結ぶ、京王電鉄の鉄道路線である。駅ナンバリングで使われる路線記号はKO。 世界有数の登山客数を誇る高尾山へのアクセス路線であり、他にも北野駅 - 高尾駅間では沿線に広がる住宅街の住民の通勤・通学路線となっている。ほとんどの列車は北野駅から京王線に直通して新宿駅まで至る。京王電鉄の営業路線において、唯一の複線と単線との切り替え区間を有する路線である。
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{{Otheruses|北野 - 高尾山口間の鉄道路線|1938年に京王電鉄の前身である京王電気軌道と合併した武蔵中央電気鉄道が開通させ、1939年に廃止された横山車庫前 - 高尾橋間の軌道線|武蔵中央電気鉄道}}
{{Infobox 鉄道路線
|路線名 = [[File:KeioRailway logo.svg|38px|京王電鉄|link=京王電鉄]] 高尾線
|路線色 = #dd0077
|ロゴ = File:Number prefix Keio-line.svg
|ロゴサイズ = 40px
|画像 = Keio-Takao-Line 8000.jpg
|画像サイズ = 300px
|画像説明 = 高尾線を走行する[[京王8000系電車|8000系電車]]<br>(2021年11月 [[高尾駅 (東京都)|高尾駅]] - [[高尾山口駅]]間)
|国 = {{JPN}}
|所在地 = [[東京都]][[八王子市]]
|起点 = [[北野駅 (東京都)|北野駅]]
|終点 = [[高尾山口駅]]
|駅数 = 7駅
|路線記号 = KO
|開業 = [[1931年]][[3月20日]](御陵線として)<br>[[1967年]][[10月1日]](高尾線として)
|休止 = 1945年1月21日(御陵線として)
|廃止 =
|所有者 = [[京王電鉄]]
|運営者 = 京王電鉄
|車両基地 =[[高幡不動検車区]]
|使用車両 =
|路線距離 = 8.6 [[キロメートル|km]]
|軌間 = 1,372 [[ミリメートル|mm]]
|線路数 = [[複線]](北野 - 高尾間)、[[単線]](高尾 - 高尾山口間)
|電化方式 = [[直流電化|直流]]1,500 [[ボルト (単位)|V]] [[架空電車線方式]]
|最大勾配 = 35 [[パーミル|‰]]<ref name="DOBOKU1972-1">土木技術社『土木技術』1972年1月号工事報告「京王帝都電鉄・高尾線建設工事」pp.93 - 99。</ref>
|最小曲線半径 = 200 m<ref name="DOBOKU1972-1"/>
|閉塞方式 = 速度制御式
|保安装置 = 京王[[自動列車制御装置|ATC]]
|最高速度 = 105 [[キロメートル毎時|km/h]]<ref name="terada">寺田裕一『データブック日本の私鉄』 - ネコ・パブリッシング</ref>
|路線図=
}}
{|{{Railway line header}}
{{UKrail-header2|停車場・施設・接続路線|#dd0077|white}}
{{BS-table}}
{{BS2||KHSTa|||[[本八幡駅]]|}}<!-- 直通先の地下の区別は不要 -->
{{BS2||LSTR|||[[都営地下鉄|都営]]:[[都営地下鉄新宿線|新宿線]]|}}
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{{BS2|BHF|O1=HUBaq|BHF|O2=HUBeq|6.9|KO52 [[高尾駅 (東京都)|高尾駅]]||}}
{{BS2|STRr|TUNNEL1|||JR東:中央線|}}
{{BS2||TUNNEL1||||}}
{{BS2||WBRÜCKE2|||案内川|}}
{{BS2||KBHFe|8.6|KO53 [[高尾山口駅]]||}}
{{BS2||KHSTa|||[[清滝駅]]|}}
{{BS2|FUNI|STR|||[[高尾登山電鉄]]|}}
|}
|}
'''高尾線'''(たかおせん)は、[[東京都]][[八王子市]]の[[北野駅 (東京都)|北野駅]]と同市の[[高尾山口駅]]を結ぶ、[[京王電鉄]]の[[鉄道路線]]である。[[駅ナンバリング]]で使われる路線記号は'''KO'''。
世界有数の登山客数を誇る[[高尾山]]へのアクセス路線であり、他にも北野駅 - [[高尾駅 (東京都)|高尾駅]]間では沿線に広がる住宅街の住民の通勤・通学路線となっている。ほとんどの列車は北野駅から[[京王線]]に直通して[[新宿駅]]まで至る。京王電鉄の営業路線において、唯一の[[複線]]と[[単線]]との切り替え区間を有する路線である。
== 路線データ ==
* 路線距離:8.6km
** 全線8.65 kmのうち、御陵線の復活区間が3.76 km、新規建設区間が4.89 km<ref name="DOBOKU1972-1"/>
* [[軌間]]:1372mm
* 駅数:7駅(起終点駅含む)
* 複線区間:北野駅 - [[高尾駅 (東京都)|高尾駅]]間
* 単線区間:高尾駅 - 高尾山口駅間
* 電化区間:全線(直流1500V)
* 保安装置:京王[[自動列車制御装置|ATC]]、速度制御式
* 最高速度:105km/h<ref name="terada" />
* 最急勾配:35 ‰(北野駅 - 京王片倉間で[[横浜線]]を跨ぐ箇所)<ref name="DOBOKU1972-1"/>
* 最小曲線半径:200 m<ref name="DOBOKU1972-1"/>
** 全区間のうち、[[盛土]]区間2,694 m、[[切土]]区間4,040 m、[[高架橋]]1,347 m、橋梁120 m、[[トンネル]]449 m<ref name="DOBOKU1972-1"/>
== 歴史 ==
=== 前史(御陵線) ===
高尾線の実質的な起源は、[[関東地方]]初の皇室墓地である多摩御陵([[武蔵陵墓地]])への参拝路線として1931年(昭和6年)に開業した「[[京王御陵線|御陵線]]」である。
御陵線は、路線免許が当時の東八王子駅(現・[[京王八王子駅]])の所在地である[[明神町 (八王子市)|明神町]]からになっている通り、当初は東八王子駅を高架化して、府立第四高等女学校(現[[東京都立南多摩中等教育学校]])の西側で甲州街道をまたぎ、[[浅川 (東京都)|浅川]]に沿って[[八王子市]]街地北部と同市横川町付近を経由し、多摩御陵付近へ[[京王線]]を延伸するルート(北回り案)<ref name="rp198309清水_111-112"/>で、参拝者の移動手段だけでなく八王子市街地の乗客を取り込むことをもくろんでいた<ref name="rp197305中川_15"/>。
しかし市街地が路線で分断されるとの理由で八王子市議会が反対<ref name="rp198309清水_111-112"/>、また用地買収も進まなかった<ref name="rp197305中川_15"/>ために、急遽[[北野駅 (東京都)|北野駅]]から分岐して片倉を経由し、[[日本国有鉄道|国鉄]][[中央本線]]と[[甲州街道]]を高架でオーバークロスして、多摩御陵付近へ至るルート(南回り案)をとった。当時八王子市の南西部は人家も少なく、結果的に京王が[[大東急]]に合併された後、[[第二次世界大戦]]末期の1945年(昭和20年)1月に[[不要不急線]]として御陵線は休止された。
*[[1927年]]([[昭和]]2年)[[12月13日]] - 鉄道免許状下付(八王子市明神町-南多摩郡横山村間)<ref>[{{NDLDC|2956751/6}} 「鉄道免許状下付」『官報』1927年12月16日]([[国立国会図書館]]デジタルコレクション)</ref>
* [[1930年]](昭和5年)[[5月]] - 北野駅で分岐する路線変更が認可される
* [[1931年]](昭和6年)[[3月20日]] - 御陵線として北野 - 御陵前(後の[[多摩御陵前駅|多摩御陵前]])間が開業。
* [[1945年]](昭和20年)[[1月21日]] - 御陵線北野 - 多摩御陵前間休止。
* [[1964年]](昭和39年)11月26日 ‐ 御陵線山田 - 多摩御陵前間が正式に廃止。
=== 高尾線 ===
第二次世界大戦後、1950年代からの日本経済の復興に伴い、東京を中心とする首都圏への人口、産業の集中が進んだことを受け、政府は東京都を中心に、その周辺7県の地域を一体とした広域的かつ総合的な首都圏整備を進めるため、[[1956年]](昭和31年)4月に[[首都圏整備法]]を制定した。この法律により工業都市の指定を受けた八王子市は、1950年代後半からは「織物の街」から工業都市として発展がはじまった。御陵線当時人口の少なかった八王子市南西部も人口が増加し、恵まれた環境を求めた各種学校、特に都心の[[キャンパス]]が手狭になった上に[[工場等制限法]]で近隣での拡張が困難になった、[[大学]]の移転も見られるようになった<ref name="rp196605大野_138"/>。
大東急から[[1948年]](昭和23年)に独立した京王帝都電鉄は、京王線について既存路線の乗客急増に合わせて車両大型化や架線電圧の1,500 V昇圧など、高速電車への脱皮を進める傍ら、路線価値を高める努力や、路線自体を拡大して周辺住民の取り込みを図っていた。そして[[1962年]](昭和37年)9月から、休止期限が迫る御陵線について活用の検討を始めた<ref name="rp1965KRF_73-74"/>。御陵線の線路敷は、休止から20年ほどの期間が経っているとはいえ、用地は京王帝都電鉄の社有地として管理されていた<ref name="DOBOKU1972-1"/>。
* 北野から[[京王片倉駅|片倉]]方面は住宅地化が進み始めており、本線と直通すれば通勤・通学の需要が期待できる。
* [[狭間駅|狭間]]付近には工業地区(狭間工業地区<ref name="rp196711_141"/>)が設定されており、発展が見込まれる。
* 京王線沿線にはこれといった観光地がないが、八王子市南西部には手ごろな観光地として人気の高まっていた<ref name="rp1965KRF_73-74"/>[[高尾山]]がある。しかし1962年の時点で高尾山へのアクセスは、[[日本国有鉄道|国鉄]][[高尾駅 (東京都)|高尾駅]]か東八王子駅からバスで行くしか手段がなく不便<ref name="rp196711_141"/>。
といった状況から、京王は通勤・通学路線だけでなく行楽の足としての新線「高尾線」として、御陵線のうち北野 - 山田間を改修・複線化の上で復活させ{{refnest|group="注釈"|京王は北野 - 山田間の休止期間延長、山田 - 多摩御陵前間の廃止を申請し、[[1964年]](昭和39年)11月26日に免許を受けている<ref name="rp1965KRF_73-74"/>。}}、山田から先は高尾山まで新たに路線を敷設して建設すること、更に途中駅の[[めじろ台駅]]に自社の住宅団地を開発することを決め、着工からわずか1年9か月{{refnest|group="注釈"|当初は1967年11月1日開業予定だったが、行楽シーズンに合わせて前倒しした<ref name="rp201409鈴木_128"/>。}}で全線開業させた。
* [[1963年]](昭和38年)3月5日 八王子市山田町<ref group="注釈">北野起点3k760m</ref> - 高尾山口間免許申請(全長4k910m)
* [[1964年]](昭和39年)[[6月17日]] - 山田 - 高尾山口間免許認可。
* [[1965年]](昭和40年)
**[[2月]] - 工事施工認可。
**[[9月]] - 測量開始。
* [[1966年]](昭和41年)[[1月]] - [[高尾山口駅]]予定地で起工式を行う<ref name="rp201409鈴木_126"/>。
* [[1967年]](昭和42年)
**[[9月5日]] - [[京王5000系電車 (初代)|5000系]]6両編成による、試運転を兼ねた試乗列車が運行<ref name="rp201409鈴木_127"/>。
**[[10月1日]] - 山田 - 高尾山口間開業。御陵線のうち北野 - 山田間を高尾線として復活。片倉駅を京王片倉駅に改称。特急は高幡不動駅で京王八王子行きと分割併合する運用{{refnest|group="注釈"|当初6両編成のうち4両が京王八王子、2両が高尾山口行きだったが、高尾線の利用客が多かったため、10月8日から高尾山口行きが4両になった<ref name="rp201409鈴木_128"/>。}}と、休日のみ運行のハイキング特急「高尾」で運転開始<ref name="rp201409鈴木_128"/>。
* [[1968年]](昭和43年)
** [[1月1日]] - [[高尾山薬王院]]の迎光祭に合わせ、特急「迎光号」運行。以降は毎年運行。
** [[12月28日]] - 高尾駅 - 高尾山口駅間に[[自動列車停止装置|ATS]]を設置し、使用開始<ref>{{Cite news |和書|title=京王帝都 二区間のATS使用へ |newspaper=[[交通新聞]] |publisher=交通協力会 |date=1968-12-28 |page=1 }}</ref>。
* [[1972年]](昭和47年)[[11月]] - 高尾線内各駅停車が[[京王2600系|2600系]]投入で3連化される<ref name="rp201409鈴木_129"/>。
* [[1974年]](昭和49年)[[7月]] - 路線名を「京王高尾線」から「高尾線」に変更<ref name="rp201409鈴木_129"/>。
* [[1975年]](昭和50年)[[10月20日]] - 8両編成運転開始(特急・通勤快速の一部)<ref name=":0">{{Cite web|和書|url=https://www.keio.co.jp/company/corporate/summary/corporate_manual/pdf/2006/2006p76to95.pdf |title=2006年会社要覧 データ集 年表 |access-date=2022-10-15 |publisher=京王電鉄}}</ref>。
* [[1977年]](昭和52年)[[11月]] - 2600系が引退。[[京王2000系電車|2000系・2010系]]、もしくは5000系などの4両編成が高尾線内各駅停車に使われるようになる<ref name="rp201409鈴木_129"/>。
<!---* [[1982年]](昭和57年) - 10両編成運転開始(通勤急行の一部) 文献等による確認が取れていないのでコメントアウトとしておきます--->
* [[1984年]](昭和59年)[[4月]] - 高尾線内各駅停車が6連化される<ref name="rp201409鈴木_129"/>。
* [[1992年]]([[平成]]4年)[[12月23日]] - 急行系列車すべてを10両編成化<ref name=":0" />
* [[2001年]](平成13年)[[3月27日]] - 準特急の運転開始。
* [[2006年]](平成18年)1月21日 - [[東京都交通局]]との共同企画で、[[本八幡駅|本八幡]] - 高尾山口間に[[京王6000系電車|6000系]]を使用した臨時急行「高尾山 冬そば号」を運行<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.keio.co.jp/campaign/soba/ |title=高尾山の冬そばキャンペーン開催! |access-date=2022-10-15 |publisher=京王電鉄 |archive-url=https://web.archive.org/web/20060211161842/http://www.keio.co.jp:80/campaign/soba/ |archive-date=2006-02-11}}</ref>{{refnest|group="注釈"|[[#rp201409鈴木|鈴木(2014) ]]は2005年と記載<ref name="rp201409鈴木_129"/>。}}。以降[[2007年]]から[[2015年]]<ref name=":1">{{Cite news|title=「高尾山冬そば号」運転|newspaper=railf.jp|date=2015-02-15|url=https://railf.jp/news/2015/02/15/190000.html|access-date=2022-10-15}}</ref>まで[[大島駅 (東京都)|大島]] - 高尾山口間で年1回運行。
* [[2007年]](平成9年)10月1日 - 高尾線開業40周年を迎える。[[File:Keio Takao Line 40th Anniversary.jpg|thumb|200px|高尾線開業40周年記念ヘッドマークを装着した京王8000系(2007年)]]
*: 高尾線各駅で写真展などの記念イベントを開催したほか、[[京王9000系電車|9000系]] (9735F) と[[京王8000系電車|8000系]] (8801F・8701F) に、行楽特急「高尾」号のヘッドマークを再現した記念ヘッドマークを装着した。また、9000系全編成と6000系 (6723F・6724F) では車内で高尾線の懐かしの写真が展示された。ヘッドマークの掲出は[[12月10日]]まで行なわれる予定だったが、11月下旬で打ち切りになった。
* [[2008年]](平成20年)[[8月28日]] - [[平成20年8月末豪雨]]により、高尾山口 - 高尾間で[[土砂崩れ]]が発生、高尾山口発高幡不動行上り各駅停車(8000系8728F)の1両目が脱線。乗客はおらず乗務員に負傷者なし。8月30日に全線復旧。[[運輸安全委員会]]の調査では雨量規制基準の不明瞭が原因としている。
* [[2011年]](平成23年)
** [[7月1日]] - 通勤快速の設定がなくなる。
** [[10月2日]] - [[自動列車制御装置]] (ATC) の使用を開始<ref name="Kyosan2013-3">京三製作所『京三サーキュラー』Vol.64 No.3(平成25年)2013年「車上演算式新ATCシステム」pp.4 - 5。</ref>。
* [[2012年]](平成24年)[[8月19日]] - 特急の運転が休止。
* [[2013年]](平成25年)[[2月22日]] - 特急の運転が再開され、準特急は当線内各駅停車となる<ref name="keio2013-2" />。夕方から夜にかけて本八幡 - 高尾山口(新線新宿 - 調布は急行)が20分間隔で設定<ref name="rp201409鈴木_130"/>。
* [[2015年]](平成27年)[[9月30日]] - 京王8000系 (8713F) ラッピング電車「[[京王8000系電車#車体ラッピング|高尾山トレイン]]」登場<ref>{{Cite news|title=京王線で高尾山をイメージしたラッピング車両の運転開始|newspaper=railf.jp|date=2015-10-01|url=https://railf.jp/news/2015/10/01/150000.html|access-date=2022-10-15}}</ref>。
* [[2016年]](平成28年)2月20日 - 「高尾山冬そば号」が新宿 - 高尾山口間の準特急として、「高尾山トレイン」を使用して運転される<ref name=":2">{{Cite news|title=京王「高尾山冬そば号」運転|newspaper=railf.jp|date=2016-02-22|url=https://railf.jp/news/2016/02/22/140000.html|access-date=2022-10-15}}</ref>。
* [[2017年]](平成29年)10月1日 - 高尾線開業50周年を迎える。[[File:Keio8000takao-wiki.jpg|thumb|200px|高尾線開業50周年記念ヘッドマークを装着した京王8000系「[[京王8000系電車#車体ラッピング|高尾山トレイン]]」(2017年)]]
*:「高尾山トレイン」に行楽特急「高尾」号のヘッドマークを再現した記念ヘッドマークを装着して運行。
* [[2019年]](平成31年)1月1日 - 「迎光号」に[[京王5000系電車 (2代)|5000系(2代)]]を使用し、座席指定列車「京王ライナー迎光号」として運転<ref name=":3">{{Cite news|title=京王,元日に京王ライナー“迎光号”を運転|newspaper=railf.jp|date=2018-11-30|access-date=2022-10-15|url=https://railf.jp/news/2018/11/30/014000.html}}</ref>。
* 2019年([[令和]]元年)[[10月12日]] - [[令和元年東日本台風]](台風19号)により全線で運転見合わせ。めじろ台 - 狭間間で土砂流入<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.mlit.go.jp/common/001312336.pdf#page=59 |title=令和元年台風第19号による被害状況等について(第7報)|format=PDF | work=国土交通省 災害情報 |date=2019-10-14 13:00 |accessdate=2019-10-30}}</ref>。10月14日に運転再開<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.mlit.go.jp/common/001314517.pdf#page=112 |title=令和元年台風第19号による被害状況等について(第31報)|format=PDF | work=国土交通省 災害情報 |date=2019-10-29 5:30 |accessdate=2019-10-30}}</ref>。
* [[2022年]](令和4年)[[3月12日]] - ダイヤ改正で準特急と特急を統合、特急の停車駅を従来の準特急の停車駅に変更し、準特急を廃止<ref name="keio20220127">{{PDFlink|[https://www.keio.co.jp/news/update/news_release/news_release2021/nr20220127_daiya.pdf 2022年3月12日(土)始発から 京王線ダイヤ改正を実施します]}} - 京王電鉄、2022年1月27日、2022年1月29日閲覧。</ref><ref name="keio20211210">{{PDFlink|[https://www.keio.co.jp/news/update/news_release/news_release2021/nr20211210_daiya.pdf 京王線 ダイヤ改正を実施します]}} - 京王電鉄、2021年12月10日、2021年12月10日閲覧。</ref>
== 沿線概況 ==
全線が[[東京都]][[八王子市]]内を走行する。
=== 北野 - めじろ台 ===
高架2面4線の[[北野駅 (東京都)|北野駅]]を発車するとすぐに[[国道16号]]八王子バイパスと交差し、[[京王線]]を右に分けて直進する。さらに[[東日本旅客鉄道|JR東日本]]の[[横浜線]]と交差すると[[盛土|築堤]]上を走る。その先で国道16号(東京環状)と交差して[[京王片倉駅]]へ。[[切通し]]に入る辺りで高尾線唯一の[[踏切]]を通過し、さらに切通しを行くと[[山田駅 (東京都)|山田駅]]。同駅を発車すると[[京王御陵線|御陵線]]の[[廃線]]跡を右に分けて切り通しを走る。山田駅から約600 mの地点(北野起点3 k760m地点)までが御陵線の復活区間で、以西は新規に建設された区間となる<ref name="DOBOKU1972-1"/>。20年間の休止期間に、御陵線の線路敷には地元住民が多数の横断路を造っており、高尾線復活時には極力除くこととしたが、1か所の踏切が残存した<ref name="DOBOKU1972-1"/>。新線建設部は、道路とはすべて立体交差である<ref name="DOBOKU1972-1"/>。
集合住宅が両側に見えてくると、間もなく現在は2面2線の[[めじろ台駅]]に到着する<ref name="DOBOKU1972-1"/>。(開業時は津久井湖方面の延伸計画があり、待避線をもつ2面4線のホームだった。後年、車両の長編成化に伴って待避線は廃止された。)
=== めじろ台 - 高尾 ===
めじろ台駅を発車するとしばらく切り通しを抜け、[[狭間駅]]に到着する。発車すると高架に入り勾配を下っていく。右側にJR中央線を見るとS字カーブを描き、1面2線の[[高尾駅 (東京都)|高尾駅]]に到着する。
=== 高尾 - 高尾山口 ===
高尾駅を発車すると[[複線]]から[[単線]]になり、高架からトンネル(高尾第1隧道、延長331 m)に入る。トンネルを出ると山の迫る風景となる。緩いS字カーブを描いて再びトンネル(高尾第2隧道、延長118 m)へ入り、抜けると[[トラス橋]](高尾第5架道橋・延長64 m<ref name="DOBOKU1972-1"/>)で[[国道20号]]を渡り、高架1面2線の[[高尾山口駅]]に到着する。
== 運転 ==
[[2022年]][[3月12日]]現在の[[ダイヤグラム|ダイヤ]]で、高尾線内で定期列車として設定されているのは[[京王ライナー#Mt.TAKAO号|Mt.TAKAO号]]、[[特別急行列車|特急]]、[[急行列車|急行]]、[[快速列車|快速]]、[[各駅停車]]の5種別である。京王電鉄の路線図ではこれに加えて区間急行の記載があるが、高尾線内での定期列車の設定はない。一部の各駅停車が北野駅 - 高尾山口駅間の線内運行となる以外は[[京王線]][[新宿駅|新宿]]方面または[[都営地下鉄新宿線|都営新宿線]]へ[[直通運転]]を行っている(都営新宿線への直通運転は、平日2本・休日1本で上りのみ)<ref>[https://transfer-train.navitime.biz/keio/directions/timetable?station=2628&line=4&direction=1&lang=ja 高尾 時刻表 | 京王電鉄] - [[京王グループ]]ホームページ(2023年11月26日閲覧)。</ref>。
なお、Mt.TAKAO号と急行は高尾線内に通過駅が設定されているが、高尾線内には待避設備が設置されておらず、高尾線内で先行列車を追い越すことはない。
=== 列車種別 ===
==== Mt.TAKAO号 ====
2018年秋季に高尾山の[[紅葉]]時期に合わせて臨時列車として初めて運行され<ref>[https://www.keio.co.jp/news/update/news_release/.../nr180926_takaozasekishitei.pdf 高尾山口駅から新宿駅までの初の座席指定列車 高尾山の紅葉シーズンに臨時座席指定列車「Mt.TAKAO号」を運行します!] 京王電鉄プレスリリース(2018年9月26日)2018年11月15日閲覧。</ref>、その後2022年3月12日のダイヤ改正で通年土曜・休日に設定されることとなった<ref name="keio20220127" /><ref name="keio20211210" />。
{{Main|京王ライナー#Mt.TAKAO号}}
==== 特急 ====
高尾線内は各駅に停車し、すべて京王電鉄の車両で運行される。[[列車選別装置]]上では高尾線内は「各駅停車」扱いとなっている。
前身となった[[準特急]]は[[2001年]][[3月27日]]のダイヤ改定で登場した列車種別であり、[[2013年]][[2月22日]]のダイヤ改定以前は旧[[#特急(- 2022年3月12日)|特急]]と同じ停車駅で、列車選別装置上では当線内は急行扱いとなっていた。[[2006年]][[9月1日]]のダイヤ改定以降は平日の日中のみの運転で1時間に3本が運転されており、平日早朝の上り1本と土曜・休日ダイヤでは「京王線内は準特急、高尾線内は各駅停車」となる列車もあった(高尾線内では[[#各駅停車|各駅停車]]として案内)。
2013年2月22日のダイヤ改定で、高尾線内の全ての駅が準特急の停車駅となり<ref name="keio2013-2">{{PDFlink|[http://www.keio.co.jp/news/backnumber/news_release2012/nr121105_diagram.pdf 2月22日、京王線・井の頭線のダイヤを刷新します]}} - 京王電鉄、2012年11月5日、2012年11月5日閲覧。</ref>平日の準特急は早朝上り1本以外は特急に置き換わった。これ以降、高尾線内では準特急は土曜・休日ダイヤを中心に京王線新宿駅 - 高尾山口駅間の列車が設定されている。
2022年3月12日のダイヤ改正で旧「特急」と統合され種別名称を準特急から特急に改めた<ref name="keio20220127" /><ref name="keio20211210" />。
2023年3月11日のダイヤ改正で土休日の夜間を中心に特急が減便され、平日上り27本・下り26本、土休日上り36本・下り28本(高幡不動から各駅停車になる列車を含む)の運転となっている。
==== 急行 ====
高尾線内は北野駅・めじろ台駅・高尾駅・高尾山口駅に停車する。
平日は、朝の通勤時間帯に高尾山口発京王線新宿駅行の上り列車が設定されている。土曜・休日は、午前中に高尾山口行が1本設定されている。
2001年3月27日のダイヤ改定以前は平日の日中や土曜日、行楽オフシーズンの休日における主力な優等種別となっていた。1992年秋から[[2000年]]秋までは高幡不動駅で[[多摩動物公園駅]]行きと分割・併合する急行も存在した。編成両数は、6000系を使用していた初期は5両、8000系を使用した後期は6両だった。
2022年3月12日のダイヤ改正で、特急が高尾線内各駅停車となったため、引き続き通過運転を行う急行が高尾線での事実上の最上位種別となる<ref name="keio20220127" /><ref name="keio20211210" />。また、平日下り、土休日上りの運転が休止され、都営新宿線からの直通も廃止された。
2023年3月11日のダイヤ改正で、土休日下りの列車が特急に格上げされたため、下り列車で高尾線内を通過運転する列車は「Mt.TAKAO号」のみとなった。
==== 区間急行・快速 ====
どちらも高尾線内は各駅に停車する。ただし前述の通り、定期列車では高尾線内での区間急行は設定されていない。
[[東日本大震災]]後、[[東日本大震災による電力危機|震災に伴う電力不足]]による[[2011年]]7月1日の節電ダイヤから運行休止となっていたが、2013年2月22日のダイヤ改定で復活した。その際、区間急行も通勤快速より改称の上で新設された。2023年3月現在、快速は平日の朝に京王線新宿発高尾山口行き2本が設定されている。2015年9月25日のダイヤ改正からは本八幡発快速高尾山口行・高尾山口発快速本八幡行も設定されていたが、2020年2月22日のダイヤ改正で廃止された。
なお、2020年10月30日のダイヤ修正までは都営新宿線本八幡駅発の区間急行高尾山口行きも4本設定されていたが、調布から各駅停車に種別変更していたため(西調布・飛田給・武蔵野台・多磨霊園にも停車)、高尾線内は各駅停車として運転されていた。深夜にも高尾山口発桜上水行の区間急行が1本設定されていた。
以前は[[大晦日]]から[[元日]]にかけて、快速による[[終夜運転]]も行われていたが、2011年12月31日の大晦日から翌2012年1月1日の元日にかけての終夜運転では快速の運転は行われなかった。
==== 各駅停車 ====
すべての駅に停車し、高尾線内で最も多く運転される種別。
ほとんどの列車が新宿駅 - 高尾山口駅間の運転である。1時間あたり3本、平日の朝夕が6本程度運行され、その多くが北野駅で京王八王子駅発着の特急や急行に接続する。
2013年2月17日までは、北野発着の高尾線の各駅停車が、北野駅 - 新宿駅間を準特急として運行の設定があった。2013年2月22日のダイヤ改定で、夕方から20時台までの上り列車と、夜間の下り列車の一部は快速に代替され、また北野駅での接続列車は特急に変更された(2013年2月22日から2015年9月24日までの間のダイヤでは京王線内の特急と準特急の停車駅は同一のため京王八王子駅発着の準特急は存在しなかった)。平日夕方には、本八幡発で、新線新宿駅 - 調布駅間区間急行、都営新宿線内と調布駅 - 高尾山口駅間が各駅停車という列車も設定された。この列車には都営地下鉄の車両と京王電鉄の車両の両方が使われ、折り返しは[[#区間急行・快速|快速]]本八幡行となっていた。2020年2月22日のダイヤ改正で、夜間の快速が各駅停車へと変更され、高尾山口駅発着の一部が高尾駅発着に短縮された。また、夜間の都営新宿線直通列車が廃止された。
[[大晦日]]から[[元日]]にかけての[[終夜運転]]では、[[高尾山薬王院]]へ[[初詣]]する客への便宜を図るため、高尾駅 - 高尾山口駅間の区間列車も運転される。近年の実績としては、午前0時台と1時台に1往復ずつ運転されていることが多い。
=== 運行本数 ===
[[2022年]](令和4年)[[3月12日]]現在のダイヤで日中1時間あたりの運行本数は、以下のようになっている。
{|class="wikitable"
|+日中の運行パターン
|-
!colspan="2"|種別\駅名
!|京王線直通
!|北野
!…
!|高尾山口
|- style="text-align:center"
!rowspan="2"|運行範囲
|style="background:pink"|特急||colspan="5" style="background:pink"|3本
|-style="text-align:center"
|style="background:lightgrey"|各駅停車||colspan="5" style="background:lightgrey"|3本
|}
=== 廃止された種別 ===
==== 特急(- 2022年3月12日) ====
[[ファイル:Keio5000-0.JPG|thumb|right|200px|「高尾」ヘッドマークを装着した[[京王5000系電車 (初代)|初代5000系]](2004年11月14日、[[若葉台検車区|若葉台車両基地]]にて撮影)]]
高尾線内は北野駅・めじろ台駅・高尾駅・高尾山口駅に停車し、すべて京王電鉄の車両で運転される。[[列車選別装置]]上では当線内は[[#急行|急行]]扱いとなっていた。
列車選別装置上の特急となっていた「特急」の高尾線内の停車駅はめじろ台駅・高尾駅・高尾山口駅で北野駅は通過していた。その後、[[2012年]][[8月19日]]のダイヤ改定で当時唯一の運行であった土曜・休日の新宿駅 - 高尾山口駅間の1往復が準特急へ格下げとなり運行休止となった。2013年2月22日のダイヤ改定では改定以前の準特急と同様の停車駅で再び設定され、高尾線内では北野駅が停車駅に加わった<ref name="keio2013-2" />。[[2015年]][[9月25日]]のダイヤ改正以降は平日の日中を中心に運転されており、土曜・休日は1往復のみ運転されていた。
[[2006年]]春までの土曜・休日のシーズンダイヤでは新宿駅 - [[京王八王子駅]]間の特急と高幡不動駅で[[増解結|分割・併合]]を行っていた。高尾線直通の[[編成 (鉄道)|編成]]は、[[京王6000系電車|6000系]]を使用していた[[1992年]]春までは下りが後5両(上りは前5両)が、[[京王8000系電車|8000系]]を使用した1992年秋以降は下りは後4両(上りは前4両)が充当されていた。
1992年春までは、新宿駅 - 高尾山口駅間を結ぶ行楽特急「高尾」号も存在した。[[京王6000系|6000系]]などを使用し、[[方向幕#ヘッドマーク|ヘッドマーク]]を装着していた。
[[2022年]][[3月12日]]のダイヤ改正で準特急と統合され準特急が特急に名称を改めたことで廃止された<ref name="keio20220127" /><ref name="keio20211210" />。
==== 準特急 ====
{{Main2|「[[#特急|特急]]」の節を}}
高尾駅発新宿駅着が2020年2月25日から2022年3月11日までの平日朝に1本設定されていた。
==== 通勤快速 ====
通勤快速は[[2001年]]のダイヤ改定までは通勤時間帯の主力種別だった。高尾線内は各駅に停車した。開業以来停車駅は急行と同じだったが、[[1992年]]5月28日のダイヤ改定から通過駅だった京王片倉・山田・狭間の各駅が停車駅に加わり、[[東府中駅]]以西は各駅に停車するようになった。[[2013年]]2月22日のダイヤ改定で区間急行に改称したため消滅した。
== 臨時列車・観光キャンペーン ==
=== 高尾山冬そばキャンペーン ===
[[File:Keio 9000 series 9049F running Fuyusoba.jpg|thumb|200px|「高尾山冬そば号」ヘッドマークを装着した京王9000系(2010年)]]
[[2003年]]以降、毎年冬季に[[高尾山]]の名物[[蕎麦#東京都|とろろそば]]による観光客誘致キャンペーン「高尾山冬そばキャンペーン」が実施されている。当初は[[1月]]中旬から[[3月31日]]にかけて開催していたが、[[2008年]]以降は2月から3月上旬の週末に変更されている。また「高尾山冬そばキャンペーン」では[[高尾登山電鉄]]([[京王グループ]])とのタイアップも行っている<ref>{{Cite web|和書|title=第18回 高尾山の冬そばキャンペーン|url=https://www.takaotozan.co.jp/StationStaff/archives/11296|website=高尾登山電鉄 スタッフブログ|date=2020-01-31|accessdate=2020-04-02|language=ja|publisher=}}</ref>。
2006年から2015年には[[臨時列車|臨時急行]]「高尾山冬そば号」が、[[大島駅 (東京都)|大島]]([[都営新宿線]]) - 新線新宿 - 高尾山口間で運行されていた。[[2015年]]2月14日の「高尾山冬そば号」では[[東京都交通局]]と共同で「乗車記念オリジナルマイ箸とミニタオルプレゼント」企画が行われ<ref name=":1" /><ref>{{Cite web|和書|title=2月14日(土)「第13回高尾山の冬そばキャンペーン」開催期間中に臨時列車「高尾山冬そば号」を運転します!~「乗車記念オリジナルマイ箸とミニタオル」をプレゼント~|url=https://www.kotsu.metro.tokyo.jp/pickup_information/news/subway/2015/sub_p_201501144830_h.html|website=東京都交通局|accessdate=2020-04-02|language=ja|publisher=|date=2015-01-14}}</ref>、新宿発の準特急として運用された[[2016年]]2月20日の「高尾山冬そば号」には、前年に登場した京王8000系「高尾山トレイン」が充当された<ref name=":2" /><ref>{{Cite web|和書|title=京王電鉄が「高尾山冬そば号」運行へ 高尾山薬王院へのそば奉納に合わせ|url=https://hachioji.keizai.biz/headline/2034/|website=八王子経済新聞|accessdate=2020-04-02|publisher=|date=2014-01-14}}</ref>。なお「高尾山トレイン」は、2015年10月27日の「[[京王高尾山温泉|京王高尾山温泉 / 極楽湯]]」開業の際にも特製ヘッドマークを装着して運行されていた<ref>{{Cite news|title=京王8713編成に「高尾山温泉」ヘッドマーク|newspaper=railf.jp|date=2015-10-31|url=https://railf.jp/news/2015/10/31/202500.html|access-date=2022-10-15}}</ref>。
=== 終夜運転 ===
[[元日]]深夜の終夜運転時には、各駅停車に加え新宿駅及び[[都営新宿線]]方面から高尾山口駅まで臨時列車が運行されている。2018年までは、新宿発の特急列車に「迎光号」、都営新宿線内発の急行列車に「迎光かがやき号」の愛称が与えられていた。2019年は「京王ライナー迎光号」が2本運転され、特急列車は運行されず、急行列車は愛称なしでの運転となった<ref name="Keio20181129">{{Cite press release|和書|title=12月31日~1月1日にかけて終夜運転を京王線・井の頭線で実施します!|publisher=京王電鉄株式会社|date=2018-11-29|url=https://www.keio.co.jp/news/update/news_release/news_release2018/nr181129_syuyaunten.pdf|format=PDF|language=日本語|accessdate=2018-11-29}}</ref>。2020年は「京王ライナー迎春号」として下り4本上り1本が運行された<ref name=":3" />ほか、[[本八幡駅|本八幡]]発の急行と新宿発の区間急行が1本ずつ運行された<ref name="Keio20191128">{{Cite press release|和書|title=終夜運転を京王線・井の頭線で実施します!~ 臨時座席指定列車「京王ライナー迎春号」を計5本運行~|publisher=京王電鉄株式会社|date=2019-11-28|url=https://www.keio.co.jp/news/update/news_release/news_release2019/nr191128_geisyungo.pdf|format=PDF|language=日本語|accessdate=2019-11-28}}</ref>。
== 女性専用車 ==
[[女性専用車両|女性専用車]]は、平日朝7:30 - 9:30に新宿駅に到着する上り急行の進行方向先頭車両で実施している(実施区間は全区間)。
<!-- 誰でも乗車できるという旨を記述する際は出典元の明記も忘れずにお願いします -->
== 駅一覧 ==
<!-- 「定期ダイヤで当線での運転はないものの、車両上部・駅に設置の停車駅一覧には当線にも快速停車駅の表示がある」という理由で、快速が一覧に入れられていましたが、通勤快速と共用なので入っているだけなので除外されました。-->
* 全駅[[東京都]][[八王子市]]内に所在。
* 停車駅 … ●:停車、△:新宿方面行きのみ停車、|:通過。各駅停車・快速・区間急行・特急は全ての駅に停車するため省略。
* 線路 … ‖:複線、∨:ここから下は単線、∧:終点([[列車交換]]可能)
* [[駅ナンバリング|駅番号]]は2013年2月22日から順次導入<ref>{{PDFlink|[http://www.keio.co.jp/news/backnumber/news_release2012/nr130118_numbering.pdf 京王線・井の頭線全駅で「駅ナンバリング」を導入します。]}} - 京王電鉄、2013年1月18日、2013年1月19日閲覧</ref>。
{|class="wikitable" rules="all"
|-
!rowspan="2" style="width:4em;border-bottom:3px solid #dd0077"|駅番号
!rowspan="2" style="width:6em;border-bottom:3px solid #dd0077"|駅名
!rowspan="2" style="width:2.5em;border-bottom:3px solid #dd0077"|駅間キロ
!colspan="2"|累計キロ
!rowspan="2" style="background:lightgreen;width:1em;border-bottom:3px solid #dd0077"|{{縦書き|急行}}
!rowspan="2" style="background:white;width:1em;border-bottom:3px solid #dd0077"|{{縦書き|Mt.TAKAO}}
!rowspan="2" style="border-bottom:3px solid #dd0077"|接続路線
!rowspan="2" style="width:1em;border-bottom:3px solid #dd0077"|{{縦書き|線路}}
|-
!style="width:2.5em;border-bottom:3px solid #dd0077"|北野から
!style="width:2.5em;border-bottom:3px solid #dd0077"|[[新宿駅|新宿]]から
|-
!KO33
|[[北野駅 (東京都)|北野駅]]
|style="text-align:center"| -
|style="text-align:right"|0.0
|style="text-align:right"|36.1
|style="background:lightgreen;text-align:center"|●
|style="background:white; text-align:center"|△
|[[京王電鉄]]:[[File:Number prefix Keio-line.svg|18px|KO]] [[京王線]](各駅停車の一部を除く全列車が新宿方面直通)
|style="text-align:center;"|‖
|-
!KO48
|[[京王片倉駅]]
|style="text-align:right"|1.7
|style="text-align:right"|1.7
|style="text-align:right"|37.8
|style="background:lightgreen;text-align:center"||
|style="background:white; text-align:center"||
|
|style="text-align:center;"|‖
|-
!KO49
|[[山田駅 (東京都)|山田駅]]
|style="text-align:right"|1.5
|style="text-align:right"|3.2
|style="text-align:right"|39.3
|style="background:lightgreen;text-align:center"||
|style="background:white;text-align:center"||
|
|style="text-align:center;"|‖
|-
!KO50
|[[めじろ台駅]]
|style="text-align:right"|1.1
|style="text-align:right"|4.3
|style="text-align:right"|40.4
|style="background:lightgreen;text-align:center"|●
|style="background:white;text-align:center"|△
|
|style="text-align:center;"|‖
|-
!KO51
|[[狭間駅]]
|style="text-align:right"|1.5
|style="text-align:right"|5.8
|style="text-align:right"|41.9
|style="background:lightgreen;text-align:center"||
|style="background:white;text-align:center"||
|
|style="text-align:center;"|‖
|-
!KO52
|[[高尾駅 (東京都)|高尾駅]]
|style="text-align:right"|1.1
|style="text-align:right"|6.9
|style="text-align:right"|43.0
|style="background:lightgreen;text-align:center"|●
|style="background:white;text-align:center"|△
|東日本旅客鉄道:[[File:JR JC line symbol.svg|18px|JC]] [[中央本線|中央線]] (JC 24)
|style="text-align:center;"|∨
|-
!KO53
|[[高尾山口駅]]
|style="text-align:right"|1.7
|style="text-align:right"|8.6
|style="text-align:right"|44.7
|style="background:lightgreen;text-align:center"|●
|style="background:white; text-align:center"|●
|[[高尾登山電鉄]]:ケーブルカー([[清滝駅]])・リフト([[山麓駅 (東京都)|山麓駅]])
|style="text-align:center;"|∧
|}
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Reflist|group="注釈"}}
=== 出典 ===
{{Reflist|refs=
<ref name="rp197305中川_15">[[#rp197305中川|『鉄道ピクトリアル』第278号 中川浩一「京王帝都電鉄の系譜」 p.15]]</ref>
<ref name="rp198309清水_111-112">[[#rp198309清水|『鉄道ピクトリアル』第422号 清水正之「武蔵中央電気鉄道と御陵線」 p.111-112]]</ref>
<ref name="rp1965KRF_73-74">[[#keio5060|『鉄道ピクトリアル アーカイブスセレクション9 京王電鉄 1950-60』京王帝都レールファンクラブ「私鉄車両めぐり(65) 京王帝都電鉄」p.73-74]]</ref>
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<ref name="rp196711_141">[[#keio5060|『鉄道ピクトリアル アーカイブスセレクション9 京王電鉄 1950-60』川妻庸二、川越敐司「京王高尾線開通」p.141]]</ref>
<ref name="rp201409鈴木_126">[[#rp201409鈴木|『鉄道ピクトリアル』第893号 鈴木洋「京王電鉄 高尾線の移り変わり」 p.126]]</ref>
<ref name="rp201409鈴木_127">[[#rp201409鈴木|『鉄道ピクトリアル』第893号 鈴木洋「京王電鉄 高尾線の移り変わり」 p.127]]</ref>
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}}
== 参考文献 ==
<!--=== 書籍 ===-->
=== 雑誌記事 ===
* 土木技術社『[[土木技術 (雑誌)|土木技術]]』1972年1月号工事報告「京王帝都電鉄・高尾線建設工事」(大野 康雄・小平 隆雄・京王帝都電鉄(株))
* {{Cite journal|和書|author=中川浩一|year=1973|month=5|title=京王帝都電鉄の系譜|journal=鉄道ピクトリアル|issue=278|page=|publisher=[[電気車研究会|鉄道図書刊行会]]|ref=rp197305中川|pages=12-16}}
* {{Cite journal|和書|author=清水正之|year=1983|month=9|title=武蔵中央電気鉄道と御陵線|journal=鉄道ピクトリアル|issue=422|page=|publisher=鉄道図書刊行会|ref=rp198309清水|pages=109-112}}
* {{Cite journal|和書|year=2005|month=2005-08-10|title=|journal=鉄道ピクトリアル アーカイブスセレクション9 京王電鉄 1950-60|pages=|publisher=鉄道図書刊行会|ref=keio5060}}
** 京王帝都レールファンクラブ「私鉄車両めぐり(65) 京王帝都電鉄」※『鉄道ピクトリアル』第171号(1965年6月号)、第172号(1965年7月号)、第174号(1965年8月号)、第176号(1965年10月号)、第177号(1965年11月号)より再録、72-74頁。
** 大野康雄「京王帝都電鉄 高尾新線建設始まる」※『鉄道ピクトリアル』第183号(1966年5月号)より再録、138-140頁。
** 川妻庸二、川越敐司「京王高尾線開通」※『鉄道ピクトリアル』第203号(1967年11月号)より再録、 141-142頁。
* {{Cite journal|和書|author=鈴木洋|year=2014|month=8|title=京王電鉄 高尾線の移り変わり|journal=鉄道ピクトリアル|issue=893|page=|publisher=鉄道図書刊行会|ref=rp201409鈴木|pages=126-130}}
== 関連項目 ==
{{Commonscat|Keiō Takao Line}}
* [[日本の鉄道路線一覧]]
{{京王電鉄の路線}}
{{DEFAULTSORT:けいおうたかおせん}}
[[Category:関東地方の鉄道路線|たかおせん]]
[[Category:京王電鉄の鉄道路線|たかお]]
[[Category:東京都の交通]]
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東急7600系電車
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東急7600系電車(とうきゅう7600けいでんしゃ)は、1986年(昭和61年)5月1日に営業運転を開始した東京急行電鉄(現・東急電鉄)の通勤形電車。
東横線への9000系導入に伴う大規模な転属に伴い、老朽化した初代3000系や初代5000系の置き換えとして7200系を大井町線から目蒲・池上両線に転用したが、その際編成構成をMT比1:1の6両編成から2:1の3両編成に変更したため、モーターのない制御車(クハ7500形)が余剰となり、逆にそれを動かすための電動車が不足した。そこで、余剰車を電装して新たな編成を組成し、車両を有効活用することになった。
電装品は同時期に新造された9000系と同等の、最新の三相交流かご形誘導電動機とGTOサイリスタ素子によるVVVFインバータ制御装置が用意された。ただし、9000系の制御装置は日立製作所製で、1基で1両分4個の電動機を制御する「1C4M」方式であるのに対し、7600系の制御装置は東洋電機製造製で、1基で2両分8個の電動機を制御する「1C8M」方式とされた。
電動車化に伴い、台車は製造時より装備のバッド社製「パイオニアIII型」台車から、8000系などと同等の「TS-831型」に交換された。
屋根にも改造が加えられ、2両に1両の割合で集電用のパンタグラフが2基設置された。その際、屋根上スペースの都合で小型のPT44S-DまたはPT44S-Eを採用した。加えて1両あたり4基の冷房装置搭載が行われた。その一方で車内は冷房風洞の設置を除いて大きな改造は行われなかった。
先頭車の前面には1989年に7200系とともに赤帯が貼付された。7700系が改造種車の7000系と帯太さが変えられたのに対し、7600系は7200系と同じ太さとされた。
改造当初の編成構成は以下の通り。
1994年(平成6年)、池上線のワンマン運転実施に備えて、対応工事と車両更新が実施された。
運転台は計器盤が1000N系にも準じた新品に交換され、ハンドル方式がマスコンハンドルとブレーキハンドルが別個の「ツーハンドル式」から一体化した「ワンハンドルマスコン式」に変更された。併せてワンマン運転機器の設置、前面貫通扉の更新(後にワイパーを設置)、運客室仕切と仕切扉(仕切扉は電磁鎖錠付化)の更新を実施した。さらに運転台側ワイパーの電動式化、前面ガラスの日除けをアルミ製の遮光板からカーテン式に変更が行われた。
機器面では自動放送装置の新設、TASC、情報伝送装置の設置、車外はスピーカーが設置され、ブレーキ方式は回生ブレーキ併用電磁直通空気ブレーキ (HSC-R) から回生ブレーキ併用電気指令式空気ブレーキ (HRD-R) に変更された。
車体周りでは、編成中間に組み込まれていたデハ7651・7652の運転台が撤去され、跡地に車椅子スペースと座席が新設された。ただし、通称「ダイヤモンドカット」と呼ばれる角ばった前面形状が残され、灯具や側面乗務員扉も使用不能とされたまま存置された。中間車化改造後の同2両は、当初から中間車として誕生したデハ7673と比較して、座席定員が1名少なくなっている。改造後、これら3両は新規形式の「デハ7670形」に区分され、デハ7651・7652は車体形状の違いから、番号が10繰り上げられてデハ7681・7682と付番された。
また、内装は化粧板と床の張替え、袖仕切新設、座席は440mm幅の3-3-3人掛けに変更し、オレンジ・ブラウンの2色化、座席間の仕切新設とスタンションポールの設置、非常通報装置を対話式に変更などのリニューアルが行われ、7700系に準じた意匠となったほか、冷房風洞がラインフロー式(一本風洞)に、方向幕はLEDにそれぞれ交換、併せて側面表示器の新設、側窓のサッシレス化、妻窓の固定といった改造が実施された。
さらに1996年(平成8年)にはワンマン運転の本設に備えて車上ITV(ホーム監視用モニター)の設置し、車掌台側に画像受信装置を設置、運客室仕切窓のうち運転台側2枚に遮光フイルムを貼り付け、ドア開閉スイッチは横押しボタン式に変更などが実施された。
当初6両が改造され、デハ7600形 - デハ7650形の2両編成3本が組成された。このうち第1・2編成は長津田検車区に配置され、未改造の7200系クハ7500形2両とMT比2:1の6両編成を組んで引き続き大井町線で、第3編成は雪が谷検車区奥沢班に配置され、7200系デハ7200形と全電動車の3両編成を組んで目蒲線で使用された。
しかし、8090系の入線に伴う大井町線からの7200系の転用が進められると、第1・2編成も1988年(昭和63年)に編成を分割され、元々3両だった第3編成とともに池上線(配置車庫は雪が谷検車区)に転用されることになった。この時、第1編成、第2編成は主制御器の冗長化のために制御方式が「1C8M」方式から「1C4M」方式に変更され、ユニット制御から各車個別制御となった。
機器の改造を期に、同時期に改造されていた7700系との編成構成統一のため、電動車の位置が五反田側(大井町線での大井町側)2両から蒲田側2両に変更された。これにより、デハ7600形が電装解除され、番号はそのままに形式が「クハ7600形」に変更されるとともに、連結していたクハ7500形が電装されてデハ7650形に編入された。台車も両者で交換され、クハ7600形が「パイオニアIII型」付随台車、編入デハ7650形が「TS-831型」動力台車となった。なお、編入のデハ7650形はパンタグラフが設置されないなど、当初からのデハ7650形とは差異があるため、車両番号が10繰り上げられてデハ7661、デハ7662と付番された。
第1・2編成は改造工事の途上、デハ7200形と第3編成と同様の3両編成を組んで目蒲線で運用された時期があった。
第3編成は連結のデハ7200形が単独の電動車であったため、しばらくはそのままの編成構成で使用されていたが、1990年になってデハ7255が編成から外された上で制御器改造が行われた。この編成の改造手順は、デハ7603が電装解除されてクハ7600形となる所までは第1編成、第2編成と同様であったが、7200系アルミ試作車の検測車化改造に伴い、クハ7500形7500をデヤ7290とするための電装品捻出の必要があったためクハ7500形の電装は行われず、7200系デハ7400形(7402)がデハ7650形相当への機器交換の上で編成中間に連結された。
デハ7402は既に蒲田側にパンタグラフが設置されていたため、近接するデハ7653の五反田側パンタグラフが撤去された。なお、デハ7402は7600系初の中間車となったほか、改造後「7673」と番号が変更されたものの、登録上は「デハ7400形のデハ7673号」とされ、7200系に区分されたままとなっていた。また、この時期クハ7600形の台車が、全車とも「TS-831型」と同系の「TS-839型」付随台車へと交換されている。
1994年(平成6年)、池上線のワンマン運転対応工事と車両更新が実施された。この改造により3編成9両分全車が7600系となるとともに、機能に変化が生じたため、対応の装備を持つアルミ車以外の7200系との連結は不可能になった。塗装も7700系ワンマン対応車(当時)と同系統の、前面が「中央が黒・その両隣にL字形の赤帯」、側面が「ドア以外の低い位置に太めの赤帯」という塗装(通称「歌舞伎塗装)に変更された。なお、デハ7651、デハ7652の側面乗務員扉部分は既に扉としての機能がなくなっているため、赤帯が入れられている。
2000年(平成12年)、目蒲線が南北に分断され、南側の東急多摩川線区間の運用が雪が谷検車区受け持ちとなった。これにより、7700系および1000系全編成と運用が共通化され、再び多摩川駅まで入線するようになった。
2011年以降の編成構成は以下の通り
2007年度から東急は本系列の代替として7000系(2代)の導入を開始。増備に伴い、7603Fが2010年(平成22年)3月15日付けで廃車・解体処分された。
2014年(平成26年)からは1000系1500番台により本系列の代替が行われ、7602Fが同年7月に廃車された。
最後まで残った7601Fは同年11月25日に赤帯を撤去した「クラシックスタイル」として運用された。2015年2月7日には、2月上旬の引退を記念して蒲田駅で7600系引退記念イベントが開催され、2月10日に営業運転を終了した。その後2月12日に長津田車両工場へ回送された。そして2015年3月中に7601F3両の除籍が完了し、廃系列となった。
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"text": "東横線への9000系導入に伴う大規模な転属に伴い、老朽化した初代3000系や初代5000系の置き換えとして7200系を大井町線から目蒲・池上両線に転用したが、その際編成構成をMT比1:1の6両編成から2:1の3両編成に変更したため、モーターのない制御車(クハ7500形)が余剰となり、逆にそれを動かすための電動車が不足した。そこで、余剰車を電装して新たな編成を組成し、車両を有効活用することになった。",
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"text": "先頭車の前面には1989年に7200系とともに赤帯が貼付された。7700系が改造種車の7000系と帯太さが変えられたのに対し、7600系は7200系と同じ太さとされた。",
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"text": "運転台は計器盤が1000N系にも準じた新品に交換され、ハンドル方式がマスコンハンドルとブレーキハンドルが別個の「ツーハンドル式」から一体化した「ワンハンドルマスコン式」に変更された。併せてワンマン運転機器の設置、前面貫通扉の更新(後にワイパーを設置)、運客室仕切と仕切扉(仕切扉は電磁鎖錠付化)の更新を実施した。さらに運転台側ワイパーの電動式化、前面ガラスの日除けをアルミ製の遮光板からカーテン式に変更が行われた。",
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"text": "機器面では自動放送装置の新設、TASC、情報伝送装置の設置、車外はスピーカーが設置され、ブレーキ方式は回生ブレーキ併用電磁直通空気ブレーキ (HSC-R) から回生ブレーキ併用電気指令式空気ブレーキ (HRD-R) に変更された。",
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"text": "車体周りでは、編成中間に組み込まれていたデハ7651・7652の運転台が撤去され、跡地に車椅子スペースと座席が新設された。ただし、通称「ダイヤモンドカット」と呼ばれる角ばった前面形状が残され、灯具や側面乗務員扉も使用不能とされたまま存置された。中間車化改造後の同2両は、当初から中間車として誕生したデハ7673と比較して、座席定員が1名少なくなっている。改造後、これら3両は新規形式の「デハ7670形」に区分され、デハ7651・7652は車体形状の違いから、番号が10繰り上げられてデハ7681・7682と付番された。",
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"text": "また、内装は化粧板と床の張替え、袖仕切新設、座席は440mm幅の3-3-3人掛けに変更し、オレンジ・ブラウンの2色化、座席間の仕切新設とスタンションポールの設置、非常通報装置を対話式に変更などのリニューアルが行われ、7700系に準じた意匠となったほか、冷房風洞がラインフロー式(一本風洞)に、方向幕はLEDにそれぞれ交換、併せて側面表示器の新設、側窓のサッシレス化、妻窓の固定といった改造が実施された。",
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"text": "さらに1996年(平成8年)にはワンマン運転の本設に備えて車上ITV(ホーム監視用モニター)の設置し、車掌台側に画像受信装置を設置、運客室仕切窓のうち運転台側2枚に遮光フイルムを貼り付け、ドア開閉スイッチは横押しボタン式に変更などが実施された。",
"title": "ワンマン運転対応工事"
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"text": "当初6両が改造され、デハ7600形 - デハ7650形の2両編成3本が組成された。このうち第1・2編成は長津田検車区に配置され、未改造の7200系クハ7500形2両とMT比2:1の6両編成を組んで引き続き大井町線で、第3編成は雪が谷検車区奥沢班に配置され、7200系デハ7200形と全電動車の3両編成を組んで目蒲線で使用された。",
"title": "歴史"
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"text": "しかし、8090系の入線に伴う大井町線からの7200系の転用が進められると、第1・2編成も1988年(昭和63年)に編成を分割され、元々3両だった第3編成とともに池上線(配置車庫は雪が谷検車区)に転用されることになった。この時、第1編成、第2編成は主制御器の冗長化のために制御方式が「1C8M」方式から「1C4M」方式に変更され、ユニット制御から各車個別制御となった。",
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"text": "第3編成は連結のデハ7200形が単独の電動車であったため、しばらくはそのままの編成構成で使用されていたが、1990年になってデハ7255が編成から外された上で制御器改造が行われた。この編成の改造手順は、デハ7603が電装解除されてクハ7600形となる所までは第1編成、第2編成と同様であったが、7200系アルミ試作車の検測車化改造に伴い、クハ7500形7500をデヤ7290とするための電装品捻出の必要があったためクハ7500形の電装は行われず、7200系デハ7400形(7402)がデハ7650形相当への機器交換の上で編成中間に連結された。",
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"text": "2007年度から東急は本系列の代替として7000系(2代)の導入を開始。増備に伴い、7603Fが2010年(平成22年)3月15日付けで廃車・解体処分された。",
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"text": "最後まで残った7601Fは同年11月25日に赤帯を撤去した「クラシックスタイル」として運用された。2015年2月7日には、2月上旬の引退を記念して蒲田駅で7600系引退記念イベントが開催され、2月10日に営業運転を終了した。その後2月12日に長津田車両工場へ回送された。そして2015年3月中に7601F3両の除籍が完了し、廃系列となった。",
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東急7600系電車(とうきゅう7600けいでんしゃ)は、1986年(昭和61年)5月1日に営業運転を開始した東京急行電鉄(現・東急電鉄)の通勤形電車。
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{{鉄道車両
| 車両名 = 東急7600系電車
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| 画像説明 = [[東急池上線|池上線]]を走行する7600系第3編成<br>(2008年7月12日 [[石川台駅]] - [[雪が谷大塚駅]]間)
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| 種車 = [[東急7200系電車|7200系]]
| 製造年 =
| 改造所 = [[東急車輛製造]]・[[東急テクノシステム|東横車輌電設]](共同工事)<ref name="TOYOKO-50th">東横車輌電設『東横車輌電設50年史』p.97。</ref>
| 改造年 = 1986年 - 1990年
| 改造数 = 3編成9両
| 運用開始 = 1986年5月1日
| 運用終了 = 2015年2月10日
| 廃車 = 2015年3月
| 編成 = 3両編成
| 軌間 = 1,067 mm
| 電気方式 = [[直流電化|直流]]1,500V<br>([[架空電車線方式]])
| 最高運転速度 = 85 km/h(池上線)<br>80 km/h(東急多摩川線)
| 設計最高速度 = 110 km/h
| 起動加速度 = 3.2 km/h/s
| 常用減速度 = 3.5 km/h/s
| 非常減速度 = 4.5 km/h/s
| 編成定員 = 375(座席135)人<br />または377(座席136)人
| 車両定員 = 先頭車122(座席44)人 <br>中間車7680番台131(座席47)人<br>7673号133(座席48)人<ref name="PIC1995-10EX">鉄道図書刊行会「鉄道ピクトリアル」1995年10月臨時増刊号新車年鑑1995年版183頁</ref>
| 自重 = クハ7600形:29.6t<br>デハ7650形:33.2t<br>デハ7673号:32.7t<br>デハ7681・82号:32.8t<ref name="PIC1995-10EX"/>
| 編成重量 = 95.6または95.5t
| 全長 = 18,000 mm
| 全幅 = 2,744 mm<br />2,740 mm(デハ7673のみ)<ref name="PIC1995-10EX"/>
| 全高 = 4,076 mm(クハ7600形)<br>4,067 mm(デハ7661・7662)<br>4,085 mm(デハ7653・7681・7682)<br>4,100 mm(デハ7673)<ref name="PIC1995-10EX"/>
| 台車 = 軸ばね式ダイレクトマウント[[空気ばね]]台車<br>TS-831形・TS-839形
| 主電動機 = [[かご形三相誘導電動機]]
| 主電動機出力 = 110 kW
| 駆動方式 = [[中空軸平行カルダン駆動方式]]
| 歯車比 = 6.07
| 編成出力 = 880 kW
| 制御方式 = [[ゲートターンオフサイリスタ|GTOサイリスタ]][[半導体素子|素子]][[可変電圧可変周波数制御|VVVFインバータ制御]]
| 制御装置 =
| 制動装置 = [[回生ブレーキ]]併用[[電気指令式ブレーキ|電気指令式空気ブレーキ]]<br />(改造当初は回生ブレーキ併用[[電磁直通ブレーキ]])
| 保安装置 = 東急形[[自動列車停止装置#東急型ATS|ATS]]・[[定位置停止装置|TASC]]
| 備考 =
}}
'''東急7600系電車'''(とうきゅう7600けいでんしゃ)は、[[1986年]]([[昭和]]61年)[[5月1日]]に営業運転を開始した[[東京急行電鉄]](現・[[東急電鉄]])の[[通勤形車両 (鉄道)|通勤形電車]]。
== 登場の経緯 ==
東横線への[[東急9000系電車|9000系]]導入に伴う大規模な転属に伴い、老朽化した[[東急3000系電車 (初代)|初代3000系]]や[[東急5000系電車 (初代)|初代5000系]]の置き換えとして[[東急7200系電車|7200系]]を[[東急大井町線|大井町線]]から[[東急目蒲線|目蒲]]・[[東急池上線|池上]]両線に転用したが、その際[[編成 (鉄道)|編成]]構成を[[MT比]]1:1の6両編成から2:1の3両編成に変更したため、モーターのない[[制御車]](クハ7500形)が余剰となり、逆にそれを動かすための[[動力車|電動車]]が不足した。そこで、余剰車を電装して新たな編成を組成し、車両を有効活用することになった。
== 改造内容 ==
電装品は同時期に新造された9000系と同等の、最新の[[かご形三相誘導電動機|三相交流かご形誘導電動機]]と[[ゲートターンオフサイリスタ|GTOサイリスタ]][[半導体素子|素子]]による[[可変電圧可変周波数制御|VVVFインバータ制御装置]]が用意された。ただし、9000系の制御装置は[[日立製作所]]製で、1基で1両分4個の電動機を制御する「1C4M」方式であるのに対し、7600系の制御装置は[[東洋電機製造]]製で、1基で2両分8個の電動機を制御する「1C8M」方式とされた。
電動車化に伴い、[[鉄道車両の台車|台車]]は製造時より装備の[[バッド (車両メーカー)|バッド]]社製「パイオニアIII型」台車から、[[東急8000系電車|8000系]]などと同等の「TS-831型」に交換された。
屋根にも改造が加えられ、2両に1両の割合で集電用の[[集電装置|パンタグラフ]]が2基設置された。その際、屋根上スペースの都合で小型のPT44S-DまたはPT44S-Eを採用した。加えて1両あたり4基の[[エア・コンディショナー|冷房装置]]搭載が行われた。その一方で車内は冷房風洞の設置を除いて大きな改造は行われなかった。
先頭車の前面には1989年に7200系とともに赤帯が貼付された。7700系が改造種車の[[東急7000系電車 (初代)|7000系]]と帯太さが変えられたのに対し、7600系は7200系と同じ太さとされた。
'''改造当初'''の編成構成は以下の通り。
{| class="wikitable" style="font-size:90%; text-align:left;"
|-
|rowspan="5" style="background-color:#f99;"|
|colspan="2" style="background-color:#ddd;"|↑[[大井町駅|大井町]]・[[目黒駅|目黒]]
|-
!style="width:12em;"|形式
!詳細
|-
|'''デハ7600形'''
|クハ7500形から改造された制御電動車で、改造時に方向転換も実施した。<br />[[静止形インバータ]] (SIV) と[[圧縮機|空気圧縮機]] (CP) などの補機類を搭載し、デハ7650形と[[動力車#MM'ユニット方式|ユニット]]を組む。
|-
|'''デハ7650形'''
|クハ7500形から改造された制御電動車。<br />パンタグラフや主制御器などの走行機器を搭載し、デハ7600形とユニットを組む。
|-
|colspan="2" style="background-color:#ddd;"|↓[[二子玉川駅|二子玉川園]](当時)・[[蒲田駅|蒲田]]
|}
== ワンマン運転対応工事 ==
[[1994年]](平成6年)、池上線の[[ワンマン運転]]実施に備えて、対応工事と車両更新が実施された。
[[操縦席|運転台]]は計器盤が[[東急1000系電車|1000N系]]にも準じた新品に交換され、ハンドル方式が[[マスター・コントローラー|マスコンハンドル]]とブレーキハンドルが別個の「ツーハンドル式」から一体化した「ワンハンドルマスコン式」に変更された。併せてワンマン運転機器<ref group="注">戸閉手元スイッチ・サービス機器手元スイッチ・運転士操作器を車内・車外放送に対応したマイク式化・非常通報受報器、メニュー放送手元スイッチなど。</ref>の設置、前面[[貫通扉]]の更新(後に[[ワイパー]]を設置)、運客室仕切と仕切扉(仕切扉は[[オートロック#鉄道車両の電磁鎖錠システム|電磁鎖錠]]付化)の更新を実施した。さらに運転台側ワイパーの電動式化、前面ガラスの日除けをアルミ製の遮光板からカーテン式に変更が行われた。
機器面では自動放送装置の新設、[[定位置停止装置|TASC]]、[[トランスポンダ|情報伝送装置]]の設置、車外は[[スピーカー]]が設置され、ブレーキ方式は[[回生ブレーキ]]併用[[電磁直通ブレーキ|電磁直通空気ブレーキ]] (HSC-R) から回生ブレーキ併用[[電気指令式ブレーキ|電気指令式空気ブレーキ]] (HRD-R) に変更された。
車体周りでは、編成中間に組み込まれていたデハ7651・7652の[[運転台撤去車|運転台が撤去]]され、跡地に[[車椅子スペース]]と座席が新設された。ただし、通称「ダイヤモンドカット」と呼ばれる角ばった前面形状が残され、灯具や側面乗務員扉も使用不能とされたまま存置された<ref group="注">灯具はデハ7652(現・デハ7682)のみ後に撤去された。</ref>。中間車化改造後の同2両は、当初から中間車として誕生したデハ7673と比較して<ref group="注">同車も同時期に[[車椅子スペース]]設置改造を施工されている。</ref>、座席定員が1名少なくなっている。改造後、これら3両は新規形式の「'''デハ7670形'''」に区分され、デハ7651・7652は車体形状の違いから、番号が10繰り上げられてデハ7681・7682と付番された。
また、内装は化粧板と床の張替え、袖仕切新設、座席は440mm幅の3-3-3人掛けに変更し、オレンジ・ブラウンの2色化、座席間の仕切新設とスタンションポールの設置、[[車内非常通報装置|非常通報装置]]を対話式に変更などのリニューアルが行われ、7700系に準じた意匠となったほか、冷房風洞がラインフロー式(一本風洞)に、[[方向幕]]は[[発光ダイオード|LED]]にそれぞれ交換、併せて側面表示器の新設、側窓のサッシレス化、妻窓の固定といった改造が実施された。
さらに[[1996年]](平成8年)にはワンマン運転の本設に備えて車上ITV(ホーム監視用モニター)の設置し、車掌台側に画像受信装置を設置、運客室仕切窓のうち運転台側2枚に遮光フイルムを貼り付け、[[車掌スイッチ|ドア開閉スイッチ]]は横押しボタン式に変更などが実施された。[[Image:Tokyu7600cab.jpg|thumb|240px|none|ワンマン運転改造後の7600系運転台<br />ワンマン運転を行うため、機器が多数設置されている。]]
== 歴史 ==
当初6両が改造され、デハ7600形 - デハ7650形の2両編成3本が組成された。このうち第1・2編成は[[長津田検車区]]に配置され、未改造の7200系クハ7500形2両とMT比2:1の6両編成を組んで引き続き大井町線で、第3編成は[[奥沢検車区|雪が谷検車区奥沢班]]に配置され、7200系デハ7200形と全電動車の3両編成を組んで目蒲線で使用された。
{| class="wikitable" style="text-align:center; font-size:80%;"
|+1986年当時の編成
|-
|colspan="11" style="text-align:left; background-color:#f99;"|←大井町
|-
| デハ7601 || - || デハ7651 || > || ''※クハ7503'' || + || デハ7602 || - || デハ7652 || > || ''※クハ7510''
|-
|colspan="5" style="text-align:left; background-color:#f99;"|←目黒
|colspan="6" rowspan="2" style="background-color:#ccc;"|
|-
| ''※デハ7255'' || < || デハ7603 || - || デハ7653
|}
: +は先頭車同士の連結部、<・>は中間に組み込まれる先頭車(例えば<7603-は目黒側に[[操縦席|運転台]]がある先頭車)を示す。
: ''※''は7200系車両。
しかし、[[東急8090系電車|8090系]]の入線に伴う大井町線からの7200系の転用が進められると、第1・2編成も[[1988年]](昭和63年)に編成を分割され、元々3両だった第3編成とともに池上線(配置車庫は[[雪が谷検車区]])に転用されることになった。この時、第1編成、第2編成は主制御器の[[冗長化]]のために制御方式が「1C8M」方式から「1C4M」方式に変更され、ユニット制御から各車個別制御となった。
{{-}}
<div style="float:right; align:right; margin:1em 0em 2em 3em;">
{| class="wikitable" style="text-align:center; font-size:80%;"
|+[[1989年]]当時の編成
|-
|colspan="5" style="text-align:left; background-color:#f99;"|←五反田
|-
| style="width:6em;"| '''*クハ7601'''
| style="width:1em;"| -
| style="width:6em;"| デハ7651
| style="width:1em;"| >
| style="width:6em;"| '''*デハ7661'''
|-
| '''*クハ7602''' || - || デハ7652 || > || '''*デハ7662'''
|-
| ''※デハ7255'' || < || デハ7603 || - || デハ7653
|}
: '''*'''が変化のあった車両
</div>
機器の改造を期に、同時期に改造されていた[[東急7700系電車|7700系]]との編成構成統一のため、電動車の位置が[[五反田駅|五反田]]側(大井町線での大井町側)2両から蒲田側2両に変更された。これにより、デハ7600形が電装解除され、番号はそのままに形式が「クハ7600形」に変更されるとともに、連結していたクハ7500形が電装されてデハ7650形に編入された。台車も両者で交換され、クハ7600形が「パイオニアIII型」付随台車、編入デハ7650形が「TS-831型」動力台車となった。なお、編入のデハ7650形はパンタグラフが設置されないなど、当初からのデハ7650形とは差異があるため、[[鉄道の車両番号|車両番号]]が10繰り上げられてデハ7661、デハ7662と付番された。
第1・2編成は改造工事の途上、デハ7200形と第3編成と同様の3両編成を組んで目蒲線で運用された時期があった。<div style="float:right; align:right; margin:1em 0em 2em 3em;">
{| class="wikitable" style="text-align:center; font-size:80%;"
|+7601F・7602Fの暫定編成
|-
|colspan="5" style="text-align:left; background-color:#f99;"|←目黒
|-
| style="width:6em;"| '''*デハ7201'''
| style="width:1em;"| <
| style="width:6em;"| デハ7601
| style="width:1em;"| -
| style="width:6em;"| デハ7651
|-
| '''*デハ7212''' || < || デハ7602 || - || デハ7652
|}
: '''*'''は7200系車両。
</div><div style="float:right; align:right; margin:1em 0em 2em 3em;">
{| class="wikitable" style="text-align:center; font-size:80%;"
|+1990年当時の編成
|-
|colspan="5" style="text-align:left; background-color:#f99;"|←五反田
|-
| style="width:6em;"|クハ7601
| style="width:1em;"| -
| style="width:6em;"| デハ7651
| style="width:1em;"| >
| style="width:6em;"| デハ7661
|-
| クハ7602 || - || デハ7652 || > || デハ7662
|-
| '''クハ7603''' || - || '''''デハ7673''''' || - || デハ7653
|}
</div>
第3編成は連結のデハ7200形が単独の電動車であったため、しばらくはそのままの編成構成で使用されていたが、[[1990年]]になってデハ7255が編成から外された上で制御器改造が行われた。この編成の改造手順は、デハ7603が電装解除されてクハ7600形となる所までは第1編成、第2編成と同様であったが、[[東急7200系電車#アルミ試作車→事業用車|7200系アルミ試作車]]の[[試験車|検測車]]化改造に伴い、クハ7500形7500をデヤ7290とするための電装品捻出の必要があったためクハ7500形の電装は行われず、7200系デハ7400形(7402)がデハ7650形相当への機器交換の上で編成中間に連結された。
デハ7402は既に蒲田側にパンタグラフが設置されていたため、近接するデハ7653の五反田側パンタグラフが撤去された。なお、デハ7402は7600系初の中間車となったほか、改造後「7673」と番号が変更されたものの、登録上は「デハ7400形のデハ7673号」とされ、7200系に区分されたままとなっていた。また、この時期クハ7600形の台車が、全車とも「TS-831型」と同系の「TS-839型」付随台車へと交換されている。
<div style="float:right; align:right; margin:1em 0em 2em 3em;">
{| class="wikitable" style="text-align:center; font-size:80%;"
|+1994年以降の編成
|-
| colspan="5" style="text-align:left; background-color:#f99;" |←五反田
|-
| style="width:6em;" | クハ7601
| style="width:1em;" | -
| style="width:6em;" | '''デハ7681'''
| style="width:1em;" | >
| style="width:6em;" | デハ7661
|-
| クハ7602 || - || '''デハ7682''' || > || デハ7662
|-
| クハ7603 || - || '''デハ7673''' || - || デハ7653
|}
</div>
1994年(平成6年)、池上線のワンマン運転対応工事と車両更新が実施された。この改造により3編成9両分全車が7600系となるとともに、機能に変化が生じたため、対応の装備を持つアルミ車以外の7200系との連結は不可能になった。塗装も[[東急7700系電車|7700系ワンマン対応車]](当時)と同系統の、前面が「中央が黒・その両隣にL字形の赤帯」、側面が「ドア以外の低い位置に太めの赤帯」という塗装(通称「[[歌舞伎]]塗装)に変更された。なお、デハ7651、デハ7652の側面乗務員扉部分は既に扉としての機能がなくなっているため、赤帯が入れられている。
{{-}}
[[2000年]](平成12年)、目蒲線が南北に分断され、南側の[[東急多摩川線]]区間の運用が雪が谷検車区受け持ちとなった。これにより、7700系および[[東急1000系電車|1000系]]全編成と運用が共通化され、再び[[多摩川駅]]まで入線するようになった。
'''2011年以降'''の編成構成は以下の通り
:; 第1編成(2015年2月運用離脱)、第2編成(2014年7月廃車)<ref>イカロス出版「私鉄車両年鑑2012」</ref>。
{| class="wikitable" style="font-size:90%; text-align:left; margin:1em 0em 2em 3em;"
|-
|rowspan="6" style="background-color:#f99;"|
|colspan="3" style="background-color:#ddd;"|↑五反田
|-
!style="width:14em;"|形式
!style="width:7em;"|車両番号
!詳細
|-
|'''クハ7600形'''
|7601 7602
|1988年にデハ7600形から再改造された制御車。<br />1988年にモーターが撤去され、SIV、CPなどの補機類のみを搭載する。
|-
|'''デハ7670形'''(7680番台)
|7681 7682
|デハ7650形から再改造された中間電動車。<br />1988年にCPの追加、1994年に運転台の撤去と現番号への変更が行われた。
|-
|'''デハ7650形'''(7660番台)
|7661 7662
|1988年にクハ7500形から改造された制御電動車。<br />主制御器のみを搭載し、デハ7670形から給電を受ける。
|-
|colspan="3" style="background-color:#ddd;"|↓蒲田
|}
:; 第3編成
:; '''2010年3月廃車'''
{| class="wikitable" style="font-size:90%; text-align:left; margin:1em 0em 2em 3em;"
|-
|rowspan="6" style="background-color:#f99;"|
|colspan="3" style="background-color:#ddd;"|↑五反田
|-
!style="width:14em;"|形式
!style="width:7em;"|車両番号
!詳細
|-
|'''クハ7600形'''
|7603
|1990年にデハ7600形から再改造された制御車。<br />第1編成、第2編成と同一。
|-
|'''デハ7670形'''(7670番台)
|7673
|1990年にデハ7400形から改造された中間電動車。<br />パンタグラフ、主制御器、CPを搭載する。<br />1994年まではデハ7400形に区分されていた。
|-
|'''デハ7650形'''(7650番台)
|7653
|制御電動車。2007年現在、唯一改造時の形式・番号で残る。<br />1990年に五反田側のパンタグラフが撤去された。<br />この編成はシングルアーム式のパンタグラフに交換されている。
|-
|colspan="3" style="background-color:#ddd;"|↓蒲田
|}
{{-}}
<gallery widths="180" style="font-size:90%;">
Image:Tokyu 7600.JPG|蒲田側からみた第1編成<br />パンタグラフはデハ7670形に2基でデハ7670形は先頭車形状
Image:Tokyu-7600-2.jpg|蒲田側からみた第2編成<br />パンタグラフはデハ7670形に2基で、デハ7670形は先頭車形状
Image:Tokyu-7600.JPG|蒲田側からみた第3編成<br />パンタグラフはデハ7650形とデハ7670形に1基ずつで、デハ7670形は中間車形状
</gallery>
<br>
<gallery widths="180" style="font-size:90%;">
Image:Tokyu7670.JPG|デハ7670形(7680番台)・デハ7650形(7660番台)の連結部
Image:Tokyu7682_Inside.JPG|デハ7670形(7680番台)の連結部からデハ7650形(7660番台)を見る
Image:Tokyu7662_Inside.JPG|デハ7650形(7660番台)の連結部からデハ7670形(7680番台)を見る
</gallery>
== 廃車 ==
[[File:Tokyu 7600 classic.JPG|thumb|7600系クラシックスタイル(2015年1月4日/[[千鳥町駅 (東京都)|千鳥町駅]])]]
[[File:Tokyu 7600 lastrun.JPG|thumb|引退記念イベント当日の7600系。運転中に行先・運行番号表示が幕式に復元された(2015年2月7日/[[久が原駅]])。]]
2007年度から東急は本系列の代替として[[東急7000系電車 (2代)|7000系(2代)]]の導入を開始。増備に伴い、7603Fが[[2010年]](平成22年)[[3月15日]]付けで廃車・解体処分された<ref>交通新聞社「鉄道ダイヤ情報」2010年7月号「私鉄車両の動き」</ref>。
[[2014年]](平成26年)からは[[東急1000系電車#1000系1500番台|1000系1500番台]]により本系列の代替が行われ、7602Fが同年7月に廃車された。
最後まで残った7601Fは同年11月25日に赤帯を撤去した「クラシックスタイル」として運用された<ref>[http://railf.jp/news/2014/11/28/140000.html 東急7600系がクラシックスタイルに] - 交友社「鉄道ファン」railf.jp 鉄道ニュース 2014年11月27日</ref>。2015年2月7日には、2月上旬の引退を記念して蒲田駅で7600系引退記念イベントが開催され<ref>{{PDFlink|[http://www.tokyu.co.jp/file/150129HPMBPR.pdf 2月7日(土)に池上線・東急多摩川線蒲田駅構内で「ありがとう7600系イベント」を開催します]}} - 東京急行電鉄プレスリリース 2015年1月29日</ref><ref>[http://railf.jp/news/2015/02/08/201500.html 東急で『ありがとう7600系イベント』開催] - 交友社「鉄道ファン」railf.jp 鉄道ニュース 2015年2月8日</ref>、2月10日に営業運転を終了した。その後2月12日に長津田車両工場へ回送された<ref>[http://railf.jp/news/2015/02/13/140000.html 東急7600系7601編成が長津田車両工場へ] - 交友社「鉄道ファン」railf.jp 鉄道ニュース 2015年2月12日</ref>。そして2015年3月中に7601F3両の除籍が完了し、廃系列となった<ref name="Fan2015-8">交友社「鉄道ファン」2015年8月号付録「大手私鉄車両ファイル2015」</ref>。
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Reflist|group="注"}}
=== 出典 ===
{{Reflist}}
== 参考文献 ==
* 宮田道一 「東京急行電鉄7600系VVVFインバータ制御電車」『[[鉄道ピクトリアル]]』1986年7月号(通巻466号)、鉄道図書刊行会。
* 中野良男 「東京急行電鉄7600系」『鉄道ピクトリアル』1987年5月臨時増刊号(通巻480号)特集・新車年鑑1987年版、鉄道図書刊行会。
* 中野良男 「東京急行電鉄7200系インバータ電車」『電気車の科学』1986年5月号(通巻457号)、電気車研究会。
* 荻原俊夫 「東急ニュース VVVF車第2弾7600系登場」『[[鉄道ファン (雑誌)|鉄道ファン]]』1986年7月号(通巻303号)、交友社。
== 関連項目 ==
{{commonscat|Tōkyū 7600 series}}
{{東急電鉄の車両}}
{{デフォルトソート:とうきゆう7600けいてんしや}}
[[Category:東急電鉄の電車|7600]]
[[Category:1986年製の鉄道車両]]
[[Category:東急車輛製造製の電車]]
|
2003-09-11T06:01:57Z
|
2023-10-16T13:25:11Z
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] |
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E6%80%A57600%E7%B3%BB%E9%9B%BB%E8%BB%8A
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16,205 |
東急7700系電車
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東急7700系電車(とうきゅう7700けいでんしゃ)は、1987年(昭和62年)8月1日に営業運転を開始した東京急行電鉄の通勤形電車。1987年(昭和62年)から1991年(平成3年)にかけて7000系(初代)を改造した車両である。
本項では、東急から他社に譲渡された車両についても解説する。
なお、本項では解説の便宜上大井町・五反田・多摩川(目黒)寄り先頭車の車両番号+F(Formation=編成の略)を編成名として記述(例:クハ7901以下4両編成=7901F, クハ7915以下3両編成=7915F)する。
1962年に登場した7000系は、その後投入された7200系などの車両が1986年度末にほとんど冷房化される中、床下に冷房用の電源を設置するスペースがないことや、冷房装置搭載にともなう重量増に台車が対応できないことから冷房化が行われていなかった。また、製造より25年が経ち、電機品(電装品)や内装の老朽化・陳腐化が進んでいた。
しかし、7000系の車体は構体・台枠含めて全てステンレス製であるため腐食による「痩せ」がなく、溶接部分が新製時の状態を維持していれば強度が落ちていないことが予想された。そこで実際に荷重試験を実施したところ、強度が低下していなかったことから、骨組みと外板を残し、それ以外の台車・電機品・および内装などを総取り替えし、その上で冷房装置を搭載する改造がなされることになった。
改造工事は東急車輛製造へ甲種輸送しての施行または長津田車両工場内の東横車輛電設(現・東急テクノシステム)において実施された。
7000系の車体を流用しており、前面も7000系と同様に無塗装だったが、識別を容易とするために、第1編成の営業運転開始後に細い赤帯が入れられた。その後、1988年春からステンレス車全系列に赤帯を入れることになり、7000系にも赤帯が入れられたが、本系列より太い帯として区別された。当初から各駅停車以外の運用を持たないことから急行灯は使用を停止している。
方向幕は手動巻取式のままで、当初は白幕だったが、目蒲線転属後しばらくして黒幕に交換された。この幕は7200系(デヤ7200を含む)と7600系、こどもの国線のデハ7057(デハ7052は白幕のまま)にも波及したが、当形式と7600系はその後のワンマン化改造時にLED化されることになる。
冷房装置は9000系と同一品だが、キセ(カバー)のみ営団(当時)日比谷線の車両限界に対応するため両肩部を斜めに削った形状とされた。10,000kcal/hの分散式で、1両あたり屋根上に3基搭載されている。これらの重量増を考慮して、車体の横骨や、屋根部分に梁が追加された。なお、7000系時代に設置されていた扇風機はまだ新しかったため、補助送風機として存置されている。
運転台では、操作系を主幹制御器とブレーキハンドルが独立のものから、ワンハンドル式へ変更され、コンソールも一新された。戸閉灯を大形化して電球からLEDに変更、ワイパーは空気式から電動式の大型のものに変更、雨樋の設置、警笛に電子ホーンの追加、側窓は上段下降・下段上昇式からバランサー付の上段下降・下段固定式に変更(1978年から1980年に車体更新が行われた車両を除く)などが行われ、窓枠部分が目立たなくなるなど、外観の印象も若干変わった。
内装では、座席配置は改造前と同様の全席ロングシートだが、座席表地の2色化と袖仕切りの新設が行われ、そのほか、化粧板と床材をすべて張り替え、室内灯の増設、非常通報装置を紐式から押しボタン式に変更されるなど、9000系に準じたリニューアルが行われた。混雑率が低い路線のみで使用されることからドア脇への立ち席スペースの確保はなされていない。
2000年以降全編成がワンマン運転に対応しており、運転台にワンマン機器、車上ITV(ホーム監視モニター)、自動放送装置が設置されている。また、車掌スイッチは電気接点式の押しボタン式化や車外スピーカーの設置、TASC、 情報伝送装置を設置した。また、前面貫通扉と運転室と客室の仕切りが交換され、搭載機器の増加もあって以前より運転室面積を拡大されている。
また、車内非常通報装置を対話式に変更して3台に増設、同年から2002年に交通バリアフリー法に対応するために全編成のデハ7800形の座席が一部撤去され、その部分に車椅子スペースが設置された。
床下機器はほぼ全面的に交換され、モーター(主電動機)は定格出力60・70kWの複巻整流子電動機から170kWの三相交流かご形誘導電動機に、主制御器は抵抗制御からGTOサイリスタ素子によるVVVFインバータ制御にそれぞれ変更され、モーターの出力増強に伴い編成構成が全電動車から、MT比1:1(4両編成時)となった。
ブレーキ方式は、当初7000系の回生ブレーキ併用電磁直通空気式 (HSC-R) が引き継がれたが、当初より目蒲線に投入された7911F以降(→東急7700系電車#歴史)は電気指令式 (HRA) に変更され、HSC式の編成も後に電気指令式とされた。また、ブレーキや空気ばねなどに圧縮空気を供給する空気圧縮機 (CP) は、当初HB1500系とHS20系の2種類が併用されたが、後にすべてHS20系に統一された。
台車は老朽化が進んでおり、また、先述のとおり冷房装置搭載による重量増、および主電動機の交換にも対応できないため、バッド社・パイオニア III 形の技術提携による軸ばねを省略した一自由度系台車のTS-701から、8000系のTS-807(動力台車)、およびTS-815(付随台車)台車と同系の、TS-832(動力台車)、TS-835(付随台車)に交換された。この時期すでに9000系でボルスタレス台車が採用されていたが、当形式では流用する車体の状態が良く、台枠にも手を加える必要がなかったため、台枠構造に合わせたボルスタ(枕梁)付き台車の軸ばね式ダイレクトマウント空気ばね台車とした。
保安装置は東急形ATS装置とTASCを搭載する。なお、通常のブレーキは運転士のブレーキ操作が優先であり、定位置停止に対しブレーキの遅れや不足があった場合はTASCがブレーキを補足する。併せて設置した情報伝送装置は地上子の情報を検知してTASCに伝える機能があり、TASCはこの情報を元に停止位置、速度を検知してブレーキ補足操作を行う。なお、本系列は目黒線や田園都市線用のATC車上装置が搭載されていないため、全般検査、重要部検査などで長津田検車区へ回送される際には7500系(デヤ7500形とデヤ7550形)の中間に挟まれて回送されていた。
1編成4両を基本として以下のように改造された。
最短でクハ7900形とデハ7700形の2両編成での運転が可能となっている。2000年の3両編成化以降、譲渡車も含めてすべての編成で車両番号の下2桁が揃っている。
本形式は、東急内では大きく分けて3形態が存在する。
目蒲線投入後、2000年の路線分断まで同線で4両編成を組んでいたグループで、先頭車の前面に細い赤帯が入っている。7904F・7909F・7911Fは路線分断時に運用離脱し、残る8本がサハ7950形の抜き取りと7912F - 7915Fと同等のワンマン運転対応改造が行われて現存している。前面の行先表示器は7912F以降に合わせてLED式に変更されたが、その後も車体装飾の変更や側面行先表示器の追加などは行われていない。
7910Fの種車は7000系で最初に落成(製造は1961年12月、入籍は1962年1月)した第1編成であり、構体は2012年当時の東急の鉄道車両の中では最も経年が古かった。なお、同編成は2012年4月16日より、池上線開業90周年を記念して前面の赤帯を撤去して「クラシックスタイル」として運用されていたが、同編成は2014年5月に運用を離脱し、このうちデハ7810とクハ7910は先に搬出されたが、デハ7710は同年9月に長津田車両工場で開催された「東急電車まつり2014in長津田」で7600系デハ7662やデヤ7290とともに展示された後に搬出されている。7910Fの廃車により、東急の鉄道車両の中での最古参は7903Fとなった。同編成の種車は1963年10月に落成・入籍した7023Fで、2016年時点で車齢は53年に達する。
7903Fは「多摩川アートラインプロジェクト アートウィーク2007」の一環として2007年(平成19年)11月3日から同年11月30日まで前面貫通扉にシンボルマークが、それ以外に虹の7色の縦1本の線がラッピングされた「レインボートレーン」としてラッシュ時以外は基本的に東急多摩川線内で限定運用されていた。
池上線のワンマン化に備えて1995年から1996年に目蒲線から池上線に転用されたグループで、転属の際に上記のワンマン運転改造が施工され、他編成との区別のため、8000系の更新車に準じた前面が中央が黒・その両隣にL字形の赤帯・側面がドア以外の低い位置に太目の赤帯という塗装(通称「歌舞伎塗装」)に変更された。同時に幕式だった行先表示器がLED化され、側面にも1両当たり片側に1か所ずつ追加で設置され、サボ受けが撤去された。2011年に幌取り付けボルトが残存していた7913Fが廃車、のちに解体処分された。2018年7月に7914Fが、2018年9月に7912Fがそれぞれ養老鉄道へ譲渡されて、歌舞伎塗装は東急から消滅となった。
1996年に7912F - 7914Fから抜かれたサハ7950形3両を組み合わせて組成された編成で、前記したように中間車のみ改造が1年早い。機器類が他の14本と異なり、制御装置の素子にはIGBTを採用している。先頭車の前面や運転台、客室仕切部形状は1000系に準じており、部品が共通化されている。3両編成完成時にワンマン運転対応設備と側面帯が装備され、池上線に投入された。
当初は車両間に転落防止幌が設置されていたが、その後撤去されている。また、運転台右端に列車情報モニタ装置ディスプレイが設置されていたが、これもその後撤去されている。
2010年9月廃車。
本系列は目蒲線(当時)用として改造されたが、4両編成での使用予定に対して当時同線の駅ホームは3両分だったため、初期の改造車は暫定的に4両編成+2両編成の6両編成が組まれ、1987年8月1日から1988年(昭和63年)秋までの約1年間大井町線で使用された。このような編成は7910Fまでの10本(この時点では連結のため6両編成×5本)が該当する。なお、当初ブレーキ方式がHSC式であったこのグループは、7905F - 7910Fは1990年秋から1991年夏に、7901F - 7904Fは1992年度初頭よりHRA式に改修された 。種車の7000系には一部ドアガラスがHゴム支持の車両が存在し、これらは7700系化後もHゴム支持のままで、7903Fの全車と7913Fの先頭車が該当していたが、2001年に中間車の廃車発生品である押え金支持のドアに交換された。
凡例
1989年(平成元年)には目蒲線駅ホームの4両編成対応化工事が完了し、大井町線投入分は他系列に置き換えられる形で同線に転属した。順次2両編成に対しての中間車増結と7911F - 7914Fの4本の増備が行われ、4両編成14本計56両の陣容となった。ただし、鵜の木駅は両端に踏切がありホーム延伸ができず、目黒寄りの1両は締切扱いで対応した。このため、当形式をはじめとする目蒲線所属編成および東横線所属の1000N系には自動扉非扱いスイッチ類を備えていた。
1994年(平成6年)には、1998年(平成10年)3月からワンマン運転を実施する池上線用の7200系を置き換えのため、最終3本が中間付随車のサハ7950形を切り離した3両編成となって同線に転用されることとなった。当初は7913Fと7914Fの2本のみが転属し、7912Fは余剰となったサハ7950形を活用すべく電装が行われたデハ7815(←サハ7962)を組み込んだまま目蒲線に残留した。この時にデハ7815は他編成と同じ機器ではなく、東急初のIGBT-VVVFインバータ装置とシングルアーム式パンタグラフを搭載する実用試験車とされた。7912Fが改造入場するとデハ7815は7902Fに移されたが、3編成とも翌1995年(平成7年)から運用開始し、同時に7913F・7914Fから抜き取られたサハ7963・7964の改造も進められた。
1996年(平成8年)7月には、サハ7963・7964が先頭車改造と電装を受け、クハ7915(←サハ7963)とデハ7715(←サハ7964)として出場した。デハ7815はこの2両の中間に移され、3両編成となった7912Fとともに翌8月26日より池上線で営業運転を開始した。この時点で56両のまま4両編成11本・3両編成4本の陣容となった。
新たに改造された7915Fの構成は以下のとおりである。
この編成のパンタグラフ搭載位置は他編成が大井町・五反田・目黒寄りの車端であるのに対し、蒲田寄りの車端となっている。既存の冷房機器の間に割り込むように設置されているため、配管などの配置も異なっている。7715号のインバータ装置は3群で構成し、通常は2群をVVVFインバータとして、1群を静止形インバータ(140kVA出力)として使用する「デュアルモード」方式を採用し、故障時の冗長化を図っている。
この編成のみ車体側面端部に転落防止板を装備していたが、池上線と東急多摩川線の各駅にホームセンサーと柵が完備されたことから後に撤去されている。
2000年(平成12年)8月6日の目蒲線の東西分断に伴い、本系列の運転区間は南側の東急多摩川線内に縮小された。3本が余剰となり、残った編成もすべてサハ7950形が抜かれて3両に短縮された。余剰車は3本分の先頭車6両が2年間の留置の後に十和田観光電鉄に譲渡された以外すべて廃車・解体され、初の廃車が発生するとともにサハ7950形が形式消滅した。サハ7950形に搭載されていたCPはデハ7800形へ移設されている。
2007年(平成19年)度より東急では新型車両7000系(2代)の導入を開始し、当初は上田電鉄別所線へ譲渡される1000系から置き換えを開始していたが、2010年からは7700系にも置き換えが及び7915Fは2010年(平成22年)7月に休車となり、同年8月9日に長津田検車区へ回送、同年9月21日付で廃車・解体処分となった。
2011年(平成23年)度は、7913Fが同年7月に廃車され、8月に解体処分された。
当初計画では、2011年度までに池上線および東急多摩川線に所属する3両編成28本(1000系13本・7600系3本・7700系12本)中19本が、7000系(2代)に置き換えられる予定であったが、計画が変更されて増備を一旦中止したため、同系の2011年度末時点の在籍数は予定増備数を下回る3両編成7本に留まった。計画を変更した理由は、本系列の増備の途上で、日比谷線との相互直通運転終了に伴い東横線用の1000系に余剰が発生したことから、その1000系を活用するため、2014年度以降の7000系(2代)の増備は一旦中止となり、1000系を改造した1000系1500番台の導入によって行われた。
1000系1500番台の営業運転開始により、2014年(平成26年)4月に7908Fが営業運転を離脱し、搬出されている。同年5月には7910F、2015年(平成27年)3月には7907F、同年6月には7902Fが営業運転を離脱し、長津田車両工場へ回送された。このうち、デハ7702の前頭部が、西武新2000系クハ2098、京急800形デハ812-6と共に、藤久ビル東5号館(丸善 池袋店)に保存されている。
2015年(平成27年)9月現在では3両編成6本18両(7901F・7903F・7905F・7906F・7912F・7914F)が池上線・東急多摩川線(雪が谷検車区)に在籍した。全車がワンマン運転対応改造を受けており、池上線と東急多摩川線で両線用の1000系や7000系全編成と共通運用されていた。
上記の置き換え計画の変更に関連して、本系列の一部は継続して使用することに変更したが、その後本系列の老朽化の進行と1000系の改造種車が底を付いたことから、7000系(2代)の製造を再開することとなり、2017年(平成29年)に2編成を増備。2018年(平成30年)に6編成を投入し、本系列の全編成を置き換えることになった。
2018年 (平成30年) 11月24日、最後の1編成となった7901Fがさよなら運転を行い、すべての編成が東急から姿を消すこととなった。
2002年に余剰となっていた7904F・7909F・7911Fの両先頭車6両が、同じく余剰となっていた7200系2両とともに青森県の十和田観光電鉄に譲渡された。VVVFインバータ制御車の他社譲渡はこれが日本初である。形式称号は7700系のまま、「デハ」の呼称が「モハ」に、車両番号の末尾2桁が若い順に01 - 03に振り直されている。
外観は側面のコーポレートマークの交換・連結面に転落防止幌の設置や前面貫通渡り板の撤去を行った程度だが、入線に際して自動放送装置などのワンマン運転対応設備と運賃箱・整理券発行器・運賃表示器・車内監視カメラ・非常通報装置が新設された。なお、車内のつり革には東急グループの東急百貨店とBunkamuraの広告が残っている。
同時に座席モケットが新品に交換され、交通バリアフリー法に対応して編成から外された車椅子スペース設置車のデハ7800形に代わってクハ7900形の一部座席を撤去した上で車椅子スペースが設置されている。
また、オールステンレス車体・VVVFインバータ制御・SIV・平行カルダン駆動、ワンハンドルマスコンかつ電気指令式ブレーキ・冷房装置・車椅子スペースは十鉄としては本系列が初の導入となった。
十和田観光電鉄線の廃止に伴い、2012年(平成24年)3月末をもって運用を終了し廃車、全車解体された。
養老鉄道の養老線で運行している元近鉄600系電車 (3代)の置換えのため、東急での運用終了に先立つ2018年8月に養老線管理機構へ譲渡され2019年2月以降に運用開始予定であることが発表された。譲渡される編成は2両編成と3両編成3本ずつの計15両である。
車体は7000系として製造されてから50年以上経過しており、置き換え対象の車両と大差ない。しかし腐食しにくいオールステンレス製の車体であることと、台車や電気系統などが7700系に改造された際のもので比較的経年が浅い上にワンマン化対応済みのため、今後30年間(累計80年程度)の使用が見込まれている。
改造は近鉄塩浜検修車庫で行われる。外観については養老鉄道オリジナルの緑帯のほかに緑歌舞伎・東急時代の赤帯・赤歌舞伎の計4種類が用意される。編成の記号はTQ編成とし、形式称号はク又はモに変更されたが車番は東急時代のものを踏襲している。
内装は先頭車両に運賃箱とデジタル表示の運賃表示板、各編成1両に車椅子スペースを設置。シートモケットにはひょうたん柄を採用(優先席は青、その他は緑)。3両編成は中間車に転換クロスシートを8席設置する(伊豆急行8000系電車と同様、片側にロングシートを残し、クロスシートはもう片側のみ設置)。
2019年4月27日から3両編成が営業運転を開始した。これは平成最後の新形式車両の営業運転開始時期となった(平成最後の新形式車両の営業運転開始は、純然たる新造に限定すれば相鉄12000系電車となる)。2両編成も同年7月13日から営業運転に入った。
2020年7月現在。
この15両以外にデハ7806が予備車(部品取り)として大垣車庫内に留置されていることが確認されており、東急から養老鉄道へ送られたのは合わせて16両となる。
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"tag": "p",
"text": "1編成4両を基本として以下のように改造された。",
"title": "形式と編成"
},
{
"paragraph_id": 18,
"tag": "p",
"text": "最短でクハ7900形とデハ7700形の2両編成での運転が可能となっている。2000年の3両編成化以降、譲渡車も含めてすべての編成で車両番号の下2桁が揃っている。",
"title": "形式と編成"
},
{
"paragraph_id": 19,
"tag": "p",
"text": "本形式は、東急内では大きく分けて3形態が存在する。",
"title": "編成・塗装"
},
{
"paragraph_id": 20,
"tag": "p",
"text": "目蒲線投入後、2000年の路線分断まで同線で4両編成を組んでいたグループで、先頭車の前面に細い赤帯が入っている。7904F・7909F・7911Fは路線分断時に運用離脱し、残る8本がサハ7950形の抜き取りと7912F - 7915Fと同等のワンマン運転対応改造が行われて現存している。前面の行先表示器は7912F以降に合わせてLED式に変更されたが、その後も車体装飾の変更や側面行先表示器の追加などは行われていない。",
"title": "編成・塗装"
},
{
"paragraph_id": 21,
"tag": "p",
"text": "7910Fの種車は7000系で最初に落成(製造は1961年12月、入籍は1962年1月)した第1編成であり、構体は2012年当時の東急の鉄道車両の中では最も経年が古かった。なお、同編成は2012年4月16日より、池上線開業90周年を記念して前面の赤帯を撤去して「クラシックスタイル」として運用されていたが、同編成は2014年5月に運用を離脱し、このうちデハ7810とクハ7910は先に搬出されたが、デハ7710は同年9月に長津田車両工場で開催された「東急電車まつり2014in長津田」で7600系デハ7662やデヤ7290とともに展示された後に搬出されている。7910Fの廃車により、東急の鉄道車両の中での最古参は7903Fとなった。同編成の種車は1963年10月に落成・入籍した7023Fで、2016年時点で車齢は53年に達する。",
"title": "編成・塗装"
},
{
"paragraph_id": 22,
"tag": "p",
"text": "7903Fは「多摩川アートラインプロジェクト アートウィーク2007」の一環として2007年(平成19年)11月3日から同年11月30日まで前面貫通扉にシンボルマークが、それ以外に虹の7色の縦1本の線がラッピングされた「レインボートレーン」としてラッシュ時以外は基本的に東急多摩川線内で限定運用されていた。",
"title": "編成・塗装"
},
{
"paragraph_id": 23,
"tag": "p",
"text": "池上線のワンマン化に備えて1995年から1996年に目蒲線から池上線に転用されたグループで、転属の際に上記のワンマン運転改造が施工され、他編成との区別のため、8000系の更新車に準じた前面が中央が黒・その両隣にL字形の赤帯・側面がドア以外の低い位置に太目の赤帯という塗装(通称「歌舞伎塗装」)に変更された。同時に幕式だった行先表示器がLED化され、側面にも1両当たり片側に1か所ずつ追加で設置され、サボ受けが撤去された。2011年に幌取り付けボルトが残存していた7913Fが廃車、のちに解体処分された。2018年7月に7914Fが、2018年9月に7912Fがそれぞれ養老鉄道へ譲渡されて、歌舞伎塗装は東急から消滅となった。",
"title": "編成・塗装"
},
{
"paragraph_id": 24,
"tag": "p",
"text": "1996年に7912F - 7914Fから抜かれたサハ7950形3両を組み合わせて組成された編成で、前記したように中間車のみ改造が1年早い。機器類が他の14本と異なり、制御装置の素子にはIGBTを採用している。先頭車の前面や運転台、客室仕切部形状は1000系に準じており、部品が共通化されている。3両編成完成時にワンマン運転対応設備と側面帯が装備され、池上線に投入された。",
"title": "編成・塗装"
},
{
"paragraph_id": 25,
"tag": "p",
"text": "当初は車両間に転落防止幌が設置されていたが、その後撤去されている。また、運転台右端に列車情報モニタ装置ディスプレイが設置されていたが、これもその後撤去されている。",
"title": "編成・塗装"
},
{
"paragraph_id": 26,
"tag": "p",
"text": "2010年9月廃車。",
"title": "編成・塗装"
},
{
"paragraph_id": 27,
"tag": "p",
"text": "本系列は目蒲線(当時)用として改造されたが、4両編成での使用予定に対して当時同線の駅ホームは3両分だったため、初期の改造車は暫定的に4両編成+2両編成の6両編成が組まれ、1987年8月1日から1988年(昭和63年)秋までの約1年間大井町線で使用された。このような編成は7910Fまでの10本(この時点では連結のため6両編成×5本)が該当する。なお、当初ブレーキ方式がHSC式であったこのグループは、7905F - 7910Fは1990年秋から1991年夏に、7901F - 7904Fは1992年度初頭よりHRA式に改修された 。種車の7000系には一部ドアガラスがHゴム支持の車両が存在し、これらは7700系化後もHゴム支持のままで、7903Fの全車と7913Fの先頭車が該当していたが、2001年に中間車の廃車発生品である押え金支持のドアに交換された。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 28,
"tag": "p",
"text": "凡例",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 29,
"tag": "p",
"text": "1989年(平成元年)には目蒲線駅ホームの4両編成対応化工事が完了し、大井町線投入分は他系列に置き換えられる形で同線に転属した。順次2両編成に対しての中間車増結と7911F - 7914Fの4本の増備が行われ、4両編成14本計56両の陣容となった。ただし、鵜の木駅は両端に踏切がありホーム延伸ができず、目黒寄りの1両は締切扱いで対応した。このため、当形式をはじめとする目蒲線所属編成および東横線所属の1000N系には自動扉非扱いスイッチ類を備えていた。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 30,
"tag": "p",
"text": "1994年(平成6年)には、1998年(平成10年)3月からワンマン運転を実施する池上線用の7200系を置き換えのため、最終3本が中間付随車のサハ7950形を切り離した3両編成となって同線に転用されることとなった。当初は7913Fと7914Fの2本のみが転属し、7912Fは余剰となったサハ7950形を活用すべく電装が行われたデハ7815(←サハ7962)を組み込んだまま目蒲線に残留した。この時にデハ7815は他編成と同じ機器ではなく、東急初のIGBT-VVVFインバータ装置とシングルアーム式パンタグラフを搭載する実用試験車とされた。7912Fが改造入場するとデハ7815は7902Fに移されたが、3編成とも翌1995年(平成7年)から運用開始し、同時に7913F・7914Fから抜き取られたサハ7963・7964の改造も進められた。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 31,
"tag": "p",
"text": "1996年(平成8年)7月には、サハ7963・7964が先頭車改造と電装を受け、クハ7915(←サハ7963)とデハ7715(←サハ7964)として出場した。デハ7815はこの2両の中間に移され、3両編成となった7912Fとともに翌8月26日より池上線で営業運転を開始した。この時点で56両のまま4両編成11本・3両編成4本の陣容となった。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 32,
"tag": "p",
"text": "新たに改造された7915Fの構成は以下のとおりである。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 33,
"tag": "p",
"text": "この編成のパンタグラフ搭載位置は他編成が大井町・五反田・目黒寄りの車端であるのに対し、蒲田寄りの車端となっている。既存の冷房機器の間に割り込むように設置されているため、配管などの配置も異なっている。7715号のインバータ装置は3群で構成し、通常は2群をVVVFインバータとして、1群を静止形インバータ(140kVA出力)として使用する「デュアルモード」方式を採用し、故障時の冗長化を図っている。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 34,
"tag": "p",
"text": "この編成のみ車体側面端部に転落防止板を装備していたが、池上線と東急多摩川線の各駅にホームセンサーと柵が完備されたことから後に撤去されている。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 35,
"tag": "p",
"text": "2000年(平成12年)8月6日の目蒲線の東西分断に伴い、本系列の運転区間は南側の東急多摩川線内に縮小された。3本が余剰となり、残った編成もすべてサハ7950形が抜かれて3両に短縮された。余剰車は3本分の先頭車6両が2年間の留置の後に十和田観光電鉄に譲渡された以外すべて廃車・解体され、初の廃車が発生するとともにサハ7950形が形式消滅した。サハ7950形に搭載されていたCPはデハ7800形へ移設されている。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 36,
"tag": "p",
"text": "2007年(平成19年)度より東急では新型車両7000系(2代)の導入を開始し、当初は上田電鉄別所線へ譲渡される1000系から置き換えを開始していたが、2010年からは7700系にも置き換えが及び7915Fは2010年(平成22年)7月に休車となり、同年8月9日に長津田検車区へ回送、同年9月21日付で廃車・解体処分となった。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 37,
"tag": "p",
"text": "2011年(平成23年)度は、7913Fが同年7月に廃車され、8月に解体処分された。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 38,
"tag": "p",
"text": "当初計画では、2011年度までに池上線および東急多摩川線に所属する3両編成28本(1000系13本・7600系3本・7700系12本)中19本が、7000系(2代)に置き換えられる予定であったが、計画が変更されて増備を一旦中止したため、同系の2011年度末時点の在籍数は予定増備数を下回る3両編成7本に留まった。計画を変更した理由は、本系列の増備の途上で、日比谷線との相互直通運転終了に伴い東横線用の1000系に余剰が発生したことから、その1000系を活用するため、2014年度以降の7000系(2代)の増備は一旦中止となり、1000系を改造した1000系1500番台の導入によって行われた。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 39,
"tag": "p",
"text": "1000系1500番台の営業運転開始により、2014年(平成26年)4月に7908Fが営業運転を離脱し、搬出されている。同年5月には7910F、2015年(平成27年)3月には7907F、同年6月には7902Fが営業運転を離脱し、長津田車両工場へ回送された。このうち、デハ7702の前頭部が、西武新2000系クハ2098、京急800形デハ812-6と共に、藤久ビル東5号館(丸善 池袋店)に保存されている。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 40,
"tag": "p",
"text": "2015年(平成27年)9月現在では3両編成6本18両(7901F・7903F・7905F・7906F・7912F・7914F)が池上線・東急多摩川線(雪が谷検車区)に在籍した。全車がワンマン運転対応改造を受けており、池上線と東急多摩川線で両線用の1000系や7000系全編成と共通運用されていた。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 41,
"tag": "p",
"text": "上記の置き換え計画の変更に関連して、本系列の一部は継続して使用することに変更したが、その後本系列の老朽化の進行と1000系の改造種車が底を付いたことから、7000系(2代)の製造を再開することとなり、2017年(平成29年)に2編成を増備。2018年(平成30年)に6編成を投入し、本系列の全編成を置き換えることになった。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 42,
"tag": "p",
"text": "2018年 (平成30年) 11月24日、最後の1編成となった7901Fがさよなら運転を行い、すべての編成が東急から姿を消すこととなった。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 43,
"tag": "p",
"text": "2002年に余剰となっていた7904F・7909F・7911Fの両先頭車6両が、同じく余剰となっていた7200系2両とともに青森県の十和田観光電鉄に譲渡された。VVVFインバータ制御車の他社譲渡はこれが日本初である。形式称号は7700系のまま、「デハ」の呼称が「モハ」に、車両番号の末尾2桁が若い順に01 - 03に振り直されている。",
"title": "十和田観光電鉄譲渡車"
},
{
"paragraph_id": 44,
"tag": "p",
"text": "外観は側面のコーポレートマークの交換・連結面に転落防止幌の設置や前面貫通渡り板の撤去を行った程度だが、入線に際して自動放送装置などのワンマン運転対応設備と運賃箱・整理券発行器・運賃表示器・車内監視カメラ・非常通報装置が新設された。なお、車内のつり革には東急グループの東急百貨店とBunkamuraの広告が残っている。",
"title": "十和田観光電鉄譲渡車"
},
{
"paragraph_id": 45,
"tag": "p",
"text": "同時に座席モケットが新品に交換され、交通バリアフリー法に対応して編成から外された車椅子スペース設置車のデハ7800形に代わってクハ7900形の一部座席を撤去した上で車椅子スペースが設置されている。",
"title": "十和田観光電鉄譲渡車"
},
{
"paragraph_id": 46,
"tag": "p",
"text": "また、オールステンレス車体・VVVFインバータ制御・SIV・平行カルダン駆動、ワンハンドルマスコンかつ電気指令式ブレーキ・冷房装置・車椅子スペースは十鉄としては本系列が初の導入となった。",
"title": "十和田観光電鉄譲渡車"
},
{
"paragraph_id": 47,
"tag": "p",
"text": "十和田観光電鉄線の廃止に伴い、2012年(平成24年)3月末をもって運用を終了し廃車、全車解体された。",
"title": "十和田観光電鉄譲渡車"
},
{
"paragraph_id": 48,
"tag": "p",
"text": "養老鉄道の養老線で運行している元近鉄600系電車 (3代)の置換えのため、東急での運用終了に先立つ2018年8月に養老線管理機構へ譲渡され2019年2月以降に運用開始予定であることが発表された。譲渡される編成は2両編成と3両編成3本ずつの計15両である。",
"title": "養老鉄道譲渡車"
},
{
"paragraph_id": 49,
"tag": "p",
"text": "車体は7000系として製造されてから50年以上経過しており、置き換え対象の車両と大差ない。しかし腐食しにくいオールステンレス製の車体であることと、台車や電気系統などが7700系に改造された際のもので比較的経年が浅い上にワンマン化対応済みのため、今後30年間(累計80年程度)の使用が見込まれている。",
"title": "養老鉄道譲渡車"
},
{
"paragraph_id": 50,
"tag": "p",
"text": "改造は近鉄塩浜検修車庫で行われる。外観については養老鉄道オリジナルの緑帯のほかに緑歌舞伎・東急時代の赤帯・赤歌舞伎の計4種類が用意される。編成の記号はTQ編成とし、形式称号はク又はモに変更されたが車番は東急時代のものを踏襲している。",
"title": "養老鉄道譲渡車"
},
{
"paragraph_id": 51,
"tag": "p",
"text": "内装は先頭車両に運賃箱とデジタル表示の運賃表示板、各編成1両に車椅子スペースを設置。シートモケットにはひょうたん柄を採用(優先席は青、その他は緑)。3両編成は中間車に転換クロスシートを8席設置する(伊豆急行8000系電車と同様、片側にロングシートを残し、クロスシートはもう片側のみ設置)。",
"title": "養老鉄道譲渡車"
},
{
"paragraph_id": 52,
"tag": "p",
"text": "2019年4月27日から3両編成が営業運転を開始した。これは平成最後の新形式車両の営業運転開始時期となった(平成最後の新形式車両の営業運転開始は、純然たる新造に限定すれば相鉄12000系電車となる)。2両編成も同年7月13日から営業運転に入った。",
"title": "養老鉄道譲渡車"
},
{
"paragraph_id": 53,
"tag": "p",
"text": "2020年7月現在。",
"title": "養老鉄道譲渡車"
},
{
"paragraph_id": 54,
"tag": "p",
"text": "この15両以外にデハ7806が予備車(部品取り)として大垣車庫内に留置されていることが確認されており、東急から養老鉄道へ送られたのは合わせて16両となる。",
"title": "養老鉄道譲渡車"
}
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東急7700系電車(とうきゅう7700けいでんしゃ)は、1987年(昭和62年)8月1日に営業運転を開始した東京急行電鉄の通勤形電車。1987年(昭和62年)から1991年(平成3年)にかけて7000系(初代)を改造した車両である。 本項では、東急から他社に譲渡された車両についても解説する。 なお、本項では解説の便宜上大井町・五反田・多摩川(目黒)寄り先頭車の車両番号+F(Formation=編成の略)を編成名として記述する。
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{{Pathnav|東急7000系電車 (初代)|frame=1}}
{{鉄道車両
| 車両名 = 東急7700系電車
| 背景色 = #ee0011
| 文字色 = #ffffff
| 画像 = Tokyu-7700-2.jpg
| 画像説明 = 7700系7901F<br />(2006年10月 雪が谷大塚駅 - 御嶽山駅間)
| 運用者 = [[東急|東京急行電鉄]]
| 製造所 = [[東急車輛製造]]<!-- 種車の製造 -->
| 種車 = [[東急7000系電車 (初代)|7000系(初代)]]
| 製造年 = 1962年 - 1965年
| 改造所 = 東急車輛製造・[[東急テクノシステム|東横車輛電設]]
| 改造年 = 1987年 - 1991年
| 改造数 = 56両
| 運用開始 = 1987年8月1日
| 引退 = 2018年11月24日
| 編成 = 3両編成(過去6→4両編成)
| 軌間 = 1,067 mm
| 電気方式 = [[直流電化|直流]]1,500V<br />([[架空電車線方式]])
| 最高運転速度 = 85 km/h(池上線)<br />80 km/h(東急多摩川線)
| 設計最高速度 = 120 km/h
| 起動加速度 = 3.0 km/h/s
| 常用減速度 = 3.5 km/h/s
| 非常減速度 = 4.5 km/h/s
| 編成定員 = 3両編成:381(座席148)人
| 車両定員 = 先頭車124人(座席48人)<br />中間車133人(座席56人)<br />中間車車椅子スペース設置車134人(座席52人)<!--東急7700系の項目-->
| 自重 = ・3両ワンマン化改造後<br/>デハ7700形 34.2t (35.0t)<br/>デハ7800形 33.4t(33.8t)<br />クハ7900形 30.8t(30.4t)<br />カッコなしは7901F - 7914F<ref name="PIC1995-10EX">鉄道図書刊行会「鉄道ピクトリアル」1995年10月臨時増刊号新車年鑑1995年版183頁。なお、同記事は7912F - 7914Fが対象であるが、3両編成化改造後の7901F - 7910Fも機器配置が同じため、車両重量も同じであると思われる。</ref>, カッコは7915Fのデータ<ref>交友社「鉄道ファン」1996年10月号「東急ニュース'96」内7700系(7915編成)主要諸元表</ref>
| 編成重量 = 98.4 t<!--3両ワンマン車--><br />ただし、7915Fは99.2 t
| 全長 = 18,000 mm
| 全幅 = 2,800 mm
| 全高 = 3,880 mm<br />4,000 mm(パンタグラフ搭載車)
| 台車 = 軸ばね式ダイレクトマウント空気ばね台車<br/>[[空気ばね]]台車<br />TS-832形・TS-835形
| 主電動機 = [[かご形三相誘導電動機]]
| 主電動機出力 = 170 kW
| 駆動方式 = [[中空軸平行カルダン駆動方式]]
| 歯車比 = 6.07
| 制御方式 = [[可変電圧可変周波数制御|VVVFインバータ制御]]<br />7915F:[[絶縁ゲートバイポーラトランジスタ|IGBT]]素子<br/>その他:[[ゲートターンオフサイリスタ|GTOサイリスタ]]素子
| 制御装置 = [[東洋電機製造]]製<br/>7901F - 7914F:RG617-A-M<br />7915F:RG654-A-M と RG660-A-M
| 制動装置 = [[回生ブレーキ]]併用[[電気指令式ブレーキ]]
| 保安装置 = [[自動列車停止装置#軌道電流式(半連続照査型・点照査型)|東急形ATS]]・[[定位置停止装置|TASC]]
| 備考 =
}}
'''東急7700系電車'''(とうきゅう7700けいでんしゃ)は、[[1987年]]([[昭和]]62年)[[8月1日]]に営業運転を開始した[[東急|東京急行電鉄]]の[[通勤形車両 (鉄道)|通勤形電車]]。1987年(昭和62年)から[[1991年]]([[平成]]3年)にかけて[[東急7000系電車 (初代)|7000系(初代)]]を改造した車両である。
本項では、東急から他社に譲渡された車両についても解説する。
なお、本項では解説の便宜上[[大井町駅|大井町]]・[[五反田駅|五反田]]・[[多摩川駅|多摩川]]([[目黒駅|目黒]])寄り先頭車の[[鉄道の車両番号|車両番号]]+F(Formation=編成の略)を編成名として記述(例:クハ7901以下4両編成=7901F, クハ7915以下3両編成=7915F)する。
== 概要 ==
[[1962年]]に登場した[[東急7000系電車 (初代)|7000系]]は、その後投入された[[東急7200系電車|7200系]]などの車両が[[1986年]]度末にほとんど[[エア・コンディショナー|冷房化]]される中、床下に冷房用の[[電源]]を設置するスペースがないことや、冷房装置搭載にともなう重量増に[[鉄道車両の台車|台車]]が対応できないことから冷房化が行われていなかった。また、製造より25年が経ち、電機品([[電装]]品)や内装の老朽化・陳腐化が進んでいた。
しかし、7000系の車体は構体・台枠含めて全て[[オールステンレス車両|ステンレス製]]であるため[[腐食]]による「痩せ」がなく、[[溶接]]部分が新製時の状態を維持していれば[[強度]]が落ちていないことが予想された。そこで実際に荷重試験を実施したところ、強度が低下していなかったことから、骨組みと外板を残し、それ以外の台車・電機品・および内装などを総取り替えし、その上で冷房装置を搭載する改造がなされることになった。
改造工事は[[東急車輛製造]]へ[[車両輸送|甲種輸送]]しての施行または[[東京急行電鉄長津田車両工場|長津田車両工場]]内の東横車輛電設(現・[[東急テクノシステム]])において実施された。
== 車両概説 ==
=== 外観 ===
7000系の車体を流用しており、前面も7000系と同様に無塗装だったが、識別を容易とするために、第1編成の営業運転開始後に細い赤帯が入れられた。その後、[[1988年]]春からステンレス車全系列に赤帯を入れることになり、7000系にも赤帯が入れられたが、本系列より太い帯として区別された。当初から各駅停車以外の運用を持たないことから[[通過標識灯|急行灯]]は使用を停止している。
方向幕は手動巻取式のままで、当初は白幕だったが、目蒲線転属後しばらくして黒幕に交換された。この幕は[[東急7200系電車|7200系]](デヤ7200を含む)と[[東急7600系電車|7600系]]、[[東急こどもの国線|こどもの国線]]のデハ7057(デハ7052は白幕のまま)にも波及した<ref group="注">この幕には目蒲線・池上線・大井町線関連の駅名が用意され、「多摩川園」や「[[武蔵小山駅|武蔵小山]]」のほか「二子玉川園」は1番線到着用の緑地のものが入っていたが、その一方で東横線の駅名は用意されていなかった。</ref>が、当形式と7600系はその後のワンマン化改造時にLED化されることになる。
冷房装置は[[東急9000系電車|9000系]]と同一品だが、キセ([[カバー (曖昧さ回避)|カバー]])のみ[[東京メトロ日比谷線|営団(当時)日比谷線]]の[[車両限界]]に対応するため両肩部を斜めに削った形状とされた。10,000kcal/hの[[分散式冷房装置|分散式]]で、1両あたり屋根上に3基搭載されている。これらの重量増を考慮して、車体の横骨や、[[屋根]]部分に[[梁 (建築)|梁]]が追加された。なお、7000系時代に設置されていた[[扇風機]]はまだ新しかったため、補助送風機として存置されている。
=== 車内 ===
[[操縦席|運転台]]では、操作系を[[マスター・コントローラー|主幹制御器]]とブレーキハンドルが独立のものから、ワンハンドル式へ変更され、コンソールも一新された。[[車側表示灯|戸閉灯]]を大形化して[[電球]]から[[発光ダイオード|LED]]に変更、[[ワイパー]]は空気式から電動式の大型のものに変更、[[雨樋]]の設置、[[警笛]]に電子ホーンの追加、側窓は上段下降・下段上昇式からバランサー付の上段下降・下段固定式に変更([[1978年]]から[[1980年]]に車体更新が行われた車両を除く)などが行われ、窓枠部分が目立たなくなるなど、外観の印象も若干変わった。
[[ファイル:Tokyu-7700-interior.jpg|thumb|240px|right|車内の様子<br />仕切りが設けられ、区画ごとに色分けされた座席が特徴]]
内装では、座席配置は改造前と同様の全席[[鉄道車両の座席#ロングシート(縦座席)|ロングシート]]だが、座席表地の2色化と袖仕切りの新設が行われ、そのほか、化粧板と床材をすべて張り替え、室内灯の増設、[[車内非常通報装置|非常通報装置]]を紐式から押しボタン式に変更されるなど、9000系に準じたリニューアルが行われた。混雑率が低い路線のみで使用されることからドア脇への立ち席スペースの確保はなされていない。
[[ファイル:Tokyu7700cab.jpg|thumb|240px|right|ワンマン運転改造後の運転台]]
2000年以降全編成がワンマン運転に対応しており、運転台にワンマン機器、車上ITV(ホーム監視モニター)、[[車内放送|自動放送装置]]が設置されている。また、[[車掌スイッチ]]は電気接点式の押しボタン式化や車外[[スピーカー]]の設置、TASC、 情報伝送装置を設置した。また、前面[[貫通扉]]と運転室と客室の仕切りが交換され<ref group="注">仕切窓や仕切扉を更新し、窓の小形化や右側の窓を除き遮光ガラス化、[[遮光幕]]を下降式の遮光板化などが実施された。</ref>、搭載機器の増加もあって以前より運転室面積を拡大<ref group="注">仕切り設置位置が100mm後退し運転室奥行きを1,270mmから1,370mm化、中央の仕切扉がやや車掌台側に寄る。</ref>されている。
また、[[車内非常通報装置]]を対話式に変更して3台に増設、同年から[[2002年]]に[[高齢者、身体障害者等の公共交通機関を利用した移動の円滑化の促進に関する法律|交通バリアフリー法]]に対応するために全編成のデハ7800形の座席が一部撤去され、その部分に[[車椅子スペース]]が設置された。
=== 機器類 ===
床下機器はほぼ全面的に交換され、モーター([[主電動機]])は[[定格]][[出力]]60・70[[キロワット|kW]]の[[複巻整流子電動機]]から170kWの[[かご形三相誘導電動機|三相交流かご形誘導電動機]]に、[[主制御器]]は[[電気車の速度制御#抵抗制御|抵抗制御]]から[[ゲートターンオフサイリスタ|GTOサイリスタ]][[半導体素子|素子]]による[[可変電圧可変周波数制御|VVVFインバータ制御]]<ref group="注">[[東洋電機製造]]製。主制御器1基で1両分4個のモーターを制御する「1C4M」方式。なお、7000系時代は同2両分8個の「1C8M」方式だった。</ref>にそれぞれ変更され、モーターの出力増強に伴い編成構成が全[[動力車|電動車]]から、[[MT比]]1:1(4両編成時)<ref group="注">[[集電装置|パンタグラフ]]付きの車両([[鉄道の車両番号|車両番号]]が偶数)はモーター付き、パンタグラフなしの車両(車両番号が奇数)はモーターなしとされた。</ref>となった。
ブレーキ方式は、当初7000系の[[回生ブレーキ]]併用[[電磁直通ブレーキ|電磁直通空気式]] (HSC-R) が引き継がれたが、当初より[[東急目蒲線|目蒲線]]に投入された7911F以降(→[[東急7700系電車#歴史]])は[[電気指令式ブレーキ|電気指令式]] (HRA) に変更され、HSC式の編成も後に電気指令式とされた<ref group="注">同時期にVVVFインバータの[[ソフトウェア]]の変更が行われたといわれており、当初[[東急7600系電車|7600系]]と同じだった[[磁励音]]から現在の音に変わったとされる。</ref>。また、ブレーキや[[空気ばね]]などに[[圧縮空気]]を供給する[[圧縮機|空気圧縮機]] (CP) は、当初HB1500系とHS20系の2種類が併用されたが、後にすべてHS20系に統一された。
[[鉄道車両の台車|台車]]は老朽化が進んでおり、また、先述のとおり冷房装置搭載による重量増、および主電動機の交換にも対応できないため、[[バッド (車両メーカー)|バッド]]社・パイオニア III 形の[[ライセンス生産|技術提携]]による軸ばねを省略した一自由度系台車のTS-701から、[[東急8000系電車|8000系]]のTS-807(動力台車)、およびTS-815(付随台車)台車と同系の、TS-832(動力台車)、TS-835(付随台車)に交換された。この時期すでに9000系で[[ボルスタレス台車]]が採用されていたが、当形式では流用する車体の状態が良く、[[台枠]]にも手を加える必要がなかったため、台枠構造に合わせたボルスタ(枕梁)付き台車の軸ばね式ダイレクトマウント空気ばね台車とした。
保安装置は東急形[[自動列車停止装置|ATS]]装置と[[定位置停止装置|TASC]]を搭載する。なお、通常のブレーキは[[運転士]]のブレーキ操作が優先であり、定位置停止に対しブレーキの遅れや不足があった場合はTASCがブレーキを補足する。併せて設置した[[トランスポンダ|情報伝送装置]]は地上子の情報を検知してTASCに伝える機能があり、TASCはこの情報を元に停止位置、速度を検知してブレーキ補足操作を行う。なお、本系列は[[東急目黒線|目黒線]]や[[東急田園都市線|田園都市線]]用の[[自動列車制御装置|ATC]]車上装置が搭載されていないため、全般検査、重要部検査などで[[東京急行電鉄長津田検車区|長津田検車区]]へ[[回送]]される際には[[東急7500系電車|7500系(デヤ7500形とデヤ7550形)]]の中間に挟まれて回送されていた。
== 形式と編成 ==
1編成4両を基本として以下のように改造された。
最短でクハ7900形とデハ7700形の2両編成での運転が可能となっている。2000年の3両編成化以降、譲渡車も含めてすべての編成で車両番号の下2桁が揃っている。
{| class="wikitable" style="font-size:90%; text-align:left;"
|-
|rowspan="7" style="background-color:#f99;"|
|colspan="2" style="background-color:#ddd;"|↑[[大井町駅|大井町]]・[[五反田駅|五反田]]・[[目黒駅|目黒]]・[[多摩川駅|多摩川]]
|-
!style="width:16em;"|形式
!詳細
|-
|'''クハ7900形'''
|デハ7000形奇数番号車から改造された[[制御車]]。<br />モーターは撤去され、120kVA出力の[[静止形インバータ]] (SIV) と空気圧縮機 (CP) などの補機類を搭載する。
|-
|'''デハ7800形'''
|デハ7100形偶数番号車から改造された電動車。<br />モーターと[[集電装置|パンタグラフ]]や主制御器などの走行機器を搭載する。
|-
|'''サハ7950形'''(2000年に廃形式)
|デハ7100形奇数番号車から改造された[[付随車]]。<br />モーターは撤去され、CPを搭載していた。
|-
|'''デハ7700形'''
|デハ7000形偶数番号車から改造された制御電動車。<br />デハ7800形に運転台を取り付けた構造である。
|-
|colspan="2" style="background-color:#ddd;"|↓[[二子玉川駅|二子玉川園]](当時)・[[蒲田駅|蒲田]]
|}
<gallery widths="180" style="font-size:90%;">
Image:東急7700系3.jpg|クハ7900形
Image:東急7700系2.jpg|デハ7800形
Image:東急7700系.jpg|デハ7700形
</gallery>
{{-}}
== 編成・塗装 ==
本形式は、東急内では大きく分けて3形態が存在する。
=== 7901F - 7911F ===
[[ファイル:Tokyu 7000 Midorigaoka.jpg|thumb|200px|7910Fの種車となった7001F]]
目蒲線投入後、2000年の路線分断まで同線で4両編成を組んでいたグループで、先頭車の前面に細い赤帯が入っている。7904F・7909F・7911Fは路線分断時に運用離脱し、残る8本がサハ7950形の抜き取りと7912F - 7915Fと同等のワンマン運転対応改造が行われて現存している。前面の[[方向幕|行先表示器]]は7912F以降に合わせてLED式に変更されたが、その後も車体装飾の変更や側面行先表示器の追加などは行われていない。
7910Fの種車は7000系で最初に落成(製造は1961年12月、入籍は1962年1月)した第1編成であり、構体は2012年当時の東急の鉄道車両の中では最も経年が古かった。なお、同編成は2012年4月16日より、池上線開業90周年を記念して前面の赤帯を撤去して「クラシックスタイル」として運用されていたが<ref>[http://rail.hobidas.com/rmn/archives/2012/04/77007910f.html 東急7700系7910F 前面赤帯を撤去して運用] - 鉄道ホビダス RMニュース 2012年4月18日</ref><ref>{{PDFlink|[http://www.tokyu.co.jp/contents_index/guide/pdf/120423-2.pdf 「池上線開業90周年キャンペーン」を開催します]}} - 東京急行電鉄ニュースリリース 2012年4月23日</ref>、同編成は2014年5月に運用を離脱し、このうちデハ7810とクハ7910は先に搬出されたが、デハ7710は同年9月に[[長津田車両工場]]で開催された「東急電車まつり2014in長津田」で[[東急7600系電車|7600系]]デハ7662やデヤ7290とともに展示された後に搬出されている。7910Fの廃車により、東急の鉄道車両の中での最古参は7903Fとなった。同編成の種車は[[1963年]]10月に落成・入籍した7023Fで、2016年時点で車齢は53年に達する。
7903Fは「[[多摩川アートラインプロジェクト]] アートウィーク2007」の一環として[[2007年]](平成19年)[[11月3日]]から同年[[11月30日]]まで前面貫通扉に[[シンボルマーク]]が、それ以外に虹の7色の縦1本の線が[[ラッピング車両|ラッピング]]された「レインボートレーン」としてラッシュ時以外は基本的に東急多摩川線内で限定運用されていた。
=== 7912F - 7914F ===
池上線のワンマン化に備えて1995年から1996年に目蒲線から池上線に転用されたグループで、転属の際に上記のワンマン運転改造が施工され、他編成との区別のため、[[東急8000系電車|8000系]]の更新車に準じた前面が中央が黒・その両隣にL字形の赤帯・側面がドア以外の低い位置に太目の赤帯という塗装(通称「歌舞伎塗装」)に変更された。同時に幕式だった行先表示器がLED化され、側面にも1両当たり片側に1か所ずつ追加で設置され、サボ受けが撤去された<ref group="注">撤去跡はネジで塞がれている。</ref><!-- このグループは外観は異なるが車内・性能などは変わらない。冷房装置の改良は他編成にもあり -->。2011年に幌取り付けボルトが残存していた7913Fが廃車、のちに解体処分された。2018年7月に7914Fが、2018年9月に7912Fがそれぞれ[[養老鉄道]]へ譲渡されて、歌舞伎塗装は東急から消滅となった。
=== 7915F ===
1996年に7912F - 7914Fから抜かれたサハ7950形3両を組み合わせて組成された編成で、前記したように中間車のみ改造が1年早い。機器類が他の14本と異なり、制御装置の素子には[[絶縁ゲートバイポーラトランジスタ|IGBT]]を採用している。先頭車の前面や運転台、客室仕切部形状は1000系に準じており、部品が共通化されている。3両編成完成時にワンマン運転対応設備と側面帯が装備され、池上線に投入された。
当初は車両間に[[転落防止幌]]が設置されていたが、その後撤去されている。また、運転台右端に[[鉄道車両のモニタ装置|列車情報モニタ装置]]ディスプレイ<ref group="注">9000系や1000系で採用された、プラズマディスプレイに故障時のガイダンス処置を表示するモニタ装置の発展形。機器の動作状態や故障時のガイダンス処置を表示する乗務員支援装置。</ref>が設置されていたが、これもその後撤去されている。
2010年9月廃車。
<gallery widths="180" style="font-size:90%;">
ファイル:Tokyu 7700 7910F.JPG|前面の赤帯を撤去した7910F<br />(2012年5月15日 / [[蒲田駅]])(2014年5月廃車)
ファイル:Tokyu-7700-Kabuki.jpg|7914F<br />(通称「歌舞伎塗装」)<br />(2006年10月28日 / [[鵜の木駅]] - [[下丸子駅]]間)(2018年に養老鉄道に譲渡)
ファイル:Tokyu-7700-7915F.jpg|7915F<br />(2006年11月3日 / [[雪が谷大塚駅]] - [[御嶽山駅]]間)(2010年8月廃車)
ファイル:Tokyu7000-7708.jpg|7908F(2014年4月廃車)
ファイル:Tokyu-7700.jpg|7905F(2018年養老鉄道に譲渡)
ファイル:Tokyu Corporation 7700 Series 7710F set.jpg|池上線7000系リバイバル2012.10.6
ファイル:Tokyu-7910F.jpg|赤帯だった頃の7910F(2008年2月12日)
</gallery>
=== 7700系改造元一覧 ===
*7901F:クハ'''7901'''養(デハ7045)-デハ7801(デハ7114)-サハ7951廃(デハ7113)-デハ'''7701'''養(デハ7064)
*7902F:クハ7902(デハ7063)-デハ7802(デハ7132)-サハ7952廃(デハ7133)-デハ'''7702'''丸(デハ7046)
*7903F:クハ'''7903'''養(デハ7023)-デハ'''7803'''養(デハ7112)-サハ7953廃(デハ7111)-デハ'''7703'''養(デハ7024)
*7904F:クハ'''7904'''十(デハ7047)-デハ7804廃(デハ7166)-サハ7954廃(デハ7163)-デハ'''7704'''十(デハ7048)
*7905F:クハ'''7905'''養(デハ7043)-デハ7805(デハ7156)-サハ7955廃(デハ7155)-デハ'''7705'''養(デハ7044)
*7906F:クハ'''7906'''養(デハ7041)-デハ7806(デハ7168)-サハ7956廃(デハ7167)-デハ'''7706'''養(デハ7042)
*7907F:クハ7907(デハ7051)-デハ7807(デハ7164)-サハ7957廃(デハ7165)-デハ7707(デハ7058)
*7908F:クハ7908(デハ7005)-デハ7808(デハ7106)-サハ7958廃(デハ7105)-デハ7708(デハ7006)
*7909F:クハ'''7909'''十(デハ7003)-デハ7809廃(デハ7104)-サハ7959廃(デハ7103)-デハ'''7709'''十(デハ7004)
*7910F:クハ7910(デハ7001)-デハ7810(デハ7102)-サハ7960廃(デハ7101)-デハ7710(デハ7002)
*7911F:クハ'''7911'''十(デハ7015)-デハ7811廃(デハ7152)-サハ7961廃(デハ7151)-デハ'''7711'''十(デハ7018)
*7912F(歌舞伎):クハ'''7912'''養(デハ7059)-デハ'''7812'''養(デハ7150)-サハ7962改(デハ7149)-デハ'''7712'''養(デハ7060)
*7913F(歌舞伎):クハ7913(デハ7019)-デハ7813(デハ7130)-サハ7963改(デハ7131)-デハ7713(デハ7020)
*7914F(歌舞伎):クハ'''7914'''養(デハ7027)-デハ'''7814'''養(デハ7120)-サハ7964改(デハ7119)-デハ'''7714'''養(デハ7062)
*7915F:7915(7963)-7815<-(7962)7715<(7964)
;凡例
*養…[[養老鉄道]]に
*十…[[十和田観光電鉄]]に
*改…7715Fに改造
*廃…[[東急目蒲線]]分割時に廃車車両
*丸…[[丸善]]池袋で展示
== 歴史 ==
本系列は[[東急目蒲線|目蒲線]](当時)用として改造されたが、4両編成での使用予定に対して当時同線の[[鉄道駅|駅]][[プラットホーム|ホーム]]は3両分だったため<ref group="注">ただし、目黒駅 - 田園調布駅間の各駅はかつてラッシュ時に4両編成が運転されていた経緯から、ホームは4両分であった。また、蒲田駅も高架化の際、目蒲線ホームのみ4両分で建設されている。</ref>、初期の改造車は暫定的に4両編成+2両編成の6両編成が組まれ、1987年8月1日から[[1988年]](昭和63年)秋までの約1年間[[東急大井町線|大井町線]]で使用された。このような編成は7910Fまでの10本(この時点では連結のため6両編成×5本)が該当する。なお、当初ブレーキ方式がHSC式であったこのグループは、7905F - 7910Fは1990年秋から1991年夏に、7901F - 7904Fは1992年度初頭よりHRA式に改修された<ref name="JNL1992-7">鉄道ジャーナル社「鉄道ジャーナル」1992年7月号MINI TOPICS 120頁「東急目蒲線に1000N系再登場」</ref> 。種車の7000系には一部ドアガラスがHゴム支持の車両が存在し、これらは7700系化後もHゴム支持のままで、7903Fの全車と7913Fの先頭車が該当していたが、2001年に中間車の廃車発生品である押え金支持のドアに交換された。
; 大井町線時代の7700系
{| class="wikitable" style="text-align:center; font-size:80%; margin:1em 0em 2em 3em;"
|-
| style="background-color:#ccc; width:6em;"|
|colspan="6"|{{TrainDirection|大井町|二子玉川園<!-- 走行当時の区間です -->}}
|-style="border-top:solid 4px #f66;"
!形式
|'''クハ7900'''<br />(Tc)
|'''デハ7800'''<br />(M)
|'''サハ7950'''<br />(T)
|'''デハ7700'''<br />(Mc)
|style="border-left:solid 4px #999;"|'''クハ7900'''<br />(Tc)
|'''デハ7700'''<br />(Mc)
|-
!搭載機器
| CP,SIV || VVVF || CP || VVVF
|style="border-left:solid 4px #999;"|CP,SIV
| VVVF
|-
!車両番号
|7901<br />7903<br />7904<br />7908<br />7910
|7801<br />7803<br />7804<br />7808<br />7810
|7951<br />7953<br />7954<br />7958<br />7960
|7701<br />7703<br />7704<br />7708<br />7710
|style="border-left:solid 4px #999;"|7902<br />7905<br />7906<br />7909<br />7907
|7702<br />7705<br />7706<br />7709<br />7707
|}
'''凡例'''
* VVVF - 制御装置(VVVFインバータ)
* SIV - 補助電源装置([[静止形インバータ]])120kVA
* CP - [[圧縮機|空気圧縮機]]
[[File:Tokyu 7904 Okusawa 198903.JPG|thumb|目蒲線4両編成化に向けた試運転中の7904F<br/>1989年3月 [[奥沢駅|奥沢]] - [[大岡山駅|大岡山]]間にて]]
[[1989年]]([[平成]]元年)には目蒲線駅ホームの4両編成対応化工事が完了し、大井町線投入分は他系列に置き換えられる形で同線に転属した。順次2両編成に対しての中間車増結と7911F - 7914Fの4本の増備が行われ、4両編成14本計56両の陣容となった。ただし、[[鵜の木駅]]は両端に踏切がありホーム延伸ができず、目黒寄りの1両は締切扱いで対応した。このため、当形式をはじめとする目蒲線所属編成および東横線所属の1000N系には自動扉非扱いスイッチ類を備えていた。
[[1994年]](平成6年)には、[[1998年]](平成10年)3月から[[ワンマン運転]]を実施する[[東急池上線|池上線]]用の[[東急7200系電車|7200系]]を置き換えのため、最終3本が中間付随車のサハ7950形を切り離した3両編成となって同線に転用されることとなった。当初は7913Fと7914Fの2本のみが転属し、7912Fは余剰となったサハ7950形を活用すべく電装が行われたデハ7815(←サハ7962)を組み込んだまま目蒲線に残留した。この時にデハ7815は他編成と同じ機器ではなく、東急初の[[絶縁ゲートバイポーラトランジスタ|IGBT]]-VVVFインバータ装置<ref group="注">インバータ装置のメーカーは他編成のGTO素子と同じ東洋電機製造である。IGBTの制御素子は同社としても初の採用だった。また、在来車での「1C4M」制御に対して「1C2M」2群制御である点も特徴である。</ref>とシングルアーム式パンタグラフを搭載<ref group="注">冷房装置を移設せずにパンタグラフを搭載するための措置。一般に、シングルアーム式の方が通常のパンタグラフより占有面積が小さい。</ref>する実用試験車とされた。7912Fが改造入場するとデハ7815は7902Fに移されたが、3編成とも翌[[1995年]](平成7年)から運用開始し、同時に7913F・7914Fから抜き取られたサハ7963・7964の改造も進められた。
[[1996年]](平成8年)7月には、サハ7963・7964が先頭車改造と電装<ref group="注">サハ7964のみ、内容は基本的にデハ7815に準じる。</ref>を受け、クハ7915(←サハ7963)とデハ7715(←サハ7964)として出場した。<ref group="注">施行は東急車輛製造に甲種輸送して実施。</ref>デハ7815はこの2両の中間に移され、3両編成となった7912Fとともに翌[[8月26日]]より池上線で営業運転を開始した。この時点で56両のまま4両編成11本・3両編成4本の陣容となった。
新たに改造された7915Fの構成は以下のとおりである。
{| class="wikitable" style="font-size:90%; text-align:left;"
|-
|rowspan="6" style="background-color:#f99;"|
|colspan="2" style="background-color:#ddd;"|↑五反田
|-
!style="width:8em;"|形式
!詳細
|-
|'''クハ7915'''
|サハ7963から改造された制御車。<br />CPを搭載する。
|-
|'''デハ7815'''
|サハ7962から改造された電動車。<br />CPやモーターとパンタグラフや主制御器などの走行機器を搭載する。
|-
|'''デハ7715'''
|サハ7964から改造された制御電動車。<br />CPは撤去され、モーターとパンタグラフや主制御器などの走行機器とSIVを搭載する。<br />この車両のSIVは主制御器と一体である。
|-
|colspan="2" style="background-color:#ddd;"|↓蒲田
|}
この編成のパンタグラフ搭載位置は他編成が大井町・五反田・目黒寄りの車端であるのに対し、蒲田寄りの車端となっている。既存の冷房機器の間に割り込むように設置されているため、配管などの配置も異なっている。7715号のインバータ装置は3群で構成し、通常は2群をVVVFインバータとして、1群を静止形インバータ(140kVA出力)として使用する「デュアルモード」方式を採用し、故障時の[[冗長化]]を図っている。
この編成のみ車体側面端部に転落防止板を装備していたが、池上線と東急多摩川線の各駅にホームセンサーと柵が完備されたことから後に撤去されている。
[[2000年]](平成12年)[[8月6日]]の目蒲線の東西分断に伴い、本系列の運転区間は南側の[[東急多摩川線]]内に縮小された。3本が余剰となり、残った編成もすべてサハ7950形が抜かれて3両に短縮された。余剰車は3本分の先頭車6両が2年間の留置の後に[[十和田観光電鉄]]に譲渡された以外すべて[[廃車 (鉄道)|廃車]]・解体され、初の廃車が発生するとともにサハ7950形が形式消滅した<ref name="rail fan2003-02-p3">{{Cite journal|和書|author=鉄道友の会東京支部東急部会|date=2003-02-01|title=2001年度 東急総決算|journal=RAIL FAN|volume=50|issue=2|pages=3|publisher=鉄道友の会}}</ref>。サハ7950形に搭載されていたCPはデハ7800形へ移設されている。
[[2007年]](平成19年)度より東急では新型車両[[東急7000系電車 (2代)|7000系(2代)]]の導入を開始し、当初は[[上田電鉄別所線]]へ譲渡される[[東急1000系電車|1000系]]から置き換えを開始していたが、2010年からは7700系にも置き換えが及び7915Fは[[2010年]](平成22年)7月に[[休車]]となり、同年8月9日に長津田検車区へ回送<ref>{{Cite web|和書|url=http://railf.jp/news/2010/08/10/163100.html|publisher=[[交友社]]|website=[[鉄道ファン (雑誌)|railf.jp(鉄道ニュース)]]|title=東急7700系7915編成が長津田検車区へ|date=2010-08-10|accessdate=2015-03-27}}</ref>、同年9月21日付で[[廃車 (鉄道)|廃車]]・解体処分となった<ref>交通新聞社「鉄道ダイヤ情報」2011年1月号私鉄車両のうごき</ref>。
[[2011年]](平成23年)度は、7913Fが同年7月に廃車され、8月に解体処分された<ref>交通新聞社「鉄道ダイヤ情報」2012年1月号私鉄車両のうごき</ref>。
当初計画では、2011年度までに池上線および東急多摩川線に所属する3両編成28本(1000系13本・7600系3本・7700系12本)中19本が、7000系(2代)に置き換えられる予定であったが、計画が変更されて増備を一旦中止したため、同系の2011年度末時点の在籍数は予定増備数を下回る3両編成7本に留まった<ref name="Rfan2012-8">「大手私鉄車両ファイル 車両配置表」 交友社『鉄道ファン』2012年8月号(通巻616号)付録</ref>。計画を変更した理由は、本系列の増備の途上で、[[東京メトロ日比谷線|日比谷線]]との相互直通運転終了に伴い[[東急東横線|東横線]]用の[[東急1000系電車|1000系]]に余剰が発生したことから、その1000系を活用するため、2014年度以降の7000系(2代)の増備は一旦中止となり、1000系を改造した[[東急1000系電車#1000系1500番台|1000系1500番台]]の導入によって行われた<ref name="ikaros2014">イカロス出版「私鉄車両年鑑2014」「東急電鉄1000系1500番代」</ref><ref name="JNL2014-9">鉄道ジャーナル社「鉄道ジャーナル」2014年9月号「東京急行電鉄最近の動き」</ref>。
1000系1500番台の営業運転開始により、[[2014年]](平成26年)4月に7908Fが営業運転を離脱し、搬出されている<ref name="JNL2014-9" />。同年5月には7910F<ref name="JNL2014-9" />、[[2015年]](平成27年)3月には7907F<ref>{{Cite web|和書|url=http://railf.jp/news/2015/03/27/170000.html|publisher=交友社|website=railf.jp(鉄道ニュース)|title=東急7700系7907編成が長津田車両工場へ|date=2015-03-27|accessdate=2015-03-27}}</ref>、同年6月には7902Fが営業運転を離脱し、長津田車両工場へ回送された。このうち、デハ7702の前頭部が、[[西武2000系電車#新2000系|西武新2000系]]クハ2098、[[京急800形電車 (2代)|京急800形]]デハ812-6と共に、藤久ビル東5号館(丸善 池袋店)に保存されている<ref>{{Cite web|和書|date=2017年7月21日|url=https://trafficnews.jp/post/76250/|title=「ビルに電車を置きたい!」 男の夢、池袋で実現 西武・京急・東急が揃い踏み|publisher=メディア・ヴァーグ|website=乗りものニュース|accessdate=2018年8月31日}}</ref>。
[[2015年]](平成27年)9月現在では3両編成6本18両(7901F・7903F・7905F・7906F・7912F・7914F)が池上線・東急多摩川線([[雪が谷検車区]])に在籍した。全車がワンマン運転対応改造を受けており、池上線と東急多摩川線で両線用の[[東急1000系電車|1000系]]や7000系全編成と共通運用されていた。
上記の置き換え計画の変更に関連して、本系列の一部は継続して使用することに変更したが、その後本系列の老朽化の進行と1000系の改造種車が底を付いたことから、7000系(2代)の製造を再開することとなり、[[2017年]](平成29年)に2編成を増備。[[2018年]](平成30年)に6編成を投入し、本系列の全編成を置き換えることになった<ref>{{Cite press release|和書|title=2018年度の鉄軌道事業設備投資計画 「安全・ストレスフリーな鉄道」の早期実現に向けた総額597億円 安全・安定輸送と混雑緩和のための取り組みを強化します|publisher=東京急行電鉄|date=2018年5月11日|url=http://www.tokyu.co.jp/image/news/pdf/20180511-1.pdf|format=PDF|language=日本語|accessdate=2018年5月15日}}</ref>。
2018年 (平成30年) 11月24日、最後の1編成となった7901Fがさよなら運転を行い、すべての編成が東急から姿を消すこととなった。
== 十和田観光電鉄譲渡車 ==
[[File:Towada Kanko 7902.JPG|thumb|250px|十和田観光電鉄7700系<br />(2009年9月20日 七百駅)]]
2002年に余剰となっていた7904F・7909F・7911Fの両先頭車6両が、同じく余剰となっていた[[東急7200系電車|7200系]]2両とともに[[青森県]]の[[十和田観光電鉄]]に譲渡された。VVVFインバータ制御車の他社譲渡はこれが日本初である。形式称号は7700系のまま、「'''デハ'''」の呼称が「'''モハ'''」に、車両番号の末尾2桁が若い順に01 - 03に振り直されている。
外観は側面のコーポレートマークの交換・連結面に転落防止幌の設置や前面貫通渡り板の撤去を行った程度だが、入線に際して自動放送装置などのワンマン運転対応設備と[[運賃箱]]・[[乗車整理券|整理券]]発行器・[[運賃表示器]]・車内[[監視カメラ]]・非常通報装置が新設された。なお、車内の[[つり革]]には東急グループの[[東急百貨店]]と[[Bunkamura]]の広告が残っている。
同時に座席モケットが新品に交換され、交通バリアフリー法に対応して編成から外された車椅子スペース設置車のデハ7800形に代わってクハ7900形の一部座席を撤去した上で車椅子スペースが設置されている。
また、オールステンレス車体・VVVFインバータ制御・SIV・平行カルダン駆動、ワンハンドルマスコンかつ[[電気指令式ブレーキ]]・冷房装置・車椅子スペースは十鉄としては本系列が初の導入となった。
[[十和田観光電鉄線]]の廃止に伴い、[[2012年]](平成24年)3月末をもって運用を終了し廃車、全車解体された。
=== 7700系譲渡車両一覧(十鉄) ===
* クハ7901(クハ7904) - モハ7701(デハ7704)
* クハ7902(クハ7909) - モハ7702(デハ7709)
* クハ7903(クハ7911) - モハ7703(デハ7711)
== 養老鉄道譲渡車 ==
[[File:Yoro railway 7703F 20190430 163331 01.jpg|thumb|250px|養老鉄道7700系<br />(2019年4月30日 美濃山崎駅)]]
[[養老鉄道]]の[[養老鉄道養老線|養老線]]で運行している元[[近鉄600系電車 (3代)]]の置換えのため<ref>[https://www.nisimino.com/yorosenportal/annex/54_Field08.pdf 養老線の車両更新について] - 養老線地域公共交通再生協議会 2018年8月21日</ref>、東急での運用終了に先立つ2018年8月に[[養老線管理機構]]へ譲渡され2019年2月以降に運用開始予定であることが発表された<ref name="yourou">{{Cite news|date=2018年8月22日|url=https://www.gifu-np.co.jp/news/20180822/20180822-67464.html|title=養老線、老朽化の車両更新へ 来年2月以降運行|publisher=岐阜新聞社|newspaper=[[岐阜新聞]]|accessdate=2018年8月31日|archiveurl=https://web.archive.org/web/20180822050109/https://www.gifu-np.co.jp/news/20180822/20180822-67464.html|archivedate=2018年8月22日}}</ref>。譲渡される編成は2両編成と3両編成3本ずつの計15両である。
車体は[[東急7000系電車 (初代)|7000系]]として製造されてから50年以上経過しており、置き換え対象の車両と大差ない。しかし腐食しにくいオールステンレス製の車体であることと、台車や電気系統などが7700系に改造された際のもので比較的経年が浅い上にワンマン化対応済みのため、今後30年間(累計80年程度)の使用が見込まれている。
改造は近鉄[[塩浜検修車庫]]で行われる。外観については養老鉄道オリジナルの緑帯のほかに緑歌舞伎・東急時代の赤帯・赤歌舞伎の計4種類が用意される。編成の記号はTQ編成とし、形式称号はク又はモに変更されたが車番は東急時代のものを踏襲している<ref>[https://railf.jp/news/2019/04/26/120000.html 養老鉄道、7700系を報道陣に公開] - 交友社「鉄道ファン」railf.jp 鉄道ニュース 2019年4月26日</ref>。
{{Image frame
| content ={{Photomontage
|photo1a = Yoro-Series7700_7905.jpg{{!}}緑帯塗装の7705F
|photo1b = Yoro-Series7700_7912.jpg{{!}}緑歌舞伎塗装の7712F
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}}
| caption=4種類の外装
}}
内装は先頭車両に運賃箱とデジタル表示の運賃表示板、各編成1両に車椅子スペースを設置。シートモケットには[[ヒョウタン|ひょうたん]]柄を採用([[優先席]]は青、その他は緑)。3両編成は中間車に転換クロスシートを8席設置する([[伊豆急行8000系電車]]と同様、片側にロングシートを残し、クロスシートはもう片側のみ設置)。
<gallery>
File:Yoro-Series7700_7905-Inside.jpg|先頭車の車内
File:Yoro Railway 7700 Cross-Seat inside 01.jpg|中間車の車内
</gallery>
2019年4月27日から3両編成が営業運転を開始した<ref name="yoro_TQ_clearfile">養老鉄道オリジナルグッズTQクリアファイルⅡ(2020年7月4日発売)図柄より</ref>。これは平成最後の新形式車両の営業運転開始時期となった(平成最後の新形式車両の営業運転開始は、純然たる新造に限定すれば[[相鉄12000系電車]]となる)。2両編成も同年7月13日から営業運転に入った<ref name="yoro_TQ_clearfile" /><ref>[https://railf.jp/news/2019/06/25/180000.html 養老鉄道2両編成の7700系が姿を現す] - 交友社「鉄道ファン」railf.jp 鉄道ニュース 2019年6月25日</ref>。
=== 車両一覧===
2020年7月現在<ref name="yoro_TQ_clearfile" />。
<!-- 編成図テンプレートへの書き換えを希望します-->
{| class="wikitable"
|- style="background-color:#acf"
|車番
|養老鉄道運行開始
|外観
|-
|モ7703 - モ7803 - ク7903||2019年4月27日||赤帯
|-
|モ7712 - モ7812 - ク7912||2019年4月27日||緑歌舞伎
|-
|モ7714 - モ7814 - ク7914||2020年1月15日||赤歌舞伎
|-
|モ7701 - ク7901||2020年2月14日||赤帯
|-
|モ7705 - ク7905||2019年11月3日||緑帯
|-
|モ7706 - ク7906||2019年7月13日||緑帯
|}
この15両以外にデハ7806が予備車([[部品取り]])として大垣車庫内に留置されていることが確認されており<ref>[https://www.youtube.com/watch?v=xSJ5Vq0HiLI&t=2944 特集:運用開始!! 養老鉄道7700系電車] - YoroStream NPO法人ヨロスト なるほどトレイン#028 2019年6月13日 </ref>、東急から養老鉄道へ送られたのは合わせて16両となる。
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Reflist|group="注"}}
=== 出典 ===
{{Reflist}}
== 参考文献 ==
*荻原俊夫 「VVVFインバータ車7700系登場」『[[鉄道ファン (雑誌)|鉄道ファン]]』1987年10月号(通巻318号)、交友社、1987年。
*上口英一 「東京急行電鉄7700系」『[[鉄道ピクトリアル]]』1987年10月号(通巻485号)、鉄道図書刊行会、1987年。
*上口英一 「東京急行電鉄7700系」『鉄道ピクトリアル』1988年5月号(通巻496号)特集・新車年鑑1988年版、鉄道図書刊行会、1988年(1つ上とほぼ同じ内容)。
*荻原俊夫 「東急7000系ものがたり〔後編〕」『鉄道ピクトリアル』1991年10月号(通巻549号)、鉄道図書刊行会、1991年。
*内田英明 「東京急行電鉄7700系3両化工事」『鉄道ピクトリアル』1995年5月号(通巻612号)特集・新車年鑑1995年版、鉄道図書刊行会、1995年。
*内田英明 「東京急行電鉄7700系先頭車化改造車」『鉄道ピクトリアル』1997年10月号(通巻644号)特集・新車年鑑1997年版、鉄道図書刊行会、1997年。
== 関連項目 ==
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{{DEFAULTSORT:とうきゆう7700けいてんしや}}
[[Category:東急電鉄の電車|7700]]
[[Category:1987年製の鉄道車両]]
[[Category:東急車輛製造製の電車]]
[[Category:鉄道車両関連]]
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節分
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節分(せつぶん、せちぶん)は、雑節の一つで、各季節の始まりの日(立春・立夏・立秋・立冬)の前日のこと。節分とは「季節を分ける」ことも意味している。江戸時代以降は特に立春(毎年2月4日ごろ)の前日を指す場合が多い。
太陰太陽暦(旧暦)では、立春に最も近い新月を元日とし、月(太陰)の満ち欠けを基準(月切)にした元日(旧正月)と、太陽黄経を基準(節切)にした立春は、ともに新年ととらえられていた。したがって、旧暦12月末日(大晦日)と立春前日の節分は、ともに年越しの日と意識されていたことになる。今も節分を「年越し」「年取り」と呼ぶ地域があるのはこの名残である。
本項目では、立春の前日、およびその日に行われる伝統的な行事について述べる。
一般的には「鬼は外、福は内」と声を出しながら福豆(煎り大豆)を撒いて、年齢の数だけ(もしくは1つ多く)豆を食べる厄除けを行う。また、玄関などに邪気除けの柊鰯などを飾る。これらは、地方や神社などによって異なってくる(後述)。
季節の変わり目には邪気(鬼)が生じると信じられていたため、それを追い払うための悪霊ばらい行事が執り行われていた。
宮中での年中行事であり、『延喜式』では、彩色した土で作成した牛と童子の人形を大内裏の各門に飾っていた。
「土牛童子」ともいわれ、大寒の日の前夜の夜半に立てられ、立春の日の前夜の夜半に撤去された。『延喜式』によれば、土偶(土人形の意)も土牛も、各門での大きさは同じで、土偶は高さ2尺で、方1尺5寸・厚さ2寸の板に立てる。土牛は高さ2尺・長さ3尺で、長さ3尺5寸・広さ1尺5寸・厚さ2寸の板に立てる。陽明門および待賢門には、青色のものを、美福門朱雀門には、赤色のものを、郁芳門、皇嘉門、殷富門および達智門には、黄色のものを、藻壁門および談天門には、白色のものを、安嘉門および偉鑒門には、黒色のを、立てる。『公事根源』十二月には、「青色は春の色ひんかしにたつ赤色は夏のいろ南にたつ白色は秋のいろ西にたつ黒色は冬の色北にたつ四方の門にまた黄色の土牛をたてくはふるは中央土のいろなり木火金水は土ははなれぬ理有」とある。
これは、平安時代頃から行われている「追儺」から生まれた。元中国から伝わったこの行事は日本に定着していき、現在の節分の元となった 。
『続日本紀』慶雲三年十二月の条によると706年にこの追儺が始まっている(「是年天下諸国疫疾百姓多死始作土牛大儺」(この年、天下諸国に疫病あり。多くの民が死に、はじめて土牛を造り大儺(だいだ)す)。これが室町時代に使用されていた「桃の枝」への信仰にかわって、炒った豆で鬼を追い払う行事となって行った。
近代、上記の宮中行事が庶民に採り入れられたころから、当日の夕暮れ、柊の枝に鰯の頭を刺したもの(柊鰯)を戸口に立てておいたり、寺社で豆撒きをしたりするようになった。
一般には毎年2月3日であるが常にそうではなく、1984年までは4年に1度の閏年に2月4日だった。1985年から2020年までは2月3日だったが、2021年から閏年の翌年は2月2日になる。グレゴリオ暦での最初の節分となった1873年から22世紀初頭までの具体的な日付は表のようになる。数十年のスケールで徐々に前倒しになってくるが、4で割り切れても閏年とならない1900年、2100年、2200年...の翌年に1日遅れて帳消しとなる。
立春の前日であり、立春は太陽黄経が315度となる日である。このように、間接的に天体の運行に基づいているので、日付は年によって異なり、また未来の日付は軌道計算に基づく予測しかできない。なお厳密には、基準とする標準時によっても異なるが、日本以外では祝う風習がないので、旧正月のように国による日付の違いが話題となることはない。
太陰太陽暦では、年末に立春を迎えることがある。それに伴い節分も年内となる。これを年内節分という。
暦注において、年の九星は立春をもって切り替わるので、節分までは前年の九星となる。
節分とは立春・立夏・立秋・立冬の前日を意味し、その中でも立春の前日としての節分に行われる風習としてはいくつかあるが、最も一般的といえる鬼払いの風習は、中国の風習を由来とする平安時代の追儺(ついな)、鬼遣(おにやらい)と呼ばれた宮中行事を元としているとされる。
行事の由来とされる中国の歳事は、元々太陰太陽暦(旧暦)で十二月の歳事だった。この頃は一年の変わり目、冬から春に転じるときで変化が大きく、疫鬼が民に病や災禍をもたらすとされた。そこで疫鬼を駆逐し、古い年を送り、新たな年、春の陽気、吉福を内に迎えた(「後漢書」礼儀志中などに記載)。
「周礼(しゅらい)」夏官(かかん)に書かれた歳事は以下のようなものである。
また、元々は疫鬼を追い払う役であった方相氏が、次第に追い払われる鬼役になったという説がある。
中国から伝わった追儺(ついな)や鬼遣(おにやらい)は当初、年越しの儀式だった。やがて季節の分かれ目である節分の中でも、立春の前日に行われるようになったが、この時期はまだまだ寒い。そして季節が移ろう時期は体調を崩しやすい。ちょっとした風邪から大病につながったり、深刻な病をもたらすこともある。そんな病魔を、人々は鬼、あるいは疫鬼として恐れた。
平安時代の女流作家・藤原道綱母(ふじわらの みちつなのはは)が著した『蜻蛉(かげろう)日記』には、900年代の人々が鬼遣に興ずる様子が描かれている。室町時代には形を変えて豆をまくようになったが、これは「魔滅」(まめ)に由来する。鬼の目である「魔目」(まめ)を滅ぼす力を持つ「魔滅」すなわち「豆」なのだ。なんだか駄洒落のようだが、日本人は古来言霊の存在を信じ、言葉に霊力と意味を与えてきたのだ。それに豆は「五穀」(米、麦、ひえ、あわ、豆)のひとつであり、農耕民族である日本人の生活に欠かせないもので、力が宿るとされてきた。これを穀霊信仰という。だからこれら五穀は神事にも使われ、中でも豆と米は神聖な存在として、鬼を払う力を持っていると信じられていたのだ。
室町時代後期成立とされる『貴船の本地』(貴船神社縁起)では、娘が人間と恋をしたために、鬼が日本人を食おうとし更に軍勢で襲撃しようとしたが、その鬼封じの為に明法道の博士が導入した儀式であるとされている。
節分に豆まきを行った文献が見られるようになるのは南北朝時代以降のこと(『看聞御記』や『花営三代記』など)である。中国の『漢旧儀』によると漢代に厄除けや魔祓いのために小豆や五穀を撒く風習があったとしているが、日本の追儺(鬼やらい)の行事に豆を撒いていたかは文献からははっきりしない。ただ、平安時代には散米と称して米を撒く風習が広くみられた。
節分の豆まきに関して、文献に現れる最も古い記録は、室町時代の応永32年正月8日(1425年1月27日)(節分)を記した2文書である。宮中の『看聞日記』には「抑鬼大豆打事、近年重有朝臣無何打之」とあり、室町幕府の記録『花営三代記』には「天晴。節分大豆打役。昭心カチグリ打。アキノ方申ト酉ノアイ也。アキノ方ヨリウチテアキノ方ニテ止」とあることから、この頃既に都の公家や武家で豆まきが習わしになっていたことがわかる。
その20年後に編纂された辞典『壒嚢鈔』(1445年または1446年成立)巻一の八十三「節分夜打大豆事」には、宇多天皇の時代(867年 - 931年)、鞍馬山の僧正が谷と美曽路池(深泥池)の端にある石穴から鬼が出て来て都を荒らすのを、祈祷し、鬼の穴を封じて三石三升の炒り豆(大豆)で鬼の目を打ちつぶし、災厄を逃れたとする由来伝説が記されている。
豆は、「穀物には生命力と魔除けの呪力が備わっている」という信仰、または語呂合わせで「魔目(豆・まめ)」を鬼の目に投げつけて鬼を滅する「魔滅」に通じ、鬼に豆をぶつけることにより、邪気を追い払い、一年の無病息災を願うという意味合いがある。
寺院で行われる豆まきには、多くの人々が殺到するようになったが、第二次世界大戦直前の1941年2月の時点では既に食糧事情が悪化。「豆」を大量に入手することは困難になっていた。東京の回向院や増上寺では豆まき行事を中止。浅草寺では堂内だけで縮小して行われた。池上本門寺では小さな紙袋に少量の豆を入れて豆まきが行われた。
節分を初めて英文で紹介したのはエドワード・グリー(Edward Greey)とされている。小泉八雲も「知られぬ日本の面影」で節分を「主に悪魔払いの儀式として有名」と紹介している。
なお、各地の伝承としては、豆まきは必ずしも節分のみに行われたわけではなく、煤払い(煤掃き)の日、大晦日、七日正月などに行う地域もあった。岩手県西根町や釜石市の一部では煤はき(煤払い)の日などにも豆まきが行われた。
歴史的には節分に米、麦、搗栗、炭など撒く例もあるが、一般的には大豆が用いられる。大豆は五穀の中で最も安価で手近にあり、鬼を追い払うときにぶつかって立てる音や粒の大きさが適当だったからとする説もあるが定かではない。一般的に煎り豆が使用されるが、多くの地域に豆から芽が出ることを恐れる伝承が残っており、邪悪なものが再び蘇らないようにする意味があったと考えられている。炒り豆を神社や寺社に備える風習が各地にみられる。
スーパーマーケットなどの特設コーナーで、炒った豆をパックにし、福豆(ふくまめ)などの名称で販売される。鬼のお面(お多福の面が入っている商品もある)がおまけとしてついているものもあり、父親などがそれをかぶって鬼の役を演じて豆撒きを盛り上げる。しかし、元来は家長たる父親あるいは年男が豆を撒き鬼を追い払うものであった。
小学校では6年生が年男・年女にあたるため、6年生が中心となって豆まきの行事を行っているところもあり、神社仏閣と幼稚園・保育園が連携している所では園児が巫女や稚児として出る所もある。相撲力士を招いて(醜・しこ・四股を踏む事により、凶悪な鬼を踏みつけ鎮める悪魔祓いをする)豆撒きをする社寺もある。
豆が幼児の鼻や耳に入ってけがをする危険やアレルギーなどを考慮して、豆の代わりに新聞紙を丸めたもので豆まきを行う乳幼児施設もある。
北海道・東北・北陸・南九州の家庭では 落花生を撒き、寺社や地域によっては餅や菓子、みかん等を投げる場合もあるが、これは「落花生は大豆より拾い易く地面に落ちても実が汚れない」という合理性から独自の豆撒きとなった。
大豆を自分の年齢(数え年)の数だけ食べる風習もみられる。
豆をまく際には掛け声をかける。室町時代の相国寺の僧侶、瑞渓周鳳の日記である『臥雲日件録』の文安4年12月22日(1449年1月16日)の記述には「散熬豆因唱鬼外福内」とあるように、掛け声は通常「鬼は外、福は内」である。
しかし、地域や神社によって異なる場合がある。鬼を祭神または神の使いとしている神社、また方避けの寺社では「鬼は外」ではなく「鬼も内(鬼は内)」としている。奈良県吉野町の金峯山寺で行われる節分会では役行者が鬼を改心させて弟子にした故事から「福は内、鬼も内」としている。また新宗教の大本は鬼神を「艮の金神(国常立尊)」と解釈しているので、同じく「鬼は内」とする。「鬼」の付く姓(比較的少数だが「鬼塚」、「鬼頭」など)の家庭もしくは鬼が付く地名の地域では「鬼は内」の掛け声が多いという。山形市の鳥海月山両所宮でも鬼の字が姓に含まれる世帯もあることから、掛け声を「鬼は外、福は内」だけでなく「福は内、鬼も内」としている。大名九鬼家の領地でも、藩主に敬意を表して「鬼は内」としている。千葉県成田市の成田山新勝寺では「不動明王の前では鬼さえ改心する」というので「福は内」のみ叫ぶ。また、丹羽氏が藩主であった旧二本松藩領内の一部では「鬼は外」と言うと「おにわそと」転じて「お丹羽、外」となるため、それを避けるために「鬼、外」と言う所がある。
豆をまく後ろで、すりこ木や杓文字、すり鉢などを持ち、「鬼は外、福は内」の掛け声に合わせて「ごもっとも、ごもっとも」などと相槌を打つ風習が存在するが、ほとんどは家族ごとの伝統として受け継がれていてあまり知られていない。北海道、長野県、石川県、福井県、京都市、長崎県などの一部で地域的な伝承が見られるほか、深志神社(長野県松本市)、重蔵神社(石川県輪島市)、正覚院(石川県羽咋市)、知恩院(京都府京都市)、興福寺(長崎県長崎市)、有川神社(長崎県南松浦郡新上五島町)などの社寺でも行われている。
この風習に関連して以下のような行事もある。
柊の小枝と焼いた鰯の頭、あるいはそれを門口に挿したもの。西日本では、やいかがし(焼嗅)、やっかがし、やいくさし、やきさし、ともいう。
「虫の口焼き」といって、鰯を焼くときに唾を吐きかけ、作物の害虫を退治する呪文を唱える地域が各地にある。
愛媛県では、タラノキにトベラやヒイラギの葉と煮干しを括り付けた「鬼ぐ(喰)い」を戸口につるす風習がある。「鬼バラ」という地域もある。山口県の瀬戸内地域にもタラノキや山椒の枝にトベラやすすきを挿す同様の習慣がある。
節分の夜に炒り豆を年の数だけ紙に包み、人知れず家に近い四つ辻の真ん中に捨てて、振り返らずに家まで戻り、厄を落とす風習が各地にある。豆ではなく、餅、金銭、火吹竹、炮烙、ふんどし、履物などのこともある。
神酒を飲んだり息を吹きかけたりして厄をうつした「かわらけ(土器)」を、形代とみなして砕き割る厄祓いが、大杉神社(茨城県稲敷市)、壬生寺(京都市中京区)、皇大神社(京都府福知山市)、尼崎えびす神社(兵庫県尼崎市)、海神社(神戸市垂水区)、香積寺(愛媛県東温市)、宝輪寺(長崎県長崎市)など、各地の社寺で行われる。
厄払いのために、普段と違う服装で社寺参拝を行う。いつもと違う扮装をすれば、魔を追い払うことが出来ると信じられたことから始まったもので、単に「お化け」と呼ばれる事もある。一説では、当初は子供の様な格好をしたことから「お坊髪」と呼ばれ、それが「お化け」になったともされている東京の浅草、四ツ谷、京都の花街、大阪の北新地などでは、芸者(舞妓、芸妓)やホステスが、通常の芸妓衣装ではない、様々な扮装をする。
ぜんざいやまんじゅう、赤飯など小豆を使った食べ物を近隣や親しい人に配って、厄落としを節分にする地域が関西に広がっている。小豆の赤色は邪気を払い厄を除け福をもたらす陽の色であるとされる。小豆を108人に食べてもらうと厄落としになると言われるところもある。
豆を並べて焼き、焦げ具合からその年の作柄や月ごとの天候を占う。
文献での初夢の初出は、鎌倉時代に西行が著した『山家集』巻上(1首目)の「年くれぬ 春くべしとは 思ひ寝に まさしく見えて かなふ初夢」である。その題に「立春の朝よみける」とあり、この時代には暦上の新年とは無関係に節分から立春の夜に見る夢を初夢としている。
神社では節分祭(せつぶんさい)、寺院では節分会(せちぶんえ・せつぶんえ)の呼称が一般的である。
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"text": "節分(せつぶん、せちぶん)は、雑節の一つで、各季節の始まりの日(立春・立夏・立秋・立冬)の前日のこと。節分とは「季節を分ける」ことも意味している。江戸時代以降は特に立春(毎年2月4日ごろ)の前日を指す場合が多い。",
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"text": "太陰太陽暦(旧暦)では、立春に最も近い新月を元日とし、月(太陰)の満ち欠けを基準(月切)にした元日(旧正月)と、太陽黄経を基準(節切)にした立春は、ともに新年ととらえられていた。したがって、旧暦12月末日(大晦日)と立春前日の節分は、ともに年越しの日と意識されていたことになる。今も節分を「年越し」「年取り」と呼ぶ地域があるのはこの名残である。",
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"text": "本項目では、立春の前日、およびその日に行われる伝統的な行事について述べる。",
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"text": "一般的には「鬼は外、福は内」と声を出しながら福豆(煎り大豆)を撒いて、年齢の数だけ(もしくは1つ多く)豆を食べる厄除けを行う。また、玄関などに邪気除けの柊鰯などを飾る。これらは、地方や神社などによって異なってくる(後述)。",
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"text": "季節の変わり目には邪気(鬼)が生じると信じられていたため、それを追い払うための悪霊ばらい行事が執り行われていた。",
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"text": "宮中での年中行事であり、『延喜式』では、彩色した土で作成した牛と童子の人形を大内裏の各門に飾っていた。",
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"text": "「土牛童子」ともいわれ、大寒の日の前夜の夜半に立てられ、立春の日の前夜の夜半に撤去された。『延喜式』によれば、土偶(土人形の意)も土牛も、各門での大きさは同じで、土偶は高さ2尺で、方1尺5寸・厚さ2寸の板に立てる。土牛は高さ2尺・長さ3尺で、長さ3尺5寸・広さ1尺5寸・厚さ2寸の板に立てる。陽明門および待賢門には、青色のものを、美福門朱雀門には、赤色のものを、郁芳門、皇嘉門、殷富門および達智門には、黄色のものを、藻壁門および談天門には、白色のものを、安嘉門および偉鑒門には、黒色のを、立てる。『公事根源』十二月には、「青色は春の色ひんかしにたつ赤色は夏のいろ南にたつ白色は秋のいろ西にたつ黒色は冬の色北にたつ四方の門にまた黄色の土牛をたてくはふるは中央土のいろなり木火金水は土ははなれぬ理有」とある。",
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"text": "これは、平安時代頃から行われている「追儺」から生まれた。元中国から伝わったこの行事は日本に定着していき、現在の節分の元となった 。",
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"text": "『続日本紀』慶雲三年十二月の条によると706年にこの追儺が始まっている(「是年天下諸国疫疾百姓多死始作土牛大儺」(この年、天下諸国に疫病あり。多くの民が死に、はじめて土牛を造り大儺(だいだ)す)。これが室町時代に使用されていた「桃の枝」への信仰にかわって、炒った豆で鬼を追い払う行事となって行った。",
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"text": "近代、上記の宮中行事が庶民に採り入れられたころから、当日の夕暮れ、柊の枝に鰯の頭を刺したもの(柊鰯)を戸口に立てておいたり、寺社で豆撒きをしたりするようになった。",
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"text": "一般には毎年2月3日であるが常にそうではなく、1984年までは4年に1度の閏年に2月4日だった。1985年から2020年までは2月3日だったが、2021年から閏年の翌年は2月2日になる。グレゴリオ暦での最初の節分となった1873年から22世紀初頭までの具体的な日付は表のようになる。数十年のスケールで徐々に前倒しになってくるが、4で割り切れても閏年とならない1900年、2100年、2200年...の翌年に1日遅れて帳消しとなる。",
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"text": "立春の前日であり、立春は太陽黄経が315度となる日である。このように、間接的に天体の運行に基づいているので、日付は年によって異なり、また未来の日付は軌道計算に基づく予測しかできない。なお厳密には、基準とする標準時によっても異なるが、日本以外では祝う風習がないので、旧正月のように国による日付の違いが話題となることはない。",
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"text": "太陰太陽暦では、年末に立春を迎えることがある。それに伴い節分も年内となる。これを年内節分という。",
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"text": "暦注において、年の九星は立春をもって切り替わるので、節分までは前年の九星となる。",
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"text": "節分とは立春・立夏・立秋・立冬の前日を意味し、その中でも立春の前日としての節分に行われる風習としてはいくつかあるが、最も一般的といえる鬼払いの風習は、中国の風習を由来とする平安時代の追儺(ついな)、鬼遣(おにやらい)と呼ばれた宮中行事を元としているとされる。",
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"text": "行事の由来とされる中国の歳事は、元々太陰太陽暦(旧暦)で十二月の歳事だった。この頃は一年の変わり目、冬から春に転じるときで変化が大きく、疫鬼が民に病や災禍をもたらすとされた。そこで疫鬼を駆逐し、古い年を送り、新たな年、春の陽気、吉福を内に迎えた(「後漢書」礼儀志中などに記載)。",
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"text": "「周礼(しゅらい)」夏官(かかん)に書かれた歳事は以下のようなものである。",
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"text": "また、元々は疫鬼を追い払う役であった方相氏が、次第に追い払われる鬼役になったという説がある。",
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"text": "中国から伝わった追儺(ついな)や鬼遣(おにやらい)は当初、年越しの儀式だった。やがて季節の分かれ目である節分の中でも、立春の前日に行われるようになったが、この時期はまだまだ寒い。そして季節が移ろう時期は体調を崩しやすい。ちょっとした風邪から大病につながったり、深刻な病をもたらすこともある。そんな病魔を、人々は鬼、あるいは疫鬼として恐れた。",
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"text": "平安時代の女流作家・藤原道綱母(ふじわらの みちつなのはは)が著した『蜻蛉(かげろう)日記』には、900年代の人々が鬼遣に興ずる様子が描かれている。室町時代には形を変えて豆をまくようになったが、これは「魔滅」(まめ)に由来する。鬼の目である「魔目」(まめ)を滅ぼす力を持つ「魔滅」すなわち「豆」なのだ。なんだか駄洒落のようだが、日本人は古来言霊の存在を信じ、言葉に霊力と意味を与えてきたのだ。それに豆は「五穀」(米、麦、ひえ、あわ、豆)のひとつであり、農耕民族である日本人の生活に欠かせないもので、力が宿るとされてきた。これを穀霊信仰という。だからこれら五穀は神事にも使われ、中でも豆と米は神聖な存在として、鬼を払う力を持っていると信じられていたのだ。",
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"text": "室町時代後期成立とされる『貴船の本地』(貴船神社縁起)では、娘が人間と恋をしたために、鬼が日本人を食おうとし更に軍勢で襲撃しようとしたが、その鬼封じの為に明法道の博士が導入した儀式であるとされている。",
"title": "歴史"
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"text": "節分に豆まきを行った文献が見られるようになるのは南北朝時代以降のこと(『看聞御記』や『花営三代記』など)である。中国の『漢旧儀』によると漢代に厄除けや魔祓いのために小豆や五穀を撒く風習があったとしているが、日本の追儺(鬼やらい)の行事に豆を撒いていたかは文献からははっきりしない。ただ、平安時代には散米と称して米を撒く風習が広くみられた。",
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"text": "節分の豆まきに関して、文献に現れる最も古い記録は、室町時代の応永32年正月8日(1425年1月27日)(節分)を記した2文書である。宮中の『看聞日記』には「抑鬼大豆打事、近年重有朝臣無何打之」とあり、室町幕府の記録『花営三代記』には「天晴。節分大豆打役。昭心カチグリ打。アキノ方申ト酉ノアイ也。アキノ方ヨリウチテアキノ方ニテ止」とあることから、この頃既に都の公家や武家で豆まきが習わしになっていたことがわかる。",
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"text": "その20年後に編纂された辞典『壒嚢鈔』(1445年または1446年成立)巻一の八十三「節分夜打大豆事」には、宇多天皇の時代(867年 - 931年)、鞍馬山の僧正が谷と美曽路池(深泥池)の端にある石穴から鬼が出て来て都を荒らすのを、祈祷し、鬼の穴を封じて三石三升の炒り豆(大豆)で鬼の目を打ちつぶし、災厄を逃れたとする由来伝説が記されている。",
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"text": "豆は、「穀物には生命力と魔除けの呪力が備わっている」という信仰、または語呂合わせで「魔目(豆・まめ)」を鬼の目に投げつけて鬼を滅する「魔滅」に通じ、鬼に豆をぶつけることにより、邪気を追い払い、一年の無病息災を願うという意味合いがある。",
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"text": "寺院で行われる豆まきには、多くの人々が殺到するようになったが、第二次世界大戦直前の1941年2月の時点では既に食糧事情が悪化。「豆」を大量に入手することは困難になっていた。東京の回向院や増上寺では豆まき行事を中止。浅草寺では堂内だけで縮小して行われた。池上本門寺では小さな紙袋に少量の豆を入れて豆まきが行われた。",
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"text": "節分を初めて英文で紹介したのはエドワード・グリー(Edward Greey)とされている。小泉八雲も「知られぬ日本の面影」で節分を「主に悪魔払いの儀式として有名」と紹介している。",
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"text": "なお、各地の伝承としては、豆まきは必ずしも節分のみに行われたわけではなく、煤払い(煤掃き)の日、大晦日、七日正月などに行う地域もあった。岩手県西根町や釜石市の一部では煤はき(煤払い)の日などにも豆まきが行われた。",
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"text": "歴史的には節分に米、麦、搗栗、炭など撒く例もあるが、一般的には大豆が用いられる。大豆は五穀の中で最も安価で手近にあり、鬼を追い払うときにぶつかって立てる音や粒の大きさが適当だったからとする説もあるが定かではない。一般的に煎り豆が使用されるが、多くの地域に豆から芽が出ることを恐れる伝承が残っており、邪悪なものが再び蘇らないようにする意味があったと考えられている。炒り豆を神社や寺社に備える風習が各地にみられる。",
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"text": "スーパーマーケットなどの特設コーナーで、炒った豆をパックにし、福豆(ふくまめ)などの名称で販売される。鬼のお面(お多福の面が入っている商品もある)がおまけとしてついているものもあり、父親などがそれをかぶって鬼の役を演じて豆撒きを盛り上げる。しかし、元来は家長たる父親あるいは年男が豆を撒き鬼を追い払うものであった。",
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"text": "小学校では6年生が年男・年女にあたるため、6年生が中心となって豆まきの行事を行っているところもあり、神社仏閣と幼稚園・保育園が連携している所では園児が巫女や稚児として出る所もある。相撲力士を招いて(醜・しこ・四股を踏む事により、凶悪な鬼を踏みつけ鎮める悪魔祓いをする)豆撒きをする社寺もある。",
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"text": "豆が幼児の鼻や耳に入ってけがをする危険やアレルギーなどを考慮して、豆の代わりに新聞紙を丸めたもので豆まきを行う乳幼児施設もある。",
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"text": "北海道・東北・北陸・南九州の家庭では 落花生を撒き、寺社や地域によっては餅や菓子、みかん等を投げる場合もあるが、これは「落花生は大豆より拾い易く地面に落ちても実が汚れない」という合理性から独自の豆撒きとなった。",
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"text": "大豆を自分の年齢(数え年)の数だけ食べる風習もみられる。",
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"text": "豆をまく際には掛け声をかける。室町時代の相国寺の僧侶、瑞渓周鳳の日記である『臥雲日件録』の文安4年12月22日(1449年1月16日)の記述には「散熬豆因唱鬼外福内」とあるように、掛け声は通常「鬼は外、福は内」である。",
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"text": "しかし、地域や神社によって異なる場合がある。鬼を祭神または神の使いとしている神社、また方避けの寺社では「鬼は外」ではなく「鬼も内(鬼は内)」としている。奈良県吉野町の金峯山寺で行われる節分会では役行者が鬼を改心させて弟子にした故事から「福は内、鬼も内」としている。また新宗教の大本は鬼神を「艮の金神(国常立尊)」と解釈しているので、同じく「鬼は内」とする。「鬼」の付く姓(比較的少数だが「鬼塚」、「鬼頭」など)の家庭もしくは鬼が付く地名の地域では「鬼は内」の掛け声が多いという。山形市の鳥海月山両所宮でも鬼の字が姓に含まれる世帯もあることから、掛け声を「鬼は外、福は内」だけでなく「福は内、鬼も内」としている。大名九鬼家の領地でも、藩主に敬意を表して「鬼は内」としている。千葉県成田市の成田山新勝寺では「不動明王の前では鬼さえ改心する」というので「福は内」のみ叫ぶ。また、丹羽氏が藩主であった旧二本松藩領内の一部では「鬼は外」と言うと「おにわそと」転じて「お丹羽、外」となるため、それを避けるために「鬼、外」と言う所がある。",
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"text": "豆をまく後ろで、すりこ木や杓文字、すり鉢などを持ち、「鬼は外、福は内」の掛け声に合わせて「ごもっとも、ごもっとも」などと相槌を打つ風習が存在するが、ほとんどは家族ごとの伝統として受け継がれていてあまり知られていない。北海道、長野県、石川県、福井県、京都市、長崎県などの一部で地域的な伝承が見られるほか、深志神社(長野県松本市)、重蔵神社(石川県輪島市)、正覚院(石川県羽咋市)、知恩院(京都府京都市)、興福寺(長崎県長崎市)、有川神社(長崎県南松浦郡新上五島町)などの社寺でも行われている。",
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"text": "この風習に関連して以下のような行事もある。",
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"text": "柊の小枝と焼いた鰯の頭、あるいはそれを門口に挿したもの。西日本では、やいかがし(焼嗅)、やっかがし、やいくさし、やきさし、ともいう。",
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"text": "「虫の口焼き」といって、鰯を焼くときに唾を吐きかけ、作物の害虫を退治する呪文を唱える地域が各地にある。",
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"text": "愛媛県では、タラノキにトベラやヒイラギの葉と煮干しを括り付けた「鬼ぐ(喰)い」を戸口につるす風習がある。「鬼バラ」という地域もある。山口県の瀬戸内地域にもタラノキや山椒の枝にトベラやすすきを挿す同様の習慣がある。",
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節分(せつぶん、せちぶん)は、雑節の一つで、各季節の始まりの日(立春・立夏・立秋・立冬)の前日のこと。節分とは「季節を分ける」ことも意味している。江戸時代以降は特に立春(毎年2月4日ごろ)の前日を指す場合が多い。 太陰太陽暦(旧暦)では、立春に最も近い新月を元日とし、月(太陰)の満ち欠けを基準(月切)にした元日(旧正月)と、太陽黄経を基準(節切)にした立春は、ともに新年ととらえられていた。したがって、旧暦12月末日(大晦日)と立春前日の節分は、ともに年越しの日と意識されていたことになる。今も節分を「年越し」「年取り」と呼ぶ地域があるのはこの名残である。 本項目では、立春の前日、およびその日に行われる伝統的な行事について述べる。 一般的には「鬼は外、福は内」と声を出しながら福豆(煎り大豆)を撒いて、年齢の数だけ(もしくは1つ多く)豆を食べる厄除けを行う。また、玄関などに邪気除けの柊鰯などを飾る。これらは、地方や神社などによって異なってくる(後述)。
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[[File:Hokusai Setsubun no Oni.jpg|thumb|right|200px|[[葛飾北斎]]画:『[[北斎漫画]]』<br>『節分の鬼』豆撒き]]
[[File:Tsuina of Yoshida shrine.jpg|thumb|right|200px|『吉田神社[[追儺]]』 - 都年中行事画([[1928年]])]]
'''節分'''(せつぶん、せちぶん)は、[[雑節]]の一つで、各[[季節]]の始まりの日([[立春]]・[[立夏]]・[[立秋]]・[[立冬]])の前日のこと。節分とは「季'''節'''を'''分'''ける」ことも意味している。[[江戸時代]]以降は特に'''立春'''(毎年[[2月4日]]ごろ)'''の前日'''を指す場合が多い。
[[太陰太陽暦]](旧暦)では、立春に最も近い[[新月]]を元日とし、月(太陰)の満ち欠けを基準([[撰日法|月切]])にした'''元日'''(旧正月)と、[[太陽黄経]]を基準([[撰日法|節切]])にした'''立春'''は、ともに'''新年'''ととらえられていた。したがって、旧暦12月末日('''大晦日''')と立春前日の'''節分'''は、ともに'''年越しの日'''と意識されていたことになる<ref>『[http://koyomi.vis.ne.jp/doc/mlwa/201802030.htm 「節分と年越し」]暦のこぼれ話』 2022年3月9日閲覧。</ref>。今も節分を「年越し」「年取り」と呼ぶ地域があるのはこの名残である。
本項目では、立春の前日、およびその日に行われる伝統的な行事について述べる。
一般的には「鬼は外、福は内」と声を出しながら福豆(煎り[[大豆]])を撒いて、年齢の数だけ(もしくは1つ多く)豆を食べる厄除けを行う。また、玄関などに邪気除けの[[柊鰯]]などを飾る。これらは、地方や神社などによって異なってくる(後述)。
== 概要 ==
季節の変わり目には[[鬼|邪気]](鬼)が生じると信じられていたため、それを追い払うための[[悪霊ばらい]]行事が執り行われていた。
[[宮中]]での[[年中行事]]であり、『[[延喜式]]』では、彩色した土で作成した牛と童子の人形を[[大内裏]]の各門に飾っていた。
「土牛童子」ともいわれ、大寒の日の前夜の夜半に立てられ、立春の日の前夜の夜半に撤去された。『延喜式』によれば、土偶(土人形の意)も土牛も、各門での大きさは同じで、土偶は高さ2尺で、方1尺5寸・厚さ2寸の板に立てる。土牛は高さ2尺・長さ3尺で、長さ3尺5寸・広さ1尺5寸・厚さ2寸の板に立てる。[[陽明門]]および[[待賢門]]には、青色のものを、[[美福門]][[朱雀門]]には、赤色のものを、[[郁芳門]]、[[皇嘉門]]、[[殷富門]]および[[達智門]]には、黄色のものを、[[藻壁門]]および[[談天門]]には、白色のものを、[[安嘉門]]および[[偉鑒門]]には、黒色のを、立てる。『公事根源』十二月には、「青色は春の色ひんかしにたつ赤色は夏のいろ南にたつ白色は秋のいろ西にたつ黒色は冬の色北にたつ四方の門にまた黄色の土牛をたてくはふるは中央土のいろなり木火金水は土ははなれぬ理有」とある。
これは、[[平安時代]]頃から行われている「[[追儺]]」から生まれた<ref name="suzuki">{{Cite journal|和書|author=鈴木昶|date=2009-02|title=くすりと民俗2:疫病追い出す節分|journal=月刊漢方療法|volume=12|issue=11|pages=p.p.74-76}}</ref>。元中国から伝わったこの行事は日本に定着していき、現在の節分の元となった
<ref>故郷の村人たちと酒を飲み交わした時には、お年寄りより先に部屋を出てはならない。村人たちが儺(おにやらい:旧暦の大晦日に鬼や邪気を祓う儀式)をする時には朝服を着て東側の階段に立って出迎えねばならない。《論語 郷党第十 現代語訳》</ref>。
『[[続日本紀]]』[[慶雲]]三年十二月の条によると[[706年]]にこの追儺が始まっている(「是年天下諸国疫疾百姓多死始作'''土牛'''大儺」(この年、天下諸国に疫病あり。多くの民が死に、はじめて土牛を造り大儺(だいだ)す)<ref name="水野">{{Cite book|和書|author=水野杏紀|title=易、風水、暦、養生、処世 東アジアの宇宙観|date=2016-2-10|publisher=[[講談社選書メチエ]]| isbn=978-4-06-258621-4|page=32}}</ref>。これが室町時代に使用されていた「[[桃]]の枝」への信仰にかわって、炒った豆で鬼を追い払う行事となって行った。
近代、上記の宮中行事が庶民に採り入れられたころから、当日の夕暮れ、[[ヒイラギ|柊]]の枝に[[イワシ|鰯]]の頭を刺したもの([[柊鰯]])を戸口に立てておいたり、寺社で豆撒きをしたりするようになった<ref name="suzuki"/>。
== 日付 ==
{| class="wikitable floatright"
|+節分の日付(前後する場合がある、例えば2021年は2月2日である)
!rowspan="2"|年!!colspan="4"|4で割った余り
|-
!1!!2!!3!!0
|-
|1873年 - 1884年||3日||3日||3日||3日
|-
|1885年 - 1900年||style="background:yellow"|2日||3日||3日||3日
|-
|1901年 - 1917年||3日||style="background:cyan"|4日||style="background:cyan"|4日||style="background:cyan"|4日
|-
|1918年 - 1954年||3日||3日||style="background:cyan"|4日||style="background:cyan"|4日
|-
|1955年 - 1987年||3日||3日||3日||style="background:cyan"|4日
|-
|1988年 - 2020年||3日||3日||3日||3日
|-
|2021年 - 2057年||style="background:yellow"|2日||3日||3日||3日
|-
|2058年 - 2090年||style="background:yellow"|2日||style="background:yellow"|2日||3日||3日
|-
|2091年 - 2100年||style="background:yellow"|2日||style="background:yellow"|2日||style="background:yellow"|2日||3日
|-
|2101年 - 2123年||3日||3日||3日||style="background:cyan"|4日
|}
一般には毎年[[2月3日]]であるが常にそうではなく、[[1984年]]までは4年に1度の[[閏年]]に[[2月4日]]だった。[[1985年]]から[[2020年]]までは2月3日だったが、[[2021年]]から閏年の翌年は[[2月2日]]になる。[[グレゴリオ暦]]での最初の節分となった[[1873年]]から[[22世紀]]初頭までの具体的な日付は表のようになる。数十年のスケールで徐々に前倒しになってくるが、4で割り切れても閏年とならない[[1900年]]、[[2100年]]、[[2200年]]...の翌年に1日遅れて帳消しとなる。
立春の前日であり、立春は[[太陽]][[黄経]]が315度となる日である。このように、間接的に天体の運行に基づいているので、日付は年によって異なり、また未来の日付は軌道計算に基づく予測しかできない。なお厳密には、基準とする[[標準時]]によっても異なるが、日本以外では祝う風習がないので、[[旧正月]]のように国による日付の違いが話題となることはない。
=== 年内節分 ===
太陰太陽暦では、年末に立春を迎えることがある。それに伴い節分も年内となる。これを年内節分という。
=== 九星 ===
[[暦注]]において、年の[[九星#年の九星|九星]]は立春をもって切り替わるので、節分までは前年の九星となる。
== 歴史 ==
節分とは立春・立夏・立秋・立冬の前日を意味し、その中でも立春の前日としての節分に行われる風習としてはいくつかあるが、最も一般的といえる鬼払いの風習は、中国の風習を由来とする平安時代の[[追儺]](ついな)、鬼遣(おにやらい)と呼ばれた宮中行事を元としているとされる。
行事の由来とされる中国の歳事は、元々太陰太陽暦(旧暦)で十二月の歳事だった。この頃は一年の変わり目、冬から春に転じるときで変化が大きく、疫鬼が民に病や災禍をもたらすとされた。そこで疫鬼を駆逐し、古い年を送り、新たな年、春の陽気、吉福を内に迎えた(「[[後漢書]]」礼儀志中などに記載){{r|水野}}。
「[[周礼]](しゅらい)」夏官(かかん)に書かれた歳事は以下のようなものである{{r|水野}}。
{{Quotation|方相氏は熊の皮をかぶり、黄金四目(しもく)、黒い上衣に朱色の裳の姿で、戈(ほこ)を執り、楯(たて)を掲げ、多くの部下をひきい、儺(だ)の儀を行い、そうして室内を捜索して、疫を祓うことを掌(つかさど)る|}}
また、元々は疫鬼を追い払う役であった[[方相氏]]が、次第に追い払われる鬼役になったという説がある<ref>[https://www.ndl.go.jp/kaleido/entry/21/1.html 本の万華鏡 第21回 大豆 第1章 節分と豆まき] 国立国会図書館</ref><ref>{{cite journal |last1= Gras |first1= Alexandre |last2= |first2= |date= 2007-06-08 |title= 追儺における呪文の名称と方相氏の役割の変化について |url= https://www.lang.nagoya-u.ac.jp/nichigen/issue/pdf/5/5-03.pdf |journal= 言葉と文化 |volume=5 |issue= |pages= 35-53 |doi= 10.18999/isslc.5.35 |access-date=2021-06-14}}</ref>。
[[中国]]から伝わった[[追儺]](ついな)や鬼遣(おにやらい)は当初、[[年越し]]の[[儀式]]だった。やがて季節の分かれ目である節分の中でも、[[立春]]の前日に行われるようになったが、この時期はまだまだ寒い。そして季節が移ろう時期は体調を崩しやすい。ちょっとした風邪から大病につながったり、深刻な病をもたらすこともある。そんな病魔を、人々は鬼、あるいは疫鬼として恐れた。
[[平安時代]]の女流作家・[[藤原道綱母]](ふじわらの みちつなのはは)が著した『[[蜻蛉日記|蜻蛉(かげろう)日記]]』には、[[900年代]]の人々が鬼遣に興ずる様子が描かれている。[[室町時代]]には形を変えて[[豆]]をまくようになったが、これは「魔滅」(まめ)に由来する。鬼の目である「魔目」(まめ)を滅ぼす力を持つ「魔滅」すなわち「[[豆]]」なのだ。なんだか駄洒落のようだが、日本人は古来[[言霊]]の存在を信じ、言葉に霊力と意味を与えてきたのだ。それに豆は「[[五穀]]」([[米]]、[[ムギ|麦]]、[[ヒエ|ひえ]]、[[あわ]]、[[豆]])のひとつであり、農耕民族である[[日本人]]の生活に欠かせないもので、力が宿るとされてきた。これを穀霊[[信仰]]という。だからこれら[[五穀]]は[[神事]]にも使われ、中でも[[豆]]と[[米]]は[[聖性|神聖]]な存在として、[[鬼]]を払う力を持っていると信じられていたのだ<ref>{{Cite book|title=本当は怖い日本のしきたり オーディオブック|url=http://worldcat.org/oclc/1108314699|publisher=Pan roringu (Hatsubai)|date=2019|isbn=978-4-7759-8631-8|oclc=1108314699|last=火田、博文}}</ref>。
室町時代後期成立とされる『貴船の本地』([[貴船神社]]縁起)では、娘が人間と恋をしたために、鬼が日本人を食おうとし更に軍勢で襲撃しようとしたが、その鬼封じの為に[[明法道]]の博士が導入した儀式であるとされている<ref>{{Cite journal|和書|author=小林美和, 冨安郁子 |date=2009-02 |title=中世における粽伝承と年中行事:室町期食文化の周辺 |url=http://id.nii.ac.jp/1288/00000741/ |journal=帝塚山大学現代生活学部紀要 |ISSN=1349-7073 |publisher=帝塚山大学 |issue=5 |pages=23-32 |naid=110007059251 |accessdate==2022-03-10}}</ref><ref>[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/992342/117 新編御伽草子] 第10編 萩野由之 輯 誠之堂書店(1901)国立国会図書館</ref>。
== 豆まき ==
[[画像:Houkouin Setsubune2008-3.jpg|thumb|[[神社]]における豆撒きの様子]]
[[画像:Setsubun,bean and mask of ogre,Katori-city,Japan.JPG|thumb|家庭の豆撒きで使用する豆とお面]]
節分に豆まきを行った文献が見られるようになるのは[[南北朝時代 (日本)|南北朝時代]]以降のこと(『看聞御記』や『花営三代記』など)である<ref name="iino">{{Cite journal|和書|author=飯島吉晴 |date=2011-03 |url=https://opac.tenri-u.ac.jp/opac/repository/metadata/3318/ |title=節分と節供の民俗 |journal=古事 : 天理大学考古学・民俗学研究室紀要 |ISSN=1346-8847 |publisher=天理大学文学部歴史文化学科考古学・民俗学専攻 |volume=15 |pages=53-64 |id={{CRID|1050845763360498304}}}}</ref>。中国の『漢旧儀』によると漢代に厄除けや魔祓いのために小豆や五穀を撒く風習があったとしているが、日本の追儺(鬼やらい)の行事に豆を撒いていたかは文献からははっきりしない<ref name="iino" />。ただ、[[平安時代]]には散米と称して米を撒く風習が広くみられた<ref name="iino" />。
節分の豆まきに関して、文献に現れる最も古い記録は、室町時代の[[応永]]32年[[1月8日 (旧暦)|正月8日]]([[1425年]][[1月27日]])(節分)を記した2文書である。宮中の『[[看聞日記]]』には「抑鬼大豆打事、近年重有朝臣無何打之」とあり<ref>『[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2591323/4 看聞日記:乾坤.54]』 宮内省図書寮、1931年(昭和6年) - 1935年(昭和10年) 3頁。</ref>、室町幕府の記録『[[花営三代記]]』には「天晴。節分大豆打役。昭心カチグリ打。アキノ方申ト酉ノアイ也。アキノ方ヨリウチテアキノ方ニテ止」とある<ref>塙保己一 編 『[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1879557/412 群書類従.第十六輯]』 経済雑誌社、1898-1902年 2版、815頁。</ref>ことから、この頃既に都の[[公家]]や[[武家]]で豆まきが習わしになっていたことがわかる。
その20年後に編纂された辞典『[[壒嚢鈔]]』([[1445年]]または[[1446年]]成立)巻一の八十三「節分夜打大豆事」には、[[宇多天皇]]の時代([[867年]] - [[931年]])、[[鞍馬山]]の僧正が谷と美曽路池([[深泥池]])の端にある石穴から[[鬼]]が出て来て都を荒らすのを、祈祷し、鬼の穴を封じて三石三升の炒り豆(大豆)で鬼の[[目]]を打ちつぶし、災厄を逃れたとする由来伝説が記されている<ref>
{{Cite book|和書
|author = 行誉
|year = 1445
|title = 壒嚢鈔
|publisher = 国文学研究資料館
|url = http://base1.nijl.ac.jp/iview/Frame.jsp?DB_ID=G0003917KTM&C_CODE=MA3-0097&IMG_SIZE=1000%2C800&PROC_TYPE=ON&SHOMEI=%E5%A3%92%E5%9B%8A%E9%88%94&REQUEST_MARK=%E3%83%9E%EF%BC%93%EF%BC%8D%EF%BC%99%EF%BC%97%EF%BC%8D%EF%BC%91%EF%BD%9E%EF%BC%91%EF%BC%95&OWNER=%E5%9B%BD%E6%96%87%E7%A0%94&IMG_NO=70
}}</ref>。
豆は、「[[穀物]]には生命力と魔除けの呪力が備わっている」という信仰、または語呂合わせで「'''魔目'''(豆・まめ)」を鬼の目に投げつけて鬼を滅する「'''魔滅'''」に通じ、'''鬼に豆をぶつけることにより、邪気を追い払い'''、一年の無病息災を願うという意味合いがある<ref name="suzuki"/>。
寺院で行われる豆まきには、多くの人々が殺到するようになったが、[[第二次世界大戦]]直前の[[1941年]]2月の時点では既に食糧事情が悪化。「豆」を大量に入手することは困難になっていた。東京の[[回向院]]や[[増上寺]]では豆まき行事を中止。[[浅草寺]]では堂内だけで縮小して行われた。[[池上本門寺]]では小さな紙袋に少量の豆を入れて豆まきが行われた<ref>豆ぬき節分、袋入りで撒いた寺も(『朝日新聞』昭和16年2月4日)『昭和ニュース辞典第7巻 昭和14年-昭和16年』p324 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年</ref>。
節分を初めて英文で紹介したのはエドワード・グリー(Edward Greey)とされている<ref name="ndl" />。[[小泉八雲]]も「知られぬ日本の面影」で節分を「主に悪魔払いの儀式として有名」と紹介している<ref name="ndl" />。
なお、各地の伝承としては、豆まきは必ずしも節分のみに行われたわけではなく、煤払い(煤掃き)の日、大晦日、七日正月などに行う地域もあった<ref name="iino" />。[[岩手県]][[西根町]]や[[釜石市]]の一部では煤はき(煤払い)の日などにも豆まきが行われた<ref>{{Cite journal|和書|author=工藤紘一 |date=2014-03 |url=https://doi.org/10.24484/sitereports.117712-35908 |title=「聞き書き 岩手の年中行事」から思うこと |journal=岩手県立博物館研究報告 |ISSN=02886308 |publisher=岩手県文化振興事業団 |volume=31 |pages=37-56 |doi=10.24484/sitereports.117712-35908 |id={{CRID|1390291932644224256}}}}</ref>。
=== 方法 ===
[[File:Okunitama-jinja1.jpg|thumb|[[大國魂神社]]節分祭 新横綱[[稀勢の里寛|稀勢の里]]関の豆まき(2017年2月3日撮影)]]
歴史的には節分に米、麦、[[搗栗]]、炭など撒く例もあるが、一般的には大豆が用いられる<ref name="iino" />。大豆は五穀の中で最も安価で手近にあり、鬼を追い払うときにぶつかって立てる音や粒の大きさが適当だったからとする説もあるが定かではない<ref name="iino" />。一般的に煎り豆が使用されるが、多くの地域に豆から芽が出ることを恐れる伝承が残っており、邪悪なものが再び蘇らないようにする意味があったと考えられている<ref name="iino" />。炒り豆を神社や寺社に備える風習が各地にみられる<ref name="ndl">{{Cite web|和書|url= https://www.ndl.go.jp/kaleido/entry/21/1.html|title=本の万華鏡 第21回 大豆 -粒よりマメ知識- 第1章 節分と豆まき|publisher=国立国会図書館|accessdate=2023-01-25|page=}}</ref>。
[[スーパーマーケット]]などの特設コーナーで、炒った豆をパックにし、'''福豆'''(ふくまめ)などの名称で販売される。鬼のお面([[おかめ|お多福]]の面が入っている商品もある)がおまけとしてついているものもあり、父親などがそれをかぶって鬼の役を演じて豆撒きを盛り上げる。しかし、元来は家長たる父親あるいは[[年男]]が豆を撒き鬼を追い払うものであった<ref name="suzuki"/>。
[[小学校]]では6年生が[[年男・年女]]にあたるため、6年生が中心となって豆まきの行事を行っているところもあり、神社仏閣と[[幼稚園]]・[[保育園]]が連携している所では園児が[[巫女]]や[[稚児]]として出る所もある。相撲[[力士]]を招いて(醜・しこ・[[四股名|四股]]を踏む事により、凶悪な鬼を踏みつけ鎮める悪魔祓いをする)豆撒きをする社寺もある。
豆が幼児の鼻や耳に入ってけがをする危険やアレルギーなどを考慮して、豆の代わりに新聞紙を丸めたもので豆まきを行う乳幼児施設もある<ref>[http://www.city.shinagawa.tokyo.jp/hp/page000027500/hpg000027467.htm 区立保育園「節分の会」で乳幼児が豆まき体験、品川区HP、2016年プレスリリース、閲覧年月日2017年1月6日]</ref>。
北海道・東北・北陸・南九州の家庭では [[ラッカセイ|落花生]]を撒き、寺社や地域によっては餅や菓子、みかん等を投げる場合もあるが、これは「落花生は大豆より拾い易く地面に落ちても実が汚れない」という[[合理性]]から独自の豆撒きとなった<ref>[http://allabout.co.jp/gm/gc/220583/2/ 節分に落花生をまくって、有りですか?(2/3)](All About)</ref>。
大豆を自分の年齢([[数え年]])の数だけ食べる風習もみられる<ref name="iino" />。
豆をまく際には掛け声をかける。室町時代の相国寺の僧侶、瑞渓周鳳の日記である『臥雲日件録』の[[文安]]4年[[12月22日 (旧暦)|12月22日]]([[1449年]][[1月16日]])の記述には「散熬豆因唱'''鬼外福内'''」とある<ref>{{Cite book|和書
|author = 瑞渓周鳳
|year = 1448
|title = 臥雲日件録抜尤
|publisher = 国文学研究資料館 鵜飼文庫
|url = http://base1.nijl.ac.jp/iview/Frame.jsp?DB_ID=G0003917KTM&C_CODE=096-0984&IMG_SIZE=1000%2C800&PROC_TYPE=ON&SHOMEI=%E8%87%A5%E9%9B%B2%E6%97%A5%E4%BB%B6%E9%8C%B2%E6%8A%9C%E5%B0%A4&REQUEST_MARK=%EF%BC%99%EF%BC%96%EF%BC%8D%EF%BC%99%EF%BC%98%EF%BC%94%EF%BC%8D%EF%BC%91%EF%BD%9E%EF%BC%92&OWNER=%E5%9B%BD%E6%96%87%E7%A0%94%E9%B5%9C%E9%A3%BC&IMG_NO=28
}}(『臥雲日件録抜尤』は[[1562年]]に相国寺の僧、惟高妙安が抄出したもの)</ref>ように、掛け声は通常「鬼は外、福は内」である。
しかし、地域や[[神社]]によって異なる場合がある。鬼を祭神または神の使いとしている神社、また方避けの寺社では「鬼は外」ではなく「鬼も内(鬼は内)」としている<ref name="suzuki"/>。奈良県吉野町の[[金峯山寺]]で行われる節分会では役行者が鬼を改心させて弟子にした故事から「福は内、鬼も内」としている<ref>{{Cite news|title=奈良・金峯山寺は「鬼も内」 蔵王堂で節分会|newspaper=[[岐阜新聞]]|date=2016-02-03|url=http://www.gifu-np.co.jp/news/zenkoku/lifestyle/CO20160203010012271358071A.shtml|accessdate=2016-02-03|archiveurl=https://archive.md/FoGoI|archivedate=2016-02-03}}</ref>。また[[新宗教]]の[[大本]]は鬼神を「[[金神|艮の金神]]([[国之常立神|国常立尊]])」と解釈しているので、同じく「鬼は内」とする<ref>[[#金光と大本|金光と大本]]122頁</ref>。「鬼」の付く[[姓]](比較的少数だが「鬼塚」、「鬼頭」など)の家庭もしくは鬼が付く[[地名]]の地域では「鬼は内」の掛け声が多いという。山形市の[[鳥海月山両所宮]]でも鬼の字が姓に含まれる世帯もあることから、掛け声を「鬼は外、福は内」だけでなく「福は内、鬼も内」としている<ref>{{Cite news|title=「福は内、鬼も内」豪快豆まき 山形・鳥海月山両所宮で節分祭|newspaper=[[山形新聞]]|date=2016-02-03|url=http://yamagata-np.jp/news/201602/03/kj_2016020300072.php|accessdate=2016-02-03|archiveurl=https://web.archive.org/web/20160204092328/http://yamagata-np.jp/news/201602/03/kj_2016020300072.php|archivedate=2016年2月4日|deadlinkdate=2018年3月}}</ref>。大名[[九鬼家]]の領地でも、藩主に敬意を表して「鬼は内」としている<ref>[[#金光と大本|金光と大本]]123頁</ref>。千葉県成田市の[[成田山新勝寺]]では「不動明王の前では鬼さえ改心する」というので「福は内」のみ叫ぶ。また、[[丹羽氏]]が藩主であった[[二本松藩|旧二本松藩]]領内の一部では「鬼は外」と言うと「'''おにわそと'''」転じて「'''お丹羽、外'''」となるため、それを避けるために「鬼、外」と言う所がある<ref>本宮町史 第9巻 民俗篇 「年中行事」より</ref>。
=== ごもっとも ===
豆をまく後ろで、[[すりこ木]]や[[杓文字]]、[[すり鉢]]などを持ち、「鬼は外、福は内」の掛け声に合わせて「'''ごもっとも、ごもっとも'''」などと相槌を打つ風習が存在するが、ほとんどは家族ごとの伝統として受け継がれていてあまり知られていない<ref>宮坂宏樹 「{{Cite web|和書|url=https://storys.jp/story/14324 |title=我が家の節分の風習『ごもっとも、ごもっとも』 |accessdate=2018年3月1日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20180301225322/https://storys.jp/story/14324 |archivedate=2018年3月1日 }}」『神戸新聞』2002年5月27日付、文芸欄掲載。</ref>。北海道<ref>北の生活文庫企画編集会議 『北海道の年中行事』 1996年。『{{Cite web|和書|url=https://poros.exblog.jp/17738299/ |title=札幌日和下駄 |accessdate=2018年2月28日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20180301044342/https://poros.exblog.jp/17738299/ |archivedate=2018年3月1日 }}』 2018年2月28日閲覧。</ref>、長野県<ref>鬼無里村教育委員会 「節分」『{{Cite web|和書|url=http://www.city.nagano.nagano.jp/archives/kinasa/nenchu/index.htm |title=鬼無里の年中行事 |accessdate=2018年2月28日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20180228223204/http://www.city.nagano.nagano.jp/archives/kinasa/nenchu/index.htm |archivedate=2018年2月28日 }}』 2018年2月28日閲覧。</ref>、石川県、福井県<ref>「{{Cite web|和書|url=http://awara.co.jp/diary/13184 |title=べにや節分会 |accessdate=2018年2月28日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20180228223930/http://awara.co.jp/diary/13184 |archivedate=2018年2月28日 }}」『芦原温泉 旅館 べにや』 2018年2月28日閲覧。</ref>、京都市<ref>「{{Cite web|和書|url=https://livarotfamily-gourmet.com/2017/02/11/tawarayaryokan-setubun/ |title=京都・俵屋旅館で節分祭 『暁翠庵』の鬼祓い、そして豆まき |accessdate=2018年3月1日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20180301225213/https://livarotfamily-gourmet.com/2017/02/11/tawarayaryokan-setubun/ |archivedate=2018年3月1日 }}」『リヴァロ家の幸運な時間』 2018年2月28日閲覧。</ref>、長崎県などの一部で地域的な伝承が見られるほか、[[深志神社]](長野県[[松本市]])<ref>深志神社 「{{Cite web|和書|url=http://www.fukashi-tenjin.or.jp/news/2016/02/post-180.html |title=節分祭のおしらせ |accessdate=2018年2月28日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20180228223333/http://www.fukashi-tenjin.or.jp/news/2016/02/post-180.html |archivedate=2018年2月28日 }}」『信州松本 天神 深志神社』2018年3月1日閲覧。</ref>、[[重蔵神社]](石川県[[輪島市]])<ref>「{{Cite web|和書|url=http://juzo.or.jp/schedule/ |title=行事・神事 |accessdate=2018年2月28日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20180228223327/http://juzo.or.jp/schedule/ |archivedate=2018年2月28日 }}」『能登國・輪島 重蔵神社』 2018年2月28日閲覧。</ref>、[[正覚院 (羽咋市)|正覚院]](石川県[[羽咋市]])<ref>「{{Cite web|和書|url=https://blog.goo.ne.jp/7079maturitoshi/e/42dac91d79c634f13832c04c0747d479 |title=福はうち!鬼はそと!!正覚院豆まき(節分会) |accessdate=2018年3月1日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20180320221524/https://blog.goo.ne.jp/7079maturitoshi/e/42dac91d79c634f13832c04c0747d479 |archivedate=2018年3月20日 }}」『とし坊のお祭り三昧』 2018年3月1日閲覧。</ref>、[[知恩院]](京都府京都市)<ref>「{{Cite web|和書|url=http://www.digistyle-kyoto.com/event/cat497/tsuina.html |title=知恩院 追儺式(ついなしき) |accessdate=2018年3月21日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20160505140305/http://www.digistyle-kyoto.com/event/cat497/tsuina.html |archivedate=2016年5月5日 }}」『DigiStyle 京都』 2018年2月28日閲覧。</ref>、[[興福寺 (長崎市)|興福寺]](長崎県長崎市)<ref>「{{Cite web |url=http://kofukuji.com/contents.php?contID=10&date=2011-2 |title=節分豆 |accessdate=2018年3月1日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20180301230458/http://kofukuji.com/contents.php?contID=10&date=2011-2 |archivedate=2018年3月1日 }}」『東明山 興福寺』 2018年3月1日閲覧。</ref>、[[有川神社]](長崎県[[南松浦郡]][[新上五島町]])<ref>「{{Cite web|和書|url=http://blog.goo.ne.jp/kanosoyora/e/e9f8f1c38dcd8d8f8dc8da846576e320 |title=福は内鬼は外! 還暦バンザーイ\(^o^)/その壱 |accessdate=2018年3月1日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20180320222352/http://blog.goo.ne.jp/kanosoyora/e/e9f8f1c38dcd8d8f8dc8da846576e320 |archivedate=2018年3月20日 }}」『おもしろ島ののんばあ』 2018年2月28日閲覧。</ref>などの社寺でも行われている。
この風習に関連して以下のような行事もある。
* '''長泉寺節分会'''(宮城県[[角田市]]) - 福男が福豆を撒いた後、年男が「ごもっとも」と叫んで、豆を拾おうとする人の股間にすりこ木を押し当て、厄落とし、五穀豊穣、子孫繁栄を願う<ref>「{{Cite web|和書|url=http://chousenji.jp/ |title=節分会(平成30年1月26日) |accessdate=2018年2月28日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20180307031811/http://chousenji.jp/ |archivedate=2018年3月7日 }}」『曹洞宗・長泉寺』 2018年2月28日閲覧。</ref>。
* '''[[三峯神社]]「ごもっともさま」'''(埼玉県[[秩父市]]) - 「福は内」と豆をまく後ろで、先にしめ縄を巻き、根元に[[柑橘類|みかん]]2個を下げた巨大な棒を「ごもっともさま」と叫んで突き出し、五穀豊穣・大漁満足・夫婦円満・開運長寿・子授けを願う<ref>「{{Cite web|和書|url=http://www.city.chichibu.lg.jp/5277.html |title=秩父市内の節分行事 |accessdate=2018年3月1日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20180302044601/http://www.city.chichibu.lg.jp/5277.html |archivedate=2018年3月2日 }}」『秩父市公式ウェブサイト』 2018年2月28日閲覧。</ref>。
* '''[[浅草寺]]節分会'''(東京都) - 大きな杓文字をあおぐ「'''ごもっともさん'''」という役が鬼とともに登場する<ref>「{{Cite web|和書|url=http://www.visiting-japan.com/ja/articles/events/j13tt-sensoji-setsubun.htm |title=浅草寺節分会 |accessdate=2018年2月28日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20180228223739/http://www.visiting-japan.com/ja/articles/events/j13tt-sensoji-setsubun.htm |archivedate=2018年2月28日 }}」『伝統の日本紀行』 2018年2月28日閲覧。</ref>。
* '''手熊・柿泊のモットモ'''(長崎県[[長崎市]]) - 異装の「'''モットモ爺'''」を中心とした3人組が家々を訪問し、豆まきとともに「もっともー」と叫びながら、床を激しく踏み鳴らし、杖で激しく突いて、なまはげのように子供たちを驚かせる<ref>文化庁 「{{Cite web|和書|url=http://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/210427 |title=手熊・柿泊のモットモ |accessdate=2018年2月28日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20180301044357/http://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/210427 |archivedate=2018年3月1日 }}」『文化遺産オンライン』 2018年2月28日閲覧。</ref>。
== その他の民俗 ==
=== 邪気・魔物・妖怪 ===
* '''[[鬼]]'''
* '''[[付喪神#概要|付喪神]]''' - 立春前の「[[煤払い]]」に廃棄された古道具の精霊「付喪神」が腹を立て、節分の夜に妖怪となって一揆を起こす物語が『[[付喪神絵巻]]』に記されている。
* '''[[百鬼夜行#概要|百鬼夜行]]''' - 節分に鬼や妖怪などが深夜に群れ歩く「百鬼夜行」が現れるとする、『増補下学集』(山脇道円)などの文献もある。
* '''[[一本だたら#類話|一本足]]''' - 奈良県[[吉野郡]][[中龍門村]](現・[[吉野町]])では節分の日に[[柊鰯|ヤイカガシ]]を玄関に掲げるのは、「一本足」が現れるのを防ぐためであるとする。
* '''[[日本の妖怪一覧#せ|銭貸し]]''' - 節分の夜に銭の入った袋を担いで四つ辻に現れる。銭を貸してくれるが、次の節分の夜に返さなければ、恐ろしい事になるといわれる。
* '''[[赤い紙、青い紙#ルーツ|カイナデ(カイナゼ)]]''' - 京都で、節分の夜に便所で尻を撫でるとされる妖怪。「赤い紙やろうか、白い紙やろうか」と唱えると避けられるという伝承がある。
=== 魔除け ===
==== 柊鰯 ====
[[File:Yaikagasi.jpg|thumb|門口に挿した「やいかがし」]]
柊の小枝と焼いた鰯の頭、あるいはそれを門口に挿したもの。西日本では、やいかがし(焼嗅)、やっかがし、やいくさし、やきさし、ともいう。
{{Main|柊鰯}}
「'''虫の口焼き'''」といって、鰯を焼くときに唾を吐きかけ、作物の害虫を退治する呪文を唱える地域が各地にある<ref>「{{Cite web|和書|url=http://koyomi.vis.ne.jp/doc/mlwa/201102010.htm |title=節分と鰯の頭 |accessdate=2018年2月19日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20180320224636/http://koyomi.vis.ne.jp/doc/mlwa/201102010.htm |archivedate=2018年3月20日 }}」]『こよみのページ 』 2018年3月20日閲覧。</ref>。
==== 鬼ぐい ====
[[愛媛県]]では、[[タラノキ]]に[[トベラ]]やヒイラギの葉と[[煮干し]]を括り付けた「鬼ぐ(喰)い」を戸口につるす風習がある<ref>NPO 森からつづく道 「{{Cite web|和書|url=http://morimichi.org/morimichi_blog/%E9%AC%BC%E3%81%90%E3%81%84/ |title=鬼ぐい |accessdate=2018年2月23日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20180224053036/http://morimichi.org/morimichi_blog/%E9%AC%BC%E3%81%90%E3%81%84/ |archivedate=2018年2月24日 }}」『もりみちブログ』 2018年2月24日閲覧。</ref>。「鬼バラ」という地域もある。[[山口県]]の瀬戸内地域にもタラノキや[[山椒]]の枝にトベラや[[すすき]]を挿す同様の習慣がある<ref>「{{Cite web|和書|url=https://blogs.yahoo.co.jp/bjmwd944/17976249.html |title=節分の前にオニグイ採り |accessdate=2018年3月1日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20180320225138/https://blogs.yahoo.co.jp/bjmwd944/17976249.html |archivedate=2018年3月20日 }}」『民宿 鯛の里オフィシャルブログ』 2018年3月20日閲覧。</ref>。
==== 目籠 ====
* 千葉県では目籠を逆さまにして竹竿に吊るし、鰯の頭を大豆の枝に刺したものとヒイラギ・グミの枝を束ねて門口に刺し、鬼が近づかないようにする<ref>体験博物館 千葉県立房総のむら 「{{Cite web|和書|url=http://www.chiba-muse.or.jp/MURA/kikaku/nencyugyozi/kaisetu/setubun.htm |title=節分 |accessdate=2018年2月23日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20180224113042/http://www.chiba-muse.or.jp/MURA/kikaku/nencyugyozi/kaisetu/setubun.htm |archivedate=2018年2月24日 }}」『房総のむらの年中行事』 2018年2月24日閲覧。</ref>。
* 静岡県の中西部では、目籠に[[シキミ|ハナノキ]]と[[イヌツゲ|ビンカ]]を結び付けて竹竿に吊るし、軒先高くに掲げて鬼を払う「'''鬼おどし'''」と呼ばれる習慣がある<ref>「{{Cite web|和書|url=http://www.shizuoka-bunkazai.jp/blog/201502/post-31.html |title=家庭で続ける昔懐かしい民俗行事③〜節分の鬼おどし〜 |accessdate=2018年2月20日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20180221035549/http://www.shizuoka-bunkazai.jp/blog/201502/post-31.html |archivedate=2018年2月21日 }}」『さきがけミュージアム 文化財ブログ』 2018年2月20日閲覧。</ref>。
* 山梨県では、目籠と[[ネズミサシ|ネズ]]の枝をしばり付けた長い竹竿を庭先に立て、籠の目を鬼の目として豆を投げてこの目をたくさんつぶすと一年の災いや不幸が減少するという信仰があり、昭和30年代まで盛んに行われていた<ref>「[https://web.archive.org/web/20190403051409/https://mainichi.jp/articles/20180130/ddl/k19/040/017000c 『目かご』の鬼に親子90人 中央でイベント]」 『毎日新聞』2018年1月30日 山梨版。</ref><ref>「{{Cite web|和書|url=http://toyokyoudos.cocolog-nifty.com/blog/2016/01/post-d9ff.html |title=目駕籠に向かって豆をぶっつけよう! |accessdate=2018年2月20日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20180220212353/http://toyokyoudos.cocolog-nifty.com/blog/2016/01/post-d9ff.html |archivedate=2018年2月20日 }}」『豊富郷土資料館のブログ』2016年1月19日。</ref>。
* 岐阜県恵那地方では、割り箸に刺したイワシの頭としっぽ、柊または[[アシビ|馬酔木]]の枝を目籠に挿して、玄関に置く。鬼が玄関前で立ち止まり、籠の目を数え始めるとされる<ref>NPO法人えなここ 「{{Cite web|和書|url=http://ohemaga.com/report/kyoudo-04 |title=節分は、玄関に○○を飾る?!鬼は〜そと・・・の続きとは? |accessdate=2018年2月20日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20180221035508/http://ohemaga.com/report/kyoudo-04 |archivedate=2018年2月21日 }}」『おへマガ』 2018年2月20日閲覧。</ref>。
==== 護符 ====
* '''かにかや・蟹柊・蟹柊鰯''' - 長野県上伊那には、5cm角程度の紙片に「かにかや」などと書いて家や便所・土蔵・納屋等の出入口の戸に貼りつける習慣があった<ref>『長野県上伊那誌』民俗篇上 上伊那誌刊行会 昭和55年 696-698頁 。</ref>。これを読んだ鬼は意味が分からず迷っているうちに夜が明けてしまうとされる。
* '''鬼めくり''' - 岐阜県東部([[下呂市]]、[[中津川市]]加子母、[[加茂郡]][[東白川村]])には、短冊に鬼の顔と13個の点(閏年には12個)、[[五芒星]]を描いた「'''鬼札'''」を、[[黄楊]]や[[アセビ|馬酔木]]の枝などと家の戸口に挿す風習がある。鬼は、点の数と1年の月数が違うため何度も数え直し、一筆書きの星の書き始めを探すうちに夜が明けて逃げていくと伝えられる。短冊には菓子やお金を付けることもあり、子供たちがめくって持ち帰る事で鬼が退散した事になるとされる。子供たちは友達と枚数を競い、盗られた家の人たちも厄払いになると喜ぶ。昔は割板に描き、それを畑にさしておくともぐらが来ないといわれた<ref>「{{Cite web|和書|url=http://gerostyle.jp/tsunagatteru/%E7%AF%80%E5%88%86%EF%BC%81%E4%B8%8B%E5%91%82%E5%B8%82%E3%81%AE%E3%80%8E%E9%AC%BC%E3%82%81%E3%81%8F%E3%82%8A%E3%80%8F/ |title=節分!下呂市の『鬼めくり』 |accessdate=2018年2月27日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20180227213758/http://gerostyle.jp/tsunagatteru/%E7%AF%80%E5%88%86%EF%BC%81%E4%B8%8B%E5%91%82%E5%B8%82%E3%81%AE%E3%80%8E%E9%AC%BC%E3%82%81%E3%81%8F%E3%82%8A%E3%80%8F/ |archivedate=2018年2月27日 }}」『下呂スタイル魅力発信プロジェクト POKAPOKA』 2018年2月27日閲覧。</ref><ref>加子母総合事務所 「{{Cite web|和書|url=http://www.city.nakatsugawa.gifu.jp/branch/kashimo/032702.html |title=加子母の節分『鬼めくり』展 開催中 |accessdate=2018年2月27日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20180227214043/http://www.city.nakatsugawa.gifu.jp/branch/kashimo/032702.html |archivedate=2018年2月27日 }}」『岐阜県中津川市公式ウェブサイト』 2018年2月27日閲覧。</ref><ref>東白川村役場 「{{Cite web|和書|url=https://www.vill.higashishirakawa.gifu.jp/syoukai/gaiyo/archive/gyouji/february/?p=2 |title=節分 |accessdate=2018年3月1日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20180301225336/https://www.vill.higashishirakawa.gifu.jp/syoukai/gaiyo/archive/gyouji/february/?p=2 |archivedate=2018年3月1日 }}」『東白川村 アーカイブス』 2018年2月27日閲覧。</ref>。
* '''十三月''' - 岐阜県[[美濃加茂市]]周辺には、「十三月」と書いて柊鰯とともに門口に貼る習慣がある<ref>「{{Cite web|和書|url=http://www.forest.minokamo.gifu.jp/data_box/dougu/2_07.html |title=イワシノアタマ(鰯の頭) |accessdate=2018年2月19日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20180220033548/http://www.forest.minokamo.gifu.jp/data_box/dougu/2_07.html |archivedate=2018年2月20日 }}」美濃加茂市民ミュージアム、2018年2月20日閲覧。</ref>。
* '''角大師・豆大師''' - [[良源|元三大師]]の護符を節分に頒布する寺院がある<ref name="rozanji">けいたろう 「{{Cite web|和書|url=https://www.jtrip.co.jp/magazine_kansai/article/sight/8314/ |title=鬼が邪気を払い、鬼がおどる? 京都・廬山寺の節分祭! |accessdate=2018年3月17日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20180318054242/https://www.jtrip.co.jp/magazine_kansai/article/sight/8314/ |archivedate=2018年3月18日 }}」『JTRIP Smart Magazine 関西観光情報』 2018年3月18日閲覧。</ref><ref>西郊民俗談話会 「{{Cite web|和書|url=http://seikouminzoku.sakura.ne.jp/7-21-10.pdf |title=角大師・豆大師を出す寺院一覧表 |accessdate=2018年2月19日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20151216190415/http://seikouminzoku.sakura.ne.jp/7-21-10.pdf |archivedate=2015年12月16日 }}」 2018年2月20日閲覧。</ref>。
* '''鬼面札''' - [[熊野那智大社]]([[和歌山県]][[東牟婁郡]][[那智勝浦町]])では、赤鬼と青鬼をしめ縄の中に封じた鬼面札が配られ、災難除けとして門口に貼られる<ref>「{{Cite web|和書|url=http://www.kinan-newspaper.jp/?p=13100 |title=鬼面札、祝升作り進む |accessdate=2018年3月17日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20180318054208/http://www.kinan-newspaper.jp/?p=13100 |archivedate=2018年3月18日 }}」『紀南新聞ONLINE』 2018年1月15日。</ref>。
=== 厄祓い ===
==== 四つ辻 ====
節分の夜に炒り豆を年の数だけ紙に包み、人知れず家に近い四つ辻の真ん中に捨てて、振り返らずに家まで戻り、厄を落とす風習が各地にある<ref>五来重『宗教歳時記』角川選書、1982年4月。</ref>。豆ではなく、[[餅]]<ref name="natamoti">公益社団法人全国学校栄養士協議会 「{{Cite web|和書|url=http://www.zengakuei.or.jp/gyoji/22shizuoka/shizuoka3.html |title=節分 なたもち |accessdate=2018年2月15日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20180215204153/http://www.zengakuei.or.jp/gyoji/22shizuoka/shizuoka3.html |archivedate=2018年2月15日 }}」『伝えたい行事食』。</ref>、金銭<ref>「年銭(としせん)」『デジタル大辞泉』小学館。</ref>、火吹竹、[[炮烙]]、ふんどし<ref>『子規全集』第11巻(随筆1)講談社、1975年4月。</ref>、履物<ref>「愛南 節分の夜の怪 交差点に履物散乱 地域伝統『厄よけ』の習慣」『愛媛新聞』 2011年2月6日付。</ref>などのこともある。
==== かわらけ割り ====
神酒を飲んだり息を吹きかけたりして厄をうつした「かわらけ(土器)」を、[[形代]]とみなして砕き割る厄祓いが、[[大杉神社]](茨城県[[稲敷市]])<ref>「土器割り厄はらう 稲敷・大杉神社」『茨城新聞』 2017年2月5日。</ref><ref>「{{Cite web|和書|url=https://blog.goo.ne.jp/kara8808iy/e/ebc24fbb0c89de7f8e5fca89859787ba |title=大杉神社の節分追儺祭 |accessdate=2018年3月16日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20180320231956/https://blog.goo.ne.jp/kara8808iy/e/ebc24fbb0c89de7f8e5fca89859787ba |archivedate=2018年3月20日 }}」『蝙蝠の瞳』 2018年3月17日閲覧。</ref>、[[壬生寺]](京都市[[中京区]])<ref>「{{Cite web|和書|url=http://kyoto-np.co.jp/sightseeing/article/20180203000046 |title=素焼きの土鍋・炮烙に厄除け託す 京都・壬生寺で受付 |accessdate=2018年3月21日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20180217104037/http://kyoto-np.co.jp/sightseeing/article/20180203000046 |archivedate=2018年2月17日 }}」『京都新聞』 2018年2月3日。</ref><ref>「{{Cite web|和書|url=https://kyoto.graphic.co.jp/pickup/season/setsubun/theme3/index.html |title=炮烙に込める想い 壬生寺 |accessdate=2018年3月16日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20180317103126/https://kyoto.graphic.co.jp/pickup/season/setsubun/theme3/index.html |archivedate=2018年3月17日 }}」『京都いいとこウェブ』 2018年3月17日閲覧。</ref>、[[皇大神社]](京都府[[福知山市]])<ref>「{{Cite web|和書|url=http://www.ryoutan.co.jp/re/oni/2004news.htm |title=福天各地で『鬼は外!』 2月3日に節分行事 厄除け祈願や福豆授与 |accessdate=2018年3月17日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20180317164929/http://www.ryoutan.co.jp/re/oni/2004news.htm |archivedate=2018年3月17日 }}」『両丹日日新聞 2004年節分のニュース』 2018年3月17日閲覧。</ref>、[[尼崎えびす神社]](兵庫県[[尼崎市]])<ref>「{{Cite web|和書|url=https://ameblo.jp/ama-ebisu/entry-12244187801.html |title=本日は尼えびすの節分祭 |accessdate=2018年3月16日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20180320232513/https://ameblo.jp/ama-ebisu/entry-12244187801.html |archivedate=2018年3月20日 }}」『幸せ 尼崎えびす 巫女さん日記』 2018年3月17日閲覧。</ref>、[[海神社 (神戸市)|海神社]]([[神戸市]][[垂水区]])<ref>「{{Cite web|和書|url=https://blogs.yahoo.co.jp/asan19431007/46788043.html |title=節分に行う「かわらけ祈願神事」・海神社(3)、神戸市 |accessdate=2018年3月16日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20180320232800/https://blogs.yahoo.co.jp/asan19431007/46788043.html |archivedate=2018年3月20日 }}」『ぶらりぶらり見て歩記』 2018年3月17日閲覧。</ref>、香積寺(愛媛県[[東温市]])<ref>「{{Cite web |url=http://katateyakushi.com/event.html |title=年間行事 |accessdate=2018年3月16日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20180317102945/http://katateyakushi.com/event.html |archivedate=2018年3月17日 }}」『瑠璃山 医王院 香積寺 隻手薬師』 2018年3月17日閲覧。</ref>、宝輪寺(長崎県[[長崎市]])<ref>「{{Cite web|和書|url=http://hourinji.web.fc2.com/nentyuugyouji/setubun.htm |title=宝輪寺 節分星祭り祈祷会 |accessdate=2018年3月16日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20180317164836/http://hourinji.web.fc2.com/nentyuugyouji/setubun.htm |archivedate=2018年3月17日 }}」『真言宗 醍醐派 大福山 宝輪寺』 2018年3月17日閲覧。</ref>など、各地の社寺で行われる。
==== 鬼の豆 ====
* 香川県[[さぬき市]][[志度]]には、子供たちが袋を提げて商店をまわり、「鬼の豆ください」と豆やお菓子をねだりに来る「'''鬼の豆もらい'''」という風習が残っている。幼い[[平賀源内]]が厄払いの豆まきを見て「子供が鬼に成り代わって豆をもらえば、掃除もいらず、食べ物も粗末にならない」と言うのに、商家の人が感心して行事となったといういわれがある<ref>「(ヒロシマ国の掟?!)節分は『鬼の豆』ねだる」『朝日新聞 広島版』 2013年2月3日朝刊。</ref>。
* 広島県[[三原市]]には、子供たちが民家や店などを訪ね「鬼の豆ちょうだい」と言ってお菓子をもらう「'''[[三原市#祭事・イベント|鬼の豆]]'''」という風習がある<ref>「{{Cite web|和書|url=http://mihara-furusato.jp/town/1662 |title=三原のハロウィン!? 『鬼の豆』 |accessdate=2018年2月15日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20180216030607/http://mihara-furusato.jp/town/1662 |archivedate=2018年2月16日 }}」 『三原ふるさと情報』 2018年2月15日閲覧。</ref>。
==== 節分お化け ====
厄払いのために、普段と違う服装で社寺参拝を行う。いつもと違う扮装をすれば、魔を追い払うことが出来ると信じられたことから始まったもので<ref name="suzuki"/>、単に「お化け」と呼ばれる事もある。一説では、当初は子供の様な格好をしたことから「お坊髪」と呼ばれ、それが「お化け」になったともされている<ref name="obake">眞下美弥子、[https://doi.org/10.20707/stmlib.47.0_41 「節分おばけ」と結髪の習俗] 『立教女学院短期大学紀要』 2015年 47巻 p.41-49、{{Doi|10.20707/stmlib.47.0_41}}、{{naid|110010041723}}。</ref>東京の浅草、[[荒木町 (新宿区)|四ツ谷]]、京都の[[京の花街|花街]]、大阪の[[北新地]]などでは、[[芸者]]([[舞妓]]、[[芸妓]])やホステスが、通常の芸妓衣装ではない、様々な扮装をする。<!--これを「[[オバケ|お化け]]」と呼ぶ-->
{{Main|節分お化け}}
==== 小豆 ====
[[ぜんざい]]や[[まんじゅう]]、[[赤飯]]など小豆を使った食べ物を近隣や親しい人に配って、厄落としを節分にする地域が関西に広がっている。小豆の赤色は邪気を払い厄を除け福をもたらす陽の色であるとされる。小豆を108人に食べてもらうと厄落としになると言われるところもある<ref name="katsuragi">「{{Cite web|和書|url=https://www.city.katsuragi.nara.jp/soshiki/shokokankoka/17/1445.html |title=節分の日の厄よけぜんざい |accessdate=2023年1月12日 }}」『葛城市』 2018年3月19日閲覧。</ref>。
=== 参詣 ===
* '''[[恵方詣り#備考|恵方詣り]]''' - 関西では、節分に恵方詣りが盛んに行われていたが、大正末期以降「[[初詣]]」が正月行事として定着し、恵方詣りは衰退した。
* '''[[尾張四観音#節分での四観音|尾張四観音]]''' - [[名古屋市|名古屋]]には、尾張四観音の内、[[恵方]]の寺に参拝に行くと御利益が多いという風習がある。
* '''節分四方参り''' - [[京都]]では、北東の[[吉田神社]]、南西の[[壬生寺]]、南東の[[八坂神社]](または[[伏見稲荷大社]])、北西の[[北野天満宮]]へお参りする「四方参り(よもまいり)」という風習がある<ref name="obake"/><ref>[https://kyoto-design.jp/special/setsubun 京都の節分] 京都観光情報 KYOTOdesign、2019年4月3日閲覧。</ref>。
[[File:Fukuoka Kushida Setsubun 2011.jpg|thumb|[[櫛田神社 (福岡市)|櫛田神社]]の大お多福面]]
* '''[[おかめ#その他|大お多福面]]''' - [[福岡県]]下では、節分の時期、神社に「大お多福面」が設置され、大きな口をくぐると、商売繁盛や家内安全などの御利益があるとされている<ref>「{{Cite web|和書|url=https://www.nishinippon.co.jp/item/n/388982/ |title=口に入り福授かる 櫛田神社に大お多福面 |accessdate=2023年1月12日 }}」『西日本新聞』 2018年1月25日。</ref>。
=== 占い ===
==== 豆占 ====
豆を並べて焼き、焦げ具合からその年の作柄や月ごとの天候を占う<ref>「{{Cite web|和書|url=http://toyamanblog.blog.fc2.com/blog-entry-216.html |title=野依白山神社 豆焼き(年間の天候予報) |accessdate=2018年2月19日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20180220033554/http://toyamanblog.blog.fc2.com/blog-entry-216.html |archivedate=2018年2月20日 }}」『奈良の風景と無形民俗文化財』 2018年2月20日閲覧。</ref>。
==== 初夢 ====
文献での[[初夢]]の初出は、[[鎌倉時代]]に[[西行]]が著した『[[山家集]]』巻上(1首目)の「年くれぬ 春くべしとは 思ひ寝に まさしく見えて かなふ初夢」である。その題に「立春の朝よみける」とあり、この時代には暦上の新年とは無関係に節分から[[立春]]の夜に見る[[夢]]を初夢としている<ref>西行(著)、佐佐木信綱(解説) 『山家集』 岩波文庫、1928年10月5日、ISBN 978-4003002315。</ref>。
== 行事食 ==
[[File:Irimame and Eho-maki sakura chihaya.jpg|thumb|炒り豆と恵方巻]]
* '''[[ダイズ#日本文化|福豆]]''' - 大豆を炒って福豆とする。“あり得ないことが起こる”を意味する「炒り豆の花が咲く」という諺があるので、厄払いに用いた豆から芽が出ないようにしっかりと炒り、豆まきを終えてから食べる<ref>飯島吉晴、「[https://opac.tenri-u.ac.jp/opac/repository/metadata/3318/ 節分と節供の民俗]」 『古事:天理大学考古学・民俗学研究室紀要』 2011年 15巻 page.53-64、{{issn|1346-8847}}、{{naid|120005858429}}。</ref>。自分の年齢あるいは年齢に1つ加えた数だけ食べるとされ、1回でその数だけ豆を握り取ることができると良いことがあるという所もある。また、炒り豆を保存しておき、'''初雷'''(立春後最初の雷)が鳴ったら食べると「病気をせず健康に過ごせる」「魔除けになる」「落雷の災いから免れる」という言い伝えが各地にある。
** 豆まきで'''落花生'''を撒く地域は当然落花生を食べる。
** '''蓬莱豆''' - 蘆山寺(京都市上京区)でまかれる砂糖でくるんだ紅白の豆。紅白一粒ずつ食べると寿命が6年延びると言われる<ref name="rozanji"/>。
* '''[[鰯#文化|節分鰯]]'''
** 西日本には節分に[[鰯]]の焼き魚を食べる「節分いわし」の風習がある。
** 奈良県の[[大和高原]]地域では鰯を[[アラメ]]で巻いた「'''め巻き'''」を食べる<ref name="yamatono syokubunnka">冨岡典子 『大和の食文化』 奈良新聞社、2005年9月25日、22-24頁、ISBN 4-88856-054-4。</ref>。
* '''[[福茶]]''' - 福豆(大豆)と[[昆布]]、[[梅干し]]などの具に[[煎茶]]や湯を注いだ茶。
* '''なた餅''' - [[遠江国|遠州]]から[[三河国|三河]]にかけての風習で、一升餅から数え年の数だけ餅を取り、[[きな粉]]をまぶして厄落としの餅とする<ref name="natamoti"/>。
* '''節分蕎麦''' - 文化11年(1814年)刊『大坂繁花風土記』にある年中行事の条に「十二月三十日 晦日そばとて、皆々そば切く(喰)ろふ。当月節分、年越蕎麦とて食す」「正月十四日 十四日年越とて、節分になぞらへ祝ふ。この日そば切を食ふ人多し」とある<ref>笠井俊彌 『蕎麦―江戸の食文化』 岩波書店、2001年12月12日、203頁、ISBN 978-4000237031。</ref>。本来は節分に食べる蕎麦を「年越蕎麦」と呼び、大みそか(旧暦)に食べる「晦日そば」と区別していた<ref>村瀬忠太郎 『日本の食文化大系14そば通』 東京書房社、1982年1月1日、123頁。</ref><ref>植原路郎 『新装版 蕎麦辞典』 東京堂出版、1996年9月、ISBN 9784490104394。</ref><ref>新島繁 『蕎麦の事典』 柴田書店、1999年11月、ISBN 978-4388058525。</ref>。明治の改暦により「年越し」が節分から新暦の大みそかに移ったため、しだいに年越し蕎麦は大みそかに食べられるようになっていった。しかし、節分に蕎麦を食べる習慣を残す地域もあり「節分蕎麦」と呼んで区別するようになった。
* '''[[麦飯]]'''
** 大坂船場安土町の水落家の「行事帳」文政6年(1823年)に記された節分の行事食に「塩いわし 麦飯」とある。また、[[大坂町奉行]]の[[久須美祐雋]]が安政3年(1856年)正月22日に起筆した随筆『浪花の風』には「節分大晦日には必らず麦飯を焚て、赤いわしを添へて祝ひ食ふ」とある。さらに、[[上方落語]]の「厄払い」には「年越しの晩はどこのお家(うち)でも、みな麦ご飯にイワシを焼いて、それをおかずにして食べなはるなぁ」というくだりがあり、大阪・神戸間に電車が通じている時代設定になっている<ref name="kamigata">「{{Cite web|和書|url=http://kamigata.fan.coocan.jp/kamigata/rakug139.htm |title=厄払い |accessdate=2018年3月1日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20180301230201/http://kamigata.fan.coocan.jp/kamigata/rakug139.htm |archivedate=2018年3月1日 }}」『上方落語メモ 第3集』 2018年2月20日閲覧。</ref>。これらのことから江戸時代から近代まで、大阪の多くの家庭では麦飯に鰯が節分の食事であったことがわかる。
** 奈良県では麦飯を炊くことを「麦をよます」と言い、「ようまわす」(良い世の中になる)ように験を担いで食べる<ref name="yamatono syokubunnka"/>。
** 江戸時代の[[京都]]の商家の日記に、節分の昼食に麦飯と白みそ汁、いわしを食べ、夜には'''鶴の吸物'''で酒を飲んだことが記されている<ref>島崎とみ子、「[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/10815577 京都商家のくらしと食 : 年中行事を例に]」 『日本調理科学会誌』 2009年 42巻 4号 p.244-254、{{Doi|10.11402/cookeryscience.42.244}}、{{naid|110007340461}}。</ref>。
* '''[[とろろ汁]]''' - 長野県では麦飯にとろろ汁をかけて食べる。トリガチと言って早食いをする。寒明けに胃袋を試すため大食するのが目的であるとする<ref>斉藤武雄 『信州の年中行事』 [[信濃毎日新聞社]]、1981年、133頁。</ref>。
[[File:Futomaki zushi in 201902.jpg|thumb|太巻き寿司]]
* '''[[恵方巻]]''' - [[歳徳神|恵方]]を向いて願いごとをしながら、無言で丸かぶりすると縁起が良いとされる[[太巻き寿司]]。関西では「丸かぶり寿司」とも呼ぶ<ref>わぐりたかし 「{{Cite web|和書|url=http://trendy.nikkeibp.co.jp/article/column/20090121/1022966/?P=4 |title=予約殺到のコンビニ「恵方巻」の意外な仕掛け人を発見! 商品化に至った理由とは? |accessdate=2018年3月31日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20160322194752/http://trendy.nikkeibp.co.jp/article/column/20090121/1022966/?P=4 |archivedate=2016年3月22日 }}」『日経トレンディネット』</ref>。{{Main|恵方巻}}
* '''[[蒟蒻]]''' - 「腸の砂おろし」と呼び、「体内にたまった砂を出す」として食べる<ref>車浮代 「{{Cite web|和書|url=http://diamond.jp/articles/-/16383?page=3 |title=旬を楽しみ、身体が喜ぶ江戸料理【第16回】『蒟蒻』(こんにゃく)は江戸時代、“お腹の砂下ろし”と尊ばれた健康食材 |accessdate=2018年2月15日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20180216025217/http://diamond.jp/articles/-/16383?page=3 |archivedate=2018年2月16日 }}」] 『DIAMOND online』 ダイヤモンド社、2012年3月2日。</ref>。
* '''[[ナマコ]]''' - [[島根県]]の[[隠岐諸島|隠岐]]では「砂おろし」と称し、ナマコを酢の物にして食べる習慣がある<ref>「{{Cite web|和書|url=https://oki.keizai.biz/headline/324/ |title=隠岐の節分、ナマコで『砂おろし』 健康を願って |accessdate=2018年2月23日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20180224053142/https://oki.keizai.biz/headline/324/ |archivedate=2018年2月24日 }}」『隠岐経済新聞』 2017年2月3日。</ref>。
* '''水菜の辛子和え''' - 奈良県では麦飯や鰯のめ巻きとともに水菜の辛子和えを食べる<ref>田中敏子 『大和の味 改訂版』 奈良新聞社、2001年10月10日、15頁</ref>。
* '''[[カナガシラ#食材|カナガシラ]](魚)の煮付け・とっぽいか(尺八いか)の煮付け・紅大根のなます''' - 長崎県[[長崎市]]では、「お金が貯まる」に通じる「カナガシラ」の煮付けと、[[ケンサキイカ]]や[[ヤリイカ]]を巾着(財布)に見立て、米などを詰めて煮付けた「とっぽいか」の煮付け<ref>独立行政法人水産総合研究センター広報室『{{Cite web|和書|url=https://www.fra.affrc.go.jp/bulletin/letter/no17.pdf |title=おさかな瓦版 No.17 |accessdate=2018年3月2日 }}』 独立行政法人水産総合研究センター、2007年6月</ref>、赤鬼の腕に似ている紅大根のなますを食べる<ref>NHK福岡放送局 「{{Cite web|和書|url=https://www.nhk.or.jp/fukuoka-roku-blog/800/261584.html |title=ダイコン食べて鬼退治!?長崎の紅大根(あかだいこん) |accessdate=2018年3月2日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20180303105725/https://www.nhk.or.jp/fukuoka-roku-blog/800/261584.html |archivedate=2018年3月3日 }}」『ブログ ロクいち!福岡』 2017年1月25日。</ref>。{{Refnest|group="注釈"|長崎紅大根 (ながさきあかだいこん)は、「節分大根」「鬼の手大根」とも呼ばれる長崎在来の赤カブである<ref>「{{Cite web|和書|url=http://g-foods.info/zukan/product/product_878.html |title=長崎紅大根 (ながさきあかだいこん) |accessdate=2018年3月2日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20180302225419/http://g-foods.info/zukan/product/product_878.html |archivedate=2018年3月2日 }}」『地方特産食材図鑑』 2018年3月2日閲覧。</ref>。}}
* '''鯨料理'''
** 青森県[[八戸市]][[鮫町]]の[[蕪嶋神社]]「節分厄除祭」では、[[直会]]に'''[[くじら汁]]'''を食べる習慣がある<ref>「{{Cite web|和書|url=https://hachinohe.keizai.biz/headline/736/ |title=八戸で蕪嶋神社節分祭 鮫生活館会場に60人集まる |accessdate=2018年2月15日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20180216025316/https://hachinohe.keizai.biz/headline/736/ |archivedate=2018年2月16日 }}」 『八戸経済新聞』 2018年2月6日。</ref>。
** 大坂船場安土町の水落家の「行事帳」文政6年(1823年)に、節分の行事食として「汁 くじら、大こん」とあり、江戸時代に大坂船場の商家ではくじら汁を食べる習慣があったことがわかる。
** 島根県[[浜田市]]では、拍子木に切ったクジラの黒皮を炊き込んだ「'''くじら飯'''」を食べる<ref>「{{Cite web|和書|url=http://osakana.zukan-bouz.com/2008/03/post-970.html |title=島根県浜田市で節分に食べる『くじら飯』 |accessdate=2018年3月2日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20180303050548/http://osakana.zukan-bouz.com/2008/03/post-970.html |archivedate=2018年3月3日 }}」『ぼうずコンニャクのお魚三昧日記』 2018年3月2日閲覧。</ref>。
** 山口県では「大きなものを食べると縁起が良い」として[[鯨]]の尾びれを水でさらした「'''[[鯨肉#部位|尾羽毛]](おばけ・おばいけ)'''」をはじめとする鯨料理を食べる風習がある<ref>[http://www.minato-yamaguchi.co.jp/yama/touryu/2014/1-2/touryu0207fri.html 「節分には鯨 東流西流」]『山口新聞』2014年2月7日。</ref><ref>「{{Cite web|和書|url=https://www.westjr.co.jp/company/info/issue/bsignal/14_vol_152/flavor/index.html |title=ふるさとの味 おばいけ |accessdate=2018年2月15日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20180216025211/https://www.westjr.co.jp/company/info/issue/bsignal/14_vol_152/flavor/index.html |archivedate=2018年2月16日 }}」『Blue Signal』2014年1月号、JR西日本。</ref>。
** 長崎県では「金頭(かながしら)の煮付け」や「尺八イカの煮付け」とともに、鯨の小腸「'''[[鯨肉#部位|百尋]](ひゃくひろ)'''」の輪切りが節分の伝統料理として食べられていた<ref>長崎歴史文化博物館 「{{Cite web|和書|url=http://www.nmhc.jp/pressrelease/pdf/2017/0111no34.pdf |title=1月の講座&れきぶんの節分2018 |accessdate=2018年2月18日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20180218210531/http://www.nmhc.jp/pressrelease/pdf/2017/0111no34.pdf |archivedate=2018年2月18日 }}」 『プレスリリースNews No.34』 2018年1月11日。</ref>。
* '''[[粕汁]]''' - 奈良県をはじめ関西の寺院では、節分会にあたり参詣者や関係者に振る舞うところがある<ref>『ホテル日航奈良に新メニュー』 2012年7月28日 奈良新聞3面。</ref><ref>奈良の食文化研究会 「{{Cite web|和書|url=http://nara-shokubunka.jp/yamato/17-02.html |title=元興寺の粕汁とかやくご飯 |accessdate=2018年2月5日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20180206073617/http://nara-shokubunka.jp/yamato/17-02.html |archivedate=2018年2月6日}}」 『出会い大和の味』] 奈良新聞社、2007年7月1日、96頁、ISBN 978-4-88856-065-8。</ref>。
* '''干しかぶらの味噌汁''' - 大阪市から河内地域にかけて、干した[[かぶ]]を[[白みそ]]仕立ての[[味噌汁]]にし、無病息災を願って食べる習慣があった<ref>「{{Cite web|和書|url=http://www.sankei.com/west/news/150202/wst1502020010-n1.html |title=なにわの幸ふんだん『天王寺かぶら汁』のお味は…3日、四天王寺で限定300食 |accessdate=2018年3月21日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20180321071149/http://www.sankei.com/west/news/150202/wst1502020010-n1.html |archivedate=2018年3月21日 }}」『産経新聞』 2015年2月2日。</ref><ref>「{{Cite web|和書|url=https://this.kiji.is/332722059742151777 |title=かぶら汁で無病息災 四天王寺 |accessdate=2018年3月21日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20180321073123/https://this.kiji.is/332722059742151777 |archivedate=2018年3月21日 }}」『大阪日日新聞』 2018年2月4日。</ref><ref>「{{Cite web|和書|url=https://www.city.higashiosaka.lg.jp/0000001910.html |title=東大阪の郷土食 |accessdate=2018年3月21日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20180321072514/https://www.city.higashiosaka.lg.jp/0000001910.html |archivedate=2018年3月21日 }}」『東大阪市』 2018年3月20日閲覧。</ref><ref>八尾市立病院 栄養科 「{{Cite web|和書|url=http://www.hospital.yao.osaka.jp/wp/wp-content/uploads/2012/04/eiyou-dayori_201002.pdf |title=栄養だより2月号 |accessdate=2018年3月21日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20180321071726/http://www.hospital.yao.osaka.jp/wp/wp-content/uploads/2012/04/eiyou-dayori_201002.pdf |archivedate=2018年3月21日 }}」 2018年3月20日閲覧。</ref>。
* '''厄除けぜんざい''' - [[厄年]]の人がぜんざいを振る舞う「厄除けぜんざい」の風習が[[関西]]を中心に残っている<ref name="katsuragi"/>。
* '''厄除け饅頭''' - [[大阪市]]を中心に、節分に社寺で厄除けをし、門前で販売される「厄除け饅頭」を親しい人に分け、厄落としをする習慣がある<ref>大阪府生菓子協同組合 「{{Cite web|和書|url=http://www.wagashi-osaka.or.jp/sea02.html |title=和菓子と年中行事 2月 |accessdate=2018年3月19日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20180319213932/http://www.wagashi-osaka.or.jp/sea02.html |archivedate=2018年3月19日 }}」『大阪の和菓子』 2018年3月19日閲覧。</ref>。
[[画像:Fukubiki.JPG|thumb|right|200px|節分福引せんべい]]
* '''がらがら・福引煎餅''' - 小麦粉と卵黄に砂糖で味付けた生地を焼いた煎餅の中におもちゃや縁起物の入った伝統的な[[食玩]][[駄菓子]]。がらがらは、山梨県[[甲府市]]の大神宮節分祭の名物<ref name="garagara">「{{Cite web|和書|url=http://blog.goo.ne.jp/kofukoho/e/b5de9fff8244e32f92b024950f017dd5 |title=大神さん名物『がらがら』 |accessdate=2018年2月15日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20150215051205/http://blog.goo.ne.jp/kofukoho/e/b5de9fff8244e32f92b024950f017dd5 |archivedate=2015年2月15日 }}」]『こうふ取材日記』 2014年1月31日。</ref><ref>「{{Cite web|和書|url=https://news.goo.ne.jp/article/yamanashinow/region/yamanashinow-blog-entry-1214.html |title=お菓子の中にはおもちゃが!甲府の節分の名物『がらがら』 |accessdate=2018年2月15日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20180321001534/https://news.goo.ne.jp/article/yamanashinow/region/yamanashinow-blog-entry-1214.html |archivedate=2018年3月21日 }}」 2015年02月10日。</ref>。また、[[福引煎餅]]は、三重県[[津市]]で食べられる厄除けの煎餅<ref>「{{Cite web|和書|url=http://www.sankei.com/west/news/180122/wst1801220027-n1.html |title=打ち出の小づちなど縁起物入り『福引せんべい』生産ピーク |accessdate=2018年3月20日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20180321001731/http://www.sankei.com/west/news/180122/wst1801220027-n1.html |archivedate=2018年3月21日 }}」『産経新聞』 2018年1月22日。</ref>。
* '''[[切山椒]]''' - 切山椒は、[[糝粉]]に砂糖と山椒を炒った粉をまぜた生地を蒸して搗き、拍子木形に切って作った餅菓子で、山梨県[[甲府市]]の大神宮節分祭の名物<ref name="garagara" />。
* '''小判菓子''' - 福井県[[小浜市]]で「一生お金に困らないように」と、炒り豆とともに神棚に供えて食べる小判の形をした縁起物の焼き菓子<ref>「{{Cite web|和書|url=http://www.fukuishimbun.co.jp/articles/-/63123 |title=小浜独特の風習、節分に小判菓子 |accessdate=2018年2月15日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20180216025110/http://www.fukuishimbun.co.jp/articles/-/63123 |archivedate=2018年2月16日 }}」 福井新聞 2017年1月31日。</ref>。
== 節分祭・節分会 ==
<!--キリがありませんので「特色ある」ものにとどめ、その「特色を明記」して下さい-->
神社では節分祭(せつぶんさい)、寺院では節分会(せちぶんえ・せつぶんえ)の呼称が一般的である。
=== 神社 ===
* [[鬼鎮神社]](埼玉県[[嵐山町]]) - 「福は内、鬼は内、悪魔外」
* [[三峯神社]](埼玉県[[秩父市]]) - ごもっとも神事
* [[五條天神社 (台東区)|五條天神社]](東京都[[台東区]])- うけらの神事。大儺の儀式が催行される
* [[稲荷鬼王神社]](東京都[[新宿区]]) - 「福は内、鬼は内」
* [[大國魂神社]](東京都[[府中市 (東京都)|府中市]])- 境内に[[土俵|相撲場]]があり、八朔相撲祭りも行われる事から、力士が豆をまく
* [[箱根神社]](神奈川県[[箱根町]]) - [[厚化粧]]の少女の[[巫女]]たちが水上スキーの鬼に豆を撒く
* 浜松八幡宮<ref group="注釈">[[徳川家康]]が祈願所とし武運長久を祈っていた</ref>(静岡県[[浜松市]][[中区 (浜松市)|中区]]) - 2日の夕刻に追儺式を行い、3日には豆まきを行う
* [[海山道神社]](三重県四日市市) - 狐の嫁入り神事。狐の新郎新婦と仲人、親族らの行列が、鬼の先導で境内を練り歩いて結婚式を挙げ、祝儀袋に入った福餅や福豆をまく<ref>「[https://mainichi.jp/articles/20180204/k00/00m/040/110000c 節分に狐の嫁入り 三重・海山道稲荷神社]」『毎日新聞』 2018年2月4日三重版。</ref>
* [[日吉大社]](滋賀県[[大津市]]) - [[破魔矢]]を射る「放射の儀」
* [[吉田神社]](京都府[[京都市]][[左京区]]) - 室町時代より続く伝統行事であり、古式に則った追儺式が行われる
* 須賀神社(京都府京都市左京区) - 和歌で書かれた[[恋文|懸想文(けそうぶみ)]]を売る、[[烏帽子]]、[[水干]]に覆面姿の「'''懸想文売り'''」が現れる。懸想文を鏡台や箪笥に忍ばせておくと、美しくなり、着物が増え、良縁に恵まれると伝えられる<ref>「{{Cite web|和書|url=https://www.nikkei.com/article/DGXLASIH15H0U_V10C15A1AA1P00/ |title=アーカイブされたコピー |accessdate=2018年3月21日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20180321192712/https://www.nikkei.com/article/DGXLASIH15H0U_V10C15A1AA1P00/ |archivedate=2018年3月21日 }}京都・須賀神社 節分に覆面男現る(謎解きクルーズ)」『日本経済新聞』 2015年1月24日。</ref><ref>京都・宇治 伊藤久右衛門 「{{Cite web|和書|url=http://kyoto.wakasa.jp/detail/25/373/ |title=節分祭に授与される、良縁にご利益のある懸想文 |accessdate=2018年3月17日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20180318054333/http://kyoto.wakasa.jp/detail/25/373/ |archivedate=2018年3月18日 }}」『ちょっと言いたくなる京都通』第294回、2018年3月18日閲覧。</ref>
* [[五條天神社 (京都市)|五條天神社]](京都府京都市[[下京区]]) - 日本最古で船に稲穂を一束乗せただけの簡素な図案の「[[宝船|宝船図]]」が授与され、厄除け・病除けのご利益があるとされる。
* [[八坂神社]](京都府京都市[[東山区]]) - [[舞妓]]の豆撒き
* 大原神社(京都府[[福知山市]]) - 「鬼は内、福は外」
[[File:Setsubun Mantoro Festival 20150203 12.jpg|thumb|春日大社節分万灯籠]]
* [[長田神社]](兵庫県神戸市[[長田区]]) - 七匹の鬼が、[[たいまつ|松明]]で種々の災を焼き尽くし太刀で不吉を切り捨て、踊る
* [[春日大社]](奈良県[[奈良市]]) - 節分万燈籠。神前での[[舞楽]]奉納後、境内にある約3000基の[[燈籠]]すべてに火が灯される。
* [[大和神社]](奈良県[[天理市]]) - 節分祭・鬼やらい式。赤鬼、青鬼を矛を持った[[天狗]]が追い払う。
* [[天河神社]](奈良県[[吉野郡]][[天川村]]) - 鬼の宿・節分祭。鬼は全ての意識を超えて物事を正しく見るとされているため、前日に「鬼の宿」という鬼迎えの神事を行い、節分祭では「鬼は内、福は内」と豆をまく。
* [[吉備津神社 (福山市)|吉備津神社]](広島県[[福山市]]) - 豆まきのあと焚き火を囲んでほら吹き大会-ほら吹き放談神事
* [[須佐神社 (出雲市)|須佐神社]](島根県[[出雲市]]) - [[蘇民将来]]の説話にちなんで茅の輪くぐりや[[神楽]]の奉納がある
* [[防府天満宮]](山口県[[防府市]]) - 神くじにより御神幸祭の神牛役を定めるという牛替神事
=== 寺院 ===
* [[中尊寺]](岩手県[[平泉町]]) - 相撲力士を迎え、厄男厄女による厄払い招福を祈る
<!--東北ですが、そうではありません。 ** 「鬼は外、福は内。天打ち、地打ち、四方打ち。鬼の目ん玉ぶっ潰せ」等-->
* [[鑁阿寺]](栃木県[[足利市]]) - 節分鎧年越。坂東武者に扮した市民など約200人が練り歩き、国宝の本堂に一同が集結して追儺式を行う。
* [[龍光寺]](群馬県[[富岡市]]) - 園児が[[厚化粧]]、[[裃]]を着て登場([[稚児行列]])
* [[總願寺]](埼玉県[[加須市]]) - 大たいまつの赤鬼、力士、稚児行列
* [[成田山新勝寺]](千葉県[[成田市]]) - 不動明王の前では鬼さえ改心するとされるため「福は内」のみ。相撲力士と、その年の[[日本放送協会|NHK]][[大河ドラマ]]の主演を含む出演者がそれぞれ5名前後参加するのが恒例となっている
* [[報恩寺 (千葉県長南町)|報恩寺]](千葉県[[長南町]]) - 「福は内、鬼も内、鬼の目玉ぶっ飛ばせ!!」
* [[浅草寺]](東京都台東区) - 浅草観音の前には鬼はいないとされるため「千秋万歳(せんしゅうばんぜい)、福は内」と唱える<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.senso-ji.jp/annual_event/05.html|title=節分会|publisher=浅草寺|accessdate=2022-2-9}}</ref>。浅草に縁のある[[落語家]]・[[演歌歌手]]などが参加する
<!--** [[増上寺]](東京都[[港区 (東京都)|港区]]、[[稚児行列]])-->
* [[池上本門寺]](東京都[[大田区]]) - 境内に[[鬼子母神]]を祀るので「福は内」のみ。[[力道山]]の墓所があるため[[格闘技]]関係者([[プロレスラー]]・[[プロボクサー]])などが出仕する
* [[金剛寺 (日野市)|高幡不動尊]](東京都[[日野市]]) - 不動明王の前には鬼はいないとされるため「福は内」のみ<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.enjoytokyo.jp/article/110315/|title=芸能人ゲストが話題! 東京都内の豆まきイベント5選|work=レッツエンジョイ東京|publisher=レッツエンジョイ東京|date=2020-1-29|accessdate=2022-2-9}}</ref>
* [[高尾山薬王院]](東京都[[八王子市]]) - [[高尾山]]内や[[薬師如来]]の前には鬼はいないとされるため「福は内」のみ
* [[平間寺|川崎大師]](神奈川県川崎市[[川崎区]]) - 境内には鬼はいないとされるため「福は内」のみ<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.kanaloco.jp/news/culture/entry-44169.html|title=川崎大師には鬼おらず 「福は内」連呼 福豆求めて1万人|work=神奈川新聞|publisher=神奈川新聞社|date=2014-2-3|accessdate=2022-2-9}}</ref>
* [[最乗寺]](神奈川県[[南足柄市]]) - 舞妓の豆撒き
<!--** [[本成寺]]([[三条市]]、鬼踊り)-->
* 成田山福井別院(福井県[[坂井市]]) - 舞妓の豆撒き
* [[宝光院 (大垣市)|宝光院]](左目不動)(岐阜県[[大垣市]]) - [[節分会はだか祭り]]
* [[大須観音]](愛知県名古屋市[[中区 (名古屋市)|中区]]) - 鬼の面を寺宝としているため「福は内」のみ<ref>[http://www.osu-kannon.jp/gyouji/index.html 年中行事/大須観音(名古屋)]</ref>
[[Image:Houkouin Setsubune2008-2.jpg|thumb|宝光院節分会はだか祭り]]
* [[廬山寺]](京都府京都市[[上京区]]) - 追儺式鬼法楽(ついなしきおにほうらく)。三色の鬼が舞い踊る<ref name="rozanji"/>
* [[壬生寺]](京都府京都市[[中京区]]) - [[壬生狂言]]が行われる
* [[あびこ観音]](大阪府[[大阪市]][[住吉区]]) - 節分厄除大法会。護摩焚きによる厄払いが主で、豆まきは行われない。門前で厄除け饅頭をお土産に買って親しい人に食べてもらい厄落としをする<ref>「{{Cite web|和書|url=https://useful-topics.com/abikokannon-setsubun/ |title=あびこ観音節分祭2019の日程! 屋台はいつでる?アクセス方法も! |accessdate=2018年3月19日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20180321002450/https://useful-topics.com/abikokannon-setsubun/ |archivedate=2018年3月21日 }}」『ホッとな情報MEDIA』2018年3月19日閲覧。</ref>。
* [[東大寺]](奈良県奈良市) - 節分万灯明・星祭。日中、古くなったお札やお守り等を火にあげる儀式「還宮(げんぐう)」と[[二月堂]]の舞台の上から「節分豆まき」が行われる。星に「除災与楽」を祈る法会「星祭り」は、二月堂本堂に万灯明を灯し、「星曼荼羅」を掲げて勤められる。
* [[元興寺]](奈良県奈良市) - 節分会柴燈大護摩供。[[山伏]]が弓矢と剣で魔を祓い、不動明王を勧進した大護摩を焚いて、山伏と一般参列者が[[火渡り]]行をする。八雷神や[[元興寺 (妖怪)|元興神]]の鬼の発祥地であるので、「福は内、鬼は内」と豆まきをする。
* [[興福寺]](奈良県奈良市) - 追儺会・鬼追い式。松明をかざして暴れまわる3匹の鬼が、[[毘沙門天]]によって退治された後、[[大黒天]]が[[打出の小槌]]で参拝者に福を授ける。年男による福豆まきが行われる。
* [[法隆寺]](奈良県[[生駒郡]][[斑鳩町]]) - 追儺会。西円堂の周囲を回りながら松明を投げる鬼3匹を毘沙門天が退治。鬼の魔性を調伏する。
* [[安倍文殊院]](奈良県[[桜井市]]) - 節分銭ぶつけ厄払い大法要。[[恵方]]に当たる方位守護仏に年齢と同数の一円玉を投げ、[[厄除け]]をする。
*信貴山[[朝護孫子寺]](奈良県生駒郡[[平群町]]) - 節分鬼追式。鬼が松明や金棒を持ち本堂から僧侶や年男に追われ逃げ回る。鬼は寺内だけにおさまらず、里の家にも押しかける。
[[File:Kinpusenji Setsubune 2018a.jpg|thumb|金峯山寺節分会]]
* [[金峯山寺]]蔵王堂(奈良県[[吉野郡]][[吉野町]]) - 節分会・鬼火の祭典。「福は内、鬼も内」と唱え、全国から追われてきた鬼を迎え入れ、経典の功徳や法力と豆まきによって、鬼たちを仏道に導く。
* [[石手寺]](愛媛県[[松山市]]) - 鬼に豆をぶつけるのではなく鬼が参拝者を「[[ささら]]」と呼ばれる竹の棒で叩き、厄を落として福をもたらす。
=== その他 ===
* 鬼恋節分祭(群馬県[[藤岡市]]) - 「福は内、鬼は内」。鬼呼び豆まき。合併で消滅した[[鬼石町]]の名にちなむ
* 鬼岩福鬼まつり(岐阜県[[御嵩町]]) - 「鬼は内」
== 関連作品 ==
* '''[[狂言]]'''
** 「節分」 - 人妻に恋した鬼が、隠れ蓑、隠れ笠、[[打出の小槌]]を差し出して家に入れてもらうが、最後は豆を投げて追い出される。
** 「[[福の神]]」 - 福の神の社に年越しの参拝にきた2人の男の前に福の神が現れ、[[神酒]]を飲みつつ豊かになる秘訣を諭す<ref>独立行政法人日本芸術文化振興会 「[https://www2.ntj.jac.go.jp/dglib/contents/learn/edc12/enmoku/fukunokami.html 福の神]」『文化デジタルライブラリー』 2018年2月24日閲覧。</ref>。
* '''[[歌舞伎]]'''
** 「[[三人吉三廓初買]]」安政7年(1860年)初演、河竹黙阿弥作 - 「大川端の場」は、節分におとせという夜鷹から、百両の金を奪ったお嬢吉三が名ぜりふを発する<ref>「[https://www2.ntj.jac.go.jp/dglib/modules/kabuki_dic/entry.php?entryid=1144 三人吉三廓初買]」『歌舞伎への誘い』 2018年2月24日閲覧。</ref>。
* '''[[小唄]]'''
** 「吉三節分」田島断、岡野知十作詞、草紙庵作曲 - 上記歌舞伎の名ぜりふを小唄にしたもの<ref>「{{Cite web |url=http://kiyuumi.com/archives/2016/01/post_997.php |title=吉三節分 |accessdate=2018年2月24日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20180224173250/http://kiyuumi.com/archives/2016/01/post_997.php |archivedate=2018年2月24日 }}」『東京小唄・清元・三味線教室』 2018年2月24日閲覧。</ref>。
* '''[[落語]]'''
** 「[[掛取万歳|節分]]」(東京) - 夫婦が節分の掛取りをいかにやり過ごすかを描く<ref>「{{Cite web|和書|url=http://sakamitisanpo.g.dgdg.jp/setubun.html |title=節分 |accessdate=2018年2月24日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20180224173415/http://sakamitisanpo.g.dgdg.jp/setubun.html |archivedate=2018年2月24日 }}」『落語散歩』 2018年2月24日閲覧。</ref>。
** 「厄払い」(上方) - 節分に現れる「厄払い」の姿を描く<ref name="kamigata"/>。
* '''[[文学]]'''
** 「鬼の角」([[小説]]) [[泉鏡花]]作、1894年。
* '''[[音楽]]'''
** 「豆まき」([[童謡]]) - 作詞 日本教育音楽協会、作曲 日本教育音楽協会
*** 「FUKU WA UCHI」([[DOMINO]]) - 上記楽曲のアレンジで、歌詞の内容も節分に基づいたもの。[[SUPER EUROBEAT]]Vol.164収録曲。
** 福は内 鬼は外([[細野晴臣]]) - 『[[HOSONO HOUSE]]』収録曲。
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Notelist}}
=== 出典 ===
{{Reflist|30em}}
== 参考文献 ==
* {{Cite book|和書|author=丸山照雄|authorlink=丸山照雄|year=1986|month=7|title=現代人の宗教3 金光と大本 {{Small|教典その心と読み方}}|publisher=[[御茶の水書房]]|isbn=4-275-00686-0|ref=金光と大本}}
* {{Cite web|和書|url=http://www.nhk.or.jp/kininaru-blog/144784.html |title=「節分」 |work=ことばの宝船 |publisher=NHK アナウンスルーム |date=2013-01-29 |accessdate=2013-01-30 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20130501122813/http://www.nhk.or.jp/kininaru-blog/144784.html |archivedate=2013年5月1日 |deadlinkdate=2018年3月 }}
* {{Cite book|和書|author=水野杏紀|title=易、風水、暦、養生、処世 東アジアの宇宙観|date=2016-2|publisher=[[講談社選書メチエ]]| isbn=978-4-06-258621-4}}
== 関連項目 ==
{{Commonscat|Setsubun}}
* [[鬼]]
* [[追儺]]
* [[セツブンソウ]](節分草) - 節分の時期に咲く
* [[トベラ]] - 枝葉は切ると悪臭を発するため、節分にイワシの頭などとともに魔よけとして戸口に掲げられた。そのため扉の木と呼ばれ、これがなまってトベラとなった
* [[レムレース]] - 古代ローマに於ける豆打ちに類似する風習
== 外部リンク ==
* {{Kotobank}}
* {{Kotobank|節分(暦)}}
{{DEFAULTSORT:せつふん}}
[[Category:雑節]]
[[Category:日本の祭り]]
[[Category:日本の年中行事]]
[[Category:神道行事]]
[[Category:仏教行事]]
[[Category:2月]]
[[Category:冬の季語]]
[[Category:鬼]]
[[Category:習俗]]
[[Category:大豆]]
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2003-09-11T06:31:08Z
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2023-12-29T13:23:12Z
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[
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AF%80%E5%88%86
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長田駅
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長田駅(ながたえき)
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長田駅(ながたえき)
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{{混同|[[永田駅 (曖昧さ回避)|永田駅]]}}
'''長田駅'''(ながたえき)
== 一覧 ==
* [[長田駅 (大阪府)]] - 大阪府東大阪市にある[[大阪市高速電気軌道]](Osaka Metro)[[Osaka Metro中央線|中央線]]・[[近鉄けいはんな線]]の駅。
* [[長田駅 (神戸市営地下鉄)]] - 神戸市長田区にある[[神戸市営地下鉄西神・山手線]]の駅。副駅名は「長田神社前」。
* [[長田駅 (神戸電鉄)]] - 神戸市長田区にある[[神戸電鉄有馬線]]の駅。
*: 神戸市営地下鉄と神戸電鉄の駅は異なる場所に存在する。
* [[長田駅 (山陽電気鉄道)]] - 1968年4月6日まで存在した[[山陽電気鉄道本線]]の駅。代替駅は高速長田駅である。
* [[高速長田駅]] - 神戸市長田区にある[[神戸高速鉄道東西線]]の駅。神戸市営地下鉄の長田駅に近接する。
* [[下長田駅]] - 広島県高田郡向原町に存在した、[[鉄道省]] [[芸備線]]の駅。1937年までは「長田停留場」。
* [[新長田駅]] - 神戸市長田区にある[[JR西日本]]・[[神戸市営地下鉄]]の駅。
* [[紀伊長田駅]] - 和歌山県紀の川市にあるJR西日本 [[和歌山線]]の駅。
* [[肥前長田駅]] - 長崎県諫早市にある[[JR九州]] [[長崎本線]]の駅。
== 関連項目 ==
* [[永田駅 (曖昧さ回避)]]
* [[長田 (曖昧さ回避)]]
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武器
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武器(ぶき、英: weapon, arms、ラテン語: arma アルマ)は、戦闘に用いる道具や器具の総称である。
広義では、戦争や軍隊で用いる兵器や武装、さらには人員・物資までも含めて「武器」とよぶ場合や、人間や動物がもつ社会競争で有効な長所や生き残りの手段を「武器」と比喩表現することまで含める場合もある(例:「逃げ足の速さが武器」「豊富な知識が武器」「コネクションの広さが武器」、など)。
武器は殺傷、損傷、捕縛、破壊、無力化、を元来の目的として攻撃能力を有する道具で、これらを背景に警告、威嚇、抑止力にも用いられる。主な用途は戦闘だが、それらを模して行われるスポーツ競技や演劇用の模造品・玩具がある。
人が手にして攻撃に用いれば様々な道具や物体が武器となる。握りやすくある程度の重みがあり武器としての使用に適するため、「柄のあるもの」、つまりは斧や銛(もり)、鎌(かま)、鎚(つち)のような農・工具、狩猟道具類は武器としての使用や転用がたやすく、それらから本格的な武器へと発展するものもあった。ダーク(短剣の一種)のように、非常時での武器としての使用を意図した道具もあり、武器と道具の関係は深い。
英語では「weapon ウェポン」「arms アームズ」と呼び、中国語では武器の他「兵器」(へいき)「器械」(きかい)と呼んでいる。それぞれの指す意味は日本語の狭義の「武器」と同一ではない。
武器の強弱はしばしば話題になるが、状況の変化によって長所が短所となりえるため「全てにおいて優れる」武器は存在しない。例えば槍の長所である「長さ」は、閉所には持ち込みすらできない、持ち込めたとしても十分には振り回せずに「短所」となる。破壊力の高い銃も弾薬の補給が滞れば本来の能力を発揮できず、またこのような銃は近距離では使えないものも多い。また複合武器の欠点は、複雑なため使いこなすには長期間の訓練が必要なこと、多目的武器は、どの用途に使っても専門の武器には及ばないことが上げられる。
そういった武器の構成要素として長さ・射程、重量、威力、速度・連射力、操作性などが問題となり、さらに軍での運用視点から見ると、操作に必要な熟練度、調達コスト、生産性、信頼度、耐久性、携帯性といった要素も問われる。隠密性を求める特殊な武器も存在する。それら長所や短所は、他の武器や兵科との組み合わせ、操法や戦術の工夫によってある程度補われる。
武器はその能力以外に民族や権力の象徴のような特別な意味を持つ場合がある。儀礼に用いる武器のほか、職権を示す職杖や魔よけなどがある。高度な製造技術を利用した武器は多く、財産的価値を持つものも多い。また装飾とは別に武器が持つ一種の機能美に美術的価値が見出される。
武器に限らず、道具が効果を発揮するにはエネルギーが必要である。まず一つは動作を行うエネルギー源であり、もう一つが攻撃対象に作用するエネルギーである。武器の多くが対象へ物体を衝突させる運動エネルギーによる攻撃方法をとる。
人間の力をエネルギー源とする武器は、使用のたびにエネルギーを失う(疲労する)。これに対し、化学エネルギーをエネルギー源とした武器は、基本的に人力よりも大きなエネルギーを得ることができ、弾薬やバッテリーの交換によりエネルギーの回復が容易である。
前述の通り多くの武器が運動エネルギーによる攻撃、つまり物体を運動させ対象へと衝突させる攻撃を行う。 運動エネルギーは質量に比例し、速度(角速度)の2乗に比例する。 運動エネルギーを保持した武器は対象へと食い込み、構造を物理的に破壊する。 棍棒などの打撃武器は衝撃を対象内部へと浸透させて構造を破壊する仕組みをもつ。 鉄や青銅のような、硬く靱性(粘り)があり強度の高い材質は変形しにくく堅牢なため武器に向く。 硬さはあるが粘りがない材質(石やガラス)は武器に成形しても自壊してエネルギーを逃がしてしまうため、武器には不向きといえる。ただし投射武器としては優秀な物となることがある。即席の打撃武器としても通用しやすく、また鋭利な刃物としても使うこともできるが、長くは維持できない(使用するたび切断力が落ちる)ため、あまり実用性はない。
これらの武器では、運動エネルギーを小さな断面積に集中させ、より大きな効果を得る構造をもつ。 メイスの出縁や槍の穂先は点に、刀剣は線に集中させる構造といえる。
伝統的武器のほとんどは人間の力をエネルギー源として武器を運動させる。多くは体やひじ・手を軸とした回転運動で、てこの働きにより大きな力となる。長い武器は回転半径が長くなるため効果もまた大きなものとなる。棍棒や剣を「振るう」動作はこの回転運動を利用する攻撃方法といえる。
これに対し、槍などの「突く」動作は「振るう」動作に比べると回転が小さく、動作から生まれるエネルギーは小さい。しかし、使用者もしくは攻撃対象の直線運動を効率よく加えることが可能となっている。 騎兵の槍での突撃と、騎兵に対する槍での防御を思い浮かべるとわかりやすい。また突く動作は動作が小さく「点」での攻撃のため防御されにくいという利点もある。また一点に力が集中するため、エネルギー自体は小さくてもあまり問題はない。
これら伝統的な武器は、単純に言えば、重く硬く長い武器を高速で運動させれば強力な攻撃を行える。ただし、大型の武器はモーメントが大きくなるため扱い辛く、充分に広い場所が必要になり疲労もまた大きい。また安定した足場が必要になるものも多い。またこのような武器(射撃武器などにもいえる)はできる限り構造は単純に構成するほうが強力になりやすく、利点も多い(機械構造を持つナイフでボタン一つで三叉になるものがあったが実用性、信頼性ともに悪かった)。
また、伝統的な武器はその見た目から、その痛みを想像しやすいものが多く、相手に恐怖を与えることが射出武器などよりも容易であり、心理戦においてこれは絶大な効果を持つ。
弾性によって射撃する弓、空気によって矢を飛ばす吹き矢などもあるが、根本が人力であるため大きな変わりはない。
他にも色々な武術がある。代表的なものとして、柔術、水術(古式水泳)、砲術、組討術など。
投射する武器では、射出あるいは投擲した後のコントロールはできない。そのため精神的なものを除けば、構えや射出方法がその技術の大半を占めている。特に銃は射出方法も機械式であるため武術的な修練は成立しがたいと考えられている。銃を使用する武術としてはCQBやCQCで用いられる現代軍隊の近接戦闘術が近い。ただしCQCが行われる至近距離では銃器はむしろ使用されない。また銃を用いる銃剣術は銃と銃剣を用いた格闘術なので発砲をその技術に含んでいない。
熱エネルギーを燃焼する武器は人力以外では古い歴史を持つ代表的存在である。可燃物を延焼させる火の性質を利用するものと、燃焼によって生じるエネルギーを利用するものがある。
特殊なものでは、燃焼によって発生する光や煙を利用するものがある。発煙弾や閃光弾・曳光弾はそれらにより、視界を遮ったり逆に目印とすることを目的としている。原始的な化学兵器も燃焼によって発生する有毒ガスや煙を利用したものであった。
古代でも動物を兵器として利用する方法が模索されていた。もっともポピュラーなのは、土器のツボに毒サソリや毒ヘビなどを詰め投石機(カタパルト)で跳ばすというもので、特に密集している部隊や、軍船や要塞などの密閉した空間に対し絶大な混乱作用が期待できた。中世には病気で死んだ動物を投石機で城内まで跳ばし、病原菌を充満させ敵兵士に感染させ戦力を低下させるのに使っていた。
特殊な方法としては、確実性に欠けるが市街地を襲撃する際に、町から飛んできた鳥を重点的に捕まえて足に小さめの松明をくくり付けて放し巣に帰った所で巣に引火して、都合良く行けば家屋に火事(小火かできれば大火事)を狙い目標の混乱を誘い、突撃時の足がかりにする方法や、牛を野戦の陣地等に対し、前線突破の際、前列に布陣して強襲に使うなどがある。
電気エネルギーは機械的な制御や発火装置などにも用いられるがここでは割愛する。電気エネルギーの大きな特徴の一つは、他のエネルギーとの交換が容易な点で、化学エネルギーとして電池などに蓄えられ、スイッチにより電気エネルギーが取り出され、さらに他のエネルギーへと変換される。 実際にレーザーなどの動力源として広く使用されている。エネルギー供給も容易でバッテリーや電池、発電機によって供給が可能である。
電気の性質を利用する武器ではスタンガンがある。対象に電極を当て高電圧かつ微弱な電流を送り込み、痛みとともに筋肉の痙攣を引き起こす。その形状は様々で携帯電話のような直方体型、ペンライト型、警棒型、電極を発射する銃型(テイザー)などがある。
電気エネルギーによって弾体を発射する銃や、電気エネルギー自体を発射する銃の発想は多く、理論までも確立されたものが殆どだが、技術的問題により実用化に至っているのは遊戯用の電動ガン程度である。
光や電磁波を投射する光線武器はSFではおなじみの武器である。現時点では光線を制御する技術が不十分で、強力な光線を発生させるエネルギーの供給が難しいため、実用的な武器としての利用は少なく大型兵器での実用化が模索されている程度である。光は直進する性質を利用した低出力のものが、競技用ビームライフルや遊戯用の光線銃や、銃の照準としてレーザーポインターに利用されている。
目潰しを目的とした最も強力なものに、目潰し用レーザー (Blinding Laser Weapon) がある。目の網膜を損傷させ回復不可能なダメージを与える恐れがある「非人道的武器」として、またテロリストにうってつけの武器といえるため、実用化以前の研究段階ながらジュネーブ協定によって使用が禁止されている。
目をくらませる目的では他に閃光手榴弾(しゅりゅうだん)などもある。
また光線というよりも光そのものを武器とし、鏡による反射を利用した目潰しやかく乱、大鏡による着火を利用した兵器などは比較的古い時代から少数ながら存在する。
毒やある種の化学物質は少量で人体に機能異常を引き起こす。生体へ効果を与えるメカニズムはそれぞれに異なり様々である。効果は嘔吐や、昏睡・麻痺程度から、炎症、腐食、死と幅広く、効果の発現時間や持続時間もまた様々である。ちなみに毒も化学物質の一種であるため、化学兵器と毒を区別する明確な基準はない。
主に毒はとげや刃に塗布し傷口から体内へ注入される。先史時代から矢毒として狩猟に使用されており、軍隊の矢じりや暗器に塗布され効果を発揮した。アルカロイド系毒物のトリカブトやキニーネ、クラーレが有名である。糞尿は傷口を化膿させる目的で毒として使用されることがある。
化学兵器は、効果が大規模で広範囲にわたるものや、科学的に成分を抽出したり合成したものである。史上最古の化学兵器は、紀元前429年に使用された石炭や硫黄を燃やし発生させた亜硫酸ガスとされている。従来の毒と異なり吸引や皮膚から体内へ侵入し効果を発揮し、ゴムを浸食する性質をもつものさえ存在する。必ずしもガス(気体)とは限らず、液体や固体を散布・飛散させて用いる化学兵器も存在する。
致死性はごく低いものの催涙弾、催涙スプレーなども化学兵器の一種といえる。
鉛には酵素の動きを阻害する作用があり、時として鉛中毒を引き起こす毒物として作用する。狩猟に使用した散弾による土壌汚染と、弾を飲み込んだ動物が死亡する事例が発生している。またそれらが食物連鎖によりヒトに蓄積される可能性があるため規制が議論されている。
ガス(気体)を圧縮し圧力で弾を発射する空気銃は遊戯・競技用、狩猟用が主だが、実戦で使用されたものもわずかに存在する。また、圧搾空気による迫撃砲も第一次世界大戦で使用された例がある。水を発射する水鉄砲は遊戯用として一般的な玩具である。
弾性エネルギーを用いた武器では 弓やパチンコ、銀玉鉄砲などがある。弾性体にエネルギーを蓄積(弓を引く、ばねを縮める)して矢や弾を発射する。
原子力エネルギーを用いた武器には携帯型核弾頭からMIRVまで幅広く存在する。主に冷戦中に多く作られたが、2つの爆弾を除いて実戦での使用は無い。
以下では代表的な構造を述べるが武器の種類や形態は幅広いため、ここに記すものとは異なる武器もまた多い。
なお、銃と弓矢、およびそれらが使用する弾丸などの発射体については、それぞれの項目に詳しいので参照のこと。
大抵の武器では攻撃部位を「前」と見立てている。槍で言えば穂先が「前」、石突きが「後」となる。刀剣類はこの逆で帯刀した際に前に位置する柄の端、あるいは剣身を下にして上にくる柄端を「前」としている。しかしこれにも例外があり、中世以降の日本の刀では刀身の方向を「前」、逆端を「後」とする見方もあり両者が混在している。日本刀や包丁などでは柄の接合部を柄首、逆端を柄尻と呼ぶと同時に柄尻部の金具を柄頭と呼んでいる。
武器を持ちやすくするために握る棒状の部分。機能と長さにより2種類に分かれる。
両者の区別は厳密なものではなく、長巻のように長い握りを備える中間的なものや、長柄の後端に握りを備える武器もある。
刃や棒を持ちやすくするため取り付けられる短い取っ手には棒状の他、緩やかに反ったものやリング型のものもある。剣身との間に鍔をそなえる場合が多い。保持に必要な短い全長しかもたないが、手で握る位置にぶれが少ないため、握りやすい加工が施され保持力を高めている。凹凸や太さを変える形状の工夫と、刻み模様や糸や革を巻くことで摩擦を高め滑りにくくする方法が一般的である。柄と刀身を一体成型する方が頑丈ではあるのだが、金属材料の節約や軽量化、製造の工程数や手間の軽減を理由として別個に製作される場合が多い。
柄の剣身に対して逆の端を柄頭、ポンメル (Pommel) と呼ぶ(後述する長柄武器の柄頭とは別種である)。剣類の多くが大型のポンメルをもち、武器がすっぽ抜けるのを防ぎ、剣身に対するカウンターウェイトの役割をもつ、これによって重心が手の内に収まることにより重くても扱いやすくなる工夫。副次的に至近距離での打撃にも用いられる。装飾を施しやすい位置であり、中世カトリック系の騎士が用いた剣には聖遺物を納めたものがしばしば見られる。ただし、大きすぎるポンメルは手首の動きを阻害する。
柄には拳を撃ち合いから守る役割をもつ部品を取り付けたものが多い。これには剣身と取っ手の間の鍔(つば)や、拳の甲を守るナックルガードがある。柄頭と同様、装飾が施しやすい部位である。ナックルガードは柄の片端から逆端へ、握ったときに手の甲を守るように配置される。緩やかにそった棒・板状のものや、幅が広く編み込まれたような形状をもつかご状のものがある。
長い柄は握りであると同時に、武器を延長する構成部品でもある。主に木製で樫や桜のように頑丈さと弾力を兼ね備えた木材が用いられる。柄頭が切り落とされるのを防ぐ目的で、しばしば鉄板などによって補強される。全金属製の長柄は重く扱いにくい上、温度変化が激しく手袋を着用しなければならないなどの理由で一般的ではなかったが、近現代になると軽量で一定の強度を持つステンレス鋼のような合金が登場したため、全金属製の長柄も広くみられるようになった。
長柄の先に接続される攻撃部位。穂先・槍頭、槌状の槌(鎚)頭、斧頭、鉤、ピック、月牙、鎌など、役割や地域、時代により多種多様な柄頭がある。それらを複合的に組み合わせた戟やハルバードのような複合型の柄頭の武器もある。
切断する鋭利な部位。刃の構造自体はくさびと同一で圧力を線に集中する。刃と言うと、金属製のものを連想しやすいが、鋭利さに差はあるにせよ他の材質でも刃を形成することは可能である。
単純に言えば厚みが薄く滑らかな刃の方が切れ味は高くなるが破損や彎曲を引き起こし易く、刃欠けや刃荒れも起きやすい。
さらに刺突を目的とした切っ先や穂先の刃がある。単純な貫通力で言えば必ずしも穂先に刃は必要ないのだが、穂先の刃は適度な重さと広い攻撃範囲をもたらし、深く刺さるにしたがって傷口を大きく広げる効果がある。
ちなみに、引き切る切断の仕組みは現代でも完全に解明されていない。引くことで刃がより鋭角となって切れるとする説と、摩擦力によって削り切るとする二つの説が有力となっている。
刀剣類の刃とそれを支える胴部の部品。刀剣は剣身の形状と刃の位置により分類される。一般的には胴部両側刃を備える両刃のものを剣と呼び、片刃あるいは刀身が彎曲したものを刀と呼ぶ。さらに刀のうち刀身がまっすぐのものは直刀、彎曲し反りのあるものを彎刀(曲刀)と区別している。片刃と言っても先端部分が両刃になっているものや、峰の中程まで両刃になった刀も多い。
片刃では彎曲の外側が刃となる外反りが主だが、内側が刃となる内反りは鉈やククリ、鎌形のハルパーなどがある。刃を持たない刀身では、刺突用の錐状の剣身(剣針)をもつエストックやスティレット、フェンシングで使用するフルーレが有名である。また日本の十手や中国の鞭のように刃がなく打撃を目的とした刀身を持つ武器もある(鉄刀・兜割り・朴刀・フェンシングソード)。他に刃がない武器としては、相手の剣等を折る為の鈎針のような突起で覆われた、ソードブレイカーのような特殊な武器も存在する。
刀剣類の刀身はおおむね一つだが、柄の両端に複数の刀身を持つ金剛杵、四方へ刃が付きだした複雑な形状を持つアフリカ地方の投げナイフがある。長柄の武器になると複数の刀身を備えるものは珍しくなく、多機能の柄頭をもつハルバード、十字に組み合わせた穂先を持つ十文字槍、穂先に加え左右に月牙を配置した方天戟などがある。
棍、分銅、穂先などを接合する縄状やリング状の部位。武器に回転の軸(支点)をもたらし、特徴的な柔軟な挙動を行う。そのため中国ではこれらの武器を軟兵器と呼んでいる。フレイルのように関節が一つのもの、多節鞭のように複数の関節を備えたもの、流星錘や羂索のように全体が縄の武器がある。関節が増えるにしたがって、全体のしなる動きが大きくなる。縄が命中した部分は新たな軸となり回転し絡みつく動きになる。
縄の先に武器を結わえた武器は、絡みつくだけでなく、武器部分を回転させて勢いを付け投射する機能をもち、また縄をたぐりよせることでその回収が可能である。これらには鎖鎌や剣鏢、流星錘などがある。これら軟兵器はその挙動ゆえに防御が難しいが、使用者にとっても操りにくく自らを傷つけることさえ起こる。
鉤(かぎ)、フック (hook) は彎曲した先端をもつ爪・棒状の部位。名称の通り対象を引っかけて、引き寄せたり、引き倒したりする機能をもつ。また鉤に対象を挟み込み拘束するのにも用いられた。近世以前の海上戦では、鉤縄や鉤状の長柄武器によって船を接舷させる道具兼武器として頻繁に使用された。この鉤を防御的な受けに使用する十手のような武器もあり、特に刀や細い剣の刀身ならばひねって折ることも可能である。直接的に殺傷する要素は薄いため、警備や捕り物武器では鉤の機能を取り入れたものが多く見られる。
暗器は護身や暗殺を目的とした隠密性の強い武器の総称である。隠し持つという性質上、倫理的な意味合いで是非に関する意見が分かれる。
隠密性を得るには、武器そのものを小型あるいは折り畳んで小さくするものと、擬態によるものがある。擬態では、仕込み刀のように他の道具に武器を仕込む場合と、鉄扇のように通常の道具を金属製にして強度を持たせたものがある。さらに考えを推し進め、通常の道具そのものを武器として使用する技の研究も行われた。中国武術ではこれら道具型暗器の套路が多く見られる。戦闘時の奇襲効果を狙い、武器にさらに武器を仕込んだものも暗器とされる場合がある。穂先を仕込んだ十手や、発射可能な刀身をもつスペツナズ・ナイフなどがある。戦闘専用の武器に比べると暗器自体の戦闘力は低いため、攻撃目的では毒を用いる場合が多い。
機械式の武器の攻撃機構にはいくつか共通する構造がある。引き金やボタンのようなエネルギーの解放装置と、エネルギーを蓄える装置である。以下に一例をあげる。
武器の発展に影響を与える戦術や技術の変遷等、歴史的背景については軍事史も併せて参照のこと。
武器の歴史は古く、人類の祖先が二足歩行をはじめた猿人時代から武器を使用していた。木、骨、石などを手に握り狩猟に用いたと考えられているが、それらは遺物として残りにくく、出土してもそれと明確に判別できないため推測の範囲にとどまっている。旧石器時代には、石斧、槍、握斧やナイフ、手斧、棍棒、中石器時代には弓矢が発明された。ヘビ毒やアルカロイド等の毒物を塗布しての利用も行われた。石、木やつたなどの自然物、動物の革や骨角やスジを用いて武器が作成され、加工や組み合わせの工夫もされたが、武器としては脆弱で耐久性に難があるため、投射するか、罠で捕まえた動物に対して使用される程度であったと考えられている。
金属精錬技術が伝わらなかった地域や、鉱石に恵まれなかった地域ではその後も自然物を使った武器が使われ続けた。代表的な地域としてオーストラリアや太平洋諸国、アメリカ大陸があげられる。
自然物の中でも、木は調達が簡単で安価かつ軽量と性質に長所が多いため、金属が発達しても広く使われ続けている。
新石器時代(紀元前8500年頃)に原始的な定住農業が始まると共に戦争の規模が拡大し、武器も対人用途を重視するようになっていった。
日本では、旧石器時代から狩猟用や生活用具としての石器がみられ、縄文時代には狩猟用や生活道具としての石器や弓矢が発明されている。とくに弥生時代中期になると畿内に突如として重さも重く、深く突き刺さりやすい形の石器(石鏃)が大量につくられた。石槍も発達した。この事情から弓矢が狩猟用から武器に変質したと考えられる。また、金属器では銅鏃・鉄鏃、銅剣・銅矛・銅戈(どうか)、鉄剣・鉄戈などがある。しかし、青銅製や鉄の武器は実用よりも祭祀用に使われることが多く、弓矢が武器の中心を占めていたのではないかと推測できる。
紀元前6000年 - 5000年ごろからメソポタミア文明で銅の冶金技術が発達するが、材質として柔らかすぎるため儀式用の短剣などを造るにとどまっていた。紀元前3500年頃にスズとの合金青銅が発見されると、銅に比べ十分な硬さをもち、研磨や鋳造・圧延等の加工が可能であったため、大型の金属製刃をもつ剣、刀、戦斧などが登場した。本格的な鉄器・鉄製武器の登場は、紀元前1500年頃にヒッタイト文明が精錬技術を得たのに発する。それまでも隕石に含まれる鉄(隕鉄)はあったものの、ごく少量の利用にとどまっていた。青銅と比べ含有鉱石が多く安価で大量に生産できたので、ヒッタイト文明が周囲諸国を滅ぼした大きな原動力となった。紀元前1200年頃にヒッタイト文明が滅亡すると、秘匿されていた製鉄技術は世界へ広がっていった。その後、鋼や刃を強化する数々の技術(焼入れ、焼き直しなど)が発見され、鉄製武器は武器の主役となった。
ただし、融点が低く自然発見がたやすかった銅は、生産性でこそ鉄に劣っていたものの、初期の鋳鉄と比べれば強度に差は認められなかった。春秋戦国時代に中国を統一した秦は、成熟した技術で造られた青銅製の武器を使用して、鉄製武器を使用する周辺国を打ち破っている。その剣の切れ味は鉄と同程度であったと伝えられている。また、青銅は戦場の主流から退いたものの、精錬の仕方により白銀色や黄金色の光沢を持つため、その後も儀式用や装飾性の強い武器に用いられた。地域によっては、青銅と鉄の伝播時期が重なり、青銅器時代が短期間で終わった文明や、青銅器時代そのものが存在しない地域もあった。
鉄の登場以降、戦術の変遷や流行、地域性にも左右されるが、防具の重装化とそれに対する武器の大型化が進んでいった。武器の技術的な伝播と発展に大きな影響を与えた国家の興亡では、前述のヒッタイト文明の製鉄技術、十字軍によるイスラーム諸国とカトリック諸国の戦争や、モンゴル帝国による東西の技術交流があげられる。
13世紀後半の中国で誕生した銃が、15世紀前半のアナトリアで改良され、武器のあり方を大きく変化させた。中国で使用されていた火器が、13世紀のモンゴル帝国の遠征と交易によって中東へと伝播して、アナトリアで銃が発展したと考えられている。
銃は従来の武器に比べ、格段に優れた点と欠点をもっていた。重装化された鎧を貫く高い破壊力を有した。一方、装弾の手間による射撃間隔の長さ、水気に弱いといった特徴がある。近接攻撃力と防御力および突破力に欠ける弱点があった。
火器の発展に伴い近接武器も大型の近接武器は姿を消し、軽い刀剣類が主流となる。銃の長所を伸ばし弱点を補う改良と運用の研究が行われ、軍隊の中心武器へと比重を高めていくことになる。初期では銃兵による射撃、射撃の間隙(かんげき)を突く騎兵、長槍を装備した槍兵による防御を組み合わせて運用されたが、銃剣の発明により銃兵が白兵戦に対応可能となったため槍兵は姿を消した。17世紀に片手で操作できる本格的な小型拳銃(ピストル)が誕生すると、馬上射撃用として普及し抜剣突撃戦術と併せて騎兵の有用性を高めた。
その後も、弾薬自体を複数備えるリボルバーや連装化、装填する弾薬と火薬を梱包する薬莢と実包の登場。弾道を安定させるライフリング、先込めに比べ装填が楽な後装式など、次々に改良が行われた。
15世紀末に始まるヨーロッパ人による植民地経営にも携行され、殺害や戦闘に用いられた。特に金属製の剣や銃は金属技術を持たない文明を圧倒し、文明の滅亡と大規模な殺戮を生んだ。
第二次大戦後、共産主義陣営(東側)と資本主義陣営(西側)の対立(冷戦)が生じた。これにより武器の技術や規格は大まかに東側(共産主義)と西側(資本主義)に分かれることとなった。この東西両陣営と、さらに異なったイデオロギーをもつイスラム国家は、植民地の民族独立運動や第三世界の国家運営に介入し、武器の供与などを行ったため、紛争を拡大させ慢性的な紛争地域やゲリラやテロを生む土壌を作った。
大戦後に活発化した民族独立運動では、第二次世界大戦により現地に残されていた武器や兵器、対立勢力から供与された武器が闘争に使用された。
第二次世界大戦中に発明された武器の研究が進み、アサルトライフルは歩兵の標準装備として各国で採用された。同大戦中期 - 末期に開発されたロケット・ミサイル技術が著しい発展をみせ、個人携行できる軽量火砲もまた改良された。対空、対地、対戦車など各種のランチャーは、第四次中東戦争においては多数の戦車を撃破した。これらは個人装備としては割高だが、兵器に対してはコスト面で圧倒的に有利なため、戦車不要論や戦車の重装甲化の大きな要因となった。弾薬は、9x19mmパラベラム弾やNATO弾のように陣営毎に共通化が押し進められたが、輸出・供与先の状況によっては相手側陣営の弾薬を使用できるモデルも作成された。素材の研究が進み、鉄に変わる新たなる材質としてアルミニウム合金やステンレス鋼のような合金やポリカーボネート、カーボンなども利用されるようになった。
アサルトライフルの口径では7.5mm前後の大口径と5.5mm前後の小口径があり、有用性について意見が分かれていたが、ベトナム戦争においてアメリカが使用した大口径銃は、取り回しが悪く面制圧能力の低さを露呈した。代わりに用いた小口径銃は取り回しのよさ、面制圧能力に加え、大口径のアドバンテージと見られていた殺傷力でもそれほどの差をみせなかったため、小口径が主流となっていった。
狙撃銃は、工作技術の上昇により自動装填でもかなりの精度を持たせることができるようになった。そのため、精度ではやや劣るものの、連射力を併せ持たせた小銃からの改造銃や自動装填方式をとる狙撃銃も登場した。ただし精密な製造ゆえに高価なことや、やはり精密さで劣ることもあり、ボルトアクション式と並列して運用されている。
戦場以外では組織的犯行による、ハイジャック事件や凶悪事件への対応などから、警察や特殊部隊、諜報機関が使用する武器の需要が高まった。閉所での扱いに優れる短機関銃や、小型の拳銃が開発され、携行性の良さから、戦車兵や航空兵が持つ補助武器としても運用されている。
警察用の標準拳銃では弾詰まりに強く信頼性の高いリボルバーが採用されていたが、自動拳銃の信頼性が増したため装弾数の多い自動拳銃へ切り替えた国が多い。
先進国では人道意識の高まりもあり、「非人道的兵器」、つまり大量破壊や、無差別攻撃を行うもの、戦後復興を著しく阻害する武器等に制限が課せられるケースが増えた。そのため、対象を絞りピンポイントで破壊・無力化する「より人道的な武器」へ進化する流れも生まれた。特に対人地雷は、無計画な使用で民間人に被害を与えることから、無線送信による所在確認や、タイマーによる動作停止が組み込まれた安全に留意したものが登場している。
古代から戦国時代まで日本へと伝播した技術の多くが中国からの伝播であり、武器のテクノロジーもまた同じである。中国から直接伝播するルートと、朝鮮半島を経由する場合が存在した。特に沖縄は19世紀まで日本本土とは別の国として存在していた経緯もあり、中国系に近い独自の武器を発展させている。
約3万4千年前に中国から石器が伝わり、1万2千年前頃の縄文時代から磨製石器や骨格器、弓が使用されるようになる。
弥生時代前期から中期(紀元前300 - 紀元後500年頃)にかけ、大陸から九州北部へ青銅器と鉄器がほぼ同時に伝えられた。実際は金属製品が輸入されているに過ぎず、原料や製作器具も輸入に頼っていた。青銅は冶金技術の伝来と発達で国産が可能になったが鉄器の国産は遅れた。4世紀後半のヤマト王権による朝鮮半島南部への進出は「武器」の面から見れば、鉄器を生産する技術と資源を求めてのことである。
この時代の武器は、青銅製の矛、剣(直刀も含む)、戈(か)や弓類および盾である。ただし、戈は日本には存在しない戦車戦用の武器で、使用された痕跡も見つかっていないため儀式用のものであった可能性が指摘されている。
5世紀、古墳時代中期ごろから出雲地方や九州地方で製鉄が始められた。製法は日本独自のたたら吹きとたたら製鉄により砂鉄や餅鉄から鋼を生産し、鍛造によって製造された。鉄は融点が高いため高温の炉を必要とする鉄の鋳造技術はあまり発達しなかった。武器は鉄器へと移行し、青銅器は光沢のある金属特性を生かし祭器としての利用が主となる。
平安時代には日本独自の武器の発展が見られ、剣が廃れて中国伝来の刀も直刀から反りをもった刀への変化が始まっている。盾はその機能が鎧へと組み込まれた。
この時期、武士が成立する。戦闘時は小作人を戦時の兵力(郎党)としたため、兵農は分離していない。寺や寺院は権益を守るために武装し、流通業者も自衛のために武装を行っていた。勿論彼らだけが武装していたわけではなく、実際はさまざまな階層のものが武器を所持している。
鎌倉幕府は武家政権であったため、武器の製作はより活発化した。戦闘形式は一騎討ちなどが主であったため、個人の武威を示す豪壮雄大な大型武器と騎射が発展した。南北朝の頃になると足軽が誕生。集団戦が行われるようになり槍が広く用いられるようになった。
室町時代を経て戦国時代へ入ると、動員能力の増加から集団戦がより大規模になり、それに合わせて槍も長いものへと変化した。刀は刃を下にして持ち運ぶ馬上で抜きやすい太刀から、刃を上にして持ち運ぶ徒歩で抜きやすい打刀へと変化がはじまっている。
1543年に種子島へ火縄銃が伝わると2年後には国産化に成功し、種子島の他、堺や国友、根来、日野など日本各地で鍛冶の技術を応用して量産された。戦国時代後期から安土桃山時代にかけて、火薬を使用した焙烙火矢や火砲が発達した。
戦国時代末期から流行の兆しを見せていた剣術が全国的に流行する。戦場で用いる介者剣術ではなく、平時の平服に対する戦闘を想定し、特に刀や刀に対する武器の操法が工夫された。稽古には木刀・木剣や袋竹刀が用いられ、江戸中期に竹刀が考案され使用された。薙刀は室内で使用可能な高威力の武器として見直され、女子の武芸としての専門流派も登場した。
平穏な時代が長く続いたため装飾性の強い刀が作られるようになるが、これには退廃的だとの批判も起きた。十手に代表されるような治安目的の捕物武器が発達したのも平穏な時代ならではである。一方、火器は徳川幕府の銃火器類に対する禁制政策により技術は停滞あるいは後退した。民間には依然として武器が蓄えられていたが、百姓一揆に鉄砲や弓が持ち出されることはあまりなかった。それら強力すぎる武器の使用に関して暗黙の了解や禁忌があったと考えられている。また使用にも制限があり、場合によっては刑に処されることさえあった。江戸時代にはその他、新井白石『本朝軍器考』、鎌田魚妙『本朝鍛冶考』など、日本武器史の研究書も複数作られた。
19世紀半ば幕末に、幕府の政治力の欠如と、外国船の来航が増え国内に混乱が生じたため武器の国内需要が増したことにより、実戦的な日本刀が再び作られるようになった。開国し倒幕運動が起き、日本が内戦状態に突入する。海外からの派兵や直接介入は行われなかったが、絶好の市場と見なされ、様々な武器や兵器が持ち込まれた。特に1865年にアメリカ南北戦争の終結により、だぶついた重火器の多くが日本へ輸出された。日本が輸入した銃は多岐にわたり、ゲベール銃、ミニエー銃、スナイドル銃、エンフィールド銃などがあり、総数ははっきりとはしていないが、戊辰戦争終了後の時点で日本国内に50万丁の洋銃があったとする説がある。
明治時代に入り、日本政府はスナイドル銃を正式装備とした。高価ではあるが、ミニエー銃の改造によって作成できるため、数を揃えやすかったことが主な理由とされている。火砲の国産化は早かったものの小銃の国産化は遅れ1880年の村田銃が初となる。ボルトアクション式ライフルで他国の最新鋭小銃に匹敵する性能を備え、日清戦争に使用された。日露戦争には三十年式歩兵銃が使用され、戦後には三八式歩兵銃が開発されたが、実際には更新が進まず旧来の銃と新型が混在して使用された。拳銃はさらに開発が遅れたが、1894年に二十六年式拳銃が国産拳銃として誕生し、1924年に十四年式拳銃が採用された。
また後に刀はその地位を著しく下げたが、翌年に発生した西南戦争などでの活動により再評価がおき、剣術が推奨されるようになった。また戦争でも軍刀を装備とし日露戦争では戦果も上げた。准士官等の軍刀は服制令による軍装品扱いで自弁調達の必要があったため、装備する軍刀は各個人で異なり、旧来の日本刀の多くが軍刀として使用された。なお明治維新前後から、外来の刀に対し従来の日本製の刀を日本刀と呼称するようになった。西洋列強に比べ銃の設計面では同等ではあったが、鋳造や加工技術のような生産力と製造面では劣っていた。また主な原料である鉄が乏しく、輸入に依存していた。
大陸への進出を行っていた日本は1937年には日中戦争、1941年の太平洋戦争(第二次世界大戦)へと突入する。世界的に見て万全の体勢で第二次世界大戦に突入した国はないが、その中でも特に日本の武器は立ち後れていた。九九式短小銃や九九式軽機関銃への完全更新が間に合わず、三八式歩兵銃や九六式軽機関銃が主流のままであった。日本は基礎工業力の低さから生産能力が慢性的に劣っていたため、各種弾薬生産数が低く、また補給そのものも乏しかったため、特に東南アジアでの作戦では弾薬不足が頻発した。各主力機関銃(九二式重機関銃・九六式軽機関銃・九九式軽機関銃)は優秀なものであったが機関銃ゆえに弾薬不足に悩まされ、一〇〇式機関短銃は弾薬の大量消費が懸念され大規模配備はならなかった。自動小銃の開発は古くから行われていたが、こちらも弾薬の消費と生産能力の限界から実戦配備は見送られた。
日本は第二次世界大戦で敗戦し、GHQが進駐した。占領政策の一環として銃砲等所持禁止令が施行され、武器の徹底した取り締まりが行われると「赤羽刀」とも通称される100万もの刀剣が押収された。これにより平安時代からの武器所持量が大きく減少した。1958年にはさらに銃刀法が施行されている。
日本の軍隊は無条件降伏により解体されていたが、朝鮮戦争が勃発すると1950年に自衛隊の前身となる警察予備隊が設けられ再武装した。それに先んじる1948年には警察も組織されている。
1960年、70年代の大学闘争や安保闘争が起きると、新左翼党派の参加者は角材(ゲバルト棒)や投石、火炎瓶、ヘルメットにより武装し機動隊や警察と衝突した。またこれにより特に火炎瓶に対する法律が制定された。
警察と自衛隊の装備は国内調達を基本とし、外国製の武器も製造技術の保持を目的としライセンス生産を行っている。欧米人に比べ体格が劣るため、全体的に小型軽量で装薬を減らした弱装弾を用いる傾向がある。自衛隊は初期では米軍から供与された武器を使用していたが順次国産のものに更新された。主な製造元としては、ミネベアミツミ、豊和工業、住友重機械工業、三菱重工業などがある。
日本は武器の輸入は行っているものの武器の輸出は行っていない。これは1967年および1976年に示された武器輸出三原則と呼ばれる規制方針で、「基本的に戦争や紛争に用いられる武器および武器製造技術、武器への転用可能な物品の輸出を行わない」としている。ただし1983年に例外として米軍向けの武器技術供与を緩和を付け加えた。
依然として現代は武器の所持があまり多く見られることはない。ただし銃の国内所持数が、かなりの数に及ぶ可能性が指摘されている。まず暴力団やそれと繋がりのある非合法組織やマフィアによって銃が密輸されていることがあげられる。特にトカレフやマカロフの流入が多く、発砲事件に用いられ、また警察に押収されている。現在は中国ルートよりロシアから北海道を経由するルートが主流になっていると考えられている。
猟銃の所持数の多さについての指摘がある。2007年(平成19年)度版警察白書によると2006年(平成18年)度に許可を得た猟銃の所持数は約30万丁であり、無許可の所持も存在するため実際の総数は判明していない。
遊戯銃、特に高性能化したエアガンも問題となった。特に2005年に暴行・傷害事件、走行中の車の窓ガラスへの発射事件が頻発したことなどから、銃刀法が改正され、基準以上の威力をもつエアガンを準空気銃と分類し所持を禁止している。
実際のところ、実銃を使用する銃器使用犯罪の件数は緩やかな減少傾向にある。ただし2006年は空気銃猟銃事件は前年の16件から33件へと倍増している。
迷惑防止条例や軽犯罪法では正当な理由がなく刃物や武器の類を所持していた者に刑事罰を規定している条項があり、判断基準があいまいなため、通常では武器と認識されない刃渡りの短いツールナイフやカッターにも適用される場合がある。別件逮捕の手段としても用いられるためこれを非難する意見がある。
武器輸出三原則により、兵器の輸出は基本的に行われていないが、技術の進歩によって民生品でも軍用に耐えうる電子機器が珍しくなくなったため、輸出したエレクトロニクス製品や民生品が軍事用として転用される事例が起きている。また、猟銃や弾薬は武器輸出三原則に抵触しないため、積極的に製造と輸出が行われている。戦争用のスイスのジュネーブ高等国際問題研究所が発表した2004年版の「小型武器概観」によると、2001年度の日本の輸出規模は6000万ドル(世界第9位)である。2012年度の調査でも、日本はアメリカ合衆国、ロシア、ドイツと並んでトップ12カ国に名を連ねている。
自衛隊や警察の武器・兵器は国産方針を堅持しているが、輸出入を行わず少数生産なこともあり調達価格が極めて高い。例えばアメリカ軍が使用するM16A2は約7万円。世界的に量産されているAK-47では約3万円である。これに対し、日本の89式小銃は36万円である。実情としては武器・兵器の調達はその価格のため更新が進んでいない。世界的に見ても、高機能・高価格化していく軍需産業を一国で維持、発展させることは困難な状況となっている。この流れに沿って、2014年4月1日、第2次安倍内閣は武器輸出三原則を改定して防衛装備移転三原則を新たに策定した。これまでの兵器の全面的な禁輸から、厳格な審査を前提にした武器の国際共同開発、輸出入が可能となったため、従来の武器の国産重視政策を転換して、国際共同開発を推進することとなった。
2013年11月13日、日本船籍の船に、小銃などで武装した民間人の乗船を認める日本船舶警備特別措置法が成立した。アデン湾などの海賊多発海域に限るが、日本において、民間人の防衛目的での銃武装を認める初めての法律である。
2014年5月9日、日本は武器貿易条約を批准した。
子供の遊びの中で武器に形状や機能を模した玩具を武器と呼び利用する場合がある。雪合戦の雪球やチャンバラの刀、輪ゴム、水鉄砲などが例として挙げられる。また祭りやパーティの余興、舞台の小道具として、一般物が武器に模して使われることがある。パイ投げのパイ、トマト祭りのトマト、コントのハリセンなどの使用が見られる。
ただし、いずれの場合でも用法によっては凶器となる場合があるため、使用には注意を必要とする。
スポーツには武器を操る能力を計測する競技や、武器を用いて直接戦闘を行う対人競技もある。スポーツ本来の意義には肉体鍛錬や戦闘訓練といった要素もあるため、武器の使用や戦闘を行うスポーツは特別なものではない。
記録を競うものは、武器の能力や特性をいかすため、実戦さながらの威力をもったものが多い。これらの競技ではクレー射撃やライフル射撃、やり投、流鏑馬などがある。元は力比べから発展した砲丸投やハンマー投も武器投擲競技の一種と言える。武器の操法を競うものでは武術の演武がある。これら演武用の武器は房(ふさ)や動きを良く見せる効果をもたせたものが多い。新体操のクラブ(棍棒)も操法を見せる競技の一種である。
直接戦闘を行う競技では、かつて練習用の武器として使用されていたような威力を弱めた武器を使用して競技を行う。直接的に戦闘を行うため危険性が高く、厳密なルールを制定し防具を着用して闘うものがほとんどである。剣道の竹刀やフェンシングのフルーレ、スポーツチャンバラのエアーソフト剣がある。特殊なものでは牛と戦闘するスペインの闘牛がある。またロデオには馬にロープをかけて捕縛する種目がある。
スポーツ狩猟は欧米発祥のものが有名だが、日本でも鷹狩や巻狩が軍事演習を兼ねて行われた。近年は動物愛護運動の高まりや鉛弾汚染からスポーツ狩猟は厳しい規制がされる傾向にある。
武器は単なる道具としての能力以外に、何らかの象徴や祭器としての役割を持つ場合がある。それら儀礼的な武器の中には装飾が施されたり儀礼性が高められた結果、実用性を失ったものも多い。
まず武器の本質が暴力装置であり死をもたらす道具であるため、武器のもつ意味合いも基本的には暴力的で不吉である。不吉であるがゆえに畏敬の念をもって扱われ、武器の製作にあたり神に祈りを捧げる習慣は珍しくない。そのような武器の使用には能力と責任が伴うと考え、これが特権的な要素と結びつくこともある。
伝統的武器では純粋な戦闘用として作られた武器ほど「武威を示す」意味合いが強くなり、逆に構造が単純であったり道具的なものは野蛮として忌避する傾向がある。
まず武器の性質そのものである「武力」や暴力を指し示す場合である。海賊旗の中でもドクロの下に交差する曲刀などはこの類と言える。国旗や国章の意匠として用いられる場合はさらに複雑な意味合いをもち、グアテマラの国旗には中央で十字になっているライフルが描かれ、「グアテマラを守るためには戦争をも辞さない意志」を表す。モザンビークの国旗に描かれたライフル銃(AK-47)は、「独立への苦闘」を表している。他にもアフガニスタンやガンビア、フィンランドなど剣や銃を意匠の一部とする国は多い。
次に武器が権力の象徴となる例である。古代では権力の裏付けとなる基礎価値が、暴力あるいは神秘性に求められ、また、テクノロジーの結晶であり希少価値・財産的価値の高い武器が所持品となるからでもある。これら権力には王権と神権がありそれぞれに分離する場合があり、前者では西洋の武器が、後者では聖職者のもつ職杖が特に知られている。日本の天叢雲剣(草薙の剣)は三種の神器の中では天皇の持つ武力の象徴とされている。
武器が社会的地位の象徴となることも多い。武器を扱うに足る責任と能力を得た「成人」の証として武器が贈られる習慣は世界中で見ることができる。明治時代では武器の没収に関連して反乱が起きたこともあった。古代中国では指揮官を任ずるにあたり軍権の象徴として黄金のまさかりをあたえる習慣があった。
武器が民族の象徴として扱われることがある。フランク人が用いたフランキスカ、サクソン人のスクラマサクスなどのように、民族の名を冠した武器がある。 民族が用いたから武器にその名が付いたのか、逆に武器から民族名が付いたのかは意見が分かれているが、武器が民族の象徴となっていることに変わりはない。歴史的経緯から特定の武器に愛着や誇りを持つ民族も多い。
武器の威力や金属の輝きは武器に神秘性を与え呪術的な要素となった。死を与えるものが武器であり、いけにえや供物をさばくのには聖別された儀式用の短剣や斧が用いられる。刃をもった武器は扱い方を誤ると自らを傷つけるため禍々しい性格を備えているが、凶事をもって凶事を制する考え方や、「断つ」という性質から、魔や悪影響を断つ魔よけとして守り刀のようにも用いられる。他にも魔よけや縁起物としての武器は破魔矢、梓弓などと数多い。
斧は武器の中でも特に呪術的要素が多く、雷斧信仰は世界中で見ることができる。雷と斧の関連については、落雷の後で雨によって土壌が洗い流され石器斧が見つかることがあり、これを天から降った雷神の持ち物と考えていたとする説(天狗の鉞)や、雷が木を断つことから、同種に木を断つ斧も雷と関連づけたとする説などがある。雷は激しい雨を伴うことが多いため、農耕民族にとり豊穣をもたらす存在であった。そして斧もまた豊穣を示す祭器として儀式に用いられた。一方、供犠用の祭器としても斧はポピュラーである。 例えば「義」という漢字は羊を斧で解体する様子を示し、これに牛を加え「犠」となると家畜の生け贄を指し示す漢字となる。また、罪人の首を切り死を与えるのも斧の役目である。
武器は神話や英雄譚に欠かせない道具として物語に色を添える存在である。また実際の武器が誤解や歴史的偶然によって伝説を生む場合がある。現在も戦闘を主軸とする漫画や小説に欠かせないアイテムとして様々な武器が生み出されている。
武器の種類は多彩で、区分の仕方により様々な分類が可能である。主な区分としてサイズ・形状・用途によって分類される。
以下ではそれら武器の分類法の一部をとりあげる。
細長く扁平で、少なくとも片側が刃になっているもの。基部には握りがあり、主としてこれを握って扱う。握りが長いものは下記の竿状武器に含める。
材質は少なくとも刃の部分は金属製で、刃の部分は切れ味がよく、普段は危険なので鞘に収められることが多い。形状は様々であるが、片刃と両刃がある。握りと刃との間に段差をつける例が多く、つばという。これは握る手が刃のところに行くのを避けるもので、同時に敵の武器を受ける際には自分の手を守る役割も果たす。
使い方としては刃のある側でこするか叩くかして切る方法と、先端で突く方法がある。
起源:ナイフ
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"text": "広義では、戦争や軍隊で用いる兵器や武装、さらには人員・物資までも含めて「武器」とよぶ場合や、人間や動物がもつ社会競争で有効な長所や生き残りの手段を「武器」と比喩表現することまで含める場合もある(例:「逃げ足の速さが武器」「豊富な知識が武器」「コネクションの広さが武器」、など)。",
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"text": "武器は殺傷、損傷、捕縛、破壊、無力化、を元来の目的として攻撃能力を有する道具で、これらを背景に警告、威嚇、抑止力にも用いられる。主な用途は戦闘だが、それらを模して行われるスポーツ競技や演劇用の模造品・玩具がある。",
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"text": "人が手にして攻撃に用いれば様々な道具や物体が武器となる。握りやすくある程度の重みがあり武器としての使用に適するため、「柄のあるもの」、つまりは斧や銛(もり)、鎌(かま)、鎚(つち)のような農・工具、狩猟道具類は武器としての使用や転用がたやすく、それらから本格的な武器へと発展するものもあった。ダーク(短剣の一種)のように、非常時での武器としての使用を意図した道具もあり、武器と道具の関係は深い。",
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"text": "英語では「weapon ウェポン」「arms アームズ」と呼び、中国語では武器の他「兵器」(へいき)「器械」(きかい)と呼んでいる。それぞれの指す意味は日本語の狭義の「武器」と同一ではない。",
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"text": "武器の強弱はしばしば話題になるが、状況の変化によって長所が短所となりえるため「全てにおいて優れる」武器は存在しない。例えば槍の長所である「長さ」は、閉所には持ち込みすらできない、持ち込めたとしても十分には振り回せずに「短所」となる。破壊力の高い銃も弾薬の補給が滞れば本来の能力を発揮できず、またこのような銃は近距離では使えないものも多い。また複合武器の欠点は、複雑なため使いこなすには長期間の訓練が必要なこと、多目的武器は、どの用途に使っても専門の武器には及ばないことが上げられる。",
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"text": "そういった武器の構成要素として長さ・射程、重量、威力、速度・連射力、操作性などが問題となり、さらに軍での運用視点から見ると、操作に必要な熟練度、調達コスト、生産性、信頼度、耐久性、携帯性といった要素も問われる。隠密性を求める特殊な武器も存在する。それら長所や短所は、他の武器や兵科との組み合わせ、操法や戦術の工夫によってある程度補われる。",
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"text": "武器はその能力以外に民族や権力の象徴のような特別な意味を持つ場合がある。儀礼に用いる武器のほか、職権を示す職杖や魔よけなどがある。高度な製造技術を利用した武器は多く、財産的価値を持つものも多い。また装飾とは別に武器が持つ一種の機能美に美術的価値が見出される。",
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"text": "武器に限らず、道具が効果を発揮するにはエネルギーが必要である。まず一つは動作を行うエネルギー源であり、もう一つが攻撃対象に作用するエネルギーである。武器の多くが対象へ物体を衝突させる運動エネルギーによる攻撃方法をとる。",
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"text": "人間の力をエネルギー源とする武器は、使用のたびにエネルギーを失う(疲労する)。これに対し、化学エネルギーをエネルギー源とした武器は、基本的に人力よりも大きなエネルギーを得ることができ、弾薬やバッテリーの交換によりエネルギーの回復が容易である。",
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"text": "前述の通り多くの武器が運動エネルギーによる攻撃、つまり物体を運動させ対象へと衝突させる攻撃を行う。 運動エネルギーは質量に比例し、速度(角速度)の2乗に比例する。 運動エネルギーを保持した武器は対象へと食い込み、構造を物理的に破壊する。 棍棒などの打撃武器は衝撃を対象内部へと浸透させて構造を破壊する仕組みをもつ。 鉄や青銅のような、硬く靱性(粘り)があり強度の高い材質は変形しにくく堅牢なため武器に向く。 硬さはあるが粘りがない材質(石やガラス)は武器に成形しても自壊してエネルギーを逃がしてしまうため、武器には不向きといえる。ただし投射武器としては優秀な物となることがある。即席の打撃武器としても通用しやすく、また鋭利な刃物としても使うこともできるが、長くは維持できない(使用するたび切断力が落ちる)ため、あまり実用性はない。",
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"text": "これらの武器では、運動エネルギーを小さな断面積に集中させ、より大きな効果を得る構造をもつ。 メイスの出縁や槍の穂先は点に、刀剣は線に集中させる構造といえる。",
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"text": "伝統的武器のほとんどは人間の力をエネルギー源として武器を運動させる。多くは体やひじ・手を軸とした回転運動で、てこの働きにより大きな力となる。長い武器は回転半径が長くなるため効果もまた大きなものとなる。棍棒や剣を「振るう」動作はこの回転運動を利用する攻撃方法といえる。",
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"text": "これに対し、槍などの「突く」動作は「振るう」動作に比べると回転が小さく、動作から生まれるエネルギーは小さい。しかし、使用者もしくは攻撃対象の直線運動を効率よく加えることが可能となっている。 騎兵の槍での突撃と、騎兵に対する槍での防御を思い浮かべるとわかりやすい。また突く動作は動作が小さく「点」での攻撃のため防御されにくいという利点もある。また一点に力が集中するため、エネルギー自体は小さくてもあまり問題はない。",
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"text": "これら伝統的な武器は、単純に言えば、重く硬く長い武器を高速で運動させれば強力な攻撃を行える。ただし、大型の武器はモーメントが大きくなるため扱い辛く、充分に広い場所が必要になり疲労もまた大きい。また安定した足場が必要になるものも多い。またこのような武器(射撃武器などにもいえる)はできる限り構造は単純に構成するほうが強力になりやすく、利点も多い(機械構造を持つナイフでボタン一つで三叉になるものがあったが実用性、信頼性ともに悪かった)。",
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"text": "また、伝統的な武器はその見た目から、その痛みを想像しやすいものが多く、相手に恐怖を与えることが射出武器などよりも容易であり、心理戦においてこれは絶大な効果を持つ。",
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"text": "他にも色々な武術がある。代表的なものとして、柔術、水術(古式水泳)、砲術、組討術など。",
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"text": "投射する武器では、射出あるいは投擲した後のコントロールはできない。そのため精神的なものを除けば、構えや射出方法がその技術の大半を占めている。特に銃は射出方法も機械式であるため武術的な修練は成立しがたいと考えられている。銃を使用する武術としてはCQBやCQCで用いられる現代軍隊の近接戦闘術が近い。ただしCQCが行われる至近距離では銃器はむしろ使用されない。また銃を用いる銃剣術は銃と銃剣を用いた格闘術なので発砲をその技術に含んでいない。",
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"text": "熱エネルギーを燃焼する武器は人力以外では古い歴史を持つ代表的存在である。可燃物を延焼させる火の性質を利用するものと、燃焼によって生じるエネルギーを利用するものがある。",
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"text": "特殊なものでは、燃焼によって発生する光や煙を利用するものがある。発煙弾や閃光弾・曳光弾はそれらにより、視界を遮ったり逆に目印とすることを目的としている。原始的な化学兵器も燃焼によって発生する有毒ガスや煙を利用したものであった。",
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"text": "古代でも動物を兵器として利用する方法が模索されていた。もっともポピュラーなのは、土器のツボに毒サソリや毒ヘビなどを詰め投石機(カタパルト)で跳ばすというもので、特に密集している部隊や、軍船や要塞などの密閉した空間に対し絶大な混乱作用が期待できた。中世には病気で死んだ動物を投石機で城内まで跳ばし、病原菌を充満させ敵兵士に感染させ戦力を低下させるのに使っていた。",
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"text": "特殊な方法としては、確実性に欠けるが市街地を襲撃する際に、町から飛んできた鳥を重点的に捕まえて足に小さめの松明をくくり付けて放し巣に帰った所で巣に引火して、都合良く行けば家屋に火事(小火かできれば大火事)を狙い目標の混乱を誘い、突撃時の足がかりにする方法や、牛を野戦の陣地等に対し、前線突破の際、前列に布陣して強襲に使うなどがある。",
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"text": "電気エネルギーは機械的な制御や発火装置などにも用いられるがここでは割愛する。電気エネルギーの大きな特徴の一つは、他のエネルギーとの交換が容易な点で、化学エネルギーとして電池などに蓄えられ、スイッチにより電気エネルギーが取り出され、さらに他のエネルギーへと変換される。 実際にレーザーなどの動力源として広く使用されている。エネルギー供給も容易でバッテリーや電池、発電機によって供給が可能である。",
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"text": "電気の性質を利用する武器ではスタンガンがある。対象に電極を当て高電圧かつ微弱な電流を送り込み、痛みとともに筋肉の痙攣を引き起こす。その形状は様々で携帯電話のような直方体型、ペンライト型、警棒型、電極を発射する銃型(テイザー)などがある。",
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"text": "電気エネルギーによって弾体を発射する銃や、電気エネルギー自体を発射する銃の発想は多く、理論までも確立されたものが殆どだが、技術的問題により実用化に至っているのは遊戯用の電動ガン程度である。",
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"text": "光や電磁波を投射する光線武器はSFではおなじみの武器である。現時点では光線を制御する技術が不十分で、強力な光線を発生させるエネルギーの供給が難しいため、実用的な武器としての利用は少なく大型兵器での実用化が模索されている程度である。光は直進する性質を利用した低出力のものが、競技用ビームライフルや遊戯用の光線銃や、銃の照準としてレーザーポインターに利用されている。",
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"text": "目潰しを目的とした最も強力なものに、目潰し用レーザー (Blinding Laser Weapon) がある。目の網膜を損傷させ回復不可能なダメージを与える恐れがある「非人道的武器」として、またテロリストにうってつけの武器といえるため、実用化以前の研究段階ながらジュネーブ協定によって使用が禁止されている。",
"title": "武器のエネルギー"
},
{
"paragraph_id": 28,
"tag": "p",
"text": "目をくらませる目的では他に閃光手榴弾(しゅりゅうだん)などもある。",
"title": "武器のエネルギー"
},
{
"paragraph_id": 29,
"tag": "p",
"text": "また光線というよりも光そのものを武器とし、鏡による反射を利用した目潰しやかく乱、大鏡による着火を利用した兵器などは比較的古い時代から少数ながら存在する。",
"title": "武器のエネルギー"
},
{
"paragraph_id": 30,
"tag": "p",
"text": "毒やある種の化学物質は少量で人体に機能異常を引き起こす。生体へ効果を与えるメカニズムはそれぞれに異なり様々である。効果は嘔吐や、昏睡・麻痺程度から、炎症、腐食、死と幅広く、効果の発現時間や持続時間もまた様々である。ちなみに毒も化学物質の一種であるため、化学兵器と毒を区別する明確な基準はない。",
"title": "武器のエネルギー"
},
{
"paragraph_id": 31,
"tag": "p",
"text": "主に毒はとげや刃に塗布し傷口から体内へ注入される。先史時代から矢毒として狩猟に使用されており、軍隊の矢じりや暗器に塗布され効果を発揮した。アルカロイド系毒物のトリカブトやキニーネ、クラーレが有名である。糞尿は傷口を化膿させる目的で毒として使用されることがある。",
"title": "武器のエネルギー"
},
{
"paragraph_id": 32,
"tag": "p",
"text": "化学兵器は、効果が大規模で広範囲にわたるものや、科学的に成分を抽出したり合成したものである。史上最古の化学兵器は、紀元前429年に使用された石炭や硫黄を燃やし発生させた亜硫酸ガスとされている。従来の毒と異なり吸引や皮膚から体内へ侵入し効果を発揮し、ゴムを浸食する性質をもつものさえ存在する。必ずしもガス(気体)とは限らず、液体や固体を散布・飛散させて用いる化学兵器も存在する。",
"title": "武器のエネルギー"
},
{
"paragraph_id": 33,
"tag": "p",
"text": "致死性はごく低いものの催涙弾、催涙スプレーなども化学兵器の一種といえる。",
"title": "武器のエネルギー"
},
{
"paragraph_id": 34,
"tag": "p",
"text": "鉛には酵素の動きを阻害する作用があり、時として鉛中毒を引き起こす毒物として作用する。狩猟に使用した散弾による土壌汚染と、弾を飲み込んだ動物が死亡する事例が発生している。またそれらが食物連鎖によりヒトに蓄積される可能性があるため規制が議論されている。",
"title": "武器のエネルギー"
},
{
"paragraph_id": 35,
"tag": "p",
"text": "ガス(気体)を圧縮し圧力で弾を発射する空気銃は遊戯・競技用、狩猟用が主だが、実戦で使用されたものもわずかに存在する。また、圧搾空気による迫撃砲も第一次世界大戦で使用された例がある。水を発射する水鉄砲は遊戯用として一般的な玩具である。",
"title": "武器のエネルギー"
},
{
"paragraph_id": 36,
"tag": "p",
"text": "弾性エネルギーを用いた武器では 弓やパチンコ、銀玉鉄砲などがある。弾性体にエネルギーを蓄積(弓を引く、ばねを縮める)して矢や弾を発射する。",
"title": "武器のエネルギー"
},
{
"paragraph_id": 37,
"tag": "p",
"text": "原子力エネルギーを用いた武器には携帯型核弾頭からMIRVまで幅広く存在する。主に冷戦中に多く作られたが、2つの爆弾を除いて実戦での使用は無い。",
"title": "武器のエネルギー"
},
{
"paragraph_id": 38,
"tag": "p",
"text": "以下では代表的な構造を述べるが武器の種類や形態は幅広いため、ここに記すものとは異なる武器もまた多い。",
"title": "武器の構造"
},
{
"paragraph_id": 39,
"tag": "p",
"text": "なお、銃と弓矢、およびそれらが使用する弾丸などの発射体については、それぞれの項目に詳しいので参照のこと。",
"title": "武器の構造"
},
{
"paragraph_id": 40,
"tag": "p",
"text": "大抵の武器では攻撃部位を「前」と見立てている。槍で言えば穂先が「前」、石突きが「後」となる。刀剣類はこの逆で帯刀した際に前に位置する柄の端、あるいは剣身を下にして上にくる柄端を「前」としている。しかしこれにも例外があり、中世以降の日本の刀では刀身の方向を「前」、逆端を「後」とする見方もあり両者が混在している。日本刀や包丁などでは柄の接合部を柄首、逆端を柄尻と呼ぶと同時に柄尻部の金具を柄頭と呼んでいる。",
"title": "武器の構造"
},
{
"paragraph_id": 41,
"tag": "p",
"text": "武器を持ちやすくするために握る棒状の部分。機能と長さにより2種類に分かれる。",
"title": "武器の構造"
},
{
"paragraph_id": 42,
"tag": "p",
"text": "両者の区別は厳密なものではなく、長巻のように長い握りを備える中間的なものや、長柄の後端に握りを備える武器もある。",
"title": "武器の構造"
},
{
"paragraph_id": 43,
"tag": "p",
"text": "刃や棒を持ちやすくするため取り付けられる短い取っ手には棒状の他、緩やかに反ったものやリング型のものもある。剣身との間に鍔をそなえる場合が多い。保持に必要な短い全長しかもたないが、手で握る位置にぶれが少ないため、握りやすい加工が施され保持力を高めている。凹凸や太さを変える形状の工夫と、刻み模様や糸や革を巻くことで摩擦を高め滑りにくくする方法が一般的である。柄と刀身を一体成型する方が頑丈ではあるのだが、金属材料の節約や軽量化、製造の工程数や手間の軽減を理由として別個に製作される場合が多い。",
"title": "武器の構造"
},
{
"paragraph_id": 44,
"tag": "p",
"text": "柄の剣身に対して逆の端を柄頭、ポンメル (Pommel) と呼ぶ(後述する長柄武器の柄頭とは別種である)。剣類の多くが大型のポンメルをもち、武器がすっぽ抜けるのを防ぎ、剣身に対するカウンターウェイトの役割をもつ、これによって重心が手の内に収まることにより重くても扱いやすくなる工夫。副次的に至近距離での打撃にも用いられる。装飾を施しやすい位置であり、中世カトリック系の騎士が用いた剣には聖遺物を納めたものがしばしば見られる。ただし、大きすぎるポンメルは手首の動きを阻害する。",
"title": "武器の構造"
},
{
"paragraph_id": 45,
"tag": "p",
"text": "柄には拳を撃ち合いから守る役割をもつ部品を取り付けたものが多い。これには剣身と取っ手の間の鍔(つば)や、拳の甲を守るナックルガードがある。柄頭と同様、装飾が施しやすい部位である。ナックルガードは柄の片端から逆端へ、握ったときに手の甲を守るように配置される。緩やかにそった棒・板状のものや、幅が広く編み込まれたような形状をもつかご状のものがある。",
"title": "武器の構造"
},
{
"paragraph_id": 46,
"tag": "p",
"text": "長い柄は握りであると同時に、武器を延長する構成部品でもある。主に木製で樫や桜のように頑丈さと弾力を兼ね備えた木材が用いられる。柄頭が切り落とされるのを防ぐ目的で、しばしば鉄板などによって補強される。全金属製の長柄は重く扱いにくい上、温度変化が激しく手袋を着用しなければならないなどの理由で一般的ではなかったが、近現代になると軽量で一定の強度を持つステンレス鋼のような合金が登場したため、全金属製の長柄も広くみられるようになった。",
"title": "武器の構造"
},
{
"paragraph_id": 47,
"tag": "p",
"text": "長柄の先に接続される攻撃部位。穂先・槍頭、槌状の槌(鎚)頭、斧頭、鉤、ピック、月牙、鎌など、役割や地域、時代により多種多様な柄頭がある。それらを複合的に組み合わせた戟やハルバードのような複合型の柄頭の武器もある。",
"title": "武器の構造"
},
{
"paragraph_id": 48,
"tag": "p",
"text": "切断する鋭利な部位。刃の構造自体はくさびと同一で圧力を線に集中する。刃と言うと、金属製のものを連想しやすいが、鋭利さに差はあるにせよ他の材質でも刃を形成することは可能である。",
"title": "武器の構造"
},
{
"paragraph_id": 49,
"tag": "p",
"text": "単純に言えば厚みが薄く滑らかな刃の方が切れ味は高くなるが破損や彎曲を引き起こし易く、刃欠けや刃荒れも起きやすい。",
"title": "武器の構造"
},
{
"paragraph_id": 50,
"tag": "p",
"text": "さらに刺突を目的とした切っ先や穂先の刃がある。単純な貫通力で言えば必ずしも穂先に刃は必要ないのだが、穂先の刃は適度な重さと広い攻撃範囲をもたらし、深く刺さるにしたがって傷口を大きく広げる効果がある。",
"title": "武器の構造"
},
{
"paragraph_id": 51,
"tag": "p",
"text": "ちなみに、引き切る切断の仕組みは現代でも完全に解明されていない。引くことで刃がより鋭角となって切れるとする説と、摩擦力によって削り切るとする二つの説が有力となっている。",
"title": "武器の構造"
},
{
"paragraph_id": 52,
"tag": "p",
"text": "刀剣類の刃とそれを支える胴部の部品。刀剣は剣身の形状と刃の位置により分類される。一般的には胴部両側刃を備える両刃のものを剣と呼び、片刃あるいは刀身が彎曲したものを刀と呼ぶ。さらに刀のうち刀身がまっすぐのものは直刀、彎曲し反りのあるものを彎刀(曲刀)と区別している。片刃と言っても先端部分が両刃になっているものや、峰の中程まで両刃になった刀も多い。",
"title": "武器の構造"
},
{
"paragraph_id": 53,
"tag": "p",
"text": "片刃では彎曲の外側が刃となる外反りが主だが、内側が刃となる内反りは鉈やククリ、鎌形のハルパーなどがある。刃を持たない刀身では、刺突用の錐状の剣身(剣針)をもつエストックやスティレット、フェンシングで使用するフルーレが有名である。また日本の十手や中国の鞭のように刃がなく打撃を目的とした刀身を持つ武器もある(鉄刀・兜割り・朴刀・フェンシングソード)。他に刃がない武器としては、相手の剣等を折る為の鈎針のような突起で覆われた、ソードブレイカーのような特殊な武器も存在する。",
"title": "武器の構造"
},
{
"paragraph_id": 54,
"tag": "p",
"text": "刀剣類の刀身はおおむね一つだが、柄の両端に複数の刀身を持つ金剛杵、四方へ刃が付きだした複雑な形状を持つアフリカ地方の投げナイフがある。長柄の武器になると複数の刀身を備えるものは珍しくなく、多機能の柄頭をもつハルバード、十字に組み合わせた穂先を持つ十文字槍、穂先に加え左右に月牙を配置した方天戟などがある。",
"title": "武器の構造"
},
{
"paragraph_id": 55,
"tag": "p",
"text": "棍、分銅、穂先などを接合する縄状やリング状の部位。武器に回転の軸(支点)をもたらし、特徴的な柔軟な挙動を行う。そのため中国ではこれらの武器を軟兵器と呼んでいる。フレイルのように関節が一つのもの、多節鞭のように複数の関節を備えたもの、流星錘や羂索のように全体が縄の武器がある。関節が増えるにしたがって、全体のしなる動きが大きくなる。縄が命中した部分は新たな軸となり回転し絡みつく動きになる。",
"title": "武器の構造"
},
{
"paragraph_id": 56,
"tag": "p",
"text": "縄の先に武器を結わえた武器は、絡みつくだけでなく、武器部分を回転させて勢いを付け投射する機能をもち、また縄をたぐりよせることでその回収が可能である。これらには鎖鎌や剣鏢、流星錘などがある。これら軟兵器はその挙動ゆえに防御が難しいが、使用者にとっても操りにくく自らを傷つけることさえ起こる。",
"title": "武器の構造"
},
{
"paragraph_id": 57,
"tag": "p",
"text": "鉤(かぎ)、フック (hook) は彎曲した先端をもつ爪・棒状の部位。名称の通り対象を引っかけて、引き寄せたり、引き倒したりする機能をもつ。また鉤に対象を挟み込み拘束するのにも用いられた。近世以前の海上戦では、鉤縄や鉤状の長柄武器によって船を接舷させる道具兼武器として頻繁に使用された。この鉤を防御的な受けに使用する十手のような武器もあり、特に刀や細い剣の刀身ならばひねって折ることも可能である。直接的に殺傷する要素は薄いため、警備や捕り物武器では鉤の機能を取り入れたものが多く見られる。",
"title": "武器の構造"
},
{
"paragraph_id": 58,
"tag": "p",
"text": "暗器は護身や暗殺を目的とした隠密性の強い武器の総称である。隠し持つという性質上、倫理的な意味合いで是非に関する意見が分かれる。",
"title": "武器の構造"
},
{
"paragraph_id": 59,
"tag": "p",
"text": "隠密性を得るには、武器そのものを小型あるいは折り畳んで小さくするものと、擬態によるものがある。擬態では、仕込み刀のように他の道具に武器を仕込む場合と、鉄扇のように通常の道具を金属製にして強度を持たせたものがある。さらに考えを推し進め、通常の道具そのものを武器として使用する技の研究も行われた。中国武術ではこれら道具型暗器の套路が多く見られる。戦闘時の奇襲効果を狙い、武器にさらに武器を仕込んだものも暗器とされる場合がある。穂先を仕込んだ十手や、発射可能な刀身をもつスペツナズ・ナイフなどがある。戦闘専用の武器に比べると暗器自体の戦闘力は低いため、攻撃目的では毒を用いる場合が多い。",
"title": "武器の構造"
},
{
"paragraph_id": 60,
"tag": "p",
"text": "機械式の武器の攻撃機構にはいくつか共通する構造がある。引き金やボタンのようなエネルギーの解放装置と、エネルギーを蓄える装置である。以下に一例をあげる。",
"title": "武器の構造"
},
{
"paragraph_id": 61,
"tag": "p",
"text": "武器の発展に影響を与える戦術や技術の変遷等、歴史的背景については軍事史も併せて参照のこと。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 62,
"tag": "p",
"text": "武器の歴史は古く、人類の祖先が二足歩行をはじめた猿人時代から武器を使用していた。木、骨、石などを手に握り狩猟に用いたと考えられているが、それらは遺物として残りにくく、出土してもそれと明確に判別できないため推測の範囲にとどまっている。旧石器時代には、石斧、槍、握斧やナイフ、手斧、棍棒、中石器時代には弓矢が発明された。ヘビ毒やアルカロイド等の毒物を塗布しての利用も行われた。石、木やつたなどの自然物、動物の革や骨角やスジを用いて武器が作成され、加工や組み合わせの工夫もされたが、武器としては脆弱で耐久性に難があるため、投射するか、罠で捕まえた動物に対して使用される程度であったと考えられている。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 63,
"tag": "p",
"text": "金属精錬技術が伝わらなかった地域や、鉱石に恵まれなかった地域ではその後も自然物を使った武器が使われ続けた。代表的な地域としてオーストラリアや太平洋諸国、アメリカ大陸があげられる。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 64,
"tag": "p",
"text": "自然物の中でも、木は調達が簡単で安価かつ軽量と性質に長所が多いため、金属が発達しても広く使われ続けている。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 65,
"tag": "p",
"text": "新石器時代(紀元前8500年頃)に原始的な定住農業が始まると共に戦争の規模が拡大し、武器も対人用途を重視するようになっていった。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 66,
"tag": "p",
"text": "日本では、旧石器時代から狩猟用や生活用具としての石器がみられ、縄文時代には狩猟用や生活道具としての石器や弓矢が発明されている。とくに弥生時代中期になると畿内に突如として重さも重く、深く突き刺さりやすい形の石器(石鏃)が大量につくられた。石槍も発達した。この事情から弓矢が狩猟用から武器に変質したと考えられる。また、金属器では銅鏃・鉄鏃、銅剣・銅矛・銅戈(どうか)、鉄剣・鉄戈などがある。しかし、青銅製や鉄の武器は実用よりも祭祀用に使われることが多く、弓矢が武器の中心を占めていたのではないかと推測できる。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 67,
"tag": "p",
"text": "紀元前6000年 - 5000年ごろからメソポタミア文明で銅の冶金技術が発達するが、材質として柔らかすぎるため儀式用の短剣などを造るにとどまっていた。紀元前3500年頃にスズとの合金青銅が発見されると、銅に比べ十分な硬さをもち、研磨や鋳造・圧延等の加工が可能であったため、大型の金属製刃をもつ剣、刀、戦斧などが登場した。本格的な鉄器・鉄製武器の登場は、紀元前1500年頃にヒッタイト文明が精錬技術を得たのに発する。それまでも隕石に含まれる鉄(隕鉄)はあったものの、ごく少量の利用にとどまっていた。青銅と比べ含有鉱石が多く安価で大量に生産できたので、ヒッタイト文明が周囲諸国を滅ぼした大きな原動力となった。紀元前1200年頃にヒッタイト文明が滅亡すると、秘匿されていた製鉄技術は世界へ広がっていった。その後、鋼や刃を強化する数々の技術(焼入れ、焼き直しなど)が発見され、鉄製武器は武器の主役となった。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 68,
"tag": "p",
"text": "ただし、融点が低く自然発見がたやすかった銅は、生産性でこそ鉄に劣っていたものの、初期の鋳鉄と比べれば強度に差は認められなかった。春秋戦国時代に中国を統一した秦は、成熟した技術で造られた青銅製の武器を使用して、鉄製武器を使用する周辺国を打ち破っている。その剣の切れ味は鉄と同程度であったと伝えられている。また、青銅は戦場の主流から退いたものの、精錬の仕方により白銀色や黄金色の光沢を持つため、その後も儀式用や装飾性の強い武器に用いられた。地域によっては、青銅と鉄の伝播時期が重なり、青銅器時代が短期間で終わった文明や、青銅器時代そのものが存在しない地域もあった。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 69,
"tag": "p",
"text": "鉄の登場以降、戦術の変遷や流行、地域性にも左右されるが、防具の重装化とそれに対する武器の大型化が進んでいった。武器の技術的な伝播と発展に大きな影響を与えた国家の興亡では、前述のヒッタイト文明の製鉄技術、十字軍によるイスラーム諸国とカトリック諸国の戦争や、モンゴル帝国による東西の技術交流があげられる。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 70,
"tag": "p",
"text": "13世紀後半の中国で誕生した銃が、15世紀前半のアナトリアで改良され、武器のあり方を大きく変化させた。中国で使用されていた火器が、13世紀のモンゴル帝国の遠征と交易によって中東へと伝播して、アナトリアで銃が発展したと考えられている。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 71,
"tag": "p",
"text": "銃は従来の武器に比べ、格段に優れた点と欠点をもっていた。重装化された鎧を貫く高い破壊力を有した。一方、装弾の手間による射撃間隔の長さ、水気に弱いといった特徴がある。近接攻撃力と防御力および突破力に欠ける弱点があった。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 72,
"tag": "p",
"text": "火器の発展に伴い近接武器も大型の近接武器は姿を消し、軽い刀剣類が主流となる。銃の長所を伸ばし弱点を補う改良と運用の研究が行われ、軍隊の中心武器へと比重を高めていくことになる。初期では銃兵による射撃、射撃の間隙(かんげき)を突く騎兵、長槍を装備した槍兵による防御を組み合わせて運用されたが、銃剣の発明により銃兵が白兵戦に対応可能となったため槍兵は姿を消した。17世紀に片手で操作できる本格的な小型拳銃(ピストル)が誕生すると、馬上射撃用として普及し抜剣突撃戦術と併せて騎兵の有用性を高めた。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 73,
"tag": "p",
"text": "その後も、弾薬自体を複数備えるリボルバーや連装化、装填する弾薬と火薬を梱包する薬莢と実包の登場。弾道を安定させるライフリング、先込めに比べ装填が楽な後装式など、次々に改良が行われた。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 74,
"tag": "p",
"text": "15世紀末に始まるヨーロッパ人による植民地経営にも携行され、殺害や戦闘に用いられた。特に金属製の剣や銃は金属技術を持たない文明を圧倒し、文明の滅亡と大規模な殺戮を生んだ。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 75,
"tag": "p",
"text": "第二次大戦後、共産主義陣営(東側)と資本主義陣営(西側)の対立(冷戦)が生じた。これにより武器の技術や規格は大まかに東側(共産主義)と西側(資本主義)に分かれることとなった。この東西両陣営と、さらに異なったイデオロギーをもつイスラム国家は、植民地の民族独立運動や第三世界の国家運営に介入し、武器の供与などを行ったため、紛争を拡大させ慢性的な紛争地域やゲリラやテロを生む土壌を作った。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 76,
"tag": "p",
"text": "大戦後に活発化した民族独立運動では、第二次世界大戦により現地に残されていた武器や兵器、対立勢力から供与された武器が闘争に使用された。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 77,
"tag": "p",
"text": "第二次世界大戦中に発明された武器の研究が進み、アサルトライフルは歩兵の標準装備として各国で採用された。同大戦中期 - 末期に開発されたロケット・ミサイル技術が著しい発展をみせ、個人携行できる軽量火砲もまた改良された。対空、対地、対戦車など各種のランチャーは、第四次中東戦争においては多数の戦車を撃破した。これらは個人装備としては割高だが、兵器に対してはコスト面で圧倒的に有利なため、戦車不要論や戦車の重装甲化の大きな要因となった。弾薬は、9x19mmパラベラム弾やNATO弾のように陣営毎に共通化が押し進められたが、輸出・供与先の状況によっては相手側陣営の弾薬を使用できるモデルも作成された。素材の研究が進み、鉄に変わる新たなる材質としてアルミニウム合金やステンレス鋼のような合金やポリカーボネート、カーボンなども利用されるようになった。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 78,
"tag": "p",
"text": "アサルトライフルの口径では7.5mm前後の大口径と5.5mm前後の小口径があり、有用性について意見が分かれていたが、ベトナム戦争においてアメリカが使用した大口径銃は、取り回しが悪く面制圧能力の低さを露呈した。代わりに用いた小口径銃は取り回しのよさ、面制圧能力に加え、大口径のアドバンテージと見られていた殺傷力でもそれほどの差をみせなかったため、小口径が主流となっていった。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 79,
"tag": "p",
"text": "狙撃銃は、工作技術の上昇により自動装填でもかなりの精度を持たせることができるようになった。そのため、精度ではやや劣るものの、連射力を併せ持たせた小銃からの改造銃や自動装填方式をとる狙撃銃も登場した。ただし精密な製造ゆえに高価なことや、やはり精密さで劣ることもあり、ボルトアクション式と並列して運用されている。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 80,
"tag": "p",
"text": "戦場以外では組織的犯行による、ハイジャック事件や凶悪事件への対応などから、警察や特殊部隊、諜報機関が使用する武器の需要が高まった。閉所での扱いに優れる短機関銃や、小型の拳銃が開発され、携行性の良さから、戦車兵や航空兵が持つ補助武器としても運用されている。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 81,
"tag": "p",
"text": "警察用の標準拳銃では弾詰まりに強く信頼性の高いリボルバーが採用されていたが、自動拳銃の信頼性が増したため装弾数の多い自動拳銃へ切り替えた国が多い。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 82,
"tag": "p",
"text": "先進国では人道意識の高まりもあり、「非人道的兵器」、つまり大量破壊や、無差別攻撃を行うもの、戦後復興を著しく阻害する武器等に制限が課せられるケースが増えた。そのため、対象を絞りピンポイントで破壊・無力化する「より人道的な武器」へ進化する流れも生まれた。特に対人地雷は、無計画な使用で民間人に被害を与えることから、無線送信による所在確認や、タイマーによる動作停止が組み込まれた安全に留意したものが登場している。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 83,
"tag": "p",
"text": "古代から戦国時代まで日本へと伝播した技術の多くが中国からの伝播であり、武器のテクノロジーもまた同じである。中国から直接伝播するルートと、朝鮮半島を経由する場合が存在した。特に沖縄は19世紀まで日本本土とは別の国として存在していた経緯もあり、中国系に近い独自の武器を発展させている。",
"title": "日本の武器の歴史"
},
{
"paragraph_id": 84,
"tag": "p",
"text": "約3万4千年前に中国から石器が伝わり、1万2千年前頃の縄文時代から磨製石器や骨格器、弓が使用されるようになる。",
"title": "日本の武器の歴史"
},
{
"paragraph_id": 85,
"tag": "p",
"text": "弥生時代前期から中期(紀元前300 - 紀元後500年頃)にかけ、大陸から九州北部へ青銅器と鉄器がほぼ同時に伝えられた。実際は金属製品が輸入されているに過ぎず、原料や製作器具も輸入に頼っていた。青銅は冶金技術の伝来と発達で国産が可能になったが鉄器の国産は遅れた。4世紀後半のヤマト王権による朝鮮半島南部への進出は「武器」の面から見れば、鉄器を生産する技術と資源を求めてのことである。",
"title": "日本の武器の歴史"
},
{
"paragraph_id": 86,
"tag": "p",
"text": "この時代の武器は、青銅製の矛、剣(直刀も含む)、戈(か)や弓類および盾である。ただし、戈は日本には存在しない戦車戦用の武器で、使用された痕跡も見つかっていないため儀式用のものであった可能性が指摘されている。",
"title": "日本の武器の歴史"
},
{
"paragraph_id": 87,
"tag": "p",
"text": "5世紀、古墳時代中期ごろから出雲地方や九州地方で製鉄が始められた。製法は日本独自のたたら吹きとたたら製鉄により砂鉄や餅鉄から鋼を生産し、鍛造によって製造された。鉄は融点が高いため高温の炉を必要とする鉄の鋳造技術はあまり発達しなかった。武器は鉄器へと移行し、青銅器は光沢のある金属特性を生かし祭器としての利用が主となる。",
"title": "日本の武器の歴史"
},
{
"paragraph_id": 88,
"tag": "p",
"text": "平安時代には日本独自の武器の発展が見られ、剣が廃れて中国伝来の刀も直刀から反りをもった刀への変化が始まっている。盾はその機能が鎧へと組み込まれた。",
"title": "日本の武器の歴史"
},
{
"paragraph_id": 89,
"tag": "p",
"text": "この時期、武士が成立する。戦闘時は小作人を戦時の兵力(郎党)としたため、兵農は分離していない。寺や寺院は権益を守るために武装し、流通業者も自衛のために武装を行っていた。勿論彼らだけが武装していたわけではなく、実際はさまざまな階層のものが武器を所持している。",
"title": "日本の武器の歴史"
},
{
"paragraph_id": 90,
"tag": "p",
"text": "鎌倉幕府は武家政権であったため、武器の製作はより活発化した。戦闘形式は一騎討ちなどが主であったため、個人の武威を示す豪壮雄大な大型武器と騎射が発展した。南北朝の頃になると足軽が誕生。集団戦が行われるようになり槍が広く用いられるようになった。",
"title": "日本の武器の歴史"
},
{
"paragraph_id": 91,
"tag": "p",
"text": "室町時代を経て戦国時代へ入ると、動員能力の増加から集団戦がより大規模になり、それに合わせて槍も長いものへと変化した。刀は刃を下にして持ち運ぶ馬上で抜きやすい太刀から、刃を上にして持ち運ぶ徒歩で抜きやすい打刀へと変化がはじまっている。",
"title": "日本の武器の歴史"
},
{
"paragraph_id": 92,
"tag": "p",
"text": "1543年に種子島へ火縄銃が伝わると2年後には国産化に成功し、種子島の他、堺や国友、根来、日野など日本各地で鍛冶の技術を応用して量産された。戦国時代後期から安土桃山時代にかけて、火薬を使用した焙烙火矢や火砲が発達した。",
"title": "日本の武器の歴史"
},
{
"paragraph_id": 93,
"tag": "p",
"text": "戦国時代末期から流行の兆しを見せていた剣術が全国的に流行する。戦場で用いる介者剣術ではなく、平時の平服に対する戦闘を想定し、特に刀や刀に対する武器の操法が工夫された。稽古には木刀・木剣や袋竹刀が用いられ、江戸中期に竹刀が考案され使用された。薙刀は室内で使用可能な高威力の武器として見直され、女子の武芸としての専門流派も登場した。",
"title": "日本の武器の歴史"
},
{
"paragraph_id": 94,
"tag": "p",
"text": "平穏な時代が長く続いたため装飾性の強い刀が作られるようになるが、これには退廃的だとの批判も起きた。十手に代表されるような治安目的の捕物武器が発達したのも平穏な時代ならではである。一方、火器は徳川幕府の銃火器類に対する禁制政策により技術は停滞あるいは後退した。民間には依然として武器が蓄えられていたが、百姓一揆に鉄砲や弓が持ち出されることはあまりなかった。それら強力すぎる武器の使用に関して暗黙の了解や禁忌があったと考えられている。また使用にも制限があり、場合によっては刑に処されることさえあった。江戸時代にはその他、新井白石『本朝軍器考』、鎌田魚妙『本朝鍛冶考』など、日本武器史の研究書も複数作られた。",
"title": "日本の武器の歴史"
},
{
"paragraph_id": 95,
"tag": "p",
"text": "19世紀半ば幕末に、幕府の政治力の欠如と、外国船の来航が増え国内に混乱が生じたため武器の国内需要が増したことにより、実戦的な日本刀が再び作られるようになった。開国し倒幕運動が起き、日本が内戦状態に突入する。海外からの派兵や直接介入は行われなかったが、絶好の市場と見なされ、様々な武器や兵器が持ち込まれた。特に1865年にアメリカ南北戦争の終結により、だぶついた重火器の多くが日本へ輸出された。日本が輸入した銃は多岐にわたり、ゲベール銃、ミニエー銃、スナイドル銃、エンフィールド銃などがあり、総数ははっきりとはしていないが、戊辰戦争終了後の時点で日本国内に50万丁の洋銃があったとする説がある。",
"title": "日本の武器の歴史"
},
{
"paragraph_id": 96,
"tag": "p",
"text": "明治時代に入り、日本政府はスナイドル銃を正式装備とした。高価ではあるが、ミニエー銃の改造によって作成できるため、数を揃えやすかったことが主な理由とされている。火砲の国産化は早かったものの小銃の国産化は遅れ1880年の村田銃が初となる。ボルトアクション式ライフルで他国の最新鋭小銃に匹敵する性能を備え、日清戦争に使用された。日露戦争には三十年式歩兵銃が使用され、戦後には三八式歩兵銃が開発されたが、実際には更新が進まず旧来の銃と新型が混在して使用された。拳銃はさらに開発が遅れたが、1894年に二十六年式拳銃が国産拳銃として誕生し、1924年に十四年式拳銃が採用された。",
"title": "日本の武器の歴史"
},
{
"paragraph_id": 97,
"tag": "p",
"text": "また後に刀はその地位を著しく下げたが、翌年に発生した西南戦争などでの活動により再評価がおき、剣術が推奨されるようになった。また戦争でも軍刀を装備とし日露戦争では戦果も上げた。准士官等の軍刀は服制令による軍装品扱いで自弁調達の必要があったため、装備する軍刀は各個人で異なり、旧来の日本刀の多くが軍刀として使用された。なお明治維新前後から、外来の刀に対し従来の日本製の刀を日本刀と呼称するようになった。西洋列強に比べ銃の設計面では同等ではあったが、鋳造や加工技術のような生産力と製造面では劣っていた。また主な原料である鉄が乏しく、輸入に依存していた。",
"title": "日本の武器の歴史"
},
{
"paragraph_id": 98,
"tag": "p",
"text": "大陸への進出を行っていた日本は1937年には日中戦争、1941年の太平洋戦争(第二次世界大戦)へと突入する。世界的に見て万全の体勢で第二次世界大戦に突入した国はないが、その中でも特に日本の武器は立ち後れていた。九九式短小銃や九九式軽機関銃への完全更新が間に合わず、三八式歩兵銃や九六式軽機関銃が主流のままであった。日本は基礎工業力の低さから生産能力が慢性的に劣っていたため、各種弾薬生産数が低く、また補給そのものも乏しかったため、特に東南アジアでの作戦では弾薬不足が頻発した。各主力機関銃(九二式重機関銃・九六式軽機関銃・九九式軽機関銃)は優秀なものであったが機関銃ゆえに弾薬不足に悩まされ、一〇〇式機関短銃は弾薬の大量消費が懸念され大規模配備はならなかった。自動小銃の開発は古くから行われていたが、こちらも弾薬の消費と生産能力の限界から実戦配備は見送られた。",
"title": "日本の武器の歴史"
},
{
"paragraph_id": 99,
"tag": "p",
"text": "日本は第二次世界大戦で敗戦し、GHQが進駐した。占領政策の一環として銃砲等所持禁止令が施行され、武器の徹底した取り締まりが行われると「赤羽刀」とも通称される100万もの刀剣が押収された。これにより平安時代からの武器所持量が大きく減少した。1958年にはさらに銃刀法が施行されている。",
"title": "日本の武器の歴史"
},
{
"paragraph_id": 100,
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"text": "日本の軍隊は無条件降伏により解体されていたが、朝鮮戦争が勃発すると1950年に自衛隊の前身となる警察予備隊が設けられ再武装した。それに先んじる1948年には警察も組織されている。",
"title": "日本の武器の歴史"
},
{
"paragraph_id": 101,
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"text": "1960年、70年代の大学闘争や安保闘争が起きると、新左翼党派の参加者は角材(ゲバルト棒)や投石、火炎瓶、ヘルメットにより武装し機動隊や警察と衝突した。またこれにより特に火炎瓶に対する法律が制定された。",
"title": "日本の武器の歴史"
},
{
"paragraph_id": 102,
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"text": "警察と自衛隊の装備は国内調達を基本とし、外国製の武器も製造技術の保持を目的としライセンス生産を行っている。欧米人に比べ体格が劣るため、全体的に小型軽量で装薬を減らした弱装弾を用いる傾向がある。自衛隊は初期では米軍から供与された武器を使用していたが順次国産のものに更新された。主な製造元としては、ミネベアミツミ、豊和工業、住友重機械工業、三菱重工業などがある。",
"title": "日本の武器の歴史"
},
{
"paragraph_id": 103,
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"text": "日本は武器の輸入は行っているものの武器の輸出は行っていない。これは1967年および1976年に示された武器輸出三原則と呼ばれる規制方針で、「基本的に戦争や紛争に用いられる武器および武器製造技術、武器への転用可能な物品の輸出を行わない」としている。ただし1983年に例外として米軍向けの武器技術供与を緩和を付け加えた。",
"title": "日本の武器の歴史"
},
{
"paragraph_id": 104,
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"text": "依然として現代は武器の所持があまり多く見られることはない。ただし銃の国内所持数が、かなりの数に及ぶ可能性が指摘されている。まず暴力団やそれと繋がりのある非合法組織やマフィアによって銃が密輸されていることがあげられる。特にトカレフやマカロフの流入が多く、発砲事件に用いられ、また警察に押収されている。現在は中国ルートよりロシアから北海道を経由するルートが主流になっていると考えられている。",
"title": "日本の武器の歴史"
},
{
"paragraph_id": 105,
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"text": "猟銃の所持数の多さについての指摘がある。2007年(平成19年)度版警察白書によると2006年(平成18年)度に許可を得た猟銃の所持数は約30万丁であり、無許可の所持も存在するため実際の総数は判明していない。",
"title": "日本の武器の歴史"
},
{
"paragraph_id": 106,
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"text": "遊戯銃、特に高性能化したエアガンも問題となった。特に2005年に暴行・傷害事件、走行中の車の窓ガラスへの発射事件が頻発したことなどから、銃刀法が改正され、基準以上の威力をもつエアガンを準空気銃と分類し所持を禁止している。",
"title": "日本の武器の歴史"
},
{
"paragraph_id": 107,
"tag": "p",
"text": "実際のところ、実銃を使用する銃器使用犯罪の件数は緩やかな減少傾向にある。ただし2006年は空気銃猟銃事件は前年の16件から33件へと倍増している。",
"title": "日本の武器の歴史"
},
{
"paragraph_id": 108,
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"text": "迷惑防止条例や軽犯罪法では正当な理由がなく刃物や武器の類を所持していた者に刑事罰を規定している条項があり、判断基準があいまいなため、通常では武器と認識されない刃渡りの短いツールナイフやカッターにも適用される場合がある。別件逮捕の手段としても用いられるためこれを非難する意見がある。",
"title": "日本の武器の歴史"
},
{
"paragraph_id": 109,
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"text": "武器輸出三原則により、兵器の輸出は基本的に行われていないが、技術の進歩によって民生品でも軍用に耐えうる電子機器が珍しくなくなったため、輸出したエレクトロニクス製品や民生品が軍事用として転用される事例が起きている。また、猟銃や弾薬は武器輸出三原則に抵触しないため、積極的に製造と輸出が行われている。戦争用のスイスのジュネーブ高等国際問題研究所が発表した2004年版の「小型武器概観」によると、2001年度の日本の輸出規模は6000万ドル(世界第9位)である。2012年度の調査でも、日本はアメリカ合衆国、ロシア、ドイツと並んでトップ12カ国に名を連ねている。",
"title": "日本の武器の歴史"
},
{
"paragraph_id": 110,
"tag": "p",
"text": "自衛隊や警察の武器・兵器は国産方針を堅持しているが、輸出入を行わず少数生産なこともあり調達価格が極めて高い。例えばアメリカ軍が使用するM16A2は約7万円。世界的に量産されているAK-47では約3万円である。これに対し、日本の89式小銃は36万円である。実情としては武器・兵器の調達はその価格のため更新が進んでいない。世界的に見ても、高機能・高価格化していく軍需産業を一国で維持、発展させることは困難な状況となっている。この流れに沿って、2014年4月1日、第2次安倍内閣は武器輸出三原則を改定して防衛装備移転三原則を新たに策定した。これまでの兵器の全面的な禁輸から、厳格な審査を前提にした武器の国際共同開発、輸出入が可能となったため、従来の武器の国産重視政策を転換して、国際共同開発を推進することとなった。",
"title": "日本の武器の歴史"
},
{
"paragraph_id": 111,
"tag": "p",
"text": "2013年11月13日、日本船籍の船に、小銃などで武装した民間人の乗船を認める日本船舶警備特別措置法が成立した。アデン湾などの海賊多発海域に限るが、日本において、民間人の防衛目的での銃武装を認める初めての法律である。",
"title": "日本の武器の歴史"
},
{
"paragraph_id": 112,
"tag": "p",
"text": "2014年5月9日、日本は武器貿易条約を批准した。",
"title": "日本の武器の歴史"
},
{
"paragraph_id": 113,
"tag": "p",
"text": "子供の遊びの中で武器に形状や機能を模した玩具を武器と呼び利用する場合がある。雪合戦の雪球やチャンバラの刀、輪ゴム、水鉄砲などが例として挙げられる。また祭りやパーティの余興、舞台の小道具として、一般物が武器に模して使われることがある。パイ投げのパイ、トマト祭りのトマト、コントのハリセンなどの使用が見られる。",
"title": "玩具としての武器"
},
{
"paragraph_id": 114,
"tag": "p",
"text": "ただし、いずれの場合でも用法によっては凶器となる場合があるため、使用には注意を必要とする。",
"title": "玩具としての武器"
},
{
"paragraph_id": 115,
"tag": "p",
"text": "スポーツには武器を操る能力を計測する競技や、武器を用いて直接戦闘を行う対人競技もある。スポーツ本来の意義には肉体鍛錬や戦闘訓練といった要素もあるため、武器の使用や戦闘を行うスポーツは特別なものではない。",
"title": "スポーツに用いられる武器"
},
{
"paragraph_id": 116,
"tag": "p",
"text": "記録を競うものは、武器の能力や特性をいかすため、実戦さながらの威力をもったものが多い。これらの競技ではクレー射撃やライフル射撃、やり投、流鏑馬などがある。元は力比べから発展した砲丸投やハンマー投も武器投擲競技の一種と言える。武器の操法を競うものでは武術の演武がある。これら演武用の武器は房(ふさ)や動きを良く見せる効果をもたせたものが多い。新体操のクラブ(棍棒)も操法を見せる競技の一種である。",
"title": "スポーツに用いられる武器"
},
{
"paragraph_id": 117,
"tag": "p",
"text": "直接戦闘を行う競技では、かつて練習用の武器として使用されていたような威力を弱めた武器を使用して競技を行う。直接的に戦闘を行うため危険性が高く、厳密なルールを制定し防具を着用して闘うものがほとんどである。剣道の竹刀やフェンシングのフルーレ、スポーツチャンバラのエアーソフト剣がある。特殊なものでは牛と戦闘するスペインの闘牛がある。またロデオには馬にロープをかけて捕縛する種目がある。",
"title": "スポーツに用いられる武器"
},
{
"paragraph_id": 118,
"tag": "p",
"text": "スポーツ狩猟は欧米発祥のものが有名だが、日本でも鷹狩や巻狩が軍事演習を兼ねて行われた。近年は動物愛護運動の高まりや鉛弾汚染からスポーツ狩猟は厳しい規制がされる傾向にある。",
"title": "スポーツに用いられる武器"
},
{
"paragraph_id": 119,
"tag": "p",
"text": "武器は単なる道具としての能力以外に、何らかの象徴や祭器としての役割を持つ場合がある。それら儀礼的な武器の中には装飾が施されたり儀礼性が高められた結果、実用性を失ったものも多い。",
"title": "象徴・祭器としての武器"
},
{
"paragraph_id": 120,
"tag": "p",
"text": "まず武器の本質が暴力装置であり死をもたらす道具であるため、武器のもつ意味合いも基本的には暴力的で不吉である。不吉であるがゆえに畏敬の念をもって扱われ、武器の製作にあたり神に祈りを捧げる習慣は珍しくない。そのような武器の使用には能力と責任が伴うと考え、これが特権的な要素と結びつくこともある。",
"title": "象徴・祭器としての武器"
},
{
"paragraph_id": 121,
"tag": "p",
"text": "伝統的武器では純粋な戦闘用として作られた武器ほど「武威を示す」意味合いが強くなり、逆に構造が単純であったり道具的なものは野蛮として忌避する傾向がある。",
"title": "象徴・祭器としての武器"
},
{
"paragraph_id": 122,
"tag": "p",
"text": "まず武器の性質そのものである「武力」や暴力を指し示す場合である。海賊旗の中でもドクロの下に交差する曲刀などはこの類と言える。国旗や国章の意匠として用いられる場合はさらに複雑な意味合いをもち、グアテマラの国旗には中央で十字になっているライフルが描かれ、「グアテマラを守るためには戦争をも辞さない意志」を表す。モザンビークの国旗に描かれたライフル銃(AK-47)は、「独立への苦闘」を表している。他にもアフガニスタンやガンビア、フィンランドなど剣や銃を意匠の一部とする国は多い。",
"title": "象徴・祭器としての武器"
},
{
"paragraph_id": 123,
"tag": "p",
"text": "次に武器が権力の象徴となる例である。古代では権力の裏付けとなる基礎価値が、暴力あるいは神秘性に求められ、また、テクノロジーの結晶であり希少価値・財産的価値の高い武器が所持品となるからでもある。これら権力には王権と神権がありそれぞれに分離する場合があり、前者では西洋の武器が、後者では聖職者のもつ職杖が特に知られている。日本の天叢雲剣(草薙の剣)は三種の神器の中では天皇の持つ武力の象徴とされている。",
"title": "象徴・祭器としての武器"
},
{
"paragraph_id": 124,
"tag": "p",
"text": "武器が社会的地位の象徴となることも多い。武器を扱うに足る責任と能力を得た「成人」の証として武器が贈られる習慣は世界中で見ることができる。明治時代では武器の没収に関連して反乱が起きたこともあった。古代中国では指揮官を任ずるにあたり軍権の象徴として黄金のまさかりをあたえる習慣があった。",
"title": "象徴・祭器としての武器"
},
{
"paragraph_id": 125,
"tag": "p",
"text": "武器が民族の象徴として扱われることがある。フランク人が用いたフランキスカ、サクソン人のスクラマサクスなどのように、民族の名を冠した武器がある。 民族が用いたから武器にその名が付いたのか、逆に武器から民族名が付いたのかは意見が分かれているが、武器が民族の象徴となっていることに変わりはない。歴史的経緯から特定の武器に愛着や誇りを持つ民族も多い。",
"title": "象徴・祭器としての武器"
},
{
"paragraph_id": 126,
"tag": "p",
"text": "武器の威力や金属の輝きは武器に神秘性を与え呪術的な要素となった。死を与えるものが武器であり、いけにえや供物をさばくのには聖別された儀式用の短剣や斧が用いられる。刃をもった武器は扱い方を誤ると自らを傷つけるため禍々しい性格を備えているが、凶事をもって凶事を制する考え方や、「断つ」という性質から、魔や悪影響を断つ魔よけとして守り刀のようにも用いられる。他にも魔よけや縁起物としての武器は破魔矢、梓弓などと数多い。",
"title": "象徴・祭器としての武器"
},
{
"paragraph_id": 127,
"tag": "p",
"text": "斧は武器の中でも特に呪術的要素が多く、雷斧信仰は世界中で見ることができる。雷と斧の関連については、落雷の後で雨によって土壌が洗い流され石器斧が見つかることがあり、これを天から降った雷神の持ち物と考えていたとする説(天狗の鉞)や、雷が木を断つことから、同種に木を断つ斧も雷と関連づけたとする説などがある。雷は激しい雨を伴うことが多いため、農耕民族にとり豊穣をもたらす存在であった。そして斧もまた豊穣を示す祭器として儀式に用いられた。一方、供犠用の祭器としても斧はポピュラーである。 例えば「義」という漢字は羊を斧で解体する様子を示し、これに牛を加え「犠」となると家畜の生け贄を指し示す漢字となる。また、罪人の首を切り死を与えるのも斧の役目である。",
"title": "象徴・祭器としての武器"
},
{
"paragraph_id": 128,
"tag": "p",
"text": "武器は神話や英雄譚に欠かせない道具として物語に色を添える存在である。また実際の武器が誤解や歴史的偶然によって伝説を生む場合がある。現在も戦闘を主軸とする漫画や小説に欠かせないアイテムとして様々な武器が生み出されている。",
"title": "架空の武器"
},
{
"paragraph_id": 129,
"tag": "p",
"text": "武器の種類は多彩で、区分の仕方により様々な分類が可能である。主な区分としてサイズ・形状・用途によって分類される。",
"title": "武器の分類"
},
{
"paragraph_id": 130,
"tag": "p",
"text": "以下ではそれら武器の分類法の一部をとりあげる。",
"title": "武器の分類"
},
{
"paragraph_id": 131,
"tag": "p",
"text": "細長く扁平で、少なくとも片側が刃になっているもの。基部には握りがあり、主としてこれを握って扱う。握りが長いものは下記の竿状武器に含める。",
"title": "主な武器の種類"
},
{
"paragraph_id": 132,
"tag": "p",
"text": "材質は少なくとも刃の部分は金属製で、刃の部分は切れ味がよく、普段は危険なので鞘に収められることが多い。形状は様々であるが、片刃と両刃がある。握りと刃との間に段差をつける例が多く、つばという。これは握る手が刃のところに行くのを避けるもので、同時に敵の武器を受ける際には自分の手を守る役割も果たす。",
"title": "主な武器の種類"
},
{
"paragraph_id": 133,
"tag": "p",
"text": "使い方としては刃のある側でこするか叩くかして切る方法と、先端で突く方法がある。",
"title": "主な武器の種類"
},
{
"paragraph_id": 134,
"tag": "p",
"text": "起源:ナイフ",
"title": "主な武器の種類"
}
] |
武器は、戦闘に用いる道具や器具の総称である。 広義では、戦争や軍隊で用いる兵器や武装、さらには人員・物資までも含めて「武器」とよぶ場合や、人間や動物がもつ社会競争で有効な長所や生き残りの手段を「武器」と比喩表現することまで含める場合もある。 武器は殺傷、損傷、捕縛、破壊、無力化、を元来の目的として攻撃能力を有する道具で、これらを背景に警告、威嚇、抑止力にも用いられる。主な用途は戦闘だが、それらを模して行われるスポーツ競技や演劇用の模造品・玩具がある。 人が手にして攻撃に用いれば様々な道具や物体が武器となる。握りやすくある程度の重みがあり武器としての使用に適するため、「柄のあるもの」、つまりは斧や銛(もり)、鎌(かま)、鎚(つち)のような農・工具、狩猟道具類は武器としての使用や転用がたやすく、それらから本格的な武器へと発展するものもあった。ダーク(短剣の一種)のように、非常時での武器としての使用を意図した道具もあり、武器と道具の関係は深い。 英語では「weapon ウェポン」「arms アームズ」と呼び、中国語では武器の他「兵器」(へいき)「器械」(きかい)と呼んでいる。それぞれの指す意味は日本語の狭義の「武器」と同一ではない。 武器の強弱はしばしば話題になるが、状況の変化によって長所が短所となりえるため「全てにおいて優れる」武器は存在しない。例えば槍の長所である「長さ」は、閉所には持ち込みすらできない、持ち込めたとしても十分には振り回せずに「短所」となる。破壊力の高い銃も弾薬の補給が滞れば本来の能力を発揮できず、またこのような銃は近距離では使えないものも多い。また複合武器の欠点は、複雑なため使いこなすには長期間の訓練が必要なこと、多目的武器は、どの用途に使っても専門の武器には及ばないことが上げられる。 そういった武器の構成要素として長さ・射程、重量、威力、速度・連射力、操作性などが問題となり、さらに軍での運用視点から見ると、操作に必要な熟練度、調達コスト、生産性、信頼度、耐久性、携帯性といった要素も問われる。隠密性を求める特殊な武器も存在する。それら長所や短所は、他の武器や兵科との組み合わせ、操法や戦術の工夫によってある程度補われる。 武器はその能力以外に民族や権力の象徴のような特別な意味を持つ場合がある。儀礼に用いる武器のほか、職権を示す職杖や魔よけなどがある。高度な製造技術を利用した武器は多く、財産的価値を持つものも多い。また装飾とは別に武器が持つ一種の機能美に美術的価値が見出される。
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{{複数の問題|脚注の不足=2019年10月|独自研究=2022年10月|大言壮語=2022年10月}}
[[ファイル:Néolithique 0001.jpg|thumb|古代の[[石器]]。大きなものは、[[石斧]]として用いられたと考えられている。]]
[[ファイル:Sergeant missile.jpg|thumb|飛行中の[[MGM-29 (ミサイル)|MGM-29A]]短距離[[弾道ミサイル]]]]
'''武器'''(ぶき、{{lang-en-short|weapon, arms}}、[[ラテン語]]: arma アルマ)は、戦闘に用いる道具や器具の総称である。
広義では、戦争や軍隊で用いる[[兵器]]や武装、さらには人員・物資までも含めて「武器」とよぶ場合や、人間や動物がもつ社会競争で有効な長所や生き残りの手段を「武器」と比喩表現することまで含める場合もある(例:「逃げ足の速さが武器」「豊富な知識が武器」「コネクションの広さが武器」、など)。
武器は殺傷、損傷、捕縛、破壊、無力化、を元来の目的として攻撃能力を有する道具で、これらを背景に警告、威嚇、抑止力にも用いられる。主な用途は戦闘だが、それらを模して行われるスポーツ競技や演劇用の模造品・玩具がある。
人が手にして攻撃に用いれば様々な道具や物体が武器となる。握りやすくある程度の重みがあり武器としての使用に適するため、「柄のあるもの」、つまりは斧や銛(もり)、鎌(かま)、鎚(つち)のような農・工具、狩猟道具類は武器としての使用や転用がたやすく、それらから本格的な武器へと発展するものもあった。ダーク(短剣の一種)のように、非常時での武器としての使用を意図した道具もあり、武器と道具の関係は深い。
英語では「weapon ''ウェポン''」「arms ''アームズ''」と呼び、中国語では{{lang|zh|武器}}の他「{{lang|zh|兵器}}」(へいき)「{{lang|zh|器械}}」(きかい)と呼んでいる。それぞれの指す意味は日本語の狭義の「武器」と同一ではない。
武器の強弱はしばしば話題になるが、状況の変化によって長所が短所となりえるため「全てにおいて優れる」武器は存在しない。例えば槍の長所である「長さ」は、閉所には持ち込みすらできない、持ち込めたとしても十分には振り回せずに「短所」となる。破壊力の高い銃も弾薬の補給が滞れば本来の能力を発揮できず、またこのような銃は近距離では使えないものも多い。また[[複合武器]]の欠点は、複雑なため使いこなすには長期間の訓練が必要なこと、多目的武器は、どの用途に使っても専門の武器には及ばないことが上げられる。
そういった武器の構成要素として長さ・射程、重量、威力、速度・連射力、操作性などが問題となり、さらに軍での運用視点から見ると、操作に必要な熟練度、調達コスト、生産性、信頼度、耐久性、携帯性といった要素も問われる。隠密性を求める特殊な武器も存在する。それら長所や短所は、他の武器や兵科との組み合わせ、操法や戦術の工夫によってある程度補われる。
武器はその能力以外に民族や権力の象徴のような特別な意味を持つ場合がある。儀礼に用いる武器のほか、職権を示す職杖や魔よけなどがある。高度な製造技術を利用した武器は多く、財産的価値を持つものも多い。また装飾とは別に武器が持つ一種の機能美に美術的価値が見出される。
== 武器のエネルギー ==
武器に限らず、道具が効果を発揮するにはエネルギーが必要である。まず一つは動作を行うエネルギー源であり、もう一つが攻撃対象に作用するエネルギーである。武器の多くが対象へ物体を衝突させる[[運動エネルギー]]による攻撃方法をとる。
人間の力をエネルギー源とする武器は、使用のたびにエネルギーを失う(疲労する)。これに対し、[[自由エネルギー|化学エネルギー]]をエネルギー源とした武器は、基本的に人力よりも大きなエネルギーを得ることができ、弾薬やバッテリーの交換によりエネルギーの回復が容易である。
=== 運動エネルギー ===
前述の通り多くの武器が運動エネルギーによる攻撃、つまり物体を運動させ対象へと衝突させる攻撃を行う。
運動エネルギーは質量に比例し、速度(角速度)の2乗に比例する。
運動エネルギーを保持した武器は対象へと食い込み、構造を物理的に破壊する。
棍棒などの打撃武器は衝撃を対象内部へと浸透させて構造を破壊する仕組みをもつ。
[[鉄]]や[[青銅]]のような、[[硬さ|硬く]][[靱性]](粘り)があり強度の高い材質は変形しにくく堅牢なため武器に向く。
硬さはあるが粘りがない材質([[石]]や[[ガラス]])は武器に成形しても自壊してエネルギーを逃がしてしまうため、武器には不向きといえる。ただし投射武器としては優秀な物となることがある。即席の打撃武器としても通用しやすく、また鋭利な刃物としても使うこともできるが、長くは維持できない(使用するたび切断力が落ちる)ため、あまり実用性はない。
これらの武器では、運動エネルギーを小さな断面積に集中させ、より大きな効果を得る構造をもつ。
[[メイス]]の出縁や[[槍]]の穂先は点に、[[刀剣]]は線に集中させる構造といえる。
=== 人力 ===
[[ファイル:Kyujutsu10.jpg|thumb|『[[平治物語絵巻]]』([[ボストン美術館]]蔵)に描かれた[[鎌倉時代]]の[[武士]]。[[薙刀]]で戦っている。]]
[[ファイル:Yoshitoshi - 100 Aspects of the Moon - 67.jpg|thumb|弓で鹿を仕留める[[源経基]]を描いた『貞観殿月』([[月岡芳年]]「月百姿」)]]
伝統的武器のほとんどは人間の力をエネルギー源として武器を運動させる。多くは体やひじ・手を軸とした回転運動で、[[てこ]]の働きにより大きな力となる。長い武器は回転半径が長くなるため効果もまた大きなものとなる。棍棒や剣を「振るう」動作はこの回転運動を利用する攻撃方法といえる。
これに対し、槍などの「突く」動作は「振るう」動作に比べると回転が小さく、動作から生まれるエネルギーは小さい。しかし、使用者もしくは攻撃対象の直線運動を効率よく加えることが可能となっている。
[[騎兵]]の槍での突撃と、騎兵に対する槍での防御を思い浮かべるとわかりやすい。また突く動作は動作が小さく「点」での攻撃のため防御されにくいという利点もある。また一点に力が集中するため、エネルギー自体は小さくてもあまり問題はない。
これら伝統的な武器は、単純に言えば、重く硬く長い武器を高速で運動させれば強力な攻撃を行える。ただし、大型の武器は[[モーメント]]が大きくなるため扱い辛く、充分に広い場所が必要になり疲労もまた大きい。また安定した足場が必要になるものも多い。またこのような武器(射撃武器などにもいえる)はできる限り構造は単純に構成するほうが強力になりやすく、利点も多い(機械構造を持つナイフでボタン一つで三叉になるものがあったが実用性、信頼性ともに悪かった)。
また、伝統的な武器はその見た目から、その痛みを想像しやすいものが多く、相手に恐怖を与えることが射出武器などよりも容易であり、心理戦においてこれは絶大な効果を持つ。
[[弾性]]によって射撃する弓、空気によって矢を飛ばす吹き矢などもあるが、根本が人力であるため大きな変わりはない。
; 武術
: このような自身の体や武器を効率よく操るための技術体系として発展したものが武術である。特に一つの武器に修練を絞ったものは、その武器の名を冠して「○○術」あるいは「○○道」と言った呼び名を与えられる。剣であれば[[剣道]]・[[剣術]]、槍であれば[[槍術]]などと日本ではこれらの(槍術の場合、上流階級が代々継承していることも多い。剣術の場合、“間合い”等の関係から全ての武術の基本と考えられているので、厳密には武器を持つほとんどの人も修練していることが多い。またこれら以外にも[[投石器]]や[[火縄銃]]等を習う武士もいた)。流派によっては武器の操法にとどまらず精神修練も含めて修練を納める流派や、技そのものを学び個別の武器の操法を重視しない流派もあり内容は様々である。
他にも色々な武術がある。代表的なものとして、[[柔術]]、[[水術]]([[古式水泳]])、[[砲術]]、[[組討術]]など。
投射する武器では、射出あるいは投擲した後のコントロールはできない。そのため精神的なものを除けば、構えや射出方法がその技術の大半を占めている。特に銃は射出方法も機械式であるため武術的な修練は成立しがたいと考えられている。銃を使用する武術としては[[CQB]]や[[CQC]]で用いられる現代軍隊の近接戦闘術が近い。ただしCQCが行われる至近距離では銃器はむしろ使用されない。また銃を用いる[[銃剣術]]は銃と銃剣を用いた格闘術なので発砲をその技術に含んでいない。
=== 火・燃焼 ===
[[ファイル:Napalm.jpg|thumb|[[ベトナム戦争]]で[[ナパーム弾]]を投下する[[アメリカ軍]]]]
熱エネルギーを燃焼する武器は人力以外では古い歴史を持つ代表的存在である。可燃物を延焼させる火の性質を利用するものと、燃焼によって生じるエネルギーを利用するものがある。
; 火炎・燃焼
: 人類の火の利用の歴史は古く、武器への利用もまた[[古代]]から行われていた。木製の建築物や船舶、陣地を焼き払うのに威力を発揮する[[火矢]]は広く世界で使われてきた。古くは可燃性の液体を用いた[[ギリシア火薬]]、火薬を用いた[[焙烙火矢|焙烙玉]]があり、現代の[[火炎放射器]]や[[焼夷弾]]は、大規模な延焼のみならず酸素消費、発生する煙・ガスによる窒息効果をもたらす。ロケット兵器や爆弾では可燃性の[[炸薬]]や推進剤に、火をまき散らす副次効果をもたせたものがある。
; 爆発
: 燃焼による急速な気体膨張は'''爆発'''と呼ばれ、特に膨張速度が音速 (''sonic'') を超えるものは爆轟(ばくごう)と呼ばれ超音速 (''supersonic'') の衝撃波を伴う。特に爆轟は大きな破壊力と爆風を生み出し炸薬の量と質によっては大規模な破壊を起こす。[[弾頭]]に炸薬を充填し命中時に爆発する[[ミサイル]]は現代の軍事において重要な役割を担っている。小規模な爆発を利用した武器も多く、[[爆弾]]や[[手榴弾]]、[[砲弾]]は衝撃と爆風を利用する。これに対し、破片手榴弾や[[クレイモア地雷|指向性対人地雷]]は、爆発によって破片や弾丸に運動エネルギーをあたえ飛散物による攻撃を行う。
; 発射薬・推進薬
: 銃は火薬の燃焼によって発生する高圧のガス圧力によって、弾丸を運動させる(発射する)武器である。火箭やミサイル・[[ロケット弾]]は燃料によって飛翔体を推進させる武器で、これらの中には発射時の速度が遅さと安定度の低さを補うため、発射薬で撃ち出し初速を得るものがある。
特殊なものでは、燃焼によって発生する光や煙を利用するものがある。[[発煙弾]]や閃光弾・曳光弾はそれらにより、視界を遮ったり逆に目印とすることを目的としている。原始的な[[化学兵器]]も燃焼によって発生する有毒ガスや煙を利用したものであった。
=== 生物(兵器) ===
古代でも動物を兵器として利用する方法が模索されていた。もっともポピュラーなのは、土器のツボに毒サソリや毒ヘビなどを詰め投石機(カタパルト)で跳ばすというもので、特に密集している部隊や、軍船や要塞などの密閉した空間に対し絶大な混乱作用が期待できた。中世には病気で死んだ動物を投石機で城内まで跳ばし、病原菌を充満させ敵兵士に感染させ戦力を低下させるのに使っていた。
特殊な方法としては、確実性に欠けるが市街地を襲撃する際に、町から飛んできた鳥を重点的に捕まえて足に小さめの[[松明]]をくくり付けて放し巣に帰った所で巣に引火して、都合良く行けば家屋に火事(小火かできれば大火事)を狙い目標の混乱を誘い、突撃時の足がかりにする方法や、牛を野戦の陣地等に対し、前線突破の際、前列に布陣して強襲に使うなどがある。
=== 電気 ===
[[電気]]エネルギーは機械的な制御や発火装置などにも用いられるがここでは割愛する。電気エネルギーの大きな特徴の一つは、他のエネルギーとの交換が容易な点で、化学エネルギーとして電池などに蓄えられ、スイッチにより電気エネルギーが取り出され、さらに他のエネルギーへと変換される。
実際に[[レーザー]]などの動力源として広く使用されている。エネルギー供給も容易でバッテリーや電池、発電機によって供給が可能である。
電気の性質を利用する武器では[[スタンガン]]がある。対象に電極を当て高電圧かつ微弱な電流を送り込み、痛みとともに筋肉の痙攣を引き起こす。その形状は様々で携帯電話のような直方体型、ペンライト型、警棒型、電極を発射する銃型(テイザー)などがある。
電気エネルギーによって弾体を発射する銃や、電気エネルギー自体を発射する銃の発想は多く、理論までも確立されたものが殆どだが、技術的問題により実用化に至っているのは遊戯用の[[電動ガン]]程度である。
=== 光線 ===
[[ファイル:USAF Airborne laser.jpg|thumb|[[AL-1 (航空機)|YAL-1A]]による[[弾道ミサイル]]撃墜の想像図]]
[[光]]や[[電磁波]]を投射する光線武器は[[サイエンス・フィクション|SF]]ではおなじみの武器である。現時点では光線を制御する技術が不十分で、強力な光線を発生させるエネルギーの供給が難しいため、実用的な武器としての利用は少なく大型兵器での実用化が模索されている程度である。光は直進する性質を利用した低出力のものが、競技用[[ビームライフル]]や遊戯用の[[光線銃]]や、銃の照準として[[レーザーポインター]]に利用されている。
目潰しを目的とした最も強力なものに、目潰し用レーザー (''Blinding Laser Weapon'') がある。目の網膜を損傷させ回復不可能なダメージを与える恐れがある「非人道的武器」として、また[[テロリズム|テロリスト]]にうってつけの武器といえるため、実用化以前の研究段階ながらジュネーブ協定によって[[規制が議論されている兵器|使用が禁止]]されている。
目をくらませる目的では他に閃光手榴弾(しゅりゅうだん)などもある。
また光線というよりも光そのものを武器とし、鏡による反射を利用した目潰しやかく乱、大鏡による着火を利用した兵器などは比較的古い時代から少数ながら存在する。
=== 毒・化学物質 ===
[[ファイル:Flanders WWI gas attack.jpg|thumb|right|[[第一次世界大戦]]での[[フランス軍]]による[[化学兵器]]使用。(1917年1月)]]
毒やある種の化学物質は少量で人体に機能異常を引き起こす。生体へ効果を与えるメカニズムはそれぞれに異なり様々である。効果は嘔吐や、昏睡・麻痺程度から、炎症、腐食、死と幅広く、効果の発現時間や持続時間もまた様々である。ちなみに毒も化学物質の一種であるため、化学兵器と毒を区別する明確な基準はない。
主に毒はとげや刃に塗布し傷口から体内へ注入される。[[先史時代]]から矢毒として狩猟に使用されており、軍隊の矢じりや暗器に塗布され効果を発揮した。[[アルカロイド]]系毒物の[[トリカブト]]や[[キニーネ]]、[[クラーレ]]が有名である。糞尿は傷口を化膿させる目的で毒として使用されることがある。
化学兵器は、効果が大規模で広範囲にわたるものや、科学的に成分を抽出したり合成したものである。史上最古の化学兵器は、紀元前429年に使用された石炭や硫黄を燃やし発生させた[[二酸化硫黄|亜硫酸ガス]]とされている。従来の毒と異なり吸引や皮膚から体内へ侵入し効果を発揮し、ゴムを浸食する性質をもつものさえ存在する。必ずしもガス(気体)とは限らず、液体や固体を散布・飛散させて用いる化学兵器も存在する。
致死性はごく低いものの[[催涙剤|催涙弾]]、[[催涙スプレー]]なども化学兵器の一種といえる。
[[鉛]]には酵素の動きを阻害する作用があり、時として[[鉛中毒]]を引き起こす毒物として作用する。狩猟に使用した散弾による土壌汚染と、弾を飲み込んだ動物が死亡する事例が発生している。またそれらが食物連鎖によりヒトに蓄積される可能性があるため規制が議論されている。
=== その他 ===
ガス(気体)を圧縮し圧力で弾を発射する[[空気銃]]は遊戯・競技用、狩猟用が主だが、実戦で使用されたものもわずかに存在する。また、圧搾空気による[[迫撃砲]]も第一次世界大戦で使用された例がある。水を発射する[[水鉄砲]]は遊戯用として一般的な玩具である。
[[弾性エネルギー]]を用いた武器では
[[弓 (武器)|弓]]や[[スリングショット|パチンコ]]、[[銀玉鉄砲]]などがある。[[弾性|弾性体]]にエネルギーを蓄積(弓を引く、ばねを縮める)して矢や弾を発射する。
原子力エネルギーを用いた武器には携帯型核弾頭からMIRVまで幅広く存在する。主に冷戦中に多く作られたが、2つの爆弾を除いて実戦での使用は無い。
== 武器の構造 ==
[[ファイル:Katana (ja).png|thumb|right|[[日本刀]]の各部の名称]]
以下では代表的な構造を述べるが武器の種類や形態は幅広いため、ここに記すものとは異なる武器もまた多い。
なお、[[銃]]と[[弓矢]]、およびそれらが使用する[[弾丸]]などの発射体については、それぞれの項目に詳しいので参照のこと。
大抵の武器では攻撃部位を「前」と見立てている。槍で言えば穂先が「前」、石突きが「後」となる。[[刀剣]]類はこの逆で帯刀した際に前に位置する柄の端、あるいは剣身を下にして上にくる柄端を「前」としている。しかしこれにも例外があり、中世以降の日本の刀では刀身の方向を「前」、逆端を「後」とする見方もあり両者が混在している。[[日本刀]]や[[包丁]]などでは柄の接合部を柄首、逆端を柄尻と呼ぶと同時に柄尻部の金具を柄頭と呼んでいる。
=== 柄 ===
武器を持ちやすくするために握る棒状の部分。機能と長さにより2種類に分かれる。
* 柄(つか)、把(は)、握り、グリップ (''Grip'')、ハンドルなどと呼ばれる短い柄。
* 柄(え)、長柄(ちょうへい、ながえ)、ポール (''Pole'')、シャフト (''Shaft'') と呼ばれる長い柄。握りと武器の長さを延長する役割をもっている。
両者の区別は厳密なものではなく、[[長巻]]のように長い握りを備える中間的なものや、長柄の後端に握りを備える武器もある。
刃や棒を持ちやすくするため取り付けられる短い取っ手には棒状の他、緩やかに反ったものやリング型のものもある。剣身との間に[[鍔]]をそなえる場合が多い。保持に必要な短い全長しかもたないが、手で握る位置にぶれが少ないため、握りやすい加工が施され保持力を高めている。凹凸や太さを変える形状の工夫と、刻み模様や糸や革を巻くことで摩擦を高め滑りにくくする方法が一般的である。柄と刀身を一体成型する方が頑丈ではあるのだが、金属材料の節約や軽量化、製造の工程数や手間の軽減を理由として別個に製作される場合が多い。
柄の剣身に対して逆の端を柄頭、'''ポンメル''' (''Pommel'') と呼ぶ(後述する長柄武器の柄頭とは別種である)。剣類の多くが大型のポンメルをもち、武器がすっぽ抜けるのを防ぎ、剣身に対する[[重し|カウンターウェイト]]の役割をもつ、これによって重心が手の内に収まることにより重くても扱いやすくなる工夫。副次的に至近距離での打撃にも用いられる。装飾を施しやすい位置であり、[[中世]][[カトリシズム|カトリック]]系の[[騎士]]が用いた剣には[[聖遺物]]を納めたものがしばしば見られる。ただし、大きすぎるポンメルは手首の動きを阻害する。
柄には拳を撃ち合いから守る役割をもつ部品を取り付けたものが多い。これには剣身と取っ手の間の鍔(つば)や、拳の甲を守るナックルガードがある。柄頭と同様、装飾が施しやすい部位である。ナックルガードは柄の片端から逆端へ、握ったときに手の甲を守るように配置される。緩やかにそった棒・板状のものや、幅が広く編み込まれたような形状をもつかご状のものがある。
長い柄は握りであると同時に、武器を延長する構成部品でもある。主に木製で[[カシ|樫]]や[[サクラ|桜]]のように頑丈さと弾力を兼ね備えた木材が用いられる。柄頭が切り落とされるのを防ぐ目的で、しばしば鉄板などによって補強される。全金属製の長柄は重く扱いにくい上、温度変化が激しく手袋を着用しなければならないなどの理由で一般的ではなかったが、近現代になると軽量で一定の強度を持つ[[ステンレス鋼]]のような合金が登場したため、全金属製の長柄も広くみられるようになった。
=== 柄頭 ===
長柄の先に接続される攻撃部位。穂先・槍頭、槌状の槌(鎚)頭、斧頭、鉤、[[ピッケル|ピック]]、月牙、鎌など、役割や地域、時代により多種多様な柄頭がある。それらを複合的に組み合わせた[[戟]]や[[ハルバード]]のような複合型の柄頭の武器もある。
=== 刃 ===
切断する鋭利な部位。刃の構造自体は[[くさび]]と同一で圧力を線に集中する。刃と言うと、金属製のものを連想しやすいが、鋭利さに差はあるにせよ他の材質でも刃を形成することは可能である。
単純に言えば厚みが薄く滑らかな刃の方が切れ味は高くなるが破損や彎曲を引き起こし易く、刃欠けや刃荒れも起きやすい。
さらに刺突を目的とした切っ先や穂先の刃がある。単純な貫通力で言えば必ずしも穂先に刃は必要ないのだが、穂先の刃は適度な重さと広い攻撃範囲をもたらし、深く刺さるにしたがって傷口を大きく広げる効果がある。
ちなみに、引き切る切断の仕組みは現代でも完全に解明されていない。引くことで刃がより鋭角となって切れるとする説と、摩擦力によって削り切るとする二つの説が有力となっている。
=== 刀身・剣身 ===
刀剣類の刃とそれを支える胴部の部品。刀剣は剣身の形状と刃の位置により分類される。一般的には胴部両側刃を備える両刃のものを'''[[剣]]'''と呼び、片刃あるいは刀身が彎曲したものを'''[[刀]]'''と呼ぶ。さらに刀のうち刀身がまっすぐのものは'''直刀'''、彎曲し反りのあるものを'''彎刀'''(曲刀)と区別している。片刃と言っても先端部分が両刃になっているものや、峰の中程まで両刃になった刀も多い。
片刃では彎曲の外側が刃となる'''外反り'''が主だが、内側が刃となる'''内反り'''は[[鉈]]や[[ククリ]]、鎌形のハルパーなどがある。刃を持たない刀身では、刺突用の錐状の剣身(剣針)をもつ[[エストック]]や[[スティレット]]、[[フェンシング]]で使用するフルーレが有名である。また日本の[[十手]]や中国の[[鞭]]のように刃がなく打撃を目的とした刀身を持つ武器もある([[鉄刀]]・[[兜割り]]・[[朴刀]]・[[フェンシングソード]])。他に刃がない武器としては、相手の剣等を折る為の鈎針のような突起で覆われた、ソードブレイカーのような特殊な武器も存在する。
刀剣類の刀身はおおむね一つだが、柄の両端に複数の刀身を持つ[[金剛杵]]、四方へ刃が付きだした複雑な形状を持つアフリカ地方の投げナイフがある。長柄の武器になると複数の刀身を備えるものは珍しくなく、多機能の柄頭をもつ[[ハルバード]]、十字に組み合わせた穂先を持つ十文字槍、穂先に加え左右に月牙を配置した方天戟などがある。
=== 鎖物・縄 ===
棍、分銅、穂先などを接合する縄状やリング状の部位。武器に回転の軸(支点)をもたらし、特徴的な柔軟な挙動を行う。そのため中国ではこれらの武器を軟兵器と呼んでいる。[[フレイル]]のように関節が一つのもの、[[多節鞭]]のように複数の関節を備えたもの、[[流星錘]]や[[羂索]]のように全体が縄の武器がある。関節が増えるにしたがって、全体のしなる動きが大きくなる。縄が命中した部分は新たな軸となり回転し絡みつく動きになる。
縄の先に武器を結わえた武器は、絡みつくだけでなく、武器部分を回転させて勢いを付け投射する機能をもち、また縄をたぐりよせることでその回収が可能である。これらには[[鎖鎌]]や剣鏢、流星錘などがある。これら軟兵器はその挙動ゆえに防御が難しいが、使用者にとっても操りにくく自らを傷つけることさえ起こる。
=== 鉤 ===
鉤(かぎ)、フック (hook) は彎曲した先端をもつ爪・棒状の部位。名称の通り対象を引っかけて、引き寄せたり、引き倒したりする機能をもつ。また鉤に対象を挟み込み拘束するのにも用いられた。[[近世]]以前の海上戦では、鉤縄や鉤状の長柄武器によって船を接舷させる道具兼武器として頻繁に使用された。この鉤を防御的な受けに使用する[[十手]]のような武器もあり、特に刀や細い剣の刀身ならばひねって折ることも可能である。直接的に殺傷する要素は薄いため、警備や捕り物武器では鉤の機能を取り入れたものが多く見られる。
=== 暗器 ===
[[暗器]]は[[護身術|護身]]や[[暗殺]]を目的とした隠密性の強い武器の総称である。隠し持つという性質上、倫理的な意味合いで是非に関する意見が分かれる。
隠密性を得るには、武器そのものを小型あるいは折り畳んで小さくするものと、[[擬態]]によるものがある。擬態では、[[仕込み刀]]のように他の道具に武器を仕込む場合と、[[扇子|鉄扇]]のように通常の道具を金属製にして強度を持たせたものがある。さらに考えを推し進め、通常の道具そのものを武器として使用する技の研究も行われた。[[中国武術]]ではこれら道具型暗器の[[套路]]が多く見られる。戦闘時の奇襲効果を狙い、武器にさらに武器を仕込んだものも暗器とされる場合がある。穂先を仕込んだ十手や、発射可能な刀身をもつ[[スペツナズ・ナイフ]]などがある。戦闘専用の武器に比べると暗器自体の戦闘力は低いため、攻撃目的では毒を用いる場合が多い。
=== 機械 ===
機械式の武器の攻撃機構にはいくつか共通する構造がある。引き金やボタンのようなエネルギーの解放装置と、エネルギーを蓄える装置である。以下に一例をあげる。
* [[クロスボウ]]
*# 人力によって弓を巻き上げる(弾性エネルギーを蓄える)、留め金で固定され保持される。
*# 引き金により留め金が外され矢が発射される。
* [[スタンガン]]
*# スイッチを入れる。
*# バッテリーから電気を発生(化学エネルギーから電気エネルギーへの変換)させる。
== 歴史 ==
武器の発展に影響を与える戦術や技術の変遷等、歴史的背景については[[軍事史]]も併せて参照のこと。
=== 石器・自然物 ===
[[ファイル:OpgravingStevoort.jpg|thumb|[[中石器時代]]の石器]]
武器の歴史は古く、人類の祖先が二足歩行をはじめた[[猿人]]時代から武器を使用していた。木、骨、石などを手に握り狩猟に用いたと考えられているが、それらは遺物として残りにくく、出土してもそれと明確に判別できないため推測の範囲にとどまっている。[[旧石器時代]]には、[[石斧]]、[[石槍|槍]]、握斧や[[ナイフ]]、手斧、[[棍棒]]、[[中石器時代]]には[[弓矢]]が発明された。ヘビ毒や[[アルカロイド]]等の毒物を塗布しての利用も行われた。石、木やつたなどの自然物、動物の革や骨角やスジを用いて武器が作成され、加工や組み合わせの工夫もされたが、武器としては脆弱で耐久性に難があるため、投射するか、罠で捕まえた動物に対して使用される程度であったと考えられている。
金属精錬技術が伝わらなかった地域や、鉱石に恵まれなかった地域ではその後も自然物を使った武器が使われ続けた。代表的な地域としてオーストラリアや太平洋諸国、アメリカ大陸があげられる。
自然物の中でも、木は調達が簡単で安価かつ軽量と性質に長所が多いため、金属が発達しても広く使われ続けている。
[[新石器時代]](紀元前8500年頃)に原始的な定住農業が始まると共に戦争の規模が拡大し、武器も対人用途を重視するようになっていった。
日本では、[[日本列島の旧石器時代|旧石器時代]]から狩猟用や生活用具としての石器がみられ、[[縄文時代]]には狩猟用や生活道具としての石器や弓矢が発明されている。とくに[[弥生時代]]中期になると[[畿内]]に突如として重さも重く、深く突き刺さりやすい形の石器(石鏃)が大量につくられた。石槍も発達した。この事情から弓矢が狩猟用から武器に変質したと考えられる。また、金属器では銅鏃・鉄鏃、銅剣・銅矛・銅戈(どうか)、鉄剣・鉄戈などがある。しかし、青銅製や鉄の武器は実用よりも祭祀用に使われることが多く、弓矢が武器の中心を占めていたのではないかと推測できる。
=== 金属製武器の登場 ===
[[ファイル:Arrow-head Olynthus BM GR1912.4-19.4.jpg|thumb|[[紀元前4世紀]]頃の[[古代ギリシャ]]で製造された[[銅]]製の[[矢]]]]
紀元前6000年 - 5000年ごろから[[メソポタミア|メソポタミア文明]]で銅の冶金技術が発達するが、材質として柔らかすぎるため儀式用の短剣などを造るにとどまっていた。紀元前3500年頃に[[スズ]]との合金[[青銅]]が発見されると、銅に比べ十分な硬さをもち、研磨や鋳造・圧延等の加工が可能であったため、大型の金属製刃をもつ[[剣]]、[[刀]]、[[戦斧]]などが登場した。本格的な鉄器・鉄製武器の登場は、紀元前1500年頃に[[ヒッタイト]]文明が精錬技術を得たのに発する。それまでも隕石に含まれる鉄(隕鉄)はあったものの、ごく少量の利用にとどまっていた。青銅と比べ含有鉱石が多く安価で大量に生産できたので、ヒッタイト文明が周囲諸国を滅ぼした大きな原動力となった。紀元前1200年頃にヒッタイト文明が滅亡すると、秘匿されていた製鉄技術は世界へ広がっていった。その後、鋼や刃を強化する数々の技術([[焼入れ]]、焼き直しなど)が発見され、鉄製武器は武器の主役となった。
ただし、融点が低く自然発見がたやすかった銅は、生産性でこそ鉄に劣っていたものの、初期の鋳鉄と比べれば強度に差は認められなかった。[[春秋戦国時代]]に中国を統一した[[秦]]は、成熟した技術で造られた青銅製の武器を使用して、鉄製武器を使用する周辺国を打ち破っている。その剣の切れ味は鉄と同程度であったと伝えられている。また、青銅は戦場の主流から退いたものの、精錬の仕方により白銀色や黄金色の光沢を持つため、その後も儀式用や装飾性の強い武器に用いられた。地域によっては、青銅と鉄の伝播時期が重なり、青銅器時代が短期間で終わった文明や、青銅器時代そのものが存在しない地域もあった。
鉄の登場以降、戦術の変遷や流行、地域性にも左右されるが、防具の重装化とそれに対する武器の大型化が進んでいった。武器の技術的な伝播と発展に大きな影響を与えた国家の興亡では、前述のヒッタイト文明の製鉄技術、[[十字軍]]によるイスラーム諸国とカトリック諸国の戦争や、モンゴル帝国による東西の技術交流があげられる。
=== 銃の登場 ===
[[File:てつはう(震天雷).JPG|right|thumb|[[元寇]]で[[モンゴル帝国]]が使用したとされる火器「てつはう」]]
[[13世紀]]後半の中国で誕生した[[銃]]が、[[15世紀]]前半のアナトリアで改良され、武器のあり方を大きく変化させた。中国で使用されていた火器が、13世紀の[[モンゴル帝国]]の遠征と交易によって[[中東]]へと伝播して、アナトリアで銃が発展したと考えられている。
銃は従来の武器に比べ、格段に優れた点と欠点をもっていた。重装化された鎧を貫く高い破壊力を有した。一方、装弾の手間による射撃間隔の長さ、水気に弱いといった特徴がある。近接攻撃力と防御力および突破力に欠ける弱点があった。
火器の発展に伴い近接武器も大型の近接武器は姿を消し、軽い刀剣類が主流となる。銃の長所を伸ばし弱点を補う改良と運用の研究が行われ、軍隊の中心武器へと比重を高めていくことになる。初期では銃兵による射撃、射撃の間隙(かんげき)を突く騎兵、長槍を装備した槍兵による防御を組み合わせて運用されたが、[[銃剣]]の発明により銃兵が白兵戦に対応可能となったため槍兵は姿を消した。[[17世紀]]に片手で操作できる本格的な小型[[拳銃]](ピストル)が誕生すると、馬上射撃用として普及し抜剣突撃戦術と併せて騎兵の有用性を高めた。
その後も、弾薬自体を複数備えるリボルバーや連装化、装填する弾薬と火薬を梱包する薬莢と実包の登場。弾道を安定させる[[ライフリング]]、先込めに比べ装填が楽な後装式など、次々に改良が行われた。
15世紀末に始まるヨーロッパ人による植民地経営にも携行され、殺害や戦闘に用いられた。特に金属製の剣や銃は金属技術を持たない文明を圧倒し、文明の滅亡と大規模な殺戮を生んだ。
=== 近代 ===
[[ファイル:Maschinengewehr 08 1.jpg|thumb|right|[[第一次世界大戦]]の[[ドイツ軍]]が使用した[[MG08重機関銃|MG08]] 水冷式機関銃]]
; 第一次世界大戦
: [[1914年]]から始まった[[第一次世界大戦]]は、据え付け式の大型銃器や、火砲、兵器が次々と登場した世界規模の大戦争である。この時の先進国の軍隊の多くは[[ボルトアクション方式]]の後装式ライフル銃を標準装備としていた。自動拳銃の黎明期にあたり、連射が可能な銃も登場しはじめた。[[機関銃]]の弾幕により騎兵の突撃はほぼ無力化された。歩兵の突撃も困難であったため[[要塞戦]]、[[塹壕]]戦が発生した。塹壕突破には、[[迫撃砲]]、[[クロスボウ]]による爆発物投擲、[[火薬|爆薬]]、[[戦車]]のような兵器、[[化学兵器]](毒ガス)の散布など様々な武器兵器が使用され、塹壕の中ではナイフや[[即席]]の棍棒、スコップを使用する格闘戦がしばしば発生した。特に主戦場となったヨーロッパ地域では[[国家総力戦|総力戦]]の様相を呈した。武器の精密化がすすんで構造的な遊びが少なくなり、他の弾薬が使用出来なくなったことや、連射性能の向上により弾薬消費量が増大したことから、深刻な弾薬不足が生じた。中でも弾丸はあるのに規格が合わず使えない状況から、弾薬規格を共通化する概念が生まれた。
: ごく初期の航空戦は飛行機が偵察任務を目的とし武装が施されていなかったため、パイロットが銃で撃ちレンガや爆弾を投擲する攻撃が行われた。
; 第二次世界大戦
: [[第二次世界大戦]]中期からは、機械によって装填を行う自動式小銃も本格的に用いられはじめる。特にドイツでは歩兵用としてバランスのとれた[[アサルトライフル]]の基本概念が確立されたが、実戦配備が1942年後半と遅く従来のボルトアクション式ライフルを代替することはなかった。地上での戦闘は飛行機による航空支援のもと、戦車・火砲と歩兵の随伴が基本となったが、戦場での中核を占める兵器に対抗する武器も開発され、[[バズーカ]]を始めとする[[無反動砲]]や、[[パンツァーファウスト]]のような携帯式[[グレネードランチャー]]が対戦車武器として使用された。
: 第一次世界大戦を先訓として弾薬規格を絞り込む動きはあったものの、銃のテクノロジー自体が模索状態であり様々な新型銃が生産された。政治的理由も重なり、前大戦と同様に弾の規格が合わない状況が至る所で発生した。
=== 第二次大戦後 ===
[[ファイル:30-30.jpg|サムネイル|[[5.56x45mm NATO弾]]。[[北大西洋条約機構|NATO]]加盟国の各国で標準化されており、多くの小火器で使用できる。]]
第二次大戦後、共産主義陣営(東側)と資本主義陣営(西側)の対立([[冷戦]])が生じた。これにより武器の技術や規格は大まかに東側(共産主義)と西側(資本主義)に分かれることとなった。この東西両陣営と、さらに異なったイデオロギーをもつイスラム国家は、植民地の民族独立運動や[[第三世界]]の国家運営に介入し、武器の供与などを行ったため、紛争を拡大させ慢性的な紛争地域やゲリラやテロを生む土壌を作った。
大戦後に活発化した民族独立運動では、第二次世界大戦により現地に残されていた武器や兵器、対立勢力から供与された武器が闘争に使用された。
第二次世界大戦中に発明された武器の研究が進み、アサルトライフルは歩兵の標準装備として各国で採用された。同大戦中期 - 末期に開発されたロケット・ミサイル技術が著しい発展をみせ、個人携行できる軽量火砲もまた改良された。対空、対地、対戦車など各種の[[ランチャー]]は、[[第四次中東戦争]]においては多数の戦車を撃破した。これらは個人装備としては割高だが、兵器に対してはコスト面で圧倒的に有利なため、戦車不要論や戦車の重装甲化の大きな要因となった。弾薬は、[[9x19mmパラベラム弾]]やNATO弾のように陣営毎に共通化が押し進められたが、輸出・供与先の状況によっては相手側陣営の弾薬を使用できるモデルも作成された。素材の研究が進み、鉄に変わる新たなる材質として[[アルミニウム合金]]や[[ステンレス鋼]]のような合金や[[ポリカーボネート]]、[[繊維強化プラスチック|カーボン]]なども利用されるようになった。
[[アサルトライフル]]の口径では7.5mm前後の大口径と5.5mm前後の小口径があり、有用性について意見が分かれていたが、[[ベトナム戦争]]においてアメリカが使用した大口径銃は、取り回しが悪く面制圧能力の低さを露呈した。代わりに用いた小口径銃は取り回しのよさ、面制圧能力に加え、大口径のアドバンテージと見られていた殺傷力でもそれほどの差をみせなかったため、小口径が主流となっていった。
狙撃銃は、工作技術の上昇により自動装填でもかなりの精度を持たせることができるようになった。そのため、精度ではやや劣るものの、連射力を併せ持たせた小銃からの改造銃や自動装填方式をとる狙撃銃も登場した。ただし精密な製造ゆえに高価なことや、やはり精密さで劣ることもあり、ボルトアクション式と並列して運用されている。
戦場以外では組織的犯行による、[[ハイジャック]]事件や凶悪事件への対応などから、警察や特殊部隊、諜報機関が使用する武器の需要が高まった。閉所での扱いに優れる[[短機関銃]]や、小型の拳銃が開発され、携行性の良さから、戦車兵や航空兵が持つ補助武器としても運用されている。
警察用の標準拳銃では弾詰まりに強く信頼性の高いリボルバーが採用されていたが、自動拳銃の信頼性が増したため装弾数の多い自動拳銃へ切り替えた国が多い。
先進国では人道意識の高まりもあり、「非人道的兵器」、つまり大量破壊や、無差別攻撃を行うもの、戦後復興を著しく阻害する武器等に制限が課せられるケースが増えた。そのため、対象を絞りピンポイントで破壊・無力化する「より人道的な武器」へ進化する流れも生まれた。特に[[地雷|対人地雷]]は、無計画な使用で民間人に被害を与えることから、無線送信による所在確認や、タイマーによる動作停止が組み込まれた安全に留意したものが登場している。
== 日本の武器の歴史 ==
古代から戦国時代まで日本へと伝播した技術の多くが中国からの伝播であり、武器のテクノロジーもまた同じである。中国から直接伝播するルートと、朝鮮半島を経由する場合が存在した。特に沖縄は19世紀まで日本本土とは別の国として存在していた経緯もあり、中国系に近い独自の武器を発展させている。
=== 古代 ===
[[ファイル:Haches pierre polie.jpg|right|thumb|磨製[[石斧]]]]
約3万4千年前に中国から石器が伝わり、1万2千年前頃の[[縄文時代]]から磨製石器や骨格器、弓が使用されるようになる。
弥生時代前期から中期(紀元前300 - 紀元後500年頃)にかけ、大陸から九州北部へ青銅器と鉄器がほぼ同時に伝えられた。実際は金属製品が輸入されているに過ぎず、原料や製作器具も輸入に頼っていた。青銅は冶金技術の伝来と発達で国産が可能になったが鉄器の国産は遅れた。4世紀後半のヤマト王権による朝鮮半島南部への進出は「武器」の面から見れば、鉄器を生産する技術と資源を求めてのことである。
この時代の武器は、青銅製の矛、[[銅剣|剣]](直刀も含む)、戈(か)や弓類および盾である。ただし、[[銅戈|戈]]は日本には存在しない[[チャリオット|戦車]]戦用の武器で、使用された痕跡も見つかっていないため儀式用のものであった可能性が指摘されている。
5世紀、古墳時代中期ごろから出雲地方や九州地方で製鉄が始められた。製法は日本独自の[[たたら吹き]]と[[たたら製鉄]]により砂鉄や餅鉄から鋼を生産し、[[鍛造]]によって製造された。鉄は融点が高いため高温の炉を必要とする鉄の鋳造技術はあまり発達しなかった。武器は鉄器へと移行し、青銅器は光沢のある金属特性を生かし祭器としての利用が主となる。
=== 中世 ===
[[ファイル:Daisho katana and wakizashi 1.jpg|thumb|right|様々な[[日本刀]]]]
[[ファイル:Tepu3.jpg|thumb|right|[[火縄銃]](尼信博物館所蔵)]]
[[平安時代]]には日本独自の武器の発展が見られ、剣が廃れて中国伝来の刀も直刀から反りをもった刀への変化が始まっている。盾はその機能が鎧へと組み込まれた。
この時期、武士が成立する。戦闘時は小作人を戦時の兵力(郎党)としたため、兵農は分離していない。寺や寺院は権益を守るために武装し、流通業者も自衛のために武装を行っていた。勿論彼らだけが武装していたわけではなく、実際はさまざまな階層のものが武器を所持している。
鎌倉幕府は武家政権であったため、武器の製作はより活発化した。戦闘形式は[[一騎討ち]]などが主であったため、個人の武威を示す豪壮雄大な大型武器と騎射が発展した。[[南北朝時代 (日本)|南北朝]]の頃になると[[足軽]]が誕生。集団戦が行われるようになり槍が広く用いられるようになった。
室町時代を経て戦国時代へ入ると、動員能力の増加から集団戦がより大規模になり、それに合わせて槍も長いものへと変化した。刀は刃を下にして持ち運ぶ馬上で抜きやすい[[太刀]]から、刃を上にして持ち運ぶ徒歩で抜きやすい[[打刀]]へと変化がはじまっている。
1543年に種子島へ火縄銃が伝わると2年後には国産化に成功し、種子島の他、堺や国友、根来、日野など日本各地で鍛冶の技術を応用して量産された。戦国時代後期から安土桃山時代にかけて、火薬を使用した[[焙烙火矢]]や火砲が発達した。
=== 近世 ===
戦国時代末期から流行の兆しを見せていた剣術が全国的に流行する。戦場で用いる介者剣術ではなく、平時の平服に対する戦闘を想定し、特に刀や刀に対する武器の操法が工夫された。稽古には[[木刀]]・木剣や[[袋竹刀]]が用いられ、江戸中期に[[竹刀]]が考案され使用された。[[薙刀]]は室内で使用可能な高威力の武器として見直され、女子の武芸としての専門流派も登場した。
平穏な時代が長く続いたため装飾性の強い刀が作られるようになるが、これには退廃的だとの批判も起きた。十手に代表されるような治安目的の捕物武器が発達したのも平穏な時代ならではである。一方、火器は徳川幕府の銃火器類に対する禁制政策により技術は停滞あるいは後退した。民間には依然として武器が蓄えられていたが、百姓一揆に鉄砲や弓が持ち出されることはあまりなかった。それら強力すぎる武器の使用に関して暗黙の了解や禁忌があったと考えられている。また使用にも制限があり、場合によっては刑に処されることさえあった。江戸時代にはその他、[[新井白石]]『本朝軍器考』<ref>{{Kotobank|本朝軍器考}}</ref>、[[鎌田魚妙]]『本朝鍛冶考』<ref>{{Kotobank|鎌田魚妙}}</ref>など、日本武器史の研究書も複数作られた。
19世紀半ば幕末に、幕府の政治力の欠如と、外国船の来航が増え国内に混乱が生じたため武器の国内需要が増したことにより、実戦的な日本刀が再び作られるようになった。開国し倒幕運動が起き、日本が内戦状態に突入する。海外からの派兵や直接介入は行われなかったが、絶好の市場と見なされ、様々な武器や兵器が持ち込まれた。特に[[1865年]]にアメリカ[[南北戦争]]の終結により、だぶついた重火器の多くが日本へ輸出された。日本が輸入した銃は多岐にわたり、[[ゲベール銃]]、[[ミニエー銃]]、[[スナイドル銃]]、[[エンフィールド銃]]などがあり、総数ははっきりとはしていないが、[[戊辰戦争]]終了後の時点で日本国内に50万丁の洋銃があったとする説がある。
=== 近代 ===
[[ファイル:Rifle Type 38 1.jpg|サムネイル|[[三八式歩兵銃]]]]
[[ファイル:Yamato_46cm_bullet.JPG|thumb|[[大和 (戦艦)|大和]]の46センチ主砲弾]]
明治時代に入り、日本政府は[[スナイドル銃]]を正式装備とした。高価ではあるが、[[ミニエー銃]]の改造によって作成できるため、数を揃えやすかったことが主な理由とされている。火砲の国産化は早かったものの小銃の国産化は遅れ[[1880年]]の[[村田銃]]が初となる。ボルトアクション式ライフルで他国の最新鋭小銃に匹敵する性能を備え、[[日清戦争]]に使用された。[[日露戦争]]には[[三十年式歩兵銃]]が使用され、戦後には[[三八式歩兵銃]]が開発されたが、実際には更新が進まず旧来の銃と新型が混在して使用された。[[拳銃]]はさらに開発が遅れたが、[[1894年]]に[[二十六年式拳銃]]が国産拳銃として誕生し、[[1924年]]に[[十四年式拳銃]]が採用された。
また後に刀はその地位を著しく下げたが、翌年に発生した[[西南戦争]]などでの活動により再評価がおき、剣術が推奨されるようになった。また戦争でも[[軍刀]]を装備とし日露戦争では戦果も上げた。准士官等の軍刀は服制令による軍装品扱いで自弁調達の必要があったため、装備する軍刀は各個人で異なり、旧来の[[日本刀]]の多くが軍刀として使用された。なお明治維新前後から、外来の刀に対し従来の日本製の刀を日本刀と呼称するようになった。西洋列強に比べ銃の設計面では同等ではあったが、鋳造や加工技術のような生産力と製造面では劣っていた。また主な原料である鉄が乏しく、[[輸入]]に依存していた。
大陸への進出を行っていた日本は[[1937年]]には[[日中戦争]]、[[1941年]]の[[太平洋戦争]]([[第二次世界大戦]])へと突入する。世界的に見て万全の体勢で第二次世界大戦に突入した国はないが、その中でも特に日本の武器は立ち後れていた。[[九九式短小銃]]や[[九九式軽機関銃]]への完全更新が間に合わず、三八式歩兵銃や[[九六式軽機関銃]]が主流のままであった。日本は基礎工業力の低さから生産能力が慢性的に劣っていたため、各種弾薬生産数が低く、また補給そのものも乏しかったため、特に東南アジアでの作戦では弾薬不足が頻発した。各主力機関銃([[九二式重機関銃]]・九六式軽機関銃・九九式軽機関銃)は優秀なものであったが機関銃ゆえに弾薬不足に悩まされ、[[一〇〇式機関短銃]]は弾薬の大量消費が懸念され大規模配備はならなかった。[[四式自動小銃|自動小銃の開発]]は古くから行われていたが、こちらも弾薬の消費と生産能力の限界から実戦配備は見送られた。
=== 現代 ===
日本は第二次世界大戦で敗戦し、[[連合国軍最高司令官総司令部|GHQ]]が進駐した。占領政策の一環として[[銃砲等所持禁止令]]が施行され、武器の徹底した取り締まりが行われると「[[赤羽刀]]」とも通称される100万もの刀剣が押収された。これにより平安時代からの武器所持量が大きく減少した。1958年にはさらに銃刀法が施行されている。
日本の[[軍隊]]は無条件降伏により解体されていたが、[[朝鮮戦争]]が勃発すると[[1950年]]に[[自衛隊]]の前身となる[[警察予備隊]]が設けられ再武装した。それに先んじる[[1948年]]には警察も組織されている。
1960年、70年代の[[大学闘争]]や[[安保闘争]]が起きると、新左翼党派の参加者は角材(ゲバルト棒)や投石、火炎瓶、ヘルメットにより武装し機動隊や警察と衝突した。またこれにより特に[[火炎びんの使用等の処罰に関する法律|火炎瓶に対する法律]]が制定された。
警察と自衛隊の装備は国内調達を基本とし、外国製の武器も製造技術の保持を目的としライセンス生産を行っている。欧米人に比べ体格が劣るため、全体的に小型軽量で装薬を減らした弱装弾を用いる傾向がある。自衛隊は初期では米軍から供与された武器を使用していたが順次国産のものに更新された。主な製造元としては、[[ミネベアミツミ]]、[[豊和工業]]、[[住友重機械工業]]、[[三菱重工業]]などがある。
日本は武器の輸入は行っているものの武器の輸出は行っていない。これは[[1967年]]および[[1976年]]に示された[[武器輸出三原則]]と呼ばれる規制方針で、「基本的に戦争や紛争に用いられる武器および武器製造技術、武器への転用可能な物品の輸出を行わない」としている。ただし[[1983年]]に例外として米軍向けの武器技術供与を緩和を付け加えた。
=== 現在 ===
依然として現代は武器の所持があまり多く見られることはない。ただし銃の国内所持数が、かなりの数に及ぶ可能性が指摘されている。まず暴力団やそれと繋がりのある非合法組織や[[マフィア]]によって銃が密輸されていることがあげられる。特に[[トカレフTT-33|トカレフ]]や[[マカロフ PM|マカロフ]]の流入が多く、発砲事件に用いられ、また警察に押収されている。現在は中国ルートよりロシアから北海道を経由するルートが主流になっていると考えられている。
[[猟銃]]の所持数の多さについての指摘がある。2007年(平成19年)度版[[警察白書]]によると2006年(平成18年)度に許可を得た猟銃の所持数は約30万丁であり、無許可の所持も存在するため実際の総数は判明していない。
遊戯銃、特に高性能化した[[エアソフトガン|エアガン]]も問題となった。特に[[2005年]]に暴行・傷害事件、走行中の車の窓ガラスへの発射事件が頻発したことなどから、銃刀法が改正され、基準以上の威力をもつエアガンを準空気銃と分類し所持を禁止している。
実際のところ、実銃を使用する銃器使用犯罪の件数は緩やかな減少傾向にある。ただし2006年は空気銃猟銃事件は前年の16件から33件へと倍増している。
[[迷惑防止条例]]や[[軽犯罪法]]では正当な理由がなく刃物や武器の類を所持していた者に刑事罰を規定している条項があり、判断基準があいまいなため、通常では武器と認識されない刃渡りの短いツールナイフやカッターにも適用される場合がある。別件逮捕の手段としても用いられるためこれを非難する意見がある。
[[武器輸出三原則]]により、兵器の輸出は基本的に行われていないが、技術の進歩によって民生品でも軍用に耐えうる電子機器が珍しくなくなったため、輸出したエレクトロニクス製品や民生品が軍事用として転用される事例が起きている。また、猟銃や弾薬は武器輸出三原則に抵触しないため、積極的に製造と輸出が行われている。戦争用のスイスのジュネーブ高等国際問題研究所が発表した2004年版の「小型武器概観」によると、2001年度の日本の輸出規模は6000万ドル(世界第9位)である。2012年度の調査でも、日本はアメリカ合衆国、ロシア、ドイツと並んでトップ12カ国に名を連ねている<ref>{{cite news |title=日本は小型武器上位輸出国 世界の総取引額は6年で倍|newspaper=47NEWS |date=2012-8-28| url=http://www.47news.jp/47topics/e/233956.php|accessdate=2014-5-25 }}{{リンク切れ|date=2021年4月}}</ref>。
自衛隊や警察の武器・兵器は国産方針を堅持しているが、輸出入を行わず少数生産なこともあり調達価格が極めて高い。例えばアメリカ軍が使用する[[M16自動小銃|M16A2]]は約7万円。世界的に量産されている[[AK-47]]では約3万円である。これに対し、日本の[[89式5.56mm小銃|89式小銃]]は36万円である。実情としては武器・兵器の調達はその価格のため更新が進んでいない。世界的に見ても、高機能・高価格化していく軍需産業を一国で維持、発展させることは困難な状況となっている。この流れに沿って、[[2014年]][[4月1日]]、[[第2次安倍内閣]]は[[武器輸出三原則]]を改定して[[防衛装備移転三原則]]を新たに策定した。これまでの兵器の全面的な禁輸から、厳格な審査を前提にした武器の国際共同開発、輸出入が可能となったため、従来の武器の国産重視政策を転換して、国際共同開発を推進することとなった<ref>{{cite news |title=武器の「国産重視」転換へ 防衛省、国際共同開発を推進|newspaper=[[朝日新聞]] |date=2014-4-4 |url=http://www.asahi.com/articles/ASG436F94G43UTFK01M.html |accessdate=2014-4-7| author=今野忍}}</ref><ref>{{Cite web|和書|title=防衛装備移転三原則について |publisher=[[防衛省]] |date=2014-4-1|url=http://www.mod.go.jp/j/press/news/2014/04/01a.html |accessdate=2014-5-25 }}{{リンク切れ|date=2021年9月}}</ref>。
2013年11月13日、日本船籍の船に、[[小銃]]などで武装した民間人の乗船を認める日本船舶警備特別措置法が成立した。[[アデン湾]]などの[[海賊]]多発海域に限るが、日本において、民間人の防衛目的での銃武装を認める初めての法律である<ref>{{cite news |title=日本船に小銃警備員 海賊対策措置法が成立 |newspaper=[[日本経済新聞]] |date=2013-11-13 |url=http://www.nikkei.com/article/DGXNASFS1204N_T11C13A1EB1000/|accessdate=2014-5-25 }}</ref><ref>{{cite news |title=日本船にも武装警備員OK 海賊対策で特措法成立、民間人武装を初規定 |newspaper=[[産経新聞]] |date=2013-11-13| url=http://sankei.jp.msn.com/politics/news/131113/plc13111312400007-n1.htm |accessdate=2014-5-25 }}{{リンク切れ|date=2021年4月}}</ref>。
2014年5月9日、日本は[[武器貿易条約]]を批准した<ref>{{cite news |title=武器貿易条約を批准 日本は32カ国目 |newspaper=[[朝日新聞]] |date=2014-5-10 |url=http://www.asahi.com/articles/ASG597JM3G59UHBI02W.html |accessdate=2014-5-25 |author=春日芳晃}}</ref>。
== 玩具としての武器 ==
子供の遊びの中で武器に形状や機能を模した玩具を武器と呼び利用する場合がある。[[雪合戦]]の雪球やチャンバラの刀、輪ゴム、[[水鉄砲]]などが例として挙げられる。また祭りやパーティの余興、舞台の小道具として、一般物が武器に模して使われることがある。パイ投げのパイ、トマト祭りの[[トマト]]、[[コント]]の[[ハリセン]]などの使用が見られる。
ただし、いずれの場合でも用法によっては凶器となる場合があるため、使用には注意を必要とする。
== スポーツに用いられる武器 ==
スポーツには武器を操る能力を計測する競技や、武器を用いて直接戦闘を行う対人競技もある。スポーツ本来の意義には肉体鍛錬や戦闘訓練といった要素もあるため、武器の使用や戦闘を行うスポーツは特別なものではない。
記録を競うものは、武器の能力や特性をいかすため、実戦さながらの威力をもったものが多い。これらの競技では[[クレー射撃]]や[[ライフル射撃]]、[[やり投]]、[[流鏑馬]]などがある。元は力比べから発展した[[砲丸投]]や[[ハンマー投]]も武器投擲競技の一種と言える。武器の操法を競うものでは武術の[[演武]]がある。これら演武用の武器は房(ふさ)や動きを良く見せる効果をもたせたものが多い。新体操のクラブ(棍棒)も操法を見せる競技の一種である。
直接戦闘を行う競技では、かつて練習用の武器として使用されていたような威力を弱めた武器を使用して競技を行う。直接的に戦闘を行うため危険性が高く、厳密なルールを制定し防具を着用して闘うものがほとんどである。[[剣道]]の[[竹刀]]や[[フェンシング]]のフルーレ、[[スポーツチャンバラ]]のエアーソフト剣がある。特殊なものでは牛と戦闘するスペインの[[闘牛]]がある。また[[ロデオ]]には[[ウマ|馬]]にロープをかけて捕縛する種目がある。
スポーツ狩猟は欧米発祥のものが有名だが、日本でも[[鷹狩]]や巻狩が軍事演習を兼ねて行われた。近年は動物愛護運動の高まりや鉛弾汚染からスポーツ狩猟は厳しい規制がされる傾向にある。
== 象徴・祭器としての武器 ==
武器は単なる道具としての能力以外に、何らかの象徴や祭器としての役割を持つ場合がある。それら儀礼的な武器の中には装飾が施されたり儀礼性が高められた結果、実用性を失ったものも多い。
まず武器の本質が暴力装置であり死をもたらす道具であるため、武器のもつ意味合いも基本的には暴力的で不吉である。不吉であるがゆえに畏敬の念をもって扱われ、武器の製作にあたり神に祈りを捧げる習慣は珍しくない。そのような武器の使用には能力と責任が伴うと考え、これが特権的な要素と結びつくこともある。
伝統的武器では純粋な戦闘用として作られた武器ほど「武威を示す」意味合いが強くなり、逆に構造が単純であったり道具的なものは野蛮として忌避する傾向がある。
まず武器の性質そのものである「武力」や[[暴力]]を指し示す場合である。[[海賊旗]]の中でもドクロの下に交差する曲刀などはこの類と言える。国旗や国章の意匠として用いられる場合はさらに複雑な意味合いをもち、[[グアテマラの国旗]]には中央で十字になっているライフルが描かれ、「グアテマラを守るためには戦争をも辞さない意志」を表す。[[モザンビークの国旗]]に描かれたライフル銃([[AK-47]])は、「独立への苦闘」を表している。他にもアフガニスタンや[[ガンビアの国章|ガンビア]]、フィンランドなど剣や銃を意匠の一部とする国は多い。
次に武器が[[権力]]の象徴となる例である。古代では権力の裏付けとなる基礎価値が、暴力あるいは神秘性に求められ、また、テクノロジーの結晶であり希少価値・財産的価値の高い武器が所持品となるからでもある。これら権力には[[王権]]と[[神権]]がありそれぞれに分離する場合があり、前者では西洋の武器が、後者では聖職者のもつ職杖が特に知られている。日本の[[天叢雲剣]](草薙の剣)は三種の神器の中では天皇の持つ武力の象徴とされている。
武器が社会的地位の象徴となることも多い。武器を扱うに足る責任と能力を得た「成人」の証として武器が贈られる習慣は世界中で見ることができる。明治時代では武器の没収に関連して反乱が起きたこともあった。古代中国では指揮官を任ずるにあたり軍権の象徴として黄金のまさかりをあたえる習慣があった。
武器が民族の象徴として扱われることがある。[[フランク人]]が用いた[[フランキスカ]]、[[サクソン人]]の[[スクラマサクス]]などのように、民族の名を冠した武器がある。
民族が用いたから武器にその名が付いたのか、逆に武器から民族名が付いたのかは意見が分かれているが、武器が民族の象徴となっていることに変わりはない。歴史的経緯から特定の武器に愛着や誇りを持つ民族も多い。
武器の威力や金属の輝きは武器に神秘性を与え呪術的な要素となった。死を与えるものが武器であり、いけにえや供物をさばくのには聖別された儀式用の短剣や斧が用いられる。刃をもった武器は扱い方を誤ると自らを傷つけるため禍々しい性格を備えているが、凶事をもって凶事を制する考え方や、「断つ」という性質から、魔や悪影響を断つ魔よけとして[[守り刀]]のようにも用いられる。他にも魔よけや縁起物としての武器は[[破魔矢]]、[[梓弓]]などと数多い。
斧は武器の中でも特に呪術的要素が多く、雷斧信仰は世界中で見ることができる。雷と斧の関連については、落雷の後で雨によって土壌が洗い流され石器斧が見つかることがあり、これを天から降った雷神の持ち物と考えていたとする説(天狗の鉞)や、雷が木を断つことから、同種に木を断つ斧も雷と関連づけたとする説などがある。雷は激しい雨を伴うことが多いため、農耕民族にとり豊穣をもたらす存在であった。そして斧もまた豊穣を示す祭器として儀式に用いられた。一方、供犠用の祭器としても斧はポピュラーである。
例えば「義」という漢字は羊を斧で解体する様子を示し、これに牛を加え「犠」となると家畜の生け贄を指し示す漢字となる。また、罪人の首を切り死を与えるのも斧の役目である。
== 架空の武器 ==
武器は神話や英雄譚に欠かせない道具として物語に色を添える存在である。また実際の武器が誤解や歴史的偶然によって伝説を生む場合がある。現在も戦闘を主軸とする漫画や小説に欠かせないアイテムとして様々な武器が生み出されている。
; 超自然的な武器
: 神話や民間伝承に登場し神や英雄によって使用される武器のほとんどは超自然的な能力を秘めている。「必ず命中する」、「投げつけても戻ってくる」といった武器そのものの性質を強化する武器や、「持ち主は傷つかない」、「持っていれば必ず戦争に勝つ」のような事象そのものを操る力を備えることが散見される。特に自然神がもつ武器はその神性を現したものが多く、特殊な金属や自然の力そのものを鍛えた武器すらある。海の神ポセイドンの三つ又の槍([[トリアイナ|トライデント]])、雷神[[トール]]の[[ミョルニル]]などが有名である。また杖としてアスクレピオスの杖などと、ある特定の象徴として用いられることがある。
: 現代に創作される作品にも超自然的な武器は登場して重要な役割を果たしている。[[ストームブリンガー]]が登場する[[エターナル・チャンピオンシリーズ]]などが有名である。魔法だけにとどまらず科学を組み合わせ、魔力を発射する銃が登場する作品も存在する。
; 誇張された武器
: [[日本刀]]や[[ダマスカス鋼|ダマスカス刀]]の切れ味は「鉄を容易に断つ」と誇張された伝説を生んでいる。日本では[[村正]]が妖刀として知られ、幕末期に倒幕派の志士が好んで求めた。これらは実際の武器が伝説化した例である。実際には切れ味が劣化しやすく、長持ちしないというのが実情である(固い物と打ち合えば刃こぼれは確実で、最悪の場合は刀身が折れてしまう)。
: [[三国志]]で[[関羽]]が使用する[[青龍偃月刀]](大刀の一種)や[[張飛]]が使用する[[蛇矛]]は、三国志の時代にはまだ存在していない後世の武器であり、架空の武器の一種とも言える。伝説というほどではないが、フィクションにおける武器の描写は実際よりも誇張が行われることが多く、例えば[[時代劇]]の殺陣で軽々とふりまわされる日本刀や、[[マカロニ・ウェスタン|西部劇]]で被弾により人間が吹き飛ぶ様などは、演出として実際とはかけ離れた描写をされている。
: 道具の能力を誇張し武器として扱うケースもある。[[インディ・ジョーンズ シリーズ]]での活躍で知られる[[鞭]]はその代表格と言える。[[ロールプレイングゲーム]]でも鞭が武器として登場する作品があるが、実際の紐状の鞭は本格的な戦闘に耐えられるような代物ではない。その他では、[[ヨーヨー]]、[[カード]]、[[ワイヤ]]、[[独楽]]などがそのイメージから武器として使用される。
; SF作品の武器
: SFにおいては化学エネルギーを用いたものが多い。実際に理論自体は確立している武器もあり、それらは技術的な新発見があればすぐにも実用化される可能性がある。熱線を放射するヒートガンや[[ブラスター]]、[[光線銃|レーザー銃]]、熱に加え、物理的なエネルギーを発射する[[プラズマ砲]]。それとは逆の冷凍銃、電磁誘導を利用した[[レールガン]]や[[コイルガン]]、荷電粒子を射出する[[荷電粒子砲]]。超小型の針をばらまく[[ニードルガン|短針銃]]など。他に重力、音波、磁力、核、空気など様々である。エネルギー刃をつくりだす[[ライトセーバー]]などもある。
== 武器の分類 ==
武器の種類は多彩で、区分の仕方により様々な分類が可能である。主な区分としてサイズ・形状・用途によって分類される。
以下ではそれら武器の分類法の一部をとりあげる。
* 射程による分類 - 近距離で[[白兵戦]]に用いられる「近接武器(近距離武器)」、遠距離で射撃される「遠距離武器」。
* 用法による分類 - 近距離の白兵戦に用いられる「近接武器」と、投射・射撃される「[[飛び道具]]」。
* 性質による分類 - 爆弾や銃のように火薬を使用する「[[火器]](火兵器)」と、火器以外の伝統的な武器「冷器([[冷兵器]])」。
* 役割による分類 - 暗殺や護身に用いられる隠密性を重視した[[暗器]]。
* 構造による分類 - 刀、剣、斧、槍、戦鎚など。
* 中国での著名な武器の操法および分類法に「武芸十八般」がある。[[水滸伝]]では[[矛]]、[[錘 (武器)|錘]]、[[弓 (武器)|弓]]、[[弩]]、[[銃]]、[[鞭]]、簡(鞭と同種)、[[剣]]、鏈([[多節棍]])、抓(鉤爪を持つ武器)、[[斧]]、鉞、[[戈]]、[[戟]]、[[盾]]、[[棍棒|棒]]、[[槍]]、[[扠]](さすまた)の十八に分類されている。
; 例:日本刀の分類
:# 刃物をもつ刀剣類は、片刃の刀、両刃の剣に大きく分けられる。
:# 刀はさらに形状により、直刀、彎刀(曲刀)に分かれる。
:# 地域性から平安時代以降の日本の彎刀は日本刀と分類される。
:# 製作された時代、形状、造り込み、反り、茎、鋩子、切っ先、地肌、地刃などによって細分類される。
== 主な武器の種類 ==
{{雑多|date=2022年10月|section=1}}
=== [[刀剣]]類 ===
細長く扁平で、少なくとも片側が刃になっているもの。基部には握りがあり、主としてこれを握って扱う。握りが長いものは下記の竿状武器に含める。
材質は少なくとも刃の部分は金属製で、刃の部分は切れ味がよく、普段は危険なので鞘に収められることが多い。形状は様々であるが、片刃と両刃がある。握りと刃との間に段差をつける例が多く、つばという。これは握る手が刃のところに行くのを避けるもので、同時に敵の武器を受ける際には自分の手を守る役割も果たす。
使い方としては刃のある側でこするか叩くかして切る方法と、先端で突く方法がある。
起源:[[ナイフ]]
* [[刀]]
** [[中国刀]]
*** [[柳葉刀]]
*** [[胡蝶刀]]
** [[カットラス]]
** [[シャムシール]](シミター)
** [[ショーテル]]
** [[タルワール]]
** [[サーベル]]
** [[スクラマサクス]]
** [[ファルシオン]]
** カンピラン
** [[ククリ]]
** [[コラ (刀)]]
** [[直刀]](反りの無い刀)
** [[日本刀]]
*** [[太刀]]
**** [[大太刀|野太刀・大太刀]]
***** [[長巻]]
***** [[苗刀]]
**** [[小太刀]]
*** [[刺刀]]
*** [[打刀]]
**** [[脇差]]
**** [[軍刀]]
* [[剣]]
** [[アキナケス]]
** [[グラディウス (武器)|グラディウス]]
** [[グレートソード]]
** [[ショートソード]]
** スモールソード
** [[ブロードソード]]
*** [[カッツバルゲル]]
** [[エストック]]
*** [[レイピア]]
** [[ロングソード]]
** [[バスタードソード]]
*** [[ツーハンデッドソード]]
**** [[クレイモア]]
** [[中国剣]]
*** 単剣
****双手剣
* 短剣
** [[ダガー]]
** [[ソードブレイカー]]
** [[マインゴーシュ|マン=ゴーシュ]]
** [[ジャマダハル]](いわゆるカタール)
** [[パタ]]
** [[フランベルジェ]](剣身の形状の一つの総称。中国剣にも存在)
=== [[鈍器]]類===
* [[棍棒]]
** [[メイス]](槌矛)
** 大鎚
* 棍・棒
** [[杖]]
** [[半棒術|半棒]]
** [[警棒]]
** [[特殊警棒]]
** [[警杖]]
** [[六尺棒]](クォータースタッフ)
** [[多節棍]]
*** [[ヌンチャク]]
*** [[三節棍]]
*** [[七節棍]]
*** その他多節鞭
** [[金砕棒]]
* [[ブラックジャック (武器)|ブラックジャック]]
** レザービリー
** [[クボタン]]
* [[フレイル]](連接棍棒)
* [[モーニングスター (武器)|モーニングスター]]
* [[狼牙棒]]
* [[鎖鎌]]
* [[分銅鎖]]
** [[流星錘]]
* [[スルチン]]
* [[錘 (武器)|錘]]
* [[釘バット]]
* [[ゲバルト棒]]
=== 竿状武器([[ポールウェポン]]) ===
* [[ウォーハンマー]]
* [[戦斧]]
** [[トマホーク]]
* [[槍]]
** 手槍
** 管槍
** 鎌槍
*** 十文字槍
** [[トリアイナ|トライデント]]
** [[パイク]]
**[[グレイブ]]
** [[ランス (槍)|ランス]]
* [[バルディッシュ]]
* [[ハルバード]](鉾槍)
** ギサルム
* パルチザン
* ミリタリーフォーク
* [[大刀 (中国の武器)|大刀]]
* [[薙刀]]
* [[薙鎌]]
* [[戈]]・[[矛]]
** [[戟]]
** [[蛇矛]]
* 月牙鏟
=== 投擲武器 ===
* [[投擲]](武器)
** [[印地]](投石)
*** [[打根]]
**** [[手裏剣]](太針系・短刀系)
**** ダーク(短剣)
** [[手榴弾]]
** [[火炎瓶]]
** [[チャクラム]]
** [[ブーメラン]]
** [[ボーラ (武器)|ボーラ]]
* 投擲(補助)
** 投槍器(スピアスローワー)
** [[投石器]]([[スリングショット]])
=== 射出武器 ===
* [[吹き矢]]
* [[弓矢]]
* [[クロスボウ]]
** [[弩]]
* [[火槍]]
* [[銃]]
** [[拳銃]]
** [[散弾銃]]
** [[機関銃]]
*** [[重機関銃]]、[[軽機関銃]]
*** [[短機関銃]]、[[PDW]]
** [[小銃]]、[[ライフル銃|ライフル]]、[[アサルトライフル]]、[[狙撃銃]]
*** [[銃剣]]
*** [[グレネードランチャー]]、[[対戦車ミサイル]]、
* [[火炎放射器]]
* [[催涙スプレー]]
==== [[暗器]]・格闘武器 ====
* 手裏剣
* [[鉄柱 (武器)|鉄柱]]
* [[簪]]
* [[寸鉄]]
**[[クボタン]]
**ヤワラ、ヤワラスティック、ジュードースティック
* [[鉄拳 (武器)|鉄拳]]
* [[角指]]
* [[猫手]]
* [[ナックルダスター]]
* [[トンファー]]
* [[鉄甲]]
=== その他の武器 ===
* [[釵]]
* [[鎌]]
* 草鎌
* [[鍬]]
* [[木刀]]
* [[鞭]]
* [[扇子|鉄扇]]
* [[スタンガン]]
* 陰陽鶏爪鋭
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
<references />
== 参考文献 ==
{{参照方法|section=1|date=2022年10月}}
* 『改訂増補 刀工総覧』川口陟・飯田一雄(校訂) [[刀剣春秋新聞社]]・[[宮帯出版社]](発売) ISBN 9784885830082
* 『金工事典』若山泡沫・飯田一雄(校訂) [[刀剣春秋新聞社]]・[[宮帯出版社]](発売) ISBN 9784885830174
* 『アイテム・コレクション』 [[安田均]]・[[グループSNE]] 富士見文庫 ISBN 9784829142271
* 『図説 西洋甲冑武器事典』三浦権利 [[柏書房]] ISBN 9784760118427
* 『武器辞典』 市川定春 新紀元社 ISBN 9784883172795
* 『武器と防具・日本編』 戸田藤成 新紀元社 ISBN 9784883172313
* 『武器と防具・中国編』 篠田耕一 新紀元社 ISBN 9784883172115
* 『武器と防具・西洋編』 市川定春 新紀元社 ISBN 9784883172627
* 『武勲の刃』 市川定春・怪兵隊 新紀元社 ISBN 9784915146237
* 『魔導具事典』 [[山北篤]]・稲葉義明 新紀元社 ISBN 9784775300350
* 『図説・日本武器集成』決定版 歴史群像シリーズ 歴史群像シリーズ編集部 編 [[学研ホールディングス|学習研究社]] ISBN 9784056040401
* 『図説・中国武器集成』決定版 歴史群像シリーズ 歴史群像シリーズ編集部 編 学習研究社 ISBN 9784056044317
* 『刀剣甲冑手帳』 刀剣春秋編集部 編 [[刀剣春秋新聞社]]・[[宮帯出版社]](発売) ISBN 9784863660632
* 『中国武術兵器法』 青木嘉教 [[愛隆堂]] ISBN 9784750202334
* 『隠し武器総覧』 名和弓雄 壮神社 ISBN 9784915906367
* 『図解隠し武器百科』 名和弓雄 壮神社 ISBN 9784404008077
* 『武器 歴史・形・用法・威力』 ダイヤグラムグループ 編 マール社 ISBN 9784837307068
* 『図説 中国の伝統武器』 伯仲 著 中川友 訳 マール社 ISBN 9784837306320
* 『F-Files No.007 図解 近接武器』 大波篤司 新紀元社 ISBN 4775304933
* 『世界の「武器・防具」バイブル 西洋編』 クリエイティブ・スイート 編 PHP研究所 ISBN 9784569795867
* 『動くポーズ集5 武器編』 マール社編集部 編 マール社 ISBN 4837302912
* 『戦う!和風武器イラストポーズ集』 両角潤香、みずなともみ 著 早瀬重希 監修 マール社 ISBN 9784837305309
* 『図解「武器」の日本史 -その知られざる威力と形状-』 [[戸部民夫]] KKベストセラーズ ISBN 9784584121153
* 『歴史人 2011年8月号』 KKベストセラーズ 雑誌コード 1969108
* 『【決定版】図説忍者と忍術 忍器・奥義・秘伝集』 歴史群像シリーズ 歴史群像シリーズ編集部 編 学研マーケティング ISBN 4056048142
* 『【決定版】忍者・忍術・忍器大全』 都市鉄道研究会 著 歴史群像編集部 編 学習研究社 ISBN 4054041205
* 『F-Files No.022 図解 中国武術』 小佐野淳 著 新紀元社 ISBN 9784775306697
* 『図説 武術事典』 小佐野淳 著 新紀元社 ISBN 4775301918
* 『図説シリーズ 武器術』 小佐野淳 著 新紀元社 ISBN 9784775305096
* 『世界武道格闘技大百科』 クリス・クルデリ 著 川成洋、フル・コム 共訳 東邦出版 ISBN 9784809408700 C0075
* 『戦略戦術兵器大全【中国古代~近代編】』 歴史群像シリーズ特別編集 歴史群像シリーズ編集部 編 学研マーケティング ISBN 4056063443
* 『戦略戦術兵器大全【日本戦国編】 歴史群像シリーズ特別編集 歴史群像シリーズ編集部 編 学研マーケティング ISBN 4056063435
* 『騎士道百科図鑑』 コンスタンス・B・ブシャード 監修 悠書館 ISBN 9784903487434
* 『武器と防具 幕末編』 幕末軍事史研究会 著 新紀元社 ISBN 9784775305508
* 『別冊宝島2219 日本の武器と武芸』 別冊宝島 [[宝島社]] ISBN 9784800228345
* 『武器の歴史大図鑑』 リチャード・ホームズ 編 五百旗頭真、山口昇 監修 山崎正浩 訳 創元社 ISBN 9784422215211
* 『図解 世界の武器の歴史 石斧から自動火器まで』 チャック・ウィルズ 著 山口昇 監修 堀口容子 翻訳 グラフィック社 ISBN 9784766127881
== 関連項目 ==
{{wikiquote|武器}}
{{commons|Category:Weapons}}
{{wiktionary}}
* [[武具]]
* [[防具]]
* [[兵器]]
* [[火器]]
* [[刀剣の業物一覧]]
* [[日本刀一覧]]
* [[古武道]]
* [[中国武術]]
* [[中国武術一覧]]
* [[架空の武器]]
== 外部リンク ==
* [http://arms.cybrary.jp/ 武器図書館]
* [http://www.gaopu.com/ 中国武術・武器博物館]
* [http://www.paw.hi-ho.ne.jp/ryukyu-kbujut/ 琉球古武術保存振興会]
* [http://www.issh.jp/satoh/museum/index.html 財団法人:佐藤博物館]
* [http://seriwos.web.fc2.com/ 大将軍芹雄の邸]
* [http://www58.tok2.com/home/hermitage/ 庵のある森の入り口]
* {{Wayback|url=http://www2d.biglobe.ne.jp/~yamaka/ |title=JAPANESE SWORD |date=19990117023259}}
* [http://www.katchu.com/ 甲冑 KATCHU.COM]
* [http://lofka.michikusa.jp/ 刀匠の書斎]
* [http://www.pakupaku.com/game/ 木偶工房]
* [http://asher7.fc2web.com/ 古屋敷『サリシャガンの虎』]
* [http://shinobinoshu.the-ninja.jp/ アーバン忍者東京]
* {{Kotobank}}
{{normdaten}}
{{デフォルトソート:ふき}}
[[Category:武器|*]]
|
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16,210 |
社日
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社日(しゃにち)は、雑節の一つで、産土神(生まれた土地の守護神)を祀る日。春と秋にあり、春のものを春社(しゅんしゃ、はるしゃ)、秋のものを秋社(しゅうしゃ、あきしゃ)ともいう。古代中国に由来し、「社」とは土地の守護神、土の神を意味する。
春分または秋分に最も近い戊(つちのえ)の日が社日となる。ただし戊と戊のちょうど中間に春分日・秋分日が来る場合(つまり春分日・秋分日が癸(みずのと)の日となる場合)は、春分・秋分の瞬間が午前中ならば前の戊の日、午後ならば後の戊の日とする。またこのような場合は前の戊の日とする決め方もある。
この日は産土神に参拝し、春には五穀の種を供えて豊作を祈願し、秋にはその年の収獲に感謝する。また、春の社日に酒を呑むと耳が良くなるという風習があり、これを治聾酒(じろうしゅ)という。島根県安来市社日町などが地名として残っている。
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社日(しゃにち)は、雑節の一つで、産土神(生まれた土地の守護神)を祀る日。春と秋にあり、春のものを春社(しゅんしゃ、はるしゃ)、秋のものを秋社(しゅうしゃ、あきしゃ)ともいう。古代中国に由来し、「社」とは土地の守護神、土の神を意味する。 春分または秋分に最も近い戊(つちのえ)の日が社日となる。ただし戊と戊のちょうど中間に春分日・秋分日が来る場合(つまり春分日・秋分日が癸の日となる場合)は、春分・秋分の瞬間が午前中ならば前の戊の日、午後ならば後の戊の日とする。またこのような場合は前の戊の日とする決め方もある。 この日は産土神に参拝し、春には五穀の種を供えて豊作を祈願し、秋にはその年の収獲に感謝する。また、春の社日に酒を呑むと耳が良くなるという風習があり、これを治聾酒(じろうしゅ)という。島根県安来市社日町などが地名として残っている。
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'''社日'''(しゃにち)は、[[雑節]]の一つで、[[産土神]](生まれた土地の守護神)を祀る日。春と秋にあり、春のものを'''春社'''(しゅんしゃ、はるしゃ)、秋のものを'''秋社'''(しゅうしゃ、あきしゃ)ともいう。古代中国に由来し、「社」とは土地の守護神、土の神を意味する<ref name="gyouji">「年中行事事典」p374 [[1958年]]([[昭和]]33年)[[5月23日]]初版発行 [[西角井正慶]]編 東京堂出版</ref>。
[[春分]]または[[秋分]]に最も近い[[戊]](つちのえ)の日が社日となる<ref name="gyouji"/>。ただし戊と戊のちょうど中間に春分日・秋分日が来る場合(つまり春分日・秋分日が[[癸]](みずのと)の日となる場合)は、春分・秋分の瞬間が午前中ならば前の戊の日、午後ならば後の戊の日とする。またこのような場合は前の戊の日とする決め方もある。
この日は[[産土神]]に参拝し、春には[[五穀]]の種を供えて[[豊作]]を祈願し、秋にはその年の収獲に感謝する。また、春の社日に酒を呑むと耳が良くなるという風習があり、これを治聾酒(じろうしゅ)という。島根県安来市社日町などが地名として残っている。
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|2024年||3月15日||9月21日
|-
|2025年||3月20日||9月26日
|}
== 脚注 ==
<references />
[[Category:雑節|しやにち]]
[[Category:3月|しやにち]]
[[Category:9月|しやにち]]
[[Category:土地神]]
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2003-09-11T06:38:20Z
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16,211 |
切り札
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切り札(きりふだ)は、トランプなどのカードゲーム、主にトリックテイキングゲームにおいて、最も強い札のことである。転じて、物事の帰趨を決する局面などで、その行方を左右する人物や物に対して使われるようになった。
知られるかぎり切り札が最初に使われたのは「トリオンフィ(trionfi)」というゲームで、タロットは本来はこのゲームを遊ぶ目的で作られた。「トリオンフィ」という言葉は、フィレンツェの1440年の文献に記載されており、初期にはタロット自身を指していたようだが、後にタロットを使ったゲームの名称になった。
トリオンフィと同時期かやや早くからあったゲームに Imperatori(1423初出)や Karnöffel(1426初出)などがあった。後者は特定のスートの一部のカードに悪魔・法王・皇帝などの絵が描かれていて、それらのカードが切り札として働くものだったらしい。
タロットでは専用の切り札21枚および愚者という特殊なカードが付け加えられた(オカルトの世界では大アルカナと呼ばれる)が、後世になると、通常のトランプのスートのうちひとつを切り札とするようになっていった。
英語で切り札のことを「trump」というが、この言葉自体「trionfi」に対応する英語「triumph」に由来する。
日本語ではカード自体を「トランプ」というので、切り札の意味のトランプと混乱しないように注意する必要がある。
通常ひとつのスートをまるごと切り札とするが、その決め方はゲームによってさまざまに異なる。
もちろん、切り札がないトリックテイキングゲームや、切り札を「なし(ノー・トランプ)」にできるトリックテイキングゲームも多い。
ゲームによっては、スート以外によって決まる切り札がある。たとえば、日本のナポレオンでは、ジョーカー・スペードのA・裏ジャックなどが切り札になる。中国の升級では、切り札のランクがあり、そのランクに属する4枚のカードはすべて切り札とみなされる。チェコのセドマというゲームではスートが意味を持たず、したがって切り札スートもないが、7が切り札ランクとして働く。ドイツのシャーフコップフをフランス式トランプでやるようにした変種では、ダイヤのほかにクイーンとジャックが切り札で、その順位はQ♣>Q♠>Q♥>Q♦>J♣>J♠>J♥>J♦>A♦>10♦>K♦>9♦>8♦>7♦となる。このような切り札を切り札のスートに属するとみなすかどうかはゲームにより異なる。
トランプ以外でも、トリックテイキングゲームを行うことがある。たとえばドミノを使った「42」というゲームでは、特定の目を持つ札を切り札とする。
神札の一種に「切り札」というものがあるが、上記とは無関係である。
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"text": "神札の一種に「切り札」というものがあるが、上記とは無関係である。",
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] |
切り札(きりふだ)は、トランプなどのカードゲーム、主にトリックテイキングゲームにおいて、最も強い札のことである。転じて、物事の帰趨を決する局面などで、その行方を左右する人物や物に対して使われるようになった。
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{{Otheruses|ゲーム用語|同名の[[cinema staff]]の楽曲|sOLUTION E.P.}}
'''切り札'''(きりふだ)は、[[トランプ]]などの[[カードゲーム]]、主に[[トリックテイキングゲーム]]において、最も強い札のことである。転じて、物事の帰趨を決する局面などで、その行方を左右する人物や物に対して使われるようになった。
==歴史==
知られるかぎり切り札が最初に使われたのは「トリオンフィ(trionfi)」というゲームで、[[タロット]]は本来はこのゲームを遊ぶ目的で作られた。「トリオンフィ」という言葉は、[[フィレンツェ]]の1440年の文献に記載されており<ref>[http://trionfi.com/giusto-giusti STUDIES ON GIUSTO GIUSTI by Franco Pratesi, 09.07.2012] (trionfi.com)</ref>、初期にはタロット自身を指していたようだが、後にタロットを使ったゲームの名称になった。
トリオンフィと同時期かやや早くからあったゲームに Imperatori(1423初出)や [[:en:Karnöffel|Karnöffel]](1426初出)などがあった。後者は特定のスートの一部のカードに悪魔・法王・皇帝などの絵が描かれていて、それらのカードが切り札として働くものだったらしい<ref>[http://trionfi.com/0/c/ Imperatori, Karnöffel and others] (trionfi.com)</ref>。
タロットでは専用の切り札21枚および愚者という特殊なカードが付け加えられた(オカルトの世界では[[大アルカナ]]と呼ばれる)が、後世になると、通常のトランプのスートのうちひとつを切り札とするようになっていった。
英語で切り札のことを「trump」というが、この言葉自体「trionfi」に対応する英語「triumph」に由来する。
日本語ではカード自体を「トランプ」というので、切り札の意味のトランプと混乱しないように注意する必要がある。
==トランプにおける切り札==
通常ひとつの[[スート]]をまるごと切り札とするが、その決め方はゲームによってさまざまに異なる。
* 切り札があるスートに固定されているもの。[[スペード (トランプゲーム)|スペード]]など。
* 切り札が回ごとに変わっていくもの。[[ツーテンジャック]]など。
* オープニングリードされたカードのスートが切り札になるもの。イギリスの[[ナポレオン (イギリスのトランプゲーム)|ナポレオン]]など。
* カードをある決まりにしたがって引いて、そのカードのスートが切り札になるもの。[[ホイスト]]・[[ドゥラーク]]・ベジーク([[:en:Bezique|英語版記事]])など。
* 切り札を競り(ビッド)によって決めるもの。競りに勝ったものの宣言したスートが切り札になる。競りの最中に切り札を宣言するものと、競りが終わってから競りに勝った競技者が切り札を決定するものがある。[[コントラクトブリッジ]]・[[ピノクル]]・日本の[[ナポレオン (日本のトランプゲーム)|ナポレオン]]など。
もちろん、切り札がないトリックテイキングゲームや、切り札を「なし(ノー・トランプ)」にできるトリックテイキングゲームも多い。
ゲームによっては、スート以外によって決まる切り札がある。たとえば、日本の[[ナポレオン (日本のトランプゲーム)|ナポレオン]]では、[[ジョーカー (トランプ)|ジョーカー]]・スペードのA・裏ジャックなどが切り札になる。中国の[[升級]]では、切り札のランクがあり、そのランクに属する4枚のカードはすべて切り札とみなされる。[[チェコ]]の[[セドマ]]というゲームではスートが意味を持たず、したがって切り札スートもないが、7が切り札ランクとして働く<ref>Parlett, David (1992,2004) 『The A-Z of Card Games』 Oxford University Press による。英語版のWikipedia([[:en:Sedma]])に記されているルールでは、7はワイルドカードだが切り札ではない。</ref>。ドイツの[[シャーフコップフ]]をフランス式トランプでやるようにした変種では、ダイヤのほかにクイーンとジャックが切り札で、その順位は{{cards|qc}}>{{cards|qs}}>{{cards|qh}}>{{cards|qd}}>{{cards|jc}}>{{cards|js}}>{{cards|jh}}>{{cards|jd}}>{{cards|ad}}>{{cards|10d}}>{{cards|kd}}>{{cards|9d}}>{{cards|8d}}>{{cards|7d}}となる。このような切り札を切り札のスートに属するとみなすかどうかはゲームにより異なる。
==トランプ以外の切り札==
トランプ以外でも、トリックテイキングゲームを行うことがある。たとえば[[ドミノ]]を使った「42」というゲームでは、特定の目を持つ札を切り札とする。
==その他==
[[神札]]の一種に「切り札」というものがあるが、上記とは無関係である。
== 脚注 ==
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== 関連項目 ==
* [[ジョーカー]]
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16,212 |
彼岸
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彼岸(ひがん)とは、日本の雑節の一つで、春分・秋分を中日(ちゅうにち)とし、前後各3日を合わせた各7日間(1年で計14日間)である。この期間に行う仏事を彼岸会(ひがんえ)と呼ぶ。
最初の日を「彼岸の入り」、最後の日を「彼岸明け」(あるいは地方によっては「はしりくち」)と呼ぶ。
俗に、中日に先祖に感謝し、残る6日は、悟りの境地に達するのに必要な6つの徳目「六波羅蜜」を1日に1つずつ修める日とされている。
サンスクリットのpāram(パーラム)の意訳であり、仏教用語としては、「波羅蜜」(Pāramitā パーラミター)の意訳「至彼岸」に由来する。
Pāramitāをpāram(彼岸に)+ita(到った)、つまり、「彼岸」という場所に至ることと解釈している。悟りに至るために越えるべき渇愛や煩悩を川(暴流)に例え、その向こう岸に涅槃があるとする(三途川とは無関係)。
ただし、「波羅蜜」の解釈については異説が有力である。
浄土思想でいう「極楽浄土」(阿弥陀如来が治める浄土の一種、西方浄土)は西方にあり、1年の内で2度、昼と夜との長さが同じになる春分と秋分は、太陽が真東から昇り、真西に沈むので、西方に沈む太陽を礼拝し、遙か彼方の極楽浄土に思いをはせたのが彼岸の始まりである。昼夜・東西が平行になるお彼岸の時期には、「あの世」へのゲートが開くといわれてきた。現在ではこのように仏教行事として説明される場合が多い。それがやがて、祖先供養の行事へと趣旨が変わって定着した。
しかし、彼岸の行事は日本独自のものでインドや中国の仏教にはないことから、民俗学では、元は日本古来の土俗的な太陽信仰や祖霊信仰が起源だろうと推定されている。五来重は彼岸という言葉は、豊作を太陽に祈願する太陽信仰の言葉の「日の願い」が、「日願(ひがん)」として、仏教語の「彼岸」と後から結びついたものであるとする。民間習俗と彼岸の名称とその時期とが結合して、仏教行事になり、歳時習俗として生活の中に大きな存在となった、と指摘する。
延暦25年(806年)、日本で初めて仏教行事としての彼岸会が行われた。『日本後紀』延暦25年(806年)2月条に、「毎年春分と秋分を中心とした前後7日間、「金剛般若波羅蜜多経」を崇道天皇(早良親王)のために転読させた」と怨念を鎮めるためであった。そして3月17日に朝廷の太政官から「五畿内七道諸国」の、国分寺の僧に春分・秋分を中心とする7日間に金剛般若波羅蜜経を読ましむ命令が出ていて、これを命じた太政官符では以後恒例とするようにしていて、これが、後に彼岸会になった。
日本で彼岸に供え物として作られる「ぼたもち」と「おはぎ」は同じもので、炊いた米を軽くついてまとめ、分厚く餡で包んだ10cm弱の菓子として作られるのが今は一般的である。各地で手作りされていた時は様々なぼた餅やおはぎがあった。これらの名は、彼岸の頃に咲く牡丹(春)と萩(秋)に由来すると言われる。
日本の気候を表す慣用句に「暑さ寒さも彼岸まで」があり、残寒・残暑は彼岸のころまで続き、彼岸をすぎるとやわらぐという。
俳諧では「彼岸」は春の彼岸を意味し、「彼岸」「彼岸前」「彼岸過」「中日」は春の季語である。
これに対し、秋の彼岸は「秋彼岸」「秋の彼岸」と言う。
春のお彼岸は春分の日(3月21日ごろ)を真ん中にした前後3日の一週間を指す。
秋の彼岸は秋分の日(9月23日ごろ)を中心に挟んだ一週間である。
ちなみに、春分の日と秋分の日が「およそ何日」と曖昧に決められていることには理由がある。
地球は太陽の周りを1年間かけて公転しているが、その時間は365日ちょうどではなく、正確には365日と6時間ほどである。このため、昼夜の長さが同じになる位置(これを春分点、秋分点という)を地球が通過する時期もまたズレていく。例えば、2015年の春分の日は3月21日だが、2016年は3月20日である。ただ、そのままだとズレが広がるばかりなので、4年に一度「うるう日(2月29日)」を挿入してこれを防いでいる。
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彼岸(ひがん)とは、日本の雑節の一つで、春分・秋分を中日(ちゅうにち)とし、前後各3日を合わせた各7日間(1年で計14日間)である。この期間に行う仏事を彼岸会(ひがんえ)と呼ぶ。 最初の日を「彼岸の入り」、最後の日を「彼岸明け」(あるいは地方によっては「はしりくち」)と呼ぶ。 俗に、中日に先祖に感謝し、残る6日は、悟りの境地に達するのに必要な6つの徳目「六波羅蜜」を1日に1つずつ修める日とされている。
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{{出典の明記|date=2017年9月25日 (月) 02:36 (UTC)}}
{{Otheruses|暦の雑節|仏教において目指すべき到達点|涅槃}}
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[[File:Lycoris radiata - Kinchakuda Plateau, Hidaka, Saitama.jpg|thumb|right|300px|[[ヒガンバナ]]]]
'''彼岸'''(ひがん)とは、日本の[[雑節]]の一つで、[[春分]]・[[秋分]]を中日(ちゅうにち)とし、前後各3日を合わせた各7日間(1年で計14日間)である。この期間に行う[[仏事]]を'''彼岸会(ひがんえ)'''と呼ぶ<ref>『[[広辞苑]]』「彼岸会」</ref>。
最初の日を「彼岸の入り」、最後の日を「彼岸明け」(あるいは地方によっては「はしりくち」)と呼ぶ。
俗に、中日に先祖に感謝し、残る6日は、[[悟り]]の境地に達するのに必要な6つの徳目「[[六波羅蜜]]」を1日に1つずつ修める日とされている。
== 起源 ==
=== 語源 ===
[[サンスクリット]]の{{ラテン翻字|sa|pāram}}(パーラム)の意訳であり、仏教用語としては、「[[波羅蜜]]」({{ラテン翻字|sa|Pāramitā}} パーラミター)の意訳「至彼岸」に由来する<ref>『[[大辞泉]]』「彼岸」</ref>。
{{ラテン翻字|sa|Pāramitā}}を{{ラテン翻字|sa|pāram}}(彼岸に)+{{ラテン翻字|sa|ita}}(到った)、つまり、「彼岸」という場所に至ることと解釈している。悟りに至るために越えるべき[[渇愛 (仏教)|渇愛]]や[[煩悩]]を川([[煩悩#暴流|暴流]])に例え、その向こう岸に[[涅槃]]があるとする([[三途川]]とは無関係)<ref>{{Cite journal| |title=On the Metaphor of the Raft in the Mahāparinibbānasutta |author=Thero Ven Randombe Suneetha |journal=The Annals of the Research Project Center for the Comparative Study of Logic |volume=15 |pages=173-181 |date=2018 |naid=120006517938 }}</ref>。
ただし、「波羅蜜」の解釈については異説が有力である。
=== 由来 ===
[[浄土思想]]でいう「[[極楽浄土]]」([[阿弥陀如来]]が治める浄土の一種、西方浄土)は西方にあり、1年の内で2度、昼と夜との長さが同じになる春分と秋分は、太陽が真東から昇り、真西に沈むので、西方に沈む太陽を礼拝し、遙か彼方の極楽浄土に思いをはせたのが彼岸の始まりである。昼夜・東西が平行になるお彼岸の時期には、「あの世」へのゲートが開くといわれてきた。現在ではこのように仏教行事として説明される場合が多い。それがやがて、祖先供養の行事へと趣旨が変わって定着した。
しかし、彼岸の行事は日本独自のものでインドや中国の仏教にはないことから、民俗学では、元は日本古来の土俗的な太陽信仰や祖霊信仰が起源だろうと推定されている。[[五来重]]は彼岸という言葉は、豊作を太陽に祈願する太陽信仰の言葉の「日の願い」が、「日願(ひがん)」として、仏教語の「彼岸」と後から結びついたものであるとする<ref>五来重 『宗教歳時記』 法藏館 2007年、p.28</ref>。民間習俗と彼岸の名称とその時期とが結合して、仏教行事になり、歳時習俗として生活の中に大きな存在となった、と指摘する<ref>伊藤唯真『仏教民俗学大系6 仏教年中行事』 名著出版 2016年、p.35</ref>。
=== 歴史 ===
延暦25年(806年)、日本で初めて仏教行事としての彼岸会が行われた。『日本後紀』延暦25年(806年)2月条に、「毎年春分と秋分を中心とした前後7日間、「金剛般若波羅蜜多経」を崇道天皇([[早良親王]])のために転読させた」と怨念を鎮めるためであった。そして3月17日に朝廷の[[太政官]]から「五畿内七道諸国」の、[[国分寺]]の僧に春分・秋分を中心とする7日間に金剛般若波羅蜜経を読ましむ命令が出ていて、これを命じた太政官符では以後恒例とするようにしていて、これが、後に彼岸会になった<ref>{{CRD|1000160356|彼岸の由来を知りたい|岡山県立図書館}} 2019年10月15日閲覧</ref>。
== 風習 ==
=== 供物 ===
[[日本]]で彼岸に[[供物|供え物]]として作られる「[[ぼたもち]]」と「[[おはぎ]]」は同じもので、炊いた米を軽くついてまとめ、分厚く餡で包んだ10cm弱の菓子として作られるのが今は一般的である。各地で手作りされていた時は様々なぼた餅やおはぎがあった<ref>柳田国男『分類食物習俗語彙』角川書店 1974年、p.70-73、167</ref>。これらの名は、彼岸の頃に咲く[[ボタン (植物)|牡丹]](春)と[[ハギ|萩]](秋)に由来すると言われる<ref>[[山口謠司]]『にほんご歳時記』<PHP新書> 2015年、025「春分のお彼岸」</ref>。
== 時節 ==
=== 気候 ===
日本の気候を表す慣用句に「[[暑さ寒さも彼岸まで]]」があり、[[立春|残寒]]・[[残暑]]は彼岸のころまで続き、'''彼岸をすぎる'''と'''やわらぐ'''という。
=== 季語 ===
[[俳諧]]では「彼岸」は春の彼岸を意味し、「彼岸」「彼岸前」「彼岸過」「中日」は[[春]]の[[季語]]である。
これに対し、秋の彼岸は「秋彼岸」「秋の彼岸」と言う。
== 季節 ==
=== 春 ===
[[春]]のお彼岸は[[春分]]の日(3月21日ごろ)を真ん中にした前後3日の一週間を指す。
=== 秋 ===
[[秋]]の彼岸は[[秋分]]の日(9月23日ごろ)を中心に挟んだ一週間である。
=== その他 ===
[[春分]]の日と[[秋分]]の日が「およそ何日」と曖昧に決められていることには理由がある。
[[地球]]は[[太陽]]の周りを1年間かけて[[公転]]しているが、その時間は365日ちょうどではなく、正確には365日と6時間ほどである。このため、昼夜の長さが同じになる位置(これを[[春分点]]、[[秋分点]]という)を[[地球]]が通過する時期にズレが生まれる。そのため、4年に一度「[[閏日|うるう日]](2月29日)」を挿入してこれを防いでいる。<ref>{{Cite book|title=本当は怖い日本のしきたり オーディオブック|url=http://worldcat.org/oclc/1108314699|publisher=Pan roringu (Hatsubai)|date=[2019]|isbn=978-4-7759-8631-8|oclc=1108314699|last=火田, 博文}}</ref>
== 出典 ==
{{reflist}}
== 関連項目 ==
* [[けずり花]]
* [[ヒガンバナ]]
* [[お盆]]
== 外部リンク ==
* {{Kotobank}}
{{DEFAULTSORT:ひかん}}
[[Category:仏教行事]]
[[Category:雑節]]
[[Category:日本の年中行事]]
[[Category:春の季語]]
[[Category:3月]]
[[Category:9月]]
[[Category:旧暦2月]]
[[Category:旧暦8月]]
[[Category:仏教の宇宙観]]
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ボール (曖昧さ回避)
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ボール(ball,bowl)
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ボール(ball,bowl)
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'''ボール(ball,bowl)'''
== 球技 ==
[[画像:Tennis icon.png|thumb|right|テニスボール]]
* [[ボール]] - [[遊び]]や[[球技]]に使う球形の用具。但し[[野球]]や[[ソフトボール]]で用いるもの(いわゆる「野球ボール」)については[[ボール (野球)#用具としてのボール]]で扱う。
** [[サッカーボール]]、[[テニスボール]]、[[ラグビーボール]]、[[ゴルフボール]]、[[ビーチボール]]、{{仮リンク|ボウリング玉|en|Bowling ball}}等
* [[ボール (野球)#投球判定としてのボール]] - 野球やソフトボールにおいて[[打者]]が打たなかった投球のひとつ
== 人名 ==
* {{仮リンク|アート・ボール|en|Art Ball}}(1872 - 1915) - アメリカの[[野球]]選手([[内野手]])。通算16安打<ref>{{Cite web|url=https://www.baseball-reference.com/players/b/ballar01.shtml|title=Art Ball Stats|publisher=Baseball-Reference.com|accessdate=2018-07-14}}</ref>。
* [[アラン・ボール (アメリカンフットボール)]](1985 - ) - アメリカの[[アメリカンフットボール]]選手([[ディフェンシブエンド|DE]])。通算108試合。
* {{仮リンク|エリック・ボール (アメリカンフットボール)|en|Eric Ball (American football)}}(1966 - ) - アメリカのアメリカンフットボール選手([[ランニングバック|RB]])。通算97試合<ref>{{Cite web|url=https://www.pro-football-reference.com/players/B/BallEr00.htm|title=Eric Ball Stats|publisher=Pro-Football-Reference.com|accessdate=2018-07-14}}</ref>。
* {{仮リンク|カラム・ボール|en|Callum Ball}}(1992 - ) - [[イングランド]]の[[サッカー]]選手([[フォワード (サッカー)|FW]])。
* {{仮リンク|ケビン・ボール|en|Kevin Ball}}(1964 - ) - イングランドのサッカー選手([[ディフェンダー (サッカー)|DF]])。[[プレミアリーグ]]通算43試合・3得点<ref>{{Cite web|url=https://fbref.com/en/players/aedf2328/Kevin-Ball|title=Kevin Ball Stats|publisher=FBref.com|accessdate=2018-07-14}}</ref>。
* {{仮リンク|ジェフ・ボール (ミュージシャン)|en|Jeff Ball (musician)}}(1966 - ) - アメリカの[[ネイティブアメリカンフルート]]奏者。
* [[ジェフ・ボール]](1969 - ) - アメリカの野球選手([[一塁手]])。[[広島東洋カープ]]などに所属。
* [[ジェームズ・ボール]](1903 - 1988) - [[カナダ]]の[[陸上競技]]選手([[短距離走]])。[[1928年アムステルダムオリンピックの陸上競技|アムステルダムオリンピック]]銀メダリスト。
* {{仮リンク|ジェリー・ボール|en|Jerry Ball}}(1964 - ) - アメリカのアメリカンフットボール選手([[ディフェンシブタックル|DT]])。[[プロボウル]]選出3回<ref>{{Cite web|url=https://www.pro-football-reference.com/players/B/BallJe00.htm|title=Jerry Ball Stats|publisher=Pro-Football-Reference.com|accessdate=2018-07-14}}</ref>。
* {{仮リンク|ジム・ボール (野球)|en|Jim Ball (baseball)}}(1884 - 1963) - アメリカの野球選手([[捕手]])。通算7安打<ref>{{Cite web|url=https://www.baseball-reference.com/players/b/ballji01.shtml|title=Jim Ball Stats|publisher=Baseball-Reference.com|accessdate=2018-07-14}}</ref>。
* [[ジョン・ボール]](1338? - 1381) - [[ワット・タイラーの乱]]における思想的な指導者とされる僧侶。
* {{仮リンク|セドリック・ボール|en|Cedric Ball}}(1958 - ) - アメリカの[[バスケットボール]]選手([[パワーフォワード|PF]])。通算7試合<ref>{{Cite web|url=https://www.basketball-reference.com/players/b/ballce01.html|title=Cedric Ball Stats|publisher=Basketball-Reference.com|accessdate=2018-07-14}}</ref>。
* {{仮リンク|テリー・ボール (アイスホッケー)|en|Terry Ball (ice hockey)}}(1944 - ) - カナダの[[アイスホッケー]]選手([[ディフェンス (アイスホッケー)|DF]])。[[NHL]]通算74試合・7得点<ref>{{Cite web|url=https://www.hockey-reference.com/players/b/ballte01.html|title=Terry Ball Stats|publisher=Hockey-Reference.com|accessdate=2018-07-14}}</ref>。
* [[ドミニク・ボール]](1995 - ) - イングランドのサッカー選手([[ミッドフィールダー|MF]])。
* [[ニール・ボール]](1881 - 1957) - アメリカの野球選手([[内野手]])。通算404安打・[[1909年のメジャーリーグベースボール|1909年]]に史上初の無[[補殺]][[三重殺]]を記録。
* [[ハーベイ・ボール]](1921 - 2001) - [[スマイリーフェイス]]を発明した人物。
* {{仮リンク|マイケル・ボール (アメリカンフットボール)|en|Michael Ball (American football)}}(1964 - ) - アメリカのアメリカンフットボール選手([[セイフティ (アメリカンフットボールのポジション)|SS]])。通算84試合<ref>{{Cite web|url=https://www.pro-football-reference.com/players/B/BallMi20.htm|title=Michael Ball Stats|publisher=Pro-Football-Reference.com|accessdate=2018-07-14}}</ref>。
* [[マイケル・ボール]](1979 - ) - イングランドのサッカー選手([[ディフェンダー (サッカー)|DF]])。プレミアリーグ通算169試合・8得点<ref>{{Cite web|url=https://fbref.com/en/players/cde17c0f/|title=Michael Ball Stats|publisher=FBref.com|accessdate=2018-07-14}}</ref>。
* {{仮リンク|ラバー・ボール|en|LaVar Ball}}(1967 - ) - アメリカの[[実業家]]。ロンゾの父。
* {{仮リンク|ラリー・ボール|en|Larry Ball}}(1949 - ) - アメリカのアメリカンフットボール選手([[ラインバッカー|LB]])。通算79試合<ref>{{Cite web|url=https://www.pro-football-reference.com/players/B/BallLa20.htm|title=Larry Ball Stats|publisher=Pro-Football-Reference.com|accessdate=2018-07-14}}</ref>。
* [[ルシル・ボール]](1911 - 1989) - アメリカのコメディアン、モデル、女優
* [[ロイ・ボール]](1972 - ) - アメリカの[[バレーボール]]選手([[セッター (バレーボール)|セッター]])。[[バレーボール殿堂]]表彰者・[[2008年北京オリンピックのバレーボール競技|北京オリンピック]]金メダリスト。
* [[ロンゾ・ボール]](1997 - ) - アメリカのバスケットボール選手([[ポイントガード|PG]])。ラバーの長男。
== その他 ==
* [[ボール (ガンダムシリーズ)]] - [[ガンダムシリーズ一覧|ガンダムシリーズ]]に登場する架空の宇宙用ポッド
* [[ボール (ゲーム&ウオッチ)]] - [[任天堂]]から発売された携帯型液晶ゲーム機[[ゲーム&ウオッチ]]シリーズの第1作
* [[ボール (腕時計)]] - [[腕時計]]メーカー
* ボール - [[フェリックス・ヴァロットン]]の[[1899年]]の絵画作品。
* [[睾丸]]の[[英語]]での[[隠語]] (ball'''s'''と[[複数形]]で表記される場合が多い)
* [[母趾球]]
* [[ボールペン]]
* [[ボール紙]]
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
{{Reflist}}
== 関連項目 ==
* [[球 (曖昧さ回避)]]、[[球体]]、[[球面]]、[[玉 (曖昧さ回避)]]、[[珠 (曖昧さ回避)]]、[[手まり]]
* [[ボウル (曖昧さ回避)]]
* {{前方一致ページ一覧|ボール}}
* {{Intitle|ボール}}
* [[球技]]
* [[ホール]](hallなど)、[[ウォール (曖昧さ回避)]](wall)
{{aimai}}
{{デフォルトソート:ほおる}}
[[Category:英語の姓]]
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2022-10-15T17:06:01Z
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正六面体
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正六面体(せいろくめんたい、英: regular hexahedron)または立方体(りっぽうたい、英: cube)とは、正多面体の一種であり、空間を正方形6枚で囲んだ立体である。
最も面 (幾何学)数の少ない正多面体である正四面体のすべての辺を、正三角形面の中心まで切稜することによって得られる。
トポロジー的には、正四面体の各面の重心を外側に持ち上げて正三角形を二等辺三角形に3等分し、底辺を共有する二等辺三角形同士が同一平面上となる(このとき直角二等辺三角形となる)ようにした形にもなっている。
日本の算数・数学教育においては小学校4年で扱う。
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正六面体または立方体とは、正多面体の一種であり、空間を正方形6枚で囲んだ立体である。 最も面 (幾何学)数の少ない正多面体である正四面体のすべての辺を、正三角形面の中心まで切稜することによって得られる。 トポロジー的には、正四面体の各面の重心を外側に持ち上げて正三角形を二等辺三角形に3等分し、底辺を共有する二等辺三角形同士が同一平面上となる(このとき直角二等辺三角形となる)ようにした形にもなっている。 日本の算数・数学教育においては小学校4年で扱う。
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{{Infobox polyhedron
| Image_File=Hexahedron.jpg
| Animation_File=Hexahedron.gif
| Polyhedron_Type=[[正多面体]]、[[直方体]]
| Face_Count=6
| Face_List=[[正方形]]
| Edge_Count=12
| Vertex_Count=8
| Vertex_List=4, 4, 4<br />4<sup>3</sup>
| Vertex_Image_File=Cube vertfig.png
| wythoff=<nowiki>3 | 2 4</nowiki>
| schlafli={4, 3}
| symmetry=[[シェーンフリース記号|O<sub>h</sub>]]
| dual=[[正八面体]]
| Property_List=[[凸集合]]
| Net_Image_File=Hexahedron flat color.svg
}}
[[画像:正六面体Cube.jpg|thumb|折り紙で作った正六面体]]
[[画像:立方体、壍堵、陽馬、鼈臑.jpg|thumb|九章算術の復元模型<br>立方体、塹堵、陽馬、鼈臑]]
[[画像:Cubo (Matemateca - IME USP).jpg|thumb|完全な立方体回転、15度毎の写真]]
'''正六面体'''(せいろくめんたい、{{Lang-en-short|regular [[倍数接頭辞|hexa]]<nowiki />hedron}})または'''立方体'''(りっぽうたい、{{Lang-en-short|cube}})とは、[[正多面体]]の一種であり、[[空間]]を[[正方形]]6枚で囲んだ[[立体]]である。
最も[[面 (幾何学)]]数の少ない正多面体である[[正四面体]]のすべての[[辺]]を、[[正三角形]]面の中心まで[[切稜立方体|切稜]]することによって得られる。
トポロジー的には、正四面体の各面の重心を外側に持ち上げて[[正三角形]]を[[二等辺三角形]]に3等分し、底辺を共有する二等辺三角形同士が同一[[平面]]上となる(このとき[[直角二等辺三角形]]となる)ようにした形にもなっている。
[[日本]]の[[算数・数学教育]]においては[[小学校]]4年で扱う。
== 性質 ==
* [[直方体]]、[[ねじれ双角錐|ねじれ双三角錐]]の特殊な形。直方体の一種であるため、[[平行多面体]]、[[ゾーン多面体]]、[[六面体]]の一種でもある。
* 向かい合う面どうしは[[平行]]であり、隣り合う(接する)面とは互いに[[垂直]]に交わる。1つの頂点を共有する辺どうしは垂直に交わるが、接点を持たない辺どうしは平行な関係にある場合と互いに[[ねじれの位置]]にある場合の2パターンがある。(直方体の性質)
* 立方体の部品 [[中国]]の古い文献「[[九章算術]]」によれば立方体の部品として,[[塹堵]](ぜんと 斜面をもっている土堤),[[陽馬]](ようま 陽射しを運ぶ馬),[[鼈臑]](べつどう 海亀のすねのほね)に分けて研究されていた。
* 1[[立方メートル|m<sup>3</sup>]]の体積は一辺が1mの正六面体の体積 と定義される。1dm<sup>3</sup>(=1[[リットル|L]])、[[立方メートル#分量・倍量単位|1cm<sup>3</sup>]]なども同様である。
* [[展開図]]の数は11種類。
* 各辺の長さが 1 の小立方体を ''k''<sup>3</sup> 個使って各[[辺]]の長さ ''k'' の立方体を作ったとき、同時に見ることができる小立方体は最大 3''k''<sup>2</sup>−3''k''+1 個である。({{OEIS|A003215}})
* 正多面体の中で唯一、単独での[[空間充填]]が可能であり、この時のこの立体の配置は[[単純立方格子構造]]となる。
* 面の数は6、辺の数は12、頂点の数は8。これらは{{仮リンク|パスカルのピラミッド|en|Pascal's pyramid}}の第4段(Layer 3)の三角形の各段の数字の総和に等しい。反対側の頂点同士を結ぶ対角線に沿って見た場合、[[面 (幾何学)]]、[[辺]]、[[頂点]]は各段の値の通りのグループに[[集合の分割|分割]]される。
* 頂点形状は[[正三角形]]であり、3本の辺と3枚の[[正方形]]が集まる。これらは[[パスカルの三角形]]の第4段の2、3番目の値に等しい。
* [[正八面体]]と[[双対多面体|双対]]である。
==計量==
{|class="wikitable"
|面の[[面積]]
| bgcolor="#ffffff" |<math> A=a^2</math>
|-
|[[表面積]]
| bgcolor="#ffffff" |<math> S=6A=6a^2</math>
|-
|[[高さ]]
| bgcolor="#ffffff" |<math> h=a</math>
|-
|[[体積]]
| bgcolor="#ffffff" |<math> V=\frac{1}{3}Sr=a^3</math>
|-
|対角線の長さ
| bgcolor="#ffffff" |<math> d=\sqrt{3}a </math>
|-
|外接球半径
| bgcolor="#ffffff" |<math> R=\frac{d}{2}={\sqrt{3}a\over2}</math>
|-
|内接球半径
| bgcolor="#ffffff" |<math> r={a\over2}</math>
|-
|二面角
| bgcolor="#ffffff" |90°
|-
|面の数
|6
|-
|辺の数
|12
|-
|頂点の数
|8
|}
== 近縁な立体 ==
<gallery>
Image:Tetrahedron.jpg|[[正四面体]]<br />{3, 3}<br /><small>(ベースの形/頂点を一つ飛ばしに結ぶ)</small>
Image:Truncatedhexahedron.jpg|[[切頂六面体]]<br />t{4, 3}<br /><small>(切頂する)</small>
Image:Cuboctahedron.jpg|[[立方八面体]]<br />r{4, 3}<br /><small>(深く切頂する)</small>
Image:Polyhedron 6 slightly chamfered.png|[[切稜立方体]]<br /><small>(辺を削る)</small>
Image:Truncatedcuboctahedron.jpg|[[斜方切頂立方八面体]]<br />tr{4, 3}<br /><small>(頂点と辺を削る)</small>
Image:Rhombicuboctahedron.jpg|[[斜方立方八面体]]<br />rr{4, 3}<br /><small>(Expansionを行う)</small>
Image:Snubhexahedroncw.jpg|[[変形立方体]]<br />sr{4, 3}<br /><small>(面をねじる)</small>
Image:Triakistetrahedron.jpg|[[三方四面体]]<br /><small>(正四面体との中間にあたる)</small>
Image:Tetrakishexahedron.jpg|[[四方六面体]]<br /><small>(各面の中心を持ち上げる)</small>
Image:Rhombicdodecahedron.jpg|[[菱形十二面体]]<br /><small>(各面の中心を更に持ち上げる)</small>
Image:Disdyakisdodecahedron.jpg|[[六方八面体]]<br /><small>(各面と各辺の中心を持ち上げる)</small>
Image:Deltoidalicositetrahedron.jpg|[[凧形二十四面体]]<br /><small>(各面と各辺の中心を、四角形に分かれるように持ち上げる)</small>
Image:Pentagonalicositetrahedroncw.jpg|[[五角二十四面体]]<br /><small>(頂点をねじる)</small>
Image:Dodecahedron.jpg|[[正十二面体]]<br /><small>(頂点を隣り合うもの同士で逆方向になるようにねじる)</small>
Image:Dual compound 8 max.png|正六面体と正八面体による[[複合多面体]]
Image:UC08-3_cubes.png|3個の正六面体による複合多面体
Image:UC09-5_cubes.png|5個の正六面体による複合多面体
Image:UC07-6_cubes.png|6個の正六面体による複合多面体
Image:Stellated_truncated_hexahedron.png|[[星型切頂六面体]]<br />t{4/3, 3}
Image:Small_rhombihexahedron.png|[[小斜方六面体]]
Image:Great_rhombihexahedron.png|[[大斜方六面体]]
Image:Tetrahemihexahedron.png|[[四面半六面体]]
Image:Stella octangula.png|[[星型八面体]]<br /><small>(頂点が共通となる)</small>
Image:Tetrahemihexacron.png|{{Interlang|en|Tetrahemihexacron}}
Image:Elongated_square_pyramid.png|[[正四角錐柱]]<br /><small>([[正四角錐]]を追加する)</small>
Image:Schlegel wireframe 8-cell.png|[[正八胞体]]<br /><small>(8つを4次元空間内で貼り合わせる)</small>
</gallery>
== 関連項目 ==
<!--項目の50音順-->
{{Div col}}
* [[角柱]]
* [[キューブ (映画)]]
* [[キュバン]]
* [[サイコロ]]
* [[双錐体]]
* [[多胞体]]
* [[柱体]]
* [[超立方体]]
* [[立方数]]
* [[立方倍積問題]]
* [[ルービックキューブ]]
* [[カアバ]]
{{Div col end}}
== 外部リンク ==
{{Commonscat|Cubes|正六面体(立方体)}}
* {{MathWorld|title=Cube|urlname=Cube}}
* {{MathWorld|title=Hexahedron|urlname=Hexahedron}}
* {{MathWorld|title=Hexahedral Graph|urlname=HexahedralGraph}}
{{多面体}}
{{Polyhedron-stub}}
{{Normdaten}}
{{DEFAULTSORT:せいろくめんたい}}
[[Category:角柱・角錐]]
[[Category:初等数学]]
[[Category:正多面体]]
[[Category:ゾーン多面体]]
[[Category:数学に関する記事]]
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16,218 |
北京大学
|
北京大学(ペキンだいがく、ピンイン:Běijīng Dàxué、英: Peking University)は、北京市海淀区に所在する中華人民共和国の国立大学である。1898年に創立された、近代中国初の国立総合大学である。大学の略称は北大(ベイダァ)。985工程、211工程、九校連盟、双一流の成員校として、教育部が直轄する国家重点大学である。数多くの中国の政治家、学者等の文化人を輩出しており、多くのランキングで中国首位、アジア首位を維持している中国国内最高峰の大学である。
国家重点大学及び副部級大学のひとつであり、中国の近代化に大きな影響を与えてきた。大学評価の世界的指標であるタイムズ・ハイアー・エデュケーションによる「THE世界大学ランキング2024」では世界14位、「QS世界大学ランキング2024年」では世界17位、「QSアジア大学ランキング」では連続でアジア1位となった。全国普通高等学校招生入学考試の「状元」(各省・自治区・直轄市における大学統一入試の成績最優秀者)の多くは進学先に北京大学を選択している。また、留学生が本科生に入学する際には入学試験が課せられるが、HSKの要求スコアが他の大学よりも高い。周辺(離宮の敷地内)には頤和園や円明園などの歴史史跡が数多く残されてあり、「中国のシリコンバレー」と呼ばれる中関村も隣接している。
北京大学で広く用いられる「勤奮、厳謹、求実、創新」、「博学、審問、慎思、明辨」、「愛国、進歩、民主、科学」、「思想の自由、両方を兼ね備える」はいずれも校訓ではない。
蔡元培が学長に就任したとき、文系の呉梅教授が「正宮錦巻道・寄北雍諸生」を北京大学の校歌に選んだが、大学側は決定を否定している。また、校内で広く歌われている「燕園情」も校歌ではない。
北京大学には6の「学部」と53の「学院」と「系」で構成される。「学院」も「系」も日本の大学の学部にほぼ相当する。「学部」は「学院」と「系」の上の編成で、実体はなく、日本の「学部」とは位置付けが異なっている。適訳がないのでそのまま記す。位置づけが異なるのは、学院及び系は、個別の教育システムに位置づけられているためである。北京大学は、学院や系に相当する、各単科大学の集合体として運営がなされているためである。
2009年10月12日に北京大学、清華大学、浙江大学、ハルビン工業大学、復旦大学、上海交通大学、南京大学、中国科学技術大学、西安交通大学の9校(C9)は相互協力・交流の強化、教育資源の相互補完、ハイレベル人材の育成等を図るため、「一流大学人材育成協力・交流協議書」を締結した。中国版の「アイビーリーグ」結成に向けて第一歩を踏み出した。この中国版「アイビーリーグ」のことを「九校連盟」と呼ぶ。
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"text": "北京大学(ペキンだいがく、ピンイン:Běijīng Dàxué、英: Peking University)は、北京市海淀区に所在する中華人民共和国の国立大学である。1898年に創立された、近代中国初の国立総合大学である。大学の略称は北大(ベイダァ)。985工程、211工程、九校連盟、双一流の成員校として、教育部が直轄する国家重点大学である。数多くの中国の政治家、学者等の文化人を輩出しており、多くのランキングで中国首位、アジア首位を維持している中国国内最高峰の大学である。",
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"text": "北京大学で広く用いられる「勤奮、厳謹、求実、創新」、「博学、審問、慎思、明辨」、「愛国、進歩、民主、科学」、「思想の自由、両方を兼ね備える」はいずれも校訓ではない。",
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"text": "2009年10月12日に北京大学、清華大学、浙江大学、ハルビン工業大学、復旦大学、上海交通大学、南京大学、中国科学技術大学、西安交通大学の9校(C9)は相互協力・交流の強化、教育資源の相互補完、ハイレベル人材の育成等を図るため、「一流大学人材育成協力・交流協議書」を締結した。中国版の「アイビーリーグ」結成に向けて第一歩を踏み出した。この中国版「アイビーリーグ」のことを「九校連盟」と呼ぶ。",
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北京大学は、北京市海淀区に所在する中華人民共和国の国立大学である。1898年に創立された、近代中国初の国立総合大学である。大学の略称は北大(ベイダァ)。985工程、211工程、九校連盟、双一流の成員校として、教育部が直轄する国家重点大学である。数多くの中国の政治家、学者等の文化人を輩出しており、多くのランキングで中国首位、アジア首位を維持している中国国内最高峰の大学である。
|
{{Infobox University
| name = 北京大学
| image_name = Campus of Peking University.jpg
| caption = 北京大学の華表
| motto = ''正式な校訓なし''
| established = 1898年
| type = [[国立大学|国立]]
| president = [[郝平]]
| head_label = [[党委書記]]
| head = [[邱水平]]
| affiliations = [[中華人民共和国教育部]]
| location ={{PRC}} [[北京市]] [[海淀区]]
| coor = {{coord|39|59|23|N|116|18|19|E|region:CN-11_type:edu|display=inline,title}}
| campus = 都市型<br />{{Convert|739|acre|ha}}
| colors= <span style="background-color:#94070A;border:1px;color:#FFFFFF;padding:2px 20px">北大紅</span><ref>{{Cite web|和書|url=http://web5.pku.edu.cn/gyzcgl/gzzd/xngz/3018.htm |title=アーカイブされたコピー |accessdate=2012年6月21日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20130419210422/http://web5.pku.edu.cn/gyzcgl/gzzd/xngz/3018.htm |archivedate=2013年4月19日 |deadlinkdate=2017年9月 }} </ref>
| faculty = 6441
| students = 35,915(2016年)
| undergrad = 14,116(2016年)
| postgrad = 21,799(2016年)
| website = https://www.pku.edu.cn/
| logo = [[ファイル:Peking University seal.svg|200px]]
}}
{{Maplink2|zoom=10|frame=yes|plain=no|frame-align=right|frame-width=280|frame-height=190|type=shape|stroke-color=#000000|stroke-width=1|frame-latitude=39.96|frame-longitude=116.36|type2=point}}
'''北京大学'''(ペキンだいがく、[[ピンイン]]:Běijīng Dàxué、{{Lang-en-short}}Peking University)は、[[北京市]][[海淀区]]に所在する[[中華人民共和国]]の[[国立大学]]である。[[1898年]]に創立された、近代中国初の国立総合大学である<ref>{{Cite web |title=北京大学 |url=https://www.pku.edu.cn/about.html |website=www.pku.edu.cn |access-date=2023-12-05}}</ref>。[[大学の略称]]は'''北大'''(ベイダァ)。[[985工程]]、[[211工程]]、[[九校連盟]]、[[双一流]]の成員校として、教育部が直轄する[[国家重点大学]]である。数多くの中国の政治家、学者等の文化人を輩出しており、多くのランキングで中国首位、[[アジア]]首位を維持している<ref>{{Cite web |url=https://www.nikkei.com/article/DGXZQOCB290JY0Z21C23A1000000/ |title=アジア大学ランキング、北京大が2年連続首位 東大14位 |publisher= |accessdate=2023-12-05}}</ref>中国国内最高峰の大学である<ref>{{Cite web |title=北京大学 {{!}} 中国の主要大学 {{!}} SciencePortal China |url=https://spc.jst.go.jp/univorg/university/u0001.html#:~:text=%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E3%81%A7%E6%9C%80%E5%88%9D%E3%81%AE |website=spc.jst.go.jp |access-date=2023-12-05}}</ref>。
== 概観 ==
=== 大学全体===
[[国家重点大学]]及び[[副部級大学]]のひとつであり、中国の[[近代化]]に大きな影響を与えてきた。大学評価の世界的指標である[[タイムズ・ハイアー・エデュケーション]]による「[[THE世界大学ランキング]]2024」では世界14位<ref>World University Rankings 2024 | Times Higher Education (THE)</ref>、「[[QS世界大学ランキング]]2024年」では世界17位、「QSアジア大学ランキング」では連続でアジア1位<ref>{{Cite web |url=https://reseed.resemom.jp/article/2023/11/17/7622.html#:~:text=%E7%B7%8F%E5%90%881%E4%BD%8D%E3%81%AF%E3%80%8C%E5%8C%97%E4%BA%AC%E5%A4%A7%E5%AD%A6%EF%BC%88%E4%B8%AD%E5%9B%BD%EF%BC%89%E3%80%8D%E3%80%812%E4%BD%8D%E3%80%8C%E9%A6%99%E6%B8%AF%E5%A4%A7%E5%AD%A6%EF%BC%88%E9%A6%99%E6%B8%AF%E7%89%B9%E5%88%A5%E8%A1%8C%E6%94%BF%E5%8C%BA%EF%BC%89%E3%80%8D%E3%80%813%E4%BD%8D%E3%80%8C%E3%82%B7%E3%83%B3%E3%82%AC%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%83%AB%E5%9B%BD%E7%AB%8B%E5%A4%A7%E5%AD%A6%EF%BC%88%E3%82%B7%E3%83%B3%E3%82%AC%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%83%AB%EF%BC%89%E3%80%8D%E3%80%814%E4%BD%8D%E3%80%8C%E5%8D%97%E6%B4%8B%E7%90%86%E5%B7%A5%E5%A4%A7%E5%AD%A6%EF%BC%88%E3%82%B7%E3%83%B3%E3%82%AC%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%83%AB%EF%BC%89%E3%80%8D%E3%81%A8%E3%80%8C%E6%B8%85%E8%8F%AF%E5%A4%A7%E5%AD%A6%EF%BC%88%E4%B8%AD%E5%9B%BD%EF%BC%89%E3%80%8D%E3%80%82,%E5%8C%97%E4%BA%AC%E5%A4%A7%E5%AD%A6%E3%81%AF2%E5%B9%B4%E9%80%A3%E7%B6%9A%E3%81%A7%E3%82%A2%E3%82%B8%E3%82%A2%E7%B7%8F%E5%90%88%E3%83%88%E3%83%83%E3%83%97%E3%82%92%E7%8D%B2%E5%BE%97%E3%80%82 |title=QSアジア大学ランキング |publisher= |accessdate=2023-12-05}}</ref>となった<ref> https://www.topuniversities.com/universities/peking-university</ref>。[[全国普通高等学校招生入学考試]]の「[[状元]]」([[中華人民共和国の行政区分|各省・自治区・直轄市]]における[[全国普通高等学校招生入学考試|大学統一入試]]の成績最優秀者)の多くは進学先に北京大学を選択している<ref>{{cite web|url=http://www.cuaa.net/cur/2020/2021dxpm.shtml|title=权威发布:2021校友会中国大学排名发布,北京大学连续14年夺魁|publisher=中国校友会網|accessdate=2021-05-30|date=2021-03-25|}}</ref>。また、[[留学|留学生]]が本科生に入学する際には[[入学試験]]が課せられるが、[[漢語水平考試|HSK]]の要求スコアが他の大学よりも高い。周辺(離宮の敷地内)には[[頤和園]]や[[円明園]]などの歴史史跡が数多く残されてあり、「中国の[[シリコンバレー]]」と呼ばれる[[中関村]]も隣接している。
===校訓===
北京大学で広く用いられる「勤奮、厳謹、求実、創新」、「博学、審問、慎思、明辨」、「愛国、進歩、民主、科学」、「思想の自由、両方を兼ね備える」はいずれも校訓ではない。
===校歌===
蔡元培が学長に就任したとき、文系の呉梅教授が「正宮錦巻道・寄北雍諸生」を北京大学の校歌に選んだが、大学側は決定を否定している。また、校内で広く歌われている「燕園情」も校歌ではない。
== 略歴 ==
=== 京師大学堂時代 ===
* [[1898年]]、[[清|清朝]]政府により、隋代に起源を持つ'''北京[[国子監]]'''を近代化した'''京師大学堂'''として、[[北京市|北京]]に設立される。これは、[[日清戦争]]敗北の反省から起こった[[戊戌の変法]]運動により、救国の近代化政策のひとつとして実行された<ref name=shimizu>『列伝風ハーバード大学史』清水畏三、2005、p201-206「北京大学略史」</ref>。初代学長には管学大臣の[[孫家鼐]]が就いた(-1900)。しかし数か月で[[戊戌政変]]により改革派は処分され、旧教育内容に戻される。
* [[1900年]]、[[義和団事件]]により[[西太后]]が京師大学堂停止を下令、大学堂は[[八か国連合軍]]が占領。
* [[1902年]]、[[光緒新政]]により大学堂再開、三代学長に管学大臣の[[張百煕]]就任(-1904)。工学・農学を大学内に含めるなど日本式をモデルにし、米国からの教員を解雇して[[服部宇之吉]]、[[岩谷孫蔵]]ら日本人教師を多数招聘、日本留学も推奨された<ref>[https://www.jstage.jst.go.jp/article/jhsj/49/256/49_216/_pdf 旧制第一高等学校に学んだ初期京師大学堂派遣清国留学生について]薩日娜、科学史研究,49(2010)</ref><ref name=shimizu/>。[[京師同文館]]を吸収。
* [[1903年]]、医学実業館開設(1912年に北京医学専門学校として独立)<ref name=shimizu/>
* [[1904年]]、分科大学教員養成のため留学生海外派遣(西洋16名、日本31名)<ref name=shimizu/>。
* [[1911年]]、[[辛亥革命]]勃発により京師大学堂の臨時運営停止が下令<ref name=shimizu/>。
=== 北京大学改名後 ===
* [[1912年]]、名称を'''北京大学'''に変更([[中華民国 (1912年-1949年)]]樹立のため)。
* [[1917年]]、[[蔡元培]]が北京大学の校長となり、[[陳独秀]]、[[李大釗]]、[[魯迅]]、[[胡適]]らを教授に迎えて学風を一新。
: これ以降、北京大学の教授・学生が、[[五四運動]]に多数参加するなど、反[[帝国主義]]の動きが盛んになる。学内で、[[共産主義]]的傾向が強まる。
* [[1937年]]、[[日中戦争]]([[支那事変]])のため、[[清華大学]]・[[南開大学]]とともに、[[長沙]]に移転し、両大学とともに、長沙臨時大学を構成する。
* [[1938年]]、長沙にも[[日本軍]]の勢力が伸びてきたために、[[昆明]]に再移転し、[[国立西南連合大学]]と改称する。
**1937年-1945年の間、日本の影響下にあった[[汪兆銘]]政権の下で「北京大学」と称して北京の校舎と移転に従わなかった教授らで構成する大学運営が行われた。
* [[1945年]]、対日戦争終結により、北京の元来の敷地に戻る。
* [[1946年]][[7月]]、北平大学医学院を吸収合併する。
* [[1946年]][[10月]]、正式に旧来の北京大学に戻す。
* [[1952年]]、[[中華人民共和国]]成立に伴う[[高等学校|高校]]間の学部などの調整により、北京大学は、「[[文系と理系]]に関する基礎的な[[教育]]と[[研究]]を行う[[単科大学と総合大学|総合大学]]」として位置付けられた。また、この際に北京大学[[医学部]](もとの北平大学医学院に相当)を分離する。
* [[1966年]]5月、構内に掲示された反革命批判の壁新聞から、[[文化大革命]]の嵐が吹き始めることとなった。
* [[2000年]][[4月3日]]、北京大学医学部を再び吸収合併する。
* [[2002年]]、[[東京大学]]、[[理化学研究所]]との間で連絡事務所を設置。
* [[2004年]]、[[ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス]](LSE)が北京大学のパートナーになる。LSEの講師によるサマースクールを北京大学の構内で行うほか、国際情勢 ([[:en:international affairs|international affairs]])に関する修士課程のデュアル・ディグリー制度を開始。[[グローバル・パブリック・ポリシー・ネットワーク]]に参加する。
== 組織 ==
北京大学には6の「学部」と53の「学院」と「系」で構成される。「学院」も「系」も日本の大学の[[学部]]にほぼ相当する。「学部」は「学院」と「系」の上の編成で、実体はなく、日本の「学部」とは位置付けが異なっている。適訳がないのでそのまま記す。位置づけが異なるのは、学院及び系は、個別の教育システムに位置づけられているためである。北京大学は、学院や系に相当する、各単科大学の集合体として運営がなされているためである。
<div style="float: left; vertical-align: top; white-space: nowrap; margin-right: 1em;">
* 理学部
** 数学科学学院
** 物理学院
** 化学及び分子工程学院
** 生命科学学院
** 都市及び環境学院
** 地球及び空間科学学院
** 建築及び景観設計学院
** 心理及び認知科学学院
* 情報科学及び工学部
** 情報科学技術学院
** 工学院
** 王選コンピュータ研究所
** ソフトウェア及び微電子工学学院
** 環境科学及び工学学院
** ソフトウェア工学国立工学研究センター
** 材料科学及び工学学院
* 人文学部
** 中国語文学系
** 歴史学系
** 考古文博学院
** 哲学系(宗教学系)
** 外国語学院
** 芸術学院
** 対外中国語教育学院
** 歌劇研究院
* 社会科学学部
** 国際関係学院
** 法学院
** 情報管理系
** 社会学系
** 政府管理学院
** マルクス主義学院
** 教育学院
** ニュース及び伝播学院
** 体育教研部
</div><div style="float: left; vertical-align: top; white-space: nowrap; margin-right: 1em;">
* 経済及び管理学部
** 経済学院
** 光華管理学院
** 人口研究所
** 国家発展研究院
* 医学部
** 基礎医学院
** 薬学院
** 公衆衛生学院
** 看護学院
** 医学人文学院
** 医学継続教育学院
* 学際
** 元培学院
** 分子医学研究所
** 北京国際数学研究センター
** フロンティア学際研究所
** 原子力科学及び技術研究所
** [[北京大学燕京学堂|燕京学堂]]
** 現代農学院
** 人工知能研究院
* 深圳大学院
** 情報工学院
** 化学生物学及び生物技術学院
** 環境及びエネルギー学院
** 都市計画及び設計学院
** 新材料学院
** HSBCビジネススクール
** 国際法学院
** 人文社会科学学院
</div>{{clear|left}}
=== 附属機関 ===
* [[北京大学附属中学]]
* [[北京大学附属小学]]
* 北京大学第一病院
* 北京大学人民病院
* 北京大学第三病院
* 北京大学歯科病院
* 北京大学腫瘤病院
* 北京大学第六病院
* 北京大学深圳病院(共同建設)
* 北京大学首鋼病院(共同建設)
* 北京大学国際病院(共同建設)
* 北京大学浜海病院(共同建設)
== 大学関係者と組織 ==
=== 大学関係者組織 ===
* 北京大学台湾経済文化交流協会 Taiwan Economic and Cultural Association(TECA),PKU
{{節スタブ}}
=== 大学関係者一覧 ===
*[[北京大学の人物一覧]]
==中国版「アイビーリーグ」==
2009年10月12日に'''北京大学'''、[[清華大学]]、[[浙江大学]]、[[ハルビン工業大学]]、[[復旦大学]]、[[上海交通大学]]、[[南京大学]]、[[中国科学技術大学]]、[[西安交通大学]]の9校(C9)は相互協力・交流の強化、教育資源の相互補完、ハイレベル人材の育成等を図るため、「一流大学人材育成協力・交流協議書」を締結した。中国版の「アイビーリーグ」結成に向けて第一歩を踏み出した。この中国版「アイビーリーグ」のことを「九校連盟」と呼ぶ。
== 脚注 ==
<references/>
== 関連項目 ==
[[File:Yenching University campus.jpg|thumb|250px|北京大学に移管された燕京大学の校舎]]
{{commonscat|Peking University}}
* [[北京大学の人物一覧]]
* [[東アジア4大学フォーラム]]
* [[燕京大学]] - 1952年の高等教育機関再編に伴い、工科と社会科学類以外の大部分を北京大学に継承され、校舎も北京大学に移管された。
== 外部リンク ==
* [https://www.pku.edu.cn/ 北京大学]{{zh icon}}{{en icon}}
* [https://www.pkuboard.info/ International PKU Board - Articles, Events, Recipes, etc.]
{{双一流}}
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{{中華人民共和国国家重点大学}}
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{{国際研究型大学連合}}
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[[Category:Universitas 21]]
[[Category:北京大学|*]]
[[Category:北京の大学]]
[[Category:国家重点大学]]
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プリンストン大学
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プリンストン大学(プリンストンだいがく、英語: Princeton University)は、ニュージャージー州プリンストンに本部を置くアメリカ合衆国の国立大学。1746年創立。学生数は学部生約4800名、大学院生約2000名である。特に、プリンストン大学ウッドロー・ウィルソンスクール(SPIA, 旧WWS)は、ハーバード大学ケネディスクール(HKS)、コロンビア大学国際公共政策大学院(SIPA)などと共に国際公共政策分野における世界最高峰の公共政策大学院の一つである。また、プリンストン高等研究所(IAS)をはじめ、物理学・数学分野の研究では世界最高峰のレベルであり、これまでに約20人のノーベル物理学賞受賞者を輩出している。
アイビー・リーグの中でも特に伝統のあるビッグスリーの1つ。アメリカ全土で認可された大学としては4番目に古く、US Newsランキングにてほぼ毎年全米一位にランクされ続けている世界屈指の名門大学である。2019年12月現在、2人のアメリカ合衆国大統領、68人のノーベル賞受賞者、15人のフィールズ賞受賞者、5人のアーベル賞受賞者、13人のチューリング賞受賞者、209人のローズ奨学生、126人のマーシャル奨学生(英語版)を輩出している。2021年度の入試では全出願者の約4%が入学を許可された。
特に物理・数学の分野で世界トップレベルの研究を行っており、同大学の30-40人のノーベル賞受賞者(卒業者を含む)の内、約20人が物理学賞の受賞者である。Times Higher Educationの分野別世界大学ランキングでも、物理科学 (Physical Sciences) 部門で「世界ランキング1位」を最多で獲得しており、2020年度も3年連続となる単独の世界ランキング1位であった。現在では、フェルマーの最終定理を証明したことで著名な数学者であるアンドリュー・ワイルズ教授が教鞭を執っていることでも有名。同大学が発行する数学誌Annals of Mathematics(英語版)は数学専門誌のなかでも最高峰に位置する。また、社会科学・人文学でも著名な教授が多い。経済学部では2002年度にノーベル経済学賞を受賞したダニエル・カーネマンや2008年に同賞を受賞したポール・クルーグマンが在籍し、また人文学においては、93年にノーベル文学賞を受賞したトニ・モリソンが、2006年度まで文学やパフォーミングアーツの授業を教えていた。海外の文学者の招聘にも熱心であり、村上春樹は同大の客員研究員、客員講師などを歴任し、名誉博士号を授与されている。
1746年にニュージャージー大学として設立され、1896年に現在の名称となった。かつては男子校であったが、1969年からは男女共学となった。USニューズ&ワールド・レポートが毎年行っている米国大学ランキングでは、2001年度以降20年間で18回「1位」にランキングされ、2020年度も単独で9年連続となる1位であった。TIMESによるThe Times Higher Education Supplementの世界大学ランキングでも常に最上位にランクされている。学生の教育と最先端研究との両立を成功させている数少ない大学といわれている。大学を中心に、周りでは様々な研究機関が設置されている、全米でも有数のアカデミック・ハブである。なおハーバード大学やイェール大学がプロテスタント清教徒会衆派にその設立がさかのぼるのに対して、プリンストン大学はプロテスタント長老派にさかのぼり、隣接する牧師養成機関であるプリンストン神学校と創立の起源を同じくしている。
伝統のリベラル・アーツ教育を守っており、メディカルスクール、ロースクール、ビジネススクールなど専門職大学院を設置していない(神学、公共政策、工学、建築、金融などの専門職大学院プログラムはある)。
黒いリスがキャンパスを駆け回っているなど、構内と周辺の自然環境が保たれており、近くの森に生息する周期ゼミが17年に一度大量発生すると、キャンパス中がセミの声に包まれるという。
2010年代、労働省から男女間の賃金格差が生じていることを訴えられる。2012年から2014年にかけフルタイムの教授職にあった女性106人が受け取った給与が、男性教授の給与と比べて少なかったことが根拠となった。2020年、大学は女性教授に未払い分の賃金を支払うことで和解。和解は訴訟が長期にわたることによるリスクを回避するもので、和解に当たり大学が法の精神を順守していたというスタンスを変更することはなく、男女格差の責任を認めることもなかった。
有効な投資を数多く行っているため財政は安定して良好。本校の学費は2011年度のアイビーリーグの中では一番安い。生徒に積極的に奨学金(Scholarship)を出すなど、学費補助(Financial Aid)をしており、このことにより、現在は学部生の60%が何らかの学費援助を得ており、2014年卒業のクラスにおける学費援助額の平均は$36,650となっている。またアイヴィー・リーグでは初のNo Loanシステムを実行したため、卒業後のローン返済に悩まされる学生がいなくなった。2011-2012年度の学部生の学費は年間$37,000である。寮費($6,596)、書籍代($3,600)等を含めると$52,670かかる。
プリンストン大学は、アメリカ国内の大学を評価する上で最も信頼されているU.S. News & World Reportのnational universities ランキングにおいて、2001年度以降、18回「1位」にランキングされ続けている世界屈指の名門大学である(2009年度と2011年度で2位となったが、それ以外の年度は1位)。2020年度も単独で9年連続となる1位であった(2位ハーバード、3位イエール・MIT・コロンビア)。
また、Times Higher Education World University Rankings 2020で6位。The 2019 Academic Ranking of World Universities (ARWU) で6位。Times Higher Education World University Rankingsの分野別世界大学ランキングにおいては、物理科学分野で世界ランキング1位を最多で獲得しており、2020年度も3年連続で単独の世界ランキング1位。このようにプリンストン大学は、アメリカ国内はもちろんのこと、世界ランキングにおいても極めて高い評価を受けている。
フォーブス社が行っている"アメリカの優秀大学"(2008)においては、プリンストンは国内大学全てのうち1位を記録している。当ランキングは、各大学の生徒や職員が得ている国レベルの賞、および2008年の"Who's who in America"録に記載されている卒業生の数等もランキングに考慮している。
プリンストンの大学院のプログラムは、アメリカ国内で常に最高位にランクされている。2009年のUSニュースワールドリポートの大学院ランキングでは、大学が行っている14の博士課程が全て各々の分野別ランキングのトップ20に入った。うち7つがトップ5に入り、4つが1位を取得した。
Princeton Review 社が出版する、学生生活を扱う国内大学ランキングでは、プリンストン大学は“学生が学費援助(Financial Aid)に満足している”ランキングでは1位、"幸せな学生(Happiest Students)" ランキングでは、クレムソン大学、ブラウン大学に続いて3位を得ている。
2011年現在は、計98カ国の国からの学生が在籍しており、マイノリティーの学生は37%以上在籍している。
2010年度の入学受験サイクル(最新)で合格した生徒に占める、マイノリティーの人種の内訳は以下の通り。
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プリンストン大学は、ニュージャージー州プリンストンに本部を置くアメリカ合衆国の国立大学。1746年創立。学生数は学部生約4800名、大学院生約2000名である。特に、プリンストン大学ウッドロー・ウィルソンスクール(SPIA, 旧WWS)は、ハーバード大学ケネディスクール(HKS)、コロンビア大学国際公共政策大学院(SIPA)などと共に国際公共政策分野における世界最高峰の公共政策大学院の一つである。また、プリンストン高等研究所(IAS)をはじめ、物理学・数学分野の研究では世界最高峰のレベルであり、これまでに約20人のノーベル物理学賞受賞者を輩出している。 アイビー・リーグの中でも特に伝統のあるビッグスリーの1つ。アメリカ全土で認可された大学としては4番目に古く、US Newsランキングにてほぼ毎年全米一位にランクされ続けている世界屈指の名門大学である。2019年12月現在、2人のアメリカ合衆国大統領、68人のノーベル賞受賞者、15人のフィールズ賞受賞者、5人のアーベル賞受賞者、13人のチューリング賞受賞者、209人のローズ奨学生、126人のマーシャル奨学生を輩出している。2021年度の入試では全出願者の約4%が入学を許可された。 特に物理・数学の分野で世界トップレベルの研究を行っており、同大学の30-40人のノーベル賞受賞者(卒業者を含む)の内、約20人が物理学賞の受賞者である。Times Higher Educationの分野別世界大学ランキングでも、物理科学 部門で「世界ランキング1位」を最多で獲得しており、2020年度も3年連続となる単独の世界ランキング1位であった。現在では、フェルマーの最終定理を証明したことで著名な数学者であるアンドリュー・ワイルズ教授が教鞭を執っていることでも有名。同大学が発行する数学誌Annals of Mathematics(英語版)は数学専門誌のなかでも最高峰に位置する。また、社会科学・人文学でも著名な教授が多い。経済学部では2002年度にノーベル経済学賞を受賞したダニエル・カーネマンや2008年に同賞を受賞したポール・クルーグマンが在籍し、また人文学においては、93年にノーベル文学賞を受賞したトニ・モリソンが、2006年度まで文学やパフォーミングアーツの授業を教えていた。海外の文学者の招聘にも熱心であり、村上春樹は同大の客員研究員、客員講師などを歴任し、名誉博士号を授与されている。
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| latin_name = Universitas Princetoniensis
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| established = 1746年
| type = [[国立大学]]
| endowment = 約227億ドル(2015年)<ref>As of June 30, 2015. {{cite web |url=http://www.nacubo.org/Documents/EndowmentFiles/2015_NCSE_Endowment_Market_Values.pdf|title=U.S. and Canadian Institutions Listed by Fiscal Year (FY) 2015 Endowment Market Value and Change in Endowment Market Value from FY 2014 to FY 2015 |publisher=National Association of College and University Business Officers and Commonfund Institute |year=2016 |accessdate=January 29, 2016}}</ref>
| president = [[:en:Christopher L. Eisgruber|クリストファー・L・アイスグルーバー]]
| students = 8088名
| undergrad = 5391名<ref>{{Citation | year = 2014 | url = http://registrar.princeton.edu/university_enrollment_sta/common_cds2014.pdf | publisher = Princeton University | title = Enrollment statistics | contribution = Common Data Set | accessdate = April 5, 2015}}</ref>
| postgrad = 2697名
| city = [[プリンストン (ニュージャージー州)|プリンストン]]
| state = [[ニュージャージー州]]
| country = {{flag|アメリカ合衆国}}
| coor = {{coord|40.343|-74.657|region:US-NJ_type:edu|display=inline,title}}<ref>{{cite gnis|879497|Princeton University}}</ref>
| campus = [[:en:Suburb|郊外型]]、{{convert|500|acre|km2}}<br />(Princeton)<ref name="motto"/>{{rp|3}}
| free_label = [[ノーベル賞]]受賞者数
| free = 68
| former_names = カレッジ・オブ・ニュー・ジャージー<br /><small>(1746年 - 1896年)</small>
| athletics = [[:en:NCAA Division I|NCAA Division I]]<br />[[:en:Ivy League|Ivy League]], [[:en:ECAC Hockey|ECAC Hockey]], [[:en:Eastern Association of Rowing Colleges|EARC]], [[:en:Eastern Intercollegiate Volleyball Association|EIVA]]<br />[[:en:Middle Atlantic Intercollegiate Sailing Association|MAISA]]
| sports =
| nickname = [[:en:Princeton Tigers|タイガー]]
| affiliations = [[:en:Association of American Universities|AAU]]<br />[[:en:Universities Research Association|URA]]<br />[[:en:National Association of Independent Colleges and Universities|NAICU]]<ref>{{cite web |url=http://www.naicu.edu/member_center/members.asp |title=Member Directory |publisher=NAICU |at=P (list by institution) |accessdate=October 12, 2015 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20151109231238/http://www.naicu.edu/member_center/members.asp |archivedate=2015年11月9日 |deadlinkdate=2017年9月 }}</ref>
| website = {{URL|https://www.princeton.edu/}}
| logo = Princeton text logo.svg
| faculty = 1172名
| staff = 1103名
| colors = 橙と黒<ref>https://www.princeton.edu/communications/services/image/graphic/color/</ref><br />{{color box|#EE7F2D}} {{color box|#000000}}
}}
[[File:Stronghold Princeton University New Jersey, USA.jpg|right|thumb|250px|Stronghold Princeton]]
[[File:Cannon Green and Nassau Hall, Princeton University.jpg|right|thumb|250px| Nassau Hall]]
[[File:Pu-chapel-front.jpg |right|thumb|250px|Princeton Chapel]]
[[File:Firestone Library Princeton.jpg|right|thumb|250px|Firestone Library]]
[[File:Woodrow Wilson School of Public and International Affairs.jpg |right|thumb|250px| ウッドロー・ウィルソンスクール(SPIA, 旧WWS)]]
'''プリンストン大学'''(プリンストンだいがく、{{lang-en|Princeton University}})は、[[ニュージャージー州]][[プリンストン (ニュージャージー州)|プリンストン]]に本部を置く[[アメリカ合衆国]]の[[私立大学]]。[[1746年]]創立。学生数は学部生約4800名、大学院生約2000名である。特に、[[:EN: Princeton School of Public and International Affairs|プリンストン大学ウッドロー・ウィルソンスクール]]('''SPIA''', 旧'''WWS''')は、[[ケネディスクール|ハーバード大学ケネディスクール]](HKS)、[[コロンビア大学国際公共政策大学院]](SIPA)などと共に[[公共政策|国際公共政策]]分野における世界最高峰の[[公共政策大学院]]の一つである。また、[[プリンストン高等研究所]]('''IAS''')をはじめ、[[物理学]]・[[数学]]分野の研究では世界最高峰のレベルであり、これまでに約20人の[[ノーベル物理学賞]]受賞者を輩出している。
[[アイビー・リーグ]]の中でも特に伝統のある[[ビッグスリー]]の1つ。アメリカ全土で認可された[[大学]]としては4番目に古く<ref>[[植民地時代に創立したアメリカ合衆国の大学の一覧]]</ref>、US Newsランキングにてほぼ毎年全米一位にランクされ続けている世界屈指の名門大学である。2019年12月現在、2人の[[アメリカ合衆国大統領]]、68人の[[ノーベル賞]]受賞者、15人の[[フィールズ賞]]受賞者、5人の[[アーベル賞]]受賞者、13人の[[チューリング賞]]受賞者、209人の[[ローズ奨学制度|ローズ奨学生]]、126人の{{仮リンク|マーシャル奨学金|label=マーシャル奨学生|en|Marshall Scholarship}}を輩出している。2021年度の入試では全出願者の約4%が入学を許可された<ref>{{Cite web|title=Admission Statistics|url=https://admission.princeton.edu/how-apply/admission-statistics|website=Princeton University Admission|date=|accessdate=2020-01-03|language=en|publisher=}} </ref>。
特に物理・数学の分野で世界トップレベルの研究を行っており、同大学の30-40人の[[ノーベル賞]]受賞者(卒業者を含む)の内、約20人が物理学賞の受賞者である。Times Higher Educationの分野別世界大学ランキングでも、物理科学 (Physical Sciences) 部門で「世界ランキング1位」を最多で獲得しており、2020年度も3年連続となる単独の世界ランキング1位であった<ref name="名前なし-1">https://www.timeshighereducation.com/world-university-rankings/2020/subject-ranking/physical-sciences#!/page/0/length/25/sort_by/rank/sort_order/asc/cols/stats</ref>。現在では、[[フェルマーの最終定理]]を証明したことで著名な[[数学者]]である[[アンドリュー・ワイルズ]]教授が教鞭を執っていることでも有名。同大学が発行する数学誌[[:en:Annals of Mathematics|''Annals of Mathematics''(英語版)]]は数学専門誌のなかでも最高峰に位置する。また、社会科学・人文学でも著名な教授が多い。経済学部では2002年度にノーベル経済学賞を受賞した[[ダニエル・カーネマン]]や2008年に同賞を受賞した[[ポール・クルーグマン]]が在籍し、また人文学においては、93年にノーベル文学賞を受賞した[[トニ・モリソン]]が、2006年度まで文学やパフォーミングアーツの授業を教えていた。海外の文学者の招聘にも熱心であり、[[村上春樹]]は同大の客員研究員、客員講師などを歴任し、[[名誉博士号]]を授与されている。
== 概説 ==
[[1746年]]にニュージャージー大学として設立され、[[1896年]]に現在の名称となった。かつては男子校であったが、[[1969年]]からは男女共学となった。[[USニューズ&ワールド・レポート]]が毎年行っている米国大学ランキングでは、2001年度以降20年間で18回「1位」にランキングされ、2020年度も単独で9年連続となる1位であった。TIMESによる[[タイムズ・ハイアー・エデュケーション|The Times Higher Education Supplement]]の世界大学ランキングでも常に最上位にランクされている。学生の教育と最先端研究との両立を成功させている数少ない大学といわれている。大学を中心に、周りでは様々な研究機関が設置されている、全米でも有数のアカデミック・ハブである。なおハーバード大学やイェール大学がプロテスタント清教徒会衆派にその設立がさかのぼるのに対して、プリンストン大学はプロテスタント[[長老派教会|長老派]]にさかのぼり、隣接する牧師養成機関である[[プリンストン神学校]]と創立の起源を同じくしている。
伝統のリベラル・アーツ教育を守っており、メディカルスクール、[[ロー・スクール (アメリカ合衆国)|ロースクール]]、ビジネススクールなど専門職大学院を設置していない(神学、公共政策、工学、建築、金融などの専門職大学院プログラムはある)。
黒い[[リス]]がキャンパスを駆け回っているなど、構内と周辺の自然環境が保たれており、近くの森に生息する[[周期ゼミ]]が17年に一度大量発生すると、キャンパス中がセミの声に包まれるという<ref group="注釈">名誉博士号の授与式で大学を訪れた[[ボブ・ディラン]]が「Day of the Locusts(セミの鳴く日)」という曲を制作している。</ref>。
2010年代、労働省から男女間の賃金格差が生じていることを訴えられる。2012年から2014年にかけフルタイムの教授職にあった女性106人が受け取った給与が、男性教授の給与と比べて少なかったことが根拠となった。2020年、大学は女性教授に未払い分の賃金を支払うことで和解。和解は訴訟が長期にわたることによるリスクを回避するもので、和解に当たり大学が法の精神を順守していたというスタンスを変更することはなく、男女格差の責任を認めることもなかった<ref>{{Cite web |date=2020-10-13 |url=https://www.cnn.co.jp/usa/35160843.html |title=米プリンストン大、女性教授らに約1億円支払い 賃金差別訴訟で和解 |publisher=CNN |accessdate=2020-10-13}}</ref>。
== 財政 ==
有効な投資を数多く行っているため財政は安定して良好。本校の学費は2011年度のアイビーリーグの中では一番安い<ref>http://www.theivycoach.com/the-ivy-coach-blog/the-rankings/ivy-league-tuition-costs/</ref>。生徒に積極的に奨学金(Scholarship)を出すなど、学費補助(Financial Aid)をしており、このことにより、現在は学部生の60%が何らかの学費援助を得ており、2014年卒業のクラスにおける学費援助額の平均は$36,650となっている<ref name="名前なし-2">http://www.princeton.edu/main/about/facts/</ref>。またアイヴィー・リーグでは初のNo Loanシステムを実行したため、卒業後のローン返済に悩まされる学生がいなくなった。2011-2012年度の学部生の学費は年間$37,000である。寮費($6,596)、書籍代($3,600)等を含めると$52,670かかる<ref>http://www.princeton.edu/admission/financialaid/cost/</ref>。
== ランキング ==
プリンストン大学は、アメリカ国内の大学を評価する上で最も信頼されている[https://www.usnews.com/best-colleges/rankings/national-universities U.S. News & World Reportのnational universities ランキング]において、2001年度以降、18回「1位」にランキングされ続けている世界屈指の名門大学である(2009年度と2011年度で2位となったが、それ以外の年度は1位)<ref>{{Cite web|title=U.S. News Rankings for 57 Leading Universities, 1983–2007|url=https://publicuniversityhonors.com/2017/09/13/u-s-news-rankings-for-57-leading-universities-1983-2007/|website=Public University Honors|date=2017-09-13|accessdate=2020-01-03|language=en-US|last=Honorsadmin}}</ref><ref>{{Cite web|title=U.S. News National University Rankings, 2008-2015|url=https://publicuniversityhonors.com/2015/06/13/u-s-news-national-university-rankings-2008-present/|website=Public University Honors|date=2015-06-13|accessdate=2020-01-03|language=en-US|last=Honorsadmin}}</ref><ref>{{Cite web|title=Average U.S. News Rankings for 123 Universities: 2013-2020|url=https://publicuniversityhonors.com/2016/09/18/average-u-s-news-rankings-for-126-universities-2010-1017/|website=Public University Honors|date=2016-09-18|accessdate=2020-01-03|language=en-US|last=Honorsadmin}}</ref>。2020年度も単独で9年連続となる1位であった(2位ハーバード、3位イエール・MIT・コロンビア)<ref>{{Cite web|title=Princeton Leads U.S. News List for Ninth Straight Year|url=https://paw.princeton.edu/article/princeton-leads-us-news-list-ninth-straight-year|website=Princeton Alumni Weekly|date=2019-09-09|accessdate=2020-01-03|language=en}}</ref>。
また、Times Higher Education World University Rankings 2020で6位<ref>{{Cite web|title=World University Rankings|url=https://www.timeshighereducation.com/world-university-rankings/2020/world-ranking|website=Times Higher Education (THE)|date=2019-08-20|accessdate=2020-01-03|language=en}}</ref>。The 2019 Academic Ranking of World Universities (ARWU) で6位<ref>{{Cite web|title=ShanghaiRanking’s Academic Ranking of World Universities 2019 Press Release|url=http://www.shanghairanking.com/Academic-Ranking-of-World-Universities-2019-Press-Release.html|website=www.shanghairanking.com|accessdate=2020-01-03}}</ref>。Times Higher Education World University Rankingsの分野別世界大学ランキングにおいては、物理科学分野で世界ランキング1位を最多で獲得しており、2020年度も3年連続で単独の世界ランキング1位<ref name="名前なし-1"/>。このようにプリンストン大学は、アメリカ国内はもちろんのこと、世界ランキングにおいても極めて高い評価を受けている。
[[フォーブス (雑誌)|フォーブス]]社が行っている"アメリカの優秀大学"(2008)においては、プリンストンは国内大学全てのうち1位を記録している<ref>{{Cite news|url=http://www.forbes.com/lists/2008/94/opinions_college08_Americas-Best-Colleges_Rank.html|title=Americas Best Colleges|publisher=''Forbes'' | date=2008-08-13}}</ref>。当ランキングは、各大学の生徒や職員が得ている国レベルの賞、および2008年の"Who's who in America"録に記載されている卒業生の数等もランキングに考慮している<ref name="forbes">[http://www.forbes.com/lists/2008/94/opinions_college08_Americas-Best-Colleges_Rank.html Americas Best Colleges. ''Forbes'']</ref>。
プリンストンの大学院のプログラムは、アメリカ国内で常に最高位にランクされている<ref>{{Cite web|url=http://leiterreports.typepad.com/blog/2009/07/top-research-universities-based-on-us-news-data-on-phd-programs.html|accessdate=2009-07-06|title=Top Research Universities Based on US News Data on PhD Programs}}</ref>。2009年のUSニュースワールドリポートの大学院ランキングでは、大学が行っている14の博士課程が全て各々の分野別ランキングのトップ20に入った。うち7つがトップ5に入り、4つが1位を取得した<ref>{{Cite web|url=http://grad-schools.usnews.rankingsandreviews.com/best-graduate-schools |publisher=''U.S. News & World Report'' |year=2009 |accessdate=2009-07-06|title=Best Graduate Schools}}</ref>。
Princeton Review 社が出版する、学生生活を扱う国内大学ランキングでは、プリンストン大学は“学生が学費援助(Financial Aid)に満足している”ランキングでは1位、"幸せな学生(Happiest Students)" ランキングでは、[[クレムソン大学]]、[[ブラウン大学]]に続いて3位を得ている<ref>{{Cite news| url=http://www.cbsnews.com/stories/2008/07/29/earlyshow/living/parenting/main4301858.shtml?source=mostpop_story | work=CBS News | title=Latest College Rankings List The Greenest | date=2008-07-29}}</ref>。
== 学生の人種構成 ==
* 先住民 0.64%
* ヨーロッパ系(ユダヤ人、ペルシア人含む) 50.15%
* ヒスパニック系 7.41%
* アフリカ系 8.31%
* アジア系 14.74%
* 留学生 9.78%
2011年現在は、計98カ国の国からの学生が在籍しており、マイノリティーの学生は37%以上在籍している<ref name="名前なし-2"/>。
2010年度の入学受験サイクル(最新)で合格した生徒に占める、マイノリティーの人種の内訳は以下の通り。
* 先住民 0.08%
* ヒスパニック系 7.9%
* アフリカ系 7.3%
* アジア系 18.1%
* Multiracial 3.8%
* 留学生(アメリカ国籍あるいはアメリカ永住権を取得していない者) 10.7%
<ref>http://www.princeton.edu/admission/applyingforadmission/admission_statistics/</ref>
== 出身者 ==
{{See also|Category:プリンストン大学出身の人物}}
=== 政治家・政府関係者 ===
* [[ジョン・F・ケネディ]]-第35代[[アメリカ合衆国大統領]](健康上の理由から中途退学し[[ハーバード大学]]へ転校)
* [[ジェイムズ・ベイカー (国務長官)|ジェイムズ・ベイカー]] - 第61代[[アメリカ合衆国国務長官]]
* [[フランク・カールッチ]] - 第16代アメリカ合衆国国防長官
* [[ウィリアム・コルビー]] - 第10代[[アメリカ中央情報局|CIA]]長官
* [[アレン・ウェルシュ・ダレス]] - 第5代CIA長官
* [[ジョン・フォスター・ダレス]] - 第52代アメリカ合衆国国務長官
* [[ジェームズ・フォレスタル]] - 初代アメリカ合衆国国防長官
* [[ジョージ・ケナン]] - 外交官、歴史家、駐[[ソビエト連邦|ソビエト]]大使
* [[ジェームズ・マディソン]] - 第4代アメリカ合衆国大統領
* [[ロバート・モラー]] - 弁護士、第13代[[連邦捜査局|FBI]]長官
* [[ドナルド・ラムズフェルド]] - 第13代・第21代アメリカ合衆国国防長官
* [[ジョージ・シュルツ]] - 経済学者、第60代アメリカ合衆国国務長官
* [[ウッドロー・ウィルソン]] - 政治学者、第28代アメリカ合衆国大統領。プリンストン大学総長(1902年ー1910年)。
** 2016年にはアメリカの大学で人種差別問題が盛んに論じられたが、プリンストン大学でも人種差別主義者であったウィルソンの名前がキャンパス内の幾つかの建物に付けられていることに対し、黒人学生による抗議行動があり改名の要求がなされた。学生の抗議を受けて設置された特別委員会は維持の提言を出し、4月に大学の評議会は、「プリンストンは、ウィルソン氏が他の歴史的人物と同様に、正負の両方の影響を持つ複雑な遺産を残したことを公然と率直に認めなければならない」とした上で、「同氏の名前を使用することは、われわれの時代の価値と志に反する見解や行動への支持を意味するものではない」との見解を示している<ref>「[https://jp.reuters.com/article/odd-princeton-woodrow-wilson-idJPKCN0X209L プリンストン大、人種差別主義の元大統領にちなんだ建物改名せず」]ロイター通信(2016年04月05日) 2017年8月20日閲覧 </ref>。
** しかし、2020年、[[ジョージ・フロイド抗議運動]]が高まるなか、同年6月27日、大学はウィルソンの名を冠した学部・建物から名前を外すと発表した<ref>{{Cite news|url=https://www.yomiuri.co.jp/world/20200628-OYT1T50115/|work=[[読売新聞オンライン]] |title=ウィルソン元米大統領の名前冠した学部・建物の名称変更…米大「人種差別的政策進めた」|date=2020-06-28|accessdate=2021-11-10}}</ref>。
* [[ミシェル・オバマ]] - 弁護士、第44代アメリカ合衆国大統領の[[バラク・オバマ]]の妻
* [[ドノルド・ブラッドフォード・ラウリー]] - アメリカ合衆国国務次官(総務担当)
* [[イドリサ・セック]] - [[セネガル共和国]][[首相]]
* [[サウード・アル=ファイサル]] - [[サウディアラビア]][[外務大臣]]
* [[李承晩]] - [[大韓民国]]初代[[大統領 (大韓民国)|大統領]](博士号取得)
* [[折田彦市]] - 教育者、[[第三高等学校 (旧制)|第三高等学校]]初代校長
* [[行天豊雄]] - 大蔵官僚、[[財務官]]、[[東京銀行]]会長
* [[渡辺裕泰]] - 大蔵官僚、[[国税庁長官]]
* [[佐々木豊成]] - 大蔵官僚、財務省[[理財局]]長、[[内閣官房副長官補]](内政担当)
* [[近衛文隆]] - 陸軍軍人、[[近衛文麿]]の長男 東亜同文書院・講師 青年同志会・設立者 陸軍中尉 シベリア抑留にて死亡(中退)
* [[北沢直吉]] - 外交官、[[内閣官房副長官]]、[[外務省]]参与
* [[末松義規]] - 外交官、[[内閣府副大臣]]、[[内閣総理大臣補佐官]]
* [[波多野敬雄]] - 外交官、[[国連大使]]、[[学習院]]長
* [[持田繁]] - 外交官、[[国連事務総長特別代表|国連事務総長副特別代表]]
=== 軍人 ===
* [[マーク・ミリー]] - [[アメリカ陸軍]]大将、アメリカ軍[[統合参謀本部議長]](2019年-)
=== 宗教界 ===
* [[ウィリアム・インブリー]] - [[宣教師]]、教育家
=== 実業界 ===
* [[リー・アイアコッカ]] - [[フォード]]元社長、[[クライスラー]]元会長、[[自動車殿堂]]
* [[ジェームズ・オーブリー]] - [[CBS]]社長
* [[ジェフ・ベゾス]] - [[Amazon.com]]最高経営責任者
* [[マルコム・フォーブズ]] - 『フォーブズ』誌創業者
* [[ジェームズ・マクドネル]] - [[マクドネル・ダグラス]]創業者
* [[エリック・シュミット]] - [[Google]]最高経営責任者
* [[ジム・トンプソン (実業家)|ジム・トンプソン]] - 実業家
* [[ウェンディ・コップ]] - [[ティーチ・フォー・アメリカ]]創始者
* [[ハフィゼ・ガイ・エルカン]] - トルコ中央銀行総裁
* [[ニック・レーン]] - [[アクサ生命保険]]代表執行役社長兼CEO
* [[後藤保弥太]] - [[北濃鉄道]]の創始者
*[[小笠原敏晶]] - 実業家、元ニフコ会長、ジャパンタイムズ誌社会長
=== 学術界 ===
* [[アーサー・コンプトン]] - 物理学者、1927年度[[ノーベル物理学賞]]受賞者。
*[[ジェームズ・ピーブルス]] - 宇宙物理学者、プリンストン大学アルバート・アインシュタイン名誉教授、2019年度[[ノーベル物理学賞]]受賞者。
* [[クリントン・デイヴィソン]] - 物理学者、ベル研究所、1937年度ノーベル物理学賞受賞者。
* [[ジョン・バーディーン]] - 物理学者、[[イリノイ大学]]教授、1956年度・1972年度ノーベル物理学賞受賞者。
* [[ロバート・ホフスタッター]] - 物理学者、元スタンフォード大学教授。1961年度ノーベル物理学賞受賞者。
* [[リチャード・ファインマン]] - 物理学者、[[カリフォルニア工科大学]]教授、1965年度ノーベル物理学賞受賞者。
* [[ニキータ・ネクラソフ]] - 物理学者、[[IH%C3%89S]]教授
* [[ヴォルフガング・パノフスキー]] - 物理学者、[[スタンフォード大学]]教授
* [[スティーヴン・ワインバーグ]] - 物理学者、[[テキサス大学オースティン校]]教授、1979年度ノーベル物理学賞受賞者
* [[キップ・ソーン]] - 物理学者、カリフォルニア工科大学教授
* [[カムラン・ヴァッファ]] - 物理学者、[[ハーバード大学]]教授
* [[フランク・ウィルチェック]] - 物理学者、[[マサチューセッツ工科大学|MIT]]教授、2004年度ノーベル物理学賞受賞者
* [[エドワード・ウィッテン]] - 物理学者、[[プリンストン高等研究所]]教授、1990年度[[フィールズ賞]]受賞者
* [[ダニエル・ツイ]] - 物理学者、プリンストン大学教授、1998年度ノーベル物理学賞受賞者
* [[サイモン・コッヘン]] - 論理学者、数学者、プリンストン大学教授、1967年度[[コール賞]]受賞者
* [[チャールズ・フェファーマン]] - 数学者、プリンストン大学教授、1978年度フィールズ賞受賞者
* [[マイケル・フリードマン]] - 数学者、[[カリフォルニア大学サンディエゴ校]]教授、1986年度フィールズ賞受賞者、1986年度[[ヴェブレン賞]]受賞者
* [[小平邦彦]] - 数学者、プリンストン大学教授、[[ジョンズ・ホプキンズ大学]]教授、[[スタンフォード大学]]教授、[[東京大学]]教授、[[フィールズ賞]]受賞、文化勲章受章、日本学士院会員
* [[サージ・ラング]] - 数学者、[[イェール大学]]教授、1960年度コール賞受賞者
* [[バリー・メイザー]] - 数学者、ハーヴァード大学教授、1982年度コール賞受賞者
* [[ジョン・ミルナー]] - 数学者、[[ニューヨーク州立大学ストーニーブルック校]]教授、1962年度フィールズ賞受賞者
* [[ヤイル・ミンスキー]] - 数学者、イェール大学教授
* [[ジョン・ナッシュ]] - 数学者、1994年度[[ノーベル経済学賞]]受賞者
* [[ピーター・オジュヴァート]] - 数学者、[[コロンビア大学]]教授
* [[マイケル・ラビン]] - 数学者、計算機科学者、[[ヘブライ大学]]教授、1976年度[[チューリング賞]]受賞者
* [[クリストファー・スキナー]] - 数学者、[[ミシガン大学]]教授
* [[ノーマン・スティーンロッド]] - 数学者、プリンストン大学教授
* [[テレンス・タオ]] - 数学者、[[カリフォルニア大学ロサンゼルス校]]教授
* [[アラン・チューリング]] - 数学者
* [[ジョン・テイト]] - 数学者、[[テキサス大学オースティン校]]教授、1956年度コール賞受賞者、2002年度[[ウルフ賞]]受賞者
* [[リチャード・テイラー (数学者)|リチャード・テイラー]] - 数学者、ハーバード大学教授
* [[ロバート・タージャン]] - 計算機科学者、プリンストン大学教授、1982年度[[ネヴァンリンナ賞]]受賞者、1986年度チューリング賞受賞者
* [[ブライアン・カーニハン]] - 計算機科学者、[[ベル研究所]]
* [[アヴィ・ヴィグダーソン]] - 計算機科学者、[[ヘブライ大学]]教授、1994年度ネヴァンリンナ賞受賞者
*[[アンドリュー・ヤオ]] - 計算機科学者、2000年度チューリング賞受賞者
*[[スティーヴン・コール・クリーネ]] - 論理学者、数学者、[[ウィスコンシン大学マディソン校]]教授
*[[ジョン・バークリー・ロッサー]] - 論理学者、数学者、[[コーネル大学]]教授
*[[デイナ・スコット]] - 論理学者、数学者、計算機科学者、[[カーネギーメロン大学]]教授、1976年度チューリング賞受賞者
* [[アロンゾ・チャーチ]] - 論理学者、数学者、プリンストン大学教授
* [[レイモンド・スマリヤン]] - 論理学者、数学者、[[ニューヨーク市立大学]]教授
* [[ジョージ・ブーロス]] - 論理学者、哲学者、[[マサチューセッツ工科大学|MIT]]教授
* [[ポール・ベナセラフ]] - 哲学者、プリンストン大学教授
* [[ジョン・アーマン]] - 科学哲学者、物理学史家、[[ピッツバーグ大学]]教授
* [[エドウィン・マクミラン]] - 化学者、[[カリフォルニア大学バークレー校]]教授、1951年度[[ノーベル化学賞]]受賞者。
* [[リチャード・スモーリー]] - 化学者、ライス大学教授、1996年度ノーベル化学賞受賞者。
* [[ロバート・ノージック]] - 哲学者、ハーバード大学教授
* [[ジョン・ロールズ]] - 哲学者、ハーバード大学教授
* [[ニコラス・レッシャー]] - 哲学者、論理学者、[[ピッツバーグ大学]]教授
* [[バラック・クシュナー]] - 歴史学者、[[ケンブリッジ大学]]教授
* [[ジェームズ・ヘックマン]] - 経済学者、[[シカゴ大学]]教授、2000年度[[ノーベル経済学賞]]受賞者
* [[ゲーリー・ベッカー]] - 経済学者、シカゴ大学教授、1992年度ノーベル経済学賞受賞者
* [[マイケル・スペンス]] - 経済学者、[[スタンフォード大学]]教授、2001年度ノーベル経済学賞受賞者
*[[ギータ・ゴピナート]] - 経済学者、ハーバード大学教授、[[国際通貨基金]]経済顧問・調査局長
* [[リービ英雄]] - 文学者、[[法政大学]]教授
* [[青木浩介]] - 経済学者、東京大学教授
*青柳真樹- 経済学者、大阪大学教授
* [[安部由起子]] - 経済学者、北海道大学准教授
* [[梅垣理郎]] - 政治学者、慶應義塾大学教授
* [[大野泉]] - 政策研究大学院大学教授、[[国際協力機構 緒方貞子平和開発研究所]]所長
* [[大野雅子]] - 比較文学、帝京大学准教授
* [[片木篤]] - 建築学、名古屋大学教授
* [[金井陽介]] - 化学者、ノースカロライナ大学チャペルヒル校准教授
* [[釜江常好]] - 物理学者、東京大学名誉教授
*亀田恒彦 - 情報科学、カナダ・ウオータールー大学名誉教授
*久保田荘 - 経済学者、早稲田大学准教授
* [[小林久志 (計算機科学者)]] - 電気工学、情報科学、プリンストン大学名誉教授、元工学部長
* [[川上文雄]] - 政治学者、奈良教育大学教授
* [[川橋範子]] - 宗教学者、名古屋工業大学准教授
* [[川幡長勝]] - 航空工学、日本大学教授
*佐々木弾 - 経済学者、東京大学准教授
* [[佐々木力]] - 数学史、東京大学教授、現[[中国科学院]]教授
* [[佐々木正道]] - 社会学者、中央大学教授
* [[澤昭裕]] - [[経済産業省]]、東京大学教授
* [[実松譲]] - 日本海軍軍人、著作家
* [[品川日出夫]] - 遺伝学者、大阪大学名誉教授
*陣内了 - 経済学者、一橋大学准教授
*菅谷拓生 - 経済学者、スタンフォード大学准教授
* [[武田興欣]] - 政治学者、青山学院大学教授
* [[恒吉僚子]] - 教育社会学者、東京大学教授
* [[寺谷弘壬]] - 社会学者、青山学院大学教授
*中島大輔 - 経済学者、小樽商科大学教授
*中村昇 - 地球物理学者、シカゴ大学教授
* [[長峯健太郎]] - 宇宙物理学者、大阪大学教授
* [[奈良本英佑]] - 中東政治史、法政大学教授
* [[板東重稔]] - 数学者、東北大学教授
* [[藤川和男]] - 物理学者、東京大学教授
* [[古田和子]] - 経済史、慶應義塾大学教授
* [[古矢旬]] - 政治学者、東京大学教授
* [[本多佑三]] - 経済学者、関西大学教授
* [[三宅克哉]] - 数学者、東京都立大学名誉教授
* [[望月新一]] - 数学者、[[京都大学数理解析研究所]]教授
* [[安田洋祐]] - 経済学者、大阪大学大学院准教授
* [[山田澄生]] - 数学者、学習院大学教授
* 山本尚史 - 経済学者、拓殖大学教授
* [[渡辺智之]] - 経済学者、一橋大学教授
* [[谷勝英]] - 社会学者、元東北福祉大学教授
=== 文学界 ===
* [[スコット・フィッツジェラルド]](中退) - 作家、代表作に『[[グレート・ギャツビー]]』等
* [[ユージン・オニール]](中退) - 劇作家、1936年度[[ノーベル文学賞]]受賞者
* [[エドマンド・ウィルソン]] - 文芸批評家
=== 美術・音楽界 ===
* [[ジム・リー]] - 漫画家、『[[バットマン]]』の作者
* [[ロバート・ヴェントゥーリ]] - 建築家
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=== 芸能界 ===
* [[ディーン・ケイン]] - 俳優、代表作にTVシリーズ「新スーパーマン」の[[スーパーマン]]役等
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* [[デイヴィッド・ドゥカヴニー]] - 俳優
* [[ブルック・シールズ]] - 俳優
* [[ジェームズ・ステュアート (俳優)|ジェームズ・ステュアート]] - 俳優
* [[ウェントワース・ミラー]] - 俳優、TVシリーズ『[[プリズン・ブレイク]]』の主役のマイケル・スコフィールド役等
* 美里美寿々([[田丸美寿々]]) - 日本のニュースアナウンサー。客員研究員として国際関係論を研究
=== スポーツ界 ===
* [[デビッド・ヘイル]] - [[プロ野球選手]]
* [[ウィル・ベナブル]] - プロ野球選手
* [[クリス・ヤング (投手)|クリス・ヤング]] - プロ野球選手
* [[ロス・オーレンドルフ]] - プロ野球選手
== 脚注 ==
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=== 注釈 ===
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=== 出典 ===
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== 関連項目 ==
* [[植民地時代に創立したアメリカ合衆国の大学の一覧]]
* [[ユダヤ学]]
* [[学校法人明治学院]](日本のプリンストン大学を目指して設立された。)
== 外部リンク ==
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* [https://www.princeton.edu/ Princeton University(英語版)]
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[[Category:ニュージャージー州の大学]]
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[[Category:プリンストン大学|*]]
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連続写像
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数学において、関数または写像 f が、定義域のある点 a において連続(れんぞく、英: continuous)であるとは、f が a において極限を保つこと、平たく言えば、f の入力 x を a に「限りなく近づける」ことで、その近づけ方によらず、出力 f(x) をも f(a) に「限りなく近づける」ことができるということである。特に定義域の全ての点において連続であるとき、 f は連続関数(れんぞくかんすう、英: continuous function)または連続写像(れんぞくしゃぞう)という。連続でないことは不連続(ふれんぞく、英: discontinuous)という。
連続性は多項式関数や指数関数といった多くの初等関数が備える性質であり、実数値関数では連結集合の上で中間値の定理、コンパクト集合の上で最大値最小値定理が成り立つほか、微分可能であるための必要条件や積分可能であるための十分条件でもあるなど、解析学的に重要な性質を伴う。
連続性は位相空間論において一般化され、近傍系や開集合系などの位相的構造を逆像で保つこととして定義され(後述)、この意味で連続写像は位相的構造についての準同型である。そのため、位相空間の間の写像が、双方向に位相的構造を保つ写像、つまり同相写像であることは、逆も連続な全単射連続写像であることと同値である。さらに、連続写像は位相空間の圏における射となる。また、連続性はホモトピーの定義などを通じて位相幾何学の土台をなす。
実関数、すなわち定義域と値域がともに実数直線上にある関数 f(x) が x = a を含む区間で定義されているとき、座標平面上にそのグラフを描くことができるが、a における連続性とは、『数直線上の左から x = a に近づいたときの極限値と、数直線上の右から x = a に近づいたときの極限値が一致して、しかも f(a) に等しいこと』であり、関数の極限を用いて以下の等式で定義される。
これはε-δ論法によって次のように言い換えることができる。
これはつまり、どれだけ小さな正の実数 ε に対しても「a との誤差が δ 未満である x ≠ a を持ってくれば、f(a) との誤差が ε 未満であることが保証された f(x) を得られる」ような正の実数 δ が存在するということを意味する。なお、x ≠ a の条件は無くてもよい。
関数 f(x) が定義域上のすべての点において連続であるとき、これを連続関数と呼ぶ。
以下に挙げるように、連続関数を組み合わせてできる様々な関数が再び連続関数になることが知られている。
一般の距離空間 (X, dX) と (Y, dY) の間の写像 f: X → Y についても、a ∈ X における連続性の定義は
で与えられる。
これもまたε-δ論法によって、
と言い換えることができる。
また、点 p の ε-近傍 Bε(p) = {q | d(q, p) < ε} の概念を用いることで、
とも言えて、x ∈ A → f(x) ∈ B ⇔ f(A) ⊂ B ⇔ A ⊂ f(B) であることから、一階述語論理で
あるいは
と表すこともできる。
さらに、点 p の近傍の全体 N(p) = {V | ∃ε > 0 [Bε(p) ⊂ V]} を用いて、ε や δ が現れず距離に明示的に依存しない形に書き直すことができる。f(a) の任意の近傍 V はある ε-近傍を包んでいるので、それに対応した a のある δ-近傍を近傍 W として持ってくるのである。その結果、
あるいは
とあらわすことができる。特に後者はより短く
と表すこともできる。
前節の通り、距離空間の間の写像の連続性は、近傍を用いて距離に明示的に依存せずに表すことができた。これを位相が定める近傍系に適用することで、一般の位相空間 (X, OX) と (Y, OY) の間の写像 f: X → Y について a ∈ X における連続性は、
で定義される。これは距離空間のときと同じように
あるいは
と書いても同じである。写像 f が X のすべての点において連続であるならば、f を連続写像という。
連続写像は近傍系以外の位相的構造を用いて定義することもできる。位相空間 (X, OX) と (Y, OY) の間の写像 f: X → Y について、以下の3条件は互いに同値である。
このことから、開集合や閉集合を用いて連続写像を定義することもできる。特に、位相を開集合によって定義する流儀が多いことに伴い、開集合を用いた定義が採用されることが多い。
他に、各部分集合 A ⊆ X にその閉包を割り当てる閉包作用素(英語版) cl や、開核を割り当てる開核作用素 int も位相を定めるが、これらを用いると、位相空間の間の写像
が上記の意味で連続となるための必要十分条件は、任意の部分集合 A ⊆ X に対して
が成り立つことである。これはつまり、X の与えられた元 x が任意の部分集合 A の閉包に属す限りにおいて、f(x) は必ず f(A) の閉包に属すことを言っている。これはまた X′ の任意の部分集合 A′ に対して
を満足することを課すのと同値である。あるいは開核作用素を用いて、写像
が連続となる必要十分条件を、任意の部分集合 A ⊆ X に対し
が満足されることと述べることもできる。
この記事の冒頭では、「(点を)限りなく近づける」という喩えを用いて、連続写像を極限を保つ写像だと説明した。距離空間上で点の極限を厳密に議論するためにはε-N論法で定義されるような列の極限がよく用いられる。しかし、これは一般の位相空間に対して連続性を特徴づけるには(単にε-N論法の ε-近傍を一般の近傍に書き換えるだけでは)不十分であり、極限の概念を点列より広い概念に拡張する必要がある。
「列の極限を保つ」写像は点列連続(英: sequentially continuous)と呼ばれる。すなわち、写像 f: X → Y が点列連続であるとは、X 内の点列 (xn) が極限点 a に収束するならば像の列 (f(xn)) が f(a) に収束することである。
任意の連続写像は点列連続である。さらに、X が第一可算空間の商位相空間ならば、逆もまた成立して任意の点列連続写像は連続であり、このような空間は列型空間と呼ばれる。特に、任意の距離空間は自然数 N についての ⁄N-近傍の全体が基本近傍系をなすことから、第一可算公理を満たして列型空間である。
列型空間でない位相空間では点列連続性が連続性よりも真に弱い。そのような空間でも極限によって連続性を扱えるようにするために点列の概念を拡張したものが有向点族(有向点列、ネット)である。これは可算な全順序集合である自然数 N の代わりに、適当な有向集合 Λ を添字集合とするような点の族である。有向点族 (xλ)λ ∈ Λ が a に収束するとは、a の任意の近傍 V に対しても、適当な λ0 ∈ Λ が存在して、λ0 ≤ λ を満たす全ての λ ∈ Λ について xλ ∈ V であることとして定義される。特に、ハウスドルフ空間では収束する有向点族の極限はただ一点である。
この有向点族の極限を用いることで、写像の連続性を表すことができるようになる。というのも、a ∈ X に収束する任意の有向点族 (xλ)λ ∈ Λ について (f(xλ))λ ∈ Λ が必ず f(a) に収束することが、a において f: X → Y が連続であるための必要十分条件となるからである。これにより、連続写像を「有向点族の極限を保つ」写像として定義することができる。
二つの写像 f: X → Y, g: Y → Z が連続ならば、それらの合成 g ∘ f: X → Z もそうである。また f: X → Y が連続のとき、
である。
一つ固定した空間 X 上に入れることのできる位相の全体には半順序を入れることができて、位相 τ1 が別の位相 τ2 よりも粗い(英語版) (τ1 ⊆ τ2) とは、τ1 に関する任意の開集合が、必ず τ2 に関する開集合ともなるときに言うのであった。さてこのとき、恒等写像
が連続となる必要十分条件は τ1 ⊆ τ2 が成り立つことである。より一般に、連続写像
に対し、位相 τY をより粗い位相に取り換えても、また τX をより細かい位相に取り換えても、連続性は保たれる。
連続写像は開集合の逆像が開集合となり、閉集合の逆像が閉集合となる写像であったが、それと対照的に「開集合の像が開集合となる」写像と「閉集合の像が閉集合となる」写像は、それぞれ開写像と閉写像と呼ばれる。つまり、開写像あるいは閉写像が逆写像を持てばそれは連続であり、連続写像が逆を持てばその逆写像は開かつ閉写像である。このことから、位相空間の間の写像について以下は全て同値である。
このような写像は開集合系や近傍系といった位相的構造を双方向に保つため、位相同型写像、あるいは同相写像と呼ばれる。また、同相写像 f: X → Y が存在するとき、X と Y は互いに位相同型である、あるいは同相であるという。
位相空間 X から(特に位相を考えない)集合 S への写像
が与えられたとき、S 上の終位相(英語版)は、S の部分集合 A が開集合であるということを、f(A) が X の開集合であることと定めることにより定義される。S に予め位相が定められていたとき、f がその位相に関して連続となる必要十分条件は、もとの位相が S 上の終位相よりも粗いことである。従って、終位相は S 上の f を連続にする最も細かい位相となる。f が全射のとき、終位相は f の定める同値関係のもとでの商位相と自然に同一視される。
これと双対的に、集合 S から位相空間への写像 f に対し、S 上の始位相(英語版)は、S の部分集合 A が開集合であることを、f(A) が X の開集合となることと定めることによって定義される。S にもともと位相が入っているとき、f がその位相に関して連続となる必要十分条件は、その位相が S 上の始位相よりも細かいことである。従って、始位相は S 上の位相として f を連続にする最も粗い位相となる。f が単射のとき S を X の部分集合と同一視すれば、S 上の始位相は X から定まる部分空間としての位相と自然に同一視される。
より一般に、集合 S が与えられたとき、任意の位相空間 X への連続写像 S → X 全体の成す集合を特定することにより、S に位相が定まる。双対的に同じことが X → S に対しても考えられる。これは普遍性の一例である。
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"paragraph_id": 41,
"tag": "p",
"text": "に対し、位相 τY をより粗い位相に取り換えても、また τX をより細かい位相に取り換えても、連続性は保たれる。",
"title": "性質"
},
{
"paragraph_id": 42,
"tag": "p",
"text": "連続写像は開集合の逆像が開集合となり、閉集合の逆像が閉集合となる写像であったが、それと対照的に「開集合の像が開集合となる」写像と「閉集合の像が閉集合となる」写像は、それぞれ開写像と閉写像と呼ばれる。つまり、開写像あるいは閉写像が逆写像を持てばそれは連続であり、連続写像が逆を持てばその逆写像は開かつ閉写像である。このことから、位相空間の間の写像について以下は全て同値である。",
"title": "同相写像"
},
{
"paragraph_id": 43,
"tag": "p",
"text": "このような写像は開集合系や近傍系といった位相的構造を双方向に保つため、位相同型写像、あるいは同相写像と呼ばれる。また、同相写像 f: X → Y が存在するとき、X と Y は互いに位相同型である、あるいは同相であるという。",
"title": "同相写像"
},
{
"paragraph_id": 44,
"tag": "p",
"text": "位相空間 X から(特に位相を考えない)集合 S への写像",
"title": "連続写像の定める位相"
},
{
"paragraph_id": 45,
"tag": "p",
"text": "が与えられたとき、S 上の終位相(英語版)は、S の部分集合 A が開集合であるということを、f(A) が X の開集合であることと定めることにより定義される。S に予め位相が定められていたとき、f がその位相に関して連続となる必要十分条件は、もとの位相が S 上の終位相よりも粗いことである。従って、終位相は S 上の f を連続にする最も細かい位相となる。f が全射のとき、終位相は f の定める同値関係のもとでの商位相と自然に同一視される。",
"title": "連続写像の定める位相"
},
{
"paragraph_id": 46,
"tag": "p",
"text": "これと双対的に、集合 S から位相空間への写像 f に対し、S 上の始位相(英語版)は、S の部分集合 A が開集合であることを、f(A) が X の開集合となることと定めることによって定義される。S にもともと位相が入っているとき、f がその位相に関して連続となる必要十分条件は、その位相が S 上の始位相よりも細かいことである。従って、始位相は S 上の位相として f を連続にする最も粗い位相となる。f が単射のとき S を X の部分集合と同一視すれば、S 上の始位相は X から定まる部分空間としての位相と自然に同一視される。",
"title": "連続写像の定める位相"
},
{
"paragraph_id": 47,
"tag": "p",
"text": "より一般に、集合 S が与えられたとき、任意の位相空間 X への連続写像 S → X 全体の成す集合を特定することにより、S に位相が定まる。双対的に同じことが X → S に対しても考えられる。これは普遍性の一例である。",
"title": "連続写像の定める位相"
}
] |
数学において、関数または写像 f が、定義域のある点 a において連続であるとは、f が a において極限を保つこと、平たく言えば、f の入力 x を a に「限りなく近づける」ことで、その近づけ方によらず、出力 f(x) をも f(a) に「限りなく近づける」ことができるということである。特に定義域の全ての点において連続であるとき、 f は連続関数または連続写像(れんぞくしゃぞう)という。連続でないことは不連続という。 連続性は多項式関数や指数関数といった多くの初等関数が備える性質であり、実数値関数では連結集合の上で中間値の定理、コンパクト集合の上で最大値最小値定理が成り立つほか、微分可能であるための必要条件や積分可能であるための十分条件でもあるなど、解析学的に重要な性質を伴う。 連続性は位相空間論において一般化され、近傍系や開集合系などの位相的構造を逆像で保つこととして定義され(後述)、この意味で連続写像は位相的構造についての準同型である。そのため、位相空間の間の写像が、双方向に位相的構造を保つ写像、つまり同相写像であることは、逆も連続な全単射連続写像であることと同値である。さらに、連続写像は位相空間の圏における射となる。また、連続性はホモトピーの定義などを通じて位相幾何学の土台をなす。
|
{{脚注の不足|date=2022年12月}}
{{Calculus}}
[[数学]]において、[[関数 (数学)|関数]]または[[写像]] {{mvar|f}} が、[[定義域]]のある点 {{mvar|a}} において'''連続'''(れんぞく、{{lang-en-short|continuous}})であるとは、{{mvar|f}} が {{mvar|a}} において[[極限]]を保つこと、平たく言えば、{{mvar|f}} の入力 {{mvar|x}} を {{mvar|a}} に「限りなく近づける」ことで、その近づけ方によらず、出力 {{math|''f''(''x'')}} をも {{math|''f''(''a'')}} に「限りなく近づける」ことができるということである。特に定義域の全ての点において連続であるとき、 {{mvar|f}} は'''連続関数'''(れんぞくかんすう、{{lang-en-short|continuous function|links=no}})または'''連続写像'''(れんぞくしゃぞう)という。連続でないことは'''不連続'''(ふれんぞく、{{lang-en-short|discontinuous|links=no}})という。
連続性は[[多項式関数]]や[[指数関数]]といった多くの[[初等関数]]が備える性質であり、[[実数値関数]]では[[連結集合]]{{Efn2|[[実関数]]では単一の[[区間 (数学)|区間]]}}の上で[[中間値の定理]]、[[コンパクト集合]]{{Efn2|[[ユークリッド空間]]上の関数では[[有界]][[閉集合]]}}の上で[[最大値最小値定理]]が成り立つほか、[[微分可能関数|微分可能]]であるための必要条件や[[積分法|積分可能]]であるための十分条件でもあるなど、[[解析学]]的に重要な性質を伴う。
連続性は[[位相空間論]]において一般化され、[[近傍系]]や[[開集合|開集合系]]などの[[位相的構造]]を[[逆像]]で保つこととして定義され([[#位相空間の間の写像の連続性|後述]])、この意味で連続写像は位相的構造についての[[準同型]]である。そのため、[[位相空間]]の間の写像が、双方向に位相的構造を保つ写像、つまり[[同相写像]]であることは、[[逆写像|逆]]も連続な[[全単射]]連続写像であることと同値である。さらに、連続写像は[[位相空間の圏]]における[[射]]となる。また、連続性は[[ホモトピー]]の定義などを通じて[[位相幾何学]]の土台をなす。
== 実関数の連続性 ==
[[ファイル:Epsilon-delta definition of continuity (GIF).gif|サムネイル|右|ε-δ論法による関数の連続性]]
[[実関数]]、すなわち[[定義域]]と[[値域]]がともに[[実数直線]]上にある関数 {{math|''f''(''x'')}} が {{math|''x'' {{=}} ''a''}} を含む[[区間 (数学)|区間]]で定義されているとき、[[座標平面]]上にその[[グラフ (関数)|グラフ]]を描くことができるが、{{mvar|a}} における連続性とは、『数直線上の左から {{math|''x'' {{=}} ''a''}} に近づいたときの[[片側極限|極限値]]と、数直線上の右から {{math|''x'' {{=}} ''a''}} に近づいたときの極限値が一致して、しかも {{math|''f''(''a'')}} に等しいこと』{{Sfn|加藤|2019|p=71}}であり、[[関数の極限]]を用いて以下の等式で定義される{{Sfn|加藤|2019|p=71}}{{Efn2|杉浦{{Sfn|杉浦|1985|loc=第I章 §6}}も同じ等式で定義しているが、より一般に[[ユークリッド空間]]について述べていることと、極限の定義が一般的な定義と僅かに異なる(同値ではない)ことに注意を要する。この記事での意味の等式に最も近い表現は命題6.5の d) である。}}。
: <math> \lim_{x \to a} f(x) = f(a) </math>
これは[[ε-δ論法]]によって次のように言い換えることができる。
: [[任意]]の[[正数|正]]の実数 {{mvar|ε}} について、適切に正の実数 {{mvar|δ}} をとることで、{{mvar|f}} の定義域に含まれて {{math|{{abs|''x'' − ''a''}} < ''δ''}} を満たす全ての {{math|''x'' ≠ ''a''}} について {{math|{{abs|''f''(''x'') − ''f''(''a'')}} < ''ε''}} が成り立つ。
これはつまり、どれだけ小さな正の実数 {{mvar|ε}} に対しても「{{mvar|a}} との誤差が {{mvar|δ}} 未満である {{math|''x'' ≠ ''a''}} を持ってくれば、{{math|''f''(''a'')}} との誤差が {{mvar|ε}} 未満であることが保証された {{math|''f''(''x'')}} を得られる」ような正の実数 {{mvar|δ}} が存在するということを意味する{{Sfn|杉浦|1985|loc=第I章 §6 命題6.5 d)}}。なお、{{math|''x'' ≠ ''a''}} の条件は無くてもよい{{Efn2|一般に関数の極限を扱う際には {{math|''x'' ≠ ''a''}} であること、あるいは同じことだが、絶対値の条件が {{math|0 < {{abs|''x'' − ''a''}} < ''δ''}} と正値をとること{{Sfn|加藤|2019|p=62}}が要求される。これは必ずしも {{math|''f''(''a'')}} が極限値 {{mvar|A}} と等しいとは限らず、そのような場合に {{math|{{abs|''f''(''a'') − ''A''}} < ''ε''}} が成り立たない {{mvar|ε}} が存在して極限の議論の妨げになるためであった。しかし、連続関数は {{math|''A'' {{=}} ''f''(''a'') }} となるべきものであり、どのような正の実数 {{mvar|ε}} についても {{math|{{abs|''f''(''a'') − ''f''(''a'')}} {{=}} 0 < ''ε''}} が自明に成り立つので、{{math|''x'' {{=}} ''a''}} を含めても条件が厳しくなることはない。そのため、{{math|''f''(''x'')}} の連続性は、「任意の正の実数 {{mvar|ε}} について適切な正の実数 {{mvar|δ}} をとることで、{{mvar|f}} の定義域に含まれて {{math|{{abs|''x'' − ''a''}} < ''δ''}} を満たす''全ての {{mvar|x}} について'' {{math|{{abs|''f''(''x'') − ''f''(''a'')}} < ''ε''}} が成り立つ」ことだとも言える{{Sfn|杉浦|1985|loc=第I章 §6 命題6.5 c)}}。}}。
関数 {{math|''f''(''x'')}} が定義域上のすべての点において連続であるとき、これを連続関数と呼ぶ{{Sfn|加藤|2019|p=71}}。
以下に挙げるように、連続関数を組み合わせてできる様々な関数が再び連続関数になることが知られている{{Sfn|加藤|2019|pp=72–74}}{{Sfn|杉浦|1985|pp=57–59}}。
* 関数 {{math|''f''(''x'')}} と {{math|''g''(''x'')}} がいずれも {{mvar|a}} において連続であるとき、以下の関数もまた {{mvar|a}} において連続である。これは一般の[[位相空間]]上で定義される[[実数値関数]]においても成立する{{Sfn|松坂|1968|pp=178–182}}。
** {{math|''k'' ''f''(''x'') + ''l'' ''g''(''x'')}}({{mvar|k}} と {{mvar|l}} は実数)
** {{math|''f''(''x'') · ''g''(''x'')}}
** {{math|''f''(''x'') / ''g''(''x'')}}(ただし {{math|''g''(''a'') ≠ 0}})
* 関数 {{math|''f''(''x'')}} が {{mvar|a}} において連続で、 {{math|''g''(''x'')}} が {{math|''b'' {{=}} ''f''(''a'')}} において連続であるとき、[[合成関数]] {{math|(''g'' ∘ ''f'')(x) {{=}} ''g''(''f''(''x''))}} もまた {{mvar|a}} において連続である。これは位相空間の間の写像について一般に成立する{{Sfn|松坂|1968|pp=185}}。つまり、連続写像の全体は合成について[[閉じている]]。
[[ファイル:Xto2.svg|サムネイル|右|二次関数は連続関数である。]]
[[ファイル:Floor function.svg|サムネイル|右|床関数は整数において不連続である。]]
; 例
* 実数上で定義された[[二次関数]] {{math|''f''(''x'') {{=}} ''x''{{sup|2}}}} は任意の実数 {{math|''a''}} において連続である。実際、任意の {{math|''ε'' > 0}} に対して、{{math|''δ'' {{=}} {{sqrt|''a''{{sup|2}} + ''ε''}} − {{sqrt|''a''{{sup|2}}}} > 0}} とすることで、{{math|{{abs|''x'' − ''a''}} < ''δ''}} を満たす {{math|''x''}} について、{{math|{{abs|''x''{{sup|2}} − ''a''{{sup|2}}}} < ''ε''}} が成り立つ{{Efn2|{{fontsize|75%|<math>
\begin{align}
\left| x^2 - a^2 \right| &= | x - a | \cdot | x + a | \le | x - a | \cdot ( | x - a | + 2 | a | ) \\
&< \left( \sqrt{a^2 + \varepsilon} - \sqrt{a^2} \right) \left[ \left( \sqrt{a^2 + \varepsilon} - \sqrt{a^2} \right) + 2\sqrt{a^2} \right] \\
&= \left( \sqrt{a^2 + \varepsilon} - \sqrt{a^2} \right) \left( \sqrt{a^2 + \varepsilon} + \sqrt{a^2} \right) \\
&= \left( a^2 + \varepsilon \right) - a^2 = \varepsilon
\end{align}
</math>}}}}。
* [[床関数]] {{math|''f''(''x'') {{=}} {{sub|⌊}}''x''{{sub|⌋}}}} は点 {{math|''a'' {{=}} 0}} において不連続である。実際、任意の {{math|''δ'' > 0}} に対して、{{math|−''δ'' < ''x'' < 0}} を満たす {{mvar|x}} について {{math|{{abs|{{sub|⌊}}''x''{{sub|⌋}} − 0}} ≥ 1}} であり、{{math|''ε'' ≤ 1}} に対して「{{math|{{abs|''x'' − ''a''}} < ''δ''}} ならば {{math|{{abs|''f''(''x'') − ''f''(''a'')}} < ''ε''}} である」ような {{mvar|δ}} が存在しない。
== 距離空間の間の写像の連続性 ==
一般の[[距離空間]] {{math|(''X'', ''d''{{sub|''X''}})}} と {{math|(''Y'', ''d''{{sub|''Y''}})}} の間の写像 {{math|''f'': ''X'' → ''Y''}} についても、{{math|''a'' ∈ ''X''}} における連続性の定義は
: <math> \lim_{x \to a} f(x) = f(a) </math>
で与えられる。
これもまたε-δ論法によって、
: 任意の正の実数 {{mvar|ε}} について適切な正の実数 {{mvar|δ}} をとることで、{{math|''d''{{sub|''X''}}(''x'', ''a'') < ''δ''}} を満たす全ての {{mvar|x}} について {{math|''d''{{sub|''Y''}}(''f''(''x''), ''f''(''a'')) < ''ε''}} が成り立つ
と言い換えることができる{{Sfn|松坂|1968|p=240}}。
また、点 {{mvar|p}} の [[球体#一般の距離空間における球体|{{mvar|ε}}-近傍]] {{math|''B''{{sub|''ε''}}(''p'') {{=}} {{mset|''q''|''d''(''q'', ''p'') < ''ε''}}}} の概念を用いることで、
: 任意の正の実数 {{mvar|ε}} について適切な正の実数 {{mvar|δ}} をとることで、{{mvar|a}} の {{mvar|δ}}-近傍に含まれる全ての {{mvar|x}} について {{math|''f''(''x'')}} は {{math|''f''(''a'')}} の {{mvar|ε}}-近傍に含まれる
とも言えて{{Efn2|ここで、{{mvar|a}} の {{mvar|δ}}-近傍は {{math|(''X'', ''d''{{sub|''X''}})}} におけるもの、{{math|''f''(''a'')}} の {{mvar|ε}}-近傍は {{math|(''Y'', ''d''{{sub|''Y''}})}} におけるものであることには注意が必要である。}}、{{math|''x'' ∈ ''A'' → ''f''(''x'') ∈ ''B'' ⇔ ''f''(''A'') ⊂ ''B'' ⇔ ''A'' ⊂ ''f''{{sup|−1}}(''B'')}} であることから、[[一階述語論理]]で
: <math> \forall \varepsilon > 0 \; \exists \delta > 0 \; \bigl[ f(B_\delta(a)) \subset B_\varepsilon(f(a)) \bigr] </math>
: ({{math|''f''(''a'')}} の任意の {{mvar|ε}}-近傍は {{mvar|a}} のある {{mvar|δ}}-近傍の像を包む)
あるいは
:<math> \forall \varepsilon > 0 \; \exists \delta > 0 \; \bigl[ B_\delta(a) \subset f^{-1}(B_\varepsilon(f(a))) \bigr] </math>
: ({{math|''f''(''a'')}} の任意の {{mvar|ε}}-近傍の逆像は {{mvar|a}} のある {{mvar|δ}}-近傍を包む)
と表すこともできる{{Sfn|松坂|1968|pp=240–241}}。
さらに、点 {{mvar|p}} の[[近傍 (位相空間論)#距離空間における近傍|近傍]]の全体 {{math|{{mathcal|N}}(''p'') {{=}} {{mset|''V''|∃ε > 0 {{bracket|''B''{{sub|ε}}(''p'') ⊂ ''V''}}}}}} を用いて、{{var|ε}} や {{mvar|δ}} が現れず距離に明示的に依存しない形に書き直すことができる。{{math|''f''(''a'')}} の任意の近傍 {{mvar|V}} はある {{mvar|ε}}-近傍を包んでいるので、それに対応した {{mvar|a}} のある {{mvar|δ}}-近傍を近傍 {{mvar|W}} として持ってくるのである。その結果、
: <math> \forall V \in \mathcal N (f(a)) \; \exists W \in \mathcal N(a) \; \bigl[ f(W) \subset V \bigr] </math>
: ({{math|''f''(''a'')}} の任意の近傍 {{mvar|V}} は {{mvar|a}} のある近傍 {{mvar|W}} の像を包む)
あるいは
: <math> \forall V \in \mathcal N (f(a)) \; \exists W \in \mathcal N(a) \; \bigl[ W \subset f^{-1}(V) \bigr] </math>
: ({{math|''f''(''a'')}} の任意の近傍 {{mvar|V}} の逆像は {{mvar|a}} のある近傍 {{mvar|W}} を包む)
とあらわすことができる。特に後者はより短く
: <math> \forall V \in \mathcal N (f(a)) \; \bigl[ f^{-1}(V) \in \mathcal N(a) \bigr] </math>
: ({{math|''f''(''a'')}} の任意の近傍 {{mvar|V}} の逆像は {{mvar|a}} の近傍である)
と表すこともできる。
== 位相空間の間の写像の連続性 ==
[[File:continuity topology.svg|thumb|right|300px|一点における写像の連続性。{{math|''f''(''x'')}} の任意の近傍 {{mvar|V}} に対して、{{mvar|x}} の近傍 {{mvar|U}} で {{math|''f''(''U'') ⊂ ''V''}} となるものが存在する。すなわち<br /><math> \forall V \in \mathcal N (f(x)) \; \exists U \in \mathcal N(x) \; \bigl[ f(U) \subset V \bigr] </math>]]
前節の通り、距離空間の間の写像の連続性は、近傍を用いて距離に明示的に依存せずに表すことができた。これを位相が定める[[近傍系]]に適用することで、一般の[[位相空間]] {{math|(''X'', 𝒪{{sub|''X''}})}} と {{math|(''Y'', 𝒪{{sub|''Y''}})}} の間の写像 {{math|''f'': ''X'' → ''Y''}} について {{math|''a'' ∈ ''X''}} における連続性は、
: <math> \forall V \in \mathcal N (f(a)) \; \bigl[ f^{-1}(V) \in \mathcal N(a) \bigr] </math>
で定義される{{Sfn|松坂|1968|p=178}}。これは距離空間のときと同じように
: <math> \forall V \in \mathcal N (f(a)) \; \exists W \in \mathcal N(a) \; \bigl[ f(W) \subset V \bigr] </math>
あるいは
: <math> \forall V \in \mathcal N (f(a)) \; \exists W \in \mathcal N(a) \; \bigl[ W \subset f^{-1}(V) \bigr] </math>
と書いても同じである。写像 {{mvar|f}} が {{mvar|X}} のすべての点において連続であるならば、{{mvar|f}} を連続写像という{{Sfn|松坂|1968|p=178}}。
連続写像は近傍系以外の[[位相的構造]]を用いて定義することもできる。位相空間 {{math|(''X'', 𝒪{{sub|''X''}})}} と {{math|(''Y'', 𝒪{{sub|''Y''}})}} の間の写像 {{math|''f'': ''X'' → ''Y''}} について、以下の3条件は互いに同値である{{Sfn|松坂|1968|pp=175–176}}。
* {{mvar|Y}} の任意の[[開集合]] {{mvar|O}} に対して、その逆像 {{math|''f''{{sup|−1}}(''O'')}} が {{mvar|X}} の開集合である{{Efn2|開集合全てでなく[[準開基]]に限ったとしても同値である。}}。
* {{mvar|Y}} の任意の[[閉集合]] {{mvar|F}} に対して、その逆像 {{math|''f''{{sup|−1}}(''F'')}} が {{mvar|X}} の閉集合である。
* {{mvar|X}} の任意の点 {{mvar|x}} について、{{math|''f''(''x'')}} の任意の近傍 {{mvar|V}} の逆像 {{math|''f''{{sup|−1}}(''V'')}} が {{mvar|x}} の近傍である{{Efn2|全近傍系の代わりに[[基本近傍系]]や開近傍系に限ったとしても同値である。例えば、距離空間においては各点の{{mvar|ε}}-近傍の全体が基本近傍系となるので、ε-δ論法による定義は基本近傍系によるものだということもできる。}}。
このことから、開集合や閉集合を用いて連続写像を定義することもできる。特に、位相を開集合によって定義する流儀が多いことに伴い、開集合を用いた定義が採用されることが多い。
他に、各部分集合 {{math|''A'' ⊆ ''X''}} にその[[閉包 (位相空間論)|閉包]]を割り当てる{{仮リンク|クラトフスキー閉包作用素|en|Kuratowski closure operator|label=閉包作用素}} {{math|cl}} や、[[開核]]を割り当てる[[開核作用素]] {{math|int}} も位相を定めるが、これらを用いると、位相空間の間の写像
: <math>f\colon (X,\mathrm{cl}) \to (X' ,\mathrm{cl}')</math>
が上記の意味で連続となるための必要十分条件は、任意の部分集合 {{math|''A'' ⊆ ''X''}} に対して
:<math>f(\mathrm{cl}(A)) \subseteq \mathrm{cl}'(f(A))</math>
が成り立つことである。これはつまり、{{math|''X''}} の与えられた元 {{math|''x''}} が任意の部分集合 {{math|''A''}} の閉包に属す限りにおいて、{{math|''f''(''x'')}} は必ず {{math|''f''(''A'')}} の閉包に属すことを言っている。これはまた {{math|''X''′}} の任意の部分集合 {{math|''A''′}} に対して
: <math>f^{-1}(\mathrm{cl}'(A')) \supseteq \mathrm{cl}(f^{-1}(A'))</math>
を満足することを課すのと同値である。あるいは開核作用素を用いて、写像
:<math>f\colon (X,\mathrm{int}) \to (X' ,\mathrm{int}')</math>
が連続となる必要十分条件を、任意の部分集合 {{math|''A'' ⊆ ''X''}} に対し
:<math>f^{-1}(\mathrm{int}'(A)) \subseteq \mathrm{int}(f^{-1}(A))</math>
が満足されることと述べることもできる。
=== 点列および有向点族を用いた定義 ===
この記事の冒頭では、「(点を)限りなく近づける」という喩えを用いて、連続写像を[[極限]]を保つ写像だと説明した。距離空間上で点の極限を厳密に議論するためには[[イプシロン-エヌ論法|ε-N論法]]で定義されるような[[列の極限]]がよく用いられる。しかし、これは一般の位相空間に対して連続性を[[特徴づけ (数学)|特徴づけ]]るには(単にε-N論法の {{mvar|ε}}-近傍を一般の近傍に書き換えるだけでは)不十分であり、極限の概念を[[点列]]より広い概念に拡張する必要がある。
「列の極限を保つ」写像は'''点列連続'''({{lang-en-short|sequentially continuous|links=no}})と呼ばれる。すなわち、写像 {{math|''f'': ''X'' → ''Y''}} が点列連続であるとは、{{mvar|X}} 内の点列 {{math|(''x''{{sub|''n''}})}} が[[極限点]] {{mvar|a}} に収束するならば像の列 {{math|(''f''(''x''{{sub|''n''}}))}} が {{math|''f''(''a'')}} に収束することである。
任意の連続写像は点列連続である。さらに、{{mvar|X}} が[[第一可算空間]]の[[商位相空間]]ならば、逆もまた成立して任意の点列連続写像は連続であり、このような空間は[[列型空間]]と呼ばれる。特に、任意の距離空間は自然数 {{mvar|N}} についての {{math|{{frac|''N''}}}}-近傍の全体が基本近傍系をなすことから、第一可算公理を満たして列型空間である。
列型空間でない位相空間では点列連続性が連続性よりも真に弱い。そのような空間でも極限によって連続性を扱えるようにするために点列の概念を拡張したものが'''[[有向点族]]'''(有向点列、ネット)である。これは[[可算]]な[[全順序]]集合である[[自然数]] '''N''' の代わりに、適当な[[有向集合]] {{mvar|Λ}} を[[添字集合]]とするような点の族である。有向点族 {{math|(''x''{{sub|''λ''}}){{sub|''λ'' ∈ ''Λ''}}}} が {{mvar|a}} に収束するとは、{{mvar|a}} の任意の近傍 {{mvar|V}} に対しても、適当な {{math|''λ''{{sub|0}} ∈ ''Λ''}} が存在して、{{math|''λ''{{sub|0}} ≤ ''λ''}} を満たす全ての {{math|''λ'' ∈ ''Λ''}} について {{math|''x''{{sub|''λ''}} ∈ ''V''}} であることとして定義される{{Sfn|松坂|1968|p=246}}。特に、[[ハウスドルフ空間]]では収束する有向点族の極限はただ一点である{{Efn2|これは逆も真であり、ハウスドルフ空間の特徴づけになっている。}}。
この有向点族の極限を用いることで、写像の連続性を表すことができるようになる。というのも、{{math|''a'' ∈ ''X''}} に収束する任意の有向点族 {{math|(''x''{{sub|''λ''}}){{sub|''λ'' ∈ ''Λ''}}}} について {{math| (''f''(''x''{{sub|''λ''}})){{sub|''λ'' ∈ ''Λ''}}}} が必ず {{math|''f''(''a'')}} に収束することが、{{mvar|a}} において {{math|''f'': ''X'' → ''Y''}} が連続であるための必要十分条件となる{{Sfn|松坂|1968|p=246}}{{Efn2|特に {{math|''Y''}} がハウスドルフ空間であるときは、{{mvar|x}} を {{mvar|a}} に限りなく近づけるときの {{mvar|f}} の極限が {{math|''f''(''a'')}} であることだと言える。}}からである。これにより、連続写像を「有向点族の極限を保つ」写像として定義することができる。
== 性質 ==
二つの写像 {{math|''f'': ''X'' → ''Y'', ''g'': ''Y'' → ''Z''}} が連続ならば、それらの[[写像の合成|合成]] {{math|''g'' ∘ ''f'': ''X'' → ''Z''}} もそうである。また {{math|''f'': ''X'' → ''Y''}} が連続のとき、
* {{math|''X''}} が[[コンパクト空間|コンパクト]]ならば {{math|''f''(''X'')}} もコンパクト{{Sfn|松坂|1968|p=212}};
* {{math|''X''}} が[[連結空間|連結]]ならば {{math|''f''(''X'')}} も連結{{Sfn|松坂|1968|p=196}};
* {{math|''X''}} が[[弧状連結]]ならば {{math|''f''(''X'')}} も弧状連結;
* {{math|''X''}} が[[リンデレフ空間|リンデレフ]]ならば {{math|''f''(''X'')}} もリンデレフ;
* {{math|''X''}} が[[可分空間|可分]]ならば {{math|''f''(''X'')}} も可分
* {{math|''X''}} が[[ハウスドルフ空間|ハウスドルフ]]であっても{{math|''f''(''X'')}} がハウスドルフであるとは限らない;
である。
一つ固定した空間 {{math|''X''}} 上に入れることのできる位相の全体には[[半順序]]を入れることができて、位相 {{math|τ<sub>1</sub>}} が別の位相 {{math|τ<sub>2</sub>}} よりも{{仮リンク|位相の比較|en|comparison of topologies|label=粗い}} ({{math|τ<sub>1</sub> ⊆ τ<sub>2</sub>}}) とは、{{math|τ<sub>1</sub>}} に関する任意の開集合が、必ず {{math|τ<sub>2</sub>}} に関する開集合ともなるときに言うのであった。さてこのとき、[[恒等写像]]
: {{math|id<sub>X</sub>: (''X'', τ<sub>2</sub>) → (''X'', τ<sub>1</sub>)}}
が連続となる必要十分条件は {{math|τ<sub>1</sub> ⊆ τ<sub>2</sub>}} が成り立つことである。より一般に、連続写像
: <math>(X, \tau_X) \to (Y, \tau_Y)</math>
に対し、位相 {{math|τ<sub>''Y''</sub>}} をより粗い位相に取り換えても、また {{math|τ<sub>''X''</sub>}} をより細かい位相に取り換えても、連続性は保たれる。
* [[定義域]] {{math|''X''}} に[[離散位相]]を入れるとき、任意の写像 {{math|''f'': ''X'' → ''Y''}} は任意の位相空間 {{math|''Y''}} を終域として連続である。
* [[終域]] {{math|''Y''}} に[[密着位相]]を入れるとき、任意の写像 {{math|''f'': ''X'' → ''Y''}} は任意の位相空間 {{math|''X''}} を定義域として連続である。
* 定義域が密着空間で終域が[[コルモゴロフ空間| ''T''<sub>0</sub>-空間]]ならば、[[定値写像]]のみが連続になる。
* 連続性は{{仮リンク|局所性質|en|Local property|label=局所的な性質}}である。
== 同相写像 ==
{{Main|位相同型}}
連続写像は開集合の逆像が開集合となり、閉集合の逆像が閉集合となる写像であったが、それと対照的に「開集合の像が開集合となる」写像と「閉集合の像が閉集合となる」写像は、それぞれ[[開写像と閉写像]]と呼ばれる。つまり、開写像あるいは閉写像が[[逆写像]]を持てばそれは連続であり、連続写像が逆を持てばその逆写像は開かつ閉写像である{{Efn2|逆写像を持たない、つまり全単射でない写像においては、開写像と閉写像は一致するとは限らない。例えば、実数を終域とする[[定値写像]]は閉写像だが開写像ではない。ちなみに定値写像は、終域のいかなる部分集合も逆像は定義域全体か空集合のどちらかであり、どちらも[[開かつ閉集合]]であるから、必ず連続写像である。}}。このことから、位相空間の間の写像について以下は全て同値である。
* 両連続写像(逆も連続な連続写像{{Efn2|全単射である連続写像に対して、その逆写像は必ずしも連続でない。例えば、ある2点集合を共通の台集合とする[[離散空間]]と[[密着空間]]を考えると、台集合上の[[恒等写像]]は離散空間から密着空間への全単射連続写像となるが、逆は連続でない。ただし、定義域が[[コンパクト空間]]で終域が[[ハウスドルフ空間]]ならば、連続全単射は閉写像でもあるので同相である{{Sfn|松坂|1968|pp=216}}。}})
* 全単射な連続開写像
* 全単射な連続閉写像
* 逆も開である開写像
* 逆も閉である閉写像
* 逆が閉である開写像
このような写像は開集合系や近傍系といった[[位相的構造]]を双方向に保つ{{Efn2|当然、閉集合系や開核、閉包も保つ}}ため、[[位相同型]]写像、あるいは同相写像と呼ばれる。また、同相写像 {{math|''f'': ''X'' → ''Y''}} が存在するとき、{{mvar|X}} と {{mvar|Y}} は互いに位相同型である、あるいは同相であるという{{Sfn|松坂|1968|pp=182–185}}。
== 連続写像の定める位相 ==
位相空間 {{math|''X''}} から(特に位相を考えない)集合 {{math|''S''}} への写像
: <math>f\colon X \to S</math>
が与えられたとき、{{math|''S''}} 上の{{仮リンク|終位相|en|final topology}}は、{{math|''S''}} の部分集合 {{math|''A''}} が開集合であるということを、{{math|''f''<sup>−1</sup>(''A'')}} が {{math|''X''}} の開集合であることと定めることにより定義される。{{math|''S''}} に予め位相が定められていたとき、{{math|''f''}} がその位相に関して連続となる必要十分条件は、もとの位相が {{math|''S''}} 上の終位相よりも粗いことである。従って、終位相は {{math|''S''}} 上の {{math|''f''}} を連続にする最も細かい位相となる。{{math|''f''}} が[[全射]]のとき、終位相は {{math|''f''}} の定める[[同値関係]]のもとでの[[商位相]]と自然に同一視される。
これと双対的に、集合 {{math|''S''}} から位相空間への写像 {{math|''f''}} に対し、{{math|''S''}} 上の{{仮リンク|始位相|en|initial topology}}は、{{math|''S''}} の部分集合 {{math|''A''}} が開集合であることを、{{math|''f''(''A'')}} が {{math|''X''}} の開集合となることと定めることによって定義される。{{math|''S''}} にもともと位相が入っているとき、{{math|''f''}} がその位相に関して連続となる必要十分条件は、その位相が {{math|''S''}} 上の始位相よりも細かいことである。従って、始位相は {{math|''S''}} 上の位相として {{math|''f''}} を連続にする最も粗い位相となる。{{math|''f''}} が[[単射]]のとき {{math|''S''}} を {{math|''X''}} の部分集合と同一視すれば、{{math|''S''}} 上の始位相は {{math|''X''}} から定まる[[相対位相|部分空間としての位相]]と自然に同一視される。
より一般に、集合 {{math|''S''}} が与えられたとき、任意の位相空間 {{math|''X''}} への連続写像 {{math|''S'' → ''X''}} 全体の成す集合を特定することにより、{{math|''S''}} に位相が定まる。双対的に同じことが {{math|''X'' → ''S''}} に対しても考えられる。これは[[普遍性]]の一例である。
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{notelist2}}
=== 出典 ===
{{Reflist|colwidth=25em}}
=== 文献 ===
* {{Cite book|和書|author=加藤文元|title=大学教養 微分積分|series=数研講座シリーズ|date=2019-11-01|publisher=[[数研出版]]|isbn=978-4-410-15229-0|ref={{SfnRef|加藤|2019}}|authorlink=加藤文元}}
* {{Cite book|和書|author=杉浦光夫|title=解析入門I|series=基礎数学|date=1985-04-25|publisher=[[東京大学出版会]]|isbn=4-13-062005-3|ref={{SfnRef|杉浦|1985}}|authorlink=杉浦光夫}}
* {{Cite book|和書|author=松坂和夫|title=集合・位相入門|series=松坂和夫 数学入門シリーズ|date=1968-06-10|publisher=[[岩波書店]]|isbn=978-4-00-029871-1|ref={{SfnRef|松坂|1968}}|authorlink=松坂和夫}}
* {{citation2|surname1=[[Boto von Querenburg]]|title=Mengentheoretische Topologie|edition=3., neu bearbeitete und erweiterte|series=Springer-Lehrbuch|publisher=[[Springer Science+Business Media|Springer-Verlag]]|publication-place=Berlin [u. a.]|year=2001|isbn=3-540-67790-9|date= 2001|language=de
}}
* {{citation2|surname1=[[Friedrich Hirzebruch]] / [[Winfried Scharlau]]|title=Einführung in die Funktionalanalysis|series=Reihe "B. I.-Hochschultaschenbücher", Band Nr|volume=296|publisher=[[Bibliographisches Institut]]|publication-place=Mannheim [u. a.]|year=1971|isbn=3-411-00296-4|date= 1971|language=de
}} [http://www.ams.org/mathscinet/search/publdoc.html?arg3=&co4=AND&co5=AND&co6=AND&co7=AND&dr=all&pg4=AUCN&pg5=TI&pg6=PC&pg7=ALLF&pg8=ET&review_format=html&s4=Scharlau%2C%20Winfried&s5=&s6=&s7=&s8=All&vfpref=html&yearRangeFirst=&yearRangeSecond=&yrop=eq&r=35&mx-pid=463864 MR0463864]
* {{citation2|surname1=[[Horst Schubert (Mathematiker)|Horst Schubert]]|title=Topologie. Eine Einführung|edition=4.|series=Mathematische Leitfäden|publisher=[[B. G. Teubner Verlag]]|publication-place=Stuttgart|year=1975|isbn=3-519-12200-6|date= 1975|language=de
}} [http://www.ams.org/mathscinet/search/publdoc.html?arg3=&co4=AND&co5=AND&co6=AND&co7=AND&dr=all&pg4=AUCN&pg5=TI&pg6=PC&pg7=ALLF&pg8=ET&review_format=html&s4=Schubert%2C%20Horst&s5=&s6=&s7=&s8=All&vfpref=html&yearRangeFirst=&yearRangeSecond=&yrop=eq&r=1&mx-pid=423277 MR0423277]
== 関連項目 ==
; 連続性の関連概念
* [[一様連続]]
* [[ヘルダー連続]]
* [[リプシッツ連続]]
* [[絶対連続]]
* [[同程度連続]]
; 連続関数によって定義されるもの
* [[弧状連結]]
* [[ホモトピー]]
== 外部リンク ==
* [http://uob-community.ballarat.edu.au/~smorris/topology.htm Topology without tears] von Sidney A. Morris: Buch zur Topologie zum kostenfreien Download{{en icon}}
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[[Category:写像]]
[[Category:関数の種類]]
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インドネシアの音楽
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インドネシアの音楽(インドネシアのおんがく)では、今日のインドネシア国内で演奏されている音楽を一括して取り扱う。国内各地にそれぞれ固有の伝統的な音楽もあれば、ラジオ・テレビの普及によって全国的に流通しているような大衆音楽もある。ここでは大まかに「伝統音楽」と「大衆音楽」に大別して、インドネシアの代表的な音楽を紹介する。
そもそも、インドネシアはオランダによる植民地支配を受けた結果、人為的に区切られた国境線を強いられて成立したという歴史的経緯があり(「オランダ領東インド」を参照)、今日、島嶼国家として存立しているインドネシアにおいては、それぞれの島ごとに、そして同じ島内でも地域ごとに、固有の音楽の伝統がある。そのため「インドネシアの伝統音楽」と一口にいっても、その全体像が一様ではない。
しかし、その一方で、今日では隣国となったマレーシアやフィリピンなどの周辺諸国とは、海上交易や文化交流において歴史的に深いつながりがあるため、文化、そして音楽の面で、それら周辺諸国のものとの類縁性が往々にしてみられる。たとえば、ジャワ島の有名なワヤン・クリ(影絵芝居)はマレーシアにも存在しており、またフィリピンの南部、スールー諸島のゴング合奏は、ジャワ島・バリ島のガムランとのつながりをうかがわせるものである。
そうした「外に開かれた」文化環境のもとで、各地の伝統音楽もまた、外からのさまざまな影響を受けてきた。たとえば、スマトラ島北端のアチェはイスラームの影響を強く受けた地方だが、そこでは中東風のマカームの影響を受けた音楽を聴くことができる。
21世紀に入った今では事情が違うものの、20世紀のインドネシアはやはり貧しくSPやLP、CDといった存在は容易にバリやジャワ人は買えなかった。そこで大変威力を発揮したのがカセットテープである。多くの音楽がカセットテープに収められ、人々はラジカセで音楽を楽しんだのである。今でもカセットテープに収録された伝統音楽の在庫は豊富にある。
インドネシアの伝統的な音楽において、その特徴の1つを挙げるとすれば、銅鑼や鉄琴といった楽器類を使用することであろう。なかでも青銅製の楽器は、音、色、形のどれをとっても最高級のものとされ、田村史の指摘によれば、中部ジャワのすぐれた鍛金技術によって製造された青銅製のゴングはジャワ島外にも輸出され、その交易圏における器楽演奏に一種の共通性を生んだと考えられる。
楽器あるいは音具の名前である「ゴング (gong) 」は、英語でも同じように表記されるが、その語源は当時の交易用語として共通語化していたマレー語であるとの指摘もある。後述するガムランをはじめとする伝統音楽や、王宮の伝統儀礼などにおいて欠かすことのできない楽器となっている。
ガムランとは、青銅製の大小の銅鑼、鉄琴などのアンサンブルである。インドネシア国内ではジャワ島・バリ島のものが特に有名であるが、類似のアンサンブルは東南アジア全域に分布している。
インドネシアの伝統音楽としてのガムラン音楽は、国内における観光資源としての価値も高く、また著名なガムラン楽団が海外で公演を行なうなど、海外での知名度も非常に高い。
インドネシアのガムラン音楽、およびゴング演奏は、以下に列挙するように、まず地域ごとに大きく分けられ、それぞれの地域でさらに複数の様式がある。
クロンチョンは、16世紀頃のポルトガル人の来航時にまでその起源がさかのぼると考えられている大衆音楽である。代表曲である「ブンガワン・ソロ (Bengawan Solo)」は日本でも有名である。
歌手のロマ・イラマがスタイルを確立し、1970年代初頭から、おもに都市部の若者を中心にして人気を博すようになった大衆音楽である。マレーシアのムラユー音楽や、インド、アラブの音楽、ビートルズを始めとするロックンロールなどの影響を吸収し、演奏にはクンダン、竹笛、スリン、タブラなどの伝統楽器とともにエレキ楽器が導入され、強烈なビートを生んでいる。ダンス音楽として若者たちに愛好され、初期においては反体制的な音楽と見られていたが、徐々に市民権を得てポップミュージックの代表的なスタイルとみなされるようになった。ダンドゥットがハウスミュージックと融合した、テンポが非常に速いダンスミュージックはファンコットと呼ばれる。
クロンチョン、ダンドゥットがおもにインドネシア語で歌われるのに対して、各地方の言語で歌われる歌謡曲がある。ジャワ語で歌われる「ポップ・ジャワ」、スンダ語で歌われる「ポップ・スンダ」、ミナン語で歌われる「ポップ・ミナン」など枚挙に暇がないほどである。リスナーの範囲が限定されるだけに流通も限られるが、各地方の音楽シーンでは無視できない存在である。
留学歴のあるパウル・グタマ・スギジョ(ポール・グタマ・スギヨとドイツ語読みで日本に紹介)、スラマット・シュークル、コンラート・デル・ロザリオは日本でもなじみが深いが、もっと世代がくだったマチウス・シャン-ブーネ(Matius Shan-Boone)、ヌルサリム・ヤディ・アヌゲラー(Nursalim Yadi Anugerah)など最先端のヨーロッパでも通用する人材が近年増加中である。
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"text": "クロンチョン、ダンドゥットがおもにインドネシア語で歌われるのに対して、各地方の言語で歌われる歌謡曲がある。ジャワ語で歌われる「ポップ・ジャワ」、スンダ語で歌われる「ポップ・スンダ」、ミナン語で歌われる「ポップ・ミナン」など枚挙に暇がないほどである。リスナーの範囲が限定されるだけに流通も限られるが、各地方の音楽シーンでは無視できない存在である。",
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},
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"text": "留学歴のあるパウル・グタマ・スギジョ(ポール・グタマ・スギヨとドイツ語読みで日本に紹介)、スラマット・シュークル、コンラート・デル・ロザリオは日本でもなじみが深いが、もっと世代がくだったマチウス・シャン-ブーネ(Matius Shan-Boone)、ヌルサリム・ヤディ・アヌゲラー(Nursalim Yadi Anugerah)など最先端のヨーロッパでも通用する人材が近年増加中である。",
"title": "西洋芸術音楽"
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インドネシアの音楽(インドネシアのおんがく)では、今日のインドネシア国内で演奏されている音楽を一括して取り扱う。国内各地にそれぞれ固有の伝統的な音楽もあれば、ラジオ・テレビの普及によって全国的に流通しているような大衆音楽もある。ここでは大まかに「伝統音楽」と「大衆音楽」に大別して、インドネシアの代表的な音楽を紹介する。
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'''インドネシアの音楽'''(インドネシアのおんがく)では、今日の[[インドネシア]]国内で演奏されている[[音楽]]を一括して取り扱う。国内各地にそれぞれ固有の伝統的な音楽もあれば、[[ラジオ]]・[[テレビ]]の普及によって全国的に流通しているような[[ポピュラー音楽|大衆音楽]]もある。ここでは大まかに「伝統音楽」と「大衆音楽」に大別して、インドネシアの代表的な音楽を紹介する。
== 伝統音楽 ==
=== 背景 ===
そもそも、インドネシアは[[オランダ]]による[[植民地]]支配を受けた結果、人為的に区切られた国境線を強いられて成立したという歴史的経緯があり(「[[オランダ領東インド]]」を参照)、今日、[[島嶼]]国家として存立しているインドネシアにおいては、それぞれの島ごとに、そして同じ島内でも地域ごとに、固有の音楽の伝統がある。そのため「インドネシアの伝統音楽」と一口にいっても、その全体像が一様ではない。
しかし、その一方で、今日では隣国となった[[マレーシア]]や[[フィリピン]]などの周辺諸国とは、海上交易や文化交流において歴史的に深いつながりがあるため、文化、そして音楽の面で、それら周辺諸国のものとの類縁性が往々にしてみられる。たとえば、[[ジャワ島]]の有名な[[ワヤン・クリ]](影絵芝居)はマレーシアにも存在しており、またフィリピンの南部、[[スールー諸島]]のゴング合奏は、[[ジャワ島]]・[[バリ島]]の[[ガムラン]]とのつながりをうかがわせるものである。
そうした「外に開かれた」文化環境のもとで、各地の伝統音楽もまた、外からのさまざまな影響を受けてきた。たとえば、[[スマトラ島]]北端の[[アチェ]]は[[イスラーム]]の影響を強く受けた地方だが、そこでは[[中東]]風の[[マカーム]]の影響を受けた音楽を聴くことができる。
21世紀に入った今では事情が違うものの、20世紀のインドネシアはやはり貧しく[[SP]]や[[レコード#LP盤|LP]]、[[CD]]といった存在は容易にバリやジャワ人は買えなかった。そこで大変威力を発揮したのが[[カセットテープ]]である。多くの音楽がカセットテープに収められ、人々は[[ラジカセ]]で音楽を楽しんだのである。今でもカセットテープに収録された伝統音楽の在庫は豊富にある。
=== 楽器 ===
[[インドネシア]]の伝統的な[[音楽]]において、その特徴の1つを挙げるとすれば、[[銅鑼]]や[[鉄琴]]といった楽器類を使用することであろう。なかでも[[青銅]]製の楽器は、音、色、形のどれをとっても最高級のものとされ、田村史の指摘によれば、中部ジャワのすぐれた鍛金技術によって製造された青銅製のゴングはジャワ島外にも輸出され<ref>田村史「ゴング」、石井米雄監修、土屋健治・加藤剛・深見純夫編 『インドネシアの事典』、同朋舎出版、1991年、179頁。</ref>、その交易圏における器楽演奏に一種の共通性を生んだと考えられる。
[[楽器]]あるいは[[音具]]の名前である「[[ゴング]] (gong) 」<ref>語尾はいわゆる「ング」発音で、「ゴング」も「ゴン」と発音されているように聞える。</ref>は、[[英語]]でも同じように表記されるが、その語源は当時の交易用語として共通語化していた[[マレー語]]であるとの指摘もある。後述するガムランをはじめとする伝統音楽や、王宮の伝統儀礼などにおいて欠かすことのできない楽器となっている。
<!--竹の楽器も見逃せないと思います。加筆できる方がいらっしゃれば、よろしくお願いしたいです-->
=== ガムラン(GAMELAN) ===
{{main|ガムラン}}
[[ガムラン]]とは、青銅製の大小の銅鑼、鉄琴などの[[アンサンブル]]である。インドネシア国内では[[ジャワ島]]・[[バリ島]]のものが特に有名であるが、類似のアンサンブルは[[東南アジア]]全域に分布している。
インドネシアの伝統音楽としてのガムラン音楽は、国内における観光資源としての価値も高く、また著名なガムラン楽団が海外で公演を行なうなど、海外での知名度も非常に高い。
インドネシアのガムラン音楽、およびゴング演奏は、以下に列挙するように、まず地域ごとに大きく分けられ、それぞれの地域でさらに複数の様式がある。
* '''西ジャワのガムラン''' -- [[ジャワ島]]西部をスンダ地方と呼ぶことから、[[スンダ・ガムラン]]と称されている。以下の2つの様式がある。
# [[ガムラン・ドゥグン]]
# [[ガムラン・スレンドロ]]
*'''中部ジャワのガムラン''' -- 一般的には[[ジャワ・ガムラン]]の代名詞となっている。中部ジャワにはかつて2つの王都、[[スラカルタ]](旧名ソロ)と[[ジョグジャカルタ]]があり、さらに、あわせて4つの王家があった。この4王家がそれぞれ競いあいながら独自の文化を発達させた。
# スラカルタ(ソロ)様式 -- パク・ブウォノ家とマンクヌガラン家
# ジョグジャカルタ様式 -- ハマンク・ブウォノ家とパク・アラマン家
*'''東部ジャワのガムラン''' -- 中部ジャワのガムランに含まれることもある。
*'''バリ島のガムラン''' -- 「ジャワ・ガムラン」と並び、世界的にもよく知られている。多くの観光客を集める[[バリ島]]では、以下のような演奏がおこなわれている。
# [[グンデル・ワヤン]]
# [[ゴン・グデ]]
# [[ガムラン・ガンブー]] -- 単に「ガンブー」ともいわれる。
# [[スマル・プグリンガン]]
# [[ゴン・クビャール]] -- [[バリ島]]の観光施設で演奏されているのは、ほとんどこのタイプである。
== 大衆音楽 ==
=== クロンチョン(KRONCONG) ===
{{main|クロンチョン}}
[[クロンチョン]]は、[[16世紀]]頃の[[ポルトガル]]人の来航時にまでその起源がさかのぼると考えられている[[大衆音楽]]である。代表曲である「[[ブンガワン・ソロ (曲)|ブンガワン・ソロ]] ([[:en:Bengawan Solo (song)|Bengawan Solo]])」は日本でも有名である<ref>日本でもよく知られる「ブンガワン・ソロ」は、「作曲者不詳のジャワ民謡」といわれてきたが、戦後、[[グサン・マルトハルトノ]]作曲であることが確認された。</ref>。
=== ダンドゥット(DANGDUT) ===
{{main|ダンドゥット}}
歌手の[[ロマ・イラマ]]がスタイルを確立し、[[1970年代]]初頭から、おもに都市部の若者を中心にして人気を博すようになった大衆音楽である。マレーシアのムラユー音楽や、[[インド]]、[[アラブ]]の音楽、[[ビートルズ]]を始めとする[[ロックンロール]]などの影響を吸収し、演奏にはクンダン、竹笛、スリン、[[タブラ]]などの伝統楽器とともにエレキ楽器が導入され、強烈なビートを生んでいる。ダンス音楽として若者たちに愛好され、初期においては反体制的な音楽と見られていたが、徐々に市民権を得てポップミュージックの代表的なスタイルとみなされるようになった。ダンドゥットが[[ハウス (音楽)|ハウスミュージック]]と融合した、テンポが非常に速いダンスミュージックは[[ファンコット]]と呼ばれる。
=== 地方語ポップス ===
クロンチョン、ダンドゥットがおもに[[インドネシア語]]で歌われるのに対して、各地方の言語で歌われる歌謡曲がある。[[ジャワ語]]で歌われる「ポップ・ジャワ」、[[スンダ語]]で歌われる「ポップ・スンダ」、[[ミナン語]]で歌われる「ポップ・ミナン」など枚挙に暇がないほどである。リスナーの範囲が限定されるだけに流通も限られるが、各地方の音楽シーンでは無視できない存在である。
== 西洋芸術音楽 ==
<!---オランダ人が多く来るようになるきっかけはオランダによる占領ですが、これは江戸時代初期に始まり第二次世界大戦中の日本による占領で終わっているので意味不明。それにインドネシアに大陸はありません「[[オランダ人]]が[[インドネシア]]の数々の大陸に上がってくると、[[日本]]や[[中国]]などと同じように「西洋音楽の輸入」が始まった。」--->
留学歴のある[[パウル・グタマ・スギジョ]](ポール・グタマ・スギヨと[[ドイツ語]]読みで日本に紹介)、[[スラマット・シュークル]]、[[コンラート・デル・ロザリオ]]は日本でもなじみが深いが、もっと世代がくだった[[マチウス・シャン-ブーネ]](Matius Shan-Boone)、[[ヌルサリム・ヤディ・アヌゲラー]](Nursalim Yadi Anugerah)など最先端のヨーロッパでも通用する人材が近年増加中である。
== 脚注 ==
{{Reflist}}
== 関連項目 ==
* [[ガムラン]]
* [[ワヤン・クリ]]
* [[クロンチョン]]
* [[Campursari]]
* [[インドネシアの歴史]]
* [[イスマイル・マルズキ]]
== 関連文献 ==
* 宮崎恒二・山下晋司・伊藤眞(編)『暮らしがわかるアジア読本 インドネシア』、[[河出書房新社]]、[[1993年]]
* 松本亮『ワヤンを楽しむ』、めこん、[[1994年]]
* 風間純子『ジャワの音風景』(めこん選書3)、めこん、[[1994年]]
* INJカルチャーセンター『インドネシア すみずみ見聞録』、[[トラベルジャーナル]]、[[1995年]]
* 田中勝則『インドネシア音楽の旅』、北沢図書出版、[[1996年]]
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スラカルタ
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スラカルタ(インドネシア語: Kota Surakarta)は、インドネシア・ジャワ島中部にある都市(市)である。
名称の由来は、1745年、マタラム王国の王都がソロ(Solo)の地に移され、そこを「スラカルタ」と名づけたことによる。現在でも、この地を「ソロ」と呼ぶ人が多い。
同じくジャワ島中部のジョグジャカルタとともに、古マタラム王国の宮廷文化の中心であり、ガムラン、ワヤン・クリ、ジャワ舞踏など、ジャワの伝統文化の中心地でもある。
スラカルタ市は、ジャワ島の最長河川・ソロ川の西側に位置し、東西を高い山に挟まれた盆地に位置している。
市は周辺のクラテン県、ボヨラリ県、スラゲン県、カランアニャル県、スコハルジョ県、ウォノギリ県とともに「スラカルタ地方」と総称される。
かつて17世紀以降、ジャワ島中部を中心にして隆盛を誇ったマタラム王国の都だったが、1749年、マタラム王家の王位継承争い(第三次ジャワ継承戦争)によって、一方はスラカルタ(ススフナン家)に、他方はジョグジャカルタ(スルタン家)に、王家が分裂することになった。
さらにススフナン家では内紛が発生し、マンクヌゴロ家が分裂した。なお、ジョグジャカルタのスルタン家でもパクアラム家が分家し、かつてのマタラム王国は4王家に分かれて存続することになった。
20世紀に入り、オランダ領東インドにおいて、反殖民地運動・民族主義運動が活発になると、ジョグジャカルタの王家が民族主義運動を支持したのに対して、スラカルタの王家はオランダへの従順を崩さず、民族主義運動とは距離を置いた。そのため、インドネシアの独立後、ジョグジャカルタの王家は共和国内で民衆からの畏敬を維持し、特別区としての自治権を認められたのに対して、スラカルタの王家は自治権を失った。
2016年7月5日、バイクに乗った男が制止を振り切って警察本部の敷地に侵入し自爆した。犯人は死亡し、警察官1人が負傷した。
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スラカルタ(インドネシア語: Kota Surakarta)は、インドネシア・ジャワ島中部にある都市(市)である。 名称の由来は、1745年、マタラム王国の王都がソロ(Solo)の地に移され、そこを「スラカルタ」と名づけたことによる。現在でも、この地を「ソロ」と呼ぶ人が多い。 同じくジャワ島中部のジョグジャカルタとともに、古マタラム王国の宮廷文化の中心であり、ガムラン、ワヤン・クリ、ジャワ舞踏など、ジャワの伝統文化の中心地でもある。
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'''スラカルタ'''({{lang-id|Kota Surakarta}})は、[[インドネシア]]・[[ジャワ島]]中部にある[[都市]](市)である。
名称の由来は、[[1745年]]、[[マタラム王国]]の王都が'''ソロ'''(Solo)の地に移され、そこを「スラカルタ」と名づけたことによる。現在でも、この地を「ソロ」と呼ぶ人が多い。
同じくジャワ島中部の[[ジョグジャカルタ]]とともに、古マタラム王国の宮廷文化の中心であり、[[ガムラン]]、[[ワヤン・クリ]]、ジャワ舞踏など、ジャワの伝統文化の中心地でもある。
== 地理 ==
スラカルタ市は、ジャワ島の最長河川・[[ソロ川]]の西側に位置し、東西を高い山に挟まれた[[盆地]]に位置している。
市は周辺のクラテン県、ボヨラリ県、スラゲン県、カランアニャル県、スコハルジョ県、ウォノギリ県とともに「スラカルタ地方」と総称される。
== 歴史 ==
かつて17世紀以降、ジャワ島中部を中心にして隆盛を誇った[[マタラム王国]]の都だったが、[[1749年]]、マタラム王家の王位継承争い(第三次ジャワ継承戦争)によって、一方はスラカルタ(ススフナン家)に、他方は[[ジョグジャカルタ]](スルタン家)に、王家が分裂することになった。
さらにススフナン家では内紛が発生し、マンクヌゴロ家が分裂した。なお、ジョグジャカルタのスルタン家でもパクアラム家が分家し、かつてのマタラム王国は4王家に分かれて存続することになった。
20世紀に入り、[[オランダ領東インド]]において、反殖民地運動・民族主義運動が活発になると、ジョグジャカルタの王家が民族主義運動を支持したのに対して、スラカルタの王家はオランダへの従順を崩さず、民族主義運動とは距離を置いた。そのため、インドネシアの独立後、ジョグジャカルタの王家は共和国内で民衆からの畏敬を維持し、特別区としての自治権を認められたのに対して、スラカルタの王家は自治権を失った。
[[2016年]][[7月5日]]、バイクに乗った男が制止を振り切って警察本部の敷地に侵入し自爆した。犯人は死亡し、警察官1人が負傷した。
<ref>{{Cite web|和書
|title=警察本部で自爆テロ=警官1人負傷-インドネシア
|date=2016年7月5日
|publisher=JIJI.COM
|url=http://www.jiji.com/jc/article?k=2016070500250&g=int
|accessdate=2016年7月5日
}}</ref>
== 備考 ==
* スラカルタの原風景の一端を伝えているのが、インドネシアの大衆音楽、[[クロンチョン]]の曲「ブンガワン・ソロ」である。
* ジャワ文化の中心地として知られるスラカルタとジョグジャカルタだが、[[ガムラン]]の演奏様式や、ジャワ更紗([[バティック]])の染め模様などには、それぞれの個性の違いが色濃くあらわれている。
* 観光地としては、ジョグジャカルタに大きく遅れをとっているが、良い意味でも悪い意味でも「観光地化」してしまったジョグジャカルタよりも、まだ奥ゆかしさを残す「古都」スラカルタにジャワの伝統文化の魅力を感じる来訪者は少なくない。
* 市内には「3月11日大学(Universitas Seberas Maret、略称UNS)」がある。これは[[9月30日事件]]以降の[[スカルノ]]から[[スハルト]]への権限移譲を決定づけた「3月11日命令書」([[1966年]])に由来して[[命名]]されたものである。
==脚注==
{{Reflist}}
== 関連項目 ==
* [[マタラム王国]]
* [[インドネシア]]
* [[ジョグジャカルタ]]
* [[オランダ領東インド]]
* [[ガムラン]]
* [[ワヤン・クリ]]
* ブンガワン・ソロ([[クロンチョン]])
== 姉妹都市 ==
* {{flagicon|BGR}} [[モンタナ (ブルガリア)|モンタナ]]、[[ブルガリア]]
== 外部リンク ==
* {{Commons&cat-inline}}
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[[Category:インドネシアの都市]]
[[Category:中部ジャワ州]]
[[Category:ジャワ島]]
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ソロ
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ソロ、SOLO
「ひとり」「独り」「一人」という概念。以下、すべて英文字ではSOLOやsoloやSoloなどと綴る。
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ソロ、SOLO
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'''ソロ'''、'''SOLO'''
== 普通名詞 ==
「ひとり」「独り」「一人」という概念。以下、すべて英文字ではSOLOやsoloやSoloなどと綴る。
* イタリア語由来で、音楽においての「独奏」、「独唱」、「独演」、「独奏者」、「独唱者」のこと。楽譜内に記載する場合には、楽器名の数・性に応じて語尾変化する。→ [[ソロ (音楽)]]
* 独りで活動すること、独りでいること
** (航空用語で)単独飛行のこと。随伴する航空機なしに、単独で飛行すること。First solo(初めての単独飛行)は、Student Pilotにとっては、記念すべき通過点となる。→[[ソロ (航空従事者)]]
** 日本のJRグループで「1人用の個室寝台」(背後には「単独の旅行者」という概念)を指す分類名や概念で、[[B寝台]]車のグレードの一つ。{{main|[[B寝台#2人用個室]]}}
**[[オンラインゲーム]]などの多人数参加型ゲームで、(他のプレーヤーと協力プレーや意図的につるんだプレーはせず)単独でプレイをするプレイヤーやその傾向。
* ひとりでの活動やひとりでいることを指すための[[接頭辞]]。他の語を後ろに配置して使い、たとえば「solo ....」「ソロ○○」などと使う。
** 基本的に一人で活動し、他のミュージシャンと一緒になるのは稀なミュージシャンを「ソロ・ミュージシャン」「ソロ歌手」などと言う。
** バンドやグループに所属するミュージシャンが(一時的であれ、解散後であれ)ともかく独りで活動することを「ソロ活動」などと言う。
** (スポーツなどの場で)独りで行う演技や競技などを指す接頭辞。「ソロ競技」「ソロ種目」
** 一人で旅することを英語では「solo travel ソロ・トラベル」などと言う。→[[一人旅]]
** 日本では一人で活動することを広く指すために「ソロ活動」、短縮して「ソロ活(そろかつ)」と言うことが2000年代あたりから行われている。指す範囲がきわめて広い概念であり、たとえばひとりで飲食店に入店してひとりで飲食をすることなども含まれ、上述の一人旅や、次に挙げるソロ・キャンプも含まれる。
** ひとりでキャンプすることを「ソロキャンプ solo camping」と言う。2010年代後半から流行しはじめ、コロナ禍の2020年には流行語大賞に選ばれるほど広まった。→[[ソロキャンプ]]
;固有名詞
* ソロ(''Solo'') - インドネシア、[[ジャワ島]]の都市。[[スラカルタ]]の古名、別称。{{main2|同じく、[[ジャワ島]]を流れる川は[[ソロ川]]を}}
* ソロ(''[[EXILE JAPAN/Solo#Solo / EXILE ATSUSHI|Solo]]'') - [[EXILE ATSUSHI]]の1stアルバム。
* ソロ(''Solo'') - [[片桐舞子]]の1stアルバム。
* ソロ(''SOLO'')- [[大韓民国|韓国]]の女性アイドルグループ[[BLACKPINK]]のメンバーの[[ジェニー (BLACKPINK)|ジェニー]]の1stシングル。
* [[ホンダ・ソロ]] - [[本田技研工業]]の原動機付自転車。
* ソロ(''Solo'') - [[ゲートウェイ (PCメーカー)|ゲートウェイ]]社の販売するノートパソコンのブランド名。
* ソロ - アニメーション番組『[[ふしぎ星の☆ふたご姫]]』および『[[ふしぎ星の☆ふたご姫Gyu!]]』の登場人物。タネタネの国の王子。
* ソロ(''SOLO'') - [[カプコン]]のゲーム『[[ストライダー飛竜]]』シリーズの登場人物。
* [[ハン・ソロ]] - [[スター・ウォーズシリーズ]]の主要登場人物の名称で、略称として「ソロ」が使われることがある。
** 本人物が主人公の映画『[[ハン・ソロ/スター・ウォーズ・ストーリー]]』の原題は''Solo: A Star Wars Story''である。
* [[ソロ (シュトックハウゼン)]] - [[カールハインツ・シュトックハウゼン]]の楽曲。
;他、種名など
* ソロ - 植物[[アカシデ]]の別名。
==関連項目==
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*[[ゾロ (曖昧さ回避)]]
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羽生駅
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羽生駅(はにゅうえき)は、埼玉県羽生市南一丁目にある東武鉄道・秩父鉄道の駅である。
東武鉄道の伊勢崎線と、秩父鉄道の秩父本線(秩父線)が乗り入れており、接続駅となっている。
東西自由通路を兼ねた橋上駅舎を有しており、東武鉄道・秩父鉄道の改札口は別々となっている。以前は、東武鉄道の管轄駅で改札を共用していたが、橋上駅舎完成により2004年(平成16年)10月22日から東武鉄道と秩父鉄道の改札は分離された。東武鉄道・秩父鉄道ともに改札内に男女別の水洗式トイレが設置されている。
島式ホーム2面4線を有する地上駅。東武ステーションサービスによる業務委託駅である。駅番号はTI 07。
2006年(平成18年)3月18日のダイヤ改正の際に上りホームに待避線(1番線)が新設され、それまで川俣駅で特急「りょうもう」の通過待ちを行っていた列車が、当駅で通過待ちを行う形に変更された。
以前は利根川橋梁を挟んで川俣駅との間が単線区間となっており、当駅折り返しの準急列車が多数設定されていたが、1988年(昭和63年)8月9日のダイヤ改正で上下2往復に減少し、1992年(平成4年)9月21日のダイヤ改正時に当駅 - 川俣駅間が複線化された。これに伴い、当駅折り返しの準急列車は廃止された。ただしダイヤが乱れた場合には、当駅折り返しの列車が設定されることがある。
当駅で接続する秩父鉄道を介して、新製車両の搬入および東上線車両の検査および転配のための回送が行われる。
島式ホーム1面2線を有する地上駅。直営駅である。駅番号はCR 01。管理駅でもあるが、当駅は自駅のみの単駅管理となっている(周辺の駅は熊谷駅が管理)。改札が分離される前は東武鉄道に駅業務を委託していたが、分離後は秩父鉄道の駅員が配置されている。
橋上駅舎化前は、東武鉄道が1番線(上り・単式ホーム)、2番線(待避線・ホームなし)、3・4番線(下り・島式ホーム)、秩父鉄道が5・6番線(島式ホーム)であった。2004年の橋上駅舎完成後は東武の下りホームが2・3番線に、秩父鉄道ホームが4・5番線に改番された。その後、2006年に東武の上りホームを島式1面2線に改良した際、東武のホーム番線を東側から順に1 - 4番線に再度変更したが、秩父鉄道の番線は変更しなかったため、2つの4番線が並ぶ形となった。
駅舎橋上化以前はホーム上に蕎麦屋があった。
駅ナンバリング導入前の駅名標は、JR東日本のものに類似する、当駅のみのオリジナルデザインを使用していた。
2022年3月12日よりPASMOが導入され、同時にICカード専用の自動改札機が設置された(ICカード以外の利用客は従来通り駅係員による改札が実施される)。同時に、窓口営業時間が初電 - 終電から6:00 - 21:00 に変更となった。
近年の一日平均乗降・乗車人員の推移は下表の通りである。
駅舎橋上化に伴い新たに設置された。橋上化以前は東口へ向かう跨線橋と小規模な広場が設置されていた。
平成エンタープライズの路線は、2023年12月31日で廃線となり、翌2024年1月1日からは朝日自動車加須営業所の路線に転換予定(愛藍タウンには経由しない)。
かつては東武鉄道による路線バスが運行され、羽生車庫も設置されていたが、いずれも廃止された。また、羽生には戦後間もない時期に東武鉄道によりバス工場が設置されていたことがある。バス運行会社のものとしては当時の日本でも稀な規模で、東武のバス車両について車検や大規模な修繕などを手がけていた。
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"text": "橋上駅舎化前は、東武鉄道が1番線(上り・単式ホーム)、2番線(待避線・ホームなし)、3・4番線(下り・島式ホーム)、秩父鉄道が5・6番線(島式ホーム)であった。2004年の橋上駅舎完成後は東武の下りホームが2・3番線に、秩父鉄道ホームが4・5番線に改番された。その後、2006年に東武の上りホームを島式1面2線に改良した際、東武のホーム番線を東側から順に1 - 4番線に再度変更したが、秩父鉄道の番線は変更しなかったため、2つの4番線が並ぶ形となった。",
"title": "駅構造"
},
{
"paragraph_id": 9,
"tag": "p",
"text": "駅舎橋上化以前はホーム上に蕎麦屋があった。",
"title": "駅構造"
},
{
"paragraph_id": 10,
"tag": "p",
"text": "駅ナンバリング導入前の駅名標は、JR東日本のものに類似する、当駅のみのオリジナルデザインを使用していた。",
"title": "駅構造"
},
{
"paragraph_id": 11,
"tag": "p",
"text": "2022年3月12日よりPASMOが導入され、同時にICカード専用の自動改札機が設置された(ICカード以外の利用客は従来通り駅係員による改札が実施される)。同時に、窓口営業時間が初電 - 終電から6:00 - 21:00 に変更となった。",
"title": "駅構造"
},
{
"paragraph_id": 12,
"tag": "p",
"text": "近年の一日平均乗降・乗車人員の推移は下表の通りである。",
"title": "利用状況"
},
{
"paragraph_id": 13,
"tag": "p",
"text": "駅舎橋上化に伴い新たに設置された。橋上化以前は東口へ向かう跨線橋と小規模な広場が設置されていた。",
"title": "駅周辺"
},
{
"paragraph_id": 14,
"tag": "p",
"text": "平成エンタープライズの路線は、2023年12月31日で廃線となり、翌2024年1月1日からは朝日自動車加須営業所の路線に転換予定(愛藍タウンには経由しない)。",
"title": "路線バス"
},
{
"paragraph_id": 15,
"tag": "p",
"text": "かつては東武鉄道による路線バスが運行され、羽生車庫も設置されていたが、いずれも廃止された。また、羽生には戦後間もない時期に東武鉄道によりバス工場が設置されていたことがある。バス運行会社のものとしては当時の日本でも稀な規模で、東武のバス車両について車検や大規模な修繕などを手がけていた。",
"title": "路線バス"
}
] |
羽生駅(はにゅうえき)は、埼玉県羽生市南一丁目にある東武鉄道・秩父鉄道の駅である。 東武鉄道の伊勢崎線と、秩父鉄道の秩父本線(秩父線)が乗り入れており、接続駅となっている。
|
{{駅情報
|社色 =
|文字色 =
|駅名 = 羽生駅
|画像 = Hanyu Station East Entrance 1.JPG
|pxl = 300px
|画像説明 = 東口(2012年10月)
|地図 = {{Infobox mapframe|zoom=14|type=point|frame-width=300|marker=rail}}
|よみがな = はにゅう
|ローマ字 = Hanyu
|電報略号 = ハネ(両社共)
|所属事業者 = [[東武鉄道]]([[#東武鉄道|駅詳細]])<br />[[秩父鉄道]]([[#秩父鉄道|駅詳細]])
|所在地 = <span style="white-space:nowrap;">[[埼玉県]][[羽生市]]南一丁目1-62</span>
|緯度度=36|緯度分=10|緯度秒=13.27
|経度度=139|経度分=32|経度秒=2.66
|地図国コード = JP
|座標右上表示 = Yes
}}
{| {{Railway line header}}
{{UKrail-header2|<br />東武鉄道・秩父鉄道<br />羽生駅配線図|gray}}
{{BS-table|配線}}
{{BS-colspan}}
←[[西羽生駅]] / ↑[[川俣駅]]
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↓[[南羽生駅]]
|}
|}
'''羽生駅'''(はにゅうえき)は、[[埼玉県]][[羽生市]]南一丁目にある[[東武鉄道]]・[[秩父鉄道]]の[[鉄道駅|駅]]である。
東武鉄道の[[東武伊勢崎線|伊勢崎線]]と、秩父鉄道の[[秩父鉄道秩父本線|秩父本線]](秩父線)が乗り入れており、[[接続駅]]となっている。
== 年表 ==
* [[1903年]]([[明治]]36年)[[4月23日]] - 東武鉄道の駅として開業。
* [[1921年]]([[大正]]10年)[[4月1日]] - [[北武鉄道]]が開業。
* [[1922年]](大正11年)8月 - 北武鉄道が秩父鉄道に合併。
* [[1992年]]([[平成]]4年)[[9月21日]] - 当駅 - 川俣間が複線化され、当駅始発・終着列車が廃止される<ref>{{Cite news |title=東武鉄道羽生-川俣間 来月21日から複線化 利根川橋梁 線増工事が完成 |newspaper=[[交通新聞]] |publisher=交通新聞社 |date=1992-08-18 |page=1 }}</ref>。
* [[2004年]](平成16年)[[10月22日]] - 橋上駅舎供用開始<ref>{{Cite journal|和書 |title=鉄道記録帳 |journal = RAIL FAN |date = 2005年1月号 |issue = 1 |volume = 52 |publisher = 鉄道友の会 |page = 22 }}</ref>。東武鉄道と秩父鉄道の改札を分離。
* [[2006年]](平成18年)[[3月18日]] - 東武鉄道の駅が2面4線化。また、ダイヤ改正に伴い準急が区間急行に名称変更され大幅に本数が削減されると同時に日中の運用形態が[[久喜駅]]で系統分割され、日中に[[浅草駅]]に向かう列車は特急「[[りょうもう]]」のみとなった。日中の時間帯は[[久喜駅]]-[[館林駅]]及び[[太田駅 (群馬県)|太田駅]]間を結ぶ普通列車の運用となった。また、区間準急の新たな停車駅となった<ref>[http://takasuzuki.travel.coocan.jp/tobu183.htm 2006年(平成18年)3月18日大改正の概要]{{出典無効|date=2020年1月}}</ref>。
* [[2007年]](平成19年)[[3月18日]] - 東武鉄道で[[ICカード]]「[[PASMO]]」の利用が可能となる。
* [[2012年]](平成24年)[[3月17日]] - 東武鉄道の駅に'''TI 07'''の駅ナンバリングを導入。
* [[2013年]](平成25年)[[3月26日]] - 東武鉄道の駅に[[発車メロディ]]を導入。
* [[2017年]](平成29年)[[4月21日]] - 特急「[[りょうもう|リバティりょうもう]]」が運行開始され、新たな停車駅となる<ref>{{Cite web|和書|format=PDF|url=http://www.tobu.co.jp/file/pdf/b71449315c885fe96933bd12d8f48b8a/170118_1.pdf|title=2017年4月21日(金)ダイヤ改正を実施! 東武スカイツリーライン・伊勢崎線・日光線・東武アーバンパークライン 【特急列車概要】|publisher=東武鉄道|date=2017-01-18|accessdate=2017-01-20}}</ref>。
* [[2022年]]([[令和]]4年)[[3月12日]] - 秩父鉄道でICカード「PASMO」の利用が可能となる<ref name="press20220127">{{Cite press release|和書|url=https://www.chichibu-railway.co.jp/wp-content/uploads/2022/01/20220127_ICcard.pdf|archiveurl=https://web.archive.org/web/20220127093258/https://www.chichibu-railway.co.jp/wp-content/uploads/2022/01/20220127_ICcard.pdf|format=PDF|language=日本語|title=秩父鉄道、交通系ICカード「PASMO」を導入 〜2022年3月12日(土)よりサービス開始〜|publisher=秩父鉄道|date=2022-01-27|accessdate=2022-01-29|archivedate=2022-01-27}}</ref>。あわせて同線改札口に[[自動改札機]](IC専用)を導入<ref name="faq20220303">{{Cite web|和書|format=PDF|title=秩父鉄道ICカード乗車券 PASMO(パスモ)導入に関するよくあるご質問|publisher=秩父鉄道|date=2022-03-03|accessdate=2022-03-15|url=https://www.chichibu-railway.co.jp/wp-content/uploads/2022/03/20220303_PASMO_faq.pdf|archiveurl=https://web.archive.org/web/20220307231723/https://www.chichibu-railway.co.jp/wp-content/uploads/2022/03/20220303_PASMO_faq.pdf|archivedate=2022-03-08|deadlinkdate=2022-06-06}}</ref>。
== 駅構造 ==
[[File:羽生駅全景.JPG|thumb|橋上駅舎からの駅全景。北西方向(館林駅・行田市駅 方)を望む。右手の複線が東武伊勢崎線、左に大きくカーブしているのが秩父本線の線路である。 手前の車両は停車中の秩父鉄道の車両、右手を走行するのは駅を発車した東武鉄道の車両である。]]
東西自由通路を兼ねた[[橋上駅|橋上駅舎]]を有しており、東武鉄道・秩父鉄道の[[改札|改札口]]は別々となっている。以前は、東武鉄道の管轄駅で改札を共用していたが、橋上駅舎完成により[[2004年]]([[平成]]16年)[[10月22日]]から東武鉄道と秩父鉄道の改札は分離された。東武鉄道・秩父鉄道ともに改札内に男女別の水洗式トイレが設置されている。
=== 東武鉄道 ===
{{駅情報
|社色 = #0f6cc3
|文字色 =
|駅名 = 東武 羽生駅
|pxl =
|画像説明 =
|よみがな = はにゅう
|ローマ字 = Hanyu
|電報略号 = ハネ
|所属事業者 = [[東武鉄道]]
|開業年月日 = [[1903年]]([[明治]]36年)[[4月23日]]
|駅構造 = [[地上駅]]([[橋上駅]])
|ホーム = 2面4線
|廃止年月日 =
|乗車人員 =
|乗降人員 = <ref group="東武" name="tobu2022" />11,399
|統計年度 = [[2022年]]
|所属路線 = {{color|red|■}}[[東武伊勢崎線|伊勢崎線]]
|前の駅 = TI 06 [[南羽生駅|南羽生]]
|駅間A = 3.1
|駅間B = 4.3
|次の駅 = [[川俣駅|川俣]] TI 08
|駅番号 = {{駅番号r|TI|07|red|1}}
|キロ程 = 66.2
|起点駅 = [[浅草駅|浅草]]
|乗換 =
|備考 = [[業務委託駅]]
}}
[[島式ホーム]]2面4線を有する[[地上駅]]。[[東武ステーションサービス]]による[[日本の鉄道駅#業務委託駅|業務委託駅]]である。[[駅ナンバリング|駅番号]]は'''TI 07'''。
[[2006年]](平成18年)[[3月18日]]の[[ダイヤ改正]]の際に上りホームに待避線(1番線)が新設され、それまで[[川俣駅]]で特急「[[りょうもう]]」の通過待ちを行っていた列車が、当駅で通過待ちを行う形に変更された。
以前は[[利根川]]橋梁を挟んで川俣駅との間が[[単線]]区間となっており、当駅折り返しの準急列車が多数設定されていたが、[[1988年]]([[昭和]]63年)[[8月9日]]の[[ダイヤ改正]]で上下2往復に減少し、[[1992年]](平成4年)[[9月21日]]のダイヤ改正時に当駅 - 川俣駅間が[[複線]]化された。これに伴い、当駅折り返しの準急列車は廃止された。ただしダイヤが乱れた場合には、当駅折り返しの列車が設定されることがある。
当駅で接続する秩父鉄道を介して、新製車両の搬入および[[東武東上本線|東上線]]車両の検査および転配のための[[回送]]が行われる。
==== のりば ====
<!-- 東武スカイツリーライン愛称導入後も当駅の案内サインは未更新のため、2012年[[8月]]時点の久喜駅や館林駅のコンコースの表記を参考に記載。「赤城」の表記は以前からなし --->
{| class="wikitable"
!番線!!路線!!方向!!行先
|-
!1・2
|rowspan="2"|[[File:Tobu Isesaki Line (TI) symbol.svg|15px|TI]] 伊勢崎線
| style="text-align:center" | 上り
|[[久喜駅|久喜]]・[[東武動物公園駅|東武動物公園]]・<br /><span style="font-size:small">[[File:Tobu Skytree Line (TS) symbol.svg|15px|TS]] [[東武伊勢崎線|東武スカイツリーライン]]</span> [[北千住駅|北千住]]・[[とうきょうスカイツリー駅|とうきょうスカイツリー]]・[[浅草駅|浅草]]方面
|-
!3・4
| style="text-align:center" | 下り
|[[館林駅|館林]]・[[足利市駅|足利市]]・[[太田駅 (群馬県)|太田]]方面
|}
[[File:TobuHanyu.jpg|200px|thumb|left|東武伊勢崎線改札口(2016年8月)]]
[[File:Tobu-railway-Hanyu-station-platform.jpg|200px|thumb|left|東武伊勢崎線ホーム(2008年1月)]]
{{-}}
=== 秩父鉄道 ===
{{駅情報
|社色 = blue
|文字色 =
|駅名 = 秩父鉄道 羽生駅
|pxl =
|画像説明 =
|よみがな = はにゅう
|ローマ字 = HANYU
|電報略号 = ハネ
|所属事業者 = [[秩父鉄道]]
|開業年月日 = [[1921年]]([[大正]]10年)[[4月1日]]
|駅構造 = [[地上駅]]([[橋上駅]])
|ホーム = 1面2線
|廃止年月日 =
|乗車人員 = 1,562
|乗降人員 = 3,037
|統計年度 = [[2020年]]
|所属路線 = {{color|blue|■}}[[秩父鉄道秩父本線|秩父本線]]
|前の駅 =
|駅間A =
|駅間B = 1.2
|次の駅 = CR02 [[西羽生駅|西羽生]]
|駅番号 = '''CR 01'''
|キロ程 = 0.0
|起点駅 = 羽生
|乗換 =
|備考 = [[日本の鉄道駅#直営駅|直営駅]]([[日本の鉄道駅#管理駅|管理駅]])
}}
[[島式ホーム]]1面2線を有する[[地上駅]]。[[日本の鉄道駅#直営駅|直営駅]]である。駅番号は'''CR 01'''。[[日本の鉄道駅#管理駅|管理駅]]でもあるが、当駅は自駅のみの単駅管理となっている(周辺の駅は[[熊谷駅]]が管理)。改札が分離される前は東武鉄道に駅業務を委託していたが、分離後は秩父鉄道の駅員が配置されている。
橋上駅舎化前は、東武鉄道が1番線(上り・[[単式ホーム]])、2番線(待避線・ホームなし)、3・4番線(下り・島式ホーム)、秩父鉄道が5・6番線(島式ホーム)であった。2004年の橋上駅舎完成後は東武の下りホームが2・3番線に、秩父鉄道ホームが4・5番線に改番された。その後、2006年に東武の上りホームを島式1面2線に改良した際、東武のホーム番線を東側から順に1 - 4番線に再度変更したが、秩父鉄道の番線は変更しなかったため、2つの4番線が並ぶ形となった。
駅舎橋上化以前はホーム上に蕎麦屋があった。
駅ナンバリング導入前の駅名標は、[[東日本旅客鉄道|JR東日本]]のものに類似する、当駅のみのオリジナルデザインを使用していた。
2022年3月12日より[[PASMO]]が導入され<ref name="press20220127"/>、同時にICカード専用の[[自動改札機]]が設置された<ref name="faq20220303"/>(ICカード以外の利用客は従来通り駅係員による改札が実施される)。同時に、窓口営業時間が初電 - 終電<ref>[https://www.chichibu-railway.co.jp/information/stationtime.html 各駅営業時間一覧表 | 秩父鉄道]</ref>から6:00 - 21:00 <ref>{{PDFlink|[https://www.chichibu-railway.co.jp/information/wp-content/uploads/sites/10/2022/03/station_businesshours.pdf 窓口営業時間、PASMO取扱駅一覧表 | 秩父鉄道]}}</ref>に変更となった。
==== のりば ====
{| class="wikitable"
!番線!!路線!!行先
|-
!4・5
|{{color|blue|■}}秩父線
|[[行田市駅|行田市]]・[[熊谷駅|熊谷]]・[[寄居駅|寄居]]・[[長瀞駅|長瀞]]・[[秩父駅|秩父]]・[[三峰口駅|三峰口]]方面
|}
[[File:Chichibu-railway-Hanyu-station-platform.jpg|200px|thumb|left|秩父本線ホーム(2008年1月)]]
{{-}}
== 利用状況 ==
* '''東武鉄道''' - 2022年度の1日平均[[乗降人員]]は'''11,399人'''である<ref group="東武" name="tobu2022" />。
* '''秩父鉄道''' - 2020年度の1日平均乗車人員は'''1,562人'''である<ref name="toukei">[http://www.pref.saitama.lg.jp/kense/toke/nenkan/index.html 埼玉県統計年鑑より算出]</ref>。
** 秩父本線の駅(35駅)では熊谷駅に次ぐ第2位。
近年の一日平均乗降・乗車人員の推移は下表の通りである。
{| class="wikitable" style="text-align:right; font-size:85%;"
|-
|+年度別一日平均乗降・乗車人員<ref name="toukei" /><ref>[http://www.pref.saitama.lg.jp/site/a310/ 埼玉県統計年鑑] - 埼玉県</ref>
!rowspan="2"|年度
!colspan="2"|東武鉄道
!colspan="2"|秩父鉄道
|-
!1日平均<br />乗降人員<ref>[http://www.train-media.net/report/index.html 各種報告書] - 関東交通広告協議会</ref>!!1日平均<br />乗車人員
!1日平均<br />乗降人員!!1日平均<br />乗車人員
|-
|1998年(平成10年)
| 14,378 ||
| ||
|-
|1999年(平成11年)
| 14,131 || 6,977
| 4,366 || 2,124
|-
|2000年(平成12年)
| 14,046 || 6,942
| 4,386 || 2,107
|-
|2001年(平成13年)
| 13,802 ||
| 4,339 || 2,080
|-
|2002年(平成14年)
| 13,800 ||
| 4,380 || 2,091
|-
|2003年(平成15年)
| 13,840 || 6,871
| 4,425 || 2,126
|-
|2004年(平成16年)
| 13,985 || 6,989
| 4,552 || 2,234
|-
|2005年(平成17年)
| 13,972 || 7,030
| 4,684 || 2,378
|-
|2006年(平成18年)
| 14,034 || 7,044
| 4,697 || 2,394
|-
|2007年(平成19年)
| 14,308 || 7,221
| 4,761 || 2,438
|-
|2008年(平成20年)
| 14,488 || 7,318
| 4,992 || 2,542
|-
|2009年(平成21年)
| 14,188 || 7,150
| 4,901 || 2,507
|-
|2010年(平成22年)
| 14,229 || 7,159
| 4,943 || 2,527
|-
|2011年(平成23年)
| 14,408 || 7,173
| 4,994 || 2,576
|-
|2012年(平成24年)
| 14,840 || 7,371
| 5,146 || 2,635
|-
|2013年(平成25年)
| 14,840 || 7,384
| 5,092 || 2,617
|-
|2014年(平成26年)
| 14,588 || 7,273
| 5,173 || 2,659
|-
|2015年(平成27年)
| 14,664 || 7,336
| 5,093 || 2,623
|-
|2016年(平成28年)
| 14,255 || 7,152
| 5,011 || 2,580
|-
|2017年(平成29年)
| 14,264 || 7,149
| 4,772 || 2,455
|-
|2018年(平成30年)
|<ref group="東武" name="tobu2018">{{Cite web|和書|title=駅情報(乗降人員)|東武鉄道公式サイト|url=https://www.tobu.co.jp/corporation/rail/station_info/|page=|accessdate=2023-07-13|publisher=東武鉄道|format=|language=日本語|archiveurl=https://web.archive.org/web/20190807020040/http://www.tobu.co.jp/corporation/rail/station_info/|archivedate=2019-08-07}}</ref>14,073 || 7,053
| 4,804 || 2,463
|-
|2019年(令和元年)
|<ref group="東武" name="tobu2019">{{Cite web|和書|title=駅情報(乗降人員)|東武鉄道公式サイト|url=https://www.tobu.co.jp/corporation/rail/station_info/|page=|accessdate=2023-07-13|publisher=東武鉄道|format=|language=日本語|archiveurl=https://web.archive.org/web/20201001043745/https://www.tobu.co.jp/corporation/rail/station_info/|archivedate=2020-10-01}}</ref>13,591 || 6,812
| 4,783 || 2,443
|-
|2020年(令和{{0}}2年)
|<ref group="東武" name="tobu2020">{{Cite web|和書|title=駅情報(乗降人員)|東武鉄道公式サイト|url=https://www.tobu.co.jp/corporation/rail/station_info/|page=|accessdate=2023-07-13|publisher=東武鉄道|format=|language=日本語|archiveurl=https://web.archive.org/web/20210905115421/https://www.tobu.co.jp/corporation/rail/station_info/|archivedate=2021-09-05}}</ref>9,558|| -
| 3,037 || 1,562
|-
|2021年(令和{{0}}3年)
|<ref group="東武" name="tobu2021">{{Cite web|和書|title=駅情報(乗降人員)|東武鉄道公式サイト|url=https://www.tobu.co.jp/corporation/rail/station_info/|page=|accessdate=2023-07-13|publisher=東武鉄道|format=|language=日本語|archiveurl=https://web.archive.org/web/20220803235144/https://www.tobu.co.jp/corporation/rail/station_info/|archivedate=2022-08-03}}</ref>10,589
|
|
|
|-
|2022年(令和{{0}}4年)
|<ref group="東武" name="tobu2022">{{Cite web|和書|title=駅情報(乗降人員)|東武鉄道公式サイト|url=https://www.tobu.co.jp/corporation/rail/station_info/|page=|accessdate=2023-07-13|publisher=東武鉄道|format=|language=日本語|archiveurl=https://web.archive.org/web/20230701110809/https://www.tobu.co.jp/corporation/rail/station_info/|archivedate=2023-07-01}}</ref>11,399
|
|
|
|}
== 駅周辺 ==
=== 東口 ===
<!--飲食店(チェーン店・個人店問わず)・コンビニ・個人商店などは駅周辺に数多く存在するため、公平性確保・乱立化防止の理由から記載しない-->
* 羽生市役所
* [[羽生警察署]]
* 羽生市中央公園
* 羽生市体育館 - 羽生市中央公園に併設。
* 羽生市民プラザ
* 羽生市産業文化ホール
* ワークヒルズ羽生
* [[羽生市立図書館]]・郷土資料館
* 羽生市中央公民館
* 大天白公園(大天白神社) - [[藤まつり]]が行われる。
* [[埼玉県立羽生高等学校]]
* 埼玉県立特別支援学校羽生ふじ高等学園
* [[羽生郵便局]]
* 建福寺 - [[田山花袋]]の小説『田舎教師』のモデル・小林秀三の墓がある。
*[[曙ブレーキ工業]]本社
* [[日本精工]]埼玉工場
=== 西口 ===
<!--飲食店(チェーン店・個人店問わず)・コンビニ・個人商店などは駅周辺に数多く存在するため、公平性確保・乱立化防止の理由から記載しない-->
[[ファイル:Hanyu Station west 20160812.jpg|thumb|240px|西口(2016年8月)]]
駅舎橋上化に伴い新たに設置された。橋上化以前は東口へ向かう跨線橋と小規模な広場が設置されていた。
* [[国道122号]]
* [[国道125号]]
* [[埼玉純真短期大学]]
* [[埼玉県立羽生第一高等学校]]
* [[埼玉県立羽生実業高等学校]]
* [[イオンモール羽生]] - 西口より[[#路線バス|バス]]で約15分<ref name=イオンモール羽生>{{Cite web|和書|title=バスのアクセス(時刻表)|イオンモール羽生公式HP|url=https://www.aeon.jp/sc/funabashi/access/|quote=|accessdate=2023-12-18}}</ref>
* [[ルートイン]]グランティア羽生 - 西口より徒歩3分<ref name=ルートイン>{{Cite web|和書|title=アクセス・地図|ルートイングランティア羽生公式HP|url=https://www.hotel-grantia.co.jp/hanyu/access/|quote=東武伊勢崎線・秩父鉄道 羽生駅 西口より徒歩3分|accessdate=2023-12-18}}</ref>
* [[大正製薬]]羽生工場
* [[ベルク (企業)|ベルク]](西口)
* [[ケーヨーデイツー]](西口)
== 路線バス ==
{| class="wikitable" style="t font-size:80%;"
!|乗り場!!系統!!主要経由地!!行先!!運行事業者!!備考
|-
|rowspan="5"|羽生駅西口||イオンモール羽生線||羽生総合病院・埼玉純真短期大学||[[イオンモール羽生]]||[[朝日自動車]]||
|-
|rowspan="2"|川俣・新郷ルート||下新郷北・[[新郷駅 (埼玉県)|新郷駅]]・本川俣・羽生駅東口||rowspan="10"|市役所||rowspan="10"|[[あい・あいバス]]||rowspan="10"|平日運行
|-
|栄町
|-
|rowspan="2"|須影・岩瀬ルート||下新城中・[[南羽生駅]]・文化ホール・羽生駅東口
|-
|宮田団地入口
|-
|rowspan="6"|羽生駅東口||川俣・新郷ルート||本川俣・別所・新郷駅・羽生駅西口
|-
|須影・岩瀬ルート||文化ホール・南羽生駅・下新城中・羽生駅西口
|-
|rowspan="2"|手子林・三田ヶ谷ルート||北袋集会所・南羽生駅・三田ヶ谷2区・羽生駅東口
|-
|北袋・三田ヶ谷2区・南羽生駅・羽生駅東口
|-
|rowspan="2"|井泉・村君ルート||中央公園入口・井泉公民館前・スカイスポーツ公園・羽生駅東口
|-
|稲子集会場・スカイスポーツ公園・井泉公民館前・羽生駅東口
|}
[[ファイル:Heisei-716.jpg|thumb|200px|平成エンタープライズのイオンモール羽生線]]
かつては[[東武バス|東武鉄道]]による路線バスが運行され、羽生車庫も設置されていたが、いずれも廃止された。また、羽生には[[戦後]]間もない時期に東武鉄道によりバス工場が設置されていたことがある。バス運行会社のものとしては当時の日本でも稀な規模で、東武のバス車両について[[自動車検査登録制度|車検]]や大規模な修繕などを手がけていた。<!-- 駅と関連性ない記述につき非表示 なお、現在、東武グループにおけるバス・自動車車両のメンテナンス・車検は関連会社の[[朝日カーメンテナンス]]に一部を除き集約されている。-->
{{-}}
== 隣の駅 ==
; 東武鉄道
: [[File:Tobu Isesaki Line (TI) symbol.svg|15px|TI]] 伊勢崎線
:* {{color|#ff6633|■}}特急「[[りょうもう]]」・{{color|#006633|■}}特急「[[りょうもう|リバティりょうもう]]」一部停車駅
:: {{color|#ff99cc|■}}区間急行・{{color|#66cc66|■}}区間準急・{{Color|#999999|■}}普通
::: [[南羽生駅]] (TI 06) - '''羽生駅 (TI 07)''' - [[川俣駅]] (TI 08)
; 秩父鉄道
: <span style="color:blue">■</span>秩父本線
:: 急行「秩父路」(土休日のみ)
::: '''羽生駅(CR 01)''' - [[行田市駅]](CR 06)
:: 各駅停車
::: '''羽生駅(CR 01) ''' - [[西羽生駅]](CR 02)
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Reflist|group="注釈"}}
=== 出典 ===
{{Reflist|2}}
; 東武鉄道の1日平均利用客数
{{Reflist|group="東武"|3}}
== 関連項目 ==
* [[日本の鉄道駅一覧]]
* [[埼玉県道413号羽生停車場線]] - 駅前通り
== 外部リンク ==
{{Commonscat|Hanyu Station}}
* {{外部リンク/東武鉄道駅|filename=1609}}
* [https://www.chichibu-railway.co.jp/station/01_hane.html 秩父鉄道 羽生駅]
{{東武伊勢崎線|mode=2}}
{{秩父鉄道秩父本線}}
{{DEFAULTSORT:はにゆう}}
[[Category:埼玉県の鉄道駅]]
[[Category:日本の鉄道駅 は|にゆう]]
[[Category:東武鉄道の鉄道駅]]
[[Category:秩父鉄道の鉄道駅]]
[[Category:1903年開業の鉄道駅]]
[[Category:羽生市の交通|はにゆうえき]]
[[Category:羽生市の建築物]]
|
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16,229 |
後金
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後金(こうきん、1616年 - 1636年、満洲語:ᠠᡳ᠌ᠰᡳᠨᡤᡠᡵᡠᠨ aisin gurun、金國)は、17世紀前半に満洲に興った満洲人(女真人、jušen)の国家で、清の前身。
1588年までに女真の建州女直を統一し、マンジュ国(ᠮᠠᠨᠵᡠᡤᡠᡵᡠᠨ manju gurun、滿洲國)を建てていた愛新覚羅氏のヌルハチによってヘトゥアラ(後の興京)に置かれた。
前後してヌルハチはエルデニ(ᡝᡵᡩᡝᠨᡳ erdeni、額爾徳尼)らに命じて満洲文字(無圏点文字)を定め、更に八旗制という軍事・社会組織を創始して国家の基礎を打ち立てた。1618年、後金は「七大恨」を掲げて明に対して挙兵した。遼東の明の拠点を攻撃し、1619年にヘトゥアラに向けて派遣された明の大軍をサルフの戦いで破ると、イェヘを併合し女真の完全統一を果たした。1621年には明の遼東支配の拠点遼陽と瀋陽を征服し、都を遼陽東京城に移す。1625年、都を遼陽からさらに瀋陽(mukden、盛京)に移した。此の段階で、ヌルハチの勢力圏は遼河の東方全域に及んでいた。1626年、ヌルハチは大軍を率いて遼河を越え、山海関に向かったが、寧遠で西洋式の大砲を擁する袁崇煥の軍に敗れた(寧遠の戦い)。その後間もなくヌルハチは死去した。
ヌルハチの死後、後継者ホンタイジ(ᡥᠣᠩᡨᠠᡳ᠌ᠵᡳ hong taiji、皇太極)は内モンゴルを平定し、朝鮮を服属させ、女真の民族名を満洲(ᠮᠠᠨᠵᡠ manju、滿洲)に改めた、1632年(天聡6年)にはダハイ(ᡩᠠᡥᠠᡳ dahai、達海)に命じて満洲文字を無圏点文字から有圏点文字に改良した。1636年に国号を大清(ᡩᠠᡳ᠌ᠴᡳᠩᡤᡠᡵᡠᠨ daicing gurun、ダイチン国)に改めた。清は1644年に明滅亡後の中国に進出し、1911年の辛亥革命に至るまで中国を支配したため、中国最後の統一王朝に数えられている。
後金の樹立にあたって、ヌルハチは「スンジャ・アンバン (五大人)」(建国五大臣とも) を立て、共同して国政にあたらせた。
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後金は、17世紀前半に満洲に興った満洲人(女真人、jušen)の国家で、清の前身。 1588年までに女真の建州女直を統一し、マンジュ国を建てていた愛新覚羅氏のヌルハチによってヘトゥアラ(後の興京)に置かれた。
|
{{基礎情報 過去の国
| 略名 = 後金
| 日本語国名 = 金
| 公式国名 = {{ManchuSibeUnicode|lang=mnc|ᠮᠠᠨᠵᡠ<br />ᡤᡠᡵᡠᠨ|style=text-align:left}}
| 建国時期 = [[1616年]]
| 亡国時期 = [[1636年]]
| 先代1 = 明
| 先旗1 =
| 先代2 = 北元
| 先旗2 = Flag of the Mongol Empire.svg
| 先旗2縁 = no
| 次代1 = 清
| 次旗1 = Flag of China (1889–1912).svg
| 次代2 =
| 次旗2 =
| 国旗画像 =
| 国旗リンク =
| 国旗幅 =
| 国旗縁 =
| 国章画像 =
| 国章リンク =
| 国章幅 =
| 標語 =
| 標語追記 =
| 国歌 =
| 国歌追記 =
| 位置画像 = 明末清兴.jpg
| 位置画像説明 = 1626年時点の後金の領土(ライトグリーン)画像の「后」は「後」の[[簡体字]]
| 位置画像幅 = 250px
| 公用語 = [[満洲語]]、[[モンゴル語]]、[[中国語]]
| 首都 = [[ヘトゥアラ|興京]](1616年 - 1621年)<br>[[文聖区|東京]](1621年 - 1625年)<br>[[瀋陽市|盛京]](1625年 - 1636年)
| 元首等肩書 = [[ハーン|ハン]]([[王]])
| 元首等年代始1 = [[1616年]]
| 元首等年代終1 = [[1626年]]
| 元首等氏名1 = [[ヌルハチ|太祖 天命帝]]
| 元首等年代始2 = [[1626年]]
| 元首等年代終2 = [[1636年]]
| 元首等氏名2 = [[ホンタイジ|太宗 天聡帝]]
| 首相等肩書 =
| 首相等年代始1 =
| 首相等年代終1 =
| 首相等氏名1 =
| 首相等年代始2 =
| 首相等年代終2 =
| 首相等氏名2 =
| 面積測定時期1 =
| 面積値1 =
| 面積測定時期2 =
| 面積値2 =
| 人口測定時期1 =
| 人口値1 =
| 人口測定時期2 =
| 人口値2 =
| 変遷1 = 建国
| 変遷年月日1 = [[1616年]][[2月17日]]
| 変遷2 = [[サルフの戦い]]
| 変遷年月日2 = [[1619年]]
| 変遷3 = [[丁卯胡乱]]
| 変遷年月日3 = [[1627年]]
| 変遷4 = 国号を[[清|大清]]に改称
| 変遷年月日4 = [[1636年]]
| 通貨 =
| 現在 = {{PRC}}([[中国東北部|東北部]])<br>{{MNG}}<br>{{RUS}}
| 注記 =
}}
{{中国の歴史}}
{{満洲の歴史}}
'''後金'''(こうきん、[[1616年]] - [[1636年]]、満洲語:{{ManchuSibeUnicode|ᠠᡳ᠌ᠰᡳᠨ<br />ᡤᡠᡵᡠᠨ}} aisin gurun、金國)は、[[17世紀]]前半に[[満洲]]に興った[[満洲民族|満洲人]]([[女真|女真人]]、jušen)の[[国家]]で、[[清]]の前身。
[[1588年]]までに女真の[[建州女直]]を統一し、'''マンジュ国'''({{ManchuSibeUnicode|ᠮᠠᠨᠵᡠ<br />ᡤᡠᡵᡠᠨ}} manju gurun、滿洲國)を建てていた[[愛新覚羅氏]]の[[ヌルハチ]]によって[[ヘトゥアラ]](後の興京)に置かれた。
== 概要 ==
前後してヌルハチは[[エルデニ]]({{ManchuSibeUnicode|ᡝᡵᡩᡝᠨᡳ}} erdeni、額爾徳尼)らに命じて[[満洲文字]](無圏点文字)を定め、更に[[八旗|八旗制]]という[[軍事]]・社会組織を創始して国家の基礎を打ち立てた。[[1618年]]、後金は「[[七大恨]]」を掲げて[[明]]に対して[[挙兵]]した。[[遼東]]の明の拠点を攻撃し、[[1619年]]にヘトゥアラに向けて派遣された明の大軍を[[サルフの戦い]]で破ると、イェヘを[[併合]]し女真の完全統一を果たした。[[1621年]]には明の[[遼東]]支配の拠点[[遼陽]]と[[瀋陽]]を征服し、[[都]]を遼陽[[文聖区|東京城]]に移す。[[1625年]]、都を遼陽からさらに[[瀋陽]](mukden、盛京)に移した。此の段階で、ヌルハチの勢力圏は[[遼河]]の東方全域に及んでいた。[[1626年]]、ヌルハチは大軍を率いて[[遼河]]を越え、[[山海関]]に向かったが、[[興城市|寧遠]]で西洋式の[[大砲]]を擁する[[袁崇煥]]の軍に敗れた([[寧遠の戦い]])。その後間もなくヌルハチは死去した。
ヌルハチの死後、後継者[[ホンタイジ]]({{ManchuSibeUnicode|ᡥᠣᠩ<br />ᡨᠠᡳ᠌ᠵᡳ}} hong taiji、皇太極)は[[内モンゴル]]を平定し、[[李氏朝鮮|朝鮮]]を服属させ、女真の民族名を満洲({{ManchuSibeUnicode|ᠮᠠᠨᠵᡠ}} manju、滿洲)に改めた、[[1632年]](天聡6年)には[[ダハイ]]({{ManchuSibeUnicode|ᡩᠠᡥᠠᡳ}} dahai、達海)に命じて満洲文字を無圏点文字から[[有圏点文字]]に改良した。[[1636年]]に国号を'''大清'''({{ManchuSibeUnicode|ᡩᠠᡳ᠌ᠴᡳᠩ<br />ᡤᡠᡵᡠᠨ}} daicing gurun、ダイチン国)に改めた。清は[[1644年]]に明滅亡後の[[中国]]に進出し、[[1911年]]の[[辛亥革命]]に至るまで中国を支配したため、中国最後の統一王朝に数えられている。
== 歴代ハーン ==
# 太祖[[ヌルハチ]](在位[[1616年]] - [[1626年]])
# 太宗[[ホンタイジ]](在位[[1626年]] -[[1636年]])
== 建国五大臣 ==
後金の樹立にあたって、ヌルハチは「スンジャ・アンバン (五大人)」(建国五大臣とも) を立て、共同して国政にあたらせた。<ref>{{Cite book |title=清史稿 |publisher=清史館 |url=https://zh.wikisource.org/wiki/清史稿/卷1#天命元年 |volume=1 |chapter=天命元年}}</ref><ref>{{Cite book |title=滿洲實錄 |publisher=四庫全書 |volume=3}}</ref>
* ニョフル氏エイドゥ (eidu baturu)
* [[フュンドン (蘇完瓜爾佳氏)|フュンドン]] (amban fiongdon jargūci, グヮルギヤ氏)
* ホホリ (hohori efu, ドンゴ氏)
*フルハン (darhan hiya, トゥンギャ氏)
* [[アンバ・フィヤング|アンバ・フィヤング]] (šongkoro baturu, [[ギオルチャ氏]])
== 脚註 ==
<references />
== 参照 ==
=== 史籍 ===
* 編者不詳『ᠮᠠᠨᠵᡠ ᡳ ᠶᠠᡵᡤᡳᠶᠠᠨ ᡴᠣᠣᠯᡳ (manju i yargiyan kooli) (滿洲実録)』四庫全書, 1781 (満文)
* [[趙爾巽]], 他100余名『[[清史稿]]』清史館, 1928 (漢文) *中華書局版
=== 研究書 ===
* 今西春秋『満和蒙和対訳 満洲実録』刀水書房, 1992 (和訳) *和訳自体は1938年に完成。
=== Webサイト ===
* 栗林均「[http://hkuri.cneas.tohoku.ac.jp モンゴル諸語と満洲文語の資料検索システム]」東北大学
== 関連項目 ==
*[[金 (王朝)]]
*[[李成梁]]
*後金の首都([[山海関|関]]外三都城のひとつ)
**[[ヘトゥアラ|ヘトゥアラ(興京)]]
**[[遼陽市#歴史|遼陽]]→[[文聖区|東京城]]
**[[瀋陽市|ムクデン(盛京)]]([[瀋陽故宮]])
*[[八旗]]
*[[女真]]→[[満洲民族]]
*[[満洲文字]]
*[[清の陵墓群]]([[山海関|関]]外三陵)
**[[永陵 (清)|永陵]]
**[[福陵|福陵(東陵)]]
**[[昭陵 (清)|昭陵(北陵)]]
※上記のほか、遼陽にヌルハチの一族を葬った[[太子河区|東京陵]]がある
*[[奉天]]四塔・四塔寺
**[[西塔 (瀋陽市)]](延寿寺)
**[[護国法輪寺]](北塔)
*[[韃靼疾風録]] - [[司馬遼太郎]]の小説。後金建国前後の時期を日本と関わらせて描いた歴史小説。
{{DEFAULTSORT:こうきん}}
[[Category:後金|*]]
[[Category:清朝]]
[[Category:中国の王朝]]
[[Category:17世紀]]
[[Category:満洲の歴史]]
[[fr:Jin postérieurs]]
|
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16,230 |
ウルトラ怪獣一覧
|
ウルトラ怪獣一覧(ウルトラかいじゅういちらん)は、円谷プロダクションが制作している「ウルトラシリーズ」に登場した怪獣、宇宙人、ロボット、その他の存在の総称であるウルトラ怪獣の一覧である。
テレビで放映した「ウルトラシリーズ」に登場するものに限定されず、「ウルトラシリーズ」の映画、児童向けの雑誌に掲載された「ウルトラシリーズ」の記事、漫画、ライブステージにのみ登場する怪獣、宇宙人、ロボットも含める。
映像以外の外伝作品については雑誌展開や小説を参照。
(G)とはゴーストを表す。
(RB)とは「レイオニクス・バトラー」を表す。なおレイオニクス・バトラーではないザラブ星人は(NRB)。
(S)とは「スペシャル」を表す。
(SR)とは「サロメロボット」を表す。
(BS)とは「ビートスター」を表す。
(SD)とは「スパークドールズ」を表す。タイラントの(SDU)は「スパークドールズが合体した」の意味。
(SDI)とは「スパークドールズイミテーション」を表す。
新撮部分に登場したもののみ記載。
新撮シーン、新作エピソードに登場したもののみ。
新撮シーン、新作エピソードに登場したもののみ。
新撮シーン、新作エピソードに登場したもののみ。
新撮シーン、新作エピソードに登場したもののみ。
新撮シーン、新作エピソードに登場したもののみ。
新撮編登場分のみ。
新撮編登場分のみ。
※新撮登場分のみ
新撮登場分のみ。
新撮登場分のみ。
新撮登場分のみ。
大怪獣バトルなど他媒体にも登場していない怪獣のみ
『ウルトラマンティガ』に関連する2話からのみ記載。
小説オリジナル怪獣のみ記載する。
小説オリジナル怪獣のみ記載する。
『ウルトラマンデュアル2』に登場するものについても記載。
主に漫画オリジナル怪獣の他、テレビシリーズに登場したものの別個体や、後日談的エピソードに登場したものも記述する。
漫画オリジナル怪獣のみ。
漫画オリジナル怪獣のみ。
漫画オリジナル怪獣のみ(改造怪獣等も含む)。
漫画オリジナル怪獣のみ。
漫画オリジナル怪獣のみ。
漫画オリジナル怪獣のみ。
漫画オリジナル怪獣のみ(改造怪獣等も含む)。
漫画オリジナル怪獣のみ(改造怪獣等も含む)。
主に活躍したもの。
主に活躍したもの。
『大怪獣バトル』公式連動ストーリー。
オリジナル怪獣、主に活躍したもの。
ゲームオリジナル怪獣のみ。
ゲームオリジナル怪獣のみ。
『ウルトラマンメビウス』、『ウルトラマンメビウス&ウルトラ兄弟』との公式連動ストーリー。「ウルトラ超辞典60(スピリッツ)」を除く。
※ ゲームオリジナル怪獣のみ
ゲームオリジナル怪獣のみ。
これらが体のパーツを交換することで新種の怪獣が誕生する。
円谷プロダクションはウルトラシリーズ以外にも怪獣の登場する特撮作品を複数制作しているが、ウルトラシリーズの映像作品に他の作品の怪獣が作品の枠を超えて登場することはほとんどなく、2013年時点では2例あるのみである。
特徴の一つとして、各作品の第1話に登場する怪獣は、後頭部から角状の突起が生えているものが多いのが挙げられ、怪獣評論家でもある歯学博士の小林晋一郎は、そうした論調を用意して健筆を振るうことが多い。
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"text": "新撮シーン、新作エピソードに登場したもののみ。",
"title": "ウルトラマン ニュージェネレーション スターズ"
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"text": "新撮編登場分のみ。",
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"text": "新撮登場分のみ。",
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"text": "新撮登場分のみ。",
"title": "映画"
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"text": "新撮登場分のみ。",
"title": "映画"
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"text": "大怪獣バトルなど他媒体にも登場していない怪獣のみ",
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"text": "『ウルトラマンティガ』に関連する2話からのみ記載。",
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"text": "小説オリジナル怪獣のみ記載する。",
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"text": "小説オリジナル怪獣のみ記載する。",
"title": "小説"
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"text": "『ウルトラマンデュアル2』に登場するものについても記載。",
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"text": "主に漫画オリジナル怪獣の他、テレビシリーズに登場したものの別個体や、後日談的エピソードに登場したものも記述する。",
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"text": "漫画オリジナル怪獣のみ。",
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"text": "漫画オリジナル怪獣のみ。",
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"text": "漫画オリジナル怪獣のみ(改造怪獣等も含む)。",
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"text": "漫画オリジナル怪獣のみ。",
"title": "漫画"
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"text": "漫画オリジナル怪獣のみ。",
"title": "漫画"
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"text": "漫画オリジナル怪獣のみ。",
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"text": "漫画オリジナル怪獣のみ(改造怪獣等も含む)。",
"title": "漫画"
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"text": "漫画オリジナル怪獣のみ(改造怪獣等も含む)。",
"title": "漫画"
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"text": "主に活躍したもの。",
"title": "漫画"
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"text": "主に活躍したもの。",
"title": "漫画"
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"text": "『大怪獣バトル』公式連動ストーリー。",
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"text": "オリジナル怪獣、主に活躍したもの。",
"title": "ライブステージ"
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"text": "ゲームオリジナル怪獣のみ。",
"title": "ゲーム作品"
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"text": "ゲームオリジナル怪獣のみ。",
"title": "ゲーム作品"
},
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"text": "『ウルトラマンメビウス』、『ウルトラマンメビウス&ウルトラ兄弟』との公式連動ストーリー。「ウルトラ超辞典60(スピリッツ)」を除く。",
"title": "ゲーム作品"
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"text": "※ ゲームオリジナル怪獣のみ",
"title": "ゲーム作品"
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"text": "ゲームオリジナル怪獣のみ。",
"title": "ゲーム作品"
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"text": "これらが体のパーツを交換することで新種の怪獣が誕生する。",
"title": "玩具"
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"text": "円谷プロダクションはウルトラシリーズ以外にも怪獣の登場する特撮作品を複数制作しているが、ウルトラシリーズの映像作品に他の作品の怪獣が作品の枠を超えて登場することはほとんどなく、2013年時点では2例あるのみである。",
"title": "補足"
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"text": "特徴の一つとして、各作品の第1話に登場する怪獣は、後頭部から角状の突起が生えているものが多いのが挙げられ、怪獣評論家でもある歯学博士の小林晋一郎は、そうした論調を用意して健筆を振るうことが多い。",
"title": "補足"
}
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ウルトラ怪獣一覧(ウルトラかいじゅういちらん)は、円谷プロダクションが制作している「ウルトラシリーズ」に登場した怪獣、宇宙人、ロボット、その他の存在の総称であるウルトラ怪獣の一覧である。 テレビで放映した「ウルトラシリーズ」に登場するものに限定されず、「ウルトラシリーズ」の映画、児童向けの雑誌に掲載された「ウルトラシリーズ」の記事、漫画、ライブステージにのみ登場する怪獣、宇宙人、ロボットも含める。
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{{出典の明記|date = 2013年1月}}
'''ウルトラ怪獣一覧'''(ウルトラかいじゅういちらん)は、[[円谷プロダクション]]が制作している「[[ウルトラシリーズ]]」に登場した[[怪獣]]、[[宇宙人]]、[[ロボット]]、その他の存在の総称であるウルトラ怪獣の一覧である。
テレビで放映した「ウルトラシリーズ」に登場するものに限定されず、「ウルトラシリーズ」の映画、児童向けの雑誌に掲載された「ウルトラシリーズ」の記事、漫画、ライブステージにのみ登場する[[怪獣]]、[[宇宙人]]、[[ロボット]]も含める。
== ウルトラQ ==
{{Main|ウルトラQの登場怪獣}}
* 古代怪獣 [[ゴメス (ウルトラ怪獣)|ゴメス]](ゴメテウス)
* 原始怪鳥 [[リトラ (ウルトラ怪獣)|リトラ]](リトラリア)
* 巨大猿 ゴロー
* 火星怪獣 ナメゴン
* 巨大植物 ジュラン(マンモスフラワー)
* 冷凍怪獣 ペギラ
* 大ガメ ガメロン
* 怪竜(万蛇怪獣 怪竜)
* 乙姫(竜宮人 乙姫)
* 岩石怪獣 ゴルゴス(岩怪獣)
* もぐら怪獣 モングラー(大モグラ)
* 巨大地蜂
* 大ぐも タランチュラ
* 人工生命 M1号
* 風船怪獣 バルンガ
* 古代怪鳥 ラルゲユウス
* 隕石怪獣 [[ガラモン (ウルトラ怪獣)|ガラモン]]
* コイン怪獣 [[カネゴン]]
** コイン怪獣 [[カネゴン]](両親)
* 宇宙怪人 セミ人間(遊星人Q)
* 1/8人間
* 地底怪獣 パゴス
* 誘拐怪人 [[ケムール人]]
* 海底原人 [[ラゴン (ウルトラ怪獣)|ラゴン]]
** 海底原人 [[ラゴン (ウルトラ怪獣)|ラゴン]](子)
* 宇宙エイ ボスタング
* ルパーツ星人ゼミ
* キール星人{{efn|劇中ではルパーツ星人ゼミの口から語られるだけで、実像は現れない。}}
* 巨人(変身人間 巨人)
* 巨蝶 モルフォ蝶
* 大ダコ スダール
* 貝獣 ゴーガ
* 悪魔ッ子 リリー
* 深海怪獣 ピーター(アリゲトータス)
* 四次元怪獣 トドラ
* 異次元列車
* 異次元に住む人々
== ウルトラマン ==
{{Main|ウルトラマンの登場怪獣}}
* 宇宙怪獣 [[ベムラー (ウルトラ怪獣)|ベムラー]]
* 宇宙忍者 [[バルタン星人]]
* 透明怪獣 ネロンガ
* 海底原人 [[ラゴン (ウルトラ怪獣)|巨大ラゴン]]{{efn|『ウルトラQ』に登場したラゴンはメスだが、これはオスで、別の個体である。}}
* 怪奇植物 グリーンモンス
* 海獣 ゲスラ
* 磁力怪獣 [[アントラー (ウルトラ怪獣)|アントラー]]
* ノアの神
* どくろ怪獣 [[レッドキング]]
* 有翼怪獣 [[チャンドラー (ウルトラ怪獣)|チャンドラー]]
* 地底怪獣 マグラー
* 怪奇植物 スフラン
* 友好珍獣 [[ピグモン]]
** 友好珍獣 再生ピグモン
* ウラン怪獣 [[ガボラ]]
* エリ巻き恐竜 [[ジラース]]
* 脳波怪獣 ギャンゴ
* ミイラ怪人 ミイラ人間
* ミイラ怪獣 ドドンゴ
* 油獣 [[ペスター]]
* 汐吹き怪獣 ガマクジラ
* 二次元怪獣 ガヴァドン(A)
** 二次元怪獣 ガヴァドン(B)
* 宇宙忍者 バルタン星人(二代目)
* 四次元怪獣 [[ブルトン (ウルトラ怪獣)|ブルトン]]
* 凶悪宇宙人 [[ザラブ星人]]
** にせウルトラマン
* 赤色火焔怪獣 [[バニラ (ウルトラ怪獣)|バニラ]]
* 青色発泡怪獣 [[アボラス]]
* 高原竜 ヒドラ
* 毒ガス怪獣 [[ケムラー (ウルトラ怪獣)|ケムラー]]
* 凶悪地底怪人 地底人
* 地底怪獣 [[テレスドン]]
** 地底怪獣 再生テレスドン
* 棲星怪獣 [[ジャミラ (ウルトラ怪獣)|ジャミラ]]
* 深海怪獣 グビラ
* 冷凍怪獣 ギガス
* 彗星怪獣 [[ドラコ (ウルトラ怪獣)|ドラコ]]
** 彗星怪獣 再生ドラコ
* どくろ怪獣 レッドキング(二代目)
* 怪奇植物 スフランII
* 古代怪獣 [[ゴモラ (ウルトラ怪獣)|ゴモラ]]
* 三面怪人 [[ダダ (ウルトラ怪獣)|ダダ]](A、B、C)
* 黄金怪獣 ゴルドン
* 伝説怪獣 [[ウー (ウルトラ怪獣)|ウー]]
* 吸血植物 ケロニア
* 灼熱怪獣 [[ザンボラー]]
* 悪質宇宙人 [[メフィラス星人]]
* 誘拐怪人 [[ケムール人]](二代目)
* 凶悪宇宙人 ザラブ星人(二代目)
* 宇宙忍者 バルタン星人(三代目)
* 巨大フジ隊員
* メガトン怪獣 スカイドン
* 亡霊怪獣 シーボーズ
* 変身怪獣 ザラガス
* 怪獣酋長 [[ジェロニモン]]
* 光熱怪獣 キーラ
* 砂地獄怪獣 サイゴ
* 変身怪人 [[ゼットン星人]]
* 宇宙恐竜 [[ゼットン]]
== ウルトラセブン ==
{{Main|ウルトラセブンの登場怪獣}}
* 宇宙{{Ruby|狩人|ハンター}} クール星人
* カプセル怪獣 [[ウインダム (ウルトラ怪獣)|ウインダム]]
* 生物X ワイアール星人
* 人間生物X
* 変身怪人 [[ピット星人]]
* 宇宙怪獣 [[エレキング]]
* カプセル怪獣 [[ミクラス (ウルトラ怪獣)|ミクラス]]
* 反重力宇宙人 [[ゴドラ星人]]
* 宇宙蝦人間 ビラ星人(ヴィラ星人)
* 放浪宇宙人 [[ペガッサ星人]]
* 火炎怪人 キュラソ星人(宇宙囚人303号)
* 幻覚宇宙人 [[メトロン星人]]
* 頭脳星人 チブル星人
* アンドロイド少女 ゼロワン
* 異次元宇宙人 [[イカルス星人]]
* 宇宙野人 ワイルド星人
* 宇宙竜 [[ナース (ウルトラ怪獣)|ナース]]
* 吸血宇宙人 [[スペル星人]](欠番)
* 宇宙鳥人 アイロス星人
* 策略宇宙人 [[ペダン星人]]
* 宇宙ロボット [[キングジョー]]
* 岩石宇宙人 アンノン
** アンノン星人
* 地底ロボット ユートム
* 音波怪人 ベル星人
* 宇宙蜘蛛 グモンガ
* 疑似空間の吸血ダニ
* 疑似空間の吸血植物
* 宇宙帝王 バド星人
* 暗黒星人 シャプレー星人
* 核怪獣 ギラドラス
* 宇宙海底人 ミミー星人
* 軍艦ロボット アイアンロックス
* 宇宙怪人 ブラコ星人
* 宇宙ゲリラ シャドー星人
* 猛毒怪獣 ガブラ
* オーロラ怪人 カナン星人
* ミニ宇宙人 ポール星人
* 凍結怪獣 ガンダー
* 再生怪獣 ギエロン星獣
* 甲冑星人 ボーグ星人
* サイボーグ人間
* 侵略宇宙人 キル星人
* 戦車怪獣 恐竜戦車
* 宇宙スパイ プロテ星人
* プラスチック怪人 プラチク星人
* 宇宙細菌 ダリー
* 少女 香織
* メカニズム怪獣 リッガー
* カプセル怪獣 [[アギラ (ウルトラ怪獣)|アギラ]]
* 蘇生怪人 シャドウマン
* 発泡怪獣 ダンカン
* 復讐怪人 ザンパ星人
* 月怪獣 ペテロ
* 催眠宇宙人 ペガ星人
* マゼラン星人マヤ{{efn|後年に出版されたウルトラ関係の書籍で発表された名であり、劇中では単に「あの少女」と呼ばれるだけで「マヤ」という名は出てこない。}}
* ロボット怪獣 クレージーゴン
* 強奪宇宙人 バンダ星人
* 豪力怪獣 アロン
* 分身宇宙人 [[ガッツ星人]]
* 水棲怪人 テペト星人
* カッパ怪獣 テペト
* 地球原人 [[ノンマルト]]
* 蛸怪獣 ガイロス
* 第四惑星人
* 第四惑星アンドロイド ロボット長官
* 第四惑星アンドロイド ロボット署長
* 宇宙猿人 [[ゴーロン星人]]
* 猿人 ゴリー
* サイケ宇宙人 ペロリンガ星人
* ロボット超人 にせウルトラセブン
* 侵略星人 サロメ星人
* 集団宇宙人 [[フック星人]]
* 幽霊怪人 [[ゴース星人]]
* 双頭怪獣 [[パンドン]]
** 双頭怪獣 改造パンドン
== 帰ってきたウルトラマン ==
{{Main|帰ってきたウルトラマンの登場怪獣}}
* オイル怪獣 タッコング
* ヘドロ怪獣 ザザーン
* 凶暴怪獣 [[アーストロン]]
* 岩石怪獣 [[サドラ]]
* 地底怪獣 デットン
* 古代怪獣 キングザウルス三世
* 地底怪獣 [[グドン]]
* 古代怪獣 [[ツインテール (ウルトラ怪獣)|ツインテール]]
* 透明怪獣 ゴルバゴス
* 爆弾怪獣 [[ゴーストロン]]
* 古代怪獣 ダンガー
* 化石怪獣 ステゴン
* 毒ガス怪獣 モグネズン
* 音波怪獣 シュガロン
* 津波怪獣 シーモンス
* 竜巻怪獣 シーゴラス
** 竜巻怪獣 再生シーゴラス
* 吸電怪獣 エレドータス
* 始祖怪鳥 テロチルス
* 宇宙大怪獣 [[ベムスター]]
** 宇宙大怪獣 再生ベムスター
* 忍者怪獣 サータン
* 磁力怪獣 マグネドン
* 電波怪獣 ビーコン
* プラスチック怪獣 [[ゴキネズラ]]
* カニ座怪獣 ザニカ
* 暗黒怪獣 バキューモン
* 宇宙小怪獣 クプクプ
** マンション怪獣 キングストロン
* 隕石怪獣 ザゴラス
* 昆虫怪獣 ノコギリン
* 八つ切り怪獣 グロンケン
* 台風怪獣 バリケーン
* やどかり怪獣 ヤドカリン
* 水牛怪獣 オクスター
* 囮怪獣 プルーマ
* 宇宙怪人 ゼラン星人
* 変幻怪獣 キングマイマイ(幼虫)
** 変幻怪獣 キングマイマイ(成虫)
* 巨大魚怪獣 [[ムルチ]]
* 宇宙調査員 メイツ星人
* 合成怪獣 レオゴン
* 光怪獣 プリズ魔
* 吸血宇宙星人 ドラキュラス
* 暗殺宇宙人 [[ナックル星人]]
* 用心棒怪獣 [[ブラックキング]]
* 雪男星人 バルダック星人
* 雪女怪獣 スノーゴン
* 冷凍怪人 ブラック星人
* 宇宙忍者 [[バルタン星人|バルタン星人Jr.]]
* ロボット怪獣 ビルガモ
* 蜃気楼怪獣 パラゴン
* 宇宙怪人 ストラ星人
* 魔神怪獣 [[コダイゴン]]
* 発砲怪人 グロテス星人
* 燐光怪獣 グラナダス
* 宇宙牛人 ケンタウルス星人
* 鼠怪獣 ロボネズ
* 電磁波怪人 メシエ星雲人
* 白鳥座61番星人 エリカ
* ブーメラン怪獣 レッドキラー
* 宇宙参謀 ズール星人
* ひとだま怪獣 [[フェミゴン]]
* なまけ怪獣 ヤメタランス
* 宇宙怪人 ササヒラー
* 銀河星人 ミステラー星人(善)
* 銀河星人 ミステラー星人(悪)
* アテリア星人(名前のみ)
* 原始地底人 キング・ボックル
* 触角宇宙人 バット星人
* 宇宙恐竜 [[ゼットン]](二代目)
== ウルトラマンA ==
{{Main|ウルトラマンAの登場怪獣}}
* 異次元人 [[ヤプール人|ヤプール]]
** 異次元超人 [[ヤプール人|巨大ヤプール]]
* ミサイル超獣 [[ベロクロン]]
* 古代超獣 カメレキング
* 一角超獣 [[バキシム]]
* 怪魚超獣 ガラン
* 大蟻超獣 アリブンタ
* 地底エージェント ギロン人
* 変身超獣 ブロッケン
* 蛾超獣 [[ドラゴリー]]
* 幻覚宇宙人 [[メトロン星人|メトロン星人Jr.]]
* 巨大魚怪獣 [[ムルチ]](二代目)
* 忍者超獣 ガマス
* 犀超獣 ザイゴン
* 変身怪人 アンチラ星人
* くの一超獣 ユニタング
* さぼてん超獣 [[サボテンダー (ウルトラ怪獣)|サボテンダー]]
* 殺し屋超獣 バラバ
* 異次元超人 [[エースキラー (ウルトラ怪獣)|エースキラー]]
* 超人ロボット エースロボット
* 大蟹超獣 キングクラブ
** カブトガニ
* 牛神超獣 カウラ
** 牛神男
* 大蛍超獣 ホタルンガ
* 大鳩超獣 ブラックピジョン
* 河童超獣 キングガッパー
* 異次元エージェント アンドロイド夫婦
* 大蝉超獣 ゼミストラー
* 天女超獣 アプラサール
** 天女 アプラサ
* 銀星人 宇宙仮面
* 凶悪超獣 ブラックサタン
* 異次元人 マザロン人
* 地獄超獣 マザリュース
* 妖女
* 古代超獣 スフィンクス
* 古代星人 オリオン星人
* 地獄星人 [[ヒッポリト星人]]
* 満月超獣 [[ルナチクス]]
* 月星人 南 夕子
* 地底超獣 ギタギタンガ
* 地底超人 アングラモン
* 黒雲超獣 レッドジャック
* バク超獣 バクタリ
* 超獣人間 コオクス
* 気球船超獣 バッドバアロン
* 虹超獣 カイテイガガン
* 夢幻超獣 ドリームギラス
* 騒音超獣 サウンドギラー
* 鈍足超獣 マッハレス
* 雪超獣 スノーギラン
* 伝説怪人 ナマハゲ
* 火炎超獣 ファイヤーモンス
* 火炎人 ファイヤー星人
* 宇宙超人 スチール星人
* 邪神超獣 カイマンダ
* 獅子超獣 シシゴラン
* 氷超獣 アイスロン
* 伝説怪獣 [[ウー (ウルトラ怪獣)|ウー]](二代目)
* 吹雪超獣 フブギララ
* 鬼超獣 オニデビル
* ガス超獣 ガスゲゴン
* タイム超獣 ダイダラホーシ
* 液汁超獣 ハンザギラン
* ミサイル超獣 [[ベロクロン|ベロクロン二世]]
* 異次元人 [[ヤプール人|女ヤプール]]
* 水瓶超獣 アクエリウス
* 宇宙電気クラゲ ユニバーラゲス
* 信号超獣 シグナリオン
* 宇宙怪人 レボール星人
* バイオリン超獣 ギーゴン
* 最強超獣 ジャンボキング
* 遊牧星人 [[ヤプール人|サイモン星人]]の子ども
== ウルトラマンタロウ ==
{{Main|ウルトラマンタロウの登場怪獣}}
* オイル超獣 オイルドリンカー
* 宇宙大怪獣 アストロモンス
** 吸血植物 チグリスフラワー
* 液体大怪獣 コスモリキッド
* 再生怪獣 ライブキング
* 大亀怪獣 クイントータス
* 大亀怪獣 キングトータス
* 大亀怪獣 ミニトータス
* なめくじ怪獣 ジレンマ
* 大ガニ怪獣 ガンザ
* 大ダコ怪獣 タガール
* 大蛙怪獣 トンダイル
* 大羽蟻怪獣 アリンドウ
* 海象怪獣 デッパラス
** 海象怪獣 再生デッパラス
* 蔦怪獣 バサラ
* 噴煙怪獣 ボルケラー
* 虫歯怪獣 シェルター
* えんま怪獣 エンマーゴ
* 狐火怪獣 ミエゴン
* 笛吹き怪獣 オカリヤン
* 食葉怪獣 ケムジラ
* 火山怪鳥 [[バードン (ウルトラ怪獣)|バードン]]
* 鳥怪獣 フライングライドロン(子)
* 鳥怪獣 フライングライドロン(親)
* 蝉怪獣 キングゼミラ
* カンガルー怪獣 パンドラ
* カンガルー怪獣 チンペ
* 蜃気楼怪獣 ロードラ
* 宇宙大怪獣 ムルロア
* 宇宙蛾 スペースモス
* 宇宙犬 ラビドッグ
* 宇宙暗黒大皇帝 [[エンペラ星人]](回想シーンに登場)
* 百足怪獣 [[ムカデンダー]]
* 怪草 マンダリン草
* 悪質宇宙人 [[メフィラス星人]](二代目)
* 月光怪獣 [[エレキング|再生エレキング]]
* 宇宙怪獣 [[ベムスター|改造ベムスター]]
* 異次元超人 [[ヤプール人|改造巨大ヤプール]]
* サボテン超獣 [[サボテンダー (ウルトラ怪獣)|改造サボテンダー]]
* ミサイル超獣 [[ベロクロン|改造ベロクロン二世]]
* きのこ怪獣 マシュラ
** 巨大キノコ
** お化けキノコ
** キノコ人間
* 木枯し怪獣 グロン
* 極悪宇宙人 [[テンペラー星人]]
* 目つぶし星人 カタン星人
* ねこ舌星人 グロスト
* 逃亡怪獣 ヘルツ
* 醜悪星人 メドウーサ星人
* エフェクト宇宙人 ミラクル星人
* 緑色宇宙人 テロリスト星人
* うす怪獣 モチロン
* 暴君怪獣 [[タイラント (ウルトラ怪獣)|タイラント]]
** 35大怪獣宇宙人(タイラント以外は回想シーンのみ登場)
* らくがき怪獣 ゴンゴロス
* おうむ怪獣 エレジア
* アンドロイド聖子
* 食いしん坊怪獣 モットクレロン(成獣、幼獣)
* きさらぎ星人 オニバンバ
** 鬼面宇宙人 きさらぎ星人
* うろこ怪獣 メモール
* 凶悪宇宙人 ドルズ星人
* わんぱく宇宙人 ピッコロ
* 冬眠怪獣 ゲラン
* 宇宙怪獣 ゴルゴザウルス二世
* 酔っぱらい怪獣 ベロン
* 宇宙少年 ファイル星人
* 歌好き怪獣 オルフィ
* 宇宙怪人 カーン星人
* 球好き怪獣 ガラキング
* 不死身怪獣 リンドン
* 泥棒怪獣 ドロボン
* 海獣 サメクジラ
* 宇宙海人 [[バルキー星人]]
== ウルトラマンレオ ==
{{Main|ウルトラマンレオの登場怪獣}}
* サーベル暴君 [[マグマ星人]]
* 双子怪獣 ブラックギラス
* 双子怪獣 レッドギラス
* 奇怪宇宙人 ツルク星人
* 凶剣怪獣 カネドラス
* 暗闇宇宙人 カーリー星人
* 植物怪獣 ケンドロス
** 地獄花 剣輪草
* 暴れん坊怪獣 ベキラ
* 宇宙星獣 ギロ星獣
* さすらい怪獣 ロン
* 怪異宇宙人 ケットル星人
* 風船怪獣 バンゴ
* 透明宇宙人 バイブ星人
* さそり怪獣 アンタレス
* 分身宇宙人 フリップ星人
* 黒い花の星人 アトラー星人
* 狼男 ウルフ星人
* こうもり怪獣 バットン
* 吸血鬼 こうもり少女
* 半魚人 ボーズ星人
* 牡牛座怪獣 ドギュー
* 小熊座人 ボック
* 殺し屋宇宙人 ノースサタン(ノースサタン星人)
* アルファ星人 ニケの女神
* 兄怪獣 ガロン
* 弟怪獣 リットル
* 虹怪獣 レンボラー
* 快人 コロ星人
* ロボット怪獣 ガメロット
* サーリン星人ドドル
* アンドロイド少女 カロリン
* 宇宙昆虫 サタンビートル
* 幻想宇宙人 クリーン星人
* 怪獣人 [[プレッシャー (ウルトラ怪獣)|プレッシャー]]
* 鬼怪獣 オニオン
* 惑星アップルのニワトリ
* 海棲人 パラダイ星人
** 星獣 キングパラダイ
* 超能力星人 ウリンガ
** ウリー
* 宇宙鶴 ローラン
* 昆虫星人 バーミン星人
** 白い花の精
* 月光怪獣 キララ
* 月星人 弥生(かぐや姫)
* 怪奇隕石 アクマニヤ
** 宇宙悪霊 アクマニヤ星人
* 二面凶悪怪獣 アシュラン
* 怪獣ボール セブンガー
* わんぱく怪獣 タイショー
* 変身怪人 アトランタ星人
* 鬼女 マザラス星人
* 異次元獣 スペクター
* 暗黒星人 [[ババルウ星人]]
** にせアストラ
* ブラック指令
* ブラックスター
*[[円盤生物]] シルバーブルーメ
* 円盤生物 ブラックドーム
* 円盤生物 アブソーバ
* 円盤生物 デモス
** デモスQ
* 円盤生物 ブラックガロン
* 円盤生物 ブリザード
* 円盤生物 ハングラー
* 円盤生物 ブラックテリナ
** テリナQ
* 円盤生物 サタンモア
** 怪鳥円盤 リトルモア
* 円盤生物 [[ノーバ (ウルトラ怪獣)|ノーバ]]
* 円盤生物 星人ブニョ
* 円盤生物 ブラックエンド
== ザ☆ウルトラマン ==
{{Main|ザ☆ウルトラマンの登場怪獣}}
* 冷凍怪獣 シーグラ
* 竜巻き怪獣 スパイラル
* 分裂怪獣 ワニゴドン
** 分裂怪獣 ペロ
* 雲怪獣 レッドスモーギ
* 地底怪獣 タフギラン
* 地底怪獣 タフギラス
* 地底子怪獣 タフギラコ・タフギラオ
* 溶岩怪獣 ファイヤバドン
* 電子怪獣 コンビューゴン
* ロボット101号
* 宇宙忍者 [[バルタン星人]]
* モンスター怪獣 ミコノス
* 頭脳怪獣 ドルフィーゴ
* テレポート怪獣 ザローム
* 液体怪獣
** 機械怪獣ヘクトール
* ブルドーザー兵器ヘクトール
* 同居怪獣 オプト(チョウ、ジン、サン)
* 音波怪獣 ガラドラス
* 火焔怪獣 ゲロン
* 火山怪獣 ガドン
* 宇宙怪獣 ザイクロン
** 謎の天体
* いん石獣 ゴグラン(幼虫、成虫)
* 幼鳥 モア
** 古代怪鳥キングモア
* こん虫獣 バダン
* 岩礁怪獣 アイランダ
* 精神寄生体
** は虫怪獣ゲラド
** は虫怪獣ジャニュール
** は虫怪獣ベドラン
** は虫怪獣ジャニュール三世
* 大賢者
* 凶悪星人 バデル族
* 暗黒怪獣 バゴン
* 異次元怪獣 ザーモス
* 高速怪獣 ザンバ
* 超進化宇宙人 アルファ・ケンタウリ第一惑星王女
* 超進化宇宙人 アルファ・ケンタウリ第五惑星人
* 宇宙竜 ドラゴドス
* 毒花怪獣 デスバラン
* 凶悪怪獣 ギバルーガ
* 宇宙悪魔 バラドン星人
* どくろ怪獣 [[レッドキング]]
* 青色発泡怪獣 [[アボラス]]
* 赤色火焔怪獣 [[バニラ (ウルトラ怪獣)|バニラ]]
* 凶暴怪獣 [[アーストロン]]
* 爆弾怪獣 [[ゴーストロン]]
* プラスチック怪獣 [[ゴキネズラ]]
* 合体怪獣 ダバラン
** 象怪獣 ファンダス
** 翼竜怪獣 クワァイラス
* 侵略星人 ジャダン
** 双頭怪獣 ジャゴン
* 骨怪獣 スケルドン
* 宇宙星獣 ガルバドス
* 暗黒星人 バビラー
* ロボ怪獣 メガザウラ
* 集結怪獣 ガミバ
* 宇宙海賊 インベド人
* 宇宙怪獣 ゴードリアン
* 宇宙怪獣 ジナリオ
* 宇宙怪獣 グロテング
* 宇宙怪獣 プラズーン
* 宇宙怪獣 アグジョン
* 宇宙怪獣 ズーマ
* 宇宙怪獣 グロル
* 宇宙怪獣 デスパワー
* 宇宙怪獣 イドヅノス
* 宇宙怪獣 プトゴリア
* 白鳥座82番星人 ノア
* 氷結怪獣 ダランチュラス
* 反ウルトラヒューマノイド ヘラー
* 反ウルトラヒューマノイド ロイガー
* ヘラー軍兵士
* ヘラーのペット パンサー
* コンピューターロボット ウルック
* カプセル怪獣 グモンス
* 巨大怪猫 ヘルキャット
* 平和宇宙人 オペルニクス星人 フェデリコ
* ペット怪獣 オロラーン
** ペット怪獣 改造オロラーン
* 宇宙兵士 ギロ星人
* ウルトラマンX にせウルトラマンジョーニアス
* 回転怪獣 ギロス
* 宇宙ハンター ハタリ
* ドストニー1号
* ドストニー2号
* モンキ・ドストニー
* 電送怪獣 ネオドストニー
* 宇宙魔軍 サイエン星人
* 円盤怪獣 スペーダー
* カプセル怪獣 カペラドン
* アンドロイド兵士 アンドロイド201部隊
* メカ怪獣 ゲドン
* 積雲怪獣 ゴルディング
* 合成獣 ヘラ・ウマーヤ
* 処刑怪獣 マクダター
== ウルトラマン80 ==
{{Main|ウルトラマン80の登場怪獣}}
* 月ノ輪怪獣 クレッセント
* 羽根怪獣 ギコギラー
* 硫酸怪獣 [[ホー (ウルトラ怪獣)|ホー]]
* だだっ子怪獣 ザンドリアス
* 親怪獣 マザーザンドリアス
* 四次元宇宙人 バム星人
* 四次元ロボ獣 メカギラス
* UFO怪獣 アブドラールス
* 騒音怪獣 ノイズラー
* 復活怪獣 タブラ
* オイル怪獣 ガビシェール
* 変形怪獣 ズルズラー
* 宇宙生物 ジャッキー
* 惑星調査員 アルマ
* 毒ガス怪獣 メダン
* マグマ怪獣 ゴラ
* ビブロス星人 ミリー
* 再生怪獣 [[サラマンドラ (ウルトラ怪獣)|サラマンドラ]]
* ドクロ怪人 ゴルゴン星人
* テレポート怪獣 ザルドン
* 実験怪獣 ミュー
* テレパシィ怪獣 デビロン
* 友好宇宙人 ルリヤ星人
* 人間怪獣 ラブラス
* タコ怪獣 ダロン
* 吸血怪獣 ギマイラ
* 星 沢子
* 惑星怪獣 ガウス
* コブ怪獣 オコリンボール
* 残酷怪獣 ガモス
* L85星人 ザッカル
* ザッカル妻子
* 古代怪獣 [[ゴモラ (ウルトラ怪獣)|ゴモラII]]
* 女王 イーナス
* 地底人
* アメーバ怪獣 アメーザ
* 友好宇宙人 ファンタス星人
* 戦闘円盤 ロボフォー
* 変身怪獣 アルゴン
* 異次元人 アクゾーン メビーズ
* 異次元人 ゴイゲ博士
** アクゾーン兵士
* 巨大化怪獣 ゲラ
* 泡星人 アルゴ星人
* 渡り鳥怪獣 バル
* スペース・ジョーズ ザキラ
* 渓谷怪獣 キャッシー
* 侵略怪獣 ザタンシルバー
* 変身宇宙人 ザタン星人
* 植物もどき怪獣 ゾラ
* すくらっぷ幽霊船 バラックシップ
* 工作怪獣 ガゼラ
* 巨大怪魚 アンゴーラス(親)
* 巨大怪魚 アンゴーラス(子)
* 三つ首怪獣 ファイヤードラコ
* 昆虫怪獣 グワガンダ
* 宇宙忍者 [[バルタン星人]](五代目)
* 心霊怪獣 ゴースドン
* 少年怪獣 テツオン
* 宇宙植物(寄生生命体 宇宙植物)
* すもう怪獣 ジヒビキラン
* ゼロ戦怪鳥 バレバドン
* ムチ腕怪獣 ズラスイマー
* 侵略星人 ガルタン大王
** 遊牧星人 ガラガラ星人
* 妄想ウルトラセブン
* 宇宙忍者 [[バルタン星人]](六代目)
* どくろ怪獣 [[レッドキング]](三代目)
* 壺の精 マアジン
* 紫外線怪獣 グロブスク
* マラソン怪獣 イダテンラン
* 合体怪獣 プラズマ
* 合体怪獣 マイナズマ
* 冷凍怪獣 マーゴドン
* アンドロイド・エミ
== ウルトラマンUSA ==
{{Main|ウルトラマンUSA#ソーキン・モンスター}}
* 植物怪獣 グリンショックス
* 電磁怪獣 ガルバラード
** 電磁球獣 イーム
* ひょうきん子怪獣 ズーン
* 超変身怪獣 キングマイラ(第2形態、第3形態)
** ベイビィ・モンスター ウィロン(キングマイラ第1形態)
== ウルトラマンG ==
{{Main|ウルトラマンG#登場怪獣}}
* 邪悪生命体 ゴーデス
** 邪悪生命体 ゴーデス(第2形態)
* 双脳地獣 ブローズ
* 古代怪獣 ギガザウルス
* 火炎飛龍 ゲルカドン
* 風魔神 デガンジャ
* 毒ガス幻影怪獣 バランガス
* 守護獣 ガゼボ
* 昆虫怪獣 マジャバ(オス、メス)
* 電脳植物 バイオス
* 変身生命体 リュグロー
* 変身生命体 ベロニカ
* 円盤生物 UF-0
* 伝説深海怪獣 コダラー
* 伝説宇宙怪獣 シラリー
== ウルトラマンパワード ==
{{See also|ウルトラマンパワード}}
* 宇宙忍者 [[バルタン星人|パワードバルタン星人]]
* 毒ガス[[怪獣]] [[ケムラー (ウルトラ怪獣)|パワードケムラー]]
* どくろ怪獣 [[レッドキング|パワードレッドキング]](雄、雌)
* 有翼怪獣 [[チャンドラー (ウルトラ怪獣)|パワードチャンドラー]]
* 友好珍獣 [[ピグモン|パワードピグモン]]
* 地底怪獣 [[テレスドン|パワードテレスドン]]
* 地底人 太陽の民
* ウラン怪獣 [[ガボラ|パワードガボラ]]
* 棲星怪獣 [[ジャミラ (ウルトラ怪獣)#『ウルトラマンパワード』に登場するジャミラ|パワードジャミラ]]
* 灼熱怪獣 [[ザンボラー|パワードザンボラー]]
* 三面怪人 [[ダダ (ウルトラ怪獣)|パワードダダ]]
* 青色発泡怪獣 [[アボラス|パワードアボラス]]
* 赤色火焔怪獣 [[バニラ (ウルトラ怪獣)|パワードバニラ]]
* 油獣 [[ペスター|パワードペスター]]
* 古代怪獣 [[ゴモラ (ウルトラ怪獣)|パワードゴモラ]]
* 彗星怪獣 [[ドラコ (ウルトラ怪獣)|パワードドラコ]]
* 宇宙恐竜 [[ゼットン|パワードゼットン]]
* 宇宙忍者 [[バルタン星人|サイコバルタン星人]]
== 平成ウルトラセブン ==
{{See also|平成ウルトラセブン}}
=== ウルトラセブン 太陽エネルギー作戦 ===
{{See also|ウルトラセブン 太陽エネルギー作戦#登場怪獣}}
* 変身怪人 [[ピット星人]](2代目)
* 宇宙怪獣 [[エレキング]](3代目)
=== ウルトラセブン 地球星人の大地 ===
{{See also|ウルトラセブン 地球星人の大地#登場怪獣}}
* 幻覚宇宙人 [[メトロン星人]](3代目)
* 恐竜
=== ウルトラセブン誕生30周年記念3部作 ===
{{See also|ウルトラセブン誕生30周年記念3部作#登場怪獣}}
* 洗脳宇宙人 ヴァリエル星人
* 分身宇宙人 [[ガッツ星人]](2代目)
* 硫黄人間
* 硫黄怪獣 サルファス
* 太陽獣 バンデラス
=== ウルトラセブン1999最終章6部作 ===
{{See also|ウルトラセブン1999最終章6部作#登場怪獣}}
* 寄生生命体 ヴァルキューレ星人
* 帰化宇宙人 キュルウ星人
* 宇宙昆虫 ガロ星人
* 鋼鉄ロボット ダイテッカイ(大鉄塊)
* 犯罪宇宙人 レモジョ星系人
** 犯罪宇宙人 レモジョ星系人 ポワン
** 犯罪宇宙人 レモジョ星系人 ゲイル
** 犯罪宇宙人 レモジョ星系人 ムーピョ
* 植物獣 ボラジョ
* 時空怪獣 大龍海(ダイリュウカイ)
* 海底人 乙姫
* 宇宙ロボット [[キングジョー|キングジョーII]]
* 模造人間
* 地球原人 [[ノンマルト]]
* 守護神獣 ザバンギ
* カプセル怪獣 [[ウインダム (ウルトラ怪獣)|ウインダム]]
* カプセル怪獣 [[ミクラス (ウルトラ怪獣)|ミクラス]]
=== ウルトラセブン誕生35周年"EVOLUTION"5部作 ===
{{See also|ウルトラセブン誕生35周年“EVOLUTION”5部作#登場怪獣}}
* 恒点観測員 [[ナース (ウルトラ怪獣)|円盤竜]]
* 双頭合成獣 [[パンドン|ネオパンドン]]
* 放浪宇宙人 [[ペガッサ星人]](二代目)
* 反重力宇宙人 [[ゴドラ星人]](二代目)
* 植物生命体 ミツコ
* メタル宇宙人 ガルト星人
* 妖邪剛獣 ガイモス
== ウルトラマンゼアス ==
{{Main|ウルトラマンゼアス#登場怪獣}}
* 慢性ガス過多症宇宙人 ベンゼン星人
* 妖艶宇宙女王 レディベンゼン星人
* 吸金爆獣 コッテンポッペ(ゴルドルボムルス)
* 宇宙戦闘ロボット ウルトラマンシャドー
* Zカプセル光獣 ミラクロン
* Sカプセル影獣 ダークラー
* 宇宙カード珍獣 デジタルカネゴン
== ウルトラマンティガ ==
{{Main|ウルトラマンティガの登場怪獣}}
* 超古代怪獣 [[ゴルザ]]
** 超古代怪獣 ゴルザ(強化)
* 超古代竜 メルバ
* 超古代人 ユザレ
* 岩石怪獣 ガクマ(α、β)
* 炎魔人 キリエル人
** 炎魔戦士 キリエロイド
** 炎魔戦士 キリエロイドII
* 複合怪獣 リガトロン
* ゾンビ怪獣 シーリザー
* 空中棲息生物 クリッター
** 変形怪獣 ガゾート
** 変形怪獣 ガゾートII
* 悪質宇宙人 [[レギュラン星人]]
* 異次元人 ギランボ
** 異次元魔女
* 守護怪獣 マキーナ
* 宇宙人少女 サキ
* バリヤー怪獣 ガギ
* 異形進化怪獣 エボリュウ
** 幻影エボリュウ
* 深海怪獣 レイロンス
* 誘拐宇宙人 レイビーク星人
* 極悪ハンター宇宙人 ムザン星人
* ルシア
* ザラ
* アオキ・タクマ
* 二面鬼 宿那鬼
* 錦田小十郎景竜
* 青色夜型宇宙人 スタンデル星人アボルバス
* 赤色昼型宇宙人 スタンデル星人レドル
* {{Ruby|機械人形|メカロイド}} ゴブニュ(ヴァハ)
* 巨大{{Ruby|機械人形|メカロイド}} ゴブニュ(ギガ)
* 巨大{{Ruby|機械人形|メカロイド}} ゴブニュ(オグマ)
* 魔神 エノメナ
* マスコット小怪獣 デバン(デバンダデバン)
* 寄生怪獣 マグニア
** 光る隕石
** 寄生体
** 霧
* 恐竜人類 ナーガ
* {{Ruby|恐竜人類|ディノサウロイド}} アダム&イブ
* 恐竜兵器 ウェポナイザー(1号、2号)
* 強酸怪獣 リトマルス
* 剛力怪獣 [[シルバゴン]]
* バリヤー怪獣 ガギII
* 妖怪 オビコ(オビコボウシ)
* 影法師
* 甲獣 ジョバリエ
* クルス・マヤ
* 侵略宇宙人 ナターン星人
* 変異怪獣 キングモーラット
* 人工生命体 ビザーモ
* 怪鳥 シーラ(シーラキート)
* 吸血魔獣 キュラノス
* 美しき夜の種族(吸血鬼一族)
* 生体兵器 デシモニア
** 生体兵器 小型デシモニア
* 超宇宙人 デシモ星系人
* 宇宙鋼鉄竜 グワーム
* 超力怪獣 ゴルドラス
* 謀略宇宙人 マノン星人(A、B)
* 蜃気楼怪獣 ファルドン
* 奇獣 デスモン
* 超古代怪獣 ガルラ
* 夢幻怪獣 バクゴン
* パラサイト宇宙人 イルド
** 巨大脳
* バイオコンピューター カレンE-90
** メカ生命体 ファイバス(サタンファイバス)
* 仮想生命体 バーチャル・レイビーク星人
* 仮想生命体 バーチャル・ムザン星人
* 地中鮫 ゲオザーク
* イーヴィルティガ
* 超古代狛犬怪獣 ガーディー
* 超古代植物 ギジェラ
* 超古代人テラ・ヌーク
* 虹色怪獣 タラバン(子)
* 虹色怪獣 タラバン(親)
* 異形進化怪獣 メタモルガ
* エイリアン メンジュラ
* 宇宙魔人 チャリジャ
* 宇宙恐竜 ヤナカーギー
* 超古代尖兵怪獣 ゾイガー
* 邪神 ガタノゾーア
=== ウルトラマンティガ THE FINAL ODYSSEY ===
{{See also|ウルトラマンティガ THE FINAL ODYSSEY#闇の巨人|ウルトラマンティガ THE FINAL ODYSSEY#登場怪獣}}
* 愛憎戦士 カミーラ
** 闇黒魔超獣 デモンゾーア
* 剛力戦士 ダーラム
* 俊敏戦士 ヒュドラ
* 超古代怨霊翼獣 シビトゾイガー
* 超古代怪獣 ゴルザ
=== ウルトラマンティガ外伝 古代に蘇る巨人 ===
{{See also|ウルトラマンティガ外伝 古代に蘇る巨人#登場人物|ウルトラマンティガ外伝 古代に蘇る巨人#登場怪獣}}
* 闇の魔神(遮光器土偶魔神 デグーフ)
* 時空飛来怪獣 ジョーモノイド
* 古代怪竜 クラヤミノオロチ
* 闇の超能力者 ドグラマグマ
* 暗黒超能力者 ダイダラ
* 暗黒超能力者 オロッチ
* ティグルー
* 遮光器土偶魔神 ドグーフ
== ウルトラマンダイナ ==
{{Main|ウルトラマンダイナの登場怪獣}}
* 宇宙球体 スフィア
** 暗黒惑星 グランスフィア
* 合成獣 ダランビア
** 超合成獣 ネオダランビア
* 溶岩合成獣 グラレーン
* 再生怪獣 グロッシーナ
* 宇宙寄生獣 サイクロメトラ
* 肉食地底怪獣 ダイゲルン
** 肉食地底怪獣 クローンダイゲルン
* 変異昆虫 シルドロン
** 変異昆虫 クローンシルドロン
* 菌糸怪獣 フォーガス(本体)
** 菌糸怪獣 フォーガス(怪人体)
** 菌糸怪獣 フォーガス(サタンフォーガス)
* 凶悪怪獣 ギャビッシュ
* 特別捜査官 ダイス星人
* 催眠怪獣 バオーン
* 吸電怪獣 ギアクーダ
* 念力種族 ゼネキンダール人
* 高速怪獣 デキサドル
* 迷子珍獣 ハネジロー(ムーキット)
* 破壊獣 モンスアーガー
* 怪宇宙人 ヒマラ
* 知略宇宙人 ミジー星人
** ミジー・ドルチェンコ
** ミジー・カマチェンコ
** ミジー・ウドチェンコ
* 三面ロボ頭獣 ガラオン
* 宇宙帝王 ヌアザ星人イシリス
* イシリスに滅ぼされた異星人
* 謀報宇宙人 クレア星雲人シオン
* 尖兵怪獣 ギャンザー
* ハイパークローン怪獣 ネオザルス
* 剛力怪獣 [[シルバゴン|クローンシルバゴン]]
* 幽霊船怪獣 ゾンバイユ
* ゾンビ怪人 シルバック星人
* 大魔獣 ビシュメル
* 凶獣 姑獲鳥
* アオキ・タクマ
* 瑠璃色宇宙人 ラセスタ星人
* 超高熱怪獣 ソドム
* 妖獣 モズイ
* 深海竜 ディプラス
* 吸血生命体 マリキュラ
** 吸血生命体 小型マリキュラ
* 水棲生命体 スヒューム
* 半魚人兵士 ディゴン
* 宇宙海獣 レイキュバス
* 双体宇宙人 チェーン星人(レフト)
* 双体宇宙人 チェーン星人(ライト)
* スーパー必殺怪獣 デマゴーグ
* 改造怪獣 グロッシーナII
* 巨大猿人 ギガンテス(オス)
* 巨大猿人 ギガンテス(メス)
* 彗星怪獣 ガイガレード
* 特殊戦闘用メカニックモンスター コガラオン
* 宇宙格闘士 グレゴール人
** ニセウルトラマンダイナ
* 破壊獣 モンスアーガーII
* アイドルロボット ラブモス(TM-39)
** モンスターマシン サタンラブモス
* 生物兵器 メノーファ
* 超悪質宇宙人 ナルチス星人
* 宇宙スパーク大怪獣 バゾブ
* 宇宙合成獣 ジオモス
** 超宇宙合成獣 ネオジオモス
* ゴミ塊物 ユメノカタマリ
* バロック怪獣 ブンダー
* 超異形進化怪獣 ゾンボーグ
* 異形進化兵 ゾンボーグ兵
* 魔樹宇宙人 ジャギラ星人
** 宇宙植物 ジャギラの樹
** 宇宙魔樹 ゴッドジャギラ
* 宇宙大昆虫 ダイオリウス(成虫)
** 宇宙大昆虫 ダイオリウス(成虫)
* 悪質宇宙人 [[レギュラン星人|レギュラン星人ヅウォーカァ将軍]]
* MG-0005-RX マウンテンガリバー5号
* 超古代怪獣 [[ゴルザ|ゴルザII]]
* 灼熱合成獣 グライキス
* 宇宙超獣 トロンガー
* ギガール星・女戦士 チュラサ
* 恐怖エネルギー魔体 モルヴァイア
** 黒い宇宙植物(黒い宇宙植物 メージヲグ)
** 謎の怪獣軍団
*** にんじん様(にんじんの化け物)
* 放浪宇宙人 ファビラス星人(A)
** 魔石超人 デビルファビラス
* 放浪宇宙人 ファビラス星人(B)
* 地底怪獣 モゲドン
* 変心宇宙人 チャダビン星人
* 超合成獣 ネオダランビアII
* 人造ウルトラマン テラノイド
** 超合成獣人 ゼルガノイド
* 超合成獣 ネオガイガレード
=== ウルトラマンティガ&ウルトラマンダイナ 光の星の戦士たち ===
{{See also|ウルトラマンティガ&ウルトラマンダイナ 光の星の戦士たち#登場怪獣}}
* 宇宙有翼骨獣 ゲランダ
* 電脳魔神 デスフェイサー
* 専用種子船 モネラシード
* 宇宙植物獣人 モネラ星人
** 超巨大植物獣 クィーンモネラ
=== ウルトラマンダイナ 帰ってきたハネジロー ===
{{See also|ウルトラマンダイナ 帰ってきたハネジロー#登場怪獣}}
* デハドー星人 (名前のみ)
* デハドー星人のアンドロイド(凶悪アンドロイド カーサ・マダラー)
* 吸収怪獣 アーウォン
** 合体侵略兵器獣 ワンゼット
* 放浪宇宙人 ファビラス星人(A)
* 放浪宇宙人 ファビラス星人(B)
* 迷子珍獣 ハネジロー(ムーキット)
* 知略宇宙人 ミジー星人
** ミジー・ドルチェンコ
** ミジー・カマチェンコ
** ミジー・ウドチェンコ
* 特殊戦闘用小型メカニックモンスター ぽちガラオン
* 快獣 ブースカ
* 快獣 カモスケ
== ウルトラマンガイア ==
{{Main|ウルトラマンガイアの登場怪獣}}
* 根源的破滅招来体
* ヴィジョンの龍(地底の龍・超空間エネルギー体)
* 宇宙戦闘獣 コッヴ(C.O.V.)
* マグマ怪地底獣 ギール
* 金属生命体 アパテー
* 波動生命体(波動生命体 プライマルメザード)
** 超空間波動怪獣 メザード
* 大海魔 ボクラグ
* 奇獣 [[ガンQ]](コードNo.00)
** 奇獣 ガンQ(コードNo.01)
* 自然コントロールマシーン テンカイ(天界)
* 超空間共生怪獣 アネモス
* 超空間共生怪獣 クラブガン
** 超空間共生怪獣クラブガン&アネモス
* 光熱魔石 レザイト
* 惑星破壊機 ヴァーサイト
* 宇宙戦闘獣 コッヴII(ホワイトコッヴ)
** コッヴ(幼体)
* 地帝大怪獣 ミズノエノリュウ(壬龍)
* 獣人 ウルフガス
* 超空間波動怪獣 サイコメザード
* 反物質怪獣 アンチマター
* 寄怪生命 ディーンツ
** 寄怪生命 マザーディーンツ
* 金属生命体 アルギュロス
** ニセ・ウルトラマンアグル
* 超巨大天体生物 ディグローブ
* 甲殻怪地底獣 ゾンネル
* 超空間波動怪獣 サイコメザードII
** リリア
* 絶対生物 ゲシェンク
* 無酸素海獣 カンデア
* 宇宙雷獣 パズズ
* 剛腕怪地底獣 ゴメノス
* 甲殻怪地底獣 ゾンネルII
* マグマ怪地底獣 ギールII
* 巨獣 ゾーリム
* 電子生命体 クリシスゴースト
** 金属生命体 ミーモス
** ニセウルトラマンガイア
* 自然コントロールマシーン エンザン(炎山)
* 守護獣 ルクー(ルクーリオン)
* 宇宙怪獣 ゴキグモン
* 魔頭鬼十朗
** 奇獣 ガンQ(コードNo.02)
** 奇獣 ガンQ(完全体)
* 時空怪獣 エアロヴァイパー
* 伝説魔獣 シャザック
* サイボーグ獣人 ウルフファイヤー
* 古代怪獣 アルゴナ
* 宇宙忍獣 {{Ruby|X|クロス}}サバーガ
** 生体兵器 小{{Ruby|X|クロス}}サバーガ(ミニサバーガ)
* 超空間波動怪獣 クインメザード
** 幻影ウルトラマンアグル
* 地殻怪地底獣 ティグリス(アルブームティグリス)
* 泥怪人 ツチケラ
* 大宙魔 パスギーク
* 宇宙捕獲メカ獣 {{Ruby|Σ|シグマ}}ズイクル
* 精神寄生体
** 精神寄生獣 ビゾーム
* 巨大異形獣 サタンビゾー(テレビ版)
** 黒い我夢
* アルテスタイガー怪獣 イザク(イザクプラチアード)
* 宇宙戦闘獣 {{Ruby|超|スーパー}}コッヴ
* 宇宙雷獣 {{Ruby|超|スーパー}}パズズ
* 破滅魔人 ブリッツブロッツ
* 地殻怪地底獣 ティグリスII
* 自然コントロールマシーン シンリョク(深緑)
* {{Ruby|超巨大単極子|モノボール}}生物 モキアン
* 死神
** 破滅魔人 ゼブブ
* 破滅魔虫 ドビシ
** 破滅魔虫 カイザードビシ
* 幻影怪物 魚人
* 根源破滅天使 ゾグ(第一形態)
** 根源破滅天使 ゾグ(第二形態)
* マグマ怪地底獣 ギールIII
* 剛腕怪地底獣 ゴメノスII
* 地殻怪地底獣 ティグリスIII
=== ウルトラマンティガ・ウルトラマンダイナ&ウルトラマンガイア 超時空の大決戦 ===
{{See also|ウルトラマンティガ・ウルトラマンダイナ&ウルトラマンガイア 超時空の大決戦#登場怪獣}}
* 最強合体獣 キングオブモンス
* 骨翼超獣 バジリス
* 巨大顎海獣 スキューラ
* 巨大異形獣 サタンビゾー(劇場版)
** 黒い我夢
* 赤い球
=== ウルトラマンガイア ガイアよ再び ===
{{See also|ウルトラマンガイア ガイアよ再び#登場怪獣}}
* 根源破滅海神 ガクゾム
** 根源破滅海神 ガクゾム(強化体)
* 根源破滅飛行魚 バイアクヘー
* 深海生命体 リナール
* 甲殻怪地底獣ゾンネル
== ウルトラマンナイス ==
{{Main|ウルトラマンナイス#登場怪獣}}
* もうどく宇宙人 ザゴン星人
* くいしんぼう怪獣 モモザゴン
* あばれんぼう怪獣 ブルブルザゴン
* おこりんぼう怪獣 タブザゴン
== ウルトラマンコスモス ==
{{Main|ウルトラマンコスモスの登場怪獣}}
* カオスヘッダー
** カオスヘッダー・イブリース
** カオスヘッダー・メビュート
** カオスウルトラマン
** カオスウルトラマンカラミティ
** カオスダークネス
** カオスヘッダー0
* 友好巨鳥 リドリアス
** カオスリドリアス
* 古代暴獣 ゴルメデ
** カオスゴルメデ
* 襟巻き怪獣 スピットル
* 友達ロボット イゴマス
** ビビン星人(名前のみ)
* カオスバグ
* 地中怪獣 モグルドン
* 隕石小珍獣 ミーニン
** 隕石大怪獣 ガモラン
** 隕石大怪獣 ガモランII
* 夢幻魔獣 インキュラス
** 夢幻小魔獣 スモールインキュラス
* 童心妖怪 ヤマワラワ
* 青銅魔神 ゲシュート
* 骨格恐竜 ムードン
* 薄命幼獣 イフェメラ
* サヤカの霊
* 邪悪宇宙生命体 ワロガ
* レニ・クロサキ
* 古代怪獣 ガルバス
* 深海貝獣 ジェルガ
** カオスジェルガ
* 精神寄生獣 カオスジラーク
** フライホエールジラーク
* 異次元人 ギギ(A・B・C)
** 三面異次元人 ギギ
* 怨霊鬼 戀鬼
* TK銀河人 ミゲロン星人(レダ&レカ)
* 情念化身獣 アングリラ
* 電撃怪獣 ボルギルス
* 遊星守護獣 パラスタン
** カオスパラスタン
* カオスパラスタンS(サブスタンス)
* 変幻生命体 ゲルワーム(A・B)
** ニセウルトラマンコスモス
** 宇宙小昆虫 ゲルワームM
** 宇宙小昆虫 ゲルワームP
* 電磁魔獣 グラガス
* 高杉 純
* 超銀河宇宙人 スレイユ星人ラミア
* 惑星破壊ロボット グインジェ
* 宇宙怪獣 ザランガ
* 宇宙怪獣 ベビーザランガ
* 毒ガス怪獣 エリガル
** カオスエリガル
* スーパーハイテクロボット クレバーゴン
** カオスクレバーゴン
** クレバーゴン・ジャイアント
* 古代暴獣 ゴルメデβ
* 岩石怪獣 ネルドラント
** カオスネルドラント
* 古代海神 レイキュラ
* 催眠魔獣 ラグストーン
** ラグストーン・メカレーター
* 伝説悪鬼 マハゲノム
* 地底怪獣 テールダス
** カオステールダス
* 侵略宇宙人 ベリル星人
* 侵略変形メカ ヘルズキング
** 対カオスヘッダー殲滅兵器 ヘルズキング改
* 岩石怪獣 ネルドラントII
** カオスネルドラントII
* 破滅可変マシン サイドバクター
* エクステル星のアンドロイド(強襲アンドロイド エクステル・レイダー)
* グリーンベルト星の人型宇宙植物生命体(グリーンベルト星人 プラテア)
* 宇宙少年 ソル
* 彗星怪獣 デルゴラン
** カオスデルゴラン
* 怪獣狩人 ノワール星人
* テールダス・メカレーター
* ネルドラント・メカレーター
* 三面異次元人 ギギ(プログレス)
* 異次元人ギギ・ドクター(XX01)
* 伝説妖精 ムゲラ
* 浄化宇宙人 キュリア星人
* 宇宙植物 アブトシア(宇宙の花)
* 共生宇宙生命体 ギリバネス
** 人型宇宙人 ギリ
** 吸血生物 バネス
* 甲殻怪獣 アルケラ
** 神秘郡獣 スノースター
* 密輸怪獣 バデータ(幼児期)
** 密輸怪獣 バデータ(巨大時)
* 天敵怪獣 マザルガス
** カオスマザルガス
* 平和文明人 コイシス星人ジュネ
* パートナー怪獣 ザゲル
* 未来怪獣 アラドス
* 分身怪獣 タブリス
* 超高度文明人 ミトル(宇宙人少女)
* 河童 かわのじ
* 伝説聖獣 グラルファン
* 共生宇宙生命体 ギラッガス
** 人型宇宙生命体 ギラッガスM
** 羽根型生物 ギラッガスF
* 古代怪獣 ドルバ
** カオスドルバ
* 毒ガス怪獣 エリガルII
** カオスエリガルII
=== ウルトラマンコスモス THE FIRST CONTACT ===
{{See also|ウルトラマンコスモス THE FIRST CONTACT#登場怪獣}}
* 宇宙忍者 [[バルタン星人|バルタン星人ベーシカルバージョン]]
** ネオバルタン
* チャイルドバルタン
* 伝説薬使獣 呑龍(ドンロン)
* スーパーハイテクロボット クレバーゴン
=== ウルトラマンコスモス2 THE BLUE PLANET ===
{{See also|ウルトラマンコスモス2 THE BLUE PLANET#登場怪獣}}
* 怪獣兵器 スコーピス
* 異形生命体 サンドロス
* 海底怪獣レイジャ
** 海底怪獣 レイジャS
** 海底怪獣 レイジャJ
* ネイチュア宇宙人 ギャシー星人(シャウ&ジーン)
=== ウルトラマンコスモスVSウルトラマンジャスティス THE FINAL BATTLE ===
{{See also|ウルトラマンコスモスVSウルトラマンジャスティス THE FINAL BATTLE#登場怪獣}}
* スペースリセッター グローカーマザー
** スペースリセッター グローカービショップ
* スペースリセッター グローカーポーン
** スペースリセッター グローカールーク
* ファイナルリセッター ギガエンドラ
* 宇宙予言司 デラシオン
== ウルトラマンネオス ==
{{Main|ウルトラマンネオス#登場怪獣}}
* 鉱脈怪獣 アーナガルゲ
* 脳魂宇宙人 ザム星人
* 郡体怪獣 シーゴリアン
* 北極怪獣 ノゼラ
* 南極怪獣 サゾラ
* 昆虫怪獣 シルドバン
* 寄生怪獣 バッカクーン
* 復讐ロボット ザムリベンジャー
* 脳魂宇宙人 ザム星人(二体目)
* 変貌怪獣 キングバモス
* 凶暴竜 ロックイーター
* 幻聖魔獣 ラフレシオン
* 合体恐竜 キングダイナス
* 隕石怪獣 ギガドレッド
* 脳魂宇宙人 ザム星人(三体目)
* 脳魂宇宙人 ザム星人エスラー
* 暗殺怪獣 グラール
* 究極進化帝王 メンシュハイト
=== パイロット版 ===
* 脳魂宇宙人 ザム星人(パイロット版)
* 宇宙鉱石怪獣 ドレンゲラン
== ウルトラQ dark fantasy ==
{{Main|ウルトラQ dark fantasyの登場怪獣}}
* 隕石怪獣 ガラゴン
* ペットロボット ガラQ
* 落書き宇宙人 ジラフ星人
* リビングブレイン(生き続ける脳)
* パズルの女
* ヒエロニムスマシン
* 偽装刑事D1&D2
*「楽園」配達人
* ネズミ捕り(人間駆除隊、清掃局員)
* 東京地空間清掃ロボット ロボットTGS-55(自走型清掃ロボ ロボットTGS-55)
* 綺亜羅(妖精 綺亜羅)
* 異人(まれびと)
* スシ大好き遊星人 ウニトローダ
* 宇宙怪獣 サビコング(サビモンス)
* コスモネット星人 ヤマダ(通販宇宙人 ヤマダ)
* 送り火
* 三つ目のトーテムポール(呪神彫像(タウラ・キテカ))
* ウツギ星人
* 鏡の番人 ヴァーノ
* 入れ替わり
* リリー
* 謎の老紳士と光る舟
* 隕石怪獣 ガラゴン二号
* 遊星人 セミ女
* 小町ULUZ製(レンタル・アンドロイド K-7131)
* しおり金髪少年
* 時空超えカメラ
* ゲノム新人類
* 月の魔人 ヘカテ(魔性の月の女神 ヘカテ)
* 第一、二、四〜十惑星人
** 第二惑星人
** 第六惑星人
* コイン怪獣 [[カネゴン|カネゴンヌ]]
* 虹の波動装置 OZシステム
* 雛
* 異なもの
* 電波怪人 レキューム人
== ULTRA N PROJECT ==
=== ULTRAMAN ===
{{See also|ULTRAMAN (映画)#登場怪獣}}
* [[ULTRAMAN (映画)#ビースト・ザ・ワン|ビースト・ザ・ワン]]
** ザ・ワン(イドロビア)
** ザ・ワン(レプティリア)
** ザ・ワン(ベルゼブア)
** ザ・ワン(ベルゼブア・コローネ)
=== ウルトラマンネクサス ===
{{Main|スペースビースト|ULTRA N PROJECT#闇の巨人}}
{{See also|ウルトラマンネクサス}}
* 来訪者
* ブロブタイプビースト ペドレオン(クライン)
** ブロブタイプビースト ペドレオン(グロース)
** ブロブタイプビースト ペドレオン(フリーゲン)
* インセクトタイプビースト バグバズン
* インセクトタイプビースト ビーセクタ
* フィンディッシュタイプビースト ガルベロス
* 闇の巨人(赤き死の巨人) [[ULTRA N PROJECT|ダークファウスト]]
* ブルームタイプビースト ラフレイア
* フィンディッシュタイプビースト ノスフェル
* 闇の巨人(黒い悪魔) [[ULTRA N PROJECT|ダークメフィスト]]
* ビーストヒューマン
* インセクティボラタイプビースト アラクネア
* アンフィビアタイプビースト フログロス
* インビジブルタイプビースト ゴルゴレム
* フィンディッシュタイプビースト クトゥーラ
* クラスティシアンタイプビースト グランテラ
* アースロポッドタイプビースト バンピーラ
* レプタイルタイプビースト リザリアス
** レプタイルタイプビースト リザリアスグローラー
* 闇の巨人(黒い悪魔) [[ULTRA N PROJECT|ダークメフィスト・ツヴァイ]]
* ノーチラスタイプビースト メガフラシ
* フィンディッシュタイプビースト イズマエル
* 邪悪なる暗黒破壊神 [[ULTRA N PROJECT|ダークザギ]](ダークサイドノア)
* インセクトタイプビースト バグバズングローラー - EPISODE.EXに登場
* インセクトタイプビースト バグバズンブルード - EPISODE.EXに登場
** インセクトタイプビースト バグバズンブルード(ヒューマンフェイク)
* ゼロ(名前のみ)
* 闇の巨人 [[ULTRA N PROJECT|ダークルシフェル]](設定・小説のみ)
== ウルトラマンマックス ==
{{Main|ウルトラマンマックスの登場怪獣}}
* 溶岩怪獣 グランゴン
* 冷凍怪獣 ラゴラス
* 放電竜 [[エレキング]]
* 古代怪鳥 レギーラ
* 高速宇宙人 スラン星人
* 装甲怪獣 [[レッドキング]]
* 両棲怪獣 サラマドン
* 飛膜怪獣 バラグラー
* 電脳珍獣 [[ピグモン]]
* 宇宙工作員 ケサム
* 甲虫型宇宙怪獣 バグダラス
* 伝説怪龍 ナツノメリュウ
* 空間転移怪獣 メタシサス
* 磁力怪獣 [[アントラー (ウルトラ怪獣)|アントラー]]
* 超音速怪獣 ヘイレン
* 宇宙恐竜 [[ゼットン]]
* 変身怪人 [[ゼットン星人]]
* 侵略ロボット [[キングジョー]]
* 完全生命体 イフ(第一形態、第二形態、第三形態、第四形態、最終形態)
* 宇宙化猫 タマ・ミケ・クロ
* 氷の美女 ニーナ
* 宇宙古代怪獣 エラーガ
* 幻影宇宙人 シャマー星人
* 空間移動宇宙人 ターラ星人
* 戦神 ギルファス
* 亜空間怪獣 クラウドス
* 古代怪獣 [[ゴモラ (ウルトラ怪獣)|ゴモラ]]
* 夢幻神獣 魔デウス
* 飛魚怪獣 フライグラー
* 対話宇宙人 [[メトロン星人]]
* 友好異星人 ネリル星人キーフ
* 巨大異星人 ゴドレイ星人
* 神話の幻獣 ユニジン
* 変身怪人 [[ピット星人]](ピット・レオール、ピット・ノヴー)
* 凶獣 ルガノーガー
* 友好宇宙人 リリカ
* 牛鬼怪獣 ゲロンガ
* 進化怪獣 ラゴラスエヴォ
* 挑発星人 モエタランガ
* 宇宙工作員 ケルス
* ケルスの部下の宇宙工作員(宇宙工作員 ケダム)
* 子供の超科学星人 [[バルタン星人|タイニーバルタン]]
* 超科学星人 [[バルタン星人|ダークバルタン]]
* 星雲小獣 アダムとイブ
* 星雲守護獣 ホップホップ
* 星獣 ケプルス
* 星空の創造主 サトン星人(名前のみ)
* 地底文明 デロス
* 機械人形 オートマトン
* 機械獣 サテライトバーサーク
* 機械獣 スカウトバーサーク
* 機械獣 ギガバーサーク
== ウルトラマンメビウス ==
{{Main|ウルトラマンメビウスの登場怪獣}}
映像以外の外伝作品については雑誌展開や小説を参照。
* 宇宙斬鉄怪獣 ディノゾール
* 地底怪獣 [[グドン]]
* 火山怪鳥 [[バードン (ウルトラ怪獣)|バードン]]
* マケット怪獣 [[ミクラス (ウルトラ怪獣)|ミクラス]]
** マケット怪獣 エレキミクラス
* 宇宙凶険怪獣 ケルビム
* 岩石怪獣 [[サドラ]]
* 古代怪獣 [[ツインテール (ウルトラ怪獣)|ツインテール]]
* 高次元捕食体 ボガール
** 高次元捕食体 ボガールモンス
* 健啖宇宙人 ファントン星人
* 肥大糧食 シーピン929
* マケット怪獣 [[エレキング|リムエレキング]]
* マケット怪獣 [[ウインダム (ウルトラ怪獣)|ウインダム]]
** マケット怪獣 ファイヤーウインダム
* 宇宙斬鉄怪獣 ディノゾールリバース
* 魔神怪獣 [[コダイゴン|コダイゴンジアザー]]
* 百足怪獣 [[ムカデンダー]]
* 昆虫型甲殻怪獣 インセクタス(雄、雌)
* 宇宙磔岩怪獣 グロマイト
* サーベル暴君 [[マグマ星人]](兄ブラザーブルー、弟ブラザーレッド)
* 宇宙海人 [[バルキー星人]]
* 宇宙剣豪 ザムシャー
* 再生怪獣 [[サラマンドラ (ウルトラ怪獣)|サラマンドラ]]
* 宇宙大怪獣 [[ベムスター]]
* 宇宙量子怪獣 ディガルーグ
* 凶暴怪獣 [[アーストロン]]
* 高次元捕食獣 レッサーボガール
* 時間怪獣 クロノーム
* 優美宇宙人 アンヘル星人トーリ
* 異次元人 [[ヤプール人|ヤプール]]
** 暗黒四天王邪将・異次元超人 [[ヤプール人|巨大ヤプール]]
* 一角超獣 [[バキシム]]
* 蛾超獣 [[ドラゴリー]]
* ミサイル超獣 [[ベロクロン]]
* プロトマケット怪獣 [[ゼットン]]
* プロトマケット怪獣 グドン
* プロトマケット ウルトラマンメビウス
* 円盤生物 [[ノーバ (ウルトラ怪獣)|ノーバ]]
** マケット怪獣 マケットノーバ
* 無双鉄神 インペライザー
* 円盤生物 ロベルガー
* 巨大魚怪獣 [[ムルチ|ゾアムルチ]]
* 宇宙調査員 [[メイツ星人|メイツ星人ビオ]]
* 人魂怪獣 [[フェミゴン]](フェミゴンフレイム)
* 光波宇宙人 リフレクト星人
* 暗黒星人 [[ババルウ星人]]
** ニセハンターナイト ツルギ
* 土塊怪獣 アングロス
* 念動宇宙人 サイコキノ星人
** 念動宇宙人 サイコキノ星人カコ
* 宇宙三面魔像 ジャシュライン
* 宇宙有翼怪獣 アリゲラ
* 憑依宇宙人 サーペント星人
** 憑依宇宙人 巨大サーペント星人
* 宇宙植物怪獣 ソリチュラ
** 宇宙植物怪人 ソリチュラン
* 円盤生物 ロベルガー二世
* 硫酸怪獣 [[ホー (ウルトラ怪獣)|ホー]]
* 古代怪獣 [[ゴモラ (ウルトラ怪獣)|ゴモラ]]
* どくろ怪獣 [[レッドキング]]
* 宇宙同化獣 ガディバ
* 謎の円盤群
* 異次元超人 [[エースキラー (ウルトラ怪獣)|メビウスキラー]]
* 満月超獣 [[ルナチクス]]
* 暗黒四天王謀将・策謀宇宙人 デスレム
* 暗黒四天王豪将・冷凍星人 グローザム
* 暗黒四天王知将・悪質宇宙人 [[メフィラス星人]]
* 暗黒宇宙大皇帝 [[エンペラ星人]]
=== ウルトラマンメビウス外伝 ヒカリサーガ ===
{{See also|ウルトラマンメビウス外伝 ヒカリサーガ#登場怪獣}}
* 超高度生命体 アーブの民
* 高次元捕食体 ボガール
* 健啖宇宙人 ファントン星人
* 宇宙大怪獣 ベムスター
* 暗黒星人 ババルウ星人
** ニセウルトラマンメビウス
** ニセハンターナイト ツルギ
=== ウルトラマンメビウス&ウルトラ兄弟 ===
{{See also|ウルトラマンメビウス&ウルトラ兄弟#登場怪獣}}
* 異次元超人 巨大ヤプール(幽霊)
* 究極超獣 Uキラーザウルス
** 究極巨大超獣 Uキラーザウルス・ネオ
* 極悪宇宙人 [[テンペラー星人]]
* 凶悪宇宙人 [[ザラブ星人]]
** ニセウルトラマンメビウス
* 分身宇宙人 [[ガッツ星人]]
* 暗殺宇宙人 [[ナックル星人]]
* 宇宙凶険怪獣 ケルビム
=== ウルトラマンメビウス外伝 アーマードダークネス ===
{{See also|ウルトラマンメビウス外伝 アーマードダークネス#登場怪獣}}
* 暗黒魔鎧装 アーマードダークネス
* 再生怪獣 サラマンドラ
* 円盤生物 ロベルガー
* 百足怪獣 ムカデンダー
* 宇宙凶険怪獣 ケルビム
=== ウルトラマンメビウス外伝 ゴーストリバース ===
{{See also|ウルトラマンメビウス外伝 ゴーストリバース#登場怪獣}}
(G)とはゴーストを表す。
* 暗黒機靭 メカザム(影武者メカ ゴーストリバース)
* 暗黒四天王知将・アーマードメフィラス(G)
* 暗黒四天王謀将・策謀宇宙人 デスレム(G)
* 暗黒四天王豪将・冷凍星人 グローザム(G)
* 暗黒四天王邪将・異次元超人 メビウスキラー(G)(巨大ヤプール憑依)
* 無双鉄神 インペライザー
* EXゼットン
== ULTRASEVEN X ==
{{Main|ULTRASEVEN X#エイリアン}}
* 時空生命体 ガルキメス
* エイリアン集団
* 宇宙船
* 宇宙商人 マーキンド星人
* パラサイト宇宙生物 ペジネラ
* 凶暴エイリアン ボーダ星人
* チャムダ星人
* 光基動生命体 光の塊
* ヴァイロ星人ナタル
* ヴァイロ星人
* 生物機械兵器 バドリュード
* 殺戮宇宙人 ヒュプナス
* 獣人
* 巨大機械生命体 メカ・グラキエス
* 小型集合体 グラキエス
== 大怪獣バトルシリーズ ==
=== ウルトラギャラクシー大怪獣バトル ===
{{See also|ウルトラギャラクシー大怪獣バトル#登場怪獣}}
* 古代怪獣 [[ゴモラ (ウルトラ怪獣)|ゴモラ]]
** 古代怪獣 [[ゴモラ (ウルトラ怪獣)|EXゴモラ]]
* 地底怪獣 [[テレスドン]]
* 岩石怪獣 [[サドラ]]
* どくろ怪獣 [[レッドキング]]
* 冷凍怪獣 ペギラ(氷漬け状態)
* 原始怪鳥 リトラ(S)
** 原始怪鳥 ファイヤーリトラ
* 百足怪獣 [[ムカデンダー]](死骸)
* 巨大植物 ジュラン(マンモスフラワー)
* 超古代怪獣 [[ゴルザ]]
** 超古代怪獣 [[ゴルザ|ファイヤーゴルザ]]
* 透明怪獣 ネロンガ
* 地底怪獣 [[グドン]]
* 宇宙大怪獣 [[ベムスター]]
* アースロポッドタイプビースト・バンピーラ
* 奇獣 ガンQ
* 古代怪獣 [[ツインテール (ウルトラ怪獣)|ツインテール]]
* アンフィビアタイプビースト・フログロス(B)
* 四次元怪獣 [[ブルトン (ウルトラ怪獣)|ブルトン]]
* 宇宙凶剣怪獣 ケルビム
* 凶暴怪獣 [[アーストロン]]
* 宇宙怪獣 [[エレキング]]
** 宇宙怪獣 [[エレキング|リムエレキング]]
* 土塊怪獣 アングロス
* 宇 宙礫岩怪獣 グロマイト
* 宇宙有翼怪獣 アリゲラ
* 巨大魚怪獣 [[ムルチ|ゾアムルチ]]
* 円盤生物 [[ノーバ (ウルトラ怪獣)|ノーバ]]
* 再生怪獣 [[サラマンドラ (ウルトラ怪獣)|サラマンドラ]]
* 満月超獣 [[ルナチクス]]
* 宇宙ロボット [[キングジョー|キングジョーブラック]]
* ミサイル超獣 [[ベロクロン]]
* 蛾超獣 [[ドラゴリー]]
* 宇宙恐竜 [[ゼットン]]
* 究極生命体 レイブラッド星人
* レイモン
=== ウルトラギャラクシー大怪獣バトル NEVER ENDING ODYSSEY ===
{{See also|ウルトラギャラクシー大怪獣バトル NEVER ENDING ODYSSEY#登場怪獣}}
(RB)とは「レイオニクス・バトラー」を表す。なおレイオニクス・バトラーではないザラブ星人は(NRB)。
* 古代怪獣 [[ゴモラ (ウルトラ怪獣)|ゴモラ]]
** 古代怪獣 [[ゴモラ (ウルトラ怪獣)|ゴモラ(ブレイブバースト)]]
** 古代怪獣 [[ゴモラ (ウルトラ怪獣)|ゴモラ(レイオニックバースト)]]
** 古代怪獣 [[ゴモラ (ウルトラ怪獣)|EXゴモラ]] ※レイオニックバーストの状態から覚醒
* 変身怪人 [[ピット星人|ピット星人(RB)]]
* 策略星人 [[ペダン星人]]
** レイオニクスハンター・ダイル
** ハーラン司令官
** ペダン星人レイオニクスハンター
* 古代怪獣 ゴメス(S)
* 地底怪獣 マグラー
* 彗星怪獣 [[ドラコ (ウルトラ怪獣)|ドラコ]]
** 彗星怪獣 [[ドラコ (ウルトラ怪獣)|ドラコ(再生)]]
* 宇宙怪獣 [[エレキング]]
* 原始怪鳥 リトラ(S)
** 原始怪鳥 ファイヤーリトラ
* 集団宇宙人 [[フック星人|フック星人(RB)]]
* 分身宇宙人 [[ガッツ星人|ガッツ星人(RB)]]
* 宇宙大怪獣 [[ベムスター]]
* 凶暴怪獣 [[アーストロン]]
* 宇宙怪人 ゼラン星人(RB)
* 暗殺宇宙人 [[ナックル星人|ナックル星人(RB)]]
* フィンディッシュタイプビースト・ガルベロス
* 宇宙恐竜 [[ゼットン|ゼットン(幻影)]]
* レイモン
** レイモン(バーストモード)
* 幻覚宇宙人 [[メトロン星人|メトロン星人(RB)]]
* 蛾超獣 [[ドラゴリー]]
* 暗黒星人 [[ババルウ星人|ババルウ星人(RB)]]
* 磁力怪獣 [[アントラー (ウルトラ怪獣)|アントラー]]
* 溶岩怪獣 グランゴン(尻尾のみ)
* 伝説怪龍 ナツノメリュウ(尻尾のみ)
* 一角超獣 [[バキシム]]
* キール星人グランデ
* 暴君怪獣 [[タイラント (ウルトラ怪獣)|タイラント]]
* 凶悪宇宙人 [[ザラブ星人|ザラブ星人(NRB)]]
** にせウルトラマン
* 悪質宇宙人 [[メフィラス星人|メフィラス星人(RB)]]
** [[メフィラス星人#アーマードメフィラス|アーマードメフィラス]]
** [[メフィラス星人#アーマードメフィラス|巨大アーマードメフィラス]]
* 極悪宇宙人 [[テンペラー星人|テンペラー星人(RB)]]
* 三面怪人 [[ダダ (ウルトラ怪獣)|ダダ(RB)]]
* 宇宙有翼怪獣 アリゲラ
* 暗黒魔鎧装 アーマードダークネス
* カプセル怪獣 [[ミクラス (ウルトラ怪獣)|ミクラス]]
* 変身怪人 [[ゼットン星人|ゼットン星人(RB)]]
* 地底怪獣 [[テレスドン]]
* 宇宙凶剣怪獣 ケルビム
* 宇宙ロボット [[キングジョー|キングジョーブラック]]
* どくろ怪獣 [[レッドキング]]
** どくろ怪獣 [[レッドキング|レッドキング(ブレイブバースト)]]
** どくろ怪獣 [[レッドキング|EXレッドキング]]
* 火山怪鳥 [[バードン (ウルトラ怪獣)|バードン]]
* 光波宇宙人 リフレクト星人(RB)
* 宇宙ロボット [[キングジョー|キングジョースカーレット]]
* 究極生命体 レイブラッド星人
== ウルトラマンゼロ ==
=== 大怪獣バトル ウルトラ銀河伝説 THE MOVIE ===
{{See also|大怪獣バトル ウルトラ銀河伝説 THE MOVIE}}
(S)とは「スペシャル」を表す。
* [[ウルトラマンベリアル]]
** ウルトラマンベリアル(アーリースタイル)
* 究極生命体 レイブラッド星人
* 宇宙怪獣 ベムラー
* 凶悪宇宙人 [[ザラブ星人]]
** にせウルトラマン
* 変身怪獣 ザラガス
* 彗星怪獣 [[ドラコ (ウルトラ怪獣)|ドラコ]]
* 宇宙大怪獣 [[ベムスター]]
* 再生怪獣 [[サラマンドラ (ウルトラ怪獣)|サラマンドラ]]
* 暗黒星人 シャプレー星人
* 用心棒怪獣 [[ブラックキング]]
* 宇宙竜 [[ナース (ウルトラ怪獣)|ナース]]
* 変身怪人 [[ゼットン星人]]
* 三面怪人 [[ダダ (ウルトラ怪獣)|ダダ]]
* 暗殺宇宙人 [[ナックル星人]]
* サーベル暴君 [[マグマ星人]]
* 暗黒星人 [[ババルウ星人]]
* 古代怪獣 ゴメス(S)
* 宇宙忍者 [[バルタン星人]]
* どくろ怪獣 [[レッドキング]]
* 地底怪獣 マグラー
* 磁力怪獣 [[アントラー (ウルトラ怪獣)|アントラー]]
* 地底怪獣 [[テレスドン]]
* 宇宙恐竜 [[ゼットン]]
* 宇宙怪獣 [[エレキング]]
* 幻覚宇宙人 [[メトロン星人]]
* 分身宇宙人 [[ガッツ星人]]
* 凶暴怪獣 [[アーストロン]]
* 岩石怪獣 [[サドラ]]
* 地底怪獣 [[グドン]]
* 古代怪獣 [[ツインテール (ウルトラ怪獣)|ツインテール]]
* ミサイル超獣 [[ベロクロン]]
* 一角超獣 [[バキシム]]
* 蛾超獣 [[ドラゴリー]]
* 満月超獣 [[ルナチクス]]
* 火山怪鳥 [[バードン (ウルトラ怪獣)|バードン]]
* 百足怪獣 [[ムカデンダー]]
* 極悪宇宙人 [[テンペラー星人]]
* 暴君怪獣 [[タイラント (ウルトラ怪獣)|タイラント]]
* 宇宙海人 [[バルキー星人]]
* 円盤生物 [[ノーバ (ウルトラ怪獣)|ノーバ]]
* 硫酸怪獣 [[ホー (ウルトラ怪獣)|ホー]]
* 超古代怪獣 [[ゴルザ|ファイヤーゴルザ]]
* 奇獣 [[ガンQ]]
* フィンディッシュタイプビースト ガルベロス
* アンフィビアタイプビースト フログロス(B)
* アースロポッドタイプビースト バンピーラ
* 宇宙凶険怪獣 ケルビム
* 宇宙礫岩怪獣 グロマイト
* 巨大魚怪獣 [[ムルチ|ゾアムルチ]]
* 光波宇宙人 リフレクト星人
* 土塊怪獣 アングロス
* 宇宙三面魔像 ジャシュライン
* 宇宙有翼怪獣 アリゲラ
* 円盤生物 ロベルガー二世
* 宇宙ロボット [[キングジョー|キングジョーブラック]]
* 地獄星人 [[ヒッポリト星人|スーパーヒッポリト星人]]
* 海獣 キングゲスラ
* 双頭怪獣 [[パンドン|キングパンドン]]
* 剛力怪獣 [[シルバゴン|キングシルバゴン]]
* 超力怪獣 キングゴルドラス
* 実力派中堅芸人 [[プレッシャー (ウルトラ怪獣)|プレッシャー星人]]
* 百体怪獣 ベリュドラ
* レイモン
** レイモン(バーストモード)
* 古代怪獣 [[ゴモラ (ウルトラ怪獣)|ゴモラ]]
** 古代怪獣 ゴモラ(レイオニックバースト)
** 古代怪獣 EXゴモラ
* 原始怪鳥 リトラ(S)
* カプセル怪獣 [[ウインダム (ウルトラ怪獣)|ウインダム]]
* カプセル怪獣 [[ミクラス (ウルトラ怪獣)|ミクラス]]
* カプセル怪獣 [[アギラ (ウルトラ怪獣)|アギラ]]
* 友好珍獣 [[ピグモン]]
=== ウルトラ銀河伝説外伝 ウルトラマンゼロVSダークロプスゼロ ===
{{See also|ウルトラ銀河伝説外伝 ウルトラマンゼロVSダークロプスゼロ#登場怪獣}}
(SR)とは「サロメロボット」を表す。
* ダークロプスゼロ
** テクターギアブラック
* ニセウルトラ兄弟(SRチーム)
** ロボット超人 ニセウルトラセブン(SR)
** ロボット超人 ニセゾフィー(SR)
** ロボット超人 ニセウルトラマン(SR)
** ロボット超人 ニセウルトラマンジャック(SR)
** ロボット超人 ニセウルトラマンエース(SR)
* メカロボット怪獣 メカゴモラ
* 侵略星人 サロメ星人
** サロメ星人ヘロディア
** サロメ星人イラテ
** サロメ星人ガナエス
* 古代怪獣 [[ゴモラ (ウルトラ怪獣)|ゴモラ]]
* 原始怪鳥 リトラ(S)
* 別次元のレイモン(バーストモード)
* 銀河皇帝 [[ウルトラマンベリアル|カイザーベリアル]](イメージのみ)
=== ウルトラマンゼロ THE MOVIE 超決戦!ベリアル銀河帝国 ===
{{See also|ウルトラマンゼロ THE MOVIE 超決戦!ベリアル銀河帝国#登場怪獣}}
* 銀河皇帝 [[ウルトラマンベリアル|カイザーベリアル]]
** 超銀河大帝 アークベリアル
* 鋼鉄将軍 アイアロン
* 暗黒参謀 ダークゴーネ
* 帝国機兵 レギオノイド(レギオノイド(α)、レギオノイド(β))
* 帝国猟兵 ダークロプス
=== ウルトラマンゼロ外伝 キラー ザ ビートスター ===
{{See also|ウルトラマンゼロ外伝 キラー ザ ビートスター#登場怪獣}}
(BS)とは「ビートスター」を表す。
* 天球ガーディアン ビートスター
** ビートスター天球
* ジャンキラー(ジャンナイン)
* 天球ロボット [[キングジョー#『ウルトラマンゼロ外伝 キラー ザ ビートスター』に登場するキングジョー(BS)|キングジョー(BS)]]
* 天球超人 [[エースキラー (ウルトラ怪獣)#『ウルトラマンゼロ外伝 キラー ザ ビートスター』に登場するエースキラー(BS)|エースキラー(BS)]]
* 天球鉄神 インペライザー(BS)
* 天球機兵 レギオノイド(BS)(レギオノイド(α)(BS)、レギオノイド(β)(BS))
* 古代怪獣 [[ゴモラ (ウルトラ怪獣)#『ウルトラマンゼロ外伝 キラー ザ ビートスター』に登場するゴモラ|ゴモラ]]
* 原始怪鳥 リトラ(S)
* 触角宇宙人 バット星人(回想シーンのみ)
=== ウルトラマンサーガ ===
{{See also|ウルトラマンサーガ#登場怪獣}}
* 触角宇宙人 バット星人
* 宇宙恐竜 [[ゼットン|ハイパーゼットン]]
** ハイパーゼットン(コクーン)
** ハイパーゼットン(ギガント)
** ハイパーゼットン(イマーゴ)
* 凶暴怪獣 [[アーストロン]]
* 深海怪獣 グビラ
* 古代怪獣 ゴメス(S)
* 友好巨鳥 リドリアス
* 古代暴獣 ゴルメデ
* 地中怪獣 モグルドン
* 毒ガス怪獣 エリガル
* 隕石小珍獣 ミーニン
* 電撃怪獣 ボルギルス
* カオスヘッダー0
* 宇宙球体 スフィア
* 帝国機兵 レギオノイド(レギオノイド(α)、レギオノイド(β))
* 怪獣兵器 [[アントラー (ウルトラ怪獣)|アントラー]](本編未登場)
* 怪獣兵器 [[パンドン|キングパンドン]](本編未登場)
* 怪獣兵器 [[ブラックキング]](本編未登場)
* 怪獣兵器 [[ベロクロン]](本編未登場)
* 怪獣兵器 [[タイラント (ウルトラ怪獣)|タイラント]](本編未登場)
=== ウルトラゼロファイト ===
{{See also|ウルトラゼロファイト#登場怪獣}}
* 触角宇宙人 バット星人グラシエ
* どくろ怪獣 [[レッドキング]]
** EXレッドキング
* フィンディッシュタイプビースト ガルベロス
** 幻影ウルトラマンゼロ(ストロングコロナゼロ、ルナミラクルゼロ)
* 奇獣 ガンQ
* 宇宙大怪獣 [[ベムスター]]
* 宇宙怪獣 ベムラー
* 地底怪獣 [[テレスドン]]
* 岩石怪獣 [[サドラ]]
* 地底怪獣 [[グドン]]
* 友好珍獣 [[ピグモン]]
* [[メフィラス星人|メフィラス星人・魔導のスライ]]
* [[ヒッポリト星人|ヒッポリト星人・地獄のジャタール]]
** にせウルトラの母
* [[テンペラー星人|テンペラー星人・極悪のヴィラニアス]]
* デスレ星雲人・炎上のデスローグ
* グローザ星系人・氷結のグロッケン
* 暗黒魔鎧装 アーマードダークネス
* 剛力怪獣 [[シルバゴン|キングシルバゴン]]
* ファネゴン人
* 暴君怪獣 [[タイラント (ウルトラ怪獣)|タイラント]]
* 友好珍獣 [[ピグモン]]
* 暗黒大皇帝 カイザーダークネス
** ゼロダークネス
** ウルトラマンベリアル
== ネオ・ウルトラQ ==
{{See also|ネオ・ウルトラQ#登場怪獣}}
* 巡礼怪獣 ニルワニエ(爾流王仁恵)
* 洗濯怪獣 ブレザレン
* 宇宙ビジネスマン ヴァルカヌス星人 羽屋丈二
* 暗黒悪意 マーラー
* 人造人間 エピゴノイド
* 悪臭怪獣 セーデガン
* セーデガン化した優希
* 謎の怪奇植物
* 鉄貝獣 ガストロポッド
* ギ・ノール星侍従武官 ハタ・ギ・ノール
* ギ・ノール星神祇官
* ギ・ノール星前教皇
* 宇宙暗殺者 ホウショウ族
* 吸引怪獣 プラーナ
* 見習い怪獣 ファルマガン
* 知的恐球 アルゴス
* 古代生物 ソーマ
== ウルトラマンギンガ ==
{{See also|ウルトラマンギンガ#登場怪獣・宇宙人・戦士}}
(SD)とは「スパークドールズ」を表す。タイラントの(SDU)は「スパークドールズが合体した」の意味。
* 異形の手のモノ
** ダークルギエル
* 宇宙海人 [[バルキー星人|バルキー星人(SD)]]
* 用心棒怪獣 [[ブラックキング|ブラックキング(SD)]]
* 超合成獣 サンダーダランビア(SD)
* 誘拐怪人 [[ケムール人|ケムール人(SD)]]
* 双頭怪獣 [[パンドン|キングパンドン(SD)]]
* 海底原人 [[ラゴン (ウルトラ怪獣)|ラゴン(SD)]]
* ジャンキラー(ジャンナイン)
* 蛾超獣 [[ドラゴリー|ドラゴリー(SD)]]
* ティガダーク(SD)
* 暗殺宇宙人 [[ナックル星人|ナックル星人グレイ(SD)]]
* フィンディッシュタイプビースト ダークガルベロス(SD)
* 変身怪獣 ザラガス(SD)
* どくろ怪獣 [[レッドキング|レッドキング(SD)]]
* ウルトラマンダーク(SD)
* ウルトラセブンダーク(SD)
* 磁力怪獣 [[アントラー (ウルトラ怪獣)|アントラー(SD)]]
* 宇宙三面魔像 ジャシュライン(SD)
* [[グランドキング#超怪獣 スーパーグランドキング(SD)|超怪獣 スーパーグランドキング(SD]])
* サーベル暴君 [[マグマ星人|マグマ星人(SD)]]
* 宇宙恐竜 [[ゼットン|ゼットン(SD)]]
=== ウルトラマンギンガ 劇場スペシャル ===
{{See also|ウルトラマンギンガ#登場怪獣・宇宙人・戦士(第1弾)}}
* 異次元宇宙人 [[イカルス星人|イカルス星人(SD)]]
* 暴君怪獣 [[タイラント (ウルトラ怪獣)|タイラント(SDU)]]
* ダークザギ(SD)
=== ウルトラマンギンガ 劇場スペシャル ウルトラ怪獣☆ヒーロー大乱戦! ===
{{See also|ウルトラマンギンガ#登場怪獣・宇宙人・戦士(第2弾)}}
(SDI)とは「スパークドールズイミテーション」を表す。
* 宇宙恐竜 [[ゼットン|ゼットン(SDI)]]
* 巨大魚怪獣 [[ムルチ#巨大魚怪獣 ゾアムルチ|ゾアムルチ(SDI)]]
* 蛾超獣 [[ドラゴリー|ドラゴリー(SDI)]]
* 宇宙剣豪 ザムシャー(SDI)
* どくろ怪獣 [[レッドキング|レッドキング(SDI)]]
** [[レッドキング#EXレッドキング|EXレッドキング(SDI)]]
* カプセル怪獣 [[ミクラス (ウルトラ怪獣)|ミクラス(SDI)]]
* 雪女怪獣 スノーゴン(SDI)
* 地底怪獣 [[テレスドン|テレスドン(SDI)]]
* 彗星怪獣 [[ドラコ (ウルトラ怪獣)|ドラコ(SDI)]]
* 宇宙忍者 [[バルタン星人|バルタン星人(SDI)]]
* うす怪獣 モチロン(SDI)
* コイン怪獣 [[カネゴン|カネゴン(SDI)]]
* 奇獣 ガンQ(SDI)
* 宇宙悪霊 アクマニヤ星人(SDI)
* エフェクト宇宙人 ミラクル星人(SDI)
* 古代怪獣 [[ゴモラ (ウルトラ怪獣)|ゴモラ(SDI)]]
* 古代怪獣 [[ゴモラ (ウルトラ怪獣)#古代怪獣 ゴモラ(レイオニックバースト)|ゴモラ レイオニックバースト(SDI)]]
* 古代怪獣 [[ゴモラ (ウルトラ怪獣)#EXゴモラ|EXゴモラ(SDI)]]
* メカロボット怪獣 メカゴモラ(SDI)
* なまけ怪獣 ヤメタランス(SDI)
* カオスウルトラマン(バグレー)
* カオスロイドT(バグレー)
* イーヴィルティガ(バグレー)
* カオスロイドS(バグレー)
* カオスロイドU(バグレー)
* 二次元怪獣 ガヴァドン
=== ウルトラマンギンガS ===
{{See also|ウルトラマンギンガS#登場怪獣}}
* アンドロイド・ワンゼロ / マナ
* 頭脳星人 チブル星人エクセラー(SD)
* 地底聖獣 シェパードン
* 傀儡怪人 チブロイド
* EXレッドキング(SD)
* 宇宙怪獣 [[エレキング|エレキング(SD)]]
* 分身宇宙人 [[ガッツ星人|ガッツ星人ボルスト(SD)]]
* 無双鉄神 インペライザー (SD)
* 宇宙ロボット [[キングジョー|キングジョーカスタム(SD)]]
* 岩石怪獣 [[サドラ|サドラ(SD)]]
* 地底怪獣 [[グドン|グドン(SD)]]
* 一角超獣 [[バキシム|バキシム(SD)]]
* 異次元超人 [[ヤプール人|巨大ヤプール]]
* 古代怪獣 [[ゴモラ (ウルトラ怪獣)|ゴモラ(SD)]]
* 超古代怪獣 [[ゴルザ|ファイヤーゴルザ(SD)]]
* 奇獣 ガンQ(SD)
* 超合体怪獣 ファイブキング(SDU)
* 宇宙大怪獣 [[ベムスター|ベムスター(SD)]]
* 宇宙怪獣 ベムラー(SD)
* 蛾超獣 [[ドラゴリー|ドラゴリー(SD)]]
* ミサイル超獣 [[ベロクロン|ベロクロン(SD)]]
* 宇宙悪霊 アクマニヤ星人ムエルテ(SD)
* 幻覚宇宙人 [[メトロン星人|メトロン星人ジェイス(SD)]]
* 巨大魚怪獣 [[ムルチ|ゾアムルチ(SD)]]
* 火山怪鳥 [[バードン (ウルトラ怪獣)|バードン(SD)]]
* 変身怪人 [[ゼットン星人|ゼットン星人ベルメ(SD)]]
* 宇宙恐竜 [[ゼットン|ハイパーゼットン イマーゴ(SD)]]
* ダークルギエル
** 超咆哮獣 ビクトルギエル
* 宇宙海人 バルキー星人(SD)
* 異次元宇宙人 イカルス星人(SD)
* 暗殺宇宙人 ナックル星人グレイ(SD)
=== 劇場版 ウルトラマンギンガS 決戦!ウルトラ10勇士!! ===
{{See also|劇場版 ウルトラマンギンガS 決戦!ウルトラ10勇士!!#登場怪獣・宇宙人}}
* 超時空魔神 エタルガー
* ダークルギエル(エタルダミー)
* 超合体怪獣 ファイブキング(エタルダミー)
* ダークメフィスト(エタルダミー)
* 高速宇宙人 スラン星人(エタルダミー)
* 暗黒宇宙大皇帝 [[エンペラ星人|エンペラ星人(エタルダミー)]]
* [[ウルトラマンベリアル|ウルトラマンベリアル(エタルダミー)]]
=== ウルトラファイトビクトリー ===
{{See also|劇場版 ウルトラマンギンガS 決戦!ウルトラ10勇士!!#ウルトラファイトビクトリー}}
* 異次元超人 [[ヤプール|巨大ヤプール]]
* 大蟻超獣 アリブンタ
* ミサイル超獣 ベロクロン
* 一角超獣 バキシム
* 蛾超獣 ドラゴリー
* [[エースキラー (ウルトラ怪獣)#ビクトリーキラー|異次元超人 ビクトリーキラー]]
* 地底聖獣 シェパードン
* [[ルナチクス#『ウルトラファイトビクトリー』に登場するルナチクス|満月超獣 ルナチクス]]
* [[グランドキング#超怪獣 スーパーグランドキング・スペクター|超怪獣 スーパーグランドキング・スペクター]]
* 幻影宇宙帝王 ジュダ・スペクター
== 大怪獣ラッシュ ウルトラフロンティア ==
{{See also|大怪獣ラッシュ ウルトラフロンティア#登場怪獣}}
* [[バルタン星人|バルタンバトラー・バレル]]
* [[ガッツ星人|ガッツガンナー・ガルム]]
* [[マグマ星人|マグママスター・マグナ]]
* [[メフィラス星人|メフィラス星人ジェント]]
* [[カネゴン|カネゴン・ア・キンド]]
* どくろ怪獣 [[レッドキング]]
* 透明怪獣 ネロンガ
* 宇宙怪獣 [[エレキング]]
* 磁力怪獣 [[アントラー (ウルトラ怪獣)|アントラー]]
* ノダチザムシャー
* [[ダダ (ウルトラ怪獣)|ダダA(エリートナンバーズ)]]
* ダダB (ブレイカーナンバーズ)
* ダダC (コマンドナンバーズ)
* [[ゴモラ (ウルトラ怪獣)|スーパーアースゴモラ]]
* [[ヒッポリト星人|ヒッポリト星人ケイプ]]
* [[ナックル星人|ナックル星人ジェイラ]]
* デスレ星雲人ダイロ
* メフィラス星人シックル
* 凍結怪獣 ガンダー
* チブル星人(チブローダーストロング)
* 宇宙ロボット [[キングジョー]]
* ガッツ星人シーズ
* プラズマキラーザウルス
=== 大怪獣ラッシュ ウルトラフロンティア DINO-TANK hunting ===
* 戦車怪獣 恐竜戦車(恐竜戦車マークII)
=== 大怪獣ラッシュ ウルトラフロンティア VEROKRON hunting ===
* ミサイル超獣 [[ベロクロン]]
== ウルトラマンX ==
{{See also|ウルトラマンX#登場怪獣・宇宙人・ヒーロー}}
{{See also|ウルトラマンX}}
* 宇宙怪獣 ベムラー(回想シーン)
* 青色発泡怪獣 [[アボラス]](ニュース内)
* 赤色火焔怪獣 [[バニラ (ウルトラ怪獣)|バニラ]](ニュース内)
* 油獣 [[ペスター]](ニュース内)
* 地底怪獣 マグラー(ニュース内)
* 冷凍怪獣 ペギラ(ニュース内)
* 熔鉄怪獣 デマーガ
* 健啖宇宙人 ファントン星人グルマン博士
* 火山怪鳥 [[バードン (ウルトラ怪獣)|バードン]]
* 地底怪獣 [[テレスドン]]
* 地底女
* 凶悪宇宙人 [[ザラブ星人]]
* 宇宙大怪獣 [[ベムスター]]
* 用心棒怪獣 [[ブラックキング]]
** ブラックキングドリルカスタム
* 暗殺宇宙人 [[ナックル星人|ナックル星人バンデロ]]
* メカ守護獣 ルディアン
* 石化魔獣 ガーゴルゴン
* 宇宙恐竜 [[ゼットン]]
* 高速宇宙人 スラン星人クワイラ
* 暗殺宇宙人 [[ナックル星人|ナックル星人ナクリ]]
* 異次元宇宙人 [[イカルス星人|イカルス星人イカリ]]
* 宇宙海人 [[バルキー星人|バルキー星人ハルキ]]
* 海獣 サメクジラ(ジョリー)
* 暗黒星人 [[ババルウ星人]]
* 変身怪人 [[ゼットン星人]]
* 三面怪人 [[ダダ (ウルトラ怪獣)|ダダ]]
* 誘拐怪人 [[ケムール人]]
* 宇宙悪霊 アクマニヤ星人レフリー
* 不動怪獣 ホオリンガ
* 宇宙ロボット [[キングジョー]]
* 電脳怪獣 [[ゴモラ (ウルトラ怪獣)|サイバーゴモラ]]
* 熔鉄怪獣 ツルギデマーガ
* 変身怪獣 ザラガス
* サーベル暴君 [[マグマ星人]]
* 暗黒星人 シャプレー星人
* 幻影宇宙女王 ギナ・スペクター
* 幻影宇宙大王 モルド・スペクター
* ロボット怪獣 メカゴモラ
* 宇宙商人 マーキンド星人
* 幻影合身大魔帝 グア・スペクター
* 古代怪獣 ゴメス(S)
* 遊星怪人 セミ女
* 深海怪獣 グビラ
* 友好珍獣 [[ピグモン]]
* 海獣 キングゲスラ
* 宇宙化猫 ムー
* 彗星怪獣 ドラコ(回想シーン)
* どくろ怪獣 [[レッドキング]]
** EXレッドキング
* 古代怪獣 [[ゴモラ (ウルトラ怪獣)|ゴモラ]]
** EXゴモラ
* 人工生命 M1号
* インセクトタイプビースト バグバズンブルート
* 虚空怪獣 グリーザ
** 第一形態
** 第二形態
** 最終形態
=== 劇場版 ウルトラマンX きたぞ! われらのウルトラマン ===
{{See also|ウルトラマンX#登場怪獣・宇宙人(映画)}}
* 宇宙忍者 [[バルタン星人]](回想シーン)
* 閻魔獣 ザイゴーグ
* 閻魔分身獣 [[アントラー (ウルトラ怪獣)|ゴーグアントラー]]
* 閻魔分身獣 [[ゴルザ|ゴーグファイヤーゴルザ]]
* 閻魔分身獣 ツルギデマーガ
* 健啖宇宙人 ファントン星人グルマン博士
* 電脳怪獣 サイバーゴモラ
* 超空大凶獣 デザストロ(名前のみ)
== ウルトラマンオーブ ==
{{See also|ウルトラマンオーブ#登場怪獣・宇宙人}}
* 光ノ魔王獣 [[ゼットン|マガゼットン]]<ref name="orb">[https://m-78.jp/orb/kaiju/ 怪獣|ウルトラマンオーブ公式サイト] [[円谷プロダクション]]、2018年9月30日閲覧。</ref><ref name="orb_tyouzenshyu">[[てれびくん]]デラックス愛蔵版 [[ウルトラマンオーブ]]完全[[超全集]] pp.56 - 63</ref>
* 風ノ魔王獣 マガバッサー<ref name="orb"/><ref name="orb_tyouzenshyu"/>
* 土ノ魔王獣 [[グランドキング|マガグランドキング]]<ref name="orb"/><ref name="orb_tyouzenshyu"/>
* 水ノ魔王獣 マガジャッパ<ref name="orb"/><ref name="orb_tyouzenshyu"/>
* 火ノ魔王獣 [[パンドン|マガパンドン]]<ref name="orb"/><ref name="orb_tyouzenshyu"/>
* 闇ノ魔王獣 マガタノゾーア(怪獣カードのみ)<ref name="orb_tyouzenshyu"/>
* 宇宙恐竜 [[ゼットン|ハイパーゼットンデスサイス]]<ref name="orb"/><ref name="orb_tyouzenshyu"/>
** ハイパーゼットンデスサイス(リザーバー)<ref name="orb_tyouzenshyu"/>
* 変身怪人 [[ゼットン星人|ゼットン星人マドック]]<ref name="orb_tyouzenshyu"/>
* 悪質宇宙人 [[メフィラス星人|メフィラス星人ノストラ]]<ref name="orb"/><ref name="orb_tyouzenshyu"/>
* 幻覚宇宙人 [[メトロン星人|メトロン星人タルデ]]<ref name="orb"/><ref name="orb_tyouzenshyu"/>
** 幻覚宇宙人 メトロン星人タルデ(ラウンドランチャー)<ref name="orb_tyouzenshyu"/>
* 暗殺宇宙人 [[ナックル星人|ナックル星人ナグス]]<ref name="orb_tyouzenshyu"/>
* 大蟻超獣 [[ウルトラマンAの登場怪獣|アリブンタ]]<ref name="orb"/><ref name="orb_tyouzenshyu"/>
* 硫酸怪獣 [[ホー (ウルトラ怪獣)|ホー]]<ref name="orb"/><ref name="orb_tyouzenshyu"/>
* 深海怪獣 [[ウルトラマンの登場怪獣#深海怪獣 グビラ|グビラ]]<ref name="orb"/><ref name="orb_tyouzenshyu"/>
* 海底原人 [[ラゴン (ウルトラ怪獣)|ラゴン]] <ref name="orb_tyouzenshyu"/>
** [[ラゴン (ウルトラ怪獣)|ラゴンJr.]]<ref name="orb_tyouzenshyu"/>
* 暗黒星人 [[ババルウ星人]]ババリュー<ref name="orb"/><ref name="orb_tyouzenshyu"/>
** ニセウルトラマンオーブ<ref name="orb_tyouzenshyu"/>
* 地底怪獣 [[テレスドン]]<ref name="orb_tyouzenshyu"/>
* 宇宙凶険怪獣 ケルビム<ref name="orb"/><ref name="orb_tyouzenshyu"/>
* 用心棒怪獣 [[ブラックキング]]<ref name="orb"/><ref name="orb_tyouzenshyu"/>
* 無幻魔人 ジャグラス ジャグラー<ref name="orb"/>
* 大魔王獣 マガオロチ<ref name="orb"/><ref name="orb_tyouzenshyu"/>
** 超大魔王獣マガタノオロチ<ref name="orb"/><ref name="orb_tyouzenshyu"/>
* シビルジャッジメンター ギャラクトロン<ref name="orb"/><ref name="orb_tyouzenshyu"/>
* 合体魔王獣 ゼッパンドン<ref name="orb"/><ref name="orb_tyouzenshyu"/>
* 宇宙怪人 ゼラン星人<ref name="orb_tyouzenshyu"/>
* 宇宙怪獣 ベムラー(強化)<ref name="orb"/><ref name="orb_tyouzenshyu"/>
* 暗黒星人 シャプレー星人カタロヒ<ref name="orb"/><ref name="orb_tyouzenshyu"/>
* 怨霊鬼 戀鬼(紅蓮騎)<ref name="orb"/><ref name="orb_tyouzenshyu"/>
* 人工生命体 マーヤ<ref name="orb_tyouzenshyu"/>
* 円盤マスター ブラック店長<ref name="orb_tyouzenshyu"/>
* 変身怪人 [[ピット星人|ピット星人ミュー]]<ref name="orb_tyouzenshyu"/>
* 円盤生物 [[ノーバ (ウルトラ怪獣)|ノーバ]]<ref name="orb"/><ref name="orb_tyouzenshyu"/>
* カマイタドン(名前のみ)
* 熔鉄怪獣 デマーガ<ref name="orb_tyouzenshyu"/>
* 古代怪獣 ゴメス(S)<ref name="orb_tyouzenshyu"/>
=== ウルトラマンオーブ THE ORIGIN SAGA ===
{{See also|ウルトラマンオーブ THE ORIGIN SAGA#登場人物|ウルトラマンオーブ THE ORIGIN SAGA#登場怪獣}}
* 宇宙悪魔 ベゼルブ<ref name="Origin_Saga_tyouzenshyu">てれびくんデラックス愛蔵版 ウルトラマンオーブ完全超全集 pp.86-87</ref>
* 宇宙悪魔 クイーンベゼルブ<ref name="Origin_Saga_tyouzenshyu"/>
** 宇宙悪魔 サイクイーン<ref name="Origin_Saga_tyouzenshyu"/>
* レイフ星人サイキ<ref name="Origin_Saga_tyouzenshyu"/>
* パーテル<ref name="Origin_Saga_tyouzenshyu"/>
* クグツキングゲスラ<ref name="Origin_Saga_tyouzenshyu"/>
* クグツアーストロン<ref name="Origin_Saga_tyouzenshyu"/>
* クグツベムスター<ref name="Origin_Saga_tyouzenshyu"/>
* 石化魔獣 ガーゴルゴン<ref name="Origin_Saga_tyouzenshyu"/>
* 友好巨鳥 リドリアス<ref name="Origin_Saga_tyouzenshyu"/>
* 電撃怪獣 ボルギルス<ref name="Origin_Saga_tyouzenshyu"/>
* クグツバードン<ref name="Origin_Saga_tyouzenshyu"/>
* クグツベロクロン<ref name="Origin_Saga_tyouzenshyu"/>
* クグツバキシム<ref name="Origin_Saga_tyouzenshyu"/>
=== 劇場版 ウルトラマンオーブ 絆の力、おかりします! ===
{{See also|劇場版 ウルトラマンオーブ 絆の力、おかりします!#登場怪獣・宇宙人}}
* 宇宙魔女賊 ムルナウ<ref name="kizunanotikara_tyouzenshyu">てれびくんデラックス愛蔵版 ウルトラマンオーブ完全超全集 pp.70-71</ref>
* 奇機械宇宙人 ガピヤ星人サデス<ref name="kizunanotikara_tyouzenshyu"/><ref name="kizunanotikara">[https://m-78.jp/orb/movie/kaiju/ 劇場版 怪獣・宇宙人|ウルトラマンオーブ公式サイト] [[円谷プロダクション|円谷プロ]]、2018年9月30日閲覧。</ref>
* 奇機械怪獣 デアボリック<ref name="kizunanotikara_tyouzenshyu"/><ref name="kizunanotikara"/>
* 分身宇宙人 ガッツ星人ドッペル<ref name="kizunanotikara_tyouzenshyu"/><ref name="kizunanotikara"/>
* 地獄星人 ヒッポリト星人カリスト<ref name="kizunanotikara_tyouzenshyu"/><ref name="kizunanotikara"/>
* 極悪宇宙人 テンペラー星人バチスタ<ref name="kizunanotikara_tyouzenshyu"/><ref name="kizunanotikara"/>
* 遊星怪人 セミ女<ref name="kizunanotikara_tyouzenshyu"/><ref name="kizunanotikara"/>
* 電波怪人 レキューム人<ref name="kizunanotikara_tyouzenshyu"/><ref name="kizunanotikara"/>
* 憑依宇宙人 サーペント星人<ref name="kizunanotikara_tyouzenshyu"/><ref name="kizunanotikara"/>
* 殺戮宇宙人 ヒュプナス<ref name="kizunanotikara_tyouzenshyu"/><ref name="kizunanotikara"/>
* ガルメス人<ref name="kizunanotikara_tyouzenshyu"/><ref name="kizunanotikara"/>
* 昆虫宇宙人 クカラッチ星人<ref name="kizunanotikara_tyouzenshyu"/><ref name="kizunanotikara"/>
* 奇機械改竜 ギャラクトロン<ref name="kizunanotikara_tyouzenshyu"/><ref name="kizunanotikara"/>
* ジャグラス ジャグラー<ref name="kizunanotikara_tyouzenshyu"/>
* 合体魔王獣 ゼッパンドン<ref name="kizunanotikara"/>
* 超空大凶獣 デザストロ(名前のみ)<ref name="kizunanotikara_tyouzenshyu"/>
=== ウルトラファイトオーブ 親子の力、おかりします! ===
{{See also|劇場版 ウルトラマンオーブ 絆の力、おかりします!#ウルトラファイトオーブ}}
* 究極生命体 レイブラッド星人(イメージシーン)
* 亡霊魔導士 レイバトス
* 熔鉄怪獣 デマーガ
* 幻影宇宙帝王 ジュダ・スペクター
* ロボット怪獣 メカゴモラ
* 超咆哮獣 ビクトルギエル
* 火山怪鳥 バードン
* 宇宙ロボット キングジョー
* 地底怪獣 グドン
* 古代怪獣 ツインテール
* 宇宙恐竜 ハイパーゼットン(イマーゴ)
* 暴君怪獣 タイラント
=== ウルトラマンオーブ THE CHRONICLE ===
新撮部分に登場したもののみ記載。
* 無幻魔人 ジャグラス ジャグラー
* 奇機械宇宙人 ガピヤ星人サデス
* 宇宙悪魔 ベゼルブ
* 熔鉄怪獣 ツルギデマーガ
* 亡霊魔導士 レイバトス
* 超大魔王獣 マガタノオロチ
== ウルトラマンジード ==
{{See also|ウルトラマンジード#登場人物|ウルトラマンジード#登場怪獣・宇宙人}}
* ウルトラマンベリアル
** ウルトラマンベリアル アトロシアス
* ベリアル融合獣 スカルゴモラ
* [[ペガッサ星人#ペガッサ星人ペガ|ペガッサ星人ペガ]]
* シャドー星人ゼナ
* 三面怪人 ダダ(ダダ820号)<ref name="geed">[https://m-78.jp/geed/kaiju/ 怪獣・宇宙人|ウルトラマンジード公式サイト] 円谷プロダクション、2018年9月30日閲覧。</ref>
* ダークロプスゼロ<ref name="geed"/>
* 集団宇宙人 フック星人<ref name="geed"/>
* 変身怪人 ピット星人 トリィ=ティプ<ref name="geed"/>
* 宇宙怪獣 エレキング<ref name="geed"/>
* 凶暴怪獣 アーストロン<ref name="geed"/>
* モコ(小珍獣ルナー)<ref name="geed"/>
* 海獣 サメクジラ(幼体)
* ベリアル融合獣 サンダーキラー
* シビルジャッジメンター ギャラクトロン<ref name="geed"/>
* 暴君怪獣 タイラント<ref name="geed"/>
* サトコ(ゾべタイ星人ナビア)<ref name="geed"/>
* だだっ子怪獣 ザンドリアス<ref name="geed"/>
* 宇宙帝王 バド星人<ref name="geed"/>
* 宇宙怪人 ゼラン星人<ref name="geed"/>
* 友好異星人 ネリル星人
* 策略星人 ペダン星人
* 憑依宇宙人 サーペント星人
* 冷凍星人 グローザ星系人
* ドーブル星人
* ベリアル融合獣 ペダニウムゼットン
** ペダニウムゼットン・エボルド
* 宇宙ゲリラ シャドー星人クルト<ref name="geed"/>
* 時空破壊神 ゼガン<ref name="geed"/>
* 昆虫宇宙人 クカラッチ星人<ref name="geed"/>
* 反重力宇宙人 ゴドラ星人(ゴドー=ウィン)<ref name="geed"/>
* 遊星怪人 セミ女
* ベリアル融合獣 キメラべロス
* 三面怪人 ダダ(ダダ116号)
* 帝国機兵 レギオノイド ダダ・カスタマイズ<ref name="geed"/>
* 閻魔獣 ザイゴーグ<ref name="geed"/>
* ロボット怪獣 メカゴモラ<ref name="geed"/>
* 再生怪獣 ギエロン星獣<ref name="geed"/>
* 電波怪人 レキューム人<ref name="geed"/>
* 深海怪獣 グビラ<ref name="geed"/>
* ベリアル融合獣 キングギャラクトロン
* 友好巨鳥 リドリアス
=== 爆裂戦記ドンシャイン(劇中劇) ===
* 強奪怪人 サタンゾーグ
* ノーシ
* ヤシハ
* フミンガ
* ターヤ
* ベースボール伯爵(名称のみ)
=== 劇場版 ウルトラマンジード つなぐぜ! 願い!! ===
{{See also|ウルトラマンジード#登場怪獣・宇宙人(映画)}}
* ペガッサ星人ペガ
* シャドー星人ゼナ
* 獅子聖獣 グクルシーサー<ref name="tunaguze_negai">[https://m-78.jp/geed/movie/kaiju/ 劇場版 怪獣・宇宙人|『劇場版 ウルトラマンジード つなぐぜ!願い!!』公式サイト] 円谷プロダクション、2018年9月30日閲覧。</ref>
* シビルジャッジメンター ギャラクトロン<ref name="tunaguze_negai"/>
* シビルジャッジメンター ギャラクトロンMK2<ref name="tunaguze_negai"/>
* 巨大人工頭脳ギルバリス
** ラストジャッジメンター ギルバリス(完全態)<ref name="tunaguze_negai"/>
* アンドロイド兵 バリスレイダー
* ジャキ星人 アーロン
* 暗殺宇宙人 ナックル星人
* 暗黒星人 シャプレー星人
* 宇宙帝王 バド星人
* 誘拐怪人 ケムール人
* ガルメス人
* 昆虫宇宙人 クカラッチ星人
* 電波怪人 レキューム人
* 殺戮宇宙人 ヒュプナス
* ドーブル星人
* 植物宇宙人 ルフル
* 侵略宇宙人 ノルヴァー星雲人
* 魔界人 マグドム
* 剛力怪人 イダラーダ
* 鉄牛星人 ブルック
* 宇宙野人 ラワーン人
* 宇宙鬼 ゲマハ星人
== ウルトラマンR/B ==
{{See also|ウルトラマンR/B#登場怪獣・宇宙人}}
* 火炎骨獣 グルジオボーン<ref name="rb">[https://m-78.jp/rb/kaiju/ 宇宙人・怪獣|ウルトラマンR/B(ルーブ)公式サイト] 円谷プロダクション、2018年9月30日閲覧。</ref>
** 爆撃骨獣 グルジオキング<ref name="rb"/>
** 超鎧装獣 グルジオレギーナ<ref name="rb"/>
* 用心棒怪獣 ブラックキング<ref name="rb"/>
* 石化魔獣 ガーゴルゴン<ref name="rb"/>
* どくろ怪獣 レッドキング<ref name="rb"/>
* 猛禽怪獣 グエバッサー<ref name="rb"/>
* ロボット怪獣 メカゴモラ<ref name="rb"/>
* 大蟻超獣 アリブンタ<ref name="rb"/>
* ウルトラマンオーブダーク<ref name="rb"/>
* 古代怪獣 ゴメス(S)<ref name="rb"/>
* 宇宙悪魔 ベゼルブ<ref name="rb"/>
* 豪烈暴獣 ホロボロス<ref name="rb" />
* 深海怪獣 グビラ
* 透明怪獣 ネロンガ<ref name="rb"/>
* 憑依生命体 チェレーザ
* 三面怪人 ダダ<ref name="rb"/>
* 友好珍獣 ピグモン<ref name="rb"/>
* 快獣 ブースカ<ref name="rb"/>
* 悪質宇宙人 メフィラス星人<ref name="rb"/>
* 凶悪宇宙人 ザラブ星人<ref name="rb"/>
* 頭脳星人 チブル星人
* 変身怪人 ピット星人
* 宇宙帝王 バド星人
* 暗殺宇宙人 ナックル星人
* 宇宙ロボット キングジョー<ref name="rb"/>
* [[グランドキング|超弩級怪獣 グランドキングメガロス]]<ref name="rb"/>
* 古代怪獣 ゴモラ<ref name="rb"/>
* 次元凶獣 カミソリデマーガ<ref name="rb"/>
* コスモイーター ルーゴサイト<ref name="rb"/>
=== 劇場版 ウルトラマンR/B セレクト! 絆のクリスタル ===
{{See also|ウルトラマンR/B#登場怪獣・宇宙人・ウルトラマン(映画)}}
* ペガッサ星人ペガ
* 友好珍獣 ピグモン
* 奇獣 ガンQ
* 宇宙大怪獣 ベムスター
* ロボット怪獣 メカゴモラ(カスタムヘビー)
* ウルトラマントレギア
* 超鎧装獣 グルジオレギーナ
* 邪願獣 スネークダークネス
== ウルトラマンタイガ ==
{{See also|ウルトラマンタイガ#登場怪獣・宇宙人}}
* ウルトラマントレギア<ref name="taiga">[https://m-78.jp/taiga/kaiju/ 宇宙人・怪獣|ウルトラマンタイガ公式サイト] 円谷プロダクション、2019年7月06日閲覧。</ref>
* 最凶獣 ヘルべロス<ref name="taiga"/>
* 雛怪獣 ベビーザンドリアス<ref name="taiga"/>
* 若親怪獣 ヤングマザーザンドリアス<ref name="taiga"/>
* 時空破壊神 ゼガン<ref name="taiga"/>
* サーベル暴君 マグマ星人<ref name="taiga"/>
* 宇宙商人 マーキンド星人<ref name="taiga"/>
* 宇宙怪人 セミ人間<ref name="taiga"/>
* 昆虫宇宙人 クラカッチ星人<ref name="taiga"/>
* リヴァース星人 河津<ref name="taiga"/>
* 幼海獣 チビスケ
** 海獣 キングゲスラ
* 電波怪人 レキューム人
* シビルジャッジメンター ギャラクトロンMK2
* 奇機械怪獣 デアボリック
* ヴォルク
* 憑依宇宙人 サーペント星人
* ガルメス人
* チブロイド
* 殺戮宇宙人 ヒュプナス
* 宇宙怪人 ペダン星人
* チンピラ宇宙人
* 暗殺者
* 変身怪人 ゼットン星人ゾリン
* 健啖宇宙人 ファントン星人
* 毒炎怪獣 セグメゲル
* 召喚士 葵
* ダマーラ星人
* 宇宙ヒットマン ガピヤ星人アベル
* 星に帰りたい男
* サイケ宇宙人 ペロリンガ星人
* 星人遺族 セミ少女
* 暗黒星人 ババルウ星人
* 集団宇宙人 フック星人
* 悪夢魔獣 ナイトファング
* 天王寺藍
* 水異怪獣 マジャッパ
* 戦略星人 キール星人
* 行方マイコ
** 水獣の守り人
* 暗殺宇宙人 ナックル星人オデッサ
* 用心棒怪獣 ブラックキング
* 地底怪獣 パゴス
* 宇宙怪人 ゼラン星人オショロ
* サラサ星人麻璃亜
* 吸血怪獣 ギマイラ
* 惑星守護神 ギガデロス
* 高次元人 イルト
* 頭脳星人 チブル星人マブゼ
* 培養合成獣 スカルゴモラ
* 小珍獣 モコ
* リムエレキング
* サメクジラ幼体
* 密輸怪獣 バデータ幼体
* デスモン
* セモン星人ミード
* 宇宙怪人 ペダン星人
* 昆虫宇宙人 クカラッチ星人
* 熔鉄怪獣 デマーガ
* 宇宙怪獣 ベムラー
* 宇宙恐竜 ゼットン
* 触角宇宙人 バット星人小森セイジ
* 変身怪人 ピット星人水野ヒトミ
* 雷撃獣神 ゴロサンダー
* 大蟻超獣 アリブンタ
* 宇宙帝王 バド星人エル・レイ
* 宇宙工作員
* 双頭怪獣 パンドン
* 幽霊怪人 ゴース星人
* オイル怪獣 タッコング
* 凶猛怪獣 ギーストロン
* ニセウルトラマンベリアル
* 高速宇宙人 スラン星人
* 凶悪宇宙人 ザラブ星人
* 反重力宇宙人 ゴドラ星人
* 宇宙爆蝕怪獣 ウーラー
=== 劇場版 ウルトラマンタイガ ニュージェネクライマックス ===
{{See also|ウルトラマンタイガ#登場怪獣・宇宙人(映画)}}
* ウルトラマントレギア
* サーベル暴君 マグマ星人
* 宇宙商人 マーキンド星人
* 三面怪人 ダダ
* 帝国機兵 レギオノイド ダダ・カスタマイズ
* 電波怪人 レキューム人
* 殺戮宇宙人 ヒュプナス
* 昆虫宇宙人 クカラッチ星人
* 宇宙怪人 ペダン星人
* 宇宙帝王 バド星人
* 宇宙怪人 ゼラン星人
* 健啖宇宙人 ファントン星人
* グローザ星系人
* 暗黒星人 シャプレー星人
* 憑依宇宙人 サーペント星人
* 戦略星人 キール星人
* 最凶獣 ヘルベロス
* 毒炎怪獣 セグメゲル
* 悪夢魔獣 ナイトファング
* 惑星守護神 ギガデロス
* 雷撃獣神 ゴロサンダー
* 邪神魔獣 グリムド
=== トライスクワッド ボイスドラマ ===
* 合成獣キシアダー
* ゲルグ
* イムビーザ
* メカバードン
* 改造ブロッケン
* 寄生生命体 パライダー
== ウルトラマンZ ==
{{See also|ウルトラマンZ#特空機|ウルトラマンZ#登場怪獣・宇宙人}}
* 寄生生物 セレブロ
* 凶暴宇宙鮫 ゲネガーグ
* 特空機1号 セブンガー
* 古代怪獣 ゴメス
* 四次元怪獣 ブルトン
* 透明怪獣 ネロンガ
* 冷凍怪獣 ギガス
* 古代怪獣 ゴモラ
* 特空機2号 ウインダム
* 地底怪獣 テレスドン
** 強化地底怪獣 エリマキテレスドン
* 冷凍怪獣 ペギラ
* 無幻魔人 ジャグラス ジャグラー
* 合体魔王獣 ゼッパンドン
* ペガッサ星人ペガ
* ラストジャッジメンター ギルバリス
* アンドロイド兵 バリスレイダー
* ベリアル融合獣 スカルゴモラ
** ベリアル融合獣 サンダーキラー
** ベリアル融合獣 ペダニウムゼットン
* 合体怪獣 トライキング
** 超合体怪獣 ファイブキング
* 変身怪人 ピット星人ファ
* 変身怪人 ピット星人シィ
* 宇宙ロボット キングジョー
* 海賊宇宙人 バロッサ星人
* 特空機3号 キングジョー ストレイジカスタム
* どくろ怪獣 レッドキングA
* どくろ怪獣 レッドキングB
* 凶猛怪獣 ギーストロン
* 爆撃雷獣 グルジオライデン
* コイン怪獣 カネゴン
* 虚空怪獣 グリーザ(第一形態)
** 虚空怪獣 グリーザ(第二形態)
* 豪烈暴獣 ホロボロス
** 寄生破滅獣 メツボロス
* 海賊宇宙人 バロッサ星人(二代目)
* 誘拐怪人 ケムール人
* 地底怪獣 パゴス
* 殺し屋超獣 バラバ
* 宇宙大怪獣 ベムスター
* 人工生命 M1号
* 宇宙凶険怪獣 ケルビム
* 宇宙凶険怪獣 マザーケルビム
* 海賊宇宙人 バロッサ星人(三代目)
* オイル怪獣 タッコング
* 海獣 キングゲスラ
* 熔鉄怪獣 デマーガ
* 特空機4号 ウルトロイドゼロ
* 殲滅機甲獣 デストルドス
=== セブンガーファイト ===
* 特空機1号 セブンガー
** 特空機1号改 宇宙セブンガー
* エリ巻き恐竜 ジラース
* 戦闘変形メカ ヘルズキング改
* 宇宙怪獣 エレキング
* 発泡怪獣 ダンカン
* 隕石怪獣 ガラモン
* 友好珍獣 ピグモン
* 変形怪獣 ガゾート
* 異次元宇宙人 イカルス
* 凍結怪獣 ガンダー
* 双頭怪獣 改造パンドン
* ジャグラー
* 幽霊怪人 ゴース
* 要塞ロボット ビームミサイルキング
* 油獣 ペスター
* 宇宙悪霊 アクマニヤ
* 鬼怪獣 オニオン
* 怪異宇宙人 ケットル
* 半魚人 ボーズ
* 宇宙昆虫 サタンビートル
== ウルトラマントリガー NEW GENERATION TIGA ==
{{See also|ウルトラマントリガー NEW GENERATION TIGA#登場怪獣・宇宙人}}
* 妖麗戦士 カルミラ
* 剛力闘士 ダーゴン
* 俊敏策士 ヒュドラム
* 超古代闇怪獣 ゴルバー
* [[メトロン星人#メトロン星人マルゥル|メトロン星人マルゥル]]
* 吸血怪獣 ギマイラ
* 変形闇怪獣 ガゾート
* 古代地底獣 オカグビラ
* マスコット小怪獣 デバン
* 破壊暴竜 デスドラゴ
** 破壊闇暴竜 デスドラゴ
* 惑星破壊神 サタンデロス
* 海賊宇宙人 バロッサ星人(四代目)
* 海賊雛怪獣 ベビーザンドリアス ケダミャー
* 特空機1号改 宇宙セブンガー
* 四次元怪獣 ブルトン
* 特空機3号 キングジョー ストレイジカスタム
* 三面怪人 ダダ(PDO-3A / PDO-3B / PDO-3C)
* 石化闇魔獣 ガーゴルゴン
* 変身怪獣 ザラガス
* 闇黒勇士 トリガーダーク
* アブソリュートタルタロス
* アブソリュートディアボロ
* 奇機械怪獣 デアボリック
* 宇宙竜 ナース
* 宇宙伝説魔獣 メツオーガ
* 新宇宙伝説魔獣 メツオロチ
* 毒炎怪獣 セグメゲル
* 超古代闇怪獣 ゴルバーII
* キリエル人
** 炎魔戦士 キリエロイド
* 電撃獣人 バリガイラー
* 青色発泡怪獣 アボラス
* 赤色火焔怪獣 バニラ
* カラクリ武者 メカムサシン
* 邪神 メガロゾーア(第一形態・第二形態)
* 地底怪獣 テレスドン
* 地底怪獣 パゴス
* 古代怪獣 ゴモラ
* 凶暴怪獣 アーストロン
=== ウルトラマントリガー エピソードZ ===
* メトロン星人マルゥル
* 地底怪獣 パゴス
* 変形怪獣 ガゾート
* 凶暴宇宙鮫 ゲネガーグ
* 破壊暴竜 デスドラゴ
* イーヴィルトリガー
* 殲滅機甲獣 デストルドス
** 寄生生物 セレブロ
== ウルトラマンデッカー ==
{{See also|ウルトラマンデッカー#登場怪獣・宇宙人}}
* 巨大宇宙球体 キングスフィア
* 精強宇宙球体 スフィアソルジャー
* 精強融合獣 スフィアザウルス
* 破壊暴竜 デスドラゴ
* ディメンションカード怪獣 [[ミクラス (ウルトラ怪獣)|ミクラス]]
* 古代怪獣 ゴモラ
** 古代合成獣 スフィアゴモラ
* 破壊獣 モンスアーガー
* 宇宙怪獣 ベムラー
* 暗黒星人 シャプレー星人
* 宇宙怪獣 エレキング(エリー)
* 変身怪人 ピット星人ユウコ
* メトロン星人マルゥル
* 地底怪獣 パゴス
* 地底怪獣 グドン
* 地底怪獣 テレスドン
* 地底怪獣 ツインテール
* ディメンションカード怪獣 [[アギラ (ウルトラ怪獣)|アギラ]]
* 邪神 スフィアメガロゾーア(第二形態)
* 妖麗戦士 カルミラ
* 超古代植物 ギジェラン(巨大ルルイエ)
* 宇宙格闘士 グレゴール人グレース
* どくろ怪獣 レッドキング
** どくろ合成獣 スフィアレッドキング
* ディメンションカード怪獣 [[ウインダム (ウルトラ怪獣)|ウインダム]]
* 新創獣 ネオメガス
** 新創合成獣 スフィアネオメガス
* 海獣 キングゲスラ
* 岩石怪獣 サドラ
* 電脳魔人 テラフェイザー
* 稲妻怪鳥 ヒナバッサー
* 稲妻怪鳥 ライバッサー
* 変形怪獣 ガゾート
* 騒音怪獣 ノイズラー
* 浮遊幼獣 スピニー
** 双頭怪獣 パンドン
* メトロン星人ナイゲル
* 古代怪獣 ゴメス(S)
* 新宇宙伝説魔獣 メツオロチ(回想シーン)
* 俊敏策士 ヒュドラム(回想シーン)
* 異次元人 ヤプール
* 大蟻超獣 アリブンタ
* 警備ロボ ゾンボーグ兵
* 宇宙ロボット キングジョー(残骸)
* スフィアジャッジメンター ギャラクトロンMK2
* 海底原人 ラゴン
** 海底原人 子ラゴン
* Sプラズマ融合獣 スフィアジオモス
* 有翼怪獣 チャンドラー
* 最強スフィア獣 マザースフィアザウルス
=== ウルトラマンデッカー最終章 旅立ちの彼方へ… ===
* ゾゾギガ星人 プロフェッサー・ギベルス
* 銀河皇獣 ギガロガイザ
** 銀河要塞獣 ゾルギガロガイザ
* 策略宇宙人 ペダン星人
* 昆虫宇宙人 クカラッチ星人
* 宇宙怪人 ゼラン星人
* ガルメス人
* 暗黒星人 シャプレー星人
* 幽霊怪人 ゴース星人
* 憑依宇宙人 サーペント星人
* グローザ星系人
* 殺戮宇宙人 ヒュプナス
* 電波怪人 レキューム人
* 異次元宇宙人 イカルス星人
* 宇宙ロボット キングジョー
* メトロン星人ナイゲル
* 宇宙格闘士 グレゴール人グレース
* 電脳魔人 テラフェイザー
* だだっ子怪獣 ザンドリアス
* 雛怪獣 ベビーザンドリアス
* サーベル暴君 マグマ星人
* 反重力宇宙人 ゴドラ星人
* 宇宙帝王 バド星人
== ウルトラマンブレーザー ==
{{See also|ウルトラマンブレーザー#特戦獣|ウルトラマンブレーザー#登場怪獣・宇宙人}}
* 宇宙甲殻怪獣 バザンガ
* 深海怪獣 ゲードス
* 23式特殊戦術機甲獣 アースガロン
** 23式特殊戦術機甲獣 アースガロンMod.2
** 23式特殊戦術機甲獣 アースガロンMod.3
* 甲虫怪獣 タガヌラー
* 軟体怪獣 レヴィーラ
* 山怪獣 ドルゴ
* オーロラ怪人 カナン星人・ハービー
* オーロラ怪人 カナン星人・ロビー
* 天弓怪獣 ニジカガチ
** 天弓怪獣 ニジカガチ(怨霊態)
* ロボット怪獣 ガラモン
* 宇宙怪人 セミ人間
* 熔鉄怪獣 デマーガ
* 熔鉄怪獣 ベビーデマーガ
* 宇宙電磁怪獣 ゲバルガ
* 月光怪獣 デルタンダル
** 月光怪獣 デルタンダルB
* 二次元怪獣 ガヴァドン
* 幻視怪獣 モグージョン
* 電脳生物 パグ
* 深海怪獣 げ~どすくん
* 幻視怪獣 もぐ~じょんちゃん
* 宇宙侍 ザンギル
* 汚染獣 イルーゴ
* 宇宙汚染超獣 ブルードゲバルガ
* 地底甲獣 ズグガン
* どくろ怪獣 レッドキング(二代目)
* 冷凍怪獣 ギガス
== ウルトラギャラクシーファイト ==
{{See also|ウルトラギャラクシーファイト}}
=== ウルトラギャラクシーファイト ニュージェネレーションヒーローズ ===
* ウルトラダークキラー
* ウルトラマンエックスダークネス
* ウルトラマンジードダークネス
* ウルトラマンオーブダークネス
* ウルトラマンゼロダークネス
* ダークルギエル
* 超時空魔神 エタルガー
* 海底原人 [[ラゴン (ウルトラ怪獣)|ラゴン]]
* 冷凍怪獣 ペギラ
* レッドキング(初代)
* レッドキング(二代目)
* 青い巨人(ウルトラマントレギア)
=== ウルトラギャラクシーファイト 大いなる陰謀 ===
* 究極生命体 アブソリュートタルタロス
* 最凶獣 ヘルベロス
* 高速宇宙人 スラン星人
* コスモイーター ルーゴサイト
* 亡霊魔導士 レイバトス
* 吸血怪獣 ギマイラ
* 邪悪大魔王獣 ゴーデスマガオロチ
* シーサー
* 暗黒宇宙大皇帝 エンペラ星人(回想シーン)
* 反重力宇宙人 ゴドラ星人
* 三面怪人 ダダ
* 暗殺宇宙人 ナックル星人
* 暗黒星人 ババルウ星人
* 悪夢魔獣 ナイトファング
* ジュダ
** 幻影宇宙帝王 ジュダ・スペクター
* モルド
** 幻影宇宙大王 モルド・スペクター
* 触角宇宙人 バット星人
* だだっ子怪獣 ザンドリアス
* 騒音怪獣 ノイズラー
* 宇宙恐魔人 ゼット
* 宇宙恐竜 ゼットン
* EXゼットン
* 宇宙恐竜 ゼットン・ファルクス
* 宇宙恐竜 ハイパーゼットン
=== ウルトラギャラクシーファイト 運命の衝突 ===
* 究極生命体 アブソリュートタルタロス
* 究極生命体 アブソリュートディアボロ
* 究極生命体 アブソリュートティターン
* 友好巨鳥 リドリアス
* 触角宇宙人 バット星人
* 亡霊魔導士 レイバトス
* 幻影宇宙女王 ギナ・スペクター
* 宇宙大怪獣 ベムスター
* 帝国猟兵 ダークロプス
* 帝国機兵 レギオノイド(α・β)
* 油獣 ペスター
* 幻影合身大魔帝 グア・スペクター
* ウルトラウーマングリージョダークネス
* ファイティングベム メカバルタン
* サイバーメカバルタン
* 特空機4号 ウルトロイドゼロ
* カプセル怪獣 ミクラス
* カプセル怪獣 ウインダム
* カプセル怪獣 アギラ
==== ウルトラマンレグロス ====
* マスターアルーデ
* インストラクターフォロス
* トゥバーン
* アルピオ
* ファルード
* スピカ
* 猛禽怪獣 グエバッサー
* マグマ侵略軍提督ヴォルカン
* マグマ地獄兄妹ユラブ
* マグマ地獄兄妹ラバ
* サーベル暴君 マグマ星人
* 殺し屋超獣 バラバ
* 究極生命体 アブソリュートタルタロス
* 究極生命体 アブソリュートディアボロ
** ディアス
==== ウルトラマンレグロス ファーストミッション ====
* 凶悪宇宙人 ザラブ星人
** にせウルトラマン
* 亡霊魔導士 レイバトス
* 用心棒怪獣 ブラックキング
* 凍結怪獣 ガンダー
* 再生怪獣 ギエロン星獣
* 宇宙細菌 ダリー
* 宇宙戦闘ロボット ウルトラマンシャドー
* 究極生命体 レイブラッド星人
== ウルトラマン列伝 / 新ウルトラマン列伝 ==
{{See also|ウルトラマン列伝}}
新撮シーン、新作エピソードに登場したもののみ。
* 子供の超科学星人 [[バルタン星人|タイニーバルタン]]
* [[ウルトラマンベリアル]]
* [[メフィラス星人|メフィラス星人・魔導のスライ]]
* [[テンペラー星人|テンペラー星人・極悪のヴィラニアス]]
* デスレ星雲人・炎上のデスローグ
* グローザ星系人・氷結のグロッケン
* 電波怪獣 ビーコン
* 暴君怪獣 [[タイラント (ウルトラ怪獣)|タイラント]]
* 友好珍獣 [[ピグモン]]
* [[ヒッポリト星人|ヒッポリト星人・地獄のジャタール]]
* 宇宙海人 [[バルキー星人|バルキー星人(SD)]]
* 異次元宇宙人 [[イカルス星人|イカルス星人(SD)]]
* 宇宙怪獣 [[エレキング|エレキング(SD)]]
* カオスウルトラマン
* カオスロイドU
* カオスロイドT
* 暗殺宇宙人 [[ナックル星人|ナックル星人グレイ(SD)]]
* ワームホール(SD)
* 健啖宇宙人 ファントン星人グルマン
== ウルトラマン ニュージェネレーションクロニクル ==
{{See also|ウルトラマン ニュージェネレーションクロニクル}}
新撮シーン、新作エピソードに登場したもののみ。
* 快獣 ブースカ
* ペガッサ星人ペガ
* 奇獣 ガンQ
* ウルトラマントレギア
* ペガッサ星人ベガ(名前のみ)
== ウルトラマンクロニクル ZERO&GEED ==
{{See also|ウルトラマンゼロの作品一覧#ウルトラマンクロニクル ZERO&GEED}}
新撮シーン、新作エピソードに登場したもののみ。
* ペガッサ星人ペガ
* ペガッサ星人ベガ
* グローザ星系人
* セミ人間セミヤ
* セミ人間セミカ
* メフィラス星人
* ジャグラス ジャグラー
== ウルトラマン クロニクルD ==
{{See also|ウルトラマン クロニクルD}}
新撮シーン、新作エピソードに登場したもののみ。
* メトロン星人マルゥル
* マスコット小怪獣 デバン
* 迷子珍獣 ハネジロー
* 小珍獣 モコ
* ペガッサ星人ペガ
== ウルトラマン ニュージェネレーション スターズ ==
新撮シーン、新作エピソードに登場したもののみ。
* エディオム
== 帯番組 ==
=== ウルトラファイト ===
{{See also|ウルトラファイト}}
新撮編登場分のみ。
* [[エレキング]]
* [[イカルス星人|イカルス]]
* [[ウー (ウルトラ怪獣)|ウー]]
* [[バルタン星人|バルタン]]
* [[ウルトラマンの登場怪獣#光熱怪獣 キーラ|キーラー]]
* [[テレスドン]]
* [[ガッツ星人|ガッツ]]
* [[ゴドラ星人|ゴドラ]]
* [[ケロニア|ケロニヤ]]
* [[ウルトラマンの登場怪獣#亡霊怪獣 シーボーズ|シーボーズ]]
* [[ゴーロン星人|ゴーロン]]
* [[アギラ (ウルトラ怪獣)|アギラ]]
* [[ゴモラ (ウルトラ怪獣)|ゴモラ]]
=== アンドロメロス ===
{{See also|アンドロメロス}}
* グア
* ジュダ
* ギナ
* モルド
* グア兵
* [[マグマ星人|マグマ星人三人衆]]
* ファイティングベム ダクミラン
* ファイティングベム バゼリア
* ファイティングベム シズルン
* ファイティングベム [[バルタン星人|メカバルタン]]
* ファイティングベム ザビデン
* ファイティングベム エドラス
* エープ星人エルパ
* 怪獣戦艦 ギエロニア
* 怪獣戦艦 [[ベムスター|ベムズン]]
* 怪獣戦艦 [[キングジョー|キングジョーグ]]
=== ウルトラマンボーイのウルころ ===
{{See also|ウルトラマンボーイのウルころ}}
新撮編登場分のみ。
* 凶悪宇宙人 [[ザラブ星人]]
* 宇宙恐竜 [[ゼットン]]
* 集団宇宙人 [[フック星人]]
* 誘拐宇宙人 レイビーク星人
* 炎魔戦士 キリエロイド(人形)
* 宇宙忍者 [[バルタン星人]]
* サーベル暴君 [[マグマ星人]]
* 霊体ウルトラマンアグル
* 冷凍怪獣 ギガス
* 幽霊怪人 [[ゴース星人]]
* 巨大異形獣 サタンビゾー
* 怪異宇宙人 ケットル星人
* ブラックホール怪獣 ブラキウム
* 金属生命体 アルギュロス
* ニセウルトラマン80
* ニセゾフィー
== バラエティ ==
=== ウルトラゾーン ===
==== コントパート ====
* 不良怪獣 [[ゼットン]]
* どくろ怪獣 [[レッドキング]]
* 岩石怪獣 [[サドラ]]
* 極悪宇宙人 [[テンペラー星人]]
* 宇宙大怪獣 [[ベムスター]]
* 硫酸怪獣 [[ホー (ウルトラ怪獣)|ホー]]
* 宇宙怪獣 [[エレキング]]
* 地底怪獣 [[テレスドン]]
* 地底怪獣 [[グドン]]
* 凶悪宇宙人 [[ザラブ星人]]
* 海獣 キングゲスラ
* 奇獣 [[ガンQ]]
* 策謀宇宙人 デスレム
* サーベル暴君 [[マグマ星人]]
* 暗黒星人 [[ババルウ星人]]
* 分身宇宙人 [[ガッツ星人]]
* 宇宙海人 [[バルキー星人]]
* 変身怪人 [[ピット星人]]
* 幻覚宇宙人 [[メトロン星人]]
==== ドラマパート ====
* 凶悪宇宙人 ザラブ星人
* 三面怪人 [[ダダ (ウルトラ怪獣)|ダダ]]
* 怪奇植物 スフラン
* どくろ怪獣 レッドキング
* 火山怪鳥 [[バードン (ウルトラ怪獣)|バードン]]
* 友好珍獣 [[ピグモン]]
* アースロポッドタイプビースト・バンピーラ
* 硫酸怪獣 ホー
* 満月超獣 [[ルナチクス]]
* 地底怪獣 テレスドン
* 豪力怪獣 アロン(名前、鳴き声のみ)
* 宇宙怪獣 エレキング
* 分身宇宙人 ガッツ星人
* 変身怪人 ピット星人
* 地底人
* もぐら怪獣 モングラー(名前、鳴き声のみ)
* 冷凍怪獣 ペギラ(名前、鳴き声のみ)
* ジラースに似ているが襟巻きのない怪獣(名前のみ)
* 悪質宇宙人 [[メフィラス星人]]
* 巨大総理大臣
* 宇宙ロボット [[キングジョー]]
* 宇宙怪獣 ベムラー
==== ウルトラゾーンチャンネル ====
* 誘拐怪人 [[ケムール人]]
* 海底原人 [[ラゴン (ウルトラ怪獣)|ラゴン]]
* 人工生命 M1号
=== ウルトラ怪獣散歩 ===
{{See also|ウルトラ怪獣散歩}}
* 悪質宇宙人 [[メフィラス星人]]
* 凶悪宇宙人 [[ザラブ星人]]
* 三面怪人 [[ダダ (ウルトラ怪獣)|ダダ]]
* 幻覚宇宙人 [[メトロン星人]]
* 誘拐怪人 [[ケムール人]]
* 棲星怪獣 [[ジャミラ (ウルトラ怪獣)|ジャミラ]]
* 海底原人 [[ラゴン (ウルトラ怪獣)|ラゴン]]
* 集団宇宙人 フック星人
* なまけ怪獣 ヤメタランス
* 分身宇宙人 ガッツ星人
* 異次元宇宙人 イカルス星人
* 変身怪人 ピット星人
* うす怪獣 モチロン
* 変身怪人 ゼットン星人
* 異次元超人 巨大ヤプール
* 高原竜 ヒドラ
* 電磁波怪人 メシエ星雲人
* 人工生命 M1号
* 宇宙超人 スチール星人
* 暗殺宇宙人 ナックル星人
* 異次元超人 エースキラー
* 暗黒星人 シャプレー星人
* 反重力宇宙人 ゴドラ星人
* 鬼怪獣 オニオン
* 宇宙恐竜 ゼットン
* 幽霊怪人 ゴース星人
* 宇宙帝王 バド星人
* 暗黒星人 ババルウ星人
* 雪女怪獣 スノーゴン
* 策略星人 ベダン星人
* 怪異宇宙人 ケットル星人
* サイケ宇宙人 ペロリンガ星人
* 地球原人 ノンマルト
* コイン怪獣 カネゴン
* 宇宙海人 バルキー星人
* 宇宙ゲリラ シャドー星人
* 変身怪人 ゼラン星人
* 暗黒宇宙大皇帝 エンペラ星人
* 宇宙忍者 バルタン星人
* 古代怪獣 ゴモラ
* どくろ怪獣 レッドキング
* 宇宙怪獣 エレキング
* カプセル怪獣 ウインダム
* 宇宙ロボット キングジョー
* 宇宙{{Ruby|狩人|ハンター}} クール星人
=== 田口清隆監督完全監修「キミにも怪獣映画が撮れる!!」、「ウルトラマンX超全集」連動企画 ===
* ザブトンギラス
* キングジョン2
== 映画 ==
=== ウルトラ6兄弟VS怪獣軍団 ===
{{See also|ウルトラ6兄弟VS怪獣軍団}}
* 古代怪獣 [[ゴモラ (ウルトラ怪獣)|ゴモラ]]
* 暴君怪獣 [[タイラント (ウルトラ怪獣)|タイラント]]
* 泥棒怪獣 ドロボン
* 宇宙大怪獣 アストロモンス
* 妖怪怪獣 ダストパン
* サワハ
* 太陽の精
* サンユラニトリチャワーの花
=== ウルトラマン怪獣大決戦 ===
{{See also|ウルトラマン怪獣大決戦}}
※新撮登場分のみ
* 宇宙忍者 [[バルタン星人]]
* は虫怪獣 ベドラン
=== ウルトラマンZOFFY ウルトラの戦士VS大怪獣軍団 ===
{{See also|ウルトラマンZOFFY ウルトラの戦士VS大怪獣軍団}}
新撮登場分のみ。
* 謎の円盤
=== ウルトラマン物語 ===
{{See also|ウルトラマン物語}}
新撮登場分のみ。
* 宇宙の帝王 [[ウルトラマン物語#登場怪獣|ジュダ]]
* 超合体怪獣 [[グランドキング]]
* 小型怪獣 [[ウルトラマン物語#登場怪獣|ドックン]]
=== ウルトラQ ザ・ムービー 星の伝説 ===
{{See also|ウルトラQ ザ・ムービー 星の伝説}}
* 古代神獣 [[ウルトラQ ザ・ムービー 星の伝説#古代神獣 薙羅|薙羅(ナギラ)]]
* [[ウルトラQ ザ・ムービー 星の伝説#ワダツジン|ワダツジン]]
=== 新世紀ウルトラマン伝説 ===
{{See also|新世紀ウルトラマン伝説}}
新撮登場分のみ。
* 暗黒妖鬼 天空魔
=== 新世紀2003ウルトラマン伝説 THE KING'S JUBILEE ===
{{See also|新世紀2003ウルトラマン伝説 THE KING'S JUBILEE}}
* バルタン・ビッグツイスター
* ピット・フラッシュ
* イザク・ワイルドスタイル
* マグマ・フリーズX
* ダダ・セクシー
* レディベン・ヒプノティック
* ゴドラ・ポッピング
* ボンバーヘッド・ガンQ
* デバン・フロアークラウン
* カオス・グランドマスター
* B-G-RLディベン・ドーター
* コイン怪獣 [[カネゴン]]
* 誘拐怪人 [[ケムール人]]
* 宇宙怪獣 ベムラー
* 宇宙忍者 [[バルタン星人]]
* 脳波怪獣 ギャンゴ
* 宇宙忍者 [[バルタン星人]](2代目)
* 凶悪宇宙人 [[ザラブ星人]]
* 棲星怪獣 [[ジャミラ (ウルトラ怪獣)|ジャミラ]]
* 深海怪獣 グビラ
* 彗星怪獣 [[ドラコ (ウルトラ怪獣)|ドラコ]]
* 冷凍怪獣 ギガス
* 三面怪人 [[ダダ (ウルトラ怪獣)|ダダ]]
* 悪質宇宙人 [[メフィラス星人]]
* 亡霊怪獣 [[ウルトラマンの登場怪獣#亡霊怪獣 シーボーズ|シーボーズ]]
* 宇宙恐竜 [[ゼットン]]
* カプセル怪獣 [[ミクラス (ウルトラ怪獣)|ミクラス]]
* カプセル怪獣 [[ウインダム (ウルトラ怪獣)|ウインダム]]
* 宇宙怪獣 [[エレキング]]
* 変身怪人 [[ピット星人]]
* 反重力宇宙人 [[ゴドラ星人]]
* 放浪宇宙人 [[ペガッサ星人]]
* 幻覚宇宙人 [[メトロン星人]]
* 異次元宇宙人 [[イカルス星人]]
* 宇宙スパイ プロテ星人
* 集団宇宙人 [[フック星人]]
* 幽霊怪人 [[ゴース星人]]
* 地底怪獣 [[グドン]]
* 岩石怪獣 [[サドラ]]
* 雪女怪獣 スノーゴン
* 宇宙昆虫 サタンビートル
* サーベル暴君 [[マグマ星人]]
* ファイティングベム [[バルタン星人|メカバルタン]]
* 快獣 ブースカ
* 宇宙快獣 チャメゴン
* 慢性ガス過多症宇宙人 ベンゼン星人
* 妖艶宇宙女王 レディベンゼン星人
* Zカプセル光獣 ミラクロン
* 剛力戦士 ダーラム
* 俊敏戦士 ヒュドラ
* 愛憎戦士 カミーラ
* 猛毒宇宙人 ザゴン星人
* 宇宙忍者 [[バルタン星人]](ベーシカルバージョン)
* [[バルタン星人|ネオバルタン]]
* [[バルタン星人|チャイルドバルタン]]
* 童心妖怪 ヤマワラワ
* 伝説悪鬼 マハゲノム
* 浄化宇宙人 キュリア星人
* 甲殻怪獣 アルケラ
* 河童 かわのじ
* パートナー怪獣 ザゲル
* 共生宇宙生命体 ギラッガス
* 対カオスヘッダー殲滅兵器 ヘルズキング改
=== 大決戦!超ウルトラ8兄弟 ===
{{See also|大決戦!超ウルトラ8兄弟}}
* 地獄星人 [[ヒッポリト星人|スーパーヒッポリト星人]]
* 海獣 キングゲスラ
* 双頭怪獣 [[パンドン|キングパンドン]]
* 剛力怪獣 [[シルバゴン|キングシルバゴン]]
* 超力怪獣 キングゴルドラス
* 究極合体怪獣 ギガキマイラ
* 邪心王 黒い影法師
** 巨大暗黒卿 巨大影法師
* 迷子珍獣 ハネジロー
=== シン・ウルトラマン ===
{{See also|シン・ウルトラマン}}
* 巨大不明生物 ゴメス
* 巨大不明生物第2号 マンモスフラワー
* 巨大不明生物第3号 ペギラ
* 飛翔禍威獣 ラルゲユウス
* 溶解禍威獣 カイゲル
* 放射性物質捕食禍威獣 パゴス
* 透明禍威獣 ネロンガ
* 地底禍威獣 ガボラ
* 外星人 ザラブ
** にせウルトラマン
* 外星人第0号 メフィラス
* 天体制圧用最終兵器 ゼットン
== オリジナルビデオ ==
=== ウルトラスーパーファイト ===
{{See also|ウルトラスーパーファイト}}
* 宇宙忍者 [[バルタン星人]]
* 宇宙大怪獣 アストロモンス
* 宇宙怪獣 [[エレキング]]
* 宇宙大怪獣 [[ベムスター]]
* 反重力宇宙人 [[ゴドラ星人]]
* 妄想ウルトラセブン
* 誘拐怪人 [[ケムール人]]
* 幻覚宇宙人 [[メトロン星人]]
* 放浪宇宙人 [[ペガッサ星人]]
* 双頭怪獣 [[パンドン]]
* 伝説怪獣 [[ウー (ウルトラ怪獣)|ウー]]
* 宇宙恐竜 [[ゼットン]]
=== ウルトラマンVS仮面ライダー ===
{{See also|ウルトラマンVS仮面ライダー}}
* 古代怪獣 ガドラス
** 合体巨大怪人獣 サソリガドラス
* ショッカー怪人 毒サソリ男
=== ウルトラマンヒットソングヒストリー ニューヒーロー編 ===
* 異次元超人 巨大ヤプール
=== ウルトラマンヒットソングヒストリー ニュージェネレーション編 ===
* 超時空魔神 エタルガー
== ドラマ ==
=== ウルトラマンになりたかった男 ===
{{see|ウルトラマンになりたかった男}}
* ボスゴン
* ゴッドキング
=== 私が愛したウルトラセブン ===
{{see|私が愛したウルトラセブン}}
* 幽鬼宇宙人 トーク星人
* 幽鬼兵 甲冑人間
=== 怪獣倶楽部〜空想特撮青春記〜 ===
{{see|怪獣倶楽部〜空想特撮青春記〜}}
* 幻覚宇宙人 メトロン星人
* 分身宇宙人 ガッツ星人
* 宇宙恐竜 ゼットン
* 幽霊怪人 ゴース星人
* 宇宙忍者 バルタン星人
== プラネタリウム上映作品 ==
=== ウルトラマン(プラネタリウム特別編) ===
{{See also|ウルトラマン (プラネタリウム特別編)}}
* 宇宙忍者 [[バルタン星人]]
* ブラックホール怪獣 ブラキウム
=== ウルトラマンティガ〜光の子供たちへ〜 ===
{{See also|ウルトラマンティガ〜光の子供たちへ〜}}
* 宇宙ごみ怪獣 デブリタウロス
* 宇宙ごみ怪獣 デブリファルド
== ネット動画 ==
=== ウルトラカンタン年賀状 ===
* 手書き怪獣 パソコンオンチ
* イラスト怪獣 ソザイナイダー
* 宛名怪獣 ジヘタキング
* 写真怪獣 ツカエマセン
* 乗り換え怪獣 メンドイヤー
=== ULTRAMAN n/a ===
* 変身怪獣 ザラガス
=== ウルトラマン -シンガポールの新たな力- ===
* レッドキング
* ネロンガ
* グビラ
* マーライガー
** スーツは『劇場版 ウルトラマンジード つなぐぜ! 願い!!』に登場したグクルシーサーの改造<ref>{{Cite news|url=https://www.tokyo-sports.co.jp/articles/-/171869|title=ウルトラマンの新怪獣キャラ「マーライガー」の意外すぎる誕生秘話|newspaper=東スポWeb|publisher=東京スポーツ新聞社|date=2022-04-12|accessdate=2022-04-15}}</ref>。
== ラジオドラマ ==
=== ウルトラQ倶楽部 ===
* 隕石怪獣 [[ガラモン (ウルトラ怪獣)|ガラモン]]
* 岩石怪獣 [[ウルトラQの登場怪獣#岩石怪獣 ゴルゴス|ゴルゴス]]
* 火星怪獣 [[ウルトラQの登場怪獣#火星怪獣 ナメゴン|ナメゴン]]
* 大怪獣 ウカミ
* [[キジムナー]]
* アクマ
* 天使
* 誘拐怪人 [[ケムール人]]
* ひとめぼれ怪獣 ヒメ
* 暴君怪獣 ステーキング
* 原始象怪獣 キバマンモス
* 水棲怪獣 タマラン
* 海怪獣 タコヤング
* 毒蛇怪獣 ハブギラス
* モンスター星人
* 巨鳥 ユピカ
* カゲムシャン
* ペガサス
* ピン太
* 雪達磨
* 人魚
* 巨大浮遊物体(名称不明)
== 絵物語 ==
=== ウルトラマン マグネット作戦 ===
* 鋼鉄怪獣 アイアン
== 雑誌 ==
=== ウルトラ兄弟物語アンドロメロス・ウルトラ超伝説アンドロメロス ===
{{See also|アンドロメロス}}
* [[エースキラー (ウルトラ怪獣)|再生エースキラー]](漫画版では改造エースキラー)
* 宇宙恐竜 [[ゼットン]]
* 昆虫怪獣 グワガンダ
** 合体ゼットン
* 宇宙忍者 [[バルタン星人]](五・六代目タイプ)(漫画版では初代タイプ)
* [[ベムスター|ベムスターロボ]](漫画版のみ登場)
* [[マグマ星人|マグマ星人三人衆]]
* ジュダ(影武者)
* 改造ゴラ
* [[ナックル星人|改造ナックル星人]](漫画版では1号、2号が登場)
* [[ブラックキング|改造ブラックキング]]
* [[キングジョー|強化改造キングジョー]]
* [[バルタン星人|改造バルタン星人]](メカバルタン)
* 古代怪獣 [[ゴモラ (ウルトラ怪獣)|ゴモラ]]
* ジュダ
* 怪獣戦艦 ギエロニア
* ギエラ兵
* 怪獣戦艦 [[ペスター|ペストリア]]
* ペスダ兵
* エープ星人エルパ
* 改造エープ星人
* 怪獣戦艦 [[ベムスター|ベムズン]]
* 新造ギエロニア
* ギナ
* 怪獣戦艦 [[キングジョー|キングジョーグ]]
* 新型ベムズン
* ギエロニア3号機
* モルド
* グア
=== ウルトラマンノア バトルオブドリームNOA ===
* [[ULTRA N PROJECT|ダークザギ]]
* 宇宙忍者 [[バルタン星人]]
* 異次元超人 [[ヤプール人|巨大ヤプール]]
; [[テレビマガジン]]版のみ登場
* 古代怪獣 ゴメス
* 宇宙怪獣 [[エレキング]]
* 岩石怪獣 [[サドラ]]
* 宇宙昆虫 ノコギリン
* 友好珍獣 [[ピグモン]]
* 脳波怪獣 ギャンゴ
* 鬼怪獣 オニオン
* 凶悪宇宙人 [[ザラブ星人]]
* 三面怪人 [[ダダ (ウルトラ怪獣)|ダダ]]
* 放浪宇宙人 [[ペガッサ星人]]
* 幽霊怪人 [[ゴース星人]]
* サーベル暴君 [[マグマ星人]]
* 有翼怪獣 [[チャンドラー (ウルトラ怪獣)|チャンドラー]]
* 地底怪獣 [[テレスドン]]
* 古代怪獣 キングザウルス三世
* 雪女怪獣 スノーゴン
* なまけ怪獣 ヤメタランス
* 彗星怪獣 [[ドラコ (ウルトラ怪獣)|ドラコ]]
* 宇宙怪獣 ベムラー
* 冷凍怪獣 ギガス
* 古代怪獣 [[ゴモラ (ウルトラ怪獣)|ゴモラ]]
* 宇宙恐竜 [[ゼットン]]
; [[てれびくん]]版のみ登場
* [[バルタン星人|バルタン]]
* 宇宙忍者 [[バルタン星人]](5代目)
* 宇宙忍者 [[バルタン星人]](6代目)
* ファイティングベム [[バルタン星人|メカバルタン]]
* ミサイル超獣 [[ベロクロン]]
* 一角超獣 [[バキシム]]
* 蛾超獣 [[ドラゴリー]]
=== ウルトラマンメビウス外伝 超銀河大戦 ===
{{See also|ウルトラマンメビウス#ウルトラマンメビウス外伝 超銀河大戦}}
* 暗黒四天王先代邪将・高次元捕食王 アークボガール
* 岩力破壊参謀 ジオルゴン(てれびくん版のみ)
* 知略遊撃宇宙人 エンディール星人(テレビマガジン版のみ)
; てれびくん版『戦え!ウルトラ兄弟』に登場
* 宇宙ロボット [[キングジョー]]
* 宇宙ロボット [[キングジョー|キングジョーブラック]](単行本書き下ろしページのみ)
* 幽霊怪人 [[ゴース星人]]
* 双頭怪獣 [[パンドン]]
* 泥棒怪獣 ドロボン
* カプセル怪獣 [[ウインダム (ウルトラ怪獣)|ウインダム]]
* ニセウインダム
* オーロラ怪人 カナン星人
* 地獄星人 [[ヒッポリト星人]]
* 冷凍怪獣 マーゴドン
* 宇宙怪人 カーン星人
* 変身怪人 アトランタ星人
* 異次元宇宙人 [[イカルス星人]]
* 頭脳星人 チブル星人
* 豪力怪獣 アロン
* 兄怪獣 ガロン
* 核怪獣 ギラドラス
* 宇宙昆虫 ノコギリン
* スペースジョーズ ザキラ
* 宇宙大怪獣 アストロモンス
* 残酷怪獣 ガモス
* 宇宙凶剣怪獣 ケルビム
* 光熱怪獣 [[ウルトラマンの登場怪獣#光熱怪獣 キーラ|キーラ]]
* おとり怪獣 プルーマ
* 彗星怪獣 [[ドラコ (ウルトラ怪獣)|ドラコ]]
* 不死身怪獣 リンドン
* 月怪獣 ペテロ
* 岩石怪獣 [[サドラ]]
* 一角超獣 [[バキシム]]
* マケット怪獣 [[エレキング|リムエレキング]]
; テレビマガジン版『ウルトラ兄弟宇宙大決戦』、『決戦!ウルトラ兄弟VS大怪獣』に登場
* 放浪宇宙人 [[ペガッサ星人]]
* サーベル暴君 [[マグマ星人]]
* 暗黒星人 [[ババルウ星人]]
* 宇宙三面魔像 ジャシュライン
* 異次元超人 [[ヤプール人|巨大ヤプール]]
* 宇宙ロボット [[キングジョー|スーパーキングジョー]]
* どくろ怪獣 [[レッドキング]]
* 凶暴怪獣 [[アーストロン]]
* 一角超獣 [[バキシム]]
* 再生怪獣 [[サラマンドラ (ウルトラ怪獣)|サラマンドラ]]
* 宇宙ロボット [[キングジョー|キングジョーブラック]]
* 究極巨大超獣 Uキラーザウルス・ネオ
* 凶悪宇宙人 [[ザラブ星人]]
* 分身宇宙人 [[ガッツ星人]]
* 暗殺宇宙人 [[ナックル星人]]
* 極悪宇宙人 [[テンペラー星人]]
* 悪質宇宙人 [[メフィラス星人]]
* [[ゴモラ (ウルトラ怪獣)|EXゴモラ]]
* 異次元宇宙人 [[イカルス星人]]
* 宇宙怪獣 [[エレキング]]
* 再生怪獣 ギエロン星獣
* 戦車怪獣 恐竜戦車
* 双頭怪獣 [[パンドン|改造パンドン]]
; プレイムービーシリーズ DXウルトラコクピット専用DVD『ウルトラマンメビウス外伝 超銀河大戦』に登場
* 宇宙怪獣 [[エレキング]]
* 高次元捕食獣 レッサーボガール
* 宇宙鳥人 アイロス星人
* 高次元捕食体 ボガールモンス
* 双子怪獣 ブラックギラス
* 双子怪獣 レッドギラス
* サーベル暴君 [[マグマ星人]]
* 無双鉄神 インペライザー
* 分身宇宙人 [[ガッツ星人]]
* 暗黒四天王豪将・冷凍星人 グローザム
* 忍者超獣 ガマス
* 宇宙斬鉄怪獣 ディノゾール
* 宇宙斬鉄怪獣 ディノゾールリバース
* 竜巻怪獣 シーゴラス
* 津波怪獣 シーモンス
* 火山怪鳥 [[バードン (ウルトラ怪獣)|バードン]]
* 岩石怪獣 [[サドラ]]
* 凶暴怪獣 [[アーストロン]]
* 宇宙有翼怪獣 アリゲラ
; [[コロコロイチバン!]]版『巨大要塞を撃破せよ!』に登場
* 無双鉄神 インペライザー
** インペライザーの擬態怪獣たち
* 悪質宇宙人 [[メフィラス星人]](4代目)
=== ウルトラマンメビウス外伝 アーマードダークネス ===
{{See also|ウルトラマンメビウス外伝 アーマードダークネス}}
* 暗黒魔鎧装 アーマードダークネス
* 宇宙鳥獣 ガロウラー(てれびくん版のみ)
* 宇宙苦無獣 ザラボン(テレビマガジン版のみ)
; てれびくん版に登場
* 宇宙超人 スチール星人(アーマードダークネス装着)
* 分身宇宙人 フリップ星人(アーマードダークネス装着)
* 電磁波怪人 メシエ星雲人(使節団)
* 雪男星人 バルダック星人(アーマードダークネス装着)
* 奇怪宇宙人 ツルク星人(アーマードダークネス装着)
* ジャッカル軍団員
* ジャッカル軍団長
* メガトン怪獣 スカイドン
* 猛毒怪獣 ガブラ
* 戦車怪獣 恐竜戦車
* 古代怪獣 キングザウルスIII世
* 雪女怪獣 スノーゴン
* さそり怪獣 アンタレス
* 宇宙大魔王 ジャッカル(正体はジャッカル四天王の生き残り)
** 宇宙恐竜 [[ゼットン]](ジャッカルの変身)
** 火山怪鳥 [[バードン (ウルトラ怪獣)|バードン]](ジャッカルの変身)
** 異次元超人 [[エースキラー (ウルトラ怪獣)|エースキラー]](ジャッカルの変身)
; テレビマガジン版に登場
* 放浪宇宙人 [[ペガッサ星人]]
* サーベル暴君 [[マグマ星人]]
* 宇宙スパイ プロテ星人
* 宇宙超人 スチール星人
* 宇宙悪霊 アクマニヤ星人
* 暗黒星人 [[ババルウ星人]]
* 凶悪宇宙人 [[ザラブ星人]]
** にせウルトラマン
* 知略遊撃宇宙人 エンディール星人
* 分身宇宙人 [[ガッツ星人]]
=== ウルトラマンメビウス外伝 ゴーストリバース ===
{{See also|ウルトラマンメビウス外伝 ゴーストリバース}}
* 暗黒機靭 メカザム
* 要塞ロボット ビームミサイルキング(てれびくん版のみ)
* 生体破壊メカ クラッシュライザー(テレビマガジン版のみ)
; てれびくん版に登場
* 磁力怪獣 [[アントラー (ウルトラ怪獣)|アントラー]]
* 地底怪獣 [[グドン]]
* 蝉怪獣 キングゼミラ
* 吸血怪獣 ギマイラ
* どくろ怪獣 [[レッドキング]]
* 無双鉄神 インペライザー
* 暗黒四天王邪将・異次元超人 [[ヤプール人|巨大ヤプール]]
** 異次元超人 [[エースキラー (ウルトラ怪獣)|カブトザキラー]](巨大ヤプールが化身)
* 暗黒四天王謀将・策謀宇宙人 デスレム
* 暗黒四天王豪将・冷凍星人 グローザム
* 暗黒四天王知将・悪質宇宙人 [[メフィラス星人]]
** [[メフィラス星人|アーマードメフィラス]]
* さぼてん超獣 [[サボテンダー (ウルトラ怪獣)|サボテンダー]]
* 殺し屋超獣 バラバ
* 夢幻超獣 ドリームギラス
* 友好珍獣 [[ピグモン]]
* 忍者超獣 ガマス
* 犀超獣 ザイゴン
* くの一超獣 ユニタング
* 一角紅蓮超獣 [[バキシム|バキシマム]]
; テレビマガジン版に登場
* 宇宙大怪獣 [[ベムスター]]
* 再生怪獣 ギエロン星獣
* 円盤生物 [[ノーバ (ウルトラ怪獣)|ノーバ]]
* 再生怪獣 [[サラマンドラ (ウルトラ怪獣)|サラマンドラ]]
* 無双鉄神 インペライザー
* 暗黒四天王邪将・異次元超人 [[ヤプール人|巨大ヤプール]]
** 異次元超人 [[エースキラー (ウルトラ怪獣)|メビウスキラー]](巨大ヤプール憑依)
* 暗黒四天王謀将・策謀宇宙人 デスレム
* 暗黒四天王豪将・冷凍星人 グローザム
* 暗黒四天王知将・悪質宇宙人 [[メフィラス星人]]
** [[メフィラス星人|アーマードメフィラス]]
* 円盤生物 ロベルガー
* 四次元ロボ獣 メカギラス
* 戦闘円盤 ロボフォー
* ミサイル超獣 [[ベロクロン]]
* 一角超獣 [[バキシム]]
* 蛾超獣 [[ドラゴリー]]
* 冷凍怪獣 ペギラ
* 凍結怪獣 ガンダー
* 雪女怪獣 スノーゴン
* [[ゼットン|EXゼットン]]
=== ウルトラマンゼロ(DVD、雑誌) ===
{{See also|ウルトラマンゼロの作品一覧}}
* ダークロプスゼロ
** テクターギアブラック
; てれびくん版に登場
* 岩力破壊参謀 ジオルゴン
* 要塞ロボット ビームミサイルキング
; テレビマガジン版に登場
* 生体破壊メカ クラッシュライザー
=== ウルティメイトフォースゼロ アナザースペースアドベンチャー ===
{{See also|ウルトラマンゼロの作品一覧#ウルティメイトフォースゼロ アナザースペースアドベンチャー}}
* 異次元超人 [[ヤプール人|巨大ヤプール]]
** 銀河皇帝 [[ウルトラマンベリアル|カイザーベリアル]](巨大ヤプールが変身した怨念体)
; てれびくん版に登場
* 帝国機兵 レギオノイド(α)(幻影)
* ダークロプスゼロ(幻影)
* メカロボット怪獣 メカゴモラ(幻影)
* ミサイル超獣 [[ベロクロン]]
* 古代超獣 カメレキング
* さぼてん超獣 [[サボテンダー (ウルトラ怪獣)|サボテンダー]]
* 怪魚超獣 ガラン
* 犀超獣 ザイゴン
* 殺し屋超獣 バラバ
* 大蟹超獣 キングクラブ
* 大鳩超獣 ブラックピジョン
* 河童超獣 キングカッパー
* 大蝉超獣 ゼミストラー
* 一角紅蓮超獣 [[バキシム|バキシマム]]
* 異次元超人 [[エースキラー (ウルトラ怪獣)|カブトザキラー]]
* [[タイラント (ウルトラ怪獣)|EXタイラント]]
* 究極超獣 ゼロキラーザウルス
; テレビマガジン版に登場
* 帝国機兵 レギオノイド(α、β)(幻影)
* 帝国猟兵 ダークロプス(幻影)
* ミサイル超獣 ベロクロン
* 一角超獣 [[バキシム]]
* 蛾超獣 [[ドラゴリー]]
* 究極超獣 Uキラーザウルス
** 究極巨大超獣 Uキラーザウルス・ネオ
=== ウルトラマンゼロ&オールスターウルトラマン 超絶!!ウルトラリーグ ===
{{See also|ウルトラマンゼロの作品一覧#ウルトラマンゼロ&オールスターウルトラマン 超絶!!ウルトラリーグ}}
* 邪悪なる暗黒破壊神 ダークザギ
* 暗黒宇宙大皇帝 [[エンペラ星人]]
* 究極生命体 レイブラッド星人
* カオスヘッダー
** カオスウルトラマンカラミティ
** カオスダークネス
** カオスヘッダー0
; てれびくん版のみ登場
* 宇宙怪獣 ベムラー
* 幻覚宇宙人 [[メトロン星人]]
* 磁力怪獣 [[アントラー (ウルトラ怪獣)|アントラー]]
* 地底怪獣 [[テレスドン]]
* 宇宙恐竜 [[ゼットン]]
* 宇宙大怪獣 [[アーストロン]]
* 火山怪鳥 [[バードン (ウルトラ怪獣)|バードン]]
* 暴君怪獣 [[タイラント (ウルトラ怪獣)|タイラント]]
* 地獄星人 [[ヒッポリト星人|スーパーヒッポリト星人]]
* 奇獣 ガンQ
* 地底怪獣 [[グドン]]
* フィンディッシュタイプビースト ノスフェル
* アースロポッドタイプビースト バンピーラ
* ブルームタイプビースト ラフレイア
* 土塊怪獣 アングロス
* 高次元捕食体 ボガールモンス
* 変幻怪獣 キングマイマイ
* 燐光怪獣 グラナダス
* ムチ腕怪獣 ズラスイマー
* 宇宙斬鉄怪獣 ディノゾールリバース
; テレビマガジン版のみ登場
* 炎魔戦士 キリエロイド
* 超合成獣人 ゼルガノイド
* 金属生命体 アパテー
* 超力怪獣 キングゴルドラス
* 超合成獣 ネオダランビア
* 破滅魔虫 カイザードビシ
* 凶悪宇宙人 [[ザラブ星人]]
* 幻覚宇宙人 [[メトロン星人]]
* 暗黒星人 [[ババルウ星人]]
* 暗黒四天王知将・アーマードメフィラス
* 暗黒四天王謀将・策謀宇宙人 デスレム
* 暗黒四天王豪将・冷凍星人 グローザム
=== ウルトラマンサーガ ゼロ&ウルトラ兄弟 飛び出す!ハイパーバトル!! ===
{{See also|ウルトラマンゼロの作品一覧#ウルトラマンサーガ ゼロ&ウルトラ兄弟 飛び出す!ハイパーバトル!!}}
* 触角宇宙人 バット星人
* 宇宙恐竜 [[ゼットン]]
* 怪獣兵器 [[バードン (ウルトラ怪獣)|バードン]]
=== ウルトラマン列伝 ギャラクシーバトルゼロ ===
{{See also|ウルトラマンゼロの作品一覧#ウルトラマン列伝 ギャラクシーバトルゼロ}}
* 高速宇宙人 スラン星人
* 高次元捕食体 ボガール
* 幻覚宇宙人 [[メトロン星人]]
=== 怪獣パワーアップコンテスト ===
大怪獣バトルなど他媒体にも登場していない怪獣のみ
* ハイブリッド強化ベム [[バルタン星人|アンドロ・ザ・キラーメカバルタン]]
* 宇宙超絶恐竜 [[ゼットン|ファイヤーゼットン]]
=== ウルトラ怪獣擬人化計画 ===
{{See also|ウルトラ怪獣擬人化計画}}
* ゴモラ
* メトロン星人
* ツインテール
* ガッツ星人
* レッドキング
* バキシム
* ゼットン
* ゼットン星人
* ベムスター
* 改造ベムスター
* バードン
* キングジョー
* ペガッサ星人
* マグマ星人
* ザンドリアス
* ウインダム
* ライブキング
* ビルガモ
* デバン
* ゴルザ
* キリエロイド
* ガタノゾーア
* ギランボ
* ガーディー
* メカギラス
* シーボーズ
* ノイズラー
* スカイドン
* ドドンゴ
* ピグモン
* ペギラ
* 異次元列車
* モットクレロン
* メフィラス星人
* ブルトン
* メフィラス星人(ニ代目)
* ローラン
* キングジョーII
* ダダ
* ノーバ
* エレキング
* クレージーゴン
* アギラ
* ミクラス
* ハネジロー
* レイキュバス
* モゲドン
* ガラオン
* ダイオリウス
* マリキュラ
* ジャミラ
* シルバーブルーメ
* ブラック指令
* ジャミラ
* ブリッツブロッツ
* カイザードビシ
* ルクーリオン
* サタンビゾー
* パズズ
* ミズノエノリュウ
* ヒッポリト星人
* ベムラー
* バリケーン
* マガバッサー
* マガジャッパ
* ブラックキング
* ナックル星人
* テンペラー星人
* コダラー
* シラリー
* パワードゼットン
* パワードバルタン
* エースキラー
* スフィンクス
* スカルゴモラ
* ケンドロス
* チブル星人
* ベロクロン
* ペガッサ星人ペガ
* [[電光超人グリッドマンの登場怪獣#忍者怪獣 シノビラー|シノビラー]]
* バギラ
* ウー
* マザーザンドリアス
* ゴドラ星人
* 恐竜戦車
* ガルタン大王
* ホー
* ガーゴルゴン
* メカゴモラ
* [[SSSS.GRIDMAN#登場怪獣|グールギラス]]<ref>[http://kaiju-gk.jp/others/20181001/post-258 【最新擬人化怪獣情報!】今月は『SSSS.GRIDMAN』よりグールギラスが最速登場!] 円谷プロダクション、2018年10月07日閲覧。</ref>
* デバダダン
* ゴングリー
* バジャック
* ミニトータス
* セブンガー
* ユニバーラゲス
* デスフェイサー
* ジュダ
==== ウルトラ怪獣擬人化計画feat.POP ====
* ゴモラ
* メフィラス星人
* キングジョー
* バルタン星人
* アントラー
* ベムスター
* エレキング
* ツインテール
* サラマンドラ
* スノーゴン
* レッドキング
* ゼットン
* ヤプール人
* エースキラー
* バキシム
* ジェロニモン
* イカルス星人
* メトロン星人
* ゴドラ星人
* テンペラー星人
* ジャミラ
* ケムール人
* ピグモン
== 小説 ==
=== ウルトラマン VOL.1 ゴールドラッシュ作戦 ===
* ジグリス
* ムンデラー
** 合体怪獣
=== ウルトラマン ジャイアント作戦 ===
* ナポレオン
* 古代怪獣 モルゴ
* 鋼鉄巨人 G
* 宇宙忍者 [[バルタン星人]]
=== ウルトラセブン VOL.1 狙われた星 ===
* ペルミュンデ星人(名前のみ)
* ゴルトス
* ネオ・ゴルトス
* アルベリッヒ星人
** アルベリッヒ星宇宙船
=== ウルトラマンティガ 白狐の森 ===
{{See also|ウルトラマンティガ#小説版}}
* 鬼
* 白狐
* 魔頭鬼十朗幻州
=== 深淵を歩くもの ===
『ウルトラマンティガ』に関連する2話からのみ記載。
* キリエル人
* 邪神
* 内原戸哲夫
=== ウルトラマンダイナ 平和の星 ジ・アザー ===
{{See also|ウルトラマンダイナ#小説版}}
* 生物兵器 メノーファ
* 超悪質宇宙人 ナルチス星人
=== ザ・ウルトラマンメビウス ===
{{See also|ウルトラマンメビウス#ザ・ウルトラマンメビウス}}
* 宇宙恐竜 ゼットン
* 触角宇宙人 バット星人
* 円盤生物 シルバーブルーメ
* 目つぶし星人 カタン星人
* 円盤生物群(ブラックドーム、デモス、星人ブニョ、ロベルガーなど)
=== ウルトラマンメビウス アンデレスホリゾント ===
{{See also|ウルトラマンメビウス アンデレスホリゾント}}
小説オリジナル怪獣のみ記載する。
* 魔杖
* [[ナース (ウルトラ怪獣)#機械龍 ナーガ|機械龍 ナーガ]]
* 核怪獣 アルビノ・ギラドラス
* ユーゼアル
** シャプレー・ビースト
=== 守るための太刀 ===
{{See also|ウルトラマンメビウス#守るための太刀}}
* 宇宙剣豪 ザムシャー
* 念動宇宙人 サイコキノ星人
* 健啖宇宙人 ファントン星人
* アテリア星人
=== Another Genesis ===
{{see also|Another Genesis}}
* ブラスト
* [[ウルトラマンベリアル]]
* 磁力怪獣 [[アントラー (ウルトラ怪獣)|アントラー]]
* 異次元の怪物
* 機人
** アイアンロックス
** [[キングジョー]]
** ジャンボット
* 破壊の神<ミラーマスター>
=== ウルトラマン妹 ===
{{see also|ウルトラマン妹}}
* 宇宙原生生命体 グランボン
* 擬態魔人 カンパネラ星人
* 暗黒機獣 ゴーシュドン
* 超科学星人 ポラノ星人
* 岩石怪鳥 ジョバンドン
* 高次元生命体 イーハトン星人
=== 多々良島ふたたび ウルトラ怪獣アンソロジー ===
小説オリジナル怪獣のみ記載する。
==== マウンテンピーナッツ ====
* デットン(SD)
* ジャミラ(SD)
* ノスフェル(SD)
* 全身に様々な布を巻き付けクレヨンを塗りたくったような色の髪をした脂ぎった手足のSD(名称不明)
* 黄色い擦り切れた衣服を纏った痩せた肉体のSD(名称不明)
==== 影が来る ====
* 影
==== 変身障害 ====
* サイゴードン星人
* サイゴードン星人のペット
* ユートムに似た巨大ロボ
* ネズミロボット
* 戦闘用マイクロボット
==== 怪獣ルクスビグラの足型を取った男 ====
* 古代怪獣 ルクスビグラ
==== 痕の祀り ====
* 斉一顕現体
* 万状顕現体
** 嚢腫体
* 妥蠡
=== ウルトラマンデュアル ===
『ウルトラマンデュアル2』に登場するものについても記載。
* 袂を分かちて明日を望む者 ヴェンダリスタ星人キップ、ラト、メイス
* スタグレングス星人
* カードウ星人
* リトディ星人
* 善行を伝える賢者 ピグモン
* 虚栄の立脚獣 ペンタパス
* 大火まねく火気もたぬ火元 ジジジラフ
* 孤独をこよなく愛する者 コフバット
* 滅びるために生まれし者 ベビボン
* 弧月の鼓動 モグルマム
* 無二の氷像 コオルダー
* 六戒の処刑者 八つ樽
* 死して躍動する者 オンドール
* 痛みを蓄え立つ仕返しの鼓 スイドン
* ディリダ星人
* ハウイェ星人
* ユウキナ星人
* ヒガン星人
* グロリュー星人
* 泥濘海の波止
* たくさんの家
* 戦奴
* ツェーラ
=== ウルトラマンF ===
* 巨人兵士
* レプリカジラース
* レプリカゴメス
* ビースト・ザ・ワン
* 棲星怪獣 ジャミラ
* 黒い悪魔 ダークメフィスト
* 赤き死の巨人 ダークファウスト
* 暗黒破壊神 ダークザギ
* 異次元超人 巨大ヤプール
* 究極超獣 Uキラーザウルス
* ゼットン星人 インペイシャント
* 完全生命体 イフ
* 宇宙恐竜 ハイパーゼットン
=== ウルトラマンオーブ完全超全集 ===
==== ウルトラマンオーブクロニクル‹年代記› ====
* ジャグラス ジャグラー
* ムルナウ
* ジグル博士
* 恐竜戦車
* ペスター
* タッコング
* ガマクジラ
* オルロック伯爵
* ガピヤ星人サデス
* マグマ怪獣 ゴラ
* ナックル星人ラモン兄弟
* ザルタナ星人
* ビランキ
* 脳波怪獣 ギャンゴ
* バルンガ
** バルンガボム
* 大魔王獣 マガオロチ
** マガ魂
* 闇ノ魔王獣 マガタノゾーア
* ミイラ怪獣 ドドンゴ
* ミイラ怪人
* キングザウルス二世
* 超コッヴ
* 光怪獣 プリズ魔
* 光ノ魔王獣 マガゼットン
* 3メートルの宇宙人
* 円盤生物 ハングラー
* 冷凍怪獣 ペギラ
=== 小説 ティガ・ダイナ&ウルトラマンガイア 超時空のアドベンチャー ===
* シビトゾイガー
* スヒューム
* レイキュバス
* 宇宙魔人 チャリジャ
* 超古代怪獣 ガルラ
* スフィア合成獣 ネオジオモス
* 超空間波動怪獣 サイコメザード
* 精神寄生獣 カオスジラーク
* スペースビースト ノスフェル
* 宇宙凶獣 カイザーギラレス13世
** デーモンギラレス14世
== アニメ ==
=== ウピンとイピン ===
* MAKHLUK ASING KILAT
* RAKSASA HALILINTAR
* RAKSASA BAYANG
=== PeepingLife×怪獣酒場 かいじゅうたちがいるところ ===
* バルタン店長
* グドン
* ツインテール
* ダダ
* ジャミラ
* ガラモン
* ケムール人
* ゴモラ
* カネゴン
* メトロン星人
* ガッツ星人
* ダダ
* ノーバ
* ギーゴン
* ゴドラ星人
* ロボット長官
* M1号
=== 怪獣酒場 カンパーイ! ===
* バルタン店長
* カネゴン
* ダダ
* ガヴァドン
* レッドキング
* エレキング
* ザラブ星人
* キュラソ星人
* グドン
* モットクレロン
* ピグモン
* ピット星人
* キングジョー
* ナックル星人
* ヒッポリト星人
* メトロン星人
* ゴモラ
* ゼットン社長
=== 怪獣娘 〜ウルトラ怪獣擬人化計画〜 ===
* シャドウ
** シャドウビースト
** シャドウミスト
** シャドウジェネラル
== 漫画 ==
主に漫画オリジナル怪獣の他、テレビシリーズに登場したものの別個体や、後日談的エピソードに登場したものも記述する。
=== ウルトラマン(一峰大二版) ===
* 深海人
* サイボーグ恐竜 タンギラー
* 軍艦怪獣 ヤマトン
* 怪獣用心棒 ゴルダー
* 吸水怪獣 ウェットン
=== ウルトラマン(野原正光版) ===
* スカンクドン
=== ウルトラマン(楳図かずお版) ===
* 巨大爬虫類
* 三面怪人 [[ダダ (ウルトラ怪獣)|ダダ]](二代目)
=== ウルトラセブン(一峰大二版) ===
*b宇宙獣神 ゴード
=== ウルトラセブン(居村眞二版) ===
* トーク星人
* 甲冑人間
* 大型宇宙船 ボギー
** 小型宇宙船
=== 帰ってきたウルトラマン(内山まもる版) ===
* 宇宙大怪獣 [[ベムスター]](二体目)
=== ウルトラマンA(松久壽仁版) ===
* 超獣 チルドラス
* 超獣 アドルフキング
=== ウルトラマンタロウ(内山まもる版) ===
* インベーダー
* 極悪宇宙人 [[テンペラー星人]](本隊)
* 熱怪獣 ファイアント
* ウルトラキング(メフィラス星人)
=== ウルトラマンタロウ(石川賢版) ===
* 奇形獣 シロ
* アースメシア ゾブァー
* 鬼の像(宇宙人のロボット)
* 鬼型宇宙人
* ミュータントの赤ん坊
=== ウルトラマンレオ(内山まもる版) ===
* ツルクライダー隊
* 暗黒星人 [[ババルウ星人]](弟)
* ロボット ギリシャス
* ウルトラキラー ゴルゴ(地獄星人 ゴルゴ)
* 暗殺宇宙人 ナックル星人(シャドウマン)
=== ザ・ウルトラマン ===
{{See also|ザ・ウルトラマン (漫画)}}
漫画オリジナル怪獣のみ。
* 宇宙大魔王 ジャッカル
* ジャッカル四天王
* ジャッカル軍団長
* ジャッカル軍団員
* パイレーツ星人
* キングパイレーツ
* ベーダー人
* ベーダー総統
* [[バルタン星人|キングバルタン]]
* [[バルタン星人|レッドバルタン]]
* [[バルタン星人|ブルーバルタン]]
* アヌビス星人
* 生体コンピュータ
* 忍者暗殺星人 アサシン
=== ウルトラ兄弟物語 ===
{{See also|ウルトラ兄弟物語}}
漫画オリジナル怪獣のみ。
* 暗黒勢力の星人達
* ダーティベーム
* ウルトラマンジャック([[ウルトラの父]]の兄。[[帰ってきたウルトラマン#帰ってきたウルトラマン(ウルトラマンジャック)|新ウルトラマン]]とは別人)
* ウルトラマンジュピター
* 新宇宙警備隊員
* モガス星人
* ジルキ星人
* ガルダ星人
* ピパ星人
* スペースサタンキング
* デビルプリンス
* サタン軍団員
* テロ・ハンター
* ジャッカー
* ファイティングジャック
* [[バルタン星人|キングバルタン]]
* 宇宙正義軍参謀 ケンタウルス
* 宇宙正義軍メンバー
* W87星人(ウルトラの父以下、光の国のウルトラ戦士達と体色以外同じ姿のW87星人が複数登場)
* ダークゲルマー
* ダーク族
* スペースバンディッツ
* ボリス星人
* ジュダ・プリンス
* ボリス星大王
* ボルグ36人衆
* ジャイアント
* ウルトラマンシーザー
* ガルマ星人
* ダイカー
* コズマ
* 放浪惑星ソドム
** 放浪惑星ソドムの宇宙人
* バード星人
* 超生命 ゴラム
* ウルトラ56部隊
** レッドファイター
=== 決戦!ウルトラ兄弟 ===
{{See also|決戦!ウルトラ兄弟}}
漫画オリジナル怪獣のみ(改造怪獣等も含む)。
* シーカウ星人
* エマキラ
* ジプシー星人ダスペイン
* 惑星改造ロボット ターボファン
* グラウ星人
* サイボーグモンスター グロボーグ
* 宇宙忍者 [[バルタン星人]](右腕改造)
* [[ゼットン|ゼットン三世]]
* ドグラ星人
* ジャック星人
* ニクロン
=== ウルトラマン80(居村眞二版) / ウルトラマン80 宇宙大戦争 ===
漫画オリジナル怪獣のみ。
* 四次元ロボ獣 メカギラス2号
* アメーバ怪獣
* 怪獣魔王
* 恐竜人
* 機動兵士 セミ人間
* [[バルタン星人|バルタン星人総統]]
=== ウルトラマン80(かたおか徹治版) ===
* レッド・ガルマ
* ブラック・ガルマ
* ヘテゴーラ
* 海の大魔獣 アマギラス
* 地底怪獣 ドロギラー
* ベータ星人 大王ゾルバ
* ベータ星人
* メカ怪獣 ゴードン
* ガルマ星大王 ゾルガー
* ガルマ星人
* ガルバ星人
* スピット星人
* グロー
* ザルザー星人
* サンダーアロー
* ミヌマ星人
* サタンキング
* 銀河帝国帝王 グレートザルザード
* 銀河七兄弟
** 第一の戦士 オーディン
** 第二の戦士 ブルダール
** 第三の戦士 ゾンダ
*** 偽ウルトラマンモル
** 第四の戦士 バーディアン
** 第五の戦士
** 第六の戦士
** 第七の戦士 ザックス
* 銀河帝国超巨大母艦 ミルキー・ウェイ
* キングバルタンの兄
* バルタン軍団
* バルタン軍団の艦 ブルーザー
* セレナ星人
=== ウルトラ戦士 銀河大戦争 ===
漫画オリジナル怪獣のみ。
* 帝王バンドラ
* エースキラー戦隊
* 巨大ゼットン
* マグマ星人の王 ゴッドマグマ
* ツアー・メフィラス
* ザラブ星人の王 ザラブ・シーザー
* 宇宙戦車
* 魔人 ジュダ
* ナックル星人の王 ナックル大帝
* キングジョージャイアント
=== ウルトラ超伝説 ===
{{See also|アンドロメロス}}
漫画オリジナル怪獣のみ。
* イド
* ギガン
* ボア
* アギラ
=== アンドロメロス(かたおか徹治版) ===
* 宇宙の独裁者 ソドム
* アベル
* イメルダ
* ソドム帝国兵士
=== ウルトラ怪獣大戦争 ===
{{See also|決戦!ウルトラ兄弟#ウルトラ怪獣大戦争}}
漫画オリジナル怪獣のみ(改造怪獣等も含む)。
* メカゾフィー
* 宇宙恐竜 [[ゼットン]](メカ改造強化)
* 宇宙鳥人 アイロス星人(メカ改造強化)
* 冷凍怪獣 ガンダー(メカ改造強化)
* 双頭怪獣 [[パンドン]](メカ改造強化)
* ダーク・ゴッド
=== ファミコン・ウルトラマン ===
{{See also|決戦!ウルトラ兄弟#ファミコン・ウルトラマン}}
漫画オリジナル怪獣のみ(改造怪獣等も含む)。
* [[ゼットン|キングゼットン]]
* [[ゼットン|サイボーグゼットン]]
=== COMIC'S★ウルトラ大全集 ===
{{see also|COMIC'S★ウルトラ大全集}}
==== ウルトラマン VOL.1 封印解けし時 ====
* 雷神怪獣 アスタロテ
* 鉄魔神 ヴァスヴァール
* ハスハラン
==== ウルトラセブン VOL.1 古都に燃ゆ ====
* 宇宙地竜 ガ・ドーラ
* ノウワーム星人
==== 帰ってきたウルトラマン VOL.1 復讐の宇宙戦線 ====
* 宇宙大怪獣 ベムスターγ
==== ウルトラマンタロウ VOL.1 悲しみの妖精少女 ====
* 幻強怪獣 フォルティシア
* 妖精少女 セーナ
=== ウルトラ忍法帖 ===
{{See also|ウルトラ忍法帖}}
* 冥府羅州(メフィラス)烈風斎
* 沸苦(フック)
* 笹比羅(ササヒラー)
* 怪夢瑠(ケムール)十人衆
* 血風流(チブル)
* 羅混(ラゴン)
* 愚比羅(グビラ)
* 罵流丹(バルタン)
* 武留屯(ブルトン)
* 牙菩羅(ガボラ)
* 嫗(ウー)
* 罵恕(バド)
* 駕瑪鈍(ガヴァドン)
* 暗斗羅亜(アントラー)
* Z屯(ゼットン)
* 金諢(カネゴン)
* 牙津(ガッツ)
* 狂磁諢(クレージーゴン)
* 屁喝嵯(ペガッサ)
* 膿罵(ノーバ)
* ニセウルトラセブン
* 屁戯羅(ペギラ)
* 磨紅魔(マグマ)乱童
* 愚鈍(グドン)
* キングジョー
* 滅吐崙(メトロン)
* 屁酢多亜(ペスター)
* 餅崙(モチロン)
* ザンボラー
* ツインテール
* 舐諢(ナメゴン)
* 泡法螺巣(アボラス)
* 忘愚(ボーグ)
* 冥府羅州(メフィラス)キミヒロ
* 罵流丹(バルタン)Jr
* 屁喝嵯(ペガッサ)Jr
* 餅崙(モチロン)Jr
* 怪夢瑠(ケムール)Jr
* 怪獣マフィア ダダ
* 魔衆羅(マシュラ)
* 怪呂荷亜(ケロニア)
* タッコング
* ザラガス
* エースキラー
* 餅崙(モチロン)母
* ペギアボグドロンマシュボーグケロダダタッコペステール(ペギール)
* 堕痢ー(ダリー)
* 護恕羅(ゴドラ)
* 犯鈍(パンドン)
* 特大堕痢ー(ビッグダリー)
* 怒瑠州(イカルス)
* 暗血羅(アンチラ)
* 手呂利巣斗(テロリスト)
* 嫌太売須(ケンタウルス)
* 海底駕岩(カイテイガガン)
* 華難(カナン)
* 護喪羅(ゴモラ)
* 邪鬼姫
* 屁炉麟駕(ペロリンガ)
* 奇異羅(キーラ)
* 凱魯蘇(ガイロス)
* 嵬閭(ギロ)
* 號主(ゴース)
* 残爬(ザンパ)
* ユートム
* 恐竜戦車
* 蘇膿諢(スノーゴン)
* 蔑夢須多亜(ベムスター)
* 挫羅武(ザラブ)
* 零岌乱(レギュラン)
* 辺無羅亜(ベムラー)
* 護瑠挫(ゴルザ)
* 迦宇羅(カウラ)
* 琥陀羅亜(コダラー)
* 櫃保痢斗(ヒッポリト)
* 茶莉邪(チャリジャ)
* シャドー
* ジュラン
* 亜々巣戸崙(アーストロン)
* 豪須斗崙(ゴーストロン)
* 愚呂手須(グロテス)
* 虓魔王
* 氷鬼ザム
* 氷鬼デモス
* 炎鬼キリエロイド
* 雷鬼ジャミラ
* 呪鬼アブドラールス
* 耐乱斗(タイラント)
* 手屁戸(テペト)
* 嵬牙巣(ギガス)
* 禁具叭羅題(キングパラダイ)
* 二代目嫗(ウー)
* 玩陀亜(ガンダー)
* 沙菩天駝亜(サボテンダー)
* 紋愚羅亜(モングラー)
* 武理座亜度(ブリザード)
* 威琉恕(イルド)
* 武楽沙丹(ブラックサタン)
* 魅伊羅(ミイラ)人間
* 戀鬼
=== ウルトラマン超闘士激伝 ===
{{See also|ウルトラマン超闘士激伝}}
==== 漫画版 ====
主に活躍したもの。
* メフィラス大魔王
* ゼットン
** ハイパーゼットン
** 闘士ゼットン
* 闘士バルタン星人
* 闘士ザラブ星人
* 闘士ケムール人
* 闘士ダダ
* PSY=(サイ)バルタン
* 殺し屋ガッツブラザーズ
* 闘士レッドキング
* 闘士ゴモラ
* 闘士エレキング
* 闘士ベムスター
* 闘士バキシム
* バルタン星人Jr
* テンペラー星人
* エースキラー
** エースキラーR
* ヤプール(ループ星人ヤンド、装鉄鋼装着、暴走態、真の姿)
* 怪僧マザロン
** ハイパーマザロン
* Q
* アンチラ星人
* アプラサ
** アプラサール
* バラバ
* スフィンクス
* ジャンボキング
* ブラックピジョン
* ヤプールコマンド
* タイラント
* アストロモンス
* ドロボン
* ダストパン
* P(パワード)バルタン星人
* P( パワード)レッドキング
* ゴーデス/ウルトラマンG(ゴーデス)
* 邪生鋼戦士ギガルス(ゴラ)
* 邪生鋼戦士ゲルガン(ベムラー)
* 邪生鋼戦士デーガン(テロリスト星人)
* 邪生鋼戦士ブローガ(キングボックル)
* 邪生鋼戦士バランガ(ツルク星人)
* 天魔神 シラリー
* 海魔神 コダラー
* 究極魔神 シーダ
* ピッコロ
* 闘士ヤメタランス
* ササヒラー
* 闘士ザム星人
* 闘士ブラック司令
* 闘士バルキー星人
* 暗黒司祭ジェロニモン
* 皇帝宇宙人 エンペラ星人
* 闘士リフレクト星人
==== オリジナルビデオ版 ====
* 彗星戦神 ツイフォン
** スーパーツイフォン
* エースキラーS
=== ウルトラマンSTORY 0 ===
{{See also|ウルトラマンSTORY 0}}
主に活躍したもの。
* [[ゼットン]]
* [[キングジョー]](キングジョー祖体)
* [[ミクラス (ウルトラ怪獣)|ミクラス]]
* キングザウルス
* 改造光の戦士
* 改造怪獣
* [[バルタン星人]]
* [[ベムスター]](改造)
* [[ウインダム (ウルトラ怪獣)|ウインダム]]
* [[ゴモラ (ウルトラ怪獣)|ゴモラ]]
* [[レッドキング]]
* [[アントラー (ウルトラ怪獣)|アントラー]]
* [[ザンボラー]]
* [[マグマ星人]]
* ギラス(グリーンギラス、イエローギラス、デスギラス)
* ミンティオス
* フリーザス
* 竜の戦士
* 究極怪獣
* 人造光の戦士
=== ウルトラ出光人(ウェブコミック) ===
{{See also|ウルトラ出光人}}
* 腐敗細菌 灰色カビキング
* ミクロ星人 ミゾルン
* 闇将軍 ダークール
* 吸水怪虫 デッザートン
* 食物星雲 ゼリーン
=== 大怪獣バトル ウルトラモンスターズ戦記 ===
* カゲマル
* ガラポン
* ボスゴモラ
=== 大怪獣バトル ウルトラアドベンチャー ===
{{See also|大怪獣バトル ウルトラアドベンチャー}}
『[[大怪獣バトル]]』公式連動ストーリー。
* 古代怪獣 [[ゴモラ (ウルトラ怪獣)|ゴモラ]]
* 友好珍獣 [[ピグモン]]
* 宇宙怪獣 ベムラー
* 超古代怪獣 [[ゴルザ]]
* 奇獣 ガンQ
* 岩石怪獣 [[サドラ]]
* メガトン怪獣 スカイドン
* 破壊獣 モンスアーガー
* 地底怪獣 [[テレスドン]]
* 汐吹き怪獣 ガマクジラ
* どくろ怪獣 [[レッドキング]]
* 超古代怪獣 [[ゴルザ|ファイヤーゴルザ]]
* 超古代竜 メルバ
* 四次元怪獣 [[ブルトン (ウルトラ怪獣)|ブルトン]]
* 怪獣酋長 [[ジェロニモン]]
* 宇宙海獣 レイキュバス
* 宇宙戦闘獣 超コッヴ
* 古代怪獣 [[ツインテール (ウルトラ怪獣)|ツインテール]]
* 地底怪獣 [[グドン]]
* 宇宙ロボット [[キングジョー]]
* 策略星人 [[ペダン星人]]
* 宇宙昆虫 サタンビートル
* 地獄星人 [[ヒッポリト星人]]
* 異次元人 [[ヤプール人|ヤプール]]
* 一角超獣 [[バキシム]]
* 宇宙ロボット [[キングジョー|キングジョーブラック]]
* 用心棒怪獣 [[ブラックキング]]
* 暗殺宇宙人 [[ナックル星人]]
* 異次元超人 [[エースキラー (ウルトラ怪獣)|エースキラー]]
=== ULTRAMAN ===
* ゼットン星人エド
* レッド
* ベムラー
* エイダシク星人
* イガル星人ピグモン
* カッダー星人
* ブリス星人
* スクルーダ星人アダド
* ヤプール
* メフィスト大使
=== 酩酊!怪獣酒場 ===
* ケムール
* ゼットン
* ダダ
* ダークルギエル
* ナックル星人
* ザラブ星人
* レッドキング
* 月怪獣 ペテロ
* ジャミラ
* さすらいの料理怪獣 サドラ
* さすらいの料理怪獣 デットン
* ゴモラ
* ジェロニモン
* クール
* ラゴン
* うす怪獣 モチロン
=== ウルトラジャーニー ツインテール少女とツインテールな僕 ===
; デザインモチーフとしての登場
* ツインテール(双舞ひなた、海老原太陽)
* キングジョー(JO-001、KINGシリーズ)
* ミクラス(ミク、牛、村人たち)
* ガラモン(ガラ子)
* エレキング(キングエレトカゲ)
* キングジョーブラック(ブラック)
* テレスドン(テレス)
* ラコ(ドラコ)
* ブースカ(ブウス子)
* アストロモンス(グリシーヌ)
* ダダ(ダダ兵)
; 怪獣としての登場
* ジェロニモン
* バードン
* ちゃめゴン
* ケロニア
* アストロモンス
* バクタリ
* プレッシャー
** 黒い魔女 サバト
** 白い魔女 パルゴ
== ライブステージ ==
=== 史上最大の決戦 ヒーローフェスティバル'96 ===
* デスナイト
=== ウルトラマンスーパーステージ ===
* [[バルタン星人|皇帝デスバルタン]]
* 宇宙忍者 [[バルタン星人]]
* 幻覚宇宙人 [[メトロン星人]]
* 脳魂宇宙人 ザム星人
* 宇宙恐竜 [[ゼットン]]
* 宇宙ロボット [[キングジョー]]
* 宇宙大怪獣 [[ベムスター]]
* [[バルタン星人|ドクターバルタン]]
* [[バルタン星人|バルル]]
* [[バルタン星人|バルルの母]]
* ペンテ
* モクロン
* 究極生命体 バルラ
=== ウルトラマンライブステージ ===
* 悪質宇宙人 [[メフィラス星人]]
* 宇宙忍者 [[バルタン星人]]
* 幻覚宇宙人 [[メトロン星人]]
* 脳魂宇宙人 ザム星人
* 彗星怪獣 [[ドラコ (ウルトラ怪獣)|ドラコ]]
* 宇宙大怪獣 [[ベムスター]]
* 宇宙ロボット [[キングジョー]]
* 双頭怪獣 [[パンドン]]
* 宇宙恐竜 [[ゼットン]]
* 邪神獣 ゲスグロウ
=== ウルトラマンライブステージ2 宇宙恐竜最強進化! ===
* 幽霊怪人 [[ゴース星人]]
* サーベル暴君 [[マグマ星人]]
* 悪質宇宙人 [[レギュラン星人]]
* 双頭怪獣 改造パンドン
* 暴君怪獣 [[タイラント (ウルトラ怪獣)|タイラント]]
* 古代怪獣 ゴメス
* 超古代怪獣 [[ゴルザ]](強化)
* 奇獣 ガンQ
* 宇宙怪人 セミ人間
* 変身怪人 [[ゼットン星人]](幼少)
* 人工宇宙恐竜 [[ゼットン|クローンゼットン]]
** クローンゼットン・ホワイト(幼体)
** クローンゼットン・ハーフ(半甲殻体)
** クローンゼットン(甲殻体)
** クローンゼットン(繭状体)
** クローンゼットン・ファイナル(成体)
=== ウルトラファミリー大集合 ===
* ベムラー(進化態)
=== ウルトラマンプレミアステージ ===
* 健啖宇宙人 ファントン星人フォンタ
* [[ダダ (ウルトラ怪獣)|ダダ少年ヂヂ]]
* 健啖宇宙人ファントン星人
* 宇宙忍者 [[バルタン星人]]
* 幻覚宇宙人 [[メトロン星人]]
* 放浪宇宙人 [[ペガッサ星人]]
* 暗殺宇宙人 [[ナックル星人]]
* サーベル暴君 [[マグマ星人]]
* 怪異宇宙人 ケットル星人
* 脳魂宇宙人 ザム星人
* 反重力宇宙人 [[ゴドラ星人]]
* 凶悪宇宙人 [[ザラブ星人]]
* どくろ怪獣 [[レッドキング]]
* 古代怪獣 [[ゴモラ (ウルトラ怪獣)|ゴモラ]]
* 深海怪獣 グビラ
* 宇宙大怪獣 [[ベムスター]]
* フィンディッシュタイプビースト・ガルベロス
* 進化怪獣 ラゴラスエヴォ
* 超古代怪獣 [[ゴルザ]]
* カオスダークネス
* 一角超獣 [[バキシム]]
* 宇宙恐竜 [[ゼットン]]
* 異次元超人 [[ヤプール人|巨大ヤプール]]
* 策謀宇宙人 デスレム
* 冷凍星人 グローザム
* 悪質宇宙人 [[メフィラス星人]]
* 暗黒宇宙大皇帝 [[エンペラ星人]]
=== ウルトラマンプレミアステージ2 ===
* 宇宙忍者 [[バルタン星人]]
* 炎魔戦士 キリエロイド
* 金属生命体 アパテー
* 三面異次元人 ギギ
* 宇宙剣豪 ザムシャー
* 地獄星人 [[ヒッポリト星人]]
* 金属生命体 アルギュロス
* 金属生命体 ミーモス
* 超古代怪獣 [[ゴルザ]]
* 巨大機械人形(メカロイド) ゴブニュ(ギガ)
* 吸血植物 [[ケロニア]]
* どくろ怪獣 [[レッドキング]]
* 怪獣酋長 [[ジェロニモン]]
* フィンディッシュタイプビースト ノスフェル
* 凶悪宇宙人 [[ザラブ星人]]
* 半漁人兵士 ディゴン
* 怨念化身獣 アングリラ
* 放浪宇宙人 [[ペガッサ星人]]
* 奇獣 ガンQ
* 宇宙怪獣 [[エレキング]]
* 宇宙昆虫 サタンビートル
* 地底怪獣 [[グドン]]
* 暗黒星人 [[ババルウ星人]]
** ニセウルトラマンメビウス
* 健啖宇宙人 ファントン星人フォンタ
* 友好珍獣 [[ピグモン]]
* コイン怪獣 [[カネゴン]]
* 友好巨鳥 リドリアス
* パートナー怪獣 ザゲル
* わんぱく宇宙人 ピッコロ
* ニコ
* ニコの母
* フロス星人ヴィオラ姫
* 騎士ザックス
* 暗黒魔鎧装 アーマードダークネス
=== ウルトラマンプレミアステージ3 ===
* 策略星人 ペダン星人シャーラン
* 暗殺宇宙人 [[ナックル星人]]
* 幻覚宇宙人 [[メトロン星人]]
* サーベル暴君 [[マグマ星人]]
* 高次元捕食体 ボガール
* 宇宙細菌 ダリー
* EXゼットン
=== ウルトラマンプレミア2011 ===
* 銀河皇帝 カイザーベリアル
** 超銀河大帝 アークベリアル
* 侵略星人 サロメ星人リジェ
* 悪質宇宙人 [[メフィラス星人]]
* ロボット超人 ニセウルトラマンレオ(SR)
=== ウルトラマンフェスティバル(ウルトラライブステージ) ===
オリジナル怪獣、主に活躍したもの。
* 宇宙怪人 セミ人間(怪獣体)
* 邪悪生命体 ゴーデス(超巨大)
* [[ダダ (ウルトラ怪獣)|ダダ少年]]
* ウルトラマンアンドロイド
* [[タイラント (ウルトラ怪獣)|強化タイラント]]
* 宇宙の帝王 ジュダ
* [[エースキラー (ウルトラ怪獣)|改造エースキラー]]
* ジオルゴン
* エンディール星人
* ガロウラー
* ザラボン
* キングジョーUF-09バージョン
* ビームミサイルキング
* クラッシュライザー
* ババルウ星人(アーマード形態)
* マグマ星人(アーマード形態)
* 宇宙忍者 [[バルタン星人|メタリック・バルタン星人]]
* 強化ウインダム
* ジョーカー
* ロボスケ
* ファントン星人クルモン
* マグマ星人ロム
* セレモ星人マーリエ
* 悠然怪獣 スケドン
** サイバースケドン
* 操電怪獣 デンパゴン
** サイバーデンパゴン
* ババルウ星人(タイラントアーマー装着)
* サイバーメカバルタン
* ヘラクレスサタンビートル
* ゼットンバルタン星人
* 宇宙恐魔人 ゼット
* ウルトラダークキラー
* ベリアル融合獣 キングギャラクトロン
* パーフェクトキングジョー
=== ウルトラパワーステージ ===
* ガノー
=== ウルトラマンレジェンドステージ ===
* ロボスケ
* レイラ
* ウルトラマンレオダーク
* アストラダーク
=== 3大特撮ヒーローフェスティバル ===
* 破滅生命体ザクロス
* ガッツ星人ミニット
=== ウルトラヒーローズ THE LIVE アクロバトル クロニクル ===
* ネオ・ベリュドラ
=== Ultraman Live in Genting ===
* リベンジオブバルタン
=== ウルトラヒーローズEXPO ===
* アークベリアルブルー
=== ウルトラヒーローズEXPO2022 サマーフェスティバル ===
* スフィアエレキング
* スフィアゼットン
* マウンテンガリバーⅡ-Ⅴ
== ゲーム作品 ==
=== コンパチヒーローシリーズ ===
* ウルトラキラー
=== ウルトラ作戦 科特隊出撃せよ! ===
* 核露怪獣 ゴルドキング
* 深海魚
* 硬態怪獣 ビルガメラー
* 地底怪獣 ゴロモス
* バイオ怪獣 イオゴン
* 女神竜 ミド
* 岩恐獣 ロンガ
* 宇宙鳥獣 エックス
* 再生ビルガメラー
=== ウルトラマンゼアス(ゲーム版) ===
{{See also|ウルトラマンゼアス#ゲーム版}}
* 火炎翼竜 ワルナンス
* 宇宙剣士 エルヴィル隊長、エルヴィル将軍、エルヴィル元帥
* 光線怪獣 キュベリアス、キュベリナス、キュベリトス
* 超機獣 メタルダイナス、バトルダイナス、デスダイナス
* 双鞭戦士 ギャソリ隊長、ギャソリ将軍、ギャソリ元帥
* 双頭怪獣 ドラクル、ダークドラクル、ヒートドラクル
* 鉱物怪獣 クリスタス、ルビスタス、スチルタス
* 恐吐怪獣 ファイアブレス、ブリザブレス、デストブレス
* 甲殻怪獣 バブボムラー、シーボムラー、サンボムラー
* 飛翔怪獣 ガルーヴァ、ドグーヴァ、ダグーヴァ
* 毒毒怪獣 マスターナ、ドスターナ、ガスターナ
* 切り裂き怪獣 サノボドズ、シノボドズ、クノボドズ
* 電撃怪獣 ゲソジャック、ゲソクィーン、ゲソキングラー
* 海棲怪獣 クザラジラ、シザラジラ、アザラジラ
* 海底怪獣 フジツボン、シンフジツボン、ヤミフジツボン
* 鉱物怪獣 ファイジュエル、カイジュエル、サイジュエル
* 地底怪獣 アルタスク、リャンタスク、ツータスク
* 伝説獣 シーセイドラン
* 封印怪獣 ツヴァイホーン
* 封印怪獣 モグモッグ
* 封印怪獣 ガメロドン
* 封印怪獣 ダダダーゴン
* 商人怪獣 アキンドン
* 空海帝王 ピラニア鳥
* 飛行怪獣 ネイルムサビラー
* どろんこ怪獣 ドロッパ
* エスパー怪獣 アン・スー
* サボテン怪獣 サボトゲン
* こいのぼり怪獣 ガブリンクル
* イナズマ怪獣 イナズマドラグーン
=== PDウルトラマンバトルコレクション64 ===
ゲームオリジナル怪獣のみ。
* バルタン星人Jr、バルタン星人III
* レッドキングII、レッドキングIII
* ペスターII
* ジャミラII
* ゴモラII
* ダダII
* メフィラス星人II、メフィラス星人S
* ゼットンII、ゼットンS
* 再生エレキング
* ゴドラ星人Jr
* メトロン星人Jr
* イカルス星人Jr
* 再生キングジョー
* ナースII
* 再生にせセブン
* キングザウルス
* 再生ツインテール
* ベムスター改造
* エースキラーII
* ヤプール改造
* ヒッポリト星人Jr
* タイラント改造
* 再生マグマ星人
* ブラックガーディ
* ダイゲルン改造
* シルドロン改造、シルドロンS
* アーマードキング、アーマードキングII、アーマードキング改造
: レッドキングに鎧を着せて強化した怪獣で、当然ながら初期能力はレッドキングを上回る。レッドキングと違い電気タイプである。
* ゼットラー、ゼットラーII、ゼットラー改造
: ゼットンの頭部がアントラーになっている怪獣。
* ゴルミラ、ゴルミラII、ゴルミラ改造
: 体系や覚える技の効果などはジャミラと大差ないが、体系以外の部分がまったく新しいデザインであり、ジャミラが苦手とする水が苦手ではない。
* ザーベック、ザーベックII、ザーベック改造
: メフィラス星人の頭部をゴブニュ(ギガ)にしたもの。
* アーデント
* アーバス
* アーデス
=== ウルトラマン Fighting Evolution Rebirth ===
{{See also|ウルトラマン Fighting Evolution Rebirth}}
ゲームオリジナル怪獣のみ。
* 改造レッドキング
* 改造エレキング
* 改造タイラント
* 改造タイラントII<!--ギリシャ文字は機種依存文字です-->
* 改造ゴモラ
* カオスキリエロイド
* カオスワロガ
* カオスロイドU
* カオスロイドS
* カオスロイドT
* ネオカオスダークネス
* ネオカオスダークネスII
=== ウルトラマン Fighting Evolution 0 ===
{{ See also|ウルトラマン Fighting Evolution 0}}
『[[ウルトラマンメビウス]]』、『[[ウルトラマンメビウス&ウルトラ兄弟]]』との公式連動ストーリー。「ウルトラ超辞典60(スピリッツ)」を除く。
* 宇宙怪獣 [[エレキング]]
* 宇宙忍者 [[バルタン星人]]、暴走バルタン星人
* 用心棒怪獣 [[ブラックキング]]、強化ブラックキング
* 暗殺宇宙人 [[ナックル星人]](ブラックキングの必殺技3のみ)
* にせゾフィー
* にせウルトラセブン
* 一角超獣 [[バキシム]]、強化バキシム
* にせウルトラマンエース
* にせウルトラマンタロウ
* 極悪宇宙人 [[テンペラー星人]]、強化テンペラー星人、暴走テンペラー星人(超テンペラー星人)
* 暗黒星人 [[ババルウ星人]]、暴走ババルウ星人(超ババルウ星人)
* 宇宙恐竜 [[ゼットン]]
* 暴走ゾフィー
* 異次元人 [[ヤプール人|ヤプール]](画像のみ)
* 究極超獣 Uキラーザウルス(ウルトラキラーザウルス)(名前のみ)
=== プレイムービーDXウルトラコクピット ===
* 宇宙礫岩怪獣 グロマイト
* 再生怪獣 サラマンドラ
* 地底怪獣 [[グドン]]
* 宇宙大怪獣 [[ベムスター]]
* 一角超獣 [[バキシム]]
* 変身怪獣 ザラガス
* 宇宙ロボット [[キングジョー]]
* 古代怪獣 キングザウルス三世
* ミサイル超獣 [[ベロクロン]]
* 極悪宇宙人 [[テンペラー星人]]
=== 大怪獣バトル ULTRA MONSTERS ===
{{See also|大怪獣バトル ULTRA MONSTERS}}
※ ゲームオリジナル怪獣のみ
* 宇宙ロボット [[キングジョー|キングジョーブラック]]
* 異次元超人 [[エースキラー (ウルトラ怪獣)|カブトザキラー]]
* [[メフィラス星人|アーマードメフィラス]]
* [[ゼットン|EXゼットン]]
* 宇宙ロボット [[キングジョー|キングジョースカーレット]]
* アーマードグローザム
* 一角紅蓮超獣 [[バキシム|バキシマム]]
* キール星人ヴィットリオ
* レイモン
* 究極生命体 レイブラッド星人
=== 怪獣バスターズシリーズ ===
{{See also|怪獣バスターズ}}
* 透明怪獣 [[ネロンガ|ネロンガ(変異種)]]
* 透明怪獣 透明ネロンガ
* 四次元怪獣 [[ブルトン (ウルトラ怪獣)|ブルトン]](黒)
* 四次元怪獣 巨大ブルトン
* 用心棒怪獣 [[ブラックキング]](金)
* 風船怪獣 [[ウルトラQの登場怪獣#風船怪獣 バルンガ|バルンガ]](青)
* 海獣 [[ゲスラ]](青)
* 海獣 [[ゲスラ]](赤)
* 海獣 巨大ゲスラ
* 磁力怪獣 [[アントラー (ウルトラ怪獣)|アントラー]](白)
* 磁力怪獣 巨大アントラー
* 戦車怪獣 [[恐竜戦車]](緑迷彩)
* 戦車怪獣 [[恐竜戦車]](雪迷彩)
* 戦車怪獣 ミニ恐竜戦車
* 火山怪鳥 [[バードン (ウルトラ怪獣)|バードン]](氷)
* 火山怪鳥 [[バードン (ウルトラ怪獣)|バードン]](雷)
* 円盤生物 [[ノーバ (ウルトラ怪獣)|ノーバ]](白)
* 円盤生物 ミニノーバ
* 奇獣 [[ガンQ]](氷)
* 宇宙ロボット [[キングジョー|キングジョー(最新型)]]
* 黄金怪獣 [[ウルトラマンの登場怪獣#黄金怪獣 ゴルドン|ゴルドン]](シルバー)
* 黄金怪獣 [[ウルトラマンの登場怪獣#黄金怪獣 ゴルドン|ゴルドン]](ブロンズ)
* 戦闘円盤 [[ロボフォー]](緑)
* 戦闘円盤 高速ロボフォー
* 宇宙恐竜 [[ゼットン|ゼットン(変異種)]]
* 宇宙怪獣 [[エレキング]](毒)
* 宇宙怪獣 [[エレキング]](ブラック)
* 宇宙怪獣 Vエレキング
* どくろ怪獣 [[レッドキング]](氷)
* どくろ怪獣 ミニレッドキング
* 古代怪獣 [[ゴモラ (ウルトラ怪獣)|ゴモラ]](氷)
* 古代怪獣 [[ゴモラ (ウルトラ怪獣)|ゴモラ]](METEOR)
* 宇宙植物怪獣 [[ソリチュラ]](ゾンビ)
* メガトン怪獣 [[スカイドン|よごれたスカイドン]]
* 古代怪獣 キングザウルス(祖種)
* 無双鉄神 暴走インペライザー
* ガンQベビー
* レッドスペースモス
* グレートスフラン
* クーモン
* メタルクーモン
* アクアフィッシュ
* マグマフィッシュ
* ザイゴ
* ザイゴ(火)
* ザイゴ(氷)
* スペースワームS
* スペースワームM
* デビルラビット
* デビルラビット(茶)
* デビルラビット(氷)
* アクマニヤニードル
* バットンα
* バットンβ
* アネモス(氷)
* アントライオン
* ブルーアントライオン
* インセクター
* ロックン
* コサメクジラ
* コサメクジラ(砂)
* スペースタートル
* バーニングコング
* メカコング
* UFO
* ボーンザウルス
* 古代怪獣 ガンモナイドン
* 超進化怪獣 ギラ・ナーガ
* 究極人工生命体 ゼヴォス
* [[Vジャンプ|V龍(ブイロン)]]
=== 大怪獣ラッシュ ウルトラフロンティア ===
{{See also|大怪獣ラッシュ ウルトラフロンティア}}
ゲームオリジナル怪獣のみ。
* [[バルタン星人|バルタンバトラー・バレル]]
* [[ガッツ星人|ガッツガンナー・ガルム]]
* [[マグマ星人|マグママスター・マグナ]]
* [[メフィラス星人|メフィラス星人 ジェント]]、スライサー、シックル
* [[カネゴン|カネゴン・ア・キンド]]
* メトロン星人 メルド、デストロイ、ウィップ、メタバー
* チブル星人 チブローダー、チブローダーストロング、チブローダーリミテッド
* ガッツ星人 シーズ
* マグマ星人 フッグ、トライド、ヴァイザー
* デスレ星雲人 デフレイム、デスラル、デスレード、ダイロ
* グローザ星系人 グランザー、グロウラン、グロール
* [[ゴモラ (ウルトラ怪獣)|アースゴモラ]]
* [[レッドキング|マグマレッドキング]]
* ブラックアースゴモラ
* ダダ A(エリートナンバーズ)、B(ブレイカーナンバーズ)、C(コマンドナンバーズ)
* ザラブ星人 レイント、ザラガン、ウェイバ
* イカルス星人 アロウ
* バルキー星人 ラース、グーガー、キルバ
* [[タイラント (ウルトラ怪獣)|プラズマルチタイラント]]
* ブラックプラチナタイラント
* ノダチザムシャー
* ナギナタザムシャー
* ユミザムシャー
* アクアペスター
* オリハルコンペスター
* ババルウ星人 フガク、ドマノ、ハマー
* ナックル星人 ラボラ、ジャイラ
* ヒッポリト星人 アーチャー、ヒルガ、ケイブ
* ピッコラ星雲人 ピッタ
* [[キングジョー|プラズマメタルキングジョー]]
* サンダービートスター
* オリハルコンキングジョー
* ライトニングシーボーズ
* [[バードン (ウルトラ怪獣)|プラズマボーンバードン]]
* スーパーアースゴモラ
* 闇属性ライトニングシーボーズ
* 暗黒属性ファイブキング
=== ウルトラマン フュージョンファイト! ===
* 闇ノ魔王獣 マガタノゾーア
* 禍々アークベリアル
* ストロング・ゴモラント
* ベムゼード
* バーニング・ベムストラ
== 玩具 ==
=== ウルトラマン超闘士鎧伝 ===
* ギガメタルモンス グランドキング
* ギガメタルモンス アクアキング
* ギガメタルモンス エアロキング
* ギガメタルモンス グレイテストキング
* ゴルザ
* メルバ
* ダークベンゼン
* メフィラス星人II
* ゼットンII
* エレキングII
=== ウルトラエッグ ===
* ピグモン
* ダダ
* レッドキング
* エレキング
* ゼットン
* バルタン星人
* ゴモラ
* キングジョー
* ウルトラマンベリアル
* カネゴン
* ガンQ
* ナース
* ツインテール
* メトロン星人
* ミクラス
* 恐竜戦車
* ベムスター
* メルバ
* ゴルザ
* ウィンダム
* タッコング
* グドン
* シーボーズ
* ガッツ星人
* バードン
* タイラント
* スーパーグランドキング
* ダークルギエル
* アントラー
* イカルス星人
* バキシム
* ベロクロン
=== ウルトラボーン ===
これらが体のパーツを交換することで新種の怪獣が誕生する。
==== 第1弾 ====
* バルタン星人
** ブラックバージョン
* ゴモラ
** ブラックバージョン
* アントラー
** ブラックバージョン
* グビラ
** ブラックバージョン
* ツインテール
** ブラックバージョン
* バードン
** ブラックバージョン
==== ベリアル襲来編 ====
* ウルトラマンベリアル
** ブラックバージョン
** 蓄光バージョン
* レッドキング
** ブラックバージョン
** 蓄光バージョン
* キングジョー
** ブラックバージョン
** 蓄光バージョン
* ベムスター
** ブラックバージョン
** 蓄光バージョン
* タッコング
** ブラックバージョン
** 蓄光バージョン
* ピグモン
** ブラックバージョン
** 蓄光バージョン
==== ウルトラボーンX ====
* キリエロイドII
** アナザーカラー
* バキシム
** アナザーカラー
* ナース
** アナザーカラー
* ゼットン
** アナザーカラー
* バルタン星人
** アナザーカラー
* ウルトラマンベリアル
==== ウルトライブスペシャル ====
* タイラント
** アナザーカラー
* モチロン
** アナザーカラー
* ブラックキング
** アナザーカラー
* バルキー星人
** アナザーカラー
* バルタン星人
** アナザーカラー
==== 大怪獣ラッシュスペシャル ====
* バルタンバトラー・バレル
** アナザーカラー
* ガッツガンナー・ガルム
** アナザーカラー
* マグママスター・マグナ
** アナザーカラー
* ヒッポリト星人
** アナザーカラー
* メトロン星人
** アナザーカラー
==== ガシャポンエディション ====
* ゼットン
** ブラックカラー
* エレキング
** ブラックカラー
* メトロン星人
** ブラックカラー
* カネゴン
** ブラックカラー
* ガンQ
** ブラックカラー
* 恐竜戦車
** ブラックカラー
==== ガシャポンエディション2 ====
* シーボーズ
** ブラックカラー
** 蓄光バージョン
* タイラント
** ブラックカラー
** 蓄光バージョン
* ペスター
** ブラックカラー
** 蓄光バージョン
* ダダ(A)
** ブラックカラー
** 蓄光バージョン
* ダダ(B)
** ブラックカラー
** 蓄光バージョン
* ダダ(C)
** ブラックカラー
** 蓄光バージョン
=== ウルトラボーグ ===
* マシンボーグ バルタン星人
** グラビティバトルシップ
* マシンボーグ アントラー
** マグネティックモーター
* マシンボーグ ゴモラ
** アームドタンク
* マシンボーグ エレキング
** キングブル
* マシンボーグ ウインダム
** ウインホーク
* マシンボーグ ナース
** アイアンシップス
=== ウルトラマンX サイバーカード ===
* サイバーテレスドン
* サイバーゴモラ
* サイバーバードン
* サイバーエレキング
* サイバーベムスター
* サイバーファントン星人
* サイバーデマーガ
* サイバーグドン
* サイバーバルタン星人
* サイバーザラブ星人
* サイバールディアン
* サイバーガゾート
* サイバーインペライザー
* サイバーサンダーダランビア
* サイバーキングジョー
* サイバーゼットン
* サイバーバルキー星人
* サイバーダダ
* サイバーガーゴルゴン
* サイバーレッドキング
* サイバーネロンガ
* サイバージェロニモン
* サイバー恐竜戦車
* サイバーカウラ
* サイバーアントラー
* サイバーナース
* サイバーブラックキング
* サイバーパンドン
* サイバールナチクス
* サイバータイラント
* サイバーシーボーズ
* サイバーホオリンガ
* サイバーツルギデマーガ
* サイバーシェパードン
* サイバーエタルガー
* サイバーマグマ星人
* サイバースーパーグランドキング・スペクター
* サイバーモルド・スペクター
* サイバーメカゴモラ
* サイバーゴメス(S)
* サイバーキングゲスラ
* サイバーピグモン
* サイバーハイパーゼットン
* サイバーガンQ
* サイバーカネゴン
* サイバースラン星人
* サイバーケムール人
* サイバーペスター
* サイバーベロクロン
* サイバーウィンダム
* サイバーウルトラマンベリアル
* サイバーガタノゾーア
* サイバーガルベロス
* サイバージュダ・スペクター
* サイバーグリーザ
* サイバーファイブキング
* サイバーダークザギ
* サイバービクトルギエル
* サイバーファイヤーゴルザ
* サイバーザイゴーグ
* ホオリンガ(怪獣いろは)
=== ウルトラヌードル ===
* ウルトラマンベリアル
* バルタン星人
* デマーガ
=== アタック変形 ウルトラビークル ===
* ベリアルビークル
* バルタンビークル
* ゴモラビークル
* レッドキングビークル
* ギャラクトロンビークル
* キングジョービークル
* ブラックキングビークル
* トレギアビークル
* エレキングビークル
* ゼットンビークル
=== バイタルブレス キャラクターズ ===
* 特空機1号セブンガー(ダブルドリルアーム)
* マグマゴモラ
== フィギュア ==
=== KAIJU REMIX SERIES ===
* セミ人間
* アストロモンス
* ガマクジラ
* ベムラー
* ダダ
* アントラー
* ゼットン
* ケムール人
* ドラコ
* ネロンガ
* ゴモラ
* テレスドン
=== ウルトラ怪獣擬人化計画 Figure Progect ===
* エレキング
* レッドキング
* ゼットン
* ガラモン
* キングジョー
* ダダ
* メトロン星人
* カネゴン
== パチンコ ==
=== ぱちんこウルトラマンタロウ 戦え!!ウルトラ6兄弟 ===
* ウルトラダークキラー
=== CR ウルトラマンタロウ 暗黒の逆襲 ===
* ダークキラーファースト
* ダークキラーセブン
* ダークキラーエース
* ダークキラーゾフィー
* ダークキラージャック
=== パチスロウルトラマンウォーズ-M78星雲の光- ===
* 宇宙忍者 バルタン星人
* 極悪宇宙人 テンペラー星人
* 宇宙大怪獣 ベムスター
* ミサイル超獣 ベロクロン
* 宇宙恐竜 ゼットン
* 暴君怪獣 タイラント
* 三面怪人 ダダ
* メトロン星人
* ゴモラ
* エレキング
* キングジョー
* ピグモン
* 冷徹暴君 イクシオン
* ヤルー
=== ぱちんこウルトラバトル烈伝 戦えゼロ! 若き最強戦士 ===
* 恐竜戦士 ザウラー
* ハイパーエレキング
* ウルトラダークキラー
** ダークキラーシャドー
** ダークキラーマイト
** ダークキラーデルタ
== 飲食店 ==
=== 怪獣酒場/帰ってきた怪獣酒場 ===
* バルタン店長
==== 怪獣酒場 復活への道 ====
* 冴える奸計 バット星人
* 狂気の二連星 マグマ兄弟
* 大剣豪 ザムシャー
=== 元祖怪獣酒場 ===
* カネゴン店長
=== 怪獣酒場 新橋蒸溜所 ===
* メフィラス店長
=== KAIJU MUSUME 6 ===
* バードン
* エレキング
* ギャンゴ
* クレージーゴン
* メフィラス星人
* ウインダム
* ブラック指令
* ピグモン
* 快獣ブースカ
* キングジョー
* ペガッサ星人
* バルタン星人
* ゴモラ
* ゼットン
* カネゴン
* レッドキング
* ミクラス
* ガッツ星人
* ダダ
== 補足 ==
円谷プロダクションはウルトラシリーズ以外にも怪獣の登場する特撮作品を複数制作しているが、ウルトラシリーズの映像作品に他の作品の怪獣が作品の枠を超えて登場することはほとんどなく、2013年時点では2例あるのみである{{efn|1974年に制作された『ウルトラマンタロウ』第47話に登場したゴルゴザウルスII世と、『ウルトラ6兄弟VS怪獣軍団』に登場したダストパン。いずれも初出は『[[ミラーマン]]』。}}。
特徴の一つとして、各作品の第1話に登場する怪獣は、後頭部から角状の突起が生えているものが多いのが挙げられ、怪獣評論家でもある歯学博士の[[小林晋一郎]]は、そうした論調を用意して健筆を振るうことが多い{{efn|[[ウルトラQの登場怪獣#古代怪獣 ゴメス|ゴメス]]、[[ウインダム (ウルトラ怪獣)|ウインダム]]、[[アーストロン]]、[[ウルトラマンタロウの登場怪獣#オイル超獣 オイルドリンカー|オイルドリンカー]]、[[ウルトラマンタロウの登場怪獣#宇宙大怪獣 アストロモンス|アストロモンス]]、[[ウルトラマンレオの登場怪獣#双子怪獣 ブラックギラス|ブラックギラス]]、[[ウルトラマンレオの登場怪獣#双子怪獣 レッドギラス|レッドギラス]]、[[ザ☆ウルトラマンの登場怪獣#冷凍怪獣 シーグラ|シーグラ]]、[[ゴルザ]]など。}}。
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Notelist}}
=== 出典 ===
{{Reflist}}
== 関連項目 ==
* [[怪獣墓場]]
* [[怪獣酒場]]
* [[ウルトラ怪獣擬人化計画]]
* [[円谷怪獣一覧]]
* [[怪獣の一覧]]
{{ウルトラ怪獣}}
{{ウルトラシリーズ}}
{{未完成の一覧}}
{{デフォルトソート:うるとらかいしゆういちらん}}
[[Category:ウルトラ怪獣一覧|*]]
[[Category:ウルトラシリーズ]]
|
2003-09-11T09:06:01Z
|
2023-12-16T00:43:47Z
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[
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%A9%E6%80%AA%E7%8D%A3%E4%B8%80%E8%A6%A7
|
16,236 |
I
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Iは、ラテン文字(アルファベット)の9番目の文字。小文字は i であるが、トルコ語とアゼルバイジャン語では点のない ı がある。
大文字は、一本の縦棒である。しかし、それではLの小文字や数字の 1 など混同し易い(ホモグリフ)せいもあって、手書き文字(ブロック体)であってもセリフを上下に付けて区別することがある。
同様にして、数字の 1 は飾りを上だけにする、数字の 7 は鉤を付ける、小文字の L は筆記体で l と書く、というように区別することがある。
筆記体では、本体は下部が左に流れるが、ベースラインを超えない。また、右下から左に弧を描いて文字の頂点までの飾りを付ける。フラクトゥールは I {\displaystyle {\mathfrak {I}}} で、書体によっては J {\displaystyle {\mathfrak {J}}} (J) と区別が付かない(あるいは、もともと異体字であったIとJの区別を設けていない)。このため、記号としては J {\displaystyle {\mathfrak {J}}} (J) を抜かすことがある( I {\displaystyle {\mathfrak {I}}} (I) の次の記号に K {\displaystyle {\mathfrak {K}}} (K) を使う)。また、T の筆記体と紛らわしいが、フラクトゥールでTは T {\displaystyle {\mathfrak {T}}} のようであり、区別が付く。
小文字は、縦棒の上に(トルコ語とアゼルバイジャン語を除き)点を付ける。縦棒はしばしば下部が右に曲がり、折り返すこともある。筆記体で前の文字から続くときは、下部左から、右上に向かって後で書かれる本体に合流する。フラクトゥールは i {\displaystyle {\mathfrak {i}}} 。文字の上部に付けるダイアクリティカルマークが付く場合、普通は点を取った上で付ける。
ギリシャ文字のΙ(イオタ)に由来し、キリル文字のІ, Јと同系の文字である。IとJの2形があったが、Iが母音を、Jが半母音を、区別して表すようになった。両者が区別して使われるようになったのは15世紀以降である。
この文字が表す音素は、/i/ないしその類似音である。
音声記号としては、[i] は「非円唇前舌狭母音」、小型大文字 [ɪ] は「非円唇前舌広め狭母音」を表す。
商標、作品名等については、I (曖昧さ回避)参照。
|
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] |
Iは、ラテン文字(アルファベット)の9番目の文字。小文字は i であるが、トルコ語とアゼルバイジャン語では点のない ı がある。
|
{{Otheruses}}
{{A-Z}}
'''I'''は、[[ラテン文字]]([[アルファベット]])の[[9]]番目の文字。小文字は '''i''' であるが、[[トルコ語]]と[[アゼルバイジャン語]]では[[#特殊なI|点のない '''ı''']] がある。
== 字形 ==
[[File:I cursiva.gif|thumb|250px|筆記体]]
[[ファイル:Sütterlin-I.png|サムネイル|250x250ピクセル|[[ジュッターリーン体]]]]
[[大文字]]は、一本の縦棒である。しかし、それでは[[L]]の小文字や数字の [[1]] など混同し易い([[ホモグリフ]])せいもあって、手書き文字([[ブロック体]])であっても[[セリフ (文字)|セリフ]]を上下に付けて区別することがある。
同様にして、数字の 1 は飾りを上だけにする、数字の [[7]] は鉤を付ける、小文字の L は筆記体で ℓ と書く、というように区別することがある。
また、iだけを小文字にして、他の字を大文字にするのも見受けられる。
筆記体では、本体は下部が左に流れるが、[[書体#欧文書体|ベースライン]]を超えない。また、右下から左に弧を描いて文字の頂点までの飾りを付ける。[[フラクトゥール]]は<math>\mathfrak{I}</math>で、書体によっては<math>\mathfrak{J}</math>([[J]]) と区別が付かない(あるいは、もともと異体字であったIとJの区別を設けていない)。このため、記号としては<math>\mathfrak{J}</math>(J) を抜かすことがある(<math>\mathfrak{I}</math>(I) の次の記号に<math>\mathfrak{K}</math>(K) を使う)。また、[[T]] の筆記体と紛らわしいが、フラクトゥールでTは<math>\mathfrak{T}</math>のようであり、区別が付く。
小文字は、縦棒の上に(トルコ語とアゼルバイジャン語を除き)点を付ける。縦棒はしばしば下部が右に曲がり、折り返すこともある。筆記体で前の文字から続くときは、下部左から、右上に向かって後で書かれる本体に合流する。[[フラクトゥール]]は<math>\mathfrak{i}</math>。文字の上部に付ける[[ダイアクリティカルマーク]]が付く場合、普通は点を取った上で付ける。
== 歴史 ==
[[ギリシャ文字]]の{{Unicode|[[Ι]]}}(イオタ)に由来し、[[キリル文字]]の{{Unicode|[[І]]}}, {{Unicode|[[Ј]]}}と同系の文字である。IとJの2形があったが、'''I'''が[[母音]]を、[[J]]が[[半母音]]を、区別して表すようになった。両者が区別して使われるようになったのは[[15世紀]]以降である。
== 呼称 ==
* [[ラテン語|拉]]・[[ドイツ語|独]]・[[オランダ語|蘭]]・[[ハンガリー語|洪]]・[[インドネシア語|尼]]・[[エスペラント|エス]]:イー
* [[フランス語|仏]]・[[イタリア語|伊]]・[[スペイン語|西]]:イ
** スペイン語では [[Y]] との区別を強調する場合、「イ・ラティーナ」(i latina)とも言う<ref>{{Cite web |title=Un solo nombre para cada letra |url=https://www.rae.es/espanol-al-dia/un-solo-nombre-para-cada-letra |website=Real Academia Española |access-date=2022-12-31 |language=es}}</ref>。
* [[英語|英]]:アイ {{ipa|aɪ}}
* [[トルコ語|土]]:ウ(点なし)、イ([[İ|点あり]])
* [[ベトナム語|越]]:イガン
*[[日本語|日]]:アイ {{ipa|äi}}
== 音素 ==
この文字が表す音素は、{{ipa|i}}ないしその類似音である。
* ラテン語でしばしば[[J]]と同じ発音({{ipa|j}})をする。
* 英語では、[[大母音推移]]の結果、短音は{{ipa|ɪ}}, 長音は{{ipa|aɪ}}と発音する。(一部借用語を除いて)語末に現れない。
* フランス語では、他の[[母音]]字の前で[[半母音]]({{ipa|j}})化する。
* トルコ語、アゼルバイジャン語では唇を丸めず「イ」のようにして「ウ」と発音する音([[非円唇後舌狭母音]])である。
* [[日本語]]の[[ローマ字]]表記では、[[イ段]]の母音に使われる。
* [[朝鮮語]]のローマ字表記では、母音ㅣを示す。また、ㅟ、ㅢもw'''i''',u'''i'''とiを含む綴りとなる。
* [[中国語]]の[[漢語拼音]]では、介音 {{ipa|i}} を含む韻母の表記に使われる。ただし、声母(頭子音)が付かない場合は、yになる。「一」「伊」など主母音、尾音無しで介音 {{ipa|i}} のみの場合、半母音 {{ipa|j}} が発音されるわけではないが、yi と表記する。そのため i で始まることは無い。
** また、「四」(si)、「子」(zi)等z,c,s,zh,ch,sh,rに続く場合などは、子音のそのままの舌の構えで出される母音 {{IPA|z̩}} を示す。これはイ段よりもウ段に近い音なので注意を要する。
音声記号としては、{{IPA|i}} は「[[非円唇前舌狭母音]]」、小型大文字 {{IPA|ɪ}} は「[[非円唇前舌広め狭母音]]」を表す。
== Iの意味 ==
商標、作品名等については、[[I (曖昧さ回避)]]参照。
=== 数字・数量・単位 ===
* I - [[ローマ数字]]の[[1|一]]。
* I - [[二十進法]]など、十九進法以上<small>(参照: [[位取り記数法#Nが十を超過]])</small>において[[18|十八]]([[十進法]]の'''18''')を一桁で表すために用いられる数字。ただし、[[1]] と紛らわしいために使用しないこともある(この場合、十八を [[J]] として、十九を [[K]] 、… とする)。
=== 分類記号・符号・変数 ===
* I - [[ヨウ素]]の[[元素記号]]。
* [[血液型]]の分類
** I−型、i型 - Ii式血液型の分類。適合率0.01%以下。
** I型 - [[ブタ]]の13種の血液型のうちの一つ。
* i - [[数学]]で、[[虚数単位]] ('''i'''maginary unit) を表す記号。
* i - [[化学]]等で、[[対称操作]]のひとつである[[反転幾何学|反転]]を表現する記号。具体的な使用例は[[分子対称性]]を参照。
* I、i - [[電流]]を表す記号。大文字で直流、小文字で交流を表すよう区別をする場合がある。
* i - [[天文学]]で、[[軌道傾斜角]](Orbital '''i'''nclination)を表す記号。
* i - [[経済学]]で、[[名目金利|名目利子率]]を表す記号。
* i - [[数学]]や[[プログラミング|コンピュータ・プログラミング]]で、[[イテレータ]]や[[添え数|インデックス]]として使われる記号。iを使った後は、その後に続くアルファベット順に、[[j]], [[k]] が使われる。
** I - [[FORTRAN]]などの[[プログラミング言語]]で、[[整数]] ('''I'''nteger) ないし整数である[[変数 (プログラミング)|変数]]を表す記号。
*** 上記から、ほかのプログラミング言語でも整数である変数に用いられることが多く、ループの回数を数える変数として多用される。
* i - [[国際電気通信連合]]の定める映像規格において、[[インターレース]]走査方式を示す記号。[[1080i]]など。
=== 略称・略表記の一部 ===
* I - [[情報]] ('''I'''nformation) - 例:「[[情報技術|IT]]革命」
* I - [[知能]] ('''I'''ntelligence) - 例: [[知能指数|IQ]]=Intelligence Quotient
* i、{{JIS2004フォント|ⓘ}} - 案内所 ('''i'''nformation)を示す地図記号。
* I - [[鉄道]]の[[サインシステム]]における[[路線記号]]。
** [[都営地下鉄]][[都営地下鉄三田線|三田線]] (m'''I'''ta)
**[[北陸鉄道]][[石川線]] ('''I'''shikawa)
**[[JR西日本|JR]][[加古川線]]
**[[Osaka Metro]][[今里筋線]] ('''I'''mazatosuji)
**[[近畿日本鉄道|近鉄]][[田原本線]]
**[[鹿児島市電]][[鹿児島市電1系統|1系統]] ('''I'''chi)
* I - 日本の電気業界で、[[日本アイ・ビー・エム]]を表す[[符牒]]。
== 特殊なI ==
{{Glyphs|I|ı}}
* [[トルコ語]]と[[アゼルバイジャン語]]では '''I''' の小文字は点のない '''ı''' であり、点のある '''i''' 及び '''[[İ]]''' とは別の文字として扱われている。
* [[アイルランド語]]でもしばしば点のない小文字の '''ı''' が使われるが、これは[[ゲール文字]]の伝統に従ったものであり、点のある '''i''' で書いても同じことである。
* [[オランダ語]]で用いられる[[合字]]'''[[IJ]]''', '''ij'''は、独立した文字として扱われる。
== 符号位置 ==
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!大文字!![[Unicode]]!![[JIS X 0213]]!![[文字参照]]!!小文字!!Unicode!!JIS X 0213!!文字参照!!備考
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==他の表現法==
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== 脚注 ==
{{reflist}}
== 関連項目 ==
{{Wiktionary|i|I}}
* [[Ì]] ì - [[グレイヴ・アクセント]]
* [[Í]] í - [[アキュート・アクセント]]
* [[Î]] î - [[サーカムフレックス]]
* [[Ï]] ï - [[トレマ]]
* [[Ī]] ī - [[マクロン]]
* [[Į]] į - [[オゴネク]]
* [[İ]] i - [[ドット符号]]
* [[IJ|IJ]] ij - [[合字]]
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{{アゼルバイジャン語のラテン文字}}
{{クリミア・タタール語のラテン文字}}
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[[Category:ラテン文字]]
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八十八夜
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八十八夜(はちじゅうはちや)は雑節のひとつで、立春を起算日(第1日目)として88日目(立春の87日後の日)にあたる。
もともと、太陰暦をベースとしている日本の旧暦では暦日と季節が最高で半月もずれるため、太陽暦をベースとした雑節として起こり広まったものである。
21世紀初頭の現在では平年なら5月2日、閏年なら5月1日である。数十年以上のスパンでは、立春の変動により5月3日の年もある。
「八十八夜の別れ霜」「八十八夜の泣き霜」などといわれるように、遅霜が発生する時期である。一般に霜は八十八夜ごろまでといわれているが、「九十九夜の泣き霜」という言葉もあり、5月半ばごろまで泣いても泣ききれないほどの大きな遅霜の被害が発生する地方もある。それ以上に、旧暦では暦日と季節が最悪で半月もずれることから、農家に対して特に注意を喚起するためにこの雑節が作られた。八十八夜は日本独自の雑節である。
この日に摘んだ茶は上等なものとされ、この日にお茶を飲むと長生きするともいわれている。茶の産地である埼玉県入間市狭山市・静岡県・京都府宇治市では、新茶のサービス以外に手もみ茶の実演や茶摘みの実演など、一般の人々も参加するイベントが行われる。
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八十八夜(はちじゅうはちや)は雑節のひとつで、立春を起算日(第1日目)として88日目(立春の87日後の日)にあたる。 もともと、太陰暦をベースとしている日本の旧暦では暦日と季節が最高で半月もずれるため、太陽暦をベースとした雑節として起こり広まったものである。 21世紀初頭の現在では平年なら5月2日、閏年なら5月1日である。数十年以上のスパンでは、立春の変動により5月3日の年もある。
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{{Otheruses|風習|太宰治の小説|八十八夜 (小説)}}
{{出典の明記|date=2014年5月1日}}
[[File:Tea picking 01.jpg|thumb|280px|八十八夜の茶摘み風景 (京都府[[南山城村]])]]
'''八十八夜'''(はちじゅうはちや)は[[雑節]]のひとつで、[[立春]]を起算日(第1日目)として88日目(立春の87日後の日)にあたる。
もともと、[[太陰暦]]をベースとしている日本の旧暦では暦日と季節が最高で半月もずれるため、[[太陽暦]]をベースとした雑節として起こり広まったものである。
21世紀初頭の現在では[[平年]]なら[[5月2日]]、[[閏年]]なら[[5月1日]]である。数十年以上のスパンでは、立春の変動により[[5月3日]]の年もある。
== 習俗 ==
「八十八夜の別れ霜」「八十八夜の泣き霜」などといわれるように、遅霜が発生する時期である。一般に[[霜]]は八十八夜ごろまでといわれているが、「九十九夜の泣き霜」という言葉もあり、5月半ばごろまで泣いても泣ききれないほどの大きな遅霜の被害が発生する地方もある。それ以上に、旧暦では暦日と季節が最悪で半月もずれることから、農家に対して特に注意を喚起するためにこの雑節が作られた。八十八夜は日本独自の雑節である。
この日に摘んだ[[茶]]は上等なものとされ、この日にお茶を飲むと長生きするともいわれている。茶の産地である[[埼玉県]][[入間市]][[狭山市]]・[[静岡県]]・[[京都府]][[宇治市]]では、新茶のサービス以外に手もみ茶の実演や茶摘みの実演など、一般の人々も参加するイベントが行われる。
== 八十八夜を扱った作品 ==
* [[文部省唱歌]] 『[[茶摘み]]』 - 「♪夏も近づく八十八夜…」と茶摘みの様子が歌われている。作詞・作曲:不詳。
* [[NSP (バンド)|NSP]] 『八十八夜』 - 作詞・作曲:[[天野滋]](1978年)。
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入梅
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入梅(にゅうばい、ついり、つゆいり)は、梅雨入りの時期に設定された雑節である。現在の日本では、太陽黄経が80°の時またはその日である。新暦(グレゴリオ暦)で6月11日ごろ。
対義語は出梅(しゅつばい、つゆあけ)だが、日本ではほとんど使われない。
本来は「梅雨入り」の漢語表現である。もちろん、地域と年により日付は異なる。
西関東方言では、梅雨の季節全体を「入梅」と呼ぶ。普通にいう「梅雨入りする」は「入梅に入る」という。
時候の挨拶で用いる「入梅の候」は、宛先の地で梅雨入りが発表されていることが前提となる。
その名のとおり、梅雨入りの時期を前もって示すために導入された雑節である。農家にとって梅雨入りの時期を知ることは田植えの日取りを決めるのに重要だった。
ただし、入梅の厳密な定義は一定していなかった。
『日本歳時記』(1688) によると、和漢のさまざまな文献で、入梅・出梅の日は一定せず、以下のような諸説があった。
付記した日付は、新暦(グレゴリオ暦)での日付のおよその平均である。節気は恒気で求め、節気当日をありうるとしている。ただしこれは平均で、いずれの入梅・出梅も十干を用いているため10日の幅があり、新暦側の置閏法の誤差なども加えて、±6日程度の変動幅がある。
なお、『本草綱目』での入梅を「芒種前の壬の日」とする文献があるが、間違いのようである。
日本では、貞享暦(1685) のころから暦に入梅が載るようになった。
その定義は「芒種後の最初の壬の日」だった。なお、芒種は太陽黄経75°の日。「壬(みずのえ)」は五行でいえば水の陽にあたる。
芒種が壬だった場合の扱いは、芒種当日とするか10日後の次の壬とするかは混乱があったが、しだいに芒種当日とするようになった。すなわち、芒種当日から9日後までである。新暦ではおよそ6月4日から6月16日までを変動し、平均すれば6月10日ごろとなる。
出梅は暦には載らなかったが、「小暑後の最初の壬の日」とされていた。この入梅と出梅の組み合わせは中国の『本草綱目』と同じである。
渋川則休は延享元年 (1744/45)、入梅の日と梅雨の日数を(すなわち間接的に出梅の日も)、次のように唱えた。
1844年の天保暦では入梅は「太陽黄経80°の日」とされた。以前の(貞享暦以来の)入梅の定義には十干が使われていたため10日幅の変動があったが、それを均した日にほぼ一致する。
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入梅(にゅうばい、ついり、つゆいり)は、梅雨入りの時期に設定された雑節である。現在の日本では、太陽黄経が80°の時またはその日である。新暦(グレゴリオ暦)で6月11日ごろ。 対義語は出梅(しゅつばい、つゆあけ)だが、日本ではほとんど使われない。
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'''入梅'''(にゅうばい、ついり、つゆいり)は、[[梅雨]]入りの時期に設定された[[雑節]]である。現在の日本では、太陽[[黄経]]が80°の時<ref>『[[理科年表]]』二十四節気, 雑節</ref>またはその日である。新暦([[グレゴリオ暦]])で[[6月11日]]ごろ。
対義語は出梅(しゅつばい、つゆあけ)だが、日本ではほとんど使われない。
== 気象上の入梅 ==
本来は「[[梅雨]]入り」の[[漢語]]表現である。もちろん、地域と年により日付は異なる。
[[西関東方言]]では、梅雨の季節全体を「入梅」と呼ぶ。普通にいう「梅雨入りする」は「入梅に入る」という<ref>[[平山輝男]](1992–1994)『現代日本語方言大辞典』、[[明治書院]]。</ref>。
時候の挨拶で用いる「入梅の候」は、宛先の地で梅雨入りが発表されていることが前提となる。
== 暦学上の入梅 ==
その名のとおり、梅雨入りの時期を前もって示すために導入された雑節である。農家にとって梅雨入りの時期を知ることは[[田植え]]の日取りを決めるのに重要だった。
ただし、入梅の厳密な定義は一定していなかった。
=== 貞享暦以前 ===
{{節気}}
『[[日本歳時記]]』({{年|1688}}) によると、和漢のさまざまな文献で、入梅・出梅の日は一定せず、以下のような諸説があった<ref>『[[古事類苑]]』第1巻142頁「梅雨〔日本歳時記〕」</ref>。
* [[立夏]]後の最初の[[庚]]の日([[5月10日]]ごろ)が入梅、[[芒種]]後の最初の[[壬]]の日([[6月10日]]ごろ)が出梅 - 『[[埤雅]]』({{年|1125}})、[[閩]]人について
* 芒種後の最初の[[丙]]の日(6月10日ごろ)が入梅、[[小暑]]後の最初の[[未]]の日([[7月12日]]ごろ)が出梅 - 『[[神枢]]』
* 芒種後の最初の壬の日(6月10日ごろ)が入梅、[[夏至]]後の最初の庚の日(6月26日ごろ)が出梅 - 『[[碎金録]]』
* 芒種後の最初の壬の日(6月10日ごろ)が入梅、[[小暑]]後の最初の壬の日(7月12日ごろ)が出梅 - 『[[本草綱目]]』({{年|1596}})
* 芒種後の最初の丙の日(6月10日ごろ)が入梅、出梅に関する引用なし - 『[[三元帰正]]』
付記した日付は、新暦([[グレゴリオ暦]])での日付のおよその平均である。節気は[[恒気法|恒気]]で求め、節気当日をありうるとしている。ただしこれは平均で、いずれの入梅・出梅も[[十干]]を用いているため10日の幅があり、新暦側の置閏法の誤差なども加えて、±6日程度の変動幅がある。
なお、『本草綱目』での入梅を「芒種'''前'''の壬の日」とする文献がある<ref>『[[古事類苑]]』第1巻143頁「梅雨〔世事百談 一〕」</ref>が、間違いのようである。
=== 貞享暦以後 ===
日本では、[[貞享暦]]<ref name=Nenchuu>『[[古事類苑]]』第1巻143頁「梅雨〔年中行事故実考 六五月〕」</ref>({{年|1685}}) のころから暦に入梅が載るようになった。
その定義は「[[芒種]]後の最初の[[壬]]の日」だった<ref name=Kana>『[[古事類苑]]』第1巻141頁「梅雨〔仮名暦註解〕」</ref><ref name=Nenchuu/>。なお、芒種は太陽黄経75°の日。「壬(みずのえ)」は[[五行理論|五行]]でいえば[[水]]の[[陽]]にあたる。
芒種が壬だった場合の扱いは、芒種当日とするか10日後の次の壬とするかは混乱があったが、しだいに芒種当日とするようになった。すなわち、芒種当日から9日後までである。新暦ではおよそ[[6月4日]]から[[6月16日]]までを変動し、平均すれば[[6月10日]]ごろとなる。
出梅は暦には載らなかったが、「[[小暑]]後の最初の壬の日」とされていた<ref name=Kana/><ref name=Nenchuu/>。この入梅と出梅の組み合わせは中国の『[[本草綱目]]』と同じである。
=== 渋川則休 ===
[[渋川則休]]は[[延享]]元年 ({{年|1744}}/45)、入梅の日と梅雨の日数を(すなわち間接的に出梅の日も)、次のように唱えた<ref>『[[古事類苑]]』第1巻143/144頁「梅雨〔視聴草 六集九〕」</ref>。
* [[甲]][[乙]]年は、芒種後の2番目の[[壬]]の日が入梅、梅雨は21日間
* [[丙]][[丁]]年は、芒種後の2番目の[[申]]の日が入梅、梅雨は7日間
* [[戊]][[己]]年は、芒種後の2番目の[[庚]]の日が入梅、梅雨は14日間
* 庚[[辛]]年は、芒種後の2番目の[[戌]]の日が入梅、梅雨は21日間
* (壬癸年に関する言及なし)
=== 天保暦 ===
[[1844年]]の天保暦では入梅は「太陽黄経80°の日」とされた。以前の(貞享暦以来の)入梅の定義には十干が使われていたため10日幅の変動があったが、それを均した日にほぼ一致する。
== 註 ==
<references/>
{{DEFAULTSORT:にゆうはい}}
[[Category:雑節]]
[[Category:6月]]
[[Category:夏の季語]]
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"Template:年"
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|
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峠の釜めし
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峠の釜めし(とうげのかまめし)は、群馬県安中市にある「荻野屋」が製造・販売する駅弁である。
益子焼の土釜に入れられているという点が特徴の駅弁で、「日本随一の人気駅弁」と評されたこともある。2023年6月時点での累計販売数は1億8000万個を超える。
直径140mm、高さ85mm、重量725gの益子焼の釜に入った薄い醤油味の出汁による炊き込みご飯である。
栃木県芳賀郡益子町の窯元つかもとで製造されており、釜の上半分の上薬が塗ってある茶色の部分に「横川駅」「おぎのや」という文字が刻まれている。釜の上には厚さ5mmほどの素焼きの蓋が付いており、さらにその上に包装紙が被せられ、紐で割り箸とともにくくりつけてある。
この釜を持ち帰れば家庭でも実際に1合の御飯を炊くことができ、おぎのやの公式サイトでも炊き方が紹介されている。
食べ終わった容器(釜)は、不要な場合はおぎのやの各店舗に持ち込めば回収してくれる。一部店舗では、空容器の回収ボックスもある。
鶏肉・ささがき牛蒡・椎茸・筍・ウズラの卵・グリーンピース・紅しょうが・栗・杏。
1885年に荻野屋が創業され、信越本線の高崎駅 - 横川駅の部分開業時に創業した。初期の駅弁はおにぎり二個に沢庵漬けを添えたもので、1包み5銭であった。
戦後、旅行者数も増加していったが、この頃の駅弁はどこも似たような内容だったため、人気は低迷していた。荻野屋も例外ではなく、全列車が横川 - 軽井沢間の碓氷峠通過に際し、補助機関車の連結が必要なために長時間停車する駅という立地にもかかわらず、業績が低迷していた。そこで、当時の4代目社長であった高見澤みねじは停車中の列車に乗り込み、旅行者に駅弁に対する意見を聞いて回った。意見の大半は「暖かく家庭的で、楽しい弁当」というものだった。
高見澤と、当時社員で後に副社長となる田中トモミは、その意見をどのようにして駅弁に反映するかを考え、弁当と一緒に販売する緑茶の土瓶に着目した。当時の駅で販売されていた緑茶の土瓶は、陶器製であったが、陶器は保温性にも優れていた上に匂いも移らないため、「暖かい」「楽しい」という要望を満たしていた。さらに「中仙道を越える防人が土器で飯を炊いた」という内容の和歌にヒントを得て、益子焼の職人に相談し、一人前用の釜を作成させた。
こうして、当時の「駅弁は折り詰め」という常識を破り、1958年2月1日から販売が開始されたのが「峠の釜めし」である。
当時としては画期的だった温かい駅弁であったことや、『文藝春秋』のコラムに取り上げられたことから徐々に人気商品となり、その後の隆盛へとつながるきっかけとなった。1967年には、フジテレビジョン系テレビドラマ『釜めし夫婦』(池内淳子主演)のモデルにもなった。
この時期前後からモータリゼーションの進展を受けて、各地の駅弁業者は軒並み苦戦を強いられるようになったが、同社では、1962年に、これを逆手にとり、国道18号沿いに「峠の釜めしおぎのやドライブイン横川店」を開業。釜めしなどの商品を利用客に販売することで、鉄道への依存を減らし、現在の同社の販売戦略の基礎となった。1987年時点での1日平均の販売実績は1万個で、多いときには2万5千個の売り上げがあったという。このうち、駅弁としての販売比率は40%ほどであった。もちろん列車での売り上げも多く、3分停車でホームにあった410個が全て売れたこともあったという。
北陸新幹線の東京 - 長野間先行開業に伴い、1997年9月30日に信越本線の横川 - 軽井沢間が廃止された。これにより、横川駅での販売量は往時に比べて低い割合に転位したが、代わって新幹線車内での販売を開始するなどテコ入れが図られた。
発売60周年を記念し、浮世絵風かけ紙を2018年2月に導入した。また、鴨肉や鯛を使うなどした豪華版(1500円)を荻野屋直営ドライブイン限定で2019年1月末まで販売した。
2022年11月15日、上越新幹線開業40周年を記念した「上越新幹線40周年記念釜めし」が発売。高崎駅社員がデザインしたオリジナル記念掛け紙が用いられ、釜の縁の色は茶色から上越新幹線で活躍した200系電車をモチーフにした緑色に変更されている。製造は荻野屋、販売はJR東日本クロスステーションが行う。
2022年時点の購入可能店。
また、百貨店やスーパーマーケットが開催する「駅弁フェア」などのイベントの定番商品として、日本全国に出荷実績があり、上記以外でのJR東日本鉄道駅構内でのスポット販売の実績もある。
2007年に横川 - 軽井沢間廃止10周年として鉄道模型メーカーの関水金属からNゲージで峠の釜めしの駅構内販売用ワゴンと販売員を模した人形が発売された。
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"text": "峠の釜めし(とうげのかまめし)は、群馬県安中市にある「荻野屋」が製造・販売する駅弁である。",
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"text": "益子焼の土釜に入れられているという点が特徴の駅弁で、「日本随一の人気駅弁」と評されたこともある。2023年6月時点での累計販売数は1億8000万個を超える。",
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"text": "直径140mm、高さ85mm、重量725gの益子焼の釜に入った薄い醤油味の出汁による炊き込みご飯である。",
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"text": "栃木県芳賀郡益子町の窯元つかもとで製造されており、釜の上半分の上薬が塗ってある茶色の部分に「横川駅」「おぎのや」という文字が刻まれている。釜の上には厚さ5mmほどの素焼きの蓋が付いており、さらにその上に包装紙が被せられ、紐で割り箸とともにくくりつけてある。",
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"text": "この釜を持ち帰れば家庭でも実際に1合の御飯を炊くことができ、おぎのやの公式サイトでも炊き方が紹介されている。",
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"text": "食べ終わった容器(釜)は、不要な場合はおぎのやの各店舗に持ち込めば回収してくれる。一部店舗では、空容器の回収ボックスもある。",
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"text": "鶏肉・ささがき牛蒡・椎茸・筍・ウズラの卵・グリーンピース・紅しょうが・栗・杏。",
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"text": "1885年に荻野屋が創業され、信越本線の高崎駅 - 横川駅の部分開業時に創業した。初期の駅弁はおにぎり二個に沢庵漬けを添えたもので、1包み5銭であった。",
"title": "歴史"
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"text": "戦後、旅行者数も増加していったが、この頃の駅弁はどこも似たような内容だったため、人気は低迷していた。荻野屋も例外ではなく、全列車が横川 - 軽井沢間の碓氷峠通過に際し、補助機関車の連結が必要なために長時間停車する駅という立地にもかかわらず、業績が低迷していた。そこで、当時の4代目社長であった高見澤みねじは停車中の列車に乗り込み、旅行者に駅弁に対する意見を聞いて回った。意見の大半は「暖かく家庭的で、楽しい弁当」というものだった。",
"title": "歴史"
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"text": "高見澤と、当時社員で後に副社長となる田中トモミは、その意見をどのようにして駅弁に反映するかを考え、弁当と一緒に販売する緑茶の土瓶に着目した。当時の駅で販売されていた緑茶の土瓶は、陶器製であったが、陶器は保温性にも優れていた上に匂いも移らないため、「暖かい」「楽しい」という要望を満たしていた。さらに「中仙道を越える防人が土器で飯を炊いた」という内容の和歌にヒントを得て、益子焼の職人に相談し、一人前用の釜を作成させた。",
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"text": "こうして、当時の「駅弁は折り詰め」という常識を破り、1958年2月1日から販売が開始されたのが「峠の釜めし」である。",
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"text": "当時としては画期的だった温かい駅弁であったことや、『文藝春秋』のコラムに取り上げられたことから徐々に人気商品となり、その後の隆盛へとつながるきっかけとなった。1967年には、フジテレビジョン系テレビドラマ『釜めし夫婦』(池内淳子主演)のモデルにもなった。",
"title": "歴史"
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"text": "この時期前後からモータリゼーションの進展を受けて、各地の駅弁業者は軒並み苦戦を強いられるようになったが、同社では、1962年に、これを逆手にとり、国道18号沿いに「峠の釜めしおぎのやドライブイン横川店」を開業。釜めしなどの商品を利用客に販売することで、鉄道への依存を減らし、現在の同社の販売戦略の基礎となった。1987年時点での1日平均の販売実績は1万個で、多いときには2万5千個の売り上げがあったという。このうち、駅弁としての販売比率は40%ほどであった。もちろん列車での売り上げも多く、3分停車でホームにあった410個が全て売れたこともあったという。",
"title": "歴史"
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"text": "北陸新幹線の東京 - 長野間先行開業に伴い、1997年9月30日に信越本線の横川 - 軽井沢間が廃止された。これにより、横川駅での販売量は往時に比べて低い割合に転位したが、代わって新幹線車内での販売を開始するなどテコ入れが図られた。",
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"text": "発売60周年を記念し、浮世絵風かけ紙を2018年2月に導入した。また、鴨肉や鯛を使うなどした豪華版(1500円)を荻野屋直営ドライブイン限定で2019年1月末まで販売した。",
"title": "歴史"
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"text": "2022年11月15日、上越新幹線開業40周年を記念した「上越新幹線40周年記念釜めし」が発売。高崎駅社員がデザインしたオリジナル記念掛け紙が用いられ、釜の縁の色は茶色から上越新幹線で活躍した200系電車をモチーフにした緑色に変更されている。製造は荻野屋、販売はJR東日本クロスステーションが行う。",
"title": "歴史"
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"text": "2022年時点の購入可能店。",
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"text": "また、百貨店やスーパーマーケットが開催する「駅弁フェア」などのイベントの定番商品として、日本全国に出荷実績があり、上記以外でのJR東日本鉄道駅構内でのスポット販売の実績もある。",
"title": "販売店舗"
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"text": "2007年に横川 - 軽井沢間廃止10周年として鉄道模型メーカーの関水金属からNゲージで峠の釜めしの駅構内販売用ワゴンと販売員を模した人形が発売された。",
"title": "関連商品"
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峠の釜めし(とうげのかまめし)は、群馬県安中市にある「荻野屋」が製造・販売する駅弁である。 益子焼の土釜に入れられているという点が特徴の駅弁で、「日本随一の人気駅弁」と評されたこともある。2023年6月時点での累計販売数は1億8000万個を超える。
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[[ファイル:Tōge no Kamameshi 02.jpg|thumb|300px|峠の釜めし]]
'''峠の釜めし'''(とうげのかまめし)は、[[群馬県]][[安中市]]にある「[[荻野屋]]」が製造・販売する[[駅弁]]である。
[[益子焼]]の土釜に入れられているという点が特徴の駅弁で<ref name="タビテツ65-63"/>、「日本随一の人気駅弁」と評されたこともある<ref name="タビテツ65-63"/>。2023年6月時点での累計販売数は1億8000万個を超える<ref>[https://www.nikkei.com/article/DGXZQOCC292480Z20C23A6000000/ 荻野屋、駅弁の「峠の釜めし」100円値上げ]、[[日本経済新聞]]、2023年6月29日。</ref>。
== 商品概要 ==
[[ファイル:Tōge no Kamameshi.jpg|thumb|300px|峠の釜めし]]
直径140mm、高さ85mm、重量725gの[[益子焼]]の[[釜]]に入った薄い[[醤油]]味の出汁による[[炊き込みご飯]]である。
=== 釜 ===
[[栃木県]][[芳賀郡]][[益子町]]の窯元[[益子焼つかもと|つかもと]]で製造されており、釜の上半分の上薬が塗ってある茶色の部分に「[[横川駅 (群馬県)|横川駅]]」「おぎのや」という文字が刻まれている。釜の上には厚さ5mmほどの素焼きの蓋が付いており、さらにその上に包装紙が被せられ、紐で[[割り箸]]とともにくくりつけてある。
この釜を持ち帰れば家庭でも実際に1合の御飯を炊くことができ、おぎのやの公式サイトでも炊き方が紹介されている<ref>{{Cite web|和書|title=空き釜を利用したご飯の炊き方 {{!}} 荻野屋|url=https://www.oginoya.co.jp/tougenokamameshi/reuse/how_to_cook_rice/|website=峠の釜めし本舗おぎのや|accessdate=2021-01-17}}</ref>。
食べ終わった容器(釜)は、不要な場合はおぎのやの各店舗に持ち込めば回収してくれる。一部店舗では、空容器の回収ボックスもある。
* 店舗内で供された物のうち一部の容器は洗浄後に再利用されるほか、リサイクルも進められている<ref group="注釈">状況により粉砕して別の材料(路面の舗装の骨材など)になる場合もある。</ref>。
* 近年は益子焼の釜の代わりにエコ容器(パルプモールド容器)を利用した商品も一部店舗で販売されている。<ref>{{Cite web|和書|title=峠の釜めし(エコ容器) {{!}} 荻野屋|url=https://www.oginoya.co.jp/bento/kamameshi_eco/|website=峠の釜めし本舗おぎのや|date=2019-12-20|accessdate=2020-08-30|language=ja}}</ref>
=== 具 ===
[[鶏肉]]・[[食材の切り方一覧#さまざまな切り方|ささがき]][[ゴボウ|牛蒡]]・[[シイタケ|椎茸]]・[[タケノコ|筍]]・[[ウズラ]]の卵・[[グリーンピース]]・[[紅しょうが]]・[[クリ|栗]]・[[アンズ|杏]]<ref name="タビテツ65-64" />。
* 釜飯とは別に、プラスチック容器入りの香の物([[キュウリ]]漬け・ごぼう漬け・[[ナス|小ナス]]漬け・[[梅|小梅]]漬け・[[わさび漬け]])が付く。
== 歴史 ==
=== 荻野屋の創業と初期の駅弁 ===
[[1885年]]に[[荻野屋]]が創業され、[[信越本線]]の[[高崎駅]] - [[横川駅 (群馬県)|横川駅]]の部分開業時<ref group="注釈">[[信越本線]][[高崎駅|高崎]] - [[直江津駅|直江津]]間全通はその8年後の[[1893年]]。</ref>に創業した<ref name="タビテツ65-62"/>。初期の駅弁は[[おにぎり]]二個に[[沢庵漬け]]を添えたもので、1包み5銭であった<ref name="タビテツ65-63"/>。
=== 「峠の釜めし」の誕生 ===
戦後、旅行者数も増加していったが、この頃の駅弁はどこも似たような内容だったため、人気は低迷していた<ref name="タビテツ65-63"/>。荻野屋も例外ではなく、全列車が横川 - [[軽井沢駅|軽井沢]]間の[[碓氷峠]]通過に際し、[[補助機関車]]の連結が必要なために長時間停車する駅という立地にもかかわらず、業績が低迷していた<ref name="タビテツ65-63"/>。そこで、当時の4代目社長であった高見澤みねじは停車中の列車に乗り込み、旅行者に駅弁に対する意見を聞いて回った<ref name="タビテツ65-63"/>。意見の大半は「暖かく家庭的で、楽しい弁当」というものだった<ref name="タビテツ65-63"/>。
高見澤と、当時社員で後に副社長となる田中トモミ<ref group="注釈">現在全国で講演活動を行っており、[[1988年]]に「天からの贈り物」で[[日本エッセイストクラブ賞]]を受賞。</ref>は、その意見をどのようにして駅弁に反映するかを考え、弁当と一緒に販売する緑茶の土瓶に着目した<ref name="タビテツ65-63"/>。当時の駅で販売されていた緑茶の土瓶は、陶器製であったが、陶器は保温性にも優れていた上に匂いも移らない<ref name="タビテツ65-63"/>ため、「暖かい」「楽しい」という要望を満たしていた。さらに「[[中山道|中仙道]]を越える[[防人]]が土器で飯を炊いた」という内容の和歌にヒントを得て<ref name="タビテツ65-63"/>、益子焼の職人に相談し、一人前用の釜を作成させた{{Refnest|group="注釈"|一方で益子焼も需要減の打開策として試作していた釜めし用の容器を売り込みに回る旅の途中、おぎのやの目に留まって採用されたことが製造元で紹介されており<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.tsukamoto.net/history/|title=益子焼とつかもと|益子焼のつかもと「栃木県益子町最大の窯元」|archiveurl=https://web.archive.org/web/20200202205205/http://tsukamoto.net/history/|archivedate=2020-02-02|deadlinkdate=2021年1月17日|publisher=つかもと|accessdate=2021-1-17}}</ref>、そのエピソードはワイドショーでも取り上げられた。<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.tv-asahi.co.jp/m-show/dailysegments/megami/20171227/12753|title=テレビ朝日 {{!}} モーニングショー 日替わりコーナー「情熱を未来へ 継ぐ女神」 - 塚本純子(84) 栃木・益子町で153年続く益子焼窯元“つかもと”6代目|date=2017-12-27|archiveurl=https://web.archive.org/web/20180102013102/http://www.tv-asahi.co.jp/m-show/dailysegments/megami/20171227/12753|archivedate=2018-01-02|deadlinkdate=2021年1月17日|publisher=[[テレビ朝日]]|accessdate=2021-1-17}}</ref>}}。
こうして、当時の「駅弁は折り詰め」という常識を破り<ref name="タビテツ65-63"/>、[[1958年]]2月1日から販売が開始されたのが「峠の釜めし」である<ref name="タビテツ65-63"/><ref group="注釈">前年の[[1957年]]から試作を繰り返しており、発売前に[[厚生大臣]]賞を受賞したという記録が残っている</ref>。
当時としては画期的だった温かい駅弁であった<ref group="注釈">荻野屋の工場は横川駅に隣接しており、完成した駅弁を工場からそのまま駅へ持ち込むことが可能だった([[#山本65|山本 (1987) p.63]])。</ref>ことや、『[[文藝春秋 (雑誌)|文藝春秋]]』のコラムに取り上げられたことから徐々に人気商品となり、その後の隆盛へとつながるきっかけとなった。[[1967年]]には、[[フジテレビジョン]]系[[テレビドラマ]]『[[釜めし夫婦]]』([[池内淳子]]主演)のモデルにもなった。
=== 鉄道以外での販売展開 ===
この時期前後から[[モータリゼーション]]の進展を受けて、各地の駅弁業者は軒並み苦戦を強いられるようになったが、同社では、[[1962年]]に、これを逆手にとり、[[国道18号]]沿いに「峠の釜めしおぎのや[[ドライブイン]]横川店」を開業。釜めしなどの商品を利用客に販売することで、鉄道への依存を減らし、現在の同社の販売戦略の基礎となった。1987年時点での1日平均の販売実績は1万個<ref name="タビテツ65-63"/>で、多いときには2万5千個の売り上げがあったという<ref name="タビテツ65-63"/>。このうち、駅弁としての販売比率は40[[パーセント|%]]ほどであった<ref name="タビテツ65-63"/>。もちろん列車での売り上げも多く、3分停車でホームにあった410個が全て売れたこともあったという<ref name="タビテツ65-65"/>。
=== 横川 - 軽井沢間廃止の影響 ===
[[北陸新幹線]]の[[長野新幹線|東京 - 長野間先行開業]]に伴い、[[1997年]]9月30日に信越本線の横川 - 軽井沢間が廃止された。これにより、横川駅での販売量は往時に比べて低い割合に転位したが、代わって新幹線車内での販売を開始するなど[[テコ入れ]]が図られた。
=== 60周年 ===
発売60周年を記念し、[[浮世絵]]風かけ紙を2018年2月に導入した。また、[[カモ|鴨肉]]や[[鯛]]を使うなどした豪華版(1500円)を荻野屋直営ドライブイン限定で2019年1月末まで販売した<ref>峠の釜めし「還暦」仕様/荻野屋、発売60周年で豪華版『[[日経MJ]]』2018年3月23日(フード面)</ref>。
=== 上越新幹線40周年記念釜めし ===
[[2022年]][[11月15日]]、上越新幹線開業40周年を記念した「上越新幹線40周年記念釜めし」が発売。高崎駅社員がデザインしたオリジナル記念掛け紙が用いられ、釜の縁の色は茶色から上越新幹線で活躍した[[新幹線200系電車|200系電車]]をモチーフにした緑色に変更されている。製造は荻野屋、販売は[[JR東日本クロスステーション]]が行う<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.jreast.co.jp/press/2022/takasaki/20221102_ta02.pdf |title=JR東日本ニュース |publisher=JR東日本 |date=2022-11-02 |accessdate=2022-11-12}}</ref>。
== 販売店舗 ==
[[2022年]]時点の購入可能店<ref>{{Cite web|和書|title=店舗一覧 {{!}} 荻野屋 |url=https://www.oginoya.co.jp/tenpo/shop-list/ |website=峠の釜めし本舗おぎのや |date=2020-01-05 |access-date=2022-07-05 |language=ja}}</ref><ref>{{Cite web|和書|title=峠の釜めし販売店舗 {{!}} 荻野屋 |url=https://www.oginoya.co.jp/tenpo/shop-list/stores/ |website=峠の釜めし本舗おぎのや |date=2019-12-08 |access-date=2022-07-05 |language=ja}}</ref>。
* 直営店・関連グループ会社店舗
** 横川本店・横川店・諏訪([[諏訪インターチェンジ|諏訪インター]])店・[[碓氷軽井沢インターチェンジ|軽井沢インター]]店・高崎売店・[[ながの東急百貨店|ながの東急]]店
** 東京銀座([[GINZA SIX]])
** 荻野屋[[八幡山 (世田谷区)|八幡山]]
** 荻野屋 弦
** OGINOYA OHACO
** 荻野屋 弦 神田
[[ファイル:YokokawaSA-nobori.jpg|thumb|横川サービスエリア店]]
* サービスエリア
** [[上信越自動車道]][[横川サービスエリア]]
** 上信越自動車道[[東部湯の丸サービスエリア]]
** [[中央自動車道]][[諏訪湖サービスエリア]]
** [[関越自動車道]][[上里サービスエリア]]
* 駅
** 横川駅構内
** 軽井沢駅売店
** [[安中榛名駅]]売店
** [[長野駅]][[北陸新幹線]]ホーム売店
** [[清里駅]]売店<ref group="注釈">営業期間は4月25日 - 11月30日。</ref>
** [[東京駅]]改札内 駅弁屋祭・駅弁屋踊<ref group="注釈">[[JR東日本クロスステーション]]が販売している。</ref>
** [[上野駅]]中央口売店
** [[新宿駅|JR新宿駅]] 駅弁屋頂
** [[大宮駅 (埼玉県)|大宮駅]] 駅弁屋旨囲門ecute大宮
* 車内販売
** 北陸新幹線 [[はくたか]]<ref group="注釈">鮮度を維持させるため、高崎・軽井沢の両駅に停車する列車のみ販売している。[[日本レストランエンタプライズ]]が販売している。かつては、[[あさま]]でも販売していた(2016年に販売サービスが終了)。</ref>
* その他
** [[碓氷峠鉄道文化むら]]
** [[碓氷峠の森公園交流館「峠の湯」]]
** ユニクロ長野南店前(キッチンカーでの販売(月曜日を除く)、長野店閉店に伴い2021年9月開始)<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.shinmai.co.jp/news/article/CNTS2022062400126|title=「峠の釜めし」キッチンカーが登場 長野市|publisher=信濃毎日新聞|date=2022-06-24|accessdate=2022-06-26}}</ref>
** 富岡トレーラーハウス店(セキチュー富岡店隣接敷地内)
また、[[百貨店]]や[[スーパーマーケット]]が開催する「駅弁フェア」などの[[イベント]]の定番商品として、日本全国に出荷実績があり、上記以外でのJR東日本鉄道駅構内でのスポット販売の実績もある。
== 関連商品 ==
[[2007年]]に横川 - 軽井沢間廃止10周年として[[鉄道模型]]メーカーの[[関水金属]]から[[Nゲージ]]で峠の釜めしの駅構内販売用ワゴンと販売員を模した人形が発売された。
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Reflist|group="注釈"}}
=== 出典 ===
{{Reflist|2|refs=
<ref name="タビテツ65-62">[[#山本65|山本 (1987) p.62]]</ref>
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<ref name="タビテツ65-64">[[#山本65|山本 (1987) p.64]]</ref>
<ref name="タビテツ65-65">[[#山本65|山本 (1987) p.65]]</ref>
}}
== 参考文献 ==
=== 雑誌記事 ===
* {{Cite journal|和書|author=山本高志 |year=1987 |month=10 |title=駅弁屋の一日を追う 横川「峠の釜めし」繁昌記 |journal=[[旅と鉄道]] |issue=65 |pages= 62-65 |publisher=[[鉄道ジャーナル|鉄道ジャーナル社]] |ref = 山本65}}
== 外部リンク ==
{{Commonscat|Tōge no Kamameshi}}
* [http://www.oginoya.co.jp 峠の釜めし本舗 おぎのや]
{{DEFAULTSORT:とうけのかまめし}}
[[Category:関東・甲信越地方の駅弁]]
[[Category:安中市]]
[[Category:群馬県の食文化]]
|
2003-09-11T10:30:47Z
|
2023-11-20T16:42:48Z
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[
"Template:脚注ヘルプ",
"Template:Reflist",
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B3%A0%E3%81%AE%E9%87%9C%E3%82%81%E3%81%97
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16,240 |
半夏生
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半夏生(はんげしょう)は雑節の1つで、半夏(烏柄杓)という薬草が生える頃。様々な地方名があり、ハゲ、ハンデ、ハゲン、ハゲッショウなどと呼ばれる。
七十二候の1つ「半夏生」(はんげしょうず)から作られた暦日で、かつては夏至から数えて11日目としていたが、現在では天球上の黄経100度の点を太陽が通過する日となっている。毎年7月2日頃にあたる。
この頃に降る雨を「半夏雨」(はんげあめ)と言い、大雨になることが多い。地域によっては「半夏水」(はんげみず)とも言う。
なお、ハンゲショウ(カタシログサ)はちょうどこの時期に白い葉をつけることから名がついたとも言われる。
農家にとっては大事な節目の日で、この日までに「畑仕事を終える」「水稲の田植えを終える」目安で、この日から5日間は休みとする地方もある。この日は天から毒気が降ると言われ、井戸に蓋をして毒気を防いだり、この日に採った野菜は食べてはいけないとされたりした。なお、七夕にも農作業を休むとする伝承が多くの地域に伝わる。
各年の日付は以下のとおり。
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半夏生(はんげしょう)は雑節の1つで、半夏(烏柄杓)という薬草が生える頃。様々な地方名があり、ハゲ、ハンデ、ハゲン、ハゲッショウなどと呼ばれる。 七十二候の1つ「半夏生」(はんげしょうず)から作られた暦日で、かつては夏至から数えて11日目としていたが、現在では天球上の黄経100度の点を太陽が通過する日となっている。毎年7月2日頃にあたる。 この頃に降る雨を「半夏雨」(はんげあめ)と言い、大雨になることが多い。地域によっては「半夏水」(はんげみず)とも言う。 なお、ハンゲショウ(カタシログサ)はちょうどこの時期に白い葉をつけることから名がついたとも言われる。
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[[ファイル:W karasubishaku5051.jpg|thumb|半夏(カラスビシャク)]]
'''半夏生'''(はんげしょう)は[[雑節]]の1つで、半夏([[カラスビシャク|烏柄杓]])という薬草が生える頃。様々な地方名があり、ハゲ、ハンデ、ハゲン、ハゲッショウ<ref name="1346-4108">{{Cite journal|和書|author = 倉石忠彦|authorlink = 倉石忠彦|date = 2001-3|title = 民間伝承の分布から見た内陸文化の性格|journal = 内陸文化研究|issue = 1|pages = 61-79|publisher = [[信州大学]]人文学部|issn = 1346-4108|url = https://hdl.handle.net/10091/15274}}</ref>などと呼ばれる。
[[七十二候]]の1つ「半夏生」(はんげしょうず)から作られた[[暦日]]で、かつては[[夏至]]から数えて11日目としていたが<ref name="kashiba">{{Cite web|和書|url= https://www.city.kashiba.lg.jp/town/shoukou-asaichi/hagessho-mochi/|title= 半夏至(はげっしょ)餅とは|accessdate= 2014-04-02|publisher= [[香芝市]]|archiveurl=https://web.archive.org/web/20110811224954/https://www.city.kashiba.lg.jp/town/shoukou-asaichi/hagessho-mochi/|archivedate=2011-08-11}}</ref>、現在では天球上の[[黄経]]100度の点を太陽が通過する日となっている。毎年[[7月2日]]頃にあたる。
この頃に降る雨を「半夏雨」(はんげあめ)と言い、大雨になることが多い。地域によっては「半夏水」(はんげみず)とも言う。
なお、[[ハンゲショウ]](カタシログサ)はちょうどこの時期に白い葉をつけることから名がついたとも言われる。
== 風習 ==
[[File:Echizen-Ono mackerel 2021-07 ac (1).jpg|thumb|福井県大野市で食される半夏生さば]]
農家にとっては大事な節目の日で、この日までに「畑仕事を終える」「水稲の田植えを終える」目安で、この日から5日間は休みとする地方もある。この日は天から毒気が降ると言われ、[[井戸]]に蓋をして毒気を防いだり、この日に採った[[野菜]]は食べてはいけないとされたりした。なお、[[七夕]]にも農作業を休むとする伝承が多くの地域に伝わる<ref name="1346-4108"/>。
; 日本各地に残る風習の例
* [[三重県]]の[[熊野地方]]や[[志摩地方]]の沿岸部などでは、ハンゲという[[妖怪]]が徘徊するとされ、この時期に農作業を行うことに対する戒めともなっている<ref>{{Cite web|和書|author=[[小倉肇 (児童文学者)|小倉肇]]|date=1980-07|url=http://www.mie-kyobun.or.jp/Tayori/Saiziki/Sai032.htm|title=七月 半夏生|work=三重歳時記|publisher=三重県教育文化会館|accessdate=2009-09-05|archiveurl=https://web.archive.org/web/20080608011753/http://www.mie-kyobun.or.jp/Tayori/Saiziki/Sai032.htm|archivedate=2008年6月8日|deadlink=2013-7-8|deadlinkdate=2017年9月}}</ref>。
* [[奈良県]]の[[香芝市]]周辺(大阪府南河内地方でも)では「はげっしょ」と言い、農家では[[小麦]]を混ぜた餅を作り[[黄粉]]をつけて食べる。田植えを終えた農民が農作業を無事に終えたことを田の神様に感謝し、お供え物をして共に食したことが由来とされている<ref name="kashiba"/>。
* 近畿地方の一部地域では[[タコ|蛸]]を食べる習慣があり、近畿地方各地の小売店が盛んに販売促進活動を展開している<ref>{{Cite news |title=明石タコ:「半夏生の日は明石タコ」食べて特産PR 給食や料理振る舞う/兵庫|newspaper= [[毎日新聞]]|date= 2014-06-26|author= 駒崎秀樹|url= http://b.hatena.ne.jp/entry/mainichi.jp/area/hyogo/news/20140626ddlk28040323000c.html|accessdate= 2014-07-02|publisher= [[はてな (企業)|はてなブックマーク]]}}</ref>。2017年より、[[日本コナモン協会]]では、たこ焼きをはじめタコのお好み焼・焼きそば、唐揚、タコ天うどんなどを促進する「蛸半夏生キャンペーン」を行っている<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nisshin.com/entertainment/konamon/library/vol6.html |title=「蛸半夏生」のすすめ|publisher=日清製粉グループ|accessdate=2020-7-1}}</ref>。
* [[讃岐国|讃岐]]の農村では[[うどん]]を食べる習慣があり、1980年に香川県製麺事業協同組合が7月2日を「うどんの日」に制定している<ref>{{Cite web|和書|url= http://www.zenmenren.or.jp/men/day/|title= いろいろなめんの日|accessdate= 2014-07-02|publisher= 全国製麺協同組合連合会}}</ref>。
* [[福井県]][[大野市]]では江戸時代に[[大野藩]]藩主がこの時期に農民に焼き[[サバ|鯖]]を振舞ったという逸話があり、現在も大野市を中心とした地域では半夏生に焼き鯖(半夏生さば)を食べる<ref>{{Cite news |title= 黄金色で香ばしく 大野で「半夏生サバ」店頭に|newspaper= [[中日新聞]]|date= 2014-07-02|author= 藤井雄次|url= http://www.chunichi.co.jp/article/fukui/20140702/CK2014070202000026.html|accessdate= 2014-07-02|archiveurl= https://web.archive.org/web/20140714152206/http://www.chunichi.co.jp/article/fukui/20140702/CK2014070202000026.html|archivedate= 2014-07-14}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url= http://jigyo.h-onoya.co.jp/archives/809|title= 越前おおの歴史道 半夏生さば(はげっしょさば)|accessdate= 2014-07-02|work= おおのじかん|publisher= 平成大野屋事業|archiveurl=https://web.archive.org/web/20110613114117/http://jigyo.h-onoya.co.jp/archives/809|archivedate=2011-06-13}}</ref>。
* [[群馬県]]の一地方では、ネギ畑に入る事を禁忌とする風習がある<ref name="1346-4108"/>。
* [[長野県]][[小川村]]では、芋汁を食べる<ref name="1346-4108"/>。
* [[永平寺]]では、大布薩講式(大布薩会を修行して、常日頃の行李を顧み、懺悔する日)が行われる<ref>[http://www.mitene.or.jp/~katumin/eiheiji/sonota/gyouzi/gyouzi.htm 永平寺の年中行事]</ref>。
== 日付 ==
各年の日付は以下のとおり<ref>[http://www.nnh.to/sekki/index.html 今日は何の日〜毎日が記念日〜]</ref><ref>[https://eco.mtk.nao.ac.jp/koyomi/yoko/ 暦要項]、国立天文台暦計算室、2023年6月17日閲覧。</ref>。
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!年!!該当日
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|2012年||7月1日
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|2022年
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|2023年
|-
|2024年||7月1日
|}
== 脚注 ==
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{{Reflist}}
== 関連項目 ==
{{Wiktionary}}
* [[カラスビシャク]](半夏)
* [[ハンゲショウ]](半夏生、半化粧)
== 外部リンク ==
*[https://shokuiku-daijiten.com/mame/mame-278/ 半夏生とタコとの関係(食育大事典)]
* [https://www.i-nekko.jp/meguritokoyomi/zassetsu/hangeshou/index.html 半夏生]
{{DEFAULTSORT:はんけしよう}}
[[Category:雑節]]
[[Category:日本の年中行事]]
[[Category:7月]]
[[Category:香川県の文化]]
[[Category:夏の季語]]
[[Category:三重県の妖怪]]
|
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2023-11-15T08:34:48Z
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%8A%E5%A4%8F%E7%94%9F
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16,241 |
首都圏新都市鉄道
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首都圏新都市鉄道株式会社(しゅとけんしんとしてつどう、英: Metropolitan Intercity Railway Company, MIR)は、つくばエクスプレスを運営している日本の鉄道事業者である。
現在のつくばエクスプレスである常磐新線の建設を目的に、沿線地方公共団体と民間企業が出資する第三セクター方式で設立された。資本金額は1,850億円で、2,500億円の大阪市高速電気軌道 (Osaka Metro)、2,000億円の東日本旅客鉄道(JR東日本)に次いで日本の鉄道を本業とする会社では3位である。出資株主は、茨城県、東京都、千葉県など沿線地方公共団体が89パーセントを占め、代表取締役など役員は国土交通省や都県庁出身の官僚が占めているなど、公的機関主導の第三セクターである。会社創立当時から日本民営鉄道協会や第三セクター等鉄道協議会などの業界団体には加盟していない。
北総鉄道、東葉高速鉄道や埼玉高速鉄道のようなニュータウン開発型第三セクター鉄道が建設費の利子負担と返済に苦しんだことを教訓として、建設費の大部分を無利子で調達していることが特徴である。建設費の圧縮、ATOやワンマン運転の採用により、経費節減を行っている。
運賃は4 - 30km程度の近距離では割高だが、50km程度ではJR幹線の運賃水準と大差ない。全線運賃は既存高速バスに合わせて設定され、1 - 3km区間も東京の地下鉄並みとするなど割高感を抑えている。
高速運転を実施したことで既存交通機関からの移乗を促し、輸送実績は上昇傾向にある。宅鉄法による強制的な沿線開発事業との連動性も強い。
2008年度は約18億円の最終赤字だが約4億円の営業黒字、2009年度は約1500万円の最終黒字、2010年度は約21億円の最終黒字をそれぞれ計上している。
社員は未経験者を多く採用しているが、現場の人手不足や退職者の多さが2014年の第186回国会で取り上げられている。
また、創立当時より社内労働組合が存在しない。
車両は、直流電化区間である秋葉原 - 守谷間のみで使用されるTX-1000系と、交流電化区間である守谷 - つくば間を含む全線で使用されるTX-2000系およびTX-3000系があり、ダイヤによって使い分けている。
TX-2000系は開業時に6両編成16本(第51編成 - 第66編成、96両)が在籍していた。2008年に6両編成4本(第67編成 - 第70編成、24両)、2012年に6両編成3本(第71編成 - 第73編成、18両)がそれぞれ追加導入された。(第71編成は2019年に発生した脱線事故により一部の車両が廃車)
TX-3000系は2020年3月に運行を開始した。30両(6両固定×5編成)が増備された。
TX-○○○○
将来に増結を予定している場合、事業者によってはあらかじめ空き番号を設ける場合があるが、TX-1000・2000系は百の位に欠番はない(東京急行電鉄の5050(東横)・5080(目黒)系と同じ)。
パスネットに対応した鉄道乗車カード(磁気カード)である。開業と同時に発売を開始し、2008年1月に終売した。カードは5,000円、3,000円、1,000円の3種類があった。図柄は「パスネット」のみの表記となっており、「TXカード」の表記はされなかった。通常カードのほか記念カードがあり、通常カードはTXのマスコットキャラクタースピーフィと路線図がモチーフで記念カードは違う絵柄であった。
2007年3月18日、ICカード「PASMO」を導入し、2008年3月14日の終電をもってパスネットの自動改札機利用を終了した。残額のあるTXカードは同年3月15日以降無手数料での払い戻しや、PASMOへ残額の移行を行っているほか、自動券売機での切符の購入、自動精算機、有人改札での乗り越し精算でそれぞれ引き続き利用できる。
TXカードは、券売機等での利用を2015年3月31日に終了し、払い戻しの取り扱いを資金決済に関する法律に基づいて2018年1月31日をもって終了することが発表されている。
地下区間を含む全線の走行中の車内で、全携帯電話事業者の電波が受信可能であると宣伝しているが、Y!mobileのPHSサービスは対象外で地下の駅間など使用できない区間がある。
TX-2000系電車の車内で公衆無線LANが利用できる。開業時から2006年7月まで車内で無線LANによるインターネット接続のモニターテストが行なわれ、同年8月24日からMzoneのサービスが開始された。
しかし、2022年12月に、列車内および駅構内で提供中の公衆無線LANサービスの一部が終了することになった。列車内では全てが、駅構内ではNTTドコモの「d Wi-Fi」が提供を終えた。なお、駅構内の「TX free Wi-Fi」や、「Japan Wi-Fi auto-connect」、「TOKYO free Wi-Fi」は提供を継続している。
2005年から2019年までの期間、TX沿線に関する新聞記事の切り抜きを社内の情報共有サイト(イントラネット)へ掲載していたとして、2020年、中日新聞社(東京新聞を発行)と日本経済新聞社から著作権侵害訴訟を受けた。東京地裁は2022年10月6日に中日新聞社へ192万3千円、10月30日に日本経済新聞社へ459万5千円の支払いを命じた。その後控訴され、2023年6月8日、二審の知財高裁は首都圏新都市鉄道に対し、中日新聞社へ133万4千円、日本経済新聞社へ696万円の支払いを命じた。
2023年10月25日、上掲と同様の内容により、共同通信社が首都圏新都市鉄道を著作権侵害で提訴した。
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"title": "不祥事"
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"title": "不祥事"
}
] |
首都圏新都市鉄道株式会社は、つくばエクスプレスを運営している日本の鉄道事業者である。
|
{{基礎情報 会社
| 社名 = 首都圏新都市鉄道株式会社
| 英文社名 = Metropolitan Intercity Railway Company
| ロゴ = [[File:Tsukuba_Express_logo.svg|250px]]
| 画像 = File:JEBL AKIHABARA SQUARE.jpg
| 画像説明 = 本社が入居するJEBL秋葉原スクエア
| 種類 = [[株式会社 (日本)|株式会社]]
| 市場情報 = <!-- 株式非公開会社において「非上場」などと書く必要はありません -->
| 略称 = MIR
| 国籍 = {{JPN}}
| 本社郵便番号 = 101-0022
| 本社所在地 = [[東京都]][[千代田区]][[神田練塀町]]85番(JEBL秋葉原スクエア)
| 本社緯度度 = 35
| 本社緯度分 = 42
| 本社緯度秒 = 4.8
| 本社N(北緯)及びS(南緯) = N
| 本社経度度 = 139
| 本社経度分 = 46
| 本社経度秒 = 29.5
| 本社E(東経)及びW(西経) = E
| 座標右上表示 = Yes
| 本社地図国コード = JP
| 本店郵便番号 = 110-0016
| 本店所在地 = [[東京都]][[台東区]][[台東 (台東区)|台東]]四丁目25番7号(TX佐竹ビル)
| 本店緯度度 = 35
| 本店緯度分 = 42
| 本店緯度秒 = 25.0
| 本店N(北緯)及びS(南緯) = N
| 本店経度度 = 139
| 本店経度分 = 46
| 本店経度秒 = 52.4
| 本店E(東経)及びW(西経) = E
| 本店地図国コード = JP
| 設立 = [[1991年]][[3月15日]]
| 業種 = 陸運業
| 統一金融機関コード =
| SWIFTコード =
| 事業内容 = 鉄道事業、不動産売買・賃貸など
| 代表者 = [[代表取締役]][[社長]] 渡邊良<ref>{{Cite press release |和書 |title=代表取締役の異動に関するお知らせ |url= https://www.mir.co.jp/assets_rti/pdf/a8be6f46bf8af65fa7e32f4a8ea5d205.pdf |archivedate=2023-06-29 |archiveurl= https://www.mir.co.jp/assets_rti/pdf/a8be6f46bf8af65fa7e32f4a8ea5d205.pdf}}</ref><br />代表取締役専務 境勉<br />代表取締役専務 松葉佳文
| 資本金 = 1850億1630万円<br />(2021年3月31日現在)<ref name="fy">{{Cite report |和書 |author=首都圏新都市鉄道株式会社 |date=2021-06-25 |title=第31期(2020年4月1日 - 2021年3月31日)有価証券報告書}}</ref><!-- 数値を更新する際は出典を修正してください -->
| 発行済株式総数 = 370万0326株<br />(2021年3月31日現在)<ref name="fy" /><!-- 数値を更新する際は出典を修正してください -->
| 売上高 = 単独: 313億1621万5000円<br />(2021年3月期)<ref name="fy" /><!-- 数値を更新する際は出典を修正してください -->
| 営業利益 = 単独: △58億5162万8000円<br />(2021年3月期)<ref name="fy" /><!-- 数値を更新する際は出典を修正してください -->
| 経常利益 = 単独: △79億0162万2000円<br />(2021年3月期)<ref name="fy" /><!-- 数値を更新する際は出典を修正してください -->
| 純利益 = 単独: △79億6426万8000円<br />(2021年3月期)<ref name="fy" /><!-- 数値を更新する際は出典を修正してください -->
| 純資産 = 単独: 1895億2567万1000円<br />(2021年3月31日現在)<ref name="fy" /><!-- 数値を更新する際は出典を修正してください -->
| 総資産 = 単独: 8167億2447万9000円<br />(2021年3月31日現在)<ref name="fy" /><!-- 数値を更新する際は出典を修正してください -->
| 従業員数 = 単独: 732人<br />(2021年3月31日現在)<ref name="fy" /><!-- 数値を更新する際は出典を修正してください -->
| 決算期 = 3月31日
| 会計監査人 = [[有限責任あずさ監査法人]]<ref name="fy" />
| 主要株主 = [[茨城県]] 18.05%<br />[[東京都]] 17.65%<br />[[千葉県]] 7.06%<br />[[足立区]] 7.06%<br />[[つくば市]] 6.67%<br />[[埼玉県]] 5.88%<br />[[台東区]] 5.30%<br />[[柏市]] 5.30%<br />[[流山市]] 5.30%<br />[[千代田区]] 2.65%<br />[[荒川区]] 2.65%<br />[[八潮市]] 1.62%<br />[[守谷市]] 1.47%<br />[[つくばみらい市]] 1.47%<br />[[三郷市]] 1.32%<br />(2021年3月31日現在)<ref name="fy" /><!-- 数値を更新する際は出典を修正してください -->
| 主要子会社 =
| 関係する人物 =
| 外部リンク = https://www.mir.co.jp/
| 特記事項 = 鉄道事業では社名に代わって「つくばエクスプレス」を多用する。
}}
'''首都圏新都市鉄道株式会社'''(しゅとけんしんとしてつどう、{{lang-en-short|Metropolitan Intercity Railway Company, MIR}})は、[[首都圏新都市鉄道つくばエクスプレス|つくばエクスプレス]]を運営している[[日本]]の[[鉄道事業者]]である。
== 概要 ==
現在のつくばエクスプレスである常磐新線の建設を目的に、沿線[[地方公共団体]]と民間企業が出資する[[第三セクター]]方式で設立された。[[資本金]]額は1,850億円で、2,500億円の[[大阪市高速電気軌道]] (Osaka Metro)、2,000億円の[[東日本旅客鉄道]](JR東日本)に次いで日本の鉄道を本業とする会社では3位である。出資[[株主]]は、[[茨城県]]、[[東京都]]、[[千葉県]]など沿線地方公共団体が89[[パーセント]]を占め、[[代表取締役]]など役員は[[国土交通省]]や都県庁出身の[[官僚]]が占めている<ref name="yuho" />など、公的機関主導の第三セクターである。会社創立当時から[[日本民営鉄道協会]]や[[第三セクター鉄道|第三セクター等鉄道協議会]]などの業界団体には加盟していない。
[[北総鉄道]]、[[東葉高速鉄道]]や[[埼玉高速鉄道]]のような[[日本のニュータウン|ニュータウン]]開発型[[第三セクター鉄道]]が建設費の利子負担と返済に苦しんだことを教訓として、建設費の大部分を無利子で調達していることが特徴である。建設費の圧縮、[[自動列車運転装置|ATO]]や[[ワンマン運転]]の採用により、経費節減を行っている。
運賃は4 - 30[[キロメートル|km]]程度の近距離では割高だが、50km程度ではJR幹線の運賃水準と大差ない。全線運賃は既存[[高速バス]]に合わせて設定され、1 - 3km区間も東京の地下鉄並みとするなど割高感を抑えている。
高速運転を実施したことで既存交通機関からの移乗を促し、輸送実績は上昇傾向にある。[[大都市地域における宅地開発及び鉄道整備の一体的推進に関する特別措置法|宅鉄法]]による強制的な沿線開発事業との連動性も強い。
2008年度は約18億円の最終赤字だが約4億円の営業黒字、2009年度は約1500万円の最終黒字、2010年度は約21億円の最終黒字をそれぞれ計上している。
社員は未経験者を多く採用<ref name="yuho">{{Cite web|和書|url=http://www.uforeader.com/v1/ec/E04151.html|title=首都圏新都市鉄道株式会社の有価証券報告書(2012年04月01日 - 2013年03月31日期)|publisher=有報リーダー|accessdate=2020-10-10|5=|archiveurl=https://web.archive.org/web/20131217032223/http://www.uforeader.com/v1/ec/E04151.html|archivedate=2013-12-17}} </ref>しているが、現場の人手不足や退職者の多さが2014年の[[第186回国会]]で取り上げられている<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_kaigirokua.nsf/html/kaigirokua/003818620140226001.htm|title=第186回国会 予算委員会第八分科会 第1号(平成26年2月26日(水曜日))|publisher=衆議院|accessdate=2020-10-10}} {{Wayback|url=https://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_kaigirokua.nsf/html/kaigirokua/003818620140226001.htm |date=20211026150657 }}</ref>。
また、創立当時より社内[[労働組合]]が存在しない<ref>[https://gendai.media/articles/-/53376?page=3 つくばエクスプレスで「トラブル・不祥事多発」一体なぜ!?] {{Wayback|url=https://gendai.media/articles/-/53376?page=3 |date=20221209130454 }} - 現代ビジネス 2017年11月8日発信。同年同月10日閲覧。</ref>。
=== 営業状況の推移 ===
{| class="wikitable" style="text-align:right; font-size:90%;"
!年度!!回次!!決算年月!!営業収益!!営業損益!!経常損益!!当期純損益
|-
|2004||第15期||H17/3||-||n.a.||▲ 10.18億円||▲ 9.49億円
|-
|2005||第16期||H18/3||140.40億円||n.a.||▲ 52.64億円||▲ 49.64億円
|-
|2006||第17期||H19/3||267.74億円||n.a.||▲ 47.20億円||▲ 37.60億円
|-
|2007||第18期||H20/3||307.28億円||▲ 0.56億円||▲ 19.01億円||▲ 19.53億円
|-
|2008||第19期||H21/3||333.77億円||4.31億円||▲ 13.63億円||▲ 18.91億円
|-
|2009||第20期||H22/3||342.48億円||16.78億円||0.30億円||▲ 0.15億円
|-
|2010||第21期||H23/3||353.98億円||29.66億円||26.29億円||21.41億円
|-
|2011||第22期||H24/3||360.75億円||26.95億円||21.83億円||25.30億円
|-
|2012||第23期||H25/3||379.01億円||37.36億円||29.76億円||30.93億円
|-
|2013||第24期||H26/3||398.94億円||48.45億円||37.11億円||35.19億円
|-
|2014||第25期||H27/3||404.61億円||56.08億円||42.66億円||34.97億円
|-
|2015||第26期||H28/3||420.11億円||66.74億円||51.32億円||37.94億円
|-
|2016||第27期||H29/3||432.75億円||66.95億円||50.11億円||37.00億円
|-
|2017||第28期||H30/3||443.63億円||79.55億円||61.48億円||46.01億円
|-
|2018
|第29期
|H31/3
|463.40億円
|80.33億円
|60.87億円
|40.86億円
|-
|2019
|第30期
|R2/3
|468.05億円
|96.53億円
|76.68億円
|60.06億円
|-
|2020
|第31期
|R3/3
|313.16億円
|▲58.51億円
|▲79.01億円
|▲79.64億円
|-
|2021
|第32期
|R4/3
|348.18億円
|▲21.79億円
|▲43.23億円
|▲46.31億円
|}
== 沿革 ==
[[File:Shin-okachimachi-a2.JPG|thumb|right|250px|本店所在地(旧本社・[[新御徒町駅]]A2出口)]]
* [[1991年]](平成3年)3月15日 - 首都圏新都市鉄道株式会社を設立。
* [[1992年]](平成4年)1月10日 - [[鉄道事業者#第一種鉄道事業|第一種鉄道事業]]免許を取得<ref>{{Cite book|1=和書|editor=都市高速鉄道研究会 編|title=つくばエクスプレス建設物語 ―構想・施工・新技術の紹介―|date=2007-03-18|publisher=成山堂書店|page=18|isbn=978-4-425-96121-4|url=https://books.google.com/books?id=M2-oPUTkaOYC&pg=PA18|access-date=2023年4月8日|archive-date=2022年4月7日|archive-url=https://web.archive.org/web/20220407191319/https://books.google.com/books?id=M2-oPUTkaOYC&pg=PA18|url-status=live}}</ref>。
* [[1995年]](平成7年)1月 - 東京都[[台東区]][[浅草橋 (台東区)|浅草橋]]五丁目に本社事務所を移転。
* [[2000年]](平成12年)1月 - 台東区[[元浅草]]二丁目に本社事務所を移転。
* [[2004年]](平成16年)12月 - 台東区[[台東 (台東区)|台東]]四丁目に本社事務所を移転。
* [[2005年]](平成17年)8月24日 - つくばエクスプレスを開業。
* [[2007年]](平成19年)3月18日 - [[PASMO]]を導入。
* [[2008年]](平成20年)3月14日 - [[パスネット]]の自動改札機での使用を終了。
* [[2017年]](平成29年)1月30日 - 本社事務所を[[千代田区]][[神田練塀町]]に移転。ただし本店登記は変更なし。
== 路線 ==
* [[首都圏新都市鉄道つくばエクスプレス|つくばエクスプレス]](常磐新線):[[秋葉原駅]] - [[つくば駅]] 58.3km
== 車両 ==
車両は、[[直流電化]]区間である秋葉原 - [[守谷駅|守谷]]間のみで使用されるTX-1000系と、[[交流電化]]区間である守谷 - つくば間を含む全線で使用されるTX-2000系およびTX-3000系があり、ダイヤによって使い分けている。
* [[首都圏新都市鉄道TX-1000系電車|TX-1000系]]:6両編成14本(第01編成 - 第14編成、計84両)・[[川崎車両|川崎重工業車両カンパニー]]製造
* [[首都圏新都市鉄道TX-2000系電車|TX-2000系]]:6両編成23本(第51編成 - 第73編成、計138両)・[[日立製作所]]製造
* [[首都圏新都市鉄道TX-3000系電車|TX-3000系]]:6両編成5本(第81編成 - 第85編成、計30両)・日立製作所製造<ref>{{Cite web|和書|title=平成31年度末の輸送力増強に向けて車両5編成(30両)を増備します|publisher=首都圏新都市鉄道|date=2016-10-19|accessdate=2017-04-29|url=http://www.mir.co.jp/company/release/upload/133b0883d254d4163b165f0eacf7cd82.pdf|archiveurl=https://web.archive.org/web/20170429124949/http://www.mir.co.jp/company/release/upload/133b0883d254d4163b165f0eacf7cd82.pdf|archivedate=2017-04-29|format=PDF}} </ref><ref>{{Cite web|和書|title=つくばエクスプレス,車両増備へ|work=鉄道ファン・railf.jp|publisher=交友社|date=2016-10-21|accessdate=2017-04-29|url=http://railf.jp/news/2016/10/21/170000.html|archiveurl=https://web.archive.org/web/20161220080706/http://railf.jp/news/2016/10/21/170000.html|archivedate=2016-12-20}}</ref><ref name=":0">{{Cite press release|和書|url=http://www.mir.co.jp/company/release/upload/992fa04038c8c6e6b89444312658ff0a_1.pdf|format=PDF|language=日本語|title=〜TX-3000 系を導入、朝ラッシュ時間帯は 25 本運行へ〜 2020年3月14日(土)「ダイヤ改正」を実施します!|publisher=首都圏新都市鉄道|date=2020-01-30|accessdate=2020-05-23|archiveurl=https://web.archive.org/web/20200130135856/http://www.mir.co.jp/company/release/upload/992fa04038c8c6e6b89444312658ff0a_1.pdf|archivedate=2020-01-30}}</ref>
TX-2000系は開業時に6両編成16本(第51編成 - 第66編成、96両)が在籍していた。[[2008年]]に6両編成4本(第67編成 - 第70編成、24両)、[[2012年]]に6両編成3本(第71編成 - 第73編成、18両)がそれぞれ追加導入された<ref>{{Cite press release |和書 |title=3編成18両の車両増強と南流山駅ホーム改良計画について |publisher=首都圏新都市鉄道株式会社 |date=2011-01-11 |url=https://www.mir.co.jp/uploads/20110112085747.pdf |format=PDF |language= |accessdate=2013-12-17 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20120306022926/https://www.mir.co.jp/uploads/20110112085747.pdf |archivedate=2012-03-06}}</ref><ref>{{Cite press release |和書 |title=輸送力増強に向けて車両を増備! 3編成18両(TX-2000系車両)を導入します。 |url=http://www.mir.co.jp/company/release/2012/3182000.html |publisher=首都圏新都市鉄道株式会社 |date=2012-06-18 |accessdate=2020-10-03 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20121007224957/http://www.mir.co.jp/company/release/2012/3182000.html |archivedate=2012-10-07 }}</ref>。(第71編成は2019年に発生した脱線事故により一部の車両が廃車<ref>{{Cite web|和書|title=71Fのつくば方2両が廃車 |url=https://tx-style.net/topics2748 |website=TSUKUBA EXPRESS STYLE |date=2019-07-13 |access-date=2023-03-13 |language=ja |author=いちさと }} {{Wayback|url=https://tx-style.net/topics2748 |date=20230313124606 }}</ref>)
TX-3000系は2020年3月に運行を開始した<ref name=":0" />。30両(6両固定×5編成)が増備された。
<gallery>
File:TX Series1000-1609.jpg|TX-1000系
File:TX Series2000-2672.jpg|TX-2000系
File:TX Series3000-3685.jpg|TX-3000系
</gallery>
=== 車両番号の振り方 ===
TX-○○○○
* 千の位 … 電気方式:1→直流用、2・3→交直両用
* 百の位 … 車両番号:つくば方から秋葉原方へ1から6(通称[[帝都高速度交通営団|営団]]方式、号車番号と同じ)
* 十と一の位 … 編成番号:直流用車両のTX-1000系は01から14、交直両用車両ではTX-2000系は51から73、TX-3000系は81から85
将来に増結を予定している場合、事業者によってはあらかじめ空き番号を設ける場合があるが、TX-1000・2000系は百の位に欠番はない([[東急電鉄|東京急行電鉄]]の[[東急5000系電車 (2代) |5050(東横)・5080(目黒)系]]と同じ)。
== 運賃・企画乗車券 ==
{{See|首都圏新都市鉄道つくばエクスプレス#運賃}}
== TXカード ==
[[パスネット]]に対応した鉄道[[乗車カード]]([[磁気カード]])である。開業と同時に発売を開始し、2008年1月に終売した。カードは5,000円、3,000円、1,000円の3種類があった。図柄は「パスネット」のみの表記となっており、「TXカード」の表記はされなかった。通常カードのほか記念カードがあり、通常カードはTXのマスコットキャラクター[[首都圏新都市鉄道つくばエクスプレス#イメージキャラクター|スピーフィ]]と路線図がモチーフで記念カードは違う絵柄であった。
[[2007年]]3月18日、[[ICカード]]「[[PASMO]]」を導入し、2008年3月14日の終電をもってパスネットの自動改札機利用を終了した。残額のあるTXカードは同年3月15日以降無手数料での払い戻しや、PASMOへ残額の移行を行っているほか、[[自動券売機]]での切符の購入、[[自動精算機]]、有人[[改札]]での乗り越し精算でそれぞれ引き続き利用できる。
TXカードは、券売機等での利用を[[2015年]]3月31日に終了し、払い戻しの取り扱いを[[資金決済に関する法律]]に基づいて2018年1月31日をもって終了することが発表されている<ref>{{Cite web|和書|date=2014-12-15 |url=http://www.mir.co.jp/company/release/upload/0b1e11520905f64abd97b0eb3d284abd.pdf |title=パスネットの使用終了と残額の払い戻しについて |publisher=パスネット協議会 |accessdate=2020-10-03 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20141225003741/http://www.mir.co.jp/company/release/upload/0b1e11520905f64abd97b0eb3d284abd.pdf |archivedate=2014-12-25 }}</ref>。
== 携帯電話・無線LANサービス ==
地下区間を含む全線の走行中の車内で、全[[移動体通信事業者|携帯電話事業者]]の電波が受信可能であると宣伝しているが、[[Y!mobile]]の[[PHS]]サービスは対象外で地下の駅間など使用できない区間がある。
TX-2000系電車の車内で[[公衆無線LAN]]が利用できる。開業時から[[2006年]]7月まで車内で[[無線LAN]]による[[インターネット]]接続のモニターテストが行なわれ、同年8月24日から[[docomo Wi-Fi|Mzone]]のサービスが開始された。
しかし、2022年12月に、列車内および駅構内で提供中の公衆無線LANサービスの一部が終了することになった。列車内では全てが、駅構内では[[NTTドコモ]]の「[[d Wi-Fi]]」が提供を終えた。なお、駅構内の「TX free Wi-Fi」や、「Japan Wi-Fi auto-connect」、「TOKYO free Wi-Fi」は提供を継続している。<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.mir.co.jp/assets_rti/pdf/40ab06f795bf5e916ccc4fbe520ecebc.pdf |title=公衆無線LAN(Wi-Fi)サービス一部サービス終了のお知らせ |access-date=2023年3月18日 |publisher=首都圏新都市鉄道(MIR) }} {{Wayback|url=https://www.mir.co.jp/assets_rti/pdf/40ab06f795bf5e916ccc4fbe520ecebc.pdf |date=20221125205413 }}</ref>
== 不祥事 ==
2005年から2019年までの期間、TX沿線に関する新聞記事の切り抜きを社内の情報共有サイト([[イントラネット]])へ掲載していたとして、2020年、[[中日新聞社]]([[東京新聞]]を発行)<ref>{{Cite web|和書|title=つくばエクスプレス側を提訴 「著作権侵害」と中日新聞 |url=https://www.nikkei.com/article/DGXMZO55729770X10C20A2CR8000/ |website=日本経済新聞 |date=2020-02-17 |access-date=2023-06-10 |language=ja}}</ref>と[[日本経済新聞社]]<ref>{{Cite web|和書|title=記事無断使用、つくばエクスプレスを提訴 本社 |url=https://www.nikkei.com/article/DGXMZO59276750Z10C20A5CR8000/ |website=日本経済新聞 |date=2020-05-19 |access-date=2023-06-10 |language=ja}}</ref><ref>{{Cite web|和書|title=著作権侵害訴訟の提起について |url=https://www.nikkei.co.jp/nikkeiinfo/news/release_20200519_01.pdf |website=日本経済新聞社 |access-date=2023-06-10 |language=ja-JP |format=pdf |date=2020-05-19}}</ref>から[[著作権侵害]][[訴訟]]を受けた。[[東京地方裁判所|東京地裁]]は2022年10月6日に中日新聞社へ192万3千円<ref>{{Cite web|和書|title=東京新聞の記事をめぐる著作権侵害訴訟の判決について |url=https://www.chunichi.co.jp/article/558676 |website=中日新聞Web |access-date=2023-06-10 |language=ja |date=2022-10-06}}</ref><ref>{{Cite web|和書|title=TX運行会社の著作権侵害を認定 本紙記事をスキャンして無断で社内ネットワークに掲載 東京地裁判決 |url=https://www.tokyo-np.co.jp/article/206824 |website=東京新聞 TOKYO Web |access-date=2023-06-10 |language=ja |date=2022-10-06}}</ref>、10月30日に日本経済新聞社へ459万5千円<ref>{{Cite web|和書|title=つくばエクスプレス側に賠償命令 本社記事を無断使用 |url=https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUE306QT0Q2A131C2000000/ |website=日本経済新聞 |date=2022-11-30 |access-date=2023-06-10 |language=ja}}</ref>の支払いを命じた。その後控訴され<ref>{{Cite web|和書|title=東京新聞の記事をめぐる著作権侵害訴訟の判決に対する控訴について |url=https://www.chunichi.co.jp/article/566113 |website=中日新聞Web |access-date=2023-06-10 |language=ja |date=2022-10-18}}</ref>、2023年6月8日、二審の[[知的財産高等裁判所|知財高裁]]は首都圏新都市鉄道に対し、中日新聞社へ133万4千円<ref>{{Cite web|和書|title=東京新聞の記事をめぐる著作権侵害訴訟(控訴審)の判決について |url=https://www.chunichi.co.jp/article/705951 |website=中日新聞Web |access-date=2023-06-10 |language=ja |date=2023-06-08}}</ref><ref>{{Cite web|和書|title=東京新聞記事を無断利用、TX運行会社に賠償命令 知財高裁控訴審 著作権侵害あったと認定 |url=https://www.tokyo-np.co.jp/article/255502 |website=東京新聞 TOKYO Web |access-date=2023-06-10 |language=ja |date=2023-06-08}}</ref>、日本経済新聞社へ696万円<ref>{{Cite web|和書|title=つくばエクスプレスに賠償命令 知財高裁、著作権侵害で |url=https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUE081SO0Y3A600C2000000/ |website=日本経済新聞 |date=2023-06-08 |access-date=2023-06-10 |language=ja}}</ref>の支払いを命じた。
2023年10月25日、上掲と同様の内容により、[[共同通信社]]が首都圏新都市鉄道を著作権侵害で提訴した<ref>{{Cite web|和書|title=共同通信社、つくばエクスプレス運行会社を提訴 配信記事を社内掲示板に無断掲載 著作権侵害で |url=https://www.tokyo-np.co.jp/article/285941 |website=www.tokyo-np.co.jp |access-date=2023-11-03 |language=ja |publisher=東京新聞 TOKYO Web |date=2023-10-25}}</ref>。
== 脚注 ==
{{Reflist}}
== 関連項目 ==
* [[関東鉄道]] - MIRに出資する京成グループ([[京成電鉄]]連結子会社)の鉄道事業者。広報誌『関鉄Pocket』はTX線でも配布。
* [[日立電鉄]] - 鉄道事業からの撤退時に、首都圏新都市鉄道が運転士11人を受け入れている。
* [[西武鉄道]]、[[帝都高速度交通営団]]、[[東京地下鉄]] - 役員経験者が代表取締役を歴任
** 役員以外の社員でも、上記3社(西武・営団→東京地下鉄)の他に東日本旅客鉄道・[[上毛電気鉄道]]・[[近畿日本鉄道]]などからも社員が出向という形で送り込まれている。
* [[第三セクター鉄道]]
== 外部リンク ==
{{Multimedia|首都圏新都市鉄道の画像}}
{{Commonscat|Metropolitan Intercity Railway}}
* [https://www.mir.co.jp/ つくばエクスプレス]
{{PASMO}}
{{パスネット}}
{{Normdaten}}
{{DEFAULTSORT:しゆとけんしんとしてつとう}}
[[Category:日本の鉄道事業者]]
[[Category:首都圏新都市鉄道|*]]
[[Category:第三セクター鉄道]]
[[Category:1991年設立の企業]]
[[Category:20世紀の日本の設立]]
[[Category:千代田区の企業]]
|
2003-09-11T10:34:05Z
|
2023-12-05T01:18:19Z
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[
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兵庫県南部地震
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兵庫県南部地震(ひょうごけんなんぶじしん)は、兵庫県南部を震源として1995年(平成7年)1月17日午前5時46分に発生した地震。兵庫県南部を中心に大きな被害と発生当時戦後最多となる死者を出す阪神・淡路大震災を引き起こした。日本で初めての大都市の直下を震源とする大地震で、気象庁の震度階級に震度7が導入されてから初めて最大震度7が記録された地震である。地震の震源は野島断層(六甲・淡路島断層帯の一部)付近で、地震により断層が大きく隆起して地表にも露出している。
なお、1996年(平成8年)9月30日まで運用されていた旧震度階級では最初で最後の震度7(激震)が記録された地震で、機械計測ではなく現地調査によって震度7と判定された。1996年4月以降は、観測員の体感での震度決定ではなく、より客観的とされる機械計測での震度観測に完全移行している。
地震が発生した1月17日の午前10時に、政府は「兵庫県南部地震非常災害対策本部」の設置を決定した。午前11時、気象庁は当地震を「平成7年(1995年)兵庫県南部地震」(英: the 1995 Southern Hyogo Prefecture Earthquake)と命名した。そして、政府はこの地震によって発生した大規模な災害(震災)について、「阪神・淡路大震災」(はんしん・あわじだいしんさい)と命名している。そのため、両者(地震現象と災害)は厳密には区別されるべき語である。震災#現象の名称と震災の名称も参照。
なお、震央については、北淡町付近の明石海峡となるが、気象庁による地震情報で用いる震央地名で大阪湾の水域にあたるため、気象庁では大阪湾としている。
震度4以上の揺れを観測した地域は以下の通り。気象庁の観測点における震度6までは計測震度計、震度7は現地調査による。地名は当時のもの。
以下は気象庁の他、大阪ガス・鉄道総合技術研究所・港湾技術研究所・関西地震観測研究協議会などによる強震記録を基に計測震度を算出したものである。
神戸海洋気象台(6.43)、大阪ガス葺合供給所(6.49または6.6)および、JR鷹取駅(JR総合技術研究所)(6.48)の強震記録から算出される計測震度は何れも6.5(震度7)に近い値を示しているが、これらの内、震度7と判定された地域内にあるのはJR鷹取であり周辺の家屋全壊率は59%にものぼるが、葺合は20-35%でボーダーライン、海洋気象台は全く震度7領域の範囲外で家屋全壊率は3%程度であった。つまり計測震度は必ずしも実際の被害状況を忠実に表しているわけではない。これは、地震動の弾性加速度応答スペクトルの内、特に家屋に被害をもたらしやすい周期1秒から2秒の成分がJR鷹取において最も大きく、海洋気象台ではこの成分がJR鷹取の半分程度でしかなかったことによる。同様に東北地方太平洋沖地震で計測震度6.6を観測した栗原市築館は周期が0.25秒前後の加速度応答スペクトルは2,700galと非常に大きかったが、周期1秒から2秒の成分は葺合の1/4程度であったため、周辺の倒壊家屋は無かった。
気象庁は本地震発生後間もなく、各予報区に「ツナミナシ」の津波注意報(なし)を出した。顕著な津波も見られず、津波被害は報告されていないが、各検潮所の記録を解析した結果、淡路島の江井で最大振幅68cm、大阪の深日で同40cmなど、小規模な津波が発生していたことが明らかになった。今村・飯田の津波規模では m = -2 であり、地震の規模に対し2段階ほど小さいものであった。
堺、泉北および四国側では験潮記録が押し波で始まり、洲本、和歌山および播磨灘側の東二見および広畑は引き波の初動であった。この播磨灘側の引き波初動は本地震において野島断層の西側が沈降した事実と調和的であった。
兵庫県南部地震は、人口350万人余が密集する大都市の直下で発生した「都市直下型地震」であったため、甚大な被害をもたらした。死者は発生当時戦後最多となる6,434人、行方不明者は3人、負傷者は43,792人に上り、689,776棟の建物が被害を受け、被害総額は約10兆円に達した。戦後の国内災害では、2011年(平成23年)3月11日の東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)に次ぐ被害であり、大都市の地震災害に対する脆弱さが露呈した典型的な例となった。
地震前後の測地データを解析および余震の分布などから、兵庫県南部地震を起こした断層は「六甲・淡路島断層帯」で、断層帯南部の淡路島北側の江井崎から伊丹市中心部付近まで南西から北東に伸びる淡路区間と呼ぶ約50km、深さ約5kmから18kmの断層面であった。この断層面の南西の端から始まった断層のずれは、約10秒間に断層全体に広がって大きな揺れを引き起こしたと推定されている
断層面の真上に当たる帯状の地域を概観すると淡路島北部では地下の六甲-淡路断層帯のずれが地上にまで明瞭に現れ、野島断層のずれが地表にあらわれたが、走方向の異なる野島断層の南側にある志筑断層は活動をしていない。一方、本州の神戸市南部では堆積層に隠されたため地面の亀裂が見られた程度で明瞭な断層面は地表には現れなかった。しかし、堆積層下の断層に沿った神戸市須磨区から西宮市の地上には幅1km長さ20kmの『震災の帯』と呼ばれるの帯状の被害集中域が生じ、その地域の揺れが特に大きかったことを示している。この被害の『震災の帯』は六甲・淡路島断層の真上ではなく未知の活断層による物とする説と盆地境で生成された表面波や回折波と増幅干渉効果のためとする説があり、縄文海進より海岸側の沖積平野に集中している。
振動データの解析結果より、約10秒間の本震は複数のサブイベントからなる多重震源地震であった。解析結果はいくつかあり、
周辺の測量結果からは、5つのサブセグメントの断層モデルが提唱されている。なお、古村(1995)は堆積層内で反射し回折した地震波が、神戸地域で木造家屋を倒壊させやすい周期約1秒のパルス(キラーパルス)となり倒壊被害が拡大したと分析している。
兵庫県南部地震の余震域は、断層に沿って全長50〜60kmにわたり、概ね北東-南西方向に分布した。
最大余震は、本震から約2時間後の1月17日7時38分に兵庫県南東部(北緯34度47.2分 東経135度26.5分 / 北緯34.7867度 東経135.4417度 / 34.7867; 135.4417)で起こったM5.4の地震で、奈良で震度4の中震を観測した。
余震の推移を見ると震度0の無感以上の地震が本震以後の1995年で2,360回、1996年と1997年がともに100回台と次第に回数が減少し、規模も小さくなっている。
後の研究より幾つかの前兆現象が発生していたことが報告されている。
京都大学防災研究所らの観測によれば、1989年終盤から1995年にかけて近畿地方の広域に「急激な圧縮から伸びに転じる」地殻歪み変化が生じていた。この歪みの変化はプレート運動に起因し、急激な変動により兵庫県南部地震が誘発されたと分析している。
第3種地震空白域として、一部の研究者により発生位置は予測されていた。また後年のデータ解析により、1992年後半から北摂・丹波山地全体で静穏化現象も生じていた事が判明した。
「1994年11月9日以降、兵庫県猪名川町付近で有感の微震が断続的に発生した一連の活動が、前兆であった可能性が高い」とする研究がある一方、「兵庫県猪名川町と本震の震源が40km以上離れており無関係である」とする指摘がある。
本震前日の1月16日の18時28分、明石海峡付近を震源とするM3.3の地震が発生し神戸で震度1の微震を観測したのを始まりに16日中に計4回の小さな地震(M3 - 1.5)が観測された。これは大方のところ、翌日の大地震の前震だったと見られている。しかし当時も含め現在、前震から大地震の発生を予測するのは困難であるとされる。
これは無数にある地震のパターンからどのようなものが前震であるかいまだに見つけられていないことや、前震を捕らえるためには特定の地域を精密に長期的に観測し続けることが必要なことなどが理由として挙げられる。ただ前震と本震との関連性やパターンが明らかになれば大地震の予知につながるものだとされ、研究が行われている。
地震の数日前から直前に至るまでの間に、関西地方を中心として様々な異常現象が見られたという一部の人からの報告がある。異常現象の例として、地下水位(井戸)の水位異常、「地震雲」をはじめに謎の夜間発光現象の目撃情報、ミミズや昆虫の異常大量発生、動物の異常な行動、携帯電話などの電波を用いる機器の異常、太陽・月の光などの異常などである。
これらは、宏観異常現象として将来の地震予知に役立つのではないかと考えられている。それらの証言・情報を収集し研究する研究者もいるものの検証不足などが指摘されており、疑似科学程度に過ぎないとされているものが多い。しかしながら地震発生約10年前の1984年から神戸薬科大学において記録が残っている大気中のラドン濃度の異常や地下水位および水中ラドン濃度の変化など、ある程度の有意性が認められているものもある。
本地震では、震度観測・発表は様々な課題を残すことになり、翌1996年の震度階級改正、観測点増設の契機となった。
地震発生当初は、神戸市および洲本市の震度6が最大震度とされていた。地震3分後の地震速報で震度の情報がテレビのニュースで報道されたのは、「震度5:京都、彦根、豊岡、震度4:岐阜...大阪...」などであり、速報では震度6は報道されなかった。6時4分に「確実な情報ではない」と断った上で「神戸震度6」が報道された。気象庁が正式に神戸震度6と発表したのは6時18分であった。これは当時既に気象官署の震度は機械計測で、「アデス(ADESS)」(気象資料自動編集中継装置)という専用回線で気象庁に送られる仕組みであったが、神戸海洋気象台(神戸中央区中山手)から大阪管区気象台間の回線にトラブルが生じて伝わらなかったためであった。また、夜間無人である洲本測候所(洲本市小路谷)では地震によって震度計が壊れてしまい、地震後に駆けつけた職員が状況から震度6と判定し、気象庁が「洲本震度6」と発表したのは7時29分であった。
本地震は、1948年の福井地震を契機として1949年に震度7が創設されて8段階になった震度で初めて震度7を適用、後述する翌年10月からの新震度移行により「烈震」や「激震」などの別名が廃止されたため日本の地震史上最初で最後の「激震」と呼ばれる地震となった。だが、当時は震度7を速報できる体制にはなかった。当時の震度が震度6までは各地の震度計の測定情報を基にした速報体制が敷かれていたものの震度7については倒壊家屋の割合が3割を超えることが基準であったため、後の現地調査によって判定されていたことによる。そのため、気象庁が正式に震度7と判定された地域を発表したのは地震から半月以上経った2月7日である。このため、地震発生や震度などのより早い情報提供を求める声も高まっていた。
これを踏まえ、1996年4月1日から震度7も含めて全ての震度を計測震度として速報が可能な体制に変更された。
震度5や震度6では同じ震度でも被害の程度に大きな差があることが指摘されていた。例えば、本地震の神戸海洋気象台の震度6(計測震度6.4)と、約3週間前に起こった三陸はるか沖地震の八戸測候所の震度6(計測震度5.6)では、同じ震度6でも被害の程度に大きな幅があるとの指摘があった。
この反省を踏まえて1995年3月1日には気象庁が発表する地震情報を改編し、地震速報(震度3以上の地域名)・津波予報(津波の到達地域と高さ)・津波情報(津波到達予想時刻、観測時刻、観測波高)・地震情報(震源位置・規模・震度3以上の地域名)・各地の震度に関する情報(震源位置、規模、震度1以上の観測点)の5段階の体制となった。1996年10月1日から震度5と震度6をそれぞれ「弱」と「強」に分け、震度7についても震度計を使った10段階による測定に移行、「烈震」や「激震」などと言った別名を廃止した。
大阪での震度が4で、大阪よりも震源から遠い京都が5となっている。当時、気象庁が大阪府内に設置していた震度観測点は大阪管区気象台(大阪中央区大手前)の一か所だけで、震度計は上町台地の固い地盤に設置されていたため計測震度が4となっている。しかし、これが大阪市、あるいは大阪府全体の震度を代表しているわけではなかった。日本道路公団が阪神高速11号池田線の建設現場に設置した震度計が震度7、北大阪急行電鉄が桃山台駅に設置した震度計が震度6を観測している。また、地震後の気象庁の地震機動観測班による現地調査では大阪市西淀川区佃、豊中市庄本町、池田市住吉と、大阪府内にも震度6と判定される地域があった。関西地震観測研究協議会が大阪府各地で行っていた地震観測の記録を気象庁の計測震度を求める方法に倣い算出した震度は、信貴山の震度4(計測震度3.6)を除き何れも計測震度4.5-5.4(震度5弱-5強)となる。例えば大阪市福島区吉野町では震度5強(計測震度5.4)である。また、大阪管区気象台の記録を今日の計測震度の算出方法に倣って計算し直すと、計測震度4.54-4.55(震度5弱)になるという。
「神戸震度6」も神戸海洋気象台(神戸中央区中山手)の計測震度が6(6.4)であったのであり、これが神戸市全体の震度を代表するものではなかった。当時の震源域付近の気象庁による震度観測点は大阪、神戸、洲本、姫路、加西と少なく、被害の甚大な芦屋市、西宮市、伊丹市、宝塚市などの阪神間の都市には気象庁の計測震度計が設置されておらず、震度が判らなかったという問題もあった。
これを踏まえ、改善策として従来気象官署などに限られていた震度観測点を、気象庁約600か所、防災科学技術研究所約800か所、地方公共団体約2,800か所、計約4,200か所と大幅に増強し震度観測点のデータを気象庁の情報発表に活用することとなった。
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"text": "本地震は、1948年の福井地震を契機として1949年に震度7が創設されて8段階になった震度で初めて震度7を適用、後述する翌年10月からの新震度移行により「烈震」や「激震」などの別名が廃止されたため日本の地震史上最初で最後の「激震」と呼ばれる地震となった。だが、当時は震度7を速報できる体制にはなかった。当時の震度が震度6までは各地の震度計の測定情報を基にした速報体制が敷かれていたものの震度7については倒壊家屋の割合が3割を超えることが基準であったため、後の現地調査によって判定されていたことによる。そのため、気象庁が正式に震度7と判定された地域を発表したのは地震から半月以上経った2月7日である。このため、地震発生や震度などのより早い情報提供を求める声も高まっていた。",
"title": "地震後の制度見直し"
},
{
"paragraph_id": 28,
"tag": "p",
"text": "これを踏まえ、1996年4月1日から震度7も含めて全ての震度を計測震度として速報が可能な体制に変更された。",
"title": "地震後の制度見直し"
},
{
"paragraph_id": 29,
"tag": "p",
"text": "震度5や震度6では同じ震度でも被害の程度に大きな差があることが指摘されていた。例えば、本地震の神戸海洋気象台の震度6(計測震度6.4)と、約3週間前に起こった三陸はるか沖地震の八戸測候所の震度6(計測震度5.6)では、同じ震度6でも被害の程度に大きな幅があるとの指摘があった。",
"title": "地震後の制度見直し"
},
{
"paragraph_id": 30,
"tag": "p",
"text": "この反省を踏まえて1995年3月1日には気象庁が発表する地震情報を改編し、地震速報(震度3以上の地域名)・津波予報(津波の到達地域と高さ)・津波情報(津波到達予想時刻、観測時刻、観測波高)・地震情報(震源位置・規模・震度3以上の地域名)・各地の震度に関する情報(震源位置、規模、震度1以上の観測点)の5段階の体制となった。1996年10月1日から震度5と震度6をそれぞれ「弱」と「強」に分け、震度7についても震度計を使った10段階による測定に移行、「烈震」や「激震」などと言った別名を廃止した。",
"title": "地震後の制度見直し"
},
{
"paragraph_id": 31,
"tag": "p",
"text": "大阪での震度が4で、大阪よりも震源から遠い京都が5となっている。当時、気象庁が大阪府内に設置していた震度観測点は大阪管区気象台(大阪中央区大手前)の一か所だけで、震度計は上町台地の固い地盤に設置されていたため計測震度が4となっている。しかし、これが大阪市、あるいは大阪府全体の震度を代表しているわけではなかった。日本道路公団が阪神高速11号池田線の建設現場に設置した震度計が震度7、北大阪急行電鉄が桃山台駅に設置した震度計が震度6を観測している。また、地震後の気象庁の地震機動観測班による現地調査では大阪市西淀川区佃、豊中市庄本町、池田市住吉と、大阪府内にも震度6と判定される地域があった。関西地震観測研究協議会が大阪府各地で行っていた地震観測の記録を気象庁の計測震度を求める方法に倣い算出した震度は、信貴山の震度4(計測震度3.6)を除き何れも計測震度4.5-5.4(震度5弱-5強)となる。例えば大阪市福島区吉野町では震度5強(計測震度5.4)である。また、大阪管区気象台の記録を今日の計測震度の算出方法に倣って計算し直すと、計測震度4.54-4.55(震度5弱)になるという。",
"title": "地震後の制度見直し"
},
{
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"tag": "p",
"text": "「神戸震度6」も神戸海洋気象台(神戸中央区中山手)の計測震度が6(6.4)であったのであり、これが神戸市全体の震度を代表するものではなかった。当時の震源域付近の気象庁による震度観測点は大阪、神戸、洲本、姫路、加西と少なく、被害の甚大な芦屋市、西宮市、伊丹市、宝塚市などの阪神間の都市には気象庁の計測震度計が設置されておらず、震度が判らなかったという問題もあった。",
"title": "地震後の制度見直し"
},
{
"paragraph_id": 33,
"tag": "p",
"text": "これを踏まえ、改善策として従来気象官署などに限られていた震度観測点を、気象庁約600か所、防災科学技術研究所約800か所、地方公共団体約2,800か所、計約4,200か所と大幅に増強し震度観測点のデータを気象庁の情報発表に活用することとなった。",
"title": "地震後の制度見直し"
}
] |
兵庫県南部地震(ひょうごけんなんぶじしん)は、兵庫県南部を震源として1995年(平成7年)1月17日午前5時46分に発生した地震。兵庫県南部を中心に大きな被害と発生当時戦後最多となる死者を出す阪神・淡路大震災を引き起こした。日本で初めての大都市の直下を震源とする大地震で、気象庁の震度階級に震度7が導入されてから初めて最大震度7が記録された地震である。地震の震源は野島断層(六甲・淡路島断層帯の一部)付近で、地震により断層が大きく隆起して地表にも露出している。 なお、1996年(平成8年)9月30日まで運用されていた旧震度階級では最初で最後の震度7(激震)が記録された地震で、機械計測ではなく現地調査によって震度7と判定された。1996年4月以降は、観測員の体感での震度決定ではなく、より客観的とされる機械計測での震度観測に完全移行している。
|
{{混同|淡路島地震|x1=2013年に起きた}}
{{Otheruses|地震そのもの|この地震による災害|阪神・淡路大震災}}
{{地震
|name=兵庫県南部地震
|map=USGS Shakemap - 1995 Kobe earthquake.jpg
|imageby=
|map2={{Location map |Japan Hyogo#Japan
|label=
|lat_deg=34|lat_min=35.6|lat_sec=
|lon_deg=135|lon_min=02.1|lon_sec=
|position=right
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|float=center
|mark=Bullseye1.svg
|marksize=40
|caption=}}
|caption=地震の震央の位置を示した地図
|date={{Start date and age|1995|1|17}}
|time= 午前5時46分51.8秒([[日本標準時|JST]])
|center={{JPN}} [[兵庫県]][[北淡町]](気象庁は大阪湾と発表)
|location={{Coord|34|35.9||N|135|02.1||E|display=inline,title}}
|depth=16
|scaletype=気象庁マグニチュード(Mj)
|scale=7.3
|shindo=7
|shindoarea=[[神戸市]]、[[芦屋市]]、[[西宮市]]、[[宝塚市]]、[[北淡町]]、[[一宮町 (兵庫県津名郡)|一宮町]]、[[津名町]]
|tsunami=数十cm
|type=[[内陸地殻内地震]]<br />[[逆断層]]・[[横ずれ断層]]型
|after=震度1以上: 190回<br />震度0: 1,615回<br />(1995年[[3月1日]]時点)
|mostafter=1995年1月17日5時50分、M5.2、最大震度4
|deaths=死者 6,434人<br />行方不明者 3人<br />負傷者 43,792人
|money=約10兆円
|area={{JPN}} [[近畿地方]]<ref group="注">阪神・淡路地方(特に[[淡路島]]北部や[[阪神間|阪神]]間を中心とする[[大阪湾]]岸)</ref>
|data=気象庁<ref name="JMA-shindo" />
|plus=注: 死傷者数は[[総務省消防庁]]などによる。
|scaleother=・モーメントマグニチュード(Mw)6.9|image=Hanshin-Awaji earthquake 1995 337.jpg|image name=地震の揺れで道路を塞ぐように倒壊した建物}}
[[File:Map of Great Hanshin Awaji Earthquake Ja.png|thumb|{{legend|red|震度7の地域}}{{legend|black|震央の位置}}{{legend|yellow|震源域}}{{legend|blue|露出した野島断層}}]]
'''兵庫県南部地震'''(ひょうごけんなんぶじしん)は、[[兵庫県]]南部を[[震源]]として[[1995年]]([[平成]]7年)[[1月17日]]午前5時46分に発生した[[地震]]<ref>{{Cite journal|journal=|title=1995年兵庫県南部地震25周年特集|url=https://www.jstage.jst.go.jp/article/cadasu/6/0/6_35/_article/-char/ja/|language=ja}}</ref>。兵庫県南部を中心に大きな被害と発生当時[[戦後]]最多となる死者を出す'''[[阪神・淡路大震災]]'''を引き起こした。日本で初めての大都市の直下を震源とする大地震で、[[気象庁]]の[[気象庁震度階級|震度階級]]に震度7が導入されてから初めて'''最大[[震度7]]'''が記録された地震である<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.kobe-np.co.jp/rentoku/sinsai/graph/sp/p1.shtml|title=観測史上初の震度7|accessdate=2021年8月26日|publisher=[[神戸新聞]]NEXT|website=www.kobe-np.co.jp|work=データでみる阪神・淡路大震災|language=ja}}</ref>。地震の震源は[[野島断層]]([[六甲・淡路島断層帯]]の一部)付近で、地震により[[断層]]が大きく隆起して地表にも露出している。
なお、[[1996年]](平成8年)[[9月30日]]まで運用されていた旧震度階級では最初で最後の震度7(激震)が記録された地震で、機械計測ではなく現地調査によって震度7と判定された。1996年[[4月]]以降は、観測員の体感での震度決定ではなく、より客観的とされる機械計測での震度観測に完全移行している。
== 名称 ==
地震が発生した1月17日の午前10時に、[[日本国政府|政府]]は「兵庫県南部地震非常災害対策本部」の設置を決定した<ref name="KobeUniv-Awaji">[http://www.lib.kobe-u.ac.jp/directory/eqb/book/1-287/ メモリアル・フォト M7.2の恐怖](淡路町発行。[[神戸大学]]附属図書館「[http://www.lib.kobe-u.ac.jp/eqb/index.html 震災文庫]」)</ref>。午前11時、気象庁は当地震を「'''平成7年(1995年)兵庫県南部地震'''」({{lang-en-short|the 1995 Southern Hyogo Prefecture Earthquake}}<ref>{{PDFlink|[http://www.isc.ac.uk/iscbulletin/agencies/JMA-ops.pdf Operational Procedures of Contributing Agencies]}}(気象庁地震火山部 著。[[イギリス|英国]]国際地震センター 発行)</ref><ref>{{PDFlink|[https://www.jma.go.jp/jma/en/Activities/jishintsunami/jishintsunami_low1.pdf 地震と津波 ― 防災と減災のために ― Earthquakes and Tsunamis – Disaster prevention and mitigation efforts –]}} 気象庁</ref>)と[[気象庁が命名した自然現象の一覧|命名]]した<ref name="KobeUniv-Awaji"/>。そして、政府はこの地震によって発生した大規模な災害([[震災]])について、「'''阪神・淡路大震災'''」(はんしん・あわじだいしんさい)と命名している<ref name="KobeUniv-Awaji"/>。そのため、両者(地震現象と災害)は厳密には区別されるべき語である<ref group="注">これは、2011年の「[[東北地方太平洋沖地震]]」と、それによる災害「[[東日本大震災]]」との関係と同様である。</ref><ref group="注">当地震によって引き起こされた[[災害]]([[震災]])の名称が、政府によって決定されるまでの経緯については「[[阪神・淡路大震災#名称]]」を参照</ref>。[[震災#現象の名称と震災の名称]]も参照。
== 本震 ==
* 発生時刻:[[1995年]]([[平成]]7年)[[1月17日]] 午前5時46分51.8秒([[日本標準時|JST]])<ref name="JMA-shindo" />
* [[震央]]:淡路島北部・[[明石海峡]]付近 ({{Coord|34|35.9||N|135|02.1||E}}<ref name="JMA-shindo" />)
* [[震源]]の深さ:16km
* 地震の規模:[[マグニチュード]]7.3([[気象庁マグニチュード]]。当初は気象庁マグニチュードで7.2だったが、[[2001年]]([[平成]]13年)[[4月23日]]の気象庁マグニチュードの改訂により7.3に修正された。気象庁<ref name="Jma1995">ホーム > 各種データ・資料 > 地震月報(カタログ編) > {{PDFlink|[https://www.data.jma.go.jp/svd/eqev/data/mech/pdf/cmt1995.pdf 主な地震のCMT解 1995年]}} 気象庁</ref>および[[アメリカ地質調査所|USGS]]による[[モーメントマグニチュード]]は6.9)
* [[発震機構]]:東西方向に圧力軸を持つ[[横ずれ断層]]型<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.data.jma.go.jp/svd/eqev/data/1995_01_17_hyogonanbu/index.html|title=「阪神・淡路大震災から20年」特設サイト|accessdate=2021/12/25|publisher=[[気象庁]]}}</ref>
なお、震央については、北淡町付近の[[明石海峡]]となるが、気象庁による地震情報で用いる[[震央地名]]<ref>気象庁、[https://www.data.jma.go.jp/svd/eqev/data/joho/region/epi3.html 地震情報で用いる震央地名(近畿・中国・四国地方)]</ref>で[[大阪湾]]の水域にあたるため、気象庁では大阪湾としている<ref name="JMA-shindo">{{Cite web|和書|url=http://www.data.jma.go.jp/svd/eqdb/data/shindo/index.html#19950117054651|title=震度データベース検索|accessdate=2021/12/25|publisher=[[気象庁]]|language=ja}}</ref>。
=== 各地の震度 ===
震度4以上の揺れを観測した地域は以下の通り<ref name="JMA-shindo" /><ref>{{PDFlink|[http://www.fdma.go.jp/bn/data/010604191452374961.pdf 阪神・淡路大震災について(確定報)]}} 消防庁</ref>。気象庁の観測点における震度6までは[[地震計|計測震度計]]<ref group="注">計測震度の正式導入は1996年4月以降であり、当時の計測震度は速報のための試験導入段階で、計測された震度が状況と合わない、又は震度計が故障した場合は職員が震度を判定して修正した。例:洲本。</ref>、震度7は現地調査による。地名は当時のもの。
{| class="wikitable" style="font-size:90%; line-height:1.55em"
|+ 気象庁の震度観測点における震度
! style="white-space:nowrap" | 震度
! style="white-space:nowrap" | 都道府県
! 観測所
|-
! style="{{震度色|7}}" | 7
| colspan="2" {{N/a|当時は計測震度計の適用外}}
|-
! style="{{震度色|6}}" | 6
| 兵庫県
| [[神戸地方気象台|神戸]] ([[中央区 (神戸市)|中央区]])・[[洲本市|洲本]]
|-
! rowspan="2" rowspan="3" style="{{震度色|5}}" | 5
| [[滋賀県]]
| [[彦根地方気象台|彦根]]
|-
| [[京都府]]
|[[京都地方気象台|京都]]([[中京区]])
|-
| 兵庫県
| [[豊岡市|豊岡]]
|-
! rowspan="15" style="{{震度色|4}}" | 4
| [[福井県]]
| [[敦賀市|敦賀]]・[[福井地方気象台|福井]]
|-
| [[岐阜県]]
| [[岐阜地方気象台|岐阜]]
|-
| [[三重県]]
| [[伊賀市|上野]]・[[津地方気象台|津]]・[[四日市市|四日市]]
|-
| 滋賀県
| [[多賀町|多賀]]
|-
| 京都府
| [[舞鶴海洋気象台|舞鶴]]
|-
| [[大阪府]]
|[[大阪管区気象台|大阪]] ([[中央区 (大阪市)|中央区]])
|-
| 兵庫県
| [[姫路市|姫路]]・[[加西市|加西]]・[[美方町|美方]]
|-
| [[奈良県]]
| [[奈良地方気象台|奈良]]
|-
| [[和歌山県]]
| [[南部川村|南部川]]・[[高野山]]・[[和歌山地方気象台|和歌山]]
|-
| [[鳥取県]]
| [[境港市|境]]・[[鳥取地方気象台|鳥取]]
|-
| [[岡山県]]
| [[岡山地方気象台|岡山]]・[[津山市|津山]]
|-
| [[広島県]]
| [[呉市|呉]]・[[福山市|福山]] ([[松永市|松永]])
|-
| [[徳島県]]
| [[相生町|相生]]・[[徳島地方気象台|徳島]]
|-
| [[香川県]]
| [[多度津町|多度津]]・[[坂出市|坂出]]・[[高松地方気象台|高松]]
|-
| [[高知県]]
| [[高知地方気象台|高知]]
|-
| colspan="3" style="font-size:small" | 上記の他に、福島県から鹿児島県の範囲で震度1以上を観測した。
|}
{| class="wikitable" style="font-size:90%; line-height:1.55em"
|+ 現地調査における判定震度
! style="white-space:nowrap" |震度
! style="white-space:nowrap" | 都道府県
! 市町村
|-
! style="{{震度色|7}}" | 7
| 兵庫県
|[[神戸市]] ([[東灘区]]・[[灘区]]・[[中央区 (神戸市)|中央区]]・[[兵庫区]]・[[長田区]]・[[須磨区]]) ・[[西宮市]]・[[芦屋市]]・[[宝塚市]]・[[津名町]]・北淡町・[[一宮町 (兵庫県津名郡)|一宮町]]
|-
! rowspan="2" style="{{震度色|6弱}}" | 6
| 大阪府
| 大阪市 ([[西淀川区]])・[[豊中市]]・[[池田市]]
|-
| 兵庫県
| 神戸市 ([[垂水区]]・[[北区 (神戸市)|北区]]・[[西区 (神戸市)|西区]])・[[尼崎市]]・[[明石市]]・[[伊丹市]]・[[川西市]]・[[淡路町]]・[[東浦町 (兵庫県)|東浦町]]・[[五色町]]
|-
| colspan="3" | 震度6以上、気象庁の現地調査を基に作成<ref name="Jma1997" />。
|}
以下は気象庁の他、[[大阪ガス]]・[[鉄道総合技術研究所]]・[[港湾技術研究所]]・関西地震観測研究協議会などによる強震記録を基に計測震度を算出したものである<ref name="Sakai shindo" /><ref name="JMA2009">気象庁, [https://www.data.jma.go.jp/svd/eqev/data/study-panel/shindo-kentokai/ 震度に関する検討会] > 参考リンク > 震度の活用と震度階級の変遷等に関する参考資料, pII-28.</ref><ref>山口直也・山崎文雄, 1997, [https://doi.org/10.2208/jscej.1999.612_325 1995年兵庫県南部地震の建物被害率による地震動分布の推定], 土木学会論文集, No.612,Ⅰ-46, 325-336.</ref><ref>藤本一雄 , 1999, [https://dl.ndl.go.jp/search/searchResult?featureCode=all&searchWord=1995%E5%B9%B4%E5%85%B5%E5%BA%AB%E7%9C%8C%E5%8D%97%E9%83%A8%E5%9C%B0%E9%9C%87%E3%81%AE%E9%9C%87%E5%BA%A6%E5%88%86%E5%B8%83%E3%81%A8%E3%81%9D%E3%81%AE%E8%A6%81%E5%9B%A0%E3%81%AE%E5%88%86%E6%9E%90&fulltext=1&viewRestricted=0 1995年兵庫県南部地震の震度分布とその要因の分析], p23.</ref>。
{| class="wikitable" style="font-size:90%; line-height:1.55em"
|+ 強震計による震度
! style="white-space:nowrap" | 震度
! style="white-space:nowrap" | 都道府県
! 観測所
|-
! style="{{震度色|7}}" | 7
| 兵庫県
| [[神戸港]]第8突堤・[[大阪ガス|葺合供給所]]
|-
! style="{{震度色|6強}}" | 6強
| 兵庫県
| [[鷹取駅|JR鷹取駅]]・[[神戸地方気象台|JMA神戸海洋気象台]]・神戸駅前ビル・新神戸変電所・[[宝塚駅|JR宝塚駅]]・[[神戸市立本山第一小学校|本山第1小学校]]・西宮
|-
! style="{{震度色|6弱}}" rowspan="2" | 6弱
| 大阪府
| [[猪名川]]
|-
| 兵庫県
| [[関西電力|関電総合技術研究所]]・[[ポートアイランド]]・[[東神戸大橋]]・神戸港工事事務所・NTT神戸・[[西明石駅|JR西明石駅]]・[[新神戸駅|JR新神戸駅]]・[[尼崎港]]・[[六甲アイランド]]・[[尼崎市立竹谷小学校|竹谷小学校]]・尼崎高架橋・阪急六甲変電所・[[神戸大学]]
|}
=== 地震動 ===
* [[神戸地方気象台|神戸海洋気象台]]の観測記録の分析(実測データではない)によると[[表面最大加速度|最大加速度]]848[[ガル]]、最大速度105[[センチメートル毎秒|カイン]]、最大変位27cmである(実測値:南北動818ガル、東西動617ガル、上下動に332ガル)<ref group="注">当時は中央区[[中山手通]]7-14の高台にあった。{{ウィキ座標度分秒|34|41|28|N|135|10|37|E}}</ref>。
* [[六甲アイランド]]にある[[竹中工務店]]の地震計は横揺れ319ガルに対し縦ゆれは507ガル、神戸市東難区の神戸大学地下の観測では縦ゆれ367ガル、横揺れ300ガルだった。
* 各地の主な加速度(ガル)
** 葺合833、西宮792、本山775、鷹取616、宝塚601、新神戸561、西明石481、神戸大447、尼崎328
{{Location map many | 100x100
| AlternativeMap = 兵庫県南部地震 震度7の地域.png
| float = right
| width = 400px
| caption = 気象庁により震度7と判定された領域と強震動の観測点
| label1 = {{fontsize|95%|[[神戸地方気象台|神戸海洋気象台]]}}
| position1 = top
| mark1 = Circlemarker.svg
| mark1size = 5
| lat1_deg = 29
| lon1_deg = 40.5
| label2 = {{fontsize|95%|[[鷹取駅|JR鷹取]]}}
| position2 = right
| mark2 = Circlemarker.svg
| mark2size = 5
| lat2_deg = 13.5
| lon2_deg = 30.5
| label3 = {{fontsize|95%|[[大阪ガス|葺合供給所]]}}
| position3 = right
| mark3 = Circlemarker.svg
| mark3size = 5
| lat3_deg = 31
| lon3_deg = 48
}}
[[神戸海洋気象台]](6.43<ref name="Sakai shindo" />)、[[大阪ガス]]葺合供給所(6.49<ref name="Sakai shindo" /><ref group="注">地動最大加速度の水平2成分のベクトル和。上下成分は加味されていない。</ref>または6.6<ref name="JMA2009" />)および、JR[[鷹取駅]](JR総合技術研究所)(6.48<ref name="Sakai shindo" />)の強震記録から算出される計測震度は何れも6.5(震度7)に近い値を示しているが、これらの内、震度7と判定された地域内にあるのはJR鷹取であり周辺の家屋全壊率は59%にものぼるが、葺合は20-35%でボーダーライン、海洋気象台は全く震度7領域の範囲外で家屋全壊率は3%程度であった。つまり計測震度は必ずしも実際の被害状況を忠実に表しているわけではない。これは、地震動の弾性加速度応答スペクトルの内、特に家屋に被害をもたらしやすい周期1秒から2秒の成分がJR鷹取において最も大きく、海洋気象台ではこの成分がJR鷹取の半分程度でしかなかったことによる<ref>境有紀, [http://www.kz.tsukuba.ac.jp/~sakai/hgn.htm 1995年兵庫県南部地震の神戸海洋気象台の強震記録について]</ref>。同様に[[東北地方太平洋沖地震]]で計測震度6.6を観測した[[栗原市]]築館は周期が0.25秒前後の加速度応答スペクトルは2,700galと非常に大きかったが、周期1秒から2秒の成分は葺合の1/4程度であったため、周辺の倒壊家屋は無かった<ref name="Yamada2011">山田敏博(2011): {{PDFlink|[http://www.ffr-plus.jp/material/pdf/110727_2.pdf 3.11東日本大震災で何が起きたのか]}}, 応用アール・エム・エス株式会社</ref>。
=== 津波 ===
気象庁は本地震発生後間もなく、各予報区に「ツナミナシ」の[[津波注意報]](なし)を出した<ref>気象庁: 平成7年(1995年)兵庫県南部地震調査報告,『気象庁技術報告第119号』</ref>。顕著な[[津波]]も見られず、津波被害は報告されていないが、各[[検潮所]]の記録を解析した結果、淡路島の江井で最大振幅68cm、大阪の[[深日]]で同40cmなど、小規模な津波が発生していたことが明らかになった<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nishi.or.jp/kurashi/anshin/bosaijoho/saigainitsuiteshiru/kiroku/tsunami-kiroku.html|title=兵庫県で観測された津波の記録|accessdate=2021年8月26日(木曜日)|publisher=[[兵庫県]][[西宮市]]|website=https://www.nishi.or.jp|language=ja}}</ref><ref name="Hatori1997">[[羽鳥徳太郎]](1997):[https://doi.org/10.4294/zisin1948.49.4_461 1995年兵庫県南部地震津波の規模および波源域] 地震 第2輯 1997年 49巻 4号 p.461-466,{{doi|10.4294/zisin1948.49.4_461}}</ref>。[[今村明恒|今村]]・[[飯田汲事|飯田]]の津波規模では ''m'' = -2 であり<ref>{{Cite journal|journal=|author=[[羽鳥徳太郎]]|title=1995年 兵庫県南部地震津波の規模および波源域 (Estimation of the Magnitude and the Source Area of the Hyogoken-Nanbu Earthquake Tsunami)|url=https://www.jstage.jst.go.jp/article/zisin1948/49/4/49_4_461/_pdf|language=ja|accessdate=2021-08-26}}</ref>、地震の規模に対し2段階ほど小さいものであった<ref name="Hatori1997" />。
[[堺市|堺]]、[[泉北]]および[[四国]]側では験潮記録が押し波で始まり、[[洲本市|洲本]]、[[和歌山市|和歌山]]および[[播磨灘]]側の東二見および広畑は引き波の初動であった。この播磨灘側の引き波初動は本地震において[[野島断層]]の西側が沈降した事実と調和的であった<ref name="Hatori1997" />。
== 被害 ==
{{Main|阪神・淡路大震災}}
兵庫県南部地震は、人口350万人余が密集する大都市の直下で発生した「都市直下型地震」であったため、甚大な被害をもたらした<ref>{{Cite web|和書|url=https://web.pref.hyogo.lg.jp/kok10/af20_000000018.html|title=阪神淡路大震災と六甲山系の治山事業|accessdate=2021年8月26日|publisher=[[兵庫県]]|language=ja}}</ref>。死者は発生当時戦後最多となる6,434人、行方不明者は3人、負傷者は43,792人に上り、689,776棟の建物が被害を受け、被害総額は約10兆円に達した。戦後の国内災害では、[[2011年]](平成23年)[[3月11日]]の[[東北地方太平洋沖地震]]([[東日本大震災]])に次ぐ被害であり、大都市の地震災害に対する脆弱さが露呈した典型的な例となった。
{{死者・行方不明者が多い地震 (日本)}}
== メカニズムと構造 ==
=== 起震断層 ===
{{出典の明記|date=2013年11月|section=1}}
[[File:Nojima fault side view.jpg|thumb|野島断層]]
地震前後の測地データを解析<ref>橋本学、[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/10810248 測地測量に基づく1995年兵庫県南部地震の地震像] 地質学論集 (51), 37-50, 1998-03-24, {{naid|110003026038}}</ref>および余震の分布などから、兵庫県南部地震を起こした[[断層]]は「[[六甲・淡路島断層帯]]」で<ref>中田高、蓬田清、尾高潤一郎 ほか、[https://doi.org/10.5026/jgeography.104.127 1995年兵庫県南部地震の地震断層] 地学雑誌 1995年 104巻 1号 p.127-142, {{doi|10.5026/jgeography.104.12}}</ref>、断層帯南部の淡路島北側の江井崎から伊丹市中心部付近まで南西から北東に伸びる淡路区間と呼ぶ約50km、深さ約5kmから18kmの断層面であった。この断層面の南西の端から始まった断層のずれは、約10秒間に断層全体に広がって大きな揺れを引き起こしたと推定されている<ref name="兵庫県南部地震調査速報会1">中田高・蓬田清・尾高潤一郎・朝日克彦・坂本晃章・千田昇,1995,兵庫県南部地震で淡路島に現れた地震断層,「1995年1月17日兵庫県南部地震調査速報会」記録,29-30.</ref><ref name="兵庫県南部地震調査速報会2">太田陽子・堀野正勝・国土地理院災害地理調査班,1995,1995年1月17日兵庫県南部地震の際に出現した野島地震断層と被害状況,「1995年1月17日兵庫県南部地震調査速報会」記録,37-38.</ref>
断層面の真上に当たる帯状の地域を概観すると淡路島北部では地下の六甲-淡路断層帯のずれが地上にまで明瞭に現れ<ref name="兵庫県南部地震調査速報会1"/>、[[野島断層]]のずれが地表にあらわれたが<ref name="兵庫県南部地震調査速報会1"/>、走方向の異なる野島断層の南側にある志筑断層は活動をしていない<ref>{{PDFlink|[https://cais.gsi.go.jp/YOCHIREN/report/kaihou55/07-05.pdf 兵庫県南部地震前の地震活動(続報)(茂木清夫)] 地震予知連絡会 第55巻}}</ref>。一方、本州の神戸市南部では堆積層に隠されたため地面の亀裂が見られた程度で明瞭な断層面は地表には現れなかった<ref>{{PDFlink|[https://cais.gsi.go.jp/YOCHIREN/report/kaihou54/07-11.pdf 兵庫県南部地震の近地強震波形解析による震源過程(気象庁)] 地震予知連絡会 第54巻}}</ref>。しかし、堆積層下の断層に沿った神戸市須磨区から西宮市の地上には幅1km長さ20kmの『震災の帯』と呼ばれるの帯状の被害集中域<ref>沖村孝、鳥居宣之、吉田晋暢 ほか、[https://doi.org/10.11532/proee1997.26.149 地震動増幅特性と構造物分布を考慮した木造構造物被災度評価に関する研究] 地震工学研究発表会講演論文集 2001年 26巻 p.149-152, {{doi|10.11532/proee1997.26.149}}</ref>が生じ、その地域の揺れが特に大きかったことを示している。この被害の『震災の帯』は六甲・淡路島断層の真上ではなく未知の活断層による物とする説<ref>[[鈴木康弘 (地質学者)|鈴木康弘]]:{{PDFlink|[http://www.gensai.nagoya-u.ac.jp/wp-content/uploads/2014/07/2014-03-17.pdf 活断層調査の最前線 —航空レーザによる活断層再発見—] 東海の減災を考える 名古屋大学減災連携研究センターからの提言(2014-03)}}</ref>と盆地境で生成された表面波や回折波と増幅干渉効果のためとする説<ref name="FURUMURA">[http://www.eri.u-tokyo.ac.jp/people/furumura/kobe.htm 古村孝志:1995年兵庫県南部地震と震災の帯] </ref>があり、[[縄文海進]]より海岸側の沖積平野に集中している。
=== 本震の解析 ===
振動データの解析結果より、約10秒間の本震は複数のサブイベントからなる多重震源地震であった。解析結果はいくつかあり、
# 釜江ら(1997) - 3つのサブイベントで「最初に動いたのは明石海峡直下、次いで淡路島側が動き、最後に神戸市側が動いた」とする説<ref name="1995hyogo">[https://doi.org/10.3130/aijs.62.29_7 釜江克宏 入倉孝次郎,1995年兵庫県南部地震の断層モデルと震源近傍における強振動シミュレーション] 日本建築学会構造系論文集 1997年 62巻 500号 p.29-36, {{naid|110004303423}}, {{doi|10.3130/aijs.62.29_7}}</ref><ref>[http://www.kyoshin.bosai.go.jp/kyoshin/gk/publication/1/I-5.3.2.html 強震動の基礎 複雑な断層破壊] 防災科学技術研究所</ref><ref name="ISSN.13404202"/>
# 松島ら(2000) - 4つのサブイベントとする説<ref name="ISSN.13404202">{{PDFlink|[http://zeisei5.dpri.kyoto-u.ac.jp/members/publications/Matsushima-Kawase%282000%29AIJ.pdf 松島信一、川瀬博:1995年兵庫県南部地震の複数アスペリティモデルの提案とそれによる強震動シミュレーション]日本建築学会構造系論文集 (534), 33-40, 2000-08-30}}</ref>
# 平井、釜江(2006)らは解析を重ね1997年に3つとしていた解析を5つのサブイベントとする説<ref>平井俊之、[[釜江克宏]]、長沼敏彦 ほか[https://doi.org/10.5610/jaee.6.3_1 分岐断層の特性化震源モデルを用いた兵庫県南部地震の強震動シミュレーション] 日本地震工学会論文集 2006年 6巻 3号 p.1-11</ref><br />などである。
周辺の測量結果からは、5つのサブセグメントの断層モデルが提唱されている<ref>林愛明、宇田進一、[https://doi.org/10.5110/jjseg.37.160 明石海峡のテクトニクスと兵庫県南部地震] 応用地質 1996年 37巻 3号 p.160-171, {{doi|10.5110/jjseg.37.160}}</ref>。なお、古村(1995)は堆積層内で反射し回折した地震波が、神戸地域で木造家屋を倒壊させやすい周期約1秒のパルス(キラーパルス)となり倒壊被害が拡大した<ref name="FURUMURA"/>と分析している。
== 余震 ==
兵庫県南部地震の[[余震]]域は、断層に沿って全長50〜60kmにわたり、概ね北東-南西方向に分布した<ref>{{Cite web|和書|title=「阪神・淡路大震災から20年」特設サイト |url=https://www.data.jma.go.jp/svd/eqev/data/1995_01_17_hyogonanbu/data.html |website=www.data.jma.go.jp |publisher=気象庁|accessdate=2022-01-20}}</ref>。
最大余震は、本震から約2時間後の1月17日7時38分に兵庫県南東部({{Coord|34|47.2|4=N|5=135|6=26.5|8=E}})で起こったM5.4の地震で<ref>{{Cite web|和書|title=震度データベース検索(最大余震) |url=https://www.data.jma.go.jp/svd/eqdb/data/shindo/index.html#19950117073836 |website=www.data.jma.go.jp |access-date=2023-03-12 |publisher=気象庁}}</ref>、奈良で震度4の中震を観測した<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.jishin.go.jp/main/chousa/95dechy/p02.htm |website=www.jishin.go.jp |accessdate=2022-01-20 |title=震度4を観測した余震 |publisher=[[地震調査研究推進本部]] |language=ja}}</ref>。
余震の推移を見ると震度0の無感以上の地震が[[本震]]以後の1995年で2,360回、1996年と1997年がともに100回台と次第に回数が減少し、規模も小さくなっている。
== 前兆現象 ==
後の研究より幾つかの前兆現象が発生していたことが報告されている<ref>{{PDFlink|[https://cais.gsi.go.jp/YOCHIREN/report/kaihou67/11-09.pdf 1995年兵庫県南部地震の予測可能性:地震活動からみた予測性(京大防)]}}</ref><ref name="nf-vol100">{{cite journal |url=http://www.zisin.jp/publications/pdf/nf-vol100.pdf|title=兵庫県南部地震を振り返って〜観測の現場から〜|publisher=日本地震学会|author=片尾浩|journal=「なゐふる」|volume=100|page=2-3|date=2015年1月|accessdate=2020-12-5}}</ref>。
=== 広域歪みの変動 ===
[[京都大学]]防災研究所らの観測によれば、1989年終盤から1995年にかけて近畿地方の広域に「急激な圧縮から伸びに転じる」地殻歪み変化が生じていた。この歪みの変化はプレート運動に起因し、急激な変動により兵庫県南部地震が誘発されたと分析している<ref>{{PDFlink|[http://www.dpri.kyoto-u.ac.jp/nenpo/no49/49b0/a49b0p25.pdf 1995年兵庫県南部地震に先行した広域地殻歪について] 京都大学防災研究所 年報49号 2006}}</ref>。
=== 地震空白域と静穏化 ===
[[地震空白域|第3種地震空白域]]として、一部の研究者により発生位置は予測されていた<ref>石川有三 1995 地震活動空白域の定義、月刊地球 号,p71-80</ref>。また後年のデータ解析により、1992年後半から北摂・丹波山地全体で静穏化現象も生じていた事が判明した<ref name="nf-vol100"/>。
=== 猪名川群発地震 ===
「1994年11月9日以降、兵庫県[[猪名川町]]付近で有感の微震が断続的に発生した一連の活動が、前兆であった可能性が高い」<ref>{{PDFlink|[https://cais.gsi.go.jp/YOCHIREN/report/kaihou53/06-07.pdf 兵庫県猪名川町の群発地震について(京大防)]}} 地震予知連絡会 会報第53巻, {{naid|20000167003}}</ref>とする研究がある一方、「兵庫県猪名川町と本震の震源が40km以上離れており無関係である」とする指摘がある<ref name="nf-vol100"/>。
=== 前震 ===
本震前日の1月16日の18時28分、[[明石海峡]]付近を震源とするM3.3の地震が発生し神戸で震度1の微震を観測したのを始まりに16日中に計4回の小さな地震(M3 - 1.5)が観測された<ref>[http://www.lib.kobe-u.ac.jp/directory/eqb/book/14-145/eqb26_153.html 阪神.淡路大震災を体験して、今後の地震についての考察] アマチュア無線運用とHAMボランティアの活動 : 阪神・淡路大震災 : 実状記録と反省そして更なる無線運用の構築に向けて 1995阪神・淡路大震災で活動したアマチュア無線家有志</ref><ref>{{PDFlink|[http://www2.jpgu.org/meeting/2002/pdf/s040/s040-p005.pdf 兵庫県南部地震の前震に現れた初期フェイズの普遍性]}} 地球惑星科学関連学会 2002年合同大会</ref>。これは大方のところ、翌日の大地震の[[前震]]だったと見られている。しかし当時も含め現在、前震から大地震の発生を予測するのは困難であるとされる。
これは無数にある地震のパターンからどのようなものが前震であるかいまだに見つけられていないこと<ref>{{PDFlink|[https://cais.gsi.go.jp/YOCHIREN/report/kaihou54/07-19.pdf 兵庫県南部地震の前震波形の特異性について(京大防)]}} 地震予知連絡会 会報第54巻</ref>や、前震を捕らえるためには特定の地域を精密に長期的に観測し続けることが必要なことなどが理由として挙げられる。ただ前震と本震との関連性やパターンが明らかになれば大地震の予知につながるものだとされ、研究が行われている。
=== 宏観異常現象 ===
地震の数日前から直前に至るまでの間に、[[近畿地方|関西地方]]を中心として様々な異常現象が見られたという一部の人からの報告がある。異常現象の例として、地下水位(井戸)の水位異常、「[[地震雲]]」をはじめに謎の[[地震光|夜間発光現象]]の目撃情報、[[ミミズ]]や[[昆虫]]の異常大量発生、動物の異常な行動、[[携帯電話]]などの電波を用いる機器の異常、[[太陽]]・[[月]]の光などの異常などである<ref>弘原海清、[https://doi.org/10.11419/senshoshi1960.38.663 地震の予知・予兆] 繊維製品消費科学会誌 1997年 38巻 12号 p.663-669, {{doi|10.11419/senshoshi1960.38.663}}</ref><ref>[http://kansaidoyukai.or.jp/Portals/1/PDF/地震前兆情報の利活用に関する調査・研究と提言12.htm 第2章 宏観異常現象の分析と評価] 地震前兆情報の利活用に関する調査・研究と提言(第1次報告書) 関西サイエンス・フォーラム</ref>。
これらは、[[宏観異常現象]]として将来の地震予知に役立つのではないかと考えられている。それらの証言・情報を収集し研究する[[研究者]]もいるものの検証不足などが指摘されており、[[疑似科学]]程度に過ぎないとされているものが多い。しかしながら地震発生約10年前の1984年から神戸薬科大学において記録が残っている大気中の[[ラドン]]濃度の異常<ref>石川徹夫、安岡由美、長濱裕幸 ほか、[https://doi.org/10.5453/jhps.43.253 地震とラドン濃度異常 (II) 兵庫県南部地震前に観測された大気中ラドン濃度異常] 保健物理 2008年 43巻 3号 p.253-267, {{doi|10.5453/jhps.43.253}}</ref><ref>安岡由美、川田祐介、長濱裕幸 ほか、[https://doi.org/10.14862/geochemproc.55.0.39.0 兵庫県南部地震前のラドン散逸と地殻歪変化の呼応について] 日本地球化学会年会要旨集 2008年度日本地球化学会第55回年会講演要旨集 セッションID:1B15 10-04, {{doi|10.14862/geochemproc.55.0.39.0}}</ref>や地下水位<ref>[https://doi.org/10.5110/jjseg.37.351 地震による地下水の変動] 応用地質 1996年 37巻 4号 p.351-358, {{doi|10.5110/jjseg.37.351}}</ref>および水中ラドン濃度の変化<ref>角森史昭、[https://doi.org/10.5917/jagh.51.43 地殻変動に伴う地下水中のラドン濃度変化] 地下水学会誌 2009年 51巻 1号 p.43-47, {{doi|10.5917/jagh.51.43}}</ref>など、ある程度の有意性が認められているものもある。
== 地震後の制度見直し ==
本地震では、震度観測・発表は様々な課題を残すことになり、翌1996年の震度階級改正、観測点増設の契機となった。
=== 震度7の速報化 ===
地震発生当初は、神戸市および洲本市の[[気象庁震度階級|震度]]6が最大震度とされていた。地震3分後の地震速報で震度の情報がテレビのニュースで報道されたのは、「震度5:京都、彦根、豊岡、震度4:岐阜…大阪…」などであり、速報では震度6は報道されなかった。6時4分に「確実な情報ではない」と断った上で「神戸震度6」が報道された。気象庁が正式に神戸震度6と発表したのは6時18分であった。これは当時既に気象官署の震度は機械計測で、「[[COSMETS|アデス]](ADESS)」(気象資料自動編集中継装置)という専用回線で気象庁に送られる仕組みであったが、[[神戸地方気象台|神戸海洋気象台]](神戸[[中央区 (神戸市)|中央区]][[中山手通|中山手]])から大阪管区気象台間の回線にトラブルが生じて伝わらなかったためであった。また、夜間無人である洲本測候所(洲本市小路谷)では地震によって震度計が壊れてしまい、地震後に駆けつけた職員が状況から震度6と判定し、気象庁が「洲本震度6」と発表したのは7時29分であった<ref name="Nakamori">中森広道, {{PDFlink|[http://www.showado-kyoto.jp/files/hansin1/113.pdf 1 阪神・淡路大震災における初動情報]}}</ref>。
本地震は、1948年の[[福井地震]]を契機として1949年に震度7が創設されて8段階になった震度で初めて震度7を適用、後述する翌年10月からの新震度移行により「烈震」や「激震」などの別名が廃止されたため日本の地震史上最初で最後の「激震」と呼ばれる地震となった。だが、当時は震度7を速報できる体制にはなかった。当時の震度が震度6までは各地の[[地震計#強震計、震度計|震度計]]の測定情報を基にした速報体制が敷かれていたものの震度7については倒壊家屋の割合が3割を超えることが基準であったため、後の現地調査によって判定されていたことによる<ref name="Jma1997">気象庁(1997): {{PDFlink|[https://www.data.jma.go.jp/svd/eqev/data/1995_01_17_hyogonanbu/tech/119_02_survey.pdf 第2章 現地調査]}}, 気象庁技術報告, 第119号</ref>。そのため、気象庁が正式に震度7と判定された地域を発表したのは地震から半月以上経った2月7日である。このため、地震発生や震度などのより早い情報提供を求める声も高まっていた。
これを踏まえ、1996年4月1日から震度7も含めて全ての震度を[[計測震度]]として速報が可能な体制に変更された<ref name="Nakamori" /><ref>[https://www.jma.go.jp/jma/kishou/know/shindo/ 震度について 震度の階級] 気象庁</ref>。
=== 震度階級の改定 ===
震度5や震度6では同じ震度でも被害の程度に大きな差があることが指摘されていた。例えば、本地震の神戸海洋気象台の震度6(計測震度6.4)と、約3週間前に起こった[[三陸はるか沖地震]]の八戸測候所の震度6(計測震度5.6<ref name="Jma2009a">第1章 計測震度と被害等との関係について, [https://www.data.jma.go.jp/svd/eqev/data/study-panel/shindo-kentokai/ 震度に関する検討会], 気象庁</ref>)では、同じ震度6でも被害の程度に大きな幅があるとの指摘があった<ref name="Hiroi2000">廣井脩、「2000年代の災害情報」 季刊 消防科学と情報 (59), 9-14, 1999-12, 消防防災科学センター, {{naid|40004572925}}</ref>。
この反省を踏まえて1995年3月1日には気象庁が発表する地震情報を改編し、地震速報(震度3以上の地域名)・津波予報(津波の到達地域と高さ)・津波情報(津波到達予想時刻、観測時刻、観測波高)・地震情報(震源位置・規模・震度3以上の地域名)・各地の震度に関する情報(震源位置、規模、震度1以上の観測点)の5段階の体制となった。1996年10月1日から震度5と震度6をそれぞれ「弱」と「強」に分け、震度7についても震度計を使った10段階による測定に移行、「烈震」や「激震」などと言った別名を廃止した。
=== 震度観測点の増設 ===
大阪での震度が4で、大阪よりも震源から遠い京都が5となっている。当時、気象庁が大阪府内に設置していた震度観測点は[[大阪管区気象台]](大阪[[中央区 (大阪市)|中央区]][[大手前]])の一か所だけで、震度計は[[上町台地]]の固い地盤に設置されていたため計測震度が4となっている。しかし、これが大阪市、あるいは大阪府全体の震度を代表しているわけではなかった<ref name="Nakamori" />。[[日本道路公団]]が[[阪神高速11号池田線]]の建設現場に設置した震度計が震度7、[[北大阪急行電鉄]]が[[桃山台駅]]に設置した震度計が震度6を観測している。また、地震後の気象庁の地震機動観測班による現地調査では大阪市[[西淀川区]]佃、[[豊中市]]庄本町、[[池田市]]住吉と、大阪府内にも震度6と判定される地域があった<ref name="Jma1997" />。関西地震観測研究協議会が大阪府各地で行っていた地震観測の記録を気象庁の計測震度を求める方法に倣い算出した震度は、[[信貴山]]の震度4(計測震度3.6)を除き何れも計測震度4.5-5.4(震度5弱-5強)となる。例えば大阪市[[福島区]]吉野町では震度5強(計測震度5.4)である<ref name="Tsuruki1999">鶴来雅人、澤田純男、入倉孝次郎、土岐憲三(1999):[https://doi.org/10.2208/jscej.1999.612_165 アンケート調査による兵庫県南部地震の大阪府域の震度分布] 土木学会論文集 1999年 1999巻 612号 p.165-179, {{doi|10.2208/jscej.1999.612_165}}</ref>。また、大阪管区気象台の記録を今日の計測震度の算出方法に倣って計算し直すと、計測震度4.54<ref name="Sakai shindo">境有紀, [http://sakaiy.main.jp/pso.htm 現在の震度の問題点と代替案の提案]</ref>-4.55<ref name="Kano">加納良真, [http://blog.goo.ne.jp/hontai0218/e/699127e0cb99a6ad15a2ed3961879a11 記兵庫県南部地震(阪神淡路大震災)から20年! 繰り返し言います!地震は揺れ方の個性が豊富です!)]</ref>(震度5弱)になるという。
「神戸震度6」も神戸海洋気象台(神戸中央区中山手)の計測震度が6(6.4)であったのであり、これが神戸市全体の震度を代表するものではなかった<ref name="Nakamori" />。当時の震源域付近の気象庁による震度観測点は大阪、神戸、洲本、姫路、加西と少なく、被害の甚大な芦屋市、西宮市、伊丹市、宝塚市などの阪神間の都市には気象庁の計測震度計が設置されておらず、震度が判らなかったという問題もあった<ref name="Nakamori" />。
これを踏まえ、改善策として従来気象官署などに限られていた震度観測点を、気象庁約600か所、防災科学技術研究所約800か所、地方公共団体約2,800か所、計約4,200か所と大幅に増強し震度観測点のデータを気象庁の情報発表に活用することとなった<ref name="Jma2009b">気象庁, {{PDFlink|[https://www.data.jma.go.jp/svd/eqev/data/study-panel/shindo-kentokai/hensen.pdf 震度の活用と震度階級の変遷等に関する参考資料]}}</ref>。
== 関連項目 ==
{{commonscat|1995 Great Hanshin-Awaji earthquake}}
* [[阪神・淡路大震災]] - 兵庫県南部地震によって発生した大災害を意味する語。
* [[震度7]] - この震度を気象庁が初めて適用したのは兵庫県南部地震。気象庁震度階級で最大の震度。
* [[六甲-淡路島断層帯]] ([[野島断層]]) - 兵庫県南部地震の断層。
* [[慶長伏見地震]] - 1596年に六甲-淡路島断層帯で発生した地震<ref>金折裕司、「[https://doi.org/10.2208/jscej.1997.568_1 1995年兵庫県南部地震 (M 7.2) の発生と高槻-六甲-淡路構造線の活動]」土木学会論文集 1997年 1997巻 568号 p.1-12, {{doi|10.2208/jscej.1997.568_1}}</ref>。
* [[北但馬地震]] - 同じく兵庫県で起きた直下型地震。
* [[淡路島地震]] - 兵庫県南部地震から18年後に発生した地震。最大震度6弱を観測。
* [[緊急地震速報]] - この地震を契機に気象庁を主導として整備が進められた早期地震動警報システム。
* [[高感度地震観測網]](HI-NET) - この地震を契機に整備が進められた[[地震観測網]]。
==脚注==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Reflist|group=注}}
=== 出典 ===
{{Reflist|30em}}
== 参考文献 ==
* 粟田泰夫・吉岡敏和・水野清秀・下川浩一・宮地良典・杉山雄一・[[寒川旭]]・[[釜井俊孝]]・磯部一洋・奥村晃史・佃栄吉・吉田史郎・鎌田浩毅・松山紀香,1995,1995年兵庫県南部地震に伴う地震断層と地盤災害,「1995年1月17日兵庫県南部地震調査速報会」記録,55-58.
* [[国土地理院]],1995,第113回地震予知連絡会提出資料
* [[萩原尊禮]]編著,古地震-歴史資料と活断層からさぐる,東京大学出版会,312p.
* 萩原尊禮編著,続古地震-実像と虚像,東京大学出版会,1989,434p.
* Hashimoto, M., T. Sagiya, S. Ozawa and T. Tada, 1994, Fault models for the crustal movements associated with the 1993 Off Kushiro earthquake and the 1993 Southwestern Off Hokkaido earthquake and their tectonic significance, Proceedings of the CRCM `93,Kobe, December 6-11,1993,57-64.
* [[平田直]],1995,平成7年兵庫県南部地震緊急地殻活動調査,地震学会ニュースレター,6,8-9.
* Hudnut, K. W., M. H. Murray, A. Donnellan, Y. Bock, P. Fang, M. Cline, Y. Feng, Z. Shen, B. Hager, T. Herring, R. King, 1994, Coseismic displacements of the 1994 Northridge, California, earthquake, Program for Northridge abstracts, SSA94, 40.
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* 藤田和夫,1983,日本の山地形成論:地質学と地形学の間,蒼樹書房,466p.
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* 熊木洋太・宇根寛・国土地理院災害地理調査班・脇坂安彦・佐々木靖人・太田陽子・戸田茂,1995,六甲山地周辺地域の活断層と地変,「1995年1月17日兵庫県南部地震調査速報会」記録,51-52.
* [[京都大学]]防災研究所,1995a,第111回地震予知連絡会提出資料
* 京都大学防災研究所,1995b,第113回地震予知連絡会提出資料
* 中田高・蓬田清・尾高潤一郎・朝日克彦・坂本晃章・千田昇,1995,兵庫県南部地震で淡路島に現れた地震断層,「1995年1月17日兵庫県南部地震調査速報会」記録,29-30.
* 太田陽子・堀野正勝・国土地理院災害地理調査班,1995,1995年1月17日兵庫県南部地震の際に出現した野島地震断層と被害状況,「1995年1月17日兵庫県南部地震調査速報会」記録,37-38.
* 嶋本利彦・堤昭人・大友幸子・川本英子,1995,神戸市・芦屋市・西宮市における地震被害と推定地震断層,「1995年1月17日兵庫県南部地震調査速報会」記録,41-42. 宇佐美龍夫,1987,新編日本被害地震総覧,[[東京大学出版会]],434p. [[宇津徳治]],1994,西日本の被害地震,「地震予知観測の成果-近畿・中国・四国・九州・沖縄地域-」,地震予知連絡会地域部会報告第6巻,国土地理院,1-12.
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* [https://www.kenken.go.jp/japanese/research/iisee/list/topics/hyogo/pdf/h7-hyougo-jp-all.pdf 平成7年兵庫県南部地震被害調査最終報告書] - [[建設省]]建設研究所
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* {{Cite web|和書|url=https://www.kobe-np.co.jp/rentoku/sinsai/graph/sp/p1.shtml|title=観測史上初の震度7|accessdate=2021年8月26日|publisher=[[神戸新聞]]NEXT|website=www.kobe-np.co.jp|work=データでみる阪神・淡路大震災|language=ja}}
* {{PDFlink|[https://www.jsce.or.jp/library/eq10/book/44309/0001.pdf 兵庫県南部地震のメカニズムと今後の地震を予測する]}} 京都大学防災研究所地震予知研究センター・安藤雅孝
* {{Cite journal|journal=|author=[[東京工業大学]][[名誉教授]] [[川島一彦]]|title=兵庫県南部地震から20年|date=2014-12-26|url=http://www.jaee.gr.jp/jp/wp-content/uploads/2014/12/JAEE2014_vol3_no4_08.pdf|publisher=[[公益社団法人]] [[日本地震工学会]]|language=ja}}
* [[日本気象協会]]関西本部『兵庫県南部地震(阪神大震災):関連資料(参考)』
== 外部リンク ==
* {{PDFlink|[https://www.gsi.go.jp/common/000063401.pdf 兵庫県南部地震の概要]}} 橋本学
* {{Wayback|url=http://www.h7.dion.ne.jp/~konton/hyougo.html |title=兵庫県南部地震の震源断層について |date=20050126212524}} - 地下構造研究所
* 尾高潤一郎、中田高、後藤秀昭 ほか、[https://doi.org/10.11462/afr1985.1996.14_80 1995年兵庫県南部地震で現れた地震断層の詳細図] 活断層研究 1996年 1996巻 14号 p.80-106, {{doi|10.11462/afr1985.1996.14_80}}
* [https://web.archive.org/web/19961128190510/http://condor.stcloud.msus.edu:20020/index2.html 阪神大震災の復興を援助しましょう] (Special Great Hanshin Earthquake Edition) - {{仮リンク|セント・クラウド州立大学|en|St. Cloud State University}}
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* [https://www.kenken.go.jp/japanese/research/iisee/list/topics/hyogo/pdf/h7-hyougo-jp-all.pdf 平成7年兵庫県南部地震被害調査最終報告書] - [[建設省]]建設研究所
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* {{Cite web|和書|url=https://www.kobe-np.co.jp/rentoku/sinsai/graph/sp/p1.shtml|title=観測史上初の震度7|accessdate=2021年8月26日|publisher=[[神戸新聞]]NEXT|website=www.kobe-np.co.jp|work=データでみる阪神・淡路大震災|language=ja}}
* {{PDFlink|[https://www.jsce.or.jp/library/eq10/book/44309/0001.pdf 兵庫県南部地震のメカニズムと今後の地震を予測する]}} 京都大学防災研究所地震予知研究センター・安藤雅孝
* {{Cite journal|journal=|author=[[東京工業大学]][[名誉教授]] [[川島一彦]]|title=兵庫県南部地震から20年|date=2014-12-26|url=http://www.jaee.gr.jp/jp/wp-content/uploads/2014/12/JAEE2014_vol3_no4_08.pdf|publisher=[[公益社団法人]] [[日本地震工学会]]|language=ja}}
* {{Cite journal|journal=|title=1995年兵庫県南部地震25周年特集|url=https://www.jstage.jst.go.jp/article/cadasu/6/0/6_35/_article/-char/ja/|language=ja}}
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1203年
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1203年(1203 ねん)は、西暦(ユリウス暦)による、平年。
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1203年は、西暦(ユリウス暦)による、平年。
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== 他の紀年法 ==
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* [[干支]] : [[癸亥]]
* [[元号一覧 (日本)|日本]]
** [[建仁]]3年
** [[神武天皇即位紀元|皇紀]]1863年
* [[元号一覧 (中国)|中国]]
** [[南宋]] : [[嘉泰 (宋)|嘉泰]]3年
** [[金 (王朝)|金]] : [[泰和 (金)|泰和]]3年
* 中国周辺
** [[西遼]] : [[天禧 (西遼)|天禧]]26年?
** [[西夏]]{{Sup|*}} : [[天慶 (西夏)|天慶]]10年
* [[元号一覧 (朝鮮)|朝鮮]]
** [[高麗]] : [[神宗 (高麗王)|神宗]]6年
** [[檀君紀元|檀紀]] : 3536年
* [[元号一覧 (ベトナム)|ベトナム]]
** [[李朝 (ベトナム)|李朝]] : [[天嘉宝祐]]2年
* [[仏滅紀元]] : 1745年 - 1746年
* [[ヒジュラ暦|イスラム暦]] : 599年 - 600年
* [[ユダヤ暦]] : 4963年 - 4964年
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== カレンダー ==
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== できごと ==
* [[比企能員の変]]、[[比企能員]]が[[北条時政]]に敗れる。
* [[源頼家]]、[[修禅寺]]に幽閉、[[源実朝]]、三代将軍になる
* 7月 ‐ [[第4回十字軍]]、[[コンスタンティノポリス|コンスタンティノープル]]を占領。
* [[チンギス・カン|チンギス・ハーン]]、[[ケレイト]]部族のワンカンを降伏させる。
== 誕生 ==
{{see also|Category:1203年生}}
<!--世界的に著名な人物のみ項内に記入-->
* [[宇都宮泰綱]]、[[鎌倉時代]]の[[御家人]]、[[歌人]](+ [[1261年]])
* [[九条基家]]、鎌倉時代の歌人(+ [[1280年]])
* [[久我通平]]、鎌倉時代の[[公卿]](+ [[1226年]])
* [[二階堂行義]]、[[鎌倉幕府]][[評定衆]](+ [[1226年]])
* [[ベアトリス・デ・スアビア]]、[[カスティーリャ王国|カスティーリャ]]=[[レオン王国|レオン]]王[[フェルナンド3世 (カスティーリャ王)|フェルナンド3世]]の最初の王妃(+ [[1235年]])
* [[北条時氏]]、[[北条泰時]]の長男(+ [[1230年]])
* [[ヴァスィーリコ・ロマーノヴィチ]]、[[ヴォルィーニ公国|ヴォルィーニ公]]、第3代[[ハールィチ・ヴォルィーニ大公国|ハールィチ・ヴォルィーニ大公]](+ [[1269年]])
* [[ミンダウガス]]、[[リトアニア大公国]]の大公(+ [[1263年]])
== 死去 ==
{{see also|Category:1203年没}}
<!--世界的に著名な人物のみ項内に記入-->
* 4月 - [[アルテュール1世 (ブルターニュ公)|アルテュール1世]]、[[ブルターニュ公国|ブルターニュ公]](* [[1187年]])
* [[4月26日]](建仁3年[[3月13日 (旧暦)|3月13日]]) - [[静恵法親王]]、[[平安時代]]、[[鎌倉時代]]の[[法親王]](* [[1164年]])
* [[8月1日]](建仁3年[[6月23日 (旧暦)|6月23日]]) - [[阿野全成]]、平安時代、鎌倉時代の[[僧]](* [[1153年]])
* [[8月28日]](建仁3年[[7月20日 (旧暦)|7月20日]])? - [[千葉胤正]]、平安時代、鎌倉時代の[[武将]](* [[1141年]])
* [[8月29日]](建仁3年[[7月21日 (旧暦)|7月21日]]) - [[文覚]]、平安時代、鎌倉時代の武将、[[真言宗]]の僧(* [[1139年]])
* [[9月12日]](建仁3年[[8月6日 (旧暦)|8月6日]]) - [[澄憲]]、平安時代、鎌倉時代の[[天台宗]]の僧(* [[1126年]])
* [[10月8日]](建仁3年[[9月2日 (旧暦)|9月2日]]) - [[糟屋有季]]、平安時代、鎌倉時代の武将、[[御家人]](* 生年未詳)
* 10月8日(建仁3年9月2日) - [[比企能員]]、平安時代、鎌倉時代の武将、御家人(* 生年未詳)
* 10月8日(建仁3年9月2日) - [[一幡]]、[[鎌倉幕府]]第2代[[征夷大将軍|将軍]][[源頼家]]の[[嫡男]](* [[1198年]])
* [[10月11日]](建仁3年[[9月5日 (旧暦)|9月5日]]) - [[堀親家]]、平安時代、鎌倉時代の武将(* 生年未詳)
* [[10月12日]](建仁3年[[9月6日 (旧暦)|9月6日]]) - [[仁田忠常]]、平安時代、鎌倉時代の武将(* [[1167年]])
* [[11月20日]](建仁3年[[10月15日 (旧暦)|10月15日]]) - [[豊島朝経]]、平安時代、鎌倉時代の武将(* 生年未詳)
* [[オン・ハン]]、[[ケレイト]]部の[[カーン|カン]](* 生年未詳)
* [[ギヤースッディーン・ムハンマド]]、[[ゴール朝]]の[[君主]](* 生年未詳)
* [[若狭局]]、源頼家の[[側室]](* 生年未詳)
<!-- == 脚注 ==
'''注釈'''
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'''出典'''
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== 関連項目 ==
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* [[年の一覧]]
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* [[年表一覧]]
<!-- == 外部リンク == -->
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阿骨打
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阿骨打(アクダ)は、金の初代皇帝(在位:1115年1月28日(1月1日) - 1123年9月19日(8月28日))。女真(ジュシェン)族の完顔部(ワンヤン部)の族長であった。日本では女真名である阿骨打(アクダ)に部族名の完顔を冠した「完顔阿骨打」という名でよく知られている。
祖父は生女真の完顔部の族長の烏古廼(景祖ウクナイ)。父はウクナイの次男の劾里鉢(世祖ヘリンボ。阿骨打は次男)。生母は女真拿懶(ナラン)部の首長の娘である翼簡皇后。
咸雍4年7月1日(1068年8月1日)に生まれる。
完顔部(満洲のワンギャ部の前身で、慣例としてワンヤンと読む)は女真人のうち遼からは間接統治を受ける生女真(せいじょしん)の一部族であり、松花江の支流の按出虎水(アルチュフ川)の流域(現在の黒竜江省ハルビン市)に居住していた。阿骨打(アクダ)の先祖は完顔部の族長として遼から節度使の称号を与えられ、遼の宗主権下で次第に勢力を拡大した。阿骨打は完顔部の族長・節度使を務めた父の劾里鉢(ヘリンボ)、叔父の盈歌(穆宗インコ)、兄の烏雅束(康宗ウヤス)を補佐して完顔部の勢力拡大に功があり、23歳のとき、敦化付近の窩謀罕の討滅戦に参加した。その後も幾多の戦争を経験し、インコの時代の末年には、「訊事号令はアクダから申し上げる」といわれるほどに、完顔部の内政・外交の中心的存在になっていた。兄のウヤスの代に入って、完顔部は生女真をほとんど統一した。1113年、ウヤスが死去してのちは、アクダが首長の地位を継承し、節度使の称号を得ていた。
阿骨打は兄の死後、女真(ジュシェン)の君長から成る勃極烈(ボギレ)制度を整備し、自らはそのリーダーとして都勃極烈(トボギレ)を称した。当時、中国東北部を支配していたのは、契丹(キタン)人国家の遼で、その皇帝天祚帝は、即位当時はともあれ中国風の豪奢な生活を送るようになり、酒食に溺れ、狩猟にうつつをぬかしており、その華美な宮廷生活を支えるため女真人への搾取も強化され、貢納督促にあたる遼の役人の横暴さは女真の人びとを怒らせた。生女真の長アクダはついに立ち上がり、1114年に契丹(キタン)人国家の遊牧民王朝、遼に対して挙兵し、遼の拠点の寧江州を攻撃し、これを占領した。また女真の旧慣にしたがって猛安・謀克の制を立てて、女真人を軍事的に組織した。すなわち、300戸をもって1謀克(ムクン)に組織し、それが10集まって1猛安(ミンガン)としたのである。
1115年、阿骨打は按出虎水(アルチュフ)の河畔で皇帝に即位し、国号を大金と定め、会寧を都とし、「収国」の年号を定めた。按出虎水の女真名アルチュフは、女真語で"黄金"を意味しており、「金(アルチュフ)」の国号は、女真族が按出虎水から産出する砂金の交易によって栄えたことによるとされる。金朝の最初の首都となった会寧(上京会寧府)は按出虎水の河畔にあり、現在のハルビン市阿城区にあたる。『金史』(1345年成立)によれば、アクダは、
遼は、堅い精錬した鉄を国の号としたが、それは結局変色し、壊滅する。ただ、金だけはそうはならない。金の色は白く、ワンヤン部は白色をたっとぶのだ。
として、遼に対する強烈な対抗心をみせている。
同年、アクダの軍が、契丹の女真支配の拠点となっていた黄龍府(現在の吉林省長春市農安県)を攻めると、契丹最後の皇帝天祚帝はみずから70万とも号する兵を率いて遠征したが、アクダ軍の大勝利に終わった。1116年、アクダ率いる女真軍は、東京遼陽府(現在の遼寧省遼陽市)も陥落させて遼東地方を支配下に収めた。遼の権威は地に墜ち、契丹はアクダに講和を申し入れた。
一方、北の遼に苦しめられてきた宋朝(北宋)はアクダの快進撃の報に接して金朝に接近し、1118年、宋と金で遼を挟撃することをもちかけた。契丹との講和交渉が進まないなか、金は宋の提案に乗ることとし、1120年に北宋との間で「海上の盟」と称される盟約を結んだ。条件は、従来契丹国家の遼に支払ってきた歳幣(絹30万匹、銀20万両)を女真国家の金にまわすこと、金は戦闘において万里の長城よりも南に越えないこと、金・宋同盟が成ったのちは金・遼講和を進めないことの3つであった。さらに宋側から追加された条件は燕雲十六州に関してであった。それは、燕京(大興府、現在の北京市)については宋が攻めるが、雲州(西京大同府、現在の山西省大同市)の攻撃は金が担当すること、ただし、占領後は宋に引き渡してほしいというものであった。アクダは、身勝手な宋の申し出に反駁し、宋もそれに応えられない状況が続いたが、1121年、アクダは結局約束通り、雲州を制圧して天祚帝を陰山山脈方面(当時は西夏の領域)に敗走させた。
一方の宋は南方で方臘の乱が起こったため、燕京攻撃のために用意した軍の一部をこれにまわさざるを得ず、攻撃が遅れた。しかも弱体化した宋軍は、契丹最後の砦としてのこした耶律淳・耶律大石らの守る守備軍に連敗を喫したため、宋軍の司令官の童貫は当初提示した条件を自ら破り、金に燕京を落とすよう要請した。結局、金が燕京を落として宋に割譲し、代償として大量の銭と糧食を得ることとなった。燕京を陥落させたアクダに対し、部下が「宋にあたえることなくずっと金が占領したらいかがか」と進言すると、アクダは「燕京ほか六州はすでに返還を約束した。自分は男子である。二言はない」と答えたという。アクダは盟約を尊重して燕京以下六州を北宋に割譲し、代わりに燕京の人民を全て連れ去った。またこの代償に、金は遼にかわって宋から歳幣に銀20万両・絹30万匹・銭100万貫・軍糧20万石を受けることとなっていた。しかし、宋朝は歳幣を支払わなかっただけでなく、かえって遼の天祚帝と連絡をとって女真国家西部の攪乱をねらった。
『金史』によれば、この間、アクダは同族の完顔希尹(中国語版)や完顔葉魯らに女真語をあらわす文字の創成を命じ、彼らは1119年(天輔3年)8月、契丹文字や漢字を参考にして女真文字(「女真大字」)を完成させたという。
1123年、阿骨打は逃亡した遼の天祚帝を追撃を試みたが途中で発病し、部堵濼(ウトゥル、現在の吉林省松原市扶余市)西の行宮において56歳で病没した。晩年は酒食に耽り、健康を害したという。阿骨打の後を継いだ同母弟の呉乞買(太宗ウキマイ)は、1125年に天祚帝を捕え遼を完全に滅ぼしたのち、歳幣の支払い等をめぐって北宋と対立し、1127年の靖康の変で北宋を滅ぼして華北一帯を領有した。なお、第3代皇帝熙宗以降の金の皇帝は、最後の末帝を除き、すべてアクダの子孫である。
2003年9月5日、北京市文物局は、北京市南西郊外の九龍山で1980年代に発見された金朝の陵墓から、阿骨打のものと見られる石棺と遺骨、装飾品が発見されたと発表した。
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"text": "1115年、阿骨打は按出虎水(アルチュフ)の河畔で皇帝に即位し、国号を大金と定め、会寧を都とし、「収国」の年号を定めた。按出虎水の女真名アルチュフは、女真語で\"黄金\"を意味しており、「金(アルチュフ)」の国号は、女真族が按出虎水から産出する砂金の交易によって栄えたことによるとされる。金朝の最初の首都となった会寧(上京会寧府)は按出虎水の河畔にあり、現在のハルビン市阿城区にあたる。『金史』(1345年成立)によれば、アクダは、",
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"text": "遼は、堅い精錬した鉄を国の号としたが、それは結局変色し、壊滅する。ただ、金だけはそうはならない。金の色は白く、ワンヤン部は白色をたっとぶのだ。",
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"text": "同年、アクダの軍が、契丹の女真支配の拠点となっていた黄龍府(現在の吉林省長春市農安県)を攻めると、契丹最後の皇帝天祚帝はみずから70万とも号する兵を率いて遠征したが、アクダ軍の大勝利に終わった。1116年、アクダ率いる女真軍は、東京遼陽府(現在の遼寧省遼陽市)も陥落させて遼東地方を支配下に収めた。遼の権威は地に墜ち、契丹はアクダに講和を申し入れた。",
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"text": "一方、北の遼に苦しめられてきた宋朝(北宋)はアクダの快進撃の報に接して金朝に接近し、1118年、宋と金で遼を挟撃することをもちかけた。契丹との講和交渉が進まないなか、金は宋の提案に乗ることとし、1120年に北宋との間で「海上の盟」と称される盟約を結んだ。条件は、従来契丹国家の遼に支払ってきた歳幣(絹30万匹、銀20万両)を女真国家の金にまわすこと、金は戦闘において万里の長城よりも南に越えないこと、金・宋同盟が成ったのちは金・遼講和を進めないことの3つであった。さらに宋側から追加された条件は燕雲十六州に関してであった。それは、燕京(大興府、現在の北京市)については宋が攻めるが、雲州(西京大同府、現在の山西省大同市)の攻撃は金が担当すること、ただし、占領後は宋に引き渡してほしいというものであった。アクダは、身勝手な宋の申し出に反駁し、宋もそれに応えられない状況が続いたが、1121年、アクダは結局約束通り、雲州を制圧して天祚帝を陰山山脈方面(当時は西夏の領域)に敗走させた。",
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"text": "『金史』によれば、この間、アクダは同族の完顔希尹(中国語版)や完顔葉魯らに女真語をあらわす文字の創成を命じ、彼らは1119年(天輔3年)8月、契丹文字や漢字を参考にして女真文字(「女真大字」)を完成させたという。",
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"text": "1123年、阿骨打は逃亡した遼の天祚帝を追撃を試みたが途中で発病し、部堵濼(ウトゥル、現在の吉林省松原市扶余市)西の行宮において56歳で病没した。晩年は酒食に耽り、健康を害したという。阿骨打の後を継いだ同母弟の呉乞買(太宗ウキマイ)は、1125年に天祚帝を捕え遼を完全に滅ぼしたのち、歳幣の支払い等をめぐって北宋と対立し、1127年の靖康の変で北宋を滅ぼして華北一帯を領有した。なお、第3代皇帝熙宗以降の金の皇帝は、最後の末帝を除き、すべてアクダの子孫である。",
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"text": "2003年9月5日、北京市文物局は、北京市南西郊外の九龍山で1980年代に発見された金朝の陵墓から、阿骨打のものと見られる石棺と遺骨、装飾品が発見されたと発表した。",
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阿骨打(アクダ)は、金の初代皇帝。女真(ジュシェン)族の完顔部(ワンヤン部)の族長であった。日本では女真名である阿骨打(アクダ)に部族名の完顔を冠した「完顔阿骨打」という名でよく知られている。
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{{redirect|完顔阿骨打|漫画家|完顔阿骨打 (漫画家)}}
{{基礎情報 中国君主
|名 =太祖 完顔阿骨打
|代数 =初代
|呼称 =皇帝
|画像 =[[File:Wanggiyan Aguda.jpg|250px]]
|説明 =
|王朝 =金
|在位期間 =[[収国]]元年[[1月1日 (旧暦)|1月1日]] - [[天輔 (金)|天輔]]7年[[8月28日 (旧暦)|8月28日]]<br />([[1115年]][[1月28日]] - [[1123年]][[9月19日]])
|都城 =[[上京会寧府]]
|諱 =完顔阿骨打(女真名)<br />王旻(漢名)
|字 =
|小字 =
|諡号 =応乾興運昭徳定功仁明荘孝大聖武元皇帝
|廟号 =太祖
|生年 =[[咸雍]]4年[[7月1日 (旧暦)|7月1日]]<br />([[1068年]][[8月1日]])
|没年 =[[天輔 (金)|天輔]]7年[[8月28日 (旧暦)|8月28日]]<br />([[1123年]][[9月19日]])
|父 =[[劾里鉢]](次男)
|母 =翼簡皇后
|皇后 =
|陵墓 =和陵(後に睿陵に改葬)
|年号 =[[収国]] : [[1115年]] - [[1116年]]<br />[[天輔 (金)|天輔]] : [[1117年]] - [[1123年]]
|注釈 =
}}
[[File:Wanyan Aguda.jpg|thumb|完顔阿骨打の像。[[中華人民共和国|中国]][[黒竜江省]][[ハルビン市]][[阿城区]]金[[上京会寧府|上京]]歴史博物館にて]]
'''阿骨打'''(アクダ)は、[[金 (王朝)|金]]の初代[[皇帝]](在位:[[1115年]][[1月28日]]([[1月1日 (旧暦)|1月1日]]) - [[1123年]][[9月19日]]([[8月28日 (旧暦)|8月28日]]))。[[女真]](ジュシェン)族の完顔部(ワンヤン部)の族長であった。日本では女真名である阿骨打(アクダ)に部族名の完顔を冠した「'''完顔阿骨打'''」という名でよく知られている。
== 生涯 ==
祖父は生女真の完顔部の族長の[[烏古廼]](景祖ウクナイ)。父はウクナイの次男の[[劾里鉢]](世祖ヘリンボ。阿骨打は次男)。生母は女真'''拿懶'''(ナラン)部の首長の娘である'''翼簡皇后'''。
[[咸雍]]4年[[7月1日 (旧暦)|7月1日]]([[1068年]][[8月1日]])に生まれる<ref name="akuda">{{kotobank|アクダ}}</ref>。
完顔部([[満洲民族|満洲]]のワンギャ部の前身で、慣例としてワンヤンと読む)は女真人のうち[[遼]]からは間接統治を受ける'''生女真'''(せいじょしん)の一部族であり、[[松花江]]の支流の按出虎水(アルチュフ川)の流域(現在の[[黒竜江省]][[ハルビン市]])に居住していた<ref name="akuda" /><ref name="kotobank">{{kotobank|金(中国の王朝)}}</ref><ref name="umemura415">[[#梅村|梅村(2008)pp.415-418]]</ref><ref name="saeki254">[[#佐伯|佐伯(1975)pp.254-256]]</ref><ref name="kawachi228">[[#河内|河内(1989)pp.228-230]]</ref>。阿骨打(アクダ)の先祖は完顔部の族長として遼から[[節度使]]の称号を与えられ、遼の宗主権下で次第に勢力を拡大した<ref name="kotobank" /><ref name="saeki254" /><ref name="kawachi228" />。阿骨打は完顔部の族長・節度使を務めた父の劾里鉢(ヘリンボ)、叔父の[[完顔盈歌|盈歌]](穆宗インコ)、兄の[[烏雅束]](康宗ウヤス)を補佐して完顔部の勢力拡大に功があり、23歳のとき、[[敦化市|敦化]]付近の窩謀罕の討滅戦に参加した<ref name="akuda" />。その後も幾多の戦争を経験し、インコの時代の末年には、「訊事号令はアクダから申し上げる」といわれるほどに、完顔部の[[内政]]・[[外交]]の中心的存在になっていた<ref name="akuda" />。兄のウヤスの代に入って、完顔部は生女真をほとんど統一した<ref name="kotobank" /><ref name="saeki254" /><ref name="kawachi228" />。[[1113年]]、ウヤスが死去してのちは、アクダが首長の地位を継承し、節度使の称号を得ていた<ref name="kotobank" /><ref name="saeki254" />。
阿骨打は兄の死後、女真(ジュシェン)の君長から成る勃極烈(ボギレ)制度を整備し、自らはそのリーダーとして都勃極烈(トボギレ)を称した<ref name="akuda" /><ref name="kotobank" /><ref name="kawachi228" />。当時、[[中国東北部]]を支配していたのは、契丹(キタン)人国家の遼で、その皇帝天祚帝は、即位当時はともあれ中国風の豪奢な生活を送るようになり、酒食に溺れ、狩猟にうつつをぬかしており、その華美な宮廷生活を支えるため女真人への搾取も強化され、貢納督促にあたる遼の役人の横暴さは女真の人びとを怒らせた<ref name="akuda" /><ref name="umemura415" /><ref name="kawachi230" /><ref name="saeki251">[[#佐伯|佐伯(1975)pp.251-253]]</ref>。生女真の長アクダはついに立ち上がり、[[1114年]]に[[契丹]](キタン)人国家の遊牧民王朝、[[遼]]に対して挙兵し、遼の拠点の[[寧江区|寧江州]]を攻撃し、これを占領した<ref name="akuda" />。また女真の旧慣にしたがって[[猛安・謀克]]の制を立てて、女真人を軍事的に組織した<ref name="akuda" /><ref name="kotobank" /><ref name="kawachi230">[[#河内|河内(1989)pp.230-232]]</ref><ref name="umemura420">[[#梅村|梅村(2008)pp.420-423]]</ref>。すなわち、300戸をもって1謀克(ムクン)に組織し、それが10集まって1猛安(ミンガン)としたのである<ref name="kotobank" /><ref name="kawachi230" /><ref name="umemura420" />{{refnest|group="注釈"|ムクンとは[[女真語]]で「族」「郷里」の意味であり、そのリーダーもムクン(族長、里長)と称し、ミンガンは「千」の意味で、そのリーダーもミンガン(千戸長)と称した<ref name="kawachi230" /><ref name="umemura420" />。軍事組織としてこれをみれば、300家族から武器・食糧をみずから携帯した100人の兵がムクン軍として徴兵され、さらにその10倍の組織から千人隊が組織される<ref name="umemura420" />。これが同時に新しい行政組織となった<ref name="kotobank" /><ref name="umemura420" /><ref name="kawachi230" />。ここに編入されたジュシェン人たちは、戦闘のないときには、狩猟や牧畜、農耕といった日常的な生業を営んでいる<ref name="umemura420" />。これは、徴兵の面でも地域支配の上でも効率的な仕組みであった<ref name="umemura420" />。金が成立すると、各地のジュシェン人たちが金に帰属したが、アクダはその首長を、勢力の大小にしたがいミンガンやムクンに任命した<ref name="kawachi230" />}}。
[[1115年]]、阿骨打は按出虎水(アルチュフ)の河畔で皇帝に即位し、国号を'''大金'''と定め、会寧を都とし、「[[収国]]」の年号を定めた<ref name="akuda" /><ref name="kotobank" /><ref name="umemura415" /><ref name="saeki254" /><ref name="kawachi228" />。按出虎水の女真名アルチュフは、女真語で"黄金"を意味しており、「金(アルチュフ)」の国号は、女真族が按出虎水から産出する[[砂金]]の交易によって栄えたことによるとされる<ref name="umemura415" /><ref name="saeki254" /><ref name="kawachi230" />{{refnest|group="注釈"|ジュシェンの富強の源泉となった物資は、砂金以外では[[鉄]]が考えられる<ref name="kawachi230" />。阿城区の南東約30キロメートル地点に金代とみられる製鉄遺跡が確認され、[[発掘調査]]も[[1960年代]]になされている<ref name="kawachi230" />。[[極東ロシア|ロシア極東]]の[[沿海州]]からも金代の製鉄遺跡が見つかっており、そこでは[[精錬]]や[[鍛造]]の技術をともなっており、[[工程]]に応じた地域間[[分業]]がある程度成立していたことも判明している<ref name="kawachi230" />。}}。金朝の最初の首都となった会寧([[上京会寧府]])は按出虎水の河畔にあり、現在のハルビン市[[阿城区]]にあたる<ref name="umemura415" />。『[[金史]]』([[1345年]]成立)によれば、アクダは、
{{quotation|
遼は、堅い精錬した鉄を国の号としたが、それは結局変色し、壊滅する。ただ、金だけはそうはならない。金の色は白く、ワンヤン部は白色をたっとぶのだ<ref name="umemura415" />。
}}
として、遼に対する強烈な対抗心をみせている<ref name="umemura415" />。
同年、アクダの軍が、契丹の女真支配の拠点となっていた黄龍府(現在の[[吉林省]][[長春市]][[農安県]])を攻めると、契丹最後の皇帝[[天祚帝]]はみずから70万とも号する兵を率いて遠征したが、アクダ軍の大勝利に終わった<ref name="akuda" /><ref name="umemura415" /><ref name="saeki254" />。[[1116年]]、アクダ率いる女真軍は、東京[[遼陽府]](現在の[[遼寧省]][[遼陽市]])も陥落させて遼東地方を支配下に収めた<ref name="umemura415" /><ref name="saeki254" />。遼の権威は地に墜ち、契丹はアクダに講和を申し入れた<ref name="umemura415" />。
一方、北の遼に苦しめられてきた[[宋 (王朝)|宋朝]]([[北宋]])はアクダの快進撃の報に接して金朝に接近し、[[1118年]]、宋と金で遼を挟撃することをもちかけた<ref name="umemura418">[[#梅村|梅村(2008)pp.418-420]]</ref>{{refnest|group="注釈"|当初馬政が使者として送られたこの交渉で暗躍したのが、宦官の童貫であった<ref name="saeki261">[[#佐伯|佐伯(1975)pp.261-262]]</ref>。童貫は、徽宗の文人趣味に取り入って帝に重用され、軍事権を専断し<ref name="saeki261" />、方臘の乱鎮圧の任にもあたった<ref name="saeki263">[[#佐伯|佐伯(1975)pp.263-264]]</ref>。なお、『[[水滸伝]]』で有名な[[宋江]]は童貫にしたがって方臘征討軍に加わり、いくらかの功績をなしたといわれている<ref name="saeki263" />。}}。契丹との講和交渉が進まないなか、金は宋の提案に乗ることとし、[[1120年]]に北宋との間で「'''[[海上の盟]]'''」と称される盟約を結んだ<ref name="umemura418" /><ref name="saeki256">[[#佐伯|佐伯(1975)pp.256-257]]</ref>。条件は、従来契丹国家の遼に支払ってきた歳幣(絹30万匹、銀20万両)を女真国家の金にまわすこと、金は戦闘において[[万里の長城]]よりも南に越えないこと、金・宋同盟が成ったのちは金・遼講和を進めないことの3つであった<ref name="umemura418" /><ref name="saeki256" />。さらに宋側から追加された条件は[[燕雲十六州]]に関してであった<ref name="umemura418" />。それは、燕京([[析津府|大興府]]、現在の[[北京市]])については宋が攻めるが、雲州(西京[[大同府]]、現在の[[山西省]][[大同市]])の攻撃は金が担当すること、ただし、占領後は宋に引き渡してほしいというものであった<ref name="umemura418" />。アクダは、身勝手な宋の申し出に反駁し、宋もそれに応えられない状況が続いたが、[[1121年]]、アクダは結局約束通り、雲州を制圧して天祚帝を[[陰山山脈]]方面(当時は[[西夏]]の領域)に敗走させた<ref name="umemura418" /><ref name="saeki256" />。
一方の宋は南方で[[方臘の乱]]が起こったため、燕京攻撃のために用意した軍の一部をこれにまわさざるを得ず、攻撃が遅れた<ref name="umemura418" /><ref name="saeki257">[[#佐伯|佐伯(1975)pp.257-259]]</ref>。しかも弱体化した宋軍は、契丹最後の砦としてのこした[[耶律淳]]・[[耶律大石]]らの守る守備軍に連敗を喫したため、宋軍の司令官の[[童貫]]は当初提示した条件を自ら破り、金に燕京を落とすよう要請した<ref name="umemura418" /><ref name="saeki257" />{{refnest|group="注釈"|耶律淳は、漢人官僚の[[李処温]]らに推されて皇帝位についた([[北遼]])<ref name="saeki257" />。太祖[[耶律阿保機]]の八世の孫と称する耶律大石は支配下にあった部族を率いて西走し、陰山の天祚帝のもとへ向かったが、天祚帝とも意見があわず、さらに西に向かい、[[中央アジア]]の東西[[トルキスタン]]に帝国を建国した<ref name="saeki277">[[#佐伯|佐伯(1975)pp.277-279]]</ref>。これが[[西遼]](カラ・キタイ)であり、[[カラハン朝|東カラハン朝]]の首都の[[ベラサグン]]を占領して国都とした<ref name="saeki277" />。}}。結局、金が燕京を落として宋に割譲し、代償として大量の銭と糧食を得ることとなった<ref name="umemura418" />。燕京を陥落させたアクダに対し、部下が「宋にあたえることなくずっと金が占領したらいかがか」と進言すると、アクダは「燕京ほか六州はすでに返還を約束した。自分は男子である。二言はない」と答えたという<ref name="saeki257" />。アクダは盟約を尊重して燕京以下六州を北宋に割譲し<ref name="akuda" />、代わりに燕京の人民を全て連れ去った{{refnest|group="注釈"|この際に大規模な集団強姦が発生したともいわれている。}}。またこの代償に、金は遼にかわって宋から歳幣に銀20万両・絹30万匹・銭100万貫・軍糧20万石を受けることとなっていた。しかし、宋朝は歳幣を支払わなかっただけでなく、かえって遼の天祚帝と連絡をとって女真国家西部の攪乱をねらった<ref name="umemura418" />。
『金史』によれば、この間、アクダは同族の{{仮リンク|完顔希尹|zh|完顏希尹}}や完顔葉魯らに女真語をあらわす文字の創成を命じ、彼らは[[1119年]]([[天輔 (金)|天輔]]3年)8月、[[契丹文字]]や[[漢字]]を参考にして[[女真文字]](「女真大字」)を完成させたという<ref name="akuda" /><ref name="umemura465">[[#梅村|梅村(2008)pp.465-469]]</ref>{{refnest|group="注釈"|「女真小字」の方は、[[1138年]]([[天眷]]元年)に第3代皇帝の[[熙宗 (金)|熙宗]]ホラが制定し、[[1145年]]([[皇統 (金)|皇統]]5年)に公布したというが、大字小字ともに『金史』に具体的な文字の詳細は記述されていない<ref name="umemura465" />。}}。
[[1123年]]、阿骨打は逃亡した遼の天祚帝を追撃を試みたが途中で発病し、部堵濼(ウトゥル、現在の[[吉林省]][[松原市]][[扶余市]])西の行宮において56歳で病没した<ref name="akuda" />。晩年は酒食に耽り、健康を害したという<ref name="naitoh186">[[#内藤|内藤(2015)pp.186-187]]</ref>。阿骨打の後を継いだ同母弟の[[呉乞買]](太宗ウキマイ)は、[[1125年]]に天祚帝を捕え遼を完全に滅ぼしたのち、歳幣の支払い等をめぐって北宋と対立し、[[1127年]]の[[靖康の変]]で北宋を滅ぼして[[華北]]一帯を領有した<ref name="umemura418" />。なお、第3代皇帝[[熙宗 (金)|熙宗]]以降の金の皇帝は、最後の[[末帝 (金)|末帝]]を除き、すべてアクダの子孫である。
[[2003年]][[9月5日]]、[[北京市文物局]]は、[[北京市]]南西郊外の九龍山で[[1980年代]]に発見された金朝の陵墓から、阿骨打のものと見られる[[石棺]]と遺骨、装飾品が発見されたと発表した。
== 逸話 ==
* 阿骨打自身は雄々しい容貌を持ち、身の丈八尺、寛大で厳格かつ沈毅寡黙、弓矢に巧みな偉丈夫で<ref name="akuda" />、女真族にとって理想的な君主であったという。
* 『遼史』によると、[[1112年]]、天祚帝の時代のこと、宴が祝われた際、酒席で各部族長が踊りを披露するよう命じられたが、生女真の完顔阿骨打のみは、幾度も促されたにもかかわらず、頑として踊ることを拒否した。契丹の朝臣たちは、阿骨打の傲慢さに激怒し、厳罰に処そうとしたが、天祚帝は「女真族は礼儀を知らないだけで、狩猟上手である」と誉めるところがあった。その3年後、阿骨打は遼を攻略し、金朝の成立を宣言したのである<ref>{{Cite news|author=[[阿南・ヴァージニア・史代]]|date=2010-08|title=遼・金王朝 千年の時をこえて 第18回|publisher=[[人民中国]]|newspaper=|url=http://www.peoplechina.com.cn/zhuanti/2010-08/03/content_288521.htm|archiveurl=https://web.archive.org/web/20160817105908/http://www.peoplechina.com.cn/zhuanti/2010-08/03/content_288521.htm|archivedate=2016-08-17}}</ref>。
== 補佐した諸大臣 ==
* [[呉乞買]](ウキマイ) - 諳班勃極烈(1115年7月-1123年8月)
* [[撒改]](サガイ) - 国論勃極烈(1115年7月-9月)、国論忽鲁勃極烈(1115年9月-1121年)
* {{仮リンク|斜也|zh|完顏杲 (諳班勃極烈)}}(シエ) - 国論昊勃極烈(1115年7月-1123年)、国論忽鲁勃極烈(1121年-1123年)
* {{仮リンク|習不失|zh|完顏習不失}} - 阿買勃極烈(1115年7月-1123年)
* {{仮リンク|阿離合懣|zh|完顏阿離合懣}} - 国論乙室勃極烈(1115年7月-1120年)
* {{仮リンク|蒲家奴|zh|完顏昱}} - 昃勃極烈(1121年-1123年)
* [[粘没喝]](ネメガ) - 移賚勃極烈(1121年-1123年)
== 宗室 ==
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; 后妃
*聖穆皇后 唐括氏
*光懿皇后 裴満氏
*欽憲皇后 紇石烈氏
*宣献皇后 僕散氏
*元妃 烏古論氏
*崇妃 蕭氏
*娘子 独奴可
; 子
*遼王 [[斡本]](オベン、宗幹) - [[海陵王]]の父
*宋王 [[斡離不]](オリブ、宗望)
*汴王 [[繩果]](ジェンガ、宗峻) - [[熙宗 (金)|熙宗]]の父
*梁王 [[斡啜]](オジュ、宗弼)
*[[訛里朶]](オリド、宗輔・宗堯) - [[世宗 (金)|世宗]]の父
*兗王 [[訛魯観]](オルゴン、宗雋)
*豊王 [[烏烈]](ウレク、宗朝)
*衛王 [[完顔宗強|阿魯]](アル、宗強)
*蜀王 [[完顔宗敏|阿魯補]](アルブ、宗敏)
*趙王 [[没里野]](メリヤ、宗傑)
*瀋王 [[訛魯]](オル)
*豳王 [[訛魯朶]](オルド)
*紀王 [[習泥烈]]
*息王 [[寧吉]](ニンギ)
*莒王 [[燕孫]]
*鄴王 [[斡忽]](オク)
{{col-break}}
; 伯父
*[[劾者]](ヘテェ) - [[撒改]](サガイ)の父で、[[粘没喝]](ネメガ)の祖父
; 叔父
*[[劾孫]](ヘスン) - 蒲家奴の父
*粛宗 [[頗剌淑]](ポラシェ)
*穆宗 [[盈歌]](インコ) - [[撻懶]](ダラン)の父
; 兄弟
*康宗 [[烏雅束]](ウヤス)
*魏王 [[斡帯]](オタイ)
*太宗 [[呉乞買]](ウキマイ、漢名は晟)
*遼王 [[斜也]](シエ、漢名は杲)
*衛王 [[斡賽]](オサイ)
*魯王 [[斡者]](オテェ)
*漢王 [[烏故乃]](ウクナイ)
*呉王 [[闍母]](シェム)
*沂王 [[査剌]](チラ)
*鄆王 [[吾都補]](ウトゥブ、漢名は昂)
{{col-end}}
== 関連系図 ==
{{familytree/start|style=font-size:80%;}}
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K01='''<sup>(3)</sup>熙宗'''{{0}}<br>'''[[熙宗 (金)|合剌]](ホラ)'''<br>完顔亶|K02='''<sup>(4)</sup>海陵王'''{{0}}<br>'''[[海陵王|迪古乃]](テクナイ)'''<br>完顔亮|K03='''<sup>(5)</sup>世宗'''{{0}}<br>'''[[世宗 (金)|烏禄]](ウル)'''<br>完顔雍|K04=設野馬|K05=[[烏帯]](ウタイ)<br>完顔宗言|boxstyle_K01=background-color: #afa;|boxstyle_K02=background-color: #afa;|boxstyle_K03=background-color: #afa;}}
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== 脚注 ==
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=== 注釈 ===
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=== 出典 ===
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== 参考文献 ==
* {{Cite book|和書|author=梅村坦|authorlink=梅村坦|year=2008|month=6|chapter=第2部 中央ユーラシアのエネルギー|title=世界の歴史7 宋と中央ユーラシア|publisher=[[中央公論新社]]|series=中公文庫|isbn=978-4-12-204997-0|ref=梅村}}
* {{Cite book|和書|author=佐伯富|authorlink=佐伯富|editor=[[宮崎市定]]|year=1975|month=1|chapter=金国の侵入/宋の南渡|title=世界の歴史6 宋と元|series=中公文庫|publisher=[[中央公論社]]|ref=佐伯}}
* {{Cite book|和書|author=内藤湖南|authorlink=内藤湖南|year=2015|month=7|title=中国近世史|series=岩波文庫|publisher=岩波書店|isbn=978-4-00-381171-9|ref=内藤}}
* {{Cite book|和書|editor=[[三上次男]]・[[神田信夫]]|year=1989|month=9|title=東北アジアの民族と歴史|series=民族の世界史3|publisher=[[山川出版社]]|isbn=4-634-44030-X}}
** {{Cite book|和書|author=河内良弘|authorlink=河内良弘|chapter=第2部第I章2 契丹・女真|editor=三上・神田|year=1989|title=東北アジアの民族と歴史|series=民族の世界史3|publisher=山川出版社|ref=河内}}
== 関連項目 ==
* [[女真文字]]
* [[水滸伝]]
{{CommonsCat|Aguda (Emperor Taizu of Jin)}}
{{金の皇帝|1115年 - 1123年|初代}}
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16,246 |
初午
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初午(はつうま)は、2月の最初の午の日。旧暦で1年のうち最初の(つまり1月の)午の日も初午には違いないが、通常は稲荷社の祭の日である2月の初午をいう。初午祭に初午詣(福詣)する参詣者が訪れ、これを雑節の一つとすることがある。旧暦で行う事もあり、その場合は新暦の3月となる事もある。
稲荷社の本社である伏見稲荷神社のご祭神・宇迦御霊神が伊奈利山へ降りた日が和銅4年2月7日(711年2月28日)であったとされ(2月9日(3月2日)説もある)、この日が初午であったことから、全国で稲荷社を祀る。また、この日を蚕や牛・馬の祭日とする風習もある。江戸時代には、この日に子供が寺子屋へ入門した。
本来は旧暦2月の最初の午の日であるが、現在では新暦2月の最初の午の日とされている。そのため、元々は春先の行事だったのが、冬の一番寒い時期の行事となってしまった。また、2月1日〜3日の節分前から当日にかけての日が「初午」となる場合もある。
2月の2回目の午の日を二の午(にのうま)、3回目を三の午(さんのうま)と言い、これらの日にも祭礼を行う地方や、二の午もしくは三の午にのみ祭礼を行う地方もある。
初午はその年の豊作祈願が原型で、それに稲荷信仰が結びついたものである。4月初めの巳の日の菜の花祭りの夜と初午のいずれかに雨が降らないと火に祟られるとか、初午の早い年は火事が多いとかいう俗信もある。また、初午の日に、消防団員が各家庭を回って火の用心を呼びかけ、火の用心のお札を配る習慣がある地方もある。
富山県南砺市利賀村(旧・東礪波郡利賀村)の上村(うえむら)地区では、子供達が藁でできた馬(午)の頭をもって家々を回り、家の中に上がり込み囃し歌に合わせ舞う「利賀のはつうま」が行なわれる。各家庭からはお礼にお菓子やみかんなどのご祝儀をもらう。昭和57年(1982年)12月21日には「利賀のはつうま行事」として国の選択無形民俗文化財に選択され、平成16年(2004年)7月16日には、富山県の無形民俗文化財に指定されている。
奈良県ではこの初午の日に「旗飴(はたあめ)」という習慣がある。これは、子供たちが近所の家(地域によっては商売を行っている家)を訪ね廻り、旗飴をもらう。また、栃木県ではしもつかれを食べる風習がある。
この他にも「初午いなり」といい、稲荷寿司を供える風習もある。
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初午(はつうま)は、2月の最初の午の日。旧暦で1年のうち最初の(つまり1月の)午の日も初午には違いないが、通常は稲荷社の祭の日である2月の初午をいう。初午祭に初午詣(福詣)する参詣者が訪れ、これを雑節の一つとすることがある。旧暦で行う事もあり、その場合は新暦の3月となる事もある。
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'''初午'''(はつうま)は、[[2月]]の最初の[[午]]の日。旧暦で1年のうち最初の(つまり1月の)午の日も初午には違いないが、通常は[[稲荷神|稲荷社]]の[[祭]]の日である'''2月の初午'''をいう。初午祭に初午詣(福詣)する参詣者が訪れ、これを[[雑節]]の一つとすることがある。旧暦で行う事もあり、その場合は新暦の[[3月]]となる事もある。
== 概要 ==
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Hatsuuma-festival,Hrooka-inari,Tajyuku,Katori-city,Japan.JPG|旧初午の稲荷神社。右の旗は以前子供が集めてまわった。<br/>(千葉県[[香取市]]、2009年(平成21年)3月)
The Advance Notice of Hatsuuma Festival, Asuke-cho Toyota 2014.jpg|初午大祭りの予告張り紙<br />(愛知県[[豊田市]]、2014年(平成26年)3月)
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稲荷社の本社である[[伏見稲荷神社]]のご祭神・[[ウカノミタマ|宇迦御霊神]]が伊奈利山へ降りた日が[[和銅]]4年[[2月7日 (旧暦)|2月7日]]([[711年]][[2月28日]])であったとされ([[2月9日 (旧暦)|2月9日]]([[3月2日]])説もある{{要出典|date=2021年2月}})、この日が初午であったことから、全国で稲荷社を祀る。また、この日を[[蚕]]や[[ウシ|牛]]・[[ウマ|馬]]の祭日とする風習もある<ref>「年中行事事典」p633 [[昭和]]33年([[1958年]])[[5月23日]]初版発行 [[西角井正慶]]編 東京堂出版</ref>。[[江戸時代]]には、この日に子供が[[寺子屋]]へ入門した。
本来は[[旧暦]]2月の最初の午の日であるが、現在では[[新暦]]2月の最初の午の日とされている。そのため、元々は[[春]]先の行事だったのが、[[冬]]の一番寒い時期の行事となってしまった。また、2月1日〜3日の節分前から当日にかけての日が「初午」となる場合もある。
2月の2回目の午の日を'''二の午'''(にのうま)、3回目を'''三の午'''(さんのうま)と言い、これらの日にも祭礼を行う地方や、二の午もしくは三の午にのみ祭礼を行う地方もある。
初午はその年の豊作祈願が原型で、それに稲荷信仰が結びついたものである。4月初めの巳の日の菜の花祭りの夜と初午のいずれかに雨が降らないと火に祟られるとか、初午の早い年は火事が多いとかいう俗信もある。また、初午の日に、消防団員が各家庭を回って火の用心を呼びかけ、火の用心のお札を配る習慣がある地方もある。
[[富山県]][[南砺市]][[利賀村]](旧・[[東礪波郡]]利賀村)の上村(うえむら)地区では、子供達が藁でできた馬(午)の頭をもって家々を回り、家の中に上がり込み囃し歌に合わせ舞う「[[利賀のはつうま]]」が行なわれる。各家庭からはお礼にお菓子やみかんなどのご祝儀をもらう。[[昭和]]57年([[1982年]])[[12月21日]]には「利賀のはつうま行事」として国の[[選択無形民俗文化財]]に選択され、[[平成]]16年([[2004年]])[[7月16日]]には、富山県の[[無形民俗文化財]]に指定されている。
[[奈良県]]ではこの初午の日に「旗飴(はたあめ)」という習慣がある。これは、子供たちが近所の家(地域によっては商売を行っている家)を訪ね廻り、旗飴をもらう。また、[[栃木県]]では[[しもつかれ]]を食べる風習がある。
この他にも「'''初午いなり'''」といい、[[稲荷寿司]]を供える風習もある。
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
<references/>
== 関連項目 ==
{{Commonscat|Hatsuuma-festival|初午祭}}
* [[利賀のはつうま]]
* [[蓮光院初馬寺]]
* [[出石初午大祭]]
* [[初午祭 (鹿児島神宮)]]
{{神道 横}}
{{DEFAULTSORT:はつうま}}
[[Category:雑節]]
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北京大学の人物一覧
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北京大学の人物一覧(ペキンだいがくのじんぶついちらん)は北京大学に関係する人物の一覧記事。
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北京大学の人物一覧(ペキンだいがくのじんぶついちらん)は北京大学に関係する人物の一覧記事。
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'''北京大学の人物一覧'''(ペキンだいがくのじんぶついちらん)は[[北京大学]]に関係する人物の一覧記事。
== 歴代校長 ==
#[[孫家鼐]](1898年7月~1900年春)
#[[許景澄]](1900年春~1900年8月)
#[[張百熙]](1902年1月~1904年1月)
#[[張亨嘉]](1904年1月~1906年2月)
#[[李家駒]](1906年3月~1907年8月)
#[[朱益藩]](1907年8月~1908年1月)
#[[劉廷琛]](1908年1月~1911年12月)
#[[柯劭忞]](1910年12月~1911年12月)
#[[労乃宣]](1911年12月~1912年2月)
#[[厳復]](1912年2月~1912年10月)
#[[章士釗]](1912年10月~1912年12月)
#[[何燮侯]](1912年12月~1913年11月)
#[[胡仁源]](1913年11月~1916年12月)
#[[蔡元培]](1916年12月~1927年7月)
#[[劉哲]](1927年8月~1928年6月)
#[[李煜?]] (1928年6月~1929年1月)
#[[陳大斉]](1929年1月~1929年8月)
#[[蔡元培]](1929年9月~1930年12月)
#[[蔣夢麟]](1930年12月~1945年10月)
#[[胡適]](1945年10月~1948年12月)
#[[湯用彤]](1949年5月~1951年9月)
#[[馬寅初]](1951年9月~ 1960年3月)
#[[陸平]] (1957年10月~1966年5月)
#[[周培源]](1978年7月~1981年3月)
#[[張竜翔]](1981年6月~1984年3月)
#[[丁石孫]](1984年3月~1989年8月)
#[[昊樹青]](1989年8月~1996年8月)
#[[陳佳?]] (1996年7月~1999年12月)
== 著名な教職員・出身者 ==
=== 研究者 ===
*[[陳寅恪]]
*[[費孝通]]
*[[辜鴻銘]]
*[[季羨林]]
*[[李政道]]
*[[楊振寧]]
*[[賀衛方]]
*[[徐星]]
=== 政治家 ===
*[[薄熙来]]
*[[鄧楠]]
*[[胡春華]]
*[[李克強]]
*[[李肇星]]
*[[李源潮]]
*[[廖錫竜]]
*[[張霊甫]]
*[[陳独秀]]
*[[陳公博]]
*[[張国燾]]
*[[聶元梓]]
*[[李大釗]]
*[[王丹]]
*[[趙楽際]]
=== 法曹界 ===
*[[梅汝璈]]
=== 経済人 ===
*[[李彦宏]]
*[[谷口清太郎]] - 日本の実業家
=== 文芸 ===
*[[方東樹]]
*[[馮友蘭]]
*[[梁漱溟]]
*[[魯迅]]
*[[牟宗三]]
*[[呉汝綸]]
*[[周作人]]
*[[朱自清]]
*[[章炳麟]]
*[[劉天華]]
*[[余杰]]
==関連項目==
*[[北京大学]]
[[Category:北京大学出身の人物|*いちらん]]
[[Category:中国の教育機関別人名一覧|へきんたいかく]]
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音具
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音具(おんぐ、Sound Apparatus)とは音を出す道具のうち、音が出る(音を出す)が楽器とは言いにくい物のこと。
風鈴や仏壇の「おりん」などのように、音を鳴らす事が役割となってはいるが、演奏を目的として作られていないものを、楽器とは区別して呼ぶときに用いる。
しかし時折区別は曖昧であり、特殊な楽器(例:スライドホイッスル)を音具と呼ぶ事もあれば、蓄音機など生活に密着したとされる音響機器を音具と言うこともあり、定義は曖昧である。本項では冒頭の定義を採用する。
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音具とは音を出す道具のうち、音が出る(音を出す)が楽器とは言いにくい物のこと。 風鈴や仏壇の「おりん」などのように、音を鳴らす事が役割となってはいるが、演奏を目的として作られていないものを、楽器とは区別して呼ぶときに用いる。
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{{複数の問題|ソートキー=楽
| 出典の明記 = 2012年6月4日
| 独自研究 = 2013年6月4日
}}
'''音具'''(おんぐ、''Sound Apparatus'')とは[[音]]を出す[[道具]]のうち、音が出る(音を出す)が[[楽器]]とは言いにくい物のこと。
[[風鈴]]や[[仏壇]]の「おりん」などのように、音を鳴らす事が役割となってはいるが、[[演奏]]を目的として作られていないものを、[[楽器]]とは区別して呼ぶときに用いる。
== 定義 ==
しかし時折区別は曖昧であり、特殊な楽器(例:[[スライドホイッスル]])を音具と呼ぶ事もあれば、[[蓄音機]]など生活に密着したとされる[[音響機器]]を音具と言うこともあり、定義は曖昧である。本項では冒頭の定義を採用する。
== 一般的に音具とされる物 ==
* [[風鈴]]
== 楽器と音具の区別が付きにくい物 ==
* [[梵鐘]]
* [[カウベル]]
* [[木魚]]
* [[水琴窟]]
== 外部リンク ==
*[http://www.kobayasi-riken.or.jp/museum/museum_05.htm 楽器・音具] - 音響科学博物館
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16,250 |
北綾瀬駅
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北綾瀬駅(きたあやせえき)は、東京都足立区谷中二丁目にある、東京地下鉄(東京メトロ)千代田線(支線)の駅である。駅番号はC 20。
千代田線開業当初から需要増があった場合に綾瀬車両基地への引き込み線上に新駅を設置する予定があった。建設当初は周辺の人口密度が低く、需要も少なかったので駅の設置はなされなかったが、本線開業後、急速に宅地開発が進み人口が増加したことで、沿線住民から駅設置の要望が強く出されるようになったため建設に至った。輸送需要の予測から、当初は3両編成による区間運転とされた。
環七通りの南側に設置された単式ホーム1面1線を有する高架駅。線路は複線だが、ホームは西側の線路のみに設置されている。そのため、回送列車としては双単線と見做すこともできる。
東京メトロの駅では数少ない、ほかの鉄道路線との接続がない単独終端駅である。東京メトロでは当駅のほかに丸ノ内線の方南町駅がある。
開業時のホーム有効長は3両編成分であり、当駅からは綾瀬駅までの区間運転の列車のみ運転されていた。2015年6月8日より大規模な駅改良工事に着手し、ホームの延伸(綾瀬駅方面に135 m延伸)やコンコースの改修・出入口の新設などを行い、2019年3月16日のダイヤ改正より代々木上原方面からの10両編成の列車が発着できるようになっている。3両編成の列車はホームの北側(車両基地寄り)に停車するため、南改札・5番出入口からはやや距離が開く形となる。
2002年3月23日から開始された支線でのワンマン運転に合わせ、可動式ホーム柵が設置されたが、ホームの10両化に伴い全面的に更新が行われた。
(出典:東京メトロ:構内図)
2018年10月27日からスイッチ制作の発車メロディ(発車サイン音)を使用している。
曲は「千歳緑」(福嶋尚哉作曲)である。
2022年度の1日平均乗降人員は37,167人であり、東京メトロ全130駅中86位。
2014年3月15日のダイヤ改正で日中の運転本数が毎時4本から毎時6本に増発され、2019年からは新たに代々木上原方面への直通電車が終日設定されており、乗降人員は増加傾向にある。
開業以降の1日平均乗降・乗車人員の推移は下表のとおりである。
当駅周辺では、足立区と三井不動産による土地区画整理事業及び都市再開発が計画されている。その第1段階として、駅北側・1番出入口の隣接地において、足立区が駅前交通広場や北改札に直結するペデストリアンデッキ、駐輪場などの整備を進め、三井不動産が地上4階建ての商業施設「(仮称)三井ショッピングパーク ららテラス北綾瀬」を建設する。駅前交通広場などは2024年の完成、商業施設は2025年夏の開業を予定している。
駅西側の環七通り沿いにある。六ツ木都住・亀有駅方面のみであり、綾瀬駅・足立区役所・王子駅方面へ行くには、駅東方200 mにある「上谷中町」バス停を利用する。
駅東方150 mの「上谷中町」信号南にある。
|
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"text": "北綾瀬駅(きたあやせえき)は、東京都足立区谷中二丁目にある、東京地下鉄(東京メトロ)千代田線(支線)の駅である。駅番号はC 20。",
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"text": "千代田線開業当初から需要増があった場合に綾瀬車両基地への引き込み線上に新駅を設置する予定があった。建設当初は周辺の人口密度が低く、需要も少なかったので駅の設置はなされなかったが、本線開業後、急速に宅地開発が進み人口が増加したことで、沿線住民から駅設置の要望が強く出されるようになったため建設に至った。輸送需要の予測から、当初は3両編成による区間運転とされた。",
"title": "歴史"
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"text": "環七通りの南側に設置された単式ホーム1面1線を有する高架駅。線路は複線だが、ホームは西側の線路のみに設置されている。そのため、回送列車としては双単線と見做すこともできる。",
"title": "駅構造"
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"text": "東京メトロの駅では数少ない、ほかの鉄道路線との接続がない単独終端駅である。東京メトロでは当駅のほかに丸ノ内線の方南町駅がある。",
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"text": "開業時のホーム有効長は3両編成分であり、当駅からは綾瀬駅までの区間運転の列車のみ運転されていた。2015年6月8日より大規模な駅改良工事に着手し、ホームの延伸(綾瀬駅方面に135 m延伸)やコンコースの改修・出入口の新設などを行い、2019年3月16日のダイヤ改正より代々木上原方面からの10両編成の列車が発着できるようになっている。3両編成の列車はホームの北側(車両基地寄り)に停車するため、南改札・5番出入口からはやや距離が開く形となる。",
"title": "駅構造"
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"text": "2002年3月23日から開始された支線でのワンマン運転に合わせ、可動式ホーム柵が設置されたが、ホームの10両化に伴い全面的に更新が行われた。",
"title": "駅構造"
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"text": "(出典:東京メトロ:構内図)",
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"text": "2018年10月27日からスイッチ制作の発車メロディ(発車サイン音)を使用している。",
"title": "駅構造"
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"text": "曲は「千歳緑」(福嶋尚哉作曲)である。",
"title": "駅構造"
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"text": "2022年度の1日平均乗降人員は37,167人であり、東京メトロ全130駅中86位。",
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"text": "2014年3月15日のダイヤ改正で日中の運転本数が毎時4本から毎時6本に増発され、2019年からは新たに代々木上原方面への直通電車が終日設定されており、乗降人員は増加傾向にある。",
"title": "利用状況"
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"text": "開業以降の1日平均乗降・乗車人員の推移は下表のとおりである。",
"title": "利用状況"
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"text": "当駅周辺では、足立区と三井不動産による土地区画整理事業及び都市再開発が計画されている。その第1段階として、駅北側・1番出入口の隣接地において、足立区が駅前交通広場や北改札に直結するペデストリアンデッキ、駐輪場などの整備を進め、三井不動産が地上4階建ての商業施設「(仮称)三井ショッピングパーク ららテラス北綾瀬」を建設する。駅前交通広場などは2024年の完成、商業施設は2025年夏の開業を予定している。",
"title": "駅周辺"
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"text": "駅西側の環七通り沿いにある。六ツ木都住・亀有駅方面のみであり、綾瀬駅・足立区役所・王子駅方面へ行くには、駅東方200 mにある「上谷中町」バス停を利用する。",
"title": "バス路線"
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"text": "駅東方150 mの「上谷中町」信号南にある。",
"title": "バス路線"
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北綾瀬駅(きたあやせえき)は、東京都足立区谷中二丁目にある、東京地下鉄(東京メトロ)千代田線(支線)の駅である。駅番号はC 20。
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{{駅情報
|社色 = #109ed4
|文字色 =
|駅名 = 北綾瀬駅
|画像 = Kita-ayase-station-building.jpg
|pxl = 300px
|画像説明 = 環七通り側の駅舎(2018年11月11日撮影)
|よみがな = きたあやせ
|ローマ字 = Kita-ayase
|地図 = {{Infobox mapframe|zoom=14|frame-width=300|type=point|marker=rail-metro}}
|前の駅 = C 19 [[綾瀬駅|綾瀬]]
|駅間A = 2.1
|駅間B =
|次の駅 =
|駅番号 = {{駅番号r|C|20|#00bb85|4}}<ref name="tokyosubway">[https://www.tokyometro.jp/ 東京地下鉄] 公式サイトから抽出(2019年5月26日閲覧)</ref>
|電報略号 = キタ
|所属事業者 = [[東京地下鉄]](東京メトロ)
|所属路線 = {{color|#00bb85|●}}<ref name="tokyosubway"/>[[東京メトロ千代田線|千代田線]](支線)
|キロ程 = 2.1 km([[綾瀬駅|綾瀬]]起点)<br />[[代々木上原駅|代々木上原]]から24.0
|所在地 = [[東京都]][[足立区]][[谷中 (足立区)|谷中]]二丁目6-21
|緯度度 = 35 |緯度分 = 46 |緯度秒 = 37 |N(北緯)及びS(南緯) = N
|経度度 = 139 |経度分 = 49 |経度秒 = 55.5 |E(東経)及びW(西経) = E
|地図国コード = JP
|座標右上表示 = Yes
|駅構造 = [[高架駅]]<ref name="Chiyoda-Con1086" />
|ホーム = 1面1線
|開業年月日 = [[1979年]]([[昭和]]54年)[[12月20日]]<ref name="Chiyoda-Con1087" />
|廃止年月日 =
|乗降人員 = <ref group="メトロ" name="me2022" />37,167
|統計年度 = 2022年
|備考 =
}}
'''北綾瀬駅'''(きたあやせえき)は、[[東京都]][[足立区]][[谷中 (足立区)|谷中]]二丁目にある、[[東京地下鉄]](東京メトロ)[[東京メトロ千代田線|千代田線]](支線)の[[鉄道駅|駅]]である。[[駅ナンバリング|駅番号]]は'''C 20'''。
== 歴史 ==
千代田線開業当初から需要増があった場合に[[綾瀬車両基地]]への引き込み線上に新駅を設置する予定があった<ref name="Chiyoda-Con1083">[[#Chiyoda-Con|東京地下鉄道千代田線建設史]]、p.1083。</ref>。建設当初は周辺の[[人口密度]]が低く、需要も少なかったので駅の設置はなされなかったが、本線開業後、急速に[[宅地開発事業|宅地開発]]が進み人口が増加したことで、沿線住民から駅設置の要望が強く出されるようになったため建設に至った<ref name="Chiyoda-Con1083" />。輸送需要の予測から、当初は3両編成による区間運転とされた<ref name="Chiyoda-Con1086">[[#Chiyoda-Con|東京地下鉄道千代田線建設史]]、p.1086。</ref>。
=== 年表 ===
* [[1969年]]([[昭和]]44年)12月:綾瀬車庫への車両の出入庫を取扱う[[信号場|信号所]]として開設<ref name="Chiyoda-Con1086" />。
* [[1978年]](昭和53年)
** [[9月1日]]:[[運輸省]]が駅設置を認可<ref name="Chiyoda-Con1084">[[#Chiyoda-Con|東京地下鉄道千代田線建設史]]、p.1084。</ref>。
** [[12月12日]]:駅名を「'''北綾瀬駅'''」に決定<ref name="Chiyoda-Con1087">[[#Chiyoda-Con|東京地下鉄道千代田線建設史]]、p.1087。</ref>。
* [[1979年]](昭和54年)
** 2月:当駅の工事に着手<ref name="Chiyoda-Con1085">[[#Chiyoda-Con|東京地下鉄道千代田線建設史]]、p.1085。</ref>。
** [[12月20日]]:開業<ref name="Chiyoda-Con1087" />。
* [[2002年]]([[平成]]14年)[[3月23日]]:[[ホームドア]]の使用を開始(設置は同年[[2月15日]]<ref name="pr20011217">{{Cite press release|和書|url=http://www.tokyometro.go.jp/news/2001-28.html|archiveurl=https://web.archive.org/web/20040205155516/http://www.tokyometro.go.jp/news/2001-28.html|language=日本語|title=平成14年2月15日(予定) 千代田線 北綾瀬駅・綾瀬駅(0番線ホーム)ホームドアを設置します。3月中にワンマン運転を実施する予定|publisher=営団地下鉄|date=2001-12-17|accessdate=2020-05-02|archivedate=2004-02-05}}</ref>)<ref name="eidan624">[[#eidan|帝都高速度交通営団史]]、p.624。</ref>。
* [[2004年]](平成16年)[[4月1日]]:[[帝都高速度交通営団]](営団地下鉄)民営化に伴い、当駅は東京地下鉄(東京メトロ)に継承される<ref>{{Cite press release|和書|url=https://www.tokyometro.jp/news/s2004/2004-06.html|archiveurl=https://web.archive.org/web/20060708164650/https://www.tokyometro.jp/news/s2004/2004-06.html|language=日本語|title=「営団地下鉄」から「東京メトロ」へ|publisher=営団地下鉄|date=2004-01-27|accessdate=2020-03-25|archivedate=2006-07-08}}</ref>。
* [[2007年]](平成19年)[[3月18日]]:[[ICカード]]「[[PASMO]]」の利用が可能となる<ref>{{Cite press release|和書|url=https://www.tokyu.co.jp/file/061221_1.pdf|archiveurl=https://web.archive.org/web/20200501075147/https://www.tokyu.co.jp/file/061221_1.pdf|format=PDF|language=日本語|title=PASMOは3月18日(日)サービスを開始します ー鉄道23事業者、バス31事業者が導入し、順次拡大してまいりますー|publisher=PASMO協議会/パスモ|date=2006-12-21|accessdate=2020-05-05|archivedate=2020-05-01}}</ref>。
* [[2008年]](平成20年)[[9月12日]]:ホーム屋根上に[[太陽光発電]]システムを導入([[2021年]][[5月16日]]に増設<ref>{{Cite press release|和書|url=https://www.tokyometro.jp/news/images_h/metroNews210513_26.pdf|archiveurl=https://web.archive.org/web/20210513091339/https://www.tokyometro.jp/news/images_h/metroNews210513_26.pdf|format=PDF|language=日本語|title=〜安心で、持続可能な社会の実現を目指して〜 千代田線北綾瀬駅の太陽光発電システムを増設します ホームドア・エレベーター等の駅設備の電力に活用|publisher=東京地下鉄|date=2021-05-13|accessdate=2021-05-13|archivedate=2021-05-13}}</ref>)<ref>{{Cite press release|和書|url=https://www.tokyometro.jp/news/2008/2008-47.html|archiveurl=https://web.archive.org/web/20170718022011/http://www.tokyometro.jp/news/2008/2008-47.html|language=日本語|title=9月12日(金)千代田線 北綾瀬駅「太陽光発電システム」を稼動いたします。|publisher=東京地下鉄|date=2008-09-08|accessdate=2020-12-12|archivedate=2017-07-18}}</ref>。
* [[2018年]](平成30年)[[10月27日]]:[[発車メロディ]]を導入。
* [[2019年]](平成31年)[[3月16日]]:ホームを10両編成分へ延長し、代々木上原方面へ直通の10両編成の列車の乗り入れ開始<ref name="metro-news">{{Cite press release|和書|url=https://www.tokyometro.jp/news/images_h/metroNews20190301_1.pdf|format=PDF|language=日本語|title=2019年3月16日(土)千代田線北綾瀬駅ホーム10両化 新たな出入口がオープン|publisher=東京メトロ|date=2019-03-01|accessdate=2020-03-07|archiveurl=https://web.archive.org/web/20200307153028/https://www.tokyometro.jp/news/images_h/metroNews20190301_1.pdf|archivedate=2020-03-07}}</ref><ref name="2018-12-14">{{Cite press release|和書|url=https://www.tokyometro.jp/news/images_h/metroNews20181214_124.pdf|archiveurl=https://web.archive.org/web/20190129235844/https://www.tokyometro.jp/news/images_h/metroNews20181214_124.pdf|format=PDF|language=日本語|title=2019年3月16日(土)東西線及び千代田線のダイヤを改正します|publisher=東京地下鉄|date=2018-12-14|accessdate=2020-03-11|archivedate=2019-01-29}}</ref>。同時に5番出入口及び南改札の供用を開始<ref name="metro-news" />。
* [[2020年]]([[令和]]2年)[[12月19日]]:1番出入口及び北改札の供用を開始<ref>{{Cite press release|和書|url=https://www.tokyometro.jp/news/images_h/metroNews201218_85.pdf|archiveurl=https://web.archive.org/web/20201218064950/https://www.tokyometro.jp/news/images_h/metroNews201218_85.pdf|format=PDF|language=日本語|title=千代田線北綾瀬駅に新しい出入口・改札口が誕生! 2020年12月19日(土)からご利用いただけます|publisher=東京地下鉄|date=2020-12-18|accessdate=2020-12-18|archivedate=2020-12-18}}</ref>。
* [[2021年]](令和3年)
** [[3月30日]]:高架下商業施設「M'av 北綾瀬 Lieta(マーヴ 北綾瀬 リエッタ)」が第1期開業<ref>{{Cite press release|和書|url=https://www.tokyometro.jp/news/images_h/metroNews210316_11.pdf|archiveurl=https://web.archive.org/web/20210316063736/https://www.tokyometro.jp/news/images_h/metroNews210316_11.pdf|format=PDF|language=日本語|title=千代田線北綾瀬駅高架下にM'av(マーヴ)北綾瀬Lieta(リエッタ)が開業します! 2021年3月30日(火)第1期として「Y's mart(ワイズマート)開業、2021年9月グランドオープン予定|publisher=東京地下鉄|date=2021-03-16|accessdate=2021-03-16|archivedate=2021-03-16}}</ref>。
** [[6月30日]]:高架下商業施設「M'av 北綾瀬 Lieta(マーヴ 北綾瀬 リエッタ)」が第2期開業<ref>{{Cite press release|和書|url=https://www.tokyometro.jp/news/images_h/metroNews210615_29.pdf|archiveurl=https://web.archive.org/web/20210622073958/https://www.tokyometro.jp/news/images_h/metroNews210615_29.pdf|format=PDF|language=日本語|title=千代田線北綾瀬駅高架下M’av北綾瀬Lietaに新たに店舗が加わります! 〜2021年6月30日(水)、第2期として7店舗開業、2021年9月グランドオープン予定〜|publisher=東京地下鉄|date=2021-06-22|accessdate=2021-07-03|archivedate=2021-06-22}}</ref>。
== 駅構造 ==
[[東京都道318号環状七号線|環七通り]]の南側に設置された[[単式ホーム]]1面1線を有する[[高架駅]]。線路は[[複線]]だが、ホームは西側の線路のみに設置されている。そのため、回送列車としては[[単線並列|双単線]]と見做すこともできる。
東京メトロの駅では数少ない、ほかの鉄道路線との接続がない単独終端駅である。東京メトロでは当駅のほかに[[東京メトロ丸ノ内線|丸ノ内線]]の[[方南町駅]]がある。
開業時のホーム[[有効長]]は3両編成分であり、当駅からは綾瀬駅までの区間運転の列車のみ運転されていた<ref name="jsce" />。[[2015年]][[6月8日]]より大規模な駅改良工事に着手し<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.okayasu-takashi.com/wp-content/uploads/2015/07/kitaayase_station.pdf|archiveurl=https://web.archive.org/web/20210121134514/http://www.okayasu-takashi.com/wp-content/uploads/2015/07/kitaayase_station.pdf|title=(千代田線北綾瀬駅改良工事)千代田線北綾瀬駅改良工事のお知らせ|archivedate=2021-01-21|accessdate=2021-01-21|publisher=東京地下鉄|format=PDF|language=日本語}}</ref>、ホームの延伸(綾瀬駅方面に135 [[メートル|m]]延伸)やコンコースの改修・出入口の新設などを行い<ref name="jsce">{{Cite web|和書|url=http://library.jsce.or.jp/jsce/open/00035/2015/70-06/70-06-0431.pdf|date=2015-09|archiveurl= https://web.archive.org/web/20210121135201/http://library.jsce.or.jp/jsce/open/00035/2015/70-06/70-06-0431.pdf|title=輸送改善対策と出入口、バリアフリー整備に伴う駅改良工事 ー東京メトロ千代田線北綾瀬駅改良土木工事ー|archivedate=2021-01-21|accessdate=2021-01-21|publisher=[[土木学会]]|format=PDF|language=日本語}}</ref>、2019年3月16日のダイヤ改正より[[代々木上原駅|代々木上原]]方面からの10両編成の列車が発着できるようになっている<ref name="metro-news"/><ref name="2018-12-14"/>。3両編成の列車はホームの北側(車両基地寄り)に停車するため、南改札・5番出入口からはやや距離が開く形となる。
2002年3月23日から開始された支線での[[ワンマン運転]]に合わせ、[[ホームドア#可動式ホーム柵|可動式ホーム柵]]が設置されたが<ref name="pr20011217" /><ref name="eidan624" />、ホームの10両化に伴い全面的に更新が行われた。
=== のりば ===
{|class="wikitable"
!番線!!路線!!行先
|-
!1
|[[File:Logo of Tokyo Metro Chiyoda Line.svg|15px|C]] 千代田線
|[[綾瀬駅|綾瀬]]方面<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.tokyometro.jp/station/kita-ayase/timetable/chiyoda/za/index.html |title=北綾瀬駅時刻表 綾瀬方面 平日 |publisher=東京メトロ |accessdate=2023-06-03}}</ref>
|}
(出典:[https://www.tokyometro.jp/station/kita-ayase/index.html 東京メトロ:構内図])
<gallery widths="200" style="font-size:90%;">
Kita-ayase-Station-SouthExit.jpg|しょうぶ沼公園方面5番出入口(2019年3月27日撮影)
Kita-ayase-station-Southgate.jpg|南改札(2019年3月27日撮影)
Kita-ayase-station-central-gate2019.jpg|中央改札(2019年12月22日撮影)
Kita-ayase-station-platform-night.jpg|1番線ホーム(2019年5月4日撮影)
Tokyo Metro Kita-Ayase station.jpg|旧駅舎(2007年12月1日撮影)
</gallery>
=== 発車メロディ ===
2018年10月27日から[[スイッチ (音楽制作会社)|スイッチ]]制作の[[発車メロディ]](発車サイン音)を使用している。
曲は「千歳緑」([[福嶋尚哉]]作曲)である<ref>{{Cite web|和書|title=東京メトロ千代田線発車サイン音を制作|url=http://www.switching.co.jp/news/370|date=2018-10-06|website=[http://www.switching.co.jp/ スイッチオフィシャルサイト]|accessdate=2021-03-27|language=ja|publisher=スイッチ}}</ref>。
== 利用状況 ==
[[2022年]]度の1日平均[[乗降人員|'''乗降'''人員]]は'''37,167人'''であり<ref group="メトロ" name="me2022" />、東京メトロ全130駅中86位<!--他鉄道との直結連絡駅及び共用している駅の乗降人員は順位から除いております-->。
2014年3月15日のダイヤ改正で日中の運転本数が毎時4本から毎時6本に[[増発]]され、2019年からは新たに代々木上原方面への[[直通運転|直通]]電車が終日設定されており、乗降人員は増加傾向にある。
開業以降の1日平均'''乗降'''・[[乗降人員#乗車人員|'''乗車'''人員]]の推移は下表のとおりである。
<!--東京都統計年鑑を出典にしている数値については、元データが1,000人単位で掲載されているため、*1000/365 (or 366) で計算してあります-->
{|class="wikitable" style="text-align:right"
|+年度別1日平均乗降・乗車人員<ref>[https://www.city.adachi.tokyo.jp/kuse/ku/aramashi/toke-suji.html 数字で見る足立] - 足立区</ref>
!年度
!1日平均<br />乗降人員<ref>[https://www.train-media.net/report.html レポート] - 関東交通広告協議会</ref>
!1日平均<br />乗車人員<ref>[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/tn-index.htm 東京都統計年鑑] - 東京都</ref>
!出典
|-
|1979年(昭和54年)
|
|4,114
|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1979/tn79qyti0510u.htm 昭和54年]</ref>
|-
|1980年(昭和55年)
|
|5,008
|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1980/tn80qyti0510u.htm 昭和55年]</ref>
|-
|1981年(昭和56年)
|
|6,010
|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1981/tn81qyti0510u.htm 昭和56年]</ref>
|-
|1982年(昭和57年)
|
|6,724
|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1982/tn82qyti0510u.htm 昭和57年]</ref>
|-
|1983年(昭和58年)
|
|7,558
|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1983/tn83qyti0510u.htm 昭和58年]</ref>
|-
|1984年(昭和59年)
|
|8,234
|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1984/tn84qyti0510u.htm 昭和59年]</ref>
|-
|1985年(昭和60年)
|
|8,781
|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1985/tn85qyti0510u.htm 昭和60年]</ref>
|-
|1986年(昭和61年)
|
|9,531
|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1986/tn86qyti0510u.htm 昭和61年]</ref>
|-
|1987年(昭和62年)
|
|10,381
|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1987/tn87qyti0510u.htm 昭和62年]</ref>
|-
|1988年(昭和63年)
|
|10,997
|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1988/tn88qyti0510u.htm 昭和63年]</ref>
|-
|1989年(平成元年)
|
|11,155
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|2021年(令和{{0}}3年)
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|2022年(令和{{0}}4年)
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== 駅周辺 ==
{{See also|谷中 (足立区)|加平}}
当駅周辺では、足立区と[[三井不動産]]による[[土地区画整理事業]]及び[[都市再開発]]が計画されている<ref name="kensetsu20210426">{{Cite news|url=https://www.kensetsunews.com/archives/564938|archiveurl=https://web.archive.org/web/20210501153505/https://www.kensetsunews.com/archives/564938|title=三井不が商業施設/交通広場など整備/足立区の北綾瀬駅前開発|newspaper=建設通信新聞|date=2021-04-26|accessdate=2021-05-01|archivedate=2021-05-01}}</ref>。その第1段階として、駅北側・1番出入口の隣接地において、足立区が駅前交通広場や北改札に直結する[[ペデストリアンデッキ]]、駐輪場などの整備を進め、三井不動産が地上4階建ての商業施設「(仮称)三井ショッピングパーク ららテラス北綾瀬」を建設する<ref name="mitsui20230614">{{Cite press release|和書|url=https://www.mitsuifudosan.co.jp/corporate/news/2023/0614/download/20230614.pdf|archiveurl=|language=日本語|title=「(仮称)三井ショッピングパーク ららテラス北綾瀬」建築着工 2025年夏開業予定|publisher=三井不動産|date=2023-06-14|accessdate=2023-06-15|archivedate=}}</ref><ref name="kensetsu20210426" />。駅前交通広場などは2024年の完成<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.city.adachi.tokyo.jp/d-jigyo/kitaayase-koutuuhiroba-kouzi.html|title=北綾瀬駅前広場整備整備工事について|publisher=足立区|date=2023-05-02|accessdate=2023-06-15}}</ref>、商業施設は2025年夏の開業を予定している<ref name="mitsui20230614"/>。
* [[綾瀬警察署|警視庁綾瀬警察署]]
* [[東京都下水道局]][[中川水再生センター]]
* 綾瀬循環器病院
* [[しょうぶ沼公園]]
* 足立谷中郵便局
* [[ブックスページワン]]北綾瀬店
* [[サンベルクス|ベルクス]]足立加平店
* [[コジマ]]×[[ビックカメラ]]足立加平店
* 環七・加平ハウジングギャラリー
* [[東京都道318号環状七号線|環七通り]]
* [[加平出入口]]・[[加平パーキングエリア]] - [[首都高速6号三郷線]]
* [[首都圏新都市鉄道]][[首都圏新都市鉄道つくばエクスプレス|つくばエクスプレス]][[青井駅]](西へ徒歩15分)
* 東京地下鉄[[綾瀬車両基地]](綾瀬工場・綾瀬検車区)
== バス路線 ==
=== 綾瀬警察署 ===
駅西側の環七通り沿いにある。六ツ木都住・亀有駅方面のみであり、綾瀬駅・足立区役所・王子駅方面へ行くには、駅東方200 [[メートル|m]]にある「上谷中町」バス停を利用する。
* [[東武バスセントラル葛飾営業所#綾瀬駅 - 六ツ木都住 - 八潮駅北口線|綾21]] [[六木|六ツ木都住]]行き([[東武バス#東武バスセントラル|東武バスセントラル]])
* [[東武バスセントラル葛飾営業所#亀有駅北口 - (環七通り) - 足立区役所・王子駅線|足35]] [[亀有駅|亀有駅北口]]行き(東武バスセントラル)
* [[東武バスセントラル葛飾営業所#亀有駅北口 - (環七通り) - 足立区役所・王子駅線|王30]] [[亀有駅]]北口行き(東武バスセントラル、1日2本のみ)
=== 北綾瀬駅入口 ===
駅東方150 mの「上谷中町」信号南にある。
* [[はるかぜ (コミュニティバス)#はるかぜ2号(綾瀬・六木線)|はるかぜ2号]] 綾瀬駅行き / 六ツ木都住([[八潮駅|八潮駅南口]])行き([[朝日自動車越谷営業所|朝日自動車]])
== その他 ==
* 当駅 - 北千住駅間と[[東日本旅客鉄道|JR]][[常磐線]][[南千住駅]]・[[三河島駅]]方面に跨って利用する場合、運賃計算上の接続駅は綾瀬駅となる。
* [[メトロセブン]]が当駅を通る構想がある。[[エイトライナー]]も参照のこと。
== 隣の駅 ==
; 東京地下鉄(東京メトロ)
: [[File:Logo of Tokyo Metro Chiyoda Line.svg|15px|C]] 千代田線(北綾瀬支線)
:: [[綾瀬駅]] (C 19) - '''北綾瀬駅 (C 20)'''
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Reflist|group="注釈"}}
=== 出典 ===
{{Reflist|2}}
; 東京地下鉄の1日平均利用客数
{{Reflist|group="メトロ"|22em}}
; 東京都統計年鑑
{{Reflist|group="*"|22em}}
== 参考文献 ==
* {{Cite book|和書|title=[[帝都高速度交通営団]]史|publisher=[[東京地下鉄]]|date=2004-12|ref=eidan}}
* {{Cite book|和書|url=https://metroarchive.jp/content/ebook_chiyoda.html/|date=1983-06-30|title=東京地下鉄道千代田線建設史|publisher=帝都高速度交通営団|ref=Chiyoda-Con}}
== 関連項目 ==
{{Commonscat|Kita-ayase Station}}
* [[日本の鉄道駅一覧]]
* [[博多南駅]] - 当駅と同様に、車両基地への線路を利用して開設された駅。
* [[大日駅]]([[Osaka Metro谷町線]]) - 同上。
== 外部リンク ==
* [https://www.tokyometro.jp/station/kita-ayase/ 北綾瀬駅/C20 | 路線・駅の情報 | 東京メトロ]
{{東京メトロ千代田線}}
{{DEFAULTSORT:きたあやせ}}
[[Category:足立区の鉄道駅]]
[[Category:日本の鉄道駅 き|たあやせ]]
[[Category:東京地下鉄の鉄道駅]]
[[Category:1979年開業の鉄道駅]]
[[Category:綾瀬]]
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音
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音(おと、英: sound)は、物が動き、こすれ、また、ぶつかって出る空気の震え(=疎密波)が耳に届いて聞こえるものである。音響(おんきょう)とも呼ばれる。
音は、辞典・辞書類には次のように解説されている。
心理学的には聴覚的感覚を「音」と呼ぶため周波数が人間の可聴域にあるもののみを指す。物理学的には音波そのものを音と呼び超音波や低周波音も含める(#聴覚の内容、#物理学における音:音波の節をそれぞれ参照)。
音は楽音と騒音に分けることができる。→#聴覚の内容
音楽的には楽音と噪音にわけられる(#音楽における音の節を参照)。
音は「聴覚の内容」、聴覚によって感覚される内容(感覚の内容)である。
百科事典では、音は楽音と騒音に分けることができる、とされている。 百科事典の説明では次のように説明してある。
楽音の場合は(あくまで楽音の場合の話)、音の「強さ」「高さ」「音色」が聞き分けられる(一般的に言えば、聞き分けられる人が多い、ということ)。かくしてこれらは「楽音の三要素」と呼ばれている。
騒音のほうは、機械類・装置類(例えば、新幹線やジェット機)によって社会問題になっている。人にひどく不快な体験をさせ、体調を崩す人、健康を害す人すらも出てくるからである。
音楽においては、ここちよい美しい音とそうでない音を区別することばとして、楽音(がくおん、英: musical tone)と噪音(そうおん、英: unpitched sound)がある。
人間の聴覚の特性は音響心理とよばれ、音響心理学などで研究されている。MP3などの音声データ圧縮技術に利用されている。例えば、たとえ可聴域の空気振動であっても、特定の周波数の音圧が強いと、その直近の周波数帯で音圧が小さな振動は感じられない、つまり人にとってはその音(感覚の内容)は実際上存在していない、などといったことが起きているのであり、それを利用してその帯域のデータの記録を省略するなどということが行われているのである。
人間が知覚できる音の周波数(可聴域)は20 Hz から 20 kHz までである。ただしこれは年齢・性別・過去に受けた聴覚障害などによってばらつきがある。大多数の人は10代には既に 20,000 Hz を知覚できず、年齢が上がるにしたがって高い周波数を聴く能力が衰える。人間の会話のほとんどは 200-8,000 Hz の間で行われ、人間の耳は 1000-3,500 Hz で最も感度が高い。聴覚の限界より周波数が高い音は超音波、低い音は低周波音と呼ばれる。したがって、いくら空気が振動していても、各人にとっては、聞こえない周波数帯については音(聴覚の内容)は存在していない。
#音圧および#音圧レベルの節で後述するとおり、音の大きさはその圧力または常用対数を用いたデシベル値で表される。 人間が聴くことのできる最も小さな音はおよそ 20 μPa (音圧レベル 0 dB re 20 μPa)である。音圧レベルが 85 dB を越える音を長期間聴きつづけると、耳鳴りや難聴などの聴覚障害を引き起こすことがある。130 dB では人間の聴覚が安全に耐えうる限界を越え、重篤な痛みや永続的障害の原因となりうる。
人間や多くの動物は音を聴くのに耳を使い、聴覚器官の聴覚細胞が音によって刺激されることにより音を感じる。ただし、低い周波数の大きな音は体の他の部分を通じて触覚により振動として知覚される。
物理学においては、音とは物体を通して縦波として伝わる力学的エネルギーの変動のことであり、波動としての特徴(周波数・波長・周期・振幅・速度など)を持つ音波として表せる。
音波を伝える物質は媒質と呼ばれる。音波は圧力変動の波動として伝わり、ある点での密度の変動を引き起こす。媒質中の粒子はこの波によって位置を変え、振動する。音について研究する物理学の分野は音響学と呼ばれる。
媒質が流体(気体または液体)の場合はずれ応力を保持できないため縦波しか伝播できないが、固体中では縦波・横波・曲げ波・ねじり波などとして伝播できる。それら縦波以外の波も広義の音波に含む場合がある。
音波を伝える速さは物質によって異なり、しばしば物質の基本的な特性として示される。一般的に、音速は媒質の弾性率と密度との比の平方根に比例する。これらの物理特性と音速とは周囲の状況によって変化する。例えば、大気などの気体中の音速は温度に依存する。大気中の音速はおよそ 344 m/s であり、水中では 1500 m/s、鋼鉄の棒では 5000 m/s である。音速は振幅(音の大きさ)にも僅かに依存する。これは倍音の弱い成分や音色の混合など、非線型の伝達効果のためである(en:parametric arrayを参照のこと)。
音圧は、音波によって引き起こされる周囲からの圧力のずれである。空気中ではマイクロフォンによって、水中ではハイドロフォンによって測定される。国際単位系において、音圧の単位はパスカル (記号: Pa) である。瞬間音圧は、ある点でのある瞬間の音圧である。有効音圧は、ある時間内で瞬間音圧のRMSをとったものである。音を波として記述したとき、音圧と対になる変数は粒子速度(英語版)である。 振幅が小さいとき、音圧と粒子速度は線形の関係にあり、両者の比が比音響インピーダンスである。音響インピーダンスは波の特徴と媒質の両方に依存する。
ある瞬間の局所的な音の強さは音圧と粒子速度の積であるため、ベクトル量である。
人間は非常に幅広い強度の音を感知できるため、音圧は常用対数を用いたデシベルで表されることが多い。
音圧レベル (sound pressure level, SPL) は Lp と記され、以下のように定義される。
一般的な基準音圧としては、ANSI S1.1-1994 では、 大気中で 20 μPa、水中で 1 μPa と定められている。
人間の耳は全ての周波数に対して感度が一定ではないので、音圧レベルは人間の感覚に合うように周波数で重み付けされる事が多い。国際電気標準会議 (IEC) はいくつかの重み付けの方法を定義している。「A特性周波数重み付け」は雑音に対する感度に一致し、それによって重み付けされた音圧レベルは dBA と表記される。「C特性周波数重み付け」はピークレベルを測定するのに用いられる。
歴史上で最も大きな音とされているのは1883年のクラカタウの大噴火によるものであり、 160km離れた地点での音圧レベルは 180 dBだった。
音紋とはもの(特に船舶や潜水艦の)特有の音のパターンである。音紋を分析することで、音の発信源が一体何なのか特定することができる。音紋の計算にはウェーブレット変換や短時間フーリエ変換が用いられている。
類似の事象に声紋がある。
音を発生させたり扱ったりする装置として、楽器・補聴器・ ソナー・音響機器などが挙げられる。その多くはマイクロフォンとスピーカーを用いて音と電気信号とを変換している。
音を発生させる方法としては、物体をさまざまな方法で振動させてその振動を空気に伝える方法や、特定の方向のみに強い空気の流れを作り出す事で空気の振動を発生させる方法などがある。
生物で音をコミュニケーションなど、さまざまに用いている。また、他の動物の気配、物の動きなどの周囲の状況、空間構造などを把握するためにも用いられている。 例えば、人間は音の聞こえ方で空間の情報を得ており、コウモリは反響定位で物体の存在を感じている。
人間(ヒト)は道具を作りだす能力がとりわけ高いという特徴があるわけだが、機械類でも、たとえば船舶には音を用いて地形や魚の存在をさぐる装置(ソナー兼魚群探知機)が、潜水艦には敵艦の存在や海底の地形を探る装置(パッシブソナーやアクティブソナー)が搭載されている。
「動物が環境を把握するための物理的情報として音を受け取る場合にこれを聴覚という」。また、これを受け止めるための受容器(感覚器官)は聴覚器と呼ばれる。陸上脊椎動物では、これが耳である。
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"tag": "p",
"text": "#音圧および#音圧レベルの節で後述するとおり、音の大きさはその圧力または常用対数を用いたデシベル値で表される。 人間が聴くことのできる最も小さな音はおよそ 20 μPa (音圧レベル 0 dB re 20 μPa)である。音圧レベルが 85 dB を越える音を長期間聴きつづけると、耳鳴りや難聴などの聴覚障害を引き起こすことがある。130 dB では人間の聴覚が安全に耐えうる限界を越え、重篤な痛みや永続的障害の原因となりうる。",
"title": "聴覚の内容"
},
{
"paragraph_id": 13,
"tag": "p",
"text": "人間や多くの動物は音を聴くのに耳を使い、聴覚器官の聴覚細胞が音によって刺激されることにより音を感じる。ただし、低い周波数の大きな音は体の他の部分を通じて触覚により振動として知覚される。",
"title": "聴覚の内容"
},
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"text": "物理学においては、音とは物体を通して縦波として伝わる力学的エネルギーの変動のことであり、波動としての特徴(周波数・波長・周期・振幅・速度など)を持つ音波として表せる。",
"title": "物理学における音:音波"
},
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"text": "音波を伝える物質は媒質と呼ばれる。音波は圧力変動の波動として伝わり、ある点での密度の変動を引き起こす。媒質中の粒子はこの波によって位置を変え、振動する。音について研究する物理学の分野は音響学と呼ばれる。",
"title": "物理学における音:音波"
},
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"tag": "p",
"text": "媒質が流体(気体または液体)の場合はずれ応力を保持できないため縦波しか伝播できないが、固体中では縦波・横波・曲げ波・ねじり波などとして伝播できる。それら縦波以外の波も広義の音波に含む場合がある。",
"title": "物理学における音:音波"
},
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"text": "音波を伝える速さは物質によって異なり、しばしば物質の基本的な特性として示される。一般的に、音速は媒質の弾性率と密度との比の平方根に比例する。これらの物理特性と音速とは周囲の状況によって変化する。例えば、大気などの気体中の音速は温度に依存する。大気中の音速はおよそ 344 m/s であり、水中では 1500 m/s、鋼鉄の棒では 5000 m/s である。音速は振幅(音の大きさ)にも僅かに依存する。これは倍音の弱い成分や音色の混合など、非線型の伝達効果のためである(en:parametric arrayを参照のこと)。",
"title": "物理学における音:音波"
},
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"text": "音圧は、音波によって引き起こされる周囲からの圧力のずれである。空気中ではマイクロフォンによって、水中ではハイドロフォンによって測定される。国際単位系において、音圧の単位はパスカル (記号: Pa) である。瞬間音圧は、ある点でのある瞬間の音圧である。有効音圧は、ある時間内で瞬間音圧のRMSをとったものである。音を波として記述したとき、音圧と対になる変数は粒子速度(英語版)である。 振幅が小さいとき、音圧と粒子速度は線形の関係にあり、両者の比が比音響インピーダンスである。音響インピーダンスは波の特徴と媒質の両方に依存する。",
"title": "物理学における音:音波"
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"text": "ある瞬間の局所的な音の強さは音圧と粒子速度の積であるため、ベクトル量である。",
"title": "物理学における音:音波"
},
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"text": "人間は非常に幅広い強度の音を感知できるため、音圧は常用対数を用いたデシベルで表されることが多い。",
"title": "物理学における音:音波"
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"text": "音圧レベル (sound pressure level, SPL) は Lp と記され、以下のように定義される。",
"title": "物理学における音:音波"
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"text": "一般的な基準音圧としては、ANSI S1.1-1994 では、 大気中で 20 μPa、水中で 1 μPa と定められている。",
"title": "物理学における音:音波"
},
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"text": "人間の耳は全ての周波数に対して感度が一定ではないので、音圧レベルは人間の感覚に合うように周波数で重み付けされる事が多い。国際電気標準会議 (IEC) はいくつかの重み付けの方法を定義している。「A特性周波数重み付け」は雑音に対する感度に一致し、それによって重み付けされた音圧レベルは dBA と表記される。「C特性周波数重み付け」はピークレベルを測定するのに用いられる。",
"title": "物理学における音:音波"
},
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"text": "歴史上で最も大きな音とされているのは1883年のクラカタウの大噴火によるものであり、 160km離れた地点での音圧レベルは 180 dBだった。",
"title": "物理学における音:音波"
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"text": "音紋とはもの(特に船舶や潜水艦の)特有の音のパターンである。音紋を分析することで、音の発信源が一体何なのか特定することができる。音紋の計算にはウェーブレット変換や短時間フーリエ変換が用いられている。",
"title": "音紋"
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"text": "類似の事象に声紋がある。",
"title": "音紋"
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"text": "音を発生させたり扱ったりする装置として、楽器・補聴器・ ソナー・音響機器などが挙げられる。その多くはマイクロフォンとスピーカーを用いて音と電気信号とを変換している。",
"title": "音を扱う装置"
},
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"text": "音を発生させる方法としては、物体をさまざまな方法で振動させてその振動を空気に伝える方法や、特定の方向のみに強い空気の流れを作り出す事で空気の振動を発生させる方法などがある。",
"title": "音を扱う装置"
},
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"text": "生物で音をコミュニケーションなど、さまざまに用いている。また、他の動物の気配、物の動きなどの周囲の状況、空間構造などを把握するためにも用いられている。 例えば、人間は音の聞こえ方で空間の情報を得ており、コウモリは反響定位で物体の存在を感じている。",
"title": "生物と音"
},
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"text": "人間(ヒト)は道具を作りだす能力がとりわけ高いという特徴があるわけだが、機械類でも、たとえば船舶には音を用いて地形や魚の存在をさぐる装置(ソナー兼魚群探知機)が、潜水艦には敵艦の存在や海底の地形を探る装置(パッシブソナーやアクティブソナー)が搭載されている。",
"title": "生物と音"
},
{
"paragraph_id": 31,
"tag": "p",
"text": "「動物が環境を把握するための物理的情報として音を受け取る場合にこれを聴覚という」。また、これを受け止めるための受容器(感覚器官)は聴覚器と呼ばれる。陸上脊椎動物では、これが耳である。",
"title": "生物と音"
}
] |
音は、物が動き、こすれ、また、ぶつかって出る空気の震え(=疎密波)が耳に届いて聞こえるものである。音響(おんきょう)とも呼ばれる。
|
{{Otheruses}}
{{出典の明記|date=2011-11}}
'''音'''(おと、{{lang-en-short|sound}}<ref>"音響と音声と音韻 ... 三者ともが ... 「音響」(sound)という現象であり"{{harv|大西雅雄|1958}}</ref>)は、物が動き、こすれ、また、ぶつかって出る空気の震え(=疎密波)が[[耳]]に届いて聞こえるものである<ref>{{Cite web|和書|title=音とは - Google 検索|url=https://www.google.com/search?q=%E9%9F%B3%E3%81%A8%E3%81%AF&sxsrf=ALeKk00vUyzFcScJHIB4cJOMQd5xJmaeaA:1627191487416&ei=v_j8YJP9GLWHr7wPiNeW-AY&oq=%E9%9F%B3%E3%81%A8%E3%81%AF&gs_lcp=Cgdnd3Mtd2l6EAMyBggAEAQQJTIGCAAQBBAlMgYIABAEECUyBggAEAQQJTIGCAAQBBAlMgYIABAEECUyBggAEAQQJToJCAAQsAMQBBAlOgkIABCwAxAHEB46CAgAELEDEIMBOgQIABBDOg4IABCxAxCDARCxAxCDAUoECEEYAVDimAJYh5wCYOidAmgBcAB4AIABa4gB5AOSAQMzLjKYAQCgAQGqAQdnd3Mtd2l6yAECwAEB&sclient=gws-wiz&ved=0ahUKEwjT2NrUwP3xAhW1w4sBHYirBW8Q4dUDCA8&uact=5#:~:text=%E7%89%A9%E3%81%8C%E5%8B%95%E3%81%8D%E3%80%81%E3%81%93%E3%81%99%E3%82%8C%E3%80%81%E3%81%BE%E3%81%9F%E3%80%81%E3%81%B6%E3%81%A4%E3%81%8B%E3%81%A3%E3%81%A6%E5%87%BA%E3%82%8B%E7%A9%BA%E6%B0%97%E3%81%AE%E9%9C%87%E3%81%88%EF%BC%88%EF%BC%9D%E7%96%8E%E5%AF%86%E6%B3%A2%EF%BC%89%E3%81%8C%E8%80%B3%E3%81%AB%E5%B1%8A%E3%81%84%E3%81%A6%E8%81%9E%E3%81%93%E3%81%88%E3%82%8B%E3%82%82%E3%81%AE%E3%80%82|website=www.google.com|accessdate=2021-07-25}}</ref>。'''音響'''(おんきょう)とも呼ばれる。{{listen
| header = '''さまざまな音'''
| filename = Beach sounds South Carolina.ogg
| title = 波の音
| description = [[サウスカロライナ州|サウスカロライナ]]の[[砂浜]]に打ち寄せる[[波]]の音。
| format = [[Ogg]]
| filename2 = Supermarkt in Utrecht - SoundCloud - Journal.ogg
| title2 = スーパーマーケットの店内の音
| description2 = [[キャッシュレジスター|レジ]]を打つ音、商品を動かす音、客の話し声など。
| format2 = [[Ogg]]
| filename3 = Clair de lune (Claude Debussy) Suite bergamasque.ogg
| title3 = ピアノの演奏音の例
| description3 = [[クロード・ドビュッシー]]作曲の「月の光」の演奏音
| format3 = [[Ogg]]
}}
== 概説 ==
音は、辞典・辞書類には次のように解説されている。
*物の響きや[[人]]や鳥獣の[[声]]<ref name=kojien>{{cite book|和書
| title = [[広辞苑]]
| edition = 第四版
| publisher = [[岩波書店]]
| year = 1991
| isbn = 978-4-00-080101-0}}</ref>
*(物体の[[振動]]が空気などの振動([[音波]])として伝わって起す)'''聴覚の内容'''{{R|kojien}}<ref name=daijirin>{{cite book|和書
| title = 大辞林
| edition = 第二版
| publisher = [[三省堂]]
| year = 1999
| isbn = 978-4-385-13902-9
| url = http://dictionary.goo.ne.jp/search.php?MT=%B2%BB&kind=jn&mode=0&base=1&row=7 }}</ref>
*またはそのもととなる[[音波]]{{R|kojien|daijirin}}。
[[心理学]]的には聴覚的感覚を「音」と呼ぶため[[周波数]]が人間の[[可聴域]]にあるもののみを指す。[[物理学]]的には[[音波]]そのものを音と呼び[[超音波]]や[[低周波音]]も含める<ref name=ongaku>{{cite book|和書
| title = 新編 音楽中辞典
| publisher = [[音楽之友社]]
| year = 2002
| month = 2
| isbn = 978-4-276-00017-9}}</ref>([[#聴覚の内容]]、[[#物理学における音:音波]]の節をそれぞれ参照)。
音は楽音と騒音に分けることができる。→[[#聴覚の内容]]
音楽的には[[楽音]]と[[噪音]]にわけられる<ref>{{cite book|和書
| title = 学習百科大事典
| publisher = [[Gakken|学研]]
| volume = 3
| chapter = 音楽ー音
| year =
| isbn = }}</ref>([[#音楽における音]]の節を参照)。
== 聴覚の内容 ==
音は「'''聴覚の内容'''」、聴覚によって感覚される内容(感覚の内容)である。
百科事典では、音は[[楽音]]と[[騒音]]に分けることができる、とされている<ref name=brita>[[ブリタニカ百科事典]]「音」</ref>。
百科事典の説明では次のように説明してある。
*「[[楽音]]」とは、[[楽器]]の音のように[[規則性|規則正しくて]] 一定の周期で続く音{{R|brita}}
*「[[騒音]]」とは、[[不規則]]な振動、あるいは互いに無関係な周期の振動が同時に起こっている音{{R|brita}}
楽音の場合は(あくまで楽音の場合の話)、音の「[[音強|強さ]]」「[[音高|高さ]]」「[[音色]]」が聞き分けられる{{R|brita}}(一般的に言えば、聞き分けられる人が多い、ということ)。かくしてこれらは「楽音の三要素」と呼ばれている{{R|brita}}。<ref group="注釈">ある音の性質は、大きさ(音圧・SPL)・高さ(周波数)・音色(波形)という'''音の三要素'''によって特徴付けられる{{要出典|date=2011-11}}。</ref>
騒音のほうは、機械類・装置類(例えば、[[新幹線]]や[[ジェット機]])によって[[社会問題]]になっている{{R|brita}}。人にひどく不快な体験をさせ、体調を崩す人、健康を害す人すらも出てくるからである。
=== 音楽における音 ===
[[音楽]]においては、ここちよい美しい音とそうでない音を区別することばとして、'''楽音'''(がくおん、{{lang-en-short|musical tone}})と'''噪音'''(そうおん、{{lang-en-short|unpitched sound}})がある。
{{listen
| header = 楽音の例
| filename = Frederic Chopin - Opus 25 - Twelve Grand Etudes - c minor.ogg
| title = 19世紀のピアノの音
| description = [[フレデリック・ショパン]]の練習曲25-12。[[1851年]]製の[[:en:Sébastien Érard|エラール]]のピアノ
| format = [[Ogg]]
| filename2 = Frederic Chopin - etude no. 12 in c minor, op. 25.ogg
| title2 = 現代のピアノの音
| description2 = 同じ曲を、現代のピアノで演奏した音。1851年のエラールのピアノの音と、かなり異なっている。
| format2 = [[Ogg]]
}}
;[[楽音]]
:狭義には音高がはっきり認識できる音を指し、広義には音楽に用いられる音全般を指す{{R|ongaku}}。
:例えば人の'''[[歌声]]'''や'''[[ピアノ]]'''・'''[[ヴァイオリン]]'''・'''[[ギター]]'''などの'''[[楽器]]'''類の音は楽音である。
;[[噪音]]
:狭義には楽音ではない音を指し、広義には(後述の)騒音を指す{{R|ongaku}}。
:なお、シンバルなど明瞭な音高を持たない打楽器の音は狭義の噪音であり広義の楽音である。
:また、英語で一括りに ''{{en|noise}}'' と表される音は、日本語では'''騒音'''(そうおん)と'''雑音'''(ざつおん)の2つに区別される{{R|ongaku}}。
:;[[騒音]]
::望ましくない音。楽音であっても聞き手が不快あるいは邪魔だと感じる音は騒音と呼ばれる{{R|ongaku}}。
:;[[雑音]]
::振幅や周波数が不規則に変動する音{{R|ongaku}}。ただし、自然科学や工学では音以外についても有意な情報を含まず必要な信号を取り出す邪魔になる成分を雑音と呼ぶ。
::例えば、風の音・波の音は雑音である。電車の走行音・物の壊れる音などは雑音でもあり騒音でもある。
=== 音響心理 ===
人間の聴覚の特性は音響心理とよばれ、[[音響心理学]]などで研究されている。[[MP3]]などの音声[[データ圧縮]]技術に利用されている。例えば、たとえ可聴域の空気振動であっても、特定の周波数の音圧が強いと、その直近の周波数帯で音圧が小さな振動は感じられない、つまり人にとってはその音(感覚の内容)は実際上存在していない、などといったことが起きているのであり、それを利用してその帯域のデータの記録を省略するなどということが行われているのである。
=== 他 ===
人間が知覚できる音の周波数(可聴域)は20 [[ヘルツ (単位)|Hz]] から 20 [[kHz]] までである。ただしこれは年齢・性別・過去に受けた聴覚障害などによってばらつきがある。大多数の人は10代には既に 20,000 Hz を知覚できず、年齢が上がるにしたがって高い周波数を聴く能力が衰える。人間の会話のほとんどは 200-8,000 Hz の間で行われ、人間の耳は 1000-3,500 Hz で最も感度が高い。聴覚の限界より周波数が高い音は[[超音波]]、低い音は[[低周波音]]と呼ばれる。したがって、いくら空気が振動していても、各人にとっては、聞こえない周波数帯については音(聴覚の内容)は存在していない。
[[#音圧]]および[[#音圧レベル]]の節で後述するとおり、音の大きさはその[[圧力]]または[[常用対数]]を用いた[[デシベル]]値で表される。
人間が聴くことのできる最も小さな音はおよそ 20 µPa (音圧レベル 0 dB re 20 µPa)である。音圧レベルが 85 dB を越える音を長期間聴きつづけると、[[耳鳴り]]や[[難聴]]などの[[聴覚障害]]を引き起こすことがある。130 dB では人間の聴覚が安全に耐えうる限界を越え、重篤な痛みや永続的障害の原因となりうる。
[[Image:Processing of sound Japanese version.jpg|thumb|right|300px|
耳経路で感じられる場合の、音波が神経細胞の発火に変換されるまで
(青:[[音波]]、 赤:[[鼓膜]]、 黄:[[蝸牛]]、 緑:[[有毛細胞]]、 紫:[[周波数スペクトル]]、 オレンジ:[[神経細胞]]の[[活動電位|発火]])<ref name=CPVRAS>{{Cite journal
|author=Gollisch T, Herz AVM
|date=2005-01
|title=Computation Provides a Virtual Recording of Auditory Signaling
|journal=[http://www.plosbiology.org/ Biology Journal]
|volume=3
|issue=1
|publisher=[http://www.plos.org/ Public Library of Science]
|doi=10.1371/journal.pbio.0030026
|url=https://doi.org/10.1371/journal.pbio.0030026
|accessdate=2023-12-14
}}</ref>。
注 - この図は皮膚から感じられる音については説明していない。]]
[[人間]]や多くの[[動物]]は音を聴くのに[[耳]]を使い、聴覚器官の聴覚細胞が音によって刺激されることにより音を感じる。ただし、低い周波数の大きな音は体の他の部分を通じて[[触覚]]により振動として知覚される。
{{See also|聴覚|感覚|現象}}
== 物理学における音:音波 ==
{{main|音波}}
[[物理学]]においては、音とは[[物体]]を通して[[縦波]]として伝わる[[力学的エネルギー]]の変動のことであり、[[波動]]としての特徴([[周波数]]・[[波長]]・[[周期]]・[[振幅]]・[[速度]]など)を持つ'''音波'''として表せる。
音波を伝える物質は[[媒質]]と呼ばれる。音波は[[圧力]]変動の[[波動]]として伝わり、ある点での[[密度]]の変動を引き起こす。媒質中の粒子はこの波によって位置を変え、振動する。音について研究する物理学の分野は[[音響学]]と呼ばれる。
媒質が流体(気体または液体)の場合は[[ずれ応力]]を保持できないため縦波しか伝播できないが、固体中では縦波・横波・曲げ波・ねじり波などとして伝播できる<ref name=kiso>{{cite book|和書
| title = 基礎音響学
| publisher = 講談社サイエンティフィク
| author = 吉川茂・藤田肇
| pages = 141
| year = 2002
| month = 2
| isbn = 978-4-06-153972-3
}}</ref>。それら縦波以外の波も広義の音波に含む場合がある。
=== 音速 ===
{{main|音速}}
音波を伝える速さは物質によって異なり、しばしば物質の基本的な特性として示される。一般的に、音速は媒質の[[弾性率]]と密度との比の平方根に比例する。これらの物理特性と音速とは周囲の状況によって変化する。例えば、大気などの気体中の音速は[[温度]]に依存する。大気中の音速はおよそ 344 m/s であり、水中では 1500 m/s、鋼鉄の棒では 5000 m/s である。音速は振幅(音の大きさ)にも僅かに依存する。これは倍音の弱い成分や音色の混合など、非線型の伝達効果のためである([[:en:parametric array]]を参照のこと)。
=== 音圧 ===
'''[[音圧]]'''は、[[音波]]によって引き起こされる周囲からの[[圧力]]のずれである。空気中では[[マイクロフォン]]によって、水中では[[ハイドロフォン]]によって測定される。[[国際単位系]]において、音圧の単位は[[パスカル (単位)|パスカル]] (記号: Pa) である。瞬間音圧は、ある点でのある瞬間の音圧である。有効音圧は、ある時間内で瞬間音圧の[[二乗平均平方根|RMS]]をとったものである。音を波として記述したとき、音圧と対になる変数は{{仮リンク|粒子速度|en|Particle velocity}}である。 振幅が小さいとき、音圧と粒子速度は線形の関係にあり、両者の比が比音響インピーダンスである。音響インピーダンスは波の特徴と媒質の両方に依存する。
ある瞬間の局所的な音の強さは音圧と粒子速度の積であるため、[[ベクトル量]]である。
=== 音圧レベル ===
人間は非常に幅広い強度の音を感知できるため、音圧は[[常用対数]]を用いた[[デシベル]]で表されることが多い。
'''[[音圧レベル]]''' ({{en|sound pressure level}}, SPL) は ''L''<sub>p</sub> と記され、以下のように定義される。
:<math>
L_\mathrm{p}=10\, \log_{10}\left(\frac{{p}^2}{{p_0}^2}\right) =20\, \log_{10}\left(\frac{p}{p_0}\right)\mbox{ dB}
</math>
:ここで ''p'' は音圧の[[二乗平均平方根|RMS]]、''p''<sub>0</sub> は基準となる音圧である(音圧レベルを示す際には、用いた基準音圧 (re) も表記することが重要である)。
一般的な基準音圧としては、[[ANSI]] S1.1-1994 では、 大気中で 20 µ[[パスカル (単位)|Pa]]、水中で 1 µPa と定められている。
人間の[[耳]]は全ての周波数に対して感度が一定ではないので、音圧レベルは人間の感覚に合うように周波数で[[重み関数|重み付け]]される事が多い。[[国際電気標準会議]] (IEC) はいくつかの重み付けの方法を定義している。「[[A特性]]周波数重み付け」は雑音に対する感度に一致し、それによって重み付けされた音圧レベルは dBA と表記される。「C特性周波数重み付け」はピークレベルを測定するのに用いられる。
==== 音圧および音圧レベルの例 ====
{{出典の明記|section=1|date=2011-11}}
{| class="wikitable"
! 音源 !! 音圧 !! 音圧レベル
|-
!   !! align="center" | pascal !! align="center" | dB re 20 µPa
|-
|[[痛覚]]の閾値 || align="right" | 100 || align="right" | 134 {{要出典|date=2011-11}}
|-
|短期間で[[聴覚障害]]を起こす強度 || align="right" | 20 || align="right" | およそ 120<ref>[http://www.hearnet.com/at_risk/risk_aboutloss.shtml H.E.A.R. Hearing Education]</ref>
|-
|[[ジェット機]](距離100m) || align="right" | 6 - 200 || align="right" | 110 - 140
|-
|[[空気動力ドリル]](距離1m) / [[ディスコ]] || align="right" | 2 || align="right" | およそ 100
|-
|長期的には聴覚障害を起こす強度 || align="right" | 0.6 || align="right" | およそ 90
|-
|主要な[[道路]](距離10m)|| align="right" | 0.2 - 0.6 || align="right" | 80 - 90
|-
|旅客[[鉄道]](距離10m)|| align="right" | 0.02 - 0.2 || align="right" | 60 - 80
|-
|一般家庭でのテレビ(距離1m)|| align="right" | 0.02 || align="right" | 平均 60
|-
|通常の会話(距離1m) || align="right" | 0.002 - 0.02 || align="right" | 40 - 60
|-
|非常に静かな部屋 || align="right" | 0.0002 - 0.0006 || align="right" | 20 - 30
|-
|穏やかな風に揺れる木の葉|| align="right" | 0.00006 || align="right" | 10
|-
| 2 kHz における聴覚の限界|| align="right" | 0.00002 || align="right" | 0
|}
歴史上で最も大きな音とされているのは[[1883年]]の[[クラカタウ]]の[[1883年のクラカタウの噴火|大噴火]]によるものであり<ref name=krakatoa>{{cite book|和書
| title = クラカトアの大噴火 : 世界の歴史を動かした火山
| author = [[サイモン・ウィンチェスター]]
| translator = 柴田裕之
| publisher = [[早川書房]]
| year = 2004
| month = 1
| isbn = 978-4-15-208543-6}}</ref>、
160[[キロメートル|km]]離れた地点での音圧レベルは 180 dBだった。
== 音紋 ==
{{main|[[:en:Acoustic signature]]}}
音紋とはもの(特に[[船舶]]や[[潜水艦]]の)特有の音のパターンである。音紋を分析することで、音の発信源が一体何なのか特定することができる。音紋の計算には[[ウェーブレット変換]]や[[短時間フーリエ変換]]が用いられている。
類似の事象に[[スペクトログラム|声紋]]がある。
== 音を扱う装置 ==
{{出典の明記|section=1|date=2011-11}}
音を発生させたり扱ったりする装置として、[[楽器]]・[[補聴器]]・ [[ソナー]]・[[音響機器]]などが挙げられる。その多くは[[マイクロフォン]]と[[スピーカー]]を用いて音と電気信号とを変換している。
音を発生させる方法としては、[[物体]]をさまざまな方法で振動させてその振動を空気に伝える方法や、特定の方向のみに強い空気の流れを作り出す事で空気の振動を発生させる方法などがある。
* 物体を振動させる方法としては、物体をこすったり([[ヴァイオリン]]など)、空気の流れで振動させたり([[ヒト]]の[[声帯]]や[[ハーモニカ]]など)、はじいたり([[ギター]]など)、物体同士をぶつけたり([[打楽器]]、[[ピアノ]]など)、電気的に物体を振動させたり([[スピーカー]]など)などがある。
* 強い空気の流れから空気の振動を発生させる現象は、[[洞窟]]における風鳴りや、[[笛]]などにみられる。
==生物と音==
生物で音を[[コミュニケーション]]など、さまざまに用いている。また、他の動物の[[気配]]、物の動きなどの周囲の状況、空間構造などを把握するためにも用いられている。 例えば、人間は音の聞こえ方で[[空間]]の情報を得ており、[[コウモリ]]は[[反響定位]]で物体の存在を感じている。
[[人間]]([[ヒト]])は道具を作りだす能力がとりわけ高いという特徴があるわけだが、機械類でも、たとえば[[船舶]]には音を用いて地形や魚の存在をさぐる装置([[ソナー]]兼[[魚群探知機]])が、[[潜水艦]]には敵艦の存在や海底の地形を探る装置([[パッシブソナー]]や[[アクティブソナー]])が搭載されている。
「[[動物]]が環境を把握するための物理的情報として音を受け取る場合にこれを[[聴覚]]という{{要出典|date=2015年1月}}」。また、これを受け止めるための[[受容器]](感覚器官)は聴覚器と呼ばれる。陸上脊椎動物では、これが[[耳]]である。
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Notelist}}
=== 出典 ===
{{Reflist|2}}
== 参考文献 ==
*Beranek, Leo L, "Acoustics" (1993) Acoustical Society of America. ISBN 0-88318-494-X<!--英語版より-->
* {{Cite journal|和書|author=大西雅雄 |date=1958 |url=https://doi.org/10.20697/jasj.14.2_175 |title=音響と音声と音韻 : 方法論と定義の問題 (<音声特集号>) |journal=日本音響学会誌 |ISSN=03694232 |publisher=日本音響学会 |volume=14 |issue=2 |pages=175-180 |doi=10.20697/jasj.14.2_175 |CRID=1390282681540413952 |ref=harv}}
== 関連項目 ==
{{Wiktionary|音}}
*[[デシベル]]、[[メル尺度]]、[[ホン]]、[[ソーン (単位)|ソーン]] - 音の計測に使われる各種の単位
*[[フラックス (物理学)]]
*[[うなり]]
*[[振動数]]
*[[回折]]
*[[ドップラー効果]]
*[[木霊]](こだま)・[[山彦]](やまびこ)
*[[低周波音]]
*[[フォノン]]
*[[共鳴]]
*[[定在波]]
*[[反射 (物理学)|反射]]
*[[残響]]
*[[音響信号処理]]
*[[スピーカー]]
*[[等ラウドネス曲線]]
*[[倍音]]
*[[音色]]
*[[楽音]] - 一定振動数の基音を持ち、かつ倍音を含む音。音楽における音の種類を純音・楽音・噪音の3つに分類する場合の一つ。
*[[雑音]] - 望ましくない音を指す。自然科学や工学では音以外についても信号を取り出す際に邪魔になる有意な情報を含まない成分を雑音と呼ぶ。
**[[ホワイトノイズ]]、[[ピンクノイズ]]
*[[音高]]
*[[音響兵器]]
*[[音メガネ]]
*[[:en:Auditory imagery]]
== 外部リンク ==
*[http://www.kagakueizo.org/movie/industrial/7628/ 『音響創造 ―電子の技術―』]《[https://www.youtube.com/watch?v=xwwH_1yTa3o →YouTube版]》 - 『[[科学映像館]]』より。1961年に松下電器産業(現・[[パナソニック]])の企画の下で製作された広報映画。東京シネマ制作。<br />《[[1964年東京オリンピック|初の東京五輪]]を3年後に控えた当時の音響技術の進歩具合について触れている。併せて当時の音響機器製造現場をも映し出している。[[松村禎三]]音楽、[[城達也]][[ナレーション|解説(ナレーション)]]》
* {{Kotobank}}
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{{作曲}}
{{音響学}}
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[[Category:音|*]]
[[Category:クオリア]]
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16,253 |
1618年
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1618年(1618 ねん)は、西暦(グレゴリオ暦)による、月曜日から始まる平年。
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1618年は、西暦(グレゴリオ暦)による、月曜日から始まる平年。
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== 他の紀年法 ==
{{他の紀年法}}
* [[干支]] : [[戊午]]
* [[元号一覧 (日本)|日本]]
** [[元和 (日本)|元和]]4年
** [[神武天皇即位紀元|皇紀]]2278年
* [[元号一覧 (中国)|中国]]
** [[明]] : [[万暦]]46年
** [[後金]]{{Sup|*}} : [[天命 (後金)|天命]]3年
* [[元号一覧 (朝鮮)|朝鮮]]
** [[李氏朝鮮]] : [[光海君]]10年
** [[檀君紀元|檀紀]]3951年
* [[元号一覧 (ベトナム)|ベトナム]]
** [[黎朝|後黎朝]] : [[弘定]]19年
*** [[莫朝|高平莫氏]] : [[乾統 (莫朝)|乾統]]26年
* [[仏滅紀元]] : 2160年 - 2161年
* [[ヒジュラ暦|イスラム暦]] : 1027年 - 1028年
* [[ユダヤ暦]] : 5378年 - 5379年
* [[ユリウス暦]] : 1617年12月22日 - 1618年12月21日
{{Clear}}
== カレンダー ==
{{年間カレンダー|年=1618}}
== できごと ==
* 第二次[[プラハ窓外投擲事件]]をきっかけに[[三十年戦争]]勃発( - [[1648年]])。
* [[ホーエンツォレルン家]]の[[ブランデンブルク選帝侯]][[ヨーハン・ジギスムント]]が[[プロイセン公国]]を継承し、[[同君連合]][[ブランデンブルク=プロイセン]]が成立。
* [[イングランド]]で[[ウォルター・ローリー]]処刑。
* [[ヨハネス・ケプラー]]、[[ケプラーの法則|ケプラーの第3法則]]を発表。
* [[江戸幕府]]が[[大奥]]壁書(大奥法度)を制定する。
* 江戸幕府が[[肥後国]][[熊本藩]]主・[[加藤忠広]]の家中騒動を裁定し、[[家老]]の[[加藤正次]]を[[流刑]]とする。
== 誕生 ==
{{see also|Category:1618年生}}
<!--世界的に著名な人物のみ項内に記入-->
* [[3月11日]]([[元和 (日本)|元和]]4年[[2月15日 (旧暦)|2月15日]]) - [[河村瑞賢]]、[[商人]]・[[土木]]家(+ [[1699年]])(生年を元和3年([[1617年]])とする説あり)
* [[4月2日]] - [[フランチェスコ・マリア・グリマルディ]]、[[数学者]]、[[物理学者]](+ [[1663年]])
* [[7月21日]](元和4年[[5月29日 (旧暦)|5月29日]]) - [[林鵞峰]]、[[儒学者]](+ [[1680年]])
* [[11月3日]] - [[アウラングゼーブ]]、[[ムガル帝国]]第6代[[皇帝]](+ [[1707年]])
* [[伊藤宗看 (初代)|初代伊藤宗看]]、[[将棋指し]](+ [[1694年]])
* [[菱川師宣]]、[[浮世絵]]師(+ [[1694年]])
* [[エレミア・ホロックス]]、[[天文学者]](+ [[1641年]])
== 死去 ==
{{see also|Category:1618年没}}
<!--世界的に著名な人物のみ項内に記入-->
* [[4月5日]](元和4年[[3月10日 (旧暦)|3月10日]]) - [[伊奈忠政]]、[[関東郡代]](* [[1585年]])
* [[6月25日]](元和4年[[5月3日 (旧暦)|5月3日]]) - [[雲谷等顔]]、[[画家]](* [[1547年]])
* [[7月24日]](元和4年[[6月3日 (旧暦)|6月3日]]) - [[鍋島直茂]]、[[肥前国]][[佐賀藩]][[藩祖]](* [[1538年]])
* [[8月20日]](元和4年[[7月1日 (旧暦)|7月1日]]) - [[京極マリア]]、[[京極高吉]]の妻(* [[1542年]]頃)
* [[10月29日]] - [[ウォルター・ローリー]]、[[イングランド]]の[[廷臣]]、[[作家]]、[[詩人]]、[[探検家]](* [[1552年]]または[[1554年]])
* [[12月10日]] - [[ジュリオ・カッチーニ]]、作曲家(* [[1545年]]頃)
<!-- == 脚注 ==
'''注釈'''
{{Reflist|group="注"}}
'''出典'''
{{脚注ヘルプ}}
{{Reflist}}
== 参考文献 == -->
== 関連項目 ==
{{Commonscat|1618}}
* [[年の一覧]]
* [[年表]]
* [[年表一覧]]
<!-- == 外部リンク == -->
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16,254 |
1621年
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1621年(1621 ねん)は、西暦(グレゴリオ暦)による、金曜日から始まる平年。
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1621年は、西暦(グレゴリオ暦)による、金曜日から始まる平年。
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{{年代ナビ|1621}}
{{year-definition|1621}}
== 他の紀年法 ==
{{他の紀年法}}
* [[干支]] : [[辛酉]]
* [[元号一覧 (日本)|日本]]
** [[元和 (日本)|元和]]7年
** [[神武天皇即位紀元|皇紀]]2281年
* [[元号一覧 (中国)|中国]]
** [[明]] : [[天啓 (明)|天啓]]元年
*** [[奢崇明]] : [[瑞応]]元年9月
** [[後金]]{{Sup|*}} : [[天命 (後金)|天命]]6年
* [[元号一覧 (朝鮮)|朝鮮]]
** [[朝鮮]] : [[光海君]]13年
** [[檀君紀元|檀紀]]3954年
* [[元号一覧 (ベトナム)|ベトナム]]
** [[黎朝|後黎朝]] : [[永祚 (黎朝)|永祚]]3年
*** [[莫朝|高平莫氏]] : [[乾統 (莫朝)|乾統]]29年
* [[仏滅紀元]] : 2163年 - 2164年
* [[ヒジュラ暦|イスラム暦]] : 1030年 - 1031年
* [[ユダヤ暦]] : 5381年 - 5382年
* [[ユリウス暦]] : 1620年12月22日 - 1621年12月21日
{{Clear}}
== カレンダー ==
{{年間カレンダー|年=1621}}
== できごと ==
* [[オランダ西インド会社]]が設立される。
* [[スペイン]]で[[フェリペ4世]]が国王即位。寵臣として[[ガスパール・デ・グスマン|オリバーレス伯公爵]]が実権掌握。
== 誕生 ==
{{see also|Category:1621年生}}
<!--世界的に著名な人物のみ項内に記入-->
* [[1月27日]] - [[トーマス・ウィリス]]、[[イングランド]]の医師・[[解剖学]]者(+ [[1675年]])
* [[1月30日]] - [[ラーコーツィ・ジェルジ2世]]、[[トランシルヴァニア公国|トランシルヴァニア公]](+ [[1660年]])
* [[3月31日]] - [[アンドルー・マーヴェル]]、イングランドの[[形而上詩人]]・[[政治家]](+ [[1678年]])
* [[7月8日]] - [[ジャン・ド・ラ・フォンテーヌ]]、[[フランス]]の[[詩人]](+ [[1695年]])
* [[7月22日]] - [[アントニー・アシュリー=クーパー (初代シャフツベリ伯爵)|シャフツベリ伯爵アントニー・アシュリー=クーパー]]、イングランドの政治家(+ [[1683年]])
* 7月22日([[元和 (日本)|元和]]7年[[6月4日 (旧暦)|6月4日]]) - [[木下順庵]]、[[儒学者]](* [[1698年]])
* [[11月8日]] - [[ルイ2世 (コンデ公)|ルイ2世]]、[[フランス王国]]の軍人、[[コンデ公]]、[[モンモランシー公]](+ [[1686年]])
* [[ウィリアム・ペン (イングランド海軍)|ウィリアム・ペン]]、イングランドの[[海軍]][[提督]](+ [[1670年]])
== 死去 ==
{{see also|Category:1621年没}}
<!--世界的に著名な人物のみ項内に記入-->
* [[1月24日]]([[元和 (日本)|元和]]7年[[12月13日 (旧暦)|12月13日]]) - [[織田長益]]、[[大名]]・[[茶道|茶人]]、[[織田信長]]の実弟(* [[1547年]])
* [[1月28日]] - [[パウルス5世 (ローマ教皇)|パウルス5世]]、第233代[[教皇|ローマ教皇]](* [[1552年]])
* [[2月15日]] - [[ミヒャエル・プレトリウス]]、[[ドイツ]]の[[作曲家]]、[[オルガニスト]]、[[音楽理論家]](* [[1571年]])
* [[2月28日]] - [[コジモ2世]]、[[メディチ家]]の第4代[[トスカーナ大公国|トスカーナ大公]](* [[1590年]])
* [[3月31日]] - [[フェリペ3世 (スペイン王)|フェリペ3世]]、[[スペイン]]王、[[ナポリ王国|ナポリ]]・[[シチリア王国|シチリア]]王、[[ポルトガル王国|ポルトガル]]王(* [[1578年]])
* [[4月6日]] - [[マリア・クリスティーナ・フォン・エスターライヒ (1574-1621)|マリア・クリスティーナ・フォン・エスターライヒ]]、[[トランシルヴァニア公]][[バートリ・ジグモンド]]の妃(* [[1574年]])
* [[5月15日]] - [[ヘンドリック・デ・ケイゼル]]、[[オランダ]]の[[建築家]](* [[1565年]])
* [[6月21日]] - [[クリシュトフ・ハラント]]、チェコ人の[[貴族]]、[[軍人]]、[[テロリスト]]、[[文人]]、[[音楽家]](* [[1564年]])
* [[7月2日]] - [[トーマス・ハリオット]]、[[イギリス]]の[[天文学者]]、[[占星術|占星術師]]、[[数学者]](* [[1560年]]?)
* [[7月15日]] - [[アルブレヒト・フォン・エスターライヒ (1559-1621)|アルブレヒト・フォン・エスターライヒ]]、[[南ネーデルラント]]の[[総督]](* [[1559年]])
* [[9月17日]] - [[ロベルト・ベラルミーノ]]、イタリア出身の[[イエズス会]][[司祭]]、[[カトリック教会]]の[[枢機卿]](* [[1542年]])
* [[10月16日]] - [[ヤン・ピーテルスゾーン・スウェーリンク]]、オランダの作曲家、オルガニスト(* [[1562年]])
* 月日不明 - [[池坊専好|池坊専好(初代)]]、[[華道]]家(* [[1541年]]?)
<!-- == 脚注 ==
'''注釈'''
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'''出典'''
{{脚注ヘルプ}}
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== 参考文献 == -->
== 関連項目 ==
{{Commonscat|1621}}
* [[年の一覧]]
* [[年表]]
* [[年表一覧]]
<!-- == 外部リンク == -->
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16,255 |
1625年
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1625年(1625 ねん)は、西暦(グレゴリオ暦)による、水曜日から始まる平年。
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1625年は、西暦(グレゴリオ暦)による、水曜日から始まる平年。
|
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== 他の紀年法 ==
{{他の紀年法}}
* [[干支]]:[[乙丑]]
* [[元号一覧 (日本)|日本]]
** [[寛永]]2年
** [[神武天皇即位紀元|皇紀]]2285年
* [[元号一覧 (中国)|中国]]
** [[明]]:[[天啓 (明)|天啓]]5年
** [[後金]]{{Sup|*}}:[[天命 (後金)|天命]]10年
* [[元号一覧 (朝鮮)|朝鮮]]
** [[李氏朝鮮]]:[[仁祖]]3年
** [[檀君紀元|檀紀]]3958年
* [[元号一覧 (ベトナム)|ベトナム]]
** [[黎朝|後黎朝]]:[[永祚 (黎朝)|永祚]]7年
*** [[莫朝|高平莫氏]]:[[乾統 (莫朝)|乾統]]33年(旧5月まで)
* [[仏滅紀元]]:2167年 - 2168年
* [[ヒジュラ暦|イスラム暦]]:1034年 - 1035年
* [[ユダヤ暦]]:5385年 - 5386年
* [[ユリウス暦]]:1624年12月22日 - 1625年12月21日
{{Clear}}
== カレンダー ==
{{年間カレンダー|年=1625}}
== できごと ==
* [[天海]]が[[寛永寺]]を創建{{要出典|date=2021-03}}。
* [[デンマーク]]王[[クリスチャン4世]]、[[三十年戦争]]に介入(デンマーク・ニーダーザクセン戦争、 - [[1629年]])。
* [[オランダ]]、[[ニューアムステルダム]]植民地建設。
* [[ステュアート朝]][[チャールズ1世 (イングランド王)|チャールズ1世]]即位。
* [[後金]]、[[瀋陽]](盛京)に遷都。
* [[フーゴー・グローティウス|グロティウス]]が『[[戦争と平和の法]]』を刊行し、初めて[[国際法]]を提唱。
== 誕生 ==
{{see also|Category:1625年生}}
<!--世界的に著名な人物のみ項内に記入-->
* [[1月19日]](寛永元年[[12月11日 (旧暦)|12月11日]]) - [[北村季吟]]、[[歌人]]、[[俳人]](+ [[1705年]])
* [[6月8日]] - [[ジョヴァンニ・カッシーニ]]、[[天文学者]](+ [[1712年]])
* [[9月24日]] - [[ヨハン・デ・ウィット]]、オランダの[[政治家]](+ [[1672年]])
* [[11月20日]] - [[パウルス・ポッテル]]、[[画家]](+ [[1654年]])
* [[柳生厳包]]、[[剣術家]]、[[新陰流]]第五世(+ [[1694年]])
== 死去 ==
{{see also|Category:1625年没}}
<!--世界的に著名な人物のみ項内に記入-->
* [[2月23日]](寛永2年[[1月17日 (旧暦)|1月17日]]) - [[成瀬正成]]、[[尾張藩]][[家老]](* [[1567年]])
* [[3月7日]] - [[ヨハン・バイエル]]、天文学者(* [[1572年]])
* [[3月27日]] - [[ジェームズ1世 (イングランド王)|ジェームズ1世]]、[[イングランド王国|イングランド]]王(* [[1566年]])
* [[4月23日]] - [[マウリッツ (オラニエ公)|オラニエ公マウリッツ]]、[[オランダ総督]](* [[1567年]])
* [[5月26日]](寛永2年[[4月20日 (旧暦)|4月20日]]) - [[日秀尼|智(日秀)]]、[[豊臣秀吉]]の姉(* [[1534年]])
* [[6月2日]](寛永2年[[4月27日 (旧暦)|4月27日]]) - [[毛利輝元]]{{Sfn|時山弥八編|1916|p=83}}、[[長州藩]]初代[[藩主]](* [[1553年]])
* [[6月5日]] - [[オーランド・ギボンズ]]、[[作曲家]]・[[オルガニスト]](* [[1583年]])
* [[11月16日]] - [[ソフォニスバ・アングイッソラ]]、[[画家]](* [[1532年]])
<!-- == 脚注 ==
'''注釈'''
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'''出典'''
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== 参考文献 == -->
== 関連項目 ==
{{Commonscat|1625}}
* [[年の一覧]]
* [[年表]]
* [[年表一覧]]
<!-- == 外部リンク == -->
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16,256 |
文殊菩薩
|
文殊菩薩(もんじゅぼさつ、梵: mañjuśrī〈マンジュシュリー〉、梵: mañjughoṣa〈マンジュゴーシャ〉、蔵: 'jam dpal〈ジャンペル〉)は、大乗仏教の崇拝の対象である菩薩の一尊。一般に智慧を司る仏とされる。その他、非人救済などの慈善事業を司るほか、日本の真言律宗では慈母供養の象徴としての一面も重視された。
文殊は文殊師利(もんじゅしり)の略称。また妙吉祥菩薩(みょうきっしょうぼさつ)などともいう。曼殊室利等とも音写し、妙徳菩薩(みょうとくぼさつ)、妙首菩薩などとも訳す。文珠菩薩とも書く。 三昧耶形は青蓮華(青い熱帯睡蓮の花)、利剣、梵篋(椰子の葉に書かれた経典)など。種字はマン (मँ maṃ) 。
『文殊師利般涅槃経』によると、舎衛国の多羅聚落の梵徳というバラモンの家に生まれたとされる。また『大智度論』によれば、釈迦如来の滅度後に弥勒菩薩と阿難と共同して大乗経典を結集したとされる。『維摩経』には、維摩居士に問答でかなう者がいなかった時、居士の病床を釈迦の代理として見舞った文殊菩薩のみが対等に問答を交えたと記され、智慧の菩薩としての性格を際立たせている。この教説に基づき、維摩居士と相対した場面を表した造形も行われている。
文殊菩薩が登場するのは初期の大乗経典、特に般若経典である。ここでは釈迦仏に代って般若の「空(くう)」を説いている。『華厳経』では善財童子を仏法求道の旅へ誘う重要な役で描かれることなどからもわかるように、文殊菩薩の徳性は悟りへ到る重要な要素、般若=智慧である。尚、本来悟りへ到るための智慧という側面の延長線上として、一般的な知恵(頭の良さや知識が優れること)の象徴ともなり、これが後に「三人寄れば文殊の智恵」ということわざを生むことになった。
中国の唐代の僧、基(法相宗)と湛然(天台宗)は、文殊菩薩は本来、龍種上尊王仏であったとする。
文殊菩薩が、優填王、仏陀波利三蔵、善財童子、大聖老人(あるいは最勝老人=婆藪)の四尊ともに描かれた文殊五尊図は、中国・日本などでよく描かれた。
文殊菩薩の五使者として、髻設尼、烏波髻設尼、質多羅、地慧、請召、が挙げられる。 文殊菩薩の八童子として、光綱、地慧、無垢光、不思議、請召、髻設尼、救護慧、烏波髻設尼が挙げられる。
文殊菩薩の密号は、吉祥金剛、あるいは般若金剛とされる。
文殊菩薩を描いた主な経典には、『文殊師利般涅槃経』、『文殊師利問経』、『文殊師利浄律経』、『伽耶山頂経』などがある。 また、『文殊師利発願経』、『文殊悔過経』、『文殊師利現宝蔵経』、『仏説文殊師利巡行記』、『妙吉祥菩薩所問大乗法羅経』、『千鉢文殊一百八名讃』、『大聖文殊師利菩薩讃仏法身礼』、『聖者文殊師利発菩提心願文』、『文殊師利菩薩無相十礼』、『大聖文殊師利菩薩仏刹功徳荘厳経』などがある。
普賢菩薩とともに釈迦如来の脇侍となる(参照:釈迦三尊)ほか、単独でも広く信仰されている。
文殊菩薩像の造形はほぼ一定している。獅子の背の蓮華座に結跏趺坐し、右手に智慧を象徴する利剣(宝剣)、左手に経典を乗せた青蓮華を持つ。密教では清浄な精神を表す童子形となり、髻を結う。この髻の数は像によって一、五、六、八の四種類があり、それぞれ一=増益、五=敬愛、六=調伏、八=息災の修法の本尊とされる。
また、騎獅の文殊、先導役の善財童子、獅子の手綱を握る優填王、仏陀波利、最勝老人を従える文殊五尊像も造形された。
また禅宗においては、修行僧の完全な姿を表す「聖僧」(しょうそう)として僧堂に安置され、剃髪し坐禅を組む僧形となる。この場合、文殊大士(だいし)と呼ぶことがある。
日本における作例としては、奈良の興福寺東金堂の坐像(定慶作、国宝)や安倍文殊院の五尊像(快慶作、国宝)、高知の竹林寺の五尊像(重要文化財)などが見られる。
中国の娯楽小説『封神演義』には普賢真人、文殊広法天尊という仙人が登場しており、彼等が後に仏門に帰依しそれぞれ普賢菩薩、文殊菩薩となったという設定になっているが、これは後世の全くの創作である。
中国においては、山西省の五台山が文殊菩薩の浄土として古くより広く信仰を集めており、円仁によって日本にも伝えられている。
また中国天台宗系の史書である『仏祖統紀』巻29には、「文殊は今、終南山に住み給えり。杜順和上はこれなり」と、中国華厳宗の祖である杜順を文殊菩薩の生まれ変わりであるとしている。
清の皇帝はチベットからは文殊菩薩の化身と見なされていた(→詳細は文殊皇帝を参照)。
平安時代初期に、勤操や泰善らの僧侶が文殊菩薩の法要と貧者や病者のための施しを行う「文殊会」を始め、最初は私的な催しだったものが、朝廷の援助を得るようになり、828年7月、太政官符によって文殊会を行うようになった。 毎年七月八日、朝廷が一定の税収から文殊会の費用を拠出し、東寺・西寺を中心に盛んに行われ、貧者や病者に対する布施が盛んになされた。 このことは、日本の福祉の歴史においても重要な一幕と言えるが、律令国家の没落とともに文殊会も衰退し、やがて行われなくなった。 それを鎌倉時代に復興したのが、西大寺の叡尊・忍性らであった。
鎌倉時代、真言律宗の僧叡尊(興正菩薩、開祖)・忍性(忍性菩薩、ハンセン病患者らの救済に尽力)・文観房殊音(文観上人、後醍醐天皇の護持僧)らは深く文殊菩薩に帰依し、1240年以後、各地で文殊供養と大規模な非人布施を行った。
1976年、上田さち子によって、真言律宗の文殊信仰には、非人布施だけではなく、追善供養の側面があることが指摘された。1987年に、金子啓明は、忍性の亡母供養と文殊信仰に師である叡尊の側が動かされて亡母供養としての文殊受容が広まったことを指摘し、その後、河原由雄もこれを追認した。これらを受けて、悲母供養としての文殊信仰に最も詳細な研究を行ったのが内田啓一で、『金剛仏子叡尊感身学正記』(叡尊の自伝)・「般若寺文殊菩薩造立願文」などの文献を精査し、さらにその理論的核心に『大乗本生心地観経』の報恩思想があることを指摘した。
真言律宗の文殊信仰に基づき、叡尊・忍性・文観らの監修によって多くの文殊菩薩作品が作られた。文観はまた画僧としても複数の文殊画像の自筆の作例を残したが、それらには亡母への追善の意図があることが明記されており、前節の報恩思想に基づく亡母供養の流れを組むことが、内田によって指摘されている。文観の文殊画像の代表作には、『絹本著色五字文殊像』(奈良国立博物館蔵、重要文化財)などがある。
オン・アラハシャノウ
oṃ arapacana [dhīḥ]
|
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"text": "文殊菩薩(もんじゅぼさつ、梵: mañjuśrī〈マンジュシュリー〉、梵: mañjughoṣa〈マンジュゴーシャ〉、蔵: 'jam dpal〈ジャンペル〉)は、大乗仏教の崇拝の対象である菩薩の一尊。一般に智慧を司る仏とされる。その他、非人救済などの慈善事業を司るほか、日本の真言律宗では慈母供養の象徴としての一面も重視された。",
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"text": "文殊は文殊師利(もんじゅしり)の略称。また妙吉祥菩薩(みょうきっしょうぼさつ)などともいう。曼殊室利等とも音写し、妙徳菩薩(みょうとくぼさつ)、妙首菩薩などとも訳す。文珠菩薩とも書く。 三昧耶形は青蓮華(青い熱帯睡蓮の花)、利剣、梵篋(椰子の葉に書かれた経典)など。種字はマン (मँ maṃ) 。",
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"text": "『文殊師利般涅槃経』によると、舎衛国の多羅聚落の梵徳というバラモンの家に生まれたとされる。また『大智度論』によれば、釈迦如来の滅度後に弥勒菩薩と阿難と共同して大乗経典を結集したとされる。『維摩経』には、維摩居士に問答でかなう者がいなかった時、居士の病床を釈迦の代理として見舞った文殊菩薩のみが対等に問答を交えたと記され、智慧の菩薩としての性格を際立たせている。この教説に基づき、維摩居士と相対した場面を表した造形も行われている。",
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"text": "文殊菩薩が登場するのは初期の大乗経典、特に般若経典である。ここでは釈迦仏に代って般若の「空(くう)」を説いている。『華厳経』では善財童子を仏法求道の旅へ誘う重要な役で描かれることなどからもわかるように、文殊菩薩の徳性は悟りへ到る重要な要素、般若=智慧である。尚、本来悟りへ到るための智慧という側面の延長線上として、一般的な知恵(頭の良さや知識が優れること)の象徴ともなり、これが後に「三人寄れば文殊の智恵」ということわざを生むことになった。",
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"text": "中国の唐代の僧、基(法相宗)と湛然(天台宗)は、文殊菩薩は本来、龍種上尊王仏であったとする。",
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"text": "文殊菩薩が、優填王、仏陀波利三蔵、善財童子、大聖老人(あるいは最勝老人=婆藪)の四尊ともに描かれた文殊五尊図は、中国・日本などでよく描かれた。",
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"text": "文殊菩薩の五使者として、髻設尼、烏波髻設尼、質多羅、地慧、請召、が挙げられる。 文殊菩薩の八童子として、光綱、地慧、無垢光、不思議、請召、髻設尼、救護慧、烏波髻設尼が挙げられる。",
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"text": "文殊菩薩の密号は、吉祥金剛、あるいは般若金剛とされる。",
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"text": "文殊菩薩を描いた主な経典には、『文殊師利般涅槃経』、『文殊師利問経』、『文殊師利浄律経』、『伽耶山頂経』などがある。 また、『文殊師利発願経』、『文殊悔過経』、『文殊師利現宝蔵経』、『仏説文殊師利巡行記』、『妙吉祥菩薩所問大乗法羅経』、『千鉢文殊一百八名讃』、『大聖文殊師利菩薩讃仏法身礼』、『聖者文殊師利発菩提心願文』、『文殊師利菩薩無相十礼』、『大聖文殊師利菩薩仏刹功徳荘厳経』などがある。",
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"text": "普賢菩薩とともに釈迦如来の脇侍となる(参照:釈迦三尊)ほか、単独でも広く信仰されている。",
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"text": "文殊菩薩像の造形はほぼ一定している。獅子の背の蓮華座に結跏趺坐し、右手に智慧を象徴する利剣(宝剣)、左手に経典を乗せた青蓮華を持つ。密教では清浄な精神を表す童子形となり、髻を結う。この髻の数は像によって一、五、六、八の四種類があり、それぞれ一=増益、五=敬愛、六=調伏、八=息災の修法の本尊とされる。",
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"text": "また、騎獅の文殊、先導役の善財童子、獅子の手綱を握る優填王、仏陀波利、最勝老人を従える文殊五尊像も造形された。",
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"text": "また禅宗においては、修行僧の完全な姿を表す「聖僧」(しょうそう)として僧堂に安置され、剃髪し坐禅を組む僧形となる。この場合、文殊大士(だいし)と呼ぶことがある。",
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"text": "日本における作例としては、奈良の興福寺東金堂の坐像(定慶作、国宝)や安倍文殊院の五尊像(快慶作、国宝)、高知の竹林寺の五尊像(重要文化財)などが見られる。",
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"text": "中国の娯楽小説『封神演義』には普賢真人、文殊広法天尊という仙人が登場しており、彼等が後に仏門に帰依しそれぞれ普賢菩薩、文殊菩薩となったという設定になっているが、これは後世の全くの創作である。",
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"text": "中国においては、山西省の五台山が文殊菩薩の浄土として古くより広く信仰を集めており、円仁によって日本にも伝えられている。",
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"text": "また中国天台宗系の史書である『仏祖統紀』巻29には、「文殊は今、終南山に住み給えり。杜順和上はこれなり」と、中国華厳宗の祖である杜順を文殊菩薩の生まれ変わりであるとしている。",
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"text": "清の皇帝はチベットからは文殊菩薩の化身と見なされていた(→詳細は文殊皇帝を参照)。",
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"text": "平安時代初期に、勤操や泰善らの僧侶が文殊菩薩の法要と貧者や病者のための施しを行う「文殊会」を始め、最初は私的な催しだったものが、朝廷の援助を得るようになり、828年7月、太政官符によって文殊会を行うようになった。 毎年七月八日、朝廷が一定の税収から文殊会の費用を拠出し、東寺・西寺を中心に盛んに行われ、貧者や病者に対する布施が盛んになされた。 このことは、日本の福祉の歴史においても重要な一幕と言えるが、律令国家の没落とともに文殊会も衰退し、やがて行われなくなった。 それを鎌倉時代に復興したのが、西大寺の叡尊・忍性らであった。",
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"text": "鎌倉時代、真言律宗の僧叡尊(興正菩薩、開祖)・忍性(忍性菩薩、ハンセン病患者らの救済に尽力)・文観房殊音(文観上人、後醍醐天皇の護持僧)らは深く文殊菩薩に帰依し、1240年以後、各地で文殊供養と大規模な非人布施を行った。",
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"text": "1976年、上田さち子によって、真言律宗の文殊信仰には、非人布施だけではなく、追善供養の側面があることが指摘された。1987年に、金子啓明は、忍性の亡母供養と文殊信仰に師である叡尊の側が動かされて亡母供養としての文殊受容が広まったことを指摘し、その後、河原由雄もこれを追認した。これらを受けて、悲母供養としての文殊信仰に最も詳細な研究を行ったのが内田啓一で、『金剛仏子叡尊感身学正記』(叡尊の自伝)・「般若寺文殊菩薩造立願文」などの文献を精査し、さらにその理論的核心に『大乗本生心地観経』の報恩思想があることを指摘した。",
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"text": "真言律宗の文殊信仰に基づき、叡尊・忍性・文観らの監修によって多くの文殊菩薩作品が作られた。文観はまた画僧としても複数の文殊画像の自筆の作例を残したが、それらには亡母への追善の意図があることが明記されており、前節の報恩思想に基づく亡母供養の流れを組むことが、内田によって指摘されている。文観の文殊画像の代表作には、『絹本著色五字文殊像』(奈良国立博物館蔵、重要文化財)などがある。",
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"text": "オン・アラハシャノウ",
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文殊菩薩は、大乗仏教の崇拝の対象である菩薩の一尊。一般に智慧を司る仏とされる。その他、非人救済などの慈善事業を司るほか、日本の真言律宗では慈母供養の象徴としての一面も重視された。 文殊は文殊師利(もんじゅしり)の略称。また妙吉祥菩薩(みょうきっしょうぼさつ)などともいう。曼殊室利等とも音写し、妙徳菩薩(みょうとくぼさつ)、妙首菩薩などとも訳す。文珠菩薩とも書く。
三昧耶形は青蓮華(青い熱帯睡蓮の花)、利剣、梵篋(椰子の葉に書かれた経典)など。種字はマン。
|
{{出典の明記|date=2015年11月14日 (土) 11:49 (UTC)}}
{{統合文字|薩}}
[[ファイル:Manjusri Kumara (bodhisattva of wisdom), India, Pala dynesty, 9th century, stone, Honolulu Academy of Arts.jpg|thumb|9世紀のインド北西部、[[パーラ朝]]で作られた石仏・文殊菩薩像]]
'''文殊菩薩'''(もんじゅぼさつ、{{lang-sa-short|mañjuśrī}}〈マンジュシュリー〉、{{lang-sa-short|mañjughoṣa}}<ref>「'''Mañjughoṣa''' (Skt.). ‘Sweet Voice’; an alternative name for the Bodhisattva Mañjuśrī.」 (Damien Keown「[https://oxfordindex.oup.com/oi/viewindexcard/10.1093$002facref$002f9780198605607.013.1113 A Dictionary of Buddhism]」、Oxford University Press、2004年。)</ref>〈マンジュゴーシャ〉、[[チベット語|蔵]]: {{unicode|'jam dpal}}〈ジャンペル〉)は、大乗仏教の崇拝の対象である[[菩薩]]の一尊。一般に[[智慧]]を司る仏とされる<ref>[https://www.butuzou-world.com/dictionary/bosatsu/monjyubosatsu/ 菩薩ワールド]文殊菩薩 本来は、学問などの「知恵」を司るのは虚空蔵菩薩。物事のあり方を正しく見極める力・判断力を意味する「知恵」を司るのが文殊菩薩</ref>。その他、非人救済などの慈善事業を司るほか、[[日本]]の[[真言律宗]]では慈母供養の象徴としての一面も重視された。
文殊は'''文殊師利'''(もんじゅしり)の略称。また'''妙吉祥菩薩'''(みょうきっしょうぼさつ)などともいう。曼殊室利等とも音写し、'''妙徳菩薩'''(みょうとくぼさつ)、'''妙首菩薩'''などとも訳す。文'''珠'''菩薩とも書く。
[[三昧耶形]]は青蓮華(青い熱帯[[スイレン|睡蓮]]の花)、利剣、梵篋([[ヤシ|椰子]]の葉に書かれた経典)など。[[種子 (密教)|種字]]はマン (मँ {{lang|sa|maṃ}}) 。
== 概要 ==
[[File:Yulin Cave 3 w wall Manjusri (Western Xia).jpg|thumb|left|upright|[[西夏]]([[1038年]] - [[1227年]])で描かれた文殊像、楡林窟([[中国]][[甘粛省]])]]
『文殊師利般涅槃経』によると、舎衛国の多羅聚落の梵徳という[[バラモン]]の家に生まれたとされる。また『[[大智度論]]』によれば、[[釈迦如来]]の滅度後に[[弥勒菩薩]]と[[阿難]]と共同して[[大乗経典]]を結集したとされる{{efn2|「復次,有人言:如摩訶迦葉將諸比丘在耆闍崛山中集三藏,佛滅度後,文殊尸利、彌勒諸大菩薩亦將阿難集是摩訶衍。」<ref>[http://tripitaka.cbeta.org/T25n1509_100 T25n1509_100 大智度論 第100卷 | CBETA 漢文大藏經]</ref>}}{{Sfn|人見|2009|page=967}}。『[[維摩経]]』には、[[維摩居士]]に問答でかなう者がいなかった時、居士の病床を[[釈迦]]の代理として見舞った文殊菩薩のみが対等に問答を交えたと記され、智慧の菩薩としての性格を際立たせている。この教説に基づき、維摩居士と相対した場面を表した造形も行われている。
文殊菩薩が登場するのは初期の大乗経典、特に[[般若経|般若経典]]である。ここでは釈迦仏に代って般若の「[[空 (仏教)|空(くう)]]」を説いている。『[[華厳経]]』では[[善財童子]]を仏法求道の旅へ誘う重要な役で描かれることなどからもわかるように、文殊菩薩の徳性は[[悟り]]へ到る重要な要素、般若=智慧である。尚、本来悟りへ到るための[[智慧]]という側面の延長線上として、一般的な[[知恵]](頭の良さや知識が優れること)の象徴ともなり、これが後に「三人寄れば文殊の智恵」という[[ことわざ]]を生むことになった。
中国の唐代の僧、[[基 (僧)|基]](法相宗)と[[湛然]](天台宗)は、文殊菩薩は本来、龍種上尊王仏であったとする。{{efn2|「経云 文殊師利法王子阿逸多菩薩 賛曰(…)又云過去為龍種上尊王佛華嚴經説在此淸涼五臺山與一萬菩薩倶法王子者」(『阿弥陀経通賛疏』巻上)<ref>窺基『[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1226182/303 仏説阿弥陀経通賛疏]』、浄土宗全書. 第5巻、浄土宗典刊行会、昭和3-9年、p.593</ref>}}{{efn2|「文殊本是龍種上尊王佛。」(『法華文句記』)}}
文殊菩薩が、[[優填王]]、仏陀波利三蔵、善財童子、大聖老人(あるいは最勝老人=婆藪)の四尊ともに描かれた文殊五尊図は、中国・日本などでよく描かれた。
文殊菩薩の五使者として、髻設尼、烏波髻設尼、質多羅、地慧、請召、が挙げられる。
文殊菩薩の八童子として、光綱、地慧、無垢光、不思議、請召、髻設尼、救護慧、烏波髻設尼が挙げられる。
文殊菩薩の密号は、吉祥金剛、あるいは般若金剛とされる。
文殊菩薩を描いた主な経典には、『文殊師利般涅槃経』、『文殊師利問経』、『文殊師利浄律経』、『伽耶山頂経』などがある。
また、『文殊師利発願経』、『文殊悔過経』、『文殊師利現宝蔵経』、『仏説文殊師利巡行記』、『妙吉祥菩薩所問大乗法羅経』、『千鉢文殊一百八名讃』、『大聖文殊師利菩薩讃仏法身礼』、『聖者文殊師利発菩提心願文』、『文殊師利菩薩無相十礼』、『大聖文殊師利菩薩仏刹功徳荘厳経』などがある。
== 像容 ==
[[ファイル:HACHIJI-MONJU (ASTA-SIKHA MANJUSRI ) AND EIGHT ATTENDANTS - Google Art Project.jpg|thumb|250px|八字文殊菩薩及び八大童子像(鎌倉時代、[[MOA美術館]]蔵、[[重要文化財]])]]
[[ファイル:Kishi Monju pentad (Saidaiji Nara).jpg|thumb|250px|奈良・[[西大寺 (奈良市)|西大寺]]文殊五尊像(侍者は向かって左から優填王、最勝老人、仏陀波利、善財童子)]]
[[普賢菩薩]]とともに[[釈迦如来]]の[[脇侍]]となる(参照:[[釈迦三尊]])ほか、単独でも広く信仰されている。
文殊菩薩像の造形はほぼ一定している。[[唐獅子|獅子]]の背の蓮華座に[[結跏趺坐]]し、右手に智慧を象徴する利剣(宝剣)、左手に経典を乗せた青蓮華を持つ。[[密教]]では清浄な精神を表す童子形となり、髻を結う。この髻の数は像によって一、五、六、八の四種類があり、それぞれ一=増益、五=敬愛、六=調伏、八=息災の修法の本尊とされる。
また、騎獅の文殊、先導役の善財童子、獅子の手綱を握る優填王、仏陀波利、最勝老人を従える文殊五尊像も造形された。
また[[禅宗]]においては、修行僧の完全な姿を表す「'''聖僧'''」(しょうそう)として[[僧堂]]に安置され、剃髪し[[坐禅]]を組む僧形となる。この場合、'''文殊大士'''(だいし)と呼ぶことがある。{{要出典|date=2018-01}}
日本における作例としては、奈良の[[興福寺]]東金堂の坐像([[定慶]]作、国宝)や[[安倍文殊院]]の五尊像([[快慶]]作、国宝)、高知の[[竹林寺 (高知市)|竹林寺]]の五尊像(重要文化財)などが見られる。
== 受容 ==
[[File:Goji Monju (Nara National Museum).jpg|thumb|upright|left|[[文観|文観房弘真]](殊音)画『[[絹本著色五字文殊像]]』(南北朝時代、[[奈良国立博物館]]蔵、[[重要文化財]])]]
=== 中国での受容 ===
中国の娯楽小説『[[封神演義]]』には[[普賢真人]]、[[文殊広法天尊]]という[[仙人]]が登場しており、彼等が後に仏門に帰依しそれぞれ普賢菩薩、文殊菩薩となったという設定になっているが、これは後世の全くの創作である。
中国においては、山西省の[[五台山 (中国)|五台山]]が文殊菩薩の[[浄土]]として古くより広く信仰を集めており<ref name="ニッポニカ_文殊菩薩">江島惠教[https://kotobank.jp/word/%E6%96%87%E6%AE%8A%E8%8F%A9%E8%96%A9-143179#E6.97.A5.E6.9C.AC.E5.A4.A7.E7.99.BE.E7.A7.91.E5.85.A8.E6.9B.B8.28.E3.83.8B.E3.83.83.E3.83.9D.E3.83.8B.E3.82.AB.29 「文殊菩薩」 - 日本大百科全書(ニッポニカ)]、小学館。</ref>、[[円仁]]によって日本にも伝えられている。
また中国[[天台宗]]系の史書である『[[仏祖統紀]]』巻29には、「文殊は今、終南山に住み給えり。[[杜順]]和上はこれなり」と、中国[[華厳宗]]の祖である杜順を文殊菩薩の生まれ変わりであるとしている。
[[清]]の皇帝は[[チベット]]からは文殊菩薩の化身と見なされていた(→詳細は[[文殊皇帝]]を参照)。
=== 日本での受容 ===
[[File:The Bodhisattva Monju (Manjushri), Kamakura period, Japan.jpg|thumb|180px|文殊菩薩立像、13世紀、[[鎌倉時代]]、[[東京国立博物館]]蔵]]
<!--日本においては、白鳳時代、法隆寺金堂外陣壁画・8号壁に文殊菩薩像坐像が、この壁と対をなす11号壁には普賢菩薩坐像が描かれている。奈良時代の僧[[行基]]が文殊菩薩の生まれ変わりだという伝説がある。平安時代、唐から帰国した天台僧[[円仁]]は861年に比叡山に文殊楼を造営し文殊八字法(火災・地震など天変地異を防ぐ修法)を伝えている。以後、貴族社会では文殊会(文殊菩薩が貧窮孤独の衆生となって現れるとの所説にもとづき貧病者に布施する会)がしばしば開かれるようになる。-->
平安時代初期に、[[勤操]]や泰善らの僧侶が文殊菩薩の法要と貧者や病者のための施しを行う「文殊会」を始め、最初は私的な催しだったものが、朝廷の援助を得るようになり、828年7月、太政官符によって文殊会を行うようになった。
毎年七月八日、朝廷が一定の税収から文殊会の費用を拠出し、東寺・西寺を中心に盛んに行われ、貧者や病者に対する布施が盛んになされた。
このことは、日本の福祉の歴史においても重要な一幕と言えるが、律令国家の没落とともに文殊会も衰退し、やがて行われなくなった。
それを鎌倉時代に復興したのが、西大寺の叡尊・忍性らであった。
鎌倉時代、[[真言律宗]]の僧[[叡尊]](興正菩薩、開祖)・[[忍性]](忍性菩薩、[[ハンセン病]]患者らの救済に尽力)・[[文観|文観房殊音]](文観上人、[[後醍醐天皇]]の護持僧)らは深く文殊菩薩に帰依し、1240年以後、各地で文殊供養と大規模な非人布施を行った。
1976年、[[上田さち子]]によって、真言律宗の文殊信仰には、非人布施だけではなく、追善供養の側面があることが指摘された{{sfn|磯貝|2018|p=133}}。1987年に、[[金子啓明]]は、忍性の亡母供養と文殊信仰に師である叡尊の側が動かされて亡母供養としての文殊受容が広まったことを指摘し、その後、[[河原由雄]]もこれを追認した{{sfn|磯貝|2018|p=133}}。これらを受けて、悲母供養としての文殊信仰に最も詳細な研究を行ったのが[[内田啓一]]で、『[[金剛仏子叡尊感身学正記]]』(叡尊の自伝)・「般若寺文殊菩薩造立願文」などの文献を精査し、さらにその理論的核心に『[[大乗本生心地観経]]』の報恩思想があることを指摘した{{sfn|磯貝|2018|pp=133–134}}。
真言律宗の文殊信仰に基づき、叡尊・忍性・文観らの監修によって多くの文殊菩薩作品が作られた{{sfn|磯貝|2018}}。文観はまた[[画僧]]としても複数の文殊画像の自筆の作例を残したが、それらには亡母への追善の意図があることが明記されており、前節の報恩思想に基づく亡母供養の流れを組むことが、内田によって指摘されている{{sfn|磯貝|2018|pp=134–135}}。文観の文殊画像の代表作には、『[[絹本著色五字文殊像]]』([[奈良国立博物館]]蔵、[[重要文化財]])などがある{{sfn|田村|1966|pp=10–11}}。
== 真言 ==
オン・アラハシャノウ<ref>[https://www.butuzou-world.com/dictionary/bosatsu/monjyubosatsu/ 仏像ワールド]文殊菩薩 文殊菩薩の真言</ref>
oṃ arapacana [dhīḥ]
== ギャラリー ==
=== 日本国外 ===
<gallery>
File:WLA ima Manjusri.jpg|智慧の剣を振るう文殊。[[ネパール]]
File:Astasahasrika Prajnaparamita Manjusri Bodhisattva.jpeg|貝葉写本に描かれた文殊。[[インド]]・[[ビハール州]][[ナーランダ僧院]]
File:COLLECTIE TROPENMUSEUM Zilveren Manjusri beeld afkomstig uit Ngemplak Semongan TMnr 10016132.jpg|長い茎の蓮を持つ文殊。[[インドネシア]]・[[中部ジャワ州]]
File:He Chaozong 1.JPG|[[如意]]の笏を持つ文殊の[[白磁]]像。中国、17世紀。
File:Manjusri Chua Quan Am.jpg|[[如意宝珠]]を持ち獅子に騎乗する文殊。[[ベトナム]]・[[ホーチミン市]]クアンアム・パゴダ
File:Manjushri at Buddha Tooth Relic Temple and Museum.JPG|[[シンガポール]]・[[シンガポール仏牙寺龍華院|仏牙寺龍華院]]
File:Bodhisattva Manjushri seated in lalitasana, from China, Jin Dynasty, 12th century CE. British Museum.jpg|遊戯座の姿勢で座す文殊菩薩。中国・[[金 (王朝)|金朝]]、12世紀。[[イギリス]]・[[大英博物館]]蔵。
</gallery>
=== 日本国内 ===
<gallery>
ファイル:Monju crossing the sea.jpg|文殊渡海図([[鎌倉時代]]、[[醍醐寺]]蔵、国宝)獅子上の蓮華座に坐す文殊菩薩(五髻文殊)を眷属4名(優填王、仏陀波利三蔵、善財童子、大聖老人)とともに描く。
ファイル:Hachiji-Monju Bosatsu with eight sacred Sanskrit syllables, mid- to late 14th century, Metropolitan Museum of Art, 12.134.15.jpg|八字文殊菩薩像([[メトロポリタン美術館]]蔵)
ファイル:Monju Bosatsu (Chuguji Tokyo National Museum).jpg|紙製文殊菩薩立像(奈良・[[中宮寺]])
File:Monju Bosatsu (Hannyaji Nara).jpg|『木造文殊菩薩騎獅像(本堂安置)』([[康俊 (興福寺大仏師)|康俊]]・[[康成]]作、文観発願、[[重要文化財]]、[[奈良県]][[般若寺]]本尊)
ファイル:Manjusri.jpg|妙心寺蔵
ファイル:Manjushri_japan.jpg|文殊菩薩像<br />(千光寺、広島県尾道市)
</gallery>
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Notelist2}}
=== 出典 ===
{{Reflist}}
== 参考文献 ==
* {{Citation | 和書 | author=磯貝誠 | chapter=文殊五尊像 | pages=119–144 | editor=大橋一章 | editor2=松原智美 | title=西大寺 ─美術史研究のあゆみ─ | publisher=[[里文出版]] | date=2018 | isbn=978-4898064603 | ref={{SfnRef|磯貝|2018}} }}
* {{Cite journal | 和書 | author=田村隆照 | title=文観房弘真と文殊信仰 | journal=密教文化 | number=76 | pages=1–13 | doi=10.11168/jeb1947.1966.76_1 | year=1966 | ref={{SfnRef|田村|1966}} }} {{フリーアクセス}}
* {{Cite journal | 和書 | author=人見牧生 | title=大乗経典の結集者をめぐる一伝承 | journal=印度學佛教學研究 |volume=57 | issue=2 | pages= 970-966 | doi=10.4259/ibk.57.2_970 | year=2009 | ref={{SfnRef|人見|2009}} }} {{フリーアクセス}}
== 関連項目 ==
* 文殊菩薩を祀る主な寺院(日本三文殊の扱いに含まれる寺院)
** 出羽の[[亀岡文殊]] - [[山形県]][[高畠町]]
** 山城の[[金戒光明寺|中山文殊]] - [[京都府]][[京都市]][[左京区]](日本三文殊随一の扁額あり)
** 大和の[[安倍文殊院|安倍文殊]] - [[奈良県]][[桜井市]]
** 丹後の[[智恩寺 (宮津市)|切戸文殊]] - [[京都府]][[宮津市]][[智恩寺]]
** 土佐の五台山[[竹林寺 (高知市)|竹林寺]] - [[高知県]][[高知市]]
** 豊前[[国東市|国東]]の[[文殊仙寺]] - [[大分県]][[国東市]]
* [[文殊院]](曖昧さ回避)
* [[警策]] - [[坐禅]]の際に雲水(参禅者)を打つ棒のこと。警策は「文殊菩薩様の手の代わり」とされている。
* [[五台山 (中国)|五台山]] - 中国の文殊菩薩の聖地
* [[文殊皇帝]] - [[チベット仏教]]からの[[中国]][[清朝]][[皇帝]]への尊称
*名前が文殊菩薩に由来するもの
** [[文殊 (列車)]] - [[新大阪駅]]~[[天橋立駅]]間を、[[東海道本線]]・[[福知山線]]・[[京都丹後鉄道宮福線|北近畿タンゴ鉄道宮福線]]・[[北近畿タンゴ鉄道宮津線]]経由で運行していた[[西日本旅客鉄道|JR西日本]]の[[特別急行列車|特急列車]]の愛称
** [[梵珠山]] - 青森県の山
** [[もんじゅ]] - [[福井県]]にある[[原子炉]]
== 外部リンク ==
{{wiktionary}}
{{Commonscat}}
*{{kotobank}}
*{{kotobank|文殊}}
*{{kotobank|文殊師利菩薩}}
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[[Category:文殊菩薩|*]]
[[Category:菩薩]]
[[Category:浄土三部経]]
[[Category:美術におけるライオン]]
[[Category:イダム]]
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%87%E6%AE%8A%E8%8F%A9%E8%96%A9
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16,257 |
睦月
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睦月(むつき)は
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睦月(むつき)は 日本における旧暦1月の異称。今日では新暦1月の異称としても用いられる場合も多い。
睦月 (駆逐艦) - 睦月型駆逐艦の1隻。
睦月島 - 愛媛県松山市にある島。
|
'''睦月'''(むつき)は
* [[日本]]における[[1月 (旧暦)|旧暦1月]]の[[異称]]。今日では新暦[[1月]]の異称としても用いられる場合も多い。
* [[睦月 (駆逐艦)]] - [[睦月型駆逐艦]]の1隻。
* [[睦月島]] - 愛媛県松山市にある島。
== 関連項目 ==
* [[旧暦]]([[太陰太陽暦]]) - [[新暦]]([[グレゴリオ暦]])
* '''睦月''' - [[如月]] - [[弥生]] - [[卯月]] - [[皐月]] - [[水無月]] - [[文月]] - [[葉月]] - [[長月]] - [[神無月]] - [[霜月]] - [[師走]]
* {{Prefix}}
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如月
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如月(きさらぎ)は
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如月(きさらぎ)は 日本における旧暦2月の異称。今日では新暦2月の異称としても用いられる場合も多い。
大日本帝国海軍の駆逐艦。
如月 (初代神風型駆逐艦) - 神風型駆逐艦 (初代)の1隻。
如月 (睦月型駆逐艦) - 睦月型駆逐艦の1隻。
きさらぎ (コンビニエンスストア) - コンビニエンスストアを運営している企業。
|
'''如月'''(きさらぎ)は
* [[日本]]における[[2月 (旧暦)|旧暦2月]]の[[異称]]。今日では新暦[[2月]]の異称としても用いられる場合も多い。
* [[大日本帝国海軍]]の[[駆逐艦]]。
** [[如月 (初代神風型駆逐艦)]] - [[神風型駆逐艦 (初代)]]の1隻。
** [[如月 (睦月型駆逐艦)]] - [[睦月型駆逐艦]]の1隻。
* [[きさらぎ (コンビニエンスストア)]] - コンビニエンスストアを運営している企業。
== 関連項目 ==
* [[旧暦]]([[太陰太陽暦]]) - [[新暦]]([[グレゴリオ暦]])
* [[睦月]] - '''如月''' - [[弥生]] - [[卯月]] - [[皐月]] - [[水無月]] - [[文月]] - [[葉月]] - [[長月]] - [[神無月]] - [[霜月]] - [[師走]]
* {{Prefix}}
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[[Category:2月|*きさらき]]
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弥生
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弥生(旧字体:彌生、やよい)は
現行行政町名
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弥生は 日本における旧暦3月の異称。今日では新暦3月の異称としても用いられる場合も多い。
日本の時代区分の一つ。弥生時代。
|
'''弥生'''(旧字体:'''彌生'''、やよい)は
* [[日本]]における[[3月 (旧暦)|旧暦3月]]の[[異称]]。今日では新暦[[3月]]の異称としても用いられる場合も多い。
* 日本の時代区分の一つ。[[弥生時代]]。
== 地名 ==
現行行政町名
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=== 北海道地方 ===
* [[弥生町 (函館市)]] - 北海道函館市弥生町
* [[弥生町 (苫小牧市)]] - 北海道苫小牧市弥生町
* [[弥生 (千歳市)]] - 北海道千歳市弥生
* [[弥生町 (江別市)]] - 北海道江別市弥生町
* [[弥生町 (三笠市)]] - 北海道三笠市弥生町
* [[弥生町 (根室市)]] - 北海道根室市弥生町
* [[弥生町 (富良野市)]] - 北海道富良野市弥生町
* [[弥生町 (本別町)]] - 北海道中川郡本別町弥生町
* [[弥生 (釧路市)]] - 北海道釧路市弥生
* [[弥生 (名寄市)]] - 北海道名寄市弥生
=== 東北地方 ===
* [[弥生 (弘前市)]] - 青森県弘前市大字弥生
* [[弥生町 (黒石市)]] - 青森県黒石市弥生町
* [[弥生町 (五所川原市)]] - 青森県五所川原市弥生町
=== 関東地方 ===
* [[弥生 (宇都宮市)]] - 栃木県宇都宮市弥生
* [[弥生町 (足利市)]] - 栃木県足利市弥生町
* [[弥生町 (那須塩原市)]] - 栃木県那須塩原市弥生町
* [[弥生 (熊谷市)]] - 埼玉県熊谷市弥生
* [[弥生町 (所沢市)]] - 埼玉県所沢市弥生町
* [[弥生町 (越谷市)]] - 埼玉県越谷市弥生町
* [[弥生町 (千葉市)]] - 千葉県千葉市稲毛区弥生町
* [[弥生町 (柏市)]] - 千葉県柏市弥生町
* [[弥生町 (銚子市)]] - 千葉県銚子市弥生町
* [[弥生 (文京区)]] - 東京都文京区弥生([[弥生土器]]、弥生時代の名前の由来。土器発見当時の地名は、東京市本郷向ヶ岡弥生町。)
* [[弥生町 (中野区)]] - 東京都中野区弥生町
* [[弥生町 (板橋区)]] - 東京都板橋区弥生町
* [[弥生 (東久留米市)]] - 東京都東久留米市弥生
* [[弥生町 (横浜市)]] - 神奈川県横浜市中区弥生町
* [[弥生町 (秦野市)]] - 神奈川県秦野市弥生町
=== 中部地方 ===
* [[弥生町 (新潟市)]] - 新潟県新潟市中央区弥生町
* [[弥生町 (富山市)]] - 富山県富山市弥生町
* [[弥生 (金沢市)]] - 石川県金沢市弥生
* [[弥生町 (大野市)]] - 福井県大野市弥生町
* [[弥生町 (岐阜市)]] - 岐阜県岐阜市弥生町
* [[弥生町 (関市)]] - 岐阜県関市弥生町
* [[弥生町 (静岡市駿河区)]] - 静岡県静岡市駿河区弥生町
* [[弥生町 (静岡市清水区)]] - 静岡県静岡市清水区弥生町
* [[弥生 (富士市)]] - 静岡県富士市弥生
* [[弥生町 (掛川市)]] - 静岡県掛川市弥生町
* [[弥生町 (名古屋市)]] - 愛知県名古屋市南区弥生町
* [[弥生町 (豊橋市)]] - 愛知県豊橋市弥生町
* [[弥生町 (春日井市)]] - 愛知県春日井市弥生町
* [[弥生町 (豊川市)]] - 愛知県豊川市弥生町
* [[弥生町 (津島市)]] - 愛知県津島市弥生町
* [[弥生町 (碧南市)]] - 愛知県碧南市弥生町
* [[弥生町 (西尾市)]] - 愛知県西尾市弥生町
* [[弥生町 (小牧市)]] - 愛知県小牧市弥生町
=== 近畿地方 ===
* [[弥生町 (大津市)]] - 滋賀県大津市弥生町
* [[弥生町 (東大阪市)]] - 大阪府東大阪市弥生町
* [[弥生 (和泉市)]] - 大阪府和泉市弥生
* [[弥生町 (宝塚市)]] - 兵庫県宝塚市弥生町
=== 中国地方 ===
* [[弥生町 (鳥取市)]] - 鳥取県鳥取市弥生町
* [[弥生町 (米子市)]] - 鳥取県米子市弥生町
* [[弥生町 (境港市)]] - 鳥取県境港市弥生町
* [[弥生町 (津山市)]] - 岡山県津山市弥生町
* [[弥生町 (広島市)]] - 広島県広島市中区弥生町
* [[弥生町 (周南市)]] - 山口県周南市弥生町
=== 四国地方 ===
* [[弥生町 (高知市)]] - 高知県高知市弥生町
* [[中村弥生町]] - 高知県四万十市中村弥生町
=== 九州地方 ===
* [[弥生 (福岡市)]] - 福岡県福岡市早良区弥生
* [[弥生町 (長崎市)]] - 長崎県長崎市弥生町
* [[弥生町 (熊本市)]] - 熊本県熊本市中央区弥生町
* [[弥生町 (八代市)]] - 熊本県八代市弥生町
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== 自治体 ==
* [[弥生町]] - かつて[[大分県]][[南海部郡]]にあった自治体。現:[[佐伯市]]。
== 施設名 ==
* [[茨城県]][[東海村]]にある[[東京大学]]所有の[[原子炉|高速中性子源炉]]。東京都文京区弥生の同大学[[東京大学#組織構成|浅野キャンパス]]に原子力工学関連の施設が多いことに由来する。
== 艦船 ==
* [[大日本帝国海軍|日本海軍]]の[[駆逐艦]]。
** [[弥生 (初代神風型駆逐艦)]] - [[神風型駆逐艦 (初代)]]の3番艦、初代「弥生」。
** [[弥生 (睦月型駆逐艦)]] - [[睦月型駆逐艦]]の3番艦、二代目「弥生」。
== 天体 ==
* [[弥生 (小惑星)]] - 名前の由来は弥生時代から。
== 商品名 ==
* [[弥生 (ソフトウェア)]] - 1987年から発売されている[[日本]]の会計関連[[ソフトウェア]]の[[ブランド]]。
** これにちなんで2003年に名称変更した同ソフトウェアの開発会社、[[弥生 (ソフトウェア)|弥生株式会社]]。
* [[昭和]]時代に[[テクノレーシング]]から発売された[[自動車]]用[[アルミホイール]]。
== 日本の女性の名前 ==
=== 実在の人物 ===
* [[弥生 (歌手)]] - 日本の女性歌手。
=== 架空の人物 ===
* [[弥生!! (河内実加)]] - [[河内実加]]の漫画作品およびそれに登場するキャラクター。
* 弥生・シュバエル - アニメ『[[デュアル!ぱられルンルン物語]]』の登場キャラクター。
== その他 ==
* [[長野県伊那弥生ヶ丘高等学校]]の通称。学校の敷地内を工事していた際に弥生土器が発見されたことに由来する。
== 関連項目 ==
* [[旧暦]]([[太陰太陽暦]]) - [[新暦]]([[グレゴリオ暦]])
* [[睦月]] - [[如月]] - '''弥生''' - [[卯月]] - [[皐月]] - [[水無月]] - [[文月]] - [[葉月]] - [[長月]] - [[神無月]] - [[霜月]] - [[師走]]
* {{prefix}}
* {{prefix|やよい}}
* {{prefix|弥生町}}
* {{intitle}}
* {{intitle|やよい}}
* {{intitle|弥生町}}
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[[Category:旧暦3月|*やよい]]
[[Category:3月|*やよい]]
[[Category:春の季語]]
[[Category:日本の地名]]
[[Category:同名の地名]]
[[Category:日本語の女性名]]
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16,260 |
卯月
|
卯月(うづき)は
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卯月(うづき)は 月名
日本における旧暦4月の異称。今日では新暦4月の異称としても用いられる場合も多い。
日本における旧暦2月の異称。十二支が卯(旧暦で冬至から数えて第4)である月。
艦船
卯月 (初代神風型駆逐艦) - 神風型駆逐艦 (初代)の一つ。
卯月 (睦月型駆逐艦) - 睦月型駆逐艦の一つ。
日本人の姓の一つ。
卯月盛夫 - 建築学者。
卯月妙子 - 漫画家、エッセイスト。
卯月 (お笑い) - かつてプロダクション人力舎に所属していたお笑いトリオ。
|
'''卯月'''(うづき)は
* 月名
** [[日本]]における[[4月 (旧暦)|旧暦4月]]の[[異称]]。今日では新暦[[4月]]の異称としても用いられる場合も多い。
** 日本における[[2月 (旧暦)|旧暦2月]]の異称。十二支が[[卯]](旧暦で冬至から数えて第4)である月。
* 艦船
** [[卯月 (初代神風型駆逐艦)]] - [[神風型駆逐艦 (初代)]]の一つ。
** [[卯月 (睦月型駆逐艦)]] - [[睦月型駆逐艦]]の一つ。
* 日本人の[[姓]]の一つ。
** [[卯月盛夫]] - 建築学者。
** [[卯月妙子]] - 漫画家、エッセイスト。
* [[卯月 (お笑い)]] - かつて[[プロダクション人力舎]]に所属していたお笑いトリオ。
== 関連項目 ==
* [[旧暦]]([[太陰太陽暦]]) - [[新暦]]([[グレゴリオ暦]])
* [[睦月]] - [[如月]] - [[弥生]] - '''卯月''' - [[皐月]] - [[水無月]] - [[文月]] - [[葉月]] - [[長月]] - [[神無月]] - [[霜月]] - [[師走]]
* {{Prefix}}
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[[Category:旧暦4月|*うつき]]
[[Category:4月|*うつき]]
[[Category:日本語の姓]]
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16,262 |
水無月
|
水無月(みなづき)は
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水無月(みなづき)は 日本における旧暦6月の異称。今日では新暦6月の異称としても用いられる場合も多い。
水無月 (和菓子) - 和菓子の一種で、6月30日の夏越祓(なごしのはらえ)に、過ぎた半年の穢れを祓い、来る半年の無病息災を願って食べる。外郎の上に小豆の粒餡を散らしたようなもので、三角形に切り分けて売られることが多い。
大日本帝国海軍の駆逐艦。
水無月 (初代神風型駆逐艦) - 初代・神風型駆逐艦の第27番艦。
水無月 (睦月型駆逐艦) - 睦月型駆逐艦の第6番艦で、1927年に竣工。
秦基博のシングル。水無月 (秦基博の曲)を参照。
里アンナのアルバム。水無月 (アルバム)を参照。
|
'''水無月'''(みなづき)は
* [[日本]]における[[6月 (旧暦)|旧暦6月]]の[[異称]]。今日では新暦[[6月]]の異称としても用いられる場合も多い。
* [[水無月 (和菓子)]] - [[和菓子]]の一種で、6月30日の[[大祓|夏越祓]](なごしのはらえ)に、過ぎた半年の穢れを祓い、来る半年の無病息災を願って食べる。[[ういろう (菓子)|外郎]]の上に[[小豆]]の[[粒餡]]を散らしたようなもので、三角形に切り分けて売られることが多い。
* [[大日本帝国海軍]]の[[駆逐艦]]。
**[[水無月 (初代神風型駆逐艦)]] - [[神風型駆逐艦_(初代)|初代・神風型駆逐艦]]の第27番艦。
**[[水無月 (睦月型駆逐艦)]] - [[睦月型駆逐艦]]の第6番艦で、[[1927年]]に竣工。
* [[秦基博]]の[[シングル]]。[[水無月 (秦基博の曲)]]を参照。
* [[里アンナ]]の[[アルバム]]。[[水無月 (アルバム)]]を参照。
== 関連項目 ==
* [[旧暦]]([[太陰太陽暦]]) - [[新暦]]([[グレゴリオ暦]])
* [[睦月]] - [[如月]] - [[弥生]] - [[卯月]] - [[皐月]] - '''水無月''' - [[文月]] - [[葉月]] - [[長月]] - [[神無月]] - [[霜月]] - [[師走]]
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[[Category:旧暦6月|*みなつき]]
[[Category:6月|*みなつき]]
[[Category:日本海軍・海上自衛隊の同名艦船]]
[[Category:同名の作品]]
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16,263 |
文月
|
文月(ふみづき)は
|
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文月(ふみづき)は 日本における旧暦7月の異称。今日では新暦7月の異称としても用いられる場合も多い。
大日本帝国海軍の駆逐艦。
文月 (山彦型駆逐艦) - 山彦型駆逐艦の1隻。
文月 (睦月型駆逐艦) - 睦月型駆逐艦の1隻。
|
'''文月'''(ふみづき)は
* [[日本]]における[[7月 (旧暦)|旧暦7月]]の[[異称]]。今日では新暦[[7月]]の異称としても用いられる場合も多い。
* [[大日本帝国海軍]]の[[駆逐艦]]。
** [[文月 (山彦型駆逐艦)]] - [[山彦型駆逐艦]]の1隻。
** [[文月 (睦月型駆逐艦)]] - [[睦月型駆逐艦]]の1隻。
== 関連項目 ==
* [[旧暦]]([[太陰太陽暦]]) - [[新暦]]([[グレゴリオ暦]])
* [[睦月]] - [[如月]] - [[弥生]] - [[卯月]] - [[皐月]] - [[水無月]] - '''文月''' - [[葉月]] - [[長月]] - [[神無月]] - [[霜月]] - [[師走]]
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[[Category:7月|*ふみつき]]
[[Category:日本海軍・海上自衛隊の同名艦船]]
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16,264 |
葉月
|
葉月(はづき)
|
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葉月(はづき) 日本における旧暦8月の異称。今日では新暦8月の異称としても用いられる場合も多い。
葉月 (駆逐艦) - 秋月型駆逐艦の1隻。起工後に建造が中止された。
|
{{TOCright}}
'''葉月'''(はづき)
* [[日本]]における[[8月 (旧暦)|旧暦8月]]の[[異称]]。今日では新暦[[8月]]の異称としても用いられる場合も多い。
* 葉月 (駆逐艦) - [[秋月型駆逐艦]]の1隻。起工後に建造が中止された。
== 日本の人名 ==
=== 姓 ===
* [[葉月あい]] - [[日本]]の女優。
* [[葉月あこ]] - 日本の女優。
* [[葉月あや]] − 日本のグラビアアイドル。
* [[葉月絵理乃]] - 日本の声優。
* [[葉月京]] - 日本の漫画家。
* [[葉月さな]] - 日本の女子プロボクサー。
* [[葉月奈穂]] - 日本のAV女優。
* [[葉月パル]] - 日本の男性タレント。
* [[葉月もえ]] - 日本のAV女優。
* [[葉月ゆめ]] − 日本のグラビアアイドル
* [[葉月ゆら]] - 日本の歌手。
* [[葉月里緒奈]] - 日本の女優。
* [[葉月レイナ]] - 日本の女優。
=== 女性名 ===
* [[Hazuki]] - 日本の声優。
* 葉月(旧芸名:[[日向泉]]) - 日本の女優。
* 葉月(旧芸名:[[川瀬葉月]]) - 日本のシンガーソングライター。
* 葉月(現:[[瀬名葉月]]) - 日本の女優・タレント。[[ヤングチャンピオン#ミスヤングチャンピオン|ミスヤングチャンピオン]]第5代グランプリ。
* 葉月(現:[[西岡葉月]]) - 日本のグラビアアイドル。
* [[葉月 (ゲームソング歌手)]] - 日本の歌手。主にPCゲーム主題歌を手掛ける。
* [[葉月 (プロレスラー)]] - 日本のプロレスラー。
* [[葉月 (ミュージシャン)]] - 日本のロックシンガー。
* 葉月 - 大阪を拠点に日本全国で活動するロックシンガー。
* [[新井葉月]] - 日本の漫画家。
* [[加納葉月]] - 日本の子役。
* [[最相葉月]] - 日本のノンフィクション作家。
* [[坂元葉月]] - 日本のタレント。アイドルグループ「[[わーすた]]」のメンバー。
* [[鈴木葉月]] - 日本の女優。
* [[竹岡葉月]] - 日本の小説家。
* [[中浜葉月]] - 日本のアナウンサー。
* [[西川葉月]] - 日本の声優。
* 外薗葉月 - 日本のタレント。アイドルグループ「[[HKT48]]」のメンバー。
* [[水瀬葉月]] - 日本の小説家。
* [[向井葉月]] - 日本のタレント。アイドルグループ「[[乃木坂46]]」のメンバー。
* [[森田葉月]] - 日本の歌手。
== 架空の人名 ==
* 東葉月 - アダルトゲーム『[[ヤミと帽子と本の旅人]]』の登場キャラクター。
* 鳥飼葉月 - 漫画『[[スケッチブック (漫画)|スケッチブック]]』の登場キャラクター。
== 関連項目 ==
* [[旧暦]]([[太陰太陽暦]]) - [[新暦]]([[グレゴリオ暦]])
* [[睦月]] - [[如月]] - [[弥生]] - [[卯月]] - [[皐月]] - [[水無月]] - [[文月]] - '''葉月''' - [[長月]] - [[神無月]] - [[霜月]] - [[師走]]
* [[はづき (曖昧さ回避)]]
* {{Prefix}}
* {{Intitle}}
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長月
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長月(ながつき)
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長月(ながつき) 日本における旧暦9月の異称。今日では新暦9月の異称としても用いられる場合も多い。 人名等。
日本海軍の駆逐艦
神風型駆逐艦 (初代)「長月」
睦月型駆逐艦「長月」
海上自衛隊の護衛艦
たかつき型護衛艦「ながつき」
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'''長月'''(ながつき)
*[[日本]]における[[9月 (旧暦)|旧暦9月]]の[[異称]]。今日では新暦[[9月]]の異称としても用いられる場合も多い。
*[[人名]]等。
*[[大日本帝国海軍|日本海軍]]の[[駆逐艦]]
** [[神風型駆逐艦 (初代)]]「[[長月 (初代神風型駆逐艦)|長月]]」
** [[睦月型駆逐艦]]「[[長月 (睦月型駆逐艦)|長月]]」
*[[海上自衛隊]]の[[護衛艦]]
** [[たかつき型護衛艦]]「[[ながつき (護衛艦)|ながつき]]」
== 関連項目 ==
* [[旧暦]]([[太陰太陽暦]]) - [[新暦]]([[グレゴリオ暦]])
* [[睦月]] - [[如月]] - [[弥生]] - [[卯月]] - [[皐月]] - [[水無月]] - [[文月]] - [[葉月]] - '''長月''' - [[神無月]] - [[霜月]] - [[師走]]
* {{Prefix}}
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神無月
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神無月(かみなづき、かんなづき(「かむなづき」とも表記される)、かみなしづき、かみなかりづき)は日本における旧暦10月の異称。今日では新暦10月の異称としても用いられる場合も多い。「神無」を「神が不在」と解釈するのは語源俗解である。また、この俗解が基になって更にさまざまな伝承を生じることになった(後述)。
「神無月」の語源は不詳である。有力な説として、神無月の「無・な」が「の」にあたる連体助詞「な」で「神の月」というものがあり、日本国語大辞典もこの説を採っている(後述)。「水無月」が「水の月」であることと同じである(6月#水無月の語源)。
(伊勢神宮・内宮に居る天照大御神以外の)神々が出雲に集まって翌年について会議するので出雲以外には神がいなくなるという説は、平安時代以降の後付けで、出雲大社の御師が全国に広めた語源俗解である。なお、月名についての語源俗解の例としては、師走(12月)も有名である。
御師の活動がなかった沖縄県においても、旧暦10月にはどの土地でも行事や祭りを行わないため、神のいない月として「飽果十月」と呼ばれる。
日本国語大辞典は語義の冒頭に、「「な」は「の」の意で、「神の月」すなわち、神祭りの月の意か。俗説には、全国の神神が出雲大社に集まって、諸国が「神無しになる月」だからといい、広く信じられた」とし、語源説として次の11説を列挙している。
出雲に神々が集まるから「神無月」と呼ぶという民間語源が元になって、逆に出雲地方には神々が集まるだろうという俗信が生じ、出雲地方では、10月が神在月(あるいは神有月)と呼ばれるようになった。したがって、これも一種の民間語源である。 この俗説も、中世には唱えられていた。
出雲では、出雲大社ほかいくつかの神社で旧暦10月に「神在月」の神事が行われる。
長野県小諸市の飯縄山では、神無月に小諸や佐久地域の神々を出雲へ送る「神送り」を行った。また、出雲から帰ってきた神々を迎える「神迎え」も盛大に挙行された。神送りや、神迎えの時に松明を燃やす伝統があった。その火により明治時代に火災が発生し、この行事は中断されたままになっている。
出雲に行くのは大国主神系の国津神だけであるという説や、天照大神を始めとする天津神も出雲に行くという説もあり、この考えと一致するような、「出雲に出向きはするが、対馬の天照神社の天照大神は、神無月に出雲に参集する諸神の最後に参上し、最初に退出する」と言う伝承もある。
伝承によれば、諏訪大社の祭神の諏訪明神が龍(蛇)の姿を取り出雲へ行ったが、あまりにも巨大であったため、それに驚いた出雲に集まった神々が、気遣って「諏訪明神に限っては、出雲にわざわざ出向かずとも良い」ということになり、神無月にも諏訪大社に神が有ることから神在月とされている。
能登では、10月に神々が出雲に集っている間にも、宝達志水町の志乎神社の神だけはこの地にとどまり能登を守護するという。そのためこの神社は「鍵取明神」と呼ばれる。なお、志乎神社は素盞嗚尊・大国主命・建御名方神を祭神とするが、能登にとどまるのは建御名方神である。
伝承で神無月には家に祀られている荒神も含めて出雲に旅立つとする地域がある(東京都世田谷区など)。
一方で出雲には出向かない祭神が存在するとしている地域もあり「留守神」と呼ばれている。留守神には荒神や恵比須神が宛てられることが多く、10月に恵比須を祀る恵比須講を行う地方もある。
江戸時代、地震は地中の大鯰(おおなまず)が動くことが原因と考えられていたが、鹿島神宮では安政の大地震が10月に起きたことから、要石で大鯰を押さえつけていた祭神の鹿島大明神が不在で、さらに留守番をしていた恵比須神が居眠りをしたために起きたという伝承があり鯰絵にも描かれている。
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"text": "出雲に行くのは大国主神系の国津神だけであるという説や、天照大神を始めとする天津神も出雲に行くという説もあり、この考えと一致するような、「出雲に出向きはするが、対馬の天照神社の天照大神は、神無月に出雲に参集する諸神の最後に参上し、最初に退出する」と言う伝承もある。",
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"text": "伝承で神無月には家に祀られている荒神も含めて出雲に旅立つとする地域がある(東京都世田谷区など)。",
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"text": "江戸時代、地震は地中の大鯰(おおなまず)が動くことが原因と考えられていたが、鹿島神宮では安政の大地震が10月に起きたことから、要石で大鯰を押さえつけていた祭神の鹿島大明神が不在で、さらに留守番をしていた恵比須神が居眠りをしたために起きたという伝承があり鯰絵にも描かれている。",
"title": "「神無」が基になった伝承"
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] |
神無月(かみなづき、かんなづき、かみなしづき、かみなかりづき)は日本における旧暦10月の異称。今日では新暦10月の異称としても用いられる場合も多い。「神無」を「神が不在」と解釈するのは語源俗解である。また、この俗解が基になって更にさまざまな伝承を生じることになった(後述)。
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{{混同|x1=ものまねタレントの|神奈月}}
'''神無月'''(かみなづき<ref>[[日本国語大辞典]]、第5巻、p.136、1976年5月1日発行、第1版第2刷、小学館、ISBN 4095220058</ref>、かんなづき<ref name="ReferenceA">[[日本国語大辞典]]、第5巻、p.412、1976年5月1日発行、第1版第2刷、小学館、ISBN 4095220058</ref>(「かむなづき」とも表記される<ref name="ReferenceA"/>)、かみなしづき、かみなかりづき<ref name="ReferenceB">日本国語大辞典、第5巻、p.136、1976年5月1日発行、第1版第2刷、小学館、ISBN 978-4167598082</ref>)は[[日本]]における[[10月 (旧暦)|旧暦10月]]の[[異称]]。今日では新暦[[10月]]の異称としても用いられる場合も多い。「神無」を「神が不在」と解釈するのは[[語源俗解]]である。また、この俗解が基になって更にさまざまな伝承を生じることになった(後述)。
== 語源 ==
{{See also|10月}}
「神無月」の[[語源]]は不詳である。有力な説として、神無月の「無・な」が「の」にあたる連体助詞「な」で「神の月」というものがあり、[[日本国語大辞典]]もこの説を採っている(後述)。「水無月」が「水の月」であることと同じである([[6月#水無月の語源]])。
(伊勢神宮・内宮に居る[[天照大御神]]以外の)[[神 (神道)|神々]]が[[出雲]]に集まって翌年について会議するので出雲以外には神がいなくなるという説は、平安時代以降の後付けで、[[出雲大社]]の[[御師]]が全国に広めた[[語源俗解]]である<ref>神々が出雲大社に集まるためというのは、「奥儀抄」などに見える俗説(旺文社古語辞典、第8版、p.332、1994年)。</ref><ref>神無月の字をあてるようになったのも、平安時代に入ってからだと考えられる。カミナツキの意味については、新米を収穫して酒を造る月だから醸成月(かみなしづき)の意や、神嘗祭(かんなめのまつり)の行われる神嘗月から出ているなどの諸説があるが、まだ決定できない([[鈴木棠三]]:日常語語源辞典、p.80、東京堂出版、1992年、ISBN 978-4490103113)</ref><ref>[[高島俊男]]は「月の名で、師走と同じくらい古い民間語源を有するのが『神無月』である。十月には各地の神さまがみな出雲へ行ってしまって不在になるので神無月、という説明で、これも平安時代からある。『かみな月』の意味がわからなくなり、神さまがいないんだろうとこんな字をあてたのである。『大言海』は醸成月(かみなしづき)つまり新酒をつくる月の意だろうと言っている。これも憶測にすぎないが、神さまのいない月よりはマシだろう。」と評している(高島俊男、お言葉ですが・・・(7)漢字語源の筋ちがい、p.88、文藝春秋、2006年6月10日、第1刷、ISBN 4-16-759808-6)</ref>。なお、[[月名]]についての語源俗解の例としては、[[師走]](12月)も有名である。
御師の活動がなかった[[沖縄県]]においても、旧暦10月にはどの土地でも行事や祭りを行わないため、神のいない月として「飽果十月」と呼ばれる<ref name='gyoji'>{{Cite book |和書 |editor=[[西角井正慶]] |date=1958-05-23 |title= 年中行事事典 |publisher=東京堂出版 |page=18}}</ref>。
日本国語大辞典は語義の冒頭に、「「な」は「の」の意で、「神の月」すなわち、神祭りの月の意か。俗説には、全国の神神が出雲大社に集まって、諸国が「神無しになる月」だからといい、広く信じられた」とし、語源説として次の11説を列挙している<ref name="ReferenceB"/>。
# 諸神が出雲に集合し、他の地では神が不在になる月であるから〔奥義抄、[[名語記]]、日本釈名〕
# 諸社に祭りのない月であるからか〔[[徒然草]]、白石先生紳書〕
# 陰神崩御の月であるから〔世諺問答、類聚名物考〕
# カミナヅキ(雷無月)の意〔語意考、類聚名物考、年山紀聞〕
# カミナヅキ(上無月)の義〔和爾雅、類聚名物考、滑稽雑談、北窓瑣談、古今要覧稿〕
# カミナヅキ(神甞月)の義〔南留別志、黄昏随筆、和訓栞、日本古語大辞典=[[松岡静雄]]〕<ref name='kamunameduki'>{{Cite book |和書 |year=1907 |title= 謡曲通解 |author=[[大和田建樹]] |page=156}}</ref>
# 新穀で酒を醸すことから、カミナヅキ(醸成月)の義〔嚶々筆語、[[大言海]]〕
# カリネヅキ(刈稲月)の義〔兎園小説外集〕
# カはキハ(黄葉)の反。ミナは皆の意。黄葉皆月の義〔[[名語記]]〕
# ナにはナ(無)の意はない。神ノ月の意〔万葉集類林、東雅〕
# 一年を二つに分ける考え方があり、ミナヅキ(六月)に対していま一度のミナヅキ、すなわち年末に誓いミナヅキ、カミ(上)のミナヅキという意からカミナヅキと称された〔霜及び霜月=[[折口信夫]]〕
== 「神無」が基になった伝承 ==
[[出雲]]に神々が集まるから「神無月」と呼ぶという[[民間語源]]が元になって、逆に出雲地方には神々が集まるだろうという俗信が生じ、出雲地方では、10月が神在月(あるいは神有月)と呼ばれるようになった。したがって、これも一種の民間語源である。
この俗説も、中世には唱えられていた<ref>日本国語大辞典、第5巻、p.120、1976年5月1日発行、第1版第2刷、小学館、ISBN 978-4167598082 、「かみあり‐づき 【神有月・神在月】の項、[[由阿]]による『詞林采葉抄-六』(1366成立)などの引用がある。</ref>。
=== 神迎えから神送り ===
==== 出雲 ====
出雲では、[[出雲大社]]ほかいくつかの[[神社]]で旧暦10月に「神在月」の神事が行われる。
*[[10月10日 (旧暦)|旧暦10月10日]]の夜、[[日本神話|記紀神話]]において[[国譲り]]が行われたとされる[[稲佐浜]]で、全国から参集する神々を迎える「神迎祭」が行われる。その後、旧暦10月11日から17日まで出雲大社で会議が行われるとして、その間「神在祭」が行われる。旧暦10月18日には、各地に帰る神々を見送る「神等去出祭」が出雲大社拝殿で行われる。出雲大社の荒垣内には、神々の宿舎となる「十九社」がある。
*[[日御碕神社]](出雲市大社町)・[[朝山神社]](出雲市朝山町)・[[万九千神社]](出雲市斐川町)・[[神原神社]](雲南市加茂町)・[[佐太神社]](松江市鹿島町)・[[売豆紀神社]](松江市雑賀町)・[[神魂神社]](松江市大庭町)・[[多賀神社 (松江市)|多賀神社]](松江市朝酌町)でも神在祭にまつわる神事が行われる。
*この他、島根県西部([[石見]]地方)では、同時期に多数の[[社中]]が地元の各神社において、神迎えの祭事として[[石見神楽]]を奉納する。
==== 飯綱山 ====
長野県小諸市の飯縄山では、神無月に小諸や佐久地域の神々を出雲へ送る「神送り」を行った。また、出雲から帰ってきた神々を迎える「神迎え」も盛大に挙行された。神送りや、神迎えの時に松明を燃やす伝統があった。その火により明治時代に火災が発生し、この行事は中断されたままになっている<ref>{{Cite book |和書 |author=長野県佐久市教育委員会 |authorlink= |coauthors= |translator= |date=1978-11-15 |title=北佐久口碑伝説集 北佐久編 限定復刻版 |publisher= |page=78 |id= |isbn= }}</ref>。
=== 参集する神々と留守神 ===
出雲に行くのは[[大国主|大国主神]]系の[[国津神]]だけであるという説や、[[天照大神]]を始めとする[[天津神]]も出雲に行くという説もあり、この考えと一致するような、「出雲に出向きはするが、対馬の天照神社の天照大神は、神無月に出雲に参集する諸神の最後に参上し、最初に退出する」と言う伝承もある。
==== 諏訪大社 ====
伝承によれば、[[諏訪大社]]の祭神の[[タケミナカタ|諏訪明神]]が龍(蛇)の姿を取り出雲へ行ったが、あまりにも巨大であったため、それに驚いた出雲に集まった神々が、気遣って「諏訪明神に限っては、出雲にわざわざ出向かずとも良い」ということになり、神無月にも諏訪大社に神が有ることから神在月とされている。
==== 鍵取明神 ====
[[能登国|能登]]では、10月に神々が出雲に集っている間にも、[[宝達志水町]]の[[志乎神社]]の神だけはこの地にとどまり能登を守護するという<ref>{{cite book | 和書 | title=日本の伝説12 加賀・能登の伝説| author=[[小倉学]] | author2=[[藤島秀隆]] | author3=[[辺見じゅん]] | publisher=[[角川書店]] | year=1976 | page=81 }}</ref>。そのためこの神社は「[[鍵取]]明神」と呼ばれる。なお、志乎神社は[[素盞嗚尊]]・[[大国主命]]・[[建御名方神]]を祭神とするが、能登にとどまるのは建御名方神である。
==== 留守神 ====
伝承で神無月には家に祀られている[[荒神]]も含めて出雲に旅立つとする地域がある(東京都世田谷区など)<ref name="setagaya">{{Cite web|和書|url=https://www.city.setagaya.lg.jp/mokuji/bunka/004/001/d00164372_d/fil/aruzidexe18.pdf |title=あるじでえ第18号|publisher=世田谷区教育委員会 |accessdate=2020-11-14}}</ref>。
一方で出雲には出向かない祭神が存在するとしている地域もあり「留守神」と呼ばれている<ref name="setagaya" />。留守神には荒神や[[えびす|恵比須神]]が宛てられることが多く、10月に恵比須を祀る[[えびす講|恵比須講]]を行う地方もある。
* [[山口県]][[相島 (山口県)|相島]]では竈の神様である荒神を留守神としている<ref name="setagaya" />。
* [[群馬県]][[大泉町]]では荒神と恵比須神を留守神としており、伝承では荒神は子が多く連れていけないため留守番をしているという<ref name="setagaya" />。
* 群馬県[[大胡町]]では荒神には子が多いため出雲には行かないという伝承があり留守神となっている<ref name="setagaya" />。
* [[福島県]]石城地域では荒神には眷族(けんぞく)が多いため遠慮して出かけないという伝承があり留守神となっている<ref name="setagaya" />。
江戸時代、地震は地中の[[大鯰]](おおなまず)が動くことが原因と考えられていたが、[[鹿島神宮]]では[[安政江戸地震|安政の大地震]]が10月に起きたことから、[[要石]]で大鯰を押さえつけていた祭神の鹿島大明神が不在で、さらに留守番をしていた恵比須神が居眠りをしたために起きたという伝承があり[[鯰絵]]にも描かれている<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.library.metro.tokyo.lg.jp/portals/0/edo/tokyo_library/modal/index.html?d=5413 |title=鯰と要石|publisher=東京都立図書館 |accessdate=2020-11-14}}</ref>。
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
<references />
== 関連項目 ==
* [[旧暦]]([[太陰太陽暦]]) - [[新暦]]([[グレゴリオ暦]])
* [[睦月]] - [[如月]] - [[弥生]] - [[卯月]] - [[皐月]] - [[水無月]] - [[文月]] - [[葉月]] - [[長月]] - '''神無月''' - [[霜月]] - [[師走]]
* {{Prefix}}
* {{Intitle}}
{{DEFAULTSORT:かんなつき}}
[[Category:旧暦10月|*かんなつき]]
[[Category:10月|*かんなつき]]
[[Category:神道]]
[[Category:島根県の祭り]]
[[Category:冬の季語]]
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2003-09-11T11:57:09Z
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2023-11-29T13:48:38Z
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E7%84%A1%E6%9C%88
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16,268 |
霜月
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霜月(しもつき)
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霜月(しもつき) 11月 (旧暦) - 旧暦(太陰太陽暦)における年初から11番目の月の別名。
霜月 (フランス革命暦) - フランス革命暦における年初から3番目の月。
霜月 (駆逐艦) - 日本海軍の秋月型駆逐艦7番艦。
|
'''霜月'''(しもつき)
* [[11月 (旧暦)]] - [[旧暦]]([[太陰太陽暦]])における年初から11番目の[[月 (暦)|月]]の別名。
* {{仮リンク|霜月 (フランス革命暦)|en|Frimaire}} - [[フランス革命暦]]における年初から3番目の[[月 (暦)|月]]。
* [[霜月 (駆逐艦)]] - 日本海軍の[[秋月型駆逐艦]]7番艦。
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16,271 |
東浦和駅
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東浦和駅(ひがしうらわえき)は、埼玉県さいたま市緑区東浦和一丁目にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)武蔵野線の駅である。駅番号はJM 24。
武蔵野線開業時は、将来都市高速鉄道7号線(現・埼玉高速鉄道線)との乗換駅になる予定であった が、1985年の運輸政策審議会答申第7号で鳩ヶ谷市(現・川口市)中央以北での同路線のルートが変更されたため、埼玉高速鉄道線との乗換駅は隣の東川口駅となった。
掘割の中に相対式ホーム2面2線を有する地上駅で、その2線の間に中線1線を持つ。
駅舎は東川口寄り線路・ホーム上部の人工地盤上にあり、駅前広場を介して埼玉県道235号大間木蕨線が直交している。各ホームと駅舎コンコースの間を連絡するエレベーター、および南浦和寄りにエスカレーターが設置されている。ホームの南浦和方向は地上に浮き出ている。
南浦和駅管理の業務委託駅で、駅業務はJR東日本ステーションサービスに受託している。指定席券売機、自動改札機が設置されている。駅本屋の施工は飛島建設による。
駅カラーは水色と青色の2色。
(出典:JR東日本:駅構内図)
2022年(令和4年)度の1日平均乗車人員は25,887人である。武蔵野線内では26駅中越谷レイクタウン駅に次ぐ第11位で、乗換駅ではない武蔵野線単独駅としては同駅に次ぐ第2位。2020年度までは1位だったが、2021年度に初めて逆転された。
武蔵野線の最混雑区間は当駅から南浦和駅の区間であり、朝ラッシュ時の混雑率は173%(2018年)である。駅周辺のベッドタウン化が進み、当駅利用者は年々増加し続けている。さいたま市に立地しているが、川口市北部も近い(市境まで約200m)ため、当駅の駅勢圏となっている。
近年の乗車人員の推移は下表のとおりである。年度全体の乗車人員を365(閏日が入る年度は366)で除して一日平均乗車人員を求めており、計算で生じた小数点以下の値は切り捨てているため、定期外と定期の和は必ずしも合計と一致しない。
さいたま市緑区役所は国際興業バスでのアクセスとなる。
当駅から東川口方向に進むとすぐに中線が本線に合流する。その後、見沼代用水西縁を越えると見沼田んぼが広がる。見沼代用水西縁から見沼代用水東縁までは、武蔵野線の線路は見沼田んぼの中を通る。見沼田んぼの中間を通る芝川を越え、見沼代用水東縁を過ぎると川口市に入り、その後は東川口方向の線路際に住宅が広がる。
駅付近にはスクランブル交差点が整備されている。区画整理が実施され、整然とした住宅街となっている。
2021年12月16日、駅前ロータリー(北側)に東京オリンピックのゴールドポスト(第32号)が設置された(ゴールドポストプロジェクト)。
国際興業バスが運行する路線バスが発着する。
停留所は、県道235号大間木蕨線沿いの柳崎県営住宅バス停付近に設置されている。川口市が運営し、国際興業バスに運行受託しているコミュニティバス(みんななかまバス)が発着する。
以下の深夜バス・深夜急行バスが当駅終点で運行されている。
さいたま市駒場スタジアム、埼玉スタジアム2002でのJリーグ、サッカー日本代表戦開催時は直通シャトルバスが運行される。ただし、主に浦和レッズまたは日本代表主催試合のみの運行で、大宮アルディージャ主催試合の場合は、混雑する浦和レッズ戦以外は原則として駒場スタジアム、埼玉スタジアムともに直通バスは運行されない。
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東浦和駅(ひがしうらわえき)は、埼玉県さいたま市緑区東浦和一丁目にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)武蔵野線の駅である。駅番号はJM 24。
|
{{駅情報
|社色 = green
|文字色 =
|駅名 = 東浦和駅
|画像 = JR Musashino-Line Higashi-Urawa Station building.jpg
|pxl = 300
|画像説明 = 駅舎(2019年9月)
|地図= {{Infobox mapframe|zoom=15|frame-width=300|type=point|marker=rail|coord={{coord|35|51|50.8|N|139|42|16.7|E}}}}
|よみがな = ひがしうらわ
|ローマ字 = Higashi-Urawa
|前の駅 = JM 25 [[南浦和駅|南浦和]]
|駅間A = 3.7
|駅間B = 3.8
|次の駅 = [[東川口駅|東川口]] JM 23
|電報略号 = ヒウ
|所属事業者 = [[東日本旅客鉄道]](JR東日本)
|所属路線 = {{color|#f15a22|■}}[[武蔵野線]]
|駅番号 = {{駅番号r|JM|24|#f15a22|1}}
|キロ程 = 64.2 km([[鶴見駅|鶴見]]起点)<br/>[[府中本町駅|府中本町]]から35.4
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|所在地 = [[さいたま市]][[緑区 (さいたま市)|緑区]][[東浦和]]一丁目<ref name="eki"/>23-2
|座標 = {{coord|35|51|50.8|N|139|42|16.7|E|region:JP-14_type:railwaystation|display=inline,title}}
|駅構造 = [[地上駅]]([[地下駅#掘割駅|掘割構造]])
|ホーム = 2面2線
|開業年月日 = [[1973年]]([[昭和]]48年)[[4月1日]]<ref name="eki"/>
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|乗降人員 =
|統計年度 = 2022年
|乗換 =
|備考 = [[日本の鉄道駅#業務委託駅|業務委託駅]]<ref name="eki"/>
}}
'''東浦和駅'''(ひがしうらわえき)は、[[埼玉県]][[さいたま市]][[緑区 (さいたま市)|緑区]][[東浦和]]一丁目にある、[[東日本旅客鉄道]](JR東日本)[[武蔵野線]]の[[鉄道駅|駅]]である<ref name="eki">{{Cite web|和書|url=http://www.jreast.co.jp/estation/station/info.aspx?StationCd=1268 |title=JR東日本:各駅情報(東浦和駅) |publisher=東日本旅客鉄道 |accessdate=2015-01-02}}</ref>。[[駅ナンバリング|駅番号]]は'''JM 24'''。
== 歴史 ==
武蔵野線開業時は、将来都市高速鉄道7号線(現・[[埼玉高速鉄道線]])との[[乗換駅]]になる予定であった<ref>{{cite book|和書|year=1973|month=09|title=鉄道ピクトリアル|publisher=電気車研究会}}</ref> が、[[1985年]]の[[運輸政策審議会答申第7号]]で[[鳩ヶ谷市]](現・[[川口市]])中央以北での同路線のルートが変更されたため、埼玉高速鉄道線との乗換駅は隣の[[東川口駅]]となった。
=== 年表 ===
* [[1973年]]([[昭和]]48年)[[4月1日]]:[[日本国有鉄道]](国鉄)の駅として開業<ref name="eki"/>。開業当初に自動改集札機が試験設置された12駅の一つ。
* [[1987年]](昭和62年)4月1日:[[国鉄分割民営化]]に伴い、東日本旅客鉄道(JR東日本)の駅となる。
* [[2001年]]([[平成]]13年)
** [[5月1日]]:[[浦和市]]・[[大宮市]]・[[与野市]]が合併し、所在地が[[さいたま市]]となる。
** [[11月18日]]:[[ICカード]]「[[Suica]]」の利用が可能となる<ref group="広報">{{Cite web|和書|url=https://www.jreast.co.jp/press/2001_1/20010904/suica.pdf|archiveurl=https://web.archive.org/web/20190727044949/https://www.jreast.co.jp/press/2001_1/20010904/suica.pdf|title=Suicaご利用可能エリアマップ(2001年11月18日当初)|format=PDF|language=日本語|archivedate=2019-07-27|accessdate=2020-04-29|publisher=東日本旅客鉄道}}</ref>。
* [[2003年]](平成15年)4月1日:さいたま市が[[政令指定都市]]に移行し、所在地がさいたま市[[緑区 (さいたま市)|緑区]]となる。
* [[2018年]](平成30年)
** [[9月30日]]:[[みどりの窓口]]の営業を終了<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.jreast.co.jp/estation/station/info.aspx?StationCd=1268|title=駅の情報(東浦和駅):JR東日本 |accessdate=2018-09-03|publisher=東日本旅客鉄道|archiveurl=https://archive.fo/1XP4z|archivedate=2018-09-03}}</ref>。
** [[11月1日]]:業務委託化。
== 駅構造 ==
[[切土|掘割]]の中に[[相対式ホーム]]2面2線を有する[[地上駅]]で、その2線の間に[[停車場#線名|中線]]1線を持つ<ref name="jtb62">[[#jtb|武蔵野線まるごと探見]]、pp.62-63。</ref>。
駅舎は東川口寄り線路・ホーム上部の人工地盤上にあり<ref name="jtb62"/>、[[広場#交通広場と駅前広場|駅前広場]]を介して[[埼玉県道235号大間木蕨線]]が直交している。各ホームと駅舎コンコースの間を連絡する[[エレベーター]]、および[[南浦和駅|南浦和]]寄りに[[エスカレーター]]が設置されている。ホームの南浦和方向は地上に浮き出ている。
[[南浦和駅]]管理の[[日本の鉄道駅#業務委託駅|業務委託駅]]で、駅業務はJR東日本ステーションサービスに受託している。[[指定席券売機]]<ref name="eki"/>、[[自動改札機]]が設置されている。駅本屋の施工は[[飛島建設]]による<ref>『鉄道建築ニュース 1973年4月』、鉄道建築協会、1973年4月。</ref>。
駅カラーは水色と青色の2色。
=== のりば ===
{| class="wikitable"
!番線<!-- 事業者側による呼称 --->!!路線!!方向!!行先
|-
! 1
|rowspan=2|[[ファイル:JR JM line symbol.svg|15px|JM]] 武蔵野線
| style="text-align:center" | 上り
|[[南浦和駅|南浦和]]・[[西国分寺駅|西国分寺]]・[[府中本町駅|府中本町]]方面
|-
! 2
| style="text-align:center" | 下り
|[[新松戸駅|新松戸]]・[[西船橋駅|西船橋]]・[[東京駅|東京]]方面
|}
(出典:[https://www.jreast.co.jp/estation/stations/1268.html JR東日本:駅構内図])
* 隣駅の南浦和駅・東川口駅と混同されやすいためか、ホームには「乗換駅ではありません」という旨の案内がある。
<gallery>
Higashi-urawa-STA Gate.jpg|改札口(2022年8月)
Higashi-urawa-STA Platforms.jpg|ホーム(2022年8月)
</gallery>
== 利用状況 ==
[[2022年]](令和4年)度の1日平均[[乗降人員#乗車人員|'''乗車'''人員]]は'''25,887人'''である<ref name="jreast-jyousha" group="利用客数">[https://www.jreast.co.jp/passenger/index.html 各駅の乗車人員] - JR東日本</ref>。武蔵野線内では26駅中[[越谷レイクタウン駅]]に次ぐ第11位で、[[乗換駅]]ではない武蔵野線単独駅としては同駅に次ぐ第2位。[[2020年|2020年度]]までは1位だったが、2021年度に初めて逆転された。
武蔵野線の最混雑区間は当駅から南浦和駅の区間であり、朝[[ラッシュ時]]の混雑率は173%([[2018年]])である。駅周辺の[[ベッドタウン]]化が進み、当駅利用者は年々増加し続けている。さいたま市に立地しているが、[[川口市]]北部も近い(市境まで約200m)ため、当駅の駅勢圏となっている。
=== 年度別1日平均乗車人員(1973年 - 2000年) ===
近年の'''乗車'''人員の推移は下表のとおりである。年度全体の乗車人員を365(閏日が入る年度は366)で除して一日平均乗車人員を求めており、計算で生じた小数点以下の値は'''切り捨てている'''ため、定期外と定期の和は必ずしも合計と一致しない。
<!--埼玉県統計年鑑を出典にしている数値については、/365(or366)で計算してあります-->
{| class="wikitable" style="text-align:right; font-size:85%;"
|+年度別1日平均乗車人員<ref group="*" name="saitamapref-toukei">[http://www.pref.saitama.lg.jp/site/a310/ 埼玉県統計年鑑] - 埼玉県</ref><ref group="*" name="saitamacity-toukei">[http://www.city.saitama.jp/006/013/001/005/index.html さいたま市統計書] - さいたま市</ref><ref group="*" name="urawacity-toukei">{{Cite web|和書|title=さいたま市/旧浦和市統計書|url=https://www.city.saitama.jp/006/013/001/003/index.html|website=www.city.saitama.jp|accessdate=2020-05-20}}</ref>
|-
!年度
!1日平均<br>乗車人員
!出典
|-
|1981年(昭和56年)
|5,246
|
|-
|1982年(昭和57年)
|5,070
|
|-
|1983年(昭和58年)
|5,973
|
|-
|1984年(昭和59年)
|6,202
|
|-
|1985年(昭和60年)
|7,475
|
|-
|1986年(昭和61年)
|9,010
|
|-
|1987年(昭和62年)
|10,539
|
|-
|1988年(昭和63年)
|13,401
|
|-
|1989年(平成元年)
|15,599
|
|-
|1990年(平成{{0}}2年)
|18,055
|
|-
|1991年(平成{{0}}3年)
|19,765
|
|-
|1992年(平成{{0}}4年)
|21,225
|
|-
|1993年(平成{{0}}5年)
|22,063
|
|-
|1994年(平成{{0}}6年)
|22,697
|
|-
|1995年(平成{{0}}7年)
|23,166
|
|-
|1996年(平成{{0}}8年)
|23,829
|
|-
|1997年(平成{{0}}9年)
|24,273
|
|-
|1998年(平成10年)
|24,279
|
|-
|1999年(平成11年)
|24,278
|<ref group="埼玉県統計">[https://www.pref.saitama.lg.jp/a0206/a310/911-20091230-813.html 埼玉県統計年鑑(平成12年)]</ref>
|-
|2000年(平成12年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2000_01.html 各駅の乗車人員(2000年度)] - JR東日本</ref>24,470
|<ref group="埼玉県統計">[https://www.pref.saitama.lg.jp/a0206/a310/911-20100105-832.html 埼玉県統計年鑑(平成13年)]</ref>
|}
=== 年度別1日平均乗車人員(2001年以降) ===
{| class="wikitable" style="text-align:right; font-size:85%;"
|+年度別1日平均乗車人員<ref group="*" name="saitamapref-toukei"/><ref group="*" name="saitamacity-toukei"/><ref group="*" name="urawacity-toukei"/>
!rowspan="2"|年度
!colspan="3"|1日平均乗車人員
!rowspan="2"|出典
|-
! 定期外 !! 定期 !! 合計
|-
|2001年(平成13年)
| ||
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2001_01.html 各駅の乗車人員(2001年度)] - JR東日本</ref>24,560
|<ref group="埼玉県統計">[http://www.pref.saitama.lg.jp/kense/toke/nenkan/h14/index.html 埼玉県統計年鑑(平成14年)]</ref>
|-
|2002年(平成14年)
| ||
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2002_01.html 各駅の乗車人員(2002年度)] - JR東日本</ref>24,784
|<ref group="埼玉県統計">[http://www.pref.saitama.lg.jp/kense/toke/nenkan/h15/index.html 埼玉県統計年鑑(平成15年)]</ref>
|-
|2003年(平成15年)
| ||
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2003_01.html 各駅の乗車人員(2003年度)] - JR東日本</ref>25,226
|<ref group="埼玉県統計">[http://www.pref.saitama.lg.jp/kense/toke/nenkan/h16/index.html 埼玉県統計年鑑(平成16年)]</ref>
|-
|2004年(平成16年)
| ||
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2004_01.html 各駅の乗車人員(2004年度)] - JR東日本</ref>25,661
|<ref group="埼玉県統計">[http://www.pref.saitama.lg.jp/kense/toke/nenkan/h17/index.html 埼玉県統計年鑑(平成17年)]</ref>
|-
|2005年(平成17年)
| ||
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2005_01.html 各駅の乗車人員(2005年度)] - JR東日本</ref>26,054
|<ref group="埼玉県統計">[http://www.pref.saitama.lg.jp/kense/toke/nenkan/h18/index.html 埼玉県統計年鑑(平成18年)]</ref>
|-
|2006年(平成18年)
| ||
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2006_01.html 各駅の乗車人員(2006年度)] - JR東日本</ref>25,994
|<ref group="埼玉県統計">[http://www.pref.saitama.lg.jp/kense/toke/nenkan/h19/index.html 埼玉県統計年鑑(平成19年)]</ref>
|-
|2007年(平成19年)
| ||
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2007_01.html 各駅の乗車人員(2007年度)] - JR東日本</ref>26,154
|<ref group="埼玉県統計">[http://www.pref.saitama.lg.jp/kense/toke/nenkan/h20/index.html 埼玉県統計年鑑(平成20年)]</ref>
|-
|2008年(平成20年)
| ||
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2008_01.html 各駅の乗車人員(2008年度)] - JR東日本</ref>26,217
|<ref group="埼玉県統計">[http://www.pref.saitama.lg.jp/kense/toke/nenkan/h21/index.html 埼玉県統計年鑑(平成21年)]</ref>
|-
|2009年(平成21年)
| ||
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2009_01.html 各駅の乗車人員(2009年度)] - JR東日本</ref>26,265
|<ref group="埼玉県統計">[http://www.pref.saitama.lg.jp/kense/toke/nenkan/h22/index.html 埼玉県統計年鑑(平成22年)]</ref>
|-
|2010年(平成22年)
| ||
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2010_01.html 各駅の乗車人員(2010年度)] - JR東日本</ref>26,469
|<ref group="埼玉県統計">[http://www.pref.saitama.lg.jp/kense/toke/nenkan/h23/index.html 埼玉県統計年鑑(平成23年)]</ref>
|-
|2011年(平成23年)
| ||
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2011_01.html 各駅の乗車人員(2011年度)] - JR東日本</ref>26,763
|<ref group="埼玉県統計">[http://www.pref.saitama.lg.jp/kense/toke/nenkan/h24/index.html 埼玉県統計年鑑(平成24年)]</ref>
|-
|2012年(平成24年)
|<ref group="JR" name="passenger2012"/>7,565 ||<ref group="JR" name="passenger2012"/>19,618
|<ref group="JR" name="passenger2012">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2012_01.html 各駅の乗車人員(2012年度)] - JR東日本</ref>27,183
|<ref group="埼玉県統計">[http://www.pref.saitama.lg.jp/kense/toke/nenkan/h25/index.html 埼玉県統計年鑑(平成25年)]</ref>
|-
|2013年(平成25年)
|<ref group="JR" name="passenger2013"/>7,634 ||<ref group="JR" name="passenger2013"/>20,004
|<ref group="JR" name="passenger2013">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2013_01.html 各駅の乗車人員(2013年度)] - JR東日本</ref>27,638
|<ref group="埼玉県統計">[http://www.pref.saitama.lg.jp/a0206/a310/a310a2014.html 埼玉県統計年鑑(平成26年)]</ref>
|-
|2014年(平成26年)
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|
|-
|2022年(令和{{0}}4年)
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|
|}
== 駅周辺 ==
[[ファイル:urawa higashi police sta.jpg|thumb|浦和東警察署]]
[[ファイル:higashiurawa ekimae Koban.JPG|thumb|「KOBAN」の文字が目立つ、東浦和駅前交番。]]
さいたま市緑区役所は[[国際興業バス]]でのアクセスとなる。
当駅から[[東川口駅|東川口]]方向に進むとすぐに中線が本線に合流する。その後、[[見沼代用水西縁]]を越えると[[見沼|見沼田んぼ]]が広がる<ref name="jtb62"/>。見沼代用水西縁から[[見沼代用水東縁]]までは、武蔵野線の線路は見沼田んぼの中を通る<ref name="jtb62"/>。見沼田んぼの中間を通る[[芝川 (埼玉県)|芝川]]を越え、見沼代用水東縁を過ぎると川口市に入り、その後は東川口方向の線路際に[[住宅]]が広がる。
駅付近には[[スクランブル交差点]]が整備されている。[[土地区画整理事業|区画整理]]が実施され、整然とした住宅街となっている。
[[2021年]]12月16日、駅前ロータリー(北側)に[[2020年東京オリンピック|東京オリンピック]]のゴールドポスト(第32号)が設置された([[ゴールドポストプロジェクト]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.kantei.go.jp/jp/singi/tokyo2020_suishin_honbu/gold_post_project/index.html|title=ゴールドポストプロジェクト 第32号 我妻悠香|accessdate=2022-06-9|publisher=首相官邸 オリンピック・パラリンピックレガシー推進室}}</ref>)。
<!--チェーン店を含む飲食店、コンビニ、個人商店、ATMのみ設置の金融機関無人店舗、学習塾、携帯ショップなどや、左記以外でもあまりにも距離がある施設は際限がなくなるので記載しない-->
; 警察・消防
* [[浦和東警察署]]
* 浦和東警察署 東浦和駅前交番
* [[緑消防署 (さいたま市)|緑消防署]]
; 公的施設・医療機関
* 緑区役所
* [[プラザイースト]]
** [[さいたま市立東浦和図書館]]
* 緑区役所 東浦和市民の窓口
* [[埼玉協同病院]]
* [[さいたま市立病院]]
; 学校
{{columns-list|2|
* [[浦和明の星女子中学校・高等学校]]
* [[浦和麗明高等学校]]グラウンド
* [[埼玉県立川口北高等学校]]
* [[埼玉学園大学]]・[[川口短期大学]]
* [[浦和大学]]・[[浦和大学短期大学部]]
* [[さいたま市立東浦和中学校]]
* [[さいたま市立尾間木中学校]]
* [[さいたま市立尾間木小学校]]
* [[さいたま市立大牧小学校]]
* [[さいたま市立向小学校]]
* [[さいたま市立中尾小学校]]
* [[さいたま市立芝原小学校]]
* [[川口市立在家中学校]]
* [[川口市立北中学校]]
* [[川口市立在家小学校]]
* [[川口市立柳崎小学校]]
|}}
; 公園・史跡など
[[ファイル:見沼代用水西縁一の関.JPG|thumb|見沼通船堀の西縁一の関]]
{{columns-list|2|
* [[見沼|見沼田んぼ]]
* [[見沼通船堀]]
* [[見沼通船堀公園]]
* [[さいたま市立浦和くらしの博物館民家園|さいたま市浦和くらしの博物館民家園]]
* [[井沼方公園]]
* [[大崎公園 (さいたま市)|大崎公園]]
* [[馬場小室山遺跡]]
* [[芝川第一調節池]]
* [[氷川女体神社]]
* さいたま市園芸植物園
* [[大間木公園 (さいたま市)|大間木公園]] - 毎年夏に開催されるさいたま市花火大会の会場の1つ<ref group="注釈">残りの2か所は、東武野田線沿線の大和田会場([[大宮公園駅]]または[[大和田駅 (埼玉県)|大和田駅]]下車)と岩槻会場([[岩槻駅]]と[[東岩槻駅]])である。</ref>。
* 東浦和中央公園
* 東浦和南公園
* 東浦和第一公園
* 東浦和第二公園
* 和田公園
* 梅所第一公園
* 柳崎第三公園
* さいたま市見沼ヘルシーランド
* [[クリーンセンター大崎]]([[清掃工場]])
* [[尾間木村|尾間木]][[配水場]]
|}}
; 郵便局・金融機関
* 浦和宮前郵便局
* [[埼玉りそな銀行]] 東浦和支店
* [[川口信用金庫]] 東浦和駅前支店
* [[さいたま農業協同組合|JAバンク埼玉]] 東浦和支店
; 店舗
{{columns-list|2|
* [[伊勢丹]] アイ・プラザ東浦和
* [[イオン (店舗ブランド)|イオンフードスタイル]]東浦和店
* [[ヨークマート]] 柳崎店
* クイズゲート浦和
** [[ニトリ]]
** [[ロピア]]
* [[ヤマダデンキ]]テックランド浦和店
* [[セイジョー|デイリーケアセイジョー]] 川口北店
* [[ウエルシア薬局|ウエルシア]] 川口北園店
* 角上魚類 川口店
|}}
== バス路線 ==
=== 東浦和駅 ===
<!--バス路線の記述は[[プロジェクト:鉄道#バス路線の記述法]]に基づき、必要最小限の情報に留めています。特に経由地については、[[プロジェクト:鉄道#バス路線の記述法]]の観点から、記載しないでください。-->
[[国際興業バス]]が運行する路線バスが発着する。
{| class="wikitable" style="font-size:80%;"
!のりば!!運行事業者!!系統・行先
|-
!1
|rowspan="4" style="text-align:center;"|国際興業バス
|{{Unbulleted list|[[国際興業バス鳩ヶ谷営業所#蕨駅 - 東浦和駅線|'''蕨02''']]:[[蕨駅]]東口|[[国際興業バス鳩ヶ谷営業所#西川口駅 - 前川 - 東浦和駅線|'''西川07''']]:[[西川口駅]]東口|[[国際興業バス鳩ヶ谷営業所#東浦和駅 - 新井宿駅・神根福祉センター線|'''東浦11''']]:神根福祉センター|'''東浦82''':[[新井宿駅]]|'''東浦82-2''':石神中}}
|-
!3
|{{Unbulleted list|[[国際興業バスさいたま東営業所#浦和駅東口 - イーストシティ - 東浦和駅 - 馬場折返場線|'''東浦01'''・'''浦04-2''']]:馬場折返場|'''東浦01H'''・'''浦04-2H''':[[さいたま市立病院|市立病院]]|'''東浦02''':[[埼玉県立浦和東高等学校|浦和東高校]]|'''東浦81'''・'''浦04-3''':[[国際興業バスさいたま東営業所|さいたま東営業所]]}}
|-
!4
|{{Unbulleted list|[[国際興業バスさいたま東営業所#浦和駅東口 - 浅間下 - 東浦和駅線|'''浦09''']]:[[浦和駅]]東口|[[国際興業バスさいたま東営業所#東浦和駅 - 中丸団地 - 緑区役所線|'''東浦03''']]:緑区役所|'''東浦80-2''':花月}}
|-
!5
|'''浦04'''・'''浦04-2'''・'''浦04-3''':浦和駅東口
|}
=== 東浦和駅南発着 ===
<!--バス路線の記述は[[プロジェクト:鉄道#バス路線の記述法]]に基づき、必要最小限の情報に留めています。特に経由地については、[[プロジェクト:鉄道#バス路線の記述法]]の観点から、記載しないでください。-->
停留所は、[[埼玉県道235号大間木蕨線|県道235号大間木蕨線]]沿いの柳崎県営住宅バス停付近に設置されている。[[川口市]]が運営し、国際興業バスに運行受託している[[川口市コミュニティバス|コミュニティバス(みんななかまバス)]]が発着する。
* [[川口市コミュニティバス#芝・神根循環|'''川口03''']]:[[川口市立医療センター]](神根循環)
=== その他 ===
<!--バス路線の記述は[[プロジェクト:鉄道#バス路線の記述法]]に基づき、必要最小限の情報に留めています。特に経由地については、[[プロジェクト:鉄道#バス路線の記述法]]の観点から、記載しないでください。-->
以下の[[深夜バス]]・深夜急行バスが当駅終点で運行されている。
* [[国際興業バス鳩ヶ谷営業所#赤羽駅 → 川口駅 → 東浦和駅線(深夜バス)|'''赤12''']]:[[赤羽駅]]東口発
* [[国際興業バス鳩ヶ谷営業所#池袋駅 → 川口駅 → 東浦和駅線(深夜急行バス)|'''ミッドナイトアロー南浦和・東浦和''']]:[[池袋駅]]西口発
[[さいたま市駒場スタジアム]]、[[埼玉スタジアム2002]]での[[日本プロサッカーリーグ|Jリーグ]]、[[サッカー日本代表]]戦開催時は直通シャトルバスが運行される。ただし、主に[[浦和レッドダイヤモンズ|浦和レッズ]]または日本代表主催試合のみの運行で、[[大宮アルディージャ]]主催試合の場合は、混雑する浦和レッズ戦以外は原則として駒場スタジアム、埼玉スタジアムともに直通バスは運行されない{{Refnest|group="注釈"|試合会場でも「(帰りの)東浦和駅への直行バスは運行されません」と[[電光掲示板]]などで案内されている。}}。
== 隣の駅 ==
; 東日本旅客鉄道(JR東日本)
: [[ファイル:JR JM line symbol.svg|15px|JM]] 武蔵野線
:: [[東川口駅]] (JM 23) - '''東浦和駅 (JM 24)''' - [[南浦和駅]] (JM 25)
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 記事本文 ===
==== 注釈 ====
{{Reflist|group="注釈"}}
==== 出典 ====
{{Reflist}}
===== 広報資料・プレスリリースなど一次資料 =====
{{Reflist|group="広報"}}
=== 利用状況 ===
; JRの1日平均利用客数
{{Reflist|group="利用客数"}}
; JR東日本の2000年度以降の乗車人員
{{Reflist|group="JR"|22em}}
; JRの統計データ
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; 埼玉県統計年鑑
{{Reflist|group="埼玉県統計"|22em}}
== 参考文献 ==
* {{Cite book |和書 |author=三好好三 |author2=垣本泰宏 |title=武蔵野線まるごと探見 |publisher=[[JTBパブリッシング]] |date=2010-02-01 |ref=jtb}}
== 関連項目 ==
{{commonscat|Higashi-Urawa Station}}
* [[日本の鉄道駅一覧]]
* [[むんこ]] - 日本の4コマ漫画家。代表作『[[らいか・デイズ]]』などに登場する鉄道の駅は、当駅がモチーフとなっている。
** ([http://blog.goo.ne.jp/munkonoosirase/e/ba2879ef3bc30403989a8a82d4d653ae 「むんこのおしらせ」 2017年11月10日付記事] 2020年09月26日閲覧。)
== 外部リンク ==
* {{外部リンク/JR東日本駅|filename=1268|name=東浦和}}
{{武蔵野線・京葉線}}
{{デフォルトソート:ひかしうらわ}}
[[Category:さいたま市の鉄道駅]]
[[Category:日本の鉄道駅 ひ|かしうらわ]]
[[Category:東日本旅客鉄道の鉄道駅]]
[[Category:日本国有鉄道の鉄道駅]]
[[Category:武蔵野線|ひかしうらわえき]]
[[Category:1973年開業の鉄道駅]]
[[Category:さいたま市緑区の交通|ひかしうらわえき]]
[[Category:さいたま市緑区の建築物]]
|
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|
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E6%B5%A6%E5%92%8C%E9%A7%85
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16,272 |
鳩ヶ谷駅
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鳩ヶ谷駅(はとがやえき)は、埼玉県川口市大字里にある、埼玉高速鉄道埼玉高速鉄道線(埼玉スタジアム線)の駅である。駅番号はSR 22。
島式ホーム1面2線を有する地下駅。保安用にホームドアシステムを装備する。地下1階が改札階で地下2階がホーム階となっている。ホームは国道122号(岩槻街道)の地下に建設されている。ステーションカラーは 水色。
浦和美園方の上下線間に折り返し用の引き上げ線が設けられている。朝ラッシュ時間帯に赤羽岩淵方面から到着する列車の一部は当駅終着となり、この引き上げ線を使用して赤羽岩淵方面へ折り返す。その一方で、浦和美園駅が最寄りの埼玉スタジアム2002でJリーグ・浦和レッドダイヤモンズ(浦和レッズ)の主催試合やFIFA主催サッカー国際試合(主にサッカー日本代表の試合)が開催され、多くの乗客が見込まれる場合、埼玉高速鉄道は臨時ダイヤを編成し、試合開始前の時間帯に運行される当駅始発・終着の一部列車を浦和美園まで延長運転するとともに、試合終了後に運転される浦和美園発増発臨時列車の一部を当駅終着としている。
埼玉高速鉄道延伸検討委員会の検討では、将来的に埼玉高速鉄道で優等列車の運転を行うことになった場合、当駅にホームを増設して島式ホーム2面4線または2面3線とし、緩急接続を行うことが提案されている。
出入口は3か所あり、1番と2番の出入口は国道に面している。川口市鳩ヶ谷駅市民センター(出張所)直下にある2・3番出入口部の改札口に、2番出入口用エレベーターとATMコーナーが設置されている。改札内には利用客から譲渡された本「鳩ヶ谷文庫」が置いてあり、駅員に声をかけると誰でも本を譲渡することができる。
コンビニ(デイリーヤマザキ)、ATM、マッサージ店、公衆電話が改札外にある。
(出典:埼玉高速鉄道:駅構内図)
2022年度の1日平均乗車人員は10,777人である。埼玉高速鉄道線の駅では赤羽岩淵駅、東川口駅に次ぐ第3位であり、単独駅では最も多い。
開業以降の1日平均乗車人員の推移は下表のとおりである。
国道122号を挟んで駅東側一帯は、日光御成街道の鳩ヶ谷宿時代から続く旧市街であり明治時代や大正時代に建造された建築物も残存し、西側は主に再開発用地である。かつての旧鳩ヶ谷市の中心駅であり、長年「陸の孤島」とされた同市では南鳩ヶ谷駅と並んで初めての鉄道駅であった。川口市鳩ヶ谷地区の主要な行政・公共施設は、ほぼ本駅周辺に集中している。駅の開業に伴い、マンションなどの大規模建築物の建設が進められ、かつ駅周辺にはさまざまな商店も開業した。
国道122号を挟んで東側にある。東口ロータリーがある。
国道122号を挟んで西側、鳩ヶ谷駅市民センターと駅建物を共用している。西口ロータリーがある。
2番出入口と改札口を共有する。国道122号の東側やや北方向、里交差点付近に独立した出入口として存在する。
当駅近くには、「鳩ヶ谷駅西口」・「鳩ヶ谷駅東口」停留所のほか、東口ロータリーから県道34号左方に「鳩ヶ谷駅(JA前)」停留所、右方に「昭和橋」停留所があり、すべて国際興業バスにより運行されている。東口発の[鳩06]系統のみ川口営業所管轄で、その他の路線は鳩ヶ谷営業所管轄である。
[川18]・[蕨03]系統について、川口駅・蕨駅方面は西口・JA前・昭和橋停留所から乗降できるが、降車する停留所によっては運賃が異なる場合がある。鳩ヶ谷公団住宅・新井宿駅方面はJA前の停留所のみ乗降可能。
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鳩ヶ谷駅(はとがやえき)は、埼玉県川口市大字里にある、埼玉高速鉄道埼玉高速鉄道線(埼玉スタジアム線)の駅である。駅番号はSR 22。
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{{駅情報
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'''鳩ヶ谷駅'''(はとがやえき)は、[[埼玉県]][[川口市]][[里 (川口市)|大字里]]にある、[[埼玉高速鉄道]][[埼玉高速鉄道線]](埼玉スタジアム線)の[[鉄道駅|駅]]である。[[駅ナンバリング|駅番号]]は'''SR 22'''。
== 歴史 ==
* [[2001年]]([[平成]]13年)[[3月28日]] - 開業。
* [[2007年]](平成19年)[[3月18日]] - [[ICカード]]「[[PASMO]]」の利用が可能となる<ref>{{Cite press release|和書|url=https://www.tokyu.co.jp/file/061221_1.pdf|archiveurl=https://web.archive.org/web/20200501075147/https://www.tokyu.co.jp/file/061221_1.pdf|format=PDF|language=日本語|title=PASMOは3月18日(日)サービスを開始します ー鉄道23事業者、バス31事業者が導入し、順次拡大してまいりますー|publisher=PASMO協議会/パスモ|date=2006-12-21|accessdate=2020-05-31|archivedate=2020-05-01}}</ref>。
* [[2011年]](平成23年)[[10月11日]] - 旧・[[鳩ヶ谷市]]の[[川口市]]への編入合併により、川口市所在の駅となる。
* [[2016年]](平成28年)[[11月23日]]:副駅名「山伸マテリアル(株) 最寄駅」を設定<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.s-rail.co.jp/news/up_pdf/4776151d8a37d549205b481fc640cbfb59e017e1.pdf |title=埼玉スタジアム線 戸塚安行駅の副駅名称決定!! 『建物の総合プロデュース 一級建築士事務所 デザインライフ株式会社 最寄駅』 |access-date=2023-05-07 |publisher=埼玉高速鉄道 |format=PDF |archive-url=https://web.archive.org/web/20230507113552/https://www.s-rail.co.jp/news/up_pdf/4776151d8a37d549205b481fc640cbfb59e017e1.pdf |archive-date=2023-05-07}}</ref>。
== 駅構造 ==
島式[[プラットホーム|ホーム]]1面2線を有する[[地下駅]]。保安用に[[ホームドア]]システムを装備する。地下1階が改札階で地下2階がホーム階となっている。ホームは[[国道122号]]([[岩槻街道]])の地下に建設されている。ステーションカラーは{{Colorbox|#4E96D1}}水色。
[[浦和美園駅|浦和美園]]方の上下線間に折り返し用の[[引き上げ線]]が設けられている。朝ラッシュ時間帯に[[赤羽岩淵駅|赤羽岩淵]]方面から到着する列車の一部は当駅終着となり、この引き上げ線を使用して赤羽岩淵方面へ折り返す。その一方で、[[浦和美園駅]]が最寄りの[[埼玉スタジアム2002]]で[[日本プロサッカーリーグ|Jリーグ]]・[[浦和レッドダイヤモンズ]](浦和レッズ)の主催試合や[[国際サッカー連盟|FIFA]]主催サッカー国際試合(主に[[サッカー日本代表]]の試合)が開催され、多くの乗客が見込まれる場合、埼玉高速鉄道は臨時ダイヤを編成し、試合開始前の時間帯に運行される当駅始発・終着の一部列車を浦和美園まで延長運転するとともに、試合終了後に運転される浦和美園発増発臨時列車の一部を当駅終着としている<ref>一例として、2013年10月27日(浦和レッズ対[[柏レイソル]]戦開催日)の臨時ダイヤ(埼玉高速鉄道公式サイト、「[http://www.s-rail.co.jp/news/2013/1027.html 10/27(日)サッカー臨時列車の運転について]」、2013年10月21日付)。</ref>。
埼玉高速鉄道延伸検討委員会の検討では、将来的に埼玉高速鉄道で優等列車の運転を行うことになった場合、当駅にホームを増設して島式ホーム2面4線または2面3線とし、緩急接続を行うことが提案されている<ref name="SREkento">[http://www.pref.saitama.lg.jp/site/sr-committee/sr-enshinkento.html 埼玉高速鉄道延伸検討委員会] [http://www.pref.saitama.lg.jp/uploaded/attachment/378804.pdf 平成18年度第1回検討会 資料2 追越し施設の効果等の検証]</ref>。
出入口は3か所あり、1番と2番の出入口は国道に面している。川口市鳩ヶ谷駅市民センター(出張所)直下にある2・3番出入口部の改札口に、2番出入口用エレベーターと[[現金自動預け払い機|ATM]]コーナーが設置されている。改札内には利用客から譲渡された本「鳩ヶ谷文庫」が置いてあり、駅員に声をかけると誰でも本を譲渡することができる。
コンビニ(デイリーヤマザキ)、ATM、マッサージ店、公衆電話が改札外にある。
=== のりば ===
{|class="wikitable"
!番線<!-- 事業者側による呼称 --->!!路線!!方向!!行先
|-
!1
|rowspan="2"|[[File:Saitama Stadium Line symbol.svg|15px|SR]] 埼玉高速鉄道線
| style="text-align:center" | 下り
|[[浦和美園駅|浦和美園]]方面
|-
!2
| style="text-align:center" | 上り
|[[赤羽岩淵駅|赤羽岩淵]]方面
|}
(出典:[https://s-rail.co.jp/line/pdf/hatogaya.pdf 埼玉高速鉄道:駅構内図])
<gallery>
File:SR Hatogaya-STA West-Gate.jpg|西口改札(2022年12月)
File:SR Hatogaya-STA East-Gate.jpg|東口改札(2022年12月)
File:SR Hatogaya-STA Concourse.jpg|構内コンコース(2022年12月)
File:Saitama-railway-SR22-Hatogaya-station-platform-20230505-145009.jpg|ホーム(2023年5月)
</gallery>
== 利用状況 ==
[[2022年]]度の1日平均[[乗降人員#乗車人員|'''乗車'''人員]]は'''10,777人'''である<ref group="SR" name="SR2022" />。埼玉高速鉄道線の駅では[[赤羽岩淵駅]]、[[東川口駅]]に次ぐ第3位であり、単独駅では最も多い。
<!--* 平日朝のラッシュ時、始発の赤羽岩淵方面(南北線方面)列車への着席を目的とした乗車のため、一部の利用客で列が作られる。-->
開業以降の1日平均'''乗車'''人員の推移は下表のとおりである。
<!--埼玉県統計年鑑を出典にしている数値については、/365(or366)で計算してあります-->
{|class="wikitable" style="text-align:right; font-size:85%;"
|+年度別1日平均乗車人員<ref>[http://www.pref.saitama.lg.jp/site/a310/ 埼玉県統計年鑑] - 埼玉県</ref>
!年度
!1日平均<br/>乗車人員
!出典
|-
|2001年(平成13年)
|4,921
|<ref group="*">[http://www.pref.saitama.lg.jp/a0206/a310/911-20100105-852.html 埼玉県統計年鑑(平成14年)]</ref>
|-
|2002年(平成14年)
|5,563
|<ref group="*">[http://www.pref.saitama.lg.jp/a0206/a310/911-20100106-872.html 埼玉県統計年鑑(平成15年)]</ref>
|-
|2003年(平成15年)
|6,012
|<ref group="*">[http://www.pref.saitama.lg.jp/a0206/a310/911-20100106-892.html 埼玉県統計年鑑(平成16年)]</ref>
|-
|2004年(平成16年)
|6,598
|<ref group="*">[http://www.pref.saitama.lg.jp/a0206/a310/911-20100107-912.html 埼玉県統計年鑑(平成17年)]</ref>
|-
|2005年(平成17年)
|7,016
|<ref group="*">[http://www.pref.saitama.lg.jp/a0206/a310/911-20100107-934.html 埼玉県統計年鑑(平成18年)]</ref>
|-
|2006年(平成18年)
|7,630
|<ref group="*">[http://www.pref.saitama.lg.jp/a0206/a310/911-20100107-957.html 埼玉県統計年鑑(平成19年)]</ref>
|-
|2007年(平成19年)
|8,120
|<ref group="*">[http://www.pref.saitama.lg.jp/a0206/a310/911-20100108-980.html 埼玉県統計年鑑(平成20年)]</ref>
|-
|2008年(平成20年)
|8,433
|<ref group="*">[http://www.pref.saitama.lg.jp/a0206/a310/a310a200908.html 埼玉県統計年鑑(平成21年)]</ref>
|-
|2009年(平成21年)
|8,520
|<ref group="*">[http://www.pref.saitama.lg.jp/a0206/a310/a310a201008.html 埼玉県統計年鑑(平成22年)]</ref>
|-
|2010年(平成22年)
|8,623
|<ref group="*">[http://www.pref.saitama.lg.jp/a0206/a310/a310a201108.html 埼玉県統計年鑑(平成23年)]</ref>
|-
|2011年(平成23年)
|8,592
|<ref group="*">[http://www.pref.saitama.lg.jp/a0206/a310/a310a201208.html 埼玉県統計年鑑(平成24年)]</ref>
|-
|2012年(平成24年)
|9,030
|<ref group="*">[http://www.pref.saitama.lg.jp/a0206/a310/a310a201308.html 埼玉県統計年鑑(平成25年)]</ref>
|-
|2013年(平成25年)
|9,486
|<ref group="*">[http://www.pref.saitama.lg.jp/a0206/a310/a310a201408.html 埼玉県統計年鑑(平成26年)]</ref>
|-
|2014年(平成26年)
|9,634
|<ref group="*">[http://www.pref.saitama.lg.jp/a0206/a310/a2015ubbyutuusinn.html 埼玉県統計年鑑(平成27年)]</ref>
|-
|2015年(平成27年)
|10,117
|<ref group="*">[http://www.pref.saitama.lg.jp/a0206/a310/a2016ubbyutuusinn.html 埼玉県統計年鑑(平成28年)]</ref>
|-
|2016年(平成28年)
|10,504
|<ref group="*">[http://www.pref.saitama.lg.jp/a0206/a310/a2017_08_unnyu.html 埼玉県統計年鑑(平成29年)]</ref>
|-
|2017年(平成29年)
|10,972
|<ref group="*">[http://www.pref.saitama.lg.jp/a0206/a310/a2018_08_unnyu.html 埼玉県統計年鑑(平成30年)]</ref>
|-
|2018年(平成30年)
|11,718
|<ref group="*">[http://www.pref.saitama.lg.jp/a0206/a310/a2019_08_unnyu.html 埼玉県統計年鑑(令和元年)]</ref>
|-
|2019年(令和元年)
|11,990
|<ref group="*">[https://www.pref.saitama.lg.jp/a0206/a310/a2020_08_unnyu.html 埼玉県統計年鑑(令和2年)]</ref>
|-
|2020年(令和{{0}}2年)
|9,402
|<ref group="*">[https://www.pref.saitama.lg.jp/a0206/a310/a2021_08_unnyu.html 埼玉県統計年鑑(令和3年)]</ref>
|-
|2021年(令和{{0}}3年)
|<ref group="SR" name="SR2021">{{Cite web|和書|title=経営状況、輸送状況|url=https://www.s-rail.co.jp/about/corporate/financial.php|page=|accessdate=2023-07-15|publisher=埼玉高速鉄道|format=|language=日本語|archiveurl=https://web.archive.org/web/20230419104803/https://www.s-rail.co.jp/about/corporate/financial.php|archivedate=2023-04-19}}</ref>9,794
|
|-
|2022年(令和{{0}}4年)
|<ref group="SR" name="SR2022">{{Cite web|和書|title=経営状況、輸送状況|url=https://www.s-rail.co.jp/about/corporate/financial.php|page=|accessdate=2023-07-15|publisher=埼玉高速鉄道|format=|language=日本語|archiveurl=https://web.archive.org/web/20230715013745/https://www.s-rail.co.jp/about/corporate/financial.php|archivedate=2023-07-15}}</ref>10,777
|
|}
== 駅周辺 ==
[[国道122号]]を挟んで駅東側一帯は、[[日光御成街道]]の鳩ヶ谷宿時代から続く旧市街であり明治時代や大正時代に建造された建築物も残存し、西側は主に再開発用地である。かつての旧[[鳩ヶ谷市]]の中心駅であり、長年「陸の孤島」とされた同市では[[南鳩ヶ谷駅]]と並んで初めての鉄道駅であった。川口市鳩ヶ谷地区の主要な行政・公共施設は、ほぼ本駅周辺に集中している。駅の開業に伴い、[[マンション]]などの大規模建築物の建設が進められ、かつ駅周辺にはさまざまな商店も開業した。
=== 1番出口 ===
<!--以下、チェーン店を含む飲食店、コンビニ、個人商店、パチンコ店、開業医、学習塾などは際限がないので記載しない-->
国道122号を挟んで東側にある。東口ロータリーがある。
* 市街地
* 川口市役所 鳩ヶ谷庁舎(旧・[[鳩ヶ谷市]]役所)
* [[川口市消防局]]東消防署
* [[さいたま農業協同組合]] 鳩ヶ谷支店
* 鳩ヶ谷エコーハイツ
* はとがや病院
=== 2番出口 ===
国道122号を挟んで西側、鳩ヶ谷駅市民センターと駅建物を共用している。西口ロータリーがある。
* 鳩ヶ谷駅市民センター(愛称:Dove)
* [[武南警察署]]
* M.U.C鳩ヶ谷医療ビル
* 岡崎病院
* [[埼玉県立鳩ヶ谷高等学校]]
* [[埼玉県立川口高等学校]]
* [[川口市立高等学校・附属中学校|川口市立高等学校]]
* [[SKIPシティ]]
* [[コジマ]]×[[ビックカメラ]]鳩ヶ谷店
* [[青山商事|洋服の青山]] 鳩ヶ谷駅前店
* [[アルファクラブ|アルファクラブ武蔵野]] さがみ典礼鳩ヶ谷駅前葬斎センター
=== 3番出口 ===
2番出入口と改札口を共有する。国道122号の東側やや北方向、里交差点付近に独立した出入口として存在する。
* [[鳩ヶ谷郵便局]]
== 路線バス ==
当駅近くには、「鳩ヶ谷駅西口」・「鳩ヶ谷駅東口」停留所のほか、東口ロータリーから県道34号左方に「鳩ヶ谷駅(JA前)」停留所、右方に「昭和橋」停留所があり、すべて[[国際興業バス]]により運行されている。東口発の[鳩06]系統のみ[[国際興業バス川口営業所|川口営業所]]管轄で、その他の路線は[[国際興業バス鳩ヶ谷営業所|鳩ヶ谷営業所]]管轄である。
[川18]・[蕨03]系統について、川口駅・蕨駅方面は西口・JA前・昭和橋停留所から乗降できるが、降車する停留所によっては運賃が異なる場合がある。鳩ヶ谷公団住宅・新井宿駅方面はJA前の停留所のみ乗降可能。
{| class="wikitable" style="font-size:80%;"
!colspan="2"|乗り場!!系統!!主要経由地!!行先!!運行事業者!!備考
|-
|rowspan="6"|鳩ヶ谷駅東口||rowspan="2"|1 ||鳩05||慈林・安行支所・[[戸塚安行駅]]||[[東川口駅|東川口駅南口]]||rowspan="2"|[[国際興業バス|国際興業]]||平日6時台に2本、日曜・祝日は1本運行<br />昭和橋停留所から西川04と同じルート
|-
|鳩06||毛長橋・新郷農協・花栗|| nowrap="nowrap" |[[草加駅|草加駅西口]]||
|-
|rowspan="2"|10 ||川口01||中居・[[川口市役所|市役所前]]||川口・鳩ヶ谷線:[[川口駅|川口駅西口]]||rowspan="4"|[[みんななかまバス|{{Nowrap|川口市コミュニティバス}}<br />みんななかまバス]]||rowspan="4"|運行日:平日・土曜
|-
|川口02||[[川口市立医療センター|医療センター]]・SKIPシティ||青木線:川口駅西口
|-
|rowspan="2"|11 ||川口06||鳩ヶ谷庁舎・赤井二丁目・川口誠和病院||新郷循環:[[見沼代親水公園駅]]
|-
|川口07||朝日環境センター・東スポーツセンター||南平線:[[川口元郷駅]]
|-
|rowspan="2"|鳩ヶ谷駅西口||rowspan="1"|3 ||川18||鳩ヶ谷高校・上青木交番・総合高校||川口駅東口||rowspan="16"|国際興業||
|-
|rowspan="1"|4 ||蕨03、蕨03-2||鳩ヶ谷高校・上青木交番・[[イオンモール川口前川]]||[[蕨駅|蕨駅東口]]||蕨03-2(当停留所始発便)
|-
|rowspan="4"|鳩ヶ谷駅(JA前)||rowspan="2"|4 ||川18||桜町二丁目||鳩ヶ谷公団住宅||
|-
|蕨03||桜町二丁目||[[新井宿駅]]||深夜バスあり
|-
|rowspan="2"|5 ||川18||鳩ヶ谷高校・上青木交番・総合高校||川口駅東口||
|-
|蕨03||鳩ヶ谷高校・上青木交番・イオンモール川口前川||蕨駅東口||
|-
|rowspan="11"|昭和橋||rowspan="4"|1 ||赤20、赤20-2||桜町二丁目・新井宿駅||川口市立医療センター||
|-
|赤21、西川01||桜町二丁目||鳩ヶ谷公団住宅||深夜バスあり(平日・土曜)
|-
|西川04||慈林・安行支所・戸塚安行駅||東川口駅南口||
|-
|西川04-2||慈林・安行支所・安行花山下||[[国際興業バス鳩ヶ谷営業所|鳩ヶ谷車庫]]||毎日2本のみ運行
|-
|rowspan="4"|2 ||西川01、西川04||鳩ヶ谷庁舎・天神橋・青木中央通り||[[西川口駅|西川口駅東口]]||
|-
|赤20、赤21||鳩ヶ谷庁舎・南鳩ヶ谷駅・荒川大橋・[[赤羽岩淵駅]]||[[赤羽駅|赤羽駅東口]]||
|-
|川18||鳩ヶ谷高校・上青木交番・総合高校||川口駅東口||
|-
|蕨03、蕨03-2||鳩ヶ谷高校・上青木交番・イオンモール川口前||蕨駅東口||
|-
|rowspan="1"|3 ||鳩06||新郷支所・横道・花栗||草加駅西口||
|-
|rowspan="1"|4 ||鳩06||||鳩ヶ谷駅東口||
|}
* [[みんななかまバス|川口市コミュニティバス みんななかまバス]]の運行は国際興業バス
== 隣の駅 ==
; 埼玉高速鉄道
: [[File:Saitama Stadium Line symbol.svg|15px|SR]] 埼玉高速鉄道線
:: [[南鳩ヶ谷駅]] (SR 21) - '''鳩ヶ谷駅 (SR 22)''' - [[新井宿駅]] (SR 23)
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Reflist|group="注釈"}}
=== 出典 ===
{{Reflist|2}}
; 埼玉高速鉄道の1日平均利用客数
{{Reflist|group="SR"|3}}
;埼玉県統計年鑑
{{Reflist|group="*"|22em}}
== 関連項目 ==
* [[日本の鉄道駅一覧]]
== 外部リンク ==
* [https://s-rail.co.jp/line/hatogaya.php 埼玉高速鉄道 鳩ヶ谷駅]
* [https://s-rail.co.jp/area/station/hatogaya/ えすあーるタウン情報 鳩ヶ谷] - 埼玉高速鉄道
{{埼玉高速鉄道線}}
{{デフォルトソート:はとかや}}
[[Category:埼玉県の鉄道駅]]
[[Category:日本の鉄道駅 は|とかや]]
[[Category:埼玉高速鉄道の鉄道駅]]
[[Category:2001年開業の鉄道駅]]
[[Category:川口市の交通|はとかやえき]]
|
2003-09-11T12:58:53Z
|
2023-12-05T15:50:25Z
| false | false | false |
[
"Template:Colorbox",
"Template:0",
"Template:Nowrap",
"Template:Cite press release",
"Template:Cite web",
"Template:埼玉高速鉄道線",
"Template:駅情報",
"Template:Reflist",
"Template:脚注ヘルプ"
] |
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B3%A9%E3%83%B6%E8%B0%B7%E9%A7%85
|
16,273 |
川口元郷駅
|
川口元郷駅(かわぐちもとごうえき)は、埼玉県川口市元郷一丁目にある、埼玉高速鉄道埼玉高速鉄道線(埼玉スタジアム線)の駅である。駅番号はSR 20。
島式1面2線の地下駅。保安用にホームドアシステムを装備する。ステーションカラーは 紫。
地下2階が改札階、地下3階がホーム階となる。出入口は2か所あり、エスカレーターは両出入口に上りのみ設置されている。エレベーターは駅前広場のある2番出入口に設置されているが、改札階から通じるエレベーターは、六間道路を挟んでバスターミナルとは反対側にある芝川公園側のエレベーター専用出入口に出る。このため、バスターミナルへは地下1階で別のエレベーターに乗り換える必要がある。
(出典:埼玉高速鉄道:駅構内図)
2022年度の1日平均乗車人員は9,757人である。埼玉高速鉄道線の駅では浦和美園駅に次いで第5位である。
開業以降の1日平均乗車人員の推移は下表のとおりである。
|
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"text": "川口元郷駅(かわぐちもとごうえき)は、埼玉県川口市元郷一丁目にある、埼玉高速鉄道埼玉高速鉄道線(埼玉スタジアム線)の駅である。駅番号はSR 20。",
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"text": "開業以降の1日平均乗車人員の推移は下表のとおりである。",
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川口元郷駅(かわぐちもとごうえき)は、埼玉県川口市元郷一丁目にある、埼玉高速鉄道埼玉高速鉄道線(埼玉スタジアム線)の駅である。駅番号はSR 20。
|
{{駅情報
|社色 = #345caa
|文字色 =
|駅名 = 川口元郷駅
|画像 = Saitama-railway-SR20-Kawaguchi-motogo-station-entrance-2-20230505-120241.jpg
|pxl = 300px
|画像説明 = 2番出入口(2023年5月)
|よみがな = かわぐちもとごう
|ローマ字 = Kawaguchi-motogō
|地図 = {{Infobox mapframe|zoom=14|frame-width=300|type=point|marker=rail-metro}}
|前の駅 = SR 19 [[赤羽岩淵駅|赤羽岩淵]]
|駅間A = 2.4
|駅間B = 1.9
|次の駅 = [[南鳩ヶ谷駅|南鳩ヶ谷]] SR 21
|駅番号 = {{駅番号r|SR|20|#3a5da3|4}}
|所属事業者 = [[埼玉高速鉄道]]
|所属路線 = {{color|#345caa|■}}[[埼玉高速鉄道線]](埼玉スタジアム線)
|キロ程 = 2.4
|起点駅 = [[赤羽岩淵駅|赤羽岩淵]]
|所在地 = [[埼玉県]][[川口市]][[元郷 (川口市)|元郷]]一丁目2番15号
| 緯度度 = 35 | 緯度分 = 48 | 緯度秒 = 1.4
| 経度度 = 139 |経度分 = 43 | 経度秒 = 49
|地図国コード = JP
|座標右上表示 = Yes
|駅構造 = [[地下駅]]
|ホーム = 1面2線
|開業年月日 = [[2001年]]([[平成]]13年)[[3月28日]]
|乗車人員 = <ref group="SR" name="SR2022" />9,757
|乗降人員 =
|統計年度 = 2022年
|乗換 =
|備考 =
|副駅名=OKS CAMPUS 大泉工場 最寄駅}}
'''川口元郷駅'''(かわぐちもとごうえき)は、[[埼玉県]][[川口市]][[元郷 (川口市)|元郷]]一丁目にある、[[埼玉高速鉄道]][[埼玉高速鉄道線]](埼玉スタジアム線)の[[鉄道駅|駅]]である。[[駅ナンバリング|駅番号]]は'''SR 20'''。
== 歴史 ==
* [[2001年]]([[平成]]13年)[[3月28日]]:開業。
* [[2002年]](平成14年)[[11月10日]]:駅前広場完成、駅前広場側にエレベーターを新設。
* [[2007年]](平成19年)[[3月18日]]:[[ICカード]]「[[PASMO]]」の利用が可能となる<ref>{{Cite press release|和書|url=https://www.tokyu.co.jp/file/061221_1.pdf|archiveurl=https://web.archive.org/web/20200501075147/https://www.tokyu.co.jp/file/061221_1.pdf|format=PDF|language=日本語|title=PASMOは3月18日(日)サービスを開始します ー鉄道23事業者、バス31事業者が導入し、順次拡大してまいりますー|publisher=PASMO協議会/パスモ|date=2006-12-21|accessdate=2020-05-31|archivedate=2020-05-01}}</ref>。
* [[2016年]](平成28年)[[9月22日]]:副駅名「OKS CAMPUS 大泉工場 最寄駅」を設定<ref>{{Cite news |title=ニュースフラッシュ(南鳩ヶ谷駅副駅名決まる・他) |newspaper=[[交通新聞]] |publisher=交通新聞社 |date=2016-05-27}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.s-rail.co.jp/news/up_pdf/4776151d8a37d549205b481fc640cbfb59e017e1.pdf |title=埼玉スタジアム線 戸塚安行駅の副駅名称決定!! 『建物の総合プロデュース 一級建築士事務所 デザインライフ株式会社 最寄駅』 |access-date=2023-05-07 |publisher=埼玉高速鉄道 |format=PDF |archive-url=https://web.archive.org/web/20230507113552/https://www.s-rail.co.jp/news/up_pdf/4776151d8a37d549205b481fc640cbfb59e017e1.pdf |archive-date=2023-05-07}}</ref>。
* [[2017年]](平成29年)[[2月7日]]:駅構内に[[デイリーヤマザキ]]が開店<ref>{{Cite press release|和書|url=https://www.s-rail.co.jp/news/up_img/pr-20170201-dy-kawaguchimotogo.pdf|archiveurl=https://web.archive.org/web/20220620111150/https://www.s-rail.co.jp/news/up_img/pr-20170201-dy-kawaguchimotogo.pdf|format=PDF|language=日本語|title=川口元郷駅がさらに便利に!当社線にデイリーヤマザキ3店舗目! 〜デイリーヤマザキ 川口元郷駅店 平成29年2月7日(火)OPEN〜|publisher=埼玉高速鉄道|date=2017-02-01|accessdate=2022-06-20|archivedate=2022-06-20}}</ref><ref>{{Cite news|title=川口元郷駅にDヤマザキ開業 |newspaper=[[交通新聞]] |publisher=交通新聞社 |date=2017-02-10 |page=2 }}</ref>。
== 駅構造 ==
島式1面2線の[[地下駅]]。保安用に[[ホームドア]]システムを装備する。ステーションカラーは{{Colorbox|#BC6FAE}}紫。
地下2階が[[改札]]階、地下3階がホーム階となる。出入口は2か所あり、[[エスカレーター]]は両出入口に上りのみ設置されている。[[エレベーター]]は駅前広場のある2番出入口に設置されているが、改札階から通じるエレベーターは、六間道路を挟んでバスターミナルとは反対側にある芝川公園側のエレベーター専用出入口に出る。このため、バスターミナルへは地下1階で別のエレベーターに乗り換える必要がある。
=== のりば ===
{|class="wikitable"
!番線<!-- 事業者側による呼称 --->!!路線!!方向!!行先
|-
!1
|rowspan="2"|[[File:Saitama Stadium Line symbol.svg|15px|SR]] 埼玉高速鉄道線
| style="text-align:center;" | 下り
|[[浦和美園駅|浦和美園]]方面
|-
!2
| style="text-align:center;" | 上り
|[[赤羽岩淵駅|赤羽岩淵]]方面
|}
(出典:[https://s-rail.co.jp/line/pdf/kawaguchimotogo.pdf 埼玉高速鉄道:駅構内図])
<gallery>
File:SR-Kawaguchi-Motogo-STA Gate.jpg|改札口(2022年12月)
File:SR-Kawaguchi-Motogo-STA Concourse.jpg|構内コンコース(2022年12月)
File:SR-Kawaguchi-Motogo-STA_Platform1-2.jpg|ホーム(2022年12月)
</gallery>
== 利用状況 ==
[[2022年]]度の1日平均[[乗降人員#乗車人員|'''乗車'''人員]]は'''9,757人'''である<ref group="SR" name="SR2022" />。埼玉高速鉄道線の駅では[[浦和美園駅]]に次いで第5位である。
開業以降の1日平均'''乗車'''人員の推移は下表のとおりである。
<!--埼玉県統計年鑑を出典にしている数値については、/365(or366)で計算してあります-->
{| class="wikitable" style="text-align:right; font-size:85%;"
|+年度別1日平均乗車人員<ref>[http://www.pref.saitama.lg.jp/site/a310/ 埼玉県統計年鑑] - 埼玉県</ref>
!年度
!1日平均<br/>乗車人員
!出典
|-
|2001年(平成13年)
|3,635
|<ref group="*">[http://www.pref.saitama.lg.jp/a0206/a310/911-20100105-852.html 埼玉県統計年鑑(平成14年)]</ref>
|-
|2002年(平成14年)
|4,669
|<ref group="*">[http://www.pref.saitama.lg.jp/a0206/a310/911-20100106-872.html 埼玉県統計年鑑(平成15年)]</ref>
|-
|2003年(平成15年)
|5,528
|<ref group="*">[http://www.pref.saitama.lg.jp/a0206/a310/911-20100106-892.html 埼玉県統計年鑑(平成16年)]</ref>
|-
|2004年(平成16年)
|6,248
|<ref group="*">[http://www.pref.saitama.lg.jp/a0206/a310/911-20100107-912.html 埼玉県統計年鑑(平成17年)]</ref>
|-
|2005年(平成17年)
|6,562
|<ref group="*">[http://www.pref.saitama.lg.jp/a0206/a310/911-20100107-934.html 埼玉県統計年鑑(平成18年)]</ref>
|-
|2006年(平成18年)
|6,943
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|-
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|7,608
|<ref group="*">[http://www.pref.saitama.lg.jp/a0206/a310/911-20100108-980.html 埼玉県統計年鑑(平成20年)]</ref>
|-
|2008年(平成20年)
|8,031
|<ref group="*">[http://www.pref.saitama.lg.jp/a0206/a310/a310a200908.html 埼玉県統計年鑑(平成21年)]</ref>
|-
|2009年(平成21年)
|8,072
|<ref group="*">[http://www.pref.saitama.lg.jp/a0206/a310/a310a201008.html 埼玉県統計年鑑(平成22年)]</ref>
|-
|2010年(平成22年)
|8,162
|<ref group="*">[http://www.pref.saitama.lg.jp/a0206/a310/a310a201108.html 埼玉県統計年鑑(平成23年)]</ref>
|-
|2011年(平成23年)
|8,088
|<ref group="*">[http://www.pref.saitama.lg.jp/a0206/a310/a310a201208.html 埼玉県統計年鑑(平成24年)]</ref>
|-
|2012年(平成24年)
|8,243
|<ref group="*">[http://www.pref.saitama.lg.jp/a0206/a310/a310a201308.html 埼玉県統計年鑑(平成25年)]</ref>
|-
|2013年(平成25年)
|8,624
|<ref group="*">[http://www.pref.saitama.lg.jp/a0206/a310/a310a201408.html 埼玉県統計年鑑(平成26年)]</ref>
|-
|2014年(平成26年)
|8,751
|<ref group="*">[http://www.pref.saitama.lg.jp/a0206/a310/a2015ubbyutuusinn.html 埼玉県統計年鑑(平成27年)]</ref>
|-
|2015年(平成27年)
|9,107
|<ref group="*">[http://www.pref.saitama.lg.jp/a0206/a310/a2016ubbyutuusinn.html 埼玉県統計年鑑(平成28年)]</ref>
|-
|2016年(平成28年)
|9,340
|<ref group="*">[http://www.pref.saitama.lg.jp/a0206/a310/a2017_08_unnyu.html 埼玉県統計年鑑(平成29年)]</ref>
|-
|2017年(平成29年)
|9,849
|<ref group="*">[http://www.pref.saitama.lg.jp/a0206/a310/a2018_08_unnyu.html 埼玉県統計年鑑(平成30年)]</ref>
|-
|2018年(平成30年)
|10,405
|<ref group="*">[http://www.pref.saitama.lg.jp/a0206/a310/a2019_08_unnyu.html 埼玉県統計年鑑(令和元年)]</ref>
|-
|2019年(令和元年)
|10,672
|<ref group="*">[https://www.pref.saitama.lg.jp/a0206/a310/a2020_08_unnyu.html 埼玉県統計年鑑(令和2年)]</ref>
|-
|2020年(令和{{0}}2年)
|8,500
|<ref group="*">[https://www.pref.saitama.lg.jp/a0206/a310/a2021_08_unnyu.html 埼玉県統計年鑑(令和3年)]</ref>
|-
|2021年(令和{{0}}3年)
|<ref group="SR" name="SR2021">{{Cite web|和書|title=経営状況、輸送状況|url=https://www.s-rail.co.jp/about/corporate/financial.php|page=|accessdate=2023-07-15|publisher=埼玉高速鉄道|format=|language=日本語|archiveurl=https://web.archive.org/web/20230419104803/https://www.s-rail.co.jp/about/corporate/financial.php|archivedate=2023-04-19}}</ref>8,886
|
|-
|2022年(令和{{0}}4年)
|<ref group="SR" name="SR2022">{{Cite web|和書|title=経営状況、輸送状況|url=https://www.s-rail.co.jp/about/corporate/financial.php|page=|accessdate=2023-07-15|publisher=埼玉高速鉄道|format=|language=日本語|archiveurl=https://web.archive.org/web/20230715013745/https://www.s-rail.co.jp/about/corporate/financial.php|archivedate=2023-07-15}}</ref>9,757
|
|}
== 駅周辺 ==
* [[元郷氷川神社]](しあわせの宮)
* [[ミエルかわぐち]]
** [[ヤオコー]]
** [[ヤマダデンキ]]テックランド川口本店
* [[スギ薬局]]川口末広店
* [[エルザタワー55]]・[[エルザタワー32]]
* [[シティデュオタワー川口]]
* [[芝川 (埼玉県)|芝川]]公園
* [[川口市役所]]
* [[川口郵便局 (埼玉県)|川口郵便局]]([[ゆうちょ銀行]]川口店併設)
* 川口元郷一郵便局
* [[カトリック川口教会]]
* [[東日本旅客鉄道|JR]][[京浜東北線]] [[川口駅]](東口まで1.2 [[キロメートル|km]]、徒歩約15分、当駅からバス路線もあり。)
* [[川口工業総合病院]]
* [[河合病院]](路線バスあり)
* [[川口市立十二月田中学校]]
* [[川口市立本町小学校]]
* [[川口市立南中学校]]
* [[川口市立舟戸小学校]]
* [[川口市立青木中央小学校]]
* [[川口市消防局]]南消防署
* [[川口警察署]]元郷交番
==周辺の道路==
*[[国道122号]](岩槻街道)
*[[新荒川大橋]]
*[[川口元郷駅東通り]](計画中)
==バス路線==
{| class="wikitable" style="font-size:80%;"
!乗場!!系統!!主要経由地!!行先!!運行事業者!!備考
|-0
|rowspan="1"|1||川02,川04,川14,川14-2,川15,川15-2,川16|| ||[[川口駅|川口駅東口]]||rowspan="8"|[[国際興業バス|国際興業]]||
|-
|rowspan="7"|2||川04||弥平町・[[入谷 (足立区)|入谷町]]||[[舎人 (足立区)|舎人団地]]||深夜バス有(平日・土曜23:19発、23:36発)
|-
|川14-2||弥平町・入谷町||舎人駅||運行日:平日20:59発
|-
|川16||弥平町・入谷南・入谷町||弥平町循環:川口駅東口||運行日:平日・土曜朝夕
|-
|川15||花の枝橋・[[舎人公園駅]]・[[谷在家駅]]||谷在家駅循環:川口駅東口||
|-
|川15-3||花の枝橋・舎人公園駅・谷在家駅||皿沼不動||運行日:毎日 谷在家駅方面最終
|-
|川02||朝日六丁目・[[川口市立領家小学校|領家小学校]]裏||東領家循環:川口駅東口||
|-
|川02-2||朝日六丁目・領家小学校裏||東領家一丁目||運行日:平日21:49発
|-
|4||空港連絡バス||(川口駅)||[[東京国際空港|羽田空港]]||国際興業<br />[[京浜急行バス]]||(直行)
|-
|rowspan="2"|6||赤20,赤20-2||[[南鳩ヶ谷駅]]・鳩ヶ谷庁舎・桜町2丁目||[[川口市立医療センター]]||rowspan="3"|国際興業||赤20-2(当停留所始発):平日7:55発
|-
|赤21||南鳩ヶ谷駅・鳩ヶ谷庁舎・桜町2丁目||鳩ヶ谷公団住宅||深夜バス有(平日・土曜)
|-
|7||赤20,赤21||荒川大橋・[[赤羽岩淵駅]]||[[赤羽駅|赤羽駅東口]]||
|-
|rowspan="1"|10||川口07||南平文化会館・東スポーツセンター||南平線:[[鳩ヶ谷駅|鳩ヶ谷駅東口]]||[[みんななかまバス|{{Nowrap|川口市コミュニティバス}}<br />みんななかまバス]]||運行日:平日・土曜
|}
* [[みんななかまバス|川口市コミュニティバス みんななかまバス]]の運行は国際興業バス
* 乗り場は、駅前ロータリ及び国道122号線にある。
== 隣の駅 ==
; 埼玉高速鉄道
: [[File:Saitama Stadium Line symbol.svg|15px|SR]] 埼玉高速鉄道線
:: [[赤羽岩淵駅]] (SR 19) - '''川口元郷駅 (SR 20)''' - [[南鳩ヶ谷駅]] (SR 21)
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Reflist|group="注釈"}}
=== 出典 ===
{{Reflist|2}}
; 埼玉高速鉄道の1日平均利用客数
{{Reflist|group="SR"|3}}
; 埼玉県統計年鑑
{{Reflist|group="*"|22em}}
== 関連項目 ==
* [[日本の鉄道駅一覧]]
== 外部リンク ==
* [https://s-rail.co.jp/line/kawaguchimotogo.php 埼玉高速鉄道 川口元郷駅]
* [https://s-rail.co.jp/area/station/kawaguchimotogo/ えすあーるタウン情報 川口元郷] - 埼玉高速鉄道
{{埼玉高速鉄道線}}
{{デフォルトソート:かわくちもとこう}}
[[Category:埼玉県の鉄道駅]]
[[Category:日本の鉄道駅 か|わくちもとこう]]
[[Category:埼玉高速鉄道の鉄道駅]]
[[Category:2001年開業の鉄道駅]]
[[Category:川口市の交通|かわくちもとこうえき]]
|
2003-09-11T13:01:25Z
|
2023-11-20T19:51:48Z
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[
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] |
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B7%9D%E5%8F%A3%E5%85%83%E9%83%B7%E9%A7%85
|
16,274 |
新井宿駅
|
新井宿駅(あらいじゅくえき)は、埼玉県川口市大字新井宿にある、埼玉高速鉄道埼玉高速鉄道線(埼玉スタジアム線)の駅である。駅番号はSR 23。
島式ホーム1面2線を有する地下駅。保安用にホームドアシステムを装備する。ステーションカラーは 萌黄色。
駅出入口は2か所あるが、地上部はゆるやかな坂になっており、出入口によって改札階までの深さが異なる。地下1階が駐輪階、地下2階が改札階、地下3階がホームとなっており、バス停に連絡する1番出入口に地上と結ぶエレベーター及びエスカレーターが設置されている。
なお、駐輪階への出入口は1番出入口側の至近にあり、それぞれ地上部の駅前の道を挟んで建物は別々となっている。
(出典:埼玉高速鉄道:駅構内図)
2022年度の1日平均乗車人員は5,493人である。埼玉高速鉄道線の駅で最も利用者が少ない。
開業以降の1日平均乗車人員の推移は下表のとおりである。
国道122号側出入口。駐輪階への出入口とバス停(簡易ロータリー)がある。
地蔵院、源長寺方面
|
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"text": "開業以降の1日平均乗車人員の推移は下表のとおりである。",
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"title": "駅周辺"
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] |
新井宿駅(あらいじゅくえき)は、埼玉県川口市大字新井宿にある、埼玉高速鉄道埼玉高速鉄道線(埼玉スタジアム線)の駅である。駅番号はSR 23。
|
{{駅情報
|社色 = #345caa
|文字色 =
|駅名 = 新井宿駅
|画像 = Saitama-railway-SR23-Araijuku-station-entrance-1-20230505-124659.jpg
|pxl = 300px
|画像説明 = 1番出入口(2023年5月)
|よみがな = あらいじゅく
|ローマ字 = Araijuku
|地図 = {{Infobox mapframe|zoom=14|frame-width=300|type=point|marker=rail-metro}}
|前の駅 = SR 22 [[鳩ヶ谷駅|鳩ヶ谷]]
|駅間A = 1.6
|駅間B = 2.5
|次の駅 = [[戸塚安行駅|戸塚安行]] SR 24
|駅番号 = {{駅番号r|SR|23|#3a5da3|4}}
|所属事業者 = [[埼玉高速鉄道]]
|所属路線 = {{color|#345caa|■}}[[埼玉高速鉄道線]](埼玉スタジアム線)
|キロ程 = 7.5
|起点駅 = [[赤羽岩淵駅|赤羽岩淵]]
|所在地 = [[埼玉県]][[川口市]]大字[[新井宿]]15番地の3
|緯度度=35|緯度分=50|緯度秒=34.71
|経度度=139|経度分=44|経度秒=16.47
|地図国コード = JP
|座標右上表示 = Yes
|駅構造 = [[地下駅]]
|ホーム = 1面2線
|開業年月日 = [[2001年]]([[平成]]13年)[[3月28日]]
|乗車人員 = <ref group="SR" name="SR2022" />5,493
|乗降人員 =
|統計年度 = 2022年
|乗換 =
|備考 =
|副駅名=木風堂 kippudo 最寄駅}}
'''新井宿駅'''(あらいじゅくえき)は、[[埼玉県]][[川口市]]大字[[新井宿]]にある、[[埼玉高速鉄道]][[埼玉高速鉄道線]](埼玉スタジアム線)の[[鉄道駅|駅]]である。[[駅ナンバリング|駅番号]]は'''SR 23'''。
== 歴史 ==
* [[2001年]]([[平成]]13年)[[3月28日]]:開業。
* [[2007年]](平成19年)[[3月18日]]:[[ICカード]]「[[PASMO]]」の利用が可能となる<ref>{{Cite press release|和書|url=https://www.tokyu.co.jp/file/061221_1.pdf|archiveurl=https://web.archive.org/web/20200501075147/https://www.tokyu.co.jp/file/061221_1.pdf|format=PDF|language=日本語|title=PASMOは3月18日(日)サービスを開始します ー鉄道23事業者、バス31事業者が導入し、順次拡大してまいりますー|publisher=PASMO協議会/パスモ|date=2006-12-21|accessdate=2020-05-31|archivedate=2020-05-01}}</ref>。
* [[2015年]](平成27年)[[10月1日]]:副駅名「木風堂 kippudo 最寄駅」を設定<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.s-rail.co.jp/news/up_pdf/4776151d8a37d549205b481fc640cbfb59e017e1.pdf |title=埼玉スタジアム線 戸塚安行駅の副駅名称決定!! 『建物の総合プロデュース 一級建築士事務所 デザインライフ株式会社 最寄駅』 |access-date=2023-05-07 |publisher=埼玉高速鉄道 |format=PDF |archive-url=https://web.archive.org/web/20230507113552/https://www.s-rail.co.jp/news/up_pdf/4776151d8a37d549205b481fc640cbfb59e017e1.pdf |archive-date=2023-05-07}}</ref>。
== 駅構造 ==
[[プラットホーム#島式ホーム|島式ホーム]]1面2線を有する[[地下駅]]。保安用に[[ホームドア]]システムを装備する。ステーションカラーは{{Colorbox|#B2D33E}}萌黄色。
駅出入口は2か所あるが、地上部はゆるやかな坂になっており、出入口によって改札階までの深さが異なる。地下1階が駐輪階、地下2階が改札階、地下3階がホームとなっており、バス停に連絡する1番出入口に地上と結ぶ[[エレベーター]]及び[[エスカレーター]]が設置されている。
なお、駐輪階への出入口は1番出入口側の至近にあり、それぞれ地上部の駅前の道を挟んで建物は別々となっている。
=== のりば ===
{|class="wikitable"
!番線<!-- 事業者側による呼称 --->!!路線!!方向!!行先
|-
!1
|rowspan="2"|[[File:Saitama Stadium Line symbol.svg|15px|SR]] 埼玉高速鉄道線
| style="text-align:center" | 下り
|[[浦和美園駅|浦和美園]]方面
|-
!2
| style="text-align:center" | 上り
|[[赤羽岩淵駅|赤羽岩淵]]方面
|}
(出典:[https://s-rail.co.jp/line/pdf/araijuku.pdf 埼玉高速鉄道:駅構内図])
<gallery>
File:SR Araijuku-STA Gate.jpg|改札口(2022年12月)
File:SR Araijuku-STA Concourse.jpg|構内コンコース(2022年12月)
File:SR_Araijuku-STA_Platform1-2.jpg|ホーム(2022年12月)
</gallery>
== 利用状況 ==
[[2022年]]度の1日平均[[乗降人員#乗車人員|'''乗車'''人員]]は'''5,493人'''である<ref group="SR" name="SR2022" />。埼玉高速鉄道線の駅で最も利用者が少ない。
開業以降の1日平均'''乗車'''人員の推移は下表のとおりである。
<!--埼玉県統計年鑑を出典にしている数値については、/365(or366)で計算してあります-->
{|class="wikitable" style="text-align:right; font-size:85%"
|+年度別1日平均乗車人員<ref>[http://www.pref.saitama.lg.jp/site/a310/ 埼玉県統計年鑑] - 埼玉県</ref>
!年度
!1日平均<br/>乗車人員
!出典
|-
|2001年(平成13年)
|2,881
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|-
|2002年(平成14年)
|3,131
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|-
|2003年(平成15年)
|3,298
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|-
|2004年(平成16年)
|3,599
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|-
|2005年(平成17年)
|3,793
|<ref group="*">[http://www.pref.saitama.lg.jp/a0206/a310/911-20100107-934.html 埼玉県統計年鑑(平成18年)]</ref>
|-
|2006年(平成18年)
|3,990
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|-
|2007年(平成19年)
|4,185
|<ref group="*">[http://www.pref.saitama.lg.jp/a0206/a310/911-20100108-980.html 埼玉県統計年鑑(平成20年)]</ref>
|-
|2008年(平成20年)
|4,340
|<ref group="*">[http://www.pref.saitama.lg.jp/a0206/a310/a310a200908.html 埼玉県統計年鑑(平成21年)]</ref>
|-
|2009年(平成21年)
|4,445
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|-
|2010年(平成22年)
|4,571
|<ref group="*">[http://www.pref.saitama.lg.jp/a0206/a310/a310a201108.html 埼玉県統計年鑑(平成23年)]</ref>
|-
|2011年(平成23年)
|4,515
|<ref group="*">[http://www.pref.saitama.lg.jp/a0206/a310/a310a201208.html 埼玉県統計年鑑(平成24年)]</ref>
|-
|2012年(平成24年)
|4,575
|<ref group="*">[http://www.pref.saitama.lg.jp/a0206/a310/a310a201308.html 埼玉県統計年鑑(平成25年)]</ref>
|-
|2013年(平成25年)
|4,790
|<ref group="*">[http://www.pref.saitama.lg.jp/a0206/a310/a310a201408.html 埼玉県統計年鑑(平成26年)]</ref>
|-
|2014年(平成26年)
|4,924
|<ref group="*">[http://www.pref.saitama.lg.jp/a0206/a310/a2015ubbyutuusinn.html 埼玉県統計年鑑(平成27年)]</ref>
|-
|2015年(平成27年)
|5,166
|<ref group="*">[http://www.pref.saitama.lg.jp/a0206/a310/a2016ubbyutuusinn.html 埼玉県統計年鑑(平成28年)]</ref>
|-
|2016年(平成28年)
|5,316
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|-
|2017年(平成29年)
|5,536
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|-
|2018年(平成30年)
|5,782
|<ref group="*">[http://www.pref.saitama.lg.jp/a0206/a310/a2019_08_unnyu.html 埼玉県統計年鑑(令和元年)]</ref>
|-
|2019年(令和元年)
|5,913
|<ref group="*">[https://www.pref.saitama.lg.jp/a0206/a310/a2020_08_unnyu.html 埼玉県統計年鑑(令和2年)]</ref>
|-
|2020年(令和{{0}}2年)
|4,722
|<ref group="*">[https://www.pref.saitama.lg.jp/a0206/a310/a2021_08_unnyu.html 埼玉県統計年鑑(令和3年)]</ref>
|-
|2021年(令和{{0}}3年)
|<ref group="SR" name="SR2021">{{Cite web|和書|title=経営状況、輸送状況|url=https://www.s-rail.co.jp/about/corporate/financial.php|page=|accessdate=2023-07-15|publisher=埼玉高速鉄道|format=|language=日本語|archiveurl=https://web.archive.org/web/20230419104803/https://www.s-rail.co.jp/about/corporate/financial.php|archivedate=2023-04-19}}</ref>4,920
|
|-
|2022年(令和{{0}}4年)
|<ref group="SR" name="SR2022">{{Cite web|和書|title=経営状況、輸送状況|url=https://www.s-rail.co.jp/about/corporate/financial.php|page=|accessdate=2023-07-15|publisher=埼玉高速鉄道|format=|language=日本語|archiveurl=https://web.archive.org/web/20230715013745/https://www.s-rail.co.jp/about/corporate/financial.php|archivedate=2023-07-15}}</ref>5,493
|
|}
== 駅周辺 ==
<!--チェーン店を含む飲食店、コンビニ、個人商店、娯楽施設、学習塾、開業医などは際限がないので記載しない-->
=== 1番出入口 ===
国道122号側出入口。駐輪階への出入口とバス停(簡易ロータリー)がある。
* [[国道122号]]
* [[川口市立医療センター]]
* [[川口市立グリーンセンター]]
* 川口フォーシーズンメモリアル
* [[ドン・キホーテ (企業)|ドン・キホーテ]]川口新井宿店
* [[首都高速川口線]][[新井宿出入口]]
* 新井宿氷川神社
* [[創価学会]]川口北文化会館
* [[川口市立桜町小学校]]
=== 2番出入口 ===
[[地蔵院 (川口市)|地蔵院]]、源長寺方面
* 鳩ヶ谷桜町郵便局
* [[川口市立桜町小学校]]
* 地蔵院
* [[法性寺 (川口市)|法性寺]]
* [[赤山歴史自然公園]](イイナパーク川口)
* [[川口市めぐりの森]]
* [[赤山城]]址
* [[埼玉県道105号さいたま鳩ヶ谷線]]([[日光御成街道]])
* [[埼玉県道161号越谷鳩ヶ谷線]]
* [[鳩ヶ谷中央病院]]
* 西友川口赤山店
* 源長寺
*イオンスタイル新井宿駅前店
== 路線バス ==
{| class="wikitable" style="font-size:80%;"
!colspan="2"|乗り場!!系統!!主要経由地!!行先!!運行事業者!!備考
|-
|rowspan="14"|新井宿駅||rowspan="4"|1||赤20|| ||[[川口市立医療センター]]||rowspan="12"|[[国際興業バス|国際興業]]||
|-
|川23||川口市立医療センター・道合・上青木交番|| nowrap="nowrap" |[[川口駅|川口駅東口]]||
|-
|西川06||川口市立医療センター・道合・六円橋||[[西川口駅|西川口駅東口]]||平日朝夕、土曜6:00発
|-
|蕨06||川口市立医療センター・川口北スポーツセンター・宮根||[[蕨駅|蕨駅東口]]||
|-
|rowspan="8"|2|||東浦82||石神中・木曽呂||[[東浦和駅]]||
|-
|東川03||神根公民館・木曽呂・差間中央||東川口駅南口||毎日朝のみ
|-
|蕨03||桜町二丁目・[[鳩ヶ谷駅]]・上青木交番||蕨駅東口||
|-
|赤20||桜町二丁目・鳩ヶ谷庁舎・[[南鳩ヶ谷駅]]・[[川口元郷駅]]・荒川大橋・[[赤羽岩淵駅]]||[[赤羽駅|赤羽駅東口]]||毎日9時台〜17時台(毎時1本)
|-
|安80||神根公民館・木曽呂||戸塚安行駅||平日6:27発の1便
|-
|鳩80|| ||[[国際興業バス鳩ヶ谷営業所|鳩ヶ谷車庫(赤山)]]||毎日朝・昼
|-
|イイナ01||グリーンセンター・イオンモール川口||(イイナパーク川口循環)新井宿駅||土曜・日祝のみ
|-
|イイナ02|| ||イイナパーク川口||土曜・日祝のみ
|-
|rowspan="2"|10||川口05||医療センター→東川口駅南口方面||戸塚・安行循環:戸塚安行駅(時計回り)||rowspan="2"|[[みんななかまバス|{{Nowrap|川口市コミュニティバス}}<br />みんななかまバス]]||平日・土曜
|-
|川口05||峯八幡宮→川口緑化センター方面||戸塚・安行循環:戸塚安行駅(反時計回り)||平日・土曜
|-
|rowspan="3"|新井宿駅入口||rowspan="3"| ||東浦82||石神中・木曽呂||東浦和駅||rowspan="3"|国際興業||
|-
|安80||神根公民館・木曽呂||戸塚安行駅||平日6:27発の1便
|-
|東川03||神根公民館・木曽呂・差間中央||東川口駅南口||毎日朝のみ
|}
* [[みんななかまバス|川口市コミュニティバス みんななかまバス]]の運行は国際興業バス
* 国際興業のバスはすべて[[国際興業バス鳩ヶ谷営業所|鳩ヶ谷営業所]]所管である。かつて鳩ヶ谷営業所は当駅至近に所在していたが、[[2014年]][[6月15日]]を以って赤山へ移転した。移転に際して旧鳩ヶ谷車庫起終点で当駅経由の路線は一部を除き当駅始発に改められた。
* 以前は赤羽駅東口発[[京浜東北線]]・[[埼京線]]終電接続深夜バス・[[池袋駅]]西口からの[[山手線]]終電接続[[深夜急行バス]]新井宿駅行が運行されていたが、赤羽駅発の[[深夜バス]]は東浦和駅行に・深夜急行バスは[[南浦和駅]]経由東浦和駅行に変更された。
== 隣の駅 ==
; 埼玉高速鉄道
: [[File:Saitama Stadium Line symbol.svg|15px|SR]] 埼玉高速鉄道線
:: [[鳩ヶ谷駅]] (SR 22) - '''新井宿駅 (SR 23)''' - [[戸塚安行駅]] (SR 24)
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Reflist|group="注釈"}}
=== 出典 ===
{{Reflist|2}}
; 埼玉高速鉄道の1日平均利用客数
{{Reflist|group="SR"|3}}
; 埼玉県統計年鑑
{{Reflist|group="*"|22em}}
== 関連項目 ==
* [[日本の鉄道駅一覧]]
* [[新井宿 (川口市)]]
== 外部リンク ==
* [https://s-rail.co.jp/line/araijuku.php 埼玉高速鉄道 新井宿駅]
* [https://s-rail.co.jp/area/station/araijuku/ えすあーるタウン情報 新井宿] - 埼玉高速鉄道
{{埼玉高速鉄道線}}
{{デフォルトソート:あらいしゆく}}
[[Category:埼玉県の鉄道駅]]
[[Category:日本の鉄道駅 あ|らいしゆく]]
[[Category:埼玉高速鉄道の鉄道駅]]
[[Category:2001年開業の鉄道駅]]
[[Category:川口市の交通|あらいしゆくえき]]
|
2003-09-11T13:04:46Z
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16,275 |
正多面体
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正多面体(せいためんたい、英: regular polyhedron)、またはプラトン(の)立体(プラトン(の)りったい、英: Platonic solid)とは、すべての面が同一の正多角形で構成されており、かつすべての頂点において接する面の数が等しい凸多面体のことである。正多面体には正四面体、正六面体、正八面体、正十二面体、正二十面体の五種類がある。
正多面体の構成面を正 p 角形、頂点に集まる面の数を q として {p, q} のように表すことができる。これをシュレーフリ記号という。シュレーフリ記号は半正多面体(別名:アルキメデスの立体)にも拡張することができる。
三次元空間の中に一つの頂点を取り、その周りに取ることが可能な正多角形の数に関する制限から、正多面体が存在する必要条件が、{3,3}、{3,4}、{3,5}、{4,3}、{5,3} の五種類のみであることを示すことができる。同じことは、オイラーの多面体公式あるいはデカルトの不足角の定理からも示すことができる。
しかし、条件を緩めることによって、正多面体の拡張を考えることができる(参照:星型正多面体、ねじれ正多面体、正平面充填形)。
ユークリッド『原論』第13巻で、球に内接する5つの正多面体の構成が論じられ、最後に、「いま述べた五つの図形以外に,等辺等角で互いに等しい図形にかこまれる他の図形はつくられない」と記述されている。このことから、正多面体とは、
という条件をすべて満たす多面体である、と理解できる。
条件3については、1、2を満たす凸多面体であることを前提とすれば、
と言い換えることもできる。
また、コクセターは、同心の外接球・中接球・内接球をもつことを正多面体の定義とした。
正多面体の一辺を a とすれば、概略下記となる。
いずれの正多面体の各面の中心を頂点とする立体もまた正多面体となる。これを正多面体の双対関係といい、3通りの組み合わせが存在する。正四面体同士の双対を特に自己双対という。
正多面体どうしの間には、もれなく内接・外接の関係がある。
外接する正多面体に対して、内接する正多面体が複数の面を接する関係には次の3通りがある。( )内に内接正多面体を示す。
外接する正多面体の各面に対して、内接する正多面体の辺が接する関係には次の4通りがある。
外接する正多面体の各面の面心に対して、内接する正多面体の一部の頂点が接する関係には次の3通りがある。
外接する正多面体の一部の面心に対して、内接する正多面体のすべての頂点が接する関係には次の3通りがある。
外接する正多面体の一部の辺の中点に対して、内接する正多面体のすべての頂点が接する関係には次の2通りがある。
外接する正多面体の一部の頂点に対して、内接する正多面体のすべての頂点が接する関係は次のとおり。
正多面体の相互関係を次の表に示す。赤丸は接触点、太線は接触辺、塗りつぶし面は接触面である。ただし、裏側は図に描かれていない。
なお、上の表に掲げた外接する正多面体の投影図においては、それらの輪郭は正方形(正四面体の辺中心直投影)、正六角形(正六面体の頂点中心直投影)、正六角形(正八面体の面中心直投影)、正十角形(正十二面体の面中心直投影)、正十角形(正二十面体の頂点中心直投影)と、いずれも正多角形となっている。実際の立体図形においては、その頂点は同一平面にはなく、平行な二平面に一つ置きに属するジグザグ多角形(英語版)であって、正多面体のペトリ―多角形(Petrie polygon)と呼ばれる。
正多面体を自分自身に重ねる三次元空間中の回転操作(回転変換)全体のなす群をいう。これは三次元回転群の部分群になる。
個々のものは「正何面体群」と呼ぶが、互いに双対の正六面体群と正八面体群、正十二面体群と正二十面体群はそれぞれ群として同じものになるので、後者に代表させて、正四面体群、正八面体群、正二十面体群と呼ぶことが多い。
シュレーフリ記号を用いて{p, q}と書ける正多面体を自分自身に移す回転には次の3つのタイプがある。ただし、正四面体の場合は面の中心と頂点とが相対するので1と2が融合したものとみなす。
次の表において、1,2,3には単位元でないものの数を示した。
これらの群の位数はさまざまな方法で記述できる。
正多面体(Platonic solids)という幾何学的概念の成立についての伝承としては、紀元前後のユークリッド『原論』の写本に残された次のようなメモが広く信頼されている。
この第13巻では5個のいわゆるプラトン立体を扱っているが、これはプラトンによるものではない。前述の5個の図形のうち3つ、つまり立方体、正四面体、正十二面体はピタゴラス学派によるものであり、正八面体と正二十面体はテアイテトスによる。プラトンが『ティマイオス』においてこれらに言及したためにプラトンの名前が付いたのである。この巻にユークリッドの名前も載っているのは、かれがこの巻を原論に収録したからである。
日本産鉱物の結晶のなかで正多面体状結晶形態をとることが記録されている主な鉱物種は以下の通り。
正多面体のみによる空間充填には次の2通りがある。
正十二面体は単独で空間を埋め尽くすことはできないが、単純立方格子状に配置すると、正六面体とジョンソン立体91番とによって空間充填する。 構成比は1:1:3。
正二十面体も単独で空間を埋め尽くすことはできないが、単純立方格子状に配置すると、下図の三角二十面体と楔形の黄金四面体(辺の比1:φ)とによって空間充填する。構成比は1:1:6。
|
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"text": "正多面体(せいためんたい、英: regular polyhedron)、またはプラトン(の)立体(プラトン(の)りったい、英: Platonic solid)とは、すべての面が同一の正多角形で構成されており、かつすべての頂点において接する面の数が等しい凸多面体のことである。正多面体には正四面体、正六面体、正八面体、正十二面体、正二十面体の五種類がある。",
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"text": "ユークリッド『原論』第13巻で、球に内接する5つの正多面体の構成が論じられ、最後に、「いま述べた五つの図形以外に,等辺等角で互いに等しい図形にかこまれる他の図形はつくられない」と記述されている。このことから、正多面体とは、",
"title": "正多面体の定義"
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"title": "正多面体の定義"
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"text": "と言い換えることもできる。",
"title": "正多面体の定義"
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"text": "また、コクセターは、同心の外接球・中接球・内接球をもつことを正多面体の定義とした。",
"title": "正多面体の定義"
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"text": "正多面体の一辺を a とすれば、概略下記となる。",
"title": "正多面体の諸量"
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"text": "いずれの正多面体の各面の中心を頂点とする立体もまた正多面体となる。これを正多面体の双対関係といい、3通りの組み合わせが存在する。正四面体同士の双対を特に自己双対という。",
"title": "相互関係"
},
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"text": "正多面体どうしの間には、もれなく内接・外接の関係がある。",
"title": "相互関係"
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"text": "外接する正多面体に対して、内接する正多面体が複数の面を接する関係には次の3通りがある。( )内に内接正多面体を示す。",
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"text": "外接する正多面体の一部の面心に対して、内接する正多面体のすべての頂点が接する関係には次の3通りがある。",
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"text": "外接する正多面体の一部の辺の中点に対して、内接する正多面体のすべての頂点が接する関係には次の2通りがある。",
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"text": "外接する正多面体の一部の頂点に対して、内接する正多面体のすべての頂点が接する関係は次のとおり。",
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"title": "相互関係"
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"text": "正多面体を自分自身に重ねる三次元空間中の回転操作(回転変換)全体のなす群をいう。これは三次元回転群の部分群になる。",
"title": "正多面体群"
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"text": "個々のものは「正何面体群」と呼ぶが、互いに双対の正六面体群と正八面体群、正十二面体群と正二十面体群はそれぞれ群として同じものになるので、後者に代表させて、正四面体群、正八面体群、正二十面体群と呼ぶことが多い。",
"title": "正多面体群"
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{
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"text": "シュレーフリ記号を用いて{p, q}と書ける正多面体を自分自身に移す回転には次の3つのタイプがある。ただし、正四面体の場合は面の中心と頂点とが相対するので1と2が融合したものとみなす。",
"title": "正多面体群"
},
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"text": "次の表において、1,2,3には単位元でないものの数を示した。",
"title": "正多面体群"
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{
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"text": "これらの群の位数はさまざまな方法で記述できる。",
"title": "正多面体群"
},
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"text": "正多面体(Platonic solids)という幾何学的概念の成立についての伝承としては、紀元前後のユークリッド『原論』の写本に残された次のようなメモが広く信頼されている。",
"title": "正多面体の歴史"
},
{
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"text": "この第13巻では5個のいわゆるプラトン立体を扱っているが、これはプラトンによるものではない。前述の5個の図形のうち3つ、つまり立方体、正四面体、正十二面体はピタゴラス学派によるものであり、正八面体と正二十面体はテアイテトスによる。プラトンが『ティマイオス』においてこれらに言及したためにプラトンの名前が付いたのである。この巻にユークリッドの名前も載っているのは、かれがこの巻を原論に収録したからである。",
"title": "正多面体の歴史"
},
{
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"text": "日本産鉱物の結晶のなかで正多面体状結晶形態をとることが記録されている主な鉱物種は以下の通り。",
"title": "鉱物結晶にみられる正多面体"
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{
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"text": "正多面体のみによる空間充填には次の2通りがある。",
"title": "正多面体による空間充填"
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"paragraph_id": 29,
"tag": "p",
"text": "正十二面体は単独で空間を埋め尽くすことはできないが、単純立方格子状に配置すると、正六面体とジョンソン立体91番とによって空間充填する。 構成比は1:1:3。",
"title": "正多面体による空間充填"
},
{
"paragraph_id": 30,
"tag": "p",
"text": "正二十面体も単独で空間を埋め尽くすことはできないが、単純立方格子状に配置すると、下図の三角二十面体と楔形の黄金四面体(辺の比1:φ)とによって空間充填する。構成比は1:1:6。",
"title": "正多面体による空間充填"
}
] |
正多面体、またはプラトン(の)立体とは、すべての面が同一の正多角形で構成されており、かつすべての頂点において接する面の数が等しい凸多面体のことである。正多面体には正四面体、正六面体、正八面体、正十二面体、正二十面体の五種類がある。 正多面体の構成面を正 p 角形、頂点に集まる面の数を q として {p, q} のように表すことができる。これをシュレーフリ記号という。シュレーフリ記号は半正多面体にも拡張することができる。 三次元空間の中に一つの頂点を取り、その周りに取ることが可能な正多角形の数に関する制限から、正多面体が存在する必要条件が、{3,3}、{3,4}、{3,5}、{4,3}、{5,3} の五種類のみであることを示すことができる。同じことは、オイラーの多面体公式あるいはデカルトの不足角の定理からも示すことができる。 しかし、条件を緩めることによって、正多面体の拡張を考えることができる(参照:星型正多面体、ねじれ正多面体、正平面充填形)。
|
'''正多面体'''(せいためんたい、{{lang-en-short|regular [[倍数接頭辞|poly]]<nowiki />hedron}})、または'''プラトン(の)立体'''(プラトン(の)りったい、{{lang-en-short|Platonic solid}})<ref>[[プラトン]]の対話篇『[[ティマイオス]]』において、[[四元素説]]と結びつけられて言及されたことに因む。</ref>とは、すべての面が同一の[[正多角形]]で構成されており、かつすべての頂点において接する面の数が等しい凸多面体のことである。正多面体には[[正四面体]]、[[正六面体]]、[[正八面体]]、[[正十二面体]]、[[正二十面体]]の五種類がある。
正多面体の構成面を正 ''p'' 角形、頂点に集まる面の数を ''q'' として {''p'', ''q''} のように表すことができる。これを[[シュレーフリ記号]]という。シュレーフリ記号は[[半正多面体]](別名:[[アルキメデス]]の立体)にも拡張することができる。
三次元空間の中に一つの頂点を取り、その周りに取ることが可能な正多角形の数に関する制限から、正多面体が存在する必要条件が、{3,3}、{3,4}、{3,5}、{4,3}、{5,3} の五種類のみであることを示すことができる。同じことは、[[多面体|オイラーの多面体公式]]あるいはデカルトの[[不足角]]の定理からも示すことができる。
しかし、条件を緩めることによって、正多面体の拡張を考えることができる(参照:[[星型正多面体]]、[[ねじれ正多面体]]、[[平面充填|正平面充填形]])。
== 正多面体の定義 ==
ユークリッド『[[原論]]』第13巻で、球に内接する5つの正多面体の構成が論じられ、最後に、「いま述べた五つの図形以外に,等辺等角で互いに等しい図形にかこまれる他の図形はつくられない」<ref>{{Cite book|和書 |title=ユークリッド原論(追補版) |date=2015/2/25 |year= |publisher=共立出版 |page=434}}</ref>と記述されている。このことから、正多面体とは、
# 面は互いに合同である
# 面は正多角形である
# すべての頂点は同一球面上にある
という条件をすべて満たす多面体である、と理解できる<ref>{{Cite book|title=多面体|date=2001/12/5|year=|publisher=シュプリンガー・フェアラーク東京}}</ref>。
条件3については、1、2を満たす[[凸多面体]]であることを前提とすれば、
* すべての二面角は等しい
* すべての頂点形は正多角形である
* すべての立体角は合同
* すべての頂点に同数の面が集まる
と言い換えることもできる。
また、コクセターは、同心の外接球・中接球・内接球をもつことを正多面体の定義とした。
==正多面体の諸量==
正多面体の一辺を ''a'' とすれば、概略下記となる。
{| class = "wikitable sortable" border="1" cellspacing="0" cellpadding="5" style="text-align:center;"
|-bgcolor="#EEEEEE"
! 名前と図
! 構成面
!面
! 辺
! 頂点
! シュレーフリ記号
! 表面積
! 体積
!内接球半径
!中接球半径
!外接球半径
!二面角
|-
| '''[[正四面体]]'''<br />[[Image:120px-Tetrahedron-slowturn.gif]]
| [[正三角形]]
|4
| 6
| 4
| {3,3}
|<math>\sqrt{3}a^2 </math><br /><math>\simeq 1.732a^2 </math>
|<math>{\sqrt{2}\over12}a^3 </math><br /><math>\simeq 0.118a^3</math>
|<math>{1\over\sqrt{24}} a</math><br /><math>\simeq 0.204a</math>
|<math>{1\over\sqrt{8}} a</math><br /><math>\simeq 0.354a</math>
|<math>\sqrt \frac 3 8 a</math><br /><math>\simeq 0.612a</math>
|<math>\tan ^{-1} \sqrt 8 </math><br /><math>\simeq 70.53^\circ</math>
|-
| '''[[正六面体]]'''<br />[[Image:120px-Hexahedron-slowturn.gif]]
| [[正方形]]
|6
| 12
| 8
| {4,3}
|<math>6a^2</math>
|<math>a^3</math>
|<math>0.5a</math>
|<math>{1\over\sqrt{2}} a</math><br /><math>\simeq 0.707a</math>
|<math>\frac{\sqrt 3}{2} a</math><br /><math>\simeq 0.866a</math>
|<math>90^\circ</math>
|-
| '''[[正八面体]]'''<br />[[Image:120px-Octahedron-slowturn.gif]]
| [[正三角形]]
|8
| 12
| 6
| {3,4}
|<math>2\sqrt{3}a^2</math><br /><math>\simeq 3.464a^2</math>
|<math>{\sqrt{2}\over3}a^3</math><br /><math>\simeq 0.471a^3</math>
|<math>{1\over\sqrt{6}} a</math><br /><math>\simeq 0.408a</math>
|<math>0.5a</math>
|<math>{1\over\sqrt{2}} a</math><br /><math>\simeq 0.707a</math>
|<math>2\tan ^{-1} \sqrt 2</math><br /><math>\simeq 109.47^\circ</math>
|-
| '''[[正十二面体]]'''<br />[[Image:120px-Dodecahedron-slowturn.gif]]
| [[正五角形]]
|12
| 30
| 20
| {5,3}
|<math>3\sqrt{25+10\sqrt5}a^2</math><br /><math>\simeq 20.65a^2</math>
|<math>{15+7\sqrt5\over4}a^3</math><br /><math>\simeq 7.663a^3</math>
|<math>\sqrt{\frac{25+11\sqrt 5}{40}}a</math><br /><math>\simeq 1.114a</math>
|<math>\frac{3+\sqrt 5}{4}a</math><br /><math>\simeq 1.309a</math>
|<math>\frac{\sqrt{15}+\sqrt 3}{4}a</math><br /><math>\simeq 1.401a</math>
|<math>\cos ^{-1} \left(-\frac{1}{\sqrt 5}\right)</math><br /><math>\simeq 116.56^\circ</math>
|-
| '''[[正二十面体]]'''<br />[[Image:120px-Icosahedron-slowturn.gif]]
| [[正三角形]]
|20
| 30
| 12
| {3,5}
|<math>5\sqrt3a^2</math><br /><math>\simeq 8.660a^2</math>
|<math>{5\over12}(3+\sqrt5)a^3</math><br /><math>\simeq 2.182a^3</math>
|<math>\frac{\sqrt{3}}{12} \left(3+ \sqrt{5} \right) a</math><br /><math>\simeq 0.756a</math>
|<math>a\cos\left(\frac{\pi}{5}\right)</math><br /><math>\simeq 0.809a</math>
|<math>a\sin\left(\frac{2\pi}{5}\right)</math><br /><math>\simeq 0.951a</math>
|<math>\cos ^{-1} \left(-\frac{\sqrt 5}{3}\right)</math><br /><math>\simeq 138.19^\circ</math>
|}
==相互関係==
=== 双対 ===
いずれの正多面体の各面の中心を頂点とする立体もまた正多面体となる。これを正多面体の[[双対多面体|双対]]関係といい、3通りの組み合わせが存在する。正四面体同士の双対を特に自己双対という。
{| class = "wikitable sortable" border="1" cellspacing="0" cellpadding="5" style="text-align:center;"
|-bgcolor="#EEEEEE"
! 組み合わせ
! colspan="2" | 図
|-
| style="text-algin:left" | [[正四面体]]と正四面体
| colspan="2" | [[ファイル:4-4dual.png|代替文=正四面体の各面の中点を頂点とする正四面体|147x147ピクセル]]正四面体 ↔ 正四面体
|-
| algin="left" | [[正六面体]]と[[正八面体]]
| <br/>[[ファイル:6-8dual.png|代替文=正六面体の各面の中点を頂点とする正八面体|139x139ピクセル]]正六面体 → 正八面体
| <br/>[[ファイル:8-6dual.png|代替文=正八面体の各面の中点を頂点とする正六面体|163x163ピクセル]]正八面体 → 正六面体
|-
| algin="left" | [[正十二面体]]と[[正二十面体]]
| <br/>[[ファイル:12-20dual.png|代替文=正十二面体の各面の中点を頂点とする正二十面体|160x160ピクセル]]正十二面体 → 正二十面体
| <br/>[[ファイル:20-12dual.png|代替文=正二十面体の各面の中点を頂点とする正十二面体|160x160ピクセル]]正二十面体 → 正十二面体
|}
正十二面体と正二十面体が同一の球に内接するとき、正十二面体の正五角形と正二十面体の正三角形は同じ円に内接する。
(「5つの正多面体の比較」アリスタイオス、BC320)[https://ikuro-kotaro.sakura.ne.jp/koramu2/29493_s2.htm]
また、正六面体と正八面体が同一の球に内接するとき、正六面体の正方形と正八面体の正三角形は同じ円に内接する。
正多面体どうしの間には、もれなく内接・外接の関係がある<ref>{{Cite book |title=多面体百科 |date=2016/10/31 |year= |publisher=丸善出版}}</ref>。
=== 面接触関係 ===
外接する正多面体に対して、内接する正多面体が複数の面を接する関係には次の3通りがある。( )内に内接正多面体を示す。
*正四面体(正八面体)
*正四面体(正二十面体)
*正八面体(正二十面体)
=== 辺接触関係 ===
外接する正多面体の各面に対して、内接する正多面体の辺が接する関係には次の4通りがある。
* 正六面体(正四面体)
* 正六面体(正十二面体)
* 正六面体(正二十面体)
* 正十二面体(正六面体)
=== 点接触関係 ===
外接する正多面体の各面の面心に対して、内接する正多面体の一部の頂点が接する関係には次の3通りがある。
* 正四面体(正六面体)
* 正四面体(正十二面体)
* 正八面体(正十二面体)
外接する正多面体の一部の面心に対して、内接する正多面体のすべての頂点が接する関係には次の3通りがある。
* 正八面体(正四面体)
* 正二十面体(正四面体)
* 正二十面体(正六面体)
外接する正多面体の一部の辺の中点に対して、内接する正多面体のすべての頂点が接する関係には次の2通りがある。
* 正十二面体(正八面体)
* 正二十面体(正八面体)
外接する正多面体の一部の頂点に対して、内接する正多面体のすべての頂点が接する関係は次のとおり。
* 正十二面体(正四面体)
=== 一覧表 ===
正多面体の相互関係を次の表に示す。赤丸は接触点、太線は接触辺、塗りつぶし面は接触面である。ただし、裏側は図に描かれていない。
{| class="wikitable"
!style="white-space:nowrap" | 外接\内接
!正四面体
!正六面体
!正八面体
!正十二面体
!正二十面体
|-
!正四面体
|[[ファイル:Tetra_in_tetra.png|150x150ピクセル]]
|[[ファイル:Cube_in_tetra.png|150x150ピクセル]]
|[[ファイル:Octa_in_tetra.png|150x150ピクセル]]
|[[ファイル:Dodeca_in_tetra.png|150x150ピクセル]]
|[[ファイル:Icosi_in_tetra.png|150x150ピクセル]]
|-
!正六面体
|[[ファイル:Tetra_in_cube.png|150x150ピクセル]]
|
|[[ファイル:Octa_in_cube.png|150x150ピクセル]]
|[[ファイル:Dodeca_in_cube.png|150x150ピクセル]]
|[[ファイル:Icosi_in_cube.png|150x150ピクセル]]
|-
!正八面体
|[[ファイル:Tetra_in_octa.png|150x150ピクセル]]
|[[ファイル:Cube_in_octa.png|150x150ピクセル]]
|
|[[ファイル:Dodeca_in_octa.png|150x150ピクセル]]
|[[ファイル:Icosi_in_octa.png|150x150ピクセル]]
|-
!正十二面体
|[[ファイル:Tetra_in_dodeca.png|150x150ピクセル]]
|[[ファイル:Cube in dodeca.png|150x150ピクセル]]
|[[ファイル:Octa_in_dodeca.png|150x150ピクセル]]
|
|[[ファイル:Icosi_in_dodeca.png|150x150ピクセル]]
|-
!正二十面体
|[[ファイル:Tetra_in_icosi.png|150x150ピクセル]]
|[[ファイル:Cube_in_icosi.png|150x150ピクセル]]
|[[ファイル:Octa_in_icosi.png|150x150ピクセル]]
|[[ファイル:Dodeca_in_icosi.png|150x150ピクセル]]
|
|}
なお、上の表に掲げた外接する正多面体の投影図においては、それらの輪郭は正方形(正四面体の辺中心直投影)、正六角形(正六面体の頂点中心直投影)、正六角形(正八面体の面中心直投影)、正十角形(正十二面体の面中心直投影)、正十角形(正二十面体の頂点中心直投影)と、いずれも正多角形となっている。実際の立体図形においては、その頂点は同一平面にはなく、平行な二平面に一つ置きに属する{{仮リンク|ジグザグ多角形|en|Skew polygon}}であって、正多面体の[[ペトリー多角形|ペトリ―多角形]]([[:en:Petrie polygon|Petrie polygon]])と呼ばれる。
== 正多面体群 ==
正多面体を自分自身に重ねる三次元空間中の回転操作(回転変換)全体のなす[[群論|群]]をいう<ref>{{Cite book|title=正多面体を解く|date=2002/5/20|year=|publisher=東海大学出版会}}</ref>。これは三次元[[回転群]]の部分群になる。
個々のものは「正何面体群」と呼ぶが、互いに双対の正六面体群と正八面体群、正十二面体群と正二十面体群はそれぞれ群として同じものになるので、後者に代表させて、正四面体群、正八面体群、正二十面体群と呼ぶことが多い。
シュレーフリ記号を用いて{''p'', ''q''}と書ける正多面体を自分自身に移す回転には次の3つのタイプがある。ただし、正四面体の場合は面の中心と頂点とが相対するので①と②が融合したものとみなす。
*① 相対する面の中心を結ぶ軸のまわりに 2π/''p'' の整数倍回転する操作
*② 相対する頂点を結ぶ軸のまわりに 2π/''q'' の整数倍回転する操作
*③ 相対する辺の中点を結ぶ軸のまわりに π (の整数倍)回転する操作
次の表において、①,②,③には単位元でないものの数を示した。
{| class="wikitable" style="text-align:center" <!-- 見出し以外の全セル中央揃え -->
|+正多面体の変換群
!
!''p''!!''q''
!①!!②!!③!!単位元
!合計(位数)
!2回対称軸!!3回対称軸!!4回対称軸!!5回対称軸
|-
!正四面体
|3||3
|colspan="2" | 8 || 3 || 1
<!-- |8||同左||3 -->
|12
|3||4||-||-
|-
!正六面体
|4||3
|9||8||6||1
|24
|6||4||3||-
|-
!正八面体
|3||4
|8||9||6||1
|24
|6||4||3||-
|-
!正十二面体
|5||3
|24||20||15||1
|60
|15||10||-||6
|-
!正二十面体
|3||5
|20||24||15||1
|60
|15||10||-||6
|}
これらの群の位数はさまざまな方法で記述できる。
:位数=①の数+②の数+③の数+1
:位数=面の数×''p''
:位数=頂点の数×''q''
:位数=1+(2-1)×2回対称軸の数+(3-1)×3回対称軸の数+(4-1)×4回対称軸の数+(5-1)×5回対称軸の数
== 正多面体の歴史 ==
正多面体(Platonic solids)という幾何学的概念の成立についての伝承としては、紀元前後のユークリッド『原論』の写本に残された次のようなメモが広く信頼されている。<blockquote>この第13巻では5個のいわゆるプラトン立体を扱っているが、これは[[プラトン]]によるものではない。前述の5個の図形のうち3つ、つまり立方体、正四面体、正十二面体は[[ピタゴラス学派]]によるものであり、正八面体と正二十面体は[[テアイテトス]]による。プラトンが『[[ティマイオス]]』においてこれらに言及したためにプラトンの名前が付いたのである。この巻にユークリッドの名前も載っているのは、かれがこの巻を原論に収録したからである。
<br /></blockquote>
== 鉱物結晶にみられる正多面体 ==
日本産鉱物の結晶のなかで正多面体状結晶形態をとることが記録されている主な鉱物種は以下の通り<ref>{{Cite book|title=日本産鉱物の結晶形態|date=2010/4/20|year=|publisher=高田雅介}}</ref>。
* 正四面体
** 安四面銅鉱 (Tetrahedrite) などの四面銅鉱グループや閃亜鉛鉱 (Sphalerite)、ズニ石 (Zunyite) など
* 正六面体
** 黄鉄鉱 (Pyrite)、方鉛鉱 (Galena)、自然銅 (Native copper)、黒辰砂 (Metacinnabar)、蛍石 (Fluorite)、角銀鉱 (Chlorargyrite)、閃マンガン鉱 (Alabandite)、毒鉄鉱 (Pharmacosiderite) など
* 正八面体
** 黄鉄鉱 (Pyrite)、自然金 (native gold)、自然銅 (Native copper)、ハウエル鉱 (Hauerite)、輝コバルト鉱 (Cobaltite)、蛍石 (Fluorite)、赤銅鉱 (Cuprite)、緑マンガン鉱 (Manganosite)、尖晶石 (Spinel)、磁鉄鉱 (Magnetite)、クロム鉄鉱 (Chromite) など
* (正五角形ではない)五角十二面体
** 黄鉄鉱 (Pyrite)
* (一部は正三角形ではない)三角二十面体
** 黄鉄鉱 (Pyrite)
{| class="wikitable"
|+
![[File:Sphalerite.png|180x180ピクセル]]
![[File:Pyritecube.png|180x180ピクセル]]
![[File:Spinel3.png|180x180ピクセル]]
![[ファイル:Pyrite12.jpg|180x180ピクセル]]
![[ファイル:Pyrite delta 20.png|180x180ピクセル]]
|-
|閃亜鉛鉱
|黄鉄鉱
|尖晶石
|黄鉄鉱
|黄鉄鉱
|-
|正四面体
|正六面体
|正八面体
|五角十二面体
|三角二十面体
|-
|面指数 {111}
|面指数 {100}
|面指数 {111}
|面指数 {210}
|面指数 {111} {210}
|}
== 正多面体による空間充填 ==
正多面体のみによる[[空間充填]]には次の2通りがある。
* 正六面体(立方体)単独
* 正四面体と正八面体による空間充填。構成比は2:1。
正十二面体は単独で空間を埋め尽くすことはできないが、[[結晶構造|単純立方格子]]状に配置すると、正六面体と[[双三日月双丸塔|ジョンソン立体91番]]とによって空間充填する<ref>{{Cite book|title=多面体木工(増補版)|date=2011/3/1|year=|publisher=特定非営利活動法人 科学協力学際センター}}</ref>。
構成比は1:1:3。
正二十面体も単独で空間を埋め尽くすことはできないが、[[結晶構造|単純立方格子]]状に配置すると、下図の三角二十面体と楔形の黄金四面体(辺の比1:φ)とによって空間充填する。構成比は1:1:6。
{| class="wikitable"
|+
![[File:Cubicfilling.png|230x230ピクセル]]
![[File:Tetra+octa.png|226x226ピクセル]]
![[File:Dodecacub91.png|252x252ピクセル]]
![[ファイル:ICOSAHEDRON-GOLD.png|303x303px]]
|-
|正六面体
|正四面体 2
|正十二面体 1
|正二十面体 1
|-
|
|正八面体 1
|正六面体 1
|三角二十面体 {1φ0} {111} 1
|-
|
|
|ジョンソン立体91番 3
|黄金四面体 {1φ0} {111} 6
|}
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
{{Reflist}}
== 関連項目 ==
{{Commons|Platonic solid}}
* [[正多角形]]
* [[正多胞体]]
* [[ティマイオス]]
== 外部リンク ==
*[http://woodenpolyhedra.web.fc2.com/making.pdf 正多面体の作り方]
*[http://www.gcg00467.xii.jp/2007/net/ 正多面体の展開図]
{{多面体}}
{{Normdaten}}
{{DEFAULTSORT:せいためんたい}}
[[Category:正多面体|*]]
[[Category:回転対称性]]
[[Category:数学に関する記事]]
|
2003-09-11T13:44:18Z
|
2023-11-30T00:05:51Z
| false | false | false |
[
"Template:多面体",
"Template:Normdaten",
"Template:Lang-en-short",
"Template:仮リンク",
"Template:脚注ヘルプ",
"Template:Reflist",
"Template:Cite book",
"Template:Commons"
] |
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A3%E5%A4%9A%E9%9D%A2%E4%BD%93
|
16,276 |
正四面体
|
正四面体(せいしめんたい、せいよんめんたい、英: regular tetrahedron)とは、4枚の合同な正三角形を面とする四面体である。
最も頂点・辺・面の数が少ない正多面体であり、最も頂点・辺・面の数が少ないデルタ多面体であり、アルキメデスの正三角錐である。また、3次元の正単体である。
なお一般に、n 面体のトポロジーは一定しないが、四面体だけは1種類のトポロジーしかない。つまり、四面体は全て、正四面体と同相であり、正四面体の辺を伸ばしたり縮めたりしたものである。
対称性は、
などである。
辺の長さを a {\displaystyle a\,} とする。
|
[
{
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"text": "正四面体(せいしめんたい、せいよんめんたい、英: regular tetrahedron)とは、4枚の合同な正三角形を面とする四面体である。",
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},
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"text": "なお一般に、n 面体のトポロジーは一定しないが、四面体だけは1種類のトポロジーしかない。つまり、四面体は全て、正四面体と同相であり、正四面体の辺を伸ばしたり縮めたりしたものである。",
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},
{
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"text": "対称性は、",
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},
{
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"tag": "p",
"text": "などである。",
"title": "性質"
},
{
"paragraph_id": 5,
"tag": "p",
"text": "辺の長さを a {\\displaystyle a\\,} とする。",
"title": "計量"
}
] |
正四面体とは、4枚の合同な正三角形を面とする四面体である。 最も頂点・辺・面の数が少ない正多面体であり、最も頂点・辺・面の数が少ないデルタ多面体であり、アルキメデスの正三角錐である。また、3次元の正単体である。 なお一般に、n 面体のトポロジーは一定しないが、四面体だけは1種類のトポロジーしかない。つまり、四面体は全て、正四面体と同相であり、正四面体の辺を伸ばしたり縮めたりしたものである。
|
{{出典の明記|date=2016年11月}}
{{Infobox polyhedron
| Image_File=Tetrahedron (PSF).svg
| Animation_File=Tetrahedron.gif
| Polyhedron_Type=[[正多面体]]、[[デルタ多面体]]、[[四面体]]
| Face_Count=4
| Face_List=[[正三角形]]
| Edge_Count=6
| Vertex_Count=4
| Vertex_List=3, 3, 3<br />3<sup>3</sup>
| Vertex_Image_File=Tetrahedron vertfig.png
| wythoff=3 | 2 3<br />| 2 2 2
| schlafli={3, 3}
| symmetry=[[シェーンフリース記号|T<sub>d</sub>]]
| dual=自己双対
| Property_List=[[凸集合]]
| Net_Image_File=Tetrahedron flat.svg
}}
'''正四面体'''(せいしめんたい、せいよんめんたい、{{Lang-en-short|regular [[倍数接頭辞|tetra]]<nowiki />hedron}})とは、4枚の[[図形の合同|合同]]な[[正三角形]]を面とする[[四面体]]である。
最も[[頂点]]・[[辺]]・面の数が少ない[[正多面体]]であり、最も頂点・辺・面の数が少ない[[デルタ多面体]]であり、アルキメデスの正三[[角錐]]である。また、[[3次元]]の[[正単体]]である。
なお一般に、''n'' 面体の[[トポロジー]]は一定しないが、四面体だけは1種類のトポロジーしかない。つまり、四面体は全て、正四面体と[[同相]]であり、正四面体の辺を伸ばしたり縮めたりしたものである。
==性質==
[[Image:TetraederCrossSection.png|thumb|正四面体のペトリー多角形]]
[[Image:Tetraeder animation with cube.gif|thumb|立方体の中の正四面体([[アニメGIF]])]]
[[Image:Symmetries of the tetrahedron.svg|thumb|正四面体の対称性]]
* 面の数は4、辺の数は6、頂点の数は4。これらは全て多面体で最少である。また、[[パスカルの三角形]]の第5段の2~4番目の数字でもある。
* 頂点形状は正三角形であり、3本の辺と3枚の正三角形が集まる。これらはパスカルの三角形の第4段の2、3番目の数字である。
* 自らと[[双対多面体|双対]]である([[自己双対多面体]])。
* [[対角線]]は存在しない。
* [[ペトリー多角形]]は[[正方形]]である。
* [[立方体]] (±1, ±1, ±1) の4つの頂点 (1,1,1), (1,-1,-1), (-1,1,-1), (-1,-1,1) を結べば、正四面体になる。
* 正四面体の辺の中点を結べば、[[正八面体]]になる。このとき4個の正四面体ができる。逆に正八面体の互い違いの4面を延長すると、正四面体になる。
* [[展開図]]は2通りあり、一方は[[正三角形]]、もう一方は[[平行四辺形]]になる。
* 単独で[[空間充填]]は出来ないが、[[正八面体]]と組み合わせた空間充填は可能である。
===対称性===
[[対称性]]は、
*中心と頂点を通る直線について[[回転対称|3回対称]]
*中心と辺の[[中点]]を通る直線について4回反対称、したがって[[線対称]](2回対称)
*中心と辺を通る面について[[面対称]]
などである。
==計量==
辺の[[長さ]]を <math>a\,</math> とする。
{|class="wikitable"
|面の[[面積]]
| bgcolor="#ffffff" |<math> A = {\sqrt{3}\over4} a^2 </math>
| bgcolor="#ffffff" |<math> \approx 0.433012702 a^2 </math>
|-
|[[表面積]]
| bgcolor="#ffffff" |<math> S = 4 A = \sqrt 3 a^2 </math>
| bgcolor="#ffffff" |<math> \approx 1.732050808 a^2 </math>
|-
|[[高さ]]
| bgcolor="#ffffff" |<math> h = \frac \sqrt 6 3 a </math>
| bgcolor="#ffffff" |<math> \approx 0.816496581 a </math>
|-
|[[体積]]
| bgcolor="#ffffff" |<math> V = \frac 1 3 A h ={\sqrt{2}\over12}a^3 </math>
| bgcolor="#ffffff" |<math> \approx 0.117851130 a^3 </math>
|-
|辺と面のなす角
| bgcolor="#ffffff" |<math> \tan ^{-1} \sqrt 2 </math>
| bgcolor="#ffffff" |<math> \approx 54.735610 ^\circ </math>
|-
|[[二面角]]
| bgcolor="#ffffff" |<math> \cos ^{-1} \frac 1 3 = \tan ^{-1} \sqrt 8 </math>
| bgcolor="#ffffff" |<math> \approx 70.528779 ^\circ </math>
|-
| 中心と頂点を結ぶ直線のなす角
| bgcolor="#ffffff" |<math> \frac \pi 2 + \sin ^{-1} \frac 1 3 = 2\tan ^{-1} \sqrt 2</math>
| bgcolor="#ffffff" |<math> \approx 109.471221 ^\circ </math>
|-
| 頂点の[[立体角]]
| bgcolor="#ffffff" |<math> 3 \cos ^{-1} \frac 1 3 - \pi = \cos ^{-1} \frac{23}{27}</math>
| bgcolor="#ffffff" |<math> \approx 0.551285598 \ \mathrm{ sr } </math>
|-
|[[外接球]](頂点を通る球)の[[半径]]
| bgcolor="#ffffff" |<math> R = \sqrt \frac 3 8 a </math>
| bgcolor="#ffffff" |<math> \approx 0.612372436 a </math>
|-
|[[内接球]](面と接する球)の半径
| bgcolor="#ffffff" |<math> r = {1\over3} R = {1\over\sqrt{24}} a </math>
| bgcolor="#ffffff" |<math> \approx 0.204124145 a </math>
|-
|[[中接球]](辺と接する球)の半径
| bgcolor="#ffffff" |<math> r _ \mathrm M = \sqrt { r R } = {1\over\sqrt{8}} a </math>
| bgcolor="#ffffff" |<math> \approx 0.353553391 a</math>
|-
| 傍接球の半径
| bgcolor="#ffffff" |<math>r _ \mathrm E = {1\over\sqrt{6}} a </math>
| bgcolor="#ffffff" |<math> \approx 0.408248290 a </math>
|-
| 頂点から傍心(傍接球の中心)までの距離
| bgcolor="#ffffff" |<math> \sqrt \frac 3 2 a </math>
| bgcolor="#ffffff" |<math> \approx 1.224744871 a </math> <!-- exsphereがわかりません、わかる人訳してください-->
|}
== 正四面体から作られる図形 ==
<gallery>
Hexahedron.jpg|[[正六面体]]<br /><small>(切稜する)</small>
Truncatedtetrahedron.jpg|[[切頂四面体]]<br /><small>(切頂する)</small>
Octahedron.jpg|[[正八面体]]<br /><small>(更に深く切頂する)</small>
Truncatedoctahedron.jpg|[[切頂八面体]]<br /><small>(頂点と辺を削る)</small>
Cuboctahedron.jpg|[[立方八面体]]<br /><small>(Expansionを行う)</small>
Icosahedron.jpg|[[正二十面体]]<br /><small>(各面をねじる)</small>
Dual compound 4 max.png|[[星型八面体]]<small><br />(2つを[[複合多面体|複合]]させる)</small>
UC05-5 tetrahedra.png|5個の正四面体による複合多面体
UC06-10 tetrahedra.png|10個の正四面体による複合多面体
Triangular dipyramid.png|[[デルタ六面体]]<br /><small>(2つを貼り合わせる)</small>
Elongated triangular pyramid.png|[[正三角錐柱]]<br /><small>([[角柱]]を追加)</small>
Square pyramid.png|[[正四角錐]]<br /><small>(角の数を増やす)</small>
Augmented tridiminished icosahedron.png|[[側錐三側錐欠損二十面体]]<br /><small>([[三側錐欠損二十面体]]を追加)</small>
Triakistetrahedron.jpg|[[三方四面体]]<br /><small>(各面の中心を持ち上げる)</small>
Hexahedron.jpg|[[正六面体]]<br /><small>(各面の中心を更に持ち上げる)</small>
Tetrakishexahedron.jpg|[[四方六面体]]<br /><small>(各面と各辺の中心を持ち上げる)</small>
Rhombicdodecahedron.jpg|[[菱形十二面体]]<br /><small>(各面と各辺の中心を、四角形に分かれるように持ち上げる)</small>
Dodecahedron.jpg|[[正十二面体]]<br /><small>(各頂点をねじる)</small>
Noimage.svg|[[正四面体リング]]<br /><small>(輪状に並べる)</small>
Schlegel wireframe 5-cell.png|[[正五胞体]]<br /><small>(5つを4次元空間内で貼り合わせる)</small>
Schlegel wireframe 16-cell.png|[[正十六胞体]]<br /><small>(16個を4次元空間内で貼り合わせる)</small>
Schlegel wireframe 600-cell_vertex-centered.png|[[正六百胞体]]<br /><small>(600個を4次元空間内で貼り合わせる)</small>
</gallery>
== 外部リンク ==
* {{MathWorld|title=Regular Tetrahedron|urlname=RegularTetrahedron|author=[[:en:Frank Jackson|Jackson, Frank]] and [[:en:Eric W. Weisstein|Weisstein, Eric W.]] }}
{{Commonscat|Tetrahedron|四面体}}
{{多面体}}
{{DEFAULTSORT:せいしめんたい}}
[[Category:角柱・角錐]]
[[Category:自己双対多面体]]
[[Category:数学に関する記事]]
[[Category:正多面体]]
[[Category:デルタ多面体]]
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2022-06-06T03:25:42Z
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[
"Template:出典の明記",
"Template:Infobox polyhedron",
"Template:Lang-en-short",
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"Template:Commonscat",
"Template:多面体"
] |
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A3%E5%9B%9B%E9%9D%A2%E4%BD%93
|
16,277 |
正八面体
|
正八面体(せいはちめんたい、英: regular octahedron)とは、正多面体の一種であり、8枚の正三角形から成り立つ立体である。
正多面体のひとつの正六面体のすべての頂点まわりを各面の中心まで切頂することによって得られる。(双対関係)
正四面体の各頂点を辺の中心まで切り落とした形でもある。
|
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"text": "正多面体のひとつの正六面体のすべての頂点まわりを各面の中心まで切頂することによって得られる。(双対関係)",
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"text": "正四面体の各頂点を辺の中心まで切り落とした形でもある。",
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}
] |
正八面体とは、正多面体の一種であり、8枚の正三角形から成り立つ立体である。 正多面体のひとつの正六面体のすべての頂点まわりを各面の中心まで切頂することによって得られる。(双対関係) 正四面体の各頂点を辺の中心まで切り落とした形でもある。
|
{{Infobox polyhedron
| Image_File=Octahedron.jpg
| Animation_File=Octahedron.gif
| Polyhedron_Type=[[正多面体]]、[[デルタ多面体]]、[[八面体]]
| Face_Count=8
| Face_List=[[正三角形]]
| Edge_Count=12
| Vertex_Count=6
| Vertex_List=3, 3, 3, 3<br />3<sup>4</sup>
| Vertex_Image_File=Octahedron vertfig.svg
| wythoff=<nowiki>4 | 2 3</nowiki>
| schlafli={3, 4}
| symmetry=[[シェーンフリース記号|O<sub>h</sub>]]
| dual=[[正六面体]]
| Property_List=[[凸集合]]
| Net_Image_File=Octahedron flat.svg
}}
[[Image:A3-P5-P3.gif|right|thumb|正八面体⇔[[正二十面体]]⇔[[立方八面体]]という変形]]
'''正八面体'''(せいはちめんたい、{{Lang-en-short|regular [[倍数接頭辞|octa]]<nowiki />hedron}})とは、[[正多面体]]の一種であり、8枚の[[正三角形]]から成り立つ[[立体]]である。
正多面体のひとつの[[正六面体]]のすべての頂点まわりを各面の中心まで[[切頂六面体|切頂]]することによって得られる。(双対関係)
[[正四面体]]の各頂点を辺の中心まで切り落とした形でもある。
== 性質 ==
* [[双角錐|双四角錐]]、[[反角柱|反三角柱]]の特殊な形。
* 向かい合う面は[[平行]]である。
* [[展開図]]の数は11種類。
* [[星型多面体|星形化]]すると[[星型八面体]]となる。
* 面の数は8、辺の数は12、頂点の数は6。これらは{{仮リンク|パスカルのピラミッド|en|Pascal's pyramid}}の第4段(Layer 3)の三角形の各段の数字の総和に等しい。反対側の面の中心同士を結ぶ線に沿って見た場合、面、辺、頂点は各段の数字通りのグループに分割される。
* 頂点形状は[[正方形]]であり、4本の辺と4枚の正三角形が集まる。これらはパスカルのピラミッドの第3段(Layer 2)の三角形の各段の数字の総和に等しい。
* 単独で[[空間充填]]は出来ないが、[[正四面体]]と組み合わせた空間充填は可能である。
* 下図に示すように、[[正六面体]]と[[双対多面体|双対]]である。
{|class="wikitable"
|-align=center
|[[File:Dual Cube-Octahedron.svg|240px]][[File:Dualoctaedre.png|240px]][[File:Polyhedron_pair_6-8.png|240px]]<br />正六面体との双対関係
|}
== 計量 ==
{|class="wikitable"
|面の[[面積]]
| bgcolor="#ffffff" |<math> A={\sqrt{3}\over4}a^2</math>
|-
|[[表面積]]
| bgcolor="#ffffff" |<math> S=8A=2\sqrt{3}a^2</math>
|-
|[[体積]]
| bgcolor="#ffffff" |<math> V=\frac{1}{3}Sr={1\over3}\sqrt{2}a^3</math>
|-
|[[対角線]]の長さ
| bgcolor="#ffffff" |<math> d=\sqrt{2}a</math>
|-
|[[外接球]]半径
| bgcolor="#ffffff" |<math> R=\frac{d}{2}={a\over\sqrt{2}}</math>
|-
|[[内接球]]半径
| bgcolor="#ffffff" |<math> r={a\over\sqrt{6}}</math>
|}
== 近縁な立体 ==
=== 星型 ===
<gallery>
Image:Stella_octangula.png|[[星型八面体]]
</gallery>
=== 頂点と辺が共通となる立体 ===
<gallery>
Image:Tetrahemihexahedron.png|[[四面半六面体]]
</gallery>
=== ジョンソンの立体 ===
<gallery>
Image:Square_pyramid.png|[[正四角錐]]<br /><small>(半分に割る)</small>
Image:Elongated_square_dipyramid.png|[[双四角錐柱]]<br /><small>(間に正四角柱を挟む)</small>
Image:Gyroelongated_square_dipyramid.png|[[双四角錐反柱]]<br /><small>(片側を45°捻り、間に正反四角柱を挟む)</small>
Image:Triangular_dipyramid.png|[[双三角錐]]<br /><small>(錐の角の数を減らす)</small>
Image:Pentagonal_dipyramid.png|[[双五角錐]]<br /><small>(錐の角の数を増やす)</small>
</gallery>
=== その他 ===
<gallery>
Image:Tetrahedron.jpg|[[正四面体]]<br />{3, 3}<br /><small>(ベースの形)</small>
Image:Truncatedtetrahedron.jpg|[[切頂四面体]]<br />t{3, 3}<br /><small>(正四面体との中間にあたる)</small>
Image:Truncatedoctahedron.jpg|[[切頂八面体]]<br />t{3, 4}<br /><small>(切頂する)</small>
Image:Cuboctahedron.jpg|[[立方八面体]]<br />r{4, 3} = r{3, 4}<br /><small>(深く切頂する)</small>
Image:Truncatedcuboctahedron.jpg|[[斜方切頂立方八面体]]<br />tr{4, 3}<br /><small>(頂点と辺を削る)</small>
Image:Rhombicuboctahedron.jpg|[[斜方立方八面体]]<br />rr{4, 3}<br /><small>(Expansionを行う)</small>
Image:Snubhexahedroncw.jpg|[[変形立方体]]<br />sr{4, 3}<br /><small>(面をねじる)</small>
Image:Icosahedron.jpg|[[正二十面体]]<br />sr{4, 3}<br /><small>(面を隣り合う面同士で逆方向にねじる)</small>
Image:Triakisoctahedron.jpg|[[三方八面体]]<br /><small>(各面の中心を持ち上げる)</small>
Image:Rhombicdodecahedron.jpg|[[菱形十二面体]]<br /><small>(各面の中心を更に持ち上げる)</small>
Image:Disdyakisdodecahedron.jpg|[[六方八面体]]<br /><small>(各面と各辺の中心を持ち上げる)</small>
Image:Deltoidalicositetrahedron.jpg|[[凧形二十四面体]]<br /><small>(各面と各辺の中心を、四角形に分かれるように持ち上げる)</small>
Image:Pentagonalicositetrahedroncw.jpg|[[五角二十四面体]]<br /><small>(頂点をねじる)</small>
Image:Dual compound 8 max.png|正六面体と正八面体による[[複合多面体]]
Image:Compound_of_five_octahedra.png|5個の正八面体による複合多面体
Image:UC14-20_octahedra.png|20個の正八面体による複合多面体
Image:Cubohemioctahedron.png|[[立方半八面体]]
Image:Octahemioctahedron.png|[[八面半八面体]]
Image:Schlegel wireframe 24-cell.png|[[正二十四胞体]]<br /><small>(16個を4次元空間内で貼り合わせる)</small>
</gallery>
== 関連項目 ==
<!--項目の50音順-->
{{Div col}}
* [[スキューブダイアモンド]]
* [[双錐体]]
* [[中心つき八面体数]]
* [[柱体]]
* [[八面体形分子構造]]
{{Div col end}}
== 外部リンク ==
* {{MathWorld|title=Octahedron|urlname=Octahedron}}
* {{MathWorld|title=Regular Octahedron|urlname=RegularOctahedron}}
* {{MathWorld|title=Octahedral Graph|urlname=OctahedralGraph}}
* {{MathWorld|title=Octahedral Group|urlname=OctahedralGroup}}
{{Commonscat|Octahedron|八面体}}
{{多面体}}
{{Polyhedron-stub}}
{{Normdaten}}
{{DEFAULTSORT:せいはちめんたい}}
[[Category:角柱・角錐]]
[[Category:正多面体]]
[[Category:デルタ多面体]]
[[Category:数学に関する記事]]
|
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2023-11-06T11:59:50Z
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"Template:Infobox polyhedron",
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"Template:多面体",
"Template:Polyhedron-stub"
] |
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A3%E5%85%AB%E9%9D%A2%E4%BD%93
|
16,278 |
正三角形
|
正三角形(せいさんかくけい、英: equilateral triangle)は、正多角形である三角形である。つまり、3本の辺の長さが全て等しい三角形である。3つの内角の大きさが全て等しい三角形と定義してもよい。1つの内角は 60°(π/3 rad)である。また一つの内角が60°である二等辺三角形は正三角形となる。
一辺を a とすると、
複素数平面上で正三角形の重心を0、一つの頂点を1とすると、他の2つの頂点は1の虚立方根 ω および ω である。
三角形の頂点を A ( a 3 , 0 ) , B ( − a 2 3 , a 2 ) , C ( − a 2 3 , − a 2 ) {\displaystyle A\left({\frac {a}{\sqrt {3}}},0\right),B\left(-{\frac {a}{2{\sqrt {3}}}},{\frac {a}{2}}\right),C\left(-{\frac {a}{2{\sqrt {3}}}},-{\frac {a}{2}}\right)} とすれば辺の長さaの正三角形となる。
x ≥ − a 2 3 , y ≥ x 3 − a 3 , y ≤ − x 3 + a 3 {\displaystyle x\geq -{\frac {a}{2{\sqrt {3}}}},y\geq {\frac {x}{\sqrt {3}}}-{\frac {a}{3}},y\leq -{\frac {x}{\sqrt {3}}}+{\frac {a}{3}}} で囲まれる領域は辺の長さaの正三角形となる。
線対称な図形であり、その対称軸は各頂点から向かい合った辺に下ろした垂線で3本ある。三角形の中では最も対称軸の本数が多い。点対称な図形ではないが重心を中心とした120°の回転対称である。
内心、外心、垂心、重心が全て一点に集まっている唯一の三角形である。内心と外心が一致することから角の二等分線と対辺の垂直二等分線が一致し、この線で正三角形を2つにわけて得られる直角三角形は三角定規の1つに用いられている。
正多角形のうち平面を隙間なく敷き詰めることのできる図形は正三角形、正方形、正六角形の三つのみである。 また正多角形のうち正多面体の面になりうるものは正三角形、正方形、正五角形の三つのみであり、そのうち面が正三角形であるものは正四面体、正八面体、正二十面体である。
正三角形を1つの頂点が互いに全て重なるように6つ敷き詰めると正六角形ができる。これは(1種類の)正多角形を敷き詰めることで別の正多角形を作る唯一の方法である。2種類以上の正多角形を使ってよい場合、正六角形を、6つずつの正方形と正三角形を交互で囲うように敷き詰めて正十二角形を作れる。
正三角形は定規とコンパスだけを用いて作図が可能である。n が素数である正 n 角形のうち、このような作図が可能なのは n がフェルマー素数である場合に限られる。
互いに合同な直角二等辺三角形を複数配置することで正三角形の作図が可能である。
辺の長さが1,1, 2 {\displaystyle {\sqrt {2}}} の直角二等辺三角形を用いて一辺の長さが2となる正三角形を作図できる。
底辺の長さが 2 {\displaystyle {\sqrt {2}}} で高さが1の直角三角形の斜辺の長さが 3 {\displaystyle {\sqrt {3}}} となることを応用する。
|
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"text": "正多角形のうち平面を隙間なく敷き詰めることのできる図形は正三角形、正方形、正六角形の三つのみである。 また正多角形のうち正多面体の面になりうるものは正三角形、正方形、正五角形の三つのみであり、そのうち面が正三角形であるものは正四面体、正八面体、正二十面体である。",
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"text": "正三角形を1つの頂点が互いに全て重なるように6つ敷き詰めると正六角形ができる。これは(1種類の)正多角形を敷き詰めることで別の正多角形を作る唯一の方法である。2種類以上の正多角形を使ってよい場合、正六角形を、6つずつの正方形と正三角形を交互で囲うように敷き詰めて正十二角形を作れる。",
"title": "その他の性質"
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"text": "正三角形は定規とコンパスだけを用いて作図が可能である。n が素数である正 n 角形のうち、このような作図が可能なのは n がフェルマー素数である場合に限られる。",
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"text": "互いに合同な直角二等辺三角形を複数配置することで正三角形の作図が可能である。",
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"text": "底辺の長さが 2 {\\displaystyle {\\sqrt {2}}} で高さが1の直角三角形の斜辺の長さが 3 {\\displaystyle {\\sqrt {3}}} となることを応用する。",
"title": "直角二等辺三角形を利用した正三角形の作図"
}
] |
正三角形は、正多角形である三角形である。つまり、3本の辺の長さが全て等しい三角形である。3つの内角の大きさが全て等しい三角形と定義してもよい。1つの内角は 60°である。また一つの内角が60°である二等辺三角形は正三角形となる。
|
{{出典の明記|date=2023年10月}}
{{Infobox polygon
| name = 正三角形
| image = Triangle.Equilateral.svg
| type = [[正多角形]]
| edges = 3
| schläfli = {3}
| coxeter = {{CDD|node_1|3|node}}
| symmetry = [[二面体群|D<sub>3</sub>]]
| area = <math>\tfrac{\sqrt{3}}{4} a^2</math>
| angle = 60°}}
'''正三角形'''(せいさんかくけい、{{lang-en-short|equilateral triangle}})は、[[正多角形]]である[[三角形]]である。つまり、3本の[[辺]]の長さが全て等しい[[三角形]]である。3つの[[角度|内角]]の大きさが全て等しい三角形と定義してもよい。1つの内角は 60°(''π''/3 [[ラジアン|rad]])である。また一つの内角が60°である[[二等辺三角形]]は正三角形となる。
== 計量 ==
一辺を ''a'' とすると、
{| class="wikitable"
|-
| [[面積]] || bgcolor="white" | <math>\frac{\sqrt{3}}{4} a^2 \approx 0.433 a^2</math>
|-
| [[高さ]] || bgcolor="white" | <math>\frac{\sqrt{3}}{2} a \approx 0.866 a</math>
|-
| [[内接円]]の半径 || bgcolor="white" | <math>\frac{1}{2 \sqrt 3} a \approx 0.289 a</math>
|-
| [[外接円]]の半径 || bgcolor="white" | <math>\frac{1}{\sqrt{3}} a \approx 0.577 a</math>
|-
| 内角 || bgcolor="white" | <math> \frac{\pi}{3} = 60^\circ </math>
|}
== 座標 ==
[[複素数平面]]上で正三角形の重心を0、一つの頂点を1とすると、他の2つの頂点は[[1の原始冪根|1の虚立方根]] ω および ω<sup>2</sup> である。
三角形の頂点を<math>A\left(\frac{a}{\sqrt{3}},0\right), B\left(-\frac{a}{2\sqrt{3}},\frac{a}{2}\right), C\left(-\frac{a}{2\sqrt{3}},-\frac{a}{2}\right)</math> とすれば辺の長さaの正三角形となる。
<math>x\ge -\frac{a}{2\sqrt{3}}, y\ge \frac{x}{\sqrt{3}}-\frac{a}{3}, y\le -\frac{x}{\sqrt{3}}+\frac{a}{3}</math> で囲まれる領域は辺の長さaの正三角形となる。
== 対称性 ==
[[線対称]]な図形であり、その[[対称軸]]は各[[頂点]]から向かい合った辺に下ろした垂線で3本ある。三角形の中では最も対称軸の本数が多い。[[点対称]]な図形ではないが[[重心]]を中心とした120°の[[回転対称]]である。
[[三角形#内心|内心]]、[[三角形#外心|外心]]、[[三角形#垂心|垂心]]、[[三角形#重心|重心]]が全て一点に集まっている唯一の三角形である。内心と外心が一致することから角の[[二等分線]]と対辺の[[垂直二等分線]]が一致し、この線で正三角形を2つにわけて得られる[[直角三角形]]は[[三角定規]]の1つに用いられている。
== その他の性質 ==
正多角形のうち平面を隙間なく敷き詰めることのできる図形は正三角形、[[正方形]]、[[正六角形]]の三つのみである。 また正多角形のうち[[正多面体]]の面になりうるものは正三角形、正方形、[[正五角形]]の三つのみであり、そのうち面が正三角形であるものは[[正四面体]]、[[正八面体]]、[[正二十面体]]である。
正三角形を1つの頂点が互いに全て重なるように6つ敷き詰めると正六角形ができる。これは(1種類の)正多角形を敷き詰めることで別の正多角形を作る唯一の方法である。2種類以上の正多角形を使ってよい場合、正六角形を、6つずつの正方形と正三角形を交互で囲うように敷き詰めて正十二角形を作れる。
正三角形は定規とコンパスだけを用いて[[作図]]が可能である。''n'' が[[素数]]である正 ''n'' 角形のうち、このような作図が可能なのは ''n'' が[[フェルマー素数]]である場合に限られる。
== 直角二等辺三角形を利用した正三角形の作図 ==
[[File:TomoyukiMogi Make An Equilateral Triangle.gif|thumb|right|直角二等辺三角形を利用した正三角形の作図]]
互いに合同な[[直角二等辺三角形]]を複数配置することで正三角形の作図が可能である。
辺の長さが1,1,<math>\sqrt{2}</math>の直角二等辺三角形を用いて一辺の長さが2となる正三角形を作図できる。
底辺の長さが<math>\sqrt{2}</math>で高さが1の[[直角三角形]]の斜辺の長さが<math>\sqrt{3}</math>となることを応用する。
{{-}}<!-- 画像の縦幅と、セクションの切れ目を合わせるためのクリア -->
== 関連項目 ==
{{Commonscat|Equilateral triangles}}
{{ウィキポータルリンク|数学}}
{{Refbegin|2}}
* [[三角形]]
* [[正多角形]]
* [[二等辺三角形]]
* [[冬の大三角]]
* [[三角 (記号)]]
{{Refend}}
{{多角形}}
{{DEFAULTSORT:せいさんかくけい}}
[[Category:三角形]]
[[Category:数学に関する記事]]
[[pt:Triângulo#Tipos de triângulos]]
|
2003-09-11T14:06:03Z
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2023-10-15T20:05:20Z
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16,279 |
正十二面体
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正十二面体(せいじゅうにめんたい、英: regular dodecahedron)は正多面体の1つ。空間を正五角形12枚で囲んだ凸多面体。
以下は、標準的な座標の取り方の一つである。ここで φ {\displaystyle \phi } は黄金比 1 + 5 2 {\displaystyle {\frac {1+{\sqrt {5}}}{2}}} 、 ε 1 , ε 2 , ε 3 = ± 1 {\displaystyle \epsilon _{1},\epsilon _{2},\epsilon _{3}=\pm 1} である。
発泡スチロールカッターを使って立方体から正十二面体を作る様子を示す。
『ユークリッド原論』第13巻の定理17においては、立方体の一辺を対角線の一つとする五角形のひさしをかけることによって、この五角形が等辺にして一平面上にありかつ等角であることが証明されている。
図に示したように、『ユークリッド原論』第13巻の定理17の説明にあるギリシア文字をラテン文字に変更して述べると以下のようになる。
おそらく日本最古と思われる正十二面体構造を持つ人工物は、5~6世紀ごろの古墳の副葬品の耳飾りに見出すことができる。同じ大きさの銀製や金銅製の環12個を均等に配置した中空の籠形で、垂らすタイプの耳飾りの中間に用いられた。これまでに、群馬県の梁瀬二子塚古墳、千葉県の祇園大塚山古墳、長野県の畦地一号墳、和歌山県の大谷古墳、奈良県の新沢千塚から出土した遺物に確認されている。全く同じではないが似たような構造を持つ耳飾りは朝鮮半島の遺物でも確認されている。
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"title": "正十二面体の証明"
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"text": "おそらく日本最古と思われる正十二面体構造を持つ人工物は、5~6世紀ごろの古墳の副葬品の耳飾りに見出すことができる。同じ大きさの銀製や金銅製の環12個を均等に配置した中空の籠形で、垂らすタイプの耳飾りの中間に用いられた。これまでに、群馬県の梁瀬二子塚古墳、千葉県の祇園大塚山古墳、長野県の畦地一号墳、和歌山県の大谷古墳、奈良県の新沢千塚から出土した遺物に確認されている。全く同じではないが似たような構造を持つ耳飾りは朝鮮半島の遺物でも確認されている。",
"title": "古代の遺物に見られる正十二面体"
}
] |
正十二面体は正多面体の1つ。空間を正五角形12枚で囲んだ凸多面体。
|
{{Infobox Polyhedron with net
| Image_File=256-XX-dodecahedron.gif
| Polyhedron_Type=[[正多面体]]、[[十二面体]]
| Face_List=12枚の[[正五角形]]
| Edge_Count=30
| Vertex_Count=20
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| Net_Image_File=Dodecahedron_flat.svg
}}
[[File:Dodeca.jpg|thumb|正十二面体投影図(辺心図)]]
'''正十二面体'''(せいじゅうにめんたい、{{lang-en-short|regular [[倍数接頭辞|dodeca]]<nowiki />hedron}})は[[正多面体]]の1つ。[[空間]]を[[正五角形]]12枚で囲んだ[[凸多面体]]。
== 性質 ==
* [[ねじれ双角錐|ねじれ双五角錐]]の両頭頂点を切った立体({{Interlang|en|Truncated trapezohedron|Truncated pentagonal trapezohedron}})の、特殊な形。
* 向かい合う面は平行である。
* 正十二面体の一辺と外接立方体の一辺の比はおよそ 1 : 2.618
* [[二面角]] 116.56505° = arccos(−1/{{sqrt|5}})
* [[展開図]]の数は43380種類。
* 面の数は12、辺の数は30、頂点の数は20。
* 頂点形状は[[三角錐|正三角錐]]であり、3本の辺と3枚の正五角形が集まる。これらは[[パスカルの三角形]]の第4段の2、3番目の数字に等しい。
* [[正二十面体]]と[[双対多面体|双対]]である。
== 計量 ==
{|class="wikitable"
|面の[[面積]]
| bgcolor="#ffffff" |<math> A={1\over4}\sqrt{25+10\sqrt5}\,a^2</math>
| bgcolor="#ffffff" |<math> A={1\over4}\sqrt{5(4\phi+3)}\,a^2</math>
|-
|[[表面積]]
| bgcolor="#ffffff" |<math> S=12A=3\sqrt{25+10\sqrt5}\,a^2</math>
| bgcolor="#ffffff" |<math> S=12A=3\sqrt{5(4\phi+3)}\,a^2</math>
|-
|[[体積]]
| bgcolor="#ffffff" |<math> V=\frac{1}{3}Sr={1\over4}(15+7\sqrt5)a^3</math>
| bgcolor="#ffffff" |<math> V=\frac{1}{3}Sr={1\over2}(7\phi+4)a^3</math>
|-
|最長[[対角線]]の長さ
| bgcolor="#ffffff" |<math> d={1\over2}{(\sqrt{15}+\sqrt{3})a}</math>
| bgcolor="#ffffff" |<math> d={\sqrt3\phi}a</math>
|-
|[[外接球]]半径
| bgcolor="#ffffff" |<math> R=\frac{d}{2}={1\over4}{(\sqrt{15}+\sqrt{3})a}</math>
| bgcolor="#ffffff" |<math> R={1\over2}{\sqrt3\phi}a</math>
|-
|[[内接球]]半径
| bgcolor="#ffffff" |<math> r=\sqrt{25+11\sqrt{5}\over40}\,a</math>
| bgcolor="#ffffff" |<math> r={3\phi+2\over2\sqrt{4\phi+3}}a</math>
|}
== 頂点、辺、面の座標 ==
以下は、標準的な座標の取り方の一つである。ここで <math>\phi</math> は[[黄金比]] <math>\frac{1+\sqrt5}2</math> 、
<math>\epsilon_1, \epsilon_2, \epsilon_3=\pm 1</math> である。
; 20個の頂点(原点からの距離 <math>\sqrt3</math>)の座標
* <math>(\epsilon_1, \epsilon_2, \epsilon_3)</math> の8個
* <math>(0, \epsilon_2 \phi, \epsilon_3 \phi^{-1})</math> のxyz座標を偶置換した 12個
; 30個の辺(長さ<math>2\phi^{-1}</math>)の、両端点および中心の座標
* 両端点 <math>(\epsilon_1, \epsilon_2, \epsilon_3)</math>と<math>(0, \epsilon_2\phi, \epsilon_3\phi^{-1})</math>、中心 <math>\frac12(\epsilon_1, \epsilon_2 \phi^2, \epsilon_3 \phi)</math> のxyz座標を偶置換した 24個
* 両端点 <math>(0, \epsilon_2\phi, \phi^{-1})</math>と<math>(0, \epsilon_2\phi, -\phi^{-1})</math>、中心<math>(0, \epsilon_2\phi, 0)</math> のxyz座標を偶置換した 6組
; 12個の面の、反時計回りの頂点および中心の座標
* 頂点 <math>(0, \epsilon_2\phi, \epsilon_3\phi^{-1})</math>, <math>(-\epsilon_2 \epsilon_3, \epsilon_2, \epsilon_3)</math>, <math>(-\epsilon_2 \epsilon_3\phi^{-1}, 0, \epsilon_3 \phi)</math>, <math>(\epsilon_2 \epsilon_3\phi^{-1}, 0, \epsilon_3 \phi)</math>, <math>(\epsilon_2 \epsilon_3, \epsilon_2, \epsilon_3)</math>、中心 <math>\frac{\phi+2}5(0, \epsilon_2, \epsilon_3\phi) </math> のxyz座標を偶置換した 12個
== 正十二面体の作り方 ==
[[File:Cube in dodecahedron.jpg|thumb|正十二面体と内接する立方体]]
[[ファイル:Dodeca0.jpg|サムネイル|右|正十二面体と外接する立方体の直投影図]]
*正十二面体を内接[[立方体]]から構成する方法がユークリッドの『原論』第13巻に記されている。一松信はこれを「立方体に屋根をかける」方法と呼んでいる。<ref>{{Cite book|title=正多面体を解く|date=2002/5/20|year=|publisher=東海大学出版会}}</ref>
*これとは逆に、正十二面体を外接[[正六面体|立方体]]から立方体の12の稜を一様に[[切稜立方体|切稜]]して作る方法が、『多面体木工(増補版)』(佐藤郁郎・中川宏)によって示された。<ref>{{Cite book|title=多面体木工|date=2006/8/1|year=|publisher=特定非営利活動法人 科学協力学際センター}}</ref>それは、正十二面体の投影図(辺心図)が、直交する3方向に現れることに基づいている。投影図は100ミリの立方体から切り取る部分の寸法を示しているが、これは[[黄金比]]にあたる。切り取る三角形の赤丸の角度が[[切稜立方体|切稜]]の角度になる。約31.7度である。
=== 立方体から正十二面体を作る様子 ===
発泡スチロールカッターを使って立方体から正十二面体を作る様子を示す。
{| class="wikitable" style="text-align:center; font-size:95%;"
|-
| style="padding:5px; vertical-align:top;" |[[File:Dodeca1.jpg|225px]]<br />X軸まわりの切稜
|-
| style="padding:5px; vertical-align:top;" |[[File:Dodeca2.jpg|225px]]<br />Y軸まわりの切稜
|-
| style="padding:5px; vertical-align:top;" |[[File:Dodeca3.jpg|225px]]<br />Z軸まわりの切稜
|-
| style="padding:5px; vertical-align:top;" |[[File:Dodeca4.jpg|225px]]<br />立方体切稜による正十二面体の完成
|}
== 正十二面体の証明 ==
<!-- 節の名前が不明 -->
[[ファイル:原論13-17図.gif|サムネイル|左|『[[原論]]』第13巻の定理17の図]]
『[[ユークリッド原論]]』第13巻の定理17においては、立方体の一辺を対角線の一つとする五角形のひさしをかけることによって、この五角形が等辺にして一平面上にありかつ等角であることが証明されている<ref name="Heiberg&Menge1971.pp=429-432">{{Harvtxt|ハイベア|メンゲ|1971|pp=429–432}}.</ref>。
{{Quotation|正十二面体をつくり,先の図形のように球によってかこみ,そして正十二面体の辺が[[余線分]]とよばれる[[無理数|無理線分]]であることを証明すること。|『ユークリッド原論』第13巻の定理17<ref>{{Harvtxt|ハイベア|メンゲ|1971|p=429}}.</ref>}}
図に示したように、『ユークリッド原論』第13巻の定理17の説明<ref name="Heiberg&Menge1971.pp=429-432" />にある[[ギリシア文字]]を[[ラテン文字]]に変更して述べると以下のようになる。
{{Quotation| 先に述べた立方体の互いに垂直な二つの面 ABCD、CBEF が定められ、辺 AB,BC,CD,DA,EF,EB,FC のおのおのが G,H,K,L,M,N,O において2等分され,GK HL,MH,NO が結ばれ,NP,PG,HQ のおのおのが点 R,S,T において[[外中比]]に分けられ,RP,PS,TQ がそれらの大きい部分とされ,点 R,S,T から立方体の面に垂直に立方体の外側の方向に RU,SV,TW が立てられ,RP,PS,TQ に等しくされ,UB,BW,WC,CV,VU が結ばれたとせよ。五角形 EBWCV は等辺にして一平面上にありかつ等角であると主張する。|『ユークリッド原論』第13巻の定理17<ref>{{Harvtxt|ハイベア|メンゲ|1971|pp=429f.}}.</ref>}}
== 星型 ==
{| class=wikitable width=400
|- align=center valign=top
| [[Image:Small stellated dodecahedron.png|200px]]<br />[[小星型十二面体]]<br />B
| [[Image:Great dodecahedron.png|200px]]<br />[[大十二面体]]<br />C
| [[Image:Great stellated dodecahedron.png|200px]]<br />[[大星型十二面体]]<br />D
|}
== この図形を[[枠 (多面体)|枠]]に持つ立体 ==
{| class=wikitable width=400
|- align=center valign=top
| [[Image:Great stellated dodecahedron.png|150px]]<br />大星型十二面体<br />
| [[Image:Small ditrigonal icosidodecahedron.png|150px]]<br />[[小二重三角二十・十二面体]]
| [[Image:Great ditrigonal icosidodecahedron.png|150px]]<br />[[大二重三角二十・十二面体]]
| [[Image:Ditrigonal dodecadodecahedron.png|150px]]<br />[[二重三角十二・十二面体]]
|- align=center valign=top
| [[Image:Compound of five cubes.png|150px]]<br />5個の立方体による[[複合多面体]]
| [[Image:Compound of five tetrahedra.png|150px]]<br />5個の正四面体による複合多面体
| [[Image:Compound of ten tetrahedra.png|150px]]<br />10個の正四面体による複合多面体
|}
== 派生的な立体 ==
{| class=wikitable width=400
|- align=center valign=top
| [[Image:Truncateddodecahedron.jpg|150px]]<br />[[切頂十二面体]]<br />t{5, 3}
| [[Image:icosidodecahedron.jpg|150px]]<br />[[二十・十二面体]]<br />r{5, 3}
| [[Image:Snubdodecahedronccw.jpg|150px]]<br />[[変形十二面体]]<br />sr{5, 3}
| [[Image:Pentakisdodecahedron.jpg|150px]]<br />[[五方十二面体]]
| [[Image:Dual_compound_20_max.png|150px]]<br />正十二面体と正二十面体による複合多面体
|}
== 近縁となる[[ジョンソンの立体]] ==
{| class=wikitable width=400
|- align=center valign=top
| [[Image:Augmented_dodecahedron.png|150px]]<br />[[側錐十二面体]]
| [[Image:Parabiaugmented_dodecahedron.png|150px]]<br />[[双側錐十二面体]]
| [[Image:Metabiaugmented_dodecahedron.png|150px]]<br />[[二側錐十二面体]]
| [[Image:Triaugmented_dodecahedron.png|150px]]<br />[[三側錐十二面体]]
|}
== 古代の遺物に見られる正十二面体 ==
[[ファイル:花籠.jpg|サムネイル|長野県畦地一号墳出土銀製垂飾付耳飾り]]
おそらく日本最古と思われる正十二面体構造を持つ人工物は、5~6世紀ごろの[[古墳]]の副葬品の耳飾りに見出すことができる。同じ大きさの銀製や金銅製の環12個を均等に配置した中空の籠形で、垂らすタイプの耳飾りの中間に用いられた。これまでに、群馬県の梁瀬二子塚古墳、千葉県の[[祇園大塚山古墳]]、長野県の畦地一号墳、和歌山県の[[大谷古墳 (和歌山市)|大谷古墳]]、奈良県の新沢千塚から出土した遺物に確認されている。全く同じではないが似たような構造を持つ耳飾りは朝鮮半島の遺物でも確認されている。<ref>{{Cite book|和書|title=アクセサリーの考古学|date=2021年5月1日|publisher=吉川弘文館|author=高田貫太}}</ref>
== 関連項目 ==
[[File:D12 regular dodecahedron.JPG|thumb|正十二面体[[サイコロ]]]]
<!--項目の50音順-->
{{Div col}}
* [[黄鉄鉱体]]
* [[スキューブアルティメット]]
* [[正十二面体の星型一覧]]
* [[正多面体]]
* [[ドデカヘドラン]]
* [[メガミンクス]]
* [[正百二十胞体]]
* [[ローマの中空十二面体]]
{{Div col end}}
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
{{reflist|30em}}
== 参考文献 ==
{{参照方法|date=2018年6月|section=1}}
*{{Cite book|和書|author=小笠英志|authorlink=小笠英志|date=2006-05-25|title=4次元以上の空間が見える|publisher=[[ベレ出版]]|isbn=4-86064-118-3|url=http://www.beret.co.jp/books/detail/233|ref={{Harvid|小笠|2006}}}} - pp.97-101に正十二面体の対角線の長さを全て求める方法が載っている。
*一松信『正多面体を解く』東海大学出版会、2002年5月20日。
*{{Cite book|和書|author=佐藤郁郎|authorlink=佐藤郁郎|coauthors=[[中川宏]]|date=2011-03|title=多面体木工|edition=増補版|publisher=[[科学協力学際センター]]|isbn=978-4-9905880-0-7|url=http://torito.jp/shopping/_tamentaimokko.shtml|ref={{Harvid|佐藤|中川|2011}}}}
*{{Cite book|和書|editor1=ハイベア|editor1-link=ヨハン・ルードウィッヒ・ハイベア|editor2=メンゲ|editor2-link=ハインリッヒ・メンゲ|others=[[中村幸四郎]]・[[寺阪英孝]]・[[伊東俊太郎]]・[[池田美恵]]訳・解説|title=ユークリッド原論|publisher=[[共立出版]]|ref={{Harvid|ハイベア|メンゲ|1971}}}} - 全13巻の最初の邦訳。
** (ハードカバー)1971年7月。ISBN 4-320-01072-8
***(抜粋)『[[世界の名著]]9』 池田美恵訳 [[中央公論社]] 1972年
** {{Anchors|縮刷版}}(縮刷版)1996年6月。ISBN 4-320-01513-4
** ([http://www.kyoritsu-pub.co.jp/bookdetail/9784320019652 追補版])2011年5月。ISBN 978-4-320-01965-2
== 外部リンク ==
*[http://video.fc2.com/content/20141015mMG9QR5R 発泡スチロールの立方体から正十二面体をつくろう]
*[http://woodenpolyhedra.web.fc2.com/Elements.pdf ユークリッド「原論」における正12面体の証明]
*{{高校数学の美しい物語|2717|正12面体のいろいろな計算(対角線・表面積・体積・内接球・外接球)}}
*{{MathWorld|title=Regular Dodecahedron|urlname=RegularDodecahedron}}
*{{MathWorld|title=Dodecahedral Graph|urlname=DodecahedralGraph}}
{{Commonscat|Dodecahedron|十二面体}}
{{多面体}}
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{{DEFAULTSORT:せいしゆうにめんたい}}
[[Category:数学に関する記事]]
[[Category:正多面体]]
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2023-04-17T15:43:23Z
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] |
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A3%E5%8D%81%E4%BA%8C%E9%9D%A2%E4%BD%93
|
16,280 |
正二十面体
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正二十面体(せいにじゅうめんたい、英: regular icosahedron)は立体の名称の1つ。空間を正三角形20枚で囲んだ凸多面体。3次元空間で最大の面数を持つ正多面体である。
正多面体のひとつである正十二面体の頂点周りを面の中心まで切頂することによって得られる(双対関係)。
また、正六面体や正十二面体に対する捩じり切り操作と同様の操作を正四面体に対して行うことでも得られる。
一辺の長さをaとすると、
以下は、標準的な座標の取り方の一つである。ここで φ {\displaystyle \phi } は黄金比 1 + 5 2 {\displaystyle {\frac {1+{\sqrt {5}}}{2}}} 、 ε 1 , ε 2 , ε 3 = ± 1 {\displaystyle \epsilon _{1},\epsilon _{2},\epsilon _{3}=\pm 1} である。
正二十面体の回転対称群(英語版)は5文字の交代群 A 5 {\displaystyle A_{5}} に同型である。位数は60。この非可換単純群は5文字の対称群 S 5 {\displaystyle S_{5}} の唯一の非自明な正規部分群である。一般の五次方程式のガロア群は5文字の対称群に同型であり、そしてこの正規部分群が単純で非可換なので、一般の五次方程式は冪根による解を有しない。アーベル‐ルフィニの定理の証明はこの単純な事実を用いる。そしてフェリックス・クラインは正二十面体的対称性(英語版)の理論を利用して一般の五次方程式の解析的解法を導く本を書いた (Klein 1888)。詳しい歴史ならびに関係する7文字と11文字の対称性については正二十面体的対称性#関連する幾何学的性質(英語版)を見よ。
(鏡映を含めた)正二十面体の完全 (full) な対称群は完全正二十面体群(英語版)として知られる。位数は120。そしてこれは回転対称群と、正二十面体の中心を通る鏡映によって生成されるサイズ2の群 C 2 {\displaystyle C_{2}} との直積 A 5 × C 2 {\displaystyle A_{5}\times C_{2}} に同型である。
また、双対図形である正十二面体の回転の群ならびに対称変換の群は、どちらも正二十面体のそれと全く等しい。
正二十面体を枠に持つのは次の立体である。
正二十面体と近縁となるジョンソンの立体は次の通りである。
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正二十面体は立体の名称の1つ。空間を正三角形20枚で囲んだ凸多面体。3次元空間で最大の面数を持つ正多面体である。 正多面体のひとつである正十二面体の頂点周りを面の中心まで切頂することによって得られる(双対関係)。 また、正六面体や正十二面体に対する捩じり切り操作と同様の操作を正四面体に対して行うことでも得られる。
|
{{Infobox Polyhedron with net
| Image_File=Icosahedron.jpg
| Animation_File=Icosahedron.gif
| Polyhedron_Type=[[正多面体]]、[[デルタ多面体]]、[[二十面体]]
| Face_List=20枚の[[正三角形]]
| Edge_Count=30
| Vertex_Count=12
| Vertex_List=3<sup>5</sup>
| Vertex_Image_File=Icosahedron_vertfig.png
| wythoff=5 | 2 3
| schlafli={3, 5}
| symmetry=I<sub>h</sub>
| dual=[[正十二面体]]
| Property_List=[[凸集合]]
| Net_Image_File=Icosahedron_flat.svg
}}
'''正二十面体'''(せいにじゅうめんたい、{{lang-en-short|regular [[倍数接頭辞|icosa]]<nowiki/>hedron}})は[[立体]]の名称の1つ。[[空間]]を[[正三角形]]20枚で囲んだ[[凸多面体]]。[[3次元]]空間で最大の面数を持つ[[正多面体]]である。
正多面体のひとつである[[正十二面体]]の頂点周りを面の中心まで[[切頂十二面体|切頂]]することによって得られる(双対関係)。
また、正六面体や正十二面体に対する[[変形立方体|捩じり切り]]操作と同様の操作を正四面体に対して行うことでも得られる<ref>{{Cite book|title=正多面体を解く|date=2002/5/20|year=|publisher=東海大学出版会}}</ref>。
== 性質 ==
[[画像:20-sided_dice_250.jpg|thumb|正二十面体[[サイコロ]]]]
* [[反角柱|正反五角柱]]の両底面に[[角錐|正五角錐]]を貼り付けた形である。よって、正二十面体を'''双五角錐反柱''' ({{Interlang|en|Gyroelongated bipyramid|Gyroelongated pentagonal bipyramid}}) と呼ぶ場合がある。
* 向かい合う面は[[平行]]である。
* [[展開図]]の数は43,380種類。
* 面の数は20、辺の数は30、頂点の数は12。
* 頂点形状は[[正五角形]]であり、5本の辺と5枚の正三角形が集まる。
* [[正十二面体]]と[[双対多面体|双対]]である。
== 計量 ==
一辺の長さをaとすると、
{|class="wikitable"
|面の[[面積]]
| bgcolor="#ffffff" |<math> A={1\over4}\sqrt3a^2</math>
|-
|[[表面積]]
| bgcolor="#ffffff" |<math> S=20A=5\sqrt3a^2</math>
|-
|[[体積]]
| bgcolor="#ffffff" |<math> V=\frac{1}{3}Sr={15+5\sqrt{5}\over12}a^3</math>
|-
|最長[[対角線]]の長さ
| bgcolor="#ffffff" |<math> d={\sqrt{10 +2\sqrt{5}}\over2}a</math>
|-
|[[外接球]]半径
| bgcolor="#ffffff" |<math> R=\frac{d}{2}={\sqrt{10 +2\sqrt{5}}\over4}a</math>
|-
|[[内接球]]半径
| bgcolor="#ffffff" |<math> r={3\sqrt{3}+\sqrt{15}\over12}a</math>
|}
== 頂点、辺、面の座標 ==
以下は、標準的な座標の取り方の一つである。ここで <math>\phi</math> は[[黄金比]] <math>\frac{1+\sqrt5}2</math> 、
<math>\epsilon_1, \epsilon_2, \epsilon_3=\pm 1</math> である。
; 12個の頂点(原点からの距離 <math>\sqrt{\phi+2}</math>)の座標
* <math>(0, \epsilon_2, \epsilon_3 \phi)</math> のxyz座標を偶置換した 12個
; 30個の辺(長さ<math>2</math>)の、両端点および中心の座標
* 両端点 <math>(0, \epsilon_2, \epsilon_3 \phi)</math>と<math>(\epsilon_1, \epsilon_2 \phi, 0)</math>、中心 <math>\frac12(\epsilon_1, \epsilon_2 \phi^2, \epsilon_3 \phi)</math> のxyz座標を偶置換した 24個
* 両端点 <math>(0, 1, \epsilon_3\phi)</math>と<math>(0, -1, \epsilon_3\phi)</math>、中心<math>(0, 0, \epsilon_3\phi)</math> のxyz座標を偶置換した 6個
; 20個の面の、外側から見て反時計回りの頂点列および中心の座標
* 頂点 <math>(0,\epsilon_2, \epsilon_1\epsilon_2 \phi), (\epsilon_1 \phi, 0,\epsilon_1\epsilon_2 ), (\epsilon_1, \epsilon_2 \phi, 0)</math> の4個
* 頂点 <math>(0,\epsilon_2, -\epsilon_1\epsilon_2 \phi), (\epsilon_1, \epsilon_2 \phi, 0), (\epsilon_1 \phi, 0,-\epsilon_1\epsilon_2 )</math> の4個
* 頂点 <math>(0, \epsilon_2, \epsilon_3\phi)</math>, <math>(0,-\epsilon_2, \epsilon_3\phi)</math>, <math>(\epsilon_2 \epsilon_3\phi, 0, \epsilon_3)</math> のxyz座標を偶置換した 12個
== 対称性 ==
[[File:Sphere symmetry group ih.png|thumb|完全{{仮リンク|正二十面体的対称性|en|icosahedral symmetry}}には(この球面で水色の[[大円]]として見えている)15枚の鏡映平面があり、それらはπ/5、π/3、π/2の角度で会し、球面を120の三角形の{{仮リンク|基本領域|en|fundamental domain}}(黄)に分かつ。また、6本の5回回転軸(英:5-fold axes)(青)、10本の3回回転軸(赤)、15本の2回回転軸(赤紫)がある。正二十面体の頂点は5回回転軸上の点に存在する。]]
{{main |en:Icosahedral symmetry}}
正二十面体の{{仮リンク|対称変換群|en|Symmetry group|label=回転対称群}}は5文字の[[交代群]] <math>A_5</math> に[[同型写像|同型]]である。位数は60。この非[[アーベル群|可換]][[単純群]]は5文字の[[対称群]] <math>S_5</math> の唯一の非自明な[[正規部分群]]である。一般の[[五次方程式]]の[[ガロア群]]は5文字の対称群に同型であり、そしてこの正規部分群が単純で非可換なので、一般の五次方程式は冪根による解を有しない。[[アーベル-ルフィニの定理|アーベル‐ルフィニの定理]]の証明はこの単純な事実を用いる。そして[[フェリックス・クライン]]は{{仮リンク|正二十面体的対称性|en|icosahedral symmetry}}の理論を利用して一般の五次方程式の解析的解法を導く本を書いた {{Harv|Klein|1888}}。詳しい歴史ならびに関係する7文字と11文字の対称性については{{仮リンク|正二十面体的対称性#関連する幾何学的性質|en|icosahedral symmetry#related geometries}}を見よ。
(鏡映を含めた)正二十面体の完全 (full) な対称群は{{仮リンク|正二十面体的対称性#群の構造|en|icosahedral symmetry#group structure|label=完全正二十面体群}}として知られる。位数は120。そしてこれは回転対称群と、正二十面体の中心を通る鏡映によって生成されるサイズ2の群 <math>C_2</math> との直積 <math>A_5\times C_2</math> に同型である。
また、双対図形である正十二面体の回転の群ならびに対称変換の群は、どちらも正二十面体のそれと全く等しい。
== この図形を枠に持つ立体 ==
正二十面体を[[枠 (多面体)|枠]]に持つのは次の立体である。
{| class=wikitable width=400
|- align=center
| [[Image:Great dodecahedron.png|200px]]<br />[[大十二面体]]
| [[Image:Small stellated dodecahedron.png|200px]]<br />[[小星型十二面体]]
| [[Image:Great icosahedron.png|200px]]<br />[[大二十面体]]
|}
== 派生的な立体 ==
{| class=wikitable width=400
|- align=center valign=top
| [[Image:Truncatedicosahedron.jpg|150px]]<br />[[切頂二十面体]]<br />t{5, 3}
| [[Image:icosidodecahedron.jpg|150px]]<br />[[二十・十二面体]]<br />r{5, 3} = r{3, 5}
| [[Image:Triakisicosahedron.jpg|150px]]<br />[[三方二十面体]]
| [[Image:Dual_compound_20_max.png|150px]]<br />正十二面体と正二十面体による[[複合多面体]]
|}
== 近縁となるジョンソンの立体 ==
正二十面体と近縁となる[[ジョンソンの立体]]は次の通りである。
{| class=wikitable width=400
|- align=center valign=top
| [[Image:Gyroelongated_pentagonal_pyramid.png|150px]]<br />[[正五角錐反柱]]
| [[Image:Elongated_pentagonal_dipyramid.png|150px]]<br />[[双五角錐柱]]
| [[Image:Pentagonal_dipyramid.png|150px]]<br />[[双五角錐]]
|- align=center valign=top
| [[Image:Gyroelongated_square_dipyramid.png|150px]]<br />[[双四角錐反柱]]
| [[Image:Metabidiminished_icosahedron.png|150px]]<br />[[二側錐欠損二十面体]]
| [[Image:Tridiminished_icosahedron.png|150px]]<br />[[三側錐欠損二十面体]]
|}
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
{{Reflist}}
== 参考文献 ==
* {{citation |first =Klein |last =Felix |authorlink =フェリックス・クライン |language=de|title =Vorlesungen über das Ikosaeder und die Auflösung der Gleichungen vom fünften Grade |site =Leipzig |publisher =Teubner |url=https://archive.org/details/vorlesungenber00kleiuoft |year =1884}}
** {{citation |last =Klein |first =Felix |language=en|title = Lectrues on the ikosahedron and the solution of equations of the fifth degree |date=2003-02-20| origyear =1888 |url =http://digital.library.cornell.edu/cgi/t/text/text-idx?c=math;cc=math;view=toc;subview=short;idno=03070001 |edition =Dover Phoenix |publisher=Dover Publications|isbn=978-0-486-49528-6}} - 英訳。
** {{cite book|和書 |translator=[[関口次郎]] |title =正20面体と5次方程式 |date =1997-04-21 |publisher =シュプリンガー・フェアラーク東京|isbn=978-4-431-70692-2|page=317|ref={{Harvid|クライン|1997}}}} - 日本語訳。
** {{cite book|和書 |translator=関口次郎・前田博信 |title =正20面体と5次方程式 |date =2012-08-25 |edition = 改訂新版 |publisher =丸善出版|isbn=978-4-621-06364-4 |page=357 |ref={{Harvid|クライン|2012}}}} - 日本語訳の改訂新版。数学者スロードウィーによる解説・注釈を収録。
== 関連項目 ==
<!--項目の50音順-->
{{Div col}}
* [[ウイルス]]
* [[カルボラン]]
* [[正多面体]]
* [[正二十面体の星型一覧]]
* [[正六百胞体]]
* [[ダイマクション地図]]
* [[ドジック]]
{{Div col end}}
== 外部リンク ==
* {{高校数学の美しい物語|666|正二十面体の対角線・体積・内接球などを座標で計算}}
* {{MathWorld|title=Icosahedron|urlname=Icosahedron}}
* {{MathWorld|title=Regular Icosahedron|urlname=RegularIcosahedron}}
* {{MathWorld|title=Icosahedral Graph|urlname=IcosahedralGraph}}
* {{MathWorld|title=Icosahedral Group|urlname=IcosahedralGroup}}
{{Commonscat|Icosahedron|二十面体}}
{{多面体}}
{{DEFAULTSORT:せいにしゆうめんたい}}
[[Category:数学に関する記事]]
[[Category:正多面体]]
[[Category:デルタ多面体]]
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2023-04-17T15:46:21Z
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] |
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A3%E4%BA%8C%E5%8D%81%E9%9D%A2%E4%BD%93
|
16,281 |
1180年
|
1180年(1180 ねん)は、西暦(ユリウス暦)による、閏年。
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1180年は、西暦(ユリウス暦)による、閏年。
|
{{年代ナビ|1180}}
{{year-definition|1180}}
== 他の紀年法 ==
{{他の紀年法}}
* [[干支]] : [[庚子]]
* [[元号一覧 (日本)|日本]]
** [[治承]]4年
** [[神武天皇即位紀元|皇紀]]1840年
* [[元号一覧 (中国)|中国]]
** [[南宋]] : [[淳熙]]7年
** [[金 (王朝)|金]] : [[大定 (金)|大定]]20年
* 中国周辺
** [[西遼]] : [[天禧 (西遼)|天禧]]3年?
** [[西夏]]{{Sup|*}} : [[乾祐 (西夏)|乾祐]]11年
** [[大理国]] : [[盛徳 (大理)|盛徳]]5年
* [[元号一覧 (朝鮮)|朝鮮]]
** [[高麗]] : [[明宗 (高麗王)|明宗]]10年
** [[檀君紀元|檀紀]] : 3513年
* [[元号一覧 (ベトナム)|ベトナム]]
** [[李朝 (ベトナム)|李朝]] : [[貞符]]5年
* [[仏滅紀元]] : 1722年 - 1723年
* [[ヒジュラ暦|イスラム暦]] : 575年 - 576年
* [[ユダヤ暦]] : 4940年 - 4941年
{{Clear}}
== カレンダー ==
{{年間カレンダー|年=1180|Type=J|表題=可視}}
== できごと ==
* [[11月18日]] - [[フィリップ2世 (フランス王)|フィリップ2世]]が[[フランス王国|フランス]]国王に即位
=== 日本 ===
* [[3月18日]](治承4年[[2月21日 (旧暦)|2月21日]]) - [[高倉天皇]][[譲位]]
* [[5月18日]](治承4年[[4月22日 (旧暦)|4月22日]]) - 第81代[[天皇]]・[[安徳天皇]]即位
* [[5月25日]](治承4年[[4月29日 (旧暦)|4月29日]]) - [[平安京|京]]で[[竜巻]]が発生、被害が出る([[方丈記]]による)
* [[平清盛]]の主導による福原行幸と[[福原京]]の造営。
* [[6月20日]](治承4年[[5月26日 (旧暦)|5月26日]]) - [[源頼政]]と[[以仁王]]、平氏討伐のため挙兵し、[[以仁王の挙兵|宇治平等院の戦い]]で敗死。
* [[9月8日]](治承4年[[8月17日 (旧暦)|8月17日]]) - [[源頼朝]]が[[伊豆国]]で挙兵し、[[目代]]の[[山木兼隆]]の館を襲撃して殺害する。
* [[9月14日]](治承4年[[8月23日 (旧暦)|8月23日]]) - [[石橋山の戦い]]、頼朝が平家に敗れ[[安房国]]へ逃れる。
* 8月26日 - [[畠山重忠]]、[[衣笠城]]を攻略。
* [[9月27日]](治承4年[[9月7日 (旧暦)|9月7日]]) - [[源義仲]]が[[信濃国]]で挙兵。
* [[9月30日]](治承4年[[9月10日 (旧暦)|9月10日]]) - [[武田信義]]が[[甲斐国]]で挙兵。
* 10月6日 - 再挙した源頼朝が[[鎌倉]]に入る。
* [[11月9日]](治承4年[[10月20日 (旧暦)|10月20日]]) - [[富士川の戦い]]で[[平維盛]]率いる平氏軍敗走。
* [[11月10日]](治承4年[[10月21日 (旧暦)|10月21日]]) - 黄瀬川で義経と頼朝対面([[富士川の戦い#黄瀬川の対面|黄瀬川の対面]])
*[[12月12日]]- [[鎌倉幕府]]の御所が完成し、[[鎌倉幕府]]が成立する<ref>鎌倉幕府の成立年は1180年、[[1183年]]、1185年、[[1190年]]、[[1192年]]と諸説あり。詳細は[[鎌倉幕府]]を参照</ref>
== 誕生 ==
{{see also|Category:1180年生}}
<!--世界的に著名な人物のみ項内に記入-->
* [[8月6日]](治承4年[[7月14日 (旧暦)|7月14日]]) - [[後鳥羽天皇]]<ref>[https://www.britannica.com/biography/Go-Toba Go-Toba emperor of Japan] [[ブリタニカ百科事典|Encyclopædia Britannica]]</ref>、第82代[[天皇]](+ [[1239年]])
* 10月 - [[実尊]]、[[鎌倉時代]]の[[法相宗]]の[[僧]](+ [[1236年]])
* [[アル・カーミル]]、[[アイユーブ朝]]の第5代[[スルタン]](+ [[1238年]])
* [[平経高]]、鎌倉時代の[[公卿]](+ [[1255年]])
* [[ベレンゲラ (カスティーリャ女王)|ベレンゲラ]]、[[カスティーリャ王国]]の[[女王]](+ [[1246年]])
* [[ホーコン3世 (ノルウェー王)|ホーコン3世]]、[[ノルウェー]]の[[ノルウェー君主一覧|国王]](+ [[1204年]])
== 死去 ==
{{see also|Category:1180年没}}
<!--世界的に著名な人物のみ項内に記入-->
* [[6月20日]](治承4年[[5月26日 (旧暦)|5月26日]]) - [[以仁王]]、[[平安時代]]の[[皇族]](* [[1151年]])
* 6月20日(治承4年5月26日) - [[源頼政]]、平安時代の[[武将]]、[[歌人]]、[[従三位]](* [[1104年]])
* [[9月8日]](治承4年[[8月17日 (旧暦)|8月17日]]) - [[山木兼隆]]、平安時代の武将(* 生年未詳)
* [[9月15日]](治承4年[[8月24日 (旧暦)|8月24日]]) - [[北条宗時]]、平安時代の武将(* 生年未詳)
* [[9月18日]] - [[ルイ7世 (フランス王)|ルイ7世]]、フランス国王(* [[1120年]])
* [[9月24日]] - [[マヌエル1世コムネノス]]、[[東ローマ帝国]][[コムネノス王朝]]の第3代[[皇帝]](* [[1118年]])
* [[仏御前]]、平安時代の[[白拍子]](* [[1160年]])
* [[ヤロスラフ2世 (キエフ大公)|ヤロスラフ2世]]、[[キエフ大公国|キエフ大公]](* 生年未詳)
== 脚注 ==
'''注釈'''
{{Reflist|group="注"}}
'''出典'''
{{脚注ヘルプ}}
{{Reflist}}
<!-- == 参考文献 == -->
== 関連項目 ==
{{Commonscat|1180}}
* [[年の一覧]]
* [[年表]]
* [[年表一覧]]
<!-- == 外部リンク == -->
{{十年紀と各年|世紀=12|年代=1100}}
{{デフォルトソート:1180ねん}}
[[Category:1180年|*]]
| null |
2023-01-21T21:49:03Z
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] |
https://ja.wikipedia.org/wiki/1180%E5%B9%B4
|
16,282 |
ヘンリー1世 (イングランド王)
|
ヘンリー1世(Henry I, 1068年 - 1135年12月1日)は、ノルマン朝第3代イングランド王(在位:1100年 - 1135年)。ノルマンディー公アンリ1世(Henri I, 在位:1106年 - 1135年)でもあった。通称は碩学王(せきがくおう、Henry Beauclerc)。
ノルマン朝初代イングランド王ウィリアム1世(征服王)とフランドル伯ボードゥアン5世の娘マティルダ(アルフレッド大王とマーシア王オファの子孫)の四男。ノルマンディー公ロベール2世、イングランド王ウィリアム2世の弟。子にマティルダ等。後にプランタジネット朝を開くヘンリー2世は外孫に当たる。
父の死後、長兄のロベール2世(英語ではロバート、短袴公(curthose)というあだ名を持つ)がノルマンディー公国を、三兄のウィリアム2世がイングランド王国を相続したが、ヘンリーは金銭のみを相続した。
領地を持たない王子として、兄2人の争いを助長したり、金に困ったロベール2世からノルマンディーの領地を購入したりし、影響力の増大を図ったが、ヘンリーの行動を警戒した兄2人が和解して共同でヘンリーを攻撃したため、これに屈服した。以降ウィリアム2世の家臣として隠忍自重していたが、1100年にウィリアム2世が狩猟場で死亡すると、直ちに王宮に戻って即位した。
第1回十字軍に参加して不在中であったロベール2世は、ノルマンディーに戻ると王位を主張して1101年7月にイングランドに侵攻した。ヘンリー1世は先んじて3月に兄への備えとしてフランドル伯ロベール2世と同盟を結び、兄の侵攻を防ぎ和睦して王位を承認させた。1106年には逆にノルマンディーに侵攻、9月28日のタンシュブレーの戦いで勝利して兄を捕らえると、ウェールズのカーディフ城に幽閉してその目を刳り貫き1134年に死ぬまで幽閉、ノルマンディー公国を手に入れた。
だが、手に入れたノルマンディーは危険な状況になっていた。ノルマンディー公国の宿敵であるアンジュー伯兼メーヌ伯フルク5世がフランス王ルイ6世と同盟し敵対したからであり、ヘンリー1世の甥でロベール2世の息子ギヨーム・クリトンがノルマンディー公位を要求して彼等と手を組み、ギヨームを支持してヘンリー1世に反抗するシュルーズベリー伯爵ロバート・オブ・ベレーム(英語版)らノルマン貴族たちや、フルク5世の親戚のアモーリー・ド・モンフォールも連携したことでヘンリー1世は窮地に立った。
1112年に反撃に出てシュルーズベリー伯を逮捕してからは好転、軍事的に優位に立つとフルク5世と和睦、翌1113年にメーヌにおいてフルク5世の臣従を認め、フルク5世の長女マティルドと息子ウィリアム・アデリンの婚約(1119年結婚)も交わし、ルイ6世とも和睦してノルマンディーは一時平和になった。しかしモンフォールが再度ヘンリー1世に反乱を起こすと、ルイ6世とフルク5世は敵に戻り、フランドル伯ボードゥアン7世も介入してノルマンディーへ侵攻して苦戦は続き、1118年にはアランソンでフルク5世に敗北している。
同年にボードゥアン7世が負傷して離脱すると再起しフルク5世と再び和睦、1119年8月20日のブレミュールの戦い(英語版)でルイ6世とギヨームの連合軍を破り、ルイ6世に自らのノルマンディー支配と息子ウィリアムの臣従を認めさせた。騒乱は収まったかに見えたが、翌1120年にウィリアムがホワイトシップの遭難により事故死した後、フルク5世は1123年に次女シビーユとギヨームを結婚させまたもや敵方に回り、ノルマンディーでも3度モンフォールら諸侯の反乱が発生した。ヘンリー1世は翌1124年に諸侯の反乱を破り、ローマ教皇に働きかけてシビーユとギヨームの結婚を無効にしてフルク5世との連携を絶った。ルイ6世はギヨーム支持に戻り空位になったフランドル伯位をギヨームに与えたが、1128年にギヨームが戦死したことでようやくノルマンディー支配は安定を見せた。
以後はフルク5世との和睦に腐心、同年にフルク5世の嫡子でマティルドの弟ジョフロワ4世とヘンリー1世の娘かつウィリアムの姉マティルダを結婚させた。1133年に2人の間に生まれた孫アンリが後にイングランド王ヘンリー2世としてプランタジネット朝を創始する(フルク5世は結婚した息子にアンジューを譲り、エルサレム王国へ向かい王女メリザンドと再婚、エルサレムを治めることになる)。
ヘンリー1世は有能な支配者で、即位すると大憲章(マグナ・カルタ)の祖とも言われる戴冠憲章(英語版)を定め、巡回裁判を広く行い「公正の獅子」(Lion of Justice)と呼ばれるように領内を良く治めたとされる。また、彼の学究的な態度からボクレール(beauclerc、碩学王)の渾名を持つ。
良く治めたという評価は、兄の急死を受けて即位した彼の立場の弱さが、大貴族に対する妥協を生んだ結果、彼等と対立しなかった(むしろ対決できなかった)だけであり、議会重視の立場を取る歴史家達の評価である(逆に大貴族と対立することが専制の証となり無能の烙印を押されがちである)。
戴冠憲章は契約ではなく政治綱領だが、ヘンリー1世は恣意的な権力に侵されない国民の権利を保証、先代ウィリアム2世の悪弊(教会や俗人からの様々な徴税による収入増加)を正すことを誓い、聖職売買(シモニア)や不当徴税を止めること、エドワード懺悔王時代の法の復活・遵守を宣言した。またイングランド・ノルマンディーとイギリス海峡の両岸を押さえたことにより、イングランドを不在にすることが多くなり、王不在のイングランドを統治するための行政機構を整備した。
王の支出管理組織として宮廷財務室と文書作成組織の尚書部と長官たる尚書部長官(大法官)、王の財産・機密文書などを管理する宝蔵室を拡充、収入管理組織としてイクスチェッカー(財務省の原型)が地方財政を担当しただけでなく、国王不在時の行政の最高責任者である最高法官(英語版)が管轄に置いて行政・財政・司法を担当、国王の長期不在には最高法官と尚書部長官、宝蔵室長官が代理統治する体制を作った。裁判組織であるキュリア・レジスに常任裁判官も加え、この組織や王に代わる裁判担当と最高法官の補佐の役目を与え、地方を巡回して王領の経営状況を調査、住民訴訟も扱う巡回裁判も定期化させた。こうした基盤固めに成功したおかげでイングランドは安定、1106年以後治世の半分をノルマンディーで過ごせるようになった。
さらに1100年11月、サクソン王エドマンド2世の曾孫に当たるマティルダ(スコットランド王マルカム3世とエドマンド2世の孫娘マーガレットの娘:幼名イーディス)と結婚するとノルマン人とアングロ・サクソン人の和解を目指した。また、カンタベリー大司教アンセルムスと和解し、1107年のロンドン協約でウィリアム2世の代から続いていた教会との聖職叙任権問題を解決した。
ノルマン朝支配に抵抗していたウェールズに対しては支配の浸透を図り、直轄領創設とウェールズ内のイングランド領主を封建制で従属する方針、腹心へ所領授与する一方で反抗的な領主を討伐する姿勢を取り、ウェールズを硬軟用いた政策で従属させる方針に出た。ウェールズ諸侯は勢力拡大しつつもヘンリー1世とは争わず、ウェールズは当面大きな戦争は無く反乱も起こらなかった。スコットランドにも干渉してカーライルに教区(英語版)を設け、義兄に当たる国王アレグザンダー1世に庶子シビラを嫁がせ親密な関係となった。1124年に子が無いまま死去したアレグザンダー1世の後を継いだ弟のデイヴィッド1世とも親しくなり、スコットランドとイングランドの関係は緊密化した。
聖職者妻帯(ニコライムス)と聖職売買(シモニア)を取り締まろうとしたグレゴリウス改革に関して、聖職者妻帯に関しては、罰金を課しその罰金を対ノルマンディー戦に流用するつもりだったらしく、厳しく取り締まろうとしなかった。ヘンリー1世の側近の大法官兼ソールズベリー司教ロジャー・オブ・ソールズベリー(英語版)なども妻帯していた。
聖職売買に関して、俗人による聖職叙任が問題となった大陸諸国の様子を踏まえて、司教叙任の際に国王の同意が必要と言う条件だけを確保した。以前の王達と違い、修道士出身の司教よりも在俗聖職者を司教にすることが多く、特に、自らの詔書局(大抵は宮廷礼拝堂付き司祭ことチャプレン)で働いた聖職者達をノルマンディーやイングランドの司教に転出させ、その働きに報いた。
このような施策により、イングランド王権は強化され、国内は安定したが、晩年には王位継承問題に苦しんだ。
ヘンリー1世には20人を超える庶子がいたが、相続権を持つ嫡子はマティルダとウィリアムの2人きりだった。1120年にウィリアムをホワイトシップの遭難で失い、最初の妃マティルダは1118年に死去していたので、新たな世継ぎを儲けるためにアデライザ・オブ・ルーヴァン(ルーヴェン伯ゴドフロワ1世の娘、先妻との娘マティルダより1歳年下)と再婚したが、結局若い王妃は妊娠しなかった。
このため、神聖ローマ皇帝ハインリヒ5世に嫁がせていたマティルダが1125年に夫に先立たれるとイングランドに呼び戻して後継者に指名、1126年と1127年の2度王侯貴族たちにマティルダへの王位継承を認める臣従の誓いを交わした(誓約した王族には甥のスティーブンと庶子のグロスター伯ロバート、デイヴィッド1世も含む)。1133年には生まれたばかりの孫アンリにも臣従する誓約を貴族たちと交わしたが、晩年はイングランド・ノルマンディーがマティルダの夫のアンジュー伯ジョフロワ4世を通じて宿敵アンジュー家(ガティネ家)に乗っ取られる恐れを抱く貴族たちの不満、ノルマンディーとアンジュー国境地帯の要塞群を望む娘夫婦との対立など、不安を抱えたまま1135年に亡くなった。
ヘンリー1世の死後、スティーブンが誓約を破りマティルダを出し抜いてイングランドに上陸、貴族や聖職者たちの支持でイングランド王に即位した。反発したマティルダは夫や異母兄グロスター伯と共に従兄スティーブンと王位を争い、イングランドを無政府状態に導くことになり、ノルマン朝は3代で終焉した(ウィリアム1世の外孫であるスティーブンを含めれば4代と見なすこともできる)。
ビタミンAを大量に含むことから、度を超えて摂取すると健康を害しうる、ヤツメウナギの料理の食べ過ぎで死亡したとされる伝説がある。
マティルダ・オブ・スコットランドとの間に1男1女があった。
1121年に結婚したアデライザ・オブ・ルーヴァンとの間には子がいなかった。
以下を含め20人以上の庶子を儲けた。
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ヘンリー1世は、ノルマン朝第3代イングランド王。ノルマンディー公アンリ1世でもあった。通称は碩学王。 ノルマン朝初代イングランド王ウィリアム1世(征服王)とフランドル伯ボードゥアン5世の娘マティルダ(アルフレッド大王とマーシア王オファの子孫)の四男。ノルマンディー公ロベール2世、イングランド王ウィリアム2世の弟。子にマティルダ等。後にプランタジネット朝を開くヘンリー2世は外孫に当たる。
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{{基礎情報 君主
| 人名 = ヘンリー1世
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| 画像 = HenryI-Cassell.jpg
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| 在位 = [[1100年]] - [[1135年]]
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[[File:Henry Beauclerc.jpg|thumb|ヘンリー1世]]
'''ヘンリー1世'''('''Henry I''', [[1068年]] - [[1135年]][[12月1日]])は、[[ノルマン朝]]第3代[[イングランド王国|イングランド]][[イングランド君主一覧|王]](在位:[[1100年]] - 1135年)。[[ノルマンディー公国|ノルマンディー]][[ノルマンディー公|公]]アンリ1世('''Henri I''', 在位:[[1106年]] - 1135年)でもあった。通称は'''碩学王'''(せきがくおう、Henry Beauclerc)。
ノルマン朝初代イングランド王[[ウィリアム1世 (イングランド王)|ウィリアム1世]](征服王)と[[フランドル伯]][[ボードゥアン5世 (フランドル伯)|ボードゥアン5世]]の娘[[マティルダ・オブ・フランダース|マティルダ]]([[アルフレッド大王]]と[[マーシア]]王[[オファ (マーシア王)|オファ]]の子孫)の四男。ノルマンディー公[[ロベール2世 (ノルマンディー公)|ロベール2世]]、イングランド王[[ウィリアム2世 (イングランド王)|ウィリアム2世]]の弟。子に[[マティルダ (神聖ローマ皇后)|マティルダ]]等。後に[[プランタジネット朝]]を開く[[ヘンリー2世 (イングランド王)|ヘンリー2世]]は[[外孫]]に当たる。
== 生涯 ==
=== 即位前の活動 ===
父の死後、長兄のロベール2世(英語ではロバート、短袴公(curthose)というあだ名を持つ)が[[ノルマンディー公国]]を、三兄のウィリアム2世が[[イングランド王国]]を相続したが、ヘンリーは金銭のみを相続した<ref name="松村322">松村、P322。</ref><ref>森、P28。朝治、P21、君塚、P45。</ref>。
領地を持たない王子として、兄2人の争いを助長したり、金に困ったロベール2世からノルマンディーの領地を購入したりし、影響力の増大を図ったが、ヘンリーの行動を警戒した兄2人が和解して共同でヘンリーを攻撃したため、これに屈服した。以降ウィリアム2世の家臣として隠忍自重していたが、1100年にウィリアム2世が狩猟場で死亡すると、直ちに王宮に戻って即位した<ref name="松村322"></ref><ref>森、P28 - P29、青山、P220 - P221、君塚、P46 - P49。</ref>。
=== 長兄・甥およびフランス諸侯との抗争 ===
[[第1回十字軍]]に参加して不在中であったロベール2世は、ノルマンディーに戻ると王位を主張して[[1101年]]7月にイングランドに侵攻した。ヘンリー1世は先んじて3月に兄への備えとして[[フランドル伯]][[ロベール2世 (フランドル伯)|ロベール2世]]と同盟を結び、兄の侵攻を防ぎ和睦して王位を承認させた。[[1106年]]には逆にノルマンディーに侵攻、[[9月28日]]の[[タンシュブレーの戦い]]で勝利して兄を捕らえると、[[ウェールズ]]の[[カーディフ城]]に幽閉してその目を刳り貫き[[1134年]]に死ぬまで幽閉、ノルマンディー公国を手に入れた<ref name="松村322"></ref><ref name="青山221">青山、P221。</ref><ref>松村、P642、朝治、P23 - P25、P199 - P200、君塚、P49 - P50。</ref>。
だが、手に入れたノルマンディーは危険な状況になっていた。ノルマンディー公国の宿敵である[[アンジュー]][[アンジューの領主一覧|伯]]兼[[メーヌ]]伯[[フルク5世]]が[[フランス王国|フランス]][[フランス君主一覧|王]][[ルイ6世 (フランス王)|ルイ6世]]と同盟し敵対したからであり、ヘンリー1世の甥でロベール2世の息子[[ギヨーム・クリトン]]がノルマンディー公位を要求して彼等と手を組み、ギヨームを支持してヘンリー1世に反抗する[[シュルーズベリー伯爵]]{{仮リンク|ロバート・オブ・ベレーム (第3代シュルーズベリー伯)|label=ロバート・オブ・ベレーム|en|Robert of Bellême, 3rd Earl of Shrewsbury}}らノルマン貴族たちや、フルク5世の親戚のアモーリー・ド・モンフォールも連携したことでヘンリー1世は窮地に立った<ref name="ルゴエレル29">ルゴエレル、P29。</ref><ref name="君塚53-56">君塚、P53 - P56。</ref><ref>朝治、P25 - P26。</ref>。
[[1112年]]に反撃に出てシュルーズベリー伯を逮捕してからは好転、軍事的に優位に立つとフルク5世と和睦、翌[[1113年]]にメーヌにおいてフルク5世の臣従を認め、フルク5世の長女マティルドと息子[[ウィリアム・アデリン]]の婚約([[1119年]]結婚)も交わし、[[ルイ6世 (フランス王)|ルイ6世]]とも和睦してノルマンディーは一時平和になった。しかしモンフォールが再度ヘンリー1世に反乱を起こすと、ルイ6世とフルク5世は敵に戻り、フランドル伯[[ボードゥアン7世 (フランドル伯)|ボードゥアン7世]]も介入してノルマンディーへ侵攻して苦戦は続き、[[1118年]]には[[アランソン]]でフルク5世に敗北している<ref name="青山221"></ref><ref name="ルゴエレル29"></ref><ref name="君塚53-56"></ref><ref>朝治、P26 - P27。</ref>。
同年にボードゥアン7世が負傷して離脱すると再起しフルク5世と再び和睦、1119年[[8月20日]]の{{仮リンク|ブレミュールの戦い|en|Battle of Brémule}}でルイ6世とギヨームの連合軍を破り、ルイ6世に自らのノルマンディー支配と息子ウィリアムの臣従を認めさせた。騒乱は収まったかに見えたが、翌[[1120年]]にウィリアムが[[ホワイトシップの遭難]]により事故死した後、フルク5世は[[1123年]]に次女[[シビーユ・ダンジュー|シビーユ]]とギヨームを結婚させまたもや敵方に回り、ノルマンディーでも3度モンフォールら諸侯の反乱が発生した。ヘンリー1世は翌[[1124年]]に諸侯の反乱を破り、[[教皇|ローマ教皇]]に働きかけてシビーユとギヨームの結婚を[[婚姻の無効|無効]]にしてフルク5世との連携を絶った。ルイ6世はギヨーム支持に戻り空位になったフランドル伯位をギヨームに与えたが、[[1128年]]にギヨームが戦死したことでようやくノルマンディー支配は安定を見せた<ref group="注">フランドル伯位はロベール2世から息子ボードゥアン7世へと継承されたが、ボードゥアン7世亡き後にフランドル伯となった[[シャルル1世 (フランドル伯)|シャルル1世]]は[[1127年]]に家臣に[[暗殺]]され、空位になったフランドル伯位をルイ6世がギヨームに与えた。しかし[[ルイ6世 (フランス王)|ルイ6世]]の傀儡だったギヨームは諸都市と対立したため、対抗馬として都市が推した[[ティエリー・ダルザス]]との争いになり戦死、フランドル伯位を手に入れたティエリー・ダルザスはヘンリー1世へ臣従したため、結果的にヘンリー1世にとっては宿敵が消えて味方が増えたことになる。朝治、P28、P200 - P201、君塚、P56。</ref><ref name="松村322"></ref><ref name="君塚53-56"></ref><ref>ルゴエレル、P29 - P30、朝治、P27 - P29。</ref>。
以後はフルク5世との和睦に腐心、同年にフルク5世の嫡子でマティルドの弟[[ジョフロワ4世]]とヘンリー1世の娘かつウィリアムの姉[[マティルダ (神聖ローマ皇后)|マティルダ]]を結婚させた。[[1133年]]に2人の間に生まれた孫アンリが後にイングランド王[[ヘンリー2世 (イングランド王)|ヘンリー2世]]として[[プランタジネット朝]]を創始する(フルク5世は結婚した息子にアンジューを譲り、[[エルサレム王国]]へ向かい王女[[メリザンド (エルサレム女王)|メリザンド]]と再婚、エルサレムを治めることになる)<ref name="君塚53-56"></ref><ref>青山、P221 - P222、ルゴエレル、P30、朝治、P27 - P29。</ref>。
=== 政策 ===
[[ファイル:Henry I of England - Illustration from Cassell's History of England - Century Edition - published circa 1902.jpg|thumb|ヘンリー1世]]
ヘンリー1世は有能な支配者で、即位すると大憲章([[マグナ・カルタ]])の祖とも言われる<ref>{{Cite book|和書|author=フレデリック・メイトランド|authorlink=フレデリック・メイトランド|year=1981|title=イングランド憲法史|publisher=創文社|page=14}}</ref>{{仮リンク|戴冠憲章|en|Charter of Liberties}}を定め、巡回裁判を広く行い「公正の獅子」(Lion of Justice)と呼ばれるように領内を良く治めたとされる。また、彼の学究的な態度からボクレール(beauclerc、碩学王)の渾名を持つ<ref>森、P29。</ref>。
{{要出典|良く治めたという評価は、兄の急死を受けて即位した彼の立場の弱さが、大貴族に対する妥協を生んだ結果、彼等と対立しなかった(むしろ対決できなかった)だけであり、議会重視の立場を取る歴史家達の評価である(逆に大貴族と対立することが専制の証となり無能の烙印を押されがちである)|date=2018年12月}}。
戴冠憲章は契約ではなく政治綱領だが、ヘンリー1世は恣意的な権力に侵されない国民の権利を保証、先代ウィリアム2世の悪弊(教会や俗人からの様々な徴税による収入増加)を正すことを誓い、聖職売買(シモニア)や不当徴税を止めること、[[エドワード懺悔王]]時代の法の復活・遵守を宣言した。またイングランド・ノルマンディーと[[イギリス海峡]]の両岸を押さえたことにより、イングランドを不在にすることが多くなり、王不在のイングランドを統治するための行政機構を整備した<ref name="松村322"></ref><ref>青山、P222 - P223、君塚、P50 - P51。</ref>。
王の支出管理組織として宮廷財務室と文書作成組織の尚書部と長官たる尚書部長官([[大法官]])、王の財産・機密文書などを管理する宝蔵室を拡充、収入管理組織として[[Exchequer|イクスチェッカー]]([[財務省 (イギリス)|財務省]]の原型)が地方財政を担当しただけでなく、国王不在時の行政の最高責任者である{{仮リンク|最高法官|en|Justiciar}}が管轄に置いて行政・財政・司法を担当、国王の長期不在には最高法官と尚書部長官、宝蔵室長官が代理統治する体制を作った。裁判組織である[[キュリア・レジス]]に常任裁判官も加え、この組織や王に代わる裁判担当と最高法官の補佐の役目を与え、地方を巡回して王領の経営状況を調査、住民訴訟も扱う巡回裁判も定期化させた。こうした基盤固めに成功したおかげでイングランドは安定、1106年以後治世の半分をノルマンディーで過ごせるようになった<ref group="注">ヘンリー1世は国王不在でも統治を行う組織の確立、および王が家政組織を率いてイングランド・ノルマンディー両国を巡回・統治して全体の統一を図る方法を取り、在地統治組織と君主の家政組織の分離が進んだ。前者は最高法官・イクスチェッカー・常任裁判官が、後者は宮廷財務室・尚書部・宝蔵室が担当した。青山、P223 - P224、君塚、P51。</ref><ref name="松村322"></ref><ref>青山、P224 - P225、君塚、P51 - P52。</ref>。
さらに1100年11月、サクソン王[[エドマンド2世 (イングランド王)|エドマンド2世]]の曾孫に当たる[[マティルダ・オブ・スコットランド|マティルダ]]([[スコットランド王国|スコットランド]][[スコットランド君主一覧|王]][[マルカム3世 (スコットランド王)|マルカム3世]]とエドマンド2世の孫娘[[マーガレット・オブ・スコットランド|マーガレット]]の娘:幼名イーディス)と結婚すると[[ノルマン人]]と[[アングロ・サクソン人]]の和解を目指した。また、[[カンタベリー大司教]][[アンセルムス]]と和解し、[[1107年]]の[[ロンドン協約]]でウィリアム2世の代から続いていた教会との[[叙任権闘争|聖職叙任権]]問題を解決した<ref name="松村322"></ref><ref name="青山221"></ref><ref name="森30">森、P30。</ref><ref>青山、P222 - P223、山代、P80 - P81、朝治、P23、君塚、P49。</ref>。
ノルマン朝支配に抵抗していた[[ウェールズ]]に対しては支配の浸透を図り、直轄領創設とウェールズ内のイングランド領主を封建制で従属する方針、腹心へ所領授与する一方で反抗的な領主を討伐する姿勢を取り、ウェールズを硬軟用いた政策で従属させる方針に出た。ウェールズ諸侯は勢力拡大しつつもヘンリー1世とは争わず、ウェールズは当面大きな戦争は無く反乱も起こらなかった。スコットランドにも干渉して[[カーライル (イングランド)|カーライル]]に{{仮リンク|カーライル教区|en|Diocese of Carlisle|label=教区}}を設け、義兄に当たる国王[[アレグザンダー1世 (スコットランド王)|アレグザンダー1世]]に庶子シビラを嫁がせ親密な関係となった。1124年に子が無いまま死去したアレグザンダー1世の後を継いだ弟の[[デイヴィッド1世 (スコットランド王)|デイヴィッド1世]]とも親しくなり、スコットランドとイングランドの関係は緊密化した<ref>青山、P302 - P304、P330 - P332、P337、朝治、P234。</ref>。
=== グレゴリウス改革に対して ===
聖職者妻帯(ニコライムス)と聖職売買(シモニア)を取り締まろうとした[[グレゴリウス改革]]に関して、聖職者妻帯に関しては、罰金を課しその罰金を対ノルマンディー戦に流用するつもりだったらしく、厳しく取り締まろうとしなかった。ヘンリー1世の側近の大法官兼[[ソールズベリー主教|ソールズベリー司教]]{{仮リンク|ロジャー・オブ・ソールズベリー|en|Roger of Salisbury}}なども妻帯していた<ref>山代、P5 - P6、P88 - P89、P166。</ref>。
聖職売買に関して、俗人による聖職叙任が問題となった大陸諸国の様子を踏まえて、司教叙任の際に国王の同意が必要と言う条件だけを確保した<ref name="森30"></ref><ref>朝治、P182。</ref>。以前の王達と違い、修道士出身の司教よりも在俗聖職者を司教にすることが多く、特に、自らの詔書局(大抵は宮廷礼拝堂付き司祭こと[[チャプレン]])で働いた聖職者達をノルマンディーやイングランドの司教に転出させ、その働きに報いた<ref>山代、P5、P106 - P110。</ref>。
=== 後継者問題 ===
このような施策により、イングランド王権は強化され、国内は安定したが、晩年には王位継承問題に苦しんだ。
ヘンリー1世には20人を超える庶子がいたが、相続権を持つ嫡子はマティルダとウィリアムの2人きりだった。1120年にウィリアムをホワイトシップの遭難で失い、最初の妃マティルダは1118年に死去していたので、新たな世継ぎを儲けるために[[アデライザ・オブ・ルーヴァン]]([[ルーヴェン]]伯[[ゴドフロワ1世 (ルーヴェン伯)|ゴドフロワ1世]]の娘、先妻との娘マティルダより1歳年下)と再婚したが、結局若い王妃は妊娠しなかった<ref name="君塚53-56"></ref><ref>森、P31 - P34。</ref>。
このため、[[神聖ローマ皇帝]][[ハインリヒ5世 (神聖ローマ皇帝)|ハインリヒ5世]]に嫁がせていたマティルダが1125年に夫に先立たれるとイングランドに呼び戻して後継者に指名、[[1126年]]と[[1127年]]の2度王侯貴族たちにマティルダへの王位継承を認める臣従の誓いを交わした(誓約した王族には甥の[[スティーブン (イングランド王)|スティーブン]]と庶子のグロスター伯[[ロバート (初代グロスター伯)|ロバート]]、デイヴィッド1世も含む)。1133年には生まれたばかりの孫アンリにも臣従する誓約を貴族たちと交わしたが、晩年はイングランド・ノルマンディーがマティルダの夫のアンジュー伯ジョフロワ4世を通じて宿敵[[アンジュー家]]([[ガティネ家]])に乗っ取られる恐れを抱く貴族たちの不満、ノルマンディーとアンジュー国境地帯の要塞群を望む娘夫婦との対立など、不安を抱えたまま1135年に亡くなった<ref name="松村322"></ref><ref name="君塚53-56"></ref><ref>森、P34 - P35、ルゴエレル、P31、朝治、P29、P234 - P235。</ref>。
ヘンリー1世の死後、スティーブンが誓約を破りマティルダを出し抜いてイングランドに上陸、貴族や聖職者たちの支持でイングランド王に即位した。反発したマティルダは夫や異母兄グロスター伯と共に従兄スティーブンと王位を争い、イングランドを[[無政府時代 (イングランド)|無政府状態]]に導くことになり、ノルマン朝は3代で終焉した(ウィリアム1世の外孫であるスティーブンを含めれば4代と見なすこともできる)<ref name="松村322"></ref><ref name="君塚53-56"></ref><ref>森、P37 - P38、青山、P225 - P227、ルゴエレル、P31、君塚、P56 - P60。</ref>。
==系図==
{{イングランド王室ノルマン朝以降}}
== 伝承 ==
[[ビタミンA]]を大量に含むことから、度を超えて摂取すると健康を害しうる、[[ヤツメウナギ]]の料理の食べ過ぎで死亡したとされる伝説がある<ref>[[ヘンリー・オブ・ハンティングドン]]『アングル人の歴史(Historia Anglorum)』12世紀、森、P35。</ref>。
== 子女 ==
[[マティルダ・オブ・スコットランド]]との間に1男1女があった。
* [[マティルダ (神聖ローマ皇后)|マティルダ]](1102年 - 1167年) - 1114年に[[神聖ローマ皇帝]][[ハインリヒ5世 (神聖ローマ皇帝)|ハインリヒ5世]]と結婚、[[アンジュー]][[アンジューの領主一覧|伯]][[ジョフロワ4世]]と再婚、[[ヘンリー2世 (イングランド王)|ヘンリー2世]]の母。
* [[ウィリアム・アデリン|ウィリアム]](1103年 - 1120年) - [[ホワイトシップの遭難]]に遭い死去
1121年に結婚した[[アデライザ・オブ・ルーヴァン]]との間には子がいなかった。
以下を含め20人以上の庶子を儲けた。
* [[ロバート (初代グロスター伯)|ロバート]](1090年頃 - 1147年) - グロスター伯
* レジナルド・ド・ダンスタンヴィル(? - 1175年) - コーンウォール伯
* シビラ(1092年頃 - 1122年) - [[スコットランド王国|スコットランド]][[スコットランド君主一覧|王]][[アレグザンダー1世 (スコットランド王)|アレグザンダー1世]]と結婚
* マティルダ(1090年? - 1120年) - ペルシュ伯ロトルー2世と結婚、ホワイトシップの遭難に遭い死去。
* [[マティルダ・フィッツロイ (ブルターニュ公妃)|マティルダ]] - [[ブルターニュ公国|ブルターニュ]][[ブルターニュ君主一覧|公]][[コナン3世 (ブルターニュ公)|コナン3世]]と結婚
* コンスタンス - メーヌ子爵ロスラン・ド・ボーモン([[:fr:Roscelin de Beaumont-au-Maine|fr]])と結婚。孫エルマンガルド・ド・ボーモンはスコットランド王[[ウィリアム1世 (スコットランド王)|ウィリアム1世]]と結婚
* アリス - フランス軍総司令官[[マチュー1世・ド・モンモランシー]]と結婚
== 注釈 ==
{{reflist|group="注" }}
== 脚注 ==
{{Reflist|2}}
== 参考文献 ==
* [[森護]]『英国王室史話』[[大修館書店]]、1986年。
* [[青山吉信]]編『世界歴史大系 イギリス史1 -先史~中世-』[[山川出版社]]、1991年。
* [[山代宏道]]『ノルマン征服と中世イングランド教会』[[溪水社]]、1996年。
* [[アンリ・ルゴエレル]]著、福本秀子訳『プランタジネット家の人びと』[[白水社]]([[文庫クセジュ]])、2000年。
* [[松村赳]]・[[富田虎男]]編『英米史辞典』[[研究社]]、2000年。
* Alison Weir, ''Britain's Royal Families'', Vintage, 2008.
* [[朝治啓三]]・[[渡辺節夫]]・[[加藤玄]]編著『中世英仏関係史1066-1500 <small>ノルマン征服から百年戦争終結まで</small>』[[創元社]]、2012年。
* [[君塚直隆]]『物語 イギリスの歴史(上) <small>古代ブリテン島からエリザベス1世まで</small>』[[中央公論新社]]([[中公新書]])、2015年。
==関連項目==
* [[紋章]]
* [[イングランド教会史]]
* [[ヤード]]{{先代次代|[[イングランド君主一覧|イングランド国王]]|[[1100年]] - [[1135年]]|[[ウィリアム2世 (イングランド王)|ウィリアム2世]]|[[スティーブン (イングランド王)|スティーブン]]}}
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'''紀元前145年'''(きげんぜん145ねん)は、[[ローマ暦]]の年である。
== 他の紀年法 ==
{{他の紀年法}}
* [[干支]] : [[丙申]]
* [[元号一覧 (日本)|日本]]
** [[開化天皇]]13年
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* [[元号一覧 (中国)|中国]]
** [[前漢]] : [[景帝 (漢)|景帝]]中元5年
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** [[檀君紀元|檀紀]]2189年
* [[仏滅紀元]] : 400年
* [[ユダヤ暦]] : 3616年 - 3617年
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== できごと ==
=== シリア ===
* [[アンティオキアの戦い]]で[[プトレマイオス6世]]が[[セレウコス朝]]の[[アレクサンドロス1世バラス]]を破ったが、プトレマイオス6世自身はこの戦いで戦死した。
=== エジプト ===
* [[プトレマイオス7世]]が[[プトレマイオス朝]]の[[ファラオ]]になったが、まもなく[[プトレマイオス8世]]に暗殺された。
=== 天文学 ===
* [[ヒッパルコス]]が[[太陽年]]の長さを決定した。
== 誕生 ==
{{see also|Category:紀元前145年生}}
<!--世界的に著名な人物のみ項内に記入-->
* [[司馬遷]] - 中国の歴史家([[紀元前86年]]没)
== 死去 ==
{{see also|Category:紀元前145年没}}
<!--世界的に著名な人物のみ項内に記入-->
* [[プトレマイオス6世]] - エジプトのファラオ([[紀元前186年]]生)
* [[プトレマイオス7世]] - エジプトのファラオ
* [[アレクサンドロス1世バラス]] - セレウコス朝の君主
== 脚注 ==
'''注釈'''
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'''出典'''
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<!-- == 参考文献 == -->
== 関連項目 ==
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* [[年の一覧]]
* [[年表]]
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<!-- == 外部リンク == -->
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'''紀元前140年'''(きげんぜん140ねん)は、[[ローマ暦]]の年である。
== 他の紀年法 ==
{{他の紀年法}}
* [[干支]] : [[辛丑]]
* [[元号一覧 (日本)|日本]]
** [[開化天皇]]18年
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** [[檀君紀元|檀紀]]2194年
* [[仏滅紀元]] : 405年
* [[ユダヤ暦]] : 3621年 - 3622年
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== できごと ==
=== エジプト ===
* [[スキピオ・アエミリアヌス]]がローマの大使を連れて[[アレクサンドリア]]を訪れ、[[プトレマイオス8世]]と面会した。
=== ユダヤ ===
* [[シモン (ハスモン朝)|シモン]]が[[ユダヤ]]の王になった。
===アジア===
* [[武帝 (漢)|武帝]]が[[前漢]]の皇帝になった。
== 誕生 ==
{{see also|Category:紀元前140年生}}
<!--世界的に著名な人物のみ項内に記入-->
* [[ルキウス・リキニウス・クラッスス]]:[[執政官]]([[紀元前91年]]没)
* [[霍去病]]:漢の将軍([[紀元前117年]]没)
* [[蘇武]]([[紀元前60年]]没)
== 死去 ==
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== 脚注 ==
'''注釈'''
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'''出典'''
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== 関連項目 ==
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* [[年の一覧]]
* [[年表]]
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双対
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双対(そうつい、dual, duality)とは、互いに対になっている2つの対象の間の関係である。2つの対象がある意味で互いに「裏返し」の関係にあるというようなニュアンスがある(双対の双対はある意味で "元に戻る")。また、2つのものが互いに双対の関係にあることを「双対性がある」などとよぶ。双対は数学や物理学をはじめとする多くの分野に表れる。
なお読みについて、双対を「そうたい」と読む流儀もあり「相対 (relative)」と紛らわしい。並行して相対を「そうつい」と読む流儀もある。一般には「双対」を「そうつい」、「相対」を「そうたい」と呼び分ける場合が多いようである。
双対の具体的な定義は、双対関係の成立している対象の種類によって様々に与えられる。
正多面体の双対、あるいは双対関係にある正多面体とは、与えられた正多面体の各面の中心(面心)に頂点を取り、それらを結んで造られる立体(これも正多面体)のこと。双対の双対はもとの正多面体と相似になる。通常の多面体への拡張は、双対多面体を参照
与えられた平面グラフに対し、その外面も含む各面に新たな頂点を対応させ、もとのグラフでは隣り合う面に対応する頂点同士を結んで得られるグラフを、与えられたグラフの双対グラフという。 形式的には 平面グラフ G = (V, E, F) (V:頂点集合、E:辺集合、F:面集合)に対して、その双対グラフは G = (F, E, V) で与えられるグラフである。
命題を論理式として表したとき、論理和 ∨ と論理積 ∧ とをすべて入れ替え、全称記号 ∀ と存在記号 ∃ とをすべて入れ替えたものをもとの論理式の双対といい、入れ替えて得られた命題をもとの命題の双対命題と呼ぶ。双対の双対はもとの命題に一致する。
元の論理式が証明可能ならばその双対の否定が証明可能であり、ある論理式の否定が証明可能ならば、その論理式の双対が証明可能になる。
V を体 K 上のベクトル空間とし、V から係数体 K への線形写像(一次形式)の全体の成すベクトル空間を V と書いて V の双対ベクトル空間または双対空間と呼ぶ。
任意のベクトル空間は、その双対空間の双対空間に自然に (canonical) 埋め込まれる(つまりこの埋め込みは基底のとり方によらない)。特に有限次元のベクトル空間の双対の双対は、もとの空間と自然に同型である。
アーベル群 G から、0 を除く複素数全体のなす乗法群 C への準同型(これは(1 次の)指標 (character) と呼ばれる)全体のなす群 G を双対群(または 指標群)という。指標の間の演算は、写像の値の複素数としての積によって入れる。
アーベル群 G が有限のときには、双対群はもとの群と同型になり、双対群の双対群 G には元の群との間に自然な同型がある。アーベル群とその指標群との双対性はポントリャーギン双対の一種である。なおポントリャーギン双対は、一般には局所コンパクト位相群で考えられる双対性であり、有限アーベル群は離散位相を入れてコンパクト群(したがって局所コンパクト)である。
さらに、有限アーベル群 G の部分群 H に対し、G の部分群 H を、
で定義し、G の部分群 Φ に対して G の部分群 Φ を
と定義すると、自然な同型
が成立する。さらにまた H を H に対応させるような G の部分群全体から G の部分群全体への写像は全単射で、(H) = H が成り立つ(Φ に関しても同様)。
そして有限性や可換性の条件をゆるめると問題は急速に難しくなる。
与えられた圏において、圏の対象を共有し射の向きを逆にして得られる新たな圏を、もとの圏の双対圏という。
また、ある圏の対象と射からなる図式で射の向きを逆にしたものをもとの図式の双対であるという。圏では図式を用いて種々の概念や対象を定義することが多いが、そのそうな概念に対し、対応する双対図式で定義される概念をもとの概念の双対概念と呼ぶ。たとえば「直積と直和」や「極限(逆極限)と余極限(直極限)」は互いに双対な概念である。
電磁気において、静的な電気と磁気(電場と磁場)には双対性が現れる。すなわち、片方についてのある公式が成り立つとき、他方についても類似した公式が成り立つ。電磁気の双対性の起源をたどると、最終的には特殊相対性理論にゆきつく。即ち、電場と磁場はローレンツ変換によって密接に結びついている。
電気工学においても、数々の双対性が成り立っている。双対関係は数式中の電圧と電流を入れ替えることによって得ることができる。また、双対性が成り立つ理由の一部は電気と磁気の双対性に遡ることができる。
以下は電気工学における主な双対の例である。
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双対とは、互いに対になっている2つの対象の間の関係である。2つの対象がある意味で互いに「裏返し」の関係にあるというようなニュアンスがある。また、2つのものが互いに双対の関係にあることを「双対性がある」などとよぶ。双対は数学や物理学をはじめとする多くの分野に表れる。 なお読みについて、双対を「そうたい」と読む流儀もあり「相対 (relative)」と紛らわしい。並行して相対を「そうつい」と読む流儀もある。一般には「双対」を「そうつい」、「相対」を「そうたい」と呼び分ける場合が多いようである。 双対の具体的な定義は、双対関係の成立している対象の種類によって様々に与えられる。
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{{混同|相対|相対性}}
{{出典の明記|date=2021年3月31日 (水) 06:03 (UTC)}}
'''双対'''(そうつい、{{lang|en|dual}}, {{lang|en|duality}})とは、互いに[[対]]になっている2つの対象の間の関係である。2つの対象がある意味で互いに「裏返し」の関係にあるというようなニュアンスがある(双対の双対はある意味で "元に戻る")。また、2つのものが互いに双対の関係にあることを「'''双対性'''がある」などとよぶ。双対は[[数学]]や[[物理学]]をはじめとする多くの分野に表れる。
なお読みについて、双対を「そうたい」と読む流儀もあり「[[相対]] (relative)」と紛らわしい。並行して相対を「そうつい」と読む流儀もある。一般には「双対」を「そうつい」、「相対」を「そうたい」と呼び分ける場合が多いようである。
双対の具体的な定義は、双対関係の成立している対象の種類によって様々に与えられる。
{{see also|{{仮リンク|双対性の一覧|en|List of dualities}}}}
== 数学における双対概念 ==
=== 正多面体の双対 ===
[[正多面体]]の'''双対'''、あるいは'''双対関係'''にある正多面体とは、与えられた正多面体の各面の中心(面心)に頂点を取り、それらを結んで造られる立体(これも正多面体)のこと。双対の双対はもとの正多面体と[[図形の相似|相似]]になる<ref>[[東京リーガルマインド|LEC東京リーガルマインド]] 公務員試験 過去問 新クイックマスター 判断推理・図形 第4版 319ページ 正多面体の双対性</ref>。''通常の多面体への拡張は、[[双対多面体]]を参照''
* 正六面体(立方体)と正八面体。
* 正四面体と正四面体自身。
* 正十二面体と正二十面体。
=== グラフの双対 ===
{{main|双対グラフ}}
与えられた平面グラフに対し、その外面も含む各面に新たな頂点を対応させ、もとのグラフでは隣り合う面に対応する頂点同士を結んで得られるグラフを、与えられたグラフの'''[[双対グラフ]]'''という。 形式的には 平面グラフ ''G'' = (''V'', ''E'', ''F'') (''V'':頂点集合、''E'':辺集合、''F'':面集合)に対して、その双対グラフは ''G''<sup>*</sup> = (''F'', ''E'', ''V'') で与えられるグラフである。
[[Image:Four Colour Planar Graph.svg|center|]]
=== 論理の双対 ===
命題を論理式として表したとき、[[論理和]] ∨ と[[論理積]] ∧ とをすべて入れ替え、[[全称記号]] ∀ と[[存在記号]] ∃ とをすべて入れ替えたものをもとの論理式の'''双対'''といい、入れ替えて得られた命題をもとの命題の'''双対命題'''と呼ぶ。双対の双対はもとの命題に一致する。
元の論理式が証明可能ならばその双対の否定が証明可能であり、ある論理式の否定が証明可能ならば、その論理式の双対が証明可能になる。
=== ベクトル空間の双対 ===
''V'' を[[可換体|体]] ''K'' 上の[[ベクトル空間]]とし、''V'' から係数体 ''K'' への[[線形写像]](一次形式)の全体の成すベクトル空間を ''V''<sup>*</sup> と書いて ''V'' の'''[[双対ベクトル空間]]'''または'''双対空間'''と呼ぶ。
任意のベクトル空間は、その双対空間の双対空間に自然に (canonical) 埋め込まれる(つまりこの埋め込みは基底のとり方によらない)。特に有限次元のベクトル空間の双対の双対は、もとの空間と自然に[[準同型|同型]]である。
===アーベル群の双対===
[[アーベル群]] ''G'' から、0 を除く複素数全体のなす乗法群 '''C'''<sup>×</sup> への準同型(これは(1 次の)'''[[指標]]''' (character) と呼ばれる)全体のなす群 ''G''<sup>^</sup> を'''双対群'''(または '''[[指標群]]''')という。指標の間の演算は、写像の値の複素数としての積によって入れる。
アーベル群 ''G'' が有限のときには、双対群はもとの群と同型になり、双対群の双対群 ''G''<sup>^^</sup> には元の群との間に自然な同型がある。アーベル群とその指標群との双対性は'''[[ポントリャーギン双対]]'''の一種である。なおポントリャーギン双対は、一般には局所コンパクト位相群で考えられる双対性であり、有限アーベル群は離散位相を入れてコンパクト群(したがって局所コンパクト)である。
さらに、有限アーベル群 ''G'' の部分群 ''H'' に対し、''G''<sup>^</sup> の部分群 ''H''<sup>*</sup> を、
:<math>H^* :=
\{\chi \in \hat{G}\mid \chi(h)=1 \mbox{ for all }h \in H\}
</math>: 全ての ''H'' の元を 1 に写す指標全体
で定義し、''G''<sup>^</sup> の部分群 Φ に対して ''G'' の部分群 Φ<sup>*</sup> を
:<math>\Phi^* :=
\{ g\in G \mid \phi(g)=1 \mbox{ for all } \phi \in \Phi \}
</math>: Φ の任意の指標によって 1 に移されるような ''G'' の元全体
と定義すると、自然な同型
:<math>
H^* \simeq (G / H)^\wedge, \quad
\Phi^* \simeq (\hat{G} / \Phi)^\wedge
</math>
が成立する。さらにまた ''H'' を ''H''<sup>*</sup> に対応させるような ''G'' の部分群全体から ''G''<sup>^</sup> の部分群全体への写像は全単射で、(''H''<sup>*</sup>)<sup>*</sup> = ''H'' が成り立つ(Φ<sup>*</sup> に関しても同様)。
そして有限性や可換性の条件をゆるめると問題は急速に難しくなる。
{{節スタブ}}
=== 圏の双対 ===
与えられた圏において、圏の対象を共有し射の向きを逆にして得られる新たな圏を、もとの圏の'''双対圏'''という。
また、ある圏の対象と射からなる図式で射の向きを逆にしたものをもとの図式の双対であるという。圏では図式を用いて種々の概念や対象を定義することが多いが、そのそうな概念に対し、対応する双対図式で定義される概念をもとの概念の双対概念と呼ぶ。たとえば「直積と直和」や「極限(逆極限)と余極限(直極限)」は互いに双対な概念である。
=== 射影幾何の双対 ===
{{Main|射影幾何学#射影幾何における双対原理}}
=== 球面三角形の双対 ===
{{Main|球面三角法#極三角形と双対原理}}
=== 多重ゼータ値の双対 ===
{{Main|多重ゼータ値#双対性}}
=== 最適化問題の双対 ===
{{Main|双対問題}}
== 物理学・工学における双対概念 ==
=== 理論物理学の双対 ===
* [[AdS/CFT対応]](反ド・ジッター (anti de Sitter)/共形場理論 (conformal field theory) 対応)、マルダセーナ双対性とも呼ばれることもある
* {{仮リンク|双対共鳴モデル|en|Dual resonance model}}
* {{仮リンク|エングラート=グリーンバーガー双対関係|en|Englert–Greenberger duality relation}}
* [[ホログラフィック原理|ホログラフィック双対]]
* [[クラマース=ワニエ双対性]]
* [[ミラー対称性 (弦理論)|ミラー対称性]]
* {{仮リンク|モントネン=オリーブ双対|en|Montonen–Olive duality}}
* [[M-理論|ミステリアスな双対性]]
* {{仮リンク|弦双対性|en|String duality}}は[[対称性 (物理学)|対称性]]のクラスである
** [[S-双対]]
** [[T-双対]]
** {{仮リンク|U-双対|en|U-duality}}
* [[粒子と波動の二重性|粒子と波動の双対性]]
* [[ホッジ双対]]
=== 電気と磁気の双対 ===
[[電磁気学|電磁気]]において、静的な[[電気]]と[[磁気]]([[電場]]と[[磁場]])には双対性が現れる。すなわち、片方についてのある公式が成り立つとき、他方についても類似した公式が成り立つ。電磁気の双対性の起源をたどると、最終的には[[特殊相対性理論]]にゆきつく。即ち、電場と磁場は[[ローレンツ変換]]によって密接に結びついている。
* 電場 — 磁場
* [[電束密度]] — [[磁束密度]]
* [[ファラデーの電磁誘導の法則|ファラデーの法則]] — [[アンペールの法則]]
* [[電荷]]の[[ガウスの法則]] — [[磁気単極子]]のガウスの法則
* [[電位]] — [[磁位]]
* [[誘電率]] — [[透磁率]]
* [[圧電効果]] — [[磁歪]]
* [[強誘電体]] — [[強磁性|強磁性体]]
* [[静電モーター]] — [[電動機|磁気モーター]]
* [[エレクトレット]] — [[永久磁石]]
* [[ファラデー効果]] — [[カー効果]]
=== 電気工学の双対 ===
[[電気工学]]においても、数々の双対性が成り立っている。双対関係は数式中の電圧と電流を入れ替えることによって得ることができる。また、双対性が成り立つ理由の一部は電気と磁気の双対性に遡ることができる。
以下は電気工学における主な双対の例である。
* [[電圧]] — [[電流]]
* [[直列回路と並列回路|並列 — 直列]](回路)
* [[電気抵抗|電気抵抗(レジスタンス)]] — [[コンダクタンス]]
* [[インピーダンス]] — [[アドミタンス]]
* [[静電容量|静電容量(キャパシタンス)]] — [[インダクタンス]]
* [[リアクタンス]] — [[サセプタンス]]
* [[短絡]] — 開放
* 短絡電流 — [[開放電圧]]
* 直列の抵抗 — 並列のコンダクタンス
* [[キルヒホッフの法則 (電気回路)|キルヒホッフの電流則]] — [[キルヒホッフの法則 (電気回路)|キルヒホッフの電圧則]]
* [[テブナンの定理]] — [[ノートンの定理]]
=== 熱力学の双対 ===
{{main|示量性と示強性}}
== 脚注 ==
{{reflist}}
== 関連項目 ==
* [[対合]]
* [[類推]](アナロジー)
* [[共役]]
== 外部リンク ==
[http://www.s.u-tokyo.ac.jp/ja/story/newsletter/keywords/21/06.html 双対性]
{{sci-stub}}
{{DEFAULTSORT:そうつい}}
[[Category:数学的構造]]
[[Category:双対性|*]]
[[Category:数学に関する記事]]
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2023-03-23T13:37:35Z
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"Template:Reflist"
] |
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%8C%E5%AF%BE
|
16,286 |
1068年
|
1068年(1068 ねん)は、西暦(ユリウス暦)による、閏年。
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1068年は、西暦(ユリウス暦)による、閏年。
|
{{年代ナビ|1068}}
{{year-definition|1068}}
== 他の紀年法 ==
* [[干支]] : [[戊申]]
* [[日本]]
** [[治暦]]4年
** [[神武天皇即位紀元|皇紀]]1728年
* [[中国]]
** [[北宋]] : [[熙寧]]元年
** [[遼]] : [[咸雍]]4年
** [[西夏]] : [[乾道 (西夏)|乾道]]元年
* [[朝鮮]]
* [[ベトナム]]
** [[李朝 (ベトナム)|李朝]] : [[龍彰天嗣]]3年・[[天貺宝象]]元年
* [[仏滅紀元]] :
* [[ユダヤ暦]] :
{{Clear}}
== カレンダー ==
{{年間カレンダー|年=1068|Type=J|表題=可視}}
== できごと ==
* [[5月22日]]([[治暦]]4年[[4月19日 (旧暦)|4月19日]]) - 第71代[[天皇]]・[[後三条天皇]]が即位
* [[アリタ川の戦い (1068年)|アリタ川の戦い]]
== 誕生 ==
{{see also|Category:1068年生}}
<!--世界的に著名な人物のみ項内に記入-->
* [[阿骨打]]、[[金 (王朝)|金]]の初代[[皇帝]](+ [[1123年]])
* [[藤原経実]]、[[平安時代]]の[[公卿]](+ [[1131年]])
* [[ヘンリー1世 (イングランド王)|ヘンリー1世]]、[[イングランド王国|イングランド]]王、[[ノルマンディー公]](+ [[1135年]])
== 死去 ==
{{see also|Category:1068年没}}
<!--世界的に著名な人物のみ項内に記入-->
* [[1月11日]] - [[エクベルト1世 (マイセン辺境伯)|エクベルト1世]]、[[マイセン辺境伯]]、[[ザクセン公国|ザクセン]]伯(* 生年未詳)
* [[1月13日]](治暦3年[[12月5日 (旧暦)|12月5日]]) - [[藤原資平]]、[[平安時代]]の[[公卿]](* [[986年]])
* [[5月11日]](熙寧元年[[4月8日 (旧暦)|4月8日]]) - [[劉敞]]、[[北宋]]の[[経学|経学者]]、[[歴史家]]、[[政治家]]、[[文人]](* [[1019年]])
* [[5月22日]](治暦4年[[4月19日 (旧暦)|4月19日]]) - [[後冷泉天皇]]、第70代[[天皇]](* [[1025年]])
<!-- == 脚注 ==
'''注釈'''
{{Reflist|group="注"}}
'''出典'''
{{脚注ヘルプ}}
{{Reflist}}
== 参考文献 == -->
== 関連項目 ==
{{Commonscat|1068}}
* [[年の一覧]]
* [[年表]]
* [[年表一覧]]
<!-- == 外部リンク == -->
{{十年紀と各年|世紀=11|年代=1000}}
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[[Category:1068年|*]]
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1135年
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1135年(1135 ねん)は、西暦(ユリウス暦)による、平年。
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1135年は、西暦(ユリウス暦)による、平年。
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== 他の紀年法 ==
* [[干支]] : [[乙卯]]
* [[日本]]
** [[長承]]4年、[[保延]]元年
** [[皇紀]]1795年
* [[中国]]
** [[南宋]] : [[紹興 (宋)|紹興]]5年
** [[金 (王朝)|金]] : [[天会 (金)|天会]]13年
** [[西夏]] : [[大徳 (西夏)|大徳]]元年
** [[西遼]] : [[康国]]2年
* [[朝鮮]]
** [[檀紀]] 3468年
** [[高麗]] : [[仁宗 (高麗王)|仁宗]]13年
** [[大為国]] : [[天開 (妙清)|天開]]元年 (私年号)
* [[ベトナム]]
** [[李朝 (ベトナム)|李朝]] : [[天彰宝嗣]]3年
* [[仏滅紀元]] : 1689年
* [[ユダヤ暦]] :
* [[ユリウス暦]] : 1180年
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== カレンダー ==
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== できごと ==
* [[金 (王朝)|金]]、[[熙宗 (金)|熙宗]]が第3代皇帝に即位(-[[1149年]])
* [[12月25日]]/[[12月26日|26日]] - [[イングランド王国]]で[[スティーブン (イングランド王)|スティーブン]]が国王に即位。内乱へ(-[[1153年]])
== 誕生 ==
{{see also|Category:1135年生}}
<!--世界的に著名な人物のみ項内に記入-->
* [[3月30日]] - [[モーシェ・ベン=マイモーン]]、[[コルドバ (スペイン)|コルドバ]]出身の[[ユダヤ教|ユダヤ教徒]]の[[ラビ]]、[[哲学者]]、[[博学者]](+ [[1204年]])
* [[安達盛長]]、[[平安時代]]、[[鎌倉時代]]の[[武将]]、[[御家人]](+ [[1200年]])
* [[アル=ファーディル]]、[[パレスチナ]]出身の[[ファーティマ朝]]、[[アイユーブ朝]]の[[官僚]](+ [[1200年]])
* [[藤原成範]]、平安時代の[[公卿]]、[[歌人]](+ [[1187年]])
* [[ペトロニラ (アラゴン女王)|ペトロニラ]]、[[アラゴン王国|アラゴン女王]]、[[バルセロナ伯]][[ラモン・バランゲー4世]]の妃(+ [[1174年]])
== 死去 ==
{{see also|Category:1135年没}}
<!--世界的に著名な人物のみ項内に記入-->
* [[3月21日]](長承4年[[2月5日 (旧暦)|2月5日]]) - [[行尊]]、[[平安時代]]の[[天台宗]]の[[僧]]、[[歌人]](* [[1055年]])
* [[6月4日]](紹興5年[[4月21日 (旧暦)|4月21日]]) - [[徽宗]]、[[北宋]]の第8代[[皇帝]](* [[1082年]])
* [[6月27日]](保延元年[[5月15日 (旧暦)|5月15日]]) - [[源信雅]]、平安時代の[[公家]]、[[陸奥国司|陸奥守]](* [[1079年]])
* [[12月1日]] - [[ヘンリー1世 (イングランド王)|ヘンリー1世]]、[[イングランド王国|イングランド]]王、[[ノルマンディー公]](* [[1068年]])
* [[12月31日]] - [[ハインリヒ (グロイチュ伯)|ハインリヒ]]、[[ラウジッツ辺境伯領|ラウジッツ辺境伯]](* 生年未詳)
* [[呉乞買]]、[[金 (王朝)|金]]の第2代皇帝(* [[1075年]])
* [[楊時]]、北宋の[[儒学者]](* [[1053年]])
* [[羅従彦]]、北宋、[[南宋]]の儒学者(* [[1072年]])
<!-- == 脚注 ==
'''注釈'''
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'''出典'''
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== 参考文献 == -->
== 関連項目 ==
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* [[年の一覧]]
* [[年表]]
* [[年表一覧]]
<!-- == 外部リンク == -->
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1106年
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1106年(1106 ねん)は、西暦(ユリウス暦)による、平年。
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== 他の紀年法 ==
* [[干支]] : [[丙戌]]
* [[日本]]
** [[長治]]3年、[[嘉承]]元年
** [[皇紀]]1766年
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** [[北宋]] : [[崇寧]]5年
** [[遼]] : [[乾統 (遼)|乾統]]6年
** [[西夏]] : [[貞観 (西夏)|貞観]]6年
** [[大理国]] : [[文安 (大理)|文安]]2年
* [[朝鮮]]
* [[ベトナム]]
** [[李朝 (ベトナム)|李朝]] : [[龍符]]6年
* [[仏滅紀元]] :
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== カレンダー ==
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== できごと ==
* 『[[中右記]]』に[[京都]]市中で[[疫病]]が蔓延した記録。死者が多数発生し、路上や賀茂河原あたりに骸骨が積み上げられた<ref>安田政彦『災害復興の日本史』p42 吉川弘文館 2013年2月1日発行 {{全国書誌番号|22196456}}</ref>。
== 誕生 ==
{{see also|Category:1106年生}}
<!--世界的に著名な人物のみ項内に記入-->
* [[ケレスティヌス3世 (ローマ教皇)|ケレスティヌス3世]]、第175代[[教皇|ローマ教皇]](+ [[1198年]])
* [[信西]]、[[平安時代]]の[[公家]]、[[学者]]、[[僧]](+ [[1160年]])
== 死去 ==
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<!--世界的に著名な人物のみ項内に記入-->
* [[8月4日]](嘉承元年[[7月4日 (旧暦)|7月4日]]) - [[源義家]]、[[平安時代]]の[[武将]](* [[1039年]])
* [[8月7日]] - [[ハインリヒ4世 (神聖ローマ皇帝)|ハインリヒ4世]]、[[神聖ローマ皇帝]](* [[1050年]])
* [[8月16日]](嘉承元年[[7月16日 (旧暦)|7月16日]]) - [[藤原敦基]]、平安時代の[[公家]]、[[漢詩人]](* [[1046年]])
* [[12月8日]](嘉元元年[[11月11日 (旧暦)|11月11日]]) - [[明算 (僧)|明算]]、平安時代の[[真言宗]]の僧(* [[1021年]])
* [[ナータン・ベン・イェヒエル]]、[[ローマ]]出身の[[ラビ]](* [[1035年]]?)
* [[李公麟]]、[[北宋]]の[[画家]](* [[1049年]])
== 脚注 ==
<!-- '''注釈'''
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'''出典'''-->
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<!-- == 参考文献 == -->
== 関連項目 ==
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* [[年の一覧]]
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1120年
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1120年は、西暦(ユリウス暦)による、閏年。
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== 他の紀年法 ==
* [[干支]] : [[庚子]]
* [[日本]]
** [[元永]]3年、[[保安 (元号)|保安]]元年
** [[皇紀]]1780年
* [[中国]]
** [[北宋]] : [[宣和]]2年
** [[遼]] : [[天慶 (遼)|天慶]]10年
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** [[西夏]] : [[元徳 (西夏)|元徳]]2年
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* [[ベトナム]]
** [[李朝 (ベトナム)|李朝]] : [[天符睿武]]元年
* [[仏滅紀元]] :
* [[ユダヤ暦]] :
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== カレンダー ==
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== できごと ==
* [[方臘の乱]]
* [[11月20日]] - イングランド王[[ヘンリー1世 (イングランド王)|ヘンリー碩学王]]の嫡子[[ウィリアム・アデリン]]が[[海難事故]]により薨去([[ホワイトシップの遭難]])
=== 日本 ===
* [[5月9日]]([[元永]]3年[[4月10日 (旧暦)|4月10日]]) - [[保安 (元号)|保安]]と改元する。
* [[12月4日]](保安元年[[11月12日 (旧暦)|11月12日]]) - [[白河天皇|白河法皇]]が反対していた[[藤原忠実]]の娘[[藤原泰子]]が[[鳥羽天皇]]に入内することが決定し、法皇が忠実の内覧を停止する([[保安元年の政変]])。
== 誕生 ==
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<!--世界的に著名な人物のみ項内に記入-->
* [[院尊]]、[[平安時代]]、[[鎌倉時代]]の[[院派]]の[[仏師]](+ [[1198年]])
* [[グリエルモ1世]]、[[シチリア王国]][[オートヴィル朝|ノルマン朝]]の第2代[[ナポリとシチリアの君主一覧|国王]](+ [[1166年]])
* [[藤原頼長]]、平安時代の[[公卿]](+ [[1156年]])
* [[ボレスワフ4世]]、[[ポーランド王国|ポーランド大公]](+ [[1173年]])
* [[ルイ7世 (フランス王)|ルイ7世]]、[[カペー朝]][[フランス王国]]の第6代国王(+ [[1180年]])
== 死去 ==
{{see also|Category:1120年没}}
<!--世界的に著名な人物のみ項内に記入-->
* [[ウィリアム・アデリン]]、[[ノルマン朝]]第3代[[イングランド王国|イングランド]][[イングランド君主一覧|王]][[ヘンリー1世 (イングランド王)|ヘンリー碩学王]]の嫡子(* [[1103年]])
<!-- == 脚注 ==
'''注釈'''
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'''出典'''
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== 参考文献 == -->
== 関連項目 ==
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* [[年の一覧]]
* [[年表]]
* [[年表一覧]]
<!-- == 外部リンク == -->
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サリチル酸
|
サリチル酸(サリチルさん、撒里矢爾酸、英: salicylic acid)は、ベータヒドロキシ酸(英語版)の一種の植物ホルモン。化学合成も比較的容易である。消炎鎮痛作用、皮膚の角質軟化作用があり医薬品としてはイボコロリやウオノメコロリで知られ、洗顔料などにも配合される。
消炎鎮痛作用があるが、サリチル酸をそのまま服用すると、消化器障害の副作用が発生しやすく、酷い場合には胃穿孔を起こして腹膜炎の原因となることがある。この問題を解決するために開発されたアセチルサリチル酸(アスピリン)に内服薬としての地位は奪われた。ただ、サリチル酸には皮膚すらも冒す作用があり、これを利用し、皮膚の角化病変に対して外用薬として使用される場合はある。
常温常圧では固体であり、無色の針状結晶である。
ベンゼンの水素の1つがカルボキシ基に置換され、さらに、カルボキシ基から見てオルト位の水素のうちの片方が水酸基に置換された構造をしている。
サリチル酸は天然に広く認められる化合物である。植物内(特に果実)にエステル体であるサリチル酸メチルやサリシンの状態で存在しており、これは消炎剤や鎮痛薬として用いることも可能である。その他、一部の食品やハーブ系植物などにも含まれカレー粉やスパイス類に多く含まれるとの報告もある。 植物では、サリチル酸がウイルスやバクテリアなど様々な病原微生物に対する抵抗性(全身獲得抵抗性)を誘導する鍵となる物質として働くことが知られ、この働きにおいてはジャスモン酸と拮抗的に作用すると考えられている。植物ホルモンの1種とされることもあり、分子生物学による植物免疫研究の対象である。
ネアンデルタール人もサリチル酸を利用していた可能性が浮上してきているように、人類は非常に古くからサリチル酸を利用してきた可能性がある。ヤナギに生理活性が存在することについては、古代ギリシャのヒポクラテスの書物に登場する他に、シュメール、レバノン、アッシリアの文書にも登場する。また、チェロキー族などのアメリカ原住民もヤナギの仲間を解熱・鎮痛に用いていた。日本でも「歯痛には柳楊枝」として知られていた。しかし、これらの記録はヨーロッパでは忘れ去られた。
その後、1763年にイギリスの司祭であったエドマンド・ストーンが、ヤナギに解熱作用があったことを再発見した。その後、1830年にフランスの薬剤師アンリ・ルルー (Henri Leroux) とイタリアの科学者ラファエレ・ピリア (Raffaele Piria) が解熱成分(サリチル酸の配糖体)を分離してサリシン(ラテン語: salix 「柳」から)と命名。その後ピリアはサリシンを分解して新物質を発見、サリチル酸と命名した。ヤナギの学名が由来であるという説もある。
サリチル酸の化学構造は比較的簡単であり、ヤナギなどから抽出せずとも、その全合成が可能である。
1852年に、ドイツ人化学者ガーランドによって初めてサリチル酸が合成された。1853年にマールブルク大学のヘルマン・コルベはサリチル酸の構造を解明し、その合成法を確立した。フェノールに水酸化ナトリウムを反応させてナトリウムフェノキシドを得て、それに高温、高圧(5–6 気圧、125 °C)の下で二酸化炭素を反応させるとオルト位にカルボキシル基が導入されたサリチル酸ナトリウム(Sodium salicylate)が合成される。サリチル酸ナトリウムに硫酸を作用させるとサリチル酸が遊離する。これをコルベ・シュミット反応 (Kolbe-Schmitt reaction) と言う。
一方で、カリウムフェノキシドに同条件で二酸化炭素を反応させると、パラ位にカルボキシ基が導入されたパラヒドロキシ安息香酸が 90% 程度生じる。これのメチルからブチルエステルはパラベンと呼ばれ、防腐剤として用いる。
かつて鎮痛作用を狙って使用されていた柳エキスは、苦味が強い。この柳エキスに代わって、19世紀にはサリチル酸が鎮痛薬として使われたものの、副作用として、薬剤性の胃潰瘍を発症し、強い胃痛が発生するといった問題があった。これは同じ成分を含む柳エキスと同様の副作用である。その後、副作用の軽減のためにアセチルサリチル酸(アスピリン)が開発され、実際に副作用が減少したため、鎮痛薬として用途でのサリチル酸はアセチルサリチル酸に取って代わられた。
サリチル酸は、ベンゼン環に結合している水酸基の影響で、カルボキシ基がプロトンを放出した状態でも安定しやすくなるため、カルボン酸としては比較的強い酸であり、そのpKaは、2.97である。皮膚を腐食する作用があり、例えば、尋常性疣贅(イボ)を取るための外用薬の主成分として使用される場合がある。1919年には、日本で液状のイボコロリとして横山製薬から発売され、1989年に絆創膏タイプが発売された。患部に塗ることでコロジオンが被膜となり、サリチル酸が皮膚に浸透し皮膚を柔らかくする。1996年には皮膚を軟化させる乳酸を加えたウオノメコロリも発売されている。2014年のイギリスのガイドラインでは、尋常性疣贅の治療にサリチル酸が最も推奨されている。
この他、サリチル酸とワセリンを主成分とする軟膏も、主に角化を伴う皮膚疾患に対する治療に用いられることがある。ただし、サリチル酸は皮膚からも吸収されて、そのまま血中へと入るために、広範囲に大量のサリチル酸を含有した外用薬を使用した場合、サリチル酸による全身性の副作用が問題となり得る。2008年の日本皮膚科学会のケミカルピーリングのガイドラインでは、ざ瘡の皮疹、小斑の日光黒子、小じわに対する、角質のみに作用するサリチル酸マクロゴールの使用は、良質な証拠はないが選択肢の1つとされており、サリチル酸エタノールの使用は推奨できないとしている。尋常性痤瘡(ニキビ)では日本のニキビの治療ガイドラインでの推奨度は低く、日本での保険適応外である。これは、サリチル酸マクロゴールでは角質に強く作用するため、比較的安全性も高いのに対して、サリチル酸エタノールでは浸透性が強く、経皮吸収されて中毒(サリチル酸中毒)も起こりやすいためである。サリチル酸中毒では、耳鳴り、嘔吐などが起こる。
化粧品にサリチル酸が配合される場合もある。ピーリング作用のある化粧品・洗顔料などではサリチル酸の配合濃度は、日本では最大でも100g中に0.20gまでに規制されている。サリチル酸エタノールでは皮膚に3-4mmまで浸透し血流に入り、低濃度の2%では皮膚に問題は起こらないが、特に20%以上の高濃度ではサリチル酸中毒が生じる。一般的な化粧品では2%まで配合され、専門的なケミカルピーリングでは10-30%といった濃度で用いる。
日本では、1879年から飲食物の防腐剤として、1903年以降は酒の防腐剤として用いられていた。しかし、WHO の勧告や世論の反対運動などによって、1969年に食品添加物としての使用が全面禁止となった。
なお、サリチル酸誘導体の4-アミノサリチル酸 (PAS) は、結核の治療薬として用いられている。
サリチル酸は、畜産においては牛の蹄の感染症治療に用いられる。
サリチル酸の作用の1つはAMP活性化プロテインキナーゼの活性化であり、これがサリチル酸とアスピリンの効果の一部を説明できることが示唆されている。
サリチル酸は、ヒトに投与されても、代謝されることなく未変化体のままで腎臓から尿中に排泄されることもある。このため、例えばアセチルサリチル酸の大量服用による中毒時などのように、ヒトの血中に大量のサリチル酸が存在する状態になると、尿中に大量のサリチル酸が排泄されてくる場合がある。特に、尿のpHがアルカリ側に傾くと、尿中へのサリチル酸のままでの排泄量が増える。そのような時の尿に塩化第二鉄の水溶液を加えると、サリチル酸はフェノール性の水酸基を持っているために呈色反応を起こし、尿が変色する場合がある。尿中にサリチル酸が50 (μg/ml)以上の濃度で含まれていると、塩化第二鉄水溶液による呈色反応が起こる。
併用中にステロイドを減薬すると、サリチル酸誘導体の濃度が上昇しサリチル酸中毒を起こす薬物相互作用が報告されている。おもな症状は、頭痛、目眩、耳鳴り、吐き気、意識障害など。
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"text": "日本では、1879年から飲食物の防腐剤として、1903年以降は酒の防腐剤として用いられていた。しかし、WHO の勧告や世論の反対運動などによって、1969年に食品添加物としての使用が全面禁止となった。",
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"text": "サリチル酸は、ヒトに投与されても、代謝されることなく未変化体のままで腎臓から尿中に排泄されることもある。このため、例えばアセチルサリチル酸の大量服用による中毒時などのように、ヒトの血中に大量のサリチル酸が存在する状態になると、尿中に大量のサリチル酸が排泄されてくる場合がある。特に、尿のpHがアルカリ側に傾くと、尿中へのサリチル酸のままでの排泄量が増える。そのような時の尿に塩化第二鉄の水溶液を加えると、サリチル酸はフェノール性の水酸基を持っているために呈色反応を起こし、尿が変色する場合がある。尿中にサリチル酸が50 (μg/ml)以上の濃度で含まれていると、塩化第二鉄水溶液による呈色反応が起こる。",
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"text": "併用中にステロイドを減薬すると、サリチル酸誘導体の濃度が上昇しサリチル酸中毒を起こす薬物相互作用が報告されている。おもな症状は、頭痛、目眩、耳鳴り、吐き気、意識障害など。",
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サリチル酸は、ベータヒドロキシ酸の一種の植物ホルモン。化学合成も比較的容易である。消炎鎮痛作用、皮膚の角質軟化作用があり医薬品としてはイボコロリやウオノメコロリで知られ、洗顔料などにも配合される。 消炎鎮痛作用があるが、サリチル酸をそのまま服用すると、消化器障害の副作用が発生しやすく、酷い場合には胃穿孔を起こして腹膜炎の原因となることがある。この問題を解決するために開発されたアセチルサリチル酸(アスピリン)に内服薬としての地位は奪われた。ただ、サリチル酸には皮膚すらも冒す作用があり、これを利用し、皮膚の角化病変に対して外用薬として使用される場合はある。
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| Section2 = {{Chembox Properties
|外観 = 無色の針状結晶
| C = 7 | H = 6 | O = 3
| RationalFormula=HOC<sub>6</sub>H<sub>4</sub>COOH
| MeltingPtC = 159.0
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| Boiling_notes = 20 mmHg
| pKa = 2.97<ref>[http://www.drugbank.ca/drugs/DB00936 Salicyclic acid]. Drugbank.ca. Retrieved on 2012-06-03.</ref>
| Density = 1.443 g/cm<sup>3</sup>
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| Section3 = {{Chembox Hazards
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| OtherCpds = {{unbulleted list
|[[サリチル酸メチル]]
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|[[次サリチル酸ビスマス]]
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}}
}}
}}
'''サリチル酸'''(サリチルさん、撒里矢爾酸<ref>{{Citation|和書|author=落合直文|author-link=落合直文|year=1922|contribution=さりちるさん(撒里矢爾酸)|others=[[芳賀矢一]]改修|title=言泉:日本大辞典|volume=第二|publisher=[[大倉書店]]|pages=1825}}</ref>、{{lang-en-short|salicylic acid}})は、{{仮リンク|ベータヒドロキシ酸|en|Beta hydroxy acid}}の一種の[[植物ホルモン]]。化学合成も比較的容易である。消炎鎮痛作用、皮膚の角質軟化作用があり医薬品としては'''イボコロリ'''やウオノメコロリで知られ<ref name="naid130007448107"/>、洗顔料などにも配合される<ref name="naid40015612268"/>。
消炎鎮痛作用があるが、サリチル酸をそのまま服用すると、消化器障害の副作用が発生しやすく、酷い場合には[[胃穿孔]]を起こして[[腹膜炎]]の原因となることがある。この問題を解決するために開発された[[アセチルサリチル酸]](アスピリン)に内服薬としての地位は奪われた。ただ、サリチル酸には皮膚すらも冒す作用があり、これを利用し、皮膚の角化病変に対して外用薬として使用される場合はある。
==性質==
常温常圧では固体であり、無色の針状結晶である。
[[ベンゼン]]の水素の1つが[[カルボキシ基]]に置換され、さらに、カルボキシ基から見て[[オルト|オルト位]]の水素のうちの片方が[[水酸基]]に置換された構造をしている。
== 所在 ==
サリチル酸は天然に広く認められる化合物である。[[植物]]内(特に果実)に[[エステル]]体である[[サリチル酸メチル]]や[[サリシン]]の状態で存在しており、これは[[消炎剤]]や[[鎮痛薬]]として用いることも可能である。その他、一部の食品やハーブ系植物などにも含まれカレー粉やスパイス類に多く含まれるとの報告もある<ref>{{cite journal |title = Salicylates in foods |journal = Journal of The American Dietetic Association |year = 1985 | volume = 85 | number = 8 |url = http: //www.sswahs.nsw.gov.au/rpa/allergy/research/salicylatesinfoods.pdf |pmid = 4019987 }}</ref><ref>{{cite journal |title = A systematic review of salicylates in foods: Estimated daily intake of a Scottish population |journal = Molecular nutrition & food research |year = 2011 | volume = 55 | page = Supplement S7-S14 |doi = 10.1002/mnfr. (201000408). | pmid = 21351247 }}</ref>。
植物では、サリチル酸が[[ウイルス]]や[[バクテリア]]など様々な病原微生物に対する抵抗性([[全身獲得抵抗性]])を誘導する鍵となる物質として働くことが知られ、この働きにおいては[[ジャスモン酸]]と拮抗的に作用すると考えられている。[[植物ホルモン]]の1種とされることもあり、[[分子生物学]]による植物免疫研究の対象である。
== 発見 ==
[[ネアンデルタール人]]もサリチル酸を利用していた可能性が浮上してきているように<ref>[https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/17/031000092/ ネアンデルタール人が鎮痛剤、歯石分析で検出]</ref>、人類は非常に古くからサリチル酸を利用してきた可能性がある。[[ヤナギ]]に生理活性が存在することについては、古代ギリシャの[[ヒポクラテス]]の書物に登場する他に、[[シュメール]]、[[レバノン]]、[[アッシリア]]の文書にも登場する<ref>{{cite journal|author=Vane JR, Botting RM|title= Mechanism of action of nonsteroidal anti-inflammatory drugs|journal= Am. J. Med.|year= 1998|volume=104|issue=suppl|pages=2S-8S|pmid=9572314}}</ref><ref name="jack">{{cite journal|author=Jack DB|title= One hundred years of aspirin|journal=[[ランセット|Lancet]]|year= 1997|volume=350|issue=9075|pages=437-439|pmid=9259670|doi=10.1016/S0140-6736(97)07087-6 }}</ref>。また、[[チェロキー族]]などのアメリカ原住民もヤナギの仲間を解熱・鎮痛に用いていた。日本でも「歯痛には柳楊枝」として知られていた<ref>{{cite book|和書|author=塩沢俊一|year=2012|title=膠原病学|edition=第5版|publisher=丸善出版|isbn=9784621084687|page=110}}</ref>。しかし、これらの記録はヨーロッパでは忘れ去られた。
その後、[[1763年]]にイギリスの[[司祭]]であった[[エドマンド・ストーン]]が、[[ヤナギ]]に解熱作用があったことを再発見した<ref>{{cite book|author=Cooper KE|title= Fever and Antipyresis: The Role of the Nervous System|location= Cambridge|publisher= Cambridge University Press|year= 1995|pages=100-105|isbn=978-0521072038}}</ref>。その後、[[1830年]]にフランスの薬剤師[[アンリ・ルルー]] (Henri Leroux) とイタリアの科学者[[ラファエレ・ピリア]] ([[:it:Raffaele Piria|Raffaele Piria]]) が解熱成分(サリチル酸の[[配糖体]])を分離して[[サリシン]]({{lang-la|[[wiktionary:en:salix|salix]]}} 「柳」から)と命名<ref>{{cite journal|author=Leroux M|title= Découverte de la salicine|journal= J. Chim. Méd.|year= 1830|volume= 6|pages= 34}}</ref>。その後ピリアはサリシンを分解して新物質を発見、'''サリチル酸'''と命名した<ref>{{cite journal|author=Piria R|title= Sur des nouveaux produits extraits de la salicin et quelques-unes de ses réactions |journal=C. R. Acad. Sci. Paris|year= 1838|volume=6|pages=620-624}}</ref><ref>{{cite journal|author=Piria R|title= Recherches sur la salicine et les produits qui en dérivent|journal= Ann. Chim. Phys.|year= 1838 |volume= 69 |pages= 281-325}}</ref>。ヤナギの学名が由来であるという説もある<ref>{{Cite web|url=https://diamond.jp/articles/-/282661|title=【医学の歴史を変えた画期的な新薬】爆発的に売れ続けギネスブックにも載った「鎮痛薬」とは? | すばらしい人体|publisher=ダイヤモンド・オンライン|date=2021-09-22|accessdate=2021-09-29}}</ref>。
== 製法 ==
サリチル酸の化学構造は比較的簡単であり、ヤナギなどから抽出せずとも、その全合成が可能である。
1852年に、ドイツ人化学者ガーランドによって初めてサリチル酸が合成された<ref>{{cite journal|author=Gerland H|title= XII.—New formation of salicylic acid|journal=Q. J. Chem. Soc.|year= 1853|volume=5|pages=133-136|doi=10.1039/QJ8530500133}}</ref>。1853年に[[フィリップ大学マールブルク|マールブルク大学]]の[[ヘルマン・コルベ]]はサリチル酸の構造を解明し、その合成法を確立した<ref>{{cite journal| author=Kolbe H, Lautemann E|title= Ueber die Constitution und Basicität der Salicylsäure|journal= Justus Liebigs Annals Chem|year= 1860|volume=115|issue=2|pages=157-206|doi=10.1002/jlac.18601150207}}</ref>。[[フェノール]]に[[水酸化ナトリウム]]を反応させて[[ナトリウムフェノキシド]]を得て、それに高温、高圧(5–6 気圧、125 ℃)の下で[[二酸化炭素]]を反応させるとオルト位にカルボキシル基が導入された[[サリチル酸ナトリウム]]([[:w:Sodium salicylate|Sodium salicylate]])が合成される。[[サリチル酸ナトリウム]]に[[硫酸]]を作用させるとサリチル酸が遊離する。これを[[コルベ・シュミット反応]] (Kolbe-Schmitt reaction) と言う。
[[File:Kolbe-Schmitt.png|thumb|500px|中央|コルベ・シュミット反応によるサリチル酸合成]]
一方で、カリウムフェノキシドに同条件で二酸化炭素を反応させると、パラ位にカルボキシ基が導入されたパラヒドロキシ安息香酸が 90% 程度生じる。これのメチルからブチルエステルは[[パラベン]]と呼ばれ、防腐剤として用いる。
== 用途 ==
=== 鎮痛薬 ===
かつて鎮痛作用を狙って使用されていた柳エキスは、苦味が強い。この柳エキスに代わって、[[19世紀]]にはサリチル酸が鎮痛薬として使われたものの、[[副作用]]として、薬剤性の胃潰瘍を発症し、強い胃痛が発生するといった問題があった。これは同じ成分を含む柳エキスと同様の副作用である。その後、副作用の軽減のために[[アセチルサリチル酸]](アスピリン)が開発され、実際に副作用が減少したため、鎮痛薬として用途でのサリチル酸はアセチルサリチル酸に取って代わられた。
=== 外用薬 ===
サリチル酸は、ベンゼン環に結合している水酸基の影響で、カルボキシ基がプロトンを放出した状態でも安定しやすくなるため、[[カルボン酸]]としては比較的強い酸であり、その[[酸解離定数|{{pKa}}]]は、2.97である。皮膚を腐食する作用があり、例えば、[[尋常性疣贅]](イボ)を取るための外用薬の主成分として使用される場合がある<ref name="sa_plaster">[http://database.japic.or.jp/pdf/newPINS/00012378.pdf サリチル酸絆創膏]</ref>。1919年には、日本で液状の'''イボコロリ'''として[[横山製薬]]から発売され、1989年に絆創膏タイプが発売された<ref name="naid130007448107">{{Cite journal |和書|author=井上雅文 |date=2015 |title=第17回 イボコロリ |journal=ファルマシア |volume=51 |issue=3 |pages=242-243 |naid=130007448107 |doi=10.14894/faruawpsj.51.3_242 |url=https://doi.org/10.14894/faruawpsj.51.3_242}}</ref>。患部に塗ることで[[コロジオン]]が被膜となり、サリチル酸が皮膚に浸透し皮膚を柔らかくする<ref name="naid130007448107"/>。1996年には皮膚を軟化させる[[乳酸]]を加えたウオノメコロリも発売されている<ref name="naid130007448107"/>。2014年のイギリスのガイドラインでは、尋常性疣贅の治療にサリチル酸が最も推奨されている<ref name="ukguide">{{Cite journal |和書|author=村尾和俊 |date=2016-04 |title=疣贅の英国治療ガイドライン |journal=臨床皮膚科 |volume=70 |issue=5 |pages=155-157 |url=https://webview.isho.jp/journal/detail/abs/10.11477/mf.1412204766?p=firstTab&englishFlg=2}}</ref>。
この他、サリチル酸とワセリンを主成分とする軟膏も、主に角化を伴う皮膚疾患に対する治療に用いられることがある<ref>[http://www.info.pmda.go.jp/go/pack/2652701M2021_2_01/ 10%サリチル酸ワセリン軟膏] (PMDA)</ref>。ただし、サリチル酸は皮膚からも吸収されて、そのまま血中へと入るために、広範囲に大量のサリチル酸を含有した外用薬を使用した場合、サリチル酸による全身性の副作用が問題となり得る<ref name="sa_plaster">[http://database.japic.or.jp/pdf/newPINS/00012378.pdf サリチル酸絆創膏]</ref><ref>[https://medical.nikkeibp.co.jp/inc/all/drugdic/prd/26/2652701M2021.html 10%サリチル酸ワセリン軟膏] (日経メディカル処方薬事典)</ref>。2008年の日本皮膚科学会の[[ケミカルピーリング]]のガイドラインでは、ざ瘡の皮疹、小斑の日光黒子、小じわに対する、角質のみに作用するサリチル酸マクロゴールの使用は、良質な証拠はないが選択肢の1つとされており、サリチル酸エタノールの使用は推奨できないとしている<ref>{{Cite journal |和書|author1=古川福実 |author2=船坂陽子 |author3=師井洋一ほか |date=2008 |title=日本皮膚科学会ケミカルピーリングガイドライン 改訂第3版 |journal=日本皮膚科学会雑誌 |volume=118 |issue=3 |pages=347-356 |naid=130004708588 |doi=10.14924/dermatol.118.347 |url=https://doi.org/10.14924/dermatol.118.347| ref={{sfnRef|ガイドライン3版|2008}} }}</ref>。[[尋常性痤瘡]](ニキビ)では日本のニキビの治療ガイドラインでの推奨度は低く、日本での保険適応外である<ref name="naid130007396820">{{Cite journal |和書|author1=関口知佐子 |author2=千見寺ひろみ |author3=戸佐眞弓 |date=2017 |title=当院で行った痤瘡に対する ケミカルピーリングの臨床経験165例の検討 |journal=日本臨床皮膚科医会雑誌 |volume=34 |issue=3 |pages=355-360 |naid=130007396820 |doi=10.3812/jocd.34.355 |url=https://doi.org/10.3812/jocd.34.355}}</ref>。これは、サリチル酸マクロゴールでは角質に強く作用するため、比較的安全性も高いのに対して、サリチル酸エタノールでは浸透性が強く、経皮吸収されて中毒(サリチル酸中毒)も起こりやすいためである<ref name="naid130007396820"/>。サリチル酸中毒では、耳鳴り、嘔吐などが起こる<ref name="フェル166"/>。
=== 化粧品 ===
化粧品にサリチル酸が配合される場合もある。ピーリング作用のある化粧品・洗顔料などではサリチル酸の配合濃度は、日本では最大でも100g中に0.20gまでに規制されている<ref>[https://www.mhlw.go.jp/file/06-Seisakujouhou-11120000-Iyakushokuhinkyoku/keshouhin-standard.pdf 化粧品基準 平成 12 年 9 月 29 日 厚生省告示第 331 号] 別表第 3、 1 すべての化粧品に配合の制限がある成分。2019年5月5日 22:39閲覧。</ref>。サリチル酸エタノールでは皮膚に3-4mmまで浸透し血流に入り、低濃度の2%では皮膚に問題は起こらないが、特に20%以上の高濃度ではサリチル酸中毒が生じる<ref name="フェル166">{{Cite book|和書|author=デスモンド・フェルナンデス|translator=|title=Dr.フェルナンデスのスキンケアのすべて 世界70ヶ国以上の人から愛される美容の真実|publisher=幻冬舎|date=2011|isbn=978-4-344-99796-7|page=166-168}}</ref>。一般的な化粧品では2%まで配合され<ref name="naid40015612268">{{Cite journal |和書|author=上田説子 |date=2007-08 |title=サリチル酸マクロゴールピーリング (特集 化粧品科学と美容医療の接点を探る) |journal=フレグランスジャーナル |volume=35 |issue=8 |pages=21-28 |naid=40015612268}}</ref>、専門的なケミカルピーリングでは10-30%といった濃度で用いる<ref>{{cite journal|author=O'Connor AA, Lowe PM, Shumack S, Lim AC|title=Chemical peels: A review of current practice|journal=Australas. J. Dermatol.|issue=3|pages=171–181|date=August 2018|pmid=29064096|doi=10.1111/ajd.12715|url=https://doi.org/10.1111/ajd.12715} }}</ref>。
=== その他の用途 ===
日本では、1879年から飲食物の[[防腐剤]]として、1903年以降は[[酒]]の防腐剤として用いられていた。しかし、[[世界保健機関|WHO]] の勧告や世論の反対運動などによって、1969年に[[食品添加物]]としての使用が全面禁止となった。
なお、サリチル酸[[誘導体]]の[[4-アミノサリチル酸]] (PAS) は、[[結核]]の治療薬として用いられている。
サリチル酸は、[[畜産]]においては[[牛]]の[[蹄]]の感染症治療に用いられる<ref>[https://agriport.jp/dairy-livestock/ap-10186/ 安定した酪農経営に向けて 乳牛の蹄病(ていびょう)を防ぐ]、[[ホクレン]]</ref>。
== 作用機序 ==
サリチル酸の作用の1つは[[AMP活性化プロテインキナーゼ]]の活性化であり、これがサリチル酸とアスピリンの効果の一部を説明できることが示唆されている<ref>{{cite journal|doi=10.1126/science.1215327|title=The Ancient Drug Salicylate Directly Activates AMP-Activated Protein Kinase|year=2012|last1=Hawley|first1=S. A.|last2=Fullerton|first2=M. D.|last3=Ross|first3=F. A.|last4=Schertzer|first4=J. D.|last5=Chevtzoff|first5=C.|last6=Walker|first6=K. J.|last7=Peggie|first7=M. W.|last8=Zibrova|first8=D.|last9=Green|first9=K. A.|journal=Science|volume=336|issue=6083|pages=918–22|pmid=22517326}}</ref><ref>Raffensperger, Lisa. [http://www.newscientist.com/article/dn21718-clues-to-aspirins-anticancer-effects-revealed.html "Clues to aspirin's anti-cancer effects revealed"]. ''[[New Scientist]]'' (2012-04-19)</ref>。
== 代謝 ==
サリチル酸は、ヒトに投与されても、代謝されることなく未変化体のままで腎臓から尿中に排泄されることもある。このため、例えばアセチルサリチル酸の大量服用による中毒時などのように、ヒトの血中に大量のサリチル酸が存在する状態になると、尿中に大量のサリチル酸が排泄されてくる場合がある。特に、[[尿]]のpHがアルカリ側に傾くと、尿中へのサリチル酸のままでの排泄量が増える。そのような時の尿に[[塩化第二鉄]]の水溶液を加えると、サリチル酸はフェノール性の水酸基を持っているために呈色反応を起こし、尿が変色する場合がある。尿中にサリチル酸が50 (μg/ml)以上の濃度で含まれていると、塩化第二鉄水溶液による呈色反応が起こる<ref>[http://www.nihs.go.jp/hse/yakudoku/salicylatechloride.html 薬毒物迅速検査法(塩化第二鉄反応)]</ref>。
== 薬物相互作用 ==
{{seealso|薬物相互作用}}
併用中に[[ステロイド]]を減薬すると、サリチル酸誘導体の濃度が上昇しサリチル酸中毒を起こす薬物相互作用が報告されている<ref name=joma.126.59>林瑶子、名和秀起、北村佳久 ほか、[https://doi.org/10.4044/joma.126.59 薬物相互作用(29―ステロイドの薬物相互作用)] 岡山医学会雑誌 2014年 126巻 1号 p.59-63, {{doi|10.4044/joma.126.59}}</ref>。おもな症状は、頭痛、目眩、耳鳴り、吐き気、意識障害など<ref name=joma.126.59 />。
== 出典 ==
{{reflist|30em}}
== 関連項目 ==
* [[ジサリチル酸マグネシウム]]
{{植物ホルモン}}
{{authority control}}
{{DEFAULTSORT:さりちるさん}}
[[Category:サリチル酸|*]]
[[Category:ヒドロキシ酸]]
[[Category:植物ホルモン]]
|
2003-09-11T14:58:51Z
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2023-10-16T09:57:24Z
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[
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%AA%E3%83%81%E3%83%AB%E9%85%B8
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16,293 |
備前国
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備前国(びぜんのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。山陽道に属する。
藤原宮木簡には「吉備道前国」と表記。平城京跡出土の木簡(735年(天平7年)から747年(天平19年)までの間の木の札)に、「備前国児嶋郡賀茂郷・鴨直君麻呂調塩三斗」、「備前国児嶋郡賀茂郷・三家連乙公調塩一斗」と表記。
明治維新の直前の領域は、岡山県玉野市、備前市、瀬戸内市、赤磐市、和気郡の全域および岡山市の大部分(北区のうち旭川以東かつ建部町大田以北、旭川以西のうち、概ね納所、川入、東花尻、西花尻、平野、延友より南西および真星、上高田、山上、石妻、杉谷、日近、足守、下足守、高松稲荷、平山、立田、加茂より南西、南区大福・古新田・妹尾・箕島・山田・妹尾崎を除く)、倉敷市の一部(水島福崎町、水島東千鳥町、水島東常盤町、水島東栄町、水島東弥生町、水島東寿町、水島相生町、福田町浦田、浦田、黒石、粒浦、有城、藤戸町天城、藤戸町藤戸より南東)、久米郡美咲町の一部(江与味)、加賀郡吉備中央町の一部(尾原、和田、富永、加茂市場、高谷、平岡、上加茂、広面以東)、兵庫県赤穂市の一部(福浦)にあたる。
吉備国が7世紀後半に備前国、備中国、備後国に分割されて成立された。『和名類聚抄』に「きびのみちのくち」と記され、分割後は吉備道に属す一国だったと推定される。 この時の備前国は、後の美作国の領域と、連島(児嶋郡都羅郷)、小豆島、直島諸島北部を含んでいた。
和銅6年(713年)4月3日に、備前守・百済王南典と備前介・上毛野堅身がともに上申して、北部の6郡の英多郡、勝田郡、苫田郡、久米郡、真嶋郡、大庭郡を割いて美作国が設けられた。
平地に恵まれ、治水や水運に手頃な大きさの川が多かったので、古代から農業の適地であった。古墳時代からの鉄産地であり、塩田作りもまた古い。さらに瀬戸内海に面した海上交通の便のおかげで、経済的に豊かであった。面積は大きくないが、律令制では上国と位置づけられた。
備前国の山陽道の駅家は、坂長、珈磨、高月、津高の4駅である(『延喜式』兵部)。
平安時代から鎌倉時代には荘園が数多く設けられた。平安時代から、優れた刀工が集まり、長船派、一文字派など様々な流派が鍛えた刀は、備前物と呼ばれて重んじられた。やはり平安時代から始まって後々まで全国に流通した商品に、備前焼がある。当時の備前の中心となった町は、福岡であった。
室町時代には播磨国を本拠とする赤松氏を守護にいただくようになった。赤松氏の力が衰えると、山名氏の勢力が伸び、両者の戦いの中でしだいに国人層が成長した。戦国時代には守護代の浦上氏が主家の赤松氏の勢力を締め出して備前国を支配しようとするも、山陰で大大名となっていた尼子晴久が美作から南下の動きを見せ、備前西部に力を持つ松田氏が尼子方に付くなど苦戦している。しかし、尼子氏が衰退すると戦国時代末期には浦上氏の家臣宇喜多直家が主家を凌駕する力をつけ、ついには浦上氏を追い出して、備前国に美作国と備中国の一部も加えた戦国大名となった。これ以後、直家が居城にした岡山が備前国の中心になった。
直家の死後、後を継いだ宇喜多秀家が関ヶ原の戦いで敗れたため、宇喜多氏の領国はなくなった(秀家の従兄弟宇喜多詮家が石見国津和野3万石を与えられた)。秀家の後に岡山城に入った小早川秀秋が後嗣を持たずになくなると、幕府は備前国を池田輝政の次男忠継に与えた。後に岡山には池田の本家が入り、岡山藩は幕末まで備前国一円と周辺(時期により変動)を領国とした。江戸時代の備前では綿の作付けが広がった。以前から進んでいた児島と本州本土との間の海の干拓は、江戸時代にいっそう進み、児島と本土が地続きになった。
幕府調査による人口は、文政5年(1822年)が31万8,203人であった。明治政府の明治5年(1872年)の調査による人口は、33万1,878人であった。
中世以降、小豆郡と直島諸島北部は讃岐国守護→天領→備前国倉敷代官所→津山藩→高松藩と政治的な支配者が次々と変遷を辿るうちに、備前か讃岐かの令制国としての所属が曖昧なものとなり、最後に高松藩の預かりとなった宝永5年(1708年)以降は事実上、讃岐国として扱われるようになった。そのような状態が300年余り続いたが、明治維新後の1871年8月29日(明治4年7月14日)14時、廃藩置県により旧高松藩の区域には香川県の前身である高松県が設置され、直前まで高松藩の実効支配を受けていた小豆郡と直島諸島はこの時から正式に香川県の所属となった。
また、福浦は地元住民の要望で1963年(昭和38年)に兵庫県赤穂市に編入された。(備前福河駅の項を参照)
備前国府は、『和名抄』・『拾芥抄』では御野郡の所在と見える。しかし実際には上道郡上道郷の所在と見られ、岡山市中区国府市場付近に想定される。
中枢となる国庁の所在地については、確かな遺構が検出されていないため定かでない。一説には国府市場・今在家境界の国長宮付近に比定され、同地は「備前国庁跡」として岡山県指定史跡に指定されている(北緯34度41分31.56秒 東経133度57分23.14秒 / 北緯34.6921000度 東経133.9564278度 / 34.6921000; 133.9564278 (備前国庁跡))。一方、この「国長」は中世に始まる地名と見られることから、近年ではやや東方の国府市場中央部の安定微高地に比定する説が有力視される。
延喜式内社
総社・一宮以下
以上のほか、石上布都魂神社(赤磐市石上)も「全国一の宮会」に加盟して一宮を主張する。三宮以下はない。
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"text": "明治維新の直前の領域は、岡山県玉野市、備前市、瀬戸内市、赤磐市、和気郡の全域および岡山市の大部分(北区のうち旭川以東かつ建部町大田以北、旭川以西のうち、概ね納所、川入、東花尻、西花尻、平野、延友より南西および真星、上高田、山上、石妻、杉谷、日近、足守、下足守、高松稲荷、平山、立田、加茂より南西、南区大福・古新田・妹尾・箕島・山田・妹尾崎を除く)、倉敷市の一部(水島福崎町、水島東千鳥町、水島東常盤町、水島東栄町、水島東弥生町、水島東寿町、水島相生町、福田町浦田、浦田、黒石、粒浦、有城、藤戸町天城、藤戸町藤戸より南東)、久米郡美咲町の一部(江与味)、加賀郡吉備中央町の一部(尾原、和田、富永、加茂市場、高谷、平岡、上加茂、広面以東)、兵庫県赤穂市の一部(福浦)にあたる。",
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"text": "吉備国が7世紀後半に備前国、備中国、備後国に分割されて成立された。『和名類聚抄』に「きびのみちのくち」と記され、分割後は吉備道に属す一国だったと推定される。 この時の備前国は、後の美作国の領域と、連島(児嶋郡都羅郷)、小豆島、直島諸島北部を含んでいた。",
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"text": "平地に恵まれ、治水や水運に手頃な大きさの川が多かったので、古代から農業の適地であった。古墳時代からの鉄産地であり、塩田作りもまた古い。さらに瀬戸内海に面した海上交通の便のおかげで、経済的に豊かであった。面積は大きくないが、律令制では上国と位置づけられた。",
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"text": "平安時代から鎌倉時代には荘園が数多く設けられた。平安時代から、優れた刀工が集まり、長船派、一文字派など様々な流派が鍛えた刀は、備前物と呼ばれて重んじられた。やはり平安時代から始まって後々まで全国に流通した商品に、備前焼がある。当時の備前の中心となった町は、福岡であった。",
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"text": "室町時代には播磨国を本拠とする赤松氏を守護にいただくようになった。赤松氏の力が衰えると、山名氏の勢力が伸び、両者の戦いの中でしだいに国人層が成長した。戦国時代には守護代の浦上氏が主家の赤松氏の勢力を締め出して備前国を支配しようとするも、山陰で大大名となっていた尼子晴久が美作から南下の動きを見せ、備前西部に力を持つ松田氏が尼子方に付くなど苦戦している。しかし、尼子氏が衰退すると戦国時代末期には浦上氏の家臣宇喜多直家が主家を凌駕する力をつけ、ついには浦上氏を追い出して、備前国に美作国と備中国の一部も加えた戦国大名となった。これ以後、直家が居城にした岡山が備前国の中心になった。",
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"text": "直家の死後、後を継いだ宇喜多秀家が関ヶ原の戦いで敗れたため、宇喜多氏の領国はなくなった(秀家の従兄弟宇喜多詮家が石見国津和野3万石を与えられた)。秀家の後に岡山城に入った小早川秀秋が後嗣を持たずになくなると、幕府は備前国を池田輝政の次男忠継に与えた。後に岡山には池田の本家が入り、岡山藩は幕末まで備前国一円と周辺(時期により変動)を領国とした。江戸時代の備前では綿の作付けが広がった。以前から進んでいた児島と本州本土との間の海の干拓は、江戸時代にいっそう進み、児島と本土が地続きになった。",
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"text": "幕府調査による人口は、文政5年(1822年)が31万8,203人であった。明治政府の明治5年(1872年)の調査による人口は、33万1,878人であった。",
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"text": "中世以降、小豆郡と直島諸島北部は讃岐国守護→天領→備前国倉敷代官所→津山藩→高松藩と政治的な支配者が次々と変遷を辿るうちに、備前か讃岐かの令制国としての所属が曖昧なものとなり、最後に高松藩の預かりとなった宝永5年(1708年)以降は事実上、讃岐国として扱われるようになった。そのような状態が300年余り続いたが、明治維新後の1871年8月29日(明治4年7月14日)14時、廃藩置県により旧高松藩の区域には香川県の前身である高松県が設置され、直前まで高松藩の実効支配を受けていた小豆郡と直島諸島はこの時から正式に香川県の所属となった。",
"title": "沿革"
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"text": "また、福浦は地元住民の要望で1963年(昭和38年)に兵庫県赤穂市に編入された。(備前福河駅の項を参照)",
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"text": "備前国府は、『和名抄』・『拾芥抄』では御野郡の所在と見える。しかし実際には上道郡上道郷の所在と見られ、岡山市中区国府市場付近に想定される。",
"title": "国内の施設"
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"text": "中枢となる国庁の所在地については、確かな遺構が検出されていないため定かでない。一説には国府市場・今在家境界の国長宮付近に比定され、同地は「備前国庁跡」として岡山県指定史跡に指定されている(北緯34度41分31.56秒 東経133度57分23.14秒 / 北緯34.6921000度 東経133.9564278度 / 34.6921000; 133.9564278 (備前国庁跡))。一方、この「国長」は中世に始まる地名と見られることから、近年ではやや東方の国府市場中央部の安定微高地に比定する説が有力視される。",
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備前国(びぜんのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。山陽道に属する。
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{{基礎情報 令制国
|国名 = 備前国
|画像 = {{令制国地図 (令制国テンプレート用)|備前国}}
|別称 = 備州(びしゅう)<ref group="注釈">別称「備州」は備前国・備中国・備後国の総称としての呼称。</ref>
|所属 = [[山陽道]]
|領域 = [[岡山県]]東南部、[[香川県]][[小豆郡]]・[[直島諸島]]、[[兵庫県]][[赤穂市]]の一部(福浦)<ref group="注釈">ただし、設置当初の領域はこれよりも広い。</ref>
|国力 = [[上国]]
|距離 = [[近国]]
|郡 = 8郡51郷
|国府 = 岡山県[[岡山市]](備前国庁跡)
|国分寺 = 岡山県[[赤磐市]]([[備前国分寺跡]])
|国分尼寺 = 岡山県赤磐市
|一宮 = [[吉備津彦神社]](岡山県岡山市)<!--<br/>[[石上布都魂神社]](岡山県赤磐市)--><!--一般には吉備津彦神社が一宮とされるのでコメントアウト-->
}}
'''備前国'''(びぜんのくに)は、かつて[[日本]]の地方行政区分だった[[令制国]]の一つ。[[山陽道]]に属する。
== 「備前」の名称 ==
[[藤原宮]][[木簡]]には「吉備道前国」と表記。[[平城京]]跡出土の[[木簡]]([[735年]]([[天平]]7年)から[[747年]]([[天平]]19年)までの間の木の札)に、「備前国[[児島郡|児嶋郡]][[賀茂郷]]・[[鴨直君麻呂]]調塩三斗」、「備前国児嶋郡賀茂郷・[[三家連乙公]]調塩一斗」と表記。
== 領域 ==
[[明治維新]]の直前の領域は、[[岡山県]][[玉野市]]、[[備前市]]、[[瀬戸内市]]、[[赤磐市]]、[[和気郡]]の全域および[[岡山市]]の大部分([[北区 (岡山市)|北区]]のうち[[旭川 (岡山県)|旭川]]以東かつ建部町大田以北、旭川以西のうち、概ね納所、川入、東花尻、西花尻、平野、延友より南西<ref group="注釈">[[吉備 (岡山市)|吉備地域]]。[[住居表示]]実施地区の境界については未詳。</ref>および真星、上高田、山上、石妻、杉谷、日近、足守、下足守、高松稲荷、平山、立田、加茂より南西<ref group="注釈">[[足守地域]]・[[高松地域 (岡山市)|高松地域]]。</ref>、[[南区 (岡山市)|南区]]大福・古新田・妹尾・箕島・山田・妹尾崎<ref group="注釈">[[妹尾地域]]。</ref>を除く)、[[倉敷市]]の一部(水島福崎町、水島東千鳥町、水島東常盤町、水島東栄町、水島東弥生町、水島東寿町、水島相生町、福田町浦田、浦田、黒石、粒浦、有城、藤戸町天城、藤戸町藤戸より南東)、[[久米郡]][[美咲町]]の一部(江与味)、[[加賀郡]][[吉備中央町]]の一部(尾原、和田、富永、加茂市場、高谷、平岡、上加茂、広面以東)、[[兵庫県]][[赤穂市]]の一部(福浦)にあたる。
== 沿革 ==
[[吉備国]]が7世紀後半に備前国、[[備中国]]、[[備後国]]に分割されて成立された。『[[和名類聚抄]]』に「きびのみちのくち」と記され、分割後は吉備道に属す一国だったと推定される。 この時の備前国は、後の美作国の領域と、[[連島]](児嶋郡[[都羅郷]])、[[小豆島]]、[[直島諸島]]北部を含んでいた。
[[和銅]]6年([[713年]])4月3日に、備前守・[[百済王南典]]と備前介・[[上毛野堅身]]がともに上申して、北部の6郡の[[英多郡]]、[[勝田郡]]、[[苫田郡]]、[[久米郡]]、[[真嶋郡]]、[[大庭郡]]を割いて[[美作国]]が設けられた。
平地に恵まれ、治水や水運に手頃な大きさの川が多かったので、古代から農業の適地であった。[[古墳時代]]からの鉄産地であり、塩田作りもまた古い。さらに瀬戸内海に面した海上交通の便のおかげで、経済的に豊かであった。面積は大きくないが、律令制では上国と位置づけられた。
備前国の[[山陽道]]の駅家は、坂長、珈磨、高月、津高の4駅である(『延喜式』兵部)。
[[平安時代]]から[[鎌倉時代]]には[[荘園 (日本)|荘園]]が数多く設けられた。平安時代から、優れた刀工が集まり、長船派、一文字派など様々な流派が鍛えた[[日本刀|刀]]は、備前物と呼ばれて重んじられた。やはり平安時代から始まって後々まで全国に流通した商品に、[[備前焼]]がある。当時の備前の中心となった町は、福岡であった。
[[室町時代]]には[[播磨国]]を本拠とする赤松氏を[[守護]]にいただくようになった。[[赤松氏]]の力が衰えると、[[山名氏]]の勢力が伸び、両者の戦いの中でしだいに[[国人]]層が成長した。[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]には[[守護代]]の[[浦上氏]]が主家の赤松氏の勢力を締め出して備前国を支配しようとするも、山陰で大大名となっていた[[尼子晴久]]が美作から南下の動きを見せ、備前西部に力を持つ松田氏が尼子方に付くなど苦戦している。しかし、尼子氏が衰退すると戦国時代末期には浦上氏の家臣[[宇喜多直家]]が主家を凌駕する力をつけ、ついには浦上氏を追い出して、備前国に美作国と備中国の一部も加えた[[戦国大名]]となった。これ以後、直家が居城にした[[岡山市|岡山]]が備前国の中心になった。
直家の死後、後を継いだ[[宇喜多秀家]]が[[関ヶ原の戦い]]で敗れたため、宇喜多氏の領国はなくなった(秀家の従兄弟[[坂崎直盛|宇喜多詮家]]が石見国津和野3万石を与えられた)。秀家の後に岡山城に入った[[小早川秀秋]]が後嗣を持たずになくなると、幕府は備前国を[[池田輝政]]の次男[[池田忠継|忠継]]に与えた。後に岡山には池田の本家が入り、[[岡山藩]]は幕末まで備前国一円と周辺(時期により変動)を領国とした。[[江戸時代]]の備前では綿の作付けが広がった。以前から進んでいた[[児島半島|児島]]と本州本土との間の海の干拓は、江戸時代にいっそう進み、児島と本土が地続きになった。
幕府調査による人口は、文政5年([[1822年]])が31万8,203人であった。明治政府の[[壬申戸籍|明治5年(1872年)の調査]]による人口は、33万1,878人であった。
中世以降、[[小豆郡]]と[[直島諸島]]北部は[[讃岐国]][[守護]]→[[天領]]→備前国[[倉敷代官所]]→[[津山藩]]→[[高松藩]]と政治的な支配者が次々と変遷を辿るうちに、備前か讃岐かの[[令制国]]としての所属が曖昧なものとなり、最後に高松藩の預かりとなった[[宝永]]5年([[1708年]])以降は事実上、讃岐国として扱われるようになった。そのような状態が300年余り続いたが、[[明治維新]]後の[[1871年]][[8月29日]](明治4年[[7月14日]])14時、[[廃藩置県]]により旧高松藩の区域には[[香川県]]の前身である高松県が設置され、直前まで高松藩の実効支配を受けていた小豆郡と直島諸島はこの時から正式に香川県の所属となった。
また、福浦は地元住民の要望で[[1963年]]([[昭和]]38年)に[[兵庫県]][[赤穂市]]に編入された。([[備前福河駅]]の項を参照)
=== 近世以降の沿革 ===
* 「[[旧高旧領取調帳]]」の記載によると、[[明治]]初年時点では全域が備前'''[[岡山藩]]'''領であった(680村・423,379石余・一部は[[寺社領]])。
** [[上道郡]](108村・102,948石)、[[赤坂郡]](94村・44,009石2斗5升)、[[御野郡]](62村・52,282石余)、[[児島郡]](91村・49,342石余)、[[邑久郡]](79村・70,400石余)、[[和気郡]](89村・28,730石余)、[[磐梨郡]](64村・26,735石余)、[[津高郡]](93村・48,929石余)
* 明治4年[[7月14日 (旧暦)|7月14日]]([[1871年]][[8月29日]]) - [[廃藩置県]]により'''[[岡山県]]'''の管轄となる。
* [[昭和]]38年([[1963年]])[[9月1日]] - 和気郡[[日生町]]の一部(福浦のうち現・日生町寺山を除く)が[[兵庫県]][[赤穂市]]に編入([[越境合併]])。
== 国内の施設 ==
{{座標一覧}}
=== 国府 ===
[[File:Bizen Kokucho-ato, gaikan.jpg|thumb|220px|right|{{center|備前国庁跡([[岡山県]][[岡山市]])}}{{small|左は国庁宮。}}]]
備前[[国府]]は、『[[和名抄]]』・『[[拾芥抄]]』では[[御野郡]]の所在と見える。しかし実際には[[上道郡]]上道郷の所在と見られ、[[岡山市]][[中区 (岡山市)|中区]]国府市場付近に想定される<ref name="一宮制"/>。
中枢となる国庁の所在地については、確かな遺構が検出されていないため定かでない。一説には国府市場・今在家境界の国長宮付近に比定され<ref name="一宮制"/>、同地は「備前国庁跡」として岡山県指定史跡に指定されている({{Coord|34|41|31.56|N|133|57|23.14|E|region:JP-33_type:landmark|name=備前国庁跡}})。一方、この「国長」は中世に始まる地名と見られることから、近年ではやや東方の国府市場中央部の安定微高地に比定する説が有力視される<ref name="一宮制"/>。
=== 国分寺・国分尼寺 ===
[[File:Bizen Kokubunji-ato, gaikan.jpg|thumb|220px|right|{{center|[[備前国分寺跡]](岡山県[[赤磐市]])}}]]
* [[備前国分寺跡]]([[赤磐市]]馬屋、{{Coord|34|44|18.19|N|133|59|57.75|E|region:JP-33_type:landmark|name=備前国分寺跡}})
*: 国の史跡。備前国府推定地から北東約6.5キロメートルに位置する。寺域は東西175メートル・南北190メートルで、金堂・塔・講堂・中門・僧房といった主要伽藍の遺構が見つかっている。寺域西方にある金光山円寿院善教寺(赤磐市馬屋、{{Coord|34|44|8.93|N|133|59|36.62|E|region:JP-33_type:landmark|name=金光山円寿院善教寺(備前国分寺後継寺院)}})が法燈を伝承する。
* [[備前国分尼寺跡]](赤磐市馬屋、{{Coord|34|44|6.60|N|134|0|0.30|E|region:JP-33_type:landmark|name=備前国分尼寺跡}})
*: 史跡指定なし。僧寺跡の南300メートルに推定される。推定寺域は135メートル四方。本格的な調査は実施されていないため、詳細は明らかでない。
=== 神社 ===
'''[[延喜式内社]]'''
: 『[[延喜式神名帳]]』には、大社1座1社・小社25座20社の計26座21社が記載されている(「[[備前国の式内社一覧]]」参照)。大社1社は以下に示すもので、[[名神大社]]である。
* [[邑久郡]] 安仁神社
** 比定社:[[安仁神社]](岡山市[[東区 (岡山市)|東区]][[西大寺 (旧市域)|西大寺]])
[[ファイル:Kibitsuhiko-jinja tourou and haiden.JPG|thumb|220px|right|{{center|[[吉備津彦神社]](岡山県岡山市)}}]]
'''[[総社]]・[[一宮]]以下'''
: 『中世諸国一宮制の基礎的研究』に基づく一宮以下の一覧<ref name="一宮制">『中世諸国一宮制の基礎的研究』(岩田書院、2000年)pp. 466-469。</ref>。
* 総社:[[備前国総社宮]](岡山市中区祇園、{{Coord|34|42|01.99|N|133|57|16.57|E|region:JP-33_type:landmark|name=備前国総社:備前国総社宮}})
* 一宮:[[吉備津彦神社]](岡山市[[北区 (岡山市)|北区]]一宮、{{Coord|34|40|36.30|N|133|51|50.02|E|region:JP-33_type:landmark|name=備前国一宮:吉備津彦神社}})
* 二宮:[[安仁神社]](岡山市東区西大寺、{{Coord|34|36|37.16|N|134|05|45.59|E|region:JP-33_type:landmark|name=備前国二宮、名神大社:安仁神社}}) - 一説に二宮(根拠史料なし)。
以上のほか、[[石上布都魂神社]](赤磐市石上)も「全国一の宮会」に加盟して一宮を主張する。三宮以下はない<ref name="一宮制"/>。
== 地域 ==
=== 郡 ===
*[[邑久郡]]
*[[赤坂郡]]
*[[上道郡]]
**[[上東郡]] - 上記より分立、のち再併合
*[[御野郡]]
*[[津高郡]]
*[[児島郡]]
*[[和気郡]]
*[[磐梨郡]]
**[[藤原郡]] - 和気郡・磐梨郡に分かれる
;以下は、和銅6年(713年)4月3日に[[美作国]]として分割
*[[真島郡]]
*[[大庭郡]]
*[[苫田郡]]
*[[勝田郡]]
*[[英田郡]]
*[[久米郡]]
=== 江戸時代の藩 ===
* [[岡山藩]]、[[小早川氏#豊臣政権下の小早川氏|小早川家]](51万石)→[[池田氏#美濃池田家|池田家]](28万石→38万石→31.5万石)
* [[山崎藩#児島藩|児島藩]]、池田家(2万石)→[[播磨国]][[山崎藩]]に転封
== 人物 ==
=== 国司 ===
{{節スタブ}}
==== 備前守 ====
<div style="float: left; vertical-align: top; white-space: nowrap; margin-right: 3em;">
*[[猪名石前]] - [[大宝 (日本)|大宝]]3年([[703年]])任官
*[[百済王南典]] - [[和銅]]元年([[708年]])任官
*[[夜気王]] - [[霊亀]]2年([[716年]])任官
*[[土師千村]] - [[天平]]4年([[732年]])任官
*[[柿本浜名]] - 天平10年([[738年]])任官
*[[多治比屋主]] - 天平18年([[742年]])任官
*[[小野東人]] - [[天平勝宝]]6年([[754年]])任官
*[[調馬養]] - [[天平宝字]]元年([[757年]])任官
*[[佐味虫麻呂]] - 天平宝字3年7月([[759年]])任官
*[[上道斐太都|上道正道]] - 天平宝字3年11月([[759年]])任官
*[[甘南備伊香]] - 天平宝字7年([[763年]])任官
*[[藤原蔵下麻呂]] - 天平宝字8年([[764年]])任官
*[[石川名足]] - 天平宝字8年12月([[764年]])任官
*[[藤原雄依]] - [[神護景雲]]元年([[767年]])任官
*[[紀大純]] - [[宝亀]]3年4月([[772年]])任官
*[[三方王]] - 宝亀5年3月([[774年]])任官
*[[山辺王]] - 宝亀11年3月([[780年]])任官
*[[紀家守]] - [[延暦]]3年3月([[784年]])任官
*[[坂上苅田麻呂]] - 延暦3年7月(784年)任官
*[[百済王仁貞]] - 延暦4年4月([[785年]])任官
*[[当麻王]] - 延暦7年2月([[788年]])任官
*[[藤原貞嗣]] - 延暦17年7月([[798年]])任官
*[[橘安麻呂]] - 延暦24年10月([[805年]])任官
*[[三諸大原]] - 延暦24年10月(805年)任官
*[[藤原真雄]] - [[大同 (日本)|大同]]3年7月([[808年]])任官
*[[巨勢野足]] - [[弘仁]]2年7月([[811年]])任官
*[[秋篠安人]] - 弘仁3年1月([[812年]])任官
*[[文室綿麻呂]] - 弘仁7年1月([[816年]])任官
*[[興世書主]] - 弘仁14年1月([[823年]])任官
</div><div style="float: left; vertical-align: top; white-space: nowrap; margin-right: 3em;">
*[[南淵永河]] - [[承和 (日本)|承和]]4年春([[837年]])任官
*[[滋野貞雄]] - 承和5年([[838年]])任官
*[[藤原貞守]] - [[嘉祥]]3年([[850年]])任官
*[[藤原大津]] - [[仁寿]]4年([[854年]])任官
*[[藤原春津]] - [[貞観 (日本)|貞観]]元年([[859年]])任官
*[[藤原有穂]] - [[寛平]]7年([[895年]])任官
*[[藤原菅根]] - [[延喜]]6年([[906年]])任官
*[[藤原定方]] - 延喜10年([[910年]])任官
*[[良岑衆樹]] - 延喜12年([[912年]])任官
*[[橘良殖]] - 延喜15年([[915年]])任官
*[[平伊望]] - [[延長 (元号)|延長]]8年([[925年]])任官
*[[源清陰]] - [[承平 (日本)|承平]]6年([[936年]])任官
*[[藤原忠文]] - [[天慶]]4年([[941年]])任官
*[[大江維時]] - 天慶5年3月([[942年]])任官
*[[小野好古]] - 天慶5年12月([[942年]])任官
*[[藤原師尹]] - 天慶9年([[946年]])任官
*[[大江朝綱]] - [[天暦]]8年([[954年]])任官
*[[橘好古]] - [[応和]]元年([[961年]])任官
*[[藤原頼忠]] - [[康保]]元年([[964年]])任官
*[[源忠清]] - [[安和]]2年([[969年]])任官
*[[藤原遠量]] - [[天禄]]3年([[972年]])任官
*[[源保光]] - [[天延]]2年([[974年]])任官
*[[源惟正]] - 天延3年([[975年]])任官
*[[藤原公季]] - [[貞元 (日本)|貞元]]2年([[977年]])任官
*[[藤原理兼]] - [[天元 (日本)|天元]]5年([[982年]])任官
*[[藤原公任]] - [[正暦]]元年([[990年]])任官
*[[源頼光]] - 正暦3年([[992年]])任官
*[[藤原行成]] - [[長徳]]3年([[997年]])任官
*[[源頼定]] - [[長保]]元年([[999年]])任官
</div><div style="float: left; vertical-align: top; white-space: nowrap; margin-right: 3em;">
*[[大江清通]] - 長保4年([[1002年]])任官
*[[藤原正光]] - 長保5年([[1003年]])任官
*[[藤原頼親]] - [[寛弘]]5年([[1008年]])任官
*[[藤原惟風]] - 寛弘7年([[1010年]])任官
*[[源経房]] - 寛弘8年([[1011年]])任官
*[[藤原通任]] - [[長和]]2年([[1013年]])任官
*[[藤原朝経]] - [[寛仁]]4年([[1020年]])任官
*[[藤原公成]] - [[治安 (元号)|治安]]元年([[1021年]])任官
*[[源経相]] - 治安2年([[1022年]])任官
*[[源朝任]] - [[長元]]5年([[1032年]])任官
*[[藤原兼経]] - 長元8年([[1035年]])任官
*[[藤原公成]] - [[長暦]]元年([[1039年]])任官(再任)
*[[藤原良頼]] - [[長久]]3年([[1042年]])任官
*[[源定良]] - [[永承]]元年([[1046年]])任官
*[[源長季]] - [[天喜]]2年([[1054年]])任官
*[[源資綱]] - [[康平]]3年([[1060年]])任官
*[[大江清定]] - [[治暦]]3年([[1067年]])任官
*[[源国明]] - 1090年頃任官
*[[平正盛]] - [[永久 (日本)|永久]]元年([[1113年]])任官
*[[平忠盛]] - [[大治 (日本)|大治]]2年([[1127年]])任官
*[[源行家]] - [[寿永]]2年([[1183年]])任官
*[[藤原秀康]]
* [[長井時秀]] - [[文永]]8年([[1271年]])任官
*[[北条時範]] - [[正応]]元年([[1288年]])任官
*[[河野通郷]] - [[興国]]元年5月([[1340年]])任官
*[[佐々木高久]] - [[延文]]3年12月([[1358年]])任官
</div>{{clear|left}}
==== 備前権守 ====
*[[大中臣常麻呂]] - 弘仁元年9月([[810年]])任官
*[[小野篁]] - 承和2年1月([[835年]])任官
*[[菅原是善]] - 天安2年5月([[858年]])任官
*[[橘公頼]]
*[[源直]] - [[寛平]]7年2月11日([[895年]][[3月11日]]) - 寛平9年5月25日([[897年]][[6月28日]])
*[[源高明]] - [[天慶]]3年3月([[940年]])任官
*[[藤原道長]] - [[永延]]元年7月11日([[987年]][[8月8日]])任官
*[[源隆俊]] - [[康平]]4年2月28日([[1061年]][[3月22日]])任官
*[[藤原祐家]] - 康平7年3月4日([[1064年]][[3月24日]])任官
*[[藤原長房]] - [[嘉保]]3年正月([[1096年]])任官
*[[三条公雅]] - [[延慶 (日本)|延慶]]4年3月20日([[1311年]])任官
==== 備前介 ====
*[[上毛野堅身]] - [[和銅]]6年4月([[713年]])任官
*[[田中淨足]] - [[天平]]19年正月([[747年]])任官
*[[安倍継人]] - [[天平宝字]]3年5月([[759年]])任官
*[[秦真成]] - [[宝亀]]5年3月([[774年]])任官
*[[藤原子高]] -
*[[藤原長房]] - [[寛徳]]2年([[1045年]])4月任官
*[[源師俊]] - [[天治]]元年([[1124年]])任官
*[[平清宗]] - [[治承]]2年([[1178年]])任官
*[[三条公泰]] - [[寛元]]4年2月23日([[1246年]])任官
*[[三条公雅]] - [[永仁]]2年3月27日([[1294年]])任官
==== 備前権介 ====
*[[讃岐千継]] - [[延暦]]27年10月([[年]])任官
*[[源等]] - [[延長 (元号)|延長]]元年1月([[年]])任官
==== 備前掾 ====
*[[都貞継]] - [[承和 (日本)|承和]]9年1月([[年]])任官
==== 備前権掾 ====
*[[紀冬雄]] - [[天安 (日本)|天安]]元年3月([[年]])任官
*[[弓削是雄]] - [[元慶]]6年1月([[年]])任官
=== 守護 ===
==== 鎌倉時代 ====
*[[1184年]]~? - [[土肥実平]]
*[[元暦]]年中~? - [[佐々木高綱]]
*[[1221年]]~? - [[加地信実|佐々木信実]]
*[[1264年]]~? - [[長井泰重]]
*[[1331年]]~[[1333年]] - 佐々木(加地)氏
==== 室町時代 ====
*[[1336年]]~[[1352年]] - [[松田盛朝]]
*1353年~1362年 - [[赤松則祐]]
*1362年~1363年 - [[松田信重]]
*1363年~1371年 - 赤松則祐
*1371年~1427年 - [[赤松義則]]
*1427年 - [[赤松持貞]]
*1427年~1441年 - [[赤松満祐]]
*1441年~1466年 - [[山名教之]]
*1466年~1467年 - [[山名成清]]
*1467年~1484年 - [[赤松政則]]
*1484年 - [[赤松澄則]]
*1484年~1496年 - 赤松政則
*1496年~1521年 - [[赤松義村]]
*1521年~? - [[赤松晴政]]
*1522年~? - [[浦上村宗]]
*1530年~? - [[浦上宗景]]
*1552年~1561年 - [[尼子晴久]]
==== 安土桃山時代 ====
*1577年~? - [[宇喜多直家]]
*1582年~? - [[宇喜多秀家]]
===国人===
{{節スタブ}}
;赤坂郡
* 遠藤氏
* [[宇垣氏]] - 松田氏の武将。
;上道郡
;邑久郡
* [[宇喜多氏]] - 豊原荘。砥石城主。
;御野郡
* [[松田氏]] - 金川城。一時は備前守護も務めた西部の有力大名。室町幕府奉公衆。
* [[金光氏]] - 石山城。後の岡山城を居城としたのは本来この金光氏であった。<ref>[http://www.lib.okayama-u.ac.jp/ikeda/pdf/h9.pdf 絵図に見る岡山城]</ref>
* [[税所氏]]
;津高郡
* [[伊賀久隆|伊賀氏]] - 虎倉城。
;和気郡
* [[延原景能|延原氏]]
* [[大田原氏]]
* [[日笠氏]]
* [[明石氏]]
;磐梨郡
;児島郡
* [[飽浦信胤|飽浦氏]]
=== 戦国大名 ===
* [[浦上氏]]
* [[宇喜多氏]]
* [[尼子氏]]
=== 織豊大名 ===
*宇喜多氏
** [[宇喜多直家]]
** [[宇喜多秀家]]
=== 武家官位としての備前守 ===
==== 江戸時代以前 ====
*[[尼子高久]]:南北朝時代の武将。後の[[出雲国]]の[[戦国大名]]である尼子氏の祖。
*[[伊勢盛定]]:[[室町時代]]の[[武将]]。[[伊勢氏]]の一族の[[備中国|備中]]伊勢氏出身。[[北条早雲]]の父。
*[[甘利虎泰]]:[[武田二十四将]]の一人
*[[大熊朝秀]]:戦国武将。[[越後国|越後]][[上杉氏]]、[[甲斐国|甲斐]][[武田氏]]の重臣
*[[浅井長政]]:[[近江国]]の[[戦国大名]]
==== 江戸時代 ====
*[[下野国]][[大田原藩]]
**[[大田原資清]]:[[那須七騎]][[大田原氏]]の当主。晴清の祖父
**[[大田原晴清]]:初代藩主
**[[大田原政清]]:第2代藩主
**[[大田原典清]]:第4代藩主
**[[大田原清信]]:第6代藩主
*[[備中国]][[新見藩]]関家
**[[関長治]]:[[美作国]][[津山藩#宮川藩|宮川藩]]第2代藩主、備中新見藩初代藩主
**[[関長誠]]:第5代藩主
**[[関長輝]]:第6代藩主
**[[関成煥]]:第7代藩主
**[[関長道]]:第8代藩主
**[[関長克]]:第9代藩主
*[[越後長岡藩]]牧野家
**[[牧野忠精]]:第9代藩主・老中
**[[牧野忠雅]]:第10代藩主・老中
**[[牧野忠恭]]:第11代藩主
*[[大河内氏|大河内松平家]]本家
**[[松平正信]]:本家2代。[[相模国|相模]][[玉縄藩]]第2代藩主
**[[松平正久]]:本家3代。玉縄藩第3代藩主、[[上総国]][[大多喜藩]]初代藩主
**[[松平正貞]]:本家4代。大多喜藩第2代藩主
**[[松平正温]]:本家5代。大多喜藩第3代藩主
**[[松平正升]]:本家6代。大多喜藩第4代藩主
**[[松平正義]]:本家9代。大多喜藩第7代藩主
**[[松平正和]]:本家10代。大多喜藩第8代藩主
*[[三河国]][[田原藩]]三宅家
**[[三宅康雄]]:第2代藩主
**[[三宅康高]]:第4代藩主
**[[三宅康武]]:第6代藩主
**[[三宅康友]]:第8代藩主
**[[三宅康明]]:第10代藩主
**[[三宅康保]]:第12代藩主
*その他
**[[池田茂政]]:'''備前国'''[[岡山藩]]第9代藩主
**[[池田章政]]:[[岡山藩]]第10代藩主
**[[遠藤常友]]:近江国[[三上藩]]遠藤家3代。[[美濃国]][[郡上藩|八幡藩]]第3代藩主
**[[遠藤胤富]]:三上藩遠藤家9代。近江三上藩第4代藩主
**[[京極高久]]:[[丹後国]][[峰山藩]]第6代藩主。
**[[京極高倍]]:[[峰山藩]]第8代藩主。
**[[黒田斉清]]:[[筑前国]][[福岡藩]]第10代藩主
**[[小出英安]]:[[但馬国]][[出石藩]]第6代藩主
**[[佐久間安政]]:[[近江高島藩]]主、[[信濃国]][[飯山藩]]初代藩主
**[[田沼意留]]:[[遠江国]][[相良藩]]第2代藩主。[[田沼意次]]の孫
**[[藤堂高堅]]:[[伊勢国]][[久居藩]]第2代藩主
**[[藤堂高陳]]:久居藩第3代藩主
**[[堀直宣]]:[[越後国]][[椎谷藩]]第7代藩主
**[[松平長矩]]:[[美作国]][[津山藩]]初代藩主
**[[柳生俊方]]:[[大和国]][[柳生藩]]第5代藩主
**[[柳生俊峯]]:柳生藩第7代藩主
== 備前国の合戦 ==
* [[1185年]] : [[藤戸の戦い]](ふじとのたたかい)
* [[1567年]] : [[明善寺合戦]]
* [[1577年]] - [[1582年]]:[[中国攻め]]
* [[1582年]] : [[八浜合戦]]
== 武術 ==
* [[力信流]]。
* 備前[[日置流]] - 日置流印西派([[弓術]])。宇喜多秀家家臣で、島津家に仕官した[[本郷義則]]。本郷義則は、薩摩藩の[[日置流|日置流印西派弓術]]の初代師範である[[東郷重尚]]に、日置流弓術を伝授した。
* [[奥村二刀流]] - [[岡山藩]]の[[剣豪]]・[[奥村左近太]]により創始。
== 忍術 ==
* [[備前流]]
==産物==
*[[備前焼]] - 土に近い色合いの質朴ながら味わいのある作風が特徴。
*[[虫明焼]] - 岡山藩家老[[伊木家]]により、江戸時代に始められた。備前焼と違い、釉薬を使用する。
*[[備前刀]] - [[古備前派]]、[[長船派]]、[[福岡一文字|福岡一文字派]]、[[鵜飼派]]など著名な刀工が多い。
*食べもの - [[黍団子]]、[[ままかり]]、[[ちらし寿司#岡山のばら寿司|ばら寿司]]、[[どどめせ]]
== 脚注 ==
===注釈===
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===出典===
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== 参考文献 ==
<!--* 藤井学・狩野久・倉地克直・前田昌義『岡山県の歴史』、県史33、山川出版社、2000年
* 内閣統計局編、速水融復刻版監修解題『国政調査以前日本人口統計集成』別巻1、東洋書林、1993年
* 内閣統計局編、速水融復刻版監修解題『国政調査以前日本人口統計集成』1巻、東洋書林、1992年 -->
* [[角川日本地名大辞典]] 33 岡山県
* [https://www.rekihaku.ac.jp/up-cgi/login.pl?p=param/kyud/db_param 旧高旧領取調帳データベース]
== 関連項目 ==
{{Commonscat|Bizen Province}}
* [[令制国一覧]]
* [[備州]]
* [[百済王氏]]
* [[備前地域]]
{{令制国一覧}}
{{吉備四国の郡}}
{{Normdaten}}
{{デフォルトソート:ひせんのくに}}
[[Category:日本の旧国名]]
[[Category:山陽道|国ひせん]]
[[Category:岡山県の歴史]]
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アルバム
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アルバム(英語: album)は、公衆に流通している関連付けられたオーディオトラックの集合。多くはレコード、コンパクト・ディスク、コンパクトカセット、DVDなどのメディアとなって市場で流通する。一部ライブやコンサートの会場などで直接販売される、あるいはウェブサイトを通じてダウンロード販売されることもある。販売用の媒体としては、数曲を収録した小さな販売単位であるシングルと対比される表現である。(後節も参照)
「レコードアルバム」という用語は、20世紀前半までの、最大収録時間3分(10インチ盤)~5分(12インチ盤)のSPレコード(78回転盤、シェラック盤)が主流だった時代に、何枚かのレコードを写真アルバムに似せた収納ケース本の形で発売させたことに由来する。最初にアルバムと呼ばれたレコード集は、オデオンレコードによって1909年にリリースされた、ピョートル・チャイコフスキーのくるみ割り人形を収録した4枚組である。価格は16シリングであった(2007年現在の通貨価値だと約1万1000円に相当)。
1948年にアメリカ合衆国のコロムビア・レコードから、ビニライト製の音溝を細くした、直径12インチにもかかわらず最大収録時間30分程度のLPレコード(33回転盤、ビニール盤)が生産された。LPは長時間再生 (Long Play) のアクロニム(頭字語)であり、その「長い」収録時間は、それまでのアルバムのうちかなりのものを丸ごと入れることができた。従来のレコードアルバムを1枚のLPにしたものや、新しく発売された複数曲収録のLPも、アルバムと呼ばれた。
2016年11月現在、ビニールでできたレコードは主要な形式としては使用されないが、「アルバム」という用語はコンパクトディスク(CD)、コンパクトカセット、あるいはデジタルダウンロードの録音の集合に対し使われている。
CDが主流になる前にもLP2枚組などで1時間前後のアルバムがあったが、CDが主流になった1990年代にはCDの容量をほとんど使い切った70分以上を収録するアルバムが盛んに制作された。2000年代になると欧米ではCDの単価下落による収益の悪化やデジタルダウンロードの普及(一般的にCDよりもアルバムの単価が低い)などが要因となり、30分程度の非常に短いアルバムも一般的となった。
日本では再販売価格維持制度によりCDなどの価格の下落は防がれているが、様々な要因により売上が低下しており(CD不況を参照)、そのため、アルバムに付加価値をつける試みが多く行われる。一例としてミュージック・ビデオを収録したDVDを付属して発売する場合がある。このような高付加価値化は海外でも行われている。
2015年7月10日から、各国でばらばらだったアルバムとシングルの発売日が金曜日に世界統一されたが、日本国内では2021年3月現在もアルバムやシングル共に水曜日に発売している歌手が多い。
新しいメディアが大容量であるため、アルバムがどのぐらい長くあるべきかという問題が議論になる。UKシングルチャートは4トラック以上、または、収録時間の合計が20分を超えるものはアルバムとされる。
日本のオリコンは、ポップスではリミックス(バージョン違い)等を除くオリジナル曲が5曲(5トラックではない)以上の場合はアルバムとしている。これを利用して、シングルに同じ曲のリミックスを多数収録し、お買い得感や話題性を出すことがある。例えば、浜崎あゆみのマキシシングル『A』(1999年)は、14トラックあり(ボーナストラック含む)、かつ70分をはるかに超える収録時間にもかかわらず、そのほとんどが同じ曲のリミックスで、「曲数」としては4曲しか収録されていないため、シングルとされた。8cmCDの場合、10曲が収録された山崎邦正の『ヤマザキ一番!』(1998年)はシングルとされた一方、7曲が収録された所ジョージの『トンカチ』(1998年)はアルバムとされた。クラシックなどでは、1曲でも時間が長ければアルバムとされる。また、曲数はディスクごとではなくパッケージで数えるため、シングルボックスはアルバムとされる。
一方で日本レコード協会は、リミックスを含む収録曲が3曲(カラオケは除く)以内かつ定価が1600円以下のものをシングル、その他をアルバムとしている。
EPについては、シングルとみなすかアルバムとみなすかは意見が分かれる。例えば、松任谷由実のEP『水の中のASIAへ』(1981年)はオリコンでは収録曲数が4曲であるにもかかわらずLPチャートで扱われアルバムとされており、松任谷本人の公式ディスコグラフィーでもアルバムと位置付けられているが、Spotifyでは「シングルとEP」としてシングルと同一でカテゴリーされている。Stray KidsのEP『Social Path (feat. LiSA) / Super Bowl -Japanese ver.-』(2023年)は、オリコンとBillboard Japanではアルバムとされているが、日本レコード協会ではシングルとされている。
日本ではシングルのメイン曲やカップリング曲(メイン曲以外の収録曲のこと)を改めてアルバムにも収録するケースがあるが、これは1970年代以降の英米ではあまり見られない慣例である。これは、日本では先に数曲のシングルを発売したあと、その期間の集大成のような形でアルバムが出されるのに対し、英米では先にアルバムがリリース(発売)され、そこから一定間隔を置いてシングルをカットしていく(先行シングルは大抵1・2曲が限度である)という違いから来るものである。英米ではシングルのカップリング曲はアルバム未収録の新曲(没曲など)や表題曲のリミックスを収録することが一般的である。日本においてカップリング曲をアルバムに収録しない場合は、アルバム発売後でもシングルの価値をある程度保つなどの意図が考えられる。ただし、カップリング曲のみ収録し、表題曲は収録しないアルバムも存在する。
また、日本でシングル曲(メインとなる表題曲のこと)をアルバムに収録する場合、リミックスを施す、イントロ(最初)やアウトロ(最後)を変える等の「アルバム・バージョン」として収録することもある。特にシングルがアルバムと同時発売の場合、シングルの価値を低下させない為などからアルバムにはバージョン違いを収録することが多く見受けられる。リカットシングルにおいても、アルバムとは異なるバージョンで発売されることもある。
|
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"text": "日本では再販売価格維持制度によりCDなどの価格の下落は防がれているが、様々な要因により売上が低下しており(CD不況を参照)、そのため、アルバムに付加価値をつける試みが多く行われる。一例としてミュージック・ビデオを収録したDVDを付属して発売する場合がある。このような高付加価値化は海外でも行われている。",
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"text": "2015年7月10日から、各国でばらばらだったアルバムとシングルの発売日が金曜日に世界統一されたが、日本国内では2021年3月現在もアルバムやシングル共に水曜日に発売している歌手が多い。",
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"text": "日本のオリコンは、ポップスではリミックス(バージョン違い)等を除くオリジナル曲が5曲(5トラックではない)以上の場合はアルバムとしている。これを利用して、シングルに同じ曲のリミックスを多数収録し、お買い得感や話題性を出すことがある。例えば、浜崎あゆみのマキシシングル『A』(1999年)は、14トラックあり(ボーナストラック含む)、かつ70分をはるかに超える収録時間にもかかわらず、そのほとんどが同じ曲のリミックスで、「曲数」としては4曲しか収録されていないため、シングルとされた。8cmCDの場合、10曲が収録された山崎邦正の『ヤマザキ一番!』(1998年)はシングルとされた一方、7曲が収録された所ジョージの『トンカチ』(1998年)はアルバムとされた。クラシックなどでは、1曲でも時間が長ければアルバムとされる。また、曲数はディスクごとではなくパッケージで数えるため、シングルボックスはアルバムとされる。",
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アルバムは、公衆に流通している関連付けられたオーディオトラックの集合。多くはレコード、コンパクト・ディスク、コンパクトカセット、DVDなどのメディアとなって市場で流通する。一部ライブやコンサートの会場などで直接販売される、あるいはウェブサイトを通じてダウンロード販売されることもある。販売用の媒体としては、数曲を収録した小さな販売単位であるシングルと対比される表現である。(後節も参照)
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{{出典の明記|date=2018年10月}}
{{Otheruseslist|[[音楽]]を集めたもの|[[写真]]のアルバム|アルバム (写真)|その他|アルバム (曖昧さ回避)}}
{{ウィキプロジェクトリンク|アルバム}}
'''アルバム'''({{Lang-en|album}})は、[[公衆]]に[[流通]]している関連付けられた[[オーディオ]][[トラック (記録媒体)|トラック]]の集合。多くは[[レコード]]、[[コンパクト・ディスク]]、[[コンパクトカセット]]、[[DVD]]などの[[電子媒体|メディア]]となって[[市場]]で流通する。一部[[音楽ライブ|ライブ]]や[[コンサート]]の会場などで直接[[販売]]される、あるいは[[ウェブサイト]]を通じて[[ダウンロード販売]]されることもある。販売用の[[媒体]]としては、数曲を収録した小さな販売単位である[[シングル]]と対比される表現である。([[#シングルとの違いについて|後節]]も参照)
== 由来と変遷について ==
[[画像:Earlyalbum1.jpg|thumb|アルバムの[[装丁]]は[[アルバム (写真)|写真用のアルバム]]を模していた]]
「レコードアルバム<ref group="注">{{lang-en-short|record album}}</ref>」という用語は、[[20世紀]]前半までの、最大収録時間3分(10[[インチ]]盤)~5分(12インチ盤)のSP[[レコード]](78回転盤、シェラック盤)が主流だった時代に、何枚かのレコードを[[アルバム (写真)|写真アルバム]]に似せた収納ケース本の形で発売させたことに由来する。最初にアルバムと呼ばれたレコード集は、[[オデオンレコード]]によって[[1909年]]にリリースされた、[[ピョートル・チャイコフスキー]]の[[くるみ割り人形]]を収録した4枚組である。価格は16[[シリング]]であった([[2007年]]時点の通貨価値だと約1万1000円に相当)。
[[1948年]]に[[アメリカ合衆国]]の[[コロムビア・レコード]]から、[[ビニライト]]製の音溝を細くした、直径12インチにもかかわらず最大収録時間30分程度のLPレコード(33回転盤、ビニール盤)が生産された。LPは長時間再生 (Long Play) の[[頭字語|アクロニム(頭字語)]]であり、その「長い」収録時間は、それまでのアルバムのうちかなりのものを丸ごと入れることができた。従来のレコードアルバムを1枚のLPにしたものや、新しく発売された複数曲収録のLPも、アルバムと呼ばれた。
2016年11月現在、[[ビニール]]でできたレコードは主要な形式としては使用されないが、「アルバム」という用語は[[コンパクトディスク|コンパクトディスク(CD)]]、<!-- [[ミニディスク]]、 -->[[コンパクトカセット]]、あるいは[[音楽配信|デジタルダウンロード]]の録音の集合に対し使われている。<!--[[ジャケット写真|カバーアート]]もアルバムに欠かせない部分であると考えられている。-->
CDが主流になる前にもLP2枚組などで1時間前後のアルバムがあったが、CDが主流になった[[1990年代]]にはCDの容量をほとんど使い切った70分以上を収録するアルバムが盛んに制作された。[[2000年代]]になると[[欧米]]ではCDの単価下落による収益の悪化やデジタルダウンロードの普及(一般的にCDよりもアルバムの単価が低い)などが要因となり、30分程度の非常に短いアルバムも一般的となった。
日本では[[再販売価格維持]]制度によりCDなどの[[価格]]の下落は防がれているが<ref group="注">[[音楽レコードの還流防止措置]]の項も参照。ただし、[[中古]]市場をのぞく。<!-- においては[[技術革新]]により大幅な[[価格]]の下落に見舞われており、[[解散]]、[[引退]]またはそれに準ずる状態の[[アーティスト]]作品については1円、送料を含めても3~400円という例は非常に多い。 --></ref>、様々な要因により売上が低下しており([[CD不況]]を参照)、そのため、アルバムに[[付加価値]]をつける試みが多く行われる。一例として[[ミュージック・ビデオ]]を収録した[[DVD]]を付属して<!-- CD単体と大きく変わらない価格で -->発売する場合がある。このような高付加価値化は[[海外]]でも行われている。
2015年7月10日から、各国でばらばらだったアルバムと[[シングル]]の発売日が金曜日に世界統一された<ref>[http://jp.reuters.com/article/entertainmentNews/idJPKCN0PK0A220150710 アルバム・シングル発売日、世界で金曜日に統一]</ref>が、日本国内では2021年3月現在もアルバムやシングル共に水曜日に発売している歌手が多い。
== シングルとの違いについて ==
新しいメディアが大容量であるため、アルバムがどのぐらい長くあるべきかという問題が議論になる。[[UKシングルチャート]]は4トラック以上、または、収録時間の合計が20分を超えるものはアルバムとされる。
[[日本]]の[[オリコンチャート|オリコン]]は、[[大衆音楽|ポップス]]では[[リミックス]](バージョン違い)等を除くオリジナル曲が5[[楽曲|曲]](5トラックではない)以上の場合はアルバムとしている<ref name=nikkei9812>[https://web.archive.org/web/20000304054125/http://netnavi.nikkeibp.co.jp/ent/index/9812/special/news03.html 音楽・テレビ・CM・映画 ここまでわかった100の謎 MUSIC 音楽編]、『[[日経エンタテインメント!]]』1998年12月号より。([[インターネットアーカイブ]]のキャッシュ)</ref><ref group="注">ただし、過去には[[B'z]]の『[[BAD COMMUNICATION]]』(1989年)のように3曲のみでもミニアルバムとして認めた例があり([[日本レコード協会]]ではシングル扱いであった)、時代により異なる。ちなみに、近年では[[マキシシングル]]は3曲収録のものも珍しくない。</ref>。これを利用して、シングルに同じ曲のリミックスを多数収録し、お買い得感や話題性を出すことがある。例えば、[[浜崎あゆみ]]のマキシシングル『[[A (浜崎あゆみのシングル)|A]]』(1999年)は、14トラックあり([[ボーナストラック]]含む)、かつ70分をはるかに超える収録時間にもかかわらず、そのほとんどが同じ曲の[[リミックス]]で、「曲数」としては4曲しか収録されていないため、シングルとされた。[[シングル|8cmCD]]の場合、10曲が収録された[[山崎邦正]]の『[[学級王ヤマザキ|ヤマザキ一番!]]』(1998年)はシングルとされた一方、7曲が収録された[[所ジョージ]]の『[[MUSIC HAMMER|トンカチ]]』(1998年)はアルバムとされた。[[クラシック音楽|クラシック]]などでは、1曲でも時間が長ければアルバムとされる。また、曲数は[[ディスクメディア|ディスク]]ごとではなく[[パッケージ]]で数えるため、シングルボックスはアルバムとされる。
一方で[[日本レコード協会]]は、リミックスを含む収録曲が3曲([[カラオケ]]は除く)以内かつ定価が1600円以下のものをシングル、その他をアルバムとしている<ref name=nikkei9812 />。
[[レコード#EP盤|EP]]については、シングルとみなすかアルバムとみなすかは意見が分かれる。例えば、[[松任谷由実]]のEP『[[水の中のASIAへ]]』(1981年)はオリコンでは収録曲数が4曲であるにもかかわらずLPチャートで扱われアルバムとされており<ref>『オリコン・チャートブック LP編 昭和45年 - 平成1年』オリジナル・コンフィデンス、1990年、281頁。ISBN 4871310256。</ref>、松任谷本人の公式ディスコグラフィーでもアルバムと位置付けられている<ref>[https://yuming.co.jp/discography/album/original11/ 水の中のASIAへ | Discography]、松任谷由実オフィシャルサイト - 2023年10月18日閲覧。</ref>が、[[Spotify]]では「シングルとEP」としてシングルと同一でカテゴリーされている<ref>[https://open.spotify.com/intl-ja/artist/1LQQtqc1vQ1neUgZrjYlEU/discography/single 松任谷由実 シングルとEP]、Spotify - 2023年10月18日閲覧。</ref>。[[Stray Kids]]のEP『[[:en:Social Path / Super Bowl (Japanese Ver.)|Social Path (feat. LiSA) / Super Bowl -Japanese ver.-]]』(2023年)は、オリコン<ref>[https://www.oricon.co.jp/news/2294476/full/ Stray Kids、自己最高初週売上でアルバム1位【オリコンランキング】]、ORICON NEWS、2023年9月12日。</ref>と[[Billboard Japan]]<ref>[https://www.billboard-japan.com/d_news/detail/129680/2 【ビルボード】Stray Kids『Social Path (feat. LiSA) /Super Bowl -Japanese ver.-』がアルバムセールス首位獲得]、Billboard JAPAN、2023年9月11日。</ref>ではアルバムとされているが、日本レコード協会ではシングルとされている<ref>[https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000514.000010908.html 9月度GD認定~Stray Kids、Snow Manがミリオン認定!乃木坂46がトリプル・プラチナ認定]、PRTIMES(日本レコード協会)、2023年10月10日。</ref>。
==既発表曲の収録について==
[[日本]]ではシングルのメイン曲や[[A面/B面#A面曲とB面曲の違い|カップリング曲]](メイン曲以外の収録曲のこと)を改めてアルバムにも収録するケースがあるが、これは1970年代以降の[[英米]]ではあまり見られない[[慣習|慣例]]である。これは、日本では先に数曲のシングルを発売したあと、その期間の集大成のような形でアルバムが出されるのに対し、英米では先にアルバムがリリース([[発売]])され、そこから一定間隔を置いてシングルをカットしていく(先行シングルは大抵1・2曲が限度である)という違いから来るものである。英米ではシングルのカップリング曲はアルバム未収録の新曲(没曲など)や表題曲の[[リミックス]]を収録することが一般的である。日本においてカップリング曲をアルバムに収録しない場合は、アルバム発売後でもシングルの価値をある程度保つなどの意図が考えられる。ただし、カップリング曲のみ収録し、表題曲は収録しないアルバムも存在する。
また、日本でシングル曲(メインとなる表題曲のこと)をアルバムに収録する場合、リミックスを施す、[[イントロ]](最初)や[[アウトロ]](最後)を変える等の「アルバム・バージョン」として収録することもある。特にシングルがアルバムと同時発売の場合、シングルの価値を低下させない為などからアルバムにはバージョン違いを収録することが多く見受けられる。[[リカット]]シングルにおいても、アルバムとは異なるバージョンで発売されることもある。
== アルバムの種類について ==
; [[オムニバス]]・アルバム
* 複数のアーティストの音源をまとめた音楽アルバムのこと。現在はコンピレーション・アルバムと称されている。
; [[オリジナル・アルバム]]
* 収録曲がすべてがそのアルバムのために新たにスタジオで[[録音|レコーディング]]された「新曲」を中心に構成された音楽アルバム。
* アルバムに先行してリリースされたシングル曲が一緒に収録される場合もある<ref group="注">特に[[日本]]では、アルバム発売時で既発表シングルを複数収録しているものが多い。その一方、[[英米]]ではアルバム発売時の既発表曲はリードシングル1曲のみのケースが主流である。</ref>。
; [[カバー|カバー・アルバム]]
* 既発表の楽曲を、作者以外のアーティストが新たに演奏・歌唱した音源で構成された音楽アルバムのこと。カバーする側の技量に重点が置かれて制作されることが多い。
* 一人のアーティストが一人もしくは複数のアーティストの楽曲をカバーする場合と、複数のアーティストが特定のアーティストの楽曲をカバーする場合がある。
; [[コンセプト・アルバム]]
* 特定のテーマで作られたそれぞれの楽曲を、一定のコンセプト(枠組み)によって構成している音楽アルバムのこと。以前は「トータル・アルバム」と称していた。
* [[ストーリー]]仕立てや仮想のライブ、オペラ、ラジオ番組仕立てなどがある。
;[[コンピレーション・アルバム]]
* 特定のテーマや一定のコンセプトに基づいて集められた楽曲によって構成された音楽アルバム。以前は「[[オムニバス]]・アルバム」と称していた。
* 多くの場合、様々なアーティストの曲を収録しているが、特定のアーティストやグループの曲だけで構成されたものも少なくない。
* アルバム制作開始の時点で既発表の音源で構成されることが多いが、未発表音源が含まれる場合もある。
;[[スタジオ・アルバム]]
* レコーディングスタジオで制作されたアルバムのこと。いわゆる一般的に「アルバム」いわれているもの。なお、リミックスなどはボーナストラックを除き、通常含まれない。
* 稀に録音機材を持ち込んで一般の建物を使用したり、屋外で録音したりする場合もある。
* 1stアルバム、2ndアルバム…と言う場合、普通はスタジオ・アルバムのみを数えることが多い<ref group="注">ライブ・アルバムやリミックス・アルバム等も含めて数えるアーティストも存在する。</ref>。
;スタジオ・ライブ・アルバム
* アーティストが通常ライブハウスやホールなどで行うステージさながらの演奏をリハーサルスタジオなどで行い<ref group="注">放送局のスタジオで少人数の観客を前にしたライブを行う場合もある。</ref>、その音源を収録した音楽アルバムのこと。
* 全演奏家がスタジオで一斉に演奏したものをいわゆる「一発録り」で録音する場合が多い。
* 近年は映像を放送・配信・商品化することを目的に録画・録音したものから、音声のみを収録したものも増えている。
; [[スプリット・アルバム]]
* 2〜3組のアーティスト(ソロかグループかは問わない)の別々の音源を収録した音楽アルバムのこと。
* コンピレーション・アルバムは通常、1組当たり1曲が基本的な構成なのに対し、少数のアーティストやグループによるそれぞれの複数の楽曲を収録していることが異なる。
; [[セルフカバー]]・アルバム
* 過去に他のアーティストに提供した楽曲を、作者本人が自分自身で演奏、歌唱した音源を収録した音楽アルバムのこと。
* 広義では過去にアーティストが自ら演奏し発表した楽曲(必ずしも自作とは限らない)を改めて録音し直した、リメイク音源を収録した音楽アルバムも含まれる。
; [[セルフタイトル]]・アルバム
* アーティスト名やグループ名をそのままタイトルにした音楽アルバムのこと。
* 主にデビュー作品やベスト・アルバムなど、そのアーティストにとって「その作品が特別な作品である」という理由で使用することが多い。
; [[:en:Double album|ダブルアルバム]]
* アルバム制作時にレコーディングされた楽曲の収録時間がディスク1枚の上限を超えている場合や、ベスト盤など多くの楽曲を収録したい場合に2枚のディスクに分けて組み合わせた音楽アルバムのこと<ref group="注">ベスト盤以外であれば[[サカナクション]]の『[[834.194]]』など。</ref>。
* オリジナル盤にライブ盤やリミックス盤を同梱して2枚組にする場合もある。
* 3枚のディスクを1つの容器に入れた「トリプルアルバム」などもあるが、それ以上の複数枚のディスクを1つの箱に入れてリリースしたものはCDボックス、[[ボックスセット]]と呼ばれる。
;トータル・アルバム
* 特定のテーマで作られたそれぞれの楽曲を、一定のコンセプト(枠組み)によって全体で一まとまりのものとした音楽アルバムのこと。現在はコンセプト・アルバムと称されている。
; [[トリビュート・アルバム]]
* 功績のある人物やグループ(必ずしも[[音楽家|ミュージシャン]]とは限らない)に対して称賛するために作られる音楽アルバムのこと。
* 複数のアーティストによって対象となるオリジナルアーティストの楽曲を[[カバー]]した[[コンピレーション・アルバム]]になることが多い。
; フルアルバム
* 収録時間の短いアルバムがミニ・アルバムと呼ばれるのに対し、それ以外の音楽アルバムをフルアルバムと呼ぶことがある。
* ミニ・アルバムとフルアルバムの違いには明確な規定はないが、レコード会社はおおよそ6曲前後までならミニ・アルバム、8曲前後からはフルアルバムと呼んでいることが多い。
; [[ベスト・アルバム]]
* 基本的には特定のアーティストやグループの過去の[[ヒット曲]]や代表曲を集めたコンピレーション・アルバムのこと<ref group="注">既発表のシングル曲のみで構成されたベスト・アルバムは「シングル・コレクション」等と名称されることがある。また、それとは反対にワーストアルバムと銘打ったアルバムも存在する。</ref>。
* あえて未発表曲を収録したり、アーティストの中にはベスト・アルバム用に新曲を数曲用意する場合もある。
; [[ミニアルバム|ミニ・アルバム]]
* シングルより収録曲数が多いが、全体の収録時間の短い音楽アルバムのこと。
* 「ミニ・アルバム」は和製英語(mini + album)である。'''EP'''(''Extended Play、エクステンデッド・プレイ'')<ref group="注">RCAビクターが、LPと類似の技術を使い、LPより小さく収録時間は12インチSPとほぼ同じ5分であるEPレコード(45回転盤)を発売した。EPはextended playの略で、シングルより長いことを意味する。これにより現在でも、収録時間が特に短いミニ・アルバムをEPと呼ぶことがあるが、シングルのことをEPと呼ぶこともある。</ref>とも呼ばれる。
; [[ライブ・アルバム]]
* コンサート会場などで[[音楽ライブ|観衆の前で演奏された]]音源を収録した音楽アルバムのこと。
* 多くの場合、曲間のMCは編集され、短縮または削除されている。また録音後に間違えた部分を差し替えするなどの修正を行うことも多い。
* 収録されている曲はスタジオ・アルバム等で収録された音源とは異なり、[[演奏会|ライブ]]音源と呼ばれる。
; [[リミックス・アルバム]]
* 複数の既存のオリジナル曲を、オリジナルアーティスト本人もしくは他のアーティスト等が編集して新たな楽曲を生み出し、それらを収録した音楽アルバムのこと。
* オリジナル・アルバムをまるごとリミックスしたものや、特定のアーティストやグループのリミックス曲、もしくは複数のアーティストのリミックス曲で構成されたコンピレーション・アルバムなどがある。
* 複数の楽曲をサンプリングしてメドレーにした[[MEGAMIX|メガミックス]]を収録したものもある。
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Notelist2}}
=== 出典 ===
<references/>
== 関連項目 ==
* [[シングル]]
* [[ボーナス・トラック]]
* [[コンパクト盤]]
* [[コンパクトディスク]]
== 外部リンク ==
* [https://www.ne.jp/asahi/jurassic/page/rule_f/matigai_album.htm まちがい音楽用語辞典パート16](2003)
{{音楽}}
{{Normdaten}}
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[[Category:アルバム|*]]
[[Category:音楽に関するメディア]]
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2003-09-11T15:07:00Z
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2023-12-19T23:31:21Z
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[
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%90%E3%83%A0
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美作国
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美作国(みまさかのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。山陽道に属する。
ミサカ(御坂・三坂)に由来する、あるいはウマサケ(甘酒)の産地であることに由来すると言われる。
明治維新の直前領域は、津山市、美作市、真庭郡、苫田郡、勝田郡、英田郡の全域および岡山市の一部(北区建部町のうち福渡以北の旭川左岸側)、真庭市の大部分(阿口、五名、山田、宮地以南を除く)、久米郡の大部分(美咲町江与味を除く)、兵庫県佐用郡佐用町の一部(奥海・若州・上石井・下石井・水根・桑野・海内・東中山)にあたる。
北東に因幡、北西に伯耆、西に備中、南に備前、東に播磨と隣接する。
中国山地が瀬戸内海に落ち込んで行く過程の山地側に位置する。国全体が海に面しない内陸の山間地であり、平地は山々の合間に盆地が点在するだけである。 主要な盆地は三つあり、西部の真庭市を流れる旭川沿岸の盆地、吉井川の流れる中央部で東西広域にわたる津山盆地、梶並川・滝川が吉野川に合流する東部の美作市の盆地で、美作はその三盆地を核におよそ西部(真嶋郡、大庭郡)・中央部(苫田郡、久米郡)・東部(英多郡、勝田郡)の三つに分かれる。
西北の蒜山山麓に蒜山高原が、また中北部の那岐山麓には日本原高原が広がるが広戸風という突風に見舞われる。
岡山三大河川の内、旭川と吉井川の上流域に位置し、近代化が進むまでは高瀬舟が流通の役目を担った。国全体が山間部であるため、大河川・街道に恵まれない土地の交通運搬は容易ではなく、周縁部では同国内より隣国との関係が深い地域も多い。
和銅6年(713年)4月3日、備前守 百済王南典と備前介 上毛野堅身の提案により、備前国から英多郡、勝田郡、苫田郡、久米郡、真嶋郡、大庭郡の六郡を分けて設けられ、初代美作守には分立提案者である上毛野堅身が就任した。
美作の分立は、かつての吉備国分解の最終段階であり、鉄資源を吉備氏から直接、ヤマト政権の管轄下に置くことによる吉備氏弱体化の意図があったとされる。美作には英田、白猪屯倉、錦織、久米、弓削などヤマト王権と直結する部民や施設が配置された地名が多くある。
平安時代の平家全盛期には平氏知行国となっており、江見氏、豊田氏など作東の武士は平家方についている。
鎌倉時代は、有力御家人である梶原景時が、続いて景時を追って幕府の有力者となった和田義盛が守護となったが、両者とも鎌倉幕府の政権内部の抗争に敗れ族滅され、北条氏の領国となった。この時代、久米郡・苫田郡を中心に足利氏の荘園が多く存在した。
美作国は古代から歴史上一貫して美作を基盤とする安定勢力が出現せず、南北朝時代の動乱から戦国時代の終焉まで、山名氏、赤松氏、尼子氏、浦上氏、毛利氏、宇喜多氏など周辺の大勢力の草刈り場となって、常にその浮沈に巻き込まれた。
守護やそれとほぼ同期する実際の支配勢力は室町幕府期だけでも山名氏、赤松氏、尼子氏、浦上氏、宇喜多氏の間を幾たびも変遷、最終的に1600年の関ヶ原の戦いに東軍に参与した小早川秀秋が備前・美作両国を領するも、わずか2年で改易された。
小早川家断絶後は森氏が入封し津山藩が成立した。森氏は鶴山に日本三大平山城の一つに数えられる津山城を築城して城下町を整備し、美作全体を一括した統治をなした。この時代は『作陽誌』など地誌も編纂されたが、森氏は5代94年の支配で改易されてしまう。その後、有力外様大名がひしめく山陽道に睨みをきかす意味で津山に徳川政権直轄の代官所が置かれた。その後すぐに越前松平家が10万石で封じられ再び津山藩となったが、美作国内は小藩に分割された。
津山の前身として、戸川(富川)宿という市があり賑わっていた。後の市街の大半は吉井川を境に苫田郡と久米郡に分割される土地に過ぎず、中心は二宮の西にある守護所や安国寺の置かれた院庄であった。津山が中核都市となったのは、江戸時代に森氏が城下町を整備してからである。
明治4年(1871年)の廃藩置県により旧藩制をひきずった形で津山県、真島県、倉敷県、鶴田県、挙母県、古河県、生野県、明石県、沼田県、龍野県に分かれて属し、同年11月整理統合されて美作国と領域的に一体の北條県となったが、その北條県も明治9年(1876年)、すでに小田県と合併していた岡山県に合併され、廃止された。
明治維新後に岡山県の管轄となって以後は県北の一部として扱われ、名称として東部の美作町が残る程度で特に旧国としての美作を意識した活動はなかったが、平成17年(2005年)4月から津山地方振興局を美作県民局に改編し、真庭地方振興局、勝英地方振興局を支局として編入することで、ほぼ美作の領域を統一的に扱う行政機関が成立し、また平成25年(2013年)に美作国建国1300年記念事業が行われるなど、再認識が進んでいる。
文献によると国府は苫田郡に設けられていた。現在の津山市総社にあったと推定されている。1970年(昭和45年)に同所の国府台寺で、国府関連とみられる遺跡が発見されてから発掘調査が続いている(北緯35度04分30.90秒 東経133度59分47.96秒 / 北緯35.0752500度 東経133.9966556度 / 35.0752500; 133.9966556 (美作国府跡))。
尼寺跡は国分寺跡の西方500mほどの地と推定されているが不詳。
美作総社宮・中山神社・高野神社は、合わせて「美作三大社」と呼ばれる。
英多(あいだ)郡家は豊国原盆地ないし江見盆地(旧作東町川北・藤生)が想定され、特に奈良平安時代の閻武廃寺跡が他の四廃寺へ通ずる交通上の中心地に位置していることや、"郡"の墨書のあるかわらけ出土品などから後者の可能性が高いとされる。美作市(旧・英田郡作東町)の高本遺跡である。
勝田郡家は勝田盆地北西部の大字平字尾堂293番地の畑のなかで「郡」刻印のある須恵器が発見され、一体(平遺跡)の発掘調査が行われて奈良~平安時代の遺跡や遺物が発見されており、滝川沿いに南隣する川西でも建物跡が発掘により見つかった。これらによりこの場所(勝田郡勝央町の勝間田遺跡)にあったと推定される。
苫田郡は苫東郡・苫西郡にもっとも早い時期に分割されており、苫田郡家、また分割後の両者とも明確な位置はわからない。『日本地理志料』は「即郡家所在、郡名因起」と郡家の位置によって郡名も決まったという。苫東郡家は津山市大字北山「椿高下」と"コウゲ"地名と椿高下廃寺跡が重なる場所が可能性が高いとされ、苫西郡は建郡の経緯から国府付近の田中郷辺りと推察される。
久米郡家は久米川の砂岩段丘上(津山市(旧:久米郡久米町)の宮尾遺跡)にあり、四時期の遺構が検出されている。第一期の遺構は遺跡中央部の品字形はいちの建物郡とその東方に総柱の倉庫、西方の南北棟の建物である。
白猪屯倉がそのまま郡家になったとの考えは、現在白猪屯倉碑の建てられている真庭市五反の大庭廃寺跡出土遺跡は白鳳期から平安時代のもので、大庭臣一族の氏寺であったと推定されることにより否定され、廃寺の西隣りで現在の久世中学校から薬王寺付近に想定されている。
『落合町史』で郡家の郡長が住んだと見られる「長者屋敷」と周辺の関連地名が検証され、天津神社の創立が和銅3年(710年)であることや蔵通り・仰天などの地名から、大字平島の北隣高屋集落の立地する段丘上に想定されている。
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"text": "美作国(みまさかのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。山陽道に属する。",
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"text": "ミサカ(御坂・三坂)に由来する、あるいはウマサケ(甘酒)の産地であることに由来すると言われる。",
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"text": "明治維新の直前領域は、津山市、美作市、真庭郡、苫田郡、勝田郡、英田郡の全域および岡山市の一部(北区建部町のうち福渡以北の旭川左岸側)、真庭市の大部分(阿口、五名、山田、宮地以南を除く)、久米郡の大部分(美咲町江与味を除く)、兵庫県佐用郡佐用町の一部(奥海・若州・上石井・下石井・水根・桑野・海内・東中山)にあたる。",
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"text": "北東に因幡、北西に伯耆、西に備中、南に備前、東に播磨と隣接する。",
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"text": "中国山地が瀬戸内海に落ち込んで行く過程の山地側に位置する。国全体が海に面しない内陸の山間地であり、平地は山々の合間に盆地が点在するだけである。 主要な盆地は三つあり、西部の真庭市を流れる旭川沿岸の盆地、吉井川の流れる中央部で東西広域にわたる津山盆地、梶並川・滝川が吉野川に合流する東部の美作市の盆地で、美作はその三盆地を核におよそ西部(真嶋郡、大庭郡)・中央部(苫田郡、久米郡)・東部(英多郡、勝田郡)の三つに分かれる。",
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"text": "西北の蒜山山麓に蒜山高原が、また中北部の那岐山麓には日本原高原が広がるが広戸風という突風に見舞われる。",
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"text": "岡山三大河川の内、旭川と吉井川の上流域に位置し、近代化が進むまでは高瀬舟が流通の役目を担った。国全体が山間部であるため、大河川・街道に恵まれない土地の交通運搬は容易ではなく、周縁部では同国内より隣国との関係が深い地域も多い。",
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"text": "和銅6年(713年)4月3日、備前守 百済王南典と備前介 上毛野堅身の提案により、備前国から英多郡、勝田郡、苫田郡、久米郡、真嶋郡、大庭郡の六郡を分けて設けられ、初代美作守には分立提案者である上毛野堅身が就任した。",
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"text": "美作の分立は、かつての吉備国分解の最終段階であり、鉄資源を吉備氏から直接、ヤマト政権の管轄下に置くことによる吉備氏弱体化の意図があったとされる。美作には英田、白猪屯倉、錦織、久米、弓削などヤマト王権と直結する部民や施設が配置された地名が多くある。",
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"text": "平安時代の平家全盛期には平氏知行国となっており、江見氏、豊田氏など作東の武士は平家方についている。",
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"text": "鎌倉時代は、有力御家人である梶原景時が、続いて景時を追って幕府の有力者となった和田義盛が守護となったが、両者とも鎌倉幕府の政権内部の抗争に敗れ族滅され、北条氏の領国となった。この時代、久米郡・苫田郡を中心に足利氏の荘園が多く存在した。",
"title": "沿革"
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"text": "美作国は古代から歴史上一貫して美作を基盤とする安定勢力が出現せず、南北朝時代の動乱から戦国時代の終焉まで、山名氏、赤松氏、尼子氏、浦上氏、毛利氏、宇喜多氏など周辺の大勢力の草刈り場となって、常にその浮沈に巻き込まれた。",
"title": "沿革"
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"text": "守護やそれとほぼ同期する実際の支配勢力は室町幕府期だけでも山名氏、赤松氏、尼子氏、浦上氏、宇喜多氏の間を幾たびも変遷、最終的に1600年の関ヶ原の戦いに東軍に参与した小早川秀秋が備前・美作両国を領するも、わずか2年で改易された。",
"title": "沿革"
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"text": "小早川家断絶後は森氏が入封し津山藩が成立した。森氏は鶴山に日本三大平山城の一つに数えられる津山城を築城して城下町を整備し、美作全体を一括した統治をなした。この時代は『作陽誌』など地誌も編纂されたが、森氏は5代94年の支配で改易されてしまう。その後、有力外様大名がひしめく山陽道に睨みをきかす意味で津山に徳川政権直轄の代官所が置かれた。その後すぐに越前松平家が10万石で封じられ再び津山藩となったが、美作国内は小藩に分割された。",
"title": "沿革"
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"text": "津山の前身として、戸川(富川)宿という市があり賑わっていた。後の市街の大半は吉井川を境に苫田郡と久米郡に分割される土地に過ぎず、中心は二宮の西にある守護所や安国寺の置かれた院庄であった。津山が中核都市となったのは、江戸時代に森氏が城下町を整備してからである。",
"title": "沿革"
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"text": "明治4年(1871年)の廃藩置県により旧藩制をひきずった形で津山県、真島県、倉敷県、鶴田県、挙母県、古河県、生野県、明石県、沼田県、龍野県に分かれて属し、同年11月整理統合されて美作国と領域的に一体の北條県となったが、その北條県も明治9年(1876年)、すでに小田県と合併していた岡山県に合併され、廃止された。",
"title": "沿革"
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"text": "明治維新後に岡山県の管轄となって以後は県北の一部として扱われ、名称として東部の美作町が残る程度で特に旧国としての美作を意識した活動はなかったが、平成17年(2005年)4月から津山地方振興局を美作県民局に改編し、真庭地方振興局、勝英地方振興局を支局として編入することで、ほぼ美作の領域を統一的に扱う行政機関が成立し、また平成25年(2013年)に美作国建国1300年記念事業が行われるなど、再認識が進んでいる。",
"title": "沿革"
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"text": "文献によると国府は苫田郡に設けられていた。現在の津山市総社にあったと推定されている。1970年(昭和45年)に同所の国府台寺で、国府関連とみられる遺跡が発見されてから発掘調査が続いている(北緯35度04分30.90秒 東経133度59分47.96秒 / 北緯35.0752500度 東経133.9966556度 / 35.0752500; 133.9966556 (美作国府跡))。",
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"text": "尼寺跡は国分寺跡の西方500mほどの地と推定されているが不詳。",
"title": "国内の施設"
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"text": "美作総社宮・中山神社・高野神社は、合わせて「美作三大社」と呼ばれる。",
"title": "国内の施設"
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"text": "英多(あいだ)郡家は豊国原盆地ないし江見盆地(旧作東町川北・藤生)が想定され、特に奈良平安時代の閻武廃寺跡が他の四廃寺へ通ずる交通上の中心地に位置していることや、\"郡\"の墨書のあるかわらけ出土品などから後者の可能性が高いとされる。美作市(旧・英田郡作東町)の高本遺跡である。",
"title": "地域"
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"text": "勝田郡家は勝田盆地北西部の大字平字尾堂293番地の畑のなかで「郡」刻印のある須恵器が発見され、一体(平遺跡)の発掘調査が行われて奈良~平安時代の遺跡や遺物が発見されており、滝川沿いに南隣する川西でも建物跡が発掘により見つかった。これらによりこの場所(勝田郡勝央町の勝間田遺跡)にあったと推定される。",
"title": "地域"
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"text": "苫田郡は苫東郡・苫西郡にもっとも早い時期に分割されており、苫田郡家、また分割後の両者とも明確な位置はわからない。『日本地理志料』は「即郡家所在、郡名因起」と郡家の位置によって郡名も決まったという。苫東郡家は津山市大字北山「椿高下」と\"コウゲ\"地名と椿高下廃寺跡が重なる場所が可能性が高いとされ、苫西郡は建郡の経緯から国府付近の田中郷辺りと推察される。",
"title": "地域"
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"text": "久米郡家は久米川の砂岩段丘上(津山市(旧:久米郡久米町)の宮尾遺跡)にあり、四時期の遺構が検出されている。第一期の遺構は遺跡中央部の品字形はいちの建物郡とその東方に総柱の倉庫、西方の南北棟の建物である。",
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"text": "白猪屯倉がそのまま郡家になったとの考えは、現在白猪屯倉碑の建てられている真庭市五反の大庭廃寺跡出土遺跡は白鳳期から平安時代のもので、大庭臣一族の氏寺であったと推定されることにより否定され、廃寺の西隣りで現在の久世中学校から薬王寺付近に想定されている。",
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"text": "『落合町史』で郡家の郡長が住んだと見られる「長者屋敷」と周辺の関連地名が検証され、天津神社の創立が和銅3年(710年)であることや蔵通り・仰天などの地名から、大字平島の北隣高屋集落の立地する段丘上に想定されている。",
"title": "地域"
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美作国(みまさかのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。山陽道に属する。
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{{基礎情報 令制国
|国名 = 美作国
|画像 = {{令制国地図 (令制国テンプレート用)|美作国}}
|別称 = 作州(さくしゅう)<ref group="注">[[美濃国]]との重複を避けるため二文字目の「作」の字を用いる。美濃は濃州。</ref>
|所属 = [[山陽道]]
|領域 = [[岡山県]]東北部、[[兵庫県]][[佐用郡]][[佐用町]]の一部
|国力 = [[上国]]
|距離 = [[近国]]
|郡 = 7郡64郷
|国府 = 岡山県[[津山市]]
|国分寺 = 岡山県津山市([[美作国分寺|美作国分寺跡]])
|国分尼寺 = 岡山県津山市
|一宮 = [[中山神社]](岡山県津山市)
}}
'''美作国'''(みまさかのくに)は、かつて[[日本]]の地方行政区分だった[[令制国]]の一つ。[[山陽道]]に属する。
== 由来 ==
ミサカ(御坂・三坂)に由来する、あるいはウマサケ(甘酒)の産地であることに由来すると言われる<ref>人に聞いてもわからない日本語知識事典(学研) ISBN 4-05-401569-7 160頁</ref>。
== 領域 ==
[[明治維新]]の直前領域は、[[津山市]]、[[美作市]]、[[真庭郡]]、[[苫田郡]]、[[勝田郡]]、[[英田郡]]の全域および[[岡山市]]の一部([[北区 (岡山市)|北区]][[建部町]]のうち[[建部町福渡|福渡]]以北の[[旭川 (岡山県)|旭川]][[左岸]]側)、[[真庭市]]の大部分(阿口、五名、山田、宮地以南<ref group="注">旧・[[上房郡]][[北房町]]。</ref>を除く)、[[久米郡]]の大部分([[美咲町]]江与味を除く)、[[兵庫県]][[佐用郡]][[佐用町]]の一部(奥海・若州・上石井・下石井・水根・桑野・海内・東中山)にあたる。
北東に[[因幡国|因幡]]、北西に[[伯耆国|伯耆]]、西に[[備中国|備中]]、南に[[備前国|備前]]、東に[[播磨国|播磨]]と隣接する。
== 地勢 ==
[[中国山地]]が[[瀬戸内海]]に落ち込んで行く過程の山地側に位置する。国全体が海に面しない内陸の山間地であり、平地は山々の合間に盆地が点在するだけである。
主要な盆地は三つあり、西部の真庭市を流れる[[旭川 (岡山県)|旭川]]沿岸の盆地<ref group="注">勝山盆地・久世盆地・落合盆地が連続する。</ref>、[[吉井川]]の流れる中央部で東西広域にわたる[[津山盆地]]、梶並川・滝川が吉野川に合流する東部の美作市の盆地<ref group="注">正確には勝間田盆地(勝央盆地)を西に挟み、豊国原盆地・湯郷盆地を中核とし、北の壬生盆地、東の江見盆地・土居盆地などからなる小低地帯の集合である。広義には津山盆地の南縁部とも見られる。</ref>で、美作はその三盆地を核におよそ西部(真嶋郡、大庭郡)・中央部(苫田郡、久米郡)・東部(英多郡、勝田郡)の三つに分かれる<ref name="mimasaka-history1">{{Cite book|和書|author=岡山大学教育学部社会科教室内地域研究会 |url=https://ousar.lib.okayama-u.ac.jp/52480 |title=美作町の歴史と現在 |publisher=岡山大学教育学部社会科教室内地域研究会 |year=1984 |series=地域研究 |pages=1-30 |id={{CRID|1130282268894643072}} |NCID=BN10507004 |ref=harv}}</ref>。
西北の[[蒜山]]山麓に[[蒜山高原]]が、また中北部の那岐山麓には日本原高原が広がるが[[広戸風]]という突風に見舞われる。
岡山三大河川の内、旭川と吉井川の上流域に位置し、近代化が進むまでは[[高瀬舟]]が流通の役目を担った。国全体が山間部であるため、大河川・街道に恵まれない土地の交通運搬は容易ではなく<ref>神亀五年(728),四月十五日辛巳 太政官奏曰。美作國言。部内大庭眞嶋二郡。一年之内。所輸庸米八百六十餘斛。山川峻遠。運輸大難。人馬並疲。損費極多。望請。輸米之重。換綿鐵之輕。又諸國司言。運調行程遥遠。百姓勞幣極多。望請。外位位祿。『続日本紀』</ref><ref>天平勝宝八年十月七日丁亥。《七》太政官處分。山陽南海諸國舂米。自今以後。取海路遭送。若有漂損。依天平八年五月符。以五分論。三分徴綱。二分徴運夫。但美作。紀伊二國不在此限。『続日本紀』</ref>、周縁部では同国内より隣国との関係が深い地域も多い<ref name="mimasaka-history1"/>。
== 沿革 ==
=== 古代 ===
[[和銅]]6年([[713年]])[[4月3日 (旧暦)|4月3日]]、備前守 [[百済王南典]]と備前介 [[上毛野堅身]]の提案により<ref>舊記に曰はく、和銅六年甲寅四月、備前の守、百濟の南典・介、上毛野の堅身等が解に依りて、備前の六郡を割きて、始めて美作の國を置く。云々。但し、風土記には、上毛野の堅身を以ちて、便(すなは)ち國の守と為すといふ。『[[伊呂波字類抄]]』</ref>、[[備前国]]から[[英多郡]]、[[勝田郡]]、[[苫田郡]]、[[久米郡]]、[[真嶋郡]]、[[大庭郡]]の六郡を分けて設けられ<ref>和銅六年四月三日(癸巳朔),夏四月乙未。《癸巳朔三》株丹波國加佐。與佐。丹波。竹野。熊野五郡。始置丹後國。株備前國英多。勝田。苫田。久米。大庭。眞嶋六郡。始置美作國。株日向國肝坏。贈於。大隅。姶羅四郡。始置大隅國。大倭國疫。給藥救之。『続日本記』</ref>、初代美作守には分立提案者である上毛野堅身が就任した。
美作の分立は、かつての[[吉備国]]分解の最終段階であり、鉄資源を吉備氏から直接、ヤマト政権の管轄下に置くことによる吉備氏弱体化の意図があったとされる。美作には英田<ref group="注">英多郡。古来はあがたと読み、[[古代日本の地方官制#県(アガタ)|県]]と通ずる。</ref>、白猪屯倉、錦織<ref group="注">美咲町錦織(にしこり)</ref>、[[久米氏|久米]]<ref group="注">久米郡</ref>、弓削<ref group="注">久米南町弓削</ref>などヤマト王権と直結する部民や施設が配置された地名が多くある。
=== 中世 ===
[[平安時代]]の平家全盛期には平氏知行国となっており、[[美作菅氏#江見氏|江見氏]]、[[豊田氏]]など作東の武士は平家方についている。
[[鎌倉時代]]は、有力[[御家人]]である[[梶原景時]]が、続いて景時を追って幕府の有力者となった[[和田義盛]]が守護となったが、両者とも[[鎌倉幕府]]の政権内部の抗争に敗れ族滅され、[[北条氏]]の領国となった。この時代、久米郡・苫田郡を中心に[[足利氏]]の荘園が多く存在した<ref>{{Cite journal|和書|author=臼井信義 |year=1969 |title=尊氏の父祖:頼氏・家時年代考 |journal=日本歴史 |ISSN=03869164 |publisher=吉川弘文館 |issue=257 |pages=27-40 |doi=10.11501/7910317 |id={{NDLJP|7910317}} |url=https://dl.ndl.go.jp/pid/7910317/1/1}}</ref><ref>[http://www015.upp.so-net.ne.jp/gofukakusa/ashikaga-kindai-03-shiryo.htm 近代足利市史 第一巻通史編 第三節 足利氏の所領とその経営]</ref>。
美作国は古代から歴史上一貫して美作を基盤とする安定勢力が出現せず、[[南北朝時代 (日本)|南北朝時代]]の動乱から戦国時代の終焉まで、[[山名氏]]、[[赤松氏]]、[[尼子氏]]、[[浦上氏]]、[[毛利氏]]、[[宇喜多氏]]など周辺の大勢力の草刈り場となって、常にその浮沈に巻き込まれた<ref>{{Cite journal|和書|author=研究代表者 村井良介 |url=https://ousar.lib.okayama-u.ac.jp/63303 |title=戦国期における秩序流動化・再構築メカニズムの研究 : 発給文書と秩序認識の関係を中心に |year=2022 |page=8 |volume=研究課題/領域番号:18K00962 |journal=科学研究費助成事業 |id={{CRID|1040000781996892160}}}}<br /> [https://kaken.nii.ac.jp/ja/grant/KAKENHI-PROJECT-18K00962 研究成果], (論文本体)[https://ousar.lib.okayama-u.ac.jp/63303 国期における秩序流動化・再構築メカニズムの研究 : 発給文書と秩序認識の関係を中心に]</ref>。
守護やそれとほぼ同期する実際の支配勢力は[[室町幕府]]期だけでも山名氏、赤松氏、尼子氏、浦上氏、宇喜多氏の間を幾たびも変遷、最終的に1600年の[[関ヶ原の戦い]]に東軍に参与した[[小早川秀秋]]が備前・美作両国を領するも、わずか2年で改易された。
=== 近世 ===
小早川家断絶後は[[森氏]]が入封し[[津山藩]]が成立した。森氏は鶴山に日本三大[[平山城]]の一つに数えられる[[津山城]]を築城して城下町を整備し、美作全体を一括した統治をなした。この時代は『[[作陽誌]]』など地誌も編纂されたが、森氏は5代94年の支配で改易されてしまう。その後、有力[[外様大名]]がひしめく[[山陽道]]に睨みをきかす意味で[[津山町 (岡山県)|津山]]に[[江戸幕府|徳川]]政権直轄の代官所が置かれた。その後すぐに[[越前松平家]]が10万石で封じられ再び津山藩となったが、美作国内は小藩に分割された。
津山の前身として、戸川(富川)宿という市があり賑わっていた<ref>『森家先代実録』巻第五</ref>。後の市街の大半は吉井川を境に苫田郡と久米郡に分割される土地に過ぎず、中心は[[二宮 (津山市)|二宮]]の西にある守護所や安国寺の置かれた[[院庄]]であった<ref>津山市教育委員会 『[https://sitereports.nabunken.go.jp/en/12812 津山市埋蔵文化財発掘調査報告7:史跡院庄館跡]』1981年 p.2</ref>。津山が中核都市となったのは、江戸時代に森氏が城下町を整備してからである。
=== 近代 ===
[[明治]]4年([[1871年]])の[[廃藩置県]]により[[幕藩体制|旧藩制]]をひきずった形で[[津山藩|津山県]]、[[勝山藩|真島県]]、[[倉敷支配所|倉敷県]]、[[鶴田藩|鶴田県]]、[[挙母藩|挙母県]]、[[古河藩|古河県]]、[[生野奉行|生野県]]、[[明石藩|明石県]]、[[沼田藩|沼田県]]、[[龍野藩|龍野県]]に分かれて属し、同年11月整理統合されて美作国と領域的に一体の[[北条県|北條県]]となったが、その北條県も明治9年([[1876年]])、すでに[[小田県]]と合併していた[[岡山県]]に合併され、廃止された。
=== 現代 ===
明治維新後に岡山県の管轄となって以後は県北の一部として扱われ、名称として東部の[[美作町]]が残る程度で特に旧国としての美作を意識した活動はなかった<ref group="注">あったのは"燃えろ岡山県民運動"、"晴れの国おかやま"など岡山県を単位としたもので、美作と言えば通常当該町域もしくはそれを含む東部を指した。</ref>が、平成17年([[2005年]])4月から津山地方振興局を美作県民局に改編し、真庭地方振興局、勝英地方振興局を支局として編入<ref>[http://www.pref.okayama.jp/somu/gyokaku/kyoku/saihenan.pdf 地方振興局の再編 - 地方振興局から県民局へ -(案)平成16年11月 岡山県]</ref><ref>[http://www.town.kumenan.okayama.jp/kouhou/pdf/2005/200504/200504_07.pdf 広報くめなん 2005.4月号]</ref>することで、ほぼ美作の領域を統一的に扱う行政機関が成立し<ref>[http://www.pref.okayama.jp/site/13/ 美作県民局トップページ - 美作県民局の所管区域]</ref>、また平成25年([[2013年]])に美作国建国1300年記念事業が行われる<ref>[http://www.city.maniwa.lg.jp/webapps/open_imgs/info//0000001264_0000018414.pdf 広報真庭 4月号 通巻96号] 2013年4月1日発行</ref>など、再認識が進んでいる。
=== 近世以降の沿革 ===
* 「[[旧高旧領取調帳]]」に記載されている[[明治]]初年時点での国内の支配は以下の通り(766村・263,477石余)。'''太字'''は当該郡内に[[藩庁]]が所在。国名のあるものは[[飛地]]領。
** [[東北条郡]](40村・15,411石余) - [[天領|幕府領]]([[倉敷代官所]]・津山藩[[預地]])、津山藩
** [[大庭郡]](59村・20,836石余) - 幕府領(津山藩預地)、勝山藩、津山藩
** [[吉野郡 (岡山県)|吉野郡]](73村・19,954石余) - 幕府領([[生野代官所]])、津山藩、[[常陸国|常陸]][[土浦藩]]、[[播磨国|播磨]][[明石藩]]
** [[勝北郡]](89村・34,139石余) - 幕府領(生野代官所・倉敷代官所・[[龍野藩]]預地)、津山藩、[[上野国|上野]][[沼田藩]]、常陸土浦藩
** [[英田郡]](65村・13,662石余) - 幕府領(龍野藩預地)、津山藩、上野沼田藩
** [[西西条郡]](61村・27,308石余) - 幕府領(津山藩預地)、津山藩
** [[真島郡]](112村・33,225石余) - '''[[美作勝山藩|勝山藩]]'''、播磨龍野藩
** [[勝南郡]](79村・24,657石余) - 幕府領(龍野藩預地)、津山藩、上野沼田藩
** [[久米北条郡]](60村・28,871石余) - 幕府領(龍野藩預地)、津山藩、[[三河国|三河]][[挙母藩]]、[[石見国|石見]][[浜田藩]]
** [[東南条郡]](22村・10,838石余) - 津山藩
** [[久米南条郡]](72村・22,989石余) - 幕府領(龍野藩預地)、津山藩、[[下総国|下総]][[古河藩]]
** [[西北条郡]](34村・11,582石余) - 幕府領(倉敷代官所)、'''[[津山藩]]'''
* [[慶応]]2年[[2月15日 (旧暦)|2月15日]]([[1866年]][[3月31日]]) - [[長州征討|長州戦争]]により浜田藩が移転して'''[[鶴田藩]]'''となる。
* 慶應4年([[1868年]])
** [[4月28日 (旧暦)|閏4月28日]]([[1868年]][[6月28日]]) - 幕府領のうち生野代官所の管轄地域が'''[[久美浜県]]'''の管轄となる。
** [[5月16日 (旧暦)|5月16日]](1868年[[7月5日]]) - 幕府領のうち津山藩預地・倉敷代官所の管轄地域が'''[[倉敷県]]'''の管轄となる。
** 5月 - 龍野藩預地が鶴田藩領となる。
* 明治2年
** [[7月4日 (旧暦)|7月4日]]([[1869年]][[8月11日]]) - 勝山藩が改称して'''[[真島藩]]'''となる。
** [[8月10日 (旧暦)|8月10日]](1869年[[9月15日]]) - 久美浜県の管轄地域が'''[[生野県]]'''の管轄となる。
* 明治3年[[10月14日 (旧暦)|10月14日]]([[1870年]][[11月7日]]) - 領知替えにより土浦藩領が生野県の管轄となる。
* 明治4年
** [[7月14日 (旧暦)|7月14日]]([[1871年]][[8月29日]]) - [[廃藩置県]]により、藩領が'''[[津山県]]'''、'''[[真島県]]'''、'''[[鶴田県]]'''および[[沼田県]]、[[古河県]]、[[土浦県]]、[[挙母県]]、[[明石県]]、[[龍野県]]の飛地となる。
** [[11月15日 (旧暦)|11月15日]](1871年[[12月26日]]) - 第1次府県統合により、全域が'''[[北条県]]'''の管轄となる。
* 明治9年([[1876年]])[[4月18日]] - 第2次府県統合により'''[[岡山県]]'''の管轄となる。
* 明治29年([[1896年]])[[4月1日]] - [[兵庫県]]との間で[[越境合併]]が行われる。
** 吉野郡石井村の所属が兵庫県[[佐用郡]]に変更。
** 吉野郡讃甘村の一部(中山)が兵庫県佐用郡[[江川村 (兵庫県)|江川村]]に編入。
== 国内の施設 ==
{{座標一覧}}
=== 国府 ===
[[ファイル:国府台寺と美作国府跡碑.JPG|thumb|200px|right|国府台寺と美作国府跡碑<br/>(津山市総社)]]
文献によると[[国府]]は苫田郡に設けられていた。現在の[[津山市]]総社にあったと推定されている。[[1970年]]([[昭和]]45年)に同所の[[国府台寺]]で、国府関連とみられる遺跡が発見されてから発掘調査が続いている({{Coord|35|04|30.90|N|133|59|47.96|E|region:JP-33_type:landmark|name=美作国府跡}})<ref>[[1986年]](昭和61年)から7次にわたり調査が行われた。調査の結果3次にわたる国庁に相応しい遺構が発見された。第1期が7世紀後半から8世紀初頭まで、第2期が8世紀初頭から9世紀前半まで、第3期は9世紀後半から13世紀前半までである。</ref>。
=== 国分寺・国分尼寺 ===
* [[美作国分寺#美作国分寺跡|美作国分寺跡]] (津山市国分寺、{{Coord|35|03|00.73|N|134|02|27.07|E|region:JP-33_type:landmark|name=美作国分寺跡}})
:: 国の史跡。伽藍跡地隣に後継の[[美作国分寺|龍壽山国分寺]]が立つ。
尼寺跡は国分寺跡の西方500mほどの地と推定されているが不詳。
=== 神社 ===
; [[延喜式内社]]
: 『[[延喜式神名帳]]』には、大社1座1社・小社10座9社の計11座10社が記載されている([[美作国の式内社一覧]]参照)。大社1社は以下に示すもので、[[名神大社]]である。
* [[苫東郡]] [[中山神社]] (津山市[[一宮 (津山市)|一宮]]、{{Coord|35|06|00.91|N|133|59|41.03|E|region:JP-33_type:landmark|name=美作国一宮・名神大社:中山神社}})
; [[総社]]・[[一宮]]以下
* 総社:[[美作総社宮]] (津山市[[西苫田村|総社]]、{{Coord|35|04|26.70|N|133|59|39.47|E|region:JP-33_type:landmark|name=美作国総社:美作総社宮}})
* 一宮:'''[[中山神社]]''' (津山市一宮)
* 二宮:[[高野神社 (津山市二宮)|高野神社]] (津山市[[二宮村 (岡山県)|二宮]]、{{Coord|35|03|33.43|N|133|57|52.03|E|region:JP-33_type:landmark|name=美作国二宮:高野神社}})
* 三宮:天石門別神社 (美作市[[河会村|滝宮]]、{{Coord|34|55|56.28|N|134|12|15.59|E|region:JP-33_type:landmark|name=美作国三宮:天石門別神社}}) - 通称「滝宮」
美作総社宮・中山神社・高野神社は、合わせて「美作三大社」と呼ばれる。
== 地域 ==
=== 郡 ===
==== 根本六郡 ====
*[[英多郡]](あいたぐん<ref group="注">和名類聚抄で"安伊多"。また本来は"ぐん"ではなく"こおり"。</ref>):東端播磨国境沿いの領域。[[延宝]]元年([[1674年]])に英田郡と改称。後、北部が[[吉野郡 (岡山県)|吉野郡]]に分かれ、[[1900年]]([[明治]]33年)に再び合併し英田郡となった。
*[[勝田郡]](かつまたぐん<ref>和名類聚抄で"加豆萬多"</ref>):英多郡と苫田・久米郡の間に位置。「勝間田(かつまた)」を中心に後に[[勝南郡]]と[[勝北郡]]に分かれるが、1900年(明治33年)に合併し[[勝田郡]](かつたぐん)となった。
*[[苫田郡]](とまたぐん):中央部の吉井川より北。後に[[苫西郡]]・[[苫東郡]]に、更にそこから[[苫北郡]]・[[苫南郡]]が分かれ、[[西西条郡]]・[[西北条郡]]・[[東南条郡]]・[[東北条郡]]と名称が変わり、1900年(明治33年)に再び合併し[[苫田郡]]となった。
*[[久米郡]](くめぐん):中央部の吉井川より南。後に[[久米南条郡]]・[[久米北条郡]]に分かれ、1900年(明治33年)に再び合併し[[久米郡]]となった。
*[[大庭郡]](おおにわぐん・おおばぐん<ref group="注">和名類聚抄で"於保無波"</ref>):西部の内、蒜山と東半の領域。1900年(明治33年)に真島郡と合併し[[真庭郡]]となった。
*[[真島郡]](ましまぐん<ref group="注">和名類聚抄で"萬志萬"</ref>):西端備中国境の領域。1900年(明治33年)に大庭郡と合併し[[真庭郡]]となった。
==== 後に出来た郡 ====
*[[西西条郡]](さいさいじょうぐん):苫田郡西部の内、苫東郡との境付近を除く大半の領域。二宮、院庄、[[奥津町]]、旧[[鏡野町]]、[[富村]]などにあたる。
*[[西北条郡]](さいほくじょうぐん):苫田郡西部の内、苫東郡と接する東端の領域。津山町・西苫田村・一宮村・田邑村と鏡野の一部にあたる。
*[[東北条郡]](とうほくじょうぐん):苫田郡東部の内、南部を除く中北部の領域。高倉、[[加茂町 (岡山県)|加茂町]]・[[阿波村 (岡山県)|阿波村]]などにあたる。
*[[東南条郡]](とうなんじょうぐん):苫田郡東部の内、吉井川に接する平野部。津山市の旧市街地にあたる。
*[[苫東郡]](とまひがしぐん):苫田郡の内、宮川を境に分けられた東部。[[阿波村 (岡山県)|阿波村]]、[[加茂町 (岡山県)|加茂町]]に旧[[津山市]]の東北部を加えた領域。これとは別に、寛文元年([[1661年]])から元禄11年([[1698年]])の間、[[東南条郡]]が苫東郡と呼称された。
*[[苫西郡]](とまにしぐん):苫田郡の内、宮川を境に分けられた西部で[[鏡野町]]、[[富村]]、津山市田辺、田邑など。これとは別に、寛文元年(1661年)から元禄11年(1698年)の間、[[西西条郡]]が苫西郡と呼称された。
*[[苫北郡]](とまきたぐん):苫東郡から分離。[[東北条郡]]の前身と推定されている。後、寛文元年(1661年)から元禄11年(1698年)の間[[東北条郡]]が苫北郡と呼称された。
*[[苫南郡]](とまみなみぐん):苫西郡から分離。[[西北条郡]]の前身と推定されている。後、寛文元年(1661年)から元禄11年(1698年)の間[[西北条郡]]が苫南郡と呼称された。
*[[用野郡]]:近世の養野村(苫田郡[[奥津町]])にあたる。後、西西条郡に転ずるか、吸収された。
*[[久米北条郡]]:久米郡を南北にほぼ中央で分割した内の西半分にあたる。
*[[久米南条郡]]:久米郡を南北にほぼ中央で分割した内の東半分にあたる。
*[[久米北郡]]:寛文元年(1661年)から天和2年([[1682年]])の間、[[久米北条郡]]が久米北郡と呼称された。
*[[久米南郡]]:寛文元年(1661年)から天和2年(1682年)の間、[[久米南条郡]]が久米南郡と呼称された。
*[[勝北郡]](しょうほくぐん):[[勝田郡]]を南北で二分した内、北部にあたる。
*[[勝南郡]](しょうなんぐん):[[勝田郡]]を南北で二分した内、南部にあたる。
*[[勝田北郡]](かつたきたぐん):寛文元年(1661年)から天和2年(1682年)の間、[[勝北郡]]が勝田北郡と呼称された。
*[[勝田南郡]](かつたみなみぐん):寛文元年(1661年)から天和2年(1682年)の間、[[勝南郡]]が勝田南郡と呼称された。
*[[吉野郡 (岡山県)|吉野郡]](よしのぐん):成立年未詳。英多郡の北部を分割して吉野郡とした。[[東作誌]]では[[文明 (日本)|文明]]3年([[1471年]])に英多郡の七郷を割いて成立したという。拾芥抄にはすでに載っており、また[[弘治 (日本)|弘治]]3年([[1557年]])成立の美作国献上記にも吉野郡が見えている。
==== 郡の変遷史 ====
*[[和銅]]6年([[713年]])[[4月3日 (旧暦)|4月3日]]に、備前国から英多郡、勝田郡、苫田郡、久米郡、真嶋郡、大庭郡の6郡を分けて美作国が設けられる。
*[[貞観 (日本)|貞観]]5年([[863年]])[[5月 (旧暦)|5月]]、苫田郡を東西に分け、苫東郡・苫西郡とする。
*承平年間(931年 - 938年)編纂の[[和名類聚抄]]では英多、勝田、苫田(東)、苫田西、久米、大庭、真島の七郡が記される。
*[[鎌倉時代]]中期成立と見られる[[拾芥抄]]では、英多、吉野、勝田、苫東、苫西、苫北、苫南、用野、久米、大庭、真嶋の十一郡が記される。
*中世に苫東郡、苫西郡、苫北郡、苫南郡がそれぞれ東南条・西西条・東北条・西北条と呼ばれ始める。久米郡も戦国時代には久米北条・南条(または久米北郷・南郷)と分けて扱われていた<ref>『角川日本地名大辞典 33 岡山県』 p.423</ref>。
*[[慶長]]年間([[1600年|1600]] - [[1602年]])、小早川家の治世に、慣習的に用いられていた東北条・東南条・西北条・西西条、勝南・勝北<ref>『角川日本地名大辞典 33 岡山県』 p.297</ref>などが正式に郡名とされた、という。
*慶長8年([[1603年]])、森氏の入国時、英田・吉野・大庭・真島・勝南・勝北・東北条・東南条・西北条・西西条・久米南条・久米北条の十二郡制
*[[寛文]]元年([[1661年]])、郡名改称。勝南郡を勝田南郡、勝北郡を勝田北郡、東北条郡を苫北郡、東南条郡を苫東郡、西北条郡を苫南郡、西西条郡を苫西郡、久米南条郡を久米南郡、久米北条郡を久米北郡とする。
*[[天和 (日本)|天和]]2年([[1682年]])、幕府の命により十郡制へ改編。<ref>森氏除封の翌年の春、幕府公簿に十郡とあるのに国内で十二郡として扱うのを不可とし一部の郡名を寛文年間以前の郡名に改めさせた。(『角川地名大辞典』久米南条郡)</ref>久米南郡と久米北郡を合わせて久米郡,勝田南郡と勝田北郡を合わせて勝田郡とした。ただし、実際には久米郡南分・同北分、勝田郡南分・同北分の呼称が使われた。
*[[元禄]]11年([[1698年]])、代官らの訴えにより、寛文年間以前の郡数・郡名に戻す。苫北郡が東北条郡、苫東郡が東南条郡、苫南郡が西北条郡、苫西郡が西西条郡になり、久米郡は久米北条郡・久米南条郡に、勝田郡は勝南郡・勝北郡に分割。
*[[明治]]33年([[1900年]])、英田郡と吉野郡が合併して英田郡に、勝南郡と勝北郡が合併して勝田郡に、東北条郡・東南条郡・西西条郡・西北条郡が合併して苫田郡に、久米南条郡と久米北条郡が合併して久米郡に、真島郡と大庭郡が合併して真庭郡となる。
==== 郡衙 ====
*英多郡家
英多(あいだ)[[郡衙|郡家]]は豊国原盆地ないし江見盆地(旧作東町川北・藤生)が想定され、特に奈良平安時代の閻武廃寺跡が他の四廃寺へ通ずる交通上の中心地に位置していることや、"郡"の墨書のあるかわらけ出土品などから後者の可能性が高いとされる。美作市(旧・英田郡作東町)の高本遺跡である<ref name=nakabayashi1975>{{Cite journal|和書|author=中林保 |date=1975 |url=https://doi.org/10.4200/jjhg1948.27.377 |title=古代美作国の郡家と交通路 |journal=人文地理 |ISSN=00187216 |publisher=人文地理学会 |volume=27 |issue=4 |pages=377-397 |doi=10.4200/jjhg1948.27.377 |id={{CRID|1390282680118103296}}}}</ref>。
*勝田郡家
勝田郡家は勝田盆地北西部の大字'''平'''字'''尾堂'''293番地の畑のなかで「郡」刻印のある須恵器が発見され、一体(平遺跡)の発掘調査が行われて奈良~平安時代の遺跡や遺物が発見されており、滝川沿いに南隣する川西でも建物跡が発掘により見つかった。これらによりこの場所(勝田郡勝央町の勝間田遺跡)にあったと推定される<ref name=nakabayashi1975/>。
*苫田郡家
苫田郡は苫東郡・苫西郡にもっとも早い時期に分割されており、苫田郡家、また分割後の両者とも明確な位置はわからない。『日本地理志料』は「即郡家所在、郡名因起」と郡家の位置によって郡名も決まったという。苫東郡家は津山市大字北山「椿高下」と"コウゲ"地名と椿高下廃寺跡が重なる場所が可能性が高いとされ、苫西郡は建郡の経緯から国府付近の田中郷辺りと推察される<ref name=nakabayashi1975/>。
*久米郡家
久米郡家は久米川の砂岩段丘上(津山市(旧:久米郡久米町)の宮尾遺跡)にあり、四時期の遺構が検出されている。第一期の遺構は遺跡中央部の品字形はいちの建物郡とその東方に総柱の倉庫、西方の南北棟の建物である。
*大庭郡家
白猪屯倉がそのまま郡家になったとの考えは、現在白猪屯倉碑の建てられている真庭市五反の大庭廃寺跡出土遺跡は白鳳期から平安時代のもので、大庭臣一族の氏寺であったと推定されることにより否定され、廃寺の西隣りで現在の久世中学校から薬王寺付近に想定されている<ref name=nakabayashi1975/>。
*真嶋郡家
『落合町史』で郡家の郡長が住んだと見られる「長者屋敷」と周辺の関連地名が検証され<ref>「大字高屋天津神社鳥居の北方の地を長者屋敷といふ。此地往古高田川の分流西川に沿える高地にして、郡家のありし時代郡家の長者即 ち、郡長といふべき人の住みたりし屋敷ならんか。長者屋敷の西高地、字平島あたり郡家に関係ありし地か。字倉通りの地名物語るものの如し、高屋境の大字開 田に総嫁谷(そうかだに)の地名もあり。総嫁とは売春婦の事なれば、此地昔売春婦の居たりし所か。伝説にも斯く伝ふるといふ。之等も往昔の殷盛時代を如実 に物語るものと云ふべし。」『落合町史』昭和29年</ref>、天津神社の創立が和銅3年(710年)であることや蔵通り・仰天などの地名から、大字平島の北隣高屋集落の立地する段丘上に想定されている<ref name=nakabayashi1975/>。
=== 江戸時代の藩 ===
* [[津山藩]]、[[森氏|森家]](18.65万石)→[[越前松平家]](10万石→5万石→10万石)
* [[津山藩#津山新田藩|津山新田藩(1)]](津山藩森家支藩、1.5万石)→[[播磨国]][[三日月藩]]に転封
* [[津山藩#津山新田藩|津山新田藩(2)]](津山藩森家支藩、2万俵)→廃藩
* [[津山藩#宮川藩|美作宮川藩]](津山藩森家支藩・[[関氏#美濃関氏|関家]]、1.87万石)→[[新見藩]]に転封
* [[美作勝山藩]]、[[三浦氏#義村流|三浦家]](2.3万石)
* [[浜田藩#鶴田藩|鶴田藩]]、[[越智松平家]](2.8万石)
=== 石高 ===
*[[承平 (日本)|承平]]頃、田萬千二十一町三段二百五十六歩、本穎百二十二萬千束([[和名類聚抄]])
*慶長8年、18万6,500石([[朱印高]])
*[[元禄]]頃、25万9,353石余<ref group="注">東南条郡14・1万654石余,東北条郡32・1万5,120石余,西北条郡24・1万487石余,西西条郡51・2万6,335石余,大庭郡47・2万351石余,真島郡95・3万2,943石余,久米北条郡33・2万8,777石余,勝南郡68・2万4,495石余,勝北郡53・3万3,965石余,英田郡64・1万3,505石余,吉野郡58・1万9,937石余(『元禄郷帳』)</ref>
*[[天保]]頃、26万2,090石余<ref group="注">東南条郡14か村・1万838石余,東北条郡32か村・1万5,411石余,西北条郡23か村・1万765石余,西西条郡51か村・2万6,800石余,大庭郡47か村・2万836石余,真島郡96か村・3万3,194石余,久米北条郡50か村・2万8,870石余,久米南条郡60か村・2万2,982石余,勝南郡70か村・2万4,654石余,勝北郡57か村・3万4,139石余,英田郡64か村・1万3,659石余,吉野郡64か村・1万9,946石余。(『「天保郷帳」』)</ref>
*江戸後期、26万2,156石余<ref group="注">東北条郡40か村・1万5,411石余,大庭郡59か村・2万836石余,吉野郡73か村・1万9,954石余,勝北郡89か村・3万4,139石余,英田郡65か村・1万3,662石余,西西条郡65か村・2万6,804石余,真島郡112か村・3万3,225石余,勝南郡79か村・2万4,657石余,久米北条郡60か村・2万8,871石余,東南条郡22か村・1万838石余,久米南条郡72か村・2万2,988石余,西北条郡34か村・1万766石余の計26万2,156石余、うち津山藩領9万8,588石余・真島(勝山)藩領3万840石余・鶴田藩領および旧播磨龍野藩預所3万6,189石余・三河挙母藩領5,056石余・下総古河藩領1万749石余・常陸土浦藩領8,618石余・播磨明石藩領9,857石余・上野沼田藩領1万4,117石余・播磨龍野藩領2,461石余,残る4万5,600石ほどが幕府領(『「旧高旧領」』)</ref>
== 人物 ==
=== 国司 ===
{{節スタブ}}
==== 美作守 ====
*[[上毛野堅身|上毛野朝臣堅身]]:[[和銅]]6年([[713年]])任官<ref>『伊呂波字類抄』「美部」所引『旧記』・『美作国風土記』</ref>
*[[津守通|津守連通]]:和銅7年([[714年]])任官<ref>和銅七年,十月,十三日,丁卯。《十三》從五位下津守連通爲美作守。『[[続日本紀]]』</ref>
*[[阿倍帯麻呂|阿部朝臣帶麻呂]]:[[天平]]7年([[735年]])任官<ref>天平七年,九月,廿八日,(癸丑朔),九月庚辰。《癸丑朔廿八》先是。美作守從五位下阿部朝臣帶麻呂等故殺四人。其族人詣官申訴。而右大弁正四位下大伴宿禰道足。中弁正五位下高橋朝臣安麻呂。少辨從五位上縣犬養宿禰石次。大史正六位下[[葛井連]]諸會。從六位下板茂連安麻呂。少史正七位下志貴連廣田等六人坐不理訴人事。於是下所司科斷。承伏既訖。有詔並宥之。『続日本紀』</ref>
*[[大伴兄麻呂|大伴宿禰兄麻呂]]:天平10年([[738年]])任官<ref>,天平十年,四月廿二日,庚申。《廿二》從五位下大伴宿禰兄麻呂爲美作守。『続日本紀』</ref>
*[[大伴百世|大伴宿禰百世]]:天平13年([[741年]])任官<ref>天平十三年,八月九日丁亥。《九》外從五位下大伴宿禰百世爲美作守。『続日本紀』</ref>
*[[大原眞人麻呂]]:天平17年([[745年]])任官<ref>天平十七年,九月,四日戊午。《四》從五位下大原眞人麻呂爲美作守。『続日本紀』</ref>
*[[茨田枚麻呂|茨田宿禰枚麻呂]]:[[天平勝宝]]元年([[749年]])任官<ref>天平勝宝元年,八月十日辛未。《十》外從五位下茨田宿禰枚麻呂爲美作守。『続日本紀』</ref>
*[[藤原乙麻呂|藤原朝臣乙麻呂]]:[[天平宝字]]元年([[757年]])任官<ref>天平宝字元年,六月,十六日,壬辰。《十六》從三位藤原朝臣乙麻呂爲美作守。『続日本紀』</ref>
*[[紀飯麻呂|紀朝臣飯麻呂]]:天平宝字4年([[760年]])任官<ref>天平宝字四年,一月十六日戊寅。《十六》正四位上紀朝臣飯麻呂爲美作守。『続日本紀』</ref>
*[[塩焼王|氷上眞人塩燒]]:天平宝字6年([[762年]])任官<ref>天平宝字六年四月朔日(庚戌朔),信部卿從三位氷上眞人塩燒爲■美作守。『続日本紀』</ref>
*[[淡海三船|淡海眞人三船]]:天平宝字8年([[764年]])任官<ref>天平宝字八年八月四日己巳《四》從五位下淡海眞人三船爲美作守。『続日本紀』</ref>
*[[大津大浦|大津宿禰大浦]]:天平宝字8年(764年)任官<ref>天平宝字八年,十月二十日癸未。《二十》左兵衛佐從四位上大津宿禰大浦爲■美作守。『続日本紀』</ref>
*[[巨勢浄成|巨勢朝臣淨成]]:[[天平神護]]2年([[766年]])任官<ref>天平神護二年,五月廿三日丁丑。《廿三》太政官奏曰。備前國守從五位上石川朝臣名足等解稱。藤野郡者。地是薄■。人尤貧寒。差科公役。觸途怱劇。承山陽之驛路。使命不絶。帶西海之達道。迎送相尋。馬疲人苦。交不存濟。加以。頻遭旱疫。戸纔三■。人少役繁。何能支辨。伏乞。株邑久郡香登■。赤坂郡珂磨。佐伯二■。上道郡物理。肩背。沙石三■隷藤野郡。又美作國守從五位上巨勢朝臣淨成等解稱。勝田郡塩田村百姓。遠闊治郡。側近他界。差科供承。極有艱辛。望請。隨所住處。便隷備前國藤野郡者。奏可。『続日本紀』</ref>
*[[藤原種継|藤原朝臣種繼]]:[[神護景雲]]2年([[768年]])任官<ref>神護景雲二年,二月十八日癸巳。《十八》從五位下藤原朝臣種繼爲美作守。『続日本紀』</ref>
*[[安倍清成|安倍朝臣淨成]]:[[宝亀]]3年([[772年]])任官<ref>宝亀三年四月二十日庚午。《二十》員外右中弁正五位上安倍朝臣淨成爲■美作守。『続日本紀』</ref>
*[[神王]]:宝亀5年([[774年]])任官<ref>宝亀五年三月五日甲辰。《五》右大舎人頭從四位下神王爲■美作守。從五位下紀朝臣眞乙爲介。『続日本紀』</ref>
*[[藤原乙縄|藤原朝臣弟繩]]:宝亀7年([[776年]])任官<ref>宝亀七年,閏八月廿日甲辰。《廿》彈正尹從四位下藤原朝臣弟繩爲■美作守。『続日本紀』</ref>
*[[石川名足]]:[[延暦]]元年([[782年]])任官
*[[藤原末茂]]:延暦9年([[790年]])任官
*[[藤原真夏]]:[[大同 (日本)|大同]]元2年([[807年]])任官
*[[良岑安世]]:[[弘仁]]7年([[816年]])任官
*[[藤原行道]]:[[仁寿]]3年([[851年]])任官
*[[藤原氏宗]]:[[天安 (日本)|天安3年]]([[859年]])任官
*[[良岑清風]]:[[貞観 (日本)|貞観]]4年([[862年]])任官
*[[源光 (公卿)|源光]]:870年頃
*[[和薬貞世]]:[[延喜]]元年([[901年]])任官
*[[源重信]]:[[天暦]]2年([[948年]])任官
*[[藤原文範]]:[[天徳 (日本)|天徳]]4年([[960年]])任官
*[[橘好古]]:[[応和]]3年([[963年]])任官
*[[源時中]]:[[永観]]元年([[983年]])任官
*[[藤原佐理]]:永観2年([[984年]])任官
*[[藤原斉信]]:[[正暦]]元年([[990年]])任官
*[[源扶義]]:[[長徳]]元年([[995年]])任官
*[[藤原重家 (左近衛少将)|藤原重家]]:[[長保]]3年([[1001年]])任官
*[[源経房]]:長保4年([[1002年]])任官
*[[藤原懐平]]:[[寛弘]]元年([[1004年]])任官
**[[藤原行成]]:寛弘元年([[1004年]])任官(権守)
*[[源頼定]]:寛弘3年([[1006年]])任官
*[[藤原資平]]:[[寛仁]]3年([[1019年]])任官
*[[藤原通任]]:[[治安 (元号)|治安]]3年([[1023年]])任官
*[[源保任]]:[[万寿]]3年([[1026年]])任官
*[[藤原資頼]]:[[長元]]元年([[1028年]])任官
*[[大江定経]]:長元8年([[1035年]])任官
*[[平範国]]:[[長暦]]2年([[1038年]])任官
*[[藤原長房]]:[[永承]]5年2月2日([[1050年]][[2月25日]])任官
*[[藤原国成]]:[[天喜]]元年([[1053年]])任官
*[[藤原実綱]]:[[康平]]元年([[1058年]])任官
*[[高階為家]]:[[延久]]4年([[1072年]])任官
*[[藤原顕季]]:[[康和]]3年([[1101年]])任官
*[[藤原通季]]:康和6年([[1104年]])任官
*[[藤原俊成]]:[[大治 (日本)|大治]]2年([[1127年]])任官
*[[持明院基家|藤原基家]]:1160年頃
*[[平忠盛]]:[[保延]]元年([[1135年]])任官
*[[平宗盛]]:[[長寛]]元年([[1163年]])任官
==== 美作介 ====
*[[県犬養沙弥麻呂|県犬養宿禰沙弥麻呂]]:天平宝字3年([[759年]]) - 天平宝字5年([[761年]])<ref>天平宝字三年,五月十七日壬午。《十七》從五位下縣犬養宿祢沙弥麻呂爲美作介。『続日本紀』</ref>,<ref>天平宝字五年八月朔日,(癸丑朔),八月癸丑朔。勅曰。頃見七道巡察使奏状。曾無一國守領政合公平。竊思貪濁人多。濂白吏少。朕聞。授非賢哲。萬事咸邪。任得其材。千務悉理。上如國司。一色親管百姓籍。其獎導風俗字撫黎民。特須精簡。必合稱職。其居家無孝。在國無忠。見利行非。臨財忘恥。上交違礼。下接多黷。施政不仁。爲民苦酷。差遣邊要。詐稱病重。任使勢官。競欲自拜。匪聞教義。靡率典章。措意屬心。唯利是視。巧弄憲法。漸汚皇化。如此之流。傷風乱俗。雖有周公之才。朕不足觀也。自今已後。更亦莫任。還却田園。令勤耕作。若有悔過自新。必加褒賞。迷途不返。永須貶黜。普告遐邇教喩衆諸。美作介從五位下縣犬養宿祢沙弥麻呂。不經官長。恣行國政。獨自在舘。以印公文。兼復不據時價。抑買民物。爲守正四位上紀朝臣飯麻呂所告失官。『続日本紀』</ref>
*[[甘南備伊香|甘南備真人伊香]]:平宝字5年([[761年]])任官<ref>天平宝字五年,十月朔日(壬子朔),冬十月壬子朔。從五位上甘南備眞人伊香爲美作介。『続日本紀』</ref>
*[[上毛野真人|上毛野公真人]]:天平宝字7年([[763年]])任官<ref>天平宝字七年一月九日壬子。《九》外從五位下上毛野公眞人爲美作介。『続日本紀』</ref>
*[[中臣子老|中臣朝臣子老]]:[[神護景雲]]3年([[769年]])任官<ref>神護景雲三年三月十日(己巳朔),三月戊寅。《己巳朔十》從五位下中臣朝臣子老爲美作介。『続日本紀』</ref>
*[[大伴不破麻呂|大伴宿禰不破麻呂]]:宝亀2年([[771年]])任官<ref>宝亀二年,七月廿三日丁未。《廿三》從五位下大伴宿祢不破麻呂爲美作介。『続日本紀』</ref>
*[[大原美気|大原真人美気]]:宝亀8年([[777年]])任官<ref>宝亀八年一月廿五日戊寅。《廿五》從五位下大原眞人美氣爲美作介。『続日本紀』</ref>
*[[藤原顕家 (小野宮流)|藤原顕家]]:[[寛徳]]3年([[1046年]])任官
==== 押領使 ====
*[[漆間時国]]:不明([[浄土宗]]開祖の[[法然]]の父である)
==== 按察使 ====
*[[鴨吉備麻呂|鴨朝臣吉備麻呂]]:[[養老]]3年([[719年]])任官<ref>播磨國守從四位下鴨朝臣吉備麻呂。管備前。美作。備中。淡路四國。『続日本紀』</ref>
=== 守護 ===
==== 鎌倉幕府 ====
*[[1184年]] - [[1200年]]:[[梶原景時]]
*1200年 - [[1213年]]:[[和田義盛]]
*1213年 - [[1333年]]:北条氏
==== 室町幕府 ====
*[[1345年]] - [[1352年]]:[[富田秀貞]]
*[[1356年]] - [[1363年]]:[[赤松貞範]]
*1363年 - [[1366年]]:[[山名時義]]
*1366年 - [[1391年]]:[[山名義理]]
*[[1392年]] - [[1427年]]:[[赤松義則]]
*1427年:[[赤松持貞]]
*1427年 - [[1441年]]:[[赤松満祐]]
*1441年 - [[1447年]]:[[山名教清]]
*[[1460年]] - [[1467年]]:[[山名政清]]
*1467年 - [[1484年]]:[[赤松政則]]
*1484年 - [[赤松澄則]]
*1484年 - [[1496年]]:赤松政則
*1496年 - [[1521年]]:[[赤松義村]]
*1521年 - ?:[[赤松晴政]]
*[[1552年]] - [[1561年]]:[[尼子晴久]]
===国人===
;吉野郡
*[[新免氏]] - 竹山城主。この一族から[[宮本武蔵]]が派生。
*[[草苅氏]] - 矢筈城主。美作と国境をまたいだ因幡両面で活動。
*[[美作菅氏#粟井氏|粟井氏]] - 粟井城主。垪和氏から派生。
;英田郡
*[[美作後藤氏|後藤氏]] - 戦国大名。東部において大きな勢力を為したが宇喜多氏に滅ぼされた。三星城主。
*[[美作菅氏#江見氏|江見氏]] - 菅家の一党。平家全盛期から活動。
*[[渋谷氏]] - 河合郷。西遷御家人。
*[[安東氏 (曖昧さ回避)|安東氏]] - 西遷御家人。
;勝田郡
*[[美作菅氏#有元氏|有元氏]] - 美作に土着した[[菅原氏]]の嫡流。室町幕府奉公衆。
*[[美作菅氏#廣戸氏|廣戸氏]] - 菅家一党。室町幕府奉公衆。
*[[美作菅氏#鷹取氏|鷹取氏]] - 菅家一党。
*[[美作菅氏#植月氏|植月氏]] - 菅家一党。
*[[美作菅氏#福光氏|福光氏]] - 菅家一党。
*[[美作菅氏#原田氏|原田氏]] - 菅家一党。
;苫田郡
*[[立石氏]] - 本姓漆間。二宮高野神社社司。美和山城主。
*齋藤氏 - 野介荘(鏡野北部)、小田草城主。
*大河原氏 - 葛下城主。
;久米郡
*[[美作菅氏#原田氏|原田氏]] - 平姓。有元氏から養子を迎え菅原姓も名乗る。
*[[垪和氏]] - 室町幕府奉公衆。
*[[美作菅氏#菅納氏|菅納氏]] - 漆間姓。有元氏より養子を受け入れ菅原を称す。
*岸氏 - 竜王山城主。
*[[江原親次|江原氏]]
;大庭郡
*徳山氏 - 蒜山。上徳山の地頭。江戸時代は庄屋となって、煙草の生産から鉄山経営まで事業経営に成功し川上村長なども務めた<ref>『徳山一族』日本家系協会、『川上村史』</ref>。
;真嶋郡
*[[美作三浦氏|三浦氏]] - 戦国大名。相模三浦氏庶流。
=== 戦国大名 ===
* [[浦上氏]] - [[浦上村宗|村宗]]が赤松氏の実権を握った期間、また尼子氏の侵攻に反発して自立した[[浦上宗景|宗景]]の代。
* [[尼子氏]] - 天文初年の侵略に始まり、大内氏の出雲侵攻を退けた[[尼子晴久|晴久]]による再侵略、勝久による復興戦など。
* [[三村氏]] - [[三村家親|家親]]が暗殺される前の全盛期に東部まで侵入。
* [[宇喜多氏]] - [[宇喜多直家|直家]]が浦上氏を下克上する過程で奪取。
===織豊大名===
* [[宇喜多氏]] - 秀家が豊臣秀吉の猶子となり、外様ながら一門扱いで五大老として豊臣政権で重要な位置を占めた。
=== 武家官位としての美作守 ===
==== 江戸時代以前 ====
*越前朝倉氏当主
**[[朝倉広景]]:初代当主
**[[朝倉氏景 (3代当主)|朝倉氏景]]:3代当主
**[[朝倉教景]]:5代当主
*その他
**[[小早川茂平]]:鎌倉幕府御家人
**[[小早川春平]]:南北朝時代の武将
**[[浦上則宗]]:室町時代の武将、山城守護代
**[[浦上政宗]]:[[備前国]]の戦国大名
**[[林通具]]:戦国時代の武将。[[林秀貞]]の弟
**[[木下一元]]:[[安土桃山時代]]の武将・大名
====江戸時代====
*忠秋系阿部家
**[[阿部正武]]:忠秋系阿部家3代。武蔵[[忍藩]]第3代藩主・[[老中]]
**[[阿部正識]]:忠秋系阿部家7代。忍藩第3代藩主
**[[阿部正静]]:忠秋系阿部家16代。陸奥[[白河藩]]第8代藩主、陸奥[[棚倉藩]]初代藩主
*豊前[[中津藩]]奥平家
**[[奥平貞能]]:戦国時代の武将。奥平信昌の父
**[[奥平信昌]]:[[小幡藩]]初代藩主、[[加納藩]]初代藩主
**[[奥平忠昌]]:中津藩奥平家2代。信昌の孫。下野[[宇都宮藩]]主、下総[[古河藩]]主
**[[奥平昌章]]:奥平家4代。出羽[[山形藩]]第2代藩主、下野[[宇都宮藩]]初代藩主(再封)
**[[奥平昌男]]:奥平家8代。豊前[[中津藩]]第4代藩主
**[[奥平昌暢]]:奥平家10代。中津藩第6代藩主
**[[奥平昌邁]]:奥平家13代。中津藩第9代藩主
*陸奥[[仙台藩]]伊達家
**[[伊達忠宗]]:第2代藩主
**[[伊達綱宗]]:第3代藩主
**[[伊達重村]]:第7代藩主
**[[伊達斉村]]:第8代藩主
**[[伊達村和]]:一門。 陸奥[[中津山藩]]主
*信濃[[信濃飯田藩|飯田藩]]堀家
**[[堀親良]]:飯田藩堀家初代。[[蔵王堂藩]]、下野[[真岡藩]]、下野[[烏山藩]]初代藩主
**[[堀親昌]]:堀家2代。烏山藩第2代藩主、信濃飯田藩初代藩主
**[[堀親常]]:堀家4代。飯田藩第3代藩主
*定房系久松松平家
**[[松平定房]]:伊予[[今治藩]]初代藩主
**[[松平定時]]:今治藩第2代藩主
**[[松平定基]]:今治藩第4代藩主
*美濃[[岩村藩]]大給松平家
**[[松平乗政]]:大給松平家初代。常陸[[小張藩]]主、信濃[[小諸藩]]初代藩主
**[[松平乗紀]]:大給松平家2代。小諸藩第2代藩主、美濃[[岩村藩]]初代藩主
**[[松平乗薀]]:大給松平家4代。岩村藩第3代藩主
*その他
**[[黒田一成]]:筑前[[福岡藩]]初代[[三奈木黒田家]]当主
**[[青木重龍]]:摂津[[麻田藩]]第11代藩主
**[[大関増勤]]:下野[[黒羽藩]]第16代藩主
**[[南部信民]]:陸奥[[七戸藩]]第3代藩主
**[[一柳直家]]:伊予[[川之江藩]]主、播磨[[小野藩]]初代藩主
**[[松平直丘]]:出雲[[母里藩]]第2代藩主
**[[松平直暠]]:母里藩第6代藩主
**[[水野勝俊]]:備後[[備後福山藩|福山藩]]第2代藩主
**[[水野勝種]]:福山藩第4代藩主
**[[森忠敬]]:播磨[[赤穂藩]]第9代藩主
**[[森忠典]]:赤穂藩第11代藩主
== 武術 ==
* [[竹内流]]
* [[竹内畝流]]
* [[当理流]]
* [[円明流]]?
== 産物 ==
<!-- 特筆性のあるもの、かつ宣伝にならないようにしてください。-->
* [[作州絣]] - 先染めの糸を織ることで文様をだす織物。
* [[作州黒]] - 丹波種黒大豆の内、勝英地域で生産されるものを戦後に名づけたもの。<ref>[http://www.nochuri.co.jp/report/pdf/nri1101gr1.pdf 黒大豆「作州黒」の産地化と担い手支援─岡山県JA勝英の取組み─ (農中総研 調査と情報 2011年1月号)]</ref>
* 勝間田焼 - 古墳時代の[[須恵器]]生産の技術を受け継いだ青灰色の硬質な焼き物。美作地域から山陰まで広く流通していた<ref>[http://fuu.e-tsuyama.com/placements/305/articles/20134 勝間田焼とは?|津山瓦版]</ref>。
== 脚注 ==
=== 注釈 ===
{{Reflist|group=注}}
=== 出典 ===
{{reflist|2}}
== 参考文献 ==
* [[続日本紀]]
* [[拾芥抄]]
* 熊倉浩靖 『古代東国の王者―上毛野氏の研究 改訂増補版』(雄山閣 2008年)
* 中央町文化財研究会 『中央町の地名考』
* 和泉橋警察署 『新旧対照市町村一覧』第2冊(東京:加藤孫次郎、1889年)
* 地名編纂委員会 『[[角川日本地名大辞典]]33 岡山県』(角川学芸出版、1989年、ISBN 4040013301)
* 小川博毅 『美作垪和郷戦乱記』(吉備人出版、2002年、ISBN 4-86069-011-7)
* 中林保 『古代美作国の郡家と交通路 人文地理27-4』 1975年
* [[角川日本地名大辞典]] 34 広島県
* [https://www.rekihaku.ac.jp/up-cgi/login.pl?p=param/kyud/db_param 旧高旧領取調帳データベース]
== 関連項目 ==
{{Commonscat|Mimasaka Province}}
* [[令制国一覧]]
* [[吉備国]]
* [[津山都市圏]]
* [[美作市]]
* [[美作地域]]
== 外部リンク ==
* {{Kotobank}}
* {{国立公文書館デジタルアーカイブ|M1000000000000000420|天保国絵図美作国|type=L}}
* [http://komatsu0513.heteml.jp/index.html 国府物語]{{リンク切れ|date=2023年1月}} - [http://komatsu0513.heteml.jp/mimasaka.html 美作国府]{{リンク切れ|date=2023年1月}}
{{令制国一覧}}
{{吉備四国の郡}}
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[[Category:日本の旧国名]]
[[Category:山陽道|国みまさか]]
[[Category:岡山県の歴史]]
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[[Category:美作国|*]]
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孫武
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孫 武(そん ぶ、紀元前535年頃 - 没年不詳)は、中国古代・春秋時代の武将・軍事思想家。兵法書『孫子』の作者とされており、兵家の代表的人物。斉国出身。字は長卿。孫臏の先祖。「孫子」は尊称である。
「戦わずして勝つ」という戦略思想、戦闘の防勢主義と短期決戦主義、またスパイの重要視など、軍事研究において戦略や戦術、情報戦など幅広い領域で業績を顕し、ベイジル・リデル=ハート、毛沢東など、現代の軍事研究者、軍事指導者にも重要な思想的影響を与えた。その軍事思想は航空技術や核兵器など、古代に想定できなかった軍事技術の発展した数千年後の現代においても有効性を失わず、今なお研究対象とされている。
孫武に関する資料としては正史『史記』の他、呉越の興亡について記した野史(載記)の『呉越春秋』、孫子の先祖や子孫について述べた唐の正史『新唐書』「宰相世系三下」が主要な資料となる。これらの古文献の記述する孫武の伝記は以下のようなものであるが、史実性に関しては後述のとおり論争の対象である。
それによると、孫武の出自は斉国の大夫で後に田斉の公族・田氏(嬀姓(中国語版))である。孫武は若年から兵書に親しみ、黄帝と四帝の戦いや古代の伊尹、姜尚、管仲らの用兵策略を研究したという。紀元前517年頃、一族内で内紛があり、孫武は一家を連れ、江南の呉国へと逃れ、呉の宰相・伍子胥の知遇を得る。孫武はその後、呉の王都・姑蘇郊外の山間に蟄居して『孫子』十三篇を著作した。
前515年、呉の王に闔閭が即位すると、伍子胥は闔閭に「孫子兵法」を献上し、七回にわたり登用を説いたため、闔閭は孫武を宮中に呼び出して兵法を問うた。この時のエピソードが『史記』巻65孫子呉起列伝第5に記されている次の「孫子勒姫兵」(孫子勒兵とも)である。
闔閭「先生の著作十三篇はすべて読んだが、宮中の婦人で、少し軍の指揮を見せてもらうことはできるか」
孫武はこれを了承した。孫武は宮中の美女180人を集合させて二つの部隊とし、武器を持たせて整列させ、王の寵姫二人を各隊の隊長に任命した。
孫武が「左右前後がわかるか」と聞くと、一同「わかります」と答えた。孫武は「前といえば胸を、左と言えば左側、右と言えば右側、後ろと言えば背側を見よ」と言った。女性たちは「わかりました」と答えた。そこで将軍の印の鉄斧を置き、命令をはじめた。太鼓を打って「右!」と号令すると、宮女たちはどっと笑った。
孫武は「命令が不明確で徹底せざるは、将の罪なり」と言い、命令を何度も繰り返した後に「左!」と太鼓を打つと、また宮女たちはどっと笑った。
孫武は「命令が既に明確なのに実行されないのは、指揮官の罪なり」と言って、隊長の二人を斬首しようとした。壇上で見ていた闔閭は驚き「将軍の腕は既によくわかった。余はその二人がいないと飯もうまくないので、斬るのはやめてくれ」と止めようとしたが、孫武は「一たび将軍として任命を受けた以上、陣中にあっては君命でも従いかねる事がございます」と闔閭の寵姫を二人とも斬ってしまった。そして新たな隊長を選び号令を行うと、今度は女性部隊は命令どおり進退し、粛然声を出すものもなかった。
孫武は「兵は既に整いました。降りてきて見ていただきたい。水火の中へもゆくでしょう」と言ったが、闔閭は甚だ不興で「将軍はそろそろ帰られるがよろしい、余はそこに行きたくはない」と言った。孫武は「王は言を好まれても、実践はできないのですね」と答えた。しかし以後、闔閭は孫武の軍事の才を認めて将軍に任じたのである。
前512年、孫武は将軍に任じられ、楚国の衛星国であった鍾吾(中国語版)国と徐国を攻略した。闔閭は勝利に乗じて楚国に進攻しようとしたが、孫武は「楚国は衰えてもいまだ強大です。また呉は戦いが続き兵が疲弊しています。今、楚を攻めるのは上策ではありません」と進言した。闔閭はこの意見に従い、また伍子胥の献策により、小部隊で楚の国境を絶えず挑発し、楚の大軍を国境に貼りつかせ、楚の国力を消耗させる作戦をとる。
6年後の前506年、楚は呉の保護下にあった地方領主・唐の成公と蔡の昭侯を攻め、二人は呉に救援を求めた。機が熟したと考えた闔閭は孫武と伍子胥を左右の将として軍を発し、呉と楚の両軍は漢水の河畔・柏挙で会戦する(柏挙の戦い)。孫武の陽動作戦によって楚軍主力は別の地域におびき出され、呉軍本隊が現れ首都に向かうとの情報で急遽転進してきたため、戦場に到着したときには強行軍の連続で既に疲弊しきっていた。三万の呉軍は二十万の楚軍を大いに破り、さらに進撃して五戦して五勝し、十日のうちに楚の王都・郢城を陥落させて楚の昭王を逃亡させる。強国・楚の大軍を寡兵で破ったこの戦いにより孫武の名は中原に轟いた。
その後、楚の臣の申包胥が秦に逃亡し、彼の策によって秦が呉国を攻めたので、呉軍はやむなく楚から撤退した。 以後呉は北方の斉、晋を威圧して諸侯の間にその名を知らしめたが、それらの功績は孫武の働きによるところが大きかった。
前496年、闔閭は孫武の意見を容れず越を攻めたが苦戦に陥り、闔閭は敵の矢による負傷が悪化して死亡した。孫武は伍子胥とともに太子の夫差を補佐して国力を養い、のちに呉は夫椒で越を大敗させ雪辱を果たした。
孫武の後半生については記録が残っていない。後漢の『載記』が引く『呉越春秋』夫差内伝によれば、孫武は讒言する者があって辞職を願い出たといい、以後の呉国に関する史書からは、孫武に関する記述が途絶える。その後夫差は次第に慢心するようになり、讒言によって孫武の莫逆の友であった伍子胥に、剣を賜り自決させる。孫武もまた誅殺されたとも、隠棲して実戦経験をもとに『孫子兵法』の改良に取り組んだとも言うが、何れも伝承の域をでない。
孫武の墓もはっきりしていない。蘇州の北にある陵墓が孫武のものであるという説もあるが確定していない。
孫武が実在した武将なのかどうか、古くから中国史学者の間では論争が続いていた。そもそも呉で大活躍した武将にもかかわらず、呉に詳しい『春秋左氏伝』に孫武の話が全く登場しないというのが不自然である。その上、孫子兵法は兵法十三編のはずだが、『漢書』「芸文志」ではなぜか八十二編になっているなど謎が多いためである。
既に北宋の兵法家・梅堯臣が、「戦国時代の話のようだ」と孫子兵法と孫武の関係を疑問視していたが、南宋の葉適はさらに一歩を進めて、以下のように孫武非実在説を唱えた。「春秋時代に、他国の人を将軍にした話は全くない。呉の人でもない孫武が、なぜ将軍になれたのだろうか?『春秋左氏伝』に孫武が登場しないのも、おかしいではないか。(結局)孫子の兵法は、春秋の末、戦国の初めの、名もない山林の隠者の作であろう。呉で大活躍したなどというのは、兵法家連中の大げさなデマ、でっちあげだ。闔閭の姫を斬った話など、実に異常ではないか。まったく信用が置けない」(『古今偽書考』に引く葉適の説)。
この説に賛同する者は多く、全祖望、斎藤拙堂、斉志和らなどが孫武非実在説の学者は複数いる。理由を整理すると、『史記』以前の『春秋左氏伝』等の有力な古籍に孫武の名が全く見られないこと、「武」という名が出来すぎていること、『漢書』「芸文志」には「呉孫子兵法八十二篇図九巻」あって、現行の十三篇の孫子と符合しないことなどである。ただし、この孫武非実在説が正しいかどうかも論争の対象となっていて、『古今偽書考』では、「では史記の孫武の記述はウソなのか?孫武は実在したのか?しなかったのか?もはや古代のことで全くわからない」と、さじを投げている。
彼らは『史記』などの古文献の記述の真実性を疑問視し、更に孫子の文章の中に戦国時代の思想である「形名」「五行」などが登場する上、春秋時代の合戦の有様と孫子の文章が相違している点が多いことを論じている。この一派を「疑古派」と称し、彼等により『孫子』は孫臏の著作とするもの、ひいては孫武自体が架空の人物であるとする見解が、清末期から現代にかけて有力になったこともあった。1980年代頃までの孫子の解説書は概ね当時主流のこの立場に拠り、孫武は架空の人物と断定した記述がある。例えば、1961年に出版された貝塚茂樹の『諸子百家』(岩波新書)では、「孫子の兵法は呉の軍師孫武の作だというのは全くのデタラメで、孫臏自身の作品に他ならないことが最近明らかにされた」と断じている。だが1972年、山東省臨沂県で発掘された一群の銀雀山漢簡で『孫子兵法』十三編と、孫臏の著した兵法書(『孫臏兵法』)の竹簡が発見された。さらに分析の結果『孫子』十三編は『孫臏兵法』とは別物であることが証明され、孫武の実在が確かめられたのである(金谷治の説)。
ただし、孫武の事跡に関する史実性に関しては論争が継続しており決着を見ていない。研究者の一部からは、『史記』孫子伝の信憑性が疑われている。特に孫子勒姫兵(孫子勒兵)の故事については「指揮に従わないというだけで隊長を処刑することも、その他の行動も孫子兵法に合致しない。この話は孫子の兵法を曲解した後世の者の創作であろう」(天野鎮雄、要約)、「説話的で、史実とは考え難い」(金谷治、同)等の意見も有力である。金谷治は、『孫臏兵法』に「孫氏の道」とあることから、孫武を中心にした孫氏学派のような兵法家集団がおり、今の孫子兵法は孫武の作に兵法家たちが付加して成立したものだと考えており、天野鎮雄は、孫子兵法の重複部分を削ったものが、おそらく孫武の真作に近い部分ではないかと考え、「原孫子」を推定している。
上記の『新唐書』「宰相世系三下」によると孫一門は、田完から五世の子孫である孫武の祖父が軍功あって孫姓を賜ったことに遡る。
それによると、孫武につき「(孫)憑は武を生む。(武の)字は長卿。田・鮑四族の謀、乱を為すを以て,呉に奔り,将軍となる。三子あり、馳、明、敵なり」とし、孫武には孫馳・孫明・孫敵という三人の息子がいたと記述する。次男の孫明は呉の富春郡を賜り、後の富春孫氏の祖となったと伝わる。富春孫氏はまた富春龍門孫氏と称され、『四庫全書』によれば三国時代の孫堅、孫策、孫権父子はこの家系とされる。
一方で『三国志』の著者陳寿は「孫堅は孫子の子孫だといわれる」と曖昧に記し、さらに南朝の宋代の『異苑』は、孫堅の父は「瓜売り」の孫鍾なる人物であったとする。同時期の『幽明録』(現在は散逸)や、東晋の裴啓の『裴子語林』にも孫鍾の名が記されているなど反証も多く、孫堅が実際に孫武の子孫かどうかは疑問が多い。
現在の浙江省杭州市富陽区南部のある村では、住人の9割が「孫氏」を名乗り、富春孫氏の末裔を称する。村に伝わる族譜によると、客家の孫文もまた富春孫氏に連なるという。中国政府の調査によると、この族譜は清代のものである。
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"text": "「戦わずして勝つ」という戦略思想、戦闘の防勢主義と短期決戦主義、またスパイの重要視など、軍事研究において戦略や戦術、情報戦など幅広い領域で業績を顕し、ベイジル・リデル=ハート、毛沢東など、現代の軍事研究者、軍事指導者にも重要な思想的影響を与えた。その軍事思想は航空技術や核兵器など、古代に想定できなかった軍事技術の発展した数千年後の現代においても有効性を失わず、今なお研究対象とされている。",
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"text": "孫武に関する資料としては正史『史記』の他、呉越の興亡について記した野史(載記)の『呉越春秋』、孫子の先祖や子孫について述べた唐の正史『新唐書』「宰相世系三下」が主要な資料となる。これらの古文献の記述する孫武の伝記は以下のようなものであるが、史実性に関しては後述のとおり論争の対象である。",
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"text": "それによると、孫武の出自は斉国の大夫で後に田斉の公族・田氏(嬀姓(中国語版))である。孫武は若年から兵書に親しみ、黄帝と四帝の戦いや古代の伊尹、姜尚、管仲らの用兵策略を研究したという。紀元前517年頃、一族内で内紛があり、孫武は一家を連れ、江南の呉国へと逃れ、呉の宰相・伍子胥の知遇を得る。孫武はその後、呉の王都・姑蘇郊外の山間に蟄居して『孫子』十三篇を著作した。",
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"text": "前515年、呉の王に闔閭が即位すると、伍子胥は闔閭に「孫子兵法」を献上し、七回にわたり登用を説いたため、闔閭は孫武を宮中に呼び出して兵法を問うた。この時のエピソードが『史記』巻65孫子呉起列伝第5に記されている次の「孫子勒姫兵」(孫子勒兵とも)である。",
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"text": "闔閭「先生の著作十三篇はすべて読んだが、宮中の婦人で、少し軍の指揮を見せてもらうことはできるか」",
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"text": "孫武はこれを了承した。孫武は宮中の美女180人を集合させて二つの部隊とし、武器を持たせて整列させ、王の寵姫二人を各隊の隊長に任命した。",
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"text": "孫武が「左右前後がわかるか」と聞くと、一同「わかります」と答えた。孫武は「前といえば胸を、左と言えば左側、右と言えば右側、後ろと言えば背側を見よ」と言った。女性たちは「わかりました」と答えた。そこで将軍の印の鉄斧を置き、命令をはじめた。太鼓を打って「右!」と号令すると、宮女たちはどっと笑った。",
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"text": "孫武は「命令が不明確で徹底せざるは、将の罪なり」と言い、命令を何度も繰り返した後に「左!」と太鼓を打つと、また宮女たちはどっと笑った。",
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"text": "孫武は「命令が既に明確なのに実行されないのは、指揮官の罪なり」と言って、隊長の二人を斬首しようとした。壇上で見ていた闔閭は驚き「将軍の腕は既によくわかった。余はその二人がいないと飯もうまくないので、斬るのはやめてくれ」と止めようとしたが、孫武は「一たび将軍として任命を受けた以上、陣中にあっては君命でも従いかねる事がございます」と闔閭の寵姫を二人とも斬ってしまった。そして新たな隊長を選び号令を行うと、今度は女性部隊は命令どおり進退し、粛然声を出すものもなかった。",
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"text": "孫武は「兵は既に整いました。降りてきて見ていただきたい。水火の中へもゆくでしょう」と言ったが、闔閭は甚だ不興で「将軍はそろそろ帰られるがよろしい、余はそこに行きたくはない」と言った。孫武は「王は言を好まれても、実践はできないのですね」と答えた。しかし以後、闔閭は孫武の軍事の才を認めて将軍に任じたのである。",
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"text": "前512年、孫武は将軍に任じられ、楚国の衛星国であった鍾吾(中国語版)国と徐国を攻略した。闔閭は勝利に乗じて楚国に進攻しようとしたが、孫武は「楚国は衰えてもいまだ強大です。また呉は戦いが続き兵が疲弊しています。今、楚を攻めるのは上策ではありません」と進言した。闔閭はこの意見に従い、また伍子胥の献策により、小部隊で楚の国境を絶えず挑発し、楚の大軍を国境に貼りつかせ、楚の国力を消耗させる作戦をとる。",
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"text": "6年後の前506年、楚は呉の保護下にあった地方領主・唐の成公と蔡の昭侯を攻め、二人は呉に救援を求めた。機が熟したと考えた闔閭は孫武と伍子胥を左右の将として軍を発し、呉と楚の両軍は漢水の河畔・柏挙で会戦する(柏挙の戦い)。孫武の陽動作戦によって楚軍主力は別の地域におびき出され、呉軍本隊が現れ首都に向かうとの情報で急遽転進してきたため、戦場に到着したときには強行軍の連続で既に疲弊しきっていた。三万の呉軍は二十万の楚軍を大いに破り、さらに進撃して五戦して五勝し、十日のうちに楚の王都・郢城を陥落させて楚の昭王を逃亡させる。強国・楚の大軍を寡兵で破ったこの戦いにより孫武の名は中原に轟いた。",
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"text": "その後、楚の臣の申包胥が秦に逃亡し、彼の策によって秦が呉国を攻めたので、呉軍はやむなく楚から撤退した。 以後呉は北方の斉、晋を威圧して諸侯の間にその名を知らしめたが、それらの功績は孫武の働きによるところが大きかった。",
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"text": "前496年、闔閭は孫武の意見を容れず越を攻めたが苦戦に陥り、闔閭は敵の矢による負傷が悪化して死亡した。孫武は伍子胥とともに太子の夫差を補佐して国力を養い、のちに呉は夫椒で越を大敗させ雪辱を果たした。",
"title": "伝記"
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"text": "孫武の後半生については記録が残っていない。後漢の『載記』が引く『呉越春秋』夫差内伝によれば、孫武は讒言する者があって辞職を願い出たといい、以後の呉国に関する史書からは、孫武に関する記述が途絶える。その後夫差は次第に慢心するようになり、讒言によって孫武の莫逆の友であった伍子胥に、剣を賜り自決させる。孫武もまた誅殺されたとも、隠棲して実戦経験をもとに『孫子兵法』の改良に取り組んだとも言うが、何れも伝承の域をでない。",
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"text": "孫武の墓もはっきりしていない。蘇州の北にある陵墓が孫武のものであるという説もあるが確定していない。",
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"text": "孫武が実在した武将なのかどうか、古くから中国史学者の間では論争が続いていた。そもそも呉で大活躍した武将にもかかわらず、呉に詳しい『春秋左氏伝』に孫武の話が全く登場しないというのが不自然である。その上、孫子兵法は兵法十三編のはずだが、『漢書』「芸文志」ではなぜか八十二編になっているなど謎が多いためである。",
"title": "史実性に関する論争"
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"text": "既に北宋の兵法家・梅堯臣が、「戦国時代の話のようだ」と孫子兵法と孫武の関係を疑問視していたが、南宋の葉適はさらに一歩を進めて、以下のように孫武非実在説を唱えた。「春秋時代に、他国の人を将軍にした話は全くない。呉の人でもない孫武が、なぜ将軍になれたのだろうか?『春秋左氏伝』に孫武が登場しないのも、おかしいではないか。(結局)孫子の兵法は、春秋の末、戦国の初めの、名もない山林の隠者の作であろう。呉で大活躍したなどというのは、兵法家連中の大げさなデマ、でっちあげだ。闔閭の姫を斬った話など、実に異常ではないか。まったく信用が置けない」(『古今偽書考』に引く葉適の説)。",
"title": "史実性に関する論争"
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"text": "この説に賛同する者は多く、全祖望、斎藤拙堂、斉志和らなどが孫武非実在説の学者は複数いる。理由を整理すると、『史記』以前の『春秋左氏伝』等の有力な古籍に孫武の名が全く見られないこと、「武」という名が出来すぎていること、『漢書』「芸文志」には「呉孫子兵法八十二篇図九巻」あって、現行の十三篇の孫子と符合しないことなどである。ただし、この孫武非実在説が正しいかどうかも論争の対象となっていて、『古今偽書考』では、「では史記の孫武の記述はウソなのか?孫武は実在したのか?しなかったのか?もはや古代のことで全くわからない」と、さじを投げている。",
"title": "史実性に関する論争"
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"text": "彼らは『史記』などの古文献の記述の真実性を疑問視し、更に孫子の文章の中に戦国時代の思想である「形名」「五行」などが登場する上、春秋時代の合戦の有様と孫子の文章が相違している点が多いことを論じている。この一派を「疑古派」と称し、彼等により『孫子』は孫臏の著作とするもの、ひいては孫武自体が架空の人物であるとする見解が、清末期から現代にかけて有力になったこともあった。1980年代頃までの孫子の解説書は概ね当時主流のこの立場に拠り、孫武は架空の人物と断定した記述がある。例えば、1961年に出版された貝塚茂樹の『諸子百家』(岩波新書)では、「孫子の兵法は呉の軍師孫武の作だというのは全くのデタラメで、孫臏自身の作品に他ならないことが最近明らかにされた」と断じている。だが1972年、山東省臨沂県で発掘された一群の銀雀山漢簡で『孫子兵法』十三編と、孫臏の著した兵法書(『孫臏兵法』)の竹簡が発見された。さらに分析の結果『孫子』十三編は『孫臏兵法』とは別物であることが証明され、孫武の実在が確かめられたのである(金谷治の説)。",
"title": "史実性に関する論争"
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"paragraph_id": 21,
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"text": "ただし、孫武の事跡に関する史実性に関しては論争が継続しており決着を見ていない。研究者の一部からは、『史記』孫子伝の信憑性が疑われている。特に孫子勒姫兵(孫子勒兵)の故事については「指揮に従わないというだけで隊長を処刑することも、その他の行動も孫子兵法に合致しない。この話は孫子の兵法を曲解した後世の者の創作であろう」(天野鎮雄、要約)、「説話的で、史実とは考え難い」(金谷治、同)等の意見も有力である。金谷治は、『孫臏兵法』に「孫氏の道」とあることから、孫武を中心にした孫氏学派のような兵法家集団がおり、今の孫子兵法は孫武の作に兵法家たちが付加して成立したものだと考えており、天野鎮雄は、孫子兵法の重複部分を削ったものが、おそらく孫武の真作に近い部分ではないかと考え、「原孫子」を推定している。",
"title": "史実性に関する論争"
},
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"text": "上記の『新唐書』「宰相世系三下」によると孫一門は、田完から五世の子孫である孫武の祖父が軍功あって孫姓を賜ったことに遡る。",
"title": "孫子の子孫"
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"text": "それによると、孫武につき「(孫)憑は武を生む。(武の)字は長卿。田・鮑四族の謀、乱を為すを以て,呉に奔り,将軍となる。三子あり、馳、明、敵なり」とし、孫武には孫馳・孫明・孫敵という三人の息子がいたと記述する。次男の孫明は呉の富春郡を賜り、後の富春孫氏の祖となったと伝わる。富春孫氏はまた富春龍門孫氏と称され、『四庫全書』によれば三国時代の孫堅、孫策、孫権父子はこの家系とされる。",
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"text": "一方で『三国志』の著者陳寿は「孫堅は孫子の子孫だといわれる」と曖昧に記し、さらに南朝の宋代の『異苑』は、孫堅の父は「瓜売り」の孫鍾なる人物であったとする。同時期の『幽明録』(現在は散逸)や、東晋の裴啓の『裴子語林』にも孫鍾の名が記されているなど反証も多く、孫堅が実際に孫武の子孫かどうかは疑問が多い。",
"title": "孫子の子孫"
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"text": "現在の浙江省杭州市富陽区南部のある村では、住人の9割が「孫氏」を名乗り、富春孫氏の末裔を称する。村に伝わる族譜によると、客家の孫文もまた富春孫氏に連なるという。中国政府の調査によると、この族譜は清代のものである。",
"title": "孫子の子孫"
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] |
孫 武(そん ぶ、紀元前535年頃 - 没年不詳)は、中国古代・春秋時代の武将・軍事思想家。兵法書『孫子』の作者とされており、兵家の代表的人物。斉国出身。字は長卿。孫臏の先祖。「孫子」は尊称である。 「戦わずして勝つ」という戦略思想、戦闘の防勢主義と短期決戦主義、またスパイの重要視など、軍事研究において戦略や戦術、情報戦など幅広い領域で業績を顕し、ベイジル・リデル=ハート、毛沢東など、現代の軍事研究者、軍事指導者にも重要な思想的影響を与えた。その軍事思想は航空技術や核兵器など、古代に想定できなかった軍事技術の発展した数千年後の現代においても有効性を失わず、今なお研究対象とされている。
|
{{Otheruses|春秋時代の将軍|清末民初の革命家・政治家|孫武 (清末民初)}}
{{出典の明記|date=2019年3月}}
'''孫 武'''(そん ぶ、[[紀元前535年]]頃 - 没年不詳<ref>{{citebook|和書|author=出口治明|authorlink=出口治明|year=2019|title=哲学と宗教全史|publisher=ダイヤモンド社|page=154}}</ref>)は、[[中国]]古代・[[春秋時代]]の武将・軍事思想家。[[兵法書]]『[[孫子 (書物)|孫子]]』の作者とされており<ref>この点には論争あり。論争の内容は『[[孫子 (書物)]]』を参照。</ref>、[[兵家]]の代表的人物。[[斉 (春秋)|斉]]国出身。字は長卿<ref>字は『[[新唐書]]』宰相世系三下による。名を武とするのは呉越春秋である。[[天野鎮雄]]は『孫武』という名前を名乗った人間が兵法に優れるということ自体が偶然すぎることであり、史記孫子呉起列伝に「孫子武は斉の人なり」とあるところから、字が子武、若しくは後世の諡が武である可能性を示唆している。</ref>。[[孫臏]]の先祖。「'''[[孫子]]'''」は尊称である。
[[画像:Enchoen27n3200.jpg|thumb|200px|[[鳥取県]][[湯梨浜町]][[燕趙園]]の孫武(孫子)像]]
「戦わずして勝つ」という[[戦略]]思想、戦闘の[[防勢作戦|防勢]]主義と短期[[決戦]]主義、また[[スパイ]]の重要視など、[[軍事研究]]において戦略や戦術、情報戦など幅広い領域で業績を顕し、[[ベイジル・リデル=ハート]]、[[毛沢東]]など、現代の軍事研究者、軍事指導者にも重要な思想的影響を与えた。その軍事思想は航空技術や核兵器など、古代に想定できなかった軍事技術の発展した数千年後の現代においても有効性を失わず、今なお研究対象とされている。
==伝記==
孫武に関する資料としては正史『[[史記]]』の他、呉越の興亡について記した野史([[載記]])の『[[呉越春秋]]』、孫子の先祖や子孫について述べた唐の正史『[[新唐書]]』「宰相世系三下」が主要な資料となる。これらの古文献の記述する孫武の伝記は以下のようなものであるが、史実性に関しては後述のとおり論争の対象である。
それによると、孫武の出自は斉国の大夫で後に[[田斉]]の[[公族]]・[[田 (姓)|田氏]]({{仮リンク|嬀|label=嬀姓|zh|妫姓}})である<ref>『呉越春秋』では呉の人だとする。天野鎮雄は孫武は呉の人だと考えており、孫武の友人であった伍子胥が子供を斉に預けた(『[[春秋左氏伝]]』[[哀公 (魯)|哀公]]十一年条)ことから、孫武の子供も伍子胥の子供と一緒に斉に預けられたのではないかと考えている。</ref>。孫武は若年から兵書に親しみ、[[黄帝]]と四帝の戦いや古代の[[伊尹]]、[[姜尚]]、[[管仲]]らの用兵策略を研究したという。紀元前517年頃、一族内で内紛があり、孫武は一家を連れ、[[江南]]の[[呉 (春秋)|呉]]国へと逃れ、呉の宰相・[[伍子胥]]の知遇を得る。孫武はその後、呉の王都・姑蘇郊外の山間に蟄居して『孫子』十三篇を著作した。
[[紀元前515年|前515年]]、呉の王に[[闔閭]]が即位すると、伍子胥は闔閭に「孫子兵法」を献上し、七回にわたり登用を説いたため、闔閭は孫武を宮中に呼び出して兵法を問うた。この時のエピソードが『[[史記]]』巻65[[孫子呉起列伝]]第5<ref>{{Cite wikisource|title=史記/卷065|author=司馬遷|wslanguage=zh}}</ref>に記されている次の「孫子勒姫兵」(孫子勒兵とも)である。
=== 孫子姫兵を勒す ===
闔閭「先生の著作十三篇はすべて読んだが、宮中の婦人で、少し軍の指揮を見せてもらうことはできるか」
孫武はこれを了承した。孫武は宮中の美女180人を集合させて二つの部隊とし、武器を持たせて整列させ、王の寵姫二人を各隊の隊長に任命した。
孫武が「左右前後がわかるか」と聞くと、一同「わかります」と答えた。孫武は「前といえば胸を、左と言えば左側、右と言えば右側、後ろと言えば背側を見よ」と言った。女性たちは「わかりました」と答えた。そこで将軍の印の鉄斧を置き、命令をはじめた。[[太鼓]]を打って「右!」と号令すると、宮女たちはどっと笑った。
孫武は「命令が不明確で徹底せざるは、将の罪なり」と言い、命令を何度も繰り返した後に「左!」と太鼓を打つと、また宮女たちはどっと笑った。
孫武は「命令が既に明確なのに実行されないのは、指揮官の罪なり」と言って、隊長の二人を[[斬首]]しようとした。壇上で見ていた闔閭は驚き「将軍の腕は既によくわかった。余はその二人がいないと飯もうまくないので、斬るのはやめてくれ」と止めようとしたが、孫武は「一たび将軍として任命を受けた以上、陣中にあっては君命でも従いかねる事がございます」と闔閭の寵姫を二人とも斬ってしまった。そして新たな隊長を選び号令を行うと、今度は女性部隊は命令どおり進退し、粛然声を出すものもなかった。
孫武は「兵は既に整いました。降りてきて見ていただきたい。水火の中へもゆくでしょう」と言ったが、闔閭は甚だ不興で「将軍はそろそろ帰られるがよろしい、余はそこに行きたくはない」と言った。孫武は「王は言を好まれても、実践はできないのですね」と答えた。しかし以後、闔閭は孫武の軍事の才を認めて将軍に任じたのである。
===活躍とその後===
[[画像:春秋時代.PNG|right|thumb|350px|孫武の活躍した春秋時代の諸国の位置関係]]
[[紀元前512年|前512年]]、孫武は将軍に任じられ、楚国の衛星国であった{{仮リンク|鍾吾|zh|钟吾国}}国と[[徐 (春秋)|徐]]国を攻略した。闔閭は勝利に乗じて楚国に進攻しようとしたが、孫武は「楚国は衰えてもいまだ強大です。また呉は戦いが続き兵が疲弊しています。今、楚を攻めるのは上策ではありません」と進言した。闔閭はこの意見に従い、また伍子胥の献策により、小部隊で楚の国境を絶えず挑発し、楚の大軍を国境に貼りつかせ、楚の国力を消耗させる作戦をとる。
6年後の[[紀元前506年|前506年]]、楚は呉の保護下にあった地方領主・[[唐 (春秋)|唐]]の[[成公 (唐)|成公]]と[[蔡]]の[[昭侯 (蔡)|昭侯]]を攻め、二人は呉に救援を求めた。機が熟したと考えた闔閭は孫武と伍子胥を左右の将として軍を発し、呉と楚の両軍は漢水の河畔・柏挙で会戦する([[柏挙の戦い]])。孫武の陽動作戦によって楚軍主力は別の地域におびき出され、呉軍本隊が現れ首都に向かうとの情報で急遽転進してきたため、戦場に到着したときには強行軍の連続で既に疲弊しきっていた。三万の呉軍は二十万の楚軍を大いに破り、さらに進撃して五戦して五勝し、十日のうちに楚の王都・郢城を陥落させて楚の[[昭王 (楚)|昭王]]を逃亡させる。強国・楚の大軍を寡兵で破ったこの戦いにより孫武の名は[[中原]]に轟いた。
その後、楚の臣の[[申包胥]]が[[秦]]に逃亡し、彼の策によって秦が呉国を攻めたので、呉軍はやむなく楚から撤退した。 以後呉は北方の斉、[[晋 (春秋)|晋]]を威圧して諸侯の間にその名を知らしめたが、それらの功績は孫武の働きによるところが大きかった。
[[紀元前496年|前496年]]、闔閭は孫武の意見を容れず[[越]]を攻めたが苦戦に陥り、闔閭は敵の矢による負傷が悪化して死亡した。孫武は伍子胥とともに太子の[[夫差]]を補佐して国力を養い、のちに呉は[[夫椒]]で越を大敗させ雪辱を果たした。
孫武の後半生については記録が残っていない。後漢の『[[載記]]』が引く『[[呉越春秋]]』夫差内伝によれば、孫武は讒言する者があって辞職を願い出たといい、以後の呉国に関する史書からは、孫武に関する記述が途絶える。その後夫差は次第に慢心するようになり、讒言によって孫武の莫逆の友であった伍子胥に、剣を賜り自決させる。孫武もまた誅殺されたとも、隠棲して実戦経験をもとに『孫子兵法』の改良に取り組んだとも言うが、何れも伝承の域をでない。
孫武の墓もはっきりしていない。[[蘇州市|蘇州]]の北にある陵墓が孫武のものであるという説もあるが確定していない。
== 史実性に関する論争 ==
孫武が実在した武将なのかどうか、古くから中国史学者の間では論争が続いていた。そもそも[[呉 (春秋)|呉]]で大活躍した武将にもかかわらず、呉に詳しい『[[春秋左氏伝]]』に孫武の話が全く登場しないというのが不自然である。その上、孫子兵法は兵法十三編のはずだが、『[[漢書]]』「[[芸文志]]」ではなぜか八十二編になっているなど謎が多いためである。
既に[[北宋]]の兵法家・[[梅堯臣]]が、「[[戦国時代 (中国)|戦国時代]]の話のようだ」と孫子兵法と孫武の関係を疑問視していたが、[[南宋]]の[[葉適]]はさらに一歩を進めて、以下のように孫武非実在説を唱えた。「[[春秋時代]]に、他国の人を将軍にした話は全くない。呉の人でもない孫武が、なぜ将軍になれたのだろうか?『春秋左氏伝』に孫武が登場しないのも、おかしいではないか。(結局)孫子の兵法は、春秋の末、戦国の初めの、名もない山林の隠者の作であろう。呉で大活躍したなどというのは、兵法家連中の大げさなデマ、でっちあげだ。[[闔閭]]の姫を斬った話など、実に異常ではないか。まったく信用が置けない」(『古今偽書考』に引く葉適の説)。
この説に賛同する者は多く、[[全祖望]]、[[斎藤拙堂]]、[[斉志和]]らなどが孫武非実在説の学者は複数いる。理由を整理すると、『[[史記]]』以前の『春秋左氏伝』等の有力な古籍に孫武の名が全く見られないこと、「武」という名が出来すぎていること、『漢書』「芸文志」には「呉孫子兵法八十二篇図九巻」あって、現行の十三篇の孫子と符合しないことなどである。ただし、この孫武非実在説が正しいかどうかも論争の対象となっていて、『古今偽書考』では、「では史記の孫武の記述はウソなのか?孫武は実在したのか?しなかったのか?もはや古代のことで全くわからない」と、さじを投げている。
彼らは『史記』などの古文献の記述の真実性を疑問視し、更に孫子の文章の中に戦国時代の思想である「形名」「五行」<ref>[[銭穆]]によれば勢篇に登場する「形名」は[[法家]]思想の「形名参同説」に由来、斉志和は虚実篇の「五行」は[[陰陽家]]の「陰陽五行説」ではないかと考えている。いずれも戦国末期の思想家が唱えたものであり、孫武生前には存在しないことを証拠として、孫子の書が孫武と無関係であることを主張している。</ref>などが登場する上、春秋時代の合戦の有様と孫子の文章が相違している点が多いことを論じている。この一派を「疑古派」と称し、彼等により『孫子』は[[孫臏]]の著作とするもの、ひいては孫武自体が架空の人物であるとする見解が、[[清]]末期から現代にかけて有力になったこともあった。1980年代頃までの孫子の解説書は概ね当時主流のこの立場に拠り、孫武は架空の人物と断定した記述がある。例えば、1961年に出版された[[貝塚茂樹]]の『諸子百家』(岩波新書)では、「孫子の兵法は呉の軍師孫武の作だというのは全くのデタラメで、孫臏自身の作品に他ならないことが最近明らかにされた」と断じている。だが[[1972年]]、[[山東省]]臨沂県で発掘された一群の[[銀雀山漢簡]]で『孫子兵法』十三編と、孫臏の著した兵法書(『[[孫臏兵法]]』)の竹簡が発見された。さらに分析の結果『孫子』十三編は『孫臏兵法』とは別物であることが証明され、孫武の実在が確かめられたのである([[金谷治]]の説)。
ただし、孫武の事跡に関する史実性に関しては論争が継続しており決着を見ていない。研究者の一部からは、『史記』孫子伝の信憑性が疑われている。特に孫子勒姫兵(孫子勒兵)の故事については「指揮に従わないというだけで隊長を処刑することも、その他の行動も孫子兵法に合致しない。この話は孫子の兵法を曲解した後世の者の創作であろう」([[天野鎮雄]]、要約)、「説話的で、史実とは考え難い」(金谷治、同)等の意見も有力である。金谷治は、『孫臏兵法』に「孫氏の道」とあることから、孫武を中心にした孫氏学派のような兵法家集団がおり、今の孫子兵法は孫武の作に兵法家たちが付加して成立したものだと考えており、天野鎮雄は、孫子兵法の重複部分を削ったものが、おそらく孫武の真作に近い部分ではないかと考え、「原孫子」を推定している。
==孫子の子孫==
上記の『新唐書』「宰相世系三下」によると孫一門は、[[田完]]から五世の子孫である孫武の祖父が軍功あって[[孫氏|孫姓]]を賜ったことに遡る。
それによると、孫武につき「(孫)[[孫憑|憑]]は武を生む。(武の)字は長卿。田・鮑四族の謀、乱を為すを以て,呉に奔り,将軍となる。三子あり、馳、明、敵なり」とし、孫武には[[孫馳]]・[[孫明]]・[[孫敵]]という三人の息子がいたと記述する。次男の孫明は呉の富春郡を賜り、後の富春孫氏の祖となったと伝わる。富春孫氏はまた'''富春龍門孫氏'''と称され、『[[四庫全書]]』によれば[[三国時代 (中国)|三国時代]]の[[孫堅]]、[[孫策]]、[[孫権]]父子はこの家系とされる。
一方で『[[三国志 (歴史書)|三国志]]』の著者[[陳寿]]は「孫堅は孫子の子孫だといわれる」と曖昧に記し、さらに[[南朝 (中国)|南朝]]の[[劉宋|宋代]]の『異苑』は、孫堅の父は「瓜売り」の[[孫鍾]]なる人物であったとする。同時期の『幽明録』(現在は散逸)や、[[東晋]]の[[裴啓]]の『裴子語林』にも孫鍾の名が記されているなど反証も多く、孫堅が実際に孫武の子孫かどうかは疑問が多い。
現在の[[浙江省]][[杭州市]][[富陽区]]南部のある村では、住人の9割が「孫氏」を名乗り、富春孫氏の末裔を称する。村に伝わる族譜によると、[[客家]]の[[孫文]]もまた富春孫氏に連なるという。中国政府の調査によると、この族譜は清代のものである<ref>[[日本放送協会|NHK]]『三国志の子孫を探せ』</ref>。
==孫武を題材にした作品==
;小説
*[[海音寺潮五郎]] 『孫子』 [[毎日新聞社]]、1964年 のち[[講談社文庫]] のち講談社文庫・新装版(上下巻)
:初出時は『小説孫子』。戦後の孫子ブームの頃、[[毎日新聞]]から依頼され海音寺が書いたものである。作者によれば、史記・孫子呉起列伝は簡潔すぎて書きようがなく、兵法書・孫子から類推して人物造形を行ったという。この本の創作が史実のように引用されることもあるため注意を要する。
*[[鄭飛石]]、[[李銀沢]]訳 『孫子の兵法(上・下)』 光文社、1986年。
;漫画
*[[鄭問]]『[[東周英雄伝]]』より「孫武」
*[[杜康潤]] 『[[江河の如く 孫子物語]]』[[KADOKAWA]]([[中経出版]]BC)[[ComicWalker|ComicWalker「キトラ」]]連載、単巻(書籍扱い)、2015年。
;・[[横山光輝]] 『[[史記 (横山光輝の漫画)|史記]]』
;テレビドラマ
*『[[孫子 (テレビドラマ)|孫子]]』(原題:孫武、1997年、中国、孫武役:[[孫彦軍]])
*『[[孫子兵法 (テレビドラマ)|孫子兵法]]』(原題:兵聖、2008年、中国、孫武役:[[朱亜文]])
*『[[孫子《兵法》大伝]]』(原題:孫子大傳、2010年、中国、孫武役:[[張豊毅]])
==参考文献==
*天野鎮雄訳著『孫子 呉子 [[新釈漢文大系]]36』[[明治書院]]、1972年
**新版『孫子 呉子 [[新書漢文大系]]3』 三浦吉明編、明治書院、2002年
*[[山井湧]]訳著『孫子・呉子 [[全釈漢文大系]]22』[[集英社]]、1975年
*[[金谷治]]訳注『新訂 孫子』<ref>岩波版・金谷治訳の初版は1963年。単行・ワイド版も刊行。</ref>[[岩波文庫]]、2000年、ワイド版2001年。
*[[浅野裕一]]『「孫子」を読む』[[講談社現代新書]]、1993年
*浅野裕一『孫子』[[講談社学術文庫]]、1997年
**元版『中国の古典 孫子』[[講談社]]、1986年
*[[貝塚茂樹]]『諸子百家』[[岩波新書]]、1961年
*佐藤堅司『孫子の思想史的研究』[[原書房]]、1980年
*河野収『竹簡孫子入門』大学教育社、1982年
*[[大橋武夫]]『兵書研究』日本工業新聞社、1978年
*[[海音寺潮五郎]]『孫子』[[講談社]]文庫、1974年、改版・全2巻、2008年
*『図説 孫子 思想と実践』[[国書刊行会]]、2016年
:趙海軍 主編/孫遠方・孫兵 副主編/[[浅野裕一]] 監修、三浦吉明 翻訳
*平井洋一「孫子の兵法国際会議参加所見」『防衛学研究』第5号、1991年
*宇佐見哲男「中国第二回孫子兵法国際会議に参加して」『防衛学研究』第5号、1991年
*Crossland, R. L. 1983. Review of the art of war. in [[Proceedings (雑誌)|Naval Institute Proceedings]]. November, pp.105-6.
*[[ベイジル・リデル=ハート|Liddell Hart, B.]] 1976. Sun Tzu: From the art of war. in The sword and the pen: Selections from the World's greatest military writtings, ed. A Liddell Hart. New York: Crowell.
*Ramsey, D. K. 1987. The corporate warriors. Boston: Houghton Mifflin.
*Sun Tzu. 1963. The art of war. trans. S. B. Griffith. Foreword by B. H. Liddell Hart. New York and Oxford: Oxford Univ. Press.
*Tashjean, J. E. 1987. The classics of military thought: Appreciation and agenda. Defense Analysis 3:245-65.
*Tun-Hwa, K. 1972. An introduction to the Chinese military classics. Military Review. Fort Leavenworth, Kans.: U.S. Army Command and General Staff College.
==脚注==
{{Reflist}}
== 関連項目 ==
{{Wikiquote|孫子}}
{{wikisourcelang|zh|作者:孫武|孫武}}
*[[孫臏]]
*[[戦国策]]
== 外部リンク ==
* [http://www.china7.jp/bbs/board.php?bo_table=2_5&wr_id=30 孫武 - 孫子兵法の著者]
* 高橋未来、「[https://doi.org/10.24672/gkokugokokubun.48.0_123 杜牧撰『注孫子』の故事と杜佑撰『通典』に関する一考察]」 『学芸国語国文学』 2018年 48巻 p.123-133, {{doi|10.24672/gkokugokokubun.48.0_123}}
* [https://osu.repo.nii.ac.jp/?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_detail&item_id=2186&item_no=1&page_id=13&block_id=21 『孫子算経』訳注稿(1)]
* [https://toyo-bunko.repo.nii.ac.jp/?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_detail&item_id=5804&item_no=1&page_id=25&block_id=47 『夏譯《孫子兵法》研究 上冊・下冊』]
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AES
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AESは略語であり、いくつかの意味を持つ。 米国政府の次世代標準共通鍵暗号方式、Advanced Encryption Standard のこと。
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分光法の一つ、オージェ電子分光(Auger Electron Spectroscopy)のこと。
アメリカ優生学協会 のこと。
オーディオ技術(音響技術)者、研究者など専門家の団体で、オーディオに関する唯一の国際組織。オーディオ工学やその関連分野における科学発展に寄与することを目的としている。Audio Engineering Society
家庭用向けゲーム機であるネオジオとネオジオCDの通称である、ADVANCED ENTERTAINMENT SYSTEM の略語。
かつて存在したキヤノングループの人材開発会社。AES (企業)を参照。
Aalto Entrepreneurship Society
南アメリカの共和国、チリの国有鉄道が運行する電車の名称。チリ国鉄の電車#AESを参照。
WP:AES
AESコーポレーション - アメリカ合衆国の企業
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'''AES'''は[[略語]]であり、いくつかの意味を持つ。
* [[アメリカ合衆国|米国]]政府の次世代標準[[共通鍵暗号]]方式、[[Advanced Encryption Standard]] のこと。
* [[AES-NI]]
* 分光法の一つ、[[オージェ電子分光]](Auger Electron Spectroscopy)のこと。
* [[アメリカ優生学協会]] (American Eugenics Society) のこと。
* オーディオ技術(音響技術)者、研究者など専門家の団体で、オーディオに関する唯一の国際組織。オーディオ工学やその関連分野における科学発展に寄与することを目的としている。{{仮リンク|Audio Engineering Society|en|Audio Engineering Society}}
* 家庭用向けゲーム機である[[ネオジオ]]と[[ネオジオCD]]の通称である、ADVANCED ENTERTAINMENT SYSTEM の略語。
* かつて存在した[[キヤノン]]グループの人材開発会社。[[AES (企業)]]を参照。
* {{仮リンク|Aalto Entrepreneurship Society|en|Aalto Entrepreneurship Society}}
* [[南アメリカ]]の[[共和国]]、[[チリ]]の[[チリ国鉄|国有鉄道]]が運行する電車の名称。[[チリ国鉄の電車#AES]]を参照。
* [[WP:AES]]
* [[AESコーポレーション]] - アメリカ合衆国の企業
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縦横家
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縦横家(じゅうおうか、しょうおうか)は、中国古代の思想家たちで、諸子百家の一つ。外交の策士として各国の間を行き来した人たちのことである。
巧みな弁舌と奇抜な発想で諸侯を説き伏せ、あわよくば自らが高い地位に昇ろうとする、そのような行為を弁舌によって行う者が縦横家である。合従策を唱えた蘇秦と連衡策を唱えた張儀が有名。蘇秦はその弁舌によって同時に六国の宰相を兼ねたとされている。
「縦横家」という言葉も彼らの策の名前に由来する。詳しくは「合従連衡」を参照。
諸子百家といわれるものにはほかにも各国を説いて回ったものはいるが、それらの多くがそれぞれの思想に基づく理想を実現するためであったのに対して、いわゆる縦横家にはそのようなものはなく、ただそれぞれの国において喜ばれるような政治手法を論じるのが常であった。たとえば蘇秦は合従を燕の文公に説いて六国をまとめ、十五年にわたって秦の東進を止めたが、伝説によると燕を訪れる前に彼は秦に向かっており、そこでは彼は東進して覇を唱える方法を論じた。彼が秦で認められなかったのは全く秦の都合だけであったという。
縦横家の書物は、『鬼谷子』を除いて全て散逸してしまった。そのため『史記』や『戦国策』などの中に活躍が伝わるのみだった。
しかし1970年代、馬王堆漢墓から、蘇秦の書簡や弁論を集めた書物『戦国縦横家書(中国語版)』が出土した。同書は日本語訳も刊行されている。
2021年には、睡虎地秦墓そばの鄭家湖墓地の戦国末期秦墓から、「筡」(と)という名の遊説家が、秦の荘襄王に停戦論を訴える『賤臣筡西問秦王』が出土した。
以下は『漢書』芸文志に記載される、縦横家の書籍の一覧である。いずれも散逸した。
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縦横家(じゅうおうか、しょうおうか)は、中国古代の思想家たちで、諸子百家の一つ。外交の策士として各国の間を行き来した人たちのことである。
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{{諸子百家}}
'''縦横家'''(じゅうおうか、しょうおうか)は、[[中国]]古代の[[思想家]]たちで、[[諸子百家]]の一つ。[[外交]]の策士として各国の間を行き来した人たちのことである。
== 概要 ==
巧みな弁舌と奇抜な発想で諸侯を説き伏せ、あわよくば自らが高い地位に昇ろうとする、そのような行為を弁舌によって行う者が縦横家である。合従策を唱えた[[蘇秦]]と連衡策を唱えた[[張儀]]が有名。[[蘇秦]]はその弁舌によって同時に六国の宰相を兼ねたとされている。
「縦横家」という言葉も彼らの策の名前に由来する。詳しくは「[[合従連衡]]」を参照。
*'''合従'''は諸国が連合し秦に対抗する政策のことで、これは、秦以外の国が秦の東に南北に並んでいること(「縦」=「従」)による。
*'''連衡'''は秦と同盟し生き残りを図る政策のことで、秦とそれ以外の国が手を組んだ場合、それらが東西に並ぶことを「横」=「衡」といったことによる。
諸子百家といわれるものにはほかにも各国を説いて回ったものはいるが、それらの多くがそれぞれの思想に基づく理想を実現するためであったのに対して、いわゆる縦横家にはそのようなものはなく、ただそれぞれの国において喜ばれるような政治手法を論じるのが常であった。たとえば[[蘇秦]]は合従を[[燕 (春秋)|燕]]の文公に説いて六国をまとめ、十五年にわたって[[秦]]の東進を止めたが、伝説によると燕を訪れる前に彼は秦に向かっており、そこでは彼は東進して覇を唱える方法を論じた。彼が秦で認められなかったのは全く秦の都合だけであったという。
==主な人物==
*[[蘇秦]]
*[[張儀]]
*[[鬼谷子]]
*[[蘇代]]
*[[陳軫]] -「[[蛇足]]」の故事で知られる。
*[[公孫衍]]
*[[龐煖]]
==書物==
=== 概観 ===
縦横家の書物は、『[[鬼谷子]]』を除いて全て[[逸文|散逸]]してしまった。そのため『[[史記]]』や『[[戦国策]]』などの中に活躍が伝わるのみだった。
しかし1970年代、[[馬王堆漢墓]]から、蘇秦の[[書簡]]や弁論を集めた書物『{{仮リンク|戦国縦横家書|zh|戰國縱橫家書|label=}}』が出土した<ref name=":0">{{Cite web|和書|title=UTokyo BiblioPlaza 戦国縦横家書 |url=https://www.u-tokyo.ac.jp/biblioplaza/ja/B_00066.html |website=www.u-tokyo.ac.jp |accessdate=2020-09-03 |language=ja |publisher=[[東京大学]] |author=[[大西克也]] |date=2016}}</ref>。同書は日本語訳も刊行されている<ref name=":1">{{Cite book|和書 |title=戦国縦横家書 馬王堆出土文献訳注叢書 |date= |year=2015 |publisher=[[東方書店]] |author=大西克也、大櫛敦弘 |isbn=978-4497215130}}</ref>。
2021年には、[[睡虎地秦簡|睡虎地秦墓]]そばの[[鄭家湖墓地]]の戦国末期秦墓から、「筡」(と)という名の遊説家が、秦の[[荘襄王]]に停戦論を訴える『賤臣筡西問秦王』が出土した<ref name=":2">{{Citation|和書|title=始皇帝の愛読書 帝王を支えた書物の変遷|last=鶴間|first=和幸|author-link=鶴間和幸|year=2023|publisher=山川出版社|isbn=9784634152168}}82-88頁。</ref>。
=== 『漢書』芸文志による一覧===
以下は『[[漢書]]』[[芸文志]]に記載される、縦横家の書籍の一覧である<ref name="geimonshi">[http://ctext.org/han-shu/yi-wen-zhi 中國哲學書電子化計劃『漢書』「藝文志」]</ref>。いずれも散逸した。
* 『蘇子』三十一篇([[蘇秦]])
* 『張子』十篇([[張儀]])
* 『[[龐煖]]』二篇
* 『闕子』一篇
* 『国筮子』十七篇
* 『秦零陵令信』一篇
* 『蒯子』五篇([[蒯通|蒯徹]]―避諱による通名は蒯通)
* 『[[鄒陽]]』七篇
* 『[[主父偃]]』二十八篇
* 『[[徐楽]]』一篇
* 『[[荘安]]』一篇
* 『待詔金馬聊蒼』三篇
=== 新出文献 ===
* [[馬王堆帛書]]『{{仮リンク|戦国縦横家書|zh|戰國縱橫家書|label=}}』<ref name=":0" /><ref name=":1" />
* 鄭家湖秦觚『賤臣筡西問秦王』<ref name=":2" />
=== その他 ===
* 『[[鬼谷子]]』([[鬼谷]]) - 一般に偽書とされる。
* 『[[戦国策]]』 - 主に戦国時代の縦横家の活動を記した書籍。『漢書』芸文志では、『戦国策』自体は春秋家(歴史家の書物)に分類されている。
* [[史記#列伝|『史記』列伝]]
== 脚注 ==
<references />
== 参考文献 ==
*司馬遷:小川環樹・今鷹真・福島吉彦訳、『[[史記]]列伝(一)』、(1975)、岩波書店(岩波文庫)
==関連項目==
*[[合従連衡]]
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[[Category:縦横家|*]]
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16,302 |
三伏
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三伏(さんぷく)とは、初伏(しょふく)、中伏(ちゅうふく)、末伏(まっぷく)の総称で、選日の1つ。
陰陽五行説において庚(かのえ)は陽金であり、金は火に伏せられること(火剋金)から、火性の最も盛んな夏季の庚日は凶であるとする。 そこで夏季3回の庚日を三伏とする。三伏の日取りは流派により異なるが、最も一般的な物では夏至以後の3回目、4回目と立秋以後の最初の庚日をそれぞれ初伏、中伏、末伏とする。 夏至以後の3回目、4回目、5回目、小暑以後の1回目、2回目、3回目とする物もある。いずれの方法でも起算する日が庚である場合はその日を1回目とする。種蒔き、療養、遠行、男女和合など、全て慎むべき日とされている。 三伏の時期は、7月中旬から8月上旬と酷暑の頃で、「三伏の候」「三伏の猛暑」と手紙の前文に書くなど酷暑の頃を表す言葉として現在も用いられている。 三伏に合わせ、朝鮮文化では暑気払いとしてサムゲタン、ユッケジャン等の鶏肉料理や犬肉料理をよく食べる。鶏肉や犬肉が日本のウナギと同様に夏場の強壮食品と認識されているためである。 中国医学では「冬の病は夏に治す」という理論に基づき、膏薬を体に貼って冬に掛かりやすい病気を予防する処置が三伏に行われることから「三伏貼(中国語版)」と呼ばれている。
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中国医学では「冬の病は夏に治す」という理論に基づき、膏薬を体に貼って冬に掛かりやすい病気を予防する処置が三伏に行われることから「三伏貼」と呼ばれている。
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'''三伏'''(さんぷく)とは、'''初伏'''(しょふく)、'''中伏'''(ちゅうふく)、'''末伏'''(まっぷく)の総称で、[[選日]]の1つ。[[File:San-fu-tieh.jpg|thumb|260px|三伏貼の処置を受ける人]]
[[陰陽五行思想|陰陽五行説]]において[[庚]](かのえ)は陽金であり、金は火に伏せられること(火剋金)から、火性の最も盛んな夏季の庚日は凶であるとする。
そこで夏季3回の庚日を三伏とする。三伏の日取りは流派により異なるが、最も一般的な物では[[夏至]]以後の3回目、4回目と[[立秋]]以後の最初の庚日をそれぞれ初伏、中伏、末伏とする。
夏至以後の3回目、4回目、5回目、[[小暑]]以後の1回目、2回目、3回目とする物もある。いずれの方法でも起算する日が庚である場合はその日を1回目とする。種蒔き、療養、遠行、男女和合など、全て慎むべき日とされている。
三伏の時期は、[[7月]]中旬から[[8月]]上旬と酷暑の頃で、「三伏の候」「三伏の猛暑」と手紙の前文に書くなど酷暑の頃を表す言葉として現在も用いられている。
三伏に合わせ、[[朝鮮の文化|朝鮮文化]]では暑気払いとして[[サムゲタン]]、[[ユッケジャン]]等の[[鶏肉料理]]や[[犬肉料理]]をよく食べる<ref>{{Cite web|和書|date=2019-07-13 |url=https://www.afpbb.com/articles/-/3235070?cx_part=outbrain |title=韓国の養犬業者ら、犬肉食べて気勢上げる 動物愛護団体のデモに対抗 |publisher=[[フランス通信社|AFP]] |accessdate=2019-07-26}}</ref>。鶏肉や犬肉が[[日本]]の[[ウナギ]]と同様に夏場の強壮食品と認識されているためである。
[[中国医学]]では「冬の病は夏に治す」という理論に基づき、[[軟膏剤|膏薬]]を体に貼って冬に掛かりやすい病気を予防する処置が三伏に行われることから「{{仮リンク|三伏貼|zh|三伏貼}}」と呼ばれている<ref>{{Cite web|和書|date=2020-08-12 |url=https://www.afpbb.com/articles/-/3298707 |title=中国医学の伝統療法「三伏貼」、冬の病を夏に治す |publisher=AFP |accessdate=2021-04-28}}</ref>。
==脚注==
{{脚注ヘルプ}}
{{Reflist}}
== 参考文献 ==
* {{Cite book|和書
|author = [[岡田芳朗]]、[[阿久根末忠]]
|year = 1993
|title = 現代こよみ読み解き事典
|publisher = 柏書房
|isbn = 4-7601-0951-X
}}
== 関連項目 ==
* [[ドッグ・デイズ]]
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南海鋼索線
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鋼索線(こうさくせん)は、和歌山県伊都郡高野町にある南海高野線の終点極楽橋駅から霊峰高野山の玄関口である高野山駅までを結ぶ、南海電気鉄道のケーブルカー路線。通称は「高野山ケーブル」で、高野線橋本駅 - 極楽橋駅間とともに「こうや花鉄道」の愛称が付いている。
2両連結の車両2編成が最大568.2‰の勾配を往復している。2019年3月1日から4代目の車両N11・N21とN12・N22で運行されている。極楽橋駅では高野線の列車と、高野山駅では金剛峯寺などがある高野町の中心部とを結ぶ南海りんかんバスの路線バスと接続している。
南海がPiTaPaを導入した2006年7月1日から、PiTaPaおよびICOCAなどPiTaPaと相互利用可能なIC乗車カードが利用できる。鋼索鉄道(ケーブルカー)でICカードを導入したのは、日本国内では当路線が初めてである。
高野線の列車の極楽橋駅発着時刻に合わせて運行されている。このため、運転間隔は不均等だが、おおむね10 - 40分毎に運行され所要時間は5分。また、積み残しが発生した場合には当該便の7分後に臨時便を運転する。
交走式ケーブルのため、極楽橋・高野山両駅の発車時刻は同一であるが、高野山駅発極楽橋行きの場合、極楽橋駅で高野線の接続列車がない場合は回送便として客扱いを行わない。このため、上りと下りで時刻表上の運行本数に差がある。
過去には、極楽橋で難波方面への接続列車がない便でも客扱いを行っていた。例えば、2008年11月時点では、高野山駅発極楽橋駅行き最終便は22時42分発であったが、高野線の最終列車後であり、乗客はほとんどいなかった。実質的な最終便は、その1本前(21時40分発)であり、極楽橋駅で橋本行き最終各駅停車(21時48分発)に接続し、橋本駅では難波行き急行(22時30分発)に約2分で接続していた。
また、災害や定期点検などで運休する場合は、高野線橋本駅から南海りんかんバスによる代行バスが運行される。
運賃は片道500円(小人半額。2019年10月1日現在)。南海電鉄の鉄道線と跨って利用する場合は鉄道線の運賃にそのまま加算される。乗り継ぎ割引は適用されない。
なお、駅発車時と駅進入時に警笛を吹鳴する。発車直後には高野山の観光案内をBGMとともに、女性の自動音声で放送する。車内放送は英語、フランス語にも対応している。
2015年4月2日から5月21日にかけて「高野山開創1200年記念大法会」が執り行われたため、当該期間中は極楽橋駅に発着する南海高野線の臨時列車の運転時刻に合わせて、このケーブルカーにおいても増発が行われていた。
全駅和歌山県伊都郡高野町内に所在。
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鋼索線(こうさくせん)は、和歌山県伊都郡高野町にある南海高野線の終点極楽橋駅から霊峰高野山の玄関口である高野山駅までを結ぶ、南海電気鉄道のケーブルカー路線。通称は「高野山ケーブル」で、高野線橋本駅 - 極楽橋駅間とともに「こうや花鉄道」の愛称が付いている。
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{{Infobox 鉄道路線
|路線名 = [[File:Nankai group logo.svg|24px|link=南海電気鉄道]] 鋼索線
|通称 = 高野山ケーブル<br />こうや花鉄道
|路線色 = #009A41
|ロゴ = Nankai koya line simbole.svg
|ロゴサイズ = 48px
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|画像サイズ = 300px
|画像説明 = 4代目の鋼索線車両([[南海N10・20形客車|N12・N22]])
|種類 = [[ケーブルカー|鋼索鉄道]](単線2編成交走式)
|国 = {{JPN}}
|所在地 = [[和歌山県]]
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|駅数 = 2駅
|路線記号 = [[File:Number prefix Nankai Railway line.svg|25px|NK]] NK
|開業 = [[1930年]][[6月29日]]
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|路線図 = Nankai Electric Railway Linemap.svg
|路線図表示 = collapsed
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'''鋼索線'''(こうさくせん)は、[[和歌山県]][[伊都郡]][[高野町]]にある[[南海高野線]]の終点[[極楽橋駅]]から霊峰[[高野山]]の玄関口である[[高野山駅]]までを結ぶ、[[南海電気鉄道]]の[[ケーブルカー]]路線。通称は「'''高野山ケーブル'''」<ref>{{Cite web|和書| url = http://www.nankaikoya.jp/iku/06.html | archiveurl = https://web.archive.org/web/20080515021751/http://www.nankaikoya.jp/iku/06.html | author = 鏡堂義章 | title = 第1回「高野山ケーブル」 | website = 南海高野ほっと・ねっと |work = 電車&ケーブルカーコラム | publisher = [[南海電気鉄道]] | accessdate = 2008-4-21 | archivedate = 2008-5-15 | deadlinkdate = 2018年11月24日}}</ref>で、高野線[[橋本駅 (和歌山県)|橋本駅]] - 極楽橋駅間とともに「'''こうや花鉄道'''」の愛称が付いている。
== 概要 ==
{{BS-map
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2両連結の車両2編成が最大568.2[[パーミル|‰]]の勾配を往復している。2019年3月1日から4代目の車両[[南海N10・20形客車|N11・N21とN12・N22]]で運行されている<ref name="railfjp20190302" />。極楽橋駅では高野線の列車と、高野山駅では[[金剛峯寺]]などがある高野町の中心部とを結ぶ[[南海りんかんバス]]の路線バスと接続している。
南海が[[PiTaPa]]を導入した2006年7月1日から、PiTaPaおよび[[ICOCA]]などPiTaPaと相互利用可能な[[乗車カード|IC乗車カード]]が利用できる。鋼索鉄道(ケーブルカー)でICカードを導入したのは、日本国内では当路線が初めてである。
=== 路線データ ===
*路線距離([[営業キロ]]):0.8 km
*方式:単線2両交走式
*[[軌間]]:1,067 mm
*駅数:2駅(起終点駅含む)
*高低差:328 m
*最急勾配:568.2 [[パーミル|‰]](29[[度 (角度)|°]]21[[分 (角度)|′]])
== 運行形態 ==
高野線の列車の極楽橋駅発着時刻に合わせて運行されている。このため、運転間隔は不均等だが、おおむね10 - 40分毎に運行され所要時間は5分。また、積み残しが発生した場合には当該便の7分後に臨時便を運転する。
交走式ケーブルのため、極楽橋・高野山両駅の発車時刻は同一であるが、高野山駅発極楽橋行きの場合、極楽橋駅で高野線の接続列車がない場合は回送便として客扱いを行わない。このため、上りと下りで時刻表上の運行本数に差がある<ref>{{PDFlink|[http://www.nankai.co.jp/library/traffic/jikoku/pdf/koya_5/k_02.pdf 高野山駅ケーブル時刻表]}}と{{PDFlink|[http://www.nankai.co.jp/library/traffic/jikoku/pdf/koya_5/k_01.pdf 極楽橋駅ケーブル時刻表]}}の比較による</ref>。
過去には、極楽橋で難波方面への接続列車がない便でも客扱いを行っていた。例えば、2008年11月時点では、高野山駅発極楽橋駅行き最終便は22時42分発であったが、高野線の[[終電|最終列車]]後であり、乗客はほとんどいなかった。実質的な最終便は、その1本前(21時40分発)であり、極楽橋駅で橋本行き最終[[各駅停車]](21時48分発)に接続し、橋本駅では難波行き急行(22時30分発)に約2分で接続していた<ref>南海高野線主要駅で無料配布された冊子型の「南海電鉄(高野線)時刻表」2008年11月発行分より</ref>。
また、災害や定期点検などで運休する場合は、高野線[[橋本駅 (和歌山県)|橋本駅]]から[[南海りんかんバス]]による[[代行バス]]が運行される。
運賃は片道500円(小人半額。2019年10月1日現在)<ref>{{Cite web|和書|title=高野山ケーブルは片道500円へ、南海が運賃改定を申請|url=https://www.tetsudo.com/news/2148/|website=鉄道コム|date=2019-08-01JST14:37:52|accessdate=2019-11-22|language=ja}}</ref>。南海電鉄の鉄道線と跨って利用する場合は鉄道線の運賃にそのまま加算される。乗り継ぎ割引は適用されない。
なお、駅発車時と駅進入時に[[警笛]]を吹鳴する。発車直後には高野山の観光案内を[[背景音楽|BGM]]とともに、女性の自動音声で放送する。車内放送は[[英語]]、[[フランス語]]にも対応している。
[[2015年]][[4月2日]]から[[5月21日]]にかけて「'''高野山開創1200年記念大法会'''」が執り行われたため、当該期間中は極楽橋駅に発着する南海高野線の臨時列車の運転時刻に合わせて、このケーブルカーにおいても増発が行われていた<ref>{{PDFlink|[http://www.nankai.co.jp/library/company/news/pdf/150128.pdf 高野山開創1200年記念大法会期間中の臨時ダイヤ&両数変更について]}} - 南海電気鉄道 2015年1月28日</ref>。
== 歴史 ==
*[[1924年]]([[大正]]13年)[[4月8日]]:高野登山鋼索鉄道に対し鉄道免許状下付(伊都郡高野村-同郡九度山町間)<ref>[{{NDLDC|2955645/6}} 「鉄道免許状下付」『官報』1924年4月23日](国立国会図書館デジタルコレクション)</ref>。
*[[1925年]](大正14年)[[4月4日]]:[[高野山電気鉄道]]に改称(届出)<ref>[{{NDLDC|1022015/531}} 『鉄道省鉄道統計資料. 大正14年度』](国立国会図書館デジタルコレクション)</ref>
*[[1930年]]([[昭和]]5年)[[6月29日]]:高野山電気鉄道により極楽橋 - 高野山間が開業。
*[[1947年]](昭和22年)[[3月15日]]:社名変更により、南海電気鉄道鋼索線となる。
*[[1953年]](昭和28年)[[6月23日]]:車両を2代目のコ1形に置き換える。当時としては採用例の少ない[[アルミニウム合金製の鉄道車両|アルミ合金製]]。
*[[1964年]](昭和39年)[[12月17日]]:車両を3代目の[[南海コ11・21形客車|コ11・21形]]に置き換える。2両連結となる。
*[[2018年]]([[平成]]30年)[[11月26日]] - [[2019年]](平成31年)[[2月28日]]:車両の新造ならびに諸設備の更新工事実施のため運休<ref>{{Cite web|和書
| url = http://www.nankai.co.jp/traffic/info/cablecar.html
| archiveurl = https://web.archive.org/web/20180623112936/http://www.nankai.co.jp/traffic/info/cablecar.html
| title = 高野山ケーブルカーの新造及びそれに伴うバス代行輸送について
| accessdate = 2018-7-27
| archivedate = 2018-6-23
| publisher = 南海電気鉄道 }}</ref>。
**この間、[[高野山駅]]まで向かう一部道路が降雪・路面凍結のため、大型車両の通行が不可能となることから、大門南駐車場を高野山駅の臨時施設に指定し、[[橋本駅 (和歌山県)|橋本駅]] - 大門南駐車場間の[[京奈和自動車道]]経由[[代行バス]]を運行<ref>[https://www.nankai.co.jp/library/company/news/pdf/181029_2.pdf 高野山ケーブルカー新造工事に伴うバス代行輸送について] - 南海電気鉄道 2018年10月29日</ref>。
*[[2019年]](平成31年)[[3月1日]]:運行再開。車両を4代目の[[南海N10・20形客車|N10・20形]]に置き換える<ref>[https://www.asahi.com/articles/ASL665VM8L66PLFA005.html 高野山ケーブルカー、半世紀ぶり新型 朱色の流線形に] - 朝日新聞デジタル、2018年6月8日</ref><ref>{{Cite web|和書|title=南海電鉄、高野山ケーブルカー新型車両3/1から - キャンペーンも|url=https://news.mynavi.jp/article/20190219-774010/|website=マイナビニュース|date=2019-02-19|accessdate=2019-02-21|language=ja}}</ref><ref name="railfjp20190302">{{Cite web|和書|url=https://railf.jp/news/2019/03/02/000000.html |title=高野山ケーブルで新形車両の運転開始 |website=鉄道ファン railf.jp |publisher=交友社 |date=2019-03-02 |accessdate=2019-03-02}}</ref>。
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File:Nankai Koyasan Station 20161112.jpg|鋼索線 高野山駅(2016年11月)
File:Nankai Koyasan Cable.jpg|3代目の鋼索線車両([[南海コ11・21形客車|コ11・21形]])
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== 駅一覧 ==
全駅[[和歌山県]][[伊都郡]][[高野町]]内に所在。
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!style="width:4em; border-bottom:solid 3px #009a41"|駅番号
!style="width:5em; border-bottom:solid 3px #009a41"|駅名
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!style="border-bottom:solid 3px #009a41"|接続路線
|-
!NK86
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|南海電気鉄道:[[ファイル:Nankai_koya_line_symbol.svg|15x15ピクセル|■]] [[南海高野線|高野線]]
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!NK87
|[[高野山駅]]
|style="text-align:right"|0.8
|[[南海りんかんバス]]:立里線・高野龍神線・高野山内各線
|}
== 関連項目 ==
*[[日本の鉄道路線一覧]]
*[[ケーブルカー]]
*[[全国登山鉄道‰会]]
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
{{Reflist}}
== 外部リンク ==
*[http://www.nankai.co.jp/traffic/railmap/koya.html 高野線]
{{南海電鉄の鉄道路線}}
{{日本のケーブルカー}}
{{DEFAULTSORT:なんかいこうさくせん}}
[[Category:近畿地方の鉄道路線|こうさくせん]]
[[Category:南海電気鉄道の鉄道路線|こうさく]]
[[Category:和歌山県の交通]]
[[Category:日本の鋼索式鉄道]]
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エドワード・テラー
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エドワード・テラー(Edward Teller、 もとのハンガリー名ではテッレル・エデ(Teller Ede)、 1908年1月15日 - 2003年9月9日)は、ハンガリー生まれでアメリカ合衆国に亡命したユダヤ人理論物理学者である。アメリカ合衆国の「水爆の父」として知られる。ローレンス・リバモア国立研究所は彼の提案によって設立された。
本来の専門分野では、原子核物理学、分子物理学などで多くの業績があり、代表的なものにヤーン・テラー効果やBETの吸着等温式がある。
1908年、オーストリア=ハンガリー帝国のブダペストで弁護士の父と、銀行家の娘で4カ国語をこなす才媛の母のもとに生まれた。テラー家は、裕福なユダヤ人知識階級であった。幼少のころから算数の才能を見せ、学校に上がる前に足し算・引き算のみならずかけ算を覚えたという逸話がある。
11歳のころの1919年3月21日、オーストリア=ハンガリー帝国は崩壊し、クン・ベーラ率いるハンガリー共産党が権力を奪取し、ハンガリー・ソビエト共和国を建国。ハンガリーの貴族や地主・資本家階級とされた人々の企業・土地といった資産をすべて没収し、国有化した。
この影響で父マックスが弁護士の職を失い、一家は貧窮した。 同年8月、ハンガリー・ソビエト共和国はホルティ・ミクローシュ大将率いるハンガリー国新陸軍によって崩壊。不幸なことに、クンはユダヤ人であり、ハンガリー共産党指導部の多くもユダヤ人であった。ハンガリーの伝統的な反ユダヤ主義とホルティによる白色テロの高まりを受け、一家は1926年にハンガリーを去り、ドイツへ移住した。テラーが18歳の時であった。
テラーはブダペストで短期間化学工学を学んでおり、ドイツで高等教育を受け、そこでも同じく化学そして数学を学び、1930年にライプツィヒ大学のヴェルナー・ハイゼンベルクの元で物理学の博士号を取得した。その後、ゲッティンゲン大学で助教授として2年を過ごした。
1933年にドイツの政権を握ったアドルフ・ヒトラーが反ユダヤ主義政策を取り始めると、テラーは1934年、ユダヤ人救出委員会(英語版)の助けでドイツを離れる決心をした。一時期イングランドに滞在した後、ニールス・ボーアのいたコペンハーゲンで1年を過ごし、1935年8月、アメリカ合衆国に移住した。また、その直前の1934年2月、テラーは初恋の人ミチ (Mici) と結婚している。同じハンガリー出身のレオ・シラードが、アルベルト・アインシュタインの署名入りの書簡を使ってアメリカ政府に原子爆弾の研究を働きかけた際には、ユージン・ウィグナーとともにその活動に加わっていた。
幼少時代のハンガリーでの好ましくない経験にもかかわらず、1930年に世界恐慌の波がドイツに押し寄せ、資本主義の崩壊を目の当たりにしたテラーは、社会主義・共産主義に両義的感情と興味を抱いていた。 しかし、アメリカ合衆国に渡った後、友人のレフ・ランダウがソ連政府によって逮捕されたことを伝え聞くなど、ソ連への反感を次第に強めていった。 1943年にスターリン体制の下での理不尽な裁判と粛清を描いたアーサー・ケストラーの小説『真昼の暗黒』を読んだことが決定的な契機となって、以降は根強い反共感情を抱くようになった。
1941年までジョージ・ワシントン大学で教鞭を執り、そこでジョージ・ガモフに出会ったテラーは、1942年、ブリッグス委員会 (Briggs committee) で働きながら、マンハッタン計画に参加する。第二次世界大戦中、テラーはロスアラモス国立研究所の理論物理学部門に所属し、核分裂だけの核爆弾から核融合を用いた超強力爆弾(水素爆弾)へ核兵器を発展させるべきだと強く主張した。1945年、ニューメキシコでの世界初の原爆実験(トリニティ実験)に立ち会い、「なんだ、こんなちっぽけなものなのか」と感想を述べたとされる。また、テラーは日本への原爆投下に関して当初は実戦使用に賛成していたものの、戦後は「具体的警告なしに広島を爆撃したのは不必要であり間違いであった。」と述べ、代替案として「東京湾上空への夜間デモンストレーション」という威嚇投下のアイデアを述べた。1946年にテラーはロスアラモスを離れ、シカゴ大学の教授になる。
1949年のソビエト連邦の核爆発成功の後、1950年にロスアラモスへ戻って水爆計画に携わったテラーは、水爆を「マイ・ベイビー」と呼んでいたという。テラーとスタニスワフ・ウラムが実際に作動する水爆の設計を思い付いたとき、彼の人の手柄を自分のものとする、部下の面倒を見ないなどの性格からテラーは計画の長に選ばれなかった。テラーは再度ロスアラモスを去り、1952年、新たに設立されたカリフォルニア大学放射線研究所のローレンス・リバモア支部に加わる。1954年、身上調査の審問を受けた際にテラーがロバート・オッペンハイマーを非難したことが元で、オッペンハイマーは公職追放となり、テラーと科学者達、またオッペンハイマーとの間の溝は広がることになる。またその後は科学者からは相手にされなくなり、「水爆の父」と唯一持ち上げてくれる政治家、軍人との付き合いにのめり込んで行った。
1950年代に、テラーはアラスカに核爆発を利用して大規模な人工港を作るという「チャリオット作戦」を公表した。これは、アラスカには無人の荒野が広がっているという先入観があってのことだったが、そこはアメリカ大陸で最も古くから人類が住む土地であった。その結果、民族意識に目覚めたエスキモーやインディアンなどのアラスカ原住民を中心とする反対運動が高まり、この計画は幻と終わった。
1958年から1960年にかけ、テラーはローレンスリバモア国立研究所の所長になった後、カリフォルニア大学バークレー校で教える傍ら、同研究所の副所長をつとめた。1975年、テラーは引退してリバモア研究所の名誉所長に指名され、フーバー研究所のシニア研究員にも任命される。
引退後もテラーは絶えず核計画推進の主張者であり続け、実験と開発の継続を訴えた。戦略防衛構想が撤回されたときにも、テラーはその最も強力な擁護者の1人だった。1982年、当時のアメリカ合衆国大統領ロナルド・レーガンよりアメリカ科学界最高峰の栄誉とされるアメリカ国家科学賞を贈られた。
2003年9月、カリフォルニア州スタンフォードで死去。95歳だった。水爆を開発したことに関しては、核による相互確証破壊により核戦争を防げたとして、生涯肯定的な言動を行い、悔いることはなかった。
物理学者としては、原子核物理学、分子物理学、表面科学など多岐にわたって業績をあげた。代表的なものにヤーン・テラー効果やレナー・テラー効果、 BETの吸着等温式などがある。ベータ崩壊におけるガモフ・テラー遷移やトマス・フェルミ模型への寄与、メトロポリス・ヘイスティングス法への貢献などでも知られる。
テラーの著書には次のものがある。
|
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"text": "エドワード・テラー(Edward Teller、 もとのハンガリー名ではテッレル・エデ(Teller Ede)、 1908年1月15日 - 2003年9月9日)は、ハンガリー生まれでアメリカ合衆国に亡命したユダヤ人理論物理学者である。アメリカ合衆国の「水爆の父」として知られる。ローレンス・リバモア国立研究所は彼の提案によって設立された。",
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"text": "テラーはブダペストで短期間化学工学を学んでおり、ドイツで高等教育を受け、そこでも同じく化学そして数学を学び、1930年にライプツィヒ大学のヴェルナー・ハイゼンベルクの元で物理学の博士号を取得した。その後、ゲッティンゲン大学で助教授として2年を過ごした。",
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"text": "幼少時代のハンガリーでの好ましくない経験にもかかわらず、1930年に世界恐慌の波がドイツに押し寄せ、資本主義の崩壊を目の当たりにしたテラーは、社会主義・共産主義に両義的感情と興味を抱いていた。 しかし、アメリカ合衆国に渡った後、友人のレフ・ランダウがソ連政府によって逮捕されたことを伝え聞くなど、ソ連への反感を次第に強めていった。 1943年にスターリン体制の下での理不尽な裁判と粛清を描いたアーサー・ケストラーの小説『真昼の暗黒』を読んだことが決定的な契機となって、以降は根強い反共感情を抱くようになった。",
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"text": "1949年のソビエト連邦の核爆発成功の後、1950年にロスアラモスへ戻って水爆計画に携わったテラーは、水爆を「マイ・ベイビー」と呼んでいたという。テラーとスタニスワフ・ウラムが実際に作動する水爆の設計を思い付いたとき、彼の人の手柄を自分のものとする、部下の面倒を見ないなどの性格からテラーは計画の長に選ばれなかった。テラーは再度ロスアラモスを去り、1952年、新たに設立されたカリフォルニア大学放射線研究所のローレンス・リバモア支部に加わる。1954年、身上調査の審問を受けた際にテラーがロバート・オッペンハイマーを非難したことが元で、オッペンハイマーは公職追放となり、テラーと科学者達、またオッペンハイマーとの間の溝は広がることになる。またその後は科学者からは相手にされなくなり、「水爆の父」と唯一持ち上げてくれる政治家、軍人との付き合いにのめり込んで行った。",
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"text": "1950年代に、テラーはアラスカに核爆発を利用して大規模な人工港を作るという「チャリオット作戦」を公表した。これは、アラスカには無人の荒野が広がっているという先入観があってのことだったが、そこはアメリカ大陸で最も古くから人類が住む土地であった。その結果、民族意識に目覚めたエスキモーやインディアンなどのアラスカ原住民を中心とする反対運動が高まり、この計画は幻と終わった。",
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"text": "1958年から1960年にかけ、テラーはローレンスリバモア国立研究所の所長になった後、カリフォルニア大学バークレー校で教える傍ら、同研究所の副所長をつとめた。1975年、テラーは引退してリバモア研究所の名誉所長に指名され、フーバー研究所のシニア研究員にも任命される。",
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"text": "引退後もテラーは絶えず核計画推進の主張者であり続け、実験と開発の継続を訴えた。戦略防衛構想が撤回されたときにも、テラーはその最も強力な擁護者の1人だった。1982年、当時のアメリカ合衆国大統領ロナルド・レーガンよりアメリカ科学界最高峰の栄誉とされるアメリカ国家科学賞を贈られた。",
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"text": "2003年9月、カリフォルニア州スタンフォードで死去。95歳だった。水爆を開発したことに関しては、核による相互確証破壊により核戦争を防げたとして、生涯肯定的な言動を行い、悔いることはなかった。",
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"text": "物理学者としては、原子核物理学、分子物理学、表面科学など多岐にわたって業績をあげた。代表的なものにヤーン・テラー効果やレナー・テラー効果、 BETの吸着等温式などがある。ベータ崩壊におけるガモフ・テラー遷移やトマス・フェルミ模型への寄与、メトロポリス・ヘイスティングス法への貢献などでも知られる。",
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"text": "テラーの著書には次のものがある。",
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エドワード・テラーは、ハンガリー生まれでアメリカ合衆国に亡命したユダヤ人理論物理学者である。アメリカ合衆国の「水爆の父」として知られる。ローレンス・リバモア国立研究所は彼の提案によって設立された。 本来の専門分野では、原子核物理学、分子物理学などで多くの業績があり、代表的なものにヤーン・テラー効果やBETの吸着等温式がある。
|
{{ハンガリー人の姓名|テッレル|エデ|West=1}}
[[Image:EdwardTeller1958.jpg|thumb|200px|エドワード・テラー(1958年、[[ローレンスリバモア国立研究所]]所長のころ)]]
'''エドワード・テラー'''('''Edward Teller'''、 もとのハンガリー名では'''テッレル・エデ'''('''Teller Ede''')、 [[1908年]][[1月15日]] - [[2003年]][[9月9日]])は、[[ハンガリー]]生まれで[[アメリカ合衆国]]に亡命した[[ユダヤ人]][[理論物理学|理論物理学者]]である。[[アメリカ合衆国]]の「'''水爆の父'''」として知られる。[[ローレンス・リバモア国立研究所]]は彼の提案によって設立された。
本来の専門分野では、[[原子核物理学]]、[[分子物理学]]などで多くの業績があり、代表的なものに[[ヤーン・テラー効果]]や[[吸着等温式#BETの吸着等温式|BETの吸着等温式]]がある。
== 生涯 ==
=== 生い立ちと学歴 ===
[[1908年]]、[[オーストリア=ハンガリー帝国]]の[[ブダペスト]]で弁護士の父と、銀行家の娘で4カ国語をこなす才媛の母のもとに生まれた<ref>足立 (1987) pp.282-283</ref>。テラー家は、裕福なユダヤ人知識階級であった。幼少のころから算数の才能を見せ、学校に上がる前に足し算・引き算のみならずかけ算を覚えたという逸話がある。
11歳のころの[[1919年]][[3月21日]]、[[オーストリア=ハンガリー帝国]]は崩壊し、[[クン・ベーラ]]率いる[[ハンガリー共産党]]が権力を奪取し、[[ハンガリー・ソビエト共和国]]を建国。ハンガリーの貴族や地主・資本家階級とされた人々の企業・土地といった資産をすべて没収し、国有化した。
この影響で父マックスが弁護士の職を失い、一家は貧窮した<ref name="stix">
{{cite journal | author=[[Gary Stix|Stix, Gary]] | title=Infamy and honor at the Atomic Café: Edward Teller has no regrets about his contentious career | journal=Scientific American | month=October | year=1999 | pages=42-43 | url=http://www.sciam.com/article.cfm?articleID=0003A1F2-E235-1C73-9B81809EC588EF21&pageNumber=1&catID=2
| accessdate=2007-11-25}}</ref>。 同年8月、ハンガリー・ソビエト共和国は[[ホルティ・ミクローシュ]]大将率いる[[ハンガリー国新陸軍]]によって崩壊。不幸なことに、クンはユダヤ人であり、ハンガリー共産党指導部の多くもユダヤ人であった。ハンガリーの伝統的な[[反ユダヤ主義]]とホルティによる[[白色テロ]]の高まりを受け、一家は1926年にハンガリーを去り、[[ワイマール共和国|ドイツ]]へ移住した。テラーが18歳の時であった。
テラーはブダペストで短期間化学工学を学んでおり、ドイツで高等教育を受け、そこでも同じく化学そして数学を学び、1930年に[[ライプツィヒ大学]]の[[ヴェルナー・ハイゼンベルク]]の元で物理学の博士号を取得した。その後、[[ゲオルク・アウグスト大学ゲッティンゲン|ゲッティンゲン大学]]で助教授として2年を過ごした<ref>足立 (1987) pp.289</ref>。
1933年にドイツの政権を握った[[アドルフ・ヒトラー]]が反ユダヤ主義政策を取り始めると、テラーは1934年、{{仮リンク|ユダヤ人救出委員会|en|International Rescue Committee}}の助けでドイツを離れる決心をした。一時期イングランドに滞在した後、[[ニールス・ボーア]]のいた[[コペンハーゲン]]で1年を過ごし、1935年8月、アメリカ合衆国に移住した。また、その直前の1934年2月、テラーは初恋の人ミチ (Mici) と結婚している<ref>足立 (1987) pp.292</ref>。同じハンガリー出身の[[レオ・シラード]]が、[[アルベルト・アインシュタイン]]の[[アインシュタイン=シラードの手紙|署名入りの書簡]]を使ってアメリカ政府に[[原子爆弾]]の研究を働きかけた際には、[[ユージン・ウィグナー]]とともにその活動に加わっていた。
幼少時代のハンガリーでの好ましくない経験にもかかわらず、1930年に[[世界恐慌]]の波がドイツに押し寄せ、資本主義の崩壊を目の当たりにしたテラーは、社会主義・共産主義に両義的感情と興味を抱いていた。 しかし、アメリカ合衆国に渡った後、友人の[[レフ・ランダウ]]がソ連政府によって逮捕されたことを伝え聞くなど、ソ連への反感を次第に強めていった。 1943年に[[ヨシフ・スターリン|スターリン]]体制の下での理不尽な裁判と粛清を描いた[[アーサー・ケストラー]]の小説『真昼の暗黒』を読んだことが決定的な契機となって、以降は根強い[[反共]]感情を抱くようになった<ref>{{cite book
| author= Teller, Edward
| title= Memoirs: A Twentieth-Century Journey in Science and Politics
| others= with Judith Shoolery
| year= 2002
| publisher= Perseus Books
| id= {{ISBN2|0-7382-0778-0}} (pbk)
| pages= pp.181-183
}}</ref>。
=== 水爆開発 ===
1941年まで[[ジョージ・ワシントン大学]]で教鞭を執り、そこで[[ジョージ・ガモフ]]に出会ったテラーは、1942年、ブリッグス委員会 (Briggs committee) で働きながら、[[マンハッタン計画]]に参加する。[[第二次世界大戦]]中、テラーは[[ロスアラモス国立研究所]]の理論物理学部門に所属し、核分裂だけの核爆弾から核融合を用いた超強力爆弾([[水素爆弾]])へ核兵器を発展させるべきだと強く主張した。1945年、[[ニューメキシコ州|ニューメキシコ]]での世界初の原爆実験([[トリニティ実験]])に立ち会い、「なんだ、こんなちっぽけなものなのか」と感想を述べたとされる<ref name="hollywood">[[広瀬隆]]『億万長者はハリウッドを殺す』(1986年、[[講談社]]){{要ページ番号|date=2016年2月}}<!-- 上巻 (ISBN 978-4-0620-2602-4) と下巻 (ISBN 978-4-0620-2785-4) があるようですが、どちらでしょうか。 --></ref><ref name="広島の遺産p35"> エドワード・テラー, アレン・ブラウン 著 木下秀夫ら訳『広島の遺産』(上),時事通信社,1962.(35ページ)</ref><ref group= "※"> テラー著の『広島の遺産』ではトリニティ実験の際のテラーの感想が述べられている。以下引用「私はほとんどまさに保護メガネを取りはずそうとしていた。するとそのときメガネ越しにぽっつり小さな光がみえた。私は失望した。『あれだけなのか。われわれがあんなに一生懸命にやってきたのは、あれだけのことなのか』その瞬間私は自分が黒メガネを二重にかけていることを思い出した。ぽっつりした光は大きくなってそれから消えた。私は右手を顔からはずして、一条の光をメガネの下に入れた。それはちょうど暗い部屋の重いカーテンを開いて日光をいっぱい入れたようなものであった。そのとき私は感銘を受けた。」</ref>。また、テラーは日本への原爆投下に関して当初は実戦使用に賛成していたものの<ref> Teller, Edward (2002),p.207</ref>、戦後は「具体的警告なしに広島を爆撃したのは不必要であり間違いであった。」と述べ<ref>テラー(1962),p.39</ref>、代替案として「東京湾上空への夜間デモンストレーション」という威嚇投下のアイデアを述べた<ref>テラー(1962),p.30</ref><ref> {{Cite news |和書
| title =「威嚇投下で十分だった」「水爆の父」エドワード・テラー博士、毎日新聞と単独会見
| newspaper = 毎日新聞
| date = 1998-07-04
}} </ref>。1946年にテラーはロスアラモスを離れ、[[シカゴ大学]]の教授になる。
1949年の[[ソビエト連邦]]の核爆発成功の後、1950年にロスアラモスへ戻って水爆計画に携わったテラーは、水爆を「マイ・ベイビー」と呼んでいたという<ref name="hollywood" /><ref> {{Cite conference
| title = Congressional Record
| conference = the 91st congress
| volume = 115
| quote = Teller was transferred to the F Division where Enrico Fermi presided over "advanced development." There, with Dr. Emil Konopinski and a few others, he devoted himself during the rest of the war to the super—to "my baby," as he had begun to call it.
| pages = 22045
| date = 1969-08-04
| language = en
}} </ref>。テラーと[[スタニスワフ・ウラム]]が実際に作動する水爆の設計を思い付いたとき、彼の人の手柄を自分のものとする、部下の面倒を見ないなどの性格からテラーは計画の長に選ばれなかった。テラーは再度ロスアラモスを去り、1952年、新たに設立された[[カリフォルニア大学]]放射線研究所のローレンス・リバモア支部に加わる。1954年、身上調査の審問を受けた際にテラーが[[ロバート・オッペンハイマー]]を非難したことが元で、オッペンハイマーは公職追放となり、テラーと科学者達、またオッペンハイマーとの間の溝は広がることになる。またその後は科学者からは相手にされなくなり、「水爆の父」と唯一持ち上げてくれる政治家、軍人との付き合いにのめり込んで行った。
=== アラスカ人工港計画 ===
[[画像:Project Chariot plans.jpg|thumb|right|200px|[[チャリオット作戦]]計画図]]
1950年代に、テラーは[[アラスカ]]に核爆発を利用して大規模な人工港を作るという「[[チャリオット作戦]]」を公表した。これは、アラスカには無人の荒野が広がっているという先入観があってのことだったが、そこはアメリカ大陸で最も古くから人類が住む土地であった。その結果、民族意識に目覚めた[[エスキモー]]や[[インディアン]]などのアラスカ原住民を中心とする反対運動が高まり、この計画は幻と終わった。
=== 核開発の推進者 ===
1958年から1960年にかけ、テラーは[[ローレンスリバモア国立研究所]]の所長になった後、[[カリフォルニア大学バークレー校]]で教える傍ら、同研究所の副所長をつとめた。1975年、テラーは引退してリバモア研究所の名誉所長に指名され、フーバー研究所のシニア研究員にも任命される。
[[画像:Edward Teller and Ronald Reagan.jpg|thumb|right|200px|1983年のアメリカ国家科学賞の授与式で、レーガン大統領(左)と握手するテラー(右)]]
引退後もテラーは絶えず核計画推進の主張者であり続け、実験と開発の継続を訴えた。[[戦略防衛構想]]が撤回されたときにも、テラーはその最も強力な擁護者の1人だった。1982年、当時の[[アメリカ合衆国大統領]][[ロナルド・レーガン]]よりアメリカ科学界最高峰の栄誉とされる[[アメリカ国家科学賞]]を贈られた。
2003年9月、[[カリフォルニア州]]スタンフォードで死去。95歳だった。水爆を開発したことに関しては、核による[[相互確証破壊]]により核戦争を防げたとして、生涯肯定的な言動を行い、悔いることはなかった。
=== 物理学者としての業績 ===
物理学者としては、[[原子核物理学]]、[[分子物理学]]、[[表面科学]]など多岐にわたって業績をあげた。代表的なものに[[ヤーン・テラー効果]]やレナー・テラー効果、 [[吸着等温式#BETの吸着等温式|BETの吸着等温式]]などがある。[[ベータ崩壊]]におけるガモフ・テラー遷移やトマス・フェルミ模型への寄与、[[メトロポリス・ヘイスティングス法]]への貢献などでも知られる。
=== エピソード ===
*20歳の時に市電事故で右足先端を失ったが、ピアノの演奏<ref>[https://www.youtube.com/watch?v=BLJEE3KJ3QE テラー博士ピアノ演奏録画]</ref> や自動車の運転を上手くこなした。シラードが、アインシュタインにルーズベルト大統領宛の核開発進言文書に署名してもらうため、彼の家へ行く際、車を運転したのはテラーである(シラードとテラーは親しい友人であり、シラードは運転免許証を持っていなかったため)<ref>Teller, Memoirs (2002) p.145</ref>。
*アインシュタイン=シラードの手紙の活動以来、テラーは兵器研究への自身の参加について道徳的な観点から悩んでいた。しかし彼は1940年の第8回汎米科学者会議におけるF・D・ローズヴェルト大統領の演説によって、兵器研究参加を決心した。その際、演説を聞いたテラーは自己の能力を自由の防衛の為に駆使する義務があるといった感想を抱いた<ref>テラー(1962),pp.26-28</ref> <ref> Teller, Memoirs (2002)pp.149,150 </ref> <ref>ローズ(1995),pp.589-591(上)</ref> <ref group= "※"> テラーが聴いたF・D・ローズヴェルト大統領の演説はThe American Presidency Projectより公開されている。
{{Cite web
| url = https://www.presidency.ucsb.edu/documents/radio-address-before-the-eighth-pan-american-scientific-congress-washington-dc
| title = Radio Address Before the Eighth Pan American Scientific Congress. Washington, D.C.
| publisher = The American Presidency Project
| accessdate = 2023-11-26
}} </ref>。
== 受賞歴 ==
* [[1959年]] [[レムセン賞]]
* [[1962年]] [[エンリコ・フェルミ賞]]
* [[1975年]] [[ハーヴェイ賞]]
* [[1982年]] [[アメリカ国家科学賞]]
* [[1991年]] [[イグノーベル賞|イグノーベル平和賞]]<ref group="※">「我々が知る「平和」の意味を変えることに、生涯にわたって努力した」ため。</ref>
== 著書 ==
テラーの著書には次のものがある。
* ''Conversations on the Dark Secrets of Physics'' (1991)
* ''Better a Shield Than a Sword'' (1987)
* ''Pursuit of Simplicity'' (1980)
* ''Energy from Heaven and Earth'' (1979)(邦訳『エネルギーはよみがえる―天と地からのおくりもの』共立出版 ISBN 978-4-320-07086-8)
* ''Memoirs'' (2001)
== 注釈 ==
{{Reflist|group="※"}}
== 出典 ==
{{Reflist}}
== 参考文献 ==
* {{Cite book|和書
|last=足立
|first=壽美
|title=原爆の父オッペンハイマーと水爆の父テラー 悲劇の物理学者たち
|origyear=1987
|publisher=現代企画室
|isbn=4-7738-8709-5
}}
*{{Citation |和書
| author = エドワード・テラー,アレン・ブラウン
| authorlink = エドワード・テラー
| translator = 木下秀夫 等
| title = 広島の遺産
| publisher = 時事通信社
| date = 1962
| series = 時事新書
}}
*{{cite book
| author= Teller, Edward
| title= Memoirs: A Twentieth-Century Journey in Science and Politics
| others= with Judith Shoolery
| year= 2002
| publisher= Perseus Books
| id= {{ISBN2|0-7382-0778-0}} (pbk)
}}
* {{cite book|和書
|author=ローズ、リチャード
|others=神沼二真、渋谷泰一 訳
|title=原子爆弾の誕生
|year=1993
|publisher=啓学出版
}} 紀伊國屋書店、1995年、〈上巻〉ISBN 4-314-00710-9,〈下巻〉ISBN 4-314-00711-7.
== 関連項目 ==
* [[アンドレイ・サハロフ]] - ソ連水爆の父。テラーとは異なり途中から反核に転じた後、[[ノーベル平和賞]]を受賞している。
* [[博士の異常な愛情]]
* [[スタンフォード・ロバート・オブシンスキー#エナジー・コンバージョン・デバイセズ]]
== 外部リンク ==
* [http://arcticcircle.uconn.edu/SEEJ/chariotseej.html The Nuclear Legacy of Project Chariot - Part I]
* [http://ludb.clui.org/ex/i/AK3130/ Project Chariot Site]
{{典拠管理}}
{{DEFAULTSORT:てらあ えとわあと}}
[[Category:エドワード・テラー|*]]
[[Category:20世紀アメリカ合衆国の物理学者]]
[[Category:20世紀ハンガリーの物理学者]]
[[Category:アルバート・アインシュタイン賞の受賞者]]<!-- 1958年 -->
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[[Category:エンリコ・フェルミ賞受賞者]]<!-- 1962年 -->
[[Category:ハーヴェイ賞の受賞者]]<!-- 1975年 -->
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[[Category:マンハッタン計画の人物]]
[[Category:米国科学アカデミー会員]]
[[Category:カリフォルニア大学バークレー校の教員]]
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[[Category:ユダヤ人の不可知論者]]
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[[Category:オーストリア=ハンガリー帝国のユダヤ人]]
[[Category:ナチス・ドイツから逃れたユダヤ人移民]]
[[Category:ユダヤ人の科学者]]
[[Category:ライプツィヒ大学出身の人物]]
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[[Category:ブダペスト出身の人物]]
[[Category:1908年生]]
[[Category:2003年没]]
[[Category:世界文化理事会の創立メンバー]]
|
2003-09-11T19:39:02Z
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2023-12-04T04:07:18Z
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%89%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%86%E3%83%A9%E3%83%BC
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16,308 |
浜寺公園駅
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浜寺公園駅(はまでらこうえんえき)は、大阪府堺市西区浜寺公園町二丁にある、南海電気鉄道南海本線の駅。駅番号はNK15。
辰野金吾の設計により、1907年に建てられた木造平屋建ての旧駅舎は、1998年に国の登録有形文化財に登録されており、2016年の使用終了当時、現役の私鉄駅舎の中で最古の駅舎とされていた。駅舎としての使用終了後はギャラリー等として活用されている。第1回近畿の駅百選選定駅。
一般道を通じて下記の路線に乗り換えが可能である。
鉄道唱歌第5集(関西・参宮・南海篇)(1900年(明治33年)作詞)59番の歌詞にて、当駅が登場する。
島式と単式各1面で待避設備を備えた2面3線のホームと難波方面に通過線を持つ地平駅。難波方面は先述のとおり仮線に切り替えられた後は単式ホームの4番のりばのみが設置され、当駅に停車する難波方面のすべての列車が停車することになったが、待避線であるため後続列車の通過待ちの有無に関わらず出発時には出発時機合図が鳴動する。なお、難波方面の通過列車はホームがなくなった3番線を通過する。反対側の1・2番のりば(和歌山市方面)は島式ホームで、地下道によって駅舎がある4番のりば側と連絡している。また、駅舎の反対側(線路の東側)にも改札口があり、1・2番のりばと構内踏切によって繋がっている。便所は改札内にあり、水洗式(2003年の改修工事完成前は汲み取り式)。
仮線切り替え直前まであった旧3・4番のりばホームの4番のりばは難波駅側の切り欠き部にあり、かつてはこの駅で折り返す列車が使用していたが、難波方にあった渡り線が撤去され、当駅折り返し列車の設定がなくなってからは待避線となっていた。4番のりばの反対側には5番線があった形跡が残されていた。難波方面へ向かう列車で4番のりばに入線する列車は3番のりばを通過し、4番のりばに停車していた。4番のりばに営業列車が入らない時間帯はロープによって立ち入りが制限されていた。
旧駅舎は1907年(明治40年)に現在の駅名に改められた時から現存するもので、使用終了当時、現役の駅舎で私鉄最古のものとされていた。辰野金吾設計の木造平屋建ての洋風駅舎(辰野が初めて手がけた駅舎)である。柱や梁を表に現したハーフティンバー様式で造られている。テレビ番組等でもしばしば紹介され、近代建築の代表作の一つとして知られる。なお、近江鉄道の桜川駅の駅舎は1900年(明治33年)の開業以来のもので当駅より古いとされている。
大阪府が計画する石津川駅ー北助松駅間の連続立体交差事業(堺市が政令指定都市に移行したため市内区間は堺市施行となった)による鉄道の高架化で、この駅舎が撤去・解体される可能性があった。この問題は長年議論されたが2006年11月7日に事業認可が降り、高架化が決定した。当初は2018年3月末の完成予定であったが、仮線用地の確保に手間取っており、2028年3月の完成予定へと変更されている。駅舎は、2008年2月7日に開催された「浜寺公園駅及び諏訪ノ森駅舎保存活用にかかわる懇話会」の最終会合で、高架化後には、新たに造られる新駅舎正面に移築され、エントランスとして使用されることが決まっている。
この駅舎は、2016年1月28日未明の最終電車取扱い後に運用が終了して閉鎖され、駅の機能が仮駅舎へ移転した後、曳家によって約30m移動。正面向かって右側にあるかつての一等待合室はステーション・ギャラリーとして、左側の旧駅務室は駅舎カフェ、ステーション・ライブラリーとして使われている。
2023年2月8日に、この駅舎の出入口近くの柱に対し、大阪府堺市内に住む16歳の少年3人が、蹴りを入れるなどして損傷させた。柱は塗料が剥落し、被害金額は約40万円相当に及んだ。大阪府警察は同日に、少年3人を建造物損壊容疑で逮捕している。
2019年(令和元年)次の1日平均乗降人員は4,274人(乗車人員:2,158人、降車人員:2,116人)である。
各年度の1日平均乗降・乗車人員数は下表の通り。
阪神間の住宅地とよく似た雰囲気を持ち、数寄屋造りの豪邸やスペイン風の洋館など豪壮な邸宅が建ち並ぶ。
|
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"text": "浜寺公園駅(はまでらこうえんえき)は、大阪府堺市西区浜寺公園町二丁にある、南海電気鉄道南海本線の駅。駅番号はNK15。",
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"text": "辰野金吾の設計により、1907年に建てられた木造平屋建ての旧駅舎は、1998年に国の登録有形文化財に登録されており、2016年の使用終了当時、現役の私鉄駅舎の中で最古の駅舎とされていた。駅舎としての使用終了後はギャラリー等として活用されている。第1回近畿の駅百選選定駅。",
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"text": "一般道を通じて下記の路線に乗り換えが可能である。",
"title": "当駅からの接続路線"
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"text": "鉄道唱歌第5集(関西・参宮・南海篇)(1900年(明治33年)作詞)59番の歌詞にて、当駅が登場する。",
"title": "歴史"
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"text": "島式と単式各1面で待避設備を備えた2面3線のホームと難波方面に通過線を持つ地平駅。難波方面は先述のとおり仮線に切り替えられた後は単式ホームの4番のりばのみが設置され、当駅に停車する難波方面のすべての列車が停車することになったが、待避線であるため後続列車の通過待ちの有無に関わらず出発時には出発時機合図が鳴動する。なお、難波方面の通過列車はホームがなくなった3番線を通過する。反対側の1・2番のりば(和歌山市方面)は島式ホームで、地下道によって駅舎がある4番のりば側と連絡している。また、駅舎の反対側(線路の東側)にも改札口があり、1・2番のりばと構内踏切によって繋がっている。便所は改札内にあり、水洗式(2003年の改修工事完成前は汲み取り式)。",
"title": "駅構造"
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"text": "仮線切り替え直前まであった旧3・4番のりばホームの4番のりばは難波駅側の切り欠き部にあり、かつてはこの駅で折り返す列車が使用していたが、難波方にあった渡り線が撤去され、当駅折り返し列車の設定がなくなってからは待避線となっていた。4番のりばの反対側には5番線があった形跡が残されていた。難波方面へ向かう列車で4番のりばに入線する列車は3番のりばを通過し、4番のりばに停車していた。4番のりばに営業列車が入らない時間帯はロープによって立ち入りが制限されていた。",
"title": "駅構造"
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"text": "旧駅舎は1907年(明治40年)に現在の駅名に改められた時から現存するもので、使用終了当時、現役の駅舎で私鉄最古のものとされていた。辰野金吾設計の木造平屋建ての洋風駅舎(辰野が初めて手がけた駅舎)である。柱や梁を表に現したハーフティンバー様式で造られている。テレビ番組等でもしばしば紹介され、近代建築の代表作の一つとして知られる。なお、近江鉄道の桜川駅の駅舎は1900年(明治33年)の開業以来のもので当駅より古いとされている。",
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"text": "大阪府が計画する石津川駅ー北助松駅間の連続立体交差事業(堺市が政令指定都市に移行したため市内区間は堺市施行となった)による鉄道の高架化で、この駅舎が撤去・解体される可能性があった。この問題は長年議論されたが2006年11月7日に事業認可が降り、高架化が決定した。当初は2018年3月末の完成予定であったが、仮線用地の確保に手間取っており、2028年3月の完成予定へと変更されている。駅舎は、2008年2月7日に開催された「浜寺公園駅及び諏訪ノ森駅舎保存活用にかかわる懇話会」の最終会合で、高架化後には、新たに造られる新駅舎正面に移築され、エントランスとして使用されることが決まっている。",
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"text": "この駅舎は、2016年1月28日未明の最終電車取扱い後に運用が終了して閉鎖され、駅の機能が仮駅舎へ移転した後、曳家によって約30m移動。正面向かって右側にあるかつての一等待合室はステーション・ギャラリーとして、左側の旧駅務室は駅舎カフェ、ステーション・ライブラリーとして使われている。",
"title": "駅構造"
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"text": "2023年2月8日に、この駅舎の出入口近くの柱に対し、大阪府堺市内に住む16歳の少年3人が、蹴りを入れるなどして損傷させた。柱は塗料が剥落し、被害金額は約40万円相当に及んだ。大阪府警察は同日に、少年3人を建造物損壊容疑で逮捕している。",
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"title": "駅構造"
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"text": "2019年(令和元年)次の1日平均乗降人員は4,274人(乗車人員:2,158人、降車人員:2,116人)である。",
"title": "利用状況"
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"text": "各年度の1日平均乗降・乗車人員数は下表の通り。",
"title": "利用状況"
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"text": "阪神間の住宅地とよく似た雰囲気を持ち、数寄屋造りの豪邸やスペイン風の洋館など豪壮な邸宅が建ち並ぶ。",
"title": "駅周辺"
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浜寺公園駅(はまでらこうえんえき)は、大阪府堺市西区浜寺公園町二丁にある、南海電気鉄道南海本線の駅。駅番号はNK15。 辰野金吾の設計により、1907年に建てられた木造平屋建ての旧駅舎は、1998年に国の登録有形文化財に登録されており、2016年の使用終了当時、現役の私鉄駅舎の中で最古の駅舎とされていた。駅舎としての使用終了後はギャラリー等として活用されている。第1回近畿の駅百選選定駅。
|
{{Otheruseslist|南海電気鉄道南海本線の駅|阪堺電気軌道阪堺線の停留場|浜寺駅前停留場|かつて存在した阪堺電鉄の駅|浜寺駅}}
{{駅情報
|社色 = #fe4d11
|文字色 =
|駅名 = 浜寺公園駅*
|画像 = Hamadera-koen station old-and-temporary-station-building.jpg
|pxl = 300px
|画像説明 = 仮駅舎と旧駅舎 (2018年12月)
|地図 = {{Infobox mapframe|zoom=14|frame-width=300|type=point|marker=rail}}
|よみがな = はまでらこうえん
|ローマ字 = HAMADERAKŌEN
|前の駅 = NK14 [[諏訪ノ森駅|諏訪ノ森]]
|駅間A = 1.0
|駅間B = 0.7
|次の駅 = [[羽衣駅|羽衣]] NK16
|電報略号 = ハマ
|駅番号 = {{南海泉北駅番号|NK|15}}
|所属事業者 = [[南海電気鉄道]]
|所属路線 = {{Color|#0065af|■}}[[南海本線]]
|キロ程 = 14.8
|起点駅 = [[難波駅 (南海)|難波]]
|所在地 = [[堺市]][[西区 (堺市)|西区]]浜寺公園町2丁
|緯度度 = 34 |緯度分 = 32 |緯度秒 = 27.33
|経度度 = 135 |経度分 = 26 |経度秒 = 39.88
|地図国コード = JP
|座標右上表示 = Yes
|駅構造 = [[地上駅]]
|ホーム = 2面3線(ほか通過線1線)
|開業年月日 = [[1897年]]([[明治]]30年)[[10月1日]]
|廃止年月日 =
|乗車人員 =
|乗降人員n = 4,274
|統計年次 = 2019年
|乗換 = [[阪堺電気軌道阪堺線|阪堺電軌阪堺線]]([[浜寺駅前停留場]])
|備考 = [[1907年]]に浜寺駅から改称
}}{{一次資料|date=2023年2月}}[[ファイル:Hamaderakoen Station2.jpg|thumb|使用されていた当時の旧駅舎(2011年10月)]]
[[ファイル:Hamaderakoen-kariekisha.JPG|thumb|仮駅舎(2016年2月)]]
'''浜寺公園駅'''(はまでらこうえんえき)は、[[大阪府]][[堺市]][[西区 (堺市)|西区]]浜寺公園町二丁にある、[[南海電気鉄道]][[南海本線]]の[[鉄道駅|駅]]。[[駅ナンバリング|駅番号]]は'''NK15'''。
[[辰野金吾]]の設計により、[[1907年]]に建てられた木造平屋建ての旧駅舎は、[[1998年]]に国の[[登録有形文化財]]に登録されており、2016年の使用終了当時、現役の私鉄駅舎の中で最古の駅舎とされていた<ref>{{cite news|title=最も古い私鉄駅舎、27日「引退」=南海・浜寺公園駅-堺市 |url=http://www.jiji.com/jc/zc?k=201601/2016012000670 |work=時事ドットコム |date=2016-01-20 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20160126202905/http://www.jiji.com/jc/zc?k=201601/2016012000670 |archivedate=2016-01-20}}</ref>。駅舎としての使用終了後はギャラリー等として活用されている<ref name="nankai_2018-04-12">{{Cite press release|和書|title=4月15日(日)から浜寺公園駅旧駅舎の活用を開始します |publisher=南海電気鉄道 |date=2018-04-12 |url=http://www.nankai.co.jp/library/company/news/pdf/180412.pdf |format=PDF |accessdate=2018-04-17 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20180416000615/http://www.nankai.co.jp/library/company/news/pdf/180412.pdf |archivedate=2018-04-16}}</ref><ref name="mynavi_2018-04-15">{{Cite news |author=佐々木康弘 |url=https://news.mynavi.jp/article/20180415-616122/ |title=南海電鉄、浜寺公園駅の旧駅舎はギャラリーやカフェとして再活用 |newspaper=[[マイナビニュース]] |publisher=[[マイナビ]] |date=2018-04-15 |accessdate=2018-04-17 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20180417031348/https://news.mynavi.jp/article/20180415-616122/ |archivedate=2018-04-17}}</ref>。第1回[[近畿の駅百選]]選定駅。
== 当駅からの接続路線 ==
一般道を通じて下記の路線に乗り換えが可能である。
* [[阪堺電気軌道]]
** [[阪堺電気軌道阪堺線|阪堺線]] - [[浜寺駅前停留場]](西側へ約130m)
== 歴史 ==
=== 年表 ===
[[ファイル:Hamaderakoen Station - old view.jpg|thumb|明治末から大正期にかけての浜寺公園駅]]
* [[1897年]]([[明治]]30年)[[10月1日]]:南海鉄道が[[堺駅]] - 佐野駅(現・[[泉佐野駅]])間で開業した際に、'''浜寺駅'''として設置。
* [[1907年]](明治40年):現在の駅舎に建て替えられ、[[8月20日]]に'''浜寺公園駅'''に改称。
* [[1944年]]([[昭和]]19年)[[6月1日]]:[[陸上交通事業調整法|戦時統合]]による会社合併により[[近畿日本鉄道]]の駅となる。
* [[1946年]](昭和21年)頃:急行通過駅になる。
* [[1947年]](昭和22年)6月1日:近畿日本鉄道から南海電気鉄道の分離による路線譲渡により南海電気鉄道の駅となる。
* [[2012年]](平成24年)[[4月1日]] :[[駅ナンバリング]]が導入され、使用を開始<ref>{{Cite web|和書|title=南海 駅ナンバリング 導入 |url=https://www.tetsudo.com/event/5551/ |website=鉄道コム |date=2012-02-27 |access-date=2023-02-13 |archive-url=https://web.archive.org/web/20230213212207/https://www.tetsudo.com/event/5551/ |archive-date=2023-02-13}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nankai.co.jp/library/company/news/pdf/120223_1.pdf |title=南海電鉄全駅に「駅ナンバリング」を導入します |access-date=2023-02-13 |publisher=南海電鉄 |archive-url=https://web.archive.org/web/20211028050622/https://www.nankai.co.jp/library/company/news/pdf/120223_1.pdf |archive-date=2021-10-28}}</ref>。
* [[2016年]]([[平成]]28年)[[1月28日]]:高架化工事に伴い、最終電車取扱い後に旧駅舎の使用を停止、仮駅舎の供用を開始<ref name="sankei">{{cite news|title=現役最古の私鉄駅舎・南海浜寺公園駅、109年の役割「終点」 |url=https://www.sankei.com/article/20210914-IHPO2WKF5BM5HPETGNJ4CXWQRU/ |newspaper=産経新聞 |date=2016-01-26 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20210914071401/https://www.sankei.com/article/20160126-AQYWKDQKRVPDXBEC7O4YIESLTQ/ |archivedate=2021-09-14}}</ref><ref name="交通20160126">{{Cite news |title=南海電気鉄道 浜寺公園駅舎を閉鎖 |newspaper=[[交通新聞]] |publisher=交通新聞社 |date=2016-01-26 }}</ref>。
* [[2017年]]([[平成]]29年)[[11月28日]] - [[12月18日]]:旧駅舎を[[曳家]]により、約30 m離れた近隣の広場に移設<ref name="nikkei">{{cite news|title=築110年の旧駅舎移動 堺の南海・浜寺公園 |url=https://www.nikkei.com/article/DGXMZO23972310Y7A121C1AC1000/ |newspaper=日本経済新聞 |date=2017-11-28 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20171129043658/https://www.nikkei.com/article/DGXMZO23972310Y7A121C1AC1000/ |archivedate=2017-11-29}}</ref>。
* [[2018年]](平成30年)[[4月15日]]:旧駅舎がギャラリー、カフェ・ライブラリー、イベントホールとしての営業を開始し、地域交流拠点として試験活用される<ref name="nankai_2018-04-12" /><ref name="mynavi_2018-04-15" />。
* [[2022年]]([[令和]]4年)[[5月22日]]:高架化工事に伴い、難波方面を仮線に切り替え<ref>{{PDFlink|[https://www.city.sakai.lg.jp/shisei/toshi/rittaisuishin/honsen/shincyoku/index.files/20220526.pdf 南海本線仮上り線への切替について(浜寺公園駅付近)]}} - 堺市建設局道路部 連続立体推進課、2022年6月27日閲覧。</ref>。
* [[2028年]]3月末:高架駅完了予定。
=== 鉄道唱歌 ===
[[鉄道唱歌]]第5集(関西・参宮・南海篇)([[1900年]](明治33年)作詞)59番の歌詞にて、当駅が登場する。
:''かけじや袖とよみおきし その名高師が浜の波 よする浜寺あとに見て ゆけば[[湊駅|湊]]は早前に''
== 駅構造 ==
[[ファイル:Hamaderakoen-higasiguchi.JPG|thumb|東側の改札口(2015年11月)]]
島式と単式各1面で待避設備を備えた2面3線のホームと難波方面に通過線を持つ地平駅。難波方面は先述のとおり仮線に切り替えられた後は単式ホームの4番のりばのみが設置され、当駅に停車する難波方面のすべての列車が停車することになったが、待避線であるため後続列車の通過待ちの有無に関わらず出発時には出発時機合図が鳴動する。なお、難波方面の通過列車はホームがなくなった3番線を通過する。反対側の1・2番のりば(和歌山市方面)は島式ホームで、地下道によって駅舎がある4番のりば側と連絡している。また、駅舎の反対側(線路の東側)にも改札口があり、1・2番のりばと構内踏切によって繋がっている。[[便所]]は改札内にあり、[[水洗式便所|水洗式]]([[2003年]]の改修工事完成前は汲み取り式)。
仮線切り替え直前まであった旧3・4番のりばホームの4番のりばは難波駅側の切り欠き部にあり、かつてはこの駅で折り返す列車が使用していたが、難波方にあった渡り線が撤去され、当駅折り返し列車の設定がなくなってからは待避線となっていた。4番のりばの反対側には5番線があった形跡が残されていた。難波方面へ向かう列車で4番のりばに入線する列車は3番のりばを通過し、4番のりばに停車していた。4番のりばに営業列車が入らない時間帯はロープによって立ち入りが制限されていた。
=== のりば ===
{|border="1" cellspacing="0" cellpadding="3" frame="hsides" rules="rows" class="wikitable"
<!-- 旅客案内で「南海本線」は「南海線」と略されているためそれに合わせる -->
!のりば!!路線!!方向!!行先<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nankai.co.jp/sites/default/files/imce/pdf/library/traffic/station/pdf/hamaderakoen.pdf |title=浜寺公園駅 立体構内図 |publisher=南海電気鉄道 |accessdate=2023-06-11}}</ref>
|-
!1・2
|rowspan=2|[[File:Nankai mainline symbol.svg|15px]] 南海線
|style="text-align:center"|下り||[[File:Nankai airport line symbol.svg|15px]] [[関西空港駅|関西空港]]・[[和歌山市駅|和歌山市]]方面
|-
!4
|style="text-align:center"|上り||[[難波駅 (南海)|なんば]]方面
|}
* 1番のりばは優等列車の待避に使われる。特に夕ラッシュ時和歌山市方面はほぼ全ての普通が当駅で優等列車を待避する。また、3番線はホームのない通過線のため、のりばとしては欠番である。
=== 旧駅舎 ===
旧駅舎は1907年(明治40年)に現在の駅名に改められた時から現存するもので、使用終了当時、現役の駅舎で私鉄最古のものとされていた。[[辰野金吾]]設計の木造平屋建ての洋風駅舎(辰野が初めて手がけた駅舎<ref>{{Cite web|和書|url=https://news.mynavi.jp/article/trivia-118/ |title=鉄道トリビア(118) 東京駅赤レンガ駅舎と「私鉄最古の駅舎」の深い関係 | date=2011-10-01 |accessdate=2011-12-10 |author=杉山淳一}}</ref>)である。柱や梁を表に現した[[ハーフティンバー様式]]で造られている<ref>{{Cite web|和書
|title=浜寺公園駅及び諏訪ノ森駅 駅舎保存活用構想 2.駅舎の歴史的価値等と現況について
|url=http://www.city.sakai.lg.jp/shisei/gyosei/shishin/sangyo/ekishahozon/rekishitekikachi.html
|publisher=堺市
|date=2012-12-19
|accessdate=2021-09-15
|archiveurl=https://web.archive.org/web/20150315150547/http://www.city.sakai.lg.jp/shisei/gyosei/shishin/sangyo/ekishahozon/rekishitekikachi.html
|archivedate=2015-03-15
}}</ref>。テレビ番組等でもしばしば紹介され、近代建築の代表作の一つとして知られる。なお、[[近江鉄道]]の[[桜川駅 (滋賀県)|桜川駅]]の駅舎は[[1900年]](明治33年)の開業以来のもので<ref>{{cite news|title=明治期の駅舎「歴史的価値」 県文化財保護課、近江鉄道・桜川駅を評価 |url=https://www.chunichi.co.jp/article/72345 |newspaper=中日新聞 |date=2020-06-13 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20200702035721/https://www.chunichi.co.jp/article/72345/ |archivedate=2021-07-02}}</ref><!--[[日野駅 (滋賀県)|日野駅]]は1916年に改築されているようです https://web.archive.org/web/20171109134705/http://www.kyoto-np.co.jp/shiga/article/20160902000169 参照-->当駅より古いとされている。
大阪府が計画する[[石津川駅]]ー[[北助松駅]]間の[[連続立体交差事業]](堺市が政令指定都市に移行したため市内区間は堺市施行となった)による鉄道の高架化で、この駅舎が撤去・解体される可能性があった。この問題は長年議論されたが[[2006年]][[11月7日]]に事業認可が降り、高架化が決定した。当初は[[2018年]]3月末の完成予定であったが、仮線用地の確保に手間取っており、2028年3月の完成予定へと変更されている。駅舎は、[[2008年]][[2月7日]]に開催された「浜寺公園駅及び諏訪ノ森駅舎保存活用にかかわる懇話会」の最終会合で、高架化後には、新たに造られる新駅舎正面に移築され、エントランスとして使用されることが決まっている<ref>{{Cite web|和書|title=浜寺公園駅及び諏訪ノ森駅 駅舎保存活用構想 1.はじめに |url=http://www.city.sakai.lg.jp/shisei/gyosei/shishin/sangyo/ekishahozon/hajimeni.html |publisher=堺市 |date=2012-12-19 |accessdate=2021-09-15 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20150315150005/http://www.city.sakai.lg.jp/shisei/gyosei/shishin/sangyo/ekishahozon/hajimeni.html |archivedate=2015-03-15}}</ref><ref>{{Cite web|和書|title=浜寺公園駅及び諏訪ノ森駅 駅舎保存活用構想 3.駅舎の保存活用方策について |url=http://www.city.sakai.lg.jp/shisei/gyosei/shishin/sangyo/ekishahozon/hozonkatsuyo.html |publisher=堺市 |date=2012-12-19 |accessdate=2021-09-15 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20150315152615/http://www.city.sakai.lg.jp/shisei/gyosei/shishin/sangyo/ekishahozon/hozonkatsuyo.html |archivedate=2015-03-15}}</ref>。
この駅舎は、2016年1月28日未明の最終電車取扱い後に運用が終了して閉鎖され、駅の機能が仮駅舎へ移転した<ref name="sankei"/><ref name="交通20160126"/>後、曳家によって約30m移動<ref name="nikkei" />。正面向かって右側にあるかつての一等待合室はステーション・ギャラリーとして、左側の旧駅務室は駅舎カフェ、ステーション・ライブラリーとして使われている<ref>{{Cite web|和書|title=浜寺公園駅駅舎の保存活用事業のご紹介 |url=http://hamaderastation.com/index.html |publisher=特定非営利活動法人 浜寺公園駅舎保存活用の会 |accessdate=2021-09-14 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20210914093059/http://hamaderastation.com/index.html |archivedate=2021-09-14}}</ref>。
2023年2月8日に、この駅舎の出入口近くの柱に対し、[[大阪府]][[堺市]]内に住む16歳の少年3人が、蹴りを入れるなどして損傷させた。柱は塗料が剥落し、被害金額は約40万円相当に及んだ。[[大阪府警察]]は同日に、少年3人を[[建造物等損壊罪|建造物損壊]]容疑で逮捕している<ref>[https://mainichi.jp/articles/20230208/k00/00m/040/025000c 辰野金吾が泣く 駅舎にハイキック 国文化財損壊疑い、3少年逮捕] 毎日新聞 2023年2月8日</ref>。
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浜寺公園駅 待合室 外観.jpg|旧駅舎待合室外観(2014年12月)
浜寺公園駅 待合室 内部.jpg|旧駅舎待合室内部(2014年12月)
Hamaderakoen Station 20190806.jpg|ギャラリー等として使われている旧駅舎(2019年8月)
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=== 配線図 ===
{{駅配線図
|title = 浜寺公園駅配線図(2022年5月21日まで)
|image = Nankai Hamaderakoen station track map.svg
|left = 難波方面
|right = 和歌山市方面
|source = [[鉄道ピクトリアル]] 2008年8月臨時増刊「南海電気鉄道」
|legend = mono
}}
== 利用状況 ==
[[2019年]](令和元年)次の1日平均[[乗降人員|'''乗降'''人員]]は'''4,274人'''(乗車人員:2,158人、降車人員:2,116人)である。
各年度の1日平均乗降・乗車人員数は下表の通り。
{|class="wikitable" style="text-align:right"
!年次!!1日平均<br />乗降人員!!1日平均<br />乗車人員!!順位!!出典
|-
|2000年||4,961||2,473|| -
|<ref>{{PDFlink|[https://www.pref.osaka.lg.jp/attach/3355/00076905/tn01n110.pdf 大阪府統計年鑑(平成13年)]}}</ref>
|-
|2001年||4,822||2,392|| -
|<ref>{{PDFlink|[https://www.pref.osaka.lg.jp/attach/3355/00076904/tn02n110.pdf 大阪府統計年鑑(平成14年)]}}</ref>
|-
|2002年||4,724||2,340|| -
|<ref>{{PDFlink|[https://www.pref.osaka.lg.jp/attach/3355/00076903/tn03n110.pdf 大阪府統計年鑑(平成15年)]}}</ref>
|-
|2003年||4,758||2,366|| -
|<ref>{{PDFlink|[https://www.pref.osaka.lg.jp/attach/3355/00076902/tn04n110.pdf 大阪府統計年鑑(平成16年)]}}</ref>
|-
|2004年||4,715||2,359||53位
|<ref>{{PDFlink|[https://www.pref.osaka.lg.jp/attach/3355/00076901/tn05n110.pdf 大阪府統計年鑑(平成17年)]}}</ref>
|-
|2005年||4,724||2,368|| -
|<ref>{{PDFlink|[https://www.pref.osaka.lg.jp/attach/3355/00076900/tn06n110.pdf 大阪府統計年鑑(平成18年)]}}</ref>
|-
|2006年||4,743||2,335|| -
|<ref>{{PDFlink|[https://www.pref.osaka.lg.jp/attach/3355/00074421/tn07n090.pdf 大阪府統計年鑑(平成19年)]}}</ref>
|-
|2007年||4,725||2,372|| -
|<ref>{{PDFlink|[https://www.pref.osaka.lg.jp/attach/3355/00074418/tn08n090.pdf 大阪府統計年鑑(平成20年)]}}</ref>
|-
|2008年||4,679||2,354|| -
|<ref>{{PDFlink|[https://www.pref.osaka.lg.jp/attach/3355/00064556/tn09n090.pdf 大阪府統計年鑑(平成21年)]}}</ref>
|-
|2009年||4,466||2,243|| -
|<ref>{{PDFlink|[https://www.pref.osaka.lg.jp/attach/3355/00071058/tn10n090.pdf 大阪府統計年鑑(平成22年)]}}</ref>
|-
|2010年||4,342||2,173|| -
|<ref>{{PDFlink|[https://www.pref.osaka.lg.jp/attach/3355/00093411/tn2011n090.pdf 大阪府統計年鑑(平成23年)]}}</ref>
|-
|2011年||4,208||2,106||55位
|<ref>{{PDFlink|[https://www.pref.osaka.lg.jp/attach/3355/00121073/tn2012n090.pdf 大阪府統計年鑑(平成24年)]}}</ref>
|-
|2012年||4,205||2,099||
|<ref>{{PDFlink|[http://www.pref.osaka.lg.jp/attach/3355/00144873/tn2013n09.pdf 大阪府統計年鑑(平成25年)]}}</ref>
|-
|2013年||4,277||2,139||56位
|<ref>{{PDFlink|[http://www.pref.osaka.lg.jp/attach/3355/00180638/tn2014n09.pdf 大阪府統計年鑑(平成26年)]}}</ref>
|-
|2014年||4,222||2,100||57位
|<ref>{{PDFlink|[http://www.pref.osaka.lg.jp/attach/3355/00211004/tn2015n09.pdf 大阪府統計年鑑(平成27年)]}}</ref>
|-
|2015年||4,246||2,111||57位
|<ref>{{PDFlink|[http://www.pref.osaka.lg.jp/attach/3355/00242803/tn2016n09.pdf 大阪府統計年鑑(平成28年)]}}</ref>
|-
|2016年||4,295||2,133||56位
|<ref>{{PDFlink|[http://www.pref.osaka.lg.jp/attach/3355/00281833/9-all.pdf 大阪府統計年鑑(平成29年)]}}</ref>
|-
|2017年||4,321||2,152||55位
|<ref>{{PDFlink|[https://www.pref.osaka.lg.jp/attach/3355/00319513/n2018-09-2.pdf 大阪府統計年鑑(平成30年)]}}</ref>
|-
|2018年||4,313||2,165||55位
|<ref>{{PDFlink|[http://www.pref.osaka.lg.jp/attach/3355/00357824/n2019-09.pdf 大阪府統計年鑑(令和元年)]}}</ref>
|-
|2019年||4,274||2,158||55位
|<ref>{{PDFlink|[http://www.pref.osaka.lg.jp/attach/3355/00387493/n2020-09-01~31.pdf 大阪府統計年鑑(令和2年)]}}</ref>
|}
== 駅周辺 ==
[[阪神間モダニズム|阪神間]]の[[住宅地]]とよく似た雰囲気を持ち、[[数寄屋造り]]の豪邸やスペイン風の[[西洋館|洋館]]など豪壮な邸宅が建ち並ぶ。
* [[浜寺公園|大阪府営浜寺公園]] - 駅の西方にある。
** [[浜寺水練学校]]
* 福栄堂(松露だんご)
* 浜寺中央病院
* [[堺市立浜寺昭和小学校]]
* [[近江岸家住宅]] - 国の[[登録有形文化財]]、[[ウィリアム・メレル・ヴォーリズ|ヴォーリズ]]の設計
* [[阪之上家住宅]] - 国の登録有形文化財
* [[小倉家住宅 (堺市)|小倉家住宅]] - 国の登録有形文化財
* [[阪堺電気軌道]] [[浜寺駅前停留場]]
=== バス路線 ===
* [[南海バス]]浜寺公園駅前通停留所(阪堺線浜寺駅前停留場の横)
** 112系統:[[石津川駅]]前 ~ [[堺市立総合医療センター]]前(諏訪ノ森駅前、浜寺元町、[[鳳駅]]前経由)[東山営業所担当]
== 隣の駅 ==
; 南海電気鉄道
: [[File:Nankai mainline symbol.svg|15px]] 南海本線
:: {{Color|red|■}}特急サザン・{{Color|orangered|■}}急行・{{Color|orangered|■}}空港急行・{{Color|#009933|■}}区間急行
:::; 通過
:: {{Color|royalblue|■}}準急(難波行きのみ運転)・{{Color|gray|■}}普通
::: [[諏訪ノ森駅]] (NK14) - '''浜寺公園駅 (NK15)''' - [[羽衣駅]] (NK16)
* 括弧内は駅番号を示す。
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
<!--=== 注釈 ===
{{Reflist|group="注"}}
=== 出典 ===-->
{{Reflist|3}}
== 関連項目 ==
{{Commons cat|Hamaderakoen Station}}
* [[日本の鉄道駅一覧]]
* [[近代化産業遺産]]
* [[1900年代の建築]]
* [[近畿の駅百選]]
* [[ヘリテージング100選]]
* [[にっぽん木造駅舎の旅]]
== 外部リンク ==
* [https://www.nankai.co.jp/traffic/station/hamaderakoen.html 浜寺公園駅] - 南海電気鉄道
* [http://hamaderastation.com/ 特定非営利活動法人 浜寺公園駅舎保存活用の会]
* {{国指定文化財等データベース|101|00000742|南海電気鉄道南海本線浜寺公園駅駅舎}}
* [https://www2.nhk.or.jp/archives/movies/?id=D0004030036_00000 動画で見るニッポンみちしる 浜寺公園駅] - NHKアーカイブス
{{南海本線}}
{{近畿の駅百選}}
{{デフォルトソート:はまてらこうえんえき}}
[[Category:堺市の鉄道駅|はまてらこうえん]]
[[Category:日本の鉄道駅 は|まてらこうえん]]
[[Category:南海電気鉄道の鉄道駅|はまてらこうえん]]
[[Category:かつて近畿日本鉄道に所属した鉄道駅]]
[[Category:1897年開業の鉄道駅|はまてらこうえん]]
[[Category:堺市西区の交通]]
[[Category:大阪府の登録有形文化財]]
[[Category:辰野金吾]]
[[Category:1907年竣工の日本の建築物]]
[[Category:西洋館]]
[[Category:近代化産業遺産]]
[[Category:堺市西区の建築物]]
[[Category:移築された建築物]]
|
2003-09-11T20:06:20Z
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16,309 |
北野田駅
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北野田駅(きたのだえき)は、大阪府堺市東区北野田にある、南海電気鉄道高野線の駅。駅番号はNK63。
明治時代以前の北野田周辺は一面の田園地帯で、高野鉄道が1898年(明治31年)に大小路駅(現・堺東駅) - 狭山駅間を開業させた当時は、北野田駅は設けられなかった。大正時代になって北野田駅が開業。以後この地域はヨーロッパ式の高級住宅街として開発が進む。
待避可能な島式2面4線のホームを持つ橋上駅である。
待合室が上下各ホーム上に1箇所ずつ、売店が上りホーム(なんば方面、3・4番ホーム)上にある。2005年9月中旬頃から上りホーム、10月には下りホーム(高野山方面)の列車案内装置がフルカラーLEDタイプに交換され稼動している。
改札口は2か所、出口は西口、東口の2か所ある。西口は再開発ビル「アミナス北野田」とペデストリアンデッキで結ばれ、地上とのエレベータが設置されている。東口はライフ北野田店があるビルに直結している。2005年9月に新設された難波側の改札口には車椅子でも通れる自動改札・上下ホームへのエレベータ・車椅子での利用が可能な多機能トイレが設置されバリアフリー対応が図られている。在来改札からはそれまで通り階段でしかホームへのアクセスができない。
当駅は、駅長が配置され、初芝駅から金剛駅までの各駅を管轄している。
2006年1月17日には改修前に券売機や駅長室があった場所にコンビニエンスストア「アンスリー北野田店」が開店した。
内側2・3番線が本線、外側1・4番線が待避線となっている。なんば側に下り線から上り線への渡り線があり、4番線から当駅折り返し列車が発着する(3番線での折り返しも可能)。ただし急行主体のダイヤに変わった2000年12月からは、折り返しのための渡り線は平日朝の1本にしか使われていない(その後2005年10月から、2000年以前の急行・区間急行併用ダイヤに戻ったが、各駅停車は金剛・河内長野まで運転されている)。
列車の出発時には、全列車に対して出発時機合図(≒発車ベル)が鳴動する。
終日一部列車を除き当駅で緩急接続が行われている(なお2013年10月26日から2015年12月4日までのダイヤでは朝ラッシュ時に、翌12月5日から2017年8月25日までのダイヤでは日中に金剛駅で行っていた。)。
折り返し列車が4番線に進入する際、停車位置を越えてオーバーランした場合は上り列車と正面衝突する危険性があるため、4番線の極楽橋側には安全側線が設置されていたが、2018年3月頃に撤去された。
2019年(令和元年)次の1日平均乗降人員は33,659人(乗車人員:16,741人、降車人員:16,918人)で、南海全100駅中8位である。
1995年に桃山学院大学が和泉キャンパスに移転されたことや都心回帰などで2002年まで利用者は年々減少してきたが、その後は駅西側の再開発事業や初芝立命館高等学校の北野田キャンパスの移転によって、増加傾向である。
近年の1日平均乗降人員・乗車人員は下表の通りである。
周辺はスーパーや商店街などがある商業地域と住宅地が混在している。駅西側は再開発事業が進められ、2005年2月に図書館などの公共施設や商業施設の入ったビル「アミナス北野田」が完成。駅西南には3棟の高層マンションが建てられた。引き続き2007年4月に市立東文化ホールや商業施設と高層マンションが入った「ベルヒル北野田」が完成し、駅前再開発計画が完了した。
駅から西方に緩やかな坂を上り、「ファウンテン(噴水)通り」という商店街を抜けると、1930(昭和5)年に関西土地が開発した大美野田園都市が広がる。噴水のあるラウンドアバウトからは放射状に8本の道路が伸びている。東京の田園調布や洗足田園都市と同時期に開発された日本の田園都市の原型で、豪邸や瀟洒な洋館が立ち並ぶ関西有数のお屋敷街である。
駅東側は和泉街道、下高野街道沿いに趣のある古い街並みが残されており駅の東西で全く異なる風景を形成している。
国道310号沿いにかつてあった桃山学院大学の敷地には京都市の学校法人立命館と提携している大阪初芝学園が運営する小学校と中学校と高等学校が建っている。
駅西口にバスターミナルおよびタクシー乗り場があり、鳳駅前(深井駅経由)、堺駅南口(中もず駅前、三国ヶ丘駅前経由)、富田林駅前方面などへの路線バスが発着している。かつて南海バスは折り返しにターンテーブルを使用していたが、仮バスターミナル供用開始に伴い2005年3月でターンテーブルの使用は廃止された。近鉄バスは駅前ロータリー乗り入れに伴い、折り返しに使っていた大美野バス停は2006年4月1日に休止となった。近時は堺市美原区への路線が拡充されている。
1番乗り場
※大野芝から先、堺駅南口までは同一経路(国道310号線)
2番乗り場
3番乗り場
※東山営業所担当
4番のりば
3番のりば
※松原営業所担当
大阪狭山市循環バス
|
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"paragraph_id": 26,
"tag": "p",
"text": "※松原営業所担当",
"title": "駅周辺"
},
{
"paragraph_id": 27,
"tag": "p",
"text": "大阪狭山市循環バス",
"title": "駅周辺"
}
] |
北野田駅(きたのだえき)は、大阪府堺市東区北野田にある、南海電気鉄道高野線の駅。駅番号はNK63。
|
{{一次資料|date=2023年2月}}{{駅情報
|社色 = #fe4d11
|文字色 =
|駅名 = 北野田駅
|画像 = NK-KitanodaStation.jpg
|pxl = 300px
|画像説明 = 駅舎
|地図 = {{Infobox mapframe|zoom=14|frame-width=300|type=point|marker=rail}}
|よみがな = きたのだ
|ローマ字 = KITANODA
|前の駅 = NK62 [[萩原天神駅|萩原天神]]
|駅間A = 1.8
|駅間B = 0.9
|次の駅 = [[狭山駅|狭山]] NK64
|電報略号 = キタ
|駅番号 = {{南海泉北駅番号|NK|63}}
|所属事業者 = [[南海電気鉄道]]
|所属路線 = {{color|#009a41|■}}[[南海高野線|高野線]]
|キロ程 = 19.3 km([[汐見橋駅|汐見橋]]起点)<br />[[難波駅 (南海)|難波]]から18.6
|起点駅 =
|所在地 = [[堺市]][[東区 (堺市)|東区]]北野田51番地4
|座標 = {{coord|34|31|22.8|N|135|32|35.4|E|region:JP_type:railwaystation|display=inline,title}}
|駅構造 = [[地上駅]]([[橋上駅]])
|ホーム = 2面4線
|開業年月日 = [[1914年]]([[大正]]3年)[[8月7日]]
|廃止年月日 =
|乗車人員 =
|乗降人員n = 33,659<!--大阪府統計年鑑より記載-->
|統計年次 = 2019年
|乗換 =
|備考 =
}}
'''北野田駅'''(きたのだえき)は、[[大阪府]][[堺市]][[東区 (堺市)|東区]]北野田にある、[[南海電気鉄道]][[南海高野線|高野線]]の[[鉄道駅|駅]]。駅番号は'''NK63'''。
== 歴史 ==
明治時代以前の北野田周辺は一面の田園地帯で、高野鉄道が[[1898年]]([[明治]]31年)に大小路駅(現・[[堺東駅]]) - [[狭山駅]]間を開業させた当時は、北野田駅は設けられなかった。[[大正]]時代になって北野田駅が開業。以後この地域はヨーロッパ式の[[高級住宅街]]として開発が進む。
=== 年表 ===
* [[1914年]]([[大正]]3年)[[8月7日]]:高野登山鉄道の[[萩原天神駅]] - [[狭山駅]]間に新設。
* [[1915年]](大正4年)[[4月30日]]:社名変更により大阪高野鉄道の駅となる。
* [[1922年]](大正11年)[[9月6日]]:会社合併により南海鉄道の駅となる。
* 年月日不明:島式2面4線になる。改札口はホームの北端西側にあり、ホームとは[[構内踏切]]で結ばれていた。
* [[1944年]]([[昭和]]19年)[[6月1日]]:会社合併により[[近畿日本鉄道]]の駅となる。
* [[1947年]](昭和22年)6月1日:路線譲渡により南海電気鉄道の駅となる。
* [[1970年]](昭和45年)[[5月16日]]:[[橋上駅]]化。
* [[2005年]]([[平成]]17年)
** [[2月21日]]:西口ペデストリアンデッキ供用開始。
** [[9月21日]]:難波側改札口・ホームへのエレベータ使用開始。
*[[2012年]](平成24年)[[4月1日]]:駅ナンバリングが導入され、使用を開始<ref>{{Cite web|和書|title=南海 駅ナンバリング 導入 |url=https://www.tetsudo.com/event/5551/ |website=鉄道コム |date=2012-02-27 |access-date=2023-02-13 |archive-url=https://web.archive.org/web/20230213212207/https://www.tetsudo.com/event/5551/ |archive-date=2023-02-13}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nankai.co.jp/library/company/news/pdf/120223_1.pdf |title=南海電鉄全駅に「駅ナンバリング」を導入します |access-date=2023-02-13 |publisher=南海電鉄 |archive-url=https://web.archive.org/web/20211028050622/https://www.nankai.co.jp/library/company/news/pdf/120223_1.pdf |archive-date=2021-10-28}}</ref>。
== 駅構造 ==
[[ファイル:NK-KitanodaStation-Platform.jpg|thumb|駅ホーム]]
{| {{Railway line header}}
{{UKrail-header2|北野田駅 配線図|#fe4d11}}
{{BS-table|配線}}
{{BS-colspan}}
↑[[萩原天神駅]]
{{BS4||STRg|STRf||}}
{{BS4||ABZg+l|ABZgr|}}
{{BS4|STR+l|ABZgr|ABZgl|STR+r}}
{{BS4|STR+BSl|STR+BSr|O2=num3r|STR+BSl|STR+BSr|O4=num1r}}
{{BS4|STR+BSl|O1=num4l|STR+BSr|STR+BSl|O3=num2l|STR+BSr}}
{{BS4|STR+BSl|STR+BSr|STR+BSl|STR+BSr}}
{{BS4|ABZgl|ABZg+r|ABZg+l|STRr}}
{{BS4|ENDEe|STRg|STRf||}}
{{BS-colspan}}
↓[[狭山駅]]
|}
|}
待避可能な島式2面4線の[[プラットホーム|ホーム]]を持つ[[橋上駅]]である。
待合室が上下各ホーム上に1箇所ずつ、売店が上りホーム(なんば方面、3・4番ホーム)上にある。2005年9月中旬頃から上りホーム、10月には下りホーム(高野山方面)の列車案内装置がフルカラー[[発光ダイオード|LED]]タイプに交換され稼動している。
改札口は2か所、出口は西口、東口の2か所ある。西口は再開発ビル「アミナス北野田」と[[ペデストリアンデッキ]]で結ばれ、地上とのエレベータが設置されている。東口はライフ北野田店があるビルに直結している。2005年9月に新設された難波側の改札口には車椅子でも通れる自動改札・上下ホームへのエレベータ・車椅子での利用が可能な多機能トイレが設置され[[バリアフリー]]対応が図られている。在来改札からはそれまで通り階段でしかホームへのアクセスができない。
当駅は、[[駅長]]が配置され、[[初芝駅]]から[[金剛駅]]までの各駅を管轄している。
2006年1月17日には改修前に券売機や駅長室があった場所に[[コンビニエンスストア]]「[[アンスリー]]北野田店」が開店した。
=== のりば ===
{| rules="rows" class="wikitable"
!のりば!!路線!!方向!!行先<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nankai.co.jp/sites/default/files/imce/pdf/library/traffic/jikoku/pdf/kitanoda/kitanoda.pdf |title=北野田駅 立体構内図 |publisher=南海電気鉄道 |accessdate=2023-06-11}}</ref>
|-
! 1・2
|rowspan=2| [[File:Nankai koya line symbol.svg|15px]] 高野線
| style="text-align:center" | 下り
|[[高野山駅|高野山]]方面
|-
! 3・4
| style="text-align:center" | 上り
|[[難波駅 (南海)|なんば]]方面
|}
内側2・3番線が本線、外側1・4番線が待避線となっている。なんば側に下り線から上り線への渡り線があり、4番線から当駅折り返し列車が発着する(3番線での折り返しも可能)。ただし急行主体のダイヤに変わった2000年12月からは、折り返しのための渡り線は平日朝の1本にしか使われていない(その後2005年10月から、2000年以前の急行・区間急行併用ダイヤに戻ったが、各駅停車は金剛・河内長野まで運転されている)。
列車の出発時には、全列車に対して出発時機合図(≒発車ベル)が鳴動する。
終日一部列車を除き当駅で緩急接続が行われている(なお2013年10月26日から2015年12月4日までのダイヤでは朝ラッシュ時に、翌12月5日から2017年8月25日までのダイヤでは日中に[[金剛駅]]で行っていた。)。
折り返し列車が4番線に進入する際、停車位置を越えて[[オーバーラン]]した場合は上り列車と正面衝突する危険性があるため、4番線の極楽橋側には[[安全側線]]が設置されていたが、2018年3月頃に撤去された。
== 利用状況 ==
[[2019年]](令和元年)次の1日平均[[乗降人員|'''乗降'''人員]]は'''33,659人'''(乗車人員:16,741人、降車人員:16,918人)で、南海全100駅中8位である<ref>{{PDFlink|[http://www.nankai.co.jp/library/company/company/handbook/pdf2020/04.pdf ハンドブック南海2020 鉄道事業]}} - [http://www.nankai.co.jp/company/handbook.html 南海電鉄]</ref>。
1995年に[[桃山学院大学]]が和泉キャンパスに移転されたことや[[都心回帰]]などで2002年まで利用者は年々減少してきたが、その後は駅西側の再開発事業や[[初芝立命館中学校・高等学校|初芝立命館高等学校]]の北野田キャンパスの移転によって、増加傾向である。
近年の1日平均乗降人員・乗車人員は下表の通りである。
{| class="wikitable" style="text-align:right;"
|-
! 年次 !! 1日平均<br/>乗降人員 !! 1日平均<br/>乗車人員 !! 順位
! 出典
|-
| 1990年(平成{{0}}2年) || 43,849 || 22,257 || -
|<ref>{{PDFlink|[http://www.pref.osaka.lg.jp/attach/3355/00088143/tn1991n110.pdf 大阪府統計年鑑(平成3年)]}}</ref>
|-
| 1991年(平成{{0}}3年) || 44,835 || 22,802 || -
|<ref>{{PDFlink|[http://www.pref.osaka.lg.jp/attach/3355/00088083/tn1992n110.pdf 大阪府統計年鑑(平成4年)]}}</ref>
|-
| 1992年(平成{{0}}4年) || 44,359 || 22,573 || -
|<ref>{{PDFlink|[http://www.pref.osaka.lg.jp/attach/3355/00085641/tn1993n110.pdf 大阪府統計年鑑(平成5年)]}}</ref>
|-
| 1993年(平成{{0}}5年) || 44,373 || 22,601 || -
|<ref>{{PDFlink|[http://www.pref.osaka.lg.jp/attach/3355/00085625/tn1994n110.pdf 大阪府統計年鑑(平成6年)]}}</ref>
|-
| 1994年(平成{{0}}6年) || 43,576 || 22,208 || -
|<ref>{{PDFlink|[http://www.pref.osaka.lg.jp/attach/3355/00085578/tn1995n110.pdf 大阪府統計年鑑(平成7年)]}}</ref>
|-
| 1995年(平成{{0}}7年) || 39,460 || 20,028 || -
|<ref>{{PDFlink|[http://www.pref.osaka.lg.jp/attach/3355/00085307/tn1996n110.pdf 大阪府統計年鑑(平成8年)]}}</ref>
|-
| 1996年(平成{{0}}8年) || 38,634 || 19,589 || -
|<ref>{{PDFlink|[http://www.pref.osaka.lg.jp/attach/3355/00084805/tn1997n110.pdf 大阪府統計年鑑(平成9年)]}}</ref>
|-
| 1997年(平成{{0}}9年) || 37,040 || 18,739 || -
|<ref>{{PDFlink|[http://www.pref.osaka.lg.jp/attach/3355/00084997/tn1998n110.pdf 大阪府統計年鑑(平成10年)]}}</ref>
|-
| 1998年(平成10年) || 37,119 || 18,780 || -
|<ref>{{PDFlink|[http://www.pref.osaka.lg.jp/attach/3355/00085083/tn1999n110.pdf 大阪府統計年鑑(平成11年)]}}</ref>
|-
| 1999年(平成11年) || 35,486 || 17,969 || -
|<ref>{{PDFlink|[http://www.pref.osaka.lg.jp/attach/3355/00085215/tn2000n110.pdf 大阪府統計年鑑(平成12年)]}}</ref>
|-
| 2000年(平成12年) || 34,439 || 17,438 || 7位
|<ref>{{PDFlink|[http://www.pref.osaka.lg.jp/attach/3355/00076905/tn01n110.pdf 大阪府統計年鑑(平成13年)]}}</ref>
|-
| 2001年(平成13年) || 33,383 || 16,880 || 8位
|<ref>{{PDFlink|[http://www.pref.osaka.lg.jp/attach/3355/00076904/tn02n110.pdf 大阪府統計年鑑(平成14年)]}}</ref>
|-
| 2002年(平成14年) || 31,951 || 16,096 || 8位
|<ref>{{PDFlink|[http://www.pref.osaka.lg.jp/attach/3355/00076903/tn03n110.pdf 大阪府統計年鑑(平成15年)]}}</ref>
|-
| 2003年(平成15年) || 32,320 || 16,115 || 8位
|<ref>{{PDFlink|[http://www.pref.osaka.lg.jp/attach/3355/00076902/tn04n110.pdf 大阪府統計年鑑(平成16年)]}}</ref>
|-
| 2004年(平成16年) || 32,325 || 16,122 || 8位
|<ref>{{PDFlink|[http://www.pref.osaka.lg.jp/attach/3355/00076901/tn05n110.pdf 大阪府統計年鑑(平成17年)]}}</ref>
|-
| 2005年(平成17年) || 32,709 || 16,362 || 8位
|<ref>{{PDFlink|[http://www.pref.osaka.lg.jp/attach/3355/00076900/tn06n110.pdf 大阪府統計年鑑(平成18年)]}}</ref>
|-
| 2006年(平成18年) || 33,050 || 16,572 || 8位
|<ref>{{PDFlink|[http://www.pref.osaka.lg.jp/attach/3355/00074421/tn07n090.pdf 大阪府統計年鑑(平成19年)]}}</ref>
|-
| 2007年(平成19年) || 33,906 || 17,089 || 8位
|<ref>{{PDFlink|[http://www.pref.osaka.lg.jp/attach/3355/00074418/tn08n090.pdf 大阪府統計年鑑(平成20年)]}}</ref>
|-
| 2008年(平成20年) || 33,945 || 17,087 || 8位
|<ref>{{PDFlink|[http://www.pref.osaka.lg.jp/attach/3355/00064556/tn09n090.pdf 大阪府統計年鑑(平成21年)]}}</ref>
|-
| 2009年(平成21年) || 33,338 || 16,805 || 8位
|<ref>{{PDFlink|[http://www.pref.osaka.lg.jp/attach/3355/00071058/tn10n090.pdf 大阪府統計年鑑(平成22年)]}}</ref>
|-
| 2010年(平成22年) || 33,514 || 16,874 || 8位
|<ref>{{PDFlink|[http://www.pref.osaka.lg.jp/attach/3355/00093411/tn2011n090.pdf 大阪府統計年鑑(平成23年)]}}</ref>
|-
| 2011年(平成23年) || 34,483 || 17,350 || 7位
|<ref>{{PDFlink|[http://www.pref.osaka.lg.jp/attach/3355/00121073/tn2012n090.pdf 大阪府統計年鑑(平成24年)]}}</ref>
|-
| 2012年(平成24年) || 34,869 || 17,537 || 7位
|<ref>{{PDFlink|[http://www.pref.osaka.lg.jp/attach/3355/00144873/tn2013n09.pdf 大阪府統計年鑑(平成25年)]}}</ref>
|-
| 2013年(平成25年) || 35,489 || 17,828 || 7位
|<ref>{{PDFlink|[http://www.pref.osaka.lg.jp/attach/3355/00180638/tn2014n09.pdf 大阪府統計年鑑(平成26年)]}}</ref>
|-
| 2014年(平成26年) || 34,542 || 17,288 || 8位
|<ref>{{PDFlink|[http://www.pref.osaka.lg.jp/attach/3355/00211004/tn2015n09.pdf 大阪府統計年鑑(平成27年)]}}</ref>
|-
| 2015年(平成27年) || 34,700 || 17,415 || 8位
|<ref>{{PDFlink|[http://www.pref.osaka.lg.jp/attach/3355/00242803/tn2016n09.pdf 大阪府統計年鑑(平成28年)]}}</ref>
|-
| 2016年(平成28年) || 34,345 || 17,251 || 7位
|<ref>{{PDFlink|[http://www.pref.osaka.lg.jp/attach/3355/00281833/9-all.pdf 大阪府統計年鑑(平成29年)]}}</ref>
|-
| 2017年(平成29年) || 34,366 || 17,245 || 8位
|<ref>{{PDFlink|[https://www.pref.osaka.lg.jp/attach/3355/00319513/n2018-09-2.pdf 大阪府統計年鑑(平成30年)]}}</ref>
|-
| 2018年(平成30年) || 33,990 || 16,937 || 8位
|<ref>{{PDFlink|[http://www.pref.osaka.lg.jp/attach/3355/00357824/n2019-09.pdf 大阪府統計年鑑(令和元年)]}}</ref>
|-
| 2019年(令和元年) || 33,659 || 16,741 || 8位
|<ref>{{PDFlink|[http://www.pref.osaka.lg.jp/attach/3355/00387493/n2020-09-01~31.pdf 大阪府統計年鑑(令和2年)]}}</ref>
|}
== 駅周辺 ==
[[File:KITANODAsta.jpg|thumb|南海高野線北野田駅前の様子]]
周辺はスーパーや商店街などがある商業地域と住宅地が混在している。駅西側は再開発事業が進められ、2005年2月に図書館などの公共施設や商業施設の入ったビル「[[アミナス北野田]]」が完成。駅西南には3棟の高層マンションが建てられた。引き続き2007年4月に市立東文化ホールや商業施設と高層マンションが入った「[[ベルヒル北野田]]」が完成し、駅前再開発計画が完了した。
駅から西方に緩やかな坂を上り、「ファウンテン(噴水)通り」という商店街を抜けると、1930(昭和5)年に[[関西土地]]が開発した[[大美野田園都市]]が広がる。噴水のある[[ラウンドアバウト]]からは放射状に8本の道路が伸びている。東京の[[田園調布]]や[[洗足田園都市]]と同時期に開発された日本の[[田園都市]]の原型で、豪邸や瀟洒な洋館が立ち並ぶ関西有数のお屋敷街である。
駅東側は和泉街道、下高野街道沿いに趣のある古い街並みが残されており駅の東西で全く異なる風景を形成している。
[[国道310号]]沿いにかつてあった[[桃山学院大学]]の敷地には[[京都市]]の[[学校法人立命館]]と提携している[[学校法人大阪初芝学園|大阪初芝学園]]が運営する小学校と中学校と高等学校が建っている。
=== 公共機関・商業施設 ===
* [[アミナス北野田]]
** 堺市立東文化会館
** [[堺市立図書館|堺市立東図書館]]
** [[三菱UFJ銀行]] 大美野支店(所在地の住所は東区北野田)
* [[ベルヒル北野田]]
** [https://www.sakai-bunshin.com/facilities/east/about/ 堺市立東文化会館文化ホール「北野田フェスティバル」]
** [[サンプラザ (スーパーマーケット・大阪府)|サンプラザ]] 北野田店
** [[大創産業|ザ・ダイソー]]
** [[コシダカホールディングス|カーブス]]
** [[成協信用組合]] 北野田支店
**[[アズヘアー]]
* [[ライフコーポレーション|ライフ]] 北野田店
* [[ダイエー (店舗ブランド)|ダイエー]] 北野田店
* [[万代 (チェーンストア)|万代]] 北野田店
* 池田泉州銀行 北野田支店(■旧泉州店舗)
* 関西みらい銀行 大美野支店
=== 教育関係 ===
* [[堺市立登美丘東小学校]]
* [[堺市立登美丘西小学校]]
* [[堺市立登美丘南小学校]]
* [[堺市立野田小学校]]
* [[堺市立登美丘中学校]]
* [[堺市立野田中学校]]
* [[大阪府立登美丘高等学校]]
* [[大阪初芝学園]]・北野田キャンパス([[初芝立命館中学校・高等学校]]、[[はつしば学園小学校]])
=== その他 ===
* 堺登美丘郵便局
* 大美野噴水 - 駅より西方。8本の道路が集まる[[ラウンドアバウト]]の中央にある。
* [[野田城 (河内国)|野田城]]跡 - 駅東南方。[[南北朝時代 (日本)|南北朝時代]]に野田荘の地頭をしていた野田正勝が築いた城の跡。
* [[大慧會教団]]本部
* [[西除川]]
<gallery>
Belhill-kitanoda.jpg|ベルヒル北野田
Hatsushiba-sakai-junior-high-school.jpg|初芝立命館中学校
Hatsushiba-gakuen-primary-school.jpg|はつしば学園小学校
</gallery>
=== バス路線 ===
駅西口にバスターミナルおよびタクシー乗り場があり、[[鳳駅]]前(深井駅経由)、[[堺駅]]南口([[中百舌鳥駅|中もず駅]]前、[[三国ヶ丘駅]]前経由)、[[富田林駅]]前方面などへの[[路線バス]]が発着している。かつて南海バスは折り返しに[[転車台|ターンテーブル]]を使用していたが、仮バスターミナル供用開始に伴い2005年3月でターンテーブルの使用は廃止された。近鉄バスは駅前ロータリー乗り入れに伴い、折り返しに使っていた大美野バス停は2006年4月1日に休止となった。近時は堺市[[美原区]]への路線が拡充されている。
; [[南海バス]]
1番乗り場
* 131 西小学校前・中もず駅前・三国ヶ丘駅前経由 堺駅南口行き(131Cは中もず駅前止め)
* 132 福町・中もず駅前・三国ヶ丘駅前経由 堺駅南口行き
※大野芝から先、堺駅南口までは同一経路(国道310号線)
2番乗り場
* 170 福町・東山車庫前・深井駅・菱木・草部経由 鳳駅前行き
* 171 福町経由 [[南海バス東山営業所|東山車庫前]]行き
* 172 福町・東山車庫前経由 [[深井駅]]行き
3番乗り場
* 145 地下鉄新金岡駅前行き
* 39 [[東区 (堺市)|東区]]役所前・北余部北経由 多治井北行き(循環)。 ※近鉄バスと共同運行
※<!-- 44・45系統([[南海バス堺営業所金岡車庫|堺営業所金岡車庫]]担当)を除き、→2013年9月1日金岡車庫廃止 -->[[南海バス東山営業所|東山営業所]]担当
; [[近鉄バス]]
[[ファイル:Kintetsubus-tajii.JPG|thumb|南海の駅前としては唯一近鉄バスが乗り入れる]]
4番のりば
* 43 平尾西・平尾・木材団地経由 富田林駅前行き
* 44 平尾・木材団地経由 富田林駅前行き
* 47 平尾・平尾北経由 [[さつき野 (堺市)|さつき野東]]行き
* 48 平尾・平尾道・[[美原区]]役所南口経由 さつき野東行き
3番のりば
* 39 東区役所・北余部北経由 多治井北行き(循環) ※南海バスと共同運行
* 38 東区役所・北余部北経由 大保行き
※[[近鉄バス松原営業所|松原営業所]]担当
; [[堺市ふれあいバス#堺市乗合タクシー|堺市乗合タクシー]]
* Dルート : 美原区方面(循環)
* Eルート : 東陶器経由 [[深井駅]]前行き
* Gルート : 陶器川・[[泉ヶ丘駅]]前経由 深井駅前行き
**何れも[[デマンドバス|デマンド式]]であり、1日5往復の運行となっている。
'''[[大阪狭山市循環バス]]'''
* 西回り:大阪狭山市役所行き
* 西回り:福祉センター前(西、北回り)行き
== 隣の駅 ==
; 南海電気鉄道
: [[File:Nankai koya line symbol.svg|15px]] 高野線
<!--特急は有料列車のため、通過の記述は必要ありません。--->
:: {{Color|orangered|■}}快速急行・{{Color|orangered|■}}急行
::: [[堺東駅]] (NK56) - '''北野田駅 (NK63)''' - [[金剛駅]] (NK66)
:: {{Color|#009933|■}}区間急行(当駅から河内長野方面の各駅に停車)
::: 堺東駅 (NK56) - '''北野田駅 (NK63)''' - [[狭山駅]] (NK64)
:: {{Color|royalblue|■}}準急・{{Color|gray|■}}各停
::: [[萩原天神駅]] (NK62) - '''北野田駅 (NK63)''' - 狭山駅 (NK64)
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
<!--=== 注釈 ===
{{Reflist|group="注"}}
=== 出典 ===-->
{{Reflist|2}}
== 関連項目 ==
{{Commonscat}}
* [[日本の鉄道駅一覧]]
* [[帝塚山]]
* [[阪神間モダニズム]]
== 外部リンク ==
* [https://www.nankai.co.jp/traffic/station/kitanoda.html 北野田駅] - 南海電気鉄道
{{南海高野線りんかんサンライン}}
{{デフォルトソート:きたのた}}
[[Category:堺市の鉄道駅]]
[[Category:日本の鉄道駅 き|たのた]]
[[Category:南海電気鉄道の鉄道駅]]
[[Category:かつて近畿日本鉄道に所属した鉄道駅]]
[[Category:1914年開業の鉄道駅]]
[[Category:堺市東区の建築物]]
|
2003-09-11T20:11:10Z
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玉川大学
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玉川大学(たまがわだいがく、英語: Tamagawa University)は、東京都町田市玉川学園六丁目1番1号に本部を置く日本の私立大学。1929年創立、1947年大学設置。
経営主体は学校法人玉川学園であり、幼稚園から大学院までを擁する総合学園の高等教育部門と位置づけられている。
創立者は小原國芳であり、彼の唱えた全人教育を教育信条に掲げている。特に國芳が存命中だった時に学んだ卒業生は、彼の人格を尊敬する人が多い。
学長職は、第3代以降、創立者一族による世襲である。初代学長は元東京文理科大学(現・筑波大学)教授の田中寛一、第2代は京都帝国大学文学部哲学科宗教学講座での小原の恩師波多野精一。第3代が小原國芳(晩年は総長)自身であり、初代から第3代まで小原の母校である京都帝国大学文学部哲学科の卒業生あるいは元教授が学長の任に当たったことになる。第4代は國芳の子・小原哲郎(晩年は名誉総長)、第5代(現在)は哲郎の子・小原芳明である。本学の年配の教職員には、存命中の國芳の教育理念に共感する玉川学園出身者が多く、小原家の世襲に対する反対運動はほとんどない。
キャンパスは、東京都町田市玉川学園(キャンパスの7割程度)、神奈川県川崎市麻生区岡上(農学部)、横浜市青葉区奈良町(工学部、中・高)の一都一県三市にまたがり、敷地面積は59万m2におよぶ。詳しくは施設については、学校法人玉川学園を参照のこと。
校外施設は主に農学部の農場・実習林用地として、箱根(神奈川県箱根町)約77万m、北海道(北海道弟子屈町)約122万m、鹿児島(鹿児島県南さつま市坊津町久志)約10万m、カナダ(カナダ・バンクーバー島ナナイモ市)約34万mがある。
カナダの玉川学園ナナイモキャンパスは主に中学部カナダ研修や大学農学部研修で利用されている。
鹿児島の校地は、1977年の用地取得後、1978年に「久志農場」として、主に玉川大学農学部の実習の場として利用されてきたが、2018年1月に創立80周年記念事業として「久志晴耕塾」(滞在型教育施設)が竣工し、「久志農場」から「玉川大学南さつまキャンパス」という名称に変更され、学園全体・大学全体で利用される施設となった。
1929年(昭和4年)、創立者小原國芳により「全人教育」を第一の教育信条に掲げて開校された玉川学園を母体とする。
1947年に旧制玉川大学として開学。1949年には、旧制玉川大学と旧制玉川工業専門学校(1945年開設)を背景に新制大学に移行し、文学部と農学部を設置した。小原はかねてから大学設立を目指しており、本学設立以前の1942年にも学園内に半官立といえる興亜工業大学(現千葉工業大学)を誘致していたが、これは設立早々に転出してしまっていた。
1950年には通信教育部がスタートし、全人教育を広く社会に開放することや、当時全国の小学校に多くいた代用教員等の正規の教員免許を持たない現職教員に「小学校教員免許状」を取得可能とさせる全国初の課程として注目された。
1962年に工学部を設置し、しばらく3学部体制が続いていたが、2002年に経営学部、2003年に教育学部と芸術学部、2007年にリベラルアーツ学部、2013年に観光学部を開設した。法学系、経済学系、医療系の学部や学科はないが、玉川大学は文系・理系を擁する総合大学に成長した。
スクールカラーは紺。校章は、円(=玉)の中に縦棒が3本(=川)が入ったもので、校名「玉川」を表している。校旗は、紺の地に白の校章を配したもの。校歌は、田尾一一作詞・岡本敏明作曲。
※かつて(2013年度大学院修士課程入学者まで)、文学、農学、工学、マネジメント、教育学研究科の修士課程に、「大学院学際領域プログラム「人間情報科学」」を設置していた。
※2013年度より、学部(学士課程)の学際教育プログラムとして「学際領域プログラム「人間総合学」」が開講されるようになった。これは「学部学科を問わず、脳科学や人間科学に興味のある学生に本プログラムを提供することで、広く人間に関する学問を学ぶプログラムです。また、大学院修士課程の「人間情報科学」プログラム、脳科学研究科修士課程および博士課程後期との一体化により、学部・修士・博士一環教育の機会を設けることを目的」(『履修ガイド2014』)とするものである(2015年度より、目的から後段の文章が削られ、「学部学科を問わず、脳科学や人間科学に興味のある学生に本プログラムを提供することで、広く人間に関する学問を学ぶプログラム」となった)
以上のほかに学部附属の機関として、
があるほか、教育学部には「デンマーク・オレロップ高等体操学校東洋分校」の事務局もある
2006年度から工学部に設置されたロボット工房を中心にロボカップに参加している。アイボリーグで世界大会出場の経験のある岡田浩之(工学部教授)が中心になり実績を挙げる。2008年度のロボカップ世界大会においてロボカップ@ホームリーグで世界一に輝く。ロボカップジャパンオープンでは2008年度より3年連続で優勝した。2010年度世界大会(シンガポール)では2度目の世界一に輝く。知能ロボットの研究は脳科学研究所を中心して行われており、岡田浩之(工学部教授)の赤ちゃん研究を応用したユニークで他大学には無い特色をもつ。
2017年には脳科学研究所とは別に、学術研究所内にロボットと人工知能(AI)を担当する「先端知能・ロボット(AIBbot)研究センター」を設立。岡田ら28人がオノマトペをも解するロボットの開発などに取り組んでいる。
創立者である小原國芳は、教育における宗教的情操・感化を重視して学園を創設したため、キャンパス内にはチャペルや礼拝堂があり、教育の一環として礼拝の時間もある(大学1年次に必修)。通信教育部の夏期スクーリングにおいても、朝の授業前に各期ごとに1回、全3期通じて計3回行われている。2000年に新設されたチャペルには、礼拝堂にあった辻オルガン(1978年製)が移設されている(礼拝堂にあるパイプオルガンは、アメリカ・シカゴのキンボール社製で、1931年設置)。
なお、キリストの教えに従うことは学則第1条にも謳われているが、特定の教会(会派・宗派)と結びついたミッションスクールではない。小原國芳自身はクリスチャンであったが、宗教観・情操の面で良いものは良く、尊いものは尊いとして他の宗教も大いに尊重し、この姿勢は現在の学園にも受け継がれている。
また、小原國芳は「服装は人格を宣言する」と唱え、身なりも玉川学園における教育の一環とした。そのため、公式行事などでは、男子はダークスーツを着用し、校章をつけることが定められており、これは伝統的に「第一装」と呼ばれる。以前は、色も紺の背広と紺のネクタイと指定され、さらに大学創立時にはこれが制服(毎日着用)であった。女子については、自己に相応しい服装を自ら考え、TPOに応じた服装のセンスを磨くことを重視し、併設の下級学校を含め、開校当初から制服等は設けていない(小原國芳全集第14巻312頁参照)。したがって女子学生の第一装については、「男子の第一装に見合う清楚な服装」と定めるにとどまる。「学生生活規定」では、これ以外に学内外での生活の心構えも記されている。
幼稚園から大学まで玉川の園児・児童・生徒・学生である者を「完玉」と呼び、小学校から大学まで玉川の児童・生徒・学生である者を「純玉(準玉)」と呼ぶ。
授業時間割は、1コマ50分で組まれているが、ほとんどの科目は2コマ連続の100分間の授業時間が割り当てられている。時間割に昼休みはなく、学生は各自の空き時間に休みをとることになっている。また、1年を2学期(セメスター)に分け、週2コマ(100分)の講義を1セメスター(15回)履修すると2単位となる。1セメスターあたりの履修上限単位数は16単位であり(一部上限外科目がある)、これは日本全国の大学で最も少ない。学業成績ではGPAが重視されており、GPA2.0以上が卒業条件である。
入学年度から卒業年度までクラス担任制をとっている。
「教育の玉川」をうたっている。特に日本で初めて通信教育による教職課程を設置し、戦後の代用教員や大学既卒者の教員免許取得を支援したため、小学校教員の中では大きな勢力となっている。
工学部ソフトウェアサイエンス学科では、特定の科目の単位を取得し、修了試験に合格することで、基本情報技術者試験(FE)の午前の部の受験が1年間免除される制度が導入されている。
学校行事も教育活動の一環ととらえられており、10月に行われる総合体育祭では学園幼稚部から大学教育学部の1年生までの数千名が参加する。大学祭は「コスモス祭」と呼ばれ、体育会・文化会による課外活動展と農学部収穫祭他の各学部展からなる。
大学1年では音楽が必修科目であり、例年12月に大学音楽祭が開催され、ベートーベンの第九(演奏は第4楽章のみ)を1年生全員が合唱する。これとは別に、毎年12月頭には、玉川大学が主催して、芸術学部学生らで構成される管弦楽団と合唱団による第九特別演奏会をサントリーホールで開催されていたが、こちらは2014年が最後となった。
音楽を大切にする教育の伝統は通信教育部でも引き継がれており、やはり音楽は必修科目である(卒業希望者のみ)。夏期スクーリング中盤で行われるイベント「通大祭」や、最終日の授業終了後に行われる閉講式「丘の終鈴」をはじめとする各種行事では、学生歌・校歌の他、玉川学園児童の作による曲も多く歌われる。
玉川学園前駅近くに購買部(2007年より紀伊国屋書店に業務委託。それまでは玉川学園の法人内組織として直接運営されていた)の店舗があり、文具・書籍等を割引価格で購入することが可能である。ここでは、農学部の実習(ミツバチおよび乳牛飼育)によって開発された「たまがわはちみつ」と「たまがわアイスクリーム」も販売している。キャンパス内にはコンビニエンスストア生活彩家もある。
学生の集会および看板の設置は許可制となっており、大学の方針によって学生自治会も許可されていない。したがって公式な学生運動に類する活動は不可能とされる。この学生運動を規制するこの規則をもって「お坊ちゃん大学の象徴」などと唱える者もいる。通信教育部には学生会が存在し、大学側との「懇談の場」と位置付けられている。
以下の大学の在学生は学内での選考により、玉川大学通信教育部の科目等履修生として小学校教員免許に関する科目を併修できる。
小田急線「玉川学園前駅」 北口より、新宿方面へ徒歩3分。
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玉川大学は、東京都町田市玉川学園六丁目1番1号に本部を置く日本の私立大学。1929年創立、1947年大学設置。
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| ふりがな=たまがわだいがく
| 英称=Tamagawa University
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| 大学設置年=1947年
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'''玉川大学'''(たまがわだいがく、{{Lang-en|Tamagawa University}})は、[[東京都]][[町田市]][[玉川学園]]六丁目1番1号に本部を置く[[日本]]の[[私立大学]]。[[1929年]]創立、[[1947年]]大学設置。
==概説==
=== 経営・教育信条 ===
経営主体は[[学校法人玉川学園]]であり、幼稚園から大学院までを擁する総合学園の[[高等教育]]部門と位置づけられている。
創立者は[[小原國芳]]であり、彼の唱えた[[全人教育]]を教育信条に掲げている。特に國芳が存命中だった時に学んだ卒業生は、彼の人格を尊敬する人が多い。
学長職は、第3代以降、創立者一族による世襲である。初代学長は元[[東京文理科大学]](現・[[筑波大学]])教授の[[田中寛一]]、第2代は[[京都帝国大学]]文学部哲学科宗教学講座での小原の恩師[[波多野精一]]。第3代が小原國芳(晩年は総長)自身であり、初代から第3代まで小原の母校である京都帝国大学文学部哲学科の卒業生あるいは元教授が学長の任に当たったことになる。第4代は國芳の子・小原哲郎(晩年は名誉総長)、第5代(現在)は哲郎の子・[[小原芳明]]である。本学の年配の教職員には、存命中の國芳の教育理念に共感する玉川学園出身者が多く、小原家の世襲に対する反対運動はほとんどない。
=== 施設 ===
[[File:Tamakawa University Minamisatsuma Campus.jpg|thumb|創設者[[小原國芳]]の出身地である[[鹿児島県]][[南さつま市]][[坊津町久志]]にある南さつまキャンパス]]
キャンパスは、[[東京都]][[町田市]][[玉川学園]](キャンパスの7割程度)、[[神奈川県]][[川崎市]][[麻生区]][[岡上]](農学部)、[[横浜市]][[青葉区 (横浜市)|青葉区]][[奈良町 (横浜市)|奈良町]](工学部、中・高)の一都一県三市にまたがり、敷地面積は59万m²におよぶ。詳しくは施設については、[[学校法人玉川学園]]を参照のこと。
校外施設は主に農学部の農場・実習林用地として、箱根([[神奈川県]][[箱根町]])約77万m<sup>2</sup>、北海道([[北海道]][[弟子屈町]])約122万m<sup>2</sup>、鹿児島([[鹿児島県]][[南さつま市]][[坊津町久志]])約10万m<sup>2</sup>、カナダ([[カナダ]]・[[バンクーバー島]][[ナナイモ市]])約34万m<sup>2</sup>がある。
[[カナダ]]の玉川学園ナナイモキャンパスは主に中学部カナダ研修や大学農学部研修で利用されている。
鹿児島の校地は、1977年の用地取得後、1978年に「久志農場」として、主に玉川大学農学部の実習の場として利用されてきたが、2018年1月に創立80周年記念事業として「久志晴耕塾」(滞在型教育施設)が竣工し、「久志農場」から「玉川大学南さつまキャンパス」という名称に変更され、学園全体・大学全体で利用される施設となった。
== 沿革 ==
[[1929年]](昭和4年)、創立者[[小原國芳]]により「[[全人教育]]」を第一の教育信条に掲げて開校された玉川学園を母体とする。
[[1947年]]に旧制'''玉川大学'''として開学。[[1949年]]には、旧制玉川大学と旧制玉川工業専門学校(1945年開設)を背景に新制大学に移行し、文学部と農学部を設置した。小原はかねてから大学設立を目指しており、本学設立以前の1942年にも学園内に半官立といえる興亜工業大学(現[[千葉工業大学]])を誘致していたが、これは設立早々に転出してしまっていた。
[[1950年]]には[[通信教育部]]がスタートし、全人教育を広く社会に開放することや、当時全国の小学校に多くいた[[代用教員]]等の正規の教員免許を持たない現職教員に「[[小学校教員免許状]]」を取得可能とさせる全国初の課程として注目された。
[[1962年]]に工学部を設置し、しばらく3学部体制が続いていたが、[[2002年]]に経営学部、[[2003年]]に教育学部と芸術学部、[[2007年]]にリベラルアーツ学部、[[2013年]]に観光学部を開設した。法学系、経済学系、医療系の学部や学科はないが、玉川大学は文系・理系を擁する総合大学に成長した。
=== 年表 ===
* [[1929年]] - [[小原國芳]]らによって財団法人玉川学園設立。玉川中学校(学園内での通称:中学部)・玉川学園小学校(小学部)玉川学園幼稚園(幼稚園)を設置。玉川学園教育研究所を設置。
* [[1939年]] - 大学設置に向けて中学校・高等女学校の上に玉川塾(専門部)を設置し、[[森矗昶]]の協力を得て産学連携による実践教育を開始。
* [[1940年]] - [[東久邇宮]]が学園視察に訪れ、大学設置の構想が本格化する。
* [[1941年]] - 玉川塾工業大学の設置許可申請を文部省(現在の文部科学省)に行うが受理されず、文部省の指示に従って大幅に構想を変更し、興亞工業大學(現在の[[千葉工業大学]])の設置が許可される。興亞工業大学は玉川学園内に1942年に創立されたが1944年に転出する。
* [[1945年]] - 玉川工業専門学校設置。
* [[1947年]] - [[大学令]]によって[[旧制大学]]として最後の設置認可(ただし[[旧制医学専門学校]]からの昇格を除く)。予科、文農学部(文学科・農政学科)、研究科を設置(ただし、実際に学生が入学したのは予科のみの段階で、学制改革を迎えた)。学長は田中寛一(心理学)。玉川学園教育研究所を玉川大学教育研究所と改称。
* [[1949年]] - 新制玉川大学を設置。文学部(教育学科、英米文学科)と農学部(農学科)を設置。玉川工業専門学校廃止。学長は田中寛一(心理学)、次いで波多野精一(宗教哲学)であった。
* [[1950年]] - 全人教育を広く社会に開放することを目的として、[[通信教育部]]文学部教育学科を開設。日本で初の通信制による「小学校教員免許状」取得可能な課程として注目された。
* [[1951年]] - 財団法人から学校法人へ移行。
* [[1952年]] - 小原國芳が学長に就任。
* [[1955年]] - 旧制玉川大学廃止。
* [[1962年]] - 工学部を開設(機械工学科、電子工学科、経営工学科の3学科)。
* [[1964年]] - 文学部に芸術学科、農学部に農芸化学科を開設。
* [[1965年]] - [[玉川学園女子短期大学]]を設置(教養科)。
* [[1967年]] - 大学院工学研究科修士課程を開設(機械工学専攻、電子工学専攻)。玉川学園女子短期大学に保育科を開設。
* [[1971年]] - 大学院文学研究科修士課程を開設(教育学専攻)。
* [[1972年]] - 文学部に外国語学科、工学部に情報通信工学科を開設。大学院文学研究科修士課程に英文学専攻、工学研究科博士課程に電子工学専攻を開設。
* [[1973年]] - 大学院文学研究科博士課程に教育学専攻を開設。
* [[1977年]] - 大学院農学研究科修士課程を開設(資源生物学専攻)。創立者・小原國芳、死去。
* [[1979年]] - 大学院農学研究科博士課程を開設(資源生物学専攻)。大学に専攻科(芸術専攻科芸術専攻)を開設。玉川大学教育研究所を玉川学園学術教育研究所と改称し、教育研究所、体育研究所、ミツバチ科学研究所を置く。
* [[1980年]] - 大学院工学研究科博士課程に生産開発工学専攻を開設。
* [[1983年]] - 大学院工学研究科博士課程の電子工学専攻を廃止。
* [[1984年]] - 玉川学園女子短期大学の保育科を幼児教育科に改称。
* [[1993年]] - 玉川学園学術教育研究所に生産工学研究所(量子開発通信研究施設・品質工学研究施設)を開設。コンピュータ準備室開設。
* [[1994年]] - 玉川学園学術教育研究所を玉川大学学術研究所と玉川学園教育研究所に改組し、玉川大学学術研究所に全人教育研究施設(体育研究所を吸収)、ミツバチ科学研究施設、生産開発研究施設を置く。玉川学園女子短期大学に専攻科教養専攻を開設。同年、[[小原芳明]]第5代学長が玉川学園理事長、玉川大学学長、玉川学園学園長に就任。
* [[1995年]] - 大学院工学研究科修士課程の電子工学専攻を電子情報工学専攻に改称、4月に[[親学推進協会]]より[[高橋史朗]]を大学院講師兼任として招く。
* [[1996年]] - 玉川大学学術研究所に脳科学研究施設を開設。
* [[1998年]] - 玉川大学学術研究所に応用生命科学研究施設を開設。
* [[1999年]] - 玉川学園教育研究所を玉川学園全人教育研究所と改称。玉川大学学術研究所より全人教育研究施設を分離。
* [[2001年]] - 経営学部国際経営学科を開設。農学部の農学科を生物資源学科、農芸化学科を応用生物化学科と改称。玉川学園全人教育研究所に心の教育実践センターを開設
* [[2002年]] - 文学部教育学科をもとに教育学部(教育学科)を、文学部芸術学科をもとに芸術学部(パフォーミング・アーツ学科、ビジュアル・アーツ学科)を開設。また、文学部に人間学科、国際言語文化学科を開設。通信教育部文学部教育学科を通信教育部教育学部教育学科に改組。玉川大学学術研究所に言語情報文化研究施設を開設。
* [[2003年]] - 玉川学園女子短期大学を4年制に転換して、教養科を母体として文学部にリベラルアーツ学科を、幼児教育科を母体として教育学部に乳幼児発達学科を開設。玉川大学学術研究所に量子情報科学研究施設を開設。玉川大学学術研究所が全人教育研究所を包括統合(玉川学園全人教育研究所に開設していた心の教育実践センターを玉川大学学術研究所へ移管)し、人文科学研究施設、知能ロボット研究施設、量子情報科学研究施設を開設し、研究促進室を設置。
* [[2004年]] - 工学部機械工学科を機械システム学科に改称。電子工学科を改組し、知能情報システム学科を開設。同学科に人間情報科学コースを設置。情報通信工学科をメディアネットワーク学科、経営工学科をマネジメントサイエンス学科に改称・改組。玉川学園女子短期大学を廃止。
* [[2005年]] - 農学部を改組し、生物環境システム学科、生命化学科を開設。大学院修士課程にマネジメント研究科を開設(マネジメント専攻)。農学部の農学科、農芸化学科を廃止。
* [[2006年]] - 文学部の教育学科、英米文学科、外国語学科、芸術学科を廃止。文学部に比較文化学科を、芸術学部にメディア・アーツ学科を開設。工学部知能情報システム学科人間情報科学コースのコース別入試を廃止。大学院文学研究科修士課程に哲学専攻、教育学研究科修士課程教育学専攻を開設。玉川大学学術研究所に体育・保健科学研究施設を開設。
* [[2007年]] - 大学院文学研究科修士課程の教育学専攻を廃止。工学研究科博士後期課程に脳情報専攻、システム科学専攻を開設。文学部リベラルアーツ学科を改組し、リベラルアーツ学部リベラルアーツ学科を開設。経営学部に観光経営学科を開設。脳科学研究所を開設。玉川大学脳科学研究所設置に伴い、玉川大学学術研究所より脳科学研究施設、知能ロボット研究施設、言語情報文化研究施設を分離。
* [[2008年]] - 工学部の機械工学科、電子工学科、経営工学科を廃止。工学部の機械システム学科と知能情報システム学科を改組し、機械情報システム学科を開設。メディアネットワーク学科を改組し、ソフトウェアサイエンス学科を開設。大学院教育学研究科に専門職学位課程(教職大学院)教職専攻を開設。各「研究施設」の名称を「センター」へ改称。玉川大学学術研究所に教師養成研究センター開設。
* [[2009年]] - 工学部の情報通信工学科を廃止。大学院文学研究科博士課程後期の教育学専攻、工学研究科博士課程後期の生産開発工学専攻博士課程後期を廃止。
* [[2010年]] - 大学院文学研究科修士課程に人間学専攻、英語教育専攻を開設。大学院脳情報研究科博士課程後期を開設(脳情報専攻)。農学部応用生物化学科、文学部リベラルアーツ学科を廃止。玉川大学学術研究所に知的財産本部を設置。
* [[2011年]] - 大学院文学研究科修士課程の哲学専攻、英文学専攻を廃止。玉川大学学術研究所の量子情報研究センターを分離し玉川大学量子情報科学研究所を設置。
* [[2012年]] - 通信教育部の文学部教育学科を廃止。大学院工学研究科博士課程後期の脳情報専攻を廃止。文学部の国際言語文化学科を廃止。玉川大学学術研究所より教師養成研究センターが教育教育リサーチセンターへ移管。
* [[2013年]] - 経営学部の観光経営学科を改組し、観光学部観光学科を開設。工学部の機械システム学科、メディアネットワーク学科を廃止。玉川大学学術研究所より体育・健康科学研究センターが教育学部へ移管。
* [[2014年]] - 大学院脳情報研究科脳情報専攻博士課程後期を、大学院脳科学研究科修士課程心の科学専攻と博士課程後期脳科学専攻に改組。芸術学部のメディア・アーツ学科、ビジュアル・アーツ学科をメディア・デザイン学科と芸術教育学科に改組。
* [[2015年]] - 文学部の比較文化学科を改組し、英語教育学科を開設。工学部にエンジニアリングデザイン学科を開設。玉川大学学術研究所の心の教育実践センターを高等教育付属機関内にTAPセンターとして独立。
* [[2016年]] - 大学院教育学研究科の一部授業が夜間開講となる。
* [[2017年]] - 文学部の人間学科を改組し、国語教育学科を開設。工学部の機械情報システム学科を改組し、情報通信工学科を開設。通信教育部教育学部教育学科を教育学部教育学科通信教育課程に組織変更。改組により玉川大学学術研究所に先端知能・ロボット研究センター(AIBot研究センターを設置)。玉川大学量子情報科学研究所の量子情報科学研究センターを量子情報数理研究センターに改称。TWP(玉川風車プロジェクト)を本年度をもって休止。
* [[2021年]] - 大学院教育学研究科の夜間開講授業が原則遠隔形式(オンライン)となる。
== 基礎データ ==
=== シンボル ===
[[スクールカラー]]は[[紺]]。[[校章]]は、円(=玉)の中に縦棒が3本(=川)が入ったもので、校名「玉川」を表している。[[校旗]]は、紺の地に[[白]]の校章を配したもの。[[校歌]]は、[[田尾一一]]作詞・[[岡本敏明]]作曲。
== 教育および研究 ==
=== 組織 ===
====学部・学科====
* [[文学部]]
** 国語教育学科
*** 国語教員養成コース
*** 言語表現コース
** 英語教育学科
*** 英語教員養成コース
*** ELFコミュニケーションコース
* [[農学部]]
** 生産農学科
*** 理科教員養成プログラム
*** 植物科学領域
*** 微生物科学領域
*** 昆虫科学領域
*** 動物科学領域
** 環境農学科
*** 生態系科学領域
*** 持続的農学領域
** 先端食農学科
*** システム農学領域
*** 食品科学領域
* [[工学部]]
** 情報通信工学科
** ソフトウェアサイエンス学科
** マネジメントサイエンス学科
** デザインサイエンス学科(2023年4月開設)
** エンジニアリングデザイン学科(2023年4月学生募集停止)
*** 数学教員養成プログラム
* [[経営学部]]
** 国際経営学科
*** グローバルビジネスコース
*** 国際会計コース
*** マーケティング戦略コース
* [[教育学部]]
** 教育学科
*** 保健体育専攻
*** 初等教育専攻
*** 社会科教育専攻
** 教育学科通信教育課程
** 乳幼児発達学科
* [[芸術学部]]
** メディア・デザイン学科
** 芸術教育学科
*** 音楽コース
*** 美術・工芸コース
** パフォーミング・アーツ学科
* [[リベラルアーツ学部]]
** リベラルアーツ学科
*** ヒューマン・スタディーズ系
*** ジャパン・スタディーズ系
*** グローバル・スタディーズ系
*** STEMスタディーズ系
* [[観光学部]]
** 観光学科
==== 大学院 ====
* [[文学研究科]]
** 人間学専攻(修士課程)
*** 思想文化研究プログラム
*** 社会倫理研究プログラム
*** 認知行動研究プログラム
** 英語教育専攻(修士課程)
*** 英語授業研究プログラム
*** 応用言語学研究プログラム
*** 英語圏文化研究プログラム
* [[農学研究科]]
** 資源生物学専攻
*** 植物微生物機能科学研究分野
*** 動物昆虫機能科学研究分野
*** 生態地球環境科学研究分野
*** 応用食品科学研究分野
*** 理農系教育コース(専修免許状取得コース)
* [[工学研究科]]
** 機械工学専攻(修士課程)
*** 生産開発コース
**** 材料加工システム分野
**** 環境エネルギー分野
**** 経営システム分野
** 電子情報工学専攻(修士課程)
*** 量子情報コース
*** システム情報学コース
*** ロボティクスコース
***情報セキュリティコース
** システム科学専攻(博士課程後期)
*** 量子情報科学研究分野
*** 知能情報科学研究分野
*** ロボティクス研究分野
*** 生産開発システム研究分野
*** 環境エネルギー研究分野
* [[マネジメント研究科]]
** マネジメント専攻(修士課程)
*** グローバル・マーケティング研究コース
*** 会計学研究コース
*** グローバル・ツーリズム研究コース
* [[教育学研究科]]
** 教育学専攻(修士課程)
*** 教育学研究コース
*** 乳幼児教育研究コース
*** 初等教育研究コース
*** IB(国際バカロレア)研究コース
*** 教師教育学コース
** 教職専攻(専門職学位課程([[教職大学院]]))
*** 現職教員コース
**** 短期履修コース(1年制)
**** 標準コース(2年制)
*** 学部卒業(予定)者コース
**** 標準履修コース(2年)
**** 長期履修コース(3年/4年)
* 脳科学研究科
** 心の科学専攻(修士課程)
*** 脳情報科学研究プログラム
*** 神経科学研究プログラム
*** 人間科学研究プログラム
** 脳科学専攻(博士課程後期)
*** 脳型計算論研究プログラム
*** 脳・神経学学際研究プログラム
※かつて(2013年度大学院修士課程入学者まで)、文学、農学、工学、マネジメント、教育学研究科の修士課程に、「大学院学際領域プログラム「人間情報科学」」を設置していた。
※2013年度より、学部(学士課程)の学際教育プログラムとして「学際領域プログラム「人間総合学」」が開講されるようになった。これは「学部学科を問わず、脳科学や人間科学に興味のある学生に本プログラムを提供することで、広く人間に関する学問を学ぶプログラムです。また、大学院修士課程の「人間情報科学」プログラム、脳科学研究科修士課程および博士課程後期との一体化により、学部・修士・博士一環教育の機会を設けることを目的」(『履修ガイド2014』)とするものである(2015年度より、目的から後段の文章が削られ、「学部学科を問わず、脳科学や人間科学に興味のある学生に本プログラムを提供することで、広く人間に関する学問を学ぶプログラム」となった)
==== 専攻科 ====
* 芸術専攻科
** 芸術専攻
==== 附置機関(研究所ほか) ====
* 教育学術情報図書館
* 教育博物館 - 第一展示室には日本教育史と小原國芳関連資料等を展示、第二展示室には美術資料(絵画・彫刻)等を展示
* 学術研究所
** K-16一貫教育研究センター
*** K16一貫教育研究部門
*** 日本語教育研究部門
** ミツバチ科学研究センター
*** ミツバチ生物学研究部門
*** ミツバチ生産物研究部門
*** 花粉媒介機能研究部門
** 生物機能開発研究センター
** 菌学応用研究センター
** 人文科学研究センター
*** 哲学思想研究部門
*** 文学・芸術研究部門
*** 歴史文化研究部門
** 高等教育開発センター
** 先端知能・ロボット研究センター(AIBot研究センター)
*** 社会知性創生研究部門
*** 先端知能・ロボットビジネスモデル研究部門
*** STREAM教育研究部門
** 研究促進室
** 知的財産本部
* 脳科学研究所
** 基礎脳科学研究センター
** 応用脳科学研究センター
* 量子情報科学研究所
** 量子情報数理研究センター
** 超高速量子通信研究センター
* 継続学習センター - 社会人向けの公開講座を運営している。[[楽天市場]]に申し込みのための店舗を持つ。
* 教師教育リサーチセンター
** 教職課程支援室
** 教員研修室
* 国際教育センター
* ELFセンター
以上のほかに学部附属の機関として、
*教育学部全人教育研究センター
*教育学部健康教育研究センター
があるほか、教育学部には「デンマーク・オレロップ高等体操学校東洋分校」の事務局もある
=== 研究 ===
==== COE、GPの採択 ====
*[[2002年]]、[[文部科学省]]が推進する[[21世紀COEプログラム]]において、「全人的人間科学プログラム」が採択される。
*[[2005年]]、[[大学・大学院における教員養成推進プログラム]](教員養成GP)において、「広域大学間連携による高度な教員研修の構築」([[筑波大学]]、[[東京学芸大学]]などとの共同プロジェクト)、「実践的指導力を育てる体験学習プロジェクト」(玉川大学単独のプロジェクト)が採択される。
*[[2006年]]、[[特色ある大学教育支援プログラム]](特色GP)において、「全学生参加型の一年次教育の実践-「一年次セミナー」の組織的展開」が採択される。
*[[2008年]]、[[グローバルCOEプログラム]]において、「社会に生きる心の創成」が採択される。
==== ロボット研究 ====
2006年度から工学部に設置されたロボット工房を中心に[[ロボカップ]]に参加している。[[アイボリーグ]]で世界大会出場の経験のある[[岡田浩之]](工学部教授)が中心になり実績を挙げる。2008年度のロボカップ世界大会においてロボカップ@ホームリーグで世界一に輝く。ロボカップジャパンオープンでは2008年度より3年連続で優勝した。2010年度世界大会(シンガポール)では2度目の世界一に輝く。知能ロボットの研究は脳科学研究所を中心して行われており、岡田浩之(工学部教授)の赤ちゃん研究を応用したユニークで他大学には無い特色をもつ。
2017年には脳科学研究所とは別に、学術研究所内にロボットと[[人工知能]](AI)を担当する「[[先端知能]]・ロボット(AIBbot)研究センター」を設立<ref>[http://www.tamagawa.jp/research/academic/about.html 玉川大学・学術研究所について](2018年6月14日閲覧)。</ref>。岡田ら28人が[[擬声語|オノマトペ]]をも解するロボットの開発などに取り組んでいる<ref>【解剖 先端拠点】玉川大学 先端知能・ロボット(AIBbot)研究センター/ロボ協働社会実 現探る『[[日経産業新聞]]』2018年6月13日(先端技術面)。</ref>。
== 学生生活 ==
=== 学風 ===
創立者である小原國芳は、教育における宗教的情操・感化を重視して学園を創設したため、キャンパス内には[[チャペル]]や[[礼拝堂]]があり、教育の一環として礼拝の時間もある(大学1年次に必修)。通信教育部の夏期[[スクーリング]]においても、朝の授業前に各期ごとに1回、全3期通じて計3回行われている。[[2000年]]に新設されたチャペルには、礼拝堂にあった辻[[オルガン]](1978年製)が移設されている(礼拝堂にあるパイプオルガンは、アメリカ・シカゴのキンボール社製で、1931年設置)。
なお、キリストの教えに従うことは学則第1条にも謳われているが、特定の教会(会派・宗派)と結びついた[[ミッションスクール]]ではない。小原國芳自身はクリスチャンであったが、宗教観・情操の面で良いものは良く、尊いものは尊いとして他の宗教も大いに尊重し、この姿勢は現在の学園にも受け継がれている。
また、小原國芳は「服装は人格を宣言する」と唱え、身なりも玉川学園における教育の一環とした。そのため、公式行事などでは、男子はダークスーツを着用し、校章をつけることが定められており、これは伝統的に「第一装」と呼ばれる。以前は、色も紺の[[背広]]と紺の[[ネクタイ]]と指定され、さらに大学創立時にはこれが制服(毎日着用)であった。女子については、自己に相応しい服装を自ら考え、TPOに応じた服装のセンスを磨くことを重視し、併設の下級学校を含め、開校当初から制服等は設けていない(小原國芳全集第14巻312頁参照)。したがって女子学生の第一装については、「男子の第一装に見合う清楚な服装」と定めるにとどまる。「学生生活規定」では、これ以外に学内外での生活の心構えも記されている。
幼稚園から大学まで玉川の園児・児童・生徒・学生である者を「完玉」と呼び、小学校から大学まで玉川の児童・生徒・学生である者を「純玉(準玉)」と呼ぶ。
=== 教育 ===
授業時間割は、1コマ50分で組まれているが、ほとんどの科目は2コマ連続の100分間の授業時間が割り当てられている。時間割に昼休みはなく、学生は各自の空き時間に休みをとることになっている。また、1年を2学期([[セメスター]])に分け、週2コマ(100分)の講義を1セメスター(15回)履修すると2単位となる。1セメスターあたりの履修上限単位数は16単位であり(一部上限外科目がある)、これは日本全国の大学で最も少ない。学業成績では[[GPA]]が重視されており、GPA2.0以上が卒業条件である。
入学年度から卒業年度までクラス担任制をとっている。
「教育の玉川」をうたっている。特に日本で初めて通信教育による教職課程を設置し、戦後の代用教員や大学既卒者の教員免許取得を支援したため、小学校教員の中では大きな勢力となっている。
工学部ソフトウェアサイエンス学科では、特定の科目の単位を取得し、修了試験に合格することで、[[基本情報技術者試験]](FE)の[[基本情報技術者試験の午前試験免除制度|午前の部の受験が1年間免除される制度]]が導入されている<ref>[https://www.jitec.ipa.go.jp/1_80tokurei/_index_tokurei.html IPA 独立行政法人 情報処理推進機構:情報処理技術者試験:午前試験免除 基本情報技術者試験(FE)]</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.jitec.ipa.go.jp/1_80tokurei/koza_ichiran.pdf|title=認定免除対象講座の一覧(PDF)|work=独立行政法人 [[情報処理推進機構]]|accessdate=2021-07-31}}</ref><ref>[https://www.tamagawa.ac.jp/college_of_engineering/software/ ソフトウェアサイエンス学科|玉川大学工学部 - 玉川学園]</ref>。
=== 行事 ===
学校行事も教育活動の一環ととらえられており、10月に行われる総合[[体育祭]]では学園幼稚部から大学教育学部の1年生までの数千名が参加する。[[大学祭]]は「コスモス祭」と呼ばれ、体育会・文化会による課外活動展と農学部収穫祭他の各学部展からなる。
大学1年では音楽が必修科目であり、例年12月に大学音楽祭が開催され、[[ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン|ベートーベン]]の[[交響曲第9番 (ベートーヴェン)|第九]](演奏は第4楽章のみ)を1年生全員が合唱する。これとは別に、毎年12月頭には、玉川大学が主催して、芸術学部学生らで構成される管弦楽団と合唱団による[[第九]]特別演奏会を[[サントリーホール]]で開催されていたが、こちらは2014年が最後となった<ref>[https://www.tamagawa.jp/introduction/enkaku/history/detail_13979.html 玉川の「第九」](2019年12月1日閲覧)。</ref>。
音楽を大切にする教育の伝統は通信教育部でも引き継がれており、やはり音楽は必修科目である(卒業希望者のみ)。夏期スクーリング中盤で行われるイベント「通大祭」や、最終日の授業終了後に行われる閉講式「丘の終鈴」をはじめとする各種行事では、学生歌・校歌の他、玉川学園児童の作による曲も多く歌われる。
=== その他 ===
玉川学園前駅近くに購買部(2007年より[[紀伊国屋書店]]に業務委託。それまでは玉川学園の法人内組織として直接運営されていた)の店舗があり、文具・書籍等を割引価格で購入することが可能である。ここでは、農学部の実習(ミツバチおよび乳牛飼育)によって開発された「たまがわはちみつ」と「たまがわアイスクリーム」も販売している。キャンパス内にはコンビニエンスストア[[生活彩家]]もある。
学生の集会および看板の設置は許可制となっており、大学の方針によって[[学生自治会]]も許可されていない。したがって公式な[[学生運動]]に類する活動は不可能とされる。この学生運動を規制するこの規則をもって「お坊ちゃん大学の象徴」などと唱える者もいる。通信教育部には[[学生会]]が存在し、大学側との「懇談の場」と位置付けられている。
== 大学関係者と組織 ==
=== 関連組織 ===
* 玉川大学出版部 - 教職員らが執筆する論説集や学生向け教科書のほか、教育学を中心とする書籍を数多く出版している。
* {{Mediaarts-db|C47199|玉川大学出版部}}
=== 大学関係者 ===
* [[玉川大学の人物一覧]]
== 対外関係 ==
=== 国際・学術交流協定校 ===
* {{Flagicon|USA}} [[アメリカ合衆国]]
** [[コロンビア大学]]([[ニューヨーク州]])
** [[ペンシルバニア大学]]([[ペンシルバニア州]])
** [[ドレクセル大学]](ペンシルバニア州)
** [[ワシントン大学 (ワシントン州)|ワシントン大学]]([[ワシントン州]])
** [[オレゴン大学]]([[オレゴン州]])
** {{仮リンク|セント・マイケルズ・カレッジ|en|Saint Michael's College}}([[バーモント州]])
** {{仮リンク|マーシャル大学|en|Marshall University}}([[ウェストバージニア州]])
** {{仮リンク|ダコタ州立大学|en|Dakota State University}}([[サウスダコタ州]])
* {{Flagicon|カナダ}} [[カナダ]]
** [[バンクーバーアイランド大学]]([[ブリティッシュコロンビア州]])
** [[ビクトリア大学 (カナダ)|ビクトリア大学]](ブリティッシュコロンビア州)
* {{Flagicon|HKG}} [[香港]]
** [[香港中文大学|香港中文大學]]([[中華人民共和国香港特別行政区|香港]])
* {{Flagicon|AUS}} [[オーストラリア]]
** [[メルボルン大学]]([[ビクトリア州]])
** [[クイーンズランド大学]]([[クイーンズランド州]])
* {{Flagicon|FRA}} [[フランス]]
** [[西フランス・カトリック大学]](フランス)
* {{Flagicon|GBR}} [[イギリス]]
** [[エセックス大学]](イギリス)
** [[ウエストミンスター大学]](イギリス)
** [[ゴールドスミス・カレッジ|ロンドン大学ゴールドスミス・カレッジ]](イギリス)
** [[ユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドン|ロンドン大学ユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドン]](イギリス)
** [[バース大学]](イギリス)
=== 教育・学術協定 ===
* [[昭和薬科大学]]
=== 大学間連携 ===
* [[千葉工業大学]]
=== 通信教育部 協定校 ===
以下の大学の在学生は学内での選考により、玉川大学通信教育部の科目等履修生として小学校教員免許に関する科目を併修できる。
* [[昭和音楽大学]]
* [[専修大学]]
* [[東京成徳大学]] (小学校教職課程認可前の平成23年度入学生まで)
* [[日本大学]][[文理学部]]
* [[二松学舎大学]]
* [[神奈川大学]]
* [[中京大学]][[体育学部]]
* [[関西国際大学]]
* [[エリザベト音楽大学]]
* [[名桜大学]]
=== 学部・大学院ごとの提携 ===
* [[カリフォルニア工科大学]](大学院工学研究科と)
* [[昭和大学]]大学院(大学院工学研究科と)
=== 加盟コンソーシアム等 ===
* [[青葉6大学連携事業]][http://www.city.yokohama.lg.jp/aoba/00life/15local/univ.html]
* [[相模原・町田大学地域コンソーシアム]]
* [[首都圏西部大学単位互換協定会]]
=== 自治体との連携 ===
* 鹿児島県南さつま市
* 北海道川上郡弟子屈町
* 和歌山県東牟婁郡古座川町
* 静岡県下田市
* 福島県石川郡玉川村
== 就職状況・卒業後進路 ==
* 就職決定率(=就職決定者÷就職希望者)は、大学全体で男子96.8%、女子96.7%。(2005年度)
*: 学部別では、文学部94.4%・農学部98.8%・工学部99.3%・経営学部95.9%・教育学部98.0%・芸術学部91.1%。(2005年度)
== その他 ==
* [[1995年]]4月に[[親学推進協会]]より[[高橋史朗]]氏を大学院講師兼任[https://www.coco-de-sica.com/lecture/takahashi_siro.html]として招き、近年も保護者向け勉強会が行われている[http://shishimai.p1.bindsite.jp/oyagaku/][http://www.tamagawa-up.jp/book/b100615.html][https://www.tamagawa.jp/education/report/detail_13953.html][https://www.tamagawa.jp/education/report/detail_16648.html]。2009年頃には[[塚田稔]]講師を玉川大学脳科学研究所副所長に迎え、親学<ref>{{Cite web|和書|title=左巻健男「学校に入り込むニセ科学」(平凡社新書0925)|url=https://www.amazon.co.jp/gp/product/B0814VYQXC|accessdate=2019-11-15}}</ref>の推進にも勤しんでいる [https://www.tamagawa.jp/education/report/detail_16648.html]。
* 2007年1月、平成19年度一般入試出願期間において、[[神奈川朝鮮中高級学校]]3年の男子生徒が農学部受験を出願しようとしたところ、大学側は「各種学校である[[朝鮮学校]]の卒業見込は出願資格にならない」として拒否し、出願には文部科学省による[[高卒認定試験]]の合格が条件であるとした。これに対して生徒側が弁護団とともに本学へ乗り込んで抗議し、注目を集めた。日本全国から本学入試課への電話での賞賛の声や抗議も殺到したが、結局出願は認められなかった。
*: 参考:玉川大学の入学有資格者 1.〔学校教育法の第1条にいう〕高等学校又は中等教育学校の卒業者 2.通常の課程による12年の学校教育の修了者(含 通常の課程以外のこれに相当する学校教育の修了者)〔旧制学校の卒業・修了者等を対象?〕 3.外国において学校教育における12年の課程の修了者又はこれに準ずる〔インターナショナルバカロレア等による?〕者で文部科学大臣の指定した者 4.文部科学大臣が高等学校の課程と同等の課程を有するものとして認定した在外教育施設〔海外の日本人学校等〕の当該課程修了者 5.専修学校の高等課程(修業年限3年以上ほか文部科学大臣が定める基準を満たすものに限る) 6.文部科学大臣の指定した者 7.高等学校卒業程度認定試験合格者(含旧大検合格者)
*2014年、オオスズメバチを主人公にした小説『風の中のマリア』の執筆のため、スズメバチの生態をくわしく知るために作家の [[百田尚樹]] 氏が玉川大学 小野正人教授に取材した逸話を通した対談が[https://www.tamagawa.jp/serial/zenjin/detail_7046.html 「全人」2014年4月号 No.782]に掲載された。
== 交通アクセス ==
小田急線「[[玉川学園前駅]]」 北口より、新宿方面へ徒歩3分。
== 関連項目 ==
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* [[学校法人玉川学園]]
* [[大学通信教育|通信制大学]]
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
{{Reflist|1}}
== 外部リンク ==
* [https://www.tamagawa.jp/ 玉川大学・玉川学園]
* [https://www.tamagawa-tucl.com/ 玉川大学継続学習センター]
* {{Mediaarts-db}}
{{学校法人玉川学園}}
{{Navboxes|title=加盟コンソーシアムなど|list=
{{首都圏私立17大学}}
{{横浜市青葉区連携協定}}
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こどもの国
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こどもの国(こどものくに)とは、日本各地の地方公共団体や法人により独自に設置運営される児童厚生施設である。
神奈川県横浜市青葉区にある施設は「こどもの国」が施設の正式名称であり、「横浜こどもの国」などのように地域名を冠しない。それ以外の「こどもの国」は、いわゆる「地方こどもの国」として名称に地域名を含む。横浜市の「こどもの国」および各地の「地方こどもの国」は互いに直接的な関係はないが、「全国こどもの国連絡協議会」に加盟する施設間での情報交換などは行われている。
いずれの施設も、児童福祉と教育を目的とし、ヤギやウサギなどの動物との触れ合い、池や流水での遊び、ジャングルジムや吊橋などの冒険、何かを体験したり作ってみるなど、児童の情操教育や健康増進を重視した施設が多く、レジャー施設として動力を用いた遊具を有する遊園地とは位置づけが異なることが多い。
神奈川県横浜市青葉区にある「こどもの国」は、皇太子明仁親王の御成婚・浩宮徳仁親王のご生誕を記念し、1965年(昭和40年)5月5日に設置された児童厚生施設である。社会福祉法人こどもの国協会が運営する。開園当初は横浜市が施設の管理を委託されていたが、特殊法人であるこどもの国協会の設立に伴い国営化され、その後こどもの国協会の社会福祉法人化に伴い民営化された。敷地の一部は東京都町田市にも跨っている。
以下に「地方こどもの国」の一覧を示す。
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'''こどもの国'''(こどものくに)とは、[[日本]]各地の[[地方公共団体]]や[[法人]]により独自に設置運営される[[児童厚生施設]]である。
== 概要 ==
[[神奈川県]][[横浜市]][[青葉区 (横浜市)|青葉区]]にある施設は「こどもの国」が施設の正式名称であり、「横浜こどもの国」などのように地域名を冠しない。それ以外の「こどもの国」は、いわゆる「地方こどもの国」として名称に地域名を含む。横浜市の「こどもの国」および各地の「地方こどもの国」は互いに直接的な関係はないが、「全国こどもの国連絡協議会」に加盟する施設間での情報交換などは行われている。
いずれの施設も、[[児童福祉]]と教育を目的とし、[[ヤギ]]や[[ウサギ]]などの[[動物]]との触れ合い、池や流水での遊び、[[ジャングルジム]]や[[吊橋]]などの冒険、何かを体験したり作ってみるなど、児童の[[情操教育]]や[[健康増進]]を重視した施設が多く、[[レジャー施設]]として動力を用いた遊具を有する[[遊園地]]とは位置づけが異なることが多い。
== こどもの国 (神奈川県横浜市) ==
神奈川県横浜市青葉区にある「こどもの国」は、[[皇太子]][[明仁|明仁親王]]の御成婚・[[徳仁|浩宮徳仁親王]]のご生誕を記念し、[[1965年]]([[昭和]]40年)[[5月5日]]に設置された児童厚生施設である。[[社会福祉法人]][[こどもの国協会]]が運営する。開園当初は[[横浜市]]が施設の管理を委託されていたが、[[特殊法人]]である[[こどもの国協会]]の設立に伴い国営化され、その後こどもの国協会の[[社会福祉法人]]化に伴い民営化された。敷地の一部は[[東京都]][[町田市]]にも跨っている。
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== 地方こどもの国 ==
以下に「地方こどもの国」の一覧を示す。
=== 東日本 ===
* [[小樽公園]] ([[北海道]][[小樽市]])
* [[稚内公園]] (北海道[[稚内市]])
* [[北海道子どもの国]] (北海道[[砂川市]])
* [[八戸公園]] ([[青森県]][[八戸市]])
* [[佐野市こどもの国]] ([[栃木県]][[佐野市]])
* [[ぐんまこどもの国]] ([[群馬県]][[太田市]])
* [[戸田市こどもの国]] ([[埼玉県]][[戸田市]])
* [[千葉こどもの国キッズダム]] ([[千葉県]][[市原市]])
* [[山梨県立愛宕山こどもの国]] ([[山梨県]][[甲府市]])
* [[富士山こどもの国]] ([[静岡県]][[富士市]])
=== 西日本 ===
* [[敦賀こどもの国]] ([[福井県]][[敦賀市]])
* [[岐阜県こどもの国]] ([[岐阜県]][[養老郡]][[養老町]])
* [[愛知こどもの国]] ([[愛知県]][[西尾市]])
* [[海南こどもの国]] (愛知県[[弥富市]])
* [[びわ湖こどもの国]] ([[滋賀県]][[高島市]])
* [[鳥取砂丘こどもの国]] ([[鳥取県]][[鳥取市]])
* [[府中市こどもの国]] ([[広島県]][[府中市 (広島県)|府中市]])
* [[さぬきこどもの国]] ([[香川県]][[高松市]])
* [[西条市こどもの国]] ([[愛媛県]][[西条市]])
* [[青島リゾートこどものくに]] ([[宮崎県]][[宮崎市]])
* [[沖縄こどもの国]] ([[沖縄県]][[沖縄市]])
== 脚注 ==
{{Reflist}}
== 関連項目 ==
* [[こどもの国 (横浜市)]]
* [[こどもの国駅]]([[曖昧さ回避]])
* [[児童館]](児童厚生施設)
* [[児童福祉]]
* [[遊び場]]
* [[子供の遊び]]
* [[プレイパーク]]
* [[キッザニア]]
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[[Category:日本の子供]]
[[Category:育児に関する組織]]
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共和政ローマ
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共和政ローマ(きょうわせいローマ)は、紀元前509年の王政打倒から紀元前27年の帝政の開始までの期間の古代ローマを指す。
この時期のローマは、イタリア中部の都市国家から、地中海世界の全域を支配する巨大国家にまで飛躍的に成長した。帝政成立以後ではなく地中海にまたがる領域国家へと発展して以降を「ローマ帝国」と呼ぶ場合もある。また、1798年に樹立されたローマ共和国 (18世紀)、1849年に樹立されたローマ共和国 (19世紀)と区別するために「古代ローマ共和国」と呼ばれることもある。
紀元前509年、第7代の王タルクィニウス・スペルブスを追放し共和制を敷いたローマだが、問題は山積していた。まず、王に代わった執政官(コンスル)が元老院の意向で決められるようになったこと、またその被選挙権が40歳以上に限定されていたことから、若い市民を中心としてタルクィニウスを王位に復する王政復古の企みが起こった。これは失敗して、初代執政官ルキウス・ユニウス・ブルトゥスは、彼自身の息子ティトゥスを含む陰謀への参加者を処刑した。ラテン同盟諸都市やエトルリア諸都市との同盟は、これらの都市とローマ王との同盟という形であったため、王の追放で当然に同盟は解消され、対立関係となった。
追放されたタルクィニウス王と息子達は王政復古の計画が失敗したことを知ると、同族のエトルリア諸都市から兵を借りローマを攻めた。市内に住んでいたエトルリア人はローマを去り、国力は低下した。一時期、先王タルクィニウスは市を包囲したが、ローマが敗戦を認めないため、攻め込んでも犠牲の多い割に得るものが少ないと考え去っていった。その後、ローマはエトルリアから学んだ技術を独自に発展させるようになり、徐々にそれを吸収していった。
紀元前4世紀、アルプス山脈の北方からケルト人が南下してきた。ケルト人はローマ人からは「ガリア人」と呼ばれ、鉄の剣とガエスムという投槍を装備し、倒した敵の首を斬るという習慣があった。ガリア人には重装歩兵によるファランクス戦法は通用せず、メディオラヌム(現在のミラノ)を根拠地として、紀元前390年にローマを襲撃して略奪を働いた(アッリアの戦い)。この事態はローマ将軍マルクス・フリウス・カミルスによって打開された。
相次ぐ戦争の中で、戦争の主体となった重装歩兵の政治的発言力が強まり、重装歩兵部隊を支えたプレブス(平民)が、当時政治を独占していたパトリキ(貴族)に対して、自分たちの政治参加を要求するに至った。いわゆる「身分闘争」の開始である。貴族は徐々に平民に譲歩し、平民の権利を擁護する護民官を設置し、十二表法で慣習法を明文化した。さらに、紀元前367年のリキニウス・セクスティウス法で執政官の1人をプレブス(平民)から選出することが定められ、紀元前287年のホルテンシウス法によって、トリブス民会の決定が、元老院の承認を得ずにローマの国法になることが定められた。これにより、身分闘争は収束に向かった。
一方で、ローマはイタリア半島各地の都市を制圧していった。イタリア半島南部にはアッピア街道が建設され、南部遠征の遂行を助けることになった。この後も、ローマは各地に向かう交通網を整備し、広域に亘る支配を可能にしていった。紀元前272年、南イタリア(マグナ・グラエキア)にあったギリシアの植民市タレントゥムを陥落させ、イタリア半島の統一を成し遂げた。
イタリア半島の統一を果たしたローマは、西地中海の商業覇権をめぐって、紀元前264年よりカルタゴとの百年以上の戦争へ突入した(ポエニ戦争)。第一次ポエニ戦争でシチリアを獲得し、この地を最初の属州とした。
紀元前218年より始まった第二次ポエニ戦争では、カルタゴの将軍ハンニバルにカンナエの戦いで敗れるものの戦況を巻き返し、スキピオ・アフリカヌスの指揮下で再びカルタゴに勝利する。この際、カルタゴ・ノヴァ(現在のカルタヘナ)などイベリア半島南部におけるカルタゴの拠点を奪い、西地中海の征服を果たした。また、カルタゴに味方したマケドニアにも遠征を行い、イリュリアやアカエア(ギリシア)を影響下に置いた。この第二次ポエニ戦争でカルタゴは多大な打撃を被ったが、ローマ内部では大カトを中心に対カルタゴ強硬派がカルタゴ殲滅を主張していた。紀元前149年より第三次ポエニ戦争が行われ、紀元前146年にカルタゴは破壊された。
第二次ポエニ戦争に勝利してカルタゴの脅威が減少すると、イタリア半島外へ勢力を拡大させた。
イタリア半島の制圧までのローマは、戦時に同盟国に兵力と物資の提供を求め、敗戦国に賠償を課したり、土地を奪って植民したりしたが、組織だった徴税制度は設けなかった。しかし、第一次ポエニ戦争によってシチリアとサルディニアを得ると、属州を設けて納税義務を課し、総督を派遣した。属州から運ばれる穀物は、ローマ市の急激な人口増加を支えた。
制度の上では、属州統治においてもローマは都市の自治を尊重した。しかし一方で、派遣された総督はローマの支配を確保する以外の義務や束縛を持たなかったため、収奪のみを仕事とした。形式的には被支配地域に対しては相当の自治を認め自由を重んじたが、実際は属州に対してはすさまじい収奪を行っており、属州になった地域の多くで数十年後には人口は十分の一に減少するような事態が起こった。
搾取とは別に、従属した諸国と都市の有力者は、ローマの政治家に多額の付け届けを欠かさぬことを重要な政策とした。結果として、少数の有力政治家の収入と財産が、国家財政に勝る重要性を持ち、ローマの公共事業は有力政治家の私費に依存することになった。ローマ市民は、こうした巨富の流出にあずかる代わりに、共和政ローマの政治家に欠かせない政治支持を与える形で、有力者の庇護下に入った。この庇護する者をパトロヌス(patronus)、庇護される者をクリエンテス(clientes)という。もっともこのパトロヌス・クリエンテスの関係は、ローマの最初期からの伝統であり、帝政期まで長く続く。
対極的に没落の運命をたどったのは、ローマ軍の中核をなしていた自由農民であった。連年の出征によって農地から引き離され、また属州より安価な穀物が流入したため次第に没落していく。この状況を打開するために、グラックス兄弟が、平民の支持を得て、土地分与の改革を実施しようとした。しかし紀元前133年に兄ティベリウス、紀元前123年に弟ガイウスが反対派によって命を落とし、改革は失敗に終わった。
第三次ポエニ戦争の後も対外征服戦争および反ローマの反乱などによりローマの軍事活動は止むことがなかった(ヌマンティア戦争、ユグルタ戦争、同盟市戦争、ミトリダテス戦争、クィントゥス・セルトリウスの反乱(英語版)、3次の奴隷戦争など)。また、初めてゲルマン人がローマ領内へ侵入したのもこの時期であり(キンブリ・テウトニ戦争)、帝政ローマ期を通じローマを悩ませることとなった。こうした軍事活動の一方で自由農民の没落で軍は弱体化の様相を見せ、早急なる改革の必要性が迫られていた。
こうした状況では、優れた指揮能力を持つ者を執政官に選ぶ必要があった。その顕著な例が平民の兵士出身のガイウス・マリウスであった。彼は長期にわたる征服戦争への動員で没落した市民兵の代わりに、志願兵制を採用し大幅な軍制改革を実施した。この改革はローマの軍事的必要を満たし、かつ貧民を軍隊に吸収することでその対策ともなったが、同時に兵士が司令官の私兵となって、軍に対する統制が効かなくなる結果をもたらした。
はじめに軍の首領としてローマ政治に君臨したのはマリウスとルキウス・コルネリウス・スッラであった。彼らの死後、一時的に共和政が平常に復帰したが、やがて次の世代の軍閥が登場した。ポンペイウス、カエサル、クラッススの3人である。3人は元老院への対抗から第一回三頭政治を結成したが、クラッススの死後、残る2人の間で内戦が起きた。地中海世界を二分する大戦争は、紀元前48年にポンペイウスが死んだ後もしばらく余波を残した。
カエサルは紀元前45年に終身独裁官となったが、王になる野心を疑われて、紀元前44年3月15日に共和主義者によって暗殺された。この後、カエサル派のオクタウィアヌス、アントニウス、レピドゥスが第二回三頭政治を行った。カエサルの遺言状で相続人に指名されたオクタウィアヌスは紀元前31年、アクティウムの海戦でアントニウスに勝利し、紀元前27年に「尊厳者(アウグストゥス)」、「第一の市民(プリンケプス)」の称号を得て、共和政の形式を残しながらプリンキパトゥス(事実上の帝政)が始まった。
共和政下のローマの政治体制は元老院・政務官・民会の三者によって成り立っていたとする考えが一般的である。市民全体によって構成される民会は政務官 (magistratus) を選出し、その政務官たちが実際の政務を行う。この政務官経験者たちによって構成された元老院は巨大な権威を持ち、その決議や助言に逆らうことは難しかった。政務官の選挙にも元老院の意向が一定反映され、そうして選ばれた政務官たちによって元老院が構成されたことから両者は強く結びついた。
最も重要な政務官は執政官で、その命令権(インペリウム)は王の権力から受け継がれたものともいわれる。任期は1年で2名が選ばれた。執政官に欠員ができたときには補充選挙が行われるが、新たな執政官の任期は前任者のものを引き継いだ。
元老院は王政期から存在したとされ、その構成員は当初は貴族(パトリキ)のみであった。のちに元老院議員の資格は政務官経験者となり、平民(プレブス)にも開かれ、後世になってそうした平民は平民貴族と呼ばれた。ノビレスは、そうした平民貴族とパトリキの総称である。
民会にはいくつかの形式があった。当初は「クリア」と呼ばれる単位によって行われるクリア民会が行われていた。やがて兵制に基づく「ケントゥリア」を単位とするケントゥリア民会が中心となり、以後最も権威ある民会として機能しつづけた。この他、居住地である「トリブス」を単位とするトリブス民会(平民会)も行われるようになり、ケントゥリア民会にも一定トリブスが導入された。
当初のパトリキの支配からノビレスの支配に変わるまでにローマではパトリキとプレブスの「身分闘争」が行われたといわれている。戦術の変化などによって重要性が増しながらも政治的発言権の小さかったプレブスの間では、パトリキに対する反発が蓄積していた。こうした下層プレブスの不満を背景に、上層プレブスはパトリキから政治参加への妥協を勝ち取り、パトリキと一体化してノビレスを構成するようになった。この過程で紀元前494年にプレブスの権利保護を目的に護民官が作られ、ローマの政務官の一つとなった。護民官はプレブスのみが参加する平民会で選出され、他の政務官の決定や決議を取り消す権利(拒否権)を持った。また、護民官の身体は不可侵とされた。
この他特徴的な政務官としては、非常時のみに選出される独裁官が挙げられる。執政官2名の合議によって選出され、他の政務官と異なり同僚制を取らず1人のみが任命される。他の政務官の任期が1年であるのに対し、独裁官の任期は6か月と短く非常事態を収拾したのち任期途中で辞任することもあった。独裁官は他の政務官全てに優越し、護民官の拒否権の対象ともならなかった。副官としてマギステル・エクィトゥム(騎兵長官)が任命された。
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"text": "一方で、ローマはイタリア半島各地の都市を制圧していった。イタリア半島南部にはアッピア街道が建設され、南部遠征の遂行を助けることになった。この後も、ローマは各地に向かう交通網を整備し、広域に亘る支配を可能にしていった。紀元前272年、南イタリア(マグナ・グラエキア)にあったギリシアの植民市タレントゥムを陥落させ、イタリア半島の統一を成し遂げた。",
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"text": "イタリア半島の統一を果たしたローマは、西地中海の商業覇権をめぐって、紀元前264年よりカルタゴとの百年以上の戦争へ突入した(ポエニ戦争)。第一次ポエニ戦争でシチリアを獲得し、この地を最初の属州とした。",
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"text": "紀元前218年より始まった第二次ポエニ戦争では、カルタゴの将軍ハンニバルにカンナエの戦いで敗れるものの戦況を巻き返し、スキピオ・アフリカヌスの指揮下で再びカルタゴに勝利する。この際、カルタゴ・ノヴァ(現在のカルタヘナ)などイベリア半島南部におけるカルタゴの拠点を奪い、西地中海の征服を果たした。また、カルタゴに味方したマケドニアにも遠征を行い、イリュリアやアカエア(ギリシア)を影響下に置いた。この第二次ポエニ戦争でカルタゴは多大な打撃を被ったが、ローマ内部では大カトを中心に対カルタゴ強硬派がカルタゴ殲滅を主張していた。紀元前149年より第三次ポエニ戦争が行われ、紀元前146年にカルタゴは破壊された。",
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"text": "第二次ポエニ戦争に勝利してカルタゴの脅威が減少すると、イタリア半島外へ勢力を拡大させた。",
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"text": "イタリア半島の制圧までのローマは、戦時に同盟国に兵力と物資の提供を求め、敗戦国に賠償を課したり、土地を奪って植民したりしたが、組織だった徴税制度は設けなかった。しかし、第一次ポエニ戦争によってシチリアとサルディニアを得ると、属州を設けて納税義務を課し、総督を派遣した。属州から運ばれる穀物は、ローマ市の急激な人口増加を支えた。",
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"text": "制度の上では、属州統治においてもローマは都市の自治を尊重した。しかし一方で、派遣された総督はローマの支配を確保する以外の義務や束縛を持たなかったため、収奪のみを仕事とした。形式的には被支配地域に対しては相当の自治を認め自由を重んじたが、実際は属州に対してはすさまじい収奪を行っており、属州になった地域の多くで数十年後には人口は十分の一に減少するような事態が起こった。",
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"text": "搾取とは別に、従属した諸国と都市の有力者は、ローマの政治家に多額の付け届けを欠かさぬことを重要な政策とした。結果として、少数の有力政治家の収入と財産が、国家財政に勝る重要性を持ち、ローマの公共事業は有力政治家の私費に依存することになった。ローマ市民は、こうした巨富の流出にあずかる代わりに、共和政ローマの政治家に欠かせない政治支持を与える形で、有力者の庇護下に入った。この庇護する者をパトロヌス(patronus)、庇護される者をクリエンテス(clientes)という。もっともこのパトロヌス・クリエンテスの関係は、ローマの最初期からの伝統であり、帝政期まで長く続く。",
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"text": "対極的に没落の運命をたどったのは、ローマ軍の中核をなしていた自由農民であった。連年の出征によって農地から引き離され、また属州より安価な穀物が流入したため次第に没落していく。この状況を打開するために、グラックス兄弟が、平民の支持を得て、土地分与の改革を実施しようとした。しかし紀元前133年に兄ティベリウス、紀元前123年に弟ガイウスが反対派によって命を落とし、改革は失敗に終わった。",
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"text": "第三次ポエニ戦争の後も対外征服戦争および反ローマの反乱などによりローマの軍事活動は止むことがなかった(ヌマンティア戦争、ユグルタ戦争、同盟市戦争、ミトリダテス戦争、クィントゥス・セルトリウスの反乱(英語版)、3次の奴隷戦争など)。また、初めてゲルマン人がローマ領内へ侵入したのもこの時期であり(キンブリ・テウトニ戦争)、帝政ローマ期を通じローマを悩ませることとなった。こうした軍事活動の一方で自由農民の没落で軍は弱体化の様相を見せ、早急なる改革の必要性が迫られていた。",
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"text": "こうした状況では、優れた指揮能力を持つ者を執政官に選ぶ必要があった。その顕著な例が平民の兵士出身のガイウス・マリウスであった。彼は長期にわたる征服戦争への動員で没落した市民兵の代わりに、志願兵制を採用し大幅な軍制改革を実施した。この改革はローマの軍事的必要を満たし、かつ貧民を軍隊に吸収することでその対策ともなったが、同時に兵士が司令官の私兵となって、軍に対する統制が効かなくなる結果をもたらした。",
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"text": "はじめに軍の首領としてローマ政治に君臨したのはマリウスとルキウス・コルネリウス・スッラであった。彼らの死後、一時的に共和政が平常に復帰したが、やがて次の世代の軍閥が登場した。ポンペイウス、カエサル、クラッススの3人である。3人は元老院への対抗から第一回三頭政治を結成したが、クラッススの死後、残る2人の間で内戦が起きた。地中海世界を二分する大戦争は、紀元前48年にポンペイウスが死んだ後もしばらく余波を残した。",
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"text": "カエサルは紀元前45年に終身独裁官となったが、王になる野心を疑われて、紀元前44年3月15日に共和主義者によって暗殺された。この後、カエサル派のオクタウィアヌス、アントニウス、レピドゥスが第二回三頭政治を行った。カエサルの遺言状で相続人に指名されたオクタウィアヌスは紀元前31年、アクティウムの海戦でアントニウスに勝利し、紀元前27年に「尊厳者(アウグストゥス)」、「第一の市民(プリンケプス)」の称号を得て、共和政の形式を残しながらプリンキパトゥス(事実上の帝政)が始まった。",
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"text": "共和政下のローマの政治体制は元老院・政務官・民会の三者によって成り立っていたとする考えが一般的である。市民全体によって構成される民会は政務官 (magistratus) を選出し、その政務官たちが実際の政務を行う。この政務官経験者たちによって構成された元老院は巨大な権威を持ち、その決議や助言に逆らうことは難しかった。政務官の選挙にも元老院の意向が一定反映され、そうして選ばれた政務官たちによって元老院が構成されたことから両者は強く結びついた。",
"title": "政治体制"
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"text": "最も重要な政務官は執政官で、その命令権(インペリウム)は王の権力から受け継がれたものともいわれる。任期は1年で2名が選ばれた。執政官に欠員ができたときには補充選挙が行われるが、新たな執政官の任期は前任者のものを引き継いだ。",
"title": "政治体制"
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"text": "元老院は王政期から存在したとされ、その構成員は当初は貴族(パトリキ)のみであった。のちに元老院議員の資格は政務官経験者となり、平民(プレブス)にも開かれ、後世になってそうした平民は平民貴族と呼ばれた。ノビレスは、そうした平民貴族とパトリキの総称である。",
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"text": "民会にはいくつかの形式があった。当初は「クリア」と呼ばれる単位によって行われるクリア民会が行われていた。やがて兵制に基づく「ケントゥリア」を単位とするケントゥリア民会が中心となり、以後最も権威ある民会として機能しつづけた。この他、居住地である「トリブス」を単位とするトリブス民会(平民会)も行われるようになり、ケントゥリア民会にも一定トリブスが導入された。",
"title": "政治体制"
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"text": "当初のパトリキの支配からノビレスの支配に変わるまでにローマではパトリキとプレブスの「身分闘争」が行われたといわれている。戦術の変化などによって重要性が増しながらも政治的発言権の小さかったプレブスの間では、パトリキに対する反発が蓄積していた。こうした下層プレブスの不満を背景に、上層プレブスはパトリキから政治参加への妥協を勝ち取り、パトリキと一体化してノビレスを構成するようになった。この過程で紀元前494年にプレブスの権利保護を目的に護民官が作られ、ローマの政務官の一つとなった。護民官はプレブスのみが参加する平民会で選出され、他の政務官の決定や決議を取り消す権利(拒否権)を持った。また、護民官の身体は不可侵とされた。",
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"text": "この他特徴的な政務官としては、非常時のみに選出される独裁官が挙げられる。執政官2名の合議によって選出され、他の政務官と異なり同僚制を取らず1人のみが任命される。他の政務官の任期が1年であるのに対し、独裁官の任期は6か月と短く非常事態を収拾したのち任期途中で辞任することもあった。独裁官は他の政務官全てに優越し、護民官の拒否権の対象ともならなかった。副官としてマギステル・エクィトゥム(騎兵長官)が任命された。",
"title": "政治体制"
}
] |
共和政ローマ(きょうわせいローマ)は、紀元前509年の王政打倒から紀元前27年の帝政の開始までの期間の古代ローマを指す。 この時期のローマは、イタリア中部の都市国家から、地中海世界の全域を支配する巨大国家にまで飛躍的に成長した。帝政成立以後ではなく地中海にまたがる領域国家へと発展して以降を「ローマ帝国」と呼ぶ場合もある。また、1798年に樹立されたローマ共和国 (18世紀)、1849年に樹立されたローマ共和国 (19世紀)と区別するために「古代ローマ共和国」と呼ばれることもある。
|
{{脚注の不足|date=2018年6月}}
{{基礎情報 過去の国
|略名 = 共和政ローマ
|日本語国名 = 共和政ローマ
|公式国名 = '''{{Lang|la|Res Publica Romana}}'''
|建国時期 = [[紀元前509年|前509年]]
|亡国時期 = [[紀元前27年|前27年]]
|先代1 = 王政ローマ
|先旗1 = Capitoline Wolf of Roman Kingdom.svg
|先代2 = エトルリア人
|先旗2 =
|次代1 = 帝政ローマ
|次旗1 = Vexilloid of the Roman Empire.svg
|国旗画像 = Spqrstone.jpg
|国旗リンク =
|国章画像 =
|国章リンク =
|標語 = {{Smallcaps|{{Lang|la|[[SPQR|Senatus Populusque Romanus]]}}}}<br />([[ラテン語]]:ローマの元老院と市民)
|国歌名 =
|国歌追記 =
|位置画像 = Republica Romana.svg
|位置画像説明 = [[ガイウス・ユリウス・カエサル|カエサル]]統治下の共和政ローマ (紀元前44年)
|公用語 = [[ラテン語]]<BR>[[古代ギリシア語]]
|首都 = [[ローマ]] |latd= 41 |latm= 54 |latNS= N |longd= 12 |longm= 30 |longEW = E
|元首等肩書 = [[執政官]]
|元首等年代始1 = [[紀元前509年|前509年]]
|元首等年代終1 =
|元首等氏名1 = [[ルキウス・ユニウス・ブルトゥス]]<BR>[[ルキウス・タルクィニウス・コッラティヌス]]
|元首等年代始2 = [[紀元前27年|前27年]]
|元首等年代終2 =
|元首等氏名2 = [[アウグストゥス|ガイウス・ユリウス・カエサル・オクタウィアヌス]]<BR>[[マルクス・ウィプサニウス・アグリッパ]]
|元首等年代始3 =
|元首等年代終3 =
|元首等氏名3 =
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|首相等年代終5 =
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|面積測定時期1 = [[紀元前326年]]<ref name=size>{{cite journal|journal=Social Science History |title=Size and Duration of Empires: Growth-Decline Curves, 600 B.C. to 600 A.D. |first=[[Rein Taagepera|Rein]] |last=[[Rein Taagepera|Taagepera]] |volume=3 |issue=3/4 |year=1979 |pages=125 |url=http://links.jstor.org/sici?sici=0145-5532%281979%293%3A3%2F4%3C115%3ASADOEG%3E2.0.CO%3B2-H |doi=10.2307/1170959}}</ref>
|面積値1 = 10,000
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|面積値2 = 360,000
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|変遷1 = 王政廃止
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|変遷2 = [[ラティウム戦争]]
|変遷年月日2 = [[紀元前498年]]
|変遷3 = [[サムニウム戦争]]
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|変遷年月日5 = [[紀元前146年]]
|変遷6 = [[内乱の一世紀]]の開始
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|通貨 = [[デナリウス]]ほか
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|時間帯追記 =
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|ccTLD追記 =
|国際電話番号 =
|国際電話番号追記 =
|注記 =
}}
{{ローマの政治体制}}
'''共和政ローマ'''(きょうわせいローマ)は、[[紀元前509年]]の[[王政ローマ|王政]]打倒から[[紀元前27年]]の[[ローマ帝国|帝政]]の開始までの期間の[[古代ローマ]]を指す。
この時期のローマは、イタリア中部の[[都市国家]]から、[[地中海世界]]の全域を支配する巨大国家にまで飛躍的に成長した。帝政成立以後ではなく[[地中海]]にまたがる領域国家へと発展して以降を「'''[[ローマ帝国]]'''」と呼ぶ場合もある。また、[[1798年]]に樹立された[[ローマ共和国 (18世紀)]]、[[1849年]]に樹立された[[ローマ共和国 (19世紀)]]と区別するために「'''古代ローマ共和国'''」と呼ばれることもある。
== 歴史 ==
=== 共和政の開始 ===
[[紀元前509年]]、第7代の王[[タルクィニウス・スペルブス]]を追放し共和制を敷いたローマだが、問題は山積していた。まず、王に代わった[[執政官]](コンスル)が[[元老院 (ローマ)|元老院]]の意向で決められるようになったこと、またその被選挙権が40歳以上に限定されていたことから、若い市民を中心としてタルクィニウスを王位に復する王政復古の企みが起こった。これは失敗して、初代執政官[[ルキウス・ユニウス・ブルトゥス]]は、彼自身の息子[[ティトゥス・ユニウス・ブルトゥス|ティトゥス]]を含む陰謀への参加者を処刑した。ラテン同盟諸都市や[[エトルリア]]諸都市との同盟は、これらの都市とローマ王との同盟という形であったため、王の追放で当然に同盟は解消され、対立関係となった。
追放されたタルクィニウス王と息子達は王政復古の計画が失敗したことを知ると、同族のエトルリア諸都市から兵を借りローマを攻めた。市内に住んでいたエトルリア人はローマを去り、国力は低下した。一時期、先王タルクィニウスは市を包囲したが、ローマが敗戦を認めないため、攻め込んでも犠牲の多い割に得るものが少ないと考え去っていった。その後、ローマはエトルリアから学んだ技術を独自に発展させるようになり、徐々にそれを吸収していった。
[[紀元前4世紀]]、[[アルプス山脈]]の北方から[[ケルト人]]が南下してきた。ケルト人はローマ人からは「[[ガリア人]]」と呼ばれ、鉄の剣とガエスムという投槍を装備し、倒した敵の首を斬るという習慣があった。ガリア人には[[重装歩兵]]による[[ファランクス]]戦法は通用せず、メディオラヌム(現在の[[ミラノ]])を根拠地として、[[紀元前390年]]にローマを襲撃して略奪を働いた([[アッリアの戦い]])。この事態はローマ将軍[[マルクス・フリウス・カミルス]]によって打開された。
=== 身分闘争とイタリア半島の統一 ===
相次ぐ戦争の中で、戦争の主体となった[[重装歩兵]]の政治的発言力が強まり、重装歩兵部隊を支えた[[プレブス]](平民)が、当時政治を独占していた[[パトリキ]](貴族)に対して、自分たちの政治参加を要求するに至った。いわゆる「身分闘争」の開始である。貴族は徐々に平民に譲歩し、平民の権利を擁護する[[護民官]]を設置し、[[十二表法]]で慣習法を明文化した。さらに、[[紀元前367年]]の[[リキニウス・セクスティウス法]]で執政官の1人をプレブス(平民)から選出することが定められ、[[紀元前287年]]の[[ホルテンシウス法]]によって、[[トリブス民会]]の決定が、元老院の承認を得ずにローマの国法になることが定められた。これにより、身分闘争は収束に向かった。
一方で、ローマは[[イタリア半島]]各地の都市を制圧していった。イタリア半島南部には[[アッピア街道]]が建設され、南部遠征の遂行を助けることになった。この後も、ローマは各地に向かう交通網を整備し、広域に亘る支配を可能にしていった。[[紀元前272年]]、南イタリア([[マグナ・グラエキア]])にあったギリシアの植民市[[タレントゥム]]を陥落させ、イタリア半島の統一を成し遂げた。
=== ポエニ戦争 ===
{{main|ポエニ戦争}}
イタリア半島の統一を果たしたローマは、西[[地中海]]の商業覇権をめぐって、[[紀元前264年]]より[[カルタゴ]]との百年以上の戦争へ突入した([[ポエニ戦争]])。[[第一次ポエニ戦争]]で[[シチリア]]を獲得し、この地を最初の属州とした。
[[紀元前218年]]より始まった[[第二次ポエニ戦争]]では、カルタゴの将軍[[ハンニバル]]に[[カンナエの戦い]]で敗れるものの戦況を巻き返し、[[スキピオ・アフリカヌス]]の指揮下で再びカルタゴに勝利する。この際、カルタゴ・ノヴァ(現在の[[カルタヘナ_(スペイン)|カルタヘナ]])など[[イベリア半島]]南部におけるカルタゴの拠点を奪い、西地中海の征服を果たした。また、カルタゴに味方した[[アンティゴノス朝|マケドニア]]にも遠征を行い、[[イリュリア]]や[[アカエア]](ギリシア)を影響下に置いた。この第二次ポエニ戦争でカルタゴは多大な打撃を被ったが、ローマ内部では[[マルクス・ポルキウス・カト・ケンソリウス|大カト]]を中心に対カルタゴ強硬派がカルタゴ殲滅を主張していた。[[紀元前149年]]より[[第三次ポエニ戦争]]が行われ、[[紀元前146年]]にカルタゴは破壊された。
=== 東方への進出 ===
第二次ポエニ戦争に勝利してカルタゴの脅威が減少すると、イタリア半島外へ勢力を拡大させた。
* [[第一次マケドニア戦争]]([[紀元前215年]] - [[紀元前205年]]):[[ピリッポス5世]]がハンニバルと同盟し戦う。
* [[ローマ・シリア戦争]]([[紀元前192年]] - [[紀元前188年]]):[[セレウコス朝|セレウコス朝シリア]]に勝利し小アジア諸国と同盟を結ぶ([[アパメイアの和約]])。
* [[第二次マケドニア戦争]]([[紀元前200年]] - [[紀元前196年]]):[[ティトゥス・クィンクティウス・フラミニヌス|フラミニヌス]]によりローマ勝利。
* [[第三次マケドニア戦争]]([[紀元前171年]] - [[紀元前168年]]):[[アンティゴノス朝]]が滅亡。
* [[第四次マケドニア戦争]]([[紀元前150年]] - [[紀元前148年]]):[[マケドニア属州]]が成立。
=== 属州と共和政の変質 ===
イタリア半島の制圧までのローマは、戦時に同盟国に兵力と物資の提供を求め、敗戦国に賠償を課したり、土地を奪って植民したりしたが、組織だった徴税制度は設けなかった。しかし、第一次ポエニ戦争によってシチリアと[[サルデーニャ島|サルディニア]]を得ると、[[属州]]を設けて納税義務を課し、総督を派遣した。属州から運ばれる穀物は、ローマ市の急激な人口増加を支えた。
制度の上では、属州統治においてもローマは都市の自治を尊重した。しかし一方で、派遣された総督はローマの支配を確保する以外の義務や束縛を持たなかったため、収奪のみを仕事とした。形式的には被支配地域に対しては相当の自治を認め自由を重んじたが、実際は属州に対してはすさまじい収奪を行っており、属州になった地域の多くで数十年後には人口は十分の一に減少するような事態が起こった<ref>[[会田雄次]]1966『合理主義』</ref>。
搾取とは別に、従属した諸国と都市の有力者は、ローマの政治家に多額の付け届けを欠かさぬことを重要な政策とした。結果として、少数の有力政治家の収入と財産が、国家財政に勝る重要性を持ち、ローマの公共事業は有力政治家の私費に依存することになった。ローマ市民は、こうした巨富の流出にあずかる代わりに、共和政ローマの政治家に欠かせない政治支持を与える形で、有力者の庇護下に入った。この庇護する者を[[パトロネジ|パトロヌス]](patronus)、庇護される者を[[クリエンテス]](clientes)という。もっともこのパトロヌス・クリエンテスの関係は、ローマの最初期からの伝統であり、帝政期まで長く続く。
=== 内乱の一世紀 ===
{{Main|内乱の一世紀}}
対極的に没落の運命をたどったのは、ローマ軍の中核をなしていた自由農民であった。連年の出征によって農地から引き離され、また属州より安価な穀物が流入したため次第に没落していく。この状況を打開するために、[[グラックス兄弟]]が、平民の支持を得て、土地分与の改革を実施しようとした。しかし[[紀元前133年]]に兄[[ティベリウス・グラックス|ティベリウス]]、[[紀元前123年]]に弟[[ガイウス・グラックス|ガイウス]]が反対派によって命を落とし、改革は失敗に終わった。
第三次ポエニ戦争の後も対外征服戦争および反ローマの反乱などによりローマの軍事活動は止むことがなかった([[ヌマンティア戦争]]、[[ユグルタ戦争]]、[[同盟市戦争]]、[[ミトリダテス戦争]]、[[クィントゥス・セルトリウス]]の{{仮リンク|セルトリウスの反乱|en|Sertorian War|label=反乱}}、3次の[[奴隷戦争]]など)。また、初めて[[ゲルマン人]]がローマ領内へ侵入したのもこの時期であり([[キンブリ・テウトニ戦争]])、[[ローマ帝国|帝政ローマ]]期を通じローマを悩ませることとなった。こうした軍事活動の一方で自由農民の没落で軍は弱体化の様相を見せ、早急なる改革の必要性が迫られていた。
こうした状況では、優れた指揮能力を持つ者を執政官に選ぶ必要があった。その顕著な例が平民の兵士出身の[[ガイウス・マリウス]]であった。彼は長期にわたる征服戦争への動員で没落した市民兵の代わりに、志願兵制を採用し大幅な[[マリウスの軍制改革|軍制改革]]を実施した。この改革はローマの軍事的必要を満たし、かつ貧民を軍隊に吸収することでその対策ともなったが、同時に兵士が司令官の[[私兵]]となって、軍に対する統制が効かなくなる結果をもたらした。
はじめに軍の首領としてローマ政治に君臨したのはマリウスと[[ルキウス・コルネリウス・スッラ]]であった。彼らの死後、一時的に共和政が平常に復帰したが、やがて次の世代の軍閥が登場した。[[グナエウス・ポンペイウス|ポンペイウス]]、[[ガイウス・ユリウス・カエサル|カエサル]]、[[マルクス・リキニウス・クラッスス|クラッスス]]の3人である。3人は元老院への対抗から[[三頭政治|第一回三頭政治]]を結成したが、クラッススの死後、残る2人の間で[[ローマ内戦 (紀元前49年-紀元前45年)|内戦]]が起きた。地中海世界を二分する大戦争は、[[紀元前48年]]にポンペイウスが死んだ後もしばらく余波を残した。
カエサルは[[紀元前45年]]に終身独裁官となったが、王になる野心を疑われて、[[紀元前44年]][[3月15日]]に[[共和主義者]]によって暗殺された。この後、カエサル派の[[アウグストゥス|オクタウィアヌス]]、[[マルクス・アントニウス|アントニウス]]、[[マルクス・アエミリウス・レピドゥス|レピドゥス]]が[[三頭政治|第二回三頭政治]]を行った。カエサルの遺言状で相続人に指名されたオクタウィアヌスは[[紀元前31年]]、[[アクティウムの海戦]]でアントニウスに勝利し、[[紀元前27年]]に「尊厳者([[アウグストゥス (称号)|アウグストゥス]])」、「第一の市民([[プリンケプス]])」の称号を得て、共和政の形式を残しながら[[プリンキパトゥス]](事実上の帝政)が始まった。
== 政治体制 ==
共和政下のローマの政治体制は[[元老院 (ローマ)|元老院]]・[[政務官 (ローマ)|政務官]]・[[民会 (ローマ)|民会]]の三者によって成り立っていたとする考えが一般的である。市民全体によって構成される民会は政務官 (magistratus) を選出し、その政務官たちが実際の政務を行う。この政務官経験者たちによって構成された元老院は巨大な権威を持ち、その決議や助言に逆らうことは難しかった。政務官の選挙にも元老院の意向が一定反映され、そうして選ばれた政務官たちによって元老院が構成されたことから両者は強く結びついた。
最も重要な政務官は[[執政官]]で、その命令権([[インペリウム]])は王の権力から受け継がれたものともいわれる。任期は1年で2名が選ばれた。執政官に欠員ができたときには補充選挙が行われるが、新たな執政官の任期は前任者のものを引き継いだ。
元老院は王政期から存在したとされ、その構成員は当初は貴族([[パトリキ]])のみであった。のちに元老院議員の資格は政務官経験者となり、平民([[プレブス]])にも開かれ、後世になってそうした平民は平民貴族と呼ばれた。ノビレスは、そうした平民貴族とパトリキの総称である。
民会にはいくつかの形式があった。当初は「クリア」と呼ばれる単位によって行われる[[クリア民会]]が行われていた。やがて兵制に基づく「ケントゥリア」を単位とする[[ケントゥリア民会]]が中心となり、以後最も権威ある民会として機能しつづけた。この他、居住地である「トリブス」を単位とするトリブス民会(平民会)も行われるようになり、ケントゥリア民会にも一定トリブスが導入された。
当初のパトリキの支配からノビレスの支配に変わるまでにローマではパトリキとプレブスの「身分闘争」が行われたといわれている。戦術の変化などによって重要性が増しながらも政治的発言権の小さかったプレブスの間では、パトリキに対する反発が蓄積していた。こうした下層プレブスの不満を背景に、上層プレブスはパトリキから政治参加への妥協を勝ち取り、パトリキと一体化してノビレスを構成するようになった。この過程で[[紀元前494年]]にプレブスの権利保護を目的に[[護民官]]が作られ、ローマの政務官の一つとなった。護民官はプレブスのみが参加する平民会で選出され、他の政務官の決定や決議を取り消す権利([[拒否権]])を持った。また、護民官の身体は不可侵とされた。
この他特徴的な政務官としては、非常時のみに選出される[[独裁官]]が挙げられる。執政官2名の合議によって選出され、他の政務官と異なり同僚制を取らず1人のみが任命される。他の政務官の任期が1年であるのに対し、独裁官の任期は6か月と短く非常事態を収拾したのち任期途中で辞任することもあった。独裁官は他の政務官全てに優越し、護民官の拒否権の対象ともならなかった。副官として[[マギステル・エクィトゥム]](騎兵長官)が任命された。
== 脚注 ==
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<references/>
== 参考文献 ==
* [[桜井万里子]]・[[本村凌二]]『世界の歴史5 ギリシアとローマ』[[中央公論社]]、1997年。
* [[長谷川岳男]]・[[樋脇博敏]]『古代ローマを知る事典』[[東京堂出版]]、2004年。
* [[三浦櫂利]]『西洋甲冑武器事典』[[柏書房]]、2000年。
== 関連項目 ==
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* [[古代ローマ]]
* [[SPQR]]
* [[ローマ法]]
* [[古代ローマの公職一覧]]
* [[ローマ軍団]]
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孫臏
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孫 臏(簡体字: 孙膑、そん ぴん、紀元前4世紀頃)は、中国戦国時代の斉の武将、思想家。兵家の代表的人物の一人。孫武の子孫であるとされ、孫武と同じく孫子と呼ばれる。『孫臏兵法』は孫臏の手によると推定されている。
阿(現在の山東省聊城市陽穀県)・鄄(現在の山東省菏沢市鄄城県)の間の辺りにて生まれる。本名およびその父を初めとする家族については不明。
若い頃、龐涓と共に兵法を学び、龐涓は魏に仕官して恵王の元で将軍になることができた。しかし龐涓は孫臏に自分が及ばないことを感じていたので、偽って孫臏を魏へと招待し、孫臏を騙して罪に陥れ、臏刑(両脚を切断する刑)と額に罪人の印である黥を入れる刑に処した。その後は軟禁状態にあったが、斉の公族である将軍田忌(中国語版)が使者として魏へとやってきた際に密かに連絡を取り、その出立に合わせ車の中に隠れて魏を脱出することに成功した。
斉では田忌の客となる。ある時、斉王(威王)と公子たちと田忌が馬を三組ずつ出して勝負する競馬を催した。孫臏は田忌に対して、上等の馬が出る競走に田忌の所有する下等の馬、中等の馬が出る競走に上等の馬、下等の馬が出る競走に中等の馬を出させることによって、田忌を二勝一敗させ千金を儲けさせた。これに気を良くした田忌は王に孫臏を推薦し、王は孫臏を兵法の師と仰ぐようになった。
魏が趙を攻撃し、趙の都を包囲した。趙は斉に救援を求め、斉王は田忌を将軍とし孫臏と共に派遣した。だが、孫臏は趙に向かおうとする田忌を「絡んだ紐を解く時は無闇に引っ張るものではなく、喧嘩を止めさせる時は殴り合いに加わらないものです」と途中で留め、魏本国を攻めさせた。魏の本国には弱小老兵が残っているだけだったので、趙を包囲していた魏の主力軍は慌てて包囲を解き急いで引き返したが、強行軍で疲労困憊したところを斉軍に攻められ大敗(桂陵の戦い)した。こうして孫臏は趙を救った(これが囲魏救趙という故事となった)。
13年の歳月が流れ、魏が龐涓を将軍として韓を攻めると、韓より斉へ救援依頼が来た。斉王は、孫臏を主将、田忌を副将にして軍を派遣しようとしたが、孫臏は田忌を推挙し、田忌が主将、孫臏は副将(実質的には軍師)となって韓へ向かった。田忌は前回同様魏の都を攻めようとし、孫臏は「龐涓は同じ過ちを二度繰り返す者ではなく、何かの備えはしているでしょう。しかし様子を伺わなければ分かりませんので、魏の都に向かいましょう」と答えた。孫臏の予測通り、龐涓も流石これに備えて本国にも精強な兵を残しており、斉軍を足止めする一方、韓攻略軍も引き返させた。防衛軍と攻略軍で挟撃しようというのである。これを知った斉軍は撤退するが、龐涓は打撃を与えるべく追撃する。撤退戦であれば追撃する側が圧倒的に有利だからである。
しかし、孫臏は撤退する振りをしつつ、龐涓の「魏の兵は命知らずの猛者だが、斉の兵は臆病者だ」という驕りを逆手に取り、斉軍の陣営の竈の数を前の日の半分、次の日は更に半分という具合に減らしていき、あたかも斉軍に連日脱走兵が相次いでいるかのように偽装した。追撃する龐涓はこの無様な様子を見て半ば呆れつつも勝利を確信し、あえて歩兵を後にし自ら足の速い精鋭の騎兵を率いて一刻も早く斉軍を捕捉しようと図った。一方、孫臏は、その先の隘路である馬陵(現在の山東省臨沂市郯城県)の地で、仕込みを始める。龐涓の部隊が日暮れに到達するであろう場所に木で障害物をつくり、側の木の枝に板を吊るして「龐涓死於此樹之下(龐涓この樹の下にて死せん)」と書き記させた。そしてその道の両側に1万の兵を伏し、兵たちに「日没のあと此処に火がともるであろうから、それに向かって矢を射よ」と命じた。
果たして計算通り、夜半になって当地に龐涓が到着。障害物に止めさせられた際、なにやら書かれている板があると兵が言ったため、自らこれを読もうと松明の火をかかげた。これに斉軍の伏兵が一斉に矢を放ち、暗中の魏軍は大混乱に陥った。自らが負けたことを悟った龐涓は「遂成豎子之名(遂に豎子の名を成さしむ→これで奴の名声を世に成さしてしまったか)」と言い残して自刎、若しくは矢によりハリネズミとなり戦死。魏の太子申は捕虜にされた。司令官を失った魏軍は斉軍に蹴散らされることになった。
この馬陵の戦いの大勝利により、兵家孫臏の名は天下に響いたと伝えられる。しかし孫臏のその後に付いては史書に記述がない。一説には兵法書を記していたとも言われている。
また、太史公の記述によると世間で軍学について引用する場合、『孫子』十三編の書物を述べないものはないと言われている。「能く之を行う者は未だ必ずしも能く言わず。能く之を言う者は未だ必ずしも能く行わず」という言葉があり、これは孫子が龐涓を計略に落としたのは明察である。だが刑罰のうきめきにあうときの処置を、あらかじめできなかったのは悲しいことであると評価している。
孫臏は孫武と同じく兵法書を著したが、彼の兵法は孫武の『孫子』と区別して『斉孫子』などと呼ばれていたらしい。しかしながら、次第に散逸し、あるいは現存する『孫子』自体が孫臏の著作ではないかとも推定されていたが、1972年に至って山東省で孫臏の著した兵法書の竹簡孫子が発掘されたことにより、『孫子』の著者ではないことが明らかになった。この新出土の兵法書は『孫臏兵法』と名づけられている。
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孫 臏は、中国戦国時代の斉の武将、思想家。兵家の代表的人物の一人。孫武の子孫であるとされ、孫武と同じく孫子と呼ばれる。『孫臏兵法』は孫臏の手によると推定されている。
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[[画像:Sun Bin.jpg|thumb|right|200px|孫臏]]
'''孫 臏'''(簡体字: 孙膑、そん ぴん、[[紀元前4世紀]]頃<ref>{{Cite book|和書|author=出口治明|authorlink=出口治明|year=2019|title=哲学と宗教全史|publisher=ダイヤモンド社|page=154}}</ref>)は、[[中国]][[戦国時代 (中国)|戦国時代]]の[[田斉|斉]]の[[武将]]、[[思想家]]。[[兵家]]の代表的人物の一人。[[孫武]]の子孫であるとされ、孫武と同じく[[孫子]]と呼ばれる。『[[孫臏兵法]]』は孫臏の手によると推定されている。
== 略歴 ==
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=== 前歴 ===
阿(現在の[[山東省]][[聊城市]][[陽穀県]])・鄄(現在の山東省[[菏沢市]][[鄄城県]])の間の辺りにて生まれる。本名およびその父を初めとする家族については不明<ref>名前の「臏」は膝蓋骨、転じて[[足切り]]の刑のこと(この刑罰は別名「[[剕]]」(ひ)とも「刖」(げつ)ともいう)。これがもとからの本名だとすると、たまたま名前と同じ刑に処せられたことになり偶然にしても出来すぎであるため、これは臏刑に処せられたがゆえの渾名であって、本名ではないと考えられている。</ref>。
若い頃、[[龐涓]]と共に兵法を学び<ref>[[大衆小説|通俗小説]]『孫龐演義』では師は[[鬼谷子]]。</ref>、龐涓は[[魏 (戦国)|魏]]に仕官して[[恵王 (魏)|恵王]]の元で将軍になることができた。しかし龐涓は孫臏に自分が及ばないことを感じていたので、偽って孫臏を魏へと招待し、孫臏を騙して罪に陥れ、臏刑(両脚を切断する刑)と額に罪人の印である[[入れ墨|黥]]を入れる刑に処した。その後は軟禁状態にあったが、斉の[[公族]]である将軍{{仮リンク|田忌|zh|田忌}}が使者として魏へとやってきた際に密かに連絡を取り、その出立に合わせ車の中に隠れて魏を脱出することに成功した。
=== 斉にて ===
斉では田忌の[[食客|客]]となる。ある時、斉王([[威王 (斉)|威王]])と[[公子]]たちと田忌が馬を三組ずつ出して勝負する競馬を催した。孫臏は田忌に対して、上等の馬が出る競走に田忌の所有する下等の馬、中等の馬が出る競走に上等の馬、下等の馬が出る競走に中等の馬を出させることによって、田忌を二勝一敗させ千金を儲けさせた。これに気を良くした田忌は王に孫臏を推薦し、王は孫臏を兵法の師と仰ぐようになった。
===桂陵の戦い===
魏が[[趙 (戦国)|趙]]を攻撃し、趙の都を包囲した。趙は斉に救援を求め、斉王は田忌を将軍とし孫臏と共に派遣した。だが、孫臏は趙に向かおうとする田忌を「絡んだ紐を解く時は無闇に引っ張るものではなく、喧嘩を止めさせる時は殴り合いに加わらないものです」と途中で留め、魏本国を攻めさせた。魏の本国には弱小老兵が残っているだけだったので、趙を包囲していた魏の主力軍は慌てて包囲を解き急いで引き返したが、強行軍で疲労困憊したところを斉軍に攻められ大敗([[桂陵の戦い]])した。こうして孫臏は趙を救った(これが[[囲魏救趙]]という[[故事]]となった)。
===馬陵の戦い===
{{Main|馬陵の戦い}}
13年の歳月が流れ、魏が龐涓を将軍として[[韓 (戦国)|韓]]を攻めると、韓より斉へ救援依頼が来た。斉王は、孫臏を主将、田忌を副将にして軍を派遣しようとしたが、孫臏は田忌を推挙し、田忌が主将、孫臏は副将(実質的には軍師)となって韓へ向かった。田忌は前回同様魏の都を攻めようとし、孫臏は「龐涓は同じ過ちを二度繰り返す者ではなく、何かの備えはしているでしょう。しかし様子を伺わなければ分かりませんので、魏の都に向かいましょう」と答えた。孫臏の予測通り、龐涓も流石これに備えて本国にも精強な兵を残しており、斉軍を足止めする一方、韓攻略軍も引き返させた。防衛軍と攻略軍で挟撃しようというのである。これを知った斉軍は撤退するが、龐涓は打撃を与えるべく追撃する。撤退戦であれば追撃する側が圧倒的に有利だからである。
しかし、孫臏は撤退する振りをしつつ、龐涓の「魏の兵は命知らずの猛者だが、斉の兵は臆病者だ」という驕りを逆手に取り、斉軍の陣営の[[かまど|竈]]の数を前の日の半分、次の日は更に半分という具合に減らしていき、あたかも斉軍に連日脱走兵が相次いでいるかのように偽装した。追撃する龐涓はこの無様な様子を見て半ば呆れつつも勝利を確信し、あえて歩兵を後にし自ら足の速い精鋭の騎兵を率いて一刻も早く斉軍を捕捉しようと図った。一方、孫臏は、その先の隘路である馬陵(現在の山東省[[臨沂市]][[郯城県]])の地で、仕込みを始める。龐涓の部隊が日暮れに到達するであろう場所に木で障害物をつくり、側の木の枝に板を吊るして「龐涓死於此樹之下(龐涓この樹の下にて死せん)」と書き記させた。そしてその道の両側に1万の兵を伏し、兵たちに「日没のあと此処に火がともるであろうから、それに向かって矢を射よ」と命じた。
果たして計算通り、夜半になって当地に龐涓が到着。障害物に止めさせられた際、なにやら書かれている板があると兵が言ったため、自らこれを読もうと松明の火をかかげた。これに斉軍の伏兵が一斉に矢を放ち、暗中の魏軍は大混乱に陥った。自らが負けたことを悟った龐涓は「遂成豎子之名(遂に豎子の名を成さしむ→これで奴の名声を世に成さしてしまったか)」と言い残して自刎、若しくは矢によりハリネズミとなり戦死。魏の太子申は捕虜にされた<ref>『[[戦国策]]』「巻23魏2斉魏戦于馬陵」によると、龐涓は斉軍に捕虜にされ、太子申は戦死したと記されている。「龐涓戦于馬陵 魏師大敗 殺太子申 虜龐涓」(原文)。また、『孟子』によると魏の恵王が晩年に[[孟子]]と会見した時に「私は先年に、可愛い息子を陣没で失ってしまった」と嘆いていたことが伝えられている。</ref>。司令官を失った魏軍は斉軍に蹴散らされることになった。
この馬陵の戦いの大勝利により、兵家孫臏の名は天下に響いたと伝えられる。しかし孫臏のその後に付いては史書に記述がない。一説には兵法書を記していたとも言われている。
また、太史公の記述によると世間で軍学について引用する場合、『孫子』十三編の書物を述べないものはないと言われている。「能く之を行う者は未だ必ずしも能く言わず。能く之を言う者は未だ必ずしも能く行わず」という言葉があり、これは孫子が龐涓を計略に落としたのは明察である。だが刑罰のうきめきにあうときの処置を、あらかじめできなかったのは悲しいことであると評価している。
<ref>{{Cite book |和書
|author =小川環樹
|title =史記列伝㈠
|date =1975
|publisher =岩波書店
|series =岩波文庫}}</ref>
== 孫臏兵法 ==
孫臏は[[孫武]]と同じく兵法書を著したが、彼の兵法は孫武の『[[孫子 (書物)|孫子]]』と区別して『斉孫子』などと呼ばれていたらしい。しかしながら、次第に散逸し、あるいは現存する『孫子』自体が孫臏の著作ではないかとも推定されていたが、[[1972年]]に至って[[山東省]]で孫臏の著した兵法書の[[竹簡孫子]]が発掘されたことにより、『孫子』の著者ではないことが明らかになった。この新出土の兵法書は『[[孫臏兵法]]』と名づけられている<ref>詳しくは、[[金谷治]]訳注『孫臏兵法』-もうひとつの[[孫子]]』([[ちくま学芸文庫]] [[2008年]])</ref>。
== 孫臏を題材にした作品 ==
* 小説
** [[海音寺潮五郎]]『孫子』毎日新聞社、1964年。のち[[講談社文庫]] のち講談社文庫・新装版(上下巻)
** [[大久保智弘]]『兵は詭道なり』
** [[佐藤春夫]] 「中国童話集」内の『友だちどうし』
* 漫画
** [[星野浩字]]『[[臏 〜孫子異伝〜]]』[[集英社]][[スーパージャンプ]]、2008年~2016年。
**: この漫画での臏刑は脚を切断する刑ではなく[[膝蓋骨]]の切除となっており、[[装具]]を使って立ち上がることができる。
* ドラマ
** [[東周列国 戦国篇]]《第4部・10話~12話》(演:[[温海涛]])、1999年
** 孫子兵法与三十六計(演:[[仇永力]])、2000年
** [[大秦帝国]]【大秦帝国之裂変】(演:[[董祁明]])、2009年
== 脚注 ==
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{{Reflist}}
== 外部リンク ==
{{wikisourcelang|zh|孫臏兵法}}
* {{Wayback|url=http://www.geocities.jp/fukura1234/sunpin/sunpin.htm |title=孫ヒン兵法 - 中国兵法 |date=20190331144105}}『孫臏兵法』翻訳
{{Normdaten}}
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[[Category:孫臏|*]]
[[Category:紀元前4世紀中国の学者]]
[[Category:田斉の人物]]
[[Category:兵家の人物]]
[[Category:孫氏 (春秋戦国)|ひん]]
[[Category:切断障害を持つ人物]]
[[Category:稷下の人物]]
[[Category:生没年不詳]]
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16,314 |
猛安・謀克
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猛安(ミンガン)・謀克(ムケ、モウムケ)(女真文字: /miŋgan moumukə/)は、中国の金の支配民族女真族の社会組織・軍事組織、およびそれらの組織の指導者の役職名である。女真の間に元来行われていた社会制度を元に、1114年に金の太祖阿骨打によって創始された。この制度を指して猛安・謀克制と呼び、猛安と謀克はどちらも同名の役職によって管理されていた。
阿骨打によって統一される前の女真の諸部族はそれぞれ孛菫(ボギン)と呼ばれる族長に率いられており、戦時には率いる兵数に応じた称号が孛菫に与えられていた。また、猛安・謀克制と北魏の八部制、遼の二十部から構成される軍事組織、モンゴル帝国で実施された千戸制・百戸制、北アジアの遊牧民族の間で行われた軍事組織の編成法との関連も指摘されている。
猛安・謀克制は、兵士となることができる成年男子300人を含む300戸を1謀克とし、10謀克を1猛安として、女真族を編成する社会組織・軍事組織である。猛安は女真語で「千」を意味するming-kan、謀克は「族長」を意味するmukeの音訳とされており、時に猛安は「千戸」「千戸長」と意訳される。また、謀克は女真語で「族」を意味するmuhunと語源を同じくすると考えられている。猛安・謀克は平時には割り当てられた戸を管理し、戦時になると自前で武具と兵糧を用意し、自らの戸から徴収した兵士を率いて戦った。戦時には1謀克から100人の兵士が供出され、1猛安は1,000人の兵士で構成される。猛安・謀克の指導者の地位は世襲制で、世官と呼ばれることもある。
初期は金の支配下に置かれているすべての民衆に猛安・謀克制が適用されていたが、金の勢力が華北に及ぶと猛安・謀克は再編される。1125年に猛安・謀克制の対象を女真族・契丹族・北方の諸民族に限定し、他の民族の管理には州県制が適用された。契丹の猛安・謀克の指導者には契丹族を任命して世襲制が適用され、猛安・謀克制による契丹族への懐柔策は一定の成功を収めた。世宗の時期には相次ぐ契丹の反乱に対処するため、彼らも猛安・謀克制から除外される。
1142年に金と南宋の間に和約が結ばれた後、満州に居住していた女真族は猛安・謀克の組織を保ったまま華北に移住し、その数は1,000,000人に達すると言われている。河北・山東・河南の北部に移住した集団は一定の農地を与えられて耕作に従事し、戦争に備えた軍事訓練を行い、一部の集団は辺境の防衛や首都の警備を輪番で担当した。漢人に入り混じって華北に住む女真族は租税、耕作の面で国家から優遇され、漢人との間に紛争が起きた時には女真族に有利な裁定が下されることが多かった。海陵王によって会寧から燕京に遷都された後、女真族の華北への移住はより活発になる。
華北に移住した女真族は漢人の生活を模倣して南宋から物資を購入し、次第に漢人間の貨幣経済に組み込まれていき、貨幣経済の浸透は世宗期に起こる女真族の貧困化の一因となる。漢人との雑居によって尚武の気風を失った女真族は、経済的に困窮していく。1161年の海陵王の南宋遠征には多数の女真族の男子が動員され、働き手を失った女真族の没落はより進行する。海陵王の次に即位した世宗は困窮する女真族の救済に乗り出すが成果は上がらず、章宗の時期に華北に暮らす女真族の没落はより顕著になる。女真族を救済するために漢人が不利益を被る政策がとられることが多くなり、漢人の不満の増大が金の衰退の一因になったと考えられている。
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猛安(ミンガン)・謀克(ムケ、モウムケ)は、中国の金の支配民族女真族の社会組織・軍事組織、およびそれらの組織の指導者の役職名である。女真の間に元来行われていた社会制度を元に、1114年に金の太祖阿骨打によって創始された。この制度を指して猛安・謀克制と呼び、猛安と謀克はどちらも同名の役職によって管理されていた。 阿骨打によって統一される前の女真の諸部族はそれぞれ孛菫(ボギン)と呼ばれる族長に率いられており、戦時には率いる兵数に応じた称号が孛菫に与えられていた。また、猛安・謀克制と北魏の八部制、遼の二十部から構成される軍事組織、モンゴル帝国で実施された千戸制・百戸制、北アジアの遊牧民族の間で行われた軍事組織の編成法との関連も指摘されている。 猛安・謀克制は、兵士となることができる成年男子300人を含む300戸を1謀克とし、10謀克を1猛安として、女真族を編成する社会組織・軍事組織である。猛安は女真語で「千」を意味するming-kan、謀克は「族長」を意味するmukeの音訳とされており、時に猛安は「千戸」「千戸長」と意訳される。また、謀克は女真語で「族」を意味するmuhunと語源を同じくすると考えられている。猛安・謀克は平時には割り当てられた戸を管理し、戦時になると自前で武具と兵糧を用意し、自らの戸から徴収した兵士を率いて戦った。戦時には1謀克から100人の兵士が供出され、1猛安は1,000人の兵士で構成される。猛安・謀克の指導者の地位は世襲制で、世官と呼ばれることもある。 初期は金の支配下に置かれているすべての民衆に猛安・謀克制が適用されていたが、金の勢力が華北に及ぶと猛安・謀克は再編される。1125年に猛安・謀克制の対象を女真族・契丹族・北方の諸民族に限定し、他の民族の管理には州県制が適用された。契丹の猛安・謀克の指導者には契丹族を任命して世襲制が適用され、猛安・謀克制による契丹族への懐柔策は一定の成功を収めた。世宗の時期には相次ぐ契丹の反乱に対処するため、彼らも猛安・謀克制から除外される。 1142年に金と南宋の間に和約が結ばれた後、満州に居住していた女真族は猛安・謀克の組織を保ったまま華北に移住し、その数は1,000,000人に達すると言われている。河北・山東・河南の北部に移住した集団は一定の農地を与えられて耕作に従事し、戦争に備えた軍事訓練を行い、一部の集団は辺境の防衛や首都の警備を輪番で担当した。漢人に入り混じって華北に住む女真族は租税、耕作の面で国家から優遇され、漢人との間に紛争が起きた時には女真族に有利な裁定が下されることが多かった。海陵王によって会寧から燕京に遷都された後、女真族の華北への移住はより活発になる。 華北に移住した女真族は漢人の生活を模倣して南宋から物資を購入し、次第に漢人間の貨幣経済に組み込まれていき、貨幣経済の浸透は世宗期に起こる女真族の貧困化の一因となる。漢人との雑居によって尚武の気風を失った女真族は、経済的に困窮していく。1161年の海陵王の南宋遠征には多数の女真族の男子が動員され、働き手を失った女真族の没落はより進行する。海陵王の次に即位した世宗は困窮する女真族の救済に乗り出すが成果は上がらず、章宗の時期に華北に暮らす女真族の没落はより顕著になる。女真族を救済するために漢人が不利益を被る政策がとられることが多くなり、漢人の不満の増大が金の衰退の一因になったと考えられている。
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'''猛安'''(ミンガン)・'''謀克'''(ムケ、モウムケ)([[女真文字]]:[[File:Minggan in Jurchen script.JPG|25px]][[File:Moumuke in Jurchen script.JPG|60px]] {{IPA|/miŋgan moumukə/}})は、[[中国]]の[[金 (王朝)|金]]の支配民族[[女真|女真族]]の社会組織・軍事組織、およびそれらの組織の指導者の役職名である。女真の間に元来行われていた社会制度を元に、[[1114年]]に金の太祖[[阿骨打]]によって創始された<ref name="a-jiten">外山「猛安・謀克」『アジア歴史事典』9巻、37-38頁</ref>。この制度を指して'''猛安・謀克制'''と呼び、猛安と謀克はどちらも同名の役職によって管理されていた。
阿骨打によって統一される前の女真の諸部族はそれぞれ孛菫(ボギン)と呼ばれる族長に率いられており、戦時には率いる兵数に応じた称号が孛菫に与えられていた<ref name="umehara288">梅原「一進一退-宋・金の内側」『中国史』3、288頁</ref>。また、猛安・謀克制と[[北魏]]の八部制、[[遼]]の二十部から構成される軍事組織、[[モンゴル帝国]]で実施された[[ミンガン|千戸制]]・[[ジャウン|百戸制]]、[[北アジア]]の遊牧民族の間で行われた軍事組織の編成法との関連も指摘されている<ref>川本『中国史のなかの諸民族』、39,49-50頁</ref>。
猛安・謀克制は、兵士となることができる成年男子300人を含む300戸を1'''謀克'''とし、10謀克を1'''猛安'''として、女真族を編成する社会組織・軍事組織である。猛安は女真語で「千」を意味するming-kan、謀克は「族長」を意味するmukeの音訳とされており、時に猛安は「千戸」「千戸長」と意訳される<ref name="a-jiten"/>。また、謀克は女真語で「族」を意味するmuhunと語源を同じくすると考えられている<ref>外山『金朝史研究』、5頁</ref>。猛安・謀克は平時には割り当てられた戸を管理し、戦時になると自前で武具と兵糧を用意し、自らの戸から徴収した兵士を率いて戦った<ref>梅原「一進一退-宋・金の内側」『中国史』3、286頁</ref>。戦時には1謀克から100人の兵士が供出され、1猛安は1,000人の兵士で構成される<ref>川本『中国史のなかの諸民族』、49-50頁</ref>。猛安・謀克の指導者の地位は世襲制で、世官と呼ばれることもある<ref name="a-jiten"/>。
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<!-- しかし漢地に入ると、漢民族に比べて農耕や商売の技術に劣る女真族は、積み重なる軍役のためもあって財産を漢族に借金の[[担保]]として取られて次第に困窮し、また『[[金史]]』を中心とした中国側諸史料によれば、彼らは漢文化の影響を受け元来の野性的な女真の武風を失っていったとされている{{要出典|date=2015年2月}}。 -->華北に移住した女真族は漢人の生活を模倣して南宋から物資を購入し、次第に漢人間の貨幣経済に組み込まれていき、貨幣経済の浸透は世宗期に起こる女真族の貧困化の一因となる<ref>外山『金朝史研究』、395頁</ref>。漢人との雑居によって尚武の気風を失った女真族は、経済的に困窮していく<ref name="umehara289"/>。[[1161年]]の海陵王の南宋遠征には多数の女真族の男子が動員され、働き手を失った女真族の没落はより進行する<ref name="umehara289"/>。海陵王の次に即位した世宗は困窮する女真族の救済に乗り出すが成果は上がらず、[[章宗 (金)|章宗]]の時期に華北に暮らす女真族の没落はより顕著になる<ref name="a-jiten"/>。女真族を救済するために漢人が不利益を被る政策がとられることが多くなり、漢人の不満の増大が金の衰退の一因になったと考えられている<ref name="a-jiten"/>。
== 脚注 ==
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== 参考文献 ==
* 梅原郁「一進一退-宋・金の内側」『中国史』3収録(世界歴史大系, [[山川出版社]], 1997年7月)
* [[川本芳昭]]『中国史のなかの諸民族』(世界史リブレット, 山川出版社, 2004年2月)
* 外山軍治「猛安・謀克」『アジア歴史事典』9巻収録([[平凡社]], 1962年)
* 外山軍治『金朝史研究』(東洋史研究叢刊, 東洋史研究会, 1964年)
== 関連項目 ==
* [[八旗]]
* [[ミンガン|千戸制]]
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ハイスクール!奇面組
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『ハイスクール!奇面組』(ハイスクール きめんぐみ)は、新沢基栄作の日本の漫画、またそれを原作とするテレビアニメ、劇場版アニメなどの作品群。
新沢の漫画家デビュー作である『3年奇面組』(さんねん きめんぐみ)において中学生だった主人公の高校進学に伴い、『ハイスクール!奇面組』にタイトル変更したものが本作である(アニメ版では中学生編を含め『ハイスクール!奇面組』として制作された)。
集英社の『週刊少年ジャンプ』にて『3年奇面組』は1980年10月13日41号から1982年4月12日17号まで、『ハイスクール!奇面組』は『3年』が終了した翌週の1982年4月19日18号から1987年7月6日30号まで連載された。累計発行部数は1000万部を記録している。
ここでは『3年』から『ハイスクール!』を通して解説するほか、スクウェア・エニックス『月刊少年ガンガン』にて連載された『フラッシュ!奇面組』についても取り扱うこととする。
架空の学園である「一応高校」を舞台にして、一堂零・冷越豪・出瀬潔・大間仁・物星大から成る5人組「奇面組」と、河川唯・宇留千絵などの個性的なキャラクターたちが活躍するドタバタギャグ・コメディ作品。
奇面組はその名の通り、変な顔の5人組であるが、「他人に笑われようとも自分の個性を堂々とさらけ出し、世の中を味付けする調味料になろう」をモットーに、日夜“変態”(後述「「変態」について」を参照)な珍事を繰り広げる。奇面組のほかにも、「色男組」「腕組」「番組」「御女組」といった五人組も登場する(奇面組同様、中学時は「3年○○組」として登場している)。
本作における「変態」とは主に奇人・変人または異常な行動状況を指すものであり、転じて「人知を超越した存在」という位置づけになっている(手足が伸びる、壁を歩いて登る、突然動物に変身するなどの超人的な行動もこれに含まれる)。ただし、まれにギャグとして(一般的に広く認知されている)「変態性欲」の意味で使われるケースもある。
【3年奇面組】
一応中学二年生の女子生徒河川唯と宇留千絵は普通で退屈な学園生活を送っていた。そんなとき、一学年上にいる悪名高き名物集団奇面組と遭遇する。一堂零、冷越豪、出瀬潔、大間仁、物星大の5人の奇面組メンバーは個性豊かという表現を通り越したハチャメチャな連中だった。彼らをすっかり気に入ってしまった唯となし崩しに付き合わされた千絵は奇面組と行動を共にするようになる。一方、奇面組の担任である伊狩増代や体育教師の石砂拓真は零たちにすっかりかき回されていた。
だが、零の同級生たちには他にも個性的な名物集団がいた。スポーツ万能な雲童塊率いる腕組、不良グループのリーダー似蛭田妖率いる番組、女子に人気の切出翔率いる色男組、ガリ勉骨岸無造率いる骨組。彼らは問題集団として教師たちを悩ませていた。更に「番組」と対立するスケ番天野邪子率いる御女組も登場する。
やがて春になり、進学した「骨組」を除く他の名物集団は揃って留年。唯、千絵と名物集団たちは同級生となり、更に別の名物集団も登場し校内行事毎に馬鹿騒ぎを繰り返した。そして一目惚れした唯を追って転校してきた自称万能少年で苦学生真実一郎は唯を巡り零を一方的にライバル視する。
受験シーズンを迎えて進路の異なる零たちと唯たちは「一先高校」と「応生高校」とに別れて進学することになり、応生高校への転任が決まっていた伊狩は零たちの卒業にホッと胸を撫で下ろしていたが、一先高校の廃校に伴い姉妹校の応生高校との合併が決まり、一応高校が誕生する。思わぬ展開に唯たちは大喜びするが、伊狩は倒れるほどのショックを受けた。
【ハイスクール!奇面組】
やっと進学した零たちは引き続き他の名物集団や唯、千絵、真実らと共に「一応高校」に通うことになる。零たち10組には新たな顔ぶれとして二階胴面一、物月珠美、織田魔利がクラスメイトに加わり、担任には伊狩の後輩である若人蘭が務めることになる。また、「教育実習生」として10組に来た熱血教師事代作吾は若人に一目惚れ。後日、一応高校に赴任して10組の副担任となる。一方、伊狩と石砂は結婚して正式に夫婦となる。
唯と千絵は塊の双子の姉雲童命が主将を務めるバレーボール部に入部し、「奇面組」は各部活を入部して回る。また当初からお互い気があるが上手く振る舞えない零と唯、腐れ縁のせいで互いに意識しあうようになった豪と千絵の恋愛模様も描かれるようになる。更にキャラクター性を確立した各登場人物の家族たちも登場。また、零の幼馴染みで宿命のライバル春曲鈍と「一堂家」とは犬猿の仲である「音成家」の一人娘で掟破りの成人女子高生音成久子も加わる。
連載の長期化に伴い、新沢が「タイムマシンでループする」を繰り返していたが、腰痛の悪化などにより連載終了が決定した。
それぞれの進路が決まる中、零が交通事故に遭い入院してしまう。零の父・啄石と医師の会話を偶然聞いてしまった唯は零が深刻な病気を抱え、それを察した零が書いた「遺書」と受け取れるノートを読んでしまい、寝ている零にキスをする。だがそれが全くの誤解とわかり、豪と千絵が夫婦になるなど更に数年後の未来を描いた。最後は、ふと気づいた唯が中学の教室で千絵と話している場面に切り替わり、「奇面組」と初めて遭遇した廊下に向かう場面で終了した。
【帰ってきたハイスクール!奇面組】
『ハイスクール!奇面組』を補完するエピソードで、本編との重複をしないことを意識して描かれた新作エピソード。平成という時代を意識し、細部を微妙に変化させている。既出のキャラクターのエピソードに限定され、新キャラクターはいないが前作では遺影のみだった生前の零の母親が登場している。
【フラッシュ!奇面組】
『3年奇面組』、『ハイスクール!奇面組』の基本的設定を踏襲した新作。時代背景を「昭和」から「平成」に変えたことで細部をリニューアルした上で連載を開始し、新キャラクターも登場していたが、新沢の体調悪化で完結することなく休載となる。
登場人物の名前は、ほとんどが一堂零(=「一同、礼!」)などといったダジャレが利いた語呂合わせになっている。
新沢が漫画家デビューを目指してフレッシュジャンプ賞に応募した漫画作品『3年奇面組参上』(ジャンプ・コミックス 3年奇面組 第1巻に収録)に登場するキャラクターおよび世界観をベースに、奇面組の中学3年から卒業までを描いた作品。第1話は、ヒロインで当時「一応中学校」2年の河川唯と宇留千絵が校内で上級生の奇面組と出会うところから始まる(アニメ版では、唯が転入した時点ですでに奇面組と千絵が同級生となっている)。
新沢は従来ギャグ漫画で定番である「マンガの登場人物は年をとらない」という手法を「しらじらしくなってしまいそう」という理由から避け、『3年奇面組』のキャラクターに毎年きちんと年をとらせることとした。また中盤では、奇面組の後輩である唯や千絵と同じ教室でストーリーを展開させるために、奇面組を落第・留年させることで同学年になるように調整された。その際、骨組を除く各集団も留年させている。
奇面組が作中2回目の受験をした際には、何とかつじつまを合わせて奇面組と唯・千絵を同じ一応高校に通わせることに成功、晴れて『ハイスクール!奇面組』として続けてゆくことになった。その際、主要な教師陣も一応高校の教師として異動している。
新沢はのちに「(読者からは)『3年奇面組』は“ギャグ”で『ハイスクール!奇面組』は“コメディ”という意見もあって、確かにそういう見方もできる。『3年奇面組』の頃はまだ漫画のノウハウも全然知らず、ノリとテンションのみでだけで頭に思い浮かんだキャラクター、ネタ、イメージを動かしていたんですよ」と語っている。
奇面組の高校時代を描いた作品。便宜上『3年奇面組』の続編に位置する。登場キャラクターの入れ替えや制服の変更などが行なわれたほか、これまで集団で動いていたキャラクターを独立させて描いたり、「帰宅部」の奇面組が各クラブに挑戦するエピソードが多く描かれるようになった。新沢も「『ハイスクール!奇面組』になってからは読者にわかりやすくすることを心がけ、(つまらない話を平気で描いてしまわないように)一話ごとに自分で描いていて何かひとつだけでも満足できるようにチャレンジするようになったんです」と語っている。
当初『ハイスクール!奇面組』は、時間の経過どおりに描いて1985年(昭和60年)3月の高校卒業で完結させる予定であった。しかし、「This is 卓球boy!の巻」の冒頭で唐突にタイムワープによって1年前(1984年)の春にストーリー時間が巻き戻される。これは、新沢が終了したい意向を担当に伝えたものの話を上層部に通してもらえず、「人気と余力があるうちは続けてほしい」と言われて連載継続を余儀なくされたためである。
もともと、奇面組たちの高校卒業後を描くつもりがなかった新沢は、苦肉の策として「作者がタイムマシン『集英号』に乗って1年前に戻り、再び3年生の頃の話を描く」という手法で切り抜けることとなった。あくまで同じ年の違った出来事を拾い出すという体裁のため、重複した事件や行事の話などはないが、後付けの形で多くの新しいキャラクターが登場した。
最初の連載継続を決定してからほどなくして、新沢のもとへ3度目のアニメ化のオファーが舞い込んだ(それまでは断っていた。後述の「アニメ版」の項を参照)。これを承諾したことで必然的に翌年も続けざるを得なくなり、タイムワープを繰り返す中で連載は終わりどころを失ってしまう。新沢は当時の迷走期について、のちに「何度も(ストーリーの)同じ年度を繰り返すことになって、正直つらかった」と語る。
持病の腰痛が悪化する一方でだんだん締め切りに遅れるようになり、さらに1987年(昭和62年)5月中旬にはアシスタントを担当していた佐藤正が『燃える!お兄さん』でメジャーデビューして独立した。このためアシスタント不足にも悩まされ、橘ハナ子が初登場した回(週刊少年ジャンプ1987年4月13日18号)からの巻末コメントはほとんどが編集担当の長谷川によるアシスタント募集のアナウンスだったほどである。
やがて新沢の腰痛が極限に達し、ついに『週刊少年ジャンプ』1987年5月25日24号、6月1日25号と2週にわたり原稿を落とせざるを得なくなった。それをきっかけに集英社の上層部との話し合いの場が設けられ、休養をはさんだあとに単行本穴埋め用の2話と奇面組の卒業後の話を描いたラスト3話の計5回を描いて連載終了という話に落ち着いた。ラスト3話はタイムワープ設定を持ち出す前からすでに新沢が大まかに用意していたものだったが、引越しのごたごたでネーム(コンテ)を丸々紛失してしまい、実際には思い出しながら描いていたという。
1987年7月6日発売の『週刊少年ジャンプ』30号掲載分「さらば奇面組の巻」をもって、『3年奇面組』以来7年近く続いた『ハイスクール!奇面組』の連載は終了した。
この最終回のラストシーンは、社会人になった唯が出勤途中で偶然(?)通りかかった零の自転車に乗せてもらっているところで、いつの間にか一応中時代に戻っていた、というものであった。そして唯の「『奇面組』は自分の空想だったのかもしれないが、彼らはきっといると信じたい」という旨のモノローグが添えられつつ、千絵と校舎の廊下を歩いているカットでストーリーが終わっている。これに対し、新沢はのちに雑誌インタビューにて「正直、(あの最終回を)夢オチと言われるのは心外」と語っている。
また、新沢は『帰ってきたハイスクール!奇面組』において、「最後は(空想なのか、正夢なのか)どっちとも取れるように描いたつもりだったんですが、悪いふうにしか取られなかった。愛蔵版の単行本では、描かないとわかりにくいかなと思って走ってくる零くんの影を描き足した」とも語っており、平成になってから発売された愛蔵版および文庫版の最終回では、ラストのコマに『3年奇面組』第1話の冒頭と同様にトンカツをくわえて廊下を駆けてくる一堂零のシルエットが加筆されている。
なお、アニメ版については連載終了後の1987年9月26日まで放映された。
80年代ブームが始まると、「80年代を象徴するギャグマンガ」として以下の作品を12年ぶりの新作として発表する。
これらは『ハイスクール!奇面組』の外伝に位置づけられ、同じ時間軸(非パラレルワールド)ではあるが従来のエピソードと重複した話はない。
またPOPEYE本誌やムック本においては、欄外に「新沢先生の作品が読めるのはマガジンハウスだけ!?」とメッセージが書かれた。 ちなみに『帰って来た〜』は2004年、後述のトラブルを経て、集英社から改めて刊行されており、現在でも電子書籍で購入可能となっている。
一方で、上記の『帰ってきたハイスクール!奇面組』の際に使用された原稿が丸々紛失されるというトラブルが発生し、それに対する編集者の態度に激怒した新沢は、2003年に原稿料と慰謝料合わせて610万円の損害賠償を求めて係争を起こした。なお、その紛失したといわれる原稿については掲載された各誌発行の際の印刷時に保存されていたデータから復元し、後日集英社から単行本として一括掲載されている(後述)。
2001年にエニックス(後のスクウェア・エニックス)『月刊少年ガンガン』にて『フラッシュ!奇面組』が連載開始(この際、タイトルロゴは変更されている)。留年直後の中学3年生から再度描き直されているが、服装や一部のキャラクターの髪型などが現代風にアレンジされるほか、ストーリーなどにおける設定変更が行われている。また、高校進学後の流れは現実より遅くなっている。
しかし新沢の健康状態から休載が多く、2005年6月号を最後に連載は途絶えた。単行本もガンガンコミックスとして3巻まで刊行されたが、2005年6月号掲載の「秋はやっぱり○○の秋!?の巻」は単行本未収録となっている。
本編と直接関わりのない番外編もいくつか存在する。特にワラトルマンの「ウルトラ編」はアニメ化されなかったが、シリーズ化され不定期に何度か登場した。『ヤングジャンプ増刊 シゴト魂』(2005年11月5日増刊号)にもワラトルマンの読切「ワラトルマン〜やっつけ隊のお仕事〜」が掲載された。
下記に掲げるほか、いくつか単行本収録のショートストーリー作品がある。
連載200回記念として始まった、『ウルトラマン』のパロディーシリーズ。
怪獣退治を任務とする「宇宙科学防衛警備 一応秘密武装怪奇とにかく怪獣やっつけ隊」、通称「やっつけ隊」。
隊長は事代作吾。参謀兼科学者の陸奥五郎は多くの武器や戦闘用マシンを開発するが、怪獣相手には所詮通用しないものばかり(途中から少しはましになる)の役立たず集団で、一般市民からも物笑いの種にされることも珍しくない。隊員は奇面組と河川唯、宇留千絵。
その中でもダメ隊員としてお荷物扱いされている一堂零は、いざとなると特殊乾電池(太陽電池)を使用し「ワラトルマン」に変身、怪獣と対決する。
このシリーズ限定で登場するキャラクターおよび怪獣に関しては、ワラトルマンとやっつけ隊編の登場キャラ・怪獣を参照。
上記のうち、『3年』『ハイスクール!』全巻(いずれもJC版)および『フラッシュ!』全巻がマンガ図書館Zより電子書籍として配信されていたが、2017年3月12日をもって取り下げとなった。
また2014年からは、TORICOが運営する「漫画全巻ドットコム」よりアプリ版が「奇面組シリーズ」として配信されている(JC版全巻および『フラッシュ!』全巻のほか、ムック本『帰ってきた』を加えた全30巻)。
現在、他社で刊行された「フラッシュ!」を含めた全シリーズとも『ジャンプコミックス・デジタル』として電子書籍化されており、電子書籍サイトで入手可能。
当作品の原作者・新沢は新潟県の柏崎市の出身である。新潟県での本作に対する取り組みは以下のとおりである。
2012年11月3日(文化の日)、地元新聞『新潟日報』第752号別刷として、「創刊70周年特集 漫画家が描くふるさと新潟 新潟マンガ王国」が折り込まれた。
広告タイアップ紙面では、トーヨータイヤの広告が本作とのコラボレーションとして掲載され、奇面組の5人と唯・千絵が登場した(零と唯が前面に、豪たちと千絵がバックに描かれている)。
新潟市は2012年3月に「マンガ・アニメを活用したまちづくり構想」を策定し、振興事業として「マンガ・アニメのまち にいがた」を推進している。当作品としての取り組みは以下のとおりである。
2013年2月23日、同市中央区に「新潟市マンガの家」が開館した。
館内には「ギャグマンガゾーン」が設けられ、新沢の作品に関する展示が以下の形で行なわれている。
この「マンガ・アニメのまち にいがた」と連携し、電子ペーパー搭載の「次世代型中づり広告」の実証実験が同年6月5日から7月4日まで、JR東日本企画と大日本印刷の合同企画として行なわれた。
この広告は、JR東日本新潟支社エリア管内の路線(信越線、白新線、越後線、羽越線)を走行するE127系の車内にて掲示され(一編成のみ)、その中で、新潟ゆかりの漫画家の作品として新沢の『ハイスクール!奇面組』全13話(JC第1巻)が使用された。
1985年10月12日から1987年9月26日まで、フジテレビ系列局(フジサンケイグループ)を含むFNS各局にてテレビアニメが放送された。放送時間は毎週土曜 19:30 - 20:00 (日本標準時)。
アニメ放送開始前にコミックスにてアニメ化の告知が掲載され、新沢は「反対派の意見もあるだろうが、自分なりによく考えた結果だ」とコメントしている。また、原作終了後に近況報告をコミックスに掲載した際、「アニメ化は3度目のオファーでOKしたが、それ以前は諸事情により断った」とも語っている。一方で放送開始前に新沢は「3年奇面組を描いていたころからアニメになって、キャラクターたちがうごいてくのを見たいとずっと思っていました」とのコメントを寄せている。
新沢はアニメ化にあたり、スタッフに対する指示を兼ねて自らあらためて設定資料を描き下ろしている。設定資料はスタッフ側から依頼された際、アニメに必要な設定がどの程度なのかわからず、主要キャラクターごとの全身、後ろ姿、顔の正面・斜め・横(表情に至っては喜怒哀楽など7 - 8パターン)の各アングルや、役どころや性格などの詳細を記したプロフィール、キャラクター同士の立ち位置に関する注意などを描いて渡したところ、スタッフに「こんなに細かい指定をされたのは初めてです」と驚かれたという。
開始当初にアニメ制作を担当していた土田プロダクションが経営危機に陥ったため、同社に所属していたスタッフにより立ち上げられたスタジオコメットが実制作を引き継いだ。この際にスタジオぎゃろっぷがその応援として、第8話から第26話までの一部の話を制作した。また、スタジオライブも第13話以降の一部の回に制作参加しており、同社社長の芦田豊雄も参加したことがある。
制作当初は高校設定として『ハイスクール!奇面組』のエピソードから始まる予定だったが、新沢の要望により、そのままではキャラクターの関係がわからなくなるため、最初の5回は『3年奇面組』を原作とした中学時代のエピソードとなった。その際、新沢が『3年奇面組』とうまくつながるように簡単な脚本的なものを書き下ろしており、のちに新沢は「こういう出だしなら終わりもまたループしてここにつながるのかな」と、原作における最終回の構想のヒントになったことを明かしている。『バレーボールワールドカップ』の中継で約1か月の中断を経て本編に突入した。なお、その後もプロ野球中継(主に明治神宮野球場のヤクルト戦)や『ひょうきんスペシャル』で休止することがあった。
最終回は、事故で頭を強打した一堂零の人格が一変して「奇面組を解散して生真面目組を結成する」と言い出して周囲を困惑させるアニメオリジナルで、ラストでは生徒会長に立候補した零が講堂の壇上で生真面目組の結成を全校生徒に発表しようとするが、再度頭を強打して人格が元に戻り「奇面組は永遠に不滅です!」と宣言して締められた。
放送時間の制約および後続の番組編成上の関係もあり、他作品のように独立した次回予告コーナーではなく、EDラストにて予告テロップを表示するという形式だった。なお、初代ED「女学生の決意」の場合は、後半に「今日のハイライト...」が2コーラスをバックに映し出され、その最後に予告表示という流れだった。
最高視聴率24.3%。平均視聴率は全86回で19.2%。
サウンドトラック盤『ハイスクール!奇面組』(キャニオン C25G-0411)はオリコンLPチャートで最高4位を記録した。
放送開始2日前の1985年10月10日に、東京都内にてアニメの第1話試写会が行なわれた。
また、キャスティングの協力を青二プロダクションが務めている。
テーマソングのためのタイアップとして、当時の人気アイドルグループ「おニャン子クラブ」に所属していた高井麻巳子と岩井由紀子(ゆうゆ)の2人で結成された“うしろゆびさされ組”を抜擢。秋元康&後藤次利のゴールデンコンビ提供の曲(一部を除く)ということもあり、次々とヒットを飛ばした。
1987年3月限りで高井麻巳子がおニャン子クラブを卒業するのに伴い“うしろゆびさされ組”は解散となるが、その直前に放送されたアニメ第63話Bパート「うしろゆびさされ組の卒業式ジャック」に本人キャラクターが登場し、ライブを行なう。また原作では、パロディキャラクターの「うしろまわし蹴り炸裂組」が登場している。
うしろゆび解散後は、同じくおニャン子クラブ所属の工藤静香・生稲晃子・斉藤満喜子による“うしろ髪ひかれ隊”が最終回までの曲を歌った。
「主題歌」クレジットでは、いずれも「おニャン子クラブ」の名が冠されている。
第50話前半パート「犬に小判」では、当時フジテレビアナウンサーだった露木茂がニュースを読むアナウンサー役で出演している。ただし声のみであり、顔は本人ではない。
第63話後半パート「うしろゆびさされ組の卒業式ジャック」では、うしろゆびさされ組自身が本人役でゲスト出演し、デビュー曲「うしろゆびさされ組」を豪たちによるバック演奏つき(パートについては初代OPに準ずる)という形で披露した。これは、開始当初から主題歌を担当していた同ユニットが解散するのに伴う設定であり、「うしろゆびさされ組が一応高の卒業式にサプライズ出演する」という内容だった。なお、声による出演はトーク部分のみであり、歌唱シーンはサントラ音源を使用している。また放送の際、原作者の新沢が2人のキャラクターデザインなど参考カットを新規に起こしてスタッフに渡している。このほかうしろゆびの2人は、JC第15巻にも表紙で登場している。
本放送は、以下のFNS各局ほかにて放送された(同時ネット局は原作が終了した1987年7月当時の23局、遅れネットは個別に出典が提示されているものを除き1986年10月中旬 - 11月上旬時点)。また、系列は当時のものとする。
本放送終了後も各地方局の地上波で繰り返し再放送されるほか、近年はケーブルテレビや衛星放送での再放送に加え、ネット配信放送も行なわれている(下記参照)。
ちなみに関東では、フジテレビ(1987年-1988年)⇒テレビ東京(1990年、『アニメランド』にて)⇒フジテレビ(1992年-1993年)と3回再放送されたほか、独立UHF局でもテレビ埼玉や千葉テレビ放送・群馬テレビにて放送された。
1986年7月12日に、『東映まんがまつり』の一作として3部構成で公開された。タイトルは通常と同じく『ハイスクール!奇面組』。のちに東映ビデオより商品化された。
テレビでは、1988年1月1日 7:30 - 8:24 (日本標準時)にフジテレビ元日特番『新春アニメ劇場』で放送。放送時間の都合上、一部シーンがカットされた(劇中歌「恋はコットン」が途中カットされるなど)。
OPやEDの映像は、TVサイズの比率4:3で制作されたものを横合わせで映画用の16:9に調整しているため、通常のTV版の映像よりも縦方向が25%ほどカットされている。また、サブタイトル画面の背景がそれぞれ通常の赤ベースとは異なったものになっている。
また当時の東映ビデオ商品では、本編の最後に「作品紹介」のコーナーがあった。ちなみに本作の場合は『東映まんがまつり』の宣伝となっていた(奇面組のほか、後述の同時上映作品の宣伝)。
アジアやヨーロッパをはじめとする諸外国でも放映された。フランスでは、『Le Collège fou, fou, fou』という現地名に改名されて放映された。しかし、一部キャラクターの声や第12回の翻訳ではミスがあった。また、第84話(劇場版からの再録)と第85話(総集編)は翻訳されず、未放送となった。
テレビアニメのBGMと主題歌を収録したサントラ盤がポニーキャニオン(旧・キャニオンレコード)よりリリースされた。なお、音楽組・音楽組2のBGMは、現在でもテレビ番組のBGMとして使用される場合がある。
『舞台 ハイスクール!奇面組』のタイトルで舞台化され、2017年6月1日から6月4日まで全労済ホール/スペース・ゼロにて上演された。原作者・新沢の監修によるオリジナルストーリーで、脚本を田中大祐が手がけ、演出をなるせゆうせいが担当した。キャストはオーディションで決定した。制作・主催はADKアーツ。
第2作『舞台 ハイスクール!奇面組2 〜嵐を呼ぶ変態ライバル対決〜』が、2018年8月2日から8月10日まで草月ホールにて上演。引き続き、脚本を田中大祐、演出をなるせゆうせいが担当。
第3作『舞台 ハイスクール!奇面組3 〜危機一髪!修学旅行編〜』が、2020年11月18日から11月23日まで草月ホールにて上演。引き続き、脚本を田中大祐、演出をなるせゆうせいが担当。キャストは大幅に変更された。
★は舞台版オリジナルキャラクター。○数字はシリーズ作数。
2003年にマルホン工業からタイアップ機6種類がリリースされた。
スタリコから奇面組のLINEスタンプが40種類リリースされている。
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"text": "『ハイスクール!奇面組』(ハイスクール きめんぐみ)は、新沢基栄作の日本の漫画、またそれを原作とするテレビアニメ、劇場版アニメなどの作品群。",
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"text": "新沢の漫画家デビュー作である『3年奇面組』(さんねん きめんぐみ)において中学生だった主人公の高校進学に伴い、『ハイスクール!奇面組』にタイトル変更したものが本作である(アニメ版では中学生編を含め『ハイスクール!奇面組』として制作された)。",
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"text": "集英社の『週刊少年ジャンプ』にて『3年奇面組』は1980年10月13日41号から1982年4月12日17号まで、『ハイスクール!奇面組』は『3年』が終了した翌週の1982年4月19日18号から1987年7月6日30号まで連載された。累計発行部数は1000万部を記録している。",
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"text": "ここでは『3年』から『ハイスクール!』を通して解説するほか、スクウェア・エニックス『月刊少年ガンガン』にて連載された『フラッシュ!奇面組』についても取り扱うこととする。",
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"text": "架空の学園である「一応高校」を舞台にして、一堂零・冷越豪・出瀬潔・大間仁・物星大から成る5人組「奇面組」と、河川唯・宇留千絵などの個性的なキャラクターたちが活躍するドタバタギャグ・コメディ作品。",
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"text": "奇面組はその名の通り、変な顔の5人組であるが、「他人に笑われようとも自分の個性を堂々とさらけ出し、世の中を味付けする調味料になろう」をモットーに、日夜“変態”(後述「「変態」について」を参照)な珍事を繰り広げる。奇面組のほかにも、「色男組」「腕組」「番組」「御女組」といった五人組も登場する(奇面組同様、中学時は「3年○○組」として登場している)。",
"title": "概要"
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"text": "本作における「変態」とは主に奇人・変人または異常な行動状況を指すものであり、転じて「人知を超越した存在」という位置づけになっている(手足が伸びる、壁を歩いて登る、突然動物に変身するなどの超人的な行動もこれに含まれる)。ただし、まれにギャグとして(一般的に広く認知されている)「変態性欲」の意味で使われるケースもある。",
"title": "概要"
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"text": "【3年奇面組】",
"title": "あらすじ"
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"text": "一応中学二年生の女子生徒河川唯と宇留千絵は普通で退屈な学園生活を送っていた。そんなとき、一学年上にいる悪名高き名物集団奇面組と遭遇する。一堂零、冷越豪、出瀬潔、大間仁、物星大の5人の奇面組メンバーは個性豊かという表現を通り越したハチャメチャな連中だった。彼らをすっかり気に入ってしまった唯となし崩しに付き合わされた千絵は奇面組と行動を共にするようになる。一方、奇面組の担任である伊狩増代や体育教師の石砂拓真は零たちにすっかりかき回されていた。",
"title": "あらすじ"
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"text": "だが、零の同級生たちには他にも個性的な名物集団がいた。スポーツ万能な雲童塊率いる腕組、不良グループのリーダー似蛭田妖率いる番組、女子に人気の切出翔率いる色男組、ガリ勉骨岸無造率いる骨組。彼らは問題集団として教師たちを悩ませていた。更に「番組」と対立するスケ番天野邪子率いる御女組も登場する。",
"title": "あらすじ"
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"text": "やがて春になり、進学した「骨組」を除く他の名物集団は揃って留年。唯、千絵と名物集団たちは同級生となり、更に別の名物集団も登場し校内行事毎に馬鹿騒ぎを繰り返した。そして一目惚れした唯を追って転校してきた自称万能少年で苦学生真実一郎は唯を巡り零を一方的にライバル視する。",
"title": "あらすじ"
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"text": "受験シーズンを迎えて進路の異なる零たちと唯たちは「一先高校」と「応生高校」とに別れて進学することになり、応生高校への転任が決まっていた伊狩は零たちの卒業にホッと胸を撫で下ろしていたが、一先高校の廃校に伴い姉妹校の応生高校との合併が決まり、一応高校が誕生する。思わぬ展開に唯たちは大喜びするが、伊狩は倒れるほどのショックを受けた。",
"title": "あらすじ"
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"text": "【ハイスクール!奇面組】",
"title": "あらすじ"
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"text": "やっと進学した零たちは引き続き他の名物集団や唯、千絵、真実らと共に「一応高校」に通うことになる。零たち10組には新たな顔ぶれとして二階胴面一、物月珠美、織田魔利がクラスメイトに加わり、担任には伊狩の後輩である若人蘭が務めることになる。また、「教育実習生」として10組に来た熱血教師事代作吾は若人に一目惚れ。後日、一応高校に赴任して10組の副担任となる。一方、伊狩と石砂は結婚して正式に夫婦となる。",
"title": "あらすじ"
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"text": "唯と千絵は塊の双子の姉雲童命が主将を務めるバレーボール部に入部し、「奇面組」は各部活を入部して回る。また当初からお互い気があるが上手く振る舞えない零と唯、腐れ縁のせいで互いに意識しあうようになった豪と千絵の恋愛模様も描かれるようになる。更にキャラクター性を確立した各登場人物の家族たちも登場。また、零の幼馴染みで宿命のライバル春曲鈍と「一堂家」とは犬猿の仲である「音成家」の一人娘で掟破りの成人女子高生音成久子も加わる。",
"title": "あらすじ"
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"text": "連載の長期化に伴い、新沢が「タイムマシンでループする」を繰り返していたが、腰痛の悪化などにより連載終了が決定した。",
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"text": "それぞれの進路が決まる中、零が交通事故に遭い入院してしまう。零の父・啄石と医師の会話を偶然聞いてしまった唯は零が深刻な病気を抱え、それを察した零が書いた「遺書」と受け取れるノートを読んでしまい、寝ている零にキスをする。だがそれが全くの誤解とわかり、豪と千絵が夫婦になるなど更に数年後の未来を描いた。最後は、ふと気づいた唯が中学の教室で千絵と話している場面に切り替わり、「奇面組」と初めて遭遇した廊下に向かう場面で終了した。",
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"text": "【帰ってきたハイスクール!奇面組】",
"title": "あらすじ"
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"text": "『ハイスクール!奇面組』を補完するエピソードで、本編との重複をしないことを意識して描かれた新作エピソード。平成という時代を意識し、細部を微妙に変化させている。既出のキャラクターのエピソードに限定され、新キャラクターはいないが前作では遺影のみだった生前の零の母親が登場している。",
"title": "あらすじ"
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"text": "【フラッシュ!奇面組】",
"title": "あらすじ"
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"text": "『3年奇面組』、『ハイスクール!奇面組』の基本的設定を踏襲した新作。時代背景を「昭和」から「平成」に変えたことで細部をリニューアルした上で連載を開始し、新キャラクターも登場していたが、新沢の体調悪化で完結することなく休載となる。",
"title": "あらすじ"
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"text": "登場人物の名前は、ほとんどが一堂零(=「一同、礼!」)などといったダジャレが利いた語呂合わせになっている。",
"title": "登場人物"
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"text": "新沢が漫画家デビューを目指してフレッシュジャンプ賞に応募した漫画作品『3年奇面組参上』(ジャンプ・コミックス 3年奇面組 第1巻に収録)に登場するキャラクターおよび世界観をベースに、奇面組の中学3年から卒業までを描いた作品。第1話は、ヒロインで当時「一応中学校」2年の河川唯と宇留千絵が校内で上級生の奇面組と出会うところから始まる(アニメ版では、唯が転入した時点ですでに奇面組と千絵が同級生となっている)。",
"title": "連載の経緯"
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"text": "新沢は従来ギャグ漫画で定番である「マンガの登場人物は年をとらない」という手法を「しらじらしくなってしまいそう」という理由から避け、『3年奇面組』のキャラクターに毎年きちんと年をとらせることとした。また中盤では、奇面組の後輩である唯や千絵と同じ教室でストーリーを展開させるために、奇面組を落第・留年させることで同学年になるように調整された。その際、骨組を除く各集団も留年させている。",
"title": "連載の経緯"
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"text": "奇面組が作中2回目の受験をした際には、何とかつじつまを合わせて奇面組と唯・千絵を同じ一応高校に通わせることに成功、晴れて『ハイスクール!奇面組』として続けてゆくことになった。その際、主要な教師陣も一応高校の教師として異動している。",
"title": "連載の経緯"
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"text": "新沢はのちに「(読者からは)『3年奇面組』は“ギャグ”で『ハイスクール!奇面組』は“コメディ”という意見もあって、確かにそういう見方もできる。『3年奇面組』の頃はまだ漫画のノウハウも全然知らず、ノリとテンションのみでだけで頭に思い浮かんだキャラクター、ネタ、イメージを動かしていたんですよ」と語っている。",
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"text": "奇面組の高校時代を描いた作品。便宜上『3年奇面組』の続編に位置する。登場キャラクターの入れ替えや制服の変更などが行なわれたほか、これまで集団で動いていたキャラクターを独立させて描いたり、「帰宅部」の奇面組が各クラブに挑戦するエピソードが多く描かれるようになった。新沢も「『ハイスクール!奇面組』になってからは読者にわかりやすくすることを心がけ、(つまらない話を平気で描いてしまわないように)一話ごとに自分で描いていて何かひとつだけでも満足できるようにチャレンジするようになったんです」と語っている。",
"title": "連載の経緯"
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"text": "当初『ハイスクール!奇面組』は、時間の経過どおりに描いて1985年(昭和60年)3月の高校卒業で完結させる予定であった。しかし、「This is 卓球boy!の巻」の冒頭で唐突にタイムワープによって1年前(1984年)の春にストーリー時間が巻き戻される。これは、新沢が終了したい意向を担当に伝えたものの話を上層部に通してもらえず、「人気と余力があるうちは続けてほしい」と言われて連載継続を余儀なくされたためである。",
"title": "連載の経緯"
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"text": "もともと、奇面組たちの高校卒業後を描くつもりがなかった新沢は、苦肉の策として「作者がタイムマシン『集英号』に乗って1年前に戻り、再び3年生の頃の話を描く」という手法で切り抜けることとなった。あくまで同じ年の違った出来事を拾い出すという体裁のため、重複した事件や行事の話などはないが、後付けの形で多くの新しいキャラクターが登場した。",
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"text": "最初の連載継続を決定してからほどなくして、新沢のもとへ3度目のアニメ化のオファーが舞い込んだ(それまでは断っていた。後述の「アニメ版」の項を参照)。これを承諾したことで必然的に翌年も続けざるを得なくなり、タイムワープを繰り返す中で連載は終わりどころを失ってしまう。新沢は当時の迷走期について、のちに「何度も(ストーリーの)同じ年度を繰り返すことになって、正直つらかった」と語る。",
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"text": "持病の腰痛が悪化する一方でだんだん締め切りに遅れるようになり、さらに1987年(昭和62年)5月中旬にはアシスタントを担当していた佐藤正が『燃える!お兄さん』でメジャーデビューして独立した。このためアシスタント不足にも悩まされ、橘ハナ子が初登場した回(週刊少年ジャンプ1987年4月13日18号)からの巻末コメントはほとんどが編集担当の長谷川によるアシスタント募集のアナウンスだったほどである。",
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"text": "やがて新沢の腰痛が極限に達し、ついに『週刊少年ジャンプ』1987年5月25日24号、6月1日25号と2週にわたり原稿を落とせざるを得なくなった。それをきっかけに集英社の上層部との話し合いの場が設けられ、休養をはさんだあとに単行本穴埋め用の2話と奇面組の卒業後の話を描いたラスト3話の計5回を描いて連載終了という話に落ち着いた。ラスト3話はタイムワープ設定を持ち出す前からすでに新沢が大まかに用意していたものだったが、引越しのごたごたでネーム(コンテ)を丸々紛失してしまい、実際には思い出しながら描いていたという。",
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"text": "1987年7月6日発売の『週刊少年ジャンプ』30号掲載分「さらば奇面組の巻」をもって、『3年奇面組』以来7年近く続いた『ハイスクール!奇面組』の連載は終了した。",
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"paragraph_id": 34,
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"text": "この最終回のラストシーンは、社会人になった唯が出勤途中で偶然(?)通りかかった零の自転車に乗せてもらっているところで、いつの間にか一応中時代に戻っていた、というものであった。そして唯の「『奇面組』は自分の空想だったのかもしれないが、彼らはきっといると信じたい」という旨のモノローグが添えられつつ、千絵と校舎の廊下を歩いているカットでストーリーが終わっている。これに対し、新沢はのちに雑誌インタビューにて「正直、(あの最終回を)夢オチと言われるのは心外」と語っている。",
"title": "連載の経緯"
},
{
"paragraph_id": 35,
"tag": "p",
"text": "また、新沢は『帰ってきたハイスクール!奇面組』において、「最後は(空想なのか、正夢なのか)どっちとも取れるように描いたつもりだったんですが、悪いふうにしか取られなかった。愛蔵版の単行本では、描かないとわかりにくいかなと思って走ってくる零くんの影を描き足した」とも語っており、平成になってから発売された愛蔵版および文庫版の最終回では、ラストのコマに『3年奇面組』第1話の冒頭と同様にトンカツをくわえて廊下を駆けてくる一堂零のシルエットが加筆されている。",
"title": "連載の経緯"
},
{
"paragraph_id": 36,
"tag": "p",
"text": "なお、アニメ版については連載終了後の1987年9月26日まで放映された。",
"title": "連載の経緯"
},
{
"paragraph_id": 37,
"tag": "p",
"text": "80年代ブームが始まると、「80年代を象徴するギャグマンガ」として以下の作品を12年ぶりの新作として発表する。",
"title": "リバイバル版"
},
{
"paragraph_id": 38,
"tag": "p",
"text": "これらは『ハイスクール!奇面組』の外伝に位置づけられ、同じ時間軸(非パラレルワールド)ではあるが従来のエピソードと重複した話はない。",
"title": "リバイバル版"
},
{
"paragraph_id": 39,
"tag": "p",
"text": "またPOPEYE本誌やムック本においては、欄外に「新沢先生の作品が読めるのはマガジンハウスだけ!?」とメッセージが書かれた。 ちなみに『帰って来た〜』は2004年、後述のトラブルを経て、集英社から改めて刊行されており、現在でも電子書籍で購入可能となっている。",
"title": "リバイバル版"
},
{
"paragraph_id": 40,
"tag": "p",
"text": "一方で、上記の『帰ってきたハイスクール!奇面組』の際に使用された原稿が丸々紛失されるというトラブルが発生し、それに対する編集者の態度に激怒した新沢は、2003年に原稿料と慰謝料合わせて610万円の損害賠償を求めて係争を起こした。なお、その紛失したといわれる原稿については掲載された各誌発行の際の印刷時に保存されていたデータから復元し、後日集英社から単行本として一括掲載されている(後述)。",
"title": "リバイバル版"
},
{
"paragraph_id": 41,
"tag": "p",
"text": "2001年にエニックス(後のスクウェア・エニックス)『月刊少年ガンガン』にて『フラッシュ!奇面組』が連載開始(この際、タイトルロゴは変更されている)。留年直後の中学3年生から再度描き直されているが、服装や一部のキャラクターの髪型などが現代風にアレンジされるほか、ストーリーなどにおける設定変更が行われている。また、高校進学後の流れは現実より遅くなっている。",
"title": "フラッシュ!奇面組"
},
{
"paragraph_id": 42,
"tag": "p",
"text": "しかし新沢の健康状態から休載が多く、2005年6月号を最後に連載は途絶えた。単行本もガンガンコミックスとして3巻まで刊行されたが、2005年6月号掲載の「秋はやっぱり○○の秋!?の巻」は単行本未収録となっている。",
"title": "フラッシュ!奇面組"
},
{
"paragraph_id": 43,
"tag": "p",
"text": "本編と直接関わりのない番外編もいくつか存在する。特にワラトルマンの「ウルトラ編」はアニメ化されなかったが、シリーズ化され不定期に何度か登場した。『ヤングジャンプ増刊 シゴト魂』(2005年11月5日増刊号)にもワラトルマンの読切「ワラトルマン〜やっつけ隊のお仕事〜」が掲載された。",
"title": "番外編"
},
{
"paragraph_id": 44,
"tag": "p",
"text": "下記に掲げるほか、いくつか単行本収録のショートストーリー作品がある。",
"title": "番外編"
},
{
"paragraph_id": 45,
"tag": "p",
"text": "連載200回記念として始まった、『ウルトラマン』のパロディーシリーズ。",
"title": "番外編"
},
{
"paragraph_id": 46,
"tag": "p",
"text": "怪獣退治を任務とする「宇宙科学防衛警備 一応秘密武装怪奇とにかく怪獣やっつけ隊」、通称「やっつけ隊」。",
"title": "番外編"
},
{
"paragraph_id": 47,
"tag": "p",
"text": "隊長は事代作吾。参謀兼科学者の陸奥五郎は多くの武器や戦闘用マシンを開発するが、怪獣相手には所詮通用しないものばかり(途中から少しはましになる)の役立たず集団で、一般市民からも物笑いの種にされることも珍しくない。隊員は奇面組と河川唯、宇留千絵。",
"title": "番外編"
},
{
"paragraph_id": 48,
"tag": "p",
"text": "その中でもダメ隊員としてお荷物扱いされている一堂零は、いざとなると特殊乾電池(太陽電池)を使用し「ワラトルマン」に変身、怪獣と対決する。",
"title": "番外編"
},
{
"paragraph_id": 49,
"tag": "p",
"text": "このシリーズ限定で登場するキャラクターおよび怪獣に関しては、ワラトルマンとやっつけ隊編の登場キャラ・怪獣を参照。",
"title": "番外編"
},
{
"paragraph_id": 50,
"tag": "p",
"text": "上記のうち、『3年』『ハイスクール!』全巻(いずれもJC版)および『フラッシュ!』全巻がマンガ図書館Zより電子書籍として配信されていたが、2017年3月12日をもって取り下げとなった。",
"title": "電子書籍"
},
{
"paragraph_id": 51,
"tag": "p",
"text": "また2014年からは、TORICOが運営する「漫画全巻ドットコム」よりアプリ版が「奇面組シリーズ」として配信されている(JC版全巻および『フラッシュ!』全巻のほか、ムック本『帰ってきた』を加えた全30巻)。",
"title": "電子書籍"
},
{
"paragraph_id": 52,
"tag": "p",
"text": "現在、他社で刊行された「フラッシュ!」を含めた全シリーズとも『ジャンプコミックス・デジタル』として電子書籍化されており、電子書籍サイトで入手可能。",
"title": "電子書籍"
},
{
"paragraph_id": 53,
"tag": "p",
"text": "当作品の原作者・新沢は新潟県の柏崎市の出身である。新潟県での本作に対する取り組みは以下のとおりである。",
"title": "出身地・新潟県での展開"
},
{
"paragraph_id": 54,
"tag": "p",
"text": "2012年11月3日(文化の日)、地元新聞『新潟日報』第752号別刷として、「創刊70周年特集 漫画家が描くふるさと新潟 新潟マンガ王国」が折り込まれた。",
"title": "出身地・新潟県での展開"
},
{
"paragraph_id": 55,
"tag": "p",
"text": "広告タイアップ紙面では、トーヨータイヤの広告が本作とのコラボレーションとして掲載され、奇面組の5人と唯・千絵が登場した(零と唯が前面に、豪たちと千絵がバックに描かれている)。",
"title": "出身地・新潟県での展開"
},
{
"paragraph_id": 56,
"tag": "p",
"text": "新潟市は2012年3月に「マンガ・アニメを活用したまちづくり構想」を策定し、振興事業として「マンガ・アニメのまち にいがた」を推進している。当作品としての取り組みは以下のとおりである。",
"title": "出身地・新潟県での展開"
},
{
"paragraph_id": 57,
"tag": "p",
"text": "2013年2月23日、同市中央区に「新潟市マンガの家」が開館した。",
"title": "出身地・新潟県での展開"
},
{
"paragraph_id": 58,
"tag": "p",
"text": "館内には「ギャグマンガゾーン」が設けられ、新沢の作品に関する展示が以下の形で行なわれている。",
"title": "出身地・新潟県での展開"
},
{
"paragraph_id": 59,
"tag": "p",
"text": "この「マンガ・アニメのまち にいがた」と連携し、電子ペーパー搭載の「次世代型中づり広告」の実証実験が同年6月5日から7月4日まで、JR東日本企画と大日本印刷の合同企画として行なわれた。",
"title": "出身地・新潟県での展開"
},
{
"paragraph_id": 60,
"tag": "p",
"text": "この広告は、JR東日本新潟支社エリア管内の路線(信越線、白新線、越後線、羽越線)を走行するE127系の車内にて掲示され(一編成のみ)、その中で、新潟ゆかりの漫画家の作品として新沢の『ハイスクール!奇面組』全13話(JC第1巻)が使用された。",
"title": "出身地・新潟県での展開"
},
{
"paragraph_id": 61,
"tag": "p",
"text": "1985年10月12日から1987年9月26日まで、フジテレビ系列局(フジサンケイグループ)を含むFNS各局にてテレビアニメが放送された。放送時間は毎週土曜 19:30 - 20:00 (日本標準時)。",
"title": "アニメ版"
},
{
"paragraph_id": 62,
"tag": "p",
"text": "アニメ放送開始前にコミックスにてアニメ化の告知が掲載され、新沢は「反対派の意見もあるだろうが、自分なりによく考えた結果だ」とコメントしている。また、原作終了後に近況報告をコミックスに掲載した際、「アニメ化は3度目のオファーでOKしたが、それ以前は諸事情により断った」とも語っている。一方で放送開始前に新沢は「3年奇面組を描いていたころからアニメになって、キャラクターたちがうごいてくのを見たいとずっと思っていました」とのコメントを寄せている。",
"title": "アニメ版"
},
{
"paragraph_id": 63,
"tag": "p",
"text": "新沢はアニメ化にあたり、スタッフに対する指示を兼ねて自らあらためて設定資料を描き下ろしている。設定資料はスタッフ側から依頼された際、アニメに必要な設定がどの程度なのかわからず、主要キャラクターごとの全身、後ろ姿、顔の正面・斜め・横(表情に至っては喜怒哀楽など7 - 8パターン)の各アングルや、役どころや性格などの詳細を記したプロフィール、キャラクター同士の立ち位置に関する注意などを描いて渡したところ、スタッフに「こんなに細かい指定をされたのは初めてです」と驚かれたという。",
"title": "アニメ版"
},
{
"paragraph_id": 64,
"tag": "p",
"text": "開始当初にアニメ制作を担当していた土田プロダクションが経営危機に陥ったため、同社に所属していたスタッフにより立ち上げられたスタジオコメットが実制作を引き継いだ。この際にスタジオぎゃろっぷがその応援として、第8話から第26話までの一部の話を制作した。また、スタジオライブも第13話以降の一部の回に制作参加しており、同社社長の芦田豊雄も参加したことがある。",
"title": "アニメ版"
},
{
"paragraph_id": 65,
"tag": "p",
"text": "制作当初は高校設定として『ハイスクール!奇面組』のエピソードから始まる予定だったが、新沢の要望により、そのままではキャラクターの関係がわからなくなるため、最初の5回は『3年奇面組』を原作とした中学時代のエピソードとなった。その際、新沢が『3年奇面組』とうまくつながるように簡単な脚本的なものを書き下ろしており、のちに新沢は「こういう出だしなら終わりもまたループしてここにつながるのかな」と、原作における最終回の構想のヒントになったことを明かしている。『バレーボールワールドカップ』の中継で約1か月の中断を経て本編に突入した。なお、その後もプロ野球中継(主に明治神宮野球場のヤクルト戦)や『ひょうきんスペシャル』で休止することがあった。",
"title": "アニメ版"
},
{
"paragraph_id": 66,
"tag": "p",
"text": "最終回は、事故で頭を強打した一堂零の人格が一変して「奇面組を解散して生真面目組を結成する」と言い出して周囲を困惑させるアニメオリジナルで、ラストでは生徒会長に立候補した零が講堂の壇上で生真面目組の結成を全校生徒に発表しようとするが、再度頭を強打して人格が元に戻り「奇面組は永遠に不滅です!」と宣言して締められた。",
"title": "アニメ版"
},
{
"paragraph_id": 67,
"tag": "p",
"text": "放送時間の制約および後続の番組編成上の関係もあり、他作品のように独立した次回予告コーナーではなく、EDラストにて予告テロップを表示するという形式だった。なお、初代ED「女学生の決意」の場合は、後半に「今日のハイライト...」が2コーラスをバックに映し出され、その最後に予告表示という流れだった。",
"title": "アニメ版"
},
{
"paragraph_id": 68,
"tag": "p",
"text": "最高視聴率24.3%。平均視聴率は全86回で19.2%。",
"title": "アニメ版"
},
{
"paragraph_id": 69,
"tag": "p",
"text": "サウンドトラック盤『ハイスクール!奇面組』(キャニオン C25G-0411)はオリコンLPチャートで最高4位を記録した。",
"title": "アニメ版"
},
{
"paragraph_id": 70,
"tag": "p",
"text": "放送開始2日前の1985年10月10日に、東京都内にてアニメの第1話試写会が行なわれた。",
"title": "アニメ版"
},
{
"paragraph_id": 71,
"tag": "p",
"text": "また、キャスティングの協力を青二プロダクションが務めている。",
"title": "アニメ版"
},
{
"paragraph_id": 72,
"tag": "p",
"text": "テーマソングのためのタイアップとして、当時の人気アイドルグループ「おニャン子クラブ」に所属していた高井麻巳子と岩井由紀子(ゆうゆ)の2人で結成された“うしろゆびさされ組”を抜擢。秋元康&後藤次利のゴールデンコンビ提供の曲(一部を除く)ということもあり、次々とヒットを飛ばした。",
"title": "アニメ版"
},
{
"paragraph_id": 73,
"tag": "p",
"text": "1987年3月限りで高井麻巳子がおニャン子クラブを卒業するのに伴い“うしろゆびさされ組”は解散となるが、その直前に放送されたアニメ第63話Bパート「うしろゆびさされ組の卒業式ジャック」に本人キャラクターが登場し、ライブを行なう。また原作では、パロディキャラクターの「うしろまわし蹴り炸裂組」が登場している。",
"title": "アニメ版"
},
{
"paragraph_id": 74,
"tag": "p",
"text": "うしろゆび解散後は、同じくおニャン子クラブ所属の工藤静香・生稲晃子・斉藤満喜子による“うしろ髪ひかれ隊”が最終回までの曲を歌った。",
"title": "アニメ版"
},
{
"paragraph_id": 75,
"tag": "p",
"text": "「主題歌」クレジットでは、いずれも「おニャン子クラブ」の名が冠されている。",
"title": "アニメ版"
},
{
"paragraph_id": 76,
"tag": "p",
"text": "第50話前半パート「犬に小判」では、当時フジテレビアナウンサーだった露木茂がニュースを読むアナウンサー役で出演している。ただし声のみであり、顔は本人ではない。",
"title": "アニメ版"
},
{
"paragraph_id": 77,
"tag": "p",
"text": "第63話後半パート「うしろゆびさされ組の卒業式ジャック」では、うしろゆびさされ組自身が本人役でゲスト出演し、デビュー曲「うしろゆびさされ組」を豪たちによるバック演奏つき(パートについては初代OPに準ずる)という形で披露した。これは、開始当初から主題歌を担当していた同ユニットが解散するのに伴う設定であり、「うしろゆびさされ組が一応高の卒業式にサプライズ出演する」という内容だった。なお、声による出演はトーク部分のみであり、歌唱シーンはサントラ音源を使用している。また放送の際、原作者の新沢が2人のキャラクターデザインなど参考カットを新規に起こしてスタッフに渡している。このほかうしろゆびの2人は、JC第15巻にも表紙で登場している。",
"title": "アニメ版"
},
{
"paragraph_id": 78,
"tag": "p",
"text": "本放送は、以下のFNS各局ほかにて放送された(同時ネット局は原作が終了した1987年7月当時の23局、遅れネットは個別に出典が提示されているものを除き1986年10月中旬 - 11月上旬時点)。また、系列は当時のものとする。",
"title": "アニメ版"
},
{
"paragraph_id": 79,
"tag": "p",
"text": "本放送終了後も各地方局の地上波で繰り返し再放送されるほか、近年はケーブルテレビや衛星放送での再放送に加え、ネット配信放送も行なわれている(下記参照)。",
"title": "アニメ版"
},
{
"paragraph_id": 80,
"tag": "p",
"text": "ちなみに関東では、フジテレビ(1987年-1988年)⇒テレビ東京(1990年、『アニメランド』にて)⇒フジテレビ(1992年-1993年)と3回再放送されたほか、独立UHF局でもテレビ埼玉や千葉テレビ放送・群馬テレビにて放送された。",
"title": "アニメ版"
},
{
"paragraph_id": 81,
"tag": "p",
"text": "1986年7月12日に、『東映まんがまつり』の一作として3部構成で公開された。タイトルは通常と同じく『ハイスクール!奇面組』。のちに東映ビデオより商品化された。",
"title": "アニメ版"
},
{
"paragraph_id": 82,
"tag": "p",
"text": "テレビでは、1988年1月1日 7:30 - 8:24 (日本標準時)にフジテレビ元日特番『新春アニメ劇場』で放送。放送時間の都合上、一部シーンがカットされた(劇中歌「恋はコットン」が途中カットされるなど)。",
"title": "アニメ版"
},
{
"paragraph_id": 83,
"tag": "p",
"text": "OPやEDの映像は、TVサイズの比率4:3で制作されたものを横合わせで映画用の16:9に調整しているため、通常のTV版の映像よりも縦方向が25%ほどカットされている。また、サブタイトル画面の背景がそれぞれ通常の赤ベースとは異なったものになっている。",
"title": "アニメ版"
},
{
"paragraph_id": 84,
"tag": "p",
"text": "また当時の東映ビデオ商品では、本編の最後に「作品紹介」のコーナーがあった。ちなみに本作の場合は『東映まんがまつり』の宣伝となっていた(奇面組のほか、後述の同時上映作品の宣伝)。",
"title": "アニメ版"
},
{
"paragraph_id": 85,
"tag": "p",
"text": "アジアやヨーロッパをはじめとする諸外国でも放映された。フランスでは、『Le Collège fou, fou, fou』という現地名に改名されて放映された。しかし、一部キャラクターの声や第12回の翻訳ではミスがあった。また、第84話(劇場版からの再録)と第85話(総集編)は翻訳されず、未放送となった。",
"title": "アニメ版"
},
{
"paragraph_id": 86,
"tag": "p",
"text": "テレビアニメのBGMと主題歌を収録したサントラ盤がポニーキャニオン(旧・キャニオンレコード)よりリリースされた。なお、音楽組・音楽組2のBGMは、現在でもテレビ番組のBGMとして使用される場合がある。",
"title": "アニメ版"
},
{
"paragraph_id": 87,
"tag": "p",
"text": "『舞台 ハイスクール!奇面組』のタイトルで舞台化され、2017年6月1日から6月4日まで全労済ホール/スペース・ゼロにて上演された。原作者・新沢の監修によるオリジナルストーリーで、脚本を田中大祐が手がけ、演出をなるせゆうせいが担当した。キャストはオーディションで決定した。制作・主催はADKアーツ。",
"title": "舞台劇"
},
{
"paragraph_id": 88,
"tag": "p",
"text": "第2作『舞台 ハイスクール!奇面組2 〜嵐を呼ぶ変態ライバル対決〜』が、2018年8月2日から8月10日まで草月ホールにて上演。引き続き、脚本を田中大祐、演出をなるせゆうせいが担当。",
"title": "舞台劇"
},
{
"paragraph_id": 89,
"tag": "p",
"text": "第3作『舞台 ハイスクール!奇面組3 〜危機一髪!修学旅行編〜』が、2020年11月18日から11月23日まで草月ホールにて上演。引き続き、脚本を田中大祐、演出をなるせゆうせいが担当。キャストは大幅に変更された。",
"title": "舞台劇"
},
{
"paragraph_id": 90,
"tag": "p",
"text": "★は舞台版オリジナルキャラクター。○数字はシリーズ作数。",
"title": "舞台劇"
},
{
"paragraph_id": 91,
"tag": "p",
"text": "2003年にマルホン工業からタイアップ機6種類がリリースされた。",
"title": "パチンコ"
},
{
"paragraph_id": 92,
"tag": "p",
"text": "スタリコから奇面組のLINEスタンプが40種類リリースされている。",
"title": "LINEスタンプ"
}
] |
『ハイスクール!奇面組』は、新沢基栄作の日本の漫画、またそれを原作とするテレビアニメ、劇場版アニメなどの作品群。 新沢の漫画家デビュー作である『3年奇面組』において中学生だった主人公の高校進学に伴い、『ハイスクール!奇面組』にタイトル変更したものが本作である(アニメ版では中学生編を含め『ハイスクール!奇面組』として制作された)。 集英社の『週刊少年ジャンプ』にて『3年奇面組』は1980年10月13日41号から1982年4月12日17号まで、『ハイスクール!奇面組』は『3年』が終了した翌週の1982年4月19日18号から1987年7月6日30号まで連載された。累計発行部数は1000万部を記録している。 ここでは『3年』から『ハイスクール!』を通して解説するほか、スクウェア・エニックス『月刊少年ガンガン』にて連載された『フラッシュ!奇面組』についても取り扱うこととする。
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{{pp-vandalism|small=yes}}
{{内容過剰|date=2014年1月}}
{{Infobox animanga/Header
| タイトル = ハイスクール!奇面組
| ジャンル = [[学園漫画|学園]]、[[喜劇|コメディ]]、[[ギャグ漫画|ギャグ]]
}}
{{Infobox animanga/Manga
| タイトル = 3年奇面組
| 作者 = [[新沢基栄]]
| 出版社 = [[集英社]]
| 掲載誌 = [[週刊少年ジャンプ]]
| レーベル = [[ジャンプ・コミックス]]
| 開始号 = [[1980年]]41号
| 終了号 = [[1982年]]17号
| 開始日 = 1980年9月
| 終了日 = 1982年3月
| 巻数 = 全6巻
| 話数 =
| その他 =
}}
{{Infobox animanga/Manga
| 作者 = 新沢基栄
| 出版社 = 集英社
| 掲載誌 = 週刊少年ジャンプ
| レーベル = ジャンプ・コミックス
| 開始号 = [[1982年]]18号
| 終了号 = [[1987年]]30号
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| 巻数 = 全20巻
| 話数 =
| その他 =
}}
{{Infobox animanga/Manga
| タイトル = 帰ってきたハイスクール!奇面組
| 作者 = 新沢基栄
| 出版社 = [[マガジンハウス]]
| 掲載誌 = [[POPEYE]]増刊 [[2000年]]12月1日号
| レーベル = ジャンプ・コミックス デラックス(集英社)
| 開始号 =
| 終了号 =
| 巻数 = 全1巻
| 話数 =
| その他 =
}}
{{Infobox animanga/Manga
| タイトル = フラッシュ!奇面組
| 作者 = 新沢基栄
| 出版社 = [[スクウェア・エニックス]]
| 掲載誌 = [[月刊少年ガンガン]]
| レーベル = [[ガンガンコミックス]]
| 開始号 = [[2001年]]10月号
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| 巻数 = 全3巻
| 話数 =
| その他 = 現在中断
}}
{{Infobox animanga/TVAnime
| タイトル =
| 原作 =
| 総監督 =
| 監督 = [[福冨博|福富博]]
| シリーズディレクター =
| シリーズ構成 =
| 脚本 =
| キャラクターデザイン = [[金沢比呂司]]
| 音楽 = [[菊池俊輔]]
| アニメーション制作 = [[土田プロダクション]]→[[スタジオコメット]]
| 製作 = [[フジテレビジョン|フジテレビ]]、[[日本アドシステムズ|NAS]]
| 放送局 = [[フジネットワーク|フジテレビ系列]]
| 放送開始 = [[1985年]][[10月12日]]
| 放送終了 = [[1987年]][[9月26日]]
| 話数 = 全86話
| その他 =
| インターネット =
}}
{{Infobox animanga/Movie
| タイトル =
| 監督 = 福富博
| 制作 = 日本アドシステムズ
| 封切日 = [[1986年]][[7月12日]]
| 上映時間 = 51分
| その他 =
}}
{{Infobox animanga/Cast
| 役名 = [[河川唯]]<br />[[宇留千絵]]<br />[[一堂零]]<br />[[冷越豪]]<br />[[出瀬潔]]
| 出演者 = [[高橋美紀]]<br />[[松井菜桜子]]<br />[[千葉繁]]<br />[[玄田哲章]]<br />[[二又一成]]
}}
{{Infobox animanga/Footer
| ウィキプロジェクト = [[プロジェクト:漫画|漫画]]・[[プロジェクト:アニメ|アニメ]]
| ウィキポータル = [[Portal:漫画|漫画]]・[[Portal:アニメ|アニメ]]
}}
『'''ハイスクール!奇面組'''』(ハイスクール きめんぐみ)は、[[新沢基栄]]作の[[日本]]の[[漫画]]、またそれを原作とする[[テレビアニメ]]、[[アニメーション映画|劇場版アニメ]]などの作品群。
新沢の漫画家デビュー作である『'''[[ハイスクール!奇面組#3年奇面組(中学時代)|3年奇面組]]'''』(さんねん きめんぐみ)において中学生だった主人公の高校進学に伴い、『ハイスクール!奇面組』にタイトル変更したものが本作である([[ハイスクール!奇面組#アニメ版|アニメ版]]では中学生編を含め『ハイスクール!奇面組』として制作された)。
[[集英社]]の『[[週刊少年ジャンプ]]』にて『3年奇面組』は[[1980年]]10月13日41号から[[1982年]]4月12日17号まで、『ハイスクール!奇面組』は『3年』が終了した翌週の1982年4月19日18号から[[1987年]]7月6日30号まで連載された。累計発行部数は1000万部を記録している<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.mangazenkan.com/ranking/books-circulation.html|title=歴代発行部数 ランキング|work=漫画全巻ドットコム|accessdate=2020-09-25}}</ref>。
ここでは『3年』から『ハイスクール!』を通して解説するほか、[[スクウェア・エニックス]]『[[月刊少年ガンガン]]』にて連載された『[[ハイスクール!奇面組#フラッシュ!奇面組|フラッシュ!奇面組]]』についても取り扱うこととする。
{{TOC limit|3}}
== 概要 ==
架空の学園である「一応高校」を舞台にして、[[一堂零]]・[[冷越豪]]・[[出瀬潔]]・[[大間仁]]・[[物星大]]から成る5人組「'''[[ハイスクール!奇面組の登場人物一覧#奇面組(きめんぐみ/10組)|奇面組]]'''」と、[[河川唯]]・[[宇留千絵]]などの個性的なキャラクターたちが活躍する[[コメディ#スラップスティック|ドタバタ]]ギャグ・[[喜劇|コメディ]]作品。
奇面組はその名の通り、変な顔の5人組であるが、「他人に笑われようとも自分の個性を堂々とさらけ出し、世の中を味付けする調味料になろう」をモットーに、日夜“変態”(後述「「変態」について」を参照)な珍事を繰り広げる。奇面組のほかにも、「[[色男組]]」「[[腕組]]」「[[番組 (奇面組)|番組]]」「[[御女組]]」といった五人組も登場する(奇面組同様、中学時は「'''3年○○組'''」として登場している)。
=== 「変態」について ===
本作における「変態」とは主に[[奇人|奇人・変人]]または異常な行動状況を指すものであり、転じて「'''人知を超越した存在'''」という位置づけになっている(手足が伸びる、壁を歩いて登る、突然動物に変身するなどの超人的な行動もこれに含まれる)。ただし、まれにギャグとして(一般的に広く認知されている)「[[変態性欲]]」の意味で使われるケースもある<ref>「満月で解決!?の巻」『ハイスクール!奇面組 第3巻』集英社〈ジャンプ・コミックス〉、1983年10月15日、{{ISBN2|4-08-851349-5}}、131頁。</ref>。
=== 作品の特徴 ===
*主に奇面組の5人が、動きの激しいギャグシーンなどで通常の頭身(主に6頭身)から胴体を縮めた2頭身(デフォルメ)の姿に変わることが多々ある。特に奇面組リーダーの一堂は2頭身になる頻度が高い。新沢は「コマに収めるために、だんだんと頭身が縮んでいった結果なのですが、『ハイスクール!』からは少し意識して描いていたかもしれませんね」とコメントしている<ref name="no01">[https://smart-flash.jp/lifemoney/24055/ 『ハイスクール! 奇面組』ハンマー突っ込みの元祖だった| スマートフラッシュ、2017年08月18日。]</ref>。
*一話完結の話が中心。その他、前・後編に分かれているエピソードや、いわゆる「[[帰宅部]]」の奇面組がクラブの助っ人としてライバルとスポーツなどで対決する「クラブ挑戦シリーズ」といった長編シリーズもある。
*「[[漫才#ボケとツッコミ|ボケ役]]」に対する「ツッコミ」の表現がかなり激しく、殴り倒す、蹴り飛ばすなどの他に、ギャグ漫画定番の巨大ハンマーやハリセンといった武器も登場する。いずれにしてもギャグ的表現なので、ダメージは一切残らない。新沢は「『[[シティーハンター]]』の100tハンマーは、ボクの真似ですよ(笑)」と語っており、同記事では画期的な発明と紹介されている<ref name="no01"/>。
*下ネタはほとんど見受けられず、スケベキャラの[[出瀬潔]]が女生徒の[[スカートめくり]]をする際でも、スカートの中は見せないほどである<ref group="注" name=indication>アニメ化の際、新沢はスタッフに「パンチラなどは絶対にさせないで下さい」という指示を出していた。そのため、制服着用時は[[スリップ (衣類)|スリップ]]で中が見えないようになっている。</ref>。ただし下ネタが全く無いわけではなく、零が春曲鈍に[[電気あんま]]をかけたり、邪子の前で零が(2頭身ではあるが)下半身を露出させるなどの描写は存在する。
=== 登場人物関係 ===
*立ち位置
**奇面組の5人 - 零をセンター位置として、画面に向かって左から「大・豪・'''零'''・潔・仁」となっている(バリエーションとして、前列に豪・'''零'''・潔、後列に大・仁というパターンもある)。なお、奇面組以外の組についても立ち位置が決まっている。
**ヒロインの2人 - 基本的に、画面に向かって左から「千絵・唯」となっている。なお、零を中央に加えて「千絵・'''零'''・唯」、または「唯・'''零'''・千絵」と並ぶ場合もある。
*登場人物が歳をとる。ただし、卒業の時期を迎えた中期に連載上の都合により「作者がタイムワープ([[ハイスクール!奇面組#タイムワープ設定|後述]])して過去のエピソードを描く」という設定が出てくるため、最終回直前まで高校3年生のまま同じ年度が繰り返された。なお、アニメ版ではこのタイムワープ設定は存在しないが、[[ハイスクール!奇面組の登場人物一覧#卓球部|卓 球魔]]や[[ハイスクール!奇面組の登場人物一覧#音成久子の家族|音成久子]]といった原作でタイムワープが発生したあとの新キャラクターも登場する。
*登場人物の身長や体重は、キリの良い数字になっている場合が多く、同じ組内では身長体重が同じ者達も少なくない。また、唯は身長が155cmで背が低いという設定でそれを強調した描写も少なくないが、日本人女性の平均身長が158cm程のためそれほど低いわけではない。ただし、同世代以上の女性キャラは160cm前後以上の者がほとんどで160cm台半ばから170cm以上の者も多い。
=== その他 ===
*一応高校の校舎は上空から見ると'''HIGH SCHOOL'''(=[[高等学校]])の「'''HIGH'''」の文字になっており、先頭の「H」「I」が本校舎、「G」は体育館、そして4文字目の「H」はクラブ棟に該当する。
*コミックスに収録する際、キャラクターの表情や背景などが細かく加筆・修正されている。さらにジャンプコミックスセレクション版(および文庫版)へ再収録される際は、次のような改訂が行われている。
**扉絵の描き直し<ref group="注">一例として、「雪の降った朝は…の巻」(『ハイスクール!』JC19巻、JCSおよび文庫版13巻収録)が挙げられる。アップの唯が見上げている構図であるが、間延びしていた顎のラインが修正され、眉毛も加筆されている。</ref>
**[[写真植字|写植]]の書体変更
**セリフの修正や補足追加<ref group="注">例として、「レッツゴー!修学旅行その3 新幹線大パニックの巻」(『3年』JC3巻、JCSおよび文庫版2巻収録)に「国鉄値下げいかがですか〜っ」のセリフがあるが、その後1987年4月に[[日本国有鉄道|国鉄]]が[[国鉄分割民営化|分割民営化]]で[[JR]]となったため、コマ外に補足として「当時のJRの呼称」と書き加えられている。</ref>など
*長編シリーズ「校内異種格闘技戦の巻」がジャンプ・コミックス14巻と15巻に分かれるのを避ける都合で、14巻「きみの手料理が…の巻」の後の2話は「校内異種格闘技戦の巻(その1、その2)」から豪の実父のエピソードである「帰ってきた男の巻」「約束の男の巻」に入れ替えられている。
== あらすじ ==
【3年奇面組】
'''一応中学'''二年生の女子生徒'''[[河川唯]]'''と'''[[宇留千絵]]'''は普通で退屈な学園生活を送っていた。そんなとき、一学年上にいる悪名高き名物集団'''[[奇面組]]'''と遭遇する。'''[[一堂零]]'''、'''[[冷越豪]]'''、'''[[出瀬潔]]'''、'''[[大間仁]]'''、'''[[物星大]]'''の5人の奇面組メンバーは個性豊かという表現を通り越したハチャメチャな連中だった。彼らをすっかり気に入ってしまった唯となし崩しに付き合わされた千絵は奇面組と行動を共にするようになる。一方、奇面組の担任である'''伊狩増代'''や体育教師の'''石砂拓真'''は零たちにすっかりかき回されていた。
だが、零の同級生たちには他にも個性的な名物集団がいた。スポーツ万能な'''雲童塊'''率いる'''[[腕組]]'''、不良グループのリーダー'''似蛭田妖'''率いる'''[[番組 (奇面組)|番組]]'''、女子に人気の'''切出翔'''率いる'''[[色男組]]'''、ガリ勉'''骨岸無造'''率いる'''骨組'''。彼らは問題集団として教師たちを悩ませていた。更に「番組」と対立する[[スケ番]]'''天野邪子'''率いる'''[[御女組]]'''も登場する。
やがて春になり、進学した「骨組」を除く他の名物集団は揃って[[留年]]。唯、千絵と名物集団たちは同級生となり、更に別の名物集団も登場し校内行事毎に馬鹿騒ぎを繰り返した。そして一目惚れした唯を追って転校してきた自称万能少年で苦学生'''真実一郎'''は唯を巡り零を一方的にライバル視する。
受験シーズンを迎えて進路の異なる零たちと唯たちは「一先高校」と「応生高校」とに別れて進学することになり、応生高校への転任が決まっていた伊狩は零たちの卒業にホッと胸を撫で下ろしていたが、一先高校の廃校に伴い姉妹校の応生高校との合併が決まり、'''一応高校'''が誕生する。思わぬ展開に唯たちは大喜びするが、伊狩は倒れるほどのショックを受けた。
【ハイスクール!奇面組】
やっと進学した零たちは引き続き他の名物集団や唯、千絵、真実らと共に「一応高校」に通うことになる。零たち10組には新たな顔ぶれとして'''二階胴面一'''、'''物月珠美'''、'''織田魔利'''がクラスメイトに加わり、担任には伊狩の後輩である'''若人蘭'''が務めることになる。また、「教育実習生」として10組に来た熱血教師'''事代作吾'''は若人に一目惚れ。後日、一応高校に赴任して10組の副担任となる。一方、伊狩と石砂は結婚して正式に夫婦となる<ref group="注">事代の教員採用は結婚に伴って石砂が音小野高校に転任したことによる。</ref>。
唯と千絵は塊の双子の姉'''雲童命'''が主将を務める[[バレーボール部]]に入部し、「奇面組」は各部活を入部して回る。また当初からお互い気があるが上手く振る舞えない零と唯、腐れ縁のせいで互いに意識しあうようになった豪と千絵の恋愛模様も描かれるようになる。更にキャラクター性を確立した各登場人物の家族たちも登場。また、零の幼馴染みで宿命のライバル'''春曲鈍'''と「一堂家」とは犬猿の仲である「音成家」の一人娘で掟破りの成人女子高生'''音成久子'''も加わる。
連載の長期化に伴い、新沢が「[[タイムマシン]]でループする」を繰り返していたが、腰痛の悪化などにより連載終了が決定した。
それぞれの進路が決まる中、零が交通事故に遭い入院してしまう。零の父・啄石と医師の会話を偶然聞いてしまった唯は零が深刻な病気を抱え、それを察した零が書いた「遺書」と受け取れるノートを読んでしまい、寝ている零にキスをする。だがそれが全くの誤解とわかり、豪と千絵が夫婦になるなど更に数年後の未来を描いた。最後は、ふと気づいた唯が中学の教室で千絵と話している場面に切り替わり、「奇面組」と初めて遭遇した廊下に向かう場面で終了した。
【帰ってきたハイスクール!奇面組】
『ハイスクール!奇面組』を補完するエピソードで、本編との重複をしないことを意識して描かれた新作エピソード。平成という時代を意識し、細部を微妙に変化させている。既出のキャラクターのエピソードに限定され、新キャラクターはいないが前作では遺影のみだった生前の零の母親が登場している。
【フラッシュ!奇面組】
『3年奇面組』、『ハイスクール!奇面組』の基本的設定を踏襲した新作。時代背景を「[[昭和]]」から「[[平成]]」に変えたことで細部をリニューアルした上で連載を開始し、新キャラクターも登場していたが、新沢の体調悪化で完結することなく休載となる。
== 登場人物 ==
登場人物の名前は、ほとんどが一堂零(=「一同、礼!」)などといったダジャレが利いた語呂合わせになっている<ref group="注">ただし春曲鈍の両親など、語呂合わせになっていないキャラクターも少数だが存在する。</ref>。
{{see|ハイスクール!奇面組の登場人物一覧}}
== 連載の経緯 ==
=== 3年奇面組(中学時代) ===
新沢が漫画家デビューを目指してフレッシュジャンプ賞に応募した漫画作品『3年奇面組参上』(ジャンプ・コミックス 3年奇面組 第1巻に収録)に登場するキャラクターおよび世界観をベースに、奇面組の中学3年から卒業までを描いた作品。第1話は、ヒロインで当時「一応中学校」2年の河川唯と宇留千絵が校内で上級生の奇面組と出会うところから始まる(アニメ版では、唯が転入した時点ですでに奇面組と千絵が同級生となっている)。
新沢は従来漫画やアニメでは定番である「マンガの登場人物は年をとらない」という手法を「しらじらしくなってしまいそう」という理由から避け<ref>新沢基栄「必勝!?受験の日の巻」『3年奇面組 第3巻』集英社〈ジャンプ・コミックス〉、1982年3月15日、{{ISBN2|4-08-851343-6}}、148頁。</ref>、『3年奇面組』のキャラクターに毎年きちんと年をとらせることとした。また中盤では、奇面組の後輩である唯や千絵と同じ教室でストーリーを展開させるために、奇面組を落第・留年させることで同学年になるように調整された<ref group="注">JC『ハイスクール!奇面組 第1巻』での作者近影によれば、当初『3年奇面組』は10回程度で終了し、充電期間に入る予定だったという。</ref>。その際、骨組を除く<ref group="注">原作において骨組は他の集団に先行して卒業し、尾利(おり)高校に進学しているのに対し、アニメ版では奇面組と卒業時期が同じになっている。</ref>各集団も留年させている。
奇面組が作中2回目の受験をした際には、何とかつじつまを合わせて奇面組と唯・千絵を同じ一応高校<ref group="注">奇面組が進学を予定していた「一先(ひとまず)高校」は合格直後に廃校が決定し、唯・千絵の進学先「応生(おうせい)高校」へ統合させる形となった。これに伴い、学校名も「一応(いちおう)高校」(「'''“一”'''先」+「'''“応”'''生」-「先生」=「'''一応'''」)と改められた。</ref>に通わせることに成功、晴れて『ハイスクール!奇面組』として続けてゆくことになった。その際、主要な教師陣も一応高校の教師として異動している。
新沢はのちに「(読者からは)『3年奇面組』は“ギャグ”で『ハイスクール!奇面組』は“コメディ”という意見もあって、確かにそういう見方もできる。『3年奇面組』の頃はまだ漫画のノウハウも全然知らず、ノリとテンションのみでだけで頭に思い浮かんだキャラクター、ネタ、イメージを動かしていたんですよ」と語っている<ref name="book">「新沢基栄ロングインタビュー&裏話」『Popeye増刊 帰ってきたハイスクール!奇面組』マガジンハウス、2000年12月1日、雑誌27136-12/01、26-30頁。</ref>。
=== ハイスクール!奇面組(高校進学後) ===
奇面組の高校時代を描いた作品。便宜上『3年奇面組』の続編に位置する。登場キャラクターの入れ替えや制服の変更などが行なわれたほか、これまで集団で動いていたキャラクターを独立させて描いたり、「[[帰宅部]]」の奇面組が各クラブに挑戦するエピソードが多く描かれるようになった。新沢も「『ハイスクール!奇面組』になってからは読者にわかりやすくすることを心がけ、(つまらない話を平気で描いてしまわないように)一話ごとに自分で描いていて何かひとつだけでも満足できるようにチャレンジするようになったんです」と語っている<ref name="book" />。
==== タイムワープ設定 ====
当初『ハイスクール!奇面組』は、時間の経過どおりに描いて1985年(昭和60年)3月の高校卒業で完結させる予定であった。しかし、「This is 卓球boy!の巻」<ref>『週刊少年ジャンプ』1985年5月13日22号、〈ジャンプ・コミックス〉第13巻</ref>の冒頭で唐突にタイムワープによって1年前(1984年)の春にストーリー時間が巻き戻される。これは、新沢が終了したい意向を担当に伝えたものの話を上層部に通してもらえず、「人気と余力があるうちは続けてほしい」と言われて連載継続を余儀なくされたためである。
もともと、奇面組たちの高校卒業後を描くつもりがなかった新沢は、苦肉の策として「作者がタイムマシン『集英号』に乗って1年前に戻り、再び3年生の頃の話を描く」という手法で切り抜けることとなった<ref name="book" /><ref name="JC18p83">『ハイスクール!奇面組 第18巻』集英社〈ジャンプ・コミックス〉、1987年8月15日、{{ISBN2|4-08-851368-1}}、83頁。</ref>。あくまで同じ年の違った出来事を拾い出すという体裁のため、重複した事件や行事の話などはないが<ref>新沢基栄『ハイスクール!奇面組 第13巻』集英社〈ジャンプ・コミックス〉、1986年5月15日、{{ISBN2|4-08-851359-2}}、カバー折り返し。</ref>、後付けの形で多くの新しいキャラクターが登場した。
==== アニメ化後、最終回に至るまで ====
最初の連載継続を決定してからほどなくして、新沢のもとへ3度目のアニメ化のオファーが舞い込んだ(それまでは断っていた。後述の「[[ハイスクール!奇面組#アニメ版|アニメ版]]」の項を参照)。これを承諾したことで必然的に翌年も続けざるを得なくなり<ref name="JC18p83" />、タイムワープを繰り返す中で連載は終わりどころを失ってしまう。新沢は当時の迷走期について、のちに「何度も(ストーリーの)同じ年度を繰り返すことになって、正直つらかった」と語る<ref name="book" />。
持病の腰痛が悪化する一方でだんだん締め切りに遅れるようになり、さらに1987年(昭和62年)5月中旬にはアシスタントを担当していた[[佐藤正 (漫画家)|佐藤正]]が『[[燃える!お兄さん]]』でメジャーデビューして独立した<ref>『週刊少年ジャンプ』1987年5月18日23号。</ref>。このためアシスタント不足にも悩まされ、橘ハナ子が初登場した回(週刊少年ジャンプ1987年4月13日18号)からの巻末コメントはほとんどが編集担当の長谷川によるアシスタント募集のアナウンスだったほどである<ref>『帰ってきたハイスクール!奇面組』マガジンハウス、2000年12月1日、139頁。</ref>。
やがて新沢の腰痛が極限に達し、ついに『週刊少年ジャンプ』1987年5月25日24号、6月1日25号と2週にわたり原稿を落とせざるを得なくなった<ref name="JC18p83" />。それをきっかけに集英社の上層部との話し合いの場が設けられ、休養をはさんだあとに単行本穴埋め用の2話と奇面組の卒業後の話を描いたラスト3話の計5回を描いて連載終了という話に落ち着いた<ref name="book" />。ラスト3話はタイムワープ設定を持ち出す前からすでに新沢が大まかに用意していたものだったが<ref name="JC18p83" />、引越しのごたごたでネーム(コンテ)を丸々紛失してしまい、実際には思い出しながら描いていたという。
==== 最終回の「夢オチ」騒動 ====
1987年7月6日発売の『週刊少年ジャンプ』30号掲載分「さらば奇面組の巻」をもって、『3年奇面組』以来7年近く続いた『ハイスクール!奇面組』の連載は終了した。
この最終回のラストシーンは、社会人になった唯が出勤途中で偶然(?)通りかかった零の自転車に乗せてもらっているところで、いつの間にか一応中時代に戻っていた<ref group="注">『ジャンプ』掲載時は風に吹かれる唯の顔のアップからそのまま一応中学校のシーンに転換するが、単行本収録版では中学校のシーンの直前に画面が[[ホワイトアウト]]している大ゴマが加筆されている。これに伴って後ろの頁のレイアウトも再構成および加筆が行なわれ、結果的に『ジャンプ』掲載時は15頁だった最終回が16頁に増加した。</ref>、というものであった。そして唯の「『奇面組』は自分の空想だったのかもしれないが、彼らはきっといると信じたい」という旨のモノローグが添えられつつ、千絵と校舎の廊下を歩いているカットでストーリーが終わっている。これに対し、新沢はのちに雑誌インタビューにて「正直、(あの最終回を)[[夢オチ]]と言われるのは心外」と語っている<ref>『奇面組解体全書』ホーム社発行・集英社発売〈ジャンプコミックスセレクション〉、2002年04月19日、{{ISBN2|4-8342-1683-7}}</ref>。
また、新沢は『帰ってきたハイスクール!奇面組』<ref name="book" />において、「最後は(空想なのか、正夢なのか)どっちとも取れるように描いたつもりだったんですが、悪いふうにしか取られなかった。愛蔵版の単行本では、描かないとわかりにくいかなと思って走ってくる零くんの影を描き足した」とも語っており、[[平成]]になってから発売された愛蔵版および文庫版の最終回では、ラストのコマに『3年奇面組』第1話の冒頭と同様に[[豚カツ|トンカツ]]をくわえて廊下を駆けてくる一堂零のシルエットが加筆されている。
なお、アニメ版については連載終了後の1987年9月26日まで放映された。
== リバイバル版 ==
80年代ブームが始まると、「80年代を象徴するギャグマンガ」として以下の作品を12年ぶりの新作として発表する。
*『ハイスクール!奇面組 世紀末編』ラッシーウィーンの巻([[1999年]]、[[ワールドフォトプレス]]『[[フィギュア王|コミック★フィギュア王]]』掲載)
*『帰ってきたハイスクール!奇面組』はじめての番台の巻([[2000年]]、[[マガジンハウス]]『[[POPEYE]]』599号(11月27日号)掲載、以下「POPEYE本誌」)
*『POPEYE増刊 帰ってきたハイスクール!奇面組』(2000年、マガジンハウス、以下「ムック本」)
**上記2話のほか、新作として「はじめてのビキニの巻」、「はじめてのお宅訪問の巻」、「はじめての新車(ニューカー)の巻」、そして「はじめてのおつかいの巻」を掲載。
**この描き下ろしに際し、かつてのアシスタントだった[[佐藤正 (漫画家)|佐藤正]]も手伝いに関わっている<ref>「ぼくたちも好きだった『ハイスクール!奇面組』」『Popeye増刊 帰ってきたハイスクール!奇面組』マガジンハウス、2000年12月1日、雑誌27136-12/01、4頁の佐藤正の項。</ref>ほか、当時同じマガジンハウスから刊行されていた『[[鳩よ!]]』より編集部が協力に関わっている。
これらは『ハイスクール!奇面組』の外伝に位置づけられ<ref>『帰ってきたハイスクール!奇面組』集英社、2004年2月18日、56頁。</ref>、同じ時間軸(非パラレルワールド)ではあるが従来のエピソードと重複した話はない。
またPOPEYE本誌やムック本においては、欄外に「新沢先生の作品が読めるのはマガジンハウスだけ!?」とメッセージが書かれた。
ちなみに『帰って来た〜』は2004年、後述のトラブルを経て、集英社から改めて刊行されており、現在でも電子書籍で購入可能となっている。
=== 原稿紛失問題 ===
一方で、上記の『帰ってきたハイスクール!奇面組』の際に使用された原稿が丸々紛失されるというトラブルが発生し、それに対する編集者の態度に激怒した新沢は、2003年に原稿料と慰謝料合わせて610万円の損害賠償を求めて係争を起こした。なお、その紛失したといわれる原稿については掲載された各誌発行の際の印刷時に保存されていたデータから復元し、後日集英社から単行本として一括掲載されている([[ハイスクール!奇面組#単行本|後述]])。
== フラッシュ!奇面組 ==
2001年に[[エニックス]](後の[[スクウェア・エニックス]])『[[月刊少年ガンガン]]』にて『'''フラッシュ!奇面組'''』が連載開始(この際、タイトルロゴは変更されている)。留年直後の中学3年生から再度描き直されているが、服装や一部のキャラクターの髪型などが現代風にアレンジされるほか、ストーリーなどにおける設定変更が行われている。また、高校進学後の流れは現実より遅くなっている。
しかし新沢の健康状態から休載が多く、2005年6月号を最後に連載は途絶えた。単行本もガンガンコミックスとして3巻まで刊行されたが、2005年6月号掲載の「秋はやっぱり○○の秋!?の巻」は単行本未収録となっている。
== 番外編 ==
本編と直接関わりのない番外編もいくつか存在する。特にワラトルマンの「ウルトラ編」はアニメ化されなかったが、シリーズ化され不定期に何度か登場した。『[[週刊ヤングジャンプ|ヤングジャンプ]]増刊 シゴト魂』(2005年11月5日増刊号)にもワラトルマンの読切「ワラトルマン〜やっつけ隊のお仕事〜」が掲載された。
=== 主な作品 ===
下記に掲げるほか、いくつか単行本収録のショートストーリー作品がある。
*ちょっとSFシリーズ「チトタリン王国SOS」(連載1周年記念)
*「ひまわり・ちゅ〜りっぷ」
*刑事編「7人の刑事くん太陽にハングマン」(連載100回記念)
**タイトルの由来:『[[七人の刑事]]』+『[[刑事くん]]』+『[[太陽にほえろ!]]』+『[[ザ・ハングマン]]』
*「荒野のガンマン暁に野獣死すべし!」
**一応高の文化祭で上映された8mm映画という設定の劇中劇。
**タイトルの由来:『[[荒野のガンマン]]』+『野獣暁に死す』+『[[野獣死すべし]]』
*「[[冷越豪#怪傑豪くんマン|怪傑豪くんマン]]」
**冷越豪が主役のショートストーリー。
**本作単行本のほか、短編集「古代さん家の恐竜くん」にも収録。短編集には読み切り作品も収録。
*「[[宇留千絵#千絵ちゃん仮面|千絵ちゃん仮面]]」
**宇留千絵が主役のショートストーリー。
=== ウルトラ編 ===
連載200回記念として始まった、『[[ウルトラマン]]』のパロディーシリーズ。
怪獣退治を任務とする「宇宙科学防衛警備 一応秘密武装怪奇とにかく怪獣やっつけ隊」、通称「やっつけ隊」。
隊長は事代作吾。参謀兼科学者の陸奥五郎は多くの武器や戦闘用マシンを開発するが、怪獣相手には所詮通用しないものばかり(途中から少しはましになる)の役立たず集団で、一般市民からも物笑いの種にされることも珍しくない。隊員は奇面組と河川唯、宇留千絵。
その中でもダメ隊員としてお荷物扱いされている一堂零は、いざとなると特殊乾電池(太陽電池)を使用し「ワラトルマン」に変身、怪獣と対決する。
このシリーズ限定で登場するキャラクターおよび怪獣に関しては、[[ハイスクール!奇面組の登場人物一覧#ワラトルマンとやっつけ隊編の登場キャラクター・怪獣|ワラトルマンとやっつけ隊編の登場キャラ・怪獣]]を参照。
== 書誌情報 ==
=== 単行本 ===
* 新沢基栄 『3年奇面組』 集英社〈ジャンプ・コミックス〉、全6巻
*# 「奇面組登場 HOW MANYへんな顔!?の巻」1981年8月10日発売<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.shueisha.co.jp/books/items/contents.html?jdcn=08851341851341315501 |title=3年奇面組 1 |publisher=集英社 |accessdate=2022-03-11}}</ref>、{{ISBN2|4-08-851341-X}}
*# 「校内バスケット大会の巻」1981年11月10日発売<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.shueisha.co.jp/books/items/contents.html?jdcn=08851342851341315501 |title=3年奇面組 2 |publisher=集英社 |accessdate=2022-03-11}}</ref>、{{ISBN2|4-08-851342-8}}
*# 「レッツゴー!修学旅行の巻」1982年3月10日発売<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.shueisha.co.jp/books/items/contents.html?jdcn=08851343851341315501 |title=3年奇面組 3 |publisher=集英社 |accessdate=2022-03-11}}</ref>、{{ISBN2|4-08-851343-6}}
*# 「必殺!水泳大会の巻」1982年7月9日発売<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.shueisha.co.jp/books/items/contents.html?jdcn=08851344851341315501 |title=3年奇面組 4 |publisher=集英社 |accessdate=2022-03-11}}</ref>、{{ISBN2|4-08-851344-4}}
*# 「一応中学校体育祭の巻」1982年10月8日発売<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.shueisha.co.jp/books/items/contents.html?jdcn=08851345851341315501 |title=3年奇面組 5 |publisher=集英社 |accessdate=2022-03-11}}</ref>、{{ISBN2|4-08-851345-2}}
*# 「さらば一応中の巻」1983年1月8日発売<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.shueisha.co.jp/books/items/contents.html?jdcn=08851346851341315501 |title=3年奇面組 6 |publisher=集英社 |accessdate=2022-03-11}}</ref>、{{ISBN2|4-08-851346-0}}
* 新沢基栄 『ハイスクール!奇面組』 集英社〈ジャンプ・コミックス〉、全20巻
*# 「新学期・必殺自己紹介の巻」1983年4月8日発売<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.shueisha.co.jp/books/items/contents.html?jdcn=08851347851341315501 |title=ハイスクール!奇面組 1 |publisher=集英社 |accessdate=2022-03-11}}</ref>、{{ISBN2|4-08-851347-9}}
*# 「暮らすメイトキャンプの巻」1983年7月8日発売<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.shueisha.co.jp/books/items/contents.html?jdcn=08851348851341315501 |title=ハイスクール!奇面組 2 |publisher=集英社 |accessdate=2022-03-11}}</ref>、{{ISBN2|4-08-851348-7}}
*# 「ちょっとおよバレーしますの巻」1983年10月7日発売<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.shueisha.co.jp/books/items/contents.html?jdcn=08851349851341315501 |title=ハイスクール!奇面組 3 |publisher=集英社 |accessdate=2022-03-11}}</ref>、{{ISBN2|4-08-851349-5}}
*# 「ハジのかき初めの巻」1983年12月8日発売<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.shueisha.co.jp/books/items/contents.html?jdcn=08851350851341315501 |title=ハイスクール!奇面組 4 |publisher=集英社 |accessdate=2022-03-11}}</ref>、{{ISBN2|4-08-851350-9}}
*# 「宿敵・春曲 鈍接近!の巻」1984年2月10日発売<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.shueisha.co.jp/books/items/contents.html?jdcn=08851351851341315501 |title=ハイスクール!奇面組 5 |publisher=集英社 |accessdate=2022-03-11}}</ref>、{{ISBN2|4-08-851351-7}}
*# 「海は変態の巻」1984年4月10日発売<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.shueisha.co.jp/books/items/contents.html?jdcn=08851352851341315501 |title=ハイスクール!奇面組 6 |publisher=集英社 |accessdate=2022-03-11}}</ref>、{{ISBN2|4-08-851352-5}}
*# 「いでよ必殺技!の巻」1984年7月10日発売<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.shueisha.co.jp/books/items/contents.html?jdcn=08851353851341315501 |title=ハイスクール!奇面組 7 |publisher=集英社 |accessdate=2022-03-11}}</ref>、{{ISBN2|4-08-851353-3}}
*# 「変態こじき王子の巻」1984年12月7日発売<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.shueisha.co.jp/books/items/contents.html?jdcn=08851354851341315501 |title=ハイスクール!奇面組 8 |publisher=集英社 |accessdate=2022-03-11}}</ref>、{{ISBN2|4-08-851354-1}}
*# 「怒りの五重の塔の巻」1985年3月8日発売<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.shueisha.co.jp/books/items/contents.html?jdcn=08851355851341315501 |title=ハイスクール!奇面組 9 |publisher=集英社 |accessdate=2022-03-11}}</ref>、{{ISBN2|4-08-851355-X}}
*# 「エンジョイ教師来る!の巻」1985年6月10日発売<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.shueisha.co.jp/books/items/contents.html?jdcn=08851356851341315501 |title=ハイスクール!奇面組 10 |publisher=集英社 |accessdate=2022-03-11}}</ref>、{{ISBN2|4-08-851356-8}}
*# 「悪夢のいち夜の巻」1985年9月10日発売<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.shueisha.co.jp/books/items/contents.html?jdcn=08851357851341315501 |title=ハイスクール!奇面組 11 |publisher=集英社 |accessdate=2022-03-11}}</ref>、{{ISBN2|4-08-851357-6}}
*# 「5人の悪魔の巻」1986年2月10日発売<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.shueisha.co.jp/books/items/contents.html?jdcn=08851358851341315501 |title=ハイスクール!奇面組 12 |publisher=集英社 |accessdate=2022-03-11}}</ref>、{{ISBN2|4-08-851358-4}}
*# 「音成家の人びとの巻」1986年5月9日発売<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.shueisha.co.jp/books/items/contents.html?jdcn=08851359851341315501 |title=ハイスクール!奇面組 13 |publisher=集英社 |accessdate=2022-03-11}}</ref>、{{ISBN2|4-08-851359-2}}
*# 「きみの手料理が…の巻」1986年8月8日発売<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.shueisha.co.jp/books/items/contents.html?jdcn=08851360851341315501 |title=ハイスクール!奇面組 14 |publisher=集英社 |accessdate=2022-03-11}}</ref>、{{ISBN2|4-08-851360-6}}
*# 「校内異種格闘技戦の巻」1986年12月5日発売<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.shueisha.co.jp/books/items/contents.html?jdcn=08851365851341315501 |title=ハイスクール!奇面組 15 |publisher=集英社 |accessdate=2022-03-11}}</ref>、{{ISBN2|4-08-851365-7}}
*# 「新学期 好き好き零さま!?の巻」1987年2月10日発売<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.shueisha.co.jp/books/items/contents.html?jdcn=08851366851341315501 |title=ハイスクール!奇面組 16 |publisher=集英社 |accessdate=2022-03-11}}</ref>、{{ISBN2|4-08-851366-5}}
*# 「野望の地下室の巻」1987年4月10日発売<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.shueisha.co.jp/books/items/contents.html?jdcn=08851367851341315501 |title=ハイスクール!奇面組 17 |publisher=集英社 |accessdate=2022-03-11}}</ref>、{{ISBN2|4-08-851367-3}}
*# 「ラッシーはシンデレラ!?の巻」1987年8月10日発売<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.shueisha.co.jp/books/items/contents.html?jdcn=08851368851341315501 |title=ハイスクール!奇面組 18 |publisher=集英社 |accessdate=2022-03-11}}</ref>、{{ISBN2|4-08-851368-1}}
*# 「ねらわれた一堂家の巻」1987年12月4日発売<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.shueisha.co.jp/books/items/contents.html?jdcn=08851369851341315501 |title=ハイスクール!奇面組 19 |publisher=集英社 |accessdate=2022-03-11}}</ref>、{{ISBN2|4-08-851369-X}}
*# 「さらば奇面組の巻」1988年2月10日発売<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.shueisha.co.jp/books/items/contents.html?jdcn=08851370851341315501 |title=ハイスクール!奇面組 20 |publisher=集英社 |accessdate=2022-03-11}}</ref>、{{ISBN2|4-08-851370-3}}
* 新沢基栄 『帰ってきたハイスクール!奇面組』 集英社〈ジャンプ・コミックス デラックス〉、2004年2月4日発売<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.shueisha.co.jp/books/items/contents.html?jdcn=08859419851341315501 |title=帰ってきたハイスクール!奇面組 |publisher=集英社 |accessdate=2022-03-11}}</ref>、{{ISBN2|4-08-859419-3}}
** 前述のマガジンハウスムック本からの再録。新沢はカバー見返しの著者コメントにて原稿紛失のトラブルについて触れ、本作は「'''帰ってきた'''『帰ってきたハイスクール!奇面組』」であると皮肉っている。
* 新沢基栄 『フラッシュ!奇面組』 スクウェア・エニックス〈ガンガンコミックス〉、全3巻
*# 2002年8月22日発行、{{ISBN2|4-7575-0735-6}}
*# 2003年8月22日発行、{{ISBN2|4-7575-0981-2}}
*# 2005年8月22日発行、{{ISBN2|4-7575-1475-1}}
=== ジャンプコミックスセレクション版 ===
* 新沢基栄 『3年奇面組』 ホーム社〈ジャンプコミックスセレクション〉、全4巻
*# 「奇面組登場how manyへんな顔!?の巻)」1995年1月24日発行、{{ISBN2|4-8342-1421-4}}
*# 「レッツゴー!修学旅行の巻」1995年2月22日発行、{{ISBN2|4-8342-1422-2}}
*# 「一応中学校体育祭の巻」1995年3月22日発行、{{ISBN2|4-8342-1423-0}}
*# 「さらば一応中の巻」1995年4月24日発行、{{ISBN2|4-8342-1424-9}}
* 新沢基栄 『ハイスクール!奇面組』 ホーム社〈ジャンプコミックスセレクション〉、全13巻
*# 「新学期・必殺自己紹介の巻」1995年5月発行、{{ISBN2|4-8342-1425-7}}
*# 「ちょっとおよバレーしますの巻」1995年6月発行、{{ISBN2|4-8342-1426-5}}
*# 「宿敵・春曲鈍接近!の巻」1995年7月発行、{{ISBN2|4-8342-1427-3}}
*# 「海は変態の巻」1995年8月発行、{{ISBN2|4-8342-1428-1}}
*# 「いでよ必殺技!の巻」1995年9月発行、{{ISBN2|4-8342-1429-X}}
*# 「怒りの五重の塔の巻」1995年10月発行、{{ISBN2|4-8342-1430-3}}
*# 「悪夢のいち夜の巻」1995年11月発行、{{ISBN2|4-8342-1431-1}}
*# 「5人の悪魔の巻」1995年12月発行、{{ISBN2|4-8342-1432-X}}
*# 「音成家の人びとの巻」1996年1月発行、{{ISBN2|4-8342-1433-8}}
*# 「校内異種格闘技戦の巻」1996年2月発行、{{ISBN2|4-8342-1434-6}}
*# 「新学期好き好き零さま!?の巻」1996年3月発行、{{ISBN2|4-8342-1435-4}}
*# 「ねらわれた一堂家の巻」1996年4月発行、{{ISBN2|4-8342-1436-2}}
*# 「さらば奇面組の巻」1996年5月発行、{{ISBN2|4-8342-1437-0}}
=== 文庫版 ===
* 新沢基栄 『3年奇面組』 集英社〈集英社文庫〉、全4巻
*# 2001年9月発行、{{ISBN2|4-08-617741-2}}
*# 2001年9月発行、{{ISBN2|4-08-617742-0}}
*# 2001年11月発行、{{ISBN2|4-08-617743-9}}
*# 2001年11月発行、{{ISBN2|4-08-617744-7}}
* 新沢基栄 『ハイスクール!奇面組』 集英社〈集英社文庫〉、全13巻
*# 2001年12月12日発売<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.shueisha.co.jp/books/items/contents.html?isbn=4-08-617745-5 |title=ハイスクール!奇面組 1(文庫版) |publisher=集英社 |accessdate=2022-03-11}}</ref>、{{ISBN2|4-08-617745-5}}
*# 2001年12月12日発売<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.shueisha.co.jp/books/items/contents.html?isbn=4-08-617746-3 |title=ハイスクール!奇面組 2(文庫版) |publisher=集英社 |accessdate=2022-03-11}}</ref>、{{ISBN2|4-08-617746-3}}
*# 2002年1月18日発売<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.shueisha.co.jp/books/items/contents.html?isbn=4-08-617747-1 |title=ハイスクール!奇面組 3(文庫版) |publisher=集英社 |accessdate=2022-03-11}}</ref>、{{ISBN2|4-08-617747-1}}
*# 2002年1月18日発売<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.shueisha.co.jp/books/items/contents.html?isbn=4-08-617748-X |title=ハイスクール!奇面組 4(文庫版) |publisher=集英社 |accessdate=2022-03-11}}</ref>、{{ISBN2|4-08-617748-X}}
*# 2002年2月15日発売<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.shueisha.co.jp/books/items/contents.html?isbn=4-08-617749-8 |title=ハイスクール!奇面組 5(文庫版) |publisher=集英社 |accessdate=2022-03-11}}</ref>、{{ISBN2|4-08-617749-8}}
*# 2002年2月15日発売<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.shueisha.co.jp/books/items/contents.html?isbn=4-08-617750-1 |title=ハイスクール!奇面組 6(文庫版) |publisher=集英社 |accessdate=2022-03-11}}</ref>、{{ISBN2|4-08-617750-1}}
*# 2002年3月15日発売<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.shueisha.co.jp/books/items/contents.html?isbn=4-08-617751-X |title=ハイスクール!奇面組 7(文庫版) |publisher=集英社 |accessdate=2022-03-11}}</ref>、{{ISBN2|4-08-617751-X}}
*# 2002年3月15日発売<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.shueisha.co.jp/books/items/contents.html?isbn=4-08-617752-8 |title=ハイスクール!奇面組 8(文庫版) |publisher=集英社 |accessdate=2022-03-11}}</ref>、{{ISBN2|4-08-617752-8}}
*# 2002年4月18日発売<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.shueisha.co.jp/books/items/contents.html?isbn=4-08-617753-6 |title=ハイスクール!奇面組 9(文庫版) |publisher=集英社 |accessdate=2022-03-11}}</ref>、{{ISBN2|4-08-617753-6}}
*# 2002年4月18日発売<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.shueisha.co.jp/books/items/contents.html?isbn=4-08-617754-4 |title=ハイスクール!奇面組 10(文庫版) |publisher=集英社 |accessdate=2022-03-11}}</ref>、{{ISBN2|4-08-617754-4}}
*# 2002年5月17日発売<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.shueisha.co.jp/books/items/contents.html?isbn=4-08-617755-2 |title=ハイスクール!奇面組 11(文庫版) |publisher=集英社 |accessdate=2022-03-11}}</ref>、{{ISBN2|4-08-617755-2}}
*# 2002年5月17日発売<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.shueisha.co.jp/books/items/contents.html?isbn=4-08-617756-0 |title=ハイスクール!奇面組 12(文庫版) |publisher=集英社 |accessdate=2022-03-11}}</ref>、{{ISBN2|4-08-617756-0}}
*# 2002年5月17日発売<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.shueisha.co.jp/books/items/contents.html?isbn=4-08-617757-9 |title=ハイスクール!奇面組 13(文庫版) |publisher=集英社 |accessdate=2022-03-11}}</ref>、{{ISBN2|4-08-617757-9}}
=== 廉価版 ===
====集英社====
* 新沢基栄 『ハイスクール!奇面組+』 集英社〈集英社ジャンプリミックス〉、全7巻
*# 「俺達は普通のミカンじゃない!! 奇面組高校入学の巻」、{{ISBN2|978-4-08-113172-3}}
*# 「太陽にハングマン!? 刑事奇面組の巻」、{{ISBN2|978-4-08-113177-8}}
*# 「飛び出せ変態!? 熱血教師事代作吾の巻」、{{ISBN2|978-4-08-113181-5}}
*# 「遊ぶ星からの変態! 奇面組の巻」、{{ISBN2|978-4-08-113186-0}}
*# 「花嫁衣装を増代着る!? 結婚式大騒動の巻」、{{ISBN2|978-4-08-113190-7}}
*# 「お前はもう笑っている!! 決戦!五重の塔の巻」、{{ISBN2|978-4-08-113195-2}}
*# 「エンジョイvs熱血! すくーるうぉ~ずの巻」、{{ISBN2|978-4-08-113199-0}}
====宙出版====
* 新沢基栄 『ハイスクール!奇面組』 宙出版〈ミッシィコミックス〉、全9巻
*# 「自転車通学仮免!?の巻」2018年2月23日発売、{{ISBN2|978-4-7767-4644-7}}
*# 「ハジのかき初めの巻」2018年2月23日発売、{{ISBN2|978-4-7767-4658-4}}
*# 「変態は超能力の巻」2018年3月23日発売、{{ISBN2|978-4-7767-4664-5}}
*# 「図書室はてんやわんや!の巻」2018年3月23日発売、{{ISBN2|978-4-7767-4665-2}}
*# 「やっつけ隊出動せよ!の巻」2018年4月23日発売、{{ISBN2|978-4-7767-4685-0}}
*# 「奇面組入門希望者の巻」2018年4月23日発売、{{ISBN2|978-4-7767-4686-7}}
*# 「きみの手料理が…の巻」2018年5月23日発売、{{ISBN2|978-4-7767-4705-5}}
*# 「漫画家訪問の巻」2018年5月23日発売、{{ISBN2|978-4-7767-4707-9}}
*# 「春!桜の木の下で…の巻」2018年6月23日発売、{{ISBN2|978-4-7767-4726-0}}
=== 関連書籍 ===
* 『奇面組解体全書』2002年4月発行、{{ISBN2|4-8342-1683-7}}
== 電子書籍 ==
上記のうち、『3年』『ハイスクール!』全巻(いずれもJC版)および『フラッシュ!』全巻が[[マンガ図書館Z]]より電子書籍として配信されていたが、[[2017年]][[3月12日]]をもって取り下げとなった<ref>[https://www.mangaz.com/campaign/c201702/shinzawa 作家応援キャンペーン第6弾! 新沢基栄セット]</ref>。
また2014年からは、TORICOが運営する「[http://www.mangazenkan.com/special/760.html 漫画全巻ドットコム]」よりアプリ版が「奇面組シリーズ」として配信されている(JC版全巻および『フラッシュ!』全巻のほか、ムック本『帰ってきた』を加えた全30巻)。
現在、他社で刊行された「フラッシュ!」を含めた全シリーズとも『ジャンプコミックス・デジタル』として電子書籍化されており、電子書籍サイトで入手可能。
== 出身地・新潟県での展開 ==
当作品の原作者・新沢は[[新潟県]]の[[柏崎市]]の出身である。新潟県での本作に対する取り組みは以下のとおりである。
=== 新潟日報でのコラボレーション ===
2012年11月3日([[文化の日]])、地元新聞『[[新潟日報]]』第752号別刷として、「創刊70周年特集 漫画家が描くふるさと新潟 新潟マンガ王国」<ref>[http://www.pressnet.or.jp/adarc/ex/?dno=c0349 新聞広告報752号<新聞社が自ら語る話題の広告企画>] - 新聞広告データアーカイブ</ref><ref>[http://www.advertimes.com/20131118/article134495/ キャンペーンを後押しする新聞広告] - アドバタイムズ</ref>が折り込まれた。
広告タイアップ紙面では、[[TOYO TIRE|トーヨータイヤ]]の広告が本作とのコラボレーションとして掲載され、奇面組の5人と唯・千絵が登場した(零と唯が前面に、豪たちと千絵がバックに描かれている)。
=== 新潟市としての取り組み ===
[[新潟市]]は2012年3月に「マンガ・アニメを活用したまちづくり構想」を策定し、振興事業として「[https://www.city.niigata.lg.jp/kanko/bunka/shinko/mangaanime_mati/index.html マンガ・アニメのまち にいがた]」を推進している。当作品としての取り組みは以下のとおりである。
==== 新潟市マンガの家 ====
2013年2月23日、同市[[中央区 (新潟市)|中央区]]に「[[新潟市マンガの家]]」が開館した。
館内には「ギャグマンガゾーン」が設けられ、新沢の作品に関する展示が以下の形で行なわれている。
* キャラクター等身大フィギュア - 奇面組の5人をあしらったフィギュアが展示
* 作品・作者紹介コーナー - 新沢のプロフィールおよび作品を紹介
==== 電子ペーパー搭載中づり広告 ====
この「マンガ・アニメのまち にいがた」と連携し、[[電子ペーパー]]搭載の「次世代型中づり広告」の実証実験が同年6月5日から7月4日まで、[[ジェイアール東日本企画|JR東日本企画]]と[[大日本印刷]]<ref>[http://www.dnp.co.jp/news/10087423_2482.html 表示切替え可能な電子ペーパー付きポスターを開発] - 大日本印刷</ref>の合同企画として行なわれた。
この広告は、[[東日本旅客鉄道|JR東日本]][[東日本旅客鉄道新潟支社|新潟支社]]エリア管内の路線([[信越本線|信越線]]、[[白新線]]、[[越後線]]、[[羽越線]])を走行する[[JR東日本E127系電車|E127系]]の車内にて掲示され(一編成のみ)、その中で、新潟ゆかりの漫画家の作品として新沢の『ハイスクール!奇面組』全13話(JC第1巻)が使用された。
== アニメ版 ==
{{Notice|スポンサーの記述は行なわないでください。Wikipediaは広告ではありません。|注意|attention}}
[[1985年]][[10月12日]]から[[1987年]][[9月26日]]まで、[[フジテレビジョン|フジテレビ]]系列局([[フジサンケイグループ]])を含む[[フジネットワーク|FNS]]各局にて[[テレビアニメ]]が放送された。放送時間は毎週[[土曜日|土曜]] 19:30 - 20:00 ([[日本標準時]])。
アニメ放送開始前にコミックスにてアニメ化の告知が掲載され、新沢は「反対派の意見もあるだろうが、自分なりによく考えた結果だ」とコメントしている<ref>『ハイスクール!奇面組 第11巻』集英社〈ジャンプ・コミックス〉、1985年9月15日、{{ISBN2|4-08-851357-6}}、カバー見返し。</ref>。また、原作終了後に近況報告をコミックスに掲載した際、「アニメ化は3度目のオファーでOKしたが、それ以前は諸事情により断った」とも語っている<ref name="JC18p83" />。一方で放送開始前に新沢は「3年奇面組を描いていたころからアニメになって、キャラクターたちがうごいてくのを見たいとずっと思っていました」とのコメントを寄せている<ref name="SHIN">[[西村繁男]]編「名物集団がTVに大集合!!ハイスクール!奇面組がアニメになったゾ!!」『[[週刊少年ジャンプ]] 1985年44号』集英社、昭和60年10月14日、雑誌29932-10/14、4頁。</ref>。
新沢はアニメ化にあたり、スタッフに対する指示<ref group="注" name=indication />を兼ねて自らあらためて設定資料を描き下ろしている。設定資料はスタッフ側から依頼された際、アニメに必要な設定がどの程度なのかわからず、主要キャラクターごとの全身、後ろ姿、顔の正面・斜め・横(表情に至っては喜怒哀楽など7 - 8パターン)の各アングルや、役どころや性格などの詳細を記したプロフィール、キャラクター同士の立ち位置に関する注意などを描いて渡したところ、スタッフに「こんなに細かい指定をされたのは初めてです」と驚かれたという<ref>新沢基栄「アニメ化裏話特集」『ハイスクール!奇面組 第12巻』集英社〈ジャンプ・コミックス〉、1986年2月15日、{{ISBN2|4-08-851358-4}}、18・32・98・128・156・172頁。</ref>。
開始当初にアニメ制作を担当していた[[土田プロダクション]]が経営危機に陥ったため、同社に所属していたスタッフにより立ち上げられた[[スタジオコメット]]が実制作を引き継いだ。この際に[[ぎゃろっぷ|スタジオぎゃろっぷ]]がその応援として、第8話から第26話までの一部の話を制作した。また、[[スタジオライブ]]も第13話以降の一部の回に制作参加しており、同社社長の[[芦田豊雄]]も参加したことがある。
制作当初は高校設定として『ハイスクール!奇面組』のエピソードから始まる予定だったが、新沢の要望により{{R|animedia}}、そのままではキャラクターの関係がわからなくなるため、最初の5回は『3年奇面組』を原作とした中学時代のエピソードとなった。その際、新沢が『3年奇面組』とうまくつながるように簡単な脚本的なものを書き下ろしており、のちに新沢は「こういう出だしなら終わりもまたループしてここにつながるのかな」と、[[ハイスクール!奇面組#最終回の「夢オチ」騒動|原作における最終回]]の構想のヒントになったことを明かしている<ref>Popeye増刊「新沢基栄ロングインタビュー&裏話」『帰ってきた ハイスクール!奇面組』マガジンハウス、2000年12月1日、雑誌27136-12/01、30頁。</ref>。『[[バレーボールワールドカップ]]』<ref group="注">なお第5回までは同大会の宣伝のため、大会マスコット「[[バボちゃん]]」と奇面組・唯・千絵が共演している[[エンドカード]]が出された。</ref>の中継で約1か月の中断を経て本編に突入した。なお、その後も[[野球道 (フジテレビ系列)|プロ野球中継]](主に[[明治神宮野球場]]の[[東京ヤクルトスワローズ|ヤクルト]]戦)や『[[オレたちひょうきん族|ひょうきんスペシャル]]』<ref group="注">時間拡大版のため19:00からの放送(通常の『オレたちひょうきん族』は20:00からの放送)。春と秋と正月に放送された。</ref>で休止することがあった。
最終回は、事故で頭を強打した一堂零の人格が一変して「奇面組を解散して生真面目組を結成する」と言い出して周囲を困惑させるアニメオリジナルで、ラストでは生徒会長に立候補した零が講堂の壇上で生真面目組の結成を全校生徒に発表しようとするが、再度頭を強打して人格が元に戻り「奇面組は永遠に不滅です!」と宣言して締められた。
放送時間の制約および後続の番組編成上の関係もあり、他作品のように独立した次回予告コーナーではなく、EDラストにて予告テロップを表示するという形式だった。なお、初代ED「女学生の決意」の場合は、後半に「今日のハイライト…」が2コーラスをバックに映し出され、その最後に予告表示という流れだった。
最高視聴率24.3%。平均視聴率は全86回で19.2%。
[[サウンドトラック]]盤『ハイスクール!奇面組』(キャニオン C25G-0411)は[[オリコンチャート|オリコン]]LPチャートで最高4位<ref>『オリコン・チャートブック LP編 昭和45年 - 平成1年』オリジナル・コンフィデンス、1990年、339頁。{{ISBN2|4-87131-025-6}}。</ref>を記録した。
=== 試写会 ===
放送開始2日前の[[1985年]][[10月10日]]に、[[東京都]]内にてアニメの第1話試写会が行なわれた<ref>西村繁男編「逆襲『びっくりカメラ』の巻」『[[週刊少年ジャンプ]] 1985年42号』集英社、昭和60年9月30日、雑誌29935-9/30、143頁。</ref>。
=== スタッフ ===
* 企画 - [[土屋登喜蔵]]
* 原作 - [[新沢基栄]]([[集英社]]刊『[[週刊少年ジャンプ]]』連載)
* チーフディレクター - [[福冨博|福富博]]
* キャラクターデザイン・作画監督 - [[金沢比呂司]]([[ぎゃろっぷ|スタジオぎゃろっぷ]]担当回のメイン作画監督は[[辻初樹]])
* 美術監督 - [[古谷彰]](スタジオぎゃろっぷ担当回は[[小林七郎]])
* 編集 - [[岡安肇]]
* 音楽 - [[菊池俊輔]]
* オーディオディレクター - [[斯波重治]]
* プロデューサー - [[片岡義朗]]、[[原田一男]]・[[茂垣弘道]](スタジオぎゃろっぷ担当回は酒井澄)
* 撮影監督 - 福田岳志、金子仁(スタジオぎゃろっぷ担当回は枝光弘明)
* 制作協力 - 土田プロダクション( - 第7話)、スタジオコメット(第9話 - )、スタジオぎゃろっぷ(第8話 - 第26話の一部、第85話<ref group="注">総集編として同社協力の映像が含まれているため、スタジオコメットとの共同という扱いになっている。</ref>)
* 制作 - [[フジテレビジョン|フジテレビ]]、[[日本アドシステムズ|NAS(日本アドシステムズ)]]
また、キャスティングの協力を[[青二プロダクション]]が務めている。
=== 主題歌・挿入歌 ===
{{Main2|主題歌を務めたアイドル歌手、および曲の詳細については該当記事を}}
テーマソングのための[[タイアップ]]として、当時の人気アイドルグループ「[[おニャン子クラブ]]」に所属していた[[高井麻巳子]]と[[岩井由紀子]](ゆうゆ)の2人で結成された“'''[[うしろゆびさされ組]]'''”を抜擢。[[秋元康]]&[[後藤次利]]のゴールデンコンビ提供の曲(一部を除く)ということもあり、次々とヒットを飛ばした。
[[1987年]]3月限りで高井麻巳子がおニャン子クラブを卒業するのに伴い“うしろゆびさされ組”は解散となるが、その直前に放送されたアニメ第63話Bパート「[[ハイスクール!奇面組#実在芸能人等の作中への出演|うしろゆびさされ組の卒業式ジャック]]」に本人キャラクターが登場し、[[演奏会|ライブ]]を行なう。また原作では、パロディキャラクターの「'''うしろまわし蹴り炸裂組'''」が登場している。
うしろゆび解散後は、同じくおニャン子クラブ所属の[[工藤静香]]・[[生稲晃子]]・[[斉藤満喜子]]による“'''[[うしろ髪ひかれ隊]]'''”が最終回までの曲を歌った。
==== オープニングテーマ ====
「主題歌」クレジットでは、いずれも「おニャン子クラブ」の名が冠されている。
:;「[[うしろゆびさされ組 (曲)|うしろゆびさされ組]]」(第1話 (1985年10月12日) - 第23話 (1986年4月19日) )
::作詞 - 秋元康 / 作曲 - 後藤次利 / 編曲 - [[佐藤準]] / 歌 - うしろゆびさされ組
::第63話Bパート「うしろゆびさされ組の卒業式ジャック」ではライブとして披露。
:;「[[象さんのすきゃんてぃ]]」(第24話 (1986年5月3日) - 第36話 (8月23日) )
::作詞 - 秋元康 / 作曲・編曲 - 後藤次利 / 歌 - うしろゆびさされ組
::この時点より、OP最後にクレジットされる「フジテレビ」のフォントが変更され、現在もロゴマークとして使われている「[[目玉マーク]]」つきになっている。
:;「[[渚の『・・・・・』]](なぎさのかぎかっこ)」(第37話 (1986年8月30日) - 第49話 (11月29日) )
::作詞 - 秋元康 / 作曲・編曲 - 後藤次利 / 歌 - うしろゆびさされ組
::この時点より、『ハイスクール!奇面組』のタイトルロゴが小型タイプになっている。
:;「[[技ありっ!]]」(第50話 (1986年12月6日) - 第59話 (1987年2月14日) )
::作詞 - 秋元康 / 作曲・編曲 - 後藤次利 / 歌 - うしろゆびさされ組
:;「[[かしこ (曲)|かしこ]]」(第60話(1987年2月21日) - 第65話 (3月28日) )
::作詞 - 秋元康 / 作曲・編曲 - 後藤次利 / 歌 - うしろゆびさされ組
::この時点より、『ハイスクール!奇面組』のタイトルロゴが枠で囲まれたものになっている。
:;「[[時の河を越えて]]」(第66話 (1987年4月11日) - 第78話 (7月11日) )
::作詞 - 秋元康 / 作曲・編曲 - 後藤次利 / 歌 - うしろ髪ひかれ隊
:;「[[あなたを知りたい]]」(第79話 (1987年7月25日) - 第86話 (9月26日) )
::作詞 - 秋元康 / 作曲・編曲 - 後藤次利 / 歌 - うしろ髪ひかれ隊
==== エンディングテーマ ====
:;「[[うしろゆびさされ組 (曲)#収録曲|女学生の決意]]」(第1話 - 第8話)
::作詞 - 秋元康 / 作曲 - [[西崎憲]] / 編曲 - [[山川恵津子]] / 歌 - うしろゆびさされ組
::第38話前半パート「お慕いします事代先生」でも挿入歌として使用。
:;「[[バナナの涙]]」(第9話 - 第23話)
::作詞 - 秋元康 / 作曲・編曲 - 後藤次利 / 歌 - うしろゆびさされ組
::なお、同EDで使用されているのは2番歌詞である。
:;「[[象さんのすきゃんてぃ#収録曲|猫舌ごころも恋のうち]]」(第24話 - 第36話)
::作詞 - 秋元康 / 作曲・編曲 - 後藤次利 / 歌 - うしろゆびさされ組
::なお同曲は、本作[[#劇場版|劇場版]]と同時期に公開された『[[子猫物語]]』のキャンペーンソングにもなっている。
:;「[[渚の『・・・・・』#収録曲|のっとおんりぃ★ばっとおるそう]]」(第37話 - 第49話)
::作詞 - 秋元康 / 作曲・編曲 - 後藤次利 / 歌 - うしろゆびさされ組
:;「ちょっと辛いあいつ」(第50話 - 第59話)
::作詞 - 秋元康 / 作曲 - [[ナガハタゼンジ|長畠ぜんじ]] / 編曲 - [[矢島賢]] / 歌 - [[息っ子クラブ]]
::奇面組主題歌の中では唯一の男性曲である。なお、2010年に[[後藤邑子]]がアルバム『[[ごとそん]]』でこの曲をカバーしている。
::またこの時点より、[[クレジットタイトル|クレジット]]フォントが変更されているほか、OP時の「主題歌」クレジットとは別に「エンディングテーマ」クレジットが追加されている。
:;「[[かしこ (曲)#収録曲|ピタゴラスをぶっとばせ]]」(第60話 - 第65話)
::作詞 - [[沢ちひろ]] / 作曲・編曲 - 後藤次利 / 歌 - うしろゆびさされ組
:;「[[時の河を越えて#収録曲|うしろ髪ひかれたい]]」(第66話 - 第78話)
::作詞 - 秋元康 / 作曲・編曲 - 後藤次利 / 歌 - うしろ髪ひかれ隊
:;「[[あなたを知りたい#収録曲|立つ鳥跡を濁さず]]」(第79話 - 第86話)
::作詞 - 秋元康 / 作曲・編曲 - 後藤次利 / 歌 - うしろ髪ひかれ隊
==== 挿入歌 ====
:;「[[バナナの涙#収録曲|あぶないサ・カ・ナ]]」
::作詞 - 沢ちひろ / 作曲・編曲 - [[芹澤廣明]] / 歌 - うしろゆびさされ組
::第33話「全員出席せよ・水着も光る夏の臨海学校」にて使用。
:;「泣く子も笑う奇面組」
::作詞 - [[小山高生|小山高男]] / 作曲・編曲 - [[山本正之]] / 歌 - 奇面組ファイブ
::劇中で曲の一部がテレビ音声という形で流れた。
:;「ちょっと言わせて」
::作詞 - [[伊藤アキラ]] / 作曲・編曲 - [[佐藤健 (作曲家)|佐藤健]] / 歌 - 松井菜桜子
::第45話「おいでやす!京都・奈良への修学旅行」にて使用(千絵がバス車内で歌うという設定)。
:;「恋はコットン」
::作詞 - 伊藤アキラ / 作曲・編曲 - 佐藤健 / 歌 - 高橋美紀
::[[ハイスクール!奇面組#劇場版|劇場版]]第2パート「臨海学校・永遠なる遠泳」にて使用。
=== 各話リスト ===
*リスト上の「中学編」「高1編」「高2編」「高3編」とは便宜上分けたもの(奇面組の在籍時における区分)であり、正式なタイトルではない。
*サブタイトルは各話ともに冒頭に表示。ただし例外として、第85話「緊急指令!全員集合せよ!!」(総集編)<ref group="注" name=ep85>予告時においては「緊急指令 全員集合・でした」となっていた(前話(第84話)EDより)。</ref>については演出の関係上最後に表示。
*原作とは異なり、サブタイトルの末尾に「の巻」とはつかない。
*「収録巻」欄の「3年」は『3年奇面組』、「HS」は『ハイスクール!奇面組』。ただし、原作準拠の回でも一部相違点が見られる(中学での話が高校での話になるなど)。
*各話のうち、第63話後半「うしろゆびさされ組の卒業式ジャック」から第72話後半「奇面組ニューリーダーは誰だ!」までは、サブタイトルフォントが細字の角ゴシック体になっている(通常は太字の丸ゴシック体)。
==== 中学編(『3年奇面組』編) ====
{| class="wikitable" style="font-size:small"
!放送日!!話数!!サブタイトル!!脚本!!絵コンテ!!演出!!作画監督!!収録巻
|-
|'''1985年'''<br />10月12日||1||へんな顔だーいスキ
でた!奇面フラッシュ
| rowspan="2" |[[小山高生|小山高男]]||colspan="2" style="text-align:center"|[[福冨博|福富博]]||rowspan="5"|[[金沢比呂司]]||3年1巻
|-
|10月19日||2||秘(まるひ)いかりの正義感テスト||[[白土武]]||[[三沢伸]]||3年1巻<br />3年2巻
|-
|10月26日||3||めざせ甲子園!?
超人変態ベースボール
|[[寺田憲史]]||山寺昭夫||高林久弥||HS1巻
|-
|rowspan="2"|11月2日||rowspan="2"|4||冬休み前の試練||rowspan="2"|[[柳川茂]]||[[森脇真琴]]||三沢伸||3年4巻
|-
|寒中お見舞い申しあげます||colspan="2" style="text-align:center"|三沢伸||3年2巻
|-
|11月9日||5||高校一直線!
もう落第はごめんだ
|小山高男||松島明子||高林久弥||[[一川孝久]]||3年6巻
|}
==== 高1編 ====
{| class="wikitable" style="font-size:small"
!放送日!!話数!!サブタイトル!!脚本!!絵コンテ!!演出!!作画監督!!収録巻
|-
|rowspan="2"|'''1985年'''<br />12月7日||rowspan="2"|6||ピッカピカ!!
生徒も教師も一年生
| rowspan="2" |小山高男||rowspan="2"|棚橋一徳||rowspan="2"|三沢伸||rowspan="2"|金沢比呂司||rowspan="2"|HS1巻
|-
|あまのじゃくな女の午後
|-
|12月14日||7||ああ!!低レベル
校内バスケット大会
|柳川茂||松島明子||藤川茂||一川孝久||3年2巻
|-
|rowspan="2"|12月21日||rowspan="2"|8||恐怖の自転車チキンレース||rowspan="2"|小山高男||森脇真琴||rowspan="2"|[[渡部高志]]||rowspan="2"|[[辻初樹]]||HS1巻
|-
|マネしちゃいけない
イタズラ電話
|高林久弥||rowspan="2"|HS4巻
|-
|rowspan="2"|'''1986年'''<br />1月4日||rowspan="2"|9||ハジのかき初め!
新春カルタ大会
| rowspan="2" |寺田憲史||松島明子||三沢伸||rowspan="3"|金沢比呂司
|-
|よろしく!迷犬ラッシー!?||colspan="2" style="text-align:center"|三沢伸||HS6巻
|-
|1月11日||10||満月に吠えろ!
オオカミ少年のジョー!!
|柳川茂||colspan="2" style="text-align:center"|高林久弥||HS3巻
|-
|rowspan="2"|1月18日||rowspan="2"|11||親切心のギャグ効果||rowspan="2"|[[島田満]]||colspan="2" style="text-align:center"|[[池田成]]||rowspan="3"|辻初樹||HS2巻
|-
|身も凍る!雪上大決戦||棚橋一徳||rowspan="2"|渡部高志||3年6巻
|-
|1月25日||12||世紀の校内マラソン必勝法!!||小山高男||森脇真琴||HS4巻
|-
|rowspan="2"|2月1日||rowspan="2"|13||ラブコメしてますか?
唯ちゃん恋人募集中
|島田満||colspan="2" rowspan="2" style="text-align:center"|三沢伸||rowspan="2"|[[近永健一]]||HS1巻
|-
|全員銭湯配置につけ!||寺田憲史||HS3巻
|-
|rowspan="2"|2月8日||rowspan="2"|14||男はつらいよ!?
迷犬ラッシーのマドンナ争奪戦!!
|小山高男||福富博||rowspan="2"|渡部高志||rowspan="2"|辻初樹||HS9巻
|-
|かってにバレンタイン||島田満||[[水谷貴哉]]||HS8巻
|-
|rowspan="2"|2月15日||rowspan="2"|15||ときめき千絵ちゃん早春恋愛記||rowspan="2"|寺田憲史||colspan="2" rowspan="2" style="text-align:center"|藤川茂||rowspan="2"|金沢比呂司||3年5巻
|-
|ライバル!春曲鈍接近||rowspan="2"|HS5巻
|-
|2月22日||16||変態サッカー!?
逆転秘技シャトルループ
|小山高男||colspan="2" style="text-align:center"|渡部高志||辻初樹
|-
|3月1日||17||春一番!?
純情・熱血先生がやって来た!!
|柳川茂||colspan="2" style="text-align:center"|高林久弥||近永健一||HS4巻
|-
|rowspan="2"|3月8日||rowspan="2"|18||人さわがせな転入生||寺田憲史||池田成||[[高本宣弘]]||rowspan="2"|辻初樹||HS5巻
|-
|奇面組スパイ大作戦||小山高男||colspan="2" style="text-align:center"|渡部高志||rowspan="2"|HS8巻
|-
|rowspan="2"|3月15日||rowspan="2"|19||さらば豪くん||寺田憲史||colspan="2" rowspan="2" style="text-align:center"|三沢伸||rowspan="2"|金沢比呂司
|-
|春の定期ヘンタイ度検査||小山高男||HS5巻
|-
|rowspan="2"|3月22日||rowspan="2"|20||お見合いゲキメツ作戦||rowspan="2"|柳川茂||[[木上益治]]||池田成||rowspan="2"|辻初樹||HS11巻
|-
|春休み鈍ちゃん家(ち)
ドンチャンさわぎ!
| colspan="2" style="text-align:center" |渡部高志||HS8巻
|-
|rowspan="2"|3月29日||rowspan="2"|21||迷犬ラッシー人命救助||rowspan="2"|小山高男||colspan="2" rowspan="2" style="text-align:center"|藤川茂||rowspan="2"|金沢比呂司||rowspan="2"|HS11巻
|-
|零クンはおじゃま虫!?
|}
==== 高2編 ====
{| class="wikitable" style="font-size:small"
!放送日!!話数!!サブタイトル!!脚本!!絵コンテ!!演出!!作画監督!!収録巻
|-
|rowspan="2"|'''1986年'''<br />4月12日||rowspan="2"|22||忠犬ラッシー物語||rowspan="2"|柳川茂||colspan="2" style="text-align:center"|高林久弥||rowspan="2"|金沢比呂司||HS7巻
|-
|物星大、春なのにオカマですか?||石崎すすむ||山崎友正||rowspan="2"|HS4巻
|-
|rowspan="2"|4月19日||rowspan="2"|23||レッツ豪!席取り合戦
通学電車は今日も行く
| rowspan="2" |寺田憲史||rowspan="2"|[[早川啓二]]||rowspan="2"|渡部高志||rowspan="2"|辻初樹
|-
|迷犬ラッシーのドキドキ一年生||HS10巻のエピソードの一部を<br />使用したオリジナル
|-
|rowspan="2"|5月3日||rowspan="2"|24||大間仁おいしんぼ万才||小山高男||colspan="2" rowspan="2" style="text-align:center"|三沢伸||rowspan="2"|近永健一||HS4巻
|-
|図書室はてんやわんや||[[山田隆司]]||HS9巻
|-
|rowspan="2"|5月10日||rowspan="2"|25||唯ちゃん恋しや転校生||小山高男||池田成||福富博||rowspan="3"|辻初樹||3年5巻
|-
|正義のスケベ出瀬潔||山田隆司||colspan="2" style="text-align:center"|高本宣弘||HS4巻
|-
|5月17日||26||6月の花嫁
伊狩せんせのハッピー結婚式
|寺田憲史||colspan="2" style="text-align:center"|渡部高志||HS7巻
|-
|rowspan="2"|5月24日||rowspan="2"|27||霧ちゃんは優等生||rowspan="4"|小山高男||松島明子||rowspan="2"|藤川茂||rowspan="2"|金沢比呂司||rowspan="2"|HS9巻
|-
|事代せんせ熱血伝||福富博
|-
|rowspan="2"|5月31日||rowspan="2"|28||ケーキなんか大キライだ||colspan="2" style="text-align:center"|森脇真琴||[[奈須川充]]||HS3巻
|-
|悲惨な盲腸炎||colspan="2" style="text-align:center"|三沢伸||rowspan="3"|金沢比呂司||3年1巻
|-
|rowspan="2"|6月14日||rowspan="2"|29||根性ラーメン食べるマッチ||rowspan="2"|山田隆司||colspan="2" style="text-align:center"|高林久弥||HS10巻
|-
|モデルは金髪美人||[[中村隆太郎]]||山崎友正||HS3巻
|-
|rowspan="2"|6月28日||rowspan="2"|30||つっぱり子猫物語||rowspan="2"|寺田憲史||colspan="2" style="text-align:center"|三沢伸||rowspan="2"|近永健一||HS10巻
|-
|零くん熱烈ラブコール!?||rowspan="2"|松島明子||三沢伸||HS14巻
|-
|7月5日||31||クラス対抗
ピチピチチャップン水泳大会
|小山高男||藤川茂||一川孝久||3年4巻
|-
|rowspan="2"|7月12日||rowspan="2"|32||事代先生なわぬけの術||rowspan="2"|山田隆司||福富博||高林久弥||[[わたなべひろし|渡辺浩]]||HS12巻
|-
|初恋!それとも…?
モジモジ豪くん
| colspan="2" style="text-align:center" |高林久弥||松下浩美||HS11巻
|-
|7月19日||33||全員出席せよ
水着も光る夏の臨海学校
|寺田憲史||colspan="2" style="text-align:center"|三沢伸||近永健一||HS6巻
|-
|rowspan="2"|8月2日||rowspan="2"|34||夏休みズボラ日記||小山高男||[[うえだひでひと|舞刀満]]||藤川茂||金沢比呂司||HS10巻
|-
|納涼ヘンタイ花火大会||rowspan="2"|山田隆司||colspan="2" style="text-align:center"|藤川茂||佐々木敏子||3年4巻
|-
|rowspan="2"|8月9日||rowspan="2"|35||夏休みいなか体験旅行||colspan="2" style="text-align:center"|高林久弥||rowspan="2"|一川孝久||HS6巻
|-
|お祭り好きたちの夜||小山高男||rowspan="2"|舞刀満||山崎友正||HS10巻
|-
|8月23日||36||キャンプでドッキリ!!
夏の思い出づくり
| rowspan="3" |山田隆司||藤川茂||佐々木敏子||HS2巻
|-
|rowspan="2"|8月30日||rowspan="2"|37||落とし物!
拾う勇気に届ける勇気
| colspan="2" style="text-align:center" |高林久弥||一川孝久||HS14巻
|-
|ロケ隊がやって来た!||colspan="2" style="text-align:center"|前園文夫||rowspan="2"|奈須川充||HS9巻
|-
|rowspan="2"|9月6日||rowspan="2"|38||お慕いします事代先生||rowspan="2"|寺田憲史||colspan="2" style="text-align:center"|森脇真琴||HS7巻
|-
|恒例!?秋の防災訓練||colspan="2" style="text-align:center"|藤川茂||一川孝久||rowspan="2"|HS3巻
|-
|9月13日||39||魔女VS魔男 決死のバレー大会||小山高男||colspan="2" style="text-align:center"|高林久弥||近永健一
|-
|rowspan="2"|9月20日||rowspan="2"|40||学園祭変態バザール||rowspan="2"|寺田憲史||colspan="2" style="text-align:center"|三沢伸||rowspan="2"|金沢比呂司||HS14巻
|-
|ラッシーは野球犬||colspan="2" style="text-align:center"|山崎友正||HS12巻
|-
|rowspan="2"|9月27日||rowspan="2"|41||奇面組入門テスト||rowspan="2"|山田隆司||中原誠||rowspan="2"|藤川茂||佐々木敏子||HS14巻
|-
|災難レストラン||舞刀満||金沢比呂司||オリジナル
|-
|10月11日||42||うれし!はずかし!
秋のビックリ運動会
| rowspan="3" |小山高男||colspan="2" style="text-align:center"|高林久弥||一川孝久||3年5巻
|-
|rowspan="2"|10月18日||rowspan="2"|43||伝説の英雄(ヒーロー)・母校へ帰る||中原誠||三沢伸||金沢比呂司||オリジナル
|-
|世紀の対決!釣り師VS巨大魚||[[湖山禎崇]]||前園文夫||奈須川充||HS14巻
|-
|rowspan="2"|10月25日||rowspan="2"|44||哀愁の潔くん||rowspan="2"|山田隆司||rowspan="2"|舞刀満||rowspan="2"|藤川茂||rowspan="2"|金沢比呂司||HS11巻
|-
|青春という名のピンナップ||オリジナル
|-
|11月1日||45||おいでやす!
京都・奈良への修学旅行
|寺田憲史||colspan="2" style="text-align:center"|三沢伸||[[只野和子]]||3年3・4巻
|-
|rowspan="2"|11月8日||rowspan="2"|46||怒りの赤バット||rowspan="2"|山田隆司||森脇真琴||rowspan="2"|高林久弥||rowspan="3"|金沢比呂司||HS13巻
|-
|毎度おさわがせ身体検査||舞刀満||オリジナル
|-
|rowspan="2"|11月15日||rowspan="2"|47||過去との遭遇
今よみがえる幻の…
| rowspan="2" |小山高男||colspan="2" style="text-align:center"|山崎友正||HS8巻
|-
|みんな一緒に七五三||colspan="2" style="text-align:center"|森脇真琴||奈須川充||オリジナル
|-
|rowspan="2"|11月22日||rowspan="2"|48||悲しき窓辺の少女||rowspan="2"|山田隆司||colspan="2" style="text-align:center"|三沢伸||佐々木敏子||HS13巻
|-
|一発勝負のヤミ鍋大会||舞刀満||三沢伸||rowspan="3"|金沢比呂司||オリジナル
|-
|rowspan="2"|11月29日||rowspan="2"|49||だまし、だまされ
秘(まるひ)どっきりカメラ
| rowspan="2" |小山高男||湖山禎崇||rowspan="2"|高林久弥||HS14巻
|-
|人のクセみて七クセなおせ||舞刀満||HS16巻
|-
|rowspan="2"|12月6日||rowspan="2"|50||犬に小判||rowspan="4"|山田隆司||colspan="2" style="text-align:center"|藤川茂||rowspan="2"|近永健一||HS16巻
|-
|唯ちゃんのビックリ誕生日||湖山禎崇||藤川茂||3年1巻
|-
|rowspan="2"|12月13日||rowspan="2"|51||オネショは誰だ||神崎貢一||山崎友正||金沢比呂司||HS16巻
|-
|当たれ福引きハワイ旅行||colspan="2" style="text-align:center"|三沢伸||一川孝久||オリジナル
|-
|rowspan="2"|12月20日||rowspan="2"|52||不運な勧誘員||rowspan="3"|小山高男||湖山禎崇||高林久弥||奈須川充||HS13巻
|-
|きよしこの夜
メルヘンサンタがやって来た
| colspan="2" style="text-align:center" |藤川茂||佐々木敏子||オリジナル
|-
|rowspan="2"|'''1987年'''<br />1月3日||rowspan="2"|53||技ありっ!
新年とんだタコあげ大会
| colspan="2" style="text-align:center" |池田成||rowspan="3"|金沢比呂司||HS8巻
|-
|お手がら三人組||山田隆司||colspan="2" style="text-align:center"|山崎友正||HS16巻
|-
|rowspan="2"|1月10日||rowspan="2"|54||新春がまん大会||小山高男||神崎貢一||rowspan="2"|三沢伸||HS11巻
|-
|意地の張り合い外食デー||rowspan="2"|山田隆司||湖山禎崇||奈須川充||HS13巻
|-
|1月17日||55||ゲレンデ・シュプール
白い雪スキー合宿特訓
|池田成||高林久弥||小林早苗||3年6巻
|-
|rowspan="2"|1月24日||rowspan="2"|56||イヤイヤ家庭訪問||rowspan="4"|小山高男||神崎貢一||rowspan="2"|藤川茂||佐々木敏子||HS17巻
|-
|スケート場大パニック||池田成||rowspan="3"|金沢比呂司||HS4巻
|-
|rowspan="2"|1月31日||rowspan="2"|57||おねむり仁くん||colspan="2" style="text-align:center"|山崎友正||HS17巻
|-
|激突ヘンタイ・ボーリング||colspan="2" style="text-align:center"|三沢伸||3年5巻
|-
|rowspan="2"|2月7日||rowspan="2"|58||潔くんのくどき方教室||rowspan="2"|山田隆司||湖山禎崇||高林久弥||奈須川充||HS16巻
|-
|トラガリ豪くん||colspan="2" style="text-align:center"|高林久弥||rowspan="2"|金沢比呂司||HS17巻
|-
|rowspan="2"|2月14日||rowspan="2"|59||お予知になって大くん||rowspan="2"|小山高男||colspan="2" style="text-align:center"|池田成||HS18巻
|-
|はた迷惑で商売繁昌||湖山禎崇||藤川茂||佐々木敏子||オリジナル
|-
|2月21日||60||名犬ラッシーの
シンデレラ物語
|山田隆司||遠藤克己||三沢伸||近永健一||rowspan="2"|HS18巻
|-
|rowspan="2"|2月28日||rowspan="2"|61||零くんのルス番日記||rowspan="2"|小山高男||colspan="2" style="text-align:center"|高林久弥||rowspan="3"|金沢比呂司
|-
|霧ちゃんのひなまつり||佐々木裕之||高林久弥||オリジナル
|-
|3月7日||62||がんばれ!ロボットくん||柳川茂||colspan="2" style="text-align:center"|山崎友正||HS13巻
|-
|rowspan="2"|3月14日||rowspan="2"|63||遅刻ワースト記録を阻止せよ!||rowspan="2"|山田隆司||colspan="2" style="text-align:center"|池田成||rowspan="2"|奈須川充||rowspan="2"|オリジナル
|-
|うしろゆびさされ組の卒業式ジャック
| colspan="2" style="text-align:center" |三沢伸
|-
|3月21日||64||柔道入門 強い相手に
必ず勝つ方法!?
|柳川茂||遠藤克己||藤川茂||近永健一||HS7巻
|-
|3月28日||65||お花見でお見合い
一日一善の初恋談義
|小山高男||阿宮正和||三沢伸||佐々木敏子<br />一川孝久||HS12巻のエピソードをアレンジ
|}
==== 高3編 ====
{| class="wikitable" style="font-size:small"
!放送日!!話数!!サブタイトル!!脚本!!絵コンテ!!演出!!作画監督!!収録巻
|-
|'''1987年'''<br />4月11日||66||春らんまん 新入生歓迎会は
大パニック!
| rowspan="2" |山田隆司||岩田六||山崎友正||rowspan="3"|金沢比呂司||HS5巻
|-
|rowspan="2"|4月18日||rowspan="2"|67||あきれた風紀委員団||湖山禎崇||rowspan="2"|高林久弥||HS11巻
|-
|度胸だめしで男の証明||rowspan="4"|柳川茂||池田成||rowspan="2"|オリジナル
|-
|rowspan="2"|4月25日||rowspan="2"|68||汗と涙のチャリティーバザー||colspan="2" style="text-align:center"|池田成||rowspan="2"|奈須川充
|-
|悲惨な給料日||湖山禎崇||池田成||HS19巻
|-
|rowspan="2"|5月2日||rowspan="2"|69||サーブで勝負!ピンポンボーイ||rowspan="2"|遠藤克己||rowspan="2"|藤川茂||rowspan="2"|近永健一||HS13巻
|-
|子供の日・一平クンと背くらべ||rowspan="3"|山田隆司||オリジナル
|-
|rowspan="2"|5月16日||rowspan="2"|70||大変身!!迫力唯ちゃん||rowspan="2"|横山広行||rowspan="2"|山崎友正||rowspan="2"|金沢比呂司||HS19巻
|-
|スケバンあまのじゃく||オリジナル
|-
|rowspan="2"|5月23日||rowspan="2"|71||唯ちゃんの細腕繁昌記||rowspan="2"|柳川茂||湖山禎崇||rowspan="2"|三沢伸||佐々木敏子||HS15巻
|-
|ラッシーの愛情測定||阿宮正和||rowspan="5"|金沢比呂司||オリジナル
|-
|rowspan="2"|5月30日||rowspan="2"|72|||あわれ!ハイスクールジャック||rowspan="2"|山田隆司||湖山禎崇||高林久弥||HS15巻
|-
|奇面組ニューリーダーは誰だ!||colspan="2" style="text-align:center"|高林久弥||オリジナル
|-
|rowspan="2"|6月6日||rowspan="2"|73||恐怖のカビ怪人||柳川茂||横山広行||山崎友正||HS13巻
|-
|唯ちゃんのときめきテニス||[[荒川稔久]]||colspan="2" style="text-align:center"|山崎友正||オリジナル
|-
|rowspan="2"|6月13日||rowspan="2"|74||悲しき!?少年剣士||rowspan="2"|山田隆司||colspan="2" rowspan="2" style="text-align:center"|池田成||rowspan="2"|奈須川充||HS2巻
|-
|珍記録スポーツテスト||HS14巻
|-
|rowspan="2"|6月20日||rowspan="2"|75||鈍組スカウト大作戦||rowspan="5"|柳川茂||colspan="2" style="text-align:center"|藤川茂||rowspan="2"|近永健一||rowspan="2"|オリジナル
|-
|父の日の秘(まるひ)プレゼント||遠藤克己||藤川茂
|-
|rowspan="2"|6月27日||rowspan="2"|76||なんてったって千絵ちゃん||胡山禎崇||三沢伸||rowspan="2"|金沢比呂司||HS16巻のエピソードを大幅に<br />アレンジ
|-
|お使いラッシー||colspan="2" style="text-align:center"|三沢伸||HS19巻
|-
|7月4日||77||野性の少女 エルザが
街にやってきた
| colspan="2" style="text-align:center" |高林久弥||佐々木敏子||HS14巻
|-
|7月11日||78||悩みバクハツ
父になったラッシー
|山田隆司||横山広行||山崎友正||rowspan="3"|金沢比呂司||rowspan="5"|オリジナル
|-
|rowspan="2"|7月25日||rowspan="2"|79||事代先生の宝クジ騒動||[[千葉克彦]]<br />小山高男||colspan="2" style="text-align:center"|藤川茂
|-
|人気教師ベストテン||柳川茂||阿宮正和||藤川茂
|-
|rowspan="2"|8月1日||rowspan="2"|80||スイカがこわい||金井克巳<br />小山高男||湖山禎崇||rowspan="2"|高林久弥||rowspan="2"|近永健一
|-
|ラッシーの恋愛騒動記||荒川稔久<br />小山高男||遠藤克己
|-
|8月15日||81||オバケでびっくり!
どろぼーもドッキリ!
|山田隆司||colspan="2" style="text-align:center"|三沢伸||rowspan="2"|一川孝久||HS2巻のエピソードの一部を<br />使用したオリジナル
|-
|rowspan="2"|8月22日||rowspan="2"|82||霧ちゃんのすて猫物語||小山高男||colspan="2" style="text-align:center"|山崎友正||rowspan="4"|オリジナル
|-
|ばあやさんの家出||柳川茂||横山広行||山崎友正||rowspan="3"|佐々木敏子
|-
|rowspan="2"|8月29日||rowspan="2"|83||唯ちゃんの麦わら帽子||rowspan="2"|山田隆司||rowspan="2"|佐々木裕之||rowspan="2"|藤川茂
|-
|大くんを男らしく
|-
|9月12日||84||決闘!三重の塔・珍拳勝負||小山高男||colspan="2" style="text-align:center"|福富博||金沢比呂司||HS9巻のエピソードを再構成<br />※劇場版第3パート([[ハイスクール!奇面組#内容について|後述]])
|-
|9月19日||85||緊急指令!全員集合せよ!!<ref group="注" name=ep85 />||小山高男(構成)<br />寺田憲史<br />島田満<br />柳川茂||colspan="2" style="text-align:center"|三沢伸||一川孝久||オリジナル(総集編)
|-
|9月26日||86||一応高の人気もの
ひょうきん奇面組解散
|わたなべゆうこ<br />小山高男||colspan="2" style="text-align:center"|池田成||奈須川充||オリジナル(アニメ版最終回)
|}
=== 実在芸能人等の作中への出演 ===
第50話前半パート「犬に小判」では、当時フジテレビ[[日本のアナウンサー|アナウンサー]]だった[[露木茂]]がニュースを読むアナウンサー役で出演している。ただし声のみであり、顔は本人ではない。
第63話後半パート「うしろゆびさされ組の卒業式ジャック」では、[[うしろゆびさされ組]]自身が本人役でゲスト出演し、デビュー曲「[[うしろゆびさされ組 (曲)|うしろゆびさされ組]]」を豪たちによるバック演奏つき(パートについては初代OPに準ずる)という形で披露した。これは、開始当初から主題歌を担当していた同ユニットが解散するのに伴う設定であり、「うしろゆびさされ組が一応高の[[卒業式]]にサプライズ出演する」という内容だった。なお、声による出演はトーク部分のみであり、歌唱シーンはサントラ音源を使用している。また放送の際、原作者の新沢が2人のキャラクターデザインなど参考カットを新規に起こしてスタッフに渡している<ref>新沢基栄「特集! えーっ! ホントォ!? あの「うしろゆび」がアニメに出演するんだって!??」『ハイスクール!奇面組 第16巻』集英社〈ジャンプ・コミックス〉、1987年2月15日、{{ISBN2|4-08-851366-5}}、138・152頁。</ref>。このほかうしろゆびの2人は、JC第15巻にも表紙で登場している。
{{see also|ハイスクール!奇面組の登場人物一覧#実在本人によるもの}}
=== 放送局 ===
本放送は、以下の[[フジネットワーク|FNS]]各局ほかにて放送された(同時ネット局は原作が終了した1987年7月当時の23局<ref>『週刊少年ジャンプ』1987年7月6日30号・327頁。</ref>、遅れネットは個別に出典が提示されているものを除き1986年10月中旬 - 11月上旬時点<ref>{{Cite journal |和書 |journal=[[アニメージュ]] |issue=1986年11月号 |publisher=[[徳間書店]] |title=全国縦断放映リスト |pages=114 - 116}}</ref>)。また、系列は当時のものとする。
{| class="wikitable" style="font-size:small"
|-
!放送対象地域!!放送局!!放送日時!!放送時間!!系列!!ネット状況!!備考
|-
|[[関東地方|関東広域圏]]||[[フジテレビジョン|フジテレビ]]||rowspan="24"|[[1985年]][[10月12日]] - [[1987年]][[9月26日]]||rowspan="24"|土曜 19:30 - 20:00||rowspan="20"|[[フジネットワーク|フジテレビ系列]]||colspan="2"|'''制作局'''
|-
|[[北海道]]||[[北海道文化放送]]||rowspan="23"|同時ネット||
|-
|[[秋田県]]||[[秋田テレビ]]||<ref group="注">1987年まで[[オールニッポン・ニュースネットワーク|テレビ朝日系列]]とのクロスネットだった。</ref>
|-
|[[山形県]]||[[山形テレビ]]||
|-
|[[宮城県]]||[[仙台放送]]||
|-
|[[福島県]]||[[福島テレビ]]||
|-
|[[新潟県]]||[[新潟総合テレビ]]||
|-
|[[長野県]]||[[長野放送]]||
|-
|[[静岡県]]||[[テレビ静岡]]||
|-
|[[富山県]]||[[富山テレビ放送|富山テレビ]]||
|-
|[[石川県]]||[[石川テレビ放送|石川テレビ]]||
|-
|[[福井県]]||[[福井テレビジョン放送|福井テレビ]]||
|-
|[[中京地区|中京広域圏]]||[[東海テレビ]]||
|-
|[[近畿地方|近畿広域圏]]||[[関西テレビ放送|関西テレビ]]||
|-
|[[島根県]]<br />[[鳥取県]]||[[山陰中央テレビジョン放送|山陰中央テレビ]]||
|-
|[[岡山県・香川県の放送|岡山県<br />香川県]]||[[岡山放送]]||
|-
|[[広島県]]||[[テレビ新広島]]||
|-
|[[愛媛県]]||[[テレビ愛媛]]||
|-
|[[福岡県]]||[[テレビ西日本]]||
|-
|[[佐賀県]]||[[サガテレビ]]||
|-
|[[長崎県]]||[[テレビ長崎]]||フジテレビ系列<br />[[日本ニュースネットワーク|日本テレビ系列]]||
|-
|[[熊本県]]||[[テレビ熊本]]||フジテレビ系列<br />[[オールニッポン・ニュースネットワーク|テレビ朝日系列]]||
|-
|[[宮崎県]]||[[テレビ宮崎]]||フジテレビ系列<br />日本テレビ系列<br />テレビ朝日系列||
|-
|[[沖縄県]]||[[沖縄テレビ放送|沖縄テレビ]]||フジテレビ系列||
|-
|[[青森県]]||[[青森放送]]||||木曜 17:00 - 17:30||日本テレビ系列<br />テレビ朝日系列||rowspan="7"|遅れネット||
|-
|[[岩手県]]||岩手放送||||金曜 16:30 - 17:00||rowspan="2"|[[ジャパン・ニュース・ネットワーク|TBS系列]]||現・[[IBC岩手放送]]
|-
|[[山梨県]]||[[テレビ山梨]]||||月曜 16:25 - 16:55||
|-
|[[山口県]]||[[テレビ山口]]||||木曜 17:00 - 17:30||TBS系列<br />フジテレビ系列||
|-
|[[徳島県]]||[[四国放送]]||1988年時点で放送||火曜 17:30 - 18:00||rowspan="2"|日本テレビ系列||<ref>「TV STATION NETWORK」『[[アニメディア]]』1988年6月号、[[Gakken|学習研究社]]、81頁。</ref>
|-
|[[高知県]]||[[高知放送]]||||木曜 16:55 - 17:25||
|-
|[[大分県]]||[[テレビ大分]]||本放送終了後の1989年に放送<ref>『[[アニメディア]]』1989年9月号([[Gakken|学習研究社]])テレビ局ネットワーク p.91。</ref>||木曜 16:30 - 17:00||フジテレビ系列<br />日本テレビ系列<br />テレビ朝日系列||
|}
=== 再放送 ===
本放送終了後も各[[ローカル局|地方局]]の地上波で繰り返し[[再放送]]されるほか、近年は[[ケーブルテレビ]]や[[日本における衛星放送|衛星放送]]での再放送に加え、ネット配信放送も行なわれている(下記参照)。
{| class="wikitable" style="font-size:small"
|-
!放送局
!放送期間
!放送系列
!備考
|-
|[[アニマックス]]
|多数の時期にわたって放送<br />(地上波再放送分同様に一部場面カットあり)
|rowspan="2"|[[日本における衛星放送|CS放送]]
|rowspan="2"|リピート放送あり
|-
|[[フジテレビTWO|フジテレビ721]]、[[フジテレビONE]]
|1週2話連続放映
|-
|[[BIGLOBEストリーム]]
|12回分ずつ配信
|[[インターネットテレビ|ネット配信]]
|毎週6回分更新
|}
ちなみに関東では、フジテレビ(1987年-1988年)⇒[[テレビ東京]](1990年、『アニメランド』にて)⇒フジテレビ(1992年-1993年)<ref group="注">途中、『[[ウゴウゴルーガ]]』再放送のため数ヶ月間休止([[ウゴウゴルーガ#脚注|こちら]]を参照)。</ref>と3回再放送されたほか、[[全国独立放送協議会|独立UHF局]]でも[[テレビ埼玉]]や[[千葉テレビ放送]]・[[群馬テレビ]]にて放送された。
*再放送の際には主に以下の例が発生することもある。
**一部シーンのカット
**ED自体の省略
**EDが流れる場合でも最後の予告部分のカット
***「制作協力」の表示の時点または直後でフェードアウトする形式。
***ちなみにED「うしろ髪ひかれたい」の場合は、本来は唯が明りを消すシーン(手前シーン)⇒次回予告⇒唯の寝ているシーン(最後シーン)という流れであるが、再放送では手前シーンから直接最後シーンに飛ぶ例も存在する。
*フジテレビ系以外での場合、OPの最後が別画面で「制作 [[日本アドシステムズ|NAS]]」となる例も存在する。
*第1話のEDでは、前半部に第2話のED前半部を流用したうえで後半に第1話の名場面集を入れて放送された例もある。ちなみに第1話の本放送では、同話の名場面集や静止画カットなどを一部挿入した「暫定バージョン」が使用された。再放送やDVD-BOX版では修正されている。
=== 劇場版 ===
[[1986年]][[7月12日]]に、『[[東映まんがまつり]]』の一作として3部構成で公開された。タイトルは通常と同じく『'''ハイスクール!奇面組'''』。のちに[[東映ビデオ]]より商品化された。
テレビでは、1988年1月1日 7:30 - 8:24 (日本標準時)にフジテレビ元日特番『[[新春アニメ劇場]]』<ref group="注">ちなみに翌年1989年は特別番組のため休止、かつ同年1月7日に[[昭和天皇]]が[[崩御]]したため、結果的に本作が昭和最後の放映作品となった。</ref>で放送。放送時間の都合上、一部シーンがカットされた(劇中歌「恋はコットン」が途中カットされるなど)。
==== 内容について ====
OPやEDの映像は、TVサイズの[[アスペクト比|比率]]4:3で制作されたものを横合わせで映画用の16:9に調整しているため、通常のTV版の映像よりも縦方向が25%ほどカットされている。また、サブタイトル画面の背景がそれぞれ通常の赤ベースとは異なったものになっている。
#「荒磯に波」(「[[東映]]」のタイトル)
#OP「うしろゆびさされ組」(『ハイスクール!奇面組』のタイトルとともに「[[映画倫理委員会|映倫]]」マークの表示)
#:歌詞テロップなし。また[[クレジットタイトル|クレジット]]フォントが通常と異なるほか、最後が「制作 NAS」となっている。
#第1パート「やめてお願い!夏休み補習授業」(ピンクベース)
#:臨海学校前の奇面組に対する補習のエピソードであるが、原作とは異なる展開になっている。
#:冒頭で主要キャラ8名が順次表記される。
#:(河川唯・宇留千絵・一堂零・冷越豪・大間仁・出瀬潔・物星大・事代作吾)
#「バナナの涙」 - ノンテロップ版。ただし歌詞は出る。
#第2パート「臨海学校・永遠なる遠泳」(青ベース)
#:[[トライアスロン]]大会。第33話「全員出席せよ・水着も光る夏の臨海学校」では省略されたエピソード。
#「象さんのすきゃんてぃ」 - ノンテロップ版。ただし、『ハイスクール!奇面組』のタイトルと歌詞は出る。
#第3パート「決闘!三重の塔・珍拳勝負!!」(緑ベース)
#:原作に登場した[[ハイスクール!奇面組の登場人物一覧#憎組(にくみ)/寒風大学空手部|憎組]]のうち、怒裸権榎道(どらごん えのみち)および爺面七重吾(じいめん ななじゅうご)を除く3人が寒風(かんふう)大学空手部の部員として登場。唯と千絵が囚われの身となり(実は石砂拓真による仕掛け)、一応寺の三重塔で事代作吾<ref group="注">原作における[[ハイスクール!奇面組の登場人物一覧#空手部|北殿軒戻樹]]の代役として登場しているため、事代は教師でありながら顧問や監督ではなく、部長という設定になっている。</ref>と奇面組が対決する。
#:この第3パートは、のちにテレビ本放送でも第84話として放映された(サブタイトルの背景も緑ベースのまま)。なお画面が本来のTVサイズに戻ったことで、劇場版ではカットされていた上下の部分も見えるようになっている。
#ED「猫舌ごころも恋のうち」
#:クレジットはスクロール式(歌詞テロップなし)、最後はブルーバックで「おわり」と表示。
また当時の東映ビデオ商品では、本編の最後に「作品紹介」のコーナーがあった。ちなみに本作の場合は『東映まんがまつり』の宣伝となっていた(奇面組のほか、後述の同時上映作品の宣伝)。
==== スタッフ ====
* 製作 - 関谷猪三男
* 企画 - [[土屋登喜蔵]]
* 脚本 - [[小山高生]]
* 絵コンテ・演出 - [[森脇真琴]](Iパート)、[[三沢伸]](IIパート)、[[福冨博|福富博]](IIIパート)
* キャラクターデザイン・総作画監督 - [[金沢比呂司]]
* 作画監督 - [[奈須川充]]
* 美術監督 - [[古谷彰]]
* 撮影監督 - 金子仁、菊地英明
* 編集 - [[岡安肇]]
* 音響監督 - [[斯波重治]]
* 音楽 - [[菊池俊輔]]
* プロデューサー - [[片岡義朗]]、[[原田一男]]、[[茂垣弘道]]
* 制作協力 - [[スタジオコメット]]
* 制作 - [[日本アドシステムズ|NAS]]
==== 同時上映 ====
*[[ゲゲゲの鬼太郎 最強妖怪軍団!日本上陸!!]]
*[[キャプテン翼 世界大決戦!!Jr.ワールドカップ]]
*[[メイプルタウン物語 (1986年の映画)|メイプルタウン物語]]
=== 海外での放映 ===
[[アジア]]や[[ヨーロッパ]]をはじめとする諸外国でも放映された。[[フランス]]では、『Le Collège fou, fou, fou』という現地名に改名されて放映された。しかし、一部キャラクターの声や第12回の翻訳ではミスがあった。また、第84話(劇場版からの再録)と第85話(総集編)は翻訳されず、未放送となった。
=== VHS・DVD・Blu-ray ===
; ハイスクール!奇面組オリジナル劇場版VHS([[東映ビデオ]])
: 1986年に『東映まんがまつり』の一作として3本立て構成で公開された作品として、東映ビデオからリリースされたが、現在は廃盤となっている。
; ハイスクール!奇面組 DVD-BOX([[マーベラスエンターテイメント]])
: 2001年にテレビシリーズ全話収録のDVD-BOXが3部に分けて発売された。BOXやDVDジャケットイラストは作者描き下ろし。
: 第1話EDおよび息っ子クラブ「ちょっと辛いあいつ」は未収録<ref group="注">[[フジテレビオンデマンド|FOD]]や[[U-NEXT]]などの配信版も同様。</ref>。OPおよびEDテーマを歌った「うしろゆび」「うしろ髪」がキャニオンレコード(後の[[ポニーキャニオン]])<ref group="注" name="pc">1987年10月21日、映像部門の「ポニー」と音響部門の「キャニオンレコード」が合併し、現社名となった。</ref>所属だったのに対し、「息っ子」はEPICソニー(後の[[エピックレコードジャパン]])所属だったため、「ちょっと辛いあいつ」分のEDがまるごと未収録となっている。
; ハイスクール!奇面組 COMPLETE DVD-BOX([[スーパー・ビジョン (企業)|スーパー・ビジョン]])
: 新たに発掘された映像も収録の「'''完全収録版'''」。
: BOX1は2007年12月21日に発売。ディスク8枚組、第1話 - 第47話を収録。第1話EDも初収録。[[セルビデオ|セル版]]では、先述の作者描き下ろしのアニメスタッフ向け設定資料などを収録したブックレットが付属。
: BOX2は2008年2月22日に発売。ディスク7枚組、第48話 - 第86話および劇場版を収録<ref group="注">「決闘!三重の塔・珍拳勝負!!」については、テレビ第84話版と劇場第3パート版の両方が収録されている。</ref>。ED「ちょっと辛いあいつ」もDVD初収録。セル版では、奇面組の5人の携帯ストラップが付属。
: セル版のほか、[[レンタルビデオ|レンタル版]]も設定されている(ジャケットおよびDVD本体に「レンタル専用」の表記がある)。
; [http://www.s-manga.net/book/978-4-08-908165-5.html ジャンプスーパーHEROES スペシャルコレクションDVD vol.5](集英社、2012年12月21日)
: 懐かしのジャンプアニメの第1話を収録。ちなみにvol.5は「'''痛快!!コメディ★ヒーローズ'''」と称し、本作を含めた下記6作品を収録(カッコ内は原作者)。
:* ハイスクール!奇面組([[新沢基栄]])
:* [[きまぐれオレンジ☆ロード]]([[まつもと泉]])
:* [[燃える!お兄さん]]([[佐藤正 (漫画家)|佐藤正]])
:* [[まじかる☆タルるートくん]]([[江川達也]])
:* [[とっても!ラッキーマン]]([[ガモウひろし]])
:* [[みどりのマキバオー]]([[つの丸]])
; ハイスクール! 奇面組 Blu-ray BOX 上巻・下巻([[ポニーキャニオン]])
: パラ消し、ノイズ除去、色補正を施したHDリマスターによる初のBlu-ray作品として、2017年11月2日に発売。上巻は1話~44話を収録。下巻は45話~86話(最終話)と劇場版を収録。
=== サウンドトラック ===
{{Main2|うしろゆびさされ組のアルバム|うしろゆびさされ組#アルバム|うしろ髪ひかれ隊のアルバム|うしろ髪ひかれ隊#アルバム}}
テレビアニメの[[背景音楽|BGM]]と[[主題歌]]を収録したサントラ盤が[[ポニーキャニオン]](旧・キャニオンレコード)<ref group="注" name="pc" />よりリリースされた。なお、音楽組・音楽組2のBGMは、現在でもテレビ番組のBGMとして使用される場合がある<ref group="注">特に、[[イザワオフィス]]制作の『[[ドリフ大爆笑]]』や『[[志村けんのだいじょうぶだぁ]]』(奇面組終了後に開始)ではよく使用されていた。奇面組に限らず、アニメやゲームのBGMはテレビ番組などで使用される機会が多い。</ref>。
*ハイスクール!奇面組 音楽組(1986年2月21日)
*ハイスクール!奇面組 音楽組2(1986年7月21日)
*ハイスクール!奇面組 オリジナルテーマ・ソング組(1987年10月21日)
**CDの帯には「完全」と記載されているが、「ちょっと辛いあいつ」は収録されていない(「テーマソング組+」には収録されている)。
*ハイスクール!奇面組 テーマソング組+(プラス)(1999年3月17日)
*Myこれ!チョイス 40 ハイスクール!奇面組 TVアニメ主題歌・挿入歌集(2008年7月16日)
**全曲[[マスタリング#リマスタリング|デジタルリマスタリング]]。「ちょっと辛いあいつ」と「わたしは知恵の輪」は未収録。声優が歌った挿入歌が収録されている。
*決定盤 ハイスクール!奇面組 アニメ主題歌&キャラクター主題歌カバー集(2017年7月19日)<ref>{{cite news|url=http://hp.ponycanyon.co.jp/short/sakuhin/PCCK000020164/?REF=MUSIC|title=決定盤「ハイスクール!奇面組」アニメ主題歌&キャラクター主題歌カバー集(ポニーキャニオン)|accessdate=2017-9-24}}</ref><ref>{{cite news|url=https://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1706/21/news146.html|title=「ハイスクール!奇面組」決定盤アルバム 「アニメ主題歌&キャラクター主題歌カバー集」発売!(ねとらぼ)|accessdate=2017-9-24}}</ref>
**アニメOP・EDおよび挿入歌、ならびに高橋美紀(河川唯役)・松井菜桜子(宇留千絵役)によるカバー曲を収録。なお、「ちょっと辛いあいつ」および「わたしは知恵の輪」は未収録。2枚組。
{{前後番組
| 放送局 = [[フジテレビジョン|フジテレビ]][[フジネットワーク|系列]]
| 放送枠 = [[フジテレビ系列土曜夜7時台枠のアニメ|土曜19:30 - 19:54枠]]
| 番組名 = ハイスクール!奇面組<br />(1985年10月12日 - 1987年9月26日)<br />※ここからアニメ枠
| 前番組 = [[ザ・対決!]]<br />(1985年4月13日 - 1985年9月28日)<br />※[[本気でライバル|改題]]の上、金曜19:00枠へ移動<br />※ここまでクイズ番組枠<br />※19:00 - 19:54
| 次番組 = [[ついでにとんちんかん]]<br />(1987年10月17日 - 1988年10月1日)
| 2放送局 = フジテレビ
| 2放送枠 = 土曜19:54 - 20:00枠
| 2番組名 = ハイスクール!奇面組<br />(1985年10月12日 - 1987年9月26日)
| 2前番組 = [[ドタンバのマナー]]<br />※ここまでローカルセールス枠
| 2次番組 = ついでにとんちんかん<br />(1987年10月17日 - 1988年10月1日)
}}
== ゲーム版 ==
; ハイスクール!奇面組([[セガ・マークIII]]用ソフト、1986年12月15日、[[セガ・エンタープライゼス]])
: いたずらして逃げ出した奇面組の面々を唯が捕まえるアドベンチャーゲーム。ストーリーは無く、5人を捕まえればそれでゲームクリアとなる。アイテムを使った単純な捕まえ方を5通り知ってしまえば、あっという間にゲームが終了してしまう。
: アニメ第68話「汗と涙のチャリティーバザー」で作中にも登場した(売れ残りの箱のみ)。
; ハイスクール!奇面組([[MSX2]]用ソフト、1987年、[[ポニー]]<ref group="注" name="pc" />)
: 上記の同名作品をMSX2用に移植したもの。
; [[SIMPLEシリーズ#SIMPLEキャラクター2000シリーズ|SIMPLEキャラクター2000シリーズ]] Vol.05 ハイスクール!奇面組 THE テーブルホッケー([[PlayStation (ゲーム機)|PlayStation]]用ソフト、2001年12月20日、[[バンダイ]])
: [[塩沢兼人]]が鬼籍に入ったため、代役として[[岡野浩介]]が大を演じた。
=== ゲスト出演 ===
; [[ファミコンジャンプ 英雄列伝]]([[ファミリーコンピュータ]]用ソフト、1989年2月15日、バンダイ)
: 零と唯が通行人として登場。本作においては「潔よりも『[[シェイプアップ乱]]』の原宗一郎のほうが何倍もスケベ」という設定になっている。なお、潔本人は登場しない。
== 舞台劇 ==
『'''舞台 ハイスクール!奇面組'''』のタイトルで舞台化され、2017年6月1日から6月4日まで[[スペース・ゼロ|全労済ホール/スペース・ゼロ]]にて上演された<ref>{{Cite web|和書|url=http://kimengumi-stage.com/2017/|title=舞台「ハイスクール!奇面組」公式サイト|accessdate=2021-08-26|archiveurl=https://web.archive.org/web/20190731203437/http://kimengumi-stage.com/2017/|archivedate=2019-07-31}}</ref>。原作者・新沢の監修によるオリジナルストーリーで<ref group="注">原作・アニメと異なり、唯は一応高校の転入生という設定である。なお、各キャラクターの服装や髪の色についてはアニメ版に準じている。</ref>、脚本を[[田中大祐]]が手がけ、演出を[[なるせゆうせい]]が担当した。キャストはオーディションで決定した<ref>{{cite news|url=https://natalie.mu/comic/news/209443|title=「ハイスクール!奇面組」が舞台化、出演者オーディション応募受付中|newspaper=コミックナタリー|date=2016-11-15|accessdate=2016-11-15}}</ref>。制作・主催は[[ADKホールディングス#主な子会社、関連企業|ADKアーツ]]。
第2作『'''舞台 ハイスクール!奇面組2 〜嵐を呼ぶ変態ライバル対決〜'''』が、2018年8月2日から8月10日まで[[草月ホール]]にて上演<ref>{{Cite news|title=舞台『ハイスクール!奇面組2~嵐を呼ぶ変態ライバル対決~』開幕! 初日前ゲネプロ&囲み取材レポートが到着 {{!}} SPICE - エンタメ特化型情報メディア スパイス|url=https://spice.eplus.jp/articles/201474|accessdate=2018-09-13|work=SPICE(スパイス)|エンタメ特化型情報メディア スパイス}}</ref>。引き続き、脚本を田中大祐、演出をなるせゆうせいが担当。
第3作『'''舞台 ハイスクール!奇面組3 〜危機一髪!修学旅行編〜'''』が、2020年11月18日から11月23日まで草月ホールにて上演<ref>[http://www.cinema-life.net/p201118_hkgp/ 平野良「最後までチーム一丸となって最後まで駆け抜けれたら!」―「舞台『ハイスクール!奇面組3』~危機一髪!修学旅行編~」公開ゲネプロ](2020年11月18日) - シネマライフ(2021年1月16日閲覧)</ref>。引き続き、脚本を田中大祐、演出をなるせゆうせいが担当。キャストは大幅に変更された。
=== キャスト ===
★は舞台版オリジナルキャラクター。○数字はシリーズ作数。
* 一堂零 - [[平野良]]
* 冷越豪 - [[寺山武志]]
* 出瀬潔 - [[もう中学生]]
* 大間仁 - 高木晋哉([[ジョイマン (お笑いコンビ)|ジョイマン]])
* 物星大 - [[鳥越裕貴]]①② / [[井深克彦]]③
* 河川唯 - [[松田彩希]]①② / [[和田まあや]](当時[[乃木坂46]])③
* 宇留千絵 - [[生ハムと焼うどん|東理紗]]①② / [[西田薫子]]③
* 事代作吾、一堂啄石、一堂ラッシー - [[なだぎ武]]〈事代①③、琢石①②、ラッシー②〉
* 若人蘭 - [[花原あんり]]① / [[倉田瑠夏]]③
* 伊狩増代 - [[奈良岡にこ]]①
* 雲童塊 - [[才川コージ]]① / [[梶原颯]]③
* 似蛭田妖 - [[葉山昴]]① / [[横井翔二郎]]③
* 切出翔 - [[佐藤友咲]]① / [[荒一陽]]③
* 天野邪子 - [[柴小聖]]① / [[田中美麗]]③
* 御曹司★ - [[鈴木勤]]①
* 太鼓持大★ - [[森本亮治]]①
* うしろゆびさされ組 - [[上田芽依]]・[[小林都]]
* よろづ組★ - [[サトウヒカル]]・[[鈴木そぼく]]・[[中村翼]]・[[川畑 亮人]]①・[[いーま]]・[[南米仁]]・[[アライヒロヤス]]・[[金子清春]]・[[山本夏夢]]・[[吉田瑞貴]]③
* 春曲鈍 - [[宮下雄也]]②③
* 一堂霧 - [[一村すみれ]]②
* 痩猪エルザ - [[宮澤雪]]③
== パチンコ ==
2003年に[[マルホン工業]]からタイアップ機6種類がリリースされた。
== LINEスタンプ ==
スタリコから奇面組の[[LINE (アプリケーション)|LINE]]スタンプが40種類リリースされている<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.line-tatsujin.com/detail/a00328.html |title=LINEスタンプ「ハイスクール!奇面組」 | 40種類 | 240円 |publisher=スタリコ |accessdate=2015-06-06}}</ref>。
== 関連項目 ==
* [[夢オチ]]
* [[デウス・エクス・マキナ]]
* [[御都合主義]]
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Reflist|group="注"}}
=== 出典 ===
{{Reflist
|refs=
<ref name="animedia">{{Cite journal|和書 |date=1985-10-01 |editor=倉田幸雄 |title=新番組ギッチギチ情報 |journal=[[アニメディア]] |issue=1985年10月号 |page=114 |publisher=[[学研ホールディングス|学習研究社]] |id = 雑誌01579-10}}</ref>
}}
== 外部リンク ==
* [http://kimengumi-stage.com/ 舞台「ハイスクール奇面組」公式サイト]
* {{Twitter|kimengumi_stage|舞台「ハイスクール!奇面組」}}
* {{YouTube|playlist = PLMyQxaghEY1G2ONLKwjTS7fIahq7K9fMl}}
{{ハイスクール!奇面組}}
{{福冨博監督作品}}
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互いに素 (整数論)
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二つの整数 a, b が互いに素(たがいにそ、英: coprime, relatively prime, prime to)であるとは、a, b を共に割り切る正の整数が 1 のみであることをいう。このことは a, b の最大公約数 gcd(a, b) が 1 であることと同値である。a, b が互いに素であることを、記号で a ⊥ b と表すこともある。なお、「互いに素」を意味する英単語には coprime と disjoint があるが、coprime は整数について「互いに素」「共通点を持たない」という意味で使用される。
例えば、3 と 10 を共に割り切る正の整数は 1 だけなので、これらは互いに素である。逆に、3 と 6 は共に 3 で割り切れるので、これらは互いに素ではない。もう少し大きい数だと、729 と 1000 を共に割り切る正の整数は 1 だけなので、これらは互いに素である。逆に、729 と 1296 は 3、9、27、81 の四つで割り切れるので、この二つは互いに素ではない。同じく、1000 と 1296 も、2、4、8 の三つで割り切れるので、この二つも互いに素ではない。
互いに素であることの判定は素因数分解を用いて行うこともできるが、二つの整数のうち少なくとも一方が巨大である場合など一般には困難である。素因数分解によって公約数を調べる方法よりも、ユークリッドの互除法によって最大公約数を調べる方法のほうが遥に速い。
正の整数 n と互いに素となる(1 から n の間の)整数の個数は、オイラー関数 φ(n) によって与えられる。
三つの整数 a, b, c が互いに素であるとは、gcd(a, b, c) = 1 が成り立つことをいう。また、gcd(a, b)、gcd(b, c)、gcd(c, a) がすべて 1 に等しいとき、a, b, c は対ごとに素(英: pairwise coprime)またはどの二つも互いに素であるという。一般に、互いに素であるからといって対ごとに素であるとは限らない (例:a = 6, b = 15, c = 10)。一般の n 個の整数についても同様に定義される。
以下は、整数 a, b が互いに素であることと同値な条件である。
整数の中から任意に選んだ2つの数 a と b が互いに素である確率を、ナイーブには、以下のように求めることができる。
a と b が互いに素とは、任意の素数 p に対して、a と b の少なくとも一方が p の倍数でないこと、と言い換える。
p を固定したとき、この事象は、a, b がともに p の倍数である事象の余事象である。
a が p の倍数である確率は 1/p である。(b についても同様)
各 p に対して、これらの試行は独立だから、求める確率は、
ここで、ζ はリーマンのゼータ関数を表す。ζ(2) の値はレオンハルト・オイラーによって求められた。一般に、任意に選んだ k 個の整数が互いに素である確率は 1/ζ(k) で表される。
すべての互いに素な正の整数の組 (m, n)(ただし m > n)は、二つの互いに素な完全三分木(英語版)を用いて並べることができる。片方の木は (2, 1) から始まり偶数・奇数および奇数・偶数の組を、もう片方は (3, 1) から始まり奇数・奇数の組を生成する。このときノード (m, n) から生成される三つの子ノードはそれぞれ次のように表される。
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"text": "a と b が互いに素とは、任意の素数 p に対して、a と b の少なくとも一方が p の倍数でないこと、と言い換える。",
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"text": "p を固定したとき、この事象は、a, b がともに p の倍数である事象の余事象である。",
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"text": "各 p に対して、これらの試行は独立だから、求める確率は、",
"title": "互いに素である確率"
},
{
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"text": "ここで、ζ はリーマンのゼータ関数を表す。ζ(2) の値はレオンハルト・オイラーによって求められた。一般に、任意に選んだ k 個の整数が互いに素である確率は 1/ζ(k) で表される。",
"title": "互いに素である確率"
},
{
"paragraph_id": 12,
"tag": "p",
"text": "すべての互いに素な正の整数の組 (m, n)(ただし m > n)は、二つの互いに素な完全三分木(英語版)を用いて並べることができる。片方の木は (2, 1) から始まり偶数・奇数および奇数・偶数の組を、もう片方は (3, 1) から始まり奇数・奇数の組を生成する。このときノード (m, n) から生成される三つの子ノードはそれぞれ次のように表される。",
"title": "互いに素な整数の組の生成"
},
{
"paragraph_id": 13,
"tag": "p",
"text": "以上により生成される組は常に互いに素であり、すべての組が重複なく網羅される。",
"title": "互いに素な整数の組の生成"
}
] |
二つの整数 a, b が互いに素であるとは、a, b を共に割り切る正の整数が 1 のみであることをいう。このことは a, b の最大公約数 gcd(a, b) が 1 であることと同値である。a, b が互いに素であることを、記号で a ⊥ b と表すこともある。なお、「互いに素」を意味する英単語には coprime と disjoint があるが、coprime は整数について「互いに素」「共通点を持たない」という意味で使用される。
|
{{Otheruses|2つの整数の関係|互いに素な集合|素集合}}
{{出典の明記|date=2016年6月}}
二つの[[整数]] {{math|{{mvar|a}}, {{mvar|b}}}} が'''互いに素'''(たがいにそ、{{lang-en-short|coprime, relatively prime, prime to}}{{sfn|Baker|1984|p={{google books quote|id=hAFfb8BBC0IC|page=2|2}}}})であるとは、{{math|{{mvar|a}}, {{mvar|b}}}} を共に割り切る正の整数が {{math|1}} のみであることをいう。このことは {{math|{{mvar|a}}, {{mvar|b}}}} の[[最大公約数]] {{math|gcd({{mvar|a}}, {{mvar|b}})}} が {{math|1}} であることと同値である。{{math|{{mvar|a}}, {{mvar|b}}}} が互いに素であることを、記号で {{math|{{mvar|a}} [[垂直記号|⊥]] {{mvar|b}}}} と表すこともある{{sfn|Graham|Knuth|Patashnik|1989|p=}}。なお、「互いに素」を意味する英単語には {{en|coprime}} と {{en|disjoint}} があるが、{{en|coprime}} は整数について「互いに素」「共通点を持たない」という意味で使用される。
==概要==
例えば、{{math|[[3]]}} と {{math|[[10]]}} を共に割り切る正の整数は {{math|1}} だけなので、これらは互いに素である。逆に、{{math|3}} と {{math|[[6]]}} は共に {{math|3}} で割り切れるので、これらは互いに素ではない。もう少し大きい数だと、{{math|[[729]]}} と {{math|[[1000]]}} を共に割り切る正の整数は {{math|1}} だけなので、これらは互いに素である。逆に、{{math|729}} と {{math|[[1296]]}} は {{math|[[3]]}}、{{math|[[9]]}}、{{math|[[27]]}}、{{math|[[81]]}} の四つで割り切れるので、この二つは互いに素ではない。同じく、{{math|1000}} と {{math|1296}} も、{{math|[[2]]}}、{{math|[[4]]}}、{{math|[[8]]}} の三つで割り切れるので、この二つも互いに素ではない。
互いに素であることの判定は[[素因数分解]]を用いて行うこともできるが、二つの整数のうち少なくとも一方が巨大である場合など一般には困難である。素因数分解によって公約数を調べる方法よりも、[[ユークリッドの互除法]]によって最大公約数を調べる方法のほうが遥に速い。
正の整数 {{mvar|n}} と互いに素となる({{math|1}} から {{mvar|n}} の間の)整数の個数は、[[オイラー関数]] {{math|{{mvar|φ}}({{mvar|n}})}} によって与えられる。
三つの整数 {{math|{{mvar|a}}, {{mvar|b}}, {{mvar|c}}}} が'''互いに素'''であるとは、{{math|gcd({{mvar|a}}, {{mvar|b}}, {{mvar|c}}) {{=}} 1}} が成り立つことをいう。また、{{math|gcd({{mvar|a}}, {{mvar|b}})}}、{{math|gcd({{mvar|b}}, {{mvar|c}})}}、{{math|gcd({{mvar|c}}, {{mvar|a}})}} がすべて {{math|1}} に等しいとき、{{math|{{mvar|a}}, {{mvar|b}}, {{mvar|c}}}} は'''対ごとに素'''({{lang-en-short|pairwise coprime}})または'''どの二つも互いに素'''であるという。一般に、互いに素であるからといって対ごとに素であるとは限らない (例:{{math|{{mvar|a}} {{=}} 6, {{mvar|b}} {{=}} 15, {{mvar|c}} {{=}} 10}})。一般の {{mvar|n}} 個の整数についても同様に定義される。
== 性質 ==
* {{math|0}} と互いに素となる整数は {{math|1}} と {{math|−1}} だけであり、また任意の整数と互いに素となる整数も {{math|1}} と {{math|−1}} だけである。
* 異なる二つの[[素数]]は互いに素であり、連続する二つの整数も互いに素である。
* {{math|2}} 以上の整数は、その(自身を含む)[[倍数]]や {{math|2}} 以上の約数と互いに素でない。
* {{mvar|a}} と {{math|{{mvar|b}}{{msub|1}}}}、{{mvar|a}} と {{math|{{mvar|b}}{{msub|2}}}} がそれぞれ互いに素ならば、{{mvar|a}} と {{math|{{mvar|b}}{{msub|1}}{{mvar|b}}{{msub|2}}}} も互いに素である。
以下は、整数 {{math|{{mvar|a}}, {{mvar|b}}}} が互いに素であることと同値な条件である。
* {{math|{{mvar|a}}, {{mvar|b}}}} を共に割り切る[[素数]]が存在しない。
* {{math|{{mvar|ax}} + {{mvar|by}} {{=}} 1}} を満たす整数 {{math|{{mvar|x}}, {{mvar|y}}}} が存在する。([[ベズーの等式]]を参照)
* {{mvar|b}} は {{mvar|a}} を[[モジュラ逆数|法とする逆数]]をもつ。即ち {{math|{{mvar|by}} ≡ 1 (mod {{mvar|a}})}} を満たす整数 {{mvar|y}} が存在する。別の言い方をすれば、{{mvar|b}} は {{mvar|a}} を法とする[[剰余類環]] {{math|'''Z'''/{{mvar|a}}'''Z'''}} の[[可逆元|単元]]となっている。
* {{math|{{mvar|a}}, {{mvar|b}}}} の[[最小公倍数]] {{math|lcm({{mvar|a}}, {{mvar|b}})}} が積 {{mvar|ab}} に等しい。
* {{math|{{mvar|a}}, {{mvar|b}}}} の[[最大公約数]] {{math|gcd({{mvar|a}}, {{mvar|b}})}} が {{math|1}} に等しい。
* {{math|2{{msup|{{mvar|a}}}} − 1}} と {{math|2{{msup|{{mvar|b}}}} − 1}} が互いに素。
== 互いに素である確率 ==
整数の中から任意に選んだ2つの数 {{mvar|a}} と {{mvar|b}} が互いに素である[[確率]]を、ナイーブには、以下のように求めることができる。
{{mvar|a}} と {{mvar|b}} が互いに素とは、任意の[[素数]] {{mvar|p}} に対して、{{mvar|a}} と {{mvar|b}} の少なくとも一方が {{mvar|p}} の倍数でないこと、と言い換える。
{{mvar|p}} を固定したとき、この[[事象 (確率論)|事象]]は、{{math|{{mvar|a}}, {{mvar|b}}}} がともに {{mvar|p}} の倍数である事象の余事象である。
{{mvar|a}} が {{mvar|p}} の倍数である確率は {{math|{{sfrac|1|{{mvar|p}}}}}} である。({{mvar|b}} についても同様)
各 {{mvar|p}} に対して、これらの試行は[[独立 (確率論)|独立]]だから、求める確率は、
:<math>\prod_{p:\text{ prime}}\left\{ 1-\left( \frac{1}{p} \right)^2 \right\}
=\left( \prod_{p:\text{ prime}}\frac{1}{1-p^{-2}} \right)^{-1}
=\frac{1}{\zeta (2)}
=\frac{6}{\pi^2}
\approx 0.6079271.</math>
ここで、{{mvar|[[ζ]]}} は[[リーマンゼータ函数|リーマンのゼータ関数]]を表す。[[バーゼル問題|{{math|{{mvar|ζ}}(2)}} の値]]は[[レオンハルト・オイラー]]によって求められた。一般に、任意に選んだ {{mvar|k}} 個の整数が互いに素である確率は {{math|1/{{mvar|ζ}}({{mvar|k}})}} で表される。
== 互いに素な整数の組の生成 ==
[[File:Coprime8.svg|300px|thumb|このアルゴリズムによる互いに素な組の生成の順番。最初のノード {{math|(2, 1)}} を赤、その三つの子ノードを橙、さらにその子ノードを黄色で示し、それ以降を虹色の順に色を用いて示した。]]
すべての互いに素な正の整数の組 {{math|({{mvar|m}}, {{mvar|n}})}}(ただし {{math|{{mvar|m}} > {{mvar|n}}}})は、二つの[[素集合|互いに素]]な完全{{仮リンク|三分木|en|Ternary tree}}を用いて並べることができる。片方の木は {{math|(2, 1)}} から始まり偶数・奇数および奇数・偶数の組を{{sfn|Saunders|Randall|1994}}、もう片方は {{math|(3, 1)}} から始まり奇数・奇数の組を{{sfn|Mitchell|2001}}生成する。このときノード {{math|({{mvar|m}}, {{mvar|n}})}} から生成される三つの子ノードはそれぞれ次のように表される。
# {{math|(2{{mvar|m}} − {{mvar|n}}, {{mvar|m}})}}
# {{math|(2{{mvar|m}} + {{mvar|n}}, {{mvar|m}})}}
# {{math|({{mvar|m}} + 2{{mvar|n}}, {{mvar|n}})}}
以上により生成される組は常に互いに素であり、すべての組が重複なく網羅される。
== 実用、応用 ==
*[[固定ギア]]の[[自転車]]の理想的なスキッドポイントの設計 - 固定ギアの自転車のチェーンリングとコグの歯数は「互いに素」であると、スキッドポイントと呼ばれるタイヤが摩耗する点をコグの歯数と同じになる。
== 脚注 ==
{{reflist}}
== 参考文献 ==
* {{cite book
|last=Baker
|first=Alan
|authorlink=アラン・ベイカー
|title=A Concise Introduction to the Theory of Numbers
|year=1984
|publisher=Cambridge University Press
|isbn=0-521-28654-9
|ref=harv
}}
* {{citation
|first1=R. L.
|last1=Graham
|first2=D. E.
|last2=Knuth
|first3=O.
|last3=Patashnik
|title=Concrete Mathematics
|publisher=Addison-Wesley
|year=1989
|ref=harv
}}
* {{Citation2
|last=Saunders
|first=Robert
|name-list-style=amp
|last2=Randall
|first2=Trevor
|title=The family tree of the Pythagorean triplets revisited
|journal=Mathematical Gazette
|volume=78
|date=July 1994
|pages=190–193
|doi=10.2307/3618576
}}
* {{Citation
|last=Mitchell
|first=Douglas W.
|title=An alternative characterisation of all primitive Pythagorean triples
|journal=Mathematical Gazette
|volume=85
|date=July 2001
|pages=273–275
|doi=10.2307/3622017
|ref=harv
}}
== 関連項目 ==
{{wiktionary}}
*[[最大公約数]]
*[[素因数分解]]
*[[オイラーのφ関数]]
*[[算術の基本定理]]
*[[分数#規約分数]](既約分数)
{{素数の分類}}
{{DEFAULTSORT:たかいにそ}}
[[Category:数論]]
[[Category:数学に関する記事]]
|
2003-09-11T23:32:30Z
|
2023-11-22T06:22:25Z
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%92%E3%81%84%E3%81%AB%E7%B4%A0_(%E6%95%B4%E6%95%B0%E8%AB%96)
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16,319 |
北九州高速鉄道小倉線
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小倉線(こくらせん)は、福岡県北九州市小倉北区の小倉駅から小倉南区の企救丘駅までを結ぶ北九州高速鉄道の跨座式モノレール路線である。旅客案内上は「北九州モノレール」と呼ばれている。
1985年(昭和60年)1月9日開業。北九州市の都心部を南北に貫き小倉駅 - 企救丘駅間を19分で結ぶ。1980年(昭和55年)に廃止された路面電車・西鉄北方線の代替機能を担っている。1998年(平成10年)には、小倉駅ビルに乗り入れてJR線との乗り換えや北九州市の門司・戸畑・八幡、山口県の下関方面との利便性が向上した。
小倉 - 企救丘間を昼間時10分間隔で運行している。平日の朝通勤時間帯は7分間隔となる。2016年3月26日のダイヤ改正前は平日の朝通勤時間帯と小倉競馬場の観客輸送を担う関係で土曜・休日の夕方(小倉・企救丘発15:30 - 17:00の間)が6分間隔となっていた。
定期列車はすべてワンマン運転。2009年半ばまでは、ほとんどの列車でATOによる自動運転(乗務員はドア開閉と発車ボタンを押すのみ)が行われていたが、以後はATCによる手動運転のみになっている。また、これに伴い車両にあった発車ボタンやATOのスイッチは改造され取り払われている。
毎年7月下旬にはビール列車が運行される年もある。毎年12月下旬には「サンタ列車」が運行され、小学生以下の子供にサンタクロースがプレゼントを配布している。
北九州市の中心地である小倉北区と、人口が増加する小倉南区とを結ぶ交通機関として計画された。当初、北九州市による直営も考えられていたが、1972年に公布された「都市モノレールの整備の促進に関する法律」(都市モノレール法)による「都市モノレール建設のための道路整備に対する補助制度」の適用を受けるため第三セクター会社の北九州高速鉄道による運営となり、その補助制度適用第1号の路線となった。
車両の検査・修繕は企救丘駅に隣接する車両基地で行われ、JR九州エンジニアリング株式会社企救丘車両所に業務委託されている。
近年では、車体一面に広告を掲載しているラッピング車両も多く存在している。2010年3月27日からは、開業25周年を記念して松本零士により『銀河鉄道999』のメーテルなどがデザインされたラッピング車両を2016年12月までの期間限定で運行している。2015年4月12日から、開業30周年を記念し、開業当時の使用されていたブルーを基調とした座席やラッピングの同車両を運行させ、同年7月24日には、2005年以来10年ぶりにビール列車として当日一便限りで走行した。
全駅福岡県北九州市に所在。
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小倉線(こくらせん)は、福岡県北九州市小倉北区の小倉駅から小倉南区の企救丘駅までを結ぶ北九州高速鉄道の跨座式モノレール路線である。旅客案内上は「北九州モノレール」と呼ばれている。
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{{画像提供依頼|駅番号導入後の路線図|date=2022年7月|cat=鉄道}}
{{Infobox 鉄道路線
| 路線名 = [[File:Kitakyushu monorail logomark.svg|24px|link=北九州高速鉄道]] 小倉線
| 路線色 = #3333ff
| 画像 = Kitakyushu-urban-monorail tanga-kawaraguchimihagino 1.jpg
| 画像サイズ = 300px
| 画像説明 = 沿線風景([[旦過駅]] - [[香春口三萩野駅]]間)
| 国 = {{JPN}}
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| 駅数 = 13駅
| 開業 = [[1985年]][[1月9日]]<br />(最終延伸は[[1998年]][[4月1日]])<ref name="sone30">{{Cite book|和書 |author=曽根悟(監修)|authorlink=曽根悟 |title=週刊 歴史でめぐる鉄道全路線 公営鉄道・私鉄 |editor=朝日新聞出版分冊百科編集部 |publisher=[[朝日新聞出版]] |series=週刊朝日百科 |volume=30号 モノレール・新交通システム・鋼索鉄道 |date=2011-10-16 |page=10 }}</ref>
| 休止 =
| 廃止 =
| 所有者 = [[北九州高速鉄道]]
| 運営者 = 北九州高速鉄道
| 車両基地 =
| 使用車両 = [[#車両|車両]]の節を参照
| 路線距離 = 8.8 [[キロメートル|km]]
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| 路線図 = File:Kitakyushu monorail map.png
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{| {{Railway line header}}
{{UKrail-header2|停車場・施設・接続路線|#3333ff}}
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{{BS|||||}}
|}
|}
'''小倉線'''(こくらせん)は、[[福岡県]][[北九州市]][[小倉北区]]の[[小倉駅 (福岡県)|小倉駅]]から[[小倉南区]]の[[企救丘駅]]までを結ぶ[[北九州高速鉄道]]の跨座式[[モノレール]]路線である。旅客案内上は「'''北九州モノレール'''」と呼ばれている。
== 概要 ==
[[1985年]](昭和60年)[[1月9日]]開業<ref name="sone30"/>。北九州市の都心部を南北に貫き[[小倉駅 (福岡県)|小倉駅]] - [[企救丘駅]]間を19分で結ぶ。[[1980年]](昭和55年)に廃止された[[路面電車]]・[[西鉄北九州線|西鉄北方線]]の代替機能を担っている。[[1998年]](平成10年)には、小倉駅ビルに乗り入れて[[JR線]]との乗り換えや北九州市の[[門司区|門司]]・[[戸畑区|戸畑]]・[[八幡東区|八幡]]、[[山口県]]の[[下関市|下関]]方面との利便性が向上した。
=== 路線データ ===
* 路線距離([[営業キロ]]):8.8 km
* 方式:跨座式
* 駅数:13駅(起終点駅含む)
* 複線区間:全線(ただし小倉 - 平和通間は[[単線並列]])
* 電化方式:直流1500V
* [[閉塞 (鉄道)|閉塞方式]]:車内信号式
* 最高速度:65km/h<ref name="aramasi" />
* [[対面交通|走行方向]]:左側通行
== 運行形態 ==
小倉 - 企救丘間を昼間時10分間隔で運行している。平日の朝通勤時間帯は7分間隔となる。2016年3月26日のダイヤ改正前は平日の朝通勤時間帯と[[小倉競馬場]]の観客輸送を担う関係で土曜・休日の夕方(小倉・企救丘発15:30 - 17:00の間)が6分間隔となっていた。
定期列車はすべて[[ワンマン運転]]。2009年半ばまでは、ほとんどの列車で[[自動列車運転装置|ATO]]による自動運転(乗務員はドア開閉と発車ボタンを押すのみ)が行われていたが、以後は[[自動列車制御装置|ATC]]による手動運転のみになっている。また、これに伴い車両にあった発車ボタンやATOのスイッチは改造され取り払われている。
毎年7月下旬には[[ビール列車]]が運行される年もある<ref>{{Cite web|和書|url=https://kokura.keizai.biz/headline/1164/ |title=北九州モノレールに「ビール列車」 10年ぶり「1便限り」復活 |publisher=小倉経済新聞 |date=2015-06-12 |accessdate=2022-10-19}}</ref>。毎年12月下旬には「サンタ列車」が運行され、小学生以下の子供にサンタクロースがプレゼントを配布している。
== 歴史 ==
[[北九州市]]の中心地である[[小倉北区]]と、人口が増加する[[小倉南区]]とを結ぶ交通機関として計画された。当初、北九州市による直営も考えられていたが、[[1972年]]に公布された「[[都市モノレールの整備の促進に関する法律]]」(都市モノレール法)による「都市モノレール建設のための道路整備に対する補助制度」の適用を受けるため[[第三セクター]]会社の北九州高速鉄道による運営となり、その補助制度適用第1号の路線となった。
=== 年表 ===
<!-- 運賃の件は会社記事[[北九州高速鉄道 ]]にもあるので確認を。 -->
* [[1985年]]([[昭和]]60年)[[1月9日]]:小倉(現・平和通) - 企救丘間が開業<ref name="sone30"/>。
* [[1998年]]([[平成]]10年)
** [[4月1日]]:小倉 - 平和通間が延伸開業<ref name="sone30"/>。小倉駅ビルに乗り入れ。これまでの小倉駅を平和通駅に改称<ref>延伸区間(小倉 - 平和通)の開業前の仮称は、新小倉(現・小倉) - 小倉(現・平和通)だった。</ref>。
** [[5月18日]]:運賃改定。初乗り170円。ただし小倉 - 平和通間は150円<ref>『JTBの運賃表』第17号、JTB、1998年、p.252</ref>。
* [[2007年]](平成19年)[[5月1日]]:隣の駅までと、小倉 - 旦過間が100円で利用できる企画乗車券「100円モノレール」発売開始<ref name="sone30"/>。
* [[2014年]](平成26年)[[4月1日]]:[[消費税]]率改定に伴う運賃改定、230円以上の区間を一律10円ずつ値上げ<ref>[http://www2.kitakyushu-monorail.co.jp/news/detail.php?id=148 消費税率引き上げに伴う運賃改定について] - 北九州高速鉄道、2013年12月20日</ref><ref>[http://www2.kitakyushu-monorail.co.jp/news/detail.php?id=154 運賃改定のお知らせ] - 北九州高速鉄道、2014年3月10日</ref>。
* [[2015年]](平成27年)[[10月1日]]:[[乗車カード|ICカード乗車券]]「[[SUGOCA|mono SUGOCA]]」を導入し<ref>{{Cite press release|和書|url=https://www.jrkyushu.co.jp/sugoca/pressrelease/__icsFiles/afieldfile/2017/04/11/150624_press.pdf|archiveurl=https://web.archive.org/web/20171013033129/http://www.jrkyushu.co.jp/sugoca/pressrelease/__icsFiles/afieldfile/2017/04/11/150624_press.pdf|format=PDF|language=日本語|title=北九州モノレール「mono SUGOCA」のサービス開始日について|publisher=九州旅客鉄道/北九州高速鉄道|date=2015-06-24|accessdate=2020-02-06|archivedate=2017-10-13}}</ref>、普通乗車券を[[QRコード]]方式に切り替え、同時に連絡乗車券・[[回数乗車券]]・持参人式定期券・らぶパスを廃止。運賃改定、小倉 - 平和通間を180円に、他の区間は一律10円ずつ値上げ<ref>{{Cite web|和書|format=PDF|url=http://www2.kitakyushu-monorail.co.jp/news/detail.php?id=204|title=平成27年10月1日からの営業施策について|publisher=北九州高速鉄道|date=2015-06-24|accessdate=2015-06-30}}</ref>。
* [[2016年]](平成28年)[[10月3日]]:普通乗車券のサイズを大型化<ref>[http://www2.kitakyushu-monorail.co.jp/output/file.php?no=1&id=252 きっぷが変わります!]</ref>。
* [[2019年]]([[令和]]元年)10月1日:消費税率改定に伴う運賃改定、200円・280円・310円区間を10円値上げ。マタニティ割引を導入、一日乗車券を発売開始<ref name="kitakyushu-monorail-20190906">{{PDFlink|1=[http://www2.kitakyushu-monorail.co.jp/output/file.php?no=1&id=354 北九州モノレールの運賃改定について]}} - 北九州高速鉄道、2019年9月6日</ref>。
== 車両 ==
* [[北九州高速鉄道1000形電車|1000形]]
車両の検査・修繕は企救丘駅に隣接する車両基地で行われ、JR九州エンジニアリング株式会社企救丘車両所に業務委託されている。
近年では、車体一面に広告を掲載している[[ラッピング車両]]も多く存在している。2010年3月27日からは、開業25周年を記念して[[松本零士]]により『[[銀河鉄道999]]』の[[メーテル]]などがデザインされたラッピング車両を2016年12月までの期間限定で運行している<ref>[https://web.archive.org/web/20100408062001/http://www.yomiuri.co.jp/feature/20090128-945707/news/20100403-OYT1T00163.htm モノレールが「銀河鉄道999」に] - 読売新聞、2010年4月3日。</ref><ref>[http://www.asahi.com/travel/rail/news/SEB201003270062.html 空を駆けろ、銀河鉄道999 北九州モノレールの車両に] - 朝日新聞、2010年3月30日。</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://response.jp/article/2013/03/29/194756.html|title=北九州モノレール 999号、運行期間を2016年まで延長|website=レスポンス|publisher=イード|date=2013-03-29|accessdate=2023-01-12}}</ref>。2015年4月12日から、開業30周年を記念し、開業当時の使用されていたブルーを基調とした座席やラッピングの同車両を運行させ、同年7月24日には、2005年以来10年ぶりにビール列車として当日一便限りで走行した<ref>{{Cite web|和書| url = http://www2.kitakyushu-monorail.co.jp/news/detail.php?id=185 | title = 北九州モノレール 開業30周年について | publisher = 北九州高速鉄道株式会社 | date = 2014-12-24 | accessdate = 2017-02-06 }}</ref><ref>{{Cite web|和書| url = http://www2.kitakyushu-monorail.co.jp/news/detail.php?id=198 | title = 懐かしのブルーライン列車の運行について | publisher = 北九州高速鉄道株式会社 | date = 2015-04-12 | accessdate = 2017-02-06 }}</ref><ref>{{Cite web|和書| url = http://kokura.keizai.biz/phone/headline.php?id=1164 | title = 北九州モノレールに「ビール列車」 10年ぶり「1便限り」復活 | publisher = 小倉経済新聞 | date = 2015-06-12 | accessdate = 2017-02-06 }}</ref><ref>{{Cite web|和書| url =https://www.dayori.city.fukuoka.lg.jp/21027/amp?client=ms-android-kddi-jp | title = 北九州の情報をお知らせします 7月24日(金)開業30周年記念「ビール列車」の運行について | publisher = 福岡市広報課 | date = 2015-06-08 | accessdate = 2017-02-06 }}</ref>。
<gallery widths="180px">
ファイル:Kitakyushu monorail.jpg|青帯
ファイル:KitakyushuUrbanMonorail.jpg|緑帯
ファイル:Kitakyushu-urban-monorail type1000 yellow tanga 1.jpg|黄帯
ファイル:Kitakyushu-urban-monorail type1000 red tanga 1.jpg|赤帯
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== 駅一覧 ==
全駅[[福岡県]][[北九州市]]に所在。
{| class="wikitable" rules="all"
|-
!style="border-bottom:solid 3px blue;"|駅番号
!style="width:9em; border-bottom:solid 3px blue;"|駅名
!style="width:2.5em; border-bottom:solid 3px blue;"|駅間キロ
!style="width:2.5em; border-bottom:solid 3px blue;"|営業キロ
!style="border-bottom:solid 3px blue;"|接続路線
!style="width:4em; border-bottom:solid 3px blue;"|所在地
|-
!01
|[[小倉駅 (福岡県)|小倉駅]]
|style="text-align:center;"|-
|style="text-align:right;"|0.0
|西日本旅客鉄道:[[ファイル:Shinkansen jrw.svg|20px|■]] [[山陽新幹線]]<br />九州旅客鉄道:{{JR九駅番号|JA}} [[鹿児島本線]]・{{JR九駅番号|JA}} [[山陽本線]]<ref group="注釈">正式な終点は門司駅であるが、ほぼ全列車が小倉駅まで乗り入れる。</ref>・{{JR九駅番号|JF}} [[日豊本線]]・{{JR九駅番号|JI}} [[日田彦山線]]<ref group="注釈">正式な起点は城野駅であるが、全列車が小倉駅まで乗り入れる。</ref>(JA28・JA51・JF01・JI01)
|rowspan="5"|[[小倉北区]]
|-
!02
|[[平和通駅]]
|style="text-align:right;"|0.4
|style="text-align:right;"|0.4
|
|-
!03
|[[旦過駅]]
|style="text-align:right;"|0.3
|style="text-align:right;"|0.7
|
|-
!04
|[[香春口三萩野駅]]
|style="text-align:right;"|0.9
|style="text-align:right;"|1.6
|
|-
!05
|[[片野駅]]
|style="text-align:right;"|0.8
|style="text-align:right;"|2.4
|
|-
!06
|[[城野駅 (北九州高速鉄道)|城野駅]]
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|rowspan="8"|[[小倉南区]]
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|[[北方駅 (福岡県)|北方駅]]
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!08
|[[競馬場前駅 (福岡県)|競馬場前駅]]<br/><small>(北九州市立大学前)</small>
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|[[守恒駅]]
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|[[徳力公団前駅]]
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|[[徳力嵐山口駅]]
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|-
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|[[志井駅 (北九州高速鉄道)|志井駅]]
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!13
|[[企救丘駅]]
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|九州旅客鉄道:{{JR九駅番号|JI}} 日田彦山線([[志井公園駅]]:JI06)
|}
* 城野駅、志井駅はJRとモノレールで同名の駅が存在するが駅舎は別々であり、距離も離れている。
* 当路線は[[軌道法]]に基づいて建設されているが、各停車場は公式には「駅」と称している。ただし、交差点・信号機名称では「[[路面電車停留場|停留場]]」と表示されることも多い。
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
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=== 出典 ===
{{Reflist}}
== 関連項目 ==
* [[日本の鉄道路線一覧]]
== 外部リンク ==
* [http://www.kitakyushu-monorail.co.jp/ 北九州モノレール 公式サイト]
{{日本のモノレール}}
{{DEFAULTSORT:きたきゆしゆうこうそくてつとうこくらせん}}
[[Category:北九州高速鉄道|路こくらせん]]
[[Category:第三セクター路線]]
[[Category:九州地方の鉄道路線|こくらせん]]
[[Category:日本のモノレール路線]]
[[Category:福岡県の交通]]
[[Category:跨座式モノレール]]
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東京フィルハーモニー交響楽団の略。
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1980年代前半に活躍した日本の音楽ユニット。メンバーは岩崎工、天野正道、福永柏、安西史孝。「ポストYMO」と言われたユニットで、当時最先端の音楽ツールであったフェアライトCMIなどを駆使して活動していた。
移転価格調査官
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'''TPO'''(ティーピーオー)
* Time([[時間]])、Place([[場所]])、Occasion([[目的|場合]])。Opportunityと使われることもある)の頭文字をとって、「時と場所、場合に応じた方法・態度・服装等の使い分け」を意味する[[和製英語]]。この概念の発案者は「[[ヴァンヂャケット|VAN]]」ブランドの創始者・[[石津謙介]]である。
* [[東京フィルハーモニー交響楽団]](Tokyo Philharmonic Orchestra)の略。
* テラヘルツ波パラメトリック発振器(THz-wave Parametric Oscillator)の略。
* 東京ピンボールオーガニゼーション(Tokyo Pinball Organization)の略。
* [[トラベルプランニングオフィス]]の略。東京都に本社を置く旅行会社
* [[甲状腺ペルオキシダーゼ]]の略。[[甲状腺ホルモン]]合成にかかわる。
* [[トロンボポエチン]]の略。
* [[1980年代]]前半に活躍した日本の音楽ユニット。メンバーは[[岩崎工]]、[[天野正道]]、[[福永柏]]、[[安西史孝]]。「ポスト[[イエロー・マジック・オーケストラ|YMO]]」と言われたユニットで、当時最先端の音楽ツールであった[[フェアライトCMI]]などを駆使して活動していた。
* [[移転価格調査官]] (Transfer Pricing Operations)
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四日市あすなろう鉄道内部線
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内部線(うつべせん)は、あすなろう四日市駅から内部駅までを結ぶ四日市あすなろう鉄道の鉄道路線。全線が三重県四日市市内を走る。
軌間762mmという特殊狭軌の軽便鉄道として建設され、現在も当時のままの軌間で運行される。あすなろう四日市駅 - 日永駅間には、同じく軌間762mmの八王子線の列車が直通している。
1965年(昭和40年)4月から近畿日本鉄道(近鉄)が運営していたが、2015年(平成27年)4月より、四日市市が第三種鉄道事業者として鉄道施設と車両を所有し、新たに近鉄と四日市市が共同で出資して設立した四日市あすなろう鉄道が第二種鉄道事業者として公有民営方式により鉄道施設と車両を無償で借用して運行する(経緯は「四日市あすなろう鉄道#会社設立の経緯」も参照)。
近鉄時代はプリペイド式乗車カードであるパールカード(2008年で販売終了)により自動券売機で乗車券の購入ができたが、四日市あすなろう鉄道移管後は券売機が食券型に変更されたため使用できなくなった。以来、当路線ではICカードを含む乗車カードは一切使用できなかったが、2021年(令和3年)8月21日にICOCAが導入され、ICOCAとともに交通系ICカード全国相互利用サービス対応のTOICAやmanaca、PiTaPaなどが利用可能となった。
内部線は、1912年(大正元年)から1915年(大正4年)にかけて三重軌道が開業させた四日市市駅 - 八王子村駅(後の伊勢八王子駅)間のうちの四日市市駅 - 日永駅間と、日永駅から分岐して三重鉄道が1922年(大正11年)に開業させた鈴鹿支線の一部から成る(後に未開業区間は敷設免許失効)。
1912年(大正元年)に三重軌道が軌道条例による軌道として南浜田駅 - 日永駅間を開業し、1915年(大正4年)に鉄道院(後の国鉄)関西本線の四日市駅西口まで延伸された。1916年(大正5年)には、三重軌道の路線を廃止して、新たに設立した三重鉄道がこれを軽便鉄道法による軽便鉄道として開業した。
1922年(大正11年)1月には鈴鹿支線として日永駅 - 小古曽駅間が開業し、同年6月には内部駅まで延伸された。三重県には1916年から1921年にかけての図面類が「三重鉄道敷設関係図面」として残されており、その中の「三重鉄道株式会社鈴鹿支線予測平面図」によると伊船(深伊沢村、現鈴鹿市)まで延伸される予定だった。一方、鉄道院(省)文書によると1922年(大正11年)に三重鉄道は内部駅から先の用地買収が進まないため「内部伊船間工事竣功期限延期」を申請し、1923年(大正12年)には省線(後の国鉄)連絡のために線路幅を広げる改軌の調査のためさらに一年延長するよう申請している。1924年(大正13年)には伊船周辺で石灰石の採掘やセメント会社の設立計画があり工事計画の変更があるとして三度目の延期を申請したが、三重鉄道は旅客収入が伸び悩み、豪雨の復旧工事も必要になっていたほか、第一次世界大戦後の不況時でもあったため延伸に耐え得る企業財力がなかったとみられ、1925年(大正14年)6月に延伸のための鉄道敷設免許は失効となった。
1928年(昭和3年)には、現在の近鉄名古屋線の前身である伊勢電気鉄道の桑名延伸(泗桑線)に際して、四日市市駅 - 諏訪駅間を廃止し、路線敷を伊勢電気鉄道に譲渡した。
戦時統合で1944年(昭和19年)三重交通の路線となり、戦後1956年(昭和31年)に四日市市内でカーブが連続していた名古屋線海山道駅 - 川原町駅間の経路を変更した折、内部線の起点が諏訪駅から近畿日本四日市駅(現在の近鉄四日市駅)に変更された。この時、かつて伊勢電気鉄道に譲渡した区間は、三重鉄道の後身の三重交通に返還されずに廃止となった。その後、三重電気鉄道を経て1965年(昭和40年)に近畿日本鉄道への吸収合併で同社の路線となった。
なお、かつては現在の八王子線と湯の山線を合わせて三重線と総称し、列車も湯の山駅(現在の湯の山温泉駅) - 近畿日本四日市駅 - 内部駅を通し運転していたが、湯の山線改軌時に新たに内部線・八王子線として独立した路線名が与えられている。
2012年には、近鉄が四日市市などにバス転換(BRT化)を提案した。これに対し四日市市が鉄道による存続を望み、2013年に公有民営方式で存続することで合意。2015年から四日市市が第三種鉄道事業者として鉄道施設や車両を保有し、新会社四日市あすなろう鉄道が第二種鉄道事業者としてそれらを同市から借用して運営している(「四日市あすなろう鉄道#会社設立の経緯」も参照)。
あすなろう四日市駅 - 日永駅間は内部駅発着の列車と八王子線西日野駅発着の列車が交互に運転されており、この区間は日中毎時4本の割合で運行されている。日永駅 - 内部駅間は毎時2本の運行となる。
日永駅では、西日野発のあすなろう四日市行きが内部行きと、内部発のあすなろう四日市行きが西日野行きと連絡しており、基本的にすべての列車が系統別の接続を行う。従って日永駅での、西日野駅と南日永駅以南との乗り換え時間ロスはほとんどない。
全列車が都市型ワンマン運転(無人駅でも全車両の全扉を開閉)を行っている。無人駅は小古曽駅のみだったものが、近鉄時代末期の合理化により、四日市駅と内部駅を除く全駅となった。その名残で駅舎内には窓口跡や自動券売機がある(元々無人駅の小古曽駅には窓口や自動券売機はなく、整理券のみの設置)。このため事実上の信用乗車方式となっている。
なお、大晦日から元旦にかけての終夜運転は、当線では実施されていない。
最急曲線半径は100mで、赤堀駅構内と日永駅構内にある。最急勾配は25パーミル。
使用されている軌条(レール)は、過去には軽便鉄道規格の古典的な15kと22kレール(それぞれ1m当たり15kg・20kg)が使用されていた。現在ではレールの重軌条化が進み、本線では40N・50Nレールに統一された。また、内部車庫内には22kレールが残っている。マクラギは、一部区間でPCマクラギが用いられているが、大半が木マクラギである。
分岐器は、特殊狭軌用のものが用いられ、部品が特殊な上に、分岐側の曲線半径が小さいため列車通過制限速度が厳しく(20km/h)、列車の高速化を阻んでいる。分岐器番数は7番であり、JR在来線の最小番数8番分岐器よりも交差角が大きい。
転轍器は、本線においてはあすなろう四日市駅と日永駅の四日市方については電気転轍機(近鉄四日市駅から遠隔制御される)が用いられるが、日永駅(内部方および内部線上り線と八王子線分岐の2基)と泊駅(2基)、内部駅(本線と車庫線の分岐1基)は旧式の発条転轍機(列車の車輪で分岐器を転換させバネの力で復位させる)である。
乗越分岐器および安全側線が設置されている駅はなく、列車行き違い時の上下列車の駅構内同時進入ができない。過去には、浜田信号所(現在は廃止)の場内信号機に警戒信号を現示することにより上下列車の駅構内同時進入を行なっていた時期もあった。
主な橋梁のみを記す。いずれもコンクリートスラブ桁。従前の橋梁は軽便鉄道規格の簡素なもので、桁長さが短く、桁厚さが薄いのが特徴であったが、内部線内の長大橋梁である鹿化川橋梁と天白川橋梁をはじめ、ほとんどの橋梁が近代的なコンクリート(スラブ)桁やボックスカルバート構造の橋に架け替えられている。
内部駅構内に両線供用の「近鉄車両課富吉検車区内部車庫」がある。
車庫内で車両の列車検査・月検査を施工するが、定期検査(全般検査・重要部検査)を行う施設が無いため、定期検査時は車両の主要部品を車庫外に持ち出して他の車両工場(塩浜検修車庫)で検査を実施する。
あすなろう四日市駅の名古屋方高架下に四日市変電所があり、ここから電力が供給されている。
架線はシンプルカテナリー方式で、電柱は、木柱からコンクリート柱への更新工事が進行中である。架線自動張力調整装置(テンションバランサー)は一部区間について設置されている。高圧配電線(信号・踏切用の電源線)は近鉄四日市駅 - 南日永駅間に架設されている。
常置信号機として、場内信号機・出発信号機と中継信号機(日永駅のみ)が設けられている。以前は、近鉄四日市駅に入換信号機があったが撤去された。これは、総括制御化された車両が導入される以前に制御電動車(運転台・モーター付の電車)を転線して付け替えるために使用していたものであった。車庫所在駅である内部駅にも入換信号機は設置されていない。
信号機は、注意 (Y)・停止 (R) の2位式が採用されている。なお、全線が単線自動閉塞化された1989年(平成元年)以前の近鉄四日市駅 - 日永駅間においては進行 (G)・停止 (R) の2位式が採用されていた。
列車集中制御装置 (CTC) が導入され、あすなろう四日市駅において全駅の信号制御および電気転轍機の制御が可能となっている。情報伝送はメタルケーブルを使用する。連動装置は、あすなろう四日市駅・日永駅については第一種継電連動装置が、泊駅、内部駅は第三種継電連動装置となっている。
多変周式・連続照査型の「近鉄型ATS」を採用している。地上子は通常2本のレールの間に設置するが、四日市あすなろう鉄道は軌間が狭いため、設置してしまうと、上り電車用と下り電車用の位置のずれが短くなり、誤作動する恐れがある。このため地上子は2本のレールの外側(進行方向に向かって右側)にあり、大変珍しいスタイルとなっている。
あすなろう四日市駅には終端用ATSが、急曲線部分・急勾配部分の速度制限箇所の一部には速度超過防止用ATSが備えられている。
第1種踏切(警報機・遮断機付き)38か所(内部線34か所・八王子線4か所)の踏切がある。第3種踏切(警報機のみ)・第4種踏切(警報機・遮断機共なし)はなく、全踏切で自動化されており、あすなろう四日市駅にて、四日市あすなろう鉄道線全線の踏切の集中監視を行っている。
日永駅 - 南日永駅間にある日永4号踏切は幅員19.8m(笹川通り:道路4車線)、遮断機12基を有する三重県下で最大の踏切であった(現在は8基に改築されている)。
廃止区間の駅は次節を参照。
四日市市駅 - 市役所前駅 - 諏訪駅 - 鵜ノ森駅 - 南浜田駅
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"text": "信号機は、注意 (Y)・停止 (R) の2位式が採用されている。なお、全線が単線自動閉塞化された1989年(平成元年)以前の近鉄四日市駅 - 日永駅間においては進行 (G)・停止 (R) の2位式が採用されていた。",
"title": "施設"
},
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"text": "列車集中制御装置 (CTC) が導入され、あすなろう四日市駅において全駅の信号制御および電気転轍機の制御が可能となっている。情報伝送はメタルケーブルを使用する。連動装置は、あすなろう四日市駅・日永駅については第一種継電連動装置が、泊駅、内部駅は第三種継電連動装置となっている。",
"title": "施設"
},
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"paragraph_id": 28,
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"text": "多変周式・連続照査型の「近鉄型ATS」を採用している。地上子は通常2本のレールの間に設置するが、四日市あすなろう鉄道は軌間が狭いため、設置してしまうと、上り電車用と下り電車用の位置のずれが短くなり、誤作動する恐れがある。このため地上子は2本のレールの外側(進行方向に向かって右側)にあり、大変珍しいスタイルとなっている。",
"title": "施設"
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"text": "あすなろう四日市駅には終端用ATSが、急曲線部分・急勾配部分の速度制限箇所の一部には速度超過防止用ATSが備えられている。",
"title": "施設"
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"text": "第1種踏切(警報機・遮断機付き)38か所(内部線34か所・八王子線4か所)の踏切がある。第3種踏切(警報機のみ)・第4種踏切(警報機・遮断機共なし)はなく、全踏切で自動化されており、あすなろう四日市駅にて、四日市あすなろう鉄道線全線の踏切の集中監視を行っている。",
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"text": "日永駅 - 南日永駅間にある日永4号踏切は幅員19.8m(笹川通り:道路4車線)、遮断機12基を有する三重県下で最大の踏切であった(現在は8基に改築されている)。",
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"text": "廃止区間の駅は次節を参照。",
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"text": "四日市市駅 - 市役所前駅 - 諏訪駅 - 鵜ノ森駅 - 南浜田駅",
"title": "駅一覧"
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] |
内部線(うつべせん)は、あすなろう四日市駅から内部駅までを結ぶ四日市あすなろう鉄道の鉄道路線。全線が三重県四日市市内を走る。
|
{{Infobox rail line
| box_width = 300px
| name = 内部線
| color = 00a0e8
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| caption = 日永駅停車中の新260系(2016年)
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| owner = 三重軌道→三重鉄道→<br />[[三重交通|三重交通→三重電気鉄道]]→<br />[[近畿日本鉄道]]→<br />[[四日市市]](第3種鉄道事業者)
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| stock = [[#使用車両|使用車両]]の節を参照
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| maxincline =
| map = [[File:YAR Linemap.svg|300px|路線図]]
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}}
'''内部線'''(うつべせん)は、[[近鉄四日市駅|あすなろう四日市駅]]から[[内部駅]]までを結ぶ[[四日市あすなろう鉄道]]の[[鉄道路線]]。全線が[[三重県]][[四日市市]]内を走る。
== 概要 ==
[[軌間]]762mmという特殊[[狭軌]]の[[軽便鉄道]]として建設され、現在も当時のままの軌間で運行される。あすなろう四日市駅 - [[日永駅]]間には、同じく軌間762mmの[[四日市あすなろう鉄道八王子線|八王子線]]の列車が直通している。
1965年(昭和40年)4月から[[近畿日本鉄道]](近鉄)が運営していたが、2015年(平成27年)4月より、四日市市が[[鉄道事業者#第三種鉄道事業|第三種鉄道事業者]]として鉄道施設と車両を所有し、新たに近鉄と四日市市が共同で出資して設立した[[四日市あすなろう鉄道]]が[[鉄道事業者#第二種鉄道事業|第二種鉄道事業者]]として[[公有民営方式]]により鉄道施設と車両を無償で借用して運行する<ref name="kintetsu20140327">{{Cite web|和書|url=https://www.kintetsu.co.jp/all_news/news_info/140327-2utsubehachioji.pdf|format=pdf|title=内部・八王子線の新会社「四日市あすなろう鉄道株式会社」の設立について|publisher=近畿日本鉄道・四日市市|date=2014-03-27|accessdate=2021-12-09}}</ref>(経緯は「[[四日市あすなろう鉄道#会社設立の経緯]]」も参照)。
近鉄時代はプリペイド式乗車カードである[[パールカード]](2008年で販売終了)により[[自動券売機]]で乗車券の購入ができたが、四日市あすなろう鉄道移管後は券売機が食券型に変更されたため使用できなくなった。以来、当路線では[[ICカード]]を含む乗車カードは一切使用できなかったが、2021年(令和3年)8月21日に[[ICOCA]]が導入され、ICOCAとともに[[交通系ICカード全国相互利用サービス]]対応の[[TOICA]]や[[manaca]]、[[PiTaPa]]などが利用可能となった<ref name="press20210803" /><ref name="news20210804" />。
[[File:Yokkaichi Asunarou Railway ticket machine.JPG|thumb|none|200px|四日市あすなろう鉄道の自動券売機]]
=== 路線データ ===
* 路線距離([[営業キロ]]):5.7km
* [[軌間]]:762mm
* 駅数:8駅(起終点駅含む)
* 複線区間:なし(全線単線)
* 電化区間:全線電化(直流750V)
* [[閉塞 (鉄道)|閉塞方式]]:自動閉塞式
* 最高速度:45km/h<ref name="terada" />
* [[ICカード|IC]][[乗車カード]]対応区間:
** [[ICOCA]]エリア:全線
== 歴史 ==
{{基礎情報 会社
|社名 = 三重鉄道
|ロゴ = [[File:Mie Railway logomark.svg|150px]]
|種類 = [[株式会社]]
|国籍 = {{JPN}}
|本社所在地 = [[三重県]][[四日市市]]浜田3753<ref name="NDLDC1184231"/>
|設立 = [[1916年]](大正5年)[[7月19日]]<ref name="NDLDC1184231"/>
|業種 = [[:Category:かつて存在した日本の鉄道事業者|鉄軌道業]]
|事業内容 = 旅客鉄道事業、不動産 他 <ref name="NDLDC1184231"/>
|代表者 = 社長 [[小池一]]<ref name="NDLDC1184231"/>
|資本金 = 650,000円(払込額)<ref name="NDLDC1184231"/>
|特記事項 = 上記データは1943年(昭和18年)現在<ref name="NDLDC1184231">[{{NDLDC|1184231/48}} 『地方鉄道及軌道一覧. 昭和18年4月1日現在』](国立国会図書館デジタルコレクション)</ref>。}}
内部線は、[[1912年]](大正元年)から[[1915年]](大正4年)にかけて三重軌道が開業させた四日市市駅 - 八王子村駅(後の伊勢八王子駅)間のうちの四日市市駅 - 日永駅間と、日永駅から分岐して三重鉄道が[[1922年]](大正11年)に開業させた鈴鹿支線の一部から成る(後に未開業区間は敷設免許失効)。
1912年(大正元年)に三重軌道が[[軌道条例]]による軌道として南浜田駅 - 日永駅間を開業し、1915年(大正4年)に鉄道院(後の国鉄)[[関西本線]]の[[四日市駅]]西口まで延伸された。[[1916年]](大正5年)には、三重軌道の路線を廃止して、新たに設立した三重鉄道がこれを[[軽便鉄道法]]による軽便鉄道として開業した。
1922年(大正11年)1月には鈴鹿支線として日永駅 - 小古曽駅間が開業し、同年6月には内部駅まで延伸された<ref name="bunka" />。三重県には1916年から1921年にかけての図面類が「三重鉄道敷設関係図面」として残されており、その中の「三重鉄道株式会社鈴鹿支線予測平面図」によると伊船([[深伊沢村]]、現鈴鹿市)まで延伸される予定だった<ref name="bunka">{{Cite web|和書|author= |date= |url=https://www.bunka.pref.mie.lg.jp/rekishi/kenshi/asp/shijyo/detail.asp?record=565 |title=三重鉄道敷設関係図面 |publisher=三重県 |accessdate=2021-12-05}}</ref>。一方、鉄道院(省)文書によると1922年(大正11年)に三重鉄道は内部駅から先の用地買収が進まないため「内部伊船間工事竣功期限延期」を申請し、1923年(大正12年)には省線(後の国鉄)連絡のために線路幅を広げる改軌の調査のためさらに一年延長するよう申請している<ref name="bunka" />。1924年(大正13年)には伊船周辺で石灰石の採掘やセメント会社の設立計画があり工事計画の変更があるとして三度目の延期を申請したが、三重鉄道は旅客収入が伸び悩み、豪雨の復旧工事も必要になっていたほか、第一次世界大戦後の不況時でもあったため延伸に耐え得る企業財力がなかったとみられ、1925年(大正14年)6月に延伸のための鉄道敷設免許は失効となった<ref name="bunka" />。
[[1928年]](昭和3年)には、現在の[[近鉄名古屋線]]の前身である[[伊勢電気鉄道]]の桑名延伸(泗桑線)に際して、四日市市駅 - [[近鉄四日市駅#諏訪駅|諏訪駅]]間を廃止し、路線敷を伊勢電気鉄道に譲渡した。
戦時統合で[[1944年]](昭和19年)[[三重交通]]の路線となり、戦後[[1956年]](昭和31年)に四日市市内でカーブが連続していた名古屋線[[海山道駅]] - [[川原町駅]]間の経路を変更した折、内部線の起点が諏訪駅から近畿日本四日市駅(現在の近鉄四日市駅)に変更された。この時、かつて伊勢電気鉄道に譲渡した区間は、三重鉄道の後身の三重交通に返還されずに廃止となった。その後、三重電気鉄道を経て[[1965年]](昭和40年)に近畿日本鉄道への吸収合併で同社の路線となった。
なお、かつては現在の八王子線と湯の山線を合わせて三重線と総称し、列車も湯の山駅(現在の湯の山温泉駅) - 近畿日本四日市駅 - 内部駅を通し運転していたが、湯の山線改軌時に新たに内部線・八王子線として独立した路線名が与えられている。
2012年には、近鉄が四日市市などにバス転換([[バス・ラピッド・トランジット|BRT]]化)を提案した。これに対し四日市市が鉄道による存続を望み、2013年に公有民営方式で存続することで合意<ref name="kintetsu20130927" />。2015年から四日市市が第三種鉄道事業者として鉄道施設や車両を保有し、新会社[[四日市あすなろう鉄道]]が第二種鉄道事業者としてそれらを同市から借用して運営している<ref name="kintetsu20140327" />(「[[四日市あすなろう鉄道#会社設立の経緯]]」も参照)。
=== 年表 ===
* [[1911年]]([[明治]]44年)[[12月28日]]:三重軌道が設立。
* [[1912年]]([[大正]]元年)[[10月6日]]:三重軌道が南浜田駅 - 日永駅間を開業<ref name="kinhist">{{Cite web|和書|url=https://www.kintetsu.jp/kouhou/History/story01.html|title=近鉄資料館 > 近鉄ストーリー > 明治43年~大正5年|publisher=近畿日本鉄道|accessdate=2021-12-09}} による。ただし駅名は『日本鉄道旅行地図帳 8号 関西1』新潮社、pp.31-32、および『[{{NDLDC|948298/105}} 全国鉄道いろは順線別駅名鑑]』鉄道公認運送取扱人組合中央会、1920年、p.187(国立国会図書館 デジタルコレクションより)による。</ref>。
* [[1913年]](大正2年)[[5月16日]]:諏訪前駅 - 南浜田駅間が開業<ref name="kinhist" />。
* [[1915年]](大正4年)[[12月25日]]:四日市市駅 - 諏訪前駅間が開業<ref name="kinhist" />。
* [[1916年]](大正5年)
** [[7月19日]]:三重鉄道が設立。
** [[12月1日]]:軌道条例に基づく三重軌道の路線を廃止し、三重鉄道が軽便鉄道法に基づく軽便鉄道として四日市市駅 - 日永駅間を開業<ref name="OfficialGazette_19161208">「軽便鉄道運輸開始」{{国立国会図書館のデジタル化資料|2953419/6|官報. 1916年12月08日}}</ref>。
* [[1917年]](大正6年)[[4月15日]]:四日市市駅 - 諏訪前駅間の市役所前駅、諏訪前駅 - 南浜田駅間の鵜ノ森駅廃止<ref>[{{NDLDC|2953530/8}} 「軽便鉄道停留場廃止」『官報』1917年4月25日](国立国会図書館デジタルコレクション)</ref>。
* [[1922年]](大正11年)
** [[1月10日]]:日永駅 - 小古曽駅間が開業<ref>[{{NDLDC|2954965/6}} 「地方鉄道運輸開始」『官報』1922年02月02日](国立国会図書館デジタルコレクション)</ref>(鈴鹿支線)。
** [[6月21日]]:小古曽駅 - 内部駅間が開業<ref>[{{NDLDC|2955088/8}} 「地方鉄道運輸開始」『官報』1922年06月27日](国立国会図書館デジタルコレクション)</ref>。追分駅開業。
* [[1928年]]([[昭和]]3年)
** [[1月29日]]:諏訪前駅廃止、同駅西方の四日市鉄道諏訪駅に統合。四日市市駅 - 諏訪駅間が廃止、伊勢電気鉄道に軌道用地譲渡。
** この年:[[気動車|ガソリン動車]]の[[三重鉄道シハ31形気動車|シハ31形]]31 - 34(日本車輛製造本店製)使用開始。
* [[1931年]](昭和6年)[[3月1日]]:三重鉄道が四日市鉄道を吸収合併する。
* [[1943年]](昭和18年)12月25日:諏訪駅 - 内部駅間が直流600V電化。諏訪駅が移転し0.1km短縮。
* [[1944年]](昭和19年)
** [[2月11日]]:三重鉄道ほか6社が合併し三重交通が発足。湯の山線・八王子線と合わせて三重線となる。
** 3月1日:'''内部線'''の路線名称制定。
** [[7月1日]]:諏訪駅 - 赤堀駅間の南浜田駅、追分駅 - 内部駅間の小古曽駅休止。
** [[11月1日]]:諏訪駅 - 赤堀駅間の南浜田駅を廃止する。赤堀駅を四日市方に0.1km移設。
* [[1946年]](昭和21年)[[10月3日]]:浜田変電所(185kW水銀整流器1台)新設運用開始。
* [[1949年]](昭和24年)[[3月26日]]:[[北勢鉄道モハニ50形電車|モニ220形]]228・229(近鉄モニ220形228・229、現在のサ120形122・123)の2両を新製配置。
* [[1950年]](昭和25年)
** [[6月16日]]:[[三重交通サ150形電車|サ101形]]101 - 103の3両を新製配置。
** [[12月15日]]:[[三重交通サ150形電車|サ150形]]161 - 164(近鉄サ150形161 - 164)の4両を新製配置。
* [[1951年]](昭和26年)
** [[1月17日]]:サ150形165 - 166(近鉄サ150形165 - 166)の2両を新製配置。
** [[5月5日]]:浜田変電所に300kW水銀整流器1台を増設、運用開始。
* [[1954年]](昭和29年)
** [[8月17日]]:[[三重交通サ360形電車|サ360形]]361 - 364(近鉄サ130形131 - 134)の4両を新製配置。
** [[10月20日]]:サ360形365・366(近鉄サ130形135・136)の2両を新製配置。
** [[11月19日]]:サ360形367・368(近鉄サ130形137・138)の2両を新製配置。
* [[1956年]](昭和31年)
** [[9月23日]]:名古屋線四日市駅付近経路変更に伴い、諏訪駅 - 赤堀駅間が廃止、近畿日本四日市駅(現在の近鉄四日市駅) - 赤堀駅間の新線が開業。
** 12月:泊駅に列車行き違い設備を設置。
* [[1959年]](昭和34年)
** この年:架線電圧を直流600Vから直流750Vに昇圧。
** [[5月1日]]:休止していた小古曽駅を内部方に0.1km移設の上営業再開。
** [[8月7日]]:[[三重交通4400形電車|4400形]]4401M1+4401T+4401M2(近鉄モ200・サ100形、現在のク200・サ100・サ200形201+101+202)を新製配置。
** [[8月24日]]:近畿日本四日市駅 - 赤堀駅間に浜田信号所を新設<!--これ以前に存在した駅は南浜田駅ですが、信号所は浜田信号所が正式です<ref>{{Cite journal |和書|title=近鉄名古屋営業局管内路線図|date=1975-11|publisher=電気車研究会|journal=鉄道ピクトリアル|number=313|page=87}}</ref>。ついでに、近鉄では信号場ではなく信号所が正式なようです。信号場となっている記事も多数ありますが。-->。同時に近畿日本四日市駅 - 日永駅間を単線自動閉塞化の上、同区間に高圧配電設備(信号・駅舎電源)を設置。
** [[11月5日]]:浜田変電所に500kW水銀整流器1台を増設、運用開始。185kW水銀整流器1台撤去。
* [[1960年]](昭和35年)
** [[6月1日]]:[[三重交通サ2000形電車|サ2000形]]2001(近鉄サ140形141)を1両を新製配置。
** [[8月27日]]:サ2000形2002 - 2004(近鉄サ140形142 - 144)の3両を新製配置。
* [[1961年]](昭和36年)8月27日:サ2000形2005・2006(近鉄サ140形145・146)の2両を新製配置。
* [[1962年]](昭和37年)
** [[10月1日]]:サ2000形2007(近鉄サ140形147)の1両を新製配置。
** この年:サ150形157(166を改番。近鉄サ150形157)が北勢線に転属。
* [[1964年]](昭和39年)
** [[2月1日]]:三重交通が鉄道事業を三重電気鉄道に分離譲渡。
** 3月:サ360形363 - 368(近鉄サ130形133 - 138)、サ2000形2001 - 2007(近鉄サ140形141 - 147)、4400形4401M1+4401T+4401M2(近鉄モ200・サ100形:現ク200・サ100・サ200形201+101+202)の16両が北勢線に転属。
** [[3月1日]]:湯の山線の[[改軌]]に伴い、同線との直通運転廃止<ref>{{Cite journal |和書|title=湯ノ山線改軌|date=1964-05|publisher=電気車研究会|journal=鉄道ピクトリアル|number=157|page=86}}</ref>。
* [[1965年]](昭和40年)[[4月1日]]:近畿日本鉄道が三重電気鉄道を合併。
* [[1970年]](昭和45年)[[3月1日]]:近畿日本四日市駅を近鉄四日市駅に改称。
* [[1974年]](昭和49年)[[6月29日]]:内部線の近鉄四日市駅が移設、0.1km短縮。
* [[1977年]](昭和52年):モニ220形225 - 227、サ130形133、サ150形151 - 157の11両が北勢線より転入。
* [[1978年]](昭和53年):車両の連結器をピン・リンク式(通称:朝顔式)から柴田式自動連結器を小型化したもの(柴田式3/4上作用自動連結器〈CSC91形自動連結器〉)に交換する。
* [[1982年]](昭和57年)[[11月25日]]:[[近鉄260系電車|モ260形]]261・262、ク160形161・162の4両を新製配置。
* [[1983年]](昭和58年)[[4月7日]]:モ260形263 - 265、ク160形163の4両を新製配置。
* [[1986年]](昭和61年)[[8月28日]]:浜田信号所廃止。
* [[1989年]]([[平成]]元年)
** [[3月17日]]:全線において単線自動閉塞化。[[自動列車停止装置]] (ATS) 使用開始。列車運転間隔を25分→30分に。
** [[6月1日]]:ワンマン運転開始。各駅にホームミラー設置。
* [[2012年]](平成24年)
** [[6月29日]]:四日市市議会が内部線・八王子線の存続を求めるために特別委員会として総合交通政策調査特別委員会を設置する<ref>{{Cite news|url=http://www.asahi.com/travel/rail/news/NGY201206140005.html| title=近鉄内部・八王子線が廃線危機 議会で存続策検討 三重|archiveurl=https://archive.md/20130110155636/http://www.asahi.com/travel/rail/news/NGY201206140005.html|archivedate=2013-01-10|newspaper=朝日新聞|date=2012-06-15}}</ref>。
** [[8月21日]]:近鉄が地元住民との会談で内部線と八王子線の鉄路を廃止し、跡地を[[バス専用道路]]にしてバスによる運用に転換する方針を発表<ref>「[http://mainichi.jp/area/news/20120822ddq041020012000c.html 近鉄:2路線、鉄路廃止へ 赤字続く内部線・八王子線、バス専用道に]」毎日新聞、2012年8月22日</ref>。
* [[2013年]](平成25年)
** [[9月27日]]:近鉄と四日市市が内部線と八王子線を公有民営方式で存続することで合意<ref>{{Cite web|和書|url=https://response.jp/article/2013/09/28/207358.html|title=近鉄と四日市市、内部・八王子線の公有民営化で合意…2015年春移行へ]|publisher=レスポンス|date=2013-09-28|accessdate=2021-12-09}}</ref><ref name="kintetsu20130927">{{Cite web|和書|url=http://www.kintetsu.co.jp/all_info/news_info/130927utsuhachihp.pdf|title=内部・八王子線に関する当社の考え方(その5)「四日市市様との基本的な合意について」|publisher=近畿日本鉄道|date=2013-09-27|archiveurl=https://web.archive.org/web/20131101143748/http://www.kintetsu.co.jp/all_info/news_info/130927utsuhachihp.pdf|archivedate=2013-11-01|accessdate=2021-12-09}}</ref>。
* [[2014年]](平成26年)3月27日:四日市あすなろう鉄道が設立<ref name="kintetsu20140327" />。
* [[2015年]](平成27年)4月1日:四日市あすなろう鉄道が内部線の運営を開始<ref name="kintetsu20140327" /><ref name=press141226>{{Cite web|和書|url=https://www.city.yokkaichi.lg.jp/www/contents/1001000001796/index.html|title=鉄道事業再構築実施計画の認定申請を行いました|publisher=四日市市|date=2014-12-26|accessdate=2021-12-09}}</ref>。
* [[2021年]]([[令和]]3年)[[8月21日]]:全線で「[[ICOCA]]」などの[[交通系ICカード全国相互利用サービス|全国相互利用サービス]]に対応した[[乗車カード|交通系ICカード]]が利用可能となる<ref name="press20210803">{{Cite web|和書|url=https://www.yar.co.jp/info/detail.php?id=276|archiveurl=https://web.archive.org/web/20210803065158/https://www.yar.co.jp/info/detail.php?id=276|title=交通系ICカードシステムの導入について|date=2021-08-03|archivedate=2021-08-03|accessdate=2021-08-04|publisher=四日市あすなろう鉄道|language=日本語|deadlinkdate=}}</ref><ref name="news20210804">{{Cite news|url=https://www.isenp.co.jp/2021/08/04/63160/|archiveurl=https://web.archive.org/web/20210804032145/https://www.isenp.co.jp/2021/08/04/63160/|title=四日市市 あすなろう鉄道 ICカードシステム導入、21日から 三重|newspaper=伊勢新聞|date=2021-08-04|accessdate=2021-08-04|archivedate=2021-08-04}}</ref>。
== 運行形態 ==
あすなろう四日市駅 - [[日永駅]]間は内部駅発着の列車と八王子線[[西日野駅]]発着の列車が交互に運転されており、この区間は日中毎時4本の割合で運行されている。日永駅 - 内部駅間は毎時2本の運行となる。
日永駅では、西日野発のあすなろう四日市行きが内部行きと、内部発のあすなろう四日市行きが西日野行きと連絡しており、基本的にすべての列車が系統別の接続を行う。従って日永駅での、西日野駅と南日永駅以南との乗り換え時間ロスはほとんどない。
全列車が都市型[[ワンマン運転]](無人駅でも全車両の全扉を開閉)を行っている。[[無人駅]]は[[小古曽駅]]のみだったものが、近鉄時代末期の合理化により、四日市駅と内部駅を除く全駅となった。その名残で駅舎内には窓口跡や自動券売機がある(元々無人駅の小古曽駅には窓口や自動券売機はなく、整理券のみの設置)。このため事実上の[[信用乗車方式]]となっている。
なお、[[大晦日]]から[[元日|元旦]]にかけての[[終夜運転]]は、当線では実施されていない。
== 使用車両 ==
=== 現在の車両 ===
[[ファイル:260series.jpg|thumb|right|200px|260系電車]]
[[ファイル:近鉄内部線1.jpg|thumb|200px|right|近鉄四日市(現・あすなろう四日市)停車中の260系(2005年7月16日)]]
* [[近鉄260系電車|260系]]
=== 過去の車両 ===
* [[三重軌道1形蒸気機関車]]
* [[四日市鉄道1形蒸気機関車]]
* [[三重軌道ホハ1形客車|サ331形]]
* [[四日市鉄道ホハ1形客車|サ351形]]
* [[大日本軌道伊勢支社1形客車|サ311形]]
* [[中勢鉄道ボコ1形客車|サ321形]]
* [[四日市鉄道101形電気機関車|51形]]
* [[四日市鉄道デ21形電車|四日市鉄道デ21形]]
* [[三重鉄道シハ31形気動車|ナ111形・ナ121形]]
* [[中勢鉄道カ1形気動車|ナ131形]]
* [[三重鉄道シハ81形気動車|ナ141形]]
* [[中勢鉄道カ3形気動車|ナ151形]]
* [[四日市鉄道デ50形電車|モニ210形・モ240形]]
* [[北勢鉄道モハニ50形電車|モニ220形]]
* [[松阪鉄道デ31形電車|モ230形・サ120形・サニ110形]]
* [[三重交通サ150形電車|サ100形・サ150形]]
* [[三重交通モ4400形電車|モ4400形]]
* [[三重交通サ2000形電車|サ2000形]]
* [[三重交通サ360形電車|ク110形・サ120形(サ130改造)]]
* [[北勢鉄道モハニ50形電車|サ120形(モニ220改造)]]
<!--上記2形式は三重線時代に入線していた。湯の山線改軌後は[[三岐鉄道北勢線|北勢線]]に転属。-->
<!--モ4400とサ2000は近鉄合併後の入線実績がありませんので三重交通時代の形式での表記が妥当です。また年表で詳細な記載があるので転属関係もここでは不要です-->
== 施設 ==
{|{{Railway line header||collapse=yes}}
{{UKrail-header2|停車場・施設・接続路線 |#00a0e8}}
{{BS-table}}
{{BS||||[[東海旅客鉄道|JR東海]]:[[関西本線]]|}}
{{BS5||STRq|BHFq|O3=HUBa|STRq|STRq|||[[四日市駅]]|}}
{{BS5|exSTR+l|exSTRq|exBHFq|O3=HUB|exSTRq|exSTRq|||[[近畿日本鉄道|近鉄]]:''[[近鉄名古屋線|名古屋線]]旧線'' -1956|}}
{{BS5|exSTR|exKBHFa|O2=HUBaq|exKBHFa|O3=HUBrf||||''[[四日市駅|四日市市駅]]''|-1928||}}
{{BS5|exSTR|exSTR|exBHF||||''市役所前駅''|-1917|}}
{{BS5|exSTR|exSTR|exBHF||||''諏訪前駅''|-1928|}}
{{BS5|exBHF|O1=HUBaq|exBHF|O2=HUBeq|exSTR||||''[[近鉄四日市駅#諏訪駅|諏訪駅]]''|-1956|}}
{{BS5|exSTR|exABZgl|exABZql|exSTRq|exSTR+r||||}}
{{BS5|eABZqr|xKRZu+k2|kABZq+3|BHFq|O4=HUBa|xKRZu|||[[近鉄四日市駅]] 近鉄:[[近鉄名古屋線|名古屋線]] 1956-}}
{{BS5||exSTR+l|O2=xkABZg+1|exSTRq|KBHFxaq|O4=HUBe|xABZg+r|0.0|[[近鉄四日市駅|あすなろう四日市駅]]|1956-|}}
{{BS5||STR3|O2=POINTERg@fq||STRc2|STR3|||近鉄:[[近鉄湯の山線|湯の山線]]|}}
{{BS5||||STR+1|STRc4||||}}
{{BS3|||eBHF||''鵜ノ森駅''|-1917|}}
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{{BS3|||hKRZWae|||落合川|}}
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{{BS3|||BHF|1.8|[[日永駅]]||}}
{{BS3|||ABZgr|||[[四日市あすなろう鉄道八王子線|八王子線]]|}}
{{BS3|||hKRZWae|||[[天白川 (三重県)|天白川]]||}}
{{BS3|||BHF|2.5|[[南日永駅]]||}}
{{BS3|||BHF|3.6|[[泊駅 (三重県)|泊駅]]||}}
{{BS3|||BHF|4.3|[[追分駅 (三重県)|追分駅]]||}}
{{BS3|||BHF|5.0|[[小古曽駅]]||}}
{{BS5||||ABZgl|STR+r||内部車庫||}}
{{BS5||||KBHFe|KDSTe|5.7|[[内部駅]]||}}
|}
|}
=== 線形 ===
最急曲線半径は100mで、[[赤堀駅]]構内と[[日永駅]]構内にある。最急勾配は25パーミル。
=== 軌道 ===
使用されている[[軌条]](レール)は、過去には[[軽便鉄道]]規格の古典的な15kと22kレール(それぞれ1m当たり15kg・20kg)が使用されていた。現在ではレールの重軌条化が進み、本線では40N・50Nレールに統一された。また、内部車庫内には22kレールが残っている。[[枕木|マクラギ]]は、一部区間で[[枕木|PCマクラギ]]が用いられているが、大半が木マクラギである。
=== 分岐器・転轍器 ===
[[分岐器]]は、特殊狭軌用のものが用いられ、部品が特殊な上に、分岐側の曲線半径が小さいため列車通過制限速度が厳しく(20km/h)、列車の高速化を阻んでいる。分岐器番数は7番であり、JR在来線の最小番数8番分岐器よりも交差角が大きい。
[[分岐器|転轍器]]は、本線においてはあすなろう四日市駅と日永駅の四日市方については[[分岐器#電気転轍機|電気転轍機]](近鉄四日市駅から遠隔制御される)が用いられるが、日永駅(内部方および内部線上り線と八王子線分岐の2基)と[[泊駅 (三重県)|泊駅]](2基)、[[内部駅]](本線と車庫線の分岐1基)は旧式の[[分岐器#手動転轍器|発条転轍機]](列車の車輪で分岐器を転換させバネの力で復位させる)である。
[[分岐器#乗越分岐器|乗越分岐器]]および[[安全側線]]が設置されている駅はなく、列車行き違い時の上下列車の駅構内同時進入ができない。過去には、浜田信号所(現在は廃止)の場内信号機に警戒信号を現示することにより上下列車の駅構内同時進入を行なっていた時期もあった。
=== 橋梁 ===
[[ファイル:Tenpaku river bridge of Utube line.jpg|200px|right|thumb|天白川橋梁]]
[[ファイル:Kabake river bridge of Utube line.jpg|200px|right|thumb|鹿化川橋梁]]
主な橋梁のみを記す。いずれもコンクリートスラブ桁。従前の橋梁は軽便鉄道規格の簡素なもので、桁長さが短く、桁厚さが薄いのが特徴であったが、内部線内の長大橋梁である鹿化川橋梁と天白川橋梁をはじめ、ほとんどの橋梁が近代的なコンクリート(スラブ)桁やボックスカルバート構造の橋に架け替えられている。
{| class="wikitable" rules="all" style="font-size:90%"
|-
!style="text-align:center; width:7em;"|駅間
!style="text-align:center; width:7em;"|橋梁名
!style="text-align:center; width:3em;"|キロ程
!style="text-align:center; width:3em;"|径間
!style="text-align:center; width:1.5em;"|橋台数
!style="text-align:center; width:1.5em;"|橋脚数
!style="text-align:center; width:7em;"|河川・道路名
|-
|style="text-align:center;"|赤堀 - 日永間
|style="background:#ccffff; text-align:center;"|落合川橋梁
|style="text-align:right;"|1.3
|style="text-align:right;"|9.70
|style="text-align:center;"|2
|style="text-align:center;"|0
|style="text-align:center;"|落合川
|-
|style="text-align:center;"|赤堀 - 日永間
|style="background:#ccffff; text-align:center;"|鹿化川橋梁
|style="text-align:right;"|1.6
|style="text-align:right;"|30.80
|style="text-align:center;"|2
|style="text-align:center;"|0
|style="text-align:center;"|[[鹿化川]]
|-
|style="text-align:center;"|日永 - 南日永間
|style="background:#ccffff; text-align:center;"|天白川橋梁
|style="text-align:right;"|2.2
|style="text-align:right;"|28.20
|style="text-align:center;"|2
|style="text-align:center;"|0
|style="text-align:center;"|[[天白川 (三重県)|天白川]]
|}
=== 車庫 ===
{{Double image stack|right|Utsube Depot (Inside of Utsube Station).JPG|Utsube stn 2.jpg|200|内部車庫入口|内部車庫内部}}
[[内部駅]]構内に両線供用の「近鉄車両課[[富吉検車区]]内部車庫」がある。
車庫内で車両の[[日本の鉄道車両検査#仕業検査|列車検査]]・[[日本の鉄道車両検査#交番検査|月検査]]を施工するが、定期検査([[日本の鉄道車両検査#全般検査|全般検査]]・[[日本の鉄道車両検査#重要部検査・台車検査|重要部検査]])を行う施設が無いため、定期検査時は車両の主要部品を車庫外に持ち出して他の車両工場([[塩浜検修車庫]])で検査を実施する。
=== 変電所 ===
あすなろう四日市駅の名古屋方高架下に四日市[[変電所]]があり、ここから電力が供給されている。
=== 電路設備 ===
[[架線]]は[[架空電車線方式#シンプルカテナリー式|シンプルカテナリー方式]]で、[[電柱]]は、木柱からコンクリート柱への更新工事が進行中である。架線自動張力調整装置(テンションバランサー)は一部区間について設置されている。高圧配電線(信号・踏切用の電源線)は近鉄四日市駅 - 南日永駅間に架設されている。
=== 信号・連動装置・CTC ===
[[日本の鉄道信号#常置信号機|常置信号機]]として、場内信号機・出発信号機と中継信号機(日永駅のみ)が設けられている。以前は、近鉄四日市駅に入換信号機があったが撤去された。これは、総括制御化された車両が導入される以前に制御電動車(運転台・モーター付の電車)を転線して付け替えるために使用していたものであった。車庫所在駅である内部駅にも入換信号機は設置されていない。
信号機は、注意 (Y)・停止 (R) の2位式が採用されている。なお、全線が単線自動閉塞化された1989年(平成元年)以前の近鉄四日市駅 - 日永駅間においては進行 (G)・停止 (R) の2位式が採用されていた。
[[列車集中制御装置]] (CTC) が導入され、あすなろう四日市駅において全駅の信号制御および[[分岐器#電気転轍器|電気転轍機]]の制御が可能となっている。情報伝送は[[メタルケーブル]]を使用する。[[連動装置]]は、あすなろう四日市駅・日永駅については[[連動装置#連動装置の種類|第一種継電連動装置]]が、[[泊駅 (三重県)|泊駅]]、内部駅は[[連動装置#連動装置の種類|第三種継電連動装置]]となっている。
=== ATS ===
[[File:Yokkaichi Asunarou Railway ATS.JPG|thumb|200px|レールの外側に取り付けられたATS]]
多変周式・連続照査型の「近鉄型[[自動列車停止装置|ATS]]」を採用している。地上子は通常2本のレールの間に設置するが、四日市あすなろう鉄道は軌間が狭いため、設置してしまうと、上り電車用と下り電車用の位置のずれが短くなり、誤作動する恐れがある。このため地上子は2本のレールの外側(進行方向に向かって右側)にあり、大変珍しいスタイルとなっている。
あすなろう四日市駅には[[自動列車停止装置|終端用ATS]]が、急曲線部分・急勾配部分の速度制限箇所の一部には[[自動列車停止装置#多変周式信号ATS(多変周式(点制御、連続照査型))|速度超過防止用ATS]]が備えられている。
=== 踏切 ===
[[踏切#種類|第1種踏切]]([[踏切警報機|警報機]]・[[遮断機]]付き)38か所(内部線34か所・八王子線4か所)の[[踏切]]がある。[[踏切#種類|第3種踏切]](警報機のみ)・[[踏切#種類|第4種踏切]](警報機・遮断機共なし)はなく、全踏切で自動化されており、あすなろう四日市駅にて、四日市あすなろう鉄道線全線の踏切の集中監視を行っている。
日永駅 - 南日永駅間にある日永4号踏切は幅員19.8m(笹川通り:道路4車線)、遮断機12基を有する三重県下で最大の踏切であった(現在は8基に改築されている)。
== 駅一覧 ==
=== 営業中の区間 ===
* 全駅[[三重県]][[四日市市]]に所在。
* 普通列車のみ運転、全列車が各駅に停車する。
* 駅員が配置されている駅は*印を付け、駅名を'''強調文字'''で示す。
* 小古曽駅以外の全駅に自動券売機を配置、磁気券を発売。
* 線路…◇・∨・∧:[[列車交換]]可能、|:列車交換不可。
{| class="wikitable" rules="all"
|-
!style="width:11em; border-bottom:solid 3px #00a0e8;"|駅名
!style="width:2.5em; border-bottom:solid 3px #00a0e8;"|駅間キロ
!style="width:2.5em; border-bottom:solid 3px #00a0e8;"|営業キロ
!style="width:5.5em; border-bottom:solid 3px #00a0e8;"|乗降人員<br /><small>-2008年-</small>
!style="border-bottom:solid 3px #00a0e8;"|接続路線・備考
!style="width:1em; border-bottom:solid 3px #00a0e8;"|{{縦書き|線路}}
|-
|'''[[近鉄四日市駅|あすなろう四日市駅]]'''*
|style="text-align:center;"|-
|style="text-align:right;"|0.0
|style="text-align:center;"|-
|近畿日本鉄道:{{近鉄駅番号|E}} [[近鉄名古屋線|名古屋線]]・{{近鉄駅番号|K}} [[近鉄湯の山線|湯の山線]]([[近鉄四日市駅]]: E21・K21)
|style="text-align:center;"|∨
|-
|[[赤堀駅]]
|style="text-align:right;"|1.0
|style="text-align:right;"|1.0
|style="text-align:right;"|562人/日
|
|style="text-align:center;"||
|-
|[[日永駅]]<br/><small>(あすなろう中央緑地駅)</small>
|style="text-align:right;"|0.8
|style="text-align:right;"|1.8
|style="text-align:right;"|930人/日
|四日市あすなろう鉄道:[[四日市あすなろう鉄道八王子線|八王子線]](直通あり)
|style="text-align:center;"|◇<br><ref group="†">八王子線直通列車は行き違いできない。</ref>
|-
|[[南日永駅]]
|style="text-align:right;"|0.7
|style="text-align:right;"|2.5
|style="text-align:right;"|1,036人/日
|
|style="text-align:center;"||
|-
|[[泊駅 (三重県)|泊駅]]
|style="text-align:right;"|1.1
|style="text-align:right;"|3.6
|style="text-align:right;"|790人/日
|
|style="text-align:center;"|◇
|-
|[[追分駅 (三重県)|追分駅]]
|style="text-align:right;"|0.7
|style="text-align:right;"|4.3
|style="text-align:right;"|1,099人/日
|
|style="text-align:center;"||
|-
|[[小古曽駅]]
|style="text-align:right;"|0.7
|style="text-align:right;"|5.0
|style="text-align:right;"|330人/日
|
|style="text-align:center;"||
|-
|'''[[内部駅]]'''*
|style="text-align:right;"|0.7
|style="text-align:right;"|5.7
|style="text-align:right;"|1,105人/日
|
|style="text-align:center;"|∧
|}
<references group="†" />
=== 廃駅 ===
廃止区間の駅は次節を参照。
* 鵜ノ森駅(諏訪前駅 - 南浜田駅) - 1917年廃止。
* 南浜田駅(諏訪駅 - 赤堀駅間) - 1944年休止、同年廃止。
=== 廃止区間 ===
[[四日市駅|四日市市駅]] - 市役所前駅 - [[近鉄四日市駅#諏訪駅|諏訪駅]] - 鵜ノ森駅 - 南浜田駅
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
{{Reflist}}
== 参考文献 ==
* 近畿日本鉄道公式サイト「[https://www.kintetsu.jp/kouhou/History/story01.html 近鉄ストーリー 明治43年~大正5年]」
* 今尾恵介『日本鉄道旅行地図帳 8号 関西1』新潮社、2008年、ISBN 978-4-10-790026-5
* 和久田康雄『私鉄史ハンドブック』電気車研究会、1993年、ISBN 4-88548-065-5
== 関連項目 ==
* [[日本の鉄道路線一覧]]
{{近畿日本鉄道の路線}}
{{デフォルトソート:よつかいちあすなろうてつとううつへせん}}
[[Category:近畿地方の鉄道路線|うつへせん]]
[[Category:近畿日本鉄道の鉄道路線|廃うつへ]]
[[Category:三重交通|路うつへせん]]
[[Category:三重鉄道|路うつへせん]]
[[Category:日本の軽便鉄道]]
[[Category:三重県の交通]]
[[Category:四日市あすなろう鉄道|路うつへ]]
[[Category:第三セクター路線]]
|
2003-09-12T00:41:06Z
|
2023-12-30T13:47:52Z
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|
16,322 |
益子焼
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益子焼(ましこやき)は、栃木県芳賀郡益子町周辺:真岡市、茂木町、市貝町も含む、で生産される陶器の名称である。
古くから窯が開かれ、江戸時代終盤に大塚啓三郎により窯業が始まり、陶製日用品を作る陶器生産地として栄えた。大正に入り濱田庄司が「民芸」を持ち込み「民芸の町・益子」と謳われるようになり、その後、数多くの陶芸家志望の人々が移住し「陶芸の町・益子」を築き上げ、現在の「益子焼」を作り上げていった。
江戸時代末期、嘉永年間に常陸国笠間藩(現・笠間市)で修行した大塚啓三郎が益子に窯を築いたことにより始まったとされる。
益子焼の陶土は、豊富にあるものの肌理が粗く精巧な器を作るには向かなかったため、当初の益子焼は主に水がめ・火鉢・壺などの日用品として製作されていた。その後、1927年から創作活動を開始した濱田庄司によって花器・茶器などの民芸品が作られるようになり、日本全国に知られることとなる。1959年には、加守田章二が開いた窯により民芸一辺倒だった益子の作陶に現代的な独創性が加えられた。
1979年(昭和54年)には通商産業省(現・経済産業省)から伝統的工芸品に指定された。地域団体商標にも登録されている。また、イギリスの陶芸家バーナード・リーチなどの普及活動がある。
砂気の多いゴツゴツとした土の質感をもつ。材料の性質上割れやすく、重いという欠点もある。
益子焼の最も基本的な釉薬は漆黒(しっこく)や「柿」と呼ばれる赤茶色、飴色(あめいろ)を出す鉄釉(てつゆ)である。石材粉や古鉄粉を釉薬にし、筆で色づけを行う為、重厚な色合いとぼってりとした肌触りである。こうした昔ながらの施釉(せゆう)は土鍋や土瓶、片口といった、肉厚な陶器に使われる。
民藝運動以来、濱田が得意とした杓掛け・流し掛け・掻き落としの技法を使った紋様を施した鉢や皿などが有名となった。他にも信楽焼流の絵付けを施した山水土瓶や、呉須(コバルト顔料)を使った陶器も多い。
以下、「益子焼の文献や書籍」などに記載のあった作家を五十音順に記述する。
また益子町の他、真岡市、茂木町、市貝町に在住している作家で「益子焼作家」を自称している者も記載する。
益子町で修行を積んだり、作陶活動をしていたが転居、移窯などで益子町を離れた作家。
但し益子を離れても「益子陶器市」に参加したり、益子町内の販売店で個展を開催するなどして「益子と縁が続いている」作家もいる。
益子焼のみならず、笠間焼や他の陶器生産地、そして衣服やアクセサリーなどの雑貨を扱っている店も多い。
|
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}
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益子焼(ましこやき)は、栃木県芳賀郡益子町周辺:真岡市、茂木町、市貝町も含む、で生産される陶器の名称である。 古くから窯が開かれ、江戸時代終盤に大塚啓三郎により窯業が始まり、陶製日用品を作る陶器生産地として栄えた。大正に入り濱田庄司が「民芸」を持ち込み「民芸の町・益子」と謳われるようになり、その後、数多くの陶芸家志望の人々が移住し「陶芸の町・益子」を築き上げ、現在の「益子焼」を作り上げていった。
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'''益子焼'''(ましこやき)は、[[栃木県]][[芳賀郡]][[益子町]]周辺:[[真岡市]]、[[茂木町]]、[[市貝町]]も含む<ref name=MashikoYaki_DentouKougeiHin_AoyamaSquare>{{Cite web
| url= https://kougeihin.jp/craft/0404/
| title= 益子焼|工芸品を知る
| website= 伝統工芸 青山スクエア
| date=
| accessdate=2023-12-13}}</ref>{{sfn|とちぎの技・匠,栃木県立博物館|2018|p=38}}、で生産される[[陶磁器|陶器]]の名称である{{sfn|とちぎの技・匠,栃木県立博物館|2018|p=38}}<ref name="tcg13042905020002">{{Cite news |title=テーマは「マグカップ」 益子で春の陶器市 栃木 |url=http://sankei.jp.msn.com/region/news/130429/tcg13042905020002-n1.htm |date=2013-04-29 |newspaper=MSN産経ニュース |publisher=産業経済新聞社 |accessdate=2013-04-30}}</ref>。
[[File:Taisho-Showa Period Ko-Mashiko Ware Mado-e Dobin Window Picture Teapot Brooklyn Museum.jpg|thumb|250px|益子焼の土瓶(アメリカ、[[ブルックリン美術館]]蔵)。この種の土瓶の絵は、無名の絵付け工人の手によって、日に500個、多いときには1000個も描かれたものである。民藝運動の主唱者である[[柳宗悦]]は、芸術家による個性の表現などではなく、無名の工人によって描かれた、ありふれた安ものであるこの種の絵土瓶にこそ、並々ならぬ美があるとして激賞した<ref>柳宗悦「益子の絵土瓶」水尾比呂志編『柳宗悦民藝紀行』(岩波文庫)所収、岩波書店、1986 、pp.92 - 117(初出は『心』第7巻第1号、生成会、1954){{Cite web2
| title= 柳宗悦 益子の絵土瓶|青空文庫
| url=https://www.aozora.gr.jp/cards/001520/files/56750_69987.html|accessdate=2022-10-14}}</ref>。]]
[[ファイル:Climbing kiln Mashiko.jpg|thumb|益子焼の[[登り窯]]]]
古くから窯が開かれ<ref>[https://japan-heritage.bunka.go.jp/ja/culturalproperties/result/4856/ 益子古窯跡群(西山・本沼窯跡群、原・境窯跡群、栗生窯跡群)|日本遺産ポータルサイト]</ref>、[[江戸時代]]終盤に[[大塚啓三郎]]により窯業が始まり、陶製日用品を作る陶器生産地として栄えた。[[大正]]に入り[[濱田庄司]]が「[[民藝運動|民芸]]」を持ち込み「民芸の町・益子」と謳われるようになり、その後、数多くの陶芸家志望の人々が移住し「陶芸の町・益子」を築き上げ、現在の「益子焼」を作り上げていった。
== 歴史 ==
[[江戸時代]]末期、[[嘉永]]年間に[[常陸国]][[笠間藩]](現・[[笠間市]])で修行した[[大塚啓三郎]]が益子に窯を築いたことにより始まったとされる。<blockquote>益子焼の陶土は、豊富にあるものの肌理が粗く精巧な器を作るには向かなかったため、当初の益子焼は主に[[水がめ]]・[[火鉢]]・[[壺]]などの日用品として製作されていた。その後、[[1927年]]から創作活動を開始した[[濱田庄司]]によって[[花器]]・[[茶器]]などの民芸品が作られるようになり、日本全国に知られることとなる。[[1959年]]には、[[加守田章二]]が開いた窯により民芸一辺倒だった益子の作陶に現代的な独創性が加えられた<ref>永峰美佳『[https://books.google.co.jp/books?id=n9eFAwAAQBAJ&pg=PA141&lpg=PA141&dq=%E7%9B%8A%E5%AD%90%E7%84%BC+%E6%B5%81%E3%81%97%E6%8E%9B%E3%81%91&source=bl&ots=zoYNaDtYef&sig=3EvVYM_b1ZtdXvtKHffgyXxR848&hl=ja&sa=X&ved=0CLkBEOgBMBpqFQoTCOy5vOK4k8kCFaLmpgodKHUJPg#v=onepage&q=%E7%9B%8A%E5%AD%90%E7%84%BC%20%E6%B5%81%E3%81%97%E6%8E%9B%E3%81%91&f=false 普段使いの器を探して やきものの里めぐり]』Jtbパブリッシング、2014年、pp.140-144.</ref>。</blockquote>[[1979年]](昭和54年)には[[通商産業省]](現・[[経済産業省]])から[[伝統的工芸品]]に指定された<ref name=MashikoYaki_DentouKougeiShi_MashikoChouShi>[{{NDLDC|9644394/275}} 『益子町史 第5巻 (窯業編)』「第六章 益子焼の現在」「第三節 今日の益子」「(四)伝統的工芸品産地の指定」P504 - 508 - 国立国会図書館デジタルコレクション] 2023年11月23日、[https://www.ndl.go.jp/jp/use/digital_transmission/individuals_index.html 国会図書館デジタルコレクション デジタル化資料個人送信サービス]で閲覧。</ref>。[[地域団体商標]]にも登録されている<ref>{{Cite web2 |title=商標登録第5595844号 益子焼(ましこやき) |url=https://www.jpo.go.jp/system/trademark/gaiyo/chidan/shoukai/ichiran/5595844.html |website=www.jpo.go.jp |access-date=2023-01-31 |publisher=[[経済産業省]][[特許庁]] |date=2020年3月16日}}</ref>。また、[[イギリス]]の[[陶芸家]][[バーナード・リーチ]]などの普及活動がある。
== 特徴 ==
[[ファイル:Found MUJI Masukoyaki (6910169491).jpg|thumb|益子焼(蕎麦猪口)]]
砂気の多いゴツゴツとした土の質感をもつ。材料の性質上割れやすく、重いという欠点もある。
益子焼の最も基本的な[[釉薬]]は漆黒(しっこく)や「柿」と呼ばれる赤茶色、飴色(あめいろ)を出す鉄釉(てつゆ)である<ref>[[美の壺]] [https://www.nhk.or.jp/tsubo/program/file200.html file200 「益子焼」] [[NHKオンライン]]、2015年11月16日閲覧。</ref>。石材粉や古鉄粉を[[釉薬]]にし、[[筆]]で色づけを行う為、重厚な色合いとぼってりとした肌触りである。こうした昔ながらの施釉(せゆう)は土鍋や土瓶、片口といった、肉厚な陶器に使われる。
[[民藝運動]]以来、濱田が得意とした杓掛け・流し掛け・掻き落としの技法を使った紋様を施した鉢や皿などが有名となった。他にも[[信楽焼]]流の絵付けを施した山水土瓶や、呉須(コバルト顔料)を使った陶器も多い<ref>竹内順一 監修『やきもの 見方・見分け方百科』主婦と生活社、1996年。ISBN 439160597X、pp.108-113</ref>。
== 益子焼作家及び関わった人物 ==
=== 特に重要な作家及び人物 ===
* '''[[濱田庄司]]''' - 益子に移住し「[[民藝運動|民芸]]」を持ち込んだ「益子焼中興の祖」。[[人間国宝]]。
* '''[[バーナード・リーチ]]''' - 濱田庄司の友人であり、たびたび益子を訪れては作陶をした。また益子に英国式ピッチャーの技術を伝えた。そして海外に「Hamada」と「Mashiko」の名を広めた<ref>下野新聞 2008年(平成20年)3月2日付 2面「バーナード・リーチ工房」「益子の陶芸家ら 基金で再建協力」「濱田庄司ゆかり、交流続く」「孫の友緒さんら式典出席」</ref>
* '''[[島岡達三]]''' - 濱田庄司に師事し「縄文象嵌」の技術を編み出し、濱田に続いて人間国宝となった。
* '''[[加守田章二]]''' - 「鬼才の陶芸家」と謳われた。その斬新かつ独特な作陶手法は益子焼のみならず全国の陶芸家に大きく影響を与えた。
* '''[[佐久間藤太郎]]''' - 益子で最初に濱田庄司と親しくなり師事し「民芸の町・益子」の陶芸家の先駆けとなった。
* '''[[合田好道]]''' - 「益子のお目付役」とも言われた「益子焼の影の功労者」。
* '''[[皆川マス]]''' - 「山水土瓶」の絵付け師:陶画工。[[柳宗悦]]たち民藝運動家から「無名の工人」と賞賛された<ref>{{Cite web2
| title= 柳宗悦 益子の絵土瓶|青空文庫
| url=https://www.aozora.gr.jp/cards/001520/files/56750_69987.html|accessdate=2022-10-14}}</ref>
* '''[[木村一郎]]''' - 益子の名家の出でありながら陶芸を志した「天才肌の益子焼陶芸家」。
* '''[[村田元 (益子焼の陶芸家)|村田元]]''' - 40歳から陶芸の道に入り一時代を築き上げた「遅咲きの陶芸家」。
* '''[[大塚啓三郎]]''' - 益子の地で窯業を始めた「益子焼の陶祖」。
=== 作家 ===
以下、「益子焼の文献や書籍{{sfn|小寺|1976}}{{sfn|下野新聞社|1984}}{{sfn|市原|1996}}{{sfn|下野新聞社|1999}}{{sfn|青木|2003}}」など<ref>[https://mashiko-shokokai.com/member/ 会員情報 | 益子町商工会]の「窯業」の項。</ref>に記載のあった作家を五十音順に記述する。
また益子町の他、[[真岡市]]、[[茂木町]]、[[市貝町]]に在住している作家で「益子焼作家」を自称している者も記載する{{sfn|とちぎの技・匠,栃木県立博物館|2018|p=38}}<ref name=MashikoYaki_DentouKougeiHin_AoyamaSquare/>。
==== あ行 ====
{|
| style="vertical-align: top;" width="350"|
* 相澤かなえ<ref>{{Instagram|aizawakanae|相澤かなえ}}</ref>:陶AIZAWA(芒窯)<ref name=AIZAWA_BLOG>[http://aizawa-ke.jugem.jp/#gsc.tab=0 益子 * 陶 A I Z A W A(芒窯)BLOG]2022年11月12日閲覧。</ref>
* 相澤なみほ<ref>{{Cite web2
| url= https://ameblo.jp/meijin16shot/entry-11520471540.html
| title= 相澤なみほさんの
| website= 高橋名人オフィシャルブログ「16連射のつぶやき」Powered by Ameba
| date=2013-04-29
| accessdate=2022-11-12}}</ref><ref>{{Instagram|aizawanamiho_namo88b|相澤 なみほ}}</ref>:陶AIZAWA(芒窯)<ref name=AIZAWA_BLOG/>
* 相澤博<ref>「下野新聞」1989年(平成元年)5月29日付 14面「新・陶源境 とちぎの陶工たち 40」「相沢 博(益子)」「未知の体験が創造生む」</ref><ref>[http://www.yamani-otsuka.co.jp/midori/artists/aizawahiroshi.html 作家紹介[あ行]相澤 博|あいざわ ひろし|やまに大塚 ギャラリー緑陶里]2022年11月12日閲覧。</ref>:陶AIZAWA(芒窯)<ref name=AIZAWA_BLOG/>
* 相澤美樹<ref>[http://mashiko-moegi.com/gallery.php?exhid=1030 ◯△□展::益子のギャラリー もえぎ城内坂店]2022年11月12日閲覧。</ref>:陶AIZAWA(芒窯)<ref name=AIZAWA_BLOG/>
* 青木瑞晃<ref>[https://mashiko-db.net/artists/615/ あおき ずいこう|益子焼 作家一覧|Mashiko-DB.net]</ref><ref name=NaruiTsuneoTen_LABORATORIO>{{Cite
| url= https://www.craft-navi.net/event/6370.html
| title= 成井恒雄展
| website= まつもとクラフトナビ
| date=2015-5
| accessdate=2023-6-8}}</ref>:チモイ窯<ref>{{Cite web|和書
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| title= 益子のチモイ窯(益子編)
| website= 【美術館コンシェルジュと行く】週末は美術館へ
| date=2016-10-20
| accessdate=2022-11-02}}</ref><ref>{{Cite web|和書
| url= https://miyazawa.x0.com/diary/post-12040/
| title= チモイ窯さんへ
| website= 和どころ みやざわ
| date=2021-6-3
| accessdate=2022-11-2}}</ref><ref>{{Instagram|chimoigama|chimoigama}}</ref>
* 青山万里<ref>[http://www.bios-japan.jp/teshigoto1.html 青山 万里 -陶芸- アートセンターサカモト]2022年10月30日閲覧。</ref>
* 明石庄作:陶工房あかし<ref>{{Cite web2
| url= https://www.compass-point.jp/interview/4124/
| title= Interview Blog Vol.04 たくさんの人とのつながりが、作品に力を与えるんです 陶芸家明石庄作さん
| website= 知的好奇心がある人のためのサイト Chinoma
| date=2017-05-26
| accessdate=2022-11-12}}</ref><ref>{{Cite web2
| url= https://osusumetochigi.wordpress.com/2014/10/30/%e7%9b%8a%e5%ad%90%e7%84%bc%e3%80%80%e3%80%81%e9%99%b6%e5%b7%a5%e6%88%bf%e3%80%80%e3%81%82%e3%81%8b%e3%81%97%e3%81%95%e3%82%93/
| title= 益子焼 “陶工房 あかし”さん
| website= これトチ!
| date=2014-10-30
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* [[阿久津忠男#家族|阿久津久美子]]:創作工房あくつ
* [[阿久津忠男]]:創作工房あくつ<ref name=AkutsuOyako_TenranKai_ShimotsukeShinbun_2002_07_28/>
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| title= 益子焼「創作工房あくつ」阿久津雅土さんを訪ねて
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| website= 土祭2021
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| accessdate=2022-11-12}}</ref>:ClayStudio2795<ref name=Clay_Studio_2795_YouTube>{{YouTube|ZRTIt-tuA90| 【4K】アトリエ百景 〜益子編〜 #6 ClayStudio2795 横尾聡・浅田恵美子}}</ref><ref name=clay_studio_Insta>{{Instagram|yokoo.satosi|clay studio}}</ref>
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| title= 森の中の住居と仕事場白い器を生む陶芸家の住まい
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| title= ウィンドウアート|クリエイター紹介:堀水小夜さん
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| title= 松永 玲美|土祭2021
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| title= レポーター養成プロジェクト|レポーター紹介:松永玲美さん
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| title= 宮澤 有斗 展
| website= 板室温泉 大黒屋
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* [[村澤亨]]:[[村澤陶苑]]
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* 吉澤靖男{{sfn|下野新聞社|1999|p=227}}<ref name=Yoshizawa_Oyako_soi/>
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| title= 若杉集さん
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* [[若杉直美(益子焼の陶芸家)|若杉直美]]<ref>{{Cite web2
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* 若林郁代{{sfn|下野新聞社|1999|p=228}}<ref>{{Cite instagram|user=mashiko.tsukamoto |author=益子焼つかもと |postid=BhNiQHHBRhH |title=本日より作家館にてー若林聳・郁代 二人展ー夫婦展開催中です。… |date=2018-04-06 |access-date=2022-12-12}}</ref><ref name=Murakami_WakabayashiFusai_SannninTen/>
* 若林聳{{sfn|下野新聞社|1999|p=228}}<ref name=Murakami_WakabayashiFusai_SannninTen/>
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* 渡辺克典:飛雲窯<ref name=HyuunGama_site>[https://hyuun-gama.amebaownd.com/ 飛雲窯]</ref><ref name=HyuunGama_Insta>{{Instagram|hyuun_gama|飛雲窯}}</ref>(工房土の音<ref>[https://www.kuraso-miyashiro.com/local_information/10353/ 工房 土の音(こうぼう つちのおと) | みやしろで暮らそっ]</ref>)
* 渡辺廣子:飛雲窯<ref name=HyuunGama_site/><ref name=HyuunGama_Insta/>
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益子町で修行を積んだり、作陶活動をしていたが転居、移窯などで益子町を離れた作家。
但し益子を離れても「益子陶器市」に参加したり、益子町内の販売店で個展を開催するなどして「益子と縁が続いている」作家もいる。
* [[赤澤正之]]:[[栃木県]][[日光市]]に移住<ref>[http://nikko-yoshimiya.com/1116/ 「和の代の三人展」作家紹介"陶芸 赤澤正之"]</ref>。
* [[石橋紀子(陶芸家)|石橋紀子]]:[[野の窯]]:[[榛名山]]麓に工房を移す<ref>[http://ishibashinoriko.g2.xrea.com/profile.html 野の窯 石橋紀子 プロフィール]</ref>。
* [[苧坂恒治]]:[[北海道]][[函館市]]に移住<ref>[http://studiooval.com/about-2/ about – studiooval]</ref><ref>{{Instagram|koji_usaka
|studio-oval 苧坂恒治}}</ref>。
* [[浦口雅行]]:[[茨城県]][[石岡市]]に転居<ref>[http://www.tougei-club.com/topics/uraguchi.html 浦口雅行先生 -陶芸家ご紹介-|トピックス|日本陶芸倶楽部]</ref>。
* [[大山ヴィクトリア]]:[[大山隆]]の妻<ref name=OoyamaTakashi_ShimotsukeShinbun_ShinTougenkyou_030/>。[[オーストラリア]]出身。東京で翻訳、校閲関係の仕事に就く。<ref>{{Cite web2
| url= http://backupjtf.homepagine.com/column16/id=224
| title= 焼き物と翻訳と私●大山ヴィクトリア
| website= JTFバックアップ
| date=2013-09-06
| accessdate=2022-11-03}}</ref><ref>{{Cite web2
| url= https://readyfor.jp/projects/hamadatsukuba1934/announcements/210051
| title= Thank you very much for your support. 濱田庄司とバーナード・リーチの茅葺き長屋門再生と創造|栃木県益子(益子濱田窯 × 筑波大学大学院生 有志チーム)
| website=
| date=2022-04-01
| accessdate=2022-11-03}}</ref>
* 岡崎宗男:[[新潟県]][[長岡市]]出身。「[[益子焼つかもと]]」で営業を勤め研修員となった後退社、「ゆみ窯」と「和田窯」で修行した後、長岡に帰郷し「陶 岡崎」を築窯<ref>{{Cite web|和書
| url= https://things-niigata.jp/other/to-okazaki/
| title= いつもの食卓で使える器に「美」を宿す、陶芸作家「陶 岡﨑」。
| website= Things(シングス)|新潟のローカルなWebマガジン
| date=2022-12-23
| accessdate=2023-06-29}}</ref>。
* [[ゲルト・クナッパー]]:[[茨城県]][[大子町]]に移住<ref>[https://www.gerdknaepper.com/about/ ゲルト・クナッパー・ギャラリー|略歴]</ref>。
* [[小島茂夫(陶芸家)|小島茂夫]]:2017年に「知花窯」として[[沖縄県]][[国頭村]]に移転<ref>{{Cite web2
| url= https://ogimi-kanko.com/2020/11/17/artennichi1121/
| title= ぶながやの森 芸術縁日 11月21日・22日(土日)(このイベントは終了しました)
| website= 大宜味村観光協会
| date=2020-11-17
| accessdate=2022-11-12}}</ref>。
* [[柴田宋休]]:近年は作陶をしておらず、僧侶、講演、短文エッセイ執筆を主に活動の軸としている<ref>{{Instagram|soukyu24220|柴田宋休}}</ref>。
* [[ジョゼ・ファロンバ]]:[[ジョゼ窯]]:[[宮城県]][[白石市]]に移住<ref>[https://shiroishi.ne.jp/location/2435 ジョゼ窯古民家 | しろいし旅カタログ]</ref>
* ジェンギズ・ディクドウムシュ:[[トルコ]]の首都[[アンカラ]]出身。益子町の窯元で研修生として修行後、1998年から[[山梨県]][[上野原市]][[上野原市#長寿の村|棡原]]に「成吉思窯」を開いた<ref>「朝日新聞」1999年3月14日付 朝刊 山梨版 「ディクドウムシュさん シルクロードが見えますか 「きらり」」</ref>。
* [[瀧田項一]]:[[栃木県]][[烏山町]]に移住。
* [[椿巌三]]:益子町の[[塚本製陶所]]の研究生だったが、[[茂木町]]に築窯し粘土や木材などを茂木町産の物を用いて作陶しているため「茂木焼」の名称を用いている{{sfn|下野新聞社|1999|p=130,230}}<ref>{{Cite web2
| url= https://www.shimotsuke.co.jp/articles/-/263934
| title= 登り窯で焼いた力作40点展示 栃木の呉服店内ギャラリーで茂木町在住の椿さん
| website= 下野新聞「SOON」
| date=2020-01-09
| accessdate=2022-11-17}}</ref><ref>{{Facebook|1983Beulah|ベウラの郷 椿巖三}}</ref>。
* [[林香君]]:[[栃木県]][[芳賀町]]に移住<ref>[https://www.sankei.com/article/20220219-RLSPT5WJGJP7ZAWRM5CRVMNQ24/ 未来につなげる持続可能な芸術活動に取り組む陶芸家 - 産経ニュース]</ref>。
* 向山文也:[[1990年]](平成2年)に益子町に工房を設立した後、[[1993年]](平成5年)に[[栃木県]][[那須郡]][[烏山町]](現在の[[那須烏山市]])に工房を移築{{sfn|誠文堂新光社,陶工房No.63|2011|p=36-41}}。
* 村上誠吉:約40年前に[[福島県]][[糸島市]]志摩松隈に移住{{sfn|小寺平吉|1976|p=241-242}}<ref>{{Cite web|和書
| url= https://meets-itoshima.com/post-16378/
| title= 糸島・志摩松隈にある物語のある器に出会える窯元「自然窯」
| website= meets糸島
| date= 2023-08-21
| accessdate=2023-09-05}}</ref>。
== 施設・イベント ==
=== 美術館・博物館 ===
; [[益子参考館]]:濱田庄司記念益子参考館
:[[濱田庄司]]が自身の作陶の参考とした蒐集品を、一般の人々も「参考」にして欲しいと展示されている[[民藝運動|民藝]]博物館。濱田の作品も展示されている。
; [[陶芸メッセ・益子]]
:「益子焼」を広く振興させるために設営された町営複合型施設。
;;[[益子陶芸美術館]]
::「陶芸メッセ・益子」の中心的な施設である陶芸美術館。
=== 販売店 ===
益子焼のみならず、[[笠間焼]]や他の陶器生産地、そして衣服やアクセサリーなどの雑貨を扱っている店も多い。
;[[益子焼窯元共販センター]]
:[[1966年]](昭和41年)に開業した益子焼大型販売店。駐車場にある巨大な陶器製タヌキ像「ぽんたくん」は益子焼販売街の象徴となっている。
;[[益子陶芸村]]
:「益子焼窯元共販センター」創設者である[[成井藤夫]]により設立された益子焼や民芸品などの共同販売店。現在は時代に合わせた様々な種類の店舗が営業されている。
;[[民芸店ましこ]]
:[[濱田庄司]]の勧めにより、益子町で初めて開店した[[民芸店]]。
; やまに大塚<ref>{{Googlemap|やまに大塚}} - やまに大塚</ref>{{sfn|枻出版社,焼き物の里を訪ねて益子・笠間|2009|p=28}}
;; クラフトやまに<ref>{{Googlemap|クラフトやまに}} - クラフトやまに</ref>
; もえぎ本店<ref>{{Googlemap|もえぎ本店}} - もえぎ本店</ref>{{sfn|枻出版社,焼き物の里を訪ねて益子・笠間|2009|p=18-19}}
;; もえぎ城内坂店<ref>{{Googlemap|もえぎ城内坂店}} - もえぎ城内坂店</ref>{{sfn|枻出版社,焼き物の里を訪ねて益子・笠間|2009|p=23}}
; 陶器ギャラリー 陶庫<ref>{{Googlemap|陶庫}} - 陶庫</ref>{{sfn|枻出版社,焼き物の里を訪ねて益子・笠間|2009|p=16-17}}
; starnet<ref>{{Googlemap|STARNET}} - STARNET</ref>{{sfn|枻出版社,焼き物の里を訪ねて益子・笠間|2009|p=14-15}}
;pejite{{sfn|うつわ作家名鑑,枻出版社|2017|p76-79}}
=== 企業 ===
; [[益子焼つかもと]]
:益子町有数の窯元:陶器製造業。陶器販売業や飲食業なども営む複合企業。「[[荻野屋|おぎのや]]」の駅弁「[[峠の釜めし]]」の一人用土釜容器「釜っこ」で有名。
=== イベント ===
; [[益子陶器市]]
: 毎年、春の[[ゴールデンウイーク]]と秋の[[11月3日]]の連休前後に開催される益子町最大のイベント。500を越えるテント販売店が出店し賑わう<ref name="tcg13042905020002" />。
; [[土祭]]
:3年に一度開かれる「益子の風土と「土」に根ざした」[[益子町]]の[[町おこし]]の祭り。
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{notelist}}
=== 出典 ===
{{Reflist|25em|refs=
<ref name=KimuraIchirou_no_Keifu_ShimotsukeShinbun_2006_08_25>「下野新聞」2006年(平成18年)8月25日付 28面「陶芸と染色150点 5人の作品並ぶ」「宇都宮で益子窯三代展」</ref>
}}
== 参考文献 ==
=== 「益子焼」の主要文献 ===
==== インタビュー記事集 ====
* {{cite book|和書|author=小寺平吉|title=益子の陶工たち|publisher=株式会社 學藝書林|date=1976-6-15|series=初版|page=||NCID=BN13972463|id={{NDLbooks|R100000002-I000001346989-00|R100000001-I102538532-00|R100000002-I000001346989-00}}|ref={{sfnref|小寺|1976}}}}
** {{cite book|和書|author=小寺平吉|title=益子の陶工たち|publisher=株式会社 學藝書林|date=1980-4|series=新装版(1980年)|page=|NCID=BD03511919|id={{NDLbooks|R100000002-I000001474973-00}}|ref={{sfnref|小寺|1980}}}}
* {{cite book|和書|author=下野新聞社|title=陶源境ましこ 益子の陶工 人と作品|date=1984-09-27|page=|NCID=BN1293471X|id={{NDLbooks|R100000001-I076416373-00}}|ref={{sfnref|下野新聞社|1984}}}}
* {{cite book|和書|author=下野新聞社|title=とちぎの陶芸・益子|publisher=[[下野新聞社]]|date=1999-10-10|series=|page=|isbn=9784882861096|NCID=BA44906698|id={{NDLbooks|R100000002-I000002841202-00}}|ref={{sfnref|下野新聞社|1999}}}}
==== 名鑑 ====
* {{cite book|和書|author=株式会社無尽蔵|title=益子の陶工 土に生きる人々の語らい|date=1980-12-20|page=|id={{NDLbooks|R100000002-I000001494363-00}}|ref={{sfnref|無尽蔵|1980}}}}
* {{cite book|和書|author=近藤京嗣|title=益子の陶芸家|publisher=近藤京嗣(自家出版)|date=1989-11-1|series=|page=|isbn=|NCID=BA34162878|id={{NDLbooks|R100000001-I106304112-00}}|ref={{sfnref|益子の陶芸家,近藤京嗣|1989}}}}
* {{cite book|和書|author=近藤京嗣|editor=近藤京嗣|title=益子の陶芸家 平成12年|publisher=近藤京嗣(自家出版)|date=2000-11|series=|page=|ISBN=|NCID=|id=[https://ilisod001.apsel.jp/moka-lib/disp/id/641386 真岡市立図書館 検索結果]、[https://www.yaita-city-tosyokan.jp/opac/disp/id/117790 矢板市立図書館 検索結果]、[https://ilisod001.apsel.jp/ohtawara-lib/disp/id/380419 大田原市立図書館 検索結果]|ref={{sfnref|益子の陶芸家 平成12年,近藤京嗣|2000}}}}
=== 「益子焼」の記事が記載されている文献 ===
* {{cite book|和書|author=芸術新潮編集部|editor=芸術新潮編集部|title=日本やきもの紀行|publisher=株式会社新潮社|date=1985-7-25|series=とんぼの本|pages=106-119|ISBN=9784106019241|NCID=|id=|ref={{sfnref|芸術新潮,日本やきもの紀行|1985}}}}:益子焼と笠間焼の情報が混在しているので注意。
* {{cite book|和書|author=|editor=|title=日本のやきもの 伝統の窯元を訪ねて【東日本編】|publisher=日本放送出版協会|date=1987-6-25|series=|page=6-11,98-102|ISBN=9784140803165|NCID=|id=|ref={{sfnref|日本放送出版協会,日本のやきもの|1987}}}}
* {{cite book|和書|author=近藤京嗣|title=栃木県の民藝|publisher=ふろんてぃあ出版文化事業部|date=1987-11-20|series=Namazu books|pages=11-78|NCID=BN12936431
|id={{NDLbooks|R100000002-I000001932067-00}}|isbn=|ref={{sfnref|近藤京嗣,栃木県の民藝|1987}}}}
* {{cite book|和書|author=黒田和哉|editor=光芸出版編集部|title=図鑑 日本やきもの巡り|publisher=株式会社 [[光芸出版]]|date=1988-12-30|series=|pages=50-60|NCID=BN03854427|id={{NDLbooks|R100000002-I000001961322-00|R100000001-I060597179-00|R100000001-I113673279-00}}|isbn=|ref={{sfnref|黒田和哉,図鑑日本やきもの巡り|1988}}}}
* {{cite book|和書|author=|editor=株式会社講談社|title=掘り出し物を探しに廉売市へ やきもの市の楽しみ|publisher=野間佐和子|date=1992-4-17|series=講談社カルチャーブックス 47|page=86-89,94|ISBN=9784061980228|NCID=|id=|ref={{sfnref|講談社,野間佐和子,やきもの市の楽しみ|1992}}}}
* {{cite book|和書|author=JTB|title=やきものの旅 東日本 訪ねてみたい20の窯里|publisher=JTB日本交通公社出版事業局|date=1993-12-1|series=JTBキャンブックス|page=|isbn=4533019862|ref={{sfnref|JTB|1993}}}}
* {{cite book|和書|author=市原穣|title=美しい和食器の旅 益子・笠間・会津本郷・及びその周辺|publisher=株式会社リブロポート|date=1996-10-2|series=|page=116|isbn=4845710943|ref={{sfnref|市原|1996}}}}
* {{cite book|和書|author=|editor=|title=やきものの里・窯元めぐり[全国版]|publisher=株式会社交通新聞社|date=2002-8-10|series=日本の旅シリーズ|page=22-31|ISBN=9784330714028|NCID=|id=|ref={{sfnref|交通新聞社,やきものの里・窯元めぐり|2002}}}}
* {{cite book|和書|author=中島誠之助 中島由美|title=週刊 やきものを楽しむ|publisher=株式会社[[小学館]]|date=2003-6-17|series=小学館ウィークリーブック|page=|ISBN=9784763687234|NCID=BA8513835X|id={{NDLbooks|R100000002-I000004166379-00}}|ref={{sfnref|中島誠之助,中島由美,やきものを楽しむ|2003}}}}
* {{cite book|和書|author=文・青木宏,写真・乾剛|title=益子・笠間|date=2003-12-6|series=窯別ガイド 日本のやきもの|page=|isbn=4473019411|ref={{sfnref|青木|2003}}}}
* {{cite book|和書|author=|editor=やきもの愛好会|title=よくわかる やきもの大事典|publisher=株式会社 [[ナツメ社]]|date=2008-12-11|series=|pages=158-163|isbn=9784816345838|ref={{sfnref|やきもの愛好会,やきもの大事典|2008}}}}
* {{cite book|和書|author=|title=焼物の里を訪ねて 益子・笠間 器の里、最新ガイド。|publisher=株式会社 枻出版社|date=2009-10-20|series=エイムック 1816|pages=|isbn=9784777914579|ref={{sfnref|枻出版社,焼き物の里を訪ねて益子・笠間|2009}}}}
* {{cite book|和書|author=|editor=一柳明宏,Discover Japan編集部|title=ニッポンの手仕事|publisher=株式会社[[枻出版社]]|date=2011-8-20|series=|pages=58-59|isbn=9784777920471|ref={{sfnref|一柳明宏,Discover Japan編集部|2011}}}}
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* {{cite book|和書|author=永峰美佳|editor=坂井編集企画事務所,酒井基樹,浅野靖菜|title=普段使いの器を探して やきものの里めぐり|publisher=株式会社[[JTB]]パブリッシング|date=2014-5-1|series=楽学ブックス【趣味 1】|pages=140-147|isbn=9784533096242|ref={{sfnref|永峰美香,JTBパブリッシング|2014}}}}
* {{cite book|和書|author=久野恵一|editor=笠井良子(グラフィック社)|title=
暮らしの道具カタログ|publisher=株式会社[[グラフィック社]]|date=2014-6-25|series=民藝の教科書 6|page=108|isbn=9784766126112|ref={{sfnref|久野恵一,グラフィック社|2014}}}}
* {{cite book|和書|author=|editor=栃木県立博物館|title=第120回企画展 とちぎの技・匠|publisher=栃木県立博物館|date=2018-4-28|series=とちぎ版文化プログラム リーディングプロジェクト事業|pages=38-40,93,96|NCID=BB26220229
|id={{NDLbooks|R100000002-I029053173-00|R100000001-I090685689-00|R100000001-I115980860-00}}|isbn=|ref={{sfnref|とちぎの技・匠,栃木県立博物館|2018}}}}
* {{cite book|和書|author=仁木正格|editor=|title=わかりやすく、くわしい やきもの入門|publisher=株式会社 [[主婦の友社]]|date=2018-12-31|series=|pages=82-83|isbn=9784074354658|ref={{sfnref|仁木正格,やきもの入門|2018}}}}
* {{cite book|和書|author=|editor=陶工房編集部|title=やきものの教科書 基礎知識から陶芸技法・全国産地情報まで|publisher=[[誠文堂新光社]]|date=2020-4-24|series=陶工房BOOKS|pages=125,159,166|isbn=9784416620069|ref={{sfnref|誠文堂新光社,やきものの教科書|2020}}}}
=== 「益子焼の陶芸家」の記事が記載されている文献 ===
* {{cite book|和書|author=|editor=光芸出版編集部|title=現代陶芸 茶碗図鑑|publisher=株式会社 光芸出版|series=|date=1983-8-1|page=|NCID=|id=|isbn=|ref={{sfnref|光芸出版,茶碗図鑑|1983}}}}
* {{cite book|和書|author=|editor=光芸出版編集部|title=最新 現代陶芸作家事典 作陶歴 技法と作風|publisher=株式会社光芸出版|date=1987-9-30|series=|pages=|NCID=
|id=|isbn=9784769400783|ref={{sfnref|最新 現代陶芸作家事典,光芸出版|1987}}}}
* {{cite book|和書|author=|editor=光芸出版編集部|title=現代陶芸 茶陶図鑑|publisher=株式会社 光芸出版|series=|date=1991-12-25|page=|NCID=|id=|isbn=4769400950|ref={{sfnref|光芸出版,茶陶図鑑|1991}}}}
* {{cite book|和書|author=|title=うつわ作家名鑑 保存版 人気ギャラリーと目利きが選ぶうつわ 400点収録!|publisher=株式会社枻出版社|date=2017-12-10|series=エイムック 3900 Discover Japan_DESIGN|page=|ISBN=9784777948871|NCID=|id=|ref={{sfnref|うつわ作家名鑑,枻出版社|2017}}}}
=== 子ども向け解説本 ===
* {{cite book|和書|author=[[金田昌司]](監修),小川洋(文),市川成憲(写真)|editor=株式会社アルバ|title=焼き物をつくる職人さん「益子焼」|publisher=株式会社[[ポプラ社]]|date=1998-4|series=日本の職人さん 1|pages=|NCID=
|id=|isbn=9784591056851|ref={{sfnref|焼き物をつくる職人さん 益子焼,ポプラ社|1998}}}}:子ども向けの「益子焼」解説本。益子焼陶芸家である[[三村北土]](孝夫表記)の他、「北土窯」三村家総出で益子焼解説に携わっている。
== 関連項目 ==
* [[伝統的工芸品産業の振興に関する法律]]
* [[登り窯]]
* [[笠間焼]] - 益子焼の源流となった[[茨城県]][[笠間市]]の伝統工芸品。
== 外部リンク ==
{{Commons|Category:Mashiko ware}}
* [http://blog.mashiko-kankou.org/ 益子焼] - 益子町観光協会
* [http://toh-tas.sakura.ne.jp/index.html 益子のフリーペーパー×サイト 益子toh+]
* [https://artsandculture.google.com/story/XgWx9VcPCYmOLw?hl=ja 益子焼 — Google Arts & Culture|作成 立命館大学アート・リサーチセンター]
* {{NHK放送史|D0004500049_00000|益子焼|地域|NHKアーカイブス}}
* [https://teshigoto.jp/serial_report/mukashi/vol107.html 益子|昔の物 今の物] -[https://teshigoto.jp/index.html 手仕事フォーラム]
{{Normdaten}}
{{DEFAULTSORT:ましこやき}}
[[Category:経済産業大臣指定伝統的工芸品]]
[[Category:日本の陶芸]]
[[Category:栃木県の文化]]
[[Category:益子町]]
[[Category:都道府県指定伝統工芸品]]
[[Category:地域団体商標]]
[[Category:とちぎの百様]]
[[Category:日本遺産]]
|
2003-09-12T00:45:55Z
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2023-12-27T11:23:04Z
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[
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9B%8A%E5%AD%90%E7%84%BC
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四日市あすなろう鉄道八王子線
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八王子線(はちおうじせん)は、日永駅から西日野駅までを結ぶ四日市あすなろう鉄道の鉄道路線。全線が三重県四日市市内を走る。
軽便鉄道として建設され、現在でも当時のままの軌間762mmの特殊狭軌線となっている。日永駅で内部線に接続し、全列車があすなろう四日市駅へ直通する。
1965年(昭和40年)4月から近畿日本鉄道(近鉄)が運営していたが、2015年(平成27年)4月より、四日市市が第三種鉄道事業者として鉄道施設と車両を所有し、新たに近鉄と四日市市が共同で出資して設立した四日市あすなろう鉄道が第二種鉄道事業者として鉄道施設と車両を借用して運営している(経緯は「四日市あすなろう鉄道#会社設立の経緯」も参照)。
近鉄時代はプリペイド式乗車カードであるパールカード(2008年で販売終了)により自動券売機で乗車券の購入ができたが、四日市あすなろう鉄道移管後は券売機が食券型に変更されたため使用できなくなった。以来、当路線ではICカードを含む乗車カードは一切使用できなかったが、2021年(令和3年)8月21日にICOCAが導入され、ICOCAとともに交通系ICカード全国相互利用サービス対応のTOICAやmanaca、PiTaPaなどが利用可能となった。
路線名の「八王子」は、かつての終点伊勢八王子駅に由来する。1912年(大正元年)に三重軌道が軌道条例による軌道として日永駅 - 八王子村駅間を開業した。現在、近鉄四日市駅 - 日永駅間は内部線となっており、八王子線は支線的な存在になっているが、開業自体は八王子線の方が早く、内部線は鈴鹿支線と呼称していた。以後、三重鉄道への移管による軽便鉄道法に基づく軽便鉄道への転換、1944年(昭和19年)の三重交通への統合、三重電気鉄道を経て、1965年(昭和40年)に近畿日本鉄道への吸収合併で同社の路線となった。
三重電気鉄道時代の1964年に廃止申請書を運輸省(現・国土交通省)に提出するなど、採算性の問題から廃止論議があったが、先送りされた状態が続いていた。 しかし1974年(昭和49年)に並行する天白川の集中豪雨による水害で日永駅 - 伊勢八王子駅間が休止となり、1976年(昭和51年)に日永駅 - 西日野駅間(西日野駅駅舎移転復旧)は復旧したものの、西日野駅 - 伊勢八王子駅間1.6kmは廃止された。西日野駅が終点となって長く経ち、正式名称は「八王子線」のままであるが、伊勢八王子駅まで路線が延びていたことを知らない世代から「西日野線」という通称で呼ばれることもある。
2012年には、近鉄が四日市市などにバス転換(BRT化)を提案した。これに対し四日市市が鉄道による存続を望み、2013年に公有民営方式で存続することで合意。2015年から四日市市が第三種鉄道事業者として鉄道施設や車両を保有し、新会社四日市あすなろう鉄道が第二種鉄道事業者としてそれらを同市から借用して運営することになった(「四日市あすなろう鉄道#会社設立の経緯」も参照)。
あすなろう四日市駅 - 日永駅 - 西日野駅間を直通する列車が毎時2本運行されている。八王子線内は日永駅構内も含めて交換設備がなく、1閉塞での運転を行っている。
日永駅では、西日野発のあすなろう四日市行きが内部行きと、内部発のあすなろう四日市行きが西日野行きと連絡しており、基本的にすべての列車が系統別の接続を行う。従って日永駅での、西日野駅と南日永駅以南との乗り換え時間ロスはほとんどない。
全列車が都市型ワンマン運転(無人駅でも全車両の全扉を開閉)を行っている。
なお、大晦日から元旦にかけての終夜運転は、当線では実施されていない。
日永駅の八王子線ホームは半径100m急曲線(四日市あすなろう鉄道の最急曲線箇所)の外側にあることから、車長の長いモ260・ク160形電車はホームとの接触を避けるため車端部の車体幅を絞った構体形状となっている。最急勾配は25パーミル。
使用されている軌条(レール)は、過去には軽便鉄道規格の古典的な15kと22kレール(それぞれ1m当たり15kg・20kg)が使用されていた。現在ではレールの重軌条化が進み、本線では40N・50Nレールに統一された。マクラギは、軌間が特殊なことからPCマクラギは用いられておらず、大半が木マクラギである。
内部駅構内に両線供用の「近鉄車両課富吉検車区内部車庫」がある。
架線はシンプルカテナリー方式で、電柱は、木柱からコンクリート柱への更新工事が進行中である。架線自動張力調整装置(テンションバランサー)は一部区間について設置されている。
常置信号機として、場内信号機・出発信号機と中継信号機(日永駅のみ)が設けられている。信号機は、3位式2現示(注意:Y、停止:R)が採用されている。
列車集中制御装置 (CTC) が導入され、あすなろう四日市駅において全駅の信号制御および電気転轍機の制御が可能となっている。情報伝送はメタルケーブルを使用する。
多変周式・連続照査型の「近鉄型ATS」を採用している。地上子は通常2本のレールの間に設置するが、四日市あすなろう鉄道は軌間が狭いため、設置してしまうと、上り電車用と下り電車用の位置のずれが短くなり、誤作動する恐れがある。このため地上子は2本のレールの外側(進行方向に向かって右側)にあり、大変珍しいスタイルとなっている。急曲線部分・急勾配部分の速度制限箇所の一部には速度超過防止用ATSが備えられている。
第1種踏切(警報機・遮断機付き)4か所の踏切がある。第3種踏切(警報機のみ)・第4種踏切(警報機・遮断機共なし)はなく、全踏切で自動化されており、あすなろう四日市駅にて、四日市あすなろう鉄道線全線の踏切の集中監視を行っている。
全駅三重県四日市市に所在。
普通列車のみ運転、全列車が各駅に停車する。
日永駅は八王子線の列車同士の交換ができない(内部線列車と八王子線列車は交換可能)無人駅で、西日野駅は列車交換のできない無人駅である。
廃止区間の駅は次節を参照。
西日野駅 - 清水橋駅 - 四郷役場前駅 - 室山駅 - 伊勢八王子駅
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"text": "八王子線(はちおうじせん)は、日永駅から西日野駅までを結ぶ四日市あすなろう鉄道の鉄道路線。全線が三重県四日市市内を走る。",
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"text": "軽便鉄道として建設され、現在でも当時のままの軌間762mmの特殊狭軌線となっている。日永駅で内部線に接続し、全列車があすなろう四日市駅へ直通する。",
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"text": "1965年(昭和40年)4月から近畿日本鉄道(近鉄)が運営していたが、2015年(平成27年)4月より、四日市市が第三種鉄道事業者として鉄道施設と車両を所有し、新たに近鉄と四日市市が共同で出資して設立した四日市あすなろう鉄道が第二種鉄道事業者として鉄道施設と車両を借用して運営している(経緯は「四日市あすなろう鉄道#会社設立の経緯」も参照)。",
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"text": "近鉄時代はプリペイド式乗車カードであるパールカード(2008年で販売終了)により自動券売機で乗車券の購入ができたが、四日市あすなろう鉄道移管後は券売機が食券型に変更されたため使用できなくなった。以来、当路線ではICカードを含む乗車カードは一切使用できなかったが、2021年(令和3年)8月21日にICOCAが導入され、ICOCAとともに交通系ICカード全国相互利用サービス対応のTOICAやmanaca、PiTaPaなどが利用可能となった。",
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"text": "路線名の「八王子」は、かつての終点伊勢八王子駅に由来する。1912年(大正元年)に三重軌道が軌道条例による軌道として日永駅 - 八王子村駅間を開業した。現在、近鉄四日市駅 - 日永駅間は内部線となっており、八王子線は支線的な存在になっているが、開業自体は八王子線の方が早く、内部線は鈴鹿支線と呼称していた。以後、三重鉄道への移管による軽便鉄道法に基づく軽便鉄道への転換、1944年(昭和19年)の三重交通への統合、三重電気鉄道を経て、1965年(昭和40年)に近畿日本鉄道への吸収合併で同社の路線となった。",
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"text": "三重電気鉄道時代の1964年に廃止申請書を運輸省(現・国土交通省)に提出するなど、採算性の問題から廃止論議があったが、先送りされた状態が続いていた。 しかし1974年(昭和49年)に並行する天白川の集中豪雨による水害で日永駅 - 伊勢八王子駅間が休止となり、1976年(昭和51年)に日永駅 - 西日野駅間(西日野駅駅舎移転復旧)は復旧したものの、西日野駅 - 伊勢八王子駅間1.6kmは廃止された。西日野駅が終点となって長く経ち、正式名称は「八王子線」のままであるが、伊勢八王子駅まで路線が延びていたことを知らない世代から「西日野線」という通称で呼ばれることもある。",
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"text": "2012年には、近鉄が四日市市などにバス転換(BRT化)を提案した。これに対し四日市市が鉄道による存続を望み、2013年に公有民営方式で存続することで合意。2015年から四日市市が第三種鉄道事業者として鉄道施設や車両を保有し、新会社四日市あすなろう鉄道が第二種鉄道事業者としてそれらを同市から借用して運営することになった(「四日市あすなろう鉄道#会社設立の経緯」も参照)。",
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"text": "常置信号機として、場内信号機・出発信号機と中継信号機(日永駅のみ)が設けられている。信号機は、3位式2現示(注意:Y、停止:R)が採用されている。",
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"text": "多変周式・連続照査型の「近鉄型ATS」を採用している。地上子は通常2本のレールの間に設置するが、四日市あすなろう鉄道は軌間が狭いため、設置してしまうと、上り電車用と下り電車用の位置のずれが短くなり、誤作動する恐れがある。このため地上子は2本のレールの外側(進行方向に向かって右側)にあり、大変珍しいスタイルとなっている。急曲線部分・急勾配部分の速度制限箇所の一部には速度超過防止用ATSが備えられている。",
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八王子線(はちおうじせん)は、日永駅から西日野駅までを結ぶ四日市あすなろう鉄道の鉄道路線。全線が三重県四日市市内を走る。
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{{Infobox rail line
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| image_width = 300px
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| caption = 日永駅を後にする八王子線の列車
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| owner = 三重軌道→三重鉄道→<br />[[三重交通|三重交通→三重電気鉄道]]→<br />[[近畿日本鉄道]]→<br />[[四日市市]](第3種鉄道事業者)
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| stock = [[#使用車両|使用車両]]の節を参照
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| map = [[File:YAR Linemap.svg|300px|路線図]]
| map_state =
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'''八王子線'''(はちおうじせん)は、[[日永駅]]から[[西日野駅]]までを結ぶ[[四日市あすなろう鉄道]]の[[鉄道路線]]。全線が[[三重県]][[四日市市]]内を走る。
== 概要 ==
[[軽便鉄道]]として建設され、現在でも当時のままの[[軌間]]762mmの特殊[[狭軌]]線となっている。日永駅で[[四日市あすなろう鉄道内部線|内部線]]に接続し、全列車が[[近鉄四日市駅|あすなろう四日市駅]]へ直通する。
1965年(昭和40年)4月から[[近畿日本鉄道]](近鉄)が運営していたが、2015年(平成27年)4月より、四日市市が[[鉄道事業者#第三種鉄道事業|第三種鉄道事業者]]として鉄道施設と車両を所有し、新たに近鉄と四日市市が共同で出資して設立した四日市あすなろう鉄道が[[鉄道事業者#第二種鉄道事業|第二種鉄道事業者]]として鉄道施設と車両を借用して運営している<ref name="kintetsu20140327">{{PDFlink|[http://www.kintetsu.co.jp/all_news/news_info/140327-2utsubehachioji.pdf 内部・八王子線の新会社「四日市あすなろう鉄道株式会社」の設立について]}} - 近畿日本鉄道・四日市市、2014年3月27日、同日閲覧。</ref>(経緯は「[[四日市あすなろう鉄道#会社設立の経緯]]」も参照)。
近鉄時代はプリペイド式乗車カードである[[パールカード]](2008年で販売終了)により[[自動券売機]]で乗車券の購入ができたが、四日市あすなろう鉄道移管後は券売機が食券型に変更されたため使用できなくなった。以来、当路線では[[ICカード]]を含む乗車カードは一切使用できなかったが、2021年(令和3年)8月21日に[[ICOCA]]が導入され、ICOCAとともに[[交通系ICカード全国相互利用サービス]]対応の[[TOICA]]や[[manaca]]、[[PiTaPa]]などが利用可能となった<ref name="press20210803" /><ref name="news20210804" />。
=== 路線データ ===
* 路線距離([[営業キロ]]):1.3km
* 軌間:762mm
* 駅数:2駅(起終点駅含む)
* 複線区間:なし(全線単線)
* 電化区間:全線電化(直流750V)
* [[閉塞 (鉄道)|閉塞方式]]:自動閉塞式
* 最高速度:45km/h<ref name="terada" />
* [[ICカード|IC]][[乗車カード]]対応区間:
** [[ICOCA]]エリア:全線
== 歴史 ==
[[ファイル:Ise-Hachiouji stn ruin.jpg|thumb|240px|right|伊勢八王子駅跡(2006年5月)]]
路線名の「八王子」は、かつての終点[[伊勢八王子駅]]に由来する。[[1912年]](大正元年)に三重軌道が[[軌道条例]]による軌道として日永駅 - 八王子村駅間を開業した。現在、近鉄四日市駅 - 日永駅間は内部線となっており、八王子線は支線的な存在になっているが、開業自体は八王子線の方が早く、内部線は鈴鹿支線と呼称していた。以後、三重鉄道への移管による[[軽便鉄道法]]に基づく軽便鉄道への転換、[[1944年]](昭和19年)の[[三重交通]]への統合、三重電気鉄道を経て、[[1965年]](昭和40年)に近畿日本鉄道への吸収合併で同社の路線となった。
三重電気鉄道時代の[[1964年]]に廃止申請書を[[運輸省]](現・[[国土交通省]])に提出するなど、採算性の問題から廃止論議があったが、先送りされた状態が続いていた<ref>『[[鉄道ファン (雑誌)|鉄道ファン]]』 1972年2月号(No.130)p.122</ref>。
しかし[[1974年]](昭和49年)に並行する[[天白川 (三重県)|天白川]]の集中豪雨による水害で日永駅 - 伊勢八王子駅間が休止となり、[[1976年]](昭和51年)に日永駅 - 西日野駅間(西日野駅駅舎移転復旧)は復旧したものの、西日野駅 - 伊勢八王子駅間1.6kmは廃止された。西日野駅が終点となって長く経ち、正式名称は「八王子線」のままであるが、伊勢八王子駅まで路線が延びていたことを知らない世代から「'''西日野線'''」という通称で呼ばれることもある。
2012年には、近鉄が四日市市などにバス転換([[バス・ラピッド・トランジット|BRT]]化)を提案した。これに対し四日市市が鉄道による存続を望み、2013年に公有民営方式で存続することで合意<ref name="kintetsu20130927" />。2015年から四日市市が第三種鉄道事業者として鉄道施設や車両を保有し、新会社[[四日市あすなろう鉄道]]が第二種鉄道事業者としてそれらを同市から借用して運営することになった<ref name="kintetsu20140327" />(「[[四日市あすなろう鉄道#会社設立の経緯]]」も参照)。
=== 年表 ===
* [[1911年]]([[明治]]44年)[[12月28日]]:三重軌道が設立。
* [[1912年]]([[大正]]元年)[[8月14日]]:三重軌道が日永駅 - 八王子村駅(後の伊勢八王子駅)間を開業。
* [[1916年]](大正5年)
** [[7月19日]]:三重鉄道が設立。
** [[12月1日]]:軌道条例に基づく三重軌道の路線を廃止し、三重鉄道が軽便鉄道法に基づく軽便鉄道として日永駅 - 八王子村駅間を開業。日永駅 - 西日野駅間に東日野駅開業<ref>[{{NDLDC|2953419/6}} 「軽便鉄道運輸開始」『官報』1916年12月8日](国立国会図書館デジタルコレクション)</ref>。
* [[1917年]](大正6年)[[4月15日]]:西日野駅 - 室山駅間の四郷役場前駅廃止<ref>[{{NDLDC|2953530/8}} 「軽便鉄道停留場廃止」『官報』1917年4月25日](国立国会図書館デジタルコレクション)</ref>。
* [[1928年]]([[昭和]]3年):[[気動車|ガソリン動車]]の[[三重鉄道シハ31形気動車|シハ31形]]([[日本車輌製造]]製)使用開始。旅客列車の高頻度運行を実施。
* [[1930年]](昭和5年):この年までに八王子村駅を伊勢八王子駅に改称。
* [[1931年]](昭和6年)
** [[3月1日]]:三重鉄道が四日市鉄道を吸収合併する。
** [[7月10日]]:西日野駅 - 室山駅間に清水橋駅開業。
* [[1944年]](昭和19年)[[2月11日]]:三重鉄道ほか6社が合併し三重交通が発足。内部線・[[近鉄湯の山線|湯の山線]]と合わせて三重線となる。
* [[1948年]](昭和23年)[[9月10日]]:日永駅 - 伊勢八王子駅間が電化。
* [[1952年]](昭和27年):この年までに日永駅 - 西日野駅間の東日野駅、西日野駅 - 室山駅間の清水橋駅休止。
* [[1959年]](昭和34年):架線電圧を600Vから750Vに昇圧。
* [[1964年]](昭和39年)[[2月1日]]:三重交通が鉄道事業を三重電気鉄道に分離譲渡。
* [[1965年]](昭和40年)[[4月1日]]:近畿日本鉄道が三重電気鉄道を合併。
* [[1969年]](昭和44年)[[5月15日]]:休止中の東日野駅・清水橋駅廃止。
* [[1974年]](昭和49年)[[7月25日]]:日永駅 - 伊勢八王子駅間が集中豪雨で不通となり休止に。
* [[1976年]](昭和51年)4月1日:西日野駅移転復旧。日永駅 - 西日野駅間運行再開。休止中の西日野駅 - 伊勢八王子駅間廃止。
* [[1989年]]([[平成]]元年)[[6月1日]]:ワンマン運転開始。
* [[2012年]](平成24年)
** [[6月29日]]:四日市市議会が内部線・八王子線の存続を求めるために特別委員会として総合交通政策調査特別委員会を設置する<ref>「[http://www.asahi.com/travel/rail/news/NGY201206140005.html 近鉄内部・八王子線が廃線危機 議会で存続策検討 三重] {{webarchive|url=https://archive.is/20130110155636/http://www.asahi.com/travel/rail/news/NGY201206140005.html |date=2013年1月10日 }}」朝日新聞、2012年6月15日</ref>。
** [[8月21日]]:近鉄が地元住民との会談で内部線と八王子線の鉄路を廃止し、跡地を[[バス専用道路]]にしてバスによる運用に転換する方針を発表<ref>「[http://mainichi.jp/area/news/20120822ddq041020012000c.html 近鉄:2路線、鉄路廃止へ 赤字続く内部線・八王子線、バス専用道に]」毎日新聞、2012年8月22日</ref>。
* [[2013年]](平成25年)[[9月27日]]:近鉄と四日市市が内部線と八王子線を公有民営方式で存続することで合意<ref>「[http://response.jp/article/2013/09/28/207358.html 近鉄と四日市市、内部・八王子線の公有民営化で合意…2015年春移行へ]」レスポンス、2013年9月28日</ref><ref name="kintetsu20130927">{{PDFlink|[http://www.kintetsu.co.jp/all_info/news_info/130927utsuhachihp.pdf 内部・八王子線に関する当社の考え方(その5)「四日市市様との基本的な合意について」]}} - 近畿日本鉄道、2013年9月27日</ref>。
* [[2014年]](平成26年)3月27日:四日市あすなろう鉄道が設立<ref name="kintetsu20140327" />。
* [[2015年]](平成27年)4月1日:四日市あすなろう鉄道が八王子線の運営を開始<ref name="kintetsu20140327" /><ref name=press141226>[http://www5.city.yokkaichi.mie.jp/item57996.html 鉄道事業再構築実施計画の認定申請を行いました] - 四日市市、2014年12月26日</ref>。
* [[2021年]]([[令和]]3年)[[8月21日]]:全線で「[[ICOCA]]」などの[[交通系ICカード全国相互利用サービス|全国相互利用サービス]]に対応した[[乗車カード|交通系ICカード]]が利用可能となる<ref name="press20210803">{{Cite web|和書|url=https://www.yar.co.jp/info/detail.php?id=276|archiveurl=https://web.archive.org/web/20210803065158/https://www.yar.co.jp/info/detail.php?id=276|title=交通系ICカードシステムの導入について|date=2021-08-03|archivedate=2021-08-03|accessdate=2021-08-04|publisher=四日市あすなろう鉄道|language=日本語|deadlinkdate=}}</ref><ref name="news20210804">{{Cite news|url=https://www.isenp.co.jp/2021/08/04/63160/|archiveurl=https://web.archive.org/web/20210804032145/https://www.isenp.co.jp/2021/08/04/63160/|title=四日市市 あすなろう鉄道 ICカードシステム導入、21日から 三重|newspaper=伊勢新聞|date=2021-08-04|accessdate=2021-08-04|archivedate=2021-08-04}}</ref>。
== 運行形態 ==
あすなろう四日市駅 - [[日永駅]] - [[西日野駅]]間を直通する列車が毎時2本運行されている。八王子線内は日永駅構内も含めて交換設備がなく、1[[閉塞 (鉄道)|閉塞]]での運転を行っている。
日永駅では、西日野発のあすなろう四日市行きが内部行きと、内部発のあすなろう四日市行きが西日野行きと連絡しており、基本的にすべての列車が系統別の接続を行う。従って日永駅での、西日野駅と南日永駅以南との乗り換え時間ロスはほとんどない。
全列車が都市型[[ワンマン運転]](無人駅でも全車両の全扉を開閉)を行っている。
なお、[[大晦日]]から[[元日|元旦]]にかけての[[終夜運転]]は、当線では実施されていない。
== 使用車両 ==
{{Main2|「[[四日市あすなろう鉄道内部線#使用車両]]」も参照。車両の転配属などの動向は「[[四日市あすなろう鉄道内部線#年表]]」を}}
=== 現在の車両 ===
[[ファイル:260series.jpg|thumb|right|200px|260系電車]]
[[ファイル:近鉄内部線1.jpg|thumb|200px|right|近鉄四日市(現・あすなろう四日市)停車中の260系(2005年7月16日)]]
* [[近鉄260系電車|260系]]
=== 過去の車両 ===
* [[三重軌道1形蒸気機関車]]
* [[四日市鉄道1形蒸気機関車]]
* [[三重軌道ホハ1形客車|サ331形]]
* [[四日市鉄道ホハ1形客車|サ351形]]
* [[大日本軌道伊勢支社1形客車|サ311形]]
* [[中勢鉄道ボコ1形客車|サ321形]]
* [[四日市鉄道101形電気機関車|51形]]
* [[四日市鉄道デ21形電車|四日市鉄道デ21形]]
* [[三重鉄道シハ31形気動車|ナ111形・ナ121形]]
* [[中勢鉄道カ1形気動車|ナ131形]]
* [[三重鉄道シハ81形気動車|ナ141形]]
* [[中勢鉄道カ3形気動車|ナ151形]]
* [[四日市鉄道デ50形電車|モニ210形・モ240形]]
* [[北勢鉄道モハニ50形電車|モニ220形]]
* [[松阪鉄道デ31形電車|モ230形・サ120形・サニ110形]]
* [[三重交通サ150形電車|サ100形・サ150形]]
* [[三重交通モ4400形電車|モ4400形]]
* [[三重交通サ2000形電車|サ2000形]]
* [[三重交通サ360形電車|ク110形・サ120形]]
* [[北勢鉄道モハニ50形電車|サ120形]]
<!--上記2形式は三重線時代に入線していた。湯の山線改軌後は[[三岐鉄道北勢線|北勢線]]に転属。-->
<!--モ4400とサ2000は近鉄合併後の入線実績がありませんので三重交通時代の形式での表記が妥当です。また年表で詳細な記載があるので転属関係もここでは不要です-->
== 施設 ==
{|{{Railway line header||collapse=yes}}
{{UKrail-header2|停車場・施設・接続路線 |#00a0e8}}
{{BS-table}}
{{BS|STR|||[[四日市あすなろう鉄道内部線|内部線]]|}}
{{BS|BHF|0.0|[[日永駅]]||}}
{{BS|ABZgl|||内部線||}}
{{BS3||STR|WASSER+l|||[[天白川 (三重県)|天白川]]||}}
{{BS3||eBHF|WASSER|0.6|''東日野駅''|-1969|}}
{{BS3||KBHFxe|WASSER|1.3|[[西日野駅]]|(II) 1976-|}}
{{BS3||exSTR|WASSER|||{{Nowrap|↓''1974年休止、1976年廃止区間''}}|}}
{{BS3||exBHF|WASSER|1.5|''西日野駅''|(I)|}}
{{BS3||exBHF|WASSER|1.8|''清水橋駅''|1931-1969|}}
{{BS3||exBHF|WASSER|2.0|''四郷役場前駅''|-1917|}}
{{BS3||exBHF|WASSER|2.3|''[[室山駅]]''||}}
{{BS3||exKBHFe|WASSER|3.0|''[[伊勢八王子駅]]''||}}
|}
|}
=== 線形 ===
日永駅の八王子線ホームは半径100m急曲線(四日市あすなろう鉄道の最急曲線箇所)の外側にあることから、車長の長いモ260・ク160形電車はホームとの接触を避けるため車端部の車体幅を絞った構体形状となっている。最急勾配は25パーミル。
=== 軌道 ===
使用されている[[軌条]](レール)は、過去には[[軽便鉄道]]規格の古典的な15kと22kレール(それぞれ1m当たり15kg・20kg)が使用されていた。現在ではレールの重軌条化が進み、本線では40N・50Nレールに統一された。[[枕木|マクラギ]]は、軌間が特殊なことから[[枕木|PCマクラギ]]は用いられておらず、大半が木マクラギである。
=== 車庫 ===
{{main|四日市あすなろう鉄道内部線#車庫}}
[[内部駅]]構内に両線供用の「近鉄車両課富吉検車区内部車庫」がある。
=== 電路設備 ===
[[架線]]は[[架空電車線方式#シンプルカテナリー式|シンプルカテナリー方式]]で、[[電柱]]は、木柱からコンクリート柱への更新工事が進行中である。架線自動張力調整装置(テンションバランサー)は一部区間について設置されている。
=== 信号・連動装置・CTC ===
[[日本の鉄道信号#常置信号機|常置信号機]]として、場内信号機・出発信号機と中継信号機(日永駅のみ)が設けられている。信号機は、3位式2現示(注意:Y、停止:R)が採用されている。
[[列車集中制御装置]] (CTC) が導入され、あすなろう四日市駅において全駅の信号制御および[[分岐器#電気転轍器|電気転轍機]]の制御が可能となっている。情報伝送は[[メタルケーブル]]を使用する。
=== ATS ===
多変周式・連続照査型の「近鉄型[[自動列車停止装置|ATS]]」を採用している。地上子は通常2本のレールの間に設置するが、四日市あすなろう鉄道は軌間が狭いため、設置してしまうと、上り電車用と下り電車用の位置のずれが短くなり、誤作動する恐れがある。このため地上子は2本のレールの外側(進行方向に向かって右側)にあり、大変珍しいスタイルとなっている。急曲線部分・急勾配部分の速度制限箇所の一部には[[自動列車停止装置#多変周式信号ATS(多変周式(点制御、連続照査型))|速度超過防止用ATS]]が備えられている。
=== 踏切 ===
[[踏切#種類|第1種踏切]]([[踏切警報機|警報機]]・[[遮断機]]付き)4か所の[[踏切]]がある。[[踏切#種類|第3種踏切]](警報機のみ)・[[踏切#種類|第4種踏切]](警報機・遮断機共なし)はなく、全踏切で自動化されており、あすなろう四日市駅にて、四日市あすなろう鉄道線全線の踏切の集中監視を行っている。
== 駅一覧 ==
全駅[[三重県]][[四日市市]]に所在。
=== 営業中の区間 ===
普通列車のみ運転、全列車が各駅に停車する。
{| class="wikitable" rules="all"
|-
!style="width:11em; border-bottom:solid 3px #00a0e8;"|駅名
!style="width:2.5em; border-bottom:solid 3px #00a0e8;"|駅間キロ
!style="width:2.5em; border-bottom:solid 3px #00a0e8;"|営業キロ
!style="width:5.5em; border-bottom:solid 3px #00a0e8;"|乗降人員<br /><small>-2008年-</small>
!style="border-bottom:solid 3px #00a0e8;"|接続路線
|-
|[[日永駅]]<br/><small>(あすなろう中央緑地駅)</small>
|style="text-align:center;"|-
|style="text-align:right;"|0.0
|style="text-align:right;"|930人/日
|四日市あすなろう鉄道:[[四日市あすなろう鉄道内部線|内部線]](直通)
|-
|[[西日野駅]]
|style="text-align:right;"|1.3
|style="text-align:right;"|1.3
|style="text-align:right;"|2,565人/日
|
|}
日永駅は八王子線の列車同士の[[列車交換|交換]]ができない(内部線列車と八王子線列車は交換可能)無人駅で、西日野駅は列車交換のできない無人駅である。
=== 廃駅 ===
廃止区間の駅は次節を参照。
* 東日野駅(日永駅 - 西日野駅間)
=== 廃止区間 ===
西日野駅 - 清水橋駅 - 四郷役場前駅 - [[室山駅]] - [[伊勢八王子駅]]
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
{{Reflist}}
== 参考文献 ==
* 近畿日本鉄道公式サイト「[http://www.kintetsu.jp/kouhou/History/A10004.html 近鉄ストーリー]」
* 今尾恵介『日本鉄道旅行地図帳 8号 関西1』新潮社、2008年、ISBN 978-4-10-790026-5
* 和久田康雄『私鉄史ハンドブック』電気車研究会、1993年、ISBN 4-88548-065-5
== 関連項目 ==
* [[日本の鉄道路線一覧]]
{{近畿日本鉄道の路線}}
{{DEFAULTSORT:よつかいちあすなろうてつとうはちおうしせん}}
[[Category:近畿地方の鉄道路線|はちおうしせん]]
[[Category:近畿日本鉄道の鉄道路線|廃はちおうし]]
[[Category:四日市あすなろう鉄道|路はちおうし]]
[[Category:三重交通|路はちおうしせん]]
[[Category:三重鉄道|路はちおうしせん]]
[[Category:部分廃止路線|はちおうしせん]]
[[Category:日本の軽便鉄道]]
[[Category:三重県の交通]]
[[Category:第三セクター路線]]
|
2003-09-12T00:48:54Z
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2023-12-30T13:54:12Z
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16,325 |
フォールディングタイプカヤック
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フォールディングタイプカヤックもしくはフォールディング・カヤックは、分解可能な組み立て式のカヤックのこと。
1907年にドイツのクレッパー社(ドイツ語版)によって世界で初めて製品化されたファルトボート(ドイツ語版)が有名で、フォールディングカヤックのことをファルトボートと呼ぶ人も多い。日本では1980年代にアウトドアブームや野田知佑の影響、カヤックを保管するのが困難な日本の住宅事情とあいまって普及した。
船体布とフレームで構成される。インフレータブルと呼ばれる空気注入式の船や、両方の利点を活かしたハイブリッド式の船もある。船体のスタイル(デザイン)にはメーカーごとの個性の違いがある。また、解体すると輪行バッグに入るくらいにまとめられるものもある。
自動車がなくても公共交通機関で移動できるなどの利便性があり、川旅に向いている。ただ、日本の川は川幅が狭く急流であることやダムの乱造によって水量が少ない場合が多いため、船底をこすると穴が開きやすいという欠点がある。また、帰宅後に洗浄や乾燥などの作業が必要である。
主に静水域や難易度の低い流水域で使用されるが、技術如何によってはある程度のグレードの高い川でも使用できる。強度を持った製品も発売され、使用の幅は広がっている。
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フォールディングタイプカヤックもしくはフォールディング・カヤックは、分解可能な組み立て式のカヤックのこと。 1907年にドイツのクレッパー社によって世界で初めて製品化されたファルトボートが有名で、フォールディングカヤックのことをファルトボートと呼ぶ人も多い。日本では1980年代にアウトドアブームや野田知佑の影響、カヤックを保管するのが困難な日本の住宅事情とあいまって普及した。
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{{出典の明記|date=2021-05-20}}
'''フォールディングタイプカヤック'''もしくは'''フォールディング・カヤック'''は、分解可能な組み立て式の[[カヤック]]のこと。
[[1907年]]に[[ドイツ]]の{{仮リンク|クレッパー社|de|Klepper Faltbootwerft}}によって世界で初めて製品化された{{仮リンク|ファルトボート|de|Faltboot}}が有名で、フォールディングカヤックのことをファルトボートと呼ぶ人も多い。[[日本]]では[[1980年代]]にアウトドアブームや[[野田知佑]]の影響、カヤックを保管するのが困難な日本の住宅事情とあいまって普及した。
== 概要 ==
船体布とフレームで構成される。[[インフレータブル]]と呼ばれる空気注入式の船や、両方の利点を活かしたハイブリッド式の船もある。船体のスタイル(デザイン)にはメーカーごとの個性の違いがある。また、解体すると[[輪行袋|輪行バッグ]]に入るくらいにまとめられるものもある<ref>{{Cite news|url=https://www.chibanippo.co.jp/news/local/703795|title=のんびり栗山川下り カヤックツアー参加者募る 横芝光で今月7月から|newspaper=千葉日報オンライン|publisher=千葉日報社|date=2020-07-06|accessdate=2021-05-20}}</ref>。
[[自動車]]がなくても[[公共交通機関]]で移動できるなどの利便性があり、川旅に向いている。ただ、日本の川は川幅が狭く急流であることや[[ダム]]の乱造によって水量が少ない場合が多いため、船底をこすると穴が開きやすいという欠点がある。また、帰宅後に洗浄や乾燥などの作業が必要である。
主に静水域や難易度の低い流水域で使用されるが、技術如何によってはある程度のグレードの高い川でも使用できる。強度を持った製品も発売され、使用の幅は広がっている。
== ギャラリー ==
<gallery>
File:Foldingkayak2.JPG|フォールディングカヤック
File:Foldingkayak0.JPG|カヤックのフレーム
File:ファルトボートによるシーカヤッキングImg588.jpg|フォールディングカヤックによるシー・カヤッキング([[西表島]]・白浜港)
</gallery>
== 出典 ==
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== 関連項目 ==
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* [[パドルスポーツ]]
* [[カヤック]]
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[[Category:カヤック]]
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16,326 |
太陽党
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太陽党(たいようとう)は、1996年(平成8年)に、新進党を離党した羽田孜を中心に結成された日本の保守政党。略称は太陽。
太陽党という名称は、党首の羽田の好みが反映した名称であると言われている。
いくつかあった候補のうち、有力なものとして「人間党」というものがあったが「政見放送や新聞上で『元・人間』『新・人間』と書かれるぞ」と笑い話にも似た意見があり、最終的に太陽党に落ち着いたと、元党事務局長であった伊藤惇夫が著書『政党崩壊―永田町の失われた十年―』(新潮社、2003年)で記している。
ただし、「人間党」は新進党の党名候補にも挙がっていたほか、1989年の第15回参議院議員通常選挙比例区で候補者を擁立した「人間党」という政治団体が存在した例がある。
なお、2012年11月13日に石原慎太郎らがたちあがれ日本を母体に「太陽の党」を結成したが、同党との関係性はない。
1996年(平成8年)
1997年(平成9年)
1998年(平成10年)
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太陽党(たいようとう)は、1996年(平成8年)に、新進党を離党した羽田孜を中心に結成された日本の保守政党。略称は太陽。
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{{混同|太陽の党}}
{{出典の明記|date=2014年9月26日 (金) 07:37 (UTC)}}
{{政党
|国名 = {{JPN}}
|党名 = 太陽党
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|成立年月日 = [[1996年]][[12月26日]]
|前身政党 = [[新進党]](一部)
|解散年月日 = [[1998年]][[1月23日]]
|解散理由 = 新党結成
|後継政党 = [[民政党]]
|郵便番号 = 102<!--郵便番号が7桁になったのは1998年2月2日から-->
|本部所在地 = [[東京都]][[千代田区]][[紀尾井町]]3-27 剛堂会館ビル
|政治的思想・立場 = [[保守|保守主義]]
|機関紙 =
|シンボル =
|国際組織 =
|その他 =
|色相={{Good Governance Party/meta/color}}}}
'''太陽党'''(たいようとう)は、[[1996年]](平成8年)に、[[新進党]]を離党した[[羽田孜]]を中心に結成された[[日本]]の[[保守政党]]。略称は'''太陽'''。
== 党名 ==
太陽党という名称は、党首の羽田の好みが反映した名称であると言われている。
いくつかあった候補のうち、有力なものとして「人間党」というものがあったが「[[政見放送]]や新聞上で『元・人間』『新・人間』と書かれるぞ」と笑い話にも似た意見があり、最終的に太陽党に落ち着いたと、元党事務局長であった[[伊藤惇夫]]が著書『政党崩壊―永田町の失われた十年―』([[新潮社]]、2003年)で記している。
ただし、「人間党」は[[新進党]]の党名候補にも挙がっていたほか、[[1989年]]の[[第15回参議院議員通常選挙]][[参議院比例区|比例区]]で候補者を擁立した「人間党」という政治団体が存在した例がある。
なお、2012年11月13日に[[石原慎太郎]]らが[[たちあがれ日本]]を母体に「[[太陽の党]]」を結成したが、同党との関係性はない。
== 党史 ==
[[File:1990年代の政党の離合集散.jpg|thumb|right|1990年代の政党の離合集散]]
[[1996年]](平成8年)
*[[12月26日]] [[新進党#歴代の常任幹事会党首|新進党党首]]である[[小沢一郎]]との[[第41回衆議院議員総選挙]]後の党運営における確執から羽田らが離党して、「太陽党」を結成する。
[[1997年]](平成9年)
*[[7月6日]] 太陽党として唯一の選挙戦となった[[1997年東京都議会議員選挙]]では、[[確認団体]]として公認候補3名(世田谷区選挙区:阿部俊之・元職、品川区選挙区:今村廉彦・新人、大田区選挙区:新人)を擁立したが、[[新進党]]の候補者と共に全員が落選。選挙協力した[[民主党 (日本 1996-1998)|民主党]]も伸び悩む。
*[[12月27日]] 新進党が分党し、6党([[自由党 (日本 1998-2003)|自由党]]、[[公明党|新党平和、黎明クラブ]]、[[国民の声]]、[[新党友愛]]、[[改革クラブ (1998-2002)|改革クラブ]])に分裂。
[[1998年]](平成10年)
* [[1月8日]] 太陽党、民主党、新党友愛、国民の声、[[フロム・ファイブ]]、[[民主改革連合]]が院内会派「[[民主友愛太陽国民連合]]」(民友連)を結成する。
* [[1月23日]] 民友連3党(太陽党、国民の声、フロム・ファイブ)が[[民政党]]を結成する。
* [[4月27日]] 民友連4党(民主党、民政党、新党友愛、民主改革連合)が統合して、新たに[[民主党 (日本 1998-2016)|民主党]]を結成する。
== 役職 ==
=== 常任幹事会・執行部役員表 ===
{| class="wikitable"
! 役職名 || 氏名
|-
| 常任幹事会党首 || [[羽田孜]]
|-
| 常任幹事会幹事長 || [[畑英次郎]]
|-
| 総務会長 || [[前田武志]]
|-
| 政務調査会長 || [[粟屋敏信]]
|-
| 国会対策委員長 || [[吉田公一]]
|-
| 参議院議員会長 || [[北澤俊美]]
|-
| 最高顧問 || [[奥田敬和]]
|-
| 幹事長代理 || [[小坂憲次]]
|-
| 総務会長代理 || [[堀込征雄]]
|-
| 政務調査会長代理 || [[岩國哲人]]
|}
===歴代党首一覧===
{| class="wikitable"
! 代 !! 党首 !! 在任期間
|-
! 1
| [[羽田孜]] || [[1996年]](平成8年)[[12月]] - [[1998年]](平成10年)[[1月]]
|}
== 太陽党議員一覧 ==
*解散時の所属議員を表す。
{| class="wikitable"
|-
! colspan="5" | 衆議院議員
|-
|[[羽田孜]]<br />[[長野県第3区|長野3区]]、衆10
|[[奥田敬和]]<br />[[石川県第1区|石川1区]]、衆10
|[[畑英次郎]]<br />[[大分県第3区|大分3区]]、衆8
|[[熊谷弘]]<br />[[静岡県第9区|静岡9区]]、衆6参1
|[[前田武志]]<br />[[奈良県第4区|奈良4区]]、衆4
|-
|[[粟屋敏信]]<br />[[広島県第2区|広島2区]]、衆4
|[[小坂憲次]]<br />[[長野県第1区|長野1区]]、衆3
|[[堀込征雄]]<br />[[比例北陸信越ブロック|比例北陸信越]]、衆3
|[[吉田公一]]<br />[[東京都第9区|東京9区]]、衆2
|[[岩國哲人]]<br />[[東京都第6区|東京6区]]、衆1
|-
! colspan="5" | 参議院議員
|-
|[[北澤俊美]]<br />[[長野県選挙区]]、参1
|[[釘宮磐]]<br />[[大分県選挙区]]、参1
|[[小山峰男]]<br />長野県選挙区、参1
|}
*東京都政策委員:阿部俊之(元東京都議会議員)、今村廉彦(松原仁代議士秘書)
== 関連項目 ==
* [[日本の政党一覧]]
{{民主党}}
{{DEFAULTSORT:たいようとう}}
[[Category:かつて存在した日本の政党]]
[[category:日本の保守政党]]
[[Category:1996年設立の政党・政治団体]]
[[Category:1998年廃止の政党・政治団体]]
[[Category:羽田孜]]
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2022-04-03T07:50:56Z
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[
"Template:混同",
"Template:出典の明記",
"Template:政党",
"Template:民主党"
] |
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%AA%E9%99%BD%E5%85%9A
|
16,327 |
善意
|
他人や物事に対しての良い感情、または見方や好意のこと。日常用語としての善意(ぜんい)とは、相手にとって喜ばしいであろうとすることを行う、思いやりのこと。また、相手によい結果を導こうとして行なう意思を指す。対義語には「悪意」がある。
私法上の法律用語の一つとしての善意 (bona fides) は以下の意味合いで用いられる。
法律用語としての善意は、ある事実について知らないという意味で用いられる(例:善意の第三者)。対義語の悪意は、ある事実について知っているということを示す。
どちらの場合もそこに道徳的な善悪の判断を含むものではなく、ただ事実を示す言葉として使われる。
民法の条文において用いられる「善意」は「善意無過失」の意味であると解されることもある。
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他人や物事に対しての良い感情、または見方や好意のこと。日常用語としての善意(ぜんい)とは、相手にとって喜ばしいであろうとすることを行う、思いやりのこと。また、相手によい結果を導こうとして行なう意思を指す。対義語には「悪意」がある。 私法上の法律用語の一つとしての善意 は以下の意味合いで用いられる。 民法について以下では、条名のみ記載する。
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{{出典の明記|date=2012年10月15日 (月) 13:45 (UTC)}}
他人や物事に対しての良い感情、または見方や好意のこと。日常用語としての'''善意'''(ぜんい)とは、相手にとって喜ばしいであろうとすることを行う、思いやりのこと。また、相手によい[[結果]]を導こうとして行なう[[意思]]を指す。対義語には「[[悪意]]」がある。
[[私法]]上の[[法律]]用語の一つとしての善意 (bona fides) は以下の意味合いで用いられる。
* 民法について以下では、条名のみ記載する。
== 法律用語としての善意・悪意 ==
法律用語としての'''善意'''は、ある事実について知らないという意味で用いられる(例:善意の[[第三者]])。対義語の'''[[悪意]]'''は、ある事実について知っているということを示す。
どちらの場合もそこに道徳的な善悪の判断を含むものではなく、ただ事実を示す言葉として使われる。
民法の条文において用いられる「善意」は「善意無過失」の意味であると解されることもある。
=== 善意と悪意で法律効果が異なる規定の例 ===
* [[失踪宣告]]の取消し([[w:民法第32条|32条]])
* [[心裡留保]]([[w:民法第93条|93条]])
* [[詐欺による意思表示#第三者詐欺|第三者詐欺]]の相手方([[b:民法第96条|96条]]2項)
* [[詐欺による意思表示]]の第三者(96条3項)
* 代理権授与の表示による表見代理([[b:民法第109条|109条]])
* 権限外の行為の表見代理([[b:民法第110条|民法第110条]])
* [[無権代理]]の相手方の取消権([[b:民法第115条|115条]])。
* [[無権代理]]人の責任([[b:民法第117条|117条]])。
* [[取得時効 (日本法)|取得時効]]([[b:民法第162条|162条]])
* [[占有]]者の果実収受権([[b:民法第189条|189条]]・[[b:民法第190条|190条]])
* 占有者による損害賠償 ([[b:民法第191条|191条]])
* 占有回復者による費用の償還請求の期限の付与([[b:民法第196条|196条]])
* 権利の一部が他人に属する場合における売主の担保責任([[b:民法第563条|563条]]、[[b:民法第564条|564条]])
* [[地上権]]等がある場合等における売主の担保責任([[b:民法第566条|566条]])。
* [[不当利得]]返還請求権([[b:民法第703条|703条]]・[[b:民法第704条|704条]])など
==== 善意無過失かそうでないかによって異なる規定の例 ====
* 取得時効(162条)
* 代理権授与の表示による表見代理の相手方の求償権(109条)
* 権限外の行為の表見代理(110条)
* 無権代理人の相手方の求償権(117条)
==== 善意の第三者のみを保護する規定の例 ====
* [[虚偽表示]]と第三者([[b:民法第94条|94条]]2項)
* [[詐欺]]取消と第三者([[b:民法第96条|96条]]3項)
* [[即時取得]]([[b:民法第192条|192条]])
* 権利の一部が他人に属する場合における売主の担保責任([[b:民法第563条|563条]]3項)
* [[債権譲渡]]禁止特約と第三者([[b:民法第466条|466条]])
* [[相殺]]禁止特約と第三者([[b:民法第505条|505条]])
<!-- == 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
{{Reflist}} -->
<!-- == 参考文献 == -->
== 関連項目 ==
{{Wiktionary}}
<!-- {{Commonscat|Good faith}} -->
* [[良心]]
* [[善意支払]]
* [[善意取得]]
* [[善きサマリア人の法]]
*[[占有権#善意占有と悪意占有]]
* [[悪意]]
<!-- == 外部リンク == -->
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リジッドタイプカヤック
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リジッドタイプカヤックは、分解できないカヤックのこと。分解できるフォールディングタイプカヤックに対してそう呼ばれる。主にFRP製カヤックやポリエチレン製カヤックがある。(まれに木・布・皮製や金属製もある)
分解できるカヤックが主流だったが素材・技術の発達により一体成型されたポリエチレン製カヤックやFRP製カヤックが登場した。自家用車の普及もリジッドタイプカヤックの運搬を可能にした。
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リジッドタイプカヤックは、分解できないカヤックのこと。分解できるフォールディングタイプカヤックに対してそう呼ばれる。主にFRP製カヤックやポリエチレン製カヤックがある。(まれに木・布・皮製や金属製もある) 分解できるカヤックが主流だったが素材・技術の発達により一体成型されたポリエチレン製カヤックやFRP製カヤックが登場した。自家用車の普及もリジッドタイプカヤックの運搬を可能にした。
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'''リジッドタイプカヤック'''は、分解できない[[カヤック]]のこと。分解できる[[フォールディングタイプカヤック]]に対してそう呼ばれる。主にFRP製カヤックやポリエチレン製カヤックがある。(まれに木・布・皮製や金属製もある)
分解できるカヤックが主流だったが素材・技術の発達により一体成型されたポリエチレン製カヤックやFRP製カヤックが登場した。自家用車の普及もリジッドタイプカヤックの運搬を可能にした。
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近鉄大阪線
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大阪線(おおさかせん)は、大阪府大阪市天王寺区の大阪上本町駅から三重県松阪市の伊勢中川駅までを結ぶ、近畿日本鉄道(近鉄)の鉄道路線である。
駅ナンバリング等で使われる路線記号はD。番号部分は、大阪上本町駅 - 真菅駅間は難波線からの通し番号(大阪難波駅を01とみなす)、大和八木駅 - 伊勢中川駅間は京都線・橿原線からの通し番号(京都駅を01とみなす)になっている。
当路線のうち大阪上本町駅 - 布施駅間は、奈良線とともに1914年に開業した近鉄の直系母体である大阪電気軌道(大軌)の創業路線である。近鉄の基幹路線の一つとして、伊勢中川駅から名古屋線や山田線に直通して、大阪と名古屋および伊勢志摩方面を結ぶ多数の特急列車が運行されている。
特急以外の全ての一般列車は創業以来のターミナル駅である大阪上本町駅の地上ホームに発着する一方で、大阪 - 名古屋間を結ぶ名阪特急を中心に大半の特急列車は大阪上本町駅から地下線の難波線に直通して大阪難波駅(大阪市中央区)に発着している。さらに、大和八木駅 - 伊勢中川駅間では京都線・橿原線と直通して京都駅 - 伊勢志摩間を結ぶ特急列車も運行されている。
近鉄特急による長距離輸送のみならず、大阪府中河内・奈良県中和地域・三重県伊賀地域から大阪市内への通勤・通学路線としての役割も担っている。一方で、三重県の青山高原一帯は民家もほとんどなく、駅の利用者も非常に閑散としている。
営業距離の108.9kmは、JR・三セクを除く日本の私鉄の路線では東武伊勢崎線に次ぐ長さである(全線が複線以上の路線としてはJR・三セクを除く日本の私鉄では最長)。大阪上本町駅 - 布施駅間は複々線となっており、うち2線に奈良線が直通して方向別複々線を形成している。大阪府を起点とする関西大手私鉄の幹線・本線としては、奈良線とともにOsaka Metro御堂筋線との接続駅がないため、難波方面へは自社の難波線、梅田・天王寺方面へはOsaka Metro谷町線や途中の鶴橋駅で西日本旅客鉄道(JR西日本)大阪環状線への乗り換えが必要となる。
全線でPiTaPaおよびICOCA・SuicaなどのICカードが全国相互利用サービスにより利用できる。なお、自動改札機が設置されていない伊賀上津駅 - 川合高岡駅間の各駅には、専用の簡易改札機を設置して対応している。また、以前は大阪上本町駅 - 青山町駅間でスルッとKANSAI対応カードおよびJスルーカードにも対応していた。
なお、新青山トンネル西坑口(大阪上本町起点84.048 km地点)を境に、大阪上本町側が大阪統括部、伊勢中川側が名古屋統括部の管轄。
実キロ数は107.6 kmで、榊原温泉口駅の大阪寄りに実キロ数を営業キロ数に合わせることを示すキロポスト(距離更正点)が建っている(大阪上本町駅を起点とする実キロ数93.738 kmの地点で、営業キロ数95.054 kmが設定されている。両者の差は新線経由と旧線経由の差である)。距離更正点が設置されている現在の東青山駅 - 榊原温泉口駅間の実キロは2.5 kmだが、運賃計算上では3.9 kmとして扱われており、同区間の運賃は180円(初乗り3kmまで)ではなく240円となっている。
桜井駅以西は大阪・奈良の府県境があるものの比較的平坦な区間で連続した急勾配は少ない。桜井駅から伊勢中川駅までは山越え区間になるが、開業当初から電化されており、曲線半径600m以下のカーブが生じないように設計されている(その他の区間には最小半径400mのカーブが存在)ため、最大33.3‰の連続急勾配も点在する。このため、強力なモーターを搭載する電車が高速で山越えをするダイナミックな走行が見られる。
なお、以下に示す記述はすべて大阪上本町→伊勢中川方向における沿線風景であり、逆方向については順序が逆になり、風景の見える方向が左右逆となる。
近鉄百貨店上本町店に内包された7面6線を有するターミナル駅である大阪上本町駅を発車してほどなく、地下から高架へと上がる奈良線(難波線)の線路が並行し(書類上、近鉄奈良線の起点は布施駅であるが、運転系統にあわせここでは奈良線と記す。詳細は近鉄奈良線の項目を参照)、JR大阪環状線の下を通り鶴橋駅に到達する。この駅は2面4線の構造で、1番線と3番線を奈良線、2番線と4番線を大阪線が使用している。JRと近鉄の主要幹線同士の接続駅ということもあり、終日多くの利用客で混雑する。この駅で奈良線と大阪線の列車が相互に接続する。
鶴橋駅から先はしばらく方向別複々線の線路になり、大阪線と奈良線がそれぞれ異なる線路を走る。住宅街を高架で通り抜け今里駅に達する。今里を出てしばらくすると東大阪市に入り、奈良線の線路がさらに上へ上がり、布施駅となる。ここから奈良線と分かれ、線路は右にカーブする。次の俊徳道駅の高架下には2008年3月15日に開業したJRおおさか東線のJR俊徳道駅がある。
俊徳道駅を出てしばらく進むと高架区間は終わり、終日、近畿大学の学生などで賑わう長瀬駅に着く。そこから先は狭い住宅街を進み、2面4線の弥刀駅に達する。弥刀駅からすぐ河内国分寄りには引き込み線と折り返し設備があり、かつては近畿大学の学生を運ぶ弥刀駅折り返しの列車が使用していたが、現在も信貴線(後述)の車両入れ換えや回送列車の方向転換等に用いられることがある。弥刀駅を過ぎると再び高架に上がり、高々架の近畿自動車道と地上の大阪府道2号大阪中央環状線に差し掛かる手前で八尾市に入り、久宝寺口駅。そのまま高架を進んで近鉄八尾駅に達する。
近鉄八尾駅を出ると、左手にはアリオ八尾が見え、しばらく進むとメロディアンの本社および研究所が見える。線路が再び地上に下りると間もなく河内山本駅に着く。この駅からは信貴線が分岐しており、大阪などから信貴山朝護孫子寺への参拝の足となっている。ここを過ぎると線路は右へ大きくカーブし、高安駅に達する。ここには高安検車区・高安検修センターがあり、近鉄のいろいろな車両を見ることができる。その後高架に上がって国道170号(大阪外環状線)を乗り越え恩智駅、そこを出てすぐに線路は地上になる。東方向(進行方向左側)に生駒山系の山並みを眺めつつ線路は南へ延び、柏原市の住宅街に入って法善寺駅・堅下駅と進む。安堂駅のあたりからJR関西本線(大和路線)と国道25号が並走するが、大和川沿いの亀の瀬渓谷へ東進するこの2線を大阪線は立体交差で跨いで大和川を渡って南進し、河内国分駅に着く。
大阪線にやや遅れて大和川を渡って来た国道25号が河内国分駅前で合流するも、すぐ北東へ進路を変えて亀の瀬渓谷へ向かう。一方、大阪線はゆるやかに左へカーブし、原川沿いの田尻峠を目指す。景色も次第に金剛山地の山々がせり出してくるようになり、西名阪自動車道の下を通ると大阪教育大前駅。この駅を過ぎてすぐの新玉手山トンネルを抜けてしばらく進んだ所に府県境となる田尻峠があり、大阪府から奈良県に入る。また、河内国分駅 - 大三駅間にかけては大阪と津を結ぶ国道165号とほぼ全区間で並走している。
関屋駅の先で勾配を登り切り、二上駅を過ぎて奈良盆地に踏み込むと、南側(右側)にフタコブラクダ状の稜線を持つ二上山が見えてくる。この辺りでは二上山寄りを走る南大阪線に最も接近する。線路は徐々に香芝市の中心部へと進み、香芝市役所の最寄駅近鉄下田駅に達する。ここを過ぎるとJR和歌山線を乗り越え、五位堂検修車庫・高安検車区五位堂車庫を右手に眺めつつ五位堂駅に達する。
住宅街を通り抜け大和高田市に入り、築山駅を過ぎて大和高田駅に達する。しばらく進むと田園地帯に入り、松塚駅を過ぎて曽我川を渡ると線路は橿原市に入る。このあたりから右手に大和三山の一つ畝傍山が見えてくる。橿原市の住宅街に入ると真菅駅。そこから線路はしばらく住宅街の中を進み、橿原線からの京伊特急用の短絡線が合流して、高架の大和八木駅に到着する。この駅には大阪だけでなく京都方面からも一部の特急が運転されており、同一ホームでの特急同士の連絡が時折見られる。またこの駅からは「高速道路を通らない日本一長いバス路線」である十津川経由新宮方面行きの奈良交通バスが発着している。
大和八木駅を出て橿原の市街地を抜けると、左手に耳成山(大和三山)が、右手に天香具山(大和三山)が見える。特に耳成山は線路のすぐ近くにそびえており、周辺に目立った丘がないためとても美しく見える。耳成駅を過ぎると線路は桜井市に入り、住宅と畑、山林が調和したのどかな風景が続く。大福駅を通り過ぎると左手には三輪山が、右手にJR桜井線(万葉まほろば線)が見えてくる。大阪線の線路は高架へ上がりJR線もこちらに迫ってきて桜井駅に達する。
桜井駅を出るとJR桜井線(万葉まほろば線)が左に分かれていき、国道165号を乗り越えると、2面4線の大和朝倉駅。この付近から線路は、初瀬川の谷の山肌に沿って最大33.3‰の上り勾配が連続している。線路はやがて牡丹と紅葉の名所である長谷寺の最寄り駅、長谷寺駅を通る。長谷寺駅を過ぎると、室生・赤目の山々がせり出してくる。トンネルをくぐり約8kmに亘って続いた上り勾配が終わると、3面5線を有する宇陀市の中心駅、榛原駅に達する。
榛原駅を出るといよいよ山間部に入り、駅間の距離も長くなる。国道165号と並走しつつ室生口大野駅・三本松駅を通り、宇陀川を渡るとやがて奈良県から三重県へ入る。 線路は赤目四十八滝の最寄駅、赤目口駅に達し、山間から名張盆地へと移っていく。名張川を渡ると車両基地を構えた名張駅に到達。駅の売店には関西で売られている商品だけでなく、中日新聞・中日スポーツなど東海・中部地方でよく見られる商品が並ぶようになり、関西(近畿)地方と中部地方の境界的な様子を見せる。利用客もこの駅からは大阪方面ではなく津・四日市・名古屋方面に向かう通勤、通学客が現れてくる。
名張駅を出てしばらくは名張の市街地を通り、桔梗が丘駅に至る。この駅を過ぎると線路は住宅街を出て田園地帯を走る。美旗駅を過ぎ、伊賀市に入ると伊賀神戸駅に着く。この駅から伊賀鉄道伊賀線が北に分かれており、伊賀市(旧上野市)の中心部、上野市駅へはここで乗り換えとなる。大阪線の線路は木津川を渡り、さらに山間部を進んで車庫を構える青山町駅に出る。
青山町駅から先、伊賀上津駅・西青山駅・東青山駅・榊原温泉口駅にかけてはほとんど人家がない完全な山(布引山地)の中を進むことになる。この辺りは近年鹿が多く出没しており、特に東青山駅周辺では2015年の1年間だけで過去最多となる17件もの鹿との衝突事故が発生している。またトンネルも多く、この間で全長5,652mの新青山トンネル、1,165mの垣内(かいと)トンネルを通る。新青山トンネルを通り抜けると線路は津市に入る。
榊原温泉口から先もしばらくは山間部、トンネルを進むが、大三駅を過ぎたあたりから山を抜け、田園地帯に入る。伊勢石橋駅を過ぎると徐々に住宅も多くなってくる。川合高岡駅まで来るとほぼ平地であり、完全に山を越えたことを実感させられる。この川合高岡駅の程近くにはJR名松線の一志駅がある。
線路はその後伊勢自動車道をくぐり松阪市に入って、左手方向に名古屋線への連絡線が分かれる。中村川を渡ると名古屋線の線路が迫り合流して、大阪線の終点伊勢中川駅に到着する。この駅は大阪線・名古屋線とも始終着駅ではあるが、線路自体はこの駅より山田線となって宇治山田・賢島方面に続いており、伊勢中川より大阪、名古屋方から直通運転する列車も多い。
大阪線では、特急・快速急行・急行・準急・区間準急・普通が運転されている。ここでは特急以外の各種別の詳細を示す。なお、特急は「近鉄特急」の項を参照のこと。
ラッシュ時の増結運転を考慮して特急停車駅・快速急行停車駅・大阪上本町駅 - 高安駅間の準急停車駅のホームは10両まで対応している。
大阪上本町駅から青山町駅を越えて伊勢中川発着や山田線及び鳥羽線に直通運転される快速急行・急行には原則トイレ付きの車両が充当されるが、ダイヤ乱れが起きた場合はトイレのない車両が運用に入ることがある。トイレ付き編成はそれぞれが限定運用となっており、車両運用の都合で準急以下の種別にもトイレ付き車両が充当される列車がある。
特急以外の各種別は、奈良線のそれらとは異なり難波線に乗り入れる定期運用が存在せず、ごく一部の団体臨時列車を除き、阪神電鉄との相互直通運転も実施していないため、難波線・阪神直通列車とは大阪上本町駅 - 布施駅間のいずれかの駅で乗り換える必要があるが、鶴橋駅を除いて対面乗り換えはできない。
昼間時以外に運転され、朝方は平日は下り2本、休日は1本を除き上りのみ、夕夜間は休日に1本以外は下りのみの運行である。上りは名張駅・青山町駅発大阪上本町行きが、下りは大阪上本町駅発名張・青山町駅・山田線松阪駅・宇治山田駅・鳥羽線五十鈴川駅(土休日のみ)・鳥羽行きが設定されている。大阪線内では布施駅を除いた阪伊乙特急の停車駅に加えて五位堂駅・桜井駅・室生口大野駅・赤目口駅・美旗駅・青山町駅に停車する。通勤時間帯の長距離速達種別という位置付けであるが、赤目口駅 - 青山町駅間を各駅に停車することで、同区間における普通列車としての役割も担う。
編成両数は6両編成を基本に、青山町駅以西は最大10両、以東は4両・6両編成で運転される。このため名張駅や青山町駅で車両増結・解放を行う列車がある。
途中駅での他種別との連絡については、五位堂駅・大和八木駅・榛原駅または名張駅で準急以下の種別との接続、名張駅・青山町駅では伊勢中川駅発着の普通との接続を考慮して、下り列車(後述の急行も含む)の一部は名張駅で大阪難波駅発の名阪乙特急と緩急接続する一方で、上り列車は運転間隔が異なるために朝の一部を除けば名阪乙特急とはほとんど接続しない。
特急列車の待避は主に大和八木駅・榛原駅・名張駅で行われるが、青山町駅 - 大阪上本町駅間の列車については全区間先着となる列車もある。大阪上本町駅 - 伊勢中川駅間の最短所要時間は1時間41分である(表定速度65km/h、2016年3月19日時点)。
本数は少ないが鳥羽線内発着の列車も運転されている。五十鈴川駅発着の列車は、2012年3月19日以前は下りは臨時列車や延長運転を除いて運転されていなかったが(急行もほぼ同様)、2012年3月20日のダイヤ変更で休日下り最終の宇治山田駅行きを延長して五十鈴川駅行きが設定された。2014年9月21日のダイヤ変更で平日朝方と全日夜下りに五十鈴川駅発着列車が設定されたが、2018年3月17日のダイヤ変更で土休日下り1本のみとなった。2020年3月14日のダイヤ変更で鳥羽線内発着の大阪上本町行きがなくなり、山田線も含めて上りの快速急行は全て青山町駅以西のみとなる。なお、鳥羽線・山田線内発の上り列車は名張駅まで急行で、名張駅から快速急行に種別が変更されて運行される。
鳥羽駅発着の列車は、上りが2004年3月17日までは夕刻にも設定されていたが、運転区間の短縮で2012年3月20日のダイヤ変更で消滅。下りは休日夕方に残っていた1本が2016年3月19日のダイヤ変更で一旦消滅したが、2018年3月17日のダイヤ変更で平日も含めて鳥羽駅発着列車が再度設定された。
区間快速急行が運行されていたころは交互に運行していた。下り列車は夜20時台までの運行で、21時以降は代わって区間快速急行が運行されていた。
近年では急行への変更ないしは減便などで運転本数は年々減少しており、2013年3月17日のダイヤ変更で朝の下り列車が平日の8時台を除いてすべて急行に変更され、2016年3月19日のダイヤ変更で下り列車は18時台と19時台および20時台の1本、上り列車は朝5時台から7時台の一部および平日17時台の名張駅始発1本を除いた全列車が急行に格下げされ、2018年3月17日のダイヤ変更で平日朝2本と休日朝の伊勢方面始発および平日17時台の名張駅始発の快速急行も消滅したが、2021年7月3日のダイヤ変更で土休日に1本復活した。また、2016年3月18日までは大和八木駅止まりと山田線宇治山田駅発着列車が、2003年3月5日までと2012年3月20日から2013年3月16日までの間には伊勢中川駅始発の列車(近鉄名古屋駅 - 伊勢中川駅間を急行として運転し、伊勢中川駅で大阪上本町行き快速急行に種別変更したもの)も運転されていた。全線通し運転列車の所要時間は年々増加傾向にあり、運転時間帯も2003年3月6日のダイヤ変更以降は上り列車を中心に徐々に縮小傾向にある。2020年3月14日のダイヤ変更では大阪上本町駅に朝7時30分頃から8時50分頃に到着する列車が計6本設定されており、朝9時を過ぎて到着する列車は1本もない。
1978年3月18日までは本種別が急行として運転されていた(「過去にあった列車種別」を参照)が、1978年3月18日のダイヤ変更(布施駅3層化改造工事完成に伴う変更)で快速急行に変更された。停車駅は2001年3月22日のダイヤ変更で五位堂駅が、2003年3月6日のダイヤ変更で美旗駅が、2012年3月20日のダイヤ変更で区間快速急行と統合された上で室生口大野駅と赤目口駅がそれぞれ停車駅に追加されたが、一方で伊賀上津駅・西青山駅・東青山駅の3駅が通過となり青山町駅 - 榊原温泉口駅間は途中無停車となった。ただし、朝のラッシュ時に伊勢方面からの名張止まりの急行が名張駅で大阪上本町行き快速急行に種別変更して運転されており(即ち2012年3月19日まで運行されていた区間快速急行と同じ停車駅で運行)、これら快速急行が通過するようになった駅から大阪方面へ乗り換えなしに利用できる。
2016年3月19日から平日朝方の五十鈴川行き快速急行(2018年3月17日からは青山町行き快速急行に変更)が名張駅で切り離す車両数が4両から6両に変更され、名張駅から終点五十鈴川駅まで(2018年からは青山町駅まで)4両編成で運転していたが、2020年には、切り離す車両数が6両から4両に戻った。
2020年3月16日以降は、同年3月13日で運転を終了した鮮魚列車に代わり、平日朝に鮮魚運搬専用車両としてラッピング車両「伊勢志摩お魚図鑑」を連結した松阪発大阪上本町行き快速急行(名張駅まで急行)と折り返しの大阪上本町発松阪行き快速急行が1往復運転されている。編成は松阪駅発名張行き急行は6両編成で、名張駅からは前に4両を連結して10両編成の大阪上本町行き快速急行として運転され、大阪上本町駅で折り返し松阪行き快速急行になり、名張駅までは10両で、名張駅からは後ろの4両を切り離して再び6両になり松阪駅まで運転される。なお、一部を除く駅のホームでは、放送や液晶ディスプレイで「伊勢志摩お魚図鑑」は業務用貸切車両であるため乗車禁止である旨の注意喚起をしている。
終日運転されており、大阪上本町駅 - 名張駅・青山町駅・伊勢中川駅・鳥羽線五十鈴川駅間の運転が基本。昼間時は1時間に3本の運転で、名張駅・青山町駅と午前中は伊勢中川駅、午後以降は五十鈴川駅折り返しが各1本設定されている。快速急行の停車駅に加え布施駅・河内国分駅・大和朝倉駅・長谷寺駅・三本松駅・伊賀上津駅・西青山駅・東青山駅に停車する。河内国分駅・大和朝倉駅・長谷寺駅・三本松駅・伊賀上津駅・西青山駅のホームの有効長が6両編成分までであることに加えて(ドアカットは行わない)、乗降客が多いが緩急接続ができない布施駅(列車待避は可能)に停車するため、混雑が激しくなりやすい。従って、快速急行などが実施する8・10両運転を必要としない閑散時間帯の長距離速達種別という位置付けとなっており、準急・区間準急・普通の本数が激減する桜井駅 - 榊原温泉口駅間を各駅に停車することで、この区間における普通列車としての役割も担う。編成両数は4両・6両編成で、快速急行同様に名張駅で車両増結や切り離しを行う列車もある。
昼間時以外(快速急行運転時間帯)は大和八木駅・伊勢中川駅発着列車と五位堂駅・名張駅 - 伊勢中川駅・山田線直通の区間運転、平日朝ラッシュ以降と土休日全時間帯の伊勢方面始発列車はこの種別で運転されており、一部は山田線宇治山田駅・鳥羽線鳥羽駅始発となる大阪上本町行きのほかに、2018年3月16日までは名張駅始発の名古屋線近鉄名古屋行き(特急とは異なり伊勢中川駅でスイッチバック)が早朝に1本設定されていた。時刻表上では名古屋線直通は存在しないが、早朝に名古屋線内を伊勢中川行きの急行または普通として運転した列車が、伊勢中川駅到着後に伊勢中川駅始発大阪上本町行き急行として継続運転する列車が2本設定されていた。しかし、この2本も2020年3月14日のダイヤ変更で消滅した。このほか、青山町駅 - 名張駅間を普通として運転し、名張駅で大阪上本町行き急行に種別変更する列車や朝のラッシュ時に伊勢方面からの一部急行列車が名張行き急行として運転し、名張駅で大阪上本町行き快速急行に変更する列車もあるほか、早朝やラッシュ終わりの時間に五位堂駅で一部の普通列車が終着駅で急行に変更する列車もある。
途中駅における他種別との連絡は、大多数の列車が河内国分駅や五位堂駅、大和朝倉駅、一部の列車で大和八木駅で準急以下の種別と相互接続が行われており、名張駅・青山町駅折り返し列車は名張駅(一部時間帯は青山町駅)で伊勢中川駅発着の普通と阪伊乙特急の接続が考慮されている。そのうち、大阪上本町駅を毎時11分に発車する下りの青山町行きは一部時間帯を除き、名張駅にて名阪乙特急および京伊特急との接続が考慮されている。一方で、五十鈴川駅直通の上り列車については2016年3月19日ダイヤ変更で日中(9時台 - 平日16時台・休日14時台まで)における五十鈴川駅での発車時刻が約5分繰り上げられたために名張駅にて名阪乙特急との相互接続が可能となった反面、伊勢中川駅での名古屋線急行との連絡が悪くなり、2018年のダイヤ変更で大阪上本町駅や五十鈴川駅における急行の発車順序が入れ替えられた結果、上下列車ともに10分 - 15分程度の連絡待ち時間が生じており、夕刻以降の五十鈴川行きも伊勢中川駅で名古屋線急行と連絡しない列車が数本存在する (松阪駅以南発着の快速急行も同様) 。
特急列車との相互接続や待避は大和八木駅・榛原駅・名張駅を中心に、日中は待避可能駅の布施駅・河内国分駅・青山町駅・東青山駅で行い、夕方以降は五位堂駅・大和朝倉駅でも特急列車の待避が行われるが、青山町駅・名張駅発着の列車は始発から終点まで列車待避の無い列車もある。その回数は列車によって異なるが、伊勢中川駅以南に直通する列車を中心に2回行うことが多い。昼間時間帯の乙特急の当線内所要時間が最速で1時間21分(表定速度79km/h)であるのに対して、急行は停車時間を含めて昼間の最速列車で1時間48分(表定速度60km/h)、朝夕の列車は概ね1時間52分(表定速度58km/h)、最大で2時間(表定速度54km/h)かかり、25 - 40分程度の時間差・速度差がある。
2003年までは鳥羽・五十鈴川発列車が多く設定されていたが、2004年3月のダイヤ変更で大多数の列車が宇治山田駅折り返しに変更となった。また、2012年3月20日のダイヤ変更で青山町駅発着列車の約半数が名張駅発着に短縮されている。2014年9月21日のダイヤ変更で宇治山田駅折り返しが一部を除き五十鈴川駅折り返しに変更となった。2018年3月17日のダイヤ変更で青山町駅・五十鈴川駅発着列車の一部が伊勢中川駅発着に変更となった。
長年日中の大阪上本町駅発の急行は毎時15分発が五十鈴川駅、宇治山田駅行き、31分もしくは35分発が名張駅、青山町駅行、52分発が青山町駅行き急行だったが、2018年3月17日のダイヤ変更以降は毎時11分発が青山町駅行き、28分もしくは31分発が五十鈴川駅行き、52分発が名張駅行き急行に変更になった。2021年7月3日のダイヤ変更以降は毎時11分が青山町行き、28分発が伊勢中川または五十鈴川行き、51分発が名張行きである。
前述のように利用客の多い布施駅や河内国分駅に停車し、快速急行が通過して普通列車の本数が激減する三本松駅や伊賀上津駅・西青山駅・東青山駅に停車するため、快速急行の中でも6両編成以上の増結運転を必要としない列車を中心に順次急行に格下げしていることなどで運転時間帯は年々拡大しており、2013年3月17日のダイヤ変更で平日の夜間に上りの急行が増発、および朝の下り快速急行の大半と平日夜間の上り快速急行の一部が急行に変更されたことから、朝の6時台から平日は22時台まで、休日は19時台までの運転となった。また、2016年3月19日のダイヤ変更で早朝5時台の上り列車と17時台および20時台の1本を除く下り全列車、平日名張駅17時台発1本を除いた夕刻上りの全列車が急行に変更、2020年3月14日のダイヤ変更で大阪上本町駅に概ね朝7時半頃までに到着する快速急行を急行に変更の上増発(朝6時台後半から7時台前半に大阪上本町駅に到着する10両編成の快速急行3本を6両編成の急行5本に置き換えた。うち2本は五位堂駅まで普通列車として運転し、五位堂駅で急行に種別変更する)されたため、終日運転する形態となった。かつては大阪市中心部から奈良県・三重県主要駅への速達列車の役割であったが、2003年に河内国分駅停車となり大阪府内の速達列車の役割も担うようになった。2021年7月3日のダイヤ変更で五位堂駅まで普通列車として運転し、五位堂駅から急行に種別変更する列車は増加した。また、大阪上本町駅20時台の宇治山田駅行きは終点の宇治山田駅で鳥羽駅ゆき普通列車に種別変更し、鳥羽駅で夜間滞泊する。
2020年のダイヤまでは急行運行時間帯は山田線および五十鈴川駅まで直通する電車がほぼ終日運行されていたが、2021年7月3日のダイヤ変更ではこれらの区間が短縮され、伊勢中川駅で折り返す急行が増発された。なお、大阪線内と宇治山田駅方面との連絡は伊勢中川駅で近鉄名古屋駅発着の急行に接続して対応している。
現在の急行は1978年3月に設定された2代目である。これ以前の急行については「過去にあった列車種別」を参照。
昼間時以外に大阪上本町駅 - 大和朝倉駅・榛原駅・名張駅間で運転。一部は高安駅・五位堂駅・大和八木駅発着である。大阪上本町駅 - 河内国分駅間では急行の停車駅に加えて近鉄八尾駅・河内山本駅・高安駅に停車して大阪府内での短距離速達種別としての役割と、河内国分駅 - 名張駅間で各駅に停車することでその区間における普通列車としての役割を担う。全線通しで運転される列車はないものの、名張駅発着列車については、名張駅到着後に青山町駅発着の普通として継続運転する列車が数本設定されている(後述の区間準急、普通列車も同様)。大阪上本町駅 - 名張駅間の標準所要時間は1時間40分前後で、同一区間を運転する急行(概ね1時間10分前後)とは約30分弱の時間差があり、奈良線や名古屋線の準急と比較して急行との所要時間や停車駅数での格差が大きくなっている。
2012年3月20日のダイヤ変更からは朝・夕ラッシュ時中心の運行になった。それまで昼間時間帯にも準急が運行されていたが、このダイヤ変更で大多数が区間準急に置き換えられたほか、土休日の夕方にも区間準急と交互で運行している。ただし2018年のダイヤ変更で10時台にも大阪上本町駅 - 五位堂駅間の列車を中心に一部運行するダイヤが組まれている。編成両数は大阪上本町駅 - 高安駅間では朝ラッシュ時は最大10両編成、夕ラッシュ時は最大8両編成で運行されており、高安駅以東では6両編成を基本として一部に4両編成の運転があるため、高安駅にて車両増結や切り離しを行っていたが、2020年のダイヤ変更で朝ラッシュ時の8両以上の準急および区間準急は全て高安行き準急となった。
なお、1991年3月のダイヤ変更以前は3両編成を基本に朝ラッシュ時は高安駅以西で7両編成、夕ラッシュ時は高安駅以西で6両編成で運転されていた。
他種別との連絡については高安駅・河内国分駅で普通列車と、五位堂駅・大和八木駅・桜井駅・榛原駅または名張駅で快速急行(桜井駅は準急から快速急行への接続のみ)と、河内国分駅・五位堂駅・大和八木駅で急行と、大和八木駅・名張駅で乙特急と相互接続する。
1967年12月20日のダイヤ変更までは橿原線八木西口駅発着の準急が設定されていた。
2012年3月20日のダイヤ変更より昼間の時間帯の準急と高安駅 - 河内国分駅・榛原駅間の普通を置き換える形で新設された種別で、近鉄では2006年3月21日のダイヤ変更で新設された奈良線に続くものである。河内国分駅以西では準急の停車駅に加え、準急が通過する恩智駅・法善寺駅・堅下駅・安堂駅に停車し(すなわち近鉄八尾駅以東の各駅に停車)、昼間の大半の普通が高安駅発着に短縮されるとともに、大阪府下の中では利用客数の少ない恩智駅・法善寺駅・堅下駅・安堂駅の停車本数を維持しつつこの区間の実効運転本数を削減するなどの合理化を図っている。昼間時は大阪上本町駅 - 大和朝倉駅・五位堂駅間の運転が基本である。ラッシュ時の前後には一部が大和八木駅・名張駅発着で運転されており、河内国分駅を始発駅とする列車も設定されている。終電間際には大和八木行き区間準急も設定されていた。
他種別との連絡については、大多数の列車が高安駅で普通と、下りは河内国分駅、上りは五位堂駅、大和八木駅で乙特急と接続する。編成両数は一部が6両編成のほかは4両編成が基本であるが、大阪上本町駅 - 高安駅間では快速急行や準急の折り返しが区間準急となる場合は8・10両編成もあり、この場合は高安駅にて車両切り離しを行っていたが、前節で記したように2020年のダイヤ変更で8両以上の区間準急はすべて高安行き準急となり、切り離しはなくなった。
快速急行に対して急行がそうであるように、この種別もダイヤ変更毎に運転時間帯が増加しており、2012年の設定当時は日中時間帯のみの設定であったが、準急が高安駅以東では6両編成以下でしか運転できないことと、8両・10両編成での運転が大阪上本町駅 - 高安駅間のみであることもあり、2013年3月17日変更で早朝の一部上り列車が区間準急に変更され、2016年3月19日のダイヤ変更でラッシュ時の準急を置き換える形で朝ラッシュ時の一部と20時台以降にも運転されるようになった。2018年3月16日まで土休日の昼間時の運転は平日と同様に大阪上本町駅 - 榛原駅間の運転が基本であったが、2018年3月17日のダイヤ変更から大阪上本町駅 - 五位堂駅・大和朝倉駅・榛原駅間での運転が基本となった。2021年のダイヤ変更では後節の普通も加えて大阪上本町駅 - 五位堂駅・大和朝倉駅間の運行となり、日中の榛原行きが消滅した。
英文表記は Suburban Semi-Express(方向幕などの表記は「 SUB.SEMI-EXP 」)である。
各駅に停車する列車で、全線を通しで運転する列車はなく、系統上では基本名張駅を境に分割されている。
大阪側では大阪上本町駅 - 高安駅・五位堂駅始発・大和朝倉駅間の運転が基本で、ラッシュ時に河内国分駅発着が、ラッシュ時の前後時間帯や早朝・夜間の一部に大和八木駅・名張駅発着および榛原行きが設定されており、本数は少ないものの早朝に五位堂駅 - 大和八木駅間、深夜に高安駅 - 大和朝倉駅・名張駅間や大和朝倉駅・大和八木駅 - 五位堂駅間にて前記の発着駅で区間運転が実施される列車や、五位堂駅・大和八木駅・名張駅で種別または行先変更を行って継続運転される列車もある。朝夕ラッシュ時は大阪市内方面から長瀬駅を最寄りとする近畿大学方面への通学需要があるため、優等列車とは逆方向に向かう列車に激しい混雑が発生するため、朝ラッシュ時は下り列車、夕ラッシュ時は上り列車の方がそれぞれ運転本数が多く設定されている。
昼間時の大阪上本町駅発着は平日・土休日とも1時間に5本の運転で、内訳は高安駅折り返しが4本、残りの1本は大和朝倉駅折り返しである。運転間隔は約6分 - 16分とバラつきがあるが、これは2003年3月5日以前は1時間あたり上本町駅 - 高安駅間が6本、高安駅 - 河内国分駅間4本であったものが、減便の影響で運転間隔が大きく開く時間帯が生じることとなったためである。また、高安駅 - 五位堂駅の途中駅には2012年3月のダイヤ変更以降も従来同様1時間に4本(普通4本を区間準急3本・普通1本に変更)が停車するが、ほぼ20分おきに等間隔で運転される区間準急の間に普通を毎時1本挿入する形で運行しているため大阪上本町駅 - 高安駅間同様に運転間隔は一定しておらず、下りの場合で約8 - 23分(上りは約12 - 20分で下りよりもばらつきが小さい)となっている。
三重県内では名張駅・東青山駅 - 伊勢中川駅間での運転が基本で、昼間時は名張駅 - 青山町駅間と東青山駅 - 伊勢中川駅間の列車が1時間に1本ずつ、朝夕は名張駅と青山町駅・東青山駅発着列車が約30 - 40分間隔で運転されている。原則として他線区との直通運転は行われないが、早朝の上りと深夜の下り各1本のみ入出庫の関係で名張行き・明星行きが山田線明星駅発着で運転される。名張駅・青山町駅・東青山駅 - 伊勢中川駅間の大半の列車が伊勢中川駅にて名古屋線列車との接続が考慮されており、名張駅では名張駅発着(一部は前後に走る青山町駅発着)の急行に接続している。2012年3月20日のダイヤ変更で快速急行が青山町駅 - 榊原温泉口駅間でも通過運転を行うために同列車が運転される時間帯を中心に東青山駅折り返し列車の一部が青山町駅まで延長された。このほか、明星駅発着列車とほぼ同様の理由で名張駅 - 青山町駅間の区間運転のものも設定されており、これは名張駅で快速急行や準急などに種別変更もしくは行先変更して継続運転することが多い。
編成両数は大阪上本町駅発着列車では6両編成を基本に一部時間帯は4両編成で運転されている。なお、伊勢中川駅発着の列車は大三駅・伊勢石橋駅・川合高岡駅のホーム長が2両分しかないため全列車が2両編成で運転されている。また、名張駅 - 青山町駅間の普通は2両 - 6両編成の列車が混在しているが、平日夜の青山町駅行き快速急行からの折り返し名張駅行き2本については8両編成で、深夜の青山町駅行き1本については翌朝の快速急行の送り込みの関係で10両編成でそれぞれ運転される。名張駅 - 青山町駅間の列車は日中の乙特急が停車しない桔梗が丘駅の速達性確保や伊賀線(現在の伊賀鉄道)の西名張駅 - 伊賀神戸駅間廃止の補償という側面もあったが、日中の急行の運転本数が1時間2本から3本に増便されてからは大幅に縮小されている。2両編成の列車でもワンマン運転は行っていない。
1956年に大阪上本町駅 - 布施駅間が複々線化されるまでは、大阪線の全列車が今里駅を通過していた。1966年までは弥刀駅発着の列車も設定されていたが、現在は高安駅発着に統合されている。2003年ダイヤ変更以前の普通列車は河内国分駅 - 名張駅間では早朝・深夜しか運転されておらず、ほとんどの時間帯で急行(榛原駅 - 名張駅間)・準急列車がその代わりを果たしていた。同年3月のダイヤ変更で日中にも榛原駅発着の列車が設定されたが、2012年3月のダイヤ変更で再び河内国分駅・高安駅発着に短縮された。2018年3月のダイヤ変更で河内国分駅発着列車が五位堂駅に延長されたほか、大和朝倉駅発着が新たに設定された。それまでの五位堂駅発着は朝のラッシュ後(下りのみ)と深夜帯の一部のみの運行だったが、2020年のダイヤ変更で下りの五位堂行きの多くは区間準急として運行されるようになり、一部は普通列車として運転が行われている。上りは前述のように早朝を中心に一部が名張駅、大和朝倉駅発着として運行されているのに加えて、2021年のダイヤ変更で青山町駅からも名張駅から行先を変更せずに直通する列車が運行されるようになった。2004年3月に山田線伊勢中川駅 - 宮町駅間がワンマン化されるまでは名張駅・東青山駅 - 明星駅・宇治山田駅間の普通列車が少数設定されており、これらの下り列車は最初から宇治山田行きであるのに対し、上り列車は伊勢中川行きとして運転され、伊勢中川駅到着後改めて東青山または名張行きとして運転されていた。また、名張駅 - 伊勢中川駅間の普通列車は1989年に増発されたもので、1976年 - 1989年は青山町駅 - 東青山駅間にも昼間時は普通列車が運転されていなかった。
大阪線では大学受験や行楽シーズンなどで臨時列車や定期列車の延長運転が行われたり、臨時停車を実施している。停車駅の半数以上が6両まで対応ホームの駅であるために6両編成の運転が多い。
1982年 - 1987年に、年末年始・ゴールデンウィーク・お盆などの時期に大阪上本町駅から鳥羽駅まで臨時列車として「高速 伊勢志摩号」が運行されていたことがある(設定当初の種別名は直通急行)。途中、鶴橋駅・大和八木駅・東青山駅(年始時期は通過)・伊勢市駅・宇治山田駅・五十鈴川駅に停車し、停車駅数は乙特急より少なく京都直通の準ノンストップ特急なみの停車駅数となっていたが、本来は修学旅行用臨時列車として設定されていたダイヤを転用したことに加え、2610系などの一般車両(20100系「あおぞら」号車両を含む)を使用していたため車両性能の関係上所要時間は乙特急より10分程度遅かった。その後は停車駅は同じで、臨時「快速急行」という種別で運転されていたが、1990年代前半に消滅した。
現在の快速急行は、1978年3月15日以前は急行として運転されていた。
1946年3月15日より運転を開始。1960年頃における上本町駅 - 宇治山田駅・近畿日本名古屋駅(現・近鉄名古屋駅)間急行の大阪線内は、鶴橋駅・大和八木駅・名張駅・伊賀神戸駅・佐田駅(日中の一部列車のみ、現・榊原温泉口駅)にのみ停車し、2016年現在の阪伊乙特急より少ないものであった。当時の急行は大阪から伊勢志摩方面への観光輸送や、奈良・三重両県内主要都市への都市間連絡輸送といった長距離輸送の比重も大きかった。 その後、停車駅は以下のように変遷した。
1978年3月18日ダイヤ変更で、朝夕の列車は快速急行に改称され、昼間は布施駅に停車するとともに榛原駅 - 伊賀神戸駅間も各駅停車となる別の列車となり、現在の急行となった。
1960年頃、上記の急行とは別に、朝夕に運転された榛原駅・名張駅・伊賀神戸駅・松阪駅発着の急行は、大和高田駅・桜井駅・榛原駅にも停車していた。1961年3月頃までに、この列車を分離することにより、上本町駅 - 松阪駅間の列車として「通勤急行」が設定された。
その後、1962年6月15日変更で、佐田駅が停車駅に追加された。1964年10月1日変更で、停車駅追加のうえ後述の「区間急行(2代)」に改称された。
1961年9月21日ダイヤ変更で、通勤急行と準急の中間の性格を持つ種別として、通勤時間帯の上本町駅 - 名張駅間に区間急行が設定された。停車駅は鶴橋駅・布施駅・近畿日本八尾駅・河内山本駅・高安駅・河内国分駅・近畿日本下田駅・大和高田駅・大和八木駅・桜井駅・長谷寺駅・榛原駅・室生口大野駅・赤目口駅であった。
1964年10月1日変更で廃止され、後節の「区間急行(2代)」に格上げ、または準急に格下げされた。
前述の「通勤急行」を日中にも毎時1本運行するにあたり、1964年10月1日変更で改称のうえ、桔梗が丘駅(同日開業)と美旗駅を停車駅に追加して設定された。その後、以下のように変遷した。
1978年3月18日のダイヤ変更で、朝夕の列車は「区間快速急行」(後節参照)に改称され、昼間は布施駅・三本松駅に停車し、現在の急行となった。なお、この時まで準急が1時間に1本名張駅まで運転されており、準急が三本松駅に停車していた。
区間快速急行は略して「区間快速」とも呼ばれた。駅構内の自動放送においては、青山町駅以西では「区間快速」と略されて呼称されたが、榊原温泉口駅以東では正式名称である「区間快速急行」の呼称が用いられていた。
昼間時以外に大阪上本町駅 - 大和八木駅・名張駅・青山町駅・伊勢中川駅・山田線松阪駅間で運転されていた。大半は大阪上本町駅 - 青山町駅間の運転で、大和八木行きは下り最終のみ、名張駅および伊勢中川駅は上り列車のみの運転された。快速急行と交互に運行され、下りは夜21時以降はすべて区間快速急行として運行されていた。快速急行の区間運転版ともいうべき扱いで、快速急行(2012年ダイヤ変更以前)の停車駅に加え室生口大野駅と赤目口駅にも停車し、(現行の)急行と違い三本松駅を通過していた。快速急行と同様に通勤時間帯の長距離優等種別としての役割を担い、赤目口駅 - 榊原温泉口駅間は各駅に停車することで、同区間における普通列車としての役割も担っていた。深夜には大阪上本町発大和八木行きの区間快速急行も存在した。この列車の運転区間の停車駅は快速急行と同一であるが、区間快速急行として運転されていた。編成両数は青山町駅以西最大10両、以東4両・6両編成。
越年終夜運転の際は、青山町駅・松阪駅発着の列車を延長する形で山田線宇治山田駅、鳥羽線五十鈴川駅まで延長された。名張駅以東の停車駅は快速急行・急行と同一。特急の待避は主に榛原駅か名張駅で行われていたが、大阪上本町駅 - 青山町駅間では無待避の列車もあった。一部は大和八木駅や東青山駅でも特急の待避をしていた。
全国の鉄道事業者をみてもこの列車種別は近鉄のみの存在であった。英文表記は Suburban Rapid Express(方向幕などでは SUB.RAPID EXP )。
2012年3月20日のダイヤ変更で前述の快速急行と統合され名称上は消滅した。ただし大阪上本町駅 - 青山町駅間に限れば停車駅は区間快速急行のものがそのまま引き継がれている。また、朝上りに運転される、鳥羽駅・五十鈴川駅・松阪駅始発で名張駅で快速急行に種別変更して大阪上本町駅まで運転される名張行き急行、休日夜1本の名張駅で急行に種別変更して伊勢中川駅まで運転される名張行快速急行も、実質的に当時の区間快速急行と同じ運行形態となっている。
主として特急以外のダイヤについて言及する。
約10 - 15分間隔で、快速急行1本、準急1本、普通1本のダイヤとなっているが、これにときおり特急列車の運行が加わりダイヤはランダムとなっている。最ラッシュ時前後の時間帯は快速急行ではなく急行の、準急ではなく区間準急での運転となり、さらに準急系統においては最ラッシュ時間帯にも区間準急が加わり、高安駅以西の輸送力を確保するダイヤとなっている。下りは主に急行・準急・普通が運転される。
特急以外の種別の昼間時(10 - 15時台)の運転本数はおおむね以下のようになる。
急行が1時間に3本(五十鈴川駅もしくは伊勢中川駅折り返し1本、青山町駅折り返し1本、名張駅折り返し1本)、区間準急が1時間に3本(大和朝倉駅折り返し2本、五位堂駅折り返し1本)、普通が高安駅折り返しが4本、大和朝倉駅折り返しが1本である。ただし五位堂行き区間準急は大阪上本町行き普通として、大和朝倉行き普通は大阪上本町行き区間準急として折り返す。さらに名張駅 - 青山町間と東青山駅 - 伊勢中川駅間の普通が1時間に1本ずつ設定されている。
下りの急行の大半と区間準急は河内国分駅で、上り急行と区間準急以下は五位堂駅で接続する。急行は布施駅(下り)、河内国分駅上下1本、大和八木駅(下り)、榛原駅(上り)、東青山駅(上り)で特急を待避し、名張駅で特急と接続する。区間準急は名阪乙特急・阪伊乙特急と大和八木駅で接続する。
昼間時の大阪上本町駅 - 青山町駅間の各駅は1時間あたり最低3本以上の停車本数が、青山町駅 - 伊勢中川駅間の各駅は1時間あたり最低1本以上の停車本数が確保されている。
夕ラッシュ時間帯の下りダイヤは、快速急行が1時間に4本、準急が1時間に4本、普通が1時間に5 - 6本となっている。各種別との接続は高安駅で準急と普通電車が連絡し、五位堂駅で快速急行と準急と連絡をする。快速急行は大和八木駅で特急と接続をし、一部の準急とも接続を行う。夜間時間帯は、1時間に急行が4本、区間準急が4本、普通が5 - 6本となっている。普通電車は高安駅までとなり、高安駅で区間準急と接続を行う。区間準急は河内国分駅と一部が大和八木駅で急行と接続を行う。
夕ラッシュ時間帯の上りダイヤは急行が1時間に3 - 4本、準急が1時間に4本で高安駅からは8両で走り、普通が1時間に5本となっている。各種別との接続は河内国分駅で高安駅で準急と普通電車が連絡し、河内国分駅で急行が準急以下との接続を行う。急行は大和八木駅で特急と接続するほか、大和朝倉駅、五位堂駅で特急との待避待ちを行う。夜間時間帯、20時、21時台は時間に急行が3本、区間準急が3本、普通が5本となっている。区間準急は高安駅で普通と接続を行う。急行は区間準急・普通と河内国分駅で接続し、一部が大和八木駅、五位堂駅でも接続を行う。22時以降は急行は1 - 2本、普通電車のみの運転となる。
大晦日の深夜から元日の早朝にかけての終夜運転は、近年では大阪難波駅 - 伊勢方面への阪伊乙特急が概ね30分 - 60分間隔、大阪上本町駅 - 宇治山田駅間の急行が概ね60分間隔でそれぞれ運転されており、時間帯によっては桜井駅に臨時停車する特急や、宇治山田駅に到着した急行が同駅から普通に種別変更して鳥羽駅まで継続運転される列車、鳥羽駅始発大阪上本町行き急行または快速急行として運転される列車もある。普通(一部時間帯で準急・区間準急)は大阪上本町駅 - 榛原駅(一部名張駅)間で概ね30分 - 60分間隔で運転されている。また、山田線明星駅始発の名張行き普通列車が宇治山田駅始発か鳥羽線鳥羽駅始発に変更される。なお、三重県内の名張駅 - 伊勢中川駅間での設定はなく、名張駅 - 榊原温泉口駅では急行が普通列車の役割を担い、大三駅・伊勢石橋駅・川合高岡駅では2009年まで元日の初発繰上げが行われていたものの、実質的に「終夜運転が実施されていない」のと同等である。2021年度以降は急行の運転がなくなり、桔梗が丘駅・美旗駅・青山町駅・伊賀上津駅・西青山駅・東青山駅でも終夜運転の時間帯に停車する列車がなくなった。
2020年4月時点で、大阪線所属の一般車両は記述の無いものに関しては全て高安検車区に所属している。L/Cカーを除いて編成中にトイレは無い。
現在でも2430系の3両編成車は配置されているが、大阪線では3両編成車の単独運用が無くなったことから、2編成併結の6両編成による運用分を除いて余剰となった2430系・2800系3両編成の一部が名古屋線に転出している。
また、高安駅・五位堂駅 - 榛原駅・名張駅間は車両の定期検査や車体更新などを完了した後、特急車両や大阪線所属車両のみならず名古屋線所属車両や、奈良・京都線所属車両の試運転列車が不定期で運転されることがある。
標準軌線区の各線で運用されている。「名古屋線」の項も参照。
なお、現在編成全車が名古屋線の所属となっている2000系・2050系は当初は大阪線の所属となっていた。これら2形式は1480系・2470系、2400系・2410系・2430系の冷房改造工事・車体更新工事などに伴う車両不足を補うために新製冷房車として大阪線に投入されたもので、工事の進捗に伴って順次名古屋線へ転属していった。
大阪線の一般車両については特に4両・6両編成においてはトイレの有無で車両運用と運用区間が細分化されており、4両編成・トイレ無し、4両編成・トイレ付き(ロングシート)、4両編成・5200系、6両編成・トイレ無し、6両編成・L/Cカーといった区分がなされている。2020年の3月のダイヤ変更までダイヤ編成などの関係から、大阪線所属の車両が名古屋線の一部列車にも使用され、4両編成では2610系が、2両編成ではシリーズ21の9020系9051F以外の大阪線所属車両が入線していた。2020年現在は、名古屋線所属車両の検査不足時に2610系が代走で入線するのみとなっている。
全列車が2両編成である名張駅 - 伊勢中川駅間の普通列車で運用される編成は基本的に限定されており、2410系2422F - 2426F、2430系2432F、1420系、1422系・1430系、1253系で運用されている。
上本町駅 - 布施駅 - 桜井駅間は大阪電気軌道(大軌)の手で、桜井駅 - 伊勢中川駅間は参宮急行電鉄(参急)の手で建設され1930年に全通した。1975年に全線複線化されたが、この時開通した西青山駅 - 東青山駅間の新青山トンネル (5,652m) は日本の大手私鉄では最長である。
大軌が初めに建設した区間のうち布施駅 - 八木駅間には、奈良線・畝傍線(今の橿原線)によって形成された大阪から橿原神宮へ向かう路線をショートカットすることや、この地域におけるテリトリーを確保する目的があったとされる。そのため、開業時の終点となった八木駅は現在の大和八木駅がある位置ではなく、先行して開業していた畝傍線の八木駅、すなわち現在の八木西口駅に合流する形となっていて、上本町から橿原方面への直通を意識した線形とされていた。
しかし、並行して大阪鉄道線(現在の近鉄南大阪線)が1929年までに開通したため、両社が関西急行鉄道に統合される1943年までは、橿原と吉野への参拝客・行楽客輸送を巡って競争関係にもなった。
一方で参急が建設した桜井駅 - 参急中川駅(現在の伊勢中川駅)と、大軌が建設した八木駅 - 桜井駅間は、大阪から現在の山田線と合わせて伊勢神宮への快速参拝ルートを造り上げようという目的から建設が行われることになった。この免許収得に関しては、1922年に近鉄田原本線の前身である大和鉄道(この時の営業区間は王寺駅 - 田原本駅〈現在の西田原本駅にあたる〉間で、田原本駅 - 桜井駅間が建設中であった)が既に桜井駅 - 名張駅間で新線敷設の免許を取得していたため、大軌が同社を子会社化し、その免許線の延長申請を出させるという手法がとられた。
1927年に予定通り大和鉄道は桜井駅より名張駅を経て宇治山田駅までの免許を得て、それを新設会社の参急に譲渡した。同時に大軌自身の手で、八木駅 - 桜井駅間接続線の免許も収得した。
1929年、大軌は参急の開通に先駆けて、八木駅から桜井駅にいたる区間を開業させ、このとき八木駅も現在の大和八木駅の位置に移転し、旧駅は八木西口駅という畝傍線の中間駅(運賃計算上は八木駅と同一)になった。とはいえ、上本町駅から橿原方面への直通列車の運転を考慮し、八木西口駅へ向かう旧線も八木線と畝傍線を結ぶ連絡線として存続した。
参急が建設を担当した区間に際しては、最短時間で大阪と伊勢を結ぶため、山岳地帯をトンネルで抜ける線形を採用した。それでも33.3‰(1/30)の急勾配区間が随所に発生し、同線に使用される電車はその最初の2200系以降、勾配対策が重視された。
桜井駅 - 長谷寺駅間では長谷鉄道の路線がすでに並行して存在していたが、大軌では同社を参急線開業前の1928年に合併し、参急線開業後の1938年まで長谷線として営業を続けた。また、名張駅 - 伊賀神戸駅間で並行路線を有していた伊賀電気鉄道も1929年に大軌が合併(直後に参急へ賃貸、1931年に譲渡)して伊賀線とし、並行区間(西名張駅 - 伊賀神戸駅)は1964年に廃止した。
なお、国が建設すべき路線を定めた改正鉄道敷設法の81.には、「奈良県桜井ヨリ榛原、三重県名張ヲ経テ松阪ニ至ル鉄道及名張ヨリ分岐シテ伊賀上野附近ニ至ル鉄道並榛原ヨリ分岐シ松山ヲ経テ吉野ニ至ル鉄道」が示され、1929年 - 1935年に順次名松線として松阪 - 伊勢奥津間が部分開業していたが、近鉄大阪線・山田線、それに伊賀鉄道伊賀線の敷設によってその意義を失い、以後国鉄線がこの地域に開業することはなかった。
1938年に関西急行電鉄(後に参宮急行電鉄へ合併)によって現在の近鉄名古屋線が完成し、同線と合わせて名阪都市間輸送の一役も担うようになった。
大軌と参急の合併によって関西急行鉄道が発足した時に線名の整理が行われ、大軌桜井線と参急本線の伊勢中川駅以西をまとめて大阪線とし、参急本線の伊勢中川駅以東の区間は山田線となった。
2018年(平成30年)11月13日調査による乗降客数は次の通り。
以下の区間で連続立体交差事業が検討されている。
|
[
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"tag": "p",
"text": "",
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},
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"tag": "p",
"text": "大阪線(おおさかせん)は、大阪府大阪市天王寺区の大阪上本町駅から三重県松阪市の伊勢中川駅までを結ぶ、近畿日本鉄道(近鉄)の鉄道路線である。",
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},
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"paragraph_id": 2,
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"text": "駅ナンバリング等で使われる路線記号はD。番号部分は、大阪上本町駅 - 真菅駅間は難波線からの通し番号(大阪難波駅を01とみなす)、大和八木駅 - 伊勢中川駅間は京都線・橿原線からの通し番号(京都駅を01とみなす)になっている。",
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},
{
"paragraph_id": 3,
"tag": "p",
"text": "当路線のうち大阪上本町駅 - 布施駅間は、奈良線とともに1914年に開業した近鉄の直系母体である大阪電気軌道(大軌)の創業路線である。近鉄の基幹路線の一つとして、伊勢中川駅から名古屋線や山田線に直通して、大阪と名古屋および伊勢志摩方面を結ぶ多数の特急列車が運行されている。",
"title": "概要"
},
{
"paragraph_id": 4,
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"text": "特急以外の全ての一般列車は創業以来のターミナル駅である大阪上本町駅の地上ホームに発着する一方で、大阪 - 名古屋間を結ぶ名阪特急を中心に大半の特急列車は大阪上本町駅から地下線の難波線に直通して大阪難波駅(大阪市中央区)に発着している。さらに、大和八木駅 - 伊勢中川駅間では京都線・橿原線と直通して京都駅 - 伊勢志摩間を結ぶ特急列車も運行されている。",
"title": "概要"
},
{
"paragraph_id": 5,
"tag": "p",
"text": "近鉄特急による長距離輸送のみならず、大阪府中河内・奈良県中和地域・三重県伊賀地域から大阪市内への通勤・通学路線としての役割も担っている。一方で、三重県の青山高原一帯は民家もほとんどなく、駅の利用者も非常に閑散としている。",
"title": "概要"
},
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"paragraph_id": 6,
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"text": "営業距離の108.9kmは、JR・三セクを除く日本の私鉄の路線では東武伊勢崎線に次ぐ長さである(全線が複線以上の路線としてはJR・三セクを除く日本の私鉄では最長)。大阪上本町駅 - 布施駅間は複々線となっており、うち2線に奈良線が直通して方向別複々線を形成している。大阪府を起点とする関西大手私鉄の幹線・本線としては、奈良線とともにOsaka Metro御堂筋線との接続駅がないため、難波方面へは自社の難波線、梅田・天王寺方面へはOsaka Metro谷町線や途中の鶴橋駅で西日本旅客鉄道(JR西日本)大阪環状線への乗り換えが必要となる。",
"title": "概要"
},
{
"paragraph_id": 7,
"tag": "p",
"text": "全線でPiTaPaおよびICOCA・SuicaなどのICカードが全国相互利用サービスにより利用できる。なお、自動改札機が設置されていない伊賀上津駅 - 川合高岡駅間の各駅には、専用の簡易改札機を設置して対応している。また、以前は大阪上本町駅 - 青山町駅間でスルッとKANSAI対応カードおよびJスルーカードにも対応していた。",
"title": "概要"
},
{
"paragraph_id": 8,
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"text": "なお、新青山トンネル西坑口(大阪上本町起点84.048 km地点)を境に、大阪上本町側が大阪統括部、伊勢中川側が名古屋統括部の管轄。",
"title": "概要"
},
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"paragraph_id": 9,
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"text": "実キロ数は107.6 kmで、榊原温泉口駅の大阪寄りに実キロ数を営業キロ数に合わせることを示すキロポスト(距離更正点)が建っている(大阪上本町駅を起点とする実キロ数93.738 kmの地点で、営業キロ数95.054 kmが設定されている。両者の差は新線経由と旧線経由の差である)。距離更正点が設置されている現在の東青山駅 - 榊原温泉口駅間の実キロは2.5 kmだが、運賃計算上では3.9 kmとして扱われており、同区間の運賃は180円(初乗り3kmまで)ではなく240円となっている。",
"title": "概要"
},
{
"paragraph_id": 10,
"tag": "p",
"text": "桜井駅以西は大阪・奈良の府県境があるものの比較的平坦な区間で連続した急勾配は少ない。桜井駅から伊勢中川駅までは山越え区間になるが、開業当初から電化されており、曲線半径600m以下のカーブが生じないように設計されている(その他の区間には最小半径400mのカーブが存在)ため、最大33.3‰の連続急勾配も点在する。このため、強力なモーターを搭載する電車が高速で山越えをするダイナミックな走行が見られる。",
"title": "沿線概況"
},
{
"paragraph_id": 11,
"tag": "p",
"text": "なお、以下に示す記述はすべて大阪上本町→伊勢中川方向における沿線風景であり、逆方向については順序が逆になり、風景の見える方向が左右逆となる。",
"title": "沿線概況"
},
{
"paragraph_id": 12,
"tag": "p",
"text": "近鉄百貨店上本町店に内包された7面6線を有するターミナル駅である大阪上本町駅を発車してほどなく、地下から高架へと上がる奈良線(難波線)の線路が並行し(書類上、近鉄奈良線の起点は布施駅であるが、運転系統にあわせここでは奈良線と記す。詳細は近鉄奈良線の項目を参照)、JR大阪環状線の下を通り鶴橋駅に到達する。この駅は2面4線の構造で、1番線と3番線を奈良線、2番線と4番線を大阪線が使用している。JRと近鉄の主要幹線同士の接続駅ということもあり、終日多くの利用客で混雑する。この駅で奈良線と大阪線の列車が相互に接続する。",
"title": "沿線概況"
},
{
"paragraph_id": 13,
"tag": "p",
"text": "鶴橋駅から先はしばらく方向別複々線の線路になり、大阪線と奈良線がそれぞれ異なる線路を走る。住宅街を高架で通り抜け今里駅に達する。今里を出てしばらくすると東大阪市に入り、奈良線の線路がさらに上へ上がり、布施駅となる。ここから奈良線と分かれ、線路は右にカーブする。次の俊徳道駅の高架下には2008年3月15日に開業したJRおおさか東線のJR俊徳道駅がある。",
"title": "沿線概況"
},
{
"paragraph_id": 14,
"tag": "p",
"text": "俊徳道駅を出てしばらく進むと高架区間は終わり、終日、近畿大学の学生などで賑わう長瀬駅に着く。そこから先は狭い住宅街を進み、2面4線の弥刀駅に達する。弥刀駅からすぐ河内国分寄りには引き込み線と折り返し設備があり、かつては近畿大学の学生を運ぶ弥刀駅折り返しの列車が使用していたが、現在も信貴線(後述)の車両入れ換えや回送列車の方向転換等に用いられることがある。弥刀駅を過ぎると再び高架に上がり、高々架の近畿自動車道と地上の大阪府道2号大阪中央環状線に差し掛かる手前で八尾市に入り、久宝寺口駅。そのまま高架を進んで近鉄八尾駅に達する。",
"title": "沿線概況"
},
{
"paragraph_id": 15,
"tag": "p",
"text": "近鉄八尾駅を出ると、左手にはアリオ八尾が見え、しばらく進むとメロディアンの本社および研究所が見える。線路が再び地上に下りると間もなく河内山本駅に着く。この駅からは信貴線が分岐しており、大阪などから信貴山朝護孫子寺への参拝の足となっている。ここを過ぎると線路は右へ大きくカーブし、高安駅に達する。ここには高安検車区・高安検修センターがあり、近鉄のいろいろな車両を見ることができる。その後高架に上がって国道170号(大阪外環状線)を乗り越え恩智駅、そこを出てすぐに線路は地上になる。東方向(進行方向左側)に生駒山系の山並みを眺めつつ線路は南へ延び、柏原市の住宅街に入って法善寺駅・堅下駅と進む。安堂駅のあたりからJR関西本線(大和路線)と国道25号が並走するが、大和川沿いの亀の瀬渓谷へ東進するこの2線を大阪線は立体交差で跨いで大和川を渡って南進し、河内国分駅に着く。",
"title": "沿線概況"
},
{
"paragraph_id": 16,
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"text": "大阪線にやや遅れて大和川を渡って来た国道25号が河内国分駅前で合流するも、すぐ北東へ進路を変えて亀の瀬渓谷へ向かう。一方、大阪線はゆるやかに左へカーブし、原川沿いの田尻峠を目指す。景色も次第に金剛山地の山々がせり出してくるようになり、西名阪自動車道の下を通ると大阪教育大前駅。この駅を過ぎてすぐの新玉手山トンネルを抜けてしばらく進んだ所に府県境となる田尻峠があり、大阪府から奈良県に入る。また、河内国分駅 - 大三駅間にかけては大阪と津を結ぶ国道165号とほぼ全区間で並走している。",
"title": "沿線概況"
},
{
"paragraph_id": 17,
"tag": "p",
"text": "関屋駅の先で勾配を登り切り、二上駅を過ぎて奈良盆地に踏み込むと、南側(右側)にフタコブラクダ状の稜線を持つ二上山が見えてくる。この辺りでは二上山寄りを走る南大阪線に最も接近する。線路は徐々に香芝市の中心部へと進み、香芝市役所の最寄駅近鉄下田駅に達する。ここを過ぎるとJR和歌山線を乗り越え、五位堂検修車庫・高安検車区五位堂車庫を右手に眺めつつ五位堂駅に達する。",
"title": "沿線概況"
},
{
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"text": "住宅街を通り抜け大和高田市に入り、築山駅を過ぎて大和高田駅に達する。しばらく進むと田園地帯に入り、松塚駅を過ぎて曽我川を渡ると線路は橿原市に入る。このあたりから右手に大和三山の一つ畝傍山が見えてくる。橿原市の住宅街に入ると真菅駅。そこから線路はしばらく住宅街の中を進み、橿原線からの京伊特急用の短絡線が合流して、高架の大和八木駅に到着する。この駅には大阪だけでなく京都方面からも一部の特急が運転されており、同一ホームでの特急同士の連絡が時折見られる。またこの駅からは「高速道路を通らない日本一長いバス路線」である十津川経由新宮方面行きの奈良交通バスが発着している。",
"title": "沿線概況"
},
{
"paragraph_id": 19,
"tag": "p",
"text": "大和八木駅を出て橿原の市街地を抜けると、左手に耳成山(大和三山)が、右手に天香具山(大和三山)が見える。特に耳成山は線路のすぐ近くにそびえており、周辺に目立った丘がないためとても美しく見える。耳成駅を過ぎると線路は桜井市に入り、住宅と畑、山林が調和したのどかな風景が続く。大福駅を通り過ぎると左手には三輪山が、右手にJR桜井線(万葉まほろば線)が見えてくる。大阪線の線路は高架へ上がりJR線もこちらに迫ってきて桜井駅に達する。",
"title": "沿線概況"
},
{
"paragraph_id": 20,
"tag": "p",
"text": "桜井駅を出るとJR桜井線(万葉まほろば線)が左に分かれていき、国道165号を乗り越えると、2面4線の大和朝倉駅。この付近から線路は、初瀬川の谷の山肌に沿って最大33.3‰の上り勾配が連続している。線路はやがて牡丹と紅葉の名所である長谷寺の最寄り駅、長谷寺駅を通る。長谷寺駅を過ぎると、室生・赤目の山々がせり出してくる。トンネルをくぐり約8kmに亘って続いた上り勾配が終わると、3面5線を有する宇陀市の中心駅、榛原駅に達する。",
"title": "沿線概況"
},
{
"paragraph_id": 21,
"tag": "p",
"text": "榛原駅を出るといよいよ山間部に入り、駅間の距離も長くなる。国道165号と並走しつつ室生口大野駅・三本松駅を通り、宇陀川を渡るとやがて奈良県から三重県へ入る。 線路は赤目四十八滝の最寄駅、赤目口駅に達し、山間から名張盆地へと移っていく。名張川を渡ると車両基地を構えた名張駅に到達。駅の売店には関西で売られている商品だけでなく、中日新聞・中日スポーツなど東海・中部地方でよく見られる商品が並ぶようになり、関西(近畿)地方と中部地方の境界的な様子を見せる。利用客もこの駅からは大阪方面ではなく津・四日市・名古屋方面に向かう通勤、通学客が現れてくる。",
"title": "沿線概況"
},
{
"paragraph_id": 22,
"tag": "p",
"text": "名張駅を出てしばらくは名張の市街地を通り、桔梗が丘駅に至る。この駅を過ぎると線路は住宅街を出て田園地帯を走る。美旗駅を過ぎ、伊賀市に入ると伊賀神戸駅に着く。この駅から伊賀鉄道伊賀線が北に分かれており、伊賀市(旧上野市)の中心部、上野市駅へはここで乗り換えとなる。大阪線の線路は木津川を渡り、さらに山間部を進んで車庫を構える青山町駅に出る。",
"title": "沿線概況"
},
{
"paragraph_id": 23,
"tag": "p",
"text": "青山町駅から先、伊賀上津駅・西青山駅・東青山駅・榊原温泉口駅にかけてはほとんど人家がない完全な山(布引山地)の中を進むことになる。この辺りは近年鹿が多く出没しており、特に東青山駅周辺では2015年の1年間だけで過去最多となる17件もの鹿との衝突事故が発生している。またトンネルも多く、この間で全長5,652mの新青山トンネル、1,165mの垣内(かいと)トンネルを通る。新青山トンネルを通り抜けると線路は津市に入る。",
"title": "沿線概況"
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{
"paragraph_id": 24,
"tag": "p",
"text": "榊原温泉口から先もしばらくは山間部、トンネルを進むが、大三駅を過ぎたあたりから山を抜け、田園地帯に入る。伊勢石橋駅を過ぎると徐々に住宅も多くなってくる。川合高岡駅まで来るとほぼ平地であり、完全に山を越えたことを実感させられる。この川合高岡駅の程近くにはJR名松線の一志駅がある。",
"title": "沿線概況"
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{
"paragraph_id": 25,
"tag": "p",
"text": "線路はその後伊勢自動車道をくぐり松阪市に入って、左手方向に名古屋線への連絡線が分かれる。中村川を渡ると名古屋線の線路が迫り合流して、大阪線の終点伊勢中川駅に到着する。この駅は大阪線・名古屋線とも始終着駅ではあるが、線路自体はこの駅より山田線となって宇治山田・賢島方面に続いており、伊勢中川より大阪、名古屋方から直通運転する列車も多い。",
"title": "沿線概況"
},
{
"paragraph_id": 26,
"tag": "p",
"text": "大阪線では、特急・快速急行・急行・準急・区間準急・普通が運転されている。ここでは特急以外の各種別の詳細を示す。なお、特急は「近鉄特急」の項を参照のこと。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 27,
"tag": "p",
"text": "ラッシュ時の増結運転を考慮して特急停車駅・快速急行停車駅・大阪上本町駅 - 高安駅間の準急停車駅のホームは10両まで対応している。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 28,
"tag": "p",
"text": "大阪上本町駅から青山町駅を越えて伊勢中川発着や山田線及び鳥羽線に直通運転される快速急行・急行には原則トイレ付きの車両が充当されるが、ダイヤ乱れが起きた場合はトイレのない車両が運用に入ることがある。トイレ付き編成はそれぞれが限定運用となっており、車両運用の都合で準急以下の種別にもトイレ付き車両が充当される列車がある。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 29,
"tag": "p",
"text": "特急以外の各種別は、奈良線のそれらとは異なり難波線に乗り入れる定期運用が存在せず、ごく一部の団体臨時列車を除き、阪神電鉄との相互直通運転も実施していないため、難波線・阪神直通列車とは大阪上本町駅 - 布施駅間のいずれかの駅で乗り換える必要があるが、鶴橋駅を除いて対面乗り換えはできない。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 30,
"tag": "p",
"text": "昼間時以外に運転され、朝方は平日は下り2本、休日は1本を除き上りのみ、夕夜間は休日に1本以外は下りのみの運行である。上りは名張駅・青山町駅発大阪上本町行きが、下りは大阪上本町駅発名張・青山町駅・山田線松阪駅・宇治山田駅・鳥羽線五十鈴川駅(土休日のみ)・鳥羽行きが設定されている。大阪線内では布施駅を除いた阪伊乙特急の停車駅に加えて五位堂駅・桜井駅・室生口大野駅・赤目口駅・美旗駅・青山町駅に停車する。通勤時間帯の長距離速達種別という位置付けであるが、赤目口駅 - 青山町駅間を各駅に停車することで、同区間における普通列車としての役割も担う。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 31,
"tag": "p",
"text": "編成両数は6両編成を基本に、青山町駅以西は最大10両、以東は4両・6両編成で運転される。このため名張駅や青山町駅で車両増結・解放を行う列車がある。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 32,
"tag": "p",
"text": "途中駅での他種別との連絡については、五位堂駅・大和八木駅・榛原駅または名張駅で準急以下の種別との接続、名張駅・青山町駅では伊勢中川駅発着の普通との接続を考慮して、下り列車(後述の急行も含む)の一部は名張駅で大阪難波駅発の名阪乙特急と緩急接続する一方で、上り列車は運転間隔が異なるために朝の一部を除けば名阪乙特急とはほとんど接続しない。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 33,
"tag": "p",
"text": "特急列車の待避は主に大和八木駅・榛原駅・名張駅で行われるが、青山町駅 - 大阪上本町駅間の列車については全区間先着となる列車もある。大阪上本町駅 - 伊勢中川駅間の最短所要時間は1時間41分である(表定速度65km/h、2016年3月19日時点)。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 34,
"tag": "p",
"text": "本数は少ないが鳥羽線内発着の列車も運転されている。五十鈴川駅発着の列車は、2012年3月19日以前は下りは臨時列車や延長運転を除いて運転されていなかったが(急行もほぼ同様)、2012年3月20日のダイヤ変更で休日下り最終の宇治山田駅行きを延長して五十鈴川駅行きが設定された。2014年9月21日のダイヤ変更で平日朝方と全日夜下りに五十鈴川駅発着列車が設定されたが、2018年3月17日のダイヤ変更で土休日下り1本のみとなった。2020年3月14日のダイヤ変更で鳥羽線内発着の大阪上本町行きがなくなり、山田線も含めて上りの快速急行は全て青山町駅以西のみとなる。なお、鳥羽線・山田線内発の上り列車は名張駅まで急行で、名張駅から快速急行に種別が変更されて運行される。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 35,
"tag": "p",
"text": "鳥羽駅発着の列車は、上りが2004年3月17日までは夕刻にも設定されていたが、運転区間の短縮で2012年3月20日のダイヤ変更で消滅。下りは休日夕方に残っていた1本が2016年3月19日のダイヤ変更で一旦消滅したが、2018年3月17日のダイヤ変更で平日も含めて鳥羽駅発着列車が再度設定された。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 36,
"tag": "p",
"text": "区間快速急行が運行されていたころは交互に運行していた。下り列車は夜20時台までの運行で、21時以降は代わって区間快速急行が運行されていた。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 37,
"tag": "p",
"text": "近年では急行への変更ないしは減便などで運転本数は年々減少しており、2013年3月17日のダイヤ変更で朝の下り列車が平日の8時台を除いてすべて急行に変更され、2016年3月19日のダイヤ変更で下り列車は18時台と19時台および20時台の1本、上り列車は朝5時台から7時台の一部および平日17時台の名張駅始発1本を除いた全列車が急行に格下げされ、2018年3月17日のダイヤ変更で平日朝2本と休日朝の伊勢方面始発および平日17時台の名張駅始発の快速急行も消滅したが、2021年7月3日のダイヤ変更で土休日に1本復活した。また、2016年3月18日までは大和八木駅止まりと山田線宇治山田駅発着列車が、2003年3月5日までと2012年3月20日から2013年3月16日までの間には伊勢中川駅始発の列車(近鉄名古屋駅 - 伊勢中川駅間を急行として運転し、伊勢中川駅で大阪上本町行き快速急行に種別変更したもの)も運転されていた。全線通し運転列車の所要時間は年々増加傾向にあり、運転時間帯も2003年3月6日のダイヤ変更以降は上り列車を中心に徐々に縮小傾向にある。2020年3月14日のダイヤ変更では大阪上本町駅に朝7時30分頃から8時50分頃に到着する列車が計6本設定されており、朝9時を過ぎて到着する列車は1本もない。",
"title": "運行形態"
},
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"paragraph_id": 38,
"tag": "p",
"text": "1978年3月18日までは本種別が急行として運転されていた(「過去にあった列車種別」を参照)が、1978年3月18日のダイヤ変更(布施駅3層化改造工事完成に伴う変更)で快速急行に変更された。停車駅は2001年3月22日のダイヤ変更で五位堂駅が、2003年3月6日のダイヤ変更で美旗駅が、2012年3月20日のダイヤ変更で区間快速急行と統合された上で室生口大野駅と赤目口駅がそれぞれ停車駅に追加されたが、一方で伊賀上津駅・西青山駅・東青山駅の3駅が通過となり青山町駅 - 榊原温泉口駅間は途中無停車となった。ただし、朝のラッシュ時に伊勢方面からの名張止まりの急行が名張駅で大阪上本町行き快速急行に種別変更して運転されており(即ち2012年3月19日まで運行されていた区間快速急行と同じ停車駅で運行)、これら快速急行が通過するようになった駅から大阪方面へ乗り換えなしに利用できる。",
"title": "運行形態"
},
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"paragraph_id": 39,
"tag": "p",
"text": "2016年3月19日から平日朝方の五十鈴川行き快速急行(2018年3月17日からは青山町行き快速急行に変更)が名張駅で切り離す車両数が4両から6両に変更され、名張駅から終点五十鈴川駅まで(2018年からは青山町駅まで)4両編成で運転していたが、2020年には、切り離す車両数が6両から4両に戻った。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 40,
"tag": "p",
"text": "2020年3月16日以降は、同年3月13日で運転を終了した鮮魚列車に代わり、平日朝に鮮魚運搬専用車両としてラッピング車両「伊勢志摩お魚図鑑」を連結した松阪発大阪上本町行き快速急行(名張駅まで急行)と折り返しの大阪上本町発松阪行き快速急行が1往復運転されている。編成は松阪駅発名張行き急行は6両編成で、名張駅からは前に4両を連結して10両編成の大阪上本町行き快速急行として運転され、大阪上本町駅で折り返し松阪行き快速急行になり、名張駅までは10両で、名張駅からは後ろの4両を切り離して再び6両になり松阪駅まで運転される。なお、一部を除く駅のホームでは、放送や液晶ディスプレイで「伊勢志摩お魚図鑑」は業務用貸切車両であるため乗車禁止である旨の注意喚起をしている。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 41,
"tag": "p",
"text": "終日運転されており、大阪上本町駅 - 名張駅・青山町駅・伊勢中川駅・鳥羽線五十鈴川駅間の運転が基本。昼間時は1時間に3本の運転で、名張駅・青山町駅と午前中は伊勢中川駅、午後以降は五十鈴川駅折り返しが各1本設定されている。快速急行の停車駅に加え布施駅・河内国分駅・大和朝倉駅・長谷寺駅・三本松駅・伊賀上津駅・西青山駅・東青山駅に停車する。河内国分駅・大和朝倉駅・長谷寺駅・三本松駅・伊賀上津駅・西青山駅のホームの有効長が6両編成分までであることに加えて(ドアカットは行わない)、乗降客が多いが緩急接続ができない布施駅(列車待避は可能)に停車するため、混雑が激しくなりやすい。従って、快速急行などが実施する8・10両運転を必要としない閑散時間帯の長距離速達種別という位置付けとなっており、準急・区間準急・普通の本数が激減する桜井駅 - 榊原温泉口駅間を各駅に停車することで、この区間における普通列車としての役割も担う。編成両数は4両・6両編成で、快速急行同様に名張駅で車両増結や切り離しを行う列車もある。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 42,
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"text": "昼間時以外(快速急行運転時間帯)は大和八木駅・伊勢中川駅発着列車と五位堂駅・名張駅 - 伊勢中川駅・山田線直通の区間運転、平日朝ラッシュ以降と土休日全時間帯の伊勢方面始発列車はこの種別で運転されており、一部は山田線宇治山田駅・鳥羽線鳥羽駅始発となる大阪上本町行きのほかに、2018年3月16日までは名張駅始発の名古屋線近鉄名古屋行き(特急とは異なり伊勢中川駅でスイッチバック)が早朝に1本設定されていた。時刻表上では名古屋線直通は存在しないが、早朝に名古屋線内を伊勢中川行きの急行または普通として運転した列車が、伊勢中川駅到着後に伊勢中川駅始発大阪上本町行き急行として継続運転する列車が2本設定されていた。しかし、この2本も2020年3月14日のダイヤ変更で消滅した。このほか、青山町駅 - 名張駅間を普通として運転し、名張駅で大阪上本町行き急行に種別変更する列車や朝のラッシュ時に伊勢方面からの一部急行列車が名張行き急行として運転し、名張駅で大阪上本町行き快速急行に変更する列車もあるほか、早朝やラッシュ終わりの時間に五位堂駅で一部の普通列車が終着駅で急行に変更する列車もある。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 43,
"tag": "p",
"text": "途中駅における他種別との連絡は、大多数の列車が河内国分駅や五位堂駅、大和朝倉駅、一部の列車で大和八木駅で準急以下の種別と相互接続が行われており、名張駅・青山町駅折り返し列車は名張駅(一部時間帯は青山町駅)で伊勢中川駅発着の普通と阪伊乙特急の接続が考慮されている。そのうち、大阪上本町駅を毎時11分に発車する下りの青山町行きは一部時間帯を除き、名張駅にて名阪乙特急および京伊特急との接続が考慮されている。一方で、五十鈴川駅直通の上り列車については2016年3月19日ダイヤ変更で日中(9時台 - 平日16時台・休日14時台まで)における五十鈴川駅での発車時刻が約5分繰り上げられたために名張駅にて名阪乙特急との相互接続が可能となった反面、伊勢中川駅での名古屋線急行との連絡が悪くなり、2018年のダイヤ変更で大阪上本町駅や五十鈴川駅における急行の発車順序が入れ替えられた結果、上下列車ともに10分 - 15分程度の連絡待ち時間が生じており、夕刻以降の五十鈴川行きも伊勢中川駅で名古屋線急行と連絡しない列車が数本存在する (松阪駅以南発着の快速急行も同様) 。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 44,
"tag": "p",
"text": "特急列車との相互接続や待避は大和八木駅・榛原駅・名張駅を中心に、日中は待避可能駅の布施駅・河内国分駅・青山町駅・東青山駅で行い、夕方以降は五位堂駅・大和朝倉駅でも特急列車の待避が行われるが、青山町駅・名張駅発着の列車は始発から終点まで列車待避の無い列車もある。その回数は列車によって異なるが、伊勢中川駅以南に直通する列車を中心に2回行うことが多い。昼間時間帯の乙特急の当線内所要時間が最速で1時間21分(表定速度79km/h)であるのに対して、急行は停車時間を含めて昼間の最速列車で1時間48分(表定速度60km/h)、朝夕の列車は概ね1時間52分(表定速度58km/h)、最大で2時間(表定速度54km/h)かかり、25 - 40分程度の時間差・速度差がある。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 45,
"tag": "p",
"text": "2003年までは鳥羽・五十鈴川発列車が多く設定されていたが、2004年3月のダイヤ変更で大多数の列車が宇治山田駅折り返しに変更となった。また、2012年3月20日のダイヤ変更で青山町駅発着列車の約半数が名張駅発着に短縮されている。2014年9月21日のダイヤ変更で宇治山田駅折り返しが一部を除き五十鈴川駅折り返しに変更となった。2018年3月17日のダイヤ変更で青山町駅・五十鈴川駅発着列車の一部が伊勢中川駅発着に変更となった。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 46,
"tag": "p",
"text": "長年日中の大阪上本町駅発の急行は毎時15分発が五十鈴川駅、宇治山田駅行き、31分もしくは35分発が名張駅、青山町駅行、52分発が青山町駅行き急行だったが、2018年3月17日のダイヤ変更以降は毎時11分発が青山町駅行き、28分もしくは31分発が五十鈴川駅行き、52分発が名張駅行き急行に変更になった。2021年7月3日のダイヤ変更以降は毎時11分が青山町行き、28分発が伊勢中川または五十鈴川行き、51分発が名張行きである。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 47,
"tag": "p",
"text": "前述のように利用客の多い布施駅や河内国分駅に停車し、快速急行が通過して普通列車の本数が激減する三本松駅や伊賀上津駅・西青山駅・東青山駅に停車するため、快速急行の中でも6両編成以上の増結運転を必要としない列車を中心に順次急行に格下げしていることなどで運転時間帯は年々拡大しており、2013年3月17日のダイヤ変更で平日の夜間に上りの急行が増発、および朝の下り快速急行の大半と平日夜間の上り快速急行の一部が急行に変更されたことから、朝の6時台から平日は22時台まで、休日は19時台までの運転となった。また、2016年3月19日のダイヤ変更で早朝5時台の上り列車と17時台および20時台の1本を除く下り全列車、平日名張駅17時台発1本を除いた夕刻上りの全列車が急行に変更、2020年3月14日のダイヤ変更で大阪上本町駅に概ね朝7時半頃までに到着する快速急行を急行に変更の上増発(朝6時台後半から7時台前半に大阪上本町駅に到着する10両編成の快速急行3本を6両編成の急行5本に置き換えた。うち2本は五位堂駅まで普通列車として運転し、五位堂駅で急行に種別変更する)されたため、終日運転する形態となった。かつては大阪市中心部から奈良県・三重県主要駅への速達列車の役割であったが、2003年に河内国分駅停車となり大阪府内の速達列車の役割も担うようになった。2021年7月3日のダイヤ変更で五位堂駅まで普通列車として運転し、五位堂駅から急行に種別変更する列車は増加した。また、大阪上本町駅20時台の宇治山田駅行きは終点の宇治山田駅で鳥羽駅ゆき普通列車に種別変更し、鳥羽駅で夜間滞泊する。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 48,
"tag": "p",
"text": "2020年のダイヤまでは急行運行時間帯は山田線および五十鈴川駅まで直通する電車がほぼ終日運行されていたが、2021年7月3日のダイヤ変更ではこれらの区間が短縮され、伊勢中川駅で折り返す急行が増発された。なお、大阪線内と宇治山田駅方面との連絡は伊勢中川駅で近鉄名古屋駅発着の急行に接続して対応している。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 49,
"tag": "p",
"text": "現在の急行は1978年3月に設定された2代目である。これ以前の急行については「過去にあった列車種別」を参照。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 50,
"tag": "p",
"text": "昼間時以外に大阪上本町駅 - 大和朝倉駅・榛原駅・名張駅間で運転。一部は高安駅・五位堂駅・大和八木駅発着である。大阪上本町駅 - 河内国分駅間では急行の停車駅に加えて近鉄八尾駅・河内山本駅・高安駅に停車して大阪府内での短距離速達種別としての役割と、河内国分駅 - 名張駅間で各駅に停車することでその区間における普通列車としての役割を担う。全線通しで運転される列車はないものの、名張駅発着列車については、名張駅到着後に青山町駅発着の普通として継続運転する列車が数本設定されている(後述の区間準急、普通列車も同様)。大阪上本町駅 - 名張駅間の標準所要時間は1時間40分前後で、同一区間を運転する急行(概ね1時間10分前後)とは約30分弱の時間差があり、奈良線や名古屋線の準急と比較して急行との所要時間や停車駅数での格差が大きくなっている。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 51,
"tag": "p",
"text": "2012年3月20日のダイヤ変更からは朝・夕ラッシュ時中心の運行になった。それまで昼間時間帯にも準急が運行されていたが、このダイヤ変更で大多数が区間準急に置き換えられたほか、土休日の夕方にも区間準急と交互で運行している。ただし2018年のダイヤ変更で10時台にも大阪上本町駅 - 五位堂駅間の列車を中心に一部運行するダイヤが組まれている。編成両数は大阪上本町駅 - 高安駅間では朝ラッシュ時は最大10両編成、夕ラッシュ時は最大8両編成で運行されており、高安駅以東では6両編成を基本として一部に4両編成の運転があるため、高安駅にて車両増結や切り離しを行っていたが、2020年のダイヤ変更で朝ラッシュ時の8両以上の準急および区間準急は全て高安行き準急となった。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 52,
"tag": "p",
"text": "なお、1991年3月のダイヤ変更以前は3両編成を基本に朝ラッシュ時は高安駅以西で7両編成、夕ラッシュ時は高安駅以西で6両編成で運転されていた。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 53,
"tag": "p",
"text": "他種別との連絡については高安駅・河内国分駅で普通列車と、五位堂駅・大和八木駅・桜井駅・榛原駅または名張駅で快速急行(桜井駅は準急から快速急行への接続のみ)と、河内国分駅・五位堂駅・大和八木駅で急行と、大和八木駅・名張駅で乙特急と相互接続する。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 54,
"tag": "p",
"text": "1967年12月20日のダイヤ変更までは橿原線八木西口駅発着の準急が設定されていた。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 55,
"tag": "p",
"text": "2012年3月20日のダイヤ変更より昼間の時間帯の準急と高安駅 - 河内国分駅・榛原駅間の普通を置き換える形で新設された種別で、近鉄では2006年3月21日のダイヤ変更で新設された奈良線に続くものである。河内国分駅以西では準急の停車駅に加え、準急が通過する恩智駅・法善寺駅・堅下駅・安堂駅に停車し(すなわち近鉄八尾駅以東の各駅に停車)、昼間の大半の普通が高安駅発着に短縮されるとともに、大阪府下の中では利用客数の少ない恩智駅・法善寺駅・堅下駅・安堂駅の停車本数を維持しつつこの区間の実効運転本数を削減するなどの合理化を図っている。昼間時は大阪上本町駅 - 大和朝倉駅・五位堂駅間の運転が基本である。ラッシュ時の前後には一部が大和八木駅・名張駅発着で運転されており、河内国分駅を始発駅とする列車も設定されている。終電間際には大和八木行き区間準急も設定されていた。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 56,
"tag": "p",
"text": "他種別との連絡については、大多数の列車が高安駅で普通と、下りは河内国分駅、上りは五位堂駅、大和八木駅で乙特急と接続する。編成両数は一部が6両編成のほかは4両編成が基本であるが、大阪上本町駅 - 高安駅間では快速急行や準急の折り返しが区間準急となる場合は8・10両編成もあり、この場合は高安駅にて車両切り離しを行っていたが、前節で記したように2020年のダイヤ変更で8両以上の区間準急はすべて高安行き準急となり、切り離しはなくなった。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 57,
"tag": "p",
"text": "快速急行に対して急行がそうであるように、この種別もダイヤ変更毎に運転時間帯が増加しており、2012年の設定当時は日中時間帯のみの設定であったが、準急が高安駅以東では6両編成以下でしか運転できないことと、8両・10両編成での運転が大阪上本町駅 - 高安駅間のみであることもあり、2013年3月17日変更で早朝の一部上り列車が区間準急に変更され、2016年3月19日のダイヤ変更でラッシュ時の準急を置き換える形で朝ラッシュ時の一部と20時台以降にも運転されるようになった。2018年3月16日まで土休日の昼間時の運転は平日と同様に大阪上本町駅 - 榛原駅間の運転が基本であったが、2018年3月17日のダイヤ変更から大阪上本町駅 - 五位堂駅・大和朝倉駅・榛原駅間での運転が基本となった。2021年のダイヤ変更では後節の普通も加えて大阪上本町駅 - 五位堂駅・大和朝倉駅間の運行となり、日中の榛原行きが消滅した。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 58,
"tag": "p",
"text": "英文表記は Suburban Semi-Express(方向幕などの表記は「 SUB.SEMI-EXP 」)である。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 59,
"tag": "p",
"text": "各駅に停車する列車で、全線を通しで運転する列車はなく、系統上では基本名張駅を境に分割されている。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 60,
"tag": "p",
"text": "大阪側では大阪上本町駅 - 高安駅・五位堂駅始発・大和朝倉駅間の運転が基本で、ラッシュ時に河内国分駅発着が、ラッシュ時の前後時間帯や早朝・夜間の一部に大和八木駅・名張駅発着および榛原行きが設定されており、本数は少ないものの早朝に五位堂駅 - 大和八木駅間、深夜に高安駅 - 大和朝倉駅・名張駅間や大和朝倉駅・大和八木駅 - 五位堂駅間にて前記の発着駅で区間運転が実施される列車や、五位堂駅・大和八木駅・名張駅で種別または行先変更を行って継続運転される列車もある。朝夕ラッシュ時は大阪市内方面から長瀬駅を最寄りとする近畿大学方面への通学需要があるため、優等列車とは逆方向に向かう列車に激しい混雑が発生するため、朝ラッシュ時は下り列車、夕ラッシュ時は上り列車の方がそれぞれ運転本数が多く設定されている。",
"title": "運行形態"
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{
"paragraph_id": 61,
"tag": "p",
"text": "昼間時の大阪上本町駅発着は平日・土休日とも1時間に5本の運転で、内訳は高安駅折り返しが4本、残りの1本は大和朝倉駅折り返しである。運転間隔は約6分 - 16分とバラつきがあるが、これは2003年3月5日以前は1時間あたり上本町駅 - 高安駅間が6本、高安駅 - 河内国分駅間4本であったものが、減便の影響で運転間隔が大きく開く時間帯が生じることとなったためである。また、高安駅 - 五位堂駅の途中駅には2012年3月のダイヤ変更以降も従来同様1時間に4本(普通4本を区間準急3本・普通1本に変更)が停車するが、ほぼ20分おきに等間隔で運転される区間準急の間に普通を毎時1本挿入する形で運行しているため大阪上本町駅 - 高安駅間同様に運転間隔は一定しておらず、下りの場合で約8 - 23分(上りは約12 - 20分で下りよりもばらつきが小さい)となっている。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 62,
"tag": "p",
"text": "三重県内では名張駅・東青山駅 - 伊勢中川駅間での運転が基本で、昼間時は名張駅 - 青山町駅間と東青山駅 - 伊勢中川駅間の列車が1時間に1本ずつ、朝夕は名張駅と青山町駅・東青山駅発着列車が約30 - 40分間隔で運転されている。原則として他線区との直通運転は行われないが、早朝の上りと深夜の下り各1本のみ入出庫の関係で名張行き・明星行きが山田線明星駅発着で運転される。名張駅・青山町駅・東青山駅 - 伊勢中川駅間の大半の列車が伊勢中川駅にて名古屋線列車との接続が考慮されており、名張駅では名張駅発着(一部は前後に走る青山町駅発着)の急行に接続している。2012年3月20日のダイヤ変更で快速急行が青山町駅 - 榊原温泉口駅間でも通過運転を行うために同列車が運転される時間帯を中心に東青山駅折り返し列車の一部が青山町駅まで延長された。このほか、明星駅発着列車とほぼ同様の理由で名張駅 - 青山町駅間の区間運転のものも設定されており、これは名張駅で快速急行や準急などに種別変更もしくは行先変更して継続運転することが多い。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 63,
"tag": "p",
"text": "編成両数は大阪上本町駅発着列車では6両編成を基本に一部時間帯は4両編成で運転されている。なお、伊勢中川駅発着の列車は大三駅・伊勢石橋駅・川合高岡駅のホーム長が2両分しかないため全列車が2両編成で運転されている。また、名張駅 - 青山町駅間の普通は2両 - 6両編成の列車が混在しているが、平日夜の青山町駅行き快速急行からの折り返し名張駅行き2本については8両編成で、深夜の青山町駅行き1本については翌朝の快速急行の送り込みの関係で10両編成でそれぞれ運転される。名張駅 - 青山町駅間の列車は日中の乙特急が停車しない桔梗が丘駅の速達性確保や伊賀線(現在の伊賀鉄道)の西名張駅 - 伊賀神戸駅間廃止の補償という側面もあったが、日中の急行の運転本数が1時間2本から3本に増便されてからは大幅に縮小されている。2両編成の列車でもワンマン運転は行っていない。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 64,
"tag": "p",
"text": "1956年に大阪上本町駅 - 布施駅間が複々線化されるまでは、大阪線の全列車が今里駅を通過していた。1966年までは弥刀駅発着の列車も設定されていたが、現在は高安駅発着に統合されている。2003年ダイヤ変更以前の普通列車は河内国分駅 - 名張駅間では早朝・深夜しか運転されておらず、ほとんどの時間帯で急行(榛原駅 - 名張駅間)・準急列車がその代わりを果たしていた。同年3月のダイヤ変更で日中にも榛原駅発着の列車が設定されたが、2012年3月のダイヤ変更で再び河内国分駅・高安駅発着に短縮された。2018年3月のダイヤ変更で河内国分駅発着列車が五位堂駅に延長されたほか、大和朝倉駅発着が新たに設定された。それまでの五位堂駅発着は朝のラッシュ後(下りのみ)と深夜帯の一部のみの運行だったが、2020年のダイヤ変更で下りの五位堂行きの多くは区間準急として運行されるようになり、一部は普通列車として運転が行われている。上りは前述のように早朝を中心に一部が名張駅、大和朝倉駅発着として運行されているのに加えて、2021年のダイヤ変更で青山町駅からも名張駅から行先を変更せずに直通する列車が運行されるようになった。2004年3月に山田線伊勢中川駅 - 宮町駅間がワンマン化されるまでは名張駅・東青山駅 - 明星駅・宇治山田駅間の普通列車が少数設定されており、これらの下り列車は最初から宇治山田行きであるのに対し、上り列車は伊勢中川行きとして運転され、伊勢中川駅到着後改めて東青山または名張行きとして運転されていた。また、名張駅 - 伊勢中川駅間の普通列車は1989年に増発されたもので、1976年 - 1989年は青山町駅 - 東青山駅間にも昼間時は普通列車が運転されていなかった。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 65,
"tag": "p",
"text": "大阪線では大学受験や行楽シーズンなどで臨時列車や定期列車の延長運転が行われたり、臨時停車を実施している。停車駅の半数以上が6両まで対応ホームの駅であるために6両編成の運転が多い。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 66,
"tag": "p",
"text": "1982年 - 1987年に、年末年始・ゴールデンウィーク・お盆などの時期に大阪上本町駅から鳥羽駅まで臨時列車として「高速 伊勢志摩号」が運行されていたことがある(設定当初の種別名は直通急行)。途中、鶴橋駅・大和八木駅・東青山駅(年始時期は通過)・伊勢市駅・宇治山田駅・五十鈴川駅に停車し、停車駅数は乙特急より少なく京都直通の準ノンストップ特急なみの停車駅数となっていたが、本来は修学旅行用臨時列車として設定されていたダイヤを転用したことに加え、2610系などの一般車両(20100系「あおぞら」号車両を含む)を使用していたため車両性能の関係上所要時間は乙特急より10分程度遅かった。その後は停車駅は同じで、臨時「快速急行」という種別で運転されていたが、1990年代前半に消滅した。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 67,
"tag": "p",
"text": "現在の快速急行は、1978年3月15日以前は急行として運転されていた。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 68,
"tag": "p",
"text": "1946年3月15日より運転を開始。1960年頃における上本町駅 - 宇治山田駅・近畿日本名古屋駅(現・近鉄名古屋駅)間急行の大阪線内は、鶴橋駅・大和八木駅・名張駅・伊賀神戸駅・佐田駅(日中の一部列車のみ、現・榊原温泉口駅)にのみ停車し、2016年現在の阪伊乙特急より少ないものであった。当時の急行は大阪から伊勢志摩方面への観光輸送や、奈良・三重両県内主要都市への都市間連絡輸送といった長距離輸送の比重も大きかった。 その後、停車駅は以下のように変遷した。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 69,
"tag": "p",
"text": "1978年3月18日ダイヤ変更で、朝夕の列車は快速急行に改称され、昼間は布施駅に停車するとともに榛原駅 - 伊賀神戸駅間も各駅停車となる別の列車となり、現在の急行となった。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 70,
"tag": "p",
"text": "1960年頃、上記の急行とは別に、朝夕に運転された榛原駅・名張駅・伊賀神戸駅・松阪駅発着の急行は、大和高田駅・桜井駅・榛原駅にも停車していた。1961年3月頃までに、この列車を分離することにより、上本町駅 - 松阪駅間の列車として「通勤急行」が設定された。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 71,
"tag": "p",
"text": "その後、1962年6月15日変更で、佐田駅が停車駅に追加された。1964年10月1日変更で、停車駅追加のうえ後述の「区間急行(2代)」に改称された。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 72,
"tag": "p",
"text": "1961年9月21日ダイヤ変更で、通勤急行と準急の中間の性格を持つ種別として、通勤時間帯の上本町駅 - 名張駅間に区間急行が設定された。停車駅は鶴橋駅・布施駅・近畿日本八尾駅・河内山本駅・高安駅・河内国分駅・近畿日本下田駅・大和高田駅・大和八木駅・桜井駅・長谷寺駅・榛原駅・室生口大野駅・赤目口駅であった。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 73,
"tag": "p",
"text": "1964年10月1日変更で廃止され、後節の「区間急行(2代)」に格上げ、または準急に格下げされた。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 74,
"tag": "p",
"text": "前述の「通勤急行」を日中にも毎時1本運行するにあたり、1964年10月1日変更で改称のうえ、桔梗が丘駅(同日開業)と美旗駅を停車駅に追加して設定された。その後、以下のように変遷した。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 75,
"tag": "p",
"text": "1978年3月18日のダイヤ変更で、朝夕の列車は「区間快速急行」(後節参照)に改称され、昼間は布施駅・三本松駅に停車し、現在の急行となった。なお、この時まで準急が1時間に1本名張駅まで運転されており、準急が三本松駅に停車していた。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 76,
"tag": "p",
"text": "区間快速急行は略して「区間快速」とも呼ばれた。駅構内の自動放送においては、青山町駅以西では「区間快速」と略されて呼称されたが、榊原温泉口駅以東では正式名称である「区間快速急行」の呼称が用いられていた。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 77,
"tag": "p",
"text": "昼間時以外に大阪上本町駅 - 大和八木駅・名張駅・青山町駅・伊勢中川駅・山田線松阪駅間で運転されていた。大半は大阪上本町駅 - 青山町駅間の運転で、大和八木行きは下り最終のみ、名張駅および伊勢中川駅は上り列車のみの運転された。快速急行と交互に運行され、下りは夜21時以降はすべて区間快速急行として運行されていた。快速急行の区間運転版ともいうべき扱いで、快速急行(2012年ダイヤ変更以前)の停車駅に加え室生口大野駅と赤目口駅にも停車し、(現行の)急行と違い三本松駅を通過していた。快速急行と同様に通勤時間帯の長距離優等種別としての役割を担い、赤目口駅 - 榊原温泉口駅間は各駅に停車することで、同区間における普通列車としての役割も担っていた。深夜には大阪上本町発大和八木行きの区間快速急行も存在した。この列車の運転区間の停車駅は快速急行と同一であるが、区間快速急行として運転されていた。編成両数は青山町駅以西最大10両、以東4両・6両編成。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 78,
"tag": "p",
"text": "越年終夜運転の際は、青山町駅・松阪駅発着の列車を延長する形で山田線宇治山田駅、鳥羽線五十鈴川駅まで延長された。名張駅以東の停車駅は快速急行・急行と同一。特急の待避は主に榛原駅か名張駅で行われていたが、大阪上本町駅 - 青山町駅間では無待避の列車もあった。一部は大和八木駅や東青山駅でも特急の待避をしていた。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 79,
"tag": "p",
"text": "全国の鉄道事業者をみてもこの列車種別は近鉄のみの存在であった。英文表記は Suburban Rapid Express(方向幕などでは SUB.RAPID EXP )。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 80,
"tag": "p",
"text": "2012年3月20日のダイヤ変更で前述の快速急行と統合され名称上は消滅した。ただし大阪上本町駅 - 青山町駅間に限れば停車駅は区間快速急行のものがそのまま引き継がれている。また、朝上りに運転される、鳥羽駅・五十鈴川駅・松阪駅始発で名張駅で快速急行に種別変更して大阪上本町駅まで運転される名張行き急行、休日夜1本の名張駅で急行に種別変更して伊勢中川駅まで運転される名張行快速急行も、実質的に当時の区間快速急行と同じ運行形態となっている。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 81,
"tag": "p",
"text": "主として特急以外のダイヤについて言及する。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 82,
"tag": "p",
"text": "約10 - 15分間隔で、快速急行1本、準急1本、普通1本のダイヤとなっているが、これにときおり特急列車の運行が加わりダイヤはランダムとなっている。最ラッシュ時前後の時間帯は快速急行ではなく急行の、準急ではなく区間準急での運転となり、さらに準急系統においては最ラッシュ時間帯にも区間準急が加わり、高安駅以西の輸送力を確保するダイヤとなっている。下りは主に急行・準急・普通が運転される。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 83,
"tag": "p",
"text": "特急以外の種別の昼間時(10 - 15時台)の運転本数はおおむね以下のようになる。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 84,
"tag": "p",
"text": "急行が1時間に3本(五十鈴川駅もしくは伊勢中川駅折り返し1本、青山町駅折り返し1本、名張駅折り返し1本)、区間準急が1時間に3本(大和朝倉駅折り返し2本、五位堂駅折り返し1本)、普通が高安駅折り返しが4本、大和朝倉駅折り返しが1本である。ただし五位堂行き区間準急は大阪上本町行き普通として、大和朝倉行き普通は大阪上本町行き区間準急として折り返す。さらに名張駅 - 青山町間と東青山駅 - 伊勢中川駅間の普通が1時間に1本ずつ設定されている。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 85,
"tag": "p",
"text": "下りの急行の大半と区間準急は河内国分駅で、上り急行と区間準急以下は五位堂駅で接続する。急行は布施駅(下り)、河内国分駅上下1本、大和八木駅(下り)、榛原駅(上り)、東青山駅(上り)で特急を待避し、名張駅で特急と接続する。区間準急は名阪乙特急・阪伊乙特急と大和八木駅で接続する。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 86,
"tag": "p",
"text": "昼間時の大阪上本町駅 - 青山町駅間の各駅は1時間あたり最低3本以上の停車本数が、青山町駅 - 伊勢中川駅間の各駅は1時間あたり最低1本以上の停車本数が確保されている。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 87,
"tag": "p",
"text": "夕ラッシュ時間帯の下りダイヤは、快速急行が1時間に4本、準急が1時間に4本、普通が1時間に5 - 6本となっている。各種別との接続は高安駅で準急と普通電車が連絡し、五位堂駅で快速急行と準急と連絡をする。快速急行は大和八木駅で特急と接続をし、一部の準急とも接続を行う。夜間時間帯は、1時間に急行が4本、区間準急が4本、普通が5 - 6本となっている。普通電車は高安駅までとなり、高安駅で区間準急と接続を行う。区間準急は河内国分駅と一部が大和八木駅で急行と接続を行う。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 88,
"tag": "p",
"text": "夕ラッシュ時間帯の上りダイヤは急行が1時間に3 - 4本、準急が1時間に4本で高安駅からは8両で走り、普通が1時間に5本となっている。各種別との接続は河内国分駅で高安駅で準急と普通電車が連絡し、河内国分駅で急行が準急以下との接続を行う。急行は大和八木駅で特急と接続するほか、大和朝倉駅、五位堂駅で特急との待避待ちを行う。夜間時間帯、20時、21時台は時間に急行が3本、区間準急が3本、普通が5本となっている。区間準急は高安駅で普通と接続を行う。急行は区間準急・普通と河内国分駅で接続し、一部が大和八木駅、五位堂駅でも接続を行う。22時以降は急行は1 - 2本、普通電車のみの運転となる。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 89,
"tag": "p",
"text": "大晦日の深夜から元日の早朝にかけての終夜運転は、近年では大阪難波駅 - 伊勢方面への阪伊乙特急が概ね30分 - 60分間隔、大阪上本町駅 - 宇治山田駅間の急行が概ね60分間隔でそれぞれ運転されており、時間帯によっては桜井駅に臨時停車する特急や、宇治山田駅に到着した急行が同駅から普通に種別変更して鳥羽駅まで継続運転される列車、鳥羽駅始発大阪上本町行き急行または快速急行として運転される列車もある。普通(一部時間帯で準急・区間準急)は大阪上本町駅 - 榛原駅(一部名張駅)間で概ね30分 - 60分間隔で運転されている。また、山田線明星駅始発の名張行き普通列車が宇治山田駅始発か鳥羽線鳥羽駅始発に変更される。なお、三重県内の名張駅 - 伊勢中川駅間での設定はなく、名張駅 - 榊原温泉口駅では急行が普通列車の役割を担い、大三駅・伊勢石橋駅・川合高岡駅では2009年まで元日の初発繰上げが行われていたものの、実質的に「終夜運転が実施されていない」のと同等である。2021年度以降は急行の運転がなくなり、桔梗が丘駅・美旗駅・青山町駅・伊賀上津駅・西青山駅・東青山駅でも終夜運転の時間帯に停車する列車がなくなった。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 90,
"tag": "p",
"text": "2020年4月時点で、大阪線所属の一般車両は記述の無いものに関しては全て高安検車区に所属している。L/Cカーを除いて編成中にトイレは無い。",
"title": "車両"
},
{
"paragraph_id": 91,
"tag": "p",
"text": "現在でも2430系の3両編成車は配置されているが、大阪線では3両編成車の単独運用が無くなったことから、2編成併結の6両編成による運用分を除いて余剰となった2430系・2800系3両編成の一部が名古屋線に転出している。",
"title": "車両"
},
{
"paragraph_id": 92,
"tag": "p",
"text": "また、高安駅・五位堂駅 - 榛原駅・名張駅間は車両の定期検査や車体更新などを完了した後、特急車両や大阪線所属車両のみならず名古屋線所属車両や、奈良・京都線所属車両の試運転列車が不定期で運転されることがある。",
"title": "車両"
},
{
"paragraph_id": 93,
"tag": "p",
"text": "標準軌線区の各線で運用されている。「名古屋線」の項も参照。",
"title": "車両"
},
{
"paragraph_id": 94,
"tag": "p",
"text": "なお、現在編成全車が名古屋線の所属となっている2000系・2050系は当初は大阪線の所属となっていた。これら2形式は1480系・2470系、2400系・2410系・2430系の冷房改造工事・車体更新工事などに伴う車両不足を補うために新製冷房車として大阪線に投入されたもので、工事の進捗に伴って順次名古屋線へ転属していった。",
"title": "車両"
},
{
"paragraph_id": 95,
"tag": "p",
"text": "大阪線の一般車両については特に4両・6両編成においてはトイレの有無で車両運用と運用区間が細分化されており、4両編成・トイレ無し、4両編成・トイレ付き(ロングシート)、4両編成・5200系、6両編成・トイレ無し、6両編成・L/Cカーといった区分がなされている。2020年の3月のダイヤ変更までダイヤ編成などの関係から、大阪線所属の車両が名古屋線の一部列車にも使用され、4両編成では2610系が、2両編成ではシリーズ21の9020系9051F以外の大阪線所属車両が入線していた。2020年現在は、名古屋線所属車両の検査不足時に2610系が代走で入線するのみとなっている。",
"title": "車両"
},
{
"paragraph_id": 96,
"tag": "p",
"text": "全列車が2両編成である名張駅 - 伊勢中川駅間の普通列車で運用される編成は基本的に限定されており、2410系2422F - 2426F、2430系2432F、1420系、1422系・1430系、1253系で運用されている。",
"title": "車両"
},
{
"paragraph_id": 97,
"tag": "p",
"text": "上本町駅 - 布施駅 - 桜井駅間は大阪電気軌道(大軌)の手で、桜井駅 - 伊勢中川駅間は参宮急行電鉄(参急)の手で建設され1930年に全通した。1975年に全線複線化されたが、この時開通した西青山駅 - 東青山駅間の新青山トンネル (5,652m) は日本の大手私鉄では最長である。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 98,
"tag": "p",
"text": "大軌が初めに建設した区間のうち布施駅 - 八木駅間には、奈良線・畝傍線(今の橿原線)によって形成された大阪から橿原神宮へ向かう路線をショートカットすることや、この地域におけるテリトリーを確保する目的があったとされる。そのため、開業時の終点となった八木駅は現在の大和八木駅がある位置ではなく、先行して開業していた畝傍線の八木駅、すなわち現在の八木西口駅に合流する形となっていて、上本町から橿原方面への直通を意識した線形とされていた。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 99,
"tag": "p",
"text": "しかし、並行して大阪鉄道線(現在の近鉄南大阪線)が1929年までに開通したため、両社が関西急行鉄道に統合される1943年までは、橿原と吉野への参拝客・行楽客輸送を巡って競争関係にもなった。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 100,
"tag": "p",
"text": "一方で参急が建設した桜井駅 - 参急中川駅(現在の伊勢中川駅)と、大軌が建設した八木駅 - 桜井駅間は、大阪から現在の山田線と合わせて伊勢神宮への快速参拝ルートを造り上げようという目的から建設が行われることになった。この免許収得に関しては、1922年に近鉄田原本線の前身である大和鉄道(この時の営業区間は王寺駅 - 田原本駅〈現在の西田原本駅にあたる〉間で、田原本駅 - 桜井駅間が建設中であった)が既に桜井駅 - 名張駅間で新線敷設の免許を取得していたため、大軌が同社を子会社化し、その免許線の延長申請を出させるという手法がとられた。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 101,
"tag": "p",
"text": "1927年に予定通り大和鉄道は桜井駅より名張駅を経て宇治山田駅までの免許を得て、それを新設会社の参急に譲渡した。同時に大軌自身の手で、八木駅 - 桜井駅間接続線の免許も収得した。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 102,
"tag": "p",
"text": "1929年、大軌は参急の開通に先駆けて、八木駅から桜井駅にいたる区間を開業させ、このとき八木駅も現在の大和八木駅の位置に移転し、旧駅は八木西口駅という畝傍線の中間駅(運賃計算上は八木駅と同一)になった。とはいえ、上本町駅から橿原方面への直通列車の運転を考慮し、八木西口駅へ向かう旧線も八木線と畝傍線を結ぶ連絡線として存続した。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 103,
"tag": "p",
"text": "参急が建設を担当した区間に際しては、最短時間で大阪と伊勢を結ぶため、山岳地帯をトンネルで抜ける線形を採用した。それでも33.3‰(1/30)の急勾配区間が随所に発生し、同線に使用される電車はその最初の2200系以降、勾配対策が重視された。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 104,
"tag": "p",
"text": "桜井駅 - 長谷寺駅間では長谷鉄道の路線がすでに並行して存在していたが、大軌では同社を参急線開業前の1928年に合併し、参急線開業後の1938年まで長谷線として営業を続けた。また、名張駅 - 伊賀神戸駅間で並行路線を有していた伊賀電気鉄道も1929年に大軌が合併(直後に参急へ賃貸、1931年に譲渡)して伊賀線とし、並行区間(西名張駅 - 伊賀神戸駅)は1964年に廃止した。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 105,
"tag": "p",
"text": "なお、国が建設すべき路線を定めた改正鉄道敷設法の81.には、「奈良県桜井ヨリ榛原、三重県名張ヲ経テ松阪ニ至ル鉄道及名張ヨリ分岐シテ伊賀上野附近ニ至ル鉄道並榛原ヨリ分岐シ松山ヲ経テ吉野ニ至ル鉄道」が示され、1929年 - 1935年に順次名松線として松阪 - 伊勢奥津間が部分開業していたが、近鉄大阪線・山田線、それに伊賀鉄道伊賀線の敷設によってその意義を失い、以後国鉄線がこの地域に開業することはなかった。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 106,
"tag": "p",
"text": "1938年に関西急行電鉄(後に参宮急行電鉄へ合併)によって現在の近鉄名古屋線が完成し、同線と合わせて名阪都市間輸送の一役も担うようになった。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 107,
"tag": "p",
"text": "大軌と参急の合併によって関西急行鉄道が発足した時に線名の整理が行われ、大軌桜井線と参急本線の伊勢中川駅以西をまとめて大阪線とし、参急本線の伊勢中川駅以東の区間は山田線となった。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 108,
"tag": "p",
"text": "2018年(平成30年)11月13日調査による乗降客数は次の通り。",
"title": "各駅の乗降客数"
},
{
"paragraph_id": 109,
"tag": "p",
"text": "以下の区間で連続立体交差事業が検討されている。",
"title": "連続立体交差事業"
}
] |
大阪線(おおさかせん)は、大阪府大阪市天王寺区の大阪上本町駅から三重県松阪市の伊勢中川駅までを結ぶ、近畿日本鉄道(近鉄)の鉄道路線である。 駅ナンバリング等で使われる路線記号はD。番号部分は、大阪上本町駅 - 真菅駅間は難波線からの通し番号(大阪難波駅を01とみなす)、大和八木駅 - 伊勢中川駅間は京都線・橿原線からの通し番号(京都駅を01とみなす)になっている。
|
{{pp-vandalism|small=yes}}
{{Infobox 鉄道路線
|路線名 = [[ファイル:KintetsuLogo.svg|19px|近畿日本鉄道|link=近畿日本鉄道]] 大阪線
|路線色 = #4694d1
|ロゴ = [[File:KT number-D.svg|40px|D]]
|画像 = KINTETSU21020 20131028B.jpg
|画像サイズ = 300px
|画像説明 = 大阪線 三本松付近を走行する名阪特急の[[近鉄21020系電車|21020系電車]]<br/>(アーバンライナー)
|国 = {{JPN}}
|所在地 = [[大阪府]]、[[奈良県]]、[[三重県]]
|起点 = [[大阪上本町駅]]
|終点 = [[伊勢中川駅]]
|路線記号 = [[file:KT number-D.svg|20px|D]]
|駅数 = 48駅
|開業 = [[1914年]][[4月30日]]
|全通 = [[1930年]][[12月20日]]
|廃止 =
|所有者 = <!-- [[大阪電気軌道|大阪電気軌道+参宮急行電鉄→大阪電気軌道→関西急行鉄道]]→ -->[[近畿日本鉄道]]
|運営者 = 近畿日本鉄道
|車両基地 = [[高安検車区]]、同区[[五位堂検修車庫|五位堂車庫]]、同区名張車庫、同区青山町車庫
|使用車両 = [[#車両|車両]]の節を参照
|路線距離 = 107.6 [[キロメートル|km]]
|営業キロ = 108.9 km
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|閉塞方式 = 自動閉塞式
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|最高速度 = 130 [[キロメートル毎時|km/h]]<ref name="terada">寺田裕一『改訂新版 データブック日本の私鉄』 - ネコ・パブリッシング</ref>
|路線図 = [[File:Kintetsu Corporation Linemap.svg|300px]]
}}
<!-- 煩雑になるため高架・高速・直通先省略。凡例に則りHUBを接続範囲とします -->
{{BS-map
|title=停車場・施設・接続路線
|title-bg=#4694d1
|title-color=white
|collapse=yes
|top= <nowiki>*</nowiki> 印は旧線経由の営業キロ。
|map=
{{BS2||tSTR|||{{rint|osaka|ktam}} [[近鉄難波線|難波線]]|}}
{{BS2|KBHFa|O1=HUBaq|tBHF|O2=HUBeq|0.0|D03 [[大阪上本町駅]]|{{rint|osaka|t}} {{rint|osaka|s}} [[ファイル:BSicon exTRAM.svg|14px|link=大阪市電]]|}}
{{BS2|STR|tSTRe||↓{{rint|osaka|ktd}} '''大阪線'''||}}
{{BS4||KRZu|KRZu|BHFq|O4=HUBa|||[[西日本旅客鉄道|JR西]]:{{rint|ja|wko}} [[大阪環状線]]|}}
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{{BS2|KRWgl+l|KRWgr+r||||}}
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{{BS2||BHF|28.8|D24 [[築山駅]]||}}
{{BS4|LSTR||BHF||29.9|D25 [[大和高田駅]]||}}
{{BS4|HST||STR||||[[高田駅 (奈良県)|高田駅]] ←JR西:{{rint|ja|wkt}} 和歌山線↑|}}
{{BS4|ABZgr||STR||||↓JR西:[[桜井線]]({{rint|ja|wku}} 万葉まほろば線)|}}
{{BS4|LSTR||BHF||31.8|D26 [[松塚駅]]||}}
{{BS4|LSTR||BHF||32.8|D27 [[真菅駅]]||}}
{{BS4|KRZ2+ro|STRc3|ABZg+l|STR+r|||←{{rint|osaka|ktbk}} [[近鉄橿原線|橿原線]]|}}
{{BS4|HST|O1=STRc1|STRl+4|O2=KBHFa|ABZgr|STR||[[八木西口駅]]<ref group="*">大和八木と同一駅扱い</ref>|左:[[畝傍駅]]|}}
{{BS4|LSTR|STRl|TBHFo|ABZql|34.8|D39 [[大和八木駅]]||}}
{{BS2||BHF|36.9|D40 [[耳成駅]]||}}
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{{BS4|LSTR|exSTR+l|eKRZ||||''[[大和鉄道]]''|}}
{{BS4|BHF2|O1=HUBrg|exKBHFe|O2=STRc3|P2=HUBq|BHF|O3=HUBeq||39.8|D42 [[桜井駅 (奈良県)|桜井駅]]||}}
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{{BS4|exSTRl|exSTRq|eKRZ|exSTR+r|||''[[大阪電気軌道|大軌]]:[[大阪電気軌道長谷線|長谷線]]''|}}
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{{BS2||BHF|57.2|D46 [[室生口大野駅]]||}}
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{{BS2||STR+GRZq|||[[奈良県]]/[[三重県]]|}}
{{BS2||BHF|64.0|D48 [[赤目口駅]]||}}
{{BS4|||STR|exKHSTa|||''[[西名張駅]]''|}}
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{{BS2||BHF|67.2|D49 [[名張駅]]||}}
{{BS4|||ABZgl|KDSTeq||高安検車区名張車庫||}}
{{BS4|||BHF|exLSTR|70.0|D50 [[桔梗が丘駅]]||}}
{{BS4||exSTR+l|eKRZo|exSTRr||||}}
{{BS2|exLSTR|BHF|73.1|D51 [[美旗駅]]||}}
{{BS4||exSTRl|eKRZo|exSTR+r||||}}
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{{BS4|||STR|STRl|||[[伊賀鉄道]]:[[伊賀鉄道伊賀線|伊賀線]]|}}
{{BS4|||BHF|KDSTa|77.9|D53 [[青山町駅]]||}}
{{BS4|||KRWg+l|KRWr||高安検車区青山町車庫||}}
{{BS2||BHF|80.6|D54 [[伊賀上津駅]]||}}
{{BS4|||eABZgl|exSTR+r||||}}
{{BS4|||TUNNEL1|exTUNNEL1||新・''旧''宮下トンネル||}}
{{BS4|||TUNNEL1|exTUNNEL1||新・''旧''北山トンネル||}}
{{BS4|||STR|exTUNNEL1||''谷奥トンネル''||}}
{{BS4|||TUNNEL1|exTUNNEL1||新・''旧''三軒家トンネル||}}
{{BS4|||eABZg+l|exSTRr||||}}
{{BS2||eDST|83.4*|''三軒家信号場''|-1973|}}
{{BS2|exSTR+l|eABZgr||||}}
{{BS2|exSTR|BHF|83.8|D55 [[西青山駅]]|1975-|}}
{{BS4||exSTR|tSTRa|GRZq|84.048||{{BSsplit|↑大阪統括部|↓名古屋統括部}}|}}
{{BS2|exBHF|tSTR|85.3*|''西青山駅''|-1975|}}
{{BS2|exSTR|tSTR||[[新青山トンネル]]||5,652m}}
{{BS2|exTUNNEL1|tSTR||''青山トンネル''||}}
{{BS2|exBHF|tSTRe|89.1*|''東青山駅''|-1975|}}
{{BS2|extSTRa|tSTRa||||}}
{{BS4||extSTRl|etKRZt|extSTR+r||垣内トンネル||}}
{{BS4|||tSTR|extSTRe||''滝口トンネル''||}}
{{BS4|||tSTR|exTUNNEL1||''溝口トンネル''||}}
{{BS4|||tSTR|exTUNNEL1||''仁川トンネル''||}}
{{BS4|||tSTRe|exDST|91.8*|''垣内西信号場''|-1975|}}
{{BS4|||BHF|exSTR|91.5|D56 [[東青山駅]]||}}
{{BS4|||STR|exDST|93.1*|''垣内東信号場''|-1975|}}
{{BS4|||TUNNEL1|exTUNNEL1||[[総谷トンネル|新・''旧'' 総谷トンネル]]||}}
{{BS4|||TUNNEL1|exTUNNEL1||新・''旧'' 梶が広トンネル||}}
{{BS4|||eABZg+l|exSTRr||||}}
{{BS2||BHF|95.4|D57 [[榊原温泉口駅]]||}}
{{BS2||BHF|97.6|D58 [[大三駅]]||}}
{{BS2||eDST|100.1|''亀谷信号場''|-1974|}}
{{BS4|||BHF|O3=HUBaq|HUBlg|101.6|D59 [[伊勢石橋駅]]||}}
{{BS4|||eKRZo|exBHFq|O4=HUBe|||''[[中勢鉄道]]''|}}
{{BS2||hKRZWae|||[[雲出川]]|}}
{{BS2||eDST||''高野信号場''|-1974|}}
{{BS2||STR|||[[東海旅客鉄道|JR東海]]:[[名松線]]|}}
{{BS2|STR+4|BHF|104.4|D60 [[川合高岡駅]]||}}
{{BS2|BHF3|STR|||[[一志駅]]|}}
{{BS2||DST|108.2|52号ポイント(宮古分岐)||}}
{{BS4|||KRWgl|KRW+r|||[[伊勢中川駅#中川短絡線|中川短絡線]]|}}
{{BS4|||hKRZWae|hKRZWae|||[[中村川 (三重県)|中村川]]|}}
{{BS4|||ABZg+l|ABZql|||{{rint|osaka|kte}} [[近鉄名古屋線|名古屋線]]|}}
{{BS2||BHF|108.9|D61 [[伊勢中川駅]]||}}
{{BS2||STR|||{{rint|osaka|ktmy}} [[近鉄山田線|山田線]]|}}
{{BS-colspan}}
----
|bottom={{Reflist|group="*"}}
}}
'''大阪線'''(おおさかせん)は、[[大阪府]][[大阪市]][[天王寺区]]の[[大阪上本町駅]]から[[三重県]][[松阪市]]の[[伊勢中川駅]]までを結ぶ、[[近畿日本鉄道]](近鉄)の[[鉄道路線]]である。
[[駅ナンバリング]]等で使われる路線記号は'''D'''。番号部分は、大阪上本町駅 - [[真菅駅]]間は[[近鉄難波線|難波線]]からの通し番号([[大阪難波駅]]を01とみなす)、[[大和八木駅]] - 伊勢中川駅間は[[近鉄京都線|京都線]]・[[近鉄橿原線|橿原線]]からの通し番号([[京都駅]]を01とみなす)になっている<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.kintetsu.co.jp/all_news/news_info/hpyouu.pdf |title=駅ナンバリングを全線で実施します 〜あわせて案内サインや放送での多言語対応を拡充します〜 |date=2015-08-19 |access-date=2023-10-02 |publisher=近畿日本鉄道}}</ref>。
== 概要 ==
当路線のうち大阪上本町駅 - [[布施駅]]間は、[[近鉄奈良線|奈良線]]とともに[[1914年]]に開業した近鉄の直系母体である[[大阪電気軌道]](大軌)の創業路線である。近鉄の基幹路線の一つとして、[[伊勢中川駅]]から[[近鉄名古屋線|名古屋線]]や[[近鉄山田線|山田線]]に直通して、[[大阪]]と[[名古屋市|名古屋]]および[[伊勢志摩]]方面を結ぶ多数の[[近鉄特急|特急列車]]が運行されている。
特急以外の全ての一般列車は創業以来の[[ターミナル駅]]である大阪上本町駅の地上ホームに発着する一方で、大阪 - 名古屋間を結ぶ[[近鉄特急#名阪特急(大阪 - 名古屋間)|名阪特急]]を中心に大半の特急列車は大阪上本町駅から地下線の[[近鉄難波線|難波線]]に直通して<ref>{{Cite web|和書|title=近畿日本鉄道|駅の情報|大阪上本町 |url=https://www.kintetsu.co.jp/station/station_info/station02005.html |publisher=近畿日本鉄道 |access-date=2022-07-22}}</ref>[[大阪難波駅]]([[大阪市]][[中央区 (大阪市)|中央区]])に発着している<ref name="特急路線図">{{Cite web|和書|title=主な特急列車|url=https://www.kintetsu.co.jp/gyoumu/Express/A10002.html#rosenzu |publisher=近畿日本鉄道 |access-date=2022-07-23}}</ref>。さらに、[[大和八木駅]] - 伊勢中川駅間では[[近鉄京都線|京都線]]・[[近鉄橿原線|橿原線]]と直通して[[京都駅]] - 伊勢志摩間を結ぶ特急列車も運行されている<ref name="特急路線図" />。
近鉄特急による長距離輸送のみならず、大阪府[[中河内 (大阪府)|中河内]]・[[奈良県]][[中和 (奈良県)|中和]]地域・三重県[[伊賀]]地域から大阪市内への通勤・通学路線としての役割も担っている。一方で、三重県の[[青山高原]]一帯は民家もほとんどなく、駅の利用者も非常に閑散としている。
営業距離の108.9kmは、[[JR]]・[[第三セクター鉄道|三セク]]を除く日本の[[私鉄]]の路線では[[東武伊勢崎線]]に次ぐ長さである(全線が[[複線]]以上の路線としてはJR・三セクを除く日本の私鉄では最長)。大阪上本町駅 - [[布施駅]]間は[[複々線]]となっており<ref>国土交通省鉄道局監修『鉄道要覧』平成28年度版、電気車研究会・鉄道図書刊行会、p.148</ref>、うち2線に[[近鉄奈良線|奈良線]]が直通して[[複々線#方向別複々線|方向別複々線]]を形成している。大阪府を起点とする関西[[大手私鉄]]の幹線・本線としては、奈良線とともに[[Osaka Metro御堂筋線]]との接続駅がないため、[[難波]]方面へは自社の難波線、[[梅田]]・[[天王寺]]方面へは[[Osaka Metro谷町線]]や途中の[[鶴橋駅]]で[[西日本旅客鉄道]](JR西日本)[[大阪環状線]]への乗り換えが必要となる。
全線で[[PiTaPa]]および[[ICOCA]]・[[Suica]]などの[[ICカード]]が[[交通系ICカード全国相互利用サービス|全国相互利用サービス]]により利用できる。なお、自動改札機が設置されていない伊賀上津駅 - [[川合高岡駅]]間の各駅には、専用の簡易改札機を設置して対応している。また、以前は大阪上本町駅 - 青山町駅間で[[スルッとKANSAI]]対応カードおよび[[Jスルーカード]]にも対応していた。
=== 路線データ ===
* 路線距離([[営業キロ]]):108.9 km
* [[軌間]]:1,435 mm
* 駅数:48駅(起終点駅含む)
* 複線区間:
** [[複々線]]:大阪上本町駅 - 布施駅間(4.1 km [[近鉄奈良線|奈良線]]列車との方向別複々線)
** [[複線]]:布施駅 - 伊勢中川駅間(104.8 km)
* [[鉄道の電化|電化]]区間:全線電化([[直流電化|直流]]1,500 V)
** 大阪上本町駅 - 布施駅間の複々線化前は、同区間は奈良線に合わせて直流600 V電化であり、そのため布施駅構内に[[デッドセクション]]が設けられていた。
* [[閉塞 (鉄道)|閉塞方式]]:自動閉塞式
* 最急勾配:35.6 [[パーミル|‰]](大和八木駅東方:高架と地平の境目<ref group="注釈">該当部分はわずかな距離でしかなく、他にも大阪上本町→鶴橋などの高架区間に35 ‰が点在するが、列車運行上考慮を要する連続勾配としては本文中にあるとおり33.3 ‰が最急である。</ref>)
* 最高速度:130 km/h<ref name="terada" />
なお、[[新青山トンネル]]西坑口(大阪上本町起点84.048 km地点)を境に、大阪上本町側が大阪統括部、伊勢中川側が名古屋統括部の管轄。
実キロ数は107.6 kmで、榊原温泉口駅の大阪寄りに実キロ数を営業キロ数に合わせることを示す[[鉄道標識#距離標|キロポスト]](距離更正点)が建っている(大阪上本町駅を起点とする実キロ数93.738 kmの地点で、営業キロ数95.054 kmが設定されている。両者の差は新線経由と旧線経由の差である)。距離更正点が設置されている現在の東青山駅 - 榊原温泉口駅間の実キロは2.5 kmだが、運賃計算上では3.9 kmとして扱われており、同区間の運賃は180円(初乗り3kmまで)ではなく240円となっている。
== 沿線概況 ==
桜井駅以西は大阪・奈良の府県境があるものの比較的平坦な区間で連続した急勾配は少ない。桜井駅から伊勢中川駅までは山越え区間になるが、開業当初から[[鉄道の電化|電化]]されており、曲線半径600m以下のカーブが生じないように設計されている(その他の区間には最小半径400mのカーブが存在)ため、最大33.3[[パーミル|‰]]の連続急勾配も点在する。このため、強力なモーターを搭載する電車が高速で山越えをするダイナミックな走行が見られる。
なお、以下に示す記述はすべて大阪上本町→伊勢中川方向における沿線風景であり、逆方向については順序が逆になり、風景の見える方向が左右逆となる。
=== 大阪上本町駅 - 河内国分駅間 ===
[[近鉄百貨店]]上本町店に内包された7面6線を有する[[ターミナル駅]]である[[大阪上本町駅]]を発車してほどなく、地下から高架へと上がる奈良線([[近鉄難波線|難波線]])の線路が並行し(書類上、近鉄奈良線の起点は布施駅であるが、運転系統にあわせここでは奈良線と記す。詳細は[[近鉄奈良線]]の項目を参照)、JR[[大阪環状線]]の下を通り[[鶴橋駅]]に到達する。この駅は2面4線の構造で、1番線と3番線を奈良線、2番線と4番線を大阪線が使用している。JRと近鉄の主要幹線同士の接続駅ということもあり、終日多くの利用客で混雑する。この駅で奈良線と大阪線の列車が相互に接続する。
鶴橋駅から先はしばらく方向別複々線の線路になり、大阪線と奈良線がそれぞれ異なる線路を走る。住宅街を高架で通り抜け[[今里駅 (近鉄)|今里駅]]に達する。今里を出てしばらくすると[[東大阪市]]に入り、奈良線の線路がさらに上へ上がり、[[布施駅]]となる。ここから奈良線と分かれ、線路は右にカーブする。次の[[俊徳道駅]]の高架下には[[2008年]][[3月15日]]に開業したJR[[おおさか東線]]の[[JR俊徳道駅]]がある。
俊徳道駅を出てしばらく進むと高架区間は終わり、終日、[[近畿大学]]の学生などで賑わう[[長瀬駅]]に着く。そこから先は狭い住宅街を進み、2面4線の[[弥刀駅]]に達する。弥刀駅からすぐ河内国分寄りには引き込み線と折り返し設備があり、かつては近畿大学の学生を運ぶ弥刀駅折り返しの列車が使用していたが、現在も信貴線(後述)の車両入れ換えや回送列車の方向転換等に用いられることがある。弥刀駅を過ぎると再び高架に上がり、高々架の[[近畿自動車道]]と地上の[[大阪府道2号大阪中央環状線]]に差し掛かる手前で[[八尾市]]に入り、[[久宝寺口駅]]。そのまま高架を進んで[[近鉄八尾駅]]に達する。
近鉄八尾駅を出ると、左手には[[アリオ八尾]]が見え、しばらく進むと[[メロディアン]]の本社および研究所が見える。線路が再び地上に下りると間もなく[[河内山本駅]]に着く。この駅からは[[近鉄信貴線|信貴線]]が分岐しており、大阪などから信貴山[[朝護孫子寺]]への参拝の足となっている。ここを過ぎると線路は右へ大きくカーブし、[[高安駅]]に達する。ここには[[高安検車区]]・[[高安検修センター]]があり、近鉄のいろいろな車両を見ることができる。その後高架に上がって[[国道170号]]([[大阪外環状線]])を乗り越え[[恩智駅]]、そこを出てすぐに線路は地上になる。東方向(進行方向左側)に生駒山系の山並みを眺めつつ線路は南へ延び、[[柏原市]]の住宅街に入って[[法善寺駅]]・[[堅下駅]]と進む。[[安堂駅]]のあたりからJR[[関西本線]]([[大和路線]])と[[国道25号]]が並走するが、[[大和川]]沿いの亀の瀬渓谷へ東進するこの2線を大阪線は立体交差で跨いで大和川を渡って南進し、[[河内国分駅]]に着く。
=== 河内国分駅 - 大和八木駅間 ===
大阪線にやや遅れて大和川を渡って来た国道25号が河内国分駅前で合流するも、すぐ北東へ進路を変えて亀の瀬渓谷へ向かう。一方、大阪線はゆるやかに左へカーブし、原川沿いの田尻峠を目指す。景色も次第に[[金剛山地]]の山々がせり出してくるようになり、[[西名阪自動車道]]の下を通ると[[大阪教育大前駅]]。この駅を過ぎてすぐの新玉手山トンネルを抜けてしばらく進んだ所に府県境となる田尻峠があり、[[大阪府]]から[[奈良県]]に入る。また、河内国分駅 - [[大三駅]]間にかけては大阪と[[津市|津]]を結ぶ[[国道165号]]とほぼ全区間で並走している。
[[関屋駅 (奈良県)|関屋駅]]の先で勾配を登り切り、[[二上駅]]を過ぎて[[奈良盆地]]に踏み込むと、南側(右側)に[[フタコブラクダ]]状の稜線を持つ[[二上山 (奈良県・大阪府)|二上山]]が見えてくる。この辺りでは二上山寄りを走る[[近鉄南大阪線|南大阪線]]に最も接近する。線路は徐々に[[香芝市]]の中心部へと進み、香芝市役所の最寄駅[[近鉄下田駅]]に達する。ここを過ぎるとJR[[和歌山線]]を乗り越え、[[五位堂検修車庫]]・高安検車区五位堂車庫を右手に眺めつつ[[五位堂駅]]に達する。
住宅街を通り抜け[[大和高田市]]に入り、[[築山駅]]を過ぎて[[大和高田駅]]に達する。しばらく進むと田園地帯に入り、[[松塚駅]]を過ぎて[[曽我川]]を渡ると線路は[[橿原市]]に入る。このあたりから右手に[[大和三山]]の一つ[[畝傍山]]が見えてくる。橿原市の住宅街に入ると[[真菅駅]]。そこから線路はしばらく住宅街の中を進み、[[近鉄橿原線|橿原線]]からの京伊特急用の[[連絡線|短絡線]]が合流して、高架の[[大和八木駅]]に到着する。この駅には大阪だけでなく京都方面からも一部の特急が運転されており、同一ホームでの特急同士の連絡が時折見られる。またこの駅からは「高速道路を通らない日本一長いバス路線」である[[十津川村|十津川]]経由[[新宮市|新宮]]方面行きの[[奈良交通]]バスが発着している。
=== 大和八木駅 - 名張駅間 ===
大和八木駅を出て橿原の市街地を抜けると、左手に[[耳成山]](大和三山)が、右手に[[天香具山]](大和三山)が見える。特に耳成山は線路のすぐ近くにそびえており、周辺に目立った丘がないためとても美しく見える。[[耳成駅]]を過ぎると線路は[[桜井市]]に入り、住宅と畑、山林が調和したのどかな風景が続く。[[大福駅]]を通り過ぎると左手には[[三輪山]]が、右手にJR[[桜井線]](万葉まほろば線)が見えてくる。大阪線の線路は高架へ上がりJR線もこちらに迫ってきて[[桜井駅 (奈良県)|桜井駅]]に達する。
桜井駅を出るとJR桜井線(万葉まほろば線)が左に分かれていき、[[国道165号]]を乗り越えると、2面4線の[[大和朝倉駅]]。この付近から線路は、[[大和川|初瀬川]]の谷の山肌に沿って最大33.3‰の上り勾配が連続している。線路はやがて[[ボタン (植物)|牡丹]]と[[紅葉]]の名所である[[長谷寺]]の最寄り駅、[[長谷寺駅]]を通る。長谷寺駅を過ぎると、室生・赤目の山々がせり出してくる。トンネルをくぐり約8kmに亘って続いた上り勾配が終わると、3面5線を有する[[宇陀市]]の中心駅、[[榛原駅]]に達する。
榛原駅を出るといよいよ山間部に入り、駅間の距離も長くなる。国道165号と並走しつつ[[室生口大野駅]]・[[三本松駅 (奈良県)|三本松駅]]を通り、[[宇陀川]]を渡るとやがて奈良県から[[三重県]]へ入る。<!--
この付近の室生・赤目の山々は、遥か昔の室生火山[[溶岩流]]の名残で、紅葉が美しい[[香落渓]](こおちだに)の[[節理#節理の種類|柱状節理]]は、[[北海道]]の[[層雲峡]]と同じく火山噴出物が河川の[[侵食|浸食]]を受けたものである。-->
線路は[[赤目四十八滝]]の最寄駅、[[赤目口駅]]に達し、山間から名張盆地へと移っていく。[[名張川]]を渡ると車両基地を構えた[[名張駅]]に到達。駅の売店には関西で売られている商品だけでなく、[[中日新聞]]・[[中日スポーツ]]など東海・中部地方でよく見られる商品が並ぶようになり、[[近畿地方|関西(近畿)地方]]と[[中部地方]]の境界的な様子を見せる。利用客もこの駅からは大阪方面ではなく[[津市|津]]・[[四日市市|四日市]]・[[名古屋市|名古屋]]方面に向かう通勤、通学客が現れてくる。
=== 名張駅 - 伊勢中川駅間 ===
名張駅を出てしばらくは名張の市街地を通り、[[桔梗が丘駅]]に至る。この駅を過ぎると線路は住宅街を出て田園地帯を走る。[[美旗駅]]を過ぎ、[[伊賀市]]に入ると[[伊賀神戸駅]]に着く。この駅から[[伊賀鉄道伊賀線]]が北に分かれており、伊賀市(旧上野市)の中心部、[[上野市駅]]へはここで乗り換えとなる。大阪線の線路は[[木津川 (京都府)|木津川]]を渡り、さらに山間部を進んで車庫を構える[[青山町駅]]に出る。
青山町駅から先、[[伊賀上津駅]]・[[西青山駅]]・[[東青山駅]]・[[榊原温泉口駅]]にかけてはほとんど人家がない完全な山([[布引山地]])の中を進むことになる。この辺りは近年[[シカ|鹿]]が多く出没しており、特に東青山駅周辺では2015年の1年間だけで過去最多となる17件もの鹿との衝突事故が発生している<ref>{{cite news |title=シカ 電車衝突ゼロに!線路沿いに超音波、進入阻む…動物事故急増で鉄道各社あの手この手 |newspaper=[[産経新聞]] |publisher=[[産業経済新聞社]] |date=2016-12-16 |url=https://www.sankei.com/article/20161216-FVXH7LE4MFKRTI6B3N3KTQOBHU/ |accessdate=2016-12-22}}</ref>。またトンネルも多く、この間で全長5,652mの[[新青山トンネル]]、1,165mの垣内(かいと)トンネルを通る。新青山トンネルを通り抜けると線路は[[津市]]に入る。
榊原温泉口から先もしばらくは山間部、トンネルを進むが、[[大三駅]]を過ぎたあたりから山を抜け、田園地帯に入る。[[伊勢石橋駅]]を過ぎると徐々に住宅も多くなってくる。[[川合高岡駅]]まで来るとほぼ平地であり、完全に山を越えたことを実感させられる。この川合高岡駅の程近くにはJR[[名松線]]の[[一志駅]]がある。
線路はその後[[伊勢自動車道]]をくぐり[[松阪市]]に入って、左手方向に[[近鉄名古屋線|名古屋線]]への連絡線が分かれる。[[中村川 (三重県)|中村川]]を渡ると名古屋線の線路が迫り合流して、大阪線の終点[[伊勢中川駅]]に到着する。この駅は大阪線・名古屋線とも始終着駅ではあるが、線路自体はこの駅より[[近鉄山田線|山田線]]となって宇治山田・賢島方面に続いており、伊勢中川より大阪、名古屋方から直通運転する列車も多い。
== 運行形態 ==
=== 列車種別 ===
大阪線では、[[近鉄特急|特急]]・[[快速急行]]・[[急行列車|急行]]・[[準急列車|準急]]・[[準急|区間準急]]・[[普通列車|普通]]が運転されている。ここでは特急以外の各種別の詳細を示す。なお、特急は「[[近鉄特急]]」の項を参照のこと。
ラッシュ時の増結運転を考慮して特急停車駅・快速急行停車駅・[[大阪上本町駅]] - [[高安駅]]間の準急停車駅のホームは10両まで対応している。
大阪上本町駅から[[青山町駅]]を越えて伊勢中川発着や山田線及び鳥羽線に直通運転される快速急行・急行には原則トイレ付きの車両が充当されるが、ダイヤ乱れが起きた場合はトイレのない車両が運用に入ることがある。トイレ付き編成はそれぞれが限定運用となっており、車両運用の都合で準急以下の種別にもトイレ付き車両が充当される列車がある。
特急以外の各種別は、奈良線のそれらとは異なり難波線に乗り入れる定期運用が存在せず、ごく一部の[[団体臨時列車]]を除き、[[阪神電気鉄道|阪神電鉄]]との相互[[直通運転]]も実施していないため、難波線・阪神直通列車とは大阪上本町駅 - 布施駅間のいずれかの駅で乗り換える必要があるが、鶴橋駅を除いて[[対面乗り換え]]はできない。
==== 快速急行 ====
[[File:Kintetsu 5820 DH51 Rapid Express.jpg|200px|thumb|5820系による快速急行]]
昼間時以外に運転され、朝方は平日は下り2本、休日は1本を除き上りのみ、夕夜間は休日に1本以外は下りのみの運行である。上りは名張駅・青山町駅発大阪上本町行きが、下りは大阪上本町駅発名張・青山町駅・[[近鉄山田線|山田線]][[松阪駅]]・[[宇治山田駅]]・鳥羽線[[五十鈴川駅]](土休日のみ)・鳥羽行きが設定されている。大阪線内では[[布施駅]]を除いた阪伊乙特急の停車駅に加えて[[五位堂駅]]・[[桜井駅 (奈良県)|桜井駅]]・[[室生口大野駅]]・[[赤目口駅]]・[[美旗駅]]・青山町駅に停車する。通勤時間帯の長距離速達種別という位置付けであるが、赤目口駅 - 青山町駅間を各駅に停車することで、同区間における普通列車としての役割も担う<ref group="注釈">車内放送では各駅停車区間の停車駅は「○○から○○の間の各駅に停車」と放送されるが、青山町駅以西の駅での停車駅案内では各駅停車区間もすべての停車駅が表記され案内される。これは急行やかつての区間快速急行も同様である。</ref>。
編成両数は6両編成を基本に、青山町駅以西は最大10両、以東は4両・6両編成で運転される。このため名張駅や青山町駅で車両増結・解放を行う列車がある。
途中駅での他種別との連絡については、五位堂駅・大和八木駅・[[榛原駅]]または名張駅で準急以下の種別との接続、名張駅・青山町駅では[[伊勢中川駅]]発着の普通との接続を考慮して、下り列車(後述の急行も含む)の一部は名張駅で大阪難波駅発の名阪乙特急と緩急接続する一方で、上り列車は運転間隔が異なるために朝の一部を除けば名阪乙特急とはほとんど接続しない。
特急列車の待避は主に[[大和八木駅]]・榛原駅・名張駅で行われるが、青山町駅 - 大阪上本町駅間の列車については全区間先着となる列車もある。大阪上本町駅 - 伊勢中川駅間の最短所要時間は1時間41分である(表定速度65km/h、2016年3月19日時点)。
本数は少ないが鳥羽線内発着の列車も運転されている。五十鈴川駅発着の列車は、2012年3月19日以前は下りは臨時列車や延長運転を除いて運転されていなかったが(急行もほぼ同様)、2012年3月20日のダイヤ変更で休日下り最終の宇治山田駅行きを延長して五十鈴川駅行きが設定された。2014年9月21日のダイヤ変更で平日朝方と全日夜下りに五十鈴川駅発着列車が設定されたが、2018年3月17日のダイヤ変更で土休日下り1本のみとなった。2020年3月14日のダイヤ変更で鳥羽線内発着の大阪上本町行きがなくなり、山田線も含めて上りの快速急行は全て青山町駅以西のみとなる。なお、鳥羽線・山田線内発の上り列車は名張駅まで急行で、名張駅から快速急行に種別が変更されて運行される。
鳥羽駅発着の列車は、上りが2004年3月17日までは夕刻にも設定されていたが、運転区間の短縮で2012年3月20日のダイヤ変更で消滅。下りは休日夕方に残っていた1本が2016年3月19日のダイヤ変更で一旦消滅したが、2018年3月17日のダイヤ変更で平日も含めて鳥羽駅発着列車が再度設定された。
[[#区間快速急行|区間快速急行]]が運行されていたころは交互に運行していた。下り列車は夜20時台までの運行で、21時以降は代わって区間快速急行が運行されていた。
近年では急行への変更ないしは減便などで運転本数は年々減少しており、2013年3月17日のダイヤ変更で朝の下り列車が平日の8時台を除いてすべて急行に変更され、2016年3月19日のダイヤ変更で下り列車は18時台と19時台および20時台の1本、上り列車は朝5時台から7時台の一部および平日17時台の名張駅始発1本を除いた全列車が急行に格下げされ、2018年3月17日のダイヤ変更で平日朝2本と休日朝の伊勢方面始発および平日17時台の名張駅始発の快速急行も消滅したが、2021年7月3日のダイヤ変更で土休日に1本復活した。また、2016年3月18日までは大和八木駅止まりと山田線宇治山田駅発着列車が、2003年3月5日までと2012年3月20日から2013年3月16日までの間には伊勢中川駅始発の列車([[近鉄名古屋駅]] - 伊勢中川駅間を急行として運転し、伊勢中川駅で大阪上本町行き快速急行に種別変更したもの)も運転されていた。全線通し運転列車の所要時間は年々増加傾向にあり、運転時間帯も2003年3月6日のダイヤ変更以降は上り列車を中心に徐々に縮小傾向にある。2020年3月14日のダイヤ変更では大阪上本町駅に朝7時30分頃から8時50分頃に到着する列車が計6本設定されており、朝9時を過ぎて到着する列車は1本もない<ref group="注釈">2003年3月5日までは五十鈴川駅を9時30分に発車し、大阪上本町駅に11時47分(休日は11時46分)に到着する列車が1本存在していた。近鉄時刻表2002年号、p127・p311</ref>。
[[1978年]]3月18日までは本種別が急行として運転されていた(「[[#過去にあった列車種別|過去にあった列車種別]]」を参照)が、1978年3月18日のダイヤ変更(布施駅3層化改造工事完成に伴う変更)で快速急行に変更された。停車駅は2001年3月22日のダイヤ変更で五位堂駅が、2003年3月6日のダイヤ変更で美旗駅が、2012年3月20日のダイヤ変更で区間快速急行と統合された上で室生口大野駅と赤目口駅<ref name="kndaiyahenkoh24">{{Cite press release|和書|title=平成24年のダイヤ変更について |publisher=近畿日本鉄道 |date=2012-01-20 |url=http://www.kintetsu.jp/news/files/daiyahenkoH24.pdf |format=PDF |accessdate=2017-08-25 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20120131003536/http://www.kintetsu.jp/news/files/daiyahenkoH24.pdf |archivedate=2012-01-31}}</ref>がそれぞれ停車駅に追加されたが、一方で[[伊賀上津駅]]・[[西青山駅]]・[[東青山駅]]の3駅が通過となり青山町駅 - 榊原温泉口駅間は途中無停車となった<ref name="kndaiyahenkoh24"/>。ただし、朝のラッシュ時に伊勢方面からの名張止まりの急行が名張駅で大阪上本町行き快速急行に種別変更して運転されており(即ち2012年3月19日まで運行されていた区間快速急行と同じ停車駅で運行)、これら快速急行が通過するようになった駅から大阪方面へ乗り換えなしに利用できる。
2016年3月19日から平日朝方の五十鈴川行き快速急行(2018年3月17日からは青山町行き快速急行に変更)が名張駅で切り離す車両数が4両から6両に変更され、名張駅から終点五十鈴川駅まで(2018年からは青山町駅まで)4両編成で運転していたが、2020年には、切り離す車両数が6両から4両に戻った。
2020年3月16日以降は、同年3月13日で運転を終了した[[鮮魚列車]]に代わり、平日朝に鮮魚運搬専用車両として[[ラッピング車両]]「伊勢志摩お魚図鑑」を連結した松阪発大阪上本町行き快速急行(名張駅まで急行)<ref>{{Cite press release|和書|title=伊勢志摩の魚介類がテーマのラッピング車両「伊勢志摩お魚図鑑」を導入 鮮魚運搬などに活用します |publisher=近畿日本鉄道 |date=2020-02-18 |url=https://www.kintetsu.co.jp/all_news/news_info/20200416osakana.pdf |format=PDF |accessdate=2020-02-19}}</ref>と折り返しの大阪上本町発松阪行き快速急行が1往復運転されている。編成は松阪駅発名張行き急行は6両編成で、名張駅からは前に4両を連結して10両編成の大阪上本町行き快速急行として運転され、大阪上本町駅で折り返し松阪行き快速急行になり、名張駅までは10両で、名張駅からは後ろの4両を切り離して再び6両になり松阪駅まで運転される。なお、一部を除く駅のホームでは、放送や液晶ディスプレイで「伊勢志摩お魚図鑑」は業務用貸切車両であるため乗車禁止である旨の注意喚起をしている。<!--乗車位置のある駅では、○は7〜10『7〜10は大阪上本町駅〜名張駅まで』と2と、この車両は5200系も使われているため、△の3〜6を乗車位置として、1は除外する方式で乗車を促している。-->
==== 急行 ====
[[File:Kintetsu5800Series04.JPG|200px|thumb|5800系による急行]]
終日運転されており、大阪上本町駅 - 名張駅・青山町駅・伊勢中川駅・鳥羽線五十鈴川駅間の運転が基本。昼間時は1時間に3本の運転で、名張駅・青山町駅と午前中は伊勢中川駅、午後以降は五十鈴川駅折り返しが各1本設定されている。快速急行の停車駅に加え布施駅・[[河内国分駅]]・[[大和朝倉駅]]・[[長谷寺駅]]・[[三本松駅 (奈良県)|三本松駅]]・伊賀上津駅・西青山駅・東青山駅に停車する。河内国分駅・大和朝倉駅・長谷寺駅・三本松駅・伊賀上津駅・西青山駅のホームの有効長が6両編成分までであることに加えて([[ドアカット]]は行わない)、乗降客が多いが緩急接続ができない布施駅(列車待避は可能)に停車するため、混雑が激しくなりやすい。従って、快速急行などが実施する8・10両運転を必要としない閑散時間帯の長距離速達種別という位置付けとなっており、準急・区間準急・普通の本数が激減する桜井駅 - 榊原温泉口駅間を各駅に停車することで、この区間における普通列車としての役割も担う。編成両数は4両・6両編成で、快速急行同様に名張駅で車両増結や切り離しを行う列車もある。
昼間時以外(快速急行運転時間帯)は大和八木駅・伊勢中川駅発着列車と五位堂駅・名張駅 - 伊勢中川駅・山田線直通の区間運転、平日朝ラッシュ以降と土休日全時間帯の伊勢方面始発列車はこの種別で運転されており、一部は山田線宇治山田駅・鳥羽線鳥羽駅始発となる大阪上本町行きのほかに、2018年3月16日までは名張駅始発の名古屋線近鉄名古屋行き(特急とは異なり伊勢中川駅でスイッチバック)が早朝に1本設定されていた。時刻表上では名古屋線直通は存在しないが、早朝に名古屋線内を伊勢中川行きの急行または普通として運転した列車が、伊勢中川駅到着後に伊勢中川駅始発大阪上本町行き急行として継続運転する列車が2本設定されていた。しかし、この2本も2020年3月14日のダイヤ変更で消滅した。このほか、青山町駅 - 名張駅間を普通として運転し、名張駅で大阪上本町行き急行に種別変更する列車や朝のラッシュ時に伊勢方面からの一部急行列車が名張行き急行として運転し、名張駅で大阪上本町行き快速急行に変更する列車もあるほか、早朝やラッシュ終わりの時間に五位堂駅で一部の普通列車が終着駅で急行に変更する列車もある。
途中駅における他種別との連絡は、大多数の列車が河内国分駅や五位堂駅、大和朝倉駅、一部の列車で大和八木駅で準急以下の種別と相互接続が行われており、名張駅・青山町駅折り返し列車は名張駅(一部時間帯は青山町駅)で伊勢中川駅発着の普通と[[近鉄特急#阪伊特急(大阪 - 伊勢志摩間)|阪伊乙特急]]の接続が考慮されている。そのうち、大阪上本町駅を毎時11分に発車する下りの青山町行きは一部時間帯を除き、名張駅にて[[近鉄特急#名阪特急(大阪 - 名古屋間)|名阪乙特急]]および[[近鉄特急#京伊特急(京都 - 伊勢志摩間)|京伊特急]]との接続が考慮されている。一方で、五十鈴川駅直通の上り列車については2016年3月19日ダイヤ変更で日中(9時台 - 平日16時台・休日14時台まで)における五十鈴川駅での発車時刻が約5分繰り上げられたために名張駅にて名阪乙特急との相互接続が可能となった反面、伊勢中川駅での名古屋線急行との連絡が悪くなり、2018年のダイヤ変更で大阪上本町駅や五十鈴川駅における急行の発車順序が入れ替えられた結果、上下列車ともに10分 - 15分程度の連絡待ち時間が生じており、夕刻以降の五十鈴川行きも伊勢中川駅で名古屋線急行と連絡しない列車が数本存在する (松阪駅以南発着の快速急行も同様) 。
特急列車との相互接続や待避は大和八木駅・榛原駅・名張駅を中心に、日中は待避可能駅の布施駅・河内国分駅・青山町駅・東青山駅で行い、夕方以降は五位堂駅・大和朝倉駅でも特急列車の待避が行われるが、青山町駅・名張駅発着の列車は始発から終点まで列車待避の無い列車もある。その回数は列車によって異なるが、伊勢中川駅以南に直通する列車を中心に2回行うことが多い。昼間時間帯の乙特急の当線内所要時間が最速で1時間21分(表定速度79km/h)であるのに対して、急行は停車時間を含めて昼間の最速列車で1時間48分(表定速度60km/h)、朝夕の列車は概ね1時間52分(表定速度58km/h)、最大で2時間(表定速度54km/h)かかり、25 - 40分程度の時間差・速度差がある。
2003年までは鳥羽・五十鈴川発列車が多く設定されていたが、2004年3月のダイヤ変更で大多数の列車が宇治山田駅折り返しに変更となった。また、2012年3月20日のダイヤ変更で青山町駅発着列車の約半数が名張駅発着に短縮されている。2014年9月21日のダイヤ変更で宇治山田駅折り返しが一部を除き五十鈴川駅折り返しに変更となった。2018年3月17日のダイヤ変更で青山町駅・五十鈴川駅発着列車の一部が伊勢中川駅発着に変更となった。
長年日中の大阪上本町駅発の急行は毎時15分発が五十鈴川駅、宇治山田駅行き、31分もしくは35分発が名張駅、青山町駅行、52分発が青山町駅行き急行だったが、2018年3月17日のダイヤ変更以降は毎時11分発が青山町駅行き、28分もしくは31分発が五十鈴川駅行き、52分発が名張駅行き急行に変更になった。2021年7月3日のダイヤ変更以降は毎時11分が青山町行き、28分発が伊勢中川または五十鈴川行き、51分発が名張行きである。
前述のように利用客の多い布施駅や河内国分駅に停車し、快速急行が通過して普通列車の本数が激減する三本松駅や伊賀上津駅・西青山駅・東青山駅に停車するため、快速急行の中でも6両編成以上の増結運転を必要としない列車を中心に順次急行に格下げしていることなどで運転時間帯は年々拡大しており、2013年3月17日のダイヤ変更で平日の夜間に上りの急行が増発、および朝の下り快速急行の大半と平日夜間の上り快速急行の一部が急行に変更されたことから、朝の6時台から平日は22時台まで、休日は19時台までの運転となった。また、2016年3月19日のダイヤ変更で早朝5時台の上り列車と17時台および20時台の1本を除く下り全列車、平日名張駅17時台発1本を除いた夕刻上りの全列車が急行に変更、2020年3月14日のダイヤ変更で大阪上本町駅に概ね朝7時半頃までに到着する快速急行を急行に変更の上増発(朝6時台後半から7時台前半に大阪上本町駅に到着する10両編成の快速急行3本を6両編成の急行5本に置き換えた。うち2本は五位堂駅まで普通列車として運転し、五位堂駅で急行に種別変更する)されたため、終日運転する形態となった。かつては大阪市中心部から奈良県・三重県主要駅への速達列車の役割であったが、2003年に河内国分駅停車となり大阪府内の速達列車の役割も担うようになった。2021年7月3日のダイヤ変更で五位堂駅まで普通列車として運転し、五位堂駅から急行に種別変更する列車は増加した。また、大阪上本町駅20時台の宇治山田駅行きは終点の宇治山田駅で鳥羽駅ゆき普通列車に種別変更し、鳥羽駅で夜間滞泊する。
2020年のダイヤまでは急行運行時間帯は山田線および五十鈴川駅まで直通する電車がほぼ終日運行されていたが、2021年7月3日のダイヤ変更ではこれらの区間が短縮され、伊勢中川駅で折り返す急行が増発された。なお、大阪線内と宇治山田駅方面との連絡は伊勢中川駅で近鉄名古屋駅発着の急行に接続して対応している。
<!-- 2018年3月17日のダイヤ変更で大和朝倉駅と長谷寺駅の2駅が停車駅に追加された<ref name="kintetsu20180118" />。
-->
現在の急行は1978年3月に設定された2代目である。これ以前の急行については「[[#過去にあった列車種別|過去にあった列車種別]]」を参照。
==== 準急 ====
[[File:Kintetsu Series 9020 Osaka.jpg|200px|thumb|9020系による準急]]
昼間時以外に大阪上本町駅 - 大和朝倉駅・榛原駅・名張駅間で運転。一部は高安駅・五位堂駅・大和八木駅発着である。大阪上本町駅 - 河内国分駅間では急行の停車駅に加えて[[近鉄八尾駅]]・[[河内山本駅]]・高安駅に停車して大阪府内での短距離速達種別としての役割と、河内国分駅 - 名張駅間で各駅に停車することでその区間における普通列車としての役割を担う。全線通しで運転される列車はないものの、名張駅発着列車については、名張駅到着後に青山町駅発着の普通として継続運転する列車が数本設定されている(後述の区間準急、普通列車も同様)。大阪上本町駅 - 名張駅間の標準所要時間は1時間40分前後で、同一区間を運転する急行(概ね1時間10分前後)とは約30分弱の時間差があり、奈良線や名古屋線の準急と比較して急行との所要時間や停車駅数での格差が大きくなっている。
2012年3月20日のダイヤ変更からは朝・夕ラッシュ時中心の運行になった。それまで昼間時間帯にも準急が運行されていたが、このダイヤ変更で大多数が区間準急に置き換えられたほか、土休日の夕方にも区間準急と交互で運行している。ただし2018年のダイヤ変更で10時台にも大阪上本町駅 - 五位堂駅間の列車を中心に一部運行するダイヤが組まれている。編成両数は大阪上本町駅 - 高安駅間では朝ラッシュ時は最大10両編成、夕ラッシュ時は最大8両編成で運行されており、高安駅以東では6両編成を基本として一部に4両編成の運転があるため、高安駅にて車両増結や切り離しを行っていたが、2020年のダイヤ変更で朝ラッシュ時の8両以上の準急および区間準急は全て高安行き準急となった。
なお、1991年3月のダイヤ変更以前は3両編成を基本に朝ラッシュ時は高安駅以西で7両編成、夕ラッシュ時は高安駅以西で6両編成で運転されていた。
他種別との連絡については高安駅・河内国分駅で普通列車と、五位堂駅・大和八木駅・桜井駅・榛原駅または名張駅で快速急行(桜井駅は準急から快速急行への接続のみ)と、河内国分駅・五位堂駅・大和八木駅で急行と、大和八木駅・名張駅で乙特急と相互接続する。
1967年12月20日のダイヤ変更までは[[近鉄橿原線|橿原線]][[八木西口駅]]発着の準急が設定されていた。
==== 区間準急 ====
2012年3月20日のダイヤ変更より昼間の時間帯の準急と高安駅 - 河内国分駅・榛原駅間の普通を置き換える形で新設された種別で、近鉄では2006年3月21日のダイヤ変更で新設された[[近鉄奈良線|奈良線]]に続くものである。河内国分駅以西では準急の停車駅に加え、準急が通過する[[恩智駅]]・[[法善寺駅]]・[[堅下駅]]・[[安堂駅]]に停車し(すなわち近鉄八尾駅以東の各駅に停車)<ref name="kndaiyahenkoh24" />、昼間の大半の普通が高安駅発着に短縮されるとともに、大阪府下の中では利用客数の少ない恩智駅・法善寺駅・堅下駅・安堂駅の停車本数を維持しつつこの区間の実効運転本数を削減するなどの合理化を図っている。昼間時は大阪上本町駅 - 大和朝倉駅・五位堂駅間の運転が基本である。ラッシュ時の前後には一部が大和八木駅・名張駅発着で運転されており、河内国分駅を始発駅とする列車も設定されている。終電間際には大和八木行き区間準急も設定されていた。
他種別との連絡については、大多数の列車が高安駅で普通と、下りは河内国分駅、上りは五位堂駅、大和八木駅で乙特急と接続する。編成両数は一部が6両編成のほかは4両編成が基本であるが、大阪上本町駅 - 高安駅間では快速急行や準急の折り返しが区間準急となる場合は8・10両編成もあり、この場合は高安駅にて車両切り離しを行っていたが、[[#準急|前節]]で記したように2020年のダイヤ変更で8両以上の区間準急はすべて高安行き準急となり、切り離しはなくなった。
快速急行に対して急行がそうであるように、この種別もダイヤ変更毎に運転時間帯が増加しており、2012年の設定当時は日中時間帯のみの設定であったが、準急が高安駅以東では6両編成以下でしか運転できないことと、8両・10両編成での運転が大阪上本町駅 - 高安駅間のみであることもあり、2013年3月17日変更で早朝の一部上り列車が区間準急に変更され、2016年3月19日のダイヤ変更でラッシュ時の準急を置き換える形で朝ラッシュ時の一部と20時台以降にも運転されるようになった。2018年3月16日まで土休日の昼間時の運転は平日と同様に大阪上本町駅 - 榛原駅間の運転が基本であったが、2018年3月17日のダイヤ変更から大阪上本町駅 - 五位堂駅・大和朝倉駅・榛原駅間での運転が基本となった。2021年のダイヤ変更では後節の普通も加えて大阪上本町駅 - 五位堂駅・大和朝倉駅間の運行となり、日中の榛原行きが消滅した。
英文表記は Suburban Semi-Express<ref name="kujun" group="注釈">同じ列車種別が設定されている[[東武鉄道]]と[[小田急電鉄]]は共に「 Section Semi-Express 」となっている。</ref>(方向幕などの表記は「 SUB.SEMI-EXP 」)である。
==== 普通 ====
各駅に停車する列車で、全線を通しで運転する列車はなく、系統上では基本名張駅を境に分割されている。
大阪側では大阪上本町駅 - 高安駅・五位堂駅始発・大和朝倉駅間の運転が基本で、ラッシュ時に河内国分駅発着が、ラッシュ時の前後時間帯や早朝・夜間の一部に大和八木駅・名張駅発着および榛原行きが設定されており、本数は少ないものの早朝に五位堂駅 - 大和八木駅間、深夜に高安駅 - 大和朝倉駅・名張駅間や大和朝倉駅・大和八木駅 - 五位堂駅間にて前記の発着駅で区間運転が実施される列車や、五位堂駅・大和八木駅・名張駅で種別または行先変更を行って継続運転される列車もある。朝夕ラッシュ時は大阪市内方面から[[長瀬駅]]を最寄りとする[[近畿大学]]方面への通学需要があるため、優等列車とは逆方向に向かう列車に激しい混雑が発生するため、朝ラッシュ時は下り列車、夕ラッシュ時は上り列車の方がそれぞれ運転本数が多く設定されている。
昼間時の大阪上本町駅発着は平日・土休日とも1時間に5本の運転で、内訳は高安駅折り返しが4本、残りの1本は大和朝倉駅折り返しである。運転間隔は約6分 - 16分とバラつきがあるが、これは2003年3月5日以前は1時間あたり上本町駅 - 高安駅間が6本、高安駅 - 河内国分駅間4本であったものが、減便の影響で運転間隔が大きく開く時間帯が生じることとなったためである。また、高安駅 - 五位堂駅の途中駅には2012年3月のダイヤ変更以降も従来同様1時間に4本(普通4本を区間準急3本・普通1本に変更)が停車するが、ほぼ20分おきに等間隔で運転される区間準急の間に普通を毎時1本挿入する形で運行しているため大阪上本町駅 - 高安駅間同様に運転間隔は一定しておらず、下りの場合で約8 - 23分(上りは約12 - 20分で下りよりもばらつきが小さい)となっている。
三重県内では名張駅・東青山駅 - 伊勢中川駅間での運転が基本で、昼間時は名張駅 - 青山町駅間と東青山駅 - 伊勢中川駅間の列車が1時間に1本ずつ、朝夕は名張駅と青山町駅・東青山駅発着列車が約30 - 40分間隔で運転されている。原則として他線区との直通運転は行われないが、早朝の上りと深夜の下り各1本のみ入出庫の関係で名張行き・明星行きが山田線[[明星駅]]発着で運転される。名張駅・青山町駅・東青山駅 - 伊勢中川駅間の大半の列車が伊勢中川駅にて名古屋線列車との接続が考慮されており、名張駅では名張駅発着(一部は前後に走る青山町駅発着)の急行に接続している。2012年3月20日のダイヤ変更で快速急行が青山町駅 - 榊原温泉口駅間でも通過運転を行うために同列車が運転される時間帯を中心に東青山駅折り返し列車の一部が青山町駅まで延長された<ref name="kndaiyahenkoh24" />。このほか、明星駅発着列車とほぼ同様の理由で名張駅 - 青山町駅間の区間運転のものも設定されており、これは名張駅で快速急行や準急などに種別変更もしくは行先変更して継続運転することが多い。
編成両数は大阪上本町駅発着列車では6両編成を基本に一部時間帯は4両編成で運転されている。なお、伊勢中川駅発着の列車は[[大三駅]]・[[伊勢石橋駅]]・[[川合高岡駅]]のホーム長が2両分しかないため全列車が2両編成で運転されている。また、名張駅 - 青山町駅間の普通は2両 - 6両編成の列車が混在しているが、平日夜の青山町駅行き快速急行からの折り返し名張駅行き2本については8両編成で、深夜の青山町駅行き1本については翌朝の快速急行の送り込みの関係で10両編成でそれぞれ運転される。名張駅 - 青山町駅間の列車は日中の乙特急が停車しない[[桔梗が丘駅]]の速達性確保や伊賀線(現在の伊賀鉄道)の[[西名張駅]] - 伊賀神戸駅間廃止の補償という側面もあったが、日中の急行の運転本数が1時間2本から3本に増便されてからは大幅に縮小されている。2両編成の列車でも[[ワンマン運転]]は行っていない。
1956年に大阪上本町駅 - 布施駅間が複々線化されるまでは、大阪線の全列車が今里駅を通過していた。1966年までは[[弥刀駅]]発着の列車も設定されていたが、現在は高安駅発着に統合されている。2003年ダイヤ変更以前の普通列車は河内国分駅 - 名張駅間では早朝・深夜しか運転されておらず、ほとんどの時間帯で急行(榛原駅 - 名張駅間)・準急列車がその代わりを果たしていた。同年3月のダイヤ変更で日中にも榛原駅発着の列車が設定されたが、2012年3月のダイヤ変更で再び河内国分駅・高安駅発着に短縮された。2018年3月のダイヤ変更で河内国分駅発着列車が五位堂駅に延長されたほか、大和朝倉駅発着が新たに設定された。それまでの五位堂駅発着は朝のラッシュ後(下りのみ)と深夜帯の一部のみの運行だったが、2020年のダイヤ変更で下りの五位堂行きの多くは区間準急として運行されるようになり、一部は普通列車として運転が行われている。上りは前述のように早朝を中心に一部が名張駅、大和朝倉駅発着として運行されているのに加えて、2021年のダイヤ変更で青山町駅からも名張駅から行先を変更せずに直通する列車が運行されるようになった。2004年3月に山田線伊勢中川駅 - [[宮町駅]]間がワンマン化されるまでは名張駅・東青山駅 - 明星駅・宇治山田駅間の普通列車が少数設定されており、これらの下り列車は最初から宇治山田行きであるのに対し、上り列車は伊勢中川行きとして運転され、伊勢中川駅到着後改めて東青山または名張行きとして運転されていた。また、名張駅 - 伊勢中川駅間の普通列車は1989年に増発されたもので、1976年 - 1989年は青山町駅 - 東青山駅間にも昼間時は普通列車が運転されていなかった。
=== 臨時列車・臨時停車 ===
大阪線では大学受験や行楽シーズンなどで臨時列車や定期列車の延長運転が行われたり、臨時停車を実施している。停車駅の半数以上が6両まで対応ホームの駅であるために6両編成の運転が多い。
; 試験関係
:* [[近畿大学]]や[[大阪教育大学]]で入学試験や資格試験などが実施される場合は、近畿大学最寄りの長瀬駅に急行・準急・区間準急が、大阪教育大学最寄りの大阪教育大前駅に急行が一部臨時停車する。
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; レジャー関係
:* 2018年3月17日のダイヤ変更により急行の定期列車は全て長谷寺駅に停車するようになったが、それ以前の春の行楽シーズンには、[[ボタン (植物)|ボタン]]で有名な[[長谷寺]]に訪れる旅客の利便性を高めるため、長谷寺駅に日中の急行が臨時停車していた。また、秋の紅葉の時期にも急行が臨時停車した。かつては、快速急行や区間快速の臨時停車も行われていたが、近年では急行のみの臨時停車となっていた。
:* 2009年2月11日には、[[毎日放送]]主催の「[[毎日カルチャースペシャル ラジオウォーク]]」が[[藤原京]]周辺で開催されるのを受けて、参加者の便宜を図るため臨時列車が3本運転された。臨時列車は大阪上本町発名張行き区間快速1本と大阪上本町駅 - 名張駅間で臨時急行1往復が運転された。名張行き区間快速は[[2000年]]3月のダイヤ変更で青山町駅まで運転区間を延長する形で消滅したため、約9年ぶりの運転であった。
:* 2012年11月18日には朝日・五私鉄リレーウォーク 第5回 世界遺産 紀伊山地の霊場と参詣道in「吉野山」開催に伴い、大阪上本町発橿原神宮前行きの臨時快速急行が運転された。
:
; イベント関係
:* 五位堂駅隣接の五位堂検修車庫で毎年11月前後に開催されている「[[きんてつ鉄道まつり]]」が、2012年から2019年までは高安駅隣接の高安検修センターでも開催されていたため、来場者の利便性を高めるためにイベント開催時間帯の一部の定期急行列車が高安駅に臨時停車していた<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.kintetsu.co.jp/railway/Dia/dia_tetsudomatsuri.html|title=きんてつ鉄道まつり2017 in 五位堂・高安の開催に伴う、急行列車の高安駅臨時停車のご案内|publisher=近畿日本鉄道|accessdate=2017-10-14}}</ref>。
:* 2017年10月28日に開催された「きんてつ鉄道まつり2017」では、通常運行しない大阪難波発高安行きの直通普通列車が運行された<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.kintetsu.co.jp/railway/Dia/dia_tetsudomatsuri2.html|title=大阪難波発高安行の直通普通列車を臨時運転します(きんてつ鉄道まつり2017)|publisher=近畿日本鉄道|accessdate=2017-10-30}}</ref>。この列車には5200系が充当された<ref>[http://railf.jp/news/2017/10/29/193500.html 近鉄5200系復刻塗装車が難波へ] - 鉄道ファン・railf.jp 鉄道ニュース、2017年10月29日</ref>。
:* 2022年以降は五位堂研修車庫のみの開催となったため、臨時停車は行われなくなった<ref group="注釈">2020年、2021年は[[新型コロナウイルス感染症の世界的流行 (2019年-)|新型コロナウイルスの流行]]によりオンラインでの開催。</ref>。
:
; 開業記念関係
:* 2010年12月12日には[[近鉄信貴線|信貴線]]と[[近鉄西信貴鋼索線|西信貴鋼索線]]が開業80周年を迎えるのを記念して、信貴線直通の大阪上本町発信貴山口行きの臨時列車が運転され、大阪上本町発信貴山口行き準急として運転した<ref>[https://railf.jp/news/2010/12/13/091400.html 大阪上本町〜信貴山口間の直通列車が復活運転] - 鉄道ファン・railf.jp 鉄道ニュース、2010年12月13日掲載</ref>。信貴山口行き1本のみの運転で、「準急・信貴山口」の方向幕が無いため両先頭車正面に大型方向板、助士席側に信貴線・西信貴鋼索線開業80周年のヘッドマークが掲出された。信貴線内全駅のホーム有効長が最大2両編成と編成に制約があるため、途中駅での増解結は行われず全区間2両編成で運転された。信貴線の大阪線からの直通列車は1967年に廃止されて以来、43年ぶりの運転であった。同様に2018年12月15日には信貴線・西信貴鋼索線開業88周年および、八尾市市制70周年記念で8年ぶりに大阪上本町発信貴山口行きの臨時準急が運行された<ref>[https://www.tetsudo.com/event/23233/ 近鉄 大阪上本町~信貴山口間 準急列車 運転(2018年12月15日)] - 鉄道コム</ref>。
:* 2022年には[[寅]]年であることにちなんで、信貴山[[朝護孫子寺]]への利便性を図るため1月1日 - 1月3日と1月8日 - 10日にかけて大阪上本町発信貴山口行きの臨時準急が1日3本運行された<ref>[https://rail.hobidas.com/rmnews/355869/ 近鉄が「信貴山口行の準急」を運転] - 鉄道ホビダス 鉄道投稿情報局、2022年1月5日</ref>。
:
; 花火大会関係
:* 2008年以降の8月には奈良県宇陀市で開催される宇陀市はいばら花火大会への観客の便宜を図るため、大会終了時刻に合わせ、榛原発五位堂行き普通列車を1、2本運転している。
:
; 伊勢神宮関係
:* [[正月三が日]]には、[[伊勢神宮]]を参拝する旅客の便宜を図るため、臨時の特急や快速急行が運転されるほか、2002年までと2011年は日中の一部の宇治山田駅発着の定期急行を五十鈴川駅発着に変更するなどの措置が取られていた。また2009年11月3日に伊勢神宮内宮の[[宇治橋 (伊勢市)|宇治橋]]渡始式が執り行われた際は、大阪上本町発宇治山田行き快速急行の運転区間を延長する形で、五十鈴川行き快速急行も運転された。なお2020年のダイヤ変更以降、上りの快速急行は青山町駅より以西のみとなったが、正月三が日の期間は土休日の夕方に1本設定されている名張駅始発の快速急行が五十鈴川駅始発として延長運転される形で直通運行され、上りも快速急行が伊勢中川駅、榊原温泉口駅に停車する。
=== 過去にあった列車種別 ===
==== 高速 ====
[[1982年]] - [[1987年]]に、[[年末年始]]・[[ゴールデンウィーク]]・[[お盆]]などの時期に大阪上本町駅から鳥羽駅まで臨時列車として「[[高速 (列車)|高速]] 伊勢志摩号」が運行されていたことがある(設定当初の種別名は直通急行)。途中、鶴橋駅・大和八木駅・東青山駅(年始時期は通過)・[[伊勢市駅]]・宇治山田駅・五十鈴川駅に停車し、停車駅数は乙特急より少なく京都直通の準ノンストップ特急なみの停車駅数となっていたが、本来は修学旅行用臨時列車として設定されていたダイヤを転用したことに加え、2610系などの一般車両([[近鉄20100系電車|20100系「あおぞら」号]]車両を含む)を使用していたため車両性能の関係上所要時間は乙特急より10分程度遅かった。その後は停車駅は同じで、臨時「快速急行」という種別で運転されていたが、[[1990年代]]前半に消滅した<!--1993年の初詣パンフには載っているが、1994年には載っていないのでその頃か-->。
==== 急行(旧) ====
現在の快速急行は、1978年3月15日以前は急行として運転されていた。
1946年3月15日より運転を開始。[[1960年]]頃における上本町駅 - 宇治山田駅<ref group="注釈">この宇治山田駅発着の急行は通称「宇治急」と称されていた(関西の鉄道 No.33 近畿日本鉄道特集 PartVII 大阪線・伊賀線 関西鉄道研究会)。</ref>・近畿日本名古屋駅(現・近鉄名古屋駅)間急行の大阪線内は、鶴橋駅・大和八木駅・名張駅・伊賀神戸駅・佐田駅(日中の一部列車のみ、現・榊原温泉口駅)にのみ停車し、2016年現在の阪伊乙特急より少ないものであった。当時の急行は大阪から伊勢志摩方面への観光輸送や、奈良・三重両県内主要都市への都市間連絡輸送といった長距離輸送の比重も大きかった。
その後、停車駅は以下のように変遷した。
* [[1961年]][[9月21日]]:佐田駅が全列車停車となる<ref name="196111jikoku">近畿日本鉄道が1961年11月に発行した、主要駅時刻表が掲載されたリーフレットより</ref>。
* 1967年[[12月20日]]:大和高田駅・桜井駅・榛原駅が停車駅となる。
* [[1970年]][[3月21日]]:桔梗が丘駅が停車駅となる。
* [[1976年]][[3月18日]]:名阪直通急行を廃止<ref group="注釈">同時に、上本町駅発近鉄名古屋駅行急行の約30分前に名張駅発近鉄名古屋駅行急行が設定され、2018年3月16日まで存続していた。</ref>。伊賀神戸駅 - 榊原温泉口駅間が各駅停車となる<ref group="注釈">2020年3月までは、[[鮮魚列車]]がこのダイヤ変更までの停車駅で運行されている。</ref>。同時に青山町駅 - 東青山駅間からは、昼間時間帯の普通列車の運転が廃止となる<ref group="注釈">同区間の昼間時の普通列車は1989年3月17日ダイヤ変更で再び設定されたが、2021年7月3日ダイヤ変更で廃止。</ref>。
1978年3月18日ダイヤ変更で、朝夕の列車は快速急行に改称され、昼間は布施駅に停車するとともに榛原駅 - 伊賀神戸駅間も各駅停車となる別の列車となり、現在の急行となった。
==== 通勤急行 ====
1960年頃、上記の急行とは別に、朝夕に運転された榛原駅・名張駅・伊賀神戸駅・松阪駅発着の急行は、大和高田駅・桜井駅・榛原駅にも停車していた。1961年3月頃までに、この列車を分離することにより、上本町駅 - 松阪駅間の列車として「通勤急行」が設定された<ref group="注釈">正式に種別として設定される以前から部内的に「通勤急行」と呼ばれていたが、この頃に正式な種別として設定された。『50年のあゆみ』、近畿日本鉄道、1960年、204 - 205頁に記載されている運転系統図では「通勤急行」の種別が使われていないが、『最近20年のあゆみ』、近畿日本鉄道、1980年、61頁に「大阪線では、昭和36年3月当時、急行、通勤急行が - 」という表現がみられることから、この時期に正式に設定されたとみられる。</ref>。
その後、1962年6月15日変更で、佐田駅が停車駅に追加された<ref name="kjikoku196210">『京阪神からの旅行に便利な交通公社の時刻表』、日本交通公社関西支社、1962年10月、103 - 105頁</ref>。[[1964年]][[10月1日]]変更で、停車駅追加のうえ後述の「区間急行(2代)」に改称された。
==== 区間急行(初代) ====
1961年9月21日ダイヤ変更で、通勤急行と準急の中間の性格を持つ種別として、通勤時間帯の上本町駅 - 名張駅間に区間急行が設定された<ref>『最近20年のあゆみ』、近畿日本鉄道、1980年、61頁</ref>。停車駅は鶴橋駅・布施駅・近畿日本八尾駅・河内山本駅・高安駅・河内国分駅・近畿日本下田駅・大和高田駅・大和八木駅・桜井駅・長谷寺駅・榛原駅・室生口大野駅・赤目口駅であった<ref>近畿日本鉄道が1964年に発行した、主要駅時刻表が掲載されたリーフレットより</ref>。
1964年10月1日変更で廃止され、後節の「区間急行(2代)」に格上げ、または準急に格下げされた。
==== 区間急行(2代) ====
前述の「通勤急行」を日中にも毎時1本運行するにあたり、1964年10月1日変更で改称のうえ、桔梗が丘駅(同日開業)と美旗駅を停車駅に追加して設定された。その後、以下のように変遷した。
* 1970年3月21日:室生口大野駅・赤目口駅・青山町駅を停車駅に追加するとともに、運転区間を上本町駅 - 青山町駅間とする。ただし日中の上本町発は名張駅までに短縮する。上本町駅 - 松阪駅間の区間急行については、美旗駅通過のうえ、急行に変更。
* 1976年3月18日:上本町駅 - 松阪駅間の急行が再び区間急行に変更され、運転区間を上本町駅 - 松阪駅間(平日の朝1本のみ名張駅発宇治山田駅行を運行<ref>『近鉄時刻表』1977年版、近畿日本鉄道</ref>)とする。青山町駅 - 榊原温泉口駅間の各駅に停車し、既に各駅停車である区間と合わせて赤目口駅 - 榊原温泉口駅間各駅停車となる。
1978年3月18日のダイヤ変更で、朝夕の列車は「区間快速急行」(後節参照)に改称され、昼間は布施駅・三本松駅に停車し、現在の急行となった。なお、この時まで準急が1時間に1本名張駅まで運転されており、準急が三本松駅に停車していた。
==== 区間快速急行 ====
区間快速急行は略して「'''区間快速'''」とも呼ばれた。駅構内の自動放送においては、青山町駅以西では「区間快速」と略されて呼称されたが、榊原温泉口駅以東では正式名称である「区間快速急行」の呼称が用いられていた。
昼間時以外に大阪上本町駅 - 大和八木駅・名張駅・青山町駅・伊勢中川駅・山田線松阪駅間で運転されていた。大半は大阪上本町駅 - 青山町駅間の運転で、大和八木行きは下り最終のみ、名張駅および伊勢中川駅は上り列車のみの運転された。快速急行と交互に運行され、下りは夜21時以降はすべて区間快速急行として運行されていた。快速急行の区間運転版ともいうべき扱いで、快速急行(2012年ダイヤ変更以前)の停車駅に加え室生口大野駅と赤目口駅にも停車し、(現行の)急行と違い三本松駅を通過していた<ref group="注釈">乗降客数が両隣の2駅に比べて著しく少ないことに加え、ホームが6両までの対応であることから8・10両編成の区間快速急行が停車できなかったためで、ドアカットも行われなかった。</ref>。快速急行と同様に通勤時間帯の長距離優等種別としての役割を担い、赤目口駅 - 榊原温泉口駅間は各駅に停車することで、同区間における普通列車としての役割も担っていた。深夜には大阪上本町発大和八木行きの区間快速急行も存在した。この列車の運転区間の停車駅は快速急行と同一であるが、区間快速急行として運転されていた<ref group="注釈">一時期、五位堂駅に区間快速急行は停車、快速急行は通過で区別ができていたが、その後快速急行も五位堂駅に停車するようになったため再び同一の停車駅となった。</ref>。編成両数は青山町駅以西最大10両、以東4両・6両編成。
越年終夜運転の際は、青山町駅・松阪駅発着の列車を延長する形で山田線宇治山田駅、鳥羽線五十鈴川駅まで延長された。名張駅以東の停車駅は快速急行・急行と同一。特急の待避は主に榛原駅か名張駅で行われていたが、大阪上本町駅 - 青山町駅間では無待避の列車もあった。一部は大和八木駅や東青山駅でも特急の待避をしていた。
全国の鉄道事業者をみてもこの列車種別は近鉄のみの存在であった。英文表記は Suburban Rapid Express(方向幕などでは SUB.RAPID EXP )。
2012年3月20日のダイヤ変更で前述の快速急行と統合され名称上は消滅した<ref name="kndaiyahenkoh24" />。ただし大阪上本町駅 - 青山町駅間に限れば停車駅は区間快速急行のものがそのまま引き継がれている。また、朝上りに運転される、鳥羽駅・五十鈴川駅・松阪駅始発で名張駅で快速急行に種別変更して大阪上本町駅まで運転される名張行き急行、休日夜1本の名張駅で急行に種別変更して伊勢中川駅まで運転される名張行快速急行も、実質的に当時の区間快速急行と同じ運行形態となっている。
; 廃止直前の停車駅
: 大阪上本町駅 - 鶴橋駅 - 五位堂駅 - [[大和高田駅]] - 大和八木駅 - 桜井駅 - 榛原駅 - 室生口大野駅 - 赤目口駅 - 名張駅 - 桔梗が丘駅 - [[美旗駅]] - [[伊賀神戸駅]] - 青山町駅 - 伊賀上津駅 - 西青山駅 - 東青山駅 - 榊原温泉口駅 - [[伊勢中川駅]] - 松阪駅
=== 運転本数とダイヤ ===
主として特急以外のダイヤについて言及する。
==== 朝ラッシュ時間帯(上り) ====
約10 - 15分間隔で、快速急行1本、準急1本、普通1本のダイヤとなっているが、これにときおり特急列車の運行が加わりダイヤはランダムとなっている。最ラッシュ時前後の時間帯は快速急行ではなく急行の、準急ではなく区間準急での運転となり、さらに準急系統においては最ラッシュ時間帯にも区間準急が加わり、高安駅以西の輸送力を確保するダイヤとなっている。下りは主に急行・準急・普通が運転される。
==== 昼間時間帯 ====
特急以外の種別の昼間時(10 - 15時台)の運転本数はおおむね以下のようになる。
急行が1時間に3本(五十鈴川駅もしくは伊勢中川駅折り返し1本、青山町駅折り返し1本、名張駅折り返し1本)、区間準急が1時間に3本(大和朝倉駅折り返し2本、五位堂駅折り返し1本)、普通が高安駅折り返しが4本、大和朝倉駅折り返しが1本である。ただし五位堂行き区間準急は大阪上本町行き普通として、大和朝倉行き普通は大阪上本町行き区間準急として折り返す。さらに名張駅 - 青山町間と東青山駅 - 伊勢中川駅間の普通が1時間に1本ずつ設定されている。
下りの急行の大半と区間準急は河内国分駅で、上り急行と区間準急以下は五位堂駅で接続する。急行は布施駅(下り)、河内国分駅上下1本<ref group="注釈">土休日は上り2本</ref>、大和八木駅(下り)、榛原駅(上り)、東青山駅(上り)で特急を待避し、名張駅で特急と接続する。区間準急は名阪乙特急・阪伊乙特急と大和八木駅で接続する。
<div style="font-size:85%;">
{| class="wikitable"
|+ style="text-align:left;" |日中
|-
! colspan="2" |駅名<br />\<br />種別
! style="width:1em;" |{{縦書き|大阪上本町}}
!…
! colspan="2" style="width:1em;" |{{縦書き|高安}}
!…
! colspan="2" style="width:1em;" |{{縦書き|五位堂}}
!…
! style="width:1em;" |{{縦書き|桜井}}
! colspan="2" style="width:1em;" |{{縦書き|大和朝倉}}
!…
! colspan="2" style="width:1em;" |{{縦書き|名張}}
!…
! colspan="2" style="width:1em;" |{{縦書き|青山町}}
!…
! colspan="2" style="width:1em;" |{{縦書き|東青山}}
! style="width:1em;" |{{縦書き|榊原温泉口}}
!…
! colspan="2" style="width:1em;" |{{縦書き|伊勢中川}}
! style="width:1em;" |{{縦書き|山田線直通}}
|- style="text-align:center;"
! rowspan="5" style="width:1em;" |{{縦書き|運行本数}}
|急行<ref group="注釈">桜井 - 榊原温泉口は各駅に停車</ref> || colspan="13" style="background:#fc9;" |3本 || colspan="3" style="background:#fc9;" |2本 || colspan="7" style="background:#fc9;" |1本
| colspan="2" style="background:#fc9;" |0 - 1本
|- style="text-align:center;"
| rowspan="2" |区間準急<ref group="注釈">高安 - 大和朝倉は各駅に停車</ref> || colspan="10" style="background:#cf9;" |2本 || colspan="15" |
|- style="text-align:center;"
| colspan="7" style="background:#cf9;" |1本
| colspan="3" style="background:#cf9;" |←1本
| colspan="16" |
|- style="text-align:center;"
| rowspan="2" |普通 || colspan="7" style="background:#ccc" |1本
| colspan="3" style="background:#ccc" |1本→|| colspan="3" | || colspan="3" style="background:#ccc" |1本
| colspan="9" |
|- style="text-align:center;"
| colspan="3" style="background:#ccc" |4本
| colspan="15" |
| colspan="5" style="background:#ccc" |1本
| colspan="3" |
|}
</div>
昼間時の大阪上本町駅 - 青山町駅間の各駅は1時間あたり最低3本以上の停車本数が、青山町駅 - 伊勢中川駅間の各駅は1時間あたり最低1本以上の停車本数が確保されている。
==== 夕ラッシュ時間帯以降 ====
夕ラッシュ時間帯の下りダイヤは、快速急行が1時間に4本、準急が1時間に4本、普通が1時間に5 - 6本となっている。各種別との接続は高安駅で準急と普通電車が連絡し、五位堂駅で快速急行と準急と連絡をする。快速急行は大和八木駅で特急と接続をし、一部の準急とも接続を行う。夜間時間帯は、1時間に急行が4本、区間準急が4本、普通が5 - 6本となっている。普通電車は高安駅までとなり、高安駅で区間準急と接続を行う。区間準急は河内国分駅と一部が大和八木駅で急行と接続を行う。
夕ラッシュ時間帯の上りダイヤは急行が1時間に3 - 4本、準急が1時間に4本で高安駅からは8両で走り、普通が1時間に5本となっている。各種別との接続は河内国分駅で高安駅で準急と普通電車が連絡し、河内国分駅で急行が準急以下との接続を行う。急行は大和八木駅で特急と接続するほか、大和朝倉駅、五位堂駅で特急との待避待ちを行う。夜間時間帯、20時、21時台は時間に急行が3本、区間準急が3本、普通が5本となっている。区間準急は高安駅で普通と接続を行う。急行は区間準急・普通と河内国分駅で接続し、一部が大和八木駅、五位堂駅でも接続を行う。22時以降は急行は1 - 2本、普通電車のみの運転となる。
=== 大晦日終夜運転 ===
[[大晦日]]の深夜から[[元日]]の早朝にかけての[[終夜運転]]は、近年では大阪難波駅 - 伊勢方面への阪伊乙特急が概ね30分 - 60分間隔、大阪上本町駅 - 宇治山田駅間の急行が概ね60分間隔でそれぞれ運転されており、時間帯によっては桜井駅に臨時停車する特急や、宇治山田駅に到着した急行が同駅から普通に種別変更して鳥羽駅まで継続運転される列車、鳥羽駅始発大阪上本町行き急行または快速急行として運転される列車もある。普通(一部時間帯で準急・区間準急)は大阪上本町駅 - 榛原駅(一部名張駅)間で概ね30分 - 60分間隔で運転されている。また、山田線明星駅始発の名張行き普通列車が宇治山田駅始発か鳥羽線鳥羽駅始発に変更される。なお、三重県内の名張駅 - 伊勢中川駅間での設定はなく、名張駅 - 榊原温泉口駅では急行が普通列車の役割を担い、大三駅・伊勢石橋駅・川合高岡駅では2009年まで元日の初発繰上げが行われていたものの、実質的に「終夜運転が実施されていない」のと同等である。2021年度以降は急行の運転がなくなり、桔梗が丘駅・美旗駅・青山町駅・伊賀上津駅・西青山駅・東青山駅でも終夜運転の時間帯に停車する列車がなくなった。
== 乗務員 ==
{{独自研究| date = 2023年7月| section = 1}}
* 出庫時、起立して運転することとなっている。
* [[多層建て列車]](近鉄では'''親子列車'''と呼ぶ)に対応するため、ブレーキハンドルとリバースハンドルを入れた「ハンドル袋」を携行する。なお大阪線では、乗務担当列車が多層建て列車でなくても必ずハンドル袋を携行する。
== 車両 ==
{{Main2|特急車両|近鉄特急}}
=== 現用車両 ===
2020年4月時点で、大阪線所属の一般車両は記述の無いものに関しては全て[[高安検車区]]に所属している<ref name="rf_202008">『[[鉄道ファン (雑誌)|鉄道ファン]]』2020年8月号 [[交友社]] 「大手私鉄車両ファイル2020 車両配置表」(当文献にページ番号の記載無し)</ref>。[[L/Cカー]]を除いて編成中に[[列車便所|トイレ]]は無い。
* [[近鉄1220系電車|1220系]]
* [[近鉄1220系電車|1253系・1254系]]
* [[近鉄1400系電車|1400系]]
* [[近鉄1420系電車|1420系]]:試作VVVFインバータ制御車
* [[近鉄1422系電車|1422系]]
* [[近鉄1422系電車|1430系・1435系・1436系・1437系]]
* [[近鉄1422系電車|1620系]]
* [[近鉄1600系電車|1810系]]:サ1970形の2両が2430系の編成中に組み込まれている。
* [[近鉄2400系電車|2410系・2430系]]
* [[近鉄2600系電車|2610系]]:トイレ付き・明星検車区所属。
* [[近鉄2600系電車|2800系]]:大阪線用は4両編成のみ配置。
* [[近鉄5200系電車|5200系]]:3扉転換クロスシート車・トイレ付き、大阪線用は5201F・5204F - 5206F、明星検車区所属。
* [[近鉄5800系電車|5800系]]:L/Cカー、大阪線用はトイレ付きの5810番台。
* [[近鉄5820系電車|5820系]]([[シリーズ21]]):L/Cカー、大阪線用はトイレ付きの5850番台。
* [[近鉄8810系電車|8810系]]:元奈良・京都線所属車両、大阪線用は8811F。
* [[近鉄8810系電車|9200系]]:元奈良・京都線所属車両、大阪線用は9201F - 9205F。
* [[近鉄9020系電車|9020系]](シリーズ21):大阪線用は9050番台
現在でも2430系の3両編成車は配置されているが、大阪線では3両編成車の単独運用が無くなったことから、2編成併結の6両編成による運用分を除いて余剰となった2430系・2800系3両編成の一部が名古屋線に転出している。
また、高安駅・五位堂駅 - 榛原駅・名張駅間は車両の定期検査や車体更新などを完了した後、特急車両や大阪線所属車両のみならず名古屋線所属車両や、[[近鉄奈良線#車両|奈良・京都線]]所属車両の試運転列車が不定期で運転されることがある。
=== 団体用車両 ===
標準軌線区の各線で運用されている。「[[近鉄名古屋線#団体用車両|名古屋線]]」の項も参照。
* [[近鉄20000系電車|20000系]]「楽」:2018年4月現在、高安検車区の配置
* [[近鉄12000系電車|15200系]]「あおぞらII(2代目)」:2005年に特急車12200系の一部から改造。2018年4月現在、15205F(4両)・15203F(2両)が大阪線の所属([[東花園検車区]]の配置)となっている。
* [[近鉄12000系電車|15400系]]「かぎろひ」:近鉄グループの旅行会社「[[クラブツーリズム]]」の専用列車として2011年に特急車12200系から改造。2両編成2本が在籍し、同年12月23日より運用開始<ref name="CTtrai20111007">{{PDFlink|[http://www.kintetsu.jp/news/files/CTtrai20111007.pdf 近鉄特急をクラブツーリズム専用列車に改造し、12月23日から運行開始!]}} - 近畿日本鉄道・クラブツーリズム、2011年10月7日</ref>。2018年4月現在、富吉検車区の配置
=== 事業用車両 ===
* [[近鉄モト90形電車|モト90形電車]] (97・98):軌間が異なる[[近鉄南大阪線|南大阪線]]系統の車両を要部検査・全般検査で五位堂検修車庫へ回送する際の牽引車として使用。高安車庫に配属されている。
* [[近鉄モト51形電車|モト75形電車]] (77・78):集電方式が異なる[[近鉄けいはんな線|けいはんな線]]の車両(7000系・7020系)を要部検査・全般検査で五位堂検修車庫へ回送する際の牽引車として使用。奈良・京都線の所属で、西大寺車庫に配属されている。
=== 過去の車両 ===
* [[近鉄1000系電車|1000系]]:ク1101形・サ1151形の2両。2430系と4両編成を組成して使用されていた
* [[近鉄1400系電車|1200系]]:2両編成車
* [[近鉄1400系電車|1400系]]:トイレ付きの1407F、現在は名古屋線所属
* [[近鉄モ1450形電車|モ1450形]]
* [[近鉄1460系電車|1460系・1470系]]
* [[近鉄1480系電車|1480系・2470系]]
* [[近鉄1480系電車|1481系]]:鮮魚列車専用編成、[[2001年]]11月まで使用
* [[近鉄1600系電車|1810系]]:2両編成車。東青山駅以東で運用
* [[近鉄2000系電車|2000系]]:現在は名古屋線所属
* [[近鉄1400系電車|2050系]]:現在は名古屋線所属
* [[参宮急行電鉄2200系電車|2200系]]
* [[近鉄2250系電車|2250系]]
* [[近鉄2400系電車|2400系]]
* [[近鉄2600系電車|2600系]]:4扉固定クロスシート車両
* [[近鉄2600系電車|2680系]]:[[鮮魚列車]]専用編成・トイレ付き、2020年3月運行終了<ref name="rf200313">{{Cite web|和書|url=https://railf.jp/news/2020/03/13/203000.html|author=永井義人|title=近鉄,鮮魚列車の運転終了|work=鉄道ニュース|publisher=鉄道ファン|date=2020-03-13|accessdate=2020-03-22}}</ref>
* [[近鉄2600系電車|2800系]]:3両編成、現在は名古屋線所属
* [[近鉄5200系電車|5209系・5211系]]:3扉転換クロスシート車両
* [[近鉄8810系電車|9000系]]:元奈良線・京都線所属車両
* [[近鉄20100系電車|20100系]]「あおぞら」:団体用車両
* [[近鉄18200系電車|18200系]]「あおぞらII(初代)」:団体用車両(元特急車)。18201F(4連)・18203F(2連)が大阪線の所属(高安車庫の配属)となっていた。
* 電動貨車モワ10形(モワ11・12):2250系から改造。集電方式が異なる東大阪線(現・けいはんな線)の車両(7000系)を要部検査・全般検査で五位堂検修車庫へ回送する際の牽引車として使用していたが、1998年に廃車(以降は上記のモト75形77・78が担当している)。西大寺車庫の配属となっていたが書類上は大阪線の所属であった。
なお、現在編成全車が名古屋線の所属となっている[[近鉄2000系電車|2000系]]・[[近鉄1400系電車#2050系|2050系]]は当初は大阪線の所属となっていた。これら2形式は1480系・2470系、2400系・2410系・2430系の冷房改造工事・車体更新工事などに伴う車両不足を補うために新製冷房車として大阪線に投入されたもので、工事の進捗に伴って順次名古屋線へ転属していった。
=== 運用 ===
大阪線の一般車両については特に4両・6両編成においてはトイレの有無で車両運用と運用区間が細分化されており、4両編成・トイレ無し、4両編成・トイレ付き(ロングシート)、4両編成・5200系、6両編成・トイレ無し、6両編成・L/Cカーといった区分がなされている。2020年の3月のダイヤ変更までダイヤ編成などの関係から、大阪線所属の車両が名古屋線の一部列車にも使用され、4両編成では2610系が、2両編成ではシリーズ21の9020系9051F以外の大阪線所属車両が入線していた。2020年現在は、名古屋線所属車両の検査不足時に2610系が代走で入線するのみとなっている。
全列車が2両編成である名張駅 - 伊勢中川駅間の普通列車で運用される編成は基本的に限定されており、2410系2422F - 2426F、2430系2432F、1420系、1422系・1430系、1253系で運用されている。
== 歴史 ==
上本町駅 - 布施駅 - 桜井駅間は[[大阪電気軌道]](大軌)の手で、桜井駅 - 伊勢中川駅間は[[参宮急行電鉄]](参急)の手で建設され1930年に全通した。1975年に全線複線化されたが、この時開通した西青山駅 - 東青山駅間の新青山トンネル (5,652m) は日本の大手私鉄では最長である。
大軌が初めに建設した区間のうち布施駅 - 八木駅間には、[[近鉄奈良線|奈良線]]・畝傍線(今の[[近鉄橿原線|橿原線]])によって形成された大阪から[[橿原神宮]]へ向かう路線をショートカットすることや、この地域におけるテリトリーを確保する目的があったとされる。そのため、開業時の終点となった八木駅は現在の大和八木駅がある位置ではなく、先行して開業していた畝傍線の八木駅、すなわち現在の[[八木西口駅]]に合流する形となっていて、上本町から橿原方面への直通を意識した線形とされていた。
しかし、並行して[[大阪鉄道 (2代目)|大阪鉄道]]線(現在の[[近鉄南大阪線]])が[[1929年]]までに開通したため、両社が[[関西急行鉄道]]に統合される[[1943年]]までは、橿原と[[吉野]]への参拝客・行楽客輸送を巡って競争関係にもなった。
一方で参急が建設した桜井駅 - 参急中川駅(現在の伊勢中川駅)と、大軌が建設した八木駅 - 桜井駅間は、大阪から現在の[[近鉄山田線|山田線]]と合わせて[[伊勢神宮]]への快速参拝ルートを造り上げようという目的から建設が行われることになった。この免許収得に関しては、1922年に[[近鉄田原本線]]の前身である[[大和鉄道]](この時の営業区間は[[王寺駅]] - 田原本駅〈現在の[[西田原本駅]]にあたる〉間で、田原本駅 - 桜井駅間が建設中であった)が既に桜井駅 - 名張駅間で新線敷設の免許を取得していたため、大軌が同社を子会社化し、その免許線の延長申請を出させるという手法がとられた。
1927年に予定通り大和鉄道は桜井駅より名張駅を経て宇治山田駅までの免許を得て、それを新設会社の参急に譲渡した。同時に大軌自身の手で、八木駅 - 桜井駅間接続線の免許も収得した。
1929年、大軌は参急の開通に先駆けて、八木駅から桜井駅にいたる区間を開業させ、このとき八木駅も現在の大和八木駅の位置に移転し、旧駅は八木西口駅という畝傍線の中間駅(運賃計算上は八木駅と同一)になった。とはいえ、上本町駅から橿原方面への直通列車の運転を考慮し、八木西口駅へ向かう旧線も八木線と畝傍線を結ぶ連絡線として存続した。
参急が建設を担当した区間に際しては、最短時間で大阪と伊勢を結ぶため、山岳地帯をトンネルで抜ける線形を採用した。それでも33.3‰(1/30)の急勾配区間が随所に発生し、同線に使用される電車はその最初の[[参宮急行電鉄2200系電車|2200系]]以降、勾配対策が重視された。
桜井駅 - 長谷寺駅間では長谷鉄道の路線がすでに並行して存在していたが、大軌では同社を参急線開業前の[[1928年]]に合併し、参急線開業後の[[1938年]]まで[[大阪電気軌道長谷線|長谷線]]として営業を続けた。また、名張駅 - 伊賀神戸駅間で並行路線を有していた伊賀電気鉄道も[[1929年]]に大軌が合併(直後に参急へ賃貸、[[1931年]]に譲渡)して[[伊賀鉄道伊賀線|伊賀線]]とし、並行区間([[西名張駅]] - 伊賀神戸駅)は[[1964年]]に廃止した。
なお、国が建設すべき路線を定めた改正[[鉄道敷設法]]の81.には、「奈良県桜井ヨリ榛原、三重県名張ヲ経テ松阪ニ至ル鉄道及名張ヨリ分岐シテ伊賀上野附近ニ至ル鉄道並榛原ヨリ分岐シ松山ヲ経テ吉野ニ至ル鉄道」が示され、[[1929年]] - [[1935年]]に順次[[名松線]]として[[松阪駅|松阪]] - [[伊勢奥津駅|伊勢奥津]]間が部分開業していたが、近鉄大阪線・山田線、それに[[伊賀鉄道伊賀線]]の敷設によってその意義を失い、以後[[日本国有鉄道|国鉄]]線がこの地域に開業することはなかった。
[[1938年]]に[[関西急行電鉄]](後に参宮急行電鉄へ合併)によって現在の[[近鉄名古屋線]]が完成し、同線と合わせて名阪都市間輸送の一役も担うようになった。
大軌と参急の合併によって関西急行鉄道が発足した時に線名の整理が行われ、大軌桜井線と参急本線の伊勢中川駅以西をまとめて'''大阪線'''とし、参急本線の伊勢中川駅以東の区間は'''山田線'''となった。
=== 年表 ===
==== 大阪電気軌道・関西急行鉄道時代 ====
* [[1914年]]([[大正]]3年)[[4月30日]]:大阪電気軌道により上本町駅(現在の大阪上本町駅) - 深江駅(現在の布施駅)間が開業。600V電化。
* [[1922年]](大正11年)3月:深江駅を足代駅に改称。
* [[1924年]](大正13年)[[10月31日]]:国分線として足代駅 - 八尾駅(現在の近鉄八尾駅)間が開業<ref name="100ayumi_p86">『近畿日本鉄道100年のあゆみ』近畿日本鉄道、2010年、p.86</ref>。
* [[1925年]](大正14年)
** [[3月21日]]:八木線として高田駅(現在の大和高田駅) - 八木駅(現在の[[八木西口駅]])間が開業<ref name="100ayumi_p86" />。
** [[9月30日]]:国分線の八尾駅 - 恩智駅間が開業。久宝寺口駅開業。足代駅を布施駅に改称。
** [[12月10日]]:弥刀駅開業。
* [[1926年]]([[昭和]]元年)[[12月30日]]:俊徳道駅開業。
* [[1927年]](昭和2年)[[7月1日]]:八木線の恩智駅 - 高田駅間が開業。高安駅 - 恩智駅間・高田駅 - 八木駅間が複線化。国分線が八木線に編入され布施駅 - 八木駅間が全通。
* [[1928年]](昭和3年)8月:八尾駅を大軌八尾駅に<ref name="100ayumi_p678">『近畿日本鉄道100年のあゆみ』近畿日本鉄道、2010年、p.678</ref>、八木駅を大軌八木駅に改称<ref name="100ayumi_p86" />。
* [[1929年]](昭和4年)
** [[1月5日]]:桜井線として大軌八木駅(現在の大和八木駅) - 桜井駅間が1500V電化で開業。布施駅 - 大軌八木駅間の架線電圧も600Vから1500Vに昇圧し、布施駅構内にデッドセクションを設置。畝傍線(現在の橿原線)との交差地点に大軌八木駅開業、これまでの大軌八木駅を八木西口駅に改称。
** [[10月27日]]:参宮急行電鉄により桜井駅 - 長谷寺駅間が開業。
* [[1930年]](昭和5年)
** [[2月1日]]:八木線が桜井線に編入<ref name="100ayumi_p86" />。
** [[2月21日]]:参宮急行電鉄 長谷寺駅 - 榛原駅間が開業。
** [[10月10日]]:参宮急行電鉄 榛原駅 - 伊賀神戸駅間が開業。
** [[11月19日]]:参宮急行電鉄 伊賀神戸駅 - 阿保駅(現在の青山町駅)間、佐田駅(現在の榊原温泉口駅) - 参急中川駅(現在の伊勢中川駅)間が開業。
** [[12月20日]]:参宮急行電鉄 阿保駅 - 佐田駅間が開業し、現在の大阪線全通。
* [[1932年]](昭和7年)12月:山本駅を大軌山本駅に改称<ref name="100ayumi_p678" />。
* [[1941年]](昭和16年)[[3月15日]]:大阪電気軌道が参宮急行電鉄を合併、関西急行鉄道となる。布施駅 - 伊勢中川駅間を'''大阪線'''とする。
** 大軌八尾駅を関急八尾駅に、大軌山本駅を河内山本駅に、国分駅を河内国分駅に、大軌高田駅を大和高田駅に、大軌八木駅を大和八木駅に、参急上津駅を伊賀上津駅に、参急石橋駅を伊勢石橋駅に、参急中川駅を伊勢中川駅に改称。
* [[1942年]](昭和17年)[[10月1日]]:布施駅 - 八木西口駅間を[[軌道法]]に基づく軌道から[[地方鉄道法]]に基づく鉄道に変更。
==== 近畿日本鉄道の発足後 ====
* [[1944年]](昭和19年)
** [[6月1日]]:関西急行鉄道と[[南海電気鉄道|南海鉄道]]との合併により社名を近畿日本鉄道に変更。関急八尾駅を近畿日本八尾駅に、下田駅を近畿日本下田駅に改称。
** [[11月3日]]:大和朝倉駅開業。
* [[1945年]](昭和20年)[[6月1日]]:俊徳道駅・築山駅・真菅駅休止。
* [[1946年]](昭和21年)[[3月1日]]:俊徳道駅・築山駅・真菅駅再開。
* [[1956年]](昭和31年)[[12月8日]]:上本町駅 - 布施駅間複々線化、奈良線と分離。新設の大阪線用2線は1500V電化。当初は[[複々線#線路別複々線|線路別運転]]。布施駅構内のデッドセクション廃止。
* [[1959年]](昭和34年)[[12月23日]]:美旗駅 - 伊賀神戸駅間複線化<ref name="100ayumi_p294">『近畿日本鉄道100年のあゆみ』近畿日本鉄道、2010年、p.294</ref>。
* [[1960年]](昭和35年)[[12月27日]]:阿保駅 - 伊賀上津駅間複線化<ref name="100ayumi_p294" />。
* [[1961年]](昭和36年)
** [[3月23日]]:名張駅 - 美旗駅間複線化<ref name="100ayumi_p294" />。
** [[3月29日]]:中川短絡線が開通。大阪線・名古屋線直通列車の伊勢中川駅での[[スイッチバック]]運転解消。
** [[8月21日]]:伊賀神戸駅 - 阿保駅間複線化<ref name="100ayumi_p294" />。
* [[1964年]](昭和39年)10月1日:桔梗が丘駅開業。
* [[1965年]](昭和40年)[[3月18日]]:佐田駅を榊原温泉口駅に改称。
* [[1967年]](昭和42年)
** [[9月1日]]:川合高岡駅 - 宮古分岐(中川短絡線分岐点)間複線化<ref name="100ayumi_p294" />。
** [[10月19日]]:三軒家信号場 - 西青山駅間複線化<ref name="100ayumi_p294" />。
** [[11月1日]]:大三駅 - 亀谷信号場間、高野信号場 - 川合高岡駅間複線化<ref name="100ayumi_p294" />。
* [[1968年]](昭和43年)[[3月1日]]:[[自動列車停止装置]] (ATS) 使用開始<ref>{{Cite news |和書|title=主要線区 ATS取付完成 近鉄、三月一日から使用開始 |newspaper=[[交通新聞]] |publisher=交通協力会 |date=1968-02-27 |page=1 }}</ref>。
* [[1969年]](昭和44年)[[9月21日]]:奈良線の架線電圧昇圧に伴い上本町駅 - 布施駅間奈良線用2線も1500Vに昇圧。
* [[1970年]](昭和45年)
** 3月1日:近畿日本八尾駅を近鉄八尾駅、近畿日本下田駅を近鉄下田駅に、阿保駅を青山町駅に改称。
** 3月21日:特急列車が3月15日に開業した難波線の近鉄難波駅(現在の大阪難波駅)へ乗り入れ開始<!-- 奈良線が開業日から、大阪線の列車はその後のダイヤ改正日からかと。田淵仁『近鉄特急 上』JTB、2004年 pp.164-165.-->。
* [[1971年]](昭和46年)
** [[10月25日]]:榊原温泉口駅 - 東青山駅間で特急同士の[[近鉄大阪線列車衝突事故|正面衝突事故]]が発生。死者25名、重軽傷者224名の大事故となる。
** 近鉄初の新製時冷房搭載一般車[[近鉄2600系電車#2680系|2680系]]の営業運転開始。
* [[1972年]](昭和47年)[[8月3日]]:伊賀上津駅 - 伊勢中川駅間複線化工事起工式<ref name="100ayumi_p376">『近畿日本鉄道100年のあゆみ』近畿日本鉄道、2010年、p.376</ref>。
* [[1973年]](昭和48年)
** 12月10日:伊賀上津駅 - 三軒家信号場間複線化<ref name=交通731222>{{Cite news |和書|title=きょうから複線運転開始 近鉄大阪線 |newspaper=[[交通新聞]] |publisher=交通協力会 |date=1973-12-22 |page=1 }}</ref>。
** [[12月18日]]:垣内信号場 - 大三駅間複線化{{R|交通731222}}。
** [[12月22日]]:宮古分岐 - 伊勢中川駅間複線化{{R|交通731222}}。
* [[1974年]](昭和49年)
** [[5月19日]]:亀谷信号場 - 伊勢石橋駅間複線化<ref name="100ayumi_p870" />。
** [[8月9日]]:伊勢石橋駅 - 高野信号場間複線化<ref name="100ayumi_p870" />。
* [[1975年]](昭和50年)
** [[9月13日]]:上本町駅 - 布施駅間を[[複々線#方向別複々線|方向別運転]]化<ref name="100ayumi_p378">『近畿日本鉄道100年のあゆみ』近畿日本鉄道、2010年、p.378</ref>。
** [[11月23日]]:新青山トンネル開通。西青山駅 - 垣内信号場間が複線の新線に切替えられ、全線複線化完成<ref name="100ayumi_p870" />。
**: 新線切り替えに伴い実キロ数が約1.3km短縮されたが、営業キロ数は従前の旧線ルートを通った場合のキロ数で計算されており、東青山駅 - 榊原温泉口間で誤差を調整することとなった(実キロ数約2.5 km、営業キロ数3.9 km)
==== 全線複線化完成後 ====
* [[1976年]](昭和51年)[[8月8日]]:布施駅 - 長瀬駅間(約2.4 km)[[連続立体交差事業]]により高架化<ref name="100ayumi_p870">『近畿日本鉄道100年のあゆみ』近畿日本鉄道、2010年、p.870</ref>。
* [[1978年]](昭和53年)[[12月17日]]:近鉄八尾駅付近(久宝寺口駅 - 河内山本駅間約2.2 km)を連続立体交差事業により高架化<ref name="100ayumi_p870" />。
* [[1981年]](昭和56年):[[界磁チョッパ制御]]車両[[近鉄1400系電車#1400系|1400系]]の営業運転開始。
* [[1982年]](昭和57年)[[10月5日]]:[[五位堂検修車庫]]完成。玉川(奈良線)・高安(大阪線)・古市(南大阪線)の各工場の工場機能を集約。
* [[1984年]](昭和59年):近鉄初の[[可変電圧可変周波数制御|VVVF]]車両[[近鉄1420系電車|1420系]](当初は1250系)の営業運転開始。
* [[1986年]](昭和61年)3月18日:上本町駅 - 名張駅間で一部の快速急行と区間快速急行が10両編成運転を開始。
* [[1987年]](昭和62年)
** [[9月21日]]:区間快速急行および急行の停車駅に五位堂駅を追加。
** 大阪線初の車体幅2,800 mm [[アルミニウム合金]]車体のVVVF車両[[近鉄1422系電車#1422系|1422系]](当初は2代目1250系)・[[近鉄1220系電車#1220系|1220系]]の営業運転開始<ref group="注釈">1986年から1989年の期間は一時的に8810系8826Fが大阪線にて使用された実績があった。</ref>。
* [[1988年]](昭和63年)
** 3月18日:[[近鉄21000系電車|21000系]](アーバンライナー)の営業運転開始(当初は[[近鉄特急#名阪特急(大阪 - 名古屋間)|名阪甲特急]]に限定運用)。特急の120km/h運転開始。
** 3扉転換クロスシート車両[[近鉄5200系電車|5200系]]の営業運転開始。
* [[1990年]]([[平成]]2年)3月15日:名阪甲特急の一部列車停車駅に大和八木駅を追加。
* [[1991年]](平成3年)
** 3月19日:青山町駅配線変更工事完成により、10両運転区間を上本町駅 - 青山町駅間に延長。
** [[12月6日]]:大阪教育大前駅開業。
* [[1992年]](平成4年)
** [[3月19日]]:[[近鉄22000系電車|22000系]] (ACE) の営業運転開始(当初は名阪乙特急に限定運用)
** [[10月16日]]:新玉手山トンネル上り線使用開始。
** [[10月28日]]:新玉手山トンネル下り線使用開始。0.1km短縮。
* [[1994年]](平成6年)3月15日:[[近鉄23000系電車|23000系]](伊勢志摩ライナー)の営業運転開始(当初は阪伊甲特急(・名伊甲特急)に限定運用)。特急の130km/h運転開始。夜間の一部を除く阪伊特急を上本町駅発着に。
* [[1995年]](平成7年)[[3月16日]]:近鉄八尾駅・河内山本駅・高安駅でホームの10両対応工事が完成、上本町駅 - 高安駅間で準急の10両運転開始。
* [[1996年]](平成8年)
** [[2月5日]]:2610系2621Fを改造したL/Cカー試作編成の試験運用開始<ref>{{cite news |和書|title=混雑時ロングで 昼間はクロスに シートの向き変更 近鉄が開発 来月、大阪線に登場 |newspaper=交通新聞 |date=1996-01-26 |publisher=交通新聞社 |page=1 }}</ref>。
** 3月15日:大和朝倉駅で待避線の使用開始、これにより河内国分駅 - 榛原駅間における昼間の下り準急の運転間隔が11 - 30分間隔から20分間隔に均等化。阪伊特急の運行体制見直し(一部列車の臨時列車格下げなど)開始。
* [[1997年]](平成9年)
** 3月18日:昼間の急行(快速急行・区間快速急行を含む)が上本町駅 - 青山町駅間で1時間あたり2本から3本に増発(伊勢直通1本と青山町折り返し2本)
** [[7月25日]]:新造L/Cカー([[近鉄5800系電車|5800系]])の営業運転開始。
* [[1998年]](平成10年)
** [[3月17日]]:近鉄難波駅 - 湯の山温泉駅間直通の特急(近鉄難波駅 - 白子駅間は名阪乙特急に併結)を廃止(近鉄四日市駅 - 湯の山温泉駅間の単独運行に)。青山町車庫が完成し、使用開始。
** [[4月1日]]:上本町駅 - 青山町駅間でご乗降確認システム(フェアシステムK)および列車運行管理システム (KOSMOS) 稼働開始。
* [[2001年]](平成13年)
** [[2月1日]]:上本町駅 - 青山町駅間で[[スルッとKANSAI]]対応カードの取り扱い開始。これに伴い、上本町駅・布施駅・大和八木駅・伊勢中川駅における「[[途中下車]]指定駅」の制度が廃止。
** [[3月22日]]:快速急行の停車駅に五位堂駅を追加。
** [[10月14日]]:上本町駅 - 青山町駅間で[[Jスルーカード]]の取り扱い開始。
* [[2002年]](平成14年):[[シリーズ21]]([[近鉄5820系電車|5820系]])の営業運転開始。
* [[2003年]](平成15年)3月6日:阪伊特急の一部を近鉄難波駅発着に変更。京伊特急の一部が大和八木駅 - 賢島駅間で阪伊乙特急と併結運転。阪伊乙特急(一部列車)の停車駅に大和高田駅・榛原駅<ref group="注釈">2002年から2003年にかけての越年終夜運転で、一部の特急が先行して大和高田駅・榛原駅に停車した。</ref> を、京伊特急の停車駅に名張駅・伊勢中川駅(以上全列車)・榛原駅・伊賀神戸駅(以上は阪伊乙特急との併結列車のみ)を、快速急行の停車駅に美旗駅を、急行の停車駅に河内国分駅をそれぞれ追加。
* [[2007年]](平成19年)4月1日:大阪線の各駅で[[PiTaPa]]・[[ICOCA]]の取り扱い開始。
* [[2008年]](平成20年)[[6月14日]]:上本町駅 - 布施駅間と五位堂駅 - 榛原駅間で車上速度パターン照査式ATS (ATS-SP) の使用開始。
* [[2009年]](平成21年)
** [[2月27日]]:東青山駅構内で[[日本の鉄道事故 (2000年以降)#近鉄大阪線東青山駅構内列車脱線事故|脱線事故]]が発生。この影響で青山町駅 - 伊勢中川駅間が終日不通、バス代行輸送実施<ref>{{PDFlink|[http://www.kintetsu.jp/news/wfiles/higashiaoya090227.pdf お詫び 大阪線東青山駅構内列車脱線事故について]}} - 近畿日本鉄道 2009年2月27日</ref><ref>[http://jtsb.assistmicro.co.jp/jtsb/railway/report/detail.asp?ID=1763 鉄道事故(概要)] - 国土交通省・運輸安全委員会</ref>。 。
** 3月1日:Jスルーカードの自動改札機・のりこし精算機での取り扱いを終了<ref>{{PDFlink|[http://www.kintetsu.jp/news/files/jcard20081202.pdf Jスルーカードの利用終了について]}} - 近畿日本鉄道プレスリリース 2008年12月2日</ref>。
** [[3月20日]]:上本町駅を大阪上本町駅に改称。平日23時台に大阪難波(同日付で近鉄難波から改称)発大和八木駅行き特急1本を増発<ref>{{PDFlink|[http://www.kintetsu.jp/news/files/daiyakaisei20090116.pdf ダイヤ改正についてのお知らせ]}} - 近畿日本鉄道プレスリリース 2009年1月16日</ref>。
** [[6月4日]]:河内国分発大阪上本町行の朝の上り列車内で、[[列車便所|トイレ]]内で[[不審火]]が発生し、乗客が多数避難する事態に。同線では、同年5月末から電車のトイレや[[日本の鉄道駅|駅]][[プラットホーム|ホーム]]で不審火が相次ぐ<ref>[http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20090604-OYT1T00660.htm 近鉄大阪線電車のトイレ放火、先月末から相次ぐ] - [[読売新聞]] 2009年6月4日</ref><ref>[http://sankei.jp.msn.com/affairs/disaster/090604/dst0906041156004-n1.htm 近鉄電車内トイレでまた不審火] - [[産経新聞]] 2009年6月4日</ref>。
* [[2010年]](平成22年)
** [[4月1日]]:東青山駅 - 伊勢中川駅間で名古屋列車運行管理システム「KRONOS」(クロノス)の運用開始<ref name="knnews100330">{{PDFlink|[http://www.kintetsu.jp/news/files/100330KRONOS.pdf 名古屋列車運行管理システム「KRONOS」が運用開始します]}} - 近畿日本鉄道プレスリリース 2010年3月30日</ref>。
** [[10月10日]]:[[上皇明仁|天皇]]・[[上皇后美智子|皇后]]の奈良視察に伴う[[お召し列車]]を、[[近鉄奈良駅]]から室生口大野駅間および大和朝倉駅から大阪上本町駅間にそれぞれ運転(同月7日には[[京都駅]]から近鉄奈良駅間にも運転)。[[近鉄21020系電車|21020系]](アーバンライナーnext)の第1編成を充当<ref>{{PDFlink|[http://www.pref.nara.jp/secure/53534/gyoukoukei.pdf 行幸啓について]}} - 奈良県ホームページ</ref><ref>[http://railf.jp/news/2010/10/11/102600.html 近鉄で21020系使用のお召列車運転] - 鉄道ファン(交友社)「railf.jp」鉄道ニュース、2010年10月11日</ref>。
* [[2012年]](平成24年)[[3月20日]]:区間快速急行が快速急行に統合され廃止、快速急行の停車駅に室生口大野駅・赤目口駅を追加し、伊賀上津駅・西青山駅・東青山駅が通過となる。準急が通過する恩智駅・法善寺駅・堅下駅・安堂駅を停車駅に加えた区間準急を日中に新規設定<ref name="kndaiyahenkoh24" />。
* [[2013年]](平成25年)3月21日:阪伊特急で観光特急[[近鉄50000系電車|50000系]](しまかぜ)が営業運転を開始<ref>{{PDFlink|[http://www.kintetsu.co.jp/all_news/news_info/20120928shimakaze.pdf 次世代 新型観光特急「しまかぜ」、平成25年3月21日デビュー!]}} - 近畿日本鉄道ニュースリリース、2012年9月28日</ref>。
* [[2018年]](平成30年)[[3月17日]]:京伊特急を増発および平日朝の1列車の停車駅に榛原駅、急行の停車駅に大和朝倉駅・長谷寺駅をそれぞれ追加<ref name="kintetsu20180118">{{PDFlink|[http://www.kintetsu.co.jp/all_news/news_info/2018daiyahenkouv3.pdf 2018年のダイヤ変更について ]}} - 近畿日本鉄道ニュースリリース、2018年1月18日</ref>。
* [[2020年]]([[令和]]2年)3月14日:名阪特急で[[近鉄80000系電車|80000系]](ひのとり)が営業運転を開始<ref>[https://railf.jp/news/2020/03/14/203500.html 近鉄80000系「ひのとり」が営業運転を開始] - 鉄道ファン(交友社)「railf.jp」鉄道ニュース、2020年3月14日</ref>。
== 駅一覧 ==
; 凡例
: ●:停車、|・↓:通過(↓:下りのみ運転)
: 普通は各駅に停車(表中省略)。快速急行は青山町以東は下りのみ、区間準急は榛原以東は上りのみ運転。
: [[近鉄奈良線]]直通列車は当該路線記事を、特急列車は「[[近鉄特急]]」を参照のこと。
: <nowiki>#</nowiki>印の駅は[[待避駅|列車待避]]可能駅
{| class="wikitable" rules="all" style="font-size:95%;"
|-
!style="width:4em; border-bottom:solid 3px #4694d1;"|駅番号
!style="width:9em; border-bottom:solid 3px #4694d1;"|駅名
!style="width:2.5em; border-bottom:solid 3px #4694d1;"|駅間<br />キロ
!style="width:2.5em; border-bottom:solid 3px #4694d1;"|営業<br />キロ
!style="width:1em; line-height:1.1em; border-bottom:solid 3px #4694d1; background:#cfc;"|{{縦書き|区間準急}}
!style="width:1em; border-bottom:solid 3px #4694d1; background:#cf9;"|{{縦書き|準急}}
!style="width:1em; border-bottom:solid 3px #4694d1; background:#fc9;"|{{縦書き|急行}}
!style="width:1em; line-height:1.1em; border-bottom:solid 3px #4694d1; background:#f96;"|{{縦書き|快速急行}}
!style="border-bottom:solid 3px #4694d1;"|接続路線
!colspan="3" style="border-bottom:solid 3px #4694d1;"|所在地
|-
!D03
|[[大阪上本町駅]]
|style="text-align:center;"|-
|style="text-align:right;"|0.0
|style="text-align:center; background:#cfc;"|●
|style="text-align:center; background:#cf9;"|●
|style="text-align:center; background:#fc9;"|●
|style="text-align:center; background:#f96;"|●
|[[近畿日本鉄道]]:{{近鉄駅番号|A}} [[近鉄難波線|難波線]] (A03)(一部直通運転:「[[近鉄特急]]」を参照)<br />[[大阪市高速電気軌道]]:[[File:Osaka_Metro_Tanimachi_line_symbol.svg|15px|T]] [[Osaka Metro谷町線|谷町線]] (T25)・[[File:Osaka_Metro_Sennichimae_line_symbol.svg|15px|S]] [[Osaka Metro千日前線|千日前線]] (S18)…[[谷町九丁目駅]]
|rowspan="17" style="width:1em; text-align:center; letter-spacing:0.5em"|{{縦書き|[[大阪府]]|height=6em}}
|rowspan="3" style="width:1em; text-align:center; "|{{縦書き|[[大阪市]]|height=4em}}
|style="white-space:nowrap;"|[[天王寺区]]
|-
!D04
|[[鶴橋駅]]
|style="text-align:right;"|1.1
|style="text-align:right;"|1.1
|style="text-align:center; background:#cfc;"|●
|style="text-align:center; background:#cf9;"|●
|style="text-align:center; background:#fc9;"|●
|style="text-align:center; background:#f96;"|●
|[[西日本旅客鉄道]]:{{JR西路線記号|K|O}} [[大阪環状線]] (JR-O04) <br />大阪市高速電気軌道:[[File:Osaka_Metro_Sennichimae_line_symbol.svg|15px|T]] 千日前線 (S19)
|rowspan="2"|[[生野区]]
|-
!D05
|[[今里駅 (近鉄)|今里駅]]
|style="text-align:right;"|1.7
|style="text-align:right;"|2.8
|style="text-align:center; background:#cfc;"||
|style="text-align:center; background:#cf9;"||
|style="text-align:center; background:#fc9;"||
|style="text-align:center; background:#f96;"||
|
|-
!D06
|[[布施駅]]#
|style="text-align:right;"|1.3
|style="text-align:right;"|4.1
|style="text-align:center; background:#cfc;"|●
|style="text-align:center; background:#cf9;"|●
|style="text-align:center; background:#fc9;"|●
|style="text-align:center; background:#f96;"||
|近畿日本鉄道:{{近鉄駅番号|A}} [[近鉄奈良線|奈良線]] (A06)
|rowspan="4" colspan="2"|[[東大阪市]]
|-
!D07
|[[俊徳道駅]]
|style="text-align:right;"|1.0
|style="text-align:right;"|5.1
|style="text-align:center; background:#cfc;"||
|style="text-align:center; background:#cf9;"||
|style="text-align:center; background:#fc9;"||
|style="text-align:center; background:#f96;"||
|西日本旅客鉄道:{{JR西路線記号|K|F}} [[おおさか東線]]…[[JR俊徳道駅]] (JR-F11){{Refnest|group="注釈"|name="transfer"|連絡運輸は行っていない<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.jr-odekake.net/railroad/ticket/guide/assets/pdf/stipulation/2021/covenant_unyu.pdf |title=旅客連絡運輸規則 |format=PDF |pages=14-16 |publisher=西日本旅客鉄道 |date=2021 |accessdate=2021-11-02}}</ref>。}}
|-
!D08
|[[長瀬駅]]<br /><small>([[近畿大学]]前)</small>
|style="text-align:right;"|1.1
|style="text-align:right;"|6.2
|style="text-align:center; background:#cfc;"||
|style="text-align:center; background:#cf9;"||
|style="text-align:center; background:#fc9;"||
|style="text-align:center; background:#f96;"||
|
|-
!D09
|[[弥刀駅]]#
|style="text-align:right;"|1.2
|style="text-align:right;"|7.4
|style="text-align:center; background:#cfc;"||
|style="text-align:center; background:#cf9;"||
|style="text-align:center; background:#fc9;"||
|style="text-align:center; background:#f96;"||
|
|-
!D10
|[[久宝寺口駅]]
|style="text-align:right;"|0.9
|style="text-align:right;"|8.3
|style="text-align:center; background:#cfc;"||
|style="text-align:center; background:#cf9;"||
|style="text-align:center; background:#fc9;"||
|style="text-align:center; background:#f96;"||
|
|rowspan="5" colspan="2"|[[八尾市]]
|-
!D11
|[[近鉄八尾駅]]
|style="text-align:right;"|1.3
|style="text-align:right;"|9.6
|style="text-align:center; background:#cfc;"|●
|style="text-align:center; background:#cf9;"|●
|style="text-align:center; background:#fc9;"||
|style="text-align:center; background:#f96;"||
|
|-
!D12
|[[河内山本駅]]#
|style="text-align:right;"|1.5
|style="text-align:right;"|11.1
|style="text-align:center; background:#cfc;"|●
|style="text-align:center; background:#cf9;"|●
|style="text-align:center; background:#fc9;"||
|style="text-align:center; background:#f96;"||
|近畿日本鉄道:{{近鉄駅番号|J}} [[近鉄信貴線|信貴線]] (J12)
|-
!D13
|[[高安駅]]#
|style="text-align:right;"|1.1
|style="text-align:right;"|12.2
|style="text-align:center; background:#cfc;"|●
|style="text-align:center; background:#cf9;"|●
|style="text-align:center; background:#fc9;"||
|style="text-align:center; background:#f96;"||
|
|-
!D14
|[[恩智駅]]
|style="text-align:right;"|1.1
|style="text-align:right;"|13.3
|style="text-align:center; background:#cfc;"|●
|style="text-align:center; background:#cf9;"||
|style="text-align:center; background:#fc9;"||
|style="text-align:center; background:#f96;"||
|
|-
!D15
|[[法善寺駅]]
|style="text-align:right;"|1.6
|style="text-align:right;"|14.9
|style="text-align:center; background:#cfc;"|●
|style="text-align:center; background:#cf9;"||
|style="text-align:center; background:#fc9;"||
|style="text-align:center; background:#f96;"||
|
|rowspan="5" colspan="2"|[[柏原市]]
|-
!D16
|[[堅下駅]]
|style="text-align:right;"|0.8
|style="text-align:right;"|15.7
|style="text-align:center; background:#cfc;"|●
|style="text-align:center; background:#cf9;"||
|style="text-align:center; background:#fc9;"||
|style="text-align:center; background:#f96;"||
|近畿日本鉄道:{{近鉄駅番号|N}} [[近鉄道明寺線|道明寺線]]…[[柏原駅 (大阪府)|柏原駅]] (N17)<ref group="*" name="kashiwara">柏原駅・柏原南口駅とは徒歩連絡。運賃算出時の道明寺線との[[営業キロ]]通算制度は普通乗車券にはなく、定期券のみ適用される。</ref><br />西日本旅客鉄道:{{JR西路線記号|K|Q}} [[関西本線]]([[大和路線]])(JR-Q27)…柏原駅
|-
!D17
|[[安堂駅]]
|style="text-align:right;"|0.9
|style="text-align:right;"|16.6
|style="text-align:center; background:#cfc;"|●
|style="text-align:center; background:#cf9;"||
|style="text-align:center; background:#fc9;"||
|style="text-align:center; background:#f96;"||
|近畿日本鉄道:{{近鉄駅番号|N}} 道明寺線…[[柏原南口駅]] (N16)<ref group="*" name="kashiwara" />
|-
!D18
|[[河内国分駅]]#<br /><small>([[関西福祉科学大学]]前)</small>
|style="text-align:right;"|1.6
|style="text-align:right;"|18.2
|style="text-align:center; background:#cfc;"|●
|style="text-align:center; background:#cf9;"|●
|style="text-align:center; background:#fc9;"|●
|style="text-align:center; background:#f96;"||
|
|-
!D19
|[[大阪教育大前駅]]
|style="text-align:right;"|1.6
|style="text-align:right;"|19.8
|style="text-align:center; background:#cfc;"|●
|style="text-align:center; background:#cf9;"|●
|style="text-align:center; background:#fc9;"||
|style="text-align:center; background:#f96;"||
|
|-
!D20
|[[関屋駅 (奈良県)|関屋駅]]
|style="text-align:right;"|2.2
|style="text-align:right;"|22.0
|style="text-align:center; background:#cfc;"|●
|style="text-align:center; background:#cf9;"|●
|style="text-align:center; background:#fc9;"||
|style="text-align:center; background:#f96;"||
|
|rowspan="17" style="width:1em; text-align:center; letter-spacing:0.5em"|{{縦書き|[[奈良県]]|height=6em}}
|rowspan="4" colspan="2"|[[香芝市]]
|-
!D21
|[[二上駅]]
|style="text-align:right;"|2.1
|style="text-align:right;"|24.1
|style="text-align:center; background:#cfc;"|●
|style="text-align:center; background:#cf9;"|●
|style="text-align:center; background:#fc9;"||
|style="text-align:center; background:#f96;"||
|
|-
!D22
|[[近鉄下田駅]]
|style="text-align:right;"|1.6
|style="text-align:right;"|25.7
|style="text-align:center; background:#cfc;"|●
|style="text-align:center; background:#cf9;"|●
|style="text-align:center; background:#fc9;"||
|style="text-align:center; background:#f96;"||
|
|-
!D23
|style="white-space:nowrap;"|[[五位堂駅]]#<br /><small>(真美が丘ニュータウン前)</small>
|style="text-align:right;"|1.4
|style="text-align:right;"|27.1
|style="text-align:center; background:#cfc;"|●
|style="text-align:center; background:#cf9;"|●
|style="text-align:center; background:#fc9;"|●
|style="text-align:center; background:#f96;"|●
|
|-
!D24
|[[築山駅]]
|style="text-align:right;"|1.7
|style="text-align:right;"|28.8
|style="text-align:center; background:#cfc;"|●
|style="text-align:center; background:#cf9;"|●
|style="text-align:center; background:#fc9;"||
|style="text-align:center; background:#f96;"||
|
|rowspan="3" colspan="2" style="white-space:nowrap;"|[[大和高田市]]
|-
!D25
|[[大和高田駅]]
|style="text-align:right;"|1.1
|style="text-align:right;"|29.9
|style="text-align:center; background:#cfc"|●
|style="text-align:center; background:#cf9"|●
|style="text-align:center; background:#fc9"|●
|style="text-align:center; background:#f96"|●
|
|-
!D26
|[[松塚駅]]
|style="text-align:right;"|1.9
|style="text-align:right;"|31.8
|style="text-align:center; background:#cfc;"|●
|style="text-align:center; background:#cf9;"|●
|style="text-align:center; background:#fc9;"||
|style="text-align:center; background:#f96;"||
|
|-
!D27
|[[真菅駅]]
|style="text-align:right;"|1.0
|style="text-align:right;"|32.8
|style="text-align:center; background:#cfc;"|●
|style="text-align:center; background:#cf9;"|●
|style="text-align:center; background:#fc9;"||
|style="text-align:center; background:#f96;"||
|
|rowspan="3" colspan="2"|[[橿原市]]
|-
!D39
|[[大和八木駅]]#
|style="text-align:right;"|2.0
|style="text-align:right;"|34.8
|style="text-align:center; background:#cfc;"|●
|style="text-align:center; background:#cf9;"|●
|style="text-align:center; background:#fc9;"|●
|style="text-align:center; background:#f96;"|●
|近畿日本鉄道:{{近鉄駅番号|B}} [[近鉄橿原線|橿原線]] (B39)
|-
!D40
|[[耳成駅]]
|style="text-align:right;"|2.1
|style="text-align:right;"|36.9
|style="text-align:center; background:#cfc;"|●
|style="text-align:center; background:#cf9;"|●
|style="text-align:center; background:#fc9;"||
|style="text-align:center; background:#f96;"||
|
|-
!D41
|[[大福駅]]
|style="text-align:right;"|1.3
|style="text-align:right;"|38.2
|style="text-align:center; background:#cfc;"|●
|style="text-align:center; background:#cf9;"|●
|style="text-align:center; background:#fc9;"||
|style="text-align:center; background:#f96;"||
|
|rowspan="4" colspan="2"|[[桜井市]]
|-
!D42
|[[桜井駅 (奈良県)|桜井駅]]
|style="text-align:right;"|1.6
|style="text-align:right;"|39.8
|style="text-align:center; background:#cfc;"|●
|style="text-align:center; background:#cf9;"|●
|style="text-align:center; background:#fc9;"|●
|style="text-align:center; background:#f96;"|●
|西日本旅客鉄道:{{JR西路線記号|K|U}} [[桜井線]](万葉まほろば線)
|-
!D43
|[[大和朝倉駅]]#
|style="text-align:right;"|2.1
|style="text-align:right;"|41.9
|style="text-align:center; background:#cfc;"|●
|style="text-align:center; background:#cf9;"|●
|style="text-align:center; background:#fc9;"|●
|style="text-align:center; background:#f96;"||
|
|-
!D44
|[[長谷寺駅]]
|style="text-align:right;"|3.7
|style="text-align:right;"|45.6
|style="text-align:center; background:#cfc;"|●
|style="text-align:center; background:#cf9;"|●
|style="text-align:center; background:#fc9;"|●
|style="text-align:center; background:#f96;"||
|
|-
!D45
|[[榛原駅]]#
|style="text-align:right;"|4.5
|style="text-align:right;"|50.1
|style="text-align:center; background:#cfc;"|●
|style="text-align:center; background:#cf9;"|●
|style="text-align:center; background:#fc9;"|●
|style="text-align:center; background:#f96;"|●
|
|rowspan="3" colspan="2"|[[宇陀市]]
|-
!D46
|[[室生口大野駅]]
|style="text-align:right;"|7.1
|style="text-align:right;"|57.2
|style="text-align:center; background:#cfc;"|●
|style="text-align:center; background:#cf9;"|●
|style="text-align:center; background:#fc9;"|●
|style="text-align:center; background:#f96;"|●
|
|-
!D47
|[[三本松駅 (奈良県)|三本松駅]]
|style="text-align:right;"|2.5
|style="text-align:right;"|59.7
|style="text-align:center; background:#cfc;"|●
|style="text-align:center; background:#cf9;"|●
|style="text-align:center; background:#fc9;"|●
|style="text-align:center; background:#f96;"||
|
|-
!D48
|[[赤目口駅]]
|style="text-align:right;"|4.3
|style="text-align:right;"|64.0
|style="text-align:center; background:#cfc;"|●
|style="text-align:center; background:#cf9;"|●
|style="text-align:center; background:#fc9;"|●
|style="text-align:center; background:#f96;"|●
|
|rowspan="14" style="width:1em; text-align:center; letter-spacing:0.5em"|{{縦書き|[[三重県]]|height=6em}}
|rowspan="4" colspan="2"|[[名張市]]
|-
!D49
|[[名張駅]]#
|style="text-align:right;"|3.2
|style="text-align:right;"|67.2
|style="text-align:center; background:#cfc;"|●
|style="text-align:center; background:#cf9;"|●
|style="text-align:center; background:#fc9;"|●
|style="text-align:center; background:#f96;"|●
|
|-
!D50
|[[桔梗が丘駅]]
|style="text-align:right;"|2.8
|style="text-align:right;"|70.0
|style="text-align:center;"|
|style="text-align:center;"|
|style="text-align:center; background:#fc9;"|●
|style="text-align:center; background:#f96;"|●
|
|-
!D51
|[[美旗駅]]
|style="text-align:right;"|3.1
|style="text-align:right;"|73.1
|style="text-align:center;"|
|style="text-align:center;"|
|style="text-align:center; background:#fc9;"|●
|style="text-align:center; background:#f96;"|●
|
|-
!D52
|[[伊賀神戸駅]]
|style="text-align:right;"|2.4
|style="text-align:right;"|75.5
|style="text-align:center;"|
|style="text-align:center;"|
|style="text-align:center; background:#fc9;"|●
|style="text-align:center; background:#f96;"|●
|[[伊賀鉄道]]:{{Color|#703664|■}}[[伊賀鉄道伊賀線|伊賀線]]
|rowspan="4" colspan="2"|[[伊賀市]]
|-
!D53
|[[青山町駅]]#
|style="text-align:right;"|2.4
|style="text-align:right;"|77.9
|style="text-align:center;"|
|style="text-align:center;"|
|style="text-align:center; background:#fc9;"|●
|style="text-align:center; background:#f96;"|●
|
|-
!D54
|[[伊賀上津駅]]
|style="text-align:right;"|2.7
|style="text-align:right;"|80.6
|style="text-align:center;"|
|style="text-align:center;"|
|style="text-align:center; background:#fc9;"|●
|style="text-align:center; background:#f96;"|↓
|
|-
!D55
|[[西青山駅]]
|style="text-align:right;"|3.2
|style="text-align:right;"|83.8
|style="text-align:center;"|
|style="text-align:center;"|
|style="text-align:center; background:#fc9;"|●
|style="text-align:center; background:#f96;"|↓
|
|-
!D56
|[[東青山駅]]#
|style="text-align:right;"|7.7
|style="text-align:right;"|91.5
|style="text-align:center;"|
|style="text-align:center;"|
|style="text-align:center; background:#fc9;"|●
|style="text-align:center; background:#f96;"|↓
|
|rowspan="5" colspan="2"|[[津市]]
|-
!D57
|[[榊原温泉口駅]]
|style="text-align:right;"|3.9<br><ref group="*" name="kiro">実キロ数は2.5km。</ref>
|style="text-align:right;"|95.4
|style="text-align:center;"|
|style="text-align:center;"|
|style="text-align:center; background:#fc9;"|●
|style="text-align:center; background:#f96;"|●
|
|-
!D58
|[[大三駅]]
|style="text-align:right;"|2.2
|style="text-align:right;"|97.6
|style="text-align:center;"|
|style="text-align:center;"|
|style="text-align:center; background:#fc9;"||
|style="text-align:center; background:#f96;"|↓
|
|-
!D59
|[[伊勢石橋駅]]
|style="text-align:right;"|4.0
|style="text-align:right;"|101.6
|style="text-align:center;"|
|style="text-align:center;"|
|style="text-align:center; background:#fc9;"||
|style="text-align:center; background:#f96;"|↓
|
|-
!D60
|[[川合高岡駅]]
|style="text-align:right;"|2.8
|style="text-align:right;"|104.4
|style="text-align:center;"|
|style="text-align:center;"|
|style="text-align:center; background:#fc9;"||
|style="text-align:center; background:#f96;"|↓
|
|-
!D61
|[[伊勢中川駅]]#
|style="text-align:right;"|4.5
|style="text-align:right;"|108.9
|style="text-align:center;"|
|style="text-align:center;"|
|style="text-align:center; background:#fc9;"|●
|style="text-align:center; background:#f96;"|●
|近畿日本鉄道:{{近鉄駅番号|E}} [[近鉄名古屋線|名古屋線]] (E61)(特急のみ同駅ホームを通らず中川短絡線経由で[[近鉄名古屋駅]]まで直通運転)・{{近鉄駅番号|M}} [[近鉄山田線|山田線]] (M61)(普通が[[明星駅]]、急行・快速急行が{{近鉄駅番号|M}} [[近鉄鳥羽線|鳥羽線]][[鳥羽駅]]、特急が{{近鉄駅番号|M}} [[近鉄志摩線|志摩線]][[賢島駅]]まで直通運転)
|colspan="2"|[[松阪市]]
|-
|}
{{Reflist|group="*"}}
== 各駅の乗降客数 ==
[[2018年]](平成30年)[[11月13日]]調査による乗降客数は次の通り<ref>[http://www.kintetsu.co.jp/tetsudo/a.html#02 駅別乗降人員 難波線 大阪線] - 近畿日本鉄道</ref>。
{| class="wikitable"
!駅名
!乗降客数(人)
|-
|大阪上本町
|style="text-align:right;"|77,990
|-
|鶴橋
|style="text-align:right;"|161,451
|-
|今里
|style="text-align:right;"|10,901
|-
|布施
|style="text-align:right;"|39,370
|-
|俊徳道
|style="text-align:right;"|6,699
|-
|長瀬
|style="text-align:right;"|30,889
|-
|弥刀
|style="text-align:right;"|10,299
|-
|久宝寺口
|style="text-align:right;"|5,445
|-
|近鉄八尾
|style="text-align:right;"|37,867
|-
|河内山本
|style="text-align:right;"|20,281
|-
|高安
|style="text-align:right;"|11,202
|-
|恩智
|style="text-align:right;"|5,316
|-
|法善寺
|style="text-align:right;"|3,944
|-
|堅下
|style="text-align:right;"|3,821
|-
|安堂
|style="text-align:right;"|2,387
|-
|河内国分
|style="text-align:right;"|16,458
|-
|大阪教育大前
|style="text-align:right;"|6,484
|-
|関屋
|style="text-align:right;"|4,122
|-
|二上
|style="text-align:right;"|9,326
|-
|近鉄下田
|style="text-align:right;"|5,194
|-
|五位堂
|style="text-align:right;"|26,874
|-
|築山
|style="text-align:right;"|3,089
|-
|大和高田
|style="text-align:right;"|15,019
|-
|松塚
|style="text-align:right;"|1,362
|-
|真菅
|style="text-align:right;"|5,036
|-
|大和八木
|style="text-align:right;"|37,345
|-
|耳成
|style="text-align:right;"|3,865
|-
|大福
|style="text-align:right;"|1,642
|-
|桜井
|style="text-align:right;"|16,229
|-
|大和朝倉
|style="text-align:right;"|2,125
|-
|長谷寺
|style="text-align:right;"|1,226
|-
|榛原
|style="text-align:right;"|8,833
|-
|室生口大野
|style="text-align:right;"|956
|-
|三本松
|style="text-align:right;"|151
|-
|赤目口
|style="text-align:right;"|1,258
|-
|名張
|style="text-align:right;"|11,999
|-
|桔梗が丘
|style="text-align:right;"|5,492
|-
|美旗
|style="text-align:right;"|1,456
|-
|伊賀神戸
|style="text-align:right;"|4,420
|-
|青山町
|style="text-align:right;"|1,808
|-
|伊賀上津
|style="text-align:right;"|111
|-
|西青山
|style="text-align:right;"|12
|-
|東青山
|style="text-align:right;"|37
|-
|榊原温泉口
|style="text-align:right;"|923
|-
|大三
|style="text-align:right;"|443
|-
|伊勢石橋
|style="text-align:right;"|54
|-
|川合高岡
|style="text-align:right;"|987
|-
|伊勢中川
|style="text-align:right;"|7,264
|}
== 連続立体交差事業 ==
以下の区間で[[連続立体交差事業]]が検討されている。
* 俊徳道駅 - 弥刀駅間で、東大阪市が検討している<ref>{{PDFlink|1=[https://www.city.higashiosaka.lg.jp/cmsfiles/contents/0000003/3208/3pen.pdf#page=18 東大阪市第2次総合計画前期基本計画 地域別計画]}} - 東大阪市企画財政部企画室 企画課 p.228、2022年7月2日閲覧。</ref>。
* 近鉄八尾駅 - 恩智駅間で、八尾市が検討している<ref>{{PDFlink|1=[https://www.city.yao.osaka.jp/cmsfiles/contents/0000013/13348/3-zentaikousou-R3.pdf#page=21 八尾市都市計画マスタープラン第3章 全体構想]}} - 八尾市都市整備部 都市政策課 p.69、2021年6月3日閲覧。</ref>。
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Reflist|group=注釈}}
=== 出典 ===
{{Reflist}}
== 参考文献 ==
* {{Cite book | 和書 | title = まるごと近鉄ぶらり沿線の旅 | author = 徳田耕一(編著) | publisher = 河出書房新社 | year = 2005 | id = ISBN 4309224393 }}
* {{Cite book | 和書 | title = 日本の私鉄 近鉄1 | series = カラーブックス | author = 諸河久・杉谷広規(編著) | publisher = 保育社 | year = 1998 | id = ISBN 458650904X }}
* {{Cite book | 和書 | title = 日本の私鉄 近鉄2 | series = カラーブックス | author = 諸河久・山辺誠(編著) | publisher = 保育社 | year = 1998 | id = ISBN 4586509058 }}
* {{Cite book | 和書 | title = 近鉄時刻表 | volume = 各号 | author = [[近畿日本鉄道]](編著) | publisher = 近畿日本鉄道 }}
* {{Cite journal | 和書 | title = 京阪神からの旅行に便利な交通公社の時刻表 | volume = 各号 | author = 日本交通公社(編著) }}(1987年頃に廃刊)
* {{Cite journal | 和書 | title = 鉄道ピクトリアル2003年1月号増刊 特集:近畿日本鉄道 | author = 電気車研究会 | year = 2003}}
* {{Cite book | 和書 | title = 近鉄特急 | volume = 上 | author = 田淵仁 | publisher = JTB | year = 2004 | id = ISBN 4533051715 }}
*「鉄道ファン」各号(交友社)
*「鉄道ダイヤ情報」各号(交通新聞社)
*「鉄道ジャーナル」各号(鉄道ジャーナル社)
== 関連項目 ==
*[[日本の鉄道路線一覧]]
*[[近鉄特急史]]
*[[鮮魚列車]]
*[[東武日光線]]
== 外部リンク ==
*[http://www.kintetsu.co.jp/railway/rosen/A50004.html#osaka 大阪線]
{{近畿日本鉄道の路線}}
{{DEFAULTSORT:きんてつおおさかせん}}
[[Category:近畿地方の鉄道路線|おおさかせん]]
[[Category:近畿日本鉄道の鉄道路線|おおさか]]
[[Category:関西急行鉄道|路]]
[[Category:大阪電気軌道|路]]
[[Category:大阪府の交通]]
[[Category:奈良県の交通]]
[[Category:三重県の交通]]
|
2003-09-12T02:02:51Z
|
2023-12-30T14:23:27Z
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[
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BF%91%E9%89%84%E5%A4%A7%E9%98%AA%E7%B7%9A
|
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